【投稿】「南京1937ーDON’TCRY,NANKINGー」を観て

【投稿】「南京1937ーDON’TCRY,NANKINGー」を観て

1937年12月13日、中国への全面的な侵略戦争をすすめていた日本軍は、当時の中国の首都・南京を占領、そのさい組織的な大虐殺をひきおこし、世界に衝撃をあたえた。南京事件から60年目の今年12月6日、大阪ドーンセンターにて、映画「南京1937」を観た。開演時間ぎりぎりに7階ホールに走りこんだ時には、会場は超満員で、私たちは通路にすわる羽目になった。
「1937年7月、北京郊外の蘆溝橋で数発の銃声が響いた。日本軍に対する中国軍の実弾射撃と判断した日本軍は、中国軍への攻撃を一斉に開始した。この蘆溝橋事件に端を発し、日中は全面戦争に突入する。
1937年8月、上海での海軍陸戦隊と中国軍との交戦以降、日本軍の中国本土への侵略は激しさを増していった。中支那派遣軍と11月に抗州湾に上陸した第10軍は、中国軍を追撃して首都南京に迫った。12月10日、日本軍は南京への総攻撃を開始した。日本軍の猛烈な爆撃と大量の重火器の投入により、中国軍は総崩れとなり、12月13日南京は陥落する。この時、南京城内には難民区に避難した25万人以上の住民と、敗走兵、難民らが流れ込んでいた。また、南京郊外にも20万人前後の住民が避難していた。
日本軍は、上海攻略以降、中国軍の猛烈な抵抗にあった。南京占領後、日本軍は、捕虜、一般住民、婦女子に残虐行為を尽くし、草鞋峡での5万7千人に及ぶ殺害のほか、中国側によれば、30万人にものぼる中国人を虐殺したといわれている。(日本側の研究では、十数万人から約20万人と推定されている)これが、『南京大虐殺』と呼ばれるものである。
『南京1937』はこの事件を背景に、上海から南京へ避難する中国人医師と日本人妻の一家を中心に、三つの家族を通して、戦争の残虐さや、人間の狂気が渦巻く中で庶民がいかに生き、民族を越えて人がいかに人を愛したかを描いている。」(映画パンフレットの解説より)
石子順さん(映画評論家)が書いているように、「つらい映画である。しかし、見つめなくてはならない映画である。」私は、このような映画を観ると、年をとったせいもあり、若い時以上に胸がしめつけられ、後頭部がガンガンして本当に苦しくなる。でも、「かつての日本の戦争が侵略戦争であったと認めないで、『自衛』の戦争だったとか、『アジア解放』の戦争などと合理化したり美化したりする勢力が日本国内にまだたくさん存在している」現実がある限り、日本兵の目をおおうような残虐行為ー大量銃殺シーンや子ども・老人・女性に対する殺りく、暴行の数々を正視しておかなければならない。
先月末に新著「南京事件」(岩波新書)を出した笠原十九司宇都宮大学教授(中国近現代史)は、「11月末にアメリカのプリンストン大学の『南京事件国際会議』に参加して、南京事件を原爆やナチス、ボスニアなどの人類の犯したホロコーストの一つとして共通にとらえ、人類の共存にむけて歴史の教訓を得ようという意識を強く感じた。南京事件のことを教えるのが自虐的だなどというのは歴史の進歩に背をむけた狭い見方であり、21世紀に向けて人類のモラル・アイデンテイテイー(道義的自己主体性)を形成しようという世界史の流れに逆行するものだ。」と語っている。
そして、この映画の呉子牛(ウー・ツウニユウ)監督は、「ニーハオ 日本の皆様」と題する手紙の中で、こう言っている。「私は、『人類の恥辱である戦争の実態を正視することにより、この恥辱を消滅させ、人類の進歩を獲得することができる』と常に思っています。そして、この映画で民族的な恨みではなく生命の貴さを訴えたい。崇高な愛がなければ、人類は遠からず終末を迎えることでしょう。これがこの作品を製作した究極の目的です。」
この監督の想いは、映画のラストシーンに凝縮されている。早乙女愛さん扮する理恵子は悲惨な状況のなか中国人の夫・成賢(チヨン・シエン)との子どもを生み、その“南京”と名付けられた赤ん坊や大勢の子どもたちを小学校教師・書琴(シユーチン)たちが長江に逃がす場面だ。長江の悠久さと夕焼け空の美しさにも増して、私の心を揺さぶったのは、バックに流れる歌声である。「南京よ泣かないで/子どもたちよ泣かないで・・・」
自主上映なので、近くの映画館へどうぞと紹介できないのが少し残念ですが、参考までに、「南京1937」全国上映委員会の住所と電話番号を載せておきます。
〒453 名古屋市中村区椿町8ー12 Tel.052(452)6036
(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.241 1997年12月20日

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【投稿】 まやかしの国債発行か、所得税減税か

【投稿】 まやかしの国債発行か、所得税減税か

<<号泣せんばかりの涙、涙>>
前号で株価暴落を取り上げ、日本の金融システムが戦後初の機能麻痺に陥っていることを問題にした直後から、あれよあれよという間に事態が急進展してきている。北海道拓殖銀行、山一証券、徳陽シティ銀行の破綻と、金融機関の破産の連続である。毎日新聞社のエコノミスト誌の大見出しは「金融恐慌 本当に来た」(12/2号)、「銀行・証券 連鎖崩壊」(12/9号)、「金融恐慌シナリオ」(12/16号)と、事態の急迫に警鐘を鳴らしている。さらにそれは1930年代の世界恐慌との類似性を論議する動きにまで発展している。事態の進展は単純ではありえないし、歴史が同じ形態を取って繰り返されることはありえないであろう。
であればこそ、現実の具体的で、それぞれに固有な特徴と本質を見ておく必要があるように思われる。その筆頭は、山一証券の破綻の経緯である。
11/24自主廃業を発表した同社の野沢社長は涙を流しながら記者会見し、「社員に責任はありません、社員は悪くない。社員を助けてやってください」と号泣せんばかりの姿がテレビで何度も放映されていたことは周知の通りである。
ところが、ここに至る直前まで、同社の株が大量に売買されていた。旧経営陣は、廃業を前提にいわばインサイダー取引として大量に彼らの個人所有株を売り急ぎ、他方、社員や顧客には「破綻はありえない」として、「安値はチャンスでもある。会社に忠誠心があるなら、客にも社員にも山一株を買わせろ」と指示を出し(12/7朝日)、11/19からの3日間だけで、山一証券自身を通じた取り引きだけでも、「買い」が約7300万株、「売り」が約3400万株、と「買い」が大幅に超過したという。

<<山一の空売り>>
実は1ヵ月以上も前から、「山一の空売り」(借株を高値で売り、安値で買い戻して借株を返し、差益を稼ぐ)が断続的に行われており、これには海外投機筋のみならず、山一経営陣も大きく関与していた。その売買のピークが11/20であった。この日、日本経済新聞が山一の2000年までのリストラ合理化計画を評価し、これをメインバンクの富士銀行が支援するという談話を掲載。前日まで58円に急落していた山一株が一挙に出来高トップに躍り出て、約2倍の108円のストップ高を記録する。ところがその同じ日経が11/22には「山一、自主廃業」情報を掲載すると、当の山一と富士銀行に通告、事実、朝刊トップに掲載するという事態に進展。週明けの24日には情報通り自主廃業を決定している。この一連の経過には明らかに意図的な情報操作と大蔵省からの情報リークがみえみえである。とにかく、山一株は一転して「売り殺到」でストップ安を続け、27日にはついに1円にまで下がり、今や紙屑となってしまったのである。この3日間の間に買われた山一株は2億株を上回り、その資金約200億円があっというまに失われ、その背後でぼろ儲けをしたのが、投機筋と実は山一経営陣そのものであったことは間違いない。彼らにいっぱい食わされた一般投資家や山一の顧客、それに会社からの要請と愛社精神、差益獲得のチャンス到来と、借金をしてまで自社株買いに走った山一の多くの一般社員が犠牲者であった。
これにはさらに尾ひれがつく。山一経営陣がわざわざ自社株買いの貸付金を社員に提供したのは、倒産後の給料、ボーナス、退職金を棒引きにする陰謀であったというものである。その後の事態は結果としてこの事を立証しているとも言えよう。記者会見でいくら社長に涙を流されても、怒りは納まらないであろう。

<<日銀が世界一の不良銀行>>
ここで、「自主廃業」という方針が実にうさんくさいといえよう。「破産」となると、法的整理として第三者の管財人が入り、経営の実態、粉飾決算の手口、政治家、裏世界などの特定顧客・「優良」・税金逃れの顧客の状況、「飛ばし」の実態、簿外債務の全容が明らかになりかねない。これを恐れた大蔵・政界・山一一体の疑惑隠し、情報秘匿が「自主廃業」を選択させ、意図的な情報操作をしてまでそこに追い込んだものといえる。大蔵省の証券局長などは、山一の自主廃業は「市場の宣告」であり、「望ましい」ことであるなどとニヤニヤしながら記者会見をしていたが、市場に何らの情報公開もしない、不信感を募らせるだけの日本の金融システム当局者の寒々とした無責任極まる実態が浮き彫りになっただけである。
ここでさらに重要な問題は、この山一証券破綻で、こうした問題での情報開示や制限を一切問わないままに、「臨時異例の措置」だとして日銀特融を行ったことである。それはこれまでの「証券会社に特融は出さない」という原則を踏み外していることである。もともと銀行、信金、信組などが扱っている預金が元本保証されているのに対し、そもそも元本保証されていない証券会社や投資信託会社のリスクの伴う金融商品についてまで日銀特融がありえるのかという根本的疑問を、この際、金融システム安定化のためにはやむをえないとして一挙に野放しの拡大をしたことである。さらにこれによって、個人の預金だけではなく、預金保険法では保護されていない外貨預金、生命保険会社の債券などまでが全額保護されることになった。
ここに日銀特融は、無利子・無担保・無制限の特別融資として、返済される見通しもない乱脈融資そのものになりかねない事態に直面しているのである。現在その総額は、11月末で、3兆4500億円に達しており、2001年3月までは、資金供給を続けるとしている。最悪の場合、日銀は回収不能な、膨大な不良債権を持ち続け、日銀が世界一の不良銀行に転落する現実的可能性が大であるといえよう。

<<「新型国債」のまやかし>>
さらにこの機に乗じて登場してきた財投資金の投入は、さらに不透明な隠れ借金を上乗せして、国民の目を欺くものといえよう。投入論の本命は梶山前官房長官が出した試案であるが、政府が保有しているNTTや日本たばこ産業などの株式売却益を担保にした「新型国債」なるものを提唱し、破綻寸前の銀行などが出す優先株を一般財源で買い取ろうというものである。旧国鉄債務の28兆円をはじめ、財投がらみの長期債務は巨額に膨れ上がっており、これにさらに民間の不良債権を、預金者保護を名目に、実際には不良債権を税金で買い上げ、政府の不良債権に付け替えるだけのものである。この提案には明らかなまやかしがある。政府保有株の売却益は国債の元利を返す資金に充当されるもので、その返済財源を先に食いつぶしてしまおうというのがこの提案の本質である。
経営に不安のある金融機関が発行する株式を公的資金で買い取り、破綻を事前に防ごうという考えは、情報開示や透明性、自己責任が求められる金融改革の流れに完全に反するものである。銀行業界は超低金利のもとで、年間8兆円もの業務純益を上げ、中小零細事業者には貸し渋り、厳しい取り立てを行い、その中小零細には介入同然のディスクロージャ(情報開示)を要求しながら、みずからに対しては徹底してディスクロージャを拒否してきたのが実態である。
全国銀行協会の佐伯会長自身が「(不良債権処理は)きわめて順調に進んでいる。年間の業務純益は8兆円ほどあるから全体としては償却は終わりに近づいている」(12/1日経)と言明しているほどである。さらに今回の預金保険法改正で、経営困難な銀行同士の
合併にまで資金援助できる道を開いて、福徳銀行となにわ銀行の合併(来年10月)にこれを適用することを大蔵省は言明したのであるが、肝心の両銀行は、合併合意に際し、「不良債権は3年以内に処理を完了する」と公表しており、自力処理を約束している銀行にまで押し付け資金援助の道を開いている。そこには明らかに意図的な政治的錯誤があるといえよう。

<<東京の動向に全神経を集中>>
12/7、自民党の山崎政調会長が「(政府の)外貨準備を金融機関の経営体質強化のために使うことも一案ではないか。外国の債券を売ってドル預金する手だてなどこれから議論したい」と発言した。政府保有の米国債などの売却で調達したドル資金を外国為替管理特別会計を通じて都市銀行などに預ける「外貨預託」を前向きに検討する考えを示したのである。
12/8付けニューヨーク・タイムズはただちにこれに反応、「日本政府、財務省証券売却を示唆」という見出しで、「日本が売却を始めたら、証券価格が暴落し、金利が急騰する」、「米国の株式市場が大幅に値下がりし、世界市場に悪影響を及ぼす」可能性を指摘し、さらに同日のウォールストリート・ジャーナルも、日本政府が、資金確保を米国債権売却によって捻出する場合には、急激な円高・ドル安を招く懸念があると指摘、今ウォール街の通貨取引業者は「日本の経済刺激政策法案のニュースに全神経を集中」させていると報じている。日本の政府当局者、与党の一挙一動が直ちに世界市場の動向に関与し、左右しかねない不安定な事態が進行している証左でもある。ホワトハウス当局者は、「全く軽率な発言だ。他国の国債売却などは静かにやるべきで、公然と口にするとは失礼だ」(12/10日経)と述べているが、彼らとて東京の動向に全神経を集中しているとも言えよう。
アメリカでは、1930年代の世界恐慌との類似性を論議する動きが活発になっており、アメリカン・エンタープライズ研究所のJ・メイキン主任研究員は「30年代の世界恐慌を特徴づける3条件が整う兆しが出ている」と指摘する(12/5日経)。3条件とは、デフレ、通貨の切下げ競争、保護主義である。すでに前の二つは今回のアジアの通貨危機の中で現在進行中である。その結果としてアメリカの貿易赤字が再び増え始め、7-9月期で15.5%増加、米経常収支赤字も11.4%拡大している。議会では大統領に一括通商交渉権を与える法案が否決され、保護主義ムードが活性化している。12/8付けワシントン・ポストは、昨今の米国議会は「国際化恐怖症(Globalphobia)」に陥っていると形容し、米国が孤立主義・保護主義に傾斜し始めていることに警告を発している。
欧州は通貨統合という目標に向けて財政赤字削減一辺倒に押し流され、日本は赤字国債脱却が自己目的化して、いずれも景気浮揚政策に逆行する政策に拘泥しているのが現実の姿である。「かつて米国でもフーバー大統領が景気後退期に均衡財政を主張した。その結果、彼は1929年の大恐慌を招いた。」(ドーンブッシュ・MIT教授、12/10日経)このドーンブッシュ教授、「アジアは日本を中心にして大恐慌に入り始めているかもしれない」とも指摘している。

<<「緊急事態です。買ってください」>>
ここで共通に根本的に問われているのは、バブル経営やデタラメ経営破綻の尻拭いのための後ろ向きの対策や、財政健全化至上主義という硬直的な姿勢の堅持ではなく、実体経済を活性化させる景気浮揚政策であるといえよう。
決定的で本質的なことは、経済成長がマイナス成長に転換し始め、個人消費の不振がきわめて深刻になってきていることである。今年度の個人消費が前年度比で、実に戦後初めて減少する可能性、物価上昇率を差し引いた実質ベースの予測で、0.7-0.8%の減少がほぼ確実となっている。昨年、96年度の個人消費の総額は、「民間最終消費支出」として実質285兆円、国内総生産(GDP)の6割を占めていたものが、戦後初の減少を記録しようとしているのである。
企業倒産も「過去最悪の年」になり、11月までの累計で負債総額が11兆2749億円に達しており、年間で12兆円に迫る勢いとなっており、この中には、山一や北海道拓殖銀行は含まれていない。百貨店、スーパーの売り上げもほとんどが昨年実績を下回っており、好調だったパソコン関係も苦戦続きで、売上高前年割れの状態が続いている。海外旅行ブームも今や円安と景気低迷のダブルパンチで、17年ぶりに前年を下回ろうとしている。
大手紳士服専門店のコナカとアオキインターナショナルが「緊急事態です。買ってください。お願いします。」と悲鳴にも似た叫びを大書したチラシを新聞に折り込み、最大85%割引まで打ち出しているが、紳士服専門店各社は軒並み前年実績割れである。
こうした事態は、4月の消費税率引き上げ、特別減税打ち切り、社会保険料負担の増大、医療費負担の引き上げ、全体で9兆円を超える負担増、実質可処分所得の大幅な減少があったことからすれば当然のことである。この点では明らかな政策不況である。金融機関破綻処理への公的資金導入はさらに税負担を増大させることにしかつながらない。
今、決定的に必要なのは、史上最大規模の所得税減税だといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.241 1997年12月20日

