「特集にあたって」はどこに導くか  (知識と労働討議資料)

「特集にあたって」はどこに導くか
    —-「74年の大衆運動とマルクス主義」批判 —-    松 原 敬

 『知識と労働』第10号は、「特集にあたって–74年の大衆運動とマルクス主義」と題する無署名論文(文書K・S.K・M、以下SM論文と略す)を掲載している。「特集にあたって」と題していることからも、当然このSM論文は、『知識と労働』が集団討議を重ねた上で発表した編集局論文であろう、と受けとられる形で発表されている。
 しかし、果してそうなのであろうか。遺憾ながらこのSM論文には、きわめてあいまいで折衷主義的ではあるが、 『知識と労働』がこれまで掲げ闘い築いてきたマルクス主義の諸原則、社会主義に至る上での平和と平和共存、反独占民主主義、統一戦線という最も基本的な政策に背反し、逆行する重要な問題、見解が表明されている。このSM論文が、多くの良心的なマルクス主義者の注目しているこの『知識と労働』に突如発表され、一人歩きしようとしている以上、問題の重要性から率直に、批判的意見を述べさせてもらわなければならない。


 最初に、このSM論文を通読し、繰返し読めば読むほど感じることは、このSM論文は、 かつて(一九六四年)日本共産党宮本指導部が、反ソ主義に貫かれた路線に公然と踏み出した時に、「ケネディとアメリカ帝国主義」と題して発表した無署名の評論員論文と非常に酷似した特徴をもっているということである 。
第一は、情勢評価の問題であり、ついでそれにもとづく政策の問題、そして集中的表現としてのスローガンの問題であり、SM論文では欠落しているが統一戦線とセクト主義に関する問題である。
 情勢評価と政策に関連して問題となる点は、次の点である。
 社会主義世界体制と資本主義世界体制という両体制間矛盾の取扱いの問題、そこにおける帝国主義諸国間の矛盾・対立と帝国主義同盟の問題、それと関連する支配階級内の矛盾・対立の問題題である。これらの点についてSM論文は、次のように述べている。
 「社会主義体制にたいする帝国主義諸国の根本的な対立関係は、支配階級のとる平和共存政策と対社会主義接近を、社会主義体制への分裂策動をも含めて、動揺と矛盾にみちた不安定で中途半端なものにする。支配階級は、一方では社会主義貿易と経済協力関係の拡大を志向すると同時に、他方では経済的政治的矛盾と対立によってたえず根底からゆるがされている対社会主義の帝国主義的軍事同盟の維持と補強を図らざるをえない。」
 「客観的な利害が支配上層に選択をせまり、平和共存的方向を余儀なくさせる可能性は大きい。しかしそれが国内的な基本的な階級対立と階級支配そのものを排除するものではないにもかかわらず、支配階級の反共的反社会主義的な本性にもとづいて、また緊張緩和と平和共存が労働者階級の闘争に有利な条件を切り開くことへの恐怖に基いて、支配階級とその右翼的反動的、冷戦主義的傾向は、つねに必然的にまきかえしと反撃に出る。」
 一体このような論述から何が導き出されてくるのであろうか。「社会主義体制にたいする帝国主義諸国の根本的な対立関係」とか「支配階級の反共的反社会主義的な本性」といったことは、少くともマルクス主義者にとっては自明の前提である。支配階級、帝国主義者が軍事同盟を維持、補強し、常に必然的にまき返しと反撃に出る、ということも自明のことである。このような自明のことが、いまだマルクス主義者の間で確認されていないとでもいうのであろうか。
 問題は、帝国主義同盟が、なお全体としては維持されつつも、個々の帝国主義の利益、支配階級の個々の利害が、「支配階級の反共的反社会主義的本性」という共通の利益の前に躍り出て、常にその足並みをかき乱しているところにあるのである。今さら確認するまでもないが、ロシア革命の成功、ドイツ・ファシズムの崩壊、社会主義世界体制の形成と発展は、そのことを端的に証明している。
 何よりもまず帝国主義列強の同盟を妨げるのは、個々の帝国主義国、支配階級の意図とは別個な、独立して発展する帝国主義そのものの内的な矛盾の激化である。彼らの「神聖同盟」は、彼ら自身の内部からたえず生起してくる鋭い矛盾によってむしばまれざるをえないのである。そして社会主義世界体制の政治的経済的地位の強化は、社会主義諸国との政治的経済的結びつきをめぐって、両体制間の平和共存の原則をめぐって、この矛盾をより一層、質的に鋭いものとしているのである。そこには常に反動があり、まきかえしがあることは事実である。しかしその反動やまきかえしを分析する際にも忘れてはならないことは、この客観的必然的法則性である。
 ここに、平和と平和共存をめぐる闘いは、勝利の展望のない単なる平和主義的願望にもとづいているのではなくて、資本主義の根本的な経済的矛盾の激化、資本主義に固有な不均等発展の法則、その結果としての労資の矛盾、独占資本間の矛盾、帝国王義諸国間の矛盾、これらを一層の激化へと導く社会主義世界体制の存在と発展、その客観的優位性という、力強い根拠を持っているのである。このことは、「一方では」「他方では」 といった論理的一貫性のない、折衷主義的、多元論的理解によってうやむやにされ、不問にされてはならない問題なのである。
 このことは、SM論文がさらに次のように語る時、 一層明らかになる。
「支配上層の間に、ブルジョァ評論家が好んで図式化するような冷戦派と共存派、頑迷派と開明派といった単純な、できないの分岐、対立があるわけではない。だから支配上層のいずれかの部分、階級分派に依存し、それを支持することによって、国家政策の全体を平和共存の方向に転換させうると考えるのは、主観的で一面的な単純化による日和見主義的見解であろう。」
 これは、日本共産党宮本指導部が、「モスクワ声明」(一九六一年世界党会議)の内の革命的な原則をのみ守るのだと称して、平和と平和共存をめざす闘いを日和見主義だとして、ソ連共産党をはじめとする国際友党を「帝国主義者の平和への“自覚”や”平和的進歩的翼”と”侵略的反動的翼”への”分化”に期待をかける現代修正主義者」だと中傷、攻撃したあの同じ論理内容を持っている。日共評論員論文 「ケネディとアメリカ帝国主義」 は、次のように述べている。
 「たしかに、帝国主義支配層のあいだにも、さまざまな葛藤と矛盾を生み出し、深刻かつ複雑な意見の分化をつくりだしている。しかし、帝国主義者の間の意見の分化とは、 本質的には、あくまでも帝国主義という同じ経済的土台に照応した範囲内での、社会主義に敵対し、労働者階級と植民地従属国の人民を抑圧し搾取する階級的本質の範囲内における、敵の間の部分的な意見の衝突と利害の対立にすぎず、戦争と侵略、抑圧と反動という帝国主義政策を、どちらの政策がもっともうまく遂行することができるか、どちらの独占グループに最大の利益をもたらすように推進することができるか等々についての戦略と戦術、方向と形態などの差異でしかない」 というのである。
 このように、SM論文は、日共宮本指導部の批判という体裁をとりながら、批判したはずの相手と同じ側に立ってしまっているのである。レーニンが帝国主義の評価にあたって、その矛盾を前面に押し出したのに対して、両者は一致して、帝国主義の本性、帝国主義者の同盟を説いているのである。
 平和と平和共存をめざす闘いは、国際的舞台における階級闘争の一形態であるとともに、この闘争における力関係の変化をはっきりと表現しており、これは国内における階級闘争と密接に関連し、その力関係の変化をも表現するものである。SM論文は、「労働運動にとって必要なことは、階級支配と現情勢への適応の異ったスタイル、方法を表現するあれこれの総裁志望者と派閥代表者のいずれの思惑が実現するかに主たる関心を寄せることではなくて」 とか 「マルクス主義者にとってまず第一に必要なことは、危機の深刻化を前にして動揺し、対立しあっている与党指導者のあれこれの傾向のいずれかを選択し、それに期待を寄せることではなく」 といった表現をしばしば使っている。このようないかにもくだらない“期待論者”を描いてみせて叩くというやり方、批判して当然のような結論から何が出てくるかといえば、「首尾一貫して闘争すること」とか「闘争こそが決定的に重要な意義をもつのである」といったことが強調される。日共宮本指導部が議会主義の悪弊にますますおぽれつつある時、大衆闘争の重要性を語るのは、マルクス主義者にとって当然のことであり、必要不可欠である。しかし、このようなかたちで語ることは、多くの“新左翼”諸潮流がそれこそもっと”戦闘的、革命的”に語ってきたところである。真のマルクス主義者にとっては、支配階級内部の“適応の異ったスタイル、方法、思惑”、”動揺、対立、抗争”–帝国主義者間の矛盾、支配階級内部の対立は、労働者階級にとってどうでも良いことではなく、両体制間の闘争が主要な矛盾となっている現在、階級闘争を敏感に反映しており、、労働者階級は、このことから離れて政策転換全体の指導性をかちとることはできないし、ましてや根本的改革という反独占政策の貫徹、そのための権力の樹立はできないのである。ここにこそレーニンが強調した 「マルクス主義の核心、その精髄をなす点、すなわち具体的情勢の具体的分析」が必要となるのである。教条的衒学主義にもとづくような一般的真理の強調は、何度行なわれても階級闘争の指針とならないばかりか、セクト主義的なくさみしか残さないものである。このことについては、レーニンが『左翼小児病』で何度も強調していることである。 「力のまさっている敵に打ち勝つことは、最大の努力をはらう場合にはじめてできることであり、かならず、もっとも綿密に、注意深く、慎重に、たくみに、たとえどんなに小さなものであろうと敵の間のあらゆる『ひび』を利用し、各国のブルジョアジーの間や、個々の国内のブルジョアジーのいろいろなグループまたは種類の間のあらゆる利害の対立を利用し、また大衆的な同盟者を、よしんば一時的な、ぐらついた、ふたしかな、たよりにならない、条件つきの同盟者でも、手に入れる可能性を、それがどんなに小さいものであろうと、すべて利用する場合にはじめてできることである。このことを理解しないものは、マルクス主義と科学的な近代社会主義一般を少しも理解しないものである。」(『左翼小児病』)


 帝国主義の敵対と矛盾をぼかし、その深さと鋭さを体制的危機の深化といった一般的表現でぬりぶすことは、不可避的に独断的な教条主義と労働者階級にたいする悲観主義、ペシミズムを生み出す。SM論文が次のように述べる時、何と支配階級は力強く、労働者階級はか弱いことであろうか。
 「財界首脳たちが考えている『保守新党』の結成と、それによる野党との『連合政権構想』は、その本質において革新諸党の分断を基本的な目標とするものである・・・いわゆる 『受皿論』として支配階級によってあけすけに語られているこのような構想の実現が、労働運動と労働組合運動に新しい分裂を持ち込み、壊滅的な打撃を与えることは火をみるよりも明らかである。」

 「今日の新しい政治的状況を『多党化の時代』『連合政権の時代』として一面的に礼讃するものは事柄の本質を見抜けない日和見 主義的超楽観論であると言わなければならない。幾多の歴史的経験が示しているように、議会主義的日和見主義にたいする人民大衆の幻滅は、露骨な反動と右翼的な公然たる権力主義に道をひらくものだからである。」
 なぜ、このような「保守新党」論や「連合政権」構想を、支配階級の意図と一定の客観的理由を認めつつも、その本質において、支配階級の危機、矛盾の激化の表現として、階級闘争の反映として、自民党の政治独占の危機の表現としてとらえられないのであろうか。このようにとらえることは、おめでたいとでもいうのであろうか。
 「一方では”人民戦線”、他方ではファシズムが、プロレタリア革命にたいする闘争で帝国主義が用いる最後の政治的手段である。」—- これはコミンテルン七回大会の統一戦線政策にたいして、敗北主義とセクト主義を対置したトロツキーの言葉である。(一九三八年『転換期の綱領』) SM論文は、これと同じ立場に立とうというのであろうか。日本共産党の現状を見る時、論者の危機意識は理解しえても、問題はこのように立てられてはならないのである。
 イタリアに「中道左派政府」が登場した時(一九六二年)、故トリアッティは、これをこれまでのキリスト教民主党の権力の政治的独占にたいする「現在の政治的社会的闘争のエピソードである」と評価している。そして現在、イタリア共産党は、イタリアの政治的経済的危機の深化を前に、中道左派の道をこえる、共産党の政権参加をも含む新しい政治の民主的転換を訴えて、中道左派政府の期間を、「共産党が統一政策を押しすすめた粘り強さと忠実さとによって、そして社会党が閣内にいるということによって決定された新しい政治情勢のもとで、イタリア社会における運動の可能性と民主的発展の可能性とが年ごとに拡大し、一九六八年の選挙、一九六八ー六九年の労働者および人民の闘争の偉大な季節となり、その後の諸闘争や諸提案となって、ついに一九七四年五月一二日の国民投票をもたらしたのであった」 と評価している。問題はこのように立てられ、このようにこそ闘われなければならないのである。


政策転換の要求に関連してSM論文は次のように述べている。
 「労働者階級とその前衛は独占の支配を打倒し国民経済を現実に指導するための準備を常におし進めることによっでのみ、支配階級に政策転換を押しつけ、その中途半端で動揺的な部分的な対社会主義接近を一貫して拡大し発展させることができるのである。」—- ここでは、独占の支配を打倒しない限り政策転換を押しつけることはできないと結論づけている。いや、その準備を常に押しすすめる場合はできるというのであろうか。第一、その”準備”とは具体的に何をさしているのであろうか。
 その直前でSM論文は、「労働者階級が国民的な指導階級として、平和と平和共存を目的とする首尾一貫した自らの対外政策を掲げて闘うときにのみ、支配上層内部の矛盾を深刻なものとし、政策的選択をせまり、客観的な国民経済的利害の命ずる方向へその対外政策を向わせることができるだろう。」 と述べている。ここでは”独占の打倒や国民経済指導の準備”がなくても、なぜ政策転換が可能なのであろうか。
 またSM論文は、「労働者階級は根本的な変革のための革命的な要求とならべて、独占資本とその政府にたいして即刻の実現を迫るべき部分的で改良的な政策転換の要求を掲げてたたかわなければならない。」と述べる。そしてこの 「ならべて」 というところに、わざわぎ傍点を付している。ここでは”即刻の実現”がなぜ可能なのだろうか。根本的な変革の要求を「ならべて」掲げるからなのだろうか。

 つづいてSM論文は、「資本主義をなくさないかぎり、恐慌をなくすることはできない。しかし労働者階級は、今日の恐慌の深刻化の下では、日常的な経済闘争において、同時に、国家の財政金融政策の転換とそれに必要な一連の独占体の国有化を含む部分的な変革の要求を何ほどかでも系統的な政策として掲げてたたかわなげればならない。それなしには、実質賃金の切下げから身を守り、賃上げをかちとり、生活水準の引下げと耐乏生活の強要に対抗して生活の諸条件を改善する上で一歩も前へ進むことはできない。」と主張する。「それなしには」「一歩も前へ進むことはできない」 という。何という極端論好み、何という尊大なポーズであろうか。ことここに極まれりである。
 少し長々と引用を繰返したが、SM論文はこのようにすっかり混乱し、上気してしまっている。しかしその底に流れているものははっきりとしてきている。それは、労働者階級の経済的利益のための闘争、民主主義を要求する闘争、様々な反独占的改良闘争、統一闘争、統一戦線をめざす闘い、 これらを経済主義、組合主義、改良主義、日和見主義だとして蔑視し、おれたちはそんなものとは違うんだとまじめにふんぞり返るセクト主義である。
 経済的利益のための闘い、また首切り、合理化等、資本の攻勢から身を守る闘争は、労働者階級にとって統一戦線の出発点であり、常に第一義的重要性をもつ闘いである。そしてこの闘いを通じてのみ、労働組合運動の統一を作り出すことができるし、その統一は、重要産業独占体の国有化、金融機関の国有化をめぎす反独占権力樹立への統一戦線にとって、死活の重要性をもっているのである。フランスやイタリアの労働者階級の闘いは、このことを如実に示している。
 労働者階級は、自らの闘いの経験と成果にもとづいてのみ、次の目標のために闘うことができるし、このことが闘争の前進と発展にとって決定的であり、その現実と内外の情勢に密着した革命的政策を要求している。SM論文のような尊大なセクト主義的な立場によっては、よくみてインテリデンチァ的焦りによっては、いくら日和見主義に主要打撃を与えても、それを克服することも打倒することもできないし、ましてや労働者階級の自覚を高めることさえできないであろう。


 SM論文は、後段に至って「われわれの部分的な変革の政策は『かならず日和見主義者にも鉾先を向けているような綱領でなければならない』(レーニン)」 として、「次のような政策的諸要求のうち、少なくともその主要なもの、基本的なものを、それの即刻の実現を支配階級に迫る闘争のためのスローガンとして、掲げることが必要不可欠であると考える。」として一〇項目のスローガンを掲げている。
「一、公共部門を中心とする拡大政策の導入とそれに必要な部門の国有化」「公共住宅建設の拡大とその関連部門の系統的な国有化」 「それに必要な部門」とか「その関連部門」とは一体どこまでをさしているのであろうか。文字通り読めば、これは中小零細企業を含めて全産業が対象となる。これらの国有化を「即刻の実現を支配階級に迫る」というのであろうか。低家賃住宅を大量に建設せよ!という勤労大衆の切実な要求が語られずに、即刻の実現を迫るにしてはまったく具体性のない、はね上ったスローガンとなっているのではないか。
「三、法人にたいする強累進課税の実施」 ここでは財政投融資の名の下に郵便貯金や各種年金などの勤労諸階級の零細な貯蓄、基金を独占資本にまわす”くれてやれ”政策、租税特別措置法の撤廃、利子配当・土地・株式等のキャピタルゲインに対する分離課税の即時廃止等に何らふれることなく、全法人の九割以上を構成する中小零細法人をもおしなべて敵においやるようなスローガンをよしとしてしまっている。
「四、インフレの進行を押しとどめるために厳重な物価統制を行うこと」 ここに至っては、インフレの真の元凶となっている独占資本の管理価格、独占価格、カルテル行為等を不問に付してしまっている。もちろん独占禁止法の反独占的改正も全然問題にしていない。
「五、物価上昇に匹敵するインフレ手当(三か月以上)の支給」—- ここでは突如、変革の政策の中に、論者からいわせれば組合主義的経済主義的要求であるはずのものが掲げられている。「三か月以上」 だから日和見主義に鉾先を向けているというのだろうか。六の「一切の形態の賃金カット阻止」をも含めて、変革の政策としては、SM論文の筆者たちがいみきらう経済主義的組合主義的スローガンとしてさえおそまつ限りないものであるが、これについては別に詳しく取り上げられなければならない。
「七、全面的な公共医療制度の確立と医療・薬剤費の無料化」—-医療の社会化は勤労大衆の切実な要求である。しかしこれは、そこに至る現在の健康保険制度、開業医制をはじめとする医療実態に対する具体的政策が要求されているし、反独占権力のもとにおいてさえ変革の要求として掲げられるものである。医療において独占的利潤をほしいままにし、薬害をたれ流している薬業独占資本の国有化がなぜ提起されていないのであろうか。
「八、兼業農家を含む小農経営にたいする経営保障と自発的協同組合化」 とか「都市自営業者にたいする無利子長期の国家による財政的金融的援助」 これらのどこに日和見主義者にも鉾先を向けた内容があるのであろうか。小農経営の経営保障と自発的協同組合化がどうして両立できるのであろうか。
「九、倒産企業及び閉鎖工場にたいする労働者による生産管理を含む国有化。倒産切迫企業にたいする国家の財政的金融的救済と国有化」—-倒産切迫企業は総じて中小零細企業である。国有化とは、独占資本よりも先にこれらのところでなされるべきこととして提起されている。また財政的金融的救済と国有化は、 一体どのように両立するのであろうか。これでは、独占資本は自己の力を使うことなく、国の力を使うことによって独占系列の再編成、スクラップアンドビルドを行ない、 一か月に一千件をこえる倒産企業、それをうわまわる倒産切迫企業への財政的金融的救済に狂喜することであろう。
 以上、ここに掲げられたスローガンは、 一貫して反独占的見地、独占資本を孤立させる反独占統一戦線の重要性をまったく見失った、日和見主義的見地と超革命的見地の雑炊であるとしかいいようのないものである。こうしてSM論文の筆者たちは、独占資本を孤立させるのではなく、非独占諸階級を独占のまわりに結集させたり、逆にプチブル的小農経営や都市自営業者におもねったりするスローガンを、「必要不可欠」 のスローガンとして提起しているのである。「必要不可欠」 にしては、公務員のスト権回復、刑法改悪・司法反動化の阻止、等の政治要求として最も重要なものが欠落しており、自治体の民主的改革とその自主的財源の拡充、学校、病院、下水道等の建設、独自核武装阻止、核防条約即時批准、日共宮本指導部の部落差別キャンペーン糾弾、部落解放同盟連帯—-等々、われわれがさまぎまなあらゆる戦線で掲げ闘ってきたこれらの基本的要求が抜け落ちてしまっているのはどうしたことであろうか。そして問題は、これら「必要不可欠」 のスローガンが、SM論文いうところの根本的変革のスローガンと、同時に、ならべて掲げられているかどうかによって、あらゆる大衆運動、組合組織、統一行動、統一戦線を判断し、そこに持ち込むことをなにか革命的行為であるかのように錯覚し、意にそわないものは評価に値しないとするセクト主義と結びついているごとである。
 SM論文は、これまで述べてきたことの結論として、次のように語っている。
「われわれは、このような、労働者階級の恐慌からの脱出政策の核心が、軍事費(四次防、五次防)の削減と打切りを要求し、それによる公共投資と住宅建設の拡大を要求すること、この二つの要求の結合にあると考える。恐慌の深刻化に直面する労働者階級の闘争は、平和のための全人民の闘争と結合して闘わなければならない。『労働運動と平和運動の統一』が当面の大衆運動の主要なスローガンのーつとならなければならないのである。」
 軍事費削減、住宅建設を要求すること自体は正しいことである。これは日共宮本指導部も自己の民族主義的日和見的見地を陰ペイし、反独占闘争を放棄し、軽視するためによくいってきたことである。しかし「恐慌からの脱出政策の核心」が、五〇年度予算において軍事予算総額一兆三千億円の内の四次防費の削減と、その程度の住宅建設を要求することにあるといった、驚くべき政治的無恥は、 一体どうしたことであろうか。そしてこれこそが「労働運動と平和運動の統一」だというのであろうか 。
 「アメリカ帝国主義に反対し、日本政府の反動政策とたたかわないで、賃金一本で独占資本と対決するようなやり方で、どうして労働者の生活と権利を守ることができるでしょうか。」—-これは、 一九六四年四月一七日の歴史的ゼネストを 「仕組まれた挑発」だとして、日本共産党がスト破壊に狂奔した時の、かの悪名高い「四・八声明」 の一節である。日共宮本指導部が 「日本人民の独立・平和の愛国闘争と結合して春闘をたたかうべき」だとして、労働者階級の経済的要求にもとづく闘いを、経済主義、組合主義だとして蔑視し、日韓会談反対や民主連合政府樹立を同時に、ならべて掲げていれば、”階級的民主的”労働組合だとする、今も一貫してとり続けている骨がらみのセクト主義、日和見主義と同一な傾向が、このSM論文の結論となってしまっているといえないであろうか。

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 SM論文は最後に、これらの見解を目的意識的に 「マルクス主義の原則と党派性をまもること、労働運動と人民運動の政策の理論的基礎」を提示したものとして語っている。SM論文も語っている全般的危機の新しい局面、日共宮本指導部の原則的な誤りと日和見主義に直面している時、このような目的意識性は常に必要である。しかしSM論文の目的意識性は、まったく逆の結果となってしまっているのである。
 このSM論文の目的意識性が、マルクス主義の原則性の擁護の名の下に、「結合の前の分離」をとなえた福本主義的誤りにおちいり、革命的焦燥感がいつまのにかあらゆる異説にたいする悪しき不寛容と尊大なセクト主義、”大衆の無理解と無関心”から自己を隔離し、防衛するセクト主義に転化することを深く憂慮しないわけにはいかない。
福本和夫氏は、「『方向転換』はいかなる諸過程をとるか」と題して 「一旦みずからを強く結晶するために、『結合する前に、まずきれいに分離しなければならない』『単なる意見の相違』—-同一傾向内の と見えたところのものを『組織問題』にまで、したがって単に『精神的に闘争する』にとどまりしものを、『政治的、戦術的闘争』にまで展開しなければならない。」と語った。(一九二五年、『マルクス主義』10月号)
 SM論文の筆者たちが、このようにして、わが派の主体の形成、わが派の主体の構築、すべてはここからだ このような実践的結論にならないことを願って、問題提起としたい。

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「知識と労働」 討議資料 1975年3月

「知識と労働」 討議資料 1975年3月   発行:知識と労働社

知識と労働 討議資料 1975年3月

知識と労働 討議資料1975年3月

「討議資料」の発行にあたって

 「知識と労働」第十号は 「七四年の大衆運動とマルクス主義」 と題する特集を行っている。
 しかし、本号は本誌のこれまでの編集とは異った仕方で編集された。それは多数の編集委員の共同討議を経ないで編集刊行され、しかもその内容に多くの思想的理論的誤りを含んでいるため、当然のことながら、これに対する批判的意見が続出している。 「特集にあたって」の筆者は 「これらはいずれも試論でありマルクス主義者の間での広範な討議を組織するため」 のものであるといい、また編集後記では「本号で提起されている理論的原則的問題について真剣な検討と批判が行われることを期待してやまない」とも書かれている。このことからみても、こうした批判的意見を、 一定の手続きを経て公表することが、本誌の今後の健全な発展のために不可欠なことであろう。
 われわれは、十号特集の刊行によって生じた諸問題を検討し処理するため、かねて編集会議の開催を求め、去る三月一日にはそれを召集したが、十号特集の筆者の一部は、何故かその会議に出席することを拒否した。しかし、十号にあらわれた理論的思想的混乱が、すでに一部の大衆運動のなかに否定的な影響を生みだしているなどの事情にかんがみ、この混乱を早期に収拾するためには、本「討議資料」の発刊が急がれねばならないとの意見が、多数の編集委員および 「知・労」グループの指導的メンバーの多くの者により出されたことにもとづいて、本臨時号を発行することにした。
 読者諸君が、これを参考にして、当面の理論的思想的問題について真剣な討議を深められることを切望する。

一九七五年三月三日

「知識と労働」編集委員会       代表者  小 野 義 彦

 

「特集にあたって」はどこに導くか
 「74年の大衆運動とマルクス主義」批判         松 原 敬

古くて新しい問題—-田崎論文批判—-      大 木 透

田崎晋論文(『知識と労働』10号)と
 日本共産党七五春闘方針について        永杉 泉

特集「大衆運動とマルクス主義」は何をよびかけているか
 学生党的傾向の克服のために          堺 新一

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市大学生唯研 No11 「知識と労働」小野論文の問題点

市大学生唯物論研究会 No11 75.3.3 (後に「原則」と改称)

「知識と労働」第10号を巡って、小野論文の問題点(市大唯物論研究会 No11)

市大学生唯研 No11 1973年3月3日

市大学生唯研 No11
1973年3月3日

【1】二つの路線 二つの立場
「知識と労働」10号をめぐって「混乱」が生じている。
 しかし、もっと深く洞察する人には、生じているのは決して「混乱」などではなく、明確に区別された二つの思想的立場、二つの路線、二つの潮流の間の非和解的な対立と闘争であることがわかるだろう。すなわち、小野論文を先頭として、マルクス主義の諸原則への重大な修正、日和見主義、改良主義の「沼地」へ行こうとする人々と、マルクス主義の原則性、党派性の旗を守り、けわしい道をいかに苦しくとも、一歩一歩よじのぼって行こうとする人々との間の思想的決べつである。問題は、極めて原則的に提起されており、ここには中間の道は絶対にありえない。
 諸君、公然と論争に参加しよう。
 冒頭、小野論文は、明確に一つの政治的立場を表明した論文であり、一個の政治論文である。なぜなら、それは、当面の危機の評価と戦術と、一定のスローガンを提起し、それを大衆の行動と結びつけようとしているからである。以下、小野論文の基本的傾向を示すいくつかの問題点を提起し、討論のための材料とすることとする。

