【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(6)

【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(6)

▼ 2月の都知事選以来、4月初めの京都府知事選、4月末の鹿児島2区補選、那覇市長選と、安倍政権は自民・公明連合による徹底した争点隠しとまやかしのアベノミクスとバラマキ政策の選挙戦略で連勝してきたが、この7月13日・投開票の滋賀県知事選でついに敗北を喫する事態となった。嘉田前知事の「卒原発」を引き継いだ前民主党衆院議員・三日月氏に勝てなかったのである。この選挙で勝利し、集団的自衛権も原発再稼働も「国民の理解を得た」として、さらなる暴走を加速させようとしていた安倍政権にとっては手痛い敗北である。
告示前の自民党調査では、自民・公明候補が11ポイント差でリードし、内閣参事官として安倍政権の成長戦略の立案に携わり、原発の推進と再稼働に固執する資源エネルギー庁エリート官僚であった小鑓氏が、当初こそは楽勝・圧勝ムードであったが、明らかに潮目の変化が生じ、奢りおたけぶ安倍政権にとっては思わぬ逆風が吹き始めたのである。激戦必至の情勢にあわてて自民党は強力な支援態勢を敷き、安倍首相自身が外遊先のオーストラリアからも、直々に滋賀の業界団体などに電話を入れ、石破幹事長や菅官房長官、多くの閣僚や小泉進次郎氏ら、100人を超える国会議員を投入、猛烈な組織戦を展開、巨額の公共事業やバラマキをチラつかせ、地方選挙としては異例の態勢で臨んで巻き返しを図ったが、それでも敗北したのである。
▼ さらに、「常勝関西」と呼ばれる関西創価学会の最高幹部が「滋賀が大変だ。安倍政権凋落の分岐点になりかねない」と危機感を煽り、「小鑓さんには山口代表が自ら推薦証を渡した」「われわれもかつてないほど力を入れている」とかけずり回った。しかし、7/1の集団的自衛権の閣議決定に公明党が押し切られて以降、「こんなことは許されない」といった支持者の不満が噴出し始め、公明党・創価学会の動きは、幹部が総力戦を強調すれども、「平和の党」の看板が汚され、「お得意の期日前投票にも行ってくれない」事態に幹部が嘆き、すべてが平和憲法を骨抜きにしてしまったことへの釈明に追い込まれてしまったのである。
今次安倍政権の発足以来、与野党が対立する構図の国政・知事選で自民・公明の与党連合が敗北したのは初めてのことである。安倍首相自身がこの敗北について、「十分な反省に立って国民目線の政策を進めたい。政権与党には常に国民の厳しい目線が向けられる。要因の分析が大切だ。(敗北に)集団的自衛権の議論が影響していないと言うつもりは毛頭ない」と語り、自民党の石破幹事長が、今後の政権運営への影響について「我が党が全面支援した候補が敗れたことは重く受け止める。」と言わざるを得ない事態である。
原発政策が争点となる10月の福島県知事選、米軍普天間飛行場の移設・辺野古への新基地建設の是非が争われる11月の沖縄県知事選を控え、与党連合にとっては逃れられない暗雲が漂い始めたのである。
▼ 滋賀県知事選の投票率は当初は40%台とみられていたが、最終的には50%を超え(50・15%)、参院選と知事選とのダブル選であった前回の61・56%を下回りはしたが、前々回の44・94%を大きく押し上げた無党派層の票は、自公候補を拒否し、ほとんどが三日月陣営に流れたとみられている。選挙結果は以下の通りである。

三日月大造 前民主党衆院議員      253,728 票 得票率 46.3%
小鑓 隆史 元経産官僚、自民、公明推薦 240,652 票 得票率 43.9%
坪田五久男 共産党県常任委員、共産推薦 53,280 票 得票率  9.7%

その差は軽視できないが、13,000票余りの僅差である。
三日月氏は民主党の推薦を断り、草の根選挙をアピールした。三日月氏と嘉田由紀子前知事が共同代表となり、選挙母体となった「チームしが」は、民主党から嘉田支持者までの幅広い勢力を結集する受け皿として、せっけん運動から続く湖国の草の根自治の理念を受け継ぐとしている。琵琶湖を抱え福井に密集する原発銀座に直面している滋賀県を念頭に、三日月氏は当選後の記者会見で「県民がエネルギー政策に意思表示した。3・11を教訓にした『卒原発』の取り組みをしっかり推進したい。」と決意を表明している。公約を反故にすればたちまち逆転されかねない僅差である。
▼ ここで問題なのは、このような僅差の中での共産党推薦候補の存在である。選挙結果について初めて報道した7/15付しんぶん「赤旗」の記事は、その重要性からは程遠いまったく小さな扱いでしかなく、共産推薦候補について「善戦しました。前回知事選の得票(36,126票)を約1.5倍と伸ばしました」とし、「滋賀知事選 自公敗れる」と題して「当選には至りませんでしたが、日本共産党と県民の共同が安倍政権を追い込みました。」と、内容はたったこれだけである。都合の悪いことには一切触れない、「県民の共同」の中身もなければ、与党連合を敗北に追い込んだ知事選の意義も、分析も、総括も反省もない。それにしてもまったく白々しい、恥ずかしいものである。良識ある党員・支持者は嘆き悲しみ、落胆しているであろう。
同じ7/15付しんぶん「赤旗」の主張「日本共産党92周年」は「自民党と日本共産党の対決―『自共対決』の構図はいよいよ鮮明です。」と述べている。共産候補のこの得票でどこが「自共対決」なのか、どこが鮮明なのか。「自共対決」どころか、客観的には「自共共闘」であり、自民・公明候補を間接的に応援・支援し、利する立候補なのである。今に始まったことではないが、一体何のために立候補したのかその見識が根底から疑われるものである。
そこにあるのは、「我が党」こそが一貫して正しく、「我が党」以外は全て本来の政党ではなく、「我が党」の勢力拡大をこそ全てに優先させるべきであるという、長年患い、身から滲み出しているセクト主義という業病である。
▼ 4/21付しんぶん「赤旗」は、「『一点共闘」を日本の政治を変える統一戦線に」と題して、全国革新懇懇談会での志位委員長の報告を全文掲載し、これが今の党の統一戦線に関する指針となっている。
そこでは、「一点共闘」の広がりの第一は、無党派の新しい市民運動、第二は、保守との共同、第三に、労働運動でナショナルセンターの違いをこえた共同行動、第四に、地方の「オール○○」という形での「一点共闘」が各地で起こっていることは、きわめて重要です。「大阪では独特の形態での「一点共闘」の発展があります。維新の会の暴走ストップという「一点共闘」です。」と述べて、締めくくりとして「私は、一致する要求実現のために、政党・団体・個人が対等・平等で共同し、お互いに気持ちよく存分の力を発揮するというのは、統一戦線の大道を歩むものだし、そこに踏み切ってこそ国民的な力が一番深いところから発揮されるのではないかと感じています。ぜひ、こうした共同のあり方を発展させたいと願っています。」と述べている。
共闘の広がりを評価していることは前進といえようが、この最後の「対等・平等で共同し、お互いに気持ちよく」にその本音とその裏に潜む含意がよく現れている。つまりは、「我が党」の視点から見て、対等・平等ではなく、気持ちよくなければ、一緒に闘うことも、統一戦線に加わることもありません、「我が党」を批判するような、「我が党」の意に沿わないような方々とは「一点共闘」もありえませんというわけである。
ただし、維新の会の暴走ストップという「一点共闘のようなもの」は、共産党が独自候補を立てれば、あまりにも浮いた存在となり、敵を利すること鮮明であり、猛烈な批判を招きかねないという客観情勢に押されてやむなく立候補を断念したに過ぎないものである。沖縄県知事選についても同様である。独自候補を立てる余地がなかったのである。
それは、その場限りの「一点共闘」はありえても、広範で多様な人々を結集した本来の統一戦線に踏み切れない、「我が党」の立場と違う異見を許さない、異見が出てくるとそれを封じ込める共産党の体質であると同時に、異見を柔軟に取り入れ、あるいは折り合いをつけ、新しい質と豊かさを獲得していく、自信のなさの表れでもある。
▼ この志位委員長の報告後の5/25付しんぶん「赤旗」は、「力点を党勢拡大にシフトしよう」と題して、「党員、日刊紙、日曜版ともに後退する危険が大きい現状に鑑み、躊躇なく党勢拡大に力点をシフトすることを呼びかけます。」という「躍進月間」推進本部の呼びかけを大きく掲載している。「力点を党勢拡大にシフト」すること、共闘、統一戦線の拡大やその発展よりも、躊躇なく「我が党」の党員に取り込んでいくことが優先されるセクト主義がここでも如実に示されている。「一点共闘」もそのための手段、道具でしかなくなるのである。

この7月6日、大阪弁護士会主催による野外集会「平和主義が危ない! 秘密保護法廃止!!」が開かれ、雨の中約6000人が集会に結集し、3コースのデモ行進が行われた。大阪では久方ぶりに、大阪平和人権センターに結集する諸団体や市民運動が主体となってきた集会に、写真(筆者撮影)にあるようにそれほど多くはないが共産党系の人々も参加する集会、デモとなった。集会では、民主党、共産党、社会民主党、生活の党、大阪平和人権センター、全日本おばちゃん党、大阪憲法会議等々の代表がそれぞれ挨拶と決意表明を行い、共産党からは山下芳生・書記局長が「弁護士会に敬意を評します」と述べた上で、「たたかいはこれからです。法案の一つ一つをみんなの力で葬り去りましょう。」と訴えた。7/8付「しんぶん赤旗」も1面に写真入りで報道している。
弁護士会が党派を超えた結集の軸になり、共産党が「一点共闘」としてこれに参加したことは確かに一歩前進ではある。しかし、弁護士会という仲立ちがなければ、「一点共闘」すら成立させることができ得ない、今の「統一戦線」は、足し算としての「和」にはなったかもしれないが、本来獲得すべき掛け算としての「積」にはほど遠く、安倍内閣の暴走に比して、なんとも歯がゆい遅々たるものである。こうした現状を打破する統一戦線の構築こそが望まれている。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.440 2014年7月26日

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【投稿】「ならずもの国家」へ突き進む安倍政権

【投稿】「ならずもの国家」へ突き進む安倍政権

<傲岸不遜そのもの>
 高支持率と絶対安定多数に奢れる安倍政権は、この間軍事政策を始めとする全般的な分野で、国会、国民そして民主主義、司法(「諫早」、「大飯」、「厚木」判決など)憲法を軽視、侮蔑する言動を繰り返している。
 この政治姿勢は国内のみならず周辺地域に向けても発露されており、東アジアの緊張を高め、国際社会から危険視される方向へ日本を導いている。
 石原環境大臣は6月16日、核汚染廃棄物の中間貯蔵施設建設問題に関し、受け入れに難色を示す福島県自治体、住民に「最後は金目でしょ」という暴言を投げつけた。
 これは、前日までに開催された建設予定候補地である福島県双葉町と大熊町の住民らに対する説明会で、用地買収などの補償額が明確に示されなかったことに対し、参加者から批判が相次いだことへの苛立ちからの発言である。
 こうした事象は、これまでも問題発言を繰り返している石原環境大臣個人の資質もさることながら、安倍政権の驕り高ぶった認識の反映である。
 石原大臣に対しては、衆議院での不信任決議案と参議院での問責決議案が出されたが、与党の反対多数で否決されたが、発言の撤回と地元での謝罪を余儀なくされた。
 1月には名護市長選挙に際して石破幹事長が500億円の「地域振興基金構想」を提示し、露骨な利益誘導を目論んだ。これも「最後は金目」と思い込んでいたからである。
 名護市民を舐めきった提案は手痛い反撃を受けたが、安倍政権は旧態依然の政治手法をまったく反省などしていないことが、今回の石原発言で明らかになった。
 6月18日東京都議会では、少子化対策について質問中の女性議員に対し自民党都議が「早く自分が結婚すれば」「子供を産めないのか」などと、聞くに堪えない差別的ヤジを飛ばした。
 発言そのものも大問題であるが、対象が国政における準与党であるみんなの党所属議員であり、安倍総理にも子供がいないことを考えれば、政治的センスゼロの天に唾する発言であるが、国会、自治体議会を問わず与党に胡坐をかく自民党の認識の一端を如実に示すものと言える。
 自民党女性議員からも批判の声が上がるなど、問題の拡大に慌てた石破幹事長は「あってはならないこと」などと火消しに躍起だが、まず自らの所業を反省すべきだろう。
 こうした傲岸不遜、蒙昧無知の言動は国内だけに止まらない。安倍内閣は軍拡政策の一環として、武器輸出の推進を目論んでおり、6月下旬パリで開催された世界最大規模の兵器見本市(ユーロサトリ)に三菱重工業などが出展した。
 この視察に訪れた武田防衛副大臣は、外国企業のブースで展示品の自動小銃を構え、笑みを浮かべながら銃口を周囲の人に向けるという常軌を逸する行動をとった。軍事に携わる政治家が最低限のマナーさえ守れないという光景は、日本の軍事政策の危うさを象徴するものでもある。

<戦争性暴力被害者を冒涜>
 安倍政権の高慢さは対外政策に於いても顕著となっており日本の孤立化を自ら招いている。
 政府は6月20日、従軍慰安婦問題に関する「河野談話」の検証結果を公表した。当初安倍政権は談話そのものの否定を目論んでいたが、アメリカの反発により「検証はするが見直しはしない」という矛盾した方針に転換した。
 検証報告では「日韓両政府は談話の表現を事前にすり合わせした」「両政府は事前調整について非公表とすることとした」「元従軍慰安婦の聞き取り内容の確認作業は行われなかった」など河野談話の信頼性を損ねる内容が羅列されている。
 政府は検証作業は公正に行われたと主張するが、結論は最初から決まっているわけであり茶番劇そのものである。
 案の定答えは「韓国からの要請で事実に基づかずに作成された政治的妥協の産物」という趣旨であり、さらに「元慰安婦は『補償金』を受け取っている」と「最後は金目でしょ」という安倍政権の思想に貫かれたものとなっている。
 今回の検証作業で「河野談話」は実質的に否定されたも同然であり、いくら安倍政権が「談話を継承する」と唱えようと、それに基づいた根本的解決の道は、一方的に閉ざされたのである。
 6月上旬にはロンドンで「紛争における性的暴力停止のためのグローバルサミット」が開かれ、150か国から政府関係者、法律家、軍人、NGOなど1200人が参加した。
 この会議で韓国政府代表は従軍慰安婦問題に言及したが、日本政府は、河野談話の検証作業はおくびにも出さず、まともな反論はできなかった。
 これに先立つ6月7日にはフランスで、ノルマンディー上陸70周年の記念式典が挙行され、米英仏露の旧連合国に加え敗戦国のドイツも加えた各国首脳が一堂に会し、第2次世界大戦の結果を尊重することを確認した。
 このような国際的潮流に挑戦するかのように、6月15日、日本維新の会の橋下共同代表(当時)は、大阪市内の街頭演説で「ノルマンディー上陸作戦の後、連合軍兵士もフランス人女性をレイプした」と相も変わらない歪んだ歴史認識を露わにした。
 日本政府の強硬姿勢を後押しするような発言は、「地球儀を俯瞰する価値観外交」で成果を出せない安倍総理を勇気づけたことだろう。
 安倍総理は、6月4,5日ブリュッセルで開かれたG7サミットで「中国脅威論」を懸命に説いてまわったが、各国首脳の関心はウクライナ情勢に集中し、首脳宣言でロシアとは対照的に中国を名指しさせることはできなかった。
 反対に3月欧州を歴訪した習近平主席や、6月17日に訪英した李克強首相は異例の厚遇を受け、中国と欧州各国の経済協力関係は一層深化した。
 6月の一連の動きはアジアで強硬姿勢を見せる日本政府の主張は、国際社会では受け入れられていないことを浮き彫りにしたのである。

<日本発脅威の拡散>
 安倍政権は世界における日本への視線を一顧だにせず、軍拡による緊張激化を推し進めている。
 集団的自衛権解禁に関して6月13日、自民党の高村副総裁は公明党に対し武力行使の「新3要件」を示した。
 その内容は、①我が国に対する武力攻撃が発生、又は他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される「おそれ」がある ②国民の権利を守るために他に適当な手段がない ③必要最小限度の実力行使にとどまるべき、となっている。
 この時点では想定される武力行使は「自衛権」に限定されたものとなっており、公明党も第1項目の「おそれ」が拡大解釈を招くので、この表現を削除すれば、与党合意に向けた論議が進む状況となっていた。
 しかし、自民党は19日なり突然「たとえばペルシャ湾(ホルムズ海峡)での機雷掃海については集団安全保障としての参戦も可能」として、「新3要件」は集団安全保障発動下でも適用できると主張を転換したため、公明党が態度を硬化させることとなった。
 この間のイラクにおけるスンニ派の武装集団「イラクとシリアのイスラムの国」(ISIS)の勢力拡大による情勢の不安定化で、「米軍参戦も有りうる」と慌てた外務官僚が自民党に吹き込んだのだろう。
 ところが肝心のアメリカは早々にオバマ大統領が「地上兵力は派遣しない」と表明、空爆も当面行わず、情報収集のため300人の特殊部隊など派遣するにとどまっている。
 今後もアメリカの大規模な介入の可能性は低く、イラク情勢が国連決議を経た集団安全保障の発動に至る恐れはない。自民党の提起は勇み足の形となった。
 安倍政権は、7月第1週の閣議決定を目論んでおり、その文言も「離島防衛」などいわゆる「グレーゾーン」などについてはほぼ固まっており、核心部分の「集団的自衛権」部分の調整を残すのみとなっていた。
 それを米軍支援どころか事実上の多国籍軍参加まで拡大し、安倍総理自身の「湾岸戦争やイラク戦争などのような事態に自衛隊が武力行使を目的に参加することは決してない」との国会答弁を、舌の根の乾かないうちに否定するような内容を国会閉会中に閣議決定を強行しようというのである。
 これまでも、安倍政権は中東地域に「海賊対処法」に基づき派遣していた海自部隊を、目的が同じだからと、昨年12月から多国籍軍(艦隊)である「第151合同任務部隊」に参加させており、法的根拠の相違は無視してきた。
 今回は相手が海賊ではなく国家レベルになるかもしれないということで、法整備に躍起になっているのである。
 まさに奇襲攻撃、騙し討ちと言いうべきものだろう。こうした安倍政権の政治姿勢は、東アジアに於ける振る舞いも含め、国際社会からは「民主主義という価値観を共有する国」とは見られず、地域ばかりか、世界的に緊張を高めかねない存在として注視されることになるだろう。
 先の国会で野党は存在意義を発揮できなかったが、今後単なる数合わせではなく政策による対抗軸構築を進め、安倍政権の暴走に歯止めをかけていかねばならない。(大阪O)