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【投稿】小野義彦没後7年に寄せて

Assert No.241(1997年12月) No.242(1998年1月)に掲載

【投稿】小野義彦没後7年に寄せて
                         今市 右田代

小野義彦が逝って、今年11月19日で満7年が経過した。小野義彦が残した多くの事績について、この辺で振り返って見たい。
改めて言うまでもなく、小野義彦は共産主義者であった。だが私は、従来の意味での「共産主義者」ではなかったし、四半世紀以上前に小野の書を読み講演を聞いて私淑していた者に過ぎず、学卒後は小野の教えからも遠く離れ、如何なる政治運動や思想からも無縁の市井の一市民・一読者として暮らしてきた。近頃、多少はモノを書くようにもなったが、左からは右翼反動と言われ右からは極左と見なされているようで、つまりは気楽な放言者に過ぎない。従って、小野の言説と活動とに対する評価者としての資格に欠けるであろうことは十分に承知しているが、まるで異なる立場に立つからこそ言い得ることもあろう。 続きを読む

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【書評】大沢在昌『氷舞(こおりまい)・新宿鮫』

【書評】大沢在昌『氷舞(こおりまい)・新宿鮫』
                 (1997.10.25.発行、光文社、848円)

ハードボイルド作家・大沢在昌の人気シリーズ『氷舞・新宿鮫・』が刊行された。前作『炎蛹(ほのおさなぎ)・新宿鮫・』から2年ぶりの新作である。
大沢は、これ以外にも精力的にハードボイルドを書いており、評判になった作品も多い。(例えば、『走らなあかん、夜明けまで』・93年、『天使の牙』・95年、等) しかし『新宿鮫』シリーズは、そこに社会批判的側面──特に国家権力の中枢を占める巨大組織中の巨大組織である警察官僚機構に対する批判──によって、彼の他の作品群とは際立って異なった特徴をもっている。
主人公である新宿署刑事・鮫島は、国家公務員上級試験合格のキャリア(20万警察官中の500人のエリート)でありながら、過去のある事件との関わりで、所轄署である新宿署生活安全課の警部に留め置かれている。この鮫島をめぐって、シリーズでは、現代風俗・文化の最前線の事件が展開することになる。
本書では、クレジットカードの盗難直後の次の日に、そのカードが東南アジアで不正使用されるという国際犯罪事件が端緒となって、これが、新宿に縄張りをもつ暴力団との関わり、さらにはその暴力団が扱うコカインとの関係で南米コロンビアへと拡大していく。そしてこの複雑に絡み合う国際犯罪ネットワークに加えて、CIA及び日本の公安警察が絡むことによって、事件は一挙に国家機密を要する政治問題の様相を帯びてくる。
すなわちこのような事件の背景に、保守党の選挙での大敗による保革連立政府とその中での主導権争いが、戦後政治の暗部を引きずって浮かび上がってくるのである。
事件の詳細とその解決は、本書を読んでいただく以外にはないが、本書で注目するべきは、筋の複雑さと鮫島のダイナミックな捜査とともに、警察機構内部の対立であろう。東京警視庁と神奈川県警の対立を始めとして、警視庁本庁とその所轄署、警視庁内部での刑事部・捜査一課と公安警察、さらには公安警察の中でも表の顔のエリートである外事課と裏の顔である公安総務課という熾烈な対立抗争、縄張り争いである。そしてこれらすべての対立の前提として、エリートであるキャリアと大多数のノンキャリアの警察官との越え難い対立が存在する。
これらがそれぞれの立場から事件を、ある時には秘匿し、またある時には駆け引きの材料として、自組織に有利な方へと引っ張っていくのである。それ故事件は、社会正義というような視点からではなくて、主要には政治的判断や組織のプライドやメンツといった上層部からの視点で扱われることになる。
このような警察機構について鮫島は、かつて同期であり今は外事一課長で、二階級上の警視正として順当に権力の中枢へと向かっている香田にこう批判する。
「現場にいるとな、わかることがある。キャリアは、自分たちが脳ミソで、ノンキャリアは皆、手か足だと思いこんでいる。考えるのはキャリアの仕事なのだから、手や足は考える必要がない、とな。だが手や足にも脳ミソはあるし、キャリアの脳ミソよりよっぽど上等な脳ミソだったりすることもあるんだ。ただ上等な脳ミソの持ち主は利口だから、キャリアの脳ミソを阿呆だと思っても、それを口にださないのさ」。
ここに吐露された現場の警察官の心情は傾聴に値するであろう。しかし同時にわれわれは、鮫島自身をも含めて彼らすべてが、客観的には権力機構の末端を支えていることを忘れてはなるまい。本書で示された、社会正義と政治的判断との矛盾もさることながら、社会正義を擁護すると同時に民衆を管理抑圧する機構として現実に機能しているこの権力機構の本来の性格を視野に入れておくことは重要であろう。この点で、作者が今後、どのように権力に迫っていくかは興味深い問題である。
なお本書には直接関係がないが、国家機構の他の職種がしばしば登場するのも本シリーズの特徴である。(例えば、国税局査察部[通称・マル査]が『屍蘭(しかばねらん)・新宿鮫・』・93年に、麻薬取締官事務所[通称・麻取]が『無間人形・新宿鮫・』・93年に、そして農水省植物防疫官が前作『炎蛹』・95年に登場する。)読者はこれらによって、国家権力のまた違った側面を垣間見ることができるであろう。
ミステリー作品の完成度としては、本書には事件の背景となった政治状況への結び付きにやや不自然さ不十分さがあり、前々作『無間人形』および前作『炎蛹』には及んでいない。しかし本書は、社会的風俗的背景から、政治的背景へとより高く社会批判の視点を移したという意味では評価される作品であり、本シリーズの他の諸作品とともに薦めたい。(R)

【出典】 アサート No.240 1997年11月28日

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【投稿】日本悲観論を考える( その1)

【投稿】日本悲観論を考える( その1)

<日本悲観論とは何か。>
それは、先月号でRさんの書評で紹介された日本経済新聞社の「2020年への警鐘」に特徴的な主張であり、日本が明らかに世界の中で「下り坂」を転げ始めたという議論である。 最近の日経新聞の論調にも特徴的に現われており、そこから導かれる結論は、「行財政改革」「金融改革」などを断行しないと、日本はだめになるという論調である。
これら悲観論は、Rさんものべているように妥当性のある側面を持っている。確かに「危機的状況」に立ち至り、「改革」あるいは「革命」なしには、21世紀を迎えられないという意識を我々にも与えている。
しかし、一例を労働規制の緩和議論に見ると、現状でも労基法違反企業があとを立たない状況での男女雇用均等法での規制緩和とは、あらゆる場面での男女平等措置が実効的に機能しない中で、一層の労働強化に繋がると懸念が広がっていることは当然と言える。
経済の低成長に止まらず、特に金融面で進行している事態は、明らかに日本経済の敗北を意味するものであり、将来への不安というより、今この時点での社会不安を惹起しつつある現状では、悲観論は、一層妥当性をもって受け入れられる可能性がある。
ただ財界主導の改革だから、弱者への犠牲のしわ寄せだからそれに反対する、というだけの議論では、実はもはやすまないところまで、根は深いものがあるのではないか、というのが筆者の実感である。

<悲観論に対する3つの傾向>
悲観論に対する対応は、3つの傾向があると思われる。
第1は、概ねこれら主張に同調し、「改革」を進めるべきだ、というもの。その改革とは、市場万能主義に基づく規制緩和、国際標準(グローバルスタンダード)をそのまま日本に適用しようとするなど財界の主流がその中心と思われるが、改革の中心軸論や段階論などをめぐって議論が多い。
第2は、日本がいろいろな意味で閉塞状況に立ち至っている現状は認めつつも、その方向などをめぐっては、必ずしも「市場万能論」に立たず、むしろ「社会的規制」のあり方については、弱者保護の立場に立とうとするものである。連合の新体制のもとで鷲尾会長が主張している傾向。これらの部分は、第1の部分と現状認識や問題意識において、一部共通のものがあるので、議論が成立する可能性がある。
第3には、日本共産党などの主張に顕著なように、第1の部分に反対する主張である。いわく、大企業からの増税、軍事費削減、公共事業の縮小により福祉拡大などの主張を対置している。
今後、それぞれの主張と傾向、問題点について、連載で整理していきたいと考えている。とりあえず、走りながら整理しようと思っているが、「日本経済の後退局面」にあって、悲観論に代表される、傾向に対して、どのような対抗軸が提起されているかを順次検証していきたいと考えている。
これから展開しようとしている本当の動機は、冷戦終結・非自民連立政権成立以後のこれまでの政治・経済・社会の激動の中で、戦略議論の希薄という状況(本誌も含めて)の中で、少なくとも向こう10年くらいのスパンで、我々がよって立つべき原点を確認したい、という願望の故である。日々多忙の中でなかなかまとまった検証と議論ができていない自分の反省も込めて、考えてみたい。
とりあえず、次回は日本共産党の戦略について、考えてみたい。(つづく:佐野)

【出典】 アサート No.240 1997年11月28日

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【投稿】巨大生協で腐敗疑惑–いずみ市民生協の場合

【投稿】巨大生協で腐敗疑惑–いずみ市民生協の場合

<副理事長辞任はしたが>
年間売上高約660億円、店舗26店舗、職員800人、組合員97年3月現在29万5千人。大阪府内ではトップの生協、いずみ市民生協で激震が続いている。
施設の私物化、ゴルフ漬け、生協予算の私物化、職員への退職強要など一連の副理事長による腐敗事件の公表とその処理をめぐる問題だ。
97年5月21日読売新聞が「いずみ生協、研修寮めぐり内紛」と、20日に行われた「いずみ市民生協総代会」で幹部研修寮の私物化問題で告発文書が配られ、常勤理事7名の内4人が解任されるなど、お家騒動があった、と報道。以来読売新聞がこの問題を主に報道していく。この告発文書を公表したグループは、生協中枢の良心派と見られるが、以後読売が中心になって、疑惑報道が続くとともに、以下のような展開を見せる。

97年5月25日「生協経費でゴルフ漬け:大阪いずみ生協副理事長」と報道
その後、26日には「ハワイの別荘、副理事長が独り占め」の報道があった。
29日には、大阪府が臨時の指導監査を行う旨の決定。
6月1日「いずみ市民生協理事長:府幹部をゴルフ接待94年から」。
6月2日 いずみ生協副理事長:私物化は否定するも、疑惑の責任を取ると辞任を発表。

<内部告発者を解雇、恐怖経営の実態>
言うまでもなく、生活共同組合は「生協法」に基づく公的団体であり、大きな意味でNPOである。私企業ではなく、組合員から少額の出資金を募り、物資の購入、低廉な価格で販売するという勤労者のための組合である。コーポラティズムという共同購入を通じて、単に安く販売するという原点から発展して、最近では無農薬野菜、産地直販による新鮮さ、さまざまな有害食品との訣別など消費者運動としてその地位を築いてきた。そして、いずみ市民生協は特に大阪南部を基点に全国9位の規模をもつ「巨大生協」に他ならない。
自治体職場でのいずみ市民生協を見れば、明らかに共産党系労組と結びつき、その活動を展開してきた。私にとっては、「共産党生協」だ。
そうした巨大生協でなにが起こったのか。
私の手元に「”いずみ”を組合員にとりもどす会」のパンフレット( 以下パンフと呼ぶ) これが問題の告発文書に他ならない。発行者は3名。内ふたりは、97年6月10日付けでいずみ市民生協から懲戒解雇されたと記載されている。それまでの肩書きは「元開発部長、(現在は総務部次長)」と「役員室長」。残るひとりは「元役員室長(現共同購入部次長) でまだ現役だ。( これ以後の展開でどうなったかは?)

明らかになった疑惑は、すべて辞任した比嘉副理事長とその側近達に絡んだもの。
第1は、大阪狭山市内にある「研修寮」として建設された施設が、事実上副理事長の私邸として利用され、土地は副理事長個人の登記だが、建築物は未登記で建設は生協が幹部研修施設として費用負担。生協は副理事長に借地料を支払っていたが、研修施設目的には一切利用されていなかった、というもの。
第2は、副理事長が96年1月から97年3月までの間に、接待、私的ゴルフに国内だけで84回、約1650万円の生協負担で、ゴルフ漬けになっているもの。その同行者の中に、「行政関係者」や「いずみ労組幹部」の名前も頻繁に出てくる。
第3は、ハワイにコンドミニアムを「組合員・役職員の福利厚生のため」と確保したが、事実上、副理事長の私物化されている。( 福利厚生というのは、後からデッチ上げたらしく、当初から副理事長の私邸扱いだったらしい)
第4は、高額医療機関の、これまた副理事長の私的利用に対して生協が年間500万円を超える負担を行っていること。
さらに職員の労働条件は、実超勤が60~80時間はあるのに、月8時間しか手当てが支払われていない、など過重な労働と、副理事長のワンマン経営の結果、95年には100名、そして96年には132名の職員が退職していったこと、などである。(以上パンフより)

<9月臨時総代会では、反対が100名も>
副理事長辞任の後も、日本生協連が調査を実施し「前副理事長の行為は生協トップのモラルを逸脱しており、生協の対応も都合の悪いことを隠蔽しようとしている」「これまでの情報や資料から判断して、『事実無根』とは考えられない」「( 内部告発への対応について)組織破壊の陰謀ととらえ、事実関係を究明しようとしない姿勢は生協としてふさわしいものとはいえない。批判や異論も出せる民主的な職場であれば告発に出なくてもよかったはず」と同生協の運営に疑問を投げかけ、調査継続とするなど、内外からの批判が相次ぐことになる。さらに8月には、日本生協連が「一連の問題に対して反省がない」と前副理事長に損失補填要求するとともに、理事会の責任を明らかにするよう、異例の勧告を行う事態となった。
組合員からの要求などを受けて9月16日には、臨時総代会が開かれ、研修施設等の有効利用など改善案が提案された。定数の5分の1近い100名余りの総代が反対の意思を示したという。これまで、ほとんど満場一致で可決されてきた経過とは様替わりとなった。

<国税調査がはじまったが・・.>
一方、解雇された職員らは、すでに前副理事長に対して、業務上横領での告発をおこなっており、私物化の断罪はこれからである。さらに、大阪国税局が9月中旬、「資産私物化」と「不正な会計処理」に対して、税務調査に乗り出すなど、法的な解明も開始されている。
しかし、どうしも、なぜ?と考えざるをえない。この前副理事長は74年の生協設立以来の役員で、いずみ生協を育てた第一人者という実績らしいが、やっていたのは、そこらの俄か成り金企業のワンマン社長と変わらない。さらに、おそらく生協の役員クラスは、おそらく共産党員ないしはシンパと思われるが、こうした「不公正」「乱脈」な生協私物化を阻止できなかったのか、ということである。
パンフの最後のページでは、2名の解雇者が、「告発の報復としての懲戒解雇に抗議する」や「嘘とデッチあげで解雇、これはファシズムだ」と訴えを載せている。いずれも生協中枢にいた人々で、「わたしは比嘉氏や西専務らの関わったサギ、横領、背任の証拠をすべて持っています。すでに地検特捜部にも提出している」と語っている。
9月総代会は、まだまだ「いずみ生協を守れ」みたいな、共産党や生協幹部の息のかかった総代多数で、真相解明が見送られたが、いずれ司直の手が闇を照らすことは明らかだ。

