【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(8)

【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(8)

▼ 2月の都知事選の重要な教訓の一つは、自民・公明連合を喜ばせ、敵を利し、味方を分裂、分散させるような選挙戦は何としても避けなければならないということであろう。たとえ多くの困難が横たわっていたとしても、勝利しうる可能性が存在する限り、最大限の統一戦線形成への努力が放棄されては、有権者から見放されてしまうということでもある。
 11月の沖縄県知事選では、自公連合を打ち破る、勝利の可能性が大きく高まっているだけに、同じことが鋭く問われている。
 9/10、元自民党沖縄県連幹事長の翁長雄志・那覇市長は市議会9月定例会で、県知事選への出馬を表明し、「イデオロギーでなく、アイデンティティーに基づくオール沖縄で、責任ある行動が求められている。今後100年置かれる基地を造らせてはならない。これ以上の基地の押し付けは限界だ。辺野古への移設は事実上不可能だ」と語った。
 そして9/13、翁長氏は知事選への立候補を正式に表明し、県内5党・会派(社民党沖縄県連、共産党沖縄県委員会、沖縄社会大衆党、生活の党、県議会県民ネット会派)と「埋め立て承認撤回を求める県民の声を尊重し、辺野古新基地は造らせない」ことを盛り込んだ、知事選に臨む基本姿勢および組織協定に調印し、出馬表明記者会見をおこなった。
 その記者会見の中で翁長氏は「いまや米軍基地は沖縄経済発展の阻害要因。政府によって強行されている辺野古・新基地建設に断固反対します」とし、「仲井真知事が公約を破棄し、辺野古埋め立てを承認し、新基地建設を認めているわけだが、知事選ではまず仲井真知事の承認に対する県民の意思をはっきり示すことだ」という立場を鮮明にしている。このような立場を明確にしたことの意義は極めて大きいといえよう。
▼ ところが、この県内5党・会派に加わっていない民主党沖縄県連は、県連所属の那覇市議が翁長那覇市長への出馬要請に加わっていたが、県連が擁立の条件とする名護市辺野古の埋め立て承認の「撤回」を翁長氏側が受諾しなかったとして、支援できないと判断。9/16、県知事選に県連代表の喜納昌吉氏の擁立を決定。喜納氏は「辺野古移設はダメだという県民の声に応えられるのは、自分しかいない」と述べ、「埋め立て承認の撤回」を公約に掲げて闘うとし、県連は近く、民主党本部に喜納氏の推薦を要請するが、肝心の党本部は辺野古移設を容認しており、推薦が得られるかは不透明である。
 翁長氏は先の記者会見で、新基地建設を止める方法を問われて、「公約を守らなかった知事の埋め立て承認は県民の理解を得たものではない。まず知事選の争点として、仲井真知事の埋め立て承認について県民の意思をはっきりさせる中から、方法を具体的にやっていきたい」と述べるにとどまっていたのも事実である。
 翁長氏はかつて自民党県連幹事長を務め、15年前の県議時代、辺野古移設推進決議案を可決させた旗振り役であり、過去のインタビューでは「ぼくは非武装中立では、やっていけないと思っている。集団的自衛権だって認める」などと発言している。そうしたことから仲井真知事が公約を反故にしたように、翁長氏に不安を抱いている人がいるのも事実である。そして「一度は県知事が認めた埋め立てを、新知事が白紙に戻せるのか」という不安を煽り立てることが、埋め立て工事を強引に推し進め、基地建設を既成事実化したい政府・与党側の狙いでもある。
 しかし、かつてこのように発言し、行動していた翁長氏が、「今や沖縄の米軍基地は、沖縄経済発展の阻害要因となっております。その意味で辺野古新基地の建設には断固反対します」と発言し、行動するように変化せざるを得ない、それこそ沖縄の地殻変動が生じているのだといえよう。
▼ こうした情勢を受けたのであろう、翁長氏は9/16の那覇市市議会9月定例会で、仲井真知事が米軍普天間飛行場の辺野古移設に向けて埋め立てを承認したことの是非が知事選の争点になるとした上で、「私は承認しないと決意表明している。県民の判断が下された後に、承認の撤回、取り消しの選択を視野に入れて頑張りたい」とあらためて辺野古新基地建設に反対し、さらに承認の撤回や取り消しも検討する考えを示している。
 ところで、9/7投開票の沖縄統一地方選では、全当選者のうち208人(54%)が名護市辺野古への移設に反対し、県外・国外移設や無条件閉鎖を求めている。辺野古移設賛成は46人(12%)にとどまり、仲井真知事の県政運営に対し、「評価しない」は160人(42%)で「評価する」の143人(37%)を上回る結果であった。
 焦点の名護市議選(定数27)では、辺野古移設に反対する稲嶺進市長を支える候補14人が当選し、1人は落選したが議会の過半数を守り、市政には是々非々だが移設に反対する公明の2人を加えると、反対派は16人に増えている。移設反対派19人の得票率の合計は58・1%に対し、容認派の得票率(41・9%)を16・2ポイントも上回る結果であった。これは1月の名護市長選での稲嶺氏の得票率よりも、市議選で移設反対を求める有権者の割合は2ポイント以上増えており、反対の声は衰えるどころか強まっていることを示している。
 一方、宜野湾市(定数26)では、定数が減る中、保守系与党候補が改選前と同じ15議席を確保、那覇市に次ぐ大票田の沖縄市(定数30)でも、4月に市政を奪還した桑江朝千夫市長を支える与党が改選前と同じ過半数を維持、石垣市(定数22)でも、3月に再選された中山義隆市長を支持する与党が1議席増やして14議席の多数を確保している。「基地ノー」の大きなうねりが顕在化する一方で、基地問題を不問に付し、争点を経済問題にすり替える保守の基盤が依然として根強いことも同時に明らかにしている。
▼ 8/27付琉球新報社説は、「辺野古中止8割 だめなものはだめだ」と題して、「辺野古移設強行に反対する民意は固かった。むしろ強固になっている。政府が米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた海底掘削調査を開始したことを受けた県内電話世論調査で「移設作業は中止すべきだ」との回答が80・2%に上った。「そのまま進めるべきだ」は4分の1以下の19・8%にとどまる。普天間問題の解決策について、県外・国外移設や無条件閉鎖・撤去を求める意見の合計は79・7%に達した。4月の調査より6・1ポイント増えている 辺野古反対は圧倒的に世論が支持している。8割の反対を無視した辺野古移設は不可能だ。それでも強行するなら、この国は独裁国家でしかない。」と、安倍政権の独裁国家としての本質を鋭く突いている。
 さらに9/18付琉球新報社説は、「官房長官来県 沖縄の現実を直視すべきだ」と題して「菅氏が今回会談した地元関係者は知事と佐喜真淳宜野湾市長だけだ。移設に反対する地元の名護市長とはなぜ会わないのか。これでは「県民の思いに寄り添い」という表明は空々しく聞こえるだけだ。菅氏は先日、移設問題に関して「最大の関心は県が埋め立てを承認するかどうかだった。もう過去の問題だ。(知事選の)争点にはならない」と言い、県民のひんしゅくを買った。世論調査では約8割が移設作業の中止を求めている。県民の率直な意見には耳を傾けず、これで「沖縄の状況を視察してきた」と説明されてはたまらない。民意を無視して作業が強行される状況を、多くの県民が苦々しく見ている。20日には辺野古で大規模な集会も再度予定されている。辺野古は過去ではなく、現在進行形の問題であるという現実を直視すべきだ。」と、手厳しく批判している。
 その9/20、辺野古現地の浜で開かれた「止めよう新基地建設!9・20県民大行動」には前回8/23の米軍キャンプ・シュワブのゲート前での最初の集会を上回る5500人の人々が参加し、新基地建設反対の意志と行動の広がりをあらためて示している。そしてこの9・20県民大行動には翁長那覇市長も登壇し、辺野古新基地建設を止めるために、県知事選挙にかならず勝利しよう、という決意表明が行われている。
 この県民行動に連帯して、8/20同日「沖縄-東京-大阪-京都をむすんで辺野古新基地建設反対の全国同時アクション」が行われ、大阪においても集会とデモが展開された。写真はその時のデモである(筆者撮影)。
 いよいよ県知事選が近づき、統一戦線とその帰趨が問われようとしている。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.442 2014年9月27日

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【投稿】破綻する安倍外交

【投稿】破綻する安倍外交

<空回りする外遊>
 安倍総理は第2次政権発足以来の2年弱で、47か国を訪問し、9月のバングラディシュ、スリランカ両国訪問で、歴代総理では第1位になるという。
 安倍政権は「地球儀を俯瞰する」「価値観を共有する」外交と自画自賛しており、「中国包囲網の形成」と「国連安保理常任理事国入り」を目指していると思われるが、パフォーマンスに終始しているのが現実だ。
 直近のメキシコ、トリニダード・トバゴ、コロンビア,チリ、ブラジルの中南米5カ国歴訪では、具体的な成果と言えるものはほとんどなく、そもそも何を目的に訪問したか不明である。
 メキシコではアステカ文明の遺跡「太陽の神殿」を訪れ、デフレ脱却と経済再生を願ったと報道されたが、普通の観光客とどこが違うのか。
 ブラジルでは、日系人との面談以外目立った動きはなく、サンパウロ市内での訪問団車列の交通事故が最も大きなトピックスとなってしまった。
 安倍訪伯に先立ち、ブラジルにはプーチン大統領、習近平主席などが集まりBRICs首脳会議が開催され、新興国開発銀行の設立が決定されるなど大きなインパクトを与えた。
 後塵を拝した形となった安倍総理は、トヨタ、新日鉄、MGFCなどから70名の財界人を引き連れトップセールスで巻き返しを図った。しかし、ブラジルの最大の貿易相手国は中国であり、自動車や電子機器など日本が得意とする分野でも、欧米や韓国企業が優位に立っており、今回もビッグプロジェクトの成約は無かった。
 また今回の中南米歴訪でのTPP交渉参加国は、メキシコ、チリのみであり、なぜかペルーは訪れなかった。もっともメキシコ、チリでもTPP交渉に係わる重要な論議はなされておらず、総じて空回りに終わっている。

<取り残される安倍政権>
 安倍総理が能天気かつ空虚な旅を続けている間にも、国際情勢は大きく動いている。
 ガザ地区では7月8日のイスラエル侵攻で1400人以上の市民を中心とする犠牲者が出ている。安倍政権は、岸外務副大臣を7月下旬に当事者であるパレスチナ自治政府、イスラエル、調停国のエジプトなどに派遣したが、イスラエル全面支持のアメリカの意向を忖度し、憂慮の表明レベルに止まってる。
 現在、救援物資などは国連機関やNGOなどを通じて送られているが、日本としても、これまでのパレスチナ、中東諸国との関係を踏まえるならば、政府レベルの本格的な支援が求められているが、動きは鈍いものがある。
 イラクでは、8月8日アメリカがスンニ派武装勢力「イスラム国家」への攻撃を開始した。現在のところ介入は空爆による限定的なものであり、軍事的効果以上に、オバマ政権の断固たる姿勢を、共和党やプーチン大統領示す政治的効果に重点が置かれている。
 クルド人武装勢力に対しては、アメリカ、イギリスなどが武器供給などを進めているが、山間部に孤立したヤジド教派などへの人道的支援が急務となっている。
 英米に続きオーストラリアも輸送機による物資投下を始めたが、イラク派兵の実績=イラク安定の責任を持つ関係国にも、今後何らかの行動が求められる可能性が高い。
 しかし、現在のところ安倍政権からの明確なメッセージやアクションの兆しはない。集団的自衛権解禁強行で打撃を受けた安倍政権としては、今後しばらく災害救援以外で、新たに自衛隊を海外に派遣することは困難になるだろう。
 国際社会から求められる人道支援まで難しくなるというのは、自分で自分の手を縛ったものと言えよう。
 ウクライナでの緊張激化に対し、欧米による対露制裁が強化されつつある。
 安倍政権は、及び腰で形式的に制裁強化に付き合った結果、ロシアの報復である農産物の禁輸措置の対象からは外された。
 しかし、ロシア軍は8月12日、国後、択捉島を含むクリル諸島で軍事演習を開始した。安倍総理は13日「到底受け入れることはできない」と批判したものの、静観を決め込む以外の選択肢は持ち得ていないのが実情であろう。
 
<ロシア、北朝鮮への淡い望み>
 こうしたなかで、安倍政権はロシア、北朝鮮に淡い望みを抱いている。拉致被害者、特定失踪者の消息に関する再調査については9月中旬にも最初の結果報告がなされる見込みとなっている。
 今後は、日本と北朝鮮の間で生存者何名かの帰国と、それに応じた制裁緩和が繰り返されることになると考えられるが、このまま順調に推移するとはないだろう。
 現在中韓接近が進んでいるが、両国関係が現在の中朝関係よりも親密化することはない。経済的にはより協力が進むだろうが、政治的には米韓関係が存在する限り「同盟国」的関係に進展するのは困難である。
 つまり、朝鮮半島に於いて韓国は北朝鮮の代替にはならないのであって、今後中朝関係の修復は大いに考えられるのである。
 そうした場合、金正恩政権は安倍政権との約束を反故にすることは厭わないだろう。
 7月15日、安倍総理は参議院予算委員会で「朝鮮半島有事の際、在日米軍は日本政府の承認がなければ出動できない」と答弁した。これは「第2次朝鮮戦争の際、日本は北朝鮮を側面支援することもある」と言っているに等しい。本人の意図は韓国を牽制するためであろうが、これには韓国のみならず、アメリカも驚いたことだろう。
 安倍政権はプーチン大統領の今秋の訪日実現に、一縷の望みを託しているようであるが、その実現はほぼ絶望視されている。
 9月初旬発足予定の安倍改造内閣のオープニングセレモニーたる外交イベントは「プーチン訪日」と自身の訪朝=拉致被害者帰国であったが、両方とも実現は難しくなっている。
 その最大の要因は原則無き外交姿勢であるが、アメリカの意向に逆らえ切れない政権の性格もある。ロシア、北朝鮮にのめり込む安倍政権の姿勢に対してオバマ政権は不快感を抱いている。
 独自外交を推進しようとしてもアメリカの壁に突き当たり挫折するという安倍外交の限界性を如実に表している。

<渋々の方針転換>
 これまでの外交が行き詰るなか、安倍政権に対する国際的圧力はさらに高まっている。
 国連人権規約委員会は7月24日、日本政府に対し、ヘイトスピーチの規制、従軍慰安婦への国家責任に基づく謝罪の実施など、極めて厳しい内容の勧告を行った。
 こうした状況のなか、安倍政権は、ヘイトスピーチに対する法的規制を検討することを明らかにし、中国、韓国との関係改善に動き出ざるを得なくなっている。
 8月9日、ミャンマーで開かれたASEAN外相会議に出席した岸田外務大臣は、韓国の尹外相、中国の王外相と相次いで会談した。
 ただ、これらの会談は安倍政権としては渋々行ったことは明らかで、南シナ海問題にかかわる外相会議緊急声明で中国が名指しされることに最後まで期待をしていたし、今秋開催される北京APECでの日中首脳会談については、安倍政権が「条件は付けずに」という条件にこだわる以上、困難なものがあるだろう。
 韓国に対しても、6月の「河野談話検証」に続き、朝日新聞の「従軍慰安婦報道訂正」と対話の前提条件を次々に覆す事態が進展している。
 さらに8月15日には安倍総理が戦没者慰霊式典で加害責任に触れぬまま、靖国神社に玉串を奉納、新藤総務大臣など数閣僚が参拝するなど、侵略への反省の意を示さない対応が相次いだ。
 しかし、これ以上安倍政権が国際世論に対する抵抗を続ければ、さらなる孤立化は避けられない。
 日本の民主勢力には、国際的な動きと連帯し、平和に向けた国内世論の拡大を進めることが求められている。(大阪O)

 【出典】 アサート No.441 2014年8月23日

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【投稿】 STAP細胞騒動と「災害資本主義」

【投稿】 STAP細胞騒動と「災害資本主義」
                          福井 杉本達也 

 STAP細胞をめぐる騒動では、将来のノーベル賞候補といわれた共同研究者の1人・理化学研究所の笹井芳樹氏が自殺するなど大きな波紋が広がっている。
 
1 理研がなぜ神戸医療産業都市に
 そもそも、埼玉県和光市に本拠のある理化学研究所がなぜ神戸市にあるか。1995年1月の阪神・淡路大震災において、当時1000床という兵庫県下随一の3次救急医療機関であった神戸市立中央市民病院は、市街地と島(ポートアイランド)を結ぶ神戸大橋の不通により震災直後の救急患者の受け入れができず、救急病院としての機能を全く果たせず孤立し(内閣府「防災情報のページ」)、もう1つの市立病院である長田区にある西病院は5階部分が座屈倒壊し、患者・病院スタッフが閉じ込められこちらも機能を果たせず、他の市内の病院は野戦病院のような状態に落ちいった。
 この「反省に立つ」のではなく、人々がショック状態や茫然自失状態から自分を取り戻し社会・生活を復興させる前に、「ショック・ドクトリン」(ナオミ・クライン:衝撃的出来事を巧妙に利用する政策「災害資本主義」(「惨事便乗型資本主義」))により、火事場泥棒的に過激なまでの市場原理主義を導入し、経済改革や利益追求に猛進することとした。神戸市のポートアイランド開発計画は震災前に既に事実上破綻していたのであるが、震災を“奇貨”として、どさくさ紛れに1999年に、米建設企業であるベクテル社に委託して、「米国の医療産業クラスターの成功要因の把握や、有力な外国・外資系企業の経営戦略の分析などを通じて、神戸(ポートアイランドⅡ期)における医療産業クラスター形成の条件を整理し、必要な戦略を作成」したのが『神戸医療産業集積形成調査』である。構想の中では、「先端医療研究の川上(細胞の解析・組み立てなど要素技術の研究等)から川下(治験等)までを一体化することでより効率的な研究を推進することが重要視された(三菱総合研究所「阪神・淡路大震災後の研究拠点立地を通じた復興」)。こうして、理化学研究所「発生・再生科学総合研究センター」を基礎研究の中核研究機関として誘致するとともに、神戸市が担うべき地域医療の中核機関である700床もの中央市民病院は、地域医療とは切り離なされ、神戸市民を実験材料とする医療産業向けの研究・開発(治験等)に差し出すというとんでもない計画ができあがった。

