【投稿】国民は原発事故の「異常」の中での「正気」を取り戻せ

【投稿】国民は原発事故の「異常」の中での「正気」を取り戻せ
                          福井:杉本達也

1 ショック・ドクトリン
 気象庁は2013年8月30日から「特別警報」というものを出し始めた。発表第1号は、9月16日5時5分に京都府・福井県・滋賀県に発表された大雨特別警報で、台風18号の大雨によるものであった。特別警報は「・尋常でない大雨が予想されています。・重大な災害が起こる可能性が非常に高まっています。・ただちに身を守るために最善を尽くしてください。」(気象庁リーフレット)といった内容である。同日福井県の敦賀・若狭地方では小浜市で24時間雨量が384ミリとなる記録的な大雨となり、若狭町の常神半島の3集落では道路のがけ崩れによる閉鎖で1か月間も孤立状態が続いた。また、テレビでは観光地京都の嵐山が冠水した映像が繰り返し流されていた。16日の警報は「特別警戒【大雨】福井県 全域 京都府 全域 滋賀県 全域」という形で出されたが福井市内はそれほどの大雨でもなかった。
 物理学者の佐藤隆文氏は「毎日のように沖縄の南端から北海道まで日本全国の気候や地震の災害をテレビなどの報道で接していると災害に対する自然な感覚が狂ってしまう。」「何が平常かの認識を、その地域までは持っていないのだから反って誤認識を持つ恐れもある。」「いくら国民国家とはいえ、日々の気候災害への関心を一億国民が共有しなければならないというのでは日常性が保てない。」「一般の生活者にとっての気候や災害といった自然現象の共有というのはこの生活圏のサイズと一致して初めて身体的実感を涵養されてくるものであると思う。」(佐藤:「災害実感力の喪失」『現代思想』2013.12)と述べている。
 さらに続けて「『時たま』なら異常でも共存できるが、『常時多発』なら共存不可能である。すなわち実感する生活圏を局限することで共存可能にしているのである。そうでなければ共存できる異常から共存不可能の常時に変貌する。」とし、「生活圏を超えた人間の関わりに目を向けるのは重要ではあるが、その結びつきを感情の赴くままに発露するのは危険である。日常から飛躍するにはそれなりの準備が必要である。」と説く。

2 福島第一原発事故の50ミリシーベルトは『時たま』か『常時多発』か
 産業技術総合研究所フェローの中西準子は、福島第一原発事故による放射線量を非常に低いレベルにまで減らすには、時間と資金がかかりすぎるので、「年間5ミリシーベルト以下という目標なら、1、2年以内にほとんどの地区で達成できますし、その後特に手を加えなくとも15年くらいで1ミリシーベルトに下がります。その間の積算被曝(ひばく)量は50ミリシーベルト以下で、広島と長崎の被爆者に対する追跡調査の結果などを参考にすれば、安心できるレベルといえる」(日経:2013.12.28)という。中西のいう「50ミリシーベルト」は『時たま』なのであろうか『常時多発』なのであろうか。
 そもそも中西は何を持って50ミリシーベルト(mSv)の放射能汚染地域が「安心できる」というのであろうか。原子力規制委は去る1月31日、福島第一原発敷地境界での放射線量が基準値を大幅に超えている問題(最大で8mSv/年)で、2016年3月末までに基準値未満にするよう東電に求めた(日経:2014.2.1)。原発敷地境界の基準は年間被曝線量は年間1mSv未満である。働く者に対しての基準は1mSv未満であり、それ以下でなければ働いてはいけない(放射線業務従事者以外)。一方、原発敷地の外に住む住民に対しては50mSvでも「安心できる」として居住を強制する。これこそ全くのダブルスタンダードである。年間50mSvというのは、「胸のレントゲンを1年に1000回」するということである(胸のレントゲンは1回で50μSv(マイクロシーベルト)だから、1000回分)。誰も毎日毎日3回レントゲンを何十年もに亘り受け続ける者などいない。法律では原発内の放射線管理区域内で放射線業務に従事する労働者でさえ、5年間につき100mSvを超えてはならないことになっている(同規則第4条)。中西のいう年間50mSvは汚染地域住民に福島第一原発で使用済燃料棒の搬出や汚染水処理に従事する労働者の何倍も過酷な被曝をしろという要求である。福島を中心とする放射能汚染地域は「共存できる時たま」ではなく、「共存不可能の常時多発」地域である。

3 津波や地震は「共存可能の時たま」、放射能汚染は「共存不可能の常時多発」
 今回の東日本大震災の地震・津波では東北地方を中心に2万人近くの人が死亡した。しかし、地震や津波は数十年に1回、数百年に1回、千年単位で1回である。三陸沿岸の人々は何回も悲惨な津波の災害に遭いながらも海と共存してきた。それは「時たま」だからであり、避けられないものだからである。だから「津波てんでんこ」(山下文男氏)なのである。数十年に1回の津波はいつ襲ってくるか予測はできないし、犠牲者が多数出ることは避けられないものである。しかし、沿岸の者が全滅するわけではない。また全滅しないようそれぞれが親兄弟を構わず必死に逃げろという冷厳な言葉である。津波から生き残った者が新たな集落を築き海と共存していく思想である。これは、今、宮城県などを中心に国交省が主導して津波を物理的に阻止しようという高さ14.7m、底辺幅90m、総事業費230億円(気仙沼市小泉地区:朝日「土建国家」:2014,2.6)の防潮堤の建設思想とは根本的に異なるものである。
 佐藤は「自然災害は悲惨で不条理であるが避けられないものである。」「古来人間は、居住地を選ぶなどの方策で、それとの共存を図ってきた」「共存の基準の一つは『時たま』である。」とし、しかし、「『時たま』に常時備えるという生活はまた異常なものになる。この微妙なバランスで人々の生活は営まれてきた」(佐藤:同上)と述べているが、「巨大な堤防が建設されれば、漁船が港に着けにくくなり漁業の衰退を招く」(気仙沼市鮪立(しびたち)日経:2014.1.7)。「時たま」に常時備えようという強引な『国土強靱化計画』が被災地の日常生活を異常にしようとしている。
 一方で、旧警戒区域の避難指示解除の動きが広がっている。福島県田村市都路地区では今春に解除することとなっている。住宅地の空間線量は除染したにもかかわらず政府発表で0.34μSv/時(3mSv/年)もある(日経:2013.10.16)。「共存不可能な常時」が今後数十年に亘り続くことは明らかである。中西準子は「モニタリングポストなどが示す空間線量をもとに推計されている個人被曝線量は過大であり…安全性の尺度を個人線量計の値に切り替え」(中西:同上)旧警戒区域に住民を住まわせるよう躍起となっている。その理由は「国からの援助はそう長くは続かない」からだそうである。全てをカネで判断し・切り捨てる中西「リスク論」の“面目躍如”といったところである。いったい誰が今回の事態を惹起させたのか。そもそも恩着の「援助」などではない。国が「全面補償」すべきものである。中西はそれでも「我慢できない場合は移住を早く決断」したらどうかと述べているが、「放射線管理区域内」の場所に「我慢」して住めという感覚自体がどうかしている。

4 異常の中での正気を
 佐藤は同文章の最後で「異常との距離を見極めるのに一番問われるのは正常をよく理解しておくということであろう。平常時の付近の道路や河川や土手などの状況を実感を持って身体化しておくことである。」「正常を正常と見る正気さが涵養されていなければ、異常を見抜くことは不可能なのである。正常での正気さを備えていなければ異常の蠱惑に接近する資格などない」と述べている。
 放射線の場合、「正常」とは法律に定められた1mSv未満である。これを超えるような場所があるならばそれは「異常」である。国も中西などの一部の「専門家」もこの平常時の「正常」値を勝手に変えてしまった。理屈はカネがいるので「復興のための資金と時間を除染のためだけに消費し尽くしてはなりません」(中西:同上)というのである。「正常」時の基準点がなければ「異常」時の状態は把握出来ない。測量するのに基準点をその都度移動するのでは測量する対象物との距離を測ることはできない。しかも、国・気象庁や一部の“専門家”・マスコミはこの基準点を意識的にずらすとともに、『時たま』と『常時多発』の区分もわざと分からないような情報操作を行っている。「東南海地震」・「富士山噴火」・「地球温暖化」・「特別警報」しかりである。テレビ・新聞等で膨大な情報を流すことで『時たま』を『常時多発』であるかのように現実感覚を麻痺させ「災害共同幻想による不健康な連帯感」(佐藤)が生まれている。それは、福島原発事故の放射能汚染による『常時多発』から目をそらさせると同時に、「災害広域情報の共有で国家意識」を強める役割もはたしている(佐藤)。
 佐藤の言うように「歴史的な教訓は、異常なものへの対応の仕方」であり、「異常と正常を行き来出来る正気がなければ異常は制御出来ない」のである。福島原発事故は今、異常事態にある。ところが政府・東電・科学者だけでなく国民自体もそれに目をふさぎ、「異常」を「正常」と言いくるめ、見て見ぬふりをしている。国民が正気に戻らなければ異常事態である事故は収拾できない。収拾出来るかどうかは不明だが少なくとも正気に戻らなければ事態はより破局に向けて進行するであろう。 

 【出典】 アサート No.435 2014年2月22日

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【投稿】橋下・維新、崩壊へ 

【投稿】橋下・維新、崩壊へ 

 日本維新の会共同代表、そして大阪維新の会代表である橋下徹・大阪市長が、さる2月7日、市議会に対して市長辞職を届け出た。
 橋下・維新の看板政策である「大阪都構想」において、特別区の区割りを強引に絞り込もうとする中で、それを審議する法定協議会で他会派の反対に遭い、「このまま4つの案で議論していたら、5年かかってもまとまらない。法定協議会、議員の意思表示に反して1案に絞った設計図づくりを進めようと思えば、今回の(出直し)市長選で市民の後押しを受けなければならない」として、辞職を表明したのである。
 しかし、再選を果たしたところで、大阪市議会、大阪府議会の会派構成が現状のままでは、仮に橋下市長の主張する「法定協議会の議員メンバーの総入れ替え」が実現したとしても、住民投票に必要な議決段階において反対される可能性は高く、手続き面で大いに疑問の残る戦術である。(なお、両議会とも維新の会は過半数を占めておらず、議会選出メンバーの総入れ替えも現実味はない。)
 橋下市長が唯一頼みにしている「民意」にしても、2月8日・9日に行われた大阪市民に対する世論調査(朝日新聞社)によると、出直し市長選の実施に反対が56%、賛成が34%と惨憺たる結果となっている。まさに「大義なき選挙」を市民はしっかりと見抜いているといえる。
 さらに、橋下市長への支持率も支持46%、不支持41%と、大阪市民に限った数字では、初めて5割を切ったのである。
 選挙戦そのものも、自民、民主、公明は早々に候補擁立見送りを決定し、共産党も「野党統一候補の擁立を引き続き模索する」としながらも「独自候補は擁立しない」として、事実上の擁立見送りを決定したことによって、「独り相撲」になる公算が大きく、「民意」に直接訴える機会すら得ることができなくなっている。

 これら橋下・維新の迷走は、今に始まったことではない。
 2011年春の統一地方選挙で維新が大阪府議会の過半数を握り、大阪市議会・堺市議会で第一党を占め、その年の11月に、大阪市長・大阪府知事のダブル選挙を仕掛けて圧勝したころがピークだった。
 その後、石原・太陽との日本維新の会結成の時点から、徐々に「民意」は離れ始めており、昨夏の参議院選挙においても、橋下代表の従軍慰安婦を巡る発言の影響もあってか、大阪選挙区の「大勝」以外はさほどの伸びは得られなかった。
 その大阪においても、昨秋の堺市長選挙では、1期目は橋下の全面的な支援で当選した現職が、大阪都構想に反対を表明して橋下に反旗を翻し、維新公認候補が大敗を喫したのである。
 さらに、大阪南部のニュータウンを貫く優良路線・泉北高速鉄道の売却を巡り、沿線住民の悲願である「高額運賃の値下げ」ではなく、米投資ファンドへの高値売却を優先した維新・松井知事の提案に対し、沿線選出など4人の維新府議が造反したことにより、議案は否決された。維新は造反府議を除名処分としたが、その結果、府議会でも過半数を割ることとなったのである。

 やはり、個人のカリスマ性に依拠した政治勢力は脆い。
小泉チルドレンの悲惨な末路と同様、来春の統一地方選では、橋下バブルの1期生議員らは次々と落選するであろう。また、元自民系の地盤が確立された議員らが、維新を見放して「実家」に続々と帰ることであろうことも容易に想像できる。
 国政レベルでは、原発政策や野党再編の方向性で路線が違い、今回の橋下辞職戦術にも批判的な石原の勢力との東西分裂は避けられない。
 まさに「死に体」への坂道を急激に転げ落ちているといえよう。

 気になる点が一つある。
2月9日に行われた東京都知事選において、田母神俊雄・元航空幕僚長が、予想を上回る60万票を獲得したが、その支持層は20~30代の若者であると分析されている。
先の橋下市長を巡る朝日の世論調査では、年代別の分析までは発表されていないが、恐らく同様の傾向があるのではないだろうか。
 彼らの支持基盤は、「ネトウヨ」と呼ばれる、インターネットを通じて右翼的な発言を匿名で繰り返す若者達である。格差の拡がりや将来への不安感などを背景とした、これらの危険な兆候に対して、我々は十分な注意を払わなければならない。

 一方、この間の動きで特筆すべきは、共産党の統一戦線戦術である。
 負けこそはしたものの、2011年の大阪市長選では、一旦運動を始めた候補者を降ろしてまで、「反ハシズム」統一戦線を形成した。昨秋の堺市長選でも同様に、勝てる見込みのない独自の「赤旗」候補を立てるのではなく、現職を全面的に支援し、維新への勝利に大きく貢献した。「出直し」大阪市長選挙においても、前述のとおり他の野党と足並みを揃えて独自候補の擁立を見送ったのである。
 党勢衰退の結果であるとも言えるが、解放運動や労働運動、学生運動を巡る「分裂」の怨念が渦巻く大阪の地において、限定的であるにしろ統一戦線戦術がとられていることは、意義深く、そして感慨深いものがある。

 橋下・維新の崩壊は近い。いよいよ反撃の時が来たのである。
(大阪 江川 明) 

 【出典】 アサート No.435 2014年2月22日

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【書評】『アイスランドからの警鐘──国家破綻の現実』

【書評】『アイスランドからの警鐘──国家破綻の現実』
  (アウスゲイル・ジョウンソン著、安喜博彦訳、2012年、新泉社 2,600円+税)

 「〔2008年〕10月の最初の数日、レイキャビクの古い首相官邸は、作戦本部の地下壕のようになった。古典様式の大きな邸宅は全体として華麗であったが(略)、それはこの国の危機対策本部になった。10月2日と3日、木曜日と金曜日、ほとんどすべてのアイスランドのリーダーたちがこの建物の中へと急いだ。/(略)/リーマン・ブラザーズの破綻とグリトニル〔註:アイスランドの3大銀行で最初に経営破綻した銀行〕の国有化の試みでの不手際は、システム全体に広がる危機を引き起こし、金融部門にとってのこれまでのすべてのトラウマはまるでウォーミングアップのように思われた。(略)/パニックの形跡は至るところにある。人々は富へのアクセスのみならず、破壊されないですむ安息の地へのアクセスをすべて失うのではないかと恐れた。レイキャビク中の銀行の外には、現金を引き出そうとする人々の行列ができた。紙幣を詰めたプラスチック袋を手に家路につく年配の女性の姿が、しばしば目についた。支店のマネージャーたちは、午後4時の閉店時間に向かって時計の針が速く進むことをただ祈るのみであった。/(略)/食料雑貨店は,共和国がまもなく外貨準備の不足で必需品を輸入できなくなると予想する買いだめの人々でいっぱいになった」。
 本書は、2008年10月のわずか1週間のうちにその主要銀行のすべてと国そのものが破綻したアイスランドの記録である。その主要な論点は、次の4つ、(1)グローバル金融の原動力としてのアイスランドの勃興、(2)一夜のうちの崩壊への事態、(3)米国とイギリスが果たした決定的役割、すなわちビッグスリーの主要中央銀行(米連邦準備制度、イングランド銀行、ECB〔欧州中央銀行〕)からの切捨て、(4)グローバル・エコノミーに及ぼすこれからの影響、である。
 1980年代までタラ漁業以外には見るべき産業がなかったアイスランド経済は、金融市場が自由化された1990年代末に、米国型の投資仲介バンキング・モデルを採用した、野心的で自由市場志向的な銀行家の世代の登場によって、一挙に国のGDPの10~11倍にのぼる国際的バンキング・システムを構築した。経緯は本書の詳細な記述を見ていただきたいが、その火付け役の一人、シグルドゥル・エイナーソン(アイスランドの最大の銀行であったカウプシングの創設者)は、クライアントのエクイティ・ポジション(株式の買い(売り)持分)の引き受けこそが銀行に大きな利益をもたらすとして、アービトラージ(裁定取引、鞘取り)の機会をとらえる積極運用型の投資銀行を目指した。これによりアイスランドはバンキング帝国へと変容し、わが世の春を謳歌することになる。
 しかし最大の問題は、その流動性(換金・交換のしやすさ)のバックアップが、世界で最小の独自通貨であるアイスランド・クローナ(ISK)に依存していたことにあった。すなわちアイスランドの人口はわずか32万人であり、この人口100万人以下の国で世界唯一の独自通貨は、経済規模としては最初から限界を有していたし、国内での流動性の支えとなるには不十分であった。国際バンキング・システムが順調に機能しているときには問題にはならないが、一旦グローバルな危機が襲ってきたときには、この構造的な弱点が致命傷となったのである。
 そしてまさしく9月15日のリーマン・ブラザーズの破綻が、アイスランド金融システム全体を流動性危機という地獄に陥れたのである。著者はこの結果を次のように述べる。
「アイスランドの銀行は、金融システムが外国の債権者やアナリストの信用を失ったときに引き起こされた全面的な銀行取り付けによって倒された。国が通貨準備をほとんど用意せずに独自通貨をもち、中央銀行が最後の拠り所となる信用できる貸主として役立ちそうにないということを前提とすれば、おそらく経済理論からみて、この帰結は不可避的なものだと断言してよいであろう。国の負担能力もまた、銀行に資本注入し、あるいは海外の預金者を保護することによって、銀行支援を用意するには不十分であった」。
 つまり「外部の世界が突然、アイスランドの金融システムを国際的なものとして認めなくなると、その途端に実体としてはただのオーバーサイズの国内的システムでしかなかったということである」。
 そしてこれに輪をかけたのがアイスランドを見捨てたビッグスリーの主要中央銀行の姿勢であった。その事情は次の通りである。
 「第一に、問題解決のコスト、危険状態の国を支えるのに必要な貸付額が大きいことである。第二に、国をデレバレッジ(註:不採算部門の売却による負債削減)し、あるいはバンキング・システムを管理できる規模まで削減するために、アイスランド人が信頼可能なプランを策定しなかった。第三に、アイスランド人には不可能な夢を現実のものにした彼らの国際バンキング・システムを放棄する用意が全然なかったように思われる。(略)/さらに言えば、アイスランドを救い出すことは大した恩恵にならない。国際金融の小さな特異な実体として、アイスランドがたとえ破綻しても、国際金融界にはシステミック・リスクの脅威はない。それは北欧の国であるけれども、他のスカンジナビア諸国はそれとは安全な距離を保っていた。(略)国際的な視点からすれば、国としてのアイスランドそのものは、失敗するには大きすぎるというわけではない」。
 要するに「アイスランドの銀行が助けるには大きすぎただけでなく、国としてのアイスランドは助けるには小さすぎた。アイスランドはEU(欧州連合)には参加しておらず、そのバンキング・システムの失敗は『感染性』の恐威を何ら誘発しなかった」のである。
 かくして「アイスランドは結局、外国人が決して共感を覚えるとは考えられない一つの例外にとどまった」。
 そして「アイスランドのケースは、大きな中央銀行からの救済措置を期待できない他の小さな債務国—-それらの国はまさに、デレバレッジという課題に正面から立ち向かわねばならなかった—-に対する警告として役立つと考えられそうである」という教訓を残すことになった。まさしくアイスランドは、国際市場にとっての「炭鉱のカナリア」としての役割を演じたのである。
 「この表現は、毒ガスに対する警報として炭鉱にカナリヤを連れて行く鉱夫たちの古い習慣に由来する。ずっと小さな生物的システムをもっている小鳥は、みずからがガス漏れに最初に襲われることで、鉱夫たちに避難させる時間を与える。多くの点でこれは真実であった。(略)しかし現在、日々明らかになっているのは、アイスランドは現実に銀行取り付けに圧倒された唯一の国であったけれども、他のほとんどの西側諸国がまさに同じ問題に直面しながら、アイスランドよりもずっと有効性のない対応策しかとれていないということである」。
 このことは、「現在の危機のもう一つの犠牲者(致命的でないものの)であるアイルランドは、もしもEUに加盟せずにユーロ圏でなかったとすれば無力であった。その銀行は、リーマン崩壊の後に預金取り付けに直面し、アイルランド政府はGDPの約2倍にのぼる内外を問わない包括的保護で対応した。保護がさらに求められるとすると、アイルランド国家は支払要求で溺死しかねないがゆえに、これは一種のギャンブルである。しかし、一致結束の支えを得て、預金者を保護する動きは信頼を得て、究極的に成功した」という事実経過を見れば理解できるであろう。
 本書は、この「炭鉱のカナリヤ」としてのアイスランドの波乱に満ちた物語である。
 なお付言すれば、本書は経済学用語が多用され、またしばしば銀行の実務報告のような印象を与える記述もあって、正直言って一般的な読者には読みづらい。しかしグローバル経済が小国家経済に与える圧倒的な動きを理解する有力な手がかりとはなる。(R) 