【2】危機の評価
 小野論文の危機の評価について次の点が問題とされなければならない。
(1)危機緩和論
小野「われわれマルクス主義者は、右にみてきたような資本主義の全般的危機深化の諸現象を、ひとつひとつの総体的な過程として把えるものであるが、この危機の激化を待望したり、それをさらに激化させることに関心をもっているのではない。われわれは断じて危機待望論者ではない。」
ベルンシュタイン「我々はやがて期待されるべきブルジョア社会の崩壊に直面しているという見解、及び社会民主党はこのように直面している社会的大危機を期待することによって、その戦術を適応させ、また従属されなければならないという見解には、私は反対せざるをえない。」
レーニン「個々の政治的経済的危機という意味でも、また資本主義体制の完全な破滅という意味でも」「資本主義が崩壊に向かっている」。「革命家は、革命の到来以前にこれを予見し、その不可避性を意識し、その必然性を大衆におしえ、革命への道と革命のやり方を大衆に説明する」義務がある。
ソ連邦科学アカデミー 世界経済国際関係研究所テーゼ
「資本主義の全般的危機は、この社会体制の力によっては一時的にすら克服することは出来ない。この危機は社会主義革命によってしか解決されない」
(2)現在の日本の危機が、日本資本主義の内的矛盾、基本的矛盾から説明されず、もっぱら外的要因、石油不足とメジャーの石油価格引上げに求められていること。
小野「このように日本の経済にとって戦略的意義を持っていた原油の輸入が今後アタマウチ、ないしよくても微増状態におち入る(ママ)ならば、日本産業の成長が止まるとまでは言い切れないにしても、それが全体としてひどく純化することはまちがいない・・・・石油が必要なほど買えねば、景気回復も経済成長も全くオジャンである。」「石油帝国の最重要な物的基礎が失われようとしている。それとともに国際石油会社が第3世界の産油国を掠奪してきた”安い石油”の上に築かれてきた先進資本主義諸国の成長経済の基礎が崩れ、これらの国の経済状態には”暗い見通し”が避けられなくなった。
ベルンシュタイン「一般的恐慌なるものは・・・予想外の外部的出来事によって何時でも起こり得るものではあるが、もしそれによってひき起こされないものとすれば、このような恐慌が・・・発生するということを推論すべき確固たる根拠がない。

【3】改良と革命
 改良と革命の関係についての小野論文の基本的傾向は次の点に集約される。
小野「われわれは、資本主義が最終的に清算されるまでは、一切の状態が改善されえないとするような考え方にはくみしない」「社会発展のたえがたい桎梏となっているこれらの諸関係を一つ一つ取除いていくこと、それは・・・世界的規模での帝国主義の後退がいよいよ明白になりつつあるとき、そのことは完全に可能になっている。・・・小さな改良、まだるっこい危機対策、上べだけの独占規制策であっても・・・・僅かばかりの譲歩であっても、もしそれが広範な大衆的圧力の介入の下にかちとられる場合には、反独占、民主勢力の介入の下にかちとられる場合には、反独占、民主勢力の結束の強化、その政治的力量の増大をもたらし、より重要で本質的な反独占改革実現への途をきりひらくことになる」
レーニン「社会主義者は、その革命的活動を、改良主義的活動にすりかえない」「改良はプロレタリアートの革命的階級闘争の副産物である、ということである。全資本主義世界にとって、この関係はプロレタリアートの革命的戦術の基礎であり、イロハである」「われわれが賛成する改良の綱領は、かならず日和見主義者にも鉾先をむけているような綱領でなければならない。」
【4】日共の評価
(1) 政策そのものについては批判しないこと。
小野「よいことづくめのスローガンをならべ立てた『民主連合政府』
(2)政策の実現のために、議会主義を労働組合主義で補足していないのが「最大の弱点」として日共を批判している。
小野「日本共産党は国民の増大する不満を背景に近年中央と地方の議会にかなりの勢力を占めるに至ったが、労働運動との結合が弱い点を最大の弱点としている。」
要するに、小野論文によれば、日共は、政策や政治路線が誤っているのではなく、その政策の実現の手段だけが誤っているわけである。
【5】平和共存と労働運動
(1)小野論文によれば、エネルギー輸入をはじめとする東西貿易が十分に進展していないのは、「経済的条件というよりは」すなわち日本帝国主義の階級的本姓というよりは、政治的外交的な事情であり、その面での日本支配層の”優柔不断”と”臆病さ”である」自国のブルジョアジーへの信頼。
(2)小野論文は、アジア集団安保の実現を単に尖閣列島をはじめとする大陸ダナでの「わが国が必要とするエネルギー開発し確保する途」としてしかとらえられていない。明らかに自国帝国主義の擁護の立場。
(3)国際平和運動の原則となっている平和運動と労働運動の結合の視点が、また平和共存の前進を国内の革命的階級闘争の前進のために利用する立場が欠落し、平和共存を、単なる外交政策の「転換」として、ブルジョアジーないし、その一分派に「勧告」するだけにとどめようとし、大衆的平和運動をその付属物にしている。
これらの諸点については、”特集にあたって”およびデモクラート参照。
【6】石油危機
小野 メジャー「性悪説」、石油・エネルギー危機が、全般的危機の現段階における、帝国主義間のエネルギー資源再分割競争であり、帝国主義間の世界市場再分割競争の一環であるという指摘がされていない。ここでも自国の帝国主義擁護の立場。

**********************************************
 以上から、小野論文の基本的特徴を簡単に次のようにまとめることができる。小野教授は、プロレタリアートには「小さな改良」、「僅かばかりの譲歩」を、ブルジョアジーには、対ソ「戦略」の転換による日本の帝国主義的地位の強化を、危機のいっそうの激化、崩壊、革命的闘争のかわりに、約束している、と。
 しかもこのような論文のスタイルはかなり以前から小野教授にとって「骨がらみ」のものとなっていると。
 小野論文から以上の内容、マルクス主義の原則の修正、日和見主義、改良主義を読みとることのできない人は、それを欲しない者だけであろう。

 以上の諸点は、我々がどうしても見逃すことができない、氏の論文の問題点である。最初に述べた様に、これらはマルクス主義の根本原則に関するものであり、日本の共産主義運動再建の途上で避けて通ることのできない問題であると考える。我々の問題提起がマルクス主義の擁護と発展を願うすべての民主的学友の間で真剣な討議に付されることを願ってやまない。(T・K)

※ このビラのあとに、2枚のビラが撒かれたことを確認している。
「原則」No12 1975.3.16
「市大は如何に『マルクス主義』を教授しているか。」
(小野義彦教授批判、吉村励教授批判)
「原則」No14 1975.4.16
「マルクス主義の理論と党派性を打ち固めよ!」

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デモクラート 第61号

デモクラート 第61号 1975年2月12

学費反撃 東京理科大1500名 予算国会包囲
春闘労働運者に連帯し、学費凍結・文教費拡大を

 

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】学費値上げ阻止闘争の課題と展望
学費値上げ阻止・処分撤回
東京理科大 3波ストライキ
3.1ビキニデーに結集を
移転阻止勝利:東洋大経営・社会スト
2面 日ソ平和条約即時締結
反ファッショ闘争へアピール
欧州共産党会議を決定
75春闘の課題と展望
寮問題 学生立つ 筑波大
3面 学費闘争:東京理科大先頭に全国でスト・団交
連日2000同盟登校 東京理科大
学費値上げ阻止勝ち取る 大阪市大理事会の逃亡糾弾:関大
学生大会3000名で成功:立教大
部落解放運動の課題と任務 他

4面 原発と反独占闘争
破局に向かう経済恐慌
私学危機の解決へ今すぐ7千億を
日和見主義的「革新」の帰結
雑誌「現代の理論」
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デモクラート 第60号

デモクラート 第60号 1975年1月20

恐慌の犠牲転嫁許すな
国公私学一斉学費値上げ阻止掲げ
春闘決戦の強力な一翼を

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】恐慌下における反独占勢力の課題
75予算 軍事費削減・文教費拡大
反恐慌政策掲げ75春闘を闘い抜こう75年反独占勢力の飛躍的前進を
2面 75予算公共・文教部門の大幅拡大を
援護法制定へ2月タイ政府行動
75年平和運動の課題と展望
中東への軍事介入許すな
チュー政権打倒へ前進
3面 全国学園スト・団交・デモの嵐
団交へ連日数千名:関大
52名の不当逮捕糾弾:明大
全市大学生集会成功:大阪市大
学長団交へ決議集中:大阪学大
AF2公開検討会:阪大
狭山闘争勝利へ前進を
4面 教育労働運動の飛躍的前進を
ジョーン・バエズ「ここに人生が」 チリ人民への連帯の歌
支配階級と底知れぬ結託
日共、自民と結託し「反暴決議」被爆30周年原水禁運動の原則的統一へ
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七四春闘の成果と残された問題 (「知識と労働」10号)

(「知識と労働」10号 特集論文)

七四春闘の成果と残された問題   –労働運動と「前衛党」–  

「知識と労働」No10 1974年12月10日

「知識と労働」No10
1974年12月10日

                  田崎 晋

 七四年春闘のように画期的で重大な意義をもつ闘争は、あらゆる機会にその主要な諸側面について、種々の観点と問題領域において、検討され総括されるべき問題であろう。しかし、今日の国独資の条件下では、経済と政治、巨大企業と政府がますます密接にからみあい、資本主義と国家の二つの巨大な力が「一つの機構」 (レーニン) となって支配しているので、経済闘争といえども何ほどかでも大規模な、国民経済的な影響力をもつものは、国家の経済政策のわく組みの中で直接的に規制されるという意味で政治的な性格をもつ。だから、春闘のような広範な労働者階級の闘争の総括を、それが闘われた政治的条件、特に労働者階級の側においてはその政治的自覚と力量の度合を集中的に示す前衛党の政治的組織的指導カの問題を捨象して、単に労働組合運動の内部で、組合幹部の指導力と組合の戦闘
性の問題としてのみ、とらえることは本質的な誤りであろう。この春闘の全期間を通じて、日本の 「前衛党」 がもっている主要な、本質的な誤謬—-議会主義=選挙第一主義と日和見主義的改良主義、民族主義とセクト主義に根深く浸蝕されていること、最も戦闘的な組織労働者の間に真の階級的組織を形成しえていないこと、したがって、一方では政府の強権的な弾圧にたえず恐怖し、他方では中小企業者、その経営的ェリート、小所有者等に体現化される「国民」大衆の偏見への迎合に腐心すること、国有化と民生的管理を中心とする真の意味での反独占的性格の政策を提起せず、それによる広範な政治的統一戦線が形成されないこと等々–は、闘争の勝利をたえず限界づけ妨害する致命的な条件として作用し続けていた。だから、日本の労働者階級は真の級は真の前衛政党の指導と組織的な支持なしに、それ故たえず政府と支配階級を根本的な変革の要求で政治的におびやかすことなく、この側面から譲歩の幅を広げ量を増大させるという力の作用なく、 今春闘を闘い抜いたのである。今日の社会において共産党が現実にもっている決定的に重要な意義と役割を考えるとき、このような異常事態を労働者階級の闘争過程全体を貫く変革主体の側の最も根本的な重要な問題として、たえずそこへ立ち帰って検討し考慮することなしに、春闘の総括もその成果を論じることも不可能である。したがって小論では今日のわが国労働運動のロードス島ともいうべき前衛政党の問題に主要な焦点を絞り今春闘の政治的総括のための一試論を提起することにする。このような本論の性格上、特殊労働組合運動レヴェルでの問題は、その具体的政策の問題も含めていわば副次的に取り上げられるに止まる。

1 大衆的高揚
 七四春闘が大衆の自然発生的高揚と組合運動の組織的前進の点で特に注目すべき特徴をもち、その頂点の四月決戦ゼネストの参加者の規模と範囲は労働運動の新しい高揚を示す戦後最大のものであったことは、周知のことである。参加者は八一単産六五〇万人で、昨年の、これも史上最高といわれた四・一七年金ストの規模(五四単産、三五三万人)をはるかに凌駕し、従来の戦闘力ある組合を中軸として無数のスト初参加組合を加えたその組織的な範囲は、それだけでもまさに 「国民春闘」 の名にふさわしいものであった。同時に、これを構成する各単産の闘争の内容も、新しい前進の実例で満たされていた。公労協の五日間にわたるスト敢行、私鉄のかつてない二日間のスト貫徹、全金(とくに大阪地本) の強力な先行的闘争等、春闘中核組合の強力な力量とその発展が如実に示されていた。電機が金属四単産、「同時決着」という右からの方針を乗り越えてゼネスト以降まで闘争を続行したこと、全繊もまた十三年ぶりのストライキを決行したこと、さらに公務員共闘二〇〇万人が半日、 一日ないしは半日反復と本格的な春闘入りを果たしたこと、これらの事実は、数多くの組合の春闘初参加と並んで、今次春闘の広範で底深い威カを示すものである。
 今春闘の原動カとなったものは、いうまでもなく労働組合下部における終始一貫した広範で力強い大衆的な盛り上 がりであった。すでに当初の要求額の決定段階で上級機関の提案が下部からの強い要求と圧カで次々に増額修正されたことは、このことの最初の最も明白な現われであった。さらに、国労は当初の幹部声明に反じて順法闘争に入り、全繊は労使平和条項破棄を要求し、これまでから労資協調的傾向をきわめて強く示していた電労連はスト規制への闘争宣言を行うまでになった。これらは、下部における闘うエネルギーの蓄積と充満を如実に示すものである。そしてこのような力こそ、決戦ゼネストを最後まで貫徹させ、春闘共闘委員会と私鉄の幹部に第二波を構えることを真剣に考慮させた決定的な原因である。
 このような労働組合の戦闘性の新しい前進は、労働者階級の政治的意識の発展を喚起せずにはおかない。今や、対個別資本だけではなく、独占資本とその政府との経済的政治的対決がますます広範に強く意識されるようになっている。三・一統ーストが史上初めて対政府要求のみにしぼって提起され、大成功裡に打ち抜かれたことは、この意味で特記されるべきであろう。
 今春闘にみられるこのような変化—-高揚と前進—-の客観的な基礎は、いうまでもなく、情勢の急激な転換—-危機の急速な進行—-にあった。インフレーションは、すさまじい勢いで労働者階級と人民に襲いかかり、その生活を窮地に陥いれていた。実質賃金は政府の作為的な統計によってすら六・一%も低下し、絶対的貧困化がだれの目にも明らかなほと急速に進行していた。しかるにその一方で独占の利潤は昨年九月決算で見ても、前年同期と比べての利益増が大法人平均四割増、高いところでは七倍増と、包み隠しようもなくふくらんでおり、両者の矛盾と対立は、極度に深刻なものとなっていた。
 もちろんこのような状態は、特殊に日本のみの問題ではない。資本主義全体が深刻で全般的な新しい危機にまきこまれている現在、各国の労働運動は共産党に指導されて画期的な前進を見せており、日本の労働運動にたいしてすばらしい手本を示していた。仏・伊の根本的な反独占改革へ向けた大きな前進や、英炭鉱労働者の不屈のストライキ闘争、西独労働者の下部からの強力なつきあげによる大ストライキ闘争等々は、まさに学ぶべき多くのことがらを示しているといえよう。
 今春闘に現れた大きな変化は、それがまだいかに不充分なものであろうとも、これらの国際的な労働運動の高揚の不可分の一環をなすものであり、その規模と深さにおいて日本の労働運動発展の新しい段階への飛躍の前兆、その序曲を示すものであったといえるのである。
 日本資本主義をとらえている現在の危機は、まだほんの始まったばかりであると言っても過言ではないほど、今後一層の深刻化が予測されるが、この段階ですでに労働運動はこれだけの活力とエネルギーをもって闘う姿勢を示したのである。危機の本格的展開は、必ずや労働運動の、さらには全人民をまきこんだ反独占闘争の爆発的な高揚をもたらすにちがいない。

2  成果とその限界
 決戦ゼネストを頂点とする今春闘は、その直接の成果として、賃金の上昇率と引上げ額の点においてこれまでにない新しい成果を獲得することができた。しかし、「狂乱物価」を前にして反インフレを主要スローガンとしながらも物価上昇分を賃上げによって完全に取り返すことも実質賃金を大幅に上昇させることもできなかった。支配階級とその政府は昨秋に 「石油危機」を利用した極端な物価騰貴によって先制攻撃を加え、予測される春闘の賃上げ分を前もって取り返していたのである。このような事情の下では、各単産によって相異はあるけれども、春闘の指導者達が当初に設定した獲得の目標は下部からのつき上げで増額訂正されたとはいえ、決定された目標額そのものが全体として相対的に低いものであり、インフレに追いつき追い越せるような「大幅賃上げ」 とはいい難いものであったた。しかし、ここでは、まず、このような限られた限界内で日本の組織労働者が組合活動を通じて現実に闘いとった直接の成果の一つ一つについて評価しておくことにする。
ゼネストの中心部隊たる公労協・私鉄の獲得額(公労協二万七六九一円、私鉄二万八五〇〇円)は、ここ数年春闘相場の上限をなしていた造船重機の妥結額二万七五〇〇円を上廻ったものであった。周知のように、追船重機の回答は、鉄鋼と並んで独占の”春闘低額買い取り”の意図をストレートに表現していた。だからとりわけ鉄鋼が下部組合員のつきあげによってそうした意図の忠実な体現者たりえなくなりつつある今日では、造船重機の妥結額を乗り越えて進みえたことは今後の闘争にとって大きな自信となるものであった。更に、春闘共闘委員会に結集した組合全体の平均妥結額が、日経連の当初の意図—-25~30%に押えこむ—-を越えて、34%に達したことは獲得額の面における、春闘の全体としての大きな前進を示すものである。このような成果は、闘わぬビッグユニオンの下部に大きな影響を与え、幹部をも含めて一定の動揺を生みだしている。こうしたことの結果、これまでビッグユニオンの幹部に依拠して労働戦線統一のヘゲモニーを握ってきた全民懇は、その路線の破綻が避けられないものとなっている。
 いわゆる「国民的要求」 の面でも、今春闘は政府の当初予算を、額としてわずか (総額一三〇億円) ではあるけれども、また共産党、社会党の適切な指導がなかったにもかかわらず、実カで増額変更させることができた。この闘いは、労働者階級の政治的自覚の高まりをはっきり示しており、彼らを急速に全人民的闘争の代表者としでその先頭におしあげた。前段の三・ーストを中心としたとの闘いは、同時に、労働者階級自身に大きな自信を与え、後段の自分百身の要求のための闘いへ力強く奮いたたせていったのである。今や、学生でもなく、住民一般でもなく、労働者階級こそが、反政府、反独占統一闘争の盟主であることが、事実をもって明白となった。労働者階級が現代社会において占める位置とその歴史的任務からいえば、これは当然のことである。しかし、本来ならば労働者階級の前衛であるべきはずのわが国の共産党がこのことの意義を軽視するだけではなく、事実上否定している現状のもとでは、とくにこの点を強調する必要があるといわなければならない。
 労働者の団結の拡大と強化を、闘争の真の結果としで評価する観点からとらえる時、今春闘の最大のそして最も本質的な成果、前進のーつは、この闘争を最も真剣に最も戦闘的に闘い抜いた労働組合組織の組織カの拡大、その組織的権威と信頼の確立、強化である。例えば国労の場合、第二組合からの復帰者と加入者は、三・ースト、三・二六、四・ー三と闘争の前進に照応して数の上でもテンポを速めて増大し三ケ月合計で四四O〇名を数え、これに昨年の大会(六月)以後の復帰者五六O〇名を加えれば、組織拡大は実に一万名を越えるものであった。全逓では、春闘の四ケ月で三ニ〇〇名、昨年大会(六月)以後十ニ月までの七ケ月で2000名、あわせて5000名の復帰、加入者を獲得 して、かつてない組織拡大を実現した。同様の組合員の大量復帰の傾向は、全林野についてもあらわれている(数字の詳細についでは『学習のひろば』七四年七月号五四頁以下参照)。民間部門に関しても、闘争の前進と上部の指導性の発揮がただちに労働組合の組織拡大(例えば、全金の場合は実に六千名にのぽる)、新しい組合結成の気運となって結実していく傾向は今春闘の顕著な特徴であった。単に各単産の組合員数の増加だけではなく、今春闘を通じて多数の民間組合が闘うナショナル・センターとしての総評へ新しく結集していった(春闘共闘委員会、七四春闘中間総括、『総評時報』四六六号、五頁参照)。 それは、賃上げへの譲歩と同時に、いなそれを見越してすでに昨秋から行われだ、支配階級とその政府による「狂乱的な」物価騰貴によっても、決して奪い返されることのないものであり、労働者階級の今後の闘争の基本的な武器となるものである。わが国の労働者階級は、このような新しい組識的力量とかつてない戦闘性、組織性の下からの高揚のもとに、参院選、夏の一時金闘争、秋の第二春闘を迎えることになるのである。
 しかし労働者階級の団結の拡大ーーその 「意識と組織」の前進を労働組合組織のレヴェルにおいてのみとらえることが誤りであることはいうまでもない。労働者階級の歴史的使命を認めるものは、労働者階級の政党、前衛政党への組織化の前進にこそ労働運動の根本的な真の前進を求ねばならない。この最も重要な、最も根本的な点では、今春闘は、労働組合運動の前進とそれを指導すぺき労働者階級政党の指導力、組織力との隔絶、対立、矛盾を白日のもとにおき、ますます深刻な問題として提起した。春闘の期間中、日本共産党の方針は、労働組合の行う闘争を可能な限り激しくないものに押え、「節度」をもたせ、「ゼネスト」という言葉の回避を含あて階級闘争の印象をできる限りものやわらかいものとすることにおかれた。春闘ではなく来るべき参院選こそが全問題への解決をもたらすべき主戦場であり、そこにおけるヴォーターとしての 「国民」大衆の投票態度こそ共産党にとって死命を決するものと考えられたからである。春闘の期間、この党の主要な批判の目標は、権力的弾圧を受けている日教組と「順法闘争」を展開する動労であった。これらの問題については、春闘の残した課題として後に検討することとし、ここでは次のことを確認することに止める。「何をなずlべきか」 の観点からとらえるならば、今春闘の成果の基本的性格は、下からの自然発生的高揚が闘いとったものだということ、このような成果はインブレの問題一つを取ってみても何ら根本的な解決を与えるものではないのは勿論、それの直接の経済的獲得物については支配階級とその政府によって全く瞬時のうちに取り返される一時的譲歩にすぎず、ただ次の闘争の出発点、そのための組織的基盤、 「意識性の萌芽」としてのみ真の意義をもちうるということである。後者の意味において、春闘の成果は労働者階級の真の前衛党の確立という任務をあらためて、もはや一刻め猶予も許されないほど切迫した問題として、日本の労働運動の自覚ある部分に提起したのである。と同時に、それは真の前衛党への一般的な期待に基く今日の共産党の誤謬への鋭く仮借ない大衆的批判という形で真の前衛党組織のための大衆的関心を準備したのである。今春闘の時期ほど共産党の問題が、広範な大衆の間で鋭い問題意識をもつて真剣な態度でかつ公然と論じられたことはこの十年来かってなかったことである。

3  権力の介入
 春闘のこのような高揚は、国家権力の直接的な介入をもたらした。政府は 「官公労ストの違法性」「政治ストの違法性」を主張して、閣議決定をテコとしてのむきだしの恫喝をくわえた。政府はまたゼネスト切り崩しを狙って、その「反国民性」を訴え、公労協等の中心組合への集中攻撃にさえ訴えた。政府のこのような政治面での介入は、経営者団体やマスコミが 「コストプッシュインフレ論」 「スト迷惑論」「組織労働者のェゴ論」等々を大々的に宣伝し、政府を叱陀激励する中で、これと一体となって進められたのである。
 だが最も重要なのは、単にイデオロギーを前に出した攻撃だけではなく、警察による直接的な強権的な介入であっだ。警察は、ここ数年みられなかったほど異常で積極的な強圧的な介入を行った。警視庁は決戦ゼネストの最中に日教組への強制捜索を決行し、その後に数名の幹部と委員長を逮捕した。機動隊は各地で全逓、自治労等々にたいしてピケ破りを行った。また裁判所も、動労鳥栖、国労尼崎等の反動的判決を打ちだし、労働者の闘争への敵対を一層強めていった。
 国家権カのこのような、あまりにも露骨な直接の介入は、労働運動高揚の自然発生的性格と現労働組合幹部の指導力の限界、何よりも共産党の議会主義的日和見主義に基く組織的弱体と内部からのセクト的分裂活動(「全動労」結成、日教組批判)を充分に考慮にいれた上のことであった。と同時に、それは独占の危機意識の現れでもあった。 この意味で介入は支配の強さの現われではなく、むしろその弱さの現われであった。彼らは危機の深化と労働運動の新たな高揚への徴候を本能的に感じとったのである。
 さらに国家権力のこのような介入は、国家権力の階級的性格を否応なく誰の目にも明らかにするものであった。国家は経済闘争のどのような現れに対しても、それが幾分かでも本格的に闘われる徴候をみせるや、たちまちのうちに介入してくる。特に今日の国家独占資本主義の下においては、個々の資本、企業の賃金決定であっても、そのような個別性をこえて、総資本、国家としての経済政策の重要な一要素としてこれに規定される側面を持っている。このことは公労協、公務員共闘への回答がーつの共通の基準として巨大な影響力をもっていること、私鉄についてはそれが政府に運賃値上げや事業拡張の許認可権を握られているだけでなく、巨額の事業補助金を交付されていること、国家と深く癒着している独占資本の代表的産業たる鉄鋼や造船重機の回答が大きな波及効果をもっていること等々、数多くの事例の中に現われている。したがって現在では、労働組合運動もまた個々の資本とそのグループとの闘争だけではなく、総資本としての国家の経済政策との対決なしには、多少とも本格的な譲歩は引きだしえない。今春闘に現れた労働組合幹部や下部からの政党への期待と支援の要請あるいはそれと裏腹な不満の表明は、一つにはこのことに根拠をもっていたのである。
 決戦ゼネストの最後のツメの局面での労資間交渉の経緯も、それを真剣に見守った者にたいして、要求の今一段の獲得が簡単なものでないことを示すものであった。春闘共闘委員会の指導部が、私鉄や日教組の第二波ゼネスト突入要請にもかかわらず、「支配体制の壁」 の予想外の厚きと、「泥沼」化して「収拾の見通しも立たない」ということを理由に収拾策をとったことは、もちろん「権力分析の甘さ」として批判されてしかるべきことであろう。しかし同時にわれわれがそれを乗り越えて進むためには、より根本的な闘輝の解決を迫られているということを真剣に考慮しなければならない。「上尾事件」の記憶を蘇らせながらそれに訴えてブルジョア・ジャーナリズムが「ゼネストの反国民性」を大々的に宣伝し、同様の事件を待って政府と国家権力が露骨な介入のチャンスをうかがっていることが示唆されている状況では、政府・独占とのより本格的で断乎たる対決のためには、単に組合次元だけで解決しうる問題の域を越えた問題として、とくに労働者階級の前衛政党の政治的指導の不可欠なことを、大部分の真剣で主体的な闘争参加者が痛感させられたのである。

