【投稿】戦後民主主義を破壊するもの

【投稿】戦後民主主義を破壊するもの 

<<突如、右翼の論客?>>
本誌前号の織田氏の投稿を見て、正直開いた口が塞がらないほどの驚きを感じました。「改革と民主主義」をめざすこの情報誌に、突如右翼の論客が、もっともらしい屁理屈をこねまわして乗り込んできたのかと感じたのです。場所をお間違えではないのでしょうか。「従軍慰安婦」と「強制連行」をめぐって、織田氏が勝手に熱を上げている「歴史教育をめぐる熱い論争」なるものは、結局のところは、日本政府や軍は、「国策として」強制連行などしていない、証拠があるなら出してみよ、とただこれに尽きるだけのことでしょう。
こんな主張ならわざわざこのような場でご開陳いただかなくとも、今こぞって右翼や保守反動勢力ががなりたてていることは十分承知しています。日の丸と軍旗をはためかせた大型の黒い装甲車を連ねて彼らは今日本中を走り回っています。かれらの「英霊にこたえる会」と「日本会議」の全国縦断キャラバン隊なるものは、東日本隊と西日本隊にわかれて、歴史教科書の「従軍慰安婦」と「強制連行」記述の削除をもとめて地方議会に押し掛け、請願書採択を強要し、ピースおおさかをはじめとした各地の平和・戦争資料館の展示にいちゃもんをつけ、その閉鎖まで要求しています。その時に彼らが撒いたビラの一部をご紹介しましょう。

<<「英霊にこたえる会」と「日本会議」の声明>>
「我が国の近現代史をめぐる歴史観の否みは行き着くところまできてしまった観がある。その端的な表われが中学校の歴史教科書である。従軍慰安婦の記述にととまらず、数ある歴史事実の中からことさらに日本の加害行為を取り上げ、・・・全国各地の戦争資料館においては、日本の過去の行為に対する歪曲ないし捏造された写真や映像等がおおっぴらに展示され、・・・」「こうした嘆かわしい状況の中にあって、一方ではいくつかの明るい希望の曙光が射しかかってきていることも事実である。たとえば慰安婦の「強制連行」を認めた平成五年の河野官房長官談話が、全然根拠のないものであることが我々と志を同じうする国会議員の努力によって明らかになったし、少なからぬ地方議会で教科書から「従軍慰安婦」に関する記述の削除を求める決議が出されており、また、戦争資料館の展示
内容の是正運動も相次いで起こっている」
「我々は、こうした力強い動きを一層活性化させることによって、日本人をなおも呪
縛している東京裁判史観を克服し、次代を担う青少年に歴史の真実と英霊の御心を伝
えていくために、さらなる国民運動を展開していくことを、ここ靖国神社に鎮まる2
50万柱の英霊の御前に御誓い申し上げ、その決意を表明するものである。 平成9
年8月15日」

<<デタラメな読み方>>
「それにつけても日本政府のこの問題に対する姿勢はデタラメである。・・・この河野官房長官談話のデタラメさが、慰安婦問題を複雑化させ、国際問題にまで発展させている諸悪の根元である。ここにも戦後日本の民主主義の弊害が露呈していると思えてならない。・・・強制連行有り派の朝日新聞の論調も同じである。」--これは右翼のビラではなく、織田氏の前号の主張である。こうした論調はまさに「英霊にこたえる会」や「日本会議」と軌を一にするものです。彼らの共通認識がよく表れています。河野官房長官談話は、当時としても、そして今でもこの問題に関する大きな一歩前進であったこと、戦後日本の民主主義の一つの成果であったともいえると思います(もちろん不十分さもあり、情報公開の不徹底という致命的な弱点も有りますが)。反動勢力はこうした日本社会の前進的な動向や、この談話の内容がさらに具体化することに危機感を募らせ、攻撃をここに集中しているのでしょう。
彼らの主張のそれこそデタラメさは、官房長官談話をろくに読みもせずに、「従軍慰安婦と名乗りをあげた人の証言だけを唯一の証拠に、強制連行は存在した」と発表したと躍起になって攻撃していることに端的に表れています。私は、従軍慰安婦の方々の証言も決定的に重要であると考えていますが、官房長官談話を読めば、それだけを唯一の証拠にしているなどといえないことはすぐに分かることなのです。最後にその談話を削除することなく紹介しておきたいと思います。

<<「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」(全文)>>
「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、弾圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からおわびと反省の気持ちを申し上げる。またそのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このうような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払ってまいりたい。
1993年8月4日、内閣官房長官・河野洋平」
(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.238 1997年9月27日

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【投稿】台風迫る中、97長良川DAY–「ダムの時代は終わった」

【投稿】台風迫る中、97長良川DAY–「ダムの時代は終わった」

長良川河口堰が、社民党の建設大臣によって、運用開始されて以来2年が経過した。時が過ぎる毎に、シジミの壊滅状況が明らかになり、今年のアユも、ますます少なくなっている。建設省は、アユの漁獲量は変わらない、と主張しているようだが、それは「放流アユ」を含めてのことである。放流アユと天然アユは、値段も違う。放流ものは1尾300円にしかならないが、天然ものは2000円以上もする。当然、獲れているのは放流ものだ。建設省の宣伝にも関わらず、釣り人は真実を知っている。つまり、天然アユには、縄張り意識があるので、「友釣り」が有効だが、残念ながら養殖アユは、縄張り意識がないので、「友釣り」が効かない。川の端の瀞場でじっとしているというわけ。釣り師にとって長良川のは、魅力を無くしつつある。今年の遊魚券の売り上げが昨年を大幅に下回ったという。
長良川河口堰の運用はあったものの、年々ダムや堰の建設に反対する運動は全国各地で盛り上がりを見せており、財政構造改革・行財政改革のもとでの公共事業の見直し気運と相乗的に世論の関心を受けて、一層運動の輪が広がりつつある。これらの運動は、そこに住む市民が中心であり、地道な運動が積み重ねられている。
今年も、9月13・14・15日には、一連の環境行動が、三重県長島町を中心に開催された。
私は、14・15日の長良川DAYの方だけに参加したわけだが、今年の特徴などについて、簡単な報告をしておきたい。

<自然破壊の公共事業は止めろ>
13日には、「日本の山河と公共事業」をテーマに、第1部「不必要で自然破壊的な公共事業を検証する」との「森・川・海」からの基調報告が行われた。海からは諫早干潟緊急対策本部代表の山下さんから「諫早問題と農水省」。川からは「長良川河口堰と建設省」を長良川訴訟原告の村瀬さんが、そして「細川内ダムと建設省」で徳島県木頭村の藤田村長が、「大規模林道問題と林野庁」では、宇都宮大学の藤原名誉教授が、「宍道湖中海干拓問題と農水省」は島根大学の保母教授が、それぞれの公共事業と問題点を報告。公共事業が如何に「経済発展と市民生活向上」をうたい文句に、自然破壊を平然と繰り返してきたかが、報告された。第2部では、パネルディスカッション「公共事業と行政改革会議」が、行われた。
14日には「世界水資源会議」として、海外代表も参加して、世界の水・ダムをめぐる大きな変化と日本がダムに固守し続けるばかりか、中国の三峡ダムやベトナムのメコン河開発にも触手を広げている事態に対する基調報告とパネルディスカッションが行われた。

<世界的にはすでにダムの時代は終わった>
今年6月にニューヨークで開催された国連環境特別総会は、来年の「国連持続可能な開発委員会(CSD)の中心テーマを「淡水の確保」に決定した。国連の報告書によれば「現在世界人口の8%が極度の水不足に置かれている。このまま人口増加が続けば約30年後には世界人口の3分の2が水不足に苦しむことになる」と指摘している。またワシントンに本部があるワールドウォッチ研究所は「これまで戦争は石油と黄金をめぐって闘われてきたが、いま国家間に紛争を生む最大の可能性を持っているのは”水”である。と警告している。また、アメリカや欧州においては、ダム開発による自然破壊は耐え難く、ダムの時代は終わった、との認識の上に、自然と人間の調和を第1の課題にして、水問題と取組もうとしているわけだ。
ところが、日本では、公共事業の一部見直しがはじまったとは言え、日本のダム建設の関係者らは「だから、さらなるダム建設が必要だ。それにダムは地球温暖化を促進しないクリーンなエネルギーを生む」と主張し、不必要な公共事業の象徴として批判されている国内のダム事業と、政府ODA等による途上国へのダム建設を、さらに推進しようとしているわけである。こうした課題が2日目の議論であった。

<世界銀行がダムチェックを実施>
その中で、特徴的だったのは、世界銀行のあらたな動きである。2日目の基調講演で「世界銀行と大型ダム論争・・水事業に適用される環境の持続可能性とはなにか」との講演をおこなったロバート・グランウッド世界銀行特別顧問は、世界銀行とIUCN(国際自然保護連合)が、今年11月に「ダム事業見直しのための独立国際委員会」を設立し、2年間をかけて報告書を作成することを明らかにした。その対象として日本からは長良川河口堰がなる可能性を示唆され、この調査報告を通じて、有害なダムの建設を制限し、国際的なダム建設の基準が勧告されれば、公共・私企業を問わずダム建設者がガイドラインに従うよう、求めることができることになる。

<河・干潟・湿地の環境団体が集結>
これらの会議は、「公共事業チェックを実現する議員の会」及び「公共事業チェックを求めるNGOの会(400団体)」及び「長良川監視委員会」の主催で行われたが、14日・15日には、長良川河口堰に近い伊勢大橋の長島町河川敷で、「97長良川DAY」の行動が行われたわけだ。今回は、台風19号が近畿に接近するという悪天候で、両日ともほとんど雨続きであった。そのため、一般参加は昨年をはるかに下回り、1000名程度の参加となったことは残念だった。
しかし、会場テントには全国の環境団体がブースを設置して、環境運動の交流が行われた。諫早干潟干拓緊急対策本部、熊本の川辺川ダムに反対する県民の会、博多湾和白干潟を守る会、徳島県吉野川、関東からは相模大堰、北海道の千歳川方水路、千葉の三番瀬、名古屋の藤前干潟を守る会、大阪からは槙尾川ダム連絡会、そして長良川河口堰に反対する市民会議などなどがブースを出していた。
この「長良川DAY」も、90年から7年目を迎えるが、年ごとに各地の自立した環境市民運動が参加している事実は、長良川を起爆材にした「森と川と海」の環境運動が各地に根を張ってきたことを現わしているようだ。

<河口堰の運用を中止せよ>
前夜祭では、C・W・ニコルさんの講演や山本コータローのコンサート、そして参加各NGOの報告があったが、どしゃぶりの雨だった。翌日も朝から雨だったが、元気に集会が行われ、特に橋本首相の「行革会議」が打ち出した「省庁再編案」が、縦割り行政やこれまでの「環境破壊型公共事業」への反省もなく、巨大な「国土開発省」構想で、これまでの公共事業推進の姿勢に何の反省もないことなどへの批判が基調報告された。
11時を期して、カヌーデモと陸上デモが行われた。当日参加の全電通や国労名古屋などの部隊も合流し、陸上デモでは、民主党三重の宣伝カーを先頭に、陸上約800名( 推測)、カヌー約60艇がそれぞれ河口堰めざしてデモを行い、「運用を中止せよ」「ダム建設を止めろ」と雨の中、河口堰本体の上と川のカヌー部隊が呼応して、アピール行動を行った。
台風のためか、参加者は昨年の1/2程度だったが、運動の広がりを確信できる今年の長良川DAYだった。(佐野)

【出典】 アサート No.238 1997年9月27日

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【投稿】 橋本政権の危うさ、脆さ

【投稿】 橋本政権の危うさ、脆さ

<<「ハシリュウは嫌いですか」>>
政局は急変、急展開の兆しを見せている。橋本首相は、競争相手が立とうともしない「無風」状態を演出し、自民党総裁再選を全党一致のもとで難なく決めてしまい、高水準を回復した内閣支持率、政権を脅かすには程遠い野党の低迷をほくそえみ、「順風満帆」の第二次橋本内閣を出帆させる予定であった。ところが事態は、一閣僚の起用をめぐって今やどん底に落ちようとしている。盤石揺るぎなしと見られていた橋本内閣は、ここで大きくつまずき、対応いかんによっては風前の灯火にさえなろうとしている。
佐藤孝行という、受託収賄の有罪が確定した政治家を閣僚、しかも最大の政治課題と自ら位置づけている行革を統括する総務庁長官に据えるなどという、およそ常識からかけ離れた決断を下したのは首相自身である。首相は、「批判があればあるほど、佐藤氏にはその声を吹き飛ばす活躍をしていただきたい。私なりに考え抜いたうえでの結論としてこの道を選んだ」「不適当な人を閣僚につけたつもりはない」(9/12改造直後の記者会見)などとみずからの決断を誇りにさえしたのである。
多少の逆風はあっても突破できるとタカをくくっていたのであろう。ところが世論の反撃は厳しかった。直接の抗議はもちろん、あらゆる世論調査で事態は逆転した。

「威張る、怒る、すねる、相手の無知をあざけるような表情」、「わざとらしくて、鼻持ちならない」(9/8日経「ハシリュウは嫌いですか」)姿勢をすべて出し切った後、激しい世論の反発に直面すると今度は官邸から一歩も出ようとせずにだんまりを決め込み、ついには村上・参院自民党幹事長から「社さ両党から問責決議案の話があれば、賛成する」と伝えられ(9/17)て、首相の責任を問われると、「コメントしませんというのがコメントだ」(9/17)などと無責任さと無能力さをさらけ出し、こうしたみずからが招きよせた危機であるにもかかわらず、自分で事態を収拾する能力とその意欲にも欠けていることを暴露してしまったのである。

<<収賄者が旗を振る行革>>
そもそもこの佐藤という人物、ロッキード社からのワイロを全日空経由で収賄したという明白な証拠を突き付けられてもなお、裁判中も有罪確定後もみずからの犯罪について何の反省もせず、ただただ司法批判を繰り返し、二審判決では「被告人が事実関係を全面的に否認しているのみならず、多数の関係者を巻き込んでのアリバイ工作が行われており、今なお、己が潔白であるとして国会議員の地位に執着していることを考え合わせるとき、反省の情は皆無であると認めざるを得ない」と断定されるほどの厚顔無恥の典型である。
こんな人物を首相自身が内閣改造前から「いったんレッテルを貼られた人はどんなに有能であっても使わないのか」などという佐藤弁護論を展開(9/6)して、総務庁長官に起用したのであるが、当の本人は、「おれは総務庁なんてやりたくない。建設がやりたい。建設か農林水産、できれば農水がいい」などと利権・賄賂がらみのポストを露骨に要求していたのである。問題が深刻化し、自発的辞任論が飛び出してくると、「橋本首相は私の歩んだ道を百も承知で長官に任命したんでしょう」、「ここで辞めれば生きている価値がなくなる。何のために屈辱に耐えてきたのか」と開き直る。
こんな人物を必死になって弁護し、行革担当大臣に任命した橋本首相の言う行革とはいったい何なのか。その本質と限界をあからさまに立証したものともいえよう。まさに「収賄者が旗を振る行革など、悪い冗談である」(9/9日経)。
しかも首相はまだ性懲りもなく、この場に至ってなお、加藤幹事長に対し、「佐藤さんが党に戻って行革で活躍できる場を考えてほしい」などと指示する程度の政治感覚しか持ち合わせていないようである。リクルート事件でこれまた有罪判決を受けている藤波元官房長官を自民党総務会に迎え入れていることと同じ鈍感さである。

<<おごる自民、久しからず>>
もちろんこうした事態をもたらしたのは、首相個人の問題だけではないのは明白である。
もはや連立政権の人事ではなく、完全な自民党単独政権の思い上がった自民内派閥人事として好きなように閣僚人事の絵を描いてきた自民党政治の本質の表われでもある。93/8の細川連立政権の誕生で野党に転落し、同年12月、そのことへの反省として派閥解消を決め、看板を下ろしたはずがいつのまにか公然と復活、主流・非主流相乱れての閣僚分捕り合戦にうつつを抜かし、政治倫理もどこへやら派閥力学で政治倫理を踏み潰すことに何の痛痒も感じなくなってきたおごりが、今回の事態を必然のものとしたのであろう。
しかしもう一方で、非自民、野党勢力の不甲斐なさがこれを大いに助長したことは間違いないともいえよう。今回のことに限ってだけでも、加藤幹事長ら自民執行部は事前に社民党幹部らと接触し、「社民党も佐藤入閣を受け入れる」との感触を得たとされており、問題の佐藤氏自身が「会話の内容は言わないが、内閣改造前に伊藤茂幹事長、笈川一夫政審会長と一度ならず二度も食事をした」(9/19)と暴露している。
新進党は終始この問題で腰が引け、むしろ保保連合復活への期待をにじませて、保保派へ身を摺り寄せようとしている。
しかし、おごる自民、久しからずである。「たった一人の閣僚問題」から事態は急変し、問われている政治的問題の本質が急浮上してくる。「順風満帆」、長期政権かと思われていた橋本政権の危うさ、脆さが一挙に浮き彫りにされだしたのである。朝日の世論調査にもあるように、今や、内閣改造直後の調査から支持・不支持が完全に逆転し、支持率は昨年1月、橋本内閣が発足していらい最低のものとなった。首相の責任を問う声は76%にも達し、政治への信頼感は地に落ちている。非自民、野党勢力の真価が今こそ問われているといえよう。

朝日新聞9/21付け世論調査(内閣改造直前調査は、9/7,8)
佐藤長官の辞任   事態の原因      首相の責任    現政治への信頼
——————-   ———————-   ———-      ————
当然だ  84    首相の指導力不足 11 重大だ    76  している  18
当然ではない 10  自民党のおごり  9  それほどでは 18  していない 69
その他     6  派閥の圧力   44  その他     6   その他   13
          倫理観のなさ  28
その他   8

   政党支持率 改造直前 今選挙では  橋本内閣 改造直前  首相はどうすべき
—————————  ——————–  —————-
自民  32     38    29   支持する 35  53   国民に謝罪  17
新進   4      5      6   支持しない 48  28  首相を辞める 18
民主   3      3      5   その他   17  19  行革に全力  59
共産   4      5      8               その他     6
社民   6      5      7
太陽   1      0      1
他党   1      1      1
支持無 38    38     22
その他 11      5     21

(生駒 敬)

【出典】 アサート No.238 1997年9月27日

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【書評】『ロシア・ソヴィエト哲学史』

【書評】『ロシア・ソヴィエト哲学史』
      (ルネ・ザパタ、原田佳彦訳、クセジュ文庫、白水社、1997.4.25.発行)