<一番恐れているのは共産党?>
これら告発者もおそらくは共産党に近い人々だと思われる。いわば内紛というわけだ。共産党だろうと自民党だろうと、組織の私物化、横領、背任は組織自らが解明すべきで、検察への告発は最後の手段だ。まさに外部にしか頼れないほど、いずみ生協の腐敗が進み、民主的運営が不可能になっていたのだろう。こうして「いずみ生協の腐敗と内紛」の解明を一番恐れているのは、共産党ではないか。前副理事長が共産党員であった可能性が非常に高いからだ。
告発者達は、疑惑の解明を求めながら、「組合員が主人公になる”いずみ”の再生と、不当解雇撤回は同じもの」として、いずみ生協の活動強化を語っている。複雑な思いのする表現であるが、徹底した解明と責任の明確化が求められている。(97ー11 H・I)

【出典】 アサート No.240 1997年11月28日

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【投稿】サナダ・ユキムラ作戦 PARTⅡ

【投稿】サナダ・ユキムラ作戦 PARTⅡ

村山富市の提案は、離職した炭鉱労働者に、トンネルの掘削を請け負ってもらえば良い、という突拍子もないものだった。
しかし、リマ事件の時も炭鉱労働者が、突入用トンネル造りに動員されたということであり、人が通れるだけの大きさで良いのだから、一理あるかと小沢は思った。
だが、やはり失敗した時のことを考えると、迂闊に承諾するわけにはいかない、やはりこのじじいは自分の足をひっぱりにきたのではないかと、小沢は疑いの眼差しを向けながら、村山の申し出を辞退した。
村山は「そうですか、残念じゃのう」と、いとも簡単に諦めたが、即座に第2弾を放ってきた。
「それなら、テロリストを撹乱さすために、迎賓館の周りで連日決起集会を開けばどうじゃ」
さすがの小沢も腕を組んで考え込んでしまったが、村山の執拗な要望に、周辺の道路をグルグル廻るだけならと、提案を受け入れた。
村山は、来たときよりも百倍も元気になった様子で部屋を出ていった。

トンネル工事が始まると同時に大阪城公園では、「サミットテロ事件の早期平和的解決をめざす全国総決起集会」が開催され、約5万人が集まった。
集会には、退職者も結構多く参加していたが、そこが一番元気が良かった。
「こんな集会は久々やのう」「ほんまや、メーデーでの人が集まらんようになってしもたしのう」「はよデモに行こうや」「ところで今日は何の集会やった」
主催者、来賓等の挨拶は早々に切り上げられ、早速でもが開始された。先頭にたったのは村山を始めとする社民党や旧総評の役員だった。
デモはいきなりジグザグ行進から始まった「わっしょい!ワッショイ!てぇーろぉー粉砕!人質解放」砂塵を巻き上げながら、16列縦隊のデモ隊は公園内を進んだ。
久々のデモを過激に開始したため、足を踏まれる者、将棋倒しになる者など怪我人が続出、まっさきに村山富市が担架で運ばれていった。第一挺団が通過したあとには、靴や財布の他、入れ歯や眼鏡などが散乱していた。
対策本部で様子を聞いた、小沢らは頭を抱え込んだが、異様な盛り上がりを見せるデモ隊を止めることは出来なかった。

それでも、暴騒音規制条例の適用除外となった、シュプレヒコールと、スピーカーの大音響に、トンネル掘削工事の音は、完全にかき消されてしまっていた。
集会は工事終了まで断続的に続けられ、最後は模擬店やカラオケ大会まで開かれ、内外の報道陣を唖然とさせたが、主催者や参加者はいたって満足げであった。
「死人が出ずに良かったのう」「来年もまたやろうや」

いよいよ突入は、秒読みに入っていた。トンネル内に息をひそめている、200名の自衛隊員は攻撃の手順を反芻していた。
まず、最初にプラスティック爆弾で迎賓館の床を吹き飛ばす、さらに、建物の周囲からも地上に飛び出し、スタン・グレネードを投擲しつつ、一挙に管内に突入、犯人が動かなくなるまで、射撃を続ける。
テロリストに容赦はいらない、命乞いをしようと許されるものではない。
そして、橋本首相から突入の指令が出されようとしていた、まさにその時、突然3機のヘリコプターが爆音と共に姿を現わした。
この全然シナリオにない事態に、対策本部はもちろん、周辺に展開していた各国特殊部隊も呆気にとられた。
橋本は、すっかり動転してしまい、思わず小沢を怒鳴りつけた。
「土壇場になって作戦変更とはどういうことだ!俺は何も聞いていない」
こればかりは身に覚えのない小沢は、対策本部の要員に向かって当たり散らした「どの国の部隊が動いたのかすぐに調べろ!」
対策本部が混乱している間に、ヘリからは次々と黒い影がロープを伝って、迎賓館の屋根に降り立っていた。
対策本部に第1報が入った。
「ヘリの機体に河内航空と記載」
「なんだそれは」「先ほど八尾空港から飛び立った民間機です」「?????」橋本も小沢も頭を抱えた。
その直後、迎賓館の方角から歓声が上がった。モニターの画面には、解放された人質の姿が映し出されていた。

明らかになった経過はこうだった。
突入した「真理赤軍」の武装はモデルガンなど、とるにたらないものだった。
人質の内に経済団体のリーダーもいたが、その人物は、各国首脳に売り込むために持っていた、自社製の超小型通信機を使って、民間のセキュリティサービスに救出を依頼したのだった。
政府機関に連絡しなかった理由について、彼は民間活力の導入だと、語った。
作戦には、傭兵経験のある外国人も参加していた。面目をつぶされた政府は、「入管法」違反で摘発しようとしたが八つ当たりのそしりは免れず、結局うやむやになった。
その後国会で、自衛隊の民営化法案が成立し、例の財界人の会社が経営権を獲得した。
コメントを求められた橋本は、ぶっきらぼうに答えた。「まあ、とにかく行革が一つ進んだという事だ」(おわり)  大阪O

【出典】 アサート No.240 1997年11月28日

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【投稿】株価暴落は何を明らかにしたか

【投稿】株価暴落は何を明らかにしたか

<<ブラッディマンデイ>>
先月の10/19はニューヨーク株式市場の史上最大の暴落と言われたブラックマンディ10周年であった。このところのアジアを中心とする金融市場の動揺から、それが再来するのか否かと言うことが大きく取り上げられてきたことは周知のことである。それがついに10/27(月)再来することとなった。この日、ニューヨーク株式市場は前日終値比554$の大幅値下げを記録、10年前の508$下げを上回る史上最大の下げ幅の暴落となったのである。ブラックマンディの教訓から取り入れたサーキットブレーカー(取り引きの一時停止制度)を発動、売り注文をすべて消化しない段階で史上最大の下げ幅を記録し、ブラッディマンデイ(血の日曜日)と形容され、暴落(月)→反騰(火)→冷静(水)→急落(木)→上昇(金)→高騰(月)と乱高下を繰り返す相場に対してはヨーヨー相場と命名されたと言う。
株の急落は、香港、日本、米国だけではなく、ロンドン、オランダから豪州、ニュージーランド、ブラジルの暴落へとすぐさま波及し、中南米からロシア、東欧にも及んだ。震源地ともいわれた、10/28の香港株式市場は、8月のピークから46%もの下落である。
再来とはいっても、その原因、規模と形態は大きく異なることは当然である。決定的なのはその間の冷戦の終結である。87年のブラックマンデーは、米ソ冷戦体制下での膨大な軍事予算の浪費にあえぐ財政、貿易の双子の赤字を抱えた米国問題を基点としていた。

<<冷戦終結がもたらしたもの>>
冷戦体制の崩壊は、ロシアをはじめとする旧東側諸国をドルを決済通貨とする経済圏に組み入れた結果、ドル経済圏は一挙に拡大したと言えよう。そのことによってアメリカは、ドルをいくら垂れ流しても、それに見合う利払いの必要が生じない決済通貨発行者だけが持つ利益、特権を思う存分に享受し、それによって米国経済を立ち直らせ好調を持続させてきたとも言えよう。冷戦終結の恩恵をもっとも享受してきたのが米国であった。冷戦の狭間で利益を吸い上げてきた日本が今、低迷にあえいでいるのとは対照的である。
但しこれは逆に米国の手を離れたドルが一挙に拡大したドル経済圏にばらまかれればばらまかれるほど、その反作用とツケも大きくなることを意味している。実際、昨年10月に発表された米連邦準備制度FRBの報告によると、90年以降、新規に発行されたドルの70%以上が米国外で保有されている。その結果、流通ドルの半分以上が米国外にあるという状態をもたらしている。
こうした米ドルの垂れ流しは、為替リスクを最小にしながら利益の出る市場を駆け巡る投機的なホットマネーを世界的規模で増大させ、制御不可能な状況に至らしめてもいるのである。今回の株暴落は、香港発と命名されているが、その過半は、米国経済が抱える矛盾に起因しており、実は米国経済が世界経済に大きく依存しており、好調米国経済の弱点がアジアにあり、アジアの金融危機の展開次第では、米国経済の好調を支えている基盤そのものが崩壊する危険性を警告したものと言えよう。これまでドル高を支えてきたさまざまな要因が徐々に剥落する可能性が高いのである。

<<米国債放出の脅し>>
83年以来、香港ドルが事実上の対ドル固定レート制を維持してきたことは、香港と米国のインフレ格差を考えれば、インフレ率が香港では毎年10%前後で推移しており、米国はインフレどころかデフレ懸念までいわれるほどの物価安定状況であり、いずれ矛盾が爆発せざるを得ないものであった。しかし香港がこうしたドル・ペッグ制を崩せば、すべての経済システムを見直さなければならなくなるし、ドル資金導入を中国経済発展の至上命題としている中国にとって致命的である。ドル・ペッグ制によって米ドルとの等比交換が約束されているからこそ、世界のマネーを引き付けてきた香港ドル建て資産投資と所有の魅力が減退してしまうのである。香港、中国にとってドル固定制から変動相場制への移行は、為替の下落=輸入コスト高となり、これまでのような外資流入も望めない、重大な局面に直面せざるを得ない。
そこで中国はその豊富な外貨準備、香港には880億米ドル、中国とあわせれば、2000億ドルを超える外貨準備によってドル・ペッグ制死守に動かざるをえなかった。その際、ちょうど訪米中であった中国高官によって、米国債を売りに出すことも考慮せざるを得ないと言う脅しも使われたことは間違いないであろう。これに市場が直ちに反応したともいえよう。
なにしろ、今年の6/23、橋本首相が訪米中、「米国債を売りたいとの誘惑にかられたことがある」と発言しただけで、ニューヨーク株価が当時としては過去2番目の192$も下げたのである。実際に中国の外貨準備は事実上そのほとんどが米国債で運用されており、中国、香港経済が混乱に陥ってこれを売りに出せば、米国債の急落→米長期金利の上昇→米国株の暴落の連鎖が起きることは必至であり、米国自身が真っ先にパニックに陥りかねない客観的条件がそろっているのである。

<<新たな通貨切下げ競争>>
こうした事態は、これまで米国債の大きな買い手であったアジア各国の中央銀行が、自国通貨防衛のためにドル(米国債)売り介入を行えば、いつでも起こりかねないことを示している。その意味では、ドルの世界支配という構図の終末段階にさしかかっているとも言えよう。米国債保有残高10位は表の通りである。どこから事態の急展開が起きても不思議ではない。

米国債の保有残高
————————
日本    3078億$ 25.3%
英国    2327    18.1
ドイツ    667     5.5
OPEC   538     4.4
中国     509    4.2
オランダ   503    4.1
スペイン   501    4.1
香港     441    3.6
シンガポール  353    2.9
台湾     346    2.8
————————
(米財務省調べ、97/5現在)

しかしその焦点はアジアにあると言えよう。今回のアジアの通貨危機の起点は、94年に中国が大幅に元を切り下げ(34%)、ASEANやNIESの競争力を相対的に下落させたことに求められる。ASEAN諸国は中国の通貨切り下げ前までは、年率20~30%のペースで輸出が伸びていたが、96年後半以降、それが5~6%に落ち込み、この夏以降の金融危機で借金国に転落、さらに通貨切り下げでドルベースの借金は20~40%増大し、借金漬けのためにさらに通貨切り下げによって輸出競争力を回復し、飢餓輸出であっても輸出増大を図ろうとする悪循環に陥ろうとしている。その意味では、アジア各国は新たな通貨切下げ競争に入ったのである。
まず7月には、タイ・バーツがバスケット・ペッグ制(主要通貨の為替の加重平均に自国通貨を連動させる方式)から管理フロート制へ移行、その後、マレーシア、インドネシア、フィリピン、シンガポールなどへ次々と通貨切り下げが波及、韓国ウォンの対ドルレートも史上最低となり、そして10/21、台湾がそれまで豊富な外貨準備を背景に中央銀行が通貨買い支えを行っていたが、突如市場介入取り止めの方針を発表、台湾元の大幅下落を容認するに至った。これら諸国から引き上げてきたホットマネーが、投機的差益を求めて、対ドル固定制を維持している香港に集中したのは当然であった。10/23、香港の金融当局は短期金利を6%から一気に200%にまで引き上げて、同時に市場介入を実施して、ペッグ制を守ることを優先させた。その結果が株式
市場の暴落であった。

<<「大アジア救済計画」>>
こうした背景には、アジアNIES諸国の経済規模が拡大する中で、人件費や不動産価格が上昇するなど、絶えずインフレ圧力が続いていたにもかかわらず、それぞれの国の通貨がドルに固定されていたプラス面が逆に重い負担となり、過大評価されたいたそれぞれの通貨が、経済実態にあわせざるを得ない時期にきたことを示している。
さらに根源的には、アジアNIES諸国がこれまで享受してきた恵まれたポジションが失われつつあることが指摘できよう。低賃金と過重・過酷労働の優位性、環境破壊を無視した生産立地、抑圧的独裁的政治支配体制による労働と生産の組織化、等々による輸出競争力確保は、今や公然たる大衆的反撃と挑戦を受けており、これまでどおりにはいかなくなってきているのである。過去の日本や韓国の発展と矛盾の姿がより短いサイクルで急展開しているとも言えよう。
これまで直接投資であれ、間接投資であれ、世界の資金がアジアに向かっていたのが、昨年後半から急速に成長期待がなえ始め、多国籍企業は、生産拠点をアジアから別の地域、たとえば中南米やロシアへシフトするという動きを見せ始め、国際資本のアジアからの流出が顕著になってきたのである。
今回の株式市場の暴落が指し示したことは、ドル・ペッグ制を挟んでの米国と中国、アジア諸国との問題であると同時に、米国の株バブル、日本や欧州の景気低迷、という状況下で起きた、よりグローバルで根源的な問題を内包しており、事態はより深刻である。であればこそ、IMF主導の下に、急遽、インドネシアの金融危機回避の救済のために400億ドル、タイ救済に220億ドルという巨額融資が提起され、さらには「大アジア救済計画」なるものまで出されてきており、これには、アメリカを中心とする先進国の新しい金融植民地主義であると言う反発がアジア諸国に巻き起こっている。

