デモクラート 第39号

デモクラート 第39号 1973年5月24

全民主勢力の総決起、阪大・阪市大ストに続き
6月初旬全国学園ゼネストに突入せよ

1面  ←PDFは、こちらから 民学同中央委員会声明
【主張】学園スト体制を打ち固め、6月巨大な大学統一行動へ
2面 筑波法案廃案へ、阪大(全教養)阪市大(教養・工)スト決行
自治会運動強化 関西大
3面 5.15首都12万決起 理科大自治会アピールに応え、学生400決起
群馬でも統一行動実現 高経大
自治会再建へ前進 立教大
4面 部落解放同盟と連帯した狭山闘争盛り上がる 関西800決起
大阪学生唯研第1回例会
「経済学を学ぶ人へ」
12回大会への来賓挨拶(続)
カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動, 運動史 | デモクラート 第39号 はコメントを受け付けていません

民学同大阪市大支部「新時代」リスト (1973~76)

以下に、1973年~76年に発行された、民学同大阪市大支部発行「新時代」ビラを紹介します。なお、手元に残っているものだけなので、すべてではありません。また、発行期日とナンバーについては、内容によって判断しておりますので、間違いがある場合があること、ご容赦ください。(発行日付にPDFリンクさせています)

新時代 No116

市大支部発行「新時代」1973年5月15日

★1973年4月13日 No103
工学部学生大会勝利、各クラスアピールを踏まえ
全てのクラスで、学生大会決議を集中しよう!

★1973年4月16日 No105
3.16闘争勝利!筑波法案粉砕!工学部教授会は会見せよ!
本日学生大会、クラスぐるみで結集しよう!

★1973年4月20日 No106
春闘、日教組労働者と連帯し、
5月中旬全学スト→全関西自治会統一行動を実現し、

筑波法案粉砕へ前進せよ!

★1973年5月1日 No110
5月中旬筑波法案粉砕全関西自治会統一行動を実現しよう!
全学でクラス決議を集中し、全学学生大会を成功させよう!

★1973年5月7日 No111
筑波法案粉砕へ全学スト体制を構築しよう!
5.14全学学生大会へクラス決議を集中しよう!

★1973年5月9日 No112
筑波法案粉砕 5.14全学学生大会へ
工学部クラ代を先頭に全学全クラスからの決定を!

★1973年5月12日 No114
14日全学学生大会へ!
5.15全学統一行動、→5.19全関西統一行動に決起しよう!

★1973年5月15日 No116
「筑波」粉砕、3.16闘争勝利、少選挙区制粉砕、田中打倒!

本日、市大統一隊列で決起を!

★1973年5月16日 No117
昨日の全学統一行動の成功をふまえ、

19全関西統一行動に向け、クラス討論の更なる展開を!

★1973年5月21日 No120
全関西統一行動500名の学友決起!
6月上旬全学長期ストを実現しよう!

★1973年5月25日 No121
筑波、書反動法案粉砕、田中内閣打倒へ
6月上旬全国学園一斉ストライキに決起しよう!

★1973年5月30日 No122
筑波粉砕へむけ、2波ストへクラス決議を集中しよう!

★1973年6月11日 No126
総評、日教組教育労働者と固く連帯し、13学大、第2波長期スト

6/23中央集会に総結集しよう!

★1973年9月00日 (民学同市大支部アピール)
全てのクラスで決議を
筑波法案の全国化を許すな!

★1973年10月3日 No153
長沼勝訴の評価を踏まえ、反四次防、反基地闘争強化を
10.6能勢ナイキ阻止全関西現地集会へ!

★1973年10月5日 No154
学部長団交を貫徹し、
学長・協議会団交を全てのクラスの力で実現しよう!

★1973年10月9日 No155
学長・協議会団交実現へ
全学学生大会を、全てのクラスから準備しよう!

★1973年10月15日 No158
10.1差別落書事件糾弾
学長・協議会団交を克取り、市大民主的改革を進めよう!

★1973年10月16日 No159
17全学学生大会を成功させ、学長・協議会団交を実現しよう!

★1973年10月31日 (民学同アピール)
日朝学生の友好、連帯万歳!
南北朝鮮の自主的民主的統一断固支持!

★1973年11月5日 No
大学管理強化反対、学生成果湯擁護を掲げ、
今期冬期闘争に前進しよう!!

★1973年11月22日 No171
学費・大管法闘争へすべてのクラスから決起しよう!

★1973年12月7日 No174
学費値上げ阻止–奨学金制度改革
新寮獲得のクラス決議を集中しよう!

★1974年1月8日 No179
新大管法国会上程阻止、学費凍結法案即時制定へ
全国学園スト・自治会統一行動で決起しよう!

★1974年1月16日 No182
新大管法国会上程阻止!学費凍結法案即時制定!
1.26自治会統一行動・統一署名に決起しょう!

★1974年2月16日 No190
74春闘に立上る労働者に連帯し、学費凍結署名を展開し
予算国会包囲の対政府行動を準備しよう!

★1974年4月18日 No201
田中・福田内閣の総需要抑制政策、政治反動と対決し、

臨時措置法即時廃棄・私学助成法案粉砕へ
工学部自治会を先頭にクラスから闘いを準備しよう!

★1974年4月25日 No202
臨時措置法即時廃棄!私学助成法案粉砕!日教組連帯!

4.26全学集会へ結集しよう!

★1974年4月30日 No203
4.26市大全学集会の成功を踏まえ、工学部自治会を先頭に
政府の新大管法制定策動を粉砕しよう!

★1974年5月9日 No204
政府の大衆収奪強化、政治反動攻撃に対決し、
新大管法制定策動粉砕・臨時措置法即時廃棄
5.23狭山公判闘争勝利。日教組連帯、

5月下旬学生大会をクラスから準備しよう!

★1974年5月13日 No205
国・大阪府の日教組解体=大量不当逮捕策動粉砕!
5.23日教組ストに連帯し、全学学生大会・ストで闘おう!

★1974年5月18日 (民学同アピール)
全市大の学友に訴える!
5.23日教組スト連帯、狭山公判闘争勝利、新大管法攻撃粉砕の下、
統一学生大会を成功させよう!

★1974年5月20日 (民学同アピール)
クラス学科を学生大会をから排除し
分裂を固定化する20–21学生大会私物化策動を断固糾弾し、
今こそクラスから統一学生大会を!

★1974年5月21日 No206
クラス学科を排除する21学生大会を許さず
5.22狭山公判闘争参加団決断支援集会
5.23日教組連帯、新大管法粉砕、講演集会へクラス決議集中!

★1974年5月22日 No207
5.23全学討論集会全大阪自治会連帯行動に
クラスから結集しよう!

★1974年5月24日 No208
5.23自治会連帯行動の成果を踏まえ、

臨時措置法廃棄!新大管法制定策動粉砕!
生活擁護闘争に前進しよう!

★1974年5月28日 No208?
新大管法制定策動粉砕!臨時措置法廃棄、日教組弾圧粉砕!

教頭法強行採決糾弾!
大学の反独占改革闘争に前進しよう!

★1974年6月11日 No
独占資本の直接管理に道を開く新大管法国会上程阻止!

槙枝日教組委員長の強制逮捕糾弾!
日教組不当弾圧抗議1000万人署名を展開しよう!

★1974年9月00日 (民学同緊急アピール)
無謀なバリケード封鎖糾弾!
全てのクラスから討論を展開しよう!

★1974年10月8日 No224
当局の機動隊導入・学生逮捕糾弾!
田中会館=独占資本による大学直接管理支配を許さず
10.9統一学生大会に向け、クラス決議を集中しよう!

★1974年10月9日 (民学同緊急アピール)
今こそ全クラスの力で、統一した学生大会を成功させよう!

★1974年10月14日 No226
田中会館=独占資本の管理支配反対!
川久保予算建設委員長団交を克ち取ろう!

★1974年10月16日 (民学同アピール)
学生生活擁護 低文教政策打破!
新寮予算削減を許さず、本日、寮団交に結集しよう

★1974年11月13日 No232
核・日米安保、四次防の破棄へ 田中内閣打倒!
四次防予算を文教予算へ!フォード来日反対!
ただちにクラス討論を開始しよう!

★1974年11月18日 No234
労働者階級の11.19ゼネストに連帯し、
11.21フォード来日訪韓反対全大阪集会へ

★1974年11月29日 No238
政府独占の総需要抑制・大衆収奪・政治反動粉砕!
狭山差別判決糾弾!最高裁上告棄却阻止!
市大学費凍結・文教予算拡大へクラス討議を展開しよう!

★1974年12月2日 No239
政府独占の総需要抑制・低文教政策打破!
市大学費凍結・文教予算大幅拡大をかちとろう
クラス討論→決議を踏まえ、対市行動を準備しよう!

★1975年1月8日 No241
政府独占の総需要抑制、大衆収奪、低文教政策打破!
全国国公私学費一斉値上げ阻止、市大学費凍結・文教予算拡大へ
全学学生大会→スト・市長団交を勝ち取ろう!

★1975年1月13日 No242
全国国公私学学費値上げ阻止!軍事予算を削減し、文教予算へ
市大学費凍結・文教予算拡大へ!
11.20工学部学大:1月下旬全学学生大会を克ち取ろう!

★1975年2月7日 No257
「全共闘」と大学当局のクラス学友無視のボス交糾弾!
市大学費値上げ阻止の成果を踏まえ、当局交渉を勝ち取り、
文教予算の民主的配分に向け、学生監視機関設立へ前進しよう

★1975年9月12日 No301
恐慌の勤労人民への犠牲転嫁を許すな!
政府の低文教政策打破・田中会館闘争を更に闘い抜き、
市大学費値上げを阻止しよう!

★1975年9月16日 No302
日「韓」閣僚会議強行断固糾弾!
恐慌の勤労人民への犠牲転嫁を許さず、秋闘労働者と連帯し、
全国国公私学 市大学費値上げ阻止へ前進しよう!

★1975年9月26日 No306
酒タバコ郵便値上げ法案粉砕!
内ゲバを口実とした治安立法制定策動粉砕!
政府の低文教政策打破!当局の管理強化と対決し、
市大学費値上げ阻止・文教予算大幅拡大!

★1975年9月30日? (民学同アピール)
機動隊常駐糾弾!
学生の自治破壊を狙う学長の
『暴力対策』5項目提案断固反対!
教授会、評議会へ抗議の声を!

★1975年10月8日 (民学同アピール)
日米「韓」核安保強化反対!アジア集団安保実現にむけ、
10.21国際反戦デーに決起しよう!

★1975年10月15日 No308
秋闘労働者と連帯し、全国国公私学学費値上げを阻止しよう!
当局の管理強化を許さず、全てのクラスで討論を展開し、
市大学費値上げを阻止しよう!

★1975年10月19日 (民学同アピール)
世界平和勢力と連帯し、日米「韓」核安保強化反対!
アジア集団安保へ前進しよう!
10.21国際反戦デーに決起せよ!

★1975年10月20日 No309
全国国公私学学費値上げ阻止!政府の低文教政策打破

市大学費値上げ阻止へ全てのクラスから討論会学習会を展開し、
24「教育シンポ成功にむけた研究討論集会」に結集しよう!

★1975年11月4日 No310
全国一斉学費値上げ阻止!政府の低文教政策打破!
労働者・民主団体と連帯し、クラス自治会サークルから
市大学費値上げ阻止へ強固な闘いを構築しよう!

★1975年11月7日 No311
政府の低文教政策を追求し、昨日”私学訴訟”公判開始さる!!
市大学費値上げ阻止・文教予算大幅拡大!
学長、学部長の反対声明を克ち取り、12月大阪市議会を包囲しよう!

★1975年11月12日 No312
市大学費値上げ阻止・文教予算大幅拡大!
12月大阪市議会に向け、全てのクラスから決議を集中し、
学長、学部長反対声明獲得へ前進しよう!

★1975年11月17日 No313
市大学費値上げ阻止・文教予算大幅拡大

学長、学部長は値上げ反対声明を出せ!
19日工学部長団交、20日文サ連:学生部長団交に勝利しよう!

★1975年12月4日 No315
12月大阪市・大学当局の市大学費値上げ策動粉砕!
工学部教授会、文・経学部長団交を勝ち取り、

学長、学部長の反対声明獲得へ全力を集中しよう!

★1976年1月12日 No327
大阪市の学費値上げ、文教予算削減決定を許すな!
1月下旬学生大会→ストで闘おう!
13日学生部長、16日学長評議会団交に勝利しよう!

カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動 | 民学同大阪市大支部「新時代」リスト (1973~76) はコメントを受け付けていません

デモクラート 第37・38号

デモクラート 第37・38号 1973年5月8

筑波粉砕へ、春闘日教組ストに呼応し
全国学園ストに決起しよう

 

1面  ←PDFは、こちらから 文教委 強行採決許すな
【主張】学園スト体制を打ち固め、5月学生統一行動へ
2面 法案粉砕へ全国学園で闘い進む
学生共闘派は統一を妨げるセクト主義を放棄せよ
3面 史上空前のゼネスト 68単産650万人参加
73春闘の諸問題
4面 第14回都大会開催
思想戦線の混乱克服へ
12回大会への来賓挨拶
カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動, 運動史 | デモクラート 第37・38号 はコメントを受け付けていません

他党派批判 (「新時代(誌)」創刊号 1973年4月)

新時代(誌)創刊号

民青・「学生共闘」派、中核派、革マル派、共産同C戦線

民主青年同盟第12回大会方針批判

—-三年間とその帰結—-

 民青第十二回大会は、大会の度重なる延期、深刻な組織内の分岐と混乱(「新目和見主義」と「分派主義」の発生)という、異常な事態の下で開催された。
 この三年間に彼らが与えた「結論」(大会での中央委報告-それは総じて批判に耐えないものである-) を特徴づけるのは以下の諸点である。
 第一に、中央委報告全体に見られる組織間題の異常な強調。 とりわけ指導部責任をあいまいにしたままの、決定の無条件的遵守を要求するウルトラ官僚主義・無原則的拡大運動である。
 中央委報告の結語は次のよつに述べている。「本来、中央の決定というのは、全国の同盟員の英知や経験を民主的に結集し、集積集中した全国最高の英知の結晶であります。だからこそ、これをよく学ぶとともに無条件で実践する、ということが同盟の前進や成果の重要な不可欠の前提である。」経験と知識の集積集中からは、決して直線的に正しい政策・方針が出てくるのでないことは自明のことである。政策・方針の正しさは、その科学性によるものであり、経験や知識の集積集中のみからは、プラグマチックな経験主義的方針、自然発生性への拝跪、大衆追随主義は出てきても、科学的な、したがって説得的な政策・方針は出て来ない。 この政策を、「『中央の決定どうりにやる』、そうすればかならず成果があるんだ、そういう精神」結語によって押しつけることでは何らの解決にならない。
 だから民青指導部は、同盟の基礎単位である班会議を、科学性と組織内民主主義にもとづく政策討議と方針の検討・具体化それにもとづく意志統一の場から、「おたがいがよく理解しあい、活動や悩み、よろこびの交流の場」(中央委報告)に変えてしまう。しかし、このような近代. 経営学顔負けのヒューマン・リレーションズ理論だけではあまりにひどいので、次に班会議は党や同盟中央の政策・方針を中心とする「学習の場となり、成長のよろこび、団結、連帯感がつちかわれる場」(同右)となっているが、本質は変らない。 最後に中央委報告は、道徳主義に訴える。 「民主的青年にふさわしい道徳を身につけ、 青年と同盟員のよき相談相手となり、たすけあい家族にも支持されるようになろう。」と。民青指導部の要求する理想の同盟員像はこのようなものである。改善されるべきは民青指導部であり、彼らに欠けているのは、大衆連動の科学的政策方針に対する真剣な態度と責任であり、それを保証する組織内民主主義の原則である。
 民青指導部の組織内民主主義の破壊・ウルトラ官僚主義とサークル主義は組織内に重大な摩擦を生じさせている。
 また彼らは、大衆運動抜きの無原則な拡大連動を強調している。大衆闘争と拡大運動とを有機的に結合するという原則的立場は、「新日和見主義」の「大闘争、大拡大」のスローガンのぎょうぎょうしい批判の前に無視され、一般的なオルグによってのとりわけ中心的には学習会・文化サークル・スポーツ・レクリエーションを通じての拡大がとなえられている。 拡大連動は、点数制の目標管理制度の側面をますます濃くしている。

民青の学生運動批判

 第二に、学生運動の方針として、まず最初に「トロツキスト暴力集団」の学園からの一掃をかかげるだけで、大学闘争についてはまったくおそまつにしかふれられていないことである。
 中央委報告は、次のように述べている。「反共暴力集団の暴力支配と妄動を学園から一掃し、大学の自由を回復する課題はますます緊急で切実なものとなっている。」さらには、「こうしたかれらの暴力行為や警察権力との結びつきなど反人民・反民主主義・反革命の正体を暴露し世論の糾弾を強める。 暴力はどんな『小さな』ものでも見のがさず、告訴・告発など必要な措置をする。」
 日本共産党代々木派とその「指導」する民青指導部は、「トロツキスト」の学園からの一掃を第一とする「トロツキスト」主敵論をとなえることで、事実上政府・文部省・学内の反動層と闘う任務を一貫して軽視している。 極「左」的偏向自体、 「トロツキスト暴力集団」の存在自体、彼らの右翼日和見主義的偏向と表裏をなすものであることも忘れ去っている。
 次に述べられているのは、「学習」である。「学生にとっては勉学が当面の生活の中心目標である。 したがって、学生運動は学校での授業を含め、社会科学・自然科学・技術・文化・芸術体育のすべての分野で『学ぶ』活動をいっかんして重視すべきである。・・・同盟はその点でも先進的役割を果さなければならない。」彼らの目には、大学の学問授業が形がい化され、多くの学生が勉学意欲を無くしている原因が映らないらしい。
 その原因はテーゼの中で詳しく分析されたように大学の深刻な諸矛盾にある。このことからわれわわれは、「学生にとっては勉学が当面の生活の中心目標である。」ようにするためには、その矛盾の解決のために具体的な政策・対案を提起し大衆的な闘争を組纖せねばならないことを主張する。 民青指導部は、これに対し一言″学習せよ〟と訓戒をたれるのである。
 次に中央委報告は、批判済みの諸要求路線を述べている。続いて「新日和見主義」を学生先駆性論だとする批判を展開するが、まったく問題となるものですらない。
 最後に、これらの方針を実現し、学生運動を「統一して」発展させる展望は、けっきょく主体形成に求められる。「学生数の一割、二割という巨大な同盟が建設され、民主的中央集権制の組繊原則でしっかり団結してこそ、米日支配層、学内・外の反動勢力やトロツキストの攻撃にゆるがぬ強大な学生運動をきずくことができる。」と。
 では民青中央委報告の言う統一とは何か? 彼らは統一行動・共同行動の原則として次の三点をあげる。 「①一致する要求・課題での共同、②参加団体の対等平等の尊重、③妨害勢力を加えない、の三点である。」
 これは、われわれの趣意の立場=課題と基本戦術の一致と明らかに対立する。
 民青三原則では、妨害勢力かどうかの判断がまったく民青の主観的判断であり、 彼らのセクト主義の露骨なあらわれでしかない。 彼らは、これによって統一行動の破壊を正当化している。 また「一致する要求」という「原則」において実際彼らは当面の行動とは直接関係のない安保廃棄その他スローガンを入れることを強要して運動に分断をもち込んでいる多くの例がある。
 われわれは、このセクト主義的「共闘三原則」に. ″課題と基本戦術の一致〟にもとづく統一行動の原則的立場を高くかかげ、圧倒的大衆連動の圧力で学生運動の統一を押し進めねばならない。

中央委報告の情勢分析の誤り

㈠ 平和共存緊張緩和の否定
 第三に、平和共存緊張緩和の前進という否定し難い事実と、社会主義諸国のそれにおける役割の増大という、 世界史の進歩の客観的過程に対して、「米帝美化論」というきめつけをおこなうという極めて主観的な国際情勢報告である。
(基本的分析に対する批判は、 テーゼの中で行なわれているので、ここでは、中央委報告を引用しつつ具体的批判をおこなう。)
 中央委報告は、インドシナ人民に対する社会主義諸国からの軍事経済的援助の果した重要な役割を意識的にいっさい黙殺したまま、「ニクソン訪中一訪ソによる米中・ 米ソ間の一定の関係『緩和』がアメリカ帝国主義のベトナム侵略の手をおさえる方向にではな
くベトナム侵略強化の背景としてはたらいている以上、 これが真の緊張緩和や平和共存の前進とは似つかぬものであることはあきらかである。」と述べている。 こうして中央委報告は、ベトナムでの民族解放闘争と、 訪ソを中心とする欧州での平和共存を意識的
に対立させ、 アメリカ帝国主義者の意図を一面的に強調している。そのことは、全世界的な平和共存の前進をあたかもベトナム民族解放闘争の敵対物であるかのように見ることによって平和共存戦略を「米帝美化論」として実際上否定している。これらの主張は、大会の約三ヵ月後に、ベトナム和平協定調印という事実によって否定され、完全に破産した。

㈡ 無視された帝国主義間矛盾
 第四に、帝国主義間矛盾の激化と、主要資本主義国における労働運動の高揚、政治的危機の深化に特徴づけられる全般的危機の深化の具体的分析の欠如と、国内労働運動に対する軽視と無策、一方における選挙支援の度外れの強調である。
 中央委報告は「アメリカ帝国主義の国際的地位は第二次大戦終結直後の時期などにくらべて相対的に低下した」と正しく指摘しながらも、 その矛盾の具体的内容・通貨・貿易・エネルギー資源等をめぐって、最近急速に激化している帝国主義間矛盾、とりわけ日米間矛盾と対立・闘争をまったく述べていない。
 日米関係についても依然として日本を「サンフランシスコ体制のもとでアメリカ帝国主義戦争と侵略の政策に縛りつけられた半占領=半独立の国家であり、アメリカ帝国主義になかば占領された事実上の従属国である」と規定している。 中央委報告は、日米間矛盾の激化が最近のチュメニ・プロジェクトなどをめぐる日本政府の一定の態度変更に見られるように、日本帝国主義に対ソ政策の再検討をせまっていること、このことが日本帝国主義に平和共存を押しつけてゆく闘いの有利な条件となっていることをいっさい黙殺している。
 又、 ドル危機に典型的に示されている帝国主義内部の深刻な矛盾の具体的評価は一切おこなわれておらず、そのことが国際的な労働連動の高揚、更に進んで権力奪取にまで至る階級闘争の激発を結果していることをほとんどと言って良い程評価し得ていない。
 そしてそのことは、国内矛盾の深化における一定の正しい指摘にもかかわらず、その解決の決定的な力である労働連動の政策が一切触れられておらず、選挙運動のみが一面的に強調されるという、議会改良主義的偏向と表裏一体をなしているのである。

 以上の特徴的な動向から知られうることはこの第十二回大会報告が正確な科学的情勢分析に基づいて、科学的かつ具体的な政策を説得的に提起するのではなく、その指導責任を一貫して回選しており、政治方針を特徴づけているものは、日和見主義をおいかくす空文句と抽象的な決意主義、官僚的な締めつけであり、他セクトに対するセクト主義と一方における無原則的な組織拡大であると言えよう。これらの諸傾向は、現在、民主青年同盟の内抱する諸矛盾を必然的に激化させざるをえないだろう。われわれは、まじめな民青同盟員諸君がこのような誤まった指導を拒否し、われわれの隊列に結集することを訴えると同時に、われわれ自身の原則的な大衆運動と強固な同盟の構築を実現していくであろう。
 
「実践は思想の真理である」(チェルヌイシェフスキー)を民青諸君に最後に送ろう。

 

「学生共闘」 派批判

 我が同盟と「現政研」=学生共闘派との事実上の分裂(一九七〇・三)当時、組織内部に発生した意見の対立は、決して克服しえない、組織分裂を引き起こす程深刻なものではなく、組纖内民主主義の徹底による同志的な全同盟的討議と実践の検証によって克服可能であった。
 なぜなら、平和共存、反独占民主主義という基本的戦略では少なくとも一致しており、その実践への適用をめぐる意見対立であったからである。
 しかし、「現代政治研究会」(現政研)なる分裂グループの結成による同盟私物化、同盟破壊を準備していた一部全国委員は、事実上分裂を前提として同盟機関の官僚主義的運営をくりかえし、直接、暴力に訴えて同盟を分裂へ導いたのである。
 当時、端緒としてしか現われていなかった彼らの偏向は、「現政研」路線の下に、著しい街頭政治主義とセクト主義の純化を深め、民主主義学生同盟の立場からの決定的な離反の過程を歩んでいる。

「学生共闘」派の基本的誤謬

 「現政研」=学生共闘派指導部の根本的誤謬は次の点にある。第一に、国家独占資本主義の危機の時代における″攻撃的闘争〟の理論、第二に、情勢評価における政治決定論とそれに基づく政治主義、第三に、決意・決断を先行させる主体形成論=恒常的闘争委運動(大学では″学生共闘″職場では″職場行動委〟)と以上の特質によって規定される著しいセクト主義・分裂主義・反統一戦線であり、第四に、運動論においては「全学連八中委・ 九大会」を金科玉条とし学生の中に「平和と民主主義の意識」が一般的普遍的に存在するという全く観念的な指導理念として列挙することができる。
 彼らの誤謬は、単に以上のことにとどまることなく、「現政研」路線の「発展」は、民学同の基本的諸原則の書き替えを次々と要求している。
 全く未整理のまま、「左」右への振動を繰り返すこの路線は、日本における平和共存・ 反独占民主主義の為の闘いの脆弱さ故に生じたものである。
 その意味で、学生運動では、我が同盟が科学的政策と統一戦線の実例の力によって克服すべき対象であることを最初に確認しておく必要があるし、学生共闘派指導部が、一刻も早く誤まりを認め我が同盟の原則的立場に復帰することを念じつつ、断固たる批判を行なうものである。

攻撃的闘争=主観主義的政治主義

 「七〇年代は偉大な勝利の時代である。我々の任務は″日米共同声明″の具体的執行を一つ一つ粉砕していくことにとどまらず、反独占民主主義闘争の深化により、我々の側から政治的対決点を設定し、反独占統一戦線の構築から、反独占統一戦線政府を戦いとることである」(「七〇年代と階級闘争」現政研155P)と決意を述べた後、七〇年代闘争を闘い抜く″攻撃的闘争〟の理論を展開する。
 「第一は、全機構的・ 重層的闘争を闘い抜くこと」であり、このことを通じて「″下層の危機〟の成熟とその″上層の危機〟への転化が可能となり、力関係の上向的転換から真の政治的危機に至る展望を登りつめることができる。」
 「第二に、しかし、この闘いは、代々木派のいう『諸要求路線』(=個別要求の非有機的算術的総和)とは決定的に異なり」「安保・沖縄闘争を赤い系として」「絶えざる緊張関係へと導きうる環に向けなければならない」「第三に、攻撃的闘いを組みあげていくこと」によって、「第四に、『左』右の日和見主義を遮断し」「多少とも、影響力を持ちうる典型的なものを構築し」「プロレタリアートを中核とする統一戦線を打ち固めなければならない」(同320~28P)
 総じて、これらが彼らの新しい発見–これこそ旧構革派のトロッキー主義のとめどなき転落、屈服を乗り越え″構革派の戦闘的再生〟をかちとる唯一の道だ!-として語られている「攻撃的闘争」である。
 「われわれの革命は″危機待望論〟ではない」(同278P)ことや、反独占民主主義・社会主義の政治戦略が、不断の日的意識的″能動的〟しかも合目的的な活動が不可決なのは、あたり前である。
 にもかかわらず、何か大発見でもしたかの様に″攻撃的〟″能動的″と騒ぎたてることこそ、彼らの反独占民主主義闘争に対する無理解の証明であるばかりか、何か別の意味を付与することー丁度、プロ学同が平和共存、反独占民主主義の無理解ゆえに″動乱的平和共存″″反独占民主主義の攻撃的左転回〟を提起し、「トロツキズム」主義に転落した様に–他ならない。
 一九六〇年における国家独占資本主義の、政治的反動の進行の過程は、労働者階級をはじめ全勤労諸階層の間に、広汎な自然発生的不満・要求を生みだしている。全国学園闘争・安保・沖縄闘争春闘などの全国的高揚はそのことを示している。
 しかし、この様な自然発生的不満・要求が存在するにも加かわらず、反独占民主主義的改革の展望が明らかにされないまま、政府の反動的政策を一定許す結果を招いている。
 また解決の具体的政策を実現する労働者階級のイニシアチブが十分に発揮されていない。一般的不満・反政府的感情が渦巻くという現状の中で、彼らはこれに焦りを覚えるがゆえに、決意・決断による″攻撃的闘争〟によって、客観的現実を無視しても主観的展望に「登りつめる」のだと主張している。
 彼らが”大発見〟した中身とは、実は、レーニンが「『左』翼小児病」でくり返し批判し、日本学生連動が幾度となく経験し、使い古され、歴史的に破産した論理–即ち、「トロツキズム」諸潮流が、全般的危機の第三段階を過渡的世界=革命的情勢と規定し、展望は切り開くものだ!と主観的決意・決断に変革の展望を求めた、あの論理–と何ら相違はありえない。
 レーニンが正しく述べているように革命は個々のグループや党の意志だけでなく個々の階級の意志にも依存しない。これらの客観的変化なしには、″革命は-概して-不可能」(第二インターナショナルの崩壊」)であり、そのことの無理解は、同じくレーニンが「テロリストは、革命的活動を労働運動に結びつけて、渾然一体化する能力をもたないか、また可能性をもたないインテリ連の、最も熱烈な憤激の自然発生性の前に拝脆する」(「何をなすべきか」)彼らの理論は、このレーニンの批判した立場への、多かれ少なかれ、転落・ 屈服を意味している。かれらの少数「精鋭」主義、エリート主義そして、大衆べっ視は少人数で社会変革を達成しようとする全くの少児病でしかない。

政治決定論と街頭主義

 このはね上りの″攻撃的闘争〟は、彼らが″全機構的・重層的’ 闘争〟の「重要性」を言葉の上で何度くり返そうと、″安保を赤い系として〟端的に示されるように安保の破棄を日本革命の戦略的中心課題とする以上、必然的に、街頭政治主義、「政治」決戦論に行きつかざるを得ない。 現実に、彼らはその一途を歩んでいる。
 この誤謬の根源は、 情勢分析における観念論=政治決定論にある。
 かれらは、七〇年階級闘争の第一の任務は、「日本帝国主義の侵略的展開の阻止」「安保条約の破棄」であり、第二の任務は、「国内治安体制の反動化=帝国主義的上部構造の反動的再編の粉砕」「民主主義の復権」であり、第三の任務は国民生活の犠牲の上に推進しつつある独占資本の経済政策との対決」「その反独占的転換」(以上同26~29P)であるとしている。 安保破薬を第一義的任務としているだけでなくその三つの任務の相互関係すらいっこうに、明らかにされていない。
 日本独占資本が、国家機能を最大限利用し、強行する資本輸出、特に、対外大規模直按投資の拡大は、国内で行なわれる二重・三重の「過剰」投資・軍事生産の拡大と同様に、進行するインフレーションと大衆収奪の強化、生活環境の破壞、住宅社会保障の貧困の下で労働者階級を中心とする反独占諸階層の経済的要求と独占資本本位の政府の政策とは、根本的に対立し、今日その矛盾は一層明確になっている。イタリアやフランス、イギリス、そして闘いで示されたように国家独占資本主義の下では、このような労働者階級の″経済的”な闘争の高揚は、容易に政治闘争に転化しうるし、また経済的要求でさえそれを対政府闘争として闘わないかぎり、多少とも根本的な勝利は達成できないのである。七〇年代は、安保条約破棄の闘争のみならず、全般的な社会的経済的政治的な労働者階級の反独占政策を対案として提出し、それらの個々の諸闘争の発展の過程で政党や政治同盟は、決起した労働者階級、動労人民反独占諸階層に対し、独占資本の支配を制限するような政治的変革の必要を宣伝し、煽動し、組織し、労働者階級を中心とした反独占統一戦線を闘いとり、さらに、これらの一連の闘争の過程で議会における民主的多数派を形成することである。
 彼らがいう「全機構的・重層的闘い」とは、本来、この様な闘いとして位置づけられるべきものであるが、その事を理解できずに、言葉の上で、民青をい<ら批判しょうとも、「安保・沖縄闘争」との一面的結合、利用主義と「政治」的課題への流し込みを結果せざるを得ない。
 大阪大の釜洞ファッショ体制が長期ストライキで崩壊の淵にたたされた七一年四月学園闘争は「沖縄闘争への敵対である」と、民青・トロ諸派・ 右翼勝共連合と同様にスト解除の黄色い声をあげ、スト破壊に加担した事実、大阪市大三・一六闘争最中「佐藤打倒の闘争によって永井打倒の展望が切り開かれる」と語り、学友の失笑をかった事実等々、現実こそ、その犯罪的誤謬を雄弁に暴露している。 かれらにとって政治闘争とは安保闘争であり、それ以外の闘争は「経済闘争」でしかないらしい。 政治とは権力の問題であり、政治闘争とはまさに権力をめぐる深刻な階級闘争の一形態であることを知るべきであろう。
 国家独占資本主義の政治を経済から切りはなし、その矛盾を見失うところからは、必然的に″一路軍国主義へ〟という「政治」決定論を生みだし、中核派の「侵略か革命か、侵略を内乱へ」と大した違いを持たない″軍国主義か安保破棄か、侵略を反独占政府へ〟という図式的な理解に基づく政治主義へ転落するのである。こうした路線から、一方では、日本軍国主義強化不可避論に基づくヒステリックな煽動が、他方では、 それを阻止する反独占諸階層・反帝平和勢力の事実を歪曲した超大宣伝が生じるのである。
 米中接近・日中国交回復を、一面的に、「平和共存の偉大な前進」「田中内閣への強打」と評し、その反ソ同盟的性格を一切見失い、帝国主義者の政治的・ 経済的巻返しへの警戒心と現実の危険性の存在を窓意的に排除するのは、その最も極端な例である。

「学生共闘」方式と反統一戦線

 彼らの決意・決断・願望・そして焦りに反して、 いかんともしがたい現実を前に、彼らが次に語るのは–こういう類が必ず行きつく–「戦闘的主体の形成」であり、学園では″学生共闘″職場では″職場行動委員会〟といわれるのがそれである。 (ここでは主要に″学生共闘〟方式に関する批判を行うが、″職場行動委〟もまた同様の誤謬を含んでいることは言うまでもない。)
 「現在では帝国主義再編強化か反独占的改革という対決になっている」「対決点がかわった今、『平和と民主主義に反独占民主主義としての位置づけを与えていかねばならない」 (「七〇年代と階級闘争」393P)と確認するや否や、彼らは、「平和共存・反独占民主主義」の承認を大衆運動統一の原則にまで高めた。
 正しいはずの方針を掲げても、いつこうに実例の力を示すことができず、孤立の淵に追いやられる彼らは、「我が派のスローガン」でどれだけの「我が派の隊列」を拡大したか、そのことのみに主要な関心を向け、そのことによってのみ孤立する「我が派」を防衛しようとする。これこそ、宗派主義的主体形成論の典型である。
 ″譲るべからず原則″を掲げる彼らにとっては、″この原則〟を低める運動は、トロ諸派・民青はいうに及ばず、無党派の民主的活動家であろうと分解させ、分裂を生じさせるべきもの以外の何物でもない。
 従って、この「原則の神」=″学生共闘″は、自治会・学生大会にも一切拘束されないばかりか、その連動を妨害する者には、いかなる手段を用いても(七一年十月大阪市大では、「学生大会の私物化合戦」の末ついに官意の学内介入の呼び水となる革マル派との集団武装ゲバルトをひき起した!)粉砕し、自己を鍛え、拡大し″戦闘的主体の形成〟をなしとげるのである。
 根本的誤謬は次の点、印ち、政治同盟の政治的指導と、大衆統一の政策の混同にある。
 大衆統一の政策は、大衆の生きた経験を通じて見つけ出される共通の合言葉〟であり政治的指導とは、まさにこの合言葉を見つけ出す能力、それを客観的情勢の中で位置づけ、具体的展望をさし示すことである。
 強固な主体の形成は、スローガンの押しつけによってではなく、「これらの前衛が行なう政治指導の正しさによって、かれらの政治的戦略と戦術の正しさによってである。–ただし、これはもっとも広い大衆が自分の経験にもとずいて納得するという条件のもとで」(『左』翼小児病)打ち固められ、広範な民主的学友の結集を勝ちとることが可能となるのである。
 セクト主義・図式主義・思い上った「指導」の押しつけ・具体的情勢や特殊性を一切考慮の外におく紋切り型のスローガン、こうした類の全てにとって民学同は敵である。
 我が同盟は、民青指導部(トロツキズム諸派)との闘いの中で守り抜いた輝かしい教訓を原則として書き印した。
 「政治的見解の相違を理由に統一した闘いへの努力を放棄し、特定政党政派の利己的利害を大衆団体の上におき・・・政治路線を押しつけるセクト主義を拒否する」 (同盟趣意)
 かれらは民主的先進的内容をもつ統一した闘いを誹謗し「スローガンが不充分だから分裂しょう」と叫び、本来、政治同盟がなすべき任務一続一行動を擁讓し、政治的教育・思想闘争によって大衆を獲得し、更に闘いを前進させること–を全く放棄する。
 こうしたセクト主義・ 反統一戦線の論理は当然にも民主的学友の総批判を受けざるを得ないが、にもかかわらず、「課題」(実は特定党派の紋切型のスローガン)と基本戦術の一致に基づく共闘」の美名の下に、″連帶を求めて孤立を恐れず〟結集した少数街頭デモこそ、最も有効な闘いとなり、「全関西」「全国」学生共闘を大言杜語してはばからない。
 しかしもはや明らかな様に、これらの″統一行動″がその形態において、民青「全学連」、中核「全学連」など、セクト的r全学連」の亜流か、もしくは、その「準備会」程度のものでしかないのは当然である。
 七一年十・二十一国際反戦デーでは、大阪大の一、〇〇〇名の統一行動から十名足らずで、離脱し、大阪市大・大阪学大でも二〇〇名の隊列から、「原則的スローガン」をかかげて数十名で離脱を強行するなど、その分裂主義の本質を白日の下に吐露している。 それは、学生連動の統一にとってではなく、分裂の拡大・固定化のためにのみ重大な役割を果すのである。
 彼らの根深い業病には、レーニンの次の言一集が良薬である。「共産主義者の任務のすべては-おくれた人たちを説得し彼らの間で活動することができるということであって、 頭の中で考えだした、子供じみた『左翼的」なスローガンで彼らと自分の間の垣をつくることではないのだから」(『左』翼小児病)

意識にのみ基礎をおく学生運動論

 以上検討した街頭政治主義・セクト主義は、更に彼らの学生層の分析とそれに基づく学生運動論によって一層合理化され、固定化される。
 『層としての学生連動』(現政研編)は、戦後の学生層を分析して次の様に述べる。
 ①科学技術革命の進行によって「今日の学生層は・・・かってのごとき特権的階級ではなくなり、将来は労働者階級(広い意味における)に属していくべき過渡的な社会層」に変化し、(同76~7P)、「反独占の側に存在している」「まさにそれこそが戦後日本学生連動の大衆性・戦闘性の客観的根拠であり、「戦後の層としての学生運動が学生層を反独占統一戦線の自覚的一翼として形成することをめざす客観的基礎を与えている」(同76P)
 この一般的には正しい規定から、②彼らは戦後学生層を特徴づけて、第一に、「学生層はその出身階層及びかれらが将来帰属する階層の物質的利害とは相対的に独立した判断で行動しうる」、第二に、その相対的な独立性の故に、「今日の資本主義の危機の深化とその顕在化の中で、戦争と平和、自由と民主主義などの政治的諸問題に学生層がきわめて大きな関心をもち、その推移に敏感に反対を示す」、第三に、「巨大な教育施設にかれらが集中していることからくる社会的グループとしての密集性」を上げる。 (同76P)
 そして、以上の結論として、かっての「平和と民主主義」意識は、更に「平和共存・ 反独占民主主義」意識として、発展している。 これが結論である。
 彼らの主張を一目すれば、重大な論理矛盾-これが決定的な誤落なのだが-に気づく。
 すなわち、″学生層の分析″ -①で「将来労働者階級に属してゆくべき」反独占層と規定しているにもかかわらず、″学生層の特徴. -②を示すにさいしては、このことが一切考慮の外におかれ相変らず-否!学生の″意識”にのみ闘う基盤を見い出すという点においては、五〇年代の理解への後戻りとして–「学生の客観的地位、物質的利害から相対的に独白的な意識」=「平和と民主主義」 の意識の強調にとどまっている。
 ①における「一般的に正いい分析」が、②では一切生かされていない。
 今日の学生層の特徴は、まさに①に基づいて、こう書かれるべきであった。
 「学生層は客観的地位の変化に伴ない、その出身階層、およびかれらが将来帰属する階層(総じて労働者階級を中心とする反独占諸階層)との物質的利害、主観的要求の接近、一致を増々深めており、そのこと自体に規定され、より広汎な行動に参加しうる」と。
 全国学園闘争は、 まさにそのことの極めて自然発生的な証明であった。 (「全国学園闘争総括」の項参照)
 この様な、 学生層がその将来を労働者階級を中心とする反独占諸階層として予定されており、現実にも反独占諸階層との物質的利害、主観的要求の接近、一致の過程–これこそが、学生運動の将来を規定する核心である。–に対する無知、無関心は、〟核心〟を極めて歪曲された形ではあれ反映する無党派連動およびトロツキスト諸潮流に乗り越えられ、 孤立の淵に立たざるを得ない。
 全国学園闘争は、そのことをもまた、見事に証明した。 われわれは、もちろん、学生が生産から直接切り離されており、政治的関心、知的要求が高く、感受性が豊かで行動力があるという特質を否定しない。 しかしこのような特質を正しく生かすためにも問題は次の点に、すなわち、その意識の内容を決定するのは、ますます労働者階級との一致した要求に基づいているということなのである。
 反独占諸階層の物質的利害、労働者階級の主観的要求と全く切り離され、それに基づかず相対的に独自であるが故に生み出される学生層一般に存在する「平和と民主主義」の意識!一体この様な″意識〟が過去にも現在にもそしで将来にも存在するだろうか。 断じて否である。 八中委九大会で強調された「平和と民主主義」の意識とは、とりも直さず、戦後の″反ファシズム・ 反占領″の闘争のなかで形成された意識であり、それはその後の日本資本主義の発展や反独占諸勢力の闘争の成否などによって不断に変化している。このような客観的な現実を見ず、「平和と民主主義」の意識の一般的・普遍的存在という大前提から出発する理論は、明日の現実の担い手たる労働者階級、反独占諸階層の物質的利害と切断され、宙に浮いた「意識」–今日において、それは没落の過程を歩みつつも、明日に展望を持ちえない小プル・インテリゲンチャーの意識=市民主義に他ならない–に依拠すること、それは必然的に、極度のセクト主義、市民主義的街頭主義を結果するのも当然である。
 彼らは、民青の学生運動を批判する。民青は確かに、学生層を「半インテリゲンチャー=プチブル的」と規定し、学生層を①反動的グループ、②中間的グループ、③民主的進歩グループ、と区分し、学生が層として決起しうる客観的物質的基盤ー反独占層としてのーを見失っている。
 しかし、「現政研」=学生共闘派指導部の主張する、「平和と民主主義の意識」に共通性を求め、 (彼らは、民青を批判する時には「学生層が全体として反独占層であること」を強調するが、自らの論理を展開するときには、そのことが一切忘れ去られている!)学生層を ①意識的グループ ②中間的グループ ③遅れたグループ、と区別するのでは一体どこに相違があるだろうか。
 かくして、「現政研」=学生共闘派指導部は、五十年代の指導理念にうちまたがって、学園をさまようのである。それはさながら、ドン・キ・ホーテの 「勇姿」に似ている。
 孤立を深めれぱ深める程、「全学連八中委九大会」の声ー正しい情勢分析における正しい方針の大胆な提起ーは神の救いである。
 しかし、学生の客観的現実を無視した彼らの運動では「八中委九大会」の警告すらも無カであり、所詮、少数街頭行動に帰着せざるを得ないのも無理からぬことである。
 
お わ り に
 冒頭にも記したように「現政研理論」はまだ未分化の状態にある。
 今後更に、国家独占資本主義の政治と経済、その国家権力の評価をめぐった、あるいはまた、孤立を深める大衆運動の総括をめぐって、「左」右への振動をくり返すことは必至であろう。
 我が同盟は、学生共闘派に指導される民主的・先進的・献身的学友のエネルギーの浪費を惜しみ、正しく平和と平和共存・反独占民主主義・学生運動統一の為に生かされることを願うが故に、一刻も早く、諸君が我が同盟の隊列に復帰することを、再度呼びかけるものである。
 

革マル派批判

 「革マル派結成十周年に際し、反スターリニズム運動の一大飛躍を!」をメインスローガンにした『解放』(革共同 革マル派」機関紙)No254(新年号)には、彼らの七二年度の闘争総括と、今後の反戦闘争、「党派闘争」の基本的方針が展開されてている 。
「いまや日本階級闘争は社共既成左翼とわが反スターリニズム的左翼との組織的闘争を焦点とする段階を迎えている」と分析する革マル派は、長文の主張の大部分を、最大限の形容詞をもって、日共批判、中核批判に費している。ここでは、彼らの主張のうち、「反戦闘争、党派闘争の飛躍的強化のために」と題する2ページに及ぶ彼らの基本方針を中心に検討していきたい。

ベトナム反戦闘争の位置付けとその誤り

情勢分析における主観主義

 ベトナム反戦闘争は、「ベトナム戦争をめぐる現実を情勢分析によって明確にとらえることからはじめなければならない。」その通りである。だが、哀しいかな革マル諸君!「まずベトナム戦争をめぐる国際、国内情勢のポイント」は「中ソは相互の敵対をいよいよ深めながらも、それぞれ米帝の『等距離外交』に屈服し、米帝との平和共存関係を作り出す方向で独自にハノイに圧力 をかけている。」「こうした中で北ベトナム・解放戦線は 『和平』 の方向に屈服しつつある。」そして、「日米軍事同盟体制こそは米帝のベトナム侵略を支える要となっている。」 これが「 革マル派の「情勢分析」であり、その全てである。それ以外は、全く何も述べられてはいない。 しかし、 それだけで、革マル派の言いたいことは読みとれる。
 情勢分析にあたっては、まず我々は、現代世界の階級的な力関係の確認、現実に進行している事態の冷静な客観的な判断から出発せねぱならない。だとするならぱ、ベトナムをめぐる国際情勢は、革マル派諸君の言うように「スターリニスト」ソ連が米帝に「屈服」し、ベトナム人民が「『和平』の方向に屈服しつつある」のだろうか。革マル諸君は、彼らなりに、それを説明している。「『一国社会主義』ソ連の国家的利害の擁護と貫徹をたくらみ、引きかえに、北ベトナムに対して、米帝との和平に直ちに応ずるべきことを、政治的・経済的(軍事援助を含む)に圧力を加える約東をかわすほど、 米帝との相互臓着をくり返したのである。」と。
 ソ連は、「軍事援助を含」めて、「米帝との相互臓着をくり返した」に至っては何と、事実を歪曲していることか。 ここで詳しく述べるまでもないが最大の破壊力を持つ米帝の「ベトナム化」政策を破たんさせ、国際的にも孤立化させ、ベトナムの現局面(基本的に米が和平に応ぜざるを得ない) を作り出してきたものは何か。それは、ベトナム労働党を中心とするベトナム人民と社会主義ソ連を先頭とする全世界の反帝平和勢力の結合である。それは疑いもない事実である。現実に、北爆に参加している爆撃機を撃逐しているのは一体どこの国のミサイルだというのだ。 これまでの数々の経済軍事援助、全世界のベトナム支援反米闘争を並べればきりがないくらいである。それは、闘うベトナム人民が一番よく知っているだろう。それを否定するものは、事実を見ないものか、あるいは、 それを認めたくないものだけである。 又「ハノイへの政治的圧力」とは、何を根拠にしているのだろうか。それに対しては、この間の一連の北ベトナム・南ベトナム臨時革命政府の声明を見るだけで明らかであろう。そして、革マル派にあっては、「米帝との相互購着」は、「ニクソン訪ソ」によって頂点となるのであり、しかもこの訪ソは、ソ連が「要請」(=「屈服した」)したから実現したと位置づけられる始末である。この会談の実際の内容を語ることなしに、「相互購着」と叫ぶだけでは、複雑な国際政治を分析する必要は全くないのである。
 主観的な情勢分析から、ベトナムの現局面の困難さを、彼らお得意の「スターリニスト」のせいにし、そこから、彼らのセクト的な闘争方針を打ち立てるのである。

「民族和解政府樹立方式に抗する」革マル派

 彼ら、革マル派のベトナム反戦闘争に対する基本的態度は、「民族和解政府樹立方式に抗し、反米・反テューを闘うベトナム人民と連帶しょう!」のスローガンに表れている。すなわち、「ベトナム戦争のスターリニスト的解決方法である」「民族和解政府樹方式」に反対するが、それではベトナム反戦闘争は闘えないが故に、「かかる方式に抗して闘つているベトナムの革命的人民」とは連帯すると自らの路線を″補強. している。 しかし、革マル派は、「闘う人民」「革命的人民」を具体的に一切明らかにすることなく、解放民族戦線を「即自的な反米意識や民族感情を持ったベトナム人民・民族白決権にもとづく『民族独立』の要求を持った民族ブルジョアジー、民族解放民主革命路線にのっているスターリニスト」が「混然」となったものとして″片づけ ″したがって民族解放戦争は、まさに反米反チュー闘争の民族主義的な疎外形態であり」、「我々の、のりこえの対象」となる。
 革マル派にあっては、民族自決権は「産業資本主義段階において、その行使によっててプルジョァ的民族国家を形成する、そうしたプルジョァ的権利に他ならない」とされ、資本主義国家を形成する権利ぐらいにしか理解されていない。そして、現実の局面における「民族和解政府」のもつ積極的な意義、現在の民族解放闘争のもつ反帝国主義、反独占的な性格など全く考慮の外である。そして、彼らお得意の「のりこえ運動」も、例によって、「社共

 

の議会主義的歪曲をのりこえ、 反戦・反基地自衛隊強化策動粉砕の闘いを更に強力に展開する」と、力なく語るだけである。

「和平協定」の「ギマン性」のみを叫び続ける革マル派

 革マル派の「和平」反対連動の″努力〟にもかかわらず、一月、パリ協定が調印された。それに関して革マル派が最初に出したスローガンは、「和平協定調印反対!」であった。
 「革共同・ 革マル派、関西地方委員会」の「情宣ビラ」には、革マル派の″願望〟が、しきつめられている。 その中でも、特に彼らの主張したいことは、「ベトナム『和平協定』の欺購性」と「米帝の軍事的威圧とこれに屈服する北ベトナムスターリニストの反動性」であろう。これは、我々がすでに前項で確認したことからも容易に理解できる。
 我同盟は、「和平協定」調印後、その積極的な評価を何度も行ってきたが、またここで、革マル諸君の為にそれをしなければならない。
 このパリ協定は、革マル諸君のように「北ベトナムの十月の合意内容」よりさらに譲歩した内容と見るのは正しくない。 形式的には北ベトナム側が譲歩した面もあるが、重要なのは次のことである。すなわち、米軍が撤退すれば、チューの抵抗には限度があり、やがて解放勢力が勝利するということである。 協定では南ベトナム臨時革命政府の存在が事実上認められ、プルジョァ・ジャーナリズムのいう「南の政治闘争」なるものをより有利に展開できるということ、そして、その証拠に、チューがすぐさま国内弾圧にのり出し、焦りを見せており、それはチューの弱さの表れである。
 そして、次のことはパリ協定の評価に関する最も本質的な問題点だと言ってもさしつかえない。それは、すなわち革マル派が今回のパリ協定を「第二ジュネーブ協定的解決」として、ブルジョア・イデオロギーと全く軌を一にした極めてペシミスティックな評価をしていることである。それには、二重、三重の誤りを犯している。それは、まず第一に、世界的な力関係の変化を見ていないということ。 第二に、ジュネーブ協定をも極めて軽視しているということ。 第三には、ジュネーブ協定とパリ協定とを全く同一視していること。 多くの相連点を全く見ようとはしていない。 そして最後に、パリ協定を成立せしめた勢力は一体何なのかを明らかにしえていない。 そのことについては、調印後、誰がこの協定を破壊し、誰が守ろうとしているのかを見れば明らかであろう。
 これらの誤った評価から、極めて、虚無主義ともいうべき展望が見い出される。すなわち、米帝は少しも痛手を受けておらず、ベトナムの平和はいつのことかわからないし「南の政治闘争」もチュー、米の思うままに展開する・・・。そしてベトナム反戦闘争は果たして意味を持つていたか?、そしてアジアには、いつになっても戦火は絶えない。 パリ協定は実質的には我々に何ももたらさない、等々。 という一部のブルジョア宣伝と、本質的には同様な虚無主義的な展望しか、革マル諸君には見い出せないことになる。
 そのような展望は、ベトナム反戦闘争を長期にわたって闘い抜いてきた全世界の反帝平和勢力、そして平和運動家に何一つ有益なものをもたらさないばかりか、『敗北を宣言された」帝国主義を勇気づけ、帝国主義、反動の側の協定破壊策動に、客観的に手をかす全く犯罪的なものと言わざるを得ないだろう。
 そして、 そのようなペシミスティックな展望からは、「和平協定の欺瞞性」をくり返すといった現実の革マル派の行動が導き出されるし、また、そこからは、セクト主義的な課題の設定と方針が出てこざる得ないということを指摘して、革マル派のベトナム反戦闘争に対する批判を終えたい。