4 残された問題
 七四春闘はこのように重大な問題を内包し、したがって闘争に参加した多数の労働者大衆に闘い抜き得たという大きな自信と同時に、不充分な成果しかあげえなかったという大きな不満を残したまま収東した。すでに述べたような成果をあげえたにもかかわらず、要求額あるいは実質賃金の向上をかちとるような額にも遠く、労働分配立の向上を展望しうるような学にはまだ程遠いものであった。さらに、収拾段階で最終的に目標とされていた額三万円すら達することができなかった。そしてそのような不充分さは、その後の急激な物価上昇によって日を経るにしたがって大衆的に切実な実感となっていかざるをえない。
スト権問題において、政府自らが関係閣僚協議会の殺置と期限を明示せざるをえないところまで追いつめたが、この内容での決着は、当初の労働陣営の”74決着”あるいはその後の処分の軽減等に焦点をあてた方針からも、大きく後退するものであった。しかも日教組の強制捜索まで行われたにもかかわらず、そのような後退があったのである。国民的諸要求も一定の、過去にはなかった成果がかちとられたものの、内容の点ではどれをとりあげても本格的な成果とはいいがたいものであった。
 七四春闘の以上のような経過と結果は、運動の強さ—-労働者階級の大衆的高揚—-と同時にその弱さをも明るみに出した。
 弱さの第一は、春闘共闘委員会に結集する各単産が賃金闘争を最後まで闘い抜く上でも根本的な欠陥と限界をもつ企業別組合の集合体であるということ、 つまり闘争の困難さは、組織が企業別でありながら国民的要求を闘うということのなかにあった。産別でないから闘えないという主張は逆の日和見主義ではあるが、しかし”国民春闘”という重大な全人民的規模の要求を提起する以上、少くとも組織を産業別に再編成する志向性と具体的展望をもたなければならない。しかもこの産業別組合の必要性とそれへの発展の方向は今七四春闘にもすでに具体的に現われており、その最も象徴的な現われは決戦時に発揮された交通ゼネストの力であったといってよい。国労・動労・私鉄・都市交を中心とする交通労組の統一した力の発現なしには、今春闘がこれ程の盛り上りを見せなかったであろうことを断言できる。この統一の力は、まさに産業別闘争の力強さを物語るものであった。同時にまた闘争の中心的存在であった公労協の場合には、組織が事実上の産別組合の注格をもっていることにその力の源泉があったとみてよい。加えて公労協のこの強さは、資本制社会のワク内における最も進んだ企業組織の形態としての国営部門が、労働者階級にいかに有利な条件となっているかということの証明でもあった。国営部門の拡大とそこにおける労働運動の発展が社会主義への移行にさいして非常に重要な役割を果すことはいうまでもないが、ヴァルガの指摘をまつまでもなく、資本主義における国有部門の労働運動は、利潤追求に基く個別資本の圧力を直接うけず、全国民的な政治的力関係のもとで展開されるという点で、全く有利である。
 七四春闘に現れた注目すべきもうーつの実例は、日本における公営部門を除いた唯一の産業別組合ー海員のあげた成果である。彼らは、春闘共闘委員会が、”三万円以上”というような要求を提起していた時、平均で六万円以上にものぽる要求を提起し、ストライキを行うまでもなく、内航三万ハ九四四円(四四・九%)、外航三万九〇三九円(四一・五%) の賃上げをかちとることができた。しかもこのような額を産業別最賃の形で勝ちとることによって、職務給体系による企業内支配を大きく後退させることができたのである。この組合がゼネストにたいする協力の姿勢を欠いているということが春闘全体の高揚にとって問題を残しているとはいえ、その成果は産別組織のもつ強さを示すものとしては大きな意義をもっている。経営者団体が一昨年の九〇日ストにこりて、春闘対策のーつに 「海員ストをやらせない」と言明していたのも、まさに右の事実にてらして根拠のあることであった。また産別への移行をめざしつつ闘ったいくつかの組合が、大きな成果をあげたことも今春闘の特徴のーつであっーた。電機が二万八〇〇〇円の歯止めをかけたニ波の産業別統ーストを打ち抜き、全繊も中労委にもちこんで統一無期限ストの直前に二万九〇八二円(三二%)を獲得したのである。とりわけ闘争の内容によって産業別的なとりくみを意識的に推進した全金(大阪地本)は、輝やかしい成果をあげることができた。彼らは強カな統一要求・統一交渉・統一闘争によづて、ゼネストまでに三万円以上、最終三万二五一九円をたたきだし、”西高東低” の重要な基礎を構築した。この意識的なとりくみを、現場の闘争の実質的な指導者である地本オルグの多くが、積極的に果たしたことも、注目すべき重要な事実である。なぜなら,企業別組合から産業別組合への移行は、労働者階級のねばり強い自覚的闘いを要する問題であり、このような闘争の意識的で一貫した指導部分とその意識的で積極的な取りくみなしには、ほとんど不可能だと思われるからである。特に今日の日本では、企業ごとに賃金水準・体系、労働条件がパラバラであり、それが更に経済の二重構造という一層大きな亀裂の中におかれている。しかも日本の資本が企業別組合のこの 「すばらしさ」を大いに自覚しているばかりか、 一方では現在の組合幹部たちの多くもその客観的基盤のゆえに産別への移行に消極的であり、更に日本共産党指導部は中小企業への配慮から産別移行には真剣に取りくもうとしていないのである。しかし労働運動の高揚にのっとって意識的で一貫したこの運動の担い手が力強い活動をはじめる時、今述べたような産別闘争の前進と賃金・労働条件の平準化傾向、それに資本の集中化傾向までが、この活動のテコとなり、武器となっていくであろう。二重構造の解消もまたこのような闘争の上にこそ展望されるのである。そして当面、このような方向での取り組みを、産業別組合への移行の客観的条件が最も整備されている民間基幹産業の労働組合に集中して押しすすめることが要求されている。
 今春闘が残した問題の第二は、 ”国民春闘路線” のあり方である。この路線は、今日全労働者が就業人口中68%をも占めており、その意味で労働者の要求そのものが全人民の圧倒的多数の要求ともなっていることの客観的な反映でもあった。それはまた、すでに述べたように、全人民的課題を自らの課題として担い、そのイニシアティブをとる以外に自らの勝利の条件はないという労働者階級の自覚の高まりを反映するものでもあった。しかし同時に、見過せないことは、「国民春闘」 の名によって支配階級とそのオピニオンリーダー達による 「組織労働者のエゴ」等のイデオロギー的攻撃にたいして正面から対決し反撃することを避け、ことさらに組織労働者とは異った部分の要求に強調点を置いて弁解に努める弱々しい対応があったことである。大木事務局長の「順法はやらせません」という発言や、あるいは春闘共闘委員会の方針書の中で、スト権問題が”七四決着”といわれていた線から大きく後退していったのも、その具体的な現れということができるだろう。この傾向は、 一方では労組の最高幹部を国会に送りだすためには中間諸層や意識の遅れた部分の偏見に妥協し迎合することが必要だと考える全く誤った日和見主義的議会主義的発想とも結びついていた。「国民春闘」 の名によって抽象的な「国民」一般の支持をあてにするような日和見主義的傾向は同時に他方では、そのような要求を政党の指導と協力抜きに労働組合のみで闘いとれるかのような幻想に基く請負い主義的傾向となって現われた。
 われわれはこのような傾向を克服し、組織労働者自身の要求の正当性と、それが全人民に及ぽす意味を強調し、その発展の上に全人民的要求を打ち田していかなければならない。この意味で力点をおくべき点は、”弱者救済”という名目で労働者階級それ自身の経済的向上の努力を弱めることではなく、組織労働者と未組織労働者の結合の方針であり、その環となる最賃制の要求を具体的で科学的な根拠に基く政策として提示することであった。そしてまたこのような最賃制の実現のための闘争を抜きにしては、”弱者救済”ーー社会保障の抜本的向上ー もありえない。なぜなら、階級社会では、被支配者階級に属する働けない人間が働ける人間以上に得られるそいうことはありえないからである。ところで、現在この最賃制要求が現実的なカとなりえていない原因としては、現労働運動指導部の取りくみの弱さと同時に、”全国全産業一律最賃制”を中心とする政策の抽象的な性格とこの要求を社会保障的考え方に基ける理解の一面性と限界がある。組織労働者自身が関心を集中させ、主体的にとりくみうるためにはそれにふさわしい形の要求ー物価スライド制の基礎となりうるような高額の産業別最賃制ー を主要なものとして提起していかなければならない。そしてこのことは、このような産業別最賃を基礎とした賃率に基く産業別の横断的な賃金体系の確立の方向にも一定の道を開くであろう。
 ”国民春闘路線” に含まれるもうーつの重要な問題は、労働組合の闘争が政治的に正しく指導される時には、覗在の独占の政府の下でも一定の部分的譲歩として獲得できるような当面の要求、課題 (例えば賃金、年金、ス小権等)と独占の政府を打倒して反独占の政府でとりかえなければ実現されえないような課題 (例えばインフレ阻止) が、明確な意識的な区別に基いて原則的に正しく提起されていなかったことである。勿論、両者の区別は相対的なものであり、その間に越えてはならない万里の長城ばない。だが、たとえばインフレを一掃することは現在の国独資の支配体制をそのままに放置しては実現できない。しかし一連の公共料金の値上げを強力なストライキ闘争でストップさせることはできる。また、全国全産業一律最賃制の法制化と実現はおそらく反独占政府の樹立を必要としよう。しかし産業別協約に基く最賃制の実現、それを基準とする賃金の物価スライド制の実現は、現在の政府の下でも即刻の実現を要求して闘わねばならぬ緊切な課題である。年金の賃金へのスライドやその幅の決定も後者の課題となる。勿論、後者のための闘争は、どの重要な課題においてでも首尾一貫して闘われる時、独占の政府の打倒と反独占政府の樹立とのための闘争に成長転化する必然性をもっている。だから後者のための闘争過大は労働組合が自己抑制したり越えてはならない垣根として提起されてはならないこととはいうまでもない。しかし、より重要なことは、原則的な問題の提起においては、改良は「革命的階級闘争の副産物」(レーニン)だということである。危機の打開策として、独占体の系統的な国有化と民主的な統制を伴う抜本的な反独占的変革およびそれを政治的に保障する反独占人民政府の樹立をつねに要求することなしに、当面の限られた部分的な要求のみをかかげて闘争することは、独占ブルジョアジーとその政府の支配の持続性を保障した上で、その若干の手なおしと手かげんを懇願することにしかならない。そのような闘争によっては、労働者階級の前進にとって何ほどかでも意味のあるような改良をかちとることさえできない。打倒されたくなければ譲歩しろ、でなければかわってわれわれが支配する。論理はこのように提起されている。支配階級の「延命策」はさし迫る死の恐怖のもとでのみ採用されるのである。今日では、勿論社会主義体制の脅威がかかるものとしてつねに支配階級の上にのしかかっている。だがそれが具体的に如何なる譲歩となってあらわれるかは一国の階級闘争が決定することは、いうまでもあるまい。勿論反独占人民政府の樹立にいたる中間段階には、階級的なカ関係と支配階級内部の利害対立に照応して様々な色合と様々な性格の、いずれの側面に力点を置いて評価すればよいか識別困難な「よりまし政府」が現われて来るだろう。しかし、政治的力関係と経済的諸条件のさまざまな組み合わせの下で、各局面毎に一定のリアリティをもって前面に浮かんでは消える。このような政府の一つ一つを自らの目標としてその場その場で 「主観的力量」 に応じて追求することに終始することは、現代資本主義のアカーキー・アカーキェヴィッチの外套のつぎあてに労働者階級とその組織を没頭させることであろう。現代における国民的指導者階級としての労働者階級にとって決定的に重要なことは、賃金労働者としての自らの地位の部分的な改善や当面の改良の要求だけでなく、今日の国民的な問題の基本的な解決の方向、今日の新しい危機からの脱出を可能とする根本的な反独占民主主義的変革、独占体とその権力の打倒の方向をつねに提示することによって、現実に国民の代表者指導者とならねばならないということである。
 総評と春闘共闘委による「国民春闘路線」の提起は、このことの萌芽的な、原初的な現われとして、意識的に発展させられなければならない。しかしそれは客観的に労働組合の任務のワクを越えたレヴェルの問題である。プロレタリアートの基本的な目標も自らの綱領も、少くとも当面は掲げることなしに、部分的な改良のつみ重ねで 「なし崩し的に」ずるずるべったりで将来の社会主義へ接近するという考えは、いわゆる「構造改良論」の右翼的日和見主義的解釈に基くベルンシュタイン主義の擁護、その新しい変種に他ならない。このような思想の誤謬は、党を労働組合幹部へのイニシャチブグループに解消しようとした一九六〇年代を通じての解党主義者達の政治的没落と理論的破産、マルクス主義からの逃亡によってすでに歴史的に証明されたところである。しかし、わが国の労働運動にとって、今日の最大の危険は、抜本的な反独占改革でなく部分的なあれこれの改良、手直し、「規制」しか要求しないという根本的な点において、共産党指導部がかつての解党主義者の日和見主義と本質的に同様の誤謬に陥っているということにある。異るところは、かつての解党主義者が労働組合主義に力点を置いて経済主義を主張したのに対して、今日の共産党指導部は選挙第一主義を強調して議会主義を前面に押し出していることにある。また、かつての解党主義者がイニシャチブ・グループによって既存の組合幹部に取り入ろうとしていたのにたいして、今日の党指導部は議員活動に重点を置いて、一方では小所有者と小企業者中企業者の「営業」 の利益の代表者となることに主たる関心を寄せ、他方では労資の階級的対立が直接的に鋭くあらわれにくい部分(教員や公務員労働者)や、集中的にはあらわれない部分(点在の小組合の集合) に依拠して既存の組合組織の指導的中心を下から切り崩そうとし、また戦闘的な大組織(動労、全逓等)を直接的に分裂させようとしている。 一方での労働組合主義と他方での議会主義は、同一の日和見主義的改良主義の二つのあらわれ、異った形態に他ならない。しかし、かつては一部解党主義者の脱マルクス主義的転落の途であった誤謬は、今日では「満場一致の党決定」と官僚主義的締めつけをもって、党の全組織をあげた転落として拡大再生産されようとしている。ここに日本の労働運動の今日の致命的欠陥がある。この問題については、あとでとくに取りだして論じなければならない。
 第三の問題は、広い意味での労働者政党—-労働者階級の大衆の上に組織的支柱を求める政党の問題である。春闘の国民的な要求、それを支えた労働者大衆の自覚の高まり、そして資本に対する対決の政治的性格は、かつてなく労働者政党の政治的指導の任務と役割を重大なものとした。しかし、実際に示された労働者政党の指導力は、それにたいする客観的要請とはあまりにもかけ離れたものであった。労組の責任ある幹部、大単産の委員長、書記長たちの春闘直後の総括意見は、政党が何もしてくれなかったこと、「反インフレ」といった国民的性格の要求は労組だけではにないきれない政治的課題であること、政党を先頭とする全国民的な政治闘争の組織が必要であること等、労働者政党への期待と裏腹な強い不満で、誰もが共通していた。(例えば『社会新報』五月十二日)そこまで自然発生性が高まったのであり、そこまで意識性がたちおくれているのである。
 「反インフレ」というスローガンは、社会党によっても共産党によっても全く安易にとらえられ、単なる「高成長」—-それが田中内閣によってとくに急激に狂乱的な形で展開され、異常な物価暴騰をもたらしたことは事実であるが—-との対決と同義のものとして、全く一面的に理解されていたことは否定できない。社会党の主な主張は、「総需要引締」政策によるデフレ転換との闘争が緊急焦眉の問題として客観的に提起されている時に、依然としてこれまでからの 「高度成長」との闘争を主要な課題として前面におし出していた。そこには、物価高騰が戦後の国独資の条件の下では「高成長」と好況の局面でも「引締」 による不況下でも一貫して進行するということ、このような条件の下ではヨーロッパの労働運動がそうしているように政府にたいして独占の利益に対する「引締」と同時に人民の利益になるような 「成長」 の政策を一貫して要求してゆかねばならないこと、そのためにはこの局面での後者の具体的な政策と展望が根本的な反独占的変革の路線の上に提起されねばならないこと、等々の、今日の国独資の体制の下で労働運動がおかれている客観的諸条件に基く闘争の基本線の全くといえるほどの無理解が集中的に現われている。このような政策上の誤謬は、この党の一部で追求されている社公民による反独占的政府樹立の安易な展望とは異った意味で、春闘でのたたかう労働者階級の真の力の発揮を大きく制約するものであった。後者についていえば、ヨーロッパにみられるような右から左までさまざまな性格とニュアンスをもつ「中道政府」 のような政府が今の政府に比して「よりまし」 であるかどうかということではなく、そのような政府の樹立でインフレーションをストップさせることを含めて果たして今日の国民的課題を解決できるか否か、そのような政府の樹立を労働運動の目標として提起しうるか否かということに、今日の問題があるということである。

5  共産党の根本的な誤り
 しかし、当初に指摘したような意味で、今春闘にかんする政策上指導上の限界と欠陥について、その本来の任務化てらして最も重い責任を問われなければならないのは、共産党の方針と活動の根本的な誤りである。—-それは今春闘に限られた問題ではなく、労働者階級の行う重要な闘争では、主体の側の限界としてたえず形を変えてあらわれてくる。労働運動の発展にとって決定的に重要なこの問題を労働者政党や労組の一般的な限界や誤りと同列にあつかったり、またこの問題を回避して労働組合運動論一般のワク組のうちに解消したりすることは、前衛党の本来の階級的政治的任務そのものを本質的に理解することも認めることもしない解党主義と同様の誤りに陥ることになろう。
 今春闘を通じて、 ”共産党は闘わない”ということが、戦闘的な組合の指導者と組合員大衆の卒直な意見、現場での実践に基づく批判であった。それは、単に党指導部の方針、政策だけではなく、下部の労働者党員と党組織が本気で闘う気がないという事実への強い不満である。四・一七ゼネストの裏切りが、あいまいな形ではあるが公式に「自己批判」された後も、共産党の労働者軽視と激しい闘争の回避は、日常不断に、特に困難な厳しい闘争に際しては集中的に、組合活動の実践を通じて一貫した傾向として現われている。今日では、このような傾向が意外なことではなく常識的なこととして、日本の 「前衛政党」 そのものの抜き難い体質として組合員の間では受けとられている。このことにこの問題の本質的な深刻さとこの上ない危険性がある。
 共産党指導部は、春闘にたいする一般方針を党中央の公式決定として提起することさえせず、「赤旗」 の一無署名論文(「七四春闘前進のために」一・一七)によって、権威も責任の所在もあいまいな形で提起した。これは、参院選のためにはニ月と五月、二回の中央委員会総会が開かれているのと全く対照的な取り扱いである。春闘の直箭の第二回中央委総会(二月) は、参院選対策を中心にすえ、春闘の方針は独立した特別の議題にのせられることも特別決議に採択されることも、されなかった。そこでは、春闘の問題は幹部会報告の単なる一小部分として、独立した章でも節でもなく、一項目として扱われたに止まる。(全文で九万五千字を越える決議、決定のうち・わずか千六百字を占めるに過ぎない!)一方では同じ重さと分量をもつ別の項目が、春闘の中心部隊であり、組織力と戦闘性に・おいて最精鋭部隊である動労にたいする批判と攻撃にあでちれている。このような会議と議事の形式面のうちにも、共産党指導部が組織労働者の闘争をどの程度にまで軽視しているか、労働運動へのわずかに限られた関心と精力の主要なものを何に向けているかが、疑問の余地なく明瞭にあらわれている。
 春闘の真最中にそれに対置して決定的に重要なのは参院選のみだと強調することは闘争を「選挙に流しこむ」ものとして組合員大衆の間で強い批判を受けた。共産党のこの選挙第一主義、選挙至上主義は、二中総の決議、決定全体のきわだった特徴、一貫した基調となっている。二中総決議の主題は 「参院選での躍進」 であり、この時期の階級闘争と全大衆闘争の指導にかんする党の主要スローガンは 「選挙戦を前面にすえた総合活動」 であった。それは事実上春闘をはじめ一切の大衆闘争を、選挙のための集票活動を中心にすえてその一部分として、それに従属させて行うことを要求するものである。ニ中総決定や、先の無署名論文には労働者と労働組合の 「もっとも重要な役割」や、それが「徹底的にたたかいぬくとと」 や、自民党政府と「正面から対決すること」や、それと他階層との 「連帯」 について言葉としては語られている。しかし、問題はこれらのすべてをマルクス主義の原則にしたがって提起するのか、それとも議会主義と選挙第一主義にしたがって提起するのか、というところにある。労働者階級の経済闘争は、これを最後まで徹底的に発展させ、単に資本とその諸グループとの闘争に止らない、政府及び政治権力と「正面対決する」一大政治闘争にまで指導し発展させるとともできる。あるいは、これを選挙のための反自民的ムード作りに利用し、また 「徹底的にたたかいぬ」 いても結局は意義がないという結論をひき出して、選挙での投票にすべてをゆだね、議会主義のワク内で 「正面対決」する目的で指導することもできる。 「連帯」はゼネストの労働者階級に国民他階層が連帯し支援する形でも提起できる。あるいは、春闘中の労働者が中小企業者の 「経営」 のために 「節度を守る」 こと、また教育労働者の闘争が「保安要員」を置いて父母の偏見に妥協すること、という形でも提起することができる。しかしマルクス主義者が忘れてならないのは、後者の議会主義と選挙第一主義に基く日和見主義的方向においては、労働者の 「重要性」も「闘争」も「対決」も「連帯」も、全ては空文句になり、結局は階級協調主義に転落するということである。
 共産党指導部は右翼日和見主義と反共主義については共産党を「暴力革命と独裁主義」とみる誤解に基づくデマゴギーと解して 「けっして軽視できない問題」(無署名論文)とし、そこには第二義的な副次的な危険性しかみようとしていない。これにたいして主要な批判と攻撃は、動力車労組にに向けられ、その指導部を事実上「国家権力の中枢にむすびつく」「挑発策動に狂奔している集団」 に 「私物化された」ものとして、本質的に階級敵の組織として規定している。だから、春闘の中心部隊、わが国の労働者階級の最精鋭部隊のーつである動労との闘争がファシズムとの闘争と同様の「民主主義擁護の試金石として」提起されている。この、眼を疑いたくなる規定は、共産党が議会主義と右翼日和見主義によってどれほどまで深く侵蝕されているかを示すーつの証左である。また選挙至上論に立つ時、どこまで原則的にはめをはずしてふるまえるか、その危険性のもつ深刻さの度合を示す「試金石」である。
 しかし、このような議会主義、選挙第一主義にたつ共産党の政治コースにたいして、かつて一九六〇年代を通じて解党主義者がそうしたように、労働組合主義、経済闘争第一主義を対置してことたれりとするものは、経済主義の誤りに陥るものである。それはうまく成功した場合でも、結局は支配階級のあれこれの階級分派の対立と政治的抗争の「予備カ」として労働者階級の経済闘争を組織することにしかならないだろう。共産党の無原則的な議会主義的政治にたいしては、原則的な「マルクス主義的政治」 (レーニン)が対置されなければならない。労働者階級の経済闘争は、政治闘争に発展させなければならないというだけではない。 それは、つねに窮極的目的に導かれて首尾一貫した形での政治闘争に、支配階級とその国家権力に対する闘争にまで発展させる方向で指導せられなければならない。それは今日の条件下では、抜本的な反独占的諸改革を可能とする反独占人民政府の樹立とそれを通じての社会主義への移行を切り開く途である。
 共産党指導部は選挙での勝利と議会内多数派の形成による「民主連合政府」 の樹立をその政治的目的として提起している。それはうまく「選挙に流しこむ」ことが成功した場合の、「七四春闘の基本的勝利の展望」(無署名論文)でもあるらしい。この政府については、専ら議会主義に基いて、単に選挙における投票の獲得の結果である議会の議席数(それは院内の政治的力関係とさえ異る) の問題としてだけ提起され、議会と国家権力諸機関との関係、金融寡頭制支配の物質的諸力との関係から切り離して、全く抽象的に語られている。それは、国家権カ、その暴力的諸機構の問題を原則的に提起していないだけではなく、選挙における勝利が真に労働者階級と人民の政治的組織力の勝利でありうるための諸条件—-下からの政治的統一戦線の組織、労働者階級の統一、労働組合運動の統一、労働者階級と国民諸層との反独占的政治闘争における連帯等々—-についでは何一つとして語られていない。しかしそれは単に議会主義の誤謬にのみとどまるものではない。それはこの政府の下で実現される変革の社会経済的内容においても、独占資本と金融寡頭制の支配にたいしては指一本ふれないという意味において、全くの右翼改良主義をその本質としている。それは、「自民党政府のJ経済政策」や独占資本の「反社会的行動」 について批判することによって、一見反独占的な立場と政策をとるかにみえる。しかし、かかる「政策」や独占資本の 「行為」 の根本的な源泉であるところの独占資本主義の経済構造そのもの、かかる「政策」 や 「行為」がそこから必然的、不可避的に生み出されざるを得ないところの経済的土台については、それは何ら本質的で総体的な批判を行おうとはしない。だから「民主連合政府」 の下で、独占資本主義の経済構造は何ら変革されることなく独占資本は自由な運動と発展をとげ、したがって階級的な搾取活動、抑圧活動を自由に展開する!!(共産党指導部はこのことをジャーナリズムを通じて支配階級と一般世論に誤解なく周知徹底させることにイデオロギー闘争の重点を置いてさえいるかにみえる。)「民主連合政府」 の下で行われるところの社会経済的変革の内容は、帰するところ独占資本主義と金融寡頭制の支配を根本的に承認した上での、あれこれの政策の手なおしと、独占資本の個々の 「行為」の 「規制」「統制」、それを専ら上からの議会主義と官僚主義を本質とする「規制」「統制」以外の何ものでもない。—-勿論そのようなものでもある方がないよりましかという問題は、個々の政治的局面で、革命的な階級闘争の見地に立っても提起されうる。しかしそれを変革の基本的・本質的目標として進むか否かという問題は改良主義とマルクス主義を区別する原則的な分岐点である。マルクス主義者は、 自分の政策において 「部分的弥縫」 ではなく、それに対して 「現実的変革の根本条件」(レーニン)を対置しなければならないのである。
 銀行・金融機関の国有化、重要産業独占体の国有化及びそれらの民主的統制は、今日、社会主義への道を切り開く反独占民主主義闘争を最後まで闘い抜く国際プロレタリアートの共通の政綱として既に確立されたものである。一方でこのような反独占的な根本的改革を何ら行わず、他方で小所有者と中小企業者の「営業」「経営」を守ることを政策の主要な課題として追求する時、それは、現在の独占資本主義の経済構造を根本的に承認した上で、したがって金融寡頭制支配による小所有者と中小企業者の体制内的な組織化の現状をそのままの形で無批判的に承認した上で、その限られたワク組の内部で後者の反独占的な志向と利害を防衛するという改良主義的政治指導に終始することにしかならない。このような政策は、無論中小企業者や小所有者の反独占的民主も義の要求を一定限度反映するものではあるが、労働巻階級の要求するところの社会主義・反独占民主主義の政綱とは根本的に異ったものである。それは本質的に労働者階級の利害を前二者の利害に従属させ、小ブルジョア的ブルジョア的改良主義を階級的本質とする。と同時に、今日の諸条件の下では、歴史的国民的な指導階級としてのプロレタリアートに指導される時にのみ他の国民諸階層は根本的な反独占的変革を闘いとることができるのである限り、このような改良主義は小所有者や中小企業者の「経営」や「営業」にたいしでも何ほどかでも意味のある改良をもたらしうるものではない。このことは、 かかる改良主義が支配するならば、恐臓と危機の深刻化のもとでの独占ブルジョアジーの政策活動とその結果が手痛い事実をもって証明することになるだろう。共産党の政策で独占体の国有化が提起されている唯一の部門であるエネルギー産業に関しても、今日の 「石油危機」との連関でまた対米資本関係で最も中心的なカナメとなる石油産業については、国有化の問題を可能な限り遠い将来へ押しやる方向で動揺を重ねている(たとえば「生活をまもる緊急政策」を見よ)。
 マルクス主義のこのような修正は、何も新奇なものではない。独占資本の 「政策」や「行為」を独占資本主義の土台から切り離して論じ、経済構造とそれが規定する「政策」「行為」を唯物論の見地から必然的連関においてとらえない誤謬は、帝国主義をただ「政策」としてのみ理解し批判したかつてのカウッキー主義の」変種にほかならない。
それは、一九五〇年代末の七回大会と八回大会の当時からの共産党の綱領的方針に一貫した特徴である。帝国主義の「政策」とその土台である独占資本主義を、政治と経済を、切り離して論じることによって、『帝国主義論』と史的唯物論を修正することは、七回大会と八回大会では、日本における民族問題至上論にたって日本を帝国主義国と規定することを回避し、日本は独占資本主義ではあるが帝国主義ではない 「半占領従属国」 であると規定する、宮本指導部の主要な論拠であった。十二回大会の今日では、本質において同一の修正主義的誤謬は、独占資本主義の土台に手をつけない 「反独占政策」を正当化する論拠として、姿を変えてあらわれたのである。二中総決議が「自民党政治こそが今日の国民生活危機の元凶」(傍点筆者)という時、全く意味深長である。
 宮本指導部に固有の本質的な誤謬である民族矛盾至上論民族主義的修正主義は、事実上の「主敵」米帝からの解放が議会主義とその法的形式論に基いて、そのための政治的諸条件をなすこところの国際的なカ関係も国内の階級闘争も捨象した上で専ら議会内の手続と法的形式としでのみ提起されるようになった今日でも、他の諸党派と統一戦線を締結する場合のイデオロギー的な「垣根」として機能し、セクト主義の主要な源泉のーつとなっている。共産党指導部は、一方で 「日米軍事同盟打破」を春闘の中心環のーつであるかに強調する政治主義的態度を一示すと同時に、他方ではこのスローガンを一切の 「国政レヴェルの統一戦線」に参加するための条件として提示し、スローガンそのものではなく、それを統一戦線の条件とすることを社会党か承認せずに「全野党共闘論」を主張しているとして、結局は社会党との間にも目下の緊急問題、例えば「ェネルギー危機」と生活の危機の問題で反独占統一戦線を結成することを拒否している。ここでは、「安保廃棄」や「日米軍事同盟打破」はそのために真剣に闘争するための政治的行動のスローガンではなく、 むしろそれによって緊急に妻請される反独占闘争とそのための統一戦線の結成をネグレクトするためのセクト主義的なロ実として機能していることは否定されえない。共産党が「革新統一戦線の結成こそが決定的要因」だと強調するにもかかわらず、むしろ実態は「中間政党」 が共産党に 「対抗しようとする傾向のつよまりがある」 (二中総決議)事実は、党中央も認めざるを得なくなっている。しかし何故にそういうことになるのかということは、少しも反省されてはいない。
 共産党指導部の誤謬はこのように系統的で体系的なものであり、党の政治的体質を最も奥深いところで根底から侵蝕している。それは、今日では共産党の 「党勢拡大」 に照応して、全国民的意義をもつような大きな闘争の高揚に際しては、たえず日本の労働運動の前途を遮る巨大な壁として前方に立塞がるものとなっている。日本の労働者階級とその政治的指導者達は、これを克服し乗り越えることなしには、ただの一歩も本質的な前進をかちとることはできないのである。
 最後に無署名論文の賃金政策は、「だれでも最低これだけの賃上げ」という「最低保障額」を主張する抽象的な見解を無批判的に擁護し主張している。このような見解は、現在の年功序列制や職務給制にたいする自然発生的な鋭い批判としては一定の意義をもつものではある。しかし、それは賃金額について何らの科学的な根拠をも示さない抽象的な悪平等の主張であり、産業別、職種別、熟練度、労働強度等による 「労働の質と量」 に基づく客観的な基準の観点からいっても、他方では年令、家族構成、養育費、教育費等々の生活に必要な賃金、生活給の観点からいっても、科学的な検討に耐えうる主張といいがたい。
 その他、無署名論文では、「総需要抑制政策」及びインフレの責任を労働者階級に転嫁する「所得政策」導入の方向について、デフレ的方向と引締政策への警戒が語られているという限りでは相対的に客観的リアリティをもっているのにたいして、五月の三中総の決定では、インフレ抑制のために 「引締政策を推進することが決定的に重要」という驚くべき主張を参院選での共産党の 「四大基本政策」 のうちにもりこんでいる。わずか数ケ月で党の方針の重要な考えが変わるということもさることながら、恐慌の一層の深刻化と直面しながら労働者階級が闘わねばならないまさにその時に、このような政策を提趨できるとは信じ難いこととである。しかしこのような具体的政策における根本的で致命と思われる誤謬も、既に批判した基本政策の総体における体系的で系統的な誤謬の一要素、 一部分としてみる時、必然的で不可避的なものといわなければならない。
 七四春闘は、その成果においても限界においても日本の労働者階級の運動の現状をまさに集中的に表現するものであった。七四春闘は、日本の労働者階級の運動が到達した大きな前進—- 労働者大衆の運動への広範で大規模な参加と政治的自覚の高まり—-を示すと同時に、ぞれの一層の前進を妨げている労働運動内部の主観的な要因、前衛政党の問題を明らかにきわだたせた。そのことによって七四春闘は、新しくわれわれに重大な任務を課したのである。
 七四春闘の総括が明かにわれわれに課した任務は、日本の労働者階級の運動を支配階級との本格的な対決の道に立たせ、独占とその政府との対決をカ強く闘い抜くことのできる、”英炭鉱労働者”が見せたような、不屈の運動に鍛えあげていくことである。そしてこの目的のためには、 真に革命的で原則的な、マルクス主義に立つ前衛政党の確立がさし迫った急務となっているのである。(一九七四・六)