2 「ベクテルと神戸市の医療特区構想」-本山美彦氏の指摘
 元大阪産業大学学長の本山美彦氏は『売られ続ける日本、買い漁るアメリカ』(2006.3.20)の中で、神戸医療産業都市構想について「ベクテルは世界最大のゼネコンであり…原子核技術を活かして高度医療器具を開発し、先端医療都市を世界で建設しつつある」とし、ポートアイランドの南に隣接する神戸空港の役割も絡めて、「この狭い地域に神戸空港ができる意味は、決して一般旅客を対象としたものだけではない…東アジア有事の際、負傷兵が…神戸空港に空輸され、空港周辺の再生医療機関で手術を受け、米国の大学や医療機関から遠隔指示を受けるシステム」ではないかと指摘している。ポートアイランドが神戸沖に浮かぶ完全な島であり、市街地とは橋とトンネルだけで繋がっているというだけということを考えるならば、生物兵器の開発・治験・治療の場としても好立地である。沖縄知事選対策とはいえ、政府が米海兵隊普天間基地のオスプレイを佐賀空港に配置する計画を持ち出すことなどを考えると、本山氏の指摘も現実味を帯びてくる。

3 『神戸医療産業都市構想』は“金融詐欺”・“国家詐欺”
 『神戸医療産業都市パンフレット』によれば、「総合的迅速臨床研究」として、「新たな医療技術や医薬品・医療機器の開発にあたっては、基礎研究から臨床研究の間に、動物で行う前臨床試験や規制、倫理といった課題」があり、起業化においても資金等の課題があるとする。このプロセスを研究者と臨床医を集結させて迅速化するという。
 DNA情報の蓄積は遺伝子治療や新薬の開発などで莫大な利潤を生むと期待され、日米欧の国際的協力により、ヒトゲノムの解読が2003年に終了した。アメリカのゲノム情報産業には、投機的な資金が流れ込み、人の命が商品化される。個人の遺伝子に合わせたパーソナル医療は、誰をも病気の可能性を予告された「待機中の患者」に仕立て上げる(2014年2月26日 – 米女優アンジェリーナ・ジョリーさんが予防のために乳房を切除したことで話題になった)。しかし、人の病気の解明や治療法の開発にすぐに役立つものと期待されたが、生命現象はもっと複雑であることが分かった。「遺伝子が生命現象の全てを支配するという『遺伝子決定論』に振り回されるべきではない」と仏の分子生物学者ベルトラン・ジョルダン氏はいう(朝日:2014.7.29)。病とは化学的分子レベルだけでは理解しがたい、複雑な要素を含む。遺伝子治療への過剰な期待は行き過ぎた信仰にすぎない。
 ハーバード大学のゲイリー・ピサノは『サイエンスビジネスの挑戦―バイオ産業の失敗の本質を検証する』の中で、米国のBV(bio-venture)全体は、赤字が30年も続いており、バイオテクノロジーが、新薬開発の生産性に革命をもたらしたという証拠はないとし、人体の生物学的仕組みの知識は今でも不十分であり、長期的に考えても新薬開発リスクは極めて高い。いくらバイオテクノロジーが発展しても、「合理的」な薬にはなかなか到達せず、膨大な試行錯誤は今後も必要であると述べている。これらの先行議論を受け、美馬達哉京大准教授(高次脳機能総合研究センター)は『現代思想』8月号上で、バイオは投資家を引きつける手練手管と会社や株の転売による儲けの話だけに終わっている。価値生産というよりもむしろ金融化のなかの商品化であり、金融の力が現代社会の中でまとう意匠の一つにすぎないとまで言い切っている。とするならば、神戸医療産業都市構想は国家自体(神戸市を含む)のバイオテクノロジー産業のエージェント化であり、米ベクテル社も絡むバイオ産業という看板を掲げたインフラ投資に重点を置いた国家詐欺の象徴である。しかし、バイオ産業の、よって立つ基盤は非常に脆弱である。

4 科学者は「災害資本主義」に対し、どのような立ち振る舞いができるか
 1940年、理研(戦前の財団法人)の仁科芳雄はサイクロトロンの予算獲得のために、公開実験「放射性人間」ショーを行ったが、最初から国民に「正しい科学知識」=原子力を理解させようとしたものではなく、プレゼンテーション=国民に分かりやすい“魅せる”「物語」(「スペクタクル」)を披歴しただけである(中尾麻伊香「『科学者の自由な楽園』が国民に開かれる時』『現代思想』2014.8)。割烹着・「リケジョ」・コピペ・論文指導・査読システム・科学者倫理等々、STAP細胞をめぐってはマスコミ・研究者を巻き込んで様々な騒動が引き起こされているが、それは出来の良い・又は出来の悪い「物語」に過ぎない。
 2011年4月の神戸市の『構想』にバイオベンチャーの技術経営上の課題を説明する「魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」というポンチ絵がある。魔の川とは、一つの研究開発プロジェクトが基礎的な研究から出発して、製品化を目指す開発段階へと進めるかどうかの関門、死の谷とは、開発段階へと進んだプロジェクトが、事業化段階へ進めるかどうかの関門、ダーウィンの海とは、事業化されて市場に出された製品やサービスが、他企業との競争や真の顧客の受容という荒波にもまれる関門を指す。『構想』を描く当事者は事業化が極めて難しいことを理解している。しかし、予算獲得のためにはバラ色のプレゼンテーションをする。
 原爆開発を目的としたマンハッタン計画では1万人の科学者・研究者が動員され、当時の金で22億ドルの巨費が投ぜられた。同計画では投下するまで国家機密であったため、実戦による使用こそが米国民に対する予算獲得のための“分かりやすい”極めて非人道的な「プレゼンテーション」の場となった。そのため、日本の敗戦をわざわざ1か月間遅らせるとともに、投下時間帯を8時15分に合わせ、また、長崎には種類の異なるプルトニウム原爆を投下し、その効果を工程表に従い緻密に「検証」した。広島・長崎市民は計画の実験材料とされた。
 福島第一原発事故は地震・津波という偶然がもたらしたものであるが、東日本の数百万人に放射能が降り注いだ。「災害資本主義」にとっては、これは儲けの絶好の機会である。被災した岩手、宮城、福島3県を先進医療の受け皿にしようというプロジェクトが動きだしている。 各県の大学や企業が持つ医療技術を生かし、最新の医療機器を開発するほか、住民の長期健康調査を実施、検査情報を蓄積する他、医療機器分野では、微細装置などを開発する企業や大学を資金援助する。さらには、岩手、宮城両県の計15万人を対象に血液検査などで得た全遺伝情報(ゲノム)や診療情報をデータベース化し、分析して創薬、予防医学に役立てるという(河北新報 2012.8.12)。要するに、被災住民を無視した高度医療特区構想である。また、文科省が36年ぶりに医学部新設を決めたことで、被災3県での誘致合戦が行われている。これに対し、日本医師会は、医学部新設ための「多くの教員確保のために医療現場からの勤務医の移動(引き抜き)が発生し、基幹病院、公的病院を含む地域の医療機関の医師不足を加速させ」、特に東北3県では「沿岸部の医療は極めて厳しい状況にあり、沿岸部の医療が崩壊することは必至」であると抗議している(2003.10.23)。被災3県でも地域医療を踏み台にした神戸市同様の「災害資本主義」の跋扈が既に始まっている。
 臨床医の場合には、かろうじて患者・地域医療というサービス対象との接点があるが(もちろん長崎大の重松逸造・長瀧重信・山下俊一のように患者を研究材料としか考えないものもいるが)、研究者の場合にはほとんどない。小保方晴子氏は会見で「何十年後かにこの研究が誰かの役に立てればいい」と古色蒼然たる科学の倫理観を語りはしたが、科学者は「災害資本主義」に対し、どのような立ち位置を取るかが問われている。

 【出典】 アサート No.441 2014年8月23日

カテゴリー: 医療・福祉, 杉本執筆, 災害 | 【投稿】 STAP細胞騒動と「災害資本主義」 はコメントを受け付けていません

【書評】『東京プリズン』

【書評】『東京プリズン』
   (赤坂真理、河出文庫、2014年、初出2012年) 

 主人公は1980年代の女子高校生。日本の高校になじめず、アメリカの片田舎の私立高校に留学している。しかしそこでのカルチャーの違いは予想を遥かに上回るものであった。誘われてヘラジカ狩に行くと、高校生が当然のように車を運転し森の中で銃を撃つ、学校のパーティーへ思いつきのアメリカ先住民の仮装で現れると、異様な目付きに囲まれる等々のショックで、ついに留年の際まで追い詰められる。
 その時進級の条件とされたのが、「アメリカ(アメリカン・)政府(ガヴァメント)」という科目で、日本のことに関する研究発表の課題だった。しかもそれは、主人公が軽く考えていた日本文化の紹介どころではなかった。課題の進み具合についての担当の教師との会話。
 「お言葉ですが、先生(サー)、あなたはただ、日本のことを研究発表せよと言いました」「能だ歌舞伎だとそんな石器時代のことを言ってなんになる。現代アメリカ人にとって最も興味のあることはひとつだ」「と言いますと」「真珠湾攻撃から天皇の降伏まで」/「天皇(エンペラーズ・)の(サレンダー)降伏!!」とても驚いて、今(アイ・)なん(ベグ・)と(ユア・)おっしゃいました(パードン)? みたいに突拍子もない声で私は訊いた。それが彼をいらだたせたのか、「天皇が降伏した!天皇がポツダム宣言を受諾して、無条件降伏した。日本の授業で習ったろう!」
 主人公は戸惑って考える。
「それが習ってないんです。と言いたくなるのを抑えて、必死に考える。ポツダム宣言を受諾したのは、天皇じゃなくて日本政府じゃないのか、でも首相は誰か思い出せない、というより知らない。いやたしかに、“降伏”のイメージをいえば、天皇の声“玉音放送”をラジオで聴いて地に伏す人の図だったかもしれない。」
「天皇の降伏」という言葉にショックを受けた主人公は、改めて玉音放送の日本語原稿と英訳を読み返す。
「朕は帝国政府ヲシテ・・・」 あれ?天皇が降伏したのでは、ない。他ならぬ、天皇自身が言っているのに。・・・それはまわりくどい力学で、天皇が、帝国政府(日本政府)に対し、宣言を受諾することをアメリカ・・・の四ケ国に伝えてくれと頼んだ、とか命じた、ということだ。
 このように主人公は、われわれが太平洋戦争で当然のことと思っている事柄について、見落とされている根本的な疑問を提出する。
 そしてこの研究発表は「天皇に戦争責任がある」というディベートの形で実施されることになるが、そこでは、一方では日本による真珠湾攻撃を初めとして、南京大虐殺、七三一部隊、侵略戦争が批判され、これに対して、アメリカによる東京大空襲、原子爆弾、宣戦布告なき軍事介入・プロパガンタ操作の米西戦争、ヴェトナム戦争が批判される。これらの諸問題が、主人公の母親が過去に関わった東京裁判の資料やヴェトナムの結合双生児のつぶやき等々が関わり、これらすべてを包む時代的歴史的イメージが縦横に展開する。
 その筋立ては複雑で、読者それぞれの評価に委ねる他ないが、ディベートの最後に、主人公が負けるにあたって述べる言葉が戒めとして残される。
「私は勝てません。知っています。あなた方の力(パワー)の前に屈するのです。東京裁判が、万が一にも私の同胞が勝つようにつくられていなかったのと同じです。ディベートは裁判ごっこです。ごっこだったら私にも勝つ見込みがあるとあなたは言うかもしれません。だけれども、あくまであなたがたのルールの中で勝てるにすぎません。あなた方の軍艦が初めて私の国にやってきて以来ずっと、そうなのです。この痛みが、あなた方にわかるでしょうか?」
「『私たちは負けてもいい』とは言いません。負けるのならそれはしかたがない。でも、どう負けるかは自分たちで定義したいのです。それを知らなかったことこそ、私たちの本当の負けでした。もちろん、私たちの同胞が犯した過ちはあります。けれど、それと、他人の罪は別のことです。自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負けだったと、今は思います。自分たちの過ちを認めつつ、他人の罪を問うのは、エネルギーの要ることです。でも、これからでも、しなければならないのです」。
 太平洋戦争の戦争責任–加害者としての責任、国民としての責任、国民に被害をもたらした軍部と指導層の責任、そして天皇の責任–の区別と軽重を問い、東京裁判の評価を問う本書は、われわれに欠けていたものを小説という形で提示する。(R)

(追記)なお戦犯の理解について、本書は興味ある対話を載せる。このような知識が不十分であったことも、われわれの戦争責任へのアイマイさの一因となっている。
 「『平和に対する罪』を犯したものが、A・・・ランクAの戦犯なのよね?」私は〈A級戦犯〉を英語でなんていうのかを知らなくて、そう言った。/「クラスA」とアンソニーが正す。/A級戦犯をそう言うのか。「クラスA、が、いちばん罪が重いのよね?」/「そんなことはない。ABCは種別であって、罪の重さじゃない」/ええっ!私は声を出さずに驚いた。私の国では、今でも、A級戦犯というのがいちばん重い罪だと信じられている。・・・「A、B、Cのクラス分けはニューレンバーグ(ニュルンベルグ)裁判の形式をそっくり引き継いだものだ」・・・「第二次世界大戦後にナチスを裁いた国際軍事裁判があった場所。東京裁判はそれをベースにしている。クラスBの『通例の戦争犯罪』が、捕虜の虐待であるとか、民間人の殺傷であるとか。クラスCの『人道に対する罪』はホロコーストに向けられたもので、日本には対応するものがなかった」(R)

 【出典】 アサート No.441 2014年8月23日

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【投稿】 都知事選をめぐって 統一戦線論(7) 

【投稿】 都知事選をめぐって 統一戦線論(7) 

▼ 10/30日告示、11/16日投開票の沖縄県知事選は、2月の都知事選とは対照的に、自公・与党陣営が分裂し、野党陣営が総結集し、元自民党沖縄県連幹事長の翁長雄志・那覇市長を統一候補とする統一戦線が着実に形成されつつある。
 7/27、沖縄県内政財界や労働・市民団体の有志、有識者らでつくる「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」の結成大会が、宜野湾市民会館であった。主催者発表で2千人余が参加、米軍普天間飛行場の県内移設断念などを求めて県内全市町村長と議会議長、県議らが署名し、昨年1月に安倍晋三首相に提出した建白書の理念実現に向け、全県民の再結集を訴える結成アピールを採択。普天間飛行場の名護市辺野古移設や米軍基地の過重負担に象徴される沖縄への「構造的差別」の解消を訴えた。大会は、辺野古移設に向けた政府の海底ボーリング調査準備が本格化していることを踏まえ、「辺野古強行をやめさせよう―沖縄の心をひとつに」をテーマに掲げ、登壇者らが辺野古移設阻止を口々に訴えた。(7/29付琉球新報)
「島ぐるみ会議 尊厳回復へ再結集を」と題する琉球新報・7/29付社説は、

 世論調査では今も県内移設反対が74%もあり、その中には自民党支持者も多い。辺野古反対は保革を超えた民意だ。
 県内移設断念を求めて県内41市町村の全首長、全議長、県議らが署名した昨年1月の「建白書」提出は、戦後史に特筆される。「銃剣とブルドーザー」と称される米軍の軍用地強制接収・一括買い上げに抵抗した「島ぐるみ闘争」以来の、県民を挙げた運動だった。 仲井真弘多知事らの容認でその枠組みは崩れたが、仲里利信元県議会議長が鋭く指摘したように「沖縄で保革がけんかをして喜ぶのは日本政府と米国」だ。移設強行を止めるという民意を実現するためにも、県民の再結集が必要だ。
 何も絶望することはない。民主主義と人道に照らせば、理は沖縄にある。沖縄が一つになって意思表示すれば、世界最強の米軍でさえ土地の買い上げを撤回した。「島ぐるみ」の効果は歴史で実証済みなのだ。
 差別を受けてもいいという人は世の中にいない。だから人としての尊厳ある扱いを求める沖縄の意思は不可逆的である。辺野古移設強行はそんな差別の象徴だ。理不尽な扱いの代償の重さを、日米両政府に思い知らせよう。

