【投稿】「東京五輪」〝成功決議〟と大政翼賛化

【投稿】「東京五輪」〝成功決議〟と大政翼賛化

<<危険な曲り角>>
 いよいよ日本は重大な転換期、危険な曲り角に差しかかっている、あるいは既に危険な道を歩み始めているのではないだろうか。
 10/15、衆参両院は本会議で、2020年東京五輪とパラリンピックの成功に向けた努力を政府に求める同一の決議をそれぞれ採択した。決議は、五輪開催を「スポーツ振興や国際平和への寄与にとって意義深い」と位置付け「元気な日本へ変革する大きなチャンスとして国民に夢と希望を与える」と強調するもので、衆院は全会一致、参院は「新党 今はひとり」の 山本太郎氏が反対したのみであった。722人の全国会議員中、民主はもちろん、社民、共産も全員賛成、山本太郎氏ただ一人の反対のみ、99.9%の大政翼賛である。今年6月の東京都議会議員選挙で、共産党の全候補者が「オリンピック招致」に「反対」を明確にしていたにもかかわらず、この事態である。超党派のオリンピック議連・馳事務局長は「国会での五輪に関する決議は共産党も賛成してくれて、みんなで取り組もうとする気持ちが見えた。」と共産を褒め称え、オリンピック担当大臣の下村文科相は「オールジャパンで推進することが重要だ。成功に向け最善の努力を図る」と決意を表明。ここにすでに「オールジャパン」=「大政翼賛」の翼賛政治体制への第一歩が踏み出されたというのは言い過ぎであろうか。
 そもそもこの東京五輪招致は、嘘で掠めとったものである。高濃度の放射能汚染水を太平洋に平然と垂れ流しながら、地球規模の全人類的犯罪を止める術さえ立てられず、事故収束の展望さえ見えない、収拾不能の原発事故を、「状況はコントロールされています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」とそれこそ真っ赤な大嘘をついて、東京に持ち込んだ意図は、まさにこの翼賛政治体制を構築する道具立てとしてオリンピック招致を利用することにあったとも言えよう。
 「オリンピックどころではない」「オリンピックより原発事故に全力を注ぐべきだ」「6000億円を五輪準備に用意する金があったら、原発事故被災者に使うのが筋」という声は福島に限らず、全国に満ち溢れている。いつさらに危険な放射能汚染の拡大が生じてもおかしくない、全世界が注視し、憂慮している福島の事態は、危機的状況を収拾するめどさえ立てられない。最悪の場合、「東京五輪返上」の事態さえ誰もが現実的に予測しうるものである。しかし、そんなことにお構いなしに、こと政治の世界は、一人を除く全政党、全議員が、放射能による「おもてなし」を容認する、「嘘と隠蔽と利権の五輪」を利用する、欺瞞に満ちた翼賛政治に賛同する道へと突き進んでいるかのようである。
 歴史の大転換が、こんなことは大したことじゃない、オリンピックじゃないか、当然賛成すべきだよ、といった、例外と異議申し立てを許さない、ファシズム的な大転換がいかにも当然であるかのように、それと気づかないうちに、それこそあの麻生氏の「ナチスの手口に学べ」手法で進んでいると言えよう。

<<「『意志の力』さえあれば」>>
 このナチスの手法は、安倍首相の10/15の衆参両院の本会議での所信表明演説でも、実にそれとわかる形で明瞭に示された。
 「この道しかない」で始まった安倍首相の所信表明演説、「この道を、迷わずに進むしかない」「ともにこの道を進んでいこうではありませんか」―冒頭で3回も「この道」を繰り返したあげく、結びの段階で、「意志さえあれば必ずや道はひらける」「日本が直面している数々の課題も『意志の力』さえあれば乗り越えることができる」「要は、その『意志』があるか、ないか。『強い日本』、それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。皆さん、共に、進んで行こうではありませんか」と、「意志の力」に4度も言及し、その重要性を訴えたのである。
 安倍流「強い日本」をめざす、規制緩和オンパレードの弱肉強食の新自由主義・市場原理主義路線、アベノミクスによるマネーゲーム・投機経済路線、増税と社会保障切り捨てと格差拡大の大衆窮乏化路線、危険で無責任な原発再稼働と原発輸出拡大路線、「積極的平和主義」なる軍事的緊張激化路線、首相がこだわる憲法改悪、特定秘密保護法、国家安全保障基本法、こうした“富国強兵”政策の拠り所が、「意志の力」なのである。実は、「この道」以外の道を国民に示すことができない安倍政権の行き詰まりと無能こそが、すべてを空元気の精神主義的な「意志の力」に頼る、「要は、その『意志』があるか、ないか」に賭けられている。かつての日本の軍国主義・ファシズム路線が、いよいよどん詰まりに追い込まれてもなお特攻隊と竹槍で本土決戦を企んだ精神主義、「神風」に頼るあの「意志の力」路線である。
 この「意志の力」路線こそ、日本とドイツのファシズム・軍国主義の無謀な侵略戦争の原動力であったことは、全世界周知の事実でありながら、安倍内閣は全世界に挑戦するかのようにこれを再び持ち出してきたのである。
 1923年、ミュンヘン一揆で捕まったヒトラーは獄中で「意志の力は知識よりも偉大である」と悟り、ヒトラーがナチス党政権を樹立した1933年、リーフェンシュタール監督に作らせた映画『信念の勝利』、そして1935年公開の長編映画『意志の勝利』、1938年の『オリンピア』(『民族の祭典』『美の祭典』の2部作のベルリンオリンピック記録映画)で”国威発揚”を煽り、1942年6月 – 1943年2月のスターリングラード攻防戦でソ連軍の大反攻と逆包囲に追い込まれた時のヒトラーの演説「意志の力だ。意志の力を奮い起こせば、不可能はない。諸君一人一人が力を尽くせば、我々は全能の神の御名のもと、再び勝利できるだろう」と語ったあの「意志の力」路線である。「意志の力」といい、オリンピックの利用といい、「意志の勝利」を目指す安倍首相の演説と、不気味なほどに見事に重なってしまっている。おそらく安倍首相はこうした歴史的事実は知らないし、知ろうともしないでのあろうが、期せずして一致してしまったのである。

<<新しいファシズム>>
 今年の8/31に作家の辺見庸氏が、「私のほうからやらせてくださいとお願いして」開かれた講演会「死刑と新しいファシズム 戦後最大の危機に抗して」で冒頭次のように語っている。

 「最近、ときどき、鳥肌が立つようなことはないでしょうか?  総毛立つということがないでしょうか。いま、歴史がガラガラと音をたてて崩れていると感じることはないでしょうか。一刻一刻が、「歴史的な瞬間」だと感じる かつてはありえなかった、ありえようもなかったことが、いま、普通の風景として、われわれの眼前に立ち上がってきている。何気なく歴史が、流砂のように移りかわり転換してゆく。「よく注意しなさい! これは歴史的瞬間ですよ」と叫ぶ人間がどこにもいないか、いてもごくごく少ない。3.11は、私がそのときに予感したとおり、深刻に、痛烈に反省されはしなかった。人の世のありようを根本から考え直してみるきっかけにはなりえていない。政治は、予想どおり、はげしく反動化しています。2013年のいま、歴史の大転換が、まったく大転換ではないかのように、当然のように進んでいます。歴史は目下、修正どころか安倍内閣により「転覆」されています。しかもこの内閣が世論の高い支持率をえてますます夜郎自大になっている。たとえば「君が代」をうたっているかどうか、口パクだけじゃないかどうかということを、わざわざ教育委員会とか、あるいは極右の新聞記者が監視しにきてそれをメモっていく。わざわざ学校や教育委員会に電話をかけて告げ口したり記事化したりする。極右というのも、非常に懐かしいことばですけれども、しかしいまや日常の風景になってしまっている。気流の変化に気がつかないと危ない 例外がない。孤立者がいない。孤立者も例外者もいないってなんでしょうか? ファシズムであり、不自由な状態なのです。」

 辺見庸氏のこの警告は実に正鵠を射ているといえよう。「気流の変化に気がつかないと危ない」事態の進展である。私たち一人一人があらためて問われている「気流の変化」である。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.431 2013年10月26日

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【投稿】暴走する安倍軍拡 

【投稿】暴走する安倍軍拡 

<「ガイドライン」の裏側>
 10月3日、東京で日米の外務・防衛4閣僚による安全保障協議委員会(2+2)が開催され、戦時における自衛隊と米軍の任務を定めた「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)の1997年以来の再改定を2014年末までに完了させることを柱とする共同文書が発表された。
 今回の「2+2」で安倍政権は、尖閣諸島周辺での中国の活動に対抗する緊密な日米同盟を、喧伝することを目論んでおり、岸田外相は終了後の記者会見で、「尖閣諸島が日本の施政下にあり、いかなる一方的な行動にも反対する力強い立場が表明された」と強調。
さらに安倍総理もケリー国務、ヘーゲル国防両長官と首相官邸で会談、「日米同盟の強い絆を内外に示すことができた」とアピールした。
 共同文書では、安倍政権が進める集団的自衛権行使解禁や防衛大綱の見直しなどについて、アメリカは「歓迎し、緊密に連携していく」とした。しかし「日米同盟の強い絆」が本当に存在し、オバマ政権が安倍政権の動きを評価しているか疑わしいものがある。
 この間アメリカは、シリア内戦で化学兵器使用を使用したアサド政権に対する軍事攻撃を企図したが、国内外の反発で断念せざるを得なかった。さらに核開発を進めるイランに対しても、軍事的圧力ではなく外交交渉による解決へと方針を転換しつつある。
 アメリカが最重要視している中東地域でさえ、このように軍事的プレゼンスは弱体化していっている。これに関してはアラブ世界一の「親米国」であるサウジアラビアが、抗議の意として国連安保理の非常任理事国への就任を拒否するという前代未聞の事態が起こり、アメリカの威信は大きく低下した。
 これに拍車をかけたのが、長期化した連邦予算と債務上限法案の店晒し状態である。この影響は多方面に及んだが、日本関連では10月15日から宮城県で実施予定であった陸上自衛隊とアメリカ陸軍の共同演習が中止になった。
 8日からの滋賀県におけるオスプレイを投入しての陸自、海兵隊による共同訓練は、かろうじて実施されたが、オバマ大統領のAPEC出席中止で「アジア重視」の底が見えたのと同様に「同盟の強い絆も金次第」というお寒い実態が明らかになった。
 さらに深刻なのは、アメリカが主体的に準備したシリア攻撃は、巡航ミサイルと限定的な空爆という、自軍の戦死者を出さないことを前提とする計画にもかかわらず、実施できなかったということである。
 アメリカ政府は、イラク、アフガンで泥沼化した地上戦の教訓から、極力犠牲者を抑えるため、武装勢力に対し同地域やパキスタンで無人機による攻撃を常態化させている。
 先日明らかになった国連人権委員会が委託した実態調査の中間集約によると、2004年以降の米英、イスラエルの攻撃により、パキスタンなど3カ国で2千人以上が殺害され、民間人の犠牲者も500人弱に上るという。今後最終報告が提出されれば死者数はさらに増加し、アメリカに対する批判も一層強まるだろう。アメリカはますます「戦争のできない国」になりつつあるのである。
 この様な状況の中では「尖閣諸島に上陸した中国軍をオスプレイに乗ったアメリカ軍が殲滅してくれる」という想定が、いかに非現実的かがわかる。アメリカは、自国民のほとんどすべてが名前も位置も知らない無人島に流す血など一滴も持ち合わせていない。
 今回の「2+2」でも確認されたのは、確固たる領有権ではなく、あいまいな「施政下」という表現である。
 さらに「いかなる一方的な行動」という表現も、現在中国政府が行っている公船による一時的な領海侵犯を含むと解釈するには無理がある。これは逆に言えば、現レベル程度の中国の活動は容認すると言っているのと同じであろう。
 日本政府も尖閣諸島だけではアメリカ軍を引っ張り出せないことは百も承知で、中国軍の侵攻想定地域を与那国、石垣など先島諸島から沖縄本島まで拡大させている。
 最近では、中国軍侵攻の呼び水として右派論壇が「琉球独立論」をやり玉に挙げており、「オスプレイ配備に反対する沖縄県民=国賊」とのヘイトスピーチもネット上を中心に拡散しつつあり、これを放置する政府も同罪であろう。
 2+2でも、沖縄の負担軽減策として、本島東側のアメリカ軍の海上、空域訓練区域の航行制限の一部解除や、返還予定の米軍基地への、地元自治体職員の立ち入りを認めることなども盛り込まれたものの、「辺野古移設」は既定路線であり、真の負担軽減には程遠い。
 日本政府は集団的自衛権行使解禁によりアメリカに恩を売り、その分を対中国で返してもらおう、と目論んでいるのが露わであり、オバマ政権の警戒感を高めているのが現状である。

<進む外征準備>
 安倍総理は、9月の国連総会などで「積極的平和主義」などという歯の浮きそうな美辞麗句で、真の意図を覆い隠そうとしているが、この間の具体的な動きを見れば衣の下の鎧は隠しきれるものではない。
 安倍総理の指示で置かれた、政府内に外交・安保に関する二つの懇談会では積極的軍拡に向けての議論が着々と進んでいる。
 それは、「国家安全保障戦略」を策定するとともに、新防衛大綱策定を進めるための「安全保障と防衛力に関する懇談会」(安防懇)であり、集団的自衛権行使解禁のため実質改憲を合理化する「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)である。
 このうち「安保法制懇」は16日、総理官邸で第3回となる会合を開き、自衛隊の活動を拡大すべき五つの具体例を安倍総理に提示した。
 それは①米国を攻撃した国に武器を供給する船舶に対する強制検査 ②近隣有事での集団的自衛権行使や集団安全保障への参加 ③国連決議に基づく多国籍軍への参加 ④日本への原油輸送に関わる海峡封鎖時の機雷除去 ⑤領海侵入した他国の潜水艦への実力行使という、専守防衛を完全に逸脱し海外での武力行使に道を拓くものとなっている。
 こうした指針に対応する、自衛隊の編成、装備の更新も次々と明らかになっている
防衛省は12月に策定する新防衛大綱に、陸上自衛隊に「水陸両用団」(仮称)の設置を盛り込むことを固めた。
 この部隊は離島などの防衛を任務として2002に新設された、陸上自衛隊西部方面普通科連隊(長崎県佐世保市、700人)を基幹として、14年度に準備隊を立ち上げ、15年度に発足、将来的に3千人規模に増員するとしている。同部隊に配備される、アメリカ製の水陸両用装甲兵員輸送車の取得も予算化されている。
 また防衛省は9日、新型の装甲戦闘車両である「機動戦闘車」の試作車を神奈川県の同省施設で報道関係に公開した。
 この8輪で走る車両は、離島防衛や市街地での対ゲリラ戦闘などで使うことを想定したとして、中国軍の戦車を撃破可能な105ミリ砲を装備しながら、C2次期輸送機にも搭載可能な26tで、戦闘地域への迅速な展開が可能とされている。
 これらの部隊、装備は、島嶼防衛を理由にすれば予算が通る現在の状況を利用した陸自の権益拡大である。対中国では海自、空自の後塵を拝している陸自が、先に述べた政府の侵攻想定地域拡大と二人三脚で演じているパフォーマンスである。
 水陸両用団はアメリカ海兵隊をモデルにしているというが、外征軍である海兵隊は、海軍との一体運用のもと専用の艦艇(強襲揚陸艦など)と自前の航空隊を保持しており、陸自の部隊が海自の揚陸艦に乗るという現在の運用構想では本家と程遠いものがある。今後、米海兵隊に近づこうとするほど、海自、空自との摩擦が起こるだろう。
 「機動戦闘車」も「戦車は船でしか運べないので先にC2輸送機で運ぶ」としているが、「中国軍が占領している島」に輸送機は近づけないし、それ以前にC2が着陸できる滑走路が先島諸島にはほとんどない。
 いずれにしても、「水陸両用団」も「機動戦闘車」も島嶼防衛で使われることはないだろう。英米のみならず、フランス、イタリアなど諸外国におけるこうした部隊、装備の投入例は、海外領土、旧植民地での治安維持や武装勢力の鎮圧、さらにはPKFなどであり、実例からそれらの用途も明らかになっていくだろう。
 安倍総理は今後起こりうるであろう、批判や反対の動きを封じ込めるため、戦時体制指導部たる国家安全保障会議(NSC)の設置や、政府が恣意的に指定した「特定秘密」をマスコミなどに伝えた公務員や報道関係者を厳しく処罰する「特定秘密保護法案」の成立も目論んでいる。
 さらに、安倍総理は中国、韓国、アメリカなどからの懸念をよそに「私を右翼の軍国主義者と呼びたいのなら、どうぞ呼んでほしい」と開き直り、19日には福島県相馬市で「第一次安倍政権で靖国公式参拝ができなかったのは痛恨の極み」と述べ、挑発的言動を繰り返している。
 臨時国会で平和勢力には安全保障問題に関しても、安倍政権を厳しく追及することが求められている。(大阪O) 