 【出典】 アサート No.435 2014年2月22日

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【本の紹介】 吉村昭著『生麦事件』 

【本の紹介】 吉村昭著『生麦事件』 

 思いがけない予期せぬ事故により入院を余儀なくされ、病床にて、吉村昭著『生麦事件』を読了した。
 まさか安部首相が小泉元首相に挑発されて、靖国神社参拝という愚かな行為に走ってしまったために、頼みとする米国からさえその行為を公式に避難され、内外共に孤立を深めていることなど、さらには都知事選を巡っては、保守は臆面もなく野合し、これと対抗すべき側は、原発問題だけが争点ではないなどとセクト主義にしのぎを削っていたことなど露知らず、読みふけっていた。おかげで著者が相当な年月をかけた労作を短い日時の間に読むことができた。明治維新がなぜあのようなドラスティックな変革になったのか、薩摩・長州、両藩がなぜ連合できたのか、実に具体的で唯物論的でさえある。
 生麦事件は、現在の横浜市鶴見区生麦町、当時の生麦村で薩摩藩の大名行列にイギリス人の商人たちが観光がてら馬に乗って遊覧していた最中に乱入したとして薩摩藩士に一人が切り殺され、数名が重傷を負った事件である。吉村氏によれば、この事件自体は広く知られているが、この事件そのものについての専門の研究者が皆無で、従って研究書も存在しないという。著者は「これは私にとって大きな驚きであると同時に、強く身が引き締まるのを感じた。人の足跡の印されていない史料の山の中に、ただ一人足を踏み入れてゆくような興奮を覚えたのである」と述べ、その歴史的価値ある仕事を振り返っている。
 生麦事件が生起したのは、1862年9月14日(日本暦8月21日)であったが、イギリス人4人が当時の横浜村から川崎大師へ向かう途上、大名行列に遭遇、いわば双方が事件に巻き込まれたものである。これはある意味で必然でもあった。著者はこの大名行列が行われた日を中心に歴史的事実の詳細を丹念に追い、まるで読者がその場に臨場しているかのように明らかにしていく。その筆力には感嘆させられる。同じような分析の視点から明治維新を究明していた故・小野義彦さんなら、本書と実に多くの共有するところがあり、どのように本書を読まれたであろうかと興味の尽きないところでもある。
 詳細は本書に譲るとして、生麦事件そのものからは離れるが、なぜ薩摩藩がずば抜けた兵器、艦船、最新式ライフル銃、アームストロング砲などを大量に買い入れ、武器工場まで作れたかという背景に、過酷きわまりない琉球諸島、大島、徳之島などの支配構造があった。それら諸島で生産される黒糖の増産を強要し、専売制とし、指で舐めただけでも厳罰に処する一方、黒糖一斤に対し島民に米三合を与えるが、それは大阪の米相場で黒糖一斤が米一升二合で取引されていたことからすれば、たとえ輸送経費を入れたとしても、三倍以上の利益を叩き出していたという事実。奄美から八重山に至る沖縄諸島の島唄に歌われる人々の痛切な想いが今につながっていることをひしひしと感じさせてくれる。現代につながる差別と搾取の構造が浮き彫りにされる。1998年の刊であるがお薦めの一冊である。(生駒 敬)
(尚、筆者は現在も病気療養中であることをお断りしておきます。)

【もうひとこと】▼都知事選が終わってそれほど日時が経過していない今だからこそ、この選挙の教訓をしっかりと掴み直す必要があるのではないだろうか。▼決定的に重要だと思われるのは、統一戦線思想の欠如である。今、最も切実に要請されている課題ですべての広範な力を結集させることの、決定的な意義である。▼史上3番目の低投票率に示されているように、舛添陣営は「大勝」ではなく、実はすれすれの勝利でしかなかった。▼原発再稼働なんて多くの人々は望んでいないし、この点で反舛添陣営が、統一戦線戦略をしっかりと堅持していれば、人々の期待と支持を飛躍的に拡大させ、無党派層と言われる人々の票を拡大、吸収できたはずである。▼現実に鎌田慧さんらが選挙終盤まで、候補統一のために必死の努力をしていたにもかかわらず、それを実らせなかった「セクト主義」、伝統的左翼に特徴的な業病としてのこの「セクト主義」こそが問われるべきであろう。▼ウォール街占拠運動でも示されていたように、1%の連中の利害のためではなく、99%の人々の利益のための政策転換を求める大衆運動の姿こそが求められている。▼統一候補が実現していれば、何倍にも運動の力は増し、無関心に陥ってきた人々の圧倒的多数を元気づけ、飛躍的な票の増大を獲得できたであろう。▼そうした未来へのニヒルで否定的な対応こそが、選挙の敗北をもたらしたと言えるのではないだろうか。真剣な総括を望みたい。(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.435 2014年2月22日

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【投稿】猪瀬退陣と都知事選-今必要な「脱原発」の大団結

【投稿】猪瀬退陣と都知事選-今必要な「脱原発」の大団結

 都知事選をめぐる情勢は、この半月で激変した。「脱原発小泉・細川連合」が成立した。その結果、単なる政策選択の域を越えて、自治体首長選挙として安倍内閣信任か不信任かの性格を持つようになった。この性格付与は、都知事選をめぐっては、異例なことではない。
 候補者たちの政治経歴に固執することなく、対安倍決戦に持ち込み、勝つことが、当面の環になった。今年前半のビック決戦に勝利し、安倍自民党内の亀裂を拡大させ、無分別三世政治家を退陣に追い込む一歩とする絶好機である。

<自著作宣伝に開け暮れた猪瀬>
 都知事選は、猪瀬の辞職によって急きょ行われることになったが、遅かれ早かれの辞職は、秋口から予想されていた。まずは、そこに至る石原→猪瀬都政の骨組みを見る。
 2012年12月18日、知事執務室の椅子に初めて座った記者会見時の、象徴的な写真が報じられている。背景に、オリンピック・パラリンピック招請の幟、机上には平積みの自著作本5冊と顔前に立てた近著2冊、その場で「私は434万人の民意に応える」と語った。(この姿をそのまま報じたメディアの媚びる態度も、弾劾されてしかるべきだろう。)
 1年後の追われ去りゆく退任コメントは、新著出版会見予定の前日であった。猪瀬は会見の予行演習をしていたことだろう。「これだけは知事のうちにしたかった。」
 これらの経緯が、猪瀬都政を象徴している。

 石原は、かつて首相への道が閉ざされた後に作戦変更し、「首都圏庁長官」就任を目論んでいた。長官は、経済的・政治的実力において中央政府に対抗した地方政治(地方自治政治ではない!)の総領になり得る、と考えた。ときあたかも「道州制」への再編が強調されていた。その動きを補助力として石原が目指したのは「中央政府首都圏直轄庁長官」であった。都行政組織解体になる点で、都庁官僚組織との対立は顕著であり、関東平野電子都市構築構想などソフト面での進展に留まった。今日でも政治家レベルで残るのは、9都県市首脳会議のみであろう。

 猪瀬は、副知事就任以前に、国交省行政への“鋭い“切り込み隊長としてメディアでもてはやされていた。中央政府への攻撃力(実は、打撃を与える力ではない!)を石原が利用しようとして、副知事に登用した。「自分一人だけでなく、吠える補佐役がほしい」。都機構とは切り離された「無所管副知事」であった。
 ところが当時から、対中央政府交渉に通じた都庁官僚の間では、「結局最後は、国交省プランを呑んでいた」と揶揄されていた。東京メトロと都営地下鉄の九段下駅の隣り合ったホームの“バカの壁”(猪瀬談)を取り除いたのが、交通網再編の唯一の“成果”と言われている。この直接工事費は、10億円を上回った。(ついでに、15億円を集めた尖閣買収募金の言い出しっぺが猪瀬であることも指摘しておく。)
 大局観なく、都民生活への愛着もなく、都政ビジョンも作れず、ましてや地方自治制度への新任職員ほどの学識もなく(通算5年半の副知事時代に学習もしなかった)、そしてブレーンも置けなかった猪瀬の帰着点は、このような目立つピックアップ事業のつまみ食いにしかなかった。「線香花火を打ち上げに使っている」が共通した庁内評価であった。 「でも、火付けのマッチを持っているから火事の元・火の用心」。都官僚組織は、猪瀬副知事を終始必要としていなかった。
 その猪瀬が、石原の後継指名により、自公両党支持に加え、日本選挙史上最多の433万票を得てしまい、裸の王様であることを自覚・自認する、またさせる機会も失った。だから、花火用マッチを火炎放射器と誤認し、都政利権はすべて自分の支配下に来ると錯覚した。

<都政の裏権力>
 ところで、都政の陰の実力者は「各種団体連合会」であると言われている。ゼネコンから中小業界団体、各種公益・地域団体まで、都内を網羅している。総額12兆円に上る都財政資金(=全会計形式収支総額)の相当部分を差配する権限を実質的に握り、政治組織への資金還流機能も持っている。都中央だけで100を超える構成団体の主要部には、都の退職幹部が何代も続き天下りして、実に精緻に配置されている。選挙時には、最も行動的な飴と鞭の集票マシーンになり、歴代保守都政の支え役であった。
 では、知事石原はどうしたのか。家族国会議員が都自民党首脳になることによって、無事受け皿を作り、住み分けを図った。石原は、非自民であることは投票日に終わらせる一方、両者が独自に行動することにした。(現在では、都自民党内に「各種団体協議会」があり、事実上の二重複合組織となっている。)
 ところが、猪瀬は、噛んで含めて後継指名した石原の意図をそもそも理解できなかった。石原傀儡の裏陣営の勝手気ままも放置した。だから、都議会自民党は激怒し、特捜部による情報リークすなわち世論誘導にも同意した。
 具体的展開を要約すれば、
1.上手に都政遊泳をすれば得られる“わずか”5千万円で、德州会マネーに陥落した。
2.辞任発表前には石原が呼び出し、引導を渡した。「都議会与党をかき回したら、知事職は1日だって持たないぞ。オレとは違うんだから。」(面会の使者は石原のお仲間の新右翼実力者と言われている。)
3.自民党新候補者となった舛添は、都議会自民党による面接試問で、この一大勢力への従順を“誓約”したので、候補者となり得た。「この集票・集金マシーンには、一切手を出しません。」これが、“自民党除名行動反省”の、裏の弁であった。
 今回の都知事選は、このような利権・金満構造に、今再びくさびを打ち込む契機を持っている。

<細川支援で安倍自民党にくさびを>
 細川立候補の阻止には、秋口から、自民党本部関係者たちが手を打ってきたが、失敗した。小泉のワン・フレーズ「脱原発が対立点!」によって、政治情勢が激変した。安倍にとって、衣の下の鎧を隠すマヌーバー政治(=「女性進出」を言っても、「男女平等参画」は言わない)が通用する相手ではなかった。今後数日を置かず、自民党は、佐川マネー1億円だけでなく、細川スキャンダルを宣伝し始めるだろう。“闇夜に赤ビラ”も、なりすまし大量メールも用意するだろう。一方、舛添には、(公明党本部は、舛添支援を早々に内諾したことを背景に)Db夫人が田母神応援の街頭演説で「舛添の現在の夫人は某大宗教団体の幹部」とのたまって、同宗教団体の結束を実質的に促した。スキャンダル合戦を仕組み、有権者の嫌気を生み、投票率を下げることは、今、自民党・公明党の望むところである。彼らの得票は、各種団体連合会が1票づつ積み上げ、そして固定した宗教票を得るのを基本戦術としているのだから。
 かつて、都知事選を「ストップ・ザ・サトウ」をメイン・スローガンにして戦い、勝利した歴史がある。首長選挙によって革新ベルト地帯の形成へと進んでいった当時とは、社会経済政治情勢が大きく異なり、有権者意識も多様化している。しかし、当時と同様に、自治体首長選挙の先に、自らの社会ビジョンの実現を描くことはできる。
 今日、住民生活サイドから描くビジョンの具体的な表現が、「脱原発!」である。どの世論調査をみても、国民規模でも都民範囲でも、原発廃止・再開反対は、比較多数を占めている。ところが、安倍は、柏崎刈羽原発の再稼働を前提とした東電計画案を是認した。対して、泉田新潟県知事は「福1発災の総括さえできていないのに」と主張している。
 ここで、「脱原発」が、地方自治と地方分権推進の主張を内包していることに気付く。地方分権改革の政治過程の実態は、中央政府に対抗した地方政府の勢力拡大である。そのプロセスは、20世紀末から連綿と継続している。だから、小泉・細川「脱原発」連合の勝利によって、安倍中央政府と対決した、地方分権を共通項にした地方自治政治(地方政治ではなく)推進の一翼を、新知事の旗振りのもと、都政が担うことを可能にする。
 加えて、第2次安倍政権に対する政治的打撃は計り知れなく、連発する超新保守+旧保守ごった煮政策と、一部財界を含む国民世論との対立を、現行より大幅に増大させるであろう。このように、「脱原発」の主張が争点になったが故に、決して都政をめぐる“シングル・イシュー”と言えない重要な契機となることを、見てとる必要がある。

 都知事選脱原発系候補の一人である元日弁連会長宇都宮氏は、既に活発な地域活動を展開している。その実働部隊には、地域の共産党支持団体の人々が多く、小泉流新自由主義改革との闘いの当事者でもある。それを承知の上で考えてほしいことは、次の3項目である。
(1)小泉の主張は、脱原発のシングル・イシューである。これは、2つのことを意味する。1つは、かつての首相時代のように新自由主義改革を、都政において特段に主張しているのではないことである。2つには、脱原発の主張自体が、前述したように現下の中央政府と対立した地方自治推進の内容を持っていることである。(地方議会の4分の1強が「脱原発」の法定意見書を、国会あるいは中央政府に提出している。)
(2)都政における広範かつ重要な課題のためには、1つは、広範な市民と政治勢力が結集して取り組むことによって、2つには、細川と同様に地方分権改革を主導した元知事たちとの協働体制をとることによって、対応することができる。どちらも、絶対多数を占める都議会の自民党と公明党を規制する力になる。「革新か否か」を、現下の区分点にすべきではない。
(3)共産党の最近の動向を見ると、直近議会選挙の上げ潮を背景に、かつて否定した“我が組織主体性強化論”が勃興していることに危惧を覚える。今からでも、小泉・細川脱原発連合への合流、脱原発陣営大団結への尽力を望むものである。 <東京 和田 三郎>
〔1月18日出稿、日本経済研究会地域活動部会〕

