デモクラート 第54号

デモクラート 第54号 1974年8月1

核実験の完全禁止・核拡散防止条約即時批准を
被爆29周年原水禁世界大会を成功させよう

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】参議院選の結果と反独占勢力の任務
世評アピールに応え、国際統一行動呼びかけを
朴は反ファッショ闘士を釈放せよ
学生階層別集会の成功を
2面 参議院選挙結果と各党の消長
ギリシャ軍事政権の崩壊
民学同推薦候補全員勝利
3面 大管法:臨時国会上程阻止
東京 → 広島 キャラバン隊
8.4ノーモア・ヒロシマ平和集会
東京理科大 全学自治会選挙
社会学部自治会再建・経営自治会選挙勝利:東洋大
根本的改革へ巨歩 阪大Cスト
4面 公共料金値上げラッシュ
日本共産党ストライキを否定
欧米に広がる国際金融恐慌
新刊紹介:マルクス主義の根本問題
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デモクラート 第53号

デモクラート 第53号 1974年7月1

新大管法の上程許すな
休暇中の緊急行動体制の確立を

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】核実験全面禁止・核防条約批准・原水禁大会の成功を
教組幹部逮捕・起訴に抗議広がる
相次ぐ核実験に断固抗議する
2面 平和シンポ:核防批准、政府に要求原水禁:組織統一に関する提案
民学同中央委声明 8.1
進む独自核武装の準備
3面 大管法反対・諸権利擁護 全国で前進する闘い 阪大・法政大・大教大
解放研連協(準)結成
全学自治会選挙勝利:東京理科大
6自治会選挙勝利:阪大
全学統一行動成功:東洋大
4面 文化運動の教訓 大阪市大支部委
重要な夏季一時金闘争
聖職論と教員運動
大阪学生唯研第3回講座
経済の民主的統制
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デモクラート 第52号

デモクラート 第52号 1974年6月5

日教組幹部逮捕糾弾
新大管法粉砕の隊列うち固めよ

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】政治反動と対決し、大衆運動の前進を
刑法改悪・小選挙区制許すな
民青:3学友をデッチ上げ告訴
大阪でも決起集会:学大池自が呼掛け
2面 参院選挙:反独占の闘士と奮闘を
自共対決論の意味
改悪刑法:民主運動に敵意むき出し狭山闘争:完全無罪判決へ前進
3面 釜洞当局:機動隊導入・スト破壊糾弾、闘争体制を強化
蛮行つづけた妨害者
民青の告訴糾弾、権力への売渡し許すな (民学同大阪府委)
経・社で学生大会:関大
共産党と「挑発者」:赤旗から
4面 74春闘の諸問題と今後の課題
スト権奪還闘争の前進のために
教育の破壊者はだれか
【解説】阪大への機動隊導入と釜洞体制
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デモクラート 第51号

デモクラート 第51号 1974年5月15

5.23日教組ストに呼応し
全国学園スト、統一行動に決起せよ

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】クラス先頭に全学ぐるみの闘いを
新大管法国会上程阻止へ
警察日教組幹部大量逮捕を策動:
総力で23ストを
自治会中心に決起集会:首都
2面 参院選挙:反独占の闘士と奮闘を
相次ぐどす黒い策動
民青の分裂主義、粉砕を(民学同)報告:ゼネストの中で
3面 弾圧許さぬ学内統一を
阪大・東洋大・阪学大
狭山5.23公判に総結集を
自治会再建掲げ、国庫補助要求(高崎経済大)
新大管法策動粉砕・狭山闘争完全勝利掲げ学園ストを:民学同大阪府委
4面 統一で守った新歓祭:阪大・市大
第3回唯物論入門講座
ロシア革命的民主主義の教育
英国炭鉱ストと総選挙(下)
深化する経済恐慌
13回大会への来賓挨拶
(大阪労働運動研究会、労働者党全国協議会)
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デモクラート 第50号

デモクラート 第50号 1974年4月30

全国学園ストで反撃を
日教組弾圧抗議・大管法・私学助成法粉砕

 

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】インフレ・教育反動、自治会運動強化で対決
日教組弾圧糾弾
日本共産党:教師聖職論
靖国法案を強行採決:自民党
2面 決戦ゼネスト貫徹 史上最大
在日韓国学友の手紙
近づく仏大統領選
3面 民青:暴力で自治会破壊攻撃:学大
学費値上げ白紙撤回:立教大
大学学改革 課題と展望シリーズ
学費闘争に大弾圧:東洋大
燃え上がる学費闘争:明治学院大
4面 唯物論入門講座 200名参加
英国炭鉱ストと総選挙
13回大会への来賓挨拶
(部落解放同盟府連、「知識と労働」社、大阪労働講座)
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デモクラート 第49号

デモクラート 第49号 1974年4月16

同盟13回大会成功 青年同盟との兄弟関係決議
耐乏強要・政治反動と対決 大管法闘争強化を確認
13回大会決議 民学同の10年と青年同盟結成の意義

1面  ←PDFは、こちらから 大学めぐり、重大対決の年
13回大会決議:民学同の10年と青年同盟結成の意義
春闘:決戦ゼネストへ
アジェンデ夫人迎え、チリ連帯集会
2面 【主張】臨時措置法廃棄、私学助成法粉砕の闘いを
74春闘と青年労働者
アジア集団安保への前進
3面 大学改革 課題と展望シリーズ
大管法を前面に 各大学で新歓行事工学部闘争全面勝利:大阪市大
狭山5月公判に総結集を
4面 民学同第13回大会について
13回大会への来賓挨拶
学生唯研入門講座始まる
民学同に結集しよう:新入生の諸君へ
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民学同文書 No.12 「68~69全国学園闘争総括と教訓」

民学同文書 No.12

<12回大会テーゼより>
「68~69全国学園闘争総括と教訓」
理論政策誌「新時代」創刊号 1974年4月20日発行

はじめに
一 全国大学闘争前夜の学生戦線
二 全共闘運動「高揚」の必然性と限界性
三 日本共産党(代々木派) 民青の犯罪的役割
四 第四回大会テーゼの鋭い問題提起
五 全国学園闘争と民主主義学生同盟
六 七〇年以後の学生運動

–はじめに–
一九六八年から一九六九年にかけての「全国学園闘争」の高揚は、学生運動が新たな歴史的転換局面に入ったことをわれわれに理解させた。そして、この大学を舞台にした闘争の高揚は、日本独自のものではなく、多少の時間的格差があるとはいえ、全ての「発達した資本主義国」–国家独占資本主義の下での共通の現象として存在したのである。米国ほ勿論のこと、西独、仏、伊、英等でも、嵐のような青年・学生運動がほぼ同時期に高揚した。
アメリカにおいては、ベトナム反戦運動、黒人解放運動、大学改革運動の中からうまれたSNCC、SDS、西ドイツのドチュケ、ランベールなどに率られるSDSの運動、仏においては、一九六八年五月~六月の”五月危機”の最中でのコーンバンディ、ルイ、アルチュセールなどの、<三月二十三日運動><行動委員会>運動、などがそれであった。日本においても「新左翼」と称しつつ登場した反戦青年委員会、べ平連、そして、全共闘運動がそれであった。そして、この運動は、〝反体制〟を標傍しながら、”学生反乱””知識人の反乱″〝自己否定””占拠、パリケード″社会主義世界体制や共産党、労働者党、労働組合など一切の〝旧体制の告発″などを叫びながら、青年・学生運動の大衆的高揚の一時期を創り出したのである。
しかし、彼らの〝反乱″は、全世界の至るところで敗退した。だが、たとえその運動が今日敗退したとしても、その高揚の諸条件を科学的に分析せず、単に〝「左翼」小児病″のなせる全く偶然的な事件として歴史の博物館に収めてしまうことはできない。
この六〇年代後半の青年学生運動の嵐の様な高揚を小ブル急進主義運動、トロツキズム運動としてのみ一面的に評価する態度は正しくない。なぜなら、無政府主義運動は、「あれこれのブルジョア的『流行』思想に『憑かれたように』ひきうけられる」性質をもってはいるが、「これらの真理を理論的に、抽象的にみとめるだけでは、また、革命的な政党を古いまちがいからすくい出すことにはならない」(レーニン同右)からである。
従って、わわれわれは、こうした運動をひきおこし、同時に、あの様な悲劇的敗北をとげた原因を科学的(理性的)に総括し、克服の方向を示していかねばならない。

一 全国大学闘争前夜の学生戦線
戦線の極度の分裂と「左」右の日和見主義の拡大対立
歴史的な全国学園闘争に至る学生戦線は、文字通り、分裂に分裂を重ねていく。にもかかわらず、この時期は、本格的な新植民地主義的海外侵略と、日本帝国主義の政治的代理人=佐藤内閣に対する大衆的反撃の時期でもあった。
日韓条約の締結、米帝国主義(ジョンソン大統領)によるベトナム民主共和国への無差別爆撃の開始と佐藤の公然たる加担、在日米軍基地の出撃拠点化、インドネシア共産党の大量虐殺の開始、中東での緊張激化など帝国主義の露骨な好戦的対外政策による内外の緊張激化の下で、日本を含めて世界の反戦・平和運動、反帝・反独占の闘争は新たな高揚へと向っていった。
日本では、一九六五年四月に、べ平連(ベトナムに平和を、市民連合)が北爆抗議デモの中で誕生し、六六年には、職場に反戦青年委員会が組織された。この年、総評は、全世界に十・二一国際反戦デー(学徒出陣記念日)を呼びかけた。このような時期に六四年十二月に結成された平民学連=民青系「全学連」は、それが全国学友の統一のこえを全く歪曲された形で反映していたという側面を一方で持ちつつも、六〇年当時の加盟自治会の3分の1未満しか結集していないだけでなく、その指導部の全く誤った運動路線、諸要求主義を徹底した分裂主義・セクト主義によって学生戦線分裂の固定化、戦線統一の敵対者としての役割りを果すのである。
他方、民青系「全学連」の「再建」強行に対し、それに対抗しょうとして「全国学生共闘」という形で、今一つの「全学連」の「再建」を対置していたトロツキズム諸派は、大阪府学連、兵庫県学連を中心とした自治会の反対でこれを実現できずにいたが、ベトナム反戦運動の高揚の中で、六六年十二月、マル学同中核派、社学同、社青同解放派、三派の「連合」による「三派全学連」を結成した。三派のむき出しの対立、暴力的衝突の中で結成された「三派全学連」は「左」右から.の一面的危機意識の煽動、「左」の自然発生的翼に乗って、街頭「実力」闘争路線を急速に押し出していった。
一方、安保闘争後、混迷を続ける学生達動の中で学生連動の統一をめざして闘ってきた「平和共存派」--民学同、共青、社会主義学生戦線(フロント)に指導される首都、大阪、兵庫、岡山などの自治会は、ベトナム反戦、侵略加担阻止、安保破棄の闘争を課題の一致と行動の統一、総評など労働者階級を中心とする全民主勢力との連帯、合流をかちとる中で大衆的戦闘的な闘いを組織した。六七年一月のジョーンバユズを招いての府学連、大阪平連協主催の大衆的べ反戦平和集会の成功につづき、六七年十月八日、十一月十二日の羽田闘争においては、ベトナム侵略戦争の準参戦国として東南アジア侵略へ進む日本帝国主義の政治的代理人、佐藤内閣の全く露骨な政治反動、機動隊の弾圧、挑発を拒否して、総評・反戦青年委員会の青年労働者と連帯して、全国の自治会の現地一日共闘として闘い抜いた。
日本共産党(代々木派)、民青諸君は、「日本は帝国主義でもなければ、侵略なる事実もない」と、ことさらに強調し、十月八日には、多摩湖畔で〝赤旗まつり″に、十一月十日には、〝全国青年・学生スポーツ祭典″なるものを開催する中で、この闘争を犯罪的にも完全に放棄したのである。更に、佐藤内閣と機動隊の狂暴な弾圧で殺害された山崎君の死に対しても〝挑発者″〝反革命分子″〝反全学連諸派の盲動″とレッテルをはるだけで、右翼片肺佐藤内閣が帝国主義の政治的代理人として国内反動と民族解放運動への敵対、反社会主義冷戦体制を強めていることをバクロし、それと闘うことを全っく欠落させてしまった。佐藤内閣による帝国主義的政治反動、そして、それに対する日本共産党(代々木派)民青諸君の右翼日和見主義が、自然発生的な青年・学生の戦闘的エネルギーを三派「全学連」を中心とする極「左」主義、アナーキズムの影響下におくことを許す客観的役割を果したことをわれわれは忘れることができない。
民青系「全学連」、三派「全学連」そして、革マル「全学連」というセクト主義と分裂主義によって分断、固定化された状況の下で、「平和共存派」によるイニシアチブで課題と基本戦術の一致、行動の統一、批判の自由の原則に基づきヽ二度に渡る羽田現地闘争、佐世保現地闘争を闘った全国全自治会の現地一日共闘は、全国学友の行動統一の中心が諸派のセクト主義・分裂主義によって崩壊させられているという現状認識に立ち、①不断に行動統一のイニシアチブを発揮し、②統一した大衆的決起という実例の力を創り上げ、③戦線統一を要求する学生の大衆的な力に依拠し、④セクト主義、分裂主義の業病を粉砕する。⑤従って固定的な全国組織としてではなく、連絡組織的なものとする目的で提起された。
しかし、同時にこの自治会共闘の諸原則に対する誤まれる疑問と第四「全学連」構想が、共青、フロント、民主主義学生同盟の一部の諸君の間に存在していた。しかも、この構想は、羽田闘争以後の三派「全学連」の街頭「実力」闘争路線に対する無原則的な容認、また、理論的、思想的にほ平和共存への否定、宿命的日米運命共同体論、社会主義世界体制、労働者階級に対する根本的否定、というネオ・トロツキズムと結びついて提出されたのである。
そして、彼らの三派「全学連」の極「左」路線と、ネオ・トロッキズムへの傾斜は、成田、王子米野戦病院闘争の過程で、自治会共闘の大衆的な統一戦線を著しく弱め、彼らをして、自然成長的な「活動家」のみの街頭決戦主義、極「左」勢力の動揺的な一翼を構成させるに至る。
この悲劇は全員加盟制自治会の私物化と機能マヒ、一層の戦線の分裂の状態に拍車をかけ、かつての全学連主流派(社学同)がたどった四分五裂、抗争の一時期を拡大、再生産していく。この直接の結果は、唯一の統一した機能を果してきた大阪府学連、兵庫県学連の崩壊を導いていった。三派「全学連」の中核系「全学連」、ブント、社青同解放派系「反帝全学連」 への分裂(六八・七)と抗争。共青→共学同、フロント、プロレタリア学生同盟などネオ・トロツキズム諸派が発生し、学生運動「指導部」の理論的、思想的混乱と分裂、無政府主義的傾向が拡大していく。民青系「全学連」は、学生運動の〝急進化″の進行の中で、ますますその諸要求路線と小ブル民族主義、セクト主義、闘わない右翼日和見主義的立場を深め、全員加盟制自治会の空洞化と権威の失墜状況を生み出してゆく。
こうした極度の分裂と混乱、自治会の私物化、ひきまわしの横行の中で、全員加盟制自治会への不信が増大し、また、学生べ平連運動の存在に象徴されるように政治同盟に対する不信と組織一般の否定、無党派主義が便透していくのである。
全国学園闘争に至る過程は、このように六〇年安保以降、最悪の状態の下で進んだ。すでに、慶応大学費闘争、教育系大学における学名変更=目的大学化反対闘争、無給医インターン制闘争など個別学園で断続的に闘われていた学園闘争は、東大、日大を頂点として政府・独占の中教審答申中間発表、大学法提出を契機に全国に拡大していく。
この全国学園闘争の過程で民青諸君は当然ながら、また我同盟もまたその初期においてこの闘争に全く不充分にしか対応しえなかったことは疑いのない事実であった。まず、われわれはその理由を学生共闘諸君の如く、自らの「主体的力」にのみ求めるのではなく、全共闘運動の発生の客観的条件の分析とその評価、トロ諸派、民青の対応とその批判を、われわれの政策、学生運動論の検討によって、明らかにしていく必要がある。

二 全共闘運動「高揚」の必然性と限界性
六二年六月、中教審が発表した大学管理運営法は、全国の学生、教職員の全国的な闘いによって流産した。しかし、その後の過程は〝国大協自主規制路線″として、自主規制の名の下に、政府・独占の大学支配が及んでいた。この自主規制路線は、いわば、矛盾蓄積過程であった。国公立大では、文部省-文部官僚ルートでの行政的、財政的締めつけ、講座制下での産学協同体教授特権下での身分職階制度、人事権を利用した。講座制ボス支配が常態化する中で、理工系、医学部、薬学部、教育系大学等では、助手、講師層、大学院生は、隷属的地位を強制されてきた。
「教授会の自治」—もしくは、「大学の自治論」はかかる事態の進行の中で、全くの擬制として機能していた。
高等教育への勤労人民の要求の拡大、大学の大衆化過程の殆んどを受け入れてきた私立大学は、この高度成長の中で、五万人から十万人もの学生を一大学で擁するマンモス私学をつくりだし、(政府独占にとって)安価な大量の貸金労働者を生みだしている。日本大学をその典型として、膨大な私学群を構成した。
私学資本は相次ぐ学費値上げという形で、教育費を父兄に転嫁し、学部、学科を新増設し、定員の水増し的拡大と不正入学を行ない、また、蓄積した資本の他の営利事業流用、汚職事件が発生し、こうした腐敗の中で、一方では学生は多くの私学で、研究教育設備の極度の貧困、生活破壊、無権利状態を強制されてきた。
産学協同は公然の事実であり、また理事会は財界や自民党代議士、旧警察庁幹部などによって構成され、学生、若き教官、助手層などの民主的権利は奪われていた。
とくに、かかる事態は、高度成長時代の理工系ブームの中で、新設された私学に、最も典型的であったが、佐藤前首相、三菱独占と直結していた吉田体制の日本大学はその典型であった。このような私学では「大学の自治」「学問の自由」などは殆んど存在しなかったと言っても過言ではない。
旧来の私学についても、インフレーションの急進と貧困な私学援助の下で、利潤率の低下に陥入り、問題の解決を、学費値上げや他の手段すなわち教官の労働強化、助手や院生、非常勤講師での補充、教育設備の絶対的貧困、マスプロ授業などに転嫁する形で矛盾を深めていた。これは、国独資の下に於ける大学(私学)の機能変化に照応する私学資本の反動的な、必然的運動であった。
このような事態の下で、六十八年東大、日大闘争を頂点として全国学園闘争は爆発した。
そして、その運動が〝下から″ の大衆運動として出発し、それが広範な学生の支持と共感を獲得しえたのは先述した如く、東大の様に民青系執行部が殆んどこのような闘いに方針と大衆運動を提起しえず、全員加盟制自治会を形骸化させていたこと、引き起こされた運動に無為無策であっただけでなく、その道動全体を〝トロツキスト″呼ばわりするというセクト′主義的対応に終止したこと、また日本大学においては、民主的な学生自治会が存在せず、「学友会」は右翼、体育会、応援団が支配する当局の御用組織であり、全共闘自身が真に学生の利益を擁護する自治会確立のための大衆的闘争組織であったこと、従って学生の利益を代表しえたという意味で、必然的であったことを知らねばならない。
すでに前項でのべたように、自治会の特定党派によるひき回しと私物化、あるいは、統一機能のマヒ、崩壊という現実が、全共闘運動を必然たらしめ、また全員加盟制自治会を強化し、遂には民主的大衆的運動に支えられた自治会運動をつくり出した限りにおいては進歩的であった。
だが、全共闘が情勢の困難化に直面した時、全員加盟制自治会=ポツダム自治会と規定し、全共闘を「先進分子」の組織に解消し、闘争の唯一の主体として規定した時、全共闘はかつての大衆的支持と全員加盟制自治会の〝指導的機能″を喪失した。
「全員加盟制自治会は、今やその形式民主主義によって、先進分子を遅れた右翼的学生のレベルにしばりつけ闘いの樫粧、権力による学生管理の一機構に転化した。」(ポツダム自治会論) とする見解は、有利な武器となりうる全員加盟制自治会を一部の「活動家」や「党派」に私物化された状態に再びひきもどす。あるいは、全員加盟制自治会を崩壊させる結果を意味した。
実際に、不可逆的にこのような方向に進んだことは、その後の事実が示している。
全共闘がその初期の段階において、積極的役割を担ったもう一つの事情は、そしてこれが全共闘運動の伸長をより本質的に規定したのだが1彼らの主張がたとえ歪曲されていたとはいえ、現実の大学を鋭く〝告発″していた点にある。
東大全共闘の七項目要求、日大全共闘の五大スローガンに示されるように、それ自身民主主義的改革のスローガンであり、同時に全く抽象的な「大学とは何か」「学問とは何か」「帝大解体--全人民的大学を」に示されるように大学が独占資本の利潤追求の対象に組み込まれていることを〝告発″していた。この点に於て、他の政治グループよりも全共闘は、レーニンの引用を待つまでもなく、〝運動の初期にありがちな種々の自然発生的な弱さ″を持ちながらも、学生全体の気分ilそれ自身、全く正当な ーを反映していた。
この事実は、全ての反独占諸勢力の指導的前衛であるべき団体が、今日の青年∴学生、大学をめぐる諸矛盾を根本的に克服する政策と、運動方針、長期的展望を全く不十分にしか投出しえていなかったことを示している。
われわれは、この問題に関する真剣な総括と反省が要求されていることを知らねばならない。そしてここにこそ全国学園闘争の悲劇的結果の責任と原因を求めなければならない。
全共闘運動の誤りは、第一に今日の大学に鋭い批判を提出しながらも、大学を労働者、勤労人民の利益に奉仕するために改革する現実的課題と長期的展望を掟出しえなかった点にある。それは闘争が一定の困難な局面を迎えた時に、「帝大解体」「大学解体」「日帝打倒」「機動隊せん滅」などという極「左」的空文旬で「のりこえ」る最大限綱領主義の誤りである。この責任の主要なものは、全共闘の、ノンセクト・ラジカル″活動家にあるというよりも、むしろ民主主義闘争に「大学解体」「日帝打倒」という空文句をつぎ木したトロツキズム諸派に帰せられるべきである。
第二に、教授会=権力の手先という教官主要打撃論である。教官=管理者、学生=被管理者とする「理論」は、教授会との闘争=国家権力との闘争と理解し、従って教授会解体、教育研究機能のマヒを自己目的化することによって片リケード封鎖=解放区という戦術の自己目的化に陥いった。これは文部省や独占資本がその財政相をテコにして支配を貫徹し、〝教授会の自治″をも全くの擬制に変えてしまっている (講座のボス教授や私学理事会の占決体制に従属させられている。)という事実を見ない誤まりであり、同時にそれは、一部特権者を除いて、大学の研究者や教官がその社会的経済的地位を増々労働者階級に接近させているという(その意識は依然保守的であるが)現実を見失い、本質的矛盾=独占資本と勤労人民との矛盾を隠ペイし教官全体を〝敵″にまわす役割さえ果している。
第三に彼らは、闘う主体を個人の決意や決断に基づく組織=全共蘭に解消し、その他の学生や大学構成員との間に「非和解的=階級的対立」を窓意的に設定した結果全く孤立し、それを戦術の一層のエスカレートと安保沖縄「決戦」、民青との″内ゲバ″(革命的暴力の名の下に行なわれた。)を合理化した。
全共闘運動がトロ諸派の全く非現実的な「革命戦略」耳目衝動的「実力」闘争、あるいは、「反スタ」路線の洗礼によって当初の大衆性を失なった結果は、多くの場合民青、当局ブロックの拾頭=闘争の無原則的収拾をもたらした。余りにも数多くの学生が機動隊の暴力的介入によって逮捕され、戦闘的エネルギーが悲劇的に費されたのである。
全体としての誤まりは-大学の社会的、階級的性格の変化という必然的な方向に依拠するのではなく、いわば〝機械うちこわし″運動としての性格が濃厚であったことである。

