【投稿】ひよっとして政権交替?

【投稿】ひよっとして政権交替?
     ・・・・・民主・自由合流で解散総選挙を占う・・・・

 いよいよお盆明けから政治の季節に突入する。
 
 <9月自民党総裁選挙>
 9月8日には自民党総裁選挙告示、20日投票で自民党新総裁が誕生する。総裁選挙は大方の予想は小泉再選で揺るぎはないとはいえ、地方の自民党県連で小泉を支持しない動きが出てきている。橋本派の候補者選び・調整は8月28日に行われ、最大派閥の橋本派の動向が注目されている。
 今回の総裁選挙の特徴のひとつは、総裁公選との触れ込みの党員投票が、前回は各県に3票与えられたのに対して、300票となったこと。全体では300票+国会議員一人1票の合計となり、地方の比重が増えたことである。自民党改革・構造改革を目標としてぶち上げ、ライオンブームとまで盛り上がった小泉フィーバーも今は萎んで、地方からの小泉支持は不透明である。もちろん、しっかりした対抗馬が出ればの話ではあるが。
 
<支持率低下に苦しむ小泉内閣>
 一時回復したかに見えた内閣支持率だったが、特にイラク戦争への態度、自衛隊派遣を含むイラク特措法の強行を境に、内閣支持率は、低下ないし横ばい状態が続いている。「抵抗勢力」と言われる野中や江藤、亀井が、言葉の上でだが小泉打倒を叫んでいることは、小泉人気が衰えてきている現時点では、内閣の不人気を拡大する。
 もちろん、総裁選を越えた時点では、選挙に向けて挙党体制を敷くことにはなると思われるが、政治家がお笑い番組にまで登場する現在、選挙に入っても国民はそれまでの発言や放言を忘れることはなく、小泉独裁内閣の弱さは、どこかで露呈することは必至と思われる。
 
<民主・自由の合流で期待高まる>
 私自身も予想していなかったのが、自由党の無条件での民主党吸収・合流だった。野合だ何だというつもりはない。むしろ、その後の世論調査によって、この合流が好感されていることが明らかにされており、小沢の政治感覚の鋭さ(?)には敬服といったところか。
 自民党・公明連合に対抗できるには、小沢の歯切れの良さやそこそこ悪いこともやってきた「安心感」が必要なのかも知れない。
 共同通信のシュミレーションによれば、合併効果によって「16議席増、小選挙区95、比例70で166議席となり、自民党は小選挙区で11減らし、単独過半数を失い、3党の連合でようやく259となり過半数は維持」という結果だという。前回の総選挙の得票を基礎にしているわけで、現実にさらに自民批判・与党批判が強まれば・・・・。
 社民・民主の選挙協力も具体的な決着には至っていないとは言え、少なくとも与党側の出遅れよりは、前を向いていると思われる。
  
<自民に不安定要因>
 小泉・反小泉の中央における対立を反映してか、全国の自民党の選挙区事情は決して安心できる状態ではない。調整が追いつかず、候補者乱立の傾向も出てきている。また10名を越える大物長老議員の引退が予定され、「世襲制」により二世候補が当たり前のように擁立される傾向は、親が死んで弔い合戦ならいざ知らず、平時に「世襲」がまかり通る事態には批判が出てきている。官僚あがりか二世議員しかいない政党が国民に支持されるものであろうか。もちろん、自民党では政治家になれないのなら、民主党で、というのもいかがなものか、とも思うけれど。

<戸惑う公明に危機感>
 さらに、民主・自由合流に危機感を募らせているのが公明党である。自民党の悪政に加担しながら、おこぼれのような福祉で点数稼ぎをしつつ大臣病に重度感染したこの宗教団体(政党)も、イラク特措法あたりから、小泉と心中はできないと少しは思い始めたらしい。そして民主・自由の合流が国民から好感されている現実の中で、危機感を自民党以上に募らせているようだ。事前の政党ポスターも「与直し公明党」と。
 日経新聞の世論調査調査での、「投票したくない政党」比率は、共産党に次いで依然高い。自民党との選挙協力も進んでいないと報道される中、池田会長が檄を飛ばしているという報道もある。

<政治は政(まつりごと)、変化の期待がバケルかも>
 合流民主党が伸びても、保守2大政党制が強化されるだけで、国民のためにならないというのが、「新左翼」や小政治グループの主張に見受けられる。現実政治にコミットしたくなければそれでいい。しかし、自民党は小泉人気で息を吹き返したように見えているが、すでに命脈は尽きている政党でしかない。ただ、対抗できる・信頼してもいいかもしれないという勢力の登場があれば、瓦解させることが可能である。小泉を最後の自民党出身の首相にしてしまう可能性は大いにある。
 自民や公明は「野合」だと言っている。自らが「野合政権」であることを忘れて。例え政権交替がないとしても、小泉では勝てないという状況が出てくれば、次のステージの幕が開くのである。
 
<すべてを先送りにしている政権>
 構造改革という言葉が踊っているが、年金改革・医療制度改革しかりで問題先送りしかしてこなかったのが小泉政権である。消費税についての態度然りである。
 イラク「復興」の泥沼化、北朝鮮問題での手詰まり、株価が1万円を回復したとは言え、経済にはまだ灯りは見えていない。道路公団民営化・郵政民営化では国民の負担増は必至であり、「痛みを伴なう改革」が「改革という国民負担増」という中で、1票を投じてもいい選択肢としての「新々民主党」への期待は結構基盤はしっかりとしたものであると言える。
 実は民主党にも、このチャンスを最大限生かすことができない場合の大きなリスクを抱えている。一頃の党内不和は表に出てきていないが、確かに右も左も共存している党である。しかし、成功の経験は不和を抑えるし、統一しなければ勝てない場面でのまとめ方もそろそろ「旧々民主党」結党以来10年の経験によって党内運営のルールを形成してきていると期待したいものだ。
 いずれにせよ、今秋の解散総選挙は、与党・野党の双方にとって試練であり正念場であることに変わりはない。読者各位の政治への関わりを期待したい。(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.309 2003年9月27日

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【コラム】ひとりごと–民学同結成40周年に思う–

【コラム】ひとりごと–民学同結成40周年に思う–

 ○もう40年前のことだが、1963年9月15日大阪で民主主義学生同盟が結成されている。その歴史を振り返ると、60年代を通じて全国化を果すと共に、「学園紛争」の時代を前後して、2度の分裂を経験し、それぞれの学生グループは少なくとも80年代の後半までは、一定の組織的存続をしていた。○私自身は70年代の前半期に、民学同統一会議・デモクラート・新時代のグループに所属していた。この間にも、分裂を経験し、喧々諤々の議論と組織闘争を経験している。今から思えば運動の退潮期の分裂というものは、退潮を一層進めるという結果に至るものでしかなく、積み上げてきた様々な財産を失ったことは否めない。○しかし、運動の一定の高揚期であった結成からの10年間は、文書や伝聞でしか知ることができないのだが、歴史のこの部分について、もっと知りたいなとかねがね思ってきたものである。○全学連をセクト的に独占し、結果的に破壊しようとする左右の分裂主義に抗して、運動の統一と民主主義を擁護しようと結成された民学同の主張と運動は、少なくとも68・69年の大学闘争高揚期(ポツダム自治会の否定と全共闘運動という個別学園を舞台にした拠点闘争昂揚の時代)までは、日本の学生運動の混迷の中で一筋の光明ともいうべき光を放ち、影響を広げていった。最近出版された塩見孝也「赤軍派始末記」にも64・5年当時、社学同など三派による全学連の「再建」が「構造改革派が反対したんです。大阪大学の民学同や東京教育大学の連中なんだけれど・・・」(P47)と強行出来なかったことが回想されている。○自分自身の経験に照らしてみても、すでに自治会が崩壊状態の中でも、学内の統一した闘いを大切にしてきた。実はこれが一番手間のかかることだった。○現在に語り継がれるべき、民学同の遺産こそは、民主主義の思想であり、運動統一の思想に他ならない。○もちろん、学生運動をそれだけで語ることはできない。60年代の運動は、日本共産党に替わるべき前衛党をめぐる議論と組織運動に規定されていると思われるからである。○こうした関心から、アサートホームページの中に、「民学同40周年を考えるページ」をまもなく立ち上げることにしました。限られたものではありますが、歴史的資料の紹介と共に掲示板も用意したいと思います。民学同経験を検証していく場にできたらと考えております。(2003-09-23 佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.309 2003年9月27日

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【投稿】迷走を続ける朝鮮半島の平和を希求して

【投稿】迷走を続ける朝鮮半島の平和を希求して

<迷走する朝鮮半島情勢>
 7月11日、北朝鮮が使用済核燃料を再処理している「物証」を掴んだ(米NBCテレビ)と報じられた。この報道が米政府の意図的な「絶妙のタイミング」の情報提供だとみるむきもある(朝日新聞7/13)。直前の12日、韓国と北朝鮮の閣僚級会談が「適切な対話の方法を通じて平和的に解決する」と共同報道文を発表したばかりであり、8日には中国と韓国が首脳会談を行い「対話を通じた平和的な解決ができると確信した」と共同声明を発表していた直後の反応である。アメリカの報道は、イラク攻撃の理由に「大量破壊兵器を持っている」「イラクがアメリカでウラン購入を試みたことをイギリス政府が掴んだ」とブッシュ大統領が1月28日一般教書演説で述べているが、偽造文書に基づくものであったことやそれを承知しての宣伝であつたことからも要注意の対象である。
 2003年1月労働組合主催での「北東アジアの非核地帯化をめざして」梅林宏道氏の記念講演を聞いた。緊張を高める朝鮮半島情勢の理解を大いに助けられた。迷走を続ける情勢を平和的解決への視点からの有効な見解と思われるので紹介しつつ、私見を述べたい。
  
1. 戦争への道,朝鮮半島エネルギー開発機構( KEDO)に最後の一撃!
 アメリカはKEDOを崩壊させようとやっきになっている。KEDOは、97年米韓日が北朝鮮に核施設を凍結する見返りに、軽水炉原発の建設を約束して作ったものである。その後いろんな経緯を踏んできたが、昨年夏に土台工事が始まったばかりだった。周辺国は緊張する朝鮮半島情勢の平和的解決への糸口をKEDOに見い出していたのを、02年11月14日にはアメリカの圧力からKEDOは、北朝鮮への重油供給の凍結を決定している。さらに03年6月27日、ワシントンで米政府高官が軽水炉事業中止を目指す方針を発表した。
 しかし事業費の7割を負担している盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、少しずつでも建設工事を続けるベきと主張し、7/7 中国、韓国首脳会談、7/9ソウルでの第11回南北閣僚級会談で朝鮮半島・民族が戦火にさらされないようにと大変な努力を重ねている。
 これら平和への努力はアメリカの意図をこえた動きとなっている。
 
2. アメリカの意図を超えて
 2002/09/16の日朝会談はアメリカの予測を超えた展開となった。この直後アメリカ国務省が「北朝鮮が兵器用ウラン濃縮を行っている」と発表したことの真意は、アメリカが”米朝”の関係をつくり、主導権をにぎりたかったからではないか。核問題でテンションをあげて「アメリカを抜きにしては朝鮮半島問題が解決しない状態を作り出す」というところ意図があったと思われる。それは11月の大統領選挙をむかえた韓国国民に北の核脅威をもう一度印象づけ、太陽政策の誤りに思い至らせブッシュ路線と親米派を擁護し、盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補を落選させる目的があったのであろう。
 しかし、アメリカの意に反して、韓国国民は2002年12月末の大統領選挙で反北、冷戦嗜好の親米派候補ではなく、太陽政策継承、独立親中派で中国との太い関係を大事にする、アメリカには独立路線を表明している盧武鉉(ノ・ムヒョン)新大統領を選んだ。
 
3. 94合意(平和的交渉)を無視するブッシュ政権
 ブッシュは、クリントン政権の対北政策を根本的に変えることを公約としてかかげてきた。クリントン路線のコンテンツは、北朝鮮を国際社会に引っぱりだして軟着陸させ、徐々に開放社会に連れ出すというものであった。周辺諸国は朝鮮半島を戦場にしたくない。韓国が戦場になり、日本も標的になる、中国に難民が溢れるそんな状況を誰が望むだろうか。ブッシュ路線よりクリントンの軟着陸路線の方がずっと良いのではないだろうか。
 1994年アメリカと北朝鮮間の大変な交渉の結果つくられた「94年のジュネーブ枠組み合意」がそれを特徴付けている。これは、当時北朝鮮がもっていた黒鉛炉という原子炉はプルトニュウムを抽出しやすく核兵器開発に使われやすいので、ためにこれを廃棄する。代わりに国際社会(アメリカ、日本、韓国)が軽水炉を供給して発電を確保する。それでその軽水炉ができるまでは重油を供給し北朝鮮の需要に応える。そのことで北朝鮮の核開発からの路線転換を促すというものあった。これはエネルギーを供給するだけではなく軽水炉が稼動する時には全面的な査察を受け入れるという条件を付けたものであった。
 その流れの中で韓国とは92年に、南北朝鮮非核化共同宣言(朝鮮半島を非核化するための相互査察を南北合意のうえで実行するという約束が含まれていた)を結んでいた。
 94年以降、枠組合意を軸にひとつづつ交渉を積み重ね、お互いに牽制し、紆余曲折がありながらも平和的に軟着陸をめざして枠組みをこわさない努力を積み重ねている。
 
4. クリントン政権のぎりぎりの努力
 アメリカの担当特使ロバートガルーチ(国務次官補)が当時をふりかえりこの枠組み合意がいかにきわどい、やっとたどりついた結果であるかについて語っている。北朝鮮はアメリカを全く信用していない。アメリカも北はいつでも嘘をつく国だと信用していない。全く信用していない二つの国が核兵器を開発しているしていないをめぐってひとつの合意に到達するというプロセスは、いかに信頼関係を築いていくかが鍵になる。言ったことは守るという積み重ねがなかったら簡単に壊れてしまう。だから互いに勝手な解釈を加えてはならない。出来上がった合意は、アメリカでも秘密公聴会でしか明らかにされない議事録の中で、その中身を説明しているが、薄氷を踏むようにして扱っている。アメリカ国内には右翼的な議員も多くそれを壊そうとするのを、なんとか壊させないようにギリギリの運営をクリントン政権がやっていたとガルーチは回想している。
 
5. 天国から地獄に変わった
 しかし、北朝鮮が腹にすえかねることがブッシュ登場とともに続いている。ブッシュ政権は、登場した時からこの枠組み合意を壊し始めたのだ。クリントン政権末期にオルブライト国務長官がピョンヤンに行ったこと。また北朝鮮の国防委員会第1副委員長(No3)チョンノンリョム氏が2000年10月12日にワシントンでクリントンと会い非常にハッピーな内容の共同コミュニケを発表している。「両国政府は、いづれの側も、他国に対して敵対的な意図を持たないことを声明する。また過去の敵意を払拭した新しい関係を建設するために今後全力を尽くすことを確認した」というものであった。これが枠組み合意のプロセスの頂点だった。この1年後アメリカ大統領選挙で政権が変わり、ブッシュは『悪の枢軸』という年頭教書を発表したのだから。
 基本的には、イラクと同じ路線の転換で「国家安全保障戦略」が悪の枢軸の政権は打倒しなければあとに憂いを残す、だからこれを打倒するというもので、括弧つきアメリカ民主主義を世界の規範にして行く。冷戦もそのやり方で勝ってきたし、今残っている悪の枢軸もこのやり方で打倒する。まさにアメリカの新帝国主義、新保守主義の出現である。
 