<付記> 本稿は総評の第四十八回大会以前に書かれたものであり、それについて改めて本論のなかに組み入れて論じることはできなかった。しかし、 この総評大会は、総評結成以来初めて主要単産の大会以前に設定され、その意味からも労働者の大きな関心と注目を集めた画期的な大会であり、それは独立に論じられるべき新しい大きが問題を数多く提起している。しかし時間が許されぬので、ここではさしあたり、既発表(民学同機関紙「デモクラート」第五五号への寄稿) のものであるが今大会についての若干のコメントを本論に付して以下に掲載しておくことにしたい。

七四春闘の高揚を第二春闘へ!
総評第四八回大会ー 「節度ある闘争」に
抗して恐慌下の賃金抑圧と対決

大会の基調とそれを包む情勢
 大会の基調は、七四春闘の力強い高揚、更にはそれをふまえた参議院選挙の前進に支えられており、それらを組織的に闘い抜いた総評労働者の自信と確信に貫かれていた。
だが、大会は、それとともに、より困難な、その意味ではより本格的な闘争を要する情勢下におかれていた。
 その第一は、政府と独占か参院選挙の政治的な敗北にもかかわらず、その姿勢を軟化させず、それどころか居直ったように一層強化する傾向をみせてきたことである。物価の高騰は、参院選以降も私鉄・電力・化学製品を始めとしてとどまるところをみせず、消費者米価の引き上げは三〇%にものぼる見込みである。しかも政府は、これまでコスト・インフレと所得政策に「慎重」 であった労働省と長谷川労相までが賃金抑制の必要を前面に押し出し、強圧的姿勢を固めている。国家公務員に対する人事院勧告の完全実施をしぶり、支払を引き延し、取引材料にし、それとともに自治体労働者の賃金水準引き下げにのりだしているのもこの姿勢の現われである。
 大会を包む清勢の第二は不況の深刻化であった。倒産件数は”危機ライン”のメドといわれる1000件に近づき、倒産規模は一層大規模なものとなってきた。求人件数が大幅に縮小しはじめた。資本は春闘時の「コストプッシュインフレ」所得政策と並んで「企業危機」論をますます前面におしだしてきている。
 このような情勢の中で、大会を見守る全ての労働者が、七四春闘の高揚をいかに発展させ新しい成果を勝ちとっていくかに深い関心をよせていた。

大会の内容と第ニ春闘
 大会は、論議を通じて秋の闘争目標を、①公共料金値上げ反対、②一時金三カ月分の獲得闘争、③スト権問題では処分を出させない闘争、④国民春闘路線の継承として低所得者層の救済予算要求、⑤中小企業の倒産対策、と設定した。これらの目標は、いずれも現局面における労働者・勤労入民のさしせまって切実な要求を表わしている。しかしそれらの実現のためには、大衆闘争の強力な展開が必要なことは勿論、それとならんで労働者政党の強力な政治指導が必要である。
 公共料金引き上げ反対の闘争は、国鉄・消費者米価引き上げ反対を先頭に、反インフレ闘争の軸として最前面に据えられた。物価の高騰が一層重苦しく労働者・勤労人民・学生の上にのしかかっている今日、この課題の重視は全く当然のことである。すでに全電通は、この総評大会直後に開かれた大会において、電話料金引上げ反対闘争の重視を打ちだしており、これらの動きを含めて公共料金引き上げ反対の闘争は今「第二春闘」の一大焦点となっていくであろう。
 当初、大会の準備過程では、七四春闘を闘った労働者大衆の戦闘力と自信を基礎に、独占がインフレによって賃金面での七四春闘の成果を侵食した分を再度取り返す闘いとして”賃金再引き上げ要求”ないしは通常の年末一時金とは独自の”インフレ手当要求”が、反インフレ闘争の主軸をなしていた。「第二春闘」という位置づけも、まさにこのことの表現であった。にもかかわらず、このような要求が、物価上昇を織り込んだ”ー時金ニ力月分獲得要求” へと後退し「更に”公共料金値上げ反対”に中心的位置を譲って、「第二春闘」という位置づけも弱まらざるを得なかったいきさつは大きな問題を含んでいるといわざるを得ない。この問題とは、公労協と並んで日本の労働組合運動を支えるべき民間労働組合の弱さ、とりわけ不況期に顕著にあらわれる弱さであり、日本の労働運動指導者全てに再度その克服の方針が問われた。
 この問題は、恐慌の結果の労働者への押付けと「所得政策」を容認する宮田鉄鋼労連委員長発言に及んでおり、労使協調路線に対する即時の反撃の必要を教えている。
 大会は、七四春闘で多くの問題を残したスト権問題をとりあげ、今第二春闘において「七四春闘に対する処分を完全に阻止する」方針を採択した。我々はこの闘争を、「関係閣僚協議会」あるいは「公務員連絡会議」の結論待ち姿勢を克服し、大衆闘争を基礎としたスト権回復闘争の一環とすべく、積極的に展開していかねばならない。

不況の進行と大会討議への影響
 先に指摘した不況の進行は、大会に大きな影響を与えた。全金・繊維労連・全港湾・全国一般・全日自労、更には私鉄総連等、主として中小企業労働者や日雇労働者を中心とする、もしくは、下部にそれをかかえる単産からは、「企業危機」 への政策に対する質疑が出される状態であった。今日、危機を利用して驚くべき高利潤を搾り上げている巨大独占との闘争が主要なものであることはいうまでもない。それだからといって中小企業の労組の不安と危機意識を、官公労と民間組合、更には大手組合と中小企業組合の違いを意図的に煽る支配階級の論調にも通じるものとしてのみ批判しさることはできない。
 いうまでもなく、労働者は、企業あるいは資本の状態がどうあろうと、生活していかねばならず、その状態を改善してゆかねばならないのであるから、自らの生活に基礎をおいた要求では断固として闘争する以外にはない。
 しかし、現局面では、この論理を貫徹する諸条件はあまりにもきびしく、ぞの具体的形態、闘争の方針を決定することは容易な問題ではない。個別企業の単位や、個々の組合の闘争のみによっては、また組合運動だけの範囲でほ解決できない形で問題は提起されているのである。大木事務局長は組合レベルの方針として危機打開には「例年のようにデモ位でばすまない」 「準春闘規模の闘いが必要」といっている。これは積極的な主張である。問題は、政党がそれをどう指導するかにある。
 現在、共産党の方針は、「中小企業危機」「繊維危機」等を訴え、一見その解決にカ点をおいているかに見える。しかし、その打開の方法を見れば、その方針が少しも真面目で真剣なものでないことは明らかである。彼らは、中小企業経営者、あるいは資本家の利害、「営業を守る」ことに主要な関心を寄せている。だから、労働者階級には「節度を守ること」を主要なスローガンとして要請している。そして危機の解決策としては、国会への請願やあれこれの陳情や世論喚起をしているのみである。このようなことでは何ら政府と独占体の政策を変えさせることはできない。労資協調によって組合をだめにしてしまうのは勿論、共産党が心配している企業経営者の倒産の危機に対しても、何ら打開策をもたらすことにはならない。
 このような事態の根本的打開のためには、金融機関、ェネルギー産業の国有化とその民主的統制—- 国家の金融、エネルギー政策の抜本的転換が絶対に必要である。大会方針案でも、いまだ抽象的一般的ではあるが「民主的変革」 の必要が語られているのは、このような客観現象を一定限度反映したものである。まさに望まれるべきは、労働者政党が労働者に対してもっと具体的体系的な政策を提起し、自覚的な闘争を首尾一貫して組織することである。闘う労組幹部の間に政党への期待が高まっているゆえんもここにある。一定の政治的力関係を必要とする根本的な反独占政策が即時一挙に実現できないとしても、この第二春闘で獲得すべき当面の対恐慌政策を打ち出していかねばならない。この中心環は、総需要抑制政策に対決し、福祉の増大と労働者・勤労人民のための公共事業の根本的な拡大を勝ちとることである。公共投資の拡大と国有部門を中心とした拡大政策・民間倒産企業の民主的な生産管理を可能とするような諸措置が必要である。国民春闘路線の継承として提起されている対政府予算要求等は、この方向で提起されてはじめて実りあるものどなるであろう。そのためには、対外政策の面で、社会主義諸国との貿易拡大を中心とした平和共存外交への大転換が同時に進められることが必要不可欠であり、労働運動はこの面でもまた、主導的に政策を展開してゆかねばならない。

大会論議を占領した「政党支持自由」
 大会を通じての最大の問題点のーつは、代議員三四名の発言の殆んどが「政党支持自由」の問題に集中したことであった。既に述べたように重要な課題が山積していたにもかかわらず、限られた時間の大部分をこのような討議に費さざるを得なかったことの根本的な源泉は共産党の労働組合政策にある。共産党は、大会に向けて危機の根本的な解決策を提示することもなく、論議の内容を深め前進させる努力も何ら行わず、大会キャンペーンを殆んどこの問題のみにしぼり、しかも攻撃のホコ先を総評左派系の戦闘的単産に向けていたことは全く驚くべきことである。
 共産党が執勤に主張してそのためには重要な組合の組織分裂をもあえて辞さないところの「政党支持自由」とは、どのような意味をもっているのだろうか。それは、基本的には、選挙の時に共産党候補者を、組合で支持せよという要求である。この一見単純で当然すぎる要求が、ことあらためて主張され、しかもそれが労働組合によって受け入れられないということに問題の本質がある。共産党は労働組合の日常活動に真剣にとりくんでいないし、少しでも困難な闘争や激しい闘争は回避していることは、組合員大衆の間では周知のことである。このような状態では選挙のときだけに限って「支持」を要求しても受け入れられないのは不思議なことではない。しかも組合が春闘などで困難な闘争を真剣に行っている時に、全ては議会で、だから選挙と投票で決まると主張して、闘争を選挙に「流しこむ」ことに力点が置かれている。これでは組合の反発を招くことは避けがたい。だから組合員大衆は、共産党は選挙のみに的をしぼって労働組合を利用しようとしている、組合は共産党にとって単なる集票装置としてしか考えられていない、と受けとっている。したがって、社会党の政党としての組織が弱く労働組合への依存が強い条件のもとで、これと同様の議会主義的レヴェルで共産党が割り込むということになる。このような論理の上では、悲惨な組合分裂という結果は避け難い。このような事態を共産党は少しもおそれてはいないかにみえる。組織を割っても票をとることが、闘争でなく投票が、アクターではなくヴォーターが、主眼となっているかにみえる。これは日本の労働者階級にとって、これ以上ない危険な方向である。共産党が正常な活動をしている時には当然に得られる共産党への「支持」を、このような形でしか問題にしえないのは全くの異常事態である。このような時に、政党と組合の関係や組合員の政治活動の自由の一般論をもち出もて抽象的な問題で具体的な問題を置きかえるものは事柄の本質、その最高度の危険性を認識しえないものか、でないとすればそれを故意にぽかせるものである。
 もし共産党が真剣な姿勢で「政党支持の自由」をいうのであれば、形式論ではなく、労働者大衆の支持と信頼をえられるような政策を掲げ、正しい戦術指導を行なわねばならない。それたけではない。そのような活動と闘争の任務に耐えられる下部基本組織を組織してゆかなければならない。そしてそのことを下部の党員の日常不断の積極的な活動を通じて実践によって証明していかなければならない。この意味で「政党支持自由」の問題を真剣にとりあげ最も深刻な問題として反省しなければならないのは他ならぬ共産党の方であろう。

おわりに
 大会は一定の限界をもちながらも、七四春闘の高揚をひきつぎ七五春闘をめざして例年にない準春闘級の秋闘—-第二春闘を提起した。闘争は四波にわたり、臨時国会の行われる10、11月をヤマ場として国労・勤労を中心とした一大ストライキが展開される予定である。
 現在、労働運動は依然として下からの大衆的高揚の局面にあり、政府と支配階級はかつてなく深刻な内部矛盾をかかえている。我々は労働大衆の高揚する工ネルギーに依拠し、政府と独占に譲歩を迫る巨大な第二春闘を構築していかねばならない。

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 七四春闘の成果と残された問題 (「知識と労働」10号) はコメントを受け付けていません

74年の大衆運動とマルクス主義 (「知識と労働」10号)

特集にあたって  (「知識と労働」 10号)

74年の大衆運動とマルクス主義

「知識と労働」No10 1974年12月10日

「知識と労働」No10
1974年12月10日

 七月の参院選での革新諸党の勝利は、 「保革伯仲」 の参院議席比(議席数差7)を実現し、この選挙だけに限れば参院議席数の「保革逆転(獲得議席数六三対六七)を実現するものであった。それは保守合同以来、支配階級が選挙戦で蒙った最初のそして最大の敗北であった。七〇議席の獲得の手段、「金権選挙」(何百億円といわれる)と「企業ぐるみ選挙」の結果がこれであった。衝撃を受けた財界首脳は、議席数と得票率(初めて四〇%を割る)の「ダプル負け」であると政府与党への露骨な非難をあびせた。しかし、この勝利も敗北もプルジョア議会主義の枠組の内部での出来事であった。これについては、マルクス主義者の間で然るべき評価と批判が行なわれていない。


 選挙をたたかった革新諸党の間には、根本的な反独占改革のための共同の綱領も、それにもとづぐ反独占統一戦線の組織も、なかった。共産党と社会党の間には、政府与党と根本的に対決するために必要な共同の選挙綱領、選挙協定はなぐ、全国レヴェルでそれを締結するための努力さえ行われなかった。「準与党」 の方向をとる民社党と「中道革新連合」 をかかげる公明党については、 いまの局面で共社と同一の水準で問題にすることは当を得たことではない。しかし、革新諸党の間の選挙綱領の一致、政策協定なしには、それら各党の候補者の調整をすることも、したがって諸野党の得票数の合計では結果的には自民党を上まわったいくつかの選挙区(岩手、秋田、山梨、滋賀、島根、宮城、愛媛、大分等々)で政府与党に勝利することも、事後における机上の数量計算以上のものとしては全く問題とさえなりえない。だからわが国の国政選挙での革新諸党の進出を、たとえばフランスのように根本的な反独占改革の共同政府綱領をもってたたかっている国の「入民連合」の前進と同様に評価することは根本的な誤りである。
 わが国の選挙戦の総括を行う上で、 根本的に重要な問題は、 他の革新諸党を「中間政党」と規定し、頭から批判する共産党が、自らの政綱においても戦術においてもブルジョア議会主義の枠組そのものにたいして本質的な批判を存わず、その枠組の内部にとどまっていることである。それはわが国に特殊な、全く異常な事態である。
 共産党の「民主連合政府綱領」は、主要な金融機関と重要産業独占体の国有化及び国有部門の民主的統制を提起していない。それは金融資本の寡頭支配の体制そのものを基本的に承認するものである。それは独占資本主義と国独資の政治的経済的構造そのものには何ら手をつけず、それの存続を前提とした上で、議会主義的=官僚主義的な「統制」や「規制」のこまごまとした諸措置を行うこと以上の変革要求を何らかかげるものではない。無論、このような限界の内部でとられる、あれこれの部分的な改善や改良の政策が、今日独占資本と鋭い利害対立に陥っている中小の資本や小経営者(都市自営業者、商人、農民)の民主的反独占的要求を一定限度反映するものであり、またそれを部分的に満足させることもありうることは、否定できない。しかし、それは労働者階級の基本的利害の上に立った革命的な社会的変革の要求とも、また労働者階級階級と広範な勤労・被搾取人民大衆の反独占的な根本的変革の要求とも本質的に異なったものである。このような共産党の綱領的方針は今日国際共産主義運動の確立された共通の綱領—-根本的な反独占民主主義改革を通じて社会主義革命へ接近する戦略—-とは全く無縁な、それと根本的に対立する右翼日和見主義、ブルジョア的改良主義をその本質とするものである。
 「政府綱領」の政治的変革の部分は「国家とその諸制度の問題をその階級的基礎と権力掌握者から切り離して論じるブルジョア法律家的形式主義に基いている。「国民主権」がブルジョア独裁の法的政治的形式であること、議会主義が官僚主義を不可欠の補足物とし、その頭部における金融寡頭試の権力を不可避的に生み出すこと、等の現代ブルジョア国家の本質的な特徴は全く忘れ去られているかにみえる。常備軍(自衛隊) の問題についても、民主運動と「国民抑圧の軍隊」であることを認めておきながら、その「解散」については専ら法律手続 「防衛庁設置法、自衛隊法の廃止」ー を示すのみで、そのような手続をとることを可能とするような政治的諸条件、階級間の力関係については全く述べられていない。 「民主連合政府」の存続と活動は支配階級の「弾圧」 「抑圧」装置としての自衛隊と如何なる関係に立つのか。 この根本的な問題は真剣に提起されてもいない。もうーつの抑圧装置、警察についても、全く同様の形式主義的な取り扱い、法律手続論と改善策しか示されていない。しかし、国家と国家権力の問題におけるこのような無関心で無批判的な態度は、「政府綱領」 の社会経済的変革におけるブルジョァ改良主義と全く相照応したものであり、後者と同一の根源、金融資本とその寡頭支配の政治的経済的体制を根本的に承認し前提することから、必然的に生じてくるものである。このことは、チリーの反革命クーデターに際して共産党指導部によって恥知らずの露骨さで語られた。チリの「人民連合」は国有化や民主的統制のような、社会主義をめざす根本的変革を行ったから、軍隊による反革命クーデターが生じたのであって、日本共産党の方針ではそのようなことは生じる余地がありえない、と。
 総じて政治的国家的制度の領域で「民主連合政府綱領」が掲げているところの当面の変革の要求と目標は、その根本においてブルジ ョア法規範 —-「憲法とそれに基く法体系」—-を唯一の基準として提起され、それの「忠実な実行」「厳正な実行」という以上に何ら本質的な変革要求は掲げられていない。他方ではマルクス主義がブルジョア的法制度を問題とする場合の基本的な事項—-市民の「財産の尊重が必然的に資本と搾取関係、階級対立を生み出すこと、平等の下で実質的不平等(階級的区別と社会的差別)、民主主義の下でのブルジョア独裁等—は全て無知でなければ注意深く回避されている。このような政治的綱領は、社会主義へむかって進むことではなく、「純粋民主主義」のモデル国家を形成することを目的としているとしか言いようのないものである。これまでブルジョアジーの階級的支配のための法的政治的理想型であったものが、今や労働者階級の当面の変革の目標として掲げられ実現されうるような新しい諸条件が存在するようになった、とでも考えられているのであろうか。いずれにしろ、日本共産党の政綱の根本的な誤謬、度し難いまでのマルクス主義からの逸脱は、戦術的方針とその実践のうちに集中的に表現されている。
 共産党は、戦術においては選挙第一主義、議席獲得至上論ー 選挙こそが「党躍進のものとも重大な課題」(二中総決議)ー に立ち党活動のすべてを集票活動に集中し解消している(「選挙戦を前面にすえた組織活動」同上決議)。だから、共産党の宣伝活動の最大の重点のーつが、 「北方領土要求」の反ソ・反社会主義的な民族主義におかれ、大衆の理性にではなく、ブルジョア的、小ブルジョア的偏見に訴えることにおかれているというだけではない。共産党は、危機の新しい局面と恐慌の深刻化のもとで労働者階級のたたかった 「国民春闘」を首尾一貫して最後まで指導し、これを勝利に導く方針を提起することも、組織された労働者階級の闘争を原動カとして広範な人民大衆の「生活防衛闘争」を組織し、その政治的統一戦線の力によって内閣を打倒する方針を提起することも、なかったのである。革新市長と国会及び地方議会の共産党議員を介して党のもつ政治力の主要なものは、「経営」「営業」の危機に対する全く弥縫的な援助策にふりむけられていたにすぎない。他方では春闘と参院選の全期間を通じて党指導部の主要な活動のーつは、労働者階級の組織されたもっとも戦闘的な部隊(動労、全電通、全逓、全国金属等々)にたいする政治的批判と組織的分裂活動、及び支配階級とその権力の公然たる攻撃をもっとも強くうけている部隊(日教組)にたいするイデオロギー的政治的攻撃に集中された。この意味では参院選での共産党の進出は、労働者階級の「国民春闘」にたいする指導の放棄と事実上の敵対という本質的な裏切り行為を代償として、全党をあげたブルジョア選挙方式の集票活動の所産として獲得された成果だったのである。
 しかし得票内容の統計的数量的検討からも一見して明らかなように、東京、大阪をはじめとする都市部の選挙区の全てにおいて、共産党の得票数と得票率の頭打ちと減退傾向がすでに現れでいる事実は、その組織的責任の所在が誰にあるかといった党内の意見対立とは別に、共産党の議会主義的偏向と改良主義的政策にたいする不満と批判が都市労働者と先進的知識人層の間ですでに開始され高まり、はじめていることを示すものであろう。


 参院選での革新諸党の勝利をもたらしたものは、異常なまでの急激な物価高騰と賃金給与の購買力の下落、実質賃金の低下にたいする、雇用減退とさしせまった失業の不安にたいする、不況の深刻化と経営不振にたいする、また小農経営の没落の危機にたいする、労働者階級と入民諸層のヴォーターとしての強い不満、自然発生的な憤激と危機感の表明であった。いうまでもなくその根底にあったのは、わが国経済情勢の急激な悪化、誰もが認めざるをえない危機の到来である。
 全世界のマルクス主義者が一致して認めているように、資本主義世界は全般的危機の「新しい局面」に入った。あらゆる標識がそのことを示している—-全世界的な過剰生産恐慌の諸条件の成熟、 インフレーションの急激な進行、国際通貨危機の慢性的な深刻化、ェネルギー(石油にかぎらない)危機、国際的な経済戦争と帝国主義的対立の激化。戦後の国独資の体制そのものが生みだし、あらゆる方策によって一時的に繰延べ蓄積し、深刻化させてきた諸矛盾の激化とその全世界的な爆発はさし迫ったものとなっている。
 しかしこの情勢はわが国の「前衛党」によって科学的具体的に規定されることもなかったし、それにもとづく具体的で現実的な危機からの真の脱出策が提起されることもなかった。選挙の争点は主としては単なる「物価」の問題として庶民の消費生活の次元でのみ扱われている。せいぜいのところそれは政府のーつの政策、「高成長政策」との対決に解消され、それを他の一政策、「引締め政策」で取り代えることによって解決可能であるかに主張されている。しかも単なる議会内部の議席数の変化と内閣の更迭のみによって問題が片づくかに主張されているのである。独占資本とその政府がデスレ的転換を志向し、恐慌とインフレーションが必然的、同時的に深刻化している現在、このような政策を提起することは、また、政治闘争と社会変革における原動力としての大衆闘争の決定的な力から切りはなして単なる議会内部の力関係に全てを委ねることは、かりにもマルクス主義を掲げ、労働者階級の「前衛」を自認するものの態度として全く信じがたいことである。


 危機の深刻化は支配階級内部の対立(独占間の、独占と非独占間の)をも激化させずにはおかない。支配階級は国独資のあらゆる方策を用いてそれらの対立を部分的で一限られたものに押しとどめ、同時的に急速に激化することを阻止しようとしている。しかしいうまでもなく、支配階級は基本的で主要な攻撃を労働者階級と人民諸階層の上に集中し、恐慌の一切の犠牲をその上に転嫁するととによって危機を乗切ろっとしている。独占とその政府は、選挙戦の期間を通じて、選挙戦の終了後は一層露骨に公然と速度をはやめて、激しく、物価騰貴—-独占価格の凍結解除、公共料金の一斉値上げ—-に訴えて労働者階級と給与生活者の実質賃金を低下させ、時間短縮、レイオフ、解雇によって恫喝を加えながら所得政策による賃金の凍結を図ろうとしている。支配階級とその政府は公共部門と民間部門、大手と中小、不況の潜在的な産業と顕在的な産業、組織労働者と未組織労働者、本工と社外工・臨時工・季節工等々、労働者階級内部に分裂と対立を持ち込む一切の要因を駆使して、労働者階級とその組織への攻撃と分断を強めようとしている。同時に独占とその政府は、財政的金融的措置を通じて恐慌の深刻化、倒産の激化(10月11月頃には月間千件を予測)による、中小企業の淘汰と独占的集中、小所有者の収奪を遂行しようとしている。
 支配婚級によるこのような攻撃は労働者階級と人民の反撃と下からの政治的高揚を生み出さずにはおかない。春闘の大衆的な勝利はその前哨戦であり、参院選の革新陣営の進出はその一徴候を示すものにほかならない。これに対して政府は、その階級的本性にしたがって、一方では公然たる弾圧と権力主義的支配の確立と強化に訴えようとしている。その要素はすでに選挙期間中に行なわれた日教組への弾圧、一連の反動的裁判による司法の反動化のうちに露骨に現れている。系統的なファッショ化の方向を阻止するためには、これらの部分的な、端緒的な現れの一つ一つとの即刻の真剣な闘争が必要不可欠であることは言うまでもない。
 「前衛政党」の政策と戦術における原則的な誤りと日和見主義、及び革新陣営全体としての立遅れは、労働者階級と勤労人民をこのような経済的政治的攻撃から自らを防衛し反撃に転じる上で決定的に立遅れた状態においている。


 プルジョァ議会主義の枠組の内部において自民党の「単独政権」「一党独裁」の時代は終止符を打たれようとしている。参院の議席差の接近は、議会の手続面、議事運営面だけからも「政府与党による支配の政治的不安定と対立の激化の新しい条件を生み出している。数量政治学的予測にもとづく衆院におげる「保革逆転」の展望は支配階級とその政府をおびやかすものとなっている。
 危機の深刻化が必然的に不可避的に生みだす労働者階級と人民大衆の経済闘争および政治闘争の激化は、現在のところは議会主義の内部に押しとどめられている広範な大衆の政治的意識を前進させずにはおかない。それはマルクス主議にもとづく原則的で現実的な政治指導の確立と結びつくときには、ブルジョア議会主義の枠組そのものをくつがえさずにはおかない。春闘を闘った労働者階級の戦闘的な部隊の間ではすでに今日の「前衛政党」の議会主義的日和見主義と政治的組織的指導力の無力と根本的な欠陥にたいして大衆的な不満と批判が集中している。このような力は革命的で原則的なマルクス主義者の諸要素にたいしてその思想的政策的指導力の確立と政治的組織的結集の必要性を自覚させ、決意させる原動力の一つにならずにはおかないだろう。
 支配階級は、こうした一切の動きをブルジョァ議会主義の枠内に押しとどめ、「ブルジョア的政治」の土俵の上で階級闘争と一切の対立を解決するための新しい政治的対応策とマヌーヴァーを模索しはじめている。財界首脳たちが考えている「保守新党」(自民党の四分の一程度) の結成とそれによる野党との「連合政権」構想は、その本質において革新諸党の分断を基本的な目標とするものである。それは共産党と社会党の「社会主義協会派」を除く全野党の連合を「保守新党」が指導する計画であり、社会党を分裂させ、「社会主義協会派」を締め出すことを第一の前提条件どしている。いわゆる「受皿論」(永野重雄)として支配階級によってあけすけに語られているこのような構想の実現が、労働運動と労働組合運動に新しい分裂を持ち込み、壊滅的な打撃を与えることは火を見るよりも明らかである。しかし、公然と「準与党」を名のる民社党はもとより社会党の一部(これまでからの社公民路線の追求者に限らない)と他の野党にも、この構想に呼応して進んで支配階級の「保守新党」をその上に載せる「受皿」の作成を準備する活動が早くも開始されているのは、わが国の革新陣営にとってこのうえなく危険な動向のーつである。このような保革の「大連合」による中道政権が予定している部分的国有化と独占体の規制を含む統制経済政策にたいして、共 産党の「民主連合政府」の政策内容は原則的な一線を画せないのみならず、本質においてそれと全く同一のものである。
 議会主義の内部における政治的対立の新しい方向のーつは、その内容において本質的な区別をもたないーつの政策、「中道政策」の政権担当者の座をめぐる争いであり、「保守新党」による連立構想と共産党による「連合政権」が争っでいるということにある。この争いにおいて「民主連合政府綱領」の提起者が自らの掲げた政策を担当する政権の座から排除される事態を単なる喜劇として傍観して済ませることのできるものは、マルクス主義者でも人民の護民官でもない。それは労働者階級と人民にとってこの上ない災厄であり、悲劇である。また、今日の新しい政治的状況を「多党化の時代」 「連合政権の時代」として一面的に礼讃するものは事柄の本質を見抜けない日和見主義的超楽観論であると言わなければならない。幾多の歴史的経験が示しているように、議会主義的日和見主義にたいする人民大衆の幻滅は、露骨な反動と右翼的な公然たる権力主義に道をひらくものだからである。