【出典】 アサート No.431 2013年10月26日

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【投稿】大飯原発敷地内の「活断層」はシロか

【投稿】大飯原発敷地内の「活断層」はシロか
                        福井 杉本達也 

1 大飯原発「活断層」に「シロ」判断?
 9月3日の各紙は大飯原発の敷地内断層を調べた原子力規制委の有識者調査団は9月2日評価会合を開き、関電が「F-6」と呼ぶ3、4号機の重要施設の下を通る破砕帯(断層)は「地盤をずらす可能性のある断層(活断層)ではない」との認識で一致したと報じた。これを受け規制委は5日、3、4号機の定期検査後の再稼働に向けた安全審査を再開することを決めた。昨年10月から3回の現地調査と、5回の会合を重ねてきたが、有識者の間で見解が一致せず、1年間、決着が見られなかった。国内の6つの原発で進められている断層調査の中で、活断層の可能性を否定するケースとなった。報道で特に注目されたのは、大飯原発敷地内の「活断層」の疑いを早くから指摘していた変動地形学の渡辺満久東洋大教授(「大飯原発直下・破砕帯 県に調査求める」福井新聞2012.6.2)を含む有識者調査団全員が「活断層」ではないという見解で一致したという点である。
 評価会合で争点となっていたのは、3、4号機用の非常用取水路の真下を横切る断層が活断層か否かであった。関電は今回、敷地を南北に走ると推定される「F-6」破砕帯を切る形で、1、2号機のすぐ北西背面の山頂に南西―東北方向の長さ150m・深さ約2mのトレンチ(溝)を掘ったが、山頂であるため当然ながら上層部には地層がない。そのため応力場等を考慮して活断層かどうかを判断せざるを得ない。これは渡辺氏の専門分野外である。有識者の1人・構造地質学の専門である重松紀生産業技術総合研究所主任研究員が活断層の可能性を否定したので、渡辺氏と他の有識者は重松氏の意見を尊重したという流れである。

2 関電が恣意的に活断層評価の「土俵」をずらし、「F-6破砕帯」を“幻”に
 原発施設の下を横断しているため、「F-6破砕帯」の調査は容易ではない。関電は、「Fー6破砕帯」の北端、原発から約200メートルの海沿いにある「台場浜」付近にトレンチを堀り、調査団は2012年11月2日に現地調査で断層を確認した。渡辺氏らは台場浜トレンチの断層について、「将来の活動性が否定できない」=活断層ではないかという見方を強く持ったが、「地すべり」を主張する岡田篤正氏(立命館大学)らと意見が対立した。 しかし、これを受け、朝日新聞など各紙は「運転停止し詳細調査を」と主張した。
 ところが、関電はこの2回目の評価会合で、それまでとは全く異なる主張を繰り広げた。「F-6破砕帯」の位置が異なっていたというのである。だがこの報告はほとんどマスコミでは報道されなかった。唯一、福井新聞だけが「関電は説明で、F-6断層が想定よりも東側を走り、900メートルとしていた長さも600メートルと修正した」(福井:2012.11.8)と記事にした。「F-6破砕帯」は大飯原発2号機と3号機の間の敷地中央から北の海沿い台場浜の方向に伸びるのではなく、北北東方向にずれており、しかも海にまでは達せず1、2号機背面の山腹の途中までで終わっているというのである。「F-6破砕帯」はそもそも、1980年後半、大飯3、4号機の設置変更許可申請時に、関電が自らの調査によって示したものだった。それを、今になって、断層はそこにはなかった、「F-6破砕帯」の位置が違うというのである。これまでの「F-6破砕帯」は“幻”であったというのである。関電のこの活断層調査の「土俵」自体を自らの都合の良いようにずらした報告書により、台場浜トレンチとの関連性は葬り去られた。台場浜のトレンチで発見された地層のずれが「活断層」の痕跡であろうが、「地滑り跡」であろうが「F-6」破砕帯の方向とは違う場所であるということで評価の対象外となってしまったのである。活断層評価の争点は関電が「F-6破砕帯」の「土俵」を東側にずらした非常用取水路の下に見つかった新しい断層一本に絞られ、結果的に「F-6破砕帯」全体が活断層ではないと否定されてしまったのである(参照:IWJ Independent Web Journal 「渡辺満久東洋大学教授インタビュー」 2013.9.3)。

3 活断層の「松田時彦の式」の誤用
 原子力発電所の設計の基準では、近くにある活断層を調べて、その活断層が起こす最大の地震を想定して、それに耐えるようにしている。原子炉、炉心冷却装置など放射性物質を内蔵している機器は、このような限界地震に襲われて、機器が変形してしまっても、安全機能を保持すること。つまりその場合でも、最悪の事故だけは回避せよと求めている。 そのため、建設地の近くにある活断層の長さを見積り、その長さから、地震地質学者で東大地震研究所の松田時彦氏が作った「松田式の計算式」を使って、将来起こりうる地震のマグニチュードを計算して、M6.5におさまるかを確認している。しかし、この松田の式は、曖昧さが大きくて実際に起こりうる地震よりも、ずっと小さなマグニチュードが計算される場合もある。松田氏は、過去に活断層が起こした地震のマグニチュードと、それぞれの活断層の長さについて、横軸にマグニチュード、縦軸に活断層の長さをとって相関関係を研究した。雲のようにぼんやりとした形ながら右上がりの傾向が読みとれる。最小二乗法のようなデータ処理の手法で、この雲全体にいちばん当てはまる右上がりの直線を描いて、それが「マグニチュードと活断層の長さの関係」の式とされているのだが、いかにもデータが少ない。しかも、いったんこの式が出来てしまえば、「活断層の長さが分かれば、その長さからマグニチュードが計算できてしまう」ことになるのだが、実際は小さな地震が起きることもあり、ずっと大きな地震が起きる可能性もあり得る。つまり長さ何キロの活断層があるからマグニチュードがどのくらいの地震しか起きないとは言えない。さらに、一般的には活断層の長さが長いほど大きな地震を起こす。ところが実際の活断層は途切れたり、曖昧になったり、枝分かれしたりしながら、延々と続いていることが多い。その活断層のうち、どれだけの長さの部分が関与して地震を起こすかという判断は学者によって大幅に違う(島村英紀『「地震予知」はウソだらけ』・『人はなぜ御用学者になるのか』)。

4 大飯原発で活断層3連動地震も
 原子力規制委は10月2日、大飯・高浜2原発の周辺を通る3つの活断層(高浜原発北20キロ沖の海底断層「FO-B断層」・高浜原発沖から大飯原発のすぐ北東・小浜湾の入り口にまたがる海底断層「FO-A断層」・大飯原発の東南東・小浜市から若狭町にまたがる「熊川断層」)について、関電の連続せず、連動して地震を起こさないという報告を認めず「都合のいい解釈をしている」と批判した。関電の調査では「FO-B断層」・「FO-A断層」・「熊川断層」はそれぞれ切れており連動して動くことはないとしているが、「FO-A断層」と「熊川断層」の間の小浜湾の海底調査はおざなりとなっている。これらの断層が連動して動けば総延長は63キロにもなり、“幻”の破砕帯の1本は否定されたものの、大飯原発敷地内にあると思われる無数の破砕帯も連動して動かざるを得ない。また、敷地海岸沿いの台場浜は場所によって海岸線の高さが異なっているが、これは海底の大きな断層が動き、土地が隆起した証拠である。海底断層が動いた時に、敷地がかなり隆起して傾くこととなる。その時大飯原発は耐えられるのか。 

【出典】 アサート No.431 2013年10月26日

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【投稿】堺市で維新敗北 都構想に赤信号

【投稿】堺市で維新敗北 都構想に赤信号

去る9月29日投票の堺市長選挙では、大阪都構想に反対する現職の竹山修身氏が当選を決めた。
(竹山修身(無所属)198,431票 西林克敏(維新)140,569票)

今回の選挙の特徴は、投票率が大きく伸びたことであろう。投票率は50.69%であった。堺市長選挙の投票率は、前々回32.39% 前回が43.93%であり、4年前の選挙から7%近い伸びとなった。増えた票が竹山陣営に大きく流れたのである。従来、無党派層票の大半を獲得してきた維新戦法は堺市では全く通じなかった。大阪都構想に対する拒否の姿勢を堺市民は示したと言える。
竹山陣営は、「堺はひとつ!」「堺をなくすな!」と、大阪都構想による堺市の分割反対のみを掲げた。一方の橋下維新は、大阪市の解体によって「一つになる大阪」に堺も合流することで、堺が発展できると主張した。堺分割論は元々受けが悪く、この問題を回避して、論戦を挑む道もあったはずだが、橋下が押し切り、大阪都構想1本勝負とも言うべき戦略に出たことが、裏目に出た。橋下維新の戦略的敗北である。下降期には、情勢が読めなくなる、人気がまだあると思い込む、強気発言連発で人気を博してきたが、落ち目になっても、それが通用すると考える、まさに「負け」パターンにはまったわけである。
ただ、これで橋下維新の流れを止めたと喜ぶわけにはいかない。今後3年間は国政選挙が望めない中、橋下維新は、これから2015年4月のリミットまで、大阪市解体に向け必死になるだろう。
一方、勝利した竹山氏だが、バラマキ政策はあっても、都市戦略は皆無という人物である。今後「堺の停滞」は約束されたも同然である、と私は考えている。

<維新、慢心の選挙で敗北>
実は、竹山陣営の政策には、政令都市のメリット云々という表現はあるものの、具体的な都市政策は無いに等しいものだった。中心市街地の活力低下は目を覆うばかり、北大阪や阿倍野の商業施設に人々は流れ、北区を除いて人口も減少。活力を失った泉北ニュータウンは、高齢化と人口減少が同時進行している。課題は山ほどあるのに、対応できていない。本来こうした課題、その解決策をめぐる論戦こそ市長選挙に求められていた。
しかし、橋下維新自身も、この論戦を回避し、大阪都構想の是非を中心においた。竹山陣営も同様に政策は「堺はひとつ」のみ。堺における大阪都構想問題には決着は着いたのであろうが、シングル・イシュー選挙は、堺市民にとっては、不毛な選挙であったとも言えるのではないか。

<大阪都構想の行方>
今回の選挙について、大阪都構想が問われた選挙であるとマスコミは伝えてきた。大阪府・大阪市では、特別区設置のための法定協議会が設置され、区割り案・財政調整の段階にあって、2015年4月までに大阪市の特別区への移行ができるかどうか。この動きに、同じ政令都市堺市が加わるのか、どうかは、確かに大きな焦点であった。
選挙の結果で、堺市の大阪都構想への参加は閉ざされた。2015年4月までに、住民投票を行い大阪市を特別区に移行させるという方針は、堺市長選挙の敗北によって勢いを挫かれたのは事実だろう。
2015年4月は、次の統一地方選挙がある。この時点までに、住民投票を終えるというのが、橋下維新のもくろむ大阪都構想スケジュールであろう。しかし、区割り案も財政調整策も、現時点でまとまっていない。大阪市会では、維新派だけでは過半数に及ばず、公明の同調が必要条件と言える。今回の堺市長選挙で、公明は自主投票と表明していたが、明らかに公明票は竹山支持にまわった。政権与党の自民・公明が、維新をけん制したということも考えられる。公明が自公路線を貫き、大阪市会でも維新派が孤立する場合、大阪都構想の実現は有り得ないのである。
橋下の大阪府知事当選に始まる大阪の停滞、人権無視、地方自治の破壊、不正常な労使関係などを生み出した維新勢力の解体に向けて奮闘しなければならない。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.431 2013年10月26日

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【コラム】ひとりごと–消費増税、社会保障に回らず–

【コラム】ひとりごと–消費増税、社会保障に回らず–

〇安倍政権は、来年4月から消費税を3%引き上げ、8%とすることを表明した。すでに、民主党政権時代、3党合意によって消費税の引き上げは法律化されていたが、引き上げの判断は、経済情勢等を勘案し、時期については時の政権が決定することとなっていた。〇来年4月から3%引き上げとする場合、準備期間を半年として、現政権は10月にその判断を行うとの意思表明を行ってきた。〇9月に発表された4-6月期の実質国内総生産(GDP)は前期比年率換算で3.8%増に上方修正され、消費税増税によるGDPのマイナスを吸収できると判断したと伝えられている。〇確かに、経済指標は経済の好転を示してはいるが、それは賃金や社会保障の拡充等による、国民の安心感とは繋がっていない。財政再建のための消費税増税に理解を示す世論がある一方で、増税による生活不安を心配する声も少なくない。〇円安や株価の上昇で、富裕層には余裕が出てきているかもしれないが、非正規労働者が全体の4割に届こうとしている就労環境では、不安が先に立つのは当然であろう。〇さらに、増税による景気後退リスクに対して、5兆円の経済対策を行うと安倍首相は表明した。それも、復興特別法人税の前倒し廃止や、設備投資への減税など、企業向けが4兆円というから、国民生活に目が向いていない内容であろう。〇住民税非課税世帯に一人1万円の給付金も含まれているというが、バランスが悪い。〇綱渡りのアベノミクスだが、2年間で2%の物価上昇をめざせば、2年後には物価で2%、消費税で3%、さらに2016年10月から5%の増税ということになれば、国民の負担は増えるばかりである。加えて、経済が下降を始めれば、これで安倍政権の命運も尽きるかもしれないが。〇国民負担ということでは、2015年4月から介護保険負担がさらに増える。〇一定の所得がある高齢者には、現行の1割負担を2割するという案が出ている。さらに、生活保護基準が8月から見直され、3年かけて引下げの予定である。〇年金も、この秋から年金スライド修正ということで、順次額が引下げられることが決まっている。〇国民健康保険も、現在の市町村から都道府県が保険者となる制度改革が準備されており、これまで自治体が繰り入れてきた部分がなくなり、全体的に保険料は値上がりすると言われている。〇このように、消費税増税によっても、その税源が社会保障に廻るのかどうか、はなはだ疑問という状況である。〇与党で衆参過半数を背景に、やりたい放題が始まっているのである。〇ここでは、詳しく展開できないが、「経済特区」の中に、解雇し放題の特区を画策したり、派遣労働の3年期限の撤廃を持ち出すなど、不安定労働、非正規労働を拡大しようとしている。〇安倍政権になってもうすぐ1年になるが、一層批判を強める必要があろう。(2013-10-20佐野)

【出典】 アサート No.431 2013年10月26日

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【投稿】安倍首相の大嘘とナチスの手口  —汚染水虚言の深刻な泥沼—

【投稿】 安倍首相の大嘘とナチスの手口  —汚染水虚言の深刻な泥沼—

<<「憤りを禁じ得ない」>>
 9/20、福島原発事故で全域が避難区域に指定されている福島県浪江町の町議会は、東京電力福島第1原発の汚染水問題を巡り、安倍晋三首相が国際オリンピック委員会(IOC)総会で「福島について、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況はコントロールされています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」「健康問題については今までも現在も将来も全く問題ない」などと発言したことについて、「事実に反する重大な問題がある」とする抗議の意見書を全会一致で可決した。意見書は、首相の発言は全く事実に基づいておらず、原発から1日推計300トンの汚染水が流出している「深刻な事態」であり、これは「非常事態」であり、「『コントロール』『(港湾内で)完全にブロック』などされていない」と厳しく指摘し、安倍首相が「健康への問題は全くない」と発言したことに対しては、浪江町だけで震災関連死が290人を超えるとし、首相に「避難生活の息苦しい日々を知らないのなら、現場の声を真摯に聞くべきだ」と訴え、「(首相の)無責任な発言に強く抗議する」と明言、「福島を軽視する政府、東電に憤りを禁じ得ない」と心底からの怒りを表明している。
 意見書はまた、民主党政権時代に出した「事故収束宣言」を早急に撤回し、原発からの汚染水漏れを、国が自らの国民に対する責任として、直接、解決するよう求めている。町議会は同日、首相や環境相、経済産業相ら政府関係者8人宛てに意見書を発送している。安倍内閣はこれにどう応えるのか、厳しく問われている。

