新時代 第66号

新時代 第66号(改題5号) 1975年11月12日

全国一斉学費値上げ阻止!教育権はく奪許すな!
全国学園ストで対決を

1面  ←PDFは、こちらから 全国一斉学費値上げ阻止へ学園スト・団交・デモの嵐を
2面 10.21全国各地で140万人が決起
3面 学費値上げ阻止・管理支配打破へ動き出す学生戦線
4面 青年同盟結成準備会第1回会合

 

カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動, 運動史 | 新時代 第66号 はコメントを受け付けていません

新時代 第64号

新時代 第64号(改題3号) 1975年9月13日

政府の恐慌犠牲転化・大衆収奪・政治反動と対決し、秋期臨時国会へ
秋闘労働者連帯–学費・生活擁護闘争の前進を

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】秋闘労働者と連帯し、秋期・学費生活擁護闘争の一大昂揚を
2面 核防条約即時批准を
3面 危機に直面する学生生活
4面 デモクラート派の破産と我々の立場・民学同第15回大会報告

 

カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動, 運動史 | 新時代 第64号 はコメントを受け付けていません

新時代 第63号

新時代 第63号(改題2号) 1975年7月7日

インドシナ人民勝利に連帯し、アジアから戦争の火種を一掃しよう
被爆30周年原水爆禁止世界大会の成功を

1面  ←PDFは、こちらから 【主張】被爆30周年原水爆禁止世界大会の意義と任務
2面 世界大会へ多彩な取り組み
3面 理大・市大で大衆闘争の嵐
4面 経済恐慌と日和見主義

 

カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動, 運動史 | 新時代 第63号 はコメントを受け付けていません

民主主義学生同盟 前史

民主主義学生同盟 前史

<戦後初期の「民主主義学生同盟」の結成>
<1948年8月 民学同発起人会>
<1949年 民主主義学生同盟を青年運動に解消>
<第1期反戦学生同盟の歴史>
<極左冒険主義の反戦学生同盟への持ち込み>
<第2期反戦学生同盟の歴史>
<「7中委8回大会路線」から「8中委9大会路線」への転換>
<学生運動の転換論>
<民主青年団のその後>
<平和共存路線の否定へ、日本共産党の民族主義>
<民主主義学生同盟結成へ>
<関西の3府県学連、関東の共青結成、その違い>
<共産主義青年同盟の結成と矛盾>
<平民学連から統一派が民学同に結集>
<3度の分裂の経過>

この文書は、1975年7月に行われた「民学同全関西交歓会」(石光寺)での講演録です。戦後初期から民学同結成に至るまでの学生運動の流れ、そしてその後の第1次分裂までが語られています。(テープ起こしをされた方に感謝です)

 松原敬です。
 私個人は、民主主義学生同盟の結成に参加して、そしてそのOBとして、これまで民学同の中でもまれ、中で育てられてきた多くのOBがいるわけです。そのような中で闘ってきた多くの努力、経験を諸君に紹介しながら、今回の組織問題を巡る非常に多くの困難を克服された皆さん、同志の皆さんにOBを代表して温かい連帯のあいさつを送りたいと思います。

 今日は、民学同の歴史ということで皆さん方にお話をするわけですが、私たち最初に民学同を結成したものは、それ以前に多くの青年同盟や学生同盟の歴史を踏まえながら民学同を大衆的で民主的であるが故に戦闘的な政治同盟として結成していきたいという念願をかなえて1963年9月に民学同の結成を勝ち取ったわけですが、その歴史に入る前に、戦後の学生運動の特徴的な戦いの中で、とりわけ政治同盟の結成と消長、消滅、そういった歴史を踏まえながら、民学同の歴史に触れていきたいと思います。

 まず、簡単に項目別にいいますと、1番目には、戦後に「民主主義学生同盟」の結成とそれと関連する民主青年団の結成について触れたい、2番目には、1950年代の共産党の分裂とそれに関連する反戦学生同盟(AG)の誕生についてもふれたいと思います。そして3番目に、1955年、第2期反戦学生同盟の歴史があるわけですが、これは全学連の歴史の中で、「8中委9大会路線」として、非常に特徴的な戦後初期の全学連創成期の闘いと、ついで全学連の統一を勝ち取った非常に大きな学生運動の高揚をもたらしたわけです。この「8中委9大会路線」に関連する反戦学生同盟の過程について触れたいと思います。そして4番目に、60年安保を前後する民主青年同盟–民主青年同盟の中から民主主義学生同盟が生まれてくるわけですが—、民主青年同盟の中における内部闘争を経て、問題として上がってきたところの、共産主義学生同盟あるいは社会主義学生戦線といった諸政治組織あるいは青年同盟について触れていきたいと思います。そして5番目に63年の民主主義学生同盟結成に至る経過、といった項目について、順次触れていきたと思います。

それでは、戦後初期の「民主主義学生同盟」について最初に報告したいと思います。

<戦後初期の「民主主義学生同盟」の結成>

赤旗 第1号「人民に訴ふ」 1945-10-20

 私達が1963年に民主主義学生同盟を作った時には、戦後初期に「民主主義学生同盟」というものが存在していたことを全然知らなかったわけです。ただ偶然にこの名前が一致したわけですけれども、しかし具体的に我々がいろんな学生の戦線における闘いを経過していく中、戦後初期の「民主主義学生同盟」の非常に戦闘的で大衆的であったその歴史を知るにつけて、我々はこの伝統を引き継いでいくべきだと考えるわけです。
 1945年8月、日本帝国主義は、とりわけソ連を先頭とする社会主義世界体制の形成に至る反ファシズム統一戦線の中で、日本帝国主義のファシズム的侵略行為というものが敗戦するなか、1945年から1947年2.1、日本の労働者階級の圧倒的なストライキ・ゼネスト直前にいくまでの非常に大きく昂揚する運動の中で、日本の学生運動というものも、とりわけ民主勢力の中で大きな役割を果たしてきたわけです。学生戦線では1948年に、全日本学生自治会総連合が結成されるわけですが、それに至る経過として、まず1945年8月の敗戦以降、46年2月に「青年共産同盟」が結成されます。これは、各大学に支部・班がどんどん作られていくわけですけれど、まだまだ学生の中における闘いとしては、むしろ学生運動に対する過少評価的傾向をもっており、一般青年運動に解消するといった形で、「青年共産同盟」というのは大衆的組織として結成されるといったのではなく、学生運動とは別個の、むしろ思想運動的な意識改革的な教育的な組織として「青年共産同盟」は分散的な形で組織されていくわけです。
 ところが、それと並行して労働運動がどんどん高揚して日本においては戦前には労働組合運動は弾圧され少数化していたわけですけれども、敗戦以降非常に高まる労働運動の中において—まあ現在においても一定の弱点をもっているわけですけれども–企業別組合というのが、「雨後の筍」のごとくどんどん作られていくわけです。それが学生の中にも反映して、青年労働者の闘いと結合していこう、という形で高まりつつある時、47年の秋ごろから国立大学の授業料値上げ問題が出てくるわけです。それと同時に47年の2.1占領軍のストライキ弾圧を契機として、日本の敗戦した帝国主義の立て直しということで、独占資本へのテコ入れがアメリカ帝国主義によって行われ、これと相一致して、47年3月に大学理事会法案というものが、政府当局から発表されるわけです。
 この大学理事会法案というものは、高まりつつある学生の闘いを押さえつけるために、大学理事会というものを作って理事会の名の下に、国立大学を含めたすべての大学に独占資本の代表と言うものを参加させ、大学の管理運営を大学自身の自治に委ねるのではなく、独占資本の利益、今後の帝国主義的利益に役立つような方向で大学を再編していこうというものでした。アメリカ占領軍の弾圧と相呼応したものでした。
 これに対して、各大学において、自然発生的な形も含めて、大学理事会法案反対、授業料値上げ反対という闘いが非常に広範に盛り上がってくるわけです。その中で、東京の早稲田大学において、全員加盟制の自治会というのものが、日本で初めて結成されます。この全員加盟制自治会というものは、学生の根本的な生活の利益が一致すれば、全員が加盟することができるんだということを前提としてすべての学生を結集させる、労働組合で言えば組合員の全員加盟制の組織原則を勝ち取ったのと同じような対応をして、学生においては全員加盟制の学生自治会として勝ち取られていくわけです。これはヨーロッパなどにおいては、全て学生運動というのは、個人加盟の政治同盟を中心として運動が闘かわれているという経過が非常に多かったわけですけれども、日本においては、こういった授業料値上げ反対、大学理事会法案反対ということで、大学における自治の担い手、それは学生自身の組織としてつくりあげていこう、しかもそれは、全員加盟させていく組織として作り上げていこうということで、最初に早稲田大学において全員加盟制自治会が結成されることになります。
 これらの過程の中で、全国とりわけ東京を中心として全員加盟制自治会はどんどん広がっていくわけですが、48年8月に「民主主義学生同盟」第1回発起人会というものが開かれるわけです。

<1948年8月 民学同発起人会>
 これはまさに授業料値上げ反対闘争、大学理事会法案の粉砕ということで「民主主義学生同盟」の第1回発起人会が開かれるわけです。これは東京大学、早稲田大学、東京女子大学、津田塾大学他十数校が結集して次のような行動綱領草案を決定しているわけです。
 一つは、学生生活の安定、2番目には学問の自由擁護、3番目には軍国主義とファシズムの復活反対、4番目は民主主義の徹底、5番目は世界平和の確立と日本民族の完全独立、の5項目。これは当時の情勢を反映しているわけですけれども、この5項目の行動綱領草案を決定して急速に「民主主義学生同盟」というものが組織されていくわけです。
 これは、最盛期2万人の同盟員を結集していくわけです。当時の「民主主義学生同盟」に対して、日本共産党は、–今日の学生同盟や青年同盟の歴史の中では、しばしば日本共産党の問題について触れざるをえないわけですけれど–この当時「民主主義学生同盟」の指導に対してどのような態度をとっていたかを参考に触れておきます。
 当時「民主主義学生同盟」に対して、日本共産党は「当面する学生運動の方針について」という文書を出しています。その中では「民主主義学生同盟の全国結成大会により更に大きく拡大しようとしている、この同盟に対しては、細胞はその組織拡大を積極的に支持し、幅広い民主的民主的学生大衆組織に育てあげていくべきである。この際注意すべきは民学同の中に細胞活動を解消する誤りである。学生運動の発展と共に学生党員の理論的低さは大きな欠陥として現れつつある。組織的問題は闘争の一つとして重視しなければならない。次に学生細胞が政治的に党の機関として指導され組織していないために、民学同の組織が真に下から組織されるところによっては、反党的になり、細胞をダブって精鋭分子だけの組織になっている現状にある。これらの諸条件を急速に克服し、学生の当面する大学理事会法案反対、授業料闘争を組織して、その中で選挙を闘うことをしなければならない」と述べています。
 この文書自身については、基本的に民主主義学生同盟というものの大衆的な性格を堅持して、民主主義学生同盟と政党というものを明確に区別して大学法案反対や授業料値上げ反対の闘争を成功させようという基本的視点に立っていて、その事自身が、民主主義学生同盟が2万人に及ぶ同盟員の大衆化に貢献したのではないかと評価できるのではないでしょうか。
 ところが、この「民主主義学生同盟」というのは、結成されてそのように非常に大きな役割を果たして、48年9月、全学連の結成というものが、民主主義学生同盟の盛り上がる闘いの中で勝ち取られていったわけですけれども、全学連創成期の闘いについては、別の機会に譲って、政治同盟についてお話を続けたいと思います。

日本民青団中央団報「若き戦士」1952年1月

<1949年 民主主義学生同盟を青年運動に解消>

 「民主主義学生同盟」自身は、全学連の創成期に参加し、非常に大衆的に結集されたにも関わらず、その後の歴史の過程においては、民主青年団というものに合流していくわけです。その過程の中で、「民主主義学生同盟」というのは、発展的解消という名の下に、解消していきます。48年9月に全学連が結成されまして、48年11月に「民主主義学生同盟」全国結成大会を持ちます。その全国結成大会から49年の1月に至る過程で「民主主義学生同盟」は全国のあらゆる大学に組織されていくわけですけれども、49年1月段階になりまして、青年政治戦線統一懇談会というものが提起されます。これは青年の政治戦線を統一しようという名の下に、青年の様々な分野に組織されていた青年同盟あるいは学生同盟を統一させようという動きとして提起されます。その中に「民主主義学生同盟」も入っていたわけです。この中で、発展的解消の名の下に、戦後初期の「民主主義学生同盟」が解消されていきます。

 この青年政治戦線懇談会は、次のような政治同盟によって構成されていました。その一つは、青年共産同盟。その当時、大体5万人の同盟員を擁していたわけです。もう一つは、全日本民主青年同盟。これは1万5千人、そして「民主主義学生同盟」は2万人。この3つが中心になって、他に様々な団体を入れまして、約30団体が青年政治戦線統一懇談会に結集するわけです。そしてこれが、民主青年合同委員会というものを発足させます。そして49年3月には、日本民主青年団というものに発展させることが決定されます。
 これと同時に、これまで闘ってきた「民主主義学生同盟」というものは、発展的解消の名の下に、その独自の活動を停止するわけです。青年共産同盟は、「青年の旗」という機関紙を出しており、全日本民主青年同盟は「労働青年」という機関紙を、そして「民主主義学生同盟」は「学生戦線」という機関紙を発行していました。これらの機関紙を合同して、日本民主青年団の機関紙に統一するわけです。それが「日本民主青年新聞」という機関紙でした。
 ところが、この民主青年団自身の最終的結成というのは、歴史的にはずっと遅れていくわけです。実際上、統一を呼びかけ、統一されたならば数字だけでも合計すると8万人近くなる同盟員を擁するはずだったのですが、実際に、日本民主青年団が結成されると1500人ぐらいに減ってしまっています。統一を呼びかけながら事実上なぜそんな事態に押し込まれなければならなかったについては、順次触れていきたいと思いますが、とにかくその結果としては、学生戦線の中において非常に大きな役割を果たした「民主主義学生同盟」や労働青年の中において果たしていた日本民主青年同盟、あるいは一般青年大衆を結集していた青年共産同盟の同盟員自身が、統一の呼びかけの中で頭だけの呼びかけ決議に終わって、結集したときには、1500名になってしまったという実態が歴史的にある。
これは次に「反戦学生同盟」の歴史と若干だぶっていますので、次に反戦学生同盟の歴史に入っていきます。

<第1期反戦学生同盟の歴史>
 反戦学生同盟は、50年3月に結成が決議されます。50年には朝鮮戦争が始まるわけですが、アメリカ占領軍の弾圧が益々厳しくなり、アメリカ帝国主義はアジアにおける軍事干渉政策というものを非常に露骨に推し進めていくという経過の中、日本の民主運動を極めて露骨に弾圧してきました。例えばレッド・パージという形であらゆる労働組合活動の中において、共産党員あるいは共産主義思想をもっているということだけを基準にして、そういったものを労働組合から外していく、あるいは会社にいること自身を解雇権の乱用でもって首切りを行っていくという経過がずっと存在していくわけです。
 これと相前後して、共産党は50年分裂と言いますが、所感派、国際派という二つの派に分裂します。一方の所感派というのは、地下に潜行して極めて極左冒険主義的な活動形態を採用して、当時の共産党員は、山にこもって火炎瓶を製造して軍事根拠地を山中につくって、時々東京においては新宿などに出かけて火炎瓶事件を起こすといった活動形態が所感派によって進められます。国際派は、そういった党の誤りを正すために闘っていったわけですけれども、学生戦線は、そういった労働運動におけるレッド・パージで、共産主義者、あるいは民主的な進歩的な思想をもっている人達がパージされる中で、学生の中においては、イールズというアメリカの大学教授が来て、「共産主義分子は大学から追放せよ」といって、赤化教授は大学から追放すべきだという講演を次から次へと行っていく時期があるわけですが、そういう非常に反動的な、嵐のような時期に突入する時期に反戦学生同盟が結成されます。
 これは、50年3月に都道府県学連代表者会議で結成が決議される。この結成の決議のされ方自身に若干の問題があるわけですが、都道府県学連代表者会議というのは、あくまでも自治会連合の代表者による会議であり、そこで結成が決議されるわけです。そして反戦学生同盟の解散も、全学連5回大会だと思いますが、全日本学生自治会総連合会という自治会の組織において解散決議が行われます。結成も解散も自治会の決議で行われたわけで、その事自体に関しては若干不規則であり、組織的な原則を踏み外しているというように言えないわけではないですが、しかしながら、その内容に入っていきますと、これまで初期の「民主主義学生同盟」が担っていた伝統というものが、反戦学生同盟の中には、より広範により大衆的な形で引き継がれていくわけです。

 都道府県学連代表者会議で結成が決議されますと、50年11月に関西地方において、その連合会が結成されていくわけです。そして51年に正式に全国協議会が結成されていきます。
 反戦学生同盟というのは、次のような基本的な組織の特徴を明らかにしています。
一つは、学生運動というものを、青年運動一般に解消することなく、学生層全体の要求と利害、それに基づいた先進的役割を発揮するための組織だと自己規定するわけです。このことは、「民主主義学生同盟」が民主青年団に発展的解消と言う下に消滅していった事に対する反省として学生層の共通の利害、それに基づいて青年運動一般に学生運動の要求を解消するのではなく、それを担っていく組織として反戦学生同盟を結成するということ。
 2番目に、この反戦学生同盟は、学生自治会を内部から強化し、執行部と学生一般の間隔を埋めるべき組織である、と自己規定するわけです。3番目に、その組織を全国的な統一闘争に適合する単一の中央指導部と各大学支部を組織する民主集中制の組織である、という形で組織的性格を特徴付けるわけです。そしてそれに基づいて次のような4つの課題を掲げて反戦学生同盟は闘っていくわけです。
 一つは、学生に関するあらゆる問題、学問の自由と自治、学生の生活等の諸問題を反戦平和の観点からとりあげて行動に組織する、そしてそれを通じて学生戦線統一のために闘い、国際学連と全学連の権威と伝統を宣伝して闘っていく、第2に反戦学生同盟は労働青年と共同闘争をして、青年同盟や民主青年団のあいだに共同行動プランを決定して青年戦線統一の中核部隊として闘っていく、第3に、当時結成されておりました平和擁護委員会というものに積極的に参加して原水爆禁止運動をはじめとする平和擁護委員会の運動の推進力として戦っていく、第4に反戦学生同盟は自分達だけで集団を作って独立して行動するのではなく、同盟員は自治会、研究会、運動会、その他の学生諸団体、サークルの一員としてその中で活動し、全学生の統一と団結のために闘っていく。そういった4つの課題を掲げて反戦学生同盟が活動を開始するわけです。
 労働運動の中においては、共産主義者がレッド・パージで追い出されていく中、学生運動の、この反戦学生同盟を中心とする全学連の闘いによってイールズ講演というものを最初は東北大学において拒否して以降、次から次に全国的に、アメリカから派遣されてきた、レッド・パージを推進する役割を担ったCIAの派遣要員を大学から放逐していくわけです。そして、労働運動の中においては成功したけれど、学生の中においてはレッド・パージは全然進まないと言う状況を作りだすという学生運動の先進的な役割を担ったのが、この反戦学生同盟だったわけです。

<極左冒険主義の反戦学生同盟への持ち込み>
 ところが、この反戦学生同盟は、そのような中で非常に増えていくわけですけれど、先ほど言いました共産党の分裂と非常に極左的な民族主義的な課題を掲げた戦術というものが反戦学生同盟の活動の中に様々な形で持ち込まれていきます。反戦学生同盟自身は、最初出発した大衆的な学生の組織として自治会とは明確に区別されながら、しかし、自治会を支えながら、全学連の闘いを育てあげていくという任務を持ちながら別個な地域人民闘争、地域大学権力論あるいは中核自衛隊、そして火炎瓶闘争戦術といったものが、どんどん反戦学生同盟の内部にもちこまれて、熾烈な対立が反戦学生同盟内部に起こってくるわけです。その中で様々な問題が提起されてくるわけですけれども、これは現在の民主主義学生同盟の問題と非常に密接し関連していると思うわけですけれど、あるいはそれ以降の現代現れているところの新左翼諸派、いわゆるトロ諸派の戦術とまったく不可分の形として現れてきた誤りというものが、反戦学生同盟の内部における闘いとして展開されていくわけです。
 当時、反戦学生同盟の中における極左冒険主義的な戦術を非常に強調していた部隊というのは、どのようなことを反戦学生同盟の中にもちこんでいたかと申しますと、「現在の情勢は、朝鮮戦争を契機として、民族的な武装解放闘争の段階にある。青年はその先進的な役割を果たすべきであって反戦学生同盟といった名において、反戦平和と言う課題で運動していくような段階ではない。今や、民族解放武装闘争としての段階を大学の中においては、地域解放区、地域人民権力、合体した学校権力を奪取していく段階にある。そのようなことにを担う同盟に発展すべきである。反戦学生同盟のような自治会を中心にした運動ではなく、武装闘争を明確に位置付けた同盟に発展すべきだ。現在の指導部はそのようなものになっていない」ということを強調しました。そして反戦学生同盟に対して民主青年団から解散提案というものが行われるわけです。それは、51年末に「民主青年団より反戦学生同盟解体提案」が、反戦学生同盟の全国準備会総会の中で提案される、それが東京都の総会においてもそれが提案される、そして提案した人達が、反戦学生同盟から大量に脱退して、解散アピールを全国の学生に発していく。そして52年6月に全学連第5回大会が開かれ、この大会で当時右翼反対派と言われていた「反戦学生同盟反対派」が第5回大会で全学連の指導実権を握って、反戦学生同盟解散決議を強行してしまうわけです。
 この過程と言うのは、先ほど述べたように、反戦学生同盟の闘いに中で、レッド・パージ闘争を闘って、全学連の果たした非常に大きな役割というものを、地域人民権力の奪取とか、民族解放武装闘争という名の下に大衆的な政治同盟の成果を一部の誤った極左的な冒険主義に青年組織に解消させていくという誤りとしたどんどん進行していく、それが結局学生運動にマイナス要因として働いて、それ以降全学連が第1創成期と言われた48年結成から、49年、50年のレッド・パージ闘争に至る非常に大きな闘いの中で結成されてきた反戦学生同盟が、日本共産党の誤った指導に影響され同盟内の誤りを契機に、第1期反戦学生同盟がこのような経過の中で、解散・解消されていくわけです。

反戦学生同盟「反戦旗情報」   復刊2号 1957-12

<第2期反戦学生同盟の歴史>
 次は、反戦学生同盟の第2期に入っていきたいと思います。第2期というのは55年~56年にかかる段階ですが、先ほど言いましたように、学生運動における極左冒険主義というのは大学内における学生の闘いを組織するということではなく、大学内の精鋭分子を街頭に放り出していくという形で、極左冒険主義が現れてくるわけです。従って全学連というものが、本来学生自治会の総連合であるわけですから、学生自治会の闘いが組織されない限り、全学連の存在意義はないわけですね。しかも、その全学連と統一的な統一闘争が組織されているからこそ全学連の存在意義が非常に全国的に際立ったものとして形成されてきたわけです。ところが、反戦学生同盟は先ほど言いましたような経過から、同盟員をどんどん街頭に放り出していく、武装解放闘争という名の下に、大学内における闘いをすることは、何か日和見主義であるかのように捉えられ、大学外で闘うことが何か戦闘的で左翼的であるかのように語られ、そして学生運動というものが学生層全体を巻き込むような運動として提起されるのではなく、極めて政治主義的な、極めて街頭動員主義的な、そういう形で提起され、学生運動がこれ以降沈滞していくわけです。それが極左冒険主義と結びつくと余計に一層孤立して、非常に哀れな末路を辿っていくわけです。

 それで、共産党は、この過程のなかで分裂が一層深まって、もう組織力自身が非常に低下していきます。非公然下の中における活動というものが、大衆的な反撃でもって高揚に向かえないと言う状況の中、朝鮮戦争が終わって55年に、第6回全国協議会、6全協というものを開くわけです。ここで、これまでの極左冒険主義的な戦術を自己批判して、一転してこれまでの極左冒険主義的な戦術は誤っていたというわけです。ところが、これに動員された学生同盟員というものは、これまで正しいと信じていた極左冒険主義戦術が、大衆的な討議の中で是正・批判され、行動の統一の中で克服されていったのではないがために、非常に大きな挫折感というものが学生の中に蔓延して、この頃のことを取り上げた小説がたくさんありますが、非常にニヒルな思想が蔓延していくわけですね。しかしながら、6全協自身を契機にして、共産党が統一を回復して、新しく大衆的な運動に取り組む一つの契機になるわけです。

<「7中委8回大会路線」から、「8中委9大会路線」への転換 >
 学生の中においては、この55年の6全協が開かれた2か月後に、全学連の第7回中央委、8回大会7中委路線と言われるわけですが、この全学連7中委では、これまでの方針と一転してかわって、自治会はサービス機関だということを定式化するわけです。これは所謂自治会サービス機関論と言いまして、例えば自治会室には、学生服のボタンがとれた時には、糸がいるだろう。だから、針と糸をおいておけとか、自治会が主催して麻雀大会を成功させる、あるいは野球大会を成功させる、これは偉大な行動の統一である、という風なこれまで全く大学の中から活動家を外に放り出して、極左冒険主義的な火炎瓶戦術に学生を動員していたのとは、打って変わって、同じ指導部によって自治会サービス機関の名の下に、まったくの右翼日和見主義的な戦線・戦術に転換していくわけです。
ところが、55年末から56年にかけて再び国立大学授業料値上げが提起されてくるわけです。これに対して、自治会サービス機関論なんかではとても太刀打ちできない。こんな闘い方をしていたんでは、全学連自身が機能を発揮できない、ということの中から、56年4月に全学連第8回中央委員会が開かれます。ここで、7中委路線というものを全面的に撤回して、そして56年6月全学連第9回大会を開いて新しい執行部を選出し、これが8中委9大会路線と言われるわけですけれども、これまで最初の民主主義学生同盟の歴史のところで述べた全学連の結成というものを契機にした非常に大きな全日本学生自治会総連合の闘いが第1期であるとするならば、第2期の全学連の結成は、56年6月の9回大会であると言われるくらいに、第2の全学連結成大会として開かれるわけです。ここで、8中委9大会路線として、所謂「層としての学生運動論」が、ここで定式化されます。それは、すでに学生運動関係の書物を皆さんは読んでおられたら、よく出てくることで、省略したいと思いますけれど、7中委路線で出されておった自治会サービス機関論を克服し、学生層の共通の要求、共通の政治的経済的利害、政治的であろうと経済的であろうと、共通の要求と利害に基づいて全国的な統一闘争を全学連は指導することができるし、正しい政策、正しいスローガンを提起するならば、学生も層全体として、全員加盟制自治会を基盤として、学生運動の統一を成し遂げることができる、そしてその闘いの下において、授業料値上げを阻止するための全国闘争を組もうではないか、ということが提起されるわけです。
 これは、圧倒的な全国の学生自治会の再建と統一の前進に大きな盾となって、全学連の第2期の強力な闘いが展開されていきます。この第9回大会の中で反戦学生同盟との交友関係回復の決議というものが可決されるわけです。先ほど言いましたように、第1期反戦学生同盟というのは、第5回大会で解散決議が行われて消滅していくわけですけれど、この第2の全学連結成大会とも言われる第9回大会において、反戦学生同盟との友好関係回復の決議ということで、反戦学生同盟の再組織化が行われていきます。
 この56年の9回大会の後に、56年11月反戦学生同盟の第1回全国大会が開かれます。この時には22大学約1000名の同盟員を擁して、第2期反戦学生同盟の全国大会となります。この第2期反戦学生同盟というのは、第2の全学連と言われる「8中委9大会路線」の推進役となって、当時の全学連が果敢に闘っていた授業料値上げ闘争、東京立川にあります砂川基地反対闘争があります。砂川闘争は基地動員闘争としては、これまでの日本の反戦平和運動の中では特筆されるべき非常に大衆的性格をもった、基地への泊まり込み闘争というのが、全学連の全国動員を成功させながら、砂川闘争が全国的に大きく取り上げられていくわけですが、その中心的な部隊をになったのが、この反戦学生同盟であったあけです。この砂川闘争、それからクリスマス島の水爆実験反対闘争、それを契機とした原水爆禁止運動というものに、この反戦学生同盟というものが非常に先進的な役割をかってでて、「8中委9大会路線」を支える、第2の全学連の闘いを支える非常に大きな役割を担っていくわけです。
 これは、そういう経過の中で非常に増えてきまして、57年の5月段階では、反戦学生同盟第2回全国大会が開かれるわけですが、102大学に支部が組織されています。

社学同理論誌「理論戦線」1号 1958年9月

<学生運動の転換論>
 問題は、第2期反戦学生同盟の中から、所謂学生運動における転換論というのが語られるわけです。転換路線と言うのは最終的に確認されたのは58年ですが、56年の9回大会の中で学生の層としての学生運動における学生の先進的役割というものが極度に強調されていく中で転換路線というものが語られてきます。すなわちそれは、「8中委9大会路線」当時においては、学生戦線は民主勢力の一翼として学生運動は積極的な役割を果たすことができるし、果たさなければならない、と言うテーゼであったわけです。ところが、学生同盟自身の発展、全学連の闘いの高揚、それに比すところの他の労働者階級の闘いの立ち遅れというものを目の当たりに見る中で、逆に学生運動こそがあらゆる民主平和運動の先駆的役割を果たさなければならない、と言う考え方に転換していくわけです。これは学生運動先駆性論といわれるわけですけれど、学生運動というものを民主勢力の中における統一的な闘いの構成部分とするところから一歩進んで先駆的役割を果たすことが学生運動の役割である、それを果たさないようなものは、学生運動として認めない、といったような形で語られていくような経過が存在するわけです。これは、反戦学生同盟にもそのまま反映していくわけです。この転換路線というのは、58年9月全学連臨時12回大会において最終的に確認されていきますが、この直前に反戦学生同盟は第4回大会を開くわけです。この反戦学生同盟第4回大会というのは、5月25日に開かれたわけですが、5月27日に第1回社会主義学生同盟全国大会というものに発展的解消という形で、第2期反戦学生同盟は発展的解消という名の下に「社学同」に変わっていくわけです。

 これは、それ以降、ブントと言われ、現在いろんな形で分裂しておってどれがどうと言えないわけですが、社会主義学生同盟として、60年安保闘争、あるいはそれ以降の民学同結成の過程においても、一定の統一行動を進めてきた部隊ではあるわけですけど、・・・この社学同への転換というのは、学生運動における転換路線、先駆性理論と密接に結びついていいるわけですが、政治同盟としての反戦学生同盟自身の論理からいくならば、それだけではなく、反戦学生同盟というのは、反戦平和擁護闘争というものを基本的結集の基軸として、先ほど言った基準に基づいて結成されていたわけですけれど、これではもはやあきたらない、今や社会主義を語ることこそ、社会主義のために学生を結集することこそが、必要になってきた、これは学生先駆性論転換路線と密接に結びついていいるわけですが、政治同盟自身の独自的論理からいうならば、社会主義を掲げた政治同盟でなければならない、反戦学生同盟はそのようなものに発展的解消すべき時期にきている・・・・・(テープ交換)

最も大衆的であり、それが要請されているところの戦線の重要な課題として、民主主義学生同盟が出てくるわけですが、現在デモクラート派諸君によって語られている言葉によれば、「不況と表現するのは日和見主義で、恐慌というのが戦闘的である」あるいは「反独占民主主義だけではだめだ、恐慌には社会主義を対置すべきで、同時に語らなければならない」「恐慌の解決の道、恐慌からの脱出の道は社会主義以外にないんだ」と言った形で語られていることと、同じような共通の認識が、この当時の反戦学生同盟の同盟員の中において、それを有効に闘い得る部隊が存在しなかったいうことを前提にする必要があるわけですけれど、反戦学生同盟が社会主義学生同盟に発展的に解消される路線転換というものの反映であるわけです。これはすぐさま、社会主義学生同盟というのは、既成政党の超克、あるいはソ連を先頭とする社会主義諸国の平和擁護政策、続いて平和共存政策そのものに対する懐疑主義的な雰囲気を醸成していきます。それの対するアンチとして実力的な武装抵抗闘争を軸とした、意識的な改革というものが次から次へ誤った形で転換されていく、形成されていく非常に大きな契機になる。このことをもって反戦学生同盟は、58年の社会主義学生同盟への転換というのものを契機として消滅していきます。これ以降、社会主義学生同盟、ブントというものは、いよいよ極左化して、60年安保闘争の時期に移っていくわけです。
 前後しますが、次に最初に述べました初期の民主主義学生同盟が民主青年団に発展的解消していった、その後の民主青年団というものが、どのようになったかという次のところに移ります。

<民主青年団のその後>
 最初に述べましたように、日本民主青年団というのは、民主主義学生同盟や全日本青年同盟、共産青年同盟を中心として「統一組織」として結成されるわけですが、日本民主青年団の結成そのものは、1951年です。当時は、非合法で組織されるわけですが、この当時の組織人員が1500名に減退していたわけです。この後日本民主青年団は日本共産党の所感派と言われる人達の誤った軍事方針的な極左冒険主義的な指導の下、軍事方針の実践部隊としてますますその存在意義を薄めていく中、極左的な行動の犠牲にされていきます。それは混乱と脱落、崩壊の直前まで進んでいってしまう。1955年7月、日本共産党は6全協というものを開催し、極左冒険主義を自己批判するとともに、日本共産党は翌56年に青年運動への取組、方針案というものを再提起するわけです。そこで、日本民主青年団は、6全協後、1956年11月に団の名称を日本民主青年同盟というものに替えるわけです。そして日本民主青年同盟は、綱領的要求として、民族解放民主政府の樹立、独立平和民主主義日本の実現を闘う組織だというふうに規約を改正して民青の沈滞を打ち破って闘いを進めていくという再組織化に日本民主青年同盟は入るわけです。この当時6全協直後というのは、日本民主青年同盟というのはほとんど解体状況で、ごく一部の少数の部隊によってしか担われていなかった。従って学生運動においては全く影響力をもっていない。日本民主青年同盟というのは学生運動の中において民青という形で、それなりの影響力を持ち始めたのは安保闘争以降です。それまでは、反戦学生同盟が、6全協以降においては第2期反戦学生同盟が担ってきていたし、60年安保闘争においては全学連を軸にした闘いの中で、一方は反戦学生同盟が発展解消した社学同であったわけですけれど、それの反対派としての60年安保闘争当時においては、全自連(全自治会連絡会議)に結集した部隊として、のちに共産主義学生同盟の結成をする人達に担われていました。

<平和共存路線の否定へ、日本共産党の民族主義>
 この民主青年同盟というのは、影響力に関しては学生戦線の中においては、非常に微々たるもので大したものではなかった。しかし、それは青年運動自身の中においては、学生戦線とは別個に組織化が進んでいきます。56年に民主青年団は、民主青年同盟と名前を改めて青年同盟としての活動を開始するわけですけれど、58年7月に日本共産党第7回大会が開かれて、その中で民主青年同盟の拡大強化が積極的にうたわれることになります。その7回大会後、日本民主青年同盟の第6回大会を開くわけですが、ここで当時の民主青年同盟は6大会から7回大会を経て、急速に拡大強化していきます。そこでは民青の6回大会は1960年の安保闘争の最中に開かれるわけですが、6回大会においては、同盟の基本性格を次の3つに規定しています。一つは、民主青年同盟は労働者階級の立場に立って人民の民主的課題のために闘う青年の全国的大衆組織である。2番目は、同盟は青年統一戦線の中核である。3番目に同盟の基本的任務の一つは、マルクスレーニン主義を学ぶことにある、とこの3つの基本性格を民青第6回大会で明らかにして、そして主要な任務として平和共存と完全軍縮の路線というものを6回大会から7回大会の過程において大会決定として確立していきます。それで、民主主義学生同盟の歴史に入っていく一つの重要な問題は、私自身も民主青年同盟の同盟員であったわけですが、この6回大会から7回大会において、とりわけ7回大会の過程で—61年7回大会が開かれれます—民族独立という課題はもちろん入っていたけれど、それと並行しながら、平和共存完全軍縮のための闘いの重要性、それは当時57年に世界の共産党81カ国の共産党の宣言、60年の同じ共産党の声明、81宣言・声明という路線の中で現れされた平和共存路線が民主青年同盟の中にある程度正しい形で反映されていた時期があったわけです。これは、当時国際共産主義運動が資本主義の全般的危機の深まる中で、平和共存路線を国際的な階級闘争の一つの形態として重要な闘いの形態として平和共存路線を正しく押し進めていくことの必要性を81声明宣言の中でうたっているわけですけれど、この積極的な側面というものが青年同盟の中に6回大会・7回大会を経る中で一定程度定着する。それがそれなりに青年同盟の大衆運動の非常に大きなバネとなって青年同盟が増えていく、という経過が存在するわけです。しかし、1961年日本共産党の8回大会によって平和共存路線をゆがめだし、62年~63年決定的には64年以降、その民族主義的色彩が、その平和共存路線を否定する中国派、中国共産党の毛沢東的な方向と合体していく。それに益々傾斜していくという傾向の中で民青の8回大会、62年の、その過程で否定されていく路線が、民青6回大会、7回大会で確認されていた平和共存完全軍縮をめざす戦い重要性と言う日本民主青年同盟の路線であったわけです。

