『詩』  男の住所は 分かったが

『詩』  男の住所は 分かったが

                 大木 透

男は
無言のまま
去っていった
姿を見せぬまま
消えるように
まるで
四隅の
はっきりしない
白黒映画を
見ているような
別れだった
俺は
恨んでも
恨まれても
帰らぬ青春のほうに
話が向かうのが
恐ろしくて
つとめて
明るく
煙を吐きながら
待っているよ
と言ったのに
そのまま
線を引きちぎるように
電話は
切れた
それは
自費出版の
詩集を送って
数日後の
電話だった
感想を書くよ
と言っていた

それから
お世話になった
大学教授が死んだ
時代の色が
変わるように
それでも
男は
現れなかった
俺の
自費出版の
詩集の「傾向」に
怒っていたのだ

想えば
北浜の
デパートの屋上で
危ないレポをし合った
あの時の
あの夢の境界を
すっかり過ぎて
その果てに
来てしまっているのに
無限であるはずの
夢の膨らみもなく
ともに
外国に飛ばされそうになって
男は
実際に
何十年も
外国暮らしを
余儀なくされたというのに
男のために
帰るべき
語るべき
一行もない
俺の
身勝手に
男は
怒っていたのだ
(一九九七・一二・三〇)

【出典】 アサート No.245 1998年4月24日

カテゴリー: | 『詩』  男の住所は 分かったが はコメントを受け付けていません

【書評】「何となく日本人、いつまでも日本人」を歴史的視点から批判

【書評】「何となく日本人、いつまでも日本人」を歴史的視点から批判
        網野善彦『日本社会の歴史(上中下)』
        (岩波新書、1997年4・7・12月発行、上・中630円、下640円)

戦後日本社会の評価をめぐって、主に歴史観上での論争が続いており、本紙でも一石が投じられて波紋を呼んでいる。それは、日本の戦後民主主義に根本的な疑問を提出することから、「日本」および「日本人」そのもののあるべき姿を問題にするところまで、進んでいる。
このような折に本書は、この「日本」および「日本人」という表現を、われわれが何とはなしに了承して使用していることを指摘し、これに対して明確な「日本」および「日本人」像を歴史的事実として認識することを目指す。すなわち著者は、「これまでの『日本史』は、日本列島に生活してきた人類を最初から日本人の祖先としてとらえ、ある場合にはこれを『原日本人』と表現していたこともあり、そこから『日本』の歴史を説きおこすことが普通だったと思う。いわば『はじめに日本人ありき』とでもいうべき思い込みがあり・・・」、こうした状況が日本人の歴史像と自己意識を不鮮明なものにしてきたとする。
ところが「事実に即してみれば、『日本』や『日本人』が問題になりうるのは、列島西部、現在の近畿から北九州にいたる地域を基盤に列島に確立しつつあった本格的な国家が、国号を『日本』と定めた七世紀末以降のことである」。「それ以前には『日本』も『日本人』も、存在していないのである」。
著者は、こう述べることで、現代日本人の持っている「『なんとなく日本人、いつまでも日本人』という曖昧きわまる自己認識」を厳しく批判する。そして本書においては、この列島上に成立した人類の社会の歩みが、アジアの諸地域との切り離しがたい関係の中で考察される。本書は、通史というかたちをとるが、その中で現代の日本人および日本国の形成過程と、その形成過程そのものによって否応なしに規定された現代日本の諸問題が浮かび上ってくる。このことは、根源的には「社会」と「国家」との矛盾対立、妥協と抑圧という過程を認識していくことであるが、それはまた歴史的に多様な豊かさを持ったこの列島諸地域の「社会」の存在を確認していくことで、「日本」という呪縛に根底的な疑問を呈することでもある。
本書は、原始時代の列島社会から説きおこし、首長たちの時代、古代小帝国日本国の成立発展矛盾、中世の東国王権(鎌倉幕府)と日本国王室町将軍を経て、近世の地域小国家の分立抗争と再統一(17世紀前半)までを叙述している。江戸時代前期までで終っているのは残念と言う他ないが(これ以降現代にいたるまでの時代については、「展望」として略述されている)、ここまで読んでみても、この列島社会が単色の「日本」というかたちで括りきれないことは明らかであろう。
しかしそれにもかかわらず、われわれが今なお「日本」というかたちにとらわれ続けているのは何故か。著者はその理由を、明治国家が教育を通じて社会全体に徹底的に刷りこんでいった、偏り・誤りにみちた「日本国」「日本人」の像にあるとする。
例をあげよう。著者は、こう述べる。
「いうまでもなく、(略)日本列島はアジア大陸の北と南を結ぶ懸橋であり、こうした列島の社会を『孤立した島国』などと見るのは、その実態を誤認させる、事実に反し、大きな偏りをもった見方であるが、明治国家のつくり出したこの虚像は、最近にいたるまで研究者をふくむ圧倒的に多くの日本人をとらえつづけ、いまもなおかなりの力を持つほどの影響力を及ぼしつづけているのである」。
「この政府の姿勢が農業に偏していたことは確実であり、農業以外の生業をみな兼業・副業としか見ない、現在もなお生きているとらえ方は、(略)明治以後、さらにきわめて深く社会に浸透したことは間違いないといわなくてはならない。こうした政府の姿勢のもとにあって、河川、海、山に依拠した多様な生業が日本人自身の視野から大きく落ちていったことも間違いなかろうが、これもまた、現在にいたるまで、なお研究者をふくむ圧倒的多数の日本人をとらえつづけている歴史認識なのであり、明治政府の陥った『偏向』の影響はまことに甚大であったといえよう」。
このように現在のわれわれの「常識」とされている見方が、その実明治国家によって刷りこまれた「日本」という呪縛であることが指摘される。そしてこのことがわれわれ自身の明確な自己認識を阻止するシステムとなってきたのである。
この視点から著者は、「明治政府の果たした役割については、これまでよりもはるかにきびしいマイナスの評価をしなくてはなるまい」とし、「明治以後、敗戦にいたる過程だけではなく、敗戦後の政治・社会の動向についても、前述した『常識』の誤った思いこみを捨て、『日本』そのものを歴史的な存在と見る視点に立って、徹底した再検討を行うことが、今後の緊急な課題として浮かび上ってくる」と主張する。
以上本書は、保守勢力のみならず、進歩革新勢力をも巻き込んだ圧倒的多数の日本人の「日本」観と「日本人」観に対して、根底的・徹底的な視点の変革を実証し、要求する。それは日本列島の社会が、決して単一でも均質でもないことを確認するとともに、列島外の諸地域との深い関わりを解明把握しようとする(例えば、現在は『日本海』と呼ばれている内海についての適切な呼称の検討も今後の課題の一つとされる)。この意味で本書は、現在行われている「日本」および「日本人」をめぐる論争に大きなインパクトを与える書であるといえよう。(R)

【出典】 アサート No.245 1998年4月24日

カテゴリー: 書評, 書評R, 歴史 | 【書評】「何となく日本人、いつまでも日本人」を歴史的視点から批判 はコメントを受け付けていません

【投稿】戦後民主主義を問い直す  No.5

【投稿】戦後民主主義を問い直す  No.5

本誌前号(NO244)・Rさんの書評論文の最後に、この間のわたしの投稿に関わって述べられている点について、感じたことを今回は書くことにしたい。Rさんは、次のように述べられている。
「戦後民主主義をどう見るかという問題は、現在の日本社会をどう見るか(内側からと同時に外側から)という問題と不可分であるということである。」と前置きした上で「ここで重要なことは、「日本という近代国家」が成立してきた歴史的経過を解明することではないか」として、その具体例として近代国家として「無理にまとめてきた明治政府の強権的政策の内容(教育、軍隊、宗教、天皇、戸籍などの諸制度から、時間・空間・人間関係・身体にいたるまで拘束管理社会の形成を目指した)などは、まだ充分に解明されているとは言い難い。」と述べられている。そして「『日本的なもの』ということの中味が多種多様であるという中で、『世界史の中に日本の歴史を位置づけなおして見なければならないのではないか』という問いは、そう簡単に明々白々たる答の出るものではない。しかし少なくとも『世界史の中で日本の歴史を位置づけ直す』にあたっては、日本がアジア諸国から、過去においてどう見られてきたのか、また現在どのように見られているのか、という視点だけは落とすべきではないと考える。(このことは現在に関して言えば、アジア諸国への経済進出やODAの評価のみならず、それらの国々での買春ツァーや子供ポルノの大半に日本人が関係しているという事実等をも含めての日本の評価が必要だということである。)」と締めくくられている。
現在の日本社会をそう見るかという問題と不可欠であるという点についてはまったくそのとおりだと思う。私は「戦後民主主義を問い直すNO1(NO234号)で、次のように書いた。「市場経済と社会的規制の共存的発展が、先進資本主義国の国民の生活の飛躍的向上と、格差是正(平等性)を実現させた。とりわけその両方を著しく実現したのが、戦後50年間における日本であったのではないだろうか。」と。
わたしは、今日の日本は先進資本主義国の中でも、優れて所得間格差の少ない、平等性・医療・社会福祉・教育制度の確立した国に到達していると考えている。もちろん内側から見て、問題点が多々あり、今後解決しなければならない難問がつきまとっているのは当然である。しかし外側(諸外国)から見て、比較すればそう断言できる。(いちいち論拠を挙げないが、アメリカの所得格差やイギリス、フランスの身分性の強さと比較しても)
日本がここまできた到達点を、われわれ国民がどう評価するのか。この到達点には光と影が当然存在するわけであるが、大部分の国民は本音として、光を明確には把握できないまでもそれなりに評価していると思う。光とは何なのか、影とは何なのか、それはどのような歴史の営みの中で産み出されてきたのかということを、国民的共通認識として確立することが求められており、その光をまず踏まえながらこれから21世紀に向け、影の問題をどう解決していくか、これこそ、民主主義社会に生きているわれわれ国民が責任を持って取組んでいくべき国民的課題だと思う。
しかしながら、この我が国日本の到達点の光と影をどう評価するかについて、戦後50年あまり、知識人、文化人と自らを規定し社会的にもそう評価されてきた人々を中心とした言論界やマスコミの世界では、影ばかりを強調し、光を評価することを意識的に無視する論調が主流を占めつづけてきたと思う。私も含めて自らを左翼と規定してきた陣営は言わずもがなである。そして、無意識の中で光の部分は十分享受しながら、影の部分については意識的に言論界やマスコミの論調に乗って、批判することがあたかもみずからの権利の主張、進歩的思考のごとくする風潮が、戦後民主主義の中に存在してこなかったか、そのことを私は今自らに問い続けているのである。
そんな思いから、「戦後50年間、日本では国益論、公共論を真っ正面から論議することを避けつづけてきた。今日のさまざまな改革論議の根底には、『自己責任』という観点から国家を考え、地方を考える力が戦後50年の営みの中で国民についてきつつあるととらえるべきであり、そこに信頼を置いた常識的論議、論争ができる環境作りが大事になってきているとおもえてならない。『常識的』とは、歴史的に形成されたそれぞれの国民の生活の中から自ずと出てくる実感に言葉、表現を与えるということであろう。あらかじめ決めている価値観、イデオロギーのもとにどちらが正しいかという論争や、どこかに主要敵を作りそれが諸悪の根源だとする思考からは、生き生きした現実的改革は産まれない。諸悪があるとすれば、その諸悪の一端を自らも何らかの場所や行為でになっているという自覚、またそれを改善する権利が自らに保障されている社会に住んでいるということの自己責任が求められているのである。」(本誌NO234)と書いたのである。
Rさんは「重要なことは日本という近代国家が成立してきた歴史的経過」すなわち日本を近代国家として「無理にまとめてきた明治政府の強権的政策などの内容などは、まだ十分に解明されているといは言い難い」と述べている。明治政府の強権的政策と決め付ける事について異論があるが。日本という近代国家が成立してきた歴史的経過が十分に解明されていないと言う点については、私もそう思っている。一歩譲って強権的政策といってもかまわない。歴史的に大事な事は、何故に明治政府は「強権的政策」をとったのか。とらざるを得なかったのか。ほかにあるとしたらあの時代どんな政策が可能だったのかと言う事について、当時の国際環境の中で日本が置かれていた立場から実証的に検証するとともに、それが国民生活にいかなる光と影を及ぼしたのかを明らかにしていくことであり、そのことを今のわれわれが認識することだと思う。なぜ今日に至ってもそのことが解明されていないのか。歴史学者は何を研究してきたのかといいたくなる。そのことが今鋭く問われているのである。いまだわれわれは、日本人として共通の日本の歴史を共有できないでいる。おそらくこれまで日本の歴史学の主流を占めていた歴史学研究の方法論に大きな問題があったのだろうと素人ながら思わざるを得ない。
また、世界史の中で日本の歴史を位置づけ直すためには「日本がアジア諸国から、過去においてどう見られてきたのか、また現在どのように見られているのか、という視点だけは落とすべきではないと考える」といわれるが、私にはこういう物言いに大いに違和感を覚えるのである。過去においてという過去とはいつの時点からを言うのか。いつからを起点にするのかで大きく変わる。またアジア諸国からと簡単に言うが、アジアにはいろいろな国がある。国によって日本への見方は大きく違うのである。世界史の中で日本の歴史を位置づけ直すためには、特にヨーロッパの国々や、ロシア、アメリカなどとの関わりを抜きには語れないのも当然のことである。そしていつの時代でも国家間で歴史を共有しようとすることは、その努力は必要ではあるが、至難の事だと思う。国益と国益がまずぶつかる事は当然であり、未だ国によって言論の自由のあり方、政治体制のありようが大きく違うアジア地域では、なおさらだと思う。日本人としていまだ日本の歴史を共有できないでいる段階では、なにをかいわんやである。
まず、日本人としての日本の歴史の共有こそが必要なのではないか。光と影があるのは当然であり、それをその時代時代の条件の中で、その光と影がどうであったのかをその時代の人になりきって考えるという思考方法こそが、歴史の教訓に学ぶということであり、古きをたずねて新しきを知ると言う事に通じるのだと思う。
「アジアへの経済進出やODAの評価」と「買春ツアーや子供ポルノ」を同列にして日本の否定的評価と断定しているような書き方にも大いに疑問である。どうもかつての「日帝のアジア侵略」という思考方法ちょっと水で薄めたような捉え方で本質的には何も変わっていないのではないかと思う。(1998・4 織田)

【出典】 アサート No.245 1998年4月24日

カテゴリー: 思想, 歴史 | 【投稿】戦後民主主義を問い直す  No.5 はコメントを受け付けていません

【投稿】「オリーブの木」戦略を考える

【投稿】「オリーブの木」戦略を考える

最近、民主党の菅代表が「オリーブの木」という言葉を良く使っている。私も勉強不足のため、あまり気にしていなかったが、イタリアから代表を招いての全国連続フォーラムが大阪でも開催され、参加する機会を得て、少し勉強することができた。関連する著作も読む事ができたので、簡単な紹介と私の意見を述べてみたい。

<イタリアの経験から>
言うまでもなく、「オリーブの木」はイタリアの中道左派「政党連合」の名称である。その構成政党は、左翼民主党(イタリア共産党主流派が前身)、人民党(旧キリスト教民主党から分岐した中道政党)、緑の党などであり、共産主義再建党(イタリア共産党内左派が前身) は閣外協力して、ブロディ政権を支えている。94年に行われた総選挙は、日本の自民党のような政権与党であったキリスト教民主党の閣僚経験者などのほとんどが汚職で摘発されるという状況の中で、左翼連合、中道連合、右派連合という三つ巴選挙となった。しかし、ベルルスコーニの「フォルツア・イタリア」が大きな右派連合を選挙直前に実現して、僅差で右派連合が勝利した。
96年になって、ベルルスコーニの関連企業の犯罪摘発を契機に、総選挙が行われることしなったが、左翼民主党を中心とする左派連合は、さらに中道派も巻き込む中道左派連合を形成して、総選挙に勝利する。

<小選挙区での政権戦略>
詳しくは、後述する文献や、インターネットでの「オリーブの木」戦略研究会のホームページを参照していただくとして、箇条書き的に、この戦略を整理する。
1)「オリーブの木」戦略は、小選挙区選挙における政権交代を可能にした構想であり、イタリアの「オリーブの木」は、すべての小選挙区で政党連合の候補者を一本化した。あるところでは左翼民主党、あるところでは、人民党、他では共産主義再建党というように。それは「休戦協定」と呼ばれ、勝てそうな政党候補がいる場合、他の政党は候補者を立てない、という調整が行われた。
2)その一致点は、「ブロディを首相に」と政権担当者と4年間で行う政策の中身であった。
3)さらに、政党連合とともに、全国に「ブロディ首相実現の委員会」という自発的市民団体が4000以上結成され、政党連合と連動して活動された。特徴的な活動は、「政党が政策を国民に押し付けるのではなく、国民が自分たちの要求を政党に実現させる」という立場で、市民団体が政党への「FAX攻勢」をかけて、政党を監視した。