と述べている。この社説に、米軍基地の移設強行を止める島ぐるみの沖縄県民の思いとそのための再結集の道が示されている、と言えよう。
▼ そして、8/11、県政4野党・会派でつくる知事選挙候補者選考委員会が、「知事選挙は、ウチナー(沖縄)のアイデンティティー(主体性)を大切にし、『建白書』に示された理念を堅持するぶれない知事が求められている。・・・『辺野古新基地を造らせない』との姿勢を明らかにし、経済振興や福祉、教育、離島振興等にも期待が持てる翁長雄志さんが沖縄県知事に最もふさわしい」として翁長氏に出馬を要請、翁長氏はこれに応え、「これまで基地を挟んで保革が対立し、その中で基地問題が解決しないことに疑問を持っていた。歴史的な転換の下で、基地問題では、アイデンティティーで力を合わせていきたい」と表明。記者会見では、保守、革新の一致点について、「一つでまとまる要素は『建白書』だ」と述べ、「力を合わせて頑張っていきたい」と知事選立候補に応じる姿勢を明瞭に示したのである。翁長氏は、9月2日開会予定の定例市議会で立候補を正式表明するとみられる。
 2010年の前回知事選で普天間基地の『県外移設』を公約に掲げて当選しながら、昨年12月に移設の前提となる辺野古沿岸の埋め立て申請を承認した、仲井真現知事の「変節」と安倍政権への忠誠に県民の怒りは深い。かねてからの目論見であったとはいえ、その変節は保守支持層にも重大な地殻変動を起こさせ、保守陣営の分裂が表面化し、噴出しだしたのである。前回選挙で仲井真氏の選対本部長を務めていたのが翁長氏である。
 翁長氏に知事選出馬を要請した那覇市議会自民党会派17人中の12人に対し、自民党県連が下した処分が8/8日付で確定し、翁長氏への出馬要請で中心的な役割を担った安慶田光男市議会議長、金城徹会派長、仲松寛氏の3人をはじめ11人が除名処分、1人が離党届を出す事態にまで至っている。
 さらにこうした事態にきりもみ状態にあるのが公明党である。同党は、1998年以降、本土の自公連立に先駆けて自民党と組んできたが、基地問題については、党沖縄県本部は辺野古移設反対方針を明示しており、翁長氏支援の姿勢も崩しておらず、「今回の知事選もそのスタンスで対応を協議する」としている。支援の判断を9月7日の沖縄統一地方選まで先送りする方針であるが、中央の公明党本部は辺野古沖合埋め立てを承認した仲井真知事を推薦する構えであり、「頭が痛いけれど、足並みを揃えないわけにはいかない。沖縄県本部には丁寧に説明して理解してもらわないと」としている。しかしこれがすんなり理解されるはずもなく、強行すれば、7月13日の滋賀県知事選同様、公明支持層には仲井真支援はネグレクトされるであろう。
▼ この公明党本部の姿勢は、8/2放送のJNN報道特集「緊迫の辺野古 沖縄知事選で”地殻変動”」で明らかにされたものであるが、同じ放送の中で共産党沖縄県委員長・衆院議員の赤嶺政賢氏は「これは沖縄の歴史の中でも今までになかった天王山の闘いですから、我々が保守を押すことにためらいはあるのかということ自身で言えば、ためらいはない。基地をつくらせないためだったら全力を挙げる」と明言している。
 8/12付しんぶん赤旗「沖縄県知事選 翁長氏で新基地断念を 県政野党が出馬要請 一致点は『建白書』」の中でも、赤嶺氏は「(保守・革新の)立場の違いを超え、私たちを結び付けているのは、普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念を求めて昨年1月に政府に提出した『建白書』です。これを一貫して掲げる翁長市長に敬意を表するとともに、私たちも辺野古新基地断念を実現するまで一緒にたたかう」と述べている。
 折しも、安倍政権はなんとしてでも辺野古の海に、軍港を備えた新しい米軍基地を造るために物量、人員を無制限に動員して辺野古崎周辺の埋め立て作業を既成事実として突貫作業で強行し、さらには海上自衛隊の掃海艇「ぶんご」まで、国内初の治安維持活動として投入されている。
 琉球新報8/8付社説は「海自艦出動 武力で県民恫喝する野蛮」と題して「中世の専制君主国と見まがうありようだ。何という野蛮な政府か。移設反対派の市民を武力で恫喝する狙いであるのは明らかだ。政府は沖縄を、軍が市民を威嚇してよい地域と見なすということだ。そんなことを実行してしまえば政府と沖縄が抜き差しならぬ対決局面に入ることを、安倍政権は知るべきだ。それに対し、移設反対の住民は暴動どころか破壊活動一つ行っていない。武器一つ持たず、非暴力に徹している人々だ。その“丸腰”の市民に軍艦を差し向けるという。市民を、交戦中の敵国の軍のように見なすということだ。」と厳しく弾劾している。
 統一戦線を、これまでの共産党のように、政党政派のセクト主義的利害を優先させるような選挙闘争オンリーに収斂させてはならない。直面する最重要課題において、その達成のためにあらゆる市民運動・大衆運動・現地闘争を統一して闘い、セクト主義を排した一貫した姿勢こそが要請されている、と言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.441 2014年8月23日

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【報告】ヘイトスピーチを許さない 仲良くしようぜパレード 

【報告】ヘイトスピーチを許さない 仲良くしようぜパレード 

 7月20日、炎天下の大阪御堂筋に賑やかなドラムのリズムに乗って、「差別はやめよう!仲良くしようぜ!」の声が響き渡った。
7月14日ヘイトスピーチ許さないパレード
 「OSAKA AGAINST RACISM 仲良くしようぜパレード2014ミドウスジ セレブレイト ダイバーシティ」が、1000人以上の人たちを集めて、中之島公園から出発した。久しぶりのデモ参加、いやパレード参加だ。スローガンも「○○打倒!」「○○を許すな!」ではなくて「仲良くしようぜ!」だ。憎悪の塊のようなヘイトスピーチに対してなんて包容力のあるスローガンだろう。参加者も様々な国の民族衣装を着けた人、親子連れ、ドラム・チャンゴ・ギターを鳴らしながらカラフルで賑やかだ。沿道から手を振ってくれる人もおり、市民からも好意的に受け止められているように思った。予想された在特会等の嫌がらせもなかった。これも、昨年から続いているこの取組み、ヘイトスピーチを許さないカウンターたちの行動、京都地裁・大阪高裁の当然の判決等の積み上げ等、多くの人の地道な努力を通じてやっとたどり着いた地平だろう。しかし、在特会等は少人数でも相変わらず街頭で聞くに堪えない人種的憎悪、差別扇動宣伝を繰り返している。背景にある現政権の排外主義、近隣アジア敵視政策が変わらなければ終わることはないだろう。私たちが差別される側の心情に共感し、多文化共生社会を実現しなければ日本は生き残っていけないという事実を直視して、引き続き地道で大衆的な運動が求められている。(若松一郎)

 【出典】 アサート No.441 2014年8月23日

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【日々雑感】歌わぬ誇り 

【日々雑感】 歌わぬ誇り 

 去る2014年7月5日(土)の毎日夕刊に「ベンゼマ歌わぬ誇り」と題して写真入りでサッカー仲間と肩を組み合ってはいるが、唇を真一文字に結んで前方を見すえているベンゼマ選手の姿が映し出されていた。
 私の下手な文章を書くより新聞の方が上手なので紹介させていただきます。
 ベンゼマ歌わぬ誇り–ベンゼマは教えてくれる。エースストライカーが母国のためにできることは一つ。点を取る、それだけで十分だ。北アフリカ・アルジェリア系移民のベンゼマは、試合前に国歌を歌わない。昨年その態度が侮辱的だと非難されて論争になったが、本人は意に介さなかった。仏ラジオ局の取材にこう答えている。
 「私はチームを愛している。疑問を挟む余地などない。代表のためにプレーできるのは夢のようだが、だからと言って歌うことを強制される筋合いはない。」
 国歌「ラ・マルセイエーズ」は仏革命のさなかに作られた軍歌。歌詞が荒々しい。7番まであるうち、試合前に歌われる1番はこんな内容だ。
 「祖国の子らよ、立ち上がれ、戦いの日はやってきた。(略)前進、前進、汚れた血が我らが進む道をぬらす。」
 ベンゼマと同じアルジェリア系移民で、仏サッカー界の英雄であるジダンも国歌は歌わなかったという。アルジェリアはフランスに侵略され、植民地化された歴史がある。
  4日のドイツ戦でも国歌の演奏中、ベンゼマは黙って一点を見つめていた。26歳のFWは、この試合でゴールはなく、フランスは敗退したが、大会を通じてチーム最多の3得点を挙げた。責任を果たしたエースストライカーを「侮辱的」とさげすむ者は、もういないはずだ。(朴鐘珠)との内容です。私も信念の人、ベンゼマやジダン選手に拍手を送りたい心境です。(2014-07-14早瀬達吉)

 【出典】 アサート No.441 2014年8月23日

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【投稿】集団的自衛権の実体化目論む安倍政権

【投稿】集団的自衛権の実体化目論む安倍政権

<決定後強まる反発>
 7月1日、安倍政権は集団的自衛権解禁の閣議決定を強行した。公明党も最終的には党内、創価学会の反対意見を抑え込んで容認を決定した。
 戦後日本の安全保障政策の大転換を、憲法と議会、民主主義を無視し、密室討議と閣議決定というクーデターに等しい方法で押し切ったのである。
 閣議決定の要点は「武力行使の新3要件」(「439」号参照)であるが、「おそれ」が「明白な危険」に変更されたものの、総体的に内閣の恣意的な決定による武力行使が可能な内容となっている。
 政府は今後集団的自衛権に係わる法整備とともに、「グレーゾーンに対処するための法整備」を推進するとしているが、今回の閣議決定そのものが「グレー」であろう。
 安倍総理は1日夕刻の記者会見で「(湾岸戦争やイラク戦争のような)海外派兵は一般に許されないとの原則は全く変わらない。集団的自衛権行使容認で日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなる」と詭弁を呈して国民の理解を求めた。
 しかし、その後の衆議院予算委員会での集中審議では、安倍総理以下関係閣僚が集団安全保障に直結する「ペルシャ湾機雷掃海」さらには、朝鮮有事での「国連軍」支援などにも言及するなど、早くも閣議決定の枠組みを踏み出そうとしている。
 こうした強引、拙速さと説明不足に不安と反対の声は広がるばかりである。連日のように国会周辺、全国各地で抗議行動が展開されているが、安倍政権は追従する報道機関を中心に事実上の報道管制を敷くなどして封じ込めを図ろうとしている。

<露骨な「報道統制」>
 閣議決定直前の6月29日、新宿駅近くの歩道橋上で男性が「集団的自衛権行使容認反対」を唱えながら焼身自殺を図った。
 この状況は、男性が歩道橋上でアジテーションを開始した直後から、ツイッターなどネット上に投稿されはじめ、炎に包まれる様子も含め、たちまち拡散した。
 後追いする形となったマスコミ各社のうち民放は、同日夕刻のニュースから及び腰の体ながら報道を始めたが、NHKは黙殺、新聞も産経新聞さえ記事にしているにも関わらず、読売新聞(大阪本社版)では一行も触れられなかった。
 こうした措置については「WHOの自殺報道に関する勧告」や、自殺を誘発する「ウェルテル効果」防止云々が弁解として言われている。
 しかしこれまで、松岡勝利元農水相、永田永寿元衆議ら政治家や芸能人の自殺については、憶測を含めて報じてきたマスコミが、手のひらを返したように沈黙しているのである。
 「WHO勧告」でも事実報道事態は規制対象ではないにも関わらず、NHK、読売は安倍内閣支持、集団的自衛権賛成の「社是」に基づき、「不作為犯」ともいうべき行為に出たのである。
 もはやこれは「天安門事件」関連に規制をかける中国の報道機関と同類と言えよう。
 さらに「フライデー」誌では、7月3日のNHK「クローズアップ現代」に出演した菅官房長官が、同番組キャスターの指摘に右往左往した挙句、放映後に経営陣に激怒したと報じられた。
 一方、政府は連日のように「価値観を共有する諸外国」から集団的自衛権解禁に賛同する見解が表明されたことをアピール。読売などの報道機関もこれを無批判に掲載し、中国、韓国の懸念は的外れという論調に満ちている。
 
<進む「新兵器」の取得、開発>
 安倍政権は、集団的自衛権、集団安保そして交戦権解禁に向けた法整備を進めるとともに、軍事力の運用、整備なども強引に進めようとしている。
 7月15日から19日にかけ米海兵隊のMV22オスプレイが神奈川県の厚木、横田基地など首都圏に反復して飛来、一部は展示のため札幌にも向かった。
 7月20日には小野寺防衛大臣が、陸上自衛隊が取得予定の同機について、これらを全て佐賀空港に配備し、今後沖縄の海兵隊機も同空港への移駐を検討することを明らかにした。
 22日には件の(「439号」参照)武田防衛副大臣が佐賀県庁で、古川知事らに説明を行ったが、他人に銃口を向けるような人物を派遣するとは最悪の人選である。防衛省は佐賀県民に言葉の銃剣を突き付けたのも同然であろう。
 沖縄では、辺野古新基地建設に向け埋め立て予定地周辺の警備が強化され、反対運動を力で抑え込む姿勢を露わにしている。
 小野寺大臣は訪米中の7月8日には、サンディエゴの米海軍基地で、強襲揚陸艦「マキン・アイランド」(41.335トン)の視察後、「島嶼防衛」のため同様の艦船を早期に導入していきたいと述べた。
 昨年末に策定された「新中期防衛力整備計画」(26中期防)では「水陸両用作戦における指揮統制、大規模輸送、航空運用能力を兼ね備えた多機能艦艇の在り方について検討の上、結論を得る」とされているが、早くも結論が出された形だ。
 海上自衛隊はすでに1万4千トン級の揚陸艦3隻を保持している。これらは陸自の「水陸機動団」が導入予定の装甲兵員輸送車「AAV7」とオスプレイの運用を可能にするため順次大規模改修予定であり、これに現有および今後配備のヘリ空母4隻(397号参照)、さらに「強襲揚陸艦」数隻を加えれば、相当な揚陸能力を保持することになる。
 実際建造されるのは次の「31中期防」期間中の2020年代半ばとなると考えられるが、強引な前倒しもあるかもしれない。
 7月12日、TBS「報道特集」では、将来の国産戦闘機を見据えた「先進技術実証機」=ステルス機の開発が進んでいることが明らかにされた。防衛省技術研究本部と三菱重工により開発されたこの機体は、年内の初飛行が予定されているという。
 
<滋賀県知事選の衝撃>
 こうした、集団的自衛権解禁と軍拡の推進という状況のなか、安倍内閣への支持は低下している。
 7月13日に投開票が行われた滋賀県知事選挙では、「集団的自衛権行使容認反対、卒原発」を唱える三日月候補が自公推薦の小鑓候補を破り勝利した。
 小鑓陣営は菅官房長官、石破幹事長など幹部を応援に投入。集団的自衛権賛成、原発推進を掲げる報道機関も、嘉田前知事と小沢生活の党党首をオーバーラップさせるなど、姑息なネガティブキャンペーンを行うなど側面支援を行った。
 さらに東京都知事選に続き共産党が独自候補を立て、統一戦線破壊を行うという厳しい状況のなか、序盤は小鑓候補が優位に立って居た。
 しかし、7月1日の閣議決定以降状況は大きく変わり、これに石原環境大臣発言、東京都議会ヤジ問題なども影響を及ぼし、中盤情勢報道では読売でも「小鑓、三日月横一線(7月6日)」と自公の優位がほぼなくなっていると認めざるを得なかった。
 選挙結果は1万3千票差あまりの激戦であったが、政権に与えた打撃は数字以上のものがあったと言えよう。安倍総理も7月14日の衆議院予算委員会で「集団的自衛権の閣議決定が選挙結果に影響がなかったとは言えない」と認めざるを得なかった。
 
<世界の動きと連携を>
 集団的自衛権、安倍政権に対する反発と警戒は世界に拡散している。7月5日の中韓首脳会談では、両国が歴史問題に加え、この間の日本の動きに懸念を示した。安倍総理は事あるごとに両国に対し「未来志向の関係を」とお題目のごとく唱えているが、両国は日本の未来に懸念を抱いているのである。
 安倍総理は「地球儀を俯瞰する外交」で矢継ぎ早に世界各国を飛び回っているが、各国首脳から引き出せるのは外交辞令ばかりである。
 「オピニオンリーダー」である欧米各国のマスコミの論調は、安倍政権に対して厳しいもが多い。「ニューヨーク・タイムス」や「フィナンシャル・タイムズ」などに加え、ドイツの「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」紙も7月14日に「安倍総理は集団的自衛権問題で東アジアを不安定にした責任をとって辞任すべき」との記事を掲載した。
 一時進展するかに見えた日露関係もマレーシア航空機撃墜事件発生により頓挫した。唯一進んでいるように見えるのは対北朝鮮である。北朝鮮(ミサイル)の脅威を口実に軍拡を進めている本人が、ほとんど無条件に手を差し伸べる姿が世界からどのように見られているか分からないのだろうか。
 案の定、アメリカから「訪朝はするな」と釘を刺されてしまった。安倍政権の「地球儀を俯瞰する外交」とは自分自身は動き回ってはいるものの、実態は自分中心に世界は回るものと思っている「天動説外交」というべきものであろう。
 アジアではインドを「対中包囲網」の有力なパートナーだと思っているのだろうが、先のBRICs首脳会議を見ればそれは淡い期待だということがわかるだろう。「対中包囲網」など存在しないし、今後も構築することはできないだろう。
 世界では、ウクライナ情勢に加え、シリア内戦、イラク危機、ガザ地区での武力衝突など早急に解決しなければならない問題が山積している。
 日本以外のG7各国、さらにはG20の幾つかの国はこれらの危機への対処と緊張緩和に向けて行動しているが、安倍政権はプレイヤーとして登場できていない。
 現在の尖閣諸島を巡る状況など危機のうちには入らないだろうし、それを理由に軍拡を進める安倍政権は危険な存在に映るだろう。
 安倍内閣の動きを危惧し、平和と緊張緩和を求める声は大きいにも関わらず、日本国内に於いてはそれを組織化することができていない。当面は地道な活動とともに、沖縄知事選など個々の選挙で勝利を積み重ねていかねばならない。(大阪O)