中核派批判

 『前進』六一二号(一九七二・ 十二・ 四)には、「七十三年学生運動の武装進撃を、 カクマルせん減・ 全国大学闘争大爆発へ」と題し、マルクス主義学生同盟・中核派の主張が″全面的〟に展開されている。 この論文は「十二月全学連第三二回大会成功のために」という副題をつけて発表されている。 彼らの路線を批判してゆく。

彼らの思想的特徴について

 論文は四つに分かれている。 1、新たな激動の始まりと対カクマル戦の革命的意義、2、七十年代中期の展望をきりひらいた今秋闘争、 3、カクマルせん減・全国大学闘争の大爆発をからとれ、4、全学連・K会の歴史的な大成功を力ちとれ。
 まず、この見出しをみただけでも気付くことは、「カクマルせん減」の異常なまでの強調である。彼らは「力クマルせん減」の革命的意義をいかに語っているか。
 「(早大闘争に示される) 体制危機の民間防衛隊=力クマルの支配の危機と学生大衆の怒りと闘いの爆発こそ、根底的に体制の崩壊のきざしを示すものと言わねばならない」
「’力クマルせん減〟が革命の旗印であり、カクマルの牙城=早稲田の支配の危機が、革命の究極的勝利の実証であり、全人民的高揚の合図であること」
 「反革命力クマルに対する学生大衆の怒りとその闘いは、実に、日本階級闘争の基底的激動が、その民間的なブレーキや安全弁をぶちこわし、巨大な革命的爆発の展望を公々然と照し出す」
「カクマルをせん減する巨大な内戦の貫徹を軸にして権力との内乱の一層の発展を決定的に促進する。・・・『カクマルせん滅・内乱、内戦蜂起へ』)
 こうした彼らの思想的傾向は、小ブルジョア的危機感と狂信的宗派主義に基礎をお<超主観主義である。すなわち、彼らにとって革マルせん減と内乱とは直結しており、日本革命の決定的要因、そのための道、あるいは前提が革マル派のせん減なのである。従って、革マルの危機体制の危機であり、早大闘争の爆発は彼らには革命のあけぼののとして映るのである。
 だが、革命と内乱の、これ以上の矮小化、漫画化はあるだろうか。 彼らのいう内乱とは学生と”ルンペンプロレタリア〟を主体とし、一握りずつの中核派と革マル派との間で行われる「果し合い」以上でもなければ以下でもない。 そこに労働者階級は存在しない。ところで、革命的内乱とは何か。 それは、労働者階級とブルジョアジーの二大階級が真正面からぶっかり合う階級決戦に他ならない。しかもそれは、マルクス・ レーニン主義で強固に武装された党を媒介としてはじめて実現されるのである。そして、今日国家独占資本主義の下においては、 労働者階級を中心として反独占の統一戦線を結成し、独占資本の政治的、経済的、社会的諸支配を制限するような反独占民主主義の根本的な改革の政策をかかげた反独占闘争が最も合目的な路線として、そして最も戦闘的な路線としてあることを考えるならば、彼らのいう内乱とは、マルクス・ レー ニン主義と階級闘争からハミ出したグループが、日本の片隅で行う「つばぜり合い」に過ぎない。 革マル憎しの余り、それとの闘いを権力闘争と同列に並べ、革マルをせん滅しさえすれば、あたかも日本の階級闘争が内乱的発展をとげるかの如く言う中核式論理は、まさに超主観主義の見本と言うべきである。
 職場における労働者階級の闘いをはじめ革命の基本問題が、中核派にあっては「カクマルせん滅」の前に消し去られ、忘れ去られている。 彼らの頭の中は革マル派のことで一杯になっている。 革マル派を警戒することと、それへの恐怖から取り乱してしまうこととは違う。 これが、小ブルジョア特有の思想的動揺性、焦燥感、精神的不安定の露骨な表明であり、さらに最も反動的なプルジョア・イデオロギーである「生の哲学」 「種の思想」すらそこに読みとることが出きる。
 彼らによれば、中核派=革命党。 従ってこれの絶減を叫ぶ革マル派=反革命集団、故に、これのせん減なくして日本革命も又ないということなのであろう。 だが、 これ以上の思い上がりはない。この論理の大前提としてある中核派=革命党という独断は果して成り立つか?断じて、否である。

申核派の時代認識

 まず、彼らは現下の階級情勢をどのようにとらえているだろうか。 再び引用する。
 「内乱が切追したものであり、七十年代革命が現実的に近づきつつあること」
 「今や、七十三年階級聞争一七十年中期における比類なき革命の波は不可避である」
 「情勢は恐るべき速さで破局に向って突き進んでいる。日中国交回復もベトナム和平策動も、一時的息つぎにすぎず、危機は地殻変動的陥没に向け急転している。」
 例によって大げさな文句が目につくが、既にわれわれは、彼らの貧弱な「革命」の内容と「内乱」の内容とを見てきた。それが革命ならぬ革命ごっこ、内乱ならぬ「内乱ごっこ」であることを我々はみてきたのである。 従って、ここでは次の点にふれなければならない。
 周知のように、彼らは現在の世界情勢を、「三〇年代危機へのラセン的回帰」の時期として特徴づけている。 国際通貨危機も、帝国主義間対立も、各国の階級闘争も全てその証拠だと言う。そして、再び戦争とファシズムの時代が到来するというのだ。 我々は、帝国主義がその本性からして侵略的であり、その政策が戦争と反動、暴力と民主主義破壊であることをいささかも、 一瞬たりとも忘れてはならない。 そして同時に、もしも世界各国人民、労働者階級の強力な平和擁護闘争がなかったら、帝国主義反動が再び「三〇年代危機の時代」をもたらすことの危険性も、ハツキリと認識しておかなくてはならない。
 だが、三〇年代と現在とでは、一つの、根本的相違が存在する。 それは、現代の帝国主義が、社会主義体制と対立し、それとの闘争に制約される帝国主義である、ということである。 帝国主義体制が、その内部に様々な深刻な矛盾をもちつつも、社会主義世界体制の確固とした存在と、各国労働者階級の断固たる闘いとによって、その矛盾のハケ口を帝国主義者の思い通りに見い出すことが困難となり、又、国内的には容易にファッショ体制と臨戦体制–国民総動員体制を施くことが困難となっていること、これが現代世界政治の特徴である。 西ドイツのプラント政権がその良い例であろう。 これは、第一次五ヵ年計画に入ったばかりのソビエト連邦が当時唯一の社会主義国であった三〇年代とは本質的に、根本的に異なっている。 今や社会主義体制は世界陸地の三分の一、工業生産の四〇%を占めているのであり、あらゆる地点で帝国主義体制と闘争している。 又、強力な組織された労働者階級と広範な反独占諸階層の力が存在し、帝国主義の植民地主義と英雄的に闘う反帝民族解放勢力が存在し、社会主義世界体制とともに強大な平和愛好勢力を形成している。
 中核派は、帝国主義体制の危機を指摘しつつも、それが一体いかなる力によってもたらされているのかを理解できないが故に、危機三〇年代への回帰と絡短的に結びつけるのである。 なぜなら、「反スダ」路線を掲げる彼らに言わせれば、世界革命の決定的力である社会主義世界体制や労働者階級は、帝国主義を「延命」させている″張本人″なのだから。 しかし、この点、すなわち、世界革命運動の主勢力に対する評価が誤っており、わからないということは、そこから出てくる政治方針が、ニヒリズムに裏打ちされた無展望な方針でしかありえないことを意味している。中核派が自らの″戦略的総路線〟として自画自賛している「日帝のアジア侵略を内乱へ転化せよ!」というスローガンがまさにそれである。

「侵略を内乱へ!」の意味するもの

 彼らのこのスローガンが、第一次世界戦争に対してレーニンが鋭く提起した自国政府の敗北の立場、すなわち、革命的祖国敗北主義の立場を「うけつごう」とするものであることは容易に判断がつく。だが、彼らは果してレーニンを「うけついだ」だろうか?それは当然レーニンの言っていることとは縁もゆかりもないことである。
 レーニン第一次世界戦争に対してとった態度はおよそ次のようなものであった。
①帝国主義戦争は不可避である。②帝国主義戦争に反対し、そのボッ発を防ぐために全力で闘う。③しかし、戦争がいったん開始されたなら、労働者階級はそれを内乱に転化し、自国政府の敗北を目ざさなければならない。 ④戦争が不可避的に引き起こす事態、すなわち、帝国主義ブルジョア政府の危機を革命のために利用しなければならない。
 このレーニンテーゼの、機械的、教条的アテハメが中核派のスローガンである。
 「日帝のこのアジア侵略の政治が、 その継続としての侵略戦争に転化するのは容易なことである。」(『共産主義者』二三号、一五七ページ)
 彼らのスローガンは、実にこうした情勢認識に基づいている。彼らは、このように言い放つことをもって、レーニンが断固として主張した戦争に対する徹底した反対、戦争阻止の課題をすでに敗北主義的に″総括〟し、そのスローガンをはやばやと降ろしてしまっているのである。 彼らは、侵略戦争を阻止するために徹底して闘うのではなく、唯々、「戦争だ、戦争だ」と叫びまわっているにすぎない。 ところでレーニンは、この戦争阻止の課題を、帝国主義戦争が不可避の状況の下で、なおかつ断固として主張した。 これに比して中核派はどうか。 世界諸国人民の平和擁護闘争と日本帝国主義をして容易に戦争への突入を許さない現在の情勢で、彼らはただひたすら「内乱へ!」「内乱へ!」と叫んでいるのである。 あたかも、早く戦争が起ってはくれまいか、というように。 一体全体、こうした中核派の主張とレーニンの立場との間に、どのような共通点があると言うのか。
 歴史が示したように、レーニンの時代において世界戦争のポッ発は不可避であった。 第一次大戦が避けられず、それへのロシアの参加が避けられない当時の情勢を前提に、レーニンは、この戦争を内乱へ転化すべきことを主張したのである。
 中核派の指摘を待つまでもなく、既に日本帝国主義は新植民地的進出の道へと泥沼的にのめり込んでいる。 東南アジア諸国人民の、広範な反日(帝)闘争の高まりはその証拠であろう。 にもかかわらず、 日本帝国主義が容易に侵略戦争を引き起こすことができないでいること、この点が忘れられてはならない。 現在の情勢は、帝国主義戦争を不可避としたレーニンの時代とは大きく異なっている。 世界は、帝国主義が全一的に支配しているのではない。先日のベトナム和平協定の実現が示したように、アメリカ帝国主義ですら戦争に失敗し、敗北した。 日本の帝国主義者も、このことを考慮しないわけにはいかない。 日本帝国主義の発展途上諸国とりわけ東南アジアへの直接的武力侵略は、中核派の言うように、決して「容易なこと」ではないのだ。
 こうした中で、 レーニンが第一次大戦に対してとった立場を現在の情勢に機械的にもちこみ、日本革命の戦略スローガンとすることはできない。 今われわれにとって緊急のことは戦争の不可避を語ることではなく、戦争を帝国主義者に一切許さないことである。そのために、徹底して闘い抜くことである。 中核派のように、今すぐにでも日帝が戦争に乗り出すというのは、そうした闘いを放棄する全くの日和見主義、 敗北主義に他ならない。
 レーニンが第一次大戦に対してとった立場、それを現在的に受けつぐスローガンは、「侵略を内乱へ!」ではない。 まず現代の場合、われわれの基本的任務は「侵略戦争阻止、軍結、平和と平和共存」をかかげ、反独占闘争を通じて独占の支配を終らせることである。

 

ボルシェビズム通信派(共産同C戦線)批判

 七〇年以降、「新左翼」諸派が急速に後退する中にあって、関西を中心に(京大同志社等)学生運動における影響力を一定拡大している政治党派に、ボルシェヴィズム通信派(レーニン研究会を組織し、機関紙「ボルシェヴィズム通信」を発行)がある。社学同の一分派である彼等は、四分五裂した社学同の再統一を計る諸分派の政治的、理論的中心に位置しているように思われる。 又彼等は、不毛な内ゲバをくり返し、大衆運動から増々遠ざかりつつある「新左翼」諸派の中では、第四インターとともに、相対的に大衆運動を重視する比較的健全な党派と言えよう(無論、最近の一時期と言う限定つきではあるが)。
 大阪市大における授業料値上げ反対闘争の勝利には、我が同盟とともに、この二党派が積極的な役割を果した。しかし、このことはボルシェヴィズム通信派の理論及び思想の正しさを意味することにはならない。 党派のイデオロギーと政治的役割を同一視することは全く子供じみたことであり、実践的には有害である。逆に、他党派のイデオロギーに無批判である場合は、政治的に無力である。 階級闘争の鉄の必然性は、諸党派の意識を越えて自己を貫徹し、人民の進歩的要求の中に生き生きと現われる。しかし、同時にそれは闘争を指導する諸党派のイデオロギーによって屈折し、政治過程に登場する。 だから真に革命的な党派は、他党派のイデオロギー的屈折を受けたものであっても、大無がそこに居る限り、自らの影響下にある大衆を引きつれて過程の中には入らなければならない。そして他党派のイデオロギーを厳密に批判し、過程の中から発展の核心をつかみ出さなければならない。 この時、この党派はへゲモンとなることができるのである。 以上のことを踏まえ、ボルシェビズム通信派の見解の検討を始めることにしよう。
 ボルシェビズム通信派(以下「ポル通派」と略す)の理論は、その生いたちと社学同再統一を目ざす今日の任務に規定され、未だ一貫した理論体系を持っているとは言えず、旧ブントの「過渡期世界論」「世界同時革命論」を引き継ぎ、ML派の「毛沢東思想」、赤軍派の「海外根拠地論」「軍事路線」などの影響を強く受け、かなり折衷した理論となっている。それゆえ批判も又断片的なものとならざるをえないことを前もって断わっておく。
 ここでは、彼等の㈠「世界革命論」🉂「武力革命論」を検討する。

「世界革命論」の検討

 彼等の「世界革命過程」に対する認識は『孤立したロシア革命の中で発生したスターリン主義は、第一次大戦後、三〇年代、第二次大戦後の世界革命の敗北の右翼的総括を通じて、レーニン主義との折衷的性格、ジグザグ路線を捨てさり、帝国主義国家及び「労働者国家」の労働貴族官僚の利害を代表し、過渡期世界の反動的な固定化を意味する「平和共存戦略、議会主義、平和革命」を主要な内容とする現代過渡期世界の日和見主義–フルシチョフ・トリァッチ主義(及び代々木派) へと完成した。 一九五六
年、フルシチョフによるスターリン批判、「モスクワ宣言」「モスクワ」声明こそ、その象徴である』となる。
 ここまでは全てのトロツキー主義と全く共通したもので新味はない。 彼等の独自性は『スターリン主義指導下の中国革命のジグザグを克服してきた中国共産党は、国際共産主義運動では「中ソ論争」によってフルシチョフ主義からはっきり訣別し、国内においても、文化大革命において、劉少奇などのフルシチョフ主義への屈服を粉砕し、プロ独下の階級闘争を堅持し、「ベトナム人民の信頼できる後立て」=世界革命の根拠地建設の闘いを前進させてきた。』として、「スターリン圈」から中国を区別し、続いてベトナム民主共和国、 朝鮮民主主義人民共和国を「スターリン圈」から区別し、民族解放闘争を闘う党を「スターリニスト党」から区別するところにある。 中国共産党が公然と批判していない党と国家を「スターリニスト党」「スターリン圈」から区別するところに他のトロツキー主義者と「ポル通信派」トロツキー主義者の相異がある。
 彼らは革マル派が、中国もベトナムも朝鮮も「スターリン圈」に含めることに激怒して、『超歴史的・ 超階級的存在としてスターリニズムを規定する』のはケシカラン、『歴史の原動力を階級闘争に求めるのではなく、「帝国主義者とスターリニスト」と言う一握りの人間の思惑や意志によって歴史が創造され、世界が動いているかのようにとらえる、徹底した観念論』だと批判している。 ところが「ボル通派」自身ソ連の党や国家、イタリアの党を「スターリニスト党」として攻撃する場合、革マル派と全く同じ方法論を用いているのだから、彼等と他のトロツキー主義者の相異は、彼等が毛沢東に特別な真理性を付与するか、東洋への愛着が深いか、 民族解放闘争をプロレタリアートの世界革命過程から分離し、そこに何か至上の共感を寄せるかによる。
 第一、第二は信仰にも近いものであり、第三については既に「中ソ論争」によって完全に論破された「後進国革命論」であり、今は亡き林の「世界の農村から世界の都市へ」と言う世界革命の戦略である。
 ベトナムにおける米の敗北を始め、チリにおけるアジェンデ政権の誕生、パンクラディシュの独立、さらには、フランスの五月危機、イタリアの六九年秋の大闘争等々、六〇年代末から今日に至るまで、つぎつぎに起る世界各国人民の闘争は、六〇年代初頭の「中・ ソ論争」に実践的解答を与えてしまっている。
 「平和共存」の世界戰略は、毛沢東主義者の主張とは反対に、帝国主義内部の矛盾、帝国主義間矛盾を激化させ、プロレタリア革命へ向けた広範な人民の闘争を增大させている。
 チリにおいて、公然たる内乱を回避しつつ、米帝の武力介入を阻止し、人民権力樹立の途についた人民連合の闘いを、今我々は眼前に見ている。 第三次世界大戦を防止し、全体として帝国主義者による武力介入をくい止めているのは、「平和共存」政策の勝利と言うほかはない。むろん、平和共存政策は平和の打出の小槌ではない。それゆえ平和が一時的に破られ、インドシナの事実が示すように帝国主義者の狂気の侵略が行なわれることがある。
 しかし、重要なことは、そのような帝国主義者の冒険は必ず失敗し、「平和共存」を、いやいや受け入れなければならなくなると言うことである。 ニクソンが毛沢東に会わざるを得なくなったのは、 反ソ勢力としての毛政権を利用したいという意図が明確に認められるという一面はあるが、他方、米帝が中国封じ込めに失敗し、中国との共存を受け入れざるを得なかったからでもある。キッシンジャーが、 敵中の敵として犯罪の限りをつくした相手国ベトナム民主共和国を訪れ、「平和共存」を約束しなければならなくなっている。 これらの動かし難い事実は、「平和共存」政策の正しさをくつがえしようなく明らかにしており、これを認めぬ人は、真理によっているのではなく、他の目的によっていると言わざるを得ない。
 又、「平和共存」政策は階級闘争の万能薬でもない。 「平和共存」 は社会主義世界体制と帝国主義諸国が互いに武力行使せず、軍縮を進め、経済文化交流を増大しようと言うことである。「平和共存」政策が前進すればするほど、社会主義建設、帝国主義諸国のプロレタリア革命、民族解放と非資本主義的発展がやりやすくなるというだけで、それらが前進するか否かは、社会主義建設、プロレタリア革命、民族解放闘争に関する正しい戦略、戦術が必要であり、「平和共存」政策で代行することはできない。
 今日重要なことは、社会主義世界体制、帝国主義諸国のプロレタリアート、第三世界の人民が国際主義に基づいて有機的に統一する意義を強調し、統一強化のための政策と行動能力(これはベトナム人民によって英雄的に示された)を身につけることである。
 以上のように「ボル通派」のソ連–イタリア批判、とりわけ「平和共存」政策への批判は根拠がないことがわかる。 さらに、彼らが米中接近を『大胆に言いきれば、中国共産党はソ連と戦術的に妥協、提携して当面の反米攻勢を推進するよりも、インドシナー中国一朝鮮の国際反帯戦線を断固堅持しつつ、 より長期の、より大きな将来に向って準備し、歩を進めること、即ち、アメリカ革命運動との戦略的提携により力を注ぎ、比重を移し、この結合の成長によって米帝とソ連社帝を打ち破くということである』と述べる時、もはや理論ではなく、正に大胆な言いきりでしかないことがわかる。ソ連が米国と関係改善すれば「平和共存」の陰謀等々とあらん限りの悪口雑言を並べたて、毛沢東が二クソンと握手すれば、『アメリカ革命連動との戦略的提携』と言い切るのは、毛沢東への偏執的愛情による驚ろくべき猫可愛いがりであり、批判の対象にすらなりえない。
 日本帯国主義を打倒する直接の責任を負う目本人民は、最近毛政権が日本帝国主義の代表者に、安保や四次防に一定の理解を持っている由伝えたり、北方領土要求を公然と支持するのを目の当りにし、深い慣りと疑惑を持つようになっている。 だから、我々は毛政権の対米・対日接近こそ、反ソ主義による帝国主義への屈服と受けとらさるを得ないので、ある。 「ポル通派」が真理に忠実であろうとするなら、毛政権の極めて危険な政策に目をつむることは出来ないであろうが、なぜか彼等はこれを語ろうとはしない。

「武力革命論」

 今日、発連した資本主義国で、「ソヴィエト」→「武装蜂起」なる図式をふり回すのは、トロツキー主義者一般であって、ボル通派に限ったことではない。 六〇年代末から七〇年代始めにかけて、日本型トロツキー主義者からアナーキストまで、いわゆる「新左翼」の間では、軍団ブームが巻き起り、我先にと軍団づくり(とは言ってもヘルメット十タオル十覆面+棒十石十火炎ピン程度の装備)を行なった。六〇年代前半から中ごろにかけての高度成長の行きづまりが明らかになり、人民の不安が急速に高まって来るといった情勢を背景にして現れたが、それは連合赤軍(装備は若干の一猟銃を保持するに至った) によって頂点に登りつめ、そのリンチ殺人による自壊とともに、ブームも消滅してしまった。 今日、連合赤軍事件の評価を行なった「新左翼」は革マル派など若干で、他は多くを語らない。 それは死にもの狂いの軍団路線を問い直すことになるからだ。
 「ボル通派」は連合赤軍事件を『武装闘争をプロレタリア階級闘争と結合し、大衆の深部から組織され、打ち鍛えられる階級的力の上に基礎づけることが出来なかった』と総括し、『武装闘争と大衆路線の結合に力を注ぐべきである。 武装闘争を、党と階級を組織し強化し、大衆の革命的な政治的組纖化、動員を進めることと結合し・・・』と自らの方針を述べている。だが、「ポル通派」の言っていることを連合赤軍は知らなかったり、否定していたのであろうか。 決してそうでない。 彼等は知つていたのにできなかったのだ。だから「ポル通派」が武装闘争と大衆動員の結合を主張しただけでは、成功は約束されない。
 彼らは、成功するためにはその結合の合法則性、現実性を証明しなければならない。 だが彼等はそれをしない。
 国際共産主義運動において、革命の平和的移行形態を認めるようになって久しい。 理論的には、始めマルクスとエンゲルスによって一九世紀中葉のアメリカに可能性が認められ、エンゲルスは晩年、その可能性をヨーロッパの諸国にも拡大した(『フランスにおける階級闘争』序文)。レーニンは一七年二月革命の後、四月テーゼでその可能性を現実性に転化する方針を提起した。ソ連邦共産党第二〇回大会は、スターリンによって圧迫されていた平和的移行形態の可能性をよみがえらせた。今日までこの可能性は現実性に転化していない。だが、チリにおいて偉大な第一歩が踏み出された。
 革命の平和的移行という用語は、三〇年代、四〇年代、五〇年代を支配した、武力革命唯一論に傾斜した理論を正すため生まれた語で、今日から見れば、正確な表現とは言いがたい。 修正主義がこの用語でもって革命から権力の間題を消し去り、議会主義、改良主義を宣伝する日本ではとりわけそうである。 平和的移行は、ブルジョアジーとプロレタリアートが武力衝突を経て、つまり内戦を経て権力が移行する武力革命ではないという意味で平和的というのであり、革命的危機と激しい階級闘争は平和的移行にともなうものである。
 チリの経験はあざやかにこのことを示している。プレイ大統領下における大労働攻勢と大衆運動の著しい高まり、その中での人民連合の中央から地方までの組織化。 そしてアジェンデの勝利。今度はアジェンデの政策をサボタージュ、投機等で妨害する独占・大地主に対する人民の闘争。 人民が買締めを通報すれば政府が買締め商品を差押え流通させる。人民が大土地所有者の土地に入り込み占領すれば、政府が人民に土地利用許可を出す等々。 そして今後の国会選挙での前進。ここでも人民が選挙実現のため闘争し、右翼は選挙破壊を計画し行動にも出た。そのため、この選挙だけで一〇〇人以上の死者が出た程である。チリの社会主義への平和的移行が議会主義とは如何に無縁か、この数字だけからでも理解できよう。
 反独占民主主義闘争を強固に戦い抜き、人民の連合を形成すること。それを背景に、ブルジョア権力の最も弱い環、立法権力と、行政権力の頂点を人民の側に奪取すること。大衆闘争と、奪取した権力との結合。 ここでは軍隊の中立化が独特の意味を持っており、軍隊への政策と介入が極めて重要になってくる。 かかる展望の存在する今日、人民に武力闘争と大衆動員の結合を呼びかけても成功はおぼつかない。革命の戦略・ 戦術は一階級の意識によって決まるものではない。 ましてや一党一派の意志によって決まるものではない。それは諸階級の意識的・無意識的行動の総体の中に現われる必然性によって決められなければならず、そうした時、人はそれしかないとして命も顧ず革命のために闘うのである。
 以上「ボル通派」の見解を検討して来たが、彼らは理論的には折衷主義であり、弱い党派であると言える。彼らが量的に拡大するなら必ずや分岐が拡大し、分裂による純化のコースをたどるものと思われる。だが数少ない大衆運動を重視する党派であり、その影響を軽視することは誤りとなろう。

カテゴリー: 民学同, 運動史 | 他党派批判 (「新時代(誌)」創刊号 1973年4月) はコメントを受け付けていません

民学同第12回全国大会 テーゼ

新時代(誌)創刊号

テーゼ作成にあたって

同盟の全国化・大衆化の達成と
全同盟員の政治的・理論的・思想的統一・団結の強化のために

日本学生運動の統一と前進のために
民学同創立十周年記念テーゼの成功のために                       (民主主義学生同盟統一会議)

 

 全国の同盟員諸君。 われわれは、一九七〇年三月十五日の統一会議結成以来民学同を代表し同盟趣意の目的達成のために、そして同盟の民主的統一のために闘かってきた。 今回の第十二回全国大会の開催は、三年間にもわたる学生共闘派諸君との不幸な分裂から生じた不正常な状態に終止符をうち、三年間の闘争の成果をうち固め、新たな前進への画期的第一歩をふみ出すために提起されている。 われわれは今大会が同盟創立十周年の記念すべき年に開催されていることを重視しなければならない。 我が同盟の諸先輩は、一九六三年九月十五日、大阪の地に民主主義学生同盟を組織した。 それは、毛沢東主義に感染していた当時の民青指導部の小ブル民族主義、 セクト主義、官僚主義(組織内民主主義の破壊)的諸偏向が、平和と平和共存、反独占民主主義の旗印を「フルシチョフ的」修正主義として、我々の諸先輩を組織的に排除したことの不可避的結果であった。 それはまた、全学連を私物化し、破壊してきた「トロツキズム」諸派との激しい闘争の中で、 当時の大阪府学連に結集していた大阪の学生運動が国際的に達成された優れた理論的諸原則を自分のものとしていた伝統の所産でもある。 それらは同盟趣意に結実されている。 我々は学生同盟として組織され、他の諸団体との民主的協力関係をうちたてる中で全国同盟として発展し、幾多の優れた活動家を労働運動をはじめ民主主義連動の諸分野に送り出してきた。 同盟十年の歴央の中で内外の諸事実によってその正しさが裏付けられた同盟趣意の諸原則は、われわれによって守り発展されられてきたし、さらに発展させなければならない。

 六〇年代の闘争が、学生運動だけでなく全世界の反帝平和勢力、民主的進歩的勢力にとって一方で一つの困難な時期を形成しているその主要な原因は、社会主義国、ソ連と中国の対立に乗じた帝国主義列強の侵略的、反動的試みに求められる。 だが今や、それらの試みは全世界の至るところで失敗し、また失敗しつつある。 ベトナム和平協定の締結はその象徴であった。 帝国主義諸列強の反動的試みの失敗は、第一に、社会主義世界体制、国際労働者階級、反帝民族解放勢力の闘争の前進によって、第二に、帝国主義列強国内での深刻な諸矛盾の蓄積と諸国人民の反独占闘争の高揚、列強間の対立激化によって規定されている。
 
 日本学生運動は、この六〇年代から今日に至るまで、不幸な戦線の分裂と混乱の時代を経験している。民主青年同盟指導部や「トロツキズム」諸派の「左」右の日和見主義と分裂主義、セクト主義が全く不当にも学生戦線を分裂と混乱、闘争の自然発生的高揚と敗北、沈滞の繰り返しのなかに押込め、統一した、従って戦闘的な大衆運動として発展させることを妨害してきた。このような学生戦線内部の混乱が日本政府、独占資本、一部大学当局者の不当な学生弾圧、攻撃を許してきたことは否定し難い事実となっている。 だが、全国学友は年を追う毎に、大量に、かつ頻繁に平和と民主主義、生活擁護の闘争に決起してきた。 現在のところ、全体的には学生の不満や憤激は自ら積極的に目的実現のために大衆的政治行動に決起するというよりも、指導部の議会主義、改良主義によって全く消極的な不満の表明や政治的無関心として存在している。 学生運動指導部の非現実的、非科学的政策と戦線の分裂と理論的思想的混乱が学生の闘うエネルギーを汲みしえぬ最大の原因となっている。

 わが同盟でさえもが、このような学生戦線の分裂と理論的思想的混乱の存在という諸困難の中で二度にわたる組織分裂を経験している。 多くの場合、組織分裂は大衆運動の力を数分の一にもよわめ、もっとも重要な財産である学友の信頼をぶちこわし、支配階級の反動的攻勢に新たな条件を提供する。 われわれは、学生運動の民主的統一と単一全学連の再建という任務を、そして、少なからず今日の民主的青年連動の前進に寄与すべき任務をもっている。 この依然として変わることのない任務は、第一に科学的理論と科学的政策に基づく正しい政治指導によって学生を統一し、第二に、そのために、大衆運動の個々の段階であらゆる多様性を考慮した具体的スローガンを探しだす能力によって、第三に、全同盟員の強固な意志統一をかちとり、同盟をあらゆる分派主義、非組織的行動から防衛すること、あらゆる狭少な精神から同盟を解放し、全同盟員、同盟統一と強化に細心の注意を払うこと等々、によって一歩一歩の、また急速な前進をとげるであろう。
 しかしこのことはなによりもわれわれの理論的、 政治的思想的統一によってのみ保証されるのであり、それ以外の手段-「思想上の平和共存」やサークル主義、地方分散主義はもちろんのこと、官僚主義や「一枚岩的団結」の押し付けによってではない。 このことは、不当に軽視されてきた理論活動の強化、全国的機関紙誌の発行によって、民主集中性に貫かれた確固たる全国指導部の活動強化によってのみ可能となるであろう。

 国家独占資本主義の複雑な支配機構と巧妙な攻撃の手口、そしてしばしばわれわれの理論的思想的政治的未熟さの故に、意見の若千の相違が原則上の対立にまで拡大され、さらには感情的対立の介入の余地さえ生みだし、組織の統一を破壊する危険となってきた。われわれは今後、このような悲劇の招来を拒否する。 「現実から生れ出た人民戦線の思想は、反ファシズム、反独占闘争の社会的基盤を拡大するための大きな一歩前進であった。・・・全世界で数億の大衆が運動にひき入れられている。・・・この大衆を統一し、彼らを積極的な、団結した勢力に転化するうえで妨げとなっているのは、 客観的諸条件の非常な複雑性と多様性であり、 この条件によって生み出される利益の差異と矛盾であり、最後に、しばしば無理解と偏見と先入観であり、長年の慣習がつくりだす障壁である。 しかし、大衆は統一しうるし、統一されねばならない。 なぜなら窮局的には、彼らの利益の共通性は彼らを分裂させているものよりはるかに強力であるからである。 したがって、今日、統一の不可欠をすでに自覚している共産主義者、すべての誠実な社会主義者、民主主義者の責任は極めて重いのである。・・・すなわち三〇年前と等しく、非常な思想的政治的勇気と成熟を、同時に、生活が日常的に提起する新たな問題の解決にあたっての行動性を要求している。」(現代社会科学の諸問題、第一編、第四章。 コミンテル第七回大会と共産主義運動)
 一定の理論的見解の相違は活動上の具体的条件の多様性や具体的経験が同様でないところから発生する。この克服のために「非常に重要なことは、堪忍、辛抱強いこと、相互配慮精神である。悪罵、レッテル貼りではなく、見解の思想的明快、現実の全面的分析に基づく深い論証、この分析の正当性を示す実践的達成ーーこれが見解の相違を克服する最良の方法でなければならない」(同上)のである。 ルミャンツェフはこの様にのべている。

 日本の民主運動の業病とも言うべきセクト主義、分派主義の粉砕、あらゆる非合理的思想との非妥協的闘争の勝利は、わが同盟の前進と密接に結びついている。全国学友は国家独占資本主義によって増々困難に陥れられる生活の状態、教育の機会均等の破壊と教育の危機、民主的諸権利の制限と抑圧、大学の私物化一政府・独占の資本主義的合理化策動、大衆収奪の強化と平和共存に敵対する軍国主義の危険に直面し、闘争の展望と明確な指針、依拠すべき科学的理論と政策を要求している。 「社会主義体制とともにあらゆる一般民主主義闘争は平和共存の闘いを構成強化し、同時に、平和と平和共存の闘いは諸闘争の広汎な舞台を準備、統一と成功の見通しを保障する。」(同盟趣意)内外情勢の歴史的な転換局面の開始-ベトナム和平協定の調印と三つの反帝平和勢力の前進が帝国主義世界体制の危機と分裂を一層深刻にしている。六〇年代中葉の帝国主義諸列強の反動的試みは失敗し、逆に、平和と民主主義、民族独立と社会主義の勢力を強める結果をもたらした。国際関係における緊張緩和と平和共存はもはや後戻りできないものとなっている。 このような情勢下で、資本主義の全般的危機は一層深刻化し、反独占勢力の闘争は高揚し、勝利への前進を開始している。
 われわれは、高崎経済大学の新たな同志の合流をかちとり、全国百八〇万学友に応えるべき重大な任務をもって飛躍の時代を迎えている。 さらに重要なことは、すでに各戦線でわが同盟の諸先輩との協力、結合をうちたてることは、今目の学生連動が労働運動と、とりわけ青年労働者との連帯を要求していることからも現実的な要請となっている。われわれは、このような任務を達成するにあたり、また同盟が全体としてこの任務に応えるためにも、依拠すべき政治的、理論的、思想的立場を鮮明にしなければならない。
 今回の十二回大会に提出されるテーゼの目的は、まさにここにあり、統一会議全国常任委員会を中心として準備され、 一定の到達点に達した同志的討議の成果である。 と同時に、このテーゼは十周年記念テーゼの完成と、同盟趣意の諸原則を堅持・ 発展させるという基礎にたって準備され、さらには趣意の改訂のための基礎として位置づけられている。
 全同盟の建設的な意見の提出によって、今後このテーゼが一層科学的で豊かなものとなることを期待するものである。
 平和と平和共存、反独占民主主義、学生運動の統一=全国単一全学連再建の道を断乎前進しょう。

 

<帝国主義世界体制の危機と反帝反独占勢力の前進>

一、社会主義世界体制の強化と緊張緩和・ 平和共存の前進

現代史の基本的内容

 一九六〇年の八一ケ国共産党・ 労働者党国際会議の声明は、現代史の基本的内容について次のように述べている。「十月社会主義大革命にはじまる資本主義から社会主義への移行を基本的内容とするわれわれの時代は、相対立する社会体制の闘争の時代、社会主義革命と民族解放革命の時代、帝国主義の崩壊、植民地体制の一掃の時代、各国人民が次々と社会主義への道に踏み出し社会主義と共産主義が世界的規模で勝利する時代である。」
 またこの時代は諸国民間の関係において、戦争が駆逐される時代、社会主義と反帝平和勢力の力が増大し、帝国主義の戦争勢力がますます孤立してゆく時代、平和と平和共存が前進する時代、平和が戦争に勝利してゆく時代である。
 ベトナム人民の歴史的勝利、全欧安保の前進に典型的にあらわれた現在の反帝平和勢力と戦争勢力との世界的力関係のもとでは、帝国主義が新たな侵略戦争を開始することは、ますます非常に困難になりつつある。
 もはや、帝国主義には、失った主導権を取りもどし、現代の世界発展を逆もどりさせる力はない。人類の発展の基本的方向を規定するものは、社会主義世界体制、国際労働者階級、民族解放勢力、全ての平和と民主主義、民族独立、社会主義をめざす勢力の統一した力である。
 現代史は、資本主義と社会主義を二つの世界体制とする一連の複雑な矛盾のからみあいとして進行している。資本主義世界体制と社会主義世界体制の両体制間矛盾は現代の世界史の基本矛盾である。全体としての世界の発展は、両体制間の闘争によって、社会主義の法則性の優位のもとに決定されている。 帝国主義の法則はその包括的全世界的性格を失い、発展の一つの要因に転化してしまっている。 帝国主義の法則は、この法則に反作用する社会主義社会の法則性が強力になるにしたがって、その作用は制限される。
 しかし「現代の基本的矛盾を労働と資本との矛盾と単純に同一視することは、資本主義諸国のプロレタリアートのブルジョアジーに対する闘争はもはや本質的役割を演じないという有害な幻想を生みだしかねない。 なぜなら、(彼らが言うにはー引用者)両体制の矛盾が(基本矛盾ではなく-引用者)主要矛盾となったからであり、したがって、プロレタリアートは自已の解放の事業を社会主義国に委任する(もしくは、委任できる)からである。このような立場は、発達した資本主義国の革命運動に対する毛主義者の軽視論と結合するものであり、「革命輸出」論、資本に対する世界的勝利の最良の手段(もしくは、唯一の有効な手段)としての両体制間の戦争論と共通するものである・・・。
 社会主義世界体制は、資本主義諸国のプロレリァートの自己の解放闘争を代替するものではない。 しかし、社会主義と資本主義との矛盾は、資本主義の発展過程に、その基本的矛盾に刻印を押し、その解決を早めている。 (ルミャンツェフ「現代社会科学の諸問題」)

社会主義世界体制の発展と強化

 社会主義世界体制は、ますます人類発展の決定的要因になりつつある。
 社会主義経済は、搾取と収奪の関係を廃絶し、国民経済の計画化に基づいて、生産力を急速に発展させた。 世界の工業生産に占める、社会主義諸国の割合は、一九五〇年の二〇%から一九六六年には三八%にまで上昇した。 そしてさらに、七二年には鉄鋼生産高において社会主義ソ連はアメリカを追い抜くまでの前進を勝ちとった。 このような物質的基礎の上に、社会主義諸国における、勤労人民の生活水準は急速に向上した。 そのような実例の力は、資本主義国内の労働連動が独占体とその政府から、生活水準の向上・医療・福祉などの点で一定の譲歩を勝ちとる上で大きな力となった。
 この様な社会主義世界体制の発展は、チェコ問題、ベトナム侵略戦争に関して、全ゆる対ソ・ 対社会主義攻撃を許さない力を創り出した。 この力は、帝国主義による直接的社会主義転覆の可能性を非現実的なものにしている。
 この様にますます人類発展の決定的要因になりつつある社会主義世界体制は、その不断に発展し増大する経済力と防衛力に依拠して、帝国主義の行動を抑制し、帝国主義による反革命の輸出の可能性を制限している。
 五〇年代半ばに社会主義ソ連はアメリカ帝国主義の核独占を打ち破った。そのことは、帝国主義の世界戦略に重大な変更を余儀なくさせた。 このソ連軍事力の発展強化は、帝国主義者転覆策動を大きく後退させただけでなく、熱核戦争勃発を阻止する客観的展望を現実化させた。 さらに引き続く社会主義体制の軍事的経済的発展は、帝国主義の力の政策・ 冷戦政策の典型ともいえるキューバ危機を勝利的に解決するのに大きな役割を果たした。
 同時に社会主義世界体制はその国際主義的義務を果たしている。社会主義世界体制は、自己の発展・強化する経済力を基礎にして、自由と独立をめざして闘っている諸国人民にますます多くの援助と支援を与え、民族解放闘争の成功裏の前進と発展途上国の非資本主義的発展一過去の植民地時代から引きついだ後進性を一掃し、社会主義的発展へ移行するための条件をつくり出す道ーーの有利な条件を創り出している。 いまや、発展途上国の人民は、隷属と後進性の鎖を断ち切るためには社会主義世界体制の援助を受けた国家セクター中心の社会主義的工業化しかないことをますますはっきりと認識してきている。 こうして民族解放連動と発展途上国の非資本主義的発展は、社会主義世界体制の発展・ 強化と有機的に結合している。
 社会主義世界体制の果している役割はこれにとどまるものではない。 社会主義ーそれは平和を意味している。
 一方で「戦争はつねに資本主義の同伴者である。人が人を搾取する制度と人が人を殺す制度は、 資本主義制度の二つの側面である。」(八十一ケ国共産党・ 労働者党国際会議の声明)
 他方、 社会主義はその社会の土台において他人の労働の搾取という関係を止揚しているので、 他国の人民を侵略し搾取し収奪するという必然性を何らもっていない。 かくして社会主義は諸国民の間の平和的関係の源泉であり基礎である。 平和と平和共存の政策は、社会主義制度の本質から生ずるものである。 従って社会主義世界体制の発展・ 強化は世界の平和共存の前進にとって大きな役割を果している。
 強化される社会主義体制のイニシアチィブのもとに平和と平和共存は、世界史の抗しがたい流れとなって、力強く前進している。 このことは帝国主義者の戦争政策を一層困難なものとし、際限のない核軍拡競争に歯止めを打ち、人類の悲願である恒久平和を現実的なものとしつつある。

 一九六〇年代の帝国主義の世界的巻き返しと社会主義封じ込め政策の破産

 しかし、社会主義世界体制の強化、民族独立連動の高揚、平和共存・緊張緩和の前進に対し、 アメリカ帝国主義を先頭とする世界の帝国主義は、一九六〇年代に必死の巻き返しを試みた。 この帝国主義の一定の巻き返しは、国際共産主義連動内部の分裂、とりわけ中ソ対立を利用したものであり、 資本主義経済のインフレ的好況を背景としている。こうして帝国主義は、一九五〇年代に高揚した民族解放闘争を、直接武力介入、クー・デ・ター、新植民地主義的「援助」等のあらゆる方策を使って弾圧しようと試みた。 アメリカ帝国主義のベトナム内戦への直接介入、史上例をみない規模の北爆、インドネシア共産党の弾圧とスカルノ体制の転覆、イスラエルを使った中東での戦争挑発、アフリカの反帝政権のクー・デ・ターによる転覆など、政治的独立を勝ちとった諸国を帝国主義の勢力圈に引き戻そうとした。 それとともに、アメリカ・日本・西ヨーロッパの各帝国主義は、いっせいに急速な対外膨張をとげた。
 このような帝国主義の者き返しの試みの一定の成功は、毛沢東指導部の理論ー平和共存を否定した冒険主義的武装闘争至上主義、中間の地帯論ーの破綻を事実をもってあらわした。
 一方、国内政策では、帝国主義は、管理通貨制度をテコとしたインフレ的成長政策をとった。 これによって設備投資を刺激し、労働生産性を高め、搾取率を上昇させようとした。 この「水ぶくれ」させられた成長の成果の一部で、労働者階級の上部と小ブルジョアの一部を買収し、改良主義者にテコ入れして、「所得革命」「人民資本主義」の幻想をふりまいた。 同時に他方では、帝国主義者は、ネオ・ファシストに援助を与えて労働運動に自色テロを加えるとともに、反共主義・ 反ソ反社会主義を宣伝した。
 この世界的な帝国主義の巻き返し策も、世界の反帝平和勢力の前進・平和共存と緊張緩和の進展を押しとどめることはできなかった。 一九六〇年代の末から、帝国主義の世界戦略は重大な危機におちいった。 このような書き返しはそれ自身資本主義の諸矛盾を深化させる結果となった。この帝国主義巻き近しの経済基礎ー長年にわたりこの費用をしわ寄せしてきた通貨の矛盾が、国際通貨危機となって爆発した。
 一九六〇年代の帝国主義の巻き返し策は社会主義世界体制とそれに支援された各国人民のねばり強い闘いによって打ち破られていった。
 ベトナムでの解放勢力のテト攻勢は、アメリカの侵略軍を打ち破った。チェコでの社会主義直接転覆策動の失敗、西ドイツでのプラントの東方外交の勝利は、危険な西ドイツ報復主義者の策動を封じ込めた。イタリアと西ドイツの人民は、ネオ・ファシズムを粉砕した。チリ人民は、帝国主義と反動派の内戦の挑発をうち砕き、平和的に反帝反独占の人民連合政府を樹立し、社会主義への道を進んでいる。インドのガンジー政権は、広範な人民の圧力のもとに、対ソ接近政策と社会主義的国有化政策へ転換した。 帝国主義内部の矛盾の激化を反映して、東西貿易・ 経済交流は急速な拡大をとげた。 全世界の核兵器禁止運動の圧力の下に核拡散防止条約が成立し、核軍縮交渉が開始された。 等々。
 これらの一連の諸事実に典型的にあらわれたように、全世界の社会主義と反帝平和勢力は、帝国主義の社会主義封じ込め政策・侵略戦争政策を破産させ、さらに平和共存を前進させた。
 ニクソンは、この力関係の下で、全欧安保会議、SALT、軍糖、ソ米貿易等での譲歩を持って、訪ソを余儀なくされた。
 全世界的な反帝平和勢力の前進と、アメリカのベトナムでの敗北を契機としたアジアにおける力関係の大きな転換は、アメリカ帝国主義の中国封じ込め政策を破産させた。 中国の国連復帰は、中国を世界政治から締め出しておくことがもはや不可能となったことの証明であった。ニクソンの訪中・ 米中接近は、アメリカの中国封じ込め政策からの転換であり、 一面ではアメリカの後退した力関係下における危険な新たな警き返し策一中国に一定の譲歩を与えつつ中国現指導部の反ソ主義を利用し、中国を社会主義世界体制から完全に切り離そうとする政策であるとともに、他面では、従来のもっと危険な侵略戦争政策からの後退・手直しである。この政策自身が矛盾した性格のものであり、全世界の反帝平和勢力の前進、平和共存と緊張緩和の前進を反映している。
 日本共産党=代々木派は、このような平和共存の前進をいっさい認めず、「緊張緩和論は米帝美化論」だとしてアメリカ帝国主義の支配を絶対化永遠化している。この理論は完全な宿命論であり、平和と平和共存の闘争における日和見主義の立場である。

ベトナムでの歴史的勝利の意義

 ベトナムにおける戦争は、帝国主義の侵略計画と、これらの計画を実現するその能力とのあいだの矛盾を最も明確に証明した。
 「超大国」アメリカ帝国主義がこうむった敗北は歴史的意義をもっている。それは帝国主義の「力の政策」の完全な破綻を示している。
 アメリカ帝国主義は、ベトナム侵略戦争において、アジアにおける社会主義の前哨陣地の一つを抑圧し、東南アジア諸国人民に自由と進歩への道を閉ざし、民族解放連動に打撃を加え、社会主義諸国、全世界の勤労者たちのプロレタリア連帯の強さをためそうと目論んだ。 そのために戦争の「ベトナム化」、ラオス・カンボジアへの戦火の拡大、ベトナム民主共和国港湾機雷封鎖などありとあらゆる血に飢えた侵略政策をおこなった。
 しかしニクソン・アメリカ帝国主義は、″アメリカ軍即時全面撤退〟”南ベトナム臨時革命政府の南ベトナムにおける政治勢力としての国際的承認、″捕虜の釈放〟等を内容としたベトナム協定の調印に追い込まれ、その意図は決定的に打ち砕かれた。
 これはベトナム人民の比類なき英雄主義、ベトナム民主共和国及び南ベトナム解放民族戦線、正しい政策、ソ連をはじめとする社会主義諸国の政治的・ 軍事的経済的援助、アメリカを含む全世界の反帝平和勢力の強まる国際主義的連帯の勝利である。ベトナムでの犯罪的干渉は 国際世論からアメリカの著しい道義的・政治的孤立をもたらし、 一層広範な人民大衆・社会層・政治勢力を帝国主義反対に起ち上がせ、多くの国の数百万人の青年の反帝闘争への参加を促進した。このような現実は帝国主義諸大国間の矛盾を一層深めた。
 ベトナム人民の歴史的勝利は、今日、自已の独立・主権・自由をあらゆる方法によって断固として擁護し社会主義をはじめとする広範な国際的支援を受ける諸国民にとって、帝国主義的侵略の敗北が不可避であることを示した。 それだけでなく帝国主義が新たな侵略戦争を開始することが極めて困難となっていることも示した。
 ベトナムの勝利とともに、ラオス和平協定の締結、カンボジアにおける解放勢力の前進に示された実例の力は、タイ・フィリピン・インドネシアなどASEAN諸国に反共冷戦政策を後退させ、非同盟中立、さらに社会主義諸国との友好に向かわせている。 これに加えて一九七二年バングラディシュの独立とインドの非資本主義的発展、ソ印条約の締結など一連の平和共存政策の前進の流れの中で、歴史的ベトナム協定の締結は、東南アジア・インド亜大陸を一大平和地帯とした。また朝鮮半島では緊張力緩和と平和統一が大きく前進している。これらは帝国主義者の反共軍事ブロックにかわるアジア集団安全保障体制への基礎と展望を大きく切り拓いた。

全欧安保と軍縮の前進

 帝国主義的侵略と冒険の主要な道具である、 ワシントンとボンの同盟を枢軸とする北大西洋ブロック″NATO〟の解体化が進行している。
 ヨーロッパの中心部における軍事的危機の火元であり、第二次世界大戦の発火点であって、四分の一世紀前からヒットラーの敗北の失地回復をめざしてきた西ドイツ帝国主義の侵略計画は失敗した。独ソ武力不行使条約、ポーランド・西ドイツ・オーデルナイセ国境問題に関する条約・西ベルリンに関する四ケ国協定–一連の条約締結は、ファシズムに対する人民の勝利をもって確立されたヨーロッパ現存の国境の不可侵性を認めたことを示している。これは、一九六六年プカレスト会議で、六七年力ルロビパリ会議で、六九年ブダペスト会議でと一貫して、現存の国境の承認を前提としおのおの主権と権利の平等をうたったヨーロッパ集団的安全保障の実現を提唱し、努力してきたワルシャワ条約加盟諸国のイニシアチブとヨーロッパ諸国人民の関争の成果である。
 これによって勝ち取られた欧州における平和と平和共存秩序の確立への動きは、ヨーロッパ諸国会議開催の多国間準備の開始、七三年一月ポンビドー仏大統領のソ連訪問と、それに基づくソ仏共同声明の発表などによって一層拍車がかけられている。
 安全保障と協力のための闘いは、軍縮と軍事ブロックの解消、人類破滅兵器、核兵器の禁止と核の平和利用を帝国主義者に認めさせる聞いと不可分に結びついている。
 七十二年五月、ソ米SALT交渉の成立は、六十四年部分核実験停止条約、核拡散防止条約、海底非核化条約、国連での核兵器全面不使用協定決議など、反帝平和勢力の一連の軍縮攻勢の成果であり、ミサイル迎撃兵器と攻撃戦略兵器の制限と規制から漸次的な全面軍縮へ進むものであることは、 その後の事態の進行が示している。
 ニクソン訪ソとSALT交渉成立は、ベトナム侵略の「ドロ沼」化に見られるアメリカ帝国主義の国際世論からの孤立と、不断に動揺をくり返す帝国主義世界体制の矛盾を功みに利用したソ連のレーニン主義的平和外交の勝利である。それは、アメリカ帝国主義がソ連アメリカの相互関係の基礎を共同で規定せざるを得なくなったこと、しかも核時代にあって、この相互関係の基礎として平和的共存以外にありえないという現実を認めざるを得なかったことを示しているからである。