 【出典】 アサート No.439 2014年6月28日

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【投稿】画期的な大飯原発差し止め判決

【投稿】画期的な大飯原発差し止め判決
                           福井 杉本達也 

1 画期的な判決
 福井地方裁判所(樋口英明裁判長)は5月21日、関西電力大飯3,4号炉の稼働を禁止する判決を下した。判決は大飯原発が持つ危険性に対する関西電力の見通しはあまりに楽観的であり、その安全対策には福島第一原子力発電所の事故の教訓が充分に生かされていないと指摘した。福島第一原発の事故発生以来、日本国内にある50基の稼働可能な原発は点検と安全確認のため停止したが、2012年6月8日、当時の民主党野田政権は強引にも大飯原発の3号機、4号機のみを夏場の電力不足に備えるためと称して、2012~2013年にかけ、一時再稼働した。これに対し、大飯原発の周辺で生活する約200人の住民が、2012年11月関西電力を告訴、そして今回福井地裁から再稼働を禁じる命令が下った。
 
2 福島原発事故の反省の上に
 判決は「事故が起きると多くの人に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度な信頼性が求められる」とし、「15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、原子力発電技術の危険性の本質及び被害の大きさは福島原発事故で十分明らかになっている。自然災害と戦争以外で、この根源的権利が極めて広範に奪われるという事態を招く可能性があるのは原発事故のほかは想定しがたい。」と断定した。福島原発事故の反省に立ち、目の前にある事実をしっかりと踏まえた内容である。

3 250キロ圏内の住民に原告適格を認める
 判決は「原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難勧告する可能性を検討した。チェルノブイリ事故の場合の避難区域も同様の規模に及んでいる。」と述べ、その圏内の住民の原告適格を認めた。これまでは、裁判の度に、入口で「原告適格」を争われ、「当該住民の居住する地域と原子炉の位置との距離関係を中心として、社会通念に照らし、合理的に判断すべきものである」として、本来の原発の安全性論争に入る手前で訴えの資格があるかどうかという異様な消耗戦を強いられてきた。今回の判決はその「資格」を大幅に広げた。
 250キロ圏の危険を指摘したのは、事故当時の菅首相からの指示を受けて近藤駿介原子力委員長が作成した「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」であるが、(2011.3.25 http://www.asahi-net.or.jp/~pn8r-fjsk/saiakusinario.pdf)事故後10か月も経った2012年1月に情報公開されている。強制移転すべき地域が170キロ、希望移転区域が250キロにも及ぶ場合があると指摘している。チェルノブイリの教訓を踏まえてのシナリオである。
 
4 基準地震動
 基準地震動について判決は「日本の地震学会はこのような規模の地震の発生を一度も予知できていない。1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は不可能。国内最大の震度は、岩手・宮城内陸地震における4022ガル。地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは、根拠のない楽観的見通しに過ぎない。」と切って捨てた。これまで、原発は近隣の活断層のみに注目し、その長さによって基準地震動を算出してきた。基準地震動が定まらなければ原発の安全設計はしようがない。つまりお手上げである。かつて斑目原子力安全委員長は、技術はどこかで「割り切り」をするといったが、どこで「割り切る」かが問題である。統計学者の竹内啓氏は「地震については、その発生場所、時刻、大きさ等は、少なくとも現在の科学においては偶然的な要素を含むと考えざるを得ないし、従って過去の観測データについていくら多くのデータを集めても確実な予測は不可能である…そのような『確率』が何らかの形で自然現象としての地震に関して客観的に存在すると考えることはできない。それは地震の発生に関する人間の判断を表すものであり、ある意味では主観的なものといわねばならない」(竹内啓「ビッグデータと統計学」『現代思想』2014.6)としている。統計学的には地震の『確率』はあくまでの学者の『希望的確率』に過ぎないのである。それをあたかも科学的・客観的データであるかのように装い、押し付けてきたことにこそ問題があるといわねばならない。
 
5 使用済み核燃料プールの危険性
 判決は「使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたとき、敷地外への放出を防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。全交流電源喪失から3日たたずしてプールの冠水状態を維持できなくなる危機的状況に陥る。使用済み核燃料プールの事故は、国の存続にかかわるほどの被害を及ぼす。」と指摘している。事故直後、米国から4号機プールに水がないと指摘され、また、日本存亡の危機として3号機プールに対して自衛隊や東京消防庁が命がけの放水を行ったが、この3年間、政府は意図的に燃料プールの危険性を忘れさせようとしている。
 戦時中、理化学研究所の仁科芳雄や湯川秀樹・武谷三男らは、水31キロに濃縮ウラン11キロを混ぜれば普通の火薬の1万トンに相当する原爆を製造できることを研究したが(中日「日米同盟と原発」2013.8.16)、3%程度の低濃縮ウランでも原爆ができることを実証してしまったのが福島原発事故である。「原子力発電=平和利用」という建前を通してきた米国や日本政府にとってこの実証はあまりにも具合が悪い。使用済み核燃料プールは現在止まっている全ての原発に大量の使用済み燃料を抱えたまま何の防護もなく現に存在している。原発の根本的弱点である。福島第一原発4号機燃料プールからの使用済み燃料の取り出し作業は、共用プールが一杯で移送ができないとして6号機プールに移送することになったが(日経:2014.6.19)、これでは、福島第一原発の事故対策はほとんど止まってしまう。
 
6 国富の損失とは
「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題などとを並べて論じるような議論に加わること自体、法的には許されない。多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではない。豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富で、これを取りもどすことができなることが国富の喪失となる。」これは先に閣議決定された『エネルギー基本計画』の「化石燃料への依存の増大とそれによる国富の流出、供給不安の拡大」という見出しで「原子力を代替するために石油、天然ガスの海外からの輸入が拡大することとなり、電源として化石燃料に依存する割合は震災前の6割から9割に急増した。日本の貿易収支は、化石燃料の輸入増加の影響等から、2011年に31年ぶりに赤字に転落した後、2012年は赤字幅を拡大し、さらに2013年には過去最大となる約11.5兆円の貿易赤字を記録した。貿易収支の悪化によって、経常収支も大きな影響を受けており、化石燃料の輸入額の増大は、エネルギー分野に留まらず、マクロ経済上の問題となっている。」という論調への根本的批判である。判決が国家政策に対しここまで明確に言い切ったことはかつてなかった。『エネルギー基本計画』を書いた官僚・「有識者」たちは国土や国民・人の命よりもカネを重視する亡者・魑魅魍魎以外のなにものでもない。この国の支配層はいつから国土や環境・文化や人・技術といった「ストック」を重視せず、カネという「フロー」のみをありがたがるようになったのか。

7 一審判決を頭から否定する関電・政府・県
 判決に対し、関電の八木社長は5月27日、規制委の安全審査・地元の同意さえあれば、控訴審判決前でも再稼働をすると会見で述べた。菅官房長官は再稼働の「政府方針は変わらない」とし、茂木経産相は規制委の新基準に適合した原発から再稼働するとした。また、西川福井県知事は一審判断だから(二審で引っ繰り返せる)と述べている。
 福島第一原発から250キロ圏内には東京を中心とする首都圏がスポッと入る。当時の菅首相は首都圏3000万人避難計画も考えたという(AERA 2011.11.7)。むろんそこには国会・政府機関も皇居も入る。そのようなシミュレーションが行われたことをたった3年で忘れたかのように原発の再稼働を進める輩は、国土や国民には全く関心はない。あるのはカネへの執着心のみである。カネのためには国土や国民も売るという思考の持ち主であり、石原環境相のように他人(福島の住民)も自分のようにカネ目当てだと本気で思っている。国民の生身の生活に関心がない輩とは、生活の物的基盤や国境などを考慮せずカネのみを唯一の基準として、儲かると見たらバクチだろうが詐欺だろうが他人の庭に土足で入り込み、儲からないと見たらさっと引き上げる世界を徘徊する国際金融資本や軍需資本の回し者である。
 我々は「日本は政策を自己決定出来る主権国家である」という前提で思考するから、国土が放射能に占拠され、国民の生命が侵されてもカネしか頭にない「ボーダレス」の官僚や政治家・学者・経営者・有識者の発言は、なぜ、同じ国民としてあのような不謹慎な発言をし、公約を破り、事故以前に発言していたことと正反対のことを言って平然としていられるのかと怒り、呆れ、失望し、意味不明に陥るが、日本がアメリカの属国であり、国際金融資本や軍需資本の手下であるという前提に立てば「彼ら」の話の筋立てはすっきりする(内田樹)。確か西川知事も事故直後には「最も重要なことは、福島第一原発事故を教訓としてその知見を安全対策に十分活かすこと」(2011.9.15)などと述べていたが、今日では事故の知見もさっぱり明らかになっていないにも関わらず再稼働を求めている。手下は親分の指示通りに動かなければならないものである。

 【出典】 アサート No.439 2014年6月28日

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【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(5) 

【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(5) 

▼ 前号で筆者は、都知事選をめぐって宇都宮陣営の選挙総括を取り上げ、「統一戦線形成に対する姿勢は全く変わってはいないし、前向きな変化も前進もほとんど見られない。」と書いた。ところがその後、『週刊金曜日』2014/5/16号、「風速計」欄で、同誌編集委員でもある宇都宮氏本人が「キリスト教徒も仏教徒も無宗教者も、保守も革新も、平和憲法を守るために、政治的、イデオロギー的立場を超えて手をつなぐことが重要である。私が好きな運動の格言に、「同質の集団の集まりは『和』(足し算)にしかならないが、異質の集団の集まりは『積』(掛け算)になる」という言葉がある」と書いておられる。この姿勢は、明らかに「異質の集団の集まりは『積』になる」という、統一戦線の本質を捉えた重要な洞察であり、「同質の集団の集まり」に取り込まれてしまっていた宇都宮陣営からすれば、遅きに失したとはいえ、候補者本人から発せられた重要で前向きな変化だと言えよう。
 「同質の集団の集まり」の域を出なかったこと、共産党が宇都宮氏の最大の支持政党に限定されてしまい、前回(2012年)宇都宮選挙より幅広い支持を得る統一戦線戦略を構築もできぬままに出馬を先行させ、結果として『和』(足し算)としても不本意な、1 万3 千票ほどの上乗せしかできなかった、『積』(掛け算)を獲得できなかったことの厳しい現実をこそ直視すべきであろう。
▼ いや、『積』を求める姿勢は以前から一貫しているというなら、どうしてこうした姿勢が、選挙前も、選挙期間中も、そして総括文書にさえも一言も反映しなかったのであろうか。今更悔やんでも詮無いことであるが、今後ますます統一戦線の重要性が高まる情勢に直面していることからすれば、そうした姿勢からの真摯な総括こそが求められるところである。
 ところで、同じ『週刊金曜日』2014/4/11号の「風速計」欄で、やはり同誌編集員でもある佐高信氏が「黒田喜夫の「除名」」と題して「先の東京都知事選で自民党は、自民党を批判したとして除名した舛添要一を支援した。除名によって純粋化し、狭くなる共産党となんという違いか。・・・「除名」ばかり続けていては「融通無碍」には勝てないだろう。」と指摘し、さらに佐高氏は、月刊『社会民主』2014/5月号の「佐高信の筆刀両断」で、「(2月)9日は都知事選。直前の『週刊現代』で誰に投票するかを問われ、細川護煕と答える。ココロは「私は小泉政権に異議を唱えたが、今回は眼をつぶって細川氏の原発問題のみならず、安倍政権の暴走にストップをかける役割を重視したい。政権に立ち向かえる候補者は彼だけ。」」と、自らの立場を鮮明にしている。2012年の都知事選では宇都宮氏を支援したであろう佐高氏が、今回は細川氏を支援した、そうした人々が多数存在したことの意味が深く問われるべきであろう。
▼ さて、その細川護煕氏を支援した「脱原発知事を実現する会」(細川勝手連、代表世話人 鎌田慧、河合弘之、両氏)も5月に入って、「脱原発に希望はあるか ―都知事選を振り返って―」という文書を公開している。
(http://nonukes-tokyo.org/post/87167259164/1)
1.脱原発勢力は敗れてはいない
2.細川護熙候補の敗北の原因をさぐる
3.脱原発候補の一本化について
4.選挙の敗北を噛み締める
5.運動の展望を見出すために
 と題して、1.の項では、「投票者数は前回よりも157万票減ったが、舛添+田母神票は猪瀬氏と比較し160万票も票を減らしている。つまり脱原発を政策とする候補に投票した人たちが2倍になっただけではなく、自民・公明・石原派が大きく後退している。そして、前回の脱原発票は宇都宮票(97万票)に集約されていたのだが、細川氏の立候補によってそれとほぼ同数の脱原発票が新たに上乗せされてきたことは、保守からの脱原発への参加の成果として高く評価されるべきであろう。」「脱原発票は進展したか、脱原発への希望はあるかといえば、まさにイエス!!である。それに付け加えるならば、舛添氏に「私も脱原発」といわざるを得ない状況にさせたことは、細川氏の立候補とその原発ゼロ政策にある。我々の戦いは進んだ。」と総括する。舛添氏に「私も脱原発」と言わせたのは、細川氏の立候補であったことは論を待たないであろう。
▼ 「脱原発候補の一本化について」では、「脱原発を希望する多くの都民、そして全国の人々から「脱原発候補を一本化できないのか、脱原発票が割れて細川+宇都宮の票が舛添を上まわるのに舛添が当選したらどうするのか」、という声が届いた。その声は非常に広範かつ強いものであり、到底無視できるものではなかった。脱原発運動にかかわる者として、この強い要請の声に誠実に対応せざるを得ないと、我々は考えた。」「脱原発候補の一本化への要請は迷っている脱原発志向の都民から、そして全国の脱原発を願う人々、有力な知識人、社会運動家から殺到していた。」
 しかし「脱原発候補の一本化の試みは最終的に失敗に終わった。振り返ってみると、我々の「脱原発候補一本化」の願いは脱原発を願う圧倒的市民、知識人からの支持、要求があったにも拘わらず両候補からは顧みられることは全くなかった。この根本原因は、①宇都宮氏が政党の推薦を受けつつ早期に立候補を宣言して運動を展開したこと。②細川氏が立候補を決意し宣言したのが遅すぎたため、立候補宣言の時点では既に宇都宮氏に立候補取りやめを要請できるような情勢ではなく、また細川氏としてもそのような要請をする意思がなかった。以上の二つのことにある。」と振り返っている。苦々しい、厳しい現実である。
 総括文書は最後に「今回の都知事選挙において、従来の脱原発運動のグループの間で、すなわち宇都宮支持グループと細川支持グループの間で若干の摩擦や感情的行き違いがあった。しかし双方ともフェアに戦ったので回復不能な亀裂ではない。我々は数十年の間、連帯して戦ってきたので再び力を合わせて脱原発実現を目指して前進すべきである。脱原発運動には希望がある。」と結んでいる。「再び力を合わせて前進すべきである」とする姿勢は高く評価されるべきであろう。
▼ 脱原発候補の一本化にギリギリまで奔走されていた鎌田慧氏は、そのさなかの2014/1/28付東京新聞「本音のコラム」欄で、ディミトロフの統一戦線論に触れておられる。
 「ゲオルギー・デミトロフは、1933年2月のドイツ「国会議事堂放火事件」の容疑者として逮捕された。が、ナチスの共産党弾圧を引き出すための、自作自演のでっち上げだった。ナチスの法廷に引き出されたデミトロフは、徹底的に陰謀を論証して、翌年には無罪を勝ち取っている。
 しかし、名前が記憶されているのは、国会放火事件によってではない。その二年後に行われた、「コミンテルン大会」での演説によってである。彼は独善的で公式的、現実には全く通用しない、排他主義的な同志たちを批判、大胆な反ファッショ統一戦線の結成を呼びかけた。ナチスと対抗するための、多様で広範な、民主主義のための共同行動を熱烈に訴えた.その情景が「獅子吼」として語り継がれている。
 戦争に向かおうとしている、いまのこの危機的な状況にもかかわらず、広く手を結んで共同行動に立ち上がらず、あれこれ批判を繰り返している人たちに訴えたい。「いったい敵は誰なのか!」と。」
 鎌田慧氏の「いったい敵は誰なのか!」というこの必死の叫びが実を結ばなくては、その声に応えられなくては、「一点共闘の拡大」とか「国民共同行動の拡大」とか、いくら綺麗事で取り繕っても、その場しのぎで、実際には仲間内の主体形成を優先させる虚しい空文句でしかないであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.439 2014年6月28日

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【日々雑感】 Dデイと言うけれど! 

【日々雑感】 Dデイと言うけれど! 