 【出典】 アサート No.440 2014年7月26日

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【投稿】福島を再び水俣のように切り捨ててはならない

【投稿】福島を再び水俣のように切り捨ててはならない
                          福井 杉本達也
1 統計でウソをつく方法
 西内啓著『統計学が最強の学問である』が異例のベストセラーとなっている。西内氏は「統計学は「不確かな現実」に判断を下すためにある」とし、「「間違った仮説を採用する」という間違いだけでなく、「正しい仮説を採用できない」という間違いについても同じくらい重視すべきだ」と述べている(ダイヤモンド社HP 2014.4.25)。福島第一原発事故の放射線の影響はまさにこの西内氏の言葉が当てはまる。
 産業技術総合研究所フェローの中西準子は著書『原発事故と放射線のリスク学』の中で、すべてのタブーに挑戦したと言っている。「一つは、外部被ばく線量の計算値。第二に、小児甲状腺検診の問題。第三に除染費用の限界。第四に、リスクを受け入れなければならないという現実。そして、帰還のための線量目標値。」「すでに被ばく線量のデータなどは出尽くしていると言ってもいい状態です。有害性については、分からない、分からないと学者や政治家、評論家が言い続けていますが、これくらい分かっているものは他にありません。」といっているが、ほとんど、政府機関や県発表、伝聞により構成されており、特に小児甲状腺がんの福島県『県民健康管理調査』を扱った部分は最悪である。
 平成23年度の調査結果について中西は「当初思ったより、A2の割合が高いという感想を持った…その疑問に応えるかのように、やがて福島県以外の三県の結果が示され、それは、A1(異常なし)、A2(5㎜以下の結節や20㎜以下ののう胞)、B(5.1㎜以上の結節や20.01㎜以上ののう胞)の比率が福島のそれとほぼ同じであった。そして、超音波の検出力が高く…チェルノブイリのときと比べると、A2の比率も高くなっているという説明であった。その説明は納得できるものだった」と述べる。A2の数字が福島県で高いというのは事実である。

2 『県民健康管理調査』をどう読むか
 小児甲状腺がんの発生率は非常に少ない。日本における15~19歳における発生率はわずか100万人に5人である(1975~2008年)。これまではわずかな発生率であったものが、『県民健康管理調査』では2011年調査で14人、2012年調査で54人、2013年調査で21人、合計90人のがん症例が見つかったのである。もちろん調査年度によって調査対象地域も原発周辺地域から比較的影響の少ない会津地域までと異なる中でこの数字をどう読むべきかということである。
 中西のように90人も5人変わらない。「たまたまだから」と切り捨ててしまうこともできる。しかし、90人という数字は、他地域と比較してどうなのか、今後どうなっていきそうかということを予想するのが統計学的考え方である。津田敏秀氏(岡山大)の計算によると、2012年度調査の二本松市・本宮市など中通りでの発生率は40.81倍(15~19歳比)であり、誤差は95%の信頼度で低くても21.36倍、高ければ73.51倍の範囲内に入る。2013年度調査のいわき市では19.64倍(同)、低くて11.37倍、高ければ24.57倍の範囲内に入る(津田:『科学』2014.7)。また、福島県内では比較的放射線量の低い会津地方(合津若松市除く)などを1とし、他の地区を比較した「有病オッズ比」では二本松市・本宮市など中通りは11.22、いわき市は5.40であり明らかな違いが見られる。
 また、小児甲状腺がんとは別の統計だが、ハーゲン・セアブ、ふくもとまさお氏らによる「フクシマの影響 日本における死産と乳児死亡」(『科学』2014.6)による国の『人口動態統計』データの解析から、茨城・福島・宮城・岩手県の「高汚染都道府県」の死亡率(自然死産率+出生後1年未満の乳児死亡率)は2011年12月時点でオッズ比1.052と5%程度高くなっている。同統計からも放射線の影響が見て取れる。
 
3 環境省の3県調査の発表には作為がある
 中西は調査の結果を否定するために福島県以外の3県調査を持ち出しているが、3県調査は6~15歳が45.7%、16~18歳が20.8%を占め福島県の調査と比較して高い年齢層に偏っておりデータ補正をしなければ福島県との正確な比較はできない。補正すればさらに福島県の異常さがきわだつことになる(津田:同上)。環境省の3県の追跡調査事業結果(2014,3,28)によると、平成24年度調査でB判定とされたもののうち1名が甲状腺がんであることが判明した。調査の数字にウソはないが、それを根拠に発症率を「福島県外と同程度」に結びつけようとしている。1名では統計学上の誤差があまりにも大きく比較対照はできない。環境省の「住民の皆様の理解促進に役立てることを目的に、福島県外の3県の子どもを対象に、県民健康管理調査と同様の超音波検査を実施し、その結果の妥当性について、情報を提供することとしたものです。」(2013.3.29)という言葉には明らかに世論誘導の作為がある。生データのみではなく、統計学上のデータ補正と解説を付けて発表すべきである。
 
4 細かく調べたので小児甲状腺がんが沢山発見されたというウソ
 中西の県民調査で小児甲状腺がんの発見が多いのは「スクリーニング効果」(それまで検査をしていなかった方々に対して一気に幅広く検査を行うと、無症状で無自覚な病気や有所見〈正常とは異なる検査結果〉が高い頻度で見つかる事(首相官邸HP:2014.2.12山下俊一コメント))であるというが、津田氏は「今回、内部比較でも被ばく量に沿ったと思われる有病オッズ比の明瞭な上昇がみられた。これは、スクリーニング効果だけでは、甲状腺がんが数多く発見されているという多発を説明することがまったくできない」(津田:『科学』2014.3)ことを示しているとして、明確に否定している。スクリーニング効果からは福島県内地域でのがん発生率の差は説明できないであろうということである。中西は何の検証もせず「納得」してしまっている。中西は科学者としての自らの実験で「納得できない」データは「異常値」として切り捨て、「納得できる」データのみを採用していたのであろうか。これは研究不正以前の由々しき非科学的態度である。
 
5 帰還の目標値“20ミリシーベルト”は「放射線の影響はない」という前提
 政府は放射線の年間積算線量が20ミリシーベルト以下の区域を順次避難指示解除する方針を示している。「100 ミリシーベルト以下の被ばく線量域では、がん等の影響は、他の要因による発がんの影響等によって隠れてしまうほど小さく、疫学的に健康リスクの明らかな増加を証明することは難しい」、1ミリシーベルトは、「放射線による被ばくにおける安全と危険の境界を表したものではない」(復興庁:『田村市説明資料』2014.2)として解除を決めた。これは、丹羽大貫(元京大放射線生物研究センター教授)らが主張するもので、発がんの突然変異要因は放射線等5つほどあり、残りの4つの要因を減らせば=「生活習慣で放射線のリスクが変動する」(中西:同上)という怪説を唱えている。丹羽説に従えば、『県民健康管理調査』の結果は何なのか。他の要因により隠れてしまうほど小さいものなら、なぜ、小児甲状腺がんがこれほど見つかるのかの証明はできない。確かに喫煙の発がん性は明らかであるが、まさか、福島県の子供がタバコを吸っているとか著しく肥満であるとは言えまい。丹羽説を真に受けた『放射線に負けないからだをつくろう―生活習慣のポイント』(福島市HP)という呼びかけは犯罪である。また、指示解除する区域では「希望の方には誰でも個人線量計を貸与」(復興庁:同)するという。解除後は個人の責任で放射線を浴びてもらうということで、国は一切関知しないということである。つまり、将来、被曝してがんになっても国は補償しないということである。

6 水俣病の重い教訓
 1956年5月に公式確認された水俣病は60年近く経過したいまも「誰が水俣病患者か」を巡って争いが続いている。1968年9月にはチッソ水俣工場の廃液に含まれる有機水銀が水俣病の原因であるという政府見解を発表した。しかし、国は水俣病の認定に対し、感覚障害だけでなく複数の症状が揃うことを要求していた。その後、裁判での争いとなり、最高裁は2013年4月感覚障害だけの患者(故人)に水俣病と認定する判決を下した。それでも国は新たな運用指針として症状と水銀摂取の因果関係を客観的資料の提出を患者側に求め続けている(日経:2014.3.8)。国とその取り巻きの医師たちは原因と結果を一対一の関係と思い込み、蓋然性を定量的に与える裏付けとなる疫学調査(統計学的手法)を行ってこなかったからである(津田『医学的根拠とは何か』)。
 中西は「濃密な検診が福島の若者の幸福につながるのかについて相当の疑問を感ずる」「問題でないものを、えぐり出して」いる(中西:同上)というが、近代統計学上の「「間違った仮説を採用する」という間違いをするか、「正しい仮説を採用できない」という間違いをするのか。水俣病の推定患者3万人中、県の認定患者はわずか2,265人。どちらの間違いが今後の日本社会の運命に影響が大きいかは明らかである。低線量被曝で再び水俣病と同じ愚を犯させてはならない。事故当時19歳以上の者や福島県に隣接する栃木県・茨城県・宮城県南部の症例把握も含め早急な対応が求められる。また、甲状腺以外のがん・がん以外の疾患への対策も必要である(津田:『科学』2014.7)。

 【出典】 アサート No.440 2014年7月26日

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【書評】『家事労働ハラスメント–生きづらさの根にあるもの』

【書評】『家事労働ハラスメント–生きづらさの根にあるもの』
            (竹信三恵子、2013年10月発行、岩波新書) 

 「私たちの社会には、家事労働を見えなくし、なかったものとして排除する装置が、いたるところに張りめぐらされている。(略)/家事・育児・介護が世の中には存在しないかのように設計された極端に長い労働時間の職場。そんな働き方によって、健康を損ね、ときには死にまで追いやられた人たちがどれだけ多いかは、過労死について書かれた多くの資料をひとつでものぞいてみれば、すぐにわかる。一方で、家事や育児や介護を担うべきものとされた人たちは、職場でハラスメントを受け、低賃金と不安定な労働に追いやられていく」。
 本書は、一方で、現実に存在する家事労働をないものと見なし、他方で、「『家事はお金では測れないほど大事な価値』であって労働ではない(だから待遇や労働条件のことなどあれこれ言わずに奉仕しろ)」として、その働きを低コストに抑え込もうとする動きに対して、家事労働が生活にとって不可欠であればこそ、きちんと評価される労働として社会的に位置づけられねばならないと主張する。そして家事労働が日本の社会によって正当に評価され、位置づけられていない結果が、どのような貧困の図式をもたらしたかを検証する。
 「序章 被災地の百物語」では、「女性が家庭に抱える見えない労働」が、震災と原発と失業の三重苦の中で、極端な形で現われた事例がいくつも出される。–高齢者の介護や子どもたちの食事の世話などの日常の負担に加えて、安全な水や食べ物を求めて店を駆け回る、避難してきた県内の親戚の世話、避難所によってはプライバシーを確保する間仕切りがない問題、女性被災者だけが避難所の食事作りを任されていた例、雇用対策面での女性に対する配慮の欠落、「災害弔慰金」や「被災者自立支援金」での「世帯主被災要件」(世帯主である夫が被災者の主で、妻は夫に扶養されている必要がある)等々–これらは、「労働は男性が行うものと言う平時の軌範」=「やって当たり前の無償の家事労働」が被災地域でも女性の役割として当然視された例であろう。
 本書は、こうした状況を生み出した経緯を解明し、1985年を「女性の貧困元年」とする説を紹介する。それによれば女性の貧困化を制度化したとされる85年の変化とは、「①男女雇用機会均等法、②労働者派遣法の制定、③第三号被保険者制度の導入」であるとされる。
 ①男女雇用機会均等法は、女性の深夜労働・休日勤務を禁じた労働基準法の女性保護の段階的撤廃と引き換えに制定されたが、同時期には「変形労働時間制」(1日8時間超労働でも一定期間の平均で1日当たり8時間労働を可とする)や「裁量労働制」(一定の職種では労働時間の規制を受けずに働かせることが可)が導入されている。この結果、条件のある女性(母親や親族の助けがある、夫が家事を支える、家事労働者を雇える収入がある等)は男性の分野であった職種に進出していったが、「だが、家事や育児を抱えてそれができない圧倒的多数の女性たちは、出産などを機に退職に追い込まれ、パートなどの非正規労働者として再就職することになった」。②労働者派遣法の制定は、こうした正社員からこぼれていく女性たちの受け皿として産声を上げた。「家事の担い手というレッテルの下にパートや派遣などへ追いやられた女性たちの増加で、非正規労働は均等法制定後の1980年代以降、激増し、2004年前後には働く女性の多数派に転化する」。③第三号被保険者制度は、「主婦年金」とも呼ばれ、これまで主婦優遇の制度と言われてきた。しかし「扶養下」認定の条件である年収130万円未満範囲内で働こうとするパート主婦の増加が、「第三号」の賃下げ圧力となり、パートの賃金を上げようとする動きを封じ込める作用を果たした。
 かくして「夫が家族を養い、妻が家事をする→夫の稼ぎがあるから家事労働を本業とす
る女性の仕事は不安定で安い賃金の非正規でも構わない→不況になって会社も大変なので、男性も非正規で雇うしかない、という流れの中で、女性の低賃金の前提となっていたはずの男性の安定雇用も掘り崩されていった。これによって、『夫がいるから安くていい』という水準で設定されたはずの経済的自立の難しい非正規の働き方が、急速に男性にも広がった」という結果となった。
 「ワーキングプア」、「派遣切り」、さらには「貧困主婦」の存在–貧困ライン以下の世帯での専業主婦=夫が低収入なのに外で働けない女性たち–といった問題は、上の制度と密接な関係を有している。
 本書では、産業構造の転換の中で専業主婦を扶養しきれない男性労働者が増加しているにもかかわらず、女性の経済的自立が阻まれ、これが貧困の温床となり、男性もまた家事労働ハラスメントに苦しんでいる現状が、そしてこのような状況に合わせて家事労働の再分配を政策的に実践してきた海外の取り組みについても報告される。
 「景気回復の切り札とはやされたアベノミクスは、『女性の活躍が成長を生む』と謳い上げた。だが、ここでも家事をしながら賃金を稼げるような労働時間の規制や、短時間労働でも賃金を買いたたかれない正社員とパートの均等待遇は無視され、むしろ、『活用』の名の下に家事労働と仕事の二重負担は過酷さを増しつつある」現在、本書は「見えない働きの公正な分配なしに、私たちは直面する困難から抜け出すことはできないという事実」をわれわれに指摘する。ともすれば男性正規雇用社員の夫としての眼しか持つことのできない「労働者」の眼を覚まさせてくれる書である。(R)

 【出典】 アサート No.440 2014年7月26日

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【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(6)

【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(6)

▼ 2月の都知事選以来、4月初めの京都府知事選、4月末の鹿児島2区補選、那覇市長選と、安倍政権は自民・公明連合による徹底した争点隠しとまやかしのアベノミクスとバラマキ政策の選挙戦略で連勝してきたが、この7月13日・投開票の滋賀県知事選でついに敗北を喫する事態となった。嘉田前知事の「卒原発」を引き継いだ前民主党衆院議員・三日月氏に勝てなかったのである。この選挙で勝利し、集団的自衛権も原発再稼働も「国民の理解を得た」として、さらなる暴走を加速させようとしていた安倍政権にとっては手痛い敗北である。
告示前の自民党調査では、自民・公明候補が11ポイント差でリードし、内閣参事官として安倍政権の成長戦略の立案に携わり、原発の推進と再稼働に固執する資源エネルギー庁エリート官僚であった小鑓氏が、当初こそは楽勝・圧勝ムードであったが、明らかに潮目の変化が生じ、奢りおたけぶ安倍政権にとっては思わぬ逆風が吹き始めたのである。激戦必至の情勢にあわてて自民党は強力な支援態勢を敷き、安倍首相自身が外遊先のオーストラリアからも、直々に滋賀の業界団体などに電話を入れ、石破幹事長や菅官房長官、多くの閣僚や小泉進次郎氏ら、100人を超える国会議員を投入、猛烈な組織戦を展開、巨額の公共事業やバラマキをチラつかせ、地方選挙としては異例の態勢で臨んで巻き返しを図ったが、それでも敗北したのである。
▼ さらに、「常勝関西」と呼ばれる関西創価学会の最高幹部が「滋賀が大変だ。安倍政権凋落の分岐点になりかねない」と危機感を煽り、「小鑓さんには山口代表が自ら推薦証を渡した」「われわれもかつてないほど力を入れている」とかけずり回った。しかし、7/1の集団的自衛権の閣議決定に公明党が押し切られて以降、「こんなことは許されない」といった支持者の不満が噴出し始め、公明党・創価学会の動きは、幹部が総力戦を強調すれども、「平和の党」の看板が汚され、「お得意の期日前投票にも行ってくれない」事態に幹部が嘆き、すべてが平和憲法を骨抜きにしてしまったことへの釈明に追い込まれてしまったのである。
今次安倍政権の発足以来、与野党が対立する構図の国政・知事選で自民・公明の与党連合が敗北したのは初めてのことである。安倍首相自身がこの敗北について、「十分な反省に立って国民目線の政策を進めたい。政権与党には常に国民の厳しい目線が向けられる。要因の分析が大切だ。(敗北に)集団的自衛権の議論が影響していないと言うつもりは毛頭ない」と語り、自民党の石破幹事長が、今後の政権運営への影響について「我が党が全面支援した候補が敗れたことは重く受け止める。」と言わざるを得ない事態である。
原発政策が争点となる10月の福島県知事選、米軍普天間飛行場の移設・辺野古への新基地建設の是非が争われる11月の沖縄県知事選を控え、与党連合にとっては逃れられない暗雲が漂い始めたのである。
▼ 滋賀県知事選の投票率は当初は40%台とみられていたが、最終的には50%を超え(50・15%)、参院選と知事選とのダブル選であった前回の61・56%を下回りはしたが、前々回の44・94%を大きく押し上げた無党派層の票は、自公候補を拒否し、ほとんどが三日月陣営に流れたとみられている。選挙結果は以下の通りである。

