【書評】『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

【書評】『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
         (加藤陽子、朝日出版社、2009年、1,700円+税) 

 「ある一つの戦争が、講和条約の締結によって人々の記憶から忘れられたり、つぎの戦争がまたゼロ地点から始まったりする、などということは、およそ日本においては考えられないことでした。一つの戦争は、次の戦争とさまざまなかたちで結びつけられました。戦場と事変の勃発地点が重なり合うということで、日露戦争の記憶と満州事変の意義が重ね合わされて語られる一方で、日露戦争の戦死者の遺児が日中戦争に出征して負傷兵になったという家族を顕彰して、士気が緩みがちな日中戦争に日露戦争の栄光をすべりこませたりすることは、常態的になされていたことでした。/いわば、戦争で戦争を語る、戦争で戦争を説明するという行為が、自然に日常的になされていたのが、戦前期までの日本社会であったといえるでしょう」。
 これは以前、著者が以前の著作において語った言葉であるが(加藤陽子『戦争の日本近代史』、2002年、講談社現代新書)、本書もこの問題意識を受け継ぎ、戦争にいたる過程で為政者や国民が、世界情勢と日本の関係をどのようにとらえてきたか、すなわち日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)、第一次世界大戦(1914年)、そしてしばらく置いて満州事変(1931年)、太平洋戦争(1941年)とほぼ10年おきに戦争を続けてきた日本が、戦争を国民に説得するための正当化の論理をいかに構築・浸透させていったか、を年代史に従って実証的に検討する。
 そしてその際の視点となるのは、山県有朋がドイツの法学者ローレンツ・フォン・シュタインから学んだ、「主権線」(主権の及ぶ国土の範囲)と「利益線」(その国土の存亡に関係する外国の状態、後には「生命線」と呼ばれるようになった)の概念であり、これに基づいて日本の戦略を特徴づけたアメリカの研究者であるマーク・ピーティの次の言葉である。
 「近代植民地帝国の中で、これほどはっきりと戦略的な思考に導かれ、また当局者の間にこれほど慎重な考察と広範な見解の一致が見られた国はない」。
 「日本の植民地はすべて、その獲得が日本の戦略的利益に合致するという最高レベルでの慎重な決定に基づいて領有された」。
 朝鮮半島、台湾、満州、南洋諸島等々すべて、この安全保障上の視点から清露独米英等と争い領有したと、本書は見る。そしてこの目的のために国民間での意見の一致をいかに推し進めたかを裏付けて行く。
 各戦争の時期におけるプロパガンダなり新聞の論調なりは、本書に詳述されているので、そちらを見られたいが、ここではそのうちの一つを取り上げる。それは、満州事変と日中戦争時の状況である。
 1930年代の世界恐慌は日本にも波及し、その最も過酷な影響は、当時の就業人口の約半数を占める農村に出た。ところが戦前の政治システムの下では、これに対する社会民主主義的な改革への要求は、既成政党、貴族院、枢密院など多くの壁に阻まれて実現できなかった。このような時、この要求の擬似的な改革推進者として軍部が登場した。その主張は、国防は「国家生成発展の基本的活力」であるとして、「国民生活の安定を図るを要し、中就、勤労民の生活保障、農山漁村の疲弊の救済は最も重要な政策」とするものであった。 このスローガンに魅せられた国民が、その後日中戦争への道を歩んでいったことは想像に難くない。
 また満州事変の前後で、満蒙を日本の生命線と見なすか、またその場合の軍事行動を支持するかというアンケートを東大生に実施したところ、その調査結果が余り変わっていない、ということから、それだけ満蒙問題について国民の間にある種の了解がかなり高くなっていたということがわかるが、これがこの戦争の背景での推進力となった、と本書は指摘する。
 このように本書は、過去に日本が体験してきたそれぞれの戦争が、常に周到に準備され推進させられてきたものであることを明らかにする。そしてその背景に列強諸国及び周辺諸国との関係の複雑な絡みがあり、最終的には太平洋戦争に向かわざるを得ない状況が存在していたことを冷静に見つめる。地味ではあるが、現在を見直すにあたって、戦争問題を扱うこのような視点が有効であることを知らせてくれる書である。
 また本書には関連するさまざまなエピソードも紹介されていて興味深い。例えば、ドイツは40年に日本と三国同盟を調印するが、38年に満州国を承認して日本と手を組むまでは、中国に最も大量の兵器・軍需品を売り込んでいた国であり、軍事顧問団も蒋介石のもとに送っていた。つまり日本軍は、ドイツ顧問団に率いられ、ベンツのトラックで移動する中国軍と戦っていたという事実。満州への開拓移民推進のために、国や県が分村移民(村ぐるみの移民に特別助成金や別途助成金をつける)を煽ったという事実。あるいは敗戦間近の日本の国民の摂取カロリーは、1933年時点の6割に落ちていたが、国土が日本よりも破壊されたドイツでは、45年3月、降伏する2ヶ月前までのエネルギー消費量は、33年の1~2割増しであったという事実。さらには、戦時中にも株式市場は開かれており(このこと自体驚きであるが)、45年2月から軍需工業関連でないもの、民需関連(繊維、船舶等)の株価が上がり始めた、つまり戦時から平時に世の中が変化するのではないか、と国民が感じていたという事実等々である。
(なお付言すれば、上記の軍部による扇動については、石堂清倫が『20世紀の意味』(2001年平凡社)の中で、自身の経験を次のように記している。
 「正確な日取りは記憶にないが、私は石川県小松町の公会堂の前を通ると、時局講演会立て看板を見た。入ってみると満員であった。(略)講師は制服の陸軍少佐である。/少佐はまず農村の惨状を歎いた。現状から脱却するには、思いきった改革が必要だと説いた。左翼の唱える農業改革は、もっともなことである。しかし国土が狭小で人口が過剰な日本で農地の平等分配を行っても、農家一戸あたりの耕地は5反歩に過ぎない。これでは(略)貧困状態に変わりはない。空しく餓死を待つばかりである。しかし生きる道はある。眼を転じて満蒙を見よ。そこには無限の沃野が広がっている。それを頂戴しようではないか。(略)/それは激烈きわまる扇動であった。われわれの日常生活を規定する道義の精神など一擲せよ、侵略もまた正義であるというのであった。聴衆は肝をつぶしたにちがいない。しかし軍部が先頭に立っている以上、新しい価値観、新しい精神で武器をとってよいのだと理解したであろう。人びとは軍部を救世主と感じたであろう。人びとの気持ちが動きだしたことは、村の生活のなかでもじわじわと感じられてきた」。)(R). 

 【出典】 アサート No.388 2010年3月20日

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【本の紹介】『赤いゲッベルス - ミュンツェンベルクとその時代』

【本の紹介】『赤いゲッベルス - ミュンツェンベルクとその時代』
              著者 星乃治彦
              発行 岩波書店 2009年12月22日 2,800円+税

<<ヴィリー・ミュンツェンベルク>>
 ゲッベルスといえば、ヒトラーのナチス政権初代宣伝担当相(1933年3月~)として辣腕をふるい、「嘘も百篇繰り返せば真実になる」、「ユダヤ人を絶滅させることが我々の目標である」と豪語し、反ナチ派の書籍を次々と押収し、広場に集めさせて焼き払い(焚書、33年5月)、「プロパガンダの天才」といわれた人物である。
 一方、ディミトロフといえば、同じ1933年2月のドイツ国会議事堂放火事件の被告とされ、ゲッベルスのプロパガンダに対抗し、そのフレームアップを徹底的に暴露し、ナチスの法廷の場で検察を論破し、翌年、無罪釈放され、1935年、コミンテルン書記長となる。そしてディミトロフという名前を聞くと、真っ先に想起されるのは、彼の「反ファッショ統一戦線」であろう。それは、共産主義者の国際組織であったコミンテルンの書記長として、1935年に開かれたコミンテルン第七回大会での、それまでの共産主義者のセクト主義的で排他的、独善的で公式主義的な路線の誤りを鋭く指摘し、意見の相違を前提とした多様で広範な、相互尊重と民主主義に基づいた運動の構築、共同行動の拡大、ファシズムとのその政治体制を許さない闘いのためには、そのような統一戦線の形成こそが要請されているという、またそうした統一戦線政府の可能性をも探る、それまでの路線からすれば根本的な路線転換を提起した報告で、全世界に平和と民主主義と社会主義への希望と期待を抱かせた人物であった。
 そしてこのディミトロフをここまで押し上げ、統一戦線、人民戦線を単なる戦術ではなく、ファシスト以外のあらゆる人々の戦略的な共通の課題、獲得すべき目標にまで高め、その組織化の中心を担い、その先頭に立ってきたのが、ここに紹介されているヴィリー・ミュンツェンベルクであった。だがこうした事実については、日本ではほとんど知られていないし、その詳細が明らかにされるのは初めてではないだろうか。

<<「できるだけ超党派的印象」>>
 著者が指摘するように、「一般にヴァイマル共和国末期のナチスの急成長は注目されるが、自由選挙の下で、ナチスの勢力が頂点を極めた一九三二年七月の選挙でも、得票率は四割に満たず、左翼の社会民主党と共産党をあわせた方がナチスを凌駕し、ナチス体制下でもはや正常な選挙とは言えない一九三三年三月の選挙においても、ナチスと二つの労働者政党は拮抗していた。ただ問題はこの二つの労働者政党が犬猿の仲だということであった。」という事実の重みが、あらためて問われている。
 国会議事堂放火事件直前の、1932年11月の国会選挙ではナチスは200万票減らし、逆に共産党は100議席を獲得するまでに前進していた。そのような状況の下で1933年1月30日、ドイツ大統領ヒンデンブルクは、ヒトラーを首相に任命、ナチスはただちに国会内で多数派を形成すべく、議会を解散し、3月5日に国会選挙が行われることになっていた。しかし、この選挙でも、ドイツ共産党の前進が予測されていた。
 そうした最中の1933年2月27日の午後9時15分頃、「ベルリンの中心部でひときわ偉容を誇っていたネオ・バロックスタイルの国会議事堂から火の手があがった。すでに警戒体制にあった警察は、国会議事堂炎上の知らせが入ると、「共産主義者の仕業」として、機敏に午後一〇時一六分に「非常警戒体制」に入り、作戦の実行に入った。翌二八日には一万一五〇〇人の共産主義活動家をはじめ社会民主党員、民主主義者が逮捕された。国会炎上事件はまさに、ナチス化を意味する「強制的同質化」の始まりののろしであった。」
 3月3日にはドイツ共産党議長テールマンが、そして3月9日には、ディミトロフが逮持され、ヴィリー・ミュンツェンベルクも共産党の国会議員として、放火事件当日、選挙演説の最中、間一髪で逮捕を逃れたのであった。
 ヴィリーは直ちに反撃を開始し、「ヴィリーが関与した組織の中でも特筆すべきは『ドイツ・ファシズムの犠牲者世界救援委員会』は、欧米各地に支部をおき、どの国でも、国際的名士をずらりそのメンバーに並べた。救援委員会の会長はアインシュタインだったし、労働党イギリス上院副議長マーレイも参加するなど、「世界救援委員会は、方法と機能という点において、国際労働者救援会の後継団体」とも言うべきものであった。そしてそうした広範な裾野を有したこの組織が「短期間のうちに西ヨーロッパにおける反ファシズム宣伝の中核になった」のも不思議ではない。」
 「ヴィリーの旺盛な反ファシズム活動は、一九三三年四月二二日付のナチスのスパイ報告でも、「熱狂的に」ファシズムに反対する政治宣伝が用意されているが、「その中心は依然としてヴィリー、パルビュス、ロマン・ローランを囲むサークル」で、ヴイリーは「またしても」こうした活動に「できるだけ超党派的印象を与えようとして」おり、ヴィリーはその際「政治的党指導部から離れて」活動していると報告されているほどであった。」