 恐慌の深刻化が生み出す支配階級内部の経済的利害の対立は、議会内部における政治的不安定の条件の下で、政府与党内の矛盾と対立、各派閥間の対立抗争をかつてなく激化させている。安保闘争と岸内閣の瓦解後の党内の深刻な分裂と派閥抗争が「高成長政策」によって鎮静化されたような有利な条件は、今日の新しい危機の下では支配階級にとって存在していない。三木と福田および保利の閣僚辞任は自民党内派閥闘争の激化の結果であり、また与党内の分裂と抗争の新しい原因ともなっている。デフレ政策の徹底と権力主義的抑圧支配による「保守本命」の道を歩もうとする福田と、かつては「国民協同」主義を掲げ、労資協調による野党の懐柔と分断の立役者になることを期待されている三木とは、今日反田中において同調しているけれども、前者の冷戦派的な体質と後者の平和共存派的な体質の相違を含め深刻な対立関係にある。いずれにしろ参院選の敗北によって窮地に陥った田中首相は、党内入事の操作により党内派閥闘争を一時的表面的に抑えこみ、強引な逃亡と沈黙によって臨時国会を乗り切った。今日田中を政権の座にとどめているものは金(伝えられるところでは一八〇億—-これは国民協会から自民党への年間献金額と等額である)と権カの力以外のなにものでもない。自らの出身業界である建設業界を最大の不況部門のーつとし、年来の持論である「高成長政策」と「列島改造論」を暗礁に乗りあげさせた田中首相は、自らの本来の姿とその利害的基礎に反して危機の下での総資本の利害に従って何らの政策的確信も展望もない引締め政策をとりつづけている。田中内閣はかつてなく、もろく脆弱な状態におかれているのである。しかし展望の欠如は田中に限ったことではない。台湾、韓国にあまりにも深くコミットし過ぎ、また産軍複合体の政治的推進者として、その冷戦主義の体質が今日の国際的なデタントの動向とあまりにもかけ離れている福田を含め、支配階級とその与党指導者の誰一人として今日の危機を乗り切る政策上の確信をもっているものはいない。「一寸先は闇」というブルジョア政治家の自戒の言葉が今日ほど深い意味をもつ時はない。それは恐慌の波と犠牲を誰が最も多く受けるかをめぐって、支配階級内部の「敵対する兄弟間の戦闘」(マルクス)が激化し、個別資本の利害と総資本の利害の対立が前面に押し出されている、今日の客観的情勢そのものに基づくものである。
 労働運動にとって必要なことは、階級支配と現情勢への適応の異ったスタイル、方法を表現するあれこれの総裁志望者と派閥代表者のいずれの思惑が実現するかに主たる関心を寄せることではなくて、そのいずれのスタイル、方法による階級的抑圧にたいしてもそれにふさわしい的確な対決点を見い出し、首尾一貫して闘争することであろう。 マルクス主義者にとってまず第一に必要なことは、危機の深刻化を前にして動揺し対立し抗争しあっている与党指導者のあれこれの傾向のいずれかを選択し、それに期待を寄せることではなく、彼らの対立や抗争を生みだしている危機の客観的な根源とその現情勢を具体的に規定し、支配階級の出ロとは根本的に異なった労働者階級のヘゲモニーによる危機からの真の出ロを提起することである。


 資本主義の「自動的崩壊」はありえない。支配階級にとって「絶対に活路のない情勢というものはない」(レーニン)。支配階級は基本的には消費の抑制と対外的膨張によって危機からの脱出をはかろうとしている。それは経済戦争の一層の激化と帝国主義的対立の一層の激化をもだらさずにはおかない。しかし今日の新しい国際的なカ僕係と社会主義体制の優位の条件の下では、支配階級は自らの体制の瓦解の危険を冒すことなしに世界的な戦争の手段に訴えることはできない。このような条件の下では世界経済の緊密な国際的連関の利害は、最も深い、根源的な力として、帝国主義的矛盾と対立の下にある帝国主義各国を対社会主義市場への接近の方向に向かわせずにはおかない。しかし、社会主義体制に対する帝国主義諸国の根本的な対立関係は、支配階級のとる平和共存政策と対社会主義接近を、社会主義体制への分裂策動(対ューゴスラビア、ルーマニア、「自由化」のチェコ、中国の社会主義体制からの分裂)をも含めて動揺と矛盾にみちた不安定で中途半端なものにする。支配階級は一方では対社会主義貿易と経済協力関係の拡大(田中訪ソ、チュメニ、ヤクート)を志向すると同時に、他方では経済的政治的矛盾と対立によってたえず根底からゆるがされている対社会主義の帝国主義的軍事同盟の維持と補強(安保堅持と日米会談、独自核武装)を図らざるをえない。
 支配階級が全体として矛盾し動揺し分裂しているのと同様に、その個々の政治家、派閥、それらの背後にある財界と独占グループもまたニ面的で矛盾に満ちた利害をもっている。勿論、これらのそれぞれについて、複雑にからみあった二つの傾向と対立にだいする比重の置き方、コミットの仕方、度合にしたがって「一定の音階」(ガントマン)を区別することはできる。しかし、支配上層の間に、ブルジョァ政論家が好んで図式化するような冷戦派と共存派、頑迷派と開明派といった単純な、できあいの分岐、対立があるわけではない。だから支配上層のいずれかの部分、「階級分派」に依存し、それを支持することによって、国家政策の全体を平和共存の方向に転換させうると考えるのは、主観的で一面的な単純化による日和見主義的見解であろう。
 確かに支配上層の対外政策上のニ面性と矛盾の基礎には、帝国主義の本質が生みだず一般的政治的目的と一国の客観的な国民経済的な利害の矛盾に基く、客観的な対立矛盾がある。だが、支配上層が後者の利害の自覚とその優位において行動することを待機することは全く問題となりえない。労働者階級が国民的な指導階級として、平和と平和共存を目的とする首尾一貫した自らの対外政策—-社会主義諸国との全面的で長期的で安定した経済協力関係の実現—-を掲げて闘うときにのみ、支配上層内部の矛盾を深刻なものとし、政策的選択をせまり、客観的な国民経済的利害の命ずる方向へその対外政策を向わせることができるだろう。労働運動が支配層内部のあれこれの政策的分岐の単なる付属物にならないためには、労働者階級の掲げる外交政策、方針は、その基礎をなす内政の根本的な変革、転換の方針との必然的な連関において、金融寡頭制支配の現体制とは異なった客観的な経済的基礎をもって、提起されなければならない。労働者階級とその前衛は独占の支配を打倒し国民経済を現実に指導するための準備を常におし進めることによってのみ、支配階級に政策転換を押しつけ、その中途半端で動揺的な部分的な対社会主義接近を一貫して拡大し発展させることかできるのである。
 勿論、今日の世界のカ関係と社会主義体制の優位のもとで、帝国主義対立の激化に基く他の帝国主義たとえばアメリカの集中的な攻撃を受けた場合、自らの帝国主義国としての国際政治的地位の維持と上昇のためにも、客観的な利害が支配上層に選択をせまり、平和共存的方向をとることを余儀なくさせる可能性は大きい。しかし、それが国内的な基本的な階級対立と階級支配そのものを排除するものではないにもかかわらず、支配階級の反共的反社会主義的な本姓に基いて、また緊張緩和と平和共存が労働者階級の闘争に有利な条件を切り開くことへの恐怖に基いて、支配階級とその右翼的反動的、冷戦主義的傾向は、つねに必然的にまきかえしと反撃に出る。それは、客観的な世界情勢のカ関係によってすでに形成された「東西間」の条約や協定の体制そのものをくつがえすことは妨げられるにしろ、一時的な部分的後退や停滞を生み出しうるのである。ドイツの共産主義者が指摘しているように、それはプラントの失脚と更迭にもよく示されているであろう。ここでもまた労働者階級と広範な人民大衆の平和と平和共存のための闘争こそが決定的に重要な意義をもつのである。
 今日、国際的な力関係は、社会主義と平和の諸勢力にとっで有利な方向へと全般的に転換している。デタントの趨勢は全世界的な規模で進行している。だから、労働者階級は既に獲得された一連の「段階的諸成果」 の上に立って緊張緩和と平和共存のための新しい闘争を組織することができる。「アジア集団安全保障体制」のスローガンはますます現実的な意義をもつものとなっている。それは、日米安保条約の存在の下でも即刻着手することが可能な、緊張緩和のための政策要求である。その第一歩として、何よりもまず、日ソ、日中、日朝の平和条約の締結、南ヴェトナム臨時革命政府の承認を要求してたたかわなければならない。集団安保体制の確立は、現実的で具体的な過程ともて把えなければならない。それは、社会主義体制に敵対する帝国主義の軍事同盟が存在する現状から出発して、国境の現状承認と尊重に基ぐ平和条約、相互不可侵条約、双方の車事力の相互引き離し、均衡ある相互的な軍備縮少等を含む一連の過程として現実の晴勢と力関係によってその進行のテンポや形態を規定される、ジグザグなコースをとるであろう。そこにおいて全欧安保会議のような国際会議をアジアで開催することは、過程を短縮し一挙に促進させるものとしてつねに目的意織的に追求されなければならないだろう。いずれにしろ、それは安保体制の解体と廃棄に到る具体的なコースのーつであり、またその重要な構成部分でもある。安保条約の廃棄は、この過程の進行途上で国内の政治的力関係を根本的に変えることによって一挙に実現されることも可能である。だから、 「集団安保体制の確立」と「安保廃棄」は相互に補足し促進しあうものとして統一的に把握されなければならない。
共産党の「民主連合政府綱領」は、安保条約の廃棄について、法的手続以外の何も規定していない。そのような手続をとることを可能とする現実の客観的情勢と政治的諸条件については一言も語られていない。それは従来かち現指導部によって革命の主要な戦略目標とされてきたものが、事実上議会主義の内部での法的手続の問題に解消されてしまったととを意味している。 「民主連合政府綱領」は一方では「アジアにおける真の集団安保体制の確立」について要求しながら、それの実現には「いっさいの軍事同盟の解体」が前提条件となると想定することによってこの要求を全くの無意味な理想論とし、事実上棚上げしている。共産党指導部は他方では、現実の目標として提起されている「アジア集団安保体制」のスローガンにたいしては、冷淡に無視するというよりは事実上敵視している。しかし、安保条約の廃棄や集団安全保障体制の樹立について、いかにそれを一般的な目的、高い理想として認めていようとも、それに到達する具体的過程や方策について冷淡な沈黙や敵対をもっで応えるものは、目的そのものにたいして真剣な態度をとるものとはいうことができない。それは自らの掲げる目的を全くの空文句に転化させるものである。このような二心的な態度の背後には、ソ連と社会主義体制に対たいする根底からの不信と表裏一体の全く悲観主繭的な情勢把握がある。それは、昨年夏の宮本委員長の「核政策転換」を新しい契機として、反米闘争第一主義の民族主義と並んで、反ソ反社会主義体制の民族主義の側面が全面的に展開され前面に押し出されてきた、日本共産党の政治的イデオロギー的変節の新しい局面と照応するものである。


 労働者階級は根本的な変革のための革命的な要求とならべて、独占資本とその政府にたいして即刻の実現を迫るべき部分的で改良的な政策転換の要求を掲げてたたかわなければならない。
 恐慌は資本主義的拡大再生産の不可避的な結果である。現代の国独資の諸条件の下で恐慌の発現の仕方、そのテンポは国家介入の諸方策により構造的な変更をっけ、その潜在的な爆発力はかつてなく深刻で激しいものになっている。資本主義をなくさないかぎり、 恐慌をなくすることはできない。しかし労働者階級は、今日の恐慌の深刻化の下では、日常的な経済闘争において、同時に、国家の財政金融政策の転換とそれに必要な一連の独占体の国有化を含む部分的な変革の要求を何ほとかでも系統的な政策として掲げてたたかわなければならない。それなしには、実質賃金の切下げから身を守り、賃上げをかちとり、生活水準の引下げと耐乏生活の強要に対抗して生活の諸条件を改善する上で一歩も前へ進むことはできない。いうまでもなく、このような変革の要求はいかに部分的な、限られたものであり、金融寡頭制の支配そのものを廃棄するものではないとはいえ、それが独占体の利害の一部に手をつけるものである以上、独占資本とその政府との深刻で困難な闘争を抜きにしては、したがって労働運動の統一した闘争なしには、かちとられることはできない。しかし、この困難さは労資の階級対立の非和解性のーつの表現であり、資本の側からの、ごく一部のものへのほんのわずかの欺瞞的な譲歩に幻惑され、あるいは桐喝に屈服するのでないかぎり、避けて通ることのできないものである。われわれの部分的な変革の政策は「かならず日和見主義者にも鉾先を向けているような綱領でなければならない」(レーニン)。われわれは、恐慌の深刻化に直面するわが国の労働者階級がみずからの利害と地位を守ってたたかうためには、次のような政策的諸要求のうち、少なくともその主要なもの、基本的なものを、それの即刻の実現を支配階級に迫る闘争のためのスローガンとして、掲げることが必要不可欠であると考える。

1,公共部門を中心とする拡大政策の導入とそれに必要な部門の国有化。 抜本的な雇用の増大。
公共住宅建設の拡大とその関連部門(私鉄、電切、ガス、セメント、鉄鋼、土木建設等) の系統的な国有化。
エネルギー産業の国有化。
2,軍事費(四次防)の削減と打切り。五次防の阻止。
アジアの反共軍事政権(韓国、台湾、南ベトナム等)への援助打ち切り
3,法人にたいする強累進課税の実施。
投機的利得の取上げ。
産業独占体と銀行、商社にたいする財政的金融的援助の制限と打ち切り。
4,インフレの進行を押しとどめるために厳重な物価統制を行うこと。
公共料金の凍結。家賃の凍結。食料等生活必需品の価格凍結。
5,物価上昇に匹敵するインプレ手当(三カ月以上)の支給。
勤労者課税の抜本的削減。間接税の廃止。
産業別協約最賃の確立に基く賃金の物価スライド制の実現。
労働者の平均賃金に見合う社会保障費及び老齢年金の支給と賃
金スライド制の確立。
6,一切の形態の賃金カット阻止。
一時帰休、一時解雇阻止。
全失業期間中(さしあたっては少くともニケ年間)最終賃金に
見合う失業保険(さしあたっては八五%以上)の給付。
全額企業者負担を含む失業保険制度の抜本的改善。
7,全面的な公共医療制度の確立と医療・薬剤費の無料化。
私学教育費の全額国庫負担を含む文教予算の抜本的拡大。
全面的な公共的保育制度の確立と育児費用の国庫負担。
8,兼業農家を含む小農経営にたいする経営保障と自発的協同組合化。
国家による無利子長期の財政的金融的援助。肥料、農業、農業機械器
具の価格凍結。
転用農地の国家・公共機関による専一的取得。
農業生産物の国家による買上げ保障。
都市自営業者にたいする無利子長期の国家によ石財政的金融的援助。
9,倒産企業及び閉鎖工場にたいする労働者による生産管理を含む国有化。
倒産切迫企業にたいする国家の財政的金融的救済と国有化。
10.対社会主義貿易と経済協力関係の拡大。
資本輸出にたいする規制。
発展途上国との平等互恵の基礎に立つ貿易、経済交流の発展。
日ソ、日中、日朝平和条約の締結、南ベトナム臨事革命政府の承認。
アジアにおける集団安全保障体制の確立。

 われわれは、このような、労働者階級の恐慌からの脱出政策の核心が、軍事費(四次防、五次防)の削減と打切りを要求し、それによる公共投資と住宅建設の拡大を要求すること、この二つの要求の結合にあると考える。恐慌の深刻化に直面する労働者階級の闘争は、平和のための全人民的な闘争と結合して闘わなければならない。「労働運動と平和運動の統一」が当面の大衆運動の主要なスローガン、のーつとならなければならないのである。


 わが国の労働運動とマルクス主義は、労働者階級と入民諸階層の掲げてたたかうべき反独占民主主義的な根本的変革と社会主義革命への接近の綱領的政策においても、また当面の部分的で改良的な政策転換の要求の提示においても、決定的に立遅れた、原則的な方針にもとづく準備の全く行なわれていない状態の下で、全般的危機の新しい局面を迎えようとしている。
 一九六九年の「共産党・労働者党国際会議」で再度確認され強調されたように、社会変革と革命において、民主主義と社会主義をざす闘争において原動力となるのは、労働者階級と広範な人民の大衆行動の力である。危機の深刻化は歴史を創造する大衆の活動力を著しく強め高めずにはおかない。だから今日ほど「革命的階級の能力」を鍛えあげ、大衆行動を首尾一貫して指導するマルクス主義者の目的意識的活動の強化が客観的に要請されている時はない。大衆闘争とマルクス主義がーつの現実的で革命的な力に結合され統一されることなしには、今日支配階級によるかつてない収奪と攻撃にさらされている労働者階級と広範な人民をその貧困と窮乏化の現状から脱出させ解放することはできない。マルクス主義者は労働者階級と広範な人民を議会主義的諸政党の政治的指導のもとにゆだねておくことも、支配階級の対立と抗争の深刻化が呼びおこさずにはおかない政治的覚醒の枠内にとどめておくことも許されない。
 本特集は、すでに開始されている危機の新しい局面に立向う労働運動と広範な人民大衆の運動にたいするマルクス主義者の間での綱領的・戦術的見解と意見の一致をはかるためのーつの寄与を提供するものである。これらはいずれも試論であり、マルクス主義者の間での広範な討論を組織するための皮切りと問題提起のためのものである。もちろん論者たちの見解は具体的な問題のすべての点で一致しているわけでばない。しかしマルクス主義の原則と党派性をまもること、労働運動と人民運動の政策の理論的基礎を提示すること、それによって現実的変革にたちむかうことのけ的意識性は共通のものである。
(一九七四・八 文責 K・S、K・M)

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デモクラート 第59号

デモクラート 第59号 1974年12月7

学費攻撃・全国学園ストで反撃を
秋闘・労働者の闘いと結合し、低文教予算を打破しよう

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】不況政策と対決する大衆運動の前進を
フォード来日・核安保反対、130万人怒りのデモ
日本共産党宮本指導部のスト破りを糾弾する
狭山上告棄却阻止へ 12.7関西集会
2面 ソ米会談 SALT画期的前進
盛り上がる74秋闘 正しい政治指導は急務
チリ人民連合は健在
核防批准・集団安保実現 平和集会開催へ:都平連・大阪四平連
3面 全国で学園ストへの戦列強化
経済自治会で圧倒的勝利 関大
クラ連(準)結成 明治大
市長団交実現へ 大阪市大
法政大・大阪学大
4面 AF2開発 産官学の責任を追及しよう (九州大学の闘い)
総需要抑制下の労働運動
日共代々木派、同和会と結託
恐慌と勤労者
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デモクラート 第58号

デモクラート 第58号 1974年11月12

核・日米安保・4次防の破棄へ!
フォード阻止・自民内閣打倒の闘いを!

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】選管内閣の幻想たちきり総需要抑制政策に反撃を
恐慌の犠牲転化を拒否し、秋闘連帯・学費闘争の高揚を
東京高裁無期判決糾弾
石川青年は無実だ、最後まで闘い抜こう(民学同中央委)
10.21行動に、首都・関西700名
2面 政府は韓青同への弾圧をやめよ
韓青同アピール
政府危機の根本的転換へ 闘うイタリア労働運動階級
民営移管に反対し無期限ゼネスト:フランス郵便労組
3面 全国私大で燃え上がる学費闘争
関西大・明治大・天理大・法政大(工)・東京理科大・東洋大
闘う大学祭 大衆的に成功
小田実氏講演に600 大阪市大
市民まじえAF2シンポ 阪大
4面 アジア集団安保の意義と展望
日共スト妨害 大衆的な制裁を
恐慌と勤労者(4)
「チリのテロ支配の一年」
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デモクラート 第57号

デモクラート 第57号 1974年10月15

日米軍事同盟に鉄槌を!
10.21反戦・反核の一大決戦

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】10.21国際反戦デーに総決起しよう
核・基地撤去の闘いを
ナイキ基地阻止 10.5全関西集会
石川青年は無実だ、我々は完全勝利を確信する(民学同中央委)
2面 恐慌の犠牲 労働者を直撃
所得政策導入を許すな
人民と軍隊の同盟勝利:ポルトガル
ファバ論文批判の意味するもの
3面 私大学費 一斉値上げ阻止を
警察権力導入に抗議 大阪市大
全面勝利へ400決起:東京理科大
寮費負担増に反撃:奈良女子大支部完全無罪を確信 9.26集会に900決起
4面 自粛論打破し、ストを
インフレ阻止・11月下旬統一スト 産別組織の強さと現状
(大阪労働講座10月例会)
恐慌と勤労者
被爆29周年原水禁世界大会「報告決定集」の特徴と問題点
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デモクラート 第56号

デモクラート 第56号 1974年10月1

朝鮮人民・チリ人民に連帯し、
10.21国際反戦デーを闘い抜こう

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】秋期学園闘争の一大高揚を勝ち取れ
狭山闘争勝利へ、闘いの渦
9.19チリ人民連帯集会
日本共産党は、解放同盟への恥知らずな攻撃をやめよ
2面 9.19チリ人民連帯青年学生集会決議帝国主義的拡張に質的強化
日本共産党は解放同盟への不当攻撃をやめよ
共産党批判を決議 大阪地評大会
3面 AF2と産学協同を告発 阪大
9・10月公判連続闘争に決起 狭山
阪学大問題 腐敗極まる薬事行政
狭山:統合移転に1000名署名集中
宮内裁判全面勝利 :東京理科大
学費値上げ阻止へ :関大
4面 日教組:11月下旬に半日スト決定
恐慌と勤労者
自粛ではなく長期ストで:全金大阪唯物論入門講座第7回例会
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デモクラート 第55号

デモクラート 第55号 1974年9月7

第2春闘に連帯し、総需要抑制・政治反動と対決し
田中内閣を打倒しよう

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】独占の恐慌・反動政策 第2春闘を軸に粉砕を
チリ人民連帯、9月中旬国際連帯行動進む独自核武装の準備
狭山9月公判:総力で結集しよう
2面 8.4広島平和集会 400名参加
核拡散防止条約即時批准を
学生階層別集会 原則的に開催
矛盾の中にフォード新政権
3面 AF2問題 腐敗極まる薬事行政
狭山闘争:現局面と我々の任務
日教組大会:日本共産党に批判続出奨学金の大幅拡大へ
4面 74春闘の高揚を第2春闘へ
第48回総評大会開かれる
恐慌と勤労者
唯物論入門講座第6回
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デモクラート 第54号

デモクラート 第54号 1974年8月1

核実験の完全禁止・核拡散防止条約即時批准を
被爆29周年原水禁世界大会を成功させよう

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】参議院選の結果と反独占勢力の任務
世評アピールに応え、国際統一行動呼びかけを
朴は反ファッショ闘士を釈放せよ
学生階層別集会の成功を
2面 参議院選挙結果と各党の消長
ギリシャ軍事政権の崩壊
民学同推薦候補全員勝利
3面 大管法:臨時国会上程阻止
東京 → 広島 キャラバン隊
8.4ノーモア・ヒロシマ平和集会
東京理科大 全学自治会選挙
社会学部自治会再建・経営自治会選挙勝利:東洋大
根本的改革へ巨歩 阪大Cスト
4面 公共料金値上げラッシュ
日本共産党ストライキを否定
欧米に広がる国際金融恐慌
新刊紹介:マルクス主義の根本問題
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デモクラート 第53号

デモクラート 第53号 1974年7月1

新大管法の上程許すな
休暇中の緊急行動体制の確立を

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】核実験全面禁止・核防条約批准・原水禁大会の成功を
教組幹部逮捕・起訴に抗議広がる
相次ぐ核実験に断固抗議する
2面 平和シンポ:核防批准、政府に要求原水禁:組織統一に関する提案
民学同中央委声明 8.1
進む独自核武装の準備
3面 大管法反対・諸権利擁護 全国で前進する闘い 阪大・法政大・大教大
解放研連協(準)結成
全学自治会選挙勝利:東京理科大
6自治会選挙勝利:阪大
全学統一行動成功:東洋大
4面 文化運動の教訓 大阪市大支部委
重要な夏季一時金闘争
聖職論と教員運動
大阪学生唯研第3回講座
経済の民主的統制
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デモクラート 第52号

デモクラート 第52号 1974年6月5

日教組幹部逮捕糾弾
新大管法粉砕の隊列うち固めよ

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】政治反動と対決し、大衆運動の前進を
刑法改悪・小選挙区制許すな
民青:3学友をデッチ上げ告訴
大阪でも決起集会:学大池自が呼掛け
2面 参院選挙:反独占の闘士と奮闘を
自共対決論の意味
改悪刑法:民主運動に敵意むき出し狭山闘争:完全無罪判決へ前進
3面 釜洞当局:機動隊導入・スト破壊糾弾、闘争体制を強化
蛮行つづけた妨害者
民青の告訴糾弾、権力への売渡し許すな (民学同大阪府委)
経・社で学生大会:関大
共産党と「挑発者」:赤旗から
4面 74春闘の諸問題と今後の課題
スト権奪還闘争の前進のために
教育の破壊者はだれか
【解説】阪大への機動隊導入と釜洞体制
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デモクラート 第51号

デモクラート 第51号 1974年5月15

5.23日教組ストに呼応し
全国学園スト、統一行動に決起せよ

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】クラス先頭に全学ぐるみの闘いを
新大管法国会上程阻止へ
警察日教組幹部大量逮捕を策動:
総力で23ストを
自治会中心に決起集会:首都
2面 参院選挙:反独占の闘士と奮闘を
相次ぐどす黒い策動
民青の分裂主義、粉砕を(民学同)報告:ゼネストの中で
3面 弾圧許さぬ学内統一を
阪大・東洋大・阪学大
狭山5.23公判に総結集を
自治会再建掲げ、国庫補助要求(高崎経済大)
新大管法策動粉砕・狭山闘争完全勝利掲げ学園ストを:民学同大阪府委
4面 統一で守った新歓祭:阪大・市大
第3回唯物論入門講座
ロシア革命的民主主義の教育
英国炭鉱ストと総選挙(下)
深化する経済恐慌
13回大会への来賓挨拶
(大阪労働運動研究会、労働者党全国協議会)
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デモクラート 第50号

デモクラート 第50号 1974年4月30

全国学園ストで反撃を
日教組弾圧抗議・大管法・私学助成法粉砕

 

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】インフレ・教育反動、自治会運動強化で対決
日教組弾圧糾弾
日本共産党:教師聖職論
靖国法案を強行採決:自民党
2面 決戦ゼネスト貫徹 史上最大
在日韓国学友の手紙
近づく仏大統領選
3面 民青:暴力で自治会破壊攻撃:学大
学費値上げ白紙撤回:立教大
大学学改革 課題と展望シリーズ
学費闘争に大弾圧:東洋大
燃え上がる学費闘争:明治学院大
4面 唯物論入門講座 200名参加
英国炭鉱ストと総選挙
13回大会への来賓挨拶
(部落解放同盟府連、「知識と労働」社、大阪労働講座)
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デモクラート 第49号

