【書評】近代日本社会の検討–機能・倫理・美をセットとする人工空間(コスモス)

【書評】近代日本社会の検討–機能・倫理・美をセットとする人工空間(コスモス)
    成沢光『現代日本の社会秩序──歴史的起源を求めて』(岩波書店、1997.11.21.発行、2400円)

「これまで一般に明治以降の日本の社会秩序は、政治的に『創られた伝統』を中心に考察されてきた。例えば天皇制や家族制度が、一見前近代的遺産を引きずるように見えながら、その実、維新以後の新たな身分・階級支配の秩序として構成された過程が明らかにされてきた。(略)/しかし、戦後の高度成長期以降、これらの旧制度が着実に衰退したのとは裏腹に、ここで言うコスモスは地域・階級・年齢・性の差異を超えて、なおいっそう強固にますます全面的に日本社会に浸透しつつある。それによって『近代化』という名の過剰が、人間の制御しきれない悪を生み出す構造が現われてきた。コスモスの外部(不潔で混乱した世界)は、ますます差別・侮蔑・恐怖の対象となっている」。
本書は、「近代化」の名の下に形成された日本社会(コスモス)が、著しく速い速度で、かつ「伝統的」社会からの抵抗が弱いままに形成されたことに着目し、これの形成にあたって、軍隊と学校の果たした役割が大きかったこと、「秩序化が目的合理性の範囲をこえる傾向があったこと」(過剰秩序)、そして「日本では過剰秩序のための規律化に従うことが倫理的義務となり、さらにそうして実現される秩序は、美的秩序として意識されるか、あるいは無自覚のうちに浸透した」ことを指摘する。そしてこの結果として、この秩序(コスモス)は、「今日まで生き延びて、それとして意識されることもほとんどない程定着している」とされる。著者によれば、この制度に比べれば「いわゆる国民道徳や家族国家観など天皇制イデオロギーは、この『制度』を補強する役割を果たしたに過ぎない」。
かかるコスモスはいかにして形成されたのか。著者はこれを、「時間・空間・身体・人間関係」という軸から考察(第一部「近代的社会秩序の形成」)し、さらにはその起源を、武家社会、近世都市社会および禅宗寺院との関連で探ろうとする(第二部「起源」)。
このうち「時間」の軸からは、明治維新以降の社会秩序の骨組みとして、「時間の秩序」(太陽暦への切り替えによる人工的時間を日常倫理として啓蒙すること)、「時間割による行動規律」(定時に集団での一斉行動の組織──軍隊、官庁、学校など)、「速度にかかわる」時間秩序(成員の任務や行動が「速ヤカニ」「遅滞ナク」遂行されること)、さらには「全国統一祝祭日の新設」(「聖別された国家の時間即ち天皇の時間」の創設)等による人工的単一時間の秩序の形成過程が考察される。
また本書の中心の一つをなす空間秩序に関しては、次のような秩序がなされたとする。すなわち「整理」「整頓」そして「清潔」という言葉に表わされているような「空間の人工的秩序化が身体の秩序と連動するものとして新たに認識された」ことが、大きな変化とされる。しかもこの場合、「自然の秩序が身体の秩序をも貫くのではない。人為的に構成された空間の中においてのみ、身体の秩序は維持されるという論理が誕生したこと」が重要なのである。このことから明治以降、「汚穢、悪臭等『混沌』『混乱』の要素をできる限り中心から排除することが、空間の政治学となり美学となる」。端的に言えば、「見た目にキレイで、水のヨゴレ、空気のヨゴレを衛生的に処理した世俗空間を拡大することが、近代的秩序の論理となる」。このため中心から排除されたヨゴレは、周辺に移動することになったが、これを外部に隔離し管理することで内部・中心への侵入を防ぐことが国家の政策とされた。かくしてハンセン病患者や精神病者の隔離が進められていく。
このような空間秩序は、さらに「開放性と閉鎖性の二重構造」(開放され広がった世界の中での島的存在──軍隊の内務班、寄宿制学校、監獄等の拡大)をその特徴とし、「明るい空間」(これは「清潔」の色である白に通じる)、「空間の人工化」(すき間、路地、空地、野原等の縮小)を招くこととなった。
次に身体の秩序が問題になる。これは、「身体の規律化」(軍全体を機械として動かすための個々の身体の部品化と、健康への強制をその内容とする)としてあらわれる。そしてこの際には、「力によって精神を覚醒させ、純化強化できるとする観念の働きも見てとれる」──これが体罰につながることは明らかであろう──とされる。
人間関係の秩序では、上下関係の秩序における「下位者の全人格的『服従』が常に強調され」、「命令内容の不言実行も『服従』の基本とされた」こと、および「何らかの自発性を喚起するために、内面倫理が強調された」ことが指摘される。
かくして著者は、近代日本の社会秩序について、「時間・空間と身体の中に刻みこまれた規律こそ秩序を支えていた」、そして秩序に従うことが生理的快感、美意識のレベルでの満足をもたらしたことから、「〈秩序への衝動〉〈秩序へ向かう美的感性〉こそ体制の固い地盤となっていた」と指摘する。この結果として、美的なものが倫理よりも高く評価され(=礼儀とその形式が道徳よりも上にくる)、秩序の過剰性が現出せざるを得ない」とされる。これは、「異物、ヨゴレ、臭い、暗がり、ゆっくりしたもの、不揃いなもの、総じて秩序自身の副産物(あるいは排除したもの)に対する不寛容の度が、ほとんど無意識のうちに昂進する」と同義である。そしてわれわれは、この延長上に現代をとらえることができるであろう。
以上本書の「第一部」を中心に紹介したが、このコスモスは、今なお現代を取り巻いている過剰な秩序感覚そのものである(形・色の揃った洗浄野菜の販売、学校での一糸乱れぬ集団行動の強制等々)。著者は、その起源をさらに探究するが、ただしこちらの記述はかなり読みづらい。しかし本書は、小著ながら、日本社会論で見落とされがちであったポイントを衝く書である。(R)

【出典】 アサート No.242 1998年1月24日

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【映画紹介】「女盗賊プーラン」

【映画紹介】「女盗賊プーラン」

1980年代初頭、インド北部を中心とした地域を群盗を引き連れ、荒らしまわり、ヒンドゥー教における復讐と破壊の女神・ドゥルガの生まれ変わりと人々から畏れられ、また当時の首相インディラ・ガンジーをして「最凶悪犯」と言わしめた義賊の女首領プーラン・デヴィ。この女性、プーランの獄中取材記[INDIA’S BANDIT QUEEN]をもとに、1994年に製作され、インドをはじめ世界各国で上映、「話題を独占した注目作」である。(大阪は、シネ・ヌーヴォにて上映中、1/23まで)
インド北部の小さな村で低層カーストの娘として生まれたプーランは、11歳で中年男のもとに嫁がされる。重労働と、そして何より性行為を強制するその男に耐え切れず、婚家を飛び出すプーラン。しかし低層カーストの出戻り女を待っていたものは、村八分、レイプ、盗みの濡れ衣といったありとあらゆる虐待であった。
繰り返し繰り返し加えられる暴力。おかしいことはおかしいと言い、不正に怒り、気丈さを持ち続けるプーランが目障りだった村の有力者は、彼女を盗賊団に誘拐させる。彼らとともに暮らすうちに、同じカーストの首領ヴィクラムと愛し合うようになったプーランは、彼に盗賊としての手ほどきを受け、ついに盗賊の女王と謳われるようになる。
しかし盗賊の間にまで根を張った差別の現実、上層カーストの盗賊の卑劣な裏切りにより最愛の人ヴィクラムは虐殺され、彼女自身もその盗賊の勢力下にあるビーマイ村に拉致され、集団レイプされる。底知れぬ悲しみと煮え滾る怒りに突き動かされるように、自らの盗賊を率いて、貧しき人々に味方する義賊として立ち上がるプーラン。1983年、政府と警察との司法取引に応じて投降するが、彼女の姿を見ようと多くの人々が各地から駆けつけてくる。ライフル銃をうやうやしく差し出すプーラン・デヴィに人々から喝采とともに声が上がる。”プーラン・デヴィ万歳!”心が熱くなる場面だ。
目の前でわが娘がレイプされていても、救うことはおろか、抗議の言葉すらはさめず、”タークル階層”に頭を下げることしかできない父親。唯一母親だけが持ち前の気丈さで守ろうとしてくれるが、ヒンドゥ社会では「犬以下」の扱いを受ける女の身では、限りがあった。
今からたった14~15年前の出来事とは思えないほど、悲惨で残忍なシーンが目に焼き付いた。低カーストの女に生まれついたばかりに、次々と襲ってくる不幸。しかしプーランは自らの力で「人間」を取り戻していく。私は、そのプーランのすごさに心を強く動かされ、闘いに明け暮れる彼女の半生をつづった自伝『女盗賊プーラン』(草思社、1997年)を一気に読んだ。この作品は、日本で65万部を超えるベストセラーとなったので、ご存知の方も多いだろうと思う。
出所後、インド社会党から出馬を要請され、国会議員となったプーランは、今、「ビーマイ事件」を始め57件の容疑によって、最高裁から身柄拘束状が出され、弁護士を通じて現在も抗戦中であると聞く。晴れて「自由」の身になれることを、心から祈りたい。
(大阪 田中 雅恵)

【出典】 アサート No.242 1998年1月24日

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【労働関係レポート】 最近の労働法制規制緩和の動き 

【労働関係レポート】 最近の労働法制規制緩和の動き   -今、労基法が危ない-

最近の様々な規制緩和の流れの中で、労働関係の法制度についても見直しが、進められてきている。しかし、その見直し内容は「規制緩和」という名の下に、労働者の保護制度を緩めるというもので、より使用者にとって弾力的に労働力を活用しようとするものである。当然、そのことは労働者にとって、雇用の不安定性や厳しい労働条件を強いることになることは、言うまでもない。
それでは具体的に労働基準法を中心に、問題になっている事項について説明したい。

[女子保護規定の見直し]
男女雇用機会均等法において、募集・採用・配置・昇進・教育訓練に対する均等な取り扱いが義務化されたこと等により、労働基準法も女子の時間外・休日労働・深夜勤務を規制した労働基準法の女子保護規定も撤廃されることになった。(1999年4月施行)
これは、男女雇用機会均等法の改正に伴って、経営側が女子保護規定も撤廃することを強く要請したことによるものだが、その結果、現在の男性の過酷な長時間労働を女性にも強いられることになった。これに対する連合をはじめとする労働側は、男女共通の上限規制の設定と、その法制化を求めている。現在は、労働省が36協定締結の際の「適正化の目安指針」を設けているだけで、法的拘束力もなく、事実上、野放しになっている状態である。現実に中小企業を中心に長時間残業を強いて、なおかつ時間外手当も未払いということが横行する中で、女子保護規定の撤廃は、より一層、労働者間の雇用・労働の競争が
煽られることになろう。

[変形労働時間制の見直し]
変形労働時間制とは、一年間の所定内労働時間(約2,080時間)の範囲内であれば、「1日8時間・週40時間」を弾力的に運用できる制度で、具体的な制限は、1日9時間・週48時間(変形期間が3か月以内のときは1日10時間・週52時間)以内の範囲であれば、その弾力運用が認められている。
見直し案は、この制限を更に弾力的にし、1日10時間、週52時間まで認めようとするもので、当然、その範囲内であれば、時間外手当を支給する必要はない。すなはち使用者にとってみれば、繁忙期・閑散期に合わせて、より弾力的かつ安上がりに労働力を活用できるようになるもので、労働者にとってみれば、不安定な賃金・労働条件を強いられることになる。

[裁量労働制の対象範囲の拡大]
裁量労働制については、1日に何時間働いても所定内時間(8時間)働いたものとするもので、見なし労働とも呼ばれている。現行は、研究開発部門等の11業種に限られているが、更に事務系労働者(ホワイトカラー)にも適用拡大することが検討されている。この事務系労働者では、「本社及び他の事業場の本社に類する部門における企画、立案、調査及び分析の業務」と限定することとしているが、これとて拡大解釈される恐れもあり、何よりも、こうした部門を中心にサービス残業が横行している中で、これを合法化するものと言わざるを得ない。また、これが認められれば、公務労働にも波及することが十分、予想され、数多くの労働者の賃金・労働条件の切り下げにつながる。

[有期労働契約期間上限の一部職種延長]
予め、期限を設けて労働契約を締結する場合は、現行では1年を限度とすることが原則的に定められているが、今回の検討案では、「新技術・新商品の研究・開発労働者」については、3年まで延長することとなっている。これは、最近の目まぐるしく進展する技術革新の中で、これに対応する技術者の確保のためには、終身的に雇用することよりは、能力の発揮が期待される若年労働者を一定水準、確保することが望ましいことから、取られる措置だといえる。すなはち若年労働者の使い捨てにつながるもので、中・長期的に見れば、雇用不安を増大させることにもなる。

[民間有料職業紹介事業の職種範囲原則自由化]
民間における有料紹介事業については、従来、調理師・看護婦・美容師など(29職種)の技能労働者に限って認められていたのが、本年4月より原則、自由化された。(職業安定法施行規則)特に事務系労働者分野(ホワイトカラー)については、全面的に自由化された。
そもそも民間有料職業紹介事業に規制があったのは、民間職業紹介の際に、実態とは異なった求人条件なり、紹介事業者が手数料を徴収することにより、労働者に不利益、あるいは相当の負担を負わすことを防ぐためにあったもので、いわば不公正雇用を防止するためであった。しかし求人情報誌の氾濫にも見られるように、現実の職業紹介の状況は、職業安定所を通じた職業紹介のウエイトは少なくなっており、「原則自由化」は、この現実を追認し、民間職業紹介事業の営利範囲を広げることでより、円滑な雇用の流動化を図ろうとするものである。
しかし、それでは不公正雇用に対する防止策はどうなのかと言えば、「有料職業紹介事業の運営に関するガイドライン」の策定等、一定、監督・指導の措置が取られているものの、どれほどの効果が期待されるかについては不安がある。とりわけ現状における不公正雇用に関る苦情や個別紛争は、依然として頻発しており、これに対する行政対応も極めて不十分と言わざるを得ない。「原則自由化」の是非についての論議の中で、不公正雇用に対する不安の意見に対して、「そもそも、現状の行政監督指導も十分、機能していないではないか」という意見もあった。確かに労基署や職業安定所における行政上の怠慢も一定、否めないが、しかし同時に不十分な態勢と権限にあったことも事実である。「原則自由化」された今日において、具体的な不公正雇用の事実を突きつける中で、労働者が安心して職業紹介を受けられる紹介業者や求人側への監督指導方策と不公正雇用に対する罰則の強化等が求められる。

[人材派遣対象業務、原則自由化]
現行の人材派遣の対象業務は、事務用機器操作等の専門職務26業務に限られているが、これを原則自由化しようとすることが検討されている。新たな派遣業務については、1年間の限定期間を設けることも検討されているが(現行1年間で2回延長)、全体として派遣職種を広げることによって、より企業にとって使いやすい労働力の提供・賃金コストの削減につながるものである。特に事務系労働者(ホワイトカラー)や営業などに幅広く派遣が認められると、現に雇用されている労働者への雇用不安が増すばかりではなく、現実に派遣を巡るトラブル・個別紛争がより一層、増大することが予想される。現実においても派遣業務内容が当初、示されていた内容と異なったり、また指揮命令や勤務時間等の労働条件が不明確で、派遣先・派遣元との関係で、派遣労働者に問題がしわ寄せされる等のトラブルは多発しており、これに対する防止措置を具体的に講じないまま、派遣職種範囲を拡大することは、民間有料職業紹介事業の職種範囲の原則自由化と相まって、より労働者を人身売買的に扱われる状況が生み出されることになるといっても過言ではない。