民学同第1回大会 1963-09

<民主主義学生同盟結成へ>

 そして、この民主青年同盟内部における闘い、あるいは日本共産党のこのような誤りに、内部で闘っている人達の努力の中で、まさに民主主義学生同盟というものが結成されていく過程に移っていきます。
 民青の闘いというのは60年安保闘争においては、先ほど言いましたように民主青年同盟自身として闘うということは、労働青年段階においてはあったわけですけれど、学生運動段階においては非常にごく少数で民主青年同盟に入っている形で安保闘争に参加したり、あるいは安保闘争以降の学生戦線の分裂の中で、それ以降の大管法闘争に積極的に参加し、政暴法闘争とか、大衆的に担っていくという同盟ではなかったわけです。にも関わらず、先ほど言いましたように6回大会、7回大会で確認されていた路線の大衆的性格といったものが体現していたものが、60年の安保闘争の社学同や、社学同から分裂しその後合体した所謂革命的マルクス主義学生同盟(革マル派)なんかの全学連の16回大会、17回大会に至る過程でますます極左的な路線を深めていった人達と区別する内部の闘争というものが、学生戦線の中においても民主青年同盟を結成していこうという形で徐々に反映していくわけです。従って、民青が学生戦線の中に登場しだしてくるのは、これまで言いました経過の中から言うならば、基本的には7回大会以降になってくるわけです。すなわち安保闘争後の1961年62年63年になって初めて、民主青年同盟というものが学生戦線の中に登場してくる。
 そこで若干だぶりましたが、いよいよ民主主義学生同盟の結成というところに移っていきたいと思います。

 民主青年同盟は、6回大会7回大会においては、平和と平和共存、完全軍縮の闘いというものを、はっきりと掲げながら運動を展開していたわけですけれども、一方、この7回大会路線は、民青は63年の4月に第8回大会を開く過程において、日本共産党の民族主義的な偏向とまったく軌を一にして、日本民主青年同盟内部において極めて民族主義的な路線が持ち込まれてくるわけです。それは、平和と平和共存の闘いを何か日和見主義であるかのように唱えだし、アメリカ帝国主義反対ということをあらゆる形において明らかにする。当時、原水爆禁止運動の中においても、敵を明らかにする理論が必要だということが語られだしたわけです。具体的な平和共存のための闘いを述べるのではなく、アメリカ帝国主義反対ということを空念仏のように掲げだす。そして事実上日本がますます帝国主義的な復活をすすめ、アメリカ帝国主義の戦争政策に密接に加担し、むしろ安保条約の改定以後、日本独占資本主義の独自的な冷戦、戦争挑発的な政策というものを批判することなく、従って原水爆禁止運動においても、平和と平和共存の闘いでも何か反アメリカ帝国主義闘争に歪曲することが戦闘的でもあるかのように語られていく雰囲気が民主青年同盟の中においても進んでくるわけです。
このような傾向に対して闘っている人達というのは、非常にたくさんいたわけです。当時の7回大会で選ばれていた書記長自身がそうであったし、民青同盟の中央委員や中央委員会の常任委員の多くの人達は、7回大会や6回大会で確認されていた路線を断固堅持しようとしていたわけです。ところが、共産党の民族主義的な誤り、それは段々と議会主義的な誤りに密接につながっていくわけですけれど、当時は中国共産党の毛沢東派的な、表面上「戦闘的」なものに移行していく過程の中、民主青年同盟内部においても、非常に激烈な闘いが展開していきます。それは学生戦線の中においては、東京教育大学を中心とした人達によって担われる「共産主義青年同盟」というものに体現される人達であるわけです。共青を結成する人達は、6回大会や7回大会で確認されていた平和共存路線、さらにはそれをもっと進めて世界の共産主義運動の中で、その路線として確認されてきているところの「81声明宣言」に体現された平和共存路線、国際的な階級闘争の一つの重要な形態である平和と平和擁護の闘いというものを定式化して、更に日本の独占資本に対する闘いというものを明確にした青年同盟をつくっていくべきである、そしてそれは現在の日本民主青年同盟では克服できない、という人達によって共産主義青年同盟に移行するという過程があるわけです。

<関西3府県学連、関東の共青結成、その違い>

民学同結成直後のビラ 1963-09-19

 民主主義学生同盟を結成する人達というのは、大阪を中心にして闘ってきていたわけですけれど、その人達と、共青を担っていた人達との重要な違いは、60年安保闘争以降、安保条約が強行採決されて自然成立するという状況の中で、トロ諸派はどんどん壊滅状態に陥っていくわけですね。61年以降、学生運動は、全自連と「全学連」に分裂していきます。61年以降は、各都道府県学連というのは、次から次へ解体していくわけです。解体していく過程の中で民主青年同盟の内部における闘争もあったわけですけれども、関西と関東における非常な違いというものは、関西においては、全学連が60年安保闘争以降どんどん解体していくにも関わらず、関西3府県学連、一つは大阪府学連、一つは京都府学連、そしてもう一つは兵庫県学連、この3つの府県学連だけは全国で唯一学生自治会の態をなしていて統一行動をなしうる機関として残っていったわけですね。61年以降の闘争というのは、この3府県学連、関西の3府県学連の闘争によってすべて端緒が切り拓かれていくという闘争形態になっていくわけです、学生運動においては、東京においては都学連が壊滅し、都学連自身の行動が行われていないという状況の中、先ほど言った東京教育大学を中心とした共青を結集する部隊が存在していたわけです。関西においては、61年以降も3府県学連は「政治的暴力行為防止法案」という60年安保以前に出されて「警職法」と非常によく似た反動的な弾圧立法を60年安保直後に政府独占資本は民主勢力の後退に付け込んで強行しようとしたわけですね。けれども、それに対する反対闘争、これはまあ関西3府県学連が全国の大学に激を飛ばして闘いを進めるわけですけれども、関西3府県学連は統一行動で強固な大衆的な反撃を行うわけです。そしてもっとも大きな反撃を関西3府県学連が行ったのが、大学管理法案です。大学理事会法案というのが、戦後すぐさま出されて、これは戦後結成された第1期全学連がそれを廃案に追い込むわけですけれど、そのあとすぐ、大学関係の法案というのが、その後第2期全学連の時に出てきた大学理事会法案、これも廃案に追い込まれるわけですが、その次が大学管理法案として、61年63年と3年にわたって大学管理法案反対闘争というのが、非常に大きく盛り上がるわけです。これも、実は関西3府県学連、とりわけ大阪府学連が圧倒的なストライキを背景にした全国の統一行動への呼びかけによって成功していくわけです。
 この大学管理法案反対闘争の中で、初めて東京都においても、大学管理法案に対する統一行動が、都学連の準備段階を作っていこうという意識を一定程度反映しながら、進められます。この大学管理法案反対闘争の過程の中において、一方において民青同盟内における誤った民族主義的な闘争方針、平和共存否定論、こういったものに対する同盟内部闘争が行われていたわけです。
 そこで、後に民主主義学生同盟を担った人達というのは、一方においては3府県学連の統一行動を成功させながら、これを関西3府県学連の統一行動から全国的な統一行動の母体として大管法反対全自代、全国自治会代表者会議というものを開いて、その中から、大管法自治会共闘会議、その具体的な課題においる統一行動を進めるための統一的な共同行動機関をつくりあげよう、そしてそれを契機にして学生運動の統一をかちとって行こう、といういうことを非常に重要な闘争課題として掲げていたわけです。従って民主青年同盟内部における闘争というものも、このような課題と密接に関連させながら、そして大衆運動と密接に関連して常に闘争を進めていたわけです。

<共産主義青年同盟結成と矛盾>
 ところが、このような闘いとは別個の形で進んでいた民主青年同盟内における東京の、後に共青を結成していく人達の闘いというのは、抽象的な平和共存路線擁護の、それ自身は非常に積極的な側面をもっていたわけですけれども、同盟内における闘争を放棄したまま、別個な形で共産主義青年同盟を結成していくという過程が存在していたわけです。それは、1961年9月に青年学生運動革新会議というものがつくられ、ここで青年学生運動革新会議の呼びかけということで、1962年に共産主義青年同盟東京準備会がつくられます。
 ここで次のような方針を出すわけです。一つは共産主義青年同盟というものを提起する。それは第1に共産主義運動の一環であるという前提を明確にすることが最も重要である。そのようなマルクスレーニン主義の諸原則に立脚することを放棄しては一切の運動は組織できない、と言う事を第1に掲げるわけです。第2に、しかしながら、共産主義青年同盟は—これは非常に自己矛盾なんですが—ほとんどの場合、共産主義について全く知らないか、ややぼんやり知っていても実際の行動の中でしっかりとした信念にまで固まっていない青年が対象である、というわけですね。このような考え方の下で共青というのものを組織したのかどうか非常に疑問なわけですけれど、出発当初から。一切の運動はマルクスレーニン主義の諸原則に立脚していない限り、運動は組織できない、従って共産主義青年同盟は共産主義運動の一環である、とまず自己を規定して、しかし共産主義青年同盟というのは大衆的青年同盟であるから共産主義については、またく知らないか、ややぼんやりしている同盟員が対象であるという自己規定の中から出発して、まず準備会から結成されるわけです。そしてそれはすぐさま、東京の教育大学において準備会から正式に発足して一大学からまず出発していくわけです。東京都においては、東京理科大学、法政大学、慶応義塾大学等々の中に、それなりの大衆的な基盤を持ちながら、共産主義青年同盟というのものは結成されていきます。それは民主青年同盟の内部闘争を経ながら、それなりの運動を経過していたということもあるわけです。にも関わらず、先ほど言いましたように大管法反対闘争や、それを相前後する大衆的な闘争においては、指導的な役割を担うことができず、大阪の地において、我々民主主義学生同盟に結集する人達が、全国的な学生戦線の統一の先進的なイニシアティブを発揮していたものに対して、常に否定的な態度で学生戦線の統一よりも、そんなことより共産主義青年同盟結成の方が大事だ、共産主義青年同盟の旗の下に完全軍縮のゼミナール活動をやろうという風な運動形態に、せっかく同盟内において、6回大会や7回大会で確認された路線を擁護しようとしていた人達が、学生運動という非常に大衆的な形で展開されなければならない課題を不明確にしたまま抽象的な諸原理、その教育宣伝活動というものに、同盟活動を矮小化していくという経過の中、その共産主義青年同盟が結成されていきます。これに関しては大阪において、大阪学芸大学において、当時共産主義青年同盟の活動が展開される一時期があったわけです。私達は大阪の地において、今そのような形で語られることは誤りではないか、第1に組織原則自身が非常に不明確であるし、そのような形で結集することによって第1に掲げていた共産主義運動の一環であるということ自身が自己矛盾を起こす、そのようなものによって自己をセクト的に自己区別することによっては大衆的な性格をもつことはできないし、ましてやそれと矛盾するような、ぼんやりしたまだわかっていない人達を無理やり共産主義青年同盟に結集したって、実際の大衆運動に有効な役割を果しえない。それよりむしろ現在の学生戦線の中において、非常に重要な役割を果たしている3府県学連の統一行動というものを、関西学連の結成から、全国的な学生自治会総連合へ、再度の第3の全学連結成にいたるような課題を明らかにして、それを指導的に担いうるような大衆的な政治同盟こそ結成すべきではないか。それが、現在の民主青年同盟の内部における民族主義的な誤りや、あるいは青年同盟とは別個に存在し、反戦学生同盟が社学同に転換し、社学同がいろいろな形でブンドや革マル派や中核派へと分裂していった極左派、新左翼派がとっている路線を我々が遂行する事ではなく、平和共存・反独占民主主義・学生戦線の統一を明確に掲げた、そういう学生の政治同盟を結集することによって、現在の学生運動の統一を勝ち取っていく母体をつくりあげていこう、そういう努力が必要ではないかという統一の呼びかけを、共産主義学生同盟の人達や共産主義青年同盟の人達に何度も呼びかけて、それを担いうる単一学生同盟の結成の呼びかけというものを、民主主義学生同盟に結集していた、しようとしていた人達が統一の努力を行っていきます。

 私たちは常に共産主義青年同盟の人達とは共同行動を行い、統一闘争を行うことを第1義的に重要視していたわけです。そしてそれは、関西3府県学連の統一行動を東京都学連段階で成功させるために、是非とも東京都学連の再建、そして全国的な学生戦線の統一、そして当時ようやく再建されつつあった九州学連、これは当時社会主義協会派の諸君によって再建されていたわけですけれど、九州学連、関西3府県学連、そして東京都における都学連の再建準備、というものを密接にからんだ、そういうことを担いうる、正しい意味での平和と平和共存、反独占民主主義の路線を担いうる政治同盟の結集のための呼びかけを発しながら、民青内部における闘争を行っていたわけです。民青内部における闘争は、そういう人達と相協力しながら行っていたにも関わらず、共青の人達が一方的に次から次へと自ら民青同盟からの脱退声明を出して、同盟内闘争を放棄したまま共産主義青年同盟を結成していく。従って大阪においても、共産主義青年同盟というのが、同盟内闘争を放棄した形で結成されていきます。我々はやむを得ず単一学生同盟結成を前提にしながら、そういう人達の努力をも、是非とも作られるべき単一学生同盟に結集させていく努力の第1歩として、大阪の地において、民主主義学生同盟の結成に踏み切るわけです。
 それは具体的に言えば、63年の最初に民青同盟内の闘争というものが共青あるいは後のフロントと呼ばれる社会主義学生戦線の人達がどんどん民青内部の隊列から脱落していく中で、私達だけが大阪の地において、同盟内闘争を展開し、非常に大きな多数派を形成していたわけですけれど、それが民青の8回大会の規約改正によって本来同盟員の処分というのは、基礎組織で決定されるという規定でしたが、8回大会の決定によって、1級上の上級機関が必要と認めたら、誰でも処分できるようになったわけです。それで私達も直接名指しでどんどん除名されていき、同盟内における正しい内部闘争ができないという、同盟内闘争自身が極限されたような状態に立ち至ります。事ここに極めりですね。同盟内における正しい闘争というものを受け継ぎ、しかも学生戦線の分裂をもたらすことなく、大阪府学連や兵庫県学連、京都府学連の隊列を防衛しながら、進めていける形態を求めて、そして民主主義学生同盟というものを、この同じ年の1963年9月に結成していくわけです。

 1963年9月に民主主義学生同盟が結成されるわけですが、このような過程を経ており、平和と平和共存の闘いの重要性を第1義的に明らかにし、第2に反独占民主主義闘争の果たすべき役割、その中での学生戦線の果たす役割というものを明らかにして統一戦線の立場を明確にした学生の政治同盟として結集していくわけです。
 その第1回の大会においては、本来民主的青年の結集母体とその統一の役割を担うべき青年同盟である民主青年同盟は・・といった言い方をしておりますけれども、それは当時の状況というものをよく反映しているわけです。民主青年同盟内部における闘争を契機にして民主主義学生同盟に結集した人達は大阪だけではなく、京都大学、岡山大学や東京においては理科大学や中央大学、教育大学において民学同は結成されていくわけですけれども、それらの多くの人達は民主青年同盟内部における闘争を執拗に提起しながら、決して自ら内部闘争を放棄するような形ではなく、その内部闘争を継続するという形で、しかも学内の大衆的な高揚を担いながら運動を進めていくという形の中で民主主義学生同盟が結成されたわけです。
 結成された民主主義学生同盟は、すぐさま、大阪においては大阪学芸大学の共産主義青年同盟の人達と一緒になって、単一学生同盟結成の呼びかけを行うわけです。

共青・民学同「単一学生同盟のための全国代表者会議の声明」1965-3

 これは、1965年3月に、大阪段階から共産主義青年同盟東京都学生委員会、それから共青大阪府学生委員会、それから民主主義学生同盟全国委員会という3つの団体の呼びかけによって、単一学生同盟結成のための全国代表者会議というものが民主主義学生同盟が積極的に呼びかけ、学生同盟としての、平和と平和共存、反独占民主主義、学生戦線の統一という、この3つの基本路線を明らかにした単一学生同盟結成を結成しようという統一の呼びかけを行うわけです。実は、それ以降、共産主義青年同盟というのは事実上学生戦線の中において急速に影響力を失って勢力が分散、うさん霧消状態になっていきます。従って我々民主主義学生同盟としては、民主主義学生同盟が呼び掛けた単一学生同盟の路線をあくまでも堅持しながら、全国的な学生戦線の統一の役割を中心的に担っていく政治同盟の必要性を堅持していく必要性から民主主義学生同盟の大衆的な隊列を防衛してそれ以降も運動を進めていったわけです。
 この間ですね、共青や社会主義学生戦線の=フロントといった人達とも、論争は様々な問題で、組織問題や政治路線やそれ以降の運動の統一の方針等々めぐって意見の相違が克服できないまま、一方における共青の人達やフロントの人達が影響力を失っていく過程の中、民主主義学生同盟は現在に至るまで続いているわけです。共青は先ほど言ったような形になりましたが、社会主義学生戦線についてちょっと説明しておきます。共青を結成しようと呼びかけた青年学生運動革新会議の中から分裂してできた組織であるわけですが、これは当時では法政大学とか関西では立命館大学等々において結成されたわけですけれども、後にプロ学同に合流する人達、プロ学同とは別個な形であくまでも統一社会主義同盟が現在も存続していますが、それに継続していく人達など、当時以降、学生戦線の中においては、大きな役割を果たすことができないまま経過していったことは共青と同じです。
民主主義学生同盟は、第1回大会以後、すぐさま大管法全自代や、それ以降のアメリカ原潜寄港反対闘争や日韓条約反対闘争等々の過程の中で、さらに学生戦線の統一の方針として、原潜日韓学生自治会共闘会議というものを提起して関西3府県学連の統一行動を軸にして全国の学生運動の統一の視点を失うことなく闘いを進めていったわけです。

<平民学連から統一派が民学同に結集>
 民主青年同盟内部における闘争のそれ以降の事態の一つは民主青年同盟が平民学連方式というものを学生戦線の中にもちこんだことです。平民学連方式というものは、平和と民主主義をめざす学生自治会連合というわけですけれど、これは個人加盟できる、サークルでも加盟できるといった非常に曖昧な組織を呼び掛けて、学生自治会の中に、別個の第2自治会を結成していく。大阪では大阪府学連や兵庫県学連、京都府学連の中に、平民学連という別個の組織をつくっていくという誤った組織方針をとっていく。それに対する闘いを契機にしながら、民主主義学生同盟の路線がどんどん勝利を重ねていく中で、平民学連方式をとっていた人達の中から、一つは京都大学、中央大学など、これではいけない、こういう学生戦線を分断するような路線を取っていることは間違いだとして、自己批判して民主主義学生同盟に結集する、こういう時期に、民主主義学生同盟第4回大会で現在の結成趣意規約が確立します。1965年の3月第4回大会を開いて、平民学連方式と決別した人達が民主主義学生同盟に結集してくる。63年に大阪で誕生した民主主義学生同盟でしたが、65年に至ってこのような経過から全国化する方針をうちだし、4回大会以降は全国的な学生の政治同盟としての役割を担うことになります。

<3度の分裂の経過>
 これからは、政治路線として重要なところに入ります。民主主義学生同盟が2度の重要な試練を受けるわけです。その一つは、プロレタリア学生同盟という人達に代表される民主主義学生同盟からの脱落、そして続いて3年くらい前になると思いますが、学生共闘派諸君との分裂、そして今回の、これは3度になったわけですけれども、デモクラート派諸君との分裂ということになっているわけです。これは先ほどから言いましたように、戦後の学生運動において常に強調し、闘いを継続してきて守ってきた原則、それは大衆的な学生の要求に基づいた政治同盟の存在意義、というものを瞳のように大切にしながら、統一戦線の思想というものを断固として守りながら、そして現在もっとも重要な平和と平和共存のための闘い、反独占民主主義の重要性というものを、今後資本主義の全般的危機が益々深まってくる中で、より一層その政策の重要さとそれに基づいた闘いが要請されている現在の事態に対応した政治同盟のさらなる発展をめざすという時期に非常に重要なこの政治路線への疑問として民主主義学生同盟は試練に直面してきました。
 プロ学同というのは、動乱的平和共存というものを主張しだして、これまでの平和と平和共存路線というのは積極的ではない、何か階級協調主義的である。これから進められるべきものは、世界情勢の動乱に呼応した動乱型平和共存である、といったことを強調しだして、最初は平和共存を何か擁護するように語りながら、順次もうすでに平和共存路線自身を全く否定する存在になっておりますけれど、当時は平和共存路線にたいする疑問として、また反独占民主主義擁護闘争に対する疑問として語られていく過程の中で、民主主義学生同盟の隊列から分裂していく。
 学生共闘派の時は、常に存在している資本主義の危機、これは上層の危機であり、上層の危機、下層の危機は常に存在していると。しかし、下層の危機から上層の危機に至る、下層から上層への上向的転換がない。すなわち攻勢的転換の闘争理論が民主主義学生同盟の採用すべき路線である、といった形で、これまた平和共存路線と反独占民主主義闘争の大衆性とそれに基づく粘り強い闘いというものを否定して、主体形成論的な誤った闘争形態を採用していくという形で、基本的な政治路線に対する疑問を提出してくる・・
今回の、デモクラート派諸君も・・・・・

(テープ切れ)

カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動, 運動史 | 民主主義学生同盟 前史 はコメントを受け付けていません

新時代 第62号

新時代 第62号(改題1号) 1975年6月12日

同盟14回大会成功  –同盟隊列統一へ前進—

1面  ←PDFは、こちらから 大会成功の意義と民学同の統一の為に・機関紙改題にあたって
2面 核防条約即時批准せよ
3面 教育学園闘争力強く前進
4面 同盟14回大会決議
カテゴリー: 歴史, 民学同, 社会運動, 運動史 | 新時代 第62号 はコメントを受け付けていません

(第14回)大会成功の意義と民学同の統一のために

(第14回)大会成功の意義と民学同の統一のために(「新時代」紙 改題1号)

1
 民主主義学生同盟第十四回臨時全国大会は五月二四・五日の両日、大阪の地において圧倒的成功を収め開催された。同盟内に発生した深刻な意見の相違を克服するための全国全同志の真剣で、ねばり強い努力の過程で新たに生じた、一部指導的幹部の手による中央諸機関、政治機関紙「デモクラート」の私物化、中央委員会・全国大会開催義務の放棄など一連の組織内民主主義の破壊は当面する大衆闘争の全国方針の欠如、中央指導の崩壊などの新しい政治的、組織的困難をもたらした。
 即ちそれは一部に生じた、これらの諸偏向から自己を区別し、平和と平和共存、反独占民主主義、学生運動統一の旗を片時も降すことなく、常に学友大衆の死活の利益を擁護し、高い理論的水準と思想性を、そのなによりの保障として闘い抜いてきた輝ける我が同盟の伝統、揺るがすことのできない党派性、この立場を守るための闘いを緊急かつ焦眉の課題として提起した。

2
 大会は、直面する平和と平和共存のための 闘い、相つぐ学費値上げ攻撃、深まる大学と教育の危機の下で勤労人民の教育権確立を目ざす闘い・学生解放研運動をはじめとした諸戦線の闘い、その方針の確立と実践、その発展を保障する中央指導の回復と中央機関紙、誌の発行体制の確立が、我が同盟が全国学友に負う必要最小限の任務であるとの確信の下に、その任務を達成した。
 大会は、このことが、存在する理論的、思想的誤診と混乱、組織的対立を固定化させるものではなく、その克服の基礎を据えるものであることを確認した。臨時第一四回全国大会が決定した我が同盟の直面する最重要の組織的任務は、混迷する学生戦線の現状が端的に示すように、同盟隊列の統一の回復と強化であり、大会に参加した全ての同志は、総力をあげてこの目的実現に遭進することの意志統一を克ち取った。
 大会は、同時に、この理論的、思想的諸問題において我々は無謬主義的立場と明確に一線を画し、独善主義を排し、夏に予定される 統一大会を目標に深く全面的な検討を批判と自己批判の同志的討議に基いて行なうことを確認した。結集した全ての同志は、この任務が大会不参加の少なからぬ同志を含む民学同全国全同志の共同の事業であり、その達成が同盟の政治的組織的統一をより確固不動のものとすることを確認した。

3
 同盟中央委員会は、大会の課した任務を、次の立場に基いて遂行することを声明する。
日本学生運動が、幾多の不幸な分裂を代償として得た貴重な教訓『政治的見解の相違を理由に統一した闘いへの努力を放棄し、特定政党政派の利己的利害を大衆団体の利益の上におく・・セクト主義を拒否する』 『同盟が、学生運動における指導部隊としての役割を果すためには、科学性と戦闘性、なによりも同盟の隊列の強固な統一が必要とされる。組織内民主主義の発展こそ、科学的な政策と方針にもとづく同盟隊列の統一をつくり出し同盟の指導性をうち立てる最大の基礎である。』(同盟趣意)
 同盟中央委員会は、労働者階級をヘゲモンとする反帝反独占統一戦線の自覚的一翼を構成する学生運動自体の独自的展開と闘いの中で人類が獲得した最高の科学的理論を学ぶ。”マルクス・レーニン主義の学校”としての性格をもつ大衆的政治同盟の基本性格を断固として堅持し、”大衆運動と切り離されて理論的強化を語り、同盟を大衆組織から遊離させ孤立させ、統一戦線に客観的に敵対する分離結合論、少数理論活動家集団化”を拒否する。
 同盟中央委員会は、大会に参加した全ての同志を代表し、一部指導的幹部とその影響下にある全ての同志に呼びかける。平和運動をはじめとして大衆運動の統一を守り、共同行動をねばり強く追求し実現するための努力を直ちに開始すること。同時に、趣意と規約の立場が無条件に要求する組織的統一の回復強化に向け我々は、政治的、理論的、思想的ーーあらゆる組織的統一に関わる諸問題の卒直で同志的な話し合いのテーブルを設定する用意があるし、それを現実化させるための努カを直ちに開始することを呼びかける。

4
 同盟中央委員会は、この任務が、大会によって明らかにされた諸方針の下に、全国学園において不抜の大衆的闘争を創出すること、一昨年の筑波法案粉砕闘争をはじめ東理大・市大・関大・洋大・その他多くの同盟拠点支部において闘い取られた明日の日本学生運動の姿を指し示した典型的な闘いの教訓に学び、それを一層発展させること、そのことを通じて同盟力量の飛躍的強化と分つことのできない課題としていることを確信する。同盟中央委員会は、全ての同志の最先頭に立って、何よりも第一に、大衆に支えられた政治機関紙の定期的発行と紙面の充実、それを基軸とした組織活動を確立すること、同盟内の理論的思想的、関心を一層高め、政策論議を巻き起こし、政治的、組織的教訓を継承させるために発行が停止している理論政策誌の発行を達成することを通じて貢献するであろう。
 同盟中央委員会は、当面緊急に要求されている諸闘争を以下の如く提起する。
 ベトナム、インドシナ人民の達成した歴史的勝利、プロレタリア国際主義の旗の下にその連帯を行動において表明すること、それは二つの革命政府を直ちに日本政府に承認させ、ベトナム以降の戦略ー戦争挑発と冷戦、反ソ反民族解放、東アジアの残された唯一の足場、日「韓」、日米、米「韓」 の同盟を打破すること、それは日本帝国主義の 「核安保」政策を根本的に転換させることである。全ての野党が全く正しくその意義を認めることのできない核防条約即時無条件批准を闘い取り、日本独占資本の独自核武装化の手をしばり、軍需独占体へのくれてやり政策の基礎を奪い取る闘いを被爆三〇周年世界大会の原則的統一開催実現に向けて展開することである。
 深刻なスタグフレーション、過剰生産恐慌の犠牲を人民に転嫁し、階級協調思想に基づく労働運動の内部からの懐柔、政治的反動を一見進歩的ベールでまとった三木内閣の下で学生生活は困窮の測に追いやられ勤労人民の教育要求は全く満たされていない。大学と教育の危機を突破する大学の反独占的改革を展望した、国公私学学費値上げ阻止の闘いを基軸として、学生生活擁護、民主的権利獲得の闘いをクラス、サークルから全ゆる大衆の闘うエネルギーを組織して闘うことである。

全ての同志諸君!全ての民主的学友諸君!
 同盟中央委員会は、以上の諸任務完遂に向け、全国学友の最先頭に立って共に闘い抜くことを熱烈に呼びかける。そして、これらの闘いが必ずや偉大な成果として結実し、明日の日本学生運動統一の事業に貢献するであろうことを確信する。

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | (第14回)大会成功の意義と民学同の統一のために はコメントを受け付けていません

【資料】第9回中央委員会報告 (1975年5月17・18日)

【資料】第9回中央委員会報告ならびに第14回全国大会(全同盟員総会)への招請

 5月17・18日、第3回起草委員会、及び第9回中央委員会が開催された。

(1)大会草案について
 第3回起草委員会によってまとめられ、9中委に提起された大会草案について、闘争方針を中心に基本的討議を行ない、中央委第1次案として下部討議に付すことを確認した。
 なお、内外情勢、一般任務方針は未だ文章的にも未整理なので、下部討議と併行して起草委員会が再検討し、10中委に提起する。

(2)組織問題について
①起草委、中央委は組織問題についての充分な討議を行なうことに注意を払った。そしてその全般的総括は15回大会に向けて組織することを確認しつつ、当面同盟の統一を回復し、指導性の確立に必要な総括を今大会において行なうことを確認した。
②組織総括のために、以下の諸問題点をあげ、総括の視点とする。
(イ)機関紙デモクラートの発行体制とその内容。
 現在一部常任によって私物化されているデモクラートは、その内容において、民学同の組織性格、基本路線を大きく逸脱しており、これを「機関紙」として押し付ける非民主的運営が行なわれている。
 すでに13名の中央委員アピールで明らかにした通り、我々は、デモクラート62号以降を正式の機関紙とは認めない。
 ここに現れた誤りと民学同の組織性格、基本路線、大衆的政治新聞としての役割についての検討は、総括の第1の課題である。
(ロ)イと関連する機関の運営と活動内容
 同盟内に表れた誤れる傾向がいかなるものであり、それとの闘争をどのように行なったか。
 各機関における活動内容をふりかえることによって、誤れる傾向をいち早く指摘し、それの克服を目指す活動が当面する大衆運動の方針との関連でどのように行なわれたのか、を明らかにすること。
(ハ)組織内の論争の性格と、それがもたらした大衆組織と運動への影響について
同盟活動にあらわれた大衆運動軽視の傾向は、運動、戦線における均等な発展と結びついていることを明らかにすること。
(二)これらの諸点を中心にした総括の上に、大衆に支えられ、大衆運動に対する生きた宣伝、扇動、組織する機関紙発行体制の確立と、その内容充実をめざすことを基軸にした同盟活動の強化のための方針を確認する。
(ホ)中央委を先頭として、科学的政策・方針の確立を、組織内民主主義の貫徹の下に、全同盟一丸となって闘いとる組織的保障、中央指導部確立を各級機関の強化と結びつけて行なうこと。
 この活動の展開、成果の上に立って、15回大会における総括は生きたものとなることができる。

(3)同盟の統一のために
 最後に、9中委は第14回大会が同盟隊列の統一と強化をめざすものであり、それへの参加は全同盟員の義務であり、権利であること。この組織的保障なしには、現在の組織的混乱は解決できないことを再度確認し、この中央委のよびかけに対して一部常任委員を含む全ての同志が積極的に応える行動をおこすこと、大会成功のために全ての機関であらゆるとりくみを開始することを要請する。各級機関で中央委員会と大会成功に向けた支持アピール・決議を集中すること、他支部、機関、諸同志への呼びかけを強化すること、などが、自主的に行なわれるよう心から訴える。

(4)「青年同盟」に関する経過報告
 8中委の確認に基づいて「青年同盟」を準備する人々に依頼し、それに応じた「青年同盟結成準備会発起人会」代表(大阪、東京より各1名)より次の通り経過報告がなされた。
(イ)現在、「準備会よびかけ」案、「行動綱領」案、「規約』案が作成され、既にそれをもとに「準備会」結成にむけたはたらきかけを開始している。
(ロ)昨年来の「青年同盟」をめぐる混乱については、理論的・思想的明確さと諸問題に対する真摯な自己批判で克服すべきだと考えている。
(ハ)民学同との組織的関係についても、一部に見られる「私的・個人的結合」であってはならないと考える。
(二)結成のメドは、8月準備会結成、行動綱領と規約にもとづく準備会活動を展開し、正式結成をめざす。
これらの基本的活動をもとにして趣意を作成してゆく。
(ホ)「よびかけ」案、「行動綱領」案に示すとおり、広範な青年の要求と闘いを基礎にする。組織の大衆的性格にもとづいて可能な限り最大限の広範な呼びかけ、討議をおこない、あらゆる青年グループの結集を追及したい。(以上 大阪代表)
(へ)「青年同盟」は民学同の闘いの歴史的成果であることを確認してほしい。
(ト)この間の混乱、誤りの克服は積極的方向へ「一歩前進すること」にある。
(チ)平和共存、反独占民主主義を基軸にした幅広い統一戦線こそ巨大な力になる。(以上 東京代表)

 以上簡単な報告があり、資料として以下の「準備会よびかけ」案、「規約」案ならびに「行動綱領」案のコピーを提示された。なお、これらの文書は、これからの大衆的討議に付される、いわば「たたき台」であり、一層の豊富化、そのための論議を追及してゆく旨の説明があった。
 更に以上の報告をもとに若干の質疑応答を行なった。
①「青年同盟」をめぐる混乱の主要なものはなにか。
(イ)一昨年より準備をすすめ、組織性格、名称をめぐっていくつかの議論があった。
(ロ)その中にあった一つの主張–党的結集、綱領を大衆闘争に先立てる、「前衛党なくして大衆闘争なし」–が強く前に出されてきた。
(ハ)それと関連して組織の大衆的性格を否定する傾向があらわれてきた。
(二)これらについて徹底した討議を行ない、組織的確認を充分行なわなかったことに問題がある。
(ホ)特に、綱領最優先、大衆運動の軽視に対しては批判し、平和、平和共存、反独占民主主義、統一戦線の路線をはっきりさせる必要がある。
(へ)この点で一致できる勢力を最大限結集すべきであり、それらのグループ、個人に対するセクト主義的な政治的評価によって結集を妨げるべきではない。
(ト)このような組織の「性格、目的、路線」についての確認が充分でないために、誤った傾向を是正できなかった。
②具体的なとりくみについて
(イ)東京における3月4日の集会、在版共産主義者連絡会の活動などを積極的に評価し、それらに連帯する青年を中心にまず呼びかけを行なっていく。
(ロ)今回の混乱にかんがみて、過去いくつかの経験にもとづいて、「あくまでも職場を基礎とし、労働運動を最も重要視しながらも大衆的活動を展開すること」「インテリ的焦燥感、急進主義からは、はっきり自己を区別すること」が必要だと考えている。
(ハ)8月準備会結成をめざしてあらゆる民主的先進的青年グループに呼びかけ、積極的な検討を要請していく。
2、以上の報告を基礎にして同盟内で議論を開始するが、現在の組織内の意見対立の解決の方向を追及するため、当面、今回の報告、並びに資料として提出された諸文書についての組織的決定を行なわないことを9中委は確認した。
 尚、青年同盟とそれに関連する問題の総括的討論については14回大会において極力確保し、15回大会に向けてそれを組織することを主張する意見が起草委員会、中央委員会において大勢を占めているが引き続き討議の課題とする。

民主主義学生同盟第14回全国大会(全同盟員総会)への招請

 全国の同志諸君!インドシナ人民の歴史的勝利に示されるような、社会主義、民族解放、国際労働者階級の闘いで、全般的危機の更なる深化をその内容とする、国際情勢、並びに国内情勢の大きな転換、歴史的転換の下で14回大会は開催される。このような情勢が要求する諸課題、諸任務を遂行するための同盟組織と運動の強化が無条件に必要な時期に、我々は、大きな組織的困難に直面している。
 来るべき第14回大会は、その困難と、全国全同志の英知と粘り強く献身的な努力を結集して闘い、同盟隊列の組織的危機に際して、その統一と団結を回復し、それを強化することを目的としている。
 中央委員会を先頭とする全国全同志の趣意に基づく原則的活動を集中し、同盟組織と運動の飛躍的発展をめざして、第14回大会の圧倒的成功をかちとろう!