 長々と投稿を休ませていただきましたが、久々に記事を書かせていただきます。
 今月は6月なので、6月に関連した記事です。1954年6月6日はDデイ、ノルマンディー上陸作戦の日、この日から毎年、新聞、ラジオ等各メディアは6月6日をDデイを記念する日として取り上げてきましたが、私は何か違和感を、ずーと持ち続けてきました。確かにDデイは、ファシズムを終結させた重要な出来事ではありますが、それだけではないと思います。
 ヨーロッパの解放で重要な役割を果たしたのは、レニングラードの大攻防戦だったと私は思います。2500万人以上の(一説には2700万人とも言われる)犠牲者を出し、ソヴィエトという国を守り抜き、ファシズムからヨーロッパを解放した戦いであったと思います。こんな国は外にはありません。
 先日もテレビでDデイを取り上げておりました。1500余の墓標を映し出して連合軍を讃えておりましたが、やはり私は、それだけではなかったんだよという思いをぬぐいきれません。
 一旦、ファシズム体制になれば、これ程までに犠牲者を出すのだという教訓を、国民一人ひとりが持たなければならないと思いますが、最近の日本国内の動きは逆行しているようです。報復主義的な昔返りの考え方が横行し、平和憲法どこ吹く風という状況が生み出されようとしています。
 安倍、橋下、石原といった、与党や癒党の人間に対し、まだまだ立派な政治家は数多くおられるので、そんな人々と共に歩んでゆきたいと思っております。(2014年6月18日 早瀬達吉)

 【出典】 アサート No.439 2014年6月28日

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【コラム】ひとりごと—介護保険制度 27年4月改正の意味— 

【コラム】ひとりごと—介護保険制度 27年4月改正の意味— 

○6月18日、来年4月からの介護保険制度の改正が国会で決まった。主な内容は、所得のある高齢者(年金280万円以上)の介護保険負担を現行1割から2割に値上げすることや、特養入所者の食事負担などの軽減措置について、資産割り(預金1000万円以上保有者)を導入し、廃止するなど、負担増と給付削減が主な内容と言える。○また、来年は3年に一度の「高齢者福祉計画」の改定期にあたり、当然介護保険料も改定され、値上がりするのは確実であろう。○消費税増税分を社会福祉財源に充てるという「言い訳」は、今回の改革では、何も見えてこない。(住民税非課税世帯の保険料について、軽減措置を講ずるというくらい)。○さらに、大きな改定は、要支援認定者へのサービスを、介護保険制度から切り離し、市町村事業とするというもの。介護保険制度導入時は、5段階であった介護認定は、6年前から要支援1,2が追加され、7段階になった。今度は、介護予防中心の2段階について介護保険制度ではない、市町村の独自事業とする。おそらく市町村事業と言っても、直営で行うわけではない。福祉団体やNPOに委託ということになるが、現行のサービスが提供できるか、何の保証はない。○高齢化の進展による医療・福祉への支出が増え続けており、抜本的な対応が求められていることは論を待たないが、今回の改正は「給付の抑制」と、「取れるところから取る負担の増」を目的にしている点のみと言うのでは、評価できる内容とはとても言えない。○かつて介護保険の導入は、寝たきりゼロを目標に、「社会的入院」を無くして「地域福祉」の流れを作ろうとした制度である。○一方、当初は様子見だった医療機関も、介護事業に乗り出し、病院と介護施設を行き来させ、収益の増加のみを追求し始めた。益々、高齢者の医療費と介護費用が増大することとなっている。○グループホームなどへの訪問医療も、これまで同じ施設内で一度に何人診ようが、高い医療点数だったが、今年から、同一施設内での診療は点数が引下げられ、「介護施設」と医療機関のぼろ儲けは解消された。「貧困ビジネス」と組む医療機関への抑制策だが、確かに、一部だが「改善」は進められているようにも見える。○筆者にも、制度の抜本改正のプログラムはまだ描けていないが、国の制度は制度として、各地方自治体が独自の介護予防策や実践を積極的に展開し、給付の抑制と負担増だけではない高齢者・介護政策を現場から提案できるかどうかが問われているようにも思える。○人口減少と高齢化の進展は、もはや避けては通れないばかりか、正面から取り組むべき課題である。元気な高齢者の活躍の場を作ることや、介護保険利用を遅らせ、負担の少ない介護予防の実践で、介護保険も含めた高齢者関連予算の伸びを抑える政策が必要だろう。○一方、依然介護職場の労働者の労働環境は厳しい。ヘルパー単価にしろ、夜勤等も含めた施設勤務者の労働条件も、改善が進んでいるとは言い難い。多くの職場では、職員の入れ替わりが頻繁だと言われている。疲弊した介護現場では、適切な介護が果たして提供できるのか。○介護と医療は、成長分野と言われるが、資本にとって金儲けができるという意味での「成長分野」なのか。○今度の改正によっては、介護保険制度の根本的な展望は全く見えてこないのである。(佐野)

 【出典】 アサート No.439 2014年6月28日

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【投稿】「国権の発動」めざす安倍政権

【投稿】「国権の発動」めざす安倍政権

<「交戦権」確立へ>
 5月15日、安倍総理は「安保法制懇」の提出した報告書(以下「法制懇報告」)を受け、記者会見を開き、集団的自衛権の解禁に向けた憲法解釈の変更を今後は政府・与党レベルで進めていくことを明らかにした。
 法制懇報告では「日本の安全が個別的自衛権の行使だけで確保されるとは考え難く、(憲法が許容する)必要最小限度の措置に集団的自衛権の行使も含まれる」と述べ、「専守防衛」の放棄を明らかにした。
 これまでの必要最小限度の措置とは、日本の領土に「敵国」が侵攻した場合、これを排除するための武力行使ということであるが、法制懇はこれを「時代遅れ」として切って捨てたのである。
 しかし、いつの時代でも、どこの国でも「国防の基本」は敵の直接的侵攻に対する個別的自衛権であり、それでは対処できない場合に集団的自衛権、一般的には軍事同盟の発動という段階を経るものだ。
 それを「必要最小限」という枠組みに「個別」「集団」という全く違うレベルの措置をねじ込むのは、まったく乱暴な議論の組み立てである。
 法制懇報告の基本は、要は「現行憲法の下でも時の内閣の任意で軍事行動が可能」ということであるが、あまりにむき出しの「交戦権の容認」を糊塗するため、発動の条件として以下の6項目が示された。
 集団的自衛権発動の条件として①密接な関係にある国への攻撃が発生②放置すれば日本の安全に重大な影響を及ぼす③攻撃を受けた当該国からの要請④第3国の領域通過には当該国の許可が必要⑤国会承認⑥政府の総合的判断、が必要とされている。
 しかし、これらの規定は極めて曖昧で実質的な歯止めにはなっていない。密接な国とはどこなのか。「密接な関係」の内容がそもそも不明確でありどのようにも解釈が可能だ。
 たとえば、現在可能性はないが、南シナ海で中国とベトナムやフィリピンとの衝突がエスカレートし、自衛隊に派遣要請があった場合、内閣の判断で発動条件はすべてクリアできることになる。
 また、朝鮮半島有事でも、現状では韓国から日本に自衛隊派遣を要請することは考えられないが、在韓米軍の出動をもって「密接な関係にある国への攻撃」と解釈することも可能である。
 そもそも「当該国からの要請」も怪しいものがある。日本から当該国に「要請を要請する」ことも十分考えられる。
 さらに「第3国の領域通過」も「国会の承認」も事後承諾を否定していない。
 太平洋戦争劈頭、日本軍はイギリス領マレー半島攻略に際し、隣接するタイ王国の事前承諾なしに、同国内に上陸、通過した実績を持つ。
 このように発動条件は極めて恣意的な運用が可能なものとなっている。法制懇は否定するが事実上「国権の発動」「国の交戦権」行使に道を拓くものとなっている。

<有りえないシナリオ>
 法制懇報告では集団的自衛権の発動が考えられる事例に加え、いわゆる「グレーゾーン」を含めた、軍事行動が考えられる類型・事例に関しても提示した。これに関しては「フリーハンドを確保するため、具体的な事例は提示しない」という動きもあったが、それでは国内はもとより国際社会からの強い疑念を抱きかねないため、安心材料として示されることになった。
 法制懇報告は「我が国として採るべき具体的行動の事例」として①近隣有事の際の船舶検査やアメリカ艦艇の防御②アメリカが攻撃された場合の支援③シーレーンでの機雷除去④湾岸戦争のような国連の決定に基づく参戦⑤領海内から退去しない潜水艦への対応⑥離島などでの武装集団の不法行為、を例示した。
 しかしこれらは、先に述べた「南シナ海事案」に比べても、発生可能性の極めて低いものである。①については、朝鮮半島で本格的な武力衝突が発生した場合、北朝鮮が第3国から兵器を輸入することなど考えられない。北朝鮮の周辺海域は戦闘区域となり、主要な港湾は機雷封鎖されるからである。
 可能性があるのは中国経由の陸路であるが、中国がそうした支援を行うとは現状では考えられない。逆に言えば補給路が絶たれた状態で、北朝鮮が「第2次朝鮮戦争」のような軍事的冒険主義に走ることはないだろう。
 朝鮮有事に関して安倍総理は記者会見で「お父さん、お母さん・・・子供たちが乗っているアメリカの船を(今のままでは)守ることができない」と国民の理解を求めた。
 しかし「第2次朝鮮戦争」下ではアメリカ軍の揚陸艦や輸送船はアメリカ、日本と韓国の間での兵員装備の輸送が任務であり、災害支援のようにはいかないのである。
 いきなり邦人がアメリカ艦船に乗船している場面から説明するのは空論というものであろう。自衛隊は有事に備えて民間フェリーの借り上げを予定しているのだから、それを使うのが先だろう。
 ②についても「アメリカを弾道ミサイルで奇襲攻撃するのは北朝鮮」という都合の良い設定である。核弾道ミサイルの戦力化をなしえていない国の動向を心配するなら、すでにICBMを多数配備している中国やロシアはどうか。
 とりわけ中国との緊張激化をアメリカを巻き込んで進め、⑤、⑥では中国を念頭に置いているのであるから、北朝鮮への支援の可能性も含めそうした場合の対応を示すべきだろう。
 その⑤、⑥は警察権では対処不能で防衛出動には至らないグレーゾーンとされているが、潜水艦と武装勢力では全く性質の違うものである。
 法制懇報告では「潜水艦が執拗に(領海内を潜航して)徘徊を継続するような場合に『武力攻撃事態』と認定されなければ潜水艦を強制的に退去させることは認められていない」としているが、能登半島沖に出現した北朝鮮の工作船に対しては、海上警備行動によって護衛艦の艦砲射撃と哨戒機の空爆が行われ、工作船は遁走した。 
 「尖閣諸島に漁民に偽装した中国軍が上陸」というのは想定を通り越した妄想である。確かに中国軍は一部の漁民を民兵として組織しているが、これはアメリカの「州兵」と同様、国軍の制服、装備を装着した部隊であり、法制懇報告の想定する「便衣兵」とは違うものである。
 そもそも、中国がそのような作戦を行うメリットがない。尖閣諸島を実効支配しようとすれば、海自を排除するための本格的な派兵が必要となろう。
 法制懇報告書では「海上警備行動」「治安出動」で対処できるが時間がかかるとしている(実際は海保でも対処可能。武装勢力の武器は最大限携帯ミサイルだが、巡視船の40ミリ機関砲はアウトレンジできる)。時機の問題だとすれば、自衛隊法に「領域警備活動」のような新たな条項を加えても同じことではないか。
 CNNによれば、アメリカでは国防総省が「ゾンビ襲来」に備えて、ゾンビの種類、誕生の仕方、軍事作戦の遂行、ゾンビの倒し方など詳細な対応策を策定していたことが明らかになった。
 国防総省によると、訓練用の架空のシナリオを実際の計画と勘違いしないよう、あえて全くありえないシナリオを採用したとのことである。「武装集団の尖閣上陸」も同様のレベルであるが、日本は「本気」で想定しているところが恐ろしい。

<平和的解決の放棄>
 集団的自衛権を巡っては政府、自民党内で「全面解禁」を目論む安保法制懇-石破幹事長ラインと「部分解禁」の内閣法制局-高村副総裁ラインが駆け引きを展開してきた。
 この相違点は前者の「どこでも、だれとでも」か後者の「日本近隣、アメリカ限定」かというスタンスである。
 安倍総理は記者会見で、法制懇報告を受けて政府として研究を進めると述べたが、集団安全保障にかかる「武力行使と一体化した支援活動」「多国籍軍参加やPKOでの無制限の武器使用」については採用しないことを明らかにした。
 「地球の裏側にもいくのか」との批判を浴びたことも有り、現時点では「どこでも、だれとでも」は否定された格好だ。
 しかし早速、石破幹事長は17日、読売テレビの「ウェーク」で、「国連軍とか多国籍軍、その前段階のものができた時に日本だけは参加しませんということは、国民の意識が何年かたって変わった時、(政府の方針も)変わるかもしれない」と発言、次期以降の自民党内閣でまた憲法解釈が変更される可能性に言及した。
 法制懇-外務省も、「多国籍軍の戦闘部隊への参加は最後の最後になるかもしれない」(北岡伸一法制懇座長代理)と述べるなど、徐々に範囲を拡大していく目論見であり、今後は「どこでも、米軍と」が目標になるだろう。
 安倍総理は「自衛隊が(たとえば)湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してない」と記者会見で明言したものの、憲法解釈を内閣の専任事項にしてしまった以上、別の内閣の判断を縛ることはできないのである。
 集団的自衛権を巡る論議に根本的に欠落しているのが、軍事衝突に至る以前の外交、政治努力による緊張緩和、平和的解決を進める戦略である。その道筋を指し示すことなく、とりわけ中国、韓国との関係修復をおろそかにし(日韓関係が改善されれば邦人避難を米軍に頼ることなくもないだろう)「仮想敵国」との対立が不可避であるかの前提で論議を進める安倍総理の姿勢は、いくら「再び戦争をする国になるとの誤解があるが断じてない」と叫んでみても空虚に響くだけである。(大阪O)

 【出典】 アサート No.438 2014年5月24日

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【投稿】「成長神話」と決別し、脱原発を「定常社会」への模索の第一歩に

【投稿】「成長神話」と決別し、脱原発を「定常社会」への模索の第一歩に
                              福井 杉本達也 

1 「成長がすべての怪我を癒す」というのは本当だろうか?
 安倍晋三首相は5月1日夜(日本時間2日早朝)、ロンドンの金融街シティーで講演、経済成長の実現に向けて原発再稼働を進める方針を明言した。経済成長には安定的で安いエネルギー供給の実現が不可欠とし「世界のどこにも劣らないレベルの厳しい安全基準を満たした原発を慎重な手順を踏んで再稼働させる」と表明。英国と技術開発に取り組む考えを明らかにした。(2014.5.2共同)
 安倍は「経済成長」のためには原発の再稼働が必要だというが、そもそも、日本は今後「経済成長」するのだろうか。はたまた、「経済成長」することが日本の国民にとって良いことなのであろうか。「経済成長」さえすれば、雇用は拡大し、年金福祉の財源を確保し、格差を是正することができるのであろうか。「経済成長」がこれらの問題解決の決め手になるのであろうか。「成長がすべての怪我を癒す」というのは本当だろうか。

2 『ゼロ金利』は資本主義卒業の証
 日本の10年物国債は0.6%台、10年物米国債は2.6%前後で推移している。不透明な米景気、低めの物価、「安全資産」の絶対的不足などが低金利の要因といわれているが、長期利子率の低下は、投資をしてもそれに見合うだけのリターンを得ることができなくなったからである。IMFによると、先進国の「需要不足」は110兆円にのぼるといわれる(日経:2014.5.12)。「需要不足」という言葉からは、あたかも需要を喚起できるかのようであるが、実際はそれだけ生産設備が余っている「過剰生産」ということである。資本主義とは資本を投下し利潤を得て資本を自己増殖させるシステムであるが、自己増殖の『対象』である投資先がなくなったのであり、そのために膨大なカネ余り現象が生じており、カネが余っているから、「歴史的低金利」になり、リターンが少ないから、よりリスクの少ない(=より金利の低い)国債で運用せざるを得なくなっているのである。水野和夫氏は「ゼロ金利は資本主義卒業の証」と書いている(水野:『資本主義の終焉と歴史の危機』)。

3 イノベーションでも経済成長しない
 「経済発展は、人口増加や気候変動などの外的な要因よりも、イノベーションのような内的な要因が主要な役割を果たす」と述べたのは経済学者のシュンペーターである。2014年度予算の解説では「競争力を強化し、民需主導の経済成長を促す施策」が掲げられ「科学技術の司令塔機能強化」として、「戦略的イノベーション創造プログラム」に500億円を計上している。また、2013年度補正予算では「革新的研究開発推進プログラム」として550億円が、また、「イノベーション創出に向けた科学技術研究開発の加速」として622億円も計上している。予算取りの理屈として「イノベーションとは、技術の革新にとどまらず、これまでとは全く違った新たな考え方、仕組みを取り入れて、新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことである。このためには、従来の発想、仕組みの延長線上での取組では不十分であるとともに、基盤となる人の能力が最大限に発揮できる環境づくりが最も大切である」(『イノベーション25』閣議決定)と解説する。『イノベーション』・『技術革新』で成長するというのは単なるこれまでの『物語』であり、21世紀の今日では幻想に過ぎない。何の根拠もない。そもそも、リスクだけが異常に大きく、リターンが見込めないからこそ政府が金を出しているといえる。国家が科学研究に莫大な投資を行い、それで経済成長を図る。その20世紀のイノベーションの最たるものが核開発であり、アインシュタインの相対性理論や素粒子理論を駆使して「経験」ではなく「理論」から「演繹的」に核兵器を作り上げはしたが、そのエネルギーの取り扱いに失敗したのが福島原発事故であり、経済発展どころか、いま我々に膨大な負債を残しつつある。

4 福島第一原発事故処理にどれだけの金がかかるか
 政府の26年度復興特別会計予算では、「原子力災害復興関係経費」として6,523億円が計上されている。内訳は、除染(放射性物質汚染廃棄除染(放射性物質汚染廃棄物処理を含む)として3,912億円、中間貯蔵施設の整備に1,012億円、福島再生加速化交付金等(早期帰還支援・長期避難者支援)1,186億円となっている。この他、凍土方式の遮水壁など汚染水処理対策事業に206 億円(25年度補正)、廃炉・汚染水対策事業に479 億円(25年度補正)、原子力損害賠償支援機構への交付金として350 億円、原子力損害賠償支援資金の積増しが 225 億円、原子力損害賠償支援機構向け交付国債の発行限度額引上げとして+4 兆円(現行5 兆円)=9兆円という数字である。建前上は特別会計の金は貸し付けるだけで電気料金から戻ってくる計算になっているが、電気料金を無限大に値上げするわけにはいかない。事実上破綻している東電に返す金などない。全て一方通行になる金である。 今後どれだけの金を投入するか(できるか)は計算もできないが、1つの試算としては、ウクライナが国家予算の10%をチェルノブイリの事故処理に投じてきたことなどから、一般会計の1割=10兆円程度を見込む必要があるかもしれない。こうした経済負担は医療・福祉・教育をはじめ他の経費に重くのしかかることとなる。需要は①「消費」、②「投資額」、③「政府投資額」、④「海外からの需要」の4つから構成されるので、原発事故処理の負担が膨大になれば③が大きく減ぜられることとなる。

5 より成長しようと欲した先に原発事故
 経済成長するとは「より遠く、より速く」行動するこということであり、そのためにはエネルギーの消費が不可欠である。もっと成長をしようと欲することは、資源をもっと使おうとすることである。石油や石炭などの化石燃料は数億年かけて生物の死骸などが地下に積み重なったものである。それを我々はこの数百年で食いつぶそうとしている。化石燃料はいずれ枯渇するから『永久エネルギー』としての核エネルギーに手を出し、最終的に制御できずに爆発したのである。『永久エネルギー』は『永久負債』に転化してしまった。