[労働法制規制緩和に対する労働側の対応]
これまでの労働法制規制緩和に対する労働側の対応について、既に改定された労働者派遣事業法や職業安定分野等においては、連合は積極的な反対はせず一定、容認してきた。しかし労基法を中心とした今日における労働法制規制緩和に対しては、連合・全労連とも反対の立場を明確にしている。
戦後最大といわれる失業率の増大に加え、労働組合組織率の低下等、労働運動全般が後退局面にある今日、個別における労使の力関係は、より労働側に不利になっていると言わざるを得ない。その意味で、個別の労働者を守るのは、労働関係の法制度が全てといっても極論ではなく、労働法制の規制緩和は、より労働者に無秩序で過酷な競争に投げ出されることになる。そもそも今日における労働者保護の諸制度は、まさにこれまでの労働運動の成果それ自体といえ、企業の様々な経済活動に対する規制緩和と同列視することは許されない。
連合が結成されて約8年が経過するが、連合が掲げた「力と政策」が今、自らの労働政策で、その力を発揮しなければならないときだといえよう。
(民守 正義)

【出典】 アサート No.242 1998年1月24日

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【投稿】日本発の金融・経済恐慌の可能性

【投稿】日本発の金融・経済恐慌の可能性

<<首相演説、株安に拍車>>
1/12、通常国会開会冒頭、橋本首相は異例の金融経済演説を行い、「日本発の金融恐慌、経済恐慌は決して起こさない」と強い決意を表明、「金融システムを断固として守る」などと力説した。だが市場の反応は冷たく、「政策の新味がない」、「空虚な演説」だとして、その日の東京証券取引所の平均株価は330円安の1万4664円に急落、95/7以来、2年半ぶりの安値を記録し、首相の演説がかえって株安に拍車をかけたことを立証してしまった。年末12/17に突如意表をついて発表した2兆円減税の効果は二日ぐらいは持ちこたえたが、今回はその日の内に後手後手の弥縫策がたちまち見破られてしまったといえよう。
兜町では、「バブルのピークから最近まで、株価は橋本首相が一人で下げた」とまでこき下ろされていると言う。バブルピーク時、89/12/29の平均株価は3万8915円、この時、橋本氏は海部政権の蔵相、大手証券会社の損失補填スキャンダルが発覚、株価はそれ以後一貫して下がり続け、91/11/5退任時の株価が2万4950円、1万4000円も落ち込ませた。その後、連立政権を経て、橋本氏が政権を担うようになってから、一旦は2万円台を回復していた株価をさらに1万4000円台にまで落ち込ませた訳である。橋本氏が蔵相、首相の地位にある間に実に2万5000円ほども下落させてしまった疫病神、「信用崩壊」の象徴であり、「政権を換えることが信頼回復の第一歩」とまで言われる事態に突入しているわけである。
<<対照的なクリントン大統領>>
一方、クリントン米大統領はセックススキャンダルやらホワイトウォーター疑惑など個人的には深刻な問題を抱えてはいるが、経済政策に関しては表面上は順風満帆である。98年冒頭、1/5、同大統領は、破顔一笑、98年度予算では、その赤字額が220億ドルにまで縮小し、99会計年度予算では連邦政府の年間財政が黒字に転換することを正式に発表したのである。当初は、年間財政の赤字解消は2002年に達成される予定であったが、税収が予測をはるかに上回ったために、赤字削減速度が急上昇し、予定を3年も早めることが可能となってきた。99年度予算を待たずして、98年度ですでに赤字が解消される可能性も高まっている。最高時には2900億$もあった財政赤字であるが、好況持続によって税収見積りを大幅に超過する事態となり、橋本首相とは対照的な立場に立てたわけである。
しかし、今日の世界的な通貨・金融不安の震源地は、実は米国自身にあることを忘れてはならないであろう。それは減少するどころか、増え続けている米国の経常収支赤字とその結果としての膨大な対外債務にこそある。80年代に入って累増した経常収支赤字は96年でも1480億$を超え、その累積である対外純債務は95年末時点で8300億$、GDP比率は11%にまでなっている。この対外債務は日本を最大債権国とする米国以外の国の民間資本と公的資本によって賄われているのである。赤字国債以外の何物でもない米財務省証券のほぼ3分の1が外国によって保有され、米国経済を米国以外の国が処分・換金することもままならずにとにもかくにも支えているのが実態なのである。こんなことがいつまでも続く保証はないし、橋本首相自身が資金引き上げの誘惑に言及し、中国を含めたそうした発言の度にニューヨーク株式市場は大きく動揺し、おびえてきたことは、周知の通りである。

<<国防長官のアジア歴訪>>
それは、クリントンのはしゃぎぶりとは逆に、グリーンスパン米連邦準備制度議長が、米経済についてインフレ傾向はみられないが、むしろ物価の値下がり傾向から、デフレの危険性を指摘、株価や不動産の暴落が金融組織の崩壊につながる可能性とその深刻さを強調し、1929年の株式市場の崩壊、それに引き続いた30年代の「大恐慌」がこの現象の好例であると警告を発する事態なのである。(1/5付けウォールストリートジャーナル)
事実、アジア諸国の通貨の対ドル価値が軒並み大暴落したことから、同地域の購買力は大幅に低下し、米国の対アジア輸出が激減し、反対にアジア製品価格の低下によって輸入が激増、貿易赤字が膨らむという悪循環が今年からよりいっそう表面化することは間違いないことである。すでに、その影響を直接的に受けているのが米国の製造業部門と輸出業者である。
米国はこれまでアジアの危機は各国の政策や構造に原因があると主張し続け、ルービン財務長官も「強いドルは国益」と繰り返してきたのであるが、アジア経済危機が米国経済成長の足を引っ張りかねない事態を目前にして、クリントン政権は、政府高官を東南アジア各国に派遣し、米国とIMFが通貨を保証するため自国通貨を米ドルに換金しないよう呼びかけざるをえなくなっている。
タイをはじめ韓国やマレーシアでは軍備近代化を凍結する見込みで、米軍事産業にとっては大打撃、さらに韓国では米軍の駐留費用負担が困難になり、米国が負担するか、米本土に呼び戻すかの選択を迫られている。コーエン国防長官自らが出張し、アジア通貨危機救済への取り組みを広報、1/20には東京へも訪問、米軍事外交の焦燥感を露骨に示さざるを得ない事態である。

<<救済策発表後に危機が進行>>
問題のアジア金融危機は、昨年末以来の巨額の救済融資やIMFの救済政策の決定、実行にもかかわらず、さらに悪化、むしろ救済策発表後に通貨危機が進行するという皮肉な結果を進行させている。
インドネシア・ルピアは1/8、1日で15%も下落、1月初めからの下げ幅は40%を超えている。IMFの庶民に犠牲を強いる救済条件に反発して、生活防衛のため、食料品などの買いだめ騒動、大衆暴動にまで発展する事態を招来しているのである。翌日、1/9のニューヨーク株式市場はこの危機の進展に連動、前日比222.20ドル安、市場4番目の下げ幅を記録している。
これまでなんとか余波を食い止めてきた香港、中国までも金融不安が徐々に表面化し始めており、香港では、香港ドル売り圧力が強く、株や不動産価格が下げどまらず、中国の国有企業は香港市場から資金調達が出来ず、頼みの輸出も、大幅な通貨切り下げの東南アジアに押され、米財務省証券の売却や、泥沼の切り下げ競争に巻き込まれてでも、人民元切り下げもやむなしといった論調が出てきている。
米国でも、国際金融支援もIMFの緊急融資条件が厳しすぎて、各国のデフレを深刻化させるだけだと言う批判が飛び出してきており、1/6付けニューヨーク・タイムズ紙は「しかし、政府は以外と早く経済難にまた直面することになるかもしれない。
あれほど急激に発展を遂げていたアジア諸国が現在のような危機に苦しんでいることは、我々への警告でもある」と指摘している。

<<アメリカの狙い>>
1/5付けワシントン・ポスト紙は、「90年に日本の不景気が始まって以来、世界第2位の経済大国は未だにその低調に苦しむ」「日本経済はほとんど成長しておらず、株式市場も不動産市場も冷却しきっている」「銀行は不良債権で負債に埋もれ、消費者の自信はなくなり、企業の破産は歴史的な規模となっている」「さらに日本の失業率は第二次世界大戦以来最高水準にまで高まっている」「現行制度の頂点に居座る官僚と族議員らは、現行制度を少しいじるだけで戦後最大級の経済危機を乗り切れると信じ込んでいる」「日本の政策指導者達は実質的な改革を実行するだけの能力もその意思も示していない」と、一種の米国の共通認識を示している。確かに事実であろう。
1/9、米財務省のサマーズ副長官は日本経済の現状について「国際的な信認を得るには不十分であり、アジア経済の混乱の大きな原因となっている」とまで指摘している。米国自身の責任を不問にすればこれも事実であろう。
何が問題なのであろうか。日本の企業業績をみると、この景気低迷下にあっても、97年度まで6年連続の増収増益である。しかしその実態をよく見ると、日本経済は現在明らかに、2極分化しつつあるともいえよう。巨大独占体を中心とした製造業は国際競争力が強く、貿易黒字の拡大が続き、3期連続の増収増益を確保している。その一方で、非製造業、特に金融、不動産、建設はバブル期のぼろ儲けから一転して不良資産を抱えて、業績が低迷、不良債権処理の遅れがよりいっそうの不良債権の拡大と危機をもたらすという悪循環に陥っている。
新日鉄の斉藤社長は「かつて1日で3億円の赤字だったが、現在は1日に3億円の黒字となっている」と語っているが、一方金融業界の昨年9月末の不良債権は21兆7300億円であったが、このほど発表された大蔵・日銀認定の問題含み債権は79兆円にも達している。
アメリカの狙いは明らかにこの非製造業、とりわけ金融業において、ビッグバンと早期是正措置の圧力をかけ、総額1200兆円にも達する日本の預貯金を外資系に逃避させ、アメリカ資本による金融市場の支配力を一挙に拡大しようというものであろう。

<<「TOO LITTLE , TOO LATE」>>
問題はこうした事態の急進展にあってもなお、たしかに「日本の政策指導者達は実質的な改革を実行するだけの能力もその意思も示していない」ことにあるといえよう。橋本内閣のあまりにもみみっちく、あまりにも遅きに失した=「TOO LITTLE , TOOLATE」と言われる経済政策の失敗がその象徴である。9兆円を超える負担増によって経済不況を招いた以上は、それらを取り消すか、9兆円を超える減税が実施されない限りは消費は回復しないことは当然であろう。
一方、野党にとってこれほどの自民党政権打倒、政権交代の好機はないにもかかわらず、ところがこれまた情けないかな、分裂・再統一の茶番劇、現実離れした空虚で無内容なスローガンを繰り返すだけである。逆に野党から自民党への移籍が増え、ついに自民党は衆院では単独過半数を回復、参院でも過半数に迫りつつある。これによって政官財の既得権益と族議員ばっこの自民党単独政権の構図が完全に復活し、その結果、「TOO LITTLE , TOO LATE」な政策しか提起できず、結局現在の経済危機を招き、ひいてはそれが「日本発の金融・経済恐慌」に発展しかねないともいえよう。
民主党をはじめとした6会派からなる「民友連」は、減税については6兆円の恒久減税が必要だと主張しているが、せめてこの主張ぐらいは終始一貫譲ることなく最後まで貫徹しなければ、政治不信は一層増大し、誰からも相手にされなくなるであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.242 1998年1月24日

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【書評】『大杉榮–自由への疾走』

【書評】『大杉榮–自由への疾走』
         (鎌田慧、岩波書店、1997.10.20発行、2,600円)

「春三月 縊(くび)り残され 花に舞ふ」
これは、「大逆事件」(1910年)によって幸徳秋水らが逮捕され、翌年死刑を執行された後の集まりで、大杉栄(1885~1923)が詠んだ句である。著者はこの句について、「ここにあらわれているのは、首を撫でおろしてホッとしている感慨ではない。むしろ、残された時間をさらに闘争にあて、豪華絢爛に散ろうとする決意のように詠める」と書く。本書は、戦前におけるアナキズムの指導者大杉栄を現代の眼線で捉え直そうとする試みである。著者鎌田慧は著名なジャーナリストであるが、その意図するところは次のところにある。
「思想を喪失してひとは現実に拝跪し、妥協と保身にもぐりこんでつぎの時代を思い描けないいま、未来への前進に命を賭けた者たちの記憶を蘇らせたい。/大逆事件から続き関東大震災まで、1910年から23年までの13年間を、『縊り残され』ていた大杉栄を主人公にして書いたのは、ここに登場する人たちがけっして言い訳をすることなく、ひたすら自分の信念にしたがって生きていたことを再現したかったからである」。
本書は、「第1章 予感」から「第9章 欺罔(ぎもう)」まで、大杉の軌跡を辿るが、そこには「自由を、夢を求め続けた」大杉と、これに覆いかぶさって抑圧し、遂には虐殺にまでいたらしめた国家権力、就中軍隊組織の異常ともいえる醜さ卑怯さが鋭い対照をなしている。
その矛盾は、すでに大杉の陸軍幼年学校入学時にあらわれる。
「陸軍幼年学校にはいって、元帥を目指したはずの大杉栄が、ここでもっとも徹底した・反軍思想・を叩きこまれることになるのは、皮肉である。(略)すでに彼の自由な精神は、没論理的な強制に反発を感じるようになったいた。そもそも十三、四歳の少年を『幼年』と呼ぶ軍隊の退嬰的な精神からして異常である。反抗期の少年を閉じこめ、『軍人精神の涵養(かんよう)』と『軍人の予備教育』を注入し、純粋培養した結果が、凶暴にしてきわめて唯我独尊的な帝国陸軍を形成した、ともいえる」。
かくして大杉は成長するにつれて、アナキストとしての道を歩みはじめるのであるが、その生涯において最も大きな影響を与えたのが「大逆事件」であった。「大逆事件」での「友人等の死刑後のその首に残った、紫色の広い帯のあとについての印象。(略)その他数え立てればほとんど限りのない、いろいろな深い印象、というより印刻が、死という問題についての僕の哲学を造りあげた」と大杉は記す。
これについて著者は「のちの大杉のキーワードは、『生の拡充』であり、『精神の爆発』であり、『自由への飛躍』だった。獄中にいてなお、屈服を拒否して昂然としていのは、壁のむこうに自由を感じていたのではなく、闘争そのもののなかに、自由を視ていたからだった」と評価する。
以下著者の大杉評価は、当時の労働運動への評価──それは現在の労働運動への評価にもつながる──との関係で、好意と教訓に満ちたものとなる。例をあげよう。
「大杉の文体がいまなお新鮮なのは、革命の『主体』の問いかけが明確なためであり、運動による『精神的諸才能』への信頼が揺るぎないからである。ロシアの革命が、初期の段階において、『精神的諸才能』と深くかかわっている芸術運動の抑圧(芸術家の粛清)に手を染めたのをみれば、大杉の先見性を理解できる」。
「大杉の主張の背景には、人間が人間にする支配への憤懣がある。彼がもとめていたのは、人間の尊厳そのものである。労働者の『疎外』からの解放、そのための労働運動である。労働運動はけっして、賃上げや労働時間の短縮など労働条件の改善だけに閉じ込められるものではない、との強烈なアジテーションである」。
「いまの日本の労働運動は、政治闘争ばかりか、経済闘争さえろくに実施できていない。経営者が唱導する企業間競争にまきこまれ、利潤拡大に協力してそのごく一部を分け前としてもらう運動となり、はてしなく企業への従属を深めてきた。これにたいして、大杉は、『冬の時代』を脱しようとしている新たな労働運動の昂揚期に、労働者が主人公となるための精神的解放と自主自治能力の獲得を最大の課題にしていたのだった」。
このような指摘と評価は、大杉の時代と現代との相違を差し引いたとしても、今なお通用する側面を含んでいるといえよう。
さてこの大杉が、密かに上海に脱出してコミンテルンの「極東社会主義者会議」に出席したこと(1920年)は知られているが、その後1920年に、翌年ベルリンで開かれる「国際無政府主義大会」に出席のため、パリに渡って以降の経過(結局これが大杉の虐殺にいたる序曲となるのであるが)については、本書ではじめて詳細に明らかにされている。
そして最後に大杉(38歳)、妻の伊藤野枝(28歳)、甥の橘宗一(6歳)の三人が、甘粕正彦など陸軍憲兵隊によってなぶり殺された事件について、著者は、三宅雪嶺の非難を引用する。
「法律によらずして職権をもって殺害するなど驚くべき行為とせねばならぬ。何も知らぬ子どもまで絞殺するに至っては何とも云いようがない」。
「甘粕の行為も悪いが他により多く悪いのはないか。その何(ど)の程度まで明白にさらるるかで、文化の如何を推量することができる」。
そして著者は、「が、結局、軍部はなにも明らかにしなかった。それが日本の文化の程度でもあった」と締めくくる。
この事件について著者は、軍法会議での甘粕以下の被告たちの供述を仔細に検討して、「甘粕の犯罪とは、軍部総ぐるみの犯罪を、あとの栄達と引き換えに、身体を張って隠蔽したことにある。軍部にとって、ヤクザの身代わり(替え玉)出頭と同じ処置だった」との結論に達する。そして命令系統に関する証言の矛盾から、さらに突っ込んで、「しかし、彼らは、実行を命令されていなかったばかりか、実行さえしていなかった。『被告』になることだけを命令されていた、実行はほかの者に命令されていた、と考えることもできる」とする。「複数の人間が、寄ってたかって殴る蹴るの暴行を加えて致命傷を与え、最後に首を絞めた。首にロープを巻きつけたあと、古井戸に放りこんだ。この野蛮を部下になすりつけて、陸軍上層部はなに食わぬ顔をしていた。甘粕は『愛国主義者』とおだてられ、うまく利用されたのである。/『甘粕事件』の筋書を誰が描いたか、いまなお不明である。彼に因果をふくめた『上官』たちもまた、それぞれに栄達の道を歩み、挫折した。当然である」という著者の言葉には、軍隊組織の非人間性に対する心の奥底からの怒りがにじみ出ている。
このように本書は、大杉栄を主人公としながらも、その対極に日本の軍隊組織を配置してきわめて鋭い社会批判を行い、そしてその矛先は、現代の日本社会にまで向けられている。大杉栄の評価には、なおその理論の問題、運動組織の問題、運動のモラルの問題等の諸問題が山積しているが、その考察に本書が大きな一助となるであろうことは疑いないようである。(R)