ソ連の崩壊とマルクス・レーニン主義の権威失墜が認知された後、社会主義についての関心は急速に薄れたとはいえ、人類社会の本来目指すべき社会主義については、過去の批判的検討を踏まえて、地味ながら新たな研究と運動が進められている。それは従来の社会主義観の伝統と権威抜きに、自らの力で進んでいく運動でもある。
本書は、そのような状況下に提出された旧ソ連(=ロシア)の簡潔な哲学史であり、小冊子ながら第一部「ロシア哲学」と第二部「ソヴィエト哲学」から構成されている。その3分の2を占めるのが、1920年代までを扱う「ロシア哲学」である。
著者の立場は、「そもそもロシア哲学は初めから、国家と民族としてのロシアの本質、そしてロシアの歴史的使命、さらには、西欧に対するロシアの任務に関する、情熱的な問いを巡って展開されているということも思い起しておかなければならない」というものである。
すなわちロシアにおけるヨーロッパ哲学は、長期にわたって「借用と批判の対象」であったことにより、ロシアの独特な現実を考察する研ぎ澄まされたカテゴリーをつくり出し、またこの現実に関する論争的で激烈な性格は、ロシアの思想家たちに事態の改変への貢献をうながしたのである。さらにはロシアにおいては「文学言語の形成と文学の隆盛と哲学の誕生が、ロシア民族意識の出現という、いっそう広範な歴史的文脈のなかで同時的に起った」こと、しかもそれが過酷な検閲を前にしたことで、ロシアでは、文学作品・批評によって哲学的信念を表明するという慎重な態度が形成された。「したがって、プーシキン、ゴーゴリ、ドストエフスキー、トルストイの作品が、ロシアの多くの思想家たちにとって、西欧の大哲学者たちの作品と、少なくとも同じくらい重要な典拠の眼目となった」。
このことはソヴィエト時代のイデオロギーにも流れているとされる。
「チェルイヌイシェフスキーからレーニンまで、そこには明らかに血縁関係があるのだ。また、ボリシェヴィズムは・・・ロシアの具体的現実へのマルクス主義の《適用》の単なる政治的表現だったというにはほど遠い。それはむしろ、ロシア・インテリゲンツィアの批判的・革命的伝統、1840年代から1880年代にかけて強化された伝統の延長なのである」。
この著者の評価が当たっているかどうかは論議の必要があるが、すくなくともロシア哲学の一定の特徴を突いているであろう。
さて本書は、ロシアにおける哲学の始まりから、エカテリーナ・世により啓蒙哲学を概観し、19世紀の諸論争を検討する。それは1825年のデカブリストの失敗で始められるが、その意義は、「ロシア人に欠けていたもの、それは自由主義的傾向でも悪弊の自覚でもなかったのだ。自分たちに率先して行動する熱意を示してくれるような前例が、ロシア人に欠けていたのである」と総括するゲルツェンの言葉で示される。
また19世紀半ばのインテリゲンツィア内部での、ロシアの西欧化をめぐる二つの流れ──スラヴ派(キレーエフスキーなど)と西欧派(ベリンスキー、バクーニン、ゲルツェンなど)──の対立(西ヨーロッパにおける1848年の革命の挫折の評価=そこに西ヨーロッパの衰退を見るか、それとも政治姿勢の急進化に移るか)についても、 「スラヴ派が1848年の革命を、ヨーロッパ社会が出口[解決策]のない道に入り込んだという事実を確証したにすぎない、と考えたに対して、ゲルツェンはそこに新たな革命戦略を引き出す可能性を見て取った。すなわち、この新たな革命戦略は、ロシアの特殊性を考慮に入れることと同時に、新しいタイプの革命家を必要とするものなのである」と評価する。
そしてこの後、1860年代の新世代──人民主義者(ナロードニキ)と虚無主義者(ニヒリスト)──の中で、チェルヌイシェフスキー、ドブロリューボフ、ピーサレフが紹介され、プレハーノフの登場となる。しかしプレハーノフと彼が組織した組織(労働解放団)についての評価は、「無視できるほどのものにすぎない。非合法活動のために[プレハーノフの《労働解放団》より]よく組織され、とりわけまた、まさしくロシアの地に[亡命地ではなく]よく根づいた政治的諸潮流──そのなかに、レーニンに率いられた一派もあった──が登場してくる」とされる。
この後の大事件は1905年の革命であるが、これに関連して、急進的知識人の多くが、この革命を自分たちの分析と政治機構の新しい形態(ソヴィエト)の実験場と見なしたのに対して、これを惨めな敗北、「ロシアの後進性、暴力性、偏狭性がすべて露になってしまった」と見る一部インテリゲンツィア──ストルーヴェとプルガーコフ──が、急進的インテリゲンツィアに対する批判とともに、もっと徹底して政治参加するために立憲民主党(カデット)を結成して行動したという話も興味深い。
また1905年の革命後、「ボリシェヴィキは深刻な危機に見舞われ、その影響は1930年に到るまで及んでいる」とされる。そしてこの中で、プレハーノフが「社会変革における主観的要素[歴史における個人の役割]の絶対的役割を否定し、とりわけ歴史法則の不可避性を強調した」のに対して、経験批判論者たちは、「個人の創造的可能性に重要な場を与える人間的個性に関する総体的なヴィジョンを維持しなければならない」とし、そしてボグダーノフが、マルクス主義は社会生活に関する自然科学的な科学=学問であるとしてマルクス主義に組織的かつ実践的な性格を与えたいと考えていたと評価する。
なおこのボグダーノフに対してのレーニンの『唯物論と経験批判論』による批判は、「経験批判論者たちの《新しい》哲学がマルクス主義の基本原理と──認識論の問題についても、歴史にかかわる問題についても──両立しない、ということを立証するためでもあった」とされるが、このレーニンの介入についての評価はなされていない。
次に、ソヴィエト哲学については、「ソヴィエト哲学(決定的な特徴をもったソヴィエト哲学なるものは、1930年から31年になってようやく出現する)の形成過程は、長期にわたる──とりわけ、1920年代をつうじて──陥穽に満ちた道程であった」とされ、20年代の動き(ボグダーノフと「プロレトクルト」、「弁証法論者」(デボーリンら)と「機械論者」の対立、哲学のボリシェヴィキ化」(ミーチン、ユーじんら)が語られる。
そして上のようなソヴィエト哲学の形成によって、「1930年代以降、ソ連には《もはや哲学は存在しない。哲学ではなく、国家イデオロギーの哲学的機能しか存在しない》と断言する」と著者は主張する。著者によれば、この国家イデオロギーの目的は、(1)「党の路線にいかなる変換や転換があろうと、そうした党路線の理論的保証の役目を果たすこと」、(2)第三インター加盟の「それぞれ雑多な要素からなる各国共産党の統一を──イデオロギー的に──強固なものにすること」であるとされる。
この後、「ミーチンやジュダーノフの10年」、スターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』の出版が続くが、スターリンの著作は「哲学への歴史のきわめて特異な従属──適用という従属」とされ、その弁証法的方法と唯物論的理論の区別と不均衡が指摘される。そしてスターリンによる支配の下での、ルイセンコ派の勝利、反コスモポリタニズム・キャンペーン、ケドローフ一派の追放などの、恐怖の雰囲気の結果として、「スターリンが死んだとき、ソヴィエト哲学界はまったくの事なかれ状態に陥っていた」。
ここから現在にいたるまでの素描は、本書ではゴルバチョフのペレストロイカ時代までであるが、著者の眼から見ればこれも「ソヴィエトのイデオロギー体制に占める哲学機構の際立った地位が、ソ連における哲学研究が短期間のうちに深部にまで達するほどの変化を遂げる可能性をすでに疑がわせうることに変わりはないのだ」とされる。本書の原出版が1988年であり、その後のソ連崩壊を経た現在から考えると、この指摘通りになったといえよう。
以上本書は、「ロシアの特殊性=独自性、ロシアの運命といった問題意識の統一性」という視点から「ロシアにおいて、哲学的諸問題に与えられる並みはずれた重要性」を軸に叙述された哲学史である。小冊子故の説明不十分な箇所もあるにはあるが、ソヴィエト哲学のコンパクトな歴史としては手頃なものであろう。(R)

【出典】 アサート No.237 1997年8月23日

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【投稿】戦後52年目の夏に考える

【投稿】戦後52年目の夏に考える

なにか、とても中途半端な時間が過ぎていくような気がしてならない。
それは、あせりなのか、それとも飛躍の前の静寂なのか。
とても平和そうな52年目の夏。それでいいのか、と自問しつつ、気になる点を挙げてみる。

<教科書論争について>
私自身は、所謂教科書論争と言う形で登場している「右翼的論議」にはあまり興味がない。敢えて言えば「右翼」の側の「あせり」の表現でしかない、と考えている。自虐史観という表現も理解できない。残念ながら、少なくとも明治の中期から第2次世界大戦の終わりまで、日本という国家的行動の有り様は、ほとんど反省・糾弾・謝罪ものの連続で、「自虐」しても仕切れないほどの「犯罪行為」の連続であろうと思う。
被侵略国側にとってそうであっただけでなく、日本国民に対しても、国民を徹底的に傷つけた無責任な戦争指導者達やそれに連なる人々は、戦後も生き延び、岸信介の例を引くまでもなく、戦後に復活を遂げている。731部隊に関わった医療関係者は戦後の大学や医療関係に君臨した。そのリストも公開されていない。
夏になると、読み返す本の1冊に「失敗の本質・・日本軍の組織論的研究」(中公文庫)というものがある。防衛大学関係者の手になるものだが、がダルカナル、ミッドウェー、ノモンハン、レイテ、インパール、沖縄戦について、日本陸海軍の「失敗の本質」を追求している。(NHKのドキュメント太平洋戦争の元番のような印象もある)いろいろな面があるが、印象的なのは、日本陸海軍は敵も殺したが、自軍の兵士も無駄死に、犬死に同然に死に至らしめた事実だ。兵站・補給を無視した精神主義。単に物量だけに負けたのではなく、兵士をなるべく死なないように保護した航空機の製造からレーダーなどの情報機器の開発、また陸海空軍を統括した統合本部を確立した米軍と、最後まで陸海の確執を残した日本。(この本の結論は、自己革新性を持たない組織は腐敗し、敗北するという点に集約されている)
この本からは、日本軍が負けるべくして負けたことが実証的に明らかにされている。他方、教科書論争と言われているものは、実証的な装いを持ちながら、極めて「感情的」な論争であるように感じるのだが。
そういう意味では、よくNHKのドキュメンタリーなどで「アメリカ国立公文書センター」(?)などで軍事関係の文書が公開されているが、日本はどうなのだろうか。事実に基づく論争というなら、政府にすべての文書の公開を一緒に求めることがまず第1なのではないか、と考えるのだが。・・・・・
<事実を明確にするということ>
事実、そして認識という意味で、私が非常に興味を感じているのは、やはりマルクス主義とは事実に照らして何であり、今後は、どのような意味で再生が可能なのか、ということだ。
事実に照らして、と言う意味で興味深いのは、ソ連関係の文書公開(公開と言っても研究者が書類の山の中から探してくるらしいが)が進んで、ソビエト社会主義の歴史的事実の解明、さらに「社会主義世界体制」の実態が明らかになりつつあることだろう。残念ながら、そのなかで明らかになってくるのは、残念ながら、共産主義という全体主義が粛清と殺戮、民主主義とは程遠いものであった、という事実であろうことは想像できる。
私自身にとっても、少なくともこの20数年間の運動の基盤が91年のソ連崩壊以上に揺らぐことになるのだが、幸いなことに、個人的にはそんなにダメージがないことだろうか。
こうしたレベルからは、現在の保保連合の動きや、また日本共産党の「躍進」もまた、
さほど驚くこともない。共産主義と民主集中制を基本的に残している団体に今後どれほどの生命力があるのか、甚だ疑問だからである。
そういう意味では、最近三一書房から北海道大学の鷲田小彌太氏が「講座・マルクスとマルクス主義」(1997年4月)という本を出されているが、その中で、マルクス主義の総括をきっぱりとされているのは、とても印象的である。その中の一節に「・・・・社会主義は、自由で平等で豊かで平和な社会と人間関係をつくるのだ、という目標(イデー=理念)を掲げました。しかし、そういうものは、ことごとく正しくなかった。実現しなかった。それが社会主義の70年の現実の歴史の中でわかりました。・・・」「マルクス主義の徹底した清算が必要:・・・マルクス主義といわれているものが、これまで掲げてきた目標、それを実現しようとする社会システム、それを実現するためのさまざまな手段、あるいは、共産党も含めた、社会主義的な思想と行動集団は、ぜんぶ御破算にしたほうがいい。マルクス的社会主義の150年、70数年の歴史というものは、人類に災厄をもたらした、人類にとって悪夢であった、とまず理解しなければなりません。・・・・その上でなおかつ、マルクス主義に可能性があるのかを考える必要がある、というのが私の考え方です。」
この部分だけがすべてではないのですが、これほど明快に言われると、すっきりします。読者各位も是非一読していただきたい。
事実を大事にするという姿勢に必ず立って議論する、ということは、何につけても曲げてはいけない原則だと考えています。

<進歩的文化人は元気か?>
「マルクス主義の清算」という立場にたって考えると、この間の政治状況も違った面が見えてきます。
確かに、93年の細川連立政権の成立以降これまで、社会党が壊滅状況となり、保保連合の動きに対抗する民主党は出来たものの、まだ停滞している。世の中の論調を見ていると、旧社会党的論調は影を薄め、反自民党的論調も当然のごとくありつつも、国民を納得させるような、やや中間的だが、反自民あるいは反保保と言う形での論壇は明らかに停滞している。従来の「進歩的文化人」と言われるような人々からの積極的な発言も、もう一つ聞かないし、影響力を感じられないのが現状ではないか。
「『悪魔祓い』の戦後史・・・・進歩的文化人の言論と責任」という単行本が最近出ていて盆の間に読みました。「諸君!」という雑誌に連載されたものをまとめた本だけれど、中々通史的に読めて面白かった訳です。(もちろん、趣旨に同意するわけではない)
結局、「世界」の岩波と朝日新聞を攻撃しているわけで、戦後の「全面講和論争」「非武装中立路線」「文化大革命」「北朝鮮」「ベトナム戦争」「家永裁判」「大学紛争」などをテーマに、そのころ進歩的文化人が、どんな「無責任な言論」を展開したかを、口汚く罵る内容になっているわけです。ただ、結構事実っぽく展開されているので、一見説得力があるようにも思えます。紹介したのは「良い本」と言う意味ではなく、反面教師として読むのも一興と言う程度なんですが、私が言いたいのは、この本の著者が忌み嫌う進歩的文化人達、決して社会主義支持者、運動家ではない人々にも「社会主義は善、資本主義は悪」というような歴史的に形成された広範な意識が存在していたこと。それらの言論が、国民・社会に与える影響は大きなものがあったということ。社会党・共産党・その他新左翼や市民運動といった「反体制派」にとって、それは守るべき財産であったし、国民的な影響力も持っていた。
しかし残念ながら、ソ連の崩壊、社会主義の崩壊以後、これら進歩的文化人の発言力は明らかに低下してきていること。その背景に、単にマルクス主義者にとってのみ大ショックだったと思っていた「社会主義の崩壊」は、実は日本の良心的陣営すらも大きな影響を受けているのではないか、と思い当たり、私は少々ショックを受けている、という訳です。
一方、現在の「世界」は、あまり私にとって面白くありません。労働運動に対しては、連合否定の立場で編集されているし、せいぜい全労協か少数派運動しか載りません。まだ「RONZA」の方がまし、というものです。もちろん読者も減っているでしょうから、影響力はますます落ちてはいるのでしょうが。

<もう少し議論したいところ>
まあ、自分の責任の取れない範囲を批判してもあまり役には立ちません。しかし、ソ連崩壊から7年になろうという現在、鷲田さんではありませんが、「清算」はまだできていないような気がしているわけです。明日から、また通常の生活に戻るわけですが、「マルクス主義の清算」と新たな政治・思想戦略だけは、いずれ明確にしたいものだと思っています。(97ー08ー16佐野秀夫)

【出典】 アサート No.237 1997年8月23日

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【投稿】戦後民主主義を問いなおす No.2

【投稿】戦後民主主義を問いなおす No.2

歴史教育をめぐる熱い論争
ここ1年あまり、歴史教育のあり方、とりわけ今年度からの中学校の歴史教科書に「日本軍が従軍慰安婦を戦地へ連行した」という記述が全教科書に掲載された事をめぐって、熱い論争が展開されている。
「従軍慰安婦問題」については、論点は出つくしたと思う。
(1)戦地に「慰安所」並びに「慰安婦」が存在したことについては誰もが認めている。
(2)「慰安所」「慰安婦」に日本政府・軍が公的に関与していたことについても誰もが  認めている。
(3)戦時中に日本の兵士が戦地住民の女性にたいし強姦した事実が存在したことも誰も
否定していない。
(4)焦点となっているのは、「慰安婦」を集めるにあたって、日本政府・軍が国策とし
て朝鮮半島や中国、東南アジアに住んでいた女性を「強制連行」したか否かという問
題である。
今までのところ、「強制連行」を国策として行なったという「公的文書」は出てきていない。また強制連行を実際行なったという当時の日本軍人の証人や強制連行の現場をみたという現地の証人も現われていない。当時「慰安婦」であったという人々の証言が、今のところ唯一の根拠となっている。

「強制連行」が問題の核心
「強制連行」を当時の日本政府・軍が行なったか否かがこの問題の根本である。しかしながら「強制連行があった」という立場の陣営の論点は必ずしも定まっておらず、論者によって(1)から(4)までが区別されずに論じられている。何ゆえに区別して論じられなければならないのか。
それは、当時の日本政府・軍が国策として「強制連行」を行なったか否かが、当時の戦時国際法に照らして国家犯罪か否かに直結するからである。もし「強制連行」が確かに存在したとしても、「極東国際軍事裁判」によって日本の戦争犯罪が裁かれた経過、並びに戦後日本政府と中国、韓国、東南アジア各国との間で交わされた条約や戦争賠償金の支払の経過からして(北朝鮮を除く)、今日日本政府が被害者の方々に国家による個人賠償をするべきか否かについては、国際法、国内法的に多いに議論のあるところだと思う。