<<「真実は嘘の不倶戴天の敵」>>
 当初この暴言ともいえる大嘘は、経産省や原子力村にていよく丸め込まれた安倍首相が事態の深刻さを何も知らずに乗せられて発言したのかとも思われたが、嘘とわかっていながら嘘を突き通す確信犯なのである。
 首相がこの大嘘を発言したのは、9/7のアルゼンチン・ブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会の五輪招致プレゼンテーションの場であった。その直後から国内外から多くの疑問の声が沸き起こり、9/13には東電自身が「今の状態はコントロール出来ていないと我々は考えている」(山下和彦フェロー)としており、いくらでも検証できたのであるが、プレゼンから2週間近く経った9/19、安倍首相はわざわざ福島第一原発を訪れ、汚染は「港湾内に完全にブロックされており」「健康問題については、今までも、現在も、そして将来も、まったく問題ない」はずなのに、ものものしい防護服で身を完全ガードするしかない重装備の姿を晒しながら、放射能汚染水漏れの現場を視察し、そこでも改めて汚染水の影響が一定範囲内で「完全にブロックされている」といけしゃあしゃあと述べたのである。
 しかも、首相は、現地をごく短時間、たった2時間半しか視察しておらず、東京から同行した海外メディアと大手マスコミの「安倍番」記者とだけ会見し、被災を受けた浪江町の町民だけではなく、地元の報道機関とさえも会見を行わなかったのである。そしてその翌日に浪江町町議会全会一致の抗議の意見書を突き付けられたのである。
 こうした安倍首相の意図的な言動に明らかになったことは、「もしあなたが十分に大きな嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう」というナチス・ドイツ宣伝大臣ヨゼフ・ゲッベルスのあの卑劣な手口なのである。ゲッベルスは1936年のベルリンオリンピックを一大宣伝ショーとして演出の総指揮を取り、現在の形式の聖火リレーはこのベルリンオリンピックから始まっているという。そのゲッベルスの手口をそのまま安倍首相は引き継ごうとしているといえよう。そして麻生副総理のヒットラーの「あの手口を学んだらどうかね」発言が、その提言通り、安倍首相の発言と行動に現れている。
 ゲッベルスは「嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう」と述べた直後に、「嘘によって生じる政治的、経済的、軍事的な結果から人々を保護する国家を維持している限り、あなたは嘘を使える。よって、国家のために全ての力を反対意見の抑圧に用いることは極めて重要だ。真実は嘘の不倶戴天の敵であり、したがって、真実は国家の最大の敵だ。」と述べている。
 「あなたは嘘を使える。よって、国家のために全ての力を反対意見の抑圧に用いることは極めて重要だ」という次のナチスの手口が、安倍首相がこだわる憲法改悪であり、秘密保全法であり、国家安全保障基本法であり、すべての人権規定を自民党改憲草案に明記されている「公益及び公の秩序」によって「反対意見の抑圧に用い」て、破壊し、真実を覆い隠すことなのであろう。

<<「国家最大の敵」>>
 だがこうした目論見は、厳しい現実と真実の前に破綻せざるを得ないであろう。
 安倍首相がいくら覆い隠そうとしても隠しきれないフクシマの現実と真実が厳然として立ちはだかっているからである。
 第一に、首相がオリンピックプレゼンで、「事実」を見ていただきたいと大見得を切りながら、「汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の、0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」と述べたことからして、全くの大嘘なのである。
 7月以来、汚染水漏れが次々に発覚、8月19日には、貯水タンクから、当初「少なくとも120リットル」と推定していたものが、実は毎日300トンもの高濃度汚染水が大量に漏洩したことが発覚、この高濃度汚染水は、1リットルあたり8000万ベクレルにも達し、原子力規制委員会は、8/21、この事故を国際原子力事象評価尺度(INES)の「レベル3(重大な異常事象)」に該当すると発表せざるを得なくなったのである。
 さらに東電自身が、9/1、一日あたり港湾内の海水の44%が港湾外の海水と交換されていることを明らかにした。つまり「0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」はずの港湾内の汚染水は毎日半量近くが外洋へ、太平洋へと垂れ流されており、首相の発言は完全に覆されてしまっているのである。しかも港湾内だけではなく、貯水タンクから漏れ出た汚染水が側溝から港湾外の直接外洋に太平洋に垂れ流されていることまで明らかになっている。
 そして9/18には、国際原子力機関(IAEA)の科学フォーラムで、気象庁気象研究所の青山道夫主任研究官が東京電力福島第1原発の汚染水問題について、原発北側の放水口から放射性物質のセシウム137とストロンチウム90が1日計約600億ベクレル、外洋(原発港湾外)に放出されていると報告している。歴史的に見ても、これほど大量の高濃度の汚染水が長期間漏れ続けている事態は過去に例がないのである。
 さらに当然ではあるがトレンチに大量に流れ込んでいる高濃度汚染水を含めこうした放射能汚染水が、地下水に到達していたことまで明らかになっており、漏洩している場所を確認、特定することすらできない、汚染の規模は計り知れず、従って歯止めをかけるすべさえ立てられない、東電はもちろん、原子力規制委員会も、経産省もどこも、誰も汚染水の全体像を把握できていないのが真実なのである。
 第2の嘘は、「食品の安全基準は世界で一番厳しい」という、全くでたらめな嘘である。現在、日本政府の食品中の放射性物質に関する基準値は、食品からの被曝線量の上限を年間1ミリシーベルとし、野菜や米などの一般食品は1キロあたり100ベクレル、牛乳や乳児用の食品は1キロあたり50ベクレル、飲料水は1キロあたり10ベクレルであるが、チェルノブイリ原発事故後のウクライナでは、パンは1キロあたり20ベクレル、野菜は1キロあたり40ベクレル、飲料水は1キロあたり2ベクレルと、日本の数倍も厳しい基準値を導入している。こんなことは調べればすぐにでも分かる嘘なのに、平然と嘘をまかり通らせようとしている。
 第3の嘘は、「食品や水からの被曝量は、日本のどの地域においても、100分の1である」という大嘘である。「0.3平方キロメートルの港内」ではこれまで1キロあたりのセシウムが71万ベクレルというアイナメが見つかっているが、その港の外の20キロ先で捕れたアイナメからも2万5800ベクレルが検出されている。そして東北地方全域で基準値を超える食品が多数報告、確認されており、「福島県二本松市でも、家庭菜園の野菜などを食べ、市民の3%がセシウムで内部被ばくしている。」(木村真三・独協医大准教授、9/9付毎日新聞)現実を全く無視する、これまた大嘘なのである。
 さらに重大な第4の大嘘は、「健康問題については、今までも、現在も、そして将来も、まったく問題ない」と述べたことである。これほど福島県民を傷つける大嘘はないといえよう。8/20、福島市で開かれた県民健康管理調査検討委員会の席で2012年度の検査結果の中間報告がなされ、前回6月には12人だった甲状腺がんと確定診断された子供の数が、今回、新たに6人増えて計18人になったことが明らかになっている。子供の甲状腺がんの罹患率は、100万人に1人といわれており、福島県の人口が約200万人、そのうち今回の調査の対象の子どもたちは約36万人、明らかに人数が異常に多く、この事態を「今までも、現在も、そして将来も、まったく問題ない」と嘘をつき通す安倍首相の神経の底知れぬ異常さこそが際立っているといえよう。
 こうして真実を「国家最大の敵」とすることとなった安倍首相は、もはやこうした大嘘を撤回も修正もできないところに自らを追い込み、深刻な泥沼にはまり込んでしまったといえよう。
 安倍首相に「人々は最後にはその嘘を信じるだろう」という淡い期待を抱かせない、こうした虚構が崩れ、挫折せざるを得ない、広範で粘り強い闘いこそが要請されている。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.430 2013年9月28日

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【投稿】何故今リニア新幹線か-原発再稼働を側面から支援するJR東海

【投稿】何故今リニア新幹線か-原発再稼働を側面から支援するJR東海
                                福井 杉本達也 

1 「オリンピックまでにリニア新幹線を」とはしゃぐ官房長官・マスコミ
 9月18日JR東海は2027年に名古屋まで開業するリニア中央新幹線の詳細ルートを公表し、環境影響評価準備書を沿線自治体に提出した。13年度中に国の認可を得、来年度にも単独で工事着工したいというのである。工費は品川-名古屋間で5兆4千3百億円、大阪全面開業までで9兆円もかかるという。これに菅官房長官は「五輪には海外から多くの人々が日本を訪れる。我が国を代表する技術・リニアに部分的に乗っていただければ」(日経:2013.9.19)と語り、経団連の米倉会長は「東京五輪までに名古屋まででも、乗れるようになればいい」(朝日:9.19)とさらに踏み込んだ発言をしている。ところが、当事者のJR東海山田佳臣社長の発言は「どうみても2ケタの年数はかかる。鉄腕アトムが一緒に掘ってくれれば別かもしれないが」と語り、かなり慎重である。リニアの全長286キロの86%もが地下を通るためである。中でも南アルプスを貫通する25キロのトンネルは最難関である(朝日:同上)。

2 原発数基分の電力を消費するリニア
 現東海新幹線は1964年・東京オリンピックに合わせて開業した。しかし、リニア新幹線はどう考えても9月7日に決定した7年後の2020年オリンピックには間に合いそうにもない。 ではなぜ今リニア新幹線なのか。JR東海はJR東日本のような自前の発電所を持っていない。新幹線に必要な電力の全ては電力会社から供給を受ける必要がある。目的は浜岡原発・柏崎刈羽原発の再稼働にある。リニア新幹線は大量に電力を使う(リニアの超電導は電気抵抗ゼロの技術だか、電気消費は減るどころか増えるリニアは車輪走行をしない。強力な超電導磁石で車体を地上から10センチ浮上させ、時速500Kmで地表を「飛ぶ」超電導磁石はリニアの各車両には搭載されている。そして、リニアが走る両脇の壁に設置したコイルに電流を流すとコイルが電磁石となり、車両の超電導磁石との間で吸引と反発が同時に起こり車両が動く超電導とは、極低温では電気抵抗がゼロになり電流が回路内を永久に流れる現象を言うが、リニアではその実現のため、各車両に、液体ヘリウムでマイナス269度にまで冷却する冷凍庫を設置し、超電導磁石を格納する)。JR東海の公式発表では「リニアの消費電力は東海道新幹線の約3倍」であるという。しかし、伊藤洋山梨県立大学教授が、乗客一人を運ぶエネルギーを基に計算した結果、「リニアには原発4基分の電力が必要」と推計する。JR東海がリニアのために原発を稼動させると公に明言したことはない。だが、リニアと原発の関係は否定できない。というのは、山梨県のリニア実験線の主な電力供給先は東京電力・柏崎刈羽原発(新潟県)89年に山梨県への実験線誘致が決まった後、実験線に電力を供給する東山梨変電所に柏崎原発からの高圧線が敷設されている(樫田秀樹:「夢の『リニア新幹線』は第二の原発か」)。
 JR東海の公式発表では、JR東海が2011年5月に発表したリニアの電力消費量は 約27万KW(東京―名古屋開業時、ピーク時:5本/時間、所要時間:40分 約74万KW(東京―大阪開業時、ピーク時:8本/時間、所要時間:67分 時速500km走行時の1列車(16両編成)の想定消費電力は、約3.5万KW であるが、「3.5万KWとは平坦地走行中」と説明している。つまり、1時間あたりリニアが走行に使う平均的な電力ということである。問題は最も電力を要する発進時の最大電力=ピーク時の電力を明らかにしていない。しかし、磁気浮上に至るまでの加速時の消費電力(KW)がバカ喰いである。磁気浮上するまでの数分間の瞬間電力KWがドイツのトランスラピットと極端に変わらないと仮定すると瞬間最大電力(KW)は50名定員1両あたり10000KW。東海道新幹線の定員100名16両編成に合わせると、リニアモーターカー1編成32両の瞬間最大電力は32万KW。東京=名古屋間を上下線5本ずつ、計10本走らせたとして、浮上前加速状態が3本重複した場合「32万KW×3本=96万KW」(OKWAVE:リニアモーターカーの消費電力)との計算になる。大阪まで全線開通となると最低この倍は必要となる。やはり原発数基分の電力が必要となる。

3 架空の電力重要の作りだし
 今年の夏は猛暑であったにもかかわらず電力需要は伸びなかった。この間原発は大飯原発3,4号機235万KW(117.5万KW×2)が動いているだけであった。それも9月15日に定期検査のため停止した。再び原発の稼働は「ゼロ」になった。このままでは原発は必要がないといわれてしまう。この時期にリニア計画を発表したのは膨大な架空の電力需要を作りだし、原発の再稼働につなげたい思惑が動いていると言える。
 福島第一原発事故の直前まで、電力会社はガス会社に対抗し、オール電化住宅(IHクッキングヒーターやエコキュート)ということで新規の電気需要を作ろうとした。また、電気自動車が今後の自動車の主流になるというキャンペーンを張り、各地に無料で充電スタンドなるものを作った。しかし、価格が高く航続距離が短く、特に冬の暖房に余計な電力を消費するなど問題だらけであり実用化にはほど遠いものとなっている。さらに、「地球温暖化対策」という旗も色あせてしまった。日本政府は2013年度から京都議定書で約束した6%の温暖化ガスの削減目標から離脱し、政府の削減目標もなくなってしまった。「原発でCO2削減」という言葉は使えなくなった。原発の再稼働を進めるには新たな旗が必要なのである。

4 原発再稼働に向け旗を振るJR東海・葛西敬之会長
 JR東海の葛西敬之会長はかつての中曽根内閣時代の国鉄分割民営化・国労解体の立役者であり、安倍晋三応援団の1人で、嫌中・嫌韓・買弁でも安倍と一致している。葛西は8月3日、「日本原子力学会シニアネットワーク連絡会」の「原子力は信頼を回復できるか?」と題したシンポジウムにおいて基調講演を行い、「安全を過度に追求したら、経営のバランスを欠く」とし「原発の再稼動ができなければ、燃料費を圧縮できず、ジリ貧状態」なる。「これが経営の面からも原発再稼動を早急に行わなければならない理由だ。」とし、「『放射能への過剰な恐怖感』を民主党政権は生んだ」が、「人体に影響がある可能性は少ない。一歩踏み込んで『大丈夫だ』。」原発の「停止は長引くだろう。このまま国富が流失すれば、経済への悪影響は間もなく出てくる。」と述べた。さらに除染基準についても「現在、福島で年1ミリシーベルトまでの被ばくに抑えるとしている。これは実現不可能で…この基準の設定には、科学的根拠はない」とし、さらに賠償についても「基準を明確にせず、またすべてを東電に負わせるという形のために…無規律な状況に陥っている。何でも東電に補償させようとしている」と述べ、これを「是正しなければ、アベノミクスは原発、エネルギー政策で失速する。政権は英断を持って、悪しき政策を是正してほしい。」とアジっている(「アゴラ」2013.8.6)。
 葛西のいうように、汚染された地域の除染は不可能ではあるが、放射線被曝の年間1ミリシーベルトの設定には科学的根拠はあり、それを超す地域で長期間に亘り生活することは危険である。1ミリシーベルト以上の地域からは少なくとも子どもと若い親は一刻も早く避難すべきである。しかし、高齢者の場合には住み慣れた土地を離れたくない者もいるだろうし、地域を離れた場合、ストレスで病気が進行する者もいる。その場合チェルノブイリ事故で当時のソ連政府が取ったように、1~5ミリシーベルトの汚染地域は選択的避難地域とすべきであろう。もちろん現在日本政府が行っている5ミリシーベルトを超す地域に住まわせることは許されることではない。そして、その土地を離れざるを得なかった者には全て、住居を補償し、就職を斡旋すべきである。葛西は2011年9月に原子力損害賠償支援機構運営委員会委員に就任しているが、賠償について「何でも東電に補償させようとしている」という発言はとうてい許されるものではない。
 ところで、リニア新幹線に超電導磁石を収める冷凍機は1車両に2機搭載するというが、この搭載予定の『ギホードマクマホンサイクル冷凍機』は、まだ特許出願段階で開発途上であり、冷凍機にヘリウムガスやチッソを補充しないでは列車の複数回使用はできない。しかも、その冷凍機を冷やす電源は実験線では車内に積んだガスタービンエンジンによる電力であり、外部電源を使っての冷凍は今後の課題だというのである(樫田秀樹「疑問だらけのリニア新幹線」『世界』2012.9)。全くの噴飯物である。夏の電力需要も少ない、地球温暖化対策ともいえない、LNG発電・石炭火力発電の方が競争力あるとなると、原発再稼働を推進する側の旗色は悪くなる一方である。このため、オリンピックやリニア新幹線といった様々な目眩ましが今後ますます必要となるだろう。 