 【出典】 アサート No.434 2014年1月25日

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【投稿】「ならずもの国家」へ突き進む安倍政権

【投稿】「ならずもの国家」へ突き進む安倍政権

<傲岸不遜そのもの>
 高支持率と絶対安定多数に奢れる安倍政権は、この間軍事政策を始めとする全般的な分野で、国会、国民そして民主主義、司法(「諫早」、「大飯」、「厚木」判決など)憲法を軽視、侮蔑する言動を繰り返している。
 この政治姿勢は国内のみならず周辺地域に向けても発露されており、東アジアの緊張を高め、国際社会から危険視される方向へ日本を導いている。
 石原環境大臣は6月16日、核汚染廃棄物の中間貯蔵施設建設問題に関し、受け入れに難色を示す福島県自治体、住民に「最後は金目でしょ」という暴言を投げつけた。
 これは、前日までに開催された建設予定候補地である福島県双葉町と大熊町の住民らに対する説明会で、用地買収などの補償額が明確に示されなかったことに対し、参加者から批判が相次いだことへの苛立ちからの発言である。
 こうした事象は、これまでも問題発言を繰り返している石原環境大臣個人の資質もさることながら、安倍政権の驕り高ぶった認識の反映である。
 石原大臣に対しては、衆議院での不信任決議案と参議院での問責決議案が出されたが、与党の反対多数で否決されたが、発言の撤回と地元での謝罪を余儀なくされた。
 1月には名護市長選挙に際して石破幹事長が500億円の「地域振興基金構想」を提示し、露骨な利益誘導を目論んだ。これも「最後は金目」と思い込んでいたからである。
 名護市民を舐めきった提案は手痛い反撃を受けたが、安倍政権は旧態依然の政治手法をまったく反省などしていないことが、今回の石原発言で明らかになった。
 6月18日東京都議会では、少子化対策について質問中の女性議員に対し自民党都議が「早く自分が結婚すれば」「子供を産めないのか」などと、聞くに堪えない差別的ヤジを飛ばした。
 発言そのものも大問題であるが、対象が国政における準与党であるみんなの党所属議員であり、安倍総理にも子供がいないことを考えれば、政治的センスゼロの天に唾する発言であるが、国会、自治体議会を問わず与党に胡坐をかく自民党の認識の一端を如実に示すものと言える。
 自民党女性議員からも批判の声が上がるなど、問題の拡大に慌てた石破幹事長は「あってはならないこと」などと火消しに躍起だが、まず自らの所業を反省すべきだろう。
 こうした傲岸不遜、蒙昧無知の言動は国内だけに止まらない。安倍内閣は軍拡政策の一環として、武器輸出の推進を目論んでおり、6月下旬パリで開催された世界最大規模の兵器見本市(ユーロサトリ)に三菱重工業などが出展した。
 この視察に訪れた武田防衛副大臣は、外国企業のブースで展示品の自動小銃を構え、笑みを浮かべながら銃口を周囲の人に向けるという常軌を逸する行動をとった。軍事に携わる政治家が最低限のマナーさえ守れないという光景は、日本の軍事政策の危うさを象徴するものでもある。

<戦争性暴力被害者を冒涜>
 安倍政権の高慢さは対外政策に於いても顕著となっており日本の孤立化を自ら招いている。
 政府は6月20日、従軍慰安婦問題に関する「河野談話」の検証結果を公表した。当初安倍政権は談話そのものの否定を目論んでいたが、アメリカの反発により「検証はするが見直しはしない」という矛盾した方針に転換した。
 検証報告では「日韓両政府は談話の表現を事前にすり合わせした」「両政府は事前調整について非公表とすることとした」「元従軍慰安婦の聞き取り内容の確認作業は行われなかった」など河野談話の信頼性を損ねる内容が羅列されている。
 政府は検証作業は公正に行われたと主張するが、結論は最初から決まっているわけであり茶番劇そのものである。
 案の定答えは「韓国からの要請で事実に基づかずに作成された政治的妥協の産物」という趣旨であり、さらに「元慰安婦は『補償金』を受け取っている」と「最後は金目でしょ」という安倍政権の思想に貫かれたものとなっている。
 今回の検証作業で「河野談話」は実質的に否定されたも同然であり、いくら安倍政権が「談話を継承する」と唱えようと、それに基づいた根本的解決の道は、一方的に閉ざされたのである。
 6月上旬にはロンドンで「紛争における性的暴力停止のためのグローバルサミット」が開かれ、150か国から政府関係者、法律家、軍人、NGOなど1200人が参加した。
 この会議で韓国政府代表は従軍慰安婦問題に言及したが、日本政府は、河野談話の検証作業はおくびにも出さず、まともな反論はできなかった。
 これに先立つ6月7日にはフランスで、ノルマンディー上陸70周年の記念式典が挙行され、米英仏露の旧連合国に加え敗戦国のドイツも加えた各国首脳が一堂に会し、第2次世界大戦の結果を尊重することを確認した。
 このような国際的潮流に挑戦するかのように、6月15日、日本維新の会の橋下共同代表(当時)は、大阪市内の街頭演説で「ノルマンディー上陸作戦の後、連合軍兵士もフランス人女性をレイプした」と相も変わらない歪んだ歴史認識を露わにした。
 日本政府の強硬姿勢を後押しするような発言は、「地球儀を俯瞰する価値観外交」で成果を出せない安倍総理を勇気づけたことだろう。
 安倍総理は、6月4,5日ブリュッセルで開かれたG7サミットで「中国脅威論」を懸命に説いてまわったが、各国首脳の関心はウクライナ情勢に集中し、首脳宣言でロシアとは対照的に中国を名指しさせることはできなかった。
 反対に3月欧州を歴訪した習近平主席や、6月17日に訪英した李克強首相は異例の厚遇を受け、中国と欧州各国の経済協力関係は一層深化した。
 6月の一連の動きはアジアで強硬姿勢を見せる日本政府の主張は、国際社会では受け入れられていないことを浮き彫りにしたのである。

<日本発脅威の拡散>
 安倍政権は世界における日本への視線を一顧だにせず、軍拡による緊張激化を推し進めている。
 集団的自衛権解禁に関して6月13日、自民党の高村副総裁は公明党に対し武力行使の「新3要件」を示した。
 その内容は、①我が国に対する武力攻撃が発生、又は他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される「おそれ」がある ②国民の権利を守るために他に適当な手段がない ③必要最小限度の実力行使にとどまるべき、となっている。
 この時点では想定される武力行使は「自衛権」に限定されたものとなっており、公明党も第1項目の「おそれ」が拡大解釈を招くので、この表現を削除すれば、与党合意に向けた論議が進む状況となっていた。
 しかし、自民党は19日なり突然「たとえばペルシャ湾(ホルムズ海峡)での機雷掃海については集団安全保障としての参戦も可能」として、「新3要件」は集団安全保障発動下でも適用できると主張を転換したため、公明党が態度を硬化させることとなった。
 この間のイラクにおけるスンニ派の武装集団「イラクとシリアのイスラムの国」(ISIS)の勢力拡大による情勢の不安定化で、「米軍参戦も有りうる」と慌てた外務官僚が自民党に吹き込んだのだろう。
 ところが肝心のアメリカは早々にオバマ大統領が「地上兵力は派遣しない」と表明、空爆も当面行わず、情報収集のため300人の特殊部隊など派遣するにとどまっている。
 今後もアメリカの大規模な介入の可能性は低く、イラク情勢が国連決議を経た集団安全保障の発動に至る恐れはない。自民党の提起は勇み足の形となった。
 安倍政権は、7月第1週の閣議決定を目論んでおり、その文言も「離島防衛」などいわゆる「グレーゾーン」などについてはほぼ固まっており、核心部分の「集団的自衛権」部分の調整を残すのみとなっていた。
 それを米軍支援どころか事実上の多国籍軍参加まで拡大し、安倍総理自身の「湾岸戦争やイラク戦争などのような事態に自衛隊が武力行使を目的に参加することは決してない」との国会答弁を、舌の根の乾かないうちに否定するような内容を国会閉会中に閣議決定を強行しようというのである。
 これまでも、安倍政権は中東地域に「海賊対処法」に基づき派遣していた海自部隊を、目的が同じだからと、昨年12月から多国籍軍(艦隊)である「第151合同任務部隊」に参加させており、法的根拠の相違は無視してきた。
 今回は相手が海賊ではなく国家レベルになるかもしれないということで、法整備に躍起になっているのである。
 まさに奇襲攻撃、騙し討ちと言いうべきものだろう。こうした安倍政権の政治姿勢は、東アジアに於ける振る舞いも含め、国際社会からは「民主主義という価値観を共有する国」とは見られず、地域ばかりか、世界的に緊張を高めかねない存在として注視されることになるだろう。
 先の国会で野党は存在意義を発揮できなかったが、今後単なる数合わせではなく政策による対抗軸構築を進め、安倍政権の暴走に歯止めをかけていかねばならない。(大阪O)

 【出典】 アサート No.434 2014年1月25日

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【投稿】原発輸出で国際緊張を煽る安倍政権

【投稿】原発輸出で国際緊張を煽る安倍政権
                           福井 杉本達也 

 「窓は 夜露にぬれて 都すでに遠のく 北へ帰る 旅人ひとり 涙流れてやまず」宇田博作詞・作曲の『北帰行』(旅順高等学校寮歌の原詞)の第1番である。その第5番は「さらば祖国わがふるさとよ あすは異郷の旅路」となっている。1961年に小林旭の歌で大ヒットした曲である。「北」とはどこか、当時は東北地方あるいは北海道だと考えたが、なぜ「さらば祖国」なのか理解できない一節であったが、1941年の旧満州国の旅順で作詞されたということで納得がいく。祖国を棄てる歌である(参照:赤坂憲雄『北のはやり歌』 2013.10.15)。いま、福島を中心とする東北地方の一部は福島第一原発事故により帰るべき祖国を永久に奪われてしまった。

1 なぜ原発輸出か
 1月7日、安倍首相はトルコのエルドアン首相と3回目もの異例の首脳会談を行った。もちろん日本の原発輸出のためであるが、特に「同国と結ぶ原子力協定には批判もある。日本から移転した核物質について『書面により合意する場合に限り、トルコの管轄内において濃縮し、または再処理することができる』と規定。日本とアラブ首長国連邦(UAE)との協定で『濃縮され、または再処理されない』と明確に禁止したのに比べ、優遇ぶりが目立つ」(日経:2014.1.8)のである。もちろんベトナムやヨルダンにも認めていない。トルコが他の原発輸出国と比べて特別なのは、同国がシリア・アサド政権転覆のための拠点だからである。エルドアン首相は1月7日に都内で行った講演でシリアを「国家によるテロが行われている」と激しく批判している。周知のようにトルコはシリア国内の反体制派を支援している。シリア内戦は米欧軍産複合体(指示)→サウジアラビア(バンダル王子)(日経:「サウジ 米牽せい シリア対応など不満」2013.10.23、ROCKWAY EXPRESS:「 シリア大使・サウジのバンダル王子がアルカイダの実際のリーダー」2013.10.21)(支援)→トルコ(武器)→アルカイダ系の反体制派VSアサド政権(ロシア・イラン支援)という構図であり、中東を不安定化することによって自らの権益の維持を図ろうとするものであり、トルコはその結節点に当たる重要な国である。中東ではイスラエルが核兵器を保有していることは公然の秘密である。南アジアではインドもパキスタンも核実験を何度も行い実戦配備もしており、それを横目に核兵器を開発したい国ばかりである。そこに米欧軍産複合体の意向を受けて核兵器の開発を餌とする原発輸出を行おうとしているのが安倍政権である。トルコに輸出する原発は三菱重工製で、三菱はフランスのアレバと組んでいる。フランスがシリア=アサド政権に攻撃的姿勢であることもその延長にある。したがって、シリア問題を平和理に解決しようとする現オバマ政権の政策ともズレが生じる。

2 日本を核再処理の拠点として核開発を図る米欧軍産複合体の思惑
 元通産官僚の古賀茂明氏は日本の原発輸出について「途上国の核のゴミを一手に集め、日本で再処理をして新たな核燃料として各国に戻す。日本の国民から見れば、とんでもない暴挙だが、安倍政権は、これを「世界貢献」であると考えている。核不拡散のために日本が貢献するしかないという理屈だ。これは昨年から経産省官僚と自民党議員らが描いてきた青写真に沿って進められている。」(古賀茂明 「原発を売り歩く『死の商人』」2013.6.1)と述べる。「原発を輸出して日本を世界の核のゴミの集積・再処理基地にする」という「国際貢献」を果たすために青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場も福井県敦賀市の高速増殖炉もんじゅも推進しなければならない。「これまでは原発に対する風当たりが強かったので、この構想が派手に表に出ることはなかった」(古賀:『エコノミスト』2013.7.2)が、福島原発事故において、「核兵器開発」も「原子力の平和利用」も同義語であることが明らかとなった今、「平和利用」のカモフラージュで核開発を行う意味は薄れた。日本の独自核武装派は事故後居直りを決め、米欧軍産複合体の後押しを得て堂々と主張し始めたといえる。

3 再稼働は何のため
 東京電力は福島第一原発事故の検証もせず、収束も不可能であり、汚染水の処理もままならないにも関わらず再建計画を提出し、政府もこれを認定した。再建計画では新潟県の柏崎刈羽原発の再稼働が前提となっている。新潟県の泉田知事は計画を説明し再稼働への同意を得ようとする東電の廣瀬社長との会談で「今回の計画は、株主責任、貸し手責任を棚上げにした、モラルハザードの計画をお作りになったとしか見えないですよね。結果として、モラルハザードの中でですね、免責をされれば、事故が起きても責任を取らなくてもいいということを意味しますんで、それは危険性が高まるということなんだと思います。安全文化という観点でもですね、今回の計画というのは、極めて資本主義社会から見てもおかしな計画になっている」(新潟県HP: 2014.1.16)と批判している。さらに続けて「銀行と株主を免責した計画、これ、どうお感じになっていますか。」「再稼働圧力が金融機関から来るわけですよ。これ、免責したということになると、安全と全く二律背反しませんか」(同上)とたたみかけた。
 確かに事実上倒産し国有化されている東電の柏崎刈羽原発の再稼働に対し債券を確保したい金融機関の思惑があることは事実であろう。しかし、それは枝葉末節に過ぎない。むしろ圧力の主導権は金融機関ではなく国が握っている。金融機関11社は東電向け融資で足並みをそろえ5000億円の融資を12月26日実施したが(日経:2013.12.18)、それは政府主導による「金融機関にも改革への協力を要請する」(朝日:12.19)強い圧力があったからである。国は東電株の50.1%を握っており、東電が“民間企業”であるというのは国が用意したフィクションにすぎない。廣瀬社長は“猿回しの猿”であり、国民には電力料金の値上げの脅し、金融機関には融資の強要をし、福島の住民への賠償を渋り、放射能を垂れ流し続けている“猿”を操るのは政府である。

4 核兵器の原料プルトニウムをため込む日本
 「日本は、原発の使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、それを燃料として再利用する核燃料サイクル計画を維持している。だが、六ケ所村の再処理工場の運転開始は遅れ、プルトニウムをウランと混ぜたMOX燃料を消費する原発も福島原発事故後は停止中で、サイクル実現のメドは立たない。日本が国内外に保有するプルトニウムはすでに約44トンにのぼり、今後、再処理工場が稼働すれば年間8トンのペースで増え続ける計算になる。核不拡散の観点から懸念の声も上がっている。」(シンポジウム「核燃料サイクルを考える~日本の選択はどうあるべきか」(朝日新聞社、プリンストン大学主催 2013.12.5)朝日デジタル版:12.29)と非難されている。同シンポジウムにおいて、スティーブ・フェッター メリーランド大学副学長(オバマ政権の2009~12年ホワイトハウス科学技術政策局次長(国家安全保障担当))は「日本は使用済み核燃料の再処理によって、核兵器にも使えるプルトニウムを大量に蓄えている。国内に10トン近くあり、核兵器に転用すれば1,500発分になる。海外にあるのは約35トン、5千発分にもなる。青森県六ケ所村の再処理工場が動けばさらに増える。将来の利用計画がないまま増え続ける。日本が核不拡散の強化を考えるなら、少なくとも、プルトニウム保有量を今より増やさないことが必要だ。私はそう思わないが、『日本は核武装のためにプルトニウムをためている』と疑っている周辺国もある。」(同上:12.21)と述べているが、疑っているのは米国自身でもある。
 原発を再稼働しなければ、再処理する必要も燃料を増殖する必要もないため、核燃料再処理工場ももんじゅも不要と見なされ、長年にわたり積み上げてきた独自核武装のための核燃料サイクル路線は破綻してしまう。同シンポジウムで再稼働を急ぐ理由について、佐藤行雄元国連大使は「疑われているならはっきりと説明する必要がある。停止している原発の再稼働の計画を立て、必要なプルトニウムの量を推定し、『これ以上は保有しない』と決めるべきだ。」(同上:12.21)と述べている。同シンポジウムにおいて海外のシンポジストからの提言という形で「分離済みプルトニウムの保有量を最小限にすること。すくなくとも、日本は、分離済みプルトニウムの保有量が最小限の実施可能な作業在庫(約1年分の消費量)に減るとともに、六ケ所再処理工場で分離されるプルトニウムを直ちに消費する態勢が整うまで同工場を運転すべきではない。」(同上:12.29)とクギを刺されている。
 日本の核武装勢力は国内外の圧倒的な脱原発の声にもかかわらず、一旦“勝ち取った”独自核武装という選択肢を放棄するつもりはない。原発輸出によって、日本を核燃料再処理の世界の拠点とするならば、日本は福島を始めとする「北」だけではなく今度は日本全土を失うこととなるだろう。その時には「涙流れてやまず」「さらば祖国わがふるさとよ」と叫んでも遅すぎる。

 【出典】 アサート No.434 2014年1月25日

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【投稿】迷走する安倍外交(2)