日・韓両政府は早急に決着すべきだ
しかし、私は「強制連行」が当時の国策として行なわれていたことが事実であるなら、現在の日本政府そしてわれわれ日本人はその道義的責任を、同じような道義的責任をもっていると思われる諸外国に先駆けて、積極的に担うべきだと思う。そのための特別税を導入してでも償うべきである。そして諸外国にも道義的責任を迫っていくべきである。 しかし、国策として「強制連行」したという証拠としては、「従軍慰安婦」と名乗りでた人の「証言」だけである。7万人から20万人いたとされる「慰安婦」、そんな数の女性たちを日本軍による軍事力で有無をいわせず「強制連行」したとするならば、当時でもその家族や地域で反乱が起こらないはずがないのではないか。また日本の敗戦後、娘を強制連行された家族や朝鮮民族の日本に対する怨みが爆発しないわけがない。それが今日これだけ韓国でも大きく取り上げられている「従軍慰安婦」問題であるにも関わらず、その家族や当時「強制連行」を目撃したであろう地域の人からの証言が皆無であるのは不思議である。韓国政府もその家族や目撃者の証言を募り、その真意を日本政府と共に確かめる調査を行なうべきである。
また日本政府も、そのことを韓国政府に要求すべきである。と当時に日本政府としても当時の日本兵の中からの証言の有無を徹底的に調査すべきである。今のところ日本政府は、「強制連行」を国策として行なったという「文書」は見つかっていないという。
こんな段階で、道義的責任を日本政府・国民が果たすために特別税を導入することに国民的合意が得られるわけがないではないか。事は急を要することである。早急にシロ、クロをはっきりすべきである。それは今日韓国政府と日本政府の責任ではないだろうか。
それにつけても日本政府のこの問題に対する姿勢はデタラメである。「従軍慰安婦」と名乗りをあげた人の証言だけを唯一の根拠に、その裏づけ調査もせず、「公式文書」も調査しても見つからない段階で、当時の日本政府・軍の「強制連行」は存在したと内外に発表したのである。(宮沢内閣時の河野官房長官)

今後の論争に目が離せない
この河野官房長官談話のデタラメさが、「慰安婦」問題を複雑化させ、国際問題にまで発展させている諸悪の根源である。ここにも戦後日本の民主主義の弊害が露呈していると思えてならない。
これは何も河野氏に限らない。「強制連行」有り派の「朝日新聞」の論調も同じである。この間の「朝日新聞」と「産経新聞」の論戦を始めとする様々な月刊誌や単行本での「強制連行有り派」と「強制連行疑問派、無し派」の論戦を読んで感じるのは、「疑問派、無し派」の具体的問題提起に正面から応えず、「強制連行」ありき論を一方的に繰り返すだけでその論に質的発展がまるでみられない。
そんな中で、今年度から中学校の歴史教科書に「従軍慰安婦」の記述が一斉に掲載されたという事について、かってない論争が巻き起こるのは当然である。
「慰安婦の強制連行の有無」については、日・韓両政府が早急に誰もが納得する形で決着をつけ、国内外に明らかにすべきである。
しかしこの間の「慰安婦」をめぐる論争は、この問題はあくまできっかけであり、今後多くの問題を抱えて論争は発展していくべき問題であり、発展していくだろうと期待している。戦後50余年が経過した今日、改めて日本の明治維新以降の「近・現代史」のとらえかえしに始まって、そこから江戸時代、戦国時代とさかのぼり、日本史全体のとらえなおしに発展していく質を持っていると実感している。そこから歴史教育の今後のあり方、今後の日本の歩むべき道が見えてくるのではないかとひそかに期待している。今この論争から目が離せない。(続く)                  織田 功

【出典】 アサート No.237 1997年8月23日

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【投稿】 「自共対決」論と共産党第21回大会決議案

【投稿】 「自共対決」論と共産党第21回大会決議案

<共産党、初めて支持率第2位!>
8/5付毎日紙によると、同紙全国電話世論調査の政党支持率で、共産党が自民党の33%に次いで6%となり、1947年の調査開始以来初めて第2党になったという。支持の理由について、①野党の立場を鮮明にしているから(48%)、(卦身近な問題の解決に取り組むから(32%)、③唯一の革新政党だから(24%)、④現実路線に転換したから(14%)の順であった(二つまでの複数解答)。これについて同党の四位書記局長は「野党の立場を鮮明にし、党の姿勢が一貫していることに有権者の共感が集まっている。今後は、自共対決が政局の軸になってくる」と同紙に語っている。
先の都議選でも第2党に躍進したことから、このところ同党は、「自共対決」時代の到来をこれみよがしに叫んでいる。支持率が上昇してきている理由については、確かに上げられている理由は妥当なところであろう。しかし支持率10%の壁さえ越えられていない現状、自民党との圧倒的開き、共産党以外は彼らが言うようにすべて「総与党化」しているとすれば、支持政党なしの無党派と共産党支持を除く与党派は55%にも達する現状を考えるならば、もっと冷静な自己分析の眼こそが必要とされているといえよう。今回の調査でも明らかなように、若い世代の圧倒的多数、6割近くは支持政党なしの無党派層である。それに、支持率6%自体は、田中角栄内閣時代の73/12にも記録していることである。70年代、社共を中心とする革新首長が東京、大阪、京都を初め多くの自治体で誕生し、革新連合政権構想がそれなりの現実味を持って提起されていた状況からすると、90年代後半の現実は、いまだ6%程度の支持で大躍進と自画自賛し、連合政権を組むべき対象が共産党のまわりに身を寄せ合う「自覚的民主勢力」しか存在しない実態からすれば、当時よりもさらに大きく後退しているのが現実である。

<「21世紀の早い時期に」>
こうした中で、共産党は、9月22日から党大会を開くという。不破委員長は「夏の8月をふくめたニケ月間で党大会を準備するということは、初めての経験であって、大会準備の形はすすんでも、内容がともなわないということになりかねません」と語っている(7/30同党中央委員会総会)。発表された第21回大会決議案(7/31付「赤旗」紙発表)を見れば、そのことがまさに実感されるものである。
決議案の中心は、「自共対決の時代」礼賛である。96年の総選挙で「史上最高の峰への歴史的躍進」を達成し、東京都議会選挙では「議席を倍増させ、自民党に次ぐ都議会第二党の地歩をしめたことは、国勢にも衝撃的影響を与える、すばらしい成果であった」と自らを持ち上げる。
そして「こんごの躍進いかんでは政権の問題を現実に展望できるまでに、日本共産党の政治的比重が増しつつあるという点で重要である。これらは、自民党と日本共産党との対決-“自共対決”こそ、日本の政治対決の主軸であること、それが政治路線のうえでの対決ではなしに、現実の政治的力量のうえでの対決にもなりつつあることをしめしている」とする。
「21世紀の早い時期に政権をにないうる党へ成長すること」、「21世紀の早い時期に、政治革新の目標で一致する政党、団体、個人との連合で、民主連合政府を実現することをめざして奮闘するものである。」これが決議案の「21世紀に向けた展望」の結論である。70年代にも「70年代の遅くない時期に」民主連合政府の樹立を語りながら破産したあの論法の再登場である。当時の破産の責めは、社会党、総評を初めとする右転落に全てを押しつけた。当時も今も変わらぬ「わが党は一貫して正しかった」、「わが党だけが革新を貫いた」という主張が、何の反省もなく繰り返されている。

<「方向喪失の状況」>
はたして実際にはったりではなく、「現実の政治的力量のうえでの対決にもなりつつある」といえるのであろうか。客観的な状況だけではなく、主体的な党自体の状況も、党指導部の幻想とはかけ離れているようである。「赤旗」は連日、この決議案を読んで「勇気がわいた」、「感動した」等という宗教団体まがいの手前勝手な感想を掲載し、決議案読了が党員の第一義的課題であるというキャンペーンを行っている。それは、決議案自身が述べているように、「前党大会決定の読了が45%にとどまり、党大会後の中央委員会の決定の徹底で3割台から5割程度にとどまっていることは、わが党の活動の重大な弱点と言わなければならない」という現実からきている。党員の不活発な状況、「世界的な激動のもとで、一部にあらわれた「方向喪失の状況」は、克服されつつある」(決議案)というが、不破氏自身も先の中央委員会総会で「この歴史的な闘いに立ち上が
ろうということが、なかなか全党に徹底しないのです」、「情勢の発展と党員の意識との間に、大きなズレがおこりうることを、痛感しました」と嘆くような実態である。
さらに“自共対決”の軸となる多数派結集についてはさらにお寒い限りである。決議案が告白するように、「わが党が対話し交流しているのは、ごく一部分の人々にとどまっているのも事実である」。決議案が提示する「自覚的民主勢力」とは、「全労連、農民連、全商連、新婦人、民青同盟、全学連など、」にしかすぎない。あの70年代からさえも前進してはいない。出てくる結論は、あいも変わらず「全国革新懇」であり、「あらゆる地域・職場に革新懇をつくる」ことでしかない。
党指導部のかけ声とは裏腹に、嘆かわしい実態を彼ら自身が嘆いてみせる。かくしてまたもや、こうした事態を克服する万能薬として「党員拡大・赤旗読者拡大」が党員の第一義的課題として提起される。これまでのように成功したことが一度もないような目標の「割り当て」はやりませんといいながら、「得票の1割の党員、半数の読者」という目標を、「遅くとも今世紀中には達成し、2倍の党員、1.5倍の読者をもって来世紀をむかえることを全党によびかける。」と、あいも変わらずきっちりと「割り当て」ている。
問題は、こうした共産党のおかれた客観的主体的条件にも関わらず、無党派層をも含めた多くの人々が、現在の自民党政治への怒りと批判を共産党に託し、情勢転換の役割を担うことを同党に期待していることにあるとすれば、これまでのような路線をあいも変わらず踏襲していたのでは、全てが幻想にしかすぎなくなることにあるといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.237 1997年8月23日

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【書評】近未来の頭脳管理システムと多重殺人のミステリー

【書評】近未来の頭脳管理システムと多重殺人のミステリー
『殺人探究』(フィリップ・カー、東江一紀訳、新潮文庫、1997.6.1.発行、 667円)

神戸の小学生殺人事件が社会的に大きな衝撃を与えている今、その論題となっているものに、学校教育のあり方、子供の生育環境等々と並んで、人間の暴力的攻撃性の問題がある。この事件のみにとどまらず、衝動的発作的事件が他にも起こっていることから、今後人間の中の暴力的攻撃性の問題が浮かびあがってくることが予想される。
本書は、この攻撃的暴力性を中心テーマの一つとした近未来のミステリーである。
その舞台は21世紀初頭のイギリスであり、そこでは「歴史上でもはじめて、犯罪の発生する前に、政府が犯罪者の所在を突き止められる機構が確立することになった」。それは、ロンブローゾ・プログラムと称される犯罪候補者リストによる凶悪犯防止システムである。すなわち、男性の脳内で攻撃的反応をつかさどる「SDN(性的二形核)」に対する抑制子として働く「VMN(腹側正中核)」を欠損している者についての調査を行い、その治療とカウンセリングを施そうとするものである。(ロンブローゾの名称自体は──綴りは異なるが──イタリアの犯罪学者チェーザレ・ロンブローゾ[1836~1909]から来ている。ロンブローゾは、犯罪者には一定の精神的身体的型があるとして、犯罪人類学の開祖となった。)つまりVMN欠損者(陰性)は、潜在的な犯罪性を有する者としてコンピュータに登録さ
れ、そのコンピュータ本体は、中央警察のコンピュータとリンクしている。そして暴力犯罪の捜査中の照会で、容疑者名がVMN陰性の男性と一致した場合、ロンブローゾ・コンピュータから警察コンピュータへ、その事実を通報するシステムである。ただしことは人権に関わる問題であり、VMN陰性者の身元を保護するためにコードネームが使用されている。(ついでながら、そのコードネームは、ペンギン・クラッシクの書名から採用されるので、VMN陰性者のコードネームは、古今東西の著名人のオン・パレードとなる。)

さて事件は、VMN陰性の男性の一人(コードネーム、ヴィトゲンシュタイン)が、治療に来た診療所で、係員が打ち込んでいるロンブローゾ・プログラムの画面を偶然目にすることから始まる。その画面から係員のキーワードとその日のパスワードを見て取り、その夜自分のコンピュータから、ロンブローゾ・コンピュータに侵入、自分のデータを消去した上にVMN陰性者全員のデータを盗み出す。そして自分のコードネームに因んで、哲学者のコードネームをもつ該当者(カント、スピノザ、ロック、バートランド・ラッセル等)を連続殺人していく、というものである。
はじめにこの犯人は、じぶんがVMN陰性であることのショックをこう語る。
「昼過ぎまで善良な一市民だったのに、夕方には社会のごみに成り下がったのだ。なんとか、これをおもしろがってみるしかない。右翼思想の持ち主で、常に法と秩序を重んじてきたわたし。(略)このロンブローゾ・プログラムのような試みを、名案だと評価していたのだ。それが、どうだろう。いきなり、人殺しカインの刻印を押されてしまった。少なくともコンピューターのファイル上では・・・」。
ここから彼は、同時に入手したVMN陰性の同胞たちに関するデータを使って、自分の衝動=「自分自身に対する、・創造の鬼神・に対する義務」を確信する。「他を否定することによる自己の肯定。殲滅(せんめつ)による創造。そのうえ、滅ぼすべき相手が、社会一般に対する脅威でもある場合、自己創造の深みがどれほど増すことか。そこでは、ごく切実な目的で、殺人が行なわれるのだ。それならば、ニヒリズムへの傾斜は避けられる」。このようにしてVMN陰性者への連続殺人が、論理的に理性によって命じられたものとして正当化されるのである。
さらに彼は、次のように語る。(これを彼は本物の哲学者ヴィトゲンシュタイン[1889~1951]と同様『青色本』と『茶色本』と名付ける日誌・記録に記述する。)
「人は非論理的なことを思考しえないという意味において、思考しうることは存在する・・・。非論理的な何かがどういうものであるかを、われわれは適切に語ることができない」。
「しかし真に価値を持つ価値というものが存在するとすれば、それは、事象の全領域の外になくてはならない。(略)倫理は先験的なものであって、言葉に置きかえることはできない。要するに、倫理は不可能である」。
「だからこそ、誰もが倫理にそむこうとするのではないか。(略)倫理的な属性ということに関しては、人間の意志もまた語り得ないものである。そして、わたしは、殺してはいけないという合理的な理由が存在しないゆえに、人を殺す」。
まさにヴィトゲンシュタインばりの論理によって殺人の正当化がなされる。つまり犯人は、自分がVMN陰性であるという事実から、他のVMN陰性者を殺していくことが社会的にも自己の確認のためにも肯定されるとするのであり、そのためには語り得ない価値、価値以前の価値というべきものに従って殺人は許されるとする狂気を、砂上の楼閣のような整合性をもった論理で形成・確証していくのである。
ところでこの犯人が、かかる論理を形成するにあたっての重要な要素が「疑似現実(リアリティ・アプロキシメーション、RA)」装置である。つまりRA装置がこの時代には普及しており、その鎧を着用してスイッチを入れることで、人間は「現実を模した体験に、それも多くはみずから考え出した体験に、どっぷり浸りきる」ことができるのである。いわば、現在われわれがビデオやTVゲームで経験している仮想世界装置が、はるかに高度化リアル化されているものである。
この結果として、われわれの意識はリアルな現実との区別を失いがちになり、また意識は言語との境界を、そして言語は意味との関係を、さらには意味は価値との関係を、明確には把握できぬ状況が出現するにいたる。
本書における連続殺人の背景には、このような状況が控えているのであり、現在すでに一部存在している近未来の技術や人間関係の問題を含めて、このリアルな現実と意識における現実との区別と関連を考える一つの素材を与えてくれるであろう。
なお本書には、犯罪防止システムの他に、死刑廃止に代わる昏睡刑(犯人は裁判によって無期の昏睡刑が申し渡される)の問題なども提起されている。
最後に、作者フィリップ・カーには、前作品としてベルリン三部作(『偽りの街』、『砕かれた夜』、『ベルリン・レクイエム』──いずれも新潮文庫)があり、それぞれ1936年のベルリン・オリンピック、1938年の・水晶の夜・、1948年のベルリン封鎖という政治的事件を背景に、その謀略に巻き込まれる私立探偵を主人公とするハード・ボイルドである。社会批判の冷静な眼をもつこちらの諸作品も一読を薦めたい。(R)

【出典】 アサート No.236 1997年7月19日

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【投稿】不安がよぎる民主・リベラルの未来

【投稿】不安がよぎる民主・リベラルの未来

都議選の結果に注目しながら、民主リベラル政党の再結集をめざす労働組合側の動き、さらにイギリス労働党の勝利に学ぶことで新しい方向について考えてみたい。

<政治不信を一層強めた都議選>
注目の都議会選挙結果等については、生駒、池田両氏が詳しい分析を試みてくれると思うので、私の方は感想めいたことにさせていただく。都議選の都道府県議会選挙史上最低の投票率はあるものの、国民が政治への関心を如何に失っているか、また政党への評価をどう行っているかについて、都議選の結果を事実として受け止める必要がある。
自民党・共産党の前進については、この4年間に結成また再編を行った他の政党と比べて「良くも悪くも」変わらないと言う意味で投票しやすかった結果であるし、昨年の衆議院選挙結果の延長と言える。一方共産党は、おそらく旧社民支持層に代表される「野党票」を集約することができた結果と考える。
低投票率という問題の方が、事態の深刻さを感じる。争点がないと言われているが、前回よりも20%の低下という数字は、不評の青島都政の問題も含めて、日本の縮図としての東京都に政治が不在という実態を明らかにした。

<民主党は不振だったのか>
民主党は1名減の12名となったが、マスコミは「不振」という評価。自らも支持者ということで判官贔屓という面もあるかもしれないが、私は「健闘」だったと思う。沖縄特措法での選択は、不評を買ったが、その後「公共事業コントロール法」や諫早干拓など環境問題と公共事業批判を全面にしての結果であり、よく維持したのではないか、と思う。特に労働組合側が後で述べるように一枚岩という状況になく、また地域組織もまだまだという中での結果という面もある。推薦の無所属7名を加えて、会派は19名となった。
一方社民党だが、現職が、世田谷区、練馬区、南多摩で落選。世田谷・練馬では民主候補に敗れている。もともと4名だったが1名になった。( 当選した候補も、北区で民主党候補に負けている)新進と同様に社民党も都議会で壊滅といった方が正確だろう。
この都議選の結果は来年の参議院選挙へ向けての各政党の動きを加速させることになるだろう。特に注目は新進党の動向であろう。都議選後愛知元防衛庁長官が離党。細川元首相に続く旧日本新党系の議員離党問題もある。また11日には旧民社党で鉄鋼労連組織内の北橋議員が離党を表明した。友愛会の中でも新進選択について議論がくすぶっている。