開催要綱
同盟第14回大会(全同盟員総会)を規約第12条、13条及び8中委、9中委の確認の下に以下の要綱で開催する。
日時 5月24日 (PM7~9)
5月25日 (AM9~6)
場所     口頭にて
参加資格   すべての同盟員
なお、資格審査は、各支部機関の報告を基本とし、中央委員会が必要と認める支部同盟員についても、これを中央委員会で審査する。
全ての支部機関は中央委員会の指導の下に、10中委に基礎数、名簿を提出しなければならない。

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 【資料】第9回中央委員会報告 (1975年5月17・18日) はコメントを受け付けていません

【資料】第8回臨時中央委員会 報告 (1975年5月4日)

【資料】第8回臨時中央委員会 報告 (1975年5月4日)

民主主義学生同盟第8回臨時中央委員会報告

 現在、同盟組織内部に生じている学生党的偏向と、それに基づく組織的混乱に対する全国諸同志の真剣な闘いの成果として、同盟第8回臨時中央委員会が、5月4日東京において開催された。

<1 はじめに>
 3月26日、27日に予定されていた第8回中央委員会は、一部常任委員によって、その開催を妨害され、同盟第14回全国大会は、開催の目途さえたたないまま延期されてきた。
3名の中央委員、1名の府委員に対して「スパイ、挑発者」「組織破壊行為」なる、ありもしないレッテルを貼り、指導部から排除すること、並びにそれによって引き起こされる「紛糾」を口実に、中央委員会、全国大会を無制限に引き延ばすこと、これが、一部常任委員が自らの理論的、思想的破産を隠蔽するために考えついた、全く許し難い策動の実態である。これを批判し、同盟活動の機能回復のために、規約第14条にのとって9名の中央委員が、中央委員会の即自開催を要請したが、一部常任委員はこれを拒否し、以降デモクラート発行など、規約無視、機関無視の挑発的行動を続けている。
 このようにして引き起こされた同盟の組織的混乱、大衆闘争への著しい悪影響に一刻も早く終止符を打ち、同盟の原則的諸活動を全国的に開始し、強化すること、このことに13名の中央委員をはじめ諸同志の努力が傾注された。
 今回の第8回臨時中央委員会の開催は、それら全国の諸同志の粘り強い諸活動の成果である。
 第8回中央委員会は、一部常任委員の全くの指導放棄、それと表裏一体をなす官僚主義的引き回し、同盟機関の私物化の下で、同盟指導部としての責任を自覚する中央委員会副委員長によって招集され、それに答えた11名の中央委員の出席と2名の委任状によって成立した。
 以下、第8回臨時中央委員会で論議され、確認された事項を報告し、更に、同盟の統一と団結のために努力を結集されんことを、全国全同志に訴える。

<2 同盟内に現れた偏向に対する闘い>
 現在、同盟内に現れている偏向は、反戦学同の「社学同」への「転形」以来、日本学生運動が幾度となく繰り返してきた誤り=学生党的偏向である。学生同盟独自の二面的な任務—-反独占民主主義闘争の巨大な一翼たる「層としての学生運動」の大衆的な展開を担う指導部隊としての任務、他方、同盟趣意・規約に体現された「人類の到達した先進的理論、科学と民主主義の理論を学ぶ」という「マルクスレーニン主義の学校」としての任務–のうち、後者を一面的、主観的に強調することによって、前者の軽視乃至否定をもたらす傾向、同時に、そのことによって、大衆的学生同盟たる民学同を「小型共産党」「学生共産党」に変質させようとする傾向、これら、我々にとって目新しくない。しかし、二度と繰り返してはならない試みを、一部常任委員は、「常任委員会」を僭称して強行しようとした。
 我が同盟は、68年の「プロレタリア学生同盟」との、又70年の「学生共闘派」諸君との2度にわたる分裂という苦い経験を噛みしめている。中でも、70年「学生共闘派」諸君との同盟趣意・規約の立場の放棄と同盟隊列からの脱落という、我が同盟にとっても、日本学生運動にとっても手痛い損失をこうむりつつ、我々は、それを理論的思想的に批判し克服する努力を行なってきた。そして、その成果は、今回の組織的危機に際し、その克服のための諸同志の献身的な努力と活動の中に集中的に表現された。とりわけ、関西大学支部、大阪市大支部の諸同志は、一部常任委員による「常任委員会」僭称、同盟機関の私物化、引き回し、組織破壊的行為に対し、断固たる原則的批判を浴びせ、その本質を暴露し、全同盟、全同志の注意を喚起した。更に、全国全同志の冷静で科学的な判断は、中央委員13名緊急アピールを中心として、3名の常任委員による中央委員長への意見書、4月19日、東京都大会における「同盟の統一と団結を回復するために」中央委員会、全国大会の早期開催を呼びかけるアピール、等々として表現されている。同盟内部に生じている理論的、思想的、組織的偏向に対する、全国全同志一丸となった闘いは、民学同創建以来の輝かしい同盟趣意・規約の精神を守り、発展させ、民学同を「学生党」に変質させようとする試みを〇〇させている。一部常任委員とそれに呼応する部分は、ますます孤立を深め、それを隠蔽するための官僚的統制によって内部の矛盾を深めている。また、彼らの影響下にあり、事情をよく知らされていい支部、諸同志の間にも「13名アピール」はじめ、我々の働きかけによって、深刻な疑問と動揺、更には原則的立場への復帰が広がっている。他方、それらの動揺を抑えるための個人的関係、卑俗な権威主義の押し付け、他支部中央委員や諸同志に対する排外主義的不信の宣伝、分派行動の扇動等のデマゴギーが系統的に行なわれている。
 しかし、これらの〇〇も、もはやいかんともし難い事態の前に早晩〇〇らざるをえないであろう。
 第8回臨時中央委員会は、以上のように、同盟内部に生じた理論的、思想的、組織的偏向を批判し、同盟趣意・規約の精神を守り、その上に同盟の組織的統一の回復を希求する全同盟の強固な支持の下で開催され、その成功的な実現のための組織的〇〇をかちとった。

<3 当面する大衆運動の方針と、それを担う中央指導部確立にむけ
          第14回同盟全国大会を全国全同志の力で成功させよう!>

 全国の同志諸君!
 我々は、3月29日、30日に全国大会を開催し、急変するインドネシア情勢はじめ、内外の情勢の科学的分析、核防条約即時無条件批准に向け全国の平和民主勢力を結集する大衆的闘争のための方針、全国国公私学学費値上げ阻止闘争の方針、更に平和運動、教育学園闘争、学生解放研運動、その各戦線の方針を確立する予定であった。全国の各級機関においてその準備は進められ、代議員の選出をも終了していた。しかし、一部常任委員は「常任委員会」を僭称して、同盟分裂をも招きかねない挑発行動を繰り返し、中央委員会、全国大会の開催をかたくなに拒否しつづけ現在にまで至っている。
 このような事態の下で、第8回臨時中央委員会は、以下のことを確認及び決定した。
 いまだ全国大会が開催されず、全国的政策、方針の提起決定すらなされていない現在、我々は、当面する教育学園をめぐる、平和運動をめぐる、部落解放運動をめぐる全国大会を開催すること、そして全国的政策・方針を具体的に練り上げて過程で、現在同盟内に存在する理論的、思想的対立を克服していく、その第一歩を踏み出すことが必要である。
そのために、早急に同盟第14回全国大会を開催する。
(a)第14回同盟全国大会は、本来の定期大会の任務に加えて、現在同盟内に現れている理論的、思想的問題の克服を、大衆闘争方針の確立と結びつけて行ない、今日の不幸な事態を同盟の統一と団結、大衆的発展の積極的なモメントに転化させることを任務とする。
しかし、我々に与えられている時間は限られており、無制限な議論は許されない。そのために今回の組織問題の全面的、深刻なかつ大胆な総括は○○べき大会(第15回大会)をできるだけ早期に開催することを前提として、その準備○○として14回大会を位置づける。
(b)大衆闘争の方針の確立とともに、それを担う指導部を確立することは○○である。一部常任委員によって踏みにじられた同盟指導部への信頼を回復するための努力は極めて重大である。我々は、このことを一部常任委員の政治的責任の追及と結び付けておこなうが、それは、彼らを排除することではなくて、深刻な自己批判とともに、彼らが同盟の原則的立場に復帰することを追及する。粘り強い働きかけの第一歩とするものである。
(c)これらの任務をまっとうするために、全ての同盟員に代議員資格を与え、大会の○○について発言、決議権を保障する。今日、当面する諸問題について同盟全体の認識を一致させ、諸困難の克服のための同盟一丸となった闘いを展開するために、大会を全同盟員総会とすることは不可欠の処置である。
(d)以上の諸活動を首尾よく行なうために、第8回臨時中央委員会は、第14回大会草案起草委員10名を選出した。大会草案起草委員会は、大会草案を第9回中央委員会に提出し、第14回同盟全国大会の準備のためにイニシアティブを発揮する。

<4 全ての中央委員は、第9回中央委員会に結集し、14回大会成功に全力を!>
(3)の確認の下に、14回大会準備、大会草案の検討を任務とする第9回中央委員会を、5月9日、10日(予定)に開催することを8中委は決定した。第13回大会選出の全ての中央委員は、これに参加する義務を有している。

<5 尚、8中委は、現情勢に鑑み、以下の特別決議を採択した。>
★核拡散防止条約の日本即時無条件批准を求める決議
★ベトナム・カンボジアに関する特別決議

※本文書は、ガリ版刷りであり、一部判読不明箇所は、〇〇と表示しています。

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 【資料】第8回臨時中央委員会 報告 (1975年5月4日) はコメントを受け付けていません

民学同の危機に際して全国全同志に訴える(1975-04-19)

(資料)同盟の統一と団結のために 中央委員13名連名緊急アピールおよび宣言

「民学同の危機に際して全国全同志に訴える」(1975-04-19)

中央委員13名連名急アピール 1975年4月19日

中央委員13名連名緊急アピール
1975年4月19日

(説明)本年三月に予定されていた第十四回定期全国大会を直前にして、同盟内に生じた諸困難は、一部「常任委員」同志による第八回中央委員会開催拒否、 第十四回全国大会無期延期という事態を招来した。
 以下は、組識的混乱を同志的、かつ理性的に解決すぺく, 「民学同の危機に際して全国全同志に訴える」と題して四月十九日に発表された中央委員十三名の連名アピールである。

[1] はじめに

 全国の同志諸君!. 民学同は今日重大な組織的危機の中にある。 しかも、この危機にあって、本来これを建設的、同志的に解決すべき中央委員会、並びに全国大会が全く開催されずに放置されている。
 事態の根本的問題は、中央委員長はじめ四名の「常任委員」同志による、常任委員会一名差多数を唯一の根拠とする同盟の規約無視、組識内民主主義の破壊である。 この危機とは、「常任委員」四名の同志が現在同盟指導部内に生じている若干の意見の相違を理由に、中央委員会の圧倒的多数者の意志を無視して、中央委員会、全国大会の招集を無期限に延期し、同盟の機能をマヒさせていることから生じたものである。 そして、このことの背景には、看過し難い同盟趣意・規約からの理論的、思想的、政治的逸脱が存在している。
 こうした事態に及んで、我々、中央委員会(二十一名)内の圧倒的多数である十三名は、同盟趣意・ 規約の立場の断固たる擁護ー全国学生運動の統一と発展のために、中央委員としての自覚と責任において、全国全同志に事態の一切の真相を明らかにすると共に、同盟の統一と団結の回復、その強化にむけ、全同志の建設的な努力の結集を呼びかけるものである。
 全国、全同盟員から要請されていた中央委員会、全国大会の開催による強固な意志統一と政策・方針の決定が、何らの正当な理由もなく、一方的に、無期限に延期された重要で看過しがたい事実を要約するならば、以下の4点である。

1、中央委員会で討議継続中の全国大会草案が、中央委員会で提案さえされなかった草案まで含めて全く一方的に機関を無視して下部討議におろされたこと。
2、中央委員会機関紙『デモクラート』が、この異常な事態を無視して、一方的に、常任委員会の決定さえも無視して、発行され、組織破壊行為を扇動する「主張」、その他民学同の趣意・規約とは全く無縁な小ブル急進主義の諸論文を掲載し、現在も続けていること。
3、全国大会代議員まで選出が進んでいた事態の中で、圧倒的多数の中央委員会開催要求が、規約も機関も無視して一方的に拒否され、一名差による常任委員会決定の名をもって、大会から中央委員会、支部委員会、支部総会まで無視した行動が、現在に至るも取り続けられていること。
4、このような一部常任委員の行動が、中央委員の圧倒的多数から全く孤立し、各大学支部総会でも完全に拒否されるという当然の事態の前に、突如「スパイ行為」、「組織破壊活動」なるものをデッチ上げ、「事情聴取が必要」の名の下に、中央委員会開催、全国大会開催を一方的に拒否していること。
以上である。

 以下に、常任委員四名による同盟の趣意・規約からの逸脱と組織破壊活動の真相を具体的に明らかにしたい。

[2] 事実経過

①デモクラート60号(1月発行)「主張」が一部常任委員の独断で掲載される。
 デモクラート60号「主張」は後述するように、民学同の趣意の立場とは根本的に相反する内容を「主張」している。
 しかも、重要なことは、この「主張」自体が常任委員会において何ら議論・検討されることなく、一部常任委員の全くの独断によって掲載発表されたことである。

②デモクラート61号「部落解放研運動の課題と任務」が、常任委員会、全国GCの討議なしに掲載される。
 この論文は、特に大阪府委員会、及び常任委員会で、組織活動強化に関する問題と関連して、部落解放運動を反独占闘争一般に解消する偏向、誤りが確認され、次号デモクラートで訂正論文を発表するとの確約がなされたが、その後、この約束は破られている。

③第7回中央委員会決定の無視
(イ)第7回中央委員会に報告された「大会草案」をめぐる重大な論争点、問題点を並記して下部討議に付す、との中央委員会の確約は守られず、事実上、一方的な一部常任委員見解がそのまま下部討議に付された。
(ロ)同中央委員会では「大会草案」は決定ではなく、「同盟各級機関で討議ののち再検討する」との確約を破棄し、デモクラート62号が突如発行され、「主張」「大学闘争の一教訓」「平和共存と階級闘争」「恐慌の教訓」などの記事で、一部常任委員会見解が、あたかも、中央委員会の見解、「正式決定」であるかのように発表され、主張された。
 しかも、この「主張」には、中央委員会で、一切討議が行なわれていない「組織活動強化に関する特別決議」があたかも中央委員会の「正式見解」であるかのように掲載発表されているのである。
※なお、この62号発行については、3月16日、H中央委員長とY書記長との間で「デモクラート大会特集号は発行しない(大会後の発行が本筋)」との確認がなされていたが、3月17日、突如、Y書記長に対して、H中央委員長から「発行する」との連絡があり、Y書記長は、印刷所で、第1回目の校正の際に初めて原稿を見るという有様であった。
 この時、Y書記長は「内容に問題があるので絶対に賛成できない」と反対したが、同盟OB、I氏などが、どのような権限によってか発行の正当性を主張。
 <一体、デモクラート62号は誰が執筆し発表したのか!?H中央委員長すら前日に「発行しない」と確認しているにもかかわらず、翌日にはゲラができていた!つまり、何者かの手によって、遅くとも16日の朝には印刷所に入稿されていたのである。この全くあるべからざる事態をN編集局長はどのように説明するのか!?>
※7中委決定によれば「大会草案」「組織活動強化に関する特別決議」は討議中のはずである。しかし、デモクラート62号は、24日に配布された。大阪市大、関西大両支部では、このこと(=中央委ですら討議中であるにも関わらず62号主張において、「特別決議」「草案意義と任務」が中央委員会の正式見解であるかの如く発表されたこと)自体、一部常任委員による組織内の民主的討議を全く否定した行為である、として、62号の撤回を支部総会の圧倒的多数で決議している。更に、関大支部においては、60号の「主張」批判、61号「部落解放研運動の課題と任務」批判を支部委員会見解として発表している。市大支部においては「大会草案第1次案」に対する見解を明らかにしている。

4 3月26日、H中央委員長、一部常任委員、第8回中央委員会の開催を拒否
(イ)同日、午前8時、常任委員が開催され、①中央委員T(市大)、I、T(関大)、関大支部委員長S各同志の事情聴取が中央委員会開催の前提だ。②理由は、T(市大)中央委員に関しては、組織破壊行為、T、I(関大)中央委員、S関大支部委員長に関しては官憲を利するスパイ行為とみなすという全く根拠のない決定を、何の討議を行なうこともなく、4:3で強行採決した。
 この常任委員会には、同盟OB、H氏が参加し、H中央委員長はじめ、N、U、M常任委員を直接指揮し、この決定に反対するY書記長の発言を封じながら、強引に採決するという事態であった。
(ロ)同日午後1時、予定されていた第8回中央委員会にもH、N、U、M4常任委員は現れず、(中央委員会会場の階下のロビーに座り込んだまま!)朝の「常任委員会決定」を、M(学大)、K(阪大)中央委員に報告させた。
M(学大)、K(阪大)中央委員に報告を依頼した理由は、「常任委員会の中には、(委員長として)信頼できるメンバーがいない。最も信頼できるのは、M、K中央委員だけなので・・・」とのことである。
(ハ)結集した中央委員のうち9名はただちに、この事態に抗議し、大会から大会までの最高決定機関である中央委員会で、全てを解決すべく、規約第14条にもとづいて、即時その開催を要求した。この要請を受けて、Y書記長、S、K常任委員が説得にあたったが、「事情聴取が先」と拒否された。Y書記長、S、K常任委員からこの報告を受けて、9名の中央委員及び中央委員会参加者が四名の常任委員の説得にあたった。この時にも四常任委員の脇に同盟OB、H氏(この時には「青年同盟準備会のメンバー」とも「一市民」とも語る)が同伴し四常任委員を指揮した。一中央委員が「スパイを官憲が送りこみ同盟を監視している恐れがあるのなら人目の多いロビーより中央委員会会場で事情聴取を行なったら」と提案したが、人目の多いロビーでやると四常任委員は言いはった。

5 理由なき「事情聴取」(査問)の真相
 ここで四常任委員が中央委員会ひきのばしの唯一の口実とした「事情聴取」なるものの実態を明らかにしておく必要がある。
(イ)市大支部委員長であるT中央委員に対する「容疑」というのは、「組織破壊行為」をしたという理由である。
 市大支部では第7回中央委員会の決定を受けて、23日支部総会、24日各班会議、25日支部総会が開催された。
 7中委に出席した市大支部委員会では、中央委員会の討議において出された批判的意見を考慮して書き直されたはずの「第2次草案」が第1次草案とほとんど変わっていないものであり、中央委員会での論争点も明らかにされていないという事態の下で、市大支部委員会として常任委員会草案に対する「修正案」を第8回中央委員会に提起することを決定した。
 「事情聴取」の理由書によるとこのことが組織内民主主義の破壊行為であるとしているのだが、全くのいいがかりである。なぜなら、こうした民主主義的討議をへて、同盟の正しい全国方針を確立する事業に参加するのは全同盟員の権利でもあるし、義務でもあり、23日の支部総会の中で当日参加したH中央委員から「手続き上問題がある」との指摘を受け、同志的な話し合いの中で修正案としてでなく「上申書」として提出することを支部総会で確認している。
(ロ)関大支部のI、T中央委員、及びS支部委員長に対する「容疑」は、「スパイ行為」だということである。
 理由書によれば、この「容疑」とは、「同盟員の前で、デモクラートの編集に参加しているOBの名をあげよ」と要求したことである。
 これは全く奇妙な、根拠のない誹謗である。民学同は大衆組織であり、その機関を含めて秘密組織、あるいは非公然組織でもない。周知のようにその全国機関紙上に民学同の基本路線を誤らせるような奇妙な主張や論説が相次いで掲載されていることを多くの同盟員の不審の声が上がっているとき、その筆者について正式の機関の席上で質問することがなぜ「スパイ行為」になるのか、デッチ上げもはなはだしい。
(ハ)その他、理由書は大阪市大、関西大支部の諸決議にひとつひとつクレームをつけている。そして3月25日、いみじくもM常任委員が語ったように、「関西大、大阪市大の両支部で時を同じくして、常任委員会批判がおこった事の中に分派活動の疑いがある」というのである。
 なんという同盟員蔑視の思想!思い上がりであることか!平和と平和共存、反独占民主主義、学生戦線の統一と反独占諸勢力の統一戦線形成をめざす全国全同志の精神は、いかなる組織的、理論的、思想的偏向に対しても断乎たる勇気をもって闘う健全性をもっている。ましてや、一部常任委員のなせるこの間の目をおおうばかりの同盟趣意・規約からの逸脱行為の数々をまのあたりに見て沈黙をつづけるほど全国の同志はオメデタクもなければ無責任でもない。
(二)こうしたまったくいわれなき「事情聴取」は本来まったく受ける必要のないことであるが、四常任委員が一部OBの「指導」のもとにダダッ子のように「事情聴取」「事情聴取」と叫ぶ事態にいたって、「容疑」をかけられている3中央委員及び一支部委員長は、新年度が目前にせまり中央委員会を早期に開催する必要から、四常任委員が居所さえ明らかにせず、逃げ回るという事態の中で唯一のパイプとして、これを受けることを敢えて承諾した。
(ホ)第1回目のI・T中央委員及びS支部委員長に対する「事情聴取」は、26日午後5時、同盟事務所で行なわれるはずであった。しかし、開始されたのは某喫茶で8時30分であった。常任委員会でも「事情聴取」の詳しい内容について全く討議されておらず、PM11時 「事情聴取」を行なえないまま時間切れでその日は終わった。
(へ)第2回目の「事情聴取」は27日AM9時である。(これは、中央委員会開催と同時刻である。)この「事情聴取」に参加したのはH、M、Y、S常任委員、I、T中央委員、及びS支部委員長、及び一切発言しないという条件付きでS元統一会議議長である。論議はこの間の一連の「異常な」事態に対する見解をH、M常任委員に求めるという形をとることになった。
 討議は批判・反批判という内容になり、反批判につまったH、M常任委員は、沈黙をつづけ、Y書記長は、事態を収拾するためにH中央委員長との個別会談を求めた。「会談」の中で、Y書記長が「何故、この間のOBのH氏 、元議長のS同志が、ことごとく会議に介入しているのか」と問いつめると「青年は俺を信頼していないからだろう」とH中央委員長は、意外な答えをした。
 一方、M常任委員との論議は、特別決議のスローガンの問題点とその批判にうつったが、M常任委員は、我々の批判に対して反論せず、沈黙を続けた。そして、M常任委員は討論を拒否した。この事態を見つめて、S元議長はY同志につめより、午後3時から再度「事情聴取」を行なうことを要求した。
(ト)第3回目は、難波の某喫茶店で4時30分から行なわれた。まず、I中央委員、S元議長をそばに、常任委員会が開催された。この中で、Y同志と2常任委員が、「事情聴取」を中央委員会開催の絶対的前提条件にするのか、一定期間で切って、「事情聴取」を行ない、その結果に関わらず中央委員会を開催するのかと質問をしたところ、四常任委員は「『事情聴取』をやってから中央委員会を開催する」と答えにならない返答を繰り返すばかりであった。Y書記長は争点を記述していたが、その文章をH中央委員長が取上げたので、「それは私の個人的メモだから返してほしい」とつめよったところ返そうとしない。  3常任委員は、H中央委員会長への説得をS元議長に求めたが、らちが明かず論議は平行線をたどる中で、S元統一会議議長の「帰ろう!」との「指令」で四常任委員は退室してしまった。こうして、全国大会を明日にひかえていながらその方針がなんら提起されないという「異常事態」に立ち至った下で正規の中央委員会開催だけが正しい解決の途であると考える3名の常任委員と1名の中央委員は、その後を追った。
(チ)先に街頭に出た5名の後を追ってY書記長を先頭に4同志が「大衆運動の方針はどうするのか」と問い詰めるとH中央委員長は「常任委員会で出す」と発言した。Y書記長が「君は民学同をつぶす気か」とはげしく・・H中央委員長はただうわごとのように「事情聴取、事情聴取」と繰り返すばかりであった。Y同志の粘り強い説得にもかかわらず、彼らは一切聞き入れようとはしなかった。
(リ)この事態を一団から30m程離れて「監視」していたS元議長は、U、N常任委員を呼びつけ常任委員会の開催を提起させた。事態の深刻さを感じたU同志はじめ四人の常任委員は、ようやく中央委員会開催に関するY同志の説得を納得しはじめた。ところがその時元統一会議議長S同志が、U,N同志を呼びつけて「指令」を下したことから事態は一変した。結果S同志に押し切られた四常任委員は、Y同志他2常任の説得を拒否して、明日再度「事情聴取」の理由書整理のために常任委員会を開催することを約して別れた。
(ヌ)28日、Y書記長、S常任委員が常任委員会の開催をまっていると、U常任委員だけが現れた。先に述べた理由書を見せ、「これが『事情聴取』の内容だ」「俺は3人(H、N、M)の常任委員に全権委任されている。だから四票ある。常任委員会は成立している。」と放言して、ソソクサと逃げ帰ってしまう始末である。
 これで常任委員会は「成立」したことになり、したがって4対3の多数決で、U常任委員の持参した理由書が「可決」されたということにされた。
(ル)この「理由書」に基いて、同日、市大支部総会に現れたU、M常任委員は「今日2時半某で『事情聴取』をする」とT中央委員につたえ、T中央委員は総会をぬけて指定の場所で待ったが現れず、喫茶店を二転三転し、ようやく5時30分にH中央委員と元議長SとT中央委員の間で「事情聴取」が行なわれた。T中央委員は「修正案」を提起したことについては、解決済との判断の下に、支部委員会として「修正案」を支部総会の場に提起したことを確認した。更にこの件については「H中央委員長も参加した3月23日支部総会で解決ずみ」として、そのことも「修正案」問題についての確認書に付記するようH中央委員長に要求したが、H中央委員長は頑強にこれを拒否した。
(ヲ)翌29日、T中央委員に対する2回目の事情聴取が行なわれた。H中央委員長は、高圧的に「今日は自己批判を取る」と語った。これに対して、T中央委員は、それは中央委員会で取り扱われるべき問題で、常任委員会は、そのような権限はないとこれを拒否した。この「事情聴取」の中で、逆にT中央委員の詰問を受けることになったU常任委員は「お前は何故それほど自信があるのか」「俺は、もう罷免してほしい」と言い出す始末、あげく、論議中、H中央委員長は「トイレに行く」といったまま、又U常任委員は「電話をかけてくる」と席を立ったまま再びT中央委員の前に姿を現わさなかった。

6 大阪府委員会の私物化

(イ)大阪府委員会の開催拒否
 大阪四大学平和団体連絡協議会(四平連)が、4.19平和集会を提起したので、I府委員会副委員長(中央委員)、M(市大)、I(市大・中央委員)府委員が府委員会開催を要求したが、M(常任委員)府委員長、U常任、府書記長は、「大阪府委員会は、常任委員会が指導するから」と、開催を拒否した。
 更に、府委員会も開かれていない状況の下で、彼らは4月16日、4.19インドシナ連帯集会のビラ、民学同中央委、大阪府委員会の名で配布した。
(ロ)4月17日、突如、府委員会が開催された。しかも、T府委員(市大)・中央委員、T(中央委員)府委員会副委員長、S関大府委員は、スパイ容疑がはっきりしたので呼ばない。」と連絡すら行なわれず、事実上の権利停止を行なったのである。

7 常任委員会も開催されず、デモクラート63号、64号が発行される

(イ)4月15日阪大支部に、「組織活動強化に関する特別決議」を印刷したデモクラート63号(二面裏表)がまかれる。16日これに対して、T中央委員、市大支部委員長は、「常任委員会は開催されたのか」「組織活動強化に関する特別決議は、中央委員会では決定されず、論議すらされていない」と問い詰めたところ、H中央委員長は「現在常任委員会の数は7名とも6名ともいわれている。だからその過半数以上を占める4名の常任委員で、常任委員会が開催され、63号の発行を決定した。」と答え、また、府委員会の存在をも無視して、「今後、市大支部の直接指導を常任委員会が行なう事を決定した。」などと発言したのである。
(ロ)4月17日は、T(市大)、I・T(関大)同志を排除した大阪府委員会の場で、デモクラート64号が発行されていることが判明。これは、中央委員会での論議を一切無視、保障せず、なし崩し的、一方的にデモクラートの発行がなされていること。すなわち、デモクラートが完全に、一部常任委員に私物化されていることを物語っている。

8 常任委員会の多数派を利用したOBの名による常任委員会への介入は何を意味しているか?

(イ)事実経過が示すように、それは中央委員会(大会から大会までの同盟の最高決定、指導機関)の全ての無視である。9名の中央委員の中央委員会開催要求を常任委員会の「指導の名の下に拒否する。デモクラート62号は、発行しないと確認しながら、次の日には、初稿が刷り上がっている。中央委員長すら知らない内にデモクラートが発行されている。中央委員会で論議すら行なわれず、確認されていない内容が、「中央委員会の正式見解」の如く発表される。しかも、同盟のOBがデモクラート発行の正当を主張したり、中央委員会開催拒否の指揮をとる。一体民学同は誰が責任を持って指導しているのか!?中央委員会と常任委員会との間には指導・被指導の関係など全くない。
 大会から大会までの最高決定指導機関は中央委員会である。これらの一連のOBによる同盟私物化を許すことは出来ない。また、同盟の最高指導者としての立場を一切放棄し、自らもこれに加担し規約を蹂躙している四常任委員の行動は、指導者の名に値しない上に、その政治的責任は厳に問われなければならない。
(ロ)3月26日以後、四常任委員は、中央委員会開催の絶対的前提として事情聴取に固守している。しかし、その本音は、中央委員会、全国大会を開催するならば、圧倒的な少数派に転落し、孤立するのを恐れ、自らの破産を繰り延べたいがためである。「俺達4人に反対する者は全てスパイだ!組織破壊者だ!」とヒステリックに叫べば叫ぶ程、全国の同志は冷静に事態を見極め、同盟の輝かしい伝統を守り、全国200万学友に責任を負う立場を貫徹し同盟の統一と団結を固めるであろう。

(ハ)OB H氏・元統一会議議長S同志は、常に全ての会議、全ての事情聴取に出現している。H中央委員長の発言でも明らかなように、H中央委員長を信用していないが故につきそっている。OB、H氏・S元議長は何を恐れているのか、それは、H中央委員長が原則的な立場に立ち戻ることによって、OB、H氏・S元議長を中心とする一部青年による民学同の基本路線とは無縁な、新左翼的政治路線、トロツキズムへの屈服、民学同を学生党に変質させようとする試みが根本的に失敗する事を恐れているのである。我が同盟の輝かしい歴史と伝統は、後述するように、二度にわたる分裂の苦い経験を通じて、そのような試みと断固闘って来た。我々はここに、再度宣言する。民学同に対するOBの名による、元議長の名による一部青年の「指導」(=実は同盟の私物化、引き回し)を断固拒否する。

[3] 民学同の基本路線を否定する理論的思想的誤謬を批判する

 事実経過の中で明らかにされたような一部常任委員による組織内民主主義の蹂躙、同盟分裂策動の背景には、同盟趣意の立場とは根本的に異なる重大な理論的、思想的誤謬がある。
 デモクラート60号「主張」61号「解放研運動の課題と任務」62号「主張」「平和共存と階級闘争」「大学闘争の一教訓」63号「組織活動強化に関する特別決議案」64号「主張」「常任委声明、趣意規約の歪曲について」等、一切の民主主義的手続きを経ることなく、矢継ぎ早に発行され、中央委員会内にその掲載について重大な反対意見を生んだこれらの諸論文は、看過し難い原則上の誤り–同盟趣意からの著しい逸脱–をその中に含んでいる。
 その誤りの特徴は ①危機待望論、②大衆連動の軽視と否定、③主体形成至上主義、学生党的傾向、総じて小プル急進主義的偏向である。

①危機持望論
 「恐慌の嵐の中では、高度成長期に眠らされていた階級意識が呼び起こされ」「ある者は日和見主義で腐敗し、ある者は、階級関争の能力を鍛え上げ、やがて来る決戦の準備をする。」(デモクラート60号、主張)
 このような、一見革命的な、だが、思い上がった論調の中に、我々は「危機」に対する根本的に誤った姿勢、評価があることを見抜かねばならない。
 この主張は、階級意識の発展は「恐慌の嵐」を必要としているという考え方に基づいており、それを突き詰めると、恐慌に伴う反動の激化と、ファシズムをも歓迎しかねない危機待望論である。「悪ければ悪いほどよい」式のこの路線からは、恐慌を回選し、危機を援和させるという、今日最も緊切な平和と平和共存、反独占民主主義の広範な動労大衆の生活を守るための現実的方策は出てこないだけでなく、反対に、経済恐慌の中で益々その重要性を增している資本との反独占的な日常闘争への取組みを階級協調主義であり、反動的だとして排斥し、結果、大衆運動の戦線に分裂の因をつくることになりかねない。
この下で語られる「やがてくる決戦」は何か、それは、「ファシズムか革命か」という主観的で極左的な図式の押し付けである。
 我々はこのように「勇ましい」姿を幾度か見てきた。 それは「水爆戦争の廃墟の上に社会主義を建設する」といつた毛沢東のような「革命家」であり、えせ「社会主義」を掲げて人類を悲惨な戦争にひきずりこんだファシストたちであった。
西ドイツのタカ派ミュトラゥス (キリスト教社会同盟党首) はこう語っている。
 「国の経済情勢や失業率はとことんまで悪くなった方がいい。そうしたら国民は、西独が今とっている道の誤ちに気づくだろうから」「インフレの高進、失業の増大、結構じゃないかね。国家財政の破綻ももっと進んだ方がいい。 とことん進むと我々の意見や警告に聞く耳を持った者が出てくるだろう。 大衆の意識に異変が起らなければならない。 (3・18毎日)」、右と左の「危機待望論」はこのようにその結論で全く一致してしまうのを見る。
 このように危機の激化に「展望」を見出し、人民に「ファシズムか革命か」の選択を迫るのはファシストに通じる手口であり、我々の路線とは断じて無縁である。

②大衆闘争の軽視と否定
(1)平和共存、反独占民主主義の否定
「危機の根本的出口は社会主義以外にない。」これは独占資本主義と今日の国家独占資本主義の下では一般的な公理である。 我々にとっては、我国の現条件の下でいかにしてそれに接近するか、いかにして社会主義革命を実現し得るような階級的力関係を作り上げるかの具体的政策と方針こそが間題であるのに、デモクラートの諸論文や「特別決議」は、ただ一般的にこの公理だけを繰返し、そのことによって、それへの接近をもたらす大衆運動の発展を妨げていることが問題なのである。全般的危機の出口が社会主義以外にないこと、国家独占資本主義又は社会主義の物質的前提を成熟させること(社会主義の前夜であること)、こうしたことは国際的に承認され、我々もまた何度も確認してきたことである。我々はほかでもない社会主義への展望をひらくためにこそ、今日、反独占民主主義の闘いの発展、それへのたゆみない取組みを進めているのである。
 我々の主要な任務は、今日の経済危機の下で一般的教条を繰返すことにあるのではない。重要なことは、大衆にとって具体的な危機の現われを解決するための政策、展望をさし示し、それを闘い取る広大な統一戦線の形成にこそ全力を上げることである。 そしてこの闘いの中で、窮極の目標、根本的な出口がどこにあるかについて、日常闘争の中で、結集する大衆に対し、たゆみなく宣伝し、それが大衆自身の共通の合言葉として自覚されるようになるまで高めることこそが必要なのである。

②セクト主義、分裂主義
 この困難な闘争を回避するために、大衆運動に対しては「窮極を語らないのは改良主義、日和見主義」と決めつけ、なまぬるい広範な統一行動、統一戦線よりは、意識的に「純化」された少数派の分裂の方がましだという、戦前の福本イズムはだしのセクト主義、分裂主義を彼らは勇ましく鼓吹しているのである。だが、そのあとについて来る者は、ごく少数の同類だけだということにやがて気が付くことになるであろう。

③主体形成至上主義 学生党的偏向
 誤りの第三の特徴は、我同盟に学生党的性格を要求し、それへの脱皮のために、組織内民主主義の破壊とデマゴギーを用いても「粛正」「純化」を成し遂げようとする主体形成至上主義、学生党的偏向である。 これは、我同盟の基本路線を体現する組織性格「大衆性、科学性、戦闘性、民主主義」を内部から解体するものである。
 デモクラート60号「主張」は「前衛党の確立抜きにして大衆闘争の前進はありえない。」と語り、民学同の活動の一切を党確立のための活動に従属させようとしている。又、結成されるべき青年同盟の性格をも「労働者階級とその思想的、理論的指導者の革命的で戦闘的な最良の分子を結集した力(特別決議)として入口を狭め、敷居を高くして、事実上の青年共産党に返信させようとしている。
 トロツキズム諸流派が何度も繰返してきた誤り、小ブル急進主義の焦り、凡百のインテリゲンチャー的空語空論は、我々に全く無縁であるのみならず、このような革命的空論は、その事によって、かえって真の前衛党再建の必要性を遠ざけ、そのための活動を挫折させてきたのではなかっただろうか!?これらの誤りを合理化するために持ち出されたものが、デモクラート64号の「趣意・規約の歪曲について」という記事であり、「特別決議」である。それはこう書いている。「我が同盟からその基礎にある強固な世界観的一致、思想的統一性を意識的に排除し、抜き取り、民学同の活動を単にあれこれの「具体的」問題や、特定の局面における部分的で一時的な意見の一致にのみ基く『統一戦線的』活動、あるいは雑多な思想を持つ『活動家集団』の水準まで引き下げるものは、民学同の組織を内部から掘り崩し、組織解体を招来するものである」(特別決議)と。
 我が同盟は、我が国の「全ての民主的学友」を結集すべき大衆的政治同盟である。そして、その一致点とは、同盟趣意・規約の承認であり、そのもとにおいて積極的に活動することであり、それ以上の資格を要求していない。「特別決議」のいう「雑多な思想」とか「部分的で一時的な意見の一致にのみに基く統一戦線」が何をさしているかは定かではないが、要するに言いたいことはこうであろう。即ち、趣意と規約だけでは「雑多」な部分が民学同にもぐり込む、科学と民主主義の思想というだけでは世界観は弱すぎる等々。もしこのような主張がなされるとするならば、その背景には、彼らが趣意の立場—-同盟の基本路線に確信を持てず、それに何らかの「戦闘性、革命性、原則性」を新たに「付加」することによってしか満足できない小ブルエリート主義、一般同盟員と民主的学友に対する蔑視、それとの団結ではなく、その特別の分裂をこそ目的としているといわねばならなくなる。
 我同盟の基本路線、平和と平和共存、反独占民主主義、統一戦線は、それ自体として、言葉の真の意味における戦闘的な戦略的意義をもっている。国家独占資本主義の下にあって、我がの基本的立場は、新しい民主主義”反独占民主主義=人民t歴民主主義の政権を闘いとることを通じて社会主義に前進する、最も大衆的でかつ戦闘的な路線なのである。
この路線に基いて展開される様々な分野での闘争、自治会活動、平和運動、解放運動、文化サークル運動の中で、多くの民主的学友は同盟のまわりに結集し、更に自覚的に同盟に結集してくる。 その動機は様々であり、それぞれの理論的、思想的、政治的到達段階は様々であるが、同盟の活動を通じて科学と民主主義の理論を学び、真の民主主義のために献身的に、首尾一買して闘う強固な思想を我がものとし、自己を鍛えていくのである。こうした大衆的性格の故に、一層徹底した組織内民主主義を保証し、常に正しい政策をわがものとする努力と、それを通じた同盟員の理論的、思想的、政治的水準の向上がはかられねばならない。この努力、指導を放棄し、今日の事態のように、組織内民主主義を根本から否定し、急進的少数者のあせりとも言うべき主観的願望を同盟に押し付けようとするのは、大衆の中に「無知」を見、生き生きとした実践に学ぶことを嫌悪し、一般的中小的理論とその宣伝だけによ・・・・
そして何よりも忘れてならないのは、この小ブルエリート主義とそれに基づく頑迷なセクト主義こそ、戦後の学生運動を幾度ならず分裂と抗争に導いた原因の一つであったことである。
 社学同結成(=反戦学生同盟の否定、解体)に始まる学生戦線分裂の苦い損失に充ちた経験に学び、セクト主義と分裂主義、「左」右の日和見主義による学生戦線の分裂と各都道府県学連の崩壊、自治会そのものの機能マヒの中で、関西三府県学連の大衆的で戦闘的な闘いを基礎に学生戦線統一の旗を高く掲げ、大衆闘争の先頭に立ち、その利益を擁護する人々によって、12年前に民学同は結成された。
 我々の諸先輩、先進的学友によって守られ、同盟趣意に体現された立場こそ、日本学生連動の統一と発展の基礎である。その立場に対して、又しても開始された攻撃によるこの立場の否定及び学生戦線の分裂、抗争の再生産を導かずにはおかない。それゆえにこそ我々は、断乎としてこのよな攻撃を排除し、民学同創立以来の正しい路線と組織を守りぬく決意である。
 社会の激動期、いわゆる「危機」の時期においてこそ、このことは強調されねばならない。
 我々は一層、民学同の民主的、現実的路線とその大衆的統一の旗を守らねばならない。そうすることによって様々の色合いの小プル急進主義の思想が、学生インテリゲンチャーを把え、学生運動を不毛化させる危険からこの運動全体を守らねばならない。 我同盟自身経験した過去二度にわたる不幸な分裂も又、小プル急進主義に毒された人々による同盟趣意からの逸脱と、それを押し付ける組織の官僚主義的ひき回し、組識内民主主義の蹂躙に始まった。
「特別決議」が呼号し、一部常任委員が規約を無視してまで行おうとする「組織強化」=「純化」とは決して我々にとっての目新しい試みではない。 この小プルエリート主義、セクト主義の行きつく所は、大衆闘争からの遊離、「小数理論家(活動家)集団」への転落、そして深まる孤立感とそれがもたらす相互不信、内ゲバであることは、過去の幾多の経験の示すところである。
 こうして事実上、我が同盟の基本性格、基本路線の立場の放棄は、行きつくところ、平和と平和共存、反独占民主主義の歴史的意義を低め、これを空論的な「社会主義革命」論を現実の大衆運動に対置し、そのことによって社会主義そのものをも遠ざける結果となる。
 我々は、ここに以上あげたような、基本において同盟趣意を否定する見解、又、この誤れる見解を、同盟機関、機関紙の私物化、規約の乱暴な蹂躙によって押し付けんとする一部諸君の策動を断じて許すことはできない。
(1975・4・19)