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<靖国参拝の衝撃>
 昨年12月26日、安倍総理は靖国神社参拝を強行した。安倍総理は第2次政権発足以降、昨年4月の春季例大祭、8月の終戦記念日、10月の秋季例大祭など節目節目に、虎視眈々とチャンスを伺ってきたが、中国、韓国のみならずアメリカも含めた国際的な監視と、菅官房長官など周囲の反対で参拝は見送らざるを得ず、玉串料奉納などでお茶を濁すしかなかった。
 しかし、政権発足1年を迎え、とうとう我慢しきれず九段の鳥居をくぐったのである。「痛恨の極み」という個人の感情を対外関係や「国益」よりも優先させるという、一国の総理にあるまじき愚劣な行為である。
 これでは一時の激情で叔父やその配下を処刑した、金正恩第一書記を批判できないだろう。
 総理周辺は、その影響を最小限に抑えるため、海外の戦没者も含めて慰霊する「鎮霊社」にも参拝し、「不戦を誓うために参拝した」などという総理談話を発表するなど、見え透いた演出で糊塗しようとした。
 しかし、こうした小手先の行為は何の効果もなく、関係国からは激烈な反発が相次いだ。韓国、中国はもちろん、アメリカ大使館からも参拝直後に「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに米国政府は失望している」という声明が発せられ、これはすぐにアメリカ国務省の見解に格上げされた。
 安倍総理は参拝するに当たり、韓国、中国の対応は織り込み済みで、これ以上関係は悪化しないだろうと考え、アメリカも「強固な日米同盟」、辺野古移設進展で、何も言わないだろうと楽観視していた。
 しかし、それは見事に裏切られ、アメリカの態度が明らかになった以降、潘基文国連事務総長も憂慮を表明、さらにロシアやEU、そして「親日国」のインドからも「日本が他国と論議を深め、協力して問題を解決することを望む」(インド外務省)という、日本に対して中韓との関係改善の行動を促す声明が発せられた。
 まさに、安倍総理の靖国参拝の衝撃は世界を駆け巡り、国際的な反発を引き起こしたのである。毎日新聞によれば安倍総理は参拝前「これで日米同盟が揺らぐなら私の失政だ」と漏らしたという。
 本人にすれば、日米同盟が揺らぐことはないという自信の表れだったのであろうが、年内に予定されていた小野寺防衛大臣とヘーゲル国防長官の電話会談が中止になるなど、日米間の亀裂は広がっていっている。安倍政権は、昨秋訪日したヘーゲル及び、ゲーツ国務長官が、靖国を避けて千鳥ヶ淵の戦没者慰霊碑を訪れたことや、ケネディ大使が赴任したことなど、様々なアメリカ側のサインを読み取れずにいたのである。
 1941年7月、南部仏印進駐を強行し、日米開戦へとつながるアメリカの対日石油禁輸を招いた、当時の第3次近衛内閣の情勢認識の欠如と通底するものがあるといえよう。

<アジアの次はアフリカ>
 靖国問題に関して、国際的な批判を受けた安倍政権は、ASEAN諸国はひとまず置く形で、アフリカ諸国に触手を伸ばしている。
 靖国参拝に先立つ12月23日、安倍政権は国連南スーダン派遣団(UNMISS)として南スーダンに駐留する陸自部隊の小銃弾1万発を、国連を通じてという形で韓国軍部隊に提供した。
 この際安倍政権は、発足したばかりの国家安全保障会議(総理、外相、防衛相、官房長官)を開催し、「今回は緊急事態であり、武器輸出3原則の例外」であると、これまでの「武器弾薬の提供は国連の要請でも不可能」という政府見解をいとも簡単に変更し、国会での議論はもとより、政府内での満足な議論も無しに、持ち回り閣議という事実上の事後承諾で事を運んだのである。
 一連の動きで明らかになったのは、国家安全保障会議が国会や内閣の上に超越し、憲法をも顧みない「戦時指導部」であること。
 悪化している日韓関係のなかで、韓国軍の窮地を利用する形で武器輸出3原則の空洞化、集団的自衛権解禁への洗礼を作ったこと。そして、他国軍に対する支援の実施という、アフリカにおける日本の軍事的プレゼンスを拡大したことである。
 この「成果」を踏まえ、次なる対アフリカ外交を進める基盤として、安倍政権は、自衛隊の海外での武力行使を見据え、国連平和維持活動(PKO)協力法などの解釈を見直す方針を明らかにした。
 その内容は、派遣部隊が多国籍軍などに対して行う後方支援の拡大や、PKOでの「駆けつけ警護」=押しかけ参戦容認に関するものである。
 安倍政権はこれと集団的自衛権行使解禁の憲法解釈とあわせて、年内の見直しを強行しようとしている。後方支援活動の拡大では、医療や捜索・救難活動などを戦闘地域でも可能にする方針である。
 今後はイラク派兵時に当時の小泉総理が放った「自衛隊の活動する地域が非戦闘地域だ」などという詭弁を呈さずに済まそうということだろう。
 「駆けつけ警護」とは、「PKOに参加中の自衛隊が、離れた場所で攻撃された他国軍や民間人らを助けることため武力を行使する事」である。この場合、当該の他国軍などからの要請が条件なのか、自衛隊が独自に察知した場合も可能なのか曖昧となっている。つまり、支援を求められなくても押しかけて参戦する事態が考えられるのである。

<ご都合主義外交>
 丁度100年前、第1次世界大戦が勃発し、大日本帝国は日英同盟に基づきドイツに宣戦を布告した。この当時は概念としてなかったが集団的自衛権の行使である。日本はイギリスからは主戦場たる欧州への派兵を求められたが、遠すぎると拒否しつつ、中国本土のドイツ領(青島)や南洋諸島を攻撃し占領した。
これが、その後の対華21か条の要求など中国侵略に続いていく。この時日本は支援を理由に自らの権益拡大を果たしたのである。
 こうしたご都合主義は安倍政権も踏襲している。国連安全保障理事会は先月、南スーダンの安定のためUNMISSの要員を約1万4千人に拡大させる決議を全会一致で採択した。
 これを受けパキスタンやバングラデシュ、ネパールなどが兵員、装備の増派を決定したが、これら諸国は迅速な輸送手段を保持していなかった。
 そこで国連はアメリカとNATO軍の輸送機で、各国から南スーダン隣国のウガンダまで兵員装備を空輸、以降は自衛隊の輸送機で南スーダン首都ジュバの空港まで輸送する兵站計画を立案し、関係国に打診した。
 国連としては、韓国軍に弾薬を提供した自衛隊の実績、さらにジュバ周辺は比較的安定し、自衛隊はジブチに基地があることなどから、当然快諾されるものと考えていたが、安倍政権は先の対応とは一転「自衛隊が他国の部隊や兵器を輸送すれば、憲法が禁じる武力行使との一体化に抵触する恐れがある」として断ってきたという。
 国連としては肩透かしを食らった形となったが、安倍政権としては小銃弾の提供で所期の目的は達成したとして、市民保護や治安の安定は2の次ということなのだろう。昨年末の「迅速な対応」がいかに政治的な思惑に満ちていたかが判ろうというものである。
 こうした動きの中、安倍総理は地ならしが済んだとばかりに、1月14日まで中東、アフリカ諸国を歴訪した。アフリカではコートジボワールとモザンビーク、エチオピア3カ国を訪問、各国との首脳会談では人材育成や地域貢献という人道支援を強調しながら、天然資源獲得という魂胆と中国への対抗意識を露わにし、日本企業の進出を売り込んだ。
 エチオピアの首都、アジスアベバのアフリカ連合(AU)本部で安倍総理は、「日本と日本企業にはアフリカ諸国のお役に立てる力がある」とアピール。2012年には「16年までに10億ドル」としていた円借款の20億ドルへの増資、さらに地域紛争での難民支援や自然災害対策にも3・2億ドルを出資することも表明した。

<世界を彷徨う安倍>
 しかし、札束をチラつかせての資源外交は危ういものがある。安倍総理がエチオピアで「わたしもアベベ」などと軽口をたたいている最中の12日、インドネシアは、国内の加工産業育成などを目的に、ニッケルなど未加工の鉱石の輸出を禁止した。輸入の4割を同国に頼る日本への影響は大きい。
 インドネシア国内では資源収入が自国に還元されていないとの不満が強く、今回の資源ナショナリズムを誘発した。安倍総理は昨年1月にインドネシアを訪問、12月にはユドヨノ大統領が訪日し「戦略的パートナー関係」を結んだにもかかわらず、こうした事態が惹起した。「価値観外交」などという上辺だけの安倍外交の脆さが表れている。
 ふらつく安倍外交の一方で、「第2次大戦の結果を尊重する」という価値観を共有する国々(これは戦勝国連合ではない。敗戦国のドイツも、戦後独立した国もそうした価値観を共有している)、とくにアメリカと中国、韓国は、靖国参拝以降日本包囲網を強めている。
 アメリカ上院では、2014会計年度歳出法案の付帯文書に従軍慰安婦問題で国務長官が日本政府に正式な謝罪を働きかけることを要求する項目が盛り込まれ、1月16日可決された。またバージニア州議会上院では、州の教科書に日本海と東海の併記を求める法案が可決された。
 こうした動きに日本の反動勢力は逆切れをおこしている。日本の右派地方議員で組織する「慰安婦像設置に抗議する全国地方議員の会」の13人は、16日同像が設置されたロサンゼルス近郊のグレンデール市に押しかけ、撤去するよう申し入れた。アメリカ市民の目には、昨年の橋下大阪市長発言の延長線上の行為に映っただろう。
 17日には自民党の萩生田総裁特別補佐が党青年局の講演会で、アメリカ政府の靖国参拝批判に対し「アメリカは共和党政権時代にはこんな揚げ足取りはしなかった。民主党のオバマだからやった」「日本がアーリントン墓地に行くなと言ったら(大統領は)いかないのか」と支離滅裂な反論を行った。常日頃、韓国や中国に「冷静に、冷静に」と呪文のごとく唱えている安倍政権自身が冷静さを失っているのである。
 アメリカは自民党の幹部がネトウヨと同レベルの思考であることに驚いただろう。同じ日、ライス大統領補佐官は訪米中の谷内国家安全保障局長と会談した。そのなかで補佐官は安倍総理の靖国神社参拝問題を取り上げ、日韓関係の修復のため日本側に行動を求めるという強烈なカウンターを放った。
 アメリカ、アジア、アフリカとよりどころを求めて世界を彷徨う安倍総理は、日露首脳会談の前にソチ五輪開会式に出席する意向を示した。欧米各国首脳が同性愛者への抑圧などロシアの人権状況を憂慮し、参加を見合わせる中での訪問である。
 安倍外交は訪問に費やした時間と経費に比して成果が上がっていないのが実情であろう。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.434 2014年1月25日

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【日々雑感】 喪中で観る箱根駅伝 

【日々雑感】 喪中で観る箱根駅伝 

 一年という時の流れの中には、実にいろんな出来事があります。
 去年のアサートの1月号には、妻と一緒に箱根駅伝を観た記事を書きました。
 妻は「私は勝った負けたはどうでも良い。箱根路の風景がきれいなので箱根駅伝を見るのが好きなんや」と言っておりました。私は、「ああ、そんな楽しみ方もあるんだなあ」と感心させられ、妻と一緒に見入ってしまいました。
 ところが今年はその妻も、この世の人ではなくなりました。去年5月に「お父、ユーちゃんと仲良く暮らしてなあ」との遺言を残してあの世へ行ってしまったのです。
 妻は以前から軽いウツ症状があったのですが、薬ぎらい、医者きらいの彼女の症状を見抜けなかったのが、私の失敗でした。
 もっとウツ病のことを学習しておけば良かったのにと思っても後の祭りです。最近では、ウツ症状に関するビデオ等を貸し出して啓発してくれる公的機関もあったのに、残念でなりません。
 そんなわけで、今年の箱根駅伝は、私一人での観戦となりましたが、何と空しいことか、湘南の海や芦ノ湖が映る度に涙が頬をつたいました。「お前ばかりが悲しいのではない。世の中には、もっとつらい別れをした人は、なんぼでもいるんだぞ」という声が聞こえて来る思いでしたが、そんなことは百も承知している。それでも実際に、この身に振りかかってみれば、理屈ではどうしようもない。
 せめて毎年のお正月の2日、3日には位牌をテレビに向けて、菩提を弔ってあげたいと思っております。(2014年1月16日 早瀬達吉) 

 【出典】 アサート No.434 2014年1月25日

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【投稿】中国防空識別圏と安倍外交の迷走

【投稿】中国防空識別圏と安倍外交の迷走

<肩いからす安倍政権>
 11月23日、中国政府は、同国が1997年に制定した国防法などに基づき、東シナ海上空に防空識別圏を設定したことを明らかにした。
これに対し日本政府は過剰な反応を示した。外務省の伊原アジア大洋州局長は同日、韓志強駐日中国公使に電話で「中国の防空識別圏は、わが国固有の領土である尖閣諸島の領空を含むもので、全く受け入れることはできない」と抗議。
 小野寺防衛大臣は同日、防衛省で岩崎統合幕僚長らと今後の対応について協議、終了後記者団に「一方的な指定は大変危険である。警戒監視については従前以上に、しっかりとした対応が必要」と語った。
 太田国土交通相も、中国が求めている民間機の飛行プランの事前提出については必要ないと、強硬姿勢を見せた。
 こうしたなか、11月26日、グアム島の空軍基地を飛び立ったアメリカ空軍のB52戦略爆撃機2機が、中国防空識別圏内を初飛行した。これに安倍政権は欣喜雀躍し「強固な日米同盟で中国に対抗する」と、ますます対決意識をあらわにした。
 しかし、B52の飛行は中国に挑戦するような性質のものではなく、通常の訓練の一環であり、中国側もスクランブルはかけなかったのである。
 前日の25日、中国国防相の楊宇軍報道官は記者会見で、日本政府に対して抗議をしたうえ「防空識別圏は領空ではなく、飛行禁止区域ではない」「外国機は国際法に基づき他国の防空識別圏に侵入できるが、自国も圏内の航空機を確認し、脅威に応じる権利を持つ」「中国と日本の防空識別圏が重なることは不可避だが、そこでは両国が情報交換を行い、互いに飛行を安全にすると考える」と述べている。
 これは当初日本内で報道された「識別圏内で中国の指示に従わない航空機には武力行使も辞さない」という強硬姿勢とは全く違う対応である。アメリカ軍もこれを踏まえ、B52を中国側の出方確認も含め、飛行させたと考えられる。

<緊張激化せず>
 そもそも、防空識別圏とは領空の外側に各国が任意で設ける緩衝地帯のような空域である。
 すなわち仮に自国に敵対行動をとろうとする未確認機が、領空に侵入してからスクランブルをかけては間に合わない場合があるので、航空機がどのような性質のものであるかを目視で確認する(レーダーでは機種、国籍等は判別できない)ためのゾーンであり、軍事衝突を未然に防ぐためのものでもあるのだ。
 日本の防空識別圏も、もともと在日米軍が設定したものを、1969年に自衛隊が引き継いだものである。周辺国に関しては、ロシアも韓国も独自の防空識別圏を設定しており、関係国で綿密に調整する性質のものでもない。
 民間機が撃墜された領空侵犯に関しては、1983年のソ連防空軍機による大韓航空機撃墜事件が有名であるが、冷戦構造が崩壊して以降、領空侵犯事案に関しての武力行使は発生しておらず、防空識別圏内でのそうした動きは考えられない現実がある。
 今回の防空識別圏設定については、B52の飛行以降も米軍機や空自機が圏内を飛行しているにも関わらず、懸念されているような事象は発生していない。これには、中国軍の監視能力(地上レーダーでは500キロ離れている識別圏の東端を探査できない)も関係していると思われる。
 防空識別圏内の航空機を詳細に監視するには、早期警戒機を常時飛行させておかねばならず、これは中国軍にとって相当の負担になる。したがって慣行を逸脱した民間機の飛行プランの提出を求めるのも、こうした負担を軽減させたいがための措置と考えられる。
 また、11月26日演習のため山東省の青島を出港した空母「遼寧」は、当初予想された南西諸島を突っ切る「第1列島線」通過コースではなく、台湾海峡を通り南シナ海に向かった。さらなる緊張激化を望んでいた安倍政権にとっては肩透かしだったであろう。

<アメリカの「背信」>
 さらに安倍政権にとって、足元を掬われるような事態も発生した。B52に中国防空識別圏内を飛行させたアメリカの「英雄的行動」に喜んだのもつかの間、11月29日米政府は米民間航空各社に、中国の防空識別圏内を飛行する際、事前に中国側に対し飛行プランを提出するよう勧告した。
 これを受け、アメリカン航空など3社は早速中国に飛行プランを提出した。米政府は、これは偶発的な事態を予防するための措置と説明しており、軍用機は事前の飛行プラン提出は行わないということであるが、事実上、中国の防空識別圏を黙認したことに他ならない。
 これに驚愕した安倍政権は、12月2日来日したバイデン米副大統領に、アメリカが中国に対してさらなる強硬な姿勢をとってくれるよう懇願した。
 3日に行われた安倍‐バイデン会談では、中国の防空識別圏設定について「一方的な現状変更の試みを黙認しない」ことで一致したものの、安倍政権が目論んでいた「防空識別圏の撤回を求める」までは踏み込めなかった。「黙認しない」と言っても実際の行動がなければ「黙認」していることと同じである。
 バイデン副大統領は中国に対し一定強い調子でメッセージを送ったものの、一方で安倍政権に対し、尖閣諸島周辺での偶発的な武力衝突を防ぐため、日中間で危機管理のシステムや対話のチャンネルを構築すべき指摘した。
 翌日北京を訪れた副大統領は習近平主席と会談したが、防空識別圏問題はお互いの主張を確認したのみで終わり、何かを獲得したとか、譲歩を行ったというレベルの「談判」にはならず、公的な場では友好ムードが支配したという。
 同時期ワシントンではヘーゲル国防長官が記者会見で「防空識別圏は別段不思議なことではない。問題は一方的、突然の実行だ」と表明。同席したデンプシー統合参謀本部議長も「防空識別圏内を飛行するすべての航空機に飛行プランを提出させようとする中国の対応が問題」と指摘した。
 これは「中国の防空識別圏設定自体問題はないが、その運用方法が問題である」ということである。

<孤立深まる日本>
 習‐バイデン会談の翌12月5日、南シナ海で演習中の「遼寧」を監視中のイージス巡洋艦「カウペンス」の進路を中国艦船がブロックする事案が発生した。
 この時両艦が接近中も無線交信は続けられ、衝突は回避された。冷戦時代は黒海でソ連艦艇がイージス巡洋艦に体当たりするという事件が起こっており、今回の事案で緊張が高めまるとは双方思っていないであろう。
 このように安倍政権が頼みとするアメリカも中国との過度な緊張関係を作り出そうとはしていない。それはアメリカの世論からも明らかである。
 外務省は19日、米国で一般国民を対象に実施した対日世論調査の結果を発表。調査では「アジアで最も重要なパートナー」に中国を挙げた人が39%で最多となり、日本は35%で2位となった。さらに一般国民だけでなく、有識者を対象にした調査でも中国がトップとなり、「強固な同盟」は砂上楼閣と化しつつある。
 中国の防空識別圏を巡っては、韓国も自国領と主張する離於島 ( イオド )上空が含まれていることから、厳しく反発。韓国国防部は12月8日、同島を包摂する形で防空識別圏を拡大することを発表した。
 この事態に安倍政権は「中韓連携の崩壊」と思い込み、すでに韓国がアメリカの了解を得ていることから、この措置を容認したが、韓国は一方で、大韓航空、アシアナ航空に中国への飛行プランの事前提出を促しており、日本の硬直的な対応とは違った硬軟織り交ぜた外交を見せている。
 このほか、中国政府の発表では、20か国近くの国の航空会社が事前提出に応じており、日本の国際的孤立はますます明らかになってきている。