 【出典】 アサート No.430 2013年9月28日

カテゴリー: 原発・原子力, 政治, 杉本執筆 | 【投稿】何故今リニア新幹線か-原発再稼働を側面から支援するJR東海 はコメントを受け付けていません

【投稿】中東パワーバランスの変化 

【投稿】中東パワーバランスの変化 

<動揺するオバマ>
 8月21日、内戦の続くシリアの首都ダマスカス近郊で、化学兵器による攻撃が行われ、数千人に及ぶ死者、負傷者が出た。
 アメリカオバマ政権は即座に、これをアサド政権によるものと断定し、軍事行動の準備を開始した。アメリカ的にはここで化学兵器の使用を看過すれば、イランの核開発への圧力が保持できないとの判断だったが、思惑は揺れ動くこととなった。
 当初は、米英仏など有志連合による攻撃が月内にも開始される、との見方が有力であった。しかしイギリスが議会や世論の反発で早々に脱落、フランスもオランド大統領が、国連現地調査団の報告を待つという慎重姿勢を示すなか、オバマ大統領も議会の承認を得ることを条件としたため、早期の軍事行動は遠のいた。
 9月5、6日、サンクトペテルグルブで開催されたG20サミットでは、シリア情勢について急遽、米露首脳会談が行われるなど、事態の進展が図られたが、アメリカの目指す軍事行動への賛同は広がらず、プーチン大統領が主張する政治的解決への機運が高まる結果となった。
 9日にはロシアのラブロフ外相がアサド政権に、化学兵器を国連監視のもと引き渡して廃棄することを提案した。翌日にはシリアのムアレム外相がロシアの提案を受け入れることを表明した。
 これを受け、10日にオバマ大統領はホワイトハウスで演説し、アサド政権に化学兵器の放棄を求める国連安保理の決議案採択を通じて、問題の政治的解決を目指す方針を表明し、武力行使から方向を転換した。またオバマ大統領は、「アメリカは世界の警察官ではない」とも述べた。
 12日になり、アサド大統領が化学兵器禁止条約へ加盟する意向を明らかにし、断続的に協議を進めてきた米露外相は14日、シリアの化学兵器廃棄に関する枠組みに合意した。
 今後、シリア政府の提出するリストに基づき、国際調査団が11月までに入国しチェックを進め、化学兵器を国外に移送したうえ、来年半ばまでに全廃するとしている。
 こうした政治交渉が進む中で、国連調査団は16日調査報告書を公表し、8月21日の攻撃と被害はサリンによるものと断定、これは戦争犯罪であるとした。
 国連は、化学兵器を使用したのが誰であるか明確にしていないが、様々な証拠や情報から、犯人は政府軍であるというのが国際的な共通認識となっている。

<強気のプーチン>
 ロシアも政府側の仕業であることを確認していると思われるが、外交戦術上アサド政権を強引に擁護し、政治的解決路線を押し通した。ここまではプーチン大統領の優勢であり、アメリカにとっては手痛い失策となった。
 攻撃後の明確なプランも存在せず、アメリカは最初から中途半端であった。8月21日以降、間髪を入れずに攻撃することができなかった。最も大きな誤算はイギリスの脱落であった。同じ要因でEUの理解も得られなかったのも痛かった。 
 イラク、アフガンそしてエジプトの失敗から戦略面ではアサド政権転覆が目的ではないと縛りをかけ、戦術面でも地上軍は投入せず、駆逐艦からの巡航ミサイルと小規模な空爆という限られた選択肢しかなかった。
 また攻撃準備完了から米議会承認まで半月もの猶予があれば、攻撃を実施してもいくつかの施設を破壊するだけで、憎悪と混乱を助長する結果に終わっただろう。
 これに対して、ロシアの目標はアサド政権擁護と武力行使阻止という明確なものであった。ロシアは現在地中海東部に、太平洋、黒海、バルト海の各艦隊から派遣された巡洋艦、駆逐艦など7隻で「地中海艦隊」を編成し監視体制を強めている。
 さらに太平洋艦隊から巡洋艦1隻、北方艦隊から空母1隻を派遣するという情報もあり、この地域における権益と安定の確保に向けた決意を見せている。
 アメリカは巡航ミサイルを搭載した駆逐艦のほか、強襲揚陸艦、輸送艦を配置しているが、空母は紅海に止まっている。
 この海域には他にドイツ、イギリス、フランス、イタリアが駆逐艦や情報収集艦を展開、またブラジル、バングラデシュ、インドネシア、ギリシアが国連のレバノン平和監視活動の一環として艦艇を派遣しているが、ロシアの集中度は群を抜いている。
 加えてアメリカは、当面国内開催がないオリンピックには無関心で、対シリア攻撃をした場合、IOC総会で隣国のトルコのみならず周辺地域に悪影響を及ぼすことなど考えていなかっただろう。しかし、来年ソチ五輪を控えるロシアは、古くはモスクワ五輪、近くでは北京五輪の際の南オセチア戦争の経験から、混乱の波及など許しがたいものがあった。
 さて、アメリカに一端は軍事行動を決断させた要因となった、イランの核開発問題であるが、24日から開会中の国連総会では穏健派のロウハニ大統領がシリア問題も含め、どのような対応を見せるかが注目されている。
 アメリカの影響力が低下し中東でのパワーバランスに変化が起きつつある中、新たな平和的イニシアチブの確立が求められている。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.430 2013年9月28日

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【投稿】注目の堺市長選挙 維新解体の危機 

【投稿】注目の堺市長選挙 維新解体の危機 

 9月29日投票の堺市長選挙が注目されている。4年前の選挙で、橋下府知事(当時)の後押しで、当選した竹山市長が、今回の選挙では、橋下維新の「大阪都構想」に反対の立場で立候補し、維新からは市議会議員の新人が立候補、一騎打ちの選挙戦となっているからだ。
 
 <維新が、全力選挙の理由>
 マスコミは、「崖っぷちの維新」が総力戦で市長選挙に取り組んでいると報道している。橋下は、依然支持者を確保している一方で、その頂点はすでに通過している。慰安婦発言がそのターニングポイントだが、東京都議会選挙、そして7月の参議院選挙でも、埋没と言ってもよい状況に陥っている。さらに、自ら市長である大阪市政において、地下鉄民営化策も、議会の反対で頓挫し、公募した区長の乱行・不適切行動、公募学校長のセクハラ事件報道などが相次いで発覚し、自らの市政にも赤信号が点滅しているのが現状である。
 大阪都構想についても、法定協議会の設置はできたものの、区割り案・財政調整はスケジュールどおりに進んでいない。費用対効果の比較でも、大阪都構想は「夢」を語れても、現実には効果が薄いという結果も出ている。橋下維新は、こうした大阪都構想の停滞状況に、どうしても堺で負けられない事情があるわけである。
 大阪における維新派の伸長は、民主党政権下で進行した。府議では1人区を中心に、自民党脱党組が維新に合流した経過がある。政権は変わり、自民党単独でも衆院で過半数という状況では、「議員」ポストが欲しいだけなら、1年半後の統一地方選挙を前に、復帰を考える議員もかなり存在しているとの情報もある。堺で負ければ、大阪都構想も頓挫、橋下維新も大阪から解体の可能性は大いにあるのである。
 
 <自民・共産共闘の影響>
 迎え撃つ現職陣営は、民主が推薦を決めたが、自民は「支持」に止めた。また、話題になっているのが共産党であり、橋下維新・大阪都構想反対の立場で勝手連的に現職の支持に回っている。公明党は、早々と「自主投票」を決めて静観の構えである。
 先の参議院選挙の各党票数は、自民7万、民主2.5万、共産4万に対して、維新10万。合計すれば、13.5万対10万ということになる。簡単な算術では、現職優位ということだが、そう簡単ではないのが、選挙というもの、選挙戦時点で当落予想は止めておこう。
 選挙も終盤に来て維新陣営は、「共産党に担がれる現職」との批判を強めている。勝手連とは言え、選挙行動は整合されているようで、常にオール与党と共産が対立してきた堺市長選挙は、様変わりした印象は強い。
 
 <「堺はひとつ」だけでいいのか>
 確かに、大阪都構想に賛成か、反対かが今回の堺市長選挙の争点ではある。しかし、都構想で堺が発展する、という維新派の主張は「夢」物語である一方、「堺はひとつ」を唱える現職も、余りに「無策」ではないか、言うのが筆者の見解である。
 阿倍野や北大阪の発展と比べても、堺のポテンシャルは下がり続けている。買い物客は大阪市内に流れ、ベッドタウン化が進行している。行財政改革で生み出されたはずの資源を有効に活用できていない。泉北ニュータウンの高齢化問題、オールドタウン化は、千里ニュータウンの「再生」の取組みと比べても、比較にならないほど遅れている。
 こうした現状を「是」とする現職を、大阪都構想に反対しているからと支持する勢力には、他の利権の臭いが付きまとう。都構想論議も結構だが、肝心の重要政策についても、大いに議論があって然るべきだと、感じる。
 
PS 本紙が発行される時点は、丁度選挙結果が出ていることだろう。1週間前の選挙状況報道は、現職がリードとのこと(読売)。選挙結果が、どのようになるか、注目していきたい。(2013-09-22 佐野) 

 【出典】 アサート No.430 2013年9月28日

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【本の紹介】横田ミサホ著 「原爆許すまじ」

【本の紹介】横田ミサホ著 「原爆許すまじ」
          2013-06-15 鳥影社 1600円+税 

 私達の恩師でもあり、解放教育の指導者でもあった故横田三郎さんの奥様、ミサホさんから、この本をお送りいただいたのは、6月であったか。紙面の都合で、ご紹介が9月になったことをお許しいただきたい。
 ミサホさんとは、私は二度しかお会いしていない。一度は、島根県大田市のご自宅をお尋ねしたおり、そして2009年5月友人のT君と高槻市にお尋ねした折である。先生が突然旅立たれた後は、何かにつけてお手紙をいただいてきた。先生から奥様の事は、あまり聞いていなかったが、この本を読んでみて、中々の活動家(?)であり、文筆家であると再認識させられた。
 
 ミサホさんは、広島の原爆投下を、呉の海軍工廠で経験されている。島根県立大田高等女学校4年生の時、学徒動員で働く朝、閃光と「きのこ雲」に遭遇、その後、敗戦で動員が解除され、大田市への帰路、焼け野原の広島市内に衝撃を受ける、この体験が、ミサホさんの原点である。
 ミサホさんは、戦後、大阪被団協淀川支部の活動や婦人運動に取組まれ、大阪文学学校にも関わって、折りに触れて随筆や小説なども書かれてこられ、本書は、こうした活動の一端をまとめられたものである。
 
 戦後丸木俊画伯の「原爆の図」を初めて見た時の「痛みを伴う」感動、本書では、まさに自らの広島体験から語り始めておられる。(第1項「原爆許すまじ」)1982年の反核広島行動に併せて、呉や広島を訪れた際の感想、反核への思いが綴られている。
 第2項は、従軍慰安婦問題。第3項は、731部隊について、第4項は、「父の尊厳死」についてである。僧侶であったミサホさんの父親が死期を悟り、断食をして死を迎える側に寄り添った思い出の記である。安らかな死とは何か、現在も問われ続ける問題を扱われている。この他に、創作文章が数点収められており、今回じっくり読み直してみて、著者の厳しい、そして優しい人となりが滲んでいるように思える。
 
 本書に添えられていた挨拶文に、ミサホさんの思いが語られている。
「戦時下の学徒動員での死と隣り合わせた苦しい体験、そして、原爆投下直後の広島の状況など、この悲惨を次世代に伝えなければならない。まして、憲法改悪をゆるし、人々が殺し合う戦争を二度と起こしてはならない。そんな願いを込めて、「たった一人の反核運動」を世に問いたいと思い、拙い文章ですが敢えて出版する決意をしました。」

 読者各位にも、是非読んでいただきたいと思います。(2013-09-23佐野) 

 【出典】 アサート No.430 2013年9月28日

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【投稿】安倍・麻生コンビの傲慢・陰険・拙劣路線

【投稿】安倍・麻生コンビの傲慢・陰険・拙劣路線

<<自民大勝の底の浅さ>>
 先の参院選の大勝に浮かれ、もとから冷静な判断能力や寛容さに欠け、激高・激情に支配されやすい安倍首相と、差別と偏見に満ち満ち、軽薄で歴史的分析や判断能力を一切持ち合わせていない麻生副総理という、この二人のお坊ちゃんコンビが繰り出す、傲慢で陰険、なおかつ拙劣極まりない路線が、日本を危険な孤立化と破綻の路線へと追い込もうとしている。
 そもそも参院選の大勝そのものが、程度の知れた底の浅いものであることへの自覚が全く彼らにはない。民主党政権が自壊した結果の棚からぼたもちの結果でしかなく、有権者の多く、とりわけ圧倒的多数の無党派層は棄権という選択肢しかなく、戦後三番目の低投票率=52.6%、自民得票率=42.7%(=選挙区、比例代表の自民得票率は34.6%)で、自民党は全有権者比22.5%、四分の一にも満たない支持率でしかない、そんな程度の支持基盤しか持ち合わせていない政権であるという、自己分析が欠落しているのである。
 47選挙区のうち、4増4減の公選法改正の結果、これまで2人区であった福島と岐阜が1人区、神奈川と大阪が4人区、31選挙区が実質小選挙区=1人区となり、この31小選挙区で自民は982万票、得票率57.64%であったが、議席占有率はなんと93.55%、29議席を確保したのである。小選挙区制さまさまである。しかし、1人区となった福島選挙区では、自民現職対民主現職で自民がWスコアで勝利したが、自民党福島県連は自民党中央の原発再稼働路線に組みせず、「福島県内原発10基を全て廃炉にする」を公約として掲げ、自民党の高市政調会長が福島原発事故で死者は出なかったという発言に対して自民候補者は涙の抗議をして発言を撤回させた、そうした結果の勝利なのであった。
 前号でも触れた沖縄選挙区(1人区)では、普天間米軍基地移設をめぐるまやかしのねじれ公約と、安倍首相を先頭とした必死の巻き返しにもかかわらず、自公連合は野党統一候補の糸数慶子氏の三選を阻止できなかった。
 さらに東京選挙区は、全国有権者の実に1割を抱えているただ一つの5人区であり、投票率53.51%で比較的激戦となったが、ここで自民は2議席を確保したが、民主が菅元首相入り乱れての直前のドタバタ騒ぎで自滅したにもかかわらず、絶対得票数は伸ばすことができず、5分の2政党であることを実証し、当選した公明・山口氏の「原発ゼロを目指す」を含め、共産、山本太郎氏の三議席が、自民党の改憲・原発推進路線とは相容れない議席配分なのである。

<<「クーデター的」人事>>
 自公政権が大勝したとはいえ、こうした冷静な分析、さらには改憲、原発推進に対しては不支持が5割から6割近い各種世論調査の現実、そして選挙直後の7月の世論調査(共同通信)では6月の内閣支持率68.0%が56.2%に急落し、不支持率が16.3%から31.7%に倍増していることからすれば、選挙結果が要請していることは、近隣諸国との緊張激化路線や軍事力増強路線、それに照応した憲法改悪路線、原発再稼働・原発輸出推進路線であってはならないはずである。
 しかし安倍政権の広報紙と見紛うばかりのマスメディアは、自民党の参院選圧勝を受けて「3年間は政権が安泰だ」として「黄金の3年間」(読売新聞)、「与党からすれば『黄金の3年間』だし、野党にとっては『暗黒の3年間』かもしれない」(日本経済新聞)「3年間も選挙がないのは千載一遇の好機である」(産経新聞)などとはやしたて、この「千載一遇の好機」に保守反動勢力が成し得なかった諸課題を一気に実現せんと蠢きだしたのである。彼らは、まずはこの際、「集団的自衛権の行使」に向けて、憲法解釈の変更を公然と要求し、安倍政権自体が猛然とダッシュし始めた。そして手をつけたのが内閣法制局長官人事であった。
 8/8、安倍内閣は、これまでの内部昇格の慣例を破り、外務省出身で内閣法制局の経験がなく、かつて第1次安倍政権時代の有識者会議で「集団的自衛権」行使容認の報告書作成に深く関与した小松一郎駐仏大使を長官にすえたのである。異例の抜擢人事の強行である。しかもこの「クーデター的」人事は、意図的に8/2の読売、産経の朝刊トップに掲載されるべく事前リークし、朝日等は夕刊のおっかけ記事で報道されたのであるが、他紙が麻生副総理のヒットラーの「あの手口を学んだらどうか」発言を大きく取り上げていたことに対する反撃として仕組まれ、連携されたものであろう。8月9日付・読売社説は「集団的自衛権に関する政府の憲法解釈の変更を目指す安倍首相の強い意向を端的に示した、画期的な人事である。」、「内閣法制局は、政府提出法案の審査や憲法解釈を所管しており、「法の番人」と呼ばれるが、内閣の一機関でもある。安全保障環境の変化に応じて、必要な政策を実行するため、解釈変更を検討するのは当然だ。」と、この憲法9条を骨抜きにするための「クーデター的」人事を高く評価し、一方、朝日は同じく8/9付で阪田雅裕・元内閣法制局長官を登場させ、安倍内閣は憲法の柱である平和主義をめぐる新方針を、国会や国民が関われない解釈変更で実現しようとしており、集団的自衛権の行使容認と9条の整合性について、阪田氏は「憲法全体をどうひっくり返しても余地がない」と語らせている。