【出典】 アサート No.241 1997年12月20日

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【投稿】「南京1937ーDON’TCRY,NANKINGー」を観て

【投稿】「南京1937ーDON’TCRY,NANKINGー」を観て

1937年12月13日、中国への全面的な侵略戦争をすすめていた日本軍は、当時の中国の首都・南京を占領、そのさい組織的な大虐殺をひきおこし、世界に衝撃をあたえた。南京事件から60年目の今年12月6日、大阪ドーンセンターにて、映画「南京1937」を観た。開演時間ぎりぎりに7階ホールに走りこんだ時には、会場は超満員で、私たちは通路にすわる羽目になった。
「1937年7月、北京郊外の蘆溝橋で数発の銃声が響いた。日本軍に対する中国軍の実弾射撃と判断した日本軍は、中国軍への攻撃を一斉に開始した。この蘆溝橋事件に端を発し、日中は全面戦争に突入する。
1937年8月、上海での海軍陸戦隊と中国軍との交戦以降、日本軍の中国本土への侵略は激しさを増していった。中支那派遣軍と11月に抗州湾に上陸した第10軍は、中国軍を追撃して首都南京に迫った。12月10日、日本軍は南京への総攻撃を開始した。日本軍の猛烈な爆撃と大量の重火器の投入により、中国軍は総崩れとなり、12月13日南京は陥落する。この時、南京城内には難民区に避難した25万人以上の住民と、敗走兵、難民らが流れ込んでいた。また、南京郊外にも20万人前後の住民が避難していた。
日本軍は、上海攻略以降、中国軍の猛烈な抵抗にあった。南京占領後、日本軍は、捕虜、一般住民、婦女子に残虐行為を尽くし、草鞋峡での5万7千人に及ぶ殺害のほか、中国側によれば、30万人にものぼる中国人を虐殺したといわれている。(日本側の研究では、十数万人から約20万人と推定されている)これが、『南京大虐殺』と呼ばれるものである。
『南京1937』はこの事件を背景に、上海から南京へ避難する中国人医師と日本人妻の一家を中心に、三つの家族を通して、戦争の残虐さや、人間の狂気が渦巻く中で庶民がいかに生き、民族を越えて人がいかに人を愛したかを描いている。」(映画パンフレットの解説より)
石子順さん(映画評論家)が書いているように、「つらい映画である。しかし、見つめなくてはならない映画である。」私は、このような映画を観ると、年をとったせいもあり、若い時以上に胸がしめつけられ、後頭部がガンガンして本当に苦しくなる。でも、「かつての日本の戦争が侵略戦争であったと認めないで、『自衛』の戦争だったとか、『アジア解放』の戦争などと合理化したり美化したりする勢力が日本国内にまだたくさん存在している」現実がある限り、日本兵の目をおおうような残虐行為ー大量銃殺シーンや子ども・老人・女性に対する殺りく、暴行の数々を正視しておかなければならない。
先月末に新著「南京事件」(岩波新書)を出した笠原十九司宇都宮大学教授(中国近現代史)は、「11月末にアメリカのプリンストン大学の『南京事件国際会議』に参加して、南京事件を原爆やナチス、ボスニアなどの人類の犯したホロコーストの一つとして共通にとらえ、人類の共存にむけて歴史の教訓を得ようという意識を強く感じた。南京事件のことを教えるのが自虐的だなどというのは歴史の進歩に背をむけた狭い見方であり、21世紀に向けて人類のモラル・アイデンテイテイー(道義的自己主体性)を形成しようという世界史の流れに逆行するものだ。」と語っている。
そして、この映画の呉子牛(ウー・ツウニユウ)監督は、「ニーハオ 日本の皆様」と題する手紙の中で、こう言っている。「私は、『人類の恥辱である戦争の実態を正視することにより、この恥辱を消滅させ、人類の進歩を獲得することができる』と常に思っています。そして、この映画で民族的な恨みではなく生命の貴さを訴えたい。崇高な愛がなければ、人類は遠からず終末を迎えることでしょう。これがこの作品を製作した究極の目的です。」
この監督の想いは、映画のラストシーンに凝縮されている。早乙女愛さん扮する理恵子は悲惨な状況のなか中国人の夫・成賢(チヨン・シエン)との子どもを生み、その“南京”と名付けられた赤ん坊や大勢の子どもたちを小学校教師・書琴(シユーチン)たちが長江に逃がす場面だ。長江の悠久さと夕焼け空の美しさにも増して、私の心を揺さぶったのは、バックに流れる歌声である。「南京よ泣かないで/子どもたちよ泣かないで・・・」
自主上映なので、近くの映画館へどうぞと紹介できないのが少し残念ですが、参考までに、「南京1937」全国上映委員会の住所と電話番号を載せておきます。
〒453 名古屋市中村区椿町8ー12 Tel.052(452)6036
(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.241 1997年12月20日

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【投稿】 まやかしの国債発行か、所得税減税か

【投稿】 まやかしの国債発行か、所得税減税か

<<号泣せんばかりの涙、涙>>
前号で株価暴落を取り上げ、日本の金融システムが戦後初の機能麻痺に陥っていることを問題にした直後から、あれよあれよという間に事態が急進展してきている。北海道拓殖銀行、山一証券、徳陽シティ銀行の破綻と、金融機関の破産の連続である。毎日新聞社のエコノミスト誌の大見出しは「金融恐慌 本当に来た」(12/2号)、「銀行・証券 連鎖崩壊」(12/9号)、「金融恐慌シナリオ」(12/16号)と、事態の急迫に警鐘を鳴らしている。さらにそれは1930年代の世界恐慌との類似性を論議する動きにまで発展している。事態の進展は単純ではありえないし、歴史が同じ形態を取って繰り返されることはありえないであろう。
であればこそ、現実の具体的で、それぞれに固有な特徴と本質を見ておく必要があるように思われる。その筆頭は、山一証券の破綻の経緯である。
11/24自主廃業を発表した同社の野沢社長は涙を流しながら記者会見し、「社員に責任はありません、社員は悪くない。社員を助けてやってください」と号泣せんばかりの姿がテレビで何度も放映されていたことは周知の通りである。
ところが、ここに至る直前まで、同社の株が大量に売買されていた。旧経営陣は、廃業を前提にいわばインサイダー取引として大量に彼らの個人所有株を売り急ぎ、他方、社員や顧客には「破綻はありえない」として、「安値はチャンスでもある。会社に忠誠心があるなら、客にも社員にも山一株を買わせろ」と指示を出し(12/7朝日)、11/19からの3日間だけで、山一証券自身を通じた取り引きだけでも、「買い」が約7300万株、「売り」が約3400万株、と「買い」が大幅に超過したという。

<<山一の空売り>>
実は1ヵ月以上も前から、「山一の空売り」(借株を高値で売り、安値で買い戻して借株を返し、差益を稼ぐ)が断続的に行われており、これには海外投機筋のみならず、山一経営陣も大きく関与していた。その売買のピークが11/20であった。この日、日本経済新聞が山一の2000年までのリストラ合理化計画を評価し、これをメインバンクの富士銀行が支援するという談話を掲載。前日まで58円に急落していた山一株が一挙に出来高トップに躍り出て、約2倍の108円のストップ高を記録する。ところがその同じ日経が11/22には「山一、自主廃業」情報を掲載すると、当の山一と富士銀行に通告、事実、朝刊トップに掲載するという事態に進展。週明けの24日には情報通り自主廃業を決定している。この一連の経過には明らかに意図的な情報操作と大蔵省からの情報リークがみえみえである。とにかく、山一株は一転して「売り殺到」でストップ安を続け、27日にはついに1円にまで下がり、今や紙屑となってしまったのである。この3日間の間に買われた山一株は2億株を上回り、その資金約200億円があっというまに失われ、その背後でぼろ儲けをしたのが、投機筋と実は山一経営陣そのものであったことは間違いない。彼らにいっぱい食わされた一般投資家や山一の顧客、それに会社からの要請と愛社精神、差益獲得のチャンス到来と、借金をしてまで自社株買いに走った山一の多くの一般社員が犠牲者であった。
これにはさらに尾ひれがつく。山一経営陣がわざわざ自社株買いの貸付金を社員に提供したのは、倒産後の給料、ボーナス、退職金を棒引きにする陰謀であったというものである。その後の事態は結果としてこの事を立証しているとも言えよう。記者会見でいくら社長に涙を流されても、怒りは納まらないであろう。

<<日銀が世界一の不良銀行>>
ここで、「自主廃業」という方針が実にうさんくさいといえよう。「破産」となると、法的整理として第三者の管財人が入り、経営の実態、粉飾決算の手口、政治家、裏世界などの特定顧客・「優良」・税金逃れの顧客の状況、「飛ばし」の実態、簿外債務の全容が明らかになりかねない。これを恐れた大蔵・政界・山一一体の疑惑隠し、情報秘匿が「自主廃業」を選択させ、意図的な情報操作をしてまでそこに追い込んだものといえる。大蔵省の証券局長などは、山一の自主廃業は「市場の宣告」であり、「望ましい」ことであるなどとニヤニヤしながら記者会見をしていたが、市場に何らの情報公開もしない、不信感を募らせるだけの日本の金融システム当局者の寒々とした無責任極まる実態が浮き彫りになっただけである。
ここでさらに重要な問題は、この山一証券破綻で、こうした問題での情報開示や制限を一切問わないままに、「臨時異例の措置」だとして日銀特融を行ったことである。それはこれまでの「証券会社に特融は出さない」という原則を踏み外していることである。もともと銀行、信金、信組などが扱っている預金が元本保証されているのに対し、そもそも元本保証されていない証券会社や投資信託会社のリスクの伴う金融商品についてまで日銀特融がありえるのかという根本的疑問を、この際、金融システム安定化のためにはやむをえないとして一挙に野放しの拡大をしたことである。さらにこれによって、個人の預金だけではなく、預金保険法では保護されていない外貨預金、生命保険会社の債券などまでが全額保護されることになった。
ここに日銀特融は、無利子・無担保・無制限の特別融資として、返済される見通しもない乱脈融資そのものになりかねない事態に直面しているのである。現在その総額は、11月末で、3兆4500億円に達しており、2001年3月までは、資金供給を続けるとしている。最悪の場合、日銀は回収不能な、膨大な不良債権を持ち続け、日銀が世界一の不良銀行に転落する現実的可能性が大であるといえよう。

<<「新型国債」のまやかし>>
さらにこの機に乗じて登場してきた財投資金の投入は、さらに不透明な隠れ借金を上乗せして、国民の目を欺くものといえよう。投入論の本命は梶山前官房長官が出した試案であるが、政府が保有しているNTTや日本たばこ産業などの株式売却益を担保にした「新型国債」なるものを提唱し、破綻寸前の銀行などが出す優先株を一般財源で買い取ろうというものである。旧国鉄債務の28兆円をはじめ、財投がらみの長期債務は巨額に膨れ上がっており、これにさらに民間の不良債権を、預金者保護を名目に、実際には不良債権を税金で買い上げ、政府の不良債権に付け替えるだけのものである。この提案には明らかなまやかしがある。政府保有株の売却益は国債の元利を返す資金に充当されるもので、その返済財源を先に食いつぶしてしまおうというのがこの提案の本質である。
経営に不安のある金融機関が発行する株式を公的資金で買い取り、破綻を事前に防ごうという考えは、情報開示や透明性、自己責任が求められる金融改革の流れに完全に反するものである。銀行業界は超低金利のもとで、年間8兆円もの業務純益を上げ、中小零細事業者には貸し渋り、厳しい取り立てを行い、その中小零細には介入同然のディスクロージャ(情報開示)を要求しながら、みずからに対しては徹底してディスクロージャを拒否してきたのが実態である。
全国銀行協会の佐伯会長自身が「(不良債権処理は)きわめて順調に進んでいる。年間の業務純益は8兆円ほどあるから全体としては償却は終わりに近づいている」(12/1日経)と言明しているほどである。さらに今回の預金保険法改正で、経営困難な銀行同士の
合併にまで資金援助できる道を開いて、福徳銀行となにわ銀行の合併(来年10月)にこれを適用することを大蔵省は言明したのであるが、肝心の両銀行は、合併合意に際し、「不良債権は3年以内に処理を完了する」と公表しており、自力処理を約束している銀行にまで押し付け資金援助の道を開いている。そこには明らかに意図的な政治的錯誤があるといえよう。

<<東京の動向に全神経を集中>>
12/7、自民党の山崎政調会長が「(政府の)外貨準備を金融機関の経営体質強化のために使うことも一案ではないか。外国の債券を売ってドル預金する手だてなどこれから議論したい」と発言した。政府保有の米国債などの売却で調達したドル資金を外国為替管理特別会計を通じて都市銀行などに預ける「外貨預託」を前向きに検討する考えを示したのである。
12/8付けニューヨーク・タイムズはただちにこれに反応、「日本政府、財務省証券売却を示唆」という見出しで、「日本が売却を始めたら、証券価格が暴落し、金利が急騰する」、「米国の株式市場が大幅に値下がりし、世界市場に悪影響を及ぼす」可能性を指摘し、さらに同日のウォールストリート・ジャーナルも、日本政府が、資金確保を米国債権売却によって捻出する場合には、急激な円高・ドル安を招く懸念があると指摘、今ウォール街の通貨取引業者は「日本の経済刺激政策法案のニュースに全神経を集中」させていると報じている。日本の政府当局者、与党の一挙一動が直ちに世界市場の動向に関与し、左右しかねない不安定な事態が進行している証左でもある。ホワトハウス当局者は、「全く軽率な発言だ。他国の国債売却などは静かにやるべきで、公然と口にするとは失礼だ」(12/10日経)と述べているが、彼らとて東京の動向に全神経を集中しているとも言えよう。
アメリカでは、1930年代の世界恐慌との類似性を論議する動きが活発になっており、アメリカン・エンタープライズ研究所のJ・メイキン主任研究員は「30年代の世界恐慌を特徴づける3条件が整う兆しが出ている」と指摘する(12/5日経)。3条件とは、デフレ、通貨の切下げ競争、保護主義である。すでに前の二つは今回のアジアの通貨危機の中で現在進行中である。その結果としてアメリカの貿易赤字が再び増え始め、7-9月期で15.5%増加、米経常収支赤字も11.4%拡大している。議会では大統領に一括通商交渉権を与える法案が否決され、保護主義ムードが活性化している。12/8付けワシントン・ポストは、昨今の米国議会は「国際化恐怖症(Globalphobia)」に陥っていると形容し、米国が孤立主義・保護主義に傾斜し始めていることに警告を発している。
欧州は通貨統合という目標に向けて財政赤字削減一辺倒に押し流され、日本は赤字国債脱却が自己目的化して、いずれも景気浮揚政策に逆行する政策に拘泥しているのが現実の姿である。「かつて米国でもフーバー大統領が景気後退期に均衡財政を主張した。その結果、彼は1929年の大恐慌を招いた。」(ドーンブッシュ・MIT教授、12/10日経)このドーンブッシュ教授、「アジアは日本を中心にして大恐慌に入り始めているかもしれない」とも指摘している。