三日月大造 前民主党衆院議員      253,728 票 得票率 46.3%
小鑓 隆史 元経産官僚、自民、公明推薦 240,652 票 得票率 43.9%
坪田五久男 共産党県常任委員、共産推薦 53,280 票 得票率  9.7%

その差は軽視できないが、13,000票余りの僅差である。
三日月氏は民主党の推薦を断り、草の根選挙をアピールした。三日月氏と嘉田由紀子前知事が共同代表となり、選挙母体となった「チームしが」は、民主党から嘉田支持者までの幅広い勢力を結集する受け皿として、せっけん運動から続く湖国の草の根自治の理念を受け継ぐとしている。琵琶湖を抱え福井に密集する原発銀座に直面している滋賀県を念頭に、三日月氏は当選後の記者会見で「県民がエネルギー政策に意思表示した。3・11を教訓にした『卒原発』の取り組みをしっかり推進したい。」と決意を表明している。公約を反故にすればたちまち逆転されかねない僅差である。
▼ ここで問題なのは、このような僅差の中での共産党推薦候補の存在である。選挙結果について初めて報道した7/15付しんぶん「赤旗」の記事は、その重要性からは程遠いまったく小さな扱いでしかなく、共産推薦候補について「善戦しました。前回知事選の得票(36,126票)を約1.5倍と伸ばしました」とし、「滋賀知事選 自公敗れる」と題して「当選には至りませんでしたが、日本共産党と県民の共同が安倍政権を追い込みました。」と、内容はたったこれだけである。都合の悪いことには一切触れない、「県民の共同」の中身もなければ、与党連合を敗北に追い込んだ知事選の意義も、分析も、総括も反省もない。それにしてもまったく白々しい、恥ずかしいものである。良識ある党員・支持者は嘆き悲しみ、落胆しているであろう。
同じ7/15付しんぶん「赤旗」の主張「日本共産党92周年」は「自民党と日本共産党の対決―『自共対決』の構図はいよいよ鮮明です。」と述べている。共産候補のこの得票でどこが「自共対決」なのか、どこが鮮明なのか。「自共対決」どころか、客観的には「自共共闘」であり、自民・公明候補を間接的に応援・支援し、利する立候補なのである。今に始まったことではないが、一体何のために立候補したのかその見識が根底から疑われるものである。
そこにあるのは、「我が党」こそが一貫して正しく、「我が党」以外は全て本来の政党ではなく、「我が党」の勢力拡大をこそ全てに優先させるべきであるという、長年患い、身から滲み出しているセクト主義という業病である。
▼ 4/21付しんぶん「赤旗」は、「『一点共闘」を日本の政治を変える統一戦線に」と題して、全国革新懇懇談会での志位委員長の報告を全文掲載し、これが今の党の統一戦線に関する指針となっている。
そこでは、「一点共闘」の広がりの第一は、無党派の新しい市民運動、第二は、保守との共同、第三に、労働運動でナショナルセンターの違いをこえた共同行動、第四に、地方の「オール○○」という形での「一点共闘」が各地で起こっていることは、きわめて重要です。「大阪では独特の形態での「一点共闘」の発展があります。維新の会の暴走ストップという「一点共闘」です。」と述べて、締めくくりとして「私は、一致する要求実現のために、政党・団体・個人が対等・平等で共同し、お互いに気持ちよく存分の力を発揮するというのは、統一戦線の大道を歩むものだし、そこに踏み切ってこそ国民的な力が一番深いところから発揮されるのではないかと感じています。ぜひ、こうした共同のあり方を発展させたいと願っています。」と述べている。
共闘の広がりを評価していることは前進といえようが、この最後の「対等・平等で共同し、お互いに気持ちよく」にその本音とその裏に潜む含意がよく現れている。つまりは、「我が党」の視点から見て、対等・平等ではなく、気持ちよくなければ、一緒に闘うことも、統一戦線に加わることもありません、「我が党」を批判するような、「我が党」の意に沿わないような方々とは「一点共闘」もありえませんというわけである。
ただし、維新の会の暴走ストップという「一点共闘のようなもの」は、共産党が独自候補を立てれば、あまりにも浮いた存在となり、敵を利すること鮮明であり、猛烈な批判を招きかねないという客観情勢に押されてやむなく立候補を断念したに過ぎないものである。沖縄県知事選についても同様である。独自候補を立てる余地がなかったのである。
それは、その場限りの「一点共闘」はありえても、広範で多様な人々を結集した本来の統一戦線に踏み切れない、「我が党」の立場と違う異見を許さない、異見が出てくるとそれを封じ込める共産党の体質であると同時に、異見を柔軟に取り入れ、あるいは折り合いをつけ、新しい質と豊かさを獲得していく、自信のなさの表れでもある。
▼ この志位委員長の報告後の5/25付しんぶん「赤旗」は、「力点を党勢拡大にシフトしよう」と題して、「党員、日刊紙、日曜版ともに後退する危険が大きい現状に鑑み、躊躇なく党勢拡大に力点をシフトすることを呼びかけます。」という「躍進月間」推進本部の呼びかけを大きく掲載している。「力点を党勢拡大にシフト」すること、共闘、統一戦線の拡大やその発展よりも、躊躇なく「我が党」の党員に取り込んでいくことが優先されるセクト主義がここでも如実に示されている。「一点共闘」もそのための手段、道具でしかなくなるのである。

この7月6日、大阪弁護士会主催による野外集会「平和主義が危ない! 秘密保護法廃止!!」が開かれ、雨の中約6000人が集会に結集し、3コースのデモ行進が行われた。大阪では久方ぶりに、大阪平和人権センターに結集する諸団体や市民運動が主体となってきた集会に、写真(筆者撮影)にあるようにそれほど多くはないが共産党系の人々も参加する集会、デモとなった。集会では、民主党、共産党、社会民主党、生活の党、大阪平和人権センター、全日本おばちゃん党、大阪憲法会議等々の代表がそれぞれ挨拶と決意表明を行い、共産党からは山下芳生・書記局長が「弁護士会に敬意を評します」と述べた上で、「たたかいはこれからです。法案の一つ一つをみんなの力で葬り去りましょう。」と訴えた。7/8付「しんぶん赤旗」も1面に写真入りで報道している。
弁護士会が党派を超えた結集の軸になり、共産党が「一点共闘」としてこれに参加したことは確かに一歩前進ではある。しかし、弁護士会という仲立ちがなければ、「一点共闘」すら成立させることができ得ない、今の「統一戦線」は、足し算としての「和」にはなったかもしれないが、本来獲得すべき掛け算としての「積」にはほど遠く、安倍内閣の暴走に比して、なんとも歯がゆい遅々たるものである。こうした現状を打破する統一戦線の構築こそが望まれている。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.440 2014年7月26日

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【投稿】「ならずもの国家」へ突き進む安倍政権

【投稿】「ならずもの国家」へ突き進む安倍政権

<傲岸不遜そのもの>
 高支持率と絶対安定多数に奢れる安倍政権は、この間軍事政策を始めとする全般的な分野で、国会、国民そして民主主義、司法(「諫早」、「大飯」、「厚木」判決など)憲法を軽視、侮蔑する言動を繰り返している。
 この政治姿勢は国内のみならず周辺地域に向けても発露されており、東アジアの緊張を高め、国際社会から危険視される方向へ日本を導いている。
 石原環境大臣は6月16日、核汚染廃棄物の中間貯蔵施設建設問題に関し、受け入れに難色を示す福島県自治体、住民に「最後は金目でしょ」という暴言を投げつけた。
 これは、前日までに開催された建設予定候補地である福島県双葉町と大熊町の住民らに対する説明会で、用地買収などの補償額が明確に示されなかったことに対し、参加者から批判が相次いだことへの苛立ちからの発言である。
 こうした事象は、これまでも問題発言を繰り返している石原環境大臣個人の資質もさることながら、安倍政権の驕り高ぶった認識の反映である。
 石原大臣に対しては、衆議院での不信任決議案と参議院での問責決議案が出されたが、与党の反対多数で否決されたが、発言の撤回と地元での謝罪を余儀なくされた。
 1月には名護市長選挙に際して石破幹事長が500億円の「地域振興基金構想」を提示し、露骨な利益誘導を目論んだ。これも「最後は金目」と思い込んでいたからである。
 名護市民を舐めきった提案は手痛い反撃を受けたが、安倍政権は旧態依然の政治手法をまったく反省などしていないことが、今回の石原発言で明らかになった。
 6月18日東京都議会では、少子化対策について質問中の女性議員に対し自民党都議が「早く自分が結婚すれば」「子供を産めないのか」などと、聞くに堪えない差別的ヤジを飛ばした。
 発言そのものも大問題であるが、対象が国政における準与党であるみんなの党所属議員であり、安倍総理にも子供がいないことを考えれば、政治的センスゼロの天に唾する発言であるが、国会、自治体議会を問わず与党に胡坐をかく自民党の認識の一端を如実に示すものと言える。
 自民党女性議員からも批判の声が上がるなど、問題の拡大に慌てた石破幹事長は「あってはならないこと」などと火消しに躍起だが、まず自らの所業を反省すべきだろう。
 こうした傲岸不遜、蒙昧無知の言動は国内だけに止まらない。安倍内閣は軍拡政策の一環として、武器輸出の推進を目論んでおり、6月下旬パリで開催された世界最大規模の兵器見本市(ユーロサトリ)に三菱重工業などが出展した。
 この視察に訪れた武田防衛副大臣は、外国企業のブースで展示品の自動小銃を構え、笑みを浮かべながら銃口を周囲の人に向けるという常軌を逸する行動をとった。軍事に携わる政治家が最低限のマナーさえ守れないという光景は、日本の軍事政策の危うさを象徴するものでもある。

<戦争性暴力被害者を冒涜>
 安倍政権の高慢さは対外政策に於いても顕著となっており日本の孤立化を自ら招いている。
 政府は6月20日、従軍慰安婦問題に関する「河野談話」の検証結果を公表した。当初安倍政権は談話そのものの否定を目論んでいたが、アメリカの反発により「検証はするが見直しはしない」という矛盾した方針に転換した。
 検証報告では「日韓両政府は談話の表現を事前にすり合わせした」「両政府は事前調整について非公表とすることとした」「元従軍慰安婦の聞き取り内容の確認作業は行われなかった」など河野談話の信頼性を損ねる内容が羅列されている。
 政府は検証作業は公正に行われたと主張するが、結論は最初から決まっているわけであり茶番劇そのものである。
 案の定答えは「韓国からの要請で事実に基づかずに作成された政治的妥協の産物」という趣旨であり、さらに「元慰安婦は『補償金』を受け取っている」と「最後は金目でしょ」という安倍政権の思想に貫かれたものとなっている。
 今回の検証作業で「河野談話」は実質的に否定されたも同然であり、いくら安倍政権が「談話を継承する」と唱えようと、それに基づいた根本的解決の道は、一方的に閉ざされたのである。
 6月上旬にはロンドンで「紛争における性的暴力停止のためのグローバルサミット」が開かれ、150か国から政府関係者、法律家、軍人、NGOなど1200人が参加した。
 この会議で韓国政府代表は従軍慰安婦問題に言及したが、日本政府は、河野談話の検証作業はおくびにも出さず、まともな反論はできなかった。
 これに先立つ6月7日にはフランスで、ノルマンディー上陸70周年の記念式典が挙行され、米英仏露の旧連合国に加え敗戦国のドイツも加えた各国首脳が一堂に会し、第2次世界大戦の結果を尊重することを確認した。
 このような国際的潮流に挑戦するかのように、6月15日、日本維新の会の橋下共同代表(当時)は、大阪市内の街頭演説で「ノルマンディー上陸作戦の後、連合軍兵士もフランス人女性をレイプした」と相も変わらない歪んだ歴史認識を露わにした。
 日本政府の強硬姿勢を後押しするような発言は、「地球儀を俯瞰する価値観外交」で成果を出せない安倍総理を勇気づけたことだろう。
 安倍総理は、6月4,5日ブリュッセルで開かれたG7サミットで「中国脅威論」を懸命に説いてまわったが、各国首脳の関心はウクライナ情勢に集中し、首脳宣言でロシアとは対照的に中国を名指しさせることはできなかった。
 反対に3月欧州を歴訪した習近平主席や、6月17日に訪英した李克強首相は異例の厚遇を受け、中国と欧州各国の経済協力関係は一層深化した。
 6月の一連の動きはアジアで強硬姿勢を見せる日本政府の主張は、国際社会では受け入れられていないことを浮き彫りにしたのである。

<日本発脅威の拡散>
 安倍政権は世界における日本への視線を一顧だにせず、軍拡による緊張激化を推し進めている。
 集団的自衛権解禁に関して6月13日、自民党の高村副総裁は公明党に対し武力行使の「新3要件」を示した。
 その内容は、①我が国に対する武力攻撃が発生、又は他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される「おそれ」がある ②国民の権利を守るために他に適当な手段がない ③必要最小限度の実力行使にとどまるべき、となっている。
 この時点では想定される武力行使は「自衛権」に限定されたものとなっており、公明党も第1項目の「おそれ」が拡大解釈を招くので、この表現を削除すれば、与党合意に向けた論議が進む状況となっていた。
 しかし、自民党は19日なり突然「たとえばペルシャ湾(ホルムズ海峡)での機雷掃海については集団安全保障としての参戦も可能」として、「新3要件」は集団安全保障発動下でも適用できると主張を転換したため、公明党が態度を硬化させることとなった。
 この間のイラクにおけるスンニ派の武装集団「イラクとシリアのイスラムの国」(ISIS)の勢力拡大による情勢の不安定化で、「米軍参戦も有りうる」と慌てた外務官僚が自民党に吹き込んだのだろう。
 ところが肝心のアメリカは早々にオバマ大統領が「地上兵力は派遣しない」と表明、空爆も当面行わず、情報収集のため300人の特殊部隊など派遣するにとどまっている。
 今後もアメリカの大規模な介入の可能性は低く、イラク情勢が国連決議を経た集団安全保障の発動に至る恐れはない。自民党の提起は勇み足の形となった。
 安倍政権は、7月第1週の閣議決定を目論んでおり、その文言も「離島防衛」などいわゆる「グレーゾーン」などについてはほぼ固まっており、核心部分の「集団的自衛権」部分の調整を残すのみとなっていた。
 それを米軍支援どころか事実上の多国籍軍参加まで拡大し、安倍総理自身の「湾岸戦争やイラク戦争などのような事態に自衛隊が武力行使を目的に参加することは決してない」との国会答弁を、舌の根の乾かないうちに否定するような内容を国会閉会中に閣議決定を強行しようというのである。
 これまでも、安倍政権は中東地域に「海賊対処法」に基づき派遣していた海自部隊を、目的が同じだからと、昨年12月から多国籍軍(艦隊)である「第151合同任務部隊」に参加させており、法的根拠の相違は無視してきた。
 今回は相手が海賊ではなく国家レベルになるかもしれないということで、法整備に躍起になっているのである。
 まさに奇襲攻撃、騙し討ちと言いうべきものだろう。こうした安倍政権の政治姿勢は、東アジアに於ける振る舞いも含め、国際社会からは「民主主義という価値観を共有する国」とは見られず、地域ばかりか、世界的に緊張を高めかねない存在として注視されることになるだろう。
 先の国会で野党は存在意義を発揮できなかったが、今後単なる数合わせではなく政策による対抗軸構築を進め、安倍政権の暴走に歯止めをかけていかねばならない。(大阪O)

 【出典】 アサート No.439 2014年6月28日

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【投稿】画期的な大飯原発差し止め判決

【投稿】画期的な大飯原発差し止め判決
                           福井 杉本達也 

1 画期的な判決
 福井地方裁判所(樋口英明裁判長)は5月21日、関西電力大飯3,4号炉の稼働を禁止する判決を下した。判決は大飯原発が持つ危険性に対する関西電力の見通しはあまりに楽観的であり、その安全対策には福島第一原子力発電所の事故の教訓が充分に生かされていないと指摘した。福島第一原発の事故発生以来、日本国内にある50基の稼働可能な原発は点検と安全確認のため停止したが、2012年6月8日、当時の民主党野田政権は強引にも大飯原発の3号機、4号機のみを夏場の電力不足に備えるためと称して、2012~2013年にかけ、一時再稼働した。これに対し、大飯原発の周辺で生活する約200人の住民が、2012年11月関西電力を告訴、そして今回福井地裁から再稼働を禁じる命令が下った。
 
2 福島原発事故の反省の上に
 判決は「事故が起きると多くの人に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度な信頼性が求められる」とし、「15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、原子力発電技術の危険性の本質及び被害の大きさは福島原発事故で十分明らかになっている。自然災害と戦争以外で、この根源的権利が極めて広範に奪われるという事態を招く可能性があるのは原発事故のほかは想定しがたい。」と断定した。福島原発事故の反省に立ち、目の前にある事実をしっかりと踏まえた内容である。