デモクラート 第49号 1974年4月16

同盟13回大会成功 青年同盟との兄弟関係決議
耐乏強要・政治反動と対決 大管法闘争強化を確認
13回大会決議 民学同の10年と青年同盟結成の意義

1面  ←PDFは、こちらから 大学めぐり、重大対決の年
13回大会決議:民学同の10年と青年同盟結成の意義
春闘:決戦ゼネストへ
アジェンデ夫人迎え、チリ連帯集会
2面 【主張】臨時措置法廃棄、私学助成法粉砕の闘いを
74春闘と青年労働者
アジア集団安保への前進
3面 大学改革 課題と展望シリーズ
大管法を前面に 各大学で新歓行事工学部闘争全面勝利:大阪市大
狭山5月公判に総結集を
4面 民学同第13回大会について
13回大会への来賓挨拶
学生唯研入門講座始まる
民学同に結集しよう:新入生の諸君へ
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民学同文書 No.12 「68~69全国学園闘争総括と教訓」

民学同文書 No.12

<12回大会テーゼより>
「68~69全国学園闘争総括と教訓」
理論政策誌「新時代」創刊号 1974年4月20日発行

はじめに
一 全国大学闘争前夜の学生戦線
二 全共闘運動「高揚」の必然性と限界性
三 日本共産党(代々木派) 民青の犯罪的役割
四 第四回大会テーゼの鋭い問題提起
五 全国学園闘争と民主主義学生同盟
六 七〇年以後の学生運動

–はじめに–
一九六八年から一九六九年にかけての「全国学園闘争」の高揚は、学生運動が新たな歴史的転換局面に入ったことをわれわれに理解させた。そして、この大学を舞台にした闘争の高揚は、日本独自のものではなく、多少の時間的格差があるとはいえ、全ての「発達した資本主義国」–国家独占資本主義の下での共通の現象として存在したのである。米国ほ勿論のこと、西独、仏、伊、英等でも、嵐のような青年・学生運動がほぼ同時期に高揚した。
アメリカにおいては、ベトナム反戦運動、黒人解放運動、大学改革運動の中からうまれたSNCC、SDS、西ドイツのドチュケ、ランベールなどに率られるSDSの運動、仏においては、一九六八年五月~六月の”五月危機”の最中でのコーンバンディ、ルイ、アルチュセールなどの、<三月二十三日運動><行動委員会>運動、などがそれであった。日本においても「新左翼」と称しつつ登場した反戦青年委員会、べ平連、そして、全共闘運動がそれであった。そして、この運動は、〝反体制〟を標傍しながら、”学生反乱””知識人の反乱″〝自己否定””占拠、パリケード″社会主義世界体制や共産党、労働者党、労働組合など一切の〝旧体制の告発″などを叫びながら、青年・学生運動の大衆的高揚の一時期を創り出したのである。
しかし、彼らの〝反乱″は、全世界の至るところで敗退した。だが、たとえその運動が今日敗退したとしても、その高揚の諸条件を科学的に分析せず、単に〝「左翼」小児病″のなせる全く偶然的な事件として歴史の博物館に収めてしまうことはできない。
この六〇年代後半の青年学生運動の嵐の様な高揚を小ブル急進主義運動、トロツキズム運動としてのみ一面的に評価する態度は正しくない。なぜなら、無政府主義運動は、「あれこれのブルジョア的『流行』思想に『憑かれたように』ひきうけられる」性質をもってはいるが、「これらの真理を理論的に、抽象的にみとめるだけでは、また、革命的な政党を古いまちがいからすくい出すことにはならない」(レーニン同右)からである。
従って、わわれわれは、こうした運動をひきおこし、同時に、あの様な悲劇的敗北をとげた原因を科学的(理性的)に総括し、克服の方向を示していかねばならない。

一 全国大学闘争前夜の学生戦線
戦線の極度の分裂と「左」右の日和見主義の拡大対立
歴史的な全国学園闘争に至る学生戦線は、文字通り、分裂に分裂を重ねていく。にもかかわらず、この時期は、本格的な新植民地主義的海外侵略と、日本帝国主義の政治的代理人=佐藤内閣に対する大衆的反撃の時期でもあった。
日韓条約の締結、米帝国主義(ジョンソン大統領)によるベトナム民主共和国への無差別爆撃の開始と佐藤の公然たる加担、在日米軍基地の出撃拠点化、インドネシア共産党の大量虐殺の開始、中東での緊張激化など帝国主義の露骨な好戦的対外政策による内外の緊張激化の下で、日本を含めて世界の反戦・平和運動、反帝・反独占の闘争は新たな高揚へと向っていった。
日本では、一九六五年四月に、べ平連(ベトナムに平和を、市民連合)が北爆抗議デモの中で誕生し、六六年には、職場に反戦青年委員会が組織された。この年、総評は、全世界に十・二一国際反戦デー(学徒出陣記念日)を呼びかけた。このような時期に六四年十二月に結成された平民学連=民青系「全学連」は、それが全国学友の統一のこえを全く歪曲された形で反映していたという側面を一方で持ちつつも、六〇年当時の加盟自治会の3分の1未満しか結集していないだけでなく、その指導部の全く誤った運動路線、諸要求主義を徹底した分裂主義・セクト主義によって学生戦線分裂の固定化、戦線統一の敵対者としての役割りを果すのである。
他方、民青系「全学連」の「再建」強行に対し、それに対抗しょうとして「全国学生共闘」という形で、今一つの「全学連」の「再建」を対置していたトロツキズム諸派は、大阪府学連、兵庫県学連を中心とした自治会の反対でこれを実現できずにいたが、ベトナム反戦運動の高揚の中で、六六年十二月、マル学同中核派、社学同、社青同解放派、三派の「連合」による「三派全学連」を結成した。三派のむき出しの対立、暴力的衝突の中で結成された「三派全学連」は「左」右から.の一面的危機意識の煽動、「左」の自然発生的翼に乗って、街頭「実力」闘争路線を急速に押し出していった。
一方、安保闘争後、混迷を続ける学生達動の中で学生連動の統一をめざして闘ってきた「平和共存派」--民学同、共青、社会主義学生戦線(フロント)に指導される首都、大阪、兵庫、岡山などの自治会は、ベトナム反戦、侵略加担阻止、安保破棄の闘争を課題の一致と行動の統一、総評など労働者階級を中心とする全民主勢力との連帯、合流をかちとる中で大衆的戦闘的な闘いを組織した。六七年一月のジョーンバユズを招いての府学連、大阪平連協主催の大衆的べ反戦平和集会の成功につづき、六七年十月八日、十一月十二日の羽田闘争においては、ベトナム侵略戦争の準参戦国として東南アジア侵略へ進む日本帝国主義の政治的代理人、佐藤内閣の全く露骨な政治反動、機動隊の弾圧、挑発を拒否して、総評・反戦青年委員会の青年労働者と連帯して、全国の自治会の現地一日共闘として闘い抜いた。
日本共産党(代々木派)、民青諸君は、「日本は帝国主義でもなければ、侵略なる事実もない」と、ことさらに強調し、十月八日には、多摩湖畔で〝赤旗まつり″に、十一月十日には、〝全国青年・学生スポーツ祭典″なるものを開催する中で、この闘争を犯罪的にも完全に放棄したのである。更に、佐藤内閣と機動隊の狂暴な弾圧で殺害された山崎君の死に対しても〝挑発者″〝反革命分子″〝反全学連諸派の盲動″とレッテルをはるだけで、右翼片肺佐藤内閣が帝国主義の政治的代理人として国内反動と民族解放運動への敵対、反社会主義冷戦体制を強めていることをバクロし、それと闘うことを全っく欠落させてしまった。佐藤内閣による帝国主義的政治反動、そして、それに対する日本共産党(代々木派)民青諸君の右翼日和見主義が、自然発生的な青年・学生の戦闘的エネルギーを三派「全学連」を中心とする極「左」主義、アナーキズムの影響下におくことを許す客観的役割を果したことをわれわれは忘れることができない。
民青系「全学連」、三派「全学連」そして、革マル「全学連」というセクト主義と分裂主義によって分断、固定化された状況の下で、「平和共存派」によるイニシアチブで課題と基本戦術の一致、行動の統一、批判の自由の原則に基づきヽ二度に渡る羽田現地闘争、佐世保現地闘争を闘った全国全自治会の現地一日共闘は、全国学友の行動統一の中心が諸派のセクト主義・分裂主義によって崩壊させられているという現状認識に立ち、①不断に行動統一のイニシアチブを発揮し、②統一した大衆的決起という実例の力を創り上げ、③戦線統一を要求する学生の大衆的な力に依拠し、④セクト主義、分裂主義の業病を粉砕する。⑤従って固定的な全国組織としてではなく、連絡組織的なものとする目的で提起された。
しかし、同時にこの自治会共闘の諸原則に対する誤まれる疑問と第四「全学連」構想が、共青、フロント、民主主義学生同盟の一部の諸君の間に存在していた。しかも、この構想は、羽田闘争以後の三派「全学連」の街頭「実力」闘争路線に対する無原則的な容認、また、理論的、思想的にほ平和共存への否定、宿命的日米運命共同体論、社会主義世界体制、労働者階級に対する根本的否定、というネオ・トロツキズムと結びついて提出されたのである。
そして、彼らの三派「全学連」の極「左」路線と、ネオ・トロッキズムへの傾斜は、成田、王子米野戦病院闘争の過程で、自治会共闘の大衆的な統一戦線を著しく弱め、彼らをして、自然成長的な「活動家」のみの街頭決戦主義、極「左」勢力の動揺的な一翼を構成させるに至る。
この悲劇は全員加盟制自治会の私物化と機能マヒ、一層の戦線の分裂の状態に拍車をかけ、かつての全学連主流派(社学同)がたどった四分五裂、抗争の一時期を拡大、再生産していく。この直接の結果は、唯一の統一した機能を果してきた大阪府学連、兵庫県学連の崩壊を導いていった。三派「全学連」の中核系「全学連」、ブント、社青同解放派系「反帝全学連」 への分裂(六八・七)と抗争。共青→共学同、フロント、プロレタリア学生同盟などネオ・トロツキズム諸派が発生し、学生運動「指導部」の理論的、思想的混乱と分裂、無政府主義的傾向が拡大していく。民青系「全学連」は、学生運動の〝急進化″の進行の中で、ますますその諸要求路線と小ブル民族主義、セクト主義、闘わない右翼日和見主義的立場を深め、全員加盟制自治会の空洞化と権威の失墜状況を生み出してゆく。
こうした極度の分裂と混乱、自治会の私物化、ひきまわしの横行の中で、全員加盟制自治会への不信が増大し、また、学生べ平連運動の存在に象徴されるように政治同盟に対する不信と組織一般の否定、無党派主義が便透していくのである。
全国学園闘争に至る過程は、このように六〇年安保以降、最悪の状態の下で進んだ。すでに、慶応大学費闘争、教育系大学における学名変更=目的大学化反対闘争、無給医インターン制闘争など個別学園で断続的に闘われていた学園闘争は、東大、日大を頂点として政府・独占の中教審答申中間発表、大学法提出を契機に全国に拡大していく。
この全国学園闘争の過程で民青諸君は当然ながら、また我同盟もまたその初期においてこの闘争に全く不充分にしか対応しえなかったことは疑いのない事実であった。まず、われわれはその理由を学生共闘諸君の如く、自らの「主体的力」にのみ求めるのではなく、全共闘運動の発生の客観的条件の分析とその評価、トロ諸派、民青の対応とその批判を、われわれの政策、学生運動論の検討によって、明らかにしていく必要がある。

二 全共闘運動「高揚」の必然性と限界性
六二年六月、中教審が発表した大学管理運営法は、全国の学生、教職員の全国的な闘いによって流産した。しかし、その後の過程は〝国大協自主規制路線″として、自主規制の名の下に、政府・独占の大学支配が及んでいた。この自主規制路線は、いわば、矛盾蓄積過程であった。国公立大では、文部省-文部官僚ルートでの行政的、財政的締めつけ、講座制下での産学協同体教授特権下での身分職階制度、人事権を利用した。講座制ボス支配が常態化する中で、理工系、医学部、薬学部、教育系大学等では、助手、講師層、大学院生は、隷属的地位を強制されてきた。
「教授会の自治」—もしくは、「大学の自治論」はかかる事態の進行の中で、全くの擬制として機能していた。
高等教育への勤労人民の要求の拡大、大学の大衆化過程の殆んどを受け入れてきた私立大学は、この高度成長の中で、五万人から十万人もの学生を一大学で擁するマンモス私学をつくりだし、(政府独占にとって)安価な大量の貸金労働者を生みだしている。日本大学をその典型として、膨大な私学群を構成した。
私学資本は相次ぐ学費値上げという形で、教育費を父兄に転嫁し、学部、学科を新増設し、定員の水増し的拡大と不正入学を行ない、また、蓄積した資本の他の営利事業流用、汚職事件が発生し、こうした腐敗の中で、一方では学生は多くの私学で、研究教育設備の極度の貧困、生活破壊、無権利状態を強制されてきた。
産学協同は公然の事実であり、また理事会は財界や自民党代議士、旧警察庁幹部などによって構成され、学生、若き教官、助手層などの民主的権利は奪われていた。
とくに、かかる事態は、高度成長時代の理工系ブームの中で、新設された私学に、最も典型的であったが、佐藤前首相、三菱独占と直結していた吉田体制の日本大学はその典型であった。このような私学では「大学の自治」「学問の自由」などは殆んど存在しなかったと言っても過言ではない。
旧来の私学についても、インフレーションの急進と貧困な私学援助の下で、利潤率の低下に陥入り、問題の解決を、学費値上げや他の手段すなわち教官の労働強化、助手や院生、非常勤講師での補充、教育設備の絶対的貧困、マスプロ授業などに転嫁する形で矛盾を深めていた。これは、国独資の下に於ける大学(私学)の機能変化に照応する私学資本の反動的な、必然的運動であった。
このような事態の下で、六十八年東大、日大闘争を頂点として全国学園闘争は爆発した。
そして、その運動が〝下から″ の大衆運動として出発し、それが広範な学生の支持と共感を獲得しえたのは先述した如く、東大の様に民青系執行部が殆んどこのような闘いに方針と大衆運動を提起しえず、全員加盟制自治会を形骸化させていたこと、引き起こされた運動に無為無策であっただけでなく、その道動全体を〝トロツキスト″呼ばわりするというセクト′主義的対応に終止したこと、また日本大学においては、民主的な学生自治会が存在せず、「学友会」は右翼、体育会、応援団が支配する当局の御用組織であり、全共闘自身が真に学生の利益を擁護する自治会確立のための大衆的闘争組織であったこと、従って学生の利益を代表しえたという意味で、必然的であったことを知らねばならない。
すでに前項でのべたように、自治会の特定党派によるひき回しと私物化、あるいは、統一機能のマヒ、崩壊という現実が、全共闘運動を必然たらしめ、また全員加盟制自治会を強化し、遂には民主的大衆的運動に支えられた自治会運動をつくり出した限りにおいては進歩的であった。
だが、全共闘が情勢の困難化に直面した時、全員加盟制自治会=ポツダム自治会と規定し、全共闘を「先進分子」の組織に解消し、闘争の唯一の主体として規定した時、全共闘はかつての大衆的支持と全員加盟制自治会の〝指導的機能″を喪失した。
「全員加盟制自治会は、今やその形式民主主義によって、先進分子を遅れた右翼的学生のレベルにしばりつけ闘いの樫粧、権力による学生管理の一機構に転化した。」(ポツダム自治会論) とする見解は、有利な武器となりうる全員加盟制自治会を一部の「活動家」や「党派」に私物化された状態に再びひきもどす。あるいは、全員加盟制自治会を崩壊させる結果を意味した。
実際に、不可逆的にこのような方向に進んだことは、その後の事実が示している。
全共闘がその初期の段階において、積極的役割を担ったもう一つの事情は、そしてこれが全共闘運動の伸長をより本質的に規定したのだが1彼らの主張がたとえ歪曲されていたとはいえ、現実の大学を鋭く〝告発″していた点にある。
東大全共闘の七項目要求、日大全共闘の五大スローガンに示されるように、それ自身民主主義的改革のスローガンであり、同時に全く抽象的な「大学とは何か」「学問とは何か」「帝大解体--全人民的大学を」に示されるように大学が独占資本の利潤追求の対象に組み込まれていることを〝告発″していた。この点に於て、他の政治グループよりも全共闘は、レーニンの引用を待つまでもなく、〝運動の初期にありがちな種々の自然発生的な弱さ″を持ちながらも、学生全体の気分ilそれ自身、全く正当な ーを反映していた。
この事実は、全ての反独占諸勢力の指導的前衛であるべき団体が、今日の青年∴学生、大学をめぐる諸矛盾を根本的に克服する政策と、運動方針、長期的展望を全く不十分にしか投出しえていなかったことを示している。
われわれは、この問題に関する真剣な総括と反省が要求されていることを知らねばならない。そしてここにこそ全国学園闘争の悲劇的結果の責任と原因を求めなければならない。
全共闘運動の誤りは、第一に今日の大学に鋭い批判を提出しながらも、大学を労働者、勤労人民の利益に奉仕するために改革する現実的課題と長期的展望を掟出しえなかった点にある。それは闘争が一定の困難な局面を迎えた時に、「帝大解体」「大学解体」「日帝打倒」「機動隊せん滅」などという極「左」的空文旬で「のりこえ」る最大限綱領主義の誤りである。この責任の主要なものは、全共闘の、ノンセクト・ラジカル″活動家にあるというよりも、むしろ民主主義闘争に「大学解体」「日帝打倒」という空文句をつぎ木したトロツキズム諸派に帰せられるべきである。
第二に、教授会=権力の手先という教官主要打撃論である。教官=管理者、学生=被管理者とする「理論」は、教授会との闘争=国家権力との闘争と理解し、従って教授会解体、教育研究機能のマヒを自己目的化することによって片リケード封鎖=解放区という戦術の自己目的化に陥いった。これは文部省や独占資本がその財政相をテコにして支配を貫徹し、〝教授会の自治″をも全くの擬制に変えてしまっている (講座のボス教授や私学理事会の占決体制に従属させられている。)という事実を見ない誤まりであり、同時にそれは、一部特権者を除いて、大学の研究者や教官がその社会的経済的地位を増々労働者階級に接近させているという(その意識は依然保守的であるが)現実を見失い、本質的矛盾=独占資本と勤労人民との矛盾を隠ペイし教官全体を〝敵″にまわす役割さえ果している。
第三に彼らは、闘う主体を個人の決意や決断に基づく組織=全共蘭に解消し、その他の学生や大学構成員との間に「非和解的=階級的対立」を窓意的に設定した結果全く孤立し、それを戦術の一層のエスカレートと安保沖縄「決戦」、民青との″内ゲバ″(革命的暴力の名の下に行なわれた。)を合理化した。
全共闘運動がトロ諸派の全く非現実的な「革命戦略」耳目衝動的「実力」闘争、あるいは、「反スタ」路線の洗礼によって当初の大衆性を失なった結果は、多くの場合民青、当局ブロックの拾頭=闘争の無原則的収拾をもたらした。余りにも数多くの学生が機動隊の暴力的介入によって逮捕され、戦闘的エネルギーが悲劇的に費されたのである。
全体としての誤まりは-大学の社会的、階級的性格の変化という必然的な方向に依拠するのではなく、いわば〝機械うちこわし″運動としての性格が濃厚であったことである。

三 日本共産党(代々木派) 民青の犯罪的役割
民育系「全学連」のセクト主義と闘わない諸要求主義の路線は、全員加盟制自治会の機能を著しく弱め、東大をはじめ、多くの大学で全共闘誕生の育ての親としての役割を演じた。全共闘を自らの「右翼日和見主義への一種の罰」(レーニン) として生み出した。彼らが大学闘争の中で首尾一貫して主張したことの第一は、「全共闘トロツキスト主要打撃」論(封鎖解除、「暴力学生」追放こそ大学の民主化の前提である、という主張) である。
彼らは、政府・自民党がその手先である〝トロツキスト暴力学生″を「泳がせている」として、〝封鎖暴力学生″を国家権力と同一視した結果、「暴力学生の自主的排除」=封鎖実力解除を学園闘争の第一の課題として設定した。
(全共闘の「教授主要打撃」論と、民青の「暴力学生主要打撃」論、後の全共闘の〝反革命=民青粉砕″に見られる両者の共通性は、学園闘争の基本的任務を独占ブルジョアジーの大学政策や、国家独占資本主義の機能の分析に向けないで、即時的な憤激や怒り、自然発生的な気分に依拠する完全な実感主義である。)全共闘も民青も実感主義(とセクト主義)の故に、其の敵を見失い、①封鎖②封鎖実力解除③流血の惨事④機動導入、常駐化という国家権力の大学支配路線に総体として水路を切り開く役割む演じていた。民青は全共闘運動が!いかに歪曲され、一面的とはいえ1含む鋭い矛盾の〝告発″側面をも全否定し、全共闘に「対立」しょうとすればする程、既存の矛盾をはらんだ大学の秩序や、国家権力の側にますます無批判にならざるを得なかった。この論理の最たるものが京大民主化行動委員会の〝全共闘=ドイツ型ファシズム″論であった。トロツキスト=ファシストに全ゆる反対派勢力を「反ファッショ」で団結させた彼らは、大学当局は勿論、機動隊の侵入にもロをつぐんだのである。この論理の誤りはファシズムとは〝金融独占のむきだしのテロル独裁″と〝熱狂的排外主義″(ディミトロフ)である点を見失った全くの謬論であったし、大学闘争を完全に裏切った民青の右翼日和見主義への転落の姿を示している。
支配階級は人民内部の誤りを利用し、人民内部に不団結をもち込むことに延命の道を見い出している。支配階級がトロ諸派の小児病的ハネ上りを最大限利用するのは〝階級的本質″である。このことを見ず、民青諸君が支配階級にとっては〝あたり前″ の政治的態度をことさらに強調し、当局と一体となって封鎖実力解除に狂奔し、大学の本質的矛盾を隠撤し、機動隊導入を助けたことこそ、逆に、自民党に泳がされる自らの姿であったのである。小児病的ハネ上りの原則的な克服の道は、その誤りを徹底的に批判するにとどまらず、真の敵に対する闘いの大衆的な、統一戦線の力である。スペイン共産党書記長サンチャゴ・カリリヨの次の指摘は重要である。「とにかく共産主義者は、真の敵がわれわれの右にいることを忘れてはならない。かくしてのみ我々を『左翼』から側面攻撃をしようとする敵の直接の手引当の仮面を一層容易にはぎとることができるのだ。」
民青譜君ほ、その「最大」の組織力量にもかかわらず、大学闘争の当初から全くのセクト主義的対応に終始した。全共闘主要打撃論は、その典型であるが、我が同盟や多少なりとも民青に批判的なグループに対しては、「反全学連諸派」「挑発者、反革命集団」「反党修正主義者」などというレッテルを貼ることを最大の関心事としていた。運動が長期化するのにつれて、ますます孤立を深めていった彼らは、闘争の早期収拾をのみ自らの主要な方針としていく。「授業再開、学園正常化」という彼らの全く無原則な路線は、高揚する学友の闘うエネルギーを大学の反独占民主主義的改革の方向に組織しえないばかりか、それに敵対し、遅れた学生の意識に追随し、さらには「粉争」の沈静化のみを願う保守的で、無責任な教官連中や学生の運動をたたきつぶさんとする政府・独占資本、大学当局に無批判となり、迎合していった。大学法の実質化に反対する大衆的なストライキでさえもそれを〝挑発〟として公然と反対を表明した。言わく、「大学法の下でのストライキほ、いかなるものでも大学を廃校に導く挑発行為である」として、政府・独占資本の個喝に屈服してしまったのである。
このように日本共産党(代々木派)民青指導部は、諸外国の共産党・労働者党のとった原則的態度、即ち、セクト主義やレッテル貼りでなくフランスの〝五月革命″が示したように労働者階級の連帯と正しい大学問題解決の方向をさし示し、それを闘いとるのではなく、大学間題の発生の責任をあたかも〝暴力学生″の存在に歪曲し、大衆運動の激発と高揚にしりすごみし、全く犯罪的にもセクト主義的、闘争収拾的対応に終始したのである。それは、あの苦渋に満ちた、そして、今尚多くの戦闘的労働者の記憶の中に刻まれている〝四・一七スト中止指令″の再版としてあったと言えよう。
最後に、トロ諸派には同じ論文の別の箇所を捧げたが、レーニンの言葉を日本共産党(代々木派)、民青指導部の諸君に捧げよう。
自然発生的な「非組織的、失敗を運命づげられた「拙劣な形態」での闘争の発生に対して「パルチザン戦争が運動を解体させるという言いぶんは批判的にあつかわなければならない……。われわれの組織が弱く、準備がないために、われわれがある場所で、ある時期に、この自然発生的な闘争にたいする党の指導を放棄するばあいがありうることを、私は理解している。…だが社会民主党や評論家のあいだに、この無準備に対する悲しみの情ではなくて、高慢なひとりよがりと、ごく若い頃にまる暗記した無政府主義、プランキー主義、テロリズムについてのきまり文句のうぬぼれ切った繰り返しをみるときには、私は世界でもっとも革命的学説の卑少化に腹がたってくるのである。」(「パルチザン戦争」一九〇六年)。日本共産党(代々木派)民青諸君は、レーニンの時代とほ違って、もっと有利な組織条件(少なくとも量的多数において)を持つが故に、(もし、レーニンが生きていたなら)この立腹はより一層深刻であっただろう。全共闘のバリケード戦術を武装蜂起に高めよ、と言うのではない。フランスの労働者階級がそうした様に、ゼネストで、もしそれが不可能なら、大衆的示威運動で、学園のストライキで、彼らの誤りをつつみこむだけの闘争が要求されていたし、それは可能であった。諸君が、セクト主義の業病と誤まれる「指導理論」に気付いていたならば‥‥‥。
もちろん全共闘による、否、トロ諸派によるバリケード封鎖とその自己目的化が、大学闘争の勝利的前進にとって、重大な障害であり、敵=権力の介入の格好の口実であることは言をまたない事実である。
マルクスやエンゲルの引用を行なうまでもなく、バリケード戦術は本来〝受動的″であり、敵に攻撃の契機を与えるものでありましてや、学生だけの、しかも闘争の後退局面における小数のバリケード戦術が余計にそうであることは明日である。従っ、て、我が同盟は、このような戦術には反対であったし、それを自己目的化した戦術や、「バリケード封鎖の思想」にまで「高め」たトロ諸派の小児病的ハネ上りとは真向から対決していた。
だが問題の本質は、そして、政治指導部隊に不可避的に要求されていたのは、敵に反動の攻勢を許さないことであり、それを阻止し、再び攻勢に転ずる政治的条件を拡大することを任務の中心にすえることであった。これを忘れさり、介入の口実バリケードを実力でもってしても取り去れば、支配階級の介入を阻止しうるという論議程、お目出度いものはない。少しでも理性的になるならば官憲の直接介入にとって、封鎖実力解除から生ずる学生同志の衝突、流血(生命の危険) の惨事ほど格好の口実はないことは自明であった。
バリケード封鎖戦術の自己目的化が子供じみた小ブルジョア的な誤りであれば、封鎖実力解除に狂奔した民青諸君はそれに輪をかけた二重の、(政治同盟の第一の任務を忘れさり官憲の直接介入の導火線となったという意味で)誤りを犯したと言えよう。我が同盟はこの様な見地から、バリケード戦術に反対しつつ、同時にその解除は、全体の闘争の前進の中で達成するという迂回戦術をとったのであり、阪大や学大において短期的ではなかったが、それは成功した。