<<「緊急事態です。買ってください」>>
ここで共通に根本的に問われているのは、バブル経営やデタラメ経営破綻の尻拭いのための後ろ向きの対策や、財政健全化至上主義という硬直的な姿勢の堅持ではなく、実体経済を活性化させる景気浮揚政策であるといえよう。
決定的で本質的なことは、経済成長がマイナス成長に転換し始め、個人消費の不振がきわめて深刻になってきていることである。今年度の個人消費が前年度比で、実に戦後初めて減少する可能性、物価上昇率を差し引いた実質ベースの予測で、0.7-0.8%の減少がほぼ確実となっている。昨年、96年度の個人消費の総額は、「民間最終消費支出」として実質285兆円、国内総生産(GDP)の6割を占めていたものが、戦後初の減少を記録しようとしているのである。
企業倒産も「過去最悪の年」になり、11月までの累計で負債総額が11兆2749億円に達しており、年間で12兆円に迫る勢いとなっており、この中には、山一や北海道拓殖銀行は含まれていない。百貨店、スーパーの売り上げもほとんどが昨年実績を下回っており、好調だったパソコン関係も苦戦続きで、売上高前年割れの状態が続いている。海外旅行ブームも今や円安と景気低迷のダブルパンチで、17年ぶりに前年を下回ろうとしている。
大手紳士服専門店のコナカとアオキインターナショナルが「緊急事態です。買ってください。お願いします。」と悲鳴にも似た叫びを大書したチラシを新聞に折り込み、最大85%割引まで打ち出しているが、紳士服専門店各社は軒並み前年実績割れである。
こうした事態は、4月の消費税率引き上げ、特別減税打ち切り、社会保険料負担の増大、医療費負担の引き上げ、全体で9兆円を超える負担増、実質可処分所得の大幅な減少があったことからすれば当然のことである。この点では明らかな政策不況である。金融機関破綻処理への公的資金導入はさらに税負担を増大させることにしかつながらない。
今、決定的に必要なのは、史上最大規模の所得税減税だといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.241 1997年12月20日

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【投稿】小野義彦没後7年に寄せて

Assert No.241(1997年12月) No.242(1998年1月)に掲載

【投稿】小野義彦没後7年に寄せて
                         今市 右田代

小野義彦が逝って、今年11月19日で満7年が経過した。小野義彦が残した多くの事績について、この辺で振り返って見たい。
改めて言うまでもなく、小野義彦は共産主義者であった。だが私は、従来の意味での「共産主義者」ではなかったし、四半世紀以上前に小野の書を読み講演を聞いて私淑していた者に過ぎず、学卒後は小野の教えからも遠く離れ、如何なる政治運動や思想からも無縁の市井の一市民・一読者として暮らしてきた。近頃、多少はモノを書くようにもなったが、左からは右翼反動と言われ右からは極左と見なされているようで、つまりは気楽な放言者に過ぎない。従って、小野の言説と活動とに対する評価者としての資格に欠けるであろうことは十分に承知しているが、まるで異なる立場に立つからこそ言い得ることもあろう。 続きを読む

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【書評】大沢在昌『氷舞(こおりまい)・新宿鮫』

【書評】大沢在昌『氷舞(こおりまい)・新宿鮫』
                 (1997.10.25.発行、光文社、848円)

ハードボイルド作家・大沢在昌の人気シリーズ『氷舞・新宿鮫・』が刊行された。前作『炎蛹(ほのおさなぎ)・新宿鮫・』から2年ぶりの新作である。
大沢は、これ以外にも精力的にハードボイルドを書いており、評判になった作品も多い。(例えば、『走らなあかん、夜明けまで』・93年、『天使の牙』・95年、等) しかし『新宿鮫』シリーズは、そこに社会批判的側面──特に国家権力の中枢を占める巨大組織中の巨大組織である警察官僚機構に対する批判──によって、彼の他の作品群とは際立って異なった特徴をもっている。
主人公である新宿署刑事・鮫島は、国家公務員上級試験合格のキャリア(20万警察官中の500人のエリート)でありながら、過去のある事件との関わりで、所轄署である新宿署生活安全課の警部に留め置かれている。この鮫島をめぐって、シリーズでは、現代風俗・文化の最前線の事件が展開することになる。
本書では、クレジットカードの盗難直後の次の日に、そのカードが東南アジアで不正使用されるという国際犯罪事件が端緒となって、これが、新宿に縄張りをもつ暴力団との関わり、さらにはその暴力団が扱うコカインとの関係で南米コロンビアへと拡大していく。そしてこの複雑に絡み合う国際犯罪ネットワークに加えて、CIA及び日本の公安警察が絡むことによって、事件は一挙に国家機密を要する政治問題の様相を帯びてくる。
すなわちこのような事件の背景に、保守党の選挙での大敗による保革連立政府とその中での主導権争いが、戦後政治の暗部を引きずって浮かび上がってくるのである。
事件の詳細とその解決は、本書を読んでいただく以外にはないが、本書で注目するべきは、筋の複雑さと鮫島のダイナミックな捜査とともに、警察機構内部の対立であろう。東京警視庁と神奈川県警の対立を始めとして、警視庁本庁とその所轄署、警視庁内部での刑事部・捜査一課と公安警察、さらには公安警察の中でも表の顔のエリートである外事課と裏の顔である公安総務課という熾烈な対立抗争、縄張り争いである。そしてこれらすべての対立の前提として、エリートであるキャリアと大多数のノンキャリアの警察官との越え難い対立が存在する。
これらがそれぞれの立場から事件を、ある時には秘匿し、またある時には駆け引きの材料として、自組織に有利な方へと引っ張っていくのである。それ故事件は、社会正義というような視点からではなくて、主要には政治的判断や組織のプライドやメンツといった上層部からの視点で扱われることになる。
このような警察機構について鮫島は、かつて同期であり今は外事一課長で、二階級上の警視正として順当に権力の中枢へと向かっている香田にこう批判する。
「現場にいるとな、わかることがある。キャリアは、自分たちが脳ミソで、ノンキャリアは皆、手か足だと思いこんでいる。考えるのはキャリアの仕事なのだから、手や足は考える必要がない、とな。だが手や足にも脳ミソはあるし、キャリアの脳ミソよりよっぽど上等な脳ミソだったりすることもあるんだ。ただ上等な脳ミソの持ち主は利口だから、キャリアの脳ミソを阿呆だと思っても、それを口にださないのさ」。
ここに吐露された現場の警察官の心情は傾聴に値するであろう。しかし同時にわれわれは、鮫島自身をも含めて彼らすべてが、客観的には権力機構の末端を支えていることを忘れてはなるまい。本書で示された、社会正義と政治的判断との矛盾もさることながら、社会正義を擁護すると同時に民衆を管理抑圧する機構として現実に機能しているこの権力機構の本来の性格を視野に入れておくことは重要であろう。この点で、作者が今後、どのように権力に迫っていくかは興味深い問題である。
なお本書には直接関係がないが、国家機構の他の職種がしばしば登場するのも本シリーズの特徴である。(例えば、国税局査察部[通称・マル査]が『屍蘭(しかばねらん)・新宿鮫・』・93年に、麻薬取締官事務所[通称・麻取]が『無間人形・新宿鮫・』・93年に、そして農水省植物防疫官が前作『炎蛹』・95年に登場する。)読者はこれらによって、国家権力のまた違った側面を垣間見ることができるであろう。
ミステリー作品の完成度としては、本書には事件の背景となった政治状況への結び付きにやや不自然さ不十分さがあり、前々作『無間人形』および前作『炎蛹』には及んでいない。しかし本書は、社会的風俗的背景から、政治的背景へとより高く社会批判の視点を移したという意味では評価される作品であり、本シリーズの他の諸作品とともに薦めたい。(R)

【出典】 アサート No.240 1997年11月28日

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【投稿】日本悲観論を考える( その1)

【投稿】日本悲観論を考える( その1)

<日本悲観論とは何か。>
それは、先月号でRさんの書評で紹介された日本経済新聞社の「2020年への警鐘」に特徴的な主張であり、日本が明らかに世界の中で「下り坂」を転げ始めたという議論である。 最近の日経新聞の論調にも特徴的に現われており、そこから導かれる結論は、「行財政改革」「金融改革」などを断行しないと、日本はだめになるという論調である。
これら悲観論は、Rさんものべているように妥当性のある側面を持っている。確かに「危機的状況」に立ち至り、「改革」あるいは「革命」なしには、21世紀を迎えられないという意識を我々にも与えている。
しかし、一例を労働規制の緩和議論に見ると、現状でも労基法違反企業があとを立たない状況での男女雇用均等法での規制緩和とは、あらゆる場面での男女平等措置が実効的に機能しない中で、一層の労働強化に繋がると懸念が広がっていることは当然と言える。
経済の低成長に止まらず、特に金融面で進行している事態は、明らかに日本経済の敗北を意味するものであり、将来への不安というより、今この時点での社会不安を惹起しつつある現状では、悲観論は、一層妥当性をもって受け入れられる可能性がある。
ただ財界主導の改革だから、弱者への犠牲のしわ寄せだからそれに反対する、というだけの議論では、実はもはやすまないところまで、根は深いものがあるのではないか、というのが筆者の実感である。

<悲観論に対する3つの傾向>
悲観論に対する対応は、3つの傾向があると思われる。
第1は、概ねこれら主張に同調し、「改革」を進めるべきだ、というもの。その改革とは、市場万能主義に基づく規制緩和、国際標準(グローバルスタンダード)をそのまま日本に適用しようとするなど財界の主流がその中心と思われるが、改革の中心軸論や段階論などをめぐって議論が多い。
第2は、日本がいろいろな意味で閉塞状況に立ち至っている現状は認めつつも、その方向などをめぐっては、必ずしも「市場万能論」に立たず、むしろ「社会的規制」のあり方については、弱者保護の立場に立とうとするものである。連合の新体制のもとで鷲尾会長が主張している傾向。これらの部分は、第1の部分と現状認識や問題意識において、一部共通のものがあるので、議論が成立する可能性がある。
第3には、日本共産党などの主張に顕著なように、第1の部分に反対する主張である。いわく、大企業からの増税、軍事費削減、公共事業の縮小により福祉拡大などの主張を対置している。
今後、それぞれの主張と傾向、問題点について、連載で整理していきたいと考えている。とりあえず、走りながら整理しようと思っているが、「日本経済の後退局面」にあって、悲観論に代表される、傾向に対して、どのような対抗軸が提起されているかを順次検証していきたいと考えている。
これから展開しようとしている本当の動機は、冷戦終結・非自民連立政権成立以後のこれまでの政治・経済・社会の激動の中で、戦略議論の希薄という状況(本誌も含めて)の中で、少なくとも向こう10年くらいのスパンで、我々がよって立つべき原点を確認したい、という願望の故である。日々多忙の中でなかなかまとまった検証と議論ができていない自分の反省も込めて、考えてみたい。
とりあえず、次回は日本共産党の戦略について、考えてみたい。(つづく:佐野)

【出典】 アサート No.240 1997年11月28日

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【投稿】巨大生協で腐敗疑惑–いずみ市民生協の場合

【投稿】巨大生協で腐敗疑惑–いずみ市民生協の場合

<副理事長辞任はしたが>
年間売上高約660億円、店舗26店舗、職員800人、組合員97年3月現在29万5千人。大阪府内ではトップの生協、いずみ市民生協で激震が続いている。
施設の私物化、ゴルフ漬け、生協予算の私物化、職員への退職強要など一連の副理事長による腐敗事件の公表とその処理をめぐる問題だ。
97年5月21日読売新聞が「いずみ生協、研修寮めぐり内紛」と、20日に行われた「いずみ市民生協総代会」で幹部研修寮の私物化問題で告発文書が配られ、常勤理事7名の内4人が解任されるなど、お家騒動があった、と報道。以来読売新聞がこの問題を主に報道していく。この告発文書を公表したグループは、生協中枢の良心派と見られるが、以後読売が中心になって、疑惑報道が続くとともに、以下のような展開を見せる。

97年5月25日「生協経費でゴルフ漬け:大阪いずみ生協副理事長」と報道
その後、26日には「ハワイの別荘、副理事長が独り占め」の報道があった。
29日には、大阪府が臨時の指導監査を行う旨の決定。
6月1日「いずみ市民生協理事長:府幹部をゴルフ接待94年から」。
6月2日 いずみ生協副理事長:私物化は否定するも、疑惑の責任を取ると辞任を発表。

<内部告発者を解雇、恐怖経営の実態>
言うまでもなく、生活共同組合は「生協法」に基づく公的団体であり、大きな意味でNPOである。私企業ではなく、組合員から少額の出資金を募り、物資の購入、低廉な価格で販売するという勤労者のための組合である。コーポラティズムという共同購入を通じて、単に安く販売するという原点から発展して、最近では無農薬野菜、産地直販による新鮮さ、さまざまな有害食品との訣別など消費者運動としてその地位を築いてきた。そして、いずみ市民生協は特に大阪南部を基点に全国9位の規模をもつ「巨大生協」に他ならない。
自治体職場でのいずみ市民生協を見れば、明らかに共産党系労組と結びつき、その活動を展開してきた。私にとっては、「共産党生協」だ。
そうした巨大生協でなにが起こったのか。
私の手元に「”いずみ”を組合員にとりもどす会」のパンフレット( 以下パンフと呼ぶ) これが問題の告発文書に他ならない。発行者は3名。内ふたりは、97年6月10日付けでいずみ市民生協から懲戒解雇されたと記載されている。それまでの肩書きは「元開発部長、(現在は総務部次長)」と「役員室長」。残るひとりは「元役員室長(現共同購入部次長) でまだ現役だ。( これ以後の展開でどうなったかは?)