<民主リベラル結集は可能か>
さて労働組合の動きである。まず連合は、6月5日の第25回中央委員会で、「第18回参議院選挙対策(その1)について」を決定した。内容は、自民党の一人勝ちを許さず、構成組織の参議院選挙での統一対応が図れるよう支持協力政党に選挙協力を要請すること。比例区においても分裂選挙の回避、統一名簿方式など統一的取り組みを各政党に要請するなどとし、具体の選挙対策は10月の定期大会で提案するという内容である。
新進・民主そして社民と股咲き状態で昨年の衆議院選挙を闘わざるを得なかった連合は、結成8年めの「低迷状態」の下で、何としても政治の分野では主導権を握る意欲はあるのだが、この取り組みも新進・民主の低迷で先が見えない状況になっているのである。
一方旧総評系の産別労組を中心に「社会党と連帯する労働組合会議」は、民主基軸を打ち出し昨年の衆議院選挙を戦ったが、その後社民党が再建路線を打ち出し、また自社さ政権の中にいるという「政権政党」としての力を残したことから単純に民主基軸路線を貫徹できず、「本格的な民主リベラルの総結集」という民主・社民の統一をめざすという路線に落ち着いた。新しい組織は7月30日に「民主リベラル労組会議」として結成される予定で、地域組織も同様に再結成されることになる。民主党内に組織内議員を9名抱える自治労でさえ、5月末の中央委員会で「民主基軸」という言葉を削除し、「民主・社民を協力政党とする」と一定の軌道修正を行った。底辺に流れているのは、民主党基軸で本当にやっていけるかどうかの不安であり、組織内にいる協会派や旧社民支持グループに「配慮」の結果と言われている。

<民主・社民の統一は可能か>
私見だが、民主・社民の統一など不可能と考えている。そうであることは、ある意味でこの問題に関わる人は誰でも結論的にはわかっている。分かっているのに「統一」を言わねば、「組織論議」ができない、という袋小路に陥っているのが現状と言える。
すでに体制としての社会主義が崩壊した現在、社会主義を選挙公約に立てない共産党と先祖帰りしようとしている社民党の間に、イデオロギー的な垣根は、「政権党」に納まっているかどうかぐらいの違いでしかない。都議選で旧社民党票が共産党に流れるのは当然だ。社民党は崩壊秒読みだが、共産党は「元気」だからだ。その社民党が「新党結成」から突然抜けてた後、結成されたのが民主党。言わば分家したのが両党。民主党には、旧社民党議員がたくさんいるわけで、労働組合側がいくらまとまってくれ、と言っても政治の世界では「立党の立場」、国民からのイメージを考えても民主党側に何のメリットもない。
民主党は、旧社民+旧さきがけ+鳩山グループを管がまとめている、という少々ややこしい構造だが、簡単に言って「自民党的なもの」「新進党的なもの」からは区別できるものを持っている。民主はまだ結成時のように「はっきりしない」政党のように見えているし、実際そうだ。だから、今総選挙、都議選を経て「党内闘争」が始まった。管ー仙石ラインと鳩山ー鳩山ラインかどうかは知らないが、「党内闘争」は良いことだ。どんどんやればいい。その方が国民にはわかりやすいからだ。地域組織の立ち上げや党内の意見整理で民主党内はおそらく多忙だろう。参議院選挙までに社民との統一はだから有り得ないと思う。

<イギリス労働党から学ぶもの>
党と労働組合との関係、また社会民主主義という点からも興味深いのは、イギリス労働党のことである。私自身、イギリスにはあまり興味を持っていなかったが、今回のイギリス総選挙での労働党の圧倒的勝利ということでまとまったものを探していたところ「英国労働党」(吉瀬征輔著:窓社)と出会った。
トニー・ブレア党首により18年ぶりに労働党政権となったことは記憶に新しいが、ここに至るまでの党内論争・闘争、そして新労働党の誕生までを経過にそって描き出している。印象的だったのは、ブレアー党首などの「新改革派」が行ったことが、党規約第4条の「生産・交易手段の公有化」条項の削除、国有化路線の修正であった。1959年の党大会で修正が否決されて以来35年目に削除されている。
70年代の労働党政権は、ポンド危機など経済の停滞を背景に、実現された「完全雇用と所得政策物価スライド賃金」を労組が企業単位でそれを打ち破る闘争により労働党政権と労働組合が対立する状況に至り、79年に方向性を失った労働党は保守党に敗北する。
その後、80年代を通じては、労働党左派( 社会主義派)が党の主導権を握ったが、4度の総選挙で連続して敗北。その間に政策論争が盛んに行われ、「階級闘争派」が凋落し、EU存続路線・国有化路線の放棄・労組の発言権の縮小と個人党員の増加などの変化の中で国民的支持を拡大し、「国民多数者の党」として党を再建したというのである。そして今年5月に若いブレアー党首による総選挙勝利に結実した。
詳しい書評ではないので、ご理解いただきたいが、私の印象ではイギリス労働党の現在の政策、立場は十分に普遍性を有しているということである。
まず、トロッキー派などの労働党左派の克服の過程で、88年の労働党大会では、社会主義については「個人主義的価値の実現をめざす社会主義」という提起が行われ社会主義と個人主義の両立性について語られ、「経済運営において・・・・社会的公正を経済的効率性の障害とみるサッチャー主義も、効率性の追求が社会的公正に脅威を与えるとする旧来の社会主義者の見解も単純な事実を見誤っている。社会的公正の持続的追求は繁栄する経済を前提としてのみ可能であり、後者を担う人々に求められる高度な能力は、社会的公正が保たれている社会でのみ育つと言う事実である。市場経済システムのメリットを生かす必要性とともに、放置できないその欠陥を是正するための国家活動の不可欠性を強調した。」(同書P94)こうした経過を受け、89年にはEC議会選挙では労働党が保守党に勝利し、サッチャーは退陣を余儀なくされる。しかし、「人頭税」問題もあり、勝利は確実と言われた92年総選挙でも得票率、議席数とも増加したとは言え、労働党は4度目の敗北を喫する。
この総括、議論過程では、都市部の比較的安定した労働者層・技能労働者層から支持を受けられなかったことを解明し、そこに「ストライキの党」「福祉偏重の党」などのイメージが強く、経済運営は任せられないという意識をもっていることから、①個人の自由を価値の中心に位置づけ、万人に開かれた「個人の党」であること、②すべての既得権益に反対する党であること③追求されるべき平等は、「機会の平等」であって「結果の平等」ではないこと④自由と平等をめざす意味からも市場経済が必要であることを明確にする必要がある、という結論に至り、国有化条項=党規約4条の削除へとつながっていく。
少し長くなったが、このイギリス労働党の路線は、十分に共感できる。ただ、ここにたどり着くまでに、党内議論と35年の期間がかかったという事実である。
民主党か社民党か、などは実は不毛な議論である。まさに「社会民主主義を超えて」新しい政権を担う路線が問われているのである。労働組合が政党の統一を願うのは理解できる。しかし問われているのは政党そのものの議論であり、党内議論である。

<共産党はどうなる>
最後に都議選で躍進した共産党について。社会主義体制が崩壊した今、共産党は社会主義の看板で選挙を戦っていない。そういう意味では55年体制時の社会党と変わらない。投票した「無党派層」もそれ以上を期待していない。政権を取るとも主張していないわけである。おそらく共産党内部で今後こうした路線をめぐる議論が起こってくることは必至であろう。いまだ「科学的社会主義」は堅持されているわけだから、激烈な党内論争が起こることを期待したい。(まず民主集中制から議論になるか) ( 97ー07ー14佐野秀夫)

【出典】 アサート No.236 1997年7月19日

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【投稿】都議選と直接民主主義

【投稿】都議選と直接民主主義

<<危機的状況の投票率>>
7/6、投票・開票が行われた東京都議選は、政治が有権者から完全に見放されていることをあらためて浮き彫りにしたともいえよう。今回の都議選は、政界の再再編、今後の政局の動向を占うものとして、各党は国政選挙並みの全力投入をし、総力戦を展開したにもかかわらず、有権者の反応は鈍く、40.8%という史上最低の投票率で、60%近い人々が棄権をし、現実に展開されている政治に嫌悪感を示し、投票行動そのもののむなしさから投票場に足を運ぶことすら拒否して、そっぽを向いてしまったのである。
こうした事態は何も東京に限らず、今年前半の知事選、市区長選挙の実に半数(34件)が過去最低の投票率を記録していることからも明らかであり、ここ数年、いや相当以前からの一貫した趨勢であるともいえる。今回の都議選の最大の争点が、高齢者向けの無料パスである「シルバーパス」を廃止するのかどうかという点に絞られてしまったことに象徴的であるように、地方自治体の議会選挙は、身近に生活に直結する選挙であるにもかかわらずこの事態である。その意味では代議制民主主義としての議会制民主主義が、もはや危機的状況にあり、形骸化していることを如実に示しているともいえよう。
国政の総与党化が地方にも進み、あるいは地方のほうが総与党化では先行していた結果として、本来あるべき政治的対決軸がぼやかされ、選択の幅が狭くなり、基礎票を確保し、組織力を動員できる自民、公明、共産が低い投票率と棄権層の増大の中でほくそえむという構図が繰り返されているわけである。

<<無力感の拡散役者>>
自民党の16議席増と共産党の13議席増は、保守の復調という流れと、総与党化への反発の表われともいえよう。しかしこの自民党の「復調」も議席数だけのことであり、実態は得票数、率とも前回より下回っており、いよいよ得票率30%割れ寸前の事態である。それを補ったのが新進、社民両党の完全な惨敗である。新進の保保路線への疑惑と動揺、離党者の続発が自民を助け、社民の混迷と与党埋没路線が、これまでの社会党支持層の多くを共産支持に回らせたことは間違いない。
新党ブームの火付け役であり、自民単独政権の崩壊をもたらし、連合政権時代への幕開けを切り開いたかに見えた細川氏が、もはや展望を見出し得ないとして新進党を離党したのが都議選半月前の6/18である。細川氏は「総与党化が進んでいるし、与野党を問わず族議員が跋扈し、…私も確たる展望があるわけではない」などといった無責任さをさらけ出し、無力感を漂わせた記者会見であった。細川氏に放り出された新進党は、「これで党はすっきりする。日米防衛協力のガイドライン見直しや行政改革を機に新進党を含めた大連合政権を作る」と保保路線への純化を一層推し進め、小沢党首に至っては自らテレビ番組(6/15)で、自民党の梶山、中曽根、亀井各氏を自らと同じ「改革派」と称えて媚びを売る始末である。一体彼はなぜ自民党を割って新党形成に動いたのかをもはや説明できなくなっているのである。これでは、有権者はしらける一方である。

    前回(93)・得票率    今回・得票率    増減
——————————————————–
自民 1,443,783 31.10   1,160,762  30.82   △282,971
社民  603,121 12.99     70,637   1.88   △532,484
新進             70,787   1.88
公明  739,030 15.92    705,816  18.74   △ 33,214
民主             388,928  10.33
共産  626,870 13.51    803,378  21.33  +176,528

<<民主党のポスター>>
民主党は今回初めての都議選であったが、前回旧日本新党が単独で獲得した56万票にも及ばない得票であったが、菅・鳩山両代表はいずれも「負けた印象はない」とか「まずまずの健闘であった」と逃げの姿勢が前面に出ていることが印象的である。
民主党のインターネット上のホームページ、以前にも紹介したことのある「民主党に一言!」フォーラムでは、多くの率直で忌憚のない意見が掲載されている。
○「都議選は健闘したとかまずまずといったものではなく、『負けた』と考えてほしい。その上で党の運営を真剣に考えてほしい。党内での真剣な議論とその論議の公開を求めたい。地方議員の選挙を大切にするとともに、首長選挙では安易な相乗りをしないでほしい。特に現職に相乗りすることは現状を肯定することだと考えてほしい。」
○「残念ながら私が応援した方は落選し、民主党全体も振るわなかったようですが、無理もないと思います。…民主党にも責任がないわけではありません。今回共産党が躍進したのは、政治そのものがわかりにくくなっている現状に、都民が諦めを感じているからです。『二人代表制』と『建設的野党』だけは誰がなんと言おうと貫いていただきたい。今や、旧来型の政党と同じであってはならないのです」
○「今回の選挙で菅代表は『新党に対してもう風が吹かない』とおっしゃていたようですが、国民には整備新幹線等の問題賛成や従来の体質を引きずっている労働組合の主張に引きずられている姿が民主党が『本当の新党になりきれない』ということから共産党支持に回ったと考えられないでしょうか。都民の多くは共産党に対する疑問を感じつつも強力なリーダーシップで自民党や労働組合と安易な妥協せずに筋の通った政策で勝負することが民主党にはできないと感じておられるのではないでしょうか。
私は民主党員としてあえて強力なリーダーシップを執行部に求めます。」
○「都議選の民主党のポスターには大笑いさせてもらいました。なんで、諫早湾なんでしょう。公共事業の問題を言うのなら、臨海部開発とか、日の出のゴミ処分場とか、いってくれればいいのに、なぜか触れない。それもそのはず、民主党の現職都議議員のある方は、都議会で『臨海開発もっとやれ』と言っていたくらいですから。…誤解してもらっては困りますが、私は諫早湾の問題も長良川の問題も大変重要な問題と考えていますよ。」

<<『共産党以外は、すべて保守』>>
元衆院議長でもちろん自民党の幹部、閣僚を何度も経験してきた田村元氏が6/25付けの共産党の機関紙・赤旗の一面に大きく登場したことは、その話題性からも一般紙でも取り上げられたところである。その中で田村氏はみずからの責任を横に置く限りは、実に的確な指摘をしている。
○「保保連合と言うのは全盛を極めた当時の自民党よりもでかい保守党を作ろうと言うことです。特に憲法改正とか防衛問題を中心テーマに保保連合ができるとしたら、これは非常に憂うべきことです。一党独裁的な政治はとるべきでない。」
○「ほかの政党へ眼を向ければおよそ政党の体をなしていない。新進党は最たるものでしょう。何を言っているんだか政界に通じる私でもさっぱり分からない。しかもボロボロ欠けていく。まず自分の政党をまとめなきゃいけないのが、この政党の現状です。」
○「民主党は、すっきりした主義主張が見られません。政策よりも『菅さま、鳩山さま』と、その人気にあやかりたい選挙対策のためだけの政党のような感じがしてならないです。」
○「米軍用地特措法は、何とはなしに節のない竹のような形で9割の賛成で通ってしまった。日本の主権に関わる重い法案です。それをろくすっぽ論議しないで通してしまった。議論なき国会というのは国民をないがしろにすることです。この政治の有り様がこわい。」
○「日本共産党という存在は、野党らしい真の野党という点で、日本の混迷する議会の中にある一服の清涼剤のように思えるのです。」
○「与党か野党かわけがわからない政党や党内の喧嘩で右往左往している政党ばかりで、共産党以外の政党はすべて、これ保守。」

<<ブレーキ役の意味するところ>>
問題は、「共産党以外の党は、すべて保守」であるとすれば、保守の圧倒的強さであり、共産党は「一服の清涼剤」にしかすぎない事態の深刻さであろう。このことは一面の核心を突くものではあるが、決して事態の全面的で多様な本質を突くものではないことに注意を喚起すべきではないだろうか。まさにそのことが史上最低の投票率ともなって表れているのである。
7/13付けの赤旗日曜版でノンフィクション作家の吉永みち子氏は「今回は、野党なき政治状況の日本の特殊事情から共産党が伸びるとは思っていましたが、都議会第二党までいくとは予想以上でした。間違っても共産党が与党になることだけはないという安心感ともいえます。とにかくブレーキになってくれるところとして共産党に入れた」と、実に本質的なところを指摘している。これを「いよいよ本格的な自共対決の時代」の到来などと喜び、これまでの独善主義的なセクト主義的排除路線を合理化していたのでは、与党など夢まぼろし、政治不信と最低の投票率の中でしか存在価値を見出し得ない、共産党もまた擦り減ったブレーキ役にしか過ぎない事態を迎えることは必定といえよう。
問題の核心は、政治不信が広がり、さまざまなレベルの選挙で投票率が低下しているにもかかわらず、必ずしも有権者が政治や行政にまったく無関心になっているわけではないというところにある。米軍基地の整理縮小や地位協定見直しの賛否を問う沖縄の県民投票、原発建設の是非についての新潟県巻町の住民投票、岐阜県御嵩町の産業廃棄物処分場をめぐる住民投票、等々、さらにはダムや河口堰、干拓、高速道路やスーパー林道、ゴミ処理からリサイクル、オゾン処理から環境政策、介護から高齢者福祉政策、障害者福祉からノーマライゼーション等々をめぐって、市民の政治参加の欲求は、広範囲に具体的でむしろ質的にも高くなっていることに注目すべきであろう。その投票率は、巻町で88.3%、御嵩町で87.5%、と格段の高さである。

<<一問が持つ影響力の大きさ>>
「政治がわれわれ住民の期待にこたえてくれない」のであれば、自分たちに関わる大事なことは自分たちで決めようという直接民主主義が確実に広がっており、それが住民投票要求となって表れているといえよう。
この動きにさらに注目される住民投票が提起されている。米軍普天間基地返還の台替えとして、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沖にヘリポート基地建設が狙われ、名護市長が事前調査受け入れを表明したことにより、現在政府によって、基地建設に向けた調査活動が行われ、年内にも結論を出そうとしている。こうした中で、「ヘリポート基地建設の是非を問う名護市民投票推進協議会」が6月6日、1300人の参加で設立され、7/8、この推進協に名護市当局が請求代表者証明書を交付、告示したことによって、法定1ヶ月以内の署名活動がスタートすることとなったのである。署名活動の期限は、7/9から8/8までの1ヶ月間である。有権者の50分の1以上の署名を集めることと市議会の議案通過が住民投票の成否の鍵を握る。
名護市の有権者数は約38000人、その50分の1は約760人以上となる。この有効署名を市選管が審査、効力を決定すると、市長に条例制定請求が行われ、議会に条例案が提起される。市議会の構成は、投票推進派の11人に対して、否定派が17人と条例案の議会通過は厳しい状況である。推進協では、有権者の3分の1に当たる1万3千人以上の署名数を目標にしている。推進協では、実際に住民投票を行う時期を今年の12月に目標設定しているが、この12月は政府が海上基地建設の実施計画を策定する時期でもある。時をおかずに地元としての意思を明確に表したいと言うものである。
沖縄県側は海上ヘリポート問題で「いろいろなケースが考えられ、具体的に発生してこないと考えられない」とし、大田知事も「何をもって地元の合意と見たらいいのか」について判断基準を示し得ず、「正直言ってお手上げの状態を感じる」と真情を吐露している。
基地縮小から地位協定の改定などを求めた一昨年の沖縄県民投票から、今回は「あなたは米軍の海上基地建設に対して賛成ですか、反対ですか」という具体的な一問だけであり、ここにすべてが集約されている。7/10の琉球新報社説が言うように「この一問が持つ影響は計り知れないほど広く大きい。」といえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.236 1997年7月19日

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【投稿】シラケを通り越し失望感漂う都議会選挙

【投稿】シラケを通り越し失望感漂う都議会選挙

7月6日に行われた都議選は、過去最低の投票率40.8%となり、自民、共産、公明という手厚い組織票に支えられた政党の順当勝ちとなった(別表参照)。各政党の概観はおよそ次のようなものである。
共産は「オール与党批判」「シルバーパス存続」を熱心に訴え、過去最高の26議席を獲得、都議会第2党になったことで都議会運営も今後ますます難しくなる事態となった。「オール与党批判」がこの間の一連の選挙で証明されるとおり人々に受け入れられたことは疑いない。42選挙区中6選挙区でトップ当選、二人を擁立した大田区、世田谷区ではともに2議席獲得、二人区の文京区、日野市では40%近い得票率を得て圧勝している。しかし、肝心の自民投票を減らしていないこと、「シルバーパス」問題での公明との舌戦にもかかわらず公明票も減らせなかったこと、そして6割に迫る選挙棄権者を考えると、共産党自体の選挙運動の成果といえるものははなはだ望みが薄いものとなる。
この点では、自民党は以前の衆議院選から着々と都議選、そして来年の参院選への準備を進めており、地元密着型での必勝態勢をより固めつつある。我が地元では自民党が商店街の目抜き通に選挙本部を大きく構え、有権者に目に見える形で訴え、他の政党に比べてもいつになく目立つ存在となっている。
改革を標榜する新進や民主党が後退したことは特徴的である。新進は議席ゼロへ転落し、民主党は1議席へらし12議席。改革を標榜するこれら政党の国政レベルでのイメージがいっそう悪くなっていることが要因だ。新進は「保保」連合や身内の離党騒ぎなど、「公明」がなければ基盤がなにもないこともあからさまとなった。民主党はまるで何をしているのか判らない政党だ。「市民主義」をいいながら実態は、地元に足がないことは明白だ。
国政レベルでの閉塞した政治状況、政財官の腐敗した状況など、不信感はよどみをうって世間に蔓延してきている。少なくとも選挙に行こうという良識的な人々が「このままではイカン」と共産党へ票を投ずるといった図式だろう。それにしても投票率40%とというのは低すぎる。選挙そのものが無効といえるぐらいだ。これは自民党の思うつぼであろう。

政界再編の新スタートは何か?