6. 地域政治の一歩の勝利
 イラクと北朝鮮は、国際政治のなかでの地位が明らかに違っている。北東アジアでの日韓中ロの利害は、アメリカの利害と一致しない。政権打倒路線でもたらされる地域の混乱と直接の被害を受けるのはこの4カ国であって、とてもアメリカの路線はのめない。同時にイラクと違うのは、この4カ国とも国際政治で一目を置くべき国々だということで、ペルシャ湾岸地域でもアメリカの路線に反対する国はあるが、国際政治の中での地位がちがうので、簡単には無視出来ない。また無視した時のアメリカへの打撃も分かりやすい。
 基本的には、地域政治が勝ったのではないか。しかしそれで安泰ではなく警戒すべき動きは次から次へと新手をもって出てくると思われる。けれど大きな枠組みとしての地域の力関係につての理解はとても大切だと思う。
 
7. アメリカとの不可侵条約を望む北朝鮮!
 北朝鮮のねらいはなにか、表面的には非常に矛盾しているように受け取れる。というのはNPTから脱退するという声明を出すと同時に核兵器は開発しないと言う、核は平和的利用しかしない、核兵器開発の意図はないと『くり返しメッセージ』を送る。核開発の意図がないならNPTに止まればいいではないかと思う。しかしそれでは外交的政治目的を達成することが出来ない。核兵器開発をしていないというメッセージは嘘かもしれないと思わせる、そのことによって北朝鮮をめぐる国際的譲歩、関与を引きだすことを北朝鮮は考えているのだと思われる。
 北朝鮮が望んでいるのは「アメリカに北朝鮮を攻めさせない」そのための不可侵条約である。他の国が北朝鮮に戦争を仕掛ける意図がないことは分かっている。今アメリカが一番好戦的な危ない国家である。それは1950年の朝鮮戦争が未だに戦争集結の講和条約を結んでいない状態にある。朝鮮半島38度線では今も日常的に小競り合いが続いていることを北朝鮮は重く考えている。多国間協議だけではだめでアメリカが北朝鮮の政権を倒すという行動に出させないための新たな枠組みをなんとしてでも作りたい。
 そもそも新たな瀬戸際外交は北朝鮮から望んで始めたわけでなく、ブッシュ政権が、11月15日のKEDの理事会の決定として「北朝鮮が核兵器開発を放棄すると明言しない限り重油の供給をしない」と言わせたことが始まりだった。
 KEDOは、アメリカ、日本、韓国と後から加わったEUが理事国となって意思決定する国際組織で、朝鮮半島エネルギー機構と言われており、94年の枠組み合意を実行するなかで、軽水炉と炉ができるまで重油を供給し続けるという、エネルギー問題を実行に移すための「合意」事項だった。 ブッシュの今回の行動は、明白な枠組み合意違反でありKEDOが機能しなくなったと位置づけざる得ない。
 
8. 生き残りをかけた北朝鮮外交
 北朝鮮は、この事態をはっきりさせるために、封印をして監視を受けていた古い核施設の封印を解除したり、IAEAの査察官を国外に退去させたり、NPT脱退の宣言をするというように、本気であるという瀬戸際攻撃をエスカレートさせていってKEDOを壊した。もちろん彼等の言い分は、アメリカが先でこれはもう新しい関係を作るしかないと動き出したのだと。しかし、日韓中ロは、KEDOは絶対壊してはダメだと今でも考えて、アメリカの言うなりにはなっていない。この動きはまたもアメリカの思惑をこえたもので、その意味で11月15日の決定は失敗した。
 ブッシュアメリカは重油の供給を停止するという最後のひと突きをして、KEDOの崩壊を加速させたが、日韓国中ロは、「まだ壊れていない、作り替えよ」とアメリカを説得し、壊したいアメリカが、軌道修正しながら画策しているのが現状ではないだろうか。
 
9. アメリカ擁護の偏った報道
 北が核の脅威を外交の道具に使うのは間違っている。しかしメデイアが意識的に見のがしている偏りがある。
 一つは、北朝鮮のNPT脱退というセンセーショナルなアクションは、NPT条約や核不拡散体制を北朝鮮が壊している様に見える。しかし、実はNPT条約は1975年に発効した非常に古い条約で核兵器が拡散しないことを約束する条約と受け取られがちだが、実際は『核兵器を持っていない国が核兵器を持たないことを約束する』もので、その第6条に保有国:現在核兵器を持っている5つの国(米、ロ、中、仏、インド)が核兵器をなくすという前提がある。
 加盟国187ヵ国のうち残りの今核兵器を持たない182ヵ国(これに北朝鮮も含まれる)は核兵器を持たないといっているのだから、『保有国は、第6条を実行せよ』とこの条約の再検討会議(5年ごとに開かれる)ではくり返し要求されている。両方が実行されてはじめて核兵器が禁止され最終的に核兵器禁止条約ができる。しかしアメリカは、この前提を尊重せず明らかに違反している。
 
10. NPT国際合意に反し、核兵器開発を進めるブッシュ政権
 直近の2000年の再検討会議ではアメリカも入って全会一致で合意したにもかかわらず、ブッシュ政権は、CTBT(核実験禁止条約)に一旦署名、調印しながら、後になって欠陥条約だと言って公然と無効化する行動に出ている。
 それは、『核体制の見直し』という文書のなかでブッシュ政権は「堅固で地中深く埋没された標的を破壊する能力を持つ核兵器、移動標的を発見し、攻撃能力を持つ核兵器、化学剤・生物剤を破壊することのできる核兵器、精度を向上し、付随的影響を軽減できる能力持つ核兵器この4種の核兵器が現在アメリカにないから、その開発をしなければならない」と指摘しており、2003年の国家予算に地中貫通型核兵器開発予算をつけた。これは2003年国防認可法で了承され、すでに開発を始めている。
 これは2000年のNPT国際合意に明らかに違反する行為である。国連をきちんと機能させIAEAがアメリカの国際合意違反として進行状態を査察して制裁を加えなければならない事柄である。にもかかわらず、その事実さえメデイアはほとんど書かない。このことを私たちはしっかり認識しておかなければならない。
 
11. 多国間協議の権威と機能の回復が平和実現への道
 アメリカ国民は朝鮮半島情勢にどのような脅威を感じているのだろうか?民主主義を標榜しながら、周辺諸国の意思を無視し、戦争を望んでいない北東アジアを戦場にする動機はどこにあるのか。
 イラク攻撃反対の運動がかってない世界的規模の運動に広がり、運動として成功したかのごとく感じられたのもつかの間、ブッシュアメリカのなりふり構わぬ攻撃の前に、強がりフセイン政権はいたぶられ、イラク国民をなぶり殺すごとき殺戮を見せつけられ、大きな挫折感を味わっていることも事実である。強大な武器と軍事力を前面に米国が国連をはじめ当該地域の主権をもないがしろにすることは、イラク戦争をみても明らかである。
 北朝鮮政権がアメリカを恐れ、攻める意思のない周辺諸国との交渉ではなく、アメリカとの不可侵条約を結んで国家の安泰を求めるのは「政権」の行動として理解できる。
 いっぽう、好戦的ブッシュ勢力を押さえ込む戦略としては、多国間協議にアメリカをひき入れ、平和的に解決する道を追求するしかない。
 「北の核」を解決するための多様な運動の展開、市民運動、組合の取組み、国際的な平和勢力の連携、そのための冷静な情勢分析とスローガンが求められている。(E..T) 

 【出典】 アサート No.308 2003年7月26日

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【投稿】イラク特措法と日本の危険な役回り

【投稿】イラク特措法と日本の危険な役回り

<<元国連査察官の変死体>>
ブレア英首相が来日したその日に、「ブレア政権が大量破壊兵器に関する証拠を捏造し、脅威を誇張して伝えた」とする爆弾情報を英国営放送のBBCに提供したとされるデービッド・ケリー元国連査察官が変死体で発見された。「政府の犯人捜しの犠牲で自殺した」とされる一方で、「国益に反したため殺された」との疑惑も浮上。小泉首相との共同記者会見では、「首相、あなたはこの問題で辞める考えはあるのか」などとブレア首相を厳しく問い詰める質問が相次ぎ、アジア歴訪中の予定を切り上げ即刻帰国すべきだという野党側の要求まで伝えられ、日ごろの声量も弱々しく、変死について独立の司法調査を認める姿は、予期せぬものであったといえよう。小泉首相の「正しい信念の人だという思いを新たにした」という歯の浮いたようなエールもどこかへ吹っ飛んでしまい、ブレア氏にとっては、箱根の温泉どころではなかったであろう。
ブレア英首相は来日直前の十七日、ワシントンの米議会上下両院合同会議で演説し、対イラク戦争の口実とした大量破壊兵器がなお発見されず、その判断に誤りがあったとしても、非人道的な脅威を取り除いたことを「歴史は許すだろう」と、無理矢理イラク侵略戦争を正当化し、「反テロ戦争」をたたかうブッシュ米大統領をリーダーとして、世界が結集するよう呼びかけたばかりであった。「その判断に誤りがあった」のであれば、責任を取るべきなのに、逆に開き直り、この路線にもっとも忠実に加担し、追随する小泉との会談で、窮地に立つブレア政権の立て直しと失地挽回を図ったのであろうが、当てが外れたといえよう。そもそも選んだ相手がまずかった。ブッシュ、小泉両人とも嘘とごまかし、そして責任転嫁には長けているが、誠意や誠実さに欠け、このような場合最も重要な緻密さにも欠けていたのである。すでにブッシュは情報操作疑惑ではCIAに責任をなすりつけ、イギリス当局の情報を信頼したと述べ、情報の真実性を疑う報告書など読みも確認もせずに脅威を誇張する大統領演説を行ってきたことが暴露され、ブレアと同じくブッシュの支持率も急落し始めているのである。

<<「もう支持しちゃったんです」>>
その対イラク戦のバグダッド占領からから3ヶ月以上もたち、5/1の「戦闘終結宣言」からでも2ヵ月半以上もたった7/16、米中央軍のアビザイド新司令官は、「イラクでは古典的なゲリラ型の戦闘が米軍に対し行われている」「ロケット弾やマシンガンで武装した6人から8人のグループが自由に攻撃を仕掛けている」「米軍はバース党の残党とイラク全土で戦っている。地域的に組織化されており、これは間違いなく戦争だ」と言明、バグダッド空港の米軍機に小型ミサイルまで打ち込まれる事態に米兵を引き上げるわけには行かない事態を明らかにしている。さらに、ブッシュ大統領にいたっては、「わが国はまだ戦争状態」にあり、かかってくるなら「かかってこい」と挑発し、終息どころかこれからまだまだ続く果てしなき戦争にのめりこむ姿勢である。
小泉首相が、イラクが大量破壊兵器を「保有」していたと断定した根拠を問われ、「フセイン大統領が見つからないから、フセイン大統領はいなかったと言えるのか」と詭弁を弄し、イラク特措法案にもとづく自衛隊の派遣について、米軍の現地司令官が「全土が戦闘状態」と述べているのに、「非戦闘地域の区別は可能だ」と強弁し、あげくの果てに「もう支持しちゃったんです。しちゃったんですよ。それを取り消すことはできないですね」(福田官房長官)と発言しても、その無責任さが問われない、ブッシュ、ブレアがうらやむこのような政治環境に、この際、憲法の足枷をはずし、さらに軍事大国化を推し進める議論が公然とぶち上げられている。

<<「軍と呼んでほしい」>>
91年のPKO(国連平和維持活動)法の国会審議で、政府は、海外での武器使用について「国ないし国に準じる組織に対するものは武力の行使になる」として、憲法上認められないことを言明していたのであるが、7/9の参院外交防衛・内閣委員会の連合審査会で石破防衛庁長官は、自衛隊に加えられた攻撃が、旧フセイン政権残存勢力といった「国又は国に準ずる者」による計画的組織的な攻撃であっても「正当防衛、緊急避難に基づく武器使用はできる」とし、応戦も交戦も可能という見解を繰り返し、さらに同長官は7/17の参院外交防衛委員会で、イラク国民がおこなうデモなど軍事占領への抵抗を武力で鎮圧することも「全面的には否定されない」とまで述べだしたのである。まさに帝国主義の軍隊の本質の露呈である。
また、「武器を使って救い出す行為は、武器使用を自己又は自己と共に現場に所在する隊員等の防衛に限定している趣旨からいって、行えない」(91年11月)とした従来の政府見解からも逸脱して、自衛隊員が武装勢力に拉致された場合を想定し、これを奪還するための武器使用も事実上可能とする見解も打ち出し(7/10、参院外交防衛委)、さらに進んで、自衛隊員の武器使用について「急迫不正の場合は必ずしも相手から実際的な攻撃を受ける前であっても対応できる」(同)として、実際に攻撃を受けていなくても、自衛隊の側から先制攻撃を仕掛けることも可能だといい始めたのである。
小泉首相は例によってこれらを大雑把な議論で、「戦って相手を殺す場合がないとはいえない」とごまかし、福田官房長官は7/10の参院外交防衛委員会で、この際、自衛隊の海外派兵を可能とする恒久法の法制化について「(作業は)急いでやりたい」とのべ、そのために「大綱」を作成する考えまでを明らかにしたのである。
この機に乗じて、石破長官は「国の独立をまっとうするため身をていしている防衛庁・自衛隊を一日も早く省に移行させてほしい」と要求(7/10、参院防衛省設置推進国会議員連盟総会)、古庄幸一海上幕僚長は「海外派遣されても海上自衛隊では理解してもらえない。ジャパン・ネービー(日本海軍)という本質で呼んでもらいたい」と、露骨な「陸海空三軍」への名称変更を要求(同)する事態である。

<<「解散・総選挙」>>
アフガン戦争時のテロ特措法では「武力行使と一体化する可能性がある」として削除した武器・弾薬輸送もOKとなり、「持っていく武器に法的制限はない」(石破防衛庁長官)などと言い出し、何が何でもイラクへ自衛隊を送り込み、自衛隊の海外派遣を既成事実化し、米軍との共同作戦を実際に実戦訓練する、これがブッシュ政権に媚びを売る小泉政権の狙いといえよう。それは当然、次に想定される米国の北朝鮮攻撃に備えた日米軍事作戦の予行演習でもある。
このようなイラク特措法案に対して、自民党の稲葉大和元科学技術政務次官は「集団的自衛権行使につながる恐れがある」として反対票を投じ、野中広務元幹事長、古賀誠前幹事長、西田司元自治相の3人は採決の際に退席し、野中氏は「国の運命を決める重要法案だ。自衛隊の死傷者、イラク国民の命を奪うようなことを思うと、政治家が責任を持つ記
名投票でないと納得できない」と語って骨のあることを示したが、小泉首相は「日本だけ何もしないわけにはいかない」「自衛隊は武力行使に行くのではない」などといった的外れの無責任さといい加減さでしかその政治姿勢を表現できない器である。時代錯誤の暴言・妄言を繰り返して恥じない江藤や森、鴻池、石原などの蠢動。そしてこんな首相を支えている与党、ろくな反撃もできない野党のふがいなさが今日の日本の政治状況の特徴なのであろうか。
問題山積のイラク特措法案が慎重かつ真剣な議論とはまったく無縁な政治的駆け引きで終始し、ロクな審議もなしに衆院を通過したとたん、今度はいきなり「解散・総選挙」の急浮上である。「10月中旬解散、11月9日投票だ」と、議員諸侯や候補者が一斉に選挙準備と無内容な名前の連呼と空疎な宣伝、後援会の組織化に走り始めている。年中行事といえばそれまでだが、このような政治状況に鉄槌が下されなければ、いよいよ日本は危険な役回りを再び演じかねないのではないだろうか。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.308 2003年7月26日