<<日本がIMFに借款要請?>>
今回の株価暴落、さらにはアジアの金融危機の深化によって、日本固有の深刻な問題が加速される可能性が高まっていることも指摘されねばならない。日本は、世界第2位の経済大国、先進国というが、日本の東南アジア向け輸出比率は今や4割を超えており、96年のASEAN・NIES8カ国の対日貿易赤字は計794億$に達し、実際にはアジアへの輸出とファイナンスで儲けてきたのが実態である。
したがってこれら諸国の通貨・経済混乱が長引けば、同地域向けの輸出は相当な落ち込みを免れないし、加えて、邦銀の東南アジア向け債権の焦げ付きが顕在化すれば、新たな不良債権問題が浮上しかねない事態である。
ASEAN4カ国だけで邦銀の融資額は700億$程度あり、インドネシアだけでもすでに16の銀行が閉鎖されており、このうち相当額が今回の金融危機の進行の中で不良債権化したことは間違いなく、日本円で2~3兆円はあると見られている。
11/10号の米ビジネス・ウィーク誌は「日本は不景気と株式市場の崩落、それにアジア諸国のローンの不履行による重荷に悩まされ、さらには多額の不良債権に悩まされて、政府はついにIMFに頭を下げて借款を申し入れた。2910億$に上る米財務省債券を手放すという手はあったが、それで国際金融市場をこれ以上撹乱させるのを避けるために、同債券を抵当に緊急借款を申し入れることを決心した」、「日本のように裕福な国がそんなことをするなど想像もつかないことなのだが、こんな噂が先月27日に世界各地の株式市場で株価が暴落を続けている最中にウォール街を駆け回っていた」、「日本は国際経済政策を持たず、アジア金融危機の中心であったタイの救済政策を推進する力もなかった」、「国内金融組織は崩壊寸前で、大手金融機関の中にはその生存さえ危惧されているところがある」とまで報道されるような状況である。
日本の金融システムが戦後初の機能麻痺に陥っていることは事実であり、消費税増税、所得税減税の廃止が、個人消費を大きく鈍らせ、景気の立ち直りに重大なブレーキ要因となり、実物経済が明らかにマイナス成長に近い局面に入っていることは否定しがたい厳然たる事実である。事態を打開する内外の声に対して、緊縮財政しか叫べない日本の政府、政党の実態が根本的に問われているといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.240 1997年11月28日

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【書評】『2020年からの警鐘–日本が消える』

【書評】『2020年からの警鐘–日本が消える』
             (日本経済新聞社・編、1997.6.23.発行、1575円)

本書については、日経新聞に連載中でもあり、もうすでに読まれた方もおられると思うが、まだの方は是非読まれたい。その題名からしてセンセーショナルな本書は、21世紀に向けられた、資本の側からする警鐘である。しかしながらここに取り上げられた諸問題に関わるのは、資本のみならず、現代社会においてこれと不可分に結びつけられている労働者大衆=われわれ自身なのである。
本書の問題意識は、「21世紀をにらみ、日々姿を変えていく世界と、悩みが深いゆえに世界の速い動きに遅れがちな日本」を描くことにある。つまり「日本の戦後システムは工業化で欧米に追いつくのに大きな力となったが、その成功体験があるために、政府も企業も個人もシステムの大幅な見直しをためらう空気が消えていない。(中略)何を支えに改革を進めるのか、思想の軸も定まっていないようにみえる」が故に、より一層の急速かつ根本的な改革が迫られているということである。
それだけに日本の現状についての記述は暗い。例をあげよう。
経済──かつての大正バブル崩壊約25年後の1945年に敗戦という破局を迎えたように「今また日本は戦後システムの行き詰まりに直面しているが、最近の投票率低迷が示す
ように多くの個人は黙り込んだままだ。思い切った改革ができなかったらどうなるか。
歴史が繰り返すとすれば、バブル崩壊から約25年後の2020年ごろに日本は次の・敗戦・}える」。
企業──「4人に1人が高齢者になる2020年の日本では、財政の余裕もモデルチェンジに飛び付く若者も少なくなる。企業が甘えられる市場は消え、海外でと同様、国内でも本当の競争にさらされる。今目をさませば日本企業は自滅を免れるかもしれないが、甘えの自覚のない企業は、ほぼ確実に消えてゆく」。
外交──「日中の国交が正常化した25年前、中国にとって日本は大きな存在だった。しかし(略)きちんと対話できる関係をつくれないうちに、日本の存在感はしだいに小さくなり、中国は大きく成長した。(略)隣人とも対話のできない国は、この地域ではもちろん世界を相手の外交舞台でも発言力は先細る」。
教育──「どこで学んだかにこだわり、何を学んだかを問わない日本の教育の国際競争力は低い。多くの国籍の学生を採用しているのに、日本の大学は素通りする外国企業も増えている」。「受験生の減る202年に数字の上で入試は意味をなくす。それでも入試にこだわる親や社会の意識が変わらなければ、『何を』学んだかを問う世界に通じる教育にはなっていかない」。
若者──「先進諸国では、若者の間で『勤勉』『まじめ』といった価値観が薄れたと言われて久しいが、日本はその程度が一番激しく、もはや消えてしまったようにもみえる。しかし、そうした価値観を持つ大人世代がこの国の閉塞状況をどうにも乗り越えられないでいることも、若者は感じ取っている」。
以下、司法──「訴訟の国際化に対応できないまま、世界の中でポツンと取り残される日本の裁判所の将来がみえてくる」。経営者──「グローバルな競争で『敗者になるかもしれない』という予感を抱えながら、変革の副作用におびえるかのように経営者たちは立ちすくんでいる」。そしてサラリーマン──「日本的な雇用・賃金慣行は、2020年には消えているとみた方が自然だ。会社にぶら下がるサラリーマンには、つらい道が待っている」等々。
このように日本社会のあらゆる側面において、諸問題が山積されているという現実が、かなり的確に叙述される。そしてとどめとして、「先送り」はもう許されないと指摘されるのである。
本書では、第1章「日本が消える」、第2章「たそがれの同族国家」、第3章「失踪する資本主義」、第4章「漂流する思想」というかたちで、2020年の姿を予測するのであるが、その底を流れるのは、日本社会の閉鎖性、管理規則に対する批判であり、改革の遅れに対する苛立ちである。「疾走する」世界の中で取り残される日本という構図が、第5章「データで読む2020年」、第6章「シナリオを読む」といった裏付け資料とともに提出され、より一層危機意識を煽る結果となっている。すなわちこのままの日本では、危機が目前であるのに誰もそれを見ようとしないし、気づいていても動こうとしない、というわけである。本書を読む限りでは、この認識はほぼ正当なものと言えよう。
しかし問題は、われわれにとってどうであるかということである。本書でも指摘があるが、労働者あるいは地域住民の運動や自治を長年にわたって抑圧規制してきたツケが、今まわってきているという点から言えば、この危機も、日本社会全体の凋落、あるいはその凋落の資本の側による克服という中で、より弱い層により大きな負担を強いる可能性がある。世界から取り残された日本で、さらに踏みつけにされる層──高齢者等の社会的弱者──の犠牲を承知の上で日本社会の危機を論じる限り、真の解決はあり得ないことを銘記すべきであろう。本書のデータを踏まえた、自立した民衆の側からの方針の提起が必要とされている。本書は、日本社会の民主主義的な変革のための議論を呼び起こす一つの反面教師的な契機として読まれるべきであろう。(R)

【出典】 アサート No.239 1997年10月25日

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【投稿】戦後民主主義を問い直す  No.3

【投稿】戦後民主主義を問い直す  No.3

○改めて問題の核心を確認する
本誌(NO237)で、わたしは次のように書いた。
「それにつけても日本政府のこの問題に対する姿勢はデタラメである。『従軍慰安婦』と名乗りをあげた人の証言だけを唯一の根拠に、その裏付け調査もせず、『公式文書』も調査しても見つからない段階で、当時の日本政府・軍の『強制連行』は存在したと内外に発表したのである。(宮沢内閣当時の河野官房長官談話)
この河野官房長官談話のデタラメさが、『慰安婦』問題を複雑化させ、国際問題にまで発展させている諸悪の根源である。ここにも戦後日本の民主主義の弊害が露呈していると思えてならない」
これに対してNO238の本誌で田中さんから、(1)織田氏の論調は、「英霊にこたえる会」や「日本会議」と軌を一にするものであり、今こぞって右翼や保守反動勢力ががなりたてていることと同じである。(2)官房長官談話は、当時としても、そして今でもこの問題に関する大きな一歩前進であり、戦後日本の民主主義の一つの成果であった(情報公開の不徹底という致命的な弱点を含みつつも)。(3)従軍慰安婦の方々の証言も決定的に重要であると考えるが、官房長官談話を読めば、それだけを唯一の証拠にしているなどとは言えないことはすぐに分かること。との批判をいただいた。そして織田氏の主張のデタラメさは、官房長官談話をろくに読んでいないからだとして、最後に官房長官談話の全文を掲載されている。
わたしは何を問題にしたのか。『従軍慰安婦』をめぐる論争は(1)「慰安婦」を集めるにあたって、当時の日本政府・軍が国策として朝鮮半島や中国、東南アジアに住んでいた女性を「強制連行」したか否かが根本問題であること。(2)「強制連行」が国策として行われていたことが事実であるなら、現在の日本政府、そして我々日本人は、諸外国にさきがけて特別税を導入してでも道義的責任を果たすべきであること。(3)しかし、河野官房長官談話は、「従軍慰安婦」と名乗りをあげた人の証言だけを唯一の根拠に、その裏付け調査もせず、「公式文書」を調査しても見つからない段階で、当時の日本政府・軍の「強制連行」は存在したと内外に発表したのである。この官房長官談話のデタラメさが「慰安婦」問題を複雑化させている諸悪の根源であること。(4)「慰安婦の強制連行の有無」について、日・韓両政府が早急にだれもが納得する形で決着をつけ、国内外に明らかにすべきであること。以上である。

○どういう経過の中で河野官房長官談話が生まれたか
「強制連行有り派」も「強制連行疑問派、無し派」も、当時の日本政府・軍による強制連行を示す「公式文書」が現在のところ出てきていない点では一致している。しかし、1993年8月4日日本政府は河野官房長官談話として、当時の日本政府・軍による強制連行を認め、謝罪したのである。これによって、国際的に日本が強制連行を公式に認めたことになり、今日に至っているのである。なぜ、何を根拠に、宮沢内閣は「強制連行」を認めたのか。当時の政治状況にさかのぼって考える必要がある。
この間の動きについて年表的に列記する。
●1991年12月(平成3年)
元慰安婦という韓国人女性3名が、国家補償を求めて日本政府を提訴。
●1991年12月
「政府が関与した資料が見つかっていないので、今鋭意調べている。これは単に法律や条約の問題だけでなく、多くの人に損害を与え、心の傷を残した問題でもあるので、正確に調査を進めたい」と宮沢内閣加藤紘一官房長官は、日本政府を相手に謝罪と補償を求める裁判に対して記者会見を行った。
●1992年1月(平成4年)
「慰安所、軍関与を示す資料、”民間任せ”政府見解揺らぐ」という記事を一面トップで朝日新聞報道。
●1992年1月(平成4年)
宮沢首相訪韓。韓国国会で慰安婦に関して「実に心の痛む問題であり、誠に申し訳なく思う」と演説。?大統領は「日本が過去の歴史を正しく認識し、過ちを謙虚に反省することが必要」と記者会見。
●1992年7月
加藤紘一官房長官が、慰安婦に関する調査結果を発表。朝鮮人女性の強制連行を裏付ける資料は発見されなかったが、慰安所の設置や運営、監督などで政府が関与していたと初めて公式に認める。
韓国政府は、「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」を発表。日本政府による威圧的連行があったと主張。日本の教科書への記述を求める。この報告書での強制連行の証拠としては、後にまったくの虚構に基づく記述と判明した吉田清治著「私の戦争犯罪ー朝鮮人強制連行」など日本人による著書を根拠にしたものであった。
●1993年3月(平成5年)
韓国政府は、国内の慰安婦135人に対して500万ウォン(約74万円)の支援金支給などの支援策を発表。日本の教科書に慰安婦の記述を要望。
●1993年6月
文部省が高校教科書に関する検定結果を発表。平成6年度から使用の高校日本史教科書7社9種類のすべてに、戦争中の慰安婦に関する記述が登場。
●1993年8月
宮沢内閣総辞職前日、河野官房長官が「慰安婦関係調査結果発表に関する官房長官談話」を発表。従軍慰安婦の強制連行を示す証拠がないままに、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したことがあったことが明らかになった。」と謝罪。

○「強制連行」を明らかにできない河野官房長官談話
従軍慰安婦の強制連行の有無をめぐる問題の発端は、1991年12月韓国の女性3人が日本政府を相手取って東京地裁に提訴することによって始まった。政府は、同月から、関係資料が保存されている可能性のある警察庁、防衛庁、外務省、文部省、厚生省、労働省の6つの省庁について調査を開始し、その結果は1992年7月6日に『朝鮮半島出身のいわいる従軍慰安婦について』と題して発表されたが、それは前回の私の論文で記したように、センチの「慰安所」「慰安婦」の管理、監督に日本政府・軍が公式に関与していたことを示す文書が発見されただけで、強制連行を示す文書は発見されなかったのである。韓国政府はこの日本製布野調査結果に反発し、日本政府に追加調査を要求した。
日本政府は、さらに調査対象機関を6省庁のみならず、法務省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立文書館に調査範囲を拡大するとともに、関係者からの聞き取り調査も実施。その対象は、元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究者。また参考とした出版物は、韓国、日本で発行されているそのほぼすべてを狩猟したという。その調査結果を1993年8月4日(宮沢内閣総辞職の前日)、内閣官房内内閣外政審議会の「いわいる慰安婦問題について」という文書にまとめられ、それをもとにして河野官房長官談話が発表されたのである。前回の加藤官房長官談話と大きく違うのは、「官憲などが直接加担したこともあったことが明らかになった」という点である。談話を発表したあとの記者会見でも、「強制連行の事実があったということか」との記者の質問に、「そういう事実があった」と明言している。
しかし「官憲等が直接これに加担したこともあった」という根拠は政府調査報告資料のどこに存在するのか。外政審議会の報告文書に付属して発表された30ぺージにわたる資料「いわいる従軍慰安婦問題の調査結果について」を見ても該当するものがないということが明らかになっている。政府が発表した2回にわたる調査報告の中にも、日本軍による「強制連行」の文書が存在しないにも関わらず、河野官房長官は「強制連行があった」と国内外に日本政府として認めてしまったのである。その後、次第に問題が明らかになるにつれて、1997年1月30日の参議院予算委員会で、ついに平林裕外政審議会室長が、「政府が調査した限りの 文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした」と国会答弁としては初めて、政府の公式見解がなされるに至るのである。
ではなぜ、日本軍の強制連行を認めたのか。それは『文芸春秋・1997年4月号』の櫻井よしこ論文「密室外交の代償ー慰安婦問題はなぜこじれたか」で明らかとなるのである。そこで石原信雄元官房副長官が証言する。「日本政府は韓国政府の要求に応えて強制連行の裏付け資料を必死でさがしたが見つからない。そこで決め手となったのが韓国政府が用意した慰安婦16人の証言だった。」というのである。聞き取りは1993年7月26日から30日までの5日間、日本から派遣された4人の役人が「太平洋戦争犠牲者遺族会」の事務所で遺族会と慰安婦訴訟の原告団弁護士立ち会いのもと、一人平均2時間半をかけて聞き取り、A4版で40~50枚の報告書にまとめたという。
しかし、慰安婦たちの証言に対する裏付け調査は、韓国政府によって許可されず、その報告書も今日に至っても、マスコミの強い要求にも関わらず公表することを日本政府は拒んでいるのである。以上が河野官房長官談話に至る大まかな経過である。
河野氏は1997年3月31日付け朝日新聞とのインタビューでも「政府が法律的な手続きを踏み、暴力的に女性を駆り出した文書もなかった。軍人、軍属の中にも強制連行があったと証言した人もなかった。・・・・・総合的に考えると、『文書や軍人・軍属の証言がなかった。だから強制連行はなかった。集まった人はみんな公娼だった』というのは、正しい論理の展開ではない」と全く非論理的な発言をしている。