四 第四回大会テーゼの鋭い問題提起
われわれは、前項で見てきた六五年以降の学生戦線の経緯の下で、とりわけ、二つの時期における全学連運動の高揚という伝統にもかかわらず、なぜ、六十年安保闘争以後の学生戦線の分裂を根本的に分裂と停滞から救い出すことができず、その誤りをむしろ深めてしまったのか、そして、この最も混乱した状況の下で何故、全国学園闘争の白然成長的な大衆的爆発が呼びおこされたのか、そして、当然にも政治指導部が、何故この運動を正しく指導できなかったかという根本的原因を解明しなければならない。
わが同盟、第四回大会準備資料「第三期の学生運動と民学同」の次のような指摘は、この問題を解決する一つの手掛りを提起している。すなわち、第二期(55~66)の学生運動を規定する条件とその闘いの性格が「一方では独占資本の復活の『驚威的』急速さの故に労働運動における民同型運動=反合理化を欠落させた一律賃上げ闘争と企業主義的性格=が抬頭し、他方では、その政治反動の露骨さと、この時期における日本の政治過程に於ける議会の比重の特殊な軍要性故に、反動立法をめぐる、防衛的性格の濃厚な、街頭行動を中心として頑強に展開されるのである。」とされ、また50年代の「平和と民主主義の理念」(それは戦後の反ファッショ、反占領の闘争の伝統である)に基づく学生運動が「層意識が学生に固有の教育的、経済的要求に基づくものではなかったこと、労働者指導性の脆弱性もあって、統一戦線の一翼としての意識が強固でなかったこと、すでにあらわれた第二期のこれらの限界性、安保以降のこれらの独占支配に対して学生運動が有効な対応をなしえないで分裂と衰退を余儀なくされていたと言わなければならない。一つの時期にはそれなしではすまされても、次の時期にはそれなしですますことができなくなるということの例証がこれであったし」とされている。ここでは、新たな、しかも、必然的に反独占的性格を帯びざるをえない「大学を基点」とした「教育、経済闘争」に特別な位置が与えられている。
四回大会テーゼほ、私立大学、教員養成制度、医学部、一般教育、教養部、学費・学館問題、など諸分野の方針を検討し、「大学の危機は、大学をとりまく外的諸条件の急激な変化と、政府の文教政策による直接、間接の大学への攻撃によって、そして何よりも大学の無為撫策によって、一層深化している。学生運動は骨の髄までしみこんだ『悪しき政治主義、街頭主義』によって全く有効に対処しえていない。…・‥と同時に、同盟は全てを教育闘争に歪曲し、平和と民主主義の闘争を無視ないし軽視する傾向を断固拒否する。」との立場を明らかにし、また、日本帝国主義の大学と教育への攻撃を「第一の主要な意図は、学校教育を通じて、帝国主義的海外膨張に応じた精神的支柱を植えつけることであり、他方、それは今工業水準の高度化を抜きにしては語れないところの世界的規模での利潤の確保に要する労働力需要に見合った労働力を獲保すること」と規定している。
池田内閣の下で、日本帝国主義が一方では再編された日米階級同盟=新安保を土台にした本格的な帝国主義的海外膨張を追求し、他方で、高度成長の名の下に、旧来の立法措置を中心とした露骨な政治反動にかわる「私的独占のなし崩し的侵透と国家独占資本の総動員による社会生活の全分野にわたる国家の国民掌握を軸にした攻撃の下で、「市民主義意識の近代主義意識への吸収、私生活至上主義、政治的無関心層の増大と自治会活動からの離脱化が連行する。」のであった。だが、これらの資本主義の一定の相対的安定成長期における独占ブルジョアジーの一定の「成功」は決して長つづきはしなかった。
国家独占資本主義の諸矛盾は、もほやおおいつくし難いものとなった。高度成長の生みだした諸矛盾は、学生の社会的、経済的地位む著しく低下させた。労働者勤労人民の搾取の強化、労働条件の実質的悪化、労働強化、日本型低賃金構造に加えて巧妙な労務管理技術の導入、それがもたらす肉体的、精神的災害、自然と環境の破壊、また雇用の不安定化と失業者の大群、侵略戦争への加担と軍国主義強化、部落差別や民族差別を助長する差別と選別の教育制度や法律、露骨な政治反動など諸矛盾—-独占と反独占の間の矛盾と蓄積とその顕在化は学生をして社会的政治的関心を急速に高めつつあった。
まさに、このような時期に、同盟第四回全国大会が開催され、既述のテーゼが打ち出された。その内容規定の不十分性、不徹底性は否定すべきもないが、「八中委・九大会」路線の一面的強調 - すでに述べたごとくの市民主義的な「平和と民主主善」意識に依拠する街頭政治行動中心の闘争–による故治戦略と運動論を止揚する提起がなされた。
政治同盟は、労働者階級を中心とする反独占勢力との連帯、同盟を不可欠とする反独占民主主義的政策とその実現のための闘いを不可避の任務として自覚していなければならなかった。
戦後の学生の大衆化とは、量的拡大の規模においても質的にも異なった高度成長と科学技術革命の進行下におる学生の大衆化の過程、学生及び大学構成員の出身階層の構成の変化、その将来を勤労人民として予定せざるを得ないという意味での学生層の全体としての労働者階級への接近、これらの過程が必然的に生みだす諸矛盾と学生の意識の変化、また大学における他の構成員の地位の変化等に関する明確な理論的規定にまで到達しえていないという点における不充分性は、学生層の反資本主義的志向の高まりや要求を正しく組織するという実践的任務に、また、反戦闘争や政治闘争に広汎に決起する背景の理解において全く不十分であったと言わざるをえない。
わが同盟は、歴史的な大管法闘争を指導し、「教育・経済」闘争の決定的重要性を「学生運動」の転換局面の到来を意識しつつ提起はしていたといえよう。だが、この提起は、池田内閣に続く内閣として登場した佐藤内閣の下で、.その極端な侵略的性格に反対するべ反戦・反軍国主義の闘争に当然にも全力を集中していく中で、ほとんど具体化されずに、われわれもまた、全体としては街頭政治主義に陥っていったと言わざるをえない。平和と民主主義の意識に基礎をおくべ反戦闘争の推進と街頭政治主義–市民主義、すなわち、物質的利害に基礎をおかず、あすの現実の担い手たる労働者階級とは無縁の小ブルジョア的意識によって規定される–とは同義ではない。政治同盟にとって重要なことは学生層をめぐる規定に超歴史的な立場からこれを規定するのではなく、社会的、経済的地位を急激に低下させている学生層の客観的な社会的、経済的、政治的諸条件の変化、従ってそれらに規定される学生層の必然的な要求の変化と拡大i「教育的、経済的」–に応えることを不可欠の任務としなければならないことである。このような見地の徹底こそが、そして、その政策の具体化こそが「未来に再び大衆の自然発生性に対する『指導部』の立ち遅れ、と語ってはならない。」ということを現実のものとできたのである。
国家独占資本主義下におげるとりわげ急速な科学技術革命の下での学生層の特徴、大学と国家権力、独占資本との関係--大学自治論、学生運動論などに関する理論上の立ち遅れや無関心、街頭政活主義は、戦線の分裂を止揚し、全国学園闘争の自然発生的高揚に敏速に、かつ、正しい政策と方針を提出することを妨げたのである。だが、より重大な困難性は、このような変化の非常な複雑性であり、それらの変化がひきおこした新たな闘争の担い手の拡大と広汎な大衆の運動への参加によってひきおこされている。それは、広範な反独占諸階層の要求や具体的利害、共通の利害のとりくみ方等における多様性の存在という現実にもかかわらず、共通の基本的な方向をめざす諸勢力間の関係、すなわち、同盟関係の具体的な方向に関する全般的な立ち遅れの存在 - 理論上の、政治行動上の等々--となって現われていた。これは、特殊われわれだけの問題でなく、国際的な傾向であり、日本の前衛政党におけるこの傾向の深刻さに深く関わっていたと言えるであろう。このことを考慮するならば、四回大会テーゼの提起は優れて先進的な意義をもつものとして高く評価されねばならないし、同盟の歴史のなかに輝かしい理論的成果をしるしていると言わねばならない。

五 全国学園闘争と民主主義学生同盟
68-69年全国学園闘争が束大日大を一つの頂点として拡大した時、我が同盟はプロ学同との組織分裂を基本的には克服しながらも我が同盟が直接東大や日大における闘争を担うことを困難にさせていた。だが本質的な問題はこの全国学園闘争の高揚や全共闘の掲げるスローガンやその「思想的」特質の科学的な分析とそれへの敏感な科学的対応1指導において重大な立遅れが存在していたことである。
この立遅れは当初、明らかに、我々のセクト主義的対応をもたらした。それは、大学をめぐる矛盾の分析に旧来の立場から出発し〝教授会の自治″ 〝大学の教育・研究″ 〝学生に関する重大な変化″を十分把握できなかったことを意味している。又、一時期民青と同様の〝全共闘主要打撃″に陥ったことも事実であった。例えば、〝封鎖実力解除″を学友に呼びかけるべきだという主張に表現されていた。
だが我が同盟は大衆運動に学ぶという見地に忠実であったし、先輩の優れた政治的経験と指導によって、大衆追随とは無縁の科学と民主主義の立場に立つことができた。誤りや不十分性を克服し広範な大衆をひきつけ、全国学園闘争を最後の局面まで最も戦闘的に戦い抜くことができた。
全国学園闘争の高揚の中で、学生のみならず、その置かれた劣悪な地位生活研究条件の下で生活している大学院生、助手、助講会(助教扱、講師)の人々が極めて重要な役割を果したが、それは我が同盟の卒業生においてもそうであった。
例えば、阪大七院協、青医連のストライキ闘争などはその典型であり、大学当局の反動的収拾策動と学生の孤立化策動に楔を打ち込み、大衆団交実現の決定的な力となったことは特筆される必要がある。彼らの活動はこれらにとどまらず、その理論的思想的活動、全般的な政策の立案作業においてを積極的な役割を演じている。
又われわれはレーニンの古典的著作に学ぶことを通じて誤りから解放された。「運動を解任させるのは、パルチザン行動ではなくて、これらの行動を掌握することのできない党の弱さである。…いかなる歴史的条件がこのような闘争をよびおこすかを理解する能力がないために、われわれはまだこの闘争のわるい側面を麻痺させることができないでいる。だが、それにもかかわらず闘争は進んでいる。それにもかかわらず闘争は進んでいる。それをよびおこしているのは、強力な経済的および政治的原因である。」(パルチザン戦争)
大学立法反対闘争への大衆的決起(理大はこの過程で理工自治会選に勝利)を実現し、(政府・独占資本の立法実現化に対しても、大学の民主的改革実質化阻止を掲げて、六十九年十二月までも長期にわたるストライキ闘争を闘い抜いた阪大、阪市大、阪学大等)だが、労働者階級の支持と連帯が実現しえず、勝利の基本的条件が不在であったこと、全体としての力関係の悪化-立法実質化に対するトロ諸派の極「左」的(=敗北主義的)対応と民青の学園正常化、授業再開路線によって–の下で、二年間のこの闘争は後退を余儀なくされた。
しかし、全国闘争が我が同盟に与えた教訓は偉大であった。それは今日に至るまで我が同盟として最も困難な時期にもかかわらず、学園における闘争を闘い大衆運動の前進とその統一のために貢献させた。その理由の第一は全体としての運動が、全共闘 -民青の不粍な対立の中で敗北したにもかかわらず、学生が全体として反独占闘争に決起したという事実を目撃したことであり、学生がますます労働者階級、勤労諸階層の基盤を拡大せざる得ないとの確信である。第二に、一つの典型的七反独占民主主義闘争を、教育と学生生活をめぐる聞いとして組織し得るという確信である。第三に、この過程を通じて国家独占資本主義の下における科学的技術革命と、その大学及び学生に与えた重大な変化について科学的な理論的分析をなしえたことである。(勿論、未だ不十分な問題も残している。)このことは、今日、トロ諸派や民青、学生共闘諸君と我が同盟を区別し、その先進的な性格を際立たせている。
第四に、全国学園闘争は、今日の闘争が一貫した反独占的改革の政策「プラン」と労働者階級、反独占諸勢力との連帯が不可決のものとして要求されており、また、大学の教官層や学外の反独占諸階層との連帯をかちとりうるような闘いが学生によって組織されない限り、根本的な勝利を聞いとることができないことを示したのである。
世界の舞台における平和共存の前進と反独占民主主義闘争の前進は、再び、我が同盟の趣意の基本的立場の正しさを確信させ、深刻な大衆運動の爆発によってそれは豊富化された。
だが我々は、この全国学園闘争の高揚の過程で(同時にそれは、沖縄--安保闘争の高揚の時期でもあった。)学生「共闘」派を自らの隊列に生み出した。それは基本的には我々が大学闘争の初期において犯した誤りの固定化--全共闘運動に対するセクト主義的対応と理論的立遅れの「原則」化、セクト主義的対応の合理化と街頭政治主義への逃亡–としてあった。(詳しくは学共批判参照)
この事実は、我が同盟が日常的に提起される諸問題に真剣な理論的、政治的分析を追求する態度を堅持せねばならないことを教えたのである。

六 七〇年以後の学生運動
七十年は、大学闘争と十一月佐藤訪米阻止闘争が結果として敗北した、という事情の中で、又、全体としては、自然発生的な高揚に特徴づけられていたという事情で、大学には敗北感が漂っていた。そして六・二三闘争の一揆的(自然発生的)高揚の後、学生戦線の沈滞が続き、トロ諸派は、少人数の極「左」爆弾路線に傾斜し、隠惨な内ゲバを繰り返してゆく。これは彼らの極「左」路線が破産したことの逆証であった。
一九七二年二月の連合赤軍の販北を示したのである。大衆運動の後退は諸党派は自己的論理の破産を自治会の暴力的私物化戦術の一層のエスカレートで「解決した」のである。学「共」派もこの例外ではなかった。民青諸君は、より一層、トロツキスト主要打撃の偏向を深め、大衆運動を放棄し、その議会主義とセクト主義は深刻となってきた。(新日和見主義の発生ほ、民青の誤りに対する即時的反発としてあった。)こうした情勢の下で、政府独占は国公私学の学費値上げ、中教審答申の実質化=大学の寡頭管理体制を強化し学生連動への弾圧を強化してきた。
相次ぐ学費値上げ阻止闘争の高揚は、今日、私立大学学生の最も深刻な課題として存在し、大学の反動支配資本主義的合理化=中教審策申の実質化と結びついている。しかし、七十一年七十二年全国学費学園闘争は、全学生に共通な利害に関わる問題として存在しながら、全く自然発生的、短期間の急速な高揚と後退という弱点をさらけ出している。われわれが存在する大学においては、一定の長期間に渡る闘いとして、粘り強さと大衆性を獲得してきたが(理科大、関大、市大、阪大、etc)全体としての力関係の転換を未だかちとりえず、学費値上げの強行を許すという事態を招いている。七十一年学費闘争は、民青系「全学連」が、全国一八十万学友の行動統一の中心として機能しえないことを再び暴露している。又同時に、このことは、かかるセクト主義と闘争放棄を許しているという原則的な闘争部隊と全国的大衆連動の弱さとしても理解されねばならない。七十年以降幾つかの大学における典型的な大衆闘争は、未だに一大学の枠内にとどまっている。大阪教育大学の「自主」実習 - 同実組運動、解放教育確立の闘い、大阪市大の三・一六闘争、私学学費闘争など一大学のレベルでの闘争は、着実な前進をかちとっている。かかる闘争の前進は、トロ諸派、民青、学「共」などの誤まれる「指導」を拒否し一つの統一した大衆運動の方向をさし示してきた。全般的な政府・独占資本の学生弾圧の強化策動は、自然発生的な、又我々をはじめ目的意識的な全員加盟制自治会の民主的再建運動をよび起さざるをえない。早大四万学友の昨年十一月以降の闘争は、内ゲバや暴力的恫喝とテロによる自治会私物化に反対し、同時に政府・独占資本の大学支配に反対する大衆闘争の典型をなすものである。
このように全国学園闘争の敗北にもかかわらず大学の民主的改革学生生活擁護、自治会建設の闘いは、不断の高揚を示している。労働者階級をはじめ反独占勢力の闘争が未だ大学と教育の問題を闘いの中心にすえていないという現実を正しく考慮した現状打開の方針が検討される必要がある。政府・独占資本の中教育答申の本格的具体化が日程にのぼっている。学生戦線が全員加盟制自治会の再建と強力な統一行動の中心を形成し、反独占民主主義闘争の前進をかちとらねばならない。
レーニンは一九〇八年十月、ストルイピン反動の中で、ペテルブルグ大学の学生ストライキを評して次のように教えている。
「プロレタリアートはぐずぐずしていない。彼らは懇親会や合法団体や、代議機関の演壇では、しばしばプルジョア民主主義勢力に演説の先をゆずることがある。だが、大衆の真剣な偉大な革命的闘争では、彼らは決して先を譲ってはいないし、またこれからも譲りはしないだろう。この闘争の爆発のためのすべての条件は、われわれのだれかが欲するほどはやく、またたやすく熟しない。けれどもこれからの条件は、たえずかわりなく熟しており、また近づいている。小さな学園粉争の小さな始まりでも、偉大な発端である。というの唱そのあとには1きょうでなければあす、あすでなければあさって、偉大なつづきがあるだろうから」(学生運動と今日の政治情勢、国民文庫「青年論」)
われわれは、常に、全国闘争を準備する覚悟と、目的意識的活動をもって現情勢の諸困難を克服しなければならないし、着実な前進によって、又、急速な前進の過程へ進み出る条件の成熟の下で、それは可能である。
(ここでほ、原水禁運動、七十一年の沖縄闘争、七十二年の反戦-相模原闘争の総括は割愛した。七十一年沖縄闘争の中、十・二〇全国集会の成功が首都における我が同盟の影響力を拡大する契機となったことを付言しておく。)

カテゴリー: 歴史, 民学同, 運動史 | 民学同文書 No.12 「68~69全国学園闘争総括と教訓」 はコメントを受け付けていません

「民学同の10年と青年同盟結成の意義」について

「民学同の10年と青年同盟結成の意義」について
    <民主主義学生同盟第十三回全国大会への中央委員会報告>

 民主主義学生同盟の10年間は、諸外国の青年ー学生運動に比類をみない異常事態と困難な条件の下での活動であった。あらゆる社会的変革の組織的保障となり、労働運動を中心にして、他の一切の民主主義諸斗争を指導すぺき前衛政党と、それに指導される広汎な民主的青年の大衆的政治同盟の不正常な事態という条件がそれである。従って、労働運動と民主主義諸斗争が、青年の豊かな情熱と感情、平和と民主主義、よりよい生活と未来のために献身するという社会進歩にとって欠くことのできない財産に対して確固たる信頼と展望を与えることができないという異常な事態が生み出されたのである。
 小ブルジョア民族主義とセクト主義、分裂主義の業病に冒された前衛党と民主青年同盟が、原則的で戦斗的な労働青年、学生の間でその政治的・思想的権威を失って、すでに10年を越える久しい年月が過ぎ去っている。
 日本共産党(代々木派)と民主青年同盟の指導部は、民族主義的な反米斗争路線のセクト主義的なおしつけによって、日本における平和と平和共存・反独占民主主義のための斗争の重大な阻害者としての役割を果してきた 。
 彼らは、平和運動・原水禁運動を分裂させ日本の平和運動・原水禁運動が国際連帯の旗の下に発展することを妨害していた。彼らは労働運動の統一を常に右翼日和見主義とセクト主義によって分裂させて来た。このような労働運動とその他の民主運動の分裂は、学生戦線の統一を阻害し、分裂の促進要因となって機能し、学生が基本的スローガンとする“平和と民主主義、よりよき学生生活) “大学の民主的改革”のための闘いで労働者階級とともに斗うこと、これらを長期にわたって、事実上不可能にする程の事態に陥れてきた。
 このような条件の下で、戦斗性を維持し、セクト主義的偏狭さに陥らず、広汎で大衆的な、しかも統一した斗争を追求することは、容易なことではなかった。
 だが、民主主義学生同盟は、常に基本的立場と原則性を譲らず、学生運動と一切の民主主義諸斗争の統一のために枯り強く斗い、組織建設を行ない、思想的一致を深め、成長してきた。このような優れた学生同盟の歴史は他の団体や組織にはないことである。だがこのような歴史の中には、常に同盟員の献身的で、自己犠牲的な活動があったことを想起しなければならない。理論的・政治的蓄積とその継承が極めて困難であるという学生同盟の限界は、とりわけ留年という形での同盟カードル層への多大のしわよせを不可避とし、他方では、不断に理論的・思想的水準の低下によって組織分裂という危険を内包していることを銘記しておかねばならないであろう。
 我々は、同盟創立10周年に当たり、我が同盟の諸先輩が同盟結成趣意と規約の中に、第四回全国大会をはじめ大会諸文書の中に、今日の同盟の基礎を築いたことに、敬意と兄弟的連帯の意志を表明する。
 我々は、諸先輩の生み出した財産を継承・発展させ、同盟を真に全国的で、大衆的な、全国一八〇万学友の共有財産としての名に恥じないものに成長させることこそが、同盟諸先輩の労苦に応える道であると考えている。
 我々は、第十二回全国大会で提起され、現在まで着々と準備が進められてきた労働青年を中心部隊とする青年同盟の結成が同盟一〇年の政治的・組織的活動の所産であると考えている。我々は、結成される青年同盟が、わが同盟と兄弟的関係で結合し、日本の青年・学生運動の統一と労働者階級の統一のために活動する歴史的時代の到来を熱烈な支持と共感、万雷の拍手をもって歓迎するものである。


 一九六三年九月十五日、我が同盟の諸先輩は、民主主義学生同盟を大阪の地に組織した。その直接の契機は、当時、民主青年同盟と日本共産党内部で指導部の小ブル民族主義と官僚主義・セクト主義的偏向と斗っていた大阪大学・大阪市立大学・大阪府立大学などを中心とした同盟諸先輩に対する党と民青指導部よる官僚主義的な組搬的俳除であった。
この組織的排除の直接的理由は、60年安保斗争の過程で、社学同、次いでマル学同(現在、革マル派と中核派に分裂)に暴力的に私物化され、破壊されていた日本全学連の再建とその統一をめぐる民青指導部のセクト的、分裂主義的方針の決定=自派のみの、自治会とならんで個人までをも加盟単位とする無原則で、混乱した、いわゆる“平民学連”の結成に反対したことにあった。 「全員加盟制自治会の不断の強化とその地方的ー全国的共同斗争の発展、下からの大衆的支持に支えられた言葉の真の意味での大衆的イニシアチブの発揮によって、学生運動の統一をめざすべきであり、いわゆる『トロッキスト』諸派によって暴力的に私物化され、戦線分裂の極度の進行の中で、学生運動の政治指導部の政治権威が弱化されている現状の下で、 『トロツキスト』諸派に対抗するために、民青指導下にある自治会、サークル、個人まで一切の区別なしに結集していく“平民学連”方式の導入は、京都・大阪・兵庫など強固な統一機能を持った地方学連が依然として存在している条件下では、学生戦線を分断し、分裂を組織的に固定化するだけである」との我が同盟諸先輩の原則的立場は学生戦線統一のための譲ることのできない原則であった。
 民学同は、セクト主義・分裂主義の最も頑固な敵である。 「言葉の真の意味における統一の推進者・擁護者である」という我が同盟の組織性格は、その誕生の歴史に深く規定されているのである。 「我々は、大衆団体の基本的利益に最も忠実かつ独自的に斗い、大衆団体の統一のためにうむことなく斗う政治組織のみが真に民主的かつ進歩的なものであると確信する。我々は、クラス・サークルを基礎に、自治会を全員加盟制にふさわしい真に民主的で自主的な自治会たらしめるようその革新と強化・統一のために斗うo我々は共通の課題の下での統一行動を積極的に追求し、自治会・地方学連・全国自治会の統一の実現のために斗う」と趣意はのべている。


 だが対立は、この問題だけではなかった。むしろ指導部の大衆運動政策の誤まりは、彼らの思想的誤謬にこそ深く規定されていた。それは毛沢東主義に感染していた当時の民青指導部の小ブル民族主義に求められねばならない。独善的で排他的なセクト主義と官僚主義(組織内民主主義の破壊)は、民族主義思想の必然的所産である。彼らは、平和と平和共存・反独占民主主義・反独占統一戦線の政治路線を「フルシチョフ的」修正主義として攻撃した。
 日本の民主陣営内で激しく論争されていたいわゆる 「従属・自立」論争、その後続いて行なわれた「中ソ論争」 は、我が同盟が誕生する決定的な重要な政治的・理論的論争としての歴史的位置を構成している。この問題を巡って、日本共産党・民主青年同盟内部で深刻な論争が斗われた。この論争は、日本における民主主義的・社会主義的変革の戦略と戦術に関する重大問題であり、従って、その論争の、官僚的・行政的ではない、民主主義的解決による政治指導部の統一と団結の強化は、学生運動は勿論のこと、日本の労働者階級と広汎な勤労大衆、反独占勢力の要求に正しく応える不可欠の任務であった。
 だが民青指導部は、すでに述べたとおり、組織内民主主義を破壊し、思想斗争の権利を蹂躙し、反対意見を”分派主義・分裂主義・修正主義”などあらゆる悪質な恋意的レッテルのおし付けによって、青年の先進的部分に対して不当な組織的排除=指導部の分裂を強行したのである。同時に、我々は、基本的には正しい主張を行ないながらも、 “民青内部
に組織内民主主義がない”ことを理由に、組織の内部で当面する政治方針と政治路線をめぐる思想斗争の課題を回避し、自ら組織から離脱した諸君の無責任なサークル主義とモダニズムへの追随路線、無党派主義の思想と明確に自己を区別しなければならない。
我々は、官僚主義に反対し、同時に、それと表裏をなすサークル主義・無党派主義を拒否する。同盟趣意は 「同盟が学生運動における指導部隊としての役割を果たす為には、科学性と戦斗性、なによりも同盟の隊列の強固な統一が必要とされる。組織内民主主義の発展こそ科学的な政策と方針に基づく同盟隊列の統一を創り出し、同盟の指導性をうちたて
る最大の基礎である」と述べている。
 民学同は、学生運動の統一の旗手であると同時に、同盟隊列の統一を瞳のように大切にすることを自己の任務としたのである。


 日本帝国主義の現状規定をめぐる、いわゆる“従属自立”論争、国際的な反帝斗争の総路線をめぐる、いわゆる“中ソ論争”は、我が同盟が困際的に達成された理論的政冶的諸原則を自分のものとする上で重要な貢献となった。
 日本共産党(代々木派)、民青指導部の見地は、復活強化された日本帝国主義を帝国主義と認めず、その被占領・対米従属規定によって、「日本の国家権力がアメリカ帝国主義とそれに従属する日本の独占資本に握られている」という誤まった「ブロック権力」論、ないし結局は米帝の権力の立場に立たざるを得ず、しかも、日本の独占資本が強大なアメリカ帝国主義に完全に従属している条件下では日本独占資本か日本の支配者となることはあり得ないとする日米運命共同体論=アメリカ帝国主義の対日支配の絶対化という、レーニンの帝国主義理論とは、およそ無縁の、正真正銘の民族主義的見地であった。彼らは、国家主権の問題と国家権力の問題を同一視し、帝国主義間の力関係の格差からくるアメリカ帝国主義の対日影響力ないしは政治的・経済的拘束力と対日支配とを混同し、何らの区別もなしに理解しており、日本独占資本と日本の政治権力を植民地従属国における買弁資本家的なそれとして評価するという誤まった見地に立脚していた。この見地からは、日本人民の主敵、すなわち打倒すべき権力を日本の独占資本(とその政治権力)として規定せず、民族独立と反米斗争を当面の第一義的政治目標として掲げる民族主義、日本独占資本との斗争における日和見主義への転落は必然的結果であった。また日本帝国主義とアメリカ帝国主義の間に、前者が成長・強化すればするほど、ますます拡大・発展する両帝国主義間の矛盾と対立の激化廿不均等発展の法則の貫徹という理論的原則は、眼前から消え去り、日本帝国主義との斗争における客観的に利用しうる有利な条件としてこの矛盾と対立を見ることに無関心・無理解となるばかりでなく、日本帝国主義がその独自的志向において軍事力を強化し、新植民地主義的政策を中心とした他民族抑圧を推進している現実に対して無警戒となり、日本の人民と被抑圧民族を裏切ることになるのである。
 我々は独自の利害と政策による日本帝国主義の自立的志向と発展を認識し、それとの斗争を自己の主要な国際主義的任務のーつとしていた。 又、我々は、社会主義世界体制、国際労働運動と民族解放斗争の強大な力によって規定される今日の力関係の下では、日米対立の必然的な激化の過程を通じて日本帝国主義がナチス・ドイツのようないわゆる”自立的帝国主義”にまで成長する展望が社会主義世界体制と日本国内の労働運動と民族解放斗争によって強力に規制されていることを同時に確認し、右の斗争の勝利の客観的な基盤となっていることを正しく評価していた。


 中ソ論争の出発点ともなった”八一声明”(八ーケ国共産党・労働者党会議声明、 一九六〇年)は、我々が立脚すべき国際的な反帝斗争の総路線であった。そこで提起された恒久平和の確保と軍縮の過程を推進し、帝国主義戦争を阻止し、平和共存の前進をかち取り、反独占民主主義の達成を通じて社会主義へ前進するという原則的政治路線は、民学同の趣意にはっきりと打ち出されている。 「人類の破滅か『平和共存か 第三の道はない」で始まる同盟趣意は「社会主義体制とともにあらゆる一般民主主義斗争は平和と平和共存の斗いを構成・強化し、同時に、平和と平和共存の斗いは、諸斗争の広範な舞台を準備し、統一と成功の見通しを保障する。 世界平和の共通の敵、ァメリカ帝国主義を先頭とする彼らの核脅迫政策・瀬戸際政策の志向を封じ込め、彼らを徹底的に孤立させ、より安定した平和共存的国際関係を樹立することは人類にとって最も重要な課題となっている。一と述べている。また反独占民主主義について趣意は次のように規定している。
「現代の民主主義 新しい民主主義は、たんに防衛的かつ政治的なものにとどまらず社会・経済における民主的改革をも斗いとる積極的かつ攻撃的な性格をおびている。またそれは、独占資本との対決を通じてかちとられ、労働者階級によって指導される勤労諸階層をその擁護者・推進者とする。我々は分裂している労働者階級の統一を望み、その統一のための事業に協力する。」我々は、ここに提起された思想の原則性こそが、今日の民学同が優れて国際主義的であり不断に日本国内の大衆運動に依拠して斗う中で、他と自己区別し、独自の政治組織として存在しつづけ、前進している基礎があると確信している。
 日本共産党(代々木派)民主青年同盟は平和と平和共存・反独占民主主義の政治路線を中国毛沢東指導部と声をーつにして憎悪し、“修正主義” “右翼日和見主義” “構改派” =改良主義”などの根拠なき政治レッテルによって否定した。彼らは情勢の発展そのものによってその誤りを宣告されている。彼らは「革命的」空文句による誇大宣伝と実践的には反独占斗争はいうに及ばず国際的な反帝国主義斗争の具体的政策を掲げず、待機主義と日和見主義に陥り、全ゆる大衆運動を民族主義的反米斗争路線の押し付けによって分断する分裂主義の悪しき代名詞に転落した。彼らは、全世界の、とりわけ日本の原水禁運動はその重要な構成部分であった部分核停条約の獲得に対してこの成果を認めず、この条約に反対し、四・一七ストに反対した事件は、その象徴的事件であった。我が同盟は、各大学平和委員会活動や原水禁運動の中で国際連帯の立場を守り抜き、六五年・ヘルシンキで開催された平和大会にも代表を派遺し、日本平和運動の民族主義的歪曲と斗った。
 民主主義学生同盟は、小ブル民族主義と斗い、国際的反帝斗争の総括路線に立ち、平和共存と反独占民主主義の原則的路線の下に大衆運動を組織し、主として学生戦線において強固な指導的中核部隊の建設を克ちとり、学生運動を統一すること、分裂している労働運
動の統一を望み、労働者階級の、なかんずく、その指導部隊の統一の事業に貢献することを自己の任務として規定した。