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【雑感】 藤田省三のこと

【雑感】 藤田省三のこと    by 大木 透

最近の雑誌「世界」でとても楽しみにしているシリーズがある。それは「語る藤田省三」という報告である。これは、藤田が、教え子たちと開いていた研究会における、彼の発言を参加者のひとりが記録したものである。この6月号ではベケットが、7月号ではブレヒトが取り上げられている。そこには、彼独自の目の付け所や創意が余すところなく示されていて、とても感動的である★その藤田が亡くなった。以前から病弱であると言われていたので意外とは思わなかったが、多少の感慨が残った。それには理由がある。私は、アサート 209号(1995年4月18日) に、藤田の「全体主義の時代経験」について書評を書いたことがある。そこでも触れたことだが、以前に藤田の親友だったAという人間から、彼の人となりを聞いていて、藤田に親近感を抱いていたのである。今度、紹介しようと言われていたが、それはとうとう実現しなかった★ついでに、ここで、Aについて少し付言すると、彼は、その昔、某有力政党の大幹部のHに、理不尽な経緯で、恋人を「奪われた」という出来事があって、それが深い心の傷になって、その後の人生に陰を残したと噂されていた。このことは、亡くなったA・Jがどこか(多分、雑誌「現代の理論」だったと記憶しているが)に書いていたと思う。そのAが、電話などで呼び捨てにして喋っていた相手が藤田であった★よく、藤田を、予言者のように言う人があるが、たしかに、その公平無私の利害にとらわれない卓見にはその趣があった。ゴルバチョフの登場に際して、彼は「それは私の気分にいささか楽天性を甦(よみがえ)らせてくれました。私はもっぱら悲観的ですから。しかし熱狂はしません。なぜならば、幻滅はいやですから」(雑誌『世界』一九九〇年二月号のインタビュー「現代日本の精神」)と述べていた。これは予言的であったが、その目の付け所の確かさをも示していた★彼の、某政党への入党と離党の経緯については、吉川勇一が自分のHPに書いているが、まことに彼らしい人間性が発揮されていて、微笑ましい。彼は、丸山ゼミ出身者のなかでも異色であった。アカデミズムを超克する道を選んだ。それは、京都での「論楽社」の手づくり講座「言葉を紡ぐ」への献身的な支援、古在由重を支えるための活動などにその意欲が表れていた★彼の盟友だった高畠通敏が朝日新聞に追悼文を書いている(6月9日夕刊)。そこには、少々、懐古趣味ではないかと思われるようなことが書かれている。いわく、「時代を知るためには、まずその時代を作り出した社会的・経済的条件を押さえなくてならない。彼は、若いときに学んだマルクスの方法を、多くの知識人が戦後の流行に沿って捨て去った後でも、時代を理解するための最初のステップとして大切にした。しかし、彼がマルクスから読み取ったものは、それだけではなかった。経済的・社会的な構造が体制的な重圧となって時代を覆うとき、そこで苦しむ弱者に思いをはせ、思想的に体制のくびきから自らを解き放って新しい社会を構想するために努力すること。それこそが、マルクスそしてマルクス主義者と自らを規定して権力と苦闘した人々から、-彼がもっとも学んだことだった。」と★わたしは、これを読んで、威儀を正さざるをえなかった。そして、いま、彼の追悼のために、生前、彼が推奨してやまなかった小説、簾内敬司の「千年の夜」を読んでいる。 (文中敬称略)

 【出典】 アサート No.308 2003年7月26日

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【書評】『棟梁を育てる学校–球磨工業高校伝統建築コースの14年』

【書評】『棟梁を育てる学校–球磨工業高校伝統建築コースの14年』
              (笠井一子著、2003.2.25.発行、草思社、1,500円)

 「高度経済成長以後、猫も杓子も大学進学へ、大学進学へとなびいていく間に、伝統にかかわる分野の職人が、めっきり減ってしまった。手仕事やもの作りが『ダサい』とかたづけられ、職人の子どもは親の仕事を継がなくなり、徒弟制度も影を薄めた。
 ところが今から十数年前に、日本で初めて公立の工業高校で職人教育を始めていたところがある。それは九州の南端、人吉球磨地方にある県立球磨工業高等学校だ。その建築科に〈伝統建築コース〉が設けられ、平成元(1989)年スタートしている」。
 本書は、高度産業化社会、情報化社会と呼ばれる世にあって、伝統建築に携わる技能者を学校教育の中で養成し続けている工業高校の記録である。著者には他に京都の職人衆の仕事を扱ったルポルタージュもあり、今では影が薄くなりつつある手仕事に焦点を合わせて、そこから逆に現代社会における技術・教育のあり方を浮かび上がらせるという視点は興味深い。
 さて本書に登場する球磨工業高校の〈伝統建築コース〉は、県教育委員会の方針から言えば、進学率の上昇、生徒の志望の多様化に応じた「特色ある学校づくり」──〈美術コース〉〈体育コース〉〈国際観光科〉〈バイオ工学科〉等──という流
れの延長上にあり、文化財、林業、建築科という三つのキーワードを満たしている当校に開設された全国初の学科である。そしてその目指すところは、「技能を身につけたり、実際に経験を積んで体で覚えるということが、これまでの教育制度のなかでは欠けていた」という反省を踏まえて、「徒弟制度ではなく公教育のなかで、しかもたった三年という短い期間に、伝統建築の技能を習得させる」ことにあった。このユニークさ=「職人教育を学校教育に持ち込んだ」点は評価される。
 では「その重要な意味を持つ実習を、〈伝統建築コース〉では誰がどう教えるのか」。この点で主任の富岡先生と職業訓練校から実習担当者として迎えられた寺田先生は、こう考えた。
 「人がすることを盗み見て覚えるという『見取り稽古』も修行の一つだが、手取り足取りして基礎基本をキチッと教え、それを繰り返し習得できるような環境を作って育てていくことこそが、学校教育だ」と。
 このために〈伝統建築コース〉では、大工技能についての寺田先生の模範演技とその上での技術上の細部の指導というかたちで教えることとなった。
 「たとえば、木材に線を引いてノコギリで切断する場合でも、(略)まず、鉛筆で引いた線には幅がある。その線の幅を拡大して考えたときに、鉛筆の線の幅の外側で切るのか内側で切るのか、あるいは真ん中できるのか、そういうことを想定しながら仕事をする」ということを教える」。そしてノコギリの幅、切るときの目線を考慮に入れれば、挽くときの姿勢も重要になる。右足の置き方、左足の置き方、道具の構え方、力の入れ方等々具体的に教える。すなわち「大工技術を身につけさせる
のは、ノコギリの挽き方にしても、ノミの研ぎ方にしても、釘の打ち方にしても、まず正しい姿勢と正しい道具の使い方が肝心だ。その基礎基本さえ身につければ、あとは本人の努力しだいでいくらでも伸びていける」という視点が教育の基底に据えられた。
 そしてこの視点はまた、長年剣道に精進してきた富岡先生によれば、剣道の修行にいう「守・破・離」(しゅ・は・り)という発展段階に通じる。すなわち、「先生の基本的な教えを一通り習得して自由に動けるようになる段階」(守)から、「自分なりに創意工夫する」段階(破)を経て、「先生の教えにとらわれることなく、自分自身のものの考え方や見方、(略)自由自在の動きが理合にもとづいてできるようになった段階」(離)に到って「一人前」になるという捉え方である。
 このような中で進められた〈伝統建築コース〉の教育は、具体的には一方で、実技実習の基礎である「規矩術」(差し金の使い方)を、「四方転びの椅子」(四方に勾配のある脚をもつ椅子–この椅子の製作は、昔から技能士資格試験の課題でもあった)の製作を通して習得することを目指し、他方で、伝統建築物の宝庫である人吉球磨地方での実測調査や特別講師(日本を代表する伝統建築の研究者から現場の古建築や文化財を扱う工務店、専門職人等)による講義を通じて次第に定着していく。そしてその集大成として、平成10(1998)年の「鞠智城(きくちじょう)鼓楼」の10分の1模型が制作されることになる。「鞠智城」とは7世紀後半「白村江の戦」での大敗の後、大宰府防衛のために築かれた福岡、佐賀、長崎等の城への補給支援基地であったとされるが、県による発掘調査、復元事業の一部として、八角形の鼓楼模型が文化課より依頼される。科内での激論の末、この製作に〈伝統建築コース〉の教職員、生徒が一年間にわたって取組み完成させたことは、記念碑的な意味を持ち、その後の外部事業へのさきがけとなった。
 〈伝統建築コース〉はこうして一定の評価を得て、卒業生もそれぞれの進路を開いていったが、その個々の仕事ぶりについては、本書後半のインタビューを基にした章(「はばたけ若い大工たち」)を読まれたい。そこには彼らの仕事への姿勢が生き生きと真摯に語られている。
 とはいえこのコースにも、就職先の確保の難しさや生徒の個性・相性の問題、あるいは技能者が技術者よりも低く見られがちな世間の風潮、設計者と施工者が分離されてしまう現在の建築方法の問題等、問題がないわけではない。しかしにもかかわらず、日本文化の伝統・文化財を守るという大きな視野に立てば、〈伝統建築コース〉は重要なものであり、将来的には大工技能周辺の技能–古色づけ、漆、壁紙、竹等–とも結びついて総合的な技能となる未来を有しているとされる。
 以上のように本書は、棟梁を育てることを目標にしたユニークな工業高校の記録ではあるが、現代社会においてはマイナーな技術であるように見える伝統技能が、逆に現代社会においてある側面では本質的な意義を持つことを指摘する。それは現代の労働概念よりももっと広い労働(働くこと)という概念に気づかせてくれる点であり、本書はその手がかりを、まさしく手仕事として与えてくれると言えよう。(R)

 【出典】 アサート No.308 2003年7月26日

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【投稿】大量破壊兵器と政治の責任

【投稿】大量破壊兵器と政治の責任

<<「大量ペテン兵器」>>
米国のイラク侵攻の最大の理由と根拠は、「大量破壊兵器を保持し、隠しているのは間違いない」(ブッシュ大統領の最後通告演説)ということであった。そして先制攻撃正当化の最大の理由が「イラクは計500トンもの化学兵器をつくることができて、3万発以上の化学兵器用弾頭を保有している疑いがある」というものであった。ブレア英首相に至っては、「イラクは45分で大量破壊兵器の使用の準備ができる」などとあおりたてて開戦に踏み切ったのであった。ところが、米英軍がイラクを占領して二カ月以上を経過しても、いまだに大量破壊兵器の痕跡すら見つけられず、適当なでっち上げ証拠探しにやっきとなっている姿はまさに噴飯ものである。
そしていま、この米英両首脳に対して彼らが振りまいてきたさまざまなイラク侵攻正当化の根拠や証拠なるものが、いずれも「うそ、いつわり、ごまかし、ペテン= Deception 」であったとして、音を立てて崩れだしている。同じWMDでも、大量破壊兵器(WMD=Weapons of Mass Destruction)ではなく、大量ペテン兵器(WMD=Weapons of Mass Deception)だというわけである。時を同じくして、戦争遂行を正当化した最大の根拠が揺らぎだし、米英両議会でこのWMD問題が両政権の浮沈にかかわる最重要問題になろうとしているのである。
6/5にCNNやロイター通信などが一斉に報じた米国防総省の情報機関である国防情報局(DIA)の昨年九月にまとめた機密報告書が、「イラクの化学兵器保有・製造を示す信頼できる情報はない」などと指摘していたこと、それにもかかわらず、政権側の意向によって強引に「信頼できる証拠」にすりかえられ、そのことに国務省情報担当の元責任者が、「私が深く困惑したのは、情報当局が説明したことを、政権のトップが不誠実に」ねじ曲げたことを明らかにし、さらに、「核開発問題やアルカイダとの関係についても、証拠が欠けていたにもかかわらず、議論は無視された」として、秘密情報機関の報告を誇張した政権指導部に責任があると主張し、そのことが大きく報道されたのである。事実、この機密報告が提出された昨年九月に下院軍事委員会の公聴会でラムズフェルド国防長官は、「イラクの政権は生物・化学兵器を保持している」と証言していたのである。

<<「三つの要素」>>
あわてたブッシュ米大統領は、閣議後の記者会見で、「イラクは兵器(開発)計画を持っていた」「これは十年間にわたり、情報当局が明らかにしてきた。私は確信している」と釈明し、いまだに発見できていないイラクの大量破壊兵器をかならず見つけてみせると反論したのであったが、その根拠や展望については何も明らかにできないものであった。
さらに6/7付のニューヨーク・タイムズ紙は、匿名の情報分析担当者の話として、米政権が現在、大量破壊兵器発見の証拠としてあげている移動式生物兵器製造施設についても、他の目的のためのものであると疑問視しているにもかかわらず、「決定的証拠のような分析結果となった。これには非常に憤っている」と報じたのである。
米誌『タイム』6/9号は「大量消滅兵器」と題して、現政権の姿勢には(1)最悪の事態想定を事実として扱う、(2)あいまいさを飾り立てる、(3)誤りをごまかすという「三つの要素」があると指摘し、「消えた大量破壊兵器が見つけられない限り、次の戦争をしかけることができるようになるには長い時が必要となろう」と皮肉る事態である。
さらに強烈な一撃は、ニューズウィーク誌6/9号(日本版6/11号)で明らかにされた。ブッシュ大統領の今年1月の一般教書演説の中に、英情報機関から得た情報として、フセインが「アフリカから大量のウランを入手しようとしていた」という一節があったのだが、米国務省情報調査局(INR)でイラクの大量破壊兵器の調査に携わっていたグレッグ・シールマン分析官(当時)は、新聞で演説原稿を読んで「卒倒しそうになった」という。決定的証拠に祭り上げられた文書は、アフリカのある外交官がイタリア人に売り込んだ偽造文書であることが判明したものであり、レターヘッドに記されていたニジェール外相の名も、10年以上前に退任した人物のもので、「どうやってあのでたらめな文書が一般教書に盛り込まれた」のか、シールマンは理解に苦しんだというのである。

<<「私たちはだまされた」>>
事態はブッシュ大統領の責任問題へとつながらざるをえないであろう。6/6、ジョン・ディーン元米大統領法律顧問は「ブッシュ大統領はきわめて重大な問題に直面してしまった」として、「ブッシュ大統領が偽造した情報にもとづいて議会と国を戦争に引き込んだのであれば、彼は助からない。国家安全保障にかんする秘密情報のデータを操作し、あるいは意図的に不正使用することは、もしそれが証明されれば、合衆国憲法の大統領弾劾条項にいう『重罪』となるだろう」と法律専門のインターネット・サイト「ファインド・ロー」への寄稿「大量破壊兵器の消滅」で述べている。
ごまかしとねじまげの証言の場となった米連邦下院の軍事委員会では、超党派での疑惑解明にむけて調査が開始され、情報委員会も公聴会を開く可能性に動き出している。とりわけ民主党は「国家と大統領の信用は危機にある」(レビン上院議員)「政権がごまかしとデマの行動パターンに従事している」(グラハム上院議員)と批判を強め、この動きはさらに拡大するであろう。
そしてイギリスのブレア首相はブッシュ氏以上に窮地に立たされている。ヒーリー英元蔵相は「知りながらうそをついていたならブレア首相は辞任すべきだ」と、公然と批判を展開、すでにブレア首相に反対して国際開発相を辞任したクレア・ショート氏は「緊急性をつくり出すために機密情報に政治的な操作があった。それは首相の政治判断だった。私たちは誤り導かれ、だまされたのだと思う」(6/1付サンデー・テレグラフ紙)と首相の責任を追及、6/4付英紙ガーディアンは「ブレア首相にただすべき十の決定的疑問」を掲載、デーリー・ミラー紙は「国民はだまされたと感じ、首相の信用全体が危うくなっている」と報じる事態に、ブレア首相自身は「政府が操作した証拠は何一つない」と開き直ったものの、議会調査には同意せざるをえなくなった。すでに下院の情報治安委員会がイラクの兵器データを点検する方針を決定、さらに外交委員会は首相ら3人の公開審理に踏み切る方針であり、追及の火の手はさらに広がろうとしている。