三 日本共産党(代々木派) 民青の犯罪的役割
民育系「全学連」のセクト主義と闘わない諸要求主義の路線は、全員加盟制自治会の機能を著しく弱め、東大をはじめ、多くの大学で全共闘誕生の育ての親としての役割を演じた。全共闘を自らの「右翼日和見主義への一種の罰」(レーニン) として生み出した。彼らが大学闘争の中で首尾一貫して主張したことの第一は、「全共闘トロツキスト主要打撃」論(封鎖解除、「暴力学生」追放こそ大学の民主化の前提である、という主張) である。
彼らは、政府・自民党がその手先である〝トロツキスト暴力学生″を「泳がせている」として、〝封鎖暴力学生″を国家権力と同一視した結果、「暴力学生の自主的排除」=封鎖実力解除を学園闘争の第一の課題として設定した。
(全共闘の「教授主要打撃」論と、民青の「暴力学生主要打撃」論、後の全共闘の〝反革命=民青粉砕″に見られる両者の共通性は、学園闘争の基本的任務を独占ブルジョアジーの大学政策や、国家独占資本主義の機能の分析に向けないで、即時的な憤激や怒り、自然発生的な気分に依拠する完全な実感主義である。)全共闘も民青も実感主義(とセクト主義)の故に、其の敵を見失い、①封鎖②封鎖実力解除③流血の惨事④機動導入、常駐化という国家権力の大学支配路線に総体として水路を切り開く役割む演じていた。民青は全共闘運動が!いかに歪曲され、一面的とはいえ1含む鋭い矛盾の〝告発″側面をも全否定し、全共闘に「対立」しょうとすればする程、既存の矛盾をはらんだ大学の秩序や、国家権力の側にますます無批判にならざるを得なかった。この論理の最たるものが京大民主化行動委員会の〝全共闘=ドイツ型ファシズム″論であった。トロツキスト=ファシストに全ゆる反対派勢力を「反ファッショ」で団結させた彼らは、大学当局は勿論、機動隊の侵入にもロをつぐんだのである。この論理の誤りはファシズムとは〝金融独占のむきだしのテロル独裁″と〝熱狂的排外主義″(ディミトロフ)である点を見失った全くの謬論であったし、大学闘争を完全に裏切った民青の右翼日和見主義への転落の姿を示している。
支配階級は人民内部の誤りを利用し、人民内部に不団結をもち込むことに延命の道を見い出している。支配階級がトロ諸派の小児病的ハネ上りを最大限利用するのは〝階級的本質″である。このことを見ず、民青諸君が支配階級にとっては〝あたり前″ の政治的態度をことさらに強調し、当局と一体となって封鎖実力解除に狂奔し、大学の本質的矛盾を隠撤し、機動隊導入を助けたことこそ、逆に、自民党に泳がされる自らの姿であったのである。小児病的ハネ上りの原則的な克服の道は、その誤りを徹底的に批判するにとどまらず、真の敵に対する闘いの大衆的な、統一戦線の力である。スペイン共産党書記長サンチャゴ・カリリヨの次の指摘は重要である。「とにかく共産主義者は、真の敵がわれわれの右にいることを忘れてはならない。かくしてのみ我々を『左翼』から側面攻撃をしようとする敵の直接の手引当の仮面を一層容易にはぎとることができるのだ。」
民青譜君ほ、その「最大」の組織力量にもかかわらず、大学闘争の当初から全くのセクト主義的対応に終始した。全共闘主要打撃論は、その典型であるが、我が同盟や多少なりとも民青に批判的なグループに対しては、「反全学連諸派」「挑発者、反革命集団」「反党修正主義者」などというレッテルを貼ることを最大の関心事としていた。運動が長期化するのにつれて、ますます孤立を深めていった彼らは、闘争の早期収拾をのみ自らの主要な方針としていく。「授業再開、学園正常化」という彼らの全く無原則な路線は、高揚する学友の闘うエネルギーを大学の反独占民主主義的改革の方向に組織しえないばかりか、それに敵対し、遅れた学生の意識に追随し、さらには「粉争」の沈静化のみを願う保守的で、無責任な教官連中や学生の運動をたたきつぶさんとする政府・独占資本、大学当局に無批判となり、迎合していった。大学法の実質化に反対する大衆的なストライキでさえもそれを〝挑発〟として公然と反対を表明した。言わく、「大学法の下でのストライキほ、いかなるものでも大学を廃校に導く挑発行為である」として、政府・独占資本の個喝に屈服してしまったのである。
このように日本共産党(代々木派)民青指導部は、諸外国の共産党・労働者党のとった原則的態度、即ち、セクト主義やレッテル貼りでなくフランスの〝五月革命″が示したように労働者階級の連帯と正しい大学問題解決の方向をさし示し、それを闘いとるのではなく、大学間題の発生の責任をあたかも〝暴力学生″の存在に歪曲し、大衆運動の激発と高揚にしりすごみし、全く犯罪的にもセクト主義的、闘争収拾的対応に終始したのである。それは、あの苦渋に満ちた、そして、今尚多くの戦闘的労働者の記憶の中に刻まれている〝四・一七スト中止指令″の再版としてあったと言えよう。
最後に、トロ諸派には同じ論文の別の箇所を捧げたが、レーニンの言葉を日本共産党(代々木派)、民青指導部の諸君に捧げよう。
自然発生的な「非組織的、失敗を運命づげられた「拙劣な形態」での闘争の発生に対して「パルチザン戦争が運動を解体させるという言いぶんは批判的にあつかわなければならない……。われわれの組織が弱く、準備がないために、われわれがある場所で、ある時期に、この自然発生的な闘争にたいする党の指導を放棄するばあいがありうることを、私は理解している。…だが社会民主党や評論家のあいだに、この無準備に対する悲しみの情ではなくて、高慢なひとりよがりと、ごく若い頃にまる暗記した無政府主義、プランキー主義、テロリズムについてのきまり文句のうぬぼれ切った繰り返しをみるときには、私は世界でもっとも革命的学説の卑少化に腹がたってくるのである。」(「パルチザン戦争」一九〇六年)。日本共産党(代々木派)民青諸君は、レーニンの時代とほ違って、もっと有利な組織条件(少なくとも量的多数において)を持つが故に、(もし、レーニンが生きていたなら)この立腹はより一層深刻であっただろう。全共闘のバリケード戦術を武装蜂起に高めよ、と言うのではない。フランスの労働者階級がそうした様に、ゼネストで、もしそれが不可能なら、大衆的示威運動で、学園のストライキで、彼らの誤りをつつみこむだけの闘争が要求されていたし、それは可能であった。諸君が、セクト主義の業病と誤まれる「指導理論」に気付いていたならば‥‥‥。
もちろん全共闘による、否、トロ諸派によるバリケード封鎖とその自己目的化が、大学闘争の勝利的前進にとって、重大な障害であり、敵=権力の介入の格好の口実であることは言をまたない事実である。
マルクスやエンゲルの引用を行なうまでもなく、バリケード戦術は本来〝受動的″であり、敵に攻撃の契機を与えるものでありましてや、学生だけの、しかも闘争の後退局面における小数のバリケード戦術が余計にそうであることは明日である。従っ、て、我が同盟は、このような戦術には反対であったし、それを自己目的化した戦術や、「バリケード封鎖の思想」にまで「高め」たトロ諸派の小児病的ハネ上りとは真向から対決していた。
だが問題の本質は、そして、政治指導部隊に不可避的に要求されていたのは、敵に反動の攻勢を許さないことであり、それを阻止し、再び攻勢に転ずる政治的条件を拡大することを任務の中心にすえることであった。これを忘れさり、介入の口実バリケードを実力でもってしても取り去れば、支配階級の介入を阻止しうるという論議程、お目出度いものはない。少しでも理性的になるならば官憲の直接介入にとって、封鎖実力解除から生ずる学生同志の衝突、流血(生命の危険) の惨事ほど格好の口実はないことは自明であった。
バリケード封鎖戦術の自己目的化が子供じみた小ブルジョア的な誤りであれば、封鎖実力解除に狂奔した民青諸君はそれに輪をかけた二重の、(政治同盟の第一の任務を忘れさり官憲の直接介入の導火線となったという意味で)誤りを犯したと言えよう。我が同盟はこの様な見地から、バリケード戦術に反対しつつ、同時にその解除は、全体の闘争の前進の中で達成するという迂回戦術をとったのであり、阪大や学大において短期的ではなかったが、それは成功した。

四 第四回大会テーゼの鋭い問題提起
われわれは、前項で見てきた六五年以降の学生戦線の経緯の下で、とりわけ、二つの時期における全学連運動の高揚という伝統にもかかわらず、なぜ、六十年安保闘争以後の学生戦線の分裂を根本的に分裂と停滞から救い出すことができず、その誤りをむしろ深めてしまったのか、そして、この最も混乱した状況の下で何故、全国学園闘争の白然成長的な大衆的爆発が呼びおこされたのか、そして、当然にも政治指導部が、何故この運動を正しく指導できなかったかという根本的原因を解明しなければならない。
わが同盟、第四回大会準備資料「第三期の学生運動と民学同」の次のような指摘は、この問題を解決する一つの手掛りを提起している。すなわち、第二期(55~66)の学生運動を規定する条件とその闘いの性格が「一方では独占資本の復活の『驚威的』急速さの故に労働運動における民同型運動=反合理化を欠落させた一律賃上げ闘争と企業主義的性格=が抬頭し、他方では、その政治反動の露骨さと、この時期における日本の政治過程に於ける議会の比重の特殊な軍要性故に、反動立法をめぐる、防衛的性格の濃厚な、街頭行動を中心として頑強に展開されるのである。」とされ、また50年代の「平和と民主主義の理念」(それは戦後の反ファッショ、反占領の闘争の伝統である)に基づく学生運動が「層意識が学生に固有の教育的、経済的要求に基づくものではなかったこと、労働者指導性の脆弱性もあって、統一戦線の一翼としての意識が強固でなかったこと、すでにあらわれた第二期のこれらの限界性、安保以降のこれらの独占支配に対して学生運動が有効な対応をなしえないで分裂と衰退を余儀なくされていたと言わなければならない。一つの時期にはそれなしではすまされても、次の時期にはそれなしですますことができなくなるということの例証がこれであったし」とされている。ここでは、新たな、しかも、必然的に反独占的性格を帯びざるをえない「大学を基点」とした「教育、経済闘争」に特別な位置が与えられている。
四回大会テーゼほ、私立大学、教員養成制度、医学部、一般教育、教養部、学費・学館問題、など諸分野の方針を検討し、「大学の危機は、大学をとりまく外的諸条件の急激な変化と、政府の文教政策による直接、間接の大学への攻撃によって、そして何よりも大学の無為撫策によって、一層深化している。学生運動は骨の髄までしみこんだ『悪しき政治主義、街頭主義』によって全く有効に対処しえていない。…・‥と同時に、同盟は全てを教育闘争に歪曲し、平和と民主主義の闘争を無視ないし軽視する傾向を断固拒否する。」との立場を明らかにし、また、日本帝国主義の大学と教育への攻撃を「第一の主要な意図は、学校教育を通じて、帝国主義的海外膨張に応じた精神的支柱を植えつけることであり、他方、それは今工業水準の高度化を抜きにしては語れないところの世界的規模での利潤の確保に要する労働力需要に見合った労働力を獲保すること」と規定している。
池田内閣の下で、日本帝国主義が一方では再編された日米階級同盟=新安保を土台にした本格的な帝国主義的海外膨張を追求し、他方で、高度成長の名の下に、旧来の立法措置を中心とした露骨な政治反動にかわる「私的独占のなし崩し的侵透と国家独占資本の総動員による社会生活の全分野にわたる国家の国民掌握を軸にした攻撃の下で、「市民主義意識の近代主義意識への吸収、私生活至上主義、政治的無関心層の増大と自治会活動からの離脱化が連行する。」のであった。だが、これらの資本主義の一定の相対的安定成長期における独占ブルジョアジーの一定の「成功」は決して長つづきはしなかった。
国家独占資本主義の諸矛盾は、もほやおおいつくし難いものとなった。高度成長の生みだした諸矛盾は、学生の社会的、経済的地位む著しく低下させた。労働者勤労人民の搾取の強化、労働条件の実質的悪化、労働強化、日本型低賃金構造に加えて巧妙な労務管理技術の導入、それがもたらす肉体的、精神的災害、自然と環境の破壊、また雇用の不安定化と失業者の大群、侵略戦争への加担と軍国主義強化、部落差別や民族差別を助長する差別と選別の教育制度や法律、露骨な政治反動など諸矛盾—-独占と反独占の間の矛盾と蓄積とその顕在化は学生をして社会的政治的関心を急速に高めつつあった。
まさに、このような時期に、同盟第四回全国大会が開催され、既述のテーゼが打ち出された。その内容規定の不十分性、不徹底性は否定すべきもないが、「八中委・九大会」路線の一面的強調 - すでに述べたごとくの市民主義的な「平和と民主主善」意識に依拠する街頭政治行動中心の闘争–による故治戦略と運動論を止揚する提起がなされた。
政治同盟は、労働者階級を中心とする反独占勢力との連帯、同盟を不可欠とする反独占民主主義的政策とその実現のための闘いを不可避の任務として自覚していなければならなかった。
戦後の学生の大衆化とは、量的拡大の規模においても質的にも異なった高度成長と科学技術革命の進行下におる学生の大衆化の過程、学生及び大学構成員の出身階層の構成の変化、その将来を勤労人民として予定せざるを得ないという意味での学生層の全体としての労働者階級への接近、これらの過程が必然的に生みだす諸矛盾と学生の意識の変化、また大学における他の構成員の地位の変化等に関する明確な理論的規定にまで到達しえていないという点における不充分性は、学生層の反資本主義的志向の高まりや要求を正しく組織するという実践的任務に、また、反戦闘争や政治闘争に広汎に決起する背景の理解において全く不十分であったと言わざるをえない。
わが同盟は、歴史的な大管法闘争を指導し、「教育・経済」闘争の決定的重要性を「学生運動」の転換局面の到来を意識しつつ提起はしていたといえよう。だが、この提起は、池田内閣に続く内閣として登場した佐藤内閣の下で、.その極端な侵略的性格に反対するべ反戦・反軍国主義の闘争に当然にも全力を集中していく中で、ほとんど具体化されずに、われわれもまた、全体としては街頭政治主義に陥っていったと言わざるをえない。平和と民主主義の意識に基礎をおくべ反戦闘争の推進と街頭政治主義–市民主義、すなわち、物質的利害に基礎をおかず、あすの現実の担い手たる労働者階級とは無縁の小ブルジョア的意識によって規定される–とは同義ではない。政治同盟にとって重要なことは学生層をめぐる規定に超歴史的な立場からこれを規定するのではなく、社会的、経済的地位を急激に低下させている学生層の客観的な社会的、経済的、政治的諸条件の変化、従ってそれらに規定される学生層の必然的な要求の変化と拡大i「教育的、経済的」–に応えることを不可欠の任務としなければならないことである。このような見地の徹底こそが、そして、その政策の具体化こそが「未来に再び大衆の自然発生性に対する『指導部』の立ち遅れ、と語ってはならない。」ということを現実のものとできたのである。
国家独占資本主義下におげるとりわげ急速な科学技術革命の下での学生層の特徴、大学と国家権力、独占資本との関係--大学自治論、学生運動論などに関する理論上の立ち遅れや無関心、街頭政活主義は、戦線の分裂を止揚し、全国学園闘争の自然発生的高揚に敏速に、かつ、正しい政策と方針を提出することを妨げたのである。だが、より重大な困難性は、このような変化の非常な複雑性であり、それらの変化がひきおこした新たな闘争の担い手の拡大と広汎な大衆の運動への参加によってひきおこされている。それは、広範な反独占諸階層の要求や具体的利害、共通の利害のとりくみ方等における多様性の存在という現実にもかかわらず、共通の基本的な方向をめざす諸勢力間の関係、すなわち、同盟関係の具体的な方向に関する全般的な立ち遅れの存在 - 理論上の、政治行動上の等々--となって現われていた。これは、特殊われわれだけの問題でなく、国際的な傾向であり、日本の前衛政党におけるこの傾向の深刻さに深く関わっていたと言えるであろう。このことを考慮するならば、四回大会テーゼの提起は優れて先進的な意義をもつものとして高く評価されねばならないし、同盟の歴史のなかに輝かしい理論的成果をしるしていると言わねばならない。

五 全国学園闘争と民主主義学生同盟
68-69年全国学園闘争が束大日大を一つの頂点として拡大した時、我が同盟はプロ学同との組織分裂を基本的には克服しながらも我が同盟が直接東大や日大における闘争を担うことを困難にさせていた。だが本質的な問題はこの全国学園闘争の高揚や全共闘の掲げるスローガンやその「思想的」特質の科学的な分析とそれへの敏感な科学的対応1指導において重大な立遅れが存在していたことである。
この立遅れは当初、明らかに、我々のセクト主義的対応をもたらした。それは、大学をめぐる矛盾の分析に旧来の立場から出発し〝教授会の自治″ 〝大学の教育・研究″ 〝学生に関する重大な変化″を十分把握できなかったことを意味している。又、一時期民青と同様の〝全共闘主要打撃″に陥ったことも事実であった。例えば、〝封鎖実力解除″を学友に呼びかけるべきだという主張に表現されていた。
だが我が同盟は大衆運動に学ぶという見地に忠実であったし、先輩の優れた政治的経験と指導によって、大衆追随とは無縁の科学と民主主義の立場に立つことができた。誤りや不十分性を克服し広範な大衆をひきつけ、全国学園闘争を最後の局面まで最も戦闘的に戦い抜くことができた。
全国学園闘争の高揚の中で、学生のみならず、その置かれた劣悪な地位生活研究条件の下で生活している大学院生、助手、助講会(助教扱、講師)の人々が極めて重要な役割を果したが、それは我が同盟の卒業生においてもそうであった。
例えば、阪大七院協、青医連のストライキ闘争などはその典型であり、大学当局の反動的収拾策動と学生の孤立化策動に楔を打ち込み、大衆団交実現の決定的な力となったことは特筆される必要がある。彼らの活動はこれらにとどまらず、その理論的思想的活動、全般的な政策の立案作業においてを積極的な役割を演じている。
又われわれはレーニンの古典的著作に学ぶことを通じて誤りから解放された。「運動を解任させるのは、パルチザン行動ではなくて、これらの行動を掌握することのできない党の弱さである。…いかなる歴史的条件がこのような闘争をよびおこすかを理解する能力がないために、われわれはまだこの闘争のわるい側面を麻痺させることができないでいる。だが、それにもかかわらず闘争は進んでいる。それにもかかわらず闘争は進んでいる。それをよびおこしているのは、強力な経済的および政治的原因である。」(パルチザン戦争)
大学立法反対闘争への大衆的決起(理大はこの過程で理工自治会選に勝利)を実現し、(政府・独占資本の立法実現化に対しても、大学の民主的改革実質化阻止を掲げて、六十九年十二月までも長期にわたるストライキ闘争を闘い抜いた阪大、阪市大、阪学大等)だが、労働者階級の支持と連帯が実現しえず、勝利の基本的条件が不在であったこと、全体としての力関係の悪化-立法実質化に対するトロ諸派の極「左」的(=敗北主義的)対応と民青の学園正常化、授業再開路線によって–の下で、二年間のこの闘争は後退を余儀なくされた。
しかし、全国闘争が我が同盟に与えた教訓は偉大であった。それは今日に至るまで我が同盟として最も困難な時期にもかかわらず、学園における闘争を闘い大衆運動の前進とその統一のために貢献させた。その理由の第一は全体としての運動が、全共闘 -民青の不粍な対立の中で敗北したにもかかわらず、学生が全体として反独占闘争に決起したという事実を目撃したことであり、学生がますます労働者階級、勤労諸階層の基盤を拡大せざる得ないとの確信である。第二に、一つの典型的七反独占民主主義闘争を、教育と学生生活をめぐる聞いとして組織し得るという確信である。第三に、この過程を通じて国家独占資本主義の下における科学的技術革命と、その大学及び学生に与えた重大な変化について科学的な理論的分析をなしえたことである。(勿論、未だ不十分な問題も残している。)このことは、今日、トロ諸派や民青、学生共闘諸君と我が同盟を区別し、その先進的な性格を際立たせている。
第四に、全国学園闘争は、今日の闘争が一貫した反独占的改革の政策「プラン」と労働者階級、反独占諸勢力との連帯が不可決のものとして要求されており、また、大学の教官層や学外の反独占諸階層との連帯をかちとりうるような闘いが学生によって組織されない限り、根本的な勝利を聞いとることができないことを示したのである。
世界の舞台における平和共存の前進と反独占民主主義闘争の前進は、再び、我が同盟の趣意の基本的立場の正しさを確信させ、深刻な大衆運動の爆発によってそれは豊富化された。
だが我々は、この全国学園闘争の高揚の過程で(同時にそれは、沖縄--安保闘争の高揚の時期でもあった。)学生「共闘」派を自らの隊列に生み出した。それは基本的には我々が大学闘争の初期において犯した誤りの固定化--全共闘運動に対するセクト主義的対応と理論的立遅れの「原則」化、セクト主義的対応の合理化と街頭政治主義への逃亡–としてあった。(詳しくは学共批判参照)
この事実は、我が同盟が日常的に提起される諸問題に真剣な理論的、政治的分析を追求する態度を堅持せねばならないことを教えたのである。