3 250キロ圏内の住民に原告適格を認める
 判決は「原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難勧告する可能性を検討した。チェルノブイリ事故の場合の避難区域も同様の規模に及んでいる。」と述べ、その圏内の住民の原告適格を認めた。これまでは、裁判の度に、入口で「原告適格」を争われ、「当該住民の居住する地域と原子炉の位置との距離関係を中心として、社会通念に照らし、合理的に判断すべきものである」として、本来の原発の安全性論争に入る手前で訴えの資格があるかどうかという異様な消耗戦を強いられてきた。今回の判決はその「資格」を大幅に広げた。
 250キロ圏の危険を指摘したのは、事故当時の菅首相からの指示を受けて近藤駿介原子力委員長が作成した「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」であるが、(2011.3.25 http://www.asahi-net.or.jp/~pn8r-fjsk/saiakusinario.pdf)事故後10か月も経った2012年1月に情報公開されている。強制移転すべき地域が170キロ、希望移転区域が250キロにも及ぶ場合があると指摘している。チェルノブイリの教訓を踏まえてのシナリオである。
 
4 基準地震動
 基準地震動について判決は「日本の地震学会はこのような規模の地震の発生を一度も予知できていない。1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は不可能。国内最大の震度は、岩手・宮城内陸地震における4022ガル。地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは、根拠のない楽観的見通しに過ぎない。」と切って捨てた。これまで、原発は近隣の活断層のみに注目し、その長さによって基準地震動を算出してきた。基準地震動が定まらなければ原発の安全設計はしようがない。つまりお手上げである。かつて斑目原子力安全委員長は、技術はどこかで「割り切り」をするといったが、どこで「割り切る」かが問題である。統計学者の竹内啓氏は「地震については、その発生場所、時刻、大きさ等は、少なくとも現在の科学においては偶然的な要素を含むと考えざるを得ないし、従って過去の観測データについていくら多くのデータを集めても確実な予測は不可能である…そのような『確率』が何らかの形で自然現象としての地震に関して客観的に存在すると考えることはできない。それは地震の発生に関する人間の判断を表すものであり、ある意味では主観的なものといわねばならない」(竹内啓「ビッグデータと統計学」『現代思想』2014.6)としている。統計学的には地震の『確率』はあくまでの学者の『希望的確率』に過ぎないのである。それをあたかも科学的・客観的データであるかのように装い、押し付けてきたことにこそ問題があるといわねばならない。
 
5 使用済み核燃料プールの危険性
 判決は「使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたとき、敷地外への放出を防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。全交流電源喪失から3日たたずしてプールの冠水状態を維持できなくなる危機的状況に陥る。使用済み核燃料プールの事故は、国の存続にかかわるほどの被害を及ぼす。」と指摘している。事故直後、米国から4号機プールに水がないと指摘され、また、日本存亡の危機として3号機プールに対して自衛隊や東京消防庁が命がけの放水を行ったが、この3年間、政府は意図的に燃料プールの危険性を忘れさせようとしている。
 戦時中、理化学研究所の仁科芳雄や湯川秀樹・武谷三男らは、水31キロに濃縮ウラン11キロを混ぜれば普通の火薬の1万トンに相当する原爆を製造できることを研究したが(中日「日米同盟と原発」2013.8.16)、3%程度の低濃縮ウランでも原爆ができることを実証してしまったのが福島原発事故である。「原子力発電=平和利用」という建前を通してきた米国や日本政府にとってこの実証はあまりにも具合が悪い。使用済み核燃料プールは現在止まっている全ての原発に大量の使用済み燃料を抱えたまま何の防護もなく現に存在している。原発の根本的弱点である。福島第一原発4号機燃料プールからの使用済み燃料の取り出し作業は、共用プールが一杯で移送ができないとして6号機プールに移送することになったが(日経:2014.6.19)、これでは、福島第一原発の事故対策はほとんど止まってしまう。
 
6 国富の損失とは
「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題などとを並べて論じるような議論に加わること自体、法的には許されない。多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではない。豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富で、これを取りもどすことができなることが国富の喪失となる。」これは先に閣議決定された『エネルギー基本計画』の「化石燃料への依存の増大とそれによる国富の流出、供給不安の拡大」という見出しで「原子力を代替するために石油、天然ガスの海外からの輸入が拡大することとなり、電源として化石燃料に依存する割合は震災前の6割から9割に急増した。日本の貿易収支は、化石燃料の輸入増加の影響等から、2011年に31年ぶりに赤字に転落した後、2012年は赤字幅を拡大し、さらに2013年には過去最大となる約11.5兆円の貿易赤字を記録した。貿易収支の悪化によって、経常収支も大きな影響を受けており、化石燃料の輸入額の増大は、エネルギー分野に留まらず、マクロ経済上の問題となっている。」という論調への根本的批判である。判決が国家政策に対しここまで明確に言い切ったことはかつてなかった。『エネルギー基本計画』を書いた官僚・「有識者」たちは国土や国民・人の命よりもカネを重視する亡者・魑魅魍魎以外のなにものでもない。この国の支配層はいつから国土や環境・文化や人・技術といった「ストック」を重視せず、カネという「フロー」のみをありがたがるようになったのか。

7 一審判決を頭から否定する関電・政府・県
 判決に対し、関電の八木社長は5月27日、規制委の安全審査・地元の同意さえあれば、控訴審判決前でも再稼働をすると会見で述べた。菅官房長官は再稼働の「政府方針は変わらない」とし、茂木経産相は規制委の新基準に適合した原発から再稼働するとした。また、西川福井県知事は一審判断だから(二審で引っ繰り返せる)と述べている。
 福島第一原発から250キロ圏内には東京を中心とする首都圏がスポッと入る。当時の菅首相は首都圏3000万人避難計画も考えたという(AERA 2011.11.7)。むろんそこには国会・政府機関も皇居も入る。そのようなシミュレーションが行われたことをたった3年で忘れたかのように原発の再稼働を進める輩は、国土や国民には全く関心はない。あるのはカネへの執着心のみである。カネのためには国土や国民も売るという思考の持ち主であり、石原環境相のように他人(福島の住民)も自分のようにカネ目当てだと本気で思っている。国民の生身の生活に関心がない輩とは、生活の物的基盤や国境などを考慮せずカネのみを唯一の基準として、儲かると見たらバクチだろうが詐欺だろうが他人の庭に土足で入り込み、儲からないと見たらさっと引き上げる世界を徘徊する国際金融資本や軍需資本の回し者である。
 我々は「日本は政策を自己決定出来る主権国家である」という前提で思考するから、国土が放射能に占拠され、国民の生命が侵されてもカネしか頭にない「ボーダレス」の官僚や政治家・学者・経営者・有識者の発言は、なぜ、同じ国民としてあのような不謹慎な発言をし、公約を破り、事故以前に発言していたことと正反対のことを言って平然としていられるのかと怒り、呆れ、失望し、意味不明に陥るが、日本がアメリカの属国であり、国際金融資本や軍需資本の手下であるという前提に立てば「彼ら」の話の筋立てはすっきりする(内田樹)。確か西川知事も事故直後には「最も重要なことは、福島第一原発事故を教訓としてその知見を安全対策に十分活かすこと」(2011.9.15)などと述べていたが、今日では事故の知見もさっぱり明らかになっていないにも関わらず再稼働を求めている。手下は親分の指示通りに動かなければならないものである。

 【出典】 アサート No.439 2014年6月28日

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【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(5) 

【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(5) 

▼ 前号で筆者は、都知事選をめぐって宇都宮陣営の選挙総括を取り上げ、「統一戦線形成に対する姿勢は全く変わってはいないし、前向きな変化も前進もほとんど見られない。」と書いた。ところがその後、『週刊金曜日』2014/5/16号、「風速計」欄で、同誌編集委員でもある宇都宮氏本人が「キリスト教徒も仏教徒も無宗教者も、保守も革新も、平和憲法を守るために、政治的、イデオロギー的立場を超えて手をつなぐことが重要である。私が好きな運動の格言に、「同質の集団の集まりは『和』(足し算)にしかならないが、異質の集団の集まりは『積』(掛け算)になる」という言葉がある」と書いておられる。この姿勢は、明らかに「異質の集団の集まりは『積』になる」という、統一戦線の本質を捉えた重要な洞察であり、「同質の集団の集まり」に取り込まれてしまっていた宇都宮陣営からすれば、遅きに失したとはいえ、候補者本人から発せられた重要で前向きな変化だと言えよう。
 「同質の集団の集まり」の域を出なかったこと、共産党が宇都宮氏の最大の支持政党に限定されてしまい、前回(2012年)宇都宮選挙より幅広い支持を得る統一戦線戦略を構築もできぬままに出馬を先行させ、結果として『和』(足し算)としても不本意な、1 万3 千票ほどの上乗せしかできなかった、『積』(掛け算)を獲得できなかったことの厳しい現実をこそ直視すべきであろう。
▼ いや、『積』を求める姿勢は以前から一貫しているというなら、どうしてこうした姿勢が、選挙前も、選挙期間中も、そして総括文書にさえも一言も反映しなかったのであろうか。今更悔やんでも詮無いことであるが、今後ますます統一戦線の重要性が高まる情勢に直面していることからすれば、そうした姿勢からの真摯な総括こそが求められるところである。
 ところで、同じ『週刊金曜日』2014/4/11号の「風速計」欄で、やはり同誌編集員でもある佐高信氏が「黒田喜夫の「除名」」と題して「先の東京都知事選で自民党は、自民党を批判したとして除名した舛添要一を支援した。除名によって純粋化し、狭くなる共産党となんという違いか。・・・「除名」ばかり続けていては「融通無碍」には勝てないだろう。」と指摘し、さらに佐高氏は、月刊『社会民主』2014/5月号の「佐高信の筆刀両断」で、「(2月)9日は都知事選。直前の『週刊現代』で誰に投票するかを問われ、細川護煕と答える。ココロは「私は小泉政権に異議を唱えたが、今回は眼をつぶって細川氏の原発問題のみならず、安倍政権の暴走にストップをかける役割を重視したい。政権に立ち向かえる候補者は彼だけ。」」と、自らの立場を鮮明にしている。2012年の都知事選では宇都宮氏を支援したであろう佐高氏が、今回は細川氏を支援した、そうした人々が多数存在したことの意味が深く問われるべきであろう。
▼ さて、その細川護煕氏を支援した「脱原発知事を実現する会」(細川勝手連、代表世話人 鎌田慧、河合弘之、両氏)も5月に入って、「脱原発に希望はあるか ―都知事選を振り返って―」という文書を公開している。
(http://nonukes-tokyo.org/post/87167259164/1)
1.脱原発勢力は敗れてはいない
2.細川護熙候補の敗北の原因をさぐる
3.脱原発候補の一本化について
4.選挙の敗北を噛み締める
5.運動の展望を見出すために
 と題して、1.の項では、「投票者数は前回よりも157万票減ったが、舛添+田母神票は猪瀬氏と比較し160万票も票を減らしている。つまり脱原発を政策とする候補に投票した人たちが2倍になっただけではなく、自民・公明・石原派が大きく後退している。そして、前回の脱原発票は宇都宮票(97万票)に集約されていたのだが、細川氏の立候補によってそれとほぼ同数の脱原発票が新たに上乗せされてきたことは、保守からの脱原発への参加の成果として高く評価されるべきであろう。」「脱原発票は進展したか、脱原発への希望はあるかといえば、まさにイエス!!である。それに付け加えるならば、舛添氏に「私も脱原発」といわざるを得ない状況にさせたことは、細川氏の立候補とその原発ゼロ政策にある。我々の戦いは進んだ。」と総括する。舛添氏に「私も脱原発」と言わせたのは、細川氏の立候補であったことは論を待たないであろう。
▼ 「脱原発候補の一本化について」では、「脱原発を希望する多くの都民、そして全国の人々から「脱原発候補を一本化できないのか、脱原発票が割れて細川+宇都宮の票が舛添を上まわるのに舛添が当選したらどうするのか」、という声が届いた。その声は非常に広範かつ強いものであり、到底無視できるものではなかった。脱原発運動にかかわる者として、この強い要請の声に誠実に対応せざるを得ないと、我々は考えた。」「脱原発候補の一本化への要請は迷っている脱原発志向の都民から、そして全国の脱原発を願う人々、有力な知識人、社会運動家から殺到していた。」
 しかし「脱原発候補の一本化の試みは最終的に失敗に終わった。振り返ってみると、我々の「脱原発候補一本化」の願いは脱原発を願う圧倒的市民、知識人からの支持、要求があったにも拘わらず両候補からは顧みられることは全くなかった。この根本原因は、①宇都宮氏が政党の推薦を受けつつ早期に立候補を宣言して運動を展開したこと。②細川氏が立候補を決意し宣言したのが遅すぎたため、立候補宣言の時点では既に宇都宮氏に立候補取りやめを要請できるような情勢ではなく、また細川氏としてもそのような要請をする意思がなかった。以上の二つのことにある。」と振り返っている。苦々しい、厳しい現実である。
 総括文書は最後に「今回の都知事選挙において、従来の脱原発運動のグループの間で、すなわち宇都宮支持グループと細川支持グループの間で若干の摩擦や感情的行き違いがあった。しかし双方ともフェアに戦ったので回復不能な亀裂ではない。我々は数十年の間、連帯して戦ってきたので再び力を合わせて脱原発実現を目指して前進すべきである。脱原発運動には希望がある。」と結んでいる。「再び力を合わせて前進すべきである」とする姿勢は高く評価されるべきであろう。
▼ 脱原発候補の一本化にギリギリまで奔走されていた鎌田慧氏は、そのさなかの2014/1/28付東京新聞「本音のコラム」欄で、ディミトロフの統一戦線論に触れておられる。
 「ゲオルギー・デミトロフは、1933年2月のドイツ「国会議事堂放火事件」の容疑者として逮捕された。が、ナチスの共産党弾圧を引き出すための、自作自演のでっち上げだった。ナチスの法廷に引き出されたデミトロフは、徹底的に陰謀を論証して、翌年には無罪を勝ち取っている。
 しかし、名前が記憶されているのは、国会放火事件によってではない。その二年後に行われた、「コミンテルン大会」での演説によってである。彼は独善的で公式的、現実には全く通用しない、排他主義的な同志たちを批判、大胆な反ファッショ統一戦線の結成を呼びかけた。ナチスと対抗するための、多様で広範な、民主主義のための共同行動を熱烈に訴えた.その情景が「獅子吼」として語り継がれている。
 戦争に向かおうとしている、いまのこの危機的な状況にもかかわらず、広く手を結んで共同行動に立ち上がらず、あれこれ批判を繰り返している人たちに訴えたい。「いったい敵は誰なのか!」と。」
 鎌田慧氏の「いったい敵は誰なのか!」というこの必死の叫びが実を結ばなくては、その声に応えられなくては、「一点共闘の拡大」とか「国民共同行動の拡大」とか、いくら綺麗事で取り繕っても、その場しのぎで、実際には仲間内の主体形成を優先させる虚しい空文句でしかないであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.439 2014年6月28日

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【日々雑感】 Dデイと言うけれど! 

【日々雑感】 Dデイと言うけれど! 