明らかになった疑惑は、すべて辞任した比嘉副理事長とその側近達に絡んだもの。
第1は、大阪狭山市内にある「研修寮」として建設された施設が、事実上副理事長の私邸として利用され、土地は副理事長個人の登記だが、建築物は未登記で建設は生協が幹部研修施設として費用負担。生協は副理事長に借地料を支払っていたが、研修施設目的には一切利用されていなかった、というもの。
第2は、副理事長が96年1月から97年3月までの間に、接待、私的ゴルフに国内だけで84回、約1650万円の生協負担で、ゴルフ漬けになっているもの。その同行者の中に、「行政関係者」や「いずみ労組幹部」の名前も頻繁に出てくる。
第3は、ハワイにコンドミニアムを「組合員・役職員の福利厚生のため」と確保したが、事実上、副理事長の私物化されている。( 福利厚生というのは、後からデッチ上げたらしく、当初から副理事長の私邸扱いだったらしい)
第4は、高額医療機関の、これまた副理事長の私的利用に対して生協が年間500万円を超える負担を行っていること。
さらに職員の労働条件は、実超勤が60~80時間はあるのに、月8時間しか手当てが支払われていない、など過重な労働と、副理事長のワンマン経営の結果、95年には100名、そして96年には132名の職員が退職していったこと、などである。(以上パンフより)

<9月臨時総代会では、反対が100名も>
副理事長辞任の後も、日本生協連が調査を実施し「前副理事長の行為は生協トップのモラルを逸脱しており、生協の対応も都合の悪いことを隠蔽しようとしている」「これまでの情報や資料から判断して、『事実無根』とは考えられない」「( 内部告発への対応について)組織破壊の陰謀ととらえ、事実関係を究明しようとしない姿勢は生協としてふさわしいものとはいえない。批判や異論も出せる民主的な職場であれば告発に出なくてもよかったはず」と同生協の運営に疑問を投げかけ、調査継続とするなど、内外からの批判が相次ぐことになる。さらに8月には、日本生協連が「一連の問題に対して反省がない」と前副理事長に損失補填要求するとともに、理事会の責任を明らかにするよう、異例の勧告を行う事態となった。
組合員からの要求などを受けて9月16日には、臨時総代会が開かれ、研修施設等の有効利用など改善案が提案された。定数の5分の1近い100名余りの総代が反対の意思を示したという。これまで、ほとんど満場一致で可決されてきた経過とは様替わりとなった。

<国税調査がはじまったが・・.>
一方、解雇された職員らは、すでに前副理事長に対して、業務上横領での告発をおこなっており、私物化の断罪はこれからである。さらに、大阪国税局が9月中旬、「資産私物化」と「不正な会計処理」に対して、税務調査に乗り出すなど、法的な解明も開始されている。
しかし、どうしも、なぜ?と考えざるをえない。この前副理事長は74年の生協設立以来の役員で、いずみ生協を育てた第一人者という実績らしいが、やっていたのは、そこらの俄か成り金企業のワンマン社長と変わらない。さらに、おそらく生協の役員クラスは、おそらく共産党員ないしはシンパと思われるが、こうした「不公正」「乱脈」な生協私物化を阻止できなかったのか、ということである。
パンフの最後のページでは、2名の解雇者が、「告発の報復としての懲戒解雇に抗議する」や「嘘とデッチあげで解雇、これはファシズムだ」と訴えを載せている。いずれも生協中枢にいた人々で、「わたしは比嘉氏や西専務らの関わったサギ、横領、背任の証拠をすべて持っています。すでに地検特捜部にも提出している」と語っている。
9月総代会は、まだまだ「いずみ生協を守れ」みたいな、共産党や生協幹部の息のかかった総代多数で、真相解明が見送られたが、いずれ司直の手が闇を照らすことは明らかだ。

<一番恐れているのは共産党?>
これら告発者もおそらくは共産党に近い人々だと思われる。いわば内紛というわけだ。共産党だろうと自民党だろうと、組織の私物化、横領、背任は組織自らが解明すべきで、検察への告発は最後の手段だ。まさに外部にしか頼れないほど、いずみ生協の腐敗が進み、民主的運営が不可能になっていたのだろう。こうして「いずみ生協の腐敗と内紛」の解明を一番恐れているのは、共産党ではないか。前副理事長が共産党員であった可能性が非常に高いからだ。
告発者達は、疑惑の解明を求めながら、「組合員が主人公になる”いずみ”の再生と、不当解雇撤回は同じもの」として、いずみ生協の活動強化を語っている。複雑な思いのする表現であるが、徹底した解明と責任の明確化が求められている。(97ー11 H・I)

【出典】 アサート No.240 1997年11月28日

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【投稿】サナダ・ユキムラ作戦 PARTⅡ

【投稿】サナダ・ユキムラ作戦 PARTⅡ

村山富市の提案は、離職した炭鉱労働者に、トンネルの掘削を請け負ってもらえば良い、という突拍子もないものだった。
しかし、リマ事件の時も炭鉱労働者が、突入用トンネル造りに動員されたということであり、人が通れるだけの大きさで良いのだから、一理あるかと小沢は思った。
だが、やはり失敗した時のことを考えると、迂闊に承諾するわけにはいかない、やはりこのじじいは自分の足をひっぱりにきたのではないかと、小沢は疑いの眼差しを向けながら、村山の申し出を辞退した。
村山は「そうですか、残念じゃのう」と、いとも簡単に諦めたが、即座に第2弾を放ってきた。
「それなら、テロリストを撹乱さすために、迎賓館の周りで連日決起集会を開けばどうじゃ」
さすがの小沢も腕を組んで考え込んでしまったが、村山の執拗な要望に、周辺の道路をグルグル廻るだけならと、提案を受け入れた。
村山は、来たときよりも百倍も元気になった様子で部屋を出ていった。

トンネル工事が始まると同時に大阪城公園では、「サミットテロ事件の早期平和的解決をめざす全国総決起集会」が開催され、約5万人が集まった。
集会には、退職者も結構多く参加していたが、そこが一番元気が良かった。
「こんな集会は久々やのう」「ほんまや、メーデーでの人が集まらんようになってしもたしのう」「はよデモに行こうや」「ところで今日は何の集会やった」
主催者、来賓等の挨拶は早々に切り上げられ、早速でもが開始された。先頭にたったのは村山を始めとする社民党や旧総評の役員だった。
デモはいきなりジグザグ行進から始まった「わっしょい!ワッショイ!てぇーろぉー粉砕!人質解放」砂塵を巻き上げながら、16列縦隊のデモ隊は公園内を進んだ。
久々のデモを過激に開始したため、足を踏まれる者、将棋倒しになる者など怪我人が続出、まっさきに村山富市が担架で運ばれていった。第一挺団が通過したあとには、靴や財布の他、入れ歯や眼鏡などが散乱していた。
対策本部で様子を聞いた、小沢らは頭を抱え込んだが、異様な盛り上がりを見せるデモ隊を止めることは出来なかった。

それでも、暴騒音規制条例の適用除外となった、シュプレヒコールと、スピーカーの大音響に、トンネル掘削工事の音は、完全にかき消されてしまっていた。
集会は工事終了まで断続的に続けられ、最後は模擬店やカラオケ大会まで開かれ、内外の報道陣を唖然とさせたが、主催者や参加者はいたって満足げであった。
「死人が出ずに良かったのう」「来年もまたやろうや」

いよいよ突入は、秒読みに入っていた。トンネル内に息をひそめている、200名の自衛隊員は攻撃の手順を反芻していた。
まず、最初にプラスティック爆弾で迎賓館の床を吹き飛ばす、さらに、建物の周囲からも地上に飛び出し、スタン・グレネードを投擲しつつ、一挙に管内に突入、犯人が動かなくなるまで、射撃を続ける。
テロリストに容赦はいらない、命乞いをしようと許されるものではない。
そして、橋本首相から突入の指令が出されようとしていた、まさにその時、突然3機のヘリコプターが爆音と共に姿を現わした。
この全然シナリオにない事態に、対策本部はもちろん、周辺に展開していた各国特殊部隊も呆気にとられた。
橋本は、すっかり動転してしまい、思わず小沢を怒鳴りつけた。
「土壇場になって作戦変更とはどういうことだ!俺は何も聞いていない」
こればかりは身に覚えのない小沢は、対策本部の要員に向かって当たり散らした「どの国の部隊が動いたのかすぐに調べろ!」
対策本部が混乱している間に、ヘリからは次々と黒い影がロープを伝って、迎賓館の屋根に降り立っていた。
対策本部に第1報が入った。
「ヘリの機体に河内航空と記載」
「なんだそれは」「先ほど八尾空港から飛び立った民間機です」「?????」橋本も小沢も頭を抱えた。
その直後、迎賓館の方角から歓声が上がった。モニターの画面には、解放された人質の姿が映し出されていた。

明らかになった経過はこうだった。
突入した「真理赤軍」の武装はモデルガンなど、とるにたらないものだった。
人質の内に経済団体のリーダーもいたが、その人物は、各国首脳に売り込むために持っていた、自社製の超小型通信機を使って、民間のセキュリティサービスに救出を依頼したのだった。
政府機関に連絡しなかった理由について、彼は民間活力の導入だと、語った。
作戦には、傭兵経験のある外国人も参加していた。面目をつぶされた政府は、「入管法」違反で摘発しようとしたが八つ当たりのそしりは免れず、結局うやむやになった。
その後国会で、自衛隊の民営化法案が成立し、例の財界人の会社が経営権を獲得した。
コメントを求められた橋本は、ぶっきらぼうに答えた。「まあ、とにかく行革が一つ進んだという事だ」(おわり)  大阪O

【出典】 アサート No.240 1997年11月28日

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【投稿】株価暴落は何を明らかにしたか

【投稿】株価暴落は何を明らかにしたか

<<ブラッディマンデイ>>
先月の10/19はニューヨーク株式市場の史上最大の暴落と言われたブラックマンディ10周年であった。このところのアジアを中心とする金融市場の動揺から、それが再来するのか否かと言うことが大きく取り上げられてきたことは周知のことである。それがついに10/27(月)再来することとなった。この日、ニューヨーク株式市場は前日終値比554$の大幅値下げを記録、10年前の508$下げを上回る史上最大の下げ幅の暴落となったのである。ブラックマンディの教訓から取り入れたサーキットブレーカー(取り引きの一時停止制度)を発動、売り注文をすべて消化しない段階で史上最大の下げ幅を記録し、ブラッディマンデイ(血の日曜日)と形容され、暴落(月)→反騰(火)→冷静(水)→急落(木)→上昇(金)→高騰(月)と乱高下を繰り返す相場に対してはヨーヨー相場と命名されたと言う。
株の急落は、香港、日本、米国だけではなく、ロンドン、オランダから豪州、ニュージーランド、ブラジルの暴落へとすぐさま波及し、中南米からロシア、東欧にも及んだ。震源地ともいわれた、10/28の香港株式市場は、8月のピークから46%もの下落である。
再来とはいっても、その原因、規模と形態は大きく異なることは当然である。決定的なのはその間の冷戦の終結である。87年のブラックマンデーは、米ソ冷戦体制下での膨大な軍事予算の浪費にあえぐ財政、貿易の双子の赤字を抱えた米国問題を基点としていた。

<<冷戦終結がもたらしたもの>>
冷戦体制の崩壊は、ロシアをはじめとする旧東側諸国をドルを決済通貨とする経済圏に組み入れた結果、ドル経済圏は一挙に拡大したと言えよう。そのことによってアメリカは、ドルをいくら垂れ流しても、それに見合う利払いの必要が生じない決済通貨発行者だけが持つ利益、特権を思う存分に享受し、それによって米国経済を立ち直らせ好調を持続させてきたとも言えよう。冷戦終結の恩恵をもっとも享受してきたのが米国であった。冷戦の狭間で利益を吸い上げてきた日本が今、低迷にあえいでいるのとは対照的である。
但しこれは逆に米国の手を離れたドルが一挙に拡大したドル経済圏にばらまかれればばらまかれるほど、その反作用とツケも大きくなることを意味している。実際、昨年10月に発表された米連邦準備制度FRBの報告によると、90年以降、新規に発行されたドルの70%以上が米国外で保有されている。その結果、流通ドルの半分以上が米国外にあるという状態をもたらしている。
こうした米ドルの垂れ流しは、為替リスクを最小にしながら利益の出る市場を駆け巡る投機的なホットマネーを世界的規模で増大させ、制御不可能な状況に至らしめてもいるのである。今回の株暴落は、香港発と命名されているが、その過半は、米国経済が抱える矛盾に起因しており、実は米国経済が世界経済に大きく依存しており、好調米国経済の弱点がアジアにあり、アジアの金融危機の展開次第では、米国経済の好調を支えている基盤そのものが崩壊する危険性を警告したものと言えよう。これまでドル高を支えてきたさまざまな要因が徐々に剥落する可能性が高いのである。

<<米国債放出の脅し>>
83年以来、香港ドルが事実上の対ドル固定レート制を維持してきたことは、香港と米国のインフレ格差を考えれば、インフレ率が香港では毎年10%前後で推移しており、米国はインフレどころかデフレ懸念までいわれるほどの物価安定状況であり、いずれ矛盾が爆発せざるを得ないものであった。しかし香港がこうしたドル・ペッグ制を崩せば、すべての経済システムを見直さなければならなくなるし、ドル資金導入を中国経済発展の至上命題としている中国にとって致命的である。ドル・ペッグ制によって米ドルとの等比交換が約束されているからこそ、世界のマネーを引き付けてきた香港ドル建て資産投資と所有の魅力が減退してしまうのである。香港、中国にとってドル固定制から変動相場制への移行は、為替の下落=輸入コスト高となり、これまでのような外資流入も望めない、重大な局面に直面せざるを得ない。
そこで中国はその豊富な外貨準備、香港には880億米ドル、中国とあわせれば、2000億ドルを超える外貨準備によってドル・ペッグ制死守に動かざるをえなかった。その際、ちょうど訪米中であった中国高官によって、米国債を売りに出すことも考慮せざるを得ないと言う脅しも使われたことは間違いないであろう。これに市場が直ちに反応したともいえよう。
なにしろ、今年の6/23、橋本首相が訪米中、「米国債を売りたいとの誘惑にかられたことがある」と発言しただけで、ニューヨーク株価が当時としては過去2番目の192$も下げたのである。実際に中国の外貨準備は事実上そのほとんどが米国債で運用されており、中国、香港経済が混乱に陥ってこれを売りに出せば、米国債の急落→米長期金利の上昇→米国株の暴落の連鎖が起きることは必至であり、米国自身が真っ先にパニックに陥りかねない客観的条件がそろっているのである。

<<新たな通貨切下げ競争>>
こうした事態は、これまで米国債の大きな買い手であったアジア各国の中央銀行が、自国通貨防衛のためにドル(米国債)売り介入を行えば、いつでも起こりかねないことを示している。その意味では、ドルの世界支配という構図の終末段階にさしかかっているとも言えよう。米国債保有残高10位は表の通りである。どこから事態の急展開が起きても不思議ではない。

米国債の保有残高
————————
日本    3078億$ 25.3%
英国    2327    18.1
ドイツ    667     5.5
OPEC   538     4.4
中国     509    4.2
オランダ   503    4.1
スペイン   501    4.1
香港     441    3.6
シンガポール  353    2.9
台湾     346    2.8
————————
(米財務省調べ、97/5現在)

しかしその焦点はアジアにあると言えよう。今回のアジアの通貨危機の起点は、94年に中国が大幅に元を切り下げ(34%)、ASEANやNIESの競争力を相対的に下落させたことに求められる。ASEAN諸国は中国の通貨切り下げ前までは、年率20~30%のペースで輸出が伸びていたが、96年後半以降、それが5~6%に落ち込み、この夏以降の金融危機で借金国に転落、さらに通貨切り下げでドルベースの借金は20~40%増大し、借金漬けのためにさらに通貨切り下げによって輸出競争力を回復し、飢餓輸出であっても輸出増大を図ろうとする悪循環に陥ろうとしている。その意味では、アジア各国は新たな通貨切下げ競争に入ったのである。
まず7月には、タイ・バーツがバスケット・ペッグ制(主要通貨の為替の加重平均に自国通貨を連動させる方式)から管理フロート制へ移行、その後、マレーシア、インドネシア、フィリピン、シンガポールなどへ次々と通貨切り下げが波及、韓国ウォンの対ドルレートも史上最低となり、そして10/21、台湾がそれまで豊富な外貨準備を背景に中央銀行が通貨買い支えを行っていたが、突如市場介入取り止めの方針を発表、台湾元の大幅下落を容認するに至った。これら諸国から引き上げてきたホットマネーが、投機的差益を求めて、対ドル固定制を維持している香港に集中したのは当然であった。10/23、香港の金融当局は短期金利を6%から一気に200%にまで引き上げて、同時に市場介入を実施して、ペッグ制を守ることを優先させた。その結果が株式
市場の暴落であった。