六 七〇年以後の学生運動
七十年は、大学闘争と十一月佐藤訪米阻止闘争が結果として敗北した、という事情の中で、又、全体としては、自然発生的な高揚に特徴づけられていたという事情で、大学には敗北感が漂っていた。そして六・二三闘争の一揆的(自然発生的)高揚の後、学生戦線の沈滞が続き、トロ諸派は、少人数の極「左」爆弾路線に傾斜し、隠惨な内ゲバを繰り返してゆく。これは彼らの極「左」路線が破産したことの逆証であった。
一九七二年二月の連合赤軍の販北を示したのである。大衆運動の後退は諸党派は自己的論理の破産を自治会の暴力的私物化戦術の一層のエスカレートで「解決した」のである。学「共」派もこの例外ではなかった。民青諸君は、より一層、トロツキスト主要打撃の偏向を深め、大衆運動を放棄し、その議会主義とセクト主義は深刻となってきた。(新日和見主義の発生ほ、民青の誤りに対する即時的反発としてあった。)こうした情勢の下で、政府独占は国公私学の学費値上げ、中教審答申の実質化=大学の寡頭管理体制を強化し学生連動への弾圧を強化してきた。
相次ぐ学費値上げ阻止闘争の高揚は、今日、私立大学学生の最も深刻な課題として存在し、大学の反動支配資本主義的合理化=中教審策申の実質化と結びついている。しかし、七十一年七十二年全国学費学園闘争は、全学生に共通な利害に関わる問題として存在しながら、全く自然発生的、短期間の急速な高揚と後退という弱点をさらけ出している。われわれが存在する大学においては、一定の長期間に渡る闘いとして、粘り強さと大衆性を獲得してきたが(理科大、関大、市大、阪大、etc)全体としての力関係の転換を未だかちとりえず、学費値上げの強行を許すという事態を招いている。七十一年学費闘争は、民青系「全学連」が、全国一八十万学友の行動統一の中心として機能しえないことを再び暴露している。又同時に、このことは、かかるセクト主義と闘争放棄を許しているという原則的な闘争部隊と全国的大衆連動の弱さとしても理解されねばならない。七十年以降幾つかの大学における典型的な大衆闘争は、未だに一大学の枠内にとどまっている。大阪教育大学の「自主」実習 - 同実組運動、解放教育確立の闘い、大阪市大の三・一六闘争、私学学費闘争など一大学のレベルでの闘争は、着実な前進をかちとっている。かかる闘争の前進は、トロ諸派、民青、学「共」などの誤まれる「指導」を拒否し一つの統一した大衆運動の方向をさし示してきた。全般的な政府・独占資本の学生弾圧の強化策動は、自然発生的な、又我々をはじめ目的意識的な全員加盟制自治会の民主的再建運動をよび起さざるをえない。早大四万学友の昨年十一月以降の闘争は、内ゲバや暴力的恫喝とテロによる自治会私物化に反対し、同時に政府・独占資本の大学支配に反対する大衆闘争の典型をなすものである。
このように全国学園闘争の敗北にもかかわらず大学の民主的改革学生生活擁護、自治会建設の闘いは、不断の高揚を示している。労働者階級をはじめ反独占勢力の闘争が未だ大学と教育の問題を闘いの中心にすえていないという現実を正しく考慮した現状打開の方針が検討される必要がある。政府・独占資本の中教育答申の本格的具体化が日程にのぼっている。学生戦線が全員加盟制自治会の再建と強力な統一行動の中心を形成し、反独占民主主義闘争の前進をかちとらねばならない。
レーニンは一九〇八年十月、ストルイピン反動の中で、ペテルブルグ大学の学生ストライキを評して次のように教えている。
「プロレタリアートはぐずぐずしていない。彼らは懇親会や合法団体や、代議機関の演壇では、しばしばプルジョア民主主義勢力に演説の先をゆずることがある。だが、大衆の真剣な偉大な革命的闘争では、彼らは決して先を譲ってはいないし、またこれからも譲りはしないだろう。この闘争の爆発のためのすべての条件は、われわれのだれかが欲するほどはやく、またたやすく熟しない。けれどもこれからの条件は、たえずかわりなく熟しており、また近づいている。小さな学園粉争の小さな始まりでも、偉大な発端である。というの唱そのあとには1きょうでなければあす、あすでなければあさって、偉大なつづきがあるだろうから」(学生運動と今日の政治情勢、国民文庫「青年論」)
われわれは、常に、全国闘争を準備する覚悟と、目的意識的活動をもって現情勢の諸困難を克服しなければならないし、着実な前進によって、又、急速な前進の過程へ進み出る条件の成熟の下で、それは可能である。
(ここでほ、原水禁運動、七十一年の沖縄闘争、七十二年の反戦-相模原闘争の総括は割愛した。七十一年沖縄闘争の中、十・二〇全国集会の成功が首都における我が同盟の影響力を拡大する契機となったことを付言しておく。)

カテゴリー: 歴史, 民学同, 運動史 | 民学同文書 No.12 「68~69全国学園闘争総括と教訓」 はコメントを受け付けていません

「民学同の10年と青年同盟結成の意義」について

「民学同の10年と青年同盟結成の意義」について
    <民主主義学生同盟第十三回全国大会への中央委員会報告>

 民主主義学生同盟の10年間は、諸外国の青年ー学生運動に比類をみない異常事態と困難な条件の下での活動であった。あらゆる社会的変革の組織的保障となり、労働運動を中心にして、他の一切の民主主義諸斗争を指導すぺき前衛政党と、それに指導される広汎な民主的青年の大衆的政治同盟の不正常な事態という条件がそれである。従って、労働運動と民主主義諸斗争が、青年の豊かな情熱と感情、平和と民主主義、よりよい生活と未来のために献身するという社会進歩にとって欠くことのできない財産に対して確固たる信頼と展望を与えることができないという異常な事態が生み出されたのである。
 小ブルジョア民族主義とセクト主義、分裂主義の業病に冒された前衛党と民主青年同盟が、原則的で戦斗的な労働青年、学生の間でその政治的・思想的権威を失って、すでに10年を越える久しい年月が過ぎ去っている。
 日本共産党(代々木派)と民主青年同盟の指導部は、民族主義的な反米斗争路線のセクト主義的なおしつけによって、日本における平和と平和共存・反独占民主主義のための斗争の重大な阻害者としての役割を果してきた 。
 彼らは、平和運動・原水禁運動を分裂させ日本の平和運動・原水禁運動が国際連帯の旗の下に発展することを妨害していた。彼らは労働運動の統一を常に右翼日和見主義とセクト主義によって分裂させて来た。このような労働運動とその他の民主運動の分裂は、学生戦線の統一を阻害し、分裂の促進要因となって機能し、学生が基本的スローガンとする“平和と民主主義、よりよき学生生活) “大学の民主的改革”のための闘いで労働者階級とともに斗うこと、これらを長期にわたって、事実上不可能にする程の事態に陥れてきた。
 このような条件の下で、戦斗性を維持し、セクト主義的偏狭さに陥らず、広汎で大衆的な、しかも統一した斗争を追求することは、容易なことではなかった。
 だが、民主主義学生同盟は、常に基本的立場と原則性を譲らず、学生運動と一切の民主主義諸斗争の統一のために枯り強く斗い、組織建設を行ない、思想的一致を深め、成長してきた。このような優れた学生同盟の歴史は他の団体や組織にはないことである。だがこのような歴史の中には、常に同盟員の献身的で、自己犠牲的な活動があったことを想起しなければならない。理論的・政治的蓄積とその継承が極めて困難であるという学生同盟の限界は、とりわけ留年という形での同盟カードル層への多大のしわよせを不可避とし、他方では、不断に理論的・思想的水準の低下によって組織分裂という危険を内包していることを銘記しておかねばならないであろう。
 我々は、同盟創立10周年に当たり、我が同盟の諸先輩が同盟結成趣意と規約の中に、第四回全国大会をはじめ大会諸文書の中に、今日の同盟の基礎を築いたことに、敬意と兄弟的連帯の意志を表明する。
 我々は、諸先輩の生み出した財産を継承・発展させ、同盟を真に全国的で、大衆的な、全国一八〇万学友の共有財産としての名に恥じないものに成長させることこそが、同盟諸先輩の労苦に応える道であると考えている。
 我々は、第十二回全国大会で提起され、現在まで着々と準備が進められてきた労働青年を中心部隊とする青年同盟の結成が同盟一〇年の政治的・組織的活動の所産であると考えている。我々は、結成される青年同盟が、わが同盟と兄弟的関係で結合し、日本の青年・学生運動の統一と労働者階級の統一のために活動する歴史的時代の到来を熱烈な支持と共感、万雷の拍手をもって歓迎するものである。


 一九六三年九月十五日、我が同盟の諸先輩は、民主主義学生同盟を大阪の地に組織した。その直接の契機は、当時、民主青年同盟と日本共産党内部で指導部の小ブル民族主義と官僚主義・セクト主義的偏向と斗っていた大阪大学・大阪市立大学・大阪府立大学などを中心とした同盟諸先輩に対する党と民青指導部よる官僚主義的な組搬的俳除であった。
この組織的排除の直接的理由は、60年安保斗争の過程で、社学同、次いでマル学同(現在、革マル派と中核派に分裂)に暴力的に私物化され、破壊されていた日本全学連の再建とその統一をめぐる民青指導部のセクト的、分裂主義的方針の決定=自派のみの、自治会とならんで個人までをも加盟単位とする無原則で、混乱した、いわゆる“平民学連”の結成に反対したことにあった。 「全員加盟制自治会の不断の強化とその地方的ー全国的共同斗争の発展、下からの大衆的支持に支えられた言葉の真の意味での大衆的イニシアチブの発揮によって、学生運動の統一をめざすべきであり、いわゆる『トロッキスト』諸派によって暴力的に私物化され、戦線分裂の極度の進行の中で、学生運動の政治指導部の政治権威が弱化されている現状の下で、 『トロツキスト』諸派に対抗するために、民青指導下にある自治会、サークル、個人まで一切の区別なしに結集していく“平民学連”方式の導入は、京都・大阪・兵庫など強固な統一機能を持った地方学連が依然として存在している条件下では、学生戦線を分断し、分裂を組織的に固定化するだけである」との我が同盟諸先輩の原則的立場は学生戦線統一のための譲ることのできない原則であった。
 民学同は、セクト主義・分裂主義の最も頑固な敵である。 「言葉の真の意味における統一の推進者・擁護者である」という我が同盟の組織性格は、その誕生の歴史に深く規定されているのである。 「我々は、大衆団体の基本的利益に最も忠実かつ独自的に斗い、大衆団体の統一のためにうむことなく斗う政治組織のみが真に民主的かつ進歩的なものであると確信する。我々は、クラス・サークルを基礎に、自治会を全員加盟制にふさわしい真に民主的で自主的な自治会たらしめるようその革新と強化・統一のために斗うo我々は共通の課題の下での統一行動を積極的に追求し、自治会・地方学連・全国自治会の統一の実現のために斗う」と趣意はのべている。


 だが対立は、この問題だけではなかった。むしろ指導部の大衆運動政策の誤まりは、彼らの思想的誤謬にこそ深く規定されていた。それは毛沢東主義に感染していた当時の民青指導部の小ブル民族主義に求められねばならない。独善的で排他的なセクト主義と官僚主義(組織内民主主義の破壊)は、民族主義思想の必然的所産である。彼らは、平和と平和共存・反独占民主主義・反独占統一戦線の政治路線を「フルシチョフ的」修正主義として攻撃した。
 日本の民主陣営内で激しく論争されていたいわゆる 「従属・自立」論争、その後続いて行なわれた「中ソ論争」 は、我が同盟が誕生する決定的な重要な政治的・理論的論争としての歴史的位置を構成している。この問題を巡って、日本共産党・民主青年同盟内部で深刻な論争が斗われた。この論争は、日本における民主主義的・社会主義的変革の戦略と戦術に関する重大問題であり、従って、その論争の、官僚的・行政的ではない、民主主義的解決による政治指導部の統一と団結の強化は、学生運動は勿論のこと、日本の労働者階級と広汎な勤労大衆、反独占勢力の要求に正しく応える不可欠の任務であった。
 だが民青指導部は、すでに述べたとおり、組織内民主主義を破壊し、思想斗争の権利を蹂躙し、反対意見を”分派主義・分裂主義・修正主義”などあらゆる悪質な恋意的レッテルのおし付けによって、青年の先進的部分に対して不当な組織的排除=指導部の分裂を強行したのである。同時に、我々は、基本的には正しい主張を行ないながらも、 “民青内部
に組織内民主主義がない”ことを理由に、組織の内部で当面する政治方針と政治路線をめぐる思想斗争の課題を回避し、自ら組織から離脱した諸君の無責任なサークル主義とモダニズムへの追随路線、無党派主義の思想と明確に自己を区別しなければならない。
我々は、官僚主義に反対し、同時に、それと表裏をなすサークル主義・無党派主義を拒否する。同盟趣意は 「同盟が学生運動における指導部隊としての役割を果たす為には、科学性と戦斗性、なによりも同盟の隊列の強固な統一が必要とされる。組織内民主主義の発展こそ科学的な政策と方針に基づく同盟隊列の統一を創り出し、同盟の指導性をうちたて
る最大の基礎である」と述べている。
 民学同は、学生運動の統一の旗手であると同時に、同盟隊列の統一を瞳のように大切にすることを自己の任務としたのである。


 日本帝国主義の現状規定をめぐる、いわゆる“従属自立”論争、国際的な反帝斗争の総路線をめぐる、いわゆる“中ソ論争”は、我が同盟が困際的に達成された理論的政冶的諸原則を自分のものとする上で重要な貢献となった。
 日本共産党(代々木派)、民青指導部の見地は、復活強化された日本帝国主義を帝国主義と認めず、その被占領・対米従属規定によって、「日本の国家権力がアメリカ帝国主義とそれに従属する日本の独占資本に握られている」という誤まった「ブロック権力」論、ないし結局は米帝の権力の立場に立たざるを得ず、しかも、日本の独占資本が強大なアメリカ帝国主義に完全に従属している条件下では日本独占資本か日本の支配者となることはあり得ないとする日米運命共同体論=アメリカ帝国主義の対日支配の絶対化という、レーニンの帝国主義理論とは、およそ無縁の、正真正銘の民族主義的見地であった。彼らは、国家主権の問題と国家権力の問題を同一視し、帝国主義間の力関係の格差からくるアメリカ帝国主義の対日影響力ないしは政治的・経済的拘束力と対日支配とを混同し、何らの区別もなしに理解しており、日本独占資本と日本の政治権力を植民地従属国における買弁資本家的なそれとして評価するという誤まった見地に立脚していた。この見地からは、日本人民の主敵、すなわち打倒すべき権力を日本の独占資本(とその政治権力)として規定せず、民族独立と反米斗争を当面の第一義的政治目標として掲げる民族主義、日本独占資本との斗争における日和見主義への転落は必然的結果であった。また日本帝国主義とアメリカ帝国主義の間に、前者が成長・強化すればするほど、ますます拡大・発展する両帝国主義間の矛盾と対立の激化廿不均等発展の法則の貫徹という理論的原則は、眼前から消え去り、日本帝国主義との斗争における客観的に利用しうる有利な条件としてこの矛盾と対立を見ることに無関心・無理解となるばかりでなく、日本帝国主義がその独自的志向において軍事力を強化し、新植民地主義的政策を中心とした他民族抑圧を推進している現実に対して無警戒となり、日本の人民と被抑圧民族を裏切ることになるのである。
 我々は独自の利害と政策による日本帝国主義の自立的志向と発展を認識し、それとの斗争を自己の主要な国際主義的任務のーつとしていた。 又、我々は、社会主義世界体制、国際労働運動と民族解放斗争の強大な力によって規定される今日の力関係の下では、日米対立の必然的な激化の過程を通じて日本帝国主義がナチス・ドイツのようないわゆる”自立的帝国主義”にまで成長する展望が社会主義世界体制と日本国内の労働運動と民族解放斗争によって強力に規制されていることを同時に確認し、右の斗争の勝利の客観的な基盤となっていることを正しく評価していた。


 中ソ論争の出発点ともなった”八一声明”(八ーケ国共産党・労働者党会議声明、 一九六〇年)は、我々が立脚すべき国際的な反帝斗争の総路線であった。そこで提起された恒久平和の確保と軍縮の過程を推進し、帝国主義戦争を阻止し、平和共存の前進をかち取り、反独占民主主義の達成を通じて社会主義へ前進するという原則的政治路線は、民学同の趣意にはっきりと打ち出されている。 「人類の破滅か『平和共存か 第三の道はない」で始まる同盟趣意は「社会主義体制とともにあらゆる一般民主主義斗争は平和と平和共存の斗いを構成・強化し、同時に、平和と平和共存の斗いは、諸斗争の広範な舞台を準備し、統一と成功の見通しを保障する。 世界平和の共通の敵、ァメリカ帝国主義を先頭とする彼らの核脅迫政策・瀬戸際政策の志向を封じ込め、彼らを徹底的に孤立させ、より安定した平和共存的国際関係を樹立することは人類にとって最も重要な課題となっている。一と述べている。また反独占民主主義について趣意は次のように規定している。
「現代の民主主義 新しい民主主義は、たんに防衛的かつ政治的なものにとどまらず社会・経済における民主的改革をも斗いとる積極的かつ攻撃的な性格をおびている。またそれは、独占資本との対決を通じてかちとられ、労働者階級によって指導される勤労諸階層をその擁護者・推進者とする。我々は分裂している労働者階級の統一を望み、その統一のための事業に協力する。」我々は、ここに提起された思想の原則性こそが、今日の民学同が優れて国際主義的であり不断に日本国内の大衆運動に依拠して斗う中で、他と自己区別し、独自の政治組織として存在しつづけ、前進している基礎があると確信している。
 日本共産党(代々木派)民主青年同盟は平和と平和共存・反独占民主主義の政治路線を中国毛沢東指導部と声をーつにして憎悪し、“修正主義” “右翼日和見主義” “構改派” =改良主義”などの根拠なき政治レッテルによって否定した。彼らは情勢の発展そのものによってその誤りを宣告されている。彼らは「革命的」空文句による誇大宣伝と実践的には反独占斗争はいうに及ばず国際的な反帝国主義斗争の具体的政策を掲げず、待機主義と日和見主義に陥り、全ゆる大衆運動を民族主義的反米斗争路線の押し付けによって分断する分裂主義の悪しき代名詞に転落した。彼らは、全世界の、とりわけ日本の原水禁運動はその重要な構成部分であった部分核停条約の獲得に対してこの成果を認めず、この条約に反対し、四・一七ストに反対した事件は、その象徴的事件であった。我が同盟は、各大学平和委員会活動や原水禁運動の中で国際連帯の立場を守り抜き、六五年・ヘルシンキで開催された平和大会にも代表を派遺し、日本平和運動の民族主義的歪曲と斗った。
 民主主義学生同盟は、小ブル民族主義と斗い、国際的反帝斗争の総括路線に立ち、平和共存と反独占民主主義の原則的路線の下に大衆運動を組織し、主として学生戦線において強固な指導的中核部隊の建設を克ちとり、学生運動を統一すること、分裂している労働運
動の統一を望み、労働者階級の、なかんずく、その指導部隊の統一の事業に貢献することを自己の任務として規定した。


 我が同盟は、首尾一貫した科学的世界観の上に立っている。同盟員の理論的関心と理論水準を不断に高め、古典的諸著作を系統的かつ真剣に研究し、反動イデオロギーや小ブル的動揺 ペシミズムや盲動主義 と断乎として斗い、科学的世界観を学生大衆の中に大胆に持ち込み、政治斗争・経済千争と正しく結合したイデオロギー斗争を通じて学生大衆を政治的・思想的に指導し、獲得するための不断の努力をおこなってきた。このような一貫した理論活動と思想的立場こそ我が同盟の最も輝かしい伝統のーつであり、最大の権威のーつである。我が同盟が氾濫する独占のイデオロギー攻撃やマルクス主義陣営内部の思想的混乱にもかかわらず、また学生大衆へのこれらの混乱の増幅された反映にも関らず、着実な政治的組織的前進をかちとり、また二度にわたる分裂という不幸な代価を払ってではあったにせよ、我が同盟の隊列内に発生した小ブル急進主義、セクト主義的、暴力主義的偏向とそれに基づいて我が同盟を離脱した部分との斗争で国際主義・労働者階級との連帯・大衆運動の統.と前進を雌護しぐ基本的にこれを一掃しえた基礎には、我が同盟のこのような不抜の思想的伝統ーそれは、我が同盟結成に先立つ大阪唯研・大阪学生唯研・及びその後の「知識と労働「を中心とした我が国の戦斗的唯物論者、マルクス・レーニン主義者の長期にわたる原則的理論斗争によっで形成されたがあった。


 民主主義学生同盟は大阪府学連を指導し、全国学友に共通の課題にもとづく共同闘争の大胆な呼びかけを通じて、全国同盟への成長の過程を歩んでいった。関西三府県学連の統一行動は、分裂した学生運動の中で、最も大衆的で、戦闘的であり、輝かしき全学連運動の伝統を誇りうるに足る闘いを組織し、大阪府学連は常にその中心を担っていた。この闘いの過程で、原則的な学生運動統一政策を常に堅持していたわれわれの隊列に、京大を中心とするいわゆる京都統一派(民青)の部隊が結集した。それは、関西学生運動の統一し
た闘いに対してとった極めて分裂主義的な敵対政策=ボイコット・分裂戦術(「①京都平
民共闘の統一行動、大学教職組と学生の統一行動とに党の指導する学生運動は、京都都平民学連として参加しても、党の指導する学生は京都平民学連として学生の隊列を別に組織する。②京都府学連の統一行動は、これが反共分裂の挑発行動であり、党はこれをボイコットし、 一切の集会とデモは粉砕し崩壊させる。・・・断固として自治会執行部の多数決に拘束されない」六三年八月二〇日付の日共京都府委員会通達”京部における学生運動の再建統一のために”は、この 「戦術」のセクト的本質をきわめて明確に示している)の破産の実践的帰結でもあった。
 だが同時に、彼らの同盟隊列への合流は、日本帝国主義の評価に関する基本対立を解決することなく行なわれ、後のプロ学同=共労党派との不可避的な組織分裂の深因となったことを想起するならば、同盟の思想統一がいかに重要な課題であるかを学んでおかねばならない。
 白川真澄を代表的イデオローグとする彼らは、いわゆる「従属的帝国主義理論を主張した。同盟内に発生した意見対立は、同盟が依拠する理論的諸原則にかかわる内容をもつものであった。核防条約の評価において対立はまず顕在化した。 「核防条約は、独自核武袋を禁止しているが、核もち込みは禁止していない、当面する現実の危険は独自核武装ではなく、核持ち込みであり、従って、核防条約は日本人民にとって無意味であり、核持ち込みを合法化する危険すらある。我々は全面核禁止をめささなければならない」との彼らの見解は、第一に部分核停条約や平和と平和共存をめざす闘争における原則的立場=恒久平和と全面核禁止に向かう一歩一歩の前進、そのような成果の獲得を積極的に評価し、最 終目標の達成の過程にそれらの段階的成果を 正しく位置付けること、第二に、日本帝国主義の核武装のコースを核持ち込み(アメリカ帝国主義の核のカサの下でのそれ)に限定し、独自核武装にかける危険な志向を過少評価し成てはならないこと、に対する全面的な懐疑を含んでいた。このような態度は、先述の「従属的帝国主義」理論と深く関わっており、 日共(代々本派)の見解に酷似している。
 彼らの主張は、帝国主義の冒険的で反動的なまき返し政策が進む過程で、次々と趣意に 表現された同盟諸原則への懐疑と否定へと突き進んでいった。それは同時に社会主義学生 戦線(フロントー統社同)のとったコースでもあった。彼らは、平和と平和共存の戦略を否定し、社会主義体制への懐疑を拡大し、毛沢東–林の「第三世界」革命論と同種の路線へと突き進んだ。また彼らは、労働者階級を盟主とする反独占統一戦線を通じて反独占民主主義を実現し、社会主義をめざす政治路線は、生ぬるいとして、「反独占民主主義の左転回」を主張し、事実上、反独占民主主義戦略を放棄した。同盟創建後、最初に生じたこの意見対立は、激動する情勢に直面して、危機感・焦操感に表われた小ブルジョァ特有の動揺に基礎をおくものであった。また、それは彼らの従属的帝国主義の主張に示されるように日本共産党(代々木派)の小ブル民族主義と完全に手を切ることができなかったことの必然的結果であった。このことは、最近民主青年同盟内部で発生したいわゆる新日和見主義が、議会主義に反対して議会外の大衆運動の決定的重要性を強調し、現実の内外情勢の客観的発展を反映して、日本独占資本の独占的志向とその危険性を指摘し、アメリカ帝国主義の世界支配における地位の相対的低下と後退を指摘した点において正当性をもちながらも、現指導部に屈服せざるをえなかった真因が、彼らの思想における折衷主義・小ブル民族主義思想にも共通して言えることである。
 森信成と大阪唯研は、帝国主義イデオロギーの基本特徴を次のように規定した。① 方法論 自然科学技術における墳末実証主義によって“技術開発”の要請に応えつつ、かつマルクス・レーニン主義を非現実的非合理的信念体系として排斥して改良主義を擁護し、 しかも他方で、世界観における非合理主義によって社会変革の科学的展望を人民から奪い取り、金融独占体の利害に盲目的に追随せしめ、③ 個人主義・エゴイズムによって人民の組織を解体(第二組合の自由)させ、且つ人民内部に相互敵視(ェリート主義・能力主義)を持ち込みつつ、しかも、④ マイホームのためにはわが社、わが社のためにはわが国という形で排外的ナショナリズムを展開する点にある。また、⑤ 生産関係(搾取と収奪の関係)をインペイして、「生産力が上がれば労働者も豊かになるーと生産力理論でパラ色の未来を約束しつつ、⑥ その裏返しとして、国独資の発展がもたらした諸矛盾を科学万能的考え方のせいにする疎外論、新マルサス主義、地球破局論、 「東洋思想」を持ち出す。
 我々はこのような把握に導かれて活発な思想斗争を展開して来た。
 70年代の国独資の危機の中で現在ハラ色ムードから灰色ムードへ力点が移行し、(トータル・システムアプローチ)の強調から国旗掲揚、青嵐会の抬頭まで、世界観主義の諸形態の新たな展開が見られる。またこの危機の深化の中で、特に青年青年労働者を中心にその戦闘化・労使一体意識・国益意識の急速な低下が見られるが、それが必ずしも労働者の階級的自覚と結びつかず現象的には、「脱政治」意識が広がっている。本来、労働者階級の中に社会主義的意識を持ち込むべき日本共産党代々木派は、社会主義と機械的「段階的」に切断された「民主主義」→階級に先立つ国民・市民・人間→疎外論、 「ヒューマニズム」「人間性回復」論の展開というように、中間者の危機意識の忠実な、表明者となりつつあり、かかる見地からマルクス–レーニン主義の諸原則の系統的な「再検討」「自主独立」「先進国型」マルクス主義の確立を行なっている。
 わが同盟の目指す、労働者階級を先頭とする反独占の深刻な改革が、このような右翼日和見主義の思想や戦術と断乎として対決し克服することなしは、科学的戦略・戦術抜きにそれに基づく労働者階級の強固な組織・規律・政治的訓練抜きにまたこれを指導するまたこれを指導する強固な先進部隊–科学的革命論で武装した–可能であるかの如く考えるのは最大の幻想であろう。(科学的革命論なしに革命なし)そしてこのような部隊を杉戎することは我が国の革命的人民にとって最も重要でかつ真剣な任務である。我が同盟が多くの革命的青年労働者を輩出し、彼らが労働者階級の先頭に立って斗っているのも決して偶然でない。我々はこのような事実を誇りとしつつ、思想上の原則性と党派性という輝かしい伝統を断乎として受けつぎ発展させるであろう。