<<レーニンとのコンタクト>>
 ヴィリー・ミュンツェンベルクとは、どういう人物であったか。著者によれば、
 「第一次大戦中彼は、急進的青年連動の指導者としてスイス亡命中にレーニンと行動をともにした。大戦直後一九一九年一一月には、共産主義青年運動の指導者として、第一回青年インターナショナルをベルリンで開催した。その後一九二一年四月の第二回大会もドイツのイェーナで開会だけはされたものの、警官隊の知るところとなり中止せざるをえなくなった。
 しかしその後一九二一年七月、彼には新しい任務が与えられた。レーニンの要請もあって、「飢えたソヴイエト・ロシアを救え」のスローガンとともに、国際労働者救援会を設立することになったのである。ここでいう国際労働者救援会とは、ロシア救援活動から始まり、各国の救援活動を展開し、天災の際はもちろん、労働者のストライキや反帝運動の支援など多様なヒューマンな活動を展開した組織だった。その設立者でありかつ指導者だったのがヴイリーなのである。彼は、全世界に国際労働者救援会の組織を拡大し、ヒューマニズムの組織化を促進していった。日本にも、国際労働者救援会を通して、関東大震災の時に救援物資が届けられた。」
 「ミュンツェンベルクはレーニンから政治的教育を受けたのみならず、クララ・ツエトキン、カール・リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルクからも影響を受けたのである。ミュンツェンベルクは古典的ヨーロッパ労働運動の民主的伝統をいわば、『母乳とともに吸った』のである」。
 「青年期のヴィリーに決定的な影響を与えたのはレーニンであったが、そのレーニンとは一九一五年の春にべルンで知り合っている。
 徹底した平和主義者であったヴイリーをはじめとする青年運動の指導者たちは、「戦争を内乱へ」というレーニンの主張は突飛に感じつつも、戦争遂行に傾斜する第二インターの指導者たちに対するレーニンの容赦ない攻撃は、攻撃的で急進的なスイスの若い感性を魅了した。
 レーニンの主張が青年たちを惹きつけたもう一つの理由は、レーニンが青年運動の独自性を認めたからであった。第二インターに結集する社会民主主義勢力は、青年運動の重要性やポテンシャルは認めつつも、それが制御不能に陥るのではないかと常に恐れ、単なる妨害勢力としてしか見なしてこなかった。これに対してレーニンは、一九一六年一二月二日号の『社会民主主義者』でも、「完全な自立なくして青年は良き社会民主主義者になることができないし、社会主義を前進させようとすることもできない」と主張していた。こうした主張は青年活動家の耳には魅力的であったに違いない」。

<<関東大震災被災者に救援物資>>
 ヴイリーの活動スタイルには、当初から一貫したものがあった。「飢えたソヴイエト・ロシアを救え」の国際労働者救援会の組織化においても、「まず、二一年八月一二日に「ロシアで飢える人たちのための労働者救援組織化外国委員会」を作るためのアピールが発せられた。その呼びかけ対象は、コミンテルンだけではなく、敵対する第二インターなど他の労働者組織にも広がる超党派的なものであった。コミンテルンでは、レーニンを中心にその参加条件をめぐってむしろ第二インター的なものとの断絶が求められていた時であったにもかかわらずである。当時激しさを増していた労働者組織間の対立をうめるものとして、ヴィリーが期待したのが文化人であった。八月一二日のアピールに賛同したそれら文化人とは、アインシュタイン(物理学者)、ケーテ・コルヴィッツ(画家)、グロース(画家)、バーナード・ショウ(哲学者)、アナトール・フランス(作家)、バリュブス(作家)など、国をまたいだ、そうそうたる顔ぶれであった。
 実は当時、指導者たちの対立をよそに、一般の労働者の間では、共産主義系労働者だけではなく、社会民主党系労働者の間でも、ロシアへの共鳴は弱くはなかった。実際に、労働組合の救援活動も盛んで、第二インターも「労働者諸君、ソヴイエト・ロシアを救おう!ソヴイエト・ロシアの没落はヨーロッパの不幸である」と呼びかけた。たしかに、彼らはヴイリーの組織に直接的に参加するのではなく、独自組織を通じて救援活動を展開し、ヴィリーがイメージしたような、労働者組織が一致してロシアを救うという、後の統一戦線的発想こそ達せられなかったが、ヴィリーは既にこの時から、そうした方向性を発揮していた。」
 「一九二三年の九月、ヴィリーがロシアに渡り、クレムリン宮殿の中で、ソヴイエト・ロシアの労働組合の指導部と会談した時、日本では九月一日に大地震があり、日本の労働組合員が国際労働者救援会に救援を求めてきているということであった。ロシア人と共にヴィリーは多額の救援金を集め、救援船を日本に送った。しかし、日本の当局はこの船の寄港を認めなかった。地震の被災者には救援物資だけではなく、共産主義の宣伝材料が広まると恐れたためであろう。ただ、救援物資を積んだ船は停泊することができ、救援品の一部を北海道に陸揚げすることができたらしい。」

<<ミュンツェンベルク・コンツェルン>>
 一方、ドイツ国内においては、図版を多く取り入れ、かつ廉価な『労働者イラスト新聞(Arbeiter Illustrierte Zeitung=AIZ)』を発行し、「『労働者イラスト新聞』を足場としながら、ヴイリーはヴアイマル共和国を通して、次々と有力な雑誌や新聞を傘下に収め、ドイツのマスコミ分野で「ミュンツェンベルク・コンツェルン」と呼ばれる、規模としては、右派のフーゲンベルクに次ぐ、ドイツ出版界二番目の一大左翼出版コンツェルンを構築することに成功した。」
 「一九三〇年代に入ると、ますます、ドイツ共産党は『夕刊・世界』の編集や内容面に口を出すようになり、党の方針に従って、もっと社会民主党批判を展開するように度々要請をした。しかし、編集部の方は、それよりもますます差し迫ったナチスの危険の方をより重要な課題だと考えていた。彼らはこの新聞が左翼の大衆紙であって、共産党の機関紙ではないという立場をとり続けたのであった。
 さらに女性向けにはイラスト雑誌『女性の道』。大恐慌の最中の一九三一年七月に刊行されたが、民衆に顔を向けて一〇万部を誇った。
 「ミュンツェンベルク・コンツェルン」の中でもヴイリーのお気に入りは、労働者カメラマン協会の機関誌『労働者カメラマン』であった。写真というメディアに注目していたからであった。労働者階級の視点で、労働者階級自身が写真という新しい文化を積極的に創造することを期待して、財政的にも支援した。
 ベルリンでは「戦艦ポチョムキン」の上映を成功させ、観客に大きな感動を与え、1933年にナチスが政権を握ると即刻上映禁止となった。」
 「赤い億万長者」とも呼ばれた、というが、「資金が流入するようになってからも、ヴィリーはこれを個人的に使ったことは一度も無かった。労働運動、とくに共産党の活動資金に用立てたのであった。事業を立ち上げたといってもその創設資金はわずかなものだったし、運転資金も微々たるものであった。それがごく内輪の関係者しか知らなかった「赤い億万長者」の実態だった。ヴイリーは個人的には、私有財産をもたず、ほとんどの報酬を共産党に献金し。銀行口座も開設したことさえ無かった。ヴイリー自身は国際労働者救援会の書記としての五〇〇マルクが支給されるだけで、国会議員としての歳費も、通信費などの雑費一〇〇マルクを除いて、全て共産党にカンパされた。ただ、国会議員に与えられる一等車の無料乗車特権はヴィリーによって大いに利用された。」というのが実態であった。

<<左翼の「甘受できない最大の弱点」>>
 現在の反戦平和・改憲阻止・生活擁護等のあらゆる大衆運動についてもいえることであるが、「この反ファシズムの共同戦線の構築は実は難産を極めた。ヴィリー自身、次のように嘆いていた。」、「反対派は政治的に成熟しておらず、正しく組織されておらず、統一して活動しておらず、まだ反対派のムードだけであって、まだ目立った活動になっておらず、クリエイティヴな反対派運動と呼ぶにはほど遠い。多様な形態の幅広い反対派が、一つにはならなくても一つの方向に向かって活動していたならば、もっと多くを勝ちとっていただろう。もはや甘受できない最大の弱点は、ドイツの反対派が六〇以上もの様々な党派、組織、グループ、サークルに分裂し、寸断されていることである。彼らは一緒に活動しないばかりか、互いを攻撃しあっていて、そのお互いの闘争を、最重要課題とか、ある作家が言っているように、ドイツ反対派の『宿命』と見なしていて、それで共通の敵に反対する闘争を忘れてしまっているのである」。
 それはコミンテルンにおいてもしかりであった。「モスクワでも、新たな人民戦線路線に対する逆流が依然として強かった。一九三九年二月にヴィリーが回想しているところによれば、すでに一九三六年半ばにはコミンテルンは第七回世界大会の決議を犠牲にして、スターリンの「純粋な党政策と党による全体支配の方針をとった」のであった。
 ヴイリーの高い組織化能力と人民戦線のために尽くした大きな功績はディミトロフによって高く評価され、ドイツ共産党中央委員にも選出され、さらにコミンテルンの宣伝担当としてモスクワに招請されたものの、これをヴイリーは頑なに拒否していた。それはヴィリーの古くからの友人が次々とスターリンの「粛清」の犠牲になっていたからでもある。
 結局、宣伝担当としてモスクワにとどまるということを拒み続けた結果は、共産党からの除名であった。一九三九年三月一〇日にヴイリーは、決別宣言を『未来』で発表しているが、そこでは次のように言っている。
 「私は、自分自身でともに作りはじめ、作り上げた一つの組織から泣く泣く離れる。私が一九〇六年に若き工場労働者として社会主義運動のメンバーとなって以後、一九二五年には最初のドイツ人の社会主義者の一人としてレーニンとその運動に組し、そのためにほとんど二五年間身を粉にして活動し、少なからぬ成果も作り出した。
 今日の共産党指導部との二年におよぶ党の目標設定において、または社会民主党の同志との統一戦線の問題において、はたまた宣伝のやり方や党内民主主義の基本概念において、また党と個々の党員の関係に関する見解において、決定的な政治的、戦術問題等ゆえの抗争の後に、これらの問題を解決することや、一九三三年以来の変化を考慮にいれた政策が採用されることは不可能であるという結論に達した。」
 そうした結論の上でもなおかつ、「私は党内に分派を作る気もなければあるグループのためだけに活動するという気もない。私は今まで通り、強大な幅広い統一党をつくり、ヒトラー体制を打ち倒し、新生ドイツを作り上げる広範で力強い人民運動を展開するために活動することにでき得るかぎりの努力を続ける。」ことを明らかにしている。
 そして1939年8月の独ソ不可侵条約締結の際には、「スターリン、お前こそ裏切り者だ」と弾劾するにいたるのである。そして1940年10月、ヴィリーは、南東フランス・コーニェの森の中で謎の腐乱死体として発見される。
 ヴィリー・ミュンツェンベルクの闘いと苦悩は、21世紀の現在においても生き生きとよみがえり、そこから汲み取れる教訓と示唆は実に深いものがある。
 著者はこの著書を通じて、ドイツ労働運動史研究の中から、その独自な世代論を分析の視点として、現代の新しい若い世代への期待を表明されている。注目の書といえよう。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.388 2010年3月20日