○日本政府は慰安婦聞き取り調査を公開せよ
田中さんは、「従軍慰安婦の方々の証言も決定的に重要であると考えていますが、官房長官談話を読めば、それだけを唯一の証拠にしているなどといえないことはすぐにわかることなのです」という。慰安婦の証言以外に「強制連行」を示す証拠が河野官房長官談話のどこにあるというのだろうか。その慰安婦の証言すら、公開されていないのである。公開されたなら、これだけ活発に論争されている問題である。あらゆる面からの検討がなされ、その真意は明確となるはずである。
河野官房長官談話の問題点は今やはっきりしている。慰安婦の強制連行があったか否かの根拠は4点にしぼられる。
(1)慰安婦の証言(2)「強制連行」を示す国の公式文書(3)元日本軍人や当時朝鮮に住んでいた日本人の証言(4)慰安婦の家族やその地域に住んでいた朝鮮人の証言の4点にわたって、その真意を日・韓両政府が共同で調査すべきである。両政府とも「強制連行」を認めているのだから、だれもが納得の行く形で早急に証拠調べを行い、その結果を国内外に公表すべきなのである。そこから、日・韓両政府、そしてそれぞれの国民が果たすべき責任もおのずと明らかになるのである。
(2)から(4)について何も明らかになっておらず、(1)についてすらその調査結果も公表しないでおいて、一方的に河野官房長官が日本政府として「当時の日本政府・軍が慰安婦募集にあたり強制連行した」と国内外に発表したことが、「当時としても、そして今でもこの問題に対する大きな一歩であったこと、戦後日本の民主主義の一つの成果であったとも言えると思います」と手放しで称賛する感覚にどうしてなれるのかさっぱりわからない、といったら嘘になる。
実はそうなる感覚が、わたしには理解できるのである。そこを検証することが、今シリーズで展開しようとする「戦後民主主義を問い直す」をテーマとしたわたしの基本モチーフなのである。(つづく) (1997/10 織田 功)

【出典】 アサート No.239 1997年10月25日

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【投稿】「戦後民主主義を問い直す」論考を巡る論争について

【投稿】「戦後民主主義を問い直す」論考を巡る論争について

本誌 No.234、No.237に「戦後民主主義を問い直す」と題した織田功さんの投稿が掲載された。
織田さんの問題意識は、「歴史観論争」を一つの契機に「戦後民主主義」を問い直したいということであり、その前提となる「事実認識に対する常識的論議、論争を高めてゆく」ことが重要だということにあるようだ(No.234)。
その具体的なテーマとして持ち出されたのが、いわゆる「従軍慰安婦問題」であった。 その内容のポイントは、「従軍慰安婦」については、日本政府が国策として彼女たちを「強制連行」したということを裏付ける事実はなく、そうした段階であるにも関わらず宮沢内閣において河野官房長官談話でこれを謝罪したのは極めて問題だということ。織田さんは、「強制連行」が国策として行われたのが事実であるなら、特別税を導入してでも「道義的責任」を償うべきだと述べておられることから、「強制連行」の有無に関する事実の実証的議論が深まらないことが、一番の問題だと主張されているように私には受け取れた。

次に、本誌 No.235を読むと大阪の田中雅恵さんが、織田論考に激しく反発しておられる。
「『改革と民主主義』をめざすこの情報誌に、突如右翼の論客が、もっともらしい理屈をこねまわして乗り込んできたのかと感じたのです。場所をお間違えではないのでしょうか。」と冒頭に述べられた上で、織田論考は「右翼や保守反動勢力」の主張といかに符合しているかということを整理され、そして、「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話(河野官房長官談話)」の全文を紹介された。
このやり取りを読む限り、織田さんが No.234で主張された「常識的論争ができる日本に」という問題意識に、もっともそぐわない姿になってしまったように見える。

私は、最近、努めて色々な立場で書かれたものを読むようにしている。「右翼」だの「保守反動勢力」だのというレッテル以前に、問題なのはその内容だと考えているからだ。
河野官房長官談話に関しては、「大化会」という、いわゆる「右翼」が発行している「月刊ふじ」(平成9年4月1日号)が、非常に興味深い記事を掲載している。
それは、産経新聞3月8日付けの石原・元官房副長官のインタビュー(一問一答)記事の分析・評価である。
石原長官の発言は、おおむね次のような趣旨であった。
●日本側のデータには強制連行を裏付けるものはなかった
●韓国側はそれでは納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた
●そこで、韓国で元慰安婦16人の聞き取り調査をしたところ、「明らかに本人の意思に反して連れていかれた例があるのは否定できない」と担当官から報告を受けた
●日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話に『(慰安婦の募集、移送、管理などが) 総じて本人たちの意思に反して行われた』とするのは、 両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況 から判断して、強制にあたるものはあると謝罪した。強 制性を認めれば、問題は収まるという判断があった
「月刊ふじ」は、このいきさつから「慰安婦強制連行」という政治的シナリオがまずあってそれに合わせて裏づけ資料を収集するという日韓合作で「日本史裁判」がねつ造されたと主張している。「ねつ造」と呼べるものかどうかはともかく、この談話が当時の国際情勢の中で、相当「政
治的」な判断で行われたものであることは事実だろう。

さて、ここからが重要なのだが、月刊 THE21「ざ・にじゅういち」97年3月号(PHP研究所)で韓国出身のエッセイストの呉善花(お そんふぁ)さんは、日本政府による「従軍慰安婦」の国家による強制連行容認と謝罪を疑問だとしながら、次のように指摘している。

「ただ結果論としていえば、日本政府は明らかにポリティカル・コレクトネス(政治的正義)の立場に立ったものとみられる。つまり、日本政府は、「法的・原則的な正義」に優先する「政治的正義」として「強制連行容認」の考えを選択したのである。問題を政治取引の結果とも、また外交交渉の失敗とも見ずに、積極的な国家意志としてみるならば、そこにははっきりと、ポリティカル・コレクトネスの立場が見えているのではないだろうか。となれば事態は慰安婦問題とは別に、きわめて深刻な政治的・社会的問題を含んでくることになる」

ポリティカル・コレクトネスとは、「歴史的な法律・道徳・習慣・伝統などに照らしての正当性よりも、現在の人々が置かれている現実の政治的・社会的な状況に照らしての正当性を優先すべきだという考えとなって、一定の定着をみている」ものだという。それは、「考え方だけをとればとても進歩的で立派なように見えるが、実際にはかなりおかしな現実を生み出す」、いわば「法や制度よりも『風潮が容認する正しさ』が優先される社会となるからだと、呉さんは述べている。

織田さんの「戦後民主主義を問い直す」との趣旨と極めて近い考え方だと思うが、私たち自身がこれまで関わってきた多くの運動がこうした「論理的枠組み」や「発想」で進められてきただけに、論争は常に「ねじれの位置」にあって、噛み合わない場合が多い。
しかし、実に重要な論点であるということをあらためて指摘し、織田さんと田中さんの論争がもう少し噛み合うことを期待したい。(大阪・依辺 瞬)

【出典】 アサート No.239 1997年10月25日

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【投稿】きわどい勝利 大阪堺市長選挙

【投稿】きわどい勝利 大阪堺市長選挙

先月号で都市部の自治体首長選挙におけるオール与党対共産党という構図についてふれた。大阪の堺市長選挙はその時点で選挙戦終盤を迎えていた。
昨年O-157集団食中毒事件が発生した堺市では、3名の死亡を含む1万人を超える発病者を出すなど、市民の心の中に深い傷が残っていた。現職幡谷市長に対して共産党は前回も出馬した医師の安賀候補を立候補させ、「O-157の責任を取らない無責任市長」「敬老無料パスの廃止など福祉に冷たい」「新日鉄跡地に4000億円を投入するなど大企業奉仕」などと批判。共産党の名前は表に出さず、「市民団体」候補として宣伝戦が繰り広げられた。
現職陣営も、告示を前後して「現職危うし」の危機感が高まり、やっとのことで選挙らしい選挙行動が開始され、その勢いが終盤まで続くことになった。
共産党の躍進傾向と「O-157問題の責任追求」という上げ潮ムードの中では、共産党候補はかなり強いという認識は現職陣営にもあったし、それ以上に「本当に勝てる」という意識が共産党側にあったと思われる事実もある。一度も出さなかった共産党の市長選挙ビラの全戸配布が投票日2日前にまかれたが、それまで自治省出身知事と市民団体の医師候補という構図を演出してきた共産党の余裕でもあったし、過信でもあった。
「O-157」の責任問題とは言え、未だ原因は学校給食にあったとしても、食材の特定も科学的には出来ていないし、責任追及も「道義的責任」や、「市長は減俸した後、報酬を10万円引き上げた」などの「感情的批判」に終始したことも、良識判断からすれば「ためにする批判」との判断もできる。補償対象者約1万人のうち9千数百名と補償が成立、残るのは共産党関係者ではないか、との声もある。
ともあれ、そうした「Oー157」の責任追及と「共産党市長の誕生への危機感」という逆の争点の盛り上がりは、投票率を前回より2%押し上げることになった。
結果は1万票余りの差で、現職市長は逃げ切った。
共産党陣営は、善戦として「神戸市長選挙につなげたい」とわけのわからないコメントを毎日新聞に載せた。
そして、現在は神戸市長選挙が終盤を迎えている。ここでも阪神大震災への対応・責任問題みたいな争点で闘われているという。10月号発行の翌日26日が投票日だが、果たしてどんな結果がでるのだろうか。(佐野)

【出典】 アサート No.239 1997年10月25日

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【投稿】風前の灯・橋本政権とCO3京都会議・原発増設問題

【投稿】風前の灯・橋本政権とCO3京都会議・原発増設問題

<<失望どころか、失笑>>
12月に京都で開かれる地球温暖化防止会議=CO3(第3回気候変動枠組み条約締国会議)に向けて、議長国である日本が発表した温室効果ガス排出量削減に向けた日本政府提案は、今や失望どころか、失笑を買うにまで至っていると言えよう。
2010年で90年比15%の削減目標を決めた欧州連合(EU)に対して、日本政府提案は5%、このあまりにも大きな開きには驚かされるが、さらに問題なのは各国の事情に応じた削減率の縮小を可能にする「実質目標率」を導入、さらにそれでも困難な事情がある場合は、最低限の義務としての「法的拘束目標」を定めるという、二重、三重の抜け穴、小細工を用意していることである。これを日本に適用すると、最大限5%、実質目標2.5%、最低限の法的拘束目標0.5%となってしまう。産業界がすばやく歓迎の談話を発表したのもうなずけよう。1国だけでアフリカ大陸とアジア大陸の半分以上に匹敵するCO2を排出しているアメリカでさえ、日本と同じ2.5%程度の削減ですますことができる。
9月中旬、世界自然保護基金WWF日本委員会は「日本でも2010年にCO2排出量を14.8%削減することは可能」であるとして、経団連の自主行動計画によってさえ、鉄鋼、紙パルプ、化学などのエネルギー多消費産業で2010年に10%削減の改善計画が掲げられていることを指摘している。さらに9月末に、世界60カ国、1501人の科学者(日本からは利根川進氏、江崎玲於奈氏ら)が「貴重な時間が浪費されてきたのは、この問題に対処する指導者があまりに少なかったからだ」と警告し、CO3京都会議で「強力で意味のある条約を締結する」よう求める呼びかけを発表しているが、議長国日本のこのあまりにも低い削減目標、その「5%削減」さえ表向き、後は、各国入り乱れての削減目標縮小要求で、果てしなき妥協と手打ちが行われ、会議開催の意味そのものが問われる事態となっている。

<<「橋本辞任→円買い」の流れ>>
橋本首相は「リーダーシップを発揮して、立場を異にしている国々をいかに収斂させながら国際合意の形成が進むようにできるか」などと述べていたが、もはや議長国としてのリーダーシップはすでに放棄されたも同然である。登山を趣味とし、環境派と自任さえしていた橋本首相は、この問題でもと言うべきか、何ら指導性を発揮できなかったのである。環境庁は、当初、7%削減目標を掲げ、それは実行可能だと主張していたのに対して、通産省は横ばい=0%を主張、外務省は拝米主義でアメリカの御機嫌を伺い、数値目標設定そのものに疑問を呈し、閣内はもはや意思統一はなきに等しく、京都会議でのリーダーシップどころか、混乱回避のことなかれ主義に右往左往しているのが実態である。
京都会議の開催場所である京都市は、すでに今年7月に10%削減目標を設定しており、10/15の記者会見で桝本市長は「政府は少々しんどくてもやらなくてはいけない」として政府の5%削減案の再考を要請し、京都市議会も削減率見直しを求める意見書を全会一致で採択している。しかし、橋本政権はこれに応えれるような状況にはない。
こうした最中の10/9、東京外国為替・金融市場で橋本首相の辞任説が広く流れ、「橋本首相は進退窮まり、辞任せざるを得ない状況に陥る」という解説付きで相場を動かす材料にまでなったのである。ところが問題は、たとえうわさに過ぎないとしても通常なら「政局混乱で円売り」となるところが、逆に「橋本首相の辞任→改革路線の見直し→景気対策を重視する新政権の発足→所得税減税を柱とする大型の景気刺激の発動」との連想を生み、「景気対策を歓迎した円買い」となって、円相場を押し上げ、債券市場でも「首相辞任で景気が上向き、空前の超低金利が是正される」と受け止められて、先物売りの一因になったという(10/10日経)。橋本辞任、好材料なのである。市場は敏感に、あらゆる問題で指導力も牽引力も発揮できなくなってきた橋本政権の末路を現実的なものとして予測し始めたことをあらわしているとも言えよう。
すでに、梶山前官房長官は「12月激動説」を口にしだし、これに呼応して小渕政権に向けた旧経世会を軸にした保守再結集の動きがにわかに動き出している。ここには、佐藤孝行総務庁長官の入閣・辞任問題をきっかけに急速に指導力を低下させ、支持率も急落してきている橋本内閣のいつ崩れてもおかしくはない脆い実態が浮上してきているとも言えよう。

<<「温暖化か放射能汚染か」>>
ここでCO3京都会議と関連して見逃し得ない問題が提起されている。それは、10/6、第二次橋本内閣の村岡官房長官が、温室効果ガス排出量削減に向けた日本政府提案を紹介した後、この程度の提案であっても、5%削減はおろか、言うに事欠いて「原子力発電所の20基増設でも、ゼロ%がやっと」とまで発言したことである。CO2問題がいつのまにか原発増設問題にすりかえられているのである。通産省の試算によると、日本の発電量に占める原子力発電の比率を、95年度の32%から44%に引き上げ、原発の設備容量を原発20基分に相当する2550万KW増やし、計7050万KWにしなければならない、という。そのために通産省幹部は、「地元や国民の理解を必死で求める」としているが、その一方で、「20基にこだわるのではなく、十数基の増設を確保し、1基ごとの効率を上げていけば、何とか達成できるかもしれない」などと述べている(10/16朝日)。
これとまったく同じ論法が、南太平洋諸国に対しても用いられている。同諸国首脳会議は9/19、地球温暖化による海面上昇への懸念を表明したコミュニケを採択したが、各国代表は同時に日本の高レベル放射性廃棄物の輸送についても強い懸念を表明したのであるが、日本から派遣された外務省の高村政務次官は、「原子力が海水面上昇につながるCO2などを排出しないエネルギーである」ことを強調して理解を求めたと言う。ここでも、温暖化と放射能汚染のいずれをとるかという二者択一を迫っているのである。この輸送は、30日に及ぶ輸送期間中、船の全損失につながるような事故発生の確率は6%と計算されており、今後10年間、毎年2ないし3回予定されており、たとえ微量であっても何らかの理由で放射能汚染がこの地域に放出された場合、漁業・観光資源は言うに及ばず住民の健康そのものにとっても致命的な損害をもたらすものである。取り引きの対象ではありえない地球温暖化問題と相撃ちにした、一種の恫喝と言えよう。