平和共存と階級闘争

社会主義キューバに引き続き、チリ人民社会主義への道を大きく歩み出している。チリ人民は、広範な統一した闘いによって、アメリカ帝国主義からの経済的独立と真の政治的独立を大きく勝ちとる措置、基幹産業の国有化を達成した。 こうしてチリ人民は、共産党・ 社会党を中心とする人民連合綱領に基づいた強力な指導によって、CUIの組織労働者の周囲に結集し、更に大きく前進しようとしている。 チリ人民に対するソ連の経済援助は、この面で大きな役割を果しつつある。
 チリ人民が平和のうちに反帝反独占の人民連合政権を樹立し、その後も帝国主義の軍事介入と国内反動派の内戦挑発をいっさいはねのけて社会主義への道を進んでいることは、わが同盟の趣意の立場、「平和と平和共存の闘いは諸闘争の広範な舞台を準備し、統一と成功の見通しを保障する」という立場の正しさの証明である。
 全世界の社会主義と諸国人民の平和のための闘争の成果である平和と平和共存・ 緊張緩和の前進は、国内の社会矛盾をおおいかくそうする熱狂的民族排外主義を吹き飛ばし、人民が自らの生活の諸困難の真の根源=独占資本の搾取と寡頭支配を知るのを容易にし、国内の階級闘争の統一した前進の条件を有利にする。 このことに、ヨーロッパの例一全欧安保の前進がファシズムの台頭を打ち破る大きな力となり、一九六〇年代末からの階級闘争の高揚の一つの条件となっていることによっても示されている。 もちろん平和共存の前進が自動的に国内の階級闘争を前進させるのでないことは言うまでもない。
 平和共存を階級協調だとし、階級闘争の前進、とりわけ社会主義への移行の必須の条件を、世界戦争やそれに伴なう異常な人民の窮乏化に求める理論は、 一方において「革命的」空文句、空論主義であると同時に、他方では徹底した日和見主義、待機主義である。
 また、平和共存と緊張緩和の前進は軍国主義をますます矛盾に満ちたものとする。帝国主義国内では、軍需独占体を中心とした侵略的な反動ブロックの孤立化が進行している。帝国主義諸国の支配層の内部で、極端な手段の適用、戦争に期待をかけている最も好戦的なグループと、世界における新しい階級的力関係、社会主義諸国の力の増大を考慮して、より現実主義的に国際問題にアプコーチし、体制の異なる諸国家の平和共存の精神で、これらの間題を解決しようという考えに傾いている人びととのあいだで、矛盾が激化している。
 一国において軍国主義と経済の軍需化がどこまで進行しうるかは、決定的に国内外の平和勢力の力にかかっている。 したがって資本主義国内における労働者階級を先頭とした反独占勢力の反軍国主義闘争、反戦平和闘争は全世界での平和と平和共存の前進にとって重要な役割を果している。 、

帝国主義間矛盾と平和共存

 帝国主義間矛盾とその激化は国際政治の平和共存への流れの客観的条件を形成し促進している。 帝国主義国間の市場競争、資源獲得競争の激化は、 東西貿易と経済交流の前進を促進している。レーニンが一九二一年第九回全ロシアソビエト大会で述べたように「敵意をもっているどの政府・どの階級の願望や意志や決意よりも大きな力がある。この力とは、全世界の一般的な経済関係である。この経済関係が彼らを強制して、われわれと往来するこの道にすすませる。」 レーニンが発見した両体制間の経済交流の拡大の傾向は、 今日ではますます強く作用するようになっている。このことは、帝国主義の社会主義封じ込め政策・ 冷戦政策をますますほり崩している。いまや、帝国主義は、すでに全体として自己の販路問題資源間題を解決するためにも、また帝国主義世界体制内部での自己の発言力を強化するためにも、 社会主義との経済的’ 政治的交流を広げる間題ととりくまざるをえない。 それとともに、このような交流関係自身が帝国主義諸国間の競争と矛盾の対象になっている。これらのことは、平和共存を前進させる有利な条件となっている。 独ソ武力不行使条約に始まる欧州緊張緩和への動き、チュメニ油田開発をめくる日本帝国主義の対ソ政策の一定の「変化」などは、それを証明している。

平和共存の課題と展望

 このような平和共存の前進が厳然と存在するにもかかわらず、帝国主義は依然として戦急挑発を続けている。いうまもなく帝国主義が存在しているかぎり、 侵略戦争の根源はなくならない。
 平和共存の路線は、平和の敵にたいして大衆を動員し、積極的な行動を展開する路線である。社会主義と反帝平和勢力のねばり強い闘いは、帝国主義の冷戦政策・侵略戦争政策を打ち破ってきた。 冷戦の時代は終りをつげた。 このことは社会主義と諸国人民の行動の偉大な成功を意味している。しかし、この人民の行動は平和共存の逆行を防ぎ、平和共存と緊張緩和をさらに強化するために依然として不可欠である。
 日本の危険な軍国主義復活を打ち破り、四次防を中止させ、ベトナム人民の完全勝利のための闘いを支援し、日米安保条約の破薬と、アジア集団安保・日ソ平和条約締結のために闘うことは、日本の反独占勢力・平和勢力に課された国際的任務である。

二、アメリカ帝国主義の世界支配政策の特徴

最大の侵略勢力としてのアメリカ帝国主義

 アメリカ帝国主義は今なお世界最大の侵略と戦争の主勢力である。アメリカは世界中に原水爆ミサイル網を配備し、世界各地に基地を持ち最新鋭の装備を持つ艦隊・航空隊・陸軍部隊を擁して、たえず戦争挑発と緊張をつくりだしている。
 これは理由のないことではない。アメリカは、世界中に、海外資産すなわち多国籍企業の子会社をもち、そこからこの10年間(一九六〇-一九六九)に三八〇億ドルもの収益を本国に持ちかえっている。 そのうちの八十八%は発展途上国から得たものである。そのうえ発展途上国における海外投資の利潤率は二十数パーセントにものぼり先進国の二倍以上であった。このような海外での搾取の特権を、高まってゆく発展途上国の民族解放連動、労働運動から守るためにアメリカは、莫大な軍備をもたねばならないのである。
 さらに、アメリカ国内には強大な国務省と癒着した軍需独占体(産軍複合体)が存在している。 彼らは、発展途上国に利権をもつ多国籍企業とともに国内の最反動グループを形成している。 彼らはあらゆる政治・ 社会機構の内に浸透し政治を動かす大きな勢力となっている。アメリカは資本による搾取の「自由の旗手」として社会主義体制に対抗し民族解放勢力を押さえる侵略的政策を自国の帝国主義体制内での弱まりつつあるへゲモニーIを守るために利用している。 またその様な軍事力を社会主義体制との交渉のテコとしようとしている。
 こうしてアメリカの帝国主義は依然として全世界の反帝平和勢力にとって最大の平和の敵となっている。

続行される軍事力強化

 軍事力強化はベトナム和平にもかかわらず続けられている。
 -来年度予算では、本年に対し六・ 八%増の八一〇億七千万ドルが軍事費に計上されている。そして核戦力を中心とする対ソ戦略が前面に出てきている。各国の軍需援助も二億ドル増の八億ドルとなっている。 南ベトナムのチュー政権など一連の傀儡政権に対する援助も維持強化されている。このような事実は、アメリカ帝国主義が世界の平和共存、緊張緩和の進展(ベトナムでのアメリカの後退に端的に示されている。)にもかかわらず依然として軍事力による世界支配の野望を捨てていないことを証明している。しかし、このような経済の軍事化は、インフレーションを進めドルを弱体化し、国際通貨危機を爆発させ、アメリカ商品の国際競争力を低め、アメリカ帝国主義の腐朽化を深めている。

危険な対アジア・ 中国政策

 世界の平和共存の前進、反帝平和勢力の力の増大によって軍事的手段によるアジア支配、社会主義転覆策動はほとんど不可能になった。帝国主義者はそれをより隠れた形で平和の仮面をかぶせて行なおうとしている。その政策の特徴は、中国の現指導部の反ソ主義・民族主義につけ込み、中国を反ソブロックの一つとして利用しようとするものである。アメリカは、そのエサに台湾問題を使っている。アメリカは、台湾にあるアメリカ系資本をそのままにした形で、台湾を中国に返還し、中国国内にアメリカ資本の強力な足場を作ろうと策動している。
 アメリカは、ベトナム和平後も、タイ・フィリピン等に基地を維持し、トンキン湾に第七鑑隊を浮べ、インドシナ全域に軍事的圧力をかけている。 アメリカは、中国を利用して、アジア集団安保構想に反対させ、ソ連の影響力の増大を押さえようとしている。

「肩がわり」政策とその矛盾

 アメリカは、現存の力関係、国際収支危機などを反映して軍事力の「肩がわり」政策をとっている。これは通常兵力については、各国に相応の軍事力負担をさせ、その分をアメリカ自身は核戦力の增強に集中することによって、より効率的な軍事支配を目ざそうとするものである。 特に、ドル危機と関連した帝国主義間の闘争の中でこの「肩がわり」政策は、アメリカ側の要求・取り引き材料として使われている。
 しかし、このような「肩がわり」政策は、矛盾したものである。それは、アメリカの世界支配政策が重大な危機に陥っていることの表われである。「肩がわり」政策は一方では、アメリカ以外の帝国主義が、 アメリカの軍事的ブコツクから離脱するのを早めている。 それはアメリカの意図に反して、集団安保の展望をさらに切り開かざるをえない。

アメリカの世界支配のテコとしての多国籍企業

 アメリカは、 各国に多国籍企業の子会社を送りこんで世界支配のテコとしている。多国籍企業の子会社は、関税障壁をとびこえて、その国の経済の中に根をはっている。 そのことによって子会社はトロイの馬としての役割をはたしている。アメリカは、各国に資本の自由化を要求して、さらに多国籍企業を世界に進出させ、まき返しをねらっている。その進出の中心として、東南アジア、ひいては中国が選ばれている。本年二月のドル危機の際アメリカはドルの一〇%切り下げを発表すると同時に、利子平衡税を含む海外投資規制を一九七四年までに撤廃すると発表した。 この事業はその証明である。
 しかし、この様な多国籍企業の進出は、重大な抵抗に直面している。発展途上国の人は、この様なアメリカ系多国籍企業の搾取と支配に対し、それらの国有化を要求して闘っている。チリ・イラクでは、その国有化に成功した。さらに、帝国主義各国でもドル危機と関連して、多国籍企業に対する強制を強めている。フランス共産党・社会党の共同綱領はアメリカ多国籍企業の国有化を主張している。西ヨーロッパ人民は多国籍企業国有化を要求している。
 このようにアメリカ帝国主義は後退を余儀なくされつつも依然としてまき返しをはかろうとしている。帝国主義が、武力侵略をもはや、容易に行い得ないという現在の力関係のもとでは、この巻き返し政策自体、矛盾に満ちた倒錯したものとなっている。 世界の反帝平和勢力が警戒心を高め、 闘争を一瞬もゆるめないならば、この政策の破綻は不可避である。

三、 帝国主義の矛盾の激化と階級闘争の高揚

全般的危機は深化している

 資本主義世界体制の全般的危機は、急速に深化しつつある。 全般的危機に対応して、「国家独占資本主義は独占体を富ませ、労働運動と民族解放闘争を弾圧し、資本主義制度を救済し侵略戦争を開始する目的で、独占体の力と国家の力を単一の機構に結びつけている。」((ソ連共産党綱領))独占資本は、戦争、経済恐慌などの危機を財政支出、通貨信用政策等をテコとした国家の経済過程への介入の強化、国家独占資本主義の強化で切り抜けてきた。しかし、一九六〇年代のおわりごろから、現実生活は、いまやこのような国家独占資本主義自身が深刻な危機におちいっていることを示している。

恐慌とその結果

ーインフレーションの急進

 国家独占資本主義に、生産の社会化と私的所有の間の矛盾を解決することはできなかった。国家のインフレ政策に刺激され「水ぶくれ」させられた一九六〇年代の「高度成長」は、戦後の科学技術革命の成果を社会の利益のために利用する広範な可能性を切り開いたが、独占資本家階級とその国家は、自己の利潤のためにこの利用の可能性の実現をさまたげている。
 一九六七年頃から資本主義世界は、通貨恐慌をともなった深刻な過剰生産恐慌におそわれた。 国家の赤字財政支出と低金利政策に支えられた急速な資本蓄積は莫大な過剰資本、過剰生産設備を産み出したことは明らかになった。この恐慌は主要各国で、赤字財政によって追加需要が創出され、各国でインフレーションが不均等発展ではあるが持続的に進行するという条件下におこった。
 この恐慌は、国家介入によって「恐慌なき繁栄」が可能だとする独占体のデマゴギーを粉砕した。この恐慌の結果、失業は世界的に耐えがたい水準に達し、実質賃金の増大はとまり、国によっては下降さえした。ドルの流入による紙幣増発、カルテル、価格先導制などによる価格つりあげ、政府の恐慌救済的なくれてやり政策、赤字財政=紙幣乱発は六〇年代の緩慢なインフレーションとはちがった急激なインフレーションを進行させている。世界中に広がった急激なインフレーションは労働者階級の賃上げの成果を奪い、国民諸層全体の不安と社会的緊張を高めている。 こうしてインフレーションは単なる経済問題だけではなく政治問題になっている。 インフレーションとともに、いくつかの国で政治的危機を激成している。

国際通貨危機と投機資本

 世界的インフレーション、とりわけ、アメリカのインフレーションによる国際通貨ドルの減価は、ドル危機を創り出し国際通貨危機を爆発させる主要な要因となっている。 ドル危機は、アメリカ帝国主義の世界支配と世界搾取のためのコストが、もはやアメリカ帝国主義の経済力をもってしてもまかなえなくなったことのあらわれである。 すなわち、社会主義世界体制の経済的、政治的力が増大し、世界の労働運動の組纖性と意識が強固なものとなり、 民族解放闘争が力強く前進しているという現在の力関係のもとでは、アメリカが帝国主義のへゲモンとして、侵略の反動の「トリデ」として侵略的戦争政策を続け、新植民地主義的「援助」を続け、多国籍企業の海外投資を推持拡大するための費用が、アメリカ帝国主義にとってまかないきれぬ過大なものとなったことをあらわしている。また、資本主義世界の通貨危機は、両体制間の競争において社会主義体制の側を有利にしている。
 ドルの乱発は、一九七二年末で八〇〇億ドルにのぼると推定されている「ドル残高」=過剰貨幣資本を産み出した。これらの資金は、アメリカ系多国籍企業、欧州と全世界にちらばる富豪の資本を集中したスイスの銀行、欧州各国銀行等に保管され、 現実的生産的基礎をもたないにもかかわらず、利潤を求める投機資本=ホットマネーとして各国を流出入し、金、通貨重要物質などの投機を行ない、 国際貿易体制と国内経済の信用体系を全体的にゆさぶっている。 こうして、それは各国でインフレーションの進行を促進している。
 このような通貨危機と国際貿易体制の不安とは、各国の再生産、過程に重大な反作用を与えている。独占資本家は、将来への先行き不安のために生産投資を手びかえ、自分の手に入ってくる利潤を投機への流用する傾向をますます増大させている。これは、独占資本の増大する寄生的反社会的性格を示している。
 このように、急速なインフレーションと慢性的通貨危機は、国家独占資本主義の全体制を根底からゆさぶっている。
 アメリカはドルの対金交換性を今だに回復しないばかりか、 依然として居直りをつづけて国内経済のインフレ的刺激の政策をとっている。貿易収支は未曽有の赤字を示している。したがって、このような状態が続く限り、ドル危機の何度もの爆発は不可避である。西ヨーロッパの共産党は、投機を行なうアメリカ系多国籍企業の国有化と、ドルの大幅切り下げ対金交換性の回復を要求している。 ・

急速に先鋭化する帝国主義間矛盾

 全面的対決と破局を避けようとする帝国主義者の意図にもかかわらず、帝国主義間矛盾とその対立抗争は急速に先鋭化している。通貨危機の「解決」をめぐって行なわれている帝国主義諸問題の通貨レート変更の闘争は、政治的闘争、通貨戦争にまで高まっている。また、各国の世界市場をめぐる闘争は、全面的かつ本格的な貿易戦争が始まる脅威さえ生み出している。各帝国主義国内では、このような国際競争の激化を反映して、資本の集中、統合が嵐のように進んでいる。 西ヨーロッパの各帝国主義は、自らの活路を拡大E・Cの中に見出しているが、このような帝国主義統合は、その内部の矛盾、とりわけ西ドイツ、フランス、イタリア、イギリス間の矛盾、によって絶えず他方でほり崩されている。
 また石油、ウラン、天然ガスなどのエネルギー資源をめぐっても帝国主義列強間の対立と闘争が激化している。 最大の資源消費国アメリカは、自已の肥大化した経済が必要とする資源をますます輸入にたよらざるを得なくなっている。日本もその急速に高まったエネルギー需要を満たすため、自主開発にのり出している。こうして、資源開発をめぐる帝国主義列強間の獲得競争はますます先鋭化している。このことは他方において資源開発における輸出国側としての低開発国と社会主義国の立場を強化している。イラクやその他のアラブ諸国はソ連の強力な支援のもとに、帝国主義の石油独占体国有化に成功しつつある。 OPECは、国際石油独占体との闘争で目ざましい成果をあげた。
 しかし他方、社会主義経済が世界経済の中に巨大な基礎を据えている現在の力関係のもとでは、また、生産力の発展が強制している世界分業のもとでは、このような帝国主義間の矛盾の先鋭化が直線的に第二次大戦前のようなブロック化、アウタルキー(閉鎖経済)への移行を展望するものではない。 もちろんブロック化への方向は絶えずあらわれてきている。 しかし他方、帝国主義間の矛盾の激化は帝国主義諸国を、自らの高まった生産力を嫁動させ、市場を確保し、自己の政治的経済的立場を他の帝国主義諸国に対抗して強化するためには、帝国主義者の意図におかまいなく、社会主義ブロックとの経済交流、平和共存に押しやっている。 ソ連を中心とする一貫したレーニン主義的平和共存政策が、この過程を促進している。 帝国主義間の矛盾が激化するに従って、 帝国主義はますます社会主義に依存しながら没落しつつある。このように反帝勢力が強固に帝国主義に対抗している全般的危機の現段階においては、アメリカ以外の一国の帝国主義が自己の新植民地的勢力圈・プロツク経済をもち、独自の政治軍事支配機構をそなえた自立した帝国主義に至ることは非常に困難になっている。それにもかかわらず、それら帝国主義諸国は新植民地的膨張政策をとっているが、それが長期的に達成し得る展望はほとんどない。ソ連は、このような現実的基盤に立って集団安保構想を提唱している。

国家独占資本主義の危機

 以上述べた事実は、全般的危機の現局面において国家独占資本主義が重大な危機に陥っていることを示している。 国家と癒着した独占体は、この危機を賃金の国家統制を含むいろいろな面での国家介入の強化で乗り切ろうとしている。しかし、今次恐慌を引き起こした高度成長期における過剰資本蓄積が、 国家の介入と補助の下に行なわれたのであるからそれを国家の経済介入–ケインズ的インフレ政策-によっては克服し得ない。 今の段階では、国家による景気刺激策、赤字財政支出は独占資本家が先行きに不安を感じ利潤を生産的投資ではなく投機につぎこんでいる現在、ますます過剰な投機資本を累積させるだけである。このように独占体と労働者階級との矛盾を深めているばかりでなく、国民諸階層全体との矛盾を深めている。

階級聞争の新しい高揚

 このような国家独占資本主義の危機を反映して、一連の資本主義国では、新しい内容と規模をもった政治的、社会的闘争が巻き起こっている。 一九六八年フランスの五月ゼネスト、一九六九年イタリアの「熱い秋」とよばれる大衆行動、一九七〇年チリの人民連合政権樹立と社会主義の前進、西ドイツの山ネコストの嵐、イギリス労働者階級の所得政策に対する闘争、その他スペインの反フランコ闘争の大衆的高揚、日本の春闘の激化などはこのことを示している。 学生連動も嵐のようなテンポで爆発した。 約五〇力国で学生の闘争が高揚した。「これらの闘いは、根本的な社会改革社会主義革命、他の勤労者階層と同盟した労働者階級の権力の樹立に導き得るような、新しい階級闘争の前兆であった。」(一九六九年モスクワ会議基本文書)

国家独占資本主義下の階級聞争の特徴

 このような闘争の中で勤労者は、国家独占資本主義の下では彼らの経済的、政治的権利を勝ち取るためには、個々の資本家や独占体に対する闘争だけに限定することができないことを、ますます確信している。政府が導入した「所得政策」は、労働者階級にとって、賃上げを勝ち取るためにすら政治闘争を展開しなければならないことを示している。西欧の労働者の間で広範に闘われている企業の民主的管理のための闘争–企業の内部から独占資本家の支配を制限する闘争-は、ますます全国民的レベルでの企業国有化闘争と結合されている。 イタリアの電力産業国有化闘争の成功は、このことをよく表わしている。 労働者階級を先頭とする勤労諸階層は、国家独占資本主義の条件の下においては、独占資本の経済政策全体の再検討を迫る全国民的規模での諸要求を提起せずには、彼らの生活利益を守ることはできない。イタリアの労働者階級は、住宅、年金闘争でこの模範を示した。

各戦線の闘争と反独占聞争

 レーニンが明らかにしているとおり、独占資本の支配は決して政治機構に限られものではない。「独占は、ひとたび形成されて数十億の金を自由にするようになると、絶対的不可避性をもって政治機構やその他のどんな『特殊性』にもかかわりなく、社会生活のすべての側面に、浸みこんでいく。」したがって、「共産主義の任務は・・・社会生活のあらゆる部門とますますつながりをもつようになり、一部門、一領域を次から次へとブルジョアジーの手から闘いとってゆく実践的な任務」である。世界の多くの共産党、労働者党は、この原則的立場に立って、労働者階級と動労諸階層の賃上げ、生活擁護闘争と民主的管理闘争をはじめとする諸闘争を、それぞれの戦線において、大衆的、戦闘的に闘っている。 それとともに、これらの諸闘争を、全国民的な反独占綱領の中で位置付け、独占資本家階級を包囲する一つの全国民的反独占闘争に転化する任務を果たしている。

労働者階級の側の反独占的対案

 国家独占資本主義下の階級闘争の経験は、労働者階級の側が反独占的性格をもつ民主主義的な対策を積極的に提起してゆく必要があることを示している。そのような対策は、個々の戦線での闘争において勝利の必要条件であるばかりではない。現在の国家独占資本主義の危機の時代においては、独占体を富ませ、彼らの支配を維持することを目的とした独占の側の国家介入に対し、反独占勢力の側の一国の経済、政治、社会制度全体に対する反独占民主主義的対案を対置してゆくことが、反独占闘争の前進に不可欠の要素のひとつとなっている。そのような対案は、レー ニンが「さしせまる破局、それとどう闘うか」で示したような、独占資本の勢力を一国の経済、政治社会制度の全領域から排除し、国の経済と企業と行政機構で、勤労者による民主的管理を勝ちとり、独占資本の権力を終わらせ、社会主義への闘争にとっても最も有利な条件をっくりだすょうな一国の反独占民主主義的改造の網領である。 チリ人民綱領、フランス共産党、社会党の共同綱領は、今までの大衆運動の成果の集約として、階級闘争を前進させる上で重要な要素となっている。

反独占統一戦線へ

 一連の大衆的な共同闘争の中で、労働者階級は自已の隊列内の統一をうち固めつつある。労働者階級は、ますます改良主義的.幻想から離反していっている。 改良主義的な社民党内部に現体制に不満をもち、社会主義を真剣に追求しようとする左派ブロックが台頭しつつある。 事実、フランス社会党では最近保守的な指導部が左派にとってかわられた。各国の共産党は、社会民主主義者やその他の革新を望む人々との広範な共同行動を追求している。 こうした「統一的な反独占・ 反帝行動の過程で、すべての民主主義的潮流を政治的同盟一国の経済における独占の役割を断固として制限し、大資本の権力に終止符をうち、さらに社会的改革を実現し得る政治的同盟1に結集するための有利な前提がっくりだされている。」 このように一九六九年の共産党・ 労働党モスクワ会議基本文書は述べている。 この内容は、それ以後の実践によって証明されている。
 この場合、この目的の達成のためには、議会活動の現に存在する可能性を利用しつつ、労働者階級と最も広範な人民層との強力な大衆行動展開こそが決定的要素となっている。

四、 中国現指導部の対外政策とその動向

中国現指導部の対外政策とその役割

 全世界の反帝平和勢力は、強化される社会主義世界体制の団結を軸に、帝国主義者の危険な冒険主義的政策やその反人類的野望実現の可能性をますます縮少し、封じ込めている。 今や世界史の主導権は、完全に反帝勢力の側に移行した。 最近の国際的緊張緩和の傾向は、全ての反帝勢力の積極的な提案の中に(例えば六九年モスクワ会議基本文書、七一年ソ共第二四回大会平和網領等) その源泉が存在している。
 しかしながら、帝国主義者は、世界を自らの支配下に置き、失なわれた世界政治における主導権を回復しようとする反動的な野望を今だに捨ててはいない。それは複雑な世界情勢と力関係の下に適応し、新しい形態をもって繰り返されているのである。 既に現在、社会主義世界体制に公然と敵意を示し、それとの緊張関係を不断に創り出すことによって自らの世界制覇の野望を質徹していこうとする「冷戦構造」型政策や「力の政策」がますます困難になってきている情勢の下で、 帝国主義者がますますそれに着目し、自らの延命と野望実現の希望の綱をかけているのは、反帝勢力内部の不団結要因である。 現在、世界の反帝平和勢力の団結がいつにも増して重要になってきている理由はそこにある。 全ゆる国際主義的な任務が無条件に必要とされ、それに対して一面的、機械的に民族的利害や特殊性を対置する民族主義的傾向の危険性は、かかる帝国主義者の絶望的な策動を助長させ、勇気づけるものとなるだろう。
 この間、このような点から最大の注目を浴びてきたのは、社会主義中国の毛沢東主義指導部の政策とその動向であった。 それは、世界人口の約五分の一を有する中国大陸が、過去から現在に至るまで、世界政治の動向を左右する重大な要因の一つであったということと同時に、毛沢東指導下の中国がこの間、とりわけ六〇年代末端以降の世界の反帝平和勢力におけるその大国主義的、覇権主義的分裂活動が、ソ連を先頭とする社会主義諸国を敵として闘うことにその最大の力点が置かれ、かつ最大のエネルギーがそこに傾注されることによって、 客観的に帝国主義者に手を貸す、反ソ第二戦線を形成してきたからであった。この毛沢東主義指導部の対外政策の基本をなす反ソ・ 民:族覇権主義は、ここ十数年に一目つて世界の平和と進歩をめざす闘いに対して筆舌につくし難い多大な損害を与えた。
 毛沢東主義指導部は、反帝国主義勢力の中軸である社会主義国の間に亀裂を生じさせようと分裂策動を繰り返し、「領土問題」をでっちあげ、反ソ主義を刈り立てた。またこのような反ソ主義はチェコスロバキア事件に際してもそうであった。
 又、毛沢東主義指導部は、「毛沢東思想」を「現代のマルクスレーニン主義」とうそぶき、その大国主義的民族霸権主義によって資本主義諸国や発展途上国の前衛党の内外に、自らの物質的経済的援助の下に、国際主義勢力と闘う分裂組織を創り上げ、各国における階級闘争に多大の損害を与えた。
 更に、毛沢東主義指導部の分裂政策は、発進路展の選択に当面している発展途上諸国の革命政策に重大な損害を与えた。 彼らは、客観的条件の有無にかかわらず、武力的闘争形態を一面化して、これを各国に押しっけたのをはじめ、発展途上諸国における発展的鍵である社会主義諸国との連帯と協力関係を 「自力更生」原則の名の下に著しく傷つけた。
 毛沢東主義指導部が世界の平和と全面軍縮をめざした闘いに対してとった措置と態度を見るならば、その果した犯罪的な役割が一層明らかとなるだろう。 この間、国際的緊張緩和の傾向は、世界の平和を愛する全ての諸国、全ての国民から熱烈に歓迎されている。 これらの基礎を形造ることになったのは、ソ連・西独、ポーランド・ 西独条約であったが、毛沢東主義指導部は、これらに対して極めて否定的な態度をはっきりと示している。 又、この間、急速に成熟してきているアジア安保に対しても、その実現に否定的態度をとっている。 更に、軍指の面では、これまで世界の平和勢力が、菩闘の末に勝ち得てきた様々な国際的条約や協定に対して、「それらには全く拘束されない」と公然と表明している。 だが、これらは、そのほんの一部にすぎない。
 こうした世界の平和と進歩をめざす闘いの諸成果やその発展にむけた積極的な提案に対する公然と敵対あるいは否定的な態度は、 全て毛沢東主義指導部の世界政治における主導権掌握と世界を牛耳りたいという階級性の一切欠落した、大国主義的、民族霸権主義的な願望のなせる技であった。

最近の政策変更とその動向

 かかる毛沢東主義中国現指導部の国際的分裂策動にもかかわらず、 諸国共産党を中心とする全世界の反帝勢力の団結は強化され、毛沢東主義者の野望を許すことなく多くの偉大な成果を勝ち取ってきた。 毛沢東主義指導部の分裂策動は、この反帝勢力の団結した闘いの前にことごとく粉砕され、破産し、国際的な孤立をますます深めるに至ったのが最近の特徴である。それは、世界の反帝勢力が、その自らの戦線から中国という大きな一部を失ない、又、そのことによって複雑な国際関係が生じたにもかかわらず、世界史を動かす基本勢力としてのその歴史的な力をますます強めたことを意味する。 即ち、国際政治の舞台においては、既に七一年ソ連共産党第二四回大会の平和綱領に示されたプランと内容の下に、反帝平和勢力の闘いが国際的に進行し、帝国主義者の「冷戦構造」型世界戦略を大きく変更させ、更に本年二月には、懸案であったベトナム和平を実現し、 アメリカ帝国主義のアジア戦略に一大打撃を与え、平和と平和共存の諸原則の下に、帝国主義者を追いつめることに成功していることは、その証明である。
 こうした情勢の新たな展開の下に、毛沢東主義指導部は国際的孤立化と党内矛盾の激化を前にして、自らの延命を計るための新しい手段をとることにますます直面せざるをえなくなってきた。
 中国の現在かかえている諸問題と矛盾、これまでもそうであったように、社会主義の発展法則を全く無規し社会主義諸国から離反し、世界の反帝平和勢力の総路線から離脱してしまったことにその全ての根源が存在している。 従って、中国人民、及び世界の平和と進歩をめざす諸国人民との根本的な、そして共通した利益を守る立場は、中国が社会主義諸国との関係を改善し、それとの団結を強化することによって、世界の反帝平和勢力の一翼に復帰することである。
 しかしながら、毛沢東主義指導部の最近の政策修正の中で、こうした立場からの努力の跡は一切見ることができない。
 事実が示すように、一昨年の国連復帰を境にして、毛沢東主義指導部に若千の変化が見られるようになった。かって毛沢東主義者が、世界戦争不可避論–「反米人民戦争論」–を唱えて、「帝国主義への協力に他ならない」と称した平和共存の原則に対して彼らは最近その論調を変えつつある。 それは、あたかも中国こそが、これまで一貫した平和共存政策をとってきたかの如き主張が臆面もなく、繰り返されるようになったことにも見られる。
 これは、現在の国際的緊張緩和の傾向の中で、世界戦争不可進論を唱え、緊張激化を策動してきたこれまでの政策の破産を、白ら証明したものに他ならない。

これまで一切の会談を拒否してきた毛、沢東主義指導部は、今ではアメリカやその他の資本主義諸国との接近をはかるために多大の努力を傾けている。又、「第三世界」の国々に対しても、国連復帰と前後して、自らを発展途上の国と位置付け、「二つの超大国の支配」に抗する「第三世界」の利益の「擁護者」「代弁者」であると盛んに主張するようになってきた。 以前の毛沢東主義者の政策と比較してみるなら、これらは確かに一つの変化である。しかしながら、これら一連の変化は、これまでとってきた政策が根本から変って生じたものではなく、むしろ、自らの政策の破産を前にして、その明らかに誤りのはなはだしい政策の一部を実用主義的に修正しようとしたものに他ならない。 なぜなら、ソ連をはじめとする社会主義諸国と闘うことは、あいかわらず毛沢東主義者の全政策の主要な方向であり、決して手の加えられることのない不変の原則であって、彼らは、社会主義世界体制こそその覇権主義的・ 大国的排外主義的な野望実現をはばむ主要な障害である、とあいかわらず見なしているからである。 従って、最近努力れている資本主義諸国との関係改善、国交回復も、世界の平和と平和共存をめざした崇高な、国際主義的目的から行なわれたものでなく、国際的に孤立する自己の影響力の低下を押しとどめ、その国際的地位を高めようとする民族主義・ 霸権主義によってなされたのであった。 又、更にそれは、国内の経済建設の立ち遅れを資本主義諸国との交易の拡大に求めようとする経済的基礎に裏打ちされていたのである。 ‘
 事実は、 その美辞麗句の裏にある真実を忠実に物語っている。「第三世界」の利益を「代表」する毛沢東主義者の真意は最近の一連の事態によって世界の人々の前に暴露された。 バングラディシュ独立に際してとった毛沢東主義指導部の態度、その国連での加盟問題における拒否権発動は、まさにその象徴であったといえよう。
 以上の事実から、次のことが結論されよう。
 即ち、近年に於ける毛沢東主義指導部の政策に於けるいくつかの変化は、毛沢東主義の成功の結果ではなく、その崩壞の諸結果であったということであり、だからこそ毛沢東主義者は、その延命のために、情勢の変化の下に巧妙に立ち回り、戦術を変え、更には若干の原則的な対外政治方針を変更しているのだ、 ということである。 従って、それは、若干の戦術的変更であって、戦略的目標の変化を意味するものではない。 毛沢東主義指導部の政策は、あいかわらず、大国主義的な民族的覇権主義にその基礎を置き、主要な打撃目標をソ連に集中しているのである。

新たに生じた危険

 現在、中国指導部の新たな動向は、国際政治において新しい危険な要因を創り出してきている。それはベトナム停戦後の帝国主義勢力のアジア支配権益に重要な位置を占めるようになってきているのである。即ち、国際的孤立を深める帝国主義勢力(とりわけ、アメリカ・ 日本)とも毛沢東主義現指導部の接近は、そこに反ソの統一戦線・ 同盟を創り上げ、アジアの緊張緩和の傾向を阻止し、帝国主義者の新たな反動的政策を実現する可能性を創り出し、その野望を助長しているということである。
 毛沢東主義指導部は、米中会談、国連復帰を境にして、以前唱えていた「四つの敵」論の二つの構成部分、アメリカ帝国主義及び日本軍国主義の批判を手控えるようになった。とりわけ、昨年の目中国交回復に際しては、更に進んで四次防、安保条約の存在を承認し、ソ連攻撃の武器として、これを積極的に支持するという許し難い方針を打ち出したのである。
 ベトナム停戦と国際緊張緩和の傾向の中で日米両帝国主義者の狙いは、日本の田中内閣の提唱しているように、ソ連に対決し、日・米・中を軸とした、 ASEAN、 ASPAC諸国をその中にのみ込んだ「アジア太平洋諸国会議」という帝国主義的な集団安保構想の推進であり、それは、新たな情勢の下での、アジアの「平和」をその粉飾とする帝国主義的新アジア支配戦略の形勢を意味している。 従って、それは、世界及びアジアの緊張緩和の傾向に逆行する「冷戦構造」型戦略の焼き直しであって、ァジァの平和と平和共存に真向から対立する。
 このように、ベトナム和平後のアジアにおいて、その成果を打ち国め、 アジアの恒久平和をめざして更に進撃しようとしている反帝平和勢力の行手をさえぎるものが、かかる日本の四次防と日米安保条約を軸にした日米帝国主義者の新たなアジア支配戦略であることを見るならば、中国毛沢東主義指導部の果した重大な意味が理解される。
 現在、その危険性がとりわけ強調されなければならないのは、このように毛沢東主義中国現指導部が単に客観的にとどまらず、主観的にも帝国主義者と反ソ同盟を結成しようとしている点にある。
 しかし、かかる帝国主義者と毛沢東主義指導部の画策は決して成功することはないだろう。だが、このような意図は、東南アジア諸国の非同盟中立化への明確な志向と強化される社会主義と民族解放勢力の連帯強化によって、又、日米両帝国主義間の矛盾の激化によって非現実なものとなることは疑いない。 毛沢東主義者の裏切りと分裂活動にもかかわらず世界の反帝勢力は、 国際緊張緩和の流れを生み出し、歴史的なベトナム和平協定を勝ち取った。 今や、誰もこの反帝勢力の前進をもたらしている歴史の歯車を後もどりさせることはできない。 毛沢東主義者のこうした活動は、 諸国共産党を先頭とする全反帝勢力のこれまでにない糾弾の声を呼び起こし、ますますその孤立化を深めており、中国国内においてもその矛盾をますます激化させることは不可避であろう。
 全ては、反帝勢力の団結の力の中にある。

<日本帝国主義-その矛盾と動向>

一、 田中内閣の危機対応策とその本質

田中への政権交替をもたらした基本的要因

 佐藤から田中への政権交替をもたしたものは、日本資本主義の内外にわたる諸困難の増大に対する、独占資本の深刻な危機感のあらわれであった。
 その諸困難とは、七〇年の恐慌、七一年八月ドルショックを機とする日本の高度成長の行きづまり、日米間の経済的諸矛盾の激化、円の大幅再切り上げの切迫、国際舞台での政治’ 経済両面における目本の孤立化の深まり、国内的には、資源公害問題の深刻化、大学危機、一般住民の抵抗増大による「社会問題」の激化などであって、これらは全て、日本資本主義の社会的諸矛盾と階級対立の全体の先鋭化をもたらしている。

戦後の高度経済成長とその行き詰り

戦後における高度成長は、 科学技術革命の成果を外国からの技術導入という形で急速にとり入れ、 日本の低賃金労働力と結びつけることを基礎に達成された。 そのことは、独占資本に巨大な利潤率を保障した。 彼らは、自らの手に入ってくる莫大な利潤をさらに最新鋭の設備投資に投下して強度の資本蓄積を行なっていった。 この過程は、 国家の財政金融的援助によって、国家独占資本主義の全体系によって支えられ、促進された。
 このような設備投資ゲームは、 日本の生産力水準を急速に高めたが、独占資本はその階級的本性から、労働者、人民大衆にはそれに見あう所得と生活水準の上昇を保障しなかった。日本独占資本は、欧米なみの生産力水準をもちながら、勤労者を欧米の半分以下の生活水準におさえつけている。
 日本の独占資本は、公害防止装置をけずって、生活環境を破壊してまで、資本蓄積に努めたため、公害は急速に耐えがたい水準に達した。独占資本は国家財政を利潤獲得の道具と化した。独占資本は、生産力発展にともなって当然必要となってくる社会的消費のための資源を食いっぶして自己の利潤とした。こうしてこのことは、都市問題・住宅問題・保健衛生・社会保障をめぐる諸矛盾を激化させた。さらに、独占資本は、教育に費されるべき国家資金を自己の利潤のためにできるだけ削減し、もっと少ない予算と、労働者の負担増加で、高度成長の結果必要となった質の高い労働者を大量に再生産しようとしている。日本の国家予算にしめる教育費の割合は、主要資本主義国の中で最低である。これらのことは、教育をめぐる矛盾を非常に深化させている。
 このように、 高度成長は科学技術革命の成果を社会全体の利益のために利用する広範な可能性を切りひらいたが、独占資本とその国家はその可能性を決定的に阻害している。
 こうして一九六〇年代の後半から、国内の社会的諸矛盾は急速に激化した。
 こうした諸矛盾は、一九六五年・一九七〇年の恐慌を爆発させた。
 このようにしておこった一九六五年の恐慌を、日本の独占資本は、高まった国際競争力を背景に海外市場へ進出し、輸出を急速に伸ばすことによってのりきろうとした。 この日本商品の急進出は、六〇年代以降、帝国主義諸列強の激しい抵抗にぶつかった。さらに一九七〇年以降、日本は戦後最大の過剰生産恐慌におそわれた。ドル危機による円切り上げの衝撃がその恐慌を深刻なものとした。 高度成長は深刻な行きづまりにおちいっている。

インフレーションの進行と国民の生活条件の悪化

 一九六九年の恐慌は、目本資本主義に重大な影響を及ぼした。赤字財政による独占資本への「くれてやり」政策と大幅な国際収支黒字による外貨の急速な流入、それを基礎としたさらなる信用膨張は、本格的なインフレーションの条件をつくり出した。
 独占資本は、将来への不安から、独占価格をつり上げて利潤を確保するとともに、巨額の資金を必要とする大規模な設備投資を手控えている。独占資本は、発展した日本の生産力に対応する水準をはるかに下まわる額しか生産的投資・ 設備投資・ 社会的必要への投資を行なっていない。この情況の下で、それらの膨張した資金は、利潤獲得の現実的生産的基礎をもたないにもかかわらず利潤を求める投機資本として存在している。 そのような過剰貨幣資本は、将来の減価を予想して急速に貨幣形態から現物形態へと逃避している。商社・ 銀行は、この資金を利用して、土地・ 株式はじめ、重要物資・ 食料品・ 繊維品などの生活必需品にいたる幅広い買い占め投機を行なっている。買い占め投機は、ばく大な仮空需要を産み出している。この仮空需要に水ぶくれさせられた生産增加がおこっている。一部ではこれに刺激された設備投資の波も始まりつつある。こうして過剰資本は整理させられるどころか、投機にまわって、労働の成果はますます浪費されている。 資本主義生産の無政府性は増大している。
 国民生活の諸困難の度合は急速に増している。独占資本は、手元過剰資本を利用して、人民の犠牲のもとに国民所得のさらに優位な再配分を獲得しようとしている。商社は、財閥系巨大銀行の全面的バックアップのもとに、まったく犯罪的な生活必需品の買いしめ、大豆、米、冷凍食品、木材一繊維品などの投機を行なっている。生計費の上昇は、急速に賃上げの効果を奪い、生活水準を低下させつつある。 若い勤労者にとって、満足のゆく住宅を手に入れることは絶望的になりつつある。 各種の消費者ローンは、多くの勤労者を銀行資本の債務に縛りつけている。
 教育費の上昇は、多くの家計をおしつぶしている。 さらに合理化による労働強化、不安定な雇用条件などが、勤労者を極度の不安と緊張の中におとしいれている。
 独占資本は、 このような危機を依然としてインフレによる大衆収奪強化と軍備拡張を含む独占へのくれてやり政策でのりきろうとしている。 独占資本は、今までかちとってきた動労者の生活水準を絶対的に悪化させることで危機をのりきり、 国民所得を再分割し、自己のグループの立場を独占資本内部で強化しようとしている。 しかしそれは矛盾を更に深化させ、将来の更に大きいそれの爆発を準備している。
 動労者の生活条件が急速に悪化しはじめたことによって、 階級矛盾は激化している。 人民の意識の左への転換がおこっている。人民の蓄積された不満の爆発は不可避である。

田中内閣の危機対応策

 日本資本主義をめぐるこうした諸困難の急速な増大は、独占資本の安定した独占利潤追求とその獲保に対する彼らの危機感を高めている。したがって、彼らの緊切な要論は、内外情勢の急激な変化の中で、自已の地位、権力・ 利潤を獲保し、彼らの国有の野望を実現するために、形だけでも包括的な、それ自身矛盾に満ち多分にスーパー的な「長期的戦略」を決定することであった。この戦略の基本的性格は国家独占資本主義的な資本主義の延命策にほかならない。
 田中の登場は、(この長期的な戦略に立って)、日中国交回復をはじめとする一連のマヌーパーと社会福祉政策拡大という煙幕によって人民の反体制的気分を弱めながら、ひき続き独占資本の体制の再一編強化と、 巨大独占資本の利潤獲保の政策をおし進めることを目的としている。だからこそ、国中は、独占資本のために、r日中復交を実現し、列島改造計画」の具体化に着手すると同時に、大きな政治的後退を余儀なくさせられた。 十二月総選挙における自民党の手痛い敗北、自民党得票率の一層の低下は彼らの危機感をさらにかき立て、第二次田中内閣にまがりなりにも「挙党一致」的性格をとらせつつある。だが、自民党の派閥の頒袖の連合をもってしては現在の日本独占資本主義の危機的様相を緩和することはできない。

来年度予算案の性格

 このような中で決定された四十八年度予算は、 従来以上のインフレ大型予算である。それは二兆八千億の国債・政府保障債発行を計上し、公共事業費・財政投融資の增大など、独占体への「くれてやり」予算の色を濃くしている。また、所得税減税を五〇〇〇億という少額しか行なわず、国鉄、健保の再度の値上げ策動などを企て、そのことによって実質上の增税をはかるものである。この予算には、一兆円近い四次防予算と四、〇〇〇億円にのぼる軍人恩給(それだけが、勤労者の賃金や年金をよそにスライドアップになった。) と八、〇〇〇億円の独占資本への不労所得供与である公債利子支払いが含まれている。 このように予算の軍国主義的性格も弱まっていない。
 そして教育費の伸びは二〇・二%と予算全体の伸び二 四・六% を下まわっている。
 このように、来年度予算案は現在の日本社会の危機を何ら解決しないばかりか、インフレを進め、土地等の投機をさらに活発にし、日本の独占資本家階級の寄生性を強めざるをえない。
 政府と独占首脳部の代表者、マスコミ、御用評論家の一群が口をそろえて高度成長から高福祉への転換だとか、円の切り上げのメリットを消費大衆の利益に還元させるという輸入自由化、関税引き下げ措置とか、切り上げインパクトで産業の成長率を抑制し、輸出第一主義よりも国内市場重視政策への転換などの必要を強調しはじめている。 だが、実際には、そのような恩恵を国民に約束するような実際的措置は何一つとられていない。 その証拠に、 本来国内物価の動向に抑制的効果をもつはずの変動相場制移行下に、卸売物価は着実に騰貴しつつある。 消費者物価の騰貴の主犯である国鉄料金をはじめとする公共料金引き上げの計画は何一つ修正される気配はないし、この問題について政府は、一貫して言及をさけている。 輪入自由化と流通機構の改革には、通産・農林両省のあいだに政策対立をはらむ強硬な抵抗姿勢があり、田中内閣は結局は何ひとつ有効な措置をとる気はなさそうである。

円変動制への移行と田中的危機対応策の破綻

 二月十二日の円変動相場制への移行と円の大幅再切り上げ不可避の情勢は、日本の国家独占的支配層が帝国主義諸国間の通貨、貿易をめぐる激しい闘争において、かってなく孤立におちいり、それにうちかつこともできなかったことを示した。円が変動相場制に追いこまれたことは、田中内閣の無能を内外に暴露した。彼らの「長期的戦略」は、再び根本から瓦壊しつつある。
 田中政権は、成立後一年も経ないうちに、深い動揺と苦悩に見舞われている。これを反映して自民党内の派閥抗争はにわかに激化している。 田中内閣は党内から大きくゆさぶられはじめている。
 このような窮状に立って、彼らは再び新たなマヌーバーに出ようとしている。それは、スミソニアン・ ショック後にも彼らが国民に約束しながら、それに何一つ手をうちえないでいた「福祉主義」への政策転換に本格的に取り組むかのごとき政策路線の宣伝である。
 しかし事実はこれに反して独占資本による動労人民と中小企業へのしわよせの試みが不可避であることを示している。勤労人民に対しては、すでにインフレ・ 大衆収奪強化・ 労働強化という形、での攻撃がかけられているが、それはさらに強化されるだろう。中小企業に対しては、救済融資という形をとって、低生産性部門の整理統合が実施されようとしている。 独占資本は、いままで自らが独占的超過利潤取得のために必要とし温存してきた二重構造を、解消するのではなく、新たに再編合理化し、独占利潤にさらに奉仕する新しい形の二重構造を創り上げようとしている。 中小企業者をめぐる矛盾が深まっている。 独占資本間においても、このような資本の集中の波は、すでに太陽銀行と神戸銀行の合併発表にみられるように新たな局面を迎えつつある。
 今度の円切り上げにおいて、前回以上に中小企業の整理・陶汰合理化が強行され、結局は切り上げの全犠牲が労働者、広範な勤労大衆の上に転嫁されようとするであろうことはまちがいない。 さらに、円切り上げとアメリカからの輸入自由化圧力は、日本農業を破綻の危機に追いこんでいる。 一方、政府はすぐに独占体への救済策を検討しはじめている。
 来年度予算の更なる大型化を検討しているといわれ、その場合には、予算の独占本位、インフレ的性格はさらに強まるだろう。巨大独占体とそのデベロツパ -の利益に直接に奉仕する「列島改造計画」は、切り上げ不況回避の財政措置として依然強行されるであろう。この点では田中ブルドーザーの走行方向は、何ら変更されてはいない。 しかし、このような独占体への「くれてやり」予算は、独占体が経済の先行きに不安を感じ、インフレーションを予定し、自已の手に入ってくる資金、利潤をますます土地・ 株式・重要物資・生活必需品 (大豆など) などの換物投機にまわす傾向を培大させている現在、その傾向を助長するのみである。
 政府の公共投資は、公式に見積られた数字でも、その資金の四分の一が土地取得資金にとられ、その効果を半減している。こうして財政資金は、独占資本と大地主(その多くは独占資本家)のふところに流れこみ、彼らの私腹をこやし、投機資金を供給するパイプの一つとなってしまっている。
 このように田中の危機対応策は、今や完全に破綻にひんしている。田中の国家独占資本主義的延命策は、インフレーションをさらに進行させ、階級矛盾を激化させて、危機をさらに深化させている。日本においても、国家独占資本主義の危機がはじまっている。
 このような日本独占資本あげての一大買い占め投機、物価つり上げ、生産的投資の抑制の嵐に対して、銀行・商社の国有化・土地所有の国家統制を対置すべきであろう。