<大東亜共栄圏の夢想>
 この閉塞状況を打開するため、安倍政権は活路を東南アジアに見出そうとしている。12月14日には東南アジア諸国連合首脳を東京に招き、日本ASEAN特別首脳会議を開催した。 これは丁度70年前の1943年11月に開催された「大東亜会議」を彷彿とさせるものである。
特別首脳会議では海上安全保障や「航空の自由と安全確保」への協力強化で一致したものの、参加国には東シナ海上空に防空識別圏を設定するなど勢力の拡大に動く中国をにらみ、ASEAN諸国との結束確認にこだわった。
 しかし参加国には、ミャンマー、カンボジア、ラオスなど中国と結びつきの深い国もあり、さらにマレーシアやシンガポールなど華僑の影響力が強い国も、中国との緊張関係は望んでいない。
 対中関係で連携強化できたのは領土を巡り中国との緊張関係が存在する、フィリピン、ベトナムであり、フィリピンとは巡視船の供与などで合意した。(巡視船なら問題はないということであろうが、同国海軍の最新鋭艦は元アメリカ沿岸警備隊の巡視船を改装したものであり、日本の巡視船も海軍に編入される可能性があり、武器輸出解禁の実質的な先取りではないか)
 こうした現状では新たな「大東亜共栄圏」は成立しそうにもない。
 安倍政権は事あるごとに「力による現状変更は認めない」とお題目の様に繰り返しているが、北方領土に関しては「論議による現状変更」を求めている以上、尖閣諸島に関しそれを要求する中国に対し「領土問題は存在しない」との一方的な対応をとり続けては、国際社会の理解は得られないだろう。(大阪O)

 【出典】 アサート No.433 2013年12月28日

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【投稿】 小泉「脱原発」発言とエネルギー基本計画

【投稿】小泉「脱原発」発言とエネルギー基本計画
      -日本を舞台にした国際核勢力・脱核勢力の暗闘-
                             福井 杉本達也
                             
1 小泉元首相の「脱原発」発言は財界の意向を汲んだものである
 小泉純一郎元首相が脱原発の考えを持っていることが公になったのは8月26日付けの毎日新聞・山田隆男のコラム「風知草」である。フィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」を見学に行った小泉氏は「10万年だよ。300年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」と述べたという。脱原発派の中には過去の米金融資本に追随し新自由主義的政策を推しすすめた小泉氏の「原発ゼロ」に拒否反応を示す者が少なからずいる。元ヨルダン大使の天木直人氏も「この国の権力構造は原発事故でさえも微動だにしないということだ。小泉脱原発発言がそれを覆せるとでもいうのだろうか」(ブログ:2013.12.17)と小泉氏の脱原発発言には否定的だ。小泉氏は2007年の首相引退後「国際公共政策研究センター」顧問に収まっている。同センターは東京日本橋室町の三井本館内にある。トヨタの奥田碩元経団連会長が各企業を回り設立した財界丸抱えの「隠居所」である。
 小泉氏の脱原発の発言は小泉氏1人の意見ではない。トヨタをはじめとする自動車産業や財界の意向を汲んだ発言である。財界関係には官僚機構に追随せざるを得ない者も多いが、脱原発の方向を持つ者もいる。しかし、現在は表に出るものは少ない。財界人自ら発言するには危険すぎる。国家官僚組織に潰される恐れもある。そこで、小泉氏に言わせているのである。
 しかし、1点気がかりなことがある。小泉氏は「核廃棄物最終処分場」を原発の一番の問題点として取り上げるが、果たしてそうなのか。

2 官僚機構に巣食う危険な核武装論者
 総合資源エネルギー調査会は経産大臣の諮問機関であるが、2013年6月に改正した政令により、身軽な「基本政策分科会」を設け、脱原発派は排除し極少数の人間で原子力政策の基本的な枠組みを全部決めてしまう体制にした。「委員及び臨時委員は、学識経験のある者のうちから、経済産業大臣が任命する。」としている。要するに官僚に都合の良い人選をし、調査会の議論を主導するという意味である。
 日本の官僚機構には外務省・経済産業省・文科省(旧科学技術庁)などを中心に、固い核武装論者が存在する。核武装論者は日本の国民が核で汚染されようが日本国土が崩壊しようがどうでもよいと考えている。これらのグループは米軍産複合体の指令のもとに動いている。
 外務省出身で元外相の川口順子は「高レベル放射性廃棄物の体積を減らし、エネルギー源を確保する観点から、再処理を含めた核燃料サイクルが日本には必要だ」と主張。「日本が再処理をやめたからといって、他国が核武装をやめるとは限らない。すでに世界に存在する核不拡散の枠組みを強化する方がいい」と述べている。総合資源エネルギー調査会委員で京大原子炉実験所教授の山名元は「日本という現実のなかで、オープンサイクル(直接処分)がいいか、クローズドサイクル(再処理)がいいか。もし日本が原子力をやめるなら直接処分を選ぶと思う。だが、再処理は廃棄物管理の意味でも重要だ。使用済み核燃料の保管量を減らすという意味では再処理した方がいい。長期間、地上で保管するロングタームストレージ(中間貯蔵)は究極の解にはなっていない。」として再処理を諦めていない。(朝日新聞デジタル版:2013.12.17)再処理とは核兵器の原料であるプルトニウムを抽出するということである。

3 エネルギー基本計画の「原発は基盤となる重要なベース電源」は核兵器を諦めない・「最終処分場を国が決定する」は核のための強制収用と読む
 総合資源エネルギー調査会基本政策分科会は12月13日、民主党政権の「原発ゼロ」方針を転換し『エネルギー基本計画』に原発は「基盤となる重要なベース電源」と書き込んだ。一旦事故を起こせば国家を崩壊させる原発がどうして「基盤」となるのか。一方、福島原発事故を「真摯に反省する」という言葉だけは書き込んだもの、原因追及を放棄し、ひたすら「再稼働」に邁進するという恐るべき愚鈍である。「核燃料サイクル」は「着実に推進する」とし、「高レベル放射性廃棄物については、国が前面に立って最終処分に向けた取組を進める」と書く。「核燃料サイクル」はプルトニウムを取り出すことであり、「最終処分」はその後始末である。最終処分場が決まらないので、用地を強制収用により確保するという意思である。これはもう福島原発事故の原因追及も事故処理も放棄し、国民を放射能に曝してでも核兵器を追求するという恐るべき国際的・国内的宣戦布告の文書である。
 さらに、基本政策分科会にはおまけが付く。11月28日の会議ではマリア・ファンデルフーフェン IEA事務局長の、又、 12月6日にはチャールズ・エビンジャー米ブルッキングス研究所長の「この案は、リアリズムに立って方向性を示したものと評価できる。」と属国の計画にお墨付きを与えている。ブルッキングス研究所はロックフェラーとカーネギーの資金で設立した軍事シンクタンクである(参照:広瀬隆)。

4 核燃料プールの核爆発で政策を変更した米原子力規制委員会
 軍産複合体以外の勢力はどう考えているのか。米原子力規制委員会(NRC)のアリソン・マクファーレン委員長は「敷地内のプールで使用済み核燃料を保管することは問題が多い。東京電力福島第一原発事故の教訓を踏まえ、米原子力規制委員会(NRC)もプールに水位計をつけるなどの対策を指示した。水がなくてもよい乾式の貯蔵に早期転換するかどうかの評価を行っている。米国では多くの原発が廃炉に向かっている。5基が既に停止された。使用済み燃料をいかに管理するかは、今後ますます重要な問題になってくる。」(朝日新聞デジタル版:2013.12.17)とする。少なくとも使用済み核燃料を燃料プールに保管することの危険性は十分認識し、乾式貯蔵=暫定保管の道を探っている。
 米国の資源・安全保障問題研究所長のゴードン・トンプソンも「六ケ所再処理工場が事故や人為的な攻撃を受けた場合の放射線リスクについて話したい。3カ所の使用済み核燃料貯蔵プールに、セシウム137でそれぞれ500京ベクレルの放射能が含まれる。タンク2基にもそれぞれ140京ベクレルがふくまれる。非常に小さなところに、大量の放射性物質をとじこめている。万が一、攻撃を受けたら、プールに大量に蓄えられた放射性物質が放出されてしまう。確率は低いとしても事故やテロがいったん発生したら、歴史に残ってしまうような影響が出る。日本原燃も原子力規制委員会も、リスクを過小評価しているのではないか。より安全な選択肢は、使用済み核燃料を乾式キャスクに貯蔵することだ。」と述べ、使用済み核燃料のプール保管の危険性と乾式貯蔵を提起している。再処理に経済的なメリットはない。施設の除染や、新たな事故の危険、核テロリズムのおそれや、核拡散につながってしまうという問題もある。
 プリンストン大学名誉教授、核物理学者のフランク・フォンヒッペルも「再処理という「わな」から、いかに抜け出すかが日本の課題だ。使用済み核燃料を再処理せずに、乾式キャスクに貯蔵することが安全で、安く、クリーンだ。福島第一原発の建屋は津波で浸水したが、敷地内にあった乾式キャスクには安全上の問題がなかった。」と福島第一原発事故の経験を踏まえ、乾式貯蔵方式を支持する(同:朝日新聞デジタル版)。

5 日本を舞台に暗闘を繰り広げる米軍産複合体とそれに反対する勢力
 福島第一原発は原爆17,000発分の放射能を抱えている。今後、地震や津波などで全交流電源が再びストップし崩壊した原子炉や核燃料プールの冷却ができなくなれば、これらの放射能が再び日本のみならず世界に撒き散らされることになる。その場合、米軍横須賀基地・横田基地・沖縄基地のみならず米国本土さえも無事ではすまない。
 第二次世界大戦中、ウラン資源に恵まれず、産業基盤が弱くウラン濃縮もままならなかった当時の日本で低濃縮ウランと水を合わせた原子爆弾を考えた。福島第一の崩壊した原子炉や核燃料プールは理化学研究所の仁科芳雄が構想した「原子炉爆弾」そのもの=「原子炉を制御せずに暴走状態に置くこと」(山崎正勝:『日本の核開発』)である。
 小泉氏は核の最終処分場がないから「脱原発」だという。しかし、それは彼の本音ではない。核爆弾の原料を作り出す装置でしかないはずだった軽水炉そのものが核爆弾であるというところに核心がある(ミサイルに搭載するには大きすぎるが潜水艦で運ぶことは可能であり、威力は地球を消滅させるほど巨大である)。プルトニウム分離という高度な技術を要することなく事実上の核兵器がそこにある。これは米ロ中英仏などによる恐怖の均衡としての国際核戦力体系を根底からひっくり返すものとなる。しかし、それをあからさまに発言することは軍産複合体勢力の逆鱗に触れることになる。小泉氏は言葉を選んで発言しているものと思われる。日本の原発を再稼働させないことができるか、全世界の人々を放射能の恐怖に落とし込むのか、国内外の勢力が入り乱れて闘いが始まっている。 

 【出典】 アサート No.433 2013年12月28日

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【投稿】「維新」のたそがれ–大阪府議会で過半数割れ– 

【投稿】「維新」のたそがれ–大阪府議会で過半数割れ– 

<造反により第三セクター売却案が否決>
 大阪維新の会の退潮が止まらない。今年7月参議院選挙での低迷、9月堺市長選挙での敗北、11月には大阪府岸和田市長選挙でも敗北と続いている。そして、今回大阪府議会では、第三セクターである、大阪都市開発株式会社の民間への売却議案が、維新自身から造反が出ることで否決された。
 大阪都市開発株式会社は、府内でトラックターミナル、難波と泉北ニュータウンを結ぶ「泉北高速鉄道」を経営し、トータルでは黒字企業である。民間で出来るものは民間で、との維新方針のもと、売却が橋下知事時代から提起されてきた。松井知事の下で、今回公募が行われ、米投資ファンドのローンスターが、売却額で南海電鉄の提案を上回ったため、優先予約権を獲得した。それが、府議会で否決されたのである。
 9月の堺市長選挙では、運賃の割高な泉北高速の運賃値下げも争点になった。都心に近い千里ニュータウンと違い、泉北ニュータウンからの通勤・通学問題では、運賃の割高に、市民の不満が高かった。市長選では敗北したが、維新の候補者も運賃の値下げを公約していた。
 堺市議会では、泉北高速鉄道の運賃値下げ幅が小さいと、自公民が反発、維新も含めた全会一致の反対決議案の動きがあったが、松井知事に一喝され維新議員団は離脱、売却案の白紙撤回決議が賛成多数で可決されていた。
 こうした中、府議会に提案された米投資会社への売却案の採決が12月16日に行われ、維新派府議4名の造反により、否決された。反対に廻った府議は、大阪市内選出1名、堺市2名、高石市選出1名の4名であった。
 維新は、即刻除名の対応を行ったが、即座に自民党会派と連絡を取る議員もいたという。2015年4月の統一地方選挙では、維新では当選できないという空気が出てきているのだ。
 これにより、辛うじて府議会の多数を確保してきた維新は、少数与党に転落した。
 
<大阪市でも公明が離反し、孤立>
 大阪市会でも維新派の力が弱まっている。ここでは、元々維新は少数であって、公明の「協力」なくしては何も決められない。少なくとも、昨年12月の総選挙までは、市会公明と維新は「協調」してきた。しかし、総選挙が終わり、自公による安部政権の成立以降、「すきま風」が吹き始めた。
 今年9月には、橋下市長が提案した水道事業の統合議案が、市議会で否決。11月には、大阪府立大学と大阪市立大学の統合議案も否決された。また市営地下鉄事業の民営化議案も、公明の協力が得られず、11月3度目の継続審議となった。
 一方、橋下市長が進めてきた公募路線も、失敗が続いている。4月には、公募区長を分限免職、11月にはセクハラ事件を起こした労働部長を処分、公募校長にも不適格者が続出という事態だ。ここまで「公募」で選んだ人間が、程度が低いとなると、それは選んだ方こそ、「程度が低い」ということだろう。市民も気付き始めている。
 
<大阪都構想の実現も、益々不透明>
 公明の賛成で、大阪都構想を準備する「法定協議会」が設置された。しかし、審議が進んでいない。年内に区割り案を確定するとしてきたが、年末の協議会でも決められなかった。橋下市長は、11月の記者会見では、来年10月には大阪市分割案の住民投票を行いたいと語っていたが、2015年4月の大阪都以降のためには、技術論・手続き論でも、そこがリミット。しかし、年末に決まらなかった分割案は、年明けには決めることが出来るのか。出来たとしても、住民を納得させる説明が可能か。分割することでコストがかかる。さらに、メリットを具体的に示す必要があるが、当初宣伝してきた夢物語は、色あせ始めている。
 
<新党合流で、消滅か>
 みんなの党が「特定秘密保護法」への対応をめぐり分裂し、15名で「結いの党」(江田代表)を結成した。ここへの合流を大阪維新は模索しているようである。旧太陽の党という自民党のもっとも保守的な部分と合流した「日本維新の会」だが、自公多数の国会の中で、維新は埋没し、原子力政策では党内は実質分裂状態にある。すでに「維新の会」では、選挙を戦えないのであろう。そして江田新党への合流は、日本維新の会の分裂が前提である。選挙で勝てるから、橋下維新は求心力を維持してきた。しかし、維新のメッキは剥げ落ち、「維新」では選挙に勝てないと、新党構想というのは、もはや泥船状態であろう。
 大阪都構想も不透明、新党問題も橋下抜きには決められないという維新だが、大阪市内では、まだ一定の支持を保っている。(11月読売新聞調査では、大阪市内支持率57%)
 大阪都構想を葬り去るため、橋下維新という右派勢力の包囲をさらに強めなければならない。(2013-12-22佐野) 

 【出典】 アサート No.433 2013年12月28日

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【書籍紹介】アクティブ・エイジングシリーズ『はたらく』 

【書籍紹介】アクティブ・エイジングシリーズ『はたらく』 

 世界一の高齢化社会・日本、「団塊の世代」も高齢者(65歳以上)の域に入ってくるのでこれからも高齢化が進む。
 このことは一般的にみると医療や保健などの社会的コストを増大させ財政負担につながるし、生産労働人口比率低下で経済の活性化に問題が生ずる。
 しかし、本来高齢化は大きな戦争がないこと、大自然災害が少ないこと、そして生活水準の向上や医療技術の進展の結果、人々が長生きするようになったためであり、喜ばしいことであるはずだ。問題があるとすれば、そのような変化に対応する社会システムが出来ていないことにある。今後のことを考えると、この高齢化を悲観的、評論家的にだけとらえるのではなく、積極的にとらえ直し、具体的な行動をとる必要がある。

 そのような問題意識から、エコハ出版ではアクティブ・エイジングシリーズとして、2012年3月に『地域で活躍する高齢者達』を発行したが、今度、第2号として『はたらく』を発行した。
 これらはいずれも高齢になっても、体力、気力が続く限り、社会や地域で積極的に活動しようではないかとの問題提起である。そのため各地で元気に活躍している高齢者を取材し紹介しながら、今後の高齢化社会にどう立ち合えばよいかかを考えようというものである。
 本書の題名をひらがなで「はたらく」としたのは、経済的な必要から雇われて「働く」ということだけではなく、社会や地域のためボランティアとしてはたらく場合や、自分の趣味や専門性を活かしてはたらくということも含めて、広い意味で高齢者の社会的活躍の場を広めようとするものである。
 実際に取材してみると、退職後ふるさとに戻って農園経営する例や、地域における国際化に貢献している人、専門性を活かしてまちづくりのコーディネーターの役割を果たしている人等、様々な例があることがわかる。これらの人達に共通しているのは、皆さんが生き生きと輝いて活躍さおておられるということであった。しかし、このような人たちはまだ少数派である。社会としてはこのような人達がはたらきやすい場を準備すること、少しでも多くの人たちが積極的に社会や地域の活動に参加しやすい条件をつくることが求められているという主張である。ぜひご一読をお願いしたい。
 本書を編集する中で、「面白い人物」を浮きぼりにしつつ、社会問題にアプローチする方法が有効なことを確信したので、これからもこのような手法で出版を続けて生きたいと思っている。現在、第3号として『シニヤ起業家の挑戦』、第四号として『地域における国際化の活動』などの準備を進めている。ぜひ皆様も高齢化の問題を真正面から現実的な社会問題としてとらえていただきたい。そして、願わくば、元気な高齢化社会を構築するための運動にご参加いただきたい。(本書の購入はアマゾンでエコハ出版と検索いただければ購入できます。)