 同盟は、プロ学同=共労党派との分裂から生れた痛手を基本的に克服したくまさにその瞬間において、再び同盟内部に当面の学生運動の統一の組織方針、ならびに、大学闘争の政策、全共闘(べ平連・反戦・青年C)運動の評価等、大衆運動の方針とその実践に深く関わる問題での意見対立を同盟内部に生み出した。
 この分裂は、 一連のベトナム反戦斗争でべ平連や反戦青年委員会が生まれ、大学斗争で全共闘運動が生まれ、それらが広範な青年・学生大衆をとらえるという事態の中でひきおこされた。広汎な大衆をとらえた急進的で、無政府主義的な気分と不断の動揺、労働者階級との連帯を否定する市民主義的思想は、科学技術革命の結果生み出された新たな社会的諸矛盾の蓄積と階級斗争の新兵の大量の流人によってひき起こされた。それらは、客観的な発展の過程であるとともに、日本的特殊性(日本共産党・民青の右翼日和見主義とセクト主義による斗争破壊)によって一層拡大された。
 反戦と平和・反独占民主主義的諸政策・大学と教育の民主的改革が問われ、大衆は強大なエネルギーを内包しながら行動した。彼らを獲得するためには、原則的で、粘り強い指導と実例の力による教育が必要であった。だが日共(代々木派)、民青は、それを妨書し、彼らは権力と事実上一体となって排撃することによって、この作業は著しい困難を強いられた。我同盟自身の政治力量ー指導と、彼らを教育するため実践的活動力が問われたのである。
「学生共闘」一派と呼ばれる同盟内分派の諸君は、このような、まさに高度の意識性と組機性がとわれる活動の困難さの前に拝跪し、日本共産党(代々木派)、民青の誤りへと転落していった。それは、京都大学に象徴される特殊な事情ー極「左」主義と右翼日和見主義の潮流のニ極分解現象と小ブル的気分の支配する活動家主義の根強い存在ーの中で、思想斗争の原則的展開が解体され、民学同の立脚する諸原則があいまいにされ、忘れられる中でひきおこされた。それは、いわゆる「新左翼」に対する即時的反発にその出発があり、その誤りはバリゲード実力解除方針に集中して現われた。
 彼らの誤りは民青がかって提起し、同盟諸先輩が断固として斗った平民学連のミニ再生産でしかないセクト主義ー思想と政策の原則性、その旗の下に大衆を獲得すること、抽象的「空文句」ではなく、個々の局面における具体的スローガンの提起によって大衆を獲得すること、こうして広汎な大衆を統一し、誤った政治指導部を孤立させること、これらの任務を放棄し、大衆からうき上った少人数の活動家のみを結集する街頭斗争主義、そのための各大学学生共闘=恒常的斗争委員会の提起をその本質としていた。自己の孤立を合理化し、そこから「主体形成」のみが過度の重点をおいて強調された。その必然的帰結は、同盟内では、露骨な官僚主義と同盟分裂の策動となって現われた。彼らは予定されていた同盟第12回大会を前にして、全国委員会(七名中四名は彼らによって構成されていた。)での多数決をくり返し、代議員を水増しし、彼らに反対する同盟員の推せんする新規同盟員の加盟を拒否しつづけた。それでも大会代議員多数を獲得できなかった彼らは、ついに第12回大会を暴力的に破壊したのである。
 統一会議が結成された。それは、今回の分裂が、プロ学同のときとは異なり、同盟の基本政策の一部、とりわけ、学生運動統一を中心とした大衆運動政策に生じた誤まりであり、とくに科学技術革命によってひきおこされた情勢の新たな発展ーその複雑さに起因していたからである。
 われわれは、思想斗争と実践的活動を通じて、民学同の隊列の再統一を実現することを同盟の諸任務の実現とともに貫徹するということを新たな課題としなければならなかった。「学生共闘」指導部はその誤まりを深めていった。それは、同盟原則の一部であっても、それを否定したとき、それは必然的に全体の誤まりを導くものとなることの証左であった。そのセクト主義は、必然的に無用な党派間抗争を生み出し、内ゲバ・テロル戦術の採用となって、ますます大衆運動を破壊する役割を担うようになった。それ以降の一連の市大における革マル・ブンド系ァナーキストとのヘルメット、鉄パイプで武装しての内ゲバは、その象徴であった。この過程は、また彼らの内部矛盾の深化の過程であった。同盟趣意と彼らの政策・行動が矛盾を拡大し、それは、必然的に指導部への批判勢力を生み出し、高崎経済大支部の同志の統一会議への結集となってあらわれた。
 我同盟は、72年統一会議第四回代議員総会において、 「学生共闘」指導部が民主主義学生同盟の趣意の原則を大きく踏みはずし、同盟の光輝ある名を汚しているとき、同盟の旗を守り、発展させることが、われわれの避ける事のできない任務であることを確認した。第12回大会の開催とその成功へ向けた活動が開始されたのである。
「学生共闘」派は、現在もなお関西において一定の活動定数を維持しているが、彼らは全体として暴力主義的手段を採用することにおいて我々と絶対に和解出来ない潮流である。彼らは政策的には依然として民青との妥協と統一に主要な方向を見い出している部分と急進主義との内部矛盾を内包している。
 われわれの闘いの前進が必ずや彼らの矛盾を拡大し動揺を生み出し、再び原則的思想と政策の優位性によって、民学同の旗をその名に恥じないものとして関西にうちたてる時が来るであろう。
 こうして民学同の真の統一は獲得されるであろう。事態は確実にその方向に進んでいる。


 一九七三年三月に開催された民学同第12回全国大会は、同盟一O年間の歴史の中で第四回大会に匹敵する特筆すべき意義を有する大会となった。第12回全国大会は、第一に、統一会議結成以来の政治的・思想的統一の作業をおし進める重要な貢献を行った。第12回全国大会テーゼとして提出された文書は、われわれの大衆運動と密接に結びついた理論的・政治的活動の成果である。それは同盟趣意の諸原則をひきつぎ発展させるという原則的立場に立って準備された。そこで提起された理論と思想は、民主主義学生同盟の旗を守り、発展させているのは誰であるかを疑う余地なく示している。だがわれわれは、このテーゼをさらに深め、不充分点を補い、さらに深め、理論的正確性を更に獲得する作業の必要性を認めておかねばならない。なぜなら、そのテーゼがわれわれ自身の理論上の、政治経験トの未執さに加えて、 ーケ月間という短期の間で準備されたものであり、分析対象の外におかれた課題や規定における不徹底性、国際的な論争の課題で未解決の問題も含まれているからである。この様な理論と思想に対する謙虚で真剣な態度こそか不断に同盟の理論的・思想的統一を強化し、同盟の真の組織的・政治力量を深部において規定する。
第十二回全国大会の第二の意義は、右に提起した成果を基礎にして中央委員か新たに創設され、規約十も民主集中陛の組織原則を獲得し、政治同盟としての組織的機能の強化を獲ちとったことである。それは全国機関紙・誌の質的・量的強化によってもその後の国際活動も含む政治活動の大衆的展開によっても証明されている。この大会を契機に同盟力量も全体としては強化される方向を着実に前進し始めた。
 第三の意義、それは、同盟10年の歴史の中でも、とりわけ重要な意味を第12回全国大会に付与している。それは初代全国委員長を始めとして、現在ずでに職場の労働者として、或いは、労働組合の専従活動家として、現代イデオロギー・修正主義の思想と対決し、マルクス主義の原則的思想を擁護・発展させながら理論活動の分野で、民学同の掲げる原則的な理論と思想・組織活動の経験を生きた指針として活動されている同盟諸先輩からの青年同盟結成の呼びかけであった。だがこの呼びかけは労働青年をはじめ同盟OBから突然行なわれた性格のものではなかったことを併せて確認しておかなければならない。それはプロ学同=共労党派との分裂の教訓から当初提起され、大学闘争の嵐のような高揚とその敗北ー「掌生共闘」派との分裂によって開始された統一会議の三年間(七〇年三月ー七三年三月)を通じて民学同自身によっても真剣な現実的課題として提起された。
10年前には解決できなかった課題を解決しうる時が到来したのである。

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 第12回大会テーゼは、すでに、青年同盟間題に、学生自身の任務として結論を由す必要を提起している。 「諸外国の青年・学生組織の形態は必ずしも一様ではないが、学生と青年労働者がその指導上の組織的一体化を基本的原則としている点では無条件に一致してしる。われわれは、日本青年ー学生運動の現状とわれわれの現実的力量を正しく考慮して学生同盟のもつ歴史的限界を克服する原則的組織形態を考慮しなければならない。一 (新時代創刊号・53ページ)
 こうして、それまでの民学同の10年にかち取られて来た同盟活動の歴史的成果として、青年同盟結成が提起され、それは当然ながら多くの人々の支持と共感・強い関心を呼びおこしていった。 (この数年間には、日本共産党(代々木派)の第12回大会があり、民主青年同盟内部で“新日和見主義”の反抗があったことも併せて考慮する必要がある。)
常に、アブクの様に生まれては消えていく他の政治的潮流が多かったことに比べて民学同は、はなはだしい思想的・組織的混乱の中で原則を守り、深く大衆の中に依拠しながら成長してきた現実は、日本の民主主義的・社会主義的変革に関心を寄せ、活動を続けてきた多くの民主団体・政治組織の支持をかちとった。彼らから第12回全国大会に寄せられた支持と期待は、まさにその証左である。
 民学同は、創建された中央委員会の旗の下に団結し新たな歩みを開始した。民青「全学連」の身の回り要求主義と度し難い議会主義的改良主義への転落の中で新たな政府・独占による大学攻撃・筑波法案反対闘争に全国大学の先頭を切って同盟の指導する阪大・市大・阪学大・関大・東理大・東洋大などの自治会その他の団体が決起し、唯一学生大会でストライキ闘争の成功を獲ち取り、六月二三日首都に一五〇〇名の大衆的デモンストレーションを実現した。これを端初として、原水禁世界大会への大衆的結集ーモスクワ平和勢力世界大会代表派遣、戦後最大の危機に直面する日本帝国主義による人民大衆へのインフレとデフレ攻勢に対抗する学費値上げ阻止・学費凍結・奨学金制度の民主的改革のための闘争、狭山公判闘争への数派の決起など斗いのめさましい前進を獲ち取って来た。 
また新たに、 「学生共闘」派の指導を拒否して、天理大学と続いて桃山学院の同志が多大なる自己犠牲を顧りみず、正しい路線を守る為に民学同の真紅の旗の下に結集したことは、 「学生共闘」指導部のセクト主義と親民青的路線の実践的破産を深く刻印している。
 これらの闘争は、青年同盟の結成を準備していた同盟OB・労働青年との兄弟的な協力と連帯の活動の下に推進された。中でも日共(代々木派)、民青による選挙目当ての露骨な反ソ・反社会主義の民族主義をその思想とするところの、自己の国際的孤立を日本平和運動の対外的な窓ロを独占することにより、隠ペイしようという悪質な政治的意図をもって行なわれた核政策の「転換」、原水禁運動の無原則な組織統一策動、モスクワ平和勢力世界大会の窓ロのセクト的独占・私物化の謀略との斗争は、同盟OB・労働青年との密接な協力連帯の活動に支えられて強化され、多大の成果を収めた。
 同盟創立一O周年記念集会(九・一五、大阪)首都・大阪のモスクワ報告集会の開催もまたその良き一例である。
 平和運動における国際連帯の精神的擁護の立場は、六五年のヘルシンキ世界平和大会への参加にも見られた同盟の一貫した伝統の所産でもある。我々はモスクワ平和勢力世界大会の成果の歪曲と断乎として斗い、この大会で克ちとられた成果を幅広く、日本の人民に広めていく任務を達成していく決意である。
 民主主義学生同盟の国際主義的立場は、 一貫して不変である。

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 民主主義学生同盟は、10年という歴史の試練に耐えて成長し、その組織活動の成果として、既に大量の卒業生を労働運動を中心とする民主主義斗争の諸分野に送り出している。
 既に経営・あるいは産業別にそのような同盟卒業生の組織する研究会や政治的サークルが民主的に選出された。この政治的中心から指導される政治同盟への発展を可能にするような、またそれを要求するような一定の組織力量の蓄積を達成しているという段階を迎えている。この要求は、労働青年の間で数年来、現実的な要求となってきた。また民学同同盟員にとっても卒業した後の、学生時代とば異なる政治的・社会的条件の下で新たに活動を開始するに当たり、豊かな政治経験を生かした系統的な規律と責任の自覚に基づく組織的指導の存在は、我が同盟を勇気づけ、現在及び招来の活動をさらに確信あるものにするだろうという点で量り知れない期待を生み出して来た。
 だが青年同盟結成を意義づけるこの側面は現実的な要請であり、重要な構成要素であるが、それだけが、青年同盟桔成の主カる契機であると断言すれば、それは事柄の一面的評価となるであろう。
 事柄の他の側面、それは現情勢の発展が国家独占資本主義の危機の下で社会主義の実現を目ざす反独占民主主義を斗いとる政治的変革を要求するような階級斗争の発展、その下で日本においては、そのような客観的要請に応えるのではなく、前衛党を名のる勢力とその指導の下にある青年の政治同盟が正真正銘の第ニインターナショナル的日和見主義の潮流に転落したという深刻な事態の存在にこそ求められなければならない。
 我々は、マルクス・レーニン主義の諸原則を断固として擁護し、戦斗的な民主的労働青年・学生を組織することを通じて、真の前衛党の再建と労働者階級の統一の実現に協力し貢献するという政治的・組織的任務が客観的で現実的な要請となっているのである。当面している情勢の発展そのものが民学同が一O年前に出発した時よりもはるかに困難な課題を我々に課していることは疑う余地がない。だが問題は任務の困難性にあるのではない。いかなる原則的かつ現実的な道を通ってそれを解決するかである。 「任務の困難なことが問題なのではなく、任務の解決をどの道に求め、とうやって解決を達成しようとするかが問題なのだ、ということを忘れてはならない。革命の展開力を強力不敗なものにすることが容易であるか困難であるかが問題なのではなくて、この展開力を強めるためにどう行動すべきかが問題なのであるし意見の不一致は、ほかならぬ活動の基本的性格に活動の方向そのものに関係している。我々がこのことを強調するのは、不注意で不誠実な人がこの二つの違った問題ー道の方向の問題、ずなわち二つの違った道のーつを選ぶ問題と、ある決まった道を通って目的を実現することが容易であるかどうか、あるいはその実現がま近いかどうか、という問題とーを混同する場合があまりにも多いからであるに (レーニン 「民主主義革命における二つの戦術」)
 問題は現在の情勢と日本の労働者階級が、なかんずくその先進的部分が何を提起しなければならないのか、そのような任務に対して現存する政治指導部がどのように行動しているのか、それは誤まっていないのか、その誤まりは部分的で許容しうるものなのかどうか、その誤まりは、彼らの内部的力によって克服可能か我々は何をなすべきか、等々、とたてなけらばならない。

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 我々は今や日本共産党(代々木派)=民主青年同盟の真剣な評価を迫られている。
 日本共産党(代々木派)は、その思想と政策において、もはや労働者階級の党としての基本性格を失ない、労働者階級の利害を代表しえなくなっている。民主青年同盟は、宮本指導部に組織的に支配され、その評価は、日共(代々木派) に基本的に一致する。我々は 彼らの第11回・第12回大会、及び民主連合政府綱領について原則的立場からの評価を行なう必要がある。これらの文章から容易に判断されることは、日本共産党(代々木派)のプロレタリアートの指導性を放棄し、小ブルジョア的・議会主義的改良主義を一層強化しただけでなく、「経営と営業を守る日本共産党」というスローガンの採用に典型的に見られるように、没落しつつある小所有の“経営”と”営業”と“財産”を無条件に擁護する正真正銘の小ブル的立場に転落しているということである。彼らの提起する“民主連合政府”綱領は変革のヘゲモニーと、変革の内容に於いてブロレタリアートの独自性・指導性と社会主義的変革の展望をあいまいにし、欠如させているという点に於いて、とりわけ ブルジョアジーに対する労働者統制と、銀行金融機関の国有化の提起を回避している点について、プロレタリアートの利害を代表していない。国家独占資本主義が社会主義の物質的条件を完備している現段階においては、社会主義を目指さないでは、社会主義へ前進するを恐れては、 一切の民主主義的変革は、内容のともなわないニセもの、大言荘語とならざるをえず、したがって、それはたとえ実現されたとしても長続きしない不安定なものにとどまるのである。
 日本共産党(代々木派)のこれらの諸文書は、彼らの国際主義の放棄と、社会主義世界体制への段階を明確にうち出している。彼らは、平和共存のスローガンを「米帝美化論」であると批難し、 「ソ連邦を超大国主義」というレッテルで中傷し、社会主義ソ連の着実に果たしている大きな役割とその権威を破壊し、独占資本主義の反ソ・反社会主義の宣伝に唱和している。そのスローガン 「自主独立」はプロレタリァ国際主義=前衛党に無条件に要求される原則的立場の放棄を隠ペイし正当化する“イチジクの葉”にすぎない。
彼らの民族主義の党への転落は、「北方領土」返還要求に見られる自民党顔負けの主張と行動、日本プロレタリアートの任務を第一義的に「米帝からの独立」におくところの小ブルジョァ民族主義と日本帝国主義美化論、マルクス主義国家論の原則の修正に典型的にあらわれている。このような彼らの主張は、日本帝国主義がアメリカ帝国主義への依存と従属からの自立と独自核武装・独自的経済進出の志向をかってなく増大させている現在、それを容認し、裏口から支持し、客観的にそれに手を貸すところの明らかな日本帝国主義擁護論である。
 彼らの第12回大会における“規約第一条”改正ー党員義務としての党決定の積極的実践の削除はー日本共産党(代々木派)の第ニインターナショナル的党組織・議員政党への転落を決定的なものとした。又同時に、このことは、彼らがブルジョア議会主義的政治とのゆ着関係の自主的再生の能力を持たない党に転落したことを意味している。

13
 前衛の不在と、それにとってかわる部隊の弱体という条件の下ではあるが、反資本主義的・反独占民主主義的な政治意識、戦闘的で活動力に富んだ意識と組織が前進していること、労働組合主義の枠をぬけ出る条件と展望が成熟しつつあること、従って、今日の情勢は、社会主義をめざす反独占民主主義の思想的政策の側に、その最もすぐれた担い手を復活しうるし、しなければならない任務を提起している。
 結成される青年同盟は、民学同と兄弟的関係で結ばれ協力し合いながら、同時に、二つの組織的任務を達成していくであろう、それは、労働運動の中で強固な部隊を建設し、マルクス・レーニン主義の革命的理論と原則の擁護・発展を通じて前衛政党の再建に可能な限り貢献するであろうこと、そしてその過程で青年同盟を本来の意味での大衆的政治同盟ーその中核は労働青年ーへの成長をかち取ることであろう。

出展:「新時代」誌 第6号 1975年10月 

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民学同の10年と青年同盟結成の意義(第13回全国大会決議)  

★民学同の10年と青年同盟結成の意義
       民主主義学生同盟第十三回全国大会決議 (「新時代」誌 第6号)

 民主主義学生同盟は創立以来10周年をむかえた。
 我々は、、この10年間、わが同盟の諸先輩によって同盟結成趣意と規約の中に簡単にかかげられ、第四回大会をはしめ大会諸文書 の中に具体化されている“平和と平和共存、反独占民主主義の政綱に導かれ、また、科学と民主主義の立場にもとづく一貫した原則的な思想・理論に導かれて、粘り強く不屈の政治的組織的活動を展開してきた。