<<「大アジア救済計画」>>
こうした背景には、アジアNIES諸国の経済規模が拡大する中で、人件費や不動産価格が上昇するなど、絶えずインフレ圧力が続いていたにもかかわらず、それぞれの国の通貨がドルに固定されていたプラス面が逆に重い負担となり、過大評価されたいたそれぞれの通貨が、経済実態にあわせざるを得ない時期にきたことを示している。
さらに根源的には、アジアNIES諸国がこれまで享受してきた恵まれたポジションが失われつつあることが指摘できよう。低賃金と過重・過酷労働の優位性、環境破壊を無視した生産立地、抑圧的独裁的政治支配体制による労働と生産の組織化、等々による輸出競争力確保は、今や公然たる大衆的反撃と挑戦を受けており、これまでどおりにはいかなくなってきているのである。過去の日本や韓国の発展と矛盾の姿がより短いサイクルで急展開しているとも言えよう。
これまで直接投資であれ、間接投資であれ、世界の資金がアジアに向かっていたのが、昨年後半から急速に成長期待がなえ始め、多国籍企業は、生産拠点をアジアから別の地域、たとえば中南米やロシアへシフトするという動きを見せ始め、国際資本のアジアからの流出が顕著になってきたのである。
今回の株式市場の暴落が指し示したことは、ドル・ペッグ制を挟んでの米国と中国、アジア諸国との問題であると同時に、米国の株バブル、日本や欧州の景気低迷、という状況下で起きた、よりグローバルで根源的な問題を内包しており、事態はより深刻である。であればこそ、IMF主導の下に、急遽、インドネシアの金融危機回避の救済のために400億ドル、タイ救済に220億ドルという巨額融資が提起され、さらには「大アジア救済計画」なるものまで出されてきており、これには、アメリカを中心とする先進国の新しい金融植民地主義であると言う反発がアジア諸国に巻き起こっている。

<<日本がIMFに借款要請?>>
今回の株価暴落、さらにはアジアの金融危機の深化によって、日本固有の深刻な問題が加速される可能性が高まっていることも指摘されねばならない。日本は、世界第2位の経済大国、先進国というが、日本の東南アジア向け輸出比率は今や4割を超えており、96年のASEAN・NIES8カ国の対日貿易赤字は計794億$に達し、実際にはアジアへの輸出とファイナンスで儲けてきたのが実態である。
したがってこれら諸国の通貨・経済混乱が長引けば、同地域向けの輸出は相当な落ち込みを免れないし、加えて、邦銀の東南アジア向け債権の焦げ付きが顕在化すれば、新たな不良債権問題が浮上しかねない事態である。
ASEAN4カ国だけで邦銀の融資額は700億$程度あり、インドネシアだけでもすでに16の銀行が閉鎖されており、このうち相当額が今回の金融危機の進行の中で不良債権化したことは間違いなく、日本円で2~3兆円はあると見られている。
11/10号の米ビジネス・ウィーク誌は「日本は不景気と株式市場の崩落、それにアジア諸国のローンの不履行による重荷に悩まされ、さらには多額の不良債権に悩まされて、政府はついにIMFに頭を下げて借款を申し入れた。2910億$に上る米財務省債券を手放すという手はあったが、それで国際金融市場をこれ以上撹乱させるのを避けるために、同債券を抵当に緊急借款を申し入れることを決心した」、「日本のように裕福な国がそんなことをするなど想像もつかないことなのだが、こんな噂が先月27日に世界各地の株式市場で株価が暴落を続けている最中にウォール街を駆け回っていた」、「日本は国際経済政策を持たず、アジア金融危機の中心であったタイの救済政策を推進する力もなかった」、「国内金融組織は崩壊寸前で、大手金融機関の中にはその生存さえ危惧されているところがある」とまで報道されるような状況である。
日本の金融システムが戦後初の機能麻痺に陥っていることは事実であり、消費税増税、所得税減税の廃止が、個人消費を大きく鈍らせ、景気の立ち直りに重大なブレーキ要因となり、実物経済が明らかにマイナス成長に近い局面に入っていることは否定しがたい厳然たる事実である。事態を打開する内外の声に対して、緊縮財政しか叫べない日本の政府、政党の実態が根本的に問われているといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.240 1997年11月28日

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【書評】『2020年からの警鐘–日本が消える』

【書評】『2020年からの警鐘–日本が消える』
             (日本経済新聞社・編、1997.6.23.発行、1575円)

本書については、日経新聞に連載中でもあり、もうすでに読まれた方もおられると思うが、まだの方は是非読まれたい。その題名からしてセンセーショナルな本書は、21世紀に向けられた、資本の側からする警鐘である。しかしながらここに取り上げられた諸問題に関わるのは、資本のみならず、現代社会においてこれと不可分に結びつけられている労働者大衆=われわれ自身なのである。
本書の問題意識は、「21世紀をにらみ、日々姿を変えていく世界と、悩みが深いゆえに世界の速い動きに遅れがちな日本」を描くことにある。つまり「日本の戦後システムは工業化で欧米に追いつくのに大きな力となったが、その成功体験があるために、政府も企業も個人もシステムの大幅な見直しをためらう空気が消えていない。(中略)何を支えに改革を進めるのか、思想の軸も定まっていないようにみえる」が故に、より一層の急速かつ根本的な改革が迫られているということである。
それだけに日本の現状についての記述は暗い。例をあげよう。
経済──かつての大正バブル崩壊約25年後の1945年に敗戦という破局を迎えたように「今また日本は戦後システムの行き詰まりに直面しているが、最近の投票率低迷が示す
ように多くの個人は黙り込んだままだ。思い切った改革ができなかったらどうなるか。
歴史が繰り返すとすれば、バブル崩壊から約25年後の2020年ごろに日本は次の・敗戦・}える」。
企業──「4人に1人が高齢者になる2020年の日本では、財政の余裕もモデルチェンジに飛び付く若者も少なくなる。企業が甘えられる市場は消え、海外でと同様、国内でも本当の競争にさらされる。今目をさませば日本企業は自滅を免れるかもしれないが、甘えの自覚のない企業は、ほぼ確実に消えてゆく」。
外交──「日中の国交が正常化した25年前、中国にとって日本は大きな存在だった。しかし(略)きちんと対話できる関係をつくれないうちに、日本の存在感はしだいに小さくなり、中国は大きく成長した。(略)隣人とも対話のできない国は、この地域ではもちろん世界を相手の外交舞台でも発言力は先細る」。
教育──「どこで学んだかにこだわり、何を学んだかを問わない日本の教育の国際競争力は低い。多くの国籍の学生を採用しているのに、日本の大学は素通りする外国企業も増えている」。「受験生の減る202年に数字の上で入試は意味をなくす。それでも入試にこだわる親や社会の意識が変わらなければ、『何を』学んだかを問う世界に通じる教育にはなっていかない」。
若者──「先進諸国では、若者の間で『勤勉』『まじめ』といった価値観が薄れたと言われて久しいが、日本はその程度が一番激しく、もはや消えてしまったようにもみえる。しかし、そうした価値観を持つ大人世代がこの国の閉塞状況をどうにも乗り越えられないでいることも、若者は感じ取っている」。
以下、司法──「訴訟の国際化に対応できないまま、世界の中でポツンと取り残される日本の裁判所の将来がみえてくる」。経営者──「グローバルな競争で『敗者になるかもしれない』という予感を抱えながら、変革の副作用におびえるかのように経営者たちは立ちすくんでいる」。そしてサラリーマン──「日本的な雇用・賃金慣行は、2020年には消えているとみた方が自然だ。会社にぶら下がるサラリーマンには、つらい道が待っている」等々。
このように日本社会のあらゆる側面において、諸問題が山積されているという現実が、かなり的確に叙述される。そしてとどめとして、「先送り」はもう許されないと指摘されるのである。
本書では、第1章「日本が消える」、第2章「たそがれの同族国家」、第3章「失踪する資本主義」、第4章「漂流する思想」というかたちで、2020年の姿を予測するのであるが、その底を流れるのは、日本社会の閉鎖性、管理規則に対する批判であり、改革の遅れに対する苛立ちである。「疾走する」世界の中で取り残される日本という構図が、第5章「データで読む2020年」、第6章「シナリオを読む」といった裏付け資料とともに提出され、より一層危機意識を煽る結果となっている。すなわちこのままの日本では、危機が目前であるのに誰もそれを見ようとしないし、気づいていても動こうとしない、というわけである。本書を読む限りでは、この認識はほぼ正当なものと言えよう。
しかし問題は、われわれにとってどうであるかということである。本書でも指摘があるが、労働者あるいは地域住民の運動や自治を長年にわたって抑圧規制してきたツケが、今まわってきているという点から言えば、この危機も、日本社会全体の凋落、あるいはその凋落の資本の側による克服という中で、より弱い層により大きな負担を強いる可能性がある。世界から取り残された日本で、さらに踏みつけにされる層──高齢者等の社会的弱者──の犠牲を承知の上で日本社会の危機を論じる限り、真の解決はあり得ないことを銘記すべきであろう。本書のデータを踏まえた、自立した民衆の側からの方針の提起が必要とされている。本書は、日本社会の民主主義的な変革のための議論を呼び起こす一つの反面教師的な契機として読まれるべきであろう。(R)

【出典】 アサート No.239 1997年10月25日

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【投稿】戦後民主主義を問い直す  No.3

【投稿】戦後民主主義を問い直す  No.3

○改めて問題の核心を確認する
本誌(NO237)で、わたしは次のように書いた。
「それにつけても日本政府のこの問題に対する姿勢はデタラメである。『従軍慰安婦』と名乗りをあげた人の証言だけを唯一の根拠に、その裏付け調査もせず、『公式文書』も調査しても見つからない段階で、当時の日本政府・軍の『強制連行』は存在したと内外に発表したのである。(宮沢内閣当時の河野官房長官談話)
この河野官房長官談話のデタラメさが、『慰安婦』問題を複雑化させ、国際問題にまで発展させている諸悪の根源である。ここにも戦後日本の民主主義の弊害が露呈していると思えてならない」
これに対してNO238の本誌で田中さんから、(1)織田氏の論調は、「英霊にこたえる会」や「日本会議」と軌を一にするものであり、今こぞって右翼や保守反動勢力ががなりたてていることと同じである。(2)官房長官談話は、当時としても、そして今でもこの問題に関する大きな一歩前進であり、戦後日本の民主主義の一つの成果であった(情報公開の不徹底という致命的な弱点を含みつつも)。(3)従軍慰安婦の方々の証言も決定的に重要であると考えるが、官房長官談話を読めば、それだけを唯一の証拠にしているなどとは言えないことはすぐに分かること。との批判をいただいた。そして織田氏の主張のデタラメさは、官房長官談話をろくに読んでいないからだとして、最後に官房長官談話の全文を掲載されている。
わたしは何を問題にしたのか。『従軍慰安婦』をめぐる論争は(1)「慰安婦」を集めるにあたって、当時の日本政府・軍が国策として朝鮮半島や中国、東南アジアに住んでいた女性を「強制連行」したか否かが根本問題であること。(2)「強制連行」が国策として行われていたことが事実であるなら、現在の日本政府、そして我々日本人は、諸外国にさきがけて特別税を導入してでも道義的責任を果たすべきであること。(3)しかし、河野官房長官談話は、「従軍慰安婦」と名乗りをあげた人の証言だけを唯一の根拠に、その裏付け調査もせず、「公式文書」を調査しても見つからない段階で、当時の日本政府・軍の「強制連行」は存在したと内外に発表したのである。この官房長官談話のデタラメさが「慰安婦」問題を複雑化させている諸悪の根源であること。(4)「慰安婦の強制連行の有無」について、日・韓両政府が早急にだれもが納得する形で決着をつけ、国内外に明らかにすべきであること。以上である。

○どういう経過の中で河野官房長官談話が生まれたか
「強制連行有り派」も「強制連行疑問派、無し派」も、当時の日本政府・軍による強制連行を示す「公式文書」が現在のところ出てきていない点では一致している。しかし、1993年8月4日日本政府は河野官房長官談話として、当時の日本政府・軍による強制連行を認め、謝罪したのである。これによって、国際的に日本が強制連行を公式に認めたことになり、今日に至っているのである。なぜ、何を根拠に、宮沢内閣は「強制連行」を認めたのか。当時の政治状況にさかのぼって考える必要がある。
この間の動きについて年表的に列記する。
●1991年12月(平成3年)
元慰安婦という韓国人女性3名が、国家補償を求めて日本政府を提訴。
●1991年12月
「政府が関与した資料が見つかっていないので、今鋭意調べている。これは単に法律や条約の問題だけでなく、多くの人に損害を与え、心の傷を残した問題でもあるので、正確に調査を進めたい」と宮沢内閣加藤紘一官房長官は、日本政府を相手に謝罪と補償を求める裁判に対して記者会見を行った。
●1992年1月(平成4年)
「慰安所、軍関与を示す資料、”民間任せ”政府見解揺らぐ」という記事を一面トップで朝日新聞報道。
●1992年1月(平成4年)
宮沢首相訪韓。韓国国会で慰安婦に関して「実に心の痛む問題であり、誠に申し訳なく思う」と演説。?大統領は「日本が過去の歴史を正しく認識し、過ちを謙虚に反省することが必要」と記者会見。
●1992年7月
加藤紘一官房長官が、慰安婦に関する調査結果を発表。朝鮮人女性の強制連行を裏付ける資料は発見されなかったが、慰安所の設置や運営、監督などで政府が関与していたと初めて公式に認める。
韓国政府は、「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」を発表。日本政府による威圧的連行があったと主張。日本の教科書への記述を求める。この報告書での強制連行の証拠としては、後にまったくの虚構に基づく記述と判明した吉田清治著「私の戦争犯罪ー朝鮮人強制連行」など日本人による著書を根拠にしたものであった。
●1993年3月(平成5年)
韓国政府は、国内の慰安婦135人に対して500万ウォン(約74万円)の支援金支給などの支援策を発表。日本の教科書に慰安婦の記述を要望。
●1993年6月
文部省が高校教科書に関する検定結果を発表。平成6年度から使用の高校日本史教科書7社9種類のすべてに、戦争中の慰安婦に関する記述が登場。
●1993年8月
宮沢内閣総辞職前日、河野官房長官が「慰安婦関係調査結果発表に関する官房長官談話」を発表。従軍慰安婦の強制連行を示す証拠がないままに、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したことがあったことが明らかになった。」と謝罪。

○「強制連行」を明らかにできない河野官房長官談話
従軍慰安婦の強制連行の有無をめぐる問題の発端は、1991年12月韓国の女性3人が日本政府を相手取って東京地裁に提訴することによって始まった。政府は、同月から、関係資料が保存されている可能性のある警察庁、防衛庁、外務省、文部省、厚生省、労働省の6つの省庁について調査を開始し、その結果は1992年7月6日に『朝鮮半島出身のいわいる従軍慰安婦について』と題して発表されたが、それは前回の私の論文で記したように、センチの「慰安所」「慰安婦」の管理、監督に日本政府・軍が公式に関与していたことを示す文書が発見されただけで、強制連行を示す文書は発見されなかったのである。韓国政府はこの日本製布野調査結果に反発し、日本政府に追加調査を要求した。
日本政府は、さらに調査対象機関を6省庁のみならず、法務省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立文書館に調査範囲を拡大するとともに、関係者からの聞き取り調査も実施。その対象は、元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究者。また参考とした出版物は、韓国、日本で発行されているそのほぼすべてを狩猟したという。その調査結果を1993年8月4日(宮沢内閣総辞職の前日)、内閣官房内内閣外政審議会の「いわいる慰安婦問題について」という文書にまとめられ、それをもとにして河野官房長官談話が発表されたのである。前回の加藤官房長官談話と大きく違うのは、「官憲などが直接加担したこともあったことが明らかになった」という点である。談話を発表したあとの記者会見でも、「強制連行の事実があったということか」との記者の質問に、「そういう事実があった」と明言している。
しかし「官憲等が直接これに加担したこともあった」という根拠は政府調査報告資料のどこに存在するのか。外政審議会の報告文書に付属して発表された30ぺージにわたる資料「いわいる従軍慰安婦問題の調査結果について」を見ても該当するものがないということが明らかになっている。政府が発表した2回にわたる調査報告の中にも、日本軍による「強制連行」の文書が存在しないにも関わらず、河野官房長官は「強制連行があった」と国内外に日本政府として認めてしまったのである。その後、次第に問題が明らかになるにつれて、1997年1月30日の参議院予算委員会で、ついに平林裕外政審議会室長が、「政府が調査した限りの 文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした」と国会答弁としては初めて、政府の公式見解がなされるに至るのである。
ではなぜ、日本軍の強制連行を認めたのか。それは『文芸春秋・1997年4月号』の櫻井よしこ論文「密室外交の代償ー慰安婦問題はなぜこじれたか」で明らかとなるのである。そこで石原信雄元官房副長官が証言する。「日本政府は韓国政府の要求に応えて強制連行の裏付け資料を必死でさがしたが見つからない。そこで決め手となったのが韓国政府が用意した慰安婦16人の証言だった。」というのである。聞き取りは1993年7月26日から30日までの5日間、日本から派遣された4人の役人が「太平洋戦争犠牲者遺族会」の事務所で遺族会と慰安婦訴訟の原告団弁護士立ち会いのもと、一人平均2時間半をかけて聞き取り、A4版で40~50枚の報告書にまとめたという。
しかし、慰安婦たちの証言に対する裏付け調査は、韓国政府によって許可されず、その報告書も今日に至っても、マスコミの強い要求にも関わらず公表することを日本政府は拒んでいるのである。以上が河野官房長官談話に至る大まかな経過である。
河野氏は1997年3月31日付け朝日新聞とのインタビューでも「政府が法律的な手続きを踏み、暴力的に女性を駆り出した文書もなかった。軍人、軍属の中にも強制連行があったと証言した人もなかった。・・・・・総合的に考えると、『文書や軍人・軍属の証言がなかった。だから強制連行はなかった。集まった人はみんな公娼だった』というのは、正しい論理の展開ではない」と全く非論理的な発言をしている。