<<「見つからないフセイン」>>
ところが小泉首相はいかにものんきで無責任なものである。イラク侵攻前の早い段階から一人ブッシュ支持を明確にし、先制攻撃にあせるアメリカを弁護し、「イラクは大量破壊兵器を保有している」、「この問題の核心は、イラクが自ら保有する大量破壊兵器」、「全世界対大量破壊兵器を持っているイラク」などと繰り返し断言していた首相が、6/11の党首討論で「いったい、いかなる具体的根拠にもとづいて『保有している』と断言したのか」と追及されて、「現に、フセイン大統領はいまだに見つかっていないんですよ。生死も判明していない。フセイン大統領が見つかっていないから、イラクにフセイン大統領は存在しなかったということを言えますか。言えないでしょう。生死もまだ分かっていない。存在も分かっていない」という珍答弁で議場内大爆笑というから、緊張感も責任感もなければ、誠実さのひとかけらもないあきれた本性をさらけ出している。またこんな答弁をしたところで政局も緊迫しなければ、野党側から首相解任動議も出されない、ブッシュ・ブレア両氏がうらやむ政治環境である。
なにしろ有事立法の制定に際しては、野党側から石破防衛庁長官に対して「誘導弾等の攻撃に対しては座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨じゃない。やられたらやり返すということ、あるいはまさにやられそうになったとき、相手の基地をたたくことは憲法上認められている」(民主党・前原議員)と先制攻撃まで叱咤激励される政治環境である。
であればこそ、何の反省も後ろめたさもなく、有事法制が成立したかと思えば、すぐさま今度はイラク新法の今国会提出が急テンポで画策され、大量破壊兵器の処理支援や何の歯止めもない武器・弾薬の陸上輸送まで政府原案に盛り込まれていたが、与党内から未発見の大量破壊兵器の処理支援とはなにごとかと異論が出るとそこだけをはずしていけしゃーしゃーとしておられる、これが小泉政権の存続を許しているといえよう。
来日した盧武鉉・韓国大統領が日本の国会で演説し、冒頭、「不幸だった過去の歴史を思い起こす動きが日本から出るたびに、韓国を含むアジア諸国の国民は敏感な反応を見せてきました。防衛安保法制と平和憲法改正の議論についても、疑惑と不安の目で見守っています。このような不安と疑惑が全く根拠のないものでなければ、あるいは過去にとらわれた感情にだけ根拠したものでなければ、日本は解決すべき過去の宿題を解決できていないことを意味します。」と訴えたが、この問いかけを真摯に受け止められなければ、日本は誰からも信頼されないであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.307 2003年6月21日

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【投稿】迷走する三位一体改革~地方行政の質の転換を~

【投稿】迷走する三位一体改革~地方行政の質の転換を~
                              (大阪 江川 明)
<二つの意見書>
 さる6月6日、政府の地方分権改革推進会議は、昨年6月のいわゆる「骨太の方針第2弾」を受けたものとして、国庫補助負担金・地方交付税・税源移譲の「三位一体の改革についての意見」を取りまとめた。
 その内容は、地方自治体側がこれまで強く求めてきた権限委譲に伴う税源の移譲については、増税を伴う税制改革まで先送りし、地方交付税については、その財源保障機能は廃止するというものである。
 この「結論」に至るまで、それまでの議論の経緯を無視した水口小委員長「試案」なるものが突如提案され、地方6団体はもちろんのこと、地方側に立つ委員が猛反発する中で、強引に取りまとめられたものである。意見書の末尾には、委員名簿に反対した委員に*印がが付けられるなど、異常な状況を物語っている。
 第1次分権改革を引っ張ってきた地方分権推進委員会とは違う、地方側の意見を無視するその態度には、鳥取県の片山知事が分権会議の西室議長が会長を務める東芝製品の不買発言までするなど、その異様さが伺えるものである。
 一方で、分権委員会の委員長を務めた諸井氏が会長となっている地方制度調査会は、先の5月23日、「試案」で揺れる最中に、地方側の意見を反映した「地方税財政のあり方についての意見」を発表している。
 いわば、地方自治に関わる政府の二つ諮問機関が、小泉構造内閣の目玉の一つである三位一体改革に関して、全く正反対の意見書を答申しているのである。
<小泉の決断?!>
 地方交付税や税源移譲については、そもそも総務省と財務省で根本的な対立が以前から存在していた。国庫補助負担金についても、各省庁の大きな抵抗が今もって続いている。
 この結論は、この6月下旬に予定されている経済財政諮問会議の場に委ねられている。この混乱に妥協点を見出そうと、民間議員である本間教授の試案や塩川財務大臣の税源移譲容認発言など、様々な「落とし処」が提起されている。
 最終的な判断は、小泉首相自身の政治的決断次第ということになっているが、これが最も「怖い」のである。地方自治に関する見識は全く不明確であること、持論としていた郵政改革や特殊法人改革ですらあの状況であること、何よりその出自は「大蔵族」であることを考えるならば、その行き先は大方の予想がつきそうである。
 地方分権そのものが「中央集権体制の制度疲労」や「行政改革の一環」というあくまで国の都合、中央政府の論理によって進められてきた経過を思えば、この議論の帰結も当然のことと言える。「自主的な」市町村合併も、半ば強制合併の色合いを濃厚にしていることも同じである。何よりも、地方自治制度の骨格を形作るのは、あくまでも中央政府であり、中央国会であるという、国家体制の限界が厳然とした事実がある。
<量から質へ>
 しかし、住民を目の前にした地方自治の現場としては、いかなる制度の改変が行われようとも、逃げ出すわけにはいかず、その責任を果たしていかなければならない。いかに交付税が減額されようとも、国庫補助負担金削減に見合う税源が移譲されなくとも、住民サービスを提供しつづけなければならないのである。
 確かに、これまでは歳出の拡大路線を続け、その歳入を補わんとして、借金までして(これは国の交付税会計の借金も含む)、サービスの維持を図ろうとしてきた。そのような施策誘導をした国が悪いのか、それに安易にのってきた地方自治体が悪いのか、今その責任論を展開しても始まらないが(もちろん、いずれは明確な結論を示さなければならない問題ではある)、要は、今一度原点に立ち返り、歳入に見合った歳出の構造改革が地方の側にも求められているのである。
 言い換えれば、家計と同じで、入ってくる収入以上のことはできないのである。身の丈にあった行政しかできない、ということを住民にハッキリと示し、「行政はここまでしかできません、あとは住民自身の自助、互助でお願いします」と言わなければならない時代にきているのである。その議論の過程の中で、受益と負担、協働のあり方、公共事業の優先順位、施策の選択とそれに伴う税負担について、行政は説明責任を果たし、住民も行政に参画しながら、真摯に「わがまちの将来」を展望しなければならないのである。
 こういった議論は、今や「キレイ事」ではなくなってきている。成果主義の観点で捉える行政評価をはじめとしたニュー・パブリック・マネジメントの試みやマニフェストの提案、ボランティアの活性化やNPO法人の活躍など、全国各地で様々な実践、実験が取り組まれている。先の統一地方選にも見られるように、ここ数年、「行政改革」を公約に当選している首長が増えているのも事実である。量の多さではなく質の高さが問題であることが、認識され始めているといえる。
<もう頑張らなくていい>
 もはや、公共事業や福祉の無原則な拡大で行政が「頑張る」時代は過ぎたのである。むしろ行政が「頑張って」成功した例の方が少ないのではないか。人口が減少したからといって行政が血道を上げたところで人口が増えるのだろうか。即効性が求められる数多くの少子化対策を打っても出生率は下がる一方ではないか。支える世代が減少するならば、それに合わせた制度設計をせざるを得ないではないか。少子高齢社会、人口減少社会、歳入減少の時代の中で、いかなる質の行政をめざすのか、真剣に考える絶好の機会が訪れているのである。
 国の迷走劇をインセンティブにするのも、まるで国の意図に乗るようで皮肉なことではあるが、これまで地方自治体自身が、ある意味で「国のせい」にして回避しつづけてきた問題に、そろそろ回答が求められているのである。もちろん、三位一体改革が、少しでも地方側に有利な結論になることに期待しつつ。
(大阪 江川 明)

 【出典】 アサート No.307 2003年6月21日

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【書評】『男はなぜ暴力をふるうのか—進化から見たレイプ・殺人・戦争』

【書評】『男はなぜ暴力をふるうのか—進化から見たレイプ・殺人・戦争』
  (M.P.ギグリエリ、松浦俊輔訳、2002.10.30.発行、朝日新聞社、2,300円)

 「本書には少なくとも二つのことが期待できる。一つは男の暴力に関するいくつかの事実である。全世界やアメリカにおいて、どのような男が暴行や殺人を犯すのか(さらに、どのような場所でどのようなときにそうなるのか)がわかるだろう。もう一つは、なぜ男がそれほど暴力的なのかに関する、最も妥当で、正確で、かつ筋の通った、進化論的説明である。本書は、男と女、セックスと暴力についての本であるが、人々がこのような行動に駆り立てられる根っこにある、基本的な生物学的・文化的な力も探究する」。
 「われわれは今、人間の暴力が文明化の不幸な産物ではなく、はるかに根深いものであることを知っている。本書の目的は、男の暴力の誘因が男の心にどれほど深く根づいているものか–そしてなぜその誘因がそこにあるのか–を、正確に解き明かすことである」。
 本書は、類人猿学者である視点から、男の暴力についての考察を進める。さて著者によれば、男の暴力はこう語られる。
 「男の暴力の起源は氏か育ちかの問題ではない。育ちは氏によって遺伝的にプログラムされているのだ。(中略)男と女は生まれながらに、生物学的性(セックス)も社会的性(ジェンダー)–人間の心とアイデンティティの最も基本的な要素–も違うようにできているし、親の養育を通じて、あらゆる形態の繁殖競争で他の同性に勝てるように適応して、適切で競争力のある性別役割分担を文化から学ぶよう、本能ができている。男の暴力は、この過程の中で、氏、生物学的性、育ち、社会的性などによって形成される繁殖戦略として現れてくるのである」。
 すなわち「ジェンダー的行動をもってプログラムされているこの必要と欲求」を前提にして、「人間に暴力行為を犯させる本能的な感情」が存在することを認めることで初めて男の暴力についての正確な理解とこれを克服する視点が得られるとされる。ところが人間行動に関する生物学の理論を拒否し、現実を回避する態度(「社会のチャンネルを回せば諸悪を遮断できる」という思い込み)が現在の社会科学にあまねく行き渡っており、むしろこれが科学的研究の成果を利用するためには妨げとなっている、と著者は警告する。
 「要するに、大きな脳、暴力的ではあるが協力的な男の社会組織、DNAによる繁殖戦略の組み合わせが、人類の人類らしいところを必然的にしたのだ。ホモ属の男達が力を合わせたり、(中略)ホモ属の類人猿の脳が大きくなって文化的創造と象徴言語が可能になったりしたとき、人類らしさが鍛えられていった。競争において文化がいちばん有利になったとき、はじめて類人猿は人類になった」。
 このホモ属の行動の進化は、さまざまな要素がきわめてまれな結びつきをしたために、「洗練された性差別や協力的な暴力など、あらゆるものに至る狭い道に」追い込まれていったのであろうと推測され、これらが、人類の人類らしさを描き出しているとされる。
 このような視点から著者は、レイプ、殺人、戦争といった「男の暴力」の根源を探る。その個々のデータについては本書を読んでいただくとして、これらの項目について著者の意味づけを記してみよう。
 レイプについてはこう特徴づけられる。
 「要するに人間の男がレイプを始めたのではない。むしろ、人間の男はレイプ行動を類人猿の祖先から受け継いだ可能性が非常に高い。レイプは雄の普通の繁殖戦略であり、数百万年もの間続いてきたと思われる。人間、チンパンジー、オランウータンの雄はあたりまえのように雌をレイプする」。
 すなわちレイプに関する事実からは、レイプもまたマッチョ的な性淘汰による産物であることがわかるのであり、多くの男性が自然淘汰の繁殖競争に『勝つ』ために役立つ『道具』あるいは適応能力とされる。
 次に殺人についてはどうであろうか。
 著者は、殺人の根本的な原因を生物学的なものであるとし、「繁殖に有利になる個人的利益」の拡大と「すでに獲得した大きな利益」の保持のために、「男を殺しへと駆り立てるように設計されて、性淘汰によって男の心根の中にコード化されて備わっている本能」に求める。つまり「殺人は、われわれのDNAにコード化されている」のである。
 さらに戦争については、次のように語られる。
 「戦争は、まさに、男たちの繁殖のための、のるかそるかの賭けである。戦争という生命を左右する危険に見合う、いちばんの価値ある目的は、女たちであり、あるいは、より多くの女たちとその子孫を惹きつけたり、支えたりできる資源である。
男–あるいは、類人猿の雄–が戦争を通じて求めるのは、自分の一族を利己的に拡大すること、あるいは、安定したものにすることだ。雄に取ることができるのは、繁殖におけるのるかそるかの最大の賭けという究極の形をしたマッチョな雄の性淘汰である」。
 そして戦争の場合に見られる雄の結束と相互利他性という特徴は、「ただただ、そうした先祖たちが結束できなかった先祖たちより多くの子孫を残したから」というのがその理由とされる。「要するに、戦時に男たちが示す証拠によれば、世界中の男たちは、彼らの戦争行為が成功する確率を高めるために、結束する」のである。
 以上見てきたように、著者は、「人間は白紙状態ではない。人間の本性は行動に関する内容を抱えこんだ状態で生じる。その行動は、個人の生存と繁殖という究極的な機能に役立つものである」という視点から、「男の闇の部分」にメスを入れ、生物学的自然を暴き出す。
 そしてこれに対して本書は、例えば殺人について、「殺人の『温床』–熾烈な繁殖競争の世界であり、そこでの勝者が、何百万年にもわたって、われわれが受け継ぐ行動の遺伝子を決定してきた–を理解して初めて、われわれはこの遺伝的傾向を克服する期待を持つことができる」と主張する。すなわちわれわれは、レイプ、殺人、戦争などの先祖からの生物学的自然の遺産を理解することを通じて、それを適切に押さえる術を–個人としても社会としても–身につけることにより、「自身の暗黒面の奴隷」から解放される可能性を持つことになるのである。
 このような著者の姿勢は、生物学的自然を無視あるいは嫌悪しがちな社会科学に再考を迫るものであり、また従来の倫理学的アプローチからス言えば、否定されるべき主張に過ぎないと思えるかもしれない。けだし生物学的自然からの解放を目指す著者の姿勢が、かえって生物学的自然をわれわれの制御不可能なまでに解放してしまう危険を招くかもしれないからである。
この点については、さらなる生物学的研究の成果を踏まえた論議を深めることが必要であろう。しかし著者の批判的視点は、挑発的であるが、説得的であり、かなりの有効性をも持っているように思われる。
 「今やわれわれには、暴力が男と女の繁殖戦略により進化の中で形成されてきた行動であり、男と女では、精神も感情も優先事項も違うのはなぜか、それはどう違うのかを理解できるだけの手段がある。この男女の相違は人類に特有なものではない。われわれに最も近い同じ系統の動物にも見られる。ホモ・サピエンスが暴力を考え出したのではなく、暴力的な起源からホモ・サピエンスが登場したのである」。
 本紙の先月号の書評でも言及したが、人間本性に「遺伝的規定性が優越する〈堅い部分〉と生活条件によってさまざまに変形される〈柔らかい部分〉」とが存在する問題に関連して、本書は、俎上に載せて検討されるべき書であろう。(R)