二、 階級闘争高揚の不可避性とその課題

 戦後の急速な資本蓄積は、他面で労働者階級の数とその社会的比重を激增させた。 政府統計(「労働統計要覧」)による「雇用者数は一九五五年の千八百万人から一九七〇年には三千四万人. に増加した。労働者階級は数の上からは最大の社会勢力に成長した。さらに高度成長による生産力の発展は、技術者・研究者・事務員などを大量に生み出し、今まで支配層に近い特権的存在であった彼らの地位を一般の労働者に近づけた。これらのことは、日本の労働者階級の政治的力の増大への有利な条件となっている。
 労働者階級の数的拡大は、主として、さまざまな小ブルジョア諸層とりわけ小経営を営なむ農民の没落の結果である。このことは、労働者階級の意識の中に、不可避的に、小ブルジョア的世界観’ 気分を持ち込むことになった。 この意識は、独占資本による労働者上層と労働組合幹部の一部分の買収・QC・ZD運動などの労務管理やマスコミを通じた労資協調イデオロギーの宣伝などによって強化された。この意識面での資本攻勢は、資本の側からの労働強化・合理化・安全保安支出の削減などと併行して行なわれた。
 これに対し日本の労働運動は、 労働組合が産業別ではなく企業別に組纖されているという弱点、したがって賃金闘争や反合理化闘争その他も個別企業の枠を出ることが非常に困難であるという弱さを持っていた。このことは、日本労働者階級の階級意識・政治意識の発展を阻害するとともに、このような資本攻勢に充分反撃できず、労働組合の分裂・御用組合化・ 労働者階級の力の分断化弱体化を招いた。
 これと併行して独占資本は、社外工、下請工、臨時工、パートタイマーなどの形態での差別的分断を労働者階級の中に持ち込んだ。 彼らはその企業の本工労働者と同じ職場で労働しながらもその企業の労働組合からも疎外され、日本の最も低賃金層の一部を構成している。 こうして彼らの存在は、日本全体の低賃金・ 低福祉・ 高搾取の構造を支える一つの重要な支柱となっている。このような差別的雇用構造は日本における多くの差別意識の源泉の一つとなっている。日本の労働運動はこれらの未組織の差別された労働者層をほとんど組織しえていない。
 以上のような労働運動の状況の中で、一九六〇年代末からの急速な社会矛盾の激化・ 国家独占資本主義の危機が始まったのである。すでに労働分配率は一九五五年の三七・ 七%から一九七〇年には三三・四%に下落していたが(通産省「工業統計」)、これに加えて、急速なインフレーション、公害、「モーレツ」社員などによくあらわされたひどい労働強化・一時間に一人の割合で労働者の生命を奪っている恐るべき労働災害、住宅事情の極度の悪化なとによって、労働者階級と勤労諸層の生活条件は悪化している。そしてその速度は加速化してきている。
 他方、独占資本はこのような勤労人民の犠牲の上にさらに私腹をこやしている。今三月期決算では各企業は軒並み大幅な増益となっている。しかも、独占資本は、深まった社会矛盾を解決しようとしないばかりか、自己の利潤をさらにふやし、支配を延命強化するために、依然として国家による赤字財政・ 独占資本への低利融資=財政投融資の拡大と日銀信用の膨脹、 独占資本の価格つり上げを正当化するための公共料金の値上げ、四次防による軍事力強化、労働連動の弾圧と買収・ 民主的諸権利への攻撃を行っている。
 国民諸層の不満はうつ積している。 労働者階級と動労諸層の闘うエネルギーは蓄積されている。勤労諸層の抵抗の波が高まりつつある。円大幅再切り上げの中でその犠牲転嫁に対し先制的に起ち上った春闘での一大共同闘争、春闘への同盟の初めての参加、公務員・公共企業労働者のストライキ権奪還闘争の高揚、昨年の全日本海員組合の90日に及ぶ大ストライキ、国労動労の一大順法闘争、いたるところで展開されはじめた広範な住民の反公害闘争、 コンビナート・ 高速道路・ 空港・ 新幹線公害への直接行動の展開、反投機・物価つり上げ反対闘争の広がり、一連の公害裁判での勝利、などはその現れである。 また最近の労働戦線統一の一連の動きは、右翼的再編策動を突き破る下部労働者からの統一への自然発生的な突き上げの強さを示している。これらの諸闘争は、さらに大規模なさらに広範な階級闘争の前ぶれである。以上の日本における階級勢力関係変化の条件は、 田中内閣の危機対応策が結局のところ社会的・階級的諸矛盾の緩和に何の効果も持たなかったばかりか逆にそれらの諸矛盾を急速に深化させたし、いまも深化させていることの証明である。
 現在、国民的な指導階級としての労働者階級にとって第一に要請されていることは、広範な闘うエネルギーを生産現場から広範に統一して組織するとともに、個々の闘争を独占資本を包囲する一大反独占闘争に転化させること、ゼネラルストライキなどの金国民的統一行動で独占資本に労働者側の反独占的政策を実現させる政治的・ 経済的圧力をかけてゆくことである。
 諸事実が示しているように、議会内への大量の進出にもかかわらず目本労働者階級の前衛政党が、このような原則的立場に立って労働者階級と反独占諸勢力を真の政治的社会的力として組織してはいない。 ・
 したがって日本の階級闘争の現段階の主要な特徴は、労働者階級と勤労諸層の生活条件が悪化し、 彼らの闘うエネルギーが増大し、個々の分野地域で自然発生的な闘争がまきおこり、彼らの自民党長期独裁に対する失望が広がり、政治的意識・敏感さが高まり、不満が爆発に近づいているにもかかわらず、労働者階級と勤労諸層がその困難と抑圧の真の根源=独占資本の・搾取と寡頭支配全体に対する意識的で系統的な闘争に組織されるのが非常に遅れている段階、政治的危機への可燃物が自然発性的かつ急速に形成されつつあるにもかかわらず、 労働者階級と反独占諸層の明確な意識性と組織性がそれに遅れている段階である。
 昨年十二月の衆院選挙の結果は、このような政治的経済的情勢を一定限度反映しているものであり、その根底にあるのは全体としての人民の意識の左への転換である。選挙での社共の前進は、それ自体として国会内での自民党の専制的な議会連営を制限し、院外での広範な大衆闘争と結合される場合には、国民の反独占的意志を議会に反映させる上での有利な条件ともなりうるものである。社公民による野党の「右翼的」再編は民社党の没落と公明党の後退によって打ち砕かれたかにみえる。 社会党内部では、左派=協会派が進出し、党内の分岐が広がらざるを得ぬ形勢である。
 目本共産党=代々木派の「躍進」は、主としては、今まで政治的に無関心であった中小企業者・商業者等の小プルジョア層の一部をとらえている最近の危機感、そして家庭婦人、学生層、その他未組織の大衆の生活条件の極端な悪化などの生み出した不満と現体制の反感、変革への期待によるものであるといえよう。 彼らは、組織された階級闘争の経験を持たず、近年の社会矛盾の激化・ニクソン・ショック・ドル危機の影響、独占資本によるその犠牲の転嫁を経験したことによって、現状に対して急激に不満をつのらせるに到った諸層である。いままで遅れた意識を持っていた彼らが、一時的に、日本共産党宮本指導部の大衆追随主義・議会改良主義、反米反ソ民族主義に期待と幻想をもったとしても不思議ではない。日本共産党=代々木派は、抽象的に反大資本・反自民・安保破棄(反米) ・自主独立といったスローガンを唱えるのみで、積極的な反独占闘争の政策を提出しなかったし今もしていない。こうして彼らは、一般的な不満を票に組纖しようとしたといえる。しかし、さらなる日本資本主義の諸矛盾の先鋭化は、大衆自身が、日本共産党宮本指導部の右翼日和見主義、議会改良主義を乗り越えて進む条件を成熟させつつある。
 日本階級闘争の爆発的高揚・政治危機の爆発は不可避である。このことは、日本独占資本に非常な危機感を与えている。 政府は、下からの反独占民主主義に対し、上からの表面的改良と大衆収奪強化を対置している。 それは大衆運動の圧力が弱いかぎりにおいてのみマヌーバーにとどまりうるであろう。
 政府は、今年度税制改正に明らかに見られるように、小ブルジョア層をなんとか独占の側か改良主義にとどめておくことに腐心している。
 来たるべき階級闘争の爆発・ 政治危機において、改良主義に対し、反独占民主主義を闘いとることーこれが日本の労働者階級と反独占諸勢力の任務である。その時われわれは、自己の戦線において労働者階級に連帯しこの任務の遂行に全力をつくすだろう。

三 、 日米間矛盾の深化と平和共存外交への転換の展望

 ベトナム和平の成立、全欧安保準備会議の開催など、全世界の平和共存は確実に前進している。これにもかかわらず、田中政権は、日米安保条約の長期に亘る堅持、事前協議事項の従来通りの運用、ニクソン・ドクトリンに基づく在日米軍の再編統合、さらに、新たな日本″防衛分担金″の引き受け、安保運営の円滑化をはかるための日米制服軍人参加の″安保条約運用協議会″の新設など日米共同の反ソ反民族解放の軍事体制を露骨に強化している。ベトナム和平という新たな力関係の下で、日本は、日米安保を強化すると共に、アメリカと共同して、中国、 ASEAN諸国、オーストラリアを巻き込んで「アジア太平洋諸国会議」という反ソ的性格の強い軍事ブロックを作りあげようとしている。このことは、 日本のこの地域への資本輸出が急速な伸びを示していることと対応している。こうして日本の帝国主義者は、ソ連の提唱しているアジア集団安保構想に反対している。アジア集団安保は、’アジアにおけるソ連と社会主義諸国の影響力を強め、従って、帝国主義諸国の政治的、軍事的支配を弱体化し、その地域における搾取の基盤を堀り崩し、ひいては、目本独自の経済的、政治的支配機構の創出をめざすアジア太平、洋圈の確立一新植民地主義的覇権を実現しようとする日本帝国主義の長期的意図を貫徹し得なくするからである。
 しかし、このような田中の戦略は矛盾に満ちたものである。
 まず第一に、日米の帝国主義間矛盾の激化が、たえず日米軍事同盟の土台を堀り崩している。戦後、日本の帝国主義者は、アメリカの極東における侵略戦争政策と結びつき、 それを利用しつつ自己の経済力を強化し、対外膨脹をとげることを基本的戦略としてきた。これによって、日本資本主義は、アメリカの技術導入を原動力の一つとして急速な高度成長をとげた。 高まった生産力に対応して、日本商品は急速に世界市場に進出した。資本輸出も一九六〇年代後半から非常なテンポで増大した。こうして日本の市場分割をめぐる闘争は、急激に先鋭化した。現在、その主要な戦場は、通貨決済関係の分野と、米国市場・東南アジア市場をめぐる貿易の分野である。国際通貨危機の状態の中で、米側の加徴金課税の動き、新貿易法案の議会提出など、日米間の闘争は急速に先鋭化している。このことは、現在の世界的力関係の下では、日本を他の帝国主義国との対抗上、ソ連邦を中心とする社会主義体制との接近に追いやらざるをえない。この傾向は、これを避けようとする帝国主義者の意図にもかかわらず、最近のチュメニ・ ヤクート開発をめぐる日本支配層の矛盾した動きとなってあらわれている。 日米の帝国主義間矛盾を評価せず、日米の侵略的軍事同’ 盟を日米連命共同体として見る理論は事実によって否定されている。
 第二に、ベトナム戦争における社会主義体制に全面に支援され解放勢力側の勝利は、アジア各国の中立化反帝国主義的傾向を更に増大させ、そのことによって、アジアにおける日米軍事同盟を主軸とした帝国主義軍事戦略をますます孤立させざるをえない。ベトナム戦争と関連したアメリカの東南アジア地域でのドル撤布=ベトナム特需ブームは過去のものとなりつつある。 日本は、往時のアメリカの新植民地主義的「援助」にとってかわる「援助」を行なう経済力、金融力をまだ持つていない。このような全般的危機の現段階における世界的力関係の下では、 日本が東南アジアでの独白の政治軍事支配機構をもったいわゆる自立した帝国主義に至る可能性を世界の反帝国主義勢力によって、強固に否定されている。
 日本の軍事力強化、対外膨脹政策は、日本帝国主義者の危険な意図を示していると同時に深刻な矛盾に直面している。われわれはこのような明確な展望の上に立って、日本の軍国主義強化、対外膨脹政策に対し、ソ連邦を中心とする社会主義諸国との平和共存、目ソ平和条約の締結、安保条約廃棄、アジア集団安保への参加、対社会主義経済交流による、貿易の対米依存からの離脱を反帝平和勢力の対案として、高く掲げ、更に、平和闘争を前進させてゆく必要がある。

四、政府・ 独占の大学政策と学生運動の任務

—-政府・ 独占の大学政策の特徴—-(中教審答申批判)

 中教審答申は、その前文で答申が「戦後の学制改革以後20年の実績を反省するとともに、技術革新の急速な進展と国内的にも国際的にも急激な変動が予想される今後の時代における教育のあり方を展望し、 長期の見通しに立った基本的な文教施策」であり「国家、社会の未来をかけた第3の教育改革に真剣に取り組むべき時であると思われる」としている。
 政府・文部省は戦後、教育委員会の任命制移行から始まって勤務評定の強行的実施、学習指導要網の改悪、種々の反動立法、文部省令、大学に対する官僚支配の強化、等々、一貫して戦後民主教育に対する破壊活動を強化して来たが、それは、全体としては現行制度の枠内での民主的諸権利の剥奪、統制強化であり、科学技術革命の進展、後期中等教育、高等教育の急激な普及という過程に対しては、工業高等専門学校の設置があったものの総じて明確な方針をもたない場当たり的な性格が色濃いものであった。その意味で「第3の教育改革」を唱える中教審答申は、″体系的″な構想の下、教育制度の全面的な改革を目指したものであり、政府・文部省の今後の教育政策を規定するものである。

独占資本のための大学改革

 答申は、第3章「高等教育の改革に関する基本構想」で、この構想の意義について「大学に対しては、人間性の尊厳に根ざした豊かな教養をつちかい、高度の知識、技術を身につけた人材を育成して国家社会の発展と人類の福祉に貢献することが要請され、さらに今日では、国民的、時代的な要請から、より多様な教育的機能が期待されている。 –複雑高度化した時代社会に応する新しい制度的なくふうが必要である。・・・大学は、進んで歴史的、社会的な現実に直面し、そこから研究と教育を発展させる創造的な契機をくみとることが出来るような社会との新しい関係を作ることによって、 その社会的役割をじゆうぶんに果たすことに努めるべきであろう。」としている。
 しかし、答申が発表された時の日経連、有田一寿教育特別委員長の「おかげさまで。 意見は九分通り反映されました。」との言葉こそ答申の基本的性格一誰のための改革か-を如実に示すものである。
 日経連は69年2月「直面する大学問題に関する基本的見解」を明らかにしている。「″教育の爆発時代″と呼ばれる時代、・・・人材の育成、陶冶の問題について、すぐれた方策をもちうるか否かは、ひいては、その国の国際場裡での命運を決する要素ともなるものと考えられる・・・思うに、最近における激動する経済社会情勢、頻発する大学論争など、教育問題の基本的なあり方をゆるがすような危機的情勢のもとでは、産業界としては従来よりもさらに緊迫した間題意識のもとにこの問題にとり組んでいく必要がある。」
 独占資本が、大学のあり方一何がどのように研究され、いかなる教育が行なわれるのかーに格別な関心を寄せていることは明らかである。日経連は、「大学の基本間題のあり方」(同上) として以下の提案をしている。
(一)社会的要請に応える目的、性格に応じた多様化。 その際、高度な学術研究に主体をおくもの(大学院大学)、職業専門教育に重点を置くもの(大学学部、単科大学)、一般教養の修得に主眼とするもの(短期大学)、教員養成、芸術その他の特殊教育を行うもの等が必要。 各種の高等専門学校を新・ 増設して実務的な高等職業教育部門の充実。
(二)カリキュラムは、画一化された教養課程は廃止し、専門教育、徳性の涵養に重点を置く。
(三)産学協同に関しては、相互の立場を尊重した上での協力関係がうちたてられるべきである。 研究開発対象が大規模化する現状にかんがみ、共同研究および重点研究を可能とならしめるために、大学相互間、大学、産業界、政府の提携と組織化が図られるようにすべきである。 さらに産学協同を通じて大学と産業界・ 企業との人的交流の促進。
(四) 大学の管理運営の充実強化、その場合、企業の管理組織策が参考にされるべきである。 教授会中心の方法を改め、副学長制を採用。
(五) 学生参加は、懇談会等での意見交換で行うことは認められよう。
(六)国立大学に対する国の監督、指導、助言の権限強化と、私学への財政援助。
 日経連「産学関係に関する産業界の基本認識及び提言」 (69・12)「教育の基本問題に対する産業界の見解」(69・9)、経済同友会「高次福祉社会のための商業教育制度」(69・7)も同様の″提言〟を行なっている。
 中教審答申は、こうした独占資本の要請に応えたものであり、それは、今日の生産力の急速な発展、科学の直接的な生産力への転化、労働の性質の変化と結びついた大学の社会的機能の著しい変化に対する国家独占資本主義的解決を目指したものである。
 かって科学と生産との結びつきは間接的であったが、今日、科学は直接的な生産力に転化した。 生産力の巨大の発展と科学・技術革命の進展は、科学的知識や発明が極めて短期間に実用化されうることを可能にしている。
 独占資本にとって基礎理論の分野も含め、科学・技術の成果を利用することが、その地位の維持と強化のための不可欠の条件となっている。 かかる欲求は、学間領域、研究テーマを独占資本の戦略に従属させる試みとして具体化している。
 同時に、生産工程の機械化、自動化による労働の性質の変化の中で、 独占資本は多様な労働力を求めている。
 世界市場での帝国主義諸国間の競争の激化、本格的な貿易戦争への突入は、目本独占資本のかかる欲求に一層拍車をかけている。 こうして日本独占資本の政策担当者達は、現在の大学が非能率的で彼らの欲求に全く不十分にしか応えていないこと、″学生紛争″が絶えないことに不満を表明し、高等教育制度の多様化と従来の間按的統治方式に代わって管理運営への直接参加を要求しているのである。 (独占資本がこうした研究・ 労働力養成を自らの支出で行なわないのは、 研究教育が直接利潤を生み出さないこと、また研究規模の巨大化によるリスクの増大等のためである)
 「第三の教育改革」の目指す大学改革がもたらすものは、独占資本に全く私物化された大学に他ならない。

多様化と教育・ 研究の分離

 答申は、「高等教育の大衆化と学術研究の高度化の要請」による研究と教育の分離を提案しているが、 この二つは密接に関連したものである。

㈠  第一種の高等教育機関(仮称「大学」)
  (A)総合領域型 (B)専門体系型 (C)目的専修型
㈡ 第二種の高等教育機関(仮称「短期大学」)
  (A)教養型 (B)職業型
㈢ 第三種の高等教育機関(仮称「高等専門学校」)※現在の高専にあたるもの
㈣ 第四種の高等教育機関(仮称「大学院」)
㈤ 第五種の高等教育機関(仮称「研究院」)
 この五種八類への多様化は、大学が本来備えるべき教育・研究機能を断片化し、独占資本が要求する科学研究、技術開発を行う「研究院」、高級技術者、管理職人材の養成を行う「大学院」、中級技術者養成の「高専」「大学」、事務労働者養成の「大学」等、資本の盲目的な運動による多様な要求に従い大学を差別的に再編成しようとするものである。
 このことは、「教育組纖と研究組織の機能的な分離」に関する答申の構想を見れば一層はっきりする。 「高等教育機関における教員の数育と研究の活動の調和をはかるため、すべての高等教育機関の教員組織は、まず、学生の教育を実施するための組纖として整備されなければならない。 同時にすべての教員に対し.ては、その高等教育機関の性格目的にふさわしい研究の環境が整備されるべきである。 この場合、第四種および第五種の高等教育機関(「大学院」「研究院」)では、教育上の組纖と研究上の組纖を区別して、それぞれ合理的に編成されることが望ましい。 それによって、教員の任務が具体的な場面に即して明確にされ、教育と研究のそれぞれに応じた協力体制が確立される必要がある。」すなわち第四種・ 第五種の高等教育機関と第一種・第二種・第三種の高等教育機関とを明確に区別し、後者を研究機能をもたず、もはや大学と呼べないーー今日でもそうした大学は存在しているがーー人材養成機関と位置付けているのである。「その高等教育機関の目的・ 性格にふさわしい研究の環境が整備されるべきである。」とは、結局、その教員がやりたければ勝手に研究すればよいが、そのための組織的、物質的保障は一切しないということに他ならない。 「もとよりこのことは、その他の高等教育機関においては研究が行なわれないという意味ではなく、あらゆる高等教育機関において、 個々の教員が教育と研究の両面に従事すべきものであることはいうまでもない。」(第一項「高等教育多様化)との言訳(まさに言訳である!)は、先の評価が間違っていないことを裏書きしている。
 ただ答申が現在の学部・ 学科別では「教員相互の連携協力が不完全となり、教育課程の適切な編成とその効果的な実施について、総合的な力を発揮することが困難であった」として提案している教育組織の整備に対し、現状を支持する立場から反対することは間違いである。 教官の教育組織の整備とその下での科学的教育方針に基づく教育を要求することは大学改革の重要な課題である。
 こうした大学の研究・ 教育機能の断片化は、一般教育の排除と結びついている。
 「第一種および第二種の高等教育機関(「大学」「短期大学」) における教育課題は、 その目的・ 性格に即して総合的な専門教育または特殊な専門教育を行なうにふさわしく編成されなければならない。」として実質的に一般教育を排除している。これは、大学を自らに都合のよい労働力養成機関と見なしている独占資本にとって、学生に現代社会の諸矛盾の科学的な把握、個別科学の持つ社会的意義等を明らかにすることを任務とする一般教育が不必要、不利益なものとなっているためである。「戦後教育の理想の一つであった大学に於ける一般教育も現実には形骸化しており、大学の機能と目的を混乱させている。」(経済同友会)
 しかし、学生は、公害間題、都市問題等、激化する社会矛盾に対し、積極的・進歩的役割を果たさないばかりか、犯罪的役割さえ果たしていることを告発し、増々大学における研究・ 教育の社会的意義を問題にしている。 かかる学生の積極性に依拠し、一般教育の実現をかちとることが重要である。

管理連営の「合理化」

 「七高第教育機関の規模と管理一連営体制の合理化」は、答申の構想の中でも最も重要な位置を占めるものであり、今後の大学のあり方を大きく左右する内容を含んでいる。
 「教務・財務・人事・学生指導などの全学的な重要事項については、学長・ 副学長を中心とする中枢的な管理機関による計画・調整評価の機能を重視するように改善を加える必要がある。 また、そのための適当な機関に学外有識者を加えたたり・・・」これは、大学で現実に教育・研究を担っている人々から管理権を違ざけ、独占資本の大学私物化に対する批判を封じ込めようとするものである。「教員の選考や業積評価については学外の専門家の参与を求め」ていることは、教員に対する労務管理を意図したものであり、それは「企業の管理等が参考にされるべきである」(日経連)との独占資本の要求を忠実に反映している。 これが答申のいう「社会(独占資本と読め!)との新しい関係」である。管理の学長・副学長への集中と学外者(財界と御用学者)の参与の本質は、大学が大衆化し、ーー今日、学生の圧倒的多数は動労人民の子弟であり、卒業後も動労人民になる。 また教官の社会的地位も動労人民と変わらないものになっている。ーーその社会的地位が勤労人民の側に接近せざるを得ないという事態に直面し、 独占資本が大学を外から管理、支配せんとしている所にある。(勿論、大学構成員の圧倒的多数を資本の意志に従がわせようとするこうした試みは、長期的に見れば成功の見通しを持つていない。 答申が「急速に変動する社会は、高等教育の改革をいつまでも猶予することを許さない。 したがって、政府は法制の整備の時期、政策優先度などを考盧して、段階的に目標年次を定め、できるだけすみやかに高等教育の改革を実現しなければならない」と述べている様に、この攻撃は、当面の大学のあり方一独占に奉仕する大学か、動労人民に奉仕する大学か-に重大な影響を及ぼすものであり、政府・ 独占の攻撃の中心がこの点にあることを見なければならない。
 答中は、管理運営の合理化に関連し、長期的な方向として国公立大の設置形態の変更を打ち出している。 それは「(1)現行の設置形態を改め、一定額の公費の援助を受けて自主的に運営し、それに伴う責任を直接負担する公的な性格をもつ新しい形態の法人とする。 (2)大学の管理連営の責任体制を確立するとともに、設置者との関係を明確化するため、大学の管理組繊に抜本的な改善を加える。」答申は、このいづれかの方式をとることによって大学は「真に自律性と自己責任をもって管理運営されるようになる」としているが両者に共通していることは、理事会制度を導入し、先に見た参与から更に進んで独占資本の直面的な参加を保障せんとしている点である。

教育の機会と教育条件の保障

 今日、相次ぐ学費値上げにより教育の機会均等は著しく破壊されており、また教育条件も悪化の一途をたどり、私学に於いては危機的な状況にある。答申には、かかる大学の危機を根本的に改善する計画は全く含まれていない。
 答申の行っている試算によれば、 昭和四十六年度から五十五年度までの十年間に学生数に約一・四倍になるが、その間学生の負担増は、国立で五・三倍、私学で二・五倍であり、また教育条件の重要なメルクマールである学生一人当たりの教官数(講師以上) も〇・〇三七人から〇・〇三五人へと低下する。尚、教育投資の対GNP比も四・五四%から四・四七%へと低下する(OECD教育調査団さえ「日本はGNPの伸びが予想されているにもかかわらず教育支出の対GNP比は五~六%をこえそうにない。 他国では経済発展につれてGNP中の教育費が上昇するのが普通」と″批判〟している。)
答申が予定している施策は、公的性格を著しく高めている高等教育需要の増大に対しては、教育と利潤追求の対象とする私学資本にまかせるという政府・独占の伝統的な政策を承認継続しょうとしている。 独占が重要だと判断する分野への重点投資と受益者負担、これが財政援助の原則となっている。
勿論、答申も「今日および今後の社会において充実した商業教育機関の設置経営には、国費の援助が不可欠であること」を認めているが「このような財政援助に関しては、あくまで国の主体的な立場が保持され、その効果について厳正な評価が行なわれるべきであることを条件とすべきである。」との立場をとっている。この政策の核心は、一方では大学の危機が進行し、重大な社会間題となっている現在、政府・文部省の責任問題に発展するのを避けようとする″必要性〟からであり、他方では、そのことによって依然として高等教育を私的資本にゆだね、本質的な責任を回避しようとするものである。また、助成金の交付に際し、基準の厳格化を強調しているが、これは、今回の事態を招いた政府・ 文部省の責任を不問にしたまま、一定の私学のスクラップ化を強行しようとするものである。
 この文教予算をめくる問題は、大学の大衆化と生産力の発展に占める高等教育の意義の増大により、その社会的比重を著しく高めている大学の費用を誰がどのように負担すべきかという問題であり、言葉をかえて言うならば、国家独占資本主義下の重要な階級闘争の分野となっている国家的所有と国家予算の配分をめぐる闘いである。 私学の国有化、文教予算の大幅増額は、大学の危機克服の基本的課題である。

中教審答申の矛盾

 中教審答申の大学改革は、果たして「学生騒動は世界共通の現象であるが、これを早く解決して青年のエネルギーを建設的目標(ーー独占資本により従順に奉仕することに他ならない) に向けること」を実現するであろうか。これは、現実の一側面独占資本の願望を反映したものではない。 中教審の目指す大学改革は、今日、科学技術革命がもたらしている巨大な可能性を社会全体のために利用するのかそれとも独占資本が占有するのかという社会の本質的な矛盾を内蔵せざるを得ない。一方で独占資本が科学・ 技術革命の成果を占有し、繁栄していること、他方で公害等に象徴的に示されているように勤労人民が生命までも脅かされる事態に直面していること-かかる現実は、 現実に教育研究を担つている若手教官・学生をして誰のための研究教育かという教官・学生にとって本質的な問題に直面させている。「豊かな人間性を培うための教養」教育や教官に対する労務管理でこの問題を解決することは出来ない。 また学問領域、テーマを独占資本の戦略に従属させようとする試みは、学問の奇型的発展を意味するものであり、 その教育は能力のスクラップ化をもたらさざるを得ない。
 独占資本の意志を実現する統制強化(学長・副学長・参与会への権力集中)は、必ずや学生若手教官の一層広範かつ深刻な大学改革闘争をもたらすであろう。

 

<国家独占資本主義段階における学生層と学生運動>

一、国独資下における大学の位置の変化と学生層

大学の位置の変化

 進行する学生運動の国際的高揚は、世界資本主義の内部に生じている資本主義そのものの矛盾に起因している。封建主義社会および資本主義の初期の教育が、ただ人間にとって教養と知的要求を満足させるものであるという色彩が極めて濃かったのに対し、現在の国家独占資本主義の下では資本主義の再生産過程にとって欠くことの一できないものへと変化している。
 一八世紀に発生した大学の自治は、学問研究が、人類の普遍的発展にとって欠くべからざるものであるとの認識から出発したもであった。それゆえ、当時の封建権力からの相対的独自性を求めたのある。封建社会の支配的イデオロギーであったキリスト教教会権力により、科学としての学問研究が弾圧を受けた上昇期ブルジョアジーの学問研究の自由を守り、貫ぬくという意味での、権力よりの相対的独自性という内容が、現在にまで至る大学の自治、学問の自由を基礎づけるものであり、この時期に大学の自治の概念が確立されたと言えよう。 当時のプルジョァジーは旧封建権力に対し、その内部で反封建権力闘争を展開し、第三階級を代表する、人類の利益の代表者たりえた。また、かれらは、科学と学間研究の普遍性、人類性を最も擁護発展させ得る階級であった。ブルジョア民主義革命の各国における成立の中で自らが権力をにぎった上昇期ブルジョアジーも、資本主義の自由競争のうちは、その革命的内容を失ってはいかなかった。しかし資本主義の発展の中で除々に、その進歩的階級としての役割を失っていく。にもかかわらず学問の自由、大学の自治は資本主義が帝国主義段階に至るまで守られて来た。しかし、それは大学の存在条件がはっきりとブルジョアジー内部の機関としての役割を果たしていた範囲においてであった。この自治は、先進的、革命期プルジョァジーの「アカデミックフリーダム」であり、大学そのものが果す役割が、生産に対して直接的には無関係であるがゆえに許されるものであった。また、それゆえに学問研究および教育は社会とは独自的に、自由に発展する一定の基盤も与えられていたのである。
 しかし、資本主義の生産力の発展と生産様式の変化は、ブルジョアジーを労働者階級に対する反動と弾圧の階級に転化させ、その革命性は地に落ち、腐敗と堕落がそれに取ってかわった。とりわけ、国家独占資本主義下の科学技術革命の進行の下では、大学の自治はその「アカデミック=フリーダム」の内容を変化させざるを得なかった。 すでに、その時点で「象牙の塔」の寿命は尽きたのであった。
 資本主義が自由競争期から、独占を主にする独占資本主義に発展し、さらに資本主義の最後の段階、社会主義への直接の入口たる国家独占資本主義に移行するにつれて、社会から大きく切り離された、教授による「学間の自由」に象徴される″大学の自治〟は最早、資本家にとっても、また、労働者、勤労人民にとってもまったく不都合となった。その理由は第一に、生産の担い手が労働者であるのと同様に、科学研究・ 教育担い手が知的労働者にその地立を取ってかわられていることである。すなわち、資本家がこの分野においも完全な寄生的立場に転落したこと、 同時に今日の資本主義の生産力の発展に科学研究と高度な質を持った労働力が不可欠であるという意味で独占資本は大学を私的に占有しようとし、それがゆえに、大学構成員(学生・ 院生・ 教官)と労働者階級は、大学の民主的改革を要求し、独占資本の私的管理にますます反対せざるを得ない。
 大学をめぐる矛盾は、大学の社会的性格の増大により独占資本と労働者階級の矛盾を基礎にした、独占と反独占の闘争を主要にするに至った。その意味で旧来の教官の「学問の自由」に象徴される大学の自治を叫ぶことが一面では″社会から無縁″の自由を言うこととつながる可能性をもっている。 だからこそわれわれは、 大学改革の具体的内容をこの基本矛盾に照応した形で闘争方針に反映させねばならない。
 独占資本にとって、大学の構成員がますます労働者階級の側に、勤労人民の側に接近していることは、危険極まりないもので、労働者階級をはじめ反独占諸階層の闘いのいっそうの前進をもたらすことを、誰よりもよく知るゆえに、その支配を一層強化しようとするのである。 このように、歴史的な大学の自治の機能変化を資本主義の発展のもとに見ることができる。
 その内容を大学の社会的地位の変化から見た場合に、それは最も鮮明にわれわれの前に現われる。大学の機能は資本主義の初期においては生産諸力の発展の外にあった。しかし、国家独占資本主義の下で進行する科学技術革命は大学を生産諸力の発展に直接結びつけた。産業革命に見られた機械化現象の発展は、国家独占資本主義の段階に至ってオートメ化という質的に異なった段階にその形態を変えた。オートメ化は、労働そのものに対し人間の生産過程への働きかけを、今までとは異なって機械に並存するものへと変化させた。この事実は、高度な科学技術水準を持った大量の労働者の生産を決定的に必要とさせた。科学が生産に直接的に影響を与えているので、高等教育が多くの労働者にとって必要となる。 こうして、高度な技術者の大量の必要性、事務員の大幅な拡大を社会に対して満たしうる機能を大学が果たすように変わったのである。国家独占資本主義のもとで、急速に進展した科学技術革命と生産力の急激な拡大は、大学を資本主義の生産関係の不可欠の一部とした。 「ブルジョアジーは生産用具を、したがって生産関係を、 社会的諸関係をたえず変革せずには存在することができない。」(共産党宣言)というマルクスの予見通りに大学すらが資本主義の生産関係の中に巻き込まれたのである。

インテリゲンチヤおよび学生の社会的地位の変化

 戦後日本資本主義の高度経済成長と科学技術革命の急激な進展はインテリゲンテャの地位にも根本的変化をもたらした。
 一方では、科学技術の開発とその生産への適用はインテリゲンチャの知的労働が生産に占める地位を著しく高め、 企業管理の実務はもはや、膨大な賃金労働化されたインテリゲンチャの活動分野となった。
 「だが他方、この様な生産におけるインテリゲンチャの地位の向上は、資本主義の諸条件の下では、実にかれらの社会的地位の低下、かれらからの自由と創意の剥奪、資本の専制への服従の強制をともなうことによって購われたのである。今日、インテリゲンチャの圧倒的部分はもはやエリートでも、『自由人』でもなくなり、資本主義企業とその国家独占的諸部門の無力な雇用従業員として、その地位と待遇はプロレタリアートのそれとほとんどえら主ところがなくなった」 (「知識と労働」創刊号)
 科学技術革命がもたらしたインテリゲンチャの大衆化と社会的地位の変化は、同時に、学生層にも重大な変化をもたらした。 学生層は今日その出身階層を見ても、 その大多数が労働者階級をはじめ反独占諸階層からなっている。 又、学生層はかっての様に「明日のエリート」 ではなくインテリゲンチャの賃金労働化に伴い、「明日の知的労働者」として即ち、「労働力商品再生産過程における社会層」としての性格を一層明瞭に基礎づけられている。 このような現象は客観的には、学生層が全体として反独占の立場にあることを意味しており、このことは、学生層が層として決起しうる一般的可能性を示すものである。

大学の変化にともなう教官層の客観的地位の変化

 このような大学の階級的機能の変化は、 大学教官を資本主義的生産諸力の発展にとって欠くべからざるものとして機能させることにより、教授はかっての「象牙の塔」の塔主ではなく、一介の賃金労働者へと転落した。科学技術革命の進行と発展が、社会的分業を発展させ、労働の協業的性格を拡大するなかでプロレタリアートの構成を大きく変化させた。 大学の教官もその例外ではなく、その階級分化の過程で古典的な意味でのインテリゲンチャーから知的労働者となった。「生産物は一般に個人的生産物に、一つの全体労働者の共同生産物に即ち、 労働対象の取り扱いにより直接に、またはより間接にたずさわる諸成員が一つに結合された労働体の共同生産物に転化される。それゆえ、労働過程そのものが協業的性格をもつにつれて、必然的に生産労働の概念もこの労働の担い手である生産的労働者の概念も拡張される。生産的に労働するためには、もはや自らの手を下すことは必要ではない。全体労働の器官であるだけで、その部分機能のどれか一つを果すだけで充分である」 (資本論)とマルクスが一世紀もまえに述べたことが現実となって進んでいる。
 科学技術革命の進展の中で新たな産業部門の発展は、大学教育をもその一部において包括した。 大量の技術労働者・ 研究者・ 生産過程の管理者など「新中間層」と呼ばれる、実質的な労働者の生産の中で、かってインテリゲンチャであった教官は生産的な労働を行なうようにますます変化している。このような事実に対して、ブルジョア学者や一部「左翼」の側からこの事実をまったく歪曲して宣伝している。それはあたかも大学の教官が未だ特権的な地位にある、との主張である。だがこのような主張は「資本主義は労働者の数をへらし『新中間層』へそれらを流し込んでいる」という資本家の宣伝とその内容を一つにしている。教官の行なう教育労働という非物質生産的な行為ですらが、資本主義の高度な発展のもとでは賃金労働に変化している。六八、六九年に見られた全国学園闘争の高揚の中で成立した「助手共闘」などは、その思想的・政治的傾向は別にして、客観的には自らが大学で果している役割が、賃金労働者であり、資本主義の生産過程にくみこまれ、白由な研究を制限され、低劣な条件の下におかれていることへの″反乱〟であった。このように教官や研究者の地位が低下し、大学の社会的性格が増大している現在、すでに過去のものとなっている全くなにものにも規定されない″恣意的な自由〟を教育研究の国家統制、 資本の支配強化に対置することは全くの誤まりである。 そうではなくて、現在では労働者階級・ 勤労人民の利益を守り発展させることと結びついた民主的権利としての研究・教育の自由を要求しなければならない。また進行する労働者の増加傾向、すなわち新たな労働者部隊の登場を反動的であるときめつけるのは正しくない。
 先述したように、いわゆる「大学の自治、教授会の自治を守り抜こう」という小ブルジョア的、保守的対応は、それがすでに全人類的な要求を代表していないという意味において実現不可能である。古くさい″学問の自由〟に象徴される「大学の自治」を資本家の側から与えてもらおうとすることは、実は、現在の力関係(独占資本と個々の教官の間の力関係)の下では、独占資本の私的利潤追求に屈服することを意味している。 そうではなく、大学教官は労働者階級の一構成者として自覚し、科学と民主主義、社会進歩の立場にたち、″労働者の教育をうける勝利〟に貫ぬかれた大学の民主的改革を学生及び、広範な学内外の労働者階級・動労人民とともに闘いとるような運動を組織することこそがかれらに要求されているし、それは最も重要な貢献となるであろう。
 大学の民主的改革のための闘いの主力部隊は、すでに教官や学生だけでなく、勤労者の″生活権の一部〟とも言うべき、教育を受ける権利や研究成果の社会的進歩への還元、経済生活の擁護’ 拡大を代表する労働者階級を主力とした反独占勢力全体の部隊であろう。だが疑いもなく科学技術革命の発展のもとでの大学教官の地位の低下は、教官と広範な層との連帯の基盤を創造したのだった。かかる方向の徹底と拡大こそが全世界に発生している大学闘争の勝利を確保する基本的な条伴をなすものなのである。

大学の変化にともなう学生の変化と現在の特徴

 科学技術革命の資本主義に課した影響を大学の構成員すべてが受けている時、その大部分が資本主義の矛盾を鋭く感じたことは明らかである。 大学の大衆化は、マスプロ化された巨大な学群を創出する。その大学において教育を受ける学生は、この二十五年間、日本においては膨大な数にふくれあがった。 一九五〇年に二十四万であった学生数は、現在一八〇万人に増加している。この量的な変化は、ただ単に量的な変化としてだけ現われているのではなく、質的変化を伴って現われているのである。 学生層の客観的な社会に占める地位も、この数年間に大きく変化したのであった。学生層は、以前には「象牙の塔」と呼ばれるアカデミックな大学で、知的要求を満足させ、教養を身につけ、いわば将来を特権的エリートとして予定されていた。 この少数エリートが全体として社会の中で果した役割は、 はっきりと高級官僚かあるいは、小ブルジョア、ブルジョアジーの道をひた走りに走る資本の側に立ったインテリゲンチャとしての役割であった。 それは、大学のそのものが、支配的階級であったブルジョアジーのための教養を豊かにする場、 知的要求を満足させるものであったことに対応したものである。その構成に関しても圧倒的にプルジョァ階級の子弟が多く、社会の生産諸力の発展とは客観的に無関係に近いものとして存在したことからも知ることができる。
 たとえば、東大、早大などの戦前からの学生連動、あるいは、戦後の初期の全学連連動などは、 その内容においてインテリゲンチャの政治・ 経済闘争の範囲をこしえてはいない。日本共産党の創立に大きく貢献した東大「新人会」、早大「文化会」などの運動は、 はっきりと革命的インテリゲンチャの連動としてあった。約五十年前の「学生連合会」の組纖内容もその域を出るものでなかった。 われわれはその果した革命的な伝統を否定するものでなく、むしろそれを引き継ぐものであるが、その歴史的な制約は否定することができない。 戦後の「反ファツシズム」の闘いの教訓から生じたあの「全学連」もインテリゲンチャとしての領域を出ることができなかった。「平和と民主主義」の意識に依拠した「全学連」運動は、学生運動の歴史の中に革命的伝統を残した。だが、その闘いの歴史的位置からいうならば、それは、インテリゲンチャのもつ正義感の運動の領域を突破することはできなかつたのである。このように戦前、あるいは、戦後の一時期における学生層の運動は現在とは質的に異なったものであり、当時の学生が、戦後民主教育の影響によって学生数を急増させたにもかかわらず、その出身階層は資本主義社会における特権的階層の子弟がほとんどであり、その将来をエリートとして予定されたインテリゲンチャとして位置づけられる。
 しかし、現在の学生層は、かっての学生とは質的に異なった性格をもっている。それは、学生の社会に対する役割の変化によって規定される。すでに大学の役割の変化に関して述べたとおり、科学技術革命の急速な進展が大学自身を資本主義の巨大なメカニズムの中に包括させた。「教育工場」は、資本家が普通の生産工場に投資して商品を生産する、たとえば「ソーセージ工場」に投資をしてソーセージを作り出すことと同様に、教育に投資することにより、学生の頭脳を加工し、学生を労働力商品として生産してゆくことになった。学生は生産力を拡大するうえで資本家にとっては不可欠のものとして存在している。今日では、全体として、学生の将来の社会的地位は、「小ブルジョア」や「プルジョァジー」ではなく、労働者階級をはじめ勤労人民であることを必然にしている。学生は生産に直接従事していないという意味において労働者ではない。 しかしながら、将来は労働者に必然的にならなければならない労働力商品なのである。大学はこの労働力としての価値を高めるための機関として学生を教育する。学生は労働力商品の再生産過程にある存在としてその要求をますます労働者に接近させながら、教育をうけている。現在の生産力の発展が必要とする諸条件のもとでは、学生数の増加は必然的であり、その学生の数は明らかに労働者階級を科学と民主主義の思想で武装させることにつながる。学生層の現実的要求もそのような意味において、労働者の要求と全く異なったものではなく、ますます共通の要求を多くもつものに変わりつつある。 それに加え、私立大学に典型的であるように教育機構が学生の生活に対する二重、三重の搾取をともなっていることから学生は自らの生活を守るうえからしてもこの大衆収奪と闘わざるをえない。
 今日、国家独占資本主義は、教育に対して、また、反民主主義的な抑圧と搾取をいっそう強めているうえに、資本主義の無政府性が、青年学生の将来を不安に陥し入れることにつながり、学生の間には資本主義の諸矛盾を直接的に意識できるまでその客観的基盤は成熟している。しかし、現在の学生の意識は、学生と大学、そして社会全体の諸矛盾を解決する政策と学生層を目的意識的に導びく指導部が不在であることから、一面において、その闘いが無展望な一接的行動になったり、あるいは、無力感に陥れられていく側面をもっている。
 しかし、一般に資本主義として「帝国主義は民主主義を幻想に変える」「だが同時に資本主義は民主主義的志向を生み出し、民主主義制度を作り出し、民主主義を否定する帝国主義と民主主義をめざす大衆との敵対を生み出す。」(べ・ キエフスキーへの回答)とレーニンが言明したように、現在の学生大衆の中に存在する民主主義的意識はますます深まりつつある。問題はなんら解決されていないからであり、労働者階級、勤労諸階層の高揚する闘争に共感を示し、いっそう自覚的持統的に闘うことの重要性を理解しつつあるからである。 同時に、大学の地位の変化が、学生の大衆化が「生産の社会化と私的所有の矛盾」のいっそうの拡大をもたらしている(反独占闘争の担い手として学生は、ますますそ
の戦闘性を打ち鍛えていくであろう。 「資本主義は労働者階級をますます拡大する事によって、自らの墓掘人を生み出す。」(「共産党宣言」)と学生の労働者階級へのますますの接近は、この正しさを証明している。
 実際に、七十年代の終りには、同一年令人口の四十%が学生となると予定され、これがすべてなんらかの形で労働者として将来を予定しているのである。
 資本主義の生産様式の発展と死減は資本主義的生産関係の限定された枠の生産諸力による突破によって生じる。 現代の科学・技術革命は、これらを基礎とした諸矛后を極度に尖鋭化させている。 学生の闘いは労働者階級と連帯して闘い抜くことによってますますその闘いの質を高め、反独占闘争へと、平和と民主主義、社会主義のための闘いへとより広範に爆発的に、闘うエネルギーを消費させるであろう。

国家独占資本主義下における学生連動の一般的特徴

 学生連動は全世界的に見ても明らかなように、その階級的性格を全体として反独占闘争へと変化させている。それはすでにのべてきたように学生層の社会的地位の変化に客観的に規定されている。
 欧米諸国と日本の場合、伝統的な学生運動の組織形態の相違は、前者が個人加盟制の自治会を基礎にしており、後者が全員加盟制であることに端的に表現されている。また各々の国における社会的、経済的、政治的、また文化的諸条件の相違によって学生連動も異なった様相を呈している。
 欧州諸国の場合、フランスやイタリアに典形的であるが、学生連動は前衛政党の正しい指導性を期待しうる有利な条件の下にある。 ルイジ・ ロンゴ(イタリア共産党前書記長)は「学生の諸要求–それはひじようにしばしば、共通した政治的・ 社会的内容をもっている–と資本主義に反対する国民的および労働運動の諸間題とのあいだには政治的・ 実践的連関を見いだしうるであろう。 つまり問題は、まず第一に大多数の労働者階級の代表者、指導者としての共産党との関係一闘争しているあらゆる勢力と学生連動の行動の関係を確立し、統一をかちとることにある」と述べている。 フランスの場合も同様である。 アメリカの場合、日本と類似して多くの大学が州立でありながら日本の私学と酷似しており、学生数の多いことがその一つの特徴であるが学生運動の性格は、歴史的なアメリカ社会全体の露骨な反共的、侵略的、寄生的性格の影響下で、その政治的、経済的、イデオロギー的諸要求の健全な発展が窒息させられている。学生の闘争は、しばしば無政府的であり、浮沈が深刻である。共産党は未だ少数である。 日本の場合は、大衆的で戦闘的な全学連運動の歴史的経験をもっている。 だが、高度成長経済の下で急増した私学を中心に学生の大群が形成されており、支配階級の反動的な大学政策によって二重、三重の困難の下におかれている。学生生活の諸困難は深刻であり、大学教育は学生の要求を満足させていない。そして、本来の前衛政党たるべき共産党は、学生の要求に応えていない。このことが、欧米諸国以上に、労働者階級の子弟の構成比率が高いという条件にもかかわらず、学生運動を全体として反独占闘争に組織しきれていない主要な原因となっている。だが、学生運動が大衆的社会勢力として登場していることはうたがう余地がない。
 欧米諸国、日本でベトナム反戦運動が高揚したとき、学生が果した重要な役割は誰しも否定できない。 学生の労働者階級への接近という全般的過程は客観的なものであり、押しとどめることはできない。 その要求は、ますます自らの物質的利害–実生活とその将来の地位にかかわる–に基礎をおく力強いものとなりつつある。 学生はまたイデオロギィシュであり、種々のイデオロギーの影響をうけることからイデオロギー闘争は決定的に重要となっている。
 それは国家独占資本主義の下で、種々の非合理的な反動的イデオロギーが日常的にばらまかれていることからとりわけ重要である。学生はその知的要求の強さとその地位の労働者階級への接近の過程のなかで、自らの将来の地位にふさわしい自覚を、つまり科学的世界観の獲得と社会変革のための闘争参加の意義とを統一的に理解しうる客観的な基盤のうえに生活している。この現実は、客観的であり、学生を反独占闘争に全体として組纖しうる可能性を示すとともに、われわれに学生連動の未来を約束している。
 「小ブルジョア的インテリ青年のかなりの層の普通の雇用労働者の状態への移行が現代資本主義の経済的、政治的、社会的、倫理的矛盾の全複合体として前面に押し出されている。青年に特有の情緒的感激性、歴史的、社会的経験の不足、青年学生の大半が出ていった環境の特殊性がかれらの社会的意識の独自性と浮動性を規定しているのである。それと同時に全体的な民主主義運動および反独占運動を自己の志向に結びつける社会的グループとしての学生行動は歴史的に現代世界におこっている革命的進展を条件づける合法則的なものである。」(「世界経済と国際関係」誌、邦訳十集「先進資本主義諸国における大学と学生」より)

二、 国独資下における学生運動と学生同盟論

科学技術革命と大学の基本矛盾

 学生層の特徴の中で述べたように、科学技術革命は大学の社会的地位を大きく変化させた。科学技術革命は資本主義的生産様式に大きな影響を与えている。それは資本主義の全般的危機を一層深化させ、資本主義内部に深刻な矛盾をよびおこすのである。新技術の導入は固定資本への巨額の支出をもたらし、資本の有機的構成を高めた。このことは、自由競争「社会的可動性」を大きく制約し、中小企業、非独占資本の没落と独占体への資本集中・ 集積の傾向を一層強めている。 ゆえに、資本主義国における科学技術革命の進行は経済における独占体の支配を一層強化するものとなる。これは、国独資の矛盾を激化させ、生産の社会的性格の増大とその成果の私的占有との間の矛盾を極度に尖鋭化させるのである。 又、この過程でオートメーション化によって労働をますます駆遂すると共にそれは、 (a)、階級分化の加速度的促進、(b)小ブルジョアジー、中間層の社会的地位の低下、(c)独占資本と勤労人民の矛盾の深化として現われる。
 一方、科学技術革命は、技術者、技術要員、科学研究者、事務労働者の数を増加させると同時に労働生産性の向上により、 非物質的生産領域の拡大のための前提を作り出す。 これに従い独占資本を今までの産業部門で労働者を多く必要としなくなったということに関係し、「第三部門」と呼ばれる非物質的生産領域、流通やサービス部門–まで巨額の資本投下を行ない、独占体の支配強化をはかっている。
 このように、今まで中間層であった部分は加速度的にプロレタリアに転化し、今までのプロレタリアの概念は変化し、広汎な知識階層がプロレタリア化した。 現代資本主義の基本的発展方向はプロレタリア個々の戦列や階層の間にどんな差異があろうとも、その差異など問題とせず、それを減少させ労働者の団結を一層強める結果となる。これは日本でも例外ではなく、すでに全労働者の半数が非物質的生産領域の産業に従事する労働者である。そこで、資本の有機的結合をストレートに進ませるためにも, 労働力の再生産への根本的な変化を資本の側から望まねばならなくなっている。 このように、科学技術革命がよびおこした国家独占資本主義下の社会的諸矛盾が大学の中に直接的に反映し、現在の大学の基本矛盾を作り出すのである。独占の側からの大学への攻撃は中教審答申の中にはっきりと見て取ることが出来る。日本の場合は教育自身が独占資本の投資利潤追及の対象にされ、極度に教育の機会均等が破壊されていることからより深刻にその矛盾は反映するのである。

学生の要求-その労働者階級への接近

 学生層の全体としての労働者階級への接近は、学生のその要求においても労働者階級との共通性を高めつつある。
 科学技術の開発、それの生産への適用が、独占資本の死活の課題となりつつある今日、大学の研究教育の成果の私物化、学生・教官の統制管理の強化は、いっにもまして露骨に展開されている。
 学生は第一に、このように大学を独占資本に従属させ、学生の民主的諸権利を一剥奪する反動的諸策に対して、広汎な不満と反発を表明している。
 第二に、不満と反発にとどまることなく自覚的学生は、社会矛盾をはじめ、労働者階級および反独占諸階層の利益と結合する研究・教育の実施を要求しているし、明日の学生一勤労人民の利益であるが故に、大多数の学生の共感を得ている。
 第三に、大学の社会的役割の拡大にもかかわらず、その費用の大部分は、学生およびその父母に負わされており、学生生活の破壊に対する怒りが渦まいている。
 それは、 物価、公共料金の上昇に対しても向けられている。
 科学技術革命に伴う大学・ 学生の地位の変化は、 以上のように学生の物質的利益を基礎に、いっそう広範な学生の闘争を実現する客観的基盤を作り出した。
 これらの要求のすべては、労働者階級の要求と密接に結びついている。労働者階級は、大学の科学研究・教育成果を真に社会的に還元することを要求している。また、科学技術革命の進展によって、労働者は総合的科学的教育を身につける教育の機会均等、保障を要求しているし、現実の学生生活の破壊、機会均等の破壊は、 ますます労働者の反対を呼び起こしている。
 こうして、労働者階級と学生層との接近は、その要求においても深まる一方である。 そして、労働者・学生の要求を無視し、収奪と弾圧の強化の下に進められる日本帝国主義の冷戦政策、軍事力強化、軍国主義政策に対して、いっそう、共同の闘いを実現する基礎を築いている。
 かくして学生運動は、労働者階級を中心とする反独占勢力の一翼として確固たる立場を形成するにいたっている。
 大学が資本主義的社会関係の中に深く位置づけられ、学生の存在および要求自体が社会的性格を増し、労働者階級の要求との共通性が高まっている現実、これらの全ては、労働者階級の積極的介入によってのみ、その要求を実現できることを示している。だが、労働者階級との連帯は、一方で、学生の目的意識的な闘い、他方における労働者階級の自覚的指導なしには、 実現できないであろう。
 学生は、過去の闘いの教訓からそのことを徐々に理解しはじめているし、今後、労働者階級の首尾一貫した闘いに連帯し、依拠する中で、いっそう自覚を高めてゆくであろう。 そして、この闘いを通じて、明日の労働者階級あるいはその同盟者としての自己の立場と任務を確認するのである。