政界再編の「新スタート」のはずだった都議選は、先の総選挙から8ヶ月を経てなお再編の兆しも、政治的焦点や関心の高まりもなく閉塞状況にある。先の国会では重要法案が目白押しに採択されているが、「選挙民」にとってはまだまだ時代の変化の兆しが目に見えてきていないようである。
第一に政党の責任が大きい。総選挙後から通常国会を通じて自民党の「保保」か「自社さ」かという抗争が明らかになり、再編側もこれに組した格好で「永田町」の政治ゲームが展開された。こうしたなかで離党騒ぎや政党内のゴタゴタがつづき、何を目指すべきなのか一層不明確になった。「政界再編」「改革」を期待させておいておきながら、どう何をすべきなのかいっこうにわからない、そして今度はどこの政党に鞍替えしたという……。これではみんなに判るのは自民党と共産党ぐらいだろう。
新進党は「保保」連合で自民党内に揺さぶりをかけたが、小沢氏の独断専行が結局新進党内の離党騒ぎとなった。もともと国政選挙でも自民党に対する野党的第2党という位置づけがあって存在意味があったものが、与党となると社民党以上に自己区別がなくなりかねない。都議選はそのいい例だ。深刻な財政再建途上にある都議会にとっても、何をどうすべきなのか、行政的一律的な福祉施策の切り捨てはドンドン進行しているが、肝心の行革や臨海開発問題はどうかたをつけるつもりなのかなど、有権者にきちんと説明する政党は皆無である。まずは政党がきちんと21世紀に続く未来を具体的に展開できるようエリをたださなくてはならない。
もうひとつはいっこうに進まない行革批判である。自民党政権の掲げる6大改革(安保も含めれば7大改革だろう)がなし崩し的に進行しているが、一方では行革にたいする不満感も日増しに強くなっている。経済のグローバル化と激烈な世界市場競争の中で日本市場だけが遅れた閉鎖的な市場であり続けることはできない。まず橋本政権としても一刻の猶予も許されない改革だけに経済構造改革を断行し、金融・財政構造改革(ビッグ・バン)、そして少子高齢社会へのレールを引かなければならない。
中央レベルは政策立案、そして地方は実施機関として様々な法案改正が行われてきているが、行革の本格的な勝負はこれからである。地方分権をはじめこれらの改革の道筋はまだまだ不透明な部分も多く、政策的な選択もその内容がどうあるべきかという点できちんと論戦を展開すべきだろう。行革一般論だけでなく具体的に進行している中身をそれぞれ点検していかなければいけない。(東京:R.I)

党派別当選者 ( )内は前回
自 民 54(38)
共 産 26(13)
公 明 24(25)
民 主 12(13)
社 民 1( 4)
新 進 0( 4)
太 陽 0( 0)
新社会 0( 0)
諸 派 2( 3)
無所属 8(15)
計128

【出典】 アサート No.236 1997年7月19日

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【書評】近代社会のルールと自由主義

【書評】近代社会のルールと自由主義
水田洋『アダム・スミスー自由主義とは何か』(講談社学術文庫、1997.5.10 発行 760円)

「景気が悪くなると、アダム・スミスにお座敷がかかる。石油ショックの時がそうだったし、バブル崩壊の時もそうである。
スミスが経済学ではなく道徳哲学の教授であったことを、人びとは思い出す。しかも今度は、いわゆる社会主義の崩壊という伴奏がつき、ハイエクという外野席の応援団長がいる。本当のところ、この伴奏も応援もスミス理解にとって困りものなのだが、それぞれ反面教師としては利用できる」。
これは本書からの引用であるが、アダム・スミス(1723~90)といえば、かの「見えない手」の導きによる社会の調和という自由放任の主張のみが有名である。しかし本書は、そのスミスが「手放しの自由放任主義者ではなく、自由競争に内在するルールを想定していた」ことを強調する。著者によればこのルールは、上の引用文にあるハイエクに欠落しているのみならず、崩壊した社会主義の前提となった「後期資本主義」にも存在しなかった(もっと言えば、日本の資本主義にもない)ときれる。本書は、かかる視点からするスミスの伝記である。
では自由競争に内在するルールとは何であるか。それはスミスのいう商業社会もしくは文明社会が近代市民社会であること、つまり私有財産と営業の自由にもとづく社会であることを前提にする。この社会では、自由競争が行なわれるが、それは勝つためには何をしてもよいというのではなく、公平で中立的な観察者(「冷静な世間の日」)が同感する範囲内で全力をあげることを意味する。すなわち競争相手も自分と対等・平等の関係にあるのであり、さらには公平で中立的な観察者自身も、また自分では自分の利益を追求している。それ故この社会では、各人の信用失墜は社会・個人の双方にとって致命的であり、この意味でとりわけフェアな競争条件というルールの維持に関心がもたれる。
このようにスミスは、人間が自己中心的であり、自分の利益を第一にすることを前提にして、他人、社会の同感を考慮して自己規制することを求める。「したがって、この自己規制は、欲望をすてる自己否定ではなく、すべての人びとが欲望をおって競争するときの、ルールなのである」とされ、むしろ自己肯定の傾向が強い。そしてこの社会の目(=自制心)が個人の中に定着したとき、良心とよばれるものとなる(『道徳感情論』)。
スミスの主著『国富論』は、上の人間観に立って人間のこの世の幸福の物質的条件を求め、「およそ人が富裕であるか算乏であるかは、人間生活の必需品、便宜品および娯楽品をどの程度に享受できるかによる」として、生活資料の量-すなわちそれは諸国民の労働の有効使用に依存する-がその基準であるとする。その展開は本書の三分の一を占める「『国富論』の世界」の章に譲るとして、これまでの観点からすれば、個人のもっとも有利となる資本の使用法が(ルールの厳守において)なされるならば、それが全体としての富裕につながることが理解される。これが「見えない手のみちびき」の本来の意味であって、ここから国家の役割もまた規制されるようになる。
スミスは、このように個人間のルールを重視する観点から、「公共の利益」を説く者によくある偽善性を批判する-「公共の利益のために営業をするようなふりをする人びとによって、大きな[公共の]利益がえられたことを、きいたことがない」(『国富論』)。(なお著者もこの引用について、「スミスのことばの最後の部分は、二百年のちの日本の政治家たちのさまざまな汚職事件にもあてはまる」とコメントしている。)またフェアな競争条件を主張する点からは、独占や特権に対しても厳しい姿勢をとる(『国富論』におけるイギリスのインド・北アメリカの植民地支配批判)。
もちろん後の経済学理論の発展によって、スミスの理論の限界は明らかであるし、これのついては本書でも、「スミスは賃金を論じようというところで、・・・賃労働者の前身である独立小生産者の心情で語っている」と手厳しい。また「賃金・利潤・地代」や「資本の運動」や「労使の村立」についても説明不足や誤解が散見される点が指摘される。しかしこれらはいずれも、むしろスミスを踏台にしてこそ明らかになったものであり、スミスの不十分ささえもが後の理論の栄養素になったといえるであろう。
ともあれ本書は、スミスの生涯と学説を要領よく紹介したものとして、著者の社会批判の視点とともに読まれるべきものであろう。
なお蛇足ながら、本書の(注)における「市民社会」という用語についての説明は重要である。著者によれば、この日本語は、スミスの時代の“civilsoceity”の訳語として定着したが、「原語と訳語の意味のあいだには、かなりのくいちがいがあって、誤訳といってもいいほどである」。すなわち原語は「ほとんど有史以来の、私有財産と政治権力をもった社会」を意味するのに対して、訳語の方は「資本主義の矛盾がまだ顕在化しない、近代社会」を意味するとされているからである。「ようするに日本語の市民社会は西ヨーロッパ近代社会を理想化したフィクションであって、日本社会の非近代性を批判する足場なのである」。従ってそれは原語から遠く離れてしまった、そしてその上に、ドイツ語のビュルガリッヒェ・ゲゼルシャフト(burgerliche Gesellschaft)の用語法によってさらに混乱に輪をかけられて多義的な言葉となってしまった、というのが著者の見解である。それ故市民社会論といっても、「日本でスミスから抽出されてひとり歩きをした市民社会論」はそのような歴史的背景を有しているということが留意されねばならない。(R)

【出典】 アサート No.235 1997年6月15日

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【本の紹介】『破戒』のモデル 大江礒吉の生涯

【本の紹介】『破戒』のモデル 大江礒吉の生涯

「『破戒』のモデル大江礒横吉の生産」というタイトル名の本が、昨年(1996年)の12月、解放出版社から出版された。書名を見ただけだったら、私はきっとこの本を読むことなく過ごしたと思う。なぜなら、高校時代に、島崎藤村の「名作」の一つとして、「破戒」を文庫本で読んだ時、小説の終末に何か釈然としないものを感じ、余りいい印象を持っていなかったからだ。無論、その頃高校生の私が、「破戒」に対する部落問題の観点からの様々な批評や、主人公丑松の生き方に関する論議等を知るよしもなく、ただ、被差別部落出身の青年教師・瀬川丑松が、「いかなることがあっても自分の出身を隠せ!」という父親の戒めを破って、その「素性」を告白し、教え子に頭をさげて新天地アメリカをめざしてテキサスに赴くという結末が、(これでいいのかな?)と疑問に感じた記憶がある。
その後、私は教職に就き部落問邁や解放教育について学ぶ中に、「破戒」そのものの差別性や社会的責任を認識するようになり、丑松の生き方を否定するようになっていた。と同時に、主人公のモデルが誰なのかを知らぬまま、その人自身をもいつのまにか「差別と関わず逃げた人」として勝手に思いこんでいた。だから、この度「大江磯書の生涯」を書いた荒木謙氏の紹介記事(日本経済新聞)を読んだ時、強烈な印象を受け、すぐに手に入れ読み始めた。
著者が述べている本書の主な目的は、「小説『破戒』のモデルとはやや距離をおいて、大江自身の生涯を、その時代的背景をも含めて事実にそくして明らかにし、彼の『生涯史』を完成すること」にあり、その資料の収集だけで5年の歳月を要したそうだ。それだけに、生徒によって「素性」があばかれる経緯等は実に生生しい。そうした過酷な時代にあっても、自らの主張・生き方を変えることなく、「闘わず逃げた人」どころか「差別と果敢に闘い信念ある教育者」として生きたのが、大江礒吉であった。信州から大阪へ、大阪から鳥取へ差別ゆえに追われた礒吉だが、鳥取師範学校では「部落民宣言」を行っている。
そして、私が感銘を受けたのは、「差別に負けず」生きた大江氏ではなく、どんな状況にあろうとも、いつも自分の為し得る最大の努力をしたと思われる大江氏の人生に対するひたむきさである。算困にあえぐ家庭にあっても勉学に勤しんだ幼少期、放逐されても新たなる職場で真剣に教育実践に取り組んだ教員時代等、いつも前向きに未来を信じて生きた大江礒吉の生涯は、「被差別部落出身」にも関わらず差別に負けることなく中学校長にまでなったから、評価されるといった低次元で語られるべきではない。そのことは、最後の赴任校一兵庫県の柏原中学校で「理想の学校」を創ろうとした大江氏の、近代教育の先駆者たる生き方を検証するだけでも、言えることだ。
最後に、丑松のモデルに対する誤った認識を持ち続けて来た者に、正しい認識を与えて下さった荒木謙先生(現、兵庫県立柏原高等学校教諭)に深く感謝するとともに、まだ本書をお読みになっていない方に、ご一読を強くお薦めしたい。
(大阪、田中雅恵)

【出典】 アサート No.235 1997年6月15日

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【投稿】新しい労働組合運動をめざして

【投稿】新しい労働組合運動をめざして 

読者の中には、「青年の旗」183号から187号まで連載された、依辺瞬氏の「労働組合運動の再構築に向けて」という論文を覚えている方も多い。意欲的な論文で、普段ぼやっと考えていたことを的確に整理して問題提起してくれていたので、私も非常に感激した読者の内の一人である。
最近、私自身がひょんなことから労働組合をつくることになった。つくるからには、この依辺論文の問題提起をできるだけ実践してやろうと思っていろいろ試みてきた。一年経過してそろそろその総括をしなければならない。依辺氏のようにきちんとした論文にできたらと思うのだが、残念ながら彼のような能力はないし、佐野氏からのアサートの原稿依頼にいつまでも不義理ばかりしていられないので、報告のような形でとりあえずまとめてみた。

◎組合結成の経過
現在私の属している労働組合は地方自治体の職員労働組合である。組合結成の経過は主要な論点ではないので詳細にはしないが、結成過程でも労働組合のあり方についていろいろ考えさせられた。私は以前は共産党の指導下にある自治労連の組合に属していた。彼らが自治労から脱退する時は反対運動をし、その後も対立候補として執行部の選挙に出るなど反執行部派として活動してきた。自治労連が主導権を握っていた他市で次々と自治労組合が誕生する中、私たちは主体的力量のなさと、自治労連の中でも活動できると考えて新組合をつくることなく時を過ごしてきた。
しかし、自治労連組合の中で反対派として活動しつづけることは不可能であった。
彼らは自治労脱退以降ますます純化し、何の議論もなしに彼らの方針を押し付けてくる。特に部落解放運動に関しては、異常なほど解放同盟攻撃を強め、同盟貝が組合を脱退せざるをえないよう追い込んだ。いろいろいきさつはあるが、直接的にはそのことがきっかけとなって新しい労働組合を結成することになった。自治労連組合の対応はまさに依辺氏のいう「赤色労働組合主義」そのものである。労働組合を使って共産党の方針(この場合は部落解放運動方針)を具体化し、宣伝しようとする。
非常に少数の職員での組合結成は、苦しい選択であった。脱退届けを出しても脱退を認めず、当局も組合費の給与引き去りを続けるという中で、裁判闘争も覚悟で新組合をつくり自治労に加入した。毎日のように私たちを名指しで批判するビラがまかれ、結成大会には自治労連組合の役員が会場の周りで多数監視するという中での誕生であった。しかし、結果的には私たちにも、他の市職員にも良かったのではないかと今は思っている。

◎本当の相手は誰か
結成大会で私は次のように発言した。
「私たちをめぐる状況は必ずしも楽観できないというのも事実であります。組合結成のためにオルグにかけまわる中で、私は事務職を中心に多くの職員の皆さんが労働組合というものにそれほど期待していない、無関心であり、むしろ不信感を持っていることを痛感させられました。労働組合は自分達がやるものではなくて、幹部にやってもらうもの、反発もあるが言っても仕方がない、保険みたいなものといった意見を多く聞さました。これらの無力感が現在の市職労の運動の中で培われてきたことは間違いありませんが、しかし、最近の全般的な労働組合の組織率の低下の事実をまのあたりにするとき、それは、他人ごとではではなく、まさにこれから労働運動を担っていこうとしている私たち自身の課邁だと自覚せざるをえません。私たちの前の最大の相手は、当局でもなく、市職労でもなく、まさにこの組合に対する無力感ではないでしょうか。」
このことは、結成以来1年以上たった今あらためて痛感している。私たちが新組合を結成して以来、かなりの職員が自治労連組合を脱退した。しかし、それがそのまま我が組合の組織拡大には繋がっていないのである。彼らにとっては、まだまだ「自治労も自治労連も一緒」としか映っていないのであろう。他市の自治労組合結成の時期に比べ、政局も混迷、政界再編の熱気もなくなったという不利な条件はあるものの、やはり、私たちの活動の内容を大改革しなければならないと思う。

◎いくつかの試み
私たちの組合が自治労連組合に比べて圧倒的少数とはいえ、労働者の要求実現という労働組合の基本的機能については、自治労連組合に決して見劣りしないと自負している。全国的には多数派である自治労に加入しているため、中央の情報はすぐに入るし、他市の情報も豊富である。自治労連組合のように、国への要求から職場の諸要求まで、できることもできないことも何もかも要求して、できなければ政府や自治労のせいにするという無責任な運動ではなく、課題を絞りながら、具体的な資料を明らかにし、対案を出しての運動は結構職員の注目を引いている。機関紙への投稿や激励の意見もあったりした。しかし、それだけでは新組合の新しいイメージとしては不十分である。この間の、依辺論文を参考にしたいくつかの試みを紹介する。