 【出典】 アサート No.307 2003年6月21日

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【雑感】寺島実郎氏の憂い

【雑感】寺島実郎氏の憂い
                      (大木 透)
国連安全保障理事会は、5月22日、米英とスペインが共同提案した対イラク経済制裁解除決議を採択した。これによって、フセイン政権後のイラク復興が、米英などの占領下で進められることを国際社会が承認したことになったらしい。この二ヶ月間の出来事が夢のように思い出される。フランス、ドイツ、ロシアはなぜこの決議案に賛成したのか★国連中心主義への復帰だの、イラク国民の人道問題への考慮などが、その理由に挙げられているようだが、どうしても、石油利権なのをめぐる「帝国主義列強」による再分割の取引の結果だろうという疑念が生じてしまう★レーニンの言った「帝国主義論」は生きている。経済が政治を決定するというのも、あいかわらず真理だ。表向きこうした唯物論的世界観を標榜しないだけで、批判者達は、黙々とこれらの理論を実践している。こういう背理が罷り通るようになったについては、こうした理論を汚してしまったもの達の責任は免れない。しかし、そのもの達は、今どこにもいない★こういう見せかけの「イデオロギーの終焉」の時代は、人々を、あてどない心の荒廃と彷徨に導く。あの盛り上がった「反戦」の記録(世界特別号)を見ると、この感を深くする。エネルギー不滅の法則はこの場合も真理であろうか。テロの頻発のような形で、このエネルギーが保存され爆発させられないようにするにはどうしたらいいか。それには、この「敗北」によって生まれた真空状態を恐れず、そこを立脚点にして、よく思考しなくてはなるまい★こうした状況のなかで、一貫して、日本の良識を代表して発言してきた寺島実郎の世界六月号の提言は感銘深いものだし、その根底に流れるヒューマンな鮮烈な心性に強く打たれる。すでにお読みの方も多いと思うが、あえて、ここに、その前半部分をそのまま紹介させていただく。
★いわゆる「奴顔」からの脱皮についてー寺島実郎《(財)日本総合研究所理事長・早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授》―「バグダッド陥落」のテレビ映像をみつめた。サダム.フセインの銅像を米兵と一緒に引き倒すイラク人。星条旗を掲げ、米軍を歓迎する群衆。歓迎の中を進駐する構図は珍しくもなく、ヒトラーの軍隊も常に「歓迎の旗の中を進駐」していた。 米国の情報管理の中で伝えられる映像などに言及する意味もないのだが、私はイラク群衆の表情を食い入るように観察した。思い出したのは、中国の作家魯迅が使っていた「奴顔」という表現である。奴隷にふさわしい顔、つまり虐げられることに慣れて、常に強い者に媚びて生きようとする人間の表情である。そこには、自分の運命を自分で決めていくことをしない哀しく虚ろな目が存在していた。翻って、日本人として自分達の頗を鏡に映してみて、いかなる表情が映っているであろうか。やはり「奴顔」が映っているのではないか。少しはものを考える日本人なら、イラク攻撃が理屈に合わない不条理なことを直感していたはずだ。「テロとの戦い」といっても、イラクが「9・11」に関与していた証拠はない。「大量破壊兵器」といっても、米国の開示する情報だけを鵜呑みにして「査察」も「立証」も完結されぬままの殺戟行為に筋が通らぬことは分りきっていたはずだ。 それでも、日本人は「現実主義」の名の下に、「日本を守ってくれるのは米国だけ」「米国吏挿しかこの国の選択肢なし」との思考回路の中で路線を選択した。 「武力と殺戟で民主主義を与える」ことを正当とするような狂気の時代に、人間としての正気を取りもどし、自らの運命を創造する気概を見失ってはならない。正気を取りもどす目線ともいうべき歌を目にした。「破壊後の 復興予算を計る人 いのちの再生 言えるはずなく」(朝日歌壇 神田眞人)
(イラク戦争のせ界史的意味)
 軍事的には米国の圧倒的な「勝利」に終ったイラク戦争であるが、政治的には米国の「敗北」となる可能性がある。一九七九年のソ連のアフガン侵攻を思い出す。軍事的には瞬く間に制圧し、親ソ政権を樹立したが、「正当性」のない軍事支配がいかなる結末をもたらすのかを思い知らされることとなった。内戦とゲリラに悩まされた挙句、アフガンから撤退したのは一九八九年であり、それがソ連崩壊への導線になった。今回の場合も、統制が常態化した国に、「民主化」を持ち込もうとするほど、事態は液状化し、凝固剤として留まれば、アラブ諸国のみならず世界から「米国の野心」を糾弾されるという際限なき消耗に陥る可能性が高いのである。 そもそも、この戦争は「戦争」といえる次元のものではなかった。RMA(軍事革命)といわれる戦略情報戦争の時代にあって、開戦と同時に、イラク軍は通信情報手段を遮断され、組繊的・系統的抵抗ができる状態ではなくなった。いわば、眼の見える人と全盲の人との戦いのようなもので、表面的には「戦争」に見えるが、現実には「いたぶり」に違い残酷な戦いであった。サダム・フセインという憎々しげに毒づく、現実にはさしたる脅威でもない専制者を「都合のよい敵」に祭り上げ、圧倒的に勝利して力を誇示しているが、安手のプロレスの試合を見せられたようなモノ悲しさが拭えない。 イラク戦争の世界史局面を再考すべき局面にある。多くの人は・「アメリカの軍事力の圧倒的優位」を確認し、新しい帝国アメリカの「力の論理」が支配する時代に向かっているという認識を抱きがちである。本当にそうなのだろうか。最近、気に入っている表現に「カントの欧州対ホップスのアメリカ」がある。恒久平和論を書き、国際法理と国際協調システムによる世界秩序を希求した哲学者カントと「万人の万人に対する戦い」における「力こそ正義」による秩序を志向したホップスを対照させ、欧州諸国が王張しているのがカント的世界であり、米国が主張しているのがホップス的世界だという捉え方である。 この対照は、おそらく二一世紀の世界秩序を巡る基本的選択肢にまで投影するものであろう。そして、日本がとるべき路線が「カの論理」ではなく「国際法理と国際協調による秩序形成」であることは間違いない。何故ならば、日本近代史への反省に立って、戦後の日本が踏み固めてきた価値が、「武力をもって紛争の解決手段としない」という国際法理と国際協調システムの希求であり、今こそこの価値を国際政治の場で実体化させる重要な局面に立っていると認識すべきだからである。(以下略)★この寺島の「奴顔」の指摘は、われわれに、ひりひりするような痛みをもたらす。思わず顔をさすって、鏡に顔を写してみたくなる。あるいは、自分の顔を見るのが恐ろしくなる。おそらく、その人生において、「奴顔」にならざるをえないような局面に遭遇しなかった人は少ないであろうが、若者達にだけは、こういう相貌をして欲しくないものだ。 (大木 透)

 【出典】 アサート No.307 2003年6月21日

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【コラム】ひとりごと–小泉支持率上昇の怪–

【コラム】ひとりごと–小泉支持率上昇の怪–

○小泉政権支持率が上昇している。とても奇妙な事だと感じる。失業率は高率で推移しているし、景気がよくなったわけでもない。大企業の3月期決算は軒並み黒字だというが、減収増益でリストラなどでの固定費の圧縮が主因とも言われている。経済的には、何も良いところはない。むしろ一層不透明感が強くなっている。○「破綻」ではなく「再生」だと強弁してみせた、りそな銀行の公的資金投入・実質国有化など経済運営では、評価できるところはないはずである。○あるとすれば、皮肉な事に自民党の中に「まともな」総裁選の対抗馬・人材が皆無であり、対抗勢力である民主党の影が薄くなって「菅人気」も下げ止まりと言う状況の中での、「何かはやってくれそう」という期待だけということになる。○しかし、そんな小泉政権の下で、やりたい放題がまかり通っていることこそ、一番危険なことだと思える。○その一つは、外交・安保問題である。特にミサイルが飛んできたらどうなるのか、と専守防衛の枠を超え、先行攻撃論に近い防衛の基本方針の変更が叫ばれだした。本誌に投稿いただいた大阪Oさんの諸論考で明らかにされているが、北朝鮮脅威論なる虚構の危機感を煽り立て、地に足の着かない議論が公然と行われている。○昨年9月の日朝首脳会談は、ある意味で対アジア外交におけるアメリカ主導からの脱却の側面を持ってはいたが、アメリカ抜きに激怒した一喝によって、何が何でもアメリカ追随との姿勢に転換した小泉政権は、イラク戦争への無条件賛同から、自衛隊のイラク派遣のための新法制定の動きまで、アメリカとの同盟関係からのみ結論を出すという主体性のまったくない、追随外交の道を歩んでいる。○次に、企業献金の枠の拡大に見られるような「政治改革」のなし崩し的な後退がある。汚職議員や疑惑議員が議員辞職もせず、国会に居座っている中、経団連は企業献金の公然たる配分を再開することを宣言している。支持率の高い小泉政権のうちに、そして公明党が与党病・大臣病にどっぷり浸かっているうちに、そして対抗勢力たるべき民主党が低迷しているうちに、何でもありと思っているのだろう。○「骨太の改革」も今や完全に色褪せ、自民党を潰すどころか、官僚のエゴにも断を下せず、彷徨う小泉政権に対して、年末とも言われる解散総選挙では、支持率の高さにも関わらず、与党に厳しい選挙結果を予想するのは、私だけではあるまい。(2003-06-17佐野秀夫)

【出典】 アサート No.307 2003年6月21日

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【投稿】デフレ下の危険な漂流–ブッシュ・小泉路線の迷走

【投稿】デフレ下の危険な漂流–ブッシュ・小泉路線の迷走

<<「対テロ戦争は終わっていない」>>
 5/1、ブッシュ米大統領は、カリフォルニア沖を航行中の空母アブラハム・リンカーンにフライトスーツを着用して戦闘機で着艦するという、現職の大統領としては史上初の「ワイヤー着艦」というパフォーマンスを演じて、対イラク戦戦勝宣言を行った。巨大な空母艦橋に掲げられた「ミッション・コンプリーテッド(使命は完遂された)」という横断幕を背に、甲板上の2000人の乗組員を前に、満面の笑みを浮かべて25分間にわたる演説を行ったが、その中身はあいも変わらずの最低最悪のものであった。「戦争の口実」だった大量破壊兵器が今もって発見できない事態にもかかわらず、大量破壊兵器が最大の脅威だとし、それを拡散させる「ならず者国家」の武装解除が急務であり、国連がやらなければアメリカがやる、これによって「世界が変わった」のだと強弁し、世界から孤立した自己の立場の正当化に大半をついやし、「わが連合軍は仕事が終わり、自由なイラクが生まれるまで残る」と、中東油田地帯への居座り継続を明確にし、「対テロ戦争は終わっていない。われわれは引き続き、敵が攻撃をかけてくる前に追い詰める」と先制攻撃論を展開、最後に米軍側だけの戦没者の家族を見舞うメッセージで締めくくられた。「ならず者国家」どころか、大量破壊兵器を最大限に所有・生産し、それを無慈悲に使用・殺戮する、軍事力にだけ物言わせる「ごろつき国家」の頭領の演説であったといえよう。この戦争映画の俳優気取りのパフォーマンスは、反戦・反ブッシュの世論が今も根強いカリフォルニアに対する「2004年の大統領選挙へ向けての出陣式」という意味合いがあったとまで皮肉られている。それでも、民主党の有力大統領候補であるゲッパート候補などが「勝ち馬」に迎合して「戦勝宣言への賛同」を表明するというていたらくを見れば効果はあったのであろう。

<<「イラクの次は」>>
 しかし事態は、ブッシュの思うように進まないことも事実である。「戦争より戦後復興の方が何倍も難しい」ことは、アフガンの実態が示しており、アフガン戦以前よりも混乱と混迷が増大していることに象徴的である。そして何よりもブッシュの手前勝手で一方的な先制攻撃論が、世界中に解決不可能な事態を次々と引き起こすことは間違いないといえよう。ネクスト・ターゲットをめぐってシリアやイラン、北朝鮮が出てきたかと思えば、本命といわれるサウジアラビア問題が急浮上、ブッシュ政権内で上昇気流に乗るネオコンが一貫して主張してきた、「イラクの次はサウジアラビアの政権も転覆し、サウジの油田は米軍が守る」という方針が問題視されだし、その一方でパレスチナ和平構想がぶち上げられ、いずれも行方定まらずである。
 そして当初、対イラク戦が短期決戦で勝利すれば経済活性化に大きく寄与すると見込まれていた予測はいまや完全に外れだしている。儲けをせしめたのは軍事産業だけであり、これからせしめようとしているのが石油メジャーである。4/28に発表されたボストンの民間団体「公正経済のための連合」の報告によると、軍事企業トップのロッキード・マーティン社は、国防総省との契約高が472億ドル(2001-2年度)、政治献金は417万ドルにのぼり、その後にボーイング、ゼネラル・ダイナミックス、ノースロップ・グラマンなどの各社が続き、これら軍事産業の最高経営責任者(CEO)の報酬は、全産業平均の6%増に対して、79%増と急激な伸びを示したというからあきれたものである。ブッシュやチェイニー、ネオコンの連中が山分けをしているのであろう。ところが経済全体では彼らの利益増大とは逆の事態がもたらされ、イラク戦終結後も、鉱工業生産指数などアメリカの経済統計は軒並み先行き不安を深め、ドルへの不信が増大、対円では一時115円台に突入、ユーロに対しては4年4カ月ぶりの安値更新である。対イラク戦争という不安な売り材料が取り除かれたはずであるにもかかわらず、株価は急落を続け、5/6の米連邦準備制度理事会(FRB)は「景気回復の時期は依然不確かだ」と、景気後退を認めざるを得なくなり、金融政策を「景気重視型」に変更することを表明。それでも外為市場ではドル売りが加速している状態である。

<<「これは危機ではない!」>>
 こうしたブッシュ路線に忠勤を励み、政治・経済・外交すべてを“米国頼み”にしてきた小泉路線も、いよいよ破綻の取り繕いようがない事態に追い込まれてきたといえよう。その典型が5/16発表の三期連続縮小のGDPゼロ成長と、そして5/17のりそなホールディングズの破綻である。政府はこの4月の月例経済報告で「アメリカ経済等の回復が持続すれば、景気は持ち直しに向かう」と太鼓判を押したばかりであったが、対アメリカ向け輸出は今年1月から減少に転じ、三カ月連続のマイナスである。対イラク戦勝利・経済活性化どころか、逆にバブル破綻にあえぐアメリカ経済の後退が色濃く反映しだしたのである。それでも竹中平蔵経済財政・金融担当相は、「景気は横ばい状態であることが裏付けられた」といってのけるだから相当なおめでたさと厚顔無恥といえよう。
 しかしそれも、りそなホールディングズの破綻によってとどめをさされたといえよう。5/17に緊急招集された小泉首相を議長とする「金融危機対応会議」は、「国や特定地域の信用秩序維持に重大な支障が生ずる恐れがある」金融危機と認定し、りそな銀行に2兆円規模の公的資金を投入する預金保険法102条に基づく「特別支援行」第一号指定を行い、事実上の国有化に踏み出さざるを得なくなったのである。ついにメガバンクの一角が崩れだしたのである。この期に及んでも竹中金融相は、危機を認定した「危機会議」で「これは危機ではない、破綻ではない」と叫びだす始末である。大手各行は「りそな以外の銀行への波及効果が怖い」と戦々恐々であり、株価のさらなる下落が避けられない事態に突入しだしたのである。すでに7大銀行グループの3月期決算予測は、2.6兆円の株損を抱えてすべて赤字決算であり、大手生保7社は準備金の取り崩しまで追い詰められており、これ以上の株価下落はさらにいくつかのメガバンクと大手生保の破綻、それに伴う連鎖倒産を現実化しだすであろう。