                           エコハ出版
                           代表 鈴木 克也 

 【出典】 アサート No.433 2013年12月28日

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【お知らせ】小野暸さん「文明<後>の世界」が出版されました。 

【お知らせ】小野暸さん「文明<後>の世界」が出版されました。 

 「文明<後>の世界」小野暸 新泉社 2013年12月10日 \2600+税

 本来ならば、書評としてご紹介したいところですが、まずはお知らせということでご了解願いたい。2011年12月10日に亡くなられた、我々の友人小野暸さんの著書が発行された。

 暸さんは、「季刊唯物論研究」第112号(2010-03)から第115号(2011-03)まで、4号に渡り、全11章に渡る構想の下、氏の持論でもあった「万人企業家社会論」から、資本主義後の社会を展望する論文を発表されていた。原因不明の病床にある中での執筆であったと後に知ったが、この構想は道半ばにして実現されなかった。

 2012年2月には偲ぶ会が京都で行われたが、出席者の中からは、残された未完の膨大な文書類を紡ぎ直し、暸さんの構想を、是非書物として実現させる必要性についての発言があったと記憶している。その後、唯研の田畑さんやご家族のご協力の下で、編集作業が行われた。出版に至る御労苦に感謝申し上げたい。
 奥様からいただいた文章には、「夫の生前に遺した出版構想を基にして主要論文を中心にまとめましたもので、思想全体が概観できる内容となっております」と記されている。 暸さんの遺作となった本書を、是非お読みいただきたいと思います。(佐野) 

【関連文書】
★【追悼】 未来を目指した知的冒険家を偲ぶ –小野暸さんを偲んで–
      (Assert 410号 2012-01)
★【講演録】 21世紀のグランドデザインをどう描くか
      (Assert 289号 2001-12)

 【出典】 アサート No.433 2013年12月28日

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【投稿】混迷・暴走・自爆解散と対決する 脱原発・反増税・改憲阻止の包囲網を

【投稿】混迷・暴走・自爆解散と対決する 脱原発・反増税・改憲阻止の包囲網を

<オバマの再選、野田の投げ出し>
 11/6、米大統領選において、オバマ現大統領はかろうじて踏みとどまった。共和党のロムニー候補が勝利していれば、自由競争原理主義の新自由主義が再び猛威をふるい、マネーゲームを野放しにし、金融資本や大独占、富裕層に大幅減税を実施する一方、緊縮財政の旗の下に、社会保障をはじめとするセーフティネット、教育、自治体、社会的公共資本をズタズタにぶち壊し、さらなる景気後退局面に陥りかねない危機的な米経済をさらに破滅に追い込むところであった。こんな候補者を大統領に据えることを阻止したのは、昨年来のウォール街占拠運動に象徴される99%対1%、ごく少数の超富裕層対圧倒的多数の低所得者層、格差のとどめのない拡大と社会保障と教育破壊に反対する、広範な粘り強い闘いの広がりと包囲網であった。そして「米国経済の最優先課題は、雇用ではなく、財政赤字だ」と叫び続けてきた緊縮財政タカ派は偽善者であり、もうこんな連中にはうんざりだ、という圧倒的多数の99%の声がロムニー候補を蹴落としたのだと言えよう。
 11/12付ニューヨークタイムズ紙でクルーグマン米プリンストン大教授は「緊縮財政タカ派は退場せよ」と題して、いわゆる「財政の崖」問題は、「経済を人質に取ろうとする共和党の企てによってもたらされた政治危機なのである」、「景気が深く落ち込んでいる時の財政赤字は良いことである。赤字削減は景気が回復するまで待つべきである」、「財政赤字のうるさ型」連中は「米国の財政を気高く守っているふりをしながら、実際は偽善者であり、支離滅裂でもあることを自ら露呈した」、「さあ、こんな連中には退場願おうではないか」とそのコラムを結んでいる。
 こうした声を反映するもうひとつの結果が、米大統領選と同時に実施されたカリフォルニア州の住民投票の結果に示されている。ブラウン州知事(民主)の「富裕層の所得税率引き上げ、その増収分を教育予算に充てる」提案が賛成53.9%で可決・成立したのである。この結果、年収25万ドル(約1975万円)以上の高額所得者の所得税率を引き上をげ、2012年1月にさかのぼって7年間実施、増収分は全額、公立の小中高等学校、2年制の公立大学に割り当てられることとなった。画期的な転換だといえよう。
 こうしてオバマは再選されたが、片や、日本の野田首相は、今や米共和党の「緊縮財政タカ派」と全く瓜二つとなって、増税・緊縮路線で自民・公明と野合し、「近いうち解散」に追い込まれ、もはや与党多数派も維持できなくなって、ついに政権を投げ出す事態を自ら招くこととなった。

11・11関電本店1万人大包囲行動
写真は、11・11関電本店1万人大包囲行動への西梅田公園での集会

<「さあ、こんな連中には退場願おうではないか」>
 野田首相にとっては年内解散以外の選択肢はなかったのであろう。しかしそれは、野田首相個人、あるいはその同類である松下政経塾出の未熟極まりない新自由主義路線と緊縮財政路線、アジア諸国との緊張激化路線に凝り固まった連中にとっての私利私欲に基づく解散路線である。それは、民主党にとっては、あるいは三年前の政権交代に託した有権者にとっては、裏切りにも等しい暴走であり、党の解体と事実上、党そのものが散り散りばらばらになる「流れ解散」への「自爆解散」でしかない。
 野田首相やその同類にとっての私利とは、マニフェストが否定し、そして首相自身が否定していた財務省の増税路線を忠実に実行し、それを成し遂げたことへの達成感、功名心、そしより直接的には、「100人が100人反対」という党所属議員の総意、「民主党の総意と」して解散反対を突きつけられ、解散前の首相交代を迫られ、その圧力に怯えて、これに対抗してどんでん返しで異例なクーデター的ともいえる解散を強行し、たとえわずか一ヶ月でも首相の座にとどまり、ASEAN首脳会議にも出席し、「あとは野となれ山となれ」という私利以外の何物でもない。
 そして私欲とは、たとえ壊滅的な打撃を受けて少数政党に転落し、政権を明け渡したとしても、その増税路線を確実なものとするための民自公3党合意を盾にとった後継政権への擦り寄り、たとえ補佐役でも新与党連合にすがりつき、増税翼賛大連合の一翼を担うことへの期待であろう。なんとも許しがたい私利私欲である。
 共同通信社が11月上旬に実施した世論調査では、野田内閣の支持率は前回10月調査より11・5ポイント減の17・7%と20%台を割り込み、政権発足以来最低を記録している。もはや有権者の信頼を失った野田首相が、解散によって「国民に信を求める」と大見得を切っても今や空々しいほどのうつろさである。そもそも「信を求める」、その「信」が無きに等しいのである。離党者が続出し、民主党内部は、いまや原発、消費税、環太平洋連携協定(TPP)、外交、防衛など主要課題をめぐって賛成と反対が入り乱れ、もはや党機関の決定もままならず、収拾がつかない混迷状態である。一大政治決戦であるにもかかわらず、全て旗色鮮明にできない、候補者個人に任された選挙戦は敗北を前提とした苦戦以外の何ものでもないであろう。
 そしてそもそも首相が成し遂げようとしている消費税増税路線は、すでに既定の路線としてやり過ごそうとしているが、11/12に内閣府が発表した7~9月期の実質国内総生産(GDP)は前期比マイナス0.9%、年率換算マイナス3.5%と、景気後退が鮮明になっており、9月の鉱工業生産は前月比4.1%低下し、低下幅はリーマンショックと大震災以外では最大の落ち込みである。こんな時に増税路線を提起すること自体が、経済をさらに悪化させ、庶民の暮らしをより一層苦しくさせる以外のなにものでもない。野田首相は、来年に解散を先送りすれば、こうした経済状況では消費税増税に赤信号がともるという財務省の見通しとその圧力にあわてて解散に踏み切ったともいえよう。いずれにしても、こんな景気後退時に増税を提起するなど、クルーグマン氏の言うとおり、「さあ、こんな連中には退場願おうではないか」という声をこそ、有権者の声として結集させるべきであろう。

<「民意の実現を図る国民連合」>
 こうした声を無視し、踏みにじってきた民主党は、かくして大惨敗を喫せざるを得ないと言えよう。
 しかし、退場を願わなければならないのは、同じ増税路線と緊縮財政路線を歩み、むしろ先鞭をつけ、主導してきた自民・公明連合とて同罪である。自・公・民の間には今や基本的に政策的な違いは無きに等しい状態である。違いは、安倍自民党総裁の再登場によって、憲法改悪と軍事力強化、緊張激化路線でどちらがより先鋭、強硬、右翼的かという、最も危険極まりない競り合いがより激しくなってきたことである。
 そしてさらにこの際、退場願わなければならないのは、この競り合いを叱咤激励するばかりか、東京都が尖閣諸島を買い上げるという対中国挑発行為をあえて実行し、「これで政府に吠え面をかかせてやるんだ」と野田政権にその国有化を迫り、そのその愚劣な発言と挑発行為の結果、長期化する日本側の経済的打撃と景気悪化に何の反省もなく、性懲りもなく国政復帰を目指し、今や第三極、いや第二極のヒーロー然として振舞っている石原慎太郎東京都前知事である。今や「我欲」に凝り固まり、耄碌して「原発をどうするかはささいなこと」と放言するようなこんな人物に国政関与の資格などもはやないし、悪意と差別に満ち満ちたこのような人物に追随し、「石原氏しかできないような判断と行動だ」と絶賛・迎合し、石原氏を表面に立てて、自らはその共同代表として後釜を狙っている橋下徹大阪市長もこの同類であり、より悪質・危険な存在である。この石原・橋本連合に身を寄せ、連携せんとする有象無象もその同類と言えよう。そして総選挙と同日日程で行われる都知事選に立候補し、石原氏の後継者として指名された猪瀬氏も、茶坊主よろしく尖閣諸島買い上げの寄付金集めを提案して高く評価されるような同類である。
 こうした勢力に対抗する真の第三極、あるいはそれこそ第二極こそが結集されなければならないが、いまだ明確で具体的な姿が見えてこない。
 10/22、国民の生活が第一 社会民主党 新党きづな 新党大地・真民主 減税日本 新党日本 改革無所属がようやく「民意の実現を図る国民連合」共同公約(案)を提起し、
1.まだ間に合う、消費税増税法の廃止
2.10年後の3月11日までに原発をゼロにする
3.TPP交渉参加に反対する
を明らかにしたが、より幅広く具体的な結集が図られるべきであろう。
 政権交代の意義を真に継承し、本来の総選挙の争点である、脱原発・反増税・反TPP・セーフティネットの再構築・改憲阻止の包囲網の早急な構築が望まれる。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.420 2012年11月24日

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【投稿】大飯原発を至急停止して調査せよ! –敷地内に活断層の疑い濃厚–

【投稿】大飯原発を至急停止して調査せよ!   –敷地内に活断層の疑い濃厚–
福井 杉本達也

1 福井県民はBクラスの国民
大飯原発の活断層シロクロ判断が先送りされたことに関連し11月8日の孫崎享元外務省国際情報局長はtwitterで「原発:8日福井新聞『大飯断層調査に不安抱える地元民“命は大事だが生活も大事”』。こう言って“生活”をとる図って哀しい。他地域より金持とうと思わなければ“命大事”が貫ける (2012年11月8日午前7時07分)」とつぶやいている。同様の趣旨で武田邦彦中部大学教授は「福井県の人に悪いけど、なぜ福井県に原発を置いていると思います?『福井県の人はBクラスの国民だ』ってみんなが言っているわけですよ。何故だって言ったら、『自分は電気を使わないのに原発だけもらって金が欲しい』と、『彼らは仕事では金が無くて生活も出来ないから原発にくっついてるんだ』って言われているんですよ。」(2012.11.11岩上安身「武田邦彦インタビュー」(「みんな楽しくHappyがいい」HP))と語っている。両氏に指摘されるまでもなく“カネ”で“命を売る”思考に同じ県民としては赤面する思いである。原子力規制委の現地調査団の活断層かどうかの判断が先送りされた11月4日、福井県庁幹部は「5人という少人数であやふやな議論をしていてはいけないのではないか」(福井:11.5)とコメント、別の県幹部は「原子炉を止めずに追加調査をする規制委の判断に理解を示した」(朝日:11.8)と報道されている。これが県民の命を預かるべき自治体の職員の発言かと思うと情けない。

2 関電の大飯原発活断層調査は誤魔化し-島崎邦彦原子力規制委員
11月14日昼のNHKニュースは「原子力規制委員会は、14日に定例の会合を開き、島崎委員は、大飯原発の敷地を走る[F-6破砕帯]という断層について、[関西電力は『破砕帯がこれまでの調査より短く、位置も違っていた』と説明していて不明な点がある]と述べたうえで、[調査の考え方に疑問が出てきている]と述べ、関西電力の調査方法に疑問を呈しました。また、大飯原発で専門家と共に行った現地調査について、[事前に現状を把握していなかったほか、現場で時間が限られ詳しく分析できなかった]と説明し、改善する考えを示しました。」と報道した(NHK NEWSWEB:11.14)。ところが、この重大な発表を新聞各社はどこも報道していない。福井新聞は島崎委員の「時間が限られ詳細な分析ができなかった」とする最後の言葉だけを引用し、田中委員長の「調査団に大飯を止める、止めないの判断はお願いしていない」(福井:11.15)との発言の方を見出しに取り上げ、島崎委員の発言の趣旨を大きくゆがめている。新聞媒体はあくまでも大飯原発を停止させないよう真実を隠す情報操作に熱心である。
TV朝日の報道ステーション(11.5)やモーニングバード・「そもそも総研」(11.8)では①12~13万年前から約10万年前の間の地層をこの断層が切っていること、②断層は海側から山側にせり上がっているが、海側から山に向かってずり上がるような地滑りなどないこと、③「これが活断層ではない」と否定できる人は4人の中で誰もいない。つまり、グレーであることはみんな一致している。ことが報道されている。
大飯原発活断層現地調査団員の1人-渡辺満久東洋大教授(変動地形学)は11月2日の現地調査後「①大飯原子力発電所の最重要施設の直下に活断層は存在する。②「F-6」以外にも、活断層が敷地に存在する。③現在の応力場で動きうるものである。④これらが見落とされ、現在になって問題が顕在化した理由は、事業者の不適切な調査と非科学的解釈に基づく国の杜撰な審査にある。⑤活断層の定義についてこれまでは、「確認できない」ことを「活動していない」として誤魔化してきた。⑥今後の原子力関連施設周辺における活断層評価においては、科学的定義と同等かむしろ厳しく、より安全側に配慮した「活断層の定義」を定めるべきである。⑦今後の追加調査について「結論はまだ早い」「慎重に」という意見は不要。「暢気な」学術調査ではない。「ない」ことを理屈付ける調査は不要である。原子力発電所をすぐに停止し、すべてを調べ直す覚悟で調査すべきである。」と述べている(渡辺:資料「大飯原子力発電所敷地内の活断層」11.4)。

3 なぜ「F-6断層」が重要か
規制委は原発立地の条件として「①地震、風、津波、地滑りなどにより大きな事故が発生しないと考えられるところ。②原子力発電所と公衆の居住する区域との間に適切な距離が確保されているところ」であり、そのため地震については「敷地周辺における過去の地震や活断層の調査結果などにより、耐震設計に考慮する地震を選定します。」としている。安全設計の基本的な考え方として、「原子炉冷却系」は「最終的な熱の逃がし場へ熱を輸送できること。」が要求されている(原子力規制委員会「設計・建設段階の安全規制・安全審査」HP)。この「F-6断層」の真上を緊急用取水路が横切っている。もし、「F-6断層」が動けば緊急用取水路は破断し海から原発の冷却水を取水できなくなる。上記の規制委の説明にもあるように原発の熱を逃がすことができないのであるから、活断層の真上にこのような安全上重要設備を置くことはできない。活断層と認定されれば大飯3、4機は停止しなければならなくなる。
原子炉が地震で停止すれば自ら発電ができない。外から送電線が来ているが、福島第一原発の場合は外から来ていた7系統全ての送電が長時間に亘り停止してしまった。これが、福島原発事故の直接の原因である(「外部電源喪失事故」―けっして、津波により非常用ディーゼル発電機が使えなくなったからではない。それは二次的要因である)。福島事故の1例では、「5、6号機に外部電源を供給していた送電線鉄塔が倒壊したのは、敷地造成の際に谷を埋めた盛り土が液状化などにより崩れたことが原因の可能性が高いという分析結果を、東京大の鈴木雅一教授(砂防工学)が28日までにまとめた。」(福井:2012.1.29)という。F-6断層が動けば大飯原発でも倒壊がありうる。関電は「大飯原発(おおい町)と高浜原発(高浜町)から延びる送電線の鉄塔3基が、地滑りの可能性があり、移設対策が必要などと発表」「関電は、盛り土の崩壊▽地滑り▽急斜面の土砂崩れなど3項目で、計893基を評価。その結果、早急な対策が必要なものは、おおい町の山間部にある鉄塔3基。」であるとしている(産経:2012.2.18)。既に関電は美浜原発の送電線で鉄塔倒壊で作業員死亡事故を起こした実績がある。原因は鉄塔の強度不足であった(福井:2008.9.17、9.19)。
外部電源が使えなければ、非常用のディーゼル発電機で交流電源を供給しなければならないが、非常用ディーゼル発電機は巨大な発電機であり、水冷しければならない。その冷却のための水も緊急用取水路から供給されている。したがって、取水路が破断し水を供給できなければ、ディーゼル発電機を起動することができない。取水路をわざわざ『Sクラス』の最重要施設と定めているのは、これが無ければ原発は破壊してしまうからであり、活断層の上には作らないというのか大原則である。関電は非常用ディーゼル発電機が使えなければ、コンテナ式の空冷式の非常用発電装置を配備しており、電力を供給するから大丈夫だというが、大飯原発の場合には、原発構内に入るのにトンネルが1本しかない。活断層が動いてトンネルが崩壊すれば応援部隊が近づくことは不可能である。「グレーに濃淡は無い。グレーはグレーだと。なぜならば、そういう確率が高いとか低いとか、それを福島で失敗しているわけだから、『そこで学習してないんですか?』っていう事なんですね。真っ黒だった。ものすごく濃いグレーだった、宮城沖の99%が起きなくて、ほとんど白に近かった場所で、でっかい地震が起きたという事を全く学んでいないという気がします。」(渡辺-「モーニングバード」)。