<「鼻をつまんででも、統一させる」>
大阪のフォーラムには、イタリアから「オリーブの木」国際報道担当のピオ・デミーリア氏が参加し、日本でのオリーブフォーラムが、東京・仙台・横浜・京都・札幌・長崎・岡山・名古屋を受けた最後であったため、日本の事情にかなり詳しい講演が行われた。
上述の3点なども含めて話され、特に休戦協定に触れて、3月の東京4区の補選でも、休戦協定があれば自民党に勝てた、選挙民の70%は自民党森田を選んでいないこと。選挙で勝つためには「休戦協定」が不可欠、ということを力説された。特に日本では、日本共産党を考えると、とても考えられないことは、よく分かるが、しかし、これは必ず必要になる。「無理をしても休戦協定を、鼻をつまんででも統一させる」ことが必要だと。
イタリアの場合は、むしろ左翼民主党が先頭になって政党連合を引っ張ったことを考えると、日本の場合は共産党がむしろ問題とのフロアー発言も出たが、デミーリア氏は、どちらが先か、という問題ではなく、ほんとうに自民党政治を終わらせたいかどうか、休戦協定にかかっていると述べていたのが印象的だった。

<参議院選挙でこそ、政権選択を迫る必要>
さらに、名古屋大学の後房雄教授(「オリーブの木」戦略研究会の主催者) も講演され、新民主党の結成という事態は、すこし拙速であるが、新民主党も実態はまだ、政党連合に近いものであり、総選挙の前哨戦という位置づけでは不充分であり、参議院選挙で過半数をめざして、総選挙実施を迫る、という戦略が必要。98参議院選挙までに如何に「政権選択肢」が出せるかが求められること。社民党伊藤茂も「オリーブの木」云々と言っているが、「独自路線」というのでは話しにならない。むしろ、社民・さきがけは「自社さ連合」で、政権選択肢を明確にした選挙を行わないと、国民を裏切ることになる、と語られた。

<政党連合という考え方>
こうした議論を受けた私の印象は、中々良い戦略だな、ということ。小選挙区で二大政党制・政権交代可能な政治の実現、と言われたものだが、そんなに簡単に実現することはないだろう。それなら、自民単独過半数を阻止する、そのただ1点でも「休戦協定」を結ぶぐらいの「大胆な戦略」が求められていると思う。
しかし、選挙はすでに動き出している。マスコミの争点も新「民主党」への国民の支持がどうなるか、という点に絞られている。もちろん、問題も多く、一筋縄では行きそうもない。4月27日に結党される新民主党の動向を「政党連合」という視点で、注目していきたい。( 佐野秀夫)

【出典】 アサート No.245 1998年4月24日

カテゴリー: 政治, 社会運動 | 【投稿】「オリーブの木」戦略を考える はコメントを受け付けていません

【投稿】「橋本首相=現代のフーバー大統領」論

【投稿】「橋本首相=現代のフーバー大統領」論

<<アメリカの現在=バブル期日本?>>
4/6、ニューヨーク株式市場は史上最高値を更新しつづけ、ついに9000ドルを超えた。4/14には、さらに9110.20ドルの終値を記録した。95/3に4000ドル台、昨年6月に8000ドル台を突破してから9ヵ月あまりでしかない。1万ドル台は「時間の問題、おそらく2000年以前に達成されるでしょう」(4/7ウォールストリート・ジャーナル、エコノミストのE・ヤルデニ)とまで言われている。6000ドルを超えた頃でも、内外のエコノミストがアメリカ経済がバブルの領域に入ったと強く警告していたが、それを嘲笑うかのような上昇である。
問題なのは、1月以来、今年第1四半期の企業売り上げは落ち込み、それにともない減収予想が報道され、企業業績不振予測が報じられているにもかかわらず、株価が上昇していることである。米国の貿易赤字は、1996年の1481億8000万ドルから、97年には1664億5000万ドルに上昇、史上2番目の最大赤字を記録、昨年後半の第4四半期だけでも456億2000万ドルの赤字である。アジアの経済危機によって今年に入ってもさらに赤字が拡大しており、事実、昨年10月まで前年同月比で二桁近い伸びを続けてきた米国製品の対アジア輸出は、昨年11月からは前年割れに転じ、今年1月には11.4%減と大幅な落ち込みを記録している。ところがそのあおりを食って行き場を失った世界中の投機資金が、不安と危険と高まる投機性を同居させた米国市場に還流、集中する実態が急激な株価上昇に象徴されているとも言えよう。
4/12付けNYタイムズは、豊かさと裕福さの点で現在の米国は、バブル絶頂から崩壊直前の、1989年の日本に似ており、現在の米国経済には多くの危険要素があると指摘している。

<<アメリカ「ハゲタカ・マネー」の襲来>>
周知のように80年代後半、日本企業はロックフェラービルや有名ビルを次から次へと買いあさり、ゴルフコースから映画会社までを買いまくったが、今やほとんど手放してしまっている。今回は逆の事態の到来である。
これまで高度成長を謳歌してきたアジア経済の崩壊過程が、米資本にとってはアジア進出の絶好のチャンスとして、「通貨安と株安を利用してアジアの戦略企業を安く買い叩く好機」到来として浮上してきたわけである。それを後押しすべく、経済のグローバル化を盾に、米政府・財務省とIMFは、救済資金供与と抱き合わせで、アジア各国に資本市場開放や敵対的M&Aの容認を一挙に実現させつつある。
すでにシティコープは韓国のソウル銀行はじめ数行との買収交渉、タイではファースト・バンク、シティ・バンクなどの過半数株式取得へ乗り出し、チェース銀行も韓国の韓一銀行の買収・経営権取得に動いている。今や、この地域の商業銀行、証券会社は投げ売り状態で、さながらバーゲンセールの様相を呈しているといわれる。こうして米欧多国籍企業と大銀行が、韓国、タイ、インドネシア、香港、シンガポールなどの主力企業、金融機関を買い取ろうとしている。もちろん、不良債権を切り捨てた良いとこ取りである。
今や43億ドルもあれば、現代建設や三星電気、大宇重工、LG電子、LG化学など韓国10大財閥の中核企業の株式の三分の一を買い占め、経営権を握ることができる状態である。GMは大宇自動車、フォードは起亜自動車、サムスン自動車の買収に乗り出し、エクソンがタイ・ペトロケミカルを傘下に収めている。
当然、日本に対してもこれまでにない好機到来として動き出している。メリルリンチはすでに自主廃業した山一証券のリテール部門の買収を決め、「山一難民」を引き取り、GEキャピタルが東邦生命と合弁事業設立に乗り出した。
さらに、日本の大手金融機関が抱える大量の不良債権を、担保の土地やビルごと極端な安値で買い受けており、米国資本がこの1年間に買い取った日本の土地やビルは約200億ドル=2兆6000億円に達している。それも融資額=簿価の10分の1以下、平均7~8%で投げ売りされているという。1000億円のビルなら70~80億円という極端なダンピングである。これが国内売買であれば、不当廉売として贈与税が課せられ、損失分は回収義務を負わされるが、外資であれば売りっぱなしが許されるというわけで、投げ売りがまかり通っている状態である。

<<偏在した繁栄の危険性>>
果たしてこうした事がいつまでも続けられるものであろうか。NYタイムズが指摘するように、現在の米国経済には多くの危険要素がありすぎるほどであり、いつ爆発してもおかしくない事態に突入しつつあるとも言えよう。
その最大の問題は、これまで何度も指摘してきたように、国際決済通貨としての基軸通貨の特権を利用したドル紙幣ばらまきの借金体質である。確かに双子の赤字といわれた財政赤字の方はこの間、急速に改善してきている。これこそがアメリカ経済再生の証であると主張されている。しかしもう一方の一国の収支バランスである経常収支の赤字は、むしろ拡大傾向にありその対外債務は1兆ドルを超してしまっている。
つまりアメリカは、依然として世界最大の借金国、とっくに破産してもおかしくはない債務国なのである。
赤字のままで成長率が高いということは、黒字による裏付けがなくなってしまった紙切れにしか過ぎないドル紙幣で他国の生産物を借金して購入していることを意味しており、これは必ず破綻せざるを得ないものである。現に外国からの重層的な借金の積み重ねを続けることで高度成長を維持してきたタイやインドネシア、韓国などで、ついに見せかけの成長が破綻し、為替相場が急落し、借金体質の脆さと弱さが露呈された、それと同じようなことがアメリカでも起こる危険性を増大させているのである。
もう一つは、株価上昇の背景である。89年から95年にかけて、失業率が低下し、平均所得が増加した景気回復期に、米国の中間層の所得は3.4%低下したのであるが、これは戦後初めてのことである。このことは、ごく一部の高所得者層がますます富を貯え、それ以外の大部分の家計の所得は低下し、所得格差が一層拡大していることを示している。そしてこの間、米国の製造業就業者は先進国で唯一、実質賃金の下落に見舞われており、逆に言えば、賃金を労働生産性で割った単位労働コストがほぼ一貫して低下していく過程で、株価が上昇してきていることである。
ニューエコノミー論者が言う生産性の向上も、一部の業種にかぎられた現象であり、全体的には労働者にしわ寄せがいっている。生産性が上昇しているのは、非効率部門をアウトソーシングしたハイテク製造業であり、その他の業種に負担を強いているに過ぎない。しかもその労働生産性の向上がまったく賃金に反映されてこなかったのである。つまりアメリカ経済は借金と労働者の犠牲の上に、そして他の諸国の忍従と犠牲の上に一部に偏在した繁栄を謳歌しているともいえよう。

<<日本がクラッシュすれば>>
しかしこうした事態は、歴史的にもすでに1920年代に、同様に製造業の単位労働コストが低下するとともに、株価が急上昇し、結局最後は大暴落した恐慌を経験している。こうしたアメリカ経済の本質的な弱点が克服されない限り、株価を安定させ、ドルを下げたくても下げられない、いつ急落するかもしれないという危険な綱渡りが続くことは間違いないといえよう。
英エコノミスト誌4/11号は、「日本がクラッシュ(破綻)すれば」と題する巻頭論文を掲載、ニューヨーク株式市場崩落の危険性が高まっていることを警告している。その中で、もっとも大きなリスクは「危険なほど過大評価されているように見える」ニューヨーク株価が日本からの予期せぬ悪いニュースで崩落することだと指摘。さらに、米国民の株式保有は今や、直接あるいは投資信託や年金プランを通じて1980年代のほぼ倍の規模に膨れ上がっている点を強調し、米経済は以前に比べ株価下落に弱い体質になっていることに注意を喚起している。
この点は確かに、米国民の資産構成が大きく変化してきており、90年には不動産がトップで33%、株式が12%であったものが、97年には株式28%と逆転、トップに立っている。家計の株式残高も、90年には1兆7610億ドルから、97年には5兆7380億ドルにまで膨らんでいる。グリーンスパンFRB(米連邦準備制度理事会)議長は「1年か1年半後に、後悔する投資家が出てくる可能性も十分ある」と不安を表明するような事態である。
一方、「貯蓄超大国」の異名を取る日本では、一般消費者の貯蓄高平均が過去4年間で初めて縮小したことが判明した。昨年1997年、日本の一世帯当たりの貯蓄平均は1635万で、前年比1.3%減少している。経済企画庁の発表では、増税と賃金減少が直接原因であるという。当然のことである。それでも日本の貯蓄総額は1200兆円で、日本人口の倍である米国のそれを2.5倍も上回っている。
さらにこのところ鋭い論評と分析で注目されているリチャード・クー氏は、「景気以外の指標を見れば、日本は貿易収支、外貨準備ともに世界最大であり、何のリスクもない。…日本経済が景気後退に陥った最大の原因は、財政再建を急ぎすぎ、97年度予算で極端な緊縮財政を組んだことにある。…消費税率を上げず、特別減税を廃止せず、社会保障費も上げなければ、現在の状況を招くことはなかったであろう。」(「エコノミスト」4/21号)と指摘している。

<<MAMIZU(真水)の要求>>
4/3付けワシントンタイムズで、ソニーの大賀会長が「橋本首相は世界を恐慌に導いたハーバート・フーバー大統領の二の舞を演じかねない。このまま放置すれば日本が世界の不況の口火となる」と発言したことが、アメリカでは大きく取り上げられている。
こうした発言にさらに力を得て、このところアメリカの日本叩きは一層激しく、執拗で、しかも具体的である。ルービン財務長官は訪米した宮沢元首相に対し、単刀直入に「MAMIZU(真水)で8兆~10兆円の減税はできないか」、「5%の消費税を元の3%に戻せないか」と迫った事実が明らかにされている。
こうした一連の欧米からの対日要求や批判に対し、松永蔵相が「日本の経済政策は日本が決めること」と反発したり、加藤・自民党幹事長が「外国の助言に基づいて政策を決めることはしない」と反発する意見を公表する事態に進展、4/9付けNYタイムズは、「最近のクリントン政権の細かな忠告は行き過ぎで、忠告というよりは命令に近い」と反省を促したが、しかし同時に、米国が日本の内政にこと細かく指図していることを非難する山崎政調会長に対し、「80年代、日本経済が最高潮にあった頃、日本は同じことを米国にしていた」と釘をさしている。4/10付けワシントンポストは「日本の遅い対応」という見出しで、「日本は昔から外圧がないと変化が起こらない国である」と突き放している。
4/15から開かれたG7蔵相・中央銀行総裁会議でも、松永蔵相が、橋本政権が先に発表した総合経済対策を説明したが、「各国代表はそれにほとんど満足しておらず」、ルービン財務長官は「松永蔵相に対する失望を隠そうともせず、効果を見届けるまで安心できない」と発言(4/16NYタイムズ)する始末である。
このまま行けば、5/15からのバーミンガム・サミットでは、日本だけが各国から「袋叩き」にされると憂慮し、もはや時間的余裕もなくなってきた橋本首相はついにもやもやっとした中途半端な路線転換に踏み出さざるを得なくなったのであろう。これまでの間違いについて一言の謝罪の言葉すらなく、政策転換であることも認めず、「政治責任というが、目の前の経済危機に対し、何もしないほうが政治責任を問われる」などとまるで他人事のように開き直り、4/9、今年2月から実施している2兆円の所得税・住民税の特別減税にさらに2兆円の上積みをすること、来年度も2兆円規模の減税を継続すること、その他福祉、教育、投資分野での政策減税を検討することなどを盛り込んだ景気対策を発表した。それでも翌4/10の東京株式市場は、逆に200円近く値下がり。市場は何も評価しないことを示した。対策は、総じて小出しで、かつあまりにも遅い、まさにtoo little too late なのである。そして本来、アメリカに対して要求すべきことには、全く口をつぐんでしまっている。橋本首相が現代のフーバー大統領になる可能性は大いに有り得るとも言えよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.245 1998年4月24日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬, 経済 | 【投稿】「橋本首相=現代のフーバー大統領」論 はコメントを受け付けていません

【本の紹介】「21世紀労働論–規制緩和へのジェンダー的対抗」伊田広行 青木書店

【本の紹介】「21世紀労働論–規制緩和へのジェンダー的対抗」伊田広行 青木書店

 以前、著者本人から「性差別と資本制」(95年2月刊)の紹介記事を掲載した経過もありますが、同著者が「21世紀労働論」を出版されたので、興味深く読みました。時間的制約もあり、十分読みこなせていないのですが、結構論争的な内容なので、読者からの投稿・意見を期待する気持ちで紹介されていただきます。
女性を中心に増え続けるパート、非正規雇用。財界も「総パート化」を戦略化させ、労働法制の規制緩和も基本線は、資本にとって自由で安価な労働力の確保、労働の弾力化に他ならない。パート・非正規雇用労働者から見れば、これまでの賃金差別、労働条件格差は変わらない。これまでもこの問題は、学者・労働運動側から叫ばれてはきたが、一向に基本的改善がなされない現状に対して、伊田は、「家族単位の生活給・年功賃金」が男子には比較的高賃金を与え、それと一体に、女性には低賃金を強いてきた、との分析から、①同一価値労働同一賃金原則を徹底させ、年功制賃金を撤廃し、職務評価を確立する運動を労働組合が真剣に取組まなければならないこと。②性差別に反対する立場で、家族単位の賃金労働システムから、個人(シングル)単位の発想によるシステムの再編へ労組も労働者も意識改革が必要だ、という主張を展開している。
第1章では、低賃金の女性非正規労働者の賃金実態が明らかにされている。第2章では、家族単位で組み立てられている雇用・社会の有り様と、それに対抗するシングル単位での発想の転換の重要性を示そうとしている。フェミニズム論と労働問題論の関連が明らかにされている。
「経済学の分野でも、ジェンダー視点は非常に弱かった。・・・家事役割が女性に集中していることの裏側としての男性の長時間労働、それと結びつく年功システムの家族単位という性格などの分析などが欠けている」と。「こうした女性への差別的扱いは、・・・家族単位で発想する思想から生み出される」と。
そこで、年功制が問題とされる。「より根本的には、年功賃金制は、職務・職種と賃金を結びつける視点がなく、男性世帯主の生活給という非合理かつ差別的な賃金体系性質をもっていたことがあげられる」。そこには、同一価値労働・同一賃金原則が最初から入っていないと。「年功システムの解体」こそ目標とされなければならないと著者は言う。
第3章は対策編「シングル単位の労働論」パート問題・女性差別問題・働き過ぎ問題への基本的視点は「家族単位の発想を解体して、個人(シングル)単位の発想で労働領域でも労働システムをつくりなおすことである」。
第4章は、理論編「反能力主義・反差別としての同一(価値)労働同一賃金原則」として、能力主義・年功制と賃金原則との関連を理論付け、年功制の廃止と職務評価、同一価値労働同一賃金原則の具体化が語られている。
年功賃金・あいまい職務給を許してきた労働運動への手厳しい批判が多いのには少々困惑するところだが、「職務の明確化、職務評価」という議論は、労働組合サイドでも「能力主義的勤務評定」の動きが自治体でも強まっており、それに対抗する議論として興味深く読ませていただいた。共産党批判と思われる「評価には反対、何でも平等賃金」への批判はそのとおりだと思う。
ただ、年功賃金の評価については、少し乱暴な気がする。「毎年定期昇給があり、給料が上がっていくが、それは労働の価値が毎年上がっていくわけではない」との記述は、残念ながら私の実感とは違う。自分自身の給料明細を見ても、これが私の労働の価値か、と思うと情けないくらいである。労働運動は、理念のための運動ではない。組合員の生活があり、意識があり、現実がある。そこからスタートするし、そこに結果が待っている。運動を組織する側として、「年功制から完全個人賃金へ」という議論は、議論として理論として成立っても、運動には、まだ距離がある、というのが実感だ。とは言え、少々実践・現実傾斜ぎみの私にとっては、賃金・労働分野で骨のある議論に出会って、刺激されたということは事実である。著者の指摘する問題について、私なりの整理も今後していこうと思っています。是非ご一読を。(佐野) 