平和のための闘争における学生の役割

 労働者階級は本質的に平和の擁護者であるが、このような過程で学生は反戦平和の課題に対して、労働者階級と同様の意識を持つようになる。 しかし、その闘いは労働者の闘いと同様と言う形では進まない。 なぜならば労働者は現場に拘束されるが、学生はそうではない。 それゆえに学生の闘いは、より積極的に行なうことができる。 こうした有利な側面をわれわれは決して軽視すべきでない。学生は、労働者階級にとってかわることはできないが、個々の局面で労働者階級の不十分点を補なう闘いを彼らと連帯して進めることも可能である。また学生の知的性格は軽視されるべきではなく、これを充分に闘争の中に生かし、宣伝、煽動の武器としなければならない。しかし、その意識性の「高さ」のみに基本を置き、学生先駆性を叫ぶのは、学生の限界性を無規した重大な誤りである。 決定的勝利にとって、労働者階級の果たす革命的役割と力を否定してはならない。これは、原則に関わる間題である。
 同時に学生の反戦平和連動は、大学の独占資本への隷属、学生の民主的諸権利を剥奪する独占の意図に対する闘いと結合されて関われなければならない。その結合は科学的情勢分析と戦争政策の一つ一つの危険の暴露を通じ、反戦・平和闘争への学生の決起を組織することによって、また、政治同盟の正しい政治指導を学生大衆に対して行う事によって保障される。とくに、平和運動にとって平和委員会などの大衆的な独自の平和組繊の存在は広範な学生を平和のための恒常的な闘争に組識するうえで不可欠である。学生の平和への要求が社会主義諸国、労働者階級、そして民族解放勢力、これらの三大平和勢力の闘いの前進や戦争・軍国主義政策が学生の物質的利害を脅かしていることに規定されている学生層の基本的要求の一つになっていることから反戦・平和の闘いに全学友が決起しうる客観的基盤は成熟している。
 また、教育研究の中に導入される軍事産業とのゆ着結合をわれわれは決して見逃すわけにはゆかない。大学は今までもそうであったように、軍事力開発の主要な役割を果してきた。科学技術革命は軍事研究の中で生み出された成果の産業への結合から始まった。このような教育研究の分野での軍需産業との結びつきを断ち、教育・研究の平和への貢献を積極的に働きかけることこそが学生の闘い得る重要な闘いである。学生は、ここで労働者階級を中心とする反独占勢力の一部として国際的な平和と平和共存の闘いの一部を構成し、またこれを自覚的に闘うことにより、その闘いは戦闘的になり得るし、「平和運動至上主義」的な内容をくり返さないことにつながるのである。

反独占聞争の一翼としての教育・学園闘争

 科学技術革命の進行が大学の社会的機能の変化と学生教官の変化をもたらしたことが、教員研究の内容をはっきりと変えた。
 大学の変化が独占資本に大学全体を従属させる方向に進められようとしていることが、学生の中に大きな矛盾を生じさせていることを基軸として、 われわれは教育学園闘争の連動論を展開しなければならない。まず第一に、その攻撃の型に存在している民主的権利に対する破壊である。 第二に、教員研究内容に対する資本主義的規制である。第三に、学生、教官の思想文化活動に対する攻撃パージである。 第一の攻撃は、教授会学生自治会に対する破壊攻撃、政治活動の制限、学生営造物利用者とする位置付けの下で受益者負担主義を口実に教育の機会均等を破壊し、学費値上げ奨学金の実質的引き下げ、また、自治活動の、政治活動の禁止として現われている。 第二の攻撃は、研究を独占資本の私的利潤追求に直接従属させ、また、教育内容を科学的世界観をもたない労働者を生みだす教育として現われている。 第三は、非科学的、非合理的思想を付与するという現象として現われている。これらの攻撃は学生の決起を必然的に現象させざるを得ない。これは現在の日本の学生層のみならず全世界的な傾向でもある。このような中でわれわれは、教育学園闘争をまず第一に教育の機会均等など動労人民の民主主義的権利の獲得闘争としてはっきり位置付けるべきであり、それを武器として独占の攻撃のあらゆる側面に対決しなければならない。 第二に、教員と研究を真に労働者に対して奉仕する内容に変えていかなければならない。同時に、学生の思想を科学的世界観に裏うちされた科学と民主主義の思想で武装することをその教育の内容としなければならない。われわれは、学生と教官と大学職員に関しては学園の民主的権利の拡大のための闘いの中で、統一できることを承認するだけでなく、労働者とともに大学間題で共闘できる社会的・経済的基礎をはっきりと見ることができる。 大学構成員の民主的権利の拡大の闘いに関しては、大学の自治の一般民主主義的原則を発展させた内容であるだろうし、その内容は、機構的にも労働者の参加のもとで大学の自治を確立するという形にならざるを得ないだろう。そうでなければ、大学の自治は有効に確保できないし、それによって大学教員の民主的発展と労働者をはじめ、反独占階層に奉仕する自主的民主的な研究という内容を最も有効に発展させることができるのである。全員加盟制学生自治会はあとで述べるが学生の権利を確保する世界にも類を見ない最も進んだ組織的保障であり、学生の闘いにとって最大の組織的武器となりうるものである。この学生自治会を守り発展させるという課題は、 反独占民主主義闘争を闘い抜く諸階層との強固な連帯の中でのみかちとられるものである。われわれは資本のためではなく人民にとって最も有能な労働者として、研究者して社会に登場できるような教育をかちとるために、また、闘いの中で民主的、革命的労働者として学生層を一鐵えるために闘い抜かなければならない。

自治会連動の展開とその発展のための自治会連動論

 自治会運動の展開とその発展のためにに、自治会を担う執行部の方針にはっきりと科学的・民主主義的内容が含まれなければならない。今日に至るまで自治会運動は、自治会サービス機関と化したり(民青に代表される自治会の指導は、諸要求をその内容とした非科学的な闘争方針である。民書系全学連、民青一二回大会決定基調はますます諸要求羅列主義、 大衆追随を深めている。)、政治党派化したり、小型前衛党化したり、平和連動至上主義化したりする誤り(「トロツキスト」諸派のかっての赤色自治会主義的連動に見られる学生の意志をまったく無規した政治主義的引き廻し)を繰り返してきた。これは単に誤りというにとどまらず、自治会を破壊することにつながる。自治会は決してその本質においてこのようなものでなく、労働組合とその形態においては同じものであり、正しい政治指導と組織内民主主義(自治会規約に体現された自治会民主主義)の徹底した遵守によって、革命的な役割を果してきたし、果している。
 自治会はブルジョア議会とは明らかに異なったものであり、ブルジョア議会的なものとして、学内での権力組織=暴力的独裁機関であるとして位置づけることは全くの誤まりである。自治会決定を守るためにはゲバルトをもってしてもそれる貫徹すべきであるなどとする革マル派の自治会論などは、まさにこのようなとらえ方の典型であるということができる。 われわれが闘わなければならない自治会運動とは科学と民主主義の貫徹した連動である。その闘いは学生の要求に基礎をおき、結合したものである。 したがって、第一義的には、「よりよき学園生活」を守り抜くものとしなければならない。しかし、同時に、この闘いを闘い抜き、勝利に導くためには闘いの質を高め、全国化し、それを政治闘争として高揚させなければならない。この場合、政治方針の学生内部での明確な意志統一、とりわけ、われわれが共同行動の原則とする「課題と基本戦術の一致、批判の自由」を前提とした政治指導と統一戦線政策を貫徹することによって、学友を層として決起させることができる。 組纖内民主主義の貫徹こそがその組織を戦闘的ならしめる唯一の保障なのである。
 したがって、自治会がとりあげることのできる方針は、その方針の科学性と民主主義が貫徹するならば無限であるといってもよいであろう。自治会は、第一義的には、学生生活擁護を掲げなければならないが、それとは矛盾することなしに、平和連動、政治闘争をも充分に闘い抜くことができるということである。また、自治会が破壊されているから学生層は決起することができないという原則的誤まりである。 自治会がなければその機能を創り出す大衆的な闘いと、その組纖の建設をわれわれが行なうべきである。自治会が層として学生を決起させるための最良の武器であることはいうまでもない。しかし、それを逆転させ、自治会がなければ層としての学生の決起を創り上げることができないとするのはあまりにも茶番である。

民主主義学生同盟と学生同盟論

 学生層の労働者階級への接近、要求における労働者階級との共通性の拡大、これらの事情は学生運動が労働者階級と一層結合を深め連帯し、依拠することなしには飛躍的、勝利的発展をありえないことを示している。と同時に、そのことは学生運動指導部にとっても労働者階級との組織的交流、結合を不可避的に要請している。
 今日、日本学生運動指導部は、このことに対する無理解あるいは歪曲によって、学生共産党化、学生先駆性論の立場に次々と転策している。

民主主義学生同盟と単一学生同盟論

 民主主義学生同盟は、一九六三年、民青一部指導部による官僚主義的組織的排除が相次ぐ下で、にもかかわらず大阪府学連をはじめ大衆運動の統一と発展を担わねばならない現実を前にして、自覚的学生–我が同盟の先輩諸氏によって結成された。 当時、民主的革命的青年・及び労働者の自覚的組纖の不在の下で、民主主義学生同盟は、まさに、学生連動統一の唯一の擁護者として、文字通り、自主的単一学生同盟として発足した。そのことは同時に、民主的革命的青年労働者との自覚的交流を排除するものではないし、むしろその積極的推進によってこそ民学同の健全な発展は保障されうるものであった。民学同は、このような歴史的限界性の下に結成されたのであって、今日、学生共闘派指導部が自己の学生共産党的偏向を合理化するために行なっている恣意的で一面的な「単一学生同盟」とは一切無緑である。

労働者階級の指導性と単一学生同盟論の止場

 労働者階級の指導性は、今日、大学の民主的改革、学生生活擁護の闘いの中で一層緊急に要請されている。 同時にそのことは、学生連動指導部と労働者階級の指導的組織との交流と、方針における首尾一貴した、労働者階級の指導を要請している。
 困難な歴史的限界の下に存在する民学同もこの様な指導抜きには、正しい発展は全く困難であり、とりわけ、学生層とますます共通の要求を持ち、 共に闘う基盤を確立している青年層との結合は、不可欠となっているし、民学同は、他方では、この様な自覚的青年労働者を創り出すことを任務としていたのである。
 日本共産党(代々木派)が著しい議会主義・セクト主義的偏向を強め、その指導部としての任務を果しえない下で、大衆的政治同盟の確立で民主的・ 革命的、労働者、とりわけ青年労働者との連帯・結合、このことが学生同盟の強化及び発展を保障する道である。
 学生同盟が陥りやすい、又、学生同盟であることから生じる種々の弱点を正しく克服し、我が同盟の基本的政治路線の下での闘争を一層強化することになるであろう。学生同盟は、労働者階級の首尾一貫した指導なしには、情勢の一面的把握や主観主義的政治判断から完全に自由ではない。情勢の急激な変動期には常にその動揺的性格を顕在化させる危険にさらされている。また、学生運動が基本的には、四年間というサイクルでその人員を交代させねばならないことから、学生同盟は指導部隊として不可欠の政治的経験や理論的思想力継承性、蓄積という政治同盟にとって不可欠の条件を十分に満たすことができない。更に重要なことは、広汎な学生連動の活動家= ″デモクラット″ の卒業後の活動の組纖的保障を持たないという点で、今日の学生層の特徴=将来を労働者階級をはじめ反独占諸階層の一員として予定しているという特徴をその組織論に体現させていないことである。諸外国の青年、学生組織の組纖の形態は必ずしも一様ではないが、学生と青年労働者がその指導上の組纖的一体化を基本的原則としている点では無条件に一致している。われわれは、日本の青年・ 学生連動の現状とわれわれの現実的力量を正しく考慮して、学生同盟のもつ歴史的限界を克服する原則的組織形態を検討しなければならない。

「68-69全国学園闘争総括と教訓」

 

カテゴリー: 民学同, 運動史 | 民学同第12回全国大会 テーゼ はコメントを受け付けていません

民学同文書 No.5 第四回全国大会 組織方針  –民主主義学生同盟全国化のために–

民学同文書 No.5

民主主義学生同盟第四回全国大会 組織方針
–民主主義学生同盟全国化のために–
理論政策誌「新時代」創刊号より 1973年4月20日発行

一、学生運動の基本的特徴と同盟の基本的性格と任務

同盟の基本的性格の徹底と同盟の全国化のために当面次のことが必要である。(正しい政策とスローガン、闘争組織提示については言うまでもない。)
(一) 我が同盟は全国のすべての民主的、良心的学友の共有財産たるべき性格を名実ともに明らかにするためには「先進的学友は民学同に結集せよ」では全く不十分である。それは「すべての民主的学友は民学同に結集しよう」というスローガンによって置き換えられなければならない。同盟に同盟が闘う組織であることをたえず明確にしなければならない。
(二) 同盟内外の民主主義を徹底すること、即ち指導と責任と規律を正しい政策と行動の中でねばり強く確立すること。(後に詳述)
(三) 機関紙を真に大衆的な政治新聞として確立すること。(後に詳述)
(四) 同盟の拠点関西に於て同盟の力を圧倒的なものとし、諸分派による分裂主義から関西の学生運動の統一を防衛すること。
(五) 民主青年同盟(民青)学生班の中で献身的、良心的に闘っている部分(それは全国に広汎に存在する)との接触と話し合いと連帯を深め、共同の闘いをねばり強く追求し、これらの学生が学生運動の統一と高揚のために我々と共に努力するよう働きかけ、民主青年同盟指導部のセクト主義、分裂主義、プチブル民族主義の克服という共通の課題のために共に闘うこと、民主青年同盟の中にはいうまでも全国で最も多数の戦闘的でまじめな青年が広汎に組織されていることを決して忘れることはいけない。この評価は我々の義務と他の潮流とを区別する一つの大きな特徴である。
(六)—-略—--
(七)諸地方で行なわれている諸闘争の中で生れている無数の活動家(典型的には慶応大学での活動家)が、我が同盟に結集するよう強力な働きかけを行うこと。このことが成功するかどうかは同盟が真に大衆的で科学的であるかないかの試金石である。
(八)全国学友の中に、絶望の気分と極左主義の被害をまきちらし、学生運動の再生の事業を混乱させているトロツキー主義者諸集団(マル同中核派、社学同、社青同解放派etc)を、大衆闘争の圧倒的な高まりと、我々の具体的、科学的な批判によって克服する任務をかたときも放棄しないこと、良識と常識と真の大衆的要求からはずれた行動と要求にはっきりと反対すること。
日本国内の諸矛盾が激化するであろう我々の展望からすれば、これらの諸集団のニヒリスティック(絶望的)なアナーキー(無責任)な思想と行動が一定数の学友を一時的にひきつけることは十分考えられる(このことに注意せよ)。従って我々は機械的な反対ではなく学友大衆に真の出口、突破口を具体的に示し、その行動の先頭に立ってこれらの傾向を克服しなければならない。
(九) 以上のことから、自ら浮び上ってくる課題は我々の思想を民主的で科学的なものに向ってたえず純化するための思想闘争と学習活動にたえず大きな関心を払うこと。ニヒリズム、アナーキズム、絶望の哲学、退廃的な気分と行動を、学生層の中から一掃するために闘うこと。(後に詳述)
以上のような基本路線を貫徹することによって我々は全国的、戦闘的、民主的、大衆的、知的、道徳的に高い学生同盟を建設し得るだろう。

二、政策の決定と実行

(一)政策の具体化とは
諸課題に対して特に一局面を規定する課題(それは必ずある。だから要求羅列主義は無意味で、無力で、無能なのだ。決定的問題が明らかになっている時要求をただ羅列して対置することは客観的には反動的になる場合すらあることを銘記せよ。)–全国的問題でも、学内問題でも–に対して具体的政策を示すことは勿論必要であるが、その場合
(a)この段階、この局面に応じた攻撃地点、目標が一見してわかるスローガンを必ず提示すること。
(b)–これが決定的に大切なのだが–要求を実現に導く力を保障する大衆組織の名称、形態、規模、発展テンポ、性格を明示し又考慮すること。
(c) 実際に組織する活動及び組織に全同盟員がなんらかの形で必ず参加し、先頭に立って闘うこと、(このことが大衆に対して責任ある態度を示すことの内容ではあるまいか)
(d) なかんづく各級機関を構成しているメンバーについてはこのことが言える。大衆組織への責任ある参加と私心なき援助と指導が絶対必要である。
(e) 機関を構成しているメンバーが政策の出しっぱなしで、実行は一般同盟員まかせという「活動方式」を断固として排除する。(機関は政策提案グループ、プラン政策者ではない)

(f) このことは機関や同盟を他の組織へ解消したり、同盟による大衆組織の「のっとり」を意味しない。
政策は組織=力にまで具体化されねばならない。

(二) 政策決定
政策はなによりもまず全国委が責任をもって提示するが、政策決定に対して全同盟員が参加するようたえず促さねばならない。つまり同盟のあらゆる組織で、特に基本組織=支部で政策と課題についての活発な政治討論が行なわれるよう機関は計らなければならない。このことなしに政策は全同盟のものとならず、全同盟の政治的意志統一と水準の引上げをもたらさず。ましてや全学友のものとならない。
全同盟員が自己の判断にもとずいて大衆的闘争に参加することはこうしてかちとれる。政治闘争こそが同盟の方針の悪しき抽象化、たちおくれから同盟を守る。
(三) 政策の実行と総括
政策が決定されたら全同盟員が、それぞれの大衆組織地位、自己の政治能力、条件に応じて実行しなければならないことは勿論である。この場合機関は過ぎ去った届出を結論づけ、新しい局面に対し新たなスローガンを提示することが迫られる。
どの局面にいるのか、勝利しつつあるのか、整然と又は混乱しながら後退しているのか、次の攻撃はどこかがあいまいにされたまま闘争指導が放置されるのは明確な敗北よりも大衆の自信を衷失させることを銘記せよ。
全同盟的な総括活動、全大衆的活動及び次の突破口の明示-–それはいかに少ない可能性の場合でも必ず存在する–をさし示しそこへ全勢力をつぎこむこと。(戦術の核心)要するに一たん闘争にとり組んだら最後まで推し進め、途中でうやむやに放棄ないこと、これが大切である。

(四)一般屋からの脱却、他の団体の尊重
一般的「真理」—-真理は常に具体的である—をいつでもどこでも通用するような「真理」を一般的に述べることから脱却しょう。同盟は各分野に於て、なるべくならその分野から活動家を発掘するよう努力することが大切である。自治会、生協、新聞、寮、平和運動、教育問題、諸サークル等々。
大切なことは、これらの分野での活動家を「もぎとったり」「ひっこ抜いたり」しないということである。その団体の正常で継承された発展を妨げ、同盟がその団体を軽視していることを意味するからである。
同盟は、それらの団体がつきあたっている問題を、自己の問題としてそれらへ回答を示すよう努力することが必要である。
そのために機関はその問題を具体的に研究すると同時に、戦線別活動者会議等を適時ひらいていくことなどの方法がある。

(五) 同盟の大衆化のために
同盟の支持者や新学の読者を集めた活動者会議を時期と条件に応じて開き、諸課題や同盟の新聞について支持者の意見をきき、討議を行なうことは、同盟が大衆に深く根をおろす一つの有効な方法である。

(六) 同盟が力量を高め全国化を目指し、正しい戦闘部隊として登場しつつある現在、権力の同盟に対する挑発・弾圧が強められようとすることは予想される。
佐藤内閣が池田とは違った極端に反動的な政策(三矢事件、高杉発言、防ちょう法についての発言を見よ) をとっているとき、このことは特に注目に値する。
文書活動、同盟の諸会議は特に注意を要する。
しかし、学生の場合には、特に街頭デモンストレーション、大衆集会に於て官憲が直接的弾圧を強めようとすることは容易にうかがわれる。
これらに対していかに闘うか、同盟諸活動に於ける民主的、自覚的規律を高めること、街頭デモを少数の無秩序の形で決して組織しないこと。街頭デモを真重に準備し広範な大衆的支持がある場合にのみはじめて実際行動に移ること、決定的な瞬間に圧倒的なデモを一度組織することはその十分の一のデモを十回組織するよりはるかに有効であり、学友大衆に確信を与えるであろう。
正しい意味での戦闘的な形態を常に工夫することを怠ってはならない。
権力から我々と大衆運動を防衛する基本的なかぎは、これらを防衛するものが常に広範な大衆であるということ。権力が最も恐れるのは広範な自覚せる大衆だということをくりかえしくりかえし確認することである。同盟が先に述べた諸活動の方法により、あらゆる分野に根をはり、同盟を大衆が共に防衛するようにたえず大衆との広範な接触を決して怠ってはならない。同盟が無責任なひとりよがりの政策やハネ上り、右翼的方針などによってハダカになり浮き上がっている状態は最も悪いことである。権力の弾圧が不幸にして起きたらその場で慎重かつ毅然たる態度で闘い、だん圧を大衆に知らせ暴露すること。これらのことはいうまでもなく、同盟が小さくかたまり、ゴソゴソしたサークル的活動に専念することを決して意味しない。

三 同盟の組織運営
(一) 同盟内外民主主義の徹底
政策決定に全員が政治討議をもって参加することは前述したが、大切なのはこの場合討議論争は説得と納得にもとずいてのみ行なわれ、行政的に行なわれないこと。
論争はわかり切ったことについては起らず、一局面から他局面の移行期や重点をどこにおくかに対して起って来るのである。論争には節度を守ること、機関は論争の対立点を明確に徹底させ、正しい少数意見が急速に多数に転化できるよう処理することが大切である。正確に表現されていないが正しい問題提起を含んでいる発言に特に注意し、それに高い形態を与え同盟全体のものとすること、新入同盟員に対しては、時にこの態度を厳守する必要がある。
同盟内の言論の自由とは各自が無根拠な勝手なことを無制限に討議するためにあるのではなく、科学的真理(具体的認織)が組織内に貫徹するための絶対的条件であるということ、民主主義とは指導と責任と規律が不可欠の条件としてあることを深く確認することが必要である。(このことについてはJ・Jルソー「社会契約論」参照)

(二)全国委は特に重要な決定については全支部へ直接通信を報告しなければならない。
このことは同盟が全国化し、絶えざる接触が不可能になる段階では決定的である。
(三)支部からすぐ上の機関へ通信が定期的に報告されること、特に重要な動きについては直接全国委へも報告する。
(四)無責任主義について
学生が直接の生活の基礎を持たず、思想が混乱し、労働運動が全大衆に確信を与える程発展していない現在、規律の乱れの根源は大いにある。それは出席率、時刻、同盟費、紙代、同盟通信にあらわれる。
これについては、正しい政策とスローガン、活発な政治討議及び各同盟員の任務分担がはっきりしていることなどによって、各自の目覚をたかめ、訓練する以外如何なる道徳主義によっても克服されない。

四 研究会活動
同盟の思想(政策を含む)的水準を高め、あらめる色合の反動的、反民主的、反科学的思想と闘争し、全日本、全世界の諸闘争の展望を明かにし、学生層の中からニヒリスティックなアナーキスティックな気分の思想を一掃するために同盟は次の文献を研究会用文献として推せんする。
…・略…・
学習、研究活動の要点は
(1) 同盟の思想的・理論的水準のひき上げとその統一のために行なうのだということである。だから経験ある同盟員や機関の個人的なあるいは特定の関心を押しつけたりするものでない。
(2) それは定期的に行なわれ一言二言を徹底的に研究しようとする態度が必要。
(3) 学生は理論的思想的問題に特に鋭い関心を示す階層であり、従って思想の重要性は他階層よりはるかに大である。
(4) 政治・社会の理論を科学として学ぶという態度が大切である。
(5) 資本主義が独占へ転化し、ますます思想文化が腐敗し退廃している今日、我々はニヒリズム、アナーキズム、などの哲学、非合理主義に対して科学的、民主的、合理的思想を具体的に対置することが大切である。

五 機関紙・誌

(1) 同盟の機関紙の根本性格。活動家むけの「理論集」ではなく大衆的政治新聞である。新聞が宣伝者、煽動者、組織者であるとすれば新聞は局面の具体的な主張をたえず明示することが必要。同時に各大学の生々しい大衆闘争や諸活動についての記事を出来るだけ多く載せることが大衆紙としての決定的性格を形づくる。新聞記事についてはなるべく客観的形式でかくこと。活動家の主観、実感をそのままぶっつけたような記事や主張は最低である。同盟の直接の関心事と大衆の直接の関心事がいつも一致しているとはかぎらぬこと。同盟の関心の押売りが主張ではないこと、一言にしていえば、学友の正しい関心にたえず密着していることである。
(2) 新聞の編集技術について少々
(a) 主張は必ず具体的で簡明であること。
(b) 記事は一番大切なことから書くこと。
たとえば集会についてであれば、時、場所、人数、スローガン等々

(c)  見出し四分 本文六分
(d) 三度しゃべれる。見出し・リード・本文
(e) ある闘争について記事を書いたら次号でその後の経過や終束の事情についてもう一度報道すること。
(d) 速報性、定期性

機関紙は当面、三千部をめざす。
一面 主張、学生運動が直接タッチしている闘争の展望、コラム等々。
二面 学生運動が直接タッチしていないが全国民的な、又は労働者階級などの重要な闘争についての報道と解説、評価、外国の学生運動の報道。
三面 世界と日本の政治経済社会評論論文及び学生の生活状況についての図解、図書欄、コラム、他潮流の批判。
(4) 各支部は財政と能力の許す範囲で各支部機関紙を必ず出す。性格は中央機関紙に準ずることは勿論。
(5) 新聞の財政は、紙代、大衆カンパ、同盟を支持する団体及び個人のカンパによって支えられている。
(6) 編集局は三人の専門のメンバー。局長・記者・財政係。各支部の報道記事は原則として支部委員長あるいは班長があたる。
(7) 機関誌
重要な理論問題、又はそれについての論争、他潮流の系統的批判、学生同盟論、自治会論、学生運動論、長期的政策などについては機関誌が必要である。しかし、これは第一に同盟の大衆的全国化と財政の確立取びこの仕事に専念できるメンバーの獲得が必要、将来の課題として重要。

カテゴリー: 歴史, 民学同, 運動史 | 民学同文書 No.5 第四回全国大会 組織方針  –民主主義学生同盟全国化のために– はコメントを受け付けていません

民学同第十二回全国大会基調報告(一般政治・任務方針)

「新時代」誌 創刊号 (1973年4月) より

民主主義学生同盟第十二回全国大会文書

民主主義学生同盟第十二回全国大会基調報告

当面する学生運動の課題とわが同盟の任務  一般政治・任務方針

<目 次>
の学生運動の現状とわが同盟の任務
②新たな局面を迎えた大学再編成攻撃とわれわれの基本的任務
③日本軍国主義に反対し、ベトナム人民の完全勝利、安保条約破棄、 軍縮、アジア集団安全保障条約実現のために–平和と平和共存をめざす闘争
④諸戦線での任務方針–学生運動の持続的強化、発展のために
⑤全員加盟制自治会の再建・強化の目的意識的推進のために
⑥反動的イデォロギーと対決し、科学的世界観の確立のために(略)

(1)学生運動の現状とわが同盟の任務

<反独占闘争の高揚、その一翼としての学生運動の課題>

 来たるべき大学法期限切れ時期、七四年八月にいたる一年余りの闘争は、大学法粉砕、大学の民主的改革の重大な時期となろうとしている。
 全国大学闘争の再爆発ば不可避であり、それは政府、独占資本の反動的な内外政策、独占資本による大学支配と鋭く対決してゆくであろう。
 この一連の過程でわれわれは、教育の機会均等の破壊、独占資本の大学と学生支配を制限し、大学制度、教育、研究内容、条件、学生生活条件の民主的改革へと前進していかねばならない。労働者階級、部落解放同盟、反公害、反基地運動など、すべての反独占勢力との連帯、同盟をかちとることが要諮されている。
 世界の平和と国際緊張の緩和、平和共存の前進と、その下での階級闘争の高揚、チリ、フランスにおける人民連合の勝利的前進、日本における春闘、スト権奪還闘争、部落解放運動、反公害闘争など反独占民主主義闘争の高揚は、われわれの一貫した政治戦略=平和共存、反独占民主主義の正しさを次々と証明している。ソ連邦を先頭とする社会主義世界体制、国際労働者階級、反帝民族解放勢力がつぎつぎと闘いとっている諸成果は、帝国主義の侵略的、反動的意図を、諸国における民族排外主義、軍国主義の危険を封じ込め制限している。日本帝国主義もその例外ではない。高度に発達した生産力の水準を維持することを、一方で労働者階級の闘争によって規制された独占資本は、他方ではより一層の搾取の強化、大衆収奪による資本の蓄積を目的として、国家の諸機構を動員して、反動的政策を推進している。平和共存の全世界的な規膜での貫徹は、帝国主義者の軍国主義政策を規制し、矛盾に満ちたものとしているが、かれらは、軍国主義を平和と社会主義に対抗し、国内の階級闘争の 弾圧の武器として利用するという意図を捨て去ってはいない。日本帝国主義の軍事力の強化、安保条約堅持、沖縄、本土米軍基地の米軍と自衛隊による共同作戦基地化、対ソ北方領土返遠要求等はその表現である。
 われわれはベトナム和平協定の完全実施、全インドシナからの米軍撤退をかちとり、日本帝国主義の軍事力強化、軍国主義政策に反対し、安保条約破棄、米軍基地撤去、国境の現状承認を原則とする日ソ条約の締結と朝鮮民主主義人民共和国、ベトナム民主共和国の承認、アジア集団安全保障条約へと前進しなければならない。われわれは、原水禁運動、部落解放運動、反公害闘争などの諸戦線における闘争を持続的に発展させるとともに、その時々の政冶的中心課題と正しく結びつけ、学生運動と反独占勢力との連帯を強化していくであろう。
 国家独占査本主義の下で蓄積した諸矛盾は、国際通貨危機の再爆発を呼びおこしている。そのしわよせを勤労人民の肩に転嫁するために行なわれている田中内閣、自民党の内外政策は、戦闘化する労働運動の高揚によって、深刻な政冶危機に転化する可能性をはらんでいる。動労・国労の順法闘争、スト権奪還闘争の高揚、年を追うごとに強化される春闘の展開は、政府・独占資本を窮地に追い込んでいる。
 われわれは、諸闘争の機械的な結合ではなく、有機的な関連を明確にし、重要局面での最大の大衆的動員を準備し、反独占勢力の前進・統一戦線の一翼としての大衆的学生運動の形成をかちとり、カ関係のいっそう有利な展開をかちとっていく必要がある。
 
  諸潮流の新たな動向とわが同盟の任務
 七一年から七二年にかけて、民主青年同盟内部で発生した「新日和見主義」は、小プル民族主義、議会主義、セクト主義、諸要求羅列主義に特徴づげられる”古い日和見主義”に対する罰であった。この新日和見主義の発生は、日本帝国主義を帝国主義として忍めず、アメリカ帝国主義の世界支配を絶対化する彼らの”対米従属規定“に基づく「指導」理論の実践的破産を意味している。
 民主青年同盟とその「指導」下にある民青「全学連」は、あいつぐ学費闘争の高揚、べ反戦—-相模原随争、そして、昨年十一月以後の反革マル・早大民主化闘争の高揚の過程で大衆的学生運動の指導能力喪失を宣告されている。しかし、彼らはこのような誤まりを正しく克服する方向ではなく、一連の活動家の権力への告訴「戦術」に見られるように「トロツキスト」主要打賂、セクト主義、ゼミナール運動への傾斜を深め、他方では、日本共産党(代々木派)の議会における議席数増大という「権威」を利用し、戦闘的な学友のエネルギーを歪曲し、議会主義と大衆追随への転落過程を歩んでいる。
 阪市大の三・一六闘争、学費、新寮闘争、大阪学大の“同実組”運動などを「トロツキスト」、「反党修正主義分子」の”大学破壊策動”ときめつけ、大量のデマ宣伝を組徹し、大学の民主的改革闘争に公然と敵対している。
 「トロツキズム」諸派は、その街頭武装闘争、軍団建設路線の理論的・実践的破産のなかで、マル学同中核派、革マル派、社学同諸派、社青同解放派等に代表されるように、内ゲバと学生自冶会の暴力的占拠に訴え、自己の延命の道を歩んできた。だが、早大闘争の爆発による内ゲバ・暴力支配への大衆的批判の高まりのなかで、また、学生運動が一定の上昇面に入りつつあるなかで、その一部は「大衆路線」へと路線転換を開始している。共産同”ボルシェビキ通信派”、第4インターなどがその典型である。他方、中核派は自らの政治路線の破産を”反革マル”の「党」派闘争に歪曲し、ジプシー集団と化した活動家をよせ集め、「拠点防衛」に血道をあげている。革マル派、社青同解放派も同様である。後者は、学生運動の大衆的発展の完全な阻害物として存在しており、その「革命的暴カ」=内ゲバ路線が、直面する大学闘争のなかで果す危険な役割を厳しく警戒し、いっそう大衆運動の発展に依拠するなかで彼らを実践的に批判していかなければならない。彼らの超主観主義的な「政治戦略」は、いまや平和共存、軍縮と集団安全保障条約への前進、民族解放闘争の高揚とその勝利、チリやフランスで現実化する反独占民主主義、社会主義をめざす闘争の一大高揚によって、そしてこれらの諸勢力がソ連をはじめとする社会主義世界体制との結合を強めているという歴然たる事実によって否定されている。われわれは、日本における”革新勢力”内部の種々の弱さや欠陥が一方では再び無政府主義的な運動に先を譲りかねない危険を考慮するとともに、諸国人民の闘争の実例の力を正しく利用し、原則的な闘争を強化することで「トロツキズム」諸派の誤まりを克服しなければならない。
 「現政研」=「学生共闘」派は、そのセクト主義と街頭政治主義、主体形成至上主義のもたらす破局的事想の終極点に到着しつつある。
 それは、広範な民主的、戦闘的学友からの完全な孤立と、まったくの少数派への転落の道である。わが同盟の光輝ある隊列を暴力的に分裂させた彼らは、高崎経済大学の学友の原則的批判とわが同盟への結集というまったく正当な行動を、ありとあらゆるデマと中傷でぬり固めている。わが同盟へのファナティックな敵対心を煽動し、まじめな、事情をよく知らない若い同盟員(「学生共闘」派)の動揺を阻止しようとしている。このような態度は民族主義者が内部矛盾を隠ぺいするために、大衆の関心を外部に、他民族への優位性や侵略の必要性を煽動する態度に酷似している。彼らは「第十八回大会」を開催し、わが同盟との「党」派闘争を宣言している。
 だが、このような彼らの動向を規定する最も重要な問題は、民主的・大衆的学生運動の前進の中で必然的にもたらされた彼らの孤立と完全な少数派への転落を、いっそうのセクト主義化と少数「精鋭」主義=少数派への転落の合理化によって乗り切ろうとするところにあり、ますます現実との矛盾に直面し、決定的な破産を宣告されるであろう。彼らは、阪市大や神戸大の教養部におけるクラスを基盤とした学友の大衆的決起、自治会再建へむけた目的意識的な闘争を「無党派主義」、「アンチ・セクトの運動」=アナーキズムとのみ評価し、「学生共闘」派のいちぢるしいセクト主義、エリート主義、大衆べっ視への正当な批判であることを見落している。なぜなら、政冶同盟であるわれわれは、阪市大の広汎な学友とともに闘っているし、神C大クラス連絡会議は”社青同協会派”の諸君のイニシアチプで進められているのである。
 われわれは、このような諸派の動向のなかで、いまこそ、この間獲得してきた大衆運動の成果にいっそう深<依拠し、「悪じき政冶主義、街頭主義、セクト主義、活動家のみの少数『精鋭』主義」の一掃のために闘い抜く任務を自覚しなければならない。全国百八十万学友に勝利の展望を提起するうえで不可欠の戦線の分裂の止揚.統一行動の中心の形成は未だ不十分であり、わが同盟は大衆運動の組織化と自治会再建強化の闘争に全力をあげ、この戦線内部の弱さを克服する闘争の最前線に位置しなければならない。
 苦闘を続ける学生運動は、昨年の学費闘争、早稲田大学闘争の高揚と政経、一文を中心とした自治会再建の勝利、そして、阪市大の三・一六闘争、学費値上げ阻止、新寮闘争のなかで、大衆的学生運動の姿をよみがえらせ、全国学友にその健在を示し、―つの展望を示してきた。これらの闘争の中で勝ちとられた力を―つの全国的イニシアチプとして発展・強化しなければならないであろう。

(2)新たな局面を迎えた大学再編成攻撃とわれわれの基本的任務

 政府、独占資本は全世界的な規模での市場争奪戦の激化のなかで、効率的な自主技術開発体制の整備、科学・技術研究の成果の全面的私物化を目論み、学内管理支配体制の強化(=寡頭管理支配)、教育・研究内容のいっそうの改悪—-一般教育科目の切り捨て、カリキュラムの再編等—-、教官・学生の民主的諸権利のハク奪、学生運動に対する露骨な弾圧を行ない、中教審具体化=大学と教育の資本主義的合理化を強力に推進している。
 政府・独占資本は、国際通貨危機の再燃に象徴されるように、深刻な経済的・政治的危機に直面するなかで、この大学と教育の資本主義的合理化の過程をこれまで以上の大衆収奪の強化=「受益者負担」主義の押しつけで貫徹しようとしている。独占資本は、戦後の一貫した低文教予算政策の維持すなわち「教育投資論」の徹底、勤労人民の教育費負担の深刻な増大を自己の教育政策の基本としている。あいつぐ国公私立大学の授業料、学費値上げは、その結果としてひきおこされている。
 大学と教育をめぐる情勢は、政府・独占資本の中教審答申に基づく大学の資本主義的合理化、反動的再編成、支配強化—-総じて大学の私物化政策の新たな具体化の段階に逹した。今年度十月開校をめざして今国会に提出された筑波大学法案(国立学校設置法等改正案)、および関連する教育公務員特例法改止案、学校教育法改正案、昨年十一月の大学設置審議会最終答申—-これらの一連の法案が意味するものは、中教審構想のなし崩し的実質化の段階から、その法的追認、法制化による具体化への移行である。こうして、一九六八~九年の大学闘争以降も間断なく続けられてきた大学闘争ー大学と教育の社会的帰属をめぐる政府・独占資本と反独占民主勢力との重大な政治対決は、新たな局面を迎えている。
 この筑波大学法案のめざすものは、中教審モデル大学として設定されている。この攻撃は大学の公的性格とその構成員の全体としての動労人民への接近の傾向がますます強まるなかで、大学の研究・教育が今日の独占資本の緊切の要請に十分応えていないことに対する政府・独占資本の危機感の表現であり、危機のりきりを策す国家独占資本主義的解決策である。

大学の研究・教育の私的占有、独占資本への直結による資本主義的合理化

 社会主義世界体制と民族解放運動の勝利と前進、国内での強大な反独占閾争の高楊のなかで、社会主義との平和共存、競争的共存の関係は不可避となり、また、高度の生産力水準は帝国主義諸国間の市場競争、貿易戦争、資源確保戦争を加速度的に進行させている。同時に、日本独占資本主義の高度成長がゆきづまり、その打開策を再び高蓄積・強度の搾取と各種の労働力の効率的配分による超GNP主義政策に求めているが,この成功の鍵を科学技術と資本主義の無政府的生産との直接的結合、科学技術の諸成果、教育過程の独占体による私的占有に見いだしている。
 旧七帝大を中心とした全国十学園都市構想と大学院大学化、、研究組織と教育組織の分離などは、科学技術研究の戦略的マンパワーの効率的確保とその研究成果の資本家による占有をめざす意図の露骨な表明にほがならない。
 また、教育系新構想大学(管理者養成の大学院制度を含む)の設置と「教員給与改善」策は、教育労働者の中に差別と分断を持ち込み、校長、教頭二人制の下に、勤評体制のいっそうの強化を狙い、日教組を弱体化させるととを通じて、教育課程の国家統制をおしつけようとしている。
 昨年十一月の大学設置審議会大学基準分科会、「大学院および学位制度に関する特別委員会」の最終答申は、中教審答申の教育と研究の分離=大学院大学化構想を具体化せんとするものである。ここでの大学院組織は学部組織から完全に切り離され、独自の教員組織をもち、学位審査に関しては学外の専門家が参加するものとされている。この構想は、昨年四月の大学間の単位互換制の具体化と結びついて、大学院大学の機能を持つに足る研究組織・設備を備える一部国立大学への研究機能・教員組織の集中、修士大学と博士大学への格差化・目的化をもたらし、学位審査への巨大企業研究所の介入に法的に道をひらくものとなることは明らかである。
 筑波大学の特殊法人化構想が破産するや、文部省は、この法案を医科系大学、学部、その他大学院、研究所の設立と抱き合わぜにして反対勢力の分断を企てている。くわえて、学校教育方の改悪(すべての国公私大に適用)による筑波方式の他大学への波及に道を開いている。これらの意味するところは、今後一片の省令で他大学に筑波方式を強制すること、すなわち、大学管理法を実質的に完成することなのである。
 筑波法案粉砕の闘争が、全国国公私学のいっせい決起、日教組、総評など労働者階級、すべての反独占民主勢力の統一した闘争として闘い抜かれる必要性がはっきりと確認される必要があろう。
 全国の自治会の共同した闘争を強化し、学生運動の統一した決起を保証していく必要がある。現段階における政府・独占資本の大学管理法攻撃が全員加盟制自治会の全面的否定の立場から行われようとしていることは、この闘争の過程で自治会の再建・強化を闘いとることを不可欠の任務としている。
 
独占資本による支配強化・管理体制の独裁化反対、民主的改革のための闘争

 このような目的を達成しようとして、政府・独占資本は、大学の管理運営組織の独裁化を目論んでいる。
 全国大学闘争の爆発的高揚を大学臨時措置法の強権的発動、警察力による弾圧の強化でがろうじてのり切った政府・文部省は、それ以降の学生戦線の四分五裂状態と停滞に乗じて、全国の大学に「紛争対策本部」の長期固定化を強制し、独占資本と結託した一部の特権的教授グループ、私学理事会を中心に管理支配機能を集中し、学内寡頭支配体制を強化してきた。学長–副学長制度、参与会制度、教授会をはじめ種々の権限の廃止などは、大学に於ける寡頭頭管理支配の法的追認、他大学への波及効果を直接目的としたものである。
 同時に、私学に対しては「私学振興財団」を設立し、私学経営の危機と研究・教育条件および水準の低下、勉学生活条件の悪化に対る学生・民主的教官の抵抗と不満をたくみに利用して、独占資本への金融的従属、政府の直接的統制管理の下におくことを条件に財政操作による私学の再編・統合、スクラップ・アンド・ビルド政策を推進しようとしている。沖縄「返還」が沖縄県の勤労人民に何一つ利益をもたらさず、軍事・基地機能で本土の沖縄化を意味したと同様に、教育に関しても沖縄大学と国際大学の統合=沖縄国際大学の設置は私学の反動的再編の先導的モデルとしてすすめられた。この反動的「統合」と沖縄大学の廃校処分は、政府・文部省の命に従わぬ教員にたいする、事実上のパージをも意味している。こうした政府の反動的な廃校処分の強行に対し、沖縄大学では、学長を先頭に教授会、教職組、学生自治会は、全学ぐるみで抵抗を続け、文部省の入試中止命令を拒否し、入学試験を敢行した。沖大存続の成否をかけた闘争は沖教組その他の諸団体と沖縄県民の支援の下に闘い抜かれている。われわれは、沖大への攻撃を明日のわれわれへの攻撃としてうけとめこれを支援して闘い抜く必要がある。
 大学の資本主義的合理化攻撃との闘争は、この間の大学における寡頭管理支配打破の闘争、教育の民主的改革のための闘争を徹底して闘い抜き、大学当局の政府・独占資本への迎合を紛砕し、また、教官層の現状維持路線、あるいはエゴイスティックな「自由」を批判し、全体として反対に決起させることが要求されている。大学内部における中教審の具体化を許した一片の反対声明要求にとどまるならば、結果として、その実質化に対して無力なのである。

大衆収奪強化・低文教予算政策を粉砕し 学生生活擁護・改善のための闘争

 日本独占資本は、その新たな高度成長政策の基盤を勤労人民からの収奪と搾取の強化にもとめようとしており、円再切り上げによる損失もまた勤労人民の肩に転嫁しようとしている。彼らにとって緊切に必要となっているものであっても、それが直接的に利潤を生み出さないものであれば、すべてを国家投資に委ねるのである。七三年度予算にもそれは鮮明にあらわれている。一般会計では、 一兆五千億円(対前年比17%増)と見るべき増加を見せておらず、 一般会計全体に占める割合はむしろ低下しているありさまであり、わずかに私学職員人件費への補助率が引き上げられたのみである。財投ベースでは対前年比三二%の伸びとなっているものの、最緊要の課題である私大国庫助成額は三一七億円と、たった七億円の増加という貧弱さである。
 直接的収奪の攻撃はさらに強化されている。国立大学費三倍化と私学に対する学費値上げの強制(昨年一〇六校)、学費の物価スライド・アップ(甲南大学を先頭に、関西私学連盟—議長校、関西大–は、その導入を決定した)など中教審の予定する受益者負担主義の徹底、昭和五〇年学費水準– 国立年二四万、私学四八万—-への道を着実にたどりつつある。学生の七〇%がアルバイトをし、その四〇%がアルバイトなしには生活できないところまで追い込まれている。学費上昇が家計におよぼす影響も、破壊的作用を強めている。都市の物価上昇は、都市に集中する私学学生の生活条件をますます劣悪化させている。この四年間に、下宿学生への親からの送金額は、ニ万五千円から四万円へと倍近くはね上った。
 教員にとっても同様である。教員の給与水準が、技能熟練工のそれよりも低いという事態が一般的になろうとしている。講座制の下で、低い給与に甘んじている若手教員にとっては、生活難から否応なく、特権教授・財界の意向を受け入れた研究教育を強いられている。
 政府の文教政策は、こうした事態を何ら改善するものではない。だが、注意しなければいけないことは、教員の給与体系の改善が、教員に対する管理の強化・教官からの人事権剥奪と抱き合わせで行なわれようとしている点である。教育公務員特例法の改正とは、その強制に他ならない。筑波大学では、給与水準は、現行より若千のアップとなっており、教官の懐柔が民主的教官のいっせい大量パージ、学生運動への弾圧と共に行なわれようとしている。
 われわれは、このような情勢の下で、この間の学費値上げ反対闘争や寮闘争のなかで蓄積してきた学友の生活擁護・勉学条件改善のエネルギーを正しく組織し、持続的に発展させねばならない。
 最近の学費値上げ攻勢には、新らしい特徴が見られる。南山大学(愛知県)、甲南大学(兵庫県)など学生自治会の力が弱く、学生の民主的諸権利が制限されている大学が先頭にたって、いわゆる「スライド方式」を採用し—-これには文部省の指導が働いているといわれている—-反対運動を不発に終らせ、諸勢力を分断して、巧妙に”スマート”に値上げを強行した。これは注目すべき、新しい値上げの特徴である。この値上げ方式が関西私学連盟(関大、関学、同志社、立命館など関西主要私学のほとんどが加盟している)によって採用されたことは、今後の学費値上げ反対闘争を組織するに際して十分考慮しておかなければならない。なぜなら、このスライドは、かつてのよに物価にスライドするだけでなく、「教職員給与の引き上げにスライドする」という方式でおしだされており、これは学費問題において教職員と学生を分断し、対立させるという客観的な作用をもたらすからである。そして、これは独占資本と政府・文部省にとってももっとも好都合な方式なのである。このような攻撃をハネ返す闘争は、今後の私学におけるいっそうの「受益者負担主義」を粉砕する意味で緊急の課題となっている。私学理事会に対し、学費物価スライド制撤廃を断固として要求していく必要がある。また、マスプロ解消、奨学金の大幅増額、対象者の拡大、新寮・学館建設など福利厚生施設の拡充の闘いもこの過程で推し進めていかねばならない。このような闘争を持続的に発展させ、学友の中一にある不満の消極的な解決、自らの犠牲(ァルバイトなど)による矛盾の「繰り延べ」等の姿勢を正しい解決の方向へとその意識を組織する必要然あろう。また、われわれの闘争は、このような政府・独占資本、私学資本の「受益者負担主義」の押しつけが勤労人民の真に深刻な生活破壊をもたらしていることから、勤労人民との連帯を不可避としている。労働者階級は、大衆収奪の強化に反対する闘争に決起している。国鉄運賃・健保値上げ法案、円切り上げ、商社による土地・生活必需品買占め、物価値上げに反対する闘争は、国労・動労を先頭とする公労協労働者のスト権奪還闘争と結びついて高揚を開始している。われわれは、政府・独占資本、公企体当局の種々の反労働者的な差別・分断攻撃を許さぬ世論の形成を政治宣伝し、暴露し、組織して連帯を表明しなければならない。
 このような学生の闘争を前提としてはじめて、学内の勤労者、教官、また、総評など労働者階級との真の連帯をかちとりうることを確認しなければならない。大学と教育の問題を労働者階級のものとするためにも、そして、政府・独占の貧困な差別的低文教政策の根本的転換をかちとるためにも学生の持続的闘争を組織し、社会的問題としてこれを提起していく必要があるのである。

(3)日本軍国主義に反対し、ベトナム人民の完全勝利・安保条約破棄・軍縮・アジア集団安全保障条約実現のために  –平和と平和共存をめざす闘争–

 ベトナム和平協定の完全実施・ベトナム民族民主革命の完全勝利へ

 一月二八日の歴史的なベトナム和平協定調印によって、アメリカ帝国主義の十八年にもわたる残虐なベトナム侵略戦争は完全なる敗北を決定づけられた。ひき続いてラオスにおいても和平協定調印が勝ち取られ、両国からの米軍全面撤退を余儀なくさせた。
 これは、英雄的なインドシナ人民と全世界の反帝平和勢力の勝利であった。この勝利は、アジアの平和と平和共存秩序の確立にとって不可欠の基礎を築き、アジアの緊張緩和の歴史的流れを不動のものとし、アジア集団安保条約実現の展望を切り開いた。
 停戦と米軍全面撤退を基本的内容とした和平協定調印後、全世界の反帝平和勢力は、米帝国主義とチューカイライ政権、さらには日本帝国主義の協定破壊の反動的政策に不断に警鐘を乱打しなければならない。現在においても、チューが南における政治的自由を一切保障せず、共産主義者を射殺せよと指令し、また挑発的な軍事行動を繰り返し、「政冶犯」の釈放をもまったく明らかにしていない。ニクソン政府は、いぜんとしてチュー政権擁護を声明し、民間人顧問の名目で数千人の軍事顧問団を残留させ、新たな戦略で巻き返しを策動している。日本の基地から和平協定調印後も弾薬、武器が輸送され、米第七艦隊の空母、ミッドウェーの母港化をはかるなど、日本政府の侵略加担者としての役割はいぜんとして変わらない。それは中国の反ソ主義を利用して、米・日・中の反ソ反民族解放ブロックを打ち立て、東南アジアにおける民族解放運動の進展を抑えるための政治的軍事的力を残存せんとする危険な戦略である。
 そして、ベトナム・ラオスから米軍が全面撤退せざるを得ない段階に到達し、緊張緩和の流れに逆行して米軍の肩代りとして日本帝国主義は、インドシナさらにはアジアの平和の前進に対する大きな障壁として極めて反動的な役割を担っている。だが、このような日本帝国主義の危険な志向は、成功の見通しを与えられていない。それは、日増しに深刻さを加える帝国主義間の矛盾の激化によって、また、資源・原料輸出国の民族独立と反帝国主義的気運の高まりによって、ますます非現実的かつ矛盾に満ちたものとなっている。日ソ関係の改善と発展は、アジアにおけるこのような日本帝国主義の反動的構想をほりくずさざるをえないし、現実にそのような方向に進んでいる。このような矛盾をわれわれは正しく利用し、われわれが日本帝国主義の東南アジアヘの軍事的圧力の拡大、緊張の激化をひき起こす軍事力の強化と対決することは、アジアの平和確立にとって極めて重要で第一義的な国際的意味をもっている。われわれは、日本帝国主義のあらゆる危険な外交・軍事政策と闘わなければならない。相模原闘争の成果を正しく発展させ、和平協定の完全実施、ベトナム人民・インドシナ三国人民の民族民主革命の完全勝利まで、われわれが警戒心を高め、最後まで闘い抜かなければならない。