【宣言】
(1)一部常任委員は、中央委員会の開催、全国大会の開催を頑なに拒み、「常任委員会」を僭称し、同盟の分裂を策している。我々は、彼らの策動が同盟組織、機関とは一切無縁であることを宣言する。
(2)従って彼らが「常任委員会」「中央編集局」等を僭称し、行っている一切(「デモクラート発行を含む)を承認しない。
(3)我々13名の中央委員は中央委員会の圧倒的多数を代表するものとしての責任を自覚し、中央委員会の開催、ならびに全同盟員を結集する全国大会の早期開催のために全力をあげて闘い、その成功に責任をもつものである。

中央委員会書記長 Y(理科大)
中央委員会副委員長 S(東洋大)
中央委員会編集局次長 K(明治大)
中央委員 S(理科大)
同 S(理科大)
同 O(立大)
同 K(法政大)
同 H(明治学院大)
同 S(埼玉大)
同 I(大阪市大)
同 T(大阪市大)
同 I(関西大)
同 T(関西大)

註:本文章は、ガリ版刷りのパンフから、テキスト化したものである。よって判読不能な箇所について「・・・」等の表示を行なっている。
なお、簡略版は、民主主義学生同盟 機関紙「新時代」(62号・改題1号1975-06-12)にも掲載されている。

カテゴリー: 歴史, 民学同, 運動史 | 民学同の危機に際して全国全同志に訴える(1975-04-19) はコメントを受け付けていません

思想闘争の課題と修正主義批判の伝統(北山肇)

思想闘争の課題と修正主義批判の伝統(北山肇)(「デモクラート」64号)

 以下は、民学同大会への、大阪唯研の挨拶のために準備されたものであり、機会を得ていずれ理論的性格のものに仕上げられる予定である。今日一部に展開されている右翼日和見主義的見解が、理論上の真剣さや実践上の真面目さを全く欠いたものでありながら、広範に日和見主義を醸成している今日の物的基礎に支えられて、過去の権威にすがって、若い学生や多忙で事情を知りえない一部の人々を混乱させるだだけの力はなお持っているので、さしあにって大筋の概観なりとも示し、事態を考える上での示唆を与えておきたい。

★大阪唯研と民学同
 大阪唯研と民学同は、民学同の創立以来、強固な思想的紐帯で結ばれてきた。故森信成先生をはじめとする大阪唯研のメンバーは民学同を愛し、同盟員の思想的・政治的成長を期待して、骨身をおしまず思想的援助を与えられた。今日民学同は平和・民主主義・学園闘争で多くの注目すべき成果を上げている。しかし、民学同が、前衛党をはじめとするわが国左翼陣営内部の長期にわたる思想的・政沿的混乱という異常に困難な諸条件の中で、右翼日和見主義や新「左翼」諸潮流と闘い、正しい政策を提起してこのような成果を獲得することができた背景には、大阪唯研や大阪学生唯研との緊密な連繋の下で形成された高い思想的原則性と高い理論水準があったことを片時も忘れてはならない。首尾一貫した科学的世界観に基く強固な思想的一致、各同盟員の高い思想性に支えられた民主集中的組織原則の貫徹、高い理論水準と戦闘性・献身性に基く学生大衆への説得力と権威、これこそが民学同の不抜の強みであったし、将来もまたそうであろう。民学同の持つ大衆的影響力は大衆に追随することによ*****強固な政治的・思想的リーダーシップによって闘いとられたものである。この意味で大阪唯研の思想的伝統を確認し、現在の思想戦線におけるわれわれの任務を指摘しておくことは現在の事態の本質を明らかにする上で不可欠のことである。

★大阪唯研と修正主義批判の伝統
 大阪唯研はこの二〇年来「マルクス主義と唯物論の原則性と党派性の確立」を旗印に、非妥協的な思想闘争を展開し、戦後のわが国思想戦線における修止主義批判と戦闘的唯物論の一大拠点としての役割を果してきた。このことは、 近代主義との論争、主体的唯物論 批判、極「左」分裂主義と民族主義批判、共産党の文化政策確立をめ ぐる論争、春日庄次郎氏らの解党 主義に対する批判、中ソ論争と関連して毛沢東主義批判、そして最近の代々木派の思想的基礎への批判など、戦後の論争史を顧みる時明らかである。大阪唯研が批判の主要な矛先を常に修正主義に置きこれと闘ってきたことは、前世紀 の九〇年代にマルクス主義が労働運動内部で他のイデオロギーに対する基本的勝利をおさめて以降、 反マルクス主義は「マルクス主義内部にあってマルクス主義に敵対的な潮流」 (レーニン)=修正主義として立ちあらわれるに至ったとということ、またスターリン批判と関連して教条主義が決定的に批判された後は、逆に「新しい情勢」をロ実にした修正主義こそ「主要な危険」(八一声明)となったこと、更に特にわが国では唯物論と科学的世界観の伝統が弱いことと関連して、マルクス・レーニン主義の原則性と党派性が極めて脆弱であることなどを考えれば***********これは大阪唯研のこの輝かしい修正主義批判の伝統に強い誇りを持っているが、現在の日本マルクス主義陣営の極度の思想的混乱の状態を見る時、重大な使命と責任を痛感せさるをえない。
 現在のわが国思想戦線における中心課題は無条件に修正主義批判にあるといわねばならない。高成長が生み出した生産力主義的・資本主義変質論的幻想と、小ブル的・中間層的部分の大量のプロレタリア化に伴う小ブル的意識のプロレタりアート内部への流入を基礎として極めて広範な影響力をもつに至ったこの修正主義との全面的かつ原理的な対決を回避したり曖昧にしては、その思想的・理論的・政策的・組織的克服を抜きにしては、日本における前衛政党の真の再建も、労働者階級の真の政治的前進も語りえないであろう。

★日本共産党による修正主義の展開
 この期間のわが国マルクス主義陣営を特徴づけるものは何といっても共産党現指導部による修正主義の急速かつ全面的な展開である。彼らはマルクス・レーニン主義の請原則を事実上、特殊な後進国ロシア型マルクス主義として清算し、自主独立路線に立つ「先進国型」マルクス主義をこれに対置するのだと、マルクス主義の系統的修正を図っている。彼らはその戦略論における社会主義的課題と民主主義的課題の機械的分離に基づき**********イデオロギーを語ること自体がハネ上りであると非難し、その結果当然のこととして階級概念を事実上たな上げして、階級に先立つ「国民」「市民」「住民」「一般大衆」「人間」を原理として掲げるに至っている。彼らがプロレタリアートのヘゲモニーを否定し、これを「人間」に解体し、戦闘的労働者を「国民」や「市民」によってチェックしようとし、「住民」をプロレタリアートの最も先進的な部分にけしかけているのは周知の事実である。またこのような超階級的小ブル自由主義の見地からプロ独裁を否定し、これに議会主義的幻想を対置したり、小ブル民族主義によってプロレタリア国際主義を否定して反ソ主義を展開し、 「北方領土全面返還要求」なる露骨な民族主義的要求をかかげていることも周知の事実である。更にかかる日和見主義に基き大衆運動を右から分裂させ、しばしば権力と一体となって大衆運動の先進的部分に敵対してきたことも周知の事実である。
 このような日本のマルクス主義のかつてない思想的危機を前にして先ず何よりも強調すべきことは現在、問題は、日本共産党の現指導部を批判するか否かと抽象的に立てられるべきではなく、その批判が果して高い原則性に基いたものであるか否かというように立てられねばならないというととである。このことは、大阪唯研が春日庄次郎氏への批判、「現代の理論」など右翼構造改良論批判、津田道夫氏の国家論批判やグラムシの評価をめぐる論争を通して一貫して朋らかにしてきたごとく、代々木批判者の中にも多くの、しばしば代々木派以上の原則上の逸脱と修正主義の浸透があること、この批判者の側の逸脱が思想的混乱を一層助長し、前衛党再建のための核ともなるべき勢力の政治的結集を不可能とし、進歩的で良識ある多くの人々を失望させ、むしろ代々木派の側へ押しやり、腐敗した代々木派に組織的伸長を許し、現在なお前衛党の再建を困難にしている本質的条件でありつづけていることを考え合わすならば、特に強調しておかねばならないことである。批判者の側の思想的政治的原則性を問うことを避け、大衆運動の任務と党再建の任務をゴチャまぜにしたいわば反代々木統一戦線や反代々木「連絡会議」の如きものでこの事態を克服できるとするのは、本質的に異る思想的立場の人々との相互討論と切礎琢磨を通じて「集団認識」によって前衛党の再建を図ると称したあの解党主義の再版に他ならない。

★解党主義的総括
 このことと関連して、最近一部で、理論的原則的な問題への真剣さとは正反対の、一方では誹誘と歪曲によって混乱をもちこむことに主目的を置いた、他方では自らも取り乱した、およそ真面目な理論的検討の対象とされるにふさわしくない、従って形式的にも論争の発展の可能性を自ら断ち切るような、極めて激越でヒステリックな調子で語られている奇妙な論議の若干の思想的特徴にふれておこう。
 彼らは代々木反対派の根本欠陥が解党主義・修正主義・右翼日和見主義を内容とする思想上の原則的な弱さと欠陥にあったことを厳密に総括してこれとの明確な思想的政治的自己区別からはじめるのではなく、これとは正反対の総括を提示する。彼らは一方では、綱領論争を「不毛化」し、組織分裂の「主因ともなった混乱」は、反対派が社会主義革命を提起したことにある(「知識と労働」第五号巻頭)として、一九五八年当時の自らの見解につばきし、宮本の綱領的見解に秘かににじりよっている。今日、八回大会と宮本の民族主義の誤謬をそれが日本帝国主義を「主敵」として認め正面から対決しない点に求める主張(例えば「日本のこえ」第ハ回全国会議決議)に、この総括での優位があることは明らかである。もちろん綱領的見解における正しい主張は革命の戦術にまで具体化し徹底されなければならないことはいうまでもない。しかし、日本社会の基本的な性格規定の問題と革命の戦術及び具体的な移行形態というより高次の問題を理論的に区別して取扱うことは、自ら混乱し他者をも混乱させるのが目的でないとするならば、綱領論争を総括する上で基本的に必要なことであろう。
 他方組織問題については、宮本指導部の誤りを正し前衛党の再建を行うためには、そのための原則的で持続的な組織活動が必要不可欠であるという、唯物論者にとっては全く自朋の真理が、主要な批判と攻撃の目標にされている。だから「日本のこえ」についても、その組織活動における不徹底性と首尾一貫しない動揺と二面性を批判するのではなく、それが機関紙を発行し常任的な組織体制を保持している積極的な側面に主要打撃が向けられている(非売品パンフ)。
 組織問題のこのような総括は事実上、無責任なサークル主義や活動家集団や連絡会議主義以外はすべて「別党コース」であり誤っていると宣言するに等しいが、ある時は「別党しかない」と言い、ある時は「別党は誤りである」と語ったり、またある時は「共産党」の名はけがれたとして 「労働者党」を主張し、ある時は「共産党」でなければならないとして他から一線を画したりする彼らの周知の首尾一貫しない御都合主義と取り乱しも、一つの撹乱要因として代々木派を助けるものである。この点で彼らが戦略論争をあたかも「抽象」論にすぎなかったかの如く描きだしてこれに「実際の」大衆運動を対置したり、理論や原則の強調をセクト主義・数条主義・分裂主義と見て「危険」視し、原則上の問題を「集団討議」の問題に還元したり、原則的見地に基く自らの主体的組織的力量を強化せんとする一切の努力を「別党コース」「学生党的偏向」「主体形成論」などと金切声を上げ、自らは無資任な「屈伸自在なイニシャチブにとんださまざまな運動形態、組織形態」なるフラーゼ(要するに、彼らのその実体たるやこれまた無責任な「模索」と 「試行錯誤」の言い換えにすぎない(非売品パンフ)ことなどは、プラグマティスト顔負けの彼らの思想性を知る上で十分記憶に価するものである。
 修正主義との対決、一貫した戦略的展望と基本戦術の確立、そのための組織的保障の確立と強化という今日焦眉の任務を意識的に排除するこのような総括の下では、 大衆運動の政策レベルでの代々木批判という彼らの「党再建」コースも(大衆運動の権威ある指導者が彼らの中にいるのならともかく、一握りの中下級管理者的インテリグループがこのようなことを言うこと自体滑稽であるがそれはさておき)ひっきょう大衆運動主義や大衆運動の無責任で御都合主義的利用主義にならざるをえない。党内闘争も「分派形成」も拒否し「大衆闘争の土台の上にわが党を革新してゆく」 (春日離党声明)と自負して組織的分散と政治的腐敗の道を歩んだのが「統一社会主義」へのコースであったことを指摘しておく。何故に、八回大会当時には春日庄次郎に反対し一線を画したものが、今日になって同じ道を歩もうとするのかが当然、問題とされなければならないだろう。

★資本主義変質論への屈服
 まず、一貫しに戦略的方針と組織的規律の欠如という事態の常態化が如何に思想的腐敗の危険をはらんでいるかを指摘しておかねばならない。彼らは例のごとく、原則的主張に対しては当りまえであり言うまでもないと軽くあしらい、しかしそれだけでは抽象的だとか「能がない」という。だがそれが何ら当りまえでなくなっていることを彼ら自身が証明している。六〇年代の相対的安定に幻惑され、高成長と完全雇用を「不可逆的な傾向」とみなし「深刻なデフレ恐慌やそれにつづく長期の不況過程の出現はもはやありえなくなったと強調し(知労一号)支配階級から譲歩の引出しに奔走して戦略的課題を見失ったのは誰であったのか、現在の危機が「一つの客観的総体的な過程」であることをしぶしぶ承認しながら、そこから理論的・実践的帰結を首尾一貫して導き出すことを恐れ、「我々は断じて、危機待望論者ではない」(あたかも待望するか否かが決定的であるかの如く)と誰かに向って言いわけしたり、危機を構成する諸側面をバラバラに切離し、独占資本主義の基礎の上でそのーつーつに「活路」を提出することができるかの如き改良主義的幻想を与えようとした(知労十号)のは誰であるのか。独占資本の対社会主義警戒や反ソ主義が単なる「外交的事情」や、「時代遅れの日米安保観念」や「冷戦派的イデオロギー」に起因するかの如き観念論を展開し、一方では独占資本の客観的利益が一義的に平和と社会主義接近になってしまったの如く讃美しつつ、他方で独占資本を啓蒙し彼らに『理にかなった提案」を行なうのにやっきになったり、日本の独占資本の「旧い安保観念」を捨てきれない「優柔不断と臆病さ」を真面目に嘆いた(知労十号)のは、誰であったのか。

★労働者畿級のヘゲモニーの否定
 マルクス主義者が改良闘争・民主主義闘争を語る場合の核心的な問題はプロレタリアートのヘゲモニーの問題である。レーニンはこの意味で「プロレタリアートが革命的であるのはただこのヘゲモニーの思想を意味し、それを実行する限りである」と強調している。ところが彼らは支配層の政治的分岐に「介入」 しその「理性的」分派をプッシュし、そこから譲歩をえるという展望によってしか、 労働者階級は自己の政策に「現実性」を付与しえないと見る。彼らにとっては「改良は革命闘争の副産物である」というレーニンの基本命題は「小児病」でしかなく、彼らの目には今日の日本でレーニ ンの思想を擁護することは「新左翼」であるとしか見えない。彼らは先ずドル防衛策やメジャーの横暴など海の向こうに諸運動の始点を求め、それによる日米矛盾の激化とそれへの対応をめぐる日本支配上層の内部分岐が指摘され、国内の階級闘争はその分岐した支配層のいずれがどの程度まで主導権を掌握するかを****する要因としての役割しか演じない。(この点は安保直後の「歴史学研究」の論文上で一度政治的に自己批判されたが理論的に何ら深められていなかったのだ。)日本のプロレタリアートは独自の戦略的方針をもち、自己のヘゲモニーのもとに反独占戦力を統合する主体的・目的意識的努力を行ない、この一貫した革命的展望に基づく運動の高揚の中で「j副産物」としての改良を支配階級からもぎとる代わりに、その闘争の戦術上の一条件にすぎない支配上層の内部分岐を「政治の風向き」に基づき、その都度その都度あとおいしたり下支えしなければならず、この分岐の枠内での政策提起のみが空文句でない「現実的」政策とされる。だから内部分岐をもつ「支配上層」を全体として批判したり、「中道政府」や「よりまし政府」に原則的な批判を加えるものは「現実性」(?!)を見失った悲観主義者ということになるのだが、もしそうなら全世界の共産主義者は全てペシミストということになろう。このような悪しき現実主義(現実追随主義)によって彼らは労働者階級の指導性というマルクス主義の基本精神をブルジョアジーに売り渡し、例えばアジア集団安保をもっぱら独占資本の資源確保という露骨なナショナリズムの見地から提言しようとしたり、逆に、労働者階級の、内政転換と結合した独自な首尾一貫した平和共存政策の提起という至極当たり前の主張に対して、平和の課題を革命の課題と同一視するものだと金切り声をあげたり、はては平和運動の「広範な性格」を強調して、ブレジネフがニクソンやフォードと合うのを反帝勢カの帝国主義への平和の強要の過程と見ず、あたかもブレジネフが彼らと「平和運動」を行っているかの如く何のためらいもなく語り出す始末である(パンフ)。
 労働者階級がこのような質の闘争に甘んじてよいなら、もともと前衛党など不要である。プロレタリアートのヘゲモニーと前衛党の必要性は、従って反対に、現状追随主義的「現実主義」と解党主義はメダルの裏表である。

★津田国家論の採用
 かつて森信成先生が批判した如く、社会主義への平和的移行の右翼的理解に基きレーニンの国家論の系統的修正を図ったのが津田道夫氏であった。彼は、レーニンがその旧唯物論的限界のために国家の本質を物的機構としか見なかった結果、旧国家機構の粉砕を一切の革命に義務的なもの見る誤りに陥った。だがこれでは平和移行は語りえないとし、自らは初期マルクスやエンゲルスの四苦八苦の「解釈」に基づき、国家を公的意志として表現される支配階級の特殊意志であるとする「国家=イデオロギー論」を開陳した。かかるズブズブの観念論的幻想の下では、当然”平和的な”イデオロギー闘争(事実上はジャーナリズムでの論争)が階級闘争の基本形態とならざるをえず、高々「思想運動」や「理にかなった」経済プランの提案で事がはかどるのであって鉄の規律をもった党的組織も不要である。この国家論が解党主義者の間で注目されたのは言うまでもない。ところが一部の人は津田氏による「下部構造としての国家論」批判をそっくり採用し「国家とは『ドイツ・イデオロギーがその本質について指摘したように、経済的に支配する階級の意志(イデオロギー)が公的意志=国家意志として表現されたもの、そのようなもの(階級意志の表現としての国家意志ーー引用者)としての政治権力である」と広言している(「思想」六四年六月号)。ここではこの「採用」の理論的・実践的帰結についても、また国家の本質如何という決定的問題でレーニンや後期マルクス・エンゲルスの所論の検討抜きに『ドイツ・イデオロギー』をもちだす無節操さについてもあれこれ言う必要もない。しかしもし孫引きや聞きかじりで論争をふっかけているのでないならば『ドイツ・イデオロギー』が一体どこでこのような「指摘」を行っているのかを明示することは、理論家としての最小限の義務であると考える。

★小プル・インテリゲンチャー主義
 彼らは原則的主張に対してニ言目にはインテリの焦燥感から来る極左的誤りというレッテルはりを行い、偏見を植えつけるのに必死になっている。だが「わが国の大学講壇」では「今日なおマルクス主義者の列に分類される入たちが大半の勢力をしめている」とか、「戦後民主主義のおかげで」 「商業ジャーナリズム」の枠内で「マルクス主義的評論を掲載し討論を行なうことにさして大きな困難はなかった」と(彼らの「マルクス主義」がどの程度のものか想像がつく)プルジョア・アカデミズムやジャーナリズムにとほうもない讃美をおくり、近ころではジャーナリズムは「反マルクス主義的な近代理論に門戸を開放」し、アカデミズムでは「射程外理論」が盛行しだしたとしだしたと本気になって嘆いているのはどこの誰であったのか。知識人労働者のプロレタリア化という極めて真剣な分析を要求されている問題を全く皮相化し(原則なきところに真剣な具体的分析もない)御都合主義的にツマミ上げて 「多くの学者や大学教授たちの地位」も「プロレタリアートのそれとほとんど選ぶところがなくなった」と万感をこめて断言したり、 科学技術革命が資本主義の枠内でも肉体労働と精神労働の「歴史的な分裂を終らせようとしている」 などという修正主義の命題を大っぴらに語ったのは誰であったのか。また、社会主義的意識のプロレタリアートの中への持ち込みとィンテリゲンチャーのプロレタリア化(この場合は小ブル意識のもち込み)という決定的に区別すべき二つの事柄をゴチャまぜにし、従来支配階級の政治的・イデオロギー的支柱であった知識階級が「今日では」「彼らのもつ科学的知識と批判精神を直接プロレタリアートの中にもち込みつつある」と何の裏付けもなく断言し、このような「持ち込み」の中に「新たな一社会への展望をきりひらく基礎」を見たのは誰であったのか(いずれも知労1号)。こうして見てくると現在の事態が「広範なプロレタリア的闘争の擁護者が急進的な陰謀組織の擁護者に反対したのではなくて、ブルジョア・インテリゲンチャ的個人主義の味方が、プロレタリア的な組織と規律の味方と衝突したのだ」(レーニン)ということを理解するのにそれほど知恵がいるだろうか。

★ 「共産主義者は解 決できることだけをとりあげる」
 彼らが学生党的偏見なるものを批判する最後の切札が何とこの ”格調高い”命題である(パンフ)。だがマルクス主義者に対して「イデオロギー偏重」や「かたくなな態度」を捨てもっと「大人」になって「解決できることだけをとりあげよう」と攻撃したり手をさしのべたりしているのが他ならぬプラグマプィズムであり、また「小だしの譲歩」と、特に指導者たちのための報酬のよい地位とひきかえに、原則をブルジョアジーに売りわたす」 「可能主義者」 (エンゲルス)であることは、現在の思想対立に少しでも関心をもつものにとっては自明の事柄ではないのか。「共産主義者は解決できることだけをとりあげる」というスローガンはそれ故、共産主義者に対する独占資本や右翼日和見主義者の要求と願望以外の何ものをも表現していない。彼らが依拠したつもりのマルクスの命題「人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる課題だけである」とはその箇所を読めば直ちにわかるように、原始社会から現代に至る人類史の全過程において社会構成体の変革が課題にのばるのは「その解決の物質的諸条件がすでに現存しているかまたは少くともそれができはじめているばあいにかぎって」であるということ、そして今日資本主義は社会主義のための物質的諸条件と変革主体たるプロレタリアートを不断に生産しつつあること、従って自覚的分子たる共産主義者は現象面にとらわれてこの物的基礎を見抜きえず解決不能と見て現状追随や目先の打算や空想的世界や空文句にとらわれている労働者大衆に向って大胆にこの物質的条件を指示し、この条件が指定する革命的出口を提起し、それへ向って彼らを目的意識的に動員し組織しなければならないことを意味する。支配上層の内部分蚊の枠内で政策を提起しなければ空文旬であるとか、中央集権的組織を提起するのは非現実的であるとか、反独占政府を現在提起するのもハネ上がり、「今日の民主革新勢力とよばれるような(自分がどの部分をどんな根拠でそう呼ぶのかの労さえとらず–引用者)結束がついに議会の多数を占め革新政府を樹立する機会が到来してこよう」と待機主義をきめこみ、つねにひさしを借りて母屋をうかがうようなあさましい“現実主義”とマルクスの右の命題の、一体どこに共通点があるのか。彼らは自分達が主観主義に反対して唯物論的見地を擁護しているかのように見せかける。だが革命理論、前衛党、プロレタリアートのヘゲモニー、それに導かれる大衆組織と革命的大衆行動等、革命における主体的要因のレーニン的強調に向って主観主義なる非難を浴びせたのが第ニインターの新カント派的修正主義である。主体はマルクスやレーニンの如く唯物論的に提起することもできれば「旧安保観念」解消運動や「国家=イデオロギー」論者の如く観念論的にも提起できるではないか。彼らのような”主体的能力なき革命”論者が自己の「現実性」をもとめて独占分派やあれこれの大衆団体や既成野党その他へ節度を失って手当り次第に「介入」=寄生して行くのは不可避である。彼らが行っているのは主観の原則性と党派性に無原則場当り主義を対置すること以外の何ものでもない。このような「解決できることだけをとりあげる」 ”共産主義者”が「あらゆる苦闘の末にようやく手に入れた新品の外とう」のように見える人もいるらしいが、われわれの方はこの”共産主義者”に次の言葉をおかえしする。「やれないといわず、やりたくないと言え。」(レーニン)

★修正主義批判の活動を強化しよう!
 民学同の同盟員諸君!諸君は現在、我が国の前衛党の修正主義への公然たる転落をはじめとするわが国マルクス主義のかつてない思想的危機の中で原則的見地を守って闘わねばならない事態を自覚しなければならない。修正主義は客観的経済的基礎をもって展開されているのであって、この影響を軽視しこれとの闘争を怠る時、自らこの方向をたどらざるをえない。確かに資本主義の危機の進行はこのような議会主義や改良主義の幻想を日々色あせたものにしつつある。しかし、一方の側で真に原則的な思想と組織が準備されていない場合のこの幻滅は、小ブル急進主義やファッショの格好の土壊となったのである。また、この修正主義との全面対決の過程は単にイデオロギー上の批判や暴露にとどまるものではなく、真に原則的部分がこの試練にたえ、科学的革命的プログラムを確立し、それに基く政治的・組織的前進をかちとる過程でなければならないのは当然であり、困難さは正にここからはじまるといっても過言ではない。しかしこの困難によく耐えうる保証は、正にマルクス・レーニン主義の高い思想性と原則性であり、慢延する修正主義との首尾一貫した原理的自己区別であることを忘れてはならない。この前提の下でのみわれわれはこの修正主義との全面対決の過程をレーニンと共に「自己の事業の完全な勝利に向って前進しているプロレタリアートの偉大な革命的戦闘の序幕」とすることができるのである。諸君の一人一人がわが国のマルクス主義が当面しているこの問題にもっともっと関心をもち労苦をいとわず自からマルクス・レーニン主義の古典や国際共産主義運動の諸文献を研究し、将来マルクス主義者として大きく成長されることを切に期待するものである。科学的論拠をもって反論するのではなく、〇×先生を批判するのは間違いだという無理論な盲目崇拝に若い学生をおいやり、彼らから最小限の科学的精神さえ奪い去っているという、崇拝の対象のスケールを考えれば滑稽ではあるが、本質的には痛ましい事態を一方に見る時、何よりも諸君にこのことを願わずにはおれない。

民学同と戦闘的唯物論者の連帯万才!

※本文書は、「知識と労働」討議資料(1975年3月)掲載の各文書等に対する批判を内容としている。「討議資料」も併せて読まれたい。

※文中で「*******」等の表示部分は、元の素材がかなり古く、折り返し部分や切断部分のため、判読不可能だった箇所である。

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 思想闘争の課題と修正主義批判の伝統(北山肇) はコメントを受け付けていません

趣意規約のわい曲について(デモクラート64号)

趣意規約のわい曲について (「デモクラート」64号)
趣意・規約の精神はゆるぎない伝統に

日和見主義的歪曲
 民学同を、「政策の一致による大衆的政治同盟」とみなし、「活動家集団」、「統一戦線組織」へと引き下げる同盟趣意の日和見主義的歪曲が、一部同盟員によって系統的にもちこまれている。この歪曲の特徴は、同盟趣旨から世界観、思想上の統一性を抜き去り、趣意を個別的政策(目的)のよせ集めに解消し、趣意の統一性、体系性、一貫性を骨抜きにすることにある。この見解は雑多な思想を持った学生の一時的個別的意見と目標の一致により離合集散する「屈伸自在な」全共闘的活動家集団へと同盟を導びき、組織解体をももたらす危険なものである。このような無原則な見解にもとづく誤った傾向は、非妥協的な闘争によって早急に克服されねばならない。趣意の原則性を堅持する為の断固たるねばり強い闘争の必要性は、次のことからも強調されねばならない。それは、学生が「インテリゲンチャのなかでもっとも敏感な部分」であり、「だれよりも決定的に、だれよりも正確に、社会全体における階級的利害と政治的グループわけとの発展を反映し、表現する。」(レーニン)からであり、一部インテリゲンチャから日和見主義的改良主義的偏向が同盟内に系統的に持ち込まれているからである。

世界観の一致
 同盟の趣意は「科学と民主主義の見地に立って、現在の思想的混乱を克服するために闘う」ことを掲げている。この見地とは「人類の到達した先進的理 論」(規約第一条)によって基礎づけられた明確で全一的な、科学的民主主義的世界観の見地である。ここでいう「人類の到達した先進的理論」とは、人類の進歩的理論を正しく継承し発展させ、マルクス・レーニン主義の理論に集約され体系化されている「科学と民主主義の理論」である。このことは、同盟結成時より一貫して確認されてきた同盟の原則的立場であった。マルスク・レーニン主義の理論によって基礎づけられる世界観的、思想的一致が同盟の統一の基盤をなすものである。
 したがって趣意にもられた政策は、学生の諸要求に基盤をおく個別的政策の集合体ではなく、明確な全一的世界観に立脚し学生の実践的課題を正しく反映した科学的民主主義的な政策の体系であり、 同盟の総路線を表現するものである。趣意から世界観的一致を抜き去ることは、「同盟が学生運動における指導部隊としての役割をはたすため」に必要な「科学性」と「戦闘性」(=革命性)を骨抜きにし、「同盟の隊列の強固な統一」を弱め破壊することを意味する。当面の政策、戦術における同盟の行動の統一は、世界観的一致の基礎の上に成立し、強固なものとなるのである。

原則性の検証
 同盟の指導する運動が、学生運動の分裂と混乱の下でも力強く発展してきたのは、趣意の原則性(=「科学と民主主義的世界観の見地」)を一貫して堅持してきたことによる。
同盟趣意は同盟結成段階における同盟諸先輩の民青指導部、「トロッキズム諸派」との不屈の原則的闘争の中で検証され獲得された理論的政策約諸原則を結実させたものである。この諸原則は、「平和と平和共存、反独占民主主義、学生運動の統一」の旗印に集約される趣意の政策体系=総路線として具体化されることとなった。この路線は、平和と社会主義をめざす国際的民主主義運動、労働運動のそれと合致するものであり一九六〇年ハーカ国共産党・労働者党国際会議の声明において確認されたものでもあった。
同盟結成後の諸活動、とりわけ平和運動、大学闘争において同盟の路線と政策の原則性は力を発揮することとなった。原水禁平和運動においては、日本の運動の深刻な分裂と一部指導部の民族主義的偏向という条件下で、平和と平和共存の為の国際主義的路線をかかげ、国際連帯独自核武装阻止、アジア集団安保体制実現、運動の原則的統一の為に重要な貢献をなしてきた。また一九六八年・六九年の大学闘争においては、この闘争を、「反独占の大学改革闘争」として位置づけ、「大学改革」と「民主化」の課題を正しく結合させ、「左」右の日和見主義と明確な一線を画し、大衆的な闘争を指導してきた。また同盟の不幸な分裂にもかかわらず、大学闘争以後も「改革闘争」「民主化闘争」を継続して発展させてきた。これらの同盟の首尾一貫した系統的活動を保証したのは、同盟趣意の原則性であり、同盟の全一的世界観にもとづく方針と戦術の具体化であった。

日和見主義的歪曲の帰結
 同盟を「政策の一致による大衆的政治同盟」として位置づける一部同盟員諸君は、同盟の大衆的影響力をその科学的政策にもとづく指導性にではなく、大衆の個別的な「具体的」要求の結集に求め、その政策において大衆の自然発生的意識に拝脆することとなる。すなわち、趣意にかかげられている目的を大衆の自然発生的要求に応じて切り離し、対立させ、大衆の一致できる範囲において個別に自からの政策としてかかげることになる。このことが趣意の日和見主義的歪曲の帰結である。以下特徴的な例を検討することにしよう。

大学闘争の無理解
 彼等の日和主義的見解によれば、趣意にかかげられている「大学の民主的改革」と「学園の民主化」の目的は切り離すべきだということになる。彼等は、「大学における反動的寡頭支配打倒」「無責任な研究・数育、行政体制の粉砕」を「大学の民主的改革」のスローガンに関連して提起することは、「トロ諸派顔まけ」の「全面否定論」であり、誤まっていると批判する。「トロ諸派」がこのようなスローガンをかかげたかどうかは論外におくとして、「トロ諸派」の基本的誤まりは大学内に存在する基本的矛盾対立を見ることができなかったことにあるということはまず最初に指摘しておかねばならない。日和見主義的見解を主張する諸君は、大学闘争以後の民学同の大学の現状分析と方針のイロハ的事柄を理解しているかどうか疑いたくなるほどの水準である。すなわち、大学闘争以後、ほとんど全ての大学においてその権限は、政府と警察権力のバックアップの下に、執行部等の大学上層部に集中し、寡頭支配と無責任体制が支配していること、その条件下で「独占資本と権力に従順で安あがりな学生を生産するための場」 「独占資本の利益のための研究の場」として大学を独占資本が利用することが可能となっていること、したがって「寡頭支配」、「無責任体制」の打倒と粉砕ぬさにしては大学の反独占的根本的改革はありえないということは、周知の事柄である。彼等と類似の見解とそれにもとづく行動が、かつて大学闘争時に、プルジョア自由主義者と連合して右翼日和見主義的一翼を形成した民青諸君によって推進されたこと、さらには「学生共闘派」の諸君によってその後ひき続き同様な万針が実行されたことを大学闘争の教訓として忘れてはならない。彼等の見解は、民青諸君の日和見主義的路線へ同盟の路線を退化させる以外の何ものでもない。彼等の方針から出てくる改革とは、学生、院生、若手数員と大学管理者上層の対立ではなく、大学の支配層の分岐と対立を大学内の基本的対立とみなし、「リベラル」な教授層をプッシュすることによってひきだせる、大学の寡頭支配と無責任体制には手をつけない。それは学生とと勤労人民の基本的利害は実現しない「まだるっこい改良」にすぎないである。このような方針は、同盟の趣意からみちびかれる独占体による大学支配に反対し、大学の研究、数育の社会階級的性格、内容の根本的改革により勤労人民の為の大学をめざすという「大学改革」の路線を歪曲し、修正するものである。

階級闘争と平和運動
 また彼等は、平和運動の進展と統一の保障を労働者階級の指導性ではなく、独占体をまきこむにめの原則の譲歩に求める。そして核防批准の行動は原子力独占体をまきこんで運動を進めることの重要性を力説することになる。このような見解は次のような彼等が権威主義的に支持するインテリゲンチヤの見解からみちびきだされたものである。それは、「平和共存の為の闘争」と「革命的労働運動」は対立するものであり、「平和運動」と「労働運動」の結合を唱えることは「セクト主義」だというものである。同盟趣意は「社会主義体制とともにあらゆる一般民主主義闘争は平和と平和共存の闘いを構成・強化し、同時に平和と平和共存の闘いは諸闘争の広範な舞台を準備し、統一と成功の見通しを保証する」と述べている。すなわち趣意では、一般民主主義の為の闘争と平和共存の闘争は統一的に把握されているのである。