<<核燃料サイクルの無謀>>
これでもかこれでもかと続く大小無数の原子力施設の事故に対して政府、科学技術庁、原子力安全委員会などのとってきたどうしようもない無責任・無能力体制は、ここで改めて指摘するまでもないことであろう。ごく最近でも、95/12のもんじゅ事故、97/3の東海再処理工場事故、97/4の「ふげん」のトリチウム漏れ事故に続いて、廃棄物ドラム缶からの放射能垂れ流しが発覚、そのずさんは組織ぐるみ、15年以上にわたる隠蔽工作、問題個所をわざわざはずした「総点検」、科学技術庁自身も関与した何十億円もの予算詐取と流用、「健康に害はない」などとの居直り、あきれるばかりの腐敗と無責任体制である。さらにこのほど明らかになった、鳥取県・人形峠の30年以上にわたるウラン残土放置事件は、ドラム缶に入れるどころか野ざらしのまま民家周辺に不法放置してきたものであり、88年に発覚以来の地区住民の徹去要求に、動燃
はまったく何も答えてこなかったものである。
もはやこのような動燃、科学技術庁は廃止以外に道はないと言う世論の高まりの中で、政府は、動燃の看板だけを付け替えて、高速増殖炉と放射性廃棄物処理を担う「新法人」を設立することで事態を糊塗、切り抜けようとしている。低レベル廃棄物でさえ30年間野ざらし、放置してきたものが、高レベル廃棄物で要請される50年間の一時保管、その後の1万年保管など、とてもそれを行う能力、資格ともゼロであると言えよう。現在でもすでに1万2千本に相当する高レベル廃棄物が各原子力発電所から発生しているにもかかわらず、危険極まりない青森県・六ヶ所村の一時保管施設の容量は1440本であり、拡張しても3000本までである。現在、六ヶ所村の日本原燃(株)で、フランスから返還された68本の高レベルガラス固化体が保管されているが、一本当たりの年間保管料は4億円に達する。核燃料サイクルを維持しようとすれば、これが膨大な額に膨れ上がることは、目に見えている。その危険性が決定的であるが、経済性からいっても、そもそも核燃料サイクル存立の条件はどこにも存在していないことが明らかなのである。この上さらに原発を増設するなど、無謀・無責任以外のなにものでもないと言えよう。

<<「原発震災」の現実的可能性>>
しかも地震多発列島・日本列島という非常に重大な条件が忘れられてはならない。六ヶ所村のすぐ東方沖は、太古の歴史以来巨大地震の多発地帯であることは周知のことであり、M8.0級の地震を引き起こす海底大活断層が存在している。さらに日本の多くの原発が、地震予知連が指定している特定観察地域、観察強化地域、その隣接地域に集中していることも重大である。
以前にも紹介したことのある『大地動乱の時代』(岩波新書)の著者である石橋克彦氏は、静岡県の浜岡原発について、岩盤とされている地層が砂岩泥岩互層の軟岩で、来たる東海地震で1m程度の隆起が起こる可能性が指摘されており、いくら原発の建物が堅固であっても、隆起により地盤が傾斜したり、変形、破壊が起きれば原発にとって致命的であると強調し、さらに「東海地震による“通常震災”は、静岡県を中心に阪神大震災より一桁大きい巨大災害になると予想されるが、原発災害が併発すれば、被災地の救援・復興は不可能になる。大地震によって通常震災と原発災害が複合する“原発震災”が発生し、しかも地震動を感じなかった遠方にまで何世代にもわたって深刻な被害を及ぼすのである。…正常な安全感覚があるならば来世紀半ばまでには確実に発生する巨大地震の震源域の中心に位置する浜岡原発は廃炉を目指すべきであり、まして増設を許すべきではない」と強調している(岩波「科学」97/10月号)。石橋氏はさらに朝鮮半島からら中国、インドシナにいたる地域は潜在的に大地震の可能性の大きい場所であり、原発熱を冷ますべきであるとも指摘している。
政府の言う「原発20基増設」の中には、この浜岡原発の5号機の増設も当然のこととして計画されており、さらにこれから新しく立地計画が想定されている大間(電源開発)、東通(東北、東京電)、上関(中国電)、珠洲(北陸、関西、中部電)、芦浜(中部電)など、いずれも近年、大地震の可能性のある活断層上かそれに隣接している危険な地域である。原発密集地の敦賀半島周辺は、このほど通産省工業技術院地質調査所が現地調査で突き止めたところによると、この地域の活断層が二つ同時に活動したことが明らかにされたという(10/8朝日)。立地安全審査の想定外の事態である。非常に重大な危険と隣り合わせで事態が進行していると言えよう。地球温暖化の取り引き材料として原発増設を提起するなど、もってのほか、その無責任さが徹底的に追及されなければならないのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.239 1997年10月25日

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【投稿】共産党大会に思うこと

【投稿】共産党大会に思うこと

<上げ潮ムードに浸っているが・・>
共産党の第21回大会がマスコミの注目を浴びている。
それは、都議選で議席を倍増したこと、地方議員の数が昨年自民党を抜いて第1党となり、引き続き、政党支持率でも新進・民主を超える数字が世論調査で出ているからであろう。
さらに、この間の不破委員長や志位書記長の発言の中に「保守との連携も視野に入れて・・・」云々の文言が飛び出し、現実路線に転換か、との評価があるからである。しかし「政権を目指す」とか「一部の保守とも連携」なる言葉は、旧社会党を支持してた層や所謂無党派層受けを狙ったものに他ならない。それは、あいも変わらぬ「セクト主義」と「民主集中性」を基礎をもった「科学的社会主義」などの基本路線に対しては、国民の支持があるわけではなく、表面的な「見え」を狙ったものだが、それを言わないと、単なる批判票は、いつでも逃げていく、という現実への彼らなりの対応なのかもしれない。
確かに、地方議員が増えており、その一因には積極的な女性議員候補の登用が地方議会にその比重を増しているという指摘もある。
大阪でも、こうした上げ潮ムードを受けて、首長選挙について「オール与党」体制や多選首長への批判をテコに、特に自民党や保守と組んでの例が目立っている。自共対決ではなく「自共共闘」での京都府城陽市長選挙がそうであるし、9月に執行された大阪府箕面市の市長選挙でも、同様の市民派候補のような形で、共産党は介入している。自治労連や民商の宣伝カーを根こそぎ投入して、宣伝戦を行った。箕面市では連合推薦の現職市長が辛くも逃げ切った。
現在大阪の自治体選挙の焦点は、昨年oー157集団食中毒が大量発生し、死亡者も出した大阪府堺市の市長選挙である。10月5日が投票日だが、上げ潮の余勢をかって、連合候補と共産推薦候補の一騎打ちとなっている。
残念ながら、ここでも総体的な政治的無関心の傾向は現われており、前回の投票率が34%だったが、今回はさらに下回ることが予想されている。投票率がこの程度である限り、首長選挙への共産党の介入は常態となる可能性がある。
一方、労働運動の舞台では、現状維持ないし減少傾向が出ており、選挙・政治活動への労組の引き回しは、彼らの影響力のある組合の弱体化が予想できるのは皮肉である。

<共産党は変わっていない>
決して共産党が変わったから、支持率が増えているのではない。「民主集中性」や「科学的社会主義」という基本路線になんらの変更も行われていないのだ。そこに彼らのジレンマがある。
私も久しぶりに、共産党系書店に行き、「21回党大会決議案」の載ったパンフを購入した。一読してびっくりしたのは、大会決議案から「帝国主義」という言葉がまったくない、ということである。アメリカを指しての用語は「アメリカ覇権主義」であり、「わが党はアメリカの安保や基地についての政策は厳しく批判するが、独立宣言にはじまるアメリカ民主主義の歴史のなかには、多くの価値あるものを見出している」として、「安保解消、アメリカともアジアとも真の友好関係を築く」云々と、少々当惑する表現で、日米関係が語られている。
基本路線には(綱領や社会主義路線)、一切手を付けない党大会、自共対決の時代というが、赤旗収入も減少している中、この党の行方は、まだ混沌としているのではないだろうか。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.238 1997年9月27日

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【本の紹介】がん治療と未必の故意 近藤誠著

【本の紹介】がん治療と未必の故意 近藤誠著

         『患者よ、がんと闘うな』96/3/30発行、文芸春秋社刊、1359円
  『それでもがん検診うけますか』94/11/4発行、ネスコ/文芸春秋社刊、1500円
        『がん専門医よ、真実を語れ』97/3/1発行、文芸春秋社刊、1500円

<<許さるべきではない治療行為>>
ごく最近、筆者の尊敬する先輩が亡くなられた。尊敬というよりも、敬愛というか、その容貌からはとても想像もできないような軽妙洒脱で鋭い観察眼、眼力を備え、混沌とする現在の政治・経済・社会・文化をバッサバッサとなで斬りにし、このところ少し駄洒落がいきすぎてはしまいかというきらいはあったが、その表現力の豊かさ、文章のうまさには実に感嘆させられるばかりの健筆、頑健、活動的な闘士であった。権力風を吹かせる者、知ったかぶりの傲慢不遜な論者に出会うと、顔を少し斜めにして、ふんふんと聞きながら、相槌までも打ちながら、すべてを疑う姿勢が丸見えの強烈な個性の持ち主であった。
そのような方にして、ご自分の病気、がんの進行について、その治療方針について、あるいは広く現在の医療、医学界について疑いの眼を貫徹されていたのだろうかと、ふといぶかしく思わざるをえない急逝であった。すでに事前に「辞世」の一文までしたためられてはおられたが、生きる意欲満々で「ひとまず」書いておき、「本心のところ、今すぐくたばる気はしません」と明言されておられるように、ご自身のみならず、周りのすべての人々にとっても意外な残念極まりない事態の進行であったように思えてならない。
ここ数年来、国立循環器病センターで定期的に検診を受けられ、ある日、精密検査の必要を告げられ、「より高度の専門知識と経験を持つところがよい」と専門病院を紹介され、入院された。入院中も実に元気で旺盛に文章を書かれ、片っ端から読書をされ、野球の試合に一喜一憂され、ほがらかに談笑されていた。ところが、医師から手術をしなければ云々と説得され、ついに長時間に及ぶがん患部の切除手術を受けられた。手術は成功と思われていたが、それからあっという間の事態の急変、急逝であった。
そこにはいったい何があったのであろうか? 病院側は適当なことを言いつくろうものである。こうした事例といっては失礼極まりないことだが、とりわけ、がんで死にいたる場合、しばしば見聞もし、筆者自身わが親についても経験し、どうして人生の最後を本来あってしかるべき心の準備もないままに、数々の医療器具という名の拷問道具によって責めさいなまれ、あげくの果てに死に追いやられてしまうのであろうか。実のところはまったく非科学的で、場当たり的なこうした治療行為は本来許されるべきではないのではないだろうか。これは、医療界では最善の治療という名の下に公然とまかり通っているいわば未必の故意ともいえる一種の殺人行為ではないのだろうか。

<<『患者よ、がんと闘うな』十ヵ月目の総括>>
こうした疑問に少なくとも正面から答えようとしているのが、ここに紹介する近藤誠氏の一連の著作である。著者は慶応大学病院の放射線科で乳がん治療の最前線において、それこそがんと真剣に闘っておられる。そのさまざまな苦い経験と反省から一連の著書が問題提起として広く世間に問われてきたのであるが、医学界ではほとんど無視ないしは、意図的に論議を回避するように仕向けられてきたともいえよう。しかし昨年出版された『患者よ、がんと闘うな』は、その題名からして挑発的なために、つい最近まで一大センセーションを巻き起こし、ベストセラーともなり、カンカンガクガクの議論を医学界から社会全体にもたらしたもので、多くの方が一度は関心を示されたことと思う。当初はまったくわれ関せず、と鼻にも引っかけぬ態度をとっていたその筋の「権威ある」医師たちもやむをえず歯切れの悪い反論をし始めた。今年の3月に発行された『がん専門医よ、真実を語れ』は、こうした反論と対論をも含めた、『患者よ、がんと闘うな』から十ヵ月目の総括的文書ともいえるものである。以下のように、その目次からして刺激的である。
第Ⅰ部 がん医療をめぐる8つの対論
1抗がん剤・がん手術・がん検診・がんもどき理論
本当にがんと闘わなくていいのですか?
「がん治療」白熱大論争
「白熱大論争」その後
「近藤がん理論」はどこまで正しいか?
2がん終末期医療とその問題点
がん終末期医療をどうすべきか
がん患者に「安楽死」などいらない
3抗がん剤と薬害エイズ
産・学・官 学者がいちばん悪い
薬で儲ける恥ずべき医師たち
4『患者よ、がんと闘うな』十ヵ月目の総括
「がん患者よ、手術万能思考を捨てなさい」
がん専門医よ、真実を語れ
第Ⅱ部 批判と疑問に答える
がん患者はどうしたら救われるか?
逸見政孝氏のがん治療への疑問に答える
学会の場での専門家たちの言動の問題点
すべての批判に答えよう

<<もっと広く深く議論を>>
近藤氏の基本的な主張をまとめると、以下のようになる。
① 日本のがん治療には、他の治療法で十分な場合にも手術が行われているという手術のし過ぎの現状があり、合併症・後遺症がひどい拡大手術が横行していて、手術死も多い。
② 抗がん剤が有効なのは全がんの一割でしかないのに多くのがんに使われており、使い方が拙劣で副作用死も多い。
③ 患者の同意なしに臨床試験(治験)が行われており、死者も出ている。
④ 終末期医療の内容がおそまつであり、患者が必要以上に苦しんでいる。
⑤ がん検診は有効性が証明されていない一方、害や不利益が山のようにある。
⑥ 形態学的に「がん」とされるもののなかには、性質上がんとはいえない「がんも
どき」がある。
これは著者自身が自らの主張を簡潔に整理したものである。いずれもこれまでのがん治療の一般的な常識とは真っ向から対立するものといえよう。冒頭にふれたまだまだ元気に活躍できることが誰しも認め、実際に両のまなこで確認できる方が、まさに①で指摘されたような不用意極まりない手術の結果によって死に至らしめられたといえる。本来あってはならない手術死、副作用死、院内感染死、実験死、等々、ある種の殺人罪が医療の現場では平然と日常茶飯事のように行われ、反省も自己点検も行われていない現状を、近藤氏は鋭く具体的に指摘し、根本的な転換の方向を示している。これほど切実で、誰しもがなんらかの形で直面する問題であるだけに、もっと広く深く論議が深まることを期待して止まない。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.238 1997年9月27日

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【投稿】戦後民主主義を破壊するもの

【投稿】戦後民主主義を破壊するもの 

<<突如、右翼の論客?>>
本誌前号の織田氏の投稿を見て、正直開いた口が塞がらないほどの驚きを感じました。「改革と民主主義」をめざすこの情報誌に、突如右翼の論客が、もっともらしい屁理屈をこねまわして乗り込んできたのかと感じたのです。場所をお間違えではないのでしょうか。「従軍慰安婦」と「強制連行」をめぐって、織田氏が勝手に熱を上げている「歴史教育をめぐる熱い論争」なるものは、結局のところは、日本政府や軍は、「国策として」強制連行などしていない、証拠があるなら出してみよ、とただこれに尽きるだけのことでしょう。
こんな主張ならわざわざこのような場でご開陳いただかなくとも、今こぞって右翼や保守反動勢力ががなりたてていることは十分承知しています。日の丸と軍旗をはためかせた大型の黒い装甲車を連ねて彼らは今日本中を走り回っています。かれらの「英霊にこたえる会」と「日本会議」の全国縦断キャラバン隊なるものは、東日本隊と西日本隊にわかれて、歴史教科書の「従軍慰安婦」と「強制連行」記述の削除をもとめて地方議会に押し掛け、請願書採択を強要し、ピースおおさかをはじめとした各地の平和・戦争資料館の展示にいちゃもんをつけ、その閉鎖まで要求しています。その時に彼らが撒いたビラの一部をご紹介しましょう。

<<「英霊にこたえる会」と「日本会議」の声明>>
「我が国の近現代史をめぐる歴史観の否みは行き着くところまできてしまった観がある。その端的な表われが中学校の歴史教科書である。従軍慰安婦の記述にととまらず、数ある歴史事実の中からことさらに日本の加害行為を取り上げ、・・・全国各地の戦争資料館においては、日本の過去の行為に対する歪曲ないし捏造された写真や映像等がおおっぴらに展示され、・・・」「こうした嘆かわしい状況の中にあって、一方ではいくつかの明るい希望の曙光が射しかかってきていることも事実である。たとえば慰安婦の「強制連行」を認めた平成五年の河野官房長官談話が、全然根拠のないものであることが我々と志を同じうする国会議員の努力によって明らかになったし、少なからぬ地方議会で教科書から「従軍慰安婦」に関する記述の削除を求める決議が出されており、また、戦争資料館の展示
内容の是正運動も相次いで起こっている」
「我々は、こうした力強い動きを一層活性化させることによって、日本人をなおも呪
縛している東京裁判史観を克服し、次代を担う青少年に歴史の真実と英霊の御心を伝
えていくために、さらなる国民運動を展開していくことを、ここ靖国神社に鎮まる2
50万柱の英霊の御前に御誓い申し上げ、その決意を表明するものである。 平成9
年8月15日」