 【出典】 アサート No.244 1998年3月20日

カテゴリー: 労働, 思想, 書評 | 【本の紹介】「21世紀労働論–規制緩和へのジェンダー的対抗」伊田広行 青木書店 はコメントを受け付けていません

【本の紹介1】「査問」川上徹

【本の紹介1】「査問」川上徹 筑摩書房 97年12月20日

最近興味深い2冊の本を読んだ。「書評」というところまでま行かないが「紹介」ということでお許し願いたい。

その1
査問という言葉は、「業界用語」である。その業界とは、共産主義運動に関わる、或いは関わった人々の世界のことである。日本共産党の党規約第59条第1項に「すべての党員は党の規律をかたく守らなくてはいけない。党員の義務を怠り、党の統一を破壊し、決定にそむき・・著しく党と人民の利益に反するものは規律違反として処分される・・・」とあり、これに基づく「調査審議」が行われるというが、その「調査」が査問ということになる。著者川上徹の場合、1972年5月9日から13日間、代々木本部で身柄を拘束され、「査問」を受けた。容疑(?)は「新日和見主義分派の首謀格」。
著者をはじめ、民青全学連再建当時の書記長だった新保、学生対策の広谷俊二はじめ、民青本部だけでも20名を超える人々が査問の対象となり、最終的に処分が決まる72年9月には民青中央委員108名中30名が自己批判などの処分を受け、他にも民青本部勤務者、全国の都道府県委員会など、査問を受けた関係者は、灰色決着も含めて600名とも1000名ともあったという説もあると著者は言う。著者をはじめ民青の専従であった人々は職場を追われ、それぞれが厳しい人生を歩んできたという。
すでに25年が経過している。私も学生時代、日本共産党・民青の中に「新日和見主義」という分派活動が発覚した云々ということを知っていたし、73年に共産党が出した『新日和見主義批判』という本を読んだことは覚えている。それにしても、25年が経過した歴史とも言える事実を今になって、という気になる。
川上は、1960年に東京大学に入り、共産党入党。64年には民青全学連を「再建」し、中央執行委員長となり、その後民青本部の専従となる。本書によれば、大学紛争期には、民青本部の学生対策員として、東大闘争などで民青の指導的立場にあった。本書では回想的に、民青・全学連グループと党の青年学生担当で、意見の相違が生まれ、民青大会が延期になっていた経過も触れられている。

この事件で、川上たちは、党を除名というわけではなく、また大半は党籍は残したまま一党員として生活するものが多かったという。川上自身も本書によると、晩年は党に批判的であった哲学者の古在由重の死後、追悼集会を企画したことで党から除籍扱いの決定を受け、91年に「離党」ということになった。こうした経過を経て、この本は書かれた。
ところで、「新日和見主義」とは、一体何だったのか。本書の内容を要約すれば、大学紛争終了後の学生運動を舞台に、大衆運動を強めようとした民青や民青全学連グループと党員拡大や学習路線という党強化を進めようとした宮本共産党路線の「論争」が、一方的に党内民主主義の破壊によって、川上らが「分派活動」として批判された事件ということになろう。さらに、その特殊性は「新日和見主義事件は日本共産党内部で起こった一種独特の『お家騒動』であった。・・しかし『事件』の結果として断罪された者達も、数少ない除名者も、すべての関係者が長期間にわたって党員の論理、党の組織原理で終始行動した(沈黙という消極的行動も含めて)という点で、その内部性はほぼ完璧なほど保たれてきた」という。彼らは中央委員を解任され、また本部勤務という「職場」から追放されることになった。
今になってみれば、これらの人々を「追放する」ことで、日本共産党は一層純化していったのだろうし、論争を保障しない組織が、人権侵害を平然と行い得るのか、今もそう変わってはいないだろう。著者の淡々とした語り口、また60年代に学生運動に関わり、70年へと至る運動過程への自己回顧には真摯な姿勢が滲んでいる。共産党への批判というよりは、自らの人生を語るという落ち着いた文章には、同じ処分を受けた同僚との固い信頼感が溢れている。是非一読願いたい著書である。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.244 1998年3月20日

カテゴリー: 思想, 政治, 書評 | 【本の紹介1】「査問」川上徹 はコメントを受け付けていません

【投稿】「民政連」から新党「民主党」へ

【投稿】「民政連」から新党「民主党」へ

3月17日の新聞報道によると、民主党はじめ4つの政党代表が「統一準備会」の初会合を開き、新民主党の党首には菅直人民主党代表の就任が決まり、4つの委員会(理念・基本政策、組織・規約・財政、選挙対策、女性参画)で新党に向けた原案をまとめる方向という。予想以上に早い展開だ。昨年末、ようやく協議離婚が整った新進党が解党し、年明けには6つの政党が出現した。その6つの政党の内、小沢自由党と、公明系の改革・平和を除く友愛・国民の声、太陽党、フロムファイブ、そして民改連と民主党が、院内統一会派「民政連」を立ちあげたのが、1月7日のことであった。以後2ヶ月あまり、参議院選挙に向けて、「統一会派か新党か」で民友連内部で議論されてきたが、3月7日の細川提案から、新党への動きが本格化してきた。

<民主党の強気と民政・友愛の譲歩>
野党が分立していては自民党のひとり勝ちになる、共産党への支持率アップも心配という中で、今回新党を準備している4党には、それぞれに統一会派または新党を急ぐ理由がある。民政党は、旧太陽党・羽田グループであり、新進党が無くなれば、党基盤はないに等しい。同様に友愛も、民社協会・友愛会は存続しているが、小選挙区ともなれば、選挙にもならない状況にある。今年3月の政党支持率では、両党とも1%にも満たない状況である。もちろん、支持率の低迷は民主党とて同じだ。連合推薦型の民改連は別として、友愛・民政は国会議員後援会はあっても、党組織は皆無に近い。民主党は46都道府県に組織が出来ており、支持勢力としての労組組織もあるが、何よりも「菅直人」という首相候補を持っている。政権構想を沖縄での党大会で確認したが、民主党だけで自民党に対抗するにはまだ非力である。何らかの「反自民統一」の動きで、政権交代への決意と体制を作る必要があった。
2月当初は、民主党も独自路線のもと、統一会派論が優勢で、新党には慎重な傾向にあった。その中で民主党の基本戦略は、イタリアの政治連合「オリーブの木」路線を持って、議論に参加してきたが、新党名は「民主党」でという細川提案(3月7日)を断りきれなかった、また民政・友愛側もそこまで譲歩しないと、新党で参議院選挙は闘えない、というところまで認識が一致したということだろう。
統一・新党結成の仕組みはこうだ。理念・政策の一致が前提だが、民主党以外の3党は一旦解党し、民主党に合流する。民主党は合流組を受け入れるため、5月上旬にまでに臨時大会で新党の方向を確認し、新民主党の結党を行う。友愛側は、理念・政策・規約などは新しく作る、ということを「対等合併」と理解し、民主側は党名に民主党を使い、3党は解散するが、民主党は解散せず、組織を継続させることで、「吸収合併」だ、という理解が民主党側にはある。

<連合、股裂き解消の好機>
新党を推進させる、応援団の存在も加速化の要因だ。これまで、新進党(友愛グループ)支持と社民党、そして民主党支持と構成産別の中に矛盾を抱えた連合は、昨年来、民主・友愛・社民含めて「連合新党」または統一名簿方式による「反自民・非共産」結集という路線で、鷲尾新体制の中で、取組んできていたが、少なくとも昨年末までは、方向性は確認できても具体化できない手詰まり状況にあった。各党との協議も精力的に協議が進められたが、社民党には与党離脱も含めて要請したが、すでに比例区・選挙区とも社民党単独選挙との意向が土井委員長から表明されていた。
民友連の統一論議の進展を受けた、3月10日の連合三役会議は、「国民は小さな政党は批判し、大きな出現を望んでいる。連合は民友連を中軸とする統一対応( 新党)の実現を期待し、出来あがった形(新党)と支持・協力関係を持ち、全面的に支援する」ことを確認し、新党統一準備会に対して、「理念・政策について、連合方針・基本政策が活かされるよう対応する」との方針を確認している。具体的には比例区は新民主党、選挙区は可能な限り統一候補擁立、公明・自由・社民とは選挙区事情を総合的に勘案し調整、という方向のようだ。
しかし、現時点では、4党の統一準備会の急激な動きに、労組側は戸惑いぎみだ。旧総評系の民主リベラル労組会議は、民主党基軸を基本としつつ、民主・社民両党軸にした民主リベラル結集という方向で組織内議論が、産別間の違いはありつつも進んでいたわけで、社民派は独自路線、民主派は新党という状況で、新民主党で統一対応という状況には、まだ時間がかかる、というのが実状だ。

<提案を受け入れた民主党>
今後、理念・政策などで集中議論がはじまるが、これまでの経過は「民主党主導」という性格が色濃い。3月7日の細川提案「政権奪還に向けて」をベースに、3月12日に民友連政権戦略会議「政権奪還に向けて」が作成されたが、微妙に修正が行われている。
「われわれの基本的な理念と政策」では「我々は民主主義的な諸価値を尊重する。我々はまた、市場万能主義とも福祉国家至上主義とも異なる立場に立つ。このような立場は、今や世界の潮流となりつつある。こうした『民主中道』の立場に立って、われわれは自由と効率が発揮される市場の機能を活用しつつ、共生の精神や公正さ、機会の平等などを確保する政府の役割を重視する・・・・」と。
3月12日の民主党都道府県代表者会議は、この文書で議論された。拙速な新党議論との発言もあったようだが「すでにルビコン河を渡った」という認識で、まとまったようだ。鳩山幹事長からは「細川試案はまだ不十分なところもあるが、市民が主役という民主党路線を『民主党原理主義』を奮い立たせてかんばる」、「4党による統一は『オリーブの木』を否定していない。公明や市民運動とともに、大きなオリーブの木をめざす」(菅直人代表)などの本部答弁があり、基本的に了承されている。また、地方組織問題は、参議院選挙後に持ち越し、時間をかけていく方向という。

<反自民だけの数合わせとの批判>
こうした経過で、新党議論がスタートしたが、3月11日に「民友連新党結成へ」との新聞報道があった時点でも、新聞報道は冷たかった。「参議院選挙へ急ごしらえ」「反自民の数合わせ」云々。加えて、大蔵汚職に続く日銀創立以来の収賄容疑逮捕と重なり、全体としマスコミの注目度も今少しという状況。
3月中の「理念・政策」議論ということで、さて、どんなものが出てくるか、その時点で議論したいと私は考えている。ただ、「反自民だけの数合わせ」という新聞論調は、少し共産党的な批判だと思う。「政権交代可能な政治」を実現するということは控えめに見ても、評価しないわけにはいかない。出来るだけ民主党色の強い理念・政策を十分議論して、対抗軸を明確にしていくことが求められている。(佐野秀夫 )

【出典】 アサート No.244 1998年3月20日

カテゴリー: 政治 | 【投稿】「民政連」から新党「民主党」へ はコメントを受け付けていません

【書評】日本の生活文化(大衆文化)の中に「日本人とは?」を問う

【書評】日本の生活文化(大衆文化)の中に「日本人とは?」を問う
        『日本人のこころ──原風景をたずねて』
             (鶴見俊輔編、岩波書店、 1997.12.27発行、1900円)

『日本人のこころ』と題する本書は、哲学者・鶴見俊輔が、映画評論家・佐藤忠男、作詩家・永六輔、漫画評論家・四方田犬彦、作家・池澤夏樹の四人との対談を収めたものである。この中で、話の主題──映画、歌、漫画、物語──を通して、「日本人とは?」ということをさまざまな角度から浮き彫りにしようとする。そしてその結果、次の二つのことが確信されることになる。すなわち(1)日本社会内部における「近代化」(国家権力による近代化の強制と、日本社会単一性という虚構)がもたらした社会の歪みや差別と、これに抵抗する民衆の姿が、多層的・多焦点的に同じ日本人の中に存在していること、(2)さらには、日本人を問題にしようとすれば、必然的にアジア諸国・諸民族との関係に行きつかざるを得ないし、これを抜きにしては日本人というものについて語ることができないこと、である。以下この点に留意して、本書を紹介しよう。
佐藤忠男との対談『映画を通してみる日本人のこころ』では、日本映画の辿ってきた道筋が検討される。この中で佐藤は、「我々は日本的ということがあたかも存在するように簡単に考えますが、日本的なものというのは実際は存在しないと思いますね。日本的なものというのはいろんな階層に分かれておりまして(後略)」、「そのように日本の伝統というのは非常に多様なものであってそれぞれお互いまったく矛盾している。侍の文化が日本的だとすれば黒澤明が代表していると思うのですけれども、溝口健二が代表している町人文化的なものとはまったく、ほとんど相容れないし、小津安二郎が代表している小市民、知識人的な文化ともまったく相容れない。ほとんどお互いまったく相容れないような伝統が日本にあって、そのどれか一つを日本的と言ったってしょうがないんですね」と述べて、その中で、バラバラに存在してきたこれらの文化を、日本映画だけがごちゃまぜにして発展してきたことを評価する。
そしてその上で、日本独特のものだと思われてきた事柄が、実はアジア一円に広く存在していることを指摘するが、ただし佐藤は同時に、「アジア人が日本映画を見る時と欧米の人間が日本映画を見る時では微妙な違いがある」と重要な指摘をする。つまり「アメリカ人と日本人はね、どちらかというとお互い同士力を尽くして戦ったいい相手という気分が時にアメリカ人の気持に湧き起こることがあって、本当は軽蔑しているんだけれど、時々寛大な気持ちになる。しかしアジアの人たちはそうはゆかない」。「日本は中国を好敵手とは思っていなかった。頭から軽蔑していた。それは中国人にはよくわかっていますから」ということなのである。ここにわれわれは、日本とアジア諸国民との歴史感覚のズレを明確に認識していく必要があるように思われる。
永六輔との対談『歌を通して語る日本人のこころ』では、明治政府による日本古来の音階とリズムの否定と、西洋音階とリズムへの強権的な移しかえを批判した永の発言を受けて、鶴見は日本の近代化について、次のように語る。
「それが日本の近代化のリズムで、ものすごい力で近代化して、そのリズムの変化によって軍隊も強くなるし、ビジネスも強くなった。戦争に負けたら今度はビジネスひとつで、アメリカの主要な製品の自動車を凌いだでしょう。こんなことやる力、近代化の原動力一部に確かにリズムの強制という問題がある」。
そして小学校の唱歌に存在する強制力についてこう語る。
「小学唱歌をずっと歌ったり、聞いたりしていくと、日本の政府がこう思ってほしいと思う日本の歴史の図柄が浮かんでくる。あれは大変なものですね。子供たちの内部に国家像を植えつける。リズムと歌の言葉を通して、それをやり遂げたのが日本の近代国家の力なんです」。
しかしこの方向で近代化が進んでいく過程で、明治初期には存在していた冷静公正な眼が、日露戦争以後消え去って、敵をさげすみ、自分を絶対化する思想が支配することになる。その例として、日米戦争末期に流行した「出てこいニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄に逆落とし」という歌があげられ、これについて鶴見は、「負けが近いという事実をまっすぐに見すえることなく、こうやって空威張りして威張っていたんだ」と的確に批判する。そして「明治国家のつくった小学唱歌のまゆの中に私は今も閉じこめられている」という彼の言葉に、われわれはイデオロギーによって取り囲まれた社会の強さと危険を認識することができる。
さて次の四方田犬彦との対談『漫画を通してみる日本人のこころ』は、本書の白眉である。この対談で四方田は、1950年代から現代にいたるまでの日本の漫画を4分割して解説する。それは、・日本の漫画が差別や少数派、マイノリティ(在日韓国人、アイヌ人、あるいは被爆者といった権力の外側に排除されてしまう人間)をどのように描いてきたかというテーマ、・そのようなマイノリティ、あるいは差別された人間がいかにそこから逃走するかというテーマ、・また逆に差別を受けた人間がいかに闘っているか(忍者ものなど)というテーマ、そして・逃走でもなく、闘争でもなく、ある種のニヒリズム、絶望、懐疑に陥ってしまうというテーマ、の4分類である。
その詳細については、本書の50ページにわたる四方田の解説を読んでいただく他ないが、この中で特徴的なことは、差別とマイノリティという、一般市民が触れたくない、できれば忘れたいと思っている事実について取り上げている漫画作品が実に多いということである。このことについて四方田は次のように語る。
「手塚治虫の漫画は単なる科学とヒューマニズムとか、人類愛とか、そんなふうに一般にいわれているのですが、実はよく調べてみると、いかに彼が差別された少数派を主人公にしているかが判明します」。
「これは、調べてみてわかりましたが、梶原一騎の漫画の登場人物の半分くらい在日韓国人なのですね。つまり力道山であり、大山倍達、さらに柳川組の組長(略)、これは日本という国家から排除されていた人間であるということがだんだんわかってくる」。
「水木(しげる)さんという人が、非常に主題が一貫している人で、人間社会のそういう権力構造とか社会体制とか、差別構造からいかに出るか、解放されるかということが主題になっています」。
これに対して、鶴見は、「漫画と権力批判、漫画と民主主義というのは不可分の問題なんです」と応えて、さらにこれに加えて、『サザエさん』の重要性を指摘する。
「長谷川町子は明らかに、戦争をひきずっている。戦争のなかから出てきた女性なんですよ。(略)前線の水木しげると違う仕方で、長谷川町子は銃後の戦争体験をしっかりつかんでいると思います。水木しげるや長谷川町子らの仕事は大岡昇平の『レイテ戦記」と向き合っている」。
この対談を読むことで、われわれは、日本文化において漫画の占める重要な位置を知るとともに、それがもつ社会批判の力(それはまた、日本近代社会での天皇の名の下での強権的統一化・富国強兵化に対する批判でもある)を確認することができる。
最後の池澤夏樹との対談『物語を通してみる日本のこころ』では、鶴見は、池澤の『ハワイイ紀行』について、「沖縄から日本本土を見る姿勢になる。日本本土が別のものに見えてくる。(略)そこに私たち本土に住む日本人をまきこむある種のうねりが生まれる。それは、太平洋があって、そこに火山島ができる話なんですから、人間なんかそこにいなくても、海があるという話なんですから」と説明を加えて、近代をこえた「ものすごく長いうねりの中で」「そして空間的な広がりもものすごく大きな空間の広がりの中で」日本を見る姿勢を評価する。
というのも、鶴見によれば、自分というものを考える時に「他人というクッションを使って他人にとっての私として見るほかない」ように、自分の国についても外側の諸国から考える他ないのであるが、「そのクッションを巧みに使えなかった、使えないようにしたのが、明治以後」であり、「外側を見ないような装置ができちゃった」からである。
この点については、池澤も同意見で、次のように述べる。
「明治以降の日本というのは、多分先進諸国に対する恐怖感から身をこわばらせて、猫が毛を逆立てるように──あれをやると大きく見えますからね、ふわふわなんですけれど──そういう形で緊張のあまり判断力がなくなっていた。不安になればなるほど幻想にしがみつく。客観的に見れば勝てるはずのない戦争に精神主義で突入してしまう。
そういう、今にして思うと実に分かりやすい誤謬の道を歩いていたとぼくは思うのです」。
このように四つの対談は、そのジャンルが異なるとはいえ、いずれも「日本人」と「日本人のこころ」に迫る試みであり、最初の方で指摘したように、日本人が多層的・多焦点的な存在であり、そしてその外側=アジアの諸国・諸民族との関係を抜きにしては語ることすらできないことを銘記するべきであろう。