1、名称の改革
労働組合運動が社会主義運動と不離一体のものとして発展してきた関係上、その各機関の名称は、共産党組織の機関名と一緒である。しかし、社会主義が崩壊した現在、その名称にこだわる必要はない。もっと親しみやすい、わかりやすい名称こ変えた方が良いと思い、「中央委員会」を「職場代表者会議」、「執行委員会」を「幹事会」、「書記長」は「事務局長」、「執行委員長」は「幹事会代表」にした。

この名称が親しみやすいか若干疑問もあるが、「執行委員長」をなくしたのは良かったと思っている。組合の会議などでよく「委員長」と呼びあっているが、あれは何だか「社長」と呼ぶのと同じような雰囲気で、あまり気分のいいものではない。

2、自己実現プロジェクト
以前、誰かが、今は組合員は「カのある組合」ではなくて「やさしい組合」を求めているというようなことを言っていたが、確かに今の若い人は、「組合の方針についてこい」とぐいぐい引っ張るのではなく、自分たちの個性や能力を認め、それが実現できるような包容力のある組織を求めているように思う。私たちは、組合員自らが発案・企画してそれを組合でバックアップするという「自己実現プロジェクト」という事業をやっている。現在、英会話サークルをやっているが、会員の半数は自治労連組合の組合員である。「自己犠牲」ではなく「自己実現」がこれからの組合活動のキーワードのような気がする。

3、ボランティア活動の積極的取り組み
自治労は組合の社会的貢献ということでボランティア活動に積極的に取り組んでいるが、私たちも日本海重油除去ボランティア等に積極的に取り組んだ。自治労連組合も阪神大震災等でボランティア活動に取り組んではいたが、宣伝のため、奉仕的色彩が濃い。2、と関連して、ボランティアを自分たち自身の要求として取り組むことに積極的意義があると思う。

4、議員との懇談会
これまで、自治労連組合は共産党の議員としか交流がなく、情報交換もなかったが新組合結成をきっかけに他の会派の議員との懇談会を企画した。仕事にやる気のある職員とま
じめな議員との懇談は率直な意見交換でなかなか刺激的なものだった。

◎これからの課題
まだまだできたばかりの組合でなかなか思うような取り組みができないが、一つだけ是非やりたいと思っていることがある。それは、市民に「協賛組合員のようなかたちで組合運動に参加してもらうことである。現在、第2次の行革フィーバーともいうべき状況で、地方自治体に対する風当たりは非常に強い。これまでも市民運動との共闘という形で自
治体労働組合と市民運動の連携は追求されてきたが、まだまだ市民と自治体労働組合との壁は厚いと言わざるをえない。私たちの考えていることを本当に理解してもらい、また、私たちの中にある市民生活のニーズに対する無理解を打破するためには、もっと組合運動の中に市民が入ってもらうことが必要なのではないかと痛感している。

他にも課題はたくさんあるが、組合の分権化や直接民主主義的運営等、組合員が少ない中ではあまり問題意識になっていない。
急遽、書き上げた原稿で不十分だが、これからも「労働組合冬の時代」に生き残るべく様々な挑戦を試みていさたいと思っている。(若松一郎)

【出典】 アサート No.235 1997年6月15日

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【投稿】諫早干拓と公共事業の見直しへ–環境保護運動と公共事業–

【投稿】諫早干拓と公共事業の見直しへ–環境保護運動と公共事業–

4月以降、環境問題と公共事業を結ぷ数々の動きが相次いで出てきている。諌早干潟の「ムツゴロウ」に始まっているようだが、その背景には行財政改革・財政再建に関わっての公共事業の見直しの具体化、それを促進している各地の市民運動の動き、そして公共事業コントロール法提案など新しいイメージを作ろうとしている民主党の動きなどがある。ある意味でこれらの動きをトータルに捉えることが必要だと考えるので少し整理してみたい。

■50年前の事業目的の亡霊・・・・諌早干拓
長良川河口堰建設の場合も、昭和40年代の工業用水・上下水用水などの水需要予測から計画された事業であった。その後、水需要は解消され、「塩害」と「防災」へと建設目的は変更されてきた。自然破壊を代償としてである。現在問題になっている諌早干拓事業もその最初の目的は戦後の食料不足解消のための農業用地の確保であった。しかし、減反政策の中もはやその理由は成りたたなくなった。そこで、「防災」が登場し、水害対策が全面に出てきた。いろいろな経過はすでに報道がなされているので省略するが、去る4月14日の水門閉門によって、3千haに及ぶ干潟に死が宣告され、ムツゴロウ、シオマネキなどの生物の死滅が引き起こされることで、世論は一斉にこの事業に注目することとなった。
はっきりしているのは、農林省や地元推進派が大事な事を忘れていることである。それは第1に自然環境保護への国民の意識の大きな変化である。地元推進派が、反対の先頭を
切っている民主党などに「ムツゴロウが大事か、災害の犠牲になる国民が大事か?」などの反論をしていることでもわかるように、環境保護への決定的な軽視がある。さらに、地元への補助金の誘導、「地元が納得しているのだから」など公共事業費の投入が地元だけで判断出来る、という時代遅れの発想である。
5月中旬から地元市民による運動が始まり、各党党首レベルの地元視察が行われる事態となった。6月14日には東京で市民デモが400名で行われたし、諌早干潟を守る署名も現地の「諌早干潟緊急救済本部」が呼びかけ、市民団体や民主党各地の支部が取り組みを始め、今後も事業見直しを強める動きが強まりそうである。(埋立地が増えると、地方交付税算定にも影響するので地元自治体は推進派ということも言えそうだが‥‥)
すでに国外からも諌早へのアプローチが始まっている。5月21日には、アメリカの環境NGO(非政府組織)が「諌早湾を守る米国NGO連合」を結成し、22日付で、橋本龍太郎首相に干拓事業の一時中止と見直しを要請する手紙を出すほか、クリントン米大統領にも日本の公共事業の改革について日米間で協議するよう要請する、と報じられている。
米国NGO連合はアメリカを代表する環境保護団体のほか、国際河川ネットワークなど会員数で約100万人、定期刊行物購読者を含む支援者を合わせると500万人を超す一大組織だという。諌早湾の干潟が渡り鳥など生物多様性保全のために重要な生態系で、干拓事業による破壊は日本だけの問題ではないと、橋本首相あての手紙は「今回の干拓事業問題で、日本の公共事業における環境評価と市民によるチェックの不十分さが浮き彫りになった」と指摘されている。

■ダム建設の見直しが進む
一方、ダム建設見直しについては、95年7月から全国12ケ所で「ダム等事業審議委員会」が建設省によって設置され、審議が行われてさている。いくつかの事業でこの間凍結や見直しの動さが出てきている。
一番目立っているのは、徳島県木頭村の「細河内ダム」だろう。建設反対の藤田村長を先頭に反対運動が進んでいるが、この5月に「事業凍結」が決定された。すでに50億円の調査費が投入されているが、地元の反対で着工できないできた。今回ダム工事事務所の閉鎖を亀井建設大臣が決断した形だ。
また北海道千歳川の放水路計画も97年度予算が20億円について年度途中での約50%10億円の予算執行凍結を5月28日に建設省が決定した。地元などを加えた「円卓会議」が開催されないことなどが理由だが、反対運動ががんばっているわけだ。97予算が執行できない場合、来年度予算への影響し、さらに事業の見直しにまで至る可能性も出てきている。計画自体の見直しではなく、一旦予算計上された予算の執行を凍結するという今回の措置は極めて異例と言われてる。
同じ北海道でも、日高管内平取町の平取ダム建設の是非を検討する諮問機関「沙流川総合開発事業審議委員会」では、道庁がダム建設で産みだされる水について、苫東地区の工業用水としては使わないことを決めたことから、見直しの動きが出ている。この平取ダムも約30年前に苫小牧東部地区工業開発への水供給を目的に計画されたものだが、開発そのものが頓挫しているにも関わらず、ストップがかかっていなかったもの。
また、名古屋市の「藤前干潟」埋め立て問題も地元では反対運動が続けられている。この計画はごみの最終処分場を藤前干潟一帯の46Haを埋め立てて作ろうというもので、ここは環境庁が鳥獣保護区に指定しようとしているほど保護動植物の宝庫でもある。野鳥・渡り鳥にとって「干潟」は、魚やかになどが豊富なこともあり、生息地や停留地として貴重な場所である。動植物もいて、「干潟」「湿地」「湖沼」などは自然保護の大きな対象なのである。

■公共手業への疑問噴出
こうしてダム建設見直しの動きが加速している背景には、当然財政再建論議がある。政府は財政再建法として準備している中にも、公共事業計画の2年間の延長を盛り込んだ。もちろん、それ自体はいいかげんな内容で、「いったん決めたら止まらない」と言われる公共事業の体質には踏み込んでいない。しかし、言わば不要不急の事業については見直すということは、政府・建設省と言えども反対はできない状況になってきている。
特に注意すべきは、長良川河口堰など水資源事業団が行うダム建設費用は、最後は水の最終利用者である住民や自治体に、費用負担が回ってくる仕組みで、住民税や水道料金に知らないうちに転嫁されていることである。
諌早干拓問題でも、主要新聞は公共事業の見直し論議と絡めて、一様に批判的であった。一方、沖縄特措法や医療改革法案で失点をくらった民主党は、公共事業の決定について、国会がコントロールすべきだと法案を提出している。

■民主党が公共事業コントロール法案提出
「霞ヶ関政治の解体」を掲げる民主党は、環境破壊と財政財政再建の両面から、公共事業を見直す手段として、さる5月30日公共事業コントロール法案を提出。長崎県の諌早湾干拓事業など公共事業の見直しを当面の重要政策と位置づけている民主党は法案成立に全力を挙げる構えと言われる。同法案は国会法など十六の法律の改正案を一本化したもの。各省庁の縦割りで策定されている各種公共事業長期計画の効率的な執行を目的とし、(1)各長期計画の開始年度の統一(2)衆参両院に公共事業委員会を設置し、計画の承認・不承認を決定(3)事後評価報告書を策定し、無駄な事業をチェック(4)道路特定財源の廃止-などを盛り込んでいる。この法案の提出にあたっても、長良川河口堰反対を進めてきた「公共事業をチェックする議員の会」や研究者の参加で準備されてきた。今国会では自民党などの反対で成立は困難と言われているが、官僚や自民党などの族議員に独占されてきた公共事業をチェックするという意味で注目すべき動きであると考えられるもの。

■環境アセス法も成立
また公共事業や開発行為が自然環境にどんな影響を与えるか、事前に評価することを義務付ける法律はこれまで未整備であったため、国や企業の動きをストップさせることは困難を極めた。そういう意味で今回成立した、大規模公共事業などによる環境への影響を緩和するための環境影響評価(環境アセスメント)法は注目すべきだ。
同法案は1981年に提出されたが、経済界や開発官庁の反対で83年に廃案になった経緯があり、経済協力開発機構(OECD)加盟二十九カ国で唯一アセス法がない状態が続いていたものだ。現行の行政指導による環境アセスは主に公害防止を目的としたものだったが、新法は、環境基本法が対象とする環境一般の保全に目的が広がり、野生生物や森林、水辺などの自然環境も調査の対象としている。今後、対象となる事業の規模などを政令で定め、二年後をめどに施行される。
成立した環境アセス法は、(1)現行の行政指導によるアセスの評価対象に、発電所や大規模林道、在来線鉄道を加えて十四事業とする(2)アセス開始前の段階で住民や自治体の意見を聞さ、アセスの対象にするか、評価項目をどうするか、などを判断する(3)住民が意見を述べる機会を一回から二回に増やし、事業地域外の住民も意見が出せるようにする-などが主な内容だ。2年をめどに施行されると言うが今後環境運動の武器になる法律だ。
環境に関わっては、5月に河川法の改正も行われている。民主党はそれぞれの水系ごとに委員会を作るという民主党案を提出したが、否決となった。主な改正内容は、従来の治水中心から「環境」にも配慮する、という内容。

■すべての公共事業の見直しを行え
こうして、諌早干潟問逝の焦点化と同時進行で、環境をキーワードにした動きが相次いでいる。この動きの中で民主党と市民運動の果たしている役割は多いに評価したい。そして、これら川とダムをめぐる運動の背景となっているのが「長良川河口堰反対運動」の中での蓄積だ、ということは明らかだ。
公共事業が環境を破壊している、この事実は諌早でも長良川でも同じ。国家予算を官僚と族議員、保守系の自治体関係者、ゼネコンが食い物にするという構造だ。財政再建という中で、注目を集めているだけに、環境運動の側の攻勢の時期だということがでさる。
長良川河口堰問題では、6月2日に日弁連が「運用中止」の意見書を出している。「現状には多くの問題点があり、河口堰の運用は中止すべきだ」とした意見書だ。意見書は、河口堰建設の根拠にもなっていた国の水需要予測が過大になっている点などを指摘。「河口堰がなくても、水需要はまかなえる」としている。また、河口堰の運用によって、生物や環境が受ける影響は無視できず、震災対策の研究、調査も不十分であるとした。間違が解決されるまで、運用を停止すべきだという内容だ。
事業見直しに大きな応援団が動き出した。7月には超党派国会議員団の長島町現地入りも予定されている。夏から秋にかけて環境運動は公共事業見直しを大きな目標に動き出している。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.235 1997年6月15日

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【投稿】日米新軍事ガイドラインと有事立法

【投稿】日米新軍事ガイドラインと有事立法

●『ニュー・ウォー・マニュアル』
この6/8に、ハワイのホノルルで日米防衛協力小委員会(SDC)で日米両政府が協議してきた「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)中間報告が発表された。昨年4月にクリントン大統領と橋本首相が発表した「21世紀への日米安保共同宣言」に基づくものであるが、単に日米間にとどまらないこれまでとは質的に異なった新たな軍事的懸念と緊張激化をもたらしかねない危険な段階に一歩足を踏み出そうとしていると言えよう。
従来の日米安保条約では、日米防衛協力の範囲について、「日本国の施政の下にある領域における武力攻撃」とだけ定めており、周辺有事についての日米間の取り決めは存在せ
ず、78年に作られた現行のガイドラインでも、「日本への武力攻撃、日本の安全に重大な影響がある」場合の日米共同作戦が中心であった。ところが今回の新ガイドラインは「日本周辺海域での日米防衛協力」にまで共同作戦範囲を広げ、周辺有事の際の米軍作戦に村する日本の支援に重点を明確に移してきている。これまで、自衛隊は日本への侵略に対して日本の領域内でのみ作戦行動をとるもので、領域外での作戦行動はありえない、とされてきたが、新ガイドラインによって、今後は「日本の平和と安全に重要な影響を与える日本周辺での事態」に際して、「戦闘地域と一線を画される後方地域」という限界を設けてはいるものの、「自衛隊の艦船による船舶検査(臨検)」、「封鎖海域での機雷の掃海」、日本周辺の公海とその上空における米軍への補給・輸送など「米軍への後方支援」等々、領海・領空を超えた公海上での米軍との共同行動をとることが前面に打ち出されているのである。米紙が報道するようにまさに新たな「ウォー(戦争)・マニュアル」である。

●「日本を取り巻く領域」とは?
これによって、日本は戦後初めて自国の領域外で、他国から武力行使とみなされかねない行動に出る可能性に道を開くわけである。日本の自衛隊の役割が拡大され、「日本を取り巻く領域における」米軍の緊急出撃に、日本の戦艦や戦闘機も参加し、逆に米軍機が日本の自衛隊専用空港ならびに民間空港を有事に使用できる道も開かれようとしている。
これまで政府はたとえ情報提供であっても、「特定の国の武力行使を直接支援するような情報提供は、武力の行使と一体となる可能性がある」(内閣法制局見解)として排除してきたのであるが、今回は直接軍事力の行使につながる共同作戦行動、しかも日本に有事が及ばない「日本周辺有事」であっても米軍との共同行動をとることが打ち出されているのである。これは明らかに、憲法で禁じられている軍事力の行使そのものであり、集団的自衛権の行使禁止に関する従来の政府見解にさえ抵触するものである。
これはアメリカ側が、在日米軍の作戦行動の範囲を太平洋全域から中東にまで広げ、日本をその前進基地とし、その補給や輸送、臨検、海上封鎖の後方支援、機雷除去まで作戦指揮以外のできることはすべて同盟国にになわせる傾向を露骨に示しているといえよう。
「米国は、そのコミットメントを達成するため、核抑止力を保持するとともに、アジア太平洋地域における前方展開兵力を維持し、かつ、来援しうるその他の兵力を保持する」(「中間報告」4章4-1)として、東アジアにおける米軍駐留十万人体制維持という米国の政治・経済上の利益に基づいた軍事戦略がまずあり、この米軍の行動をあらゆる面で支援・補助するのが日本だと言うのが本音であり、主旨である。
この新ガイドラインは、今年秋まで審議され、その最終報告は9月末に提出されることになっている。

●憲法議連と有事立法
この「中間報告」はさらに、米軍支援について「中央政府」、「地方公共団体の機関」、「民間の能力」を活用するとして、その対象が自衛隊から地方公共団体、一般企業、民間人にまで及び、地域も朝鮮半島から中東に及ぶ(米側理解)としている。地方公共団体、民間の能力活用までくれば、これらを強制的に動員できる法的整備、つまり有事立法がここぞとばかりに叫ばれ出されるわけである。
これに関連して、6/9の記者会見で、梶山官房長官は、「それぞれの政令や省令、ないしは法律などを作って対処しなければならない」、と有事立法の制定を含めた法的整備を
促進する意向を明らかにし、久間防衛庁長官は、6/13の衆院特別委員会での答弁で、有事立法の法案提出の時期について、「臨時国会までに全部をつめることはできないと思うので、(提出は)多分通常国会になる」と述べ、日米新ガイドラインにとって有事立法が緊急不可欠な課題であることを強調しだした。
ここに急浮上してきたのが、憲法議連(憲法調査委員会設置議員連盟)である。5/23に急きょ、旗揚げの議連総会が開かれ、自民、新進、民主、太陽、さきがけの衆参議員350人以上が結集(衆院253、参院103)。設立趣意書では「地球環境問題の深刻化」や「価値観の多様化」などをあげているが、狙いは明らかに憲法9条の改悪と有事法制にあることは論を待たない。
同議連の最高顧問に就任した中曽根元首相は、「自衛隊は憲法違反ではない。集団的自衛権は日本は使える。憲法を改正してはっきりさせる必要が出てくる」と明言しており、同議連の三役は、中山太郎会長が「日本では現実に自衛隊がありながら憲法に手をつけられないでいる」と嘆き、天皇の元首化と有事法制をとなえる愛知和男(新進)氏が幹事長につき、靖国神社国家護持をとなえ、現憲法の全面書き換えを主張する鳩山邦夫氏(民主)が事務総長と、いずれもそろいもそろって狙いを憲法九条の改悪と有事立法を画策する最悪のトリオである。かれらは、「憲法調査委員会」を予算委員会と同じ規模の常任委員会として設置する国会法改正案を国会に提出し、成立を目指すことを確認している。