<<デタラメな読み方>>
「それにつけても日本政府のこの問題に対する姿勢はデタラメである。・・・この河野官房長官談話のデタラメさが、慰安婦問題を複雑化させ、国際問題にまで発展させている諸悪の根元である。ここにも戦後日本の民主主義の弊害が露呈していると思えてならない。・・・強制連行有り派の朝日新聞の論調も同じである。」--これは右翼のビラではなく、織田氏の前号の主張である。こうした論調はまさに「英霊にこたえる会」や「日本会議」と軌を一にするものです。彼らの共通認識がよく表れています。河野官房長官談話は、当時としても、そして今でもこの問題に関する大きな一歩前進であったこと、戦後日本の民主主義の一つの成果であったともいえると思います(もちろん不十分さもあり、情報公開の不徹底という致命的な弱点も有りますが)。反動勢力はこうした日本社会の前進的な動向や、この談話の内容がさらに具体化することに危機感を募らせ、攻撃をここに集中しているのでしょう。
彼らの主張のそれこそデタラメさは、官房長官談話をろくに読みもせずに、「従軍慰安婦と名乗りをあげた人の証言だけを唯一の証拠に、強制連行は存在した」と発表したと躍起になって攻撃していることに端的に表れています。私は、従軍慰安婦の方々の証言も決定的に重要であると考えていますが、官房長官談話を読めば、それだけを唯一の証拠にしているなどといえないことはすぐに分かることなのです。最後にその談話を削除することなく紹介しておきたいと思います。

<<「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」(全文)>>
「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、弾圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からおわびと反省の気持ちを申し上げる。またそのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このうような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払ってまいりたい。
1993年8月4日、内閣官房長官・河野洋平」
(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.238 1997年9月27日

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【投稿】台風迫る中、97長良川DAY–「ダムの時代は終わった」

【投稿】台風迫る中、97長良川DAY–「ダムの時代は終わった」

長良川河口堰が、社民党の建設大臣によって、運用開始されて以来2年が経過した。時が過ぎる毎に、シジミの壊滅状況が明らかになり、今年のアユも、ますます少なくなっている。建設省は、アユの漁獲量は変わらない、と主張しているようだが、それは「放流アユ」を含めてのことである。放流アユと天然アユは、値段も違う。放流ものは1尾300円にしかならないが、天然ものは2000円以上もする。当然、獲れているのは放流ものだ。建設省の宣伝にも関わらず、釣り人は真実を知っている。つまり、天然アユには、縄張り意識があるので、「友釣り」が有効だが、残念ながら養殖アユは、縄張り意識がないので、「友釣り」が効かない。川の端の瀞場でじっとしているというわけ。釣り師にとって長良川のは、魅力を無くしつつある。今年の遊魚券の売り上げが昨年を大幅に下回ったという。
長良川河口堰の運用はあったものの、年々ダムや堰の建設に反対する運動は全国各地で盛り上がりを見せており、財政構造改革・行財政改革のもとでの公共事業の見直し気運と相乗的に世論の関心を受けて、一層運動の輪が広がりつつある。これらの運動は、そこに住む市民が中心であり、地道な運動が積み重ねられている。
今年も、9月13・14・15日には、一連の環境行動が、三重県長島町を中心に開催された。
私は、14・15日の長良川DAYの方だけに参加したわけだが、今年の特徴などについて、簡単な報告をしておきたい。

<自然破壊の公共事業は止めろ>
13日には、「日本の山河と公共事業」をテーマに、第1部「不必要で自然破壊的な公共事業を検証する」との「森・川・海」からの基調報告が行われた。海からは諫早干潟緊急対策本部代表の山下さんから「諫早問題と農水省」。川からは「長良川河口堰と建設省」を長良川訴訟原告の村瀬さんが、そして「細川内ダムと建設省」で徳島県木頭村の藤田村長が、「大規模林道問題と林野庁」では、宇都宮大学の藤原名誉教授が、「宍道湖中海干拓問題と農水省」は島根大学の保母教授が、それぞれの公共事業と問題点を報告。公共事業が如何に「経済発展と市民生活向上」をうたい文句に、自然破壊を平然と繰り返してきたかが、報告された。第2部では、パネルディスカッション「公共事業と行政改革会議」が、行われた。
14日には「世界水資源会議」として、海外代表も参加して、世界の水・ダムをめぐる大きな変化と日本がダムに固守し続けるばかりか、中国の三峡ダムやベトナムのメコン河開発にも触手を広げている事態に対する基調報告とパネルディスカッションが行われた。

<世界的にはすでにダムの時代は終わった>
今年6月にニューヨークで開催された国連環境特別総会は、来年の「国連持続可能な開発委員会(CSD)の中心テーマを「淡水の確保」に決定した。国連の報告書によれば「現在世界人口の8%が極度の水不足に置かれている。このまま人口増加が続けば約30年後には世界人口の3分の2が水不足に苦しむことになる」と指摘している。またワシントンに本部があるワールドウォッチ研究所は「これまで戦争は石油と黄金をめぐって闘われてきたが、いま国家間に紛争を生む最大の可能性を持っているのは”水”である。と警告している。また、アメリカや欧州においては、ダム開発による自然破壊は耐え難く、ダムの時代は終わった、との認識の上に、自然と人間の調和を第1の課題にして、水問題と取組もうとしているわけだ。
ところが、日本では、公共事業の一部見直しがはじまったとは言え、日本のダム建設の関係者らは「だから、さらなるダム建設が必要だ。それにダムは地球温暖化を促進しないクリーンなエネルギーを生む」と主張し、不必要な公共事業の象徴として批判されている国内のダム事業と、政府ODA等による途上国へのダム建設を、さらに推進しようとしているわけである。こうした課題が2日目の議論であった。

<世界銀行がダムチェックを実施>
その中で、特徴的だったのは、世界銀行のあらたな動きである。2日目の基調講演で「世界銀行と大型ダム論争・・水事業に適用される環境の持続可能性とはなにか」との講演をおこなったロバート・グランウッド世界銀行特別顧問は、世界銀行とIUCN(国際自然保護連合)が、今年11月に「ダム事業見直しのための独立国際委員会」を設立し、2年間をかけて報告書を作成することを明らかにした。その対象として日本からは長良川河口堰がなる可能性を示唆され、この調査報告を通じて、有害なダムの建設を制限し、国際的なダム建設の基準が勧告されれば、公共・私企業を問わずダム建設者がガイドラインに従うよう、求めることができることになる。

<河・干潟・湿地の環境団体が集結>
これらの会議は、「公共事業チェックを実現する議員の会」及び「公共事業チェックを求めるNGOの会(400団体)」及び「長良川監視委員会」の主催で行われたが、14日・15日には、長良川河口堰に近い伊勢大橋の長島町河川敷で、「97長良川DAY」の行動が行われたわけだ。今回は、台風19号が近畿に接近するという悪天候で、両日ともほとんど雨続きであった。そのため、一般参加は昨年をはるかに下回り、1000名程度の参加となったことは残念だった。
しかし、会場テントには全国の環境団体がブースを設置して、環境運動の交流が行われた。諫早干潟干拓緊急対策本部、熊本の川辺川ダムに反対する県民の会、博多湾和白干潟を守る会、徳島県吉野川、関東からは相模大堰、北海道の千歳川方水路、千葉の三番瀬、名古屋の藤前干潟を守る会、大阪からは槙尾川ダム連絡会、そして長良川河口堰に反対する市民会議などなどがブースを出していた。
この「長良川DAY」も、90年から7年目を迎えるが、年ごとに各地の自立した環境市民運動が参加している事実は、長良川を起爆材にした「森と川と海」の環境運動が各地に根を張ってきたことを現わしているようだ。

<河口堰の運用を中止せよ>
前夜祭では、C・W・ニコルさんの講演や山本コータローのコンサート、そして参加各NGOの報告があったが、どしゃぶりの雨だった。翌日も朝から雨だったが、元気に集会が行われ、特に橋本首相の「行革会議」が打ち出した「省庁再編案」が、縦割り行政やこれまでの「環境破壊型公共事業」への反省もなく、巨大な「国土開発省」構想で、これまでの公共事業推進の姿勢に何の反省もないことなどへの批判が基調報告された。
11時を期して、カヌーデモと陸上デモが行われた。当日参加の全電通や国労名古屋などの部隊も合流し、陸上デモでは、民主党三重の宣伝カーを先頭に、陸上約800名( 推測)、カヌー約60艇がそれぞれ河口堰めざしてデモを行い、「運用を中止せよ」「ダム建設を止めろ」と雨の中、河口堰本体の上と川のカヌー部隊が呼応して、アピール行動を行った。
台風のためか、参加者は昨年の1/2程度だったが、運動の広がりを確信できる今年の長良川DAYだった。(佐野)

【出典】 アサート No.238 1997年9月27日

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【投稿】 橋本政権の危うさ、脆さ

【投稿】 橋本政権の危うさ、脆さ

<<「ハシリュウは嫌いですか」>>
政局は急変、急展開の兆しを見せている。橋本首相は、競争相手が立とうともしない「無風」状態を演出し、自民党総裁再選を全党一致のもとで難なく決めてしまい、高水準を回復した内閣支持率、政権を脅かすには程遠い野党の低迷をほくそえみ、「順風満帆」の第二次橋本内閣を出帆させる予定であった。ところが事態は、一閣僚の起用をめぐって今やどん底に落ちようとしている。盤石揺るぎなしと見られていた橋本内閣は、ここで大きくつまずき、対応いかんによっては風前の灯火にさえなろうとしている。
佐藤孝行という、受託収賄の有罪が確定した政治家を閣僚、しかも最大の政治課題と自ら位置づけている行革を統括する総務庁長官に据えるなどという、およそ常識からかけ離れた決断を下したのは首相自身である。首相は、「批判があればあるほど、佐藤氏にはその声を吹き飛ばす活躍をしていただきたい。私なりに考え抜いたうえでの結論としてこの道を選んだ」「不適当な人を閣僚につけたつもりはない」(9/12改造直後の記者会見)などとみずからの決断を誇りにさえしたのである。
多少の逆風はあっても突破できるとタカをくくっていたのであろう。ところが世論の反撃は厳しかった。直接の抗議はもちろん、あらゆる世論調査で事態は逆転した。

「威張る、怒る、すねる、相手の無知をあざけるような表情」、「わざとらしくて、鼻持ちならない」(9/8日経「ハシリュウは嫌いですか」)姿勢をすべて出し切った後、激しい世論の反発に直面すると今度は官邸から一歩も出ようとせずにだんまりを決め込み、ついには村上・参院自民党幹事長から「社さ両党から問責決議案の話があれば、賛成する」と伝えられ(9/17)て、首相の責任を問われると、「コメントしませんというのがコメントだ」(9/17)などと無責任さと無能力さをさらけ出し、こうしたみずからが招きよせた危機であるにもかかわらず、自分で事態を収拾する能力とその意欲にも欠けていることを暴露してしまったのである。

<<収賄者が旗を振る行革>>
そもそもこの佐藤という人物、ロッキード社からのワイロを全日空経由で収賄したという明白な証拠を突き付けられてもなお、裁判中も有罪確定後もみずからの犯罪について何の反省もせず、ただただ司法批判を繰り返し、二審判決では「被告人が事実関係を全面的に否認しているのみならず、多数の関係者を巻き込んでのアリバイ工作が行われており、今なお、己が潔白であるとして国会議員の地位に執着していることを考え合わせるとき、反省の情は皆無であると認めざるを得ない」と断定されるほどの厚顔無恥の典型である。
こんな人物を首相自身が内閣改造前から「いったんレッテルを貼られた人はどんなに有能であっても使わないのか」などという佐藤弁護論を展開(9/6)して、総務庁長官に起用したのであるが、当の本人は、「おれは総務庁なんてやりたくない。建設がやりたい。建設か農林水産、できれば農水がいい」などと利権・賄賂がらみのポストを露骨に要求していたのである。問題が深刻化し、自発的辞任論が飛び出してくると、「橋本首相は私の歩んだ道を百も承知で長官に任命したんでしょう」、「ここで辞めれば生きている価値がなくなる。何のために屈辱に耐えてきたのか」と開き直る。
こんな人物を必死になって弁護し、行革担当大臣に任命した橋本首相の言う行革とはいったい何なのか。その本質と限界をあからさまに立証したものともいえよう。まさに「収賄者が旗を振る行革など、悪い冗談である」(9/9日経)。
しかも首相はまだ性懲りもなく、この場に至ってなお、加藤幹事長に対し、「佐藤さんが党に戻って行革で活躍できる場を考えてほしい」などと指示する程度の政治感覚しか持ち合わせていないようである。リクルート事件でこれまた有罪判決を受けている藤波元官房長官を自民党総務会に迎え入れていることと同じ鈍感さである。

<<おごる自民、久しからず>>
もちろんこうした事態をもたらしたのは、首相個人の問題だけではないのは明白である。
もはや連立政権の人事ではなく、完全な自民党単独政権の思い上がった自民内派閥人事として好きなように閣僚人事の絵を描いてきた自民党政治の本質の表われでもある。93/8の細川連立政権の誕生で野党に転落し、同年12月、そのことへの反省として派閥解消を決め、看板を下ろしたはずがいつのまにか公然と復活、主流・非主流相乱れての閣僚分捕り合戦にうつつを抜かし、政治倫理もどこへやら派閥力学で政治倫理を踏み潰すことに何の痛痒も感じなくなってきたおごりが、今回の事態を必然のものとしたのであろう。
しかしもう一方で、非自民、野党勢力の不甲斐なさがこれを大いに助長したことは間違いないともいえよう。今回のことに限ってだけでも、加藤幹事長ら自民執行部は事前に社民党幹部らと接触し、「社民党も佐藤入閣を受け入れる」との感触を得たとされており、問題の佐藤氏自身が「会話の内容は言わないが、内閣改造前に伊藤茂幹事長、笈川一夫政審会長と一度ならず二度も食事をした」(9/19)と暴露している。
新進党は終始この問題で腰が引け、むしろ保保連合復活への期待をにじませて、保保派へ身を摺り寄せようとしている。
しかし、おごる自民、久しからずである。「たった一人の閣僚問題」から事態は急変し、問われている政治的問題の本質が急浮上してくる。「順風満帆」、長期政権かと思われていた橋本政権の危うさ、脆さが一挙に浮き彫りにされだしたのである。朝日の世論調査にもあるように、今や、内閣改造直後の調査から支持・不支持が完全に逆転し、支持率は昨年1月、橋本内閣が発足していらい最低のものとなった。首相の責任を問う声は76%にも達し、政治への信頼感は地に落ちている。非自民、野党勢力の真価が今こそ問われているといえよう。

朝日新聞9/21付け世論調査(内閣改造直前調査は、9/7,8)
佐藤長官の辞任   事態の原因      首相の責任    現政治への信頼
——————-   ———————-   ———-      ————
当然だ  84    首相の指導力不足 11 重大だ    76  している  18
当然ではない 10  自民党のおごり  9  それほどでは 18  していない 69
その他     6  派閥の圧力   44  その他     6   その他   13
          倫理観のなさ  28
その他   8

   政党支持率 改造直前 今選挙では  橋本内閣 改造直前  首相はどうすべき
—————————  ——————–  —————-
自民  32     38    29   支持する 35  53   国民に謝罪  17
新進   4      5      6   支持しない 48  28  首相を辞める 18
民主   3      3      5   その他   17  19  行革に全力  59
共産   4      5      8               その他     6
社民   6      5      7
太陽   1      0      1
他党   1      1      1
支持無 38    38     22
その他 11      5     21

(生駒 敬)

【出典】 アサート No.238 1997年9月27日

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【書評】『ロシア・ソヴィエト哲学史』

【書評】『ロシア・ソヴィエト哲学史』
      (ルネ・ザパタ、原田佳彦訳、クセジュ文庫、白水社、1997.4.25.発行)