なお本書の書評にも関わることであるが、『アサート』上に掲載された「戦後民主主義を問い直す」作業に従事されている織田氏の提起された問題について触れておきたい。というのも、これまで何回かの書評において、これに関わる事柄を取り上げているからである(例えば、『鶴見俊輔座談・日本人とは何だろうか』・225号、『近現代史の授業改革』・226号、『買売春と日本社会の構造』・230号、『現代日本の社会秩序──歴史的起源を求めて』・242号等)。今回のものも含めて、これらの書評を読まれれば理解されることと思うが、「戦後民主主義」をどう見るかという問題は、現在の日本社会をどう見るか(内側からと同時に外側から)という問題と不可分であるということである。
そしてここで重要なことは、「日本という近代国家」が成立してきた歴史的経過を解明することではないかと思われる。例えば、「日本民族」という言葉自体が近代的で新しいものであるという事実や、この国をそのようなものとして無理にまとめてきた明治政府の強権的政策の内容(教育、軍隊、宗教、天皇、戸籍などの諸制度から、時間・空間・人間関係・身体にいたるまで拘束管理社会の形成を目指した)などは、まだ充分に解明されているとは言い難い。本書でも指摘されているが、「日本的なもの」ということの中味が多種多様であるという中で、「世界史の中に日本の歴史を位置づけなおして見なければならないのではないか」(243号に掲載された織田氏の言葉より)という問いは、そう簡単に明々白々たる答の出るものではない。しかし少なくとも「世界史の中で日本の歴史を位置づけ直す」にあたっては、日本がアジア諸国から、過去においてどう見られてきたのか、また現在どのように見られているのか、という視点だけは落とすべきではないと考える。(このことは現在に関して言えば、アジア諸国への経済進出やODAの評価のみならず、それらの国々での買春ツァーや子供ポルノの大半に日本人が関係しているという事実等をも含めての日本の評価が必要だということである。)(R)

【出典】 アサート No.244 1998年3月20日

カテゴリー: 思想, 書評, 書評R, 歴史 | 【書評】日本の生活文化(大衆文化)の中に「日本人とは?」を問う はコメントを受け付けていません

【投稿】学校での「国際理解教育」を考える

【投稿】学校での「国際理解教育」を考える

今やいわゆる「国際理解教育」が一種のはやりのようになっている。不況でその伸びは減ったものの、大阪府下ではどこの市の小中学校にもブラジル人や中国帰国者、いわゆるニューカマーの子弟が在籍している。それに伴って、あらためて在日韓国・朝鮮人の存在にも焦点が当てられているように思う。「国際化」が叫ばれる中で、共生のための「国際理解教育」が注目を浴びるのも当然といえる。マスコミでもよく取り上げられて華やかなイメージだが、実際の中身や成果はどうなっているのだろうか。
アサートでも以前紹介したことのある「地域の国際交流をすすめる南河内の会」主催で、先日、「学校での国際理解教育を考え語り合おう」という公開講座があった。けっこう面白かったので少し紹介したい。
南河内では、富田林、大阪狭山、松原等、公民館を中心に在日外国人の日本語教室が開催され、そこでは日本語を学ぶだけでなく、在日外国人同士の交流、地域の人々との交流の拠点となっている。それに注目をした問題意識のある教師は、ここに集う在日外国人を学校に招いて、異文化の紹介や生徒との交流を盛んに行うようになってきた。そのことは意義のあることだし、それなりに成功しているのだが、招かれた在日外国人たちは、その「国際理解教育」が「楽しかった」「違う文化に触れた」で終わっているのではないか、子どもたちにどう受け止められ、日常的な教育にどう生かされているのかを教師たちと語ってみたいと感じてきた。それが、この公開講座開催のきっかけである。
当日は、教師や学校に招かれたことのある在日外国人を中心に30名ほどが集まった。最初に松原第三中学校と富田林金剛中学校の教師から実践報告があった。そこでは、「国際理解教育」をきっかけに、新しいものの見方を発見し、ボランティアや学習意欲向上に結びついた子どもたちの生き生きとした姿が語られた。
在日外国人の方々は、それらの成果に喜び、日本にいろいろな外国人が住んでいることがあたりまえ感じるように、小学校からぜひこのような教育を進めてほしいという意見とともに、いくつかの疑問点も出された。
在日3世の韓国人の方は、「韓国人」として招かれ、教室で韓国の歴史や文化について語りながら、実際は「外国人」でない自分を感じてとまどってしまうものがあると語っていた。子どもたちに韓国についてもっと知ってもらいたいと思いながら、韓国についてあまり知らない自分を意識するもどかしさ。「在日」としての自分をどう語っていくのかという難しさ。いわゆる、オールドカマーの2世3世の持つ悩みかもしれないが、いわゆるニューカマーも日本に定住する以上、いずれ抱える問題だろう。「国際理解教育」で、「外国人」ではなく「在日」を理解できる内容がもっと研究されるべきだと感じた。
また、教室の中だけでなく、学校運営にももっと工夫が必要ではないのかという意見もあった。PTAの役員に積極的に在日外国人になってもらうといったことである。結局、教室の中だけでの教育だけでは子どもたちの「国際理解」は進まない。親がどう変わるか、地域がどう変わるかが本当に「共生」を保証していくものだろう。学校もそれを意識した取り組みが必要だと思った。
しかし、まだいろいろ課題があるとはいえ、学校での取り組みをやっているかやっていないかでは、子どもへの対応に大きな違いのあることもわかった。「国際理解教育」を積極的にやっている小学校では、3年生の「昔しらべ」で在日韓国人の子どもから積極的に韓国の話を引き出そうとするのに、取り組んでいない小学校では同じ授業で在日中国人の子どもの「昔しらべ」が「パス」されたそうだ。
これから、いわゆるニューカマーたちも地域に定着していく中で、さらに学校での「国際理解教育」の深まりが期待されている。(大阪N)

【出典】 アサート No.244 1998年3月20日

カテゴリー: 教育 | 【投稿】学校での「国際理解教育」を考える はコメントを受け付けていません

【投稿】橋本内閣と「信用崩壊」

【投稿】橋本内閣と「信用崩壊」

<<「中央銀行の犯罪」>>
日銀の職員が収賄容疑で逮捕されたのは日銀の歴史上初めてのことだという。確かにそうであろう。しかしこのところ次々に明るみに出てきている大蔵省の腐敗からすればさもありなんというのが、誰しもの実感であろう。しかし、ことはさほど軽視できない問題をはらんでいるとも言えよう。
それは、日銀の現職幹部が、日本興業銀行と三和銀行から多額の接待を受けた見返りに、公開市場操作などの機密情報を漏らしていたという、事実の重みである。それは、証券市場で厳禁されているインサイダー取引にも劣らぬ重大な不正行為であり、「銀行中の銀行」である日銀が、通貨政策の決定事項や国債の売買についての情報を接待や贈賄の見返りに彼らと結託した銀行側にひそかに流し、莫大で法外な利益を上げさせたという、「信用崩壊」の極みの行為であるというところにあるといえよう。
そこには「市場の公正さ」などあったものではない。もともとあったとも思えないのだが、それでも本来ありえないであろう、「インサイダーが横行する不公正な市場」という印象を全世界にばらまいたのである。大蔵省の腐敗・堕落ぶりはこのところ周知の事実となっていたが、中央銀行である日銀までが疑惑にまみれていては、世界的な「信任失墜」はとり返しのつかないものとなり、その影響は決して黙視できぬほど大きなものとなろう。
3/12付ニューヨーク・タイムズ紙が、「逮捕は日本の金融システムについての世界的な信頼に衝撃を与えるという問題を引き起こしている」、「多くの日本人にとって、職務権限をめぐる贈収賄の横行が政府と金融システム全体にいかに広がっているかを、逮捕で確認することになった」と指摘しているように、日本の政治・経済権力者達のあまりの腐敗ぶり、倫理観の欠落、氷山の一角でしかない汚職構造のすそ野の広さを改めて確認させるものであった。

<<「民間が求めている」天下り>>
逮捕された日銀幹部は、贈賄側の日本興業銀行などに対し、金融機関のヒアリング調査にかこつけて宴席を要求、意に従わないと「日銀貸出残高を減らすぞ」などと制裁を予告したという。実際に、資金繰りという金融機関の「生殺与奪の権」を握る日銀が、かつて日銀OBの処遇をめぐって、東海銀行から日銀が貸し出しを引き上げた実績が各金融機関を震え上がらせていたという実績があるだけに、その脅しは効果てき面であろう。
「考査中に、日銀が天下りの受け入れをさりげなく求めることもある」(3/14日経)というように、日銀幹部の「天下り」受け入れを露骨に要求し、それに応じて銀行・金融業界が大蔵省・日銀の幹部達を夜な夜な接待という形の贈賄を繰り返していたという業界ぐるみ、組織ぐるみの接待と腐敗の実態は想像に難くない。
そして事実、大蔵省や日銀幹部の「天下り」は、彼らが国会に提出した資料だけでも、都市銀行から第二地方銀行まで149行に286人、証券会社から生保・損保まで含めると、計660人が金融機関の幹部に天下り、地方銀行・第二地方銀行123行の内、48行が大蔵省・日銀出身の会長・頭取53人を頂いているのである。
日銀の松下総裁自身が、82年、大蔵省官僚トップの大蔵事務次官に就いた後、87年、太陽神戸銀行の頭取に天下り、90年には三井銀行の会長、94年、改称したさくら銀行退職後、日銀総裁に就任している。松下総裁は、住専問題のときに天下り規制が論議になった際にも、そうした「天下り」は、「民間が求めている」ことであり、「許認可の権限を持つ官庁と日銀の立場は違う」などとして自粛する考えのないことを明らかにした人物である。
そして松下総裁出身のさくら銀行は、今回の日本道路公団汚職の贈賄側として登場し、何ら反省も責任も取ることもなく公的資金の投入も申請して、承認されている。あきれるばかりの無責任・腐敗構図の象徴でもある。

<<「つかみ金」の審査>>
そしてこの13兆円にものぼる公的資金の投入、金融機関救済という名の「つかみ金」の額などを審査している「金融管理審査委員会」の7人の委員の一人がこの日銀総裁であり、大蔵大臣である。初めから事態の推移は目に見えているとも言えよう。
この公的資金の投入、申請額には上限がなく、まさに天井知らずの「つかみ金」であるが、東京三菱銀行など大手18行と地方銀行3行が、体力(自己資本)増強のためとして、総額2兆円規模の公的資金受け入れを申請した。ところが、銀行側の申請は、業界トップで全銀協会長行である東京三菱が1000億円としたことから、これに各行がすべて横並び、ピタリと額までそろえたのである。そこまでやるかというほどの、右にならえ!である。これほど露骨で、本来の公的資金導入の目的から逸脱した世論をなめきった態度はないといえよう。
問題は、さらにそれに輪を掛けるように、「金融管理審査委員会」が1日に7行ずつ各行の頭取を呼んでおざなりなリストラ計画なるものを一応は聴取し、審査基準が決まってわずか12日の拙速丸出しの短期間の審査で、申請21行のすべてに公的資金投入を決定したのである。大手9行はすべて接待汚職に関与していたが、その責任の取り方の明示は一切求められもしなかった。
そのリストラ、各銀行は行員の給与1割カットと役員賞与の大幅削減をいっせいに発表、見事なほどの同じ申請内容、同じリストラ策、非常に不可解であると同時にさもありなんというまさに日本的現象である。そこには、膨大な不良債権を作り出したのに責任は一切取らず、公的資金を取れるものなら取ってしまえという安易で無責任な金融資本の体質が露骨に示されている。

<<経済運営能力ゼロ>>
こうした最中の2/21、ロンドンで開催されたG7蔵相・中央銀行総裁会議に蔵相と日銀総裁が出席したが、一時とはまるで落ち込んだ見る影もない存在に転落したといえよう。
各国からは軒並み、日本は、内需を拡大させる抜本的な経済政策がまったく導入されておらず、アジア経済危機を救済する大国としての責任を放棄しているとまで批判される事態となり、日本を除く6カ国で共同声明が発表される異常事態となった。
松永蔵相は「日本の経済政策が公平な評価を受けていない」と反論したが、逆に、「この時期に必要な経済運営能力をまったく持ちあわせていないことを暴露した」と論評されるほどの孤立した状態に陥ったのである。
そもそもこの蔵相、大臣就任挨拶で「大物蔵相が辞めるというのは重い結果。あとのこまごましたことは大方は済んだ」などと腐敗官僚を徹底的に弁護、「厳しく見えるかもしれないが、(弁護私生活が長く)弁護する姿勢が身についている」などと述べ、就任の際約束していた脱税疑惑の元主計局次長の再調査について、大蔵事務次官が「調査するとは聞いていない」と不快感を示すと、直ちに撤回、腐敗隠し、疑惑弁護の姿勢を明瞭に示し、そればかりか通産省課長補佐である自分の長男を蔵相秘書官に人事発令するなどといった、全く程度の低い人物である。確かにこの時期の蔵相どころか、議員としての存在そのものからして全くふさわしくはないであろう。
しかしこれは、橋本内閣そのものの本質と限界が露呈されてきた証左とも言えよう。G7で日本が提示した政策内容は、「銀行と株式市場の救済であって、4兆ドル規模の経済そのものに活を入れるものではない」(2/21付けワシントン・タイムズ)という本質を突いた批判から、「西側先進国の批判圧力にもかかわらず、日本は自国がアジア危機に直接打撃を受けない限り、近隣諸国の救済には出ない」(2/23付けロサンゼルス・タイムズ)自己保身体質の指摘、さらには、「日本が港湾や陸運の規制を緩和するだけでも輸入品価格が10%位下がり、消費者の購買意欲を喚起できる」にもかかわらず、「日本は対米輸出増大で景気回復を狙っている」「根っからの輸出国だ」という批判(ワシントンの経済戦略研究所のプレストヴィッツ所長、2/21付けワシントン・タイムズ)まで、現在の橋本内閣では克服し得ない限界点に達しつつあることを明らかにしてきている。

<<「野党も批判を免れるものではない」>>
このほど、97年度の実質国内総生産(GDP)が、74年の石油ショック以来、実に23年ぶりにマイナス成長に転落することがほぼ確実となった。この石油ショック時のマイナス0.5%以上に落ち込むこともほぼ間違いない情勢である。つまりは戦後最悪の経済状態に陥ってきたのである。これを発表した経企庁の糠谷事務次官は「消費の落ち込みが大きかった」ことを認め、村岡官房長官も「個人消費が低調だったことを反映した」と述べざるを得なかった。これは、経済状況に逆行し、不況効果をしかもたらさないような昨年来の消費税、医療費負担の増大をはじめとする9兆円以上にも及ぶ国民負担の増大がもたらした明らかな政策不況なのである。断固たる政策転換が求められているにもかかわらず、「Too Little ,Too late」な対応しかできない橋本政権の末期的症状の表われとも言えよう。
そして同時に、今回の大蔵・日銀・金融界を中心とした政・官・財の腐敗と癒着の構造について、「橋本首相以下、日本のエリート達は誰もがこうした慣行に漬かってきた。自民党から別れた党を含め、野党も批判を免れるものではない」(3/13付英フィナンシャル・タイムズ)という指摘は、国民誰しもが肌で感じていることである。

誕生しようとしている新「民主党」が、こうした橋本政権の末期的症状に断固とした政策対置に踏み切れず、自民党と代わり映えのしないような右往左往を繰り返していたのでは、政権交代のチャンスなど全くないといえよう。  (生駒 敬)

【出典】 アサート No.244 1998年3月20日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬, 経済 | 【投稿】橋本内閣と「信用崩壊」 はコメントを受け付けていません

【投稿】98春闘を元気出して闘おう!