○日本政府は慰安婦聞き取り調査を公開せよ
田中さんは、「従軍慰安婦の方々の証言も決定的に重要であると考えていますが、官房長官談話を読めば、それだけを唯一の証拠にしているなどといえないことはすぐにわかることなのです」という。慰安婦の証言以外に「強制連行」を示す証拠が河野官房長官談話のどこにあるというのだろうか。その慰安婦の証言すら、公開されていないのである。公開されたなら、これだけ活発に論争されている問題である。あらゆる面からの検討がなされ、その真意は明確となるはずである。
河野官房長官談話の問題点は今やはっきりしている。慰安婦の強制連行があったか否かの根拠は4点にしぼられる。
(1)慰安婦の証言(2)「強制連行」を示す国の公式文書(3)元日本軍人や当時朝鮮に住んでいた日本人の証言(4)慰安婦の家族やその地域に住んでいた朝鮮人の証言の4点にわたって、その真意を日・韓両政府が共同で調査すべきである。両政府とも「強制連行」を認めているのだから、だれもが納得の行く形で早急に証拠調べを行い、その結果を国内外に公表すべきなのである。そこから、日・韓両政府、そしてそれぞれの国民が果たすべき責任もおのずと明らかになるのである。
(2)から(4)について何も明らかになっておらず、(1)についてすらその調査結果も公表しないでおいて、一方的に河野官房長官が日本政府として「当時の日本政府・軍が慰安婦募集にあたり強制連行した」と国内外に発表したことが、「当時としても、そして今でもこの問題に対する大きな一歩であったこと、戦後日本の民主主義の一つの成果であったとも言えると思います」と手放しで称賛する感覚にどうしてなれるのかさっぱりわからない、といったら嘘になる。
実はそうなる感覚が、わたしには理解できるのである。そこを検証することが、今シリーズで展開しようとする「戦後民主主義を問い直す」をテーマとしたわたしの基本モチーフなのである。(つづく) (1997/10 織田 功)

【出典】 アサート No.239 1997年10月25日

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【投稿】「戦後民主主義を問い直す」論考を巡る論争について

【投稿】「戦後民主主義を問い直す」論考を巡る論争について

本誌 No.234、No.237に「戦後民主主義を問い直す」と題した織田功さんの投稿が掲載された。
織田さんの問題意識は、「歴史観論争」を一つの契機に「戦後民主主義」を問い直したいということであり、その前提となる「事実認識に対する常識的論議、論争を高めてゆく」ことが重要だということにあるようだ(No.234)。
その具体的なテーマとして持ち出されたのが、いわゆる「従軍慰安婦問題」であった。 その内容のポイントは、「従軍慰安婦」については、日本政府が国策として彼女たちを「強制連行」したということを裏付ける事実はなく、そうした段階であるにも関わらず宮沢内閣において河野官房長官談話でこれを謝罪したのは極めて問題だということ。織田さんは、「強制連行」が国策として行われたのが事実であるなら、特別税を導入してでも「道義的責任」を償うべきだと述べておられることから、「強制連行」の有無に関する事実の実証的議論が深まらないことが、一番の問題だと主張されているように私には受け取れた。

次に、本誌 No.235を読むと大阪の田中雅恵さんが、織田論考に激しく反発しておられる。
「『改革と民主主義』をめざすこの情報誌に、突如右翼の論客が、もっともらしい理屈をこねまわして乗り込んできたのかと感じたのです。場所をお間違えではないのでしょうか。」と冒頭に述べられた上で、織田論考は「右翼や保守反動勢力」の主張といかに符合しているかということを整理され、そして、「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話(河野官房長官談話)」の全文を紹介された。
このやり取りを読む限り、織田さんが No.234で主張された「常識的論争ができる日本に」という問題意識に、もっともそぐわない姿になってしまったように見える。

私は、最近、努めて色々な立場で書かれたものを読むようにしている。「右翼」だの「保守反動勢力」だのというレッテル以前に、問題なのはその内容だと考えているからだ。
河野官房長官談話に関しては、「大化会」という、いわゆる「右翼」が発行している「月刊ふじ」(平成9年4月1日号)が、非常に興味深い記事を掲載している。
それは、産経新聞3月8日付けの石原・元官房副長官のインタビュー(一問一答)記事の分析・評価である。
石原長官の発言は、おおむね次のような趣旨であった。
●日本側のデータには強制連行を裏付けるものはなかった
●韓国側はそれでは納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた
●そこで、韓国で元慰安婦16人の聞き取り調査をしたところ、「明らかに本人の意思に反して連れていかれた例があるのは否定できない」と担当官から報告を受けた
●日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話に『(慰安婦の募集、移送、管理などが) 総じて本人たちの意思に反して行われた』とするのは、 両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況 から判断して、強制にあたるものはあると謝罪した。強 制性を認めれば、問題は収まるという判断があった
「月刊ふじ」は、このいきさつから「慰安婦強制連行」という政治的シナリオがまずあってそれに合わせて裏づけ資料を収集するという日韓合作で「日本史裁判」がねつ造されたと主張している。「ねつ造」と呼べるものかどうかはともかく、この談話が当時の国際情勢の中で、相当「政
治的」な判断で行われたものであることは事実だろう。

さて、ここからが重要なのだが、月刊 THE21「ざ・にじゅういち」97年3月号(PHP研究所)で韓国出身のエッセイストの呉善花(お そんふぁ)さんは、日本政府による「従軍慰安婦」の国家による強制連行容認と謝罪を疑問だとしながら、次のように指摘している。

「ただ結果論としていえば、日本政府は明らかにポリティカル・コレクトネス(政治的正義)の立場に立ったものとみられる。つまり、日本政府は、「法的・原則的な正義」に優先する「政治的正義」として「強制連行容認」の考えを選択したのである。問題を政治取引の結果とも、また外交交渉の失敗とも見ずに、積極的な国家意志としてみるならば、そこにははっきりと、ポリティカル・コレクトネスの立場が見えているのではないだろうか。となれば事態は慰安婦問題とは別に、きわめて深刻な政治的・社会的問題を含んでくることになる」

ポリティカル・コレクトネスとは、「歴史的な法律・道徳・習慣・伝統などに照らしての正当性よりも、現在の人々が置かれている現実の政治的・社会的な状況に照らしての正当性を優先すべきだという考えとなって、一定の定着をみている」ものだという。それは、「考え方だけをとればとても進歩的で立派なように見えるが、実際にはかなりおかしな現実を生み出す」、いわば「法や制度よりも『風潮が容認する正しさ』が優先される社会となるからだと、呉さんは述べている。

織田さんの「戦後民主主義を問い直す」との趣旨と極めて近い考え方だと思うが、私たち自身がこれまで関わってきた多くの運動がこうした「論理的枠組み」や「発想」で進められてきただけに、論争は常に「ねじれの位置」にあって、噛み合わない場合が多い。
しかし、実に重要な論点であるということをあらためて指摘し、織田さんと田中さんの論争がもう少し噛み合うことを期待したい。(大阪・依辺 瞬)

【出典】 アサート No.239 1997年10月25日

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【投稿】きわどい勝利 大阪堺市長選挙

【投稿】きわどい勝利 大阪堺市長選挙

先月号で都市部の自治体首長選挙におけるオール与党対共産党という構図についてふれた。大阪の堺市長選挙はその時点で選挙戦終盤を迎えていた。
昨年O-157集団食中毒事件が発生した堺市では、3名の死亡を含む1万人を超える発病者を出すなど、市民の心の中に深い傷が残っていた。現職幡谷市長に対して共産党は前回も出馬した医師の安賀候補を立候補させ、「O-157の責任を取らない無責任市長」「敬老無料パスの廃止など福祉に冷たい」「新日鉄跡地に4000億円を投入するなど大企業奉仕」などと批判。共産党の名前は表に出さず、「市民団体」候補として宣伝戦が繰り広げられた。
現職陣営も、告示を前後して「現職危うし」の危機感が高まり、やっとのことで選挙らしい選挙行動が開始され、その勢いが終盤まで続くことになった。
共産党の躍進傾向と「O-157問題の責任追求」という上げ潮ムードの中では、共産党候補はかなり強いという認識は現職陣営にもあったし、それ以上に「本当に勝てる」という意識が共産党側にあったと思われる事実もある。一度も出さなかった共産党の市長選挙ビラの全戸配布が投票日2日前にまかれたが、それまで自治省出身知事と市民団体の医師候補という構図を演出してきた共産党の余裕でもあったし、過信でもあった。
「O-157」の責任問題とは言え、未だ原因は学校給食にあったとしても、食材の特定も科学的には出来ていないし、責任追及も「道義的責任」や、「市長は減俸した後、報酬を10万円引き上げた」などの「感情的批判」に終始したことも、良識判断からすれば「ためにする批判」との判断もできる。補償対象者約1万人のうち9千数百名と補償が成立、残るのは共産党関係者ではないか、との声もある。
ともあれ、そうした「Oー157」の責任追及と「共産党市長の誕生への危機感」という逆の争点の盛り上がりは、投票率を前回より2%押し上げることになった。
結果は1万票余りの差で、現職市長は逃げ切った。
共産党陣営は、善戦として「神戸市長選挙につなげたい」とわけのわからないコメントを毎日新聞に載せた。
そして、現在は神戸市長選挙が終盤を迎えている。ここでも阪神大震災への対応・責任問題みたいな争点で闘われているという。10月号発行の翌日26日が投票日だが、果たしてどんな結果がでるのだろうか。(佐野)

【出典】 アサート No.239 1997年10月25日

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【投稿】風前の灯・橋本政権とCO3京都会議・原発増設問題

【投稿】風前の灯・橋本政権とCO3京都会議・原発増設問題

<<失望どころか、失笑>>
12月に京都で開かれる地球温暖化防止会議=CO3(第3回気候変動枠組み条約締国会議)に向けて、議長国である日本が発表した温室効果ガス排出量削減に向けた日本政府提案は、今や失望どころか、失笑を買うにまで至っていると言えよう。
2010年で90年比15%の削減目標を決めた欧州連合(EU)に対して、日本政府提案は5%、このあまりにも大きな開きには驚かされるが、さらに問題なのは各国の事情に応じた削減率の縮小を可能にする「実質目標率」を導入、さらにそれでも困難な事情がある場合は、最低限の義務としての「法的拘束目標」を定めるという、二重、三重の抜け穴、小細工を用意していることである。これを日本に適用すると、最大限5%、実質目標2.5%、最低限の法的拘束目標0.5%となってしまう。産業界がすばやく歓迎の談話を発表したのもうなずけよう。1国だけでアフリカ大陸とアジア大陸の半分以上に匹敵するCO2を排出しているアメリカでさえ、日本と同じ2.5%程度の削減ですますことができる。
9月中旬、世界自然保護基金WWF日本委員会は「日本でも2010年にCO2排出量を14.8%削減することは可能」であるとして、経団連の自主行動計画によってさえ、鉄鋼、紙パルプ、化学などのエネルギー多消費産業で2010年に10%削減の改善計画が掲げられていることを指摘している。さらに9月末に、世界60カ国、1501人の科学者(日本からは利根川進氏、江崎玲於奈氏ら)が「貴重な時間が浪費されてきたのは、この問題に対処する指導者があまりに少なかったからだ」と警告し、CO3京都会議で「強力で意味のある条約を締結する」よう求める呼びかけを発表しているが、議長国日本のこのあまりにも低い削減目標、その「5%削減」さえ表向き、後は、各国入り乱れての削減目標縮小要求で、果てしなき妥協と手打ちが行われ、会議開催の意味そのものが問われる事態となっている。

<<「橋本辞任→円買い」の流れ>>
橋本首相は「リーダーシップを発揮して、立場を異にしている国々をいかに収斂させながら国際合意の形成が進むようにできるか」などと述べていたが、もはや議長国としてのリーダーシップはすでに放棄されたも同然である。登山を趣味とし、環境派と自任さえしていた橋本首相は、この問題でもと言うべきか、何ら指導性を発揮できなかったのである。環境庁は、当初、7%削減目標を掲げ、それは実行可能だと主張していたのに対して、通産省は横ばい=0%を主張、外務省は拝米主義でアメリカの御機嫌を伺い、数値目標設定そのものに疑問を呈し、閣内はもはや意思統一はなきに等しく、京都会議でのリーダーシップどころか、混乱回避のことなかれ主義に右往左往しているのが実態である。
京都会議の開催場所である京都市は、すでに今年7月に10%削減目標を設定しており、10/15の記者会見で桝本市長は「政府は少々しんどくてもやらなくてはいけない」として政府の5%削減案の再考を要請し、京都市議会も削減率見直しを求める意見書を全会一致で採択している。しかし、橋本政権はこれに応えれるような状況にはない。
こうした最中の10/9、東京外国為替・金融市場で橋本首相の辞任説が広く流れ、「橋本首相は進退窮まり、辞任せざるを得ない状況に陥る」という解説付きで相場を動かす材料にまでなったのである。ところが問題は、たとえうわさに過ぎないとしても通常なら「政局混乱で円売り」となるところが、逆に「橋本首相の辞任→改革路線の見直し→景気対策を重視する新政権の発足→所得税減税を柱とする大型の景気刺激の発動」との連想を生み、「景気対策を歓迎した円買い」となって、円相場を押し上げ、債券市場でも「首相辞任で景気が上向き、空前の超低金利が是正される」と受け止められて、先物売りの一因になったという(10/10日経)。橋本辞任、好材料なのである。市場は敏感に、あらゆる問題で指導力も牽引力も発揮できなくなってきた橋本政権の末路を現実的なものとして予測し始めたことをあらわしているとも言えよう。
すでに、梶山前官房長官は「12月激動説」を口にしだし、これに呼応して小渕政権に向けた旧経世会を軸にした保守再結集の動きがにわかに動き出している。ここには、佐藤孝行総務庁長官の入閣・辞任問題をきっかけに急速に指導力を低下させ、支持率も急落してきている橋本内閣のいつ崩れてもおかしくはない脆い実態が浮上してきているとも言えよう。