 民主主義学生同盟のこの10年間の活動は学生運動の分裂と混乱が続く中で、 一貫して国際学連の旗じるし「平和と民主主義、よりよき学園生活」のスローガンのもとに、学生運動の統一を実現することにささげられた。それは、左右の日和見主義—-一方では、街頭行動中心の一撲主義と労働者階級のヘゲモニーを否定する小ブルジョァ急進主義、すなわち学生先駆性論的革命論、他方で民族主義と選挙活動を最優先させる議会主義的日和見主義との絶えざる闘争の歴史であった。
 われわれの闘争は、安保闘争・大学闘争、原水禁平和運動・ベトナム反戦闘争・原潜寄港阻止闘争・日韓条約反対闘争・部落解放運動等々のわが国の社会的政治的発展と世界政治にとってきわめて重要な意義をもつ各闘争において、輝しい成果をあげてきた。これらの闘争を通じて、われわれはつねに、民主主義的大衆的学生運動の再組織と統一、学生運動と労働運動の連帯と統一、労働者階級を指導部隊とする反帝・反独占統一戦線の結成のためにたたかってきた。
 この10年間に、学生の客観的な社会的地位は、科学技術革命と、それにもとづく大量の知識人のプロレタリァ化に照応して、大きく変化した。同時に、学生の数はいちぢるしくぼう大なものになった。このことは一方では、学生の将来を知識労働者の大群の中に、労働者階級の同盟者として位置づけている。他方では、学生大衆のあいだに自分の二面的で流動的な地位に対する深刻な不安と動揺、現在の社会体制そのものに対する自然発生的な不満と憤激を生みだすと同時に、それ自体思想的混乱と左右の日和見主義の客観的源泉となっている。
 われわれは、この10年間、うまずたゆまず思想的理論的闘争の決定的な重要性を主張し、思想闘争における非妥協性と一貫性によって学生のなかに労働者階級とともに進む民主主義的大衆的学生運動の強固な一翼を形成してきた 。
 同時に徹底した民主主義者としての確認と民主主義と社会主義のための闘争における戦闘性と献身性を身につけた大量のOBを知識人労働者の隊列の中に送りだしてきた。彼らは研究者・技術者・科学者・事務管理者・教員・医師・看護婦・等々、知識人労働者の一員として労働者階級と一体となって活動している。これらのわが同盟の諸先輩達は、日常不断に、国家権力と支配階級による執勘なしめつけ、弾圧とたたかいながら、工場・事務所・学校・研究所等で、その他ありとあらゆるところで闘争を組織している。生活擁護をはじめ、労働者階級の社会的権利と解放のために闘う青年労働者とかたく結合し、労働組合運動においても、意識的で献身的な分子として活動している。
 今日、彼らの結合された活動の力は、関西と関東と労働組合運動の内部で一定の持続した影響力をもつようになった。彼らによって組織される大阪労働講座と東京社会科学講座は、 マルクス・レーニン主義の立場に導かれてプロレタリア国際主義と反独占民主主義・反帝反独占民主主義の統一戦線の旗を一貫して高くかかげている。彼らの活動と結びついたわが同盟の一活動は、 一九六五年のヘルシンキ世界平和大会、一九七三年のモスクワ世界平和勢力大会へ代表を派遣し、これらの巨大な国際的潮流と連帯して、 わが国で国際主義に立つ平和運動を展望する原動力のーつとなってきた。
 いまや諸先輩の活動は平和共存と反独占民主主義を旗じるしとする民主集中的な組織規律をもつ組織活動に発展すべき時機を迎えようとしている。たえず階級的抑圧の下におかれている職場のきわめて困難な条件のもとで活動している青年労働者の革命性と献身性がそのことを要求すると同時に可能なものとしている。労働者階級との連帯と統一を追求し 、同盟諸先輩と戦闘的革命的青年労働者による政治的組織的援助と助言を求めている若い真面目な学生の闘争は、そのことを真剣に強く要求している。
 今日、資本主義世界は全般的危機の新しい局面に入った。独占とその政府によるとめどもない物価騰貴が勤労人民の生活を深刻な危機におとし入れている。
 勤労人民と学生の生活は、異常な物価騰貴によってたえがたいまでに悪化している。公共部門を中心とする予算縮小と金融引締め政策の強化は、景気後退の中でインフレーションのいっそうの悪化と人民大衆の生活の窮乏を激しくしないではおかない。
 それに対する大衆の不満と下からの自然発生的な反坑・闘争が急速に高まりつつある。広範な人民大衆は、この危機からの脱出口を真剣に求めている。
 しかし、労働者階級と勤労人民の政治的指導部隊は、適確で現実的な出口を指示しているとはいえず、客観的な条件の尖鋭化にもかかわらず、この面での主観的条件のいちぢるしいたちおくれがみられる。日本共産党の現指導部は、主要な活動を大衆闘争から切り離された議会活動とそのための選挙運動におき、労働者階級と勤労大衆の生活の危機を、わが国の全体的な反独占民主主義改革を通じた社会主義の展望のなかに位置づけて、大衆的な社会階級闘争のカによって解決する方針を提起していない。日本の社会主義政党では、「高度成長」に「安定成長」を対置することによって、支配階級の「引締め」政策に、絶好の口実を与える方針が支配的なものとなっている。
 本来、日本におけるすべての民主的青年を結集すべき日本民主青年同盟は、これまでからの小ブルジョァ民族主義、セクト主義、右翼日和見主議の諸偏向に加えて、今日では、議会選挙のための運動に一切の政治闘争の任務を解消する議会主義的偏向による決定的制約を課せられている。
 かれらは、戦闘的な青年・学生の要求とその実現のための闘争に運動の高揚した決定的局面で常に敵対し、右からの大衆運動の破壊者として行動している。民青の誤った方針と、それにもとづく行動は、青年・学生戦線の統一と原則的発展の大きな障害となっている。
 民青内部の指導者と広汎な層をとらえた、いわゆる“新日和見主義”の発生は、こうした誤謬に対する自然発生的な反発であった。
 その主張は一定の積極的意義と正しさを含みながらも、依拠する思想と政策は民青現指導部と同様の小ブル民族主義の枠を越えることができず、その折衷主義と組織的堅固さの欠如によって、党と同盟の指導部によって官僚主義的に抑圧され、抹殺されるにいたっている。
 共産党現指導部は、青年を労働運動や学生運動、平和運動において大衆的闘争に組織する活動を「大衆運動唯一論」としで批判し、アメリカ帝国主義の後退を認める見解や日本帝国主義との闘争を前面に出す見解を「米帝国主義の過小評価」として批判している。それによって彼らは、青年運動を議会主義と無原則な民族主義の誤った侠溢な枠の中におしとどめようとしている。
 こうした現実は、原則的な思想と政策に依拠する政治的指導部隊とその下に組織される大衆運動の実践的な力なしには、民青同盟それ自身の内部に、自らの力で正しい立場に復帰する力と展望がないことを示している。民学同が結成趣意で批判した民青の基本的な誤りは、この十年間少しも是正されず、拡大再生産されている。
かってない危機のなかで、このようなわが国の異常な政治的組織的条件の特徴は、戦闘的で革命的な青年労働者に対する政治的指導部の確立を、広範な勤労人民と学生大衆の焦眉の要請とするにいたっている。
 民主主義的労働青年の政治同盟の結成とわが同盟との兄弟的同盟関係での固い結合は、学生運動の原則的・大衆的発展に決定的な貢献となると同時に、わが国における反独占民主主義闘争とその主要な一翼をになう労働青年の隊列を不断に強化する重要な源泉となるであろう。
 今日、広範な知識人労働者の利害は本来の労働者階級とますます接近しつつある。圧倒的多数の学生が、自己の将来の客観的な地位を自覚し、労働者階級と一体となって、わが国における民主主義的・社会主義的変革の積極的推進者として活動する時にのみ、国家独占資本主義の下での抑圧と搾取の体制から、全社会とみずからを解放しうることを理解しつつある。
 かかる歴史的時代の到来は、労働青年と学生の同盟およびその強化を客観的に不可避なものとしている。わが同盟の同盟員として、たたかいの中で学び、獲得した理論と思想、政治的・組織的経験を学生時代だけでなく、卒業後の将来もまた労働運動に積極的に参加し、自分の専門的職業活動に従事しながら、生涯にわたって社会的進歩と勤労人民の解放のためにたたかうことは、確信ある同盟員の強く、熱烈な要求となっている。
 われわれは、わが同盟の諸先輩が、このような要望と期待にこたえ、わが国の反独占民主主義と社会主義をめざす確固たる組織に発展・転化されることを強く熱望し、それと固く連帯して前進することをちかうものである。

民主主義学生同盟創立十周年万才!
青年同盟結成万才!
青年同盟との兄弟的連帯万才!
青年労働運動と学生運動の偉大な連帯万才!

一九七四年三月二十二日
民学同第十三回全国大会

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デモクラート 第48号

デモクラート 第48号 1974年1月16

未曽有の生活破壊、政治反動と対決
内閣打倒 春闘決戦に大合流を
桃山大支部 学生共闘と訣別し、中央委に結集

1面  ←PDFは、こちらから 人民に耐乏を強要 74年度予算
新年のアピール 民学同中央委
生活擁護全国署名を展開
74年反独占勢力の画期的前進を
2面 【主張】予算国会包囲の大統一行動で春闘合流を
国会包囲行動実現へ
4野党”援護法”提出
3面 大管法上程阻止・学費凍結法制定
全国学園スト
半額国庫補助実現へ 桃山大
阪学大:自治会選挙勝利
4大学自治会共闘へ巨歩
高崎経済大:自治会再建へ前進す
理科大:学生大会準備進む
4面 高崎経済大結集・天理大支部統一に続き、桃山大支部中央委の旗の下へ目覆う堕落と荒廃 学生共闘派
新刊紹介 現代唯物論の基本課題
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(桃大支部)結集を熱烈に歓迎する デモクラート 48号

デモクラート 48号 74年1月16日

(桃大支部)結集を熱烈に歓迎する

桃大支部 結集を歓迎する デモクラート 48号

桃大支部 結集を歓迎する
デモクラート 48号

全国の民主的学友諸君!桃大支部の我が同盟への結集に際し、同盟中央委員会は、このことを熱烈に歓迎するとともに、全国の学友に我が同盟への結集を訴えるものである。

桃山大支部結集の意義
桃山大支部の結集は、第1に支部同志と同盟中央委員会の間で確認されていった学費闘争方針の正しさが大衆運動の展開の中で証明され、同時に、同盟趣意規約の遵守の立場、中央委の政策を桃山学院大学支部全同志が選択したことを意味している。
桃大学費闘争は、全国学園にかけられた学費値上げをいかに粉砕するのか、私学危機の解決の方向は何かという問題を提起した。
桃山学院大学学費闘争の展開は、国庫補助要求を他党派との自己区別のためにのみ打ち出す「学生共闘派」を実践的に批判した。
すなわち、国庫補助拡大の要求を語りつつも、対政府との交渉を行なわない桃大理事会の”人件費拡大”を口実とした学費値上げ–自らの責任を隠蔽し、犠牲を学生、父兄に転嫁する–の犯罪性をあますところなく暴露すると同時に、”国庫補助大幅拡大”を先頭切って担うという理事会との確約を団交で克ちとっている。
まさに、”国庫補助大幅拡大”のスローガンになり、未だ、学費値上げ白紙撤回を行なわない桃大理事会を追求しつつ、理事会、教職員、学生一丸となった対政府闘争の具体的行動が日程にのぼりつつある。
第2に、阻止共闘会議の大衆的運動の中で、桃大学費闘争を牽引し、運動の中において、他党派を批判するという原則を確認し、セクト主義を批判したことである。
「学生共闘」指導部は、阻止共闘会議への参加に反対した。しかし、桃大支部同志の力強い説得に彼らはセクト主義的方針を引っ込めざるを得なかったのである。
このような中で、桃大支部全同志の固い意志統一が打ち固められ「学生共闘」派の指導をl拒否し、同盟中央委員会への結集が確認されたのである。
桃大支部の結集は組織問題にのみわい少化する「学生共闘」指導部の「無政策」「無指導」をまたもや暴露したのである。
では、今回の桃大支部結集は全国的にはいかなる意味を持っているのだろうか。

危機に於ける日和見主義
現在、深刻な危機、とりわけ大学と学生生活をめぐる危機の出口、全国180万学友の真の要求を代表する解決策がいつにもまして要請されている。
高度成長経済の完全な破綻、生活水準の低下に示される今日の国独資の危機は、政治経済の根本的改革–反独占改革なしには克服しえない。
このような情勢の下で、全ての日和見主義的潮流の本質が赤裸々にあばき出されている。
深刻な危機の下で、高揚する自然発生的大衆闘争を前に、日共(代々木派)、民青はこれに恐怖し、議会改良主義的本質を露呈している。勤労人民が真にめざすべき反独占民主主義と社会主義の道を覆いかくし、すべての改革すら、民主連合政権のかなたへ押しやり、当面の課題を学習会と選挙活動におしとどめ、大衆運動の高揚に水をさすこと、そのために、あらゆる戦線でセクト主義と排除の論理によって対す有運動の分裂を引き起こし、自らの政策の誤謬の大衆的批判を必死になって回避しようとすること、これが、彼らが果たす客観的役割となった。
教育学園にかけられた大管法攻撃に対し、全国学園の大衆的ストライキ、対政府行動の展開を主張し、また、この攻撃が大学当局の文部省への迎合、学生管理強化と平行して行なわれていることを見抜けず、学内寡頭支配との対決を回避する”学内休戦論”の立場に陥っている。
一方、国庫補助を一般的に語ることによって、現在私学振興財団によって実施されている「援助」を批判することができず、文部省の教育政策と何ら対決しえていない。

民青行動派
日本共産党(代々木派)、民青の第2インター的潮流への転落、議会改良主義的本質の露呈に対し「学生共闘」は、この日和見主義との本質的な区別をなしえていない。
日共(代々木派)、民青の政策を真向から批判することができず、せいぜいのところ”行動するかどうか””排除の論理”だけを問題にすつ学生共闘の「批判」は『現在の指導部(日共代々木派・民青)方針をかえて、あやまった方針のかわりに正しい方針をとる能力があるかのような、無条件にあやまった有害な思想』をふきこむものである。
そして彼らの存在はもはや民青行動隊の立場に転落したのである。
トロツキスト諸潮流は、危機の出口を見失い、闘争の自然発生性に拝跪し、個別学園、地域、職場の闘争にすべてを解消している。

民学同に結集しよう
情勢から導き出される日本学生運動の任務は、民青、「学生共闘」、トロツキスト諸潮流の日和見主義と手を切り、”大管法粉砕、学費凍結法制定”の対政府、国会闘争を闘う中から、自治会運動の圧倒的高揚を勝ち取り、全学連の再建、反独占闘争の一翼を担う大衆運動を創りあげることである。
関東の地においては、昨年結集した高崎経済大支部同意、学友の手によって、自治会再建の基盤が築きあげられている。
大阪の地においては、大阪学大池分自治会選に勝利した学友の手によって、民青の自治会私物化を許さず、自治会運動の高揚が勝ちとられようとしており、府学連再建に向けた大きな一歩を歩みだしている。
全ての民主的学友は民学同に結集しよう。

民主主義学生同盟中央委員会

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脱退声明(桃山学院大学支部総会決議 1973年12月12日)

脱退声明(桃山学院大学支部総会決議 1973年12月12日) (全文PDFはこちらへ

桃山学院大学支部 脱退声明

桃山学院大学支部 脱退声明 1973年12月12日

我々桃山学院大学支部は、十二月十二日、支部総会を開催し、学生共闘一実行委運動、桃大学費蘭争の総括及び平和共存・反独占民主主義・学生運動の統一に向けた我々の歩むべき道について真剣な討議の後、次の四点を確認した。そして桃大支部として今後「民学同全国委員会」の指導を拒否し、民学同の趣意・規約の立場を唯一継承し守り抜いている民学同中央委員会の下に結集することを決議した。

①いわゆる「学生共闘方式」は桃大の闘い破産した。
「学生共闘方式」の最大の誤りは、統一行動、共同闘争のスローガンと党派の政治スローガンを完全に混同していることであり、結果として闘う部隊の分裂を招き、大衆と同盟の間に根深い垣根をつくってしまうことである、 無益なところで、学友を「アンチ・ セクト」にしている各大学の現実がこの誤りを如実に物語っていると言える。
学費闘争が広範な学表の共通の課題となるにしたがって我々は、その誤りを一層確認した。
闘争が自治会再建を具体的な日程にのばらせた時、「学生共闘方式-全学実行委員会方式」が、セクト的な桎梏となっている。意識あるクラスの活動家のみの思い上った少数行動が、セクト的党派形成には役立つとしても桃大五千学友を揺り動かす巨大な闘いを担いえないのは全く明白である。

②「課題と基本戦術の一致にもとすく行動の統一」は何にもかえがたい闘いの原則である。
しかし、これを一般的に語るだけでは不充分である。
これを現実の闘いの中で具体化する時に、第一に、長期的政策の下に、第二に、当面の広汎な学友の共通の課題をスローガン化し、第三に、そのスローガンの下で一致しうるすべての勢力と協力し、第四に、断固たる理論闘争によって次の課題を切り開く着実で、誠実な努力を積み重ねねばならない。これが我々自身の闘いの中で学んだ教訓である。 そして、この現実の実践こそが、十二月五日の理事会団交での勝利への確認書を実現し、今後の闘いの力強い展望を我々に与えたのである。
運動の最初の段階から、他党派との自己区別、特に、新「左」翼的ノンセクトの排除のみを目的に一般的スローガン「民主的国庫補助要求」を掲げる様指導した大阪「府委員会」の方針は、統一行動の原則を全く理解しえないセクト主義・ へゲモニー主義といわねばならない。

③我々は一般的な、セクト的なスローガンではなく「私学教職員人件費国庫全續負担」のスローガンを掲げた対政府行動を闘い抜く政策の下に、広範な学友を結集している。 この方針は、今日の私学の現状の科学的分析すらなしえていない全国委員会一大阪府委員会から提起されたものではなく、民学同中央委員会と桃大支部の民主的な討議の中から見い出しえたものであった。
お題目の如きスローガンでは、私学の国庫補助の大幅な拡大も又、全国化への現実の橋をかけることも全く不可能な、永遠にかちとれないものとなるのも当然のことといえる。
④我が支部は、天理大の同志が中央委員会に結集した際に、その根本的な原因について全国委員会ー大阪府委員会に提起してきた。しかし、上級機関の回答は、結集に積極的役割を果たした一人の同志の個人的貴任に解消し、更には「府委員会の目がいきとどかなかった」という様な全く技術的・ 外的要因にもとめるばかりであった。
こうした官僚的・独善的姿勢は全国委員会の全体を支配する傾向の端的な表現であり、組織内民主主義の否定の現われである。
我々は、天理問題を始め、筑波闘争での楽観主義的・独善的総括等について、常に問題提起してきたが、全体の問題として討議されることなく今日に至っている。

以上四点に特徴的に現れていることは、今日十周年を迎えた民学同の光輝ある趣意・規約の立場特に民主青年同盟との闘いの中でかちとつてき教訓を否定し、二の舞を蹈む、許すべからさる誤謬といえる。
我桃大支部は、民学同の輝しい十年の歴史と教訓に変ることなき忠誠を誓い、その真の発展、大衆運動の飛躍的高揚を望むが故に現在までの「全国委員会一大阪府委員会」との関係をを清算し、脱退することを決議した。
同時に、この間、同志的な討議で、共通の認識を深め闘つてきた民学同中央委員会の下に結集し、平和共存・反独占民主主義・学生運動統一の真の旗手として闘い抜くことを決議した。
「全国委員会」の指導の下にあるすべての良心的な同志諸君に我々は訴える。
もはや、我が支部の脱退と中央委員会への結集はいかなる個人的・技術的問題にもワイ少化することはできない。我々が歩んだ道について、今こそ真剣で建設的な討議を巻き起こされたい。 1973年12月12日 民学同桃山学院大学支部総会決議

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デモクラート 第46号

デモクラート 第46号 1973年11月21

新大管法通常国会上程阻止 奥野文相制定に積極姿勢
直ちに学園ストの反撃を

1面  ←PDFは、こちらから 新大管法制定 12月統一行動実現へ
インフと対決し、学生生活を守れ
11月援護法中央行動 行動の先頭に被爆者
モスクワ平和勢力世界大会報告集会

2面 【主張】新大管法粉砕の緊急行動を 学生生活擁護は緊急の課題
盛り上がる年末一時金闘争
国独資の危機とインフレ(上)
3面 再編攻撃管理強化 全国で鋭く対立
法政大:学館闘争、圧殺に屈せず
東洋大:白山祭 貫徹す
明治大:4号館開館
狭山闘争日比谷1万人集会へ総結集
故井関氏追悼決意新たに 大阪市大
4面 モスクワ大会 ルポルタージュ
大会アピール
共産党代々木派の民族主義孤立
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デモクラート 第45号

デモクラート 第45号 1973年11月10

モスクワ平和勢力大会成功・平和勢力の画期的偉業
我が同盟(東京・大阪)平和委代表3名 日本代表団に参加

1面  ←PDFは、こちらから 新大管法制定を表明 奥野文相
10.21全国で米軍基地強化に反撃
都平連300決起・大阪市大スト
タノム政権打倒す タイ学生総決起
2面 【主張】新大管法通常国会上程阻止、全国学生・自治会の総決起を
破産を宣告される田中外交
第4次中東戦争と石油戦略
朴打倒増々激化 留学同が決起集会
資料:人民への訴え アジェンデ大統領
3面 関大:学費値上げ阻止す、経済自治会新執行部を確立
大饗追放 筑波へ逃亡 大阪市大
右翼テロ支配に抗して:国士館大民主化共闘の闘い
すべる道 日本共産党12回大会
4面 狭山学連の旗の下完全勝利へ
第14回大学祭成功 阪大
3000名学友の決起で総長団交貫徹 (法政大支部)
投稿:同和行政窓口一本化と西宮問題について
資料:チリ人民への訴え
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デモクラート 第43号

デモクラート 第43号 1973年10月2

長沼判決のx成果をふまえ、反4次防・反基地闘争の強化を
反動諸法案強行可決糾弾

1面  ←PDFは、こちらから 反動諸法案強行可決糾弾
筑波全国化・学生生活擁護
民学同10周年記念集会成功
市大工学部自治会建設なる
2面 【主張】筑波法案強行可決糾弾・全国化との闘いを
教官パージ反対闘争 東京理科大
自治会民主化に前進 埼玉大支部
内ゲバを直ちに止めよ
3面 アジェンデは死なず、人民連合は死なず(民学同中央委)
北方領土決議・危険な報復主義
急増する資本輸出
原水禁総括会議
4面 民学同創建10周年おめでとう
(記念集会 来賓挨拶)
同盟初代委員長・日本のこえ・「知識と労働」社・労働者党全国協議会・部落解放同盟府連・小野義彦・森滝市郎
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デモクラート 第42号

デモクラート 第42号 1973年9月12

【民主主義学生同盟創建10周年特集】
民学同創建10年万歳
平和・平和共存・反独占民主主義の大道を進もう

1面  ←PDFは、こちらから 民主主義学生同盟の10年
筑波闘争:スト処分撤回闘争と連帯し、参院廃棄に追い込もう
2面 【主張】平和共存の新たな段階、今こそ国際連帯の旗の下で
第12回大会第5回中央委員会報告
3面 札幌地裁:自衛隊違憲判決断乎支持
狭山闘争:現局面と我々の任務
被爆28周年原水禁大会を終えて
4面 同盟10周年記念第13回大会記念テーゼの意義
5中委踏まえ、都大会、府大会開催
金大中事件の背景と本質
大阪学大同実組3周年
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反民学同キャンペーンと我が同盟の任務 (1973年7月)

「新時代」誌 3号(1973年7月)

特 集
日本共産党(代々木派)、民青指導部の反民学同キャンペーンと我が同盟の任務

学生新聞

学生新聞 1973年6月6日

1、 「全学連」 を”踏み絵”とする日共(代々木派)、民青の新たな分裂、固定化策動の粉砕のために
Ⅱ、 日本共産党=代々木派の「民主連合」政府構想批判 (略)
Ⅲ、 日本共産党(代々木派)、反部落解放同盟、差別キャンペーン批判(略)