民主主義闘争の歪曲
 また趣意は、「新しい民主主義はたんに防衛的かつ政治的なものにとどまらず、社会、経済における民主的改革をも闘いとる積極的かつ攻撃的な性格をおびている。またそれは、独占資本との対決を通じてかちとられ労働者階級によって指導される勤労者諸階層をその擁護者、推進者とする」と述べている。現代の「一般民主主義」が、通常の「ブルジョア民主主義」ではなく、戦争の脅威の一掃、民族解放、独占体の所有の国有化、独占体の権力の制限を含む「あたらしい民主主義」であるということは、教科書的原則である。したがって「平和共存の為の闘争」と「革命的労働運動」、「 平和運動」と「労働運動」を切り離し対立させることは、趣意の原則的見地からいつだつするものである。このいつだつは、労働者階級の世界史的役割を事実上否定し、一般民主主義運動におけるプロレタリアートのヘゲモニーを否定する改良主義的路線へ同盟を導びくものである。

組織活動強化を
 我々は、このような日和見主義的な趣意の解釈とそれに基く路線をきっばりと拒否する。趣意の原則的歪曲といつだつを放置し、それと妥協し、当面の政策にもとづく行動の統一のみを語ることは、世界観的一致にもとづく同盟の強固な統一的基盤をほりくずす日和見主義に加担するものである。
 このような日和見主義傾向、それに同調する傾向は、理論闘争、思想闘争の強化を含む同盟の組織活動強化の中で克服されるであろう。(s)

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 趣意規約のわい曲について(デモクラート64号) はコメントを受け付けていません

【主張】現在の学生運動の意義と民学同の任務 (デモクラート64号)

【主張】現在の学生運動の意義と民学同の任務 (デモクラート64号)

デモクラート64号主張  1975年4月18日

デモクラート64号主張
 1975年4月18日

 現在の学生運動の意義と民学同の任務について、あらためて確認することの重要性は、単にわれわれが新入生を迎えているという例年の事情だけによるものではない。それは、現在闘われている七五年春闘の経過が端的に示しているように、資本主義の全般的危機の新しい局面への突入の中でわが国における労働運動、民主運動が客観的な情勢のかつてない厳しさと、その下での支配階級と政府からの攻撃に加えて、自らの政治指導部の原則的逸脱と日和見主義への転落によって、異常に困難な状態におかれているという事情によるものである。なぜなら、この客観的現実が学生運動に与える深刻な影響とその原則的克服なしには、またその克服の原則的方途についての明確な確信が民学同の全同盟員と先進的学生のものとなることなしには、学生大衆の生活の危機を根本的に解決し、学生運動をわが国における反帝反独占統一戦線の強固な担い手として鍛え上げ、また直面する諸闘争を首尾よく闘い抜くことすら困難であるからである。

学生層の反独占的基盤の拡大
 今日の多数の学生のおかれている客観的基盤は、かれらの反資本主義的、反独占的志向を拡大している。それは多数の学生の卒業後の将来の地位と利害、および国家独占資本主義の体制そのものによって不断に脅かされている学生生活上の諸困難の著しい増大によるものである。今日の社会において膨大な数を形成するにいたった研究者、技術者、事務職員、教員、医師など広汎な知識人動労者の地位と利害は、労働者階級のそれにますます接近しつつある。多数の学生の卒業後の将来もまたこのようなものであって、もはやかつての支配階級の一員に属する特権的エリートとしての将来ではない。これは戦後の「高度成長」経済、国家独占資本主義の発達下における産業構造と階級構成の急激な変化の直接の結果、すなわち大量の知識人のプロレタリア化に照応するものであるが、学生総数200万人、同一年齢人口比30%強といわれる大学生数の絶対的増加は、その反映である。
 いまや学生は、労働者階級を中心とする反独占統一戦線の一構成要素として行動するときにのみかれらの現在と未来の利益を守ることができるのである。

理論活動、思想闘争の重要性
 だが、学生はこのような反資本主義的、反独占的基盤の客観的成熟にもかかわらず、つぎの事情により、自然発生的には思想的混乱と「左」右の日和見主義に陥る危険性をとりわけ強く持っている。それは学生層が種々維多な出身階級によって構成されており、また労働者階級の子弟が比較的少数であること、その将来の階級的帰属においてもプロレタリア化が未完了であること、かれらが実生活において独立した生計の基盤を持っていないこと、青年の中でもインテリゲンチャーとして最も敏感に現実の社会的政治的諸条件を反映する部分であること、実際の闘争をつうじた政治的経験と思想的組織的訓練に不足しており、不断に持ち込まれる支配階級の非合理的非科学的な諸反動イデオロギーや氾濫する種々の色あいの修正主義、日和見主義のイデオロギー、卑俗な権威主義とデマゴギーに浸蝕されやすいこと、によるものである。
 このことは、系統的な理論的学習と研究、確固たる理論的確信に基づく理論闘争、思想闘争の重要性、学生を理論的思想的に獲得する闘争に勝利することの重要性を示している。学生運動の原則的で大衆的な発展と統一を保障する最も重要な原動力のーつがここにあると言わねばならない。

学生運動とその政治指導部
 わが国の学生運動、労働組合運動が、日本共産党をはじめとする「前衛」政党、革新政党、労働組合幹部の根本的な誤謬によって極めて困難な条件下におかれているのと同様に、学生運動もまたその例外でなく、それらを反映して、全国的な真に広汎で大衆的で、戦闘的な運動を組織することに成功していない。
 日本共産党は、これまでのブルジョア民族主義の誤りに加えて、主要な政治的闘争を労働運動や大衆闘争と切り離された議会活動や選挙闘争におく議会主義と選挙第一主義の誤りを犯している。同党は、労働者階級と勤労大衆と学生大衆の生活の危機、政治反動と人民運動の分断攻撃の強化に対して断呼たる反撃の闘争を呼びかけ、労働者階級を中心とする戦闘的で広範な反独占闘争の力でそれらを解決する方針を提起するかわりに支配階級と妥協し、かれらに屈服し、戦闘的な労働組合や民主団体(動労、日数組、自治労、原水禁国民会議に結集する原則的部隊、部落解放同盟など)に敵対し、公然と分裂を持ちこんでいる。同党は、日本資本主義の直面する深刻な危機の真の解決の道をわが国における根本的な反独占民主主義的変革を通じた社会主義革命の達成の展望の中に位置づけず、提起すべき当面の改良の政策においても度し難い日和見主義に陥り、中小資本家の営業と財産を「擁護」することに腐心している。同党はプロレタリアートのヘゲモニーの思想を放棄し、右翼日和見主義と分裂主義、ブルジョア改良主義、階級協調主義に基づく裏切り的行為を公然と主張し、実践している。民主青年同盟と民青「全学連」もまた同党の誤りの忠実な実践部隊として行動している。彼らはつねに、遅れた意識に迎合して卑俗な諸要求主義と経済主義、選挙のための集票活動に学生運動を解消している。
 このようなわが国における政治指導部のまったく異常な現実は、かつてない危機の到来の下での生活諸条件の極端な悪化、大学の反動化と学生に対する締めつけ、弾圧の強化とあいまって、学生運動の前進にとってかつてない厳しい客観的、主体的条件をつくりだしている。

民学同に結集しよう
 こうした現在の学生運動をとりまく諸条件は、反独占的基盤の客観的成熟という有利な条件の存在にもかかわらず、われわれの粘り強い目的意識的な理論的、政治的組織的活動なしには学生大衆の真の大衆的要求を、戦闘的で統一した大衆運動にまで発展させることができないことを示している。そのためには原則的で科学的な理論的、政策的指導が規律ある組織的活動を通じて系統的に行なわれることが不可欠である。この任務の遂行は、首尾一貫した原則的理論と政治路線、科学的政策の体系確固たる世界観的一致によって統一の基礎が与えられ、また、豊かな政治的経験と闘争によって鍛えられた指導部に導かれる政治同盟の存在によってのみ可能となる。かかる政治同盟は、今日では民学同をおいて外には存在しない。民学同は、平和と平和共存、反独占民主主義、学生運動の統一をかかげ、同盟創立以来、一貫して闘ってきた。また民学同は、あらゆる色あいの修正主義、日和見主義との徹底したイデオロギー闘争を通じて、同盟の隊列に不断にもちこまれる誤った思想と闘い、その原則性、党派性、趣意・規約の精神を守り発展させてきた。民学同は、今日まで修正主義、日和見主義との闘争において、マルクス主義の原則性と党派性の擁護と確立を掲げて闘ってきた輝しい伝統をもつ大阪唯物論研究会の全面的援助と協力をうけてきた。われわれはこれまで以上に大阪唯研のその活動が強化されることを期待し、修正主義批判とその実践的克服のために闘う強力な陣営を強化するために共に闘うことを決意している。「任務の困難性が問題なのではなく、任務の解決をどの道に求め、どうして達成するかが問題なのだ…困難だというととは実現不可能だということではない。たいせつなのは、道を正しく選んだという確信である」 (レーニン)
 われわれは困難な諸条件や誤まった政治指導が学生の中にもちこむ停滞したムードやペシミズム、大衆の遅れた意識に迎合することなく「現実的」の名の下に原則上の取り引きを行なった新たな修正主義、日和見主義のデマゴギーに屈することなく、真に大衆的で革命的な要求に基づく闘争を粘り強く組織し、指導しなければならない。
 学友諸君、民学同に結集し、機関誌「デモクラート」に導かれて当面する大衆闘争の諸課題を共に闘い組織する活動を通じて、革命的理論の学習と研究を通じて、また修正主義との非妥協的な闘争を通じて「資本主義の全般的危機の新しい局面」からの唯一の活路であるわが国における社会変革と社会主義の実現への具体的展望についての不動の確信をうち固めよう。そのとき民学同と日本学生違動は、わが国における反独占統一戦線の強固な一翼を担うべき不可欠の大衆的政治勢力という名誉ある称号を受けとることができる。

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 【主張】現在の学生運動の意義と民学同の任務 (デモクラート64号) はコメントを受け付けていません

【資料】民学同中央委員会常任委員会声明(デモクラート64号)

【資料】常任委・機関紙中心に同盟の飛躍的強化を

     民学同中央委員会常任委員会声明(「デモクラート」64号)

常任委員会声明 1975年3月16日

常任委員会声明
1975年4月18日

(1)
 民学同第十四回全国大会は、三月二九日、三十日の二日間にわたり開催の予定であった。中央委員会常任委員会は、この数ケ月間、大会の成功のために努力を集中しできた。中央委員会常任委員会は、大会草案、「組織活動強化に関する特別決議」を全員一致で採択し、大会の議案として全同盟員の討議に付し、下部における大会の準備を全力あげて指導した。
 全国大会の「意義と任務」は、資本主義世界体制の全般的危機の新たな局面において、新たな条件の下における大衆運動の基本政策を確立すること、情勢の急激な変化の下で不断に発生する思想的理論的混乱、「左」右の日和見主義と闘い全同盟員の理論的思想的統一を闘いとること、これらを通じて同盟の組織強化を闘いとること、を主要な任務として提起した。『組織活動強化に関する特別決議』は、この一年間の活動と同盟の新しい発展を総括し、その上にたって次の一年間の組織活動を集中すべき主要な目標を具体的に提起した。
 今大会の成功は、民学同の十年の活動の総決算であった前大会の成果のうえにたって、さらに新しい力強い発展をかちとる第一歩となるものであった。この一年間の機関紙活動の強化は、全同盟員の政治的、理論的関心を飛躍的に高め、同盟の組織活動に対する確信と意欲を同盟員全体の間でかってなく強力なものとしていた。この意味で大会の成功は客観的に保障されていた。

(2)
 しかし、大会の直前になって不測の異常事態が発生した。同盟組織の内部で、常任委員会と同盟機関紙『デモクラート』にたいする対立と公然たる攻撃が行なわれていることが明らかとなった。ある支部では、民学同の「組織活動の強化」を主張する常任委員会の「大会決議案」にたいする反対が「決定」され、別の支部では、常任委員会の提出した大会草案を全体として否定する「対案」が支部委員会から提起された。同時にこの二つの支部はいずれも同盟機関紙62号の「撤回」と「販売拒否」を「決議」した。常任委員会と各常任委員は、これらの「決定」や「決議」が原則的に誤っていることを指摘し、これらの支部の活動に反省を求める指導さえ行った。
 しかし彼らは、同盟の組織強化に対してもまた政策的、理論的統一に対しても、何らの真面目な対応も、真剣な態度も示さなかった。常任委員会と同盟機関紙に対する彼らの対立と攻撃が、同盟の中央指導体制に対する敵対であり、それによって民主集中制の原則にたつ同盟組織そのものに対する敵対であることは明らかであった。それは、本質において同盟組織を内部から堀り崩し、組織解体に導く危険な傾向をはらんでいた。

(3)
 彼らが大会決議案と機関紙にたいする対立という形で、批判と攻撃の目標とした問題の主要な内容は、以下のとおりである。

1 平和と平和共存のための闘争と一般民主主義闘争の必然的で有機的な連関。
2 平和と平和共存の問題において、三大革命勢力の力と闘いに従属させて帝国主義間矛盾、独占間の対立・分岐を扱うこと。
3 アジア集団安保確立のための闘争と日本軍国主義との闘争の有機的連関。
4 全般的危機の新たな局面の諸側面の内的な構造的連閣その唯一の脱出口としての社会主義。
5 社会変革の長期的で戦略的な課題と当面の具体的な闘争の課題との内的な連関、およびそれに基づく具体的で現実的な政策の原則的な提起のしかた。
6 日本帝国主義に内在する矛盾の深刻な性格、およびその循環の恐慌局面における矛盾の深さと鋭さの評価。
7 恐慌下の反独占闘争において国有化およびその民主的統制の政策のもつ意義。
8 反独占統一戦線を構成する諸階級、諸階層の具体的な区別および労働者階級のヘゲモニー。
9 社会変革の闘争における目的意識性こ主体性(階級の「主観的能力」)の意義。これと下からの自然発生的な大衆闘争のエネルギーとの区別。
10 大学における反動的寡頭支配体制の打倒と個々の大学の民主的改革の課題との区別と連関。
11 科学的世界観と徹底した民主主義の立場に基づく同盟の理論的・思想的統一の確立
12 理諭的思想的統一を基礎とする政治同盟と、個々の具体的な闘争課題における共闘組織、統一戦線組織との原則的な区別。
13 民主集中制の組織原則。組織における民主主義の不可欠の条件としての中央指導部における指導とそれへの組織的集中。
14 同盟の組織活動における機関紙のもつ決定的に重要な意義。

 右の諸項目の内容をその根本において否定する見解は、今日における平和と平和共存、反独占民主主義のための闘争の基本政策を具休的に提起すること、およびこれらの闘争において学生運動の果たすべき役割とこれを指導する民学同の方針と任務を具休的に提起することを基本的に拒否するものである。それは、同時に、民学同の趣意と規約およびそのうえにたつ同盟十年間の活動の積極的な意義と成果を根底からくつがえすものである。したがってこのような見解とそれに基づく活動が、民学同の同盟員の義務である組織活動と本質的に相容れないことは朋らかである。
 大会を目前にして、中央指導部にたいするこのような攻撃は、原則的に誤った一系列の見解を常任委員会の提出した諸議案とさしかえるか、もしくは前者によって後者を基本的に修正することに集中され、それを組織分裂の恫喝によって中央指導部および民学同に押し付けようとするものでった。
 大会にいたる事態の経過は、公然たる分裂策動、組織破壊活動によって民学同の大会と組織をおびやかすものであることをまぎれもなく示していた。このような無原則で危険な策動を粉砕することなしには、民学同の健康で力強い発展はありえない。

(四)
 常任委員会は、このような異常事態を一刻も早く解決し、大会の成功をかちとるためにあらゆる努力を行った。常任委員会は一方で、支部討議を活発に行い、同盟員の一人一人が現に生じている問題を的確に把握し、確信をもって正しい解決を見出せるよに指導した。他方では、分裂活動を行なった主なメンバーについて具体的な事情聴取を行ない、個々の分裂策動の真因がどこにあるのかを明らかにすることに努めた。事情聴取の中で彼らは再三再四前言をひるがえし、自らの主張に責任をもたず、自らの見解に対して何ら合理的な根拠を示すことができなかった。彼らは自らの積極的な見解も、具体的な方針も持たず、また説得にたいしては議論を回避し、とにかく中央の指導に異をたてることに終始した。彼らの事情聴取への応じ方も含め、全体として彼らの行為が何ら自らの確信によるものではなく、他人の意見と指示によるものであることが事実をもって示された。
 常任委員会の指導と同盟機関紙に対立し敵対する活動は、すべて規約の定める正規の指導体制、組織体制とは別個の、これと真向から対立する、外部からの無責任な指揮が系統的に行なわれていることを示している。
 これは、民学同十年の歴史にいまだかつてない異常事態であり、同盟の組織を根底から破壊し、分解し、崩壊させる危険をはらんでいる。
 常任委員会が資任をもって準備し、その成功のために全力をあげた同盟第十四回全国大会の開催は、このような外部からの無責任なひきまわしと一体となった分裂活動、組織破壊活動が、同盟において全同盟員の力によって克服されない限り不可能となった。

(五)
 同盟員のなかには、同盟の組織活動の経験が浅く、また強固な伝統が確立されるには到っておらず中央指導部から地理的に遠くへだたって、生じている事態の真相が理解しにくいという事情の下におかれている部分があった。しかし本質的には思想的理論的水準の低さと原則性の弱さから、確たる主張と定見を持たず、大会を前にした組織分裂策動と組織破壊活動に対して厳しく対処し、明確な一線を画して批判することができず、動揺を重ねたものが指導的メンバーのうちにも存在し、これが、事態解決を一層困難にし、解決を先へ引き延ばす要因としこ作用した。
 しかし、持ち込まれた分裂策動と組織撹乱活動はその発端からしてすでに基本的に失敗に終った。このような活動が執ように行なわれたことそれ自体が、同盟の「組織強化」を訴える常任委員会の指導方針の正しさと重要性を示すものである。常任委員会が提出した「組織活動強化に関する特別決議」は下部の戦闘的で意欲的な同盟員の間でますます強固な支持を獲得しつつある。
 それは、民学同に結集して闘い、民学同を強化し発展させる決意と熱意に燃えた下部の同盟員一人一人の組織的活動と献身の強固な支えとなり、彼らの、どのような困難にもめげない不屈の闘志と原則的で真剣な戦闘的態度は分裂活動と組織破壊活動への加担者が今日陥っている無気力と沈滞と盲目的個人「崇拝」など腐敗ムードとはおよそ対照的なものである。
 われわれは下部の同盟員のこのような健康で精神的活力に満ちあふれたエネルギーを基礎として原則的で現実的な政策に導かれる民学同の新しい発展をかちとるであろう。民学同の組織的強化と新しい発展がかちとられる日は決して遠くない。
 全国の同盟員諸君!常任委員会は全同盟員が今日の異常事態を恐れずに直視し、それを真剣に検討し、問題の原則的な解決のために全力を集中することを呼びかける「組織活動強化に関する特別決議」を真に自らのものとし、これを日常不断の組織的実践において実現していくことを呼びかける。
 全同盟員が常任委員会のまわりに固く結合し、民主集中制にたつ民学同の組織を守り抜くことを呼びかける。
 われわれの機関紙『デモクラート』の編集体制は不動の基礎のうえにある。それが提起する原則的で科学的な基本政策を指針として大衆運動の先頭にたって闘い抜こう。”平和と民主主義、より良き学園生活のために”、学生運動の発展と統一のために闘い抜こう。平和と平和共存、日本における反独占民主主義闘争の最後的勝利のために労働者階級と連帯してともに闘い抜こう。

一九七五年四月十五日

※太字強調は、佐野。

 

 

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 【資料】民学同中央委員会常任委員会声明(デモクラート64号) はコメントを受け付けていません

組織活動強化に関する決議案 (デモクラートNo63)

デモクラート 第63号  1975年4月1日

組織活動強化に関する決議(案)
 民主主義学生同盟中央委員会常任委員会

組織活動強化決議(案) デモクラート No63

組織活動強化決議(案)
デモクラート No63

 
 この決議案は、日本学生運動の発展と統一のために、更に反独占勢力の前進に貢献するために、わが同盟の飛躍的強化の基本的原則的立場を明らかにしたものである。この決議案を基礎に組織活動を強化し、第14回同盟全国大会の圧倒的成功を全同志一丸となってかちとろう。この決議案は、3月16日の常任委員会で全員一致で決定された。 
 

 第十三回大会において、われわれが民学同の十年間の活動を総括し、その上にたって青年同盟の結成の意義について確認してから、一年間が経過した。この一年間の民学同の活動及びその間の諸情勢の発展は、前大会の決議の基本的な正しさと、その上にたった民学同の組織的活動の一層の強化の必要性を示している。
 この一年間に、民学同とそのO・B及びその周辺にある青年労働者との結合は、新しい発展をかちとり、一定の有機的関係を確立するにいたった。それは民学同の政策的組織的基礎をきわめて強固な不動のものとした。機関紙『デモクラート』は、O・Bの指導と協カを得て、編集体制の確立と強化、紙面の画期的な充実、定期的発行体制の実現、配布網と読者の著しい拡大を達成した。とりわけ、労働運動、国際事情と平和運動、経済分析、思想的文化的分野、等における紙面の充実は、機関紙とそれに基く同盟の政策的思想的指導力を画期的に向上させた。それは、日々同盟員とO・Bの日常的活動を活気づけ、青年労働者の一定の部分の間で、民学同への関心と期待を呼び起すようになった。
 平和運動においては、民学同O・Bの協力をえた政策的、理論的活動は、機関紙『デモクラート』を通して、新聞『日本のこえ』、雑誌『新世界ノート』、『知識と労働』等とならんで、平和共存と完全軍縮の為の国際主義的路線を系統的かつ広範にアピールし、平和に対する確信とそのための行動の重要性を学生、青年層に定着させてきた。さらに、同盟によって指導される国際主義の原則に基づく平和のための大衆行動は、青年労働者、知識人の連帯を獲得し、とりわけ、モスクワ平和勢力世界大会の諸成果を日本の現状へ具体化し、日本で真の国際主義にたった平和運動を組織するために、モスクワ大会に参加したわが同盟の代表者を先頭として、平和共存と核軍縮への前進に寄与し、我が国の平和運動、原水禁運動の路線と政策に、とくにその組織統一問題の原則的な解決をかちとる上で少なからぬ現実的影響を与えるほどに力強く発展してきた。
 われわれは、理論的思想的活動の領域においても、同盟O・Bたちとのしっかりした結合をうちかため、彼らの指導と協力によって、各大学の研究会活動を強化し、とりわけ、大阪学生唯物論研究会の活動を画期的に強化した。大阪学生唯研は大阪唯物論研究会の全面的援助と指導の下に、この一年間継続して毎週一回の入門講座を開催した。学生唯研は、マルクス主義と唯物論の原則性と党派性の確立の旗の下に展開されてきた大阪唯研の輝かしい伝統と理論的成果に導かれ、理論的関心と理論水準を不断に高め、古典を研究し、実践が提起する理論的諸問題に真剣にとりくみ、反動イデオロギーや修正主義との非和解的思想闘争を展開するための基本レールを、この一年間の活動を通して、敷くことができた。
 これらの諸達成は、青年同盟の結成へ向かっての力強い前進であり基礎がためである。それは、着実な第一歩がすでに踏み出されたことを示すものである。それは、近い将来の青年同盟の結成のための確実な保障となるものである。それゆえ学生同盟に固有の任務を果たすことによる民学同の学生同盟としての独自的強化と発展を今日かちとることなしに、明日の青年同盟の結成と強力な発展を獲得することはできない。
 青年同盟結成の必要性を力説するわれわれの主張は、学生運動と労働運動の連帯と統一、民主主義の徹底と根本的な社会変革をめざす学生の活動と青年労働者の活動の有機的結合、そこにおける労働者階級の政治的ヘゲモニーの貫徹を目的意識的に追求するものである。それは、学生同盟の発展と、その独自的活動の任務を青年同盟の結成へ依存させたり、解消させたりする見解とは全く無縁でありあいいれないものである。また、それは学生の孤立した「政治活動」を主張するエリート主義や一揆主義とは根本的に相反するものであり、それを必然的に助長しまた生み出す一源泉としての、労働者階級の政治的任務の否定論や、組合主義的経済主義、また労働者階級政党の任務の一貫した回避を徹底的に批判するものである。だから、われわれは、狭隘な特殊な関心に基く学生同盟のひきまわしに抗して、また政党の任務の同盟への押しつけと解消に抗して、一貫して闘わねばならない。


 資本主義世界は、全般的危機の「新しい局面」に入った。過剰生産恐慌の頻発とその著しい深刻化、その下でのとどまるところをしらないインフレーション、慢性的な国際通貨危機、 「エネルギー危機」、帝国主義の途上国にたいする搾取支配体制の危機、資源をもたない発展途上国の深刻な構造的危機、貿易戦争のかつてない激化これらの全世界的な同時的な進行、勤労者の精神的文化的・社会欲求の増大と、その実現との一層の乖離、などによって戦後の国独資の体制は根本から揺るがされ、社会的階級的矛盾はかつてなく激化している。全世界の労働運動が共通して主張しているように、 危機はそれの内容をなす総ての環の構造的な連関においてとらえなければならないのであり、この危機からの根本的な「出口」は、「社会主義革命以外にはない」。日本における階級闘争の発展、労働運動・人民運動の真の前進なしに、危機からのわが国だけに特殊な「活路」があるかに考えるのは、全くの幻想である。
 日本資本主義は、戦後最大の過剰生産恐慌におちいっている。鉱工業生産指数のおちこみはかつてねく長期にわたり、総ての生産部門をとらえ、その進行はかつてなく加速度をつけ、その深さは戦後最大である。完全失業者は、政府の作為的な統計によっても、一二〇万を越えている。その実数は数倍におよぶと考えなければならない。解雇、一時帰休、時間短縮、賃金カット等による資本の攻撃は労働者をおびやかしている。インフレによる大衆収奪と結びついて実質賃金の低下と絶対的窮乏化の進行は否定しがたいものとなっている。新規採用の取消、ストップ、初任給の抑制等、雇用条件の急激な悪化は、学生と青年の未来をおびやかしている。中小企業の倒産の激発は、労働者階級のみならず、中小の資本家階級をおびやかし、小所有者の全体をかつてなく不安に陥れている。
 労働運動と人民運動は、六〇年代の「高成長」の時代とは本質的に異なった、きびしい諸条件の下で闘われようとしている。独占資本とその政府は、一体となって先制攻撃を加え、恐慌の犠牲を労働者階級の上に集中しようとしている。春闘にたいする彼らの政策はインフレ抑制のみせかけのもとに賃金の抑制と切下げを敢行することを主要な攻撃目標としている。統一地方選挙にたいする彼らの政策は、基本的に中央政府と資本による地方財政の食いつぶしが生み出した地方財政の危機を、公務員労働者への攻撃とその犠牲によって、また同和対策と福祉政策の犠牲によって切り抜けることに重点をおいている。公務員労働者に民間労働者をけしかけることをはじめ人民内部の対立と分裂を煽動するデマゴギーが動員されている。
 しかし恐慌の深化は、同時に、その犠牲の分担をめぐる支配階級の内部の諸矛盾、独占と非独占の間の、および独占内部の矛盾をいちじるしく激化させている。金融引締めか緩和か、どの部門とどの独占体への緩和かをめぐって、また、総資本の利害と個別独占資本の利害が鋭く対立する「独禁法」改正をめぐって、支配層の諸分派の対立と闘争が深化している。支配階級は、選挙民の自民党からの大量的離反をともかくもくい止めるために、少数派閥出身の「クリーン三木」を総裁の座にすえることによって、かろうじて保守党の統一を保っている。革新陣営が田中内閣に対する攻撃を単なる”金脈”の追及と批判に終らせたがために、支配階級はその圧力を自民党の粛党運動に収飲させることによって、かろうじて政府与党の分裂をくいとめることができたのである。しかし、このような情勢のなかで、自民党内部の抗争は、深刻化の一途をたどっている。三木は、まったくの飾りものにすぎない浮き上がった存在であり、自民党の諸機関とそれを牛耳る各派閥領袖の勢力均衡によって実質的な操作を受けている。三木が国民大衆を操作するためのマヌーバーとして提起する口約束は、独占と支配階級の露骨な利害要求によって、すべて骨抜きにされようとしている。三木は、いまのところ「革新」陣営の議会主義的幻想とそれに基づく内部抗争と、危機感による財界の「統一歩調」によって救われている。しかし、激化する支配階級内部の対立と分岐は、恐慌の犠牲の転嫁に対する労働者階級を先頭とする人民の統一された大衆的闘争が、独占の総需要抑制政策、恐慌を利用した人民の生活水準の切下げ政策にたいして、真正面から対決する時には、必ずや顕在化し、自民党による政治的支配の危機を生み出さずにはおかない。
 いまこそ労働者階級と人民大衆は、雇用の保障と増大、それに必要な拡大政策への転換、一系列の反恐慌政策の実現を掲げて闘うことが必要である。そのためには、独占の利益の制限と削減、系統的な国有化と民主的統制のみならず、それとあわせて反独占人民政府の樹立を提起して闘うことが不可欠である。しかし、共産党は、これまでからの民族主義と議会主義=選挙第一主義に基く改良主義の誤りの上に「政策不況」論に立って恐慌の現状認識を意図的に回避し、日本資本主義の矛盾の深刻さを隠ぺいしている。社会主義政党の中には、循環局面と経済政策に関する科学的具体的分析の欠如から政策的動揺と混乱が根強く存在している。労働者階級の七五年春闘は、客観的情勢のかつてないきびしさと、その下での支配階級の攻撃に加えて、自らの指導部の政策的立ちおくれと根本的な誤謬により、異常に困難な状態におかれている。
 日本の労働運動と人民運動は新しい試練にかけられているのである。労働者階級とその思想的、理論的指導者の革命的で戦闘的な最良の分子の結集した力が、根本的な反独占政策の確立とそれに基づく広範な統一戦線結成への手がかりを一刻も早く見出だすべく、目的意識的な活動を集中することは、大衆運動と日本の社会的発展の客観的な要請である。


 民青とそれを指導する共産党が議会主義=選挙第一主義、改良主義に陥り、支配階級とその政府との政治的対決、深刻で激しい政治闘争の提起、広範で大衆的な全国闘争の組織を一貫して回避していることは、学生運動においても、本格的な大衆的政治闘争を組織することを著しく困難にしている。このような傾向は、ごの一年間にますます進行し、学生大衆の遅れた部分へ追随する日和見主義、身近な諸要求主義、卑俗な経済主義を、学生運動の根深い誤りとして夢延させている。
 日本労働運動に根深く作用している経済闘争の政治闘争からの切り離し、全国民的政治的課題の組合運動の課題への解消などの誤った方針は、労働者階級が広範な人民大衆と連帯して、自らの生活の諸条件を防衛し、改善するための闘争を、根本的な社会変革の展望と結合して闘い抜くことを防げている。
 この数年来、これらの条件は、かつてのベトナム闘争、安保闘争、大学闘争、沖縄闘争などにおいて見られたような広範な大衆的学生運動の政治的高揚を困難にしている基本的条件のーつである。
 極端なインフレーションの進行、恐慌の進行、それらによる勤労諸階級の絶対的窮乏化は、学生の生活諸条件を根底から破壊しようとしている。私学の莫大な学費はすべて事実上勤労諸階級の大衆の子弟の上に耐え離いまでの負担となってのしかかっている。六〇年代末の全国学園闘争以降急速に進行した大学の反動化とそのしめつけの重圧は、学生大衆の自由な思想的政治的成長を著しく妨げている。このような条件のもとでは学生生活の物質的諸条件の極端な悪化は、一方では学生運動の発展の客観的基礎を拡大すると同時に、他方では学生の政治的理論的な視野を著しく狭隘なものにし、社会変革と民主主蕊の徹底した発展への確信ある展望を形成することを著しく妨げるものとなっている。非合理主義と反動イデオロギーの支配的影響下に誕生したニューレフトの諸潮流といわゆる「トロツキズム」の諸党派は、支配階緞とその政府との政治的な対決点を見出せず、変革の客観的・具体的方針を提起し得ていない。彼らはこの一年間にこれまでからの根本的に誤った傾向を極端なまでに押し進めた。部落解放運動の利用主義(「解同かくれみの路線」)、陰惨で残虐な内ゲバとテロ活動の日常化、爆破活動の頻発は、彼らの活動の主要な形態になっている。彼らの誤謬の国家権力による利用は、アナーキズム的傾向のなかからファシズム的傾向が成長してくる危険な徴候を示している。
 今日ほど民学同の組織活動を強化する必要性が強まっている時はない。そのためには全同盟員が指導部のまわりに固く結集して全機関、全同盟員が一体となった有機的活動を展開しなければならない。
 これまでのわれわれの活励は、中央指導部の強固な指導力をすでに確立している。この指導部の力を同盟全体のものとして生かし、同盟の組織活動の全体を真に戦闘的な組織にふさわしいものにするためには、民主集中制の原則を断固として強化しなければならない。われわれは小ブル的、傍観者的な動揺と無責任とをあらわすサークル主義やサロン主義の潮流からきっぱりと手を切らなければならない。
 今日の、かつてなく困難できびしい客観的・主体的諸条件が民学同の組織的活動強化とそれに基く大衆的な政治的指導力の画期的な強化を要請している。われわれは困難な諸条件や誤った政治的指導が学生の中に持ちこむ停滞したムードやペシミズム、その裏返しとしての主観的はねあがりに抗して、表面的な現象に幻惑され、あるいは大衆の遅れた意識に迎合することなく、それらの背後にある真の大衆的要求とその基礎にある変革の客観的な諸条件に基いて、真に広範で戦闘的な大衆的学生運動を組織し、指導しなければならない。
 われわれは、それを基礎として、そのうえにたって闊うことのできる足場をわれわれの闘争の成果としてすでに獲得している。この一年間に学生運動に闘争課題として提起された重要な問題のすべてについて、われわれは着実な、現在の条件の下では誇るに足る前進をとげ、確固たる橋頭堡を築いている。
 昨年の被爆29周年原水禁大会において、民学同とのO・Bおよび青年労鋤者によって構成されたわれわれの代表団は、原水禁運励の原則的統一の路線を確立する一っの原動力になった。共産党と原水協が反ソ民族主義に転落し、それを一層深めている現在、モスクワ平和勢力世界大会の成果とその基本線に従って首尾一貫した活動を展開した部隊は、「日本のこえ」を含む数少ない人々とわれわれの代表団だけであった。
 この部隊の大会での活動と努力は、核防批准、全面核停の実現、アジア集団安保体制の達成、独自核武装阻止、被爆者援護法の制定の正しい方針を大会決議のなかに一定限度盛りこませる成果をあげた。平和パンフレット発行の活動をふくめてわれわれは今後この方向を一貫して追求していかなければならない。
 今年の三・一ピキニデーの統一集会は、一面において「統一行動が分裂を深める」という共産党の従来の主張が世論によって否定されたということを示すものである。しかし、そのスローガンが核兵器「全面禁止」にのみ限定されたことは、運動方針の抽象化でありまた共産党の主張してきた「拒否権」が「満場一致」方式として承認されたことは、排除の論理への屈服に他ならない。これを原則的統一への突破口と考えたり、運動の統一への一歩と考えたりするのは全くの幻想である。われわれは具体的で現実的なスローガンにもとづく統一行動をつみ上げることにより、この運動の原則的統一のために闘わねばならない。
 理科大、関大、奈良女大等で特に強力に押しすすめられた学費闘争は、各大学で広範な大衆運動を構築し、多大の成果を収めただけでなく、一定の全国的な影響力を発揮しえた。理科大、東洋大、関大等の私学のモデル的大学でかちとられた大衆的な高揚は、全国の戦闘的で良識ある学生の勇気を鼓舞すると同時に、支配階級の私学政策にたいし一定の打撃を加えるものであった。われわれは、私立大学、国公立大学の系統的な学費値上げの大波を前にして上記の大学でたたかわれた闘争の教訓を生かし、学費値上げ反対闘争の全国化と私立、国公立の統一した反対闘争の組織化に全力を傾注しなければならない。
 狭山闘争は、石川氏の完全無罪判決と即時釈放をかちとるための闘争であるだけでなく、部落解放運動にたいする官憲の弾圧と司法の反動化の傾向にたいして反撃を加えるものであった。それはまた同時に日本共産党の解同主要打撃論(「解同とたたかうかどうかが革新の試金石」)にたいして痛撃を加えるものであった。われわれは部落解放運動の原則的で正しい発展と強化のために今後一貫して努力を傾注しなければならない。
 AF2閾争が開始されたことは、環境変異原AF2がもつ現在と未来の国民と人類の健康に及ぼす致命的な影響力を明らかにし、その開発に数学部(医・工・薬・基礎工等)にわたる研究陣が系統的に参加した阪大の研究体制の責任、および国家行政当局(厚生省)と製薬資本(上野製薬)と食品加工産業、大学研究機関との密接な結合関係を批判するものとして、きわめて大きな先駆的意義をもっている。ようやく戦端が開かれ、本格的蹄争にはいろうとしているこの闘争に対して、われわれはすでにかちとられた消費者運動、研究者運動との連帯を強化しながら、大学闘争の継続と新しい発展としてこの闘争を強力に展開し、75年の大衆闘争の成果として結実させ、同時にAF2類似物質(環境変異原)の禁止への足がかりとしなければならない。
 「デモクラート」の定期的発行はすでに獲得されている。それによって各同盟員の組織的・実践的活動にたいしては、現実的で具体的な方針の提起と政治的指導が確固として保障されている。われわれは各同盟員一人一人の努力によって機関紙を真の意味における宣伝者、扇動者、組織者として活用するようにしなければならない。各支部の活動の機関紙への集中と、各支部の配布集金体制等の面での抜本的な改善が、今年の課題として各同盟員にたいして提起されているのである。
 われわれは、結成趣意において、平和と平和共存、反独占民主改革のための闘争をおしすすめるうえで系統的で具体的な方針をもち、規約の民主集中制の原則において、そのための組織活動の保障をもっている。わが同盟からその基礎にある強固な世界観的一致、思想的統一性を意識的に排除し、抜きとり、民学同の活動を単にあれこれの「具体的」な問題や特定の局面における部分的で一時的な意見の一致にのみ基く「統一戦線」的活動、あるいは、雑多な思想をもつ「活動家集団」の水準にまで引き下げるものは、民学同の組織を内部からほりくずし、組織解体を招来するものである。
 われわれは、われわれの運動と組織活動の正しさ、われわれの方針の正しさとその現実的な力に確信をもって新しい前進をかちとらなければならない。組織的実践的活動を通じて得られたわれわれの確信、闘争への意欲と決意は、思想的理論的活動の一層の強化によって真のものとされなければならない。古典的諸著作ーマルクス、エンゲルス、レーニンならびに彼らによって最高の遺産が継承されている人類史上の偉大な思想家たちーの系統的で真剣でねばり強い研究、国際的な綱領的な諸文献、マルクス主義の現代における原則的で正しい発展を示す理論的諸成果の系統的で真剣でねばり強い研究、これらを通じてわが国における社会変革と社会主義の実現への具体的展望について不動の確信を獲得しなければならない。「革命的理論なくしては革命的運動はありえない。流行の日和見主義の説教と実践活動のもっとも狭い形態への心酔とが抱合しているような時代には、どれほどこの思想を主張してもしすぎることはない。」このような日常不断の研究活動の強化を抜きにしては、支配的イデオロギーとふりそそぐ小ブルジョア的イデオロギーとマルクス主義の卑俗化による運動の歪曲と混乱から運動と大衆の真の莉益を防衛することはできない。また、現にわれわれの内部にもあらわれている諸種の弱点と限界を克服し、民学同の組織をしっかりとした思想的理論的基礎の上にのせることはできない。理論的関心を不断に高め、理論水準を不断に高めることの今日における特殊な重要性を自覚し、理論活動のための時間と体制が組醗的に保障されなければならない。


 昨年の大会で提起され、O・Bによってすでに着手され、促進されてきた青年同盟結成のための精力的で忍耐頭い努力には、一部の人々から持ちこまれた、政策上、理論上の原則的に誤った見解、方針のために、新しい困難と障害が設けられている。それは次の基本的な諸論点に及んでいる。
①全般的危機の「新しい局面」の理解および、その「活路」。
②今日の循環局面の具体的規定とそれに対する労働運動、人民運動の方針。
③平和と平和共存のための闘争と広範で深刻な社会変革のための闘争の関係。
④反独占民主主義のための闘争と社会主義革命および労働者階級のヘゲモニーの関係。
⑤闘争の根本的・長期的目標と当面の大衆闘争の具体的方針との関係。
⑥前衛政党、労働者政党の原則的な政治的指導の確立と統一戦線の結成の問題。
⑦日本の前衛政党の原則的逸脱、民族主義、議会主義への転落を批判する基本的観点。
⑧議会主義と労働組合主義の必然的な内的連関と「中道政権」の評価。
⑨支配階級内部の矛盾と、資本家階級と労働者階級の基本的矛盾の関係。
⑩帝国主義諸国間の矛盾および今日の国際関係の全体におよぼす両体制間の基本矛盾の影響。
⑪日本におけるマルクス主義の思想的理論的危機の現状認識と修正主義批判の意義。

 これらの問題についての誤った理解や一面的理解は、その本質において、あれこれの特定の諸個人のものではなく、学生運動、青年運動の実践の中に一貫した系統的なものとして現われ、運動の統一と発展にとって非常な危険をもたらしている。それは、青年同盟結成に不可欠の前提条件、同盟の基本的性格、同盟結成への道すじなどに関して原則的な理解や態度をとることを妨げ、混乱した無責任な態度を生みだす底深い理論的・思想的源泉となっている。
 これらの問題についての真剣で熟心な研究に基づく原則的で正しい解決なしには、学生同盟、青年同盟の確固たる政策的・理論的基礎の確立と大衆運動の力頭い発展はあり得ない。
 

 民学同の十年の活動とさらにこの一年の活動は、次のことを示している。すなわち、われわれが思想的・理輪的確信をうち固め、機関紙に導かれて目的意識的で強力な組織的活動を展開するならば、わが同盟の発展はゆるぎないものであり、民学同が、世界平和のための、わが国の社会変革と民主主義の徹底のための闘争場埋において現実的な推進力どなり労働者階級と広範な人民の統一戦線の一翼を担いうるものであることを示している。同盟員諸君!確信と熱意と勇気と忍耐とねばり強さをもって新しい組職的前進をかちとろう!
 指導部のまわりに堅く結集し、民主集中制に基づく堅忍不抜の強力な組織的活動を展開しよう!
 真に戦闘的な大衆的学生運動を組織し、学生戦線の統一を実現しよう!
 労働運動の発展と堅く結合した、戦闘的で真に革命的な学生運動を組織しよう!
 