【投稿】98春闘を元気出して闘おう!

98春闘がいよいよ本番だ。大幅な賃上げと減税など制度政策要求の前進を実現して、労働者の生活を守るとともに、経済低迷を打破していくことが労働側に求められている。以下では98春闘を取り巻く情勢の特徴と連合の方針、春闘全体を貫く課題について整理をしてみたい。

<実質賃金低下が生み出した消費不況>
98春闘の特徴の第1は、各種の統計が示しているように、勤労者の賃金が実質的に低下している中で闘われることだ。97年度は所得税特別減税が廃止され(98年2月に補正予算化されたが)、これにより手取り賃金は2%減少したと言われている。さらに健保2割負担化(97年9月)・厚生年金UP(96年10月)など社会保険負担が増し、合わせて3%は手取り賃金が減少したことになる。
この点をまず確認しておくことが重要だ。減税ストップと消費税のアップと医療費負担増で約9兆円が国民全体から奪われた。試算によると国民一人あたりの年間負担増額は8万9千円になり、標準4人世帯では年間36万円と言われている。
相次ぐ金融機関の倒産・廃業などの先行き不安から消費が低迷している、とのマスコミ報道が盛んで、「日本経済の先行き不安と消費税2%アップ」が消費不況の原因のように言われているが、本当の原因は実質賃金の低下にある、という認識が大切である。
消費税アップ等により消費者物価は昨年の4月以降、2%を超える上昇をしており、昨年の賃上げ(加重平均8727円、2.9%)は赤字補填にもならず、今年3%程度の賃上げなら、昨年並みの生活以下ということになるわけだ。
消費不況と言われる状況は深刻で、昨年5月に家計消費支出が前年比5.8% 減になるなど、昨年度の個人消費は戦後初めてのマイナスになるのは確実と言われている。百貨店等の販売額も昨年は3月に消費税アップ前の駆け込み購入による前年比増があった以外は、2%から4%の前年比減となっている。

<政策不況・政府企業の責任を追及する春闘>
特徴の第2は、大型減税要求・労働法制規制緩和に反対するなどの政策・制度要求を一層強く打ち出す必要がある春闘だということ。消費不況は、実質賃金の低下が根底にあるわけだが、緊縮予算と金融政策の誤りによる政策不況という側面も存在している。
低金利政策で国民から利子収入を減少させる一方で、自ら招いた不良債権に喘ぐ金融機関のみを救済し、さらに消費税アップ・減税を廃止するという政府の政策の貧困が生み出したものであることだ。昨年秋のアジアバブルの崩壊・通貨危機に端を発した金融不安の深刻化・大蔵省官僚の金融機関との癒着、所謂護送船団方式を続けてきた自民党政府の責任を追及する必要がある。勤労国民は怒りの声を挙げなければならない。
昨年秋以降の「日本沈没」的状況の中で、2兆円の特別減税を決めるなど財政構造改革路線との矛盾を生み出しつつも、財政出動なしには危機的状況を招く事態となり、自民党内部にも、野中副幹事長の6兆円景気対策などの路線の揺らぎが起こってきている。参議院選挙の年であること、さらに3月期決算対策もあり、自民党幹部は盛んに「口先介入」を行っているが、大型減税の継続実施をこの春闘で実現しなければならないし、その可能性は十分にある。

<経営側は相変わらず賃上げゼロ主張>
日経連は1月末に労働問題研究会報告を発表したが、相変わらずのベア=ゼロを主張し、雇用か賃上げかと主張している。今年の中心は、むしろ構造改革問題に割かれて労働法制の規制緩和などを強調している。労働法制の規制緩和の動きについては、すでにアサート1月号で民守氏から詳しいレポートが出ているの詳しくは触れないが、中央労働基準審議会からの答申を受け、政府による法案づくり・国会審議という段階になっている。時間外・深夜業の女子保護規定の撤廃、裁量労働制の適用拡大・変形労働制の要件緩和・労働契約期間の上限延長などいずれをとっても、労働者に不利益をもたらし、企業側の利益第一の論理の貫徹を許すものである。連合は国会対策を強めるとともに、「怒りの行動」として大衆行動の強化を決めているが、連合の存在意義そのものが問われている。

<企業・産業に格差・ばらつく可能性>
さらに、企業業績という点で、産業間・企業間に二極化の動きのあることは懸念材料である。製造業では4年連続・非製造業でも3年連続の経常利益の増益が見込まれているのに対して、製造業大企業と非製造業中小企業では、はっきりと二極化の傾向となり、企業規模による賃金・労働条件の格差はこの3年間で一層拡大している傾向にある。
格差解消へと「連合中小共闘センター」がスタートし、大企業の労使に対して「下請け価格」のアップを要請するなどの取組みが行われているが、まだまだ緒に就いたばかりという印象は否めない。

<問われる連合のたたかい方>
2月12日には自動車総連の大手組合が賃上げ要求書を提出し、13日には造船重機、19日には電機連合といよいよ98春闘も本番を迎えている。しかし、自動車総連の中でも、好調なトヨタ・本田に対して、経営不振の日産・三菱などと要求にバラツキが生まれているし、電機関連も消費不況の影響を受けて昨年来の大量の在庫を抱え、一時帰休を実施する企業もある中での交渉本番という事態は、先行きが案じられる。
連合は賃金要求15000円(4%)、生活維持向上8900円+定昇2%6100円=15000円と個別賃金要求として、高卒35才勤続17年316700円を要求、公正分配と積極政策で生活改善と景気回復、雇用分野でのワークルールづくり、個別賃金要求で格差是正・1800労働時間・未組織労働者への波及などの春闘要求と減税など制度政策要求の春闘方針を決定している。
成長率2%には、4%の賃上げが必要という要求根拠の一つになっているが、これら大企業労組でさえ、連合の要求基準、昨年より2千円アップの15000円要求以下の1万3千円という低額要求に留まっているのは大きな問題だ。
さらに、大企業労使の責任は重大であり、労働分配率も大企業ほど93年を境に大きく低下している。賃上げ余力がない、などの議論は論外で逆に民間主要50社の別途積立て金はどんどん増えているのが実態だからだ。昨年秋以来の円安も輸出関連製造業には大きなプラス要因でもある。
格差是正という意味で、連合が打ち出した「個別賃金要求」方式もまだまだ定着していない。年齢別最低保障や初任給から定年前までの賃金ラインの一致、また同一産業間での統一要求という段階には程遠いものがある。しかし、経営側は逆に労働法制の規制緩和に見られるように「個人賃金」化の方向を強めており、個別賃金方式の徹底した展開が求められていると考えられる。

<問われる労組の存在意義>
特徴的な情勢と連合の課題を述べてきたが、加えて、労働組合の存在すら問われかねない問題がある。まず、失業率は戦後最悪の3.5%(97年5月以来)となった。失業者数では、93年度175万人、94年度194万人、95年度216万人、96年度225万人と増え続け、97年10月には236万人(連合調査)となっており、企業スリム化進行・倒産などの事態の進行が予測されるなか、今後の回復は一層不透明と言わざるをえない。
さらに低下し続ける「労働組合組織率」の問題がある。昨年12月に発表された「平成9年労働組合基礎調査結果速報」によれば、労働組合員数は1228.5万人で前年より16万6千人減少し、3年連続の減少となった。推定組織率は22.6%。団体別では連合が8万5千人減の757万5千人(組織労働者全体の61.6%)、全労連が1万5千人減で84万4千人(6.9%)、全労協が7千人減の27万5千人(2.2%)となっている。
産別組合で見ると、自動車総連(ー14000人)、電機連合(-25000人)、生保労連(-14000人) 、日教組(-5000人)、CGS連合(-7000人)、金属機械(-3000人) など軒並み減少しているのが分かる。増えたのは、ゼンセン同盟の+10000人くらいだ。もはや繊維産別から複合産別化して、商業系などパート労働者の組織化を進めるゼンセンの健闘のみが目立っている。
しかし、総体として、雇用労働者数が増えているなかで、労働組合員の総数が減少する事態はまさに労組の存在意義そのものが問われていると言える。、
確かに連合は毎年のような組合員の減少に「組織拡大実行計画」を打ち出し、構成産別に組織拡大を昨年から呼びかけている。けれど、未組織労働者の組織化は具体的には地域の中、工場の外でしか組織化はできない。産別よりも基礎組織である、県連合、地域連合の課題と言えるのだが、一番大事なところで、まだ「寄合所帯」という状況では、組織拡大は課題が多いといわなければならない。

<とにかく元気を出して>
私自身も労働組合の現場役員として、労働組合の存在が問われる98春闘、また98年の労働運動を闘い抜きたいと考えている。「厳しい・厳しい」というだけが能ではなく、そこからどう抜け出すか、智恵を出し、組合員参加で状況をどう突破するかを考えなければならない。とにかく元気を出して98春闘を闘いたいと思っている。( 98ー02ー17 H)

【出典】 アサート No.243 1998年2月21日

カテゴリー: 労働 | 【投稿】98春闘を元気出して闘おう! はコメントを受け付けていません

【投稿】戦後民主主義を問い直す(NO.4)

【投稿】戦後民主主義を問い直す(NO.4)

戦後民主主義の超克
ここ10年あまり、わたしは戦後民主主義について根本的に問い直さなければならないのではないかという気持ちが強まってきていた。部落解放教育を始めとする教育改革論争やフェミニズム論争、55年体制といわれた政治状況の解体、マルクス・レーニン主義への懐疑などを通じて、戦後50年の日本の思想状況を自らの関わりにおいて検討して見る必要性を実感するようになった。
そのきっかけとなったのが、当時言論界にデビューしてきた小浜逸郎の一連の家族論、学校論、女性論であった。(『学校の現象学のために』『可能性としての家族』『男がさばくアグネス論争』いずれも大和書房)
ここでは、これまで語られてきた戦後民主主義を前提とした枠を突き破り、地に足がしっかりとついた論理が展開されており、わたしは魅了され続けた。その後、続々と発刊されている氏の著作は、思想、哲学に及び、その時々の世相の嘘と実を具体的にとらえた幅広い批評活動を展開されている。小浜逸郎の基本モチーフのひとつは、「戦後民主主義の超克」ではないかと思う。氏の論を前にすると、これまで論じられてきた、そして今も盛んに論じられている巷の教育論、フェミニズム論、人権論、民主主義論の大慨が現実的根拠をもたない虚論であることがはっきりと認識できるからである。
小浜逸郎を通じて吉本隆明の著作に出会った。名前は以前から知ってはいたが、わたしの思想形成の成立ちからか、それまでは全く読む気の起こらなかった人であった。小浜逸郎の思想形成の根幹に吉本隆明が存在することを知ってから、今日に至る10年あまり吉本隆明の著作を読み続けている。自らの20代30代半ばまでの思想形成に吉本隆明の著作が全く無縁であったことを何度悔やんだことか。
ちょうどその時、鷲田小弥太の「吉本隆明論」(三一書房)が発刊されるのである。この著作で、戦後50年の日本の思想状況と吉本隆明の位置関係の輪郭が認識できたように思う。つづけて発刊された「天皇論」「昭和思想史60年」(三一書房)「現代思想」(潮出版社)などは、わたしのこれまでの進歩的左翼思想からの脱却に大きな影響を与えてくれた。それ以降、竹田青嗣、橋爪大三郎、西尾幹二、小林よしのり、坂本多加雄、小室直樹、呉智英など次々と未知の著者の著作に出会う中で、自らの中の戦後民主主義に対する疑問は確信へと変わっていったのである。
次の大きな転機は、1996年初夏に出会った「歴史ディベート 大東亜戦争は自衛戦争であった」という本である。そこから「自由主義史観研究会」を知り、「新しい歴史教科書をつくる会」を知り、そこに集まっている学者・研究者の著作を次々と読んでいった。(「新しい日本の歴史が始まる」幻冬社出版)
まだ、その枠に留まらない、その周りの様々な論者の著作、またそれと全く立場を異とする論者の著作も次々に読むはめになっていくのは当然の成行きであった。一昨年の12月に読んで、ほとほと参ったと思った立花隆の「僕はこんな本を読んできた」という本で語られている、一つの問題に対する立花氏の究明の姿勢に習ったわけではないけれど、この2年あまりは、久しぶりに知的に興奮する日々が続いている。
今のわたしの問題意識は、「戦後民主主義」を問い直すためには、明治維新以降の130年、そしてその前の江戸時代とは、世界史的に見てどんな位置づけができるのか、世界史の中に日本の歴史を位置づけなおして見なければならないのではないかと思うようになってきたことである。今行われている「従軍慰安婦」論争や「侵略・自衛戦争」論争も、世界史の中に日本の歴史を位置づけ直すという作業の中からしか発展的に止揚されないと思っている。その作業を「新しい歴史教科書をつくる会」は始めているのである。
産経新聞に今掲載されている「はじめて書かれる地球日本史」シリーズは、その走りである。また川勝平太の最近の著作『日本文明と近代西洋ー「鎖国再考」』(NHKブックス)や「文明の海洋史観」(中央公論社)、入江隆則著の「太平洋文明の興亡ーアジアと西洋・盛衰の500年」(PLP出版) などは日本史の根本的転換をうながす原動力になるだろうという予感がしてならない。
論争というのは、始めはそこに本当に大事な論点が内包されているにもかかわらず、お互いの主張の違いだけを際立たせ、最後は言い放しに終始し、お互いの立場性だけが変わらず残って終わるだけということになりがちである。しかし、今回の「新しい歴史教科書をつくる会」は、現在の歴史教科書を批判するだけでなく、自らが新しい教科書を作って世に問うというこれまでの批判勢力になかった画期的な取組みを開始しておられる。わたしはこの取組みに注目し期待している一人である。

<読者の声(特別編)について>
「アサートNO242」の読者の声(特別編)読ませていただいた。大阪のSさんからの投書、並びに、編集委員(佐野)からの返信が掲載されている。わたしの「戦後民主主義を問い直す」シリーズのなかの「従軍慰安婦問題」「歴史観論争」について、読むに絶えない論だから「紙のむだであり、送付を止めよ」ということらしい。また、読者の反応として「こうした意見が載っていること自体が恥ずかしいことだ」という意見がある反面、「論争になってくれば、それは良いこと」という意見もあるらしい。
わたしにはその具体的内容について知る由もない。分かっているのは、この間「アサート」に掲載された田中・当麻・佐野・依辺論文のみである。田中さんよりのNO.238号に対して、わたしはNO239号で返答している。それに対して田中さんからも他からも意見を「アサート」紙上でいただいていない。私はだれのどんな論調に対して反論せよと編集子は言っておられるのだろうか。Sさんの投稿に対してだろうか。それは無理である。編集子も指摘しているように、Sさんからの「新しい視点からの」批判を是非いただきたい。そうでもなければ反論も共鳴もしようがない。
田中さんからのこの間の私へのストレートな批判には、「かなわんなあ。もっと僕の言っていることを冷静に読んでほしい。」とは思いはしつつも、いろんな意味で学んでいるのである。田中さんとは考えは違っても、その違う考えを「アサート」紙上で論争できるということ、その中からお互いが新たな何かを共通につかみとることができるために論争するのである。アサート編集部(とくに佐野氏は)は、これまでもそれを保障してきたし、それを常識化するために奮闘してこられたのである。Sさん。あなたからのご批判ほんとうに待っています。( 1998/2 織田)