6 日本の人口は減少に転じた
 既に藻谷俊介氏や広井良典氏・伊東光晴氏などから指摘されているように、日本の総人口は2004年にピークに達し、2005年から減少傾向に転じ、2050年には1億人を切るといわれている。人口増加率が低いと自然成長率を制約する。日本では総人口より先に1995年から生産年齢人口が減少に転じており、自然成長率はマイナスへと転じることとなる。旺盛な消費の主体である生産年齢人口の減少は国内需要を減少させる。自動車産業を見れば歴然である。国内の生産台数は伸びていない。頭打ちから減少傾向である。リーマンショックの2008年まで年間1000万台を超えていた生産台数は、2012年には840万台にまで減少している。

7 いまだ『成長』への幻想を引きずっていた都知事選
 都知事選の宇都宮健児陣営の責任者であった、反原発の弁護士:海渡雄一氏は選挙総括で「舛添さんがなぜ当選したのか。彼が福祉の『プロ』だという評価…それを突き崩すためには、きちんとした政策論争をするしかない。…原発やエネルギー政策は重視する政策としては三番目で福祉や雇用政策を最優先に考える…細川さんはそこを最初から放棄してしまった」(『世界』2014.4「都知事選をめぐって―脱原発運動のために」)と述べている。海渡氏は「福祉」と「脱原発」は重ならないものとみているがそうではない。資本主義システムは無限の膨張を「善」としてきたが、無限の膨張を「保証」する『永久エネルギー』としての原発も「善」としてきたのである。
 資本主義は常に前進あるのみで、空間が無限であることでしか成立しえない。しかし、既存の実物経済では高い利潤を得ることは不可能になった。そこで、新たに電子・金融空間での収奪が行われることとなったが、リーマンショックではそのバブルも破綻した。
 「サブプライムローン」などを設定された最弱の貧者は自己責任で住宅を奪われ、最強の富者は公的資金で財産保護が行われた。富者と銀行には国家社会主義で臨むが、中間層と貧者には新自由主義で臨む」(ウィリッヒ・ベッグ)。資本と労働の分配構造は破壊され、労働は派遣・非正規労働者として新自由主義の真っただ中に投げ込まれ、労働側からの収奪が行われ、景気回復は資本家のためのものとなった。年収100~200万円では労働者の家族形成(再生産)はできない。使い捨てられる労働に未来はない。資本主義の「強欲」が「未来からの収奪」として、将来の需要を過剰に先取りした。その成長のためとして、わずか数十年の電気のために福島など東日本の住民の生活を奪い、数万年にもわたり管理しなければならない放射性廃棄物を抱えることとなった原発は「未来からの収奪」の最たるものである。
 いま必要なことは「福祉や雇用政策を最優先に」成長願望を唱えることではなく、成熟社会に見合った政策であり、人口減少社会に軟着陸するための叡智である(伊東光晴『世界』2014.3)。脱原発諸運動は今すぐ『未来からの収奪』・『成長神話』と決別しなければならない。 

 【出典】 アサート No.438 2014年5月24日

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【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(4)

【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(4) 

▼ 前号で筆者は「勝敗を決する決定的問題」として「統一戦線の政策課題」を取り上げ、安倍政権に対抗する陣営が「原発ゼロ政策と成長政策を結合させる基本姿勢」、「雇用を拡大させ、窮乏化にストップをかける、そうした根本的転換を促進する具体的政策」、「デフレ経済下で進行する貧困化と格差の拡大を克服する戦略」、「その実現に向けた政策提起も、それを中心に据える統一戦線戦略も提起しえなかったところに最大の政治的・政策的敗北の原因があった」と指摘した。
 4/6の京都府知事選に引き続いて、4/27投開票の鹿児島2区補選と那覇市長選の結果は、残念ながらその指摘を再び強調せざるを得ない事態である。それぞれに様相が違うとはいえ、さすがに沖縄では反自民統一戦線が形成され、肉薄はしたが、鹿児島では全くバラバラで、いずれも自民党候補に勝利をもたらした。
 外交評論家の天木直人氏は自身の4/28付ブログで「絶望的な今の日本の政治状況を見せつけた二つの選挙」と題して、「それにしてもきのう4月27日に行われた鹿児島補選と那覇市長選の結果には、あらためて失望した」として、「選挙違反で失脚した自民党候補の後任を選ぶ選挙であるにもかかわらず、自民党候補が勝った」、「オール沖縄が普天間基地移転反対であるはずなのに、移転容認の市長が誕生した」「国民の期待を担って政権交代を果たした民主党は、3年間も権力を掌握したにもかかわらず自滅してやすやすと安倍自民党政権を復活させた。しかも野党になって、党勢を立て直すどころかますます迷走し、国民を裏切り続け、沖縄市長選に至っては自民党候補を支持する始末だ。その無責任さは万死に値する。もう一つの野党である共産党は、「自民党に正面から対抗する唯一の野党」を売り物にして自画自賛を繰り返す。安倍自民党政権を倒すべき野党共闘を拒み続けている。今度の鹿児島補選でも敗北が目に見えているのに独自の候補を立てて惨敗している。その共産党の真骨頂があの東京都知事選における共闘拒否だ」と述べ、そして最後に「私は単純に、民主党と共産党にこそ、自民党をここまで復活させ、野党を多弱にしてしまった大きな責任があると思う。今の政治状況はまさしく絶望的だ。それでも絶望してはいられない。どうすれば今の絶望的な政治状況が変えられるのか。名案があったら教えてもらいたい」と結んでおられる。
▼ こうした指摘は確かに正鵠を射ているのであるが、「野党多弱」の根本原因が、統一戦線姿勢の欠如のみならず、その政治的経済的政策課題提起において、アベノミクスの一人勝ちを許すような「成長抑制」路線をしか提起できなかったところにあることを指摘する論者やそうした視点に基づいた総括は極めて少ない。
 先の二つの選挙においても、自民党候補はいずれも、彼らが推し進める原発再稼働(鹿児島・川内原発)や辺野古移設容認問題(沖縄)が選挙の争点になること自体を徹底的に避け、消費税増税やTPP、集団的自衛権の行使容認、武器輸出三原則の廃止、緊張激化・軍国主義化政策など問われるべき国政の重要政策を決して真正面には掲げず、沖縄では失業率が高く、所得水準が低い現状を「革新不況」などとデマり、アベノミクスと地域経済への財政・予算支援、経済振興策に期待を抱かせる選挙戦略を徹底して、論戦を避け、逃げを図り、またそうしなければ勝てなかったのがその選挙戦の実態であり、それはとても安倍政権の「信任選挙」などと言えるものではなかったのである。
 このような安倍路線に対して、疲弊し衰退し、大きな地域格差に苦しむ地方に予算をつぎ込み、経済を活性化することを、その実態と対置すべき中身で批判するのではなく、ムダなバラマキとしか批判できず、緊縮財政路線と成長抑制路線を事実上容認するような現在の野党の路線では勝てる選挙であっても勝てないのは自明である。
 アベノミクスは「成長政策」と称しながら、最低限の経済成長にさえ打撃を与え、低所得層に最も苦難を強いる消費税増税を強行し、非正規雇用をさらに拡大させ、生涯低賃金の「生涯派遣」を強いる雇用の規制緩和や、いつでも自由に金銭解決で解雇できる「解雇特区」、さらには際限なく働かせる「残業代ゼロ」案を「成長戦略の柱」と位置付ける、まさに「成長政策」とは対極にある成長抑制政策、勤労所得低下政策、貧困拡大政策なのである。彼らが喧伝するアベノミクスによる景気拡大の「トリクルダウン効果」(おすそ分け効果)などそもそも圧倒的多数の庶民層には存在しないし、ありえないのである。それは徹底した規制緩和と民営化による一部の独占資本・金融資本、特権層・富裕層をさらに肥え太らせる、彼らのみが恩恵を受ける弱肉強食の自由競争原理主義=新自由主義・惨事便乗型資本主義による社会保障・社会資本切り捨ての格差拡大と全国民窮乏化政策なのである。
▼ こうした政策に対置されるべきなのは、消費税増税ではなく、格差拡大と所得分配の不平等化に対する富裕層の課税強化、所得税の累進税率の強化、そして実体経済を上回る投機的金融取引に対する課税強化、これによって持続的かつ安定的、そして十分な財源を確保できることを明示することである。
 こうした所得の再分配政策と同時に、3・11東日本大震災・原発事故が提起した原発ゼロへのエネルギー政策の根本的転換、原発依存の独占・集権型エネルギー政策から、再生エネルギーを促進する分権・分散型エネルギー政策への転換、一極集中から分権・分散・相互連携型のいのちと福祉と教育、自然環境を守る積極的経済政策への転換、それこそが雇用を拡大・安定させる政策であり、これを税政策、徹底した平和・善隣友好政策と結びつけることである。このような基本政策こそが、自民党の一方的勝利を許さない、安倍政権を孤立化させる、「今の日本の政治状況」に「絶望する」必要などない、現状を打破する対抗戦略として提起されるべきであろう。
 安倍政権の原発再稼働や集団的自衛権の行使容認、武器輸出三原則の廃止、9条のなし崩し憲法改悪、緊張激化・軍国主義化政策などはどれもこれも支持されておらず、これらに反対する意見が各種世論調査において多数派を占めていることは明らかであり、にもかかわらず安倍政権が持ちこたえているのはひとえにアベノミクス効果であり、微々たるものであれその総需要拡大効果なのである。これに対する対抗戦略を打ち出さずしては、支持できる選択肢を無きものとし、棄権の増大と投票率の低下をさらに促進し、安倍政権を退場に追い込むことは不可能であろう。こうした状況下での投票率の低下、棄権票の増大は、安倍政権の望むところであり、今や最大の政治勢力となった無党派層を無関心と棄権に追い込み、「多弱野党」のそれぞれは無党派層への魅力ある統一した働き掛けを放棄し、それぞれが「わが党こそが」という自己の勢力拡大、主体形成にのみ執心し、安倍政権を退陣に追い込むような強大な統一戦線の形成など視野の外に置かれる事態をもたらしてしまうのである。
▼ そして現実の政治状況においては、残念なことながらこうした対抗戦略、統一戦線戦略はなかなか現実化しそうにもない。
 都知事選をめぐって、宇都宮陣営の「希望のまち東京をつくる会」の「選挙総括(完成版)」が公表され(http://utsunomiyakenji.com/pdf/20140316soukatsu_final.pdf)、5月にはそれに基づいて地域集会も持たれ、宇都宮氏自身も参加、発言されている。表現は懇切丁寧であり、その真面目さや真剣さは伝わるのであるが、前号で紹介した統一候補や統一戦線形成に対する姿勢は全く変わってはいないし、前向きな変化も前進もほとんど見られない。
 この総括文書では、「2014宇都宮選挙の成果と教訓とは」と題して、「おおいに健闘した選挙でしたが、私たちの現在の力量では、まだまだ保守の岩盤を掘り崩すに至らなかったことを深く自覚したいと思います。そして、保守の厚い岩盤を掘り崩すことは、知名度やその時々の「風」に頼るのではなく、こつこつと市民運動を広げていく地道な、そして積極的な努力でしか達成できないということも、今回の選挙戦の重要な教訓であったと思います。」と述べて、「知名度」や「風」を獲得できなかった現実を反省するのではなく、悪の権化として唾棄する。
 そして「『一本化』論の幻想」の項では、「保守層の支持獲得を最大の大義名分として宇都宮さんの「合流」=立候補取り下げを迫った「一本化」論ですが、実際には、小泉流の劇場型選挙に頼る以外に戦略を持っていなかったというのが実情ではなかったでしょうか。明確な戦略が欠如したまま、形式的に「一本化」が実現しても、とうてい保守層に浸透することはできなかったでしょう。」と「一本化」への努力を突き放してしまい、統一して闘うことを放棄した言い訳、自己弁護に終始してしまっている。たとえ今回慌しい状況の中で不可能であったとしても、次につなげる統一戦線への意欲、姿勢、戦略も示し得ていない。
▼ この総括文書は最後に「私たちが今回得た最大の成果の一つは、まさにこの選挙戦を通じて得られた市民同士のつながりであり、「私たちは微力ではあるが無力ではない」という感覚にほかなりません。この感覚こそ、この社会で民主主義が再起していく上で決定的に重要なものだと私たちは感じています。結果は紛れもなく敗北でありましたが、勝利に向けた貴重な一歩を築いた選挙戦であったと、私たちは今回の選挙を総括したいと思います。」と述べている。
 選挙総括の最大の成果を、「微力ではあるが無力ではない」という感覚に収斂し、極めて主観的な仲間内の「感覚」を「決定的に重要なもの」とするようでは、「微力」を強力な力に変える、強力な力と結びつける、様々な思想・信条、党派や意見の相違を乗り越えた広範な統一戦線の形成など望むべくもない。つまるところは、自分たちの組織拡大に直接役立たないような統一戦線形成への努力などは放棄して、分かり合える者同士で、その「感覚」を共有できる仲間内で「こつこつと市民運動を広げていく地道な努力」をという主体形成論でしかなくなってしまう。
 こうした主体形成論こそが、実は統一戦線をかえりみないセクト主義の温床なのである。私たちは一貫して正しかったが、他が全て間違っていた、あるいは正しく対応してくれなかったなどとして、仲間内と身内びいきの自画自賛の論理で分裂と分断を正当化し、「こつこつと市民運動を広げていく地道な努力」を生かすことができず、出来かかった統一戦線やそれを実らせる努力をも踏み潰してしまっていることをこそ反省し、総括するべきではないのだろうか。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.438 2014年5月24日

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【投稿】「成長」か「脱成長」か –路線の選択について–

【投稿】「成長」か「脱成長」か –路線の選択について–

再度の政権交代によって安倍政権が成立して以来、1年6ヶ月が経過した。アベノミクス政策という、超低金利の継続と国債の無制限日銀買い取りなどによる円安効果で、一定の株価の回復や企業の業績改善を見たことで、円高による輸出産業などの低迷、90年代以来のデフレ進行による経済的な閉塞感は、国民の捉え方としては、やや改善し、政権基盤は安定したかに見えている。そして、安倍首相や自民党の悲願である憲法改正や「戦争のできる国」作りの第一歩とも言える解釈改憲による「集団的自衛権の行使容認」を閣議決定で進めようとするなど、右派政策の動きを強めている。安倍政権のこうした動きに対して、まだまだ広範な反対の意思表示は未だ弱いのが現実であろう(世論調査では、反対が過半数だが)。安倍政権の経済政策や極右路線に対して、左の側が十分に現在の右への流れへの対抗軸を明確に示せていないのは何故なのか。自民党やその亜流勢力の闊歩に対して、統一して対抗できる理念や政策が何なのか。このあたりは、今日や明日の戦術的議論ではなく、やや中長期的な戦略議論として、きっちりとした議論が必要だと思うのである。その一つが「成長」を巡る議論であろう。「成長路線」なのか、「脱成長路線」なのか、という問題である。
私の個人的な考えは、どちらかと言えば「脱成長路線」を選択したいと思う。本紙の寄稿者である杉本さんから本号に同様のテーマ設定で寄稿いただいている。「成長主義者」は原発推進者であり、脱原発を求める人々は、明らかに脱成長論。一方で、未だ国民の多くは、「経済成長がないと、社会は衰退する」との意識下にある。これらの意見や意識に、どう対抗していくのかが、求められているとも言えるのではないか。脱成長の中身を明確に、丁寧に語る必要があると思われる。
そこで、参考になるのが、水野和夫氏の最近の著書「資本主義の終焉と歴史の危機」(2014年3月集英社)であろうか。水野氏は、1995年以来の日本の低金利状態が示している事は、日本の資本主義が投資飽和状態にあること、さらにリーマンショックが明らかにしたように、金融資本や富裕層が、資産バブルを繰り返して、中間層を没落させつつマネーゲームで肥え太り続け、格差の拡大が止めどなく広がっている事は、資本主義がその終焉の時を迎えようとしていると分析した上で、資本主義がさらなる暴走の先に終焉を迎えるのか、何とか暴走を抑制しつつ終焉を迎えさせるのかの選択を我々に問うていると語る。暴走を抑制する考え方として、「脱成長」の一つのプログラムが本書で提示されている。
水野氏は、1000兆円の債務を抱え、人口減少期に入った日本には、マイナス成長ではないゼロ成長のプログラムが必要だとし、「ゼロ成長=定常状態」を維持するために必要な政策として、いくつかの提案をされているが、中々興味深いものがある。GDPの2倍もの借金がある日本国債がデフォルトを免れているのは、その大半が国内で保有されていること、さらに国内(国民)の金融資産が1500兆円あり、それが毎年増え続けている点を指摘され、ただ2017年頃その増加が減少に転じた時点で、国債の買い手が減少し、国債市場が不安定化するとも指摘されており、日本の財政収支の均衡化がなによりも急を要すると。そのためには、ゼロ金利の国債を国民は容認すべきであり、「国債=「日本株式会社」の会員権」と考えるべきだとも言われる。同様の主張は、森永卓郎監修の「『新富裕層』が日本を滅ぼす」の中にも、「無税国債」の提案として展開されている。無税国債とは当然無利子なのだが、所有者が亡くなった時の相続税は免除し、富裕層にもメリットを与えつつ、利子払いのない国債による財政安定化を図れというもの。
脱成長・ゼロ成長=定常状態(社会)を積極的に打ち出すためにも、こうした議論を進める必要があるのではないでしょうか。(2014-05-19佐野))

【出典】 アサート No.438 2014年5月24日

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【投稿】集団的自衛権の迷走

【投稿】集団的自衛権の迷走

<躓いた安倍政権>
 安倍政権は集団的自衛権の解禁を強引に推し進めようとしているが、これに対する予想以上の反発から具体案に関しては二転三転している。
 安倍政権は昨年夏以来、これまで解釈改憲の前に立ちはだかっていた内閣法制局を、長官の首のすげ替えで抑え込み、総理の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇:座長柳井俊二元駐米大使)に、政権の意に沿った報告書の作成を進めさせるなど、「集団的自衛権の全面解禁」を目論んできた。
 しかし、安倍総理の「政府の最高責任者は私だ。(解釈改憲についての)政府答弁は私が責任を持って行い、選挙で審判を受ける」(2月12日衆院予算委員会)と、立憲主義を否定し、法治から人治へ転換するかのような答弁を行うなどの、あまりに性急な姿勢に連立与党である公明党や、身内である自民党からも疑問が呈された。
 さらに、昨年末の靖国神社参拝以降、国際社会から厳しい視線が向けられていることも相まって、「全面解禁」から「部分解禁」へ「時間をかけて丁寧に」進める方向に軌道修正を余儀なくされた。
 こうした流れを主導しているのが自民党の高村副総裁である。高村副総裁は「日本の領土、領海、領空内と、公海上で日本の安全に重要な海域での必要最小限度の集団的自衛権行使」という落としどころで、与党の意見集約を進めようとした。
 憲法解釈など行政府が勝手にできるなどと強弁していた安倍総理も、集団的自衛権容認の法的根拠として、1959年の「最高裁砂川事件判決」を持ち出さざるを得なくなった。
 これは、あまりに唐突なものであり、後知恵丸出しの屁理屈である。そもそもこの判決が集団的自衛権を認めているなら、以降の内閣はそれに沿った解釈をしているはずであり、現在論議になどなっていないだろう。
 またこの最高裁判決自体を、司法の独立を放棄した政治判断として再審請求する動きもあるなかでの牽強付会の解釈であると言わざるを得ない。
 4月3日に初めて行われた、自民、公明両党の協議でも、高村副総裁が、砂川事件判決を根拠に「集団的自衛権の行使は必要最小限の範囲で行うこと」として理解を求めた。
 これに対し公明党の山口代表は「砂川判決は集団的自衛権を認めたものではない、想定されるような事態には個別自衛権と警察権で対応可能」と応酬し、見解の相違が浮き彫りになった。