四次防の全面中止、在日米軍茎地の完全撤去・日米安保条約破棄のために

 一月二三日、第一四回日米安保協議委員会が、大平外相、増原防衛庁長官、ガイラー太平洋総指令部長官らの出席のもとに行なわれ、日米両国政府の国および防衛当局者で構成される”f安保運用協議会”の設置が明らかにされた。安保協議委員会合意文によれば、この協議会は、昨年九月ハワイにおける田中・ニクソン会談での合意を基礎とし、安保条約およびその関連取り決めの円滑かつ効果的な運用について協議および調整をいっそう促進するものであり、また、在日軍事基地の整理統合が基地機能の縮小や撤去を意味するものではない。一月三一日アメリカ大使館筋は、米国政府が在日米軍基地の新しい整理統合を検討し、この中で、整理統合は米軍の能力を低めるものでないことを重ねて明らかにし、先の横須賀母港化は世界的な計画の一環であることを明言した。これら一連の日米両帝国主義者の意志統一はベトナム以降の安保の姿を示している。今ベトナム和平は、不可避的に帝国主義間の矛盾を激化させ、日米安保も必然的にその手直しを迫られた。閣僚クラスの制服自衛官をまじえた安保運用協議会の新設、在日米軍基地の再編強化はその表現である。
 日本帝国主義は、アメリカのベトナム以降の戦略、ニクソンドクトリンに、ハワイ会談によって宣言したパートナーとして協力しつつも、独自の利益を追求している。一方で対中、対ソ関係において柔軟な姿勢を表面上装わざるを得なくなりつつも、他方、四次防、産軍複合体の育成など軍国主義の強化をはかっている。階級的軍事同盟としての日米安保をあくまでも基礎として、その上に独自の帝国主義的膨張をめざしたものであることを示している。自衛官の七千人増強、防衛医科大学校の設置を内容とした防衛二法案の特別国会への上程、二月二六日発表された防衛庁の「平和時の防衛力の限界」に関する見解において、「有事の際に必要な力の母体を作る」として、いっそう重装備をふやす方針を打ち出すなど、田中内閣は冷戦政策をなんら捨てていない。
 世界的すう勢とまった<逆行する田中内閣の軍国主義政策と対決する四次防即時中止、基地撤去、安保廃棄の闘いをいっそう強化していかねばならない。
 沖縄や立川における自衛隊員の住民登録拒否の閾いや、北富士をはじめ全国各地で展開されている住民運動と結びついた反基地、反自衛隊の闘いは、昨秋期の相模原閾争を契機に全国各地で高揚している。重要なことは、これらの闘争が自治体闘争と結合して発展していることであろう。これらに連帯する闘いを最大限追及すると共に、原水禁組織や他の民主団体の協力で、全国的な反政府世論へと高めていくことである。
 そして、院内における闘争と、院外の春闘に決起する労働者階級、学生、民主諸団体の反独占諸闘争と同時に、四次防の全面中止・米軍基地完全撤去・安保条約廃棄のための全国的共同闘争を展開し、田中内閣の矛盾に満ちた冷戦政策に打撃を与えてゆくこと、そこに軍事力拡大をストップさせ、平和外交への一定限の転換をかちとる展望が存在する。同時に、インドシナ人民の闘いでアジア情勢はわれわれの闘いに有利な条件を創り出している。とりわけ、ミッドウェー横須賀母港化阻止の闘いは、相模原闘争の教訓からも、現地闘争を含む全国的湖いを要請している。
 また、日本の核武装阻止にとって決定的意義をもっている能勢ナィキ基地設置阻止の闘いは、現在油断できない情勢にある。土地の買収はほぼ完了し、基地に大電力を供給するための東洋一の関西電力猪名川発電所が突貫工事で建設されている。
 われわれは、なおも住民へのオルグ活動を強めるとともに、防衛庁が直接的な動きを行なっていない現在、防衛庁に対する攻撃を組織していく大衆行動を今春期設定していく必要がある。これは、各学園における研究・惜宣活動を強化する中で、軍縮協、住民連絡会議、反安保府民共闘などとともに必ず設定していかなければならない。
 そして、われわれが反ナイキの大衆巡動を展開する中で、四月の町議会選挙で反ナイキ派の議員を多数選出することに側面から支援することは、現在の情勢の下で重要となっている。
 われわれに課せられた任務は、軍備拡張、基地の再編強化の具体的現われを暴露し、その危険性と反動性を全国民の前に明らかにし、不断の宣伝煽動によって学友を組織することである。そのことによってはじめて、インドシナ人民がその基盤を確立した極東の緊張緩和を促進させ、日本帝国主義の野望を封じ込め、アジアの平和体制=アジア集団安全保障条約の確立へ前進することが可能となるであろう。

日ソ国境の現状承認、日ソ平和条約の締結とアジア集団安全保障条約の締結のために

 昨年五月のニクソン訪ソに前後して、急速な進展を見せた欧州における緊張緩和、東西交流の拡大、欧州集団安全保障条約締結への動きは、第二次世界大戦後の現存国境の承認、軍事プロックの相互解消、軍縮、経済・科学・文化などの全般的な相互交流・協力の拡大、両体制間の平和共存的国家開係の樹立を基本原則とし、欧州における載争の火種を駆逐しつつあり、欧州におけるこの勝利をアジアにおいても現実のものとして展望しなければならない情勢を迎えている。
 インドとソ連との友好協力条約の締結につづくバングラデシュ独立闘争の完全勝利、そして、七三年一月のベトナム和平協定の成立というベトナム・インドシナ三国人民の英雄的な反帝民族解放闘争の歴史的勝利は、インド亜大陸と東南アジアに一大平和地帯をつくり出す現実的可能性を切りひらいている。
 反植民地主義、民族独立、平和と民主主義、社会主義をめざす発展途上諸国人民の闘争は、社会主義世界体制、国際労働者階級の支持と支援の下に多くの犠牲と流血、苦難に直面しながらも前進と勝利を闘いとっている。昨年の六四ヵ国の参加の下で開催されたジョージタウン会議の成功は、その実例の証明であり、同時に、この勢力が団結した進歩の勢力として成長していることを意味している。
 ソ連を先頭とする社会主義諸国の強固な存在と、平和共存外交政策、民族解放勢力・発展途上諸国への援助は、帝国主義の軍国主義、植民地主義政策を窮地におとしいれている。
 日本帝国主義とアメリカ帝国主義の諸政策は、アジアにおけるこの現実的な展望をおしとどめようとしている。ベトナム人民の最後的勝利を阻止し、また、東南アジア諸国人民のベトナムヘの連動を阻止し、社会主義世界体制とこれらの諸国との同盟を破壊し、自己の帝国主義的権益の擁護を企てている。アメリカ帝国主義は、中国を唯一の正統政府として認めないだけでなく、中国現政府の反ソ主義的、民族主義的政策を巧みに利用して、ソ連邦や民族解放遥動に対立させ、中国を決定的にひき離そうとしている。また、日本帝国主義は、アメリカ帝国主義のこのような政策に共通の利害を見い出していると同時に、ソ連に対して「北方領土」=千島の返還を要求し、日ソ平和条約の締結を遅延させ、四次防、さらには五次防へと軍事力を強化し、ソ連邦の提唱するアジア集団安保構想に反対している。
 われわれは、このような危険な方向と対決し、現存国境の承認の原則に立ち、日ソ平和条約の即時締結を嬰求していく必要がある。
 日ソ平和条約の締結は、アジア集団安全保障条約の展望と正しく結合されるとき、日米両帝国主義の階級的軍事同盟=安保条約の破棄、ASPAC、SEATOなどの反共ブロックの解消を促進することとともに、アジアの平和にとっての決定的な保障となるであろう。それは、先述したように、帝国主義の意図が、彼らにとって最大の脅威を与えているソ連に対決することを基礎に、反ソ・反社会主義宣伝を強めていることによっても説明できる。
 アジア集団安保への道は、多くの複雑な諸条件、過程を克服しなならない。その第1は、帝国主義のこれへの反対・抵抗であり、第二に、中国の反ソ主義の存在であり、これを利用した帝国主義の反ソ政策であり、第三に、これらを補完する日本共産党(代々木派)、社会党など民主勢力の誤れる小ブル民族主義的政策の存在である。
 だが、情勢の進展は、着実に緊張緩和と平和共存へと進んでいる。 ベトナムの勝利は、マレーシアやフィリピンのASPACからの離脱を進め、日本帝国主義は、日米間の深刻な経済的対立、エネルギー資源・原材料確保の矛盾に直面し、ソ連邦との経済協力は自
こらの延命に不可欠となっている。最近のブレジネフ書記長宛田中親書はその証明である。
 このように、今日の世界の力関係、帝国主義間の矛盾と対立は、帝国主義の共通の階級的利害=反ソ・反社会主義的政策を不断に掘り壊し、社会主義との平和共存を不可避としている。
 われわれは、このような反帝平和勢カの力に依拠し、帝国主義の反動的政策と対決し、民主勢力内部の誤まった傾向を批判し、日ソ平和条約の締結、アジァ集団安保条約の勝利へ前進しなければならないし、その先頭に立って闘い抜く任務をもっている。
 不断の政治宣伝、暴露活動と共に、 学習会、 大衆集会などを組織しなければならないであろう。
 
(4)諸戦線での任務・方針
   —学生運動の持続的強化・発展のために—
   
 あらゆる国の核実験に反対し、日本政府の核防条約批准、
 全面核停条約の即時締結のために
 
 全世界的な規模での緊張緩和と軍縮、平和共存の前進の中で、全般的核軍縮をめざす闘いはその重要性を益々拡大している。原水禁運動はこのような情勢の下で、その原則的な立場を正しく発展させ、このような期待に応えねばならない。 ついにわれわれはニクソンのベトナム和平協定への調印を手にしている。このべ トナムにおける歴史的勝利は、それら英雄的ベトナム人民と連帯した世界反帝平和勢力の勝利でもある。
 「ベトナム秘密文書」を待つまでもなく、最近では二月二五日アメリカ上院外交委が議事録を公表し、一九六四年五月を頂点として、「核兵器の使用」を真剣に検討して来た事実が再び完全に明るみに出された。この世界最強のアメリカ帝国主義軍隊に「核使用」の 冒険戦術を許さず、これを敗北においやった社会主義世界体制をはじめとした世界反帝平和勢力のこのカに確信をもち、このベトナムの勝利を機会に核軍縮にむかって前進することは決定的に重要である。昨年の原水禁世界大会でのベトナムでの核使用阻止、北爆の即時停止と米軍撤退の決議はその有効性を証明された。
 また、全面的核実験停止、完全核軍縮にむけた国際的な努力はヨーロッパでで西ドイツ報復主義をおさえ、全欧安保会議を発足させている。部分核停条約以来の一連の核軍縮措置の実現、SALTのひきつづく前進とますます成果を上げつつある。とりわけ、昨年末の第二七回国連総会にて決議された世界軍縮会議の開催(五〇カ国以上の共同提案、満場一致)は準備機関会議の開始とともにすべての人々の闘いの焦点となっている。
 全面核停条約締結のための闘争は、べトナム での勝利への巨大な前進、 全般的核軍縮の着実な前進の成果をひきつぎ、全世界の平和愛好勢力の国際的な共通の任務として確認されなばならない。
 フランスはアルジェリアの独立でサハラ砂漠の核実験場をムルロア環礁にうつした。以来フランスは、毎年六月から九月にかけて大気圏内核実験を続けている。死の灰の影響を受けやすいオーストラリア、ニュージーランド、チリ、ペルーらの太平洋沿岸諸国の反対やストックホルム環境会議の反対にもかかわらず、昨年の六月、再びフランスは核実験を強行した。昨年六月の実験はポラリス型原潜のミサイルにつける水爆の安全度のテストであった。 このテストで完成した装置を用いて今年は数メガトンにのぽる水爆弾頭の実験を行なうことが宣言されている。
 部分核停条約(大気圏内核実験を禁止)っと国際世論の高まりにもかかわらず、今日なお、フランスと中国は大気圏内核実験を中止せず、フランスは再び強行的実施を企てており、これを阻止する闘いは緊急の任務である。
 すでに、オーストラリア、ニュージーランド量首相は一月二二日共同声明を発表し反対の立場を打ち出している。また選挙を直前にひかえるフランス国内では、この核実験を中心にした核実験反対闘争が高揚し、「非核武装、実験中止、部分核停批准」を掲げる社共連合は巨大な前進を克ちとった。このフランス自国内の事態は、核実験に対する国際的任務を自らのものとするフランス人民の反核世論の強固さを示しており、われわれはこのフランス人民と連帯し、またフランス人民の闘いを実例の力として誤れる日本共産党(代々木派)、民青や社会党一部指導者の偏向と闘う必要があろう。
 原水禁運動にとって世界的核軍縮への努力と献身はその原則的課題の重要な一つである。
 一九六四年日本原水禁運動が日本共産党(代々木派)の反米闘争路線のおしつけによるセクト主義、分裂主義を主要な原因として、組織上の混乱(原則の破壊)が持ち込まれた時、原水禁国民会議はかかる原則的課題と過去展開されてきた運動の教訓を正当に守り抜く部隊として発足した。しかし、 一九六九年を迎え、被爆二四周年世界大会基調から原則上の歪曲が自らの手によって始められた。最近では「中国の外交政策が情勢を根本的にくつがえす」とか、「中国の核提案がこれまでの核軍縮交渉の限界をうち破り本格的軍縮に接近する」などと繰り返し強調し、はては中国の核を事実上容認する立場すらとるまでに至っている。
 今こそ、われわれはこれらの偏向に断固たる反撃を加え、原水禁国民会議が日本の核武装阻止、日米核安保の打破と一体のものとして核防条約、武力不行使、核使用の永久禁止、世界軍縮会議開催の支持、そして全面核停条約の締結などの核軍縮政策に積極的に取り組む必要がある。
 一方、昨年一ニ月に発表された日ソ労組声明においては、「世界軍縮会議の招集、および武力不行使と核兵器使用永久禁止決議」を「一致して支持」することを明らかにじた。
 これらの新たな情勢の転換は、われわれにますます有利な条件を与えている。核軍縮条約について原水禁運動が、ブルジョア・マスコミの後じんを拝するのではなく、今こそイニシアチブを発揮すべき時であるし、そのための条件は熟しつつある。
 われわれは、八月世界大会にむけたそのための先進的なあらゆる努ガをさらに強化する必要があり、必ずや、やりとげねばならない。
 
部落差別に反対し、石川青年の即時釈放と解放教育の確立のために

 狭山差別裁判取り消し要求の闘争は、反動的井波裁判長の十一月結審策動を粉砕し、一定の勝利をかちとった。この勝利は第一に昭和四十四年以来の部落解放同盟を中心にした百万入署名を始めとする広範な労働者・市民・学生を結集した大衆闘争である。第二に狭山事件の部落解放の原則的理論にもとづく分析による科学的政策、さらには検察側証拠のデッチあげを暴露する死斑についての上田鑑定をはじめどする「六つの鑑定書」と山上、松本弁護士を中心とする強化された弁護団による裁判闘争である。第三にこのような勝利を導く社会的力関係をみのがしてはならない。それは戦後の一連の反動的デッチあげ裁判にたいする勝利、国鉄労働者のスト権奪還闘争をはじめとする民主的権利の擁護と拡大をめざす闘いの高揚によるものである。
 新しい裁判長には、寺尾正二裁判長がきまり、裁判の再開は四月末~六月になると予想されている。寺尾新裁判長は、地裁時代において、都公安条例違憲判決を行なうなど「民主的裁判官」 といわれ、また「六つの鑑定書」の提出により高裁段階での勝利の展望は明るくなっているが。楽観は危険である。それは第一に社会意識としての差別観念の根強い存在のもとで、寺尾裁判長をして弁護人の陳述に謙虚に耳を傾けさせるためには、井波を屈服させたあの力以上のものが要求されている。第二に、検察側は八海、松川、仁保、辰野、メーデー事件と汚名を重ねてきでおり、「狭山事件だけは敗けたくない」との政治的意図がはっきりと存在しているかちである。
 このようなながで、「石川一雄さんを守る会」、「解同正常化」連絡会議、日本共産党(代々木派)、民青などの団体は、解同の井波を屈服させた大衆的闘いに対して、「運動の正しい発展に重大な困難をもたらしている」「『解同』朝田一派と中核派の癒着」というデマ宣伝に狂奔していることは厳しく糾弾されねばならない。かれらは、あたかも「守る会」 の運動によって闘争が勝利するかのように宣伝している。闘争の困難な局面で運動を放棄し、 一応の勝利をみた時点で、これまでの運動の成果を横取りしようとする彼らの卑劣な意図の横行を許してはならない。彼らは解放同盟を中心とする一五〇万人の署名と大衆的闘争をほとんど評価せず、「三〇万要請署名」という形で闘争を署名運動に媛小化している。三年余におよぶ狭山差別裁判反対闘争は、この事件の本質が部落差別を利用した権力によるデッチあげ事件であることを明らかにした。「寝た子を起すな」意識にのっかった「部落差別ということでは運動が広範にならない」という部落差別と狭山差別裁判をきりはなす「守る会」の連動は、理論的にも実践的にも破産している。
 また、全国部落研、中核派はあたかも彼らが「六・七・八・九月公判闘争を全国動員で闘いぬき」、「十一月決戦」 の「戦争的態勢」をとったことが井波を粉砕したかのようにデマっている。さらには部落解放同盟幹部を「融和主義者」として幹部不信を煽り、井波が自ら敗北を認めた十月一二日付通告(「六つの鑑定書」のうち、上田鑑定を採用)に対しても、「ペテンだ」、解同幹部はこれに「屈服」したとデマ宣伝し「自らの破産を隠蔽している。
 狭山闘争を勝利に導くものは、彼等の「十一月決戦」や「徹底糾弾」、「即時奪還」といった”空文旬”にあるのではなく、部落解放同盟の要求闘争と結びづいた「石川青年即時釈放」、「公正裁判要求」という正しい政策と大衆的な運動にあることは明らかである。
 十一月結審を粉砕し、井波を退官させるという一定の勝利が克ちとられ、彼らの一揆主義的闘争の破産が明白になるや否や、彼らは「東京高裁寺尾=カクマル新体制粉砕」ということで、狭山闘争をカクマルとの「党」派闘争にすり替え、狭山闘争からの逃亡をはかろうとしている。権力に、「屈服」したのはまさに彼らなのである。
 われわれは以上のような分裂主義的運動と闘うとともに部落解放同盟の正しい理論と政策をさらに学習、宣伝していがねばならない。
 今後のわれわれの闘争は第一に、寺尾新裁判長をして現地調査を行なわせ、真実にもとづいた裁判を進めさせる圧倒的なカ関深を築きあげることが必要である。それには、二〇〇万人署名を早期達成することが重要である。わが同盟はこの闘争を全同盟のものとしなければならない。全同盟意思統一のもと「石川一雄支援、二〇〇万人署名達成〇〇大学実行委員会」(仮称)等の大衆的組織をつくり、クラス活動を基礎に運動をすすめること、「狭山差別裁判反対」の学者文化人声明の追求を通じ、教官に部落問題の意義を理解させ、解放教育の確立、法学部等の専門分野に部落問題を位置づけさせることを通じて、民主的諸団体、大学構成員とともに国民的課題として、この闘いを推し進めていかねばならない。
 第二に、昨年一年間で関西の大学だけで、ーバ件にもおよぶ差別事件が発生し、各大学の差別的体質を暴露しており、さらには今日、日本共産党代々木派の悪質な差別キャンペーンの下で、われわれ はこれまで以上に差別事件を重視して闘っていかなければならない。社会意識としての差別観念(ブルジョアイデオロギー)との徹底したイデオロギー闘争、クラス活動を基礎としだ全学的な取組みを組織しなければならない。
 第三に、解放教育の樹立、改革の闘いとこれらの諸闘争を結合し、大学の民主的改革の重要な分野として位置づけ闘い抜く必要がある。教育系大学・学科などにおいては、同実組運動を大衆的に推進しなければならない。
 今日、日本共産党(代々木派)と民青は、部落解放同盟を「朝田一派」「暴力分子」としてありとあらゆる低級な誹誇中傷をあびせかけている。労働者・民主勢力に対しては、その敵としてデマリ、市民には、その遅れた差別意識にのっかって暴力団視させ、かつ逆差別的なとらえ方をあおって、部落解放運動を孤立させようと策動している。彼らのこの差別キャンペーンは部落解放運動や民主主義運動にはかりしれない害悪をもたらしている。また彼らは、大阪学大においては「同実組=民学同」として大衆団体とわが同盟を同一視し、同和推進校実習生運動に多大の損害を与えている。
 大多数の受講生が要求した解放教育の専任教師獲得の運動にも不当な干渉を行なっている。
 わが同盟は、日本共産党(代々木派)、民青のセクト主義と理論的誤りを大衆的に暴露し、日共のデマ宣伝を効果のないものとし、彼らの分裂策動を粉砕していかなければならない。
 
 (5)全員加盟制自治会の再建・強化と目的意識的な闘争強化を
 
 政府・独占の大学私物化攻撃の中で全員加盟制自治会の擁護・発展は緊急の課題である。
 六八年ー六九年の全国学園闘争の中で破壊された自治会の再建闘争は、未だ十分な成功を達成していないし、多くの阻害物に直面している。田中の大学支配政策は、それを見こしたかのごとく、一層露骨な独裁管理体制の実現を企てている。ロックアウト、クラス制度の廃止、ゼミの縮小、過重なカリキュラムによる実質的な自治活動の圧殺など、一連の学生の団結の基盤・形態の破壊攻撃にさらに輪をかけるものとして筑波法案は存在している。
 このような政府独占のあいつぐ攻撃にもかかわらず、全国学友の生活と権利を守り、中教審大学化に反対する不満と抵抗は圧殺されてはいない。
 学生層の中に存在する巨大なエネルギーは、正しく組織されなくてはならない。昨秋の学費値上げ反対闘争、早大闘争は、われわれに重大な教訓と任務を提起している。われわれは、今日の日本学生運動の分裂と停滞を引き起こしている最大の原因であるところのセクト主義と内ゲバ、大学の暴力支配との闘争を大衆的に推進しなければならない。このような原則的な立場こそが、真に大衆的な全員加盟制自治会確立の基礎である。
 クラス・サークルを基礎とした全学の統一した闘いは勝利のために不可欠の前提であり、下からの大衆的統一に支えられてのみ全員加盟制自治会を建設しうるであろう。全員加盟制自治会の再建・強化は、中教審答申の「自治会否定」あるいは破壊攻撃との闘争であり、学生の政治活動、自治活動の自由、結社の自由を擁護・拡大する闘争である。
  政府・独占資本の大学と学生への攻撃が明確に学生自治会の破壊と、いっそうの分断化を狙って提出されている現在、学生の最も有効な統一の制度的保障としての自治会再建・強化の闘争は不可欠の任務であり、最も目的意識的に進められる必要があろう。
 われわれは、自治会のもつ戦闘的意義を正しく宣伝し、自治会の再建・強化にむけた学友の意識を組織しなければならない。
 この間、一方において存在した大衆運動主義的な傾向が、自治会のもつ戦闘的意義の宣伝と学友の意識の組織化において果たしてきたマイナス側面(自治会建設における日和見主義)を克服し、全員加盟制自治会の再建・強化を闘いとろう。

カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動 | 民学同第十二回全国大会基調報告(一般政治・任務方針) はコメントを受け付けていません

民学同再建第1回(第12回) 全国大会招請状 1973年2月15日

民主主義学生同盟再建第1回(第12回)全国大会招請状

                  民主主義学生同盟統一会議 全国常任委員会

再建第1回大会招請状

再建大会招請状(1973年2月)

全文PDFはこちら

日時:(1973年)3月4,5,6日
場所:〇〇 (会場は、後日連絡)

<民学同の一層の全国的発展めざし、全同志の総結集を呼びかける!>

全国全支部、全同盟員諸君!!
 大衆的発展めざし「学生共闘」派諸君との不正常な関係に終止符をうち、確固たる全国指導部を建設しなければならない時を迎えている。今我々が闘い取ろうとしている民学同再建第1回(第12回)全国大会はすでに”デモクラート”紙上で何度となく明らかにしてきたように、トロツキズム諸派、民主青年同盟、「学生共闘」派などによって、麻糸の如く分断され、学生大衆の闘うエネルギーを浪費させられてきた日本学生運動を、科学的展望、大衆的な統一戦線の下に組織し、学生運動の前進をきりひらく重大な任務をもっている。
 60年代後半に急速に「発展」した”急進主義的運動”は、不幸にも、その「指導」的地位にあったトロツキズム諸派の誤れる「指導」の下で敗退し、その結果、日本学生運動は、その優れて大衆的・戦闘的な制度的保証=全員加盟制自治会を崩壊・弱体化させた。佐藤内閣を政治的代理人とする日本帝国主義の反動的反人民的内外政策に反対する学生の決起は。70年安保を前にして、再びその戦闘的・大衆的姿=層的決起を実現した。
 しかし、日本学生運動は、政治指導部の分裂と極めて主観主義的政治戦略、民青諸君の闘わない議会主義右翼日和見主義、セクト主義の中で、政府独占の攻撃を許し、今尚、組織の分裂を克服しえていないだけ・・・(一部不明)教育研究条件の悪化、民主的諸権利の制限と弾圧強化、という事態を許しているのである。現状打開の明確な展望が与えられない状態の下では、全国180万学友は、政治的無関心を強制されざるを得ない。だが蓄積された諸矛盾は、学生層をして、不断に、学生生活、権利、教育上の不満を増大させ、個別的、短期的、一学園的ではあるが全国学園闘争後、大学改革、経済闘争は間断なく闘われている。そして、その波は、増々持続的かつ強力に発展し、トロ諸派、民青、学生「共闘」派などのセクト主義、分裂主義、内ゲバ路線をはっきりと拒否し、昨年来の早大闘争、阪市大の3.16闘争の統一した決起の如き、新たな胎動として登場している。
 統一会議の下に結集し、同盟趣意の諸原則の下に、闘い抜いた全支部、全同志の努力は、今や首都、大阪の地に大衆的な不抜の影響力を築き上げつつある。政府・独占の大学と学生への攻撃が強化されているという情勢の下で、単位自治会の民主的再建、強化は、我が同盟の前進と固く結びついているし、又、分断、私物化された全学連の再建に着実な貢献となり、全学生層の行動の統一の基軸を創造してゆく(ことが)急務となって提起されている。
 我々が確固たる全国指導部の確立をかちとらなければならない第1義的理由はここにあるのであり、科学的政策・方針の下に、全同盟員が結集し、個別的闘争を目的意識的、全国的闘争へと発展させる全国指導部確立は、日本学生運動の前進にとって不可避的任務となっているのである。
 第2に、われわれは、統一会議という臨時的な指導部をはっきりと、趣意と規約に基づいた民主集中制の原則に基づく全国指導部の確立で置き換えなければならない。統一会議は、その結成趣意に規定された如く「同盟一部全国委員による暴力的な大会破壊と同盟の趣意・規約の度重なる蹂躙によって、全国委員会が解体された異常な〇〇の下で、全国委員会にかわって、同盟の趣意・規約を守り、同盟を代表し、責任をもって同盟の諸組織を指導する臨時的指導部」であり、「同盟の趣意・規約」に基づく同盟の真の統一を促進・強化するために闘うことを目的として結成された。しかし、今や、学生「共闘」派諸君との全体としての(彼らの指導部)統一が彼らのセクト主義と分裂主義、同盟趣意からの原則上の逸脱の故に、短期的には困難となっている。しかもわれわれは、現政研–学生「共闘」派が同盟「全国委」「民主主義の旗」を僭称し、かつ今尚関西の地で一定限の「活動家」数が存在しているという客観的現状を正しく○○しなければならない。かちとられようとしている全国指導部、中央機関紙の名称は、我々が前進するために、学友がはっきりと区別でき、しかも、民主集中性の原則に導かれたものとならなければならない。第1の任務は、○○担うべき全国指導部の建設、定期的に発行される全国機関紙の確立こそが今我が同盟に要求されている。
 第3の任務は何か。同志諸君!我が同盟は結成以来、10年を迎えようとしている。この間、我が同盟が労働運動をはじめ様々な民主運動の分野に送り出した青年活動家とそのまわりに獲得されている青年活動化の職場におけあえる活動との結合を闘いとる準備を開始することである。
 ○○、日本の民主的青年、学生運動の指導的中核たる民主青年同盟が増々拡大する青年の戦闘的エネルギーを汲み尽くすことができず、議会主義と小ブル民族主義、○○そしてセクト主義によって青年運動において、この任務を正しく行使し得ていないことを考慮し、平和と平和共存、反独占民主主義、青年運動の統一をめざす○○の結集体の建設は、増々重要となって来ている。
 学生運動と青年労働者との同盟、結合は学生運動における正しき道を指し示し、科学と民主主義の思想を○○青年運動の中に最も献身的で、原則的な最良の活動家を送り込むという同盟の任務を一層明確なものとするだろう。
 我々は、今や民学同の優れたOB諸氏に青年活動家の政治的意志の結集体の準備を開始することを、最大限の熱情と共通の同志的立場にたって要請することができるであろう。
 そして最後に、これらの任務を成功裡に推進することは、進歩的、民主的な諸団体との協力関係を一層強め、我々が、全国180万学友の共有財産として、名実ともに全国的大衆的政治同盟として前進することに通じている。
 高崎経済大支部の結集によってかちとられようとしている民学同第12回大会に、全国の同盟員諸氏が一人残らず結集されんことを要請する。
 昨年、3月の第3回全国代議員総会の決定に基づき、民主主義学生同盟再建第1回(第12回)全国大会をここに招請するものである。
 付記
1,今大会は、同盟趣意・規約の諸規定に従って、行なう。
1,大会代議員の選出は、同盟第9回大会開催要綱に基づき、支部総会を開催し、5名に1名の比率で代議員を選出する。(端数切上げ)
1、選出方法は、支部委員会で定数いっぱいの代議員推薦者名簿を作成し、信任投票、他に立候補者がある場合には、定数過半数の不完全連記(例えば、定数10名の場合、6名連記、7名の場合は4名連記)として上位より決定する。同数の場合は、決戦投票とする。
1,支部未結成の時は、統一会議全国常任委員会の指導の下、集合支部制をとる。
1、各支部委員会は、3月2日の代表委員会に、全同盟員名簿と代議員名簿を提出すること。
1、大会開催場所は、組織防衛の見地から、各支部委員会責任者に知らせるので、各支部委責任者の統率で行動されたい。
1,重ねて、全同盟員の結集を呼びかける。
1、この間の闘いで獲得した民主的学友諸君の同盟加盟を実現して、12回大会に結集されたい。

1973年2月15日
 
※古いビラのため、一部判読不能箇所あり。〇〇と表記している箇所があります。 

カテゴリー: 歴史, 民学同, 運動史 | 民学同再建第1回(第12回) 全国大会招請状 1973年2月15日 はコメントを受け付けていません

高崎経済大支部 結集報告 (1973年1月19日市大統一会議)

1973年1月19日 高崎経済大支部 結集報告  (ビラのPDFはこちら)
             民学同市大支部統一会議支部委員会

学共闘派のデマ宣伝を粉砕する あきれ果てた暴挙!
学生共闘派による長期監禁・組織破壊活動は完全に破産!

本日、同盟高崎経済大支部 学生共闘派を拒否し、統一会議に結集!

全ての学友諸君!

市大統一会議ビラ

高崎経大支部 統一会議へ結集(1973/01/19)

 本日、早朝、従来学生共闘派指導部の下にあった高崎経済大支部(群馬県)が、学生共闘派の政治主義、セクト主義、教条主義を批判し、その誤れる「指導」を拒否して同盟統一会議への結集を決定した。民主主義学生同盟市大支部(統一会議)は、一連の事態が明らかになった今日ここに、正式に、この間、市大で学生共闘派が行なってきた「天にツバを発す」式の破廉恥なデマ宣伝を断固粉砕すると共に、全ての学友諸君に事態の真相を訴えたい。
 
 高崎経済大支部、学生共闘派指導部を拒否し、同盟統一会議に結集!
 
 我が同盟の、この間の飛躍的前進を象徴する一つの輝かしい成果を報告したい。これまで学生共闘派の指導下にあった民学同高崎経済大支部(群馬県)が、彼らの誤れる指導を拒絶し、本日早朝、全支部メンバーの賛成の下、我が民学同統一会議の隊列に合流したのである。
 同支部は、北関東における指導的中核部隊として大きな大衆運動をつくりあげてきた。しかし、真の同盟趣意・規約の立場を擁護し、発展させる大衆的実践活動は、当然、学生共闘派の誤れる指導とは矛盾せざるを得ず、これを克服せんと支部全体の討議をふまえ、自らの立場と同一の民学同統一会議の下に結集する全ての支部、同志と共に闘うことを打ち出し、11.18、12.16被爆者援護法制定全国集会を第1派として共同行動をとってきた。
 この中で学生共闘派は、全く醜い組織破壊を行なってきた。しかし同盟高崎経済大支部は、我が同盟東京都委員会の協力の下、彼らの策動を断固としてはねのけ、1月16日支部委員会で、本日支部総会で民学同統一会議への結集を決定した。
 この決定はまさに、この間の一連の「事態」のその結論として把握しなければならない。学生共闘派がいかにデマ宣伝を行なおうと、焦りの中で組織破壊に乗り出そうとも、彼ら指導部の誤りを隠蔽することはできず、関西から20数名を動員した馬鹿げた組織破壊策動の一切が徒労にきし、逆にその誤りを更に露呈したにすぎなかったのである。
 
 学生共闘派の組織破壊活動、長期監禁を断固糾弾する!
 
 11月22日、高崎経済大支部が「『全国委』の指導を拒絶する」旨を決定して以降学生共闘派は、高崎経済大支部に対して、醜い組織破壊活動を繰り返してきたのである。
 彼らは、冬休み中、東京、大阪、京都、長野、鹿児島、名古屋等々、全国をまたにかけ、場合によっては「全国委員」を公然と名乗り、客観的には家庭(官憲に通じないという保障はない)に持ち込み、また今年には「オルグ」と称して同盟員、支持者、サークル員の下宿におしかけ、(鍵がかかっている場合には、それをこじあけ、机、引き出しをあさって、資料を持ち出すという暴挙すら行なっている)更に軟禁、監禁を強行した。
 16日には高崎経済大支部委員長をとらえ、それ以後40時間にわたって長期監禁を行なう等、全く基本的人権を無視した蛮行が相次いでいた。
 我が同盟は、かかる暴挙、同盟組織破壊を断固糾弾する。
 学生共闘派は、これらの一連の事実にこそ真剣な検討を加え、明確な態度を示すことなくして一切を語る資格がない。
 我が同盟は、まず第1に諸君にこれらに関する明確な態度表明を要求する。
 ついでに言っておくが、我々は学費、寮、3.16闘争等の緊急な大衆運動の責任ある立場にあるが故に諸君の様に大衆運動破壊に通じる”確認書採収趣味”ももっていないし、それほどヒマ人でもない。早急に責任ある回答が寄せられることを期待する。
 
 デマ宣伝を粉砕する!
 学生共闘派のデマ宣伝は全くあきれ果てるばかりである。
 自らの破産に基づく今回の高崎経済大支部問題に対する真剣な検討を抜きに、デマ宣伝で組織内の動揺を押さえることにキョウキョウとしている。
 我々ははっきりと断言する。
 彼らが言うテロ・リンチに相当する行為は一切なかったし、奇妙なことに、彼らのいう「テロ、リンチを受けた」はずの早大生は、翌日から。高崎経済大支部員の監禁活動に奔走しているではないか?
 又、17日高崎経済大支部委員長を「本人の同意の下」というデマをふりまきつつ長期監禁し、連絡をたたれ、身体の安全すら確認できない下で、連れ去った場所の確認をせまることすらテロ・リンチと誹謗中傷を加えている。
 全くあきれるばかりの居直りの論理である。
 一つの出来事を、一連の諸関係の中から恣意的によりだし、ましてや、それの拡大解釈、尾ひれをつけてのデマ宣伝を行なう。
 「ウソも百篇」のたとえとは裏腹に、諸君がいくらデマ宣伝を行なおうとも、分別ある市大の学友には一切通用せぬことを忠告しておきたい。
 
 全ての民主的学友は民学同に結集し、統一会議と共に闘おう!
 
 全市大の学友諸君!
 日本学生運動は、今日、労働者階級の大衆的高揚、極左街頭武闘路線の破綻の中で、セクト主義、政治主義を拒否し、クラス、サークル、ゼミを基礎に大衆的、戦闘的、民主的自治会運動の確立をめざす力強い息吹きを生み出している。市大においても同様に、戦線のセクト的分断に奔走する者は、クラスからの総反撃、孤立の淵に追いやられている。
 今こそ、全ての民主的学友は、民学同に結集し、統一会議と共に、市大学生運動の大衆的強化、学生運動の統一の共同の任務に参加されんことを呼びかける。
 学生共闘諸君!諸君らは、事態の本質をはっきりと捉えるべきである。
 何故、諸君らが建設したはずの高崎経済大支部が、諸君の隊列を離反し、我が同盟統一会議に結集したのか。
 問題を人間的つながりや、偶然的な事柄において把握することなく、民学同の原則的立場と諸君の運動路線の矛盾の必然的結果として捉えなおし、真摯な討議を巻き起こすことなくして、その真の回答を得ることはできない。
 そして、そのことが、政治同盟として今回の問題に対して、まず為さねばならないことではないだろうか。
 (追記)先ほど、高崎経済大支部から、今回の問題を通じて、我が同盟東京都委員会をはじめ全国の同志の支援に深く感謝する旨、連絡が届いている。
 
 1973年1月19日    民学同市大支部統一会議支部委員会

※ このビラに反論するように、「民学同」市大支部(学生共闘派)のビラ
  紹介しておく。テキスト化はご容赦ください。
  (高崎経済大支部の統一会議結集には、全く触れていない)
 
 

カテゴリー: 歴史, 民学同 | 高崎経済大支部 結集報告 (1973年1月19日市大統一会議) はコメントを受け付けていません

民学同第2次分裂(C)再建12回大会開催→中央委員会確立

民学同第2次分裂(C)再建12回大会開催→中央委員会確立
 
 1973年3月民学同統一会議は、「再建第1回(12回大会)」を開催し、民学同を再建する。再建された民学同(中央委員会)は、筑波法案阻止闘争、日共の反民学同キャンペーン・差別キャンペーンとの闘い、平和運動・原水禁運動、狭山闘争などを通じて、学生戦線の統一のための闘いを推進した。
 1973年12月には、学生共闘派指導下にあった「桃山学院大学支部」も合流していく。

 第12回大会文書を中心に、資料を整理していきたい。

【経過】

1973年1月                   同盟組織の飛躍的強化へ 10周年記念テーゼ作成の成功を
                                      (  デモクラート No34 73年1月16日 )

1973年2月      再建第1回(第12回大会)招請状

1973年3月                    民学同第12回大会(中央委員会を確立)「12回大会テーゼ」

1973年4月                   「新時代」誌創刊号 「学生共闘派」批判

1973年6月      筑波大学法案阻止中央行動 首都に1500名

1973年6月      民青「反民学同キャンペーン」(学生新聞)
日共・民青の「反民学同キャンペーン」と同盟の任務
(「新時代」誌 第3号 特集)

1973年9月      民学同創建10周年記念集会

1973年12月                   桃山学院大学支部 中央委員会に結集
1973年12月12日    学生共闘派 脱退宣言 (桃山学院大学支部総会決議)
1974年1月8日     民学同桃山学院大学支部機関紙「新時代1号」
1974年1月16日              結集を熱烈に歓迎する      デモクラート 48号
1974年1月16日     学生共闘派 目を覆う堕落と荒廃 デモクラート 48号  

1974年3月      民学同第13回全国大会

【文書リスト】

「新時代」誌創刊号(1973・4)    第12回大会テーゼ任務方針「学生共闘派」批判
「新時代」誌 各号

「学生新聞」    反民学同キャンペーン (1973年6月6日号)

「新時代」誌 第3号 特集:日共・民青の「反民学同キャンペーン」と同盟の任務

民学同桃山学院大学支部機関紙「新時代1号」 (1974年1月8日)
「学生共闘派 脱退宣言) (桃山学院大学支部総会)

「デモクラート」 No48  74年1月16日 桃大支部結集

民学同大阪市大支部 「新時代(ビラ)」(1973年 ~ 1976年)

「民主主義の旗」「デモクラート」「新時代」各号 

 

カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動, 運動史 | コメントする

10周年記念テーゼ作成の成功を (デモクラートNo34)

同盟組織の飛躍的強化へ 10周年記念テーゼ作成の成功を

                      デモクラート No34 73年1月16日

 1973年は我が同盟にとって記念すべき年となろうとしている。1973年は、我が同盟が民主青年同盟の当時の指導部の不当な除名行為によって組織されてから10年を迎える年である。最初、大阪の地に組織された民主主義学生同盟は、歴史的な大管法闘争を大阪府学連の闘争を中心として組織した。
 しかし、二度にわたる同盟隊列の分断は、我々の前進を停滞させてきたことの否定できない原因となってきた。だが、我々は、今、約3年間の闘いの中から、首都、大阪で強固な大衆的基盤を創り上げ、関東、関西で力を拡大し、73年冒頭高崎経済大学支部の結集でもって、新たな前進への局面を迎えている。
 我々は、高崎経済大学の同志が現政研-学生共闘指導部の誤れる指導を拒否したことを熱烈に歓迎する。
 我々は、すでに全国学友の闘う方針を明らかにするテーゼ準備会議を数度にわたり開催してきた。
 テーゼ作成の成功的前進が我が同盟の一層の団結強化・大衆化・全国化と学生運動の発展に貢献することは疑いない。高崎経済大学の同志の結集は、我々の目的=民学同の民主的再建・統一の過程の画期的前進である。この過程を更に推し進め、来るべき全国指導部の建設へ前進しよう!

<統一会議結成の目的と経過>
 民主主義学生同盟統一会議の結成は、一部の誤れる少数指導部の小児病的偏向から真面目で戦闘的な同志を解放し、民主主義学生同盟の民主的統一を闘いとることにあった。当時組織内部にあった意見の対立は、決して克服しえず組織分裂を引き起こす程、深刻なものではなく、組織内民主主義の徹底による同志的な全同盟的討論と実践の検証によって克服可能なものであった。
 しかし、全国委員会の一部多数を頼みの綱とする4全国委員は、同盟の趣意・規約、民主集中制の原則、情勢が要求し又学生大衆の基本的利害に関わる組織統一と団結を拒否し暴力的に第12回全国大会を破壊し、組織分裂を強行したのであった。我々は意見の相違を絶対に回避できるとは考えない。むしろ我々があらゆる大衆運動の先頭に立ち、平和共存・反独占民主主義の前進と学生運動統一を目指す立場を承認するだけでなく、いつでもどこでも通用するような一般的真理を絶叫する「一般屋」-紋切り型の教条主義・セクト主義ーとは無縁であるがゆえに、更に今日のように、民主勢力の内部の理論的思想的混乱が著しく、ブルジョア・イデオロギーが氾濫している中では、意見の相違の発生は不可避的だと言っても過言ではない。民青、トロツキズムとの激しい闘いの中で我が同盟を全国化させた先輩は優れた教訓を残している。「大切なのはこの場合討議論争は説得と納得にもとずいてのみ行なわれ、行政的に行なわれないこと。論争はわかり切ったことについては起らず、一局面から他局面の移行期や重点をどこにおくかに対して起って来るのである。論争には節度を守ること、機関は論争の対立点を明確に徹底させ、正しい少数意見が急速に多数に転化できるよう処理することが大切である。・・・同盟内の言論の自由とは各自が無根拠な勝手なことを無制限に討議するためにあるのではなく、科学的真理(具体的認織)が組織内に貫徹するための絶対的条件であるということ、民主主義とは指導と責任と規律が不可欠の条件としてあることを深く確認することが必要である。」(同盟第4回大会組織方針書)
 意見の対立を解決する努力ではなく、「民主集中制」の名の下に、問題を単純多数決主義、行政的処理、暴力行使、市大での新同盟員加盟拒否など官僚的組織運営に狂奔した学生共闘派指導部(四全国委員)は、現代政治研究会(現政研)なる分派グループの結成を先行させていた。我が同盟の指導的機関ー全国委員会の討議と決定を無視し同盟破壊を準備していった(「大学の民主的変革のために」現政研編集とこの書物の一方的持ち込みはその端的な表現)のである。
 
<その後の変化—学生共闘派の偏向の純化>
  ー全体としての統一の困難化ー
 
 原水禁運動の統一的開催(学生階層別集会)の努力、関西の地における安保・沖縄・ベ反戦闘争の過程で、運動統一の努力、とりわけ大阪市立大学での大衆運動統一に関する学生共闘指導部との話し合いを我々は何度となく行ってきた。
 しかしこうした我々の努力にも拘わらず、彼ら学生共闘指導部は、その都度セクト主義的な態度に固守し、統一会議に結集する同盟組織の存在すら頑強に否定し、我々に対して”脱落分子””ウジャラ”という恣意的レッテルのみを投げつけてきた。そして、統一とは、双方の平等の立場の確認からではなく、常に”我々の集会に参加せよ”という立場からの全く独善的な提案であった。この唯我独尊のセクト主義は、71年の原水禁学生階層別集会においては、平和組織の確認を公然と否定し、大衆集会の場をセクト主義的な「党派」闘争の場に転化するという大衆運動の破壊行為に導いた。その秋、10・21国際反戦闘争の準備過程においては、大阪市立大学において、革マル、ブンドー黒ヘルアナーキスト、学生共闘派の学生大会開催をめぐる主導権争いの中で遂に、京大生を中心とした外人部隊(ヘルメット・鉄パイプ・角材で武装)を導入しての集団的「内ゲバ」事件を引き起こすに至っている。他党派を学生大会(学生の意思決定機関)から排除することをもって、学生戦線を領導せんとする著しいセクト主義・ヘゲモニー主義は、テロ・恫喝・日常的暴力でもって、学内を制圧するという革マル、中核、ブンドなどトロ諸派の「革命的暴力」-内ゲバの論理に彼らを転落させた。
 本来、我が同盟の重大な任務の一つは、日本学生運動の”セクト主義という業病”と闘い、民青、トロ諸派の誤りを克服することにあった。学生共闘諸君の一連の行為は、悪しきセクト主義、分裂主義のミニ再生産でしかない。
 学生共闘諸君は、増々、その街頭政治主義的誤りを深刻にしている。あの全国学園闘争の政府・独占、警察権力による強権的収拾の過程で、トロ諸派ー全国全共闘(八派連合)が街頭極「左」主義に転落する中で、学生共闘派諸君もまた、学園における反動攻勢との対決を放棄し、佐藤訪米阻止首都全力動員という学園逃亡路線=街頭政治主義へと傾斜していった。この街頭政治主義は、最近では”政府・独占の軍国主義強化”からあらゆる矛盾を説明し、軍国主義強化反対の街頭行動に従属ないし解消するという事態に発展している。大阪市大における3.16闘争を沖縄闘争の障害物と断定すると言う彼らの誤りは、その政治セクト主義の典型であろう。
 我々の街頭政治主義批判はその時々の情勢が要求する全国民的政治課題を労働者と連帯して闘うことを軽視或いは無視することではない。大学及び学生に対する攻撃と独自的に対決しつつ政治的バクロを組織しつつ反独占勢力と連帯しつつ闘争の先頭に立つことである。我々は訪米阻止闘争を、全都、全大阪の規模で学園の統一を基礎に数千の決起で闘い抜いたし、他の任務についても同様であった。学生の利益を擁護することの放棄は、大衆的学生運動の放棄である。
 大衆運動の統一を基礎としない彼らの学生運動の統一とは、”我が派の全国制覇””自治会執行部の掌握”を前提として語られ、従って、そのような条件が存在しない現在では党派の自己形成=主体形成論、活動家のみの政治行動、そのための全関西(全大阪、全京都)学生共同闘争実行委員会運動として設定されている。我々はあらゆる形態での実行委員会形式を否定するのではなく、それらの提起がおかれた条件最大限の大衆的支持を結集しているか、どうかを問題としなければならない。学生共闘諸君についてはこの努力が放棄され、「科学的情勢分析と大胆な行動提起」の名の下に、セクト主義的行動が合理化されている。学生戦線の統一は、全員加盟制自治会、あるいは、それに準じる形でのクラスその他の自治会基礎組織に依拠して、大衆的イニシアティブが発揮される形を原則的立場としなければならないし、その方向を不断に追及してのみ、層としての学生運動の発展があるのである。
 
<学生運動の現状と我が同盟の任務>

 全国学園闘争の爆発的高揚は、それが極めて自然発生的であったとしても、高度経済成長と科学技術革新の発展それらが深刻な矛盾を大学に蓄積した結果の鋭い反映であった。全国学園闘争の提起した諸問題ー最早、古くさくなった一部特権者のみ都合のよい大学の研究、教育制度、若手研究者、技術者、院生、学生の無権利状態、貧困な研究教育施設、学生の貧困な生活実態、高等教育の大部分が私的営利業者=私学資本に委ねられているという教育の公的性格とその私企業的形態との矛盾が何ら解決されないまま強権的な収拾=大学法強行成立による機動隊導入によって終息させられた。かかる政府・独占の勤労諸階層との間の矛盾は、すでに同一年齢人口の四分の一強にまで増大した学生層の現在と将来に鋭い影響を与えている。全国全共闘の崩壊、内ゲバ抗争、連合赤軍事件を最後的指標として破産を宣告された武装闘争路線・街頭政治主義路線の破綻は、「革命的」空文句の虚構が破綻したしただけでなく今日の学生層が置かれた客観的基盤を無視するところくる必然的帰結であった。
 今日、学生運動の大衆的・戦闘的展開は、学生層を規定する社会経済的諸関係、それらが規定する鋭い反独占的要求の同質性の確認から出発しなければならない(このことは即自的に学生が反独占的意識を持っていることを意味しない)。
 今日の学生戦線の混乱と分裂は、革新勢力内部の理論的思想的混乱、その結果としての諸政治潮流の存在に現象している。それ自身誤った主観主義的な政治展望(非合理的・非現実的なそれ)に基づいた政治戦略、戦術、学生運動論が露骨なセクト主義を伴って、学生運動に直接持ち込まれている。このことが学生運動の合目的的な前進を妨げているのである。
 マルクスの次の指摘は教訓的である。「『宣言』の普遍的な見解のかわりに、ドイツの民族的見解が主張され、ドイツの手工業者の国民感情に媚びへつらっている。『宣言』の唯物論的見地のかわりに、観念論的見地が主張されている。現実の諸関係ではなくて意志が革命の眼目だと主張されている。・・・民主主義者が「人民」という言葉を単なる空文句として使ってきたように、いまでは、『プロレタリアート』という言葉が単なる空文句として使われている。この空文句を実行するためにすべての小ブルジョアをプロレタリアートと宣言し、従って実際にはプロレタリアではなく、小ブルジョアを代表しなければならなくなるだろう。真の革命的発展を、革命と言う空文句とすりかえなければならなくなるだろう。(1850年9月15日の中央委員会決議)学生=プロレタリア論(トロ諸派)、学生=民主的インテリゲンチャ論(民青)、平和と民主主義の意識から学生層を特徴づける学生共闘(現政研)派、これらすべては、戦後の資本主義の高成長政策、科学技術革命の進展が引き起こした諸変化=労働者階級の一層の量的拡大と構成の変化、大学の大衆化と社会関係の変化、学生の地位の変化ーに無関心であり、唯々”敵=権力””政府・ブルジョアジー”の攻撃という形で、言い古された”権力問題”の空文句を氾濫させているのである。
 学生層の利益をいかに擁護・発展させるかということ、大衆団体の独自的目的の実現に政治同盟がいかに貢献するか、これは何よりも政策の科学性とその実現のための献身的活動、学生大衆の結集と統一において保障され、政治同盟の成長と拡大・強化がこの大衆運動の発展と照応するという意味で党派性を理解しなければならない。党派に系列化された「全学連」に象徴される分裂状況を克服し諸潮流の政治的偏向と闘う力は、科学的政策に導かれた大衆運動とその力を背景とした正しい統一政策である。
 われわれは、民学同の趣意ー我が同盟の目的が依然として変わらないばかりか、逆に増々強調しなければならない事態に直面している。
 
 <全国学友は、闘いの指針を求めている>
        10周年テーゼの必然性

 トロ諸派の理論的実践的破産、民青諸君の一層の右傾化は、内外情勢の激変の中で、増々明らかになると共に強まる政府・独占大学と学生支配の攻撃に有効に対決しえないことが明らかになっている。昨年11月以降の早大学友の闘いはその集中的表現であった。政府・独占の大学再編攻撃は、中教審答申、教養審投信の実質化の過程が、筑波大学法案国会上程、教育系大学のモデル大学構想、旧7帝大の大学院大学構想として進められ、大学においては一部特権層の独裁管理体制の強化ー新大管法制定策動として進められている。
 政府・独占の受益者負担主義政策は、相次ぐ私学における学費値上げを強行する私学資本と一体になって。学生生活と大学教育を極度に破壊している。
 また、米帝国主義と並んで強力な帝国主義として成長した日本帝国主義は、その反動的本質を露骨にしている。米帝国主義のベトナム侵略に唯一、公然と加担していること、四次防、独自核武装、計画、北方領土返還要求の強行に見られる反社会主義、反民族解放の政治姿勢に示される危険な軍事対外政策は、アジアの反動の盟主たらんとする野望の表現である。発表された四八年度政府予算の大衆収奪強化・インフレ増進、独自本位の財政政策は、十二月衆院選で示された反独占諸階層の要求に敵対している。だが、発足した田中内閣のかかる内外政策は、増々深刻化する日本帝国主義の危機・矛盾の反映であり、逆に前進する世界の反帝平和勢力の前進、高まる国内反独占勢力の規制を受けているし、帝国主義間矛盾の激化は、世界の三大進歩勢力の前進に有利な条件となっている。
 第二次田中内閣の政策は、労働者・学生そして、世界の反帝・平和勢力の抵抗を受けざるをえないし、現実に受けている。
 だが、この抵抗、反対の闘争が現実的かつ根本的な解決を強調する政策と主体的条件の整備がない限り、着実な勝利はかちとりえないであろう。また、全国学友は、これらの諸攻撃と対決する、諸戦線における闘いの指針を要求している。
 われわれは、学生運動の新しい成功と発展をかちとり、民主集中制に貫かれた強固な同盟建設、学友の期待に応えうる理論的・思想的強化を闘いとらねばならない。
 この間、蓄積してきた自治会運動、平和–原水禁運動、部落研・解放研運動、大学闘争等の成果を正しく総括し、70年代学生運動の理論的、実践的指針としていかなければならない。
 ”同盟創立10周年記念テーゼ”は、かかる情勢の客観的要請と民学同の民主的再建・統一、大衆的・全国的同盟への成長という我が同盟の組織的任務の二つの理由によって一層重要となっている。
 
 <再度、我々の基本的立脚点を明らかにする>
 
 テーゼ作成の主たる目的は、我が同盟の趣意の諸原則に立って、諸政治潮流の誤りを明らかにし、理論的・思想的混乱を克服することであり、学生運動に要求される諸課題と当面する基本政策を明らかにすることである。
 平和と平和共存、反独占民主主義、学生運動の統一、これが他の諸潮流と区別されるわれわれの基本的立場である。この基本的立場は、今日の世界の主要な平和と進歩の勢力の努力、第1に、社会主義世界体制、第2に、発達した資本主義国の労働者階級、勤労諸階層、第3に、反帝・民族解放運動の闘争に依拠している。
 すでに何度となく述べてきているが、今日の学生戦線の分裂と混乱の克服は、まず理論的な対立点の評価から始めて可能になりうる。支配階級=独占資本の側から出される種々のデマゴギー、小ブルジョア的な急進主義、民族主義、反ソ・反社会主義宣伝等々と有効にん対決するためにも、基本的な理論的立場の確認と科学的な情勢分析、我々の任務を具体的に明らかにしなければならない。
 
 1、社会主義世界体制と同体制間の闘争
 ①社会主義世界体制の強化と緊張緩和、平和共存の前進
 ②帝国主義の諸矛盾と激化と階級闘争の激化
 ③米帝国主義の衰退と世界支配政策の特徴
 ④中国現政府の危険な行動とその役割
 2、日本帝国主義–その動向と直面する矛盾
 ①田中内閣の外交・軍事政策の狙いと矛盾
 ②田中内閣の国内政策–列島改造・超高度成長政策
 ③中教審答申に基づく資本主義的合理化の本質と現段階
 3、学生運動の現状と我々の任務
 ①68-69大学闘争以降の学生運動総括
 ②今日の学生層の特徴
 ③学生同盟論、学生運動論
 ④全員加盟制自治会と学生運動統一の方向
 ⑤諸戦線の現状とわれわれの任務
 4、諸党派批判
 民青、中核、革マル、ブンド、学生共闘等。すでに二度にわたって、会議を行ってきたが、3月の同盟の全国化、総結集に向けて今後も討議を継続し、民主主義学生同盟の飛躍的前進の武器としてのテーゼの作成を成功させねばならない。
 全国の学友諸君、諸同志が1-2月の闘いの中で、一層の前進をかちとり、この作業の成功に援助・参加されることを訴えるものである。
 
 
 

カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動 | 10周年記念テーゼ作成の成功を (デモクラートNo34) はコメントを受け付けていません

デモクラート 第33号

デモクラート 第33号 1972年12月1

米政府は即時和平協定調印せよ!
合意9項目の修正許すな

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】学費値上げ阻止し、中教審反対実質化大管法策動と対決しよう
早大リンチ事件とその本質
2面 立教大で値上げ阻止す
(故井関氏の)遺志を受け継ぎ前進しよう(大阪市大、3.16闘争)
ロックアウト粉砕へ(明大)
カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動, 運動史 | デモクラート 第33号 はコメントを受け付けていません

デモクラート 第32号

デモクラート 第32号 1972年11月7

米政府の調印延期糾弾!
ベトナム和平9項目断乎支持

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】ハノイ声明に応え、和平協定実現・戦車輸送阻止かちとろう
M28戦車ベトナム急送阻止
2面 私学学費値上げを阻止しよう
闘争弾圧・管理強化はねのけ、続々反撃開始(明大、立大、洋大 他)
カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動, 運動史 | デモクラート 第32号 はコメントを受け付けていません

デモクラート 第30号

デモクラート 第30号 1972年9月13

【民主主義学生同盟 創立9周年記念特集号】

ベトナム労働党・欧州諸国共産党の呼びかけに応え
皆殺し北爆即時中止へ国際連連帯行動を

 

1面  ←PDFは、こちらから 相模原戦車輸送強行を阻止し、侵略加担と対決しよう
インドシナ 重大な局面に
2面 【主張】国際連帯を強め皆殺し戦争に終止符を 同盟全国化へスクラム強化(同盟第4回全国代表者会議)
3面 生活破壊、格差差別再編を許すな
4面 民学同9周年にあたって(初代委員長
資料:第4回大会組織方針
カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動, 運動史 | デモクラート 第30号 はコメントを受け付けていません

大阪市大支部統一会議 発行ビラリスト(1972・1973)

 以下に、1972年~73年に発行された、市大支部統一会議発行のビラを紹介します。なお、手元に残っているものだけなので、すべてではありません。また、発行期日については、内容によって判断しておりますので、間違いがある場合があること、ご容赦ください。(発行日付にPDFリンクさせています)

1972年11月10日ビラ

市大統一会議ビラ
1972年11月10日

★1972年6月23日
革マル・学生共闘の「学大」は破産した!
本日、反安保インドシナ反戦闘争に市大統一行動で合流せよ!