1、春闘労慟者と連帯し、学生生活を支配階級の攻撃から守り抜こう。
●国公私学一斉学費値上げ阻止。勉学に専念できるだけの奨学金の必要者全員への貸与。
●私学経営・管理の民主化ー私学への国庫助成の抜本的拡大。文教予算の拡大。私学振興財団法即時廃棄。
●公共料金の凍結。家賃・生活必需物資価格の凍結。
●独占価格の原価公開と価格統制。
●雇用保障と雇用の増大のための拡大政策への転換。公共住宅建設を中心とする公共投資の拡大。法人に対する強累進課税。独占の利益の制限と系統的な国有化。国公営企業の民主的統制。

2、政治反動への大衆的反撃を組織しよう。
●「刑法改正」阻止。司法反動との対決。狭山闘争勝利。統一地方選挙勝利。スト権処分反対。

3、平和と平和共存のための大衆的活動を強化し、アジア集団安保体制を実現しよう。
●核防条約即時批准。被爆者援護法の即時制定。原水禁運動における統一行動の積み上げと原則的統一の実現。大衆的平和組織の活動強化による原水禁国民会議の原則的強化。
●南ベトナム臨時革命政府の即時承認。パリ和平協定完全実施。
●日ソ平和条約の締結、すべての社会主義国との国交樹立。対社会主義貿易と経済料学協力関係の拡大。
●四次防計画の中止。五次防阻止。軍事費の削減。
●アジア反共軍事政権への援助の打切り。新植民地主義的資本輸出反対。

4、大学の民主的改革を闘いとろう。
●新「大管法」策動粉砕。大学における反動的寡頭支配体制の打倒。無責任研究・教育・行政体制の粉砕。「産学」協同体制の粉砕。

5、公害、環境破環に反対し、人類の生存と健康を守ろう。
●AF2類似物質(環塙変異原)の製造・使用禁止。
●原発・再処理工場建設反対。被爆許容量の引下げ。

民学同第14回大会万歳!
学生と青年労働者の緊密な連帯万歳!

カテゴリー: 歴史, 民学同, 運動史 | 組織活動強化に関する決議案 (デモクラートNo63) はコメントを受け付けていません

【資料】大阪市大支部総会上申書(1975年3月25日)

市大支部総会での確認事項及び中央委・常任委員会への上申書(1975年3月25日)

(1)3月11日、12日の第7回中央委員会で提起され、論議された第14回全国大会第1次草案、並びに「組織活動強化に関する決議」について、市大支部では支部委員会を先頭に班会議、総会を通じて活発な論議を行ない、その検討を行なってきた。しかしながら、3月25日、支部総会において、常任委2名の同志によって配布されたデモクラートNo62は、この間、我々が支部全体をあげて進めてきた論議の過程の一切を無視し、否定するものであった。
(2)デモクラートNo62は、その「主張」の中で、「流行の日和見主義、改良主義ときっぱりと手を切り、組織活動強化に関する特別決議を全員一致で採択し、民学同の隊列をうち固めよう!」と呼びかけている。その内容は、実質的に、又文章表現においても、7中委草案「意義と任務」「組織活動強化に関する決議」を継ぎ合わせたものであり、それは、未だ中央委員会においても論議すらされていない内容を含んでいるし、勿論結論も出されていない内容である。
 当日の常任委員の同志の発言によると「組織活動強化に関する決議」は、”常任委員会で一致して下部討議にまわしているものであり、デモクラートNo62についても常任委員会で一致した見解を発表して、何が悪いのか”ということであった。しかしながら、たとえそれが常任委員会の一致した見解であったとしても、同盟の全国大会から全国大会までの間の最高決定機関は、中央委員会であり、とりわけ、その内容が同盟の組織問題に密接に関する問題を多く含んでいる以上、我々は、まず、中央委員会でそれらの問題の論議がなされるべきであり、そこで、一定の結論を見ないまま同盟機関紙にそれが発表されるということは、重大な組織運営上の誤りであると考える。(又、大会草案は、本来全国大会で採択されはじめて、全同盟のものとなる性格のものである。)
(3)しかも、その内容たるや「危機の到来とその下で大量の修正主義、日和見主義が発生し、我々の内部にも入り込んでいる・・・」と書かれる時、事態は更に深刻である。それは、まことに修正主義、日和見主義と規定されるような問題や事象が存在するならば、まず、その実態を我が同盟の内部で徹底して解明し、中央委員会はじめ各級機関で徹底した集団討議にかけ、その下で、はじめて克服の方向を確立しうる性格の問題だからである。そうした組織内民主主義に基づいた論議を公然と組織せず、単に常任委員会見解として、レッテルを貼るだけでは、決して「修正主義」、「日和見主義」は克服しえない。それは、それらの諸問題を解明し、中央委員会に提起し、解決への組織的活動を保障していく常任委員会としての任務の放棄である。
(4)更に、それが組織内通信として発表されるならまだしも、大衆の宣伝、扇動組織者としての機関紙上に発表されるに至っては、全く我が同盟の信頼を、対外的にも大衆的に失墜せしめるものである。
(5)更に、主張にとどまらず、No62の記事は、小野義彦氏に対する公然たる名指しの批判を行なっている。これは、現在の「知識と労働」No10をめぐって展開されている論争に対し、「政策論議を中心に問題を解明していく。公然たる同盟としての見解を出すまでには至っていないが故に同盟としての見解がまとまるまで、機関を通じての学習会等はやらないように」との7中委での確認に反している。そればかりか、その問題について、小野氏が、同盟の創立以来、援助と協力を惜しまず、我が同盟の発展に少なからぬ寄与をなされてきたという現在までの関係からも、その批判の内容がきわめて我が同盟の基本路線、平和共存、反独占民主主義、学生運動の統一に関わる問題である以上、まずもって中央委員会を中心として徹底して論議され、結論を下していくべき問題である。しかも、それが、現在発生している同盟の組織問題と深く関わっているが故に、更に慎重な配慮が必要であったはずである。組織内での論議の展開すら行なわれていない段階で、そう言った記事が同盟の見解として載せられることは、組織内民主主義の全くの破壊であり、きわめて、組織的な混乱をもたらすものである。
(6)以上のような諸点から、我々は、デモクラートNo62に関して、その撤回を要求する。かかる同盟内民主主義の破壊の上に編集され、しかも、我が同盟の見解として確立されてもいない見解を掲載しているデモクラートNo62を、我々は、大衆に販売することできない。同時に、我々は、このデモクラートの編集の手続き過程を明解にすること、その責任の所在を明確にすることを要求する。更に、同盟の組織問題、混乱の原因を明確にし、その克服の方向を明らかにしていく上でも、大会草案の内容を高め、更に豊富化し、具体化していくためにも、中央委員会を先頭として、各級機関での徹底した論議を行なうための組織的保障を確立することを要求する。
 又、25日、支部総会での論議の過程で出された疑問点を列挙し、それに明確に答えられるよう要請する。
①デモクラートNo61に掲載された「解放研運動の課題と任務」の記事について、GC、常任委員会での論議を経て、その記事に「多くの誤り」が指摘され、確認されており、次の機関紙に、その訂正を含め「解放研運動の課題と任務」についての原則的な記事を載せることが確認されていたにもかかわらず、No62にそれがないのは何故か?
②主張記事の中で、なぜ、市大学費闘争の評価が触れられていないのか!?
③知識と労働No10について「機関を通じて学習会等をするな」との確認が、7中委でなされていたにも関わらず、阪大、学大等で学習会が行なわれているのは、どういうことか?
④デモクラート編集体制は、どのようになっているのか?!

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 【資料】大阪市大支部総会上申書(1975年3月25日) はコメントを受け付けていません

【主張】第14回大会を成功させ、民学同の飛躍的発展を(デモクラート 62号)

【主張】第14回大会を成功させ、民学同の飛躍的発展を(「デモクラート」62号)

デモクラート62号主張  1975年3月24日

デモクラート62号主張
 1975年3月24日

 第14回同盟全国大会は、学費闘争の燃えあがる炎に明らかなように、日本学生運動が大きく発展しようとし、全国学友が我が同盟の新たな前進に熱意を持って注目し 、それに応える全同志の意気盛んな活動の雰囲気の中で開かれようとしている。
 第13回同盟全国大会以降一年間、我々は、平和と民主主義、学生運動の統一と発展をめざす闘いの中で、数々の成果を勝ちとったことを確認することができる。
同時に大会は、資本主義の全般的危機が新たな局面に突入し、階級闘争の激しい高揚の時代を迎えようとする時に開かれようとしている。恐慌下において、労働者階級の不満は増大し春闘を中心に闘う労働者階級の闘いは青年労働者を中心とした戦闘的な闘争を創出しながらも、政府独占の露骨な攻撃と、日共(代々木派)に代表される政治指導都の弱さの中で大きな試練に立たされている。
 学生運動のみならず、反独占勢力の一翼を担う我が同盟の発展はいつにも増して重要であり、今大会において獲得される政策に基づく闘いを通じて、学生運動の飛躍的前進へ大きく貢献しなければならない。
 今大会において、とりわけ以下の方針に十分な検討と全同志の努力をかたむける必要がある。それは第一に国公私学学費値上げが予定される現在、学費闘争の方針を確立することである。第二に、原水禁運動の無原則的統一が再び活発となり、日本平和運動が国際的に克ち取られた諸成果を正しく継承して闘えていない現在、学生平和運動の強力な一翼を担うための方針を確立することである。
 この一年間の民学同の活動とその間の内外の諸情勢の 発展は、前大会の決議の基本的な正しさとそのうえに立った民学同の組織的活動の一層の強化の必要性を示している。
第十四回全国大会の最も重要な意義は、中央委員会から提起される「組織活動強化に関する特別決議」を採択し、全同盟員が中央委員会の旗の下に固く団結して、情勢の発展が要求する新たな政治的組織的任務の目覚に基づき、その解決へ前進するための不屈の組織活動を展開する共通の意志を確認することにある。
 第十三回全国大会は、民学同の十年間の活動を総括しそのうえに立って、青年同盟の結成の意義を大会決議のなかで確認した。この大会決議と大会の成功は、多くの民学同OBとそのまわりに結集した労働青年を鼓舞し、大いに勇気づけるところとなった。十三回大会以降この一年間に民学同とそOB、およびそのまわりに結集する青年労働者との結合は新たな前進をかちとり、一定の有機的関係を確立するに至っている。
 その結果、機関紙「デモクラート」の編集体制の確立と強化、定期的発行体制の実現、紙面の画期的な充実とそれによる理論的思想的政策的指導力の画期的増大、配布網の拡大と読者層の著しい増大という画期的成果が生み出されている。平和運動の分野では「デモクラート」を通じて、平和共存と完全軍縮のための国際主義的路線を系統的に宣伝し、平和に対する確信とそのための行動の重要性を一貫して訴え青年労働者、学生層に定着させてきた。O・Bの協力を得て飛躍的に増大した平和運動分野における活動の強化は、大衆行動の分野にも発展し、日本における平和共存と完全軍縮への前進に寄与し、平和運動と原水禁運動の原則的統一に、その路線と改革に少なからぬ現実的影響力をもつにまで至っている。
 われわれは、理論的思想的活動の領域においても研究会活動を強化し、とりわけ大阪学生唯物論研究会の活動を画期的に強化することに貢献した。それは、今日までマルクス主義の原則性と党派性の擁護、確立の旗の下に精力的な活動を展開してきた大阪唯物論研究会の全面的援助と指導の下に実現された。そのことを通じて理論的関心と水準を不断に高め、古典を研究し、実践から提起される理論的諸問題に真剣にとりくみ、反動イデオロギーと種々の色あいの修正主義との非和解的闘争を展開していく基礎をうちかためることができた。
 民学同の第十二回大会で確立された甲央委員会の指導力は、この一年間さらに強化された。それはいま明らかにした成果とともに、この一年聞の大衆的で戦闘的な運動を各戦線、各大学で展開することができたことの中に端的に示されている。原水禁世界大会において、モスクワ平和勢力世界大会で確認された基本路線に立った首尾一貫した活動、原水禁運動の原則的統一のための精力的な闘争を展開したこと、東理大、東洋大、関大、奈良女大等において広汎で強カな学費学園闘争を組織し、多大の成果を収めたこと、狭山差別裁判に反対し、司法の反動化と日共の解同主要打撃論に抗して石川氏の完全無罪と即時釈放をかちとるための闘争を学生部隊として最も原則的大衆的に展開したこと、市大工学学都における3.16闘争を完全勝利へ導いたこと、阪大におけるAF-2闘争の開始と前進等がそれである。
 われわれは、われわれの運動と組織活動の正しさ、われわれの方針の正しさとその現実的力に確信をもって新しい前進をかちとらなければならない。また実践的活動を通じて得られたわれわれの確信、闘争への意欲、決意は、理論的・思想的活動の一層の強化によって真のものとされなければならない。このことは現在、いくら強調しても強調しすぎることはない。危機の到来とその下で大量の修正主義、日和見主義が発生し、われわれの内部に入りこんでいるとき、それはより一層の重要性を与えられているのである。資本主義世界は「全般的危機の新しい局面」に入った。過剰生産恐慌の頻発とその著しい深刻化、その下でのとどまるところを知らないインフレーンョン、慢性的な国際通貨危機、「エネルギー危磯」、帝国主義の発展途上国にたいする搾取支配体制の危機、貿易戦争のかつてない激化、これらの全世界的な同時的進行、などによって戦後の国独資の体制は根底から揺がされ、社会的階級的矛盾は、かつてなく激化している。日本資本主義もその例外ではない。この危機からの根本的な出口は「社会主義革命以外にはない」のであって、日本における階級闘争の発展、労働運動、人民運動の真の前進なしに、この危機からの我が国だけに特殊な「活路」がある、と考えることは全く幻想であるだけでなく、社会階層的矛盾を隠蔽し、階級闘争を放棄し、労働者階級に独占資本に対する「小さな改良、まだるっこい危機対策」での妥協と屈服を説く点で最も犯罪的である。
 日本の労働者階級の七五年春闘は、客観的情勢のかつてない厳しさとその下での支配階級の攻撃に加えて、自らの指導部の政策的立ち遅れと根本的な誤り—-議会主義、改良主義、卑俗な経済主義と労働組合主義によって異常に困難な決態におかれている。学生運動もこのような困難と無関係ではありえない。民青とそれを指導する共産党が、議会主義、選挙第一主義、改良主義、民族主義におちいり、支配階級とその政府との政治的対決、深刻で激しい政治闘争の提起、広汎で大衆的な全国闘争の組織を一貫して回避していることは、学生運動においても本格的で大衆的な全国的政治闘争を組織することを著しく困難にしている。この一年間このような傾向は、ますます進行し学生大衆の遅れた部分に追随する日和見主義、身近な諸要求主義、卑俗な経済主義を学生運動の根深い誤りとして募延させている。こうした困難に拝脆し、あるいは無関心になり、社会変革と徹底した民主主義のための闘争を目的意識的に、粘り強く大胆に提起して組総することを放棄して、民学同の活動をサークル活動や学習会運動、狭い限定された実践的活動のみに解消する誤まった右翼日和見主義傾向は組織活動の面では、下部の班活動を解体し、分散主義と民主集中的指導に対する「批判の自由」の要求となって現れ、理論的思想的活動の分野では、修正主義思想との非和解的な闘争を回避し、調停するという無条件に誤った考えとなって現れている。だが、「ただ近視眼的な人間だけが、党内論争や、色あいの厳密な区別だてを時宜に適さないとか、無用なことだとか考えることができる」(何をなすべきか)のであって、われわれはこのような誤りを断固として克服して、民学同の組織活動を強化する必要に迫られている。今日のかつてなく困難できびしい客観的、主体的条件が民宇同の組織活動の強化とそれに基づく政治的指導力の画期的な強化を要要請している。
 組織活動の強化、それは決っして官僚主義的な組織の締め付けや行政的組織運営を意昧しない。それは、原則的な理論と政策によって、全同盟員のそれへの確信によって真に有効なものとなり、組織活動の強化が達成されるのである。
 全国の同盟員諸君!第十四回全国大会で、流行の日和見主義、改良主義ときっばりと手を切り、組織活動に関する特別決議を全員一致で採択し、民学同の隊列をうち固めよう!   中央委員会の旗の下に固く団結し、不屈の学生同盟を建設しよう!

※太字強調は、佐野秀夫によるもの。

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 【主張】第14回大会を成功させ、民学同の飛躍的発展を(デモクラート 62号) はコメントを受け付けていません

【資料】民学同第13回大会・第7回中央委員会報告(1975年3月11・12日)

【資料】民学同第13回大会・第7回中央委員会報告(1975年3月11・12日)

<意義と任務>

 全国の同志諸君
 第14回同盟全国大会は、学費闘争の燃えあがる炎に明らかなように、日本学生運動が大きく発展しようとし、全国学友が我が同盟の新たな前進に熱意を持って注目し 、それに応える全同志の意気盛んな活動の雰囲気の中で開かれようとしている。
 第13回同盟全国大会以降一年間、我が同盟は、日本学生運動の中核部隊として闘争を牽引してきた。
 学費闘争を中心に教育学園闘争において、学園ストを背景に学費問題を社会問題化し、大衆的な学友の決起と政府文部省、私学資本を追いつめる基盤を拡大している。
 平和運動においては、原水禁運動の無原則的統一がなし崩し的に運動内部に持ち込まれている中にあって原則的統一を断固として推進し、国際的に勝ち取られた成果を発展させ、日本平和運動の方向を明示し、運動を展開する大衆的学生平和運動の文字通りの推進部隊となっている。
 狭山学連を中心に各大学における部落解放研運動の発展を基礎に狭山闘争を展開し、その中で大阪解放研連協を結成した。
 同時に大会は、資本主義の全般的危機が新たな局面に突入し、階級闘争の激しい高揚の時代を迎えようとする時に開かれようとしている。
 資本主義を襲っている深刻な恐慌は、国家独占資本主義が繰り延べ激化させてきた諸矛盾の爆発がさし迫っていることの顕著な表現である。
 イタリアの中道政権の危機に象徴的に示されるように、資本主義国の労働者階級の闘いは反独占的変革から社会主義への道を着実に歩んでおり、民族解放闘争も大きく前進している。
 社会主義世界体制の政治・経済・軍事の強化と平和の為のイニシアティブは決定的なものとなっており、こうした階級闘争の合流結合の中で平和共存とデタントの前進は不可逆的なものとなっており、帝国主義者の策動は、集団安保体制の確立へ着実に前進している。
 国内において、春闘を中心に闘う労働者階級の闘いは青年労働者を中心とした戦闘的な闘いを創出しながらも政府独占の露骨な攻撃と日共(代々木派)に代表sれる政治指導の弱さの中で大きな試練に立たされている。
 日本学生運動のみならず、反独占勢力の一翼を担う我が同盟の発展はいつにも増して重要であり、今大会において獲得される政策に基づく闘いを通じて、学生運動は大きく発展することができる。
 第13回大会以降一年の闘争総括と科学的情勢分析に基づく闘争方針の確立である。国公私学一斉学費値上げが予定される現在、学費闘争の方針を確立は急務である、大学改革綱領第一次案で獲得された諸原則の全面的な具体化へ進めなければならない。教育負担をめぐる矛盾の激化は、年々闘争の規模を拡大させている。政府の低文教予算政策と私学資本の営利主義に対決する闘いは、予算編成期における学生の介入を不可欠のものとしている。政府の文教政策を政治・経済政策全般にわたる解明から位置づけ闘争方針の確立を全同盟あげて行なわなければならない。
 さらに、日本平和運動が国際的に克ち取られた諸成果を正しく継承して闘えず、原水禁運動の無原則的統一の動きが再び活発となっている現在、国際平和運動と連帯した学生平和運動の強力な一翼を担うための方針を確立しなければならない。
 第二に、日本学生運動の統一と発展のために果たすべき同盟の力量を飛躍的に強化し、同盟が真に学生運動の指導的中核部隊として登場しうる指針とすべき『組織活動強化に関する決議』を克ち取ることにある。
 我々は、同盟第12回全国大会において、中央委員会=全国政治指導部を確立した。中央委員会を中心とする機関活動の強化は偉大な成果をあげている。
 しかし、日本学生運動は、我が同盟の一層の飛躍的発展を緊急の任務としている。
民青「全学連」が議会的改良主義、セクト主義を徹底し、闘争の指導を放棄し、闘争の敵対者となり、トロ諸派が挑発行動を行なうエネルギーを雲散霧消させている現在、我が同盟の飛躍的発展は日本学生運動発展の保障である。

 第13回全国大会で確認された青年労働者との連帯は、機関紙、平和運動、理論的思想的分野を中心に強化されており、それらを更に発展させ、青年学生運動の統一への大道へまい進する先進的インテリゲンチャ、青年労働者の努力とともに、学生同盟の独自的強化を通じて一層の前進を克ち取らなければならない。困難な情勢の下では理論と思想の確固たる確信と正しい政策・方針、堅忍不抜の組織かつっ同が一体となってはじめて闘争勝利への展望が切り開かれるのである。
 同盟再建第12回大会以後の組織確立の成果を確認すると同時に、堅忍不抜の同盟建設の事業を全同盟的に遂行しなければならない。
 全国全同志の活発な討議を通じ、同盟第14回大会を成功させよう。

以下略
国際情勢・国内情勢・教育学園情勢・教育学園闘争総括・新大管法粉砕闘争総括・教育学園闘争方針・部落解放研運動総括、狭山闘争総括・方針・大阪解放研連協総括方針・反戦平和闘争総括・平和組織総括・平和運動方針・組織活動総括・方針

 

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 【資料】民学同第13回大会・第7回中央委員会報告(1975年3月11・12日) はコメントを受け付けていません

特集「大衆運動とマルクス主義」は何をよびかけているか

特集「大衆運動とマルクス主義」は何をよびかけているか
        学生党的傾向の克服のために
                          堺 新 一

 「知識と労働」第十号の「七四年の大衆運動とマルクス主義」という特集は、編集部内の一部の同志たちのあいだで企画され、編集会議の集団的討議にかける手続きをとらず印刷に付されたという事情から、内部でまだ十分討議されていない若干の意見の相違をいきなり公表する形となり、本誌の読者諸君にいろいろな誤解と疑惑をいだかせる結果になったことを、最初にお詫びしておかなければならない。私自身は、第十号の刊行を昨年九月に予定して送稿後九月末までシベリア経済開発見学のため訪ソしており、帰国後刊行の著しい遅延が気になり何回も編集事務局に問合せたが、遅れているのはもっぱら印刷上の都合によるものとの返事で、「特集」の編集とその十号への挿入については一切知らされていなかった。その他多くの編集委員の諸君も、本特集の企画や内容についてほとんど何も知らされていなかった。以上の経過からみて、意見の相違はかなり深く、すでに一部の組織的手段を伴っていたということが、明らかである。
 いうまでもないことだが、意見の相違を克服する方法は、徹底した集団討議以外にはない。同号の編集後記にいう“善意と熱意”があれば、この方途の復活はなお可能であろう。だが後記は 「『地獄への転落』を免れしめるものは、ただ理論と原則の力のみである」 とも書いている。察するにこれは危険である。集団討議を意識的に排除した下で展開される 「理論」と「原則」 の「力」の横行は、なにもよい結果をもたらさないだろうからである。
 同号の 「特集」が、編集部による特集の形ではなく、単なる討論論文の形で掲載され、然るべき反論 それは当然存在する と併せ編集されていたのであれば、それは一定の前向きの意義をもちえたかもしれない。若い諸君、とくに大衆運動経歴の少ない、大部分がインテリ出身の活動諸君のあいだには、最近の資本主義の危機の急速な進行に対応できないでいる既成革新政党の現状をみて、革命的前衛党待望のあせりのようなものが根強くあることは、否定できないからである。この特集はそうした気分を、だがただ気分だけを、反映している。


 特集の筆者たちが現日共指導部の議会主義的、民族主義的日和見主義の政策方針にたいして批判とバクロを加えている内容は、大体において妥当性をもっており、部分的には鋭い批判も みられないわけではない。それだけなら誰も異存はない。だが総じて批判というものは、相手をやっつけるだけでは芸のないものであり、批判の名に値しない。それに止まるなら比較的容易なものであり、破壊的効果はあっても、前向きの方向は打出されない。そこで現日共指導を否定する筆者たちは、くり返し 「革命的で、原則的な、マルクス主義に立つ前衛政党の確立」 をよびかけ強調している。だがそれは全く抽象的なよびかけにおわり、いったいどのようにしてそうした革命的前衛党を再建するのか、少くともどうしてそのような革命的指導の再建に接近するのか、そのためには何をなすべきか、その過程に当然横たわる多くの複雑で困難な諸問題にたいしてはどういう方針で対処するのか—-こうした、多くの良心的な共産主義者が直面し、模索し、試行錯誤を重ねてさえいる肝心な問題についてはなんの具体策、解決策も用意されておらず、ただ革命党の確立だけを叫んでいる。まずこの単純さ、現実離れした底ぬけの子供らしさには、まず脱帽するほかない。だが、それはこれまでも事あるたびに現われ、消えた「学生党」的傾向の再版ではなかろうか。あるいは筆者たちはいうかもしれない。 「革命的前衛党確立の必要性」 さえ訴えれば、それでこの特集の意義は十分なのだと。酒場での話ならそれでよかろう。だが「知識と労働」は、読者も同人の数もまだけっして多くないとはいえ、マルクス主義政治理論誌と銘打った全国でも数少い論壇なのだ。それを方策なしの気分や主観的願望を活字にしてヒレキする場に利用されたのでは、たまったものではない。
 特集の筆者たちは、現在の日共が完全にダメになったと否定して、それに代るべき革命的前衛党の確立をよびかけている。
 このさい、現日共の全体を否定しているのか現指導部だけを否定しているのかという重要な問題点についてのハッキリした見解は示されていない。しかし、全体の論調から察すればそれは前者であろう。いずれにしても党の確立をよびかける以上は、それを実行に移さねばならない。特集の筆者とその支持者諸君にはその用意があるのか?党のためのどんなにまじめな準備ー思想的、政治的、組織的準備がこれまでにつみ上げられてきたというのか?その後つたえ聞くところでは、この特集論文をふみ台乃至ふみ絵として党的組織への結集が訴えられているとのことだが、それはいったいどんなプラットフォームの上になされようとしているのか?特集の行動綱領的部分については後で問題とするが、それは大変オソマツで混乱したものであり、もちろんまちがっている。特集の支持者たちはこのようなものの上に党的結集が可能だとでも考えているのであろうか? たとえも少しまともなプログラムが文書として用意されていたとしても、「知識と労働」グループだけで、党的結集が可能だ、あるいはすべきだという結論をかんたんにひき出すことはできない。われわれのグループの現実的力量、その影響力はまだ比較的に小さく、関西ではともかく、全国的影響力という点ではいっそうである。このような状態の中で、特集論文にしたがって党的結集をしようとするものはさらに少数であろうから、諸君はほんの少数で”旗上げ”しなければならなぬということになる。それはもちろん党にはならず、小さい組織をさらに分裂させるだけの結果となろう。そんなことはやめたほうがよい。
 過去において、諸君より影響力かあり、より多数の人を結集できる人達が、そういう思いつめたかたちで“旗上げ”をしたが、すべて失敗してしまった。その理由を諸君は少しでも真剣に検討してみたことがあるのか。われわれは、こうした失敗の経験からも充分に学ばなければならないのだ。彼らはなぜ失敗したのか?理由はいろいろあろうが、そのーつは、五〇年分裂とその直後の時期にそうであったように、綱領論争、社会主義革命か人民民主主義革命かというような抽象的な革命の戦略論争で代々木指導部と論争することに大部分のエネルギーを費し、実際の労働運動やその他の大衆運動にとりくむ中で正しい政策・方針の確立のために闘い、運動の中で意見の相違を克服するという党内闘争のより本格的な取り組みにおいてきわめて不充分であったということが指摘されよう。反面、いろいろなグループが、党内での思想闘争を辛抱強くとことんまで行なわず、また大衆運動の中での政策対決を粘り強く追求するという方法によらず、いきなり組織的対決・別党樹立の道を急いだのではなかったろうか。彼らの多くは「別党」の旗を掲げ、代々木指導に批判的な戦略と綱領を掲げ、何千部かの機関紙を発行して、大胆に活動を進めていきさえすれば、比較的短期間の内に情勢は変る、と確信していたようである。また彼らは、日本の良心的な共産主義者たち(代々木内外の)の間に念入りに意志統一をとげるという準備活動も充分行なわないままに、待ちきれずに、 一部は代々木指導部に挑発されて、旗上げをした。だがその結果から明らかなように、大多数の党員大衆はその後については来なかった。今日党の問題についで発言し、党の原則的統一の手段を求めるものは、戦後すでに四半世紀におよぶ日共の党内闘争とその分裂のこの苦い経験を集約し、そこから教訓をひき出さなければならない。


 党の分裂後、その機関を占領し大量宣伝機関を握っていた宮本指導部は、分派よばわりと反党修正主義のレッテルはりを手段にして、彼らを党員大衆から切り離し、自己のセクト的官僚主義的支配体制を逆に強化していった。この党は、その後三〇万の党員、百万部をこえる日刊・日曜版機関紙、数十名の国会議員を擁する勢力に肥大化していった。この現実の勢力関係も当然考慮に入れられなければならない条件である。多くの国際主義的分派が押しつぶされ、分散させられていったあとに、なぜ宮本指導下の日共勢力がこのように肥大化したのか。その理由は何であったろうか。もし一言でいうなら、それは宮本指導の徹底的な大衆追随主義の産物であったといえよう。宮本指導は、八回大会から十二回大会に至る数次の大会を通じて、 “マルクス・レーニン主義の日本の現実への適用”ということを口実にして、プロレタリア党の綱領を少しづつ民族主義的議会主義的党の綱領に変質させ、人民大衆の中にある俗流的な見解、階級的に遅れた意識への迎合に外らせていった。その社会経済的な支柱は、いうまでもなく高度成長の過程で大量にプロレタリアートの陣営の中に引き入れられた非プロレタリァ的小ブルジョア的要素の拡大という事清に求めるほかはない。宮本指導は、 一九五二年の血のメーデー闘争と一九六〇年の安保闘争の高揚の中にあった米軍占領・半占領下の民族主義的ムードを用いて同じ闘争の中にあったプロレタリア的階級意識を麻ヒさせ、それを六〇年代の高成長経済が育くんだ労資協調主義の潮流と中和させ、議会を通じての、もっぱら議会を通じての“革命”–民主連合政府の樹立による安保廃棄というプログラムに定着させる一大カンパニアを行なった。
 今日世界中の共産党で公然とプロレタリァ国際主義に背き、民族主義的コースをとっているのはいうまでもなく中共と日共である。この両党は共に一九六〇年の八ーカ国共産党労働者党会議以後反ソ的傾向をあらわし、その後数年間は 「フルシチョフ修正主義」 反対、 —-実は国際プロレタリアートの平和共存路線反対 という形で両党は連携していたが、中国の文化大革命中の一九六七年に日共は中共と手を切るようになった。だがそれは民族主義の本質に根ざした分裂であり、何ほどかでも日共のプロレタリァ国際主義への復帰を意味した出来事ではなかった。従ってその後も日共の対ソ共関係はいっこうに改善されず、やがて最もロコツな民族主義的要求ー「北方領土全面返還要求」を掲げるという形で公然と平和と社会主義の勢力に挑戦し、復活した日本帝国主義の反ソ活動のお先棒かつぎの役割を演ずるようになっている。
 このように社会主義と国際プロレタリアートの利益にそむくことは即国内の労働者階級の利益を裏切ることと裏腹の関係にある。そのことは日共宮本指導部が、 一再ならず春闘における総評のゼネスト計画に反対したり、最も戦闘的な労働組合である動労、全電通、全逓、全国金属などの組織と運動に干渉して労働戦線に有害な混乱と分裂を引起したり、また教師聖職論をとなえて日教組の運動をつぶしにかかったり、最近の八鹿事件にはっきり現われたように貧困と差別に抗して闘っている部落解放同盟にファシスト的攻撃を加えるなどしていることの中に明らかである。宮本指導部は今年もまた、四月の統一地方選挙を前にして労働者の春闘運動を自党の議会主議的集票連動に解消させる方針を進めており、他方では同和行政にセクト的いいがかりをつけて、目前の地方選挙における反自民の統一戦線の条件をいたるところで破壊する戦術を採用している。このような現日共の右翼的セクト主義が独占資本の党自民党の支配延命を助けている度合は、すでに直接自民党に協力するに至っている民社党の役割にまさるとも劣るものではない。高成長経済の崩壊にともない、選挙民大衆が急速に反自民ムードに移行しつつある中では、反自民の看板を掲げながら、このようにして自民党延命の契機を作ってやっている現日共の方が支配層にとってより利用価値が高いことは明白である。
 このことに気付いていない国民大衆がまだ多いとはいえ、最近の宮本指導部の極端にセクト的で利己的な政策に対しでは、労働運動とその他の民主運動のなかで、また選挙に際しての革新統一戦線を要望する諸団体のあいだで深刻な疑念、批判、非難の声が高まるようになっている。宮本指導はその変節からすでに十余年を経ているが、これはこれまでになかったような新しい変化の兆しだといえよう。資本主義の新しい深刻な危機の到来、その中でインフレーンョンと石油危機、経済恐慌の犠牲をもっぱら労働者と国民の中の弱い層に転嫁して切抜けようとしている支配階級の激しい攻撃の下で、勤労国民大衆の気分は急速に変りつつあり、小ブル日和見主義の宮本指導の政策は、闘争以外に生きる道のない大衆から次第に見離されるようになってきた。とくに部落解放同盟を敵視している宮本指導部が、現下の地方選挙闘争で同和問題を理由に革新統一戦線を次々と分裂させ失敗させている行為は、日共への疑惑を強めている。
 今後、選挙のなりゆきによっては、日共の宮本指導がさらに広範な世論から厳しい批判と非難を受けることが必定であろう。同党の体質がこの十年来、議会主義によって固められてきていただけに、この選挙闘争において宮本指導が自らまねいた行き詰りと失敗は、同じ指導にとって致命傷とさえもなりかねないものである。