4 活断層調査の重要性
活断層が注目され始めたのは1995年1月17日の阪神・淡路大震災からである。活断層とは「最近の地質時代に繰り返し活動した断層」と定義される。兵庫県南部地震の淡路島において地震断層が確認された10キロの範囲では、地表のあらゆるものが切断された。道路も家屋も水田もみな同様の大きな右横ずれを被った。大地がずれる力を止め得るような強固な構造物はありえない(鈴木康弘『活断層―大地震に備える』2001.12.20)。地面そのものがずれてしまえば、原発の耐震設計など何の役にも立たない。原発の真下に活断層があった場合、格納容器が破壊されるだけではなく、中の配管や核燃料を入れてある圧力容器自体も破壊される。それは福島原発事故以上の大事故を意味する。中の放射能の全てが一瞬にして外部へ放出してしまうことだからである。大飯原発の場合、1機で広島型原発1000発分である。2機とも一瞬に破壊されればチェルノブイリ事故の倍以上の大事故となる。もし、原子炉運転中で、断層の破壊速度が制御棒の挿入速度を上回った場合、核燃料は制御不能となり原子炉の暴走-核爆発も考えられる。「活断層かどうかが分からない」と言うなら、「まずは止める」べきであり、「動かしながら調べる」というのは言語道断である(小出裕章―「モーニングバード」)。

【出典】 アサート No.420 2012年11月24日

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【投稿】「日本軍国主義・ファシズムを取り戻す」安倍政権

【投稿】「日本軍国主義・ファシズムを取り戻す」安倍政権

<<安倍首相「韓国はただの愚かな国だ」>>
 週刊文春11月21日号(11/14発売)は、「韓国の『急所』を突く!」と題した特集記事を掲載、安倍政権の本音を前面に押し出し、その露骨な嫌韓論と排外主義を煽り立てている。
 新聞広告や電車内に目立つその中吊り広告は、以下のように大書している。
▼「もう我慢の限界だ」安倍側近からは“征韓論”まで…
▼安倍首相 「中国は嫌な国だが外交はできる。韓国は交渉もできない愚かな国だ」
▼「首脳会談しない方がマシ」朴槿恵 反日を焚きつける「君側の奸」
▼経団連は「カントリーリスク」を明言 日本企業一斉撤退シナリオ
▼日本メガバンクが融資を打ち切ればサムスンは一日で壊滅する
▼「韓国は日米同盟の庇護下にあると自覚せよ」 米国務省元高官ケビン・メア
 本文では、安倍首相の周辺人物の言葉として、安倍氏が「中国はとんでもない国だが、まだ理性的に外交ゲームができる。一方、韓国はただの愚かな国だ」と語ったと報じたのである。あくまでも「安倍総理周辺によると」と断り書きが付けられているが、首相の本音が透けて見える。
 折しも、韓日・日韓協力委員会の合同総会に出席するために訪日した韓国議員らは11/15、「週刊文春の記事は韓日関係の悪化を招くもので、深い憂慮を表明する。日本政府は記事の内容が両国関係に与える悪影響を十分に認識し、ただちに事実関係を明らかにするとともに、責任ある措置を取るべきだ」と声明を出し、これにあわてて菅義偉官房長官はその日の午後の記者会見で、首相が「そんなことを言うわけがない」と述べ、事実関係を否定した。
 韓国各メディアはこの事態を一斉に報道し、安倍首相の態度は、日本を訪問した韓国の国会議員などに年内の首脳会談の開催を強く希望していた態度とはまったく異なるものであり、二つの顔があると指摘、「本性があらわになった」、「安倍がまた妄言」、「韓国をおとしめる発言」などと非難している。
 韓国与党セヌリ党の洪文鐘事務総長は党院内対策会議で、「安倍首相と側近が韓国政府をおとしめる発言を続け、有力誌がとっぴな話を書いているようならば、韓日関係は今後多くの困難に直面するだろう」と懸念を示し、最大野党・民主党の田炳憲院内代表も党最高委員会で、「日本の軍国主義の亡霊にとらわれた安倍首相の妄言に、韓国政府は断固対応すべき」と強調する事態である。

<<「女性が輝く社会」>>
 こうした事態は、すべて安倍首相自身が招いたものである。安倍首相のアキレス腱とも言える問題は、従軍慰安婦問題にあり、首相はこの問題自体が存在しないか、存在しても「解決済み」であり、ましてや強制連行など「狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」として、一貫して政府責任を回避する言動を繰り返してきたのである。
 安倍首相の意を受けたのであろう、外務省は11/4までに「最近の韓国による情報発信」と題した文書をまとめ、慰安婦問題について「(昭和40年の)日韓請求権・経済協力協定に基づき『完全かつ最終的に解決済み』であるにもかかわらず、韓国側は請求権協定の対象外としている」と、韓国政府を批判した文書を公表し、海外広報予算を増やし、対外発信に乗り出した。外務省幹部は「在外公館に対して日本の立場を各自治体や有識者、主要メディアに伝える取り組みを強化するよう指示した」という(11/5産経新聞)。
 そして首相自身が、そうした無責任で非人道的な姿勢が国際的にも孤立し始めるや、去る9月26日、国連総会での演説で、「二一世紀の今なお、武力紛争のもと、女性に対する性的暴力がやまない」として、「不幸にも被害を受けた人たちを、物心両面で支えるため、努力を惜しまない」「世界女性の人権伸張のために努力する」と「女性が輝く社会」を掲げた「イメージアップ作戦」で孤立を避けようとしたのであるが、二一世紀の武力紛争下の性暴力を強調することで、二〇世紀の日本の戦争犯罪をごまかすことはできないし、ましてや戦時下の性的暴力・性奴隷制の典型である従軍慰安婦問題については一言も触れずに、上っ面の美辞麗句で事態をやり過ごそうとする姑息な態度が浮き彫りになっただけであった。
 この美辞麗句を「称賛」してくれたのは米国のヒラリー・クリントン前国務長官だけで、クリントン氏は手紙で「働く女性を後押しする施策を推進する、と首相が明確に訴えたことに感謝する」とたたえ、首相は「書簡に勇気づけられた」との返事を送ったというが、弱肉強食丸出しの規制緩和路線で「働く女性」を非正規労働の拡大でさらに苦しめ、低賃金労働に押し込め、格差をさらに拡大させ、セーフティネットと社会保障の切り捨てで女性を家事・育児・介護等の無償労働に縛り付け、女性の人権を切り縮めようとする首相の政策のどこに「女性が輝く社会」があろうというのか。噴飯ものである。
 国連総会の「人権に関する委員会」で、韓国の趙允旋女性家族相が10/11、安倍首相の国連でのこうした発言を捉えて、「当事国は、紛争地域で女性に対する性暴力が続いている現実に怒るべきだと主張する前に、20世紀に犯した性暴力で苦痛と傷を抱えて生きている女性を無視してはならない」と批判し、「慰安婦の傷を癒やすには、責任を負う政府が心から謝罪し、必要な行動を取り、慰安婦に関するゆがめられた認識を正さなければならない」と強調したのは当然であった。

<<「日本の指導者は考え方を変えるべきだ」>>
 こうした安倍首相のまやかしを最も鋭く批判し、国際社会に訴え出したのが韓国の朴槿恵大統領であった。11月2日からフランス、オランダ、英国、ベルギー等ヨーロッパ各国を歴訪した朴氏は、出発前にフランス紙フィガロや、英BBC放送のインタビューを受け、「慰安婦問題が解決されず、日本の一部の指導者が歴史認識を変えないなら、首脳会談はしない方がましだ」と主張、「『日本に過ちはない』と謝罪もせずに苦痛を受けた人たちを冒とくし続ける状況では、(会談しても)何一つ得るものはない」と語り(BBC)、「欧州統合は、ドイツが歴史の過ちに前向きな態度を示したので可能だった。日本も欧州統合の過程をよく研究してみる必要がある」、「欧州統合は過去の過ちを直視するドイツの姿勢の上に築かれた。日本は欧州の経験を真摯に参考にすべきだ」と強調した(フィガロ紙11/3)のである。
 欧州歴訪・首脳会談の最後の11/8にも、欧州連合(EU)のファンロンパイ欧州理事会常任議長(EU大統領)らと会談した朴大統領は会談後の共同記者会見で、従軍慰安婦問題を巡り「日本には後ろ向きの政治家がいる」などと重ねて批判、安倍首相との会談についても、「(2国間関係の改善が期待できないならば)逆効果」と言明、「日本の指導者は考え方を変えるべきだ」と、安倍首相にあらためて鋭い批判を突きつけ、その政治姿勢を改めることを求めたのである。
 安倍首相は自らが招いたその犯罪的な歴史認識や、それにもとづいた政治姿勢を変えない限り、今後の政治的展望や打開の道が見出し得ない窮地に追い込まれ、その結果が、週刊文春に暴露された「もう我慢の限界だ」「韓国は交渉もできない愚かな国だ」発言だったと言えよう。

<<日中韓の「共同歴史教科書」>>
 しかし朴槿恵大統領から、打開の鍵となる解決への道筋の一つが示された。11/14、朴大統領がソウルの国立外交院創立50周年を記念した国際会議で演説し、日中韓共同歴史教科書を発刊することが、歴史や領土問題によって対立している状況を改善させ、平和を促進するための方法としてふさわしいとして、北東アジアの共同の歴史教科書を編さんすることを提案したのである。
 朴氏はフランスとドイツなどが共同で歴史教科書をつくったことを例に挙げ、北東アジアでも共同で教科書を発行すれば、国家間の協力や対話を強化できるとして、以下のように述べている。

 「私が提案してきた北東アジアの平和協力構想は、地域の国々がちょっとした協力から始め、お互いに信頼できる経験を蓄積し、さらにそれを拡散させ、不信と対立を緩和するというものです。核問題をはじめ、環境問題への対応や自然災害への対応、サイバー協力、資金洗浄防止などから始め、対話と協力を蓄積し、さらにその範囲を広げていくというものです。このような過程が進むに従って、究極的にはヨーロッパの経験のように、最も敏感な問題も論議できる時期が来ると確信しています。
 私は、北東アジアの平和協力のために、まず、地域の国々が、北東アジアの未来に対する認識を共有しなければならないと思います。目的を共有しなければ、小さな違いも克服できません。しかし、目的が同じであればその差を克服することができるのです。ドイツとフランス、ドイツとポーランドがやったように、北東アジア共同の歴史教科書を発刊することにより、東西欧州がそうだったように、協力と対話が、蓄積されるかもしれないのです。対立と不信の根源である「歴史問題の壁」が、崩壊する日が来るかもしれません。それは北東アジアが持続的に成長していく秘訣にもなることです。
 また、北東アジアの葛藤と対立はあくまで平和的な方法で解決されるべきものです。軍事的手段が動員されることがこの地域で二度とあってはなりません。私たちはお互いの政策意図を透明にして、国家間に信頼をもたらす様々な措置を通じて、軍事的紛争を予防しなければなりません。」

<<「社会科教科書」検定基準の改定>>
 これはひとつの重要な、事態を打開する前向きの提案といえよう。下村博文文科相は直ちにこの提案に飛びつき、11/15の記者会見で「大歓迎したい」と賛意を示し、「日中韓の関係大臣が話し合うよう大統領が韓国内で指示してくれれば、(日本も)積極的に対応すべきだ」と積極的に応じる姿勢を示した。
 ところがその同じ下村文科相は直前の11/13、現行の小中高校「社会科教科書」の検定基準について、歴史的事実について政府の見解がある場合は、それらを踏まえた教科書の記述を求めることを「明確化する」方針を固め、新たな検定基準では、尖閣諸島や竹島など領土に関わる問題、慰安婦や南京事件など歴史問題、自衛隊の位置づけなどについて、(1)政府見解や確定判決があれば、それを踏まえた記述をする(2)通説的な見解がない場合は特定の見解だけを強調せずバランスよく記述する-とした方針を打ち出したのである。これは、自民党教育再生実行本部の特別部会が今年6月、「多くの教科書は自虐史観に立つなど問題となる記述が存在する」と指摘したことをうけての検定基準の改定である。
 この改定について韓国メディアは直ちに反応し、特に慰安婦問題に関する記述では「戦後補償は日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決済み」とする日本政府の見解が記述されていない場合、検定通過が困難になると伝え、また、「軍と官憲によって慰安婦が強制連行された証拠がない」との一文が、安倍内閣の統一政府見解という名目で、教科書の義務記述事項になる可能性があり、日本政府は従軍慰安婦問題など過去の歴史に関して、「わい曲した歴史観を次の世代に植え付けようとしている」、「将来世代に公然と嘘を教えようしている」、「日本政府の恥知らずな言い逃れと嘘が、教科書に堂々と掲載される」などと日本政府の検定基準改定の狙いを的確に指摘している。
 さらに安倍政権の教科書をめぐる危険な動きは、道徳教科化にも現れている。11/12付琉球新報社説は「道徳教科化 皇民化教育の再来を危ぶむ」と題して、「文部科学省の有識者会議が小中学校の道徳について、教科化と検定教科書の使用を提言すると決めた。国が一律に徳目を指定するのは戦前の『修身』を想起させる。国のために死ぬことを求めた皇民化教育の再来ではないか。皇民化教育は、沖縄戦であまりに多くの犠牲を生じさせた。その痛切な体験で、国による特定の道徳の押しつけがどんな結果を招くか、われわれは骨身に染みて知っている。道徳教科化は避けるべきだ。…下村博文文科相が『6年前は残念ながら頓挫したが、今回は必ず教科化したい』と、有識者会議で熱弁を振るったのは理解に苦しむ。」と厳しく指摘している通りである。
 問題は、安倍政権のこうした動きが、日本版「国家安全保障会議(NSC)」を創設し、それと一体での成立を急ぐ特定秘密保護法案、「集団的自衛権」の法的基盤の検討と憲法解釈の変更、「武器輸出三原則」の見直し、陸海空3自衛隊3万4千人が参加する沖大東島での離島奪還訓練、等々、危険極まりない安倍政権の緊張激化・軍事力強化政策と密接に連動しているところにこそ存在しており、安倍首相の言う「日本を取り戻す」とは、戦前の「日本軍国主義・ファシズムを取り戻す」ものであり、そのような根本政策が改められない限りは挫折と破綻が運命づけられているものである。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.432 2013年11月23日

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【投稿】4号機プールからの核燃料取り出し開始は「廃炉への第一歩」ではない

【投稿】4号機プールからの核燃料取り出し開始は「廃炉への第一歩」ではない
福井 杉本達也

1.危険な福島第一4号機からの使用済み核燃料取り出し
4号機のプールに入っている燃料体は全部で1,533本、うち水で遮蔽をしなければ大量の放射線を出して周囲の人々に致死量の放射線を浴びせる使用済み燃料は1,331体、新燃料は202体ある。この取り出し作業は、4号機の建屋が爆発で破壊され、強度が著しく不足することとなったため、わざわざ建屋の外側から「使用済燃料取出し用カバー」の設置工事を行い、この桁構造物に移送用クレーンを取り付けて行われる。
移送作業は、燃料プールの中に移送用容器を入れるところから始まる。容器は全長5.5m・直径2.1m・重量は91トンもあり、従来から福島第一原発の構内で使用済み燃料輸送に使われていたものである。この中に一度に22体の燃料を詰めて移送する。吊り上げる際にプール内の瓦礫などに引っかけるなどの危険性もある。容器の密閉作業も全部水中で行わなければならない(最低でも水面下1.6mで)。32mの高さからの落下時の衝撃に耐えられるかどうか。誤って落下した場合、内容物が飛散することも想定しなければならない。
燃料体が露出した場合、そこから強力な放射線が発散し、4号機周辺の空間線量は致死レベルになる。規制委は10月30日に取り出しを認可したものの、実証試験が行われていないということで11月18日に取り出しが延期された。

2.それでも使用済み核燃料を取り出さなければならない
4号機は定期検査中だったにもかかわらず、4階部分と5階部分で2度の爆発を起こした。東電は3号機からの水素が空調配管を伝って4号機建屋で爆発したというが(2011.11.10東電)、1度崩壊した隙間だらけの建屋で2度目の水素爆発が起こるとは考えにくい(「3号機から逆流した水素のみで4号機原子炉建屋が爆発性雰囲気にまで到達するかどうかには慎重に検討する必要があり、かつ、いまだ立証されていない」(『国会事故調報告書』、また、東電はいまだに4号機の爆発の映像を公開していない)。米軍の無人偵察機は4号機プールに水がない(2011.3.16米議会証言)としたが、運よく隣の原子炉の上部(ウエル)が水で満たされておりウエルとプールを隔てた壁が何らかの衝撃で破壊されたことでプールに水が流入し3号機のような水蒸気爆発を伴った核爆発はまぬかれ(しかもむきだしの原子炉3基分相当)、日本は首都圏からの5,000万人避難・東西分断という状況にはならなかった。4号機プールの発熱は事故から2年半経って、崩壊熱自身はかなり減って、510KW/h程度となっている(東電:「福島第一原子力発電所1~4号機に対する『中期的安全確保の考え方』に関する経済産業省原子力安全・保安院への報告について」)。KW/hをKcal/hに直すと860Kcalになる。4号機プールの水温23度(11.12現在)の1,400トンの水を蒸発させるには(+77°+潜熱539°で)、1,400,000÷(510×860÷616)=1,966÷24=82日となる。燃料棒の体数が多いため1~3号機の原子炉や燃料プールと比較すると最も危ない施設ではあるが、冷却水の循環が止まれば明日にでも爆発するというものではなく、地震等がなければ十分対応する時間はある。
4号機プールからの燃料棒の移送は危険な作業ではあるが、放置しておけば日本は壊滅するため、やらねばならないのは確かである。4号機プールは、爆発によって建屋が壊されて宙吊りのような状態になっている。大きな地震でプールが崩れ落ち、中に水を蓄えることができないような状態になれば、燃料が爆発することになり、使用済み核燃料が建屋周辺に撒き散らされれば福島第一原発の敷地内は完全に放射能に汚染され人が近づくことはできず福島第一原発は制御不能となる。少しでも危険の少ないところに一刻も早く移さなければいけない。使用済み燃料はプールの底から空気中に吊り上げると、周辺の人がバタバタと死んでしまうというほどの放射能性物質を持っている(燃料棒直近では2,600シーベルト)。1年~数年の長丁場で、大きな地震が起きない保証はない。原発の最大の恐怖は原子炉ではなく、大量の放射性物質が格納容器にも守られずに1カ所に集まった燃料プールである。そして無事に1,533体を運び終えても、問題が解決したわけではない。1~3号機のプールにはさらに計約1,500体の燃料がある。しかし、溶けたデブリを回収するすべはない。チェルノブイリのような石棺しか道はないであろう。東電は13日、破損した4号機の燃料棒3体について取り出しは困難との発表をした。これは燃料棒全ての回収は不可能だという伏線である。だが、5割であろうが7割であろうが回収しなければならない。さらに、燃料を運び出した先の「共用プール」には、6千体以上の燃料棒で満たされたままとなっている。