<換骨奪胎の高村案>
 高村副総裁サイドは、自民党、公明党の理解を得るため、部分解禁の対象となる「日本の安全に深刻な影響を及ぼす事態」の事例について、「日本近隣での有事」それに基づく「機雷の掃海」「アメリカ軍への支援」に絞り込む方向で調整に入っていたのである。
 具体的には、①日本周辺(朝鮮半島)で発生した有事で、戦闘行動中のアメリカ軍に対する攻撃からの防衛、攻撃国(北朝鮮)への武器運搬船に対する臨検②戦闘継続下でのシーレーンにおける機雷掃海③臨検した船舶の拿捕、が検討されていた。
 こうした事例に対し公明党は「個別自衛権、警察権で対応できる」としたのである。実際高村副総裁が提案した「日本の領土、領海、領空内と、公海上で日本の安全に重要な海域での「必要最小限度の集団的自衛権行使」はほぼ個別自衛権=「最小限度の自衛権の行使」に含まれる内容である。
 また想定されている臨検などの作戦は1999年の「周辺事態法」でほぼクリアされているものでもあり、ことさら憲法解釈を変える必要はないもとなってしまう。
 つまり高村案は名称は「集団的自衛権行使」であっても内容は「個別的自衛権」の「上乗せ、横だし」レベルのものなのであり、憲法解釈の変更に慎重であった自民党の重鎮や参議院サイドも理解を示し始めた。
 これに憤激したのが、「安保法制懇」及びその黒幕である外務省だ。高村案のように、地域を限定して、活動内容まで詳細に決められては、フリーハンドが無くなり、とりわけ「これでは中東地域での地上戦に参加できない」と慌てたのである。
 「安保法制懇」は、「海外で戦闘中の多国籍軍に対して自衛隊が兵士の輸送や医療活動などの後方支援ができるよう、憲法9条1項の「国際紛争」の解釈を「日本が当事者である国際紛争」と変更するよう求める」と報道された(4月12日「朝日」)。
 これを補強するように、自民党の石破幹事長は、4月5日テレビ東京の番組で「集団的自衛権の行使を容認した場合の自衛隊の活動範囲について、地球の裏まで行くことは普通考えられないが、日本に対して非常に重大な影響を与える事態だと評価されば、行くことを完全に排除しないと述べ、地理的な懸念に制約されるものではないとの考えを示した」(4月6日「読売」)のである。
 外務省は、余程、莫大な資金を提供したのに感謝されなかった湾岸戦争時の屈辱がトラウマになっているようである。
 さらに4月17日の共同通信報では「安倍政権は、集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定に先立って策定する『政府方針』に、朝鮮半島有事など行使を可能とする具体例を明記しない方向で調整に入った」ことが明らかにされた。
 これらの動きは、高村案を根底から覆すもので、政府、自民党内での混乱、暗闘が如実に表れている。安倍政権は、公明党の了承を得ずに「みんなの党」や「日本維新の会」との連係で強行突破することも選択肢としているようである。
 しかし「みんなの党」は渡辺代表の辞任による求心力の低下、「日本維新の会」は橋下共同代表が「大阪維新の会」との分党論を提唱するという分裂含みの事態になっており、すんなりと行くめどはない。
 このような強硬派の巻き返しに対し、内閣法制局が集団的自衛権の行使要件を「放置すれば日本が侵攻される場合」=「北朝鮮軍が韓国全土を制圧し、さらなる南下の動きを見せる」など実際には起こりえない事態に限定し、公海上でのアメリカ軍防衛などは個別的自衛権の拡大で対応するとした案をまとめたことが明らかとなった。
 これまで集団的自衛権の行使自体を認めてこなかった法制局の見解からは、大きく踏み出すことになるが、疾病で判断能力を喪失している小松長官に変わり事務方が見せた最大限の抵抗と言えよう。

<アメリカとの温度差>
 このような安倍政権の前のめりと、日本政府内での混乱をよそにアメリカは、淡々と自らの道を歩んでいる。アメリカは今後中東地域を最重要視することに変わりはないが、そこで戦争を起こす気はない。
 泥沼化したアフガン、イラク戦の教訓に加え、議会による軍事予算の削減圧力は日々強まっている。
 2月24日発表されたアメリカ国防総省の2015会計年度予算方針、および3月4日公表の「4年ごとの国防政策見直し(QDR)」を見ると、アメリカ陸軍は第2次世界大戦以降最少レベルまで縮小され、海軍も空母11隻体制は維持するものの、主に中東沿岸での作戦用に建造された「沿海域戦闘艦」は当初予定の52隻から32隻に削減された。
 このように、湾岸戦争やイラク戦争レベルの戦争はもちろん、中東および周辺地域での軍事介入も、この間のシリア内戦やウクライナ問題への対応から明らかなように有りえない。したがって集団的自衛権を解禁しても自衛隊の出番はないのである。
 アジア地域に関しても、オバマ政権はアジア重視の「リバランス政策」を掲げているが、スローガン倒れになっていることが明らかとなった。
 4月17日のアメリカ上院外交委員会の報告書によると、国務省の2015会計年度予算でのアジア地域に係わる予算要求は8%に過ぎず、中東の35%、南・中央アジアの27%はおろか、欧州、ユーラシアの14%、アフリカの9%にも及ばないものとなっている。
 軍事面でも、アメリカ軍による尖閣諸島問題にかかわる日本へのリップサービスは盛んだが、米中は相互に配慮しあっている。そもそも尖閣諸島問題は集団的自衛権のレジームではなく、個別的自衛権と日米安保の問題である。
 尖閣諸島を巡って米中が真っ先に武力衝突を起こすことなどありえないにもかかわらず、集団的自衛権の解禁でこの海域での日米共同作戦が進展するかのような幻想がふりまかれることは、アメリカも迷惑だろう。
 アメリカ国防省は4月1日、今月下旬に予定されていた青島での、中国海軍主催の国際観艦式への艦船派遣を行わないことを決定、結果的に観艦式は中止となった。 
 これは海上自衛隊が招待されていなことへの不快感の表明であるとして、日本の右派勢力から拍手喝采を受けた。
 しかしその直後の4月7日ヘーゲル国防長官は中国の空母「遼寧」を視察した。「泥を塗られた」はずの中国側にとっては大サービスであるが、大人の対応というものである。
 観艦式に関しては、消息を絶ったマレーシア航空機の捜索が続けられるなか、韓国では旅客船が沈没し多数の犠牲者が出るというアジア地域の状況を考慮すれば、「お祭り」もいかがなものかということになったであろう。(派遣を決めていた韓国も海難事故を踏まえ見直しをしただろう)ただ「西太平洋海軍シンポジウム」は予定通り開かれ、海自幹部も出席する予定となっている。
 こうしたなか、4月19日横須賀に海自の護衛艦、補給艦など艦船14隻、イージス艦に至っては6隻中4隻が集結するという「総動員」体制のなか「護衛艦カレーナンバー1グランプリ」が開催された。
 これは、市民に艦内を開放し、各艦秘伝のレシピで調理したカレーの味を競うというイベントであるが、演習で艦艇が集まる機会を利用して開催されたという。
 関係国であるアメリカ、中国は極めて冷静であり、現場である海自も至って「平和」であるというなかで、血眼になって集団的自衛権解禁のボルテージを上げる安倍政権の危険な姿が浮き彫りとなっている。(大阪O)

【出典】 アサート No.437 2014年4月22日

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【投稿】「エネルギー基本計画」批判

【投稿】「エネルギー基本計画」批判
                            福井 杉本達也 

 4月11日に閣議決定された新しい国の『エネルギー基本計画(以下「計画」)』は、2011年3月11日の福島第一原発事故を「忘れ」、「無かった」ことにし、原発を今後も使い続けるようとする宣言である。原発を、基本的な電力供給源の役割を担う「ベースロード電源」と位置付け、使用済み核燃料を「再利用する」核燃料サイクルという名目で独自核武装のための1954年来の60年間の壮大なフィクションを維持するものである。

1 福島原発事故対応の無責任
 計画は「事故で被災された方々の心の痛みにしっかりと向き合い」「発生を防ぐことができなかったことを真摯に反省し」「再発の防止のための努力を続けていかなければならない」との言葉を羅列する一方、事故処理の「国民負担を最大限抑制」すると居直る。「原子力賠償、除染・中間貯蔵施設事業、廃炉・汚染水対策や風評被害対策などへの対応を進めていく」とするものの放射線の健康被害に関しては一切の言及はない。

2 何を持って「世界で最も厳しい規制基準」というのか
 「事故の反省と教訓を踏まえ」「世界で最も厳しい水準の規制基準に適合すると認められた場合には、その判断を尊重し原子力発電所の再稼働を進める」というが、何を持って「世界で最も厳しい」というのか。比較はどこの国の基準なのか全く不明である。そもそも、事故の原因をまともに追及せず、さらには輪をかけて事故を「津波」だけのせいにし、地震による原子炉破壊・電源喪失・核爆発を伴う水素爆発・当初のヨウ素131による被曝・その他の証拠の隠滅を図ろうとするなど、何一つ『真摯な反省』をしていない国が「世界で最も」と勝手に叫んでも、「世界」はそのような基準を信じない。

3 事故を起こさないという「精神論」か「過小評価の」論法か
 「二度と原子力事故は起こさないとの強い意思を持ち、原子力のリスクを適切にマネジメントするための体制を整備するとともに、確率論的リスク評価(PRA)等の客観的・定量的なリスク評価手法を実施する」というが、「強い意思」を持っていれば事故は防げたのか。これは「科学」の世界ではない。「信念」「思い込み」「カミカゼ」の世界である。少なくとも国家が国民や世界に向かって発表するレベルの文書ではない。
 今回の福島では1度に4基の原発がレベル7の事故を起こした。単純に原発の運転期間から計算すると500年に1回の事故である。現在の50基の原発で割れば10年に1基ずつ事故が起きる計算となる。これでは日本(我々国民も)は消滅である。確率論的リスク評価(PRA)で「定量的」なリスク評価が行えると本当に思っているのか。「定量」の中に福島事故は含まれていない。「無かった」ことにして、ごまかしでもするつもりなのか。

5 原発停止で輸入燃料費増による貿易赤字が増えたという嘘
 『化石燃料への依存の増大とそれによる国富の流出、供給不安の拡大』の見出しがあるが、「原子力発電所が停止した結果、震災前と比べて化石燃料の輸入が増加することなどにより、日本の貿易収支は赤字幅を拡大してきている」「日本の貿易収支は、化石燃料の輸入増加の影響等から、2011年に31年ぶりに赤字に転落した後、2012年は赤字幅を拡大し、さらに2013年には過去最大となる約11.5兆円の貿易赤字を記録した」とし、「原子力発電の停止分の発電電力量を火力発電の焚き増しにより代替していると推計すると、2013年度に海外に流出する輸入燃料費は、東日本大震災前並(2008年度~2010年度の平均)にベースロード電源として原子力を利用した場合と比べ、約3.6兆円増加すると試算される。」と述べている。
 化石燃料の増加による赤字が3.6兆円というのは東京新聞の特報(2014.4.12)からもその嘘が明らかである。「『輸入量が増えた分が大体7割、資源価格上昇が2割、為替要因が1割強』。茂木経産相は3日の参院予算委員会で、経産省の試算の内訳を説明した。 この割合で3.6兆円をみると、原発停止による液化天然ガス(LNG)や石炭、石油など火力発電の燃料の輸入増加分は約2.52兆円にすぎない。残る3割ほどの約1.08兆円は、資源相場の上昇や円安による輸入費用増加だ。」と指摘している。
 そもそも、日本の貿易赤字の原因は輸入増加というよりも輸出減少にある。輸出数量がプラスなのは自動車・化学・建機などだが電機は震災以降もダラ下がり状態である。これまで日本の輸出を牽引してきた輸送機械と並ぶ両輪の一方が欠けると一気に輸出の勢いが削がれる(藻谷俊介『エコノミスト』 2013.11.12)。経済の元締めとも言うべき経済産業省の官僚はこのようなことも分からずに作文したのか。それとも、明日にでもばれる嘘でも原発再稼働のためには大嘘をつくのか。いずれにしても日本の官僚機構の劣化は甚だしい。

6 地球温暖化の嘘
 原発の停止が「地球温暖化対策への取組に深刻な影響を与えている」とし、「これまで国際的な地球温暖化対策をリードしてきた我が国の姿勢が問われかねない状況となっている」と脅し、原発は「原子力燃料投入量に対するエネルギー出力が圧倒的に大きく、数年にわたって国内保有燃料だけで生産が維持できる低炭素の準国産エネルギー源」であり、「運転時には温室効果ガスの排出もない」「重要なベースロード電源である」とする。
輸入ウラン100%の原発が「準国産」と言い張るのはどのような思考なのか。供給が途絶えても「数年間生産が維持できる」といっても所詮電気だけである。生活のあらゆる面に使用される石油でも半年間の備蓄はある。
 地球温暖化説に対しては、このところ、地球の平均気温は10年以上上がっておらず、むしろ寒冷化の傾向が見えることから幾多の疑問が提起されている。今回発表されたIPCCの第5次報告書では平均気温が産業革命以前より最大2.5度上昇したとしても経済に与える損失は収益の0.2~2%という(日経:2004.1.7)。8年前の前回の報告書では、100年の温暖化が世界のGDPを5-20%減少させ、不況や飢餓、難民、紛争を引き起こすと危機感を極端に煽るように書かれていたことと比較すると温暖化の地球環境への影響は微々たるものであることが明らかとなった。むしろ事故で放射能をまき散らす原発こそ地球破壊の元凶でkある。

7 天然ガスについて
 計画には一部常識的なことも書いてある。発電の1/2を占める天然ガスについて「今後、利用の増加が見込まれる天然ガスについては、パイプラインを含めて安定供給を確保する観点からの検討が必要である」と述べる。国内的には「太平洋側と日本海側の輸送路、天然ガスパイプラインの整備」を、また国際的には「ロシアの豊富な資源ポテンシャル、地理的な近接性、我が国の供給源多角化等の点を考慮すれば、ロシアの石油・ガス資源を有効活用することは我が国のエネルギー安定供給確保にとって大きな意義を持ちうる」とし、「将来的なパイプラインネットワークを活用した供給形態の多様化を視野に入れ、望ましい国際的なサプライチェーンの在り方と可能性についても検討を進める」とし、数少ないまともな文面となっている。日本は天然ガスを一度液化してLNGとし、船で運んできて、再び気化して利用している。海底パイプライン化すれば液化・輸送費が大幅に安く済む。

8 石炭について
 石炭についても「低廉で安定的なベースロード電源」として位置付けている。米国ではシェール革命の影響で「電源を石炭から天然ガスにシフトする動きを加速している。これにより米国から欧州への石炭の輸出が拡大しており、欧州では石炭火力発電への依存が深まりつつある」と述べる。「石炭火力発電は、安定供給性と経済性に優れている」として積極的に推進する姿勢を見せている。如何にバカな官僚群といえども『核』という色眼鏡を取れば世界的には方向は同一にならざるを得ない。

9 電力の国際的融通について
 「我が国の電力供給体制は、独仏のような欧州の国々のように系統が連系し、国内での供給不安時に他国から電力を融通することは」できないとしているが、ASEANでは2020年を目標に加盟国を繋ぐ送電網の整備(ASEANパワーグリッド)が進められようとしており、日本企業の三菱商事や日立も参画するという(日経:2013.8.13)。これに東アジアの電力網を繋ぐのが『アジア大洋州電力網』(『エコノミスト』2012.5.22)である。日本が東アジアでロシアや台湾・韓国・北朝鮮・中国との送電網の整備を進めることは何ら不可能なことではない。自らの目を曇らせているのは『安全保障』という名の『孤立化』政策だけである。

10 独自核武装への道について
 独自核武装について、計画は「原子力の平和・安全利用、不拡散問題、核セキュリティへの対応は…世界の安全保障の観点から、引き続き重要な課題である」とし「周辺国の原子力安全を向上すること自体が我が国の安全を確保することとなるため、それに貢献できる高いレベルの原子力技術・人材を維持・発展することが必要である」「核燃料サイクル政策については、これまでの経緯等も十分に考慮し、関係自治体や国際社会の理解を得つつ、再処理やプルサーマル等を推進する」とあくまでも独自核武装をあきらめない姿勢をとっている。しかし、日本を核攻撃するのに正確で小型の核弾頭は必要とせず、電源か水の供給さえ遮断すれば通常弾頭のミサイルだけで核攻撃以上の打撃を十分与えることが可能であることが原発自体(燃料プール)が核爆発した福島の事故からも明らかになってしまった。無意味な『独自核武装』は自滅への道である。

11 『もんじゅ』の取扱い
 もんじゅについて「放射性廃棄物を適切に処理・処分し、その減容化・有害度低減のための技術開発を推進する。具体的には、高速炉や、加速器を用いた核種変換など、放射性廃棄物中に長期に残留する放射線量を少なくし、放射性廃棄物の処理・処分の安全性を高める技術等の開発」するのだという。核燃料を取り囲むブランケットという場所で純度98%の核兵器級プルトニウムを生産できるもんじゅを「何としても生きながらせたい」”気持ち”が浮かび上がっている。『高速増殖炉』から核燃料を『増殖』できるというこれまでの大嘘を放棄し『高速炉』という名称に改めたが、『核種変換』などという出来もしない夢物語の作文は正気の沙汰とは思われない.。 

【出典】 アサート No.437 2014年4月22日

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【書評】『(株)貧困大国アメリカ』 堤未果

【書評】『(株)貧困大国アメリカ』 堤未果
             (2013.6発行、岩波新書) 