特集Ⅰ 「全学連」 を”踏み絵”とする日共(代々木派)、民青の新たな分裂、固定化策動の粉砕のために

「学生新聞」PDFはこちらへ

< はじめに>
 我が同盟が七三年三月に、第一二回全国大会を開催し、日本学生運動の大衆的発展とその原則的統一のために一層精力的に活動を展開している時、また我が同盟の活動方針と政策が数多くの民主諸団体によって支持・歓迎されている時、日本共産党(代々木派)と民青指導部は、ヒステリックな我が同盟に対する誹誇と中傷を加え、学生の中に民学同不信を穣成しようとしている。とくに、六月に入ってからは日共(代々木派)中央委員会機関紙「学生新聞」 (六月六日付) を中心として、各大学で一斉に反民学同キャンペーンが展開されてきた。彼らは、 「全学連」 の歴史的事実を次々と書きかえ、歪曲しているだけでなく、今では、ますますセクト主義と議会主義にのめり込みながら「全学連」 の承認を踏み絵に、日共(代々木派)の議会での 「躍進」をかくれみのに新たな”分裂固定化の策動” を強めている。
 彼らのこのような策動は成功するであろうか?成功させてはならないのは当然ではあるが、かれらの方針があまりにも露骨なセクト主義と大衆団体のひきまわし、大衆運動のネグレクトと分裂主義、議会主義に基礎をおくかぎり、そして現在の日共(代々木派)のいう社共「統一戦線」 の一時的成功と議会での躍進の幻想が効力を有する条件の下でのみ、 「全学連」を踏み絵とした”分裂固定化”策動が一定の 「成功」を保証されるのであり、その意味ではかれらの悪質な分裂策動は成功の見通しを持たないばかりか、タテマエと本音の自己矛盾と彼ら自身の内部矛盾によって自壊する”危険”さえ内包していると言えよう。
 しかし、 一連のウソとデマ、悪質なレッテリ貼り((日共(代々木派)、民青指導部の分裂活動の常套手段))も、放置され、それに大衆的反撃を怠るならば、学生運動に重大な不利益をもたらしかねない。
 全世界的規模で、民主主義、社会主義をめざす反帝、反独占民主主義の諸闘争が高揚し、とくに、フランスやイタリア、チリなどにおいては、広汎な統一戦線が結成され、あるいは前進しているとき、また、日本においても日本帝国主義ー日本独占資本主義の反動諸攻勢が強まり、広汎かつ激しい階級闘争が激発せんとしているとき、原則的かつ大衆的な反独占の統一戦線の結成は全民主勢力の共通の課題となっている。学生運動は、反独占統一戦線の自覚的一翼としてその政治的任務を果さなけれぱならない。独占資本家と自民党、田中反動内閣の諸攻撃を粉砕し、全国百八〇万学友の政治的、経済的、社会的利益を守るために、日共(代々木派)、民青指導部の”分裂固定化”策動を断乎として粉砕しなければならない理由はまさにここにある。

1、最近の日共(代々木派)、民青の民学同攻撃への反批判
 日本共産党(代々木派)、民青による同盟攻撃の新聞、ビラが関西を中心に大量配布されている。全国的には、”赤旗”や”学生新聞” を通じて、大阪では民青 「府学連」 機関紙「団結と躍進」、「全学連支持会議」、民青諸君が「指導」する自治会執行委、そして各大学の日本共産党(代々木派)学生支部機関紙”〇〇大新報”など、また愛知「県学連」執行委員会などが反民学同のキヤンペーンをヒステリックに展開している。党機関紙、民青の各種機関紙から、彼らの 「指導」する大衆団体を根こそぎ動員しての攻撃である。
 前記「学生新聞」は、我が同盟第一二回大会テーゼを引用し、或いは、大阪における我が同盟の闘いを誹誇・中傷することに血まなこになっている。学生新聞は 「民学同の反学生的本質と役割」と題して我が同盟を次のように論難している。『「民学同」 とは第一に、その結成以来、 一貫して日本共産党と日本民主青年同盟に敵対し、 その破壊をたくらんできた反党反共集団である・・・。第二に 「民学同」はまた対外盲従の集団である。・・・・・第三に「民学同」とは、口を開けば ”民主主義”を語りながら、それを平然とふみにじって恥じない無責任な反民主主義の集団である。・・・第四に、 「民学同」は、その結成以来、 一貫して学生運動統一の敵対者となって策動してきた反学生集団である』。 このように、日本共産党(代々木派)機関紙は、我が同盟を民主勢力の統一した闘争から排除することを直接の目的として、我が同盟を醜い反共集団として描き出している。
 だが我々の立場はすでに明らかである。 一九六三年九月一五日の民学同の創立は、毛沢東主義に感染した当時の民青指導部の小ブル民族主義、セクト主義、官僚主義的諸偏向がすでに国際的に達成された優れた理論的諸原則にことごとく対立し、平和共存、反独占民主主義の旗印を「フルシチョフ」的修正主義として、我々の諸先輩を組織的に排除したことの不可避的結果であった。それは日本共産党宮本指導部の誤りの直接の結果であったことは疑う余地がない。我々は、自ら分裂し、青年学生運動や民主運動の中に基本的に依拠すべき階級や階層を同じくする複数の政治指導部が存在し、対立することを是としない。だが、労働者階級の利害に基礎をおかない誤った理論や思想に対しては非妥協的に闘争する。従って現在および過去の共産党(代々木派)、民青指導部の誤りを批判するのは当然の原則であり任務であると考えている。批判することをもって 「反党反共」 とするならば、そこには反共主義の政治的概念の著しい歪曲があるだけでなく、それなしには意見の相異や対立を克服し、更に高い次元で統一することができない思想闘争における民主主義は存在しない。ひからびた教
条(ドグマ)—-しかも誤った—-の押し付けしか存在しないのである。我々は、創立以来、 一度たりとも「日共、民青打倒」を掲げたことはない。
 我々は、第一二回大会の成功を、日本共産党(代々木派) や民青の指導部の正しい路線への復帰を願い、また、常に労働者階級をはじめ全ての反独占勢力の中でその利益を守り、平和共存、反独占民主主義、社会主義のために全ゆる戦線で闘う民主的、進歩的諸団体、個人から祝福をうけた。「日本のこえ」「知識と労働社 」「労働者党全国協議会」「大阪唯物論研究会] 「大阪労働講座」 「部落解放同盟大阪府連、大賀氏」その他の団体、個人は、我が同盟の掲げる立場を支持協力する人々である。
 彼らは、我が同盟が 「志賀一派の言い分をロ移し」していると非難している。だが日本帝国主義の対ソ領土要求や日ソ平和条約締結のひきのばしの危険な民族主義的、報復主義的本質を見ず、第二次世界大戦後の国境変更を公然と支持(否、自民党をうわまわる要求をもち出している)する共産党(代々木派) の民族主義こそ国際主義を捨て、階級的節操を欠落させた重大な大衆追随的誤謬である。我々は、 一二回大会以前から「北方領土」問題に対して志賀氏と同様現存国境の承認に基づく日ソ平和条約の締結の立場をとってきたし、それは正しい政策であると確信している。社会主義諸国の平和共存政策を支持することを ”対外盲従” とし、 その正しい内容は問題にすらせず、独自の立場をとること(実は、日本帝国主義と共通の立場に立っている)をのみ正当化する彼らこそ、日本国内の遅れた階層の意識ー支配階級の要求でもあるーに迎合しているのである。右翼的保守的意識への ”盲従” こそ、選挙目当の階級協調主義、大衆迎合主義なのだ。
 彼らは又、我が同盟を「反民主主義の集団」 として描くためにありもしないデマと中傷をあびせている。大学闘争をかれらがいかに 「闘ったか」 はここではふれない。だが、われわれが彼らのデッチ上げた「阪大教養臨執委員長に重傷を負わせる事件をひきおこした。」『大阪教育大などで反共暴力集団「解同」朝田一派と手をくみ、かれらの暴力を背景に朝田一派の立場で・・・大学の自治と民主主義をおびやかす策動をおこなっている』などの許し難いデマに対してはこれを厳しく糾弾するとともに事実で反論しておこう。最初の問題については、我々は諸君らの常套手段、権力への告訴、売り渡し手段によって、起訴されたことは一度もないという事実だけで十分である。 一九六九年一二月六日のデッチ上げ「臨執」 と教授会の 「交渉」 は、機動隊を連日のように導入し、大学法を恫喝のテコとして民主的改革闘争を圧殺しようとした阪大釜洞執行部の弾圧の嵐に反する数千の学友のストへの決起をよそにした交渉であり、民青諸君は、 「授業再開」と「暴力学生へのキ然たる処置」 を教授会にコソコソと、 しかもにこやかに要求していたのが事の本質である。
 大阪教育大学で過去三年間にわたって闘われた部落解放教育の確立や教育実習制度民主化の闘争は、いま「同和教育推進校実習生組合」 (同実組)運動として発展している。同実組は毎年五〇名にも及ぶ実習生を推進校に組織し、現場の教育労働者、部落解放同盟と連帯した民主教育運動の一翼を担うとともに、大学教育と制度の民主的改革のために一貫して闘っている。民青諸君にとっては、大学の講議や教育制度に、部落解放教育を盛り込むことが 「大学の自治と民主主義をおびやかす」様である。連日のごとく部落差別キャンペーンにあけくれ、大学での差別発言に眼をつむり、大学教育の民主化を要求する闘いは ”自治破壊”、と決めつける日共(代々木派)民青諸君! もっと素直に自らの見解を述べるべきだ。教育大における同実組運動の発展は、諸君らにまさに批判的な教育労働者を大量に生みだし、せっかく牛耳った大教組執行部の機関私物化を危険にする! と。日本共産党(代々木派)民青諸君こそ、 「党派」エゴをむき出しにしたセクト主義=反民主主義者ではないだろうか。諸君こそ学生運動と教育労働者との連帯、部落解放運動との原則的な連帯の道を選択すべきであろう。それが民主主義を守り、発展させる唯一の道である。
 「学生運動統一の破壊者」 とのレッテルはそのままお返しする(後述)として、以上見てきたように、彼らの我が同盟への論難は、全く根拠を持たないばかりか、逆に彼らの誤りを明らかにしている。相も変らぬレッテル貼りと事実の歪曲、 その大量的宣伝、これが彼らの反民学同キャンペーンの特徴である。
 以上、簡単に反批判をおこなったが、このような類の反民学同キャンペーンに対して我が同盟は、筑波法案–反動諸法案粉砕、田中反動内閣打倒の学園内外の大衆的決起の実例の力でわれわれの日本共産党(代々木派)、民青への明確な回答とするであろう。また、我が同盟は、平和共存、反独占民主主義、反独占統一戦線の一翼としての学生戦線の統一、という原則的路線をあらゆる大衆運動の中で、隊列を拡大・強化し、日本共産党 (代々木派)民青諸君の国際主義を放棄した「自主独立」論、全く陳腐な 「ドグマ」 になり破産した対米従属論による反米小ブル民族主義、労働運動を中核とする下からの大衆的な反独占闘争を不当に軽視し、小ブルジョァ層に娼をうる議会主義、議会での一時的伸長をカクレミノにセクト主義的な「社共統一戦線」を合理化する統一戦線戦術の歪曲、と断固として闘い、その転換を迫っていくであろう。
 
2、民青「全学連」 の現状とその評価ー彼らは全国学友の代表者、学生運動統一の母体になりうるのか?!
 民青諸君は、量的多数をもて遊ぶのがお得意である(実は、そのこと以外に、我が同盟をはじめ、幾多の民主的学友に 「優位性」を示すことができないからである!!)。
 かれらは、 『「思想信条のちがいをこえ、要求で一致し、行動で団結する」最も道理ある組織方針をかかげてたたかい、全国一二九大学二五六自治会が加盟し、約三百自治会を支持・結集し、文字通り全国百八〇万学友の ”統一と団結の要”=全日本学生自治会総連合(全学連)の姿を誰もおおいかくすことはできない。』(民青系大阪「府学連」機関紙「団結と躍進」と述べ、 「全国学生六割を結集」 していることを強調する。
 われわれは、最的多数のもつ意義と重要性を何ら否定するものではない。また、民青「全学連」 に結集する多くの地方の学生自治会と学友が日夜、学生運動の利益のために奪闘しているであろうことを信じて疑わない。
 だが 「全学連」承認を踏み絵に共闘問題が語られる以上、 「全学連」 の性格が問題にされる必要がある。そのためには、第一に日本学生運動の伝統的拠点、首都や関西(京都府、大阪府、兵庫県など)、九州、 など全国百八〇万学友の過半数を擁し、不断に学生の大衆的な運動が存在する地域における大学での現状はどうか、このことがまず検討される必要があろう。第ニに、民青諸君が 「指導」する学生自治会の下での学生運動の現状—-民青「全字連」 の全国的、統一的政治機能、学生のナショナル・センターとしての機能をここ数年間の現実に照らして検討してみる必要がある。第三に、今日の民青「全学連」 の基本性格を規定した一九六四年一二月の 「再建」過程の犯罪的役割が検討される必要があろう。
 なぜなら、この三つの基本問題は、学生運動全体の前進と統一にとって解決されなければならない課題となっており、少なくとも、その量的多数という意味においては最大の組織力を有する日本共産党(代々木派)、民青諸君の矛盾に満ちた、 アキレス健でもあるからである。更に重要なことは、巨万の学生を抱摂する都市部における学生運動の大衆的発展こそが学生運動統一の最も基本的な要素となっていることである。
 まず第一の問題であるが、そこの大学の学生自治会と政治指導 部の問題を除いて、民青「全学連」 に未加盟・未結集の主要な大学を列挙してみよう(いわゆる ”トロツスト” や”新左翼” の諸君の 「指導」 下で生じている重大の諸問題は後述する)。前もってことわっておくがあえてこのような、ある意味では愚行と論難されかねないことを行わざるをえなくしたのは、他ならぬ民青諸君が自己を正当化するにあたり、唯々数をのみ持ちだしているからである。首都の場合、学生の殆んどを擁するマンモス私立大学の中で、日本大学、明治大学、法政大学、早稲田大学、慶応大学、中央大学、立教大学、東洋大学、東京理科大学、芝浦工大、をはじめ、学生数1~10万人の私学の多くが結集していない。また、国公立では、東京工業大学、東京学芸大学、がそうである。
 関西の場合、彼らの拠点と言われる京都府では、私学では同志社大学、竜谷大学、大谷大学など。京都大学でも一部の学部を除いて、主導権を完全に失っている。大阪府の場合、私学の関西大学、桃山学院大学、大阪工業大学、大阪経済大学、国公立では、大阪大学、大阪市立大学、大阪教育大学という主要な国公立は未結集となっている。兵庫県の場合、関西学院大学、神戸大学(教育学部を除く)の教養部と殆んどの学部、神戸外語大学は結集せず。その他、数ある私学、公立大も未結集となっている。
 真偽の程度は、かなり疑わしいが”ー二九大学二五六自治会加盟、約三百自治会支持、学生の六割を結集” これが民青諸君の 「全学連」正当化のうたい文句であるが、いま簡単に見たように、日本学生戦線の中心部における主要大学の殆んどを結集しえていない、という現実、また、それらの大学が光輝ある日本全学連の主たる推進力であったという事を民青諸君は真剣に考えてみる必要があるのではないだろうか。そして、現在もなお分裂と混乱の状態を克服しえない学生運動の否定的状況を克服する主要な鍵が都市部における学生自治会運の民主的、大衆的再建とその統一にあ ることを銘記すべきであろう。諸君が唯々、数をのみ、しかもその大部分は地方の国立大学と〇〇短大や〇〇女子短大などの、現在の段階では政治的に訓練されておらず、学生運動の民主主義的伝統が定着せず、諸君らの全く大衆追随的な”幅広・囲い込み”路線で「組織された人々であることを忘れ去るならば、それは、諸君らの業病ともいうべきセクト主義、分裂主義を自己暴露するだけなのだ。
 現代の資本主義ー国家独占資本主義が生みだした深刻な政治的経済的社会諸矛盾の中で不断にかつ敏感に行動に決起している大都市の広汎な学生の大衆的決起に関心を寄せず大都市の主要大学で自らの主導権が確立しないことを”トロツキスト” や ”反党修正主義分子” の責任に転嫁することは、諸君の全き政治的無能をさらけだすのみである。
 ちなみに、全学連の結成(第一期)当時の参加校は、国立一六六、公立三一、 私立六九、合計二六六校であった。
 第二の問題に移ろう。日本共産党(代々木派)民青の諸君は、最近の学生の死活の利害に関わる闘争をいかに闘ったか。彼らが”全学連” としての正当性を強弁する限り、全学連のもつ最も本質的な組織的機能を問題にしなければならない。
 学生運動は、各大学に限定された自治会運動やサークルの運動にのみとどまらず、これらの学生自治会が全国的に連合して、共通の政治的、経済的、社会的諸課題を統一的に闘うことが要求されている。それは、支配階級の学生に対する攻撃が個別的、分散的にではなく、学費問題や大学教育の反動的再編攻撃のように、「国家独占資本主義のもとで、独占の攻撃が国家を通じて系統的体系的にかけられている現在、学生層のすべての民主的利益の擁護は全員加盟制の自治会の強力な全国的連合組織ー全日本学生自治会総連合(全学連) なしには全く不十分であり、闘いの成功は保障されない」 (民学同趣意)からである。
 六八ー六九年の全国学園闘争、七〇年ー七二年の沖縄、安保闘争、七二年の国公私大学費闘争、そして現在闘われている筑波大学法粉砕闘争、など一連の全国的闘争を民青「全学連」はいかに闘い、 闘っているのか。
 「思想信条のちがいをこえ、要求で一致し行動で団結する」 はずの 「全学連」 は、結成当初から”大衆団体” としての組織性格をかなぐり捨て、 ”反全学連諸派” ”トロツキスト、暴力学生””分裂主義者” というレッテルを前面に押し出し、政治同盟を公然と論難し、統一行動を破壊することを常としている。日本共産党(代々木派)、民青が主導権を確立していない大学では、自治会や学生大会の決定に拘束されない「全学連支持会議」なる分裂組織がデッチ上げられた。
 いわゆる「全国統一行動」は、この様な「全学連支持会議」と民青系自治会のみの統一行動(平民学連方式)でしかなく、その方針(諸要求羅列、幅広主義)とセクト主義の誤りは、何ら全百八〇万学友の切実な諸課題を効果的に闘いとることができないぱかりか、むしろ戦線を分裂させ、自治会運動を弱め、他方では、 ”トロツキスト” や無政府主義的運動を拡大再生産していくだけであった。
 全国大学闘争の悲劇的結果は、その無政府主義的欠陥故の敗北としてだけでなく、それを独占資本とその政府を主敵とする全国的な反独占民主主義闘争として闘わず、 ”トロツキスト” や「反党修正主義者」 「反全学連諸派」との 「党派」闘争に血道をあげた日本共産党(代々木派)、民青諸君の度し難いセクト主義と階級的節操を見失なった右翼日和見主義の結果として評価せねばならない。 (この項、詳しくは、本誌創刊号参照)。
 学費値上げ阻止の闘いにおいても全く同様であった。七一年~七二年の国立大授業料三倍化攻撃に対し、彼らは全くといってよい程に闘争を放棄した。唯一提起した一・二八統一行動に関しても、ストライキで闘う阪大、阪市大、神戸大、京大の学生自治会、学友との統一行動を拒否した。 「全学連」を認めないという理由で。
 「全学連」を標傍しながら、全国的統一行動のセンターとしての機能を果しえず、大衆団体としての性格をかなぐりすて、 「全学連」の名の下に、拙劣な、民青以外の政治同盟や民主団体に「分裂主義者」「修正主義者」 「暴力分子」 のレッテルを押し付ける「全学連」 に対し、 ”民青全学連” と呼称するのに何の不思議もないのは当然であろう。
 六〇年安保闘争の過程で、全学連を暴力的に破壊し、分裂させた社学同やマル学同 (後に中核派と革マル派に分裂) の諸君が、分派抗争と赤色自治会主義の誤りに終始している時、地方大学を中心に、個別学園での諸要求、諸課題を中心に一定の多数を形成’I した民青諸君が、その寄せ集めをもって 「全学連」を「再建」したとしても、それは一方における度し難いセクト主義、他方における諸要求羅列、幅広主義の限界と誤りを克服しないかぎり、また、この項の最初に提起した大都市主要大学における学生運動を結集しない限りにおいて、 「全学連」たりえないことは明白である 。
 第三の問題。これは、民青「全学連」 のもつ今日的性格を歴史的に限定する重大な政治的誤謬であった。
 自派以外はすべて分裂主義者、修正主義者と決めつける日本共産党(代々木派)民青諸君は、 ”安保反対・平和と民主主義を守る全国学生連絡会議” (民青系自治会代表と民青活動家のセクト的連絡組織)をいわゆる平民学連(安保反対・平和と民主主義を守る全国学生自治会連合) に改組(六三年七月)し、全学連の「再建」 へ本格的に乗り出した。当時の状況と彼らの対応を広谷俊二著「現代日本の学生運動」 (青木新書)は次のように述べている。
 『多くの学生はトロツキスト、修正主義者のひとりよがりな「政治主義」や非民主的なやり方に強い不満をもっていたので、平民学連の民主的な学生運動の方針と全学連再建のよびかけに、それが大胆に提起されたところではどこでも大きな支持と共鳴を与えた。・・・ 当時はなお、トロツキスト、修正主義者がかなりの自治会を握っており、東京、京都大阪など学生数の多いところで彼らの勢力は強かった。しかし彼らは幾派にも分裂していたし、広汎な学生から遊離していた。平民学連は結集した自治会の数が多いというだけでなく、 一つーつの自治会が広汎な学生の参加する、みんなの自治会になったという点でまさに民主的であった。」
(214頁~216頁)。 「トロツキスト」諸派の全く主観主義的な「革命戦略」や政治的空文旬の押し付けと自治会の暴力的私物化の中で、大衆運動が大きく後退し、学友の政治的無関心や自治会不信が増大していくという状態に日本共産党(代々木派)、民青指導部は、「あらゆる要求を出し合う」 「あらゆる身近な要求、文化、スポーツ、レクリエーションなどの要求」 「すべての学生の参加する学生運動」などに象徴されるように 「諸要求羅列主義」 「大衆追随主義」を対置して一時期、相対的な多数を目治会選挙において形成していった。だが、都市部にあっては彼らのこの様な方針は一部の大学を際いて殆んど成功しながった。
又、九州、中国地方でもそれは同様であった。大管法闘争後、再び高まった関西の大阪、京都両府学連、兵庫県学連に結集する学生連動の高揚(原潜寄港反対闘争)は、指導性なき大衆追随主義と諸要求主義、セクト主義、分裂主義による平民学連運動の崩壊の気運を生み出し、焦りを感じた日本共産党(代々木派)、民青は、なりふり構わぬ「全学連」 の 「再建」を強行したのである。
 分裂した学生運運動を統一し、更に、全国単一全学連(組織的統一)へと発展させるためには、まず、分裂した大衆行動を統一(行動の統一) していくことは不可欠の前提である。課題と基本戦術の一致、批判の自由の原則の下で全国的な統一行動を組織することを拒否した、あるいは、その努力さえも放棄した「全学連」再建とは何か。
 それは明らかに、民青「全学連」と呼ぶにふさわしい歴史的性格を刻印しているのだ。 「たとえ再建に応じない自治会があろうとも、賛成する自治会でまず全学連を再建して」 (広谷俊二、同上) とする独善的、排他的な路線は、それまでのボイコット=分裂戦術の延長上に 「分裂主義者が支配している地方自治会では、地方協議会、全学連支持会議を」という悪質な分裂主義路線を打ち出したことによって、六四年一二月の 「全学連」 の 「再建」強行が一層分裂を助長し、学生内部の反目を促進し、分裂を固定化する役割しか果さなかったことを証明したのである。
 このセクト主義、分裂主義に加えて、全国的大衆的統一行動を闘うという全学連の不可欠の基本性格は、その諸要求羅列主義、無原則幅広主義によって失なわれ、そのような全学連を全国百八〇万学友の団結の要としての全国単一全学連として強硬に主張しようとすればする程、 「反全学連諸派」などというおよそ大衆組織にふさわしくない言動によって、そのセクト主義的本質を自己暴露していかざるを得ないのである。
 少なくとも、そのセクト主義と分裂・ボイコット路線が変更されないかぎり、民青「全学連」は戦線統一の母体となりえないと言えよう。