 長々と投稿を休ませていただきましたが、久々に記事を書かせていただきます。
 今月は6月なので、6月に関連した記事です。1954年6月6日はDデイ、ノルマンディー上陸作戦の日、この日から毎年、新聞、ラジオ等各メディアは6月6日をDデイを記念する日として取り上げてきましたが、私は何か違和感を、ずーと持ち続けてきました。確かにDデイは、ファシズムを終結させた重要な出来事ではありますが、それだけではないと思います。
 ヨーロッパの解放で重要な役割を果たしたのは、レニングラードの大攻防戦だったと私は思います。2500万人以上の(一説には2700万人とも言われる)犠牲者を出し、ソヴィエトという国を守り抜き、ファシズムからヨーロッパを解放した戦いであったと思います。こんな国は外にはありません。
 先日もテレビでDデイを取り上げておりました。1500余の墓標を映し出して連合軍を讃えておりましたが、やはり私は、それだけではなかったんだよという思いをぬぐいきれません。
 一旦、ファシズム体制になれば、これ程までに犠牲者を出すのだという教訓を、国民一人ひとりが持たなければならないと思いますが、最近の日本国内の動きは逆行しているようです。報復主義的な昔返りの考え方が横行し、平和憲法どこ吹く風という状況が生み出されようとしています。
 安倍、橋下、石原といった、与党や癒党の人間に対し、まだまだ立派な政治家は数多くおられるので、そんな人々と共に歩んでゆきたいと思っております。(2014年6月18日 早瀬達吉)

 【出典】 アサート No.439 2014年6月28日

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【コラム】ひとりごと—介護保険制度 27年4月改正の意味— 

【コラム】ひとりごと—介護保険制度 27年4月改正の意味— 

○6月18日、来年4月からの介護保険制度の改正が国会で決まった。主な内容は、所得のある高齢者(年金280万円以上)の介護保険負担を現行1割から2割に値上げすることや、特養入所者の食事負担などの軽減措置について、資産割り(預金1000万円以上保有者)を導入し、廃止するなど、負担増と給付削減が主な内容と言える。○また、来年は3年に一度の「高齢者福祉計画」の改定期にあたり、当然介護保険料も改定され、値上がりするのは確実であろう。○消費税増税分を社会福祉財源に充てるという「言い訳」は、今回の改革では、何も見えてこない。(住民税非課税世帯の保険料について、軽減措置を講ずるというくらい)。○さらに、大きな改定は、要支援認定者へのサービスを、介護保険制度から切り離し、市町村事業とするというもの。介護保険制度導入時は、5段階であった介護認定は、6年前から要支援1,2が追加され、7段階になった。今度は、介護予防中心の2段階について介護保険制度ではない、市町村の独自事業とする。おそらく市町村事業と言っても、直営で行うわけではない。福祉団体やNPOに委託ということになるが、現行のサービスが提供できるか、何の保証はない。○高齢化の進展による医療・福祉への支出が増え続けており、抜本的な対応が求められていることは論を待たないが、今回の改正は「給付の抑制」と、「取れるところから取る負担の増」を目的にしている点のみと言うのでは、評価できる内容とはとても言えない。○かつて介護保険の導入は、寝たきりゼロを目標に、「社会的入院」を無くして「地域福祉」の流れを作ろうとした制度である。○一方、当初は様子見だった医療機関も、介護事業に乗り出し、病院と介護施設を行き来させ、収益の増加のみを追求し始めた。益々、高齢者の医療費と介護費用が増大することとなっている。○グループホームなどへの訪問医療も、これまで同じ施設内で一度に何人診ようが、高い医療点数だったが、今年から、同一施設内での診療は点数が引下げられ、「介護施設」と医療機関のぼろ儲けは解消された。「貧困ビジネス」と組む医療機関への抑制策だが、確かに、一部だが「改善」は進められているようにも見える。○筆者にも、制度の抜本改正のプログラムはまだ描けていないが、国の制度は制度として、各地方自治体が独自の介護予防策や実践を積極的に展開し、給付の抑制と負担増だけではない高齢者・介護政策を現場から提案できるかどうかが問われているようにも思える。○人口減少と高齢化の進展は、もはや避けては通れないばかりか、正面から取り組むべき課題である。元気な高齢者の活躍の場を作ることや、介護保険利用を遅らせ、負担の少ない介護予防の実践で、介護保険も含めた高齢者関連予算の伸びを抑える政策が必要だろう。○一方、依然介護職場の労働者の労働環境は厳しい。ヘルパー単価にしろ、夜勤等も含めた施設勤務者の労働条件も、改善が進んでいるとは言い難い。多くの職場では、職員の入れ替わりが頻繁だと言われている。疲弊した介護現場では、適切な介護が果たして提供できるのか。○介護と医療は、成長分野と言われるが、資本にとって金儲けができるという意味での「成長分野」なのか。○今度の改正によっては、介護保険制度の根本的な展望は全く見えてこないのである。(佐野)

 【出典】 アサート No.439 2014年6月28日

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【投稿】「国権の発動」めざす安倍政権

【投稿】「国権の発動」めざす安倍政権

<「交戦権」確立へ>
 5月15日、安倍総理は「安保法制懇」の提出した報告書(以下「法制懇報告」)を受け、記者会見を開き、集団的自衛権の解禁に向けた憲法解釈の変更を今後は政府・与党レベルで進めていくことを明らかにした。
 法制懇報告では「日本の安全が個別的自衛権の行使だけで確保されるとは考え難く、(憲法が許容する)必要最小限度の措置に集団的自衛権の行使も含まれる」と述べ、「専守防衛」の放棄を明らかにした。
 これまでの必要最小限度の措置とは、日本の領土に「敵国」が侵攻した場合、これを排除するための武力行使ということであるが、法制懇はこれを「時代遅れ」として切って捨てたのである。
 しかし、いつの時代でも、どこの国でも「国防の基本」は敵の直接的侵攻に対する個別的自衛権であり、それでは対処できない場合に集団的自衛権、一般的には軍事同盟の発動という段階を経るものだ。
 それを「必要最小限」という枠組みに「個別」「集団」という全く違うレベルの措置をねじ込むのは、まったく乱暴な議論の組み立てである。
 法制懇報告の基本は、要は「現行憲法の下でも時の内閣の任意で軍事行動が可能」ということであるが、あまりにむき出しの「交戦権の容認」を糊塗するため、発動の条件として以下の6項目が示された。
 集団的自衛権発動の条件として①密接な関係にある国への攻撃が発生②放置すれば日本の安全に重大な影響を及ぼす③攻撃を受けた当該国からの要請④第3国の領域通過には当該国の許可が必要⑤国会承認⑥政府の総合的判断、が必要とされている。
 しかし、これらの規定は極めて曖昧で実質的な歯止めにはなっていない。密接な国とはどこなのか。「密接な関係」の内容がそもそも不明確でありどのようにも解釈が可能だ。
 たとえば、現在可能性はないが、南シナ海で中国とベトナムやフィリピンとの衝突がエスカレートし、自衛隊に派遣要請があった場合、内閣の判断で発動条件はすべてクリアできることになる。
 また、朝鮮半島有事でも、現状では韓国から日本に自衛隊派遣を要請することは考えられないが、在韓米軍の出動をもって「密接な関係にある国への攻撃」と解釈することも可能である。
 そもそも「当該国からの要請」も怪しいものがある。日本から当該国に「要請を要請する」ことも十分考えられる。
 さらに「第3国の領域通過」も「国会の承認」も事後承諾を否定していない。
 太平洋戦争劈頭、日本軍はイギリス領マレー半島攻略に際し、隣接するタイ王国の事前承諾なしに、同国内に上陸、通過した実績を持つ。
 このように発動条件は極めて恣意的な運用が可能なものとなっている。法制懇は否定するが事実上「国権の発動」「国の交戦権」行使に道を拓くものとなっている。

<有りえないシナリオ>
 法制懇報告では集団的自衛権の発動が考えられる事例に加え、いわゆる「グレーゾーン」を含めた、軍事行動が考えられる類型・事例に関しても提示した。これに関しては「フリーハンドを確保するため、具体的な事例は提示しない」という動きもあったが、それでは国内はもとより国際社会からの強い疑念を抱きかねないため、安心材料として示されることになった。
 法制懇報告は「我が国として採るべき具体的行動の事例」として①近隣有事の際の船舶検査やアメリカ艦艇の防御②アメリカが攻撃された場合の支援③シーレーンでの機雷除去④湾岸戦争のような国連の決定に基づく参戦⑤領海内から退去しない潜水艦への対応⑥離島などでの武装集団の不法行為、を例示した。
 しかしこれらは、先に述べた「南シナ海事案」に比べても、発生可能性の極めて低いものである。①については、朝鮮半島で本格的な武力衝突が発生した場合、北朝鮮が第3国から兵器を輸入することなど考えられない。北朝鮮の周辺海域は戦闘区域となり、主要な港湾は機雷封鎖されるからである。
 可能性があるのは中国経由の陸路であるが、中国がそうした支援を行うとは現状では考えられない。逆に言えば補給路が絶たれた状態で、北朝鮮が「第2次朝鮮戦争」のような軍事的冒険主義に走ることはないだろう。
 朝鮮有事に関して安倍総理は記者会見で「お父さん、お母さん・・・子供たちが乗っているアメリカの船を(今のままでは)守ることができない」と国民の理解を求めた。
 しかし「第2次朝鮮戦争」下ではアメリカ軍の揚陸艦や輸送船はアメリカ、日本と韓国の間での兵員装備の輸送が任務であり、災害支援のようにはいかないのである。
 いきなり邦人がアメリカ艦船に乗船している場面から説明するのは空論というものであろう。自衛隊は有事に備えて民間フェリーの借り上げを予定しているのだから、それを使うのが先だろう。
 ②についても「アメリカを弾道ミサイルで奇襲攻撃するのは北朝鮮」という都合の良い設定である。核弾道ミサイルの戦力化をなしえていない国の動向を心配するなら、すでにICBMを多数配備している中国やロシアはどうか。
 とりわけ中国との緊張激化をアメリカを巻き込んで進め、⑤、⑥では中国を念頭に置いているのであるから、北朝鮮への支援の可能性も含めそうした場合の対応を示すべきだろう。
 その⑤、⑥は警察権では対処不能で防衛出動には至らないグレーゾーンとされているが、潜水艦と武装勢力では全く性質の違うものである。
 法制懇報告では「潜水艦が執拗に(領海内を潜航して)徘徊を継続するような場合に『武力攻撃事態』と認定されなければ潜水艦を強制的に退去させることは認められていない」としているが、能登半島沖に出現した北朝鮮の工作船に対しては、海上警備行動によって護衛艦の艦砲射撃と哨戒機の空爆が行われ、工作船は遁走した。 
 「尖閣諸島に漁民に偽装した中国軍が上陸」というのは想定を通り越した妄想である。確かに中国軍は一部の漁民を民兵として組織しているが、これはアメリカの「州兵」と同様、国軍の制服、装備を装着した部隊であり、法制懇報告の想定する「便衣兵」とは違うものである。
 そもそも、中国がそのような作戦を行うメリットがない。尖閣諸島を実効支配しようとすれば、海自を排除するための本格的な派兵が必要となろう。
 法制懇報告書では「海上警備行動」「治安出動」で対処できるが時間がかかるとしている(実際は海保でも対処可能。武装勢力の武器は最大限携帯ミサイルだが、巡視船の40ミリ機関砲はアウトレンジできる)。時機の問題だとすれば、自衛隊法に「領域警備活動」のような新たな条項を加えても同じことではないか。
 CNNによれば、アメリカでは国防総省が「ゾンビ襲来」に備えて、ゾンビの種類、誕生の仕方、軍事作戦の遂行、ゾンビの倒し方など詳細な対応策を策定していたことが明らかになった。
 国防総省によると、訓練用の架空のシナリオを実際の計画と勘違いしないよう、あえて全くありえないシナリオを採用したとのことである。「武装集団の尖閣上陸」も同様のレベルであるが、日本は「本気」で想定しているところが恐ろしい。

<平和的解決の放棄>
 集団的自衛権を巡っては政府、自民党内で「全面解禁」を目論む安保法制懇-石破幹事長ラインと「部分解禁」の内閣法制局-高村副総裁ラインが駆け引きを展開してきた。
 この相違点は前者の「どこでも、だれとでも」か後者の「日本近隣、アメリカ限定」かというスタンスである。
 安倍総理は記者会見で、法制懇報告を受けて政府として研究を進めると述べたが、集団安全保障にかかる「武力行使と一体化した支援活動」「多国籍軍参加やPKOでの無制限の武器使用」については採用しないことを明らかにした。
 「地球の裏側にもいくのか」との批判を浴びたことも有り、現時点では「どこでも、だれとでも」は否定された格好だ。
 しかし早速、石破幹事長は17日、読売テレビの「ウェーク」で、「国連軍とか多国籍軍、その前段階のものができた時に日本だけは参加しませんということは、国民の意識が何年かたって変わった時、(政府の方針も)変わるかもしれない」と発言、次期以降の自民党内閣でまた憲法解釈が変更される可能性に言及した。
 法制懇-外務省も、「多国籍軍の戦闘部隊への参加は最後の最後になるかもしれない」(北岡伸一法制懇座長代理)と述べるなど、徐々に範囲を拡大していく目論見であり、今後は「どこでも、米軍と」が目標になるだろう。
 安倍総理は「自衛隊が(たとえば)湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してない」と記者会見で明言したものの、憲法解釈を内閣の専任事項にしてしまった以上、別の内閣の判断を縛ることはできないのである。
 集団的自衛権を巡る論議に根本的に欠落しているのが、軍事衝突に至る以前の外交、政治努力による緊張緩和、平和的解決を進める戦略である。その道筋を指し示すことなく、とりわけ中国、韓国との関係修復をおろそかにし(日韓関係が改善されれば邦人避難を米軍に頼ることなくもないだろう)「仮想敵国」との対立が不可避であるかの前提で論議を進める安倍総理の姿勢は、いくら「再び戦争をする国になるとの誤解があるが断じてない」と叫んでみても空虚に響くだけである。(大阪O)

 【出典】 アサート No.438 2014年5月24日

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【投稿】「成長神話」と決別し、脱原発を「定常社会」への模索の第一歩に

【投稿】「成長神話」と決別し、脱原発を「定常社会」への模索の第一歩に
                              福井 杉本達也 

1 「成長がすべての怪我を癒す」というのは本当だろうか?
 安倍晋三首相は5月1日夜(日本時間2日早朝)、ロンドンの金融街シティーで講演、経済成長の実現に向けて原発再稼働を進める方針を明言した。経済成長には安定的で安いエネルギー供給の実現が不可欠とし「世界のどこにも劣らないレベルの厳しい安全基準を満たした原発を慎重な手順を踏んで再稼働させる」と表明。英国と技術開発に取り組む考えを明らかにした。(2014.5.2共同)
 安倍は「経済成長」のためには原発の再稼働が必要だというが、そもそも、日本は今後「経済成長」するのだろうか。はたまた、「経済成長」することが日本の国民にとって良いことなのであろうか。「経済成長」さえすれば、雇用は拡大し、年金福祉の財源を確保し、格差を是正することができるのであろうか。「経済成長」がこれらの問題解決の決め手になるのであろうか。「成長がすべての怪我を癒す」というのは本当だろうか。

2 『ゼロ金利』は資本主義卒業の証
 日本の10年物国債は0.6%台、10年物米国債は2.6%前後で推移している。不透明な米景気、低めの物価、「安全資産」の絶対的不足などが低金利の要因といわれているが、長期利子率の低下は、投資をしてもそれに見合うだけのリターンを得ることができなくなったからである。IMFによると、先進国の「需要不足」は110兆円にのぼるといわれる(日経:2014.5.12)。「需要不足」という言葉からは、あたかも需要を喚起できるかのようであるが、実際はそれだけ生産設備が余っている「過剰生産」ということである。資本主義とは資本を投下し利潤を得て資本を自己増殖させるシステムであるが、自己増殖の『対象』である投資先がなくなったのであり、そのために膨大なカネ余り現象が生じており、カネが余っているから、「歴史的低金利」になり、リターンが少ないから、よりリスクの少ない(=より金利の低い)国債で運用せざるを得なくなっているのである。水野和夫氏は「ゼロ金利は資本主義卒業の証」と書いている(水野:『資本主義の終焉と歴史の危機』)。

3 イノベーションでも経済成長しない
 「経済発展は、人口増加や気候変動などの外的な要因よりも、イノベーションのような内的な要因が主要な役割を果たす」と述べたのは経済学者のシュンペーターである。2014年度予算の解説では「競争力を強化し、民需主導の経済成長を促す施策」が掲げられ「科学技術の司令塔機能強化」として、「戦略的イノベーション創造プログラム」に500億円を計上している。また、2013年度補正予算では「革新的研究開発推進プログラム」として550億円が、また、「イノベーション創出に向けた科学技術研究開発の加速」として622億円も計上している。予算取りの理屈として「イノベーションとは、技術の革新にとどまらず、これまでとは全く違った新たな考え方、仕組みを取り入れて、新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことである。このためには、従来の発想、仕組みの延長線上での取組では不十分であるとともに、基盤となる人の能力が最大限に発揮できる環境づくりが最も大切である」(『イノベーション25』閣議決定)と解説する。『イノベーション』・『技術革新』で成長するというのは単なるこれまでの『物語』であり、21世紀の今日では幻想に過ぎない。何の根拠もない。そもそも、リスクだけが異常に大きく、リターンが見込めないからこそ政府が金を出しているといえる。国家が科学研究に莫大な投資を行い、それで経済成長を図る。その20世紀のイノベーションの最たるものが核開発であり、アインシュタインの相対性理論や素粒子理論を駆使して「経験」ではなく「理論」から「演繹的」に核兵器を作り上げはしたが、そのエネルギーの取り扱いに失敗したのが福島原発事故であり、経済発展どころか、いま我々に膨大な負債を残しつつある。

4 福島第一原発事故処理にどれだけの金がかかるか
 政府の26年度復興特別会計予算では、「原子力災害復興関係経費」として6,523億円が計上されている。内訳は、除染(放射性物質汚染廃棄除染(放射性物質汚染廃棄物処理を含む)として3,912億円、中間貯蔵施設の整備に1,012億円、福島再生加速化交付金等(早期帰還支援・長期避難者支援)1,186億円となっている。この他、凍土方式の遮水壁など汚染水処理対策事業に206 億円(25年度補正)、廃炉・汚染水対策事業に479 億円(25年度補正)、原子力損害賠償支援機構への交付金として350 億円、原子力損害賠償支援資金の積増しが 225 億円、原子力損害賠償支援機構向け交付国債の発行限度額引上げとして+4 兆円(現行5 兆円)=9兆円という数字である。建前上は特別会計の金は貸し付けるだけで電気料金から戻ってくる計算になっているが、電気料金を無限大に値上げするわけにはいかない。事実上破綻している東電に返す金などない。全て一方通行になる金である。 今後どれだけの金を投入するか(できるか)は計算もできないが、1つの試算としては、ウクライナが国家予算の10%をチェルノブイリの事故処理に投じてきたことなどから、一般会計の1割=10兆円程度を見込む必要があるかもしれない。こうした経済負担は医療・福祉・教育をはじめ他の経費に重くのしかかることとなる。需要は①「消費」、②「投資額」、③「政府投資額」、④「海外からの需要」の4つから構成されるので、原発事故処理の負担が膨大になれば③が大きく減ぜられることとなる。

5 より成長しようと欲した先に原発事故
 経済成長するとは「より遠く、より速く」行動するこということであり、そのためにはエネルギーの消費が不可欠である。もっと成長をしようと欲することは、資源をもっと使おうとすることである。石油や石炭などの化石燃料は数億年かけて生物の死骸などが地下に積み重なったものである。それを我々はこの数百年で食いつぶそうとしている。化石燃料はいずれ枯渇するから『永久エネルギー』としての核エネルギーに手を出し、最終的に制御できずに爆発したのである。『永久エネルギー』は『永久負債』に転化してしまった。