●「ピンのフタ」論
6/20から開かれる先進国のデンバー・サミットには、ロシアがついに正式メンバーとして参加する事態である。冷戦構造の終焉の結果でもある。世界第一、第二位の軍事大国が、共通の最大脅威であったソ連が崩壊し、その軍事的脅威が消滅したにもかかわらず、ここ数年、軍事同盟強化に努めている実態は、何と説明できるのであろうか。
1960年の日米安保条約に基づく米国の戦略は、西のNAT0に対応し、東からもソ連や中国を封じ込めることにあり、そこにすべての大義名分が存在していた。それが一体なぜ冷
戦終結、ソ連崩壊という状況にあっても、日米の軍事力を強化する必要があるのか、その論理的で納得できる認識はまったくと言っていいほど示されてはいない。アメリカでさえ、過去のソ連に取って代わる脅威を立証し得ていないし、せいぜい上げられるのが地域紛争の頻発である。残るのは自己の政治的経済的利害のための軍事力でしかない。
日本のマスコミも政府も、そして自民党と新進党が「米国がこれを強く求めている。国連でも日本が血を流さなければ世界から孤立する」などと盛んに世論を誘導しようとしている。しかしアメリカのマスコミは、ほとんど無視、ないしは無関心である。ホノルルでガイドラインの概要が発表された6/8の翌日には、ワシントン・タイムズが取り上げただけである。これは統一教会の文鮮明が所有するウルトラ保守の新聞に過ぎない。
5/30のニューヨークタイムズヘの沖縄の米海兵隊基地の撤去を要請する意見広告に対する反論の中に、「海兵隊はオマエら日本人を監視するためにいるのだ」というのがあったという。在日米軍はいわば日本の軍事力強化を統制・監視し、過去の日本軍国主義・ファシズムによって手ひどい犠牲を強いられた周辺諸国をなだめる役目を果たしていると言う、いわゆる「ビンのフタ」論が、一種の安心感をもって受け入れられている。今回のガイドラインに対して示した韓国政府の受け取り方がその代表であろう。それほど信頼されてはいないし、過去の清算も義務も果たしていない国として日本が見られていることの証左でもある。

●躊躇なく大胆な食糧援助を!
今回の新ガイドラインを合理化する唯一の具体的な説明は、北朝鮮の「未曾有の食糧危機」と連動した「暴発」論である。たしかに北朝鮮はこれまでたびたび軍事的強硬姿勢を
「脅し」として用いてきたのは事実であろう。93/3に核拡散防止条約脱退宣言の直前に行った戦闘準備態勢命令、94/4の南北実務協議の席上での「ソウル火の海」発言、93/4板門店で強行した武装演習、黄書記亡命に関連しての「報復」発言等々、なんとなく危なっかしい発言や行動がつさまとい、それが不意の軍事行動の惧れとして誇大に宣伝され、利用されている実態は無視し得ないものである。
「未曾有の飢饉」が本物だとして、その実態を真剣に問題として取り上げ、調査団を派遣し、具体的な解決に向けての援助の手を差し伸べることこそが、本来取られてしかるべき
解決策であろう。食糧危機が極限に至ると周辺世界に戦争を仕掛けかねないとか、暴発が起き、大量難民が発生し、日本国内と相呼応して暴動を起こしかねないと言った根拠薄弱な想定によっマ、それを日米軍事同盟強化の理由に使うことなど許されるものではない。それは逆の効果をしかもたらさないであろう。
そもそも隣国でありながら、ただただ疑心暗鬼で様子をうかがい、日本海側での日本人拉致事件を理由に、橋本首相自ら「食糧援助はしない」といってはばからない、本当に「日本周辺」の平和を願っているのか、「暴発」を願っているのか分からないような無責任な態度は即刻止めるべきであろう。
米国と韓国はそれぞれに北との対話のパイプを維持し、現実に相当規模の食糧援助も行いながら、対処しており、その食糧援助も韓国赤十字要員が引き渡し場所を訪れて授受証を交換、写真を撮影し、国際赤十字ピョンヤン駐在代表団の立ち会いによる配分まで行われている。さらに韓国の民間支援者は地域や支援対象者を特定することが可能となり、離散家族への支援や音信回復にもつながると期待されている。ところが日本は食糧援助を拒否し、対話の努力もほとんど行わないまま、軍事的な対応といわば「朝鮮有事」の国内体制に腐心している醜い国家に成り下がろうとしている。ただちに「未曾有の飢饉」に対応する食糧援助をこそ大胆に躊躇することなく実行すべきである。それこそが日本周辺の平和と安定に寄与する唯一の道と言えよう。   (生駒 敬)

【出典】 アサート No.235 1997年6月15日

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【投稿】サナダ・ユキムラ作戦

【投稿】サナダ・ユキムラ作戦
                  2000年日本的危機解決シュミレ-ション

「総理、もはや決断の時です」副総理兼危機管理担当相の小沢一郎が、内閣総理大臣橋本龍太郎に詰め寄った。
真理赤軍を名乗る武装グループが、大阪サミットに参加していた各国首脳を人質に取り、歓迎宴が開かれる予定だった、大阪城迎賓館に立て寵もってから一週間が経過していた。
打ち合わせのため、向かいの大阪府庁にいた橋本自身は、危うく難を逃れていた。
「これ以上、事態が長引けば、外国の部隊が突入するでしょう。そうなれば、わが国の面目は丸潰れになります」再び、小沢一郎が決断を促した。
すでに、首脳を人質に取られた各政府の特殊部隊が関西国際空港に続々と到着、大阪城周辺に展開していた。
「言われなくても判っている!」橋本はせわしなく煙草を吹かしながら、心の中で叫んだ。
その心中を察知したのか、小沢は「とにかくもう一度、防衛庁長官の方から、作戦について説明をさせましょう」と、一端間を置くことにした。
大阪府警本部に設置されている対策本部室には、図面と迎賓館の模型が置かれている。「すでに、建物の地下に通じるトンネルは完成しています。サナダ・ユキムラ作戦は準備完了です」
防衛庁長官の得意気な説明を聞いて、橋本は眉間に皺を寄せた。
この計画は、橋本の知らないところで、立案されていた。3年前「チヤビン・デ・ヴアンタル作戦」をすべて、フジモリ大統領が取り仕切ったのにくらべ、大違いだった。
真田幸村だと?大坂城の抜け穴伝説は知っている。しかし、最後は負けて、首を獲られたではないか。縁起でもない。俺なら「大石蔵之助作戦」と名付けたのに。そうだ、こうなった以上俺は作戦が成功しても、辞任する決意なのだ!橋本は勝手に命名したに決まっている小沢一郎の方を睨み付けたが、小沢は意に介せず、説明に領いていた。

2
事件発生直後から小沢の所には、何人かの危機管理専門家が、自分の作戦を売り込みにきていた。
警察庁のOBは「忍者部隊を編成し、石垣をよじ登って突入させましょう」と提案した。
横から自衛隊の元幹部がロを出した「そんな作戦より、ハング・グライダーで空から行ったほうが迅速です」「昔の映画みたいなことを言うな」警察OBが反発した。
「お前こそ、時代劇の見すぎだ」元陸将が言い返した。
「もう引き取ってもらって結構」様子を見ていた小沢が冷たく言い放った。小沢は、実戦の経験の無い者の意見など、まったく信用していなかった。
小沢が呼んだのは、リマ事件の際も作戦関与が噂された元SAS将校だった。その人物が立案し、小沢が防衛庁に投げつけたのが「サナダ・ユキムラ作戦」だった。計画は最初から軍事作戦として組み立てられていた。
当初防衛庁は困惑した。ながらく冷戦思考に浸り、ソ連軍との正規戦しか想定して来なかった自衛隊は、「低強度紛争」への対応を怠ってきた。リマ事件以降、ようやくそうした事態への対応能力を強化しつつあったものの、作戦遂行には自信がなかったのである。
さらに、これは刑事事件であり警察の仕事ではないか、というのが防衛庁の言い分だった。
この期に及んでの縦割り意識に、小沢は腹を立てた「行革特命政権なんか失敗だった。それにしても自衛隊のふがいの無きには、呆れたものだ」
小沢は自衛隊OBの議員を呼びつけ洞喝をかけた。「現役の連中を説得しろ。でなければ議員を辞めてもらう」
その日のうちに作戦計画が決定した。


翌日、小沢の所へどこで嗅ぎつけたのか「トンネル掘削はうちでさせて欲しい」とゼネコンが押し寄せてきた。
中にはPR用ビデオを持参した社もあった。「3日間で戦車が通れる穴を掘ります」「いやうちは1日でやります」「わが社のは地下滑走路付さです」
機番保持も何もなかった。ゼネコンの連中を押し返して一息ついている所へ、元総理の村山富市がひょっこりと現れた。
小沢は、自分の連立政権をつぶした張本人を見て顔を引きつらせたが、努めて冷静に振るまった。
「今日は何のご用件ですかな」
「トンネルを掘られるそうじゃな」村山がニヤリと笑った。
「いや、日韓トンネルは北朝鮮が釜山を突破すると困るので‥」小沢は誤魔化そうとしたが、村山はそれを遮り「サナダ・ユキムラ作戦のことじゃ」と切りだした。
このじじい邪魔をしにきたな、小沢は「体の調子が悪い」と席を立とうとしたが、村山は押し止めて、ささやいた。「三井三池の灯が消えて3年・‥日本労働運動の栄光は・・」
小沢は、ついに平和ボケに加え本当のボケもさたかと戦慄したが、次に村山のロから出た言葉を開き、さらに驚いた。(続く)
(大阪 0)

【出典】 アサート No.234 1997年5月17日

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【書評】個の自立と社会変革運動

【書評】個の自立と社会変革運動
      『大西巨人文選(全4巻)・(1)新生(2)途上(3)錯節(4)遼遠』
       (みすず書房、1996年)

長編小説『神聖喜劇』で知られる著者の、これは敗戦直後の1946年から昨年1996年にいたる50年間のエッセイの集成である。その一貫した姿勢は、権力の側からのイデオロギー攻勢に村して厳しく立ち向かうと同時に、反権力・左翼・マルクス主義の側においても、その大衆追随と独善主義(「俗情との結託」)に対して徹底して厳しい。しかもなおその上で社会主義への希望は強く継続されているといえよう。かかる観点からのさまざまな時の間遭への発言は、文学の領域のみに限らず、広く社会のあり方、人間のあり方について本来の意義を真直ぐに突くものが多い。
例えば、社会主義については次のようである。

「“社会主義とは、万人の幸福のために一人の幸福を犠牲にすることだ’’などと楊言する者が、われわれ社会主義者の中に少なからずいる。/だが、こんなことこそ、社会主義の敵たちが社会主養を誹誘中傷非難攻撃するべく従来も言ってきた・今日も言っているテーゼではないか。万人の幸福と一人の幸福とを一致せしめることこそ、そのために全力を早くして努めることこそ、社会主義であるのに。

(略)『わたしの社会主義感覚』は右のアラコンの言によって凱切に表わされている、と私は答える。ただし、アラコンが苦渋と忿怒の情で否定した類の連中が『われわれ社会主義者の中に』もたくさんいたこと・そういう連中が世界の各領域をしばしば言論的ないし実践的に支配したことを、私は、面伏せにも認めざるを得ない。

一人(少数者)の幸福のために万人(多数者)の幸福を犠牲にする『第一の階級』は、入れ代り立ち代り出現する。その『第一の階級』を克服するべく不断に全力を早くして努めるのが、社会主義であり、そこに、『わたしの社会主義感覚』が淵源する」。(「わたしの社会主義感覚」、文選4)

ここに見られるように大西の主張は、硬直した社会主義観のまさに客観主義的硬直性と独善性を暴くものであり、それだけに鋭い。それ故にまたこの立場は、社会変革の運動にかかわる一人一人の姿勢として提起されている。
これに関して大西は、「文選(4)遼遠」巻末の鎌田慧との対談で、鎌田が出した「日本の運動論理」の問題–一人の抵抗なんか意味がなくて、やっぱり集団で、革命的にやるしかないという、そういう一種の待機主義が、戦後の運動をずっと作ってき」た、「個として立つ、自立の思想が、運動の中で軽く扱われ過ぎたからじゃないか」-に対して答えるかたちで、次のように述べている。

「連帯というものは大切だと思いますけど、それはいわゆる『衆を頼む』というものではない。一人一人が、たった一人でも俺はやるぞと、そしてその運動が手をつなぐというものならいいんですが。むしろ、一人じゃやらないというのが、よくありますわね。(咤)もう亡くなった、国鉄に勤めていた詩人で、浜口国雄と言う人が、正しくても一人ではやるな、というような詩をかつて作っていて、その言葉にも聞くべきことはあると思いますがね。しかし、正しかったら一人でもやるということも、また矛盾ないものとして確立して、それが何人かいて、それがまた結び付いたら、甚だ強いものになると思うんですがね」。

ここには社会運動における個人と組織の問題が、個人の自立を前提として出されている。大西は、かかる個の自立のあり方の例を「神聖喜劇」の主人公、東堂太郎に託したのであるが、彼はわれわれの身近な存在(身につまされる存在)であるとともに、また常人(やすやすと俗情に結託する傾向を持つ人間)には到達し難い存在でもある。彼とわれわれとの間に存在する溝をいかにして埋めるのか、というのが、現在までの・現在の・そして現在以降の社会運動の基本的な課題の一つであることは疑えぬところである。
以上大西巨人文選(全4巻)のごく一部を取り出して紹介したが、大西の戦後の軌跡は、いわば左翼の主な流れから外れた、独特の、というよりも右往左往しない左の流れと言うべきものであり、その一貫した姿勢は、日本の社会運動に欠落していた側面を浮き彫りにしている。本文選(全4巻)は、大西が戦後かかわってきた文学論争、社会問題についての発言の、途上における一応の集大成であり、大西の姿勢の確認をより深く印象づける。ただしこれも大西の読者なら周知の事柄に属するが、彼の言葉の使用の厳格さと意味の厳密さへの執着には恐るべき粘着性があるので、慣れない読者は辟易し、苦痛すら感じるかもしれない。しかし本来人間の思考と言葉の使用とは厳杏さを目指すものである以上、大西のような文学者は、この意味でも一貫していると言えよう。(R)

【出典】 アサート No.234 1997年5月17日

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【投稿】戦後民主主義を問い直す

【投稿】戦後民主主義を問い直す

<常識的論争ができる日本に>
国、地方を問わず、行財政問題とりわけ財政危機が国民的関心を持つようになってきた。今日的問題として、財政問題が国民的関心、心配事となってさた点にこそアクチュアリティーがある。財政危機は、日本のみならず先進国共通の問題である。何ゆえに、先進諸国では財政危機が今日的問題としてのっぴきならない、放置できない問題となってきたのであろうか。
資本主義経済の発展の基礎は「自由」である。「自由」の経済的表現は、「市場経済」。物と物との商取引は、自由なる市場が前提となる。自由なる市場を、その国の歴史性を通じて一定のルールのもとにどれだけ拡大できるかに、資本主義国家の発展は決定づけられてきた。
自由なる市場には、民主主義が対応する。しかし、自由(欲望)に基づくあくなき利益の追求は、弱肉強食と市場の失敗を産み出す。それは、多数の幸福としばしば対立する。それを民主主義は許さない。議会制民主主義を通じて、剥き出しの自由=市場原理に、社会的規制を要求する。その社会的規制の内容は、議会制民主主義–投票の結果に左右される。
それぞれの階層、団体、業界がそれぞれの利権の実現に向け国家に社会的規制を求める。政党は、それぞれの支持層の利権の実現に向け議会闘争に邁進する。議会闘争は、最後は各政党の力関係に応じて調整され、それぞれの利権配分を定め、社会的規制は年々拡大していく。
経済の成長(市場の拡大)を社会的規制が促進している間は、財政問題は発生しない。市場経済と社会的規制の共存的発展が、先進資本主義国の国民の生活の飛躍的向上と、格差是正を実現きせた。とりわけその両方を著しく実現したのが、戦後50年間における日本であったのではないだろうか。
先進資本主義諸国は、どこも市場経済と社会的規制の共存的発展、それを保証する議会制民主主義によって国民生活の向上を産みだしたが、格差是正(平等性)についてはそれぞれの国の歴史性によって多様性を産みだしている。
多様性を持ちつつも、年々拡大する社会的規制が、言いかえれば、それぞれの階層の利権の拡大が国、地方財政の拡大となり、財政危機としてのっぴきならない状況を産みだしてきた。
あくなき自由の追求が「市場の失敗」を産みだし、「市場の失敗」が「社会的規制」を要求し「社会的規制」が、議会制民主主義を通じて「利権の拡大」を誘発する。「あくなき利権の追求」が財政危機を辟在化させている。
今日「行政改革」と「財政改革」、「政治改革」が叫ばれている歴史的背景、今日的到達段階とは何なのかという根本問題にこそ、目を向けなければならない。それぞれの階層の利権に基づく議会制民主主義の発展が、既存の政治、経済制度を飽和状況にいたらしめているのが、今日の日本の状況であり、もうこれ以上既存の利権を吸収し切れなくなっていることの社会的政治的表現として「改革」が叫ばれ、国民生活的表現として「個の自立」「自己責任」が強調されてきていると捉えるべきではないだろうか。
一方人類は今だ自由と議会制民主主義を質的に乗り越える発展形態を産みだしえていない。経済はしだいにボーダーレスとなりつつあるが、それを規制する法、政治形態は国によって千差万別と言える。EUが、なんとか統一ルールを作ろうと模索を続けている段階
にすぎない。
世界の今日的段階を踏まえ、今日の日本の状況をどう見、今の飽和状態をどう切り抜け一歩前進させえるか、またそれを可能にする現実的裏付けをどこに求めるか、ここを探り出すことが今切実に求められている。
いま戦後50年がすぎ、100年単位の大きな曲がり角に日本は立っている。国際的には、「全人類的価値」と「国益」の関係いかんという問題であり、国内的には「公益」と「私益」の関係いかんという問題である。その前提としてとりわけ今、明確にしなければならないのは、「国益」、「公益」とは何かということである。
戦後50年間、日本では国益論、公共論を真正面から議論することを避けてきた。今日の様々な改革論議の根底には、「自己責任」という観点から国家、地方のあり方を議論できる力が戦後50年の営みの中で国民に形成され始めてきているととらえるべさであり、そこに信頼を置いた常識的論議、論争ができる環境作りが大事になってきていると思えてならない。
「常識的」とは、歴史的に形成されたそれぞれの国民の生活の中から自ずとでてくる実感に言葉、表現を与えるということであろう。あらかじめ決めている価値観、イデオロギーのもとにどちらが正しいかという論争や、どこかに主要敵を作りそれが諸悪の根源だとする思考からは、生き生きとした現実的改革は産まれない。諸悪があるとすれば、その諸悪の一端を自らもなんらかの場所や行為で担っているという自覚、またそれを改善する権利が保証されている社会に住んでいるということの自己責任が求められているのである。