【出典】 アサート No.243 1998年2月21日

カテゴリー: 思想, 歴史 | 【投稿】戦後民主主義を問い直す(NO.4) はコメントを受け付けていません

【書評】現代日本企業社会の暗部を衝くミステリー

【書評】現代日本企業社会の暗部を衝くミステリー
                  –高村薫『レディ・ジョーカー』(毎日新聞社、1997.12.5.発行、上・下巻と もに1700円)

高村薫が3年ぶりに出した評判のミステリーである。その評にいわく「多視点から『現代』を描いた試みの鮮やかな成果」(毎日)、「現代日本描く『全体小説』」(朝日)等々。いずれも好意的な評価を寄せるだけに、その筋書は面白く、描写は綿密かつ膨大である。
本書の中心をなしている犯罪は、日本一のビール会社「日之出麦酒」の社長・城山の誘拐と、製品を「人質」にした脅迫である。明らかにグリコ・森永事件にヒントを得ていると思われるが、事件は、最初にこの犯人たちが目論んだ予想を越えて、彼らの手には負えない社会の闇の構造をあぶり出していく。
犯人グループは、それぞれの境遇から現代社会に向けての不満を表現しようとし、それが競馬という機会を通して、犯罪というかたちで具体化、実現することになる。従ってその結び付きは偶然であり、動機も、狙う目的も、ある意味では偶然であり、彼らがすべて同一レースに賭けたこと自体、偶然的である(=日常的にはどこにでも存在するもの)という意味をもつ。
「日之出麦酒」の就職差別の問題に絡んで娘婿と孫を失った薬局店主・物井、障害児の娘と情緒不安定の妻をもつ元自衛隊員のトラック運転手・布川、在日朝鮮人の信用金庫職員・高、警察官でありながら下積みの視点から上層部の混乱を夢見る刑事・半田。こうしたメンバーが、ある時、それぞれの特技を寄せ集めて、「レディ・ジョーカー」を名のり、「日之出麦酒」社長誘拐と脅迫を行うのである。
この事件は周到に計画され、成功する。表向き6億、裏取り引き20億の身代金の要求とその受け渡しについての詳細は、本書を繙かれたい。そもそも犯人たちの誰もが金の奪取を第一にしていなかったということから、捜査は困難を極める。そしてそれなりの大事件として存在するこの事件を一つの契機にして、企業社会を取り巻く大きな腐敗構造が顔を出すことになる。
それは、この事件の以前になされた大手都市銀行の絡む不正融資事件であり、その絡まった糸は、永田町、保守党の大物国会議員・酒田へと続いていく。そしてまたその糸は、総会屋へも、闇の仕手筋、韓国の闇組織にもつながることになる。このような腐蝕の構造が、ある時には対立抗争、またある時には妥協と取り引きというかたちで活動を続けるのであるが、著者はこれらの複雑な動きを、脅迫する犯人たち、脅かされる社長を中心とする企業側、これらの事件を捜査する警察組織、その警察組織と張り合う検察庁、これらとは独自に事件を追う事件記者と新聞社組
織、そして以上のどの部分にも多かれ少なかれ触手を伸ばしてくる闇の組織等、というさまざまな視点から多角的に描こうと試みる。それはこの小説の一つの重要な背景をなしている競馬レースに類似している。すべての馬がゴールを目指して疾走しているが、ゴールの先には何もなく、またそれぞれの馬がジョッキーによって操欲望の構造が全篇を包んでいるのである。
本書をどのように読み、本書から何を汲み取るか──社会に対する怒りか、やり場のない嘆きか、息つく暇もないほどの面白さか、等々──は読者によって異なるであろうが、本書の底深く流れている怒りと行き詰まりの感情を無視することはできないであろう。例えば、誘拐事件の犯人の一人、物井は、事件が拡大してもはや自分にはての届かないものとなった時期に、こう考える。
「物井清三は一日じゅう新聞を読み返し、読み返し、この浮世に棲む人間の本性は、七十歳の自分が見てきた以上の何ものかだと考え続けた。(略)自分は悪鬼だと勝手に納得していたが、世の中には、自分のこの黒い腹よりはるかに黒い腹の持ち主たちがおり、はるかに大きな悪意をもって、社会を動かしていくのだ。その前では自分はやはり小さな虫けらに過ぎず、精一杯知恵を絞ったつもりだったレディ・ジョーカーまで、案の定カモにされて、高笑いしているのは結局、自分たちではないどこかの悪党なのだった」。
これに対して、警察組織の中で事件の捜査に従事していながら、その体質による締め付けに辟易している警部補・合田(彼は、高村のこれまでの作品『マークスの山』『照柿』にも主要な登場人物として現われている)は、次のように感じる。
「一兆円企業の社長を逮捕監禁し、(略)商品へ異物を混入して世間をパニックに陥れた凶悪犯レディ・ジョーカーが、こうして今、もっと大きな構造的な不正をめぐる動きに呑み込まれようとしているのだった。もちろん、レディ・ジョーカーの犯行自体は、増えも減りもしない事実として残っていたが、それはまるで、大きな濁流のただ中に取り残された中州のように感じられた。(略)そう思うと、今ある所在なさには、一抹の虚しさや、もうどうにもならないという諦めも含まれていたかもしれない」。
また闇の組織の事件を追い続ける途中で失踪した先輩記者を調査している記者・大久保は、事件についてこう感想を述べる。
「この一年の間に、誘拐や恐喝、強請、詐欺、殺人、自殺といった形で表に現われた多くの事件も同じだった。表面的な因果関係は明らかになったが、そこにはほんとうの発生源はなかったのだ。巨大証券と大手都市銀行の商法違反事件も、解きあかされたのは個別の事犯の個別のメカニズムだけであり、そのメカニズムを動かしている真の駆動装置は見えず、どこに、どんな形で存在しているのかも分からない。辿っても辿っても道はどこかで途絶え、決して発生源に行き着くことがない」。
このように登場人物のそれぞれ──これは、誘拐事件の被害者である城山とて例外ではない──に漂う感情が、全体として現代日本社会の虚無性を示している。
本書は、ミステリーとはいえ、多角的な視点から社会を描き出して、われわれに問題を突きつけている小説であり、筋の複雑さ、多様な面を見せる展開など、エンターテイメントとしても第一級であろう。ただし本書で触れられ、伏線として取り上げられる諸問題(部落差別問題、在日朝鮮人問題、障害者問題、老人問題等)についての掘り下げ方には中途半端さが感じられる。著者が現代日本社会に対して真正面から取り組む姿勢を見せているだけに心残りと言えよう。読後に少々切れの味の悪さが残るのも、現代のわれわれが、どこまで行っても真の解決に至らない社会的諸問題について感じている矛盾と共通するものを含んでいる。(R)

【出典】 アサート No.243 1998年2月21日

カテゴリー: 書評, 書評R | 【書評】現代日本企業社会の暗部を衝くミステリー はコメントを受け付けていません

【投稿】金融危機とアジア的・日本的特殊性

【投稿】金融危機とアジア的・日本的特殊性

<<「IMFに聞け」>>
タイでは現在、「恋人と別れてどうすればいいの」、「IMFに聞け」という皮肉たっぷりのフォークソングがはやっているという。周知のように、巨額の対外債務を抱えるアジア諸国は軒並み事実上の「国家的不渡り」=デフォルト(債務不履行)に直面し、国際通貨基金(IMF)や世銀、日米欧の金融支援で事態を乗り切ることに必死である。そこには一昨年までの世界経済をリードするアジア・ニーズ、躍進する新興工業諸国といったイメージは消え失せてしまっている。
中でも「四頭の虎」(韓国、台湾、香港、シンガポール)の先頭に立っていた韓国の事態の進展は象徴的である。
昨年末の史上最大規模のIMF支援にもかかわらず、むしろIMFの融資条件順守(経常収支赤字を対GDP=国内総生産比1%以下、増税による財政の均衡と黒字維持、不良金融債権を抱える金融機関の整理)によって、今年に入って経済悪化がさらに急速に進み、信用収縮が一気に激化、預金引き出し、取り付け騒ぎ、優良銀行への移し替え、資金回収にともなう倒産が頻発、その中で財閥系マーチャントバンク14社が閉鎖に追い込まれている。
事態の急迫にIMFも緊縮条件を緩和せざるをえず、急遽、短期債務250億ドルを政府保証の長期債務に振り替え、2/3には韓国政府が強く要望していた金利引下げにも合意、ようやく小康状態に入ったところである。
しかしIMFはこうした一連の交渉過程で、債券市場の全面開放、敵対的M&Aの許容などを含めた外資の自由化を強く要求、外資を含めた合併・買収による金融機関の整理統合、さらには労働基本権に関わる解雇の自由化までを要求、事実上、欧米資本に、この機会に大幅に値下がりした優良企業や銀行を買いたたく絶好の機会を与えたともいえよう。まさに今後の事態の成り行きは「IMFに聞け」というわけである。

<<金大中新政権に立ちはだかるもの>>
こうしたもっとも困難な最中に、金大中新政権が2/25に発足する。新政権は、金融情勢安定化のために、先進7カ国を中心とする80億ドルのさらなる追加融資、日米欧主要債権銀行との債務に関する個別交渉を提起している。国内的には、財閥と政権との癒着、保護主義の温床を断ち切ることに重点を移し、さらには財政経済院を頂点とする分野別縦割り機構を改革し、金融監督機能を財政から分離することを明らかにしている。
こうした課題は、実に日本と共通するものを持っているが、はたして事態が改善されるであろうか。そう単純ではないし、基礎的条件がきわめて悪化させられていること、立ちはだかる分厚い壁はそう簡単には崩れるものではないであろう。
なにしろ韓国の対外債務は96年末で1000億ドル程度にまで達していたのであるが、97年から98年にかけて通貨が50%強も暴落、ウォン建てで債務が80兆ウォンから170兆ウォンへと増大、90兆ウォンもの為替差損が発生しているのである。
このウォン価値暴落の結果をGDPで見ると、96年のドル建てGDPは4800億ドル、これが今回の暴落レートで再計算すると、実に2300億ドルに激減している。国内総生産の半分近くにも達する対外債務はどのように努力したとしても返せるものではないであろう。韓国とIMFが支援条件に合意した昨年12月3日の直前には、韓国の外貨保有高はわずか37億ドルでしかなかった。にもかかわらず、これまで海外で調達した短期資金を直接東南アジアなどのリスクの高い案件に長期投資してきた結果、たとえばインドネシアへの債権は60億ドルを超えており、これ自身がもはや不良債権化しつつある。

<<現代版徳政令の必要性>>
さらにその借り手であるインドネシアの場合を見ると、事態はもっと劣悪である。対ドル為替相場が80%強も暴落した結果、ドル建てGDPが2300億ドルから何と400億ドルにも急減し、これに対する対外債務が実に1400億ドルにも達しているのである。国内総生産の3倍以上もの債務など返せるはずもなかろう。韓国、インドネシア、タイ、フィリピンの5カ国でGDPは1兆1000億ドルから4600億ドルへと半分以下に縮小したことになる。
これら諸国においては、少々の飢餓輸出、低賃金労働による貿易黒字程度では金利さえ払えなくなっているのが実態である。事態の本質的な解決のためには、債務負担を大幅に軽減し、為替レートの回復をはかるより他に再生への処方箋がなく、そのためには大規模な現代版徳政令、巨額の債務の棚上げ、棒引き、債権放棄が必要なのである。最大の貸し手としての日米欧資本の過剰で無責任な投融資のツケが、相手国の債務危機という形で自分たちに跳ね返ってきたのである。
米国自身が96年末時点でも経常収支赤字が1480億ドルを超え、現状放置すれば米経常赤字が国内総生産GDP比2%程度から3%程度に増えることは間違いがない。他国にはGDP比1%以下を要求しながら、自らは基軸通貨の特権を悪用して赤字のドルを全世界に垂れ流して、他国の犠牲の上に我が世の春を謳歌するという構図がすでに受け入れ難い段階に達しつつあるとも言えよう。
このことは、そのことによって日本的特殊性やアジア的特殊性として主張される情報秘匿の慣行、財閥と政権の密接な癒着構造、閉鎖的な独占的系列支配構造、政・官・財の腐敗構造が免罪されるものではないし、金大中政権の登場やスハルト政権の危機に見られるようにそれぞれの諸国においてもはや許し難い課題になってきていることをも明らかにしている。

<<「セッタイ」「ノーパンしゃぶしゃぶ」>>
その日本的特殊性をまたもや全世界にさらけ出したのが、またかとうんざりするほど出てくる大蔵省と金融機関の癒着・汚職・腐敗記事の連続である。今や、「セッタイ」がそのまま新聞に使われる事態になった。「銀行や金融業界の重役による公僕セッタイは日本に充満している」(1/20付けUSAトゥデイ)と報じられ、この2/4付けウォールストリートジャーナル社説では、「官僚がノーパンしゃぶしゃぶで接待漬けになり、逮捕者、自殺者、辞任者が続出する日本最強の役所」=大蔵省という役所そのものの有り様が問われており、小手先の改造では問題解決など不可能であり、新たに就任した松永蔵相には「腐敗体質是正・金融危機救済を期待できない」とまで断言されている。
さらに1/29付けロサンゼルスタイムズ社説は、橋本首相自身がすでに蔵相辞任の経歴を有しており、その「91年には今回と同様な省内の銀行・証券業界との不祥疑惑にまみれたものだが、そこから今回までどのような改革や学習を得たのであろうか」と指摘、橋本首相は「世界第2位の経済大国にもかかわらず、二流の政策しか取れないのであれば、それはこれまで権力を握ってきた自民党政府の責任が問われねばならないし、同党は政治的にもそのツケを払うべきである」と手厳しい。
大蔵省の検査官が相手先からゴルフ、料亭で豪勢な接待をうけ、しゃぶしゃぶを食いながら、ノーパン女性を侍らせ、懐中電灯で覗きまくり、卑猥な行為に没頭している姿は、腐敗・癒着構造の末期的症状を示すものであろう。接待漬けにあっていたのは大蔵省ばかりか、日銀現職幹部にも及んでおり、あわてて当局は、金融関連部局の在職経験者550人を対象に、過去5年間に受けたゴルフや宴会などの接待の日時、場所、相手などを自己申告させているが、お互いに隠し合うことは眼に見えており、そんな結果報告など誰にも信じられないであろう。
大蔵省は事態を糊塗するために急遽、金融検査官を監査する「金融服務監査官」を新設したが、またもや腐敗の重層化をしかもたらさない身内による監視態勢であり、いったいこの監査官の不正は誰が監査するのであろうか。

<<大蔵省の解体>>
不良資産隠しや不正融資、癒着行政維持のためには手段を選ばぬ企業体質、接待工作と買収、これらには問題の野村証券や日本興業銀行にとどまらず、第一勧銀からあさひ、三和をはじめ、大手銀行、大手証券会社のほとんどがすべて関与、率先していたことが明らかになっている。
大蔵省の監督下に、独占的保護行政のもとで、不良債権がどれだけ膨らもうと情報を互いに隠し通し、問題解決を先送りし、バブルが崩壊しそれでも隠しきれなくなると国民の負担に転嫁し、税金を投入する、なおそれでも情報公開にはかたくなに抵抗する、こうした護送船団方式がもはや通用しなくなってきたにもかかわらず、こうした構造の維持に固執する勢力が厳然として存在しているのである。
橋本内閣の行革は、明らかに大蔵省の財政・金融の権限集中にだけは決して手を触れさせないように仕組んでいる。そこには予算配分から税制、金融行政まで絶大な権限が集中していることに政治的利益を見出し、権力の甘い汁を吸い取ろうとする政府・自民党と大蔵官僚の利害の一致が集中しているとも言えよう。腐敗の構図の最大の温床でもあり、原点でもある。財政と金融行政との完全分離、国税庁の分離・独立、第三者機関による監査・監督体制、大蔵省の解体こそが再度現実的な政治日程に上らせられなければならいのである。
もともとこの点については、一昨年の暮れの自民、社民、さきがけの与党3党合意で「財政と金融の分離を明確にする」とされていた課題である。ところがセッタイ疑惑表面化の直前に、目先の金融不安の拡大を絶好の根拠にして、「当面の金融不安に拍車をかける」として分離に反対する方向が社民、さきがけを巻き込んで確認されてしまった。野党各党も同じ土俵に引きずり込まれ、音無しである。一体、自民党以外の政党の存在意義はどこに行ってしまったのであろうか。3党合意の復活と野党の存在を賭けた奮起を望みたいところであるが、むなしい願望であろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.243 1998年2月21日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬, 経済 | 【投稿】金融危機とアジア的・日本的特殊性 はコメントを受け付けていません

【書評】近代日本社会の検討–機能・倫理・美をセットとする人工空間(コスモス)

【書評】近代日本社会の検討–機能・倫理・美をセットとする人工空間(コスモス)
    成沢光『現代日本の社会秩序──歴史的起源を求めて』(岩波書店、1997.11.21.発行、2400円)