3、日本共産党(代々木派)、民青の反民学同キャンペーンの背景とわが同盟および全ての民主的学友の任務

 小選挙区制、筑波ー反動諸法案粉砕、田中内閣打倒の一致したスローガンの下、院内では社、共、公、民社の四野党共闘が成立し、院外でも初の公明党を加えた三野党+総評の共闘が成功し、全民主勢力の統一した闘いが発展しているとき、我が同盟をはじめ他の団体を統一行動から実力で排除、更には、官憲をも使って排除するという日共 (代々木派)、「民青の悪質な分裂策動が行なわれた。また、これと機をーにして、 一連の反民学同宣伝が大量に展開された。
 われわれは、このような”排除行為” と”反民学同”宣伝と闘うだけでなく、更に進んでその背景を分析し、我々の政治的、理論的組織的活動上の任務を明らかにしなければならない。
 では我が同盟に対する執擁な攻撃の契機は何か。
 それは、先述した”学生新聞” の内容と最近の 「前衛」誌上に発表された 「新日和見主義の学生運動論批判」、昨12月。パリで開催された国際理論会議での重要な出来事(最近、「日本のこえ」紙上に掲載「平和と社会主義の諸問題」誌日本版、夏孝号にも掲載されている)等々がその鍵を与えてくれている。
 結論的に列挙するならば、次の様なことが言えるであろう。その第一は、学生運動の分野における我が同盟を中心とする首都、関西における筑波法案粉砕闘争、大学と教育の民主的改革の闘い、全員加盟制自治会再建・強化の闘いの前進である。
 第二に、この様な闘いの出発点ともなった民主主義学生同盟第一二回大会の成功と、この大会に寄せられた多くの民主的・進歩的団体(「日本のこえ」「労働者党全国協議会」 「知識と労働社」「大阪唯物論研究会」 「部落解放同盟」「大阪労働講座」その他、多くの青年労働者学生の団体)の支持と協力関係の前進。それに3 応える民学同の組織活動の強化。
 第三に、昨年一二月、パリで開かれた国際理論会議—- 「現在の国家独占資本主義の新段階と資本主義諸国における階級闘争」—-で、日本共産党(代々木派)代表に対して諸国の共産党.労働者党代表から鋭い批判が続出したこと(とくに、現綱領の日本資本主義の対米従属規定と「二つの敵」論による日本帝国主義を主敵としない反米闘争の一面的強調への批判)、諸党の代々木批判は、かねてから我々が行なってきた批判内容と全面的に合致している。
 第四に、日本民主青年同盟をはじめ幾つかの重要な分野において一昨年から昨年にかけて発生した「新しい日和見主義」を「理論的にも組織的にも粉砕した」はずの日共(代々木派)がその中央委理論政治誌「前衛」誌上にふたたび長文の 「新日和見主義の学生運動論批判」を掲載していること。 その中で、批判の重点は①議会主義、改良主義的偏向を深めている共産党(代々木派)が、「新日和見主義の『大衆闘争「社会変革の原動力』論」に対して、「結局は自民党政府の文教政策と対決しなければならない運動を、大学当局の糾弾や学園内での活動だけに限り 」と極論することによって、議会、選挙闘争第一主義を巧みに弁護すること②「一つの敵」論への傾斜が 「わが党綱領のしめす革命の展望についての科学的確信さえ動揺させるにいたった」 としていること (以上は 「階級闘争論上の誤り」として展開されている)。③その他、学生運動論上の誤りに言及していくのだが、 一貫した基調は、学生運動の独自性や、大学の民主的改革の闘争を重視すること、などに対して、 「社会全体の民主主義的変革、つまり民主主義革命の以前に大学だけが孤立的に根本的に変革されたりするものではない」 という類の事柄の一面を対置して、学生がその要求を達成するための闘いを組織することを「調和と連関を保ちつつ、計画的に」 の名の下に党の討画=議会闘争とそのための選挙、に従属させること、になっている。 これらの事実は、いまだ根強い指導部批判= 「新日和見主義」が組織内部に存在していることを示している。
 第五、総じて、国際的にもその綱領の破産が宣告され、組織内部でも「新日和見主義」が発生し、 「処分」したにもかかわらずそのような傾向が根強く存在していること、そして学生運動をはじめとして我が同盟やその他の民主的、進歩的諸組織が国際主義と原則的な反独占民主主義、社会主義をめざすマルクスレーニン主義の立場を堅持していることが、今回の反民学同宣伝の基礎にあると言えよう。
 そして、このような事態は、国家独占資本主義の危機と独占資本の 「危機解決」策が勤労人民内部に絶え難いまでの憤満と怒りとなって、深刻な反独占闘争に、労働者階級、反独占勢力を闘いに、決起させており、又、させずにはおかない七〇年代の客観的情勢の反映なのである。
 日本独占資本との対決を回避する対米従属規定ー(反米)民族民主統一戦線と議会改良主義に対する、組織された労働者階級、闘うェネルギーに充満した青年労働者、学生の現社会の根本的変革を要求する熱意が日共(代々木派)、民青現 「指導部」 批判となって現象するのは全く必然的である。
 「新しい日和見主義」は、科学的で体系的な現「指導部」批判を持ちえない折衷主義と自然成長主義、 一面での 「新左翼」的傾向のために組織的「処分」 で鎮圧されたが、 「前衛」 を名のる”前衛らしからぬ”戦略・戦術への鋭い批判の先ぶれであった。従って、日共(代々木派)、民青の誤りが多少とも原則的に ”修正” されない限り今後予想される批判は更に激しさを増し、規模を拡大することは疑いない。
 しばしば誤った形であれ、闘争の立ち遅れや指導上の誤りを鋭く感じとり、それを行動化する傾向をもつ青年労働者、学生活動家の批判を行政的官僚的に処分し、権威主義的に押し潰す日共(代々木派)民青現指導部は、党や民青の外部で原則的活動を展開する我々をはじめ諸勢力とこれら内部”批判勢力” との結び付きを阻止するためにこれまた官僚主義的に警察力まで動員して、排除を強行しようとしたのである。学生運動の分野で 「全学連」を踏み絵として、又、 「反党修正主義者」 =敵のスパィ・挑発者とめ姿意的レッテルで民主勢力の統一行動から”実力排除”する論理は、タテマエ=「思想信条」 の相異を超えて要求で団結し」と ”本音” の間の矛盾を鋭どく暴露しているとともに、以上のような理論的、政治的、組織的背景を持っているのである。
 従って、我々の任務は、客観的情勢および民主勢力の要請に最大限応え、要求される統一戦線の原則的強化のために日本共産党(代々木派)、民青現「指導部」の誤りを全面的に批判し、最大限の努力でもって大衆運動を創り上げ、労働者階級を中心とした”下からの統一” と ”上からの統ー” の同時的進行を推進することでなければならない。
 学生運動においては、大学内外の大衆運動の強化とともに、下からの統一を支える全員加盟制自治会の大衆的強化と民主的再建、とりわけ、都市部における主要大学での自治会再建と自治会間の連携強化は急務であり、再び六八ー六九年大学闘争の悲劇をくり返さないためにもそれは最重要の課題である。
 これらの闘争を目的意識的、組織的に推進するための組織的中核部隊=民学同の大衆的全国的建設が要求されている。
 また、この様な闘いは、学生部隊だけでは決定的に不十分であり、政党、労働組合、全ての民主団体、進歩的知識人などとの協力・提携が要求されている。とりわけ、青年労働者階級と学生の協力提携は、このような任務の遂行の重要な原動力となるであろう。

 以下、資科I、Ⅱとして掲載する文書は日本共産党(代々木派)、民青の諸君による学生運動の歴史的事実の歪曲を暴露、反駁するとともに、彼らが今尚、全国百八〇万学友の統一と団結の要nナンョナルセンターとなれなし歴史的誤謬を明らかにしている。
資料Iは、大阪市立大学統一会議、資料Ⅱは、民学同阪大支部委員会(文責○○)によるものである。民青諸君が「全学連」を踏み絵として、新たな分裂固定化の誤りを犯そうとしているとき、歴史の真実と教訓を明らかにすることは意義深い。全ての民主的学友が、民青諸君を歴史的犯罪から救出し、学生運動統一へ大きく前進するために、一層原則的立場を明確にして奪闘されることを期待する。

      民主主義学生同盟中央委員会新時代編集局

 

 

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 反民学同キャンペーンと我が同盟の任務 (1973年7月) はコメントを受け付けていません

民学同文書 No.13 学生戦線分裂の不幸な歴史と民青「全学連」

民学同文書 No.13

学生戦線分裂の不幸な歴史と民青「全学連」
           —-一九六〇~六四まで—–
                     大阪市立大学統一会議(発行年不詳)

以下、資料Ⅰ、Ⅱとして掲載する文書は日本共産党(代々木派)、民青の諸君による学生運動の歴史的事実の歪曲を暴露、反駁するとともに、彼らが今尚、全国百八〇万学友の統一と団結の要=ナショナル・センターとなれない歴史的誤謬を明らかにしている。
資料Ⅰは、大阪市立大学統一会議、資料Ⅱは、民学同阪大支部委員会(文責・三田**)によるものである。民青諸君が「全学連」を踏み絵として、新たな分裂固定化の誤りを犯そうとしているとき、歴史の教える真実と教訓を明らかにすることは意義深い。全ての民主的学友が、良青諸君を歴史的犯罪から救出し、学生運動統一へ大きく前進するために、一層原則的立場を明確にして奪闘されることを期待する。
                    民主主義学生同盟中央委員会新時代編集局
                     (新時代 第3号 1973年7月3日発行)

(資料1)
学生戦線分裂の不幸な歴史と民青「全学連」
—–一九六〇~六四まで—-

Ⅰ、は じ め に
Ⅱ、分裂の開始と全学連の崩壊
一九六〇/四~六二/八
全学連主流派による組織民主主義の破壊/全自連の結成/全学
連の崩壊/全学連反主流による統一の試みの流産

Ⅲ、大管法闘争と大管法全自代
一九六二/三~六ニ/一二
大管法闘争の開始/大管法全自代と社学同派によるその破壊/
マル学岡「全学連」の分裂と平民学連/大管法闘争の終結

Ⅳ、平民学連の分裂活動と関西学生運動
一九六三~一九六四/八
関西学生連動の昂揚/関西学連再建の社学同派による破壊/平
民学連の伸長と分裂活動/新たな胎動

Ⅴ、民青系「全学連」 の結成
一九六四/七~一二
平民学連による「全学連再建」方針/行動の統一のための聞い
/一〇月全自代と「全学連」再建大会/第二大阪府学連

Ⅵ、ベトナム=日韓闘争と民青系「全学連」大阪大会
一九六四/四~一二
ベトナム闘争/組織統一のための闘いと大阪大会/民青派によ
る統一の決定的破壊/日韓闘争

Ⅰ、は じ め に

安保闘争以後の日本の学生運動の未曽有の分裂は、あまりにも悲劇的な結果をもたらした。単一の全国闘争の不在、全学連の崩壊、ほとんどの地方学連の解体、単位自治会の大衆的基礎の空洞化、大衆の運動からの離反と政治的無関心の進行、諸政治潮流間のセクト的抗争と暴力事件、少なからぬ学園での右翼の進出と大学当局による学生自治会活動の禁圧等々、これらがあの分裂のもたらした悲惨な現実であった。国際的政治危機と国内政治反動の激化〝大学の危機″の全般的な進行という情勢は、一昨年以来、日本学生運動を分裂から統一へ、低滞から高揚へと導く客観的条件を大きく成熟させている。しかし、この統一と昂揚への客観的条件と大衆の志向が存在し日増しに強くなっているにもかかわらず日本学生連動は今なお深刻な分裂のうちにあるという苦々しい現実を我々は冷静に見つめなければならない。一方においては、全学進支持会議(民青派)諸君の「分裂主義者粉砕<全学連>復帰」のセクト的方針が、他方においてはトロツキスト諸派(旧主流派など)の三派「全学連」統一行動というファナティックな叫びが、学友の統一への真剣な志向を愚弄するかのごとく横行している。学生運動は、今、まさに大きな曲り角にきている。激化する支配層の攻撃を前にして一層深刻な分裂の固定化への道をたどるか、それとも一切のセクト主義を打ち砕き真の学生戦線統一と歴史的転換を切り開いていくか—-その選択は一般学友の手にかかっているのだ。われわれ統一会議は、一切のセクト主義に反対し、学生戦線の真の統一という困難ではあるが歴史的な意義をもつ事業のために学友諸君と共に闘っていきたいと思う。そして、そのためにもわれわれは、安保以後の日本の学生運動の悲劇的な分裂の歴史をふりかえり、その貴重な教訓をもう一度、確認しなければならない。なぜなら、今日の分裂は、統一の初歩的原則と分裂の教訓とが忘れられ、踏みにじられていることに大きく帰因するからである。

Ⅱ、分裂の開始と全学連の崩壊
一九六〇/四~六二/八

全学連主流派による組織民主主義の破壊/全自連の結成/全学連の崩壊
/全学連反主流による統一の試みの流産

 全学連分裂への第一歩は、安保闘争が歴史的昂揚へと向いつつあったとき踏み出された。一九六〇年二月の全学連二二回中央委員会で、当時全学連多数派であった共産同派(現在崩壊、一部は社学同=「主流派会議」として残存)が、安保闘争に関する意見の相違を理由に、革共同派(現在崩壊)中執八名を、多数の中央委員の反対を押しきって罷免し、自派による中執の独占を強行した。続く三月の全学連臨時一五回大会において分裂は決定的なものとなった。このとき、中執派(共産同派)代議員一八一名(全学新の調査)で定足数二五九名に満たず、反主流派と革共同系を合わせて二三四名の代議員であった。かかる事態の下で、共産同派は反主流派の東京教育大学代議員を加盟費未納を理由に権利停止処分にしたのである。(これは全学連規約一五条第二項に違反するばかりでなく、同じく未納の東大、京大は入場していた。)
 この暴挙に抗議した前記二三四名の代議員が入場を拒否した際、唐牛委員長は、処分撤回を約束していたが、次の瞬間に、林道義大会運営委員長は二六一名で大会は成立したと発表して入口をピケ隊で固め、他派代議員の入場を暴力的に拒否したのである。組織内民主主義の暴力的破壊と、意見の異なる部分の組織的排除-これこそ全学連分裂の第一のそして決定的な原因であり、その歴史的責任は共産同(主流派)にある。この最も悪しき「分裂主義」は後に述べる如く、マル学同派、平民学連「全学連」 (民青派)によってくりかえされ、学生運動の分裂を拡大再生産していったのである。
 一五回大会流会後、安保闘争が最後の頂点へとのぼりつめていく中で、分裂は一層深刻な形をとっていった。全学連機関より排除された東京都の反主流派自治会は、四月二六日中核派が安保共闘統一行動とは別個な行動を組織したのに対して、東京都学生自治会連絡会議を結成して安保共闘に結集した。ここに行動の分裂が発生し、あの歴史的安保闘争のさなかも首都学生運動は、二つの隊列に分断されて闘わざるを得かなった。このようにして切れ開かれた分裂への道は、更に六〇年七月第一六回全学連大会での反主流派の排除—-反主流派自治会による全学連正常化を目的とする全国学生自治会連絡会議(全自連)の結成として進行した。<注1>
 安保闘争終結と共に、共産同派の街頭ラディカリズム極左冒険主義、統一戦線からの離反という政治路線の破綻は、共産同内の激烈な分派抗争として爆発した。(プロ通派、戦旗派、東大派など)、「あの時、国会を暴力的に占拠すれば革命が起ったかどうか」などという安保闘争総括をめぐって行なわれた内部抗争、運動の低滞という背景の中で全学連の機能を全くマヒさせてしまった。共産同の不毛の内部抗争と全学連指導の放棄、分裂の一層の拡大(六〇年一〇月の浅沼刺殺抗議の闘争で、東京で同じ日に三つの学生デモが行なわれた)の中で反主流派=全自連は、その政策の優位性のゆえに学生大衆の支持を獲得し、大衆闘争の実質的担い手と統一の母体へと成長していった。(六一年新潟闘争、国立大学学部次長制反対闘争、政暴法闘争など)一方、共産同内部抗争に介入した「反帝反スターリニズムの学生運動」をかかげる革共同全国委員会派=マル学同は、共産同内部の多数を獲得し、ついに「全学連中執」のヘゲモニーは、六一年四月二七日中央委員会において完全にマル学同派に移行した。
 このような背景の下に、六一年七月、マル学同派は「第一七回全学連大会」を招請し、反主流派自治会(代議員総数五一〇名中、二七六名代議員で過半数) に「①反帝反スタの学生運動の承認、②全自連の解散と分裂活動の自己批判、③加盟費の上納」を大会参加条件としてつきつけ、大会第一日目と第二日目の両日、大会会場前に集り話し合いを要求していた反主流派代議員を官憲とヘルメットと棍棒で武装したマル学同派「行動派」の厚い壁で入場を阻止したのである。更に反主流排除では一致していた社学同(共産同)派もまた、青腕章と赤腕章に分かれて乱闘、結局、マル学同派の翼賛大会になったのであった。このとき、唐牛「委員長」は反主流派代表に「政治的見解を同じくするものでなければ全学連の組織統一はありえない」と公然と語ったのである。
 このように官憲とマル学同行動隊のヘルメットによって「守られた」「全学連大会」は全学連が名実共に崩壊したことを示したのである。そしてこの全学連崩壊という現実に対して、真の学生戦線統一と全学連再建の重大な任務は反主流派=全自連の双肩にかかっていたのであった。
 全自連は「一七回大会」後、全学連再建協議会(再建協)を組織し、実質的に全自連を解散した。(われわれはこの「再建協」結成が時期尚早であったこと、充分な全国的討議と条件の成熟を無視したこと、それ故に不要な混乱をもたらし、その後の反主流派解体をはやめたと考えているが、この点はここでは詳しく述べない。)
 しかし、当時の日本共産党八回大会(六一年八月)をめぐる党内の分裂(共産党多数による少数派の排除)が反主流派内に波及し、さしもの強力を誇っていた反主流派も急速に分解していったのである。このように、共産同派の組織内民主主義の破壊とマル学同派による赤色自治会主義によって崩壊せしめられた全学連を再建し、学生戦線統一を実現する為の反主流派の試みは流産したのである。政党や政治組織の、綱領的な意見の相違を大衆団体と大衆運動にもち込み、それによって大衆運動を分裂させてはならない–反主流派による統一の試みの失放からみちびきださなければならない教訓である。
 これ以降、学生戦線は学生運動戦国時代とも呼ぶべき四分五裂の状態に陥いっていったのである。

<注1> 全自連結成に反主流派内で反対したのは、われわれ
の先輩たる大阪府学連の部隊だけであった。共産同派による
組織内民主主義の破壊に対して、真の統一を体現する部分は
行動の統一を保持して、下からの大衆的力でこれを克服する
努力を最後まで追及せねばならないこと、統一の可能性がい
まだくみつくされていないとき、自らの側から分裂を固定化
させるような行動をとってはならないし、まして全学連に対
立するような組織をつくってはならない。これがわれわれの
主張であったし、それゆえに、同じ政策的立場にたちながら
全自連には加盟しなかったのである。その後、全自連は統一
の団体に転化していったが、しかしこの結成における誤謬が
全自連崩壊の遠因となったことはまちがいない。そして、こ
の全自連の誤りは、その後民青派による平民学連によってう
けつがれ、醜悪なまでに拡大再生産されるのである。まこと
に〝歴史はくりかえす″一度は悲劇として、二度目は茶番劇
として。

Ⅲ、大管法闘争と大管法全自代
一九六二/三~六ニ/一二

大管法闘争の開始/大管法全自代と社学同派によるその破壊/
マル学同「全学連」の分裂と平民学連/大管法闘争の終結

 一九六二年五月池田内閣は、全学連崩壊と学生戦線分裂につけ込み、大学管理制度改悪法案を発表した。大学の全面国家統制と民主的教育の圧殺を意図するこの大管法に対して、学生は分裂の重圧をはねのけて起ち上った。闘いは安保以降も統一を保持し大衆運動を維持してきた関西三府県学連を中核として開始された。六・二一阪大Cストを中核とする、大阪府学連二七〇〇、京都府学連三〇〇〇、兵庫県学連一五〇〇が決起し、六・二九には市大、阪大、学大のストを中核に大阪府学連二六〇〇が再び起ち上った。
 この関西を中核とする先駆的闘争をうけ、秋以降の大管法粉砕の決定的闘いにそなえるため、六二年七月、大阪、京都、兵庫の三府県学連の提議で全国自治会代表者会議(大管法全自代)が開催された。この全自代は、マル学同による「全学連中執」占拠後はじめての全国的な実質をもった自治会代表者会議であった。(全学連代議員の三分の二近くにあたる自治会の代表が集まった。)
そして、学生の死活にかかわる大管法を粉砕するために、大阪府学連、兵庫県学連をはじめとするわれわれは、この全自代において、大管法粉砕という課題で一致した全国共闘会議を結成し、それによって学生戦線統一へ、決定的に踏み出すという方針を実現せんとしたのである。しかし、京都府学連を中心とする社学同派は、時を同じくして行なわれていたマル学同派の自称「全学連一九回大会」に乗り込み、暴力的にでも全学連を奪還する、という方針(?)を対置し、会議三日目運営委員校会議に於てこの方針が孤立するとわかるや否や、会場舞台裏にあらかじめ用意していたヘルメットと棍棒で武装した行動隊約六〇名を会場に導入し、この貴重な全自代を暴力的に破壊してしまったのである。<注2>