 我が同盟は、首尾一貫した科学的世界観の上に立っている。同盟員の理論的関心と理論水準を不断に高め、古典的諸著作を系統的かつ真剣に研究し、反動イデオロギーや小ブル的動揺 ペシミズムや盲動主義 と断乎として斗い、科学的世界観を学生大衆の中に大胆に持ち込み、政治斗争・経済千争と正しく結合したイデオロギー斗争を通じて学生大衆を政治的・思想的に指導し、獲得するための不断の努力をおこなってきた。このような一貫した理論活動と思想的立場こそ我が同盟の最も輝かしい伝統のーつであり、最大の権威のーつである。我が同盟が氾濫する独占のイデオロギー攻撃やマルクス主義陣営内部の思想的混乱にもかかわらず、また学生大衆へのこれらの混乱の増幅された反映にも関らず、着実な政治的組織的前進をかちとり、また二度にわたる分裂という不幸な代価を払ってではあったにせよ、我が同盟の隊列内に発生した小ブル急進主義、セクト主義的、暴力主義的偏向とそれに基づいて我が同盟を離脱した部分との斗争で国際主義・労働者階級との連帯・大衆運動の統.と前進を雌護しぐ基本的にこれを一掃しえた基礎には、我が同盟のこのような不抜の思想的伝統ーそれは、我が同盟結成に先立つ大阪唯研・大阪学生唯研・及びその後の「知識と労働「を中心とした我が国の戦斗的唯物論者、マルクス・レーニン主義者の長期にわたる原則的理論斗争によっで形成されたがあった。


 民主主義学生同盟は大阪府学連を指導し、全国学友に共通の課題にもとづく共同闘争の大胆な呼びかけを通じて、全国同盟への成長の過程を歩んでいった。関西三府県学連の統一行動は、分裂した学生運動の中で、最も大衆的で、戦闘的であり、輝かしき全学連運動の伝統を誇りうるに足る闘いを組織し、大阪府学連は常にその中心を担っていた。この闘いの過程で、原則的な学生運動統一政策を常に堅持していたわれわれの隊列に、京大を中心とするいわゆる京都統一派(民青)の部隊が結集した。それは、関西学生運動の統一し
た闘いに対してとった極めて分裂主義的な敵対政策=ボイコット・分裂戦術(「①京都平
民共闘の統一行動、大学教職組と学生の統一行動とに党の指導する学生運動は、京都都平民学連として参加しても、党の指導する学生は京都平民学連として学生の隊列を別に組織する。②京都府学連の統一行動は、これが反共分裂の挑発行動であり、党はこれをボイコットし、 一切の集会とデモは粉砕し崩壊させる。・・・断固として自治会執行部の多数決に拘束されない」六三年八月二〇日付の日共京都府委員会通達”京部における学生運動の再建統一のために”は、この 「戦術」のセクト的本質をきわめて明確に示している)の破産の実践的帰結でもあった。
 だが同時に、彼らの同盟隊列への合流は、日本帝国主義の評価に関する基本対立を解決することなく行なわれ、後のプロ学同=共労党派との不可避的な組織分裂の深因となったことを想起するならば、同盟の思想統一がいかに重要な課題であるかを学んでおかねばならない。
 白川真澄を代表的イデオローグとする彼らは、いわゆる「従属的帝国主義理論を主張した。同盟内に発生した意見対立は、同盟が依拠する理論的諸原則にかかわる内容をもつものであった。核防条約の評価において対立はまず顕在化した。 「核防条約は、独自核武袋を禁止しているが、核もち込みは禁止していない、当面する現実の危険は独自核武装ではなく、核持ち込みであり、従って、核防条約は日本人民にとって無意味であり、核持ち込みを合法化する危険すらある。我々は全面核禁止をめささなければならない」との彼らの見解は、第一に部分核停条約や平和と平和共存をめざす闘争における原則的立場=恒久平和と全面核禁止に向かう一歩一歩の前進、そのような成果の獲得を積極的に評価し、最 終目標の達成の過程にそれらの段階的成果を 正しく位置付けること、第二に、日本帝国主義の核武装のコースを核持ち込み(アメリカ帝国主義の核のカサの下でのそれ)に限定し、独自核武装にかける危険な志向を過少評価し成てはならないこと、に対する全面的な懐疑を含んでいた。このような態度は、先述の「従属的帝国主義」理論と深く関わっており、 日共(代々本派)の見解に酷似している。
 彼らの主張は、帝国主義の冒険的で反動的なまき返し政策が進む過程で、次々と趣意に 表現された同盟諸原則への懐疑と否定へと突き進んでいった。それは同時に社会主義学生 戦線(フロントー統社同)のとったコースでもあった。彼らは、平和と平和共存の戦略を否定し、社会主義体制への懐疑を拡大し、毛沢東–林の「第三世界」革命論と同種の路線へと突き進んだ。また彼らは、労働者階級を盟主とする反独占統一戦線を通じて反独占民主主義を実現し、社会主義をめざす政治路線は、生ぬるいとして、「反独占民主主義の左転回」を主張し、事実上、反独占民主主義戦略を放棄した。同盟創建後、最初に生じたこの意見対立は、激動する情勢に直面して、危機感・焦操感に表われた小ブルジョァ特有の動揺に基礎をおくものであった。また、それは彼らの従属的帝国主義の主張に示されるように日本共産党(代々木派)の小ブル民族主義と完全に手を切ることができなかったことの必然的結果であった。このことは、最近民主青年同盟内部で発生したいわゆる新日和見主義が、議会主義に反対して議会外の大衆運動の決定的重要性を強調し、現実の内外情勢の客観的発展を反映して、日本独占資本の独占的志向とその危険性を指摘し、アメリカ帝国主義の世界支配における地位の相対的低下と後退を指摘した点において正当性をもちながらも、現指導部に屈服せざるをえなかった真因が、彼らの思想における折衷主義・小ブル民族主義思想にも共通して言えることである。
 森信成と大阪唯研は、帝国主義イデオロギーの基本特徴を次のように規定した。① 方法論 自然科学技術における墳末実証主義によって“技術開発”の要請に応えつつ、かつマルクス・レーニン主義を非現実的非合理的信念体系として排斥して改良主義を擁護し、 しかも他方で、世界観における非合理主義によって社会変革の科学的展望を人民から奪い取り、金融独占体の利害に盲目的に追随せしめ、③ 個人主義・エゴイズムによって人民の組織を解体(第二組合の自由)させ、且つ人民内部に相互敵視(ェリート主義・能力主義)を持ち込みつつ、しかも、④ マイホームのためにはわが社、わが社のためにはわが国という形で排外的ナショナリズムを展開する点にある。また、⑤ 生産関係(搾取と収奪の関係)をインペイして、「生産力が上がれば労働者も豊かになるーと生産力理論でパラ色の未来を約束しつつ、⑥ その裏返しとして、国独資の発展がもたらした諸矛盾を科学万能的考え方のせいにする疎外論、新マルサス主義、地球破局論、 「東洋思想」を持ち出す。
 我々はこのような把握に導かれて活発な思想斗争を展開して来た。
 70年代の国独資の危機の中で現在ハラ色ムードから灰色ムードへ力点が移行し、(トータル・システムアプローチ)の強調から国旗掲揚、青嵐会の抬頭まで、世界観主義の諸形態の新たな展開が見られる。またこの危機の深化の中で、特に青年青年労働者を中心にその戦闘化・労使一体意識・国益意識の急速な低下が見られるが、それが必ずしも労働者の階級的自覚と結びつかず現象的には、「脱政治」意識が広がっている。本来、労働者階級の中に社会主義的意識を持ち込むべき日本共産党代々木派は、社会主義と機械的「段階的」に切断された「民主主義」→階級に先立つ国民・市民・人間→疎外論、 「ヒューマニズム」「人間性回復」論の展開というように、中間者の危機意識の忠実な、表明者となりつつあり、かかる見地からマルクス–レーニン主義の諸原則の系統的な「再検討」「自主独立」「先進国型」マルクス主義の確立を行なっている。
 わが同盟の目指す、労働者階級を先頭とする反独占の深刻な改革が、このような右翼日和見主義の思想や戦術と断乎として対決し克服することなしは、科学的戦略・戦術抜きにそれに基づく労働者階級の強固な組織・規律・政治的訓練抜きにまたこれを指導するまたこれを指導する強固な先進部隊–科学的革命論で武装した–可能であるかの如く考えるのは最大の幻想であろう。(科学的革命論なしに革命なし)そしてこのような部隊を杉戎することは我が国の革命的人民にとって最も重要でかつ真剣な任務である。我が同盟が多くの革命的青年労働者を輩出し、彼らが労働者階級の先頭に立って斗っているのも決して偶然でない。我々はこのような事実を誇りとしつつ、思想上の原則性と党派性という輝かしい伝統を断乎として受けつぎ発展させるであろう。


 同盟は、プロ学同=共労党派との分裂から生れた痛手を基本的に克服したくまさにその瞬間において、再び同盟内部に当面の学生運動の統一の組織方針、ならびに、大学闘争の政策、全共闘(べ平連・反戦・青年C)運動の評価等、大衆運動の方針とその実践に深く関わる問題での意見対立を同盟内部に生み出した。
 この分裂は、 一連のベトナム反戦斗争でべ平連や反戦青年委員会が生まれ、大学斗争で全共闘運動が生まれ、それらが広範な青年・学生大衆をとらえるという事態の中でひきおこされた。広汎な大衆をとらえた急進的で、無政府主義的な気分と不断の動揺、労働者階級との連帯を否定する市民主義的思想は、科学技術革命の結果生み出された新たな社会的諸矛盾の蓄積と階級斗争の新兵の大量の流人によってひき起こされた。それらは、客観的な発展の過程であるとともに、日本的特殊性(日本共産党・民青の右翼日和見主義とセクト主義による斗争破壊)によって一層拡大された。
 反戦と平和・反独占民主主義的諸政策・大学と教育の民主的改革が問われ、大衆は強大なエネルギーを内包しながら行動した。彼らを獲得するためには、原則的で、粘り強い指導と実例の力による教育が必要であった。だが日共(代々木派)、民青は、それを妨書し、彼らは権力と事実上一体となって排撃することによって、この作業は著しい困難を強いられた。我同盟自身の政治力量ー指導と、彼らを教育するため実践的活動力が問われたのである。
「学生共闘」一派と呼ばれる同盟内分派の諸君は、このような、まさに高度の意識性と組機性がとわれる活動の困難さの前に拝跪し、日本共産党(代々木派)、民青の誤りへと転落していった。それは、京都大学に象徴される特殊な事情ー極「左」主義と右翼日和見主義の潮流のニ極分解現象と小ブル的気分の支配する活動家主義の根強い存在ーの中で、思想斗争の原則的展開が解体され、民学同の立脚する諸原則があいまいにされ、忘れられる中でひきおこされた。それは、いわゆる「新左翼」に対する即時的反発にその出発があり、その誤りはバリゲード実力解除方針に集中して現われた。
 彼らの誤りは民青がかって提起し、同盟諸先輩が断固として斗った平民学連のミニ再生産でしかないセクト主義ー思想と政策の原則性、その旗の下に大衆を獲得すること、抽象的「空文句」ではなく、個々の局面における具体的スローガンの提起によって大衆を獲得すること、こうして広汎な大衆を統一し、誤った政治指導部を孤立させること、これらの任務を放棄し、大衆からうき上った少人数の活動家のみを結集する街頭斗争主義、そのための各大学学生共闘=恒常的斗争委員会の提起をその本質としていた。自己の孤立を合理化し、そこから「主体形成」のみが過度の重点をおいて強調された。その必然的帰結は、同盟内では、露骨な官僚主義と同盟分裂の策動となって現われた。彼らは予定されていた同盟第12回大会を前にして、全国委員会(七名中四名は彼らによって構成されていた。)での多数決をくり返し、代議員を水増しし、彼らに反対する同盟員の推せんする新規同盟員の加盟を拒否しつづけた。それでも大会代議員多数を獲得できなかった彼らは、ついに第12回大会を暴力的に破壊したのである。
 統一会議が結成された。それは、今回の分裂が、プロ学同のときとは異なり、同盟の基本政策の一部、とりわけ、学生運動統一を中心とした大衆運動政策に生じた誤まりであり、とくに科学技術革命によってひきおこされた情勢の新たな発展ーその複雑さに起因していたからである。
 われわれは、思想斗争と実践的活動を通じて、民学同の隊列の再統一を実現することを同盟の諸任務の実現とともに貫徹するということを新たな課題としなければならなかった。「学生共闘」指導部はその誤まりを深めていった。それは、同盟原則の一部であっても、それを否定したとき、それは必然的に全体の誤まりを導くものとなることの証左であった。そのセクト主義は、必然的に無用な党派間抗争を生み出し、内ゲバ・テロル戦術の採用となって、ますます大衆運動を破壊する役割を担うようになった。それ以降の一連の市大における革マル・ブンド系ァナーキストとのヘルメット、鉄パイプで武装しての内ゲバは、その象徴であった。この過程は、また彼らの内部矛盾の深化の過程であった。同盟趣意と彼らの政策・行動が矛盾を拡大し、それは、必然的に指導部への批判勢力を生み出し、高崎経済大支部の同志の統一会議への結集となってあらわれた。
 我同盟は、72年統一会議第四回代議員総会において、 「学生共闘」指導部が民主主義学生同盟の趣意の原則を大きく踏みはずし、同盟の光輝ある名を汚しているとき、同盟の旗を守り、発展させることが、われわれの避ける事のできない任務であることを確認した。第12回大会の開催とその成功へ向けた活動が開始されたのである。
「学生共闘」派は、現在もなお関西において一定の活動定数を維持しているが、彼らは全体として暴力主義的手段を採用することにおいて我々と絶対に和解出来ない潮流である。彼らは政策的には依然として民青との妥協と統一に主要な方向を見い出している部分と急進主義との内部矛盾を内包している。
 われわれの闘いの前進が必ずや彼らの矛盾を拡大し動揺を生み出し、再び原則的思想と政策の優位性によって、民学同の旗をその名に恥じないものとして関西にうちたてる時が来るであろう。
 こうして民学同の真の統一は獲得されるであろう。事態は確実にその方向に進んでいる。


 一九七三年三月に開催された民学同第12回全国大会は、同盟一O年間の歴史の中で第四回大会に匹敵する特筆すべき意義を有する大会となった。第12回全国大会は、第一に、統一会議結成以来の政治的・思想的統一の作業をおし進める重要な貢献を行った。第12回全国大会テーゼとして提出された文書は、われわれの大衆運動と密接に結びついた理論的・政治的活動の成果である。それは同盟趣意の諸原則をひきつぎ発展させるという原則的立場に立って準備された。そこで提起された理論と思想は、民主主義学生同盟の旗を守り、発展させているのは誰であるかを疑う余地なく示している。だがわれわれは、このテーゼをさらに深め、不充分点を補い、さらに深め、理論的正確性を更に獲得する作業の必要性を認めておかねばならない。なぜなら、そのテーゼがわれわれ自身の理論上の、政治経験トの未執さに加えて、 ーケ月間という短期の間で準備されたものであり、分析対象の外におかれた課題や規定における不徹底性、国際的な論争の課題で未解決の問題も含まれているからである。この様な理論と思想に対する謙虚で真剣な態度こそか不断に同盟の理論的・思想的統一を強化し、同盟の真の組織的・政治力量を深部において規定する。
第十二回全国大会の第二の意義は、右に提起した成果を基礎にして中央委員か新たに創設され、規約十も民主集中陛の組織原則を獲得し、政治同盟としての組織的機能の強化を獲ちとったことである。それは全国機関紙・誌の質的・量的強化によってもその後の国際活動も含む政治活動の大衆的展開によっても証明されている。この大会を契機に同盟力量も全体としては強化される方向を着実に前進し始めた。
 第三の意義、それは、同盟10年の歴史の中でも、とりわけ重要な意味を第12回全国大会に付与している。それは初代全国委員長を始めとして、現在ずでに職場の労働者として、或いは、労働組合の専従活動家として、現代イデオロギー・修正主義の思想と対決し、マルクス主義の原則的思想を擁護・発展させながら理論活動の分野で、民学同の掲げる原則的な理論と思想・組織活動の経験を生きた指針として活動されている同盟諸先輩からの青年同盟結成の呼びかけであった。だがこの呼びかけは労働青年をはじめ同盟OBから突然行なわれた性格のものではなかったことを併せて確認しておかなければならない。それはプロ学同=共労党派との分裂の教訓から当初提起され、大学闘争の嵐のような高揚とその敗北ー「掌生共闘」派との分裂によって開始された統一会議の三年間(七〇年三月ー七三年三月)を通じて民学同自身によっても真剣な現実的課題として提起された。
10年前には解決できなかった課題を解決しうる時が到来したのである。

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 第12回大会テーゼは、すでに、青年同盟間題に、学生自身の任務として結論を由す必要を提起している。 「諸外国の青年・学生組織の形態は必ずしも一様ではないが、学生と青年労働者がその指導上の組織的一体化を基本的原則としている点では無条件に一致してしる。われわれは、日本青年ー学生運動の現状とわれわれの現実的力量を正しく考慮して学生同盟のもつ歴史的限界を克服する原則的組織形態を考慮しなければならない。一 (新時代創刊号・53ページ)
 こうして、それまでの民学同の10年にかち取られて来た同盟活動の歴史的成果として、青年同盟結成が提起され、それは当然ながら多くの人々の支持と共感・強い関心を呼びおこしていった。 (この数年間には、日本共産党(代々木派)の第12回大会があり、民主青年同盟内部で“新日和見主義”の反抗があったことも併せて考慮する必要がある。)
常に、アブクの様に生まれては消えていく他の政治的潮流が多かったことに比べて民学同は、はなはだしい思想的・組織的混乱の中で原則を守り、深く大衆の中に依拠しながら成長してきた現実は、日本の民主主義的・社会主義的変革に関心を寄せ、活動を続けてきた多くの民主団体・政治組織の支持をかちとった。彼らから第12回全国大会に寄せられた支持と期待は、まさにその証左である。
 民学同は、創建された中央委員会の旗の下に団結し新たな歩みを開始した。民青「全学連」の身の回り要求主義と度し難い議会主義的改良主義への転落の中で新たな政府・独占による大学攻撃・筑波法案反対闘争に全国大学の先頭を切って同盟の指導する阪大・市大・阪学大・関大・東理大・東洋大などの自治会その他の団体が決起し、唯一学生大会でストライキ闘争の成功を獲ち取り、六月二三日首都に一五〇〇名の大衆的デモンストレーションを実現した。これを端初として、原水禁世界大会への大衆的結集ーモスクワ平和勢力世界大会代表派遣、戦後最大の危機に直面する日本帝国主義による人民大衆へのインフレとデフレ攻勢に対抗する学費値上げ阻止・学費凍結・奨学金制度の民主的改革のための闘争、狭山公判闘争への数派の決起など斗いのめさましい前進を獲ち取って来た。 
また新たに、 「学生共闘」派の指導を拒否して、天理大学と続いて桃山学院の同志が多大なる自己犠牲を顧りみず、正しい路線を守る為に民学同の真紅の旗の下に結集したことは、 「学生共闘」指導部のセクト主義と親民青的路線の実践的破産を深く刻印している。
 これらの闘争は、青年同盟の結成を準備していた同盟OB・労働青年との兄弟的な協力と連帯の活動の下に推進された。中でも日共(代々木派)、民青による選挙目当ての露骨な反ソ・反社会主義の民族主義をその思想とするところの、自己の国際的孤立を日本平和運動の対外的な窓ロを独占することにより、隠ペイしようという悪質な政治的意図をもって行なわれた核政策の「転換」、原水禁運動の無原則な組織統一策動、モスクワ平和勢力世界大会の窓ロのセクト的独占・私物化の謀略との斗争は、同盟OB・労働青年との密接な協力連帯の活動に支えられて強化され、多大の成果を収めた。
 同盟創立一O周年記念集会(九・一五、大阪)首都・大阪のモスクワ報告集会の開催もまたその良き一例である。
 平和運動における国際連帯の精神的擁護の立場は、六五年のヘルシンキ世界平和大会への参加にも見られた同盟の一貫した伝統の所産でもある。我々はモスクワ平和勢力世界大会の成果の歪曲と断乎として斗い、この大会で克ちとられた成果を幅広く、日本の人民に広めていく任務を達成していく決意である。
 民主主義学生同盟の国際主義的立場は、 一貫して不変である。

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 民主主義学生同盟は、10年という歴史の試練に耐えて成長し、その組織活動の成果として、既に大量の卒業生を労働運動を中心とする民主主義斗争の諸分野に送り出している。
 既に経営・あるいは産業別にそのような同盟卒業生の組織する研究会や政治的サークルが民主的に選出された。この政治的中心から指導される政治同盟への発展を可能にするような、またそれを要求するような一定の組織力量の蓄積を達成しているという段階を迎えている。この要求は、労働青年の間で数年来、現実的な要求となってきた。また民学同同盟員にとっても卒業した後の、学生時代とば異なる政治的・社会的条件の下で新たに活動を開始するに当たり、豊かな政治経験を生かした系統的な規律と責任の自覚に基づく組織的指導の存在は、我が同盟を勇気づけ、現在及び招来の活動をさらに確信あるものにするだろうという点で量り知れない期待を生み出して来た。
 だが青年同盟結成を意義づけるこの側面は現実的な要請であり、重要な構成要素であるが、それだけが、青年同盟桔成の主カる契機であると断言すれば、それは事柄の一面的評価となるであろう。
 事柄の他の側面、それは現情勢の発展が国家独占資本主義の危機の下で社会主義の実現を目ざす反独占民主主義を斗いとる政治的変革を要求するような階級斗争の発展、その下で日本においては、そのような客観的要請に応えるのではなく、前衛党を名のる勢力とその指導の下にある青年の政治同盟が正真正銘の第ニインターナショナル的日和見主義の潮流に転落したという深刻な事態の存在にこそ求められなければならない。
 我々は、マルクス・レーニン主義の諸原則を断固として擁護し、戦斗的な民主的労働青年・学生を組織することを通じて、真の前衛党の再建と労働者階級の統一の実現に協力し貢献するという政治的・組織的任務が客観的で現実的な要請となっているのである。当面している情勢の発展そのものが民学同が一O年前に出発した時よりもはるかに困難な課題を我々に課していることは疑う余地がない。だが問題は任務の困難性にあるのではない。いかなる原則的かつ現実的な道を通ってそれを解決するかである。 「任務の困難なことが問題なのではなく、任務の解決をどの道に求め、とうやって解決を達成しようとするかが問題なのだ、ということを忘れてはならない。革命の展開力を強力不敗なものにすることが容易であるか困難であるかが問題なのではなくて、この展開力を強めるためにどう行動すべきかが問題なのであるし意見の不一致は、ほかならぬ活動の基本的性格に活動の方向そのものに関係している。我々がこのことを強調するのは、不注意で不誠実な人がこの二つの違った問題ー道の方向の問題、ずなわち二つの違った道のーつを選ぶ問題と、ある決まった道を通って目的を実現することが容易であるかどうか、あるいはその実現がま近いかどうか、という問題とーを混同する場合があまりにも多いからであるに (レーニン 「民主主義革命における二つの戦術」)
 問題は現在の情勢と日本の労働者階級が、なかんずくその先進的部分が何を提起しなければならないのか、そのような任務に対して現存する政治指導部がどのように行動しているのか、それは誤まっていないのか、その誤まりは部分的で許容しうるものなのかどうか、その誤まりは、彼らの内部的力によって克服可能か我々は何をなすべきか、等々、とたてなけらばならない。

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 我々は今や日本共産党(代々木派)=民主青年同盟の真剣な評価を迫られている。
 日本共産党(代々木派)は、その思想と政策において、もはや労働者階級の党としての基本性格を失ない、労働者階級の利害を代表しえなくなっている。民主青年同盟は、宮本指導部に組織的に支配され、その評価は、日共(代々木派) に基本的に一致する。我々は 彼らの第11回・第12回大会、及び民主連合政府綱領について原則的立場からの評価を行なう必要がある。これらの文章から容易に判断されることは、日本共産党(代々木派)のプロレタリアートの指導性を放棄し、小ブルジョア的・議会主義的改良主義を一層強化しただけでなく、「経営と営業を守る日本共産党」というスローガンの採用に典型的に見られるように、没落しつつある小所有の“経営”と”営業”と“財産”を無条件に擁護する正真正銘の小ブル的立場に転落しているということである。彼らの提起する“民主連合政府”綱領は変革のヘゲモニーと、変革の内容に於いてブロレタリアートの独自性・指導性と社会主義的変革の展望をあいまいにし、欠如させているという点に於いて、とりわけ ブルジョアジーに対する労働者統制と、銀行金融機関の国有化の提起を回避している点について、プロレタリアートの利害を代表していない。国家独占資本主義が社会主義の物質的条件を完備している現段階においては、社会主義を目指さないでは、社会主義へ前進するを恐れては、 一切の民主主義的変革は、内容のともなわないニセもの、大言荘語とならざるをえず、したがって、それはたとえ実現されたとしても長続きしない不安定なものにとどまるのである。
 日本共産党(代々木派)のこれらの諸文書は、彼らの国際主義の放棄と、社会主義世界体制への段階を明確にうち出している。彼らは、平和共存のスローガンを「米帝美化論」であると批難し、 「ソ連邦を超大国主義」というレッテルで中傷し、社会主義ソ連の着実に果たしている大きな役割とその権威を破壊し、独占資本主義の反ソ・反社会主義の宣伝に唱和している。そのスローガン 「自主独立」はプロレタリァ国際主義=前衛党に無条件に要求される原則的立場の放棄を隠ペイし正当化する“イチジクの葉”にすぎない。
彼らの民族主義の党への転落は、「北方領土」返還要求に見られる自民党顔負けの主張と行動、日本プロレタリアートの任務を第一義的に「米帝からの独立」におくところの小ブルジョァ民族主義と日本帝国主義美化論、マルクス主義国家論の原則の修正に典型的にあらわれている。このような彼らの主張は、日本帝国主義がアメリカ帝国主義への依存と従属からの自立と独自核武装・独自的経済進出の志向をかってなく増大させている現在、それを容認し、裏口から支持し、客観的にそれに手を貸すところの明らかな日本帝国主義擁護論である。
 彼らの第12回大会における“規約第一条”改正ー党員義務としての党決定の積極的実践の削除はー日本共産党(代々木派)の第ニインターナショナル的党組織・議員政党への転落を決定的なものとした。又同時に、このことは、彼らがブルジョア議会主義的政治とのゆ着関係の自主的再生の能力を持たない党に転落したことを意味している。

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 前衛の不在と、それにとってかわる部隊の弱体という条件の下ではあるが、反資本主義的・反独占民主主義的な政治意識、戦闘的で活動力に富んだ意識と組織が前進していること、労働組合主義の枠をぬけ出る条件と展望が成熟しつつあること、従って、今日の情勢は、社会主義をめざす反独占民主主義の思想的政策の側に、その最もすぐれた担い手を復活しうるし、しなければならない任務を提起している。
 結成される青年同盟は、民学同と兄弟的関係で結ばれ協力し合いながら、同時に、二つの組織的任務を達成していくであろう、それは、労働運動の中で強固な部隊を建設し、マルクス・レーニン主義の革命的理論と原則の擁護・発展を通じて前衛政党の再建に可能な限り貢献するであろうこと、そしてその過程で青年同盟を本来の意味での大衆的政治同盟ーその中核は労働青年ーへの成長をかち取ることであろう。

出展:「新時代」誌 第6号 1975年10月 

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