 このような客観的情勢の推移のなかで、革命的前衛的指導を再建することが焦眉の課題となっていることはいうまでもない。その路線が、宮本的な民族主義と議会主義ときっぱり手を切り、帝国主義に反対して平和共存の関係を固める中で、反独占民主主義の運動を発展させ、これを通じて社会主義への展望をひらく民主的な政権の樹立を当面の戦略的目標とするものであるという点では、すでに大方のコンセンサスができているとみてよかろう。だが、そのような路線をとる前衛党再建のための方途、その組織形態等については、遺憾ながらまだ全国の良心的共産主義者の間でコンセンサスができていない。いわゆる新党あるいは別党コース—-日共は宮本指導部の変節によっていまや全体としてダメになったので、それとは全く別に新党を結成しようとする動きは、過去に何回かみられたか、それらはいずれも成功していない。それらの試みに共通していた誤りは、変節した宮本指導部およびその機関とともに日本共産党全体にたいして清算主義的姿勢をとったことにある。このような姿勢によっては、過去の日共創立以来の革命的伝統を継承しえない。当然現日共の隊列内に残っておりあるいはその周辺にある良心的な人々—-その数はけっして少いと即断することはできない—-をひきつけ、結集していくことができない。この姿勢によっては、今後、危機の中で労働運動と民主連動が宮本指導とのあいだに重大な矛盾を深めてくる—-現にその兆候が多くの面にあらわれているのだが—-ような場合、党のランクアンドファイルと変節した指導部とを切り離してゆくことに成功しないであろう。
 一九六四年に党を除名されて以来、宮本指導部を批判し日共の正統派を自認する 「日本のこえ」は、一貫してこの種の「別党」組織に反対し、そうした動きを“別党コース”として排撃してきた。と同時に自己の組織をもって“別党ではない別組織”と規定し、結成十周年を経た昨年は第八回党大会の規約を援用して再登録を行い、この別組織確立を目途している。これは事実上の別党であろう。別党とは代々木とは別の中央集権的組織を作り、独自の指導機関をもって活動し、一定の情勢変化の時期に代々木指導にとって代ることを意図するものである。問題は、この形での運動がはたして宮本指導部にとって代りうるほど有力なものになりうるかどうかという点にかかっている。その点で気になるのは、 「こえ」 はその出発にさいして、代々木から追われまたは離れた多数の良心的共産主義者たちに呼びかけ、その組織活動方針について広くコンセンサスをとりつける手続きをとらなかったことである。一九六七ー八年にこの組織が提唱した共産主義者の 『結集」運動は、そのようなコンセンサスを作り上げる上での好機であったが、それまた不首尾に終
った。このような経過から 「こえ」 は、週刊の全国的機関紙をもつ唯一の代々木反対派でありながら、今日なお代々木に批判的な共産主義者の多数をその周囲に結集することに成功していない。従って、「こえ」 と一定の連携をもちながらも、それからは基本的に独立した多数の共産主義者の小グループが各地に存続し、大衆運動に一定の影響を及ぼしながら活動を続けているのが現状である。前衛政党再建という課題にてらして、そこからどのような結論がひきだせるであろうか。 それは、「こえ」をふくめて各地に分散する良心的な共産主義者のグループ、個人相互間に、批判と自己批判の方法による有機的結合の場をつくることがさし当って必要でありまた合目的だということである。そこでもし戦略的課題と当面の課題について意志統一が勝ち取られるならば、代々木の妨害を排しながら大衆運動に取り組み、今日の反独占的大衆運動が代々木指導とのあいだに矛盾を深める中で、宮本指導部の致命的誤りにとどめをさす展望がえられるであろう。この結合は、けっして早期に党の形をとり党を名のる必要はないであろう。それは共産主義運動の内部闘争(広い意味での党内闘争)の必要に応じた屈伸自在な、イニシァチブにとんださまざまの運動形態、組織形態を活用すべきであろう。共産主義者は、解決できることだけをとりあげる。
 革命的前衛党の確立を呼びかけている特集の筆者たちは、以上に概括したような日本の共産主義運動の困難な現状、このような経過、そのなかにみられる複雑で困難な諸問題を少しでも考慮に入れているのであろうか?またそうしたことを考えてみたことでさえもあるのだろうか。それとも、資本主義の全般的危機が今日深化しつつある中では、そのような面倒な考慮をしてる余裕はないとして、代々木を切る刃を返して、そのような考慮から直ちに前衛党樹立に賛成しない者を「日和見主義者」「解党主義者」呼ばわりしようとしているのであろうか。それこそ現実離れした“学生党”的主観主義、主意主義の袢天をつけている証左である。

4
 前衛党結集をあせっている特集論文には、その理論的背景をなしているような一連の世界と日本の現情勢分析における誤りも指摘できる。
 第一は、今日の世界情勢の基本的発展方向の把握そのものにみられる混乱ないしは一知半解である。 特集の筆者は、今日「国際的力関係は、社会主義と平和の諸勢力にとって有利な方向へと全般的に転換し」 ており 「デタントの趨勢は全世界的な規模で進行している」(P40)と書き、今日、世界の体制が両体制間の緊張緩和と平和共存の方向に向かいつつあることを認めているようである。ところが 「しかし」 と筆者たちはいう。「社会主義体制にたいする帝国主義諸国の根本的な対立関係は、支配階級のとる乎和共存政策と対社会主義接近を、社会主義体制への分裂策動をも含めて動揺と矛盾にみちた不安で中途半端なものにする」(P39)「支配階級とその右翼的反動的冷戦主義的傾向は、つねに必然的にまきかえしと反撃に出る」ので「一時的な部分的後退や停滞を生み出しうるのである」(P40)と述べ、「経済的政治的矛盾と対立によってたえず根底からゆるがされている対社会主義の帝国主義的軍事同盟の維持と補強(安保堅持と日米会談、独自核武装)を図らざるをえない」(P39)と強調している。
 これでは、今日の帝国主義にとって特徴的なその解体的傾向とその冷戦主義的まき返しの傾向とが単純に対立させて扱われており、そのどちらの傾向が今日の世界史発展の方向を決めるものとなっているかがぼやかされている。帝国主義はけっして死んではいないのだから筆者が指摘しているような帝国主義勢力のまき返しや反撃の策謀が執勤にくり返されでいること自体は事実であり、それにたいし警戒心を怠ることはできない。にもかかわらず今日の世界では、帝国主義と反帝国主義勢力(社会主義世界体制、広汎な民族解放勢力、各国労働運動の連帯した力)と、緊張緩和と平和共存への傾向とそれへの逆流と、そのどちらが優勢になり、情勢発展の基本方向を決定するようになっているのかというもっとも肝心な点を筆者は、故意にか無意識にか、アイマイにしている。そして、この点をアイマイにすることから、筆者は必然的に、帝国主義が朝鮮戦争やベトナム干渉戦争で暴威をふるい、何ほどかでも世界史の歯車を逆転させることができた一時代前の視点に逆戻りしている。この視点—-今日の帝国主義の力の過大評価と、社会主義世界体制と民族解放運動、各国労働運動の三要素が連帯する反帝国主義勢力の過少評価—- は、筆者が口をきわめて論難している日共宮本指導部の視点への意外な接近を示している。
 今日でも帝国主義の最反動派、たとえばアメリカのジャクソンとか西独のシュトラウスとか、日本の岸・佐藤とかのグループは、緊張緩和と平和共存の潮流にさからって騒々しい妨害を試みている。ソ連に最恵国待遇を与えることを邪魔したり、中東油田地帯の保障占領とか、米軍の南ベトナム、カンボジャへの再派遣とかの金切り声をあげている。しかし彼らはこれらの危険な計画にかんして国内支配上層のコンセンサスをとりつけることができず、かえって上層の意見分岐を深める結果を招いた。ジャクソンー派のあつかましい対ソ内政干渉にたいして、ソ連が一九七二年の米ソ通商協定の破棄をもって答えたことは、米財界上層をいたく狼敗させている。IBM、バンクオブアメリカなど米有力企業百七十社が参加している米ソ貿易経済委員会のケンドール委員長は米政府がこのまま手をこまねいていれば、拡大基調にあった米ソ貿易は日本、欧州諸国にとって代わられ、深刻な景気後退にあえぐいまの米経済に新たなマイナス要因になろう」 と警告、「対ソ貿易で米輸銀が二十億ドルの特別融資わくを実施すれば、米国内で新たに年間四十万人の雇用機会を確保することが可能となる。これは景気後退にあえぐ米経済にとって大きな救いとなろう」という意見を発表した。 (日経、1,23)「中東油田地帯の軍事占領もありうる」と発言したキッシンジャーは、全世界に世論のはげしい非難を浴びて、宇宙中継のテレビでその意図のないことを弁解しごまかさねばならなかった。帝国主義の冷戦派は、もはや平和共存への大声を動かせなくなっている。そのことは、産軍複合体を媒介にジャクソン派とも気脈を通じてきた米フオード大統領でさえが、SALTⅡや全欧安保の話合いにウラジオストックまで出かけねばならなかった一事によっても理解できる。ブルジョァ報道も、今年中にsALTも全欧安保も大きな進展をみるだろう、と予想している。筆者は、西独前首相ブラントの失脚をもってデタントの 「後退や停滞」の証拠としてあげているが、後継者のシュミツトはけっして前任者の 「東方政策」を変更じてはいない 。
 デタントのもとで帝国主義・独占資本主義の経済的政治的社会的矛盾・対立がいっそう激化してくるのは当然である。だがこの帝国主義の内部矛盾の激化が生み出すものは、けっして特集筆者がいっているように(P39)、反社会主義の軍事的同盟の補強という志向だけではない。同じ諸矛盾の激化からはまた、平和共存、南北問題へのより柔軟なとりくみという方向へのいっそうの傾斜も生み出されるのである。そのように捉えるのがより弁証法的ではないか?
 特集の筆者は、かしこそうに次のようにいう—-「支配上層の対外政策上の二面性と矛盾の基礎には、帝国主義の本質が生みだす一般的政治的目的(反動的目的のことかー堺 )と一国の客観的な国民経済的な利害の矛盾に基く客観的な矛盾対立がある。だが支配上層が後者(国民経済の利害のことー堺 )の自覚とその優位において行動することを待機することは全く問題になりえない」 と。誰れもそんなことを「待機」 などしてはいない。労働者階級は、その国の対外政策の状態の如何にかかわらず生きるためにはその斗争をすすめなければならない。国民経済はその内部に深い階級対立をはらんでおり、国民経済にかんする政策のあり方に主な影響をあたえるものは、国内における階級斗争の発展程度である。一方支配層の対外政策上の立場は、もちろん国内的事清を考慮に入れているとはいえ、それはより広い国際的な力関係の全体、その下での国際的な利害関係に基いて決められている。今日の資本主義諸国は大てい、国内では労働者階級にたいする圧迫体制を強化しながら、対外政策の分野では社会主義諸国との外交関係を調整し、経済協力をも拡大してゆく政策に移っているではないか。ところが特集の筆者は、このように本来次元を異にする二つの問題をキカイ的に直結するトリックを用いて、頭の弱い人に次のような全く誤ったお説教を信じこませようとしている。「労働者階級が国民的な指導階級として、平和と平和共存を目的とする首尾一貫した自らの対外政策 を掲げて闘うときにのみ、支配上層内部の矛盾を深刻なものとし、客観的な国民経済的利害の命ずる方向へその対外政策を向わせることができるのである」 と。これは事実上、わが国の国際関係の改善と、それにともなう国民経済の客観的条件の改善を、わが国の労働者階級が 「国民的指導階級として」「首尾一貫した対外政策をもつ」ようになる日まで待て!というにひとしい。それは字面だけ左翼的な、全くの日和見主義の主張である。
 今日、日本の労働者階級の戦線はなお分裂しており、従って首尾一貫した政策の下に統一されているわけではない。だが今日のインフレ下の総需要抑制という名の縮少均衛政策=独占集中策のあらゆる犠牲をしわよせされているかれらは、このような議論をしている間にも闘わないわけにはいかず、事実、仕事と雇用の確保、大巾賃上げを要求して闘争に立ち上っている。この大衆闘争の圧力が、弾圧や懐柔政策では到底おさえきれず、のりきれなくなるところまで大きくなるとき、支配上層は政策転換を強いられ、雇用、原料、市場、金融などの諸面において対社会主義市場への接近拡大をもふくむ拡大均衡政策への転換を図らぎるをえなくなるであろう。近年米ソ間貿易の取引量がかつてない急増傾向を示しているが、その背景にあるものはいまや8%をこえたアメリカ経済の高い失業率であり、米国上層内にデタントへの一定の逆流傾向がうごめいているにもかかわらず、米産業界をして対ソ経済協力の拡大に向けてつき動かしているものは、雇用維持・拡大ののっぴきならない要求だったのである。
 いうまでもなく一握りの独占集団の利害と国民経済全体の利害の間には鋭い相違と対立がある。だがこのことから独占的支配上層が国民経済の利害を全く無視してその支配を続けうるなどと考えるならば、それは正しくない。日本の自民党に限らず、一握りの独占体の狭い階級的利益の追求にのみ身を任せて国民諸階層の状態を全く考慮に入れないような政党や政権があるとしたら、それは今日の階級勢力関係の下では、おそかれ早かれ選挙によって政府の座からほうり出されてしまうであろうからである。このような国内の政治的危機に迫られながらも、自己の利潤への関心から国内の分配関係にだけは手をつけたくないとと欲している独占資本家的上層に、経済恐慌からの活路を、まず第一には海外進出の中に求めようとする。だが今日の資本主義世界市場の完全にゆきづまった、競争に充満している現状の下では、それは一時的例外にはともかく、一般的には困難というよりは不可能に近い。そこで、支配上層の中のより見通しのきく部分は、かれらが決定権をもっている対外政策の分野で東西接近をはかり、未開拓の分野で大きな将来性を約束する社会主義世界市場への進出策をねり、また社会主議国の平和へのイニシアチブをうけ入れて、その下で帝国主義によつてはもはやつなぎとめられなくなっている南の世界との関係を、何とか破局から救い出したいと願うようになっているのである。帝国主義ブルジョアジーのこのような主観的意図とは無関係に、このような現実の動きは、世界的規模での資本主義から社会主義への移行過程を早めている。
 どうやら、特集の筆者たちの救い難い誤りの根源のーつは、今日における平和運動=平和共存の関係を確立する運動と労働運動の課題の相違を理解せず、両者を全く混同している点にあったことが明らかになってくる。筆者たちはいう 「労働運動が支配層内部のあれこれの政策的分岐の単なる付属物にならないためには、労働者階級の掲げる外交政策、方針はその基礎をなす内政の根本的な変革、転換の方針との必然的な連関において、金融寡頭制支配の現体制とは異なった客観的経済的基礎をもっで提起されなければならない。労働者階級とその前衛は、独占の支配を打倒し国民経済を現実に指導するための準備をつねにおし進めることによってのみ、支配階級に政策転換を押しつけ、その中途半端で動揺的な部分的な対社会主義接近を一貫して拡大し発展させることができるのである」 (傍点堺)。これはほとんど空語であるだけではなく、今日の平和運動の未曽有に広範な性格を理解せず、それを労働者階級の革命運動の課題と同列視し、革命を要求するのでなければ平和と平和丑存はかちとれないものであるかのように主張することによって、今日の平和の戦線を全く幅のせまいものとしている点で全く有害な見解であるというほかはない。今日、平和と平和共存を求める平和運動は歴史上かってみない最大限に広範な性格をもっており、社会のあらゆる階層を包含する一大潮流を構成している。労働者階級は、本来的に平和を求める階級であるが、平和運動は労働者階級の独占物ではない。そこには世界の推移の客観的の方向について肯定的見解をもつ支配上層の部分も包含されるし、またそうされねばならない。そうでなければブレジネフはニクソンやフオードと会う必要はなかったはずである。今日、資本主義諸国の支配層を(そのすべてではなく、またその間に程度の差こそあれ)社会主義との交渉=平和共存下での経済、技術、文化的協力の方向につき動かしているものは、単に各国内の階級闘争の圧力—-その発展は各国内できわめて不均等である—-だけではなく、世界的な—-貸本主義と社会主義との両体制間の—-力関係(政治的軍事的経済的な)の根本的な変化である。一九七〇年代に主な資本主義諸国が残らず、あいつぐ通貨危機、石油・ェネルギー危機、経済危機に見舞われて、その成長率がきわだって鈍化しているとき、社会主義諸国は、これらすべての危機の圏外に立ち、7~9%の高成長を続けている。すべてこうしたことが今日の平和共存の大勢を決定しているのであり、本来その発展が不均等である各国階級闘争の状態が直接各国の東西接近の程度に関係しているわけではない。この事情は、各国労働運動にとっては、その条件であり、決してその結果なのではない。だが各国の労働運動が今日異口同音に平和を要求し、平和運動のもっとも一貫した支持者として立ち現われでいる理由は、別のところにある。それは、平和と平和共存の下で労働運動が最大限に発展しうる自由を保障されるからであり、戦争と戦争準備の条件下では、すなわち冷戦の下では労働運動への圧迫と迫害が不可避的に強まるという理由によるものである。労働運動が平和運動を自己の課題としてとりあげねばならないのは正にこの意味においてであり、それ以上でも以下でもない。特集筆者のように平和運動の課題を労働運動の課題、それも金融寡頭支配の変革という革命的課題に従属させ、両者を不可分の課題であるかのように規定することは、今日の平和運動に即座に分裂と弱化をもたらし、もっとも反動的な帝国主義者の策動を利する条件をつくりだすことになるだけである。

5
 国際舞台の問題から、国内の階級闘争の問題に移ろう。「労働者階級は根本的な変革のための革命的な要求とならべて、独占体とその政府にたいして即刻の実現を迫るべき部分的で改良的な政策転換の要求を掲げてたたかわなければならない」 云々。 これは至極当然なことである。最低賃金制の確立、その物価スライド、公共料金の値上げストップ、公務員労働者へのスト権の回復、現下の総需要抑制政策の拡大均衡政策への転換などが当然後者の中心的要求として前面におし出されるべきであろう。
 ところが特集筆者の要求はそうしたものとはかなりちがったものであるようである。「今日の恐慌の深刻化の下では、日常的な経済闘争において、同時に、国家の財政金融政策の転換とそれに必要な一連の独占体の国有化を含む根本的な変革の要求を何ほどかでも系統的な政策として掲げてたたかわなければならない」「それなしには、実質賃金の切り下げから身を守り、賃上げをかちとり、生活水準の引下げと耐乏生活の強要に対抗して生活諸条件を改善する上で一歩も前へ進むことはできない」云々。
 いったいこれは誰にたいして説教されているのか?・主語が 「労働者階級」 となっていることから考えれば、それは当然その一般的なあり方である労働組合にたいしでも勧告されているのであろうが、その「日常的な経済闘争において」「一連の独占体の国有化の要求」を同時的にもちだせというのは、今日の労働組合の破壊にも通じかねないハネ上りの—-まさに学生党的な要求とでもいうべきものであろう。この種の幼稚で生硬な「外部注入」論的なセクト主義がこれまでどれほどわが国の労働運動の健全な発展をさまたげてきたことか?爪のあかほどでもそのような反省があってよさそうなものだという願いを特集の筆者たちは、こうして無惨にうちくだいてしまう。
 ほとんど代々木政策の批判と真の前衛党樹立の抽象的よびかけに終始しているこの特集の唯一の具体的政策部分は、その前文末尾に掲げられている「部分的な変革の政策」「即刻の実現を迫る闘争のスローガン」10項目にしか見出されない。これがおそらくその党的組織のための「行動綱領」「最少限綱領」に当たるものなのであろう。ところがこれは何ともオソマツ、全く混乱したアタマの産物としか評しようのないものである。詳綱は別の論者にゆずるが、即刻実現を迫る斗争の要求といいながら、平和斗争の重要な争点である「核防条約即時批推」の要求が脱けていたり、今日の労働運動の発展に不可欠の重要性をもつ「公務員、公企業体労働者のストライキ権奪還」要求が忘れられていたりする。かと思うと、「法人にたいする強累進課税」(法人といえば全法人を意味する)とかインフレを止めるための 「厳重な物価統制」とか、中小企業者や小企業者を怖れさせるようなスローガンが掲げられている。「小農経営にたいする経営保障と自発的協同組合化」 という本来両立しない要求を妥協させようとする試みがみられる一方、「倒産企業、閉鎖工場にたいする労働者による生産管理」 というような新左翼的スローガンも並べられている。何とも奇怪なのは、公共事業関連部門、とくに住宅建設関連部門の国有化という要求であり、それが一〇項目の筆頭第一に掲げられていることである。エネルギー産業の国有化がそれに追加されてはいるが、これは当面国有化要求を必要最少限なものにしぼって提起しようとしているものなのであろうか?だとすればその意図は、国有化を当面エネルギー産業にしぼって提唱している日共の現政策とも共通な配慮をしているものといえよう。ところがである。そこにいう公共住宅建設部門とは、筆者らによれば、私鉄、電力、ガス、セメント、鉄鋼、土木建設等と注記されているので、それは事実上大部分の重要産業の範囲に及んでおり(残るのは電機と自動車、造船と海運、繊維と食品位いのものとなる)、しかも企業の大小の区別もなく「系統的な国有化」 の対象とされるのだから、今日苦境にある中小零細土建会社も国有化の対象に含まれることになってしまう!これは日本の経済社会の現実に照し合わせるなら全く支離滅裂なスローガンであり、 一方でマイホーム主義の小ブル大衆への追随の意図をちらつかせながら、他方では彼らを迷わせたあげくあざむくプラグマチズムの、もちろん革命的マルクス主義者の要求とは全く無緑なスローガンとなっている。特集筆者の一〇項目要求に欠けている本質的なものは階級的立脚点であり、 一貫した反独占的な視点のあいまい化である。
 共産主義者は、その綱領を隠蔽する必要は少しもないと、マルクス主義の創始者たちはいった。—-「共産主義者は、自己の見解や意図をかくすことは恥とする。」彼らは「労働者階級の直接当面する目的と利益とを達成するためにたたかうが、しかし、現在の運動のなかにあって、同時に運動の未来を代表する」(マニフエスト」 第四章。)この教訓は今日でも全く正しい。われわれは、革命の現段階をつうじて一貫して追求すべき基本的な諸目標ー社会主義への展望をひらく反独占的人民政権の樹立、さし当っては自民党政治独占の打倒、国家諸機関の全面的民主化、重要産業と金融機関の国有化、少くともそれにたいする民主的統制の確立、その下での勤労大衆の労働条件と生活水準の抜本的改善などの諸要求ーを少しもあいまいにする必要はなく、また絶対にそうするべきではない。必要なことは、 労働者階級と勤労大衆の当面の諸要求貫徹の闘争において共産主義者が現在その先頭に立ち、もっとも有効にこれらの諸要求実現のために献身しながら、現在の運動を右の基本的な目標に結びつけ、労働者階級の意識をたえず高めてゆくことである。従って、共産主義者のプログラムにあっては、当面の諸要求をその綱領的要求に結合することこそが重要なのであって、特集筆者のように両者の間に隔壁をつくり、前者と後者のあいだに万里の長域をつくるべきではない。したがって共産主義者の「当面の要求」とは、けっして特集筆者がいうように 「部分的で改良的な政策転換の要求」 の水準にまで引下げてよいものではない。特集筆者が掲げている綱領が、日共のそれに新左翼のコショウをまぶしたようなだらしないものになっている真の理由は、まさに右の点にある。

6
 終りに、老婆心から一言しておこう。特集も私論も日共の議会主義を批判し論難してきたが、しかしそれは今日の国家機構の中に占める議会の重要性をいささかでも軽視させる議論であってはならない。一般国民が広汎な参政権をもつ普通選挙をつうじて成立している今日の資本主義国の議会は、国家機構の中でもっとも世論の影響をうけやすい、特異な部分をなしている。反独占的民主勢力は、ひんぱんに行われる選挙斗争へのとりくみの如何によっては、民主勢力の代表者を多数議会に送りこみ、反独占的な諸要求を国政や各級地方政治の上に反映させてゆくことができる。それに止まらず、議会内外にわたる反独占統一義線の結或によっては、政府をさえ変えるニとができる。このような事情にあるため、議会は、独占資本家的上層の利益に奉仕している現在、ブルジョァ国家機構の中でもっとも傷つきやすい部分である。現代の国家独占資本主義における国家の相対的独立性とは、まず第一に、このような議会の地位と役割にかんして理解されねばならない。
 しかし議会をつうじて民主的諸要求を国政の上に反映させてゆくためには、選挙斗争と議会内斗争へのとりくみだけでは、決定的に不十分である。議会外の労働運動その他の大衆運動が強力、広汎に展開され、それが選挙闘争、議会内斗争と有効に結合される場合にだけ、支配階級はその政策上に一定の譲歩を行う。そしてこのような譲歩は、前にものべたように、 一面ではそれは民主勢力の獲得物であるが、他面では支配層が反独占運動を鎮静させ分裂させるための投餌である。したがって議会内でこのような譲歩を重ねさせるだけでは、すなわち議会主義によっては、政権への接近はできない。戦斗的な大衆運動に背を向けて、選挙闘争にだけ全力投球している代々木の議会主義によっては民主連合政権に接近しえない所以である。反独的民主勢力は、支配階級からかちとった譲歩を、それ自身の大衆運動前進の陣地に転化し、労働運動の統一をつよめ、それを中心にあらゆる大衆運動の結束をいっそう拡大強化してゆく場合にだけ、支配階級の校猪な策謀を打破り、反独占戦線の政治的影響力を圧倒的なものにまでもりあげてゆくことができる。
 この過程はけっして一直線なものではなく、大衆運動の浮沈、弾圧と反撃の交代する幾過程かを経るであろうが、今日変動のテンポを早めている資本主義の全般的危機の醸成がついに支配の、上層の危機を到来させるようなとき—-それは過去にも一度ならず到来したし、これからはもっとひんぱんに訪れるあろう—-たとえば今日の民主的革新勢力とよばれるような 結束がついに議会の多数を占め、革新政府を樹立する機会が到来してこよう。反独占勢力は全力を結集してこの政府を支えると同時に、それが一貫した反独占的政策を実行に移すことを要求しなければならない。しかしこの場合でも、すなわち、議会と政府が革新勢力の手に握られるに至った場合でも、その他のぼう大な国家機構ー軍事警察司法機構と国民経済全体の敢制高地をなす経済諸官庁とその無数の付属機関は依然として金融寡頭制と癒着したままの状態にあり、ひきつずきその権力を行使しつづけている。それらをそのままにしておいたのでは、革新政府は何ひとつ反独占的政革をおしすすめることはできず、反対に、官僚組織のおこなうサボタージュや反抗によって手足をとられ、資本逃避やインフレーションの大波に洗われ反動家どもの逆宣伝にあって首をしめられてしまうことにもなりかねない。
 したがって、誕生した革新政権がその存立をまもり、反独的政策を実行に移していくための不可欠な措置として、まずもって軍事警察機構の徹底した民主化、保守的高級官僚の入替えがなされなねばならず、併行して、民主的経済統制にのり出すため不可欠な重要産業と金融機関にたいする国有化措置が、日程に上されねばならない。これらの措置は、労働組合をはじめとする戦斗的な大衆運動の強力な、直接的な支持と参加なしには着手し、推進できないであろう。
 社会が現実に変革期に入ったことをおしえるこのような局面ー政治の熱い時期の到来は、何百万、何千万という大衆の政治的意識を一挙に、飛躍的に高め、彼らのイニシアチブを最大限に解放することとなろう。
 社会主義への途をひらく反独占的で真に民主的な政治権力の確立、それを生みだす政治革命への展望は、右の情勢のなかで具体的なものとなってくる。
(七五・二・二八記)

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 特集「大衆運動とマルクス主義」は何をよびかけているか はコメントを受け付けていません

田崎晋論文(『知識と労働』10号)と 日本共産党七五春闘方針について

田崎晋論文(『知識と労働』10号)と 日本共産党七五春闘方針について
                                                                                                        永杉 泉

 「一国的および国際的規模でのプロレタリアートの行動の統一こそ、労働者階級のファシズムと階級敵に対する防衛を成功させるだけでなく、また反撃の成功を可能にする強力な武器である」 (ディミトロフ『反ファッショ統一戦線』)

「七四春闘の成果と残された問題–労働運動と『前衛党』」
 (『知識と労働』第10号田崎晋論文)–以下田崎論文と略す–と日本共産党の七五春闘にあたっての無署名論文「国民生活擁護と政治革新をめざして」–以下日共方針と略す–一見奇異にみえるこの二論文をあえて併列したのは、両論文が、その結論において、意図はどうあれ、同床異夢といわざるをえない共通の問題点を有しており、しかも、これが日本の労働者階級の闘いにとって、数々の混乱をもたらしてきたし、もたらすであろうからである。つまり、田崎氏は批判の対象をつらぬく誤った論理を批判の出発点としているのではないか。
 最初に両論文の結論部分の簡単な論旨を紹介しておこう。
 田崎氏の主要な関心は、 「マルクス主義的政治」、 「党レヴェル」 からの春闘総括だという。田崎氏はそのために前衛党創出を目的意誠とする労働運動でなければ、経済主義に陥る。マルクス主義の立場に立つ前衛政党の確立がさし迫った急務となっており、そのための運動の環は、社会主義を掲げ、反独占民主改革のプログラムを労働運動につねに持ち込むことであるとされている。
 日共方針では、春闘の成否は、組合民主主義(政党支持の自由が中心)の徹底と政治の民主的革新にかかっているとされている。
 見られる通り、両論文は、労働者階級に対する指導の重要点として、 一方が反独占の民主的改革のプログラム、他方が政治の民主的革新の外部からの注入を強調し、両者は奇妙に符合していることに気づく。相違点は、その注入される意識性として、日共方針が議会主義を志向し、田崎氏が前衛党創出をめざしていることであろうか。
さらに、具体的な両論文の特徴的な主張を対比してみよう。

 田崎論文–「しかし、より重要なことは、原則的な問題の提起においては、改良は『革命的階級闘争の副産物』 (レーニン)だということである。危機の打開策として、独占体の危機の系統的な国有化と民主的な統制を伴う抜本的な反独占的変革およびそれを政治的に保障する反独占人民政府の樹立をつねに要求することなしに、当面の限られた部分的な要求のみをかかげて闘争することは、独占ブルジョアジーとその政府の支配の持続性を保障した上で、その若干の手なおしと手かげんを懇願することにしかならない。そのような闘争によっては、労働者階級の前進に何ほどかでも意味のあるような改良をかちとることさえできない。」

 日共方針–「労働者階級と国民の切実な諸要求を真に実現するためには、巨大な戦線の結集と同時に日米軍事間盟と手を切って、平和・中立の日本への進路をすすめて、日本経済の自主的・平和的発展をかちとるという真の政治革新の展望と結びつけて春闘を闘うことが、いよいよ緊急な課題となっている。・・・ 七五春闘勝利の展望は、この革新統一の事業の成否にかかっているといっても過言ではない。」

 田崎論文–「このような議会主義、選挙第一主義にたつ共産党の政治コースにたいして、かって一九六〇年代を通じて解党主義者がそうしたように、労働組合主義、経済闘争第一主義を対置してことたれりとするものは、経済主義の誤りに陥るものである。」
日共方針ー「わが党は『労働組合運動と政治革新の展望』の中で、日本の労働組合運動の中から、革新統一戦線の見地・を否定し、ストライキの“積み重ね”だけをもっぱら強調する組合主義的立場を克服することの重要性を強調した。今日の情勢は、このことの必要性を一層つよく求めている。」
 両者の共通項は、いうまでもなく、今日決定的に重要な労働者階級の統一、そのための具体的な政策、方針の提起ではなく、労働者の切実な要求の蔑視とセクト主義、政治主義の労働運動への押しつけである。
 このように、両者は、労働運動の指導にたいして本質的に同じ立場にたち、そこでは、労働運動への抽象的スローガンの注入(代々木にあっては政党支持の自由、田崎氏にあっては、「反独占民主改革」の注入)こそが最大の関心事である。
 もちろん、反独占民主改革の闘いの重要性については、いうまでもなく自明のことである。だが、問題は、日本の労働者階級をしていかにしてそれへの自覚に到達させうるのかという現実の道すじを示すことと、それに向けて分裂しているわが国の労働者階級を統一するために何をなすべきかということであり、このことを抜きにしてはすべて空文旬である。単に 「反独占のプログラム」 を日本の労働運動に注人することによって、現実の運動はいかほどかでも前進するというのであろうか。
 ちなみに、代々木にあっては、民主的改革のブラン(極めて不十分であるとはいえ)注人が、議会主義的選挙斗争への引きまわしという形で行っていることはここではおくとしても、「反独占の民主的改革」のスローガンについては、昨年の総評大会において、大木事務局長に語らせるならば「方針全体をヨーロッパのそれ、CGTスタイルに改めた」 というほど随所に羅列されている(もちろん十分整理されていないが)。
 だが、ヨーロッパの方針を直輸人して、運動がいかほどか前進したであろうか。現実はそれを示している。問題は、代々木の 「民主的改革」 の方針がただ理論的・思想的に間違っているというところだけにはない。要は、この闘いの前提としての主体的条件と闘争経験である。
 フランス、イタリアの労働者階級の闘いを見るまでもなく、ヨーロッパの今日の運動の到達点は、労働者階級の直接の経済的、政治的利益の擁護の闘いが、全ての労働者統一戦線の出発点となり、主内容として闘われた数多くの諸経験を経て、要求獲得闘争における経営内生産点の要求を社会改革の要求に結合、成長転化させ、労働者階級をして、反独占民主改革の闘いの必要性への自覚に到達させているのである。 (イタリアの69年の暑い秋を見よ。ここでは、たとえば時間短縮という経営内要求から出発して、余暇の再組織や雇用の増大の要求へ、さらに進んで、交通・通勤問題へ、住宅問題や都市改革闘争へと発展している。労働者の直接の経済的利害、欲望の擁護の闘いの発展の弁証法の生きた実例である)また、最近のヨーロッパの連動を見ると、単純で一方的なプランやプログラムの提起ではなく、大衆の要求や闘争の発展と緊密に結びついた形で、何よりも巨大な統一闘争をふまえ、プランやプログラムが提起され、大衆自身のものとなっている。
 ひるがえって日本の現状はどうであろうか。日本の労働者階級の闘いは、直接の経済的要求においても統一されておらず、また資本の利潤、メカニズムに食い込むような本格的闘争の経験をもっていない。労働者階級は、企業別組合に分断され、労働者階級の行動の統一も実現していない。
 この現実下で、われわれに要求されているのは、このような現状を克服するに、「今、何をなすべきか」である。
 代々木の議会主義に対する、マルクス主義政治の単なる対置ではなく、必要なことは、労働者階級の大多数を獲得するための現実の政策である。現実の諸条件を無視した外部注入論がいかに危険なものであるかはいうまでもないであろう。
 周知のように、マルクス・レーニン主義党の歴史上、党によって長短はあるが、主としてイデオロギー活動にだけ従事する時期がある。しかし、この時期が長びくならば、閉鎖性とか、自己のイデオロギー的純潔を守ることを名目として異説をもつ者との間に障壁を設定する志向とか、最後的には、レーニンが皮肉に 「口先だけのマルクス主義」 と呼んだような不可避的な病気となってあらわれる。レーニンは、このような「ロ先だけのマルクス主義」を任ずる人々を批判して、彼らが何ごとかを証明したり、また何ごとかに同意しないとしても、それはしばしばマルクスからの引用をもとにして 「マルクス主義の核心、その精髄をなす点、すなわち、具体的情勢の具体的分析」を避けているのだと述べている。
 現実の状況から切り離され、大衆の実際の必要や要求を考慮しない宣伝の書生的、インテリ的性格は、 「共産主義者」を孤立に導くであろう。
 コミンテルン第七回大会で、ディミトロフはこれを批判して、「共産主義者がマルクス・レーニン主義的分析の知識又は能力に欠けているくせに、 『危機からの革命的な脱出口』といった一般的な空文句やスローガンでおきかえている状態に対して終止符を打たなければならない」 と厳しくいましめている。
 田崎氏が今一度これを想起し、冷静な批断を下すことを望むものである。