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【投稿】オバマ・鳩山、日米両政権の混迷

【投稿】オバマ・鳩山、日米両政権の混迷

<<「国民は怒っており、いらだっている」>>
 オバマ政権、鳩山政権、この日米両政権はともに期せずしてその支持率を急落させてきている。両政権ともに、それまでの前政権まで推し進められてきた新自由主義、市場経済原理主義路線からのチェンジ、そして泥沼のイラク戦争、反テロ戦争からの脱却、日本の場合はそうした路線への一方的追随路線からの脱却を掲げて政権を獲得したのであった。ところが政権獲得後の事態は、チェンジはいっこうに明確にならず、むしろ後退さえしていることに多くの人々が失望し、落胆し、怒りをさえ表明しだしているのである。
 オバマ政権は、昨年11月のニュージャージーとヴァージニアでの州知事選では共和党に州政を奪還され、続いて今年1月のマサチューセッツ州の上院議員補欠選挙では、半世紀近くも民主党が議席を確保してきた強固な地盤の選挙でまさかの敗北を喫したのである。これによって、上院民主党の議席は絶対安定多数の議席を割ることとなり、オバマ政権が最大課題としてきた健康保険改革は法案が棚晒し状態に追い込まれ、妥協に妥協を重ねてきた「改革」は、国民皆保険からほど遠い法案でも可決する見通しが立たない状態である。
 1月末の「年頭一般教書」ではついに健康保険改革を政権の最大課題として取り上げることができなくなり、雇用対策を前面に掲げたが、財政均衡論に縛られた中途半端な「景気刺激策第二弾」しか打ち出せず、いまだにもたつく「公的資金注入銀行への監視」や「銀行と投資銀行の垣根の規制」も先が見えず、今やオバマ政権が掲げた改革・チェンジ路線は失速状態から迷走状態へと移行し始めている。
 1月12日に発表されたCNNの世論調査では、米国民の大統領支持率は51%、不支持率は48%、オバマ政権1年目の実績を成功と見る人47%、失敗と見る人48%というまったく厳しい評価である。ニューヨーク・タイムズ紙とCBSによる連合世論調査でも、大統領の支持率は46%、不支持率は45%と、逆転目前という状態である。70%前後の支持率を確保していた昨年前半からすれば急落である。
 オバマ大統領は1/20、マサチューセッツ州上院補選で与党・民主党候補が敗北したことについて、「私が当選したのと同じ力が、(野党候補に)働いた。国民は怒っており、いらだっている」とテレビインタビューで述べざるを得ない事態である。このまま手が打たれず、迷走状態が続けば、今年11月の中間選挙ではさらに民主党が後退する可能性が不可避といえよう。

<<迷走の本質>>
 さらにこの事態に拍車をかけているのは、オバマ政権の平和・外交路線である。
 イラク以上に泥沼状態が明らかであるアフガニスタンに、オバマ大統領は3万人の米軍を増派することを明らかにし、同時に2011年7月から米軍撤収を開始するとの方針を打ち出したのであるが、これは一方で産軍共同体と保守・タカ派にご機嫌をとり、もう一方で撤収開始期限を明示することでハト派への言い訳とする、まさにオバマ流の中道・妥協路線の典型ともいえるその場しのぎの路線にしか過ぎないものである。これではブッシュ政権の対テロ戦争路線とまったく変わらない、まさに公約破りの路線である。
 オバマ大統領はしかもそれを合理化する際に、またこともあろうにノーベル賞受賞演説の場で、アフガニスタンで米国が戦っているのは「正しい戦争」であり、対テロ戦争では「殺し、殺される」ことも当然であり、「戦争という手段には平和を守る役割もある」と述べてノーベル平和賞の価値を一挙に台無しにしてしまったのである。対アフガン戦争は核兵器を持つパキスタンをまで巻き込んで、よりいっそう危険な泥沼戦争状態をもたらしかねない。これではブッシュ路線のチェンジどころか、戦争政策の継続、拡大でさえある。これには米国民のみならず、全世界の人々が大きく落胆させられたのは当然といえよう。これまでオバマ政権誕生に最大の貢献を果たしてきた無党派の平和を求める広大な支持層が、この事態に失望感をいっそう深め、離れていってしまっているのである。
 中東和平政策においても、ユダヤロビーにご機嫌をとる従来路線をこれまたそのまま継承し、イスラエル・ネタニヤフ政権に政策転換を迫ることさえできない。世界中に軍事基地を維持・展開し、軍事費をさらに増大させる路線もそのまま継承する。虐待・拷問で世界中から批判を浴びたキューバのグアンタナモ基地内の収容所閉鎖でさえいまだに実行できていない。
 軍事拡大路線から平和外交路線への決定的転換こそが期待されていたし、それこそが実はアメリカの政治・経済再生の決定的なかなめであったものが、このようにうやむやにされ、放棄されているところに、オバマ政権の迷走の本質があるといえよう。

<<「これ以上の説明はない」>>
 鳩山政権においても、事態は酷似しつつある。
 鳩山政権は、小泉構造改革反対の選挙公約がいつのまにか、財政均衡を最優先する縮小均衡路線が主流となり、財務省主導の予算縮小・切捨て路線が大手を振ってまかり通り、財務、戦略担当、国土交通、総務の各大臣、政務官に市場競争原理主義と規制緩和を主張するメンバーが主要な地位を占め、無駄の排除と根絶の名の下に徹底的に予算を削り、社会的セーフティネットの再建や内需拡大、グリーンエネルギー政策が中途半端な事態に追い込まれ、出口は消費税増税しかありえない路線に誘導することが事実上、鳩山政権の主要課題となってしまおうとしているのである。その一方で、インド洋上の給油活動は停止したが、対アフガン政策では自公連立政権以上の4500億円もの対米追随予算を気前よく提供しようとしている。オバマ政権と同様の迷走が、鳩山政権にも色濃く滲み出しているのである。
 こうした中、2月上旬に発表された各紙世論調査は、朝日新聞=内閣支持率41%、不支持率45%、読売新聞=内閣支持率44%、不支持率47%、共同通信=内閣支持率41・4%、不支持率45・1%、といずれも支持率が50%を切り、支持率よりも不支持率が上回る逆転が明確となってきている。
 さらに小沢一郎民主党幹事長の続投に対しては、朝日新聞=「小沢幹事長辞任を」68%、読売新聞=「小沢幹事長辞任を」74%、共同通信=「幹事長を辞めるべきだ」72.2%、毎日新聞=「不起訴でも(小沢氏)辞任を」69%、と実に70%にも上る人々が幹事長辞任を要求している。しかも、「小沢さんのこれまでの説明に納得できますか」=納得できない86%、「小沢さんの政治資金問題をめぐる、鳩山さんのこれまでの対応に納得できますか」=納得できない76%、「小沢さんの政治資金問題で、あなたの民主党に対する評価は下がりましたか」=下がった64%、「小沢さんが鳩山内閣に対して、影響力を発揮することは、好ましいと思いますか」=好ましくない74%(以上、朝日新聞)、読売論調査では、小沢氏が「事件の責任をとって幹事長を辞任すべきだ」と答えた人のうち66%が、「衆院議員を辞職すべきだ」とし、小沢氏が土地購入資金を「個人的な資金である」などと説明していることに「納得できない」と答えた人は86%、「民主党が小沢氏本人の政治的責任を問うなど自浄能力を発揮した」と思う人は5%に過ぎず、「そうは思わない」との答えが88%を占めている。共同通信調査でも、「不正な金はない」との小沢氏の説明に「納得できない」は87・2%、小沢氏の政治資金問題をめぐる鳩山由紀夫首相の対応に「納得できない」も78%に達している。圧倒的多数の人々が小沢氏の弁明と、それを擁護する鳩山氏の態度に不信感を突きつけているのである。
 ところがこうした世論の動向に対して小沢氏は、2/8の記者会見で、「検察当局の公平公正な捜査で、不正なカネを受け取っていないということが明らかになった」と、対検察闘争の勝利宣言を行い、さらなる「説明」要請に対しては「これ以上の説明はないんじゃないかと思う」と説明を拒否し、報道機関に対して「(小沢は)潔白だった」と報道することまで求めたのである。こうした虚勢は、小心と裏腹のものであろう。
 民主党は政権交代をなしえた、「国民生活が第一」という原点から自らの政策を再点検し、新たな体制で再出発することが求められているといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.387 2010年2月20日

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【投稿】これ以上許されない生活と自治の破壊 —問われる橋下イズムとの戦い—

【投稿】これ以上許されない生活と自治の破壊 —問われる橋下イズムとの戦い—
                                   元田隆文 

<異常さを告げる世論調査>
 橋下大阪府知事は就任2周年を好機としてマスコミへの露出度を強めている。最近の各新聞の大阪府民の世論調査では、70%(毎日)から83.2%(産経)という極めて高い支持率が示された。この数字自体が通常の政治家の支持率としてはすでに異常である。
 その政策の本質が徹底した新自由主義的市場原理主義であり、貧困者層を切り捨て、文化や教育の軽視していること、徹底したポピュリストで、話題になるネタとみるや猛然と食らい付き、その成果を果たすことなく次々と目先を変えていく政策、将来社会への傷を一切考慮しない破壊的手法、何よりも公人としての品性の欠く言動、就任以来2年間の成果はほとんど見るべきものがない、などについては、彼を支持するかしないか、好きか嫌いかに関わらず、彼を論じる際に多くの人に異論が無いところであろう。
 これらの特徴は、およそ知事としての適性を欠くものである。にもかかわらず、このような高支持率があることについての異常さに、大阪・関西のみならず、日本の政治状況の危機を見なければならない。

<危険な施策>
 橋下府政の数少ない成果の一つとして、府財政の予算黒字化がいわれる。しかし、この緊縮財政そのものから見て行く必要があろう。
 まず、財政危機の本質に切り込む対策がとられたわけではない。単なる、教育、文化、職員の待遇切り下げなどがなされたに過ぎない。その弱者切り捨ては、2月10日に自画自賛で発表した公約達成状況においてすら、数少ない未実施「×」項目が、妊婦検診、乳幼児医療費、子育て夫婦の家賃補助などの子育て支援策が中心であるということからも伺い知れよう。
 同時に、多くの事業の負担を府から市町村へ転化することが進行している。「市町村へ政令指定都市並みの事務委譲をおこなう」という、あたかも市町村強化の前進であるかのようなスローガンの下に進められているが、これがもたらすものは、市町村財政の疲弊であって、地方分権改革に名を借りた悪質なすり替えである。
 その一方で、WTC府庁舎移転構想に見られるように、利権まみれの大規模ハコもの・地域開発への公共投資を狙っている。
 この公共投資の財源を生み出すとともに、市町村の地元住民利益に基づいた正しい判断から来る抵抗を押さえつけ、独裁的に知事が権力を振るうため、考え出したのが、市町村の首長や議員への選挙介入である。
政令指定都市堺において腹心の部下である竹山市長の誕生に必死になったのも、同市の4,000億円を超える財政投資資金を意のままにしたかったがためである。竹山は、恥ずかしげもなく、露骨にその狙いを隠そうとしない。堺市内の活性化と環境に配慮したまちづくりに必要とされていたLRT方式の東西鉄軌道導入をやめ、代わりにあろうことか堺と咲州を繋ぐ南北鉄道を導入しようとする構想や、基礎自治体としての堺市を消滅させる構想を唱え、堺市民から批判を受けている。
 さらに、橋下がこれを徹底するために地方制度論として大風呂敷を広げたのが、基礎的自治体である大阪市の消滅を意図する、「大阪市役所解体」、「大阪府市一元化の大阪都構想」である。「橋下新党」なるものの狙いは、大阪を踏み台に橋本個人の中央政界への進出を狙う足がかりではあろうが、それだけではなく、この危険な政策的本質を見極めておかねばならない。
 このような無責任な府政運営の下、現実は冷酷である。大阪府の完全失業率は09年7~9月期に前年同期比2ポイント悪化し、7.7%と全国最悪を示す事態となった。