<<「あの手口を学んだらどうか」>>
 そしてこうした過程で登場した極めつけの発言が、麻生副総理のヒットラーの「あの手口を学んだらどうか」発言であった。またもやあの麻生氏の低劣な本音が透けて見える舌禍である。7/29夜、桜井よしこ氏が理事長を務める「国家基本問題研究所」が都内のホテルで開いた歴史修正主義者や自虐史観反対論者や改憲論者が集うシンポジウムで講演し、「護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ。改憲の目的は国家の安定と安寧。改憲は単なる手段だ」と述べ、憲法改正をめぐり戦前ドイツのナチス政権時代に言及して「僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわーわーわー騒がねえで。重ねて言うが、喧騒の中で決めて欲しくない」と述べたのである。
 この発言の決定的な間違いは、「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった」という部分である。全く歴史的事実に反する事実誤認、意図的捏造なのである。ナチスの私兵・突撃隊のむき出しの暴力が街中を闊歩し、ワイマール憲法を事実上無きものにした全権委任法の可決も、共産党の議員はほとんどが逮捕され、社会民主党の抵抗する多数の議員を登院禁止にした上で、可決されたことにしたのであるが、「誰も気づかないで」「静かに」「わーわーわーわー騒がねえで」、いつのまにかかわったのではまったくないし、民主的な手続きを経て可決されたものではないのである。
 このあとに「あの手口を学んだらどうか」と来る。ナチスの手法を肯定的に捉えて学ぼうとする姿勢が露骨に現れており、弁解の余地すらない。中国や韓国はもちろん、全世界から厳しい痛烈な批判が寄せられて、あわてて8/1、「真意と異なり誤解を招いた」と釈明し、ナチスを例示した点を撤回したが、傲慢にも報道の姿勢を問題にし、「(閣僚や議員を)辞職をするつもりはありません」、「(別途謝罪することは)ありません」と居直り続けているが、ドイツではナチスを称賛する行為は刑法の『民衆扇動罪』で3カ月以上5年以下の懲役刑となる。麻生氏は公職追放はもちろん、収監されるべき存在であろう。

<<村山談話を継承しない式辞>>
 安倍内閣の方針が、麻生氏が言うように「誰も気づかないうちに」、「ワーワー騒がれないうちに」、「ある日気づいたら日本国憲法が変わっていた」という手口をナチスに学び、安倍首相自身が率先して強行したその手始めが、内閣法制局長官の「クーデター的」人事であったといえよう。
 その麻生発言にさらに追い討ちをかけるような問題発言が安倍首相自身から発せられた。ただし、本来言うべきことを言わない、悪質で陰険、拙劣な手口である。それは、8/15の政府主催の全国戦没者追悼式での首相の式辞である。
 2007年の第1次安倍政権時の式辞では「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」「深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表する」などと触れていた、アジア諸国への加害責任への反省や哀悼の意を示す言葉が、今回は意図的にすっぽりと抜け落ちさせ、全く言及しなかったのである。安倍首相自身の陰険な姿勢が、そこに露骨に表明されているといえよう。
 加害責任への言及は、93年の細川護熙首相(当時)から歴代首相が踏襲してきたものであり、今回は、これまで過去20年間表明されてきた「不戦の誓い」をしなかった、その表現さえ使わなかったのである。第1次安倍内閣の時に靖国神社を参拝しなかったことを「痛恨の極み」と語ってきた首相が、今回、一部閣僚を含む右派系議員190人の靖国参拝を放任または黙認して、安倍政権の極右体質を誇示はしたが、本人自身が8/15にまたもや参拝できなかったことの腹いせでもあろうか、悪質である。自身と重要閣僚の靖国参拝を見送りながら、日本への不信感を増幅させる、逆のメッセージを発する、その陰険さこそが問題とされよう。安倍首相のこの式辞に込められた意図は、明らかに村山談話の否定にあると言えよう。植民地支配と侵略によって「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」という1995年の村山首相談話を、表面上は継承すると言明しながら、今回、「誰も気づかないうちに」、「ワーワー騒がれないうちに」、「ある日気づいたら」、村山談話を継承しない、否定していたというわけである。
 8/16付の韓国各紙は、安倍首相が全国戦没者追悼式の式辞でアジア諸国への損害や反省に触れなかったことを一斉に大きく取り上げ、批判し、東亜日報は「村山談話を事実上全面否定したものだ」と報じた。鋭い、的確な指摘である。
 安倍・麻生コンビのこのような拙劣で陰険な路線は、日本をさらなる危険な孤立化と破綻の路線へと追い込むものである。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.429 2013年8月24日

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【投稿】福島第一原発の高濃度汚染水の海洋流出

【投稿】福島第一原発の高濃度汚染水の海洋流出
      —チェルノブイリ原発事故の3倍の規模になる—
                          福井 杉本達也 

1 政府も東電も国民も危機感が薄いが『現状は非常事態』
 東京発8月5日のロイターは「東京電力が汚染水の流出防止に取り組む同社の福島第1原子力発電所で生じた放射能汚染地下水について、原子力規制当局の関係者は5日、事態は「非常事態」にあるとの認識を示した。原子力規制庁の金城慎司・東京電力福島第1原子力発電所事故対策室長はロイターに対し、法定基準を超えた水量の汚染された地下水が、地中の遮水壁を突破し、地表に向かっているとした上で、東電の地下水くみ上げ計画は一時しのぎにしかならないとの見方を示した。金城室長はこう語る。東電の『危機感は薄い。だから東電のみに任せておけない。現状は非常事態と見る』」と報じた。今まさに、福島第一原発敷地全体が津波ではなく汚染水の中に水没しつつある。これまで地中にあり2年5か月もの間太平洋に垂れ流し続けられてきた高濃度汚染水が地中壁が海側だけに造られたことによって、どんどん水位が上昇し、今や地表にまで染み出そうとしている。3号機海側では、地上の放射線量は上昇し、地表面で8.5ミリシーベルト(mSv)/時。上空の空間線量も1.8mSv/Hと、数時間作業をしただけで年間の制限値の20mSvを超えることとなってきている(東電HP:「福島第一サーベイマップ平成25年8月2日 12:00現在」)。汚染水が地中にある間は、1~2mの地層によって放射線を遮蔽されてきたが、地表に染み出してしまえばあたり一面放射能で汚染され、1~4号機の核燃料プールからの燃料抜き出しどころか近づくことさえできず、冷却水の投入などの管理放棄=再び崩壊熱による温度上昇=爆発・原子炉崩壊=今度こそ日本消滅というストーリーさえ描かざるを得ない。

2 チェルノブイリ事故の3倍の放射能汚染になる可能性
 いったいどのくらいの汚染水が海に流出しているか。経済産業省は推定300トン/日という数字を出している(原発敷地への地下水の流入が1000トン/日、このうち600トンが海にそのまま流れ、400トンが原発の建屋内に入り、そのうちの300トンが建屋の地下で高濃度の汚染水と混ざり合い汚染されてそのまま海に流出していると推計:日経:2013.8.8)。この数字は今年・今頃始まったものではない。当初、2011年3月19日未明・東京消防庁が3号機核燃料プールの冷却のために大量の海水を投入した時点より始まっている。それから2年5か月ともなれば270,000トン近くの汚染水が海に垂れ流しされていることとなる。東電は23.5億ベクレル(Bq)/l(=雰囲気線量としては500mSv/H=1日も被曝すれば死亡する量(ブログ「院長の独り言」)2013.7.28、肉厚10~20mmの鋼管の非破壊検査に使われる放射線源イリジウム192=370億Bqと比較すれば、いかに凄まじい放射線量であるか)の高濃度汚染水が建屋トレンチ内にあると発表しているから、この量が1.1万トン、さらに建屋内に7.5万トンとしているので(東洋経済:2013.8.3)、地下に溜まっている高濃度汚染水は10^17(10の17乗=10京)Bq(=100PBq)オーダーの放射能量となる。2011年6月2日現在で東電が発表した各建屋内に漏洩した滞留水の放射能の推定量は総計で717PBq(717×10の15乗Bq Wikipedia)、このうち半減期8日間のヨウ素131はほぼ無くなっていおり、Cs(セシウム)134の半減期が2年なので半減していると仮定してCS134とCs137の合計は210PBqであり(7月27日の東電の調査分析ではCs134とCs137は同割合であるが)、ほぼ計算は合う。チェルノブイリ原発事故では放射性セシウムは最大で85PBqという推計であり(Wikipedia)、もし、福島第一の滞留汚染水が全量海に流れ出た場合には、大気中放出量の10倍(20PBq:東電推計値2012.5.24)=チェルノブイリ原発事故の3倍の放射能汚染になる。当初、政府はチェルノブイリ事故の1/10レベルと発表したが、国際的批判を交わすための全くのまやかしである。原発3基分であるから当然といえば当然であるが、しかもまだ放射能は原子炉からダダ漏れ状態にあり今後とも増加していくということである。

3 国際的批判は避けられない―海洋投棄は「海洋法に関する国際連合条約」違反
 8月7日の政府の「原子力災害対策本部会議」では、安倍首相は「東電のみに任せるのではなく国として対策を講じる必要がある」とし、税金を投入して対策に乗り出すという。 この対策は鹿島建設が提案した方式で「地下凍土方式の陸側止水壁建設」(地中をマイナス30℃の塩化カルシウムなどの凍結材を循環させることによって凍らせて水が通らない遮水壁を作る)と見られるが、400億円の建設費と、凍土を維持するために莫大な電力が必要とされ、しかも建設に2年も要すると見られる(福井:2013.8.8)。ニッチモサッチモ行かなくなった茂木経産相は同会議の中で汚染水の「基準値以下の海洋放出」の検討を指示した。
 政府は陸上からの汚染水の放出は船舶等からの『投棄』ではないので、放射性物質の海洋投棄の禁止を定めた『ロンドン条約』(廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する条約)には違反しないと強弁しているが(川田龍平参議院議員の質問主意書に対する答弁:2013.7.2)、『海洋法に関する国際連合条約』の194条「海洋環境の汚染を防止し、軽減し及び規制するための措置」の第2項では「いずれの国も、自国の管轄又は管理の下における活動が他の国及びその環境に対し汚染による損害を生じさせないように行われること並びに自国の管轄又は管理の下における事件又は活動から生ずる汚染がこの条約に従って自国が主権的権利を行使する区域を越えて拡大しないことを確保するためにすべての必要な措置をとる。」とされ、明確な条約違反である。特に、同条3項では放射性物質のような「a.毒性の又は有害な物質(特に持続性のもの)の陸にある発生源からの放出、大気からの若しくは大気を通ずる放出又は投棄による放出」をできる限り最小にするための措置をとることを定めている。
 要するに政府はこの2年5ヶ月、同条約に違反することを知りながら、国際的な非難を浴びることを恐れていたため、密かに大量の放射性汚染水を海洋に垂れ流し続けていたことになる。しかし、どうにもならなくなり東電がギブアップしたので、今回改めて発表しただけである。因みにこの高濃度汚染水全量が福島県沖の大震災の震源域・東西500km×南北500km×深さ1kmの水域に流出したと仮定すると、その膨大な水量をも平均約1Bq/kgで汚染する量であり、厚労省の飲料水中の放射性物質の基準値:10Bq/kgの1/10にもなる。

4 国民負担はとりあえず250兆円―それ以上も
 では、放射性物質の拡散防止や賠償などのためどのくらいの予算を使う必要があるのか。チェルノブイリの事故処理対策では、ロシアは国家予算の1%、被害の大きいベラルーシは20%、地元ウクライナは10%を費やしている。日本の人口密度及び原発4基分という放射性物質の総量から考えた場合、日本は国家予算の10%=10兆円/年 程度の負担は避けられまい。長谷川幸洋は「シンクタンクの試算などで賠償と除染、廃炉費用だけで少なくとも数10兆円、最大250兆円にも上りそうな見通し」(「ニュースの深層」:2012.11.9)を述べている。東電の2012年度の売上高は約6兆円であるから、売り上げの1.7倍もの費用を払える訳がない。「東電融資に奔走―8.5%以上の値上げ必要―原発再稼働なしの試算示す」(朝日:2013.8.14)というが、費用を賄うには現在の電気料金の3倍の値上げが必要である(電気料金:標準家庭で8,000円/月が24,000円にもなる)。朝日新聞の記事は東電の負担が総額で10兆円を超すとしているが、ごまかし以外のないものでもない。250兆円なら、国民1人当たり200万円の借金である(財務省は6月末の国の借金を国民1人当たり792万円と発表したが)。
 これまで、政府は水俣病のチッソ方式(水俣病の原因企業・チッソに対する金融支援措置として、公害企業としてのチッソの原因者負担の原則を堅持しつつ、チッソが経常利益から水俣病患者への補償金を支払ったあと、熊本県による認定患者への補償金支払いのための県債、水俣湾公害防止事業に伴うチッソ負担金の立替のための県債部分について可能な範囲内で県に貸付金返済を行い、返済が出来ない分を国が一般会計からの補助していた。(2011 年のチッソ分社化まで))で、本来過剰債務の倒産企業を外見上生きながらえさせて、国家は前面に立たずに(国家無誤謬神話の元)放射能対策・賠償を行おうとしてきた。だから遮水壁もまともに作らず、被災者への賠償も値切り(もちろん放射線量の高い地域からの自主避難は認めず)、甲状腺などの被曝健康診断もおざなりにしているのである。しかし、売上6兆円の企業に何ができるのか。仮に純利益が1兆円あったとしても250年かかる。政府は何もしないでそっと垂れ流しを見て見ぬふりをしようとしてきた。「再稼働」などという寝言を言っている場合ではない。その破綻が目に見える形で国際的に明らかになったのが今回の海洋への汚染水流出である。もうすぐ(事故3年後には)高濃度の汚染水が米国西海岸やカナダに漂着する。ロシア―オホーツク海やベーリング海も汚染される。中国・ASEAN-東シナ海や南シナ海も危ない(You Tube シミュレーション「太平洋放射能汚染10年間予想図」)。日本は国際的に袋叩きにあうしかない。 

 【出典】 アサート No.429 2013年8月24日

カテゴリー: 原発・原子力, 杉本執筆 | 【投稿】福島第一原発の高濃度汚染水の海洋流出 はコメントを受け付けていません

【投稿】集団的自衛権の虚像 

【投稿】集団的自衛権の虚像 
 
<実質改憲を先行>
 安倍政権は参議院選挙の大勝を梃に、次々と軍拡、対外挑発政策を進めようとしている。
安倍政権の目指す「本丸」は憲法改悪であるが、それに至るプロセスとして政権発足以来しばらくは、改正要件緩和を目論み、96条の先行改正をアピールしてきた。
 しかしながら、世論や公明党がそれに積極的ではないと判ると、参議院選挙の公約では一番後ろに引込め、争点化を避ける戦術に徹した。
 結果として、改憲派の自民、維新、みんなの議席は3分の2に達せず、正面突破は当面難しくなったのである。
 そこで、安倍政権は「中国の脅威」「日米同盟強化」を最大限利用し、これまで認められてこなかった集団的自衛権行使容認へと舵を切った。
これはまっとうな論議、手続きを経ないで憲法9条の空洞化を進めるという非常に危うい策動であり、歴代自民党内閣が行ってきた「解釈改憲」路線をも踏み出した、「実質改憲」である。
 そのため、安倍総理はこれまで改憲への壁となって立ちはだかってきた、内閣法制局の長官を外務省出身の推進派に挿げ替えるという、極めて乱暴な人事を強行し、「法の番人」と言われる法制局に法匪的行為を合理化する役割を押し付けたのである。
 法制局は内閣の一機関であり人事権は内閣総理大臣にあるが、業務内容は憲法に則しての法案の審査、内閣への意見であり、厳密かつ中立性が求められるものである。
 それを自らの意を忖度する人物に仕切らせるというのは、監督が自分のチームに有利な判定をする審判を選任するに等しい。
 早速就任した小松一郎新長官は「検討の議論に法制局も積極的に関与していく」(8月17日「読売」)として、政府の解釈見直し作業に参加していくことを明らかにした。

<4類型は現実離れ>
 この政府レベルの検討のたたき台になるのが、総理の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇:座長=柳井俊二元駐米大使)が、この秋にも提出する報告書である。
 その内容については、法制懇の実質的統括者である座長代理の北岡伸一国際大学長が「集団的自衛権の全面解禁」とする基本的方向性を明らかにしている。
 第1次安倍内閣時の07年5月に設けられた安保法制懇は、安倍退陣後の08年6月の報告書で、自衛隊の武力行使が認められるケースとして次のいわゆる4類型を提示した。
 それは①公海におけるアメリカ艦船の防護②アメリカに向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃③国際的な平和活動における武器使用④PKO参加国に対する後方支援、について、①、②は集団的自衛権として武力行使を認める。③、④については、集団安全保障として憲法に抵触しない、との見解であった。この中で①、②は朝鮮半島有事を、③、④は中東での米軍支援を想定したものであるが、アメリカの戦略との整合性がとれていないのである。
 ①、②とも海上での支援が考えられているが、朝鮮半島におけるアメリカ軍の4つの作戦計画①5026(90年代の核危機時に想定された核施設へのピンポイント攻撃)②5027(北朝鮮の南進阻止と米韓軍の北進作戦)③5029(北朝鮮内乱への介入)④5030(03年に策定された積極的な内乱画策)は、いずれも朝鮮半島内を主要な作戦区域としている。
 これらの想定でアメリカ艦船が攻撃されるとすれば、米軍の北朝鮮上陸作戦時、すなわち北朝鮮領海内であり、北朝鮮の地対艦ミサイルや航空機、艦船の能力からも日本が考える公海上の米艦船への攻撃というシナリオは無理がある。
 弾道ミサイルについては、海自の保有するミサイルでは北朝鮮からアメリカ本土やハワイに向かうミサイルを迎撃するのは技術的に不可能で、グアムに向かうミサイルを迎撃可能なミサイルが配備されるのは、早くても2018年以降になる予定である。
 そもそも北朝鮮が、そうしたミサイルを戦力化できるのかは不明であり、7月28日平壌で行われた朝鮮戦争「勝利」60周年の軍事パレードに登場した新型弾道ミサイルもダミーではないかと言われている現状から、攻撃・迎撃とも現時点では画餅に過ぎない。
しかも冷戦終結以降、アメリカの安全保障政策の最優先事項は、中東問題であり日本の思惑とはずれがある。朝鮮半島での作戦計画を策定していても、韓国駐留部隊から相当数をイラクやアフガンに派兵をしたのである。