<<「竹中プラン」>>
 りそながことここに至った最大の原因は、ズサンな経営と政府の危機先送り政策に追随してきたことにあろうが、直接の破綻のきっかけは、監査法人に繰り延べ税金資産の厳格査定を求めた「竹中プラン」の存在といえよう。りそなの経営陣はこの3月期決算で“5年後には劇的に収益が改善する”計画を立て、繰り延べ税金資産を過剰に膨らませ、自己資本をカサ上げしようとしたのであるが、「竹中プラン」はそれを許さず、りそなをスケープゴート第一号に仕立て上げたのであろう。その意味では突如浮上した危機ではなく、仕組まれた危機ともいえよう。この「竹中プラン」は、日本の金融の実態を無視したアメリカ仕込みの「資産査定」などを金融機関や監査法人に強要し、監査担当者の自殺者まで出して、貸し渋り、貸しはがし、貸付金利引き上げなど、金融収縮をいっそうはげしくして、自らデフレ不況を激化させ、「金融の再生」どころか、「金融の破壊」を画策してきたのが実態といえよう。
 りそなグループ主力銀行のりそな銀行は資本金4431億円、店舗数367、預金、貸出金はともに約21兆円、傘下には、旧大和銀行と朝日銀行の系列、りそな信託銀行、近畿大阪銀行、奈良銀行があり、今後は事実上の国有化の下で徹底したリストラ、場合によっては外資への身売りが迫られよう。りそなはすでに「経営再建策」のなかで、従業員を削減し、一年以内をめどに約50の関連会社を半減させるとしており、その広範囲な影響からして不況をさらに悪化させることだけは間違いない。
 りそなの次に控えている世界最大の銀行、みずほフィナンシャルグループの株価はすでに50円台(額面50円換算)という非常に危険なレベルである。そしてこのみずほには、“静かな取り付け”が始まっており、02年3月末のみずほの預金量(3行合計)は約71兆円だったのが、9月末には約66兆円に目減りし、今年3月末は約64兆円程度になったとみられている。実に1年間で7兆円の預金流出である。

<<「画期的な合意」>>
 自民党内からは「全体の経済を活性化していく基本政策をしない限り、国有化をどんどんやることになる」(亀井静香・前自民党政調会長)、「(竹中平蔵金融・経済財政担当相は)大きい銀行をつぶしたいという感じだった。彼の一つの目標を達したのかもしれないが、国民の財産、生活を守るのが閣僚の責任だ」(野中広務・元自民党幹事長)と批判が噴出しているが、小泉首相は自民党総裁・首相の地位確保のために、例によっての「改革継続」の空文句の羅列で、われ関せず、危機打開策は小手先だけで一切なし、ただその場その場の迷走あるのみという無責任体質である。
 しかし首相にとって最大の関心があるのはきな臭い有事立法だけ、というのが正直なところであろう。これだけはわが父祖以来の念願をやっと果たし、日本の政治において禁句であった有事立法を「俺が成立せしめた」と胸を張り、「これまでは『備えると憂いが生ずる』という考え方があって、有事の問題は議論すること自体がタブーのような状況が続いていました。しかし、今回、与党と野党第一党との間で合意ができたということは画期的なことだと思います」(小泉内閣メールマガジン第94号)と成果を誇っている。対する民主党の菅直人代表も「百点満点とは言わないが、十分に合格点をいただけるところまで、わが党の案が受け入れられた画期的なこと」だと、これまた満面笑みの呉越同舟である。
 しかし事態は明らかにこれら有事立法によって、自衛隊が日本の軍隊として「平和憲法」の聖域を破り、「専守防衛」の方針も無視して、憲法で禁じられた戦争行為に加担し、海外派兵も合法化し、言論統制と基本的人権の制限に道を開き、国家総動員体制の構築を可能とさせるものである。たとえ基本的人権の尊重義務をうたったところで、この有事立法が日本国憲法が保障する基本的人権を具体的な例示もなしに包括的に制限する違憲立法であることには変わりはなく、日本弁護士連合会の本林徹会長が、可決された有事法案について「なお憲法上多くの重大な問題点が存在し、当連合会が指摘してきた基本的人権を侵害する危険性は解消されていない」とし、成立に反対する声明を発表したのは、法曹界の良心として当然のことといえよう。
 しかし小泉首相にとっては、ことごとく失敗する経済政策、構造改革の失政のなかで、今全力投球すべき経済政策、そして北朝鮮の孤立・挑発政策を平和外交政策に導き入れる努力をすべて放棄して、もっとも危険な対決と戦争挑発、軍事優先の政策で自らの窮地を脱出しようといるのであろう。民主党がそのチェック機能さえ失い、単なる保守補完勢力に終始すれば、その存在意義さえ問われるであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.306 2003年5月24日

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【投稿】金融危機と金融再編成

【投稿】 金融危機と金融再編成
                    by 島田秀和

〈資産デフレによるキャピタルロス続く〉
 バブル崩壊後は、決算期の3月、中間決算期の9月には金融危機が問題となる状況が繰り返されている。その根底には、土地・株式の長期低落傾向、いわゆる資産価格デフレに歯止めがかからないことがある。「2002年度経済白書」によると、「バブルが崩壊した90年以降、日本経済全体では、株式と土地併せて1158兆円のキャピタルロスが生じた。このうち、土地が737兆円、株式が424兆円である」という。この資産デフレによる調整圧力は長期にわたる景気の低迷と同時に金融機関には多額の不良債権を抱え込ませることとなった。こうしたデフレ不況の下に、これを口実、免罪符に過酷なリストラと統合・合併という独占促進政策が金融界、産業界いずれにおいても何でもありの形で進められているのが現状である。

〈増え続ける不良債権〉
 全国銀行ベースによると、2002年3月期までの過去10年間に81兆円という多額の不良債権処理が行われてきた。それにも拘らずリスク管理債権として公表されている不良債権残高(破綻先債権、延滞先債権および貸出条件緩和債権)だけでも、なお42兆円という過去最高額になっており、これによる不良債権比率(リスク管理債権/貸出金)も8.9%まで上昇している。このように毎年増え続ける不良債権は、景気低迷による企業の業績悪化と金融庁の特別検査実施等による厳格な資産査定の結果、貸し剥がし・貨し渋り・支援打ち切り等により償却・引当額が増加したものである。増え続ける不良債権を銀行の業務純益と有価証券の益出しにより償却・引当を行ってきたが、最近は株価の下落により含み益どころか含み損を抱える状況に至っており、大手銀行は赤字決算を余儀なくされる程銀行の経営体力は低下の一途を辿っている。

〈金融機関の破綻と再編成〉
 1997年11月三洋証券が会社更生法申請を行い、経営破綻を表面化、続いて北海道拓殖銀行、山一證券、德陽シティ銀行が破綻する事態となり、金融システムは激しく動揺し、危機に見舞われて以降2002年3月までに破綻した先は、銀行が12行、信用金庫が25信金、信用組合が115組合もある。
 1998年4月金融機関の経営の健全性を確保するため、自己資本比率に応じて必要な是正措置命令を発動することができる早期是正措置制度が導入され、同時に金融機関の自己査定に基づく債権の分類もおこなわれることとなった。1999年に導入された債権分類の基準を示した「金融検査マニュアル」は、大企業を基準に作成されたものであり、中小零細企業を主な取引先とする中小金融機関、とりわけ信用金庫、信用組合といった協同組織金融機関にとっては厳しいものになつた。さらに、ペイオフ実施のため全ての金融機関が安全・健全でなければならないとすることで、これまで地方自治体等で行われていた中小金融機関の検査が金融庁に移り、これまで以上に厳しい資産査定分類がおこなわれた。このため、もともと過小資本であった信用金庫、信用組合は多額の償却、引当金の積み増しが必要となり、債務超過に追い込まれ、前記のように短期間にこれほど多くの破綻につながったと推測される。
 このわずか5年の間に、都市銀行においても、東京三菱、みずほ、UFJ、三井住友の4フィナンシャルグループおよびりそなグループに合併・統合されるという凄まじい変貌を遂げた。また、地方銀行も1県2行という当時の柳沢金融担当大臣の方針に添って現在も統合・再編が進行中である。

〈金融再生プログラムと竹中ショック〉
 2002年9月金融担当大臣が竹中平蔵経済財政担当大臣の兼務となり、10月に「金融再生プログラム」をつくり、金融システム強化策を打ち出した。そこには「資産査定の厳格化」「自己資本の充実」「コーポレートガバナンスの強化」規定されており、当初案どおり実行された場合は、大手行の一部でも事実上の国有化が視野に入ってくるかもしれない内容を含むものであった。これに対して、銀行業界は特に「自己資本の充実」のための「税効果会計の見直し」については激しく抵抗、先送りになったが、「資産査定の厳格化」のための特別検査が実施されるなど大手銀行にとっては早急に対応を迫られることになった。そうして発表されたのが、苦肉の策としての増資や合併差益を利用する帳簿操作などであったため、一層市場からの不信を買い、大手行の株価は暴落、増資により調達した分は株式の評価損で消えた勘定になった。こうした銀行側のなりふりかまわぬ対応により、3月危機は取り敢えず今回も先送りされることになったが、貸し渋り・貸し剥がしの一方で超低金利下の国債保有は増え続け、また、待ったなしの生保対策も進まず、危機の構造はさらに深化しただけであった。政も官も企業も単なる自己保身のみに汲々とし、利用者、労働者にシワ寄せするだけのその場凌ぎの対策を重ねるだけでは問題は解決しない。

 【出典】 アサート No.306 2003年5月24日

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【投稿】「脱組織」「脱原発」とマニフェスト

【投稿】「脱組織」「脱原発」とマニフェスト –福井県知事選をふりかえって–                
4月13日に行われた福井県知事選挙では共産党を除く全政党相乗り・県内ほとんどの団体から推薦を受けた西川一誠元副知事が薄氷を踏む勝利を収めた。当初、参議院議員の山崎正昭氏が知事選に回る予定だったが中央でのヤミの候補者調整により西川氏に一本化され、「無党派候補」元外務官僚の高木文堂氏との事実上の一騎打ちとなり、万全の体制によって楽勝の予定であった。ところが、選挙戦突入後、「ハコモノ行政」批判、「地方空港計画の失敗」追求、脱原発を掲げる高木氏の猛追に合い、中央から野中広務衆議院議員や森元首相、最終盤には山崎拓幹事長が訪れるなど、必死の巻き返しを図っての「勝利」であった。
両者の得票数の差はわずかに4万6千票であり、西川氏は敦賀市をはじめ原発の集中する若狭地域で6~7割の支持を得たものの、大票田の福井市では逆に高木氏に3千票あまり差をつけられる結果となった。組織のない草の根運動の高木氏がここまでの肉薄したのは、企業、職能団体、農協、労組などの組織の集票力が確実に低下していることの現われである。特に高木氏の選挙を支えたのは公共事業・補助金・高収入といった「組織」の恩恵に属さない中小企業やパートなどの主婦層であった。こうした層が「利益誘導政治」から最も遠い立場で積極的に運動に加わったといえる。
今回の選挙のもう1つの争点は「脱ダム」ならぬ「脱原発」であった。もんじゅ違法判決をはじめ原発政策全体が行き詰まる中、もし福井県に「脱原発」知事が誕生してはという焦りから、太田房江大阪府知事までも動員して西川氏のテコ入れを行った。高木氏には結果として「若狭地域での得票率の少なさ」(西川氏は若狭地域で得票差の65%を稼いだ。)という裏目に出たが、「脱」というにはその経済的影響が大きすぎて誰も正面から言い出しにくかった福井県の原発の今後について大きな方向性を示したといえる。ところで、東京電力管内では現在ほとんどの原発がストップしており、「今夏には750万キロワットの電力が不足する」と盛んにキャンペーンを張っているが、現状のまま推移すれば「脱原発」が自動的に”実証”されてしまうことになろう。にもかかわらず、選挙戦の借りからか、西川新知事は「もんじゅの運転再開」について最高裁判決以前にも判断を示す意向を示している(4月23日:知事就任記者会見)。
争点の3点目はマニフェストであった。統一地方選前に三重県の北川前知事が提唱したものである。西川氏のマニフェストは行政機構内部で作成されたもので、高木氏への対抗上打ち出した「副知事の民間からの起用」以外は現状追認であり新味に欠けるものばかりであった。一方の高木氏は「脱原発」を除き、この肝心なマニフェストに弱点を抱えていた。たとえば「県庁職員の200人の民間研修」といった具体性のなさを終盤に突かれることとなった。最終盤に伸び悩んだ要因の1つとして説得あるマニフェストを用意できなかった不備があったのではないか。そもそも”政策集団であるべき”政党が担ぐ候補がマニフェストとも呼べないような雑煮「マニフェスト」をはずかしげもなく掲げ、素人集団であるはずの「無党派候補」にマニフェストを求めるというところに日本の政治の現段階での悲劇的水準があるが、逆説的に、4年後までには「無党派」という名の”政策集団”が「組織」を凌駕することを期待したい。(福井:R)

 【出典】 アサート No.306 2003年5月24日

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【書評】『科学知と人間理解──人間観再構築の試み』 高橋準二著

【書評】『科学知と人間理解──人間観再構築の試み』 高橋準二著
                  (2002.9.25発行、新泉社、2,300円)

「この本は、一方に諸科学の新しい地平を見据え、他方に新しい時代展開や現代文明の問題性を見据えながら、人間観の刷新をはかろうとする、試みの書である」と編者「まえがき」にあるように、本書は、物理学者・科学史家の視点から従来の知的枠組みの再検討、再構築の問題を提起し、その新しい展開に取り組んだ著者–2001年5月、59歳で死去–の遺稿集である。

さて本書は3部に分かれ、その第1部は「生物学革命と人間理解」、第2部は「心身関係論・認識論・倫理学の再構築」、第3部は「現代文明への視座–危機および未来」と題されている。

第1部では、R.ドーキンスの『利己的遺伝子』(第1章)とJ.モノーの『偶然と必然』(第2章)が取り上げられ、それらの概説的説明とともに、著者の視点が語られる。前者については、個体の行動原理に関して遺伝子利益一元論に立つドーキンスの見地(真の生き物は遺伝子であり個体はその乗り物に過ぎないとする)を、「利他的行動も個体レベルでの見かけの利他主義であって、遺伝子利己主義の表われに他ならないとする発見の意味は小さくない」と評価しつつも、それが人間理解にまで及ばなかったことが限界として指摘される。また後者については、モノーの見地が、後の動物行動学等によって追求され、以下のような結論をもたらしたとされる。

「〈人間本性〉の中には、遺伝的規定性が優越する〈堅い部分〉と生活条件によってさまざまに変形される〈柔らかい部分〉があって、両者の相互作用が現実の人間をつくっていることに間違いはない」。そして人間の歴史の文明時代に入り、後者の部分が驚異的な速度で発展し、人間が自分の置かれた社会の中での行動によって、社会と文化を変えるが、「この人間の創造的行為と呼ばれるものも、〈人間本性〉の柔らかい文化的部分に限って反作用することができるということが、20世紀生物学の決定的な結論である」。

第2部では、「脳と心と唯物論–今日の脳研究に学びつつ」(第3章)において、脳と心の関係をテーマにしながら、唯物論の現在的イメージが探られる。

著者はまず、「唯心論と唯物論の対立において争点になるのは、物質一般では決してなく、心と関係深い特定の物質に他ならない」という、フォイエルバッハの視点を踏まえて、脳を形成している神経系が「エネルギー多消費型のシステムである(体重の2.5%しかない脳が安静時の全酸素消費量の20%を消費している)」ことによって、「少しの情報量で多くの内容を伝える仕組み」、「情報圧縮の機構」が発達したのではないかと考える。そして脳は中枢に行くに従って神経系の閉回路網が詰まっていることから、「脳の中に閉回路網が無数にあることは、脳内で自発的な興奮が発生し、またそれがひとりでに鎮静していく過程が頻繁に起こっているのではないかと推察」する。すなわち「われわれの意識の発生は大脳皮質各所で多元的に発生している神経ネットワークの興奮に由来する」のであり、著者は、この仕組みを「中央司令部モデル」ではなく、「いくつもの興奮パターンがヘゲモニーを争っているような脳内民主主義モデル」として考える。その際、脳については、「脳が社会関係の中で作られる」ことを強調する。すなわち「心は社会的観念として発達してきたもの」であり、「もともとはランダムに発生するものであったかもしれない神経回路の興奮」を「社会的関係の下で、他人と自己との関係に関する過去の記憶と合理的につながる一定の枠組みの中に流し込み、一つの人格を持つ存在として自分を組み立てるようにする働きが心であると解釈するのが妥当ではないだろうか」というのが著者の仮説的結論である。