<なぜ、支持率が高いのか>
 このような、でたらめな府政運営をしながら、なぜ世論調査で異常な高い支持率を得るのであろうか。
 一つは、日本社会の閉塞感という構造的なものからくるのであり、もう一つは橋下徹という人物の政治スタイルにある。
 橋下が、取り上げるのは、いずれの課題も、従来の日本の経済運営や、地方自治制度の宿痾からくる問題ばかりと言って良い。自民党政府や過去の知事が逃げたり、隠したりしてきたことである。これを、大声で持ち出し、騒ぎ立てることにより、内容と展望が無くても、方向性が間違っていようとも、やんちゃが何かしてくれるのではないかという期待となり、何かしているようである、大きな世の中を変えるようなことを考えている(少なくとも口に出して言っている)という評価となって、口汚い発言に対しても庶民自らの不満のはけ口の代償効果となっている。そして実績がなくても、今の世の中こんなものだから仕方がない、ということで許される。
 マスコミは、まさにこの視点で煽っている。
 橋下の政治スタイルは、こうした大衆の雰囲気を敏感に把握し、これを意識的に利用する。同時に、彼はマスコミや権力者、財界には忠実である。彼らにとって多少問題はあっても便利な政治家である。財界からの評価が結構高いのはここに理由がある。
だが、彼は単にポピュリストという以上に能動的である。
 朝日新聞記者国末憲人は、「サルコジ マーケティングで政治を変えた大統領」(新潮選書)で、フランス大統領サルコジの政治手法について、「「ポピュリズム」と異なる概念を規定した方が良いのではないか」として、「ポピュラリズム」という概念をピエール・ミュソを引いて「その大きな特徴が、世の中の課題を自ら設定しようとする態度だ。世論やメディア、官僚から問題を指摘されるのを待つのではなく、その問いかけを先取りして自ら騒ぎ出してニュースをつくる。市民に議論を呼びかけ、自ら論争をリードする。自らが常に議論の中心となり、自ら用意した回答に世論を誘導する。つまり、社会全体を自らのペースで誘導してしまうのだ。」と紹介している。この警告は、橋下にも良く当てはまる。
 人々の不満を背景にした高支持率を力の源泉に、つまみ食い的人気取りを振る舞い、その実、利権を基礎に社会変革を狙う、そしてその独裁的手法がまた庶民の喝采を得る。支持率を背景に、既存政党をも手玉にとる。まさにファシズムといわずしてなんであろうか。
財界にとっても、このまま放置すれば大阪・関西の荒廃しか残らず、後で臍をかむハメになることに早く気づくべきである。

<橋下イズムと如何に戦うのか>
 橋下イズムという言葉がマスコミに現れながら、これを許し、ここまでのさばらせたのは、批判勢力に問題があると言わざるを得ない。
 ポピュリストとして軽蔑し馬鹿にするだけで、そのうち失敗するさ、また、自治体のことはよく分からないし、マスコミは仕方のないやつだから・・・・、と放置してきたのではないか。こうした観点で反省し、如何に馬鹿馬鹿しくとも、きちんとそれぞれの施策、構想に対応し、批判をこまめにしていく必要がある。
 ただ、橋下批判の仕方については、十分注意を行わねばならない。
 まず、彼は極めてデベートに強いばかりでなく、様々な姑息な手段を講じて相手をやっつける。かつて職員の処遇切り下げ、私立学校生の私学助成維持要請、文化予算削減反対要請、などにおいて、本来のそれらのあり方がいかなるものかという論点にまともに対応するのではなく、公務員は優遇されている、自ら競争の中で努力すべきである、既得権擁護は許されない、などと論点をすり替え、相手を守旧派として仕立て上げ、自らは場外であるマスコミに一人出演し、まくし立て、罵倒して正当化し、時には涙を見せ、改革努力が報われない被害者を演じることにより、勝利を収めてきた。
 その際、自治体の運営は外部から見えにくいことや、民間人の公務員に対する妬み(虚実様々取り混ぜて)や偏見に訴えて対立を煽る手法を最大限利用している。
そして、色々批判されることを、自分への注目を高める自己宣伝の場として旨く利用し、存在感を高めてきたのである。
 特に、国あり方、地方自治制度のあり方などについては、嘘話は大きい方がいい、専門的なことは大衆にはよく分からないから言いまくった方が勝ち、という、詐欺の手法そのものが使われている。
 したがって、こうした手に乗らないように注意しながら、制度論など専門家も巻き込んで課題毎にきちんと一つずつ整理し、マスコミに発信していくなど、対応していくべきであろう。特に民間労働者も市民である自らの問題として理解をしていくことが重要であると思われる。
 学校予算を削減し、子育て支援を行わず、大阪国際児童文学館を廃止しながら、その緊縮のご褒美として小中学校生徒全員を何億円もかけてUSJで遊ばそうという提案をする人物に明日の大阪・関西を託すほど馬鹿げたことはない。 

 【出典】 アサート No.387 2010年2月20日

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【投稿】トヨタのリコール問題の背後にあるもの

【投稿】トヨタのリコール問題の背後にあるもの
                           福井 杉本達也

1 リコールとは何か
トヨタがリコール問題で揺れている。今回、3種類のリコール問題が発生した。昨年8月28日に米国でレクサス車の①フロアマットの不具合によるアクセルが戻らず4人の死亡事故が発生し、リコールに追い込まれた。その後、10月に米道路交通安全局(NHTSA)の調査でカローラ、カムリなどの量産車の②アクセルペダルが戻りにくく死亡事故が他社の2倍に上り多すぎるとしてさらに大きなリコールになった。そして今回(2010.2.9)、日本を含め、三代目プリウスの③ブレーキシステムがリコールになる状況が発生した。新聞には「トヨタ不信の包囲網」(朝日:2.9)「ユーザー募る不信」(毎日:2.9))との見出しが踊る。
そもそも、『リコール』とは何か。メーカーが製品を作り、ユーザーがそれを使いはじめると、すぐに不具合が出てくる場合もあるし、ナショナルのFF式ファンヒーターやパロマガス湯沸器のように何年もかかって不具合が顕在化してくる場合もある。その不具合によって最悪の場合は死亡事故を引き起こす。「そうしたときに、その危険を取り除くべき対策(多くの場合は部品などを取り替えて補修すること)…全部いったん市場に出したものを、その危険性故にメーカーの責任でこれを回収すること」(畑村洋太郎『リコールに学ぶ』日刊工業 2007.4.25)をリコールと呼ぶ。しかし、リコール自体が悪いこと、リコールを出したメーカーは社会的制裁を受けるべき企業かというと、そうではない。技術に完璧なものはない。現在使われている製品の潜在的リスクを放置しておくのではなく、「そこでトラブルが起こったことの原因の究明が行われ、そしてそれが次の製品に反映されて生かされていくことこそが、技術の進歩にとって不可欠なことがらであり、リコールはこのフィードバックの結果として生じる一種の工程の一つと考えることができる。従って巷間でいわれているようにリコール自体が悪いことであったり、あってはならないことであるとする考え方は間違った考え方」(畑村:同上)なのである。

2 フロアマット、アクセルペダルの問題
まず、①フロアマットと②アクセルペダルの問題であるが、失敗学の畑村洋太郎氏はVideonewsドットコム(郷原信郎氏、永井正夫氏(東京農工大)との緊急対談2010.2.9)の中で、かつてのボンネットのフックが『半がかり』になり高速走行中に外れてボンネットが開いた事故を例に、フロアマットやアクセルペダルについて、「摩耗粉などのごみ」がペダルのピンなどの回転部にたまりうる構造などがあるとして、こうしたことを経験で学ぶことが積み重ねになるとし、それを「知識化」して部品メーカーなどとの「共有化」を図る必要があるにもかかわらず、2000年以降の生産量の倍増などや生産拠点の変更などによって「知識の共有化」がなされなかったのではないかと指摘する。また、設計の考え方については、図面というものは「こういうものを作れ」と図と文字で指し示して作らせるものであるが、全体ができて組み上がったものは「使う状態で違う」ものであり、設計通りやったとしてもトラブルが起こることはありうるとする。トヨタとしては部品の買い入れの検収が不十分だった可能性、また、車の設計が複雑化し全体の部品点数が急上昇している中で「ぬけ」がなかったのかどうかが問われると指摘している。さらには、米国の部品メーカーはトヨタ以外へも部品を供給していたのかどうか。供給していたとすれば、NHTSAは他のメーカーも調べたのかどうかが1つの焦点になると指摘する。ようするにトヨタ狙い撃ちかどうかの判断基準である。

3 プリウスのブレーキシステムの問題
③プリウスのブレーキシステムについて、畑村氏は最近の車は走るコンピューターというようにハイテク機器化しており、これまでのエアバックやシートベルトといった『衝突安全』の考え方からABSや横滑り防止装置といった『予防安全技術』へシフトしていると指摘する。かつてABSのない時代、アイスバーンで車がスリップし田んぼに転落した経験があるが、ちょっとブレーキを踏んだだけで車があっという間に180度回転し、ハンドル操作を全くできずに落ちてしまった。今回のABSが絡んだブレーキシステムは雪や雨などで車輪がロックしないように-つまりハンドルが切れるようにすることで事故を回避する能力が高まるもので、車輪をロックさせないということは制動距離を長くするものである。雪道などでABSが働くと多少“ガクンガクン”と小刻みに動く感じが掴める。一部報道にあるような制動距離が短くならなければならないと考えるのは錯覚なのである。畑村氏はこの制動距離の感覚が個々人の感覚に適合(マッチ)していないこと(人間と機械との関係)が違和感の原因になっているとし、メーカーとユーザーによるコラボレーションで個別適合の安全技術を発展させていけばよいとし、『個別回収』でもよかったのではないかと指摘する。
企業のコンプライアンスの問題として、郷原氏はトヨタが記者会見で「フィーリングの違い」と言ったことがマスコミに大きく取り上げられ、「ユーザー軽視」、「消費者利益軽視」と受け取られたことで『リコール』に追い込まれたと指摘する。畑村氏は根本的な問題としてブレーキシステムを制御するソフトウェアに『バグ』があるかもしれないが、その点を『感覚の問題』で切り抜けようとしたことで、疑念を持たれ、信頼されなくなくなった。説明がへたくそで、騒ぎがここまで大きくなったと指摘する。