<目的は権益確保>
 安倍政権は、集団的自衛権の行使はアメリカを援助するためと思い込んでいるかもしれないが、本当にアメリカが支援を要望したのは、「湾岸戦争」「イラク戦争」時であろう。この時日本政府は参戦するのは憲法上不可能とし「戦闘終結後」の「ペルシャ湾の機雷掃海」と「サマーワでのイラク復興支援」でお茶を濁し、アメリカを落胆させた。
 しかし今後、アメリカは中東を最重要視するものの、中東和平交渉の再開や、リビアやシリア、エジプト情勢への対応を見ても明らかなように、援軍を必要とするような大規模な軍事行動は展開しないだろう。4類型の①、②は非現実的であり③、④は遅きに失したのである。
 ここにきて日本が集団的自衛権行使容認を申し出ても「何を今更」というのがアメリカの本音だろう。政府としても「4類型」と現実とのズレは認識しており、それが今回の「集団的自衛権の全面解禁・集団安全保障での武力行使容認」として出てきたと言える。
これは日米安保の攻守同盟化、さらにはPKO活動を突き抜ける多国籍軍への参加に道を拓くものであるが、もっと早く具体化するのは東アジアでの日米共同作戦よりも、アフリカ・アジアの紛争地域での多国籍軍も含む国連平和活動に対する自衛隊戦闘部隊の派兵であろう。
 今後の工程表について北岡座長代理は「解禁に伴う具体的な行使の範囲については『全面的な行使容認とするかどうかは、(自衛隊の活動内容を定めた)自衛隊法改正の時の議論になる』と指摘した。さらに『自衛隊法を改正し、予算をつけ、装備を増やして訓練をし、ようやくできる』と語り、解禁即行使ではないことを強調」(8月10日「朝日」)した。
 また礒崎陽輔首相補佐官は、自らのFACABOOKに「集団的自衛権の行使は、憲法解釈を変更した場合でも『必要最小限度の範囲内』でしか許されず、具体的に何ができるかは自衛隊法などに明確に規定する必要があり、何でもできるようになるわけではない」と書き込み、歯止めの必要性を強調した。
 しかし、強引な解釈と、それに基づく自衛隊法改訂、恣意的な運用により事実上のフリーハンドが手に入れば、日本が不可能な軍事行動は、憲法を改悪しなくとも、二国間問題での先制攻撃=「武力による国際紛争の解決のための国の交戦権の行使」以外は無くなるだろう。

<反省無き軍拡>
 こうしたソフト面での工作とともに、ハード面での整備も着々と積み上げられている。8月6日広島が原爆犠牲者追悼の祈りに包まれているとき、横浜では「軍艦行進曲」が鳴り響いた。麻生副総理、石破幹事長らの臨席のもと行われた護衛艦「いずも」(満載排水量27000t)の進水式である。(安倍総理は祈念式典よりこちらに出席したかったのではないか)。
 「いずも」は、ヘリコプター搭載護衛艦とされているが、ヘリのほかに陸自のトラック50両と兵員約500人、燃料3300klが搭載でき、国際的には「軽空母」もしくは「多目的母艦」と考えられる艦艇である。
 さらに防衛省は来年度概算要求に、水陸両用装甲兵員輸送車など「日本版海兵隊」設置に向けた経費を計上することが明らかになった。また開発中の新型輸送機C-2も配備が進めば、自衛隊の海外展開能力は拡大する。
 このような権益確保のための軍事力の海外展開=緊張激化、対外膨張政策を「日米同盟強化」を口実に進められては、アメリカとしては迷惑千万だろう。
 6月の米中首脳会談の緊密さに動揺した安倍政権は、直後の北アイルランドサミットでの日米首脳会談を模索したが、オバマ大統領は電話一本でお茶を濁した。
 7月にはバイデン副大統領とシンガポールで会談したものの、首脳会談はめどが立たず、当面のトップレベルの会談は10月の同氏の訪日が決まっているのみである。
 中国、韓国、そしてアメリカからも厳しい視線が注がれる中、安倍総理は8月15日の靖国参拝は見送った。しかし同日の戦没者追悼記念式典では、細川氏以降の歴代総理が述べ、自らも第1次政権時はそれを踏襲した「不戦の誓い」や「アジアの国々への反省の言葉」はどこかに消えていた。
 この振る舞いは関係各国には、非常に不気味に映ったことは想像に難くない。安倍総理は「靖国参拝は心の問題」と言っているが、「ナチスを見習う」副総理を傍らに置くようでは、世界から「心の中で報復を誓っているのではないか」と疑われても仕方がないであろう。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.429 2013年8月24日

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【書評】『中国民主改革派の主張──中国共産党私史』

【書評】『中国民主改革派の主張──中国共産党私史』
    (李鋭著、小島晋冶編訳、2013.3.発行、岩波現代文庫、1,240円+税) 

 社会主義という建前とは裏腹に、国家資本主義に邁進し、人権を抑圧し続ける中国、というのが強い印象を与えている。しかしその中で、近代民主主義国家中国の形成を主張する勢力は、大きな部分を占めてはいないが、確実に存在しており、その代表が李鋭であろう。
 李鋭はこう語る。
 「中国社会問題の病巣は、確かに専制主義およびその制度にある。スターリンモデル、毛沢東晩年のいわゆる『社会主義』の最も根本的な弊害は、専制主義を復活したことである。党は政権掌握後、一個の、権力が制約を受けない集権制度を樹立し、党員と公民もいずれも民主の権利を享有しなかった。これは人類の近代文明の主流を離れ、さらにはこれに背きさえした。中国が改革開放を実行するには、必ずスターリン式を離れ、毛沢東晩年のいわゆる『社会主義』を放棄して、人類文明の主流が、民主、科学と法治に分け入って、普遍的価値を承認し、世界文明の軌道を受けつがねばならない」(第3章「李昌と『十二・九』世代の人々」)。
 この大胆な主張をする李鋭は、1937年に中国共産党に入党、抗日戦争時期は延安で党の青年工作・新聞工作に従事し、中華人民共和国建国後は『新湖南報』新聞社社長などを経て、1952年には水利電力副部長に就任した。当時議論されていた長江三峡ダムの開発計画への批判が毛沢東に評価され、1958年には毛沢東の兼任秘書となった。しかしその後、大躍進運動批判の発言で彭徳懐の「反党集団」の一員とみなされ、党籍剥奪処分(1959年)、また文革期には8年間秦城監獄に投獄された。1979年名誉回復の後は、中共中央組織部常務副部長、中央顧問委員会委員などの要職を歴任し、退職後は1991年に創刊された民主改革派の月刊誌『炎黄春秋』を中心に精力的な執筆活動を続けている。特に毛沢東に対する評価、「革命に功あり、執政に過ちあり、文革に罪あり」で知られている。その著作の多くが中国国内では現在発禁となっているが、中国には政治体制改革・「言論の自由」が必要だと主張する「改革派老幹部」である。この毛沢東への批判と民主改革への展望が、本書の諸論文となっている。
 中国革命の経過についての次の総括的記述が、李鋭の主張を最もよく示している。
 「より重要なことは、ロシアから伝えられたマルクス主義は、ロシア化したマルクス主義、すなわちレーニン主義(のちさらにスターリン主義が加わった)だったことだ。毛沢東のあの名言(「十月革命の一発の砲声が、我々にマルクス・レーニン主義を送り届けてくれた」・・・評者註)に言われているのは『マルクス・レーニン主義』であって、『マルクス主義』ではない。これは非常に意味があることだ。レーニン主義、ことにスターリン主義には、マルクス主義の原典と相異なり、また、相反するものが多くあり、古典的マルクス主義イデオロギーの変種である」(第1章「『中共創始訪談録』序」、以下同じ)。
 「中国人はソビエト・ロシアの観念を受け容れ、これがマルクス主義だと考えた。ロシア革命とロシア化したマルクス主義は、その始まりから神聖化された。中共党員は感情面でその大衆動員の手段と暴力的手段に強くいれ込んだだけではなく、その上それが後に樹立した専制主義の経済と政治の制度、残酷で鉄腕の党の制度に引き付けられた。過去にはこう言われたではないか? 『我々は一辺倒だ[米ソ対立の中でソ連にだけ傾倒する]』と。さらに『ソ連の今日は我々の明日だ』と」。
 「事実は次のことを証明している。自由、民主、公正、人権、法治の人類の普遍的価値に背を向け、人類の文明は科学的知識即ち智能に依拠して発展してきたという法則を離れるなら、どんな制度、どんなイデオロギーも自らへの弔鐘を鳴り響かせるほかないことを証明した。この結果に中共早期の創始者たちは考え及ばなかった。一句の名言を使うなら、中国人は間違った時に、誤った場所から、一個の誤った手本を移植したのだ」。
 このような視点に立って著者は、現在の中国指導部に対して厳しい批判の眼を向ける。
また毛沢東、鄧小平の時代の政治指導部間(陳雲、胡喬木、鄧力群、陸定一、胡耀邦、趙紫陽、万里等々)の確執を語る本書のインタビューは重要な証言である。特に胡耀邦辞任後、一群の党内民主派が保守派の最高指導権奪取の企てに抵抗することに成功した内幕(第11章「趙紫陽との交わりを懐かしむ」)は興味深い。
 しかしその後の中国の現状については、こう指摘する。
 「十一期三中全会以来、二十余年の改革開放によって、経済上だけは市場経済の軌道を歩み、このためもはや餓死者は生まれなくなった。しかし我々の市場経済は権力の支配を受け、すべての資源は党に支配され、トップや次の高層人物がひとこと言えばそれで事が決められた」。
(これに続いて、「六四の政治の風波の後、江沢民が趙に代わって総書記の職を継承した時、鄧小平は江沢民にこう言った。『毛が生きていた時は毛が言えばそれで決まった。私の時は私が言えばそれで決まった。君はいつそうなるか。そうなれば私は安心だ』」という話が紹介される。そしてこの話は2003年3月週刊の雑誌に掲載されたが、すぐに発禁となったと語られている・・・評者註)。
 「私は今の中国には二つの特色があると考えている。第一点は毛沢東、鄧小平のような『一人が言えばそれで決まる』という権威ある人物がいないことで、もう一つは同時に政治体制の民主化がまだできていないでいることだ。もし当時耳に逆らう忠言を聴き容れて、一九四九年以後政治運動をやらず、階級闘争を根本原則とすることなく、人類の歴史社会発展の普遍的法則である道、すなわち自由、民主、科学、法治と市場経済の道を歩んでいたら、我々の中国は早くに現代化[近代化]した国家となっていただろう」。
 以上本書は、中国「改革派」の明確な主張を提示するものであり、一読に値する。そしてその上で歴史的経緯として、李鋭が語る「マルクス主義」受容と同種の傾向が、わが国の場合にもどう含まれていたのかが改めて検証されねばならないであろう。(R)

(参考)李鋭年譜

1917 生まれ
1937 党組織を結成(北京にて承認される)
1939 延安へ 中央青年委員会宣伝部宣伝科長
1943.4.~1944.6.「特務」の疑いで監禁される
「解放戦争」期 陳雲らの政治秘書
1952 水力発電事業に転身・・・性急な三峡ダム建設批判が評価され、毛沢東の個人秘書となる
1958 「大躍進」・・・1959 批判・・・彭徳懐の「反党集団」のメンバーとされ、除名
1960 北大荒(黒竜江省)に流され、労働改造(田家英の援助で、1961 北京に戻る)
1962 劉少奇による「大躍進」の総括後も、党籍回復ならず、安徽省の小水力発電所で働く・・・文革で、再度「反革命分子」として告発され、1975 まで8年間北京郊外の政治犯用の「秦城監獄」に収容される
1975 出獄 安徽省の水力発電所に復職
( 1971.9.林彪クーデター未遂 1973 鄧小平 復活)
1976.1. 周恩来死去  4.「第一次天安門事件」
   鄧小平 失脚  華国鋒 登用
1976.9. 毛沢東病死 )
1978.12. 党十一期三中全会「右からの巻き返しに反撃する運動」・・・文革の否定
      陳雲、胡耀邦、趙紫陽、万里などが要職につく
1979 名誉回復 北京に戻る
1982 党中央組織部常務副部長(~1989)中央委員
1987 中央顧問委員会委員
   91年に創刊された『炎黄春秋』(民主改革の月刊誌)に論文を執筆 

 【出典】 アサート No.429 2013年8月24日

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【コラム】ひとりごと –衰退する労働組合運動から、まだなお芽生える可能性– 

【コラム】ひとりごと –衰退する労働組合運動から、まだなお芽生える可能性– 

■現在の労働組合を組織形態的に見ると、企業内組合と地域ユニオン(合同労組)に大別される。
一部、産別組合(海員組合)や職種別組合(全建総連)もあるが、極めて日本では特異な存在である。そして企業内組合の中でも大企業の基にあるビッグユニオンの多くは、連合傘下にある。
■ここで連合が民主党支持であることは、周知のことであるが、小生には何故、連合が民主党支持なのか、実際のところ、よくわからない。連合幹部は、働く者のための制度・政策を実現するには、連合推薦の候補者を選出し、国政に反映すべきだからというのであるが、では連合が国政に反映すべき制度・政策とは何かを体系的に示した大綱のようなものが見たことがない。確かに運動方針上は、一定の政策事項も記載されているが、例えば参議院選挙の争点であった原発問題や、消費税問題などで、統一した見解を示していないのではないか。もちろん、これには連合内部・民主党との関係で言うに言われぬ事情もあってのことで、多少、意地悪な指摘だとしても、少なくとも労働者派遣法や解雇制限の規制強化、労働基準法の徹底遵守(監督官の増員)、公務員制度改悪の阻止等々、労働政策についての政策協定に基く民主党支持であるべきであり、それなら組合員にも説得力があるだろう。
■さて中小企業における労働組合あるいは労使関係は、労使協調的な組合もあれば、常に緊張関係にある労働組合もある。ただ極めて抽象的ではあるが、使用者(経営者)も発注元からの単価の切下げ、切迫した納品期限や値切り等で、極めて厳しい経営環境にあり、それだけにそこに働く中小企業労働者も厳しい労働条件下にあって、労使関係もシビアになりがちであることが推察される。
 また、中小企業の場合、ワンマン経営体質が強い傾向にあって、よく不当労働行為救済事件でも中小企業に多いことに見られるように、中小企業の使用者(経営者)にとって、労働組合の存在自体が、経営上の桎梏となって、弾圧的あるいは懐柔的な対応に終始したり、ましてや新規設立の労働組合ともなれば組合潰しに奔走することも、よく見られることである。
■いずれにしても、日本の労働組合の組織率は、官公労を含めても20%を割る低率で、それに企業内組合が中心となると、欧米に比べても社会的規制力は弱いと言わざるを得ない。「社会的規制力」とは、例えば「最低賃金の引上げ」だとか、「解雇規制の厳格化」だとか、「労働時間(残業時間含む)の規制」だとか、労働者の権利保護の政策的圧力のことである。
■最近、熊澤誠の「労働組合運動となにか」(岩波書店)を読んだが、日本の企業別組合中心型では社会的規制力が、どうしても弱い側面があるが、それでも、それを打開するには、やはり労働組合運動でしかないことを唱えている。そのためのプロセスとして、職種別・産業別労働条件の標準化政策を打ち出すことを提起している。それと合わせて、非正規雇用の受け皿ともなっている地域ユニオンにも着目して、地域から職種別・産別連携を模索すべきだと言っている。
■地域ユニオンの実際の活動状況は、その多くが個別労使紛争に取り組み、その個別問題が終焉すれば、当事者も地域ユニオンから離れることが多く、なかなか組織拡大にはつながらず、これが地域ユニオンにおける現状の限界性だと言える。
■その意味で小生も、この提案に賛成で、他の地域ユニオンとも交流を深めながら、企業別・個別ユニオンの枠を乗り越えて、職種別・産別からの制度・政策要求から取り組みを拡大してはどうかと思う。既に管理職ユニオン関西は、内部の熾烈な論争の後、その運動方針で取り組みを進めようとしている。
■今日、労働組合運動は、その存在意義自体、問われるほど衰退しているが、しかし、それでも労働者の地位・労働条件の向上を図るのは、その自身の主体-労働組合でしかない。この衰退と閉塞感の中、なんとか打開するヒントはないものだろうか。その問題意識から書いた駄文であることをお許し願いたい。(民) 