「歴史観論争」について
昨年の6月、梅田の旭屋書店で「歴史デイベート大東亜戦争は自衛戦争であったJ(明治図書)というタイトルの本に出会った。太平洋戦争をあえて大東亜戦争と言い換え、それが自衛戦争であったか否かをめぐってデイベートしたことの記録集であった。そのデイベートの結果は侵略戦争派の勝ちとなった訳であるが、私がショックを受けたのは、こんな研究をしている戦後生まれの教員グループが存在していたという事であった。
とくに印象的だったのが、「このデイベートを経験するまでは、大東亜戦争は100%日本の侵略戦争と思っていた。デイベートのために様々な文献にあたり準備しデイベートを経験する中で、今は60%侵略戦争であったと認識が変わった。その変わったこと、変わったプロセスに満足している」と語る自衛戦争派でデイベートに参加した一人の感想であった。
私は、この歴史デイベートで闘われた大東亜戦争の実証的経過について如何に事実を知らないかを思いしらされた。あの戦争に対する自らの歴史的事実認識の欠落の自覚抜さで侵略戦争と決めつけてきた我が身の無知を思い知ったのである。その本に紹介されていた参考文献紹介欄を見てもほとんどが未知の本であった。参考文献を手がかりに大東亜戦争・近現代史を集中的に勉強したい意欲がむくむくとこみあげてくるのを感じた。
同年7月か8月ごろ、同じ旭屋で、いま解放教育を中心に教育改革に取り組んでいる大学の教員をしている友人と出会い、「近現代史教育の改革一善玉・悪玉史観を超えて」(藤岡 信勝著 明治図書)について立ち話をした。「この本での論議は、必ず近い将来大論議になると思う。あなたはもう読んだか。是非評価をどこかに書いてもらいたい」と話しかけた。彼は「まだ読んでいないが、知っている。藤岡信勝は、もともと代々木やで。」という言葉が返ってきた。あまり関心がなさそうに感じた。
これは私の一方的な感じ方であるが、「関心がないようだな。藤岡氏やr自由主義史観研究会」が投げかけている問選提起になぜ知的好奇心が湧かないんだろう。元代々木だろうがいいじゃないか。どうもわれわれの中には「転向=悪」というモノサシがまだ無意識の中に存在するのだろうか。俺は勉強になることが一杯あるけどなあ。以前にもこんな思いしたことがあるなあ。」と思いながら彼とは別れ家路についたものである。
同じ思いとは、こんな事である。1989年の新春の解放同盟支部の旗開さの時同席した解放教育研究者に「最近別冊宝島で「プロ教師の会」の人がいろいろ本をだしている。あの論にたいして解放教育研究者はどんな評価をしているのか。ぜひ評価をどこかに書いて欲しい」と言ったことがある。反応はもう一つであったように記憶している。
私は、解放教育研究者こそが、「自由主義史観研究会」や「プロ教師の会」が投げかけている問題提起に応えてくれたら、実りあるものが生まれるのではないか、とひそかに期待すると同時に、それはどだい無理というものだという思いが交錯する。
それはすぐれて「戦後民主主義」をめぐる評価の問選と関わって、自らのこれまでの思想形成の基盤を突き崩す問題だからである。
私はこれから、「歴史観論争」を一つの契機に、「戦後民主主義」を開い直したいと思っている。本誌No225号の当麻太郎論文「歴史観論争で気になること」を読んで共感したことは、「『史観』のぶつかりあいだけでなく、客観的事実の積み重ねが不可欠」と「新たな自己アイデンティティの空白を埋める作業が必要」というところである。とくに最後のくだりは全く同感、感動した。
「戦後の平和と民主主義を求める勢力は、日の丸や君が代など、国家主義、軍国主義につながる教育や政策に対抗してきた。しかし、一方で日本人の民族や国家に対する帰属心やアイデンティティのよりどころなどの確立については十分に政策を行ってこなかったと思う。『国』や『民族』を強調することは、個人の尊厳を脅かすことにつながり、また異なったものへの排外主義につながるものである。しかし、自己アイデンティティの空白には、新たなナショナリズムや民族主義が入り込む余地がある。自分たちの国家や民族をどのようにとらえていけばいいのか。またどのような「誇り」をもっていけばよいのか。新たな自己アイデンティティや連帯感を創出するためのなんらかの作業が必要ではないか、と気になるのである」
藤岡氏等が問題提起している事と当麻太郎論文の結論は同じ問題意識だと思うのだが、その前提となる事実認識が違うのである。その違いが重要であり、また事実認識に対する常識的論議、論争で高めてゆくべきだと思っている。(つづく)    (織田 功)

【出典】 アサート No.234 1997年5月17日

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【投稿】『第二極』路線に求められているものは何か

【投稿】『第二極』路線に求められているものは何か

<あさましい姿に、深く深く失望>
民主党は、インターネット上にホームページを開設していることはすでに紹介したことがある。そのホームページ上に民主党への率直な意見や批判まで含めてそのほとんどを公開していることは、他の党に比べて好感の持てるものではある。間題は、ありばいとしてあるいはポーズとして、掲載さえしておけばそれでよいといった態度が少しでも感知されれば、それが逆効果になりかねないことであろう。
民主党が、今回の米軍用地特別措置法改悪に賛成した行動に対して、このホームページ上に抗議が殺到し、いまだに失望と怒りの声が同ホームページのフォーラム「民主党に一言!」欄に寄せられつづけていることは見逃せないことである。にもかかわらず当初、特措法賛成方針について党本部への抗議の声がないのかと質問されて、同党の菅代表は「わが事務所も含めて、党本部からも特に開いていない」とこれらの抗議の声を無視したのであるが、ついに4/18にはこれを認めざるを得なくなり、「特措法改正に対する民主党の対応」と逢する釈明文を掲載、「この民主党の決定に対して、皆様からお寄せいただいたご意見のほとんどは、残念ながら否定的なものでした」として、仙谷・同党政調会長の「民主党はなぜ特措法改正に賛成したのか」と、菅代表の「沖縄基地問題の具体的解決を民主党はめざします」とする反論を掲載した。
仙谷氏はその中で、「日米安保条約の適切な運用を確保する道筋を示すことなく、沖縄の米軍基地の削減だけを性急に要求することは、無責任政党との批判を免れません」と述べ、「今回の選択によって、民主党は政権担当能力を有する政党としての姿勢を明確に示すことができたと確信します」と開き直っている。菅氏も冒頭から「立法府が、法的空白を容認するような無責任な態度をとることはできません」として自民党への同調を弁解し、「沖縄の皆さんは単なる同情や反対運動を求めているのではないと、私は思っています。そうではなくて、具体的で実際的な基地問題の解決を望まれているのだと思います。民主党はそのことに、他のどの政党よりも真剣に取り組んでいく覚悟です」と述べている。まさにこうした具体的で実際的な行動が、「建設的野党」の実態が特措法賛成でしかなかったことに対して、その「あさましい姿に、深く深く失望」した多くの怒りと失望の声が寄せられたのである。その一端は別掲の「民主党に一言!」に紹介する通りの非常に厳しい内容である。

<この国にとっての不幸>
自民党の野中幹事長代理が4/11の衆院本会議の演壇から「この法律が沖縄を軍靴で踏みにじる結果にならぬように。私たち、古い苦しい時代を生きてさた人間は、国会の審議が再び大政翼賛会的にならないよう若い皆さんにお願いしたい」と述べたことは前号にも指摘したことであるが、こうした冷静で正当な認識が野党から出てこず、自民党から出てきているという、しかもよってたかって野中氏の発言を議事録から削除までさせるという、大政翼賛会を地で行くような、なんともふがいない、ある意味では危機的な日本の政治状況の進行である。
野中氏は「9割という熱風のような賛成の結果、防衛問題で橋本政権はやはり米国の言いなりなのか、という印象を沖縄県民に与えかねないな、と不安になった」と述べている(4/27朝日インタビュー)。野中氏は「沖縄問題の処理は大変なんだ、という印象を米国に与える「カード」を橋本首相は持つべきだと思っていた」ことから、社民党は当然、それにプラス、少なくとも民主党がこの特措法反対に回ることを期待していたことがありありと伺える。事態はそうならずに、逆に橋本・小沢会談を契機にもっとも危惧される保保連合が現実味を帯び始めたのである。野中氏はこの点についても「今度の特措法でも、小沢さんは早々と米国の意向どおり、海兵隊削減はできないと言った。小沢さんにすれば、先にオレが米国にカードを切った、と言いたいんでしょう。そんな危険な政治家と大連合を組むのは、この国にとって不幸だ」とズバリ核心を突いている。
一方、アメリカの議会では、5/8、米上院外交委員会が、沖縄の在日米軍基地について、「沖縄県民の特別な貢献に感謝する」とうたった上で、なおかつ「沖縄県民は過重な負担をしている」などとする決議案を全会一致で可決している。上院の本会議でも原案通り可決される見通しだが、「過重負担」を明確に認めたことは、米議会内に、沖縄の米軍基地の削減の可能性を追求すべきだとする根強い動さがあることを明確にしたものであろう。海兵隊の削減をも含めて、野中氏の言うカードが切れる状況がアメリカ側には存在しているのである。
しかしこうした野中氏の期待と警告とは逆に、自民党内にも保保連合への動きが表面化してさている。5/2、なんとロンドンで新進党の小沢党首と自民党の森総務会長が隠密裏に会談をし、その根回しに亀井建設相が動いていた、というのである。野中氏は「小沢さんが保保連合ができそうな雰囲気を作ろうとすればするほど、現実にはできなくなる。小沢さんが新進党のトップである限り、それはできません」と断言するが、それは野中氏も期待する強力な野党の存在があってこそである。

<『ゆ党』路線から『第二極』路線への転換>
多くの矛盾をはらみ、拡大させながらも、新進党が保保連合への道を歩み始めた現在、民主党の動向がある意味で大きな鍵を撞っているとも言えよう。民主党内では、新進、太陽両党との「野党共闘」路線、自民党を含む「行革特命政権」路線、社民、さきがけ両党との統一会派結成を通じた「与党内野党」路線など、いずれも立ち消えしたり、軸足が定まらず、先の3月の党大会では「建設的野党」路線を採択したが、「民主党は与党か野党か分からない『ゆ党』だと椰施される始末である。
菅代表はイギリス労働党政権の誕生を見るや、たちまち「英国労働党のプレア路線で行く」と宣言し、「今まで自民、新進の大きな政党に挟まれた『第三極』という発想だったが、最近の保保連合の動きで自民対新進の構図が崩れた。「第二極」になりうるのは民主党だという自覚を持ちたい。政党の枠組みでいえば、保保的なものができて、その一部が抜け落ちたほうが分かりやすい。ウルトラに近い保守とリベラル勢力の二極だ。歓迎はしないが、そう進むなら進んでいい。小沢一郎氏らは新進党を割って一部で自民党と合流しようとしているのではないか」(5/10朝日インタビュー)と述べている。
ところで英労働党のプレア党首の路線は、保守党の予算枠を受け入れ、民営化や規制緩和政策、労働組合の既得権の縮小、NATOの堅持などこれまでの保守党の政策の継承を公約し、「保守党政治を薄めただけ」ともいわれるが、こんなことを見習っていたのでは「第二極」などありえないことである。むしろ注目すべきなのは、プレア党首が、「学級あたりの児童数を減少させる」、国民医療制度(NIIS)を充実させる、国民年金制度を守る、という公共サービス再建を前面に掲げて選挙戦に勝利したことである。三つの優先政策として「教育、教育、教育」と宣言したのであるが、その教育政策の柱の一つは、サッチャー政権以来の保守党の教育予算削減の結果、教員数が減り続け、学級定数が増え続け、教育が荒廃してきたことに対して、学級の児童数の縮小を対置して、教育の復興を掲げたことであった。問われているのはやはり政策の中身であり、保守党、保保連合に対決しうる基本政策の確定だと言えよう。 (生駒 敬)

別掲
=民主党ホームページ「民主党に一言!」欄から=
○「今日(4/8)、ニュースは民主党が沖縄。特措法の改正に賛成を決めたことを伝えました。私は、この決定にどうしようもない悲しみを伝えないではいられません。」
〇「特措法に対する民主党の考え方に失望しています。安保でなければアジアの平和は保てないのでしょうか?特措法はこのままでは法律となってしまいますが、これを後で国民の力によって覆す方法はないのでしょうか?」
〇「特措法に賛成したというではありませんか。もしこのニュースが正しければ、非常に残念です。正しいことは正しく間違ったことは間違っていると誠実に対応すること。今私たちはそれを求めています。
ごまかしや闇での取り引きはごめんです。本当のく民主党)になってほしいものです。菅さん、ぜひ返答をお願いします。」(4/9)
〇「特措法に反対します。メッセージにこれだけ反対の意見が零せられているのに・・国会の改正賛成の勢力は民意を反映していないと思います。条約がそれだけ大事ならば、こうなる前に当然やっておくことはたくさんあったはずです。いつも問題を先送りにして、責任ある政党はどこにもないのでしょうか。消費税も5%になりました。私は直間比率の見直しに賛成ですが、このまま消費税の欠陥も見逃して納得しろというのですか。いつになったらこの国は健全になるのですか。非常にやるせないです。」
〇「特措法の賛成には開いた□が塞がりません。このような基本的な理念に関わる問題を政治的な取り引きに利用する政党とはいったい何なのでしょうか。沖縄を見捨てて政権に擦り寄るというあさましい姿に、深く深く失望いたしました。」
〇「特措法改正で民主党は沖縄の味方と期待していたが、こんなにも簡単に賛成に回るとは夢にも思いませんでした。しかも今国会が動き出したばかりというのに論議も経ないで密室で自民党と協議するとは絶対に許せない。これが野党のとるべき行動か。」
〇「特措法の衆議院通過で日本はアジアの帝王となったのではないか。米国と組んでアジアを支配すると宣言したようなものではないか。・橋本と小沢のねらいは将来全国どこにでも基地の建設ができるようにしたということだから、法の整備もできたし、これからは本土にどんどん基地を移し、公平に安保の犠牲を背負うべきであります。まず岡山県と岩手県にヘリポートと海兵賭を移すことから始めてください。それとも北海道と山口県に移しますか。
真剣に国会での討論を期待します。」
〇「さようなら、民主党。あなた方も、やはり同じでしたね。このフォーラムを見ても分かるように、今まで民主党を応援してきたほとんどの方たちが、このたびの特措法に対する民主党の行動に失望しています。少なくともあなた方は『民主』ではない。裏切られたものの怒りは、大きいですよ。あなた方を支持してきた人たちは、元々自民党に期待はしていなかったのだから、この失望は直接民主党に返りますよ。化けの皮がはがれたからには、早く『民主』の衣を脱いで自民党に擦り寄っていきなさい。
この国に失望しました。結構しつこく周りにいろいろ言われながらも政治に期待してきたのですが本当にあきらめました。もう、選挙には行きません。こ こまで民意を無視されては選挙なんて無駄です。」
〇「特措法に関する民主党の態度は唾棄すべきもの。市民党でもなんでもない。要するに勇気がないだけ。こんな政党は解散して結構です。」
〇「特措法改正問題に対する貴党の対応に失望いたしました。不法状態による混乱を防ぐと言う政府のメンツのために、貴党は仁を捨て去り、沖縄を狙い半ちした立法に賛成なさいました。仁や誠ではなく術による解決に頼ったと言うことです。」
〇「特指法改正案が衆議院を通過しました。とても悲しい気持ちです。日本はいつから民主主義ではなく、政党主義になったのでしょうか。 ・国会議員の皆さんへ何かをお願いするのは、これを最初で最後にしたいと思います。」
〇「貴党の特措法賛成の態度に強く抗議します。国会での発言はいろいろ言い訳をしながら、結局特措法賛成で、沖縄の人たちの怒りの気持ちが分かっていないなと思います。法の名の下で、沖縄の人たちの意志とは関係なく、半永久的に土地が強奪されるというのは、あまりにひどすぎます。安保さえ唱えれば、どんなことでも許されるのでしょうか。」
〇「いくらいいように表現したとしてもあなたがたは特措法でもって沖縄の人々を差別したことには変わりはない。 ・民主党に一票を投じたわたしがなさけない。言い訳はもう必要ない。」
〇「支持者の意見を確実に知っておきながら、どうして賞成したのですか?・・今回このような対応しかできなった民主党に正直失望しました。保保連合がまさに『大政翼賛』的になってしまったのは、あの時民主党が、といわれそうなのが目に見えます。恐ろしいです。議会制民主主義の脅威です。」
〇「民主党は本当に市民が主権者であるための党なのでしょうか?最近の貴党の一連の動きを見ていると、党利党略のみで政界を泳いでいるような気がします。」
〇「前回の選挙では菅直人氏のエイズ問題の取り組みを評価し投票しましたが、今回の方針は単に自民党に擦り寄っただけであり、修正案も否決されるのを見越して表面上取り繕ったように見えます。現在私はこのような政党に投票した自分を深く恥じており ます。」
〇「市民にありもしない希望を抱かせ、あげくの果てに自民党が大喜びする『政策実現』型政党になるのであれば、さっさと自民党もしくは新進党に吸収されてほしいものです。部分的に共鳴できるところがあるからなおさら惑わされるんです。政策実現よりも先に『極悪政策阻止』型政党になってくれることを切に願います。」

【出典】 アサート No.234 1997年5月17日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬 | 【投稿】『第二極』路線に求められているものは何か はコメントを受け付けていません