★1972年6月26日
春期インドシナ反戦・反安保を継承し、
8月原水禁世界大会の成功を克ち取ろう!

★1972年10月9日
10.21国際反戦デーにクラスから決起を!

★1972年10月12日
全てのクラスで10.21ベトナム反戦の嵐を!

★1972年10月20日
10.21総評労働者と連帯し、2時大阪城公園へ
クラスから市大統一隊列で結集しよう!

★1972年10月23日
48年度学費値上げ阻止へクラス学科から闘いを準備しよう!

★1972年10月23日
10.21クラスから市大統一隊列で150名決起す!

★1972年10月27日
追い込まれるニクソン・チューに最後の鉄槌を!


★1972年11月10日
市大学費値上げ阻止へクラスから直ちに闘いを開始しよう!

私学闘争に連帯を!

★1972年11月13日 (「新時代」)
クラス学科で討論・学習会を組織し、値上げ阻止を闘う体制を構築せよ!

★1972年11月15日
全てのクラスから学費闘争の嵐を巻き起こせ!

★1972年11月17日
学習会討論会を組織し、クラスから

学長・学部長団交を直ちに準備せよ!

★1972年11月20日 (「新時代」)
学長・学部長団交に向け、クラス討論を直ちに展開しよう!

★1972年12月4日
クラス学科での討論・決議の成果を踏まえ、
学部長団交を実現し、全学闘争態勢構築へ前進しよう!

★1972年12月6日
本日、文学部長団交に結集し、
市大の闘う総力を結集し、学長団交へ!

★1972年12月8日
闘う総力を結集し、学長・協議会団交へ前進しよう!

★1973年1月8
市大学費値上げ阻止、新寮獲得に向け、
学長団交、学生大会実現へクラス決議、要求署名を集中せよ!

★1973年1月16日
1.22学生大会をクラスから準備し、
学費値上げ阻止、新寮獲得を克ち取ろう!

★1973年1月19日
学生共闘派のデマ宣伝を粉砕する
あきれ果てた暴挙!学生共闘派による長期監禁・組織破壊活動は完全に破産!
本日、同盟高崎経済大支部、学生「共闘」派を拒否し、統一会議に結集!

★1973年1月22日
デマと暴力で大衆運動破壊に狂奔する学「共」派糾弾!
一切の努力を集中し、学生大会の成功へ

★1973年2月17日
2/1–17 全学スト貫徹す!
市、市大当局の沈黙を許さず、闘争態勢を継続せよ!

カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動 | 大阪市大支部統一会議 発行ビラリスト(1972・1973) はコメントを受け付けていません

デモクラート 第36号

デモクラート 第36号 1973年4月3

【同盟第12回(再建第1回)大会特集】
第12回再建全国大会成功
筑波法案粉砕へ固き決意

1面  ←PDFは、こちらから 統一会議の活動踏まえ中央委員会確立す
中央委建設に際して全国学友に訴える
2面 【主張】田中の独占体奉仕政策許さず、生活破壊・反動強化と全面対決
4月5月全国学園ストライキを
3面 危機深まる反共軍事ブロック
大阪市大 学費闘争勝利す
動労を孤立させるな
4面 同盟第12回大会・大会テーゼの画期的意義について
大会への来賓挨拶
カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動, 運動史 | デモクラート 第36号 はコメントを受け付けていません

日本構造改良各派の総括とその批判

現代革命論としての構造改良論(完)
 日本構造改良各派の総括とその批判
                   勝部 元
    (初出 季刊構造改良 第6号 1972年2月5日)

 はじめにのべたように、日本構改派各グループの政治指導者自身によるみずからの軌跡の総括は、まことに乏しいし、したがって解体・蒸発した各政治セクトの再生も、まだ本格的に日程にのぼってはいない。
 まず離党の中心人物であり、旧社革→統社同→統一有志会の道をたどり共労党に参加した春日庄次郎氏(1)はつぎのようにのべている。
 「イタリアのいわゆる構造改革路線というものは、イタリア以上に日本では、構造改革というものをひとつの路線にまとめあげ過ぎたのです。そのとき、やっぱり日本マルクス主義のひとつの欠陥なんだけれど、外国の理論とか運動の経験とかを、それが背負っている運動の歴史的な背景や基盤というものと引き離して、その結果だけを、直輸入してくる。そこで、イタリアの構造改革路線を実現し得るための大衆的な基盤、闘争の蓄積、そういうものは捨象されてしまって、路線だけが入ってくるということになる。
 イタリアでは、反ファッショ闘争で武力闘争もやって、なん百万という党員をかかえている。戦闘的な労働組合の基盤がある。そういう主体的条件が日本にはない。したがって路線の展開については、運動を下から支えていく闘いを組まなければ、路線だけしくというと、修正主義か、右翼日和見主義におちてしまう可能性があるという点は、ぼくらのような実践活動の経験のあるものにとっては、かなり疑問があった。それが、われわれが代々木共産党を離れ、社会主義革新道動を通じて、統一社会主義同盟を形成するなかで、そういう欠陥は、しだいに露出されてきたと思います。自らその路線を実践的に展開する大衆運動的基盤というものを、開拓しないで、それは社会党に依存してしまうということになるのでは、結局、構造改革路線というのは、社会党でもやっていけるということになるので、構造改革についての、こういう理解は、おのずから【構造改革路線というものが、革命党の革命路線ではないことを示すもので、日本の構造改革路線といい、構革派というものが、イタリア共産党の路線と質的に違ったものであることを示すものです。」(『日本共産党史—私の証言』 日本出版センター、二九〇ページ)
 かれが離党当初いだいた雄大な構想–ひろく党内外の革新的分子を結集し、革新戦線の統一を促進する–は、実現の可能性をもったものとして洋々たる前途を展望させていた。けだし、当時日共の誤った路線と官僚主義的体質にあいそをつかし、それから離れて個々ばらばらの状態にありながら良心的革命的精神を失っていないノンセクトの革新的分子が一〇〇万人は存在していたと思われるし、またこれを反独占構造改良の旗、社会主義革命の旗の下に結集し、社・共をふくむ反独占フロントにまとめあげることは、絶対不可能だったとはいえなかっただろう。残念なことに、このとき独自の主体と大衆運動形成の努力がはらわれず、「社会党なだれこみ」方式の中に、「政策提起集団」、「理論切りうり屋」として自己崩壊をとげてしまったことは、春日氏にとってはこの運動の総帥として、この十年を回顧して感慨無量であったであろう。筆者もまた、構改派理論家のはしくれとして、自己の責任を痛感している。もしヨーロッパの例でいうなら、日本構改派がイギリスのニュー・レフトの方向でなく、フランスのPSUの方向に舵をとっていたなら、事態はことなった状態となっていたかもしれない。PSUと五八年五月革命の場合のように六八、六九年の学生大衆の大激動に、賢明に対処し、この政治的エネルギーを空転させることなく(2)、自己の財産として定着する道もまた不可能であったとは思われない。

(1)尊敬する日本革命運動の大先輩、春日庄次郎氏(「われわれは新左翼・反戦派の潮流にわれわれの立場・足場をおいている」『現代民主主義会報』第十八号)を始め、山田六左衛門氏、亀山幸三氏(「いいだ・もも、武藤一羊らはべ平連や学生運動(全共闘系)と共同する方向で闘って(いわゆる三派系の一翼)いるが、わたくしは、今は、ややそれに近い立場にある」『再建闘争ニュース』七一年五月二五日号)らが今なお新左翼の青年たちに一種の希望を託していられる姿は、いたましく心うつ。わたくしをふくめ周辺の人々の責任、人間的信頼、ヒューマニズムの欠如にも問題があろう。わたくしもまたつねに青年に賭けてきたものの一人だが今のままのべ平連や新左翼系学生運動からは、マルクス主義の新しい潮流が生まれるとは到底思えない。その点ではわたくしは懐疑的である。かけるべきは新左翼に同調できずしかもなお知性と行動への意欲を失っていないこれからの青年、学生大衆と労働者青年大衆であろう。
 なお現在、現代民主主義研究会(機関紙『現代革命と民主主義』)という小グループによっている春日庄次郎氏は、私信によれば「構革派とは何であったか、何をしようとし、どこで間違い、何故現状のようになったか」についての「批判的総括」をまとめていられるようなので大いに期待している。
 
(2)ただ大森、松葉、小寺山氏ら中間派グループの批判–「ここ数年間の階級闘争の総体としての性格をただ観念的な『革命的幻想』としてしかみぬくことができない」「この数年間の階級闘争の自然発生的昂揚にたいするただ観念的反発」にとどまっているという批判にたいしては、本誌第三号の巻頭言の反批判につきているので、ここではもうあまり付言しまい。闘争そのもの、大衆的昂揚そのものを全面的に否定するのではなく、それを高く買い、それを高く評価するが故に、その政治指導者の知的道徳的へゲモニー、闘争の指導に失敗し、大衆のエネルギーを空転させた政治的責任をきびしく問い、大衆の昂揚とその政治指導を区別し、誤った指導にたいし、客観的批判を対置するのである。わたくしの批判の論調が、「甘ったれて傷をなめ合う人々」にたいし鋭いとするならば、日本の戦後の政治史を特徴づける一本の赤い糸–またしても「指導の失敗」が大衆のエネルギーを空費させ(二・一ストをさかいに四六-七年の政治情勢をみよ、四九年夏の空転させられた政治危機をみよ、近くは六〇年の安保闘争を想起せよ!)だ、という骨をけずるような痛恨からである。

 第二は内藤知周氏の手になる「共労党についての総括」である。内藤氏は七〇年二月共労党第四回大会で指導部と絶縁した経過をのべ、その理由として、「この指導部がマルクス・レーニン主義とは全く無縁な、無政府主義思想に転落し、その『現代世界革命戦略』による左翼急進主義戟術は、わが国の労働運動・社会主義運動に重大な損失をもたらすことがあきらかであり、しかも、この一年の状況を見ると、もはやこの党の内部革新も絶望的となったと判断せざるをえなかったからである。…‥・こんにちの無政府主義思想は、現代資本主義の発展がもたらした大衆の疎外感を基礎としている。そして、この疎外感を、われわれが階級闘争のエネルギーへと組織することができず、無政府主義的行動への暴走を許してしまったところには、現代資本主義と対決する労働運動を、真に階級的な立場から発展させることのできなかった、われわれ自身の責任がある。」(『労働者党通信』第七号、労働者党全国協議会)とのべている。
 内藤氏はこの文書でさらに共労党の結党過程とその変質過程をかんたんに叙述しているが、社革派日本構改派の根本的欠陥としてつぎのように自己批判している。
 「社革は、六〇年安保・三池闘争の総括過程で、代々木の民族主義・議会主義・教条主義・官僚主義を批判し、平和共存・反独占民主改革・社会主義革命の綱領のもとに結集した共産主義者によって組織された。しかし、この綱領実現のためには、職場を基礎に、この運動を担う独自の党組織を必要とするという主流と、構造改革の政策提起・運動展開を重視し、そのための活動家集団を志向する統社同も後に、その政策提起集団的性格を自己批判し、独自の党建設の課題を提起するにいたるが、他方、独自の党を主張した社革も、客観的には独自の運動を組織しえず、いずれも、いわゆる『構革派』の運動は、社会党の運動に吸収され、その右傾化の武器とされた。
 社革にしても、統社同にしても、とくに社革の場合には、その構革論が社会民主主義者のそれと異なることを建前として強調したが、そのようなものとして独自の運動を組織しえなかった。この点の弱さこそ、共労党内における『構革派の自己止揚』と、実践に裏づけられた理論をもってたたかいえなかった原因であり、この点の自己批判こそ、再出発に当って決定的な意義をもつであろう。」(同上)
 このような春日、内藤氏らの総括と社運研の森永、『現代の理論』の安東仁兵衛氏のそれはいささかことなっており、さらに統社同中間派!小寺山、松葉氏らの統一労働者同盟(準)の文書はさらにおもむきをことにしている。
 そこでつぎに社運研森永栄悦氏の総括から—構革路線が十年にして社会党内に定着しえず、党内ヘゲモニーを確立しえなかったことの責任を明らかにした上でかれは、社会党構革派の果たした積極的役割としてつぎのようにいう。
 「高度資本主義国における現代革命の総路線を提起することによって、従来の社会主義運動のあり方、社会主義運動の総路線の方向転換をはかろうとした点にあると思う。」(『現代社会主義』「日本社会党と構造改革論」一九七〇年十月号三ページ)
 かれの理解によれば、構革派のメリットは、労農派マルクス主義に典型的な「教義布教的思想運動社会主義」運動-勤労者を一人一人獲得してゆく方法、「大衆運動はもともと日常的要求を獲得するところに意義があるのではなく、大衆を体制の厚い壁にぶっつけることによって、社会主義意識にめざめさせていくところに最大の意義がある」というものーとことなった構改型の社会主義運動をおしだした点にある。かれによればこの新しい社会主義運動は、「大衆の要求の『社会主義化』と社会主義を大衆の『要求化』するための中間目標の設定と、それを媒介として社会主義に接近するという構造改革戦略」(同上)にあった。
 そこで構革論とは、森永氏らにあっては、「思想運動から大衆運動への社会主義運動の転換、なかんずく方法論上の転換をはかった点に最大の意義を認めているわけです。」(同上)しかし「構革論というのはすでにのべたように、すぐれて運動方法論上の問題提起であったにもかかわらず、それをそのものとして十分貫徹できなかった点にあると思う。つまり、運動の方法論、したがってまた政党の機能論としての構革論は、従来の思想運動型の社会主義運動のなかにあった綱領主義、前衛主義といったもののアンチ・テーゼであったにもかかわらず、われわれの実践上の非力とも相まって、伝統的な『綱領論争』の泥沼にはまりこみ、『構革は戦略か戦術か』 といった不毛な論争の中で、その本来の活力を失わされていったのだと思います。」(同上)
 具体的には現代国家と現代資本主義を分析する積極的問題提起として現代マルクス主義派の国家独占資本主義論(ツインャンク=今井理論をとりあげたが、「今井理論が『政治的国家』と『経済的国家』という二元論をとるにいたってこの理論についてゆけなくなり、国家論で足を」すくわれた。国家独占資本主義論が経済への国家介入のメカニズムを明らかにしていながら、投資規制の主要性を自分たちは明確に把握せず、六〇年代の高度成長を制御し工業化の是正をチェックする上で(したがって、今日のような公害問題の爆発を抑える点で)かけるところがあった、と。
 社会党内構革派は、中央オルグ制のような機構改革をかちとり、「活動家の党へ」という路線をしいたが、党内保守派・教条派によって阻まれてしまった。労働運動の革新では、三池闘争の直後、要求の実現可能性というものが部分的であれ、なければ、大衆運動の発展はむつかしいことを肝に銘じ、従来の抵抗闘争から、たとえば石炭の政策転換闘争へ転換した。そしてエネルギー革命に伴う産業構造の転換という背景のなかで、従来の抵抗闘争では解決しえなかったような諸条件、つまり政府による就職あっせん、前職賃金と住宅の保証、離職者に対する職業訓練などを勝ちとった。さらに「同一労働同一賃金の実現、つまり賃金の企業間較差を除くことが労働運動の出発点だという観点。さらに経営の意思決定への労働者の介入、生産管理における労働者の自己決定をめぎすという点があったが、これも重要な問題提起だった。また労働運動を革新する場合、どこが重点かというと政党と労働組合の関係を変えるという問題があった。……また、直接民主主義、労働者管理といった問題をわれわれがもっと進めていれば、その後学生や反戦派の提起した『戦後民主主義』批判とか直接民主主義の志向といったものを、むしろ構革派がもっと具体的に先取りをして、こういうエネルギーも十分吸収しえたのではないかという反省をもっている。」(同上、傍点勝部)
 平和運動では、共産党の敵に対する認識の一致(平和の敵はだれか)を条件とする運動方法に対して、平和への要求の一致による運動論の転換に成功し、「とくに原水禁運動についてはわれわれは大きな貢献をしてきたと考えます。その意味で、平和運動のなかでの構革派のイニシアチブは、理論的にも実践的にもかなり大きかったといってよいと思う。」(同上)
 また六〇年代の自治体改革運動の発展、定着ということも社会党・構改派のイニシアティブとメリットであった、という。
 しかし構改論の個々の命題がなしくずし的に社会党に受容された(自治的構革論はその典型)としても、構改派は「党内の派閥間争の次元でつねに大きく敗れ」、「構革=右派」というイメージをつくり出し、「構革という言葉さえ党内で消えてしまった」。「今日の構革論が一〇年前のような思想的吸引力、先駆性、運動への衝撃力を失ってしまった」理由は、「われわれの問題意識がそれ程発展してこなかったためではないか」という。それならばどのようにして森永氏は構革派と社会党の再生をはかるのか。労農派理論と構革派理論をぶっつけ合うという従来のやり方でなく、「われわれは、今後は基本的に大衆運動の場で勝負するという観点を確立していきたいと思う。これなしに真の主体形成もおぼつかない。一見まわり道のようだが、結局これしかないのではないですか。」(同上)に、みられるように、ここには思想連動型社会主義と大衆連動型社会主義という図式から始まって、革命と改良との関係との現代的位置づけが必ずしもマルクス主義的に正しく位置づけられていないし、マルクス主義における理論と実践、戦略と戦術、とくに社会主義革命論としての構造改良論がよくわかっていない。けだし「イタリア構造改良にたいする独占の偏った解釈と適用として」、「日本型構革論」として社会党に注入され、「先どりされた」(中村氏前掲『新世界』六六年一月号)という中村氏の断定を確認しているようである。
 すなわち、「それ自体がいちじるしい思想的政治的組織的偏向である『日本型構革論』 の社会党にたいする関係は、この党にたいする組織的浸透と外的な政策提供であって、この党を真に内的に強化するものではなかった。従って、個々人としての入党と、それぞれの持場での党の革新と強化の努力ではなくて、特定派閥または個人との結合がもっぱら重視され追求される。それは、社会党の主観主義と派閥的官僚主義的傾向の克服に寄与しなかったばかりか、この党の既存の思想的政治的組織的偏向をもちこむことによって混乱を拡大した。」(『新世界』「『構造改革論』の構造改革」中村丈夫、藻谷小一郎、六〇-六一ページ)
 だから、これによると再生の方向もまた①七〇年代資本主義の挑戦、先進国現代革命の基本的諸条件の成熟に如何にこたえるか、②社会主義の新たなヴィジョンを如何に構築するか、という正しい指摘とともに、直接民主主義の闘争(原点は地域の自治体と生産の場)–市民運動と労働者管理のための闘いが大きい比重をもってとりあげられている。(社運研「新しい社会主義戦略の構築をめぎして」(3))すなわち森永氏はいう。「この分野でとくにわれわれが力を入れたいと思うのは、青年労働者、先端部門の労働者の間に強まっている直接民主主義的な欲求とエネルギーをいかに運動化していくか、という問題です。そういうところへ積極的に党員として介入していき、そこに労働者の自主管理、生産者としての労働者の自立と自治の体制を確立していかねばならない。とりあえず、いまもっている活動家を重点的に配置していきたい。活動家の計画的配置という点では、協会派の諸君の方が進んでいます。」(『現代社会主義』「日本社会党と構造改革論」一九七〇年十月号十七ページ、傍点勝部)
 
(3)社会主義運動研究会は、一九七〇年八月下旬、三年ぶりに全国討論集会を開き、「社会党再生へのわれわれの提言」として、「新しい社会主義戦略の構築をめざして」を発表した(『現代社会主義』一九七〇年十月号)。
 なおこの社運研の機関誌として出発し、のちに独立した構改的理論誌『現代社会主義』は残念にも七一年六月号をもって廃刊となってレまった。
 またこの社運研と別に社会党内協会派(太田派)の理論家、島崎譲氏を中心に研究センター「現代の革新」グループが七〇年初頭につくられて、旧構革派経済学者や政治学者を広く結集しようとしているようである。設立趣意書の補足説明資料「一九七〇年代の革新の思想運動」によると、(一)六九年末の社会党の議席の激減の原因の究明–「現代帝国主義」と現代革命の形態と内容の追求、(二)「革新」の意味の追求。これは革命と改良、方針と政策との理解の問題がかかわる。(三)社会主義政党のヘゲモニーとその組織化の理解に焦点をすえ、「革新の課題をうけいれる党のトップ・リーダーの形成と地方活動家の結集をどう組織化するか」について、その媒介的役割を果たすことを任務としている。そして課題(二)とかんれんしていう。「一九六〇年代におけるいわゆる『構革論争』を反省するとき、論争が『改良主義か革命的見地か』 の二者択一的発想での対応でしかなく、結局はマルクス主義からの逸脱か、それとも擁護かの次元の論争に止まったように思われます。『構造改革論』者たちは、現代資本主義のメカニズムと革新運動の主体的条件の分析なしに思想次元の問題提起にとどまったし、『反構革論』者も、改良主義への傾斜を警告するのに急な余り、『原理』次元での反論の域を脱しなかった。ともに現代資本主義、とくに日本の高度成長の現実とその可能性を分析しうる視角をもたなかったことに欠陥があった。しかも『構革』か『反構革』かの論争が社会党の『右派か左派』の代名詞として使われた。そのため、この論争は派閥次元の対応に終らざるをえなかったのです。日本社会党の議員政党的体質とその派閥化の現実は、たとえ構造改革論にとりうべき積極的な理論や政策があっても、また社会主義革命をめざす党の思想性の確立をいかに強調しても、それらが党内派閥を介してあらわれるかぎり、党革新の思想的意味をもたないということに注目する必要があります。かつての党内論争に際し、この社会党の体質をこそ同時に問題にすべきであったのに、それにふれないままそれぞれの路線が党の戦略か戦術かというように『綱領的規準』にあわせて結論を出すというしめくくり方になったところに論争の不毛性があったと思います。」
 
 労働者管理や直接民主主義にわたくしは、必ずしも反対ではないが、それが現状において安易に「錦のミハタ」としてとりあげられ、ふりまわされるなら、再び不幸な結果へ導かれざるをえないことは火をみるより明らかであろう。それかあらぬか「社会党なだれこみ」論者や社会党への外からの政策提起者たちはこの方向への理論的新展開を行ないつつある。それは直接民主主義、すなわち「評議会」-下からの自己権力(自主管理–二重権力–生産点での社会主義の先どり)というニュー・ルックである。まず安東仁兵衛氏の「構造改革論と六〇年代革新運動」(『現代社会主義』七〇年十月号)をみよう。
 安東氏は、構革グループとしてマスコミ政治地図上、共労党、社学同、統一共産同盟、統社同という構革四派があげられるが、共労党は必ずしも「積極的に構革路線を推進する立場」でなかった、「だから離党派構革グループがなぜ崩れたのかを可能なかぎり追求すべき対象としての政治部隊としては、やはり統社同とその周辺ということになる」として、統社同を中心に問題を検討する。
 構革派十年の総括として、それは「今日の時点でみると、政治運動としては明らかに失敗した」。その原因の追求は「まだとつおいつの段階」で「すっきりした結論の出せない段階」だとことわった上で、この政治的崩壊の直接的契機たる六〇年代後半の学生運動と「新左翼」に敗北した理由として「あせり」と「ムード」負けを言う。「僕らは六〇年安保の時、前衛不在を痛感して統社同を形成したのですが、それからあと統社同の場合は、自分たちを絶対化しないことを政治的信条にしていたくらいですから、あせるまいとは自戒していたものの、やはり七〇年が近づいてくるにつれて、どうしてもあせりが出たと思う。来るべき七〇年闘争の前衛の一角を占めたいというあせりですね。そのあせりが全国的に燃え上る学生運動の中で、いまこの運動にのらなければ七〇年代を担いきれない、ということになった。つまり、想像もしていなかったスチューデント・パワーの噴出が、六八、九年に出てきたわけです。これはどの党派も予想できなかった。この運動を同化しなければ、という要素が非常に強かったと僕は思います。ところが、その同化は、全共闘運動への追随でしかなくなってしまったのが残念です。」
 「たとえば、統社同の内部の過程をふり返ってみると、学生フロントの場合には、一昨年の秋から冬にかけて急速に変質した。しかもその過程は理論的・思想的に区切りをつけながら変ったというのではなくて、全共闘や街頭諸派の〝左へ左へ〟という競合状態の中に、ズルズルと捲きこまれていった。自分の理論の組織討論を経て棒を持ち、投石をし、内ゲバをやり、火焔ビンを投げた、というものではなく、いってみれば全共闘や街頭諸派への〝ムード負け〟というのが正味のところでした。これは学生にかぎらず、盛んに評論活動をやっているおとなにしても同じでしたね。理屈は後からのものです。もっとも、その諸君にいわせれば、革命的実践が理論に先行した、ということなのでしようが。」(前掲)
 もっとも聡明さを誇り、知的道徳的ヘゲモニーをうたったエリート理論家集団としては、あまりにも情ない結末だが、これが事実だからいたしかたあるまい。いやむしろ将来の実践を展望し理論的に指導しえないような体質を始めからもっていたのではなかったのか。小ブル学生大衆が内在的にもっているアナルコ・サンジカリズムや一揆主義(日共の短い歴史の上でしばしばあらわれるあの急進主義の左翼小児病)をくいとめ、大衆のエネルギーの噴出を正しく指導しうるようなカードルの陶冶に始めから日本型構革主義は失敗していたのではなかろうか。
 安東氏らと学生グループとの論争点が、一、今は革命期であり、したがってこの時に改良を提起することはこの昂揚を阻止するものである、という判断、二、権力=暴力という問題であり、この二つの点で安東氏ら「おとな」は、「学生・子ども」の「戦争ごっこ」を説得し、阻止することに失敗した、というわけである。
 つまりこの二つの問題で左翼的であり、「陣地戦」「ヘゲモニー」を馬鹿の一つ覚えのようにくりかえしていた、という「学生・子ども」の批判が生まれた。さらにもう一つ「チェコ侵入」問題で暴露されたもので、構革派は、もちろん〝ソ連派〟ではなかった。しかしそのソ連批判は〝非スターリン化〟にとどまっていてスターリニズムをラディカルに否定するという理論的射程をもっていなかった。さらにいう。「一〇・二一、東大闘争、チェコ侵入、それにからんだ形での文化大革命の評価、それから逆にさかのぼってベトナム戦争に対する構革派の態度への批判等々が生まれて来たと推定されます。構革論は第三世界を包摂しきっていなかった、それどころか一種の先進国革命主義であって、ベトナムの革命闘争が発揮するであろう世界革命への貢献、ないしはその指導的な役割に対して過小評価したという、彼らなりの構革路線に対するあきたりなさが出てきたのではないでしょうか。そこから社会主義を根底から変革し、第三世界を突破口とする世界革命へという考え方、そして先進国革命のパターンとしては、フランスの五月闘争から〝ラディカル〟に学んだと称して、暴力としての権力、権力としての暴力、というエキセントリズムが出てきたのではないだろうか。それらをずっとつなげると、もはや構革論ではだめだという判断になってきたのではないかと思われます。」(前掲)

 討論者自身、批判者自身が、この学生たちのラジカリズムを理論的に論破できる背骨にかけていたことは事実である。たとえば少し長いが安東氏のことばを引用すれば、
 「端的に例示すれば中国の文革ですね。構革派の中にはこれをスターリニズムの再現であると切って捨てる傾向が強かったことは争えない。しかし、毛沢東へのカリスマ的な崇拝、中華ナショナリズム等々の批判に止まらず、文革に示された新たな問題ということを、いまいったわれわれとの問題との関連で学び取ろうとする姿勢が欠けている。文革の現実はソ連型管理社会にたいするアンチテーゼに止まっているとはいえ、たとえば彼らのいう革命委員会方式のなかには、先進国革命と社会主義に通じる労働者委員会、人間的・社会的諸関係の平等化、肥大化し、固定した分業の桂根の打破、等々の問題意識が含まれているはずです。
 あるいは、彼らがいう『コミューン』『ソビエト』『評議会』問題を考えてみましょう。構革論が提出した介入ということの考え方の中に私はほんらいこのあたらしい権力概念が予示されていたと思うのですが、しかしそれはいっこうに明らかにされず、もっぱら『新しい多数派』『民主的多数派』という量的概念が主張されていた。構造的諸改良を支える主体、改良を改良主義に堕させないための主体的条件の掘り下げが足りなかった。
 だからわれわれのなかでも六〇年代半ばから直接民主主義という表現におきかえて、初心を適切に表現したいという努力が行なわれましたが、やはりフランス五月の教訓、学生運動の衝撃といったものがでてきたときに、いわばあらゆる革命にとって普遍の命題である広い意味での二重権力—新しい、下からの自己権力—の問題について、われわれは十分にほり下げていなかったといえるのではないか。問題の発生と同時にその本質と発展方向を的確に洞察して指導性をもって事態に対応するという点でよわかったのではないかと思います。」(前掲三七-三八ページ)
 そして「グラムシの工場評議会運動についてそれほど深く学んでいなかった」となる。こうなってくると〝おとな〟と〝子ども〟の間の論点の明確な断絶と対決が、わたくしはさっばりわからなくなる。「文革」といい「ソビエト」「評議会」といい、このような「ものわかりのいいおとな」に教えられ、「甘やかされ」、子どもたちは単純明快に、「紅衛兵」的全否定、と「武闘」「決戦」にすすむプロセスがよくわかる。「文革」についても「評議会」についてもわたくしは、たくさんの疑問をもち、いつもながらのことだが安東氏のように「すっきり」と割りきることはできない。
 さらに、資本主義の新しい状況、社会構造の変化の中で資本主義の新しい矛盾もそれに応じて急速に展開してきた。日本も中進国から先進国に変化した。それにたいして中進国型の社会であるイタリアの「たとえばトリアッティの構革路線自体が三〇年代の人民戦線戦術から発展させられたものであり、三〇年代的、人民戦線的発想から抜け出られなかったような限界があったと思われます」(前掲三九ページ)という編集部の問にたいして、安東氏は平和運動をとりあげ、肯定的に例証する。五〇年代より六〇年代初頭にかけて構革派の運動理論がもっともメリットがあったことは明らかである。「ところが、戦争と平和の構造が六〇年代後半から変貌したわけです。とくに部分核停条約(六四年)以来アメリカの対応が柔軟多角反応戦略という形に変ってきた。いわば部分核禁で熱核兵器をカツコにいれたうえで、現代世界とりわけ第三世界における反革命輸出を追及するという戦略です。いわば帝国主義の側が新しい戦術を練ったと思うのです。その突破口がベトナムに見られるわけです。ところが、構革派の平和運動は二重の意味でベトナムへの対応が立ち遅れた。一つは平和運動プロパーの次元でみて、熱核戦争をカツコに入れた後の戦争と平和の構造の問題についてダイナミズムを欠いた。五〇年後半から六〇年代初めのパターンで新しい事態に対処しょうとしたといえるでしょう。実践的には、部核の後は軍縮だという想定をしていたが、実際は軍縮どころかベトナム戦争ということでふっとばされている。」(前掲三九-四〇ページ)
 それならば部分核停についての評価は誤っていたのか。米・ソ結託(「平和共存」)がアメリカのベトナム侵略を可能にしたのか。「ベトナムの対応が立ちおくれた」とは何をいうのだろうか。CND・一〇〇人委、「ラッセルの論理」から「ニュー・ニュー・レフト」(吉川勇一)べ平連とつながる論理は、わたくしなども追求し、六五年ヘルシンキ世界平和大会でも表明してきた論理である。それとも「ベトナムに平和を」というスローガンが誤りであったのであろうか。ものはすべて両面の真理をもち、冷戦時代のカツコつきでない平和共存のための闘争-帝国主義国の政策転換のための闘争はやはり正しかった、とわたくしは考えている。ここではくわしくはのべないが(講座『マルクス主義』第九巻二一五ページ参照)熱核兵器の異常な発達と平和擁護という圧力により人類共滅戦を防止しえたし、その結果、六二年のキューバ危機以降、アメリカがケネディの下で局地戦による植民地解放運動の鎮圧にのり出してきたわけだ。「ベトナム」が、世界人民の問題点となり、「ベトナムに平和を」は、アメリカの侵略反対と結びつき、民族解放闘争との連帯支援と決して矛盾するものではなかった筈である。なべて国内政治でも国際政治でも、決して一直線なものや、「すっきりした」区切りのあるものでもなく、動と反動、進歩の側の一歩前進が、反動の側によってつつみこまれ、新たな矛盾に転化するという形でジグザグに進むことを弁証法が教えている。
 さて安東氏のいう、「現代世界革命路線としての構革路線に、第三世界に対する過小評価というものがなかったかどうか。この点について六〇年代当時の構革派の問題設定は、南北問題というアングルからのものであり、その中で非同盟中立諸国がなしくずしに非資本主義的発展のコースをとって、しだいに社会主義圏に接近するだろうという想定が、一時僕などにはありました。したがって、ベトナム戦争の発生、キューバ革命のような武装革命などについて的確な評価が立ち遅れた。」(前掲四〇ページ)
 この「第三世界」という用語がわたくしにはよくわからない。資本主義世界、社会主義世界に対応する特殊な第三世界というものがあるのか。民族独立をかちとって「発展途上の国」、AA、LAといわれるものをさすらしいが。キューバやベトナム民主共和国のような社会主義国をこれに入れる場合もあれば、韓国、南ベトナムのような反動的政治体制をもった国をも包括することも理論上可能だ。「非資本主義的発展コース」にたいするオプティミズム(ルビンシュタイン)についてならインドについてはすでに五〇年代にゴーシェによって否定され、アルジェリア、ガーナ、インドネシアの事実の発展によって否定されている。しかしそうだからといって武装革命を絶対的パターンとするのも間違いだろう。キューバやベトナム型武装革命の場合もあれば、チリ、セイロンのような型も可能だろう。いづれにせよ、これらのAA、LAの国々に一般的絶対的型を想定することは誤りである。そのいみでレジス・ドプレ「革命の中の革命」にはキューバ革命の事実にすら反した誤った図式化がある。(山崎カオル「キューバ革命の伝説」『思想の科学』七一年十月号およびドプレ自身の自己批判「自己批判は勝利への道」『情況』七一年十一月号参照)
 現代の搾取としての疎外あるいは全体の労働者像をどうとらえるかについても立ち遅れがあった、として安東氏はいう。「しかし、構革派が主として運動論として展開したのは政策転換闘争であり、横断賃率であり、労働組合の組織のより合理的な産別化をめざす、という組織論だったのではないか。生産原点での労働者の自己統治、権力、管理、などの問題に対して、構革派はどちらかといえば三池闘争にみられるような旧型の職場闘争主義の不毛性を批判するということで、かんじんの赤子を流してしまっていた、ということがあったのではないか。」(前掲四〇ページ、傍点勝部)
 構革派の国・独・資論について安東氏はいう。「全体としてわれわれが理論家から受けた視点は、生産力の発展が社会化を不可避とし、その社会化は社会主義への接近の客観的な橋頭壁になるということ、資本主義体制の下での国有化が潜在的社会主義であるかのような印象を与えるような理論さえ含まれていた。全体として、民主主義と生産力の自動的発展、その延長線上に社会主義を有利にたぐりよせるごとができるといった理解があったのではないか。たとえば、クリービング・ソシアリズム—しのびよる社会主義—といった考え方などに断固として異議申し立てをしなかったという体質があるのではないか。」(前掲四〇-四一ページ)
 さらに日共のさいきんの自主独立路線への転換について安東氏は「日共の新路線は、あくまでも議会主義につぎ木された『構革的なるもの』に過ぎない程度」といいながらも、「先進国革命の路線としての構革路線の方向の許容、指向に向わざるをえないと思います。」(前掲)と肯定的であり、日共的体質が形の上での構革路線をとる場合社会党の場合よりもさらにひどい右翼的歪曲-「大衆をひき上げる」のではなく、「大衆へ埋没」し「革命」放棄にいたる点の指摘はない。かれは「おのがじし唯一絶対の前衛」であるというセクト主義をはいし、「日共の即自的な反対者であるのはやめたい」といい一貫した統社同の理念をのべる。その言やよし。しかし実際は如何であったであろうか。はたして「正統意識」と「スターリン主義」は統社同に無縁であったといえるであろうか。むしろこの点にわたくしは一番大きな問題をみる。また「日共なぞ相手にするのも下らぬ」という思い上りが、論争は相手にたいしてよりも大衆にたいし、啓蒙と説得のためになすべきであるという革命家の基本的姿勢をぼやかしてしまい、必要な理論闘争ぬきにして、結局は一にぎりの「近親的理論家グループ」に、しかもきわめて非スターリン主義を標揺するスターリン主義的集団に化せしめたのではなかろうか。
 全体の総括として安東氏はいう。「〝日暮れて道遠し″という感じがしています。さきほど既存の社会主義体制の革新について甘さがあった、ということを反省点として挙げたのですが、日本のマルクス主義的政治運動の体質の革新を志したわれわれには、その困難性について、これほどに根深く、頑固なものであるという覚悟はやはりなかったといわねばなりません。……だから僕ら自身のことをいえば、社会党の評価、江田構革運動の評価に対して何回も過大評価をいましめ合いながら、にもかかわらず期待するということで、くり返しがありました。日本共産党の革新ということについては絶望的に近い程ペシミスティックでありながら、逆に、日本社会党の革新については非常にオプティミスティックであった。
 また理論家のなかには—例外的な存在であるとはいえ—主体の問題を問わずに、もっぱら政策の実施のみに社会進歩を見るといった姿勢さえあった。社会党であれ、何であれ、どこにでも政策の諮問に応えるという—われわれはこれを政策提起主義と呼びました—傾向なんか、必要以上に構造改革論のイメージ・ダウンに役立った。」(前掲四三ページ)
 親しい友人の安東氏に対し、わたくしはいささかきびしかったかも知れないし、傍観者的のそしりをまぬかれぬかもしれない。しかし政治指導者としての安東氏はこれまできびしい批判にさらされることなく「ツー・カー」グループの小サークルにあまりにもどっぶりひたりすぎたのではないか。すべからく政治的理論的突撃隊長としてではなく、政治グループの総帥としての道を歩んでほしい。いろいろと珍奇な曲や歌が出ては消え、出ては消えるだろうか、それにいちいち気をとられることなく、「一本ドッコ」にまっしぐらに進んでほしい。そのいみで「息を長く、腰をすえ直して構革路線のあたらしい構築と推進に努め合おうではありませんか」という結論にわたくしも大賛成である。
 
 学生新左翼と真正面からぶつかった安東氏の場合はさておき、これが中間派グループ—大森、小寺山、松葉氏ら—になるともっと眼をおおいたくなるような「総括」となってあらわれる。統一労働者同盟(準)の政治文書「構革論総括と戦闘的再生への基本的方向」をとりあげねばならぬ。
 この文書にはいままで部分的にはしばしばふれてきたが、これがもっともまとまった文書であり、また「日本型構革論」 の特徴をもっとも誇張した形で示しているという点で問題にしてきたのである。