4 米国の国家戦略と前原国交相の対応
一連のトヨタのリコール問題は、米国からの貿易戦争の影が色濃い。既にGM、フォードはトヨタ車からの乗り換えに1,000ドルを支給するキャンペーンを開始し(日経:1.29)、2月24日には下院での公聴会への豊田社長の招請を求め、また、カーク米通商代表は2月3日、日本のエコカー補助の対象となる米国車(今回の対象車:大型スポーツタイプ多目的車(SUV)ハマーH3V8もエコカーなどというのは悪い冗談にしかならない:直嶋経産相はトヨタ出身?)が少ないことを日本政府に抗議している(SANKEI 2.4 )。さらに、ラフード米運輸長官が2月3日の米下院公聴会で、トヨタ自動車(回収・無償修理)対象車種の保有者はその車の運転をやめるべきと発言している(ロイター:2.4)。
ところが、前原国交相は2月5日の閣議後の記者会見で「『設定の問題との説明を受けたが、(不具合かどうかは)使う側が決めること。トヨタの対応は顧客の視点がいささか欠如している』」(日経:2.6)と発言したが、自動車安全の主管大臣として米国側とメーカー側のどちらの方を向いているのか疑問を感じる。ユーザーには使い方の詳しい中身は分からない。メーカーとユーザーが協力してこそ自動車の安全を高められる。単なるプリウス「いじめ」では日本の国益を大きく損なうことになる。
そもそも、ソフトウェアを駆使した『予防安全技術』や回生ブレーキなどの省エネルギー技術は今後の日本の技術の核となっていくものであり、日本の得意とするいわゆる『摺り合わせ型』生産技術(藤本隆宏東大教授らの研究で詳しい)の最たるものである。逆に米国や中国・韓国が得意とするのが『モジュラー型』(パソコンに代表されるようにインターフェースを標準化することにより、世界的に最も安く最適な部品を組み合わせる生産方式)である。今回の米国の貿易戦争の狙いは米国が不得意とする分野である『摺り合わせ型』生産技術への効果的攻撃にあるといえる。
さらに、トヨタの戦略上の失敗にカリフォルニア州・NUMMI(New United Motor Manufacturing, Inc.)からの撤退がある(今年3月)。経営判断的には1984年の設立以来赤字続きであり、合理的選択ではあるが、戦略的にはNUMMIこそ、日米貿易戦争の「妥協」(GMとの合弁・人質)の象徴であり、しかもUAWが組織された唯一の工場である。米国の雇用情勢が大幅に悪化する中でトヨタを守る基礎を自ら崩してしまったことである。さらには、NUMMIだけがトヨタ式生産方式=カンバンを持ち込んだ工場であり(小池和男『仕事の経済学』などに詳しい)、米自動車産業は結局、『摺り合わせ型』のカンバンをあきらめたということである。

5 なぜ、米国は貿易戦争を始めたのか
米財務省が2010年1月19日に発表した国際資本流動報告(TIC)によると、中国の米国債保有残高は2008年11月から873億ドルを積み増して2009年8月に8005億ドルとピーク達したが、その後109億ドル減らし11月末時点で7896億ドル(約71兆9781億円)で、依然として国別で世界第1位ではあるものの、これ以上米国債を積み増すのかどうか非常に不安定な状況となっている。第3位が英国と、シティにアクセスする石油輸出国と、シティへの中継基地であるカリブ諸国のアングロサクソン金融資本の合計であるが1年間で1204億ドル増やし6450億ドルとなった。しかし、昨年11月のドバイ危機以降この“身内の”資金調達はほとんど当てに出来なくなっている。一方、日本は11月末で前年比で1321億ドルも増やし、保有残高は7573億ドルと“順調に”中国に急接近してきているが、1年間の推移を見ると1258億ドルは麻生政権までの積み増しで、月平均100億ドル買い増しされてきたが、鳩山政権に交代した10・11月では63億ドル積み増しただけであり、いかに米政権が政権交代を危惧しているかが読み取れる。

6 米国債を売ろうとする者は武力で脅す
1997年6月、自民党の橋本龍太郎首相は、アメリカのコロンビア大学での講演で、「本当のことを申し上げれば、われわれは、大量の米国債を売却しようとする気になったことは、幾度かあります。」と米国債売却の可能性について触れた。翌日のニューヨーク市場は、1987年のブラックマンデー以来最大の192ポイントの下げ幅を記録した。橋本首相の発言は「反米」とみなされ、その後、1997年11月から翌年にかけ、山一證券や日本長期信用銀行の破綻などの金融危機を仕掛けられることとなり、橋本首相は金融危機と参院選敗北の責任をとる形で退任せざるを得なくなった。
ところで、ポールソン前米財務長官が2月1日発売の回顧録『オン・ザ・ブリンク(瀬戸際)』の中で、ロシアが金融危機を助長しようとしたとして、「ロシアの最高幹部が中国に接近し、米住宅金融機関の債券を共同で大量売却することを持ちかけていた」と暴露した(日経:2010.1.31)。ポールソン長官は2008年8月19日にオリンピックで北京を訪れた際、中国幹部から知らされたとしているが、実際は事前に察知してグルジアをけしかけロシアとの軍事衝突を8月8日に起こしたということが真相であろう。米国の債券を売ろうとする者は武力で攻撃するというのが米国の流儀である。この間、中国の米国債売却にはグーグル問題・台湾への武器売却・ダライ・ラマと米大統領との会談などで牽制している。日本では2月3日、亀井金融相がゆうちょ銀行の資金を米国債で運用すると発言したが(朝日:2.4)、米国への妥協なのか、変化球なのか、貿易戦争をからめて今後の鳩山政権の対米交渉を厳しく見つめる必要があろう。

【出典】 アサート No.387 2010年2月20日

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【本の紹介】「発禁『中国農民調査』抹殺裁判」

【本の紹介】「発禁『中国農民調査』抹殺裁判」
著者 陳 桂棣, 春桃
訳者 納村 公子, 椙田 雅美
発行 朝日新聞出版 2009/10/20 2,940円

<<空前の注目『中国農民調査』>>
前号で紹介した『貧困の正体』の著者トーマス・ラインズは、「最も貧しい人々の圧倒的多数は農村部で生活している」こと、「中国やインドのような急成長している国や豊かな世界の多くの国々でさえ、農村の危機に直面している」ことを明らかにし、「世界がこれらのグローバルな要因に真剣に対処するまで、経済的格差を大幅に縮小する望みはほとんどないだろう。」と指摘している。グローバル化に伴うデフレ経済進行の淵源に、とりわけ賃金の絶対的相対的低下にこの問題が深く横たわっていることは論を待たないであろう。農村の貧困にあぐらをかき、これを資本と経済のグローバル化で徹底的に利用し、貧困と格差を拡大させることによって成長の原動力、富の源泉とするような資本主義の純化された腐敗した姿こそが、今あらためて問われているといえよう。
その世界最大の農業人口を持つ中国では、中国国内人口の70%、約9億人が農業に従事しているという、実に日本の全人口の7倍に匹敵する。その中国の農村の危機と貧困は歴史的現実であって、今に始まったことではないと反問されるかもしれないが、実は改革・開放政策の深化とともに、より一層厳しい事態に直面していることが問題なのである。
ここで紹介する著者(陳 桂棣・春桃夫妻)の前著『中国農民調査』は、2004年1月に発売されるや一ヵ月で十万部を売り上げ、中国では空前のベストセラーとなり、中国国内の主要メディアはもちろん、百以上ものメディアが積極的肯定的に取り上げ、著者宅を訪れてインタビューが報道され、著者の参加するさまざまなレベルの討論会やシンポジウムが開かれ、中国中央テレビの番組にも出演して放映され、大きな注目を浴びたのであったが、2004年3月に何の前触れもなく突如発禁処分を受けたのである。たちまち海賊版が出回り、その数は当初の推定で700万部といわれ、その後1000万部を超えたという。(日本では2005/11、同じ訳者で、文藝春秋より発行されている。)

<<九億農民を切り捨てての「富強」>>
それは、「二〇〇三年、隔月刊の小説雑誌『当代』第六号に初めて掲載された『中国農民調査』は、翌年一月に刊行された 単行本とともに中国で空前の注目を集め、爆発的な反響を呼んだ。それは、誰もが気づいていながら見ようとしていなかった農民の実態、農民が置かれている不当な立場をはつきりと具体的にルポした作品だったからだ。中国の多数の人々は、『中国農民調査』によって、初めて農村、そして農民の実態を認識した。」(訳者まえがき)ものであった。
その前著の中で著者は、「1990年から2000年のたった10年で、わが国が農民から徴収した税金の総額は、87億9000万元から一気に5.3倍の465億3000万元に急増した。(中略)都市の住民の収入が農民の6倍という状況で、農民が納めた税額は都市の住民の4倍なのである。」 と改革・開放政策、中国経済の急成長の背後にある本質的な矛盾と問題点を指摘している。
発禁になる前の2/7、著者達はCCTV(中国中央テレビ)の人気番組「面対面」に出演、番組の有名なキャスター・王志に「あなたたちがこの本を通じて訴えたいことは何ですか」と尋ねられ、著者は「九億農民のことは、中国人みんなのことだと訴えたい。農民が豊かにならなければ、いかに楽観的な経済データも意味がありません。われわれの豊かさには必ず九億農民のことが考慮に入っていなければならないのです。いま、中国の国力は昔とは比較にならないほど大きくなっていますが、問題は一人あたりのデータです。一人あたりで考えると、まったくお話になりません。一人の中国人として、私たちはもちろん、国家がはやく強く豊かになることを願っていますが、強く豊かとはどういうことでしょうか。九億農民を切り捨てての富強などありえません!」と答えている。著者達は「この反響が最も大きかった。放送終了後、まだ『中国農民調査』を読んでいなかった人たちが各地で本を求め、これが後に海賊版騒動を引き起こした。」と「発禁『中国農民調査』抹殺裁判」の中で述べている。

<<中国の司法制度が抱える問題>>
この『中国農民調査』が発禁処分を受ける直前に、著者夫妻は被告として、著書の中で実名をあげて取り上げた県の党幹部を原告とする名誉毀損の裁判を起こされる。「訳者まえがき」の「発禁、そして裁判へ」によれば、「著者夫妻が、農民の悲惨な実態を告発する前作を著したとき、「ありのまま」に描きだすために、登場する人物はすべて実名で記述した。そうすることによって、よりリアリティを感じさせようとしたのだ。こうした表現方法は中国では大きな力を持っている。前作が多数の共感を呼んだのは、ルポルタージュのこの手法が奏功した結果と言えるだろう。だが、中国の重要な社会問題の存在を明らかにしたこの作品は、まず著者の居住地であり取材現場であった安徽省で、「作品に関する一切の報道・宣伝を禁ずる」という報道規制を受け、続いて実名をあげられた張西徳元臨泉県党書記から名誉毀損で訴えを起こされる。著者夫妻が裁判のために奔走している最中、中央から発売禁止の措置を受け、さらに中国国内メディアに全面的な報道規制が敷かれた。」のが事の経過である。
従って今回の本書「発禁『中国農民調査』抹殺裁判」は、「これほどの注目を集めた作品に関連する裁判について、報道を通した「世論の監視」のないまま、著者夫妻は闘わなければならなかった。本書は発禁がいかに行われ、いかに報道が規制されたか、そして著者がいかに裁判で闘ったかを記録したものである」。(「訳者まえがき」)
その意味では裁判闘争の記録であるが、前作では触れられなかったすさまじい中国農村の実態、共産党幹部、官僚、警察、司法、暴力組織の支配の実態が証言の数々によって前作以上に浮き彫りにされている。訳者が「訴えを起こしたこの党書記は、前作で記述された経緯によれば、中央機関に窮状を訴えに行った農民たちに対して、武装警察を動員し武力による弾圧を行った。それが、本書で再びクローズアップされた「自廟鎮事件」である。読者は本書を通して、いささかの権力も発言権も持たない農民に加えられた武力弾圧の赤裸々な実態をも、改めて知ることになるだろう。」と述べている通りである。
本紙前々号で紹介した『貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告』の著者である阿古智子氏(早稲田大学国際教養学部准教授)が今回の本書の解説「険しい法治への道のり」の中で「前著『中国農民調査』は過剰な税や費用の負担に耐えかねて抗議する農民たちと、彼らを弾圧する地方官僚や警察の現実を克明に描き出し、衝撃的な事実を世に知らしめた。本書は名誉毀損で訴えられた『中国農民調査』の作者、陳桂棟と春桃が、被告として裁判を経験し、記録した裁判の内容をもとに執筆されたのだが、『中国農民調査』とはまた異なる点において、大きな意義があると言える。」と述べ、「『中国農民調査』が明らかにしたように、行政、司法、公安機関が癒着するなか、腐敗や汚職がはびこっている」中では、「本書は、係争中の裁判の被告である作家が書いたものであり、本来ならば、中立な立場から裁判の内容を描いているとは見なせない。しかし、独立が保障されていない司法制度や言論を封じ込める政治体制の下では、このような方法も致しかたのないことである。作家たちが言論の自由を守り、農民たちの真実を認めるうえで、『中国農民調査』訴訟は重要な意義を有しているが、それだけでなく、中国の司法制度が抱える問題を浮かび上がらせ、議論を巻き起こすという意味でも貴重である。」と指摘している。