「これまで一般に明治以降の日本の社会秩序は、政治的に『創られた伝統』を中心に考察されてきた。例えば天皇制や家族制度が、一見前近代的遺産を引きずるように見えながら、その実、維新以後の新たな身分・階級支配の秩序として構成された過程が明らかにされてきた。(略)/しかし、戦後の高度成長期以降、これらの旧制度が着実に衰退したのとは裏腹に、ここで言うコスモスは地域・階級・年齢・性の差異を超えて、なおいっそう強固にますます全面的に日本社会に浸透しつつある。それによって『近代化』という名の過剰が、人間の制御しきれない悪を生み出す構造が現われてきた。コスモスの外部(不潔で混乱した世界)は、ますます差別・侮蔑・恐怖の対象となっている」。
本書は、「近代化」の名の下に形成された日本社会(コスモス)が、著しく速い速度で、かつ「伝統的」社会からの抵抗が弱いままに形成されたことに着目し、これの形成にあたって、軍隊と学校の果たした役割が大きかったこと、「秩序化が目的合理性の範囲をこえる傾向があったこと」(過剰秩序)、そして「日本では過剰秩序のための規律化に従うことが倫理的義務となり、さらにそうして実現される秩序は、美的秩序として意識されるか、あるいは無自覚のうちに浸透した」ことを指摘する。そしてこの結果として、この秩序(コスモス)は、「今日まで生き延びて、それとして意識されることもほとんどない程定着している」とされる。著者によれば、この制度に比べれば「いわゆる国民道徳や家族国家観など天皇制イデオロギーは、この『制度』を補強する役割を果たしたに過ぎない」。
かかるコスモスはいかにして形成されたのか。著者はこれを、「時間・空間・身体・人間関係」という軸から考察(第一部「近代的社会秩序の形成」)し、さらにはその起源を、武家社会、近世都市社会および禅宗寺院との関連で探ろうとする(第二部「起源」)。
このうち「時間」の軸からは、明治維新以降の社会秩序の骨組みとして、「時間の秩序」(太陽暦への切り替えによる人工的時間を日常倫理として啓蒙すること)、「時間割による行動規律」(定時に集団での一斉行動の組織──軍隊、官庁、学校など)、「速度にかかわる」時間秩序(成員の任務や行動が「速ヤカニ」「遅滞ナク」遂行されること)、さらには「全国統一祝祭日の新設」(「聖別された国家の時間即ち天皇の時間」の創設)等による人工的単一時間の秩序の形成過程が考察される。
また本書の中心の一つをなす空間秩序に関しては、次のような秩序がなされたとする。すなわち「整理」「整頓」そして「清潔」という言葉に表わされているような「空間の人工的秩序化が身体の秩序と連動するものとして新たに認識された」ことが、大きな変化とされる。しかもこの場合、「自然の秩序が身体の秩序をも貫くのではない。人為的に構成された空間の中においてのみ、身体の秩序は維持されるという論理が誕生したこと」が重要なのである。このことから明治以降、「汚穢、悪臭等『混沌』『混乱』の要素をできる限り中心から排除することが、空間の政治学となり美学となる」。端的に言えば、「見た目にキレイで、水のヨゴレ、空気のヨゴレを衛生的に処理した世俗空間を拡大することが、近代的秩序の論理となる」。このため中心から排除されたヨゴレは、周辺に移動することになったが、これを外部に隔離し管理することで内部・中心への侵入を防ぐことが国家の政策とされた。かくしてハンセン病患者や精神病者の隔離が進められていく。
このような空間秩序は、さらに「開放性と閉鎖性の二重構造」(開放され広がった世界の中での島的存在──軍隊の内務班、寄宿制学校、監獄等の拡大)をその特徴とし、「明るい空間」(これは「清潔」の色である白に通じる)、「空間の人工化」(すき間、路地、空地、野原等の縮小)を招くこととなった。
次に身体の秩序が問題になる。これは、「身体の規律化」(軍全体を機械として動かすための個々の身体の部品化と、健康への強制をその内容とする)としてあらわれる。そしてこの際には、「力によって精神を覚醒させ、純化強化できるとする観念の働きも見てとれる」──これが体罰につながることは明らかであろう──とされる。
人間関係の秩序では、上下関係の秩序における「下位者の全人格的『服従』が常に強調され」、「命令内容の不言実行も『服従』の基本とされた」こと、および「何らかの自発性を喚起するために、内面倫理が強調された」ことが指摘される。
かくして著者は、近代日本の社会秩序について、「時間・空間と身体の中に刻みこまれた規律こそ秩序を支えていた」、そして秩序に従うことが生理的快感、美意識のレベルでの満足をもたらしたことから、「〈秩序への衝動〉〈秩序へ向かう美的感性〉こそ体制の固い地盤となっていた」と指摘する。この結果として、美的なものが倫理よりも高く評価され(=礼儀とその形式が道徳よりも上にくる)、秩序の過剰性が現出せざるを得ない」とされる。これは、「異物、ヨゴレ、臭い、暗がり、ゆっくりしたもの、不揃いなもの、総じて秩序自身の副産物(あるいは排除したもの)に対する不寛容の度が、ほとんど無意識のうちに昂進する」と同義である。そしてわれわれは、この延長上に現代をとらえることができるであろう。
以上本書の「第一部」を中心に紹介したが、このコスモスは、今なお現代を取り巻いている過剰な秩序感覚そのものである(形・色の揃った洗浄野菜の販売、学校での一糸乱れぬ集団行動の強制等々)。著者は、その起源をさらに探究するが、ただしこちらの記述はかなり読みづらい。しかし本書は、小著ながら、日本社会論で見落とされがちであったポイントを衝く書である。(R)

【出典】 アサート No.242 1998年1月24日

カテゴリー: 書評, 書評R | 【書評】近代日本社会の検討–機能・倫理・美をセットとする人工空間(コスモス) はコメントを受け付けていません

【映画紹介】「女盗賊プーラン」

【映画紹介】「女盗賊プーラン」

1980年代初頭、インド北部を中心とした地域を群盗を引き連れ、荒らしまわり、ヒンドゥー教における復讐と破壊の女神・ドゥルガの生まれ変わりと人々から畏れられ、また当時の首相インディラ・ガンジーをして「最凶悪犯」と言わしめた義賊の女首領プーラン・デヴィ。この女性、プーランの獄中取材記[INDIA’S BANDIT QUEEN]をもとに、1994年に製作され、インドをはじめ世界各国で上映、「話題を独占した注目作」である。(大阪は、シネ・ヌーヴォにて上映中、1/23まで)
インド北部の小さな村で低層カーストの娘として生まれたプーランは、11歳で中年男のもとに嫁がされる。重労働と、そして何より性行為を強制するその男に耐え切れず、婚家を飛び出すプーラン。しかし低層カーストの出戻り女を待っていたものは、村八分、レイプ、盗みの濡れ衣といったありとあらゆる虐待であった。
繰り返し繰り返し加えられる暴力。おかしいことはおかしいと言い、不正に怒り、気丈さを持ち続けるプーランが目障りだった村の有力者は、彼女を盗賊団に誘拐させる。彼らとともに暮らすうちに、同じカーストの首領ヴィクラムと愛し合うようになったプーランは、彼に盗賊としての手ほどきを受け、ついに盗賊の女王と謳われるようになる。
しかし盗賊の間にまで根を張った差別の現実、上層カーストの盗賊の卑劣な裏切りにより最愛の人ヴィクラムは虐殺され、彼女自身もその盗賊の勢力下にあるビーマイ村に拉致され、集団レイプされる。底知れぬ悲しみと煮え滾る怒りに突き動かされるように、自らの盗賊を率いて、貧しき人々に味方する義賊として立ち上がるプーラン。1983年、政府と警察との司法取引に応じて投降するが、彼女の姿を見ようと多くの人々が各地から駆けつけてくる。ライフル銃をうやうやしく差し出すプーラン・デヴィに人々から喝采とともに声が上がる。”プーラン・デヴィ万歳!”心が熱くなる場面だ。
目の前でわが娘がレイプされていても、救うことはおろか、抗議の言葉すらはさめず、”タークル階層”に頭を下げることしかできない父親。唯一母親だけが持ち前の気丈さで守ろうとしてくれるが、ヒンドゥ社会では「犬以下」の扱いを受ける女の身では、限りがあった。
今からたった14~15年前の出来事とは思えないほど、悲惨で残忍なシーンが目に焼き付いた。低カーストの女に生まれついたばかりに、次々と襲ってくる不幸。しかしプーランは自らの力で「人間」を取り戻していく。私は、そのプーランのすごさに心を強く動かされ、闘いに明け暮れる彼女の半生をつづった自伝『女盗賊プーラン』(草思社、1997年)を一気に読んだ。この作品は、日本で65万部を超えるベストセラーとなったので、ご存知の方も多いだろうと思う。
出所後、インド社会党から出馬を要請され、国会議員となったプーランは、今、「ビーマイ事件」を始め57件の容疑によって、最高裁から身柄拘束状が出され、弁護士を通じて現在も抗戦中であると聞く。晴れて「自由」の身になれることを、心から祈りたい。
(大阪 田中 雅恵)

【出典】 アサート No.242 1998年1月24日

カテゴリー: 芸術・文学・映画 | 【映画紹介】「女盗賊プーラン」 はコメントを受け付けていません

【労働関係レポート】 最近の労働法制規制緩和の動き 

【労働関係レポート】 最近の労働法制規制緩和の動き   -今、労基法が危ない-

最近の様々な規制緩和の流れの中で、労働関係の法制度についても見直しが、進められてきている。しかし、その見直し内容は「規制緩和」という名の下に、労働者の保護制度を緩めるというもので、より使用者にとって弾力的に労働力を活用しようとするものである。当然、そのことは労働者にとって、雇用の不安定性や厳しい労働条件を強いることになることは、言うまでもない。
それでは具体的に労働基準法を中心に、問題になっている事項について説明したい。

[女子保護規定の見直し]
男女雇用機会均等法において、募集・採用・配置・昇進・教育訓練に対する均等な取り扱いが義務化されたこと等により、労働基準法も女子の時間外・休日労働・深夜勤務を規制した労働基準法の女子保護規定も撤廃されることになった。(1999年4月施行)
これは、男女雇用機会均等法の改正に伴って、経営側が女子保護規定も撤廃することを強く要請したことによるものだが、その結果、現在の男性の過酷な長時間労働を女性にも強いられることになった。これに対する連合をはじめとする労働側は、男女共通の上限規制の設定と、その法制化を求めている。現在は、労働省が36協定締結の際の「適正化の目安指針」を設けているだけで、法的拘束力もなく、事実上、野放しになっている状態である。現実に中小企業を中心に長時間残業を強いて、なおかつ時間外手当も未払いということが横行する中で、女子保護規定の撤廃は、より一層、労働者間の雇用・労働の競争が
煽られることになろう。

[変形労働時間制の見直し]
変形労働時間制とは、一年間の所定内労働時間(約2,080時間)の範囲内であれば、「1日8時間・週40時間」を弾力的に運用できる制度で、具体的な制限は、1日9時間・週48時間(変形期間が3か月以内のときは1日10時間・週52時間)以内の範囲であれば、その弾力運用が認められている。
見直し案は、この制限を更に弾力的にし、1日10時間、週52時間まで認めようとするもので、当然、その範囲内であれば、時間外手当を支給する必要はない。すなはち使用者にとってみれば、繁忙期・閑散期に合わせて、より弾力的かつ安上がりに労働力を活用できるようになるもので、労働者にとってみれば、不安定な賃金・労働条件を強いられることになる。

[裁量労働制の対象範囲の拡大]
裁量労働制については、1日に何時間働いても所定内時間(8時間)働いたものとするもので、見なし労働とも呼ばれている。現行は、研究開発部門等の11業種に限られているが、更に事務系労働者(ホワイトカラー)にも適用拡大することが検討されている。この事務系労働者では、「本社及び他の事業場の本社に類する部門における企画、立案、調査及び分析の業務」と限定することとしているが、これとて拡大解釈される恐れもあり、何よりも、こうした部門を中心にサービス残業が横行している中で、これを合法化するものと言わざるを得ない。また、これが認められれば、公務労働にも波及することが十分、予想され、数多くの労働者の賃金・労働条件の切り下げにつながる。

[有期労働契約期間上限の一部職種延長]
予め、期限を設けて労働契約を締結する場合は、現行では1年を限度とすることが原則的に定められているが、今回の検討案では、「新技術・新商品の研究・開発労働者」については、3年まで延長することとなっている。これは、最近の目まぐるしく進展する技術革新の中で、これに対応する技術者の確保のためには、終身的に雇用することよりは、能力の発揮が期待される若年労働者を一定水準、確保することが望ましいことから、取られる措置だといえる。すなはち若年労働者の使い捨てにつながるもので、中・長期的に見れば、雇用不安を増大させることにもなる。

[民間有料職業紹介事業の職種範囲原則自由化]
民間における有料紹介事業については、従来、調理師・看護婦・美容師など(29職種)の技能労働者に限って認められていたのが、本年4月より原則、自由化された。(職業安定法施行規則)特に事務系労働者分野(ホワイトカラー)については、全面的に自由化された。
そもそも民間有料職業紹介事業に規制があったのは、民間職業紹介の際に、実態とは異なった求人条件なり、紹介事業者が手数料を徴収することにより、労働者に不利益、あるいは相当の負担を負わすことを防ぐためにあったもので、いわば不公正雇用を防止するためであった。しかし求人情報誌の氾濫にも見られるように、現実の職業紹介の状況は、職業安定所を通じた職業紹介のウエイトは少なくなっており、「原則自由化」は、この現実を追認し、民間職業紹介事業の営利範囲を広げることでより、円滑な雇用の流動化を図ろうとするものである。
しかし、それでは不公正雇用に対する防止策はどうなのかと言えば、「有料職業紹介事業の運営に関するガイドライン」の策定等、一定、監督・指導の措置が取られているものの、どれほどの効果が期待されるかについては不安がある。とりわけ現状における不公正雇用に関る苦情や個別紛争は、依然として頻発しており、これに対する行政対応も極めて不十分と言わざるを得ない。「原則自由化」の是非についての論議の中で、不公正雇用に対する不安の意見に対して、「そもそも、現状の行政監督指導も十分、機能していないではないか」という意見もあった。確かに労基署や職業安定所における行政上の怠慢も一定、否めないが、しかし同時に不十分な態勢と権限にあったことも事実である。「原則自由化」された今日において、具体的な不公正雇用の事実を突きつける中で、労働者が安心して職業紹介を受けられる紹介業者や求人側への監督指導方策と不公正雇用に対する罰則の強化等が求められる。

[人材派遣対象業務、原則自由化]
現行の人材派遣の対象業務は、事務用機器操作等の専門職務26業務に限られているが、これを原則自由化しようとすることが検討されている。新たな派遣業務については、1年間の限定期間を設けることも検討されているが(現行1年間で2回延長)、全体として派遣職種を広げることによって、より企業にとって使いやすい労働力の提供・賃金コストの削減につながるものである。特に事務系労働者(ホワイトカラー)や営業などに幅広く派遣が認められると、現に雇用されている労働者への雇用不安が増すばかりではなく、現実に派遣を巡るトラブル・個別紛争がより一層、増大することが予想される。現実においても派遣業務内容が当初、示されていた内容と異なったり、また指揮命令や勤務時間等の労働条件が不明確で、派遣先・派遣元との関係で、派遣労働者に問題がしわ寄せされる等のトラブルは多発しており、これに対する防止措置を具体的に講じないまま、派遣職種範囲を拡大することは、民間有料職業紹介事業の職種範囲の原則自由化と相まって、より労働者を人身売買的に扱われる状況が生み出されることになるといっても過言ではない。

[労働法制規制緩和に対する労働側の対応]
これまでの労働法制規制緩和に対する労働側の対応について、既に改定された労働者派遣事業法や職業安定分野等においては、連合は積極的な反対はせず一定、容認してきた。しかし労基法を中心とした今日における労働法制規制緩和に対しては、連合・全労連とも反対の立場を明確にしている。
戦後最大といわれる失業率の増大に加え、労働組合組織率の低下等、労働運動全般が後退局面にある今日、個別における労使の力関係は、より労働側に不利になっていると言わざるを得ない。その意味で、個別の労働者を守るのは、労働関係の法制度が全てといっても極論ではなく、労働法制の規制緩和は、より労働者に無秩序で過酷な競争に投げ出されることになる。そもそも今日における労働者保護の諸制度は、まさにこれまでの労働運動の成果それ自体といえ、企業の様々な経済活動に対する規制緩和と同列視することは許されない。
連合が結成されて約8年が経過するが、連合が掲げた「力と政策」が今、自らの労働政策で、その力を発揮しなければならないときだといえよう。
(民守 正義)