 『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書、2008年)、『ルポ貧困大国アメリカⅡ』(岩波新書、2010年)に続く本書は、「いま世界で進行している出来事は、単なる新自由主義や社会主義を超えた、ポスト資本主義の新しい枠組み、『コーポラティズム』(政治と企業との癒着主義)にほかならない」として、現在のアメリカ経済を分析し、アメリカの実体経済が世界各地での経済事象の縮図であるとする。その基本的な視点は次のようなものである。
 「グローバリゼーションと技術革命によって、世界中の企業は国境を超えて拡大するようになった。価格競争のなかで効率化が進み、株主、経営者、仕入れ先、生産者、販売先、労働力、特許、消費者、税金対策用本社機能にいたるまで、あらゆるものが多国籍化されてゆく。流動化した雇用が途上国の人件費を上げ、先進国の賃金は下降して南北格差が縮小。その結果、無国籍化した顔のない『1%』とその他『99%』という二極化が、いま世界中にひろがっているのだ」。
 そして巨大化した多国籍企業は、その手法である「効率化と拝金主義」を強力に推し進めて公共の領域に進出し、「国民の税金である公的予算を民間企業に委譲する新しい形態へと進化した」。食産複合体、医産複合体、軍産複合体、刑産複合体、教産複合体、石油・メディア・金融各業界等々である。
 これにより「国民の主権が軍事力や暴力ではなく、不適切な形で政治と癒着した企業群によって、合法的に奪われる」という状況にいたった。その実態レポートは生々しいが、本書の目次を一瞥しただけでもそのおおよその見当がつくというものであろう。
 養鶏業界を独占し食品安全検査さえをも骨抜きにする大企業(第1章「株式会社奴隷農場」)。一人勝ちしたウォルマートが作り出した食品生産業者~小売業者等々からなる巨大な垂直食品市場(第2章「巨大な食品ピラミッド」)。GM種子・化学肥料・殺虫剤のセットによってイラク、インドなどの伝統的農業を押しつぶし、支配権を手に入れたアグリビジネス(農産複合体)(第3章「GM種子で世界を支配する」)。破綻した自治体を株式至上主義の支配する商品として解体・改革する政策(第4章「切り売りされる公共サービス」)。法律案を企業と合同で考案し、連邦政府、州政府等への成立の働きかけするシンクタンク(第5章「政治とマスコミも買ってしまえ」)等々である。
 中でも特筆すべきは、最後の章で出たシンクタンクALEC(米国立法交流評議会)の刑務所ビジネスであろう。これについては上掲の『ルポ貧困大国アメリカⅡ』でも触れられているが、筆者はこう伝える。
 「ALECは過去数十年間、アメリカ国内のあらゆる分野を、企業がビジネスをしやすい環境にする取り組みを続けてきた。九〇年代から急速に花開いた刑務所産業もその一つだろう。世界最大の収容率を維持するアメリカの囚人人口は1790年から二〇一〇年のまでの四〇年で七七二%増加、今や六〇〇万人を超えている。実体経済が荒廃してゆくなか、この産業の確実な成長は、ALECのたゆまぬ努力のたまものだった」。
 刑務所は、最低時給一七セントで労働法が適用されない労働力を供給する宝庫であり、「ALECによって生み出されたこの新しいビジネスチャンスは、今では一〇万人を超える巨大市場に成長した」。
 このような例はいくらでもあげることができるであろう。学位がなければワーキングプアになると思いこまされ、法外な学費を払うために借りた教育ローンで金縛りにあい、兵士としてあるいは戦争請負会社の派遣社員として戦争ビジネスを支えている若者たち、貧困者に対するSNAP(補助的鋭要支援プログラム)=フードスタンプによって購入する食料(安価なジャンクフードや糖分の高い炭酸飲料、栄養のない加工食品が主)によって貧困児童の肥満率と糖尿病が激増し、その結果医療費の増加を増やして低所得層の家計をさらに圧迫している現実がある。結局利益を得るのは常に独占的大企業群であり、これによる攻撃で、今まで本来的に公共サービスの分野と見なされきた分野が掘り崩され、国民の生活と健康、公教育、治安までが根底から脅かされつつある。このような深刻な事態が、アメリカを発祥の地として全世界的に広まりつつあると、著者は警告する。
しかしこれら独占的大企業群に支えられている政治家たちは、次のような発言をしてはばからない。
 「今、世界の市場に参加しようとしている企業が、あまりにも多くの場所で、あまりにも理不尽な貿易障壁という嫌がらせを受けています。こうした壁は多くの場合、純粋な市場原理から発生したものではなくて、間違った政治的な選択が生み出しているのです。/それが世界のどこであれ、企業が不公正な差別に直面した場合はいつでも、自由で、透明、公正で開かれた経済ルールを確立するために、アメリカは勇気を持って立ち上がるでしょう。私はボーイング社やシェブロン社やゼネラルモーターズ社、その他多くのすばらしい企業のために戦うことを、心から誇りに思います。・・・」(2012年11月18日、ヒラリー・クリントン国務長官(当時)のシンガポール大学での講演)。
すなわちアメリカのとっての外交とは、単なる投資や通商条約という狭い範囲のみでなく、もっと広く大規模に生活世界全体を支配下に置くことを目指しているのである。
 このような動きに対してどう抵抗していくのか。上記の諸問題は、わが国においてすでに始まっている。現に安倍晋三首相は、所信表明演説で「世界で一番企業が活躍しやすい国を目指します」(2013.2.28.)として、同様の路線を推し進めることを明言している。
本書は、アメリカで起こっている深刻な事態が、われわれのすぐ傍で日常生活の中で起こりかけているということを警告し、このような波をいかに跳ねのけていくのかという問題提起の書である。(R) 

【出典】 アサート No.437 2014年4月22日

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【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(3) 

【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(3) 

▼ 4月6日投開票の京都府知事選は、投票率が前回の41.09%を下回り、前回比 -6.64%の34.45%で、過去最低の記録を更新した。当日の有権者数は205万7594人で、投票総数はその3分の1強の70万8889票でしかなく、オール与党の山田啓二氏が 481,195票(得票率 69.04%)、共産系の尾崎望氏が 215,744票(同、 30.96%)であった。消費税増税後初めての大型地方選で注目されたが、全く盛り上がりに欠けた選挙戦に終始し、当選した山田氏の絶対得票率は23.38%でしかない。(ちなみに都知事選では、投票率は前回比 ー16.46%の 46.14%で、得票率は、舛添氏 43.40%、宇都宮氏 20.18%、細川氏 19.64%、田母神氏 12.55%、当選した舛添氏の絶対得票率は19.77%にしか過ぎなかった。)
 この京都府知事選について、4/7付しんぶん赤旗は、共産党京都府委員会の声明として「前回より後退した党勢で臨んだ選挙戦だった」が「善戦・健闘した」と報じているが、4/9付同紙は、4/7に開かれた「知事選報告集会」で、ネットを中心に勝手連として尾崎氏を支援した「下京原発ゼロネット」の代表が、「身内で小さくまとまった選挙運動の限界」という発言に、「会場は大きな拍手で応えました」と報じている。
 同紙はその詳細を報じていないが、ネット上でその集会での勝手連代表の寺野さんの壇上からの発言が映像として公開されている。同氏は、「この選挙の結果に関して、健闘したとか、善戦したというようなまとめで終わらせたくはありません。」として、「敗北の原因は何なのかということ」、「投票率の低さが意味するものは何か」について、「背景にある大きな戦略、ここににひとつの課題があったのではないか」と、問題を投げかけ、「あまりにも多くの公約を入れすぎ、並べすぎた」、「そのために一般の多くの京都府民の方々を巻き込めなかった」、それによって「大きなムーブメントを起こすことができなかった」、結果として「小さくまとまった選挙運動というのはここに来て大きな限界を迎えていると思います」と、鋭く切り込んでいる。共産系の集会でこうした発言が、最も大きな拍手で応えられたという現実は、肌身に感じるほどの厳しい現状認識が多くの支援者の中にさえ広く存在していることの証左でもあろう。
 都知事選における宇都宮陣営の選挙戦略の本質的欠陥が、この京都府知事選においても露呈していると言えよう。それは、焦眉の課題における幅広い統一戦線戦略が基本的に欠落している、諸要求羅列で争点を不明確にし、献身的ではあるが身内だけのセクト主義的な選挙闘争に終始する不可避的な結果でもある。
▼ 3/16、希望のまち東京をつくる会の都知事選ふりかえり集会「東京デモクラシー、起動中。――2014都知事選から歩み出すために」が開かれ、中山武敏・選対本部長が開会挨拶で「宇都宮候補だけが安倍政権の暴走をストップすると掲げた」と述べるや、会場からは「そうだ。細川はできなかった」との声が出た、という。続いて宇都宮氏本人が、「細川問題を克服して前進したことは大きな意義がある。私は後出しじゃんけんをせず、一番先に出馬表明をし、政策を掲げて正々堂々と闘ってきた。細川氏の欠席を理由にテレビ討論会が流れたことが問題である。国会議員や首相を経験した人が信念を語る覚悟がないことには失望した。著名人頼み、風頼みの選挙ではダメである。これは教訓として残す必要がある。私達は前進した。日常的な運動を強化しなければならない。」と述べている。
 宇都宮氏は一体誰と闘ってきたのであろうか、悲しいかな氏の視点はあくまでも反細川なのである。反舛添の広範な統一戦線思考はまったく氏にも、それを支える陣営にも存在していないかのようである。
 月刊『創』2014年4月号で香山リカ氏は「都知事選の反省をただ一度だけ」と題して、「現実路線で腹の中は隠しながらどんどん外とも手を結び、勢力を拡大していく今の与党」、逆に「まずは過去の過ちからの謝罪から」とか、「挨拶がないのは失敬」とか、さらには、「よくあんな人を信用できるね」とか、「仁義や大義、けじめにこだわる古風すぎる価値観の持ち主が多いことを今回も思い知らされた」、「清廉潔白さは貴重ではあるが、その結果、自分たちの言いたいことも伝えられないほど勢力が衰えてしまうのは、まさに本末転倒なのではないだろうか」と宇都宮陣営の狭量な現実を指摘している。
 『週刊金曜日』2014/3/28日号の投書欄には、宇都宮氏は舛添氏に「得票数で2倍以上の差をつけられ、しかも氏の得票数は前回より1万4000票しか増加していない。それなのに、氏は「大いに善戦、健闘した」と言う。普通はこれを惨敗と言うのではないか。・・・また氏は、「一番先に出馬を表明」したと得意気だが・・・そもそも出馬の順番など何の意味もない。・・・本来なら都知事選で勝利できなかったことを嘆くべきであろう。氏が「選挙戦を終えて大変清清しい気持」にひたっているのが理解できない。・・・氏は著名人に頼るような選挙をしてもだめであり・・・というが、進歩的と言われる著名人の多くが細川候補の応援に回ったことに対する私憤があるのではないかと疑いたくなる」、という厳しく、核心をついた投書が掲載されている。
 また、月刊『社会民主』2014/3月号によれば、選挙戦のさなか、社民党の新春パーティに宇都宮氏が来て挨拶したが、「いま情勢調査では、細川さんより私が上に行っているようだ」と嬉しそうに語った、という。ここでも宇都宮氏の視点はあくまでも2位争いであって、いわば保守の陣営から細川・小泉陣営が「脱原発」で動いた、保守・中道をも獲得する絶好のチャンスを逃さず、生かして、統一して闘うことによって舛添陣営を追い詰め、勝利するという基本姿勢が欠落しているのである。
▼ 以上、宇都宮陣営の基本的な問題点を取り上げてきたが、細川陣営にも宇都宮陣営にも共通する問題点を取り上げておきたい。それは、統一戦線の政策課題であって、実はこれが勝敗を決する決定的問題だといえよう。
 細川氏は、原発ゼロ社会を目指して「一刻も早く原発再稼働をやめるべきである」という、焦眉の、緊切な課題を争点の中心に据えている点において、諸要求の羅列ではない、宇都宮陣営にない優位性を立脚点においていたことは確かである。しかし、その政策的根拠について、細川氏は「経済成長主義ではなく」、「脱成長の路線」、「価値観の転換を図るべき」だと訴える。なぜなら、それは「成長のためには原発が不可欠である」という現自民・公明政権、安倍政権の路線への対抗路線としてなのである。
 ところがこの細川氏を支援した小泉純一郎氏は、細川氏と同じ街宣カー上から「原発ゼロでも経済成長できることを世界に示すのだ」と強調し、「 私どもは、夢を持っている。理想を掲げるのは政治じゃないと批判する人もいます。しかし、原発ゼロで東京は発展できる、日本の経済は成長できるという姿を見せることによって、日本は再び世界で自然をエネルギーにする国なんだな、環境を大事にする国なんだな、そういう発信をする国になりうる。その夢や使命感を持って、候補者は立ち上がってくれたんです。」と訴えている。至極当然で、原発ゼロ政策と成長政策を結合させる基本姿勢が表明されていると言えよう。
 しかし肝心の候補者である細川氏は、原発ゼロ政策=成長抑制路線として、「もう成長の時代が終わった」などとして、それを否定してしまうことによって、原発ゼロ政策が、日本経済、エネルギー政策の根本的転換と結び付けられなかったのである。雇用を拡大させ、窮乏化にストップをかける、そうした根本的転換を促進する具体的政策、原発依存の独占・集権型エネルギー政策から、再生エネルギーを促進する分権・分散型エネルギー政策への転換をこそ前面に掲げるべきであったが、成長抑制路線によって、デフレ経済下で進行する貧困化と格差の拡大を克服する戦略を提起できなかったのである。それは宇都宮陣営においても同様で、原発ゼロを諸要求の一つとして掲げれども、その実現に向けた政策提起も、それを中心に据える統一戦線戦略も提起しえなかったところに最大の政治的・政策的敗北の原因があったと言えよう。
▼ 田母神氏の予想外の得票から、若者の保守化・右傾化を指摘する論者が多いが、彼らをそこへ追いやる、共産党から社民党、民主党に至る既成政治勢力の政治姿勢こそが問われるべきであろう。彼らの、一見、潔癖で禁欲主義的な政策は、様々な諸要求を羅列すれども、結果として資産階級・富裕層が最も恩恵を受けるデフレ政策、総需要抑制政策を追認、擁護し、貧困と格差の拡大を許し、積極的な景気拡大・浮揚政策、成長政策でそれを打破する対抗政策を提起しえなかったことにこそ、大衆的信頼を獲得できなかった最大の問題があると言えよう。
 とりわけ民主党が自民党から政権交代を果たし、庶民が期待した、緊縮財政・福祉切り捨て・縮小均衡政策のデフレ政策からの根本的転換がことごとく裏切られ、財務省の財政縮小路線と自由競争原理主義の新自由主義路線にとりこまれてしまい、3・11の東日本大震災と福島第一原発事故が投げかけた、そうした政策からの脱出の最大の契機さえ把握することができずに、衆議院解散に追い込まれ、アベノミクスに、本来あるべき成長政策がかっさらわれてしまったのである。しかしそのアベノミクスも、成長政策の体をとりながらも、従来型の利権がらみのバラマキ政策に終始し、実際には増税路線とセットであり、さらなる規制緩和と非正規雇用の一層の拡大政策等々、貧困と格差の拡大をさらに促進する、実質的にはデフレ政策とセットなのである。
 こうした反自民勢力、あるいは左派勢力が本来掲げるべき積極的な景気拡大・浮揚政策、成長政策を、逆に田母神陣営は、タモガミクス(東京総合経済対策)三本の矢(一本目 都民税減税により、4月の消費税増税による景気の落ち込みを防ぐ 二本目 防災・五輪関連の公共事業拡大 三本目 中小企業の「仕事」と「所得」を増やす)として掲げ、たとえそれが欺瞞的であれ、アベノミクスを「補完するタモガミクス」として提起し、雇用不安と貧困に喘ぐ若者の支持を相当程度獲得し得たこと、その現実をこそ注目し、総括すべきであろう。
 本来、安倍政権の軍事的緊張激化や軍国主義化に反対する、反自民、平和・憲法9条擁護の勢力に結集できる若者や生活苦と格闘する人々を、増税・財政抑制・総需要抑制政策・縮小均衡路線に組みすることによって、民族差別や戦争挑発政策や人権抑圧の支持者に追いやってしまってはならないのである。
 これまでの行きがかりを乗り越えた、統一戦線政策の政治的・政策的総括こそが要請されていると言えよう。
(生駒 敬) 

【出典】 アサート No.437 2014年4月22日

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【投稿】ウクライナ情勢と安倍外交

【投稿】ウクライナ情勢と安倍外交

<クリミアの「無血占領」>
 2月24日、ウクライナで反ロシア勢力による実力行動で、ヤヌコビッチ大統領が追放され、欧州連合寄りの新政権が誕生した。
 新政権はトゥルチノフ大統領代行のもと、大統領選挙の繰り上げ実施、ロシア語の非公用語化など脱ロシア政策を進めようとした。
 これに対して、ロシア、プーチン政権は即座に対応、オリンピック閉会とパラリンピック開会の間隙をぬって、ロシア系住民が多数を占め、黒海艦隊の基地、セバストポリがあるクリミア自治共和国を事実上占領した。
 旧ソ連による1979年のアフガン侵攻は、西側諸国による翌年のモスクワオリンピックボイコットにつながった。08年の北京大会開催中にはロシアとの関係が深い南オセチアに侵攻したグルジアに対し、軍事力を行使、短期間で屈服させた。
 今回またしても、オリンピック期間、およびロシアに係わり緊張が高まる結果となった。しかし過去の事態と異なるのは、本格的な交戦は発生しておらず、クリミア半島でウクライナ軍の動きを封じ込めたロシア軍は数日のうちに姿を消し、あとはロシア系住民の「自警団」=民兵が主要地域を掌握するという展開である。
 もっとも完全にロシア軍が撤退したわけではなく、セバストポリの黒海艦隊基地や「自警団」内には相当数の特殊部隊が潜在、潜入していると考えられる。
 さらに、ウクライナ東部とロシアの国境地帯には、大規模なロシア軍地上部隊が集結し、加えて、地中海東部には、重航空巡洋艦(空母)「アドミラル・クズネツフォフ」と重原子力ミサイル巡洋艦(巡洋戦艦)「ピヨトール・ヴェリキー」など強力な地中海作戦連合部隊が展開している。
 これらの艦船は、もともとシリア情勢と国際協力による化学兵器廃棄活動を警護するため派遣されたものであるが、タイミングよくウクライナや欧米に対する牽制の役割も果たすこととなった。