6 日本の人口は減少に転じた
 既に藻谷俊介氏や広井良典氏・伊東光晴氏などから指摘されているように、日本の総人口は2004年にピークに達し、2005年から減少傾向に転じ、2050年には1億人を切るといわれている。人口増加率が低いと自然成長率を制約する。日本では総人口より先に1995年から生産年齢人口が減少に転じており、自然成長率はマイナスへと転じることとなる。旺盛な消費の主体である生産年齢人口の減少は国内需要を減少させる。自動車産業を見れば歴然である。国内の生産台数は伸びていない。頭打ちから減少傾向である。リーマンショックの2008年まで年間1000万台を超えていた生産台数は、2012年には840万台にまで減少している。

7 いまだ『成長』への幻想を引きずっていた都知事選
 都知事選の宇都宮健児陣営の責任者であった、反原発の弁護士:海渡雄一氏は選挙総括で「舛添さんがなぜ当選したのか。彼が福祉の『プロ』だという評価…それを突き崩すためには、きちんとした政策論争をするしかない。…原発やエネルギー政策は重視する政策としては三番目で福祉や雇用政策を最優先に考える…細川さんはそこを最初から放棄してしまった」(『世界』2014.4「都知事選をめぐって―脱原発運動のために」)と述べている。海渡氏は「福祉」と「脱原発」は重ならないものとみているがそうではない。資本主義システムは無限の膨張を「善」としてきたが、無限の膨張を「保証」する『永久エネルギー』としての原発も「善」としてきたのである。
 資本主義は常に前進あるのみで、空間が無限であることでしか成立しえない。しかし、既存の実物経済では高い利潤を得ることは不可能になった。そこで、新たに電子・金融空間での収奪が行われることとなったが、リーマンショックではそのバブルも破綻した。
 「サブプライムローン」などを設定された最弱の貧者は自己責任で住宅を奪われ、最強の富者は公的資金で財産保護が行われた。富者と銀行には国家社会主義で臨むが、中間層と貧者には新自由主義で臨む」(ウィリッヒ・ベッグ)。資本と労働の分配構造は破壊され、労働は派遣・非正規労働者として新自由主義の真っただ中に投げ込まれ、労働側からの収奪が行われ、景気回復は資本家のためのものとなった。年収100~200万円では労働者の家族形成(再生産)はできない。使い捨てられる労働に未来はない。資本主義の「強欲」が「未来からの収奪」として、将来の需要を過剰に先取りした。その成長のためとして、わずか数十年の電気のために福島など東日本の住民の生活を奪い、数万年にもわたり管理しなければならない放射性廃棄物を抱えることとなった原発は「未来からの収奪」の最たるものである。
 いま必要なことは「福祉や雇用政策を最優先に」成長願望を唱えることではなく、成熟社会に見合った政策であり、人口減少社会に軟着陸するための叡智である(伊東光晴『世界』2014.3)。脱原発諸運動は今すぐ『未来からの収奪』・『成長神話』と決別しなければならない。 

 【出典】 アサート No.438 2014年5月24日

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【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(4)

【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(4) 

▼ 前号で筆者は「勝敗を決する決定的問題」として「統一戦線の政策課題」を取り上げ、安倍政権に対抗する陣営が「原発ゼロ政策と成長政策を結合させる基本姿勢」、「雇用を拡大させ、窮乏化にストップをかける、そうした根本的転換を促進する具体的政策」、「デフレ経済下で進行する貧困化と格差の拡大を克服する戦略」、「その実現に向けた政策提起も、それを中心に据える統一戦線戦略も提起しえなかったところに最大の政治的・政策的敗北の原因があった」と指摘した。
 4/6の京都府知事選に引き続いて、4/27投開票の鹿児島2区補選と那覇市長選の結果は、残念ながらその指摘を再び強調せざるを得ない事態である。それぞれに様相が違うとはいえ、さすがに沖縄では反自民統一戦線が形成され、肉薄はしたが、鹿児島では全くバラバラで、いずれも自民党候補に勝利をもたらした。
 外交評論家の天木直人氏は自身の4/28付ブログで「絶望的な今の日本の政治状況を見せつけた二つの選挙」と題して、「それにしてもきのう4月27日に行われた鹿児島補選と那覇市長選の結果には、あらためて失望した」として、「選挙違反で失脚した自民党候補の後任を選ぶ選挙であるにもかかわらず、自民党候補が勝った」、「オール沖縄が普天間基地移転反対であるはずなのに、移転容認の市長が誕生した」「国民の期待を担って政権交代を果たした民主党は、3年間も権力を掌握したにもかかわらず自滅してやすやすと安倍自民党政権を復活させた。しかも野党になって、党勢を立て直すどころかますます迷走し、国民を裏切り続け、沖縄市長選に至っては自民党候補を支持する始末だ。その無責任さは万死に値する。もう一つの野党である共産党は、「自民党に正面から対抗する唯一の野党」を売り物にして自画自賛を繰り返す。安倍自民党政権を倒すべき野党共闘を拒み続けている。今度の鹿児島補選でも敗北が目に見えているのに独自の候補を立てて惨敗している。その共産党の真骨頂があの東京都知事選における共闘拒否だ」と述べ、そして最後に「私は単純に、民主党と共産党にこそ、自民党をここまで復活させ、野党を多弱にしてしまった大きな責任があると思う。今の政治状況はまさしく絶望的だ。それでも絶望してはいられない。どうすれば今の絶望的な政治状況が変えられるのか。名案があったら教えてもらいたい」と結んでおられる。
▼ こうした指摘は確かに正鵠を射ているのであるが、「野党多弱」の根本原因が、統一戦線姿勢の欠如のみならず、その政治的経済的政策課題提起において、アベノミクスの一人勝ちを許すような「成長抑制」路線をしか提起できなかったところにあることを指摘する論者やそうした視点に基づいた総括は極めて少ない。
 先の二つの選挙においても、自民党候補はいずれも、彼らが推し進める原発再稼働(鹿児島・川内原発)や辺野古移設容認問題(沖縄)が選挙の争点になること自体を徹底的に避け、消費税増税やTPP、集団的自衛権の行使容認、武器輸出三原則の廃止、緊張激化・軍国主義化政策など問われるべき国政の重要政策を決して真正面には掲げず、沖縄では失業率が高く、所得水準が低い現状を「革新不況」などとデマり、アベノミクスと地域経済への財政・予算支援、経済振興策に期待を抱かせる選挙戦略を徹底して、論戦を避け、逃げを図り、またそうしなければ勝てなかったのがその選挙戦の実態であり、それはとても安倍政権の「信任選挙」などと言えるものではなかったのである。
 このような安倍路線に対して、疲弊し衰退し、大きな地域格差に苦しむ地方に予算をつぎ込み、経済を活性化することを、その実態と対置すべき中身で批判するのではなく、ムダなバラマキとしか批判できず、緊縮財政路線と成長抑制路線を事実上容認するような現在の野党の路線では勝てる選挙であっても勝てないのは自明である。
 アベノミクスは「成長政策」と称しながら、最低限の経済成長にさえ打撃を与え、低所得層に最も苦難を強いる消費税増税を強行し、非正規雇用をさらに拡大させ、生涯低賃金の「生涯派遣」を強いる雇用の規制緩和や、いつでも自由に金銭解決で解雇できる「解雇特区」、さらには際限なく働かせる「残業代ゼロ」案を「成長戦略の柱」と位置付ける、まさに「成長政策」とは対極にある成長抑制政策、勤労所得低下政策、貧困拡大政策なのである。彼らが喧伝するアベノミクスによる景気拡大の「トリクルダウン効果」(おすそ分け効果)などそもそも圧倒的多数の庶民層には存在しないし、ありえないのである。それは徹底した規制緩和と民営化による一部の独占資本・金融資本、特権層・富裕層をさらに肥え太らせる、彼らのみが恩恵を受ける弱肉強食の自由競争原理主義=新自由主義・惨事便乗型資本主義による社会保障・社会資本切り捨ての格差拡大と全国民窮乏化政策なのである。
▼ こうした政策に対置されるべきなのは、消費税増税ではなく、格差拡大と所得分配の不平等化に対する富裕層の課税強化、所得税の累進税率の強化、そして実体経済を上回る投機的金融取引に対する課税強化、これによって持続的かつ安定的、そして十分な財源を確保できることを明示することである。
 こうした所得の再分配政策と同時に、3・11東日本大震災・原発事故が提起した原発ゼロへのエネルギー政策の根本的転換、原発依存の独占・集権型エネルギー政策から、再生エネルギーを促進する分権・分散型エネルギー政策への転換、一極集中から分権・分散・相互連携型のいのちと福祉と教育、自然環境を守る積極的経済政策への転換、それこそが雇用を拡大・安定させる政策であり、これを税政策、徹底した平和・善隣友好政策と結びつけることである。このような基本政策こそが、自民党の一方的勝利を許さない、安倍政権を孤立化させる、「今の日本の政治状況」に「絶望する」必要などない、現状を打破する対抗戦略として提起されるべきであろう。
 安倍政権の原発再稼働や集団的自衛権の行使容認、武器輸出三原則の廃止、9条のなし崩し憲法改悪、緊張激化・軍国主義化政策などはどれもこれも支持されておらず、これらに反対する意見が各種世論調査において多数派を占めていることは明らかであり、にもかかわらず安倍政権が持ちこたえているのはひとえにアベノミクス効果であり、微々たるものであれその総需要拡大効果なのである。これに対する対抗戦略を打ち出さずしては、支持できる選択肢を無きものとし、棄権の増大と投票率の低下をさらに促進し、安倍政権を退場に追い込むことは不可能であろう。こうした状況下での投票率の低下、棄権票の増大は、安倍政権の望むところであり、今や最大の政治勢力となった無党派層を無関心と棄権に追い込み、「多弱野党」のそれぞれは無党派層への魅力ある統一した働き掛けを放棄し、それぞれが「わが党こそが」という自己の勢力拡大、主体形成にのみ執心し、安倍政権を退陣に追い込むような強大な統一戦線の形成など視野の外に置かれる事態をもたらしてしまうのである。
▼ そして現実の政治状況においては、残念なことながらこうした対抗戦略、統一戦線戦略はなかなか現実化しそうにもない。
 都知事選をめぐって、宇都宮陣営の「希望のまち東京をつくる会」の「選挙総括(完成版)」が公表され(http://utsunomiyakenji.com/pdf/20140316soukatsu_final.pdf)、5月にはそれに基づいて地域集会も持たれ、宇都宮氏自身も参加、発言されている。表現は懇切丁寧であり、その真面目さや真剣さは伝わるのであるが、前号で紹介した統一候補や統一戦線形成に対する姿勢は全く変わってはいないし、前向きな変化も前進もほとんど見られない。
 この総括文書では、「2014宇都宮選挙の成果と教訓とは」と題して、「おおいに健闘した選挙でしたが、私たちの現在の力量では、まだまだ保守の岩盤を掘り崩すに至らなかったことを深く自覚したいと思います。そして、保守の厚い岩盤を掘り崩すことは、知名度やその時々の「風」に頼るのではなく、こつこつと市民運動を広げていく地道な、そして積極的な努力でしか達成できないということも、今回の選挙戦の重要な教訓であったと思います。」と述べて、「知名度」や「風」を獲得できなかった現実を反省するのではなく、悪の権化として唾棄する。
 そして「『一本化』論の幻想」の項では、「保守層の支持獲得を最大の大義名分として宇都宮さんの「合流」=立候補取り下げを迫った「一本化」論ですが、実際には、小泉流の劇場型選挙に頼る以外に戦略を持っていなかったというのが実情ではなかったでしょうか。明確な戦略が欠如したまま、形式的に「一本化」が実現しても、とうてい保守層に浸透することはできなかったでしょう。」と「一本化」への努力を突き放してしまい、統一して闘うことを放棄した言い訳、自己弁護に終始してしまっている。たとえ今回慌しい状況の中で不可能であったとしても、次につなげる統一戦線への意欲、姿勢、戦略も示し得ていない。
▼ この総括文書は最後に「私たちが今回得た最大の成果の一つは、まさにこの選挙戦を通じて得られた市民同士のつながりであり、「私たちは微力ではあるが無力ではない」という感覚にほかなりません。この感覚こそ、この社会で民主主義が再起していく上で決定的に重要なものだと私たちは感じています。結果は紛れもなく敗北でありましたが、勝利に向けた貴重な一歩を築いた選挙戦であったと、私たちは今回の選挙を総括したいと思います。」と述べている。
 選挙総括の最大の成果を、「微力ではあるが無力ではない」という感覚に収斂し、極めて主観的な仲間内の「感覚」を「決定的に重要なもの」とするようでは、「微力」を強力な力に変える、強力な力と結びつける、様々な思想・信条、党派や意見の相違を乗り越えた広範な統一戦線の形成など望むべくもない。つまるところは、自分たちの組織拡大に直接役立たないような統一戦線形成への努力などは放棄して、分かり合える者同士で、その「感覚」を共有できる仲間内で「こつこつと市民運動を広げていく地道な努力」をという主体形成論でしかなくなってしまう。
 こうした主体形成論こそが、実は統一戦線をかえりみないセクト主義の温床なのである。私たちは一貫して正しかったが、他が全て間違っていた、あるいは正しく対応してくれなかったなどとして、仲間内と身内びいきの自画自賛の論理で分裂と分断を正当化し、「こつこつと市民運動を広げていく地道な努力」を生かすことができず、出来かかった統一戦線やそれを実らせる努力をも踏み潰してしまっていることをこそ反省し、総括するべきではないのだろうか。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.438 2014年5月24日

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【投稿】「成長」か「脱成長」か –路線の選択について–

【投稿】「成長」か「脱成長」か –路線の選択について–

再度の政権交代によって安倍政権が成立して以来、1年6ヶ月が経過した。アベノミクス政策という、超低金利の継続と国債の無制限日銀買い取りなどによる円安効果で、一定の株価の回復や企業の業績改善を見たことで、円高による輸出産業などの低迷、90年代以来のデフレ進行による経済的な閉塞感は、国民の捉え方としては、やや改善し、政権基盤は安定したかに見えている。そして、安倍首相や自民党の悲願である憲法改正や「戦争のできる国」作りの第一歩とも言える解釈改憲による「集団的自衛権の行使容認」を閣議決定で進めようとするなど、右派政策の動きを強めている。安倍政権のこうした動きに対して、まだまだ広範な反対の意思表示は未だ弱いのが現実であろう(世論調査では、反対が過半数だが)。安倍政権の経済政策や極右路線に対して、左の側が十分に現在の右への流れへの対抗軸を明確に示せていないのは何故なのか。自民党やその亜流勢力の闊歩に対して、統一して対抗できる理念や政策が何なのか。このあたりは、今日や明日の戦術的議論ではなく、やや中長期的な戦略議論として、きっちりとした議論が必要だと思うのである。その一つが「成長」を巡る議論であろう。「成長路線」なのか、「脱成長路線」なのか、という問題である。
私の個人的な考えは、どちらかと言えば「脱成長路線」を選択したいと思う。本紙の寄稿者である杉本さんから本号に同様のテーマ設定で寄稿いただいている。「成長主義者」は原発推進者であり、脱原発を求める人々は、明らかに脱成長論。一方で、未だ国民の多くは、「経済成長がないと、社会は衰退する」との意識下にある。これらの意見や意識に、どう対抗していくのかが、求められているとも言えるのではないか。脱成長の中身を明確に、丁寧に語る必要があると思われる。
そこで、参考になるのが、水野和夫氏の最近の著書「資本主義の終焉と歴史の危機」(2014年3月集英社)であろうか。水野氏は、1995年以来の日本の低金利状態が示している事は、日本の資本主義が投資飽和状態にあること、さらにリーマンショックが明らかにしたように、金融資本や富裕層が、資産バブルを繰り返して、中間層を没落させつつマネーゲームで肥え太り続け、格差の拡大が止めどなく広がっている事は、資本主義がその終焉の時を迎えようとしていると分析した上で、資本主義がさらなる暴走の先に終焉を迎えるのか、何とか暴走を抑制しつつ終焉を迎えさせるのかの選択を我々に問うていると語る。暴走を抑制する考え方として、「脱成長」の一つのプログラムが本書で提示されている。
水野氏は、1000兆円の債務を抱え、人口減少期に入った日本には、マイナス成長ではないゼロ成長のプログラムが必要だとし、「ゼロ成長=定常状態」を維持するために必要な政策として、いくつかの提案をされているが、中々興味深いものがある。GDPの2倍もの借金がある日本国債がデフォルトを免れているのは、その大半が国内で保有されていること、さらに国内(国民)の金融資産が1500兆円あり、それが毎年増え続けている点を指摘され、ただ2017年頃その増加が減少に転じた時点で、国債の買い手が減少し、国債市場が不安定化するとも指摘されており、日本の財政収支の均衡化がなによりも急を要すると。そのためには、ゼロ金利の国債を国民は容認すべきであり、「国債=「日本株式会社」の会員権」と考えるべきだとも言われる。同様の主張は、森永卓郎監修の「『新富裕層』が日本を滅ぼす」の中にも、「無税国債」の提案として展開されている。無税国債とは当然無利子なのだが、所有者が亡くなった時の相続税は免除し、富裕層にもメリットを与えつつ、利子払いのない国債による財政安定化を図れというもの。
脱成長・ゼロ成長=定常状態(社会)を積極的に打ち出すためにも、こうした議論を進める必要があるのではないでしょうか。(2014-05-19佐野))

【出典】 アサート No.438 2014年5月24日

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