<<「温暖化か放射能汚染か」>>
ここでCO3京都会議と関連して見逃し得ない問題が提起されている。それは、10/6、第二次橋本内閣の村岡官房長官が、温室効果ガス排出量削減に向けた日本政府提案を紹介した後、この程度の提案であっても、5%削減はおろか、言うに事欠いて「原子力発電所の20基増設でも、ゼロ%がやっと」とまで発言したことである。CO2問題がいつのまにか原発増設問題にすりかえられているのである。通産省の試算によると、日本の発電量に占める原子力発電の比率を、95年度の32%から44%に引き上げ、原発の設備容量を原発20基分に相当する2550万KW増やし、計7050万KWにしなければならない、という。そのために通産省幹部は、「地元や国民の理解を必死で求める」としているが、その一方で、「20基にこだわるのではなく、十数基の増設を確保し、1基ごとの効率を上げていけば、何とか達成できるかもしれない」などと述べている(10/16朝日)。
これとまったく同じ論法が、南太平洋諸国に対しても用いられている。同諸国首脳会議は9/19、地球温暖化による海面上昇への懸念を表明したコミュニケを採択したが、各国代表は同時に日本の高レベル放射性廃棄物の輸送についても強い懸念を表明したのであるが、日本から派遣された外務省の高村政務次官は、「原子力が海水面上昇につながるCO2などを排出しないエネルギーである」ことを強調して理解を求めたと言う。ここでも、温暖化と放射能汚染のいずれをとるかという二者択一を迫っているのである。この輸送は、30日に及ぶ輸送期間中、船の全損失につながるような事故発生の確率は6%と計算されており、今後10年間、毎年2ないし3回予定されており、たとえ微量であっても何らかの理由で放射能汚染がこの地域に放出された場合、漁業・観光資源は言うに及ばず住民の健康そのものにとっても致命的な損害をもたらすものである。取り引きの対象ではありえない地球温暖化問題と相撃ちにした、一種の恫喝と言えよう。

<<核燃料サイクルの無謀>>
これでもかこれでもかと続く大小無数の原子力施設の事故に対して政府、科学技術庁、原子力安全委員会などのとってきたどうしようもない無責任・無能力体制は、ここで改めて指摘するまでもないことであろう。ごく最近でも、95/12のもんじゅ事故、97/3の東海再処理工場事故、97/4の「ふげん」のトリチウム漏れ事故に続いて、廃棄物ドラム缶からの放射能垂れ流しが発覚、そのずさんは組織ぐるみ、15年以上にわたる隠蔽工作、問題個所をわざわざはずした「総点検」、科学技術庁自身も関与した何十億円もの予算詐取と流用、「健康に害はない」などとの居直り、あきれるばかりの腐敗と無責任体制である。さらにこのほど明らかになった、鳥取県・人形峠の30年以上にわたるウラン残土放置事件は、ドラム缶に入れるどころか野ざらしのまま民家周辺に不法放置してきたものであり、88年に発覚以来の地区住民の徹去要求に、動燃
はまったく何も答えてこなかったものである。
もはやこのような動燃、科学技術庁は廃止以外に道はないと言う世論の高まりの中で、政府は、動燃の看板だけを付け替えて、高速増殖炉と放射性廃棄物処理を担う「新法人」を設立することで事態を糊塗、切り抜けようとしている。低レベル廃棄物でさえ30年間野ざらし、放置してきたものが、高レベル廃棄物で要請される50年間の一時保管、その後の1万年保管など、とてもそれを行う能力、資格ともゼロであると言えよう。現在でもすでに1万2千本に相当する高レベル廃棄物が各原子力発電所から発生しているにもかかわらず、危険極まりない青森県・六ヶ所村の一時保管施設の容量は1440本であり、拡張しても3000本までである。現在、六ヶ所村の日本原燃(株)で、フランスから返還された68本の高レベルガラス固化体が保管されているが、一本当たりの年間保管料は4億円に達する。核燃料サイクルを維持しようとすれば、これが膨大な額に膨れ上がることは、目に見えている。その危険性が決定的であるが、経済性からいっても、そもそも核燃料サイクル存立の条件はどこにも存在していないことが明らかなのである。この上さらに原発を増設するなど、無謀・無責任以外のなにものでもないと言えよう。

<<「原発震災」の現実的可能性>>
しかも地震多発列島・日本列島という非常に重大な条件が忘れられてはならない。六ヶ所村のすぐ東方沖は、太古の歴史以来巨大地震の多発地帯であることは周知のことであり、M8.0級の地震を引き起こす海底大活断層が存在している。さらに日本の多くの原発が、地震予知連が指定している特定観察地域、観察強化地域、その隣接地域に集中していることも重大である。
以前にも紹介したことのある『大地動乱の時代』(岩波新書)の著者である石橋克彦氏は、静岡県の浜岡原発について、岩盤とされている地層が砂岩泥岩互層の軟岩で、来たる東海地震で1m程度の隆起が起こる可能性が指摘されており、いくら原発の建物が堅固であっても、隆起により地盤が傾斜したり、変形、破壊が起きれば原発にとって致命的であると強調し、さらに「東海地震による“通常震災”は、静岡県を中心に阪神大震災より一桁大きい巨大災害になると予想されるが、原発災害が併発すれば、被災地の救援・復興は不可能になる。大地震によって通常震災と原発災害が複合する“原発震災”が発生し、しかも地震動を感じなかった遠方にまで何世代にもわたって深刻な被害を及ぼすのである。…正常な安全感覚があるならば来世紀半ばまでには確実に発生する巨大地震の震源域の中心に位置する浜岡原発は廃炉を目指すべきであり、まして増設を許すべきではない」と強調している(岩波「科学」97/10月号)。石橋氏はさらに朝鮮半島からら中国、インドシナにいたる地域は潜在的に大地震の可能性の大きい場所であり、原発熱を冷ますべきであるとも指摘している。
政府の言う「原発20基増設」の中には、この浜岡原発の5号機の増設も当然のこととして計画されており、さらにこれから新しく立地計画が想定されている大間(電源開発)、東通(東北、東京電)、上関(中国電)、珠洲(北陸、関西、中部電)、芦浜(中部電)など、いずれも近年、大地震の可能性のある活断層上かそれに隣接している危険な地域である。原発密集地の敦賀半島周辺は、このほど通産省工業技術院地質調査所が現地調査で突き止めたところによると、この地域の活断層が二つ同時に活動したことが明らかにされたという(10/8朝日)。立地安全審査の想定外の事態である。非常に重大な危険と隣り合わせで事態が進行していると言えよう。地球温暖化の取り引き材料として原発増設を提起するなど、もってのほか、その無責任さが徹底的に追及されなければならないのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.239 1997年10月25日

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【投稿】共産党大会に思うこと

【投稿】共産党大会に思うこと

<上げ潮ムードに浸っているが・・>
共産党の第21回大会がマスコミの注目を浴びている。
それは、都議選で議席を倍増したこと、地方議員の数が昨年自民党を抜いて第1党となり、引き続き、政党支持率でも新進・民主を超える数字が世論調査で出ているからであろう。
さらに、この間の不破委員長や志位書記長の発言の中に「保守との連携も視野に入れて・・・」云々の文言が飛び出し、現実路線に転換か、との評価があるからである。しかし「政権を目指す」とか「一部の保守とも連携」なる言葉は、旧社会党を支持してた層や所謂無党派層受けを狙ったものに他ならない。それは、あいも変わらぬ「セクト主義」と「民主集中性」を基礎をもった「科学的社会主義」などの基本路線に対しては、国民の支持があるわけではなく、表面的な「見え」を狙ったものだが、それを言わないと、単なる批判票は、いつでも逃げていく、という現実への彼らなりの対応なのかもしれない。
確かに、地方議員が増えており、その一因には積極的な女性議員候補の登用が地方議会にその比重を増しているという指摘もある。
大阪でも、こうした上げ潮ムードを受けて、首長選挙について「オール与党」体制や多選首長への批判をテコに、特に自民党や保守と組んでの例が目立っている。自共対決ではなく「自共共闘」での京都府城陽市長選挙がそうであるし、9月に執行された大阪府箕面市の市長選挙でも、同様の市民派候補のような形で、共産党は介入している。自治労連や民商の宣伝カーを根こそぎ投入して、宣伝戦を行った。箕面市では連合推薦の現職市長が辛くも逃げ切った。
現在大阪の自治体選挙の焦点は、昨年oー157集団食中毒が大量発生し、死亡者も出した大阪府堺市の市長選挙である。10月5日が投票日だが、上げ潮の余勢をかって、連合候補と共産推薦候補の一騎打ちとなっている。
残念ながら、ここでも総体的な政治的無関心の傾向は現われており、前回の投票率が34%だったが、今回はさらに下回ることが予想されている。投票率がこの程度である限り、首長選挙への共産党の介入は常態となる可能性がある。
一方、労働運動の舞台では、現状維持ないし減少傾向が出ており、選挙・政治活動への労組の引き回しは、彼らの影響力のある組合の弱体化が予想できるのは皮肉である。

<共産党は変わっていない>
決して共産党が変わったから、支持率が増えているのではない。「民主集中性」や「科学的社会主義」という基本路線になんらの変更も行われていないのだ。そこに彼らのジレンマがある。
私も久しぶりに、共産党系書店に行き、「21回党大会決議案」の載ったパンフを購入した。一読してびっくりしたのは、大会決議案から「帝国主義」という言葉がまったくない、ということである。アメリカを指しての用語は「アメリカ覇権主義」であり、「わが党はアメリカの安保や基地についての政策は厳しく批判するが、独立宣言にはじまるアメリカ民主主義の歴史のなかには、多くの価値あるものを見出している」として、「安保解消、アメリカともアジアとも真の友好関係を築く」云々と、少々当惑する表現で、日米関係が語られている。
基本路線には(綱領や社会主義路線)、一切手を付けない党大会、自共対決の時代というが、赤旗収入も減少している中、この党の行方は、まだ混沌としているのではないだろうか。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.238 1997年9月27日

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【本の紹介】がん治療と未必の故意 近藤誠著

【本の紹介】がん治療と未必の故意 近藤誠著

         『患者よ、がんと闘うな』96/3/30発行、文芸春秋社刊、1359円
  『それでもがん検診うけますか』94/11/4発行、ネスコ/文芸春秋社刊、1500円
        『がん専門医よ、真実を語れ』97/3/1発行、文芸春秋社刊、1500円

<<許さるべきではない治療行為>>
ごく最近、筆者の尊敬する先輩が亡くなられた。尊敬というよりも、敬愛というか、その容貌からはとても想像もできないような軽妙洒脱で鋭い観察眼、眼力を備え、混沌とする現在の政治・経済・社会・文化をバッサバッサとなで斬りにし、このところ少し駄洒落がいきすぎてはしまいかというきらいはあったが、その表現力の豊かさ、文章のうまさには実に感嘆させられるばかりの健筆、頑健、活動的な闘士であった。権力風を吹かせる者、知ったかぶりの傲慢不遜な論者に出会うと、顔を少し斜めにして、ふんふんと聞きながら、相槌までも打ちながら、すべてを疑う姿勢が丸見えの強烈な個性の持ち主であった。
そのような方にして、ご自分の病気、がんの進行について、その治療方針について、あるいは広く現在の医療、医学界について疑いの眼を貫徹されていたのだろうかと、ふといぶかしく思わざるをえない急逝であった。すでに事前に「辞世」の一文までしたためられてはおられたが、生きる意欲満々で「ひとまず」書いておき、「本心のところ、今すぐくたばる気はしません」と明言されておられるように、ご自身のみならず、周りのすべての人々にとっても意外な残念極まりない事態の進行であったように思えてならない。
ここ数年来、国立循環器病センターで定期的に検診を受けられ、ある日、精密検査の必要を告げられ、「より高度の専門知識と経験を持つところがよい」と専門病院を紹介され、入院された。入院中も実に元気で旺盛に文章を書かれ、片っ端から読書をされ、野球の試合に一喜一憂され、ほがらかに談笑されていた。ところが、医師から手術をしなければ云々と説得され、ついに長時間に及ぶがん患部の切除手術を受けられた。手術は成功と思われていたが、それからあっという間の事態の急変、急逝であった。
そこにはいったい何があったのであろうか? 病院側は適当なことを言いつくろうものである。こうした事例といっては失礼極まりないことだが、とりわけ、がんで死にいたる場合、しばしば見聞もし、筆者自身わが親についても経験し、どうして人生の最後を本来あってしかるべき心の準備もないままに、数々の医療器具という名の拷問道具によって責めさいなまれ、あげくの果てに死に追いやられてしまうのであろうか。実のところはまったく非科学的で、場当たり的なこうした治療行為は本来許されるべきではないのではないだろうか。これは、医療界では最善の治療という名の下に公然とまかり通っているいわば未必の故意ともいえる一種の殺人行為ではないのだろうか。

<<『患者よ、がんと闘うな』十ヵ月目の総括>>
こうした疑問に少なくとも正面から答えようとしているのが、ここに紹介する近藤誠氏の一連の著作である。著者は慶応大学病院の放射線科で乳がん治療の最前線において、それこそがんと真剣に闘っておられる。そのさまざまな苦い経験と反省から一連の著書が問題提起として広く世間に問われてきたのであるが、医学界ではほとんど無視ないしは、意図的に論議を回避するように仕向けられてきたともいえよう。しかし昨年出版された『患者よ、がんと闘うな』は、その題名からして挑発的なために、つい最近まで一大センセーションを巻き起こし、ベストセラーともなり、カンカンガクガクの議論を医学界から社会全体にもたらしたもので、多くの方が一度は関心を示されたことと思う。当初はまったくわれ関せず、と鼻にも引っかけぬ態度をとっていたその筋の「権威ある」医師たちもやむをえず歯切れの悪い反論をし始めた。今年の3月に発行された『がん専門医よ、真実を語れ』は、こうした反論と対論をも含めた、『患者よ、がんと闘うな』から十ヵ月目の総括的文書ともいえるものである。以下のように、その目次からして刺激的である。
第Ⅰ部 がん医療をめぐる8つの対論
1抗がん剤・がん手術・がん検診・がんもどき理論
本当にがんと闘わなくていいのですか?
「がん治療」白熱大論争
「白熱大論争」その後
「近藤がん理論」はどこまで正しいか?
2がん終末期医療とその問題点
がん終末期医療をどうすべきか
がん患者に「安楽死」などいらない
3抗がん剤と薬害エイズ
産・学・官 学者がいちばん悪い
薬で儲ける恥ずべき医師たち
4『患者よ、がんと闘うな』十ヵ月目の総括
「がん患者よ、手術万能思考を捨てなさい」
がん専門医よ、真実を語れ
第Ⅱ部 批判と疑問に答える
がん患者はどうしたら救われるか?
逸見政孝氏のがん治療への疑問に答える
学会の場での専門家たちの言動の問題点
すべての批判に答えよう

<<もっと広く深く議論を>>
近藤氏の基本的な主張をまとめると、以下のようになる。
① 日本のがん治療には、他の治療法で十分な場合にも手術が行われているという手術のし過ぎの現状があり、合併症・後遺症がひどい拡大手術が横行していて、手術死も多い。
② 抗がん剤が有効なのは全がんの一割でしかないのに多くのがんに使われており、使い方が拙劣で副作用死も多い。
③ 患者の同意なしに臨床試験(治験)が行われており、死者も出ている。
④ 終末期医療の内容がおそまつであり、患者が必要以上に苦しんでいる。
⑤ がん検診は有効性が証明されていない一方、害や不利益が山のようにある。
⑥ 形態学的に「がん」とされるもののなかには、性質上がんとはいえない「がんも
どき」がある。
これは著者自身が自らの主張を簡潔に整理したものである。いずれもこれまでのがん治療の一般的な常識とは真っ向から対立するものといえよう。冒頭にふれたまだまだ元気に活躍できることが誰しも認め、実際に両のまなこで確認できる方が、まさに①で指摘されたような不用意極まりない手術の結果によって死に至らしめられたといえる。本来あってはならない手術死、副作用死、院内感染死、実験死、等々、ある種の殺人罪が医療の現場では平然と日常茶飯事のように行われ、反省も自己点検も行われていない現状を、近藤氏は鋭く具体的に指摘し、根本的な転換の方向を示している。これほど切実で、誰しもがなんらかの形で直面する問題であるだけに、もっと広く深く論議が深まることを期待して止まない。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.238 1997年9月27日

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