<弱腰の欧米>
 こうしたロシアの軍事的圧力に対し、アメリカやEUは及び腰になっており、NATO内部でも足並みはそろっていない。
 この構図は、先に述べた南オセチア紛争やシリア内戦と同じである。欧米は矢継ぎ早に強い口調でロシアを非難し、経済制裁を準備しているが実効性については疑問符がついている。経済支援についてもデフォルトも現実味を帯びているウクライナ経済の危機的状況に比べて微々たるものに止まっている。
 ドイツは本音のところで経済制裁に慎重であるし、フランスはロシアとの間で「ミストラル」級強襲揚陸艦4隻の売買契約を結んでいる。建造中の1,2番艦はウラジオストックに配備予定であるが、今後、黒海に配備される可能性のある3,4番艦の契約についてキャンセルする動きはない。
 軍事力行使についてはなおさらで、アメリカは空母「ジョージ・H・W・ブッシュ」を地中海東部に派遣し、黒海にはイージス駆逐艦が入っているが、フランスの原子力空母「シャルル・ド・ゴール」やイタリアの軽空母「カヴール」など主要な艦船は同海域には展開していない。
 黒海と地中海を結ぶダーダルネス海峡については、モントルー条約で空母は通過できないことになっているが、ロシアの空母は「重航空巡洋艦」と呼称しているため黒海への進入が可能であり、欧米にとって不利となっている。
 プーチン政権はこうした欧米の足元を見透かして強硬姿勢に出ているのであるが、決定的な対立を避けるため、クリミア以外のウクライナ領内に侵攻することはないだろう。欧米もそれを前提としながら、今後政治的解決の方向へ進むだろう。
 3月16日には、クリミアで住民投票が行われ、ロシア編入賛成が多数となった。ウクライナ政府や欧米は、これを無効としているが撤回させる有効な手立ては持ち合わせていない。
 今後6月に予定されているソチG8については、G7各国が準備会合をボイコットしたため、流動的な要素が多いが、それまでにロシアの政策の既成事実化が進むものと考えられる。
 
<無為無策の安倍政権>
 このような動きに何も対応できていないのが、安倍政権である。欧米各国の首脳が欠席する中、意気揚々とソチオリンピックの開会式に出席し、日露首脳会談を行ったのもつかの間、足元を掬われる形となった。
 ウクライナ危機勃発の直前にプーチン大統領と会談を行った先進国首脳として、何もしていないというのは、面目丸つぶれであろう。
 安倍総理は盛んにプーチン大統領との人間関係を吹聴しているが、それがこの間の事態打開には何の役にも立っていないどころか、何も言えないことになってしまっており、人間観の底の浅さが満天下にさらけ出された。
 安倍総理はオバマ大統領との初会談時にも「私とはケミストリーが合う」などと独りよがりの感想を述べていたが、その後の「靖国参拝」や従軍慰安婦問題などで日米間は最悪の化学反応を起こしている。
 加えて中国、韓国との関係改善が進展しない中、ロシアカードをつかんだと思ったらジョーカーだったということである。
 こうした外交的行き詰まりを打開しようというのか、安倍政権は3月中旬、モンゴルのウランバートルで横田めぐみさんの両親と孫娘を面会させるという奇策に出た。
 これに関し、安倍総理の直弟子である城内自民党外交部会長は、3月16日フジテレビ系列の報道番組で「拉致問題が進展する可能性は十分ある」と語り、北朝鮮との関係改善を進める意向を示した。
 価値観も何も投げ捨てて彷徨する安倍外交の浅はかさというべきだろう。(大阪O)

 【出典】 アサート No.436 2014年3月22日

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【投稿】プルトニウム返還要求と『潜在的核保有国』

【投稿】プルトニウム返還要求と『潜在的核保有国』
                              福井 杉本 達也 

1 米国のプルトニウム返還要求
 政府は冷戦時代に米国から提供を受けていた東海村:原子力科学研究所内にある「プルトニウムを返還する方向で調整に入ったという(日経:2014.2.27)。米国がこの間再三にわたり返還を求めていたものであり、331キロあるという。純度90%以上という高濃度で軍事利用に適した「兵器級プルトニウム」が大半を占め、核兵器40~50発分に当たる量である。日本は原発の使用済み核燃料の再処理によって他にも約44トン(核兵器に換算すると長崎型原爆5000発分)のプルトニウムを保有するが、研究用のものと比べ不純物が多く、ミサイルに積み込む小型核兵器の材料としては不十分である。また、高速増殖炉「もんじゅ」(福井県)や「常陽」(茨城県)の核燃料を取り囲むブランケットと呼ばれる燃料体内には純度98%以上の兵器級プルトニウムが存在するが、再処理してプルトニウムだけを抽出する必要があるが、青森県六ケ所村の核燃料再処理工場はトラブル続きでうまく稼働しない。直ぐに核兵器に利用できるのはこの331キロのプルトニウムである。
 ではなぜ米国は何十年も前に預けたプルトニウムを今返せといっているのか。「安倍政権への不信」が根底にある。数カ月で核兵器を作る物理的、人的、知的能力を有している日本は今「独自核武装」に向けた動きを強めている。最悪のシナリオでそれを使う可能性があるという懸念をアメリカが持っているということである。

2 「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルを常に保持する」が『国策』
 1994年8月1日・毎日新聞は外務省が1969年、極秘会議で「核兵器については、NPT(核拡散防止条約)に参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘をうけないよう配慮する」と決定したと報じた。『核兵器の製造能力を保持する』(『潜在的核保有』)というのが日本の『国策』である。核拡散防止条約から脱退しさえすれば、ただちに核攻撃政策に切替えられる。このため、プルトニウムの製造と濃縮を自由に行う技術・施設(高速増殖炉「もんじゅ」と六ヶ所村の再処理工場)と核を自由に取り扱う権利(「日米原子力協定」の改訂)が追求された。日米原子力協定は改定までは原発で製造されるプルトニウムの使用について日本はフリーハンドをもっておらず、アメリカの許可(個別同意)を要した。それを1988年、30年間のフリーハンドを得る「一括同意」形式に変えることに成功した。
 この日本の過去60年来の『国策』について、3月11日の米NBCの報道は、日本は核兵器を隠し持っているとの見出しを使い、「The hawks love nuclear weapons」(日本のタカ派は核兵器を愛しており) 「They don’t want to give up the idea they have, to use it」(それを使用する試みを諦めていない)と報じている(2014.3.11参考:大沼安史)。

3 「原発再稼働」への道か、「原発ゼロ」への道か
 朝日新聞主催の『核燃料サイクルを考える』シンポジウム(2013.12.5 朝日記事:12.17において、オバマ政権で核拡散問題を担当したスティーブ・フェッターは日本は利用計画がないままプルトニウムを増やし続けているとし、再処理をやめるべきだと指摘、無理なら利用計画を明らかにし、必要最小限の量まで減らせとせまった。貯まったプルトニウムはどうするのか。プルトニウムの利用先が明確でなければ保持・再処理は認められないこととなっており、このままでは日米原子力協定の前提が崩れることとなる。
 安倍政権は、尖閣で中国を挑発し、従軍慰安婦問題で河野談話の否定を画策し、オバマ政権の意向を逆撫でし靖国神社を参拝するなど、必死に米国の従属体制から脱却しようと暴走の気配を見せている。こうした中、原発の再稼働を明言し、『エネルギー基本計画案』に「高速炉や、加速器を用いた核種変換など、放射性廃棄物中に長期に残留する放射線量を少なく」する(2014.2.25)という夢物語を書き込んででももんじゅを何が何でも動かし、「核燃料サイクル政策については、再処理やプルサーマル等を推進する」(同)として六ヶ所村の再処理施設も稼働を目指している。しかし、保持しているプルトニウムはどうするのかへの言及は全くない。
 これまで、日本の独自核武装論者は、核燃料サイクルを回すことによってもんじゅでプルトニウムを消費し、それでも余る余分なプルトニウムはプルサーマルで燃焼させるという“つじつま”合わせのロジックを展開してきた。しかし、本質は逆であり、もんじゅで純度の極めて高い兵器級プルトニウムを製造し、六ヶ所村の再処理工場でそのプルトニウムを取り出し、貯め込むことで核武装のための準備を整えることにあり、それ以外のことは考えられない(後は国土が核汚染しようが、人が放射能で死のうがお構いなし)というのが本音である。
 1988年に結ばれた日米原子力協定の日本側交渉責任者を務めた遠藤哲也は「軽水炉プルサーマル―当初は、2010年頃に16-18基の軽水炉でのプルサーマル使用を想定していたが、実際はそれをはるかに下回っている。…軽水炉でのプルサーマルの実現が困難となると、海外を含めて日本が保有する全てのプルトニウムについてバランスをとることは非常に難しい」「プルトニウムの利用の途がはっきりしなければ、余剰プルトニウムは持たないとの大方針により再処理自身が出来なくなる」と認めている。そこで苦し紛れの提案として「再処理、高速炉事業の国際化…核燃料サイクルを一国で完結させるという従来の方針を脱却してサイクルを国際化しては…例えば、六ヶ所再処理工場に多国間管理を導入するとか、海外の使用済み燃料を受け入れるとか、プルトニウム・バランスをグローバル化することである。」(遠藤哲也元原子力委員会委員長代理「日本の核燃料サイクルとプルトニウム」日本記者クラブ2012.9.26)と述べている。プルトニウム・バランスは遠藤の簡単な試算からでも崩れ去っている。それは独自核武装のための口実にすぎず、国民や国際社会のみならず、自らをも「楽観論」で騙すためのフィクションにすぎない。
 外務官僚で元外相の川口順子は朝日新聞のシンポジウムで、高レベル放射性廃棄物の体積を減らし、エネルギー源を確保する観点から、再処理を含めた核燃料サイクルが日本には必要だと主張。「日本が再処理をやめたからといって、他国が核武装をやめるとは限らないと居直った(朝日:2013.12.17)。
 安倍が第二次世界大戦後の世界秩序に本気で挑戦し、「国際連合(United Nations)」を拒否し、「枢軸国」体制への復帰を夢想するならば、いかに『属国』とはいえそのような国にプルトニウムを置いておくことはできない。2018年の日米原子力協定では、「包括同意」を外さざるをえない。今回の米国のプルトニウム返還要求は、そのことに向けた警告である。国際的な合意は日本への制裁と孤立への道である。
 『原子力の平和利用』(=原発=表)と『潜在的核保有政策』(裏)という中曽根康弘・正力松太郎らが一貫してこの60年間続けてきた日本の「原子力政策」の裏表の壮大なる欺瞞は、今回の安倍政権の暴走とアメリカの返還要求決定によって、選択肢から消えさるかもしれない。いや、今こそ日本が国際的に孤立せず生き残るためには、こうした選択を無くさなければならない。核燃料サイクルを放棄し、保持しているプルトニウムは何らかのかたちで国際社会の管理へ委ね、『潜在的核保有政策』の放棄を内外に明確に宣言し、脱原発平和国家への道を歩まねばならない。

4 日本の「非核三原則」には「独自核武装」という幽霊が付き添っていた
 「日米原子力交渉」における日本の言い訳が「非核三原則」であった。日本は「核をもたず作らずもち込ませず」と国際社会と国民に宣言しているので核兵器は開発しないというロジックである。川口順子は上記シンポジウムにおいて「日本はNPTの『優等生』の座を守ってきた。核兵器をつくってNPTから離脱するということは、北朝鮮やイランのように世界から制裁をされることを意味する。民主主義国の日本で、そんなことに賛成する人がいるわけがない。法律で原子力は平和利用に限ると決めている。日本はそのことを、もっと説明する必要がある。」とウソを並べ立てた。
 また、寺島実郎は「国際的管理、原子力の平和利用制御において、日本が蓄積してきた原子力の技術基盤を失うことは賢い選択ではないということだ。核保有国と一線を画し平和利用だけに徹して原子力に関わる日本の立場は、今後原発を保有しようとする多くの国に対しても重要であり、この分野における発言力、貢献基盤を失ってはならない」「蓄積してきた日本の原子力基盤技術を生かし、『日米原子力共同体』を逆手にとって、国際社会での原子力分野での日本の影響力を最大化し、『核なき世界』(原子力の軍事利用の廃止)の実現や平和利用の制御に向けて前進すべし」(寺島:「リベラルなエネルギー戦略の模索」『世界』2013.12)と「核武装」と「脱核」の間にあたかも「第三の道」(=「平和利用」という)があるかのように振る舞い、『潜在的核武装』を諦めるつもりはさらさらないようである。
 一方、日本共産党も『提言』において「原発からの撤退後も、人類の未来を長い視野で展望し、原子力の平和的利用にむけた基礎的な研究は、継続、発展させるべき」とし、これもまた今もって「第三の道」?=『潜在的核武装』を放棄するつもりはないようである(赤旗「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を」2011.6.13)。
 しかし、福島原発事故後の今、日本に求められるのは「非核三原則」といった「独自核武装」のためのロジックに騙されることなく、また自己欺瞞に陥ることなく、原発を含む「全ての核の放棄」を世界に宣言することである。 

 【出典】 アサート No.436 2014年3月22日

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【投稿】維新退場の序曲–大阪市長選挙– 

【投稿】維新退場の序曲–大阪市長選挙– 

<盛り上がらない選挙>
 3月9日大阪市長選挙が告示された。大阪都構想の実現をめざす法定協議会において、区割り案を巡り、維新を除く政党が反対の立場を取ったことで、事実上来年4月までの住民投票実施が不可能になったことを受けて、橋下市長が「信を問う」と辞職したことが発端である。
 大阪市会は、これを承認せず、橋下市長は自動失職となり、23日投票の市長選挙が実施されることとなった。自民・公明・民主・共産の各党は、任期途中の辞任・市長選挙には大義はないとして、対抗馬の擁立を見送ったため、実際に立候補したのは、無所属候補3人を加えた4名となった。当初、対抗馬の擁立を検討していた共産党系団体も、大阪府委員会の決定を受け立候補を見送っている。
 事前の世論調査でも、任期途中の辞任・選挙には「賛成しない」意見が6割を超え、維新内部からも、石原代表が「選挙は意味がない」と発言する始末であった。それでも、強行するのが「橋下流」なのであろうか。選挙で当選し、民意は都構想を支持している、として法定協議会の委員を入れ替え、大阪都構想を強力に推進すると橋下は唱えているが、法定協議会がその名の通り、法律に基づくものである限り、現状の議会構成を反映しなければならないのであり、新しい法定協議会の構成比は、これまでと変わらないし、公明との蜜月関係が終焉した今、都構想の実現そのものが、もはや不可能となったことは明白な事実として受け止めるべきであろう。

<市議会は、目玉施策を減額>
 市長不在という中でも、3月は次年度予算審議の重要な時期であり、大阪市会でも市長提案の予算案の審議が進められている。その中では、自民・民主・公明と共に共産も加えた橋下野党が一致して、橋下色の強い事業予算について、相次いで修正を行い、選挙で当選しようとも、議会では橋下維新が、何もできない状況が形成されつつある。
 3月14日には民間公募校長の研修関連費用や、大阪都構想の推進経費6億6千万円を、維新を除く全会派の賛成多数で減額を決めている。バス・地下鉄の民営化条例案も継続審議が決まった。3月議会を終えて、「市長選を「黙殺」で共闘した野党は、市長選後を見据え「維新包囲網」に自信を見せている(毎日新聞)」という。

<投票率は、過去最低予測>
 盛り上がらない選挙状況を反映して、期日前投票も前回市長選挙より7割も低迷している。告示から1週間(3月14日まで)の投票者数は、16,236人。前回選挙の35%に止まっている。他に候補が3人立候補しているが、ポスター掲示も少なく、選挙報道も告示前後に解説記事が盛んに出ただけで、宣伝カーを見ることも稀である。このまま推移すれば、歴史的投票率になる可能性が出てきた。前回の投票率は、60.92%。過去最低は、平成7年の28.45%だが、この最低数字をさらに下回る可能性も出てきた。20%を下回るようなら、まさに大義なき選挙への市民の無言の抵抗とも言える。まさに「橋下NO」の声であろう。
 橋下はタウンミーティングを開催して、選挙宣伝に努めているようだが、選挙本番中とあって報道はほとんどされていない。
 一方、4党が一致して候補者擁立を見送ったことから、投票行動との関係でいろいろな議論がある。投票そのものを拒否する宣伝はどの政党も行っていないが、結果としての低投票率を持って、橋下包囲網をさらに強めたいとの意図は明らかだ。せめて、白票投票で抗議の意思を示すべきと私は考えているのだが。

<崩壊を前に、混乱の維新議員>
 大阪府議会では、維新が過半数を失っている。泉北高速鉄道を所有する大阪都市開発(第3セクター)の株売却をめぐる問題で4人の府議が造反、維新は除名処分とした。さらに、もう1名の維新派府議が離党の意向を表明し、維新退潮が明白になる中、前回の統一地方選挙で、当選した自民党離党組や「参入組」を中心に来年の統一地方選挙が近づくにつれ、この流れが一層強まると予想される。一方、自民党は、全選挙区での候補者確保に向けて、公募を行っており、離党組には時間が残されていない。これら議員が、市長選挙に力が入っていないことも当然であろう。
 
<他の首帳選挙も様子見か>
 通常選挙では、大阪府内でいくつかの首長選挙が、この春に予定されている。しかし、維新派は、未だ態度を明確にしていない。維新退潮を織り込んで、かつて常勝であった大阪府内の首長選挙での候補者選びも進んでいないようだ。
 
<統一地方選挙で終止符を撃つために>
 選挙結果は投票日に明らかになる。おそらく、橋下再選ということになる。投票率や得票数などによって、維新退潮の新たな状況が明白になるだろうが、どのような状況が生まれるかを予測することはできない。厚顔無恥の橋下なのだから、当選という事実そのもので、居直りを決め込むのは予想の範囲である。しかし、待っているのは、野党4党がまとまって橋下維新に対峙する大阪市会である。
 しかし、さらに見据えるならば、注目すべきは来年の統一地方選挙であろう。維新の退潮・分解傾向は当然としても、その議席を自民党に明け渡すわけにはいかない。安倍政権の下、政権与党の有利な状況下ではあるが、原発推進、TPPでの裏切り、さらにアベノミクスの停滞から破綻という状況を革新的民主的勢力の前進を勝ち取る必要がある。
 都構想に代わる自治体改革の政策をしっかりと打ち立て、選挙を準備していく必要があると思われる。維新がガタガタにした大阪の地方自治を再建する大きな戦略的展望を持った再生論議が必要になると思われる。(2014-03-16佐野) 

 【出典】 アサート No.436 2014年3月22日

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【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論・再論