3.取り出した使用済み燃料をどうするか
共用プールに移送した使用済み燃料は取りあえずそのままプール内で湿式貯蔵するしかない。その後、崩壊熱が空気冷却出来る程度までに下がった時点でキャスクに入れて乾式貯蔵=「中間貯蔵」することになろう。原子力委員会の依頼を受け検討してきた日本学術会議は2012年9月11日、「高レベル放射性廃棄物」を数十~数百年間「暫定保管」すべきだとの提言を出した(政府の用語としては「使用済み核燃料」=「高レベル放射性廃棄物」ではないが、学術会議は『高レベル放射性廃棄物』とは、使用済み核燃料を再処理した後に排出される高レベル放射性廃棄物のみならず、仮に使用済み核燃料の全量再処理が中止され、直接処分が併せて実施されることになった場合における使用済み核燃料も含む」と定義している)。
ところが、この学術会議の提言を全く無視するかのように、総合資源エネルギー調査会原子力小委員会放射性廃棄物WGではこれまで通り使用済み核燃料を再処理し、再処理後の放射性廃棄物を地中処分する案が検討されている。
8月7日のWGで、委員の朽木修氏(原子力安全研究協会)は放射性廃棄物の地中処分について「廃棄物自体が直接人間に影響を及ぼさないようにするために、非常に厚い岩の壁が本来的に持つ隔離機能で、数百メートルぐらいのものを使おうということになります。」「さらに閉じ込め機能を確実にするために、多重バリアシステムを構築する。」「工学バリアのところで全部が閉じ込められているということを確保したい。オーバーパックは1000年で壊れると。19cmの鉄が全部やられてしまう。ガラス固化体はだんだん溶けてしまう」 と仮定して設計するとする。朽木氏の説明によると、ガラス固化体1本=40kgの放射能は2×10^16(10の16乗)ベクレル(Bq)(福島第一事故で撒き散らされたセシウムに匹敵する)あるが、1000年後には2000分の1の10^12Bq程度に減少し、人工バリアが壊れても岩盤の中に閉じこめられているので人間の生活圏に出てくるまでには数万年かかりその頃には無視できる放射線量になるというのである。しかし、哲学者の加藤尚武氏は「地下の施設の理想的な設計図を作り、理想的な材料を用いて、手抜きのない工事をしたら、1000年間は安全であるのか。私は、それを証明できないと思う。『1000年の安全』を支えるにはさまざまなデータや科学法則が使われる。そのデータと科学法則そのものが、『1000年間有効』という保証がないなら『1000年間の安全設計』は絵に書いた餅で、実際に『1000年間の安全』を約束することはできない。」とし、度重なる地震で建築法規は改正に次ぐ改正を重ねているので、建築物本体の耐用年数よりも、その間の法規の有効年数の方が短く、今、工業的に作られているセメントは150年前に開発されたものであり、1000年間使ってみて安全を確かめたセメントは存在しないという(加藤:「核廃棄物の時間と国家の時間」『現代思想』201203)。コンクリートの寿命について、溝渕利明氏はせいぜい50年程度だと結論づけている(溝渕:『コンクリート崩壊』)。

4.選択肢は「暫定保管」しかない
高レベルの放射性廃棄物を地下深くに埋めて処分する技術を研究している北海道の幌延町の施設で地下350mにある実験用のトンネルを10月28日に報道陣に公開した。しかし、この施設は今年2月6日に大量の地下水が漏れ出し、地下水にはメタンガスが含まれ、濃度が基準の1%を超えたことから、現場にいた作業員24人は全員避難する事態となっていたものである(NHK:2013.2.14)。数十万年後も「大丈夫」と豪語しつつ、明日の地下トンネルの水漏れも保証できないのが現在の(あるいは将来の)工学の水準である。とするならば、やはり学術会議の提言するように「暫定保管」(政府用語では「中間貯蔵」=再処理を前提として「中間」という言葉を使っている)しか道はない。
福島第一原発事故で世界を震撼させたのは3号機燃料プールの水蒸気爆発を伴う核爆発であった。低濃縮ウランでも核爆発するという事実である。しかも、『核兵器』は、ほとんど注目されてこなかった核燃料プールというむきだしの原子炉にあったことである。日本の原発の使用済み燃料のほとんどは核燃料プールで湿式保存されている。しかし、水が介在して核爆発するというのであれば、我々は時限『核爆弾』の上に寝ているのと同じである。何らかの事故で電源が止まるか水がなくなれば時限爆弾のスイッチが入る。一刻も早く使用済み核燃料を乾式貯蔵に移行する必要がある。原発の再稼働を進めたい西川福井県知事は電力消費地との駆け引きから「中間貯蔵」は県外でと主張している。しかし、そう簡単に受け入れ先が決まるとは考えられない。となれば、いつまでも時限爆弾の上で寝なければならない。ではいったいどこに貯蔵するか。当面、原発敷地内しかないであろう。

【出典】 アサート No.432 2013年11月23日

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【投稿】民主党政権の総括—「民主党政権 失敗の検証」を読んで 

【投稿】民主党政権の総括—「民主党政権 失敗の検証」を読んで 

 昨年12月の総選挙から、まもなく1年が経とうとしている。選挙結果は圧倒的な敗北であり、再び、自民党政権が誕生し、かなり意気消沈したというのが、素朴な感想であった。以来、選挙総括や、民主党分析の書物もいくつか出版されてきたが、正直、まともに読むこともなかった。一方、アベノミクスという経済拡大策をもって登場した安倍政権だったが、そろそろ陰りが出始めるとともに、滑り出しは、安全運転だった政権運営も、特定秘密保護法や、原発再稼動問題など、旧来の自民党色が目立ち始め、支持率も低下の傾向にある中、そろそろ民主党問題を考えようかなと、感じ始めていた。
 そんな折、本書「民主党政権 失敗の検証–日本政治は何を生かすか」(中公新書)を手にした。民主党議員、政権時の政務官経験者などに、丁寧にインタビューを行うと共に、項目別に整理され、記載されているなど、一読して見て、中々まとまっているという印象であった。本書の紹介を行いながら、私の関心の高い点を通じて「民主党失敗の検証」をしてみたい。
 
 本書の構成は、以下の通りである。
 序章  民主党の歩みと三年三ヵ月の政権
 第一章 マニュフェスト–なぜ実現できなかったのか
 第二章 政治主導--頓挫した「五策」
 第三章 経済と財政–変革への挑戦と挫折
 第四章 外交・安保–理念追求から現実路線へ
 第五章 子ども手当–チルドレン・ファーストの蹉跌
 第六章 政権・党運営–小沢一郎だけが原因か
 第七章 選挙戦略–大勝と惨敗を生んだジレンマ
 終章  改革政党であれ、政権担当能力を磨け
 
 「はじめ」の項では、「民主党政権はどこで間違ったのか。それは誰の、どういう責任によるものなのか。そこから何を教訓として導き出すべきか。この報告書は、そのような問題関心に正面から応えることを目的としている。」と語られている。全体を通じて、政治的に客観的な立場から取り組まれたと読み取ることができる内容になっている。
  
<マニュフェストと財源問題>
 「消えた年金」問題などを通じて、すでに自民党(自公)政権を国民は見限っていたが、民主党の2009マニュフェストは、子ども手当や農家への戸別補償制度、高速道路無料化、ガソリン暫定税率の廃止など、直接給付や減税政策が多く盛り込まれていた。
 マニュフェストでは、無駄の排除、埋蔵金の活用、税制見直し等で、16.8兆円を捻出し、施策の財源に充当するとされていた。しかし、2012年11月に発表されたマニュフェストの進捗報告によると、初年度は、埋蔵金活用等で、9.8兆円を確保したものの、次年度以降は、6.9兆円、4.4兆円と、財源を確保することができなかった。
 暫定税率の廃止は、早々と撤回されたが、「マニュフェストの後退」「国民への裏切り」「公約違反」の非難が浴びせられることとなった。
 本書では、マニュフェストが党内で共有されていなかったという指摘がある。それは、個々の政策の理解という以上に、マニュフェストの作成過程において、少数の首脳部が作成したこと、さらに2009総選挙で大量に増えた新人議員の中で顕著であったという。
 さらに、個々の政策が、どのような社会をめざすのかというコアな戦略の中に位置づけられていたのか、という点も指摘されている。それは、第五章の子ども手当問題でも取り上げられている。給付金額のみが一人歩きし、(当初16000円案が、小沢が26000円に上げた、という指摘もあるが)、総体としての子ども育成、働き盛りの若年家庭支援の施策との整合性も不十分になり、民主党政権時代に、保育所が増えたという印象も残せなかった。
 
<小沢の評価>
 2003年に小沢の自由党が民主党に合流し、それまでの都市型市民の改革政党というイメージから、保守的階層や地方の票も党の視野に入ると共に、自民党の中枢で「国政」を知り抜いていると意味で、民主党の幅が広がったことは事実であった。
 本書では、特に項を裂いているわけではないが、随所に小沢の果たした役割、そして功罪に触れられている。私が特に注目するのは、政権交代を準備した2007年参議院選挙での役割であろうか。小泉選挙で大勝した自民党は、旧来の支持層をから規制緩和や「改革」中心、都市型政党への傾向を強めた。そこを見抜いた小沢は、参議院選挙戦術においても、地方の1人区での戦いを重視し、地方の疲弊を取り上げて1人区で大勝し、2007参議院での民主党勝利を実現したという。しかし、政権交代後は、むしろ「政治とカネ」の象徴のように、民主党の足を引っ張ることになるのだが。
 民主党政権の「失敗」と小沢の評価との関連は、さらに分析する必要があるだろう。
 
<政治主導は実現されなかった>
 民主党結党時からのスローガンには、霞ヶ関批判が含まれていた。無駄な公共事業批判、自民党政治における官僚主導に対する批判であった。第二章では、官僚主導から政治主導は実現したのか、が取り上げられている。鳩山政権では、事務次官会議が廃止され、議員から100名余りが、大臣・副大臣・政務官として各省庁に配置されることとなった。
 本書によると、各省庁でのこれら政務官の役割などが、省庁間で共有されることはなく、バラバラとなり、官僚の離反もあって、省庁の情報が官邸に伝わらなくなってしまい、逆に、政治主導が言葉倒れになったという。菅政権では、東日本大震災を受けて、事務次官も参加する「被災者生活支援各省庁連絡会議」が設置され、震災対策の進捗状況の共有をはかった。野田政権では、この会議が「各省庁連絡会議」として週1で開催され、事実上の事務次官会議の復活となった。
 
<首相の発言の重み>
 政治主導の極みとして、首相・党代表の発言についても、民主党の混乱の原因を作ってきたと言う。普天間基地の移設問題について、鳩山は「最低でも県外」という発言を、選挙中に発言する。マニュフェストには、沖縄県民の基地負担の軽減云々までの叙述であった。この発言が、鳩山政権を揺さぶり、最終的に辞任にいたった。
 菅は、2010年の参議院選挙を前に、唐突に消費増税の必要性に言及する。自民党案の10%も検討材料、という発言であった。2010参議院選挙で民主党は惨敗するのである。消費税増税問題は、マニュフェストには書かれていない。
 これを引き継ぎ、野田政権は、「決める政治」だと小沢グループの離党など傷だらけになりつつ、3党合意による消費税増税を進めた。
 唐突な首相(代表)の発言に、党内は後から付いていったようだが、果たして党の決定システムとして、妥当であったのか、どうかが検証されるべきだろう。
 
<地方議員の問題>
 本書の中で、分析が不十分だと感じるのは、地方議員の問題である。私は、政権交代時に、民主党の足腰の弱さについて指摘し、政権を握っている間に、地方の体制を強化する、議員を増やす必要について書いたことがある。努力はされていたと思うが、現実には、おそらく微増に止まっているだろうし、大阪では、逆に民主党の混迷もあり、維新の会が躍進し、むしろ大幅に減らしている。旧来の社民党・民社党出身の議員以外に、新たな人材を確保することができなかったのではないか。国・地方を貫く政策目標が、一般的に「分権推進」以上に明確にできていなかったのである。

<二度の政権交代、次もあるか> 
 小泉選挙で大勝した自民党だったが、2007年の参議院選挙で民主党に敗北し、参議院では過半数を確保できず、政権運営に行き詰まり、2009年総選挙で政権の座を失った。今回も、当時の菅首相の下で戦われた2010年の参議院選挙で、民主党は自民党に敗北、ねじれ国会と言う状況を生み、2013年の総選挙で再び政権交代となっている。このパターンでいけば、2016年の参議院選挙が、一つのポイントになるのだろう。
 小選挙区制の下で、大きく票の流れが変化し触れ幅によって、ある政党の一人勝ちという状況が生まれ、政権そのものが交代することとなった。
 2009年の政権交代は、民主党の勝利であったのか、自民党の敗北であったのか、私たちは、むしろ「自民党の敗北」の側面を見ていた。決して、民主党に能力や力があると見てはいなかった。むしろ、少なくとも1994年の細川政権の退場以後、続いてきた自民党(自公)政権を、国民が見限り、民主党にやらせてみようと思ったに過ぎなかった。
 それは、本書でも明らかにされているが、民主党に政権を担当する準備が出来ていたのか、また、政権を運営するための「党内システム」が考慮されていたのか、という議論にも行き着くのである。
 
 本書は、民主党政権が残した成果についても、客観的に評価している。高校無償化や名前は変わったが、子ども手当の増額。NHKが報道した復興予算の無駄使いも、「事業仕分け」の中で生まれた「行政レビューシート」という事業明細の存在から明らかになったという。安倍政権が綱渡りの政策を続けている現在、本書が分析している「失敗の検証」を基にして、さらに議論が深まることが期待される。(2013-11-17佐野秀夫) 

【出典】 アサート No.432 2013年11月23日

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【コラム】変貌する中国–上海を旅して– 

【コラム】変貌する中国–上海を旅して– 

〇10何年ぶりに中国・上海市を訪れた。〇まず驚くのは、高速道路の整備と高層マンションの林立風景であろう。以前は、上海虹橋空港から入国していたが、今回は浦東区の新しい空港、巨大な浦東空港に降り立った。そこから、車で中心部に移動するのだが、高速道路(これは無料のようだった)は、車で溢れ、渋滞に時折遭遇しつつ、ホテルに向かった。〇上海万博の跡地付近を通り、30階はあろうかという高層マンション群をいくつも見た。この風景は、観光地に向かう翌日も遭遇する。建設中のものもここそこにあり、ありふれた風景である。〇1元10円程度だった通貨レートも、16円程度に切り上がり、中国通貨元の価値が上っている。街中の飲食店でも、このレートを考えると安さは感じられず、むしろ日本国内の購買力の印象と比べても、同等のような感覚であろうか。〇滞在中に、何人かの人と会話をしたが、とにかく困っているのは、家賃だという。ツアーガイドの女性も、家賃の高さを嫌って、最近安いアパートに引っ越したとの話だ。独身者同士でシェアする場合も多いという。〇林立するマンション群には、一体どんな階層の人々が住むと言うのだろうか。日本人的感覚なら、ローンを組んで住宅を買うということだろうが、おそらく大半は、富裕層による投資目的なのではないか。街中のスーパーの前で時間を潰していたら、投資話のパンフレットや、マンションや住宅地のチラシを配ってくれるのだが。〇電気店で、サムスン製の携帯電話が売られていたが、円に換算すると、ほぼ日本の国内価格と変わらない。中国ブランドなら、もっと安いかもしれない。〇旧租界である外灘も夕暮れに訪れた。中国の人も多いし、欧米からの観光客も多い。しかし、日本人の姿は、我々以外には、見かけなかった。上海市内の観光地豫園でも同様で、欧米からの観光客ばかりであった。ここにも、日中関係が影を落としているなと感じた。〇市内を移動する際、とにかく車、車である。以前なら、自転車や原付が道路を占領していたが、今は自動車である。高速道路やバイパス的な道路も多く、市内と空港や周辺工業地帯への移動手段は整備されている。以前になかった地下鉄も市内を縦横に走っている(乗る機会はなかったけれど)。空港から市内へは「リニアモーターカー」路線も整備されている。高速道路を走っている限り、ここが本当に中国なのか、という感覚も生まれてくる。北京では大気汚染が進んでいると言うが、上海では、そこまでの汚染という印象はない。〇道路が整備され、車がひしめく表通りから、少し猥雑な市街地を行くと、昔ながらの商店が軒を連ねている一角に出た。手前には、入り口に警備員が配置されている高層マンションがあったが、その直ぐ側に、肉や野菜、魚を売る庶民の商店が並んでいた。そこの人々は、南京東路の歩行者天国を歩く、おしゃれな中国人達とは違い、丁度日本でいう昭和レトロというのか、少々くすんだ服装、高齢者も多く、昔ながらの生活風景である。肉や魚、上海蟹も売られていたが、とても安い値段だった。〇10年一昔というが、この街の、この国の変貌は何だろうか。〇社会主義というものを印象付けるものは、何もなかった。中世中国のお庭や旧宅は観光地として残されているが、今そこにあったのは、街全体が猥雑な都会であった。上海市だけで、人口2300万人。何処に行っても人が溢れていた。帰国後、閑散とした大阪の街中を歩いた時、ちょっと寂しい気持ちになった。(2013-11-18佐野)) 

【出典】 アサート No.432 2013年11月23日

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