<<「読む者を感化し、感動を与える」>>
前著が発行禁止処分にされ、報道統制がしかれる前の2004年2月10日に、中国作家協会の主宰する「文芸報」が、北京で『中国農民調査』に関するシンポジウムを開いた。本書の本文、「第三章 現場ふたたび」の中でそのときの模様が以下のように触れられている。

文学、社会科学、出版、マスコミなど各界から専門家、作家、編集者、記者など六〇人あまりが一堂に会した。中国の現代文学評論を代表する最高レベルのシンポジウムであったと言えよう。
中国作家協会書記処の書記で、中国作家出版集団管理委員会主任を兼任する著名なルポルタージュ文学作家である張勝友は、私たちの作品をきわめて高く評価した。張氏は、一三億の人口のうち八〇パーセントが農村人口であるわが国は農業大国だと言えるとした。そのうえで、もし農民が豊かになれないなら、全面的な小康社会〔(まずまずの暮らし)が達成された社会〕という目標は、絵に描いた餅にすぎず、実現するはずがない。その意味でこのテーマは非常に重要であるとした。二人の作家が三年という歳月を費やして、中国の農民に関心を寄せ、迫力に満ちた優秀なルポルタージュ文学を書き上げたことに敬意を表すると、人民文学出版社に対しても、すばらしいルポルタージュ文学を出版したことに敬意を表し、祝いたいと述べた。さらに、『中国農民調査』は中国の報告文学の気骨を示したと言い、このような力を発揮した作品が久しく現れていないと述べ、一大変革期を迎えている中国ではこのような作品を必要としていたと、いまはまさに大きな作品、立派な作家の出現する時代になったと言った。
中国共産党機関紙「人民日報」文芸部主任、郭運徳の発言も印象深いものだった。
「いま、じっくりと系統的に、冷静に読むことのできる本は少ないが、私は『中国農民調査』を手に入れると一気に読んだ。この本は気軽に斜め読みはしなかった。真剣に、一字一字なめるようにじっくりと読んだ。正月休みの間、当番で出勤したとき以外はずっとこの本を読んでいた。読んでいるうちに涙がにじみ、ずっと目に涙をためて読んでいた。教えられることが多かった。われわれ一人一人の生活は、すべて農民の血脈とつながっていること、しかしわれわれ都市市民は、農村に関心を持たず、遠くへ追いやってしまっていることがよくわかった。感覚的には農民を忘れているわけではないが、現実には忘れている。農民が豊かになり、農村が発展しなければ、中国の将来に希望はない。五千年の歴史を持つ中国に生まれた作家が、社会的責任を持たないのなら芸術を喪失したのに等しい。考えてみてほしい。百代を超えて伝わっている名作はどれも社会全体、人民の生活と密接につながっている。作者の強い社会的責任感が作品を真の文学として完成させ、名作となる基礎を作る。この強い責任感は〈人民の代弁者となる〉という精神だ。『中国農民調査』は歴史を探究し、現代に啓示を与え、われわれの未来に多くの認識と理解をもたらした。一読の価値がある作品であり、味わい深く、読む者を感化し、感動を与える作品である。まことにすばらしい作品だ。」

明らかに中国共産党内部にも、この問題の重要性を積極的に受け止め、理解している人々が多数存在している。そして「著者夫妻側には、浦志強弁護士、雷延平弁護士ら、不正に対して正面から取り組む有力な支援者がいた。体制内・外にかかわらず、人権や民主を主張する人物が、貧困問題、エイズ問題、労働問題などさまざまな分野で活動している。本書からも見られるこうした人々の存在は、現在の中国を特徴づけるものとして注視したい。」(訳者あとがき)というその事実の重さが伝わってくる。
にもかかわらず現実は、、2004年8月24日の公判以後、現在まで判決公判は開かれておらず、この裁判を担当する当の阜陽市裁判所が歴代三代所長を初め何人もの司法官が腐敗と汚職で逮捕され、しかもその最中に裁判所側からの原告側への慰謝料支払い「調停」が工作され、拒否されるや、今度は2006年夏、最高裁判所が前著を出版した人民文学出版社社長に対し、張西徳原告に5万元の慰謝料を払うよう強制、「あなた方は党の企業だろう、党の企業なら言うとおりにしろ!」「やめさせるぞ!」と脅し、判決も出ておらず、裁判案件はいまだ存在しているにもかかわらず、著者にも全く知らせずに慰謝料を支払わせ、原告は「金銭の問題ではない、それによって裁判に勝ったことが重要だ」と公言している事態である。
本書「発禁『中国農民調査』抹殺裁判」は2005年から執筆が始められ、2008年2月に完成したものの、中国本土での出版は実現しなかったものである。現代中国を理解するうえで欠かせない一書と言えよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.387 2010年2月20日

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【コラム】ひとりごと —貧困ビジネスの蔓延と社会保障—-

【コラム】ひとりごと —貧困ビジネスの蔓延と社会保障—-

○景気は底を打ったという表現が、時々新聞などで使われている。確かに、3半期の企業決算などでは、業績の復調という企業もある。○しかし、業績は売り上げの増加でも上向くが、固定費縮減すなわち人減らし等による賃金負担を少なくするコストダウンを実行しても業績は上向く。現在の状況は大量の失業者を生み出し企業は生き残ろうとしているのである。○景気が上向いているというが、大量の失業者・求職者が存在し、有効求人倍率は、0.5前後である。今年春の大学新卒者の内定率は73.1%(2009年12月現在)で、4人に一人が卒業しても仕事がないという状況である。○派遣やパートなど非正規労働者が、全勤労者の3分の1になろうとしている現在、最後のセーフティネットである生活保護制度に頼らざるをえない人々が急増している。○昨年1年間で、生活保護受給世帯数は、大阪市の15000世帯増をトップに都市部で軒並み10%を越える伸びとなった。保護率でも大阪市の6.59‰の伸びをトップに上昇している。○大幅な保護世帯の増加に対して全国の福祉事務所では人員の補充が追いついていない。本来、自立助長のための指導・支援が求められているケースワーカーも、新規相談の対応だけで手一杯という。○そうした中で急増しているのが、「貧困ビジネス」である。ホームレスになった人を、無料低額宿泊所(届出がある場合も、ない場合もある。)などに、入居させ、家賃・食費・管理料などの名目で、生活保護費のほとんどを「搾取」する「囲い屋」が第一に挙げられる。さらに、広く考えると、貧困高齢者を取り込む「介護付高齢者アパート」があり、この場合は、医療費と介護費がセットで、「ビジネス」の対象となる。○「過剰な医療」と「過剰な介護」を行い、収益を上げるのである。高齢者をターゲットにした「貧困ビジネス」だが、こちらの方は別の意味で質が悪い。認知症や体の自由が利かない高齢者を「囲いこみ」対象にして、生活保護の医療扶助・介護扶助を食い物にしているからである。○奈良県大和郡山市の山本病院での「過剰診療」「違法診療・手術」には司直の手が入ったが、残念ながら、それに近い医療機関は数多いと思われる。○保護受給者の急激な増加は当然福祉予算の膨張を生み出す。地方自治体の単独負担分も増加する。○蔓延する「貧困ビジネス」は、失業者・高齢者など本来福祉の対象者の弱みに付け込み、福祉予算を食いものにする。○一方、こうした生活困窮者や貧困高齢者が、かくも大量に生み出されてきた背景に目をむける必要がある。○90年代以降のバブル崩壊を機に、企業は一方で過酷なリストラを強行するとともに、正規職員の比率を引き下げ非正規の派遣や期間労働者の比率を引き上げてきた。○それまで、特に製造業を中心に工場労働者は終身雇用による職歴形成・技能の向上を基本とする雇用慣行により比較的安定した雇用関係の下にあった。国際競争力云々の大義により、賃金総額を引き下げ労働分配率は以来、低下し続けている。○能力の高いものには高い報酬を、単純労働には低額の報酬を、すべては自己責任とする「新自由主義」の横行は、労働の在り方から社会の構造をも変えてしまったのである。○企業福祉は削減された。家庭の在り方も、都市部では核家族化・単身化が進行し、企業内福祉システム・家庭内共助システムは、先細ってしまった。○住む家さえ失った人々、支える家族のない単身高齢者が、大量に生み出された。○「貧困ビジネス」は、日本社会が大量に生み出した貧困層を、再び企業利益の対象にしようとする、二重三重の搾取者なのである。○民主党政権は、「生活が第1」のスローガンで、貧困・困窮者対策を強めている。昨年末には、ワンストップサービスデイの取り組みや、越年・年末対策に積極的に取り組んだ。○これまではNHKの「ワーキングプア」報道もあって、派遣切りで住宅を失った失業者一般には、世論も一定の共感と理解を示してきた。○しかし、悪徳「貧困ビジネス」の脱税摘発や、過剰・違法診療の医療機関の摘発、生活保護関連の摘発報道が多くなり、貧困問題に対して異論が生じている。○「派遣村」での、飲酒や就労努力をしない人などに、石原知事が右翼的発言を繰り返すなど、「自己責任論」による「過剰福祉批判」の逆風が吹き始めたのである。○しかし、すでに述べたように、失業者や高齢者は、彼ら自身がまず社会が生み出した弱者であり被害者である。確かに就労努力や老後の備えは、一定の自己責任が求められるし、当事者もそうしたかったのであろう。○不正や悪徳業者の摘発は当然としても、今後も長期不況から失業者・貧困高齢者は増加していくのである。○民主党政権内にも、自己責任論や新自由主義に片足を突っ込んだままの人物も多数存在している状況の中、選挙マニフェストからの後退を許さず、徹底した社会保障こそ必要であるとの勢力の伸長が求められている。(2010-02-15佐野)