【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論・再論

▼ 前号【もうひとこと】欄で、東京都知事選をめぐって、筆者は、「統一候補が実現していれば、何倍にも運動の力は増し、無関心に陥ってきた人々の圧倒的多数を元気づけ、飛躍的な票の増大を獲得できたであろう。そうした未来へのニヒルで否定的な対応こそが、選挙の敗北をもたらしたと言えるのではないだろうか。真剣な総括を望みたい。」と書いた。いささか楽観的すぎるかもしれないが、今でもそう考えているのだが、ネット上では、こうした考え方に多くの疑義と否定的見解があふれている。折しも、月刊誌『世界』四月号は「都知事選で何が問われたか」と題して、対談(河合弘之・海渡雄一、両弁護士)と座談会(池田香代子 (ドイツ文学者・翻訳家)、吉岡達也 (ピースボート)、西谷 修 (東京外国語大学))の二本の記事を掲載している。
 とりわけ対談の方は、「長年にわたり脱原発のための訴訟をリードしてきた、河合弁護士と海渡弁護士。脱原発弁護団全国連絡会の共同代表もつとめる2人が、先の東京都知事選挙では、脱原発を掲げる2人の候補者が立ったことにより、河合氏が細川護煕候補を応援する勝手連の共同代表に、海渡氏が宇都宮けんじ候補の選対副本部長をそれぞれつとめることとなった。」という事情から、それぞれの立場からの率直な論議が交わされ、問われている問題の本質を浮かび上がらせていると言えよう。河合氏の率直で明快な論理に共感するのであるが、いきなり結論に入る前に、都知事選の具体的な状況から検証を試みたい。
▼ 主要な4候補者の得票結果は、
 舛添要一  211万2千票
 宇都宮健児  98万2千票
 細川護熙   95万6千票
 田母神俊雄  61万8千票 である。
 この得票結果で注目すべきことは、細川氏の立候補があれほどもたもたし、まったく出遅れていたにもかかわらず、非常に短い選挙運動期間で、しかも上滑りの感が否めない運動スタイルであったにもかかわらず、宇都宮氏にほぼ近い票を獲得し、二人の脱原発票を合わせれば、舛添氏に十分拮抗し得ていることである。舛添氏が勝利し得たのは、ひとえに脱原発陣営が二つに分裂していたこと、それぞれが勝手に、統一への努力も放棄したまま、お互いを無視した選挙運動に走り、有権者の失望をそれぞれに買い、とりわけ無党派層の本来獲得できた票を取り逃がし、眠らせてしまい、低投票率をもたらしてしまったことにあると言えよう。舛添陣営の平沢勝栄・選対本部長代理が、はじめから舛添の勝利を確信し、その勝因を「相手(対立候補)に恵まれたこと」と言っているのは、まさにこの核心をを突いているのである。
▼ この選挙結果でもう一つ注目すべきなのは、田母神氏の得票であろう。極右候補の泡沫とは言いがたい得票である。若年層の右傾化といった表面的な分析ではなく、なぜこのような事態を招来させたかは別途検討する必要はあるが、非正規雇用が蔓延し、若年層のさらなる貧困化と覆いようもない格差社会が進行し、それを民族主義と差別的な排外主義で事態を糊塗しようとする安倍政権がもたらしたものと言えよう。そしてこうした点において実は安倍・田母神は本質的に一体であり、今回の都知事選で、これに対抗する陣営が分裂して、統一しそうにもないことに舛添陣営の勝利を確信し、同時に保守・右派陣営が安心して田母神陣営への票の結集に励める事態をもたらしたことである。
 安倍・田母神路線にとって、細川陣営の小泉路線は許しがたいものであったからこそ、舛添とは別個に田母神が必要とされ、右派陣営の票を結集させたたともいえよう。小泉氏は、原発再稼働に走る安倍氏に対して、「今ゼロという方針を打ち出さないと、将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。原発ゼロしかないよ。」と切り込み、安倍氏が頼る原子力村の論理を「原発はクリーンで安いって。3・11で変わったんだよ。クリーンだ、コスト安い? とんでもねえ。アレ全部ウソだって分かってきたんだよ。電事連の資料、ありゃ何だよ。あんなもん信じるもんほとんどいないよ。」と切って捨て、さらには、「潜在的な核武装能力を失うと国の独立が脅かされませんか?」との問いに対して、「それでいいじゃない。もともと核戦争なんてできねえんだから。核戦争なんて脅しにならないって。」と、安倍・田母神路線の核心とも言える独自核武装論まで正面から否定してしまったのである(以上、小泉氏の発言の引用は、小泉純一郎・私に語った「脱原発宣言」、山田孝男(毎日新聞専門編集委員)、月刊『文芸春秋』2013年12月号より)。こうして安倍氏の小泉憎しが、田母神陣営に乗り移ったともいえよう。
▼ こうした保守陣営に対抗すべき宇都宮・細川陣営は、多くの人々の候補統一に向けた真剣な努力を互いに無視し、実を結ばせなかった。宇都宮陣営を支えた共産党は、細川候補の存在さえをも無視するかのような姿勢で、「宇都宮けんじ氏が、都政の転換、安倍暴走ノーの願いを託せる唯一の候補であることがますます明白です。」(2014年2月2日付・しんぶん赤旗主張)と叫び、そこには原発ゼロ社会への選択が基本的選択として都民に提起されていないのである。原発ゼロは以前から主張しております、という、いわゆる諸要求の一つなのである。そこに浮かび上がるのは、共産党の悪しき伝統である諸要求実行委員会方式、セクト主義を合理化する仲間内の論理で、直面する最も重要な課題から人々の目をそらせ、統一戦線形成を常に妨害し、大胆な統一に常に後ろ向きになる業病である。共産党の主張の影響であろう、宇都宮陣営の選挙政策でも、原発ゼロは第三番目にしか位置付けられていない。
 そこには、3・11が提起した原発ゼロ社会への歴史的転換点、分岐点に直面しているという基本的認識が完全に欠如しているのである。都知事選はその転換点に位置していたのであり、多くの有権者はそのことを自覚していたのである。しかし候補者の側が、その認識を欠如させていたのである。選挙直前の世論調査では、原発の運転再開には「賛成」31%に対し、「反対」は56%(朝日1/25、26実施調査)と、多くの人々は歴史的な転換を求めていたのである。NHKの3月10日の世論調査発表によれば、原発を「減らすべきだ」「すべて廃止すべきだ」が合わせて80%近くを占める事態である。体制を整え、統一候補を実現していれば明らかに勝利し得た選挙だったのである。
▼ 宇都宮氏は選挙を振り返って、「大いに善戦、健闘した選挙戦であったが、市民運動がまだまだ保守の固い岩盤を掘り崩すに至っていないことを明確に自覚する必要がある」と反省しておられる。まさにそうであり、だからこそ統一戦線が要請されるのであるが、氏は続けて「保守の固い岩盤を掘り崩すには、著名人やその時々の「風」に頼るような選挙をしていてもだめであり、こつこつと市民運動を広げていく地道な努力でしか達成できないことを学んだ」として、細川氏の選挙運動スタイルを揶揄しておられる(『週刊金曜日』3/7号)が、地道な努力が統一戦線と結びつかなければ実を結ばないことをこそ反省すべきではないのだろうか。
 最初に紹介した対談の中で河合弘之氏は、「これは歴史的な転換点だと思ったのです。私が勝つ可能性がある選択をすべきだと思ったし、…」、「脱原発ということを最大限に優先し、」、これを「他の問題と同一に考えてはいけない」し、宇都宮陣営の「都民が重視する政策として福祉や雇用が先に来て、原発は三番目という状況」を指摘し、批判しておられる。真剣な総括を望みたい焦点がここにあるのではないだろうか。
(生駒 敬)

  【出典】 アサート No.436 2014年3月22日

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【投稿】原発震災から学ぶもの 「自治体再建」(今井照著 ちくま新書)を読んで 

【投稿】原発震災から学ぶもの 「自治体再建」(今井照著 ちくま新書)を読んで 

 3年目の「3・11」を迎えて、改めて大災害とどう向き合うか、国民それぞれが思いを新たにしたことだろう。大地震と津波が生み出した破壊と多数の死者、住み慣れた家や町・地域を失うという悲劇、そして原発災害による複雑で困難な状況。既に3年が経過したとは言え、問題解決や明るい展望を持つことができない現実から目を背けることは、誰もできない。
 今回手にした「自治体再建」は、原発避難で生じた、これまで住んできた町と、避難地の町(「仮の町」「バーチャル自治体」と筆者は呼ぶ)、二つの自治体に関わる避難住民の状況に、二重の住民登録という新たな課題が生じていることが明らかにされている。
 また、被災直後、国・県と連絡も取れない中で、独自の災害対策を実施した現場自治体首長や職員の対応を明らかにして、小さな自治体だからこそできた災害対応についても、具体的に触れている。
 
<住めない町と住んでいる町>
 東北3県では、仮設住宅を含め、避難生活を余儀なくされている方々は26万人であり、特に福島県では13万人が、今尚避難生活をされていると言う。
 福島県では原発事故によって「強制的」に住んでいた地域に立ち入ることもできない状況が続いている。震災直後、原発が危機的状況に陥る中、3月12日から15日、各自治体は、全町民・全村民の避難を決定・実施した。
 これらの決断は、国の決定以前に行われた場合もあった。国や県からの情報が、震災による通信網の遮断という中で途絶えたている中、テレビや地元警察などからの情報に基づき、住民の安全を守るための独自の判断だったという。
 現在、法律では、災害対応は地方自治体の業務である。その費用は、災害対策基本法の規定により、補てんされるのである。これら原発周辺自治体の集団的避難は、いずれも福島県が主導したものではない。通信の遮断によって情報は県からはほとんど届かない。各自治体は、原発から離れた自治体に個別に連絡を取り一時避難所を確保した。
 
<合併しなかった町ができたこと>
 福島の被災地自治体が震災時に、どう行動したのか、その点も本書は丁寧に明らかにしている。平成の大合併にも同調しなかった自治体が、情報の確保・避難指示の徹底、そして町の一体感を維持して避難ができた実例が記される。大きくなった自治体では、支所があるに止まり、情報の伝達すら困難な中での避難となった事と比べると効率論だけで誘導された合併は、問題が多いと言わざるを得ない。
 
<復興の道は遠いが>
 震災3年の報道には、津波に被災した地域の復興が進まず、帰還を断念する方が増えているというものが多かった。2年前に私も南三陸町を訪ねたが、一面に広がる旧住宅区域は、ようやく瓦礫が取り除かれただけだったが、その後住民は帰還できているのだろうか。また、14mを越える防潮堤の建設も、予算は付いたものの、住民からは景観や町を変貌させる施策に反対の声も出てきているという。人が戻ってこその復興だろう。そして人が生きるには雇用の創出も欠かせない。25兆円が本当に復興に役に立っているのか、その検証も求められている。(2014-03-17佐野) 

 【出典】 アサート No.436 2014年3月22日

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【投稿】地域から脱原発、平和構築、反レイイシズムの声を!

【投稿】地域から脱原発、平和構築、反レイイシズムの声を!
            –重要さ増す自治体選挙–

<沖縄の一撃>
 1月19日、沖縄県名護市長選挙の投開票が行われ、普天間基地の辺野古移設に反対する現職の稲嶺進市長が、自民党が一本化した対立候補に大差をつけて勝利した。
 昨年末以降、沖縄選出自民党国会議員や仲井間県知事の辺野古移設容認姿勢への転換が相次ぐ中、「最後の砦」は堅持された形となった。
 自民党候補苦戦が伝えられる選挙戦のさなか、現地入りした石破自民党幹事長は「500億円の振興基金」という露骨な利益誘導をもって、逆転勝利をもくろんだが名護市民の意思に跳ね返された。
 安倍政権は「選挙結果は関係ない」と冷静を装っているが、沖縄においては昨年末以来、仲井間知事の辺野古埋め立て承認に対する反発が相次ぎ、これに抗議する意見書や決議を9自治体議会が可決した。さらに県議会などからは辞職要求が出され、知事は窮地に立たされている。
 こうした状況に危機感を抱いた菅官房長官は2月10日、仲井真知事と首相官邸で会談し、改めて普天間基地の5年以内の運用停止など、基地負担の軽減に取り組む姿勢を明らかにした。
 この場には、普天間基地を抱える佐喜真宜野湾市長らも同席し、官房長官ら関係閣僚と知事・宜野湾市長による協議会の設置や、その作業部会で実務的な作業を進めるよう要望した。
 さらに知事らは浦添市の米軍牧港補給地区を、7年以内に全面返還することや、オスプレイの県外配備に関しても、政府が取り組みを強化するよう要求。
 これに対し菅官房長官は「要望はしっかり受け止め、できることはすべてやる。協議会は早急に設置して政府としてしっかり対応する」と応えた。
 これを受け防衛省は、知事が求める辺野古埋め立て予定地の環境監視の有識者委員会の設置を進め、また外務省は、沖縄県内自治体の米軍基地への立ち入り環境調査に関する特別協定の締結に向けての、日米両政府の実務者会合を2月11日にワシントンで初めて開催した。
しかし肝心の「普天間の5年以内の運用停止」について、アメリカ政府は「辺野古の施設が完成し運用を開始してからの話だ」とけんもほろろであり、沖縄を訪問したケネディ駐日大使は、2月12日には稲嶺市長とも会談するなど、日本政府の対応に不信感を強めていることがうかがえる。
 稲嶺市長が反対姿勢をますます強固なものとしつつある現在、どんなに急いでも10年はかかるといわれている移設事業は、さらなる遅延が確実視されている。
 したがって、辺野古施設建設とリンクした普天間基地閉鎖など現段階では画餅に過ぎない。さらに一連の融和姿勢の一方で政府、文科省は、中学公民教科書選定で、地域の実情に応じた採択を行った竹富町に対し、直接指導に乗り出すという恫喝を行っている。
 このような「アメとムチ」ともいうべき対応に沖縄は不信を拡大させており、政府は、昨年4月28日に華々しく開催した「主権回復の日式典」を今年は見送らざるを得なくなった。
 昨年の式典に対しては、沖縄からの反発に加え、「天皇陛下万歳」三唱などあまりに時代錯誤的な内容に顰蹙が相次いだ。こうしたことから、現下の情勢においての式典実施は、火に油を注ぐだけのものであり、中止に追い込まれたのである。
 また2月14日の「琉球新報」では、沖縄防衛局職員が訪問した岩国市議会議員の質問に対し、辺野古の新基地において、これまで想定されていなかったF35B戦闘機運用の可能性について言及したと報道された。F35Bはオスプレイと同じく垂直離着陸が可能なステルス戦闘機である。
 これが事実であるなら埋め立て承認とリンクする環境影響評価の前提が崩れることとなり、重大な背信行為となる。
 同日開会された2月県議会において、埋め立て承認問題を追及するための「百条委員会」が設置された。今後、仲井間知事の答弁次第では進退問題に発展する可能性を含んでいる。
 予定では、知事選挙は今年末であるが、県内移設反対派の統一候補擁立が急務となっている。

<東京の悲劇>
 東京では「百条委員会」での追及に恐怖し辞職した、猪瀬前知事の後任を決める都知事選挙が、名護とは違った様相を呈した。宇都宮、細川両候補による票の分散が舛添候補の圧勝を準備した結果となった。
 日共、宇都宮陣営は「小泉に勝った」と、新執行部体制においても、主敵を取り違えた相変わらずのセクト主義むき出しの醜態をさらけ出しているが、看過できないのが田母神候補の60万票である。
 選挙戦に於いて田母神本人の主張のみならず、応援演説も目を覆うものがあった。百田尚樹NHK経営委員は「南京大虐殺は蒋介石のでっち上げ」「東京裁判は、アメリカの東京大空襲と原爆投下という虐殺行為を隠ぺいするもの」「ほかの候補には人間のクズのようなやつがいる」と在特会顔負けの「ヘイトスピーチ」まがいの街頭演説を繰り広げた。「永遠の0」ではなく「知性は0」であろう。
 今回の都知事選において、当初安倍総理は、自民党の「憲法案」に対し「右翼的すぎる」などと批判をしていた舛添の擁立に乗り気ではなく、心情的には思想・信条を共有する田母神候補を応援したかったのだろう。そこで安倍総理の肝いりでNHK経営委員となった百田が「代弁者」として登場したのである。
 百田発言に対してはアメリカ大使館が早速「非常識である」との見解を明らかにするなど、困惑が広がっているが、田母神は選挙結果にご満悦で、今後の政治活動の継続をにおわせている。
 ただ、自民党には自衛隊代表として佐藤参議院議員がいるので、極右新党結成もあるのではないかと言われている。安倍総理にしてみれば、崩壊寸前の「日本維新の会」に代わる友軍として渡りに船、といったところだろう。
 田母神善戦に上機嫌の安倍総理は、国会で「私は『人間のクズ』と言われても気にしない」などと開き直り、選挙中は「原発問題は都知事選の争点ではない」と言いながら、早速、原発再稼働に向けて動きだすなど、暴走を加速させている。
 選挙中「原発が無ければオリンピックができない」などと迷言を呈していた森喜朗元総理は、東京オリンピック組織委員長として訪問したソチで、記者団から英語能力を問われ「敵性語だからしゃべれない」と発言、失笑を買った。
 今後、世界中から東京への厳しい目が注がれるだろう。

<大阪は喜劇か>
 大阪では、橋下徹大阪市長が大阪都構想に向けたロードマップが破綻したため、市長を辞職した。
 橋下前市長は当初、1月末の法定協議会に於いて特別区の4再編案を1案に絞り込んで、住民投票に臨み、2015年春に大阪都成立を目論んでいたが、公明党が反対に回ったため頓挫したのである。
 昨年の橋下「慰安婦発言」以降、「維新の会」への支持は凋落し、東京都議会選、参議院選、そして堺市長選挙で相次いで敗退した。
 追い詰められた感がある橋下であるが、籾井勝人NHK会長の「慰安婦発言」に関し、わが意を得たりとばかりに擁護姿勢を見せるなど、一向に反省していないことが明らかとなった。
 3月に予定されている「選挙戦」では東京と同じく百田が応援演説をするのだろう。選挙は主要政党が無視する中、橋下の一人芝居となるが、投票率、投票数の如何によっては、 今後の野党再編にも影響を及ぼす可能性がある。
 このようにこの間の自治体選挙は国政の動きとも密接に関連しており、自治体レベルでの極右、排外主義勢力の封じ込めが求められている。あと一年あまりに迫った統一自治体選挙はより重要なものとなるだろう。(大阪O)

 【出典】 アサート No.435 2014年2月22日

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