 第一次革案と名づけるこの文書(二次以降が出たのかもしれないがわたくしは今までのところ入手していない)、「われわれ」とか「統社同何々派」という代わりに、自らを「日本構革派」として語っている。だれが一体かれらに「日本構革派」全体を代表する権利を与えたのであろうか。わたくしは疑う。すでにここに「おのがじし唯一絶対の前衛」という発想と手をきった立てまえの統社同系一グループに、自らを正統派と名のらせる本音があったのであろうか。とまれ、自らのみを「日本構革派」とよんではばからぬこの中間派グループの姿勢にすでに鼻もちならぬごうまんさと小スターリンの姿をみるのはわたくしのひが眼だろうか。しかしこのしょっぱなの「日本構革派」にひっかかっていてはきりがない。かれらがどういう「総括」を行ない、「戦闘的再生の基本的方向」をどのように模索しているのか、一応読みとおしてみよう。
 まずはじめに、「五〇年代階級闘争の、政治的、理論的、思想的総括の帰結として登場した日本構革派は、六〇年代階級闘争の巨大な自然発生的高揚の中で、自らの歴史的限界を対象化し、自然発生性を止揚し統一する論理を見い出しえないまま、大衆の自然発生性の巨海に埋没し分解していった。」
 つまりかれらが党派再成の方法論において自然発生性→その機会的外在的存在としての「意識性の純化」というとらえ方をしなかった。そこで「自然発生性の高揚の内部から意識性の要素を抽出する論理と方法における挫折が、自らの党派の解体にまでゆきつかぎるをえなかったのはけだし必然的であった。」そこで初期構革派への単純復帰や、既存の検証ずみの路線はありえない。方向は「この数年間の階級闘争の展開とともに存在し、その解体の過程にも加担してきた、われわれの実践的営為の総体の対象化を通じて、構革派の戦闘的再生を追求しなければならないと考えている。……この数年間の階級闘争の自然発生性の内部に萌芽した、意識性の抽出を通じた、構革論の戦闘的再生への道である。」(傍点勝部)
 こういう総括の基本的視点から、第一にかつてのかれらの仲間で「構革論」をいともかんたんに「止揚」してこの中間派をもたたき出してしまった「先駆」派の「レーニン主義」への先祖帰りを批判する。「政府中枢制圧」、「計画としての戦術」「権力奪取の第一義性」の確認が「レーニン主義」の復活などでなく、「じつはスターリニズムの純化」に外ならない、と断定し、これに対比して「構革論の本来的に有してきたシューマ-党(目的意識性)、と階級(意識性の萌芽)の有機的関係、政治革命(権力奪取と国家の死滅)-社会革命(共同体的所有と社会的分業の止揚)の弁証法、革命の全体性の回復、戦術としての中間的獲得目標をあげる。
 そして階級闘争の自然発生的昂揚にたいし、その意識性への昇華に決定的に立ちおくれていた「われわれ」の歴史的限界、それに止まらない理論的・思想的弱点こそ総括し、止揚されねばならなかった。こういう方向になされない総括は構革派運動の批判的総括の回避と構革の外在的清算におちいる外ない、という。
 こうして自らが指導し、「加担してきた」「子供たち」の「レーニン主義」の戯画への先祖帰りを批判した上で、かえす刃でわれわれ雑誌『構造改良』派批判にとりかかる。すなわち「階級闘争の自然発生的高揚にたいする即時的反発のレベル」に止っている。「この数年間の階級闘争の総体としての性格をただ観念的な「革命的幻想」としてしか見ぬくことが出来ない限り、「先駆派」と同様自然発生性への外在的批判者たるにすぎない」と。
 しかしわかってか、わからずしてかともかくも、われわれが「理論と実践」の境界領域の理論建設の必要、構改理論を革命のための「運動学」として、追求しようとしている点については同感をよそおいながら、実践による検証でなく「トリアッティ—イタリア共産党第八回大会—日本構革派の理論的・思想的連統性への保守的帰依」と断罪している。このようなばかばかしいねじまげと断罪についてはすでに本誌第三号の巻頭言がふれているのでこれ以上、立ち入る必要はない。問題はかれらの総括視点とその内容であろう。
 中間派は、日本構革派の生成がイタリア共産党第八回大会の「構造的諸改革の路線」を、単なる「経済構造の改革」(不破哲三)、または「イタリアに特有の路線」として摂取することを拒否し、「同じ先進資本主義国における独創的な革命路線の誕生という条件の中で、どのようにしてそれを日本の条件に適用させるのかの問題意識から出発した」そして直原同人のつぎの規定を承認する。「戦後日本の第一段階が、総体としてブルジョア的安定と本格的な資本主義的活動の開始にむけて成熟していったことの結果として、ひとつの翼として、戦後の大衆運動の敗北過程に対する清算主義的総括としての、反体制運動の可能性への不信にうらづけられた急進主義があらわれ、他の翼資本主義的未来への楽観論としての近代化論への傾斜が生じたのだといえるでしょうか。
 そうして、わたしたちは、この両翼に胎まれている先進国革命への絶望に対立し、それを克服するものとして『政治経済構造の反独占民主主義革新と構造改革』の政治路線をみずから定立したのだ」(直原弘道「七〇年代構改派のひとりとして」『現代の理論』一九七〇年十二月号)
 ①日共内反対派②六〇年安保闘争の総括からの出発という二重契機を孕みつつ、かれらはさまざまな反代々木コース—「思想革新グループ」(「現状分析グループ」)、「党建設グループ」(社革グループ)と、そしてもちろん「トロツキスト的急進主義」とも異なる道、を歩みはじめた、という。だがこの「異なる道」が何であったかについては、批判的総括はされていない。炭労、中小企業、公労協その他の反独占構革闘争の意義と必要性がでてくるが、その運動基盤、その総司令部、前衛党形成問題については、「構革派としての我々の主体形成は、なんらかのできあいの教条、外的な権威を一切拒否することからの出発であるかぎり、われわれはすでに出発にあたって一切のドグマと権威への〝退路を断った〟存在であった。また同時に、現実からの出発に第一義性をおくとともに、現実への絶えざる緊張を持続しうる資質の獲得をめぎしたものであるかぎり、われわれは常に現実への埋没の危機性と現実からの逃避の誘惑との間で耐えぬく思想的・政治的路線の不断の検証を欠落させることが、そのまま自らの政治的・思想的風化に直結する存在としてあったのである。」(同上一四ページ)
 このような立場が「複数前衛」「機能前衛」論にみちびかれ、現実にはまったくスターリン主義的組織構成をもった「理論の切りうり屋」グループに堕してしまったことの自己批判は一カケラもない。だから「こうした日本構革派の出発にあたって確認しうる政治的・思想的立場は、いまもなお有効なものとして確認しうるばかりではなく、今日、構革派の解体の中からその戦闘的再生を追求しようとするわれわれの共通した立場性である。」
 あれほど「前衛党」建設グループ(社革)をあざ笑い、スマートな「理論政策コンサルタント」として社会党と野合しながら、自らの小グループ(たかだか七~八〇〇人)の統社同内部でしかもわずか十数名の全国委員会内部でどのようなスターリン主義的派閥形成、権力グループ内の非民主主義的な「根まわし」が行なわれていたかにまったく眼をつぶっている。こういう自己批判とは一体何であろうか。
 「今から思うと代々木の中央委員会の方がまだ民主的であった」と労働運動家H氏をしていわしめた統社同全国委員会のエセ民主主義を何故ここで明らかにしようとしないのか。
 この点にメスを入れず「今なお有効なものとして確認する」政治的思想的「タテマエ」をわたくしは信用しない。メスはもっと深部の「ホンネ」の中に入れらるべきである。共犯者たちは、そこでどのようなスターリン主義的「小政治」、マキアベリズムが行なわれたかを明らかにすべきである。スターリン主義がここまでわれわれをむしばんでいたかをえぐり出すことによってはじめて、「再生」は可能である。これなしにはどんなに粉飾を新たにし、新ファッションをもって登場しても再びスターリン主義的「エリート集団」の「戦闘的」再生となるほかはあるまい。わたくしは「政治とは本来そういうデモニッシュなものだ」という丸山真男的論理を拒否するところに立っているのだから、お人好しといわれようと何といわれてもこの点では引きさがることはできない。
 では何故に日本構革派の敗北、解体が叫ばれねばならないのか。再びかれらは直原同人を引用する。「わたしたちが有効な政治努力としてみずからを組織しえなかったことと見あって、わたしたちの知的先進性(相対的な)の低落と停滞が避けがたく生じました。もっとも尖鋭な現実関心によって出発したにもかかわらず、国家論から戦術論、運動方法論にいたる諸問題を、ひとつの政治意志にもとずく実践と総括の発展的契機として追求してゆく上で、わたしたちには欠けるものがありました。そこから第一に理論的関心は理論的関心として完結してしまい、その党派的表現としての運動とは切断されてしまう傾向、第二に党派の実践的主張となりえない政策、それによって党派の主体的性格を形成することを予定しない政論、第三に必然的に運動に政治的表現をあたえるのでなく、図式に運動を適合させようとする発想、第四にしたがって実際の運動のなかに萌芽しているものへの関心と総括の欠落などが生じました。」(前掲論文)そして大学闘争と六九年秋期安保闘争に負けた原因をつぎのようにいう。大学闘争では「むしろわれわれは自らの運動論に見合う闘争の質・獲得目標を十分に提起しえなかったことにおいてその限界性があったのである。そして、そのことへの限界と失敗が大学闘争をバネとする構革論の活性化と再構築のための一つのしかし重大な契機を見失うことにつながったといえる。」「大学闘争における構革派のつまづきは、実はその非構革的運動に対する対立物として存在しえなかったところにあるのではなく、本質的に最も構革的運動であった闘争に対して、自らの限界性を止揚し、その過程で運動への意識的主導的役割を果しえなかったところにこそあったのである」しかし事実は、反マルクス主義的急進主義に対抗しうるに十分な理論的ヘゲモニーが確立されていなかったため「ずるずると情勢に押し流された」 のではなかったか。
 だからかれらの構革論総括の方法は、①構革論の初発の問題意識の内在的解明、②ベトナム、フランス五月、チェコの闘い、全国の大学闘争の自然発生的に提起した意識性の萌芽の共通性の確認とその理論化、抽象化を通じて構革論の体系の戦関的再生を追求することである。③以上の総括視点を通じて抽出されてくる命題は、『評議会』のテーマであり、現代革命路線におけるその位置づけの作業である、と。
 ついに出てきた「評議会」–「理論切りうり集団」にかけていたのはこのグラムシの「評議会」テーゼだった。「機動戦-陣地戦」、「介入政策」、「知的道徳的ヘゲモニー」の代わりに、「評議会」が今後の「目玉商品」とならざるをえない。
 この政治文書の第二章「構革論の内在的批判とその総括」は「理論切り売り」集団らしく、その商品内容–井汲卓一氏から、柳田侃氏にいたる、個々の理論家の理論内容の再検討にあてられている。学会討論レジュメ的なこの章についての紹介もわたくしのそれにたいする批判的意見もかんたんに行なうことは到底不可能である。学者のそれぞれの学説にたいしては、学問的次元で対決するにはこのような場所でこのような形で不十分に展開するのは当をえていないし、礼を失する。だからここではごくかんたんに問題点をふれるに止めざるを得ない。何度も繰り返すようだが理論と実践の再検討が(たてまえとはことなり、じつさい上は)その媒介項である日本の「主体と運動学」の観点ぬきで、抽象的観念的に、しかも個々の理論家の業績のイージーな紹介、摂取となっている点が、この政治グループの「総括」 の内容をなしている点がまったく特徴的である。
 まず第一に構革派世界認識の総括。構革派はレーニンの「帝国主義論」の歴史的限界とともに、スターリンの全般的危機論にたいする批判的総括をその射程に入れていた、としてスターリンの 「一国社会主義論」と「全般的危機論」を批判する。そして「平和共存」のための闘争の歴史的意識をまったく捨象して、ここではトロツキストとともに、スターリンの一国社会主義論に根拠をもつ「生産力発展と技術進歩という両体制に共通する没価値的競争の、観念(自己充足的完結の観念)が、資本主義の『停滞の必然性』の観念にうらづけられて『社会主義世界体制のますますの優位性』として語られてくる。そのためにこそ、その観念を現実化させるためにこそ『両体制間の共存』=米ソ共存体制の必要性とそれへの世界階級闘争の収赦が第一義的に要請されてくるのである、」という。さらに「革命の各国における多様性の観念」も既存の「社会主義世界体制への量的拡大と両体制間の競争の観念への参加としてのみ許されるから「チェコの新しい道」はそこからの離脱、植民地民族の解放闘争の「非資本主義的発展の道」は、ソ連型社会主義モデルへの接近のもっとも確かな方法としての意識をこえることがない、と断定する。後者にたいしてソ連型社会主義と西欧近代への無限の接近を「止揚」しょうとするOLASの連帯-ゲバラとキューバ革命を、賛美していう「中南米における民族解放闘争との同質性・同時性の獲得によってこそ、キューバ革命と中南米革命の社会主義的前進を可能にするという、インターナショナリズムの復権でこそあったのである。」と。
 借問する。チリーの新しい事態はどうなるのだろう。さきにいわれたように無知のままにキューバ革命の手ばなしの一般化、絶対化やゲバラ讃歌をわれわれは警戒すべき時点にきているのではないか。それとも、また情勢の変化に応じてこの点では新しい「理論」商品を仕入れるのだろうか。
 この文書はついで井汲卓一氏の「冷戦構造論」のメリットを掲げたのち、両体制それぞれの例の「多様化」「分極化」現象の発生により、新たな困難—平和共存の新たな危機(仏・中核開発)を生み出すのだが、それは「民族主義の自然発生的爆発となって現象する」という。
 この井汲「冷戦構造論」に対応よる、構革派池山重朗「人類平和闘争論」安東仁兵衛「平和共存論」にする「人類概念」「諸国家間の民主的関係」が実践的方針としてより具体化し成果をあげた。しかし新たな「分極化」に相応じ、「冷戟構造論」は古くさくなる。柳田侃氏の理論がここでとり入れられる。この〝人類〟は〝北の人類〟であり「植民地体制の崩壊と第三世界の形成を十分理論的に包括していなかった」、すなわち、ベトナム戦争にみられるような「後進国民族解放闘争の歴史的意義は、たんなる既存の体制のいづれかへの発展の方向をたどるのではなく、それは、現有社会の異質な要素として世界史の前面に登場しょうとしていることにある。マルクス主義がこの後進国人民の爆発的なナショナリズムを、新しい変革の主体として現代危機の構造の中に位置づける理論的視座をもちえないことに真の問題の核心がある」と。こういう柳田氏の「第三世界論」について、それは一体何かよくわからないし、何故マルクス主義がこの問題の解明に不毛であるといわれるのかわたくしには納得できない。ベトナム解放戟争のもつ世界史的意義を十分にみとめるのだが、それが「ベトナム革命のもつ独自性–西欧型資本主義とソ連型社会主義の両者とは区別される別個の革命の道—とは何であるのか。それはいかなる内容と形態において自己の独自性を主張しようとしているのか。そしていかなる世界革命への展望を内包しているのか。」と問われ、「それは、ベトナム人民の勝利的前進が、従来の後進国解放闘争の目標たる政治的独立→経済的自立のコースをこえて突き進もうとしていることに対する世界のプロレタリアートへの覚醒力を自覚することに他ならない。すなわち、ベトナム革命が中国の文化大革命、ゲバラの「第二第三のベトナムを」の政治的・思想的衝撃と合流し、ある一つの革命的心情を形成していることについて、われわれは無自覚であってはならない。」(同上四七ページ)
 理論がついに心情に転化するとき、ここにいいだもも氏らの新左翼の世界革命論とはどうことなるのか理解に苦しむ。南ベトナム革命が、将来アルジェリア型に止まるか、それともキューバや北ベトナムの道をすすむかを、いまあらかじめ断定するには民族解放戦線の構成と指導にかんするもっとくわしい材料の検討が必要であると思われる。ここで必要なのは科学的分析であって心情的展望ではなかろう。
 また「世界革命の過渡的段階におけるプロタリア国際主義の、中間的過渡的スローガンとして、平和共存は中国の国連加盟の実現とともに、インドシナ全域における戦争状態の終結とアメリカ軍の全面撤退の闘いの、具体的にして生きたスローガンとして復活させられねばならないし、重要な課題となるであろう。」というが、中国国連加盟が(新加盟でない-正しくは代表権の回復であってこういう誤った新聞用語を用うることはわれわれの間では許されない犯罪的用語であろう)現実のものとなった現在、中国とともに平和共存=現状維持=内政不干渉の論理で、たとえば「バングラデシュ独立の闘い」についてこれを否定するつもりだろうか。中国とともに「満洲国の再来」とでもいいたいのか。なべて日本の革命家を自認する人々や、左翼的評論家と自称するグループが、「流された血」にたいし、不感症となり、いつも「殺されるものの側」にたっていないことに私は心そこから憤りを覚える。
 「世界のどこかでなにか不正が犯されたならばいつでも強く感ずるようになりなさい」というゲバラの遺言を、わが国のゲバラ讃美者たちは何と思ってきいているか。一〇〇万の虐殺、一〇〇〇万の難民の餓死寸前の状態に眼をつぶり、何一つ行動しない「革命家」「評論家」とは一体何なのか。
 このことをぬきにしては、「それは、世界階級闘争の総体としての把握における生産力主義的・客観主義的偏向についてである。」という総体的自己批判がそらぞらしいゲバ学生の甘ったれた心情吐露的なものと同質のものとしかうつらない。
 第二部、反独占統一戦線・構造改革路線の総括も同様の調子で展開されている。タネ本はここでもマニフェスト・グループ、とくにルーチョ・マグリである。まず「他方、コミンテルン第七回大会路線の延長上に、今日の統一戦線を追求する思考は、実践的には右翼的日和見主義でしかありえないことも現実の階級闘争が教えるところである。」という断定があり、そしてレーニンの統一戦線論その負の側面のスターリニズムとしての開花、肯定的側面のコミンテルン第七回大会の反ファッショ人民戦線テーゼとしての延長線上に今日の構革派反独占統一戦線論をみ出す。ここでスペイン内戦における「新しい民主主義」、反ファシズム抵抗闘争における権力機関としてのソヴュトでない、人民委員会の存在と人民民主主義革命については奇妙にもまったくふれられていないのはどういうわけか。また「ファシズムは、ディミトロフ報告のように独占資本の最も反動的、排外主義的独裁というブルジョアジーの一般的支配様式ではなく、むしろ、後進資本主義国もしくは敗戦資本主義国の特殊な支配様式であり、また、それは暴力とデマゴギ一による支配のみではなく大ブルジョアジーと特権的中間層の同盟にも依拠している」という検証ずみの、一知半解の規定には失笑を禁じえない。コミンテルンやディミトロフを絶対視するつもりは毛頭ないのだが、たとえば当時のフランスのような先進資本主義国における強力なファシズム運動の存在とその征覇の危機をどう考えるのだろうか。フランスでファシズムの征覇をくいとめた労働者・知識人の大闘争の意義をどう考えるか、こういう見解をかつてコミンテルン第七回大会は「客観主義的偏向」として闘う立場より否定していることを知らないわけではあるまい。

 ところでマグリの結論は「いまや陣地戟の時代は終った」である。だからこのままおしすすめてゆけば、新左翼的武装革命路線に当然ゆきつかざるをえない。
 この点で中間派の「大人」たちは、「戦争ごっこ」へのめりこむその「教え子たち」と手を切らねばならぬ(直原氏があれほど鋭くK氏=小寺山氏の政治責任をついたのは、この点ではなかったか、『こむうな通信』一号参照)
 大人は子供とちがう。「機動隊」につっこむわけにはゆかない。「すなわち『もはや陣地戦の時代は終った』(マグリ)のではなく新しい条件の下で、新しい形態における陣地戟の戦術があみだされねばならない。そして同時にその新しい陣地戦の戦術=新しい統一戦線は、最後の決戦のための新しい質的飛躍の論理(ロシア革命とは異なる性格)を構築しなければならない。それは「評議会」のテーマであると。」(同上九-二二ページ)
 要するに党(大衆的と前衛党)はつくれないし、つくりたくない。全体革命を志向し権力奪取以前において「きたるべき社会の予示を可能なかぎり追求しようとする」〝新しい党〟は〝機能前衛〟として党-労働組合でなく、党-評議会として再構築される。第一次大戦後の特殊な歴史的事情と各国の特殊性にもとづき、革命情勢期に発生したソヴュト(評議会)や第二次大戦中の反ファシズム民族解放闘争の中から生まれた「人民民主主義」(人民委員会)でなく、平常時における「評議会」 の再生の上に「党」をつくり上げようとする。労働組合にかんしても「われわれは、評議会-労働組合の関係を前者の歴史変革主体としての優位性の確認のうえに、しかし、弁証法的、有機的関係としてとらえるのである。今日の高度資本主義国における革命戟略は、この評議会と労働組合の弁証法的統一を基礎にくみたてられねばいかなるこころみも無力なものと化してしまうであろう。」(同上A-二二)
 かくて結論にいう。「労働組合は産業別全国ストライキをその主要な武器とするのに対して、工場評議会は拠点大衆ストをその特有の戦術として駆使することによって、混然とした階級の力の行使を表現し、両者は体制の顕覆へとむかう。過渡的・中間的目標=構造改革のプログラムによって領導され、革命過程の意識的主体へと自身を高めてゆくことができる。
 構造改革の路線の再生-その戦闘的再生はかくして当初に結論づけた「労働者権力」のうえに開花し、いまひとたび日本の階級闘争の最もすぐれた党派的立脚点へと自己を昇華させることができるであろう。」
 これが一年を費した「研究成果」である。そして実さいの運動への具体的「評議会」の適用とは、労働組合の左翼分子の結集(これだけなら新左翼的赤色労組主義になる)と外部の「理論注入商会」との結合となる。その成果については、松葉武雄「新しい型の労働組合運動と教育労働運動」(『現代社会主義』七一年五月号)をみるとよい。労働組合が、「労働力商品の販売条件」の改善にのみたずさわるのでなく、商品の内容に、生産者的要求の大衆化にとりくむことによってのみ可能だ。「教育内容を問うことを軸」とする運動に、革新的工場委員会を軸にして、組合運動をすすめ、「自己管理」、「社会主義の先どり」を行なうというのだ。教育労働と.いう特殊な労働の場合はもともと、そういう教育労働の内容と切りはなされぬ性格をもつものであるが、またこの点に教育労働者の特殊性があると思われるのだが、この考え方が、他の製造工業や生産労働にひきうつされるとどうなるか、労働者を生産内容の管理者にしたて、創意を発揮させること、—現代先進国の独占ブルジョアジーがもっとも努力しているのがこのような労働者の積極性と創意をひき出すことではないか。もちろん国家権力と工場管理の中核部分を自ら手ばなさないという条件のもとで。こうしてできる限り労働者の自主性(自主管理)をひき出すことこそかれらのもっとも歓迎することであり、これがほんとうの「マル生」ではないか。
 権力の中枢、生産の中枢を独占ブルジョアジーが握っている場合の「二重権力」とは一体何であろう。それは「欺瞞」以外の何ものでもなかろう。これまで高い理論的水準に立ち、すぐれたイニシアティブを発揮していたと思われる労働運動家松葉氏がこのような理論的泥沼におちいりかつそれに気づいていないのをみるのは、かつての友人として痛ましい限りである。「社会主義を問い直す」「反体制労働運動とは何か」(三一書房)という小冊子でも同様の見解が展開されているが、たとえばつぎの文章は一体何をいみするのだろう。「ところで、資本主義の経済力が現在のように強大となってくると、労働者の改良要求をあるていど許容する余力ができる。他方では経済の主導者である技術集約産業では、搾取と抑圧という前近代的な方法で労働力を管理することが不可能となってくる。」(「新しい型の労働組合と教育労働運動」『現代社会主義』一九七一年五月号六八ページ、傍点勝部)搾取や抑圧というマルクス経済学の概念は、前近代的な方法なのか、先進資本主義国では現在、資本による搾取が行なわれていないのか。マルクス主義のABCにかんする、こうした指摘は、揚げ足とりとなる恐れがあるのでこのへんに止めたい。しかしこれに類するマルクス主義の経済学および政治学の初歩的知識に首をかしげたくなるような用語や論点はさきの「反体制労働運動とは何か」に無数に存在する。ヤクザ映画の讃美、「勝った負けたを言うではないぞ」、「全力でやった」ことをわかってほしい、という甘ったれた心情吐露から始まって、ベトナム、アメリカの黒人、日本の沖縄、部落、欧米の学生、チェコの人民の六つだけに世界の「反人間的な抑圧に反対して真正面から闘っている部分」を限定する、非科学的断定など、文句のつけたいことは山ほどあるが、きりがないのでこのへんで止めておこう。
 要するにふたをあければ、たわいない総括であった。だからその具体的戦闘的再生が現在なお「学者評論家」に依存する小サークルの研究集会を出ないのは当然であろう。

 結 語
 わたくしの日本構改運動にたいする総括は、すでに軌跡(本誌第五号)と各グループの総括の批判の中で展開しているので、繰り返す必要はあるまい。
一、理論において、構改論を社会主義革命論として全体的に把握すること、二、この理論と実践との間にその媒介項として運動学をうち立てること、三、したがって運動の指導主体-「新しい党建設」の問題と意識的にとりくむこと-これがわたくしの結論である。
 新左翼は玉砕し、社会党は社民に徹し、共産党が革命ぬきの議会主義的「構革主義」に右傾化し、日本構改派小グループがすべて四散している現在、なお現実は、正しい指導を欲している。この雑誌自体、同人全体がこれからとりくまねばならないのは、それぞれの分野における構改理論の運動学の構築と運動指導センター(「新しい党」の萌芽)の建設であろう。これはまた別のテーマに属するので、一応小稿はここでうちきる。

カテゴリー: 社会主義, 社会運動, 運動史 | 日本構造改良各派の総括とその批判 はコメントを受け付けていません

「統一」会議諸Gの残慮なキャンペーンに忠告する。(民旗93号)

1971年12月 「統一」会議諸Gの残慮なキャンペーンに忠告する。(民旗93号)

民旗 第93・4号 1971年12月10日 (全文PDFはこちら)

成果ふみ固め、全国委の旗の下 さらに全国学友の先頭に起とう!
                              全国委書記局

<「統一」会議諸グループの浅慮なキャンべ ーンに患告する>

●同盟の現在、闘いの前進

 われわれ民主主義学生同盟は69~70年の激闘の中での一部の脱落をも発展のためのバネとして、大きな成長を遂げている。「軍国主義強化反対」の旗を高らかに掲げた大衆運動の全面的展開とその真只中での組纖の全国的建設を着実に達成して来ている。今秋期のわれわれの闘いは、12回大会以降の全国委ー地方委一支部委にいたる民主集中性に賞かれた組織確立強化、各園における闘争委確立、大衆化ークラス運動の全面的展開の成果を収約し、 「自治会運動の掌握確立」に向け大きく前進しようとするものであった。 われわれはその課題を、10.21阪市大Cスト、11.19神大Cスト、阪大Dスト、11.24岩大Cストを比類のない大衆性において構築することによって11.15~16の1000の全国結集行動の展開、そして現在における名工大、京大C自治会選挙における民青派との真正面からの対決を貫く中で成功裏に達成して来ている。 そして新らたな可能性を手にしている。こうしたわれわれの強固な全国的成長の過程は、他面当然のことながら官憲、他党派の敵対、妨害との敢然たる対決の過程であり、それと原則的な態度で対処することなしには有り得なかったし、現在においてもそうである。 こうした実践的立場にあるがゆえにわれわれは、「統一」会議を仮称する諸グループの一部「指導部」の行ったこの間の一連の反「民学同」キャンペーンを確かに「かすかなもの」であるが許し得ない、すなわちそれが、内容以前の、少しとも闘う者の態度からして当然の節度を欠いたものであり、同時にそれが善意ある若い活動家を不幸な誤りに導びいているからである。 以下、簡単にその誤りを正し、忠告するものである。

●12回大会の論争点
 今彼ら一部「指導部」は、われわれの立場を「ゲバルト路線」 (デモクラート二四号)と規定しあたかも12回大会以来、実践的検証を求められていたものが、その点にあるかのごとく論争点を悪く単純化している。 こうした態度は、「…11.18阪市大学生大会にも…他大学生を動員し、革マル黒ヘルとの集団ゲバルトに持込もうとしている」 (11.18阪大「デモクラット」)と全く事実無根の予断と偏見に基く頻繁な悪宣伝が示しているように、善意ある活動家を無理やりに牛耳っている。しかし問題はそんな所にあったのではない。討論を真の姿にもどすために十二回全国大会で論争された主要な問題をここに整理しておこう。 主要な論争点は第一に政府独占の大学の帝国主話再編の攻撃に全学協の確立を中心に、徹底した反独占民主改革の旗ー「全共闘」 Mの流行と代々木派民青の収集策動の中で最も求められていた-を掲げて闘うか、否か、第二に、佐藤訪米阻止を大衆運動の重要課題として取り上げて闘うか、否か、第三にその闘いを「課題と基本戦術の一致」を原則に全ゆる自治会、闘争委、実行委を貫く共同闘争として闘う-自治会の多くは崩壊、機能停止の中で原則的自治会運動の再建への最短の道-か否か、第四にその過程において「総評労働者(大阪においては反安保府民共闘の闘い)との連帯」を堅持し、実力阻止派に対する実践的批判を行なうか否か、学生大衆の層的決起のために闘争委(学生共闘、統一会議、平民闘委など)の確立、強化の具体的措置を積極的に功じて行くことの是非であった。 以上のことが全国学園闘争、69一70年安保闘争というとりわけ、同盟としての全国的結束、機敏な実践的対処を要求する中において論争されていたのだ。 それゆえそうした現実は「同盟は民主集中性をもって組織原則とする。 個人は組織に、少数は多数に従う。 少数意見を尊重し民主的に討論し、決定したら全員がそれを実践する」(規約第八条)を承認するか否かを一般的命題としてではなく、具体的場面において問うていたのである。「統一」会議指導部は一様に後者を、否をとった。 その後彼らは前記の五点の問題を不間に付すか、なし崩し的に手直しするしかなかったのである( 一例「〇〇〇」の闘争委の設置)。 「統一」会議の下に在る学友諸君!我々民学同全国委は、諸君がいずれにせよわれわれに処置され、わが同盟への非ぼう、中傷のみを任務とする「組織」に結集する限り、以上の五点だけでも自信をもって自らの立場を明らかにしうるまでに、明確にし総括する義務を当然負うと思っている。 また君達の「指導部」はその指導をやらねばならないし、諸君はそれを要求する権利を持っている。ところで諸君は知らされていたのか?、検討してみたのか?、理解したのか?

●今秋の彼らの態度 その意味・ 破産

 以上を踏まえた上で「ゲバルト路線」なるものを検討しよう。 少くともそれが論争されていていた中心的間題での彼らの原則的立場の主張ではないことは明らかである。 ところでその後退した地点でわれわれに対置したいわば最後の手段自身どうだったのか、「デモクラート」No24は、はっきり書いている。
 「十八日阪市大で起った学生共闘と革マルの内ゲバは、翌々日の市民を巻込むほどの市街戦に発展し…」「周辺の商店から角材、空ビンを盗み出し…」「京都においては、アナキスト集団とゲバ抗争を繰返し…」以上の宣伝は、そもそもこうしたことを取上げる態度においてもまた、誤りがあり、第二は事実の誤認、事態に対する自らの態度表明の欠落という二重、三重の誤りをおかし、しかしそれを現実に行なった中でわれわれの組織とそれを支持する広範な学友にただではすまされぬ影響を与えているのである。
まず阪市大における事態の本質は革マル派・黒ヘルの10・16運営委に対する襲撃、10.18早朝の襲撃、10.20,21の彼ら、そして全く無関係な「赤ヘル軍団」を含めた、活動への襲撃、スト破壊、官憲のわれわれに対する恫喝と彼らに対する容認が示すように、革マル、黒ヘルの一貫した敵対にある。 京都のそれは、テロリストを使った官憲のわれわれに対する組織破壊策動にある。 テロリスト集団は7.27以前は京大に全くいなかったしそして10.24以降も姿はない、これは何を意味しているのか?それは何より大阪市大京大の学友が最も良く理解している。京大民青さえ「学生共聞への黒ヘル攻撃は、ひとり彼らへのものではなく、民主勢力全体に対するものである……」と語っている。
 「統一」会議「指導部」の誤りは明らかではないか。 この間の彼らの饒舌の限りつくしたキャンペーンの一体何処に革マル派黒ヘル、アナーキスト、京部府警に対する糾弾(闘う者の前提)があったというのか、それどころか納粋の「反民学同」キャンペーンである。 ごれがそもそも「喧嘩両成敗」の域にも程遠い、気の毒な程稚拙(ことによったら悪質な)ものであることは心ある全ての学友に明らかである。 彼らは阪市大京都における事態の一体何程かのことを知つていたのか、今だに「内ゲバ」と言っているのは自分達と朝日新聞だけだということ(読売京都支社社会部は否を認めている)に気づいているのか。  この間の同盟は、官憲、諸党派、ブル新の恫喝聞込み追跡悪宣伝から大衆運動と組織を防衛し、強化、発展させて来たことを知つているのか、君らの悪宣伝の真只中で、不当な長期拘留を完全黙否で闘い抜いている学友がいることを知つているのか、軽率なことをするものではない。 責任は重大でもる。 あまつさえ、こうしたわれわれに 対し、リンチ、集会破壊を企てる(11・18、 11・27法大、11・19集会、11・ 24集会)とは何事か、こ
の大衆運動ぬきの「実力行使」ごそ君達が日夜呪いつづけて来た「内ゲバ」ではないのか。

●同題員の負う義務
 「統一」会議の下に在る学友諸君! 君達の「指導部」は自らの否を認めはじめている。 ただ残念ながら今一歩の誠意を欠いて責任の糊塗を計っている(11.26までに機関紙上で釈明すると誓いながら放棄し学園から逃亡している)責任は、われわれとの原則的闘争をねじまげ、真実を知る同盟員の権利を無視し、ひたすら勝手な「情報」を流し、諸君のエネルギーを泡費させて来た君達の「指導部」の階級的節度を忘れた官僚主義的態度にあるのだ。 今君達は「指導部」が全くの軽率さにおいてそうしたのか、ただひたすらわれわれへの敵意において流れたのか、それとも意識的に(官憲、他党派の圧力を借用してわれわれに党派闘争を挑む)そうしたのか、どちらなのかの疑間の中に立っている。
 「指導部」の態度が前者であるなら徹底した自己批判が必要である。後者であるなら、われわれは正当に組織を防衛するため、あらゆる手段を準備せねばならない。いずれにせよ、彼らの態度は見逃がし得ない悪質なものであることは明らかである。 それを明らかにするか否か、「統一会議」の存立とそこへの結集それ自身が合わせ間われているのではないか。まさに「地獄への道は善意に敷きつめられている」のだ。 忘れてはならない。  君達の態度が民青の反トロキャンペーンといささかも違わず、「暴力はただだだファシズムの温床となるだけである」(阪大デモクラット、11.9)というとき、「全共闘はネオ・ ファシズムである」といった民青派(京大経済学部班)の態度と醋似していることを。 われわれ全国委はこの機に、それを忠告し、諸君が善意をもって積極的に検討されることを期待している。 われわれ全国委員会は今秋期闘争の一切の成果をふみ固め全国160万学友の先頭にたって、さらに闘いぬくであろう。

1971年12月10日  同盟全国委員会書記局(※学生共闘派)

 

カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動, 運動史 | 「統一」会議諸Gの残慮なキャンペーンに忠告する。(民旗93号) はコメントを受け付けていません

【追悼】唯物論者・森信成さんの死(山本晴義さん)

「知識と労働」第3号 1971年12月
【特集2】森信成追悼

知識と労働第3号山本春義さん追悼文

  唯物論者・森信成さんの死
                  山本晴義

 一九七一年七月二五日早朝、突然森信成さんは死んだ。それはあのすさまじい精神的営為でわれとわが身を焼きつくしてしまったような死に方であった。戦後、民主主義科学者協会から唯物論研究会にかけて、ほとんど二〇年以上思想的にも政治的にも、終始親しい先輩であり、知己であったわたしには森さんの五七歳の死はたとえようもなく残酷である。しかしこの間、ただくる日もくる日も仮借のない戦闘性と強靭な思弁力で唯物論哲学の確立と普及、思想闘争、そのための組織(唯物論研究会)の強化に没入した、あのはげしい生涯は、わたしに詠嘆的な故人の感傷にひたることを許さないのである。ここでまずわたしは思想家森さんの生涯を語る言葉として、なんの購曙もなく次のマルクスの文章をあげることが出来る。
 
「科学への入ロには、地獄への入ロと同じように、つぎの要求がかかげられねばならぬ。
ここにいっさいの疑倶をすてなければならぬ、いっさいの怯儒がここに死ななければならぬ。ダンテ 『神曲』」(『経済学批判」序言)


 わたしが森さんを知ったのは一九四七年大阪民科哲学部会がYMCA会館で開かれたときであったと記憶している。当時民科大阪支部は内田穣吉さんが幹事長で、終戦後の大衆運動の噴出を反映して朝日会館ビル七階に事務局をもつ大組織であり、わたしは常任をしていた。哲学部会も常時三〇人は下らないという盛況で、当時もっとも中心的なテーマは、戦後思想上における最初の論争で、その後五〇年ごろまで論壇を二分し、大阪民科自体の内部でも完全に分裂していた、いわゆる「主体的唯物論論争」であった。この論争はその過程で部会の中に分会が出来、そこで一方は梅本克己氏、三浦つとむ氏や田中吉六氏ら「主体的唯物論者」の論文や本をむさぼり読み、他方はまた松村一人氏や甘粕石介氏ら「正統マルクス主義者」 のものをむさぼり読ふ、あらかじめ意志統一してのりこんでくるという程にまで熱気をはらんだものになった。これは文字どおり敗戦によって思想的支柱を失なった若い労働者や学生がマルクス主義のなかにいかに真剣に自分達の生活や道徳の実践的原理を求めているかを証明するものであった。結局この論争は後に森さんが指摘されたように 「正統マルクス主義者」自身が唯物論の原則を貫徹することが出来ず、いわゆる「社会革命」に対して「人間革命」を、対象的認識.科学的理論に対して全人間主体の真実を二元論的に対置する、それこそ正真正銘の実証主義に逸脱してしまったかぎり、部会をかさねるごとに反対に主体的唯物論をひきたたせるというふじめな結果になり、最後は、当時大衆のなかに存在した絶対の権威に乗っかって、主体性や人間を問題にすること自身、実存主義、観念論だときめつけたり、「小ブル修正主義」だという政治主義的レッテルを張りつけるだけで強引に終らせてしまった。そのかぎり六〇年代以後現在にかけて再び主体的唯物論の名のもとにアナーキズムが流行じ、他方森さんが最後の論稿「日共代々木派哲学批判」(『知識と労働』第ニ号) で徹底的に批判しているように、「正統マルクス主義」も現在相変らず実証主義を説き、なんのことはないこれら「二つの〇〇〇が互いに補い合い」、「引き立て」合っているのも、けだし当然のととなのである。わたしが覚えているのは、この民科での論争過程でまだ積極的な唯物論的解答を出すというほどまとまった形ではなかったが意志決定論の唯物論的原則を絶対ゆずらなかったのは森さんと北川宗蔵さんだけであったということと、それが 「正統マルクス主義者」も実証主義にずりおちてゆくという雰囲気の中で完全に孤立し、無視されてしまったということであった。それにこの間恐らく晩年の森さんを知る人にはおよそ想像できないほど部会における理論的発言が寡黙であったということである。もちろん、これは誰しも知っているように森さんが遠慮したとか、尻尾をまいたと言うことでは毛頭なく、また例の日常生活における八方破れの、すっとん狂な行動や、かけあい万才的会話は終生かわらなかったが、要するにこと理論的な問題に関するかぎり自分自身で確信ある解決がつくまで公的な場所では、徹底的に慎重であり、きびしかったのだ。へーゲル 『小論理学』 やフォイエルバッハの本をぼろぼろになってしまうまで読み、書きこみしながら、苦しみ苦しみぬいたあげく、五〇年初頭、論文「最近における唯物論の実存主義的修正について」(『マルクス主義と自由』合同出版、後篇第一章、第ニ章)が民科の雑誌『理論』に発表された。苦闘そのものがそのまま文章に現われているあの襖形文字のような原稿を見せてもらったが、当時のわたしにはその意義を理解することが出来なかった。 だがこの論文こそ主体的唯物論=実存主義的修正主義=「原始マルクス主義」に対する戦後はじめての本格的な批判であったし、のち実践と理論、党派性と科学性、自由と必然等々について尖鋭に展開されていった、唯物論的人間観の原理がはじめて積極的に打出された画期的なものであった。しかし戦前、戦後をつうじて日本の唯物論が果し得ず、たえず問いただされ、人民大衆からもとめられている 「空白」 に唯物論的解答をあたえようとする森さんの努力は、現在においても一部の人々をのぞいて理解されず、上の先駆的な論文も無視されたまま、朝鮮戦争、コミンフォルム批判、日本共産党の分裂という社会的激動に流されていった。これは戦後日本唯物論陣営の最初の敗北であり、しかもそれは決定的な意味をもっていたのだ。


 五〇年の朝鮮戦争と十一月末までに官民あわせて一万七〇一名に達するレッド・パージは当然大阪民科にも深刻な打撃をあたえ、事務局も大鉄局うらのうすぎたない通称「民科会館」 にうつらざるを得なくなった。ことに周知の「コミンフォルム批判」 にともなう日本共産党全党をあげてのすさまじい内争は、大衆団体ひきまわし主義や「理屈を言うな、要は実践だ」式の、理論論争ぬきの政策論争ぬきの倫理主義ー実証主義ー権威主義が圧倒していた当時、たちまち民科の運動を恐怖的な官僚体制のなかにひきずりこんだ。哲学部会だっていつも府委員会直属のなにがしというのが、すみで一言も言わずにメモをとり、すこしでも中央に批判的な発言でもしようものなら「ニ心者」だ 「裏切り者」だ 「おかしい」という風評がいつのまにかたてられ、あげくのはてはスパイだと抹殺されるという調子であった。 われわれにとって不幸であったのは、あたかもこの頃『整風文献』や毛沢東の『実践論』 『矛盾論』 がわが国に紹介されてたちまち民主主義陣営を風魔し、当然この段階、哲学部会の中心的なテーマになったということである。なぜならのち中ノ論争のなかで森さんがはじめて公然と批判した(『毛沢東「矛盾論」「実践
論」批判』刀江書院) ようにこれこそ当時の精神主義や経験主義、それに 「五一年テーゼ」 が「劉少奇テーゼ」 にしたがってわが国の戦略的課題を中国と同様後進的な「反帝反封建」と規定し、わが国民主主義勢力をとりかえしのつかないブルジョァ民族主義や武装蜂起・極左冒険主義にひきずりこんでしまうのに、まさに国際的な理論的権威を与えるものであったからである。息がつまるような状況のなかで部会の出席者も激減し、討論らしい討論もできなくなり、森さんも一度戦略問題にふれた激越な論争をやって席をけって帰ってしまったことをおぼえているが、部会では全くといってよいほど発言しなかった。主体的唯物論論争で森さんが到達した理論的水準からすれば『実践論』 『矛盾論』の欠陥はいたるところ眼についたにちがいなかろうし、批判することも容易であったろうが、「ともあれ、理論外の理由からくる事柄の困難さが毛理論の批判的検討を意識的、無意識的に回避させてきたことは否定できない事実である」(同上、 一〇四頁)。こうして大阪民科は理論的にも組織的にも実質上破産し、大衆から浮きあがってしまった。
 一九五五年から五六年にかけて、丁度五四年の小由切秀雄さんの有名な論文「人間の信頼について 立場を超えた協力のために」を皮きりに「思想上の平和共存論」がもりあがっていたころ、わたしが雑誌や学内誌にプラグマティズムを現在の最も代表的な帝国主義のイデオロギーだと論じ、またマルクス主義との折衷を考える 「思想の科学』研究会の動きはプラグマティズム的修正主義だとして、その理論矛盾をついたことは、森さんの拍手をうけた。森さんとの個人的接触ははじめて知り合って以来ずっと続いていたが、このころからあけすけな政治上、理論上の議論が昼となく夜となく何日もつづくというようなことが多くなった。それは唯物論研究会をつくってゆく過程でもちろん頻繁になり森さんの強引さやわたしのねばりにお互いに辞易しながら、しかしわたしにとっては、それまでわたしがひきずっていた実証主義的傾向や戦略的視点の動揺が次第に克服されていった過程であり、この間森さんから教えられたものにははかり知れないものがあった。
 

 森さんの理論活動、組織活動が満を持していたように思想界の前面におどり出しはじめたのは丁度「六全協」を境にしてであった。その頃民科は中央の方針で全国的に解散してしまったが、大阪支部の哲学部会だけは、この不当さに執念のように抵抗した小松摂郎さんの貴重な努力で、メンバーも一変し、むしろ京都民科の人々も参加して進歩的な哲学者の統一戦線の場として復活していた。しばらく近よらなくなっていた森さんもわたしもふたたび精勤に出席するようになったが、またこの頃から別に唯物論者の研究会をもつようになってていた。大阪唯物論研究会を正式に結成したのは五七年十一月であったが、 そのものずばりの白熱した討論が行なわれる
につれ、今や森さんは子供のように得意であり、また水を得た魚のように精力的であった。その成果は戦後の日本共産党の戦略路線の誤り(解放軍規定ー反帝・反封建規定)から、例えば石母田正氏の 『歴史と民族の発見』(東大出版、五二年)に代表される、それこそ唯物論のABCを否定してしまうブルジョア民族主義的偏向が蔓延していることに対する痛烈な批判(『史的唯物論の根本問題』上掲、第二章、第三節参照) となって現われたし、ことに 『前衛』(五八年七月、八月) に発表された論文(同上、序論および第一章参照)は、かかる戦略規定の誤謬が、かんじんの敵、日本独占資本のイデオロギー (実存主義やプラグマティズム) との思想闘争をおこたり、逆にありもしない半封建的な天皇制イデオロギーと闘争するための同盟軍として、いわゆる「思想上の平和共存」を一貫して行なってきたところに戦後わが国唯物論陣営の敗退の原因があったこと、民科は一方そのような組織として機能したとともに、他方唯物論者が自己の課題をそこに持ちこもうとしたことによってセクト主義、政治主義的偏向をひきおこし食いつぶしてしまったことを指摘したのは痛切な体験にもとづく戦後唯物論の総括であった。そしてそこで提起されている断乎たる唯物論の原則の貰徹と発展、わが国独占のイデオロギーと氾濫する修正主義との思想闘争、そのための民科とは別個の唯物論研究会の結成の呼びかけは、その後の唯物論陣営の戦略地図、課題を明確に示したものであった。もっとも当時は五六年の 「スターリン批判」やハンガリー事件があり、わが国の思想界はあげてスターリン批判の名のもとにマルクス主義そのものを攻撃し、従来マルクス主義への接近をはかってきた良心的な実証主義者、否マルクス主義者自身の中でも、スターリン主義=教条主義=一枚岩主義という公式のもとに唯物論から多元論あるいはアナーキズムへ「発展」・離反してゆく潮流がうず巻いている時であり、われわれの課題は重大な決意を必要とした。第一、五七年から五八年の間は日本共産党の内部において、おそらぐ戦後はじめて公然たる民主的な論争が保障された瞬間であったが、それでもこの森さんの論文を載せるのには森さんもわたしも、しまいにこちらの神経がまいるほど何回も要求し、抗議したすえにやっと「研究と討論」欄というところにのるという状態であり、しかもこの民主的な思想論争も文化部長蔵原惟人氏の「思想闘争の課題を観念論か唯物論かで評価するのは間違いだ」というとてつもない総括論文(同上、結語にかえて参照)で打切られるという始末であったのだ。しかしわれわれは意気軒昂であり、あの筆不精の森さんは連日のように東京の大井正さんや下関の三井田一男さんや札幌の岩崎允胤さんらと文通、相互連絡をつづけ、かくして全国各地のもりあがりのなかで五九年六月日本唯物論研究会がついに発足したのだった。この時点から森さんは名実ともに唯物論陣営の第一線にとびだした。
 すでにあたえられた枚数が超過した今、その後の日本唯研における、また大阪唯研における森さんの活動を追想する余裕はない。 しかしわたしがここでとりわけ民科から唯研結成までの過程を中心にのべたのは、 一つは民科時代の森さんを知る人が現在案外少ないという事情とともに、まさにここにこそ森さんが、なぜ生涯唯物論の原則の擁護と発展をかたくななまで主張しつづけたか、なぜ唯物論研究会の設立と強化に心血をそそいだのか、なぜ日本唯研結成後たとえば『唯物論研究』 の 「創刊のことば」をめぐる激しい論争(『毛沢東「矛盾論」「実践論」批判』に付録として所収)にも示されているように、また全国委員会の度ごとに、主観的な「党派性の承認」に執勘に抵抗し、言論と表現の自由の保証を人類の至上の権利として要求しつづけたかの理由があきらかになると思ったからである。
 しかしこの『唯物論研究』も六五年理論的次元での対立を理論以外の力で、端的に言えば編集委員関戸嘉光さんが報告されているように、その 「編集方針・編集内容が日共にとって好ましくない」 (『唯物論研究」ニ三号参照)という理由で実質上廃刊させられてしまった。日本唯研も現在危機的情勢のなかにあり、つぶされようとしている。くわえて前述したようにわが国民主主義勢力の現状は 「アナーキズムは日和見主義(民族主義、議会主義)的罪悪に対する一種の罰だ」、というレーニンの規定どおりの形をとっており、両者の思想的支柱になっているのは実証主義である。という情勢の中での森さんの死はわれわれにとってたしかにとりかえしのつかないものである。だが森さんはわれわれにこれらの偏向や修正主義と闘うためのテーゼをその生涯をつうじての苦闘のなかで残した。また森さんは大阪唯研創設以来まったく私生活を放棄して、大阪唯研の中に若い学生や労働者、研究者をそだてあげた。森さんの生命は今これらの諸君たちの中に確実に、びくともせずに脈打っている。その生命はたとえ周囲がどのように動とうと決して絶えることはないであろうし、また絶やしてはならないのである。(一九七一・九・四)
 
 

カテゴリー: 思想, 歴史, 社会運動, 運動史, 雑感 | 【追悼】唯物論者・森信成さんの死(山本晴義さん) はコメントを受け付けていません

【追悼】助講会のころ (横田三郎さん)

「知識と労働」第3号 1971年12月
【特集2】森信成追悼

  助講会のころ
               横田 三郎
               
               
 森さんを私が初めて識ったのは、今からもう二〇年近くも前の昭和ニ七年のことである。当時市立大学は杉本学舎が米軍に接収されていて、私たちは八幡筋の南綿屋小学校に仮偶していた。 三月初めの入学試験に私は試験監督をやらされていたが、交替で煙草を喫みに廊下へ出たところ、隣りの教室からも煙草を喫みに出て来た人物があった。それは、およそ大学の教師というイメージには陰ど遠い、ジャンパーに草履といった姿であった。 それが森さんだったが、その時は互いに名前を知り、入試監督という仕事をボヤイただけに終った。その後約一年して学舎が旧靭小学校と明治小学校に移ってから、文学部の助講会の結成、歴史学教室事件、学部民主化闘争、助講会の教授会参加、教授会の各種内規と審議原則の民主的確立へと続く過程で、私は森さんと急速に親しくなっていった。そして、それら一連の民主化闘争の過程で、文字通り終始先頭に立って指導していたのが森さんであった。
 当時の文学部は、教授と助教授とで教授会が構成されており、教授会がどのような問題に取組んでいようと、助手や講師には、人事で直接関係が生ずる以外には全く無関係だと考えられていた。市大全体が、新制大学として発足後数年にしかならず、おまけに小学校に間借りをしている不便さもあって、研究教育の面でいろいろの苦労を忍ばねばならなかった。しかし、その反面、伝統の欠除と管理の未整備によって、個々の教員や学生にとっては現在よりもずっと自由に感ぜられていた。その上、文学部の教員は旧商大とは無関係であったので、教員間に師弟関係がなく、そのため、子弟関係から生ずる教員間の不合理な義理人情とか悲哀といったものは存在しなかった。従って、私も含めて講師と助手の大半が、教授会という大学自治の基本単位から排除され、自治権を奪われていることに問題を感ずるよりは、寧ろ逆に、教授会出席の義務や、その中での諸委員活動からまぬがれて研究し得る自由を楽んでいたといえる。週に二日か三日研究室で時間を過すだけで充分であった助手、それに、僅かの講義時間と月に一、二回の教室会議に出席するだけが義務であった専任講師とは、隣接の教室以外にはほとんどお互いに知らないといった有様であった。私が森さんを知ったのも、私が助手として市大に勤務し始めてから丸一年目に、それもすでに述べたように全く偶然の機会にそうなっただけなのである。
 このような「実感的」自由の中には、学間と思想の自由を擁護する思想と態勢、自治の意識と民主主義が欠除しており、一度問題が発生すればその「実感的」自由は直ちに破綻することを、森さんは鋭く感じとっていた。 そこで、森さんは助手と講師の一人一人を説得してまわり、その結果、文学部の助手と講師の全員が加盟する文学部助講会が発足した。しかし、当初は、全員が交互に各自の専攻分野の研究成果の発表を行い、それを中心に討議をし、併せて親睦をはかることを目的としたのであって、大学の自治とか民主化闘争の主体として自己規定をしたわけではない。けれども、月に一回程度もたれたとの研究活動によって、それまで互いにバラバラで、無関心であった助手と講師の全員が、一つの集団にまとまる基盤が作られていった。 そして、その組織と活動が後の民主化闘争の母体となるのである。その頃、歴史学教室の中で、二、三人の教員による人事の墾断、助手の人権侵害という事件が発生し、それを契機に助講会は単なる親陸と研究の会から、民主化闘争の強力な組織へと質的な変化をとげたのである。しかし、その変化は、問題の発生によって自然に行われたわけでは決してない。歴史教室内部の特殊な事件に含まれている一般的な問題を明るみに出し、それを助講会全員の研究の自由、権利の自覚に結びつける森さんの強力な説得活動がなければ、その事件は、 一部の同情を得たにしても、恐らく局部的なものとしてウヤムヤに処理されていたであろう。 この事件が発生してからは、森さんは自分の家庭とか個人的な事がらはほとんど全て放棄して、物凄いエネルギーで説得活動に当った。そして、助講会も新たに代表幹事や規約などを決めたが、重要なことは、会の決定が多数決でなく、全員一致を原則としたことである。これは、全ての重要事を説得と納得によって決定すべきだという森さんの強い主張が容れられた結果である。実行不可能にすら思えたこの原則が実際には、会の分裂と会員の無関心、一部の者の請負いといった惨めな状態を未然に防ぎ、全員を積極的に事に当らせるようになった。 それに、困難な状態の中で、依拠すべき外面的権威は何一つなく、思想も信条も異るインテリの集団が主体的、積極的な統一行動を行おうとする限り、徹底した討議を省略した多数決による形式的決定は避けねばならない。けれども、当然のことながら、全員一致の原則を実行するには、次々と必要になる重要な決定に当って、全員の出席と全員の徹底した討議が不可欠である。 そのため、刻々変化する情況に即応して、森さんを先頭に幹事たちは、速達便、電報、電話(当時は電話のある者が非常に少なかった)で全員に召集をかけ、事前に説得の必要があるばあいには、会員の家にまで出かけた。 とうした或る日のタ方、大阪の私の家へ京都から森さんがやって来た。明日の会合以前にどうしてもS講師をもっと説得しておく必要があるので、一緒に彼の家へ行こうという。それでタ食もとらずに二人で出かけた。芦屋で電車を降りた途端に雨が降り出したが、タクシーを拾う余分な金は二人とも持合わせていない。どしゃ降りの雨の中を散々探してS講師の家にたどり着いたのである 。
 このような努力のおかげで、当初一部に見られた無関心、非協力や、途中で何回か起る動揺もほとんど克服され、分裂の危機は一度も経験せず、順調に闘争は成果を挙げていった。そして、その成果によって全員の意識が一層統一され、初めの悲憶感は楽天的な気分に変って来た。 そうなった段階ではもうそれぞれが自発的に個性を発揮しながら統一した目標に向って進んでいくものである。主として教授会交渉に当る者、声明文案を作る者、ガリ版切りやビラ書きをする者、資料や記録を整理、保管する者等々。
 こうして学部の民主化闘争は成功の中に一応の終結を迎え、やがて助手以上全員の教授会参加と教授会内規の民主的な制定へと向うのである。
 この過程で、森さんは実質的に唯一人の、しかも極めて誠実な指導者であった。自分の身は安全な所においておき、主観的な情勢分析に基づく無責任な指導を与えながら、万一成功すれば自分の功に帰し、朱敗の責任は実行者に押しつけるといった、よくあるタイプとは全く異っていた。森さんは成功のたびに子どものようになって皆と喜び、それをもたらした各人の行為を何度も繰返し賞賛していた。失敗した時には卒直に自分の否を認めて皆に謝まったものである。そしてまた、誰もが知っている森さんの人の好い性格も遺憾なく露呈された。原則上の問題では一歩も譲らず、そのため討議の中で相手を怒鳴りつける場面もあったが、逆に非本質的だと思われたことを森さんが無視して皆から吊し上げられ、 「もうわかった。 わかった。もうそんなつまらんととどうでもええやないか」 とやって、再び批判される場面も再三あった。森さんのマルクス主義と唯物論の理論、民主主義と科学の立場というものは、民主化闘争の展開に実際に適用されただけでなく、文学論や社会科学の方法論といった形で助講会のメンバーに披握された。 私自身がフォイエルバッハやプレハーノフ、それにドブロリユーボフやチュルヌィシェフスキーなどに注目させられたのもそのような過程においてであった。しかし、助講会のメンバーは、森さんのそのような勝れた理論とその指導性を認めると同時に、それを森さんの日常生活との矛盾、森さんの思想の中にある新しいものと古臭いものをはっきり見てとるととができた。現在のわれわれの社会では誰でも持っているそのような矛盾は、しかし、普通には多少ともスマートな「分別」によって公然化するととが防がれている。 そういう「分別」を森さんはほとんど働かさなかった。また、森さんは、「某々は仲々の策謀家だ」とほめたり、「敵を欺くためには味方の一部も欺かねば」などと言いながら、丸きり策謀などはできず、森さんの行動の軌跡は丸見えであった。
さらに、昨日皆の前で罵倒した相手と今日は何のしこりも残さず話ができたのも森さんであり、そのため、かえって相手が驚くのが普通であった。このような行動様式は教員間のみならず学生に対しても全く同じであった。私自身このこ十年近くの間、理論的には常に指導され、九才も年下でありながら、恰も対等の友人のような口をきき、面と向って激しい批判を加えたりできたのも全く森さんのそのような人柄による。このような森さんを失った痛手はむしろ日を経るに従ってじっくり味わわされるであろう。

カテゴリー: 思想, 社会運動, 追悼 | 【追悼】助講会のころ (横田三郎さん) はコメントを受け付けていません