【出典】 アサート No.387 2010年2月20日

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【投稿】難局・鳩山政権 —問われる政治姿勢の明確化—

【投稿】難局・鳩山政権 —問われる政治姿勢の明確化—

<<「政治家はクリーンであってほしい」>>
 鳩山政権は発足後四ヶ月も経過せぬ間に重大な難局に直面している。民主党大会と通常国会開会を目の前に控えて、小沢民主党幹事長の側近であった現職の国会議員や秘書らが逮捕されるという異常事態を招いているのである。首相があくまでも幹事長をかばい、続投を支持する中で、小沢氏の逮捕にまで発展すれば、鳩山政権それ自体が瓦解の道へと引きずりこまれかねない情勢であるといえよう。政権交代の歴史的・積極的な意義が消し去られかねない局面に差し掛かっているのである。
 鳩山首相自身の政治資金管理のあまりなずさんさ、世間常識から外れた脱税まがいの母親からの資金供与のうやむやな決着は、「国民生活が第一」という旗印や庶民の生活からあまりにもかけ離れた政権トップとしての限界、民主党それ自体の限界をあからさまに示したが、小沢幹事長の疑惑は、その限界とは質が違うといえよう。小沢幹事長の疑惑は、歴代自民党政権、権力者が、権力者たるがゆえに培い、蓄積し、背負ってきた政官財癒着の真っ只中に浸りきってきた汚濁の構造的疑惑なのである。小沢氏は用意周到ではあったであろうが、この構造的疑惑を今日に至るまで引きずり、またそれを自身の権力基盤拡大の手段にしてきたのであろう。「コンクリートから人へ」と民主党が唱えてきた、そのコンクリートから政治家へという、ダム工事をめぐるヤミ献金疑惑が隠しようもない現実として浮かび上がっているのである。それは政治資金規正法上の形式的合法性の問題や不実記載、形式犯以上の問題なのである。政権交代は、こうした構造的疑惑を払拭することを期待した有権者の選択でもあったのである。問われているのは、この構造的疑惑と民主党がきっぱりと手を切れるかどうかなのである。その意味では問われているのは、検察の権力的捜査や国策捜査、それに協力するマスコミ、アメリカをも巻き込んだ政権交代を良しとしない「体制意思」などではなく、むしろそのような「体制意思」を跳ね返す民主党、ならびに連立政権の政治姿勢、政治理念の明確さなのである。
 鳩山首相は記者会見(1/15)で「私もすべてですね、国民の皆さん、政治家はクリーンであってほしいと、そのように思っておられることは間違いありませんから、その意味で当然反省すべきことは反省する必要があると、政治資金の問題などもこれから、どのようにしていくべきかという議論はこれは与党野党へだてなく考えるべきことではないかと思っていますし、うーその、それをどのようにして考えていくかということも、これは私は、例えば有識者なども含めてね、検討していただくことが必要なのかなと、今はそのように思っています」と答えているが、あまりにも鈍感であり、逃げの姿勢であるといえよう。「検討していただく」前に、自ら、政治資金については、企業・団体献金の全面禁止を明確に打ち出し、早急に法制化を行い、公明性、公開性を徹底する政治姿勢をこそ明らかにすべきであろう。

<<「私を信じて」>>
 こうした鳩山内閣の政治姿勢は、沖縄の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題についてもいえる。
 辺野古移設は歴代自民党政権が利権がらみで沖縄県側の了解も得ることなく決めてきたものである。この日米合意は、先の衆院解散・総選挙によって日本の有権者から拒否されたものであり、日本国民の意思を代弁するものではないことが明確にされたのである。当然のこととして、政権交代の結果誕生した新政権がアメリカに対して従来の自民党政権とは違う対応を求め、新たな政策対置を提起し、それに伴って交渉をすることは当然な権利であり、義務なのである。日米の信頼関係はそのことを抜きにしてはありえないものである。旧来の日本政府の側がむしろ、全面撤退方針を掲げていたアメリカ側に基地の存続とその費用の負担を申し出たからこそ、米軍基地が居座り続けてきたものであることからすれば、この際事態を白紙に戻し、沖縄の基地の全面撤退を含めた再検討を求めることは、当然であろう。ところが日本の大手マスメディアはこぞって日米同盟の危機をあおり、脅迫と恫喝まがいのアメリカ側の発言を誇大に騒ぎ立て、そのお先棒を担ぎ、「沖縄県内移設で早く決着せよ」と大合唱をするありさまである。自民党政権でさえ十何年もとっかえひっかえ引き伸ばして利権まみれにさせてきた基地問題を、政権交代が実現するやすぐさま決着せよなどと要求すること自体が間違っており、横暴そのものなのである。
 事態を複雑にさせたのは、日本側の「思いやり予算」が膨大に膨れ上がり、アメリカ側の不透明な要求を唯々諾々と受け入れてきたことにあり、アメリカ側もそれに乗じて要求を拡大させてきた結果が、現在の事態をもたらした根本原因なのであり、そうした政策の転換こそが有権者の意思として表明されたのである。
 ところがこの問題においても鳩山政権は、こうした問題の本質に目をつぶったまま、オバマ大統領に対して「私を信じて任せてください」などと軽はずみな発言で相手側に都合のよい期待を抱かせ、代替基地探しに焦点をずらせたり、自らを窮地に追い込む期限を設定し、関係閣僚が得て勝手な発言をすることさえ統率できず、彼らが巻き起こす不協和音に場当たり的に対処することを繰り返しているのである。

<<「日本に対する侮辱だ」>>
 1/14の産経報道によると、米民主党のクシニッチ下院議員は13日、社民党の阿部知子政審会長とともに訪米中の服部良一衆議院議員との会談後、共同通信に対し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)のキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)への移設について、住民の反対を押し切って自然を破壊する計画であり、「日本に対する侮辱だ」と強い言葉で非難した、という。さらに服部議員によると、クシニッチ議員は会談の中で「この問題は下院歳出委員長にも報告し、移設反対の声を同僚議員からも集める」と約束し、「海兵隊が日本にいる必要性はない。時代は変わった」とも述べたという。
 さらに、米ニューズウィーク誌の日本版のサイト(1/13)に、トバイアス・ハリス記者の「普天間問題はオバマ政権の空騒ぎ」という記事が掲載され、「米政府は、鳩山政権に課せられた制約を理解していると口先で言うだけでなく、そうした認識に基づいて冷静に対応すべきだ。そして、発足して間もない日本の新政権に対して選挙公約を破るよう圧力をかけるのは見苦しい行為だと認識すべきだ。」と指摘し、「今後の日米関係は、日米安保共同宣言が出された96年や、ブッシュ政権の軍事作戦を支持した小泉政権時代に両国の関係者が期待した形ではなく、より緩やかで、安全保障だけに頼らない関係に姿を変えていくだろう。」と結論付けている。
 こうした冷静な視点こそが今求められているものといえよう。
 鳩山政権は、アメリカのみならずアジアと全世界に対して、日本の政権交代の意義と沖縄県民の意思、民主党の公約を前提に政策転換の必要性をこそ積極的に提起し、日本側の政治姿勢、政治理念を明確に示すべきなのである。鳩山首相の言う、核兵器の廃絶と東アジア共同体の提起は、そのような具体的な道筋でこそ生かされるべきものであり、もっと積極的に展開されるべきものであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.386 2010年1月23日

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【投稿】スペシャルドラマ『坂の上の雲』に見る公共放送のプロパガンダ機関化への変質

【投稿】スペシャルドラマ『坂の上の雲』に見る
         公共放送のプロパガンダ機関化への変質
                             福井 杉本達也

1 なぜ『坂の上の雲』か
昨年11月29日からNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』が5回にわたって放送された。さらに今後2010年・2011年の3年にかけて放送されるという。本来は『天地人』のような大河ドラマを年末まで放送するところを2~3回少なくし、割り込んで企画したのである。そもそも、「司馬遼太郎には連載中から『本作を映像化させてほしい』とのオファーが殺到していたという。しかし『戦争賛美と誤解される、作品のスケールを描ききれない』との理由で司馬は許可をしなかった。」(Wikipedia)といわれる。それを、今回遺族の許可を得て映像化し、大々的な事前キャンペーンを張ったNHKの意図はどこにあるのか。
『坂の上の雲』の映像化を、中村政則一橋大名誉教授は『『坂の上の雲』と司馬史観』(岩波書店2009.11.13)で詳しく批判している。「どこの国でも政治意識の基礎には歴史意識がある。ときの支配者が国民の政治意識を自己の都合のいいように変えようとするときには、かならず歴史意識に働きかける。明治時代の南北朝正閏論争、昭和初期の津田左右吉言論弾圧事件、戦後では家永歴史教科書に対する検定強化などは、いずれも国民の歴史意識を変え、政治意識を変えて、支配者に都合のいい政治イデオロギーの再編をはかったものである。まさしく政治意識は歴史意識と不可分の関係にあるのである。今回の『坂の上の雲』のテレビ放映化も、国民の歴史意識のあり方に大きな影響を与える可能性がある。」(中村:あとがき)と指摘する。

2 日露戦争の性格
日経は1月3日「外向いて行動する日本にこそ価値あり」と題する奇妙な社説を掲載した。社説の最後で、「鳩山政権による日米同盟の空洞化は、1921年の日英同盟廃棄に始まり、敗戦に至る25年の歴史を連想させる」と述べている。ようするに、アングロサクソン金融資本に従順に従っておれば日本の利益は確保されるという考えであるが、岡崎久彦氏(元外務省情報調査局長)の「歴史の観点で日米同盟を見るというのは、冷戦終結後の国際情勢という短期的な視点ではない。島国だった日本が幕末に開国して以来、七つの海を制覇していたアングロ・アメリカン世界と仲良くしていれば、国民の安全と繁栄が約束されるということだ。」(産経:「日米同盟の更なる強化を」2005.11.17)という主張とぴったりと重なるものである。
その日英同盟は日露戦争に先立つ2年前の1902年に締結され。そもそも、司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描いた日露戦争とはどのような戦争であったのか。「ロシアはすでに満州を奪ってしまっており、その武力を背景にした開発企業は満州国境から北鮮をおさえている。もしロシア側のいうように朝鮮半島を北と南の二つに分割してしまうとなれば…三十九度線上で防衛戦を演じねばならないであろう。それをやらねば日本列島そのものまでゆくゆくはロシアの南下運動のエネルギーに食われてしまい、すくなくとも対馬と北海道はロシアの有になってしまうにちがいない。」「日本側の立場は、追いつめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったこともまぎれもない。」(『坂の上の雲』三)と『祖国防衛戦争』を強調するが、そこには、戦争の舞台となった朝鮮・中国(満州)の人民の姿は皆無である。
当時、ロシアの南下政策は、中国、チベット、アフガニスタン、イラン、トルコ、バルカンで、インドを取り囲む形でイギリスと対立した。しかし、イギリスは南アフリカのボーア戦争で苦戦を強いられ、大量の人員・物資を裂かざるを得ない状況になったことが影響し、義和団事件以降、極東においてロシアに自力で対抗する余裕がなくなったため、1902年1月に孤立政策(栄光ある孤立)を捨てて日英同盟を締結した。日本を番犬役に使い大英帝国の権益を守ろうとした、アングロサクソン対ロシアの帝国主義間代理戦争だったのである。

3 戦争の帰結―2010年は日韓併合100周年
日露戦争の結果(過程で)、最終的に朝鮮は日本に植民地化されることとなる。明治維新後も李氏朝鮮は、清朝の冊封体制の中にあったが、日本は1875年の江華島事件を機に李氏朝鮮に日朝修好条規を押しつけ、日清戦争後の1895年3月、清国との間に下関条約を締結し、朝鮮半島における清国の影響力を排除した。日露戦争中の1905年11月には、伊藤博文と長谷川好道韓国駐在軍司令官との連携による軍事的威嚇により、第二次日韓協約を大韓帝国に締結させ、12月には韓国統監府を設置して外交権を支配下に置いた。最終的に1910年8月22日に日韓併合条約を締約し韓国を併合した(Wikipedia)。韓国では「国権被奪」あるいは「強占」と記し、政府も国民も「日韓併合条約」は武力を背景とした脅迫によって強いられたものであるとして条約の無効を主張している(中村政則 2009)。この100周年の時期に、日露戦争を日本の『防衛戦争』として描くTVドラマを放映する感覚には恐ろしさを禁じ得ない。