 【出典】 アサート No.429 2013年8月24日

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【本の紹介】『ドイツ左翼党との交流記録』

【本の紹介】
『ドイツ左翼党との交流記録』

         (新社会党訪独団(有志)発行、2013/3/10発行、頒価300円)
『ドイツ左翼党の挑戦』
          (木戸衛一著、せせらぎ出版、2013/4/1発行、700円+税) 

 友人より上記の二冊の本の寄贈を受け、その内容が非常に多くの示唆と刺激に富むものと感じられましたので、以下に紹介いたします。2007年6月16日にベルリンで誕生した新党「左翼党」(Die Linke)の前史と現在に至る詳細な報告となっている。

ドイツ左翼党の挑戦ドイツ左翼党が様々な試練の中で形成してきた党の性格>:スターリン主義との決別=権威主義的なイデオロギー的、政治的、組織的な原則との決別。女性が少なくとも半分になるクォータ制、複数主義政党、潮流、様々な作業グループ、テーマ別のグループの存在、基本路線としての民主的な社会主義、といった党の性格が浮き彫りにされている。これらは日本においてもあり得べき、獲得すべき姿であり、全世界左翼の、左翼に限らずあらゆる民主主義的・市民的諸活動、諸組織の共通の課題だと改めて感じさせられるものである。

<潮流というものの存在>:とりわけ注目されるのは、独自の規約をもち、ネット上で意見を公表し、同時に他の潮流に入っていても構成員になれるし、左翼党員でなくても入れる、250人以上の潮流であれば党大会の代議員も、潮流のための活動の予算の割り当てもある、そうした潮流の存在が認められ、評価されていることである。
 こうした実態は、それ以前のバラバラでいがみ合って、潮流といったものの存在それ自体が認められず、「反党分子」や「分派主義」などといったレッテル貼り、唯我独尊主義と打撃主義とセクト主義が横行する日本では考えられないことであり、大いにこの経験を取り入れ、生かすべきであろうと思われるが、そのようなかすかな素地さえない日本の現状との違いに当惑させられる。

<社会主義とは一体何なのか>:そしてこの左翼党が提起している重要な問題として、社会主義とは一体何なのかという問題があり、論議が積み重ねられている状況が読み取れることである。単なる所有権の社会化ではなく、実際に参加し、決定できる社会化、経済から環境に至るあらゆる分野における民主主義と基本的人権の徹底こそが社会主義であるという、そうした基本原則こそが、横行するグローバリズムと新自由主義に対置すべきオルタナティヴとしての、社会主義であるという問題提起である。

 その他、ベーシックインカムについての論争、国会議員が執行部の過半数を超えてはいけないという原則、38の欧州の左翼政党が結集する「欧州左翼」、等々、多くの示唆と教訓、問題提起に富む文書である。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.429 2013年8月24日

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【投稿】参院選・安倍政権大勝と比例する弱点・アキレス腱

【投稿】参院選・安倍政権大勝と比例する弱点・アキレス腱

<<アベノミクスの恩恵>>
 参院選の結果は、自民圧勝に終わり、憲法改悪への動き、緊張激化と軍事費拡大路線、庶民増税と大資本・富裕層減税、解雇規制緩和、非正規労働の拡大、派遣労働の期間制限撤廃、TPP参加による農業と国民皆保険制度の破壊、等々、安倍政権の緊張激化と市場原理主義と弱肉強食の新自由主義路線の動き、そして原発再稼働路線はこれまでにもまして加速されるであろう。日本社会の、小泉政権以来明確に推し進められてきた格差社会路線が、より一層激しい超格差社会へと変貌させる路線の足場が築かれたのである。
 本来ならばこうした大衆窮乏化路線は支持されるはずもないものである。にもかかわらず支持を拡大させ、過半数議席獲得を許したものは、色々な理由が上げられようが、究極のところは、安倍政権の景気拡大政策であったといえよう。民主党政権への政権交代で、新自由主義からの脱却を期待していた庶民の願望は、民主党内松下政経塾派の新自由主義・対米追随路線が主導権をとることによって、緊縮財政路線と増税路線、規制緩和路線によってことごとく裏切られ、小泉政権時代よりも非正規労働が蔓延し、デフレ不況をより一層深刻化させたのである。
 アベノミクスは、本質は同一、より悪質であったとしても、一見これとは異なる景気拡大路線を対置し、国土強靭化計画等、公共投資拡大路線を打ち出し、最賃や賃金の引き上げまで財界に要請するポーズまでとったのであるが、反自民勢力の側には、これに対置されるべき政策がまったく提起できなかったのである。一昨年3月11日の東北大震災と福島第一原発事故は、日本社会がこれまでとはまったく違った政策への転換、脱原発を基幹としたエネルギー政策と疲弊したインフラと防災、介護・医療をも含めた社会的公共資本を再構築する産業政策の根本的転換を促進する、そのようなニューディール政策の提起をこそ要請していた。しかし、新自由主義の足かせはむしろ野党内に根強くはびこり、何も打ち出せずに、ただ傍観して自民の独走を許してしまったことに根本的な敗因があると言えよう。庶民は、アベノミクスの恩恵は「自分には及んでいない」し、「期待してもいない」が「民主党政権よりはましなのかな」という程度のもので、間近に迫らんとするアベノミクスの化けの皮が剥がれる前の段階で、選択肢がそもそもなかったのである。そして安倍政権と自・公与党は、アベノミクスを前面に打ち出す一方で、憲法改正や原発再稼働、TPP、消費税増税、格差拡大問題など国論を二分し、自己に都合の悪い課題はすべて争点からぼかし、野党の批判をかわす戦略が功を奏したのである。

<<沖縄で与党敗北の意義>>
 そうした選挙情勢の空虚さこそが、自民党の大勝を許し、民主党の大敗をもたらし、戦後3番目の低投票率をもたらし、沖縄以外の46選挙区すべてで前回よりも投票率を低下させたのである。
 その沖縄選挙区(改選数1)では、地域政党・沖縄社会大衆党委員長で現職の糸数慶子氏が自民新顔を破り、3選を果たしたことの意義は極めて大きい。31ある全国の1人区で29議席を確保する圧倒的な強さをみせたその中で、沖縄で与党が敗北したのである。資金と運動量、組織力では自民、公明のほうがはるかに大きいと言われ、安倍首相はじめ多数の閣僚を沖縄入りさせるなど強力なテコ入れをしたにもかかわらず、沖縄社会大衆党、生活、共産、社民、みどりの風の「野党共闘」がこうした自民の追い風を跳ね返し、普天間基地の辺野古移設と改憲を掲げる自民党との対決姿勢を鮮明にして、統一した闘いを展開した結果、勝利したのである。反自民統一戦線が勝利し得ることを実際に証明してみせたのである。沖縄以外でこうした野党共闘が一件も成立しなかったことこそが問題であろう。
 共産党は沖縄では「野党共闘」を拒否できなかったのである。独自候補を立てていれば、今回の共産党の躍進も期待できなかったであろう。共産党はこの際その教訓をこそしっかりと汲み取るべきであろう。「自共対決」こそが参院選の最大の論点であるかのように主張し、我が党以外、「いま日本に政党と呼べる政党は一つしか存在しない」と声高に主張し、市民団体や個人が野党共闘を呼びかけ仲介しても、「存在しない」他の政党との共闘は一切拒否する共産党である。その共産党が、東京、大阪、京都の選挙区で議席を獲得した意義は大きいといえるが、獲得した議席は、「目標5議席」としていた比例区を合わせて8議席である。非改選を含めて自民115に対して共産11である。議席数では第5位政党である。目標が5議席で、これのどこが「自共対決」であろうか。たとえ11であろうが、自民と正面から対決できる政党の存在意義は大きいと言えるが、それは他の多くの諸派や無所属を含めた多数派を結集して初めて力を発揮できるものであり、野党共闘や統一戦線の要として信頼されてこそ力になるものであり、改憲阻止は野党共闘や広範で強大な統一戦線の形成なしには達成されえないものである。少々の躍進に浮かれ、自己を唯我独尊的、セクト的に囲い込み、過去や細部の違いにこだわる不寛容な今の共産党の姿勢からは、客観的には自民党の対抗的補完物にしかなりえないものである。
 参院選直前の都議会選挙で共産党の議席が倍増したことについて、共産党の佐々木憲昭衆院議員が<都議選の得票数は61万6721票、前回は70万7602票。得票率は今回は13.61%、前回は12.56%でした。有権者比では今回5.9%、前回6.8%です。議席は倍増でしたが、現実は甘くはありません。>とツイートした冷静で客観的な自己分析できる力こそが問われていると言えよう。

<<改憲発議3分の2達せず>>
 それと同時に注目すべきは、東京選挙区で反原発を訴え、当選を果たした無所属の山本太郎氏が、立候補の過程でその直前まで比例区・選挙区を含め何度も野党統一戦線や統一候補の可能性を探り、結局「今は一人の党」で立候補したのであるが、全国から多くの若者やボランティアが結集し、短期間に一つの大きな渦を作り得たという現実である。そうした様々な力をいかに作り上げ、結集し、巨大な力に盛り立てていくか、そうした努力こそが問われているといえよう。
 憲法改悪問題にしても、いかに自民党が大勝したとはいえ、なおそれでも憲法改正に積極的な自民、みんな、維新など各党の議席は非改選と合わせて、自民115、みんな18、維新9、計142であり、改憲の発議に必要な参院3分の2(162議席)には達していないのである。衆議院では、自民、維新、みんな3党で、すでに3分の2にあたる320議席以上を確保しているが、安倍政権が「友党」と頼む日本維新の会が橋下代表の慰安婦発言等により明確な低落傾向を示したことにより、達成できなかったのである。
 安倍晋三首相は20日夜、東京・秋葉原で行った参院選の最終演説で、これまでほとんど言及していなかった憲法改正への意欲をわざわざ表明し、「誇りある国をつくるためにも憲法を変えていこう。皆さん、私たちはやります」と異例な訴えをしていたのであるが、議席確定後は「経済政策を進め、改憲は落ち着いて議論」と主張せざるを得なくなった。とはいえ、民主党から改憲派が合流する可能性が存在しており、公明党を「加憲」で切り崩す可能性もある。
 その意味で情勢は常に流動的であるが、自民一強体制が築かれたからこそ、自民自身の内部矛盾も激化せざるを得ない。安倍政権は、憲法改正や原発再稼働、TPP、消費税増税、格差拡大問題、歴史認識や慰安婦問題など、いくつもの問題で弱点、アキレス腱を抱えているのである。その意味では砂上の楼閣である。これを突き崩し、切り込む闘い如何で情勢は大きく転換しうるし、転換を成し遂げうる政策と一人一人の個人が自由に参加することのできる幅広い力の結集こそが問われている。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.428 2013年7月27日

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【投稿】 原発―死を「命令」する技術体系

【投稿】 原発―死を「命令」する技術体系
                             福井 杉本達也 

 原発の新安全基準が公布されたことで、7月8日、関電など4電力事業者は大飯・高浜など10基の原発再稼働の申請を原子力規制委員会に行った(玄海原発は12日申請)。福島第一原発事故の原因も分からず、100トンもの融けた核燃料がどこにあるのか、数万トンもある汚染水はどこへ流れていくのかさえわからない泥縄式の事故対策のまま原発を再稼働したいというのである。柏崎刈羽原発の再稼働を申請したいという東電社長の説明に、新潟県の泉田知事は「安全よりおカネ優先ということですね」と迫った(日経:2013.7.6)。カネの亡者と化した我国のパワーエリート層は自らの立ち位置さえ見失っている。

1 死ぬ可能性のある命令に従う技術者集団を(小熊英二)
 福島第一原発が危機的状況に陥った2011年3月11日以降のいわゆる「東電撤退問題」について、『現代思想』誌上で菅直人元首相は小熊英二からインタビューを受けている。小熊は菅の「回想記」などから3月15日未明、東京電力は、福島第一原発からの撤退を打診した(官邸はそう受け止めた)。ヨーロッパなら軍隊は政府の命令ならば残るだろう。しかし、民間会社の従業員ならばみんな残ることを断る。東京電力は民間会社だから死者が出たら責任を負うことは困難である。だから撤退していいかと聞いてくるのも無理もない。しかし、福島第一原発からあのとき作業員が全員撤退していたら、最悪の場合首都圏5000万人が避難しなければならず東日本全体が人が長く住めない地帯になる可能性があったと論点整理の後、菅に問いかける。「原発というのは、最悪の場合には誰かに死んでもらう命令を出さなければならいものであり、日本にはその仕組みがない」ことが如実に示されたと。なぜ「撤退はあり得ない」と決断しえたのかと。菅は、東日本全体が避難を余儀なくされれば、経済も立ち行かなくなり、政治も大混乱になる、「まさに日本という国自身が成り立つかどうか、その瀬戸際に追い込まれることを意味した」、そして、自衛隊や消防は原子炉の専門家ではなく、東電以上に事故対応能力を持つ組織はなかった、と答えている。必要性からやむなく、場合によっては誰かに死んでもらう政治判断がなされた。これを受けて小熊は「原発を維持するなら死ぬ可能性のある命令に従う技術者集団をどこかに作らなければならない」という(菅直人×小熊英二「官邸から見た3.11後の社会の変容」『現代思想』2013.3)。
 一方、3月16日、キャンベル米国務次官補は藤崎駐米大使を呼びつけ「事故は東京電力の問題ではない。国家の問題だ。原発が非常に危険な状態になっている。それを承知で数百人の英雄的な犠牲(Heroic Sacrifice)が必要となってくる。すぐに行動をおこさないと行けない」(朝日:「プロメテウスの罠」2013.1.6)と命令した。米軍は当にするな、米国民の保護のためにしか出動しない。日本国民の「犠牲」の上で早く始末しろということであった。

2 「犠牲」から目を背けるな(山折哲雄)
 これに対し、宗教学者の山折哲雄は「西洋文明には犠牲を前提にして生き残りを図る思想が根本にある」「象徴的なのが、旧約聖書に登場する『ノアの方舟』」であるとし、「フクシマ原発事故でも、作業員の命が犠牲になっても事故を食い止めるべきだという考えが貫かれている」と批判する(山折:「欲望追求の思想は破綻している」『エコノミスト』2011.11.1)。しかし、と山折はいう。我が国では「『撤退』論や『退避』論のなかで、犠牲という問題が正面からとりあげられていないらしいことだった。現場にふみとどまってもらえば、犠牲が出るかもしれない、だから全員を撤退させようと考えたのか、それともたとえ犠牲が出るとして一部の人間だけにはどうしても残ってほしいと考えたのか。」「人命の犠牲にかかわる危機的な論点がやはり隠されていたというほかはない。…犠牲という言葉を使うことが慎重に回避されていたのではないだろうか。」「わが国のメディアのほとんどは、その翌日から、この犠牲という観念と表裏一体の『ヒーロー』という言葉をいっせいに使わなくなる。封印してしまった」「危機における生き残りの道をどう考えるのか」(山折:「危機と日本人-『犠牲』から目を背けるな」日経:2012,6.24)と問う。

3 死を内包する技術体系(筒井哲郎)
 「最悪の場合には誰かに死んでもらう命令」は誰がどのように出せるのか。「最大多数の最大幸福」の為に、「選ばれた少数者」は死ねということができるのか。「選ばれた少数者」とは具体的には誰なのか?東電社員なのか?自衛隊や公務員なのか?くじで決めるのか?志願か?
 プラント技術者の筒井哲郎によると、3月13日、原子炉に注水するための消防車をだれが運転するかに議論が集中したという。放射線量が異常に高い中での作業を東電の社員も地元消防も拒否する中で東電の子会社「南明興産」の社員3名が“恫喝”されて現場に入ったものの、3号機の爆発で負傷した(「死を内包する技術体系」『世界』2013.7)。究極の「死んでもらうもの」は平等ではない。強制的な「志願」もある。高見の見物をするものと立場の弱いものに分けられる。
 筒井は「過酷な問」であると断わりながら「高線量を理由にベントを諦めて爆発を受容しようという態度、原子炉の冷却手段がなくなったから原発を放棄して、爆発・放射性物質の飛散があろうともあとは成り行きに任せようという態度は、原発という技術体系を指揮・運転していく際に許されることであろうか。一般市民の中から千人単位あるいは万人単位の死者を出す事態を防ぐために、数十人あるいは数百人の責任ある関係者の生命を犠牲にするということが必要ではないのか…。」(筒井:同上)これが原発の本質ではないかと自問自答する。「10人の命を救うために1人の人を殺すことは許されるのか」(加藤尚武『現代倫理学入門』)。