ソ連の崩壊とマルクス・レーニン主義の権威失墜が認知された後、社会主義についての関心は急速に薄れたとはいえ、人類社会の本来目指すべき社会主義については、過去の批判的検討を踏まえて、地味ながら新たな研究と運動が進められている。それは従来の社会主義観の伝統と権威抜きに、自らの力で進んでいく運動でもある。
本書は、そのような状況下に提出された旧ソ連(=ロシア)の簡潔な哲学史であり、小冊子ながら第一部「ロシア哲学」と第二部「ソヴィエト哲学」から構成されている。その3分の2を占めるのが、1920年代までを扱う「ロシア哲学」である。
著者の立場は、「そもそもロシア哲学は初めから、国家と民族としてのロシアの本質、そしてロシアの歴史的使命、さらには、西欧に対するロシアの任務に関する、情熱的な問いを巡って展開されているということも思い起しておかなければならない」というものである。
すなわちロシアにおけるヨーロッパ哲学は、長期にわたって「借用と批判の対象」であったことにより、ロシアの独特な現実を考察する研ぎ澄まされたカテゴリーをつくり出し、またこの現実に関する論争的で激烈な性格は、ロシアの思想家たちに事態の改変への貢献をうながしたのである。さらにはロシアにおいては「文学言語の形成と文学の隆盛と哲学の誕生が、ロシア民族意識の出現という、いっそう広範な歴史的文脈のなかで同時的に起った」こと、しかもそれが過酷な検閲を前にしたことで、ロシアでは、文学作品・批評によって哲学的信念を表明するという慎重な態度が形成された。「したがって、プーシキン、ゴーゴリ、ドストエフスキー、トルストイの作品が、ロシアの多くの思想家たちにとって、西欧の大哲学者たちの作品と、少なくとも同じくらい重要な典拠の眼目となった」。
このことはソヴィエト時代のイデオロギーにも流れているとされる。
「チェルイヌイシェフスキーからレーニンまで、そこには明らかに血縁関係があるのだ。また、ボリシェヴィズムは・・・ロシアの具体的現実へのマルクス主義の《適用》の単なる政治的表現だったというにはほど遠い。それはむしろ、ロシア・インテリゲンツィアの批判的・革命的伝統、1840年代から1880年代にかけて強化された伝統の延長なのである」。
この著者の評価が当たっているかどうかは論議の必要があるが、すくなくともロシア哲学の一定の特徴を突いているであろう。
さて本書は、ロシアにおける哲学の始まりから、エカテリーナ・世により啓蒙哲学を概観し、19世紀の諸論争を検討する。それは1825年のデカブリストの失敗で始められるが、その意義は、「ロシア人に欠けていたもの、それは自由主義的傾向でも悪弊の自覚でもなかったのだ。自分たちに率先して行動する熱意を示してくれるような前例が、ロシア人に欠けていたのである」と総括するゲルツェンの言葉で示される。
また19世紀半ばのインテリゲンツィア内部での、ロシアの西欧化をめぐる二つの流れ──スラヴ派(キレーエフスキーなど)と西欧派(ベリンスキー、バクーニン、ゲルツェンなど)──の対立(西ヨーロッパにおける1848年の革命の挫折の評価=そこに西ヨーロッパの衰退を見るか、それとも政治姿勢の急進化に移るか)についても、 「スラヴ派が1848年の革命を、ヨーロッパ社会が出口[解決策]のない道に入り込んだという事実を確証したにすぎない、と考えたに対して、ゲルツェンはそこに新たな革命戦略を引き出す可能性を見て取った。すなわち、この新たな革命戦略は、ロシアの特殊性を考慮に入れることと同時に、新しいタイプの革命家を必要とするものなのである」と評価する。
そしてこの後、1860年代の新世代──人民主義者(ナロードニキ)と虚無主義者(ニヒリスト)──の中で、チェルヌイシェフスキー、ドブロリューボフ、ピーサレフが紹介され、プレハーノフの登場となる。しかしプレハーノフと彼が組織した組織(労働解放団)についての評価は、「無視できるほどのものにすぎない。非合法活動のために[プレハーノフの《労働解放団》より]よく組織され、とりわけまた、まさしくロシアの地に[亡命地ではなく]よく根づいた政治的諸潮流──そのなかに、レーニンに率いられた一派もあった──が登場してくる」とされる。
この後の大事件は1905年の革命であるが、これに関連して、急進的知識人の多くが、この革命を自分たちの分析と政治機構の新しい形態(ソヴィエト)の実験場と見なしたのに対して、これを惨めな敗北、「ロシアの後進性、暴力性、偏狭性がすべて露になってしまった」と見る一部インテリゲンツィア──ストルーヴェとプルガーコフ──が、急進的インテリゲンツィアに対する批判とともに、もっと徹底して政治参加するために立憲民主党(カデット)を結成して行動したという話も興味深い。
また1905年の革命後、「ボリシェヴィキは深刻な危機に見舞われ、その影響は1930年に到るまで及んでいる」とされる。そしてこの中で、プレハーノフが「社会変革における主観的要素[歴史における個人の役割]の絶対的役割を否定し、とりわけ歴史法則の不可避性を強調した」のに対して、経験批判論者たちは、「個人の創造的可能性に重要な場を与える人間的個性に関する総体的なヴィジョンを維持しなければならない」とし、そしてボグダーノフが、マルクス主義は社会生活に関する自然科学的な科学=学問であるとしてマルクス主義に組織的かつ実践的な性格を与えたいと考えていたと評価する。
なおこのボグダーノフに対してのレーニンの『唯物論と経験批判論』による批判は、「経験批判論者たちの《新しい》哲学がマルクス主義の基本原理と──認識論の問題についても、歴史にかかわる問題についても──両立しない、ということを立証するためでもあった」とされるが、このレーニンの介入についての評価はなされていない。
次に、ソヴィエト哲学については、「ソヴィエト哲学(決定的な特徴をもったソヴィエト哲学なるものは、1930年から31年になってようやく出現する)の形成過程は、長期にわたる──とりわけ、1920年代をつうじて──陥穽に満ちた道程であった」とされ、20年代の動き(ボグダーノフと「プロレトクルト」、「弁証法論者」(デボーリンら)と「機械論者」の対立、哲学のボリシェヴィキ化」(ミーチン、ユーじんら)が語られる。
そして上のようなソヴィエト哲学の形成によって、「1930年代以降、ソ連には《もはや哲学は存在しない。哲学ではなく、国家イデオロギーの哲学的機能しか存在しない》と断言する」と著者は主張する。著者によれば、この国家イデオロギーの目的は、(1)「党の路線にいかなる変換や転換があろうと、そうした党路線の理論的保証の役目を果たすこと」、(2)第三インター加盟の「それぞれ雑多な要素からなる各国共産党の統一を──イデオロギー的に──強固なものにすること」であるとされる。
この後、「ミーチンやジュダーノフの10年」、スターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』の出版が続くが、スターリンの著作は「哲学への歴史のきわめて特異な従属──適用という従属」とされ、その弁証法的方法と唯物論的理論の区別と不均衡が指摘される。そしてスターリンによる支配の下での、ルイセンコ派の勝利、反コスモポリタニズム・キャンペーン、ケドローフ一派の追放などの、恐怖の雰囲気の結果として、「スターリンが死んだとき、ソヴィエト哲学界はまったくの事なかれ状態に陥っていた」。
ここから現在にいたるまでの素描は、本書ではゴルバチョフのペレストロイカ時代までであるが、著者の眼から見ればこれも「ソヴィエトのイデオロギー体制に占める哲学機構の際立った地位が、ソ連における哲学研究が短期間のうちに深部にまで達するほどの変化を遂げる可能性をすでに疑がわせうることに変わりはないのだ」とされる。本書の原出版が1988年であり、その後のソ連崩壊を経た現在から考えると、この指摘通りになったといえよう。
以上本書は、「ロシアの特殊性=独自性、ロシアの運命といった問題意識の統一性」という視点から「ロシアにおいて、哲学的諸問題に与えられる並みはずれた重要性」を軸に叙述された哲学史である。小冊子故の説明不十分な箇所もあるにはあるが、ソヴィエト哲学のコンパクトな歴史としては手頃なものであろう。(R)

【出典】 アサート No.237 1997年8月23日

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【投稿】戦後52年目の夏に考える

【投稿】戦後52年目の夏に考える

なにか、とても中途半端な時間が過ぎていくような気がしてならない。
それは、あせりなのか、それとも飛躍の前の静寂なのか。
とても平和そうな52年目の夏。それでいいのか、と自問しつつ、気になる点を挙げてみる。

<教科書論争について>
私自身は、所謂教科書論争と言う形で登場している「右翼的論議」にはあまり興味がない。敢えて言えば「右翼」の側の「あせり」の表現でしかない、と考えている。自虐史観という表現も理解できない。残念ながら、少なくとも明治の中期から第2次世界大戦の終わりまで、日本という国家的行動の有り様は、ほとんど反省・糾弾・謝罪ものの連続で、「自虐」しても仕切れないほどの「犯罪行為」の連続であろうと思う。
被侵略国側にとってそうであっただけでなく、日本国民に対しても、国民を徹底的に傷つけた無責任な戦争指導者達やそれに連なる人々は、戦後も生き延び、岸信介の例を引くまでもなく、戦後に復活を遂げている。731部隊に関わった医療関係者は戦後の大学や医療関係に君臨した。そのリストも公開されていない。
夏になると、読み返す本の1冊に「失敗の本質・・日本軍の組織論的研究」(中公文庫)というものがある。防衛大学関係者の手になるものだが、がダルカナル、ミッドウェー、ノモンハン、レイテ、インパール、沖縄戦について、日本陸海軍の「失敗の本質」を追求している。(NHKのドキュメント太平洋戦争の元番のような印象もある)いろいろな面があるが、印象的なのは、日本陸海軍は敵も殺したが、自軍の兵士も無駄死に、犬死に同然に死に至らしめた事実だ。兵站・補給を無視した精神主義。単に物量だけに負けたのではなく、兵士をなるべく死なないように保護した航空機の製造からレーダーなどの情報機器の開発、また陸海空軍を統括した統合本部を確立した米軍と、最後まで陸海の確執を残した日本。(この本の結論は、自己革新性を持たない組織は腐敗し、敗北するという点に集約されている)
この本からは、日本軍が負けるべくして負けたことが実証的に明らかにされている。他方、教科書論争と言われているものは、実証的な装いを持ちながら、極めて「感情的」な論争であるように感じるのだが。
そういう意味では、よくNHKのドキュメンタリーなどで「アメリカ国立公文書センター」(?)などで軍事関係の文書が公開されているが、日本はどうなのだろうか。事実に基づく論争というなら、政府にすべての文書の公開を一緒に求めることがまず第1なのではないか、と考えるのだが。・・・・・
<事実を明確にするということ>
事実、そして認識という意味で、私が非常に興味を感じているのは、やはりマルクス主義とは事実に照らして何であり、今後は、どのような意味で再生が可能なのか、ということだ。
事実に照らして、と言う意味で興味深いのは、ソ連関係の文書公開(公開と言っても研究者が書類の山の中から探してくるらしいが)が進んで、ソビエト社会主義の歴史的事実の解明、さらに「社会主義世界体制」の実態が明らかになりつつあることだろう。残念ながら、そのなかで明らかになってくるのは、残念ながら、共産主義という全体主義が粛清と殺戮、民主主義とは程遠いものであった、という事実であろうことは想像できる。
私自身にとっても、少なくともこの20数年間の運動の基盤が91年のソ連崩壊以上に揺らぐことになるのだが、幸いなことに、個人的にはそんなにダメージがないことだろうか。
こうしたレベルからは、現在の保保連合の動きや、また日本共産党の「躍進」もまた、
さほど驚くこともない。共産主義と民主集中制を基本的に残している団体に今後どれほどの生命力があるのか、甚だ疑問だからである。
そういう意味では、最近三一書房から北海道大学の鷲田小彌太氏が「講座・マルクスとマルクス主義」(1997年4月)という本を出されているが、その中で、マルクス主義の総括をきっぱりとされているのは、とても印象的である。その中の一節に「・・・・社会主義は、自由で平等で豊かで平和な社会と人間関係をつくるのだ、という目標(イデー=理念)を掲げました。しかし、そういうものは、ことごとく正しくなかった。実現しなかった。それが社会主義の70年の現実の歴史の中でわかりました。・・・」「マルクス主義の徹底した清算が必要:・・・マルクス主義といわれているものが、これまで掲げてきた目標、それを実現しようとする社会システム、それを実現するためのさまざまな手段、あるいは、共産党も含めた、社会主義的な思想と行動集団は、ぜんぶ御破算にしたほうがいい。マルクス的社会主義の150年、70数年の歴史というものは、人類に災厄をもたらした、人類にとって悪夢であった、とまず理解しなければなりません。・・・・その上でなおかつ、マルクス主義に可能性があるのかを考える必要がある、というのが私の考え方です。」
この部分だけがすべてではないのですが、これほど明快に言われると、すっきりします。読者各位も是非一読していただきたい。
事実を大事にするという姿勢に必ず立って議論する、ということは、何につけても曲げてはいけない原則だと考えています。

<進歩的文化人は元気か?>
「マルクス主義の清算」という立場にたって考えると、この間の政治状況も違った面が見えてきます。
確かに、93年の細川連立政権の成立以降これまで、社会党が壊滅状況となり、保保連合の動きに対抗する民主党は出来たものの、まだ停滞している。世の中の論調を見ていると、旧社会党的論調は影を薄め、反自民党的論調も当然のごとくありつつも、国民を納得させるような、やや中間的だが、反自民あるいは反保保と言う形での論壇は明らかに停滞している。従来の「進歩的文化人」と言われるような人々からの積極的な発言も、もう一つ聞かないし、影響力を感じられないのが現状ではないか。
「『悪魔祓い』の戦後史・・・・進歩的文化人の言論と責任」という単行本が最近出ていて盆の間に読みました。「諸君!」という雑誌に連載されたものをまとめた本だけれど、中々通史的に読めて面白かった訳です。(もちろん、趣旨に同意するわけではない)
結局、「世界」の岩波と朝日新聞を攻撃しているわけで、戦後の「全面講和論争」「非武装中立路線」「文化大革命」「北朝鮮」「ベトナム戦争」「家永裁判」「大学紛争」などをテーマに、そのころ進歩的文化人が、どんな「無責任な言論」を展開したかを、口汚く罵る内容になっているわけです。ただ、結構事実っぽく展開されているので、一見説得力があるようにも思えます。紹介したのは「良い本」と言う意味ではなく、反面教師として読むのも一興と言う程度なんですが、私が言いたいのは、この本の著者が忌み嫌う進歩的文化人達、決して社会主義支持者、運動家ではない人々にも「社会主義は善、資本主義は悪」というような歴史的に形成された広範な意識が存在していたこと。それらの言論が、国民・社会に与える影響は大きなものがあったということ。社会党・共産党・その他新左翼や市民運動といった「反体制派」にとって、それは守るべき財産であったし、国民的な影響力も持っていた。
しかし残念ながら、ソ連の崩壊、社会主義の崩壊以後、これら進歩的文化人の発言力は明らかに低下してきていること。その背景に、単にマルクス主義者にとってのみ大ショックだったと思っていた「社会主義の崩壊」は、実は日本の良心的陣営すらも大きな影響を受けているのではないか、と思い当たり、私は少々ショックを受けている、という訳です。
一方、現在の「世界」は、あまり私にとって面白くありません。労働運動に対しては、連合否定の立場で編集されているし、せいぜい全労協か少数派運動しか載りません。まだ「RONZA」の方がまし、というものです。もちろん読者も減っているでしょうから、影響力はますます落ちてはいるのでしょうが。

<もう少し議論したいところ>
まあ、自分の責任の取れない範囲を批判してもあまり役には立ちません。しかし、ソ連崩壊から7年になろうという現在、鷲田さんではありませんが、「清算」はまだできていないような気がしているわけです。明日から、また通常の生活に戻るわけですが、「マルクス主義の清算」と新たな政治・思想戦略だけは、いずれ明確にしたいものだと思っています。(97ー08ー16佐野秀夫)

【出典】 アサート No.237 1997年8月23日

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