【出典】 アサート No.242 1998年1月24日

カテゴリー: 労働 | 【労働関係レポート】 最近の労働法制規制緩和の動き  はコメントを受け付けていません

【投稿】日本発の金融・経済恐慌の可能性

【投稿】日本発の金融・経済恐慌の可能性

<<首相演説、株安に拍車>>
1/12、通常国会開会冒頭、橋本首相は異例の金融経済演説を行い、「日本発の金融恐慌、経済恐慌は決して起こさない」と強い決意を表明、「金融システムを断固として守る」などと力説した。だが市場の反応は冷たく、「政策の新味がない」、「空虚な演説」だとして、その日の東京証券取引所の平均株価は330円安の1万4664円に急落、95/7以来、2年半ぶりの安値を記録し、首相の演説がかえって株安に拍車をかけたことを立証してしまった。年末12/17に突如意表をついて発表した2兆円減税の効果は二日ぐらいは持ちこたえたが、今回はその日の内に後手後手の弥縫策がたちまち見破られてしまったといえよう。
兜町では、「バブルのピークから最近まで、株価は橋本首相が一人で下げた」とまでこき下ろされていると言う。バブルピーク時、89/12/29の平均株価は3万8915円、この時、橋本氏は海部政権の蔵相、大手証券会社の損失補填スキャンダルが発覚、株価はそれ以後一貫して下がり続け、91/11/5退任時の株価が2万4950円、1万4000円も落ち込ませた。その後、連立政権を経て、橋本氏が政権を担うようになってから、一旦は2万円台を回復していた株価をさらに1万4000円台にまで落ち込ませた訳である。橋本氏が蔵相、首相の地位にある間に実に2万5000円ほども下落させてしまった疫病神、「信用崩壊」の象徴であり、「政権を換えることが信頼回復の第一歩」とまで言われる事態に突入しているわけである。
<<対照的なクリントン大統領>>
一方、クリントン米大統領はセックススキャンダルやらホワイトウォーター疑惑など個人的には深刻な問題を抱えてはいるが、経済政策に関しては表面上は順風満帆である。98年冒頭、1/5、同大統領は、破顔一笑、98年度予算では、その赤字額が220億ドルにまで縮小し、99会計年度予算では連邦政府の年間財政が黒字に転換することを正式に発表したのである。当初は、年間財政の赤字解消は2002年に達成される予定であったが、税収が予測をはるかに上回ったために、赤字削減速度が急上昇し、予定を3年も早めることが可能となってきた。99年度予算を待たずして、98年度ですでに赤字が解消される可能性も高まっている。最高時には2900億$もあった財政赤字であるが、好況持続によって税収見積りを大幅に超過する事態となり、橋本首相とは対照的な立場に立てたわけである。
しかし、今日の世界的な通貨・金融不安の震源地は、実は米国自身にあることを忘れてはならないであろう。それは減少するどころか、増え続けている米国の経常収支赤字とその結果としての膨大な対外債務にこそある。80年代に入って累増した経常収支赤字は96年でも1480億$を超え、その累積である対外純債務は95年末時点で8300億$、GDP比率は11%にまでなっている。この対外債務は日本を最大債権国とする米国以外の国の民間資本と公的資本によって賄われているのである。赤字国債以外の何物でもない米財務省証券のほぼ3分の1が外国によって保有され、米国経済を米国以外の国が処分・換金することもままならずにとにもかくにも支えているのが実態なのである。こんなことがいつまでも続く保証はないし、橋本首相自身が資金引き上げの誘惑に言及し、中国を含めたそうした発言の度にニューヨーク株式市場は大きく動揺し、おびえてきたことは、周知の通りである。

<<国防長官のアジア歴訪>>
それは、クリントンのはしゃぎぶりとは逆に、グリーンスパン米連邦準備制度議長が、米経済についてインフレ傾向はみられないが、むしろ物価の値下がり傾向から、デフレの危険性を指摘、株価や不動産の暴落が金融組織の崩壊につながる可能性とその深刻さを強調し、1929年の株式市場の崩壊、それに引き続いた30年代の「大恐慌」がこの現象の好例であると警告を発する事態なのである。(1/5付けウォールストリートジャーナル)
事実、アジア諸国の通貨の対ドル価値が軒並み大暴落したことから、同地域の購買力は大幅に低下し、米国の対アジア輸出が激減し、反対にアジア製品価格の低下によって輸入が激増、貿易赤字が膨らむという悪循環が今年からよりいっそう表面化することは間違いないことである。すでに、その影響を直接的に受けているのが米国の製造業部門と輸出業者である。
米国はこれまでアジアの危機は各国の政策や構造に原因があると主張し続け、ルービン財務長官も「強いドルは国益」と繰り返してきたのであるが、アジア経済危機が米国経済成長の足を引っ張りかねない事態を目前にして、クリントン政権は、政府高官を東南アジア各国に派遣し、米国とIMFが通貨を保証するため自国通貨を米ドルに換金しないよう呼びかけざるをえなくなっている。
タイをはじめ韓国やマレーシアでは軍備近代化を凍結する見込みで、米軍事産業にとっては大打撃、さらに韓国では米軍の駐留費用負担が困難になり、米国が負担するか、米本土に呼び戻すかの選択を迫られている。コーエン国防長官自らが出張し、アジア通貨危機救済への取り組みを広報、1/20には東京へも訪問、米軍事外交の焦燥感を露骨に示さざるを得ない事態である。

<<救済策発表後に危機が進行>>
問題のアジア金融危機は、昨年末以来の巨額の救済融資やIMFの救済政策の決定、実行にもかかわらず、さらに悪化、むしろ救済策発表後に通貨危機が進行するという皮肉な結果を進行させている。
インドネシア・ルピアは1/8、1日で15%も下落、1月初めからの下げ幅は40%を超えている。IMFの庶民に犠牲を強いる救済条件に反発して、生活防衛のため、食料品などの買いだめ騒動、大衆暴動にまで発展する事態を招来しているのである。翌日、1/9のニューヨーク株式市場はこの危機の進展に連動、前日比222.20ドル安、市場4番目の下げ幅を記録している。
これまでなんとか余波を食い止めてきた香港、中国までも金融不安が徐々に表面化し始めており、香港では、香港ドル売り圧力が強く、株や不動産価格が下げどまらず、中国の国有企業は香港市場から資金調達が出来ず、頼みの輸出も、大幅な通貨切り下げの東南アジアに押され、米財務省証券の売却や、泥沼の切り下げ競争に巻き込まれてでも、人民元切り下げもやむなしといった論調が出てきている。
米国でも、国際金融支援もIMFの緊急融資条件が厳しすぎて、各国のデフレを深刻化させるだけだと言う批判が飛び出してきており、1/6付けニューヨーク・タイムズ紙は「しかし、政府は以外と早く経済難にまた直面することになるかもしれない。
あれほど急激に発展を遂げていたアジア諸国が現在のような危機に苦しんでいることは、我々への警告でもある」と指摘している。

<<アメリカの狙い>>
1/5付けワシントン・ポスト紙は、「90年に日本の不景気が始まって以来、世界第2位の経済大国は未だにその低調に苦しむ」「日本経済はほとんど成長しておらず、株式市場も不動産市場も冷却しきっている」「銀行は不良債権で負債に埋もれ、消費者の自信はなくなり、企業の破産は歴史的な規模となっている」「さらに日本の失業率は第二次世界大戦以来最高水準にまで高まっている」「現行制度の頂点に居座る官僚と族議員らは、現行制度を少しいじるだけで戦後最大級の経済危機を乗り切れると信じ込んでいる」「日本の政策指導者達は実質的な改革を実行するだけの能力もその意思も示していない」と、一種の米国の共通認識を示している。確かに事実であろう。
1/9、米財務省のサマーズ副長官は日本経済の現状について「国際的な信認を得るには不十分であり、アジア経済の混乱の大きな原因となっている」とまで指摘している。米国自身の責任を不問にすればこれも事実であろう。
何が問題なのであろうか。日本の企業業績をみると、この景気低迷下にあっても、97年度まで6年連続の増収増益である。しかしその実態をよく見ると、日本経済は現在明らかに、2極分化しつつあるともいえよう。巨大独占体を中心とした製造業は国際競争力が強く、貿易黒字の拡大が続き、3期連続の増収増益を確保している。その一方で、非製造業、特に金融、不動産、建設はバブル期のぼろ儲けから一転して不良資産を抱えて、業績が低迷、不良債権処理の遅れがよりいっそうの不良債権の拡大と危機をもたらすという悪循環に陥っている。
新日鉄の斉藤社長は「かつて1日で3億円の赤字だったが、現在は1日に3億円の黒字となっている」と語っているが、一方金融業界の昨年9月末の不良債権は21兆7300億円であったが、このほど発表された大蔵・日銀認定の問題含み債権は79兆円にも達している。
アメリカの狙いは明らかにこの非製造業、とりわけ金融業において、ビッグバンと早期是正措置の圧力をかけ、総額1200兆円にも達する日本の預貯金を外資系に逃避させ、アメリカ資本による金融市場の支配力を一挙に拡大しようというものであろう。

<<「TOO LITTLE , TOO LATE」>>
問題はこうした事態の急進展にあってもなお、たしかに「日本の政策指導者達は実質的な改革を実行するだけの能力もその意思も示していない」ことにあるといえよう。橋本内閣のあまりにもみみっちく、あまりにも遅きに失した=「TOO LITTLE , TOOLATE」と言われる経済政策の失敗がその象徴である。9兆円を超える負担増によって経済不況を招いた以上は、それらを取り消すか、9兆円を超える減税が実施されない限りは消費は回復しないことは当然であろう。
一方、野党にとってこれほどの自民党政権打倒、政権交代の好機はないにもかかわらず、ところがこれまた情けないかな、分裂・再統一の茶番劇、現実離れした空虚で無内容なスローガンを繰り返すだけである。逆に野党から自民党への移籍が増え、ついに自民党は衆院では単独過半数を回復、参院でも過半数に迫りつつある。これによって政官財の既得権益と族議員ばっこの自民党単独政権の構図が完全に復活し、その結果、「TOO LITTLE , TOO LATE」な政策しか提起できず、結局現在の経済危機を招き、ひいてはそれが「日本発の金融・経済恐慌」に発展しかねないともいえよう。
民主党をはじめとした6会派からなる「民友連」は、減税については6兆円の恒久減税が必要だと主張しているが、せめてこの主張ぐらいは終始一貫譲ることなく最後まで貫徹しなければ、政治不信は一層増大し、誰からも相手にされなくなるであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.242 1998年1月24日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬, 経済 | 【投稿】日本発の金融・経済恐慌の可能性 はコメントを受け付けていません

【書評】『大杉榮–自由への疾走』

【書評】『大杉榮–自由への疾走』
         (鎌田慧、岩波書店、1997.10.20発行、2,600円)

「春三月 縊(くび)り残され 花に舞ふ」
これは、「大逆事件」(1910年)によって幸徳秋水らが逮捕され、翌年死刑を執行された後の集まりで、大杉栄(1885~1923)が詠んだ句である。著者はこの句について、「ここにあらわれているのは、首を撫でおろしてホッとしている感慨ではない。むしろ、残された時間をさらに闘争にあて、豪華絢爛に散ろうとする決意のように詠める」と書く。本書は、戦前におけるアナキズムの指導者大杉栄を現代の眼線で捉え直そうとする試みである。著者鎌田慧は著名なジャーナリストであるが、その意図するところは次のところにある。
「思想を喪失してひとは現実に拝跪し、妥協と保身にもぐりこんでつぎの時代を思い描けないいま、未来への前進に命を賭けた者たちの記憶を蘇らせたい。/大逆事件から続き関東大震災まで、1910年から23年までの13年間を、『縊り残され』ていた大杉栄を主人公にして書いたのは、ここに登場する人たちがけっして言い訳をすることなく、ひたすら自分の信念にしたがって生きていたことを再現したかったからである」。
本書は、「第1章 予感」から「第9章 欺罔(ぎもう)」まで、大杉の軌跡を辿るが、そこには「自由を、夢を求め続けた」大杉と、これに覆いかぶさって抑圧し、遂には虐殺にまでいたらしめた国家権力、就中軍隊組織の異常ともいえる醜さ卑怯さが鋭い対照をなしている。
その矛盾は、すでに大杉の陸軍幼年学校入学時にあらわれる。
「陸軍幼年学校にはいって、元帥を目指したはずの大杉栄が、ここでもっとも徹底した・反軍思想・を叩きこまれることになるのは、皮肉である。(略)すでに彼の自由な精神は、没論理的な強制に反発を感じるようになったいた。そもそも十三、四歳の少年を『幼年』と呼ぶ軍隊の退嬰的な精神からして異常である。反抗期の少年を閉じこめ、『軍人精神の涵養(かんよう)』と『軍人の予備教育』を注入し、純粋培養した結果が、凶暴にしてきわめて唯我独尊的な帝国陸軍を形成した、ともいえる」。
かくして大杉は成長するにつれて、アナキストとしての道を歩みはじめるのであるが、その生涯において最も大きな影響を与えたのが「大逆事件」であった。「大逆事件」での「友人等の死刑後のその首に残った、紫色の広い帯のあとについての印象。(略)その他数え立てればほとんど限りのない、いろいろな深い印象、というより印刻が、死という問題についての僕の哲学を造りあげた」と大杉は記す。
これについて著者は「のちの大杉のキーワードは、『生の拡充』であり、『精神の爆発』であり、『自由への飛躍』だった。獄中にいてなお、屈服を拒否して昂然としていのは、壁のむこうに自由を感じていたのではなく、闘争そのもののなかに、自由を視ていたからだった」と評価する。
以下著者の大杉評価は、当時の労働運動への評価──それは現在の労働運動への評価にもつながる──との関係で、好意と教訓に満ちたものとなる。例をあげよう。
「大杉の文体がいまなお新鮮なのは、革命の『主体』の問いかけが明確なためであり、運動による『精神的諸才能』への信頼が揺るぎないからである。ロシアの革命が、初期の段階において、『精神的諸才能』と深くかかわっている芸術運動の抑圧(芸術家の粛清)に手を染めたのをみれば、大杉の先見性を理解できる」。
「大杉の主張の背景には、人間が人間にする支配への憤懣がある。彼がもとめていたのは、人間の尊厳そのものである。労働者の『疎外』からの解放、そのための労働運動である。労働運動はけっして、賃上げや労働時間の短縮など労働条件の改善だけに閉じ込められるものではない、との強烈なアジテーションである」。
「いまの日本の労働運動は、政治闘争ばかりか、経済闘争さえろくに実施できていない。経営者が唱導する企業間競争にまきこまれ、利潤拡大に協力してそのごく一部を分け前としてもらう運動となり、はてしなく企業への従属を深めてきた。これにたいして、大杉は、『冬の時代』を脱しようとしている新たな労働運動の昂揚期に、労働者が主人公となるための精神的解放と自主自治能力の獲得を最大の課題にしていたのだった」。
このような指摘と評価は、大杉の時代と現代との相違を差し引いたとしても、今なお通用する側面を含んでいるといえよう。
さてこの大杉が、密かに上海に脱出してコミンテルンの「極東社会主義者会議」に出席したこと(1920年)は知られているが、その後1920年に、翌年ベルリンで開かれる「国際無政府主義大会」に出席のため、パリに渡って以降の経過(結局これが大杉の虐殺にいたる序曲となるのであるが)については、本書ではじめて詳細に明らかにされている。
そして最後に大杉(38歳)、妻の伊藤野枝(28歳)、甥の橘宗一(6歳)の三人が、甘粕正彦など陸軍憲兵隊によってなぶり殺された事件について、著者は、三宅雪嶺の非難を引用する。
「法律によらずして職権をもって殺害するなど驚くべき行為とせねばならぬ。何も知らぬ子どもまで絞殺するに至っては何とも云いようがない」。
「甘粕の行為も悪いが他により多く悪いのはないか。その何(ど)の程度まで明白にさらるるかで、文化の如何を推量することができる」。
そして著者は、「が、結局、軍部はなにも明らかにしなかった。それが日本の文化の程度でもあった」と締めくくる。
この事件について著者は、軍法会議での甘粕以下の被告たちの供述を仔細に検討して、「甘粕の犯罪とは、軍部総ぐるみの犯罪を、あとの栄達と引き換えに、身体を張って隠蔽したことにある。軍部にとって、ヤクザの身代わり(替え玉)出頭と同じ処置だった」との結論に達する。そして命令系統に関する証言の矛盾から、さらに突っ込んで、「しかし、彼らは、実行を命令されていなかったばかりか、実行さえしていなかった。『被告』になることだけを命令されていた、実行はほかの者に命令されていた、と考えることもできる」とする。「複数の人間が、寄ってたかって殴る蹴るの暴行を加えて致命傷を与え、最後に首を絞めた。首にロープを巻きつけたあと、古井戸に放りこんだ。この野蛮を部下になすりつけて、陸軍上層部はなに食わぬ顔をしていた。甘粕は『愛国主義者』とおだてられ、うまく利用されたのである。/『甘粕事件』の筋書を誰が描いたか、いまなお不明である。彼に因果をふくめた『上官』たちもまた、それぞれに栄達の道を歩み、挫折した。当然である」という著者の言葉には、軍隊組織の非人間性に対する心の奥底からの怒りがにじみ出ている。
このように本書は、大杉栄を主人公としながらも、その対極に日本の軍隊組織を配置してきわめて鋭い社会批判を行い、そしてその矛先は、現代の日本社会にまで向けられている。大杉栄の評価には、なおその理論の問題、運動組織の問題、運動のモラルの問題等の諸問題が山積しているが、その考察に本書が大きな一助となるであろうことは疑いないようである。(R)

【出典】 アサート No.241 1997年12月20日

カテゴリー: 平和, 思想, 書評, 書評R | 【書評】『大杉榮–自由への疾走』 はコメントを受け付けていません