4 戦費の調達先はアングロサクソン金融資本から
日露戦争の戦費は日清戦争の7.6倍、兵員数で4.5倍(110万人)戦死者数では42.4倍であった。日清戦争から日露戦争までのGNPは1.2倍しか増えていない。国家予算の8倍もの戦費がつぎ込まれた。戦費は増税(3億円)と外国債7億円及び内国債6億円で賄われた。1904年12月、日本銀行副総裁だった高橋是清は外債調達のためロンドンに向かった。最初の1000万ポンドの外債発行は1905年5月であり泥縄である。500万ポンドはイギリスの銀行団、残りの500万ポンドはニューヨークに拠点を置く金融業クーン・レープ商会の総支配人ジェイコブ・シフが引き受けた。
銀行団の最初の500万ポンドの発行条件は年利6%、額面100ポンドに対して発行価格は93ポンドで7年返済だった。平均利回り8%程度である。2回目は1200万ポンド。3回目3000万ポンド、4回目3000万ポンド。計8200万ポンドが調達された。2回目以降はクーン・レープ商会が引き受けの中心となった。
クーン・レープ商会は19世紀末から20世紀にかけてシフの下でJ・P・モルガンの最大のライバルとして金融界に君臨した名門である。1997年にリーマン・ブラザーズに統合された。シフは天皇から直ちに、勲二等瑞宝章を授与された。その後、戦勝祝いにシフは、招かれ、陪食前に明治天皇から旭日大綬章を叙勲された(田畑則重『日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記』 新潮新書2005)シフはフランクフルトのゲットーでロスチャイルド家と共に住んでいた歴史をもつ。日本公債をロンドンで販売した際、当時世界最大の石油産出量を誇っていたカスピ海のバクー油田の利権を持つロスチャイルド家は購入を拒否、その代わりロスチャイルド家と行動を共にするシフを紹介され、戦費を調達できたのである(本山美彦『金融危機後の世界経済を見通すための経済学』2009)。ようするにアングロサクソン金融資本は日本とロシアに強固な足場を持ち、どちらに転んでも損をしないようにしながら戦争をけしかけたのである。

5 明治維新からアングロサクソンの手のうちに
中尾茂夫明治学院大教授は「江戸幕末期の倒幕論といえば、われわれ日本人は、坂本龍馬や西郷隆盛といった革命児を主役とした歴史を思い描くことが多いが、より重要な政治力学は、当時の世界市場を動かしていたイギリスとの関係である。」とし、「イギリスの東アジアにおける最大の商会だったジャーディン・マセソン商会の、長崎代理店の任にあったグラバー商会は、そのイギリスの利害(自由貿易促進)の下、長州・薩摩の双方に対し武器を売却して倒幕の舞台を準備した主人公だった。」(『ビッグバン岐路に立つ日本マネー』1998)と指摘する。ジャーディン・マセソン商会の前身は東インド会社であり、1832年に設立され、香港にヘッドオフィスを置くロスチャイルド系企業グループの持株会社であり1841年に大英帝国の植民地の香港に本社を移転(登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトン))。現在もアジアを基盤に世界最大級の国際コングロマリットである。設立当初は、アヘンの密輸と茶の輸出であり、1840~42年のアヘン戦争の元凶といえる企業である。同じロスチャイルド系の香港上海銀行(HSBC)は、香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である(Wikipedia)。
「19世紀をリードしたイギリス資本主義(パックス・ブリタニカ)を背景にした、グラバーの資金力と武器調達こそが倒幕を可能にした。国民的人気を博した歴史作家・故司馬遼太郎が描いた、豪快な傑物である龍馬像は、背後にイギリスによる支持があったればこそ可能だったのである。」(中尾)。グラバー(ジャーディン・マセソン商会)は1863年には伊藤博文や井上馨ら5人を、1865年には森有礼ら薩藩留学生15人と五代友厚や寺島宗則ら4人をロンドンへ密航させている。

6 NHKのプロパガンダ機関への変質
最近のNHKの放映姿勢には特に疑問を感じる。昨年12月8日に日経新聞と米戦略国際問題研究所(CSIS)の共催による「米のアジア政策と日米関係」というシンポジウムが開催され(詳しくは、日経:2009.12.9及び12.30)、米側はハムレCSIS所長(元国防副長官)の他、マイヤーズ元米統合参謀本部議長、アーミテージ元国務副長官、グリーンCSIS上級顧問、ポデスタ元大統領首席補佐官ら米軍産複合体利益代表らが「知日派」として勢ぞろいし、日本側は自民党の石破茂元防衛大臣、民主党からは長島昭久防衛政務官ら軍事オタクが出席した。なんとNHKは「ニュース9」で「今日都内で日米関係をテーマにしたシンポジウムが開かれ、アメリカを代表する知日家が顔をそろえました」と1新聞社主催のシンポを大々的に取り上げるとともに、さらに「知日派」として出席者の1人マイケル・グリーンをスタジオに呼び、普天間移設の「合意の実施がなければ、合意そのものが崩壊し、日米関係に大きな打撃となる」などと鳩山政権の普天間問題への対応に脅しをかけたのである。
このNHKの傾向は今年に入っても変わっていない。1月7日に菅財務大臣は「円、90円台半ばが適切」と発言したが、8日のNHKニュースは「波紋が広がっている」と報じ続けた。円高傾向を口先介入で止めるのは難しいことではあるが、「この件はそれほど大々的に取り上げる問題なのか、という気がする。意図的に騒ぎを大きくしているきらいがある。」(blog本石町日記:2009.8)。「波紋」とはどこでの「波紋」なのか。米国の利益としての「波紋」なのか。NHKはいったい誰に奉仕する機関になったのか明らかにすべきである。

【出典】 アサート No.386 2010年1月23日

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【投稿】21世紀の「坂の上の雲」は可能か 

【投稿】21世紀の「坂の上の雲」は可能か 

<思いがけぬ「低視聴率」>
 坂の上に暗雲が立ち込めつつある様だ。
 NHKスペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」の視聴率が思われたほどふるわない。
第1回が17,7%、2回が19.6%、3回が19.5%、4回が17.8%そして第一部の最終回の第5回が12.9%と平均17.5%にとどまり、単純に比較はできないが、昨年の「天地人」や今年の「龍馬伝」にもいまのところ大きく水を開けられている。
 そもそもドラマ「坂の上の雲」は2006年に「日露戦争100周年」を踏まえて放映される予定だったものが、種々の事情で先送りされ、2009年から開始されたNHKの大型企画「プロジェクトJAPAN」の目玉ドラマとして放映されることになった。
 同企画は「・・・2010年は『韓国併合から100年』、2011年は『太平洋戦争開戦70年』・・・近現代史の大きな節目を迎えるこの3年間に・・・関連番組を多角的に展開し、これからの日本を考える大いなるヒントを探りたい」(NHKホームページより)とする趣旨であり、明治日本国家肯定の立場から書かれた小説「坂の上の雲」とは立脚点を異にする。原作を踏まえつつ、21世紀の視点をどこまで加味できるか注目されるが、司馬遼太郎の名前が大きすぎるだけに、司馬ファンからは「期待はずれ」との声もあり視聴率にも影響しているようだ。

<原作は現在感覚とズレ>
 原作の時代背景は、周知の通り維新から日露戦争終結までの明治時代であるが、小説が産経新聞に連載されたのは1968年から1972年までで、時あたかも「明治100年」、GNPが世界第2位となり、大阪で万博が開催された高度経済成長のピークと重なる時期である。
 つまり、1945年の敗戦により坂の上から転がり落ちた日本が、再び懸命に坂をよじ登り、ついにその頂点に達した時代である。日本人が自信を取り戻し、胸を張って生きていた時である。
 当然、多くの読者が小説「坂の上の雲」に描かれる明治の日本や群像に、自分たちを重ね合わせ共感を持ったことは疑うべくもない。さらに60年代の後半と言えば、日露戦後60年であり、小説にも登場するように、私の周りにも日露戦争従軍体験を持つ人が何人か存命していた。
 既に昭和11年には正岡子規の孫弟子が「明治は遠くなりにけり」とうたったが、戦後も明治は結構身近に存在していたことも、小説が広く支持された理由の一つと言えよう。
 一方70年前後は、高度成長の歪みは様々な形で噴出し、私たちの先輩が各学園で懸命に闘っていた時代でもあるが、多くの日本人がそれらには目をつぶり、繁栄を謳歌していた。
小説「坂の上の雲」も「女工哀史」に代表されるような明治時代は微塵も見えず、列強のなかでひたむきに生きる姿ばかりが描かれ、昭和後期の日本人に免罪符を与える役割も果たしたと言える。
 このあたりは、司馬遼太郎が昭和前期の軍国日本を嫌悪するあまり、その反動で明治を美化するスタンスと、英雄譚的な作風から小説が「美談」「善行」の連続になったというのはそうであろう。いずれにせよ、執筆時期と小説の時代背景が共鳴したところに「坂の上の雲」が国民的名作とされる所以がある。
 ところが、現在はそうではない。坂の上には登ったものの、めざしていた一筋の雲はなく、五里霧中のなか立ちすくみ、そうしている内に足下が崩れて来た。今はその様な状況ではないか。
 明治の日本、明治の日本人を郷愁と共感を持って受け容れることのできる余裕は無く、「坂の上の雲」を見ても、展開が自己肯定の極みとも言える原作のままでは、ズレが拡大していくばかりだろうし、70年代以降東アジア諸国民の連携で創りあげられてきた歴史認識も反映されないものとなってしまう。 

<アジアからの視点が重要>
 こうした時代は、まさに「これからの日本を考え」なければならない状況であり、「日露戦争100周年」から「プロジェクトJAPAN」へと枠組みが変わったことは適宜であったと言え、これまで放映された回ではそのコンセプトに立脚した演出が随所でなされている。 第4回「日清開戦」では陸、海の戦闘場面があるが、「流血」を好まないNHKにしてはかなりリアルに描いてる。例えば、秋山真之の乗り組む「筑紫」が被弾するシーンではVFXを多用し、「男たちの大和」の様な凄惨な艦上光景が再現された。また、正岡子規の従軍について小説では「遊びのようなもので終わった」で片付けられている。しかしドラマでは日本軍の強制的な物資徴用と抗議する清国民衆の姿、軍の行為に疑問を呈する子規と『(老人は)「ニッポンノヘイタイサンアリガトウ」と言うておる』と開き直る下士官のからみが描かれている。
 またその流れのなかで、正岡子規と森鴎外の邂逅というエピソードが挿入され、派遣軍の軍医部長の鴎外が戦病死者の実態を語り、「文明開化の押し売り」と日本の政策に疑問符を投げかける場面もあった。これらは原作にはなかったものである。
 さらに第3回「国家鳴動」では日本軍の仁川上陸に怯える韓国人親子の姿が描かれ、第5回「留学生」冒頭では、駐韓日本公使の三浦悟郎らによる閔妃暗殺にも触れられている。
 小説「坂の上の雲」では日清、日露戦争とも戦地となった韓国、中国についてはほとんど書かれていないので、こうした演出、脚色はプロジェクトに依らずとも当然のことと言える。しかし固陋、右翼的な「ファン」からは「中国、朝鮮に媚びている」などとの批判もでている。これは「坂