第3部では、環境危機にともなう価値の問題を、「地球環境危機と経済・倫理問題」(第6章)において考察し、「人間にとっての価値は、経済的価値に限定されないということだけで充分であり、むしろ、非経済的価値(中略)が経済的な利益の追求によって脅かされていることこそが現代の深刻な問題である」ことを強調し、価値における「人間中心主義」の立場を採用する。

「現代文明の未来–現代世界論へのラフスケッチ」(第7章)では、「文明」という基礎概念をもって、「総体として現代世界をラディカルに読み直」すことを試み、人類の歴史上二つの大きな文明転換(農業革命と産業革命)の後に始まった近代文明においては「進歩への社会的合意」が特徴的となり、「科学の進歩」「社会の進歩」という理念が受け入れられ、さらには社会進歩を社会という有機体の進化と見ることから、「進歩」概念と「進化」概念との混同が生じたと指摘する。そして著者は、近代文明の基礎となった文明概念についての再検討を提起し、未来に対する予測の視点をこう捉える。

「未来世界を『そうあってほしい姿』として語ることは語り手の現在の願望の表明に過ぎず、『そうあるべき姿』として語ることは語り手の現在利益の押し付けに他ならないのであって、このような論じ方は、同一平面の上にさまざまな世界像を単に陳列しているにとどまるであろう。(中略)現代世界論のめざすことは、この現在利益の平面から頭を持ち上げることである」。

以上のように著者の諸論文の内容は多岐にわたっており、しかもそれぞれについて広範な知識と深い洞察が込められている。著者の姿勢が従来の学問の知的枠組みへの挑戦にあったとするならば、総体としての世界とその中に存在する人間とを包括的に捉えようとする試みは、現代の生物学的成果を取り入れた視点の確かさとともに、多くの示唆を含んでおり、そのことは、終章におけるラフスケッチにも如実に示されている。そして著者の次の言葉が、われわれには課題として残されていよう。

「生存は生存の意味に先行する。何のために何に向かって生きるのかという問をたてるのは生存者の特権である。人類史において目的の観念そのものが生存の手段であった。生存はそれ自体、未来へ向かった行為である」。

本書は、現代文明論、人間論としても、また未来論としても教訓的な書である。(R)

【出典】 アサート No.306 2003年5月24日

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【雑感】ワールドピースナウ3/8の集会に参加して

【雑感】ワールドピースナウ3/8の集会に参加して

 2002年3月8日土曜日 インターネットで呼び掛けられたイラク攻撃反対のデモンストレイション、組合上部組織が参加を決定したのはギリギリになってから。職場の廊下で立ち話から、何人かから「行きたいね」と声があがり、毎週水曜日の組合(分会)定例執行委員会で提案し反対もなく決まった。
 当日、日比谷野外音楽堂は12:30集会開始時間にはすでに満員で入れない。”きなしょうきち”の歌が流れ、”しんすご”さんの発言などなど、人でいっぱいの公園のなかを自治労の旗を探してようやく職場の仲間と出会えた。
 この日、日比谷公園は集会参加の人でいっぱい3時半にデモ行進出発の予定が、5時半すぎに組合の隊列は市民グループや個人参加の人たちが行進に出て行くのをまってほぼ最後を守るかたちでデモ行進に出発した。
 3月始め、とても寒くて「イラク攻撃反対」の大判のポスターをもった手はすっかり凍えてしまった。初めて参加した同僚の息子さん(17才)は長い待ち時間、暗くなってからのデモ行進にも最後まで組合のおじさんおばさんと一緒にプラカードを持って完走?したのです。
 最終解散地点(銀座:旧国労ビル前)には7時半到着でしたが、途中飛び入りの日本在住の外国人もいて国際色ゆたか、さまざまなグループが参加し楽器や唄やラップ調のシュプレヒコールなど賑やかで元気いっぱいのパレードでした。
 主催者がデモの解散地点で発表したところでは約4万人の参加とか、興奮ぎみに「これだけ大勢の人が集まった大成功です」と震える声で報告があった。
 遅くなったのでいっぱいやるのも止めて帰宅したが久しぶりに楽しかった。組合役員として行動費を出して動員をかけて参加する例年のメーデーの時でも代々木公園に約1万人程度、この日は大衆の力を感じた。
 労働組合が多くの人に喜こんで迎えられる運動を展開できる日をかすかに予感して帰路についた。(T)

 【出典】 アサート No.306 2003年5月24日

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【投稿】有事法制の虚構性

【投稿】有事法制の虚構性

 有事3法案は、与党と民主党の合意が成立したことにより、5月15日の衆議院本会議で可決、参議院に送付された。これにより6月中に成立する公算となった。
有事法制は、冷戦時代の遺物であり、本来必要性のないものであるが、小泉政権は北朝鮮に対する国民の危機感を煽り、それを最大限利用する形で、野党をも巻き込み、成立に持ち込んだ。
 民主党は、基本的人権の保障についての具体的規定を、法案に追加させたことなどを評価し賛成に廻ったが、砂上楼閣に添え木をしたところで役には立たないと、言わざるを得ない。
 有事3法案が描く「戦争」が、いかに現実の情勢と乖離しているか。武力攻撃事態法案では、①「武力攻撃が発生した事態」②「武力攻撃が発生する明白な危機が切迫しているとみとめられるに至った事態」を武力攻撃事態、③「事態が切迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」を武力攻撃予測事態と規定している。
 この婉曲表現は何を想定しているかと言えば、①は「敵国」が日本を空爆し、上陸してきた、②は「敵国」が、日本に向けて基地等に兵力を動員した、③は、敵国が兵力の招集を開始した、という事態である。 ここでいう「敵国」とは、長らく旧ソ連が考えられてきたが、さすがに現在では、そうした想定は、非現実的であるとして、この「敵国」を北朝鮮へとなし崩し的にシフトしようとしている。
しかし、冷戦下の対ソ戦略を基本に作られた構想を、全く条件の違う北朝鮮に適用しようとしても、無理が生じ、ますます非現実的な想定になってしまうのである。
たとえば次のような想定だ。「A国が、日本を射程に収める弾道ミサイル基地の周辺に部隊を集結し、不穏な動きを見せている」「A国が弾道ミサイルに燃料を注入し、『日本を火の海にする』と攻撃の意図を明らかにした」これはこの間、終始有事法制成立を主張してきた読売新聞の描く「武力攻撃予測事態」および「武力攻撃事態」である。
 有事法制推進派は何としても、北朝鮮に日本を攻撃させたいわけだ。しかし、これは北朝鮮に取って、あまりに無理な注文と言わざるを得ない。北朝鮮には日本への着上陸能力はない。それを鑑みて推進派はミサイル攻撃なら可能だろうと考えたのである。
しかし、そうなると着上陸阻止を主眼とする自衛隊の作戦、装備や、そのための陣地構築を可能にする改正自衛隊法は宙に浮いてしまう。そこで推進派は「陣地構築には原発など重要施設周辺へのパトリオットミサイルの配備も含まれる」と言うが、パトリオットは昔のナイキミサイルとは違い機動性(移動性)をもつ兵器である。特段陣地構築などしなくても、たとえば原発の駐車場にでも配置可能なのだ。
だが、北朝鮮が最も避けたい事態を考えれば、推進派の苦労も水に泡である。それは言うまでもなくアメリカとの戦争である。
 金正日体制を護持したい北朝鮮は、「核兵器保有」宣言など強気の瀬戸際外交を展開している。 
 しかし、北朝鮮はそうした姿勢とは裏腹にイラク戦争で見せつけられた、米軍の圧倒的軍事力を前に内心では震え上がっているのである。その対米戦争という地獄に、自ら足を踏み入れる対日攻撃など、行えるわけはないのである。
そもそも北朝鮮に旧ソ連の代役は、その軍備、経済状況からして不可能なのだ。
さらに、日本が本気でそのようなシナリオを考えているとすれば、アメリカの朝鮮半島政策との整合性もはかれないだろうし、韓国との連携にも齟齬を来すだろう。
 先の、米朝中3カ国協議、米韓首脳会談を経て、北朝鮮の選択肢はますます限られてきており、たとえ経済制裁が発動されても、軍事的暴発の可能性を過大視する事は適切ではない。
このように「北朝鮮の脅威」もここしばらくでピークを過ぎるだろう。そうなれば、またしても日本政府は「敵国」を喪失するわけであり、その時今度は何をもって有事法制の「存在意義」を示すのであろうか。(大阪 O)

 【出典】 アサート No.306 2003年5月24日

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【投稿】バグダッド陥落と次なる標的

【投稿】バグダッド陥落と次なる標的

<<1発7000万円>>
 あっけないともいえる首都・バグダッドの陥落は、今回の米英の対イラク戦争の本質をかいまみせたのではないだろうか。すでに開戦前から制空権を100%牛耳られ、幾度にもわたる査察によって事実上の武装解除に追い込まれ、丸裸にされた軍隊に対して、米英軍はIT武装をした大量破壊兵器の大砲列を敷き、30万にも及ぶ大軍が陸海空から一方的に襲いかかったのである。これは圧倒的な軍事力を用いた主権侵犯行為以外の何ものでもない、まさに古典的な侵略戦争の典型ともいえよう。結果としてイラクは米帝国の植民地属国となり、傀儡政権の下でイラクの最高支配者は米大統領となる路線が敷かれたのである。国際法も国際社会の意向をも無視した古典的な侵略戦争ではあったが、しかしその破壊力、残虐性は前世紀の比ではない。1発7000万円もする米ロッキード・マーチン社製のトマホークミサイルが740発も発射され、これだけで518億円があっという間に消費され、いたるところを瓦礫と化し、何千ものイラク民衆を虐殺・傷害し、1発2000万円の新型地中貫通爆弾・バンカーバスターも最低4回発射され、軍事施設どころか民家まで粉々にし、多くの民衆が生き埋めにされ、いまや死体の発掘さえ不可能という事態をもたらし、その使用を公然と認めた劣化ウラン弾は今後何世代にもわたって病魔を蔓延させ、土地を汚染し続けることは間違いない。開戦から3週間で12,000発にもおよぶ各種ミサイルや精密誘導爆弾がすでに疲弊し弱体化されていた国土と民衆の上に雨あられと落とされたのである。これは、「神の意志」を掲げたブッシュ・米帝国の戦争がどれほど道徳的にも退廃・破産しているかの証左ともいえよう。
そもそも「大量破壊兵器は必ず見つかる」(フランクス中央軍司令官)とか、「フセインが化学兵器の使用を許可した」(ブッシュ大統領) として、米英が開戦の理由としてきた大量破壊兵器や核兵器、生物・化学兵器の存在など今やその証拠すら見つけられず、米中央軍のブルックス准将は「懸念されたイラク側の使用は現時点ではない」として、フセインの残党狩りに焦点を移し、「開戦理由」などもはや重要ではないという強盗の論理で、油田確保や戦利品の獲得に本命があることをはしなくも自ら暴露している。
この点では、対イラク国連査察委員会UNMOVICのブリクス委員長が、4/9、「この戦争がずっと前から計画されていたことの証拠がある」として、昨年10月にブッシュ大統領が国連の査察を支援すると委員長に述べた当時から、「ブッシュ政権内には、(査察に)懐疑的で、政権転換の工作を進めていた人々がいた」と述べ、3月のはじめには「米国と英国の政府内のタカ派は、忍耐がきかなくなっていた」、として、「アメリカは、最初は(大量破壊兵器が)少しあると考えていたのだと思う。しかし今では、彼らも、その可能性への確信が小さくなっているのだと思う」「彼らが(大量破壊兵器を)少しでも見つけるのかどうか、私には興味深いところだ」と皮肉を込めて述べている通りで、少しぐらいはでっち上げてでも「証拠開示」をするのが関の山であろう。

<<「犯罪を犯す自由」>>
 陥落したバグダッドに「解放軍」として乗り込んだはずの米軍は抗議のデモに迎えられ、首都は無法と略奪の町に化している。無法と略奪が米軍の象徴だとすれば、その占領下で無法と略奪が横行するのも当然の成り行きとも言えよう。ラムズフェルド米国防長官は4/11の記者会見で、首都の無秩序を強調するマスコミの報道ぶりに強い不快感をあらわにし、「混乱だ。しかし、自由ゆえの混乱だ。自由な人々は、まちがいを犯す自由があり、犯罪を犯す自由があり、悪いことをする自由があるのだ」。まるで自らの押し込み強盗者としての自己弁明である。
 そしてブッシュ政権は、勝利者の当然の権利でもあるかのように、米軍直接管理下の植民地型占領統治をイラクに押しつける方向を露骨に表明しだしている。
 「血を流してイラクを解放した(米英など)連合国が主導的な役割を果たすのは当然のことだ」というのが、ライス米大統領補佐官の記者会見での発言である(4/4)。さらにウォルフォウィッツ米国防副長官は4/10の米上院軍事委員会で、フランスはイラク戦争への反対、とりわけ北大西洋条約機構(NATO)のトルコ支援を拒否したことに対して、その結果起きる責任を甘受しなければならないと証言し、「フランスはNATOにとって非常に打撃になるような振る舞いをした。私は、フランスは我が国にだけでなく、そのように見ている同盟国に対しても、その代償を払うことになると考えている」と述べ、その支払うべき代償について、イラク戦争に反対してきたフランス、ドイツ、ロシア、「これら3ヵ国が独裁者(フセイン大統領)に貸した金は、武器を買ったり、大統領宮を作ったり、イラク国民を抑圧するのに使われた。新たに誕生するイラク政権が莫大な借金の負担から脱するように債権全額または一部をあきらめる方法を考慮しなければならない」と対イラク債権の放棄を要求、同副長官はロシアとフランスなどがフセイン政権時代にイラクと締結した油田開発契約についても「イラク石油の長期的な開発計画はイラクの新政権が決めること」とし、契約をすべて認めないことを示唆したのである。
 すでに米下院は4/3、イラク攻撃に反対したフランス、ドイツ、ロシア、シリアの4国を戦後復興事業の入札から締め出す法案を可決している。もちろんこれには仏独ロが猛反発し、戦後復興での国連主導で一致、アメリカ主導のアメリカ権益優先の占領型統治か、国連による復興支援かのせめぎあいであるが、「勝てば正義」の今のブッシュ政権には通じるものではないであろう。

<<「石油のための戦争」>>
 すでにこの「復興ビジネス」をめぐる権益分捕り合戦は露骨に展開されている。米英軍自らが破壊した港湾の整備、空港の再開、水道や電気、道路などのインフラ、学校や病院の再開、復興、新設と多岐にわたる「戦後復興事業」について、米国際開発局はイラク戦時補正予算の元請け先は米企業に限定する方針を明らかにしている(3/26)。
当然最も重要な目標は、40年前に失った中東原油の支配権を取り戻すことである。米英の石油独占体はこの際、中東産油国で石油国有化が一気に進んだ70年代以前に時計の針を戻そうとしているのである。なにしろ、イラクの原油確認埋蔵量は1120億バレルで、サウジに次いで世界第2位。さらに推定2200億バレルの未開発油田が眠っているとされる、石油メジャーにとっては宝の山である。アフガニスタンとは違って、何としても手に入れたい「石油のための戦争」といわれた所以でもある。
 米国防総省はすでにイラク戦後の復興事業について、チェイニー副大統領が就任直前まで最高経営責任者(CEO)を務めていた米エネルギー大手、ハリバートンの子会社に発注することを決めたと報じられている。受注したのはテキサス州ヒューストンに本社を置くケロッグ・ブラウン&ルート。イラク戦で被災した同国内の油井消火や1991年の湾岸戦争後、稼働を止めていた油田を再生させる事業を受け持つという。具体的な契約額については明らかになっていないが、ブッシュ大統領が米議会に提案した戦費調達の中で、石油施設の修理費などとして約49億ドル(約5880億円)を計上しており、巨額なプロジェクトになることは間違いない。イラクの戦後を統治する米軍が、占領と復興資金の確保のために石油採掘権を握る方針を固め、その「石油生産担当」のトップのポストには元シェル石油米国法人のトップが有力視されているという(4/3、ワシントン・ポスト)。当然、イラクの原油を自由市場で輸出し、OPECの生産調整に対する影響力の低下を促進させ、アラブ社会にアメリカの覇権を確立させる戦略でもある。
 この戦争は、まさにマイケル・ムーア(映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」で長編ドキュメンタリー賞受賞)がいうごとく、「イカサマの選挙で選ばれたイカサマの大統領がイカサマの理由で戦争を始めた。ブッシュ大統領よ、われわれは、この戦争に断固反対だ。恥を知れ。あなたの時間はもう終わりだ」「(この戦争は)ブッシュとブッシュの石油屋仲間のためだ」という本質を露呈しだしたといえよう。