 この全自代の崩壊を最大の口実としつつ、民青派は自派のみのセクト的組織「平和と民主主義を守る全国学生連絡会議」を結成した。日本学生運動は、秋以降の歴史的な大管法闘争に、分裂したまま突入せざるをえなかった。全国的統一指導部なきまま諸政治潮流の調整で全国闘争をくまざるをえなかった日本学生運動は、しかし、学友の大管法粉砕の強固な意志に支えられて一〇・三一(関西) 十一・一(東京)一一・三〇という大衆的な闘いを展開し、ついに大管法を流産に、追い込んだのである。この過程で我々が注目しなければならない二つのことがある。第一は、七月に結成された平民学連(民青派)が大管法闘争における行動の統一を徹底的に拒否し、たとえば「分裂主義者の一一・三〇全国ストを粉砕しょう。」(平民学連通信)というおどろくべき統一行動の破壊を行なったことである。大衆運動の利益を一党派(民青)の利益に従属させ、意見のことなる部分と行動の統一を拒否し、運動を分裂させるという民青派の「統一方針」は今日にいたるまで執ように「堅持」されているのである。
 第二は、「反帝反スタの学生運動」を唱え、大管法をまったくネグレクトし、「米ソ核実験反対」のみをファナティックに叫んでいたマル学同「全学連」は、大管法闘争の昂揚と彼らの孤立化の中で大きく分解していったことである。一一・三〇の東京銀杏並木大集会(各派連合)に参加すべきか否かをめぐって、マル学同「全学連」はまっ二つに分裂し(革マル派と中核派)、中核派は大管法闘争に合流したのである。この事実は、いかにセクト主義的な一枚岩とみえる組織であろうとも、大衆闘争の論理はその内部に何らかの形でセクト主義をのりこえようとする部分を生みだすことを示している。そしてこのことは今日、民青派「全学連」が露骨な分裂主義とセクト主義によって、学生戦線統一の最大の妨害者となっていることに対して、われわれがいかなる原則的態度をとるべきかに貴重な経験を与えている。
 大管法闘争は、大管法流産という勝利をかちえて終結したが、しかし闘いの中でかちとられた行動の統一は強固な組織的統一として結実することなく、運動の終結とともに学生戦線は再び深刻な分断状態におちいったのである。七月全自代において社学同派が恥ずべき暴力的破壊によって大管法闘争を通じての戦線統一という、あまりにも貴重な可能性を破壊したということの犯罪性は、何度糾弾されてもされつくすことはないであろう。
 意見の相違があろうとも、行動の統一を実現し強化していくこと、これのみが組織的統一の基礎であること、そして行動の統一の中で真に統一を守る部隊を強化していくことなしには、其の組織的統一は実現できないことも大管法闘争はこのことをわれわれにおしえている。

<注2> 市大で主流派会議と名乗っている関西社学同はこの
大管法全自代をどのように「総括」しているだろうか。「・・・
・・この過程で、暴力が必要とされたのは、周知の事実であ
る。暴力自体が体制内組織を結合する要素であることは、誰
しもが認めている事実であるが、だから問題は、暴力そのも
のよりも、その用い方如何が一切を決定する。決定的な時点
で決定的な方針を貫徹するのは、自己の生命をかけた力の論
理である。」(関西社学同「分派闘争の新たな段階」)とわれ
われの任務この居直りに、我々は何といったらいいのであろ
うか。だが、怒りをこめて次のように叫ばなければならな
い。このような思想が、このような暴力の論理が学生運動を
分裂と破壊に導いたのである。

Ⅳ、平民学連の分裂活動と関西学生運動
一九六三~一九六四/八

関西学生連動の昂揚/関西学連再建の社学同派による破壊/平
民学連の伸長と分裂活動/新たな胎動

 大管法闘争以後の学生運動は、末曽有の分裂と低迷によって特徴づけられると共に、その中で関西学生運動を核として大衆闘争の火を守りつづけ、再建と統一に向けての努力が営々として行なわれてきたのである。
 全国的な運動の沈滞の中で、大阪府学連を中心とした関西三府県学連を中心とした関西三府県学連は大衆運動を展開し、全学連の光栄ある伝統の火をうけついたのである。六三年六・一五の神戸での原子力潜水艦寄港に反対する、関西四、000名のデモンストレーションをはじめ、六四年六月一九日、阪大、立命の各一五〇〇を中核とし、大阪府学連二、七〇〇、京都一、三〇〇等六〇〇〇近い学友を結集した原潜阻止神戸集会、これらは低迷する全国学生運動の中で苦闘し続けてきた関西学生運動の巨大な里程標としてそびえたっている。この関西での闘いは戦線統一の組織方針として、関西学連再建の努力として集約されていった。全学連の解体と全国闘争の不在、なかんずく東京都学生運動の壊滅的状態という現状の中で、全学連再建への現実的一歩を踏みだすためには強固な指導部をもつ関西学連と連帯し、全学連の械能を一定程度代行すること、それによって戦線統一のためゆるぎない砦をつくることが必要であった。関西学連再建のための努力は全学連崩壊とともに始められ、そして六四年春の関西での憲法闘争の昂揚の中で、関西自治代において七月関西学連再建が決定され、六・一九京都集会六、000の学生のシュプレヒコールによって確認されるに至ったのである。(この時関西学連結成に反対したのは市大の社学同派だけ)
 しかし六・一九闘争が終るやいな京都府学連など社学同派は、さきの合意をふみにじり、関西学連再建を徹底的にネグレクトし、これを挫折させてしまった。社学同派はまたしても戦線統一の貴重な可能性をふみにじってしまったのである。
関西学生運動は、関西学連再建を通じて戦線統一の貴重な可能性をふみにじってしまったのである。
 関西学生運動は、関西学連再建を通じて戦線統一への巨大な一歩をふみだすことはできなかったが、しかしこの期間、大衆的運動によって日本学生運動の戦闘的伝統を守りぬせ新たな胎動を代表しえたのであった。
 六二年七月に結成された平民学連は、民青-共産党という全国組織をフル回転し、徹底した右翼的大衆追随主義によって、地方を中心としてその勢力を伸長させていき、統一の最大の妨害者はトロツキスト派から平民学連へと移っていたのである。平民学連は、表面ではだれでも、どこからでも参加できると言いながら、事実上は民青の見解を認めるもの以外はすべて組織的に排除するというセクト的組織であった。(六三年の平民学連の三月と七月集会には、大阪を中心とした自治会代表および個人を政治的見解の相違を理由に排除し、会場前でビラを配布することさえ暴力的に妨害した。)平民学連は、自治会でもサークルでも、個人でも参加させるという組織であったが、これは、まったく性格のことなる部分を一つの組織に集めているが故に、どのような指導部の方針をも決定することができないにもかかわらず、実際はそれが決められているという驚くべき組織であった。即ち政党による組織的引きまわしが組織的に保障されていたのであった。彼らの論理はこうである。①まず自らと見解の異なる部分を「分裂主義者」とのレッテルを貼る。②次に「分裂主義者」との行動の統一は敵との統一であり、絶対に行なわない。③「分裂主義者」を打倒することなしには統一と運動の発展はありえない。④従って「分裂主義者」を切りはなし、打倒するためには別個の運動・組織を対置しなけれはならない。
 平民学連はこのボイコット=分裂戦術を全面的に展開し(大阪府学連に於ては六二年秋以降)、そしてその基礎の上に六三年七月に「全学連再建」を行うとの方針をうちだした。しかし、我々を中心とする真の統一をのぞむ部隊と平民学連内部の批判派の合流をおそれた彼らは、突然方針転換を行い、七月に「平和と民主主義を守る学生自治会連絡会議」 (平民学連) への改組を行い、一段とそのセクト性を強めた。
 当時の平民学連派内において唯一ボイコット=分裂戦術を拒否していた部分が存在していた。それは京都を中心とする京都統一派(民青)であった。彼らは、京大、同大自治会–京都府学連指導部を掌握している社学同派に対して、自治会と府学連の下に行動の統一守りながら、それを通じて社学同派の誤った方針を克服してゆくという原則的に正しい立場を堅持してきたのである。(京都府学連の大衆的戦闘的運動が安保以降の日本学生運動の最先端に位置しえた理由の一つは、厖大な活動家を有する統一派=民青がボイコット分裂戦術をとらず、自治会の統一した運動を下から支えていたという点にある)しかし、六三年七月新自治会連合=平民学連結成以後平民学連=民青指導部はこの京都統一派の「統一戦術」をボイコット分裂戟術に転換させるため、あらんかぎりの圧迫と組織的シメツケを行い、遂に京都学生運動の分裂を強行したのである。<注3>
 六三年九月以後、「二つの集会、二つのザモ」という目をおおうばかりの分裂の中で京都学生運動はかって保持していた大衆的性格を急速に喪失していたのある。
 そして同年12月の同大暴力事件こそこの分裂のあまりの悲痛な帰結であった。
 平民学連派によるボイコット=分裂戦術の採用によって開始された京都学生運動の分裂は、社学同派の極左冒険主義とセクト主義がからみ合う中で悪循環的に拡大再生産し、今日に至っている。伝統ある京都府学連の運動を事実上解体にみちびいた民青系のこの分裂路線は、現在においても全国大学で一層露骨に継続されているのだ。民青=全学連支持会議のこの分裂路線を大衆的に克服することなしには学生戦線の真の統一はありえないのである。

<注3> 日本共産党京都府委員会は六三年度六・一五関西学
生統一行動の参加を禁止したあと、八月二〇日、次のような
決定を行った。

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一九六三・八・二〇
京都における学生運動の再建統一のために
日本共産党京都府委員会
第一一回京都府委員会総会は、当面する学生運動の願争戦術
について次の方針を決定した。①京都平民共闘の統一行動、大
学教職組と学生の統一行動とに党の指導する学生運動は、京都
平民学連として参加しても、党の指導する学生は、京都平民学
連として学生の隊列を別に組織する。②京都府学連の統一行動
ほ、これが反共分裂の挑発行動であり、党はこれをボイコット
し、一切の集会とデモは粉砕し崩壊させる。
…………反共集団の指導する学生運動が大きければ大きい程、
それは民主勢力と学生大衆にとってますます有害である。彼ら
は自治会や府学連の「統一行動」 「大衆団体決定に従え」と善
意の大衆を拘束し、われわれを分裂主義者として攻撃を強めて
くるのであろうが、彼らこそ京都の学生戦線と民主勢力の団結
を破壊するスパイ挑発分子であり、断固として自治会執行部の
多数決に拘束されない。学生大衆の総意と全京都学生自治会及
び民主勢力の立場に立つという基本的姿勢で闘わなければなら
ない。

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この文書に〝ボイコット=分裂路線″の全内容は凝縮されてい
る。現在、市大自治会おいてもこのような路線が全学連支持会議
の諸君によって執ようにおしすすめられているのだ!! 真の分裂
主義者は一体誰のことであろうか。

Ⅴ、民青系「全学連」 の結成
一九六四/七~一二

平民学連による「全学連再建」方針/行動の統一のための聞い
/一〇月全自代と「全学連」再建大会/第二大阪府学連

 平民学連は六四年七月「すべての自治会の参加のもとに全学連を再建する」という方針をうちだした。このことは、何よりも統一と全学連再建を望む学生大衆の声が関西を中心とした少なからぬ自治会と地方学連の真の統一のための努力の結果であり、露骨な「分裂主義」というレッテル貼りを部分的にでも修正したものであった。それゆえこれは、平民学連のこれまでのボイコット=分裂戦術については口をぬぐっているものであったとしても、その限りで正当に評価しうるものを含んでいること、「組織的統一が可能ならば、まず今行動の統一を行なう。その基礎の上た共同の努力で組織的統一(全学連再建)を達成しょう。」という形で平民学連派の形だけの積極性を実質的なものに転化させてゆかねばならなかった。
 このような立場にたって、われわれは全国的な行動の統一の実現のための闘いをおしすすめ、一〇月二七、二八日平民学連自治会がよびけた全自代に、統一のための独自な提案をたずさえて参加した。
 一〇月全自代は一四七自治会の正式参加をえたが、平民学連派指導部は、深刻な分裂の経験から教訓をひきだし、いかにして各地方及び全国的な行動の統一を回復していくのかを全く考慮せず、従来のボイコット=分裂戦術の延長線上に「一二月全学連再建」を提起した。これに対し阪大七学部自治会は共同提案を提出し、「(1)意見のちがいを当然の前提とした行動の統一の回復こそが分裂を克服しる方向である。(2)全自代に、この期間運動を防衛してきた数少ない地方である京都、兵庫、九州のほとんどの自治会が不参加であることは、平民学連のこれまでの分裂主義方針に対する批判を示しており、従って共同行動を回復し、それに基づいて再度全自代を開催すべきだ」と主張し、そのための具体的提案の一環として一〇・二九原潜阻止全国学生統一行動を統一して闘いぬく特別決議を提案した。この阪大提案に対し、前京都平民学協の議長であった京大経済自治会代表は、京都におけるポイコット=分裂戦術を痛切に自己批判し、何よりもまず行動の統一を回復することを訴えた。全自代に参加した平民学協自治会代表の中にもこれらの統一の呼びかけに動揺する部分があらわれたが、しかし、平民学連指導部は、一〇・二九闘争をどこが呼びかけたのか問題だとして強引に行動の統一を拒否し、また討議も再建の具体的方向ではなく、全学連再建の一般的抽象的必要性の強調におしとどめ、ついに多数で阪大提案を否決し去り、阪大、大阪工大、大阪学芸大、東京教育大、神大教育、京大経済など一四自治会の再度の統一を呼びかけた緊急提案をも否決し、平民学連派単独で、二一月全学連再建とそのための準備委員会選出を決定した。<注4>
 一〇月全自代以後、広汎に存在していた平民学連に批判的な自治会をも含めてゆく努力は何らなされないままに、それもきわめて非民主的なやり方で準備され、一二月「全学連再建大会」を強行した。この大会のセクト性と不当性は次の事実に示されている。
(1)全ての自治会参加を口にしながら、大会前日の予備会議におい、阪大四学部、近大二学部、名城大二学部、宮崎大、東京教育大などの正式自治会代表、オブザーバーを意見の相違を理由として一方的に排除した。
(2)「再建大会」参加自治会は一二八で、一〇月全自代参加自治会を大きく下回り、また、大会成立基準も明らかにされなかった。この一二八自治会のうち、四〇の未加盟自治会を含んでいるため、六〇年当時の全学連加盟数二六四のわずか三分の二前後しか存在せず、従ってこの大会は明確な継承関係をもった正規の「全学連再建大会」としては全く認められない。
(3)東京、九州、中国地区のほとんどの大学の未参加の中で強行された。
(4)代議員の明確な資格審査もなく、大阪府大、東大経済、同志社大文、茨木大文理などの如く、デッチあげ、もしくはそれに近い代議員を含んで強行された。<注5>
(6)最後にきわめて重要なごとは、この「再建」が平民学連のボイコット=分裂戦術の継承の上になされていることである。これは、大会討論およびその決議「規約についての申合わせ事項」にも示されており、大阪、京都、九州等の地方の結集実現とその民主化ではなく、目標と課題の一致にもとづく行動の統一の努力を放棄し、〝分裂主義者〟〝修正主義者″という窓意的なきめつけの上に「分裂主義者が支配している地方自治会では、地方協議会、全学連支持会議を」という方針を確認したのである。だがこうした路線こそが、輝しい伝統をもつ日本学生運動を破壊した当のものではなかったか!!
 とりわけ最後の点については、大阪における平民学連派による第二府学連のデッチあげの中に象徴的に示されている。
 六四年一一月に行なわれた大阪府学連第二七回大会をボイコットした彼らは、二七回継続大会の成立を認めながら大会で選出された府学連執行委員会の不信任を主張し、民青系「全学連」が結成された後においては「大阪府学連は〝全学連に結集していない〟からもはや府学連ではなくなった。従って府学連を〝再建〟する」といって、六五年三月、春休み中、学友から隠れてコッソリと府学連「再建」大会を強行した。<注6> 府学連評議会満場一致の決定をもってこの分裂組織結成を糾弾し、平民学連派自治会への府学連への結集を呼びかけるため平民連派「大阪府自治代」(二月)に話し合いを要求しに行った府学連執行委員会と自治会代表に対して、民青=平民学連派は「俺たちは、やるときめたら必ずやるのだ」と言ってピケットと暴力でもって話し合いを拒否した。ここに安保以後、日本学生運動の戦闘的伝統を守り続けてきた大阪府学連は、分裂の最悪の形態=組織分裂にまでおとしいれらたのである。
<注4>
彼らの統一の叫びの真の意図がどこにあるのかを次の文書
が明確に教えてくれる。「『今年中に全国学生自治会総
連合を建しよう』という『よびかけ』を分裂主義者に私物化
されている自治会にも呼びかけたことを、分裂主義者との
『統一行動』として理解する一部の意見があるが、このよう
な理解は全く誤りであり彼らの影響下にある大衆への呼びか
けであり、分裂主義者を学生運動のなかから孤立させ、大衆
的に追放する一層有利な機会と条件をつくるものとしてとら
えねばならない」 (日本共産党京都府委員会通報より)
<注5>
多くの代議員が正式な自治会の機関で決定されたもので
ないということは、手続上のミスであったのでは決してない。
「例えば(イ)再建大会代議員、評議員を平民学連結集自治会は
必ず早く登録すること。今これが遅れている。選出をできる
だけ民主的にやろうということで選出が遅れているところが
多い。もちろん民主的にやることは大切だけれども、ほどほ
どにやることも大事だ。代議員、評議員が選出されなければ
元も子もない。」(平民学連書記局通信NO・三九より)
これは原文のままである。「全学連」支持会議の諸君が「き
わめて民主的に再建された全学連」とすまして語るとき、我
々は次のように叫ばざるをえない。「君たちがどのように語
ろうともそれは君達の自由だ。ただ『民主的』とか『全学
連』という偉大な言葉に泥を塗ることだけはやめてくれ!」
と。
<注6>
大阪府学連第二七回継続大会をめぐる経過については、さ
きに発行した資料集「全国全自治会を包含する単一全学連実
現のために」を参照。

Ⅵ、ベトナム=日韓闘争と民青系「全学連」大阪大会
一九六四/四~一二

ベトナム闘争/組織統一のための闘いと大阪大会/民青派によ
る統一の決定的破壊/日韓闘争

 アメリカの北ベトナムへ爆撃によって質的に新たな段階にはいったベトナム戦争を中心とした国際的政治危機、高度成長の破綻と戦後最大の不況、佐藤内閣による帝国主義的上部構造構築のための国際政治反動の全面的帝国主義的対外膨張の本格的展開〝大学の全般的危機の進行″と各大学での学園闘争の激化、という65年春以降全面的に展開した情勢は、安保以後低迷のうちにあった日本学生運動の昂揚への胎動を規定した。65年4月以降のベトナム闘争は、学生戦線が分断状態にあるにも拘らず、一定の全国的昂揚をかちえ、大管法以後の大衆運動が全くといっていいほど沈滞していた地方の各大学においても運動が開始しはじめた。そして又、高成長期に蓄積された大学教育の矛盾が、不況期への突入とともに耐え難いまでに深刻化し、かかる矛盾の独占的「合理化」教育支配の攻撃、学生の経済生活の圧迫と破壊は、〝大学の危険なまがり角″と称せられる危機的拡張を作りだし、そしてそれに対峙し、対決する激烈で大衆的な学園闘争が展開されていったのである。
 このような情勢の巨大な変化の中で、セクト主義の泥を全身にまとって誕生した民青系「全学連」は、大衆の統一への深刻な志向と大衆運動の鉄の論理によって、その指導部の旧態依然たる分烈主義にも拘らず、学生運動統一の組織的母体となりうる可能性を開示したのである。即ち、我々が民青系「全学連」の結成に際して評価したごとく、それが確かに民青派の私設「全学連」であるとしても、それが学生大衆の統一の志向の屈折された一定の反映であること、又、それが平民学連という私的組織から「全学連」という公的組織の形をとることによってある程度全学連規約の抱束を受けざるをえないこと、最後に「全学連」として何らかの形で全国的運動を行うことは、指導部のセクト主義、分裂主義をのりこえようとする部分を自らのうちに生みださざるをえないこと、ボイコット分裂戦術は全学連という形式と不可避的に衝突せざるをえないこときこのような民青系「全学連」がもつ矛盾がベトナム闘争と学園闘争の中で展開し、わずかではあるが戦線統一への可能性をつくりだしたのである。
 我々は、この可能性に正しく対応し、五つの原則(①批判の自由と行動の統一、②「全学連」大阪大会へ、全ての自治会に無条件で門戸を開放する、③全学連規約の遵守、④関西三府県学連の組織的統一の回復、⑤単一都学連実現への努力)が受け入れられるなら、「全学連」に加盟し、真の学生戦線統一のために共同の努力を行う、という方針をうちだし、65年7月に開催される民青系「全学連」大阪(16回)大会に向けて統一のための活動を強ガにおし進めた。阪大、神戸大、立命館三自治会の緊急アピール、「全学連中執」への提案と話し合いという我々の組織的統一のための努力は、民青系「全学連」指導部による露骨なセクト主義、分裂主義によってふみにじられてしまった。彼らは真剣な統一のための話しあいを追求した我々に対し、「君たちは、ペテン師、サギ師、ペテン師だ」 「自治会決定は尊重するが抱束されない」「全学連が損をするようなものは入れない」等々の暴言を吐き、更には、事実の経過を大会参加者に知らせ、統一を呼びかける六自治会連名の文書を配布しようとした自治会正式オブザーバーを暴力をもって大会から排除したのである。余りにも貴重な戦線統一の可能性を破壊してしまったのであろうか! <注7>
 巨大な歴史的意義をもつ日韓闘争に、学生戦線は分断状態のまま突入せざるを後なかった。そして、あの果敢に闘われた日韓闘争の中において、日本学生運動はついに統一への具体的糸口を見いだすことができず、今日に至っているのである。
 7月大会において、自らの手によって分裂主義の環を閉じてしまった民青系「全学連」は、日韓闘争にあっても(その傘下自治会大衆の戦闘的エネルギーにも拘らず)唯一の全国組織として果すべき任務を犯罪的に放棄し学生戦線の一層の分断化を促進していった。10・29闘争における「統一戦線への結集」(!!)の美名に隠れた全国ゼネストの中止は、そのことを雄弁に立証した。唯一の実質的な全国的組織である民青系「全学連」は「自立的」全国闘争の展開の否定-府県学連単位における露骨な分裂活動と分裂組織-単位自治会における統一の破壊(「全学連支持会議」などの第二自治会的組織)という分裂主義の論理の貫徹によって、自らを巨大なセクト集団として固定化していったのである。
我々は次のことを結論せざるをえない。-現在民青系「全学連」は学生戦線の組織的統一の母体とはなりえない、と。

<注7>
民青系「全学連」大阪大会について詳しくは前記「資料
集」の資料を参照。
市大自治会中執も、この大会へ正式オブザトバーを派遣し
たが、これを民青派の諸君は暴力的に追い出したのであっ
た。この「実力行使」に市大の全学連支持会議の諸君が加わ
っていた。ことに何をかいわんや、である。

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デモクラート 号外 1973年6月20日

デモクラート 号外 1973年6月20

筑波法案衆院通過阻止、田中内閣打倒へ
6.23国会包囲闘争に決起を

1面右  ←PDFは、こちらから 総評・日教組労働者階級と連帯し、今こそ総力で首都結集しよう
東理科大・東洋大に続き、各大学で23行動へ (首都)
1面 東京理大・大阪大ストで、全国学生連帯行動呼びかけ
首都派遣団結成し、6.22、23連続闘争へ(関西)
東京理大(理工)・大阪大(教養・工・文)大阪市大(教養)続々スト突入
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デモクラート 第40号

デモクラート 第40号 1973年6月7

20日、日教組スト、総評第2派中央行動に応え
中央集会に総結集しよう

 

1面  ←PDFは、こちらから 宮之原参議院議員アピール
【主張】総評、労働者階級の闘いと連帯し、全国学園ストの下、統一中央集会へ合流しよう
★「学生新聞」のデマと中傷
2面 20日日教組ストに連帯し、学園ゼネスト体制確立を
御堂筋デモ300(阪大)学生大会成功(東理大)26統一行動へ600(東洋大)学生大会成功へ(大阪学大)学長団交へ(立教大)
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