 氏によれば、社会主義をいわず、反独占政府をいわない者は全て日和見主義者になるらしい。だがマルクス・レーニン主義者は、社会主義革命のための闘争のよびかけにとどまることなく、大衆が資本主義的略奪と搾取から自らを守るために本日何をなすべきかを彼らに示さなければならない。
 労働者階級の行動の統一は、宣言からはじまるのではなく、具体的目標のための闘争からはじまる。抽象的な呼びかけ、マルクス・レーニン主義思想の宣伝組織だけであっては、田崎氏が熱望している「党」は、幾多の代々木外共産主義者の失敗と破産の歴史から何の教訓も汲みとろうとしない、性急な「小ブルインテリ集団」 に終るであろう。
 マルクス・レーニン主義者は、労働者階級の内部に生じている全ての問題に責任をもち、どのような小さなあらわれであっても、大衆の要求を労働者の共同行動に組織するために、あらゆる機会を利用することを学び、これらの小さな問題を大きな政治問題に結びつけなければならない。
 そのためには、抽象的な呼びかけでなく、大衆行動を組織するスローガンを提出しなければならない。このことは自明のことであり、また代々木の今日の偏向を克服する道でもある。抽象的スローガンの教示で代々木の偏向は決して克服しえない。現実的な労働者階級に対する正しい政策指導(代々木は無方針と議会主義)と大衆闘争の圧力によってのみ、日共宮本指導部の偏向を克服し、田崎氏が熱望している前衛党創出が可能となるであろう。
 だから、われわれは、賃金闘争、経済的要求でさえ統一的に闘えない、わが国の労働運動の現状を克服するために、労働者階級の統一行動実現のために、企業別組合を脱却し、産業別組合への移行と接近のための政策についてこそ、われわれの内部で十分な論議をまき起すことを呼びかけるものである。
 ところで、田崎氏の論文を貫くセクト主義に対しても今日批判が必要であろう(氏の見解に同意しないものは全て改良主義者、経済主義者となる)。このことは、わが国の労働者階級がセクト主義の弊害により数々の混乱を重ねてきたという理由だけではなく、われわれ自身もにがい経験を有しているからである。
 かっての全共闘運動、ニューレフトグループ運動に見られるように、セクト主義は、通常若くて弱い運動に随伴する。これは、ようやく闘争を開始したグループが自己を保持しようという自然な願望として、自己が大衆から切り離れていることとか、あるいは、教条の表面的解釈では、新しい現象を説明する能力のないことの“正当化”として理解することができるであろう。
 これをレーニンが「左翼小児病」と呼んだのは十分根拠のあることであり、運動が成長し、成人になるとともに、経験が蓄積され、闘争過程で 「小児病」 は克服されることを確信していたのである。ひとりよがりのセクト主義に対する闘争は、今日特に重要といわれる所以である。
 最後に、田崎氏が、このようなひとりよがりの「左翼小児病」破産したニューレフトの再生に陥ることのないよう切に祈るものである。

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 田崎晋論文(『知識と労働』10号)と 日本共産党七五春闘方針について はコメントを受け付けていません

古くて新しい問題 –田崎論文批判–(知識と労働討議資料)

<古くて新しい問題 —-田崎論文批判>   大 木 透

 「知識と労働」 誌第一〇号は”七四年の大衆運動とマルクス主義”を特集し総論的な”特集にあたって”各論的な七四春闘、原水禁運動、教育運動などの総括を通じて、日本共産党宮本指導部(以下宮本派という)のよく知られた右翼的偏向の数々を指摘するとともに、その現実的な克服の道として前衛組織の確立を提案している。
 私は同誌の同人であり編集委員会の一員であるが、これらが、労働グループの討議も編集委員会の共同討議も至ずして公表されたので、問題点を多く含む”七四春闘の成果と残された問題” —-労働運動と 「前衛党」—-に展開されている田崎晋氏(以下氏という)の諸見解を検討しこれについて一定の意見をのべる義務があると考える。
 だから小稿が「知識と労働」 グループの理論的思想的統一と団結強化にいささかでも貢献しうるならばこれにまさるよろこびはないしまた本論はこれだけを目的としている。

氏の見解の要旨
 氏が展開している、わが国の労働運動の現状に関する総括の基本的立場および結論はおおよそつぎの三点に要約しうる。
(1)まず総括の視点として「単に労働組合運動の内部で、組合幹部の指導力と組合の戦闘性の問題としてのみとらえることは本質的誤りであり…闘争過程全体を貫ぬく変革主体の側の最も根本的な重要な問題として、たえずそこに(前衛党の問題にー引用者)立ち帰って検討し考慮することなしに、春闘の総括もその成果も論じることも不可能である。…(それゆえにー引用者)特殊労働組合運動レベルでの問題は、その具体的政策の問題も含めていわば副次的に取りあげるにとどめる」と前後の文脈から判断して、これがマルクス主義にもとずく、労働組合運動の正しい認識方法であるとされているらしい。
(2)この基本的立場から氏は「今春闘の成果の基本的性格は、下からの自然発生的高揚が闘いとったものだということ、このような成果はインフレの問題ひとつとってみても何ら根本的な解決を与えるものでないのは勿論、それの直接の経済的獲得物については支配階級とその政府によって全く瞬時のうち取りかえさせる一時的譲歩にすぎず、ただ次の闘争の出発点そのための組織的基盤、「意識性の萌芽』としてのみ真の意義をもちうることである。後者の意味において、春闘の成果は労働者階級の真の前衛党の確立という任務をあらためて、もはや一刻の猶予も許さないほど切迫した問題として、日本の労働運動の自覚ある部分に提起したのである」と結論している。
 これは、ご存知の 「なにをなすべきか」の基本命題である、階級闘争の自然発生性(経済主義、労働組合主義)と意識性(マルクス主義)というカテゴリーをそのまま図式主義的に、現在のわが国の労働運動に適用し 「意識性の欠如」を導き出し、宮本派にかわるマルクス主義政党確立の緊急性をのべたものである。
(3)従って、確立されるマルクス主義政党は、日本労働運動を前進させるために、「国有化とその民主的管理と統制、反独占人民政府樹立」等を主内容とする、 —-今日における高度に発達した資本主義諸国共産党の国際総路線である、社会主義への接近のプログラムを改良の要求とつねに同時に要求してたたかわなければならない。そうでなければ、なにほどかでも意味のある改良は一切勝ちとられない。
 論者の提出した七四春闘総括の結論は以上のようなものである 。
 われわれはこれについて、 一般的抽象的論議として、とりたてて、異論をとなえようとは思わない。
 それは、現実運動にはかみあわない結論だからである。
 ただマルクス主義が行動の指針であり真理がつねに具体的であるからには、これらの見解が、今日のわが国の労働運動がおかれている客観的主体的条件に則して、いかなる実践的意義をもつものであるかは、真険に検討されなければならない。問題はそれ以上でもそれ以下でもない。

批判の前提
 本論を通読してまず第一に疑間に思うのはつぎの諸点である。すなわち、氏が改良要求と 「つねに」 「並べて」要求すべきとしている最大限綱領あるいは“過渡的綱領”–反独占民主改革プログラム–は、その政策・戦術そのものの内容を問うまえに、一体誰がかかげる要求なのか、それは具体的にいずれの主体勢力ー党なのか労働組合なのかである。つまりそれが党の政策と戦術に関するものとすればいまさらくり返すまでもなく、単にマルクス主義の当然の前提を再言したにすぎない。現に批判の対象とされている宮本派も第八回大会綱領として、内容はともかく”社会主義”をかかげている。また、そのほかのさまざまの色あいの政治潮流も、おしなべて”いまこそ社会主義を”と呼号している。
 しかし、もしかりに、氏が“反独占人民政府樹立”のスローガンを労働組合が「つねに」要求しなければならず、またそれなしに「なにほどかでも意味のある改良は勝ちとれない」 といっているのであれば、問題は別である。われわれは、氏が、当然、党の綱領問題を論じていると仮定した。だから、ここでは、問題を一歩進めて、批判の重点を、共産主義者の任務が最大限綱領を百万回くり返す”思想運動”(武井昭夫氏らの主宰する運動をさしているのではない)にはなく、労働運動をはじめとするあらゆる一般民主運動の発展方向をさし示し、大衆を闘いに立ち上らせ、その闘争経験を通じてはじめて党綱領を大衆自身のものとし–物質的力に高めうるのだという運動論においた。だが、いまもって、党と労働組合を区別せず、党を労働組合の執行機関に解消したり、あるいは反対に、労働組合そのものを反体制的政治組織に昇華させて、実質的に解党主義に走るといった誤った思想が根強く残存していることを考慮するならば、氏のこのアイマイさは問題である。
 いまひとつ、これに関連して、是非問いただしたいし、またまた懸念されるのは、氏が展開している労働運動論ーつまり、”革命なしに改良なし”は、今日の国独資下における全般的危機の新しい段階に対応するそれ以前の段階とまったく異質な政治路線の”ニューモデル”として提起されているのであるかどうかである(氏は 『つねに』とのべているのでおそらく一般論であるのかもしれない)。つまり、これが、意図はともあれ、かってトロツキーがコミンテルン第七回大会(一九三五)のよく知られた諸決議に敵対し、それへの対案の一部として提出しようとしたつぎの立場と内容的にどう異るのかということである。
(すこし長くなるが引用してみよう)
 トロツキーはこう断言している。「現代(恐慌と帝国主義の衰退期)における労働組合は、労働者階級の日常的必要に役立つということに自らを限定することはできない。労働組合はもはや改良主義的であることができない。なぜなら客観的諸条件は重要で持続的な改良のためのいかなる余地もあたえないからである」「したがって古い最小限綱領はプロレタリア革命にむけて大衆を系統的に動員することを任務とする過渡的綱領にとってかわられる」「帝国主義衰退期において労働組合が真に独立的でありうるのはそれが行動においてプロレタリァ革命の機関であることを意識しているときだけである。この意味で第四インターナショナルの大会決議である過渡的諸要求の綱領は党活動の綱領であるだけでなく、またその基本的性格において労働組合活動の綱領でもある」(「帝国主義衰退期における労働組合」傍点ー引用者)。

 われわれは(そうあってほしいと願うが)氏の見解を曲解しているのかもしれない。また氏の表現が、トロツキーのそれに酷似しているという理由だけから氏を責めようとも思わない。ただ、ここで最小限いいたいのは、このようなトロツキストの図式主義的な単純化された極左主義が、一九三〇年代後半の、まさに社会主義が問われ全運動の統一が課題であったその時に、世界のいたるところで、全民主運動、労働運動、反ファッショ闘争に分裂と混乱をもちこみ、労働者階級に多大の犠牲と損失を与える結果をもたらしたこと、この歴史的事実に、氏は、少しでも考慮を払っているかである。
 われわれは早まわりしすぎたかも知れない。しかし、氏が、全体的にややもすれば(みずからの主体的力量を考慮してか)”革命”と“党”を語りながらそれを「要求」するとか「かかげる」 とだけしかのべず、現実にどうするのかについてはきわめてあいまいな無責任な姿勢におちいっているかに見えるので、氏のこの中途半端な主張の底にある思想の本質を見ぬくために、トロツキーのより明確な純化された所説をあえてもちだした。そうでないと、この氏の見解にたいし大衆のあいだに当然生ずるであろう素朴な疑問ーたとえば 「きみは賃金要求と同時にそれとならべてつねに反独占人民政府の樹立を要求しなければならないという。では、現実に、七五春闘において、われわれは後者の要求実現のためにいかなる形態のまたどのような政治配置と同盟体制にもとづく闘争を展開したらよいのか。」 これに対し、氏が 「いや、まて、いまはその条件はない、だから一応要求の一項目としてかかげておけばよい。現実の闘争はわれわれが宮本派にかわる前衛党をつくってからだ」あるいは「反独占人民政府樹立は党の要求であるから労働組合へもちこまなくてもよい」などと答え、質問を発した労働者から「要求するぐらいのことはわれわれだってとうの昔からやっている。現に七四秋闘においてわれわれは”田中内閣打倒”をかかげたではないか。だのに、いまさら党の要求だなどとあたりまえのことをくり返すのは時代おくれだ」と失笑を買うことにもなりかねないのである。われわれは、氏にこの素朴な疑問に回答することを求めざるをえない。
 さもないと、われわれは、ここで氏の所論を検討することをやめ、この労働者とともに”失笑”ですまさざるをえなくなる。これは氏には不本意であろうので、以下、右の観点から、氏の見解をくわしく検討してみることにする。

労働者の統一か党の前進か
 氏は、七四春闘の大衆的高揚を指摘しつつつぎのようにのべている。
 「労働者階級の団結の拡大–その『意識と組織』の前進を労働組合組織のレベルにおいてのみとらえることが誤りであり・・ 前衛的政党への組織化にこそ労働運動の根本的な真の前進を求めなければならない」と。これは、はたして現実的意義をもちうるか。
わが国の労働運動は、現在、深刻な分裂に直面している。くりかえしのべるまでもなく、氏も別の場所で指摘しているように、わが国の労働者階級は、依然として産別組識が形成されない条件下で、それを通じて“統一と団結の力と、みずからがこの社会の主人公であること”を認識し、その階級意識を飛躍的に高めるであろうーナショナルセンターレベルの統一闘争を、成功不成功をとわず、ついぞ一回も体験していない。これは、高度に発達した資本主義諸国の、反独占民主改革闘争の基本路線と諸経験をわが国に適用しようとする場合、最大の考慮事項とされなければならない彼我の主体的条件の決定的相異である。
(予断ながら”特集にあたって”の筆者は、戦略戦術論議をするまえに、党だけでなくこの主体的条件の相異もよく認識する必要がある)
 われわれは、今日世界のとりわけ高度に発達した資本主義諸国の階級闘争、革命運動の成熟度をしめす決定的に重要なメルクマールのひとつは、その国の労働運動が統一されているかどうか、またその統一運動に共産主義者がいかなる指導性を発揮しているかだと考える。同時に、それは共産主義者が労働者階級に依拠しあらゆる大衆運動の統一を重視しセクト主義を排して反独占民主的多数派、労働・政治戦線統一のための正しい政策と戦術を追求しているかどうか、つまり、政治路線、運動路線そのものの確かさをしめすメルクマールでもある。これはレーニンの時代と異なりプロレタリアートが絶対的にも相対的にも社会の決定的階級勢力に成長した、現代帝国主義諸国において当然のことである(レーニンの『なにをなすべきか』が反ッ ツアーリ“労農同盟”を念頭において書かれていることを想起せよ)。しかしわれわれはこれだけでも不充分である。 われわれが「労働者階級の統一」というときまず第一に、われわれは、労働者階級の最も広範な大衆的組識である労働組合の運動と組識の統一を考えなければならない。なぜならこの統一を基礎としない限り、高度な多少なりとも過渡的性格をもつ高度な政治闘争はもとより、賃金闘争などのもっとも初歩的な闘争でさえがけっして持続的に発展しない。これはいかなる意図からであれ、またたとえ“経済主義”と悪ロをたたこうともいささかもゆるがせにできない。だからョーロッパの共産主義者はヴィトリオの“伝導ペルト論”批判を引き合いにだすまでもなく、これに最大限のー気の遠くなるようなー努力と関心をはらっできたのである。氏にとっては、労働組合の統一、その行動と組織の統一が出発にあるのではなくて、「党にこそ」「前衛党への組織化の前進」こそが出発点である。このように媒介項ぬきに党と労働組合を機械的に分離し、 一面的に“党の前進こそ”と叫ぶのが氏の立論の特徴である。これでは、氏には不本意かもしれないが、みずからが批判してやまない宮本派の議会主義的偏向ー労の利益を大衆の利益のうえにおき大衆運動を分裂させるーを単に革命的に粉飾したにすぎなくなる。

なにが革命的か
 あらためてのべるまでもなく、わが国の労働組合運動の発展と統一にとって最大かつ最も根深い桎梏となっているものが前近代的な年功的労資関係とその組織形態をなす企業別組合であることはいうをまたないであろう。それは今日反独占的な労働戦線形成と発展上に最大の足かせとなっている。それゆえわれわれが運動の前進と統一をはかろうとする場合まずその物質的基盤を取りはらう闘いー具体的には(”革命的”でなくてまことに申し訳ないが、)産別最賃制・横断的賃金体系の確立、産別労働協約の締結などを単にスローガンとして唱えるだけでなしに、それを大衆運動の政策方針として具体化し、発展させていかなければならない。このようにして労働組合運動の力を実際に強化していくことなしに大衆の死活の利益を擁護できないのでそれはさけて通ることのできない課題であり、けっして“特殊”な”副次的)な課題などではない。
 われわれが社会主義をめざし、改良と革命を目的意識的に階級闘争のなかに結合していく任務をもっている以上、たしかに「つねに前衛党の問題に立ち帰」らねばならないだろう。しかし問題はその立ち帰り方である。要するに、それはマルクス主義の諸原則を単純にくり返したり前衛党一般の必要性や前進を抽象的に語ることではない。われわれは、生身の地道な労働組合運動にー大衆を数歩ではなく一歩前進させるために、まじめにねばり強く取りくんでいる良心的な共産主義者にむかって、それは労働組合の 「特殊レベル」の組合幹部にまかせておけばよい「副次的」活動だからとして「変革主体の側の最も根本的な重要な」 ”党”の建設にとりかかれなどと説教して 「党の問題に立ち帰」らせることが必要なのだろうか?労働組合内部にあってそれを強化し統一させる闘いを通じて、まわりの大衆を引きつけ、共産主義者の影響力を拡げ、党の源泉そのものを構築しようとしている人たちにたいしてである。

大衆の死活の利益と党
 いま、わが国の労働者階級は、世界的規模における恐慌の進行のもとで仕事の確保と実質賃金の低下阻止という死活の要求に直面し、それに必要な広範な強固な統一闘争を求めている。政府独占は所得政策の実質的導入である”総需要”抑制を強制しようとしてい。”賃上げかインフレ”か、 ”賃上げか首切りか” のイデオロギー攻勢とともにこれ見よがしの雇用削減策(一時帰休、不当配転、採用取消し、雇用調整給付金による休業奨励など)があいついでいる。 (恐慌を客観的必然性として認識するかわりに、大衆革命化の契機として待望する考えが一部に存在するが、支配者は恐慌を生産基盤の破壊、職場からの放遂、生活水準切下げとルンペン化をつうじて、労働者階級の政治的・道徳的たい敗によって乗り切ろうとするのであって、状況は悪いほどよいというわけにはいかない。危機はファシストのもっとも親密な友人である)
 この政府独占の一体となったデフレ攻勢と闘い労働者階級の死活の利益を擁護し、政治的・文化的・道徳的たい敗を阻止するためには、この支配者の抑圧と収奪の意図全体をあますことなく暴露するとともに、大衆の死活の利益をまもる方向と、それに向って大衆を数歩でなく一歩前進させる政策と具体的戦術を提起しなければならない。恐慌下の生活防衛の斗いに苦しんでいる大衆にたいして、われわれは、遠い先の課題をもち出だしたり、 “社会主義なしに出口なし”と高踏的に説致するだけでは、まだ社会主義や共産主義を理解していない広範な大衆を反発させることになる。あるいはすでに社会主義を支持ないし支持しようとしている一部の先進的労働者にたいしては、かれらを大衆の死活の利益擁護の闘争から目をそらさせてしまうことになる。
 このように労働者階級の死活の利益が問われ大衆闘争の広範な統一が切望されている、まさにその時に、氏は 「労働運動の高揚にのっとって意識的で一貫したこの運動の担い手(産別闘争を自覚的に追求しているがいまだ“経済主義”にとどまっているような人々ー引用者)が力強い活動をはじめるとき…産別闘争の前進…がこの活動のテコとなり、武器となっていくであろう」 (傍点ー引用者)とのべている。ここでは一体どの国の労働運動が論じられているのであろうか。氏は、わが国において、あたかも 「労働運動の高揚」がすでに確固たる既成事実として定着し、大衆の意識と要求は次のより高度な政治闘争を準備しているといいたげである。しかもこうした仮定に立って、氏は、現実の労働運動とは別に 「力強い運動」(これが氏のいわんとする“意識性”であり”党”の運動であろう)を求め、そのテコあるいは武器としてはじめて産別闘争の重要性を承認する。企業主義的分裂の状況下で労働者階級がいかにして今日の不況と斗うべきかを悩み、運動発展の現実的な方途を探し求めている時に、それには答えようとせずあえて別に 「より力強い運動」を求めることがマルクス主義的政治なのであろうか?氏のいう”マルクス主義”とはなんと労働者階級の当面する問題と無縁なものであることか。

宮本派との闘争
 明らかに、氏は論文全体を通じて宮本派批判に全精力をかたむけている。しかしその批判が単に宮本派の理論的思想的小ブルジョァ性の暴露に終始し、彼らが過去一貫してとり続けてきた分裂主義と党利己主義的な政治主義の政策と戦術の批判にまで至っていないのはなぜか。宮本派との闘争は理論的批判や暴露でこと足りるのではない。現に動労、全金、全ていなどの労働組合あるいは部落解放同盟などをはじめあらゆる大衆組織の内外ですでに強力に展開されている彼らの裏切的利敵行為のあらわれを具体的に系統的に暴露し、大衆の闘いにもとづいて、現在まだ彼らに一定の幻想を抱いている多数の労働者大衆を引きはなし、彼らの面前でその権威を先墜させ孤立させるというー真に宮本派の議会主義的偏向を正す道をねばり強くつき進むことを回避してはならない。
 だからわれわれは、どうしても、宮本派が四・八声明などによって大衆運動と決定的に対立ししかも(氏がこれを批判しないのは氏が本質的に彼らと同種の運動路線に立っているのではないかと疑いたくなるが)その口実がつねに、 “経済主義”批判に名を借りた政治主義と分裂主義であり大衆運動の基本的要求と政策に一貫して無関心であったこと、これをあらためて想却し、その今日的形態である議会主義との闘争を深化させなければならない(それゆえ、彼らが、相対的安定期において採用している議会主義路線を、危機の時代において、街頭主義と極左冒険主義路線に転換させないなどと断定できない)。
 「左」右の日和見主義はつねに大衆の緊切な要求と運動の発展を無視するところに本質があり両者はメダルの表裏をなしている。運動は戦術が急激であればよしというわけにはいかない。誤った氏が論文全体を通じて宮本派の現実の労働運動にたいする政策と戦術そのものを少しも批判していないこと、さらに、“革マル派”など「左」翼日和見主義諸集団の挑発的方針の危険性にまったく目が向けられていないのは一面的であり、疑問と懸念を禁じえない。残念ながら、このわれわれの疑問と懸念は、氏のつぎの一面的な極論をみるにおよんで、いっそう深まらざるをえない。

革命運動の副産物としての改良とはなにか
 氏は、最低賃金制、年金の賃金スライド制などの要求と闘争にふれたあとで 「しかし、より重要なことは、原則的な問題の提起においては、改良は『革命的階級闘争の副産物』(レーニン)だということである。危機の打開策として、独占体の系統的な国有化の民主的な統制を伴う抜本的な反独占的変革およびそれを政治的に保障する反独占的人民政府の樹立をつねに要求することなしに、当面の限られた部分的な要求をのみかかげて闘争することは、独占ブルジョアジーとその政府の支配の持続性を保障したうえで、その若干の手直し手かげんを懇願することにしかならない。そのような闘争によっては、労働者階級の前進にとってなにほどかでも意味のあるような改良をかちとることさえできない。打倒されたくなければ譲歩しろ、でなければかわってわれわれが支配する。論理はこのように提起されている。支配階級の『延命策』はさし迫る死の恐怖のもとでのみ採用される」とのべている。氏は、「原則的問題」 の提起として支配階級を打倒し、かわって労働者階級が支配しうる主体的条件をまず整備し、その政治的圧力によって「改良」や「譲歩」を勝ちとるという。これはまったく奇妙な論理である。労働者階級が権力を掌握し、独占資本を収奪する力量をもちながら、どうして「改良」や「譲歩」で満足しなければならないか。どうして権力奪取につき進まないか。“党と革命”を語っていた氏が、このように日和見主義に陥っているのは理解に苦しむ。
 この氏の論理矛盾は一応さておくとしてここで問題にされていたのは、労働組合が緊急に勝ちとらねばならない要求である最賃制であり年金の賃金スライド制であった。
 だがこれに対して強調されている氏の 「原則的な問題提起」は本質的に”革命なしに改良なし”であり、これは、とりもなおさず危機の時代における悪しき「最大限綱領主義」そのものの単純化された再生産であり、これらの課題をかかげて統一闘争をまじめにねばり強く追求することにかえて、革命的スローガンと運動が対置されている。氏はここで”ひかえめに”革命的要求を 「同時にかかげて」 闘争するとだけのべているが、まさか宮本派のごとく政治要求と経済要求を機械的に結合したり諸要求を羅列するだけで支配者に「さし迫る死の恐怖」を与えうると考えているはずはないから、当然、現実の革命的スローガンを実現するに適応した労働組合運動と別の闘争が組織されなくてはならない。しかも「つねに」あらゆる主観的、客観的条件のもとで“反独占人民政府樹立”のスローガンをかかげることが要求されている。またさもなければ 「なにほどかでも意味のある改良は勝ちとれない」 とショッキングにのべている。 ぽう頭に指摘したように、ここで氏から“要求”され“恫喝”されているのはいかなる主体勢力であるのか。党のプログラム、テーゼは権力問題、 政府問題をさけて通ることができないという意味ならことあらだてていうことはない。あるいは、これが、危機の時代”恐慌か社会主義か”二者択一の時代(このような情勢評価と階級戦略が適当であるかどうかは一応さておくとして)における労働組合の機能と任務の質的転換を意味するのであろうか。これは氏のより明確な立場が明らかにされた段階で、現代の危機の科学的分析と主体勢力の意識と組織ー彼我の力関係の的確な判断にもとずき別に検討されなければならないにしても、この氏の見解が、その本質において、けっして 「原則的な問題提起」などではなく、ご存知の宮本派が“民主連合政府綱領”を労働組合におしつけ自党派の”躍進”に血道をあげたり、新左翼諸グループが春闘の政策・戦術をまじめに検討することを拒否するとともにこれに単純に”反体制”“反戦・反帝”のスローガンを対置して、大衆の死活の要求と運動に敵対しようとした路線と、客観的にまったく同一の誤びゅうの再生産そのものとみなさざるをえない。もし、氏が首尾一貫して、この理論と実践を結合させ、戦術的にエスカレートさせるならば、ゆきつくところ、革命的スローガンを至上のものとして、これを要求としてかかげない大衆的な労働組合にかえて限られた少数派の純枠な“闘争組織”を対置し、“権力奪取”のためのゲリラ闘争を呼号することにもなりかねない。また、氏が、この”大胆さ”と“勇敢”をかいて、この路線を貫徹させようとすれば、せいぜい、労働者大衆の要求と意識と無縁の、レーニンを歪少化した“外部注入論”に依拠して、無内容な”革命”主義を普及させること、 一種の左翼的伝道師の道をたどらざるをえない。われわれは「前衛党の問題に立ち帰る」 ことの必要をけっして否定しないばかりか、むしろそのためにこそと問題をたててきた。だが、われわれは、けっしてこのような活動を性急に求めないし、またそれを主目的とする理解を必要ともしていない。われわれに必要なのは、あくまでも 「すでに立ちあがりつつある大衆をたすけて、彼らがいっそう大胆に、いっそう心をあわせて決起するようにならせ…補捉しえない個人、大衆に方向をしめす能力をもった真の戦闘組織…(であり)…凡百の純インテリゲンツィァ組織や 『党』 (ではない)」(「新しい事件と古い問題」 レーニン)また、氏は、これを迫求すべき政府形態問題にふえんして、改良的要求=よりまし政府、革命的要求=反独占人民政府と図式主義的に単純化し“社共連合政府”さえ全面的に否定しかねない態度で、それを当然考慮の対象にしようとする立場を、かの有名なゴーゴリの主人公になぞらえてやゆしているが、卒直にいってわれわれは、アカーキー・アカキェビッチがあらゆる苦闘の末にようやく手に入れた新品の外とうが、このような超革命的言動によって略奪されないよう、また“哀れな大衆”が怨霊にならないよう、最大限の注意をはらわなくてはなるまい。氏が、このように、それが政治戦線統一の基礎であり政治戦線統一を促進する大衆的圧力そのものである強大な労働組合運動の統一がいまだ形成されないもとで、(よりまし政府さえが容易にできはしない条件下で)、一方でかかる課題(労働戦線の統一)を“経済主義”的路線といって軽視しながら、他方において革命政府を要求するのは、社共両党が議会主義的分裂主義的に、あれこれの過渡的政府形態を要求すると同様の、あるいは、氏が政府を構成しうる責任ある政治勢力を代表しているのでないからそれ以上に、政治的に無恥な、客観的に大衆の要求と対立する姿勢といわねばならない。

党をもてあそぶな(レーニン)
 宮本派の右翼的偏向がわが国の大衆運動と階級闘争を先進資本主義諸国にくらべて大巾に立ちおくれさせ、結果として三〇数年にわたる自民党政府の不動の政治独占を許してきた根源的問題であることは、氏もいうとおり、良心的な共産主義者のあいだではまったく共通の認識となっている。だが、これに対置して前衛党確立を提起するのは、それほど自明の真理でもなければ、その意図のいかんを問わず、つねに正しいとはいいきれない問題である。われわれのささやかな経験と見聞ー一九六七年の“総結集”運動の坐折、あるいは日本共産党の最古参幹部のひとりである志賀義雄氏によって主掌される“日本のこえ” が別党コースを否定しながらも別組織を形成していること、さらにさかのぼれば、日共第八回大会直前に現在の条件とはちがうとはいえ春日庄次郎氏などの一部中央委員が“離党主義”という批判をあえてかえりみず”別党”を組織しようとした事実などーを少しでも想起すれば、”真の前衛党の確立”が、 一般的要求としてはともかくも、現実の組織方針としては、良心的共産主義者のあいだでも容易に一致しうる問題でないことは明らかである。それは、日共が三〇数万人の党員と二百数十万部の政治機関紙をもち、名称、形態において前衛党でありしかも、国際的に一定の評価を受けながら、その本質において右翼的偏向をおかしているという、古今東西の共産主義運動の歴史においてまったく未経験の、特殊な条件下にわれわれがおかれていることとおおいに関連している。それゆえ、 一般論としては再言する必要もない自明の真理を、あえて氏のように提起するからには、それなりの理由があるのではないかと期待するのは無理からぬことである。しかし、氏は、それ以上なにも語ろうとしていない。だから、われわれは、氏につぎのように忠言する義務がある。
 問題の性質上、あるいは、宮本派以外のすべての共産主義的諸潮流がすでに”党”の必要性を千回も万回もくり返したあとでは、なおさら、この問題は、わが国の階級闘争のおかれた客観的諸条件の全面的な科学的分析と変革主体の側の歴史的経験の真険な総括にもとづき、求められている党がいかなる具体的な形態・内容をもち、その形成に必要な条件がなんであるかを明らかにし、しかも、現に存在する良心的共産主義者のあいだの共通の問題として、共同討議を喚起するにふさわしい手続をふまえて、注意深く提起されなければならない。

 そうでなければ“自覚的規律”にもとずき一定の結集につとめ、大衆運動に責任を負うことに最大の関心を払ってきた諸グループ(「知識と労働」グループもそのひとつである)のあいだに、無用の混乱と対立をうみ出し、宮本派に批判的な良心的な共産主義者の政治的結集と影響力そのものを弱め、結果として、宮本派を激励することになる。氏が、宮本派を打倒し、それにかわる前衛党形成を目ざすのであれば、ぜひ冷静にこの現実をみてほしい。さらに、われわれは、こうは思いたくないしそうさせてはならないが、こういった思想と提案が、政治的経験の浅い青年学生のあいだに、大衆運動より主体形成といった、過去において学生組織(民学同)の分裂の契機ともなった、あのいまわしい偏向をあらたに再生産する結果になりはしないか、また前章において指摘したように、氏が、前衛党確立に性急なあまり、労働組合運動に革命的運動を対置し、それにしたがわない者を、あまねく、“経済主義的・解党主義的”と批判しかねない論理を展開していたことから、客観的に、氏の前衛党論が、党の源泉である大衆運動の発展に基礎をおかない、つまり、レーニンの拒否した「凡百の純インテリゲンチァ組織」 のひとつの誕生につながりはしないかと真険に憂慮される。
 「ロシア革命の全歴史がしめすところによれば、革命運動の強力な高揚はすべてこのような大衆的な経済運動を基礎としてのみ発生した。 (それゆえ)すべての党組織はこの現象にもっとも真剣な注意を払うこと、…大衆の間の経済的せん動にできるだけ多くの党勢力を集中することが必要である。ほかならぬこの経済運動を、革命的危機全体の根本的な源またもっとも重要な基礎として考慮しなければならない」(レーニン)(傍点ー引用者)のであり、労働者階級がこの社会の絶対的多数派となった今日の国独資下においては、このことはいっそう力をこめて強調されなければならない。

反独占民主改革プログラムの緊急性とは
 最後にこれは予断になるかもしれないが、氏が悪名高い、かの“ベルンシュタイン病”の政治的”ワクチン”として提起し、マルクス主義者の注意を換起しようとしている”反独占民主改革プログラム”確立と宣伝活動の緊急性について、これが、はたして、わが国の階級闘争の前進にとって、根源的な課題であるかどうかについて一言しておく。
 この場合、われわれは、このプログラムがもちこまれるべき労働運動の主体的状況としてまず、わが国の労働組合運動が現在おちいっている、各単産、ナショナルセンターに共通な、政治路線と支持政党の相異を主因とする深刻な分裂状態を考慮しなければならない。周知のごとく、総評は”安保破棄・反戦平和””自民党政府打倒”を政治要求としてかかげている。また、その七五春闘方針は、反独占的な制度要求さえ含んでいる。他方、 同盟は”安保、自衛隊の存続を承認”し“民主社会主義”をめざし、総評と対立している。
この現実をいかに打開し、運動と組織を統一するか。反独占的な基本方向において、労働戦線統一をいかにして構築するか。またこれに向けて一歩でも接近するためになにをなすべきか。 これが焦眉の課題である。これに対し、氏のように、運動の現状をまったく無視して革命的空語を注入することが、これに役立つかどうか。これは、かえって、分裂を固定化したり拡大する結果をまねきはしないか。ここでは、これ以上、くどくどとのべる余裕はないが、労働戦線統一の基本問題を具体的に追求した 「知・労」第二号の拙論を参考にしていただきたい。
 われわれは 「日程にのぼっている諸問題が諸政党に対する巧妙な提案だけによってあるいは正しい政治、綱領的な提案を作成し、普及することによって解決されるかもしれないと考えるような情ない立場」(『イタリア共産党第一四回大会準備について』ベルリングェル)にけっしておちいってはならない。必要なのは、大衆をいまただちに立ちあがらせる具体的な政策と戦術であり、それに依拠して、われわれが大衆の先頭に立ってたたかうことである 「(なぜなら)第一の必要は労働運動と民主主義に向かっておこなわれている攻撃をはねのけねばならないからである」(ベルリングェル)このような現実を無視し、政府に参加する主体的条件もない、それゆえに、プログラムの実行にならん責任をもてないみずからの立場を考慮せずに、“プログラム確立とその宣伝”を至上のものとし、これなしには不可避的に ベルンシュタイン病にかかるなどと極言するのは間違っている。また、かかる主体的条件を熟慮して、あえて“プログラム””テーゼ”などと大言壮語せずに、現実の運動の一歩一歩を”一ダースの綱領よりも重視する”人々をおしなべて「日和見主義者」 「改良主義者」などと誹謗してはばからないのは書生の金切声以外のなにものでもない。
 すでにのべたように、われわれには、残念なことであるが、残された課題が山積している。だから”はじめにロゴスあり” といって高踏的に説教しているわけにはいかない。大衆的基盤をもったフランス共産党でさえが、その”先進的民主主義・社会主義のためのプログラム”を確定するまでに十分時間をかけ大衆の意識と運動の諸経験をふまえ 「独占資本にみずから生み出した先鋭化した経済的、社会的矛盾を解決する能力がないことが明らかになり(大衆的に)運動は、是非とも必要となった緊急の諸要求の充足の粋を越えて、この社会のもっとも根本的で決定的な変革にむかって進まざるをえなかった」(フランス共産党第二一回大会政治報告)あの歴史的な一九六八年五ー六月闘争の真剣な総括をまってはじめて決定されたのである。
 氏も、ぜひ、この事実を教訓として、銘記してほしい。

☆  ☆  ☆
 以上、田崎晋氏の諸見解について(氏の主観的意図の純粋さと革命的精神の高さを十分評価しつつ)検討を加えできるだけ直裁に、卒直に批判してきた。運動にたずさわる者のあいだに、このような、現実の運動の基本方針、具体的政策と戦術をめぐって、意見の相異や不一致が生ずるのは、あえて驚くに価しない。なぜなら、われわれをとりまく客観情勢および主体諸勢力の要求と運動はそれほど複雑かつ豊富であり、要は、われわれが意見の相異と不一致そのものを敵対的な非和解的関係とみなすことなく、あくまでも、理論的思想的問題の領域において、納得と説得にもとずく、批判と自己批判、自由な討論を展開しうるかどうかである。このようなマルクス主義者の当然の民主的手続と自覚的規律を無視し、いたずらに政治的組織的対立をあおりたてるのは間違いであるばかりか犯罪的でさえある。
 だから、われわれは、最後に、田崎氏に、このマルクス主義者の原則的立場にたち、ねばり強く、真剣に討論と相互批判を展開されるよう心から呼びかけたい。
(一九七五・二・九)

カテゴリー: 民学同, 社会運動, 運動史 | 古くて新しい問題 –田崎論文批判–(知識と労働討議資料) はコメントを受け付けていません