<<「次はシリア、北朝鮮、イラン」>>
 身勝手な「勝利」に酔いしれたブッシュ政権は、国際社会にとっての取り返しのつかない深刻な事態の進展にはまったく振り返る余裕もないかのようである。
 4/9、チェイニー副大統領は、対イラク戦争を通じて、国際社会を無視した反省どころか、むしろ「無法国家」やテロリストに対して積極的な攻撃に出ることの有効性を強調し、今後もそれを米国の安全保障政策の基本とすべきだとの考えを示している。
 これに先立つ3/28、ラムズフェルド国防長官は、「シリアがイラクに暗視ゴーグルなど軍事転用が可能な物資を輸出したことが判明した。これはアメリカに対する敵対行為である」とシリアを厳しく非難し、同時に、シリアと並んでイランもアメリカに敵対していると非難し、「敵対」者との対決姿勢を強調。
さらにウォルフォウィッツ米国防副長官は4/10、米上院軍事委員会の公聴会で証言し、対イラク戦に関連し、隣国のシリア、イラン、トルコがイラクに干渉しないよう警告し、特にシリアについては、「シリア人は米国人を殺そうとイラクに殺し屋を送っている」とまで述べて強い警戒感と危機感をあおりだしている。これと呼応するかのように、ボルトン米国務次官は4/9、ローマで、シリア、北朝鮮、イランを名指しして、「多くの政権が、イラクから適切な教訓を学び取ることをわれわれは期待している。大量破壊兵器を追求することは彼らの利益にならないということだ」と述べて、「次はシリア、北朝鮮、イラン」だという脅迫の姿勢を明確に打ち出したのである。
 こうした姿勢に対して、UNMOVICのブリクス委員長は、「そういう米国のメッセージがかえって逆効果で、例えば北朝鮮は国連の査察を信用しなくなってしまった。それによって軍事力の増強という反作用を生んでいる」、「安全が保証されていると感じれば、その国は大量破壊兵器の取得を検討する必要はないのだ。安全を保証することが、大量破壊兵器の拡散を防ぐための第一の方法である」という当然の理性的な判断を示している。しかしブッシュ政権にはこの理性というものが通じなくなってしまっている。
 しかしこのようにいかにおごり高ぶったとしても、アメリカの優位は絶対不動のものではなく、イラク情勢に限ってみただけでも、当面のうわついた「勝利」の背後には幾多の困難と難題が待ち構えていることに留意すべきであろう。すでにブッシュの露払い役に徹してきたブレア英首相は、国連中心の復興計画を支持し、「フセイン政権が崩壊すると同時に$新しい自由な統一イラクの建設がはじまる。平和で豊かなイラクは、米国人でも英国人でもなく、イラク国民によって、イラク国民のために統治される」と述べ、さらに「わが軍はできるだけ早期にイラクから撤退する。必要以上には一日たりとも駐留しない」と強調している。たとえ表面上のものであれ、米英のこの亀裂は無視し得ない広がりを持つといえよう。

<<「雰囲気で決める」>>
 そしてブッシュ政権のお先棒を真っ先に担ぎ、「先制攻撃」を支持して世界の笑いものとなり、もはや外交的にはその存在さえ無視されてきた小泉政権にとっても、今後の展開次第によっては重大な岐路に立たされることになろう。イラクの戦後復興支援に多大な期待をかけられ、過剰な分担を背負い込みかねないことも問題ではあるが、それ以上に重大な問題は、次なる「先制攻撃」の標的が北朝鮮になりかねないことである。しかも核兵器の先制使用さえ辞さないことを公言しているブッシュ政権である、北朝鮮の核施設への空爆もあり得ないことではないし、当然反撃も予想されよう。核戦争の火の海が出現しかねないのである。日本はもちろん、周辺各国、全世界に核戦争の危険極まりない汚染が撒き散らされかねない事態が現実問題として提起されてこよう。しかも日米軍事同盟に基づき、米軍が始める先制攻撃は、小泉政権が支持してやまない「周辺事態」であり、自動的に参戦とならざるをえない。アジアで米国とともに日本がまたもや先制攻撃の戦争を始める事態である。すでに政府・与党3党は、朝鮮有事に対応できる戦争体制の整備=有事法制の成立を急がねばならないと合意し、民主党までもが有事法制決着に傾きだしている。
そして防衛庁は、米軍が対イラクのピンポイント爆撃に使用している巡航ミサイル「トマホーク」(射程約1700キロ)など、他国基地への攻撃を前提とした兵器の導入に向け検討に入ったことを明らかにしている。これは、自衛隊には敵基地攻撃能力を持たせない、としてきた従来の専守防衛政策からの根本的転換である。敵基地攻撃能力というのは、相手側が日本にミサイルを発射しようという準備を始めたとき、日本が先制攻撃をかけて、それを破壊する攻撃力である。日本が先制攻撃能力を持つということは、日本も先制攻撃をしかけられても仕方がない、という新しい事態の出現を意味するものである。イラク先制攻撃を支持した当然の結論でもあろう。小泉首相は、専守防衛に徹するとして、敵基地攻撃能力の保有に否定的見解を示したが、「議論は大いに結構」と受け流し、最後は「雰囲気で決める」という無節操極まりない首相である、すでに事態はその方向に動き出しているともいえよう。
 平和的な粘り強い交渉をすべて投げ出して、軍拡の悪循環に乗り出す政権には一刻も早く退場してもらわなければならない。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.305 2003年4月19日

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【投稿】ピースラリー・パレードに参加して

【投稿】ピースラリー・パレードに参加して
                          立花 豊(埼玉)
 ブッシュ・アメリカによるイラク戦争が開始される前から全世界で取り組まれている反対デモが連日開催される中日本でも毎週取り組まれてきたが、4月5日東京でも取り組まれ、強雨が吹き荒れ、冷たい雨の降るなかを私も参加した。主催はWORLD PEACE NOW(ワールド・ピース・ナウ)実行委員会。アジア太平洋資料センターやアムネスティ・インターナショナル日本、ふぇみん婦人民主クラブ、日本消費者連盟など数多くの市民運動団体やにわか作りのグループが参加しているが、連合や全労連、全労協などナショナルセンターレベルの労働組合や政党の直接的な参加はない(傘下の産業別組織・地域組織や単位組合などは個別に参加している)。
その前の週の3月29日には天気にも恵まれ、参加者は4万人を越えたと発表されていたが、この日は大きく下回ったものの、しかし1万8千人(主催者発表)もの老若男女が手に手にプラカードを持ち、洋服や雨傘に『NO WAR,YES PEACE』『子どもたちを殺すな』などと書き込んだゼッケンなどを貼り付けて、代々木公園から渋谷駅前へ、そして青山通りへとおよそ5キロの道を歩いた。やや遅れて集合場所に着いたときは、パレードの先頭の列はほぼ三分の一くらいがコースを進んでいた。私はまったくの個人で参加したのだが、たまたま目の前にいた「たまの会」の中に混ざりこんで歩き始めた。この「たまの会」はおよそ20人ほどがこの日は参加。どういう「たまの会」なのか聞かなかったが、女性と年配者が多い。私が割り込むように入ってもなんにも言わなかった。私の前後のひとたちは時折「戦争・ヤメロ」「戦争・ハンタイ」などのシュプレヒコールを口にしつつ歩いたが、それもかつての学生運動や労働運動を思わせるような「指示の行き届いた」それではなく、かなり散発的だ。しかもリーダーらしき人も決まってはいないようで、ときどき掛け声を始める人も次々と代わる。おそらくこのパレードに初参加の人も多いのだろう。主催者側のユニフォームだと思われる真っ赤なジャンパーを着た人がいても、とくに指示らしきことはしない。むしろ異常に大量動員された交通警官の「歩道側へ寄って」などの大音量の指示の方がやかましく、邪魔するようにシュプレヒコールと重なる。個人でパレードに参加したらしい外国人が、警官たちに向かって「ケイサツハウルサイデスヨ」「ジャマヲシナイデクダサイ」と自分で用意した簡易型の拡声器で怒鳴る。私はおおいに気分をよくした。
渋谷駅前のビル街に入ると、通行人も俄然増え、不動産会社が自社の窓から「NO MORE WAR」と書かれた大きな布を下げている。私たちの声も自然と大きくなる。しかし、雨風は時折突風のようになってデモ隊を襲い、雨傘は役立たず、渋谷駅を過ぎたあたりでは下半身がずぶぬれの始末だ。
この日はデモの後同じワールド・ピース・ナウの主催で緊急シンポジウムが渋谷公会堂で行われた(定員約2300名のところ、満席だったらしい。私は参加できなかった)。講師はコーラ・ワイズ氏(ハーグ世界平和会議議長)、リカルド・ナバロ氏(地球の友インターナショナル代表)、高橋和夫氏(放送大学教授)他が予定されていた。パレードは、実行委員会があまりにも多くの団体によって構成・運営されているためか、かつてみた団体ごとの意思表明などはとくになく、予定されたパレードや集会だけが淡々と行われる。この日はパレード最後尾に平和委員会のデモ隊がおよそ50名で続いていた。思ったより少ないが、他の市民グループからも連帯の声がかかっていた。
こうした市民レベルの行動に促されるように、連合は戦争が開始されてからかなりたってイラクへの武力行動に批判声明を出した(3月24日)。以降、日比谷野外音楽堂や社会文化会館でも集会やデモが行われたが、決められた動員での行動だったにもかかわらず、官公労を中心に盛り上がった。共産党系列では、全労連が官公労や全建総連などを中心に連合系とは場所をかえて集会とデモを繰り返しているが、組合の旗がやたらに目立ち、市民レベルでの参加は少なかった。
当然だが、アメリカによるイラクへの戦争は、これまでになく世界中の批判を浴びている。アメリカ国内でも大きな反戦行動や自治体の反戦決議が随時報道されている。おそらくその第一の理由は、国連による化学・生物兵器の査察が中途であり、それもいまだ発見されないままに開戦を決定したことにあるようだ。しかもイラク・フセインは他国を攻めてはいない。イラク・フセイン大統領の政治がいかに非民主的であろうが、「悪の枢軸」とブッシュが決め付けても、まさに問答無用の戦争開始は国際的には犯罪だ。アメリカに敵対的な行動をとろうとする国には今後よほどの決意が必要とされるとだろう。だからこそ、国際的に反戦行動が大きくなっているのだ。
 今後、日本でも北朝鮮問題をめぐって動揺が予想される。ブッシュ支持の理由として小泉首相はアメリカの行動に賛成しなければ日本を守ってくれないと語っている。しかし、北朝鮮は交渉をいくらかでも有利にさせるためにミサイルの発射実験をしても、他国を本当に攻めるようなことになるのだろうか。今のところアメリカが攻め入る可能性の方がよほど高いといえるだろう。日本は韓国や中国、ロシアなど国際世論をバックに今こそ北朝鮮と国交開始交渉を急ぎ、新たな火種を作らない方向でアメリカに毅然とした態度を打ち出すべきだろう。
現在のところ、イラクにおいて国連主導による和平がどこまで可能か不明だが、すでに戦況はイラクの既成権力は崩壊しつつあるようだ。しかし、戦争反対の国際的な潮流がさらに強まれば、「戦後処理」における民主的な再建の可能性も一段と大きくなると思いたい。(了)

 【出典】 アサート No.305 2003年4月19日

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【コラム】ひとりごと–バクダット陥落を聞いて–

【コラム】ひとりごと–バクダット陥落を聞いて–

「陥落」という言葉がテレビから流れてくる。あれは、1975年のことだった。サイゴン「陥落」という響きに、アメリカの敗北とベトナム国民の不屈の闘いの達成感を感じた。だが、いま聞こえてきた「陥落」という語感には、なにか犯罪的な野獣的な抑圧の無機的な機械用語のような感じしかない。昔の南京「陥落」の時もこうだったのだろうか★この10日間ほど、インターネットのニュースしか見ていなかった。あのK・Eという軍事評論家のゲーム感覚の解説に辟易していたし、教育テレビ(7日のアカデミー賞受賞式のこと、8日の米仏対立のことなど)の解説で、そうとう筋の通ったことが言われているのに、一般ニュースでは、頬の緩んだ馬鹿ほどに生き生きした表情の特派員が、この非対称の「戦争」の戦果を我が物顔に報道するのを、じっと見ていることができなかった。辺見が「こちらの胸の内に・・」と書いていたとおり、実際の痛みを味わった★「復興」だの「人道支援」という呼びかけのなんと空々しいことよ。破壊者が原状回復するのが当たり前ではないか。アメリカかイギリスに併合するのが一番手っ取り早いのではないか。国連はまずこれで本来の機能を回復することはできないであろう。無法者、それも、シンクタンクを装ったもっとも巨大なマフィアに牛耳られる国家が頂点にいて、それが札びらで加盟国を買収すようなことが当然視されている限りは。この国連の破壊の責任は、この侵略を実行し支持したものたちだが、彼らはなんの痛痒も感じないだろう。彼らはこの「束縛」から逃れたがっていたのだから★先夜、不思議な夢を見た。5年前だったかに、撤去されるという噂があったので、立ち寄ったレーニン廟からレーニンが生き返って赤の広場で話しているのだ。私は、前々から、彼の実録の相貌と銅像や廟の「遺体」のそれが余りにも違っていて、その心根までを疑ったことがある。夢の中のレーニンは、実録通りの好もしい印象だったが、通行人の誰一人、彼をレーニンと思うものがなくて通り過ぎて行ったが、彼は、少し苦渋の表情を浮かべながら、まるで、社会科の教師のように両手を腰に回して、自問自答するように、話している。声は小さい。私は、必死で、彼から数メートルのところまで近づいて行った★彼の声は切れ切れにしか聞こえなかった。そんなわけで、固有名詞はなにも聞き取れなかったが、次の言葉の断片が耳に残った。いわく、「国家は暴力装置である」「暴力とは軍隊と警察である」「暴力による独裁」。これらは、たしか、彼の著書「国家と革命」などに書かれていたことだ。それにしても、レーニンは非情だ。ブッシュを支援するとは。フセイン打倒を「暴力による独裁」だなんて★私は目が覚めた。レーニンの言葉を反芻してみた。著書の全文が掲載されているwebページも見た。「全人民の国家」や「福祉国家」という言葉が死語になりつつあるなかで、これは、実に説得的だ★私は友人にこの夢の話をした。レーニンはけしからんよ、と言うと、彼は急に噴き出した。そして、こともなげに、「それはブッシュをギロチンにでもかけろと言っているんだよ」と言い放つではないか。私は半信半疑でそれを聞いていたが、ひょっとして、そのほうが筋が通っているかもしれないと思った。(4月10日 大木透)

 【出典】 アサート No.305 2003年4月19日

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