4 「死」を「命令」する無内容な「国家」
 「最悪の場合には誰かに死んでもらう命令を出す仕組み」=「国家」をカール・シュミットは「国民の特別な状態であり、しかも、決定的なばあいに決定力をもつ状態であって、」「絶対的状態なのである。」と定義する。「決定的な政治的単位としての国家は、途方もない権限を一手に集中している。すなわち、戦争を遂行し、かつそれによって公然と人間の生命を意のままにする可能性である。」「それは、自国民に対しては死の覚悟を、また殺人の覚悟を要求するとともに、敵方に立つ人びとを殺りくするという、二重の可能性を意味する。」(シュミット:『政治的なものの概念』)という。
 ところが、今回の福島原発事故で、国家は「知識」も「決定力」も「実行力」も何も持ち合わせていないことが明らかとなった。国家という組織体の中身は空っぽ=主権者(王様)は裸であることが明らかとなった。事故を収束させる為の何の見通しも見識も持たず、根拠のない楽観論だけが支配した。原子力の安全の全てを把握しているはずの斑目原子力安全委員長は菅元首相の問いに原発は「爆発はしない」と明言した。実質的な責任者中の責任者であるべき寺坂信昭原子力・保安院長は3月11日午後7時すぎには職場放棄してしまった。その後国会事故調の参考人聴取に対し「私はどうしても事務系の人間でございますので」と答えている。
 戦争にあたり、国家は通常「敵から人間としての性質を剥奪し、敵を非合法・非人間と宣告し、それによって戦争を、極端に非人間的なものにまで推しすすめようとする」(シュミット:同上)が、それでも相手は人間である。核の場合相手は目に見えない放射線であり、あらゆる物質を貫通し、大量に浴びれば即死であり、又は数週間以内に死亡する。低線量被曝でも将来がんになる。しかも、人間の寿命の何十倍・何万倍もの長期戦を強いる。そのようなものに“からっぽ”の国家の命令で闇雲の「犠牲」を強いるならば「犬死」以外の何ものでもない。そもそも、原発事故はいつどのように起こるか、どのように推移するさえ分かっていない。発電所の大きな損傷と放射能の放出に至った事故は、ウインズケール・スリーマイル・チェルノブイリ・福島があるが、各事故は別々の原因で起こっている。「これは原子力発電はまだ極めて未熟な技術で、どのような原因で事故が起こるかもまだ本当にはよく分かっていない」ということである(牧野淳一郎:「畑村委員会中間報告に書かれていないこと」『科学』2012.2)。「決定的な場合の決定力」は自然の方に握られており、全くの未知である。

5 「正しい選択」とは?
 「『危機的状況を乗り越えるために正しい選択をするにはどういう能力がいるんでしょう?』とか。でも実は、そんな問いをしている時点でもう手遅れなんですよ。AかBのどちらかを選んだら生き残る、どちらかを選んだら死ぬ、というような切羽詰まった『究極の選択』状況に立ち至った人は、そこにたどり着く前にさまざまな分岐点でことごとく間違った選択をし続けてきた人なんだから。それまで無数のシグナルが『こっちに行かないほうがいいよ』というメッセージを送っていたのに、それを全部読み落とした人だけが究極の選択にたどり着く。」「正しい決断を下さないとおしまい、というような状況に追い込まれた人間はすでにたっぷりと負けが込んでいる。」(内田樹『評価と贈与の経済学』)。
 人類は「将来の技術的が解決する」、「今儲かればよい」、「取りあえず今の生活」、「誰か何とかしてくれる」、「地下に入れて見えなけれ」、「10万年後には誰もいない」として過去71年間、核に対しことごとく間違った選択を続けてきてしまった。その結果、日本は福島原発で「10人の命を救うために1人の人を殺す」選択をせざるを得ない立場に追い込まれてしまった。正しい選択とは『究極の選択』=『出来ないような選択』をしないことである。そのためには核を放棄するしか『選択』の道はない。 

 【出典】 アサート No.428 2013年7月27日

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【本の紹介】日本経済の憂鬱–デフレ不況の政治経済学–

【本の紹介】日本経済の憂鬱–デフレ不況の政治経済学–
         佐和隆光 ダイヤモンド社 2013年6月27日 1600円+税 

 アベノミクスとは一体何なのか。政権が変わるだけで、円安になり、株が上がり、経済がよくなったのか。いろいろな「アベノミクス関連本」を読んできた。今回、紹介する本を読み、これが一番的を得ているのではないか、と感じたので、紹介したいと思う。
 
 <自民党のポピュリズム的選挙戦略>
 「アベノミクスはあやうい。ねらいは、小泉構造改革との決別、そして国家資本主義の復活なのだ。」これが、本の表紙に書かれている。
 本書の構成は、まず前政権である民主党政権の敗北の要因分析で始まり、次にアベノミクスの解明という展開である。
 「・・・3年3ヶ月間、政権の座にあった民主党は、長引く経済停滞に不満を鬱積させた有権者の『声なき声』を聴きとるに足る感性を持ち合わせていなかった。2009年衆議院選挙の民主党マニュフェストは、リベラル色を鮮明に打ち出していたのだが、その中身は分配面の施策に片寄りすぎており、欧米のリベラリストがもっとも重視する経済成長や雇用への配慮を欠いていた。・・・一言で言うと3年3ヶ月つづいた民主党政権の『経済無策』こそが最大の敗因だったと、私は考える。」(P12)
 一方、自民党は「機を見るに敏だった」。経済無策の民主党の虚をついた。自民党の公約は「経済を取り戻す」「安心を取り戻す」として、経済成長、社会福祉、雇用に関する公約が大半を占め、「デフレ・円高不況を克服する成長戦略を前面に打ち出した。」優れて、ポピュリズム的選挙戦略が功を奏した、と著者は語る。
 小泉構造改革は、市場にすべて委ねるという意味で、新自由主義を純化させたが、安倍の経済政策・アベノミクスは、規制緩和等は含まれているが、「官主導」が明らかである。 

<正体不明のアベノミクス>
 「①日銀の独立性の侵害、②公共投資の大幅増額、③道路特別会計の復活、④国債の乱発、⑤高額所得者への増税、⑤日本企業の海外展開を支援する官民ファンドの創設・・など、(アベノミクスは)産業政策的色合いが濃いこと、そして「人からコンクリートへ」の資金のシフトを際だたせる一方、相続税の増税、高額所得者の所得税増税というリベラルな税制改革を組みあわせるなど、アベノミクスは、保守とリベラルと言う対立軸を超越した、経済成長至上主義に徹する経済政策にほかならない」(P27)と著者は分析する。
 それは、小泉政権が、ぶっ潰そうとした古い自民党の復活でもある。
 第四章日本経済の躍進と挫折、第五章日本経済はどこへいくでは、アベノミクスの三つの矢の分析や、個別政策の評価を行い、問題点を指摘されているが著者は、敢えてアベノミクスの評価を下していない。まだ、結果は出ていないという意味であろうか。
 円安・株高で、高額所得者や資産家の支出は増えても、経済的弱者には、何の成果も出ていないこと、制限のない国債の乱発と金利上昇にどう対処するのかも、シナリオが示されていないことなど、まさに「アベノミクスはあやうい」と指摘される。
 
<民主党は、リベラル政党なのか>
 アベノミクスの分析に続いて、日本の戦後政治の変遷、民主党の政権交代後の対応にも厳しい批判を展開される。私がすっきりした印象を持つのは、むしろこの部分かもしれない。「正統派リベラル政権ならば、まずは正規雇用の確保と賃金の上昇を第一義とし、そのために必要不可欠な経済成長に取り組み、消費税増税ではなく個人所得税の累進性を高めることにより財政赤字の縮減をはかりつつ、公共投資を誘い水とする内需誘発効果を発揮させ、国内総生産(GDP)の成長と拡大をめざすべきであった。」(P179)
 それが出来ない民主党であって、リベラルと保守、そして新自由主義が混在した政党だったため、消費増税を巡り分裂も起こり、アベノミクスにも、一貫した批判と対案が打ち出せないのだろう。
 「日本経済の憂鬱」との題名だか、政治の憂鬱も解明されているように思う。(2013-07-22佐野) 

 【出典】 アサート No.428 2013年7月27日

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【書評】『チベットの秘密』

【書評】『チベットの秘密』
     ツェリン・オーセル/王力雄著、劉燕子編訳
      (集広舎、2012年11月発行、2,800円+税) 

 「チベット女流詩人のツェリン・オーセル(茨仁・唯色)は、中国共産党の独裁体制下で出版を禁じられ、日常的に様々な制約や圧力を受け、さらに何度申請してもパスポートを取得できず、その不当性を提訴しても受理されないため、自分を『国内亡命者』と呼んでいる」(本書の編訳者、劉燕子による解説)。
 本書は、中国によって「解放」されたはずのチベットで現在何が起こっているかを,詩とエッセイによってわれわれに知らせる。著者のオーセルは1966年文化大革命下のラサに生まれ、少数民族幹部育成を目的とした西南民族学院で漢語文(中国語・中国文学)を専攻し、ラサで『西蔵文学』の漢語編集者となった。しかし2003年に出版したエッセイ集『西蔵筆記』に「政治的錯誤」があるとして発禁処分、解職となった。その後中国当局による監視・自宅軟禁、「ネット愛国者の非難やサイバー攻撃」を繰り返し受けつつも、「チベットの秘密」—-中国政府によるチベット語・チベット仏教・固有の文化・生活様式の否定(文化的ジェノサイド)、環境汚染、資源の枯渇、徹底的な情報統制、プロパガンダ──を国際社会に知らせ続けている。
 そのチベットでの最大の事件が「三・一四事件」(2008年)である。チベット各地で発生して世界中の衝撃を与えたこの事件は、中国当局によって大規模な暴動とされた。しかしオーセルは、「これは、三月十日から始まりました。この日はチベット史において最も悲壮な記念の日です。四十九年前、無数のチベット人が立ち上がり、チベットを占領した中共に抵抗しましたが、武力鎮圧され、ダライ・ラマ尊者と数万のチベット人は、故郷を追われ、異国に亡命しました。そのため三月十日は、チベット人が骨に刻み、心に銘記する日となり、また中共がものものしく警備を固める日にもなりました」(エッセイ「チベット・二〇〇八年」)と歴史的な経緯を指摘する。そして「三・一四事件」が決して突発的なものではなく、三月十日以降、僧侶たちの平和的な請願に、当局の軍隊・警察による過酷な暴行が加えられたことに対する爆発であったと訴える。
 そしてその後の状況を次の文章が伝える(エッセイ「ラサ駅」)。
 「ラサから中国内地に向かう列車はみな早朝に発車しますが、チベット暦の土鼠年(2008年)の三月は、しばらく運行しませんでした。もちろん、運行停止となったのは、中国と外国が出資し、マスメディアが注目するモダンな旅客列車で、その代わりに兵士と武器を運ぶ軍用列車が走りましたが、外部にはほとんど知られていません。/〈略〉/他にも外部に知られていないことがあります。二〇〇八年四月、三大寺の僧侶が千人も頭に黒い袋をかぶせられて、ラサ駅に連行され、古い汚れた列車で運ばれて行きました。目撃した者によれば、靴さえ履かない裸足の僧侶もたくさんいたそうです」。
 さらに次のような場面もある。
 「あの時、ラサ駅は、僧侶が追放されただけでなく、チベット人を拘禁する臨時刑務所にもなりました。駅の中の二つの大きな倉庫は臨時の監獄となり、数千名のチベット人が拘禁されました。官制の新聞は『「三・一四」で暴力、破壊、略奪、放火した者』と書きましたが、でも、大多数は全く加わっていません。その中には、野菜を買いに出た家政婦もいれば、通勤途上の会社員もいます。(略)他にも大学生から制服姿の中高生まで百人以上も連行されました。/捕まえたのは軍隊や公安警察でしたが、軍隊の手にかかるとこの上なく悲惨でした。様々な虐待を受けました。受刑者たちは、自分で刑具を選ばせられました。鉄の棒を選んだ者は肋骨を折られました。バネを選んだ者は皮や肉を挟まれて剥ぎ取られました。電線を選んだ者は知覚を失うほど電流を通されました、等々」。
 この後チベットでの日常生活は変わっていく(エッセイ「いつも『サプサプチェ』という声が耳元に響いている」)。
 「チベット暦の土鼠年(二〇〇八年)のある日でした。私はキオスクの公衆電話を使い、(略)二人の友人に時候の挨拶をしました。二人とも『大丈夫、何とか安全だ』と言いました。二人はそれぞれ異なる場所にいますが、同じように『サプサプチェ(本当に気をつけて、という意味)』と繰り返し言い続けました。(略)そして、ある年のロサル(チベット暦の元日)に、ラサで、一人の友人が酒の力を借りて本心を吐露したことを思い出しました。 『今じゃ、時候の挨拶を交わす時にタシデレ(タシは喜慶、デレは吉祥を意味し、タシデレで『おめでとう』を意味する挨拶になる)なんて言わなくてもいい。おれたちはタシでもないし、デレでもない。お互いにサプサプチェと言って気をつけていなければならないんだ」。
 さらにこうした弾圧に並行して、「西新プロジェクト」なる「政治プロジェクト」が強力に推し進められる。その狙いは、「極めて効果的な送信機を配置して、国際メディアの情報が入りこむのを妨害すること」にある。例えばVOAのチベット語放送を視聴できなくするために「一千以上のステーションを設置し、上空に侵入不可能の金城鉄壁を構築」し、寺院や民家にあった衛星放送受信設備を没収、廃棄する。また「二〇〇九年三月、当局は衛星放送受信設備をチベット人に特注し、『チベット百万農奴解放記念日』の贈り物だとして、都市から農村、遊牧地域まで各家庭に配りました。それは、チベット人が『党と国家の声』しか聞かないようにするため」であった(エッセイ「『敵の声を封じ込める』という『西新プロジェクト』」)。
 こうして二千十二年二月、チベット自治区党委員会書記の陳全国は、このプロジェクトについて次のように語っている。
 「チベットではインターネットや携帯電話の実名登録の優位性を発揮させ、情報システムの管理監督を完遂し、空中、地上、ネットからの侵入を阻止するコントロール・システムを修築し、自治区一二〇万平方キロメートルの広範な地域において、党中央の声が聞こえ、党の姿が見え、ダライ集団の声は聞こえず、姿も見えないことを徹底させ、イデオロギーと文化における絶対的な安全を確保する」と。
 しかしこうした政策にもかかわらず、中国当局へのチベット人の抵抗は止む気配がない。それは彼らの心の奥底に関わっている問題だからである。著者は語る。
 「漢民族の文化には『落葉帰根(落ち葉は根に帰る)』ということわざがあります。根(ルーツ)とは、先祖代受け継いできた故郷で、いかなる民族にとってもかけがえのない独自の生の空間です。ですから、何と言おうとも、チベット人からルーツを冷酷に根こそぎ抜いて、全く無頓着に、ただ食べて、排泄して、寝るだけしかできない牛小屋同前の住居を与えて、すべてお終いにするなどということは許されません。人間は家畜ではないのです」(エッセイ「内部調査書が示す、移住させられたチベット人の悲惨な状況」)。
そしてチベット人の燃え続ける抵抗の炎は、監獄に捕らわれた尼僧たちの詩に託して語られる。
 「彼女たちが朗唱する軽やかな声が聞こえて来るようです。/『かぐわしい蓮の花は、太陽[毛沢東は「紅太陽(赤い太陽)」と崇拝された]に照らされて、枯れてしまいました。/チベットの雪山は、太陽の熱で焼け焦げてしまいました。/でも、永遠の希望の石は命をかけて独立を守る私たち青年を守ります』(『タプチュ監獄で歌う尼僧』の歌声の一つ)/いいえ。いいえ。私は政治の暗い影を決して詩に入れるつもりはありません。/でも、どうしても考えてしまうのです。獄中の十代のアニはなぜ恐れないのでしょう?」
 このように本書は、われわれの知らされていない、政治のみならず、言語、宗教、文化、生活習慣等々、あらゆる面で抑圧され、鎖に繋がれたチベットの状況をリアルに伝える。その闘いはこれからも続くであろう。しかし本書には同時に、著者のパートナーである王力雄による「チベット独立へのロードマップ」も収められており、チベットの将来への指針となっている。さらに言えば、現在中国政府がチベットに対して行っている植民地政策は、かつて日本帝国主義が朝鮮の人びとに対して行った文化的ジェノサイドと共通の様相を呈してはいないだろうか。チベット問題は、中国の政治体制の民主化の問題であると同時に、われわれの現在と過去に関わる問題でもある。(R) 

 【出典】 アサート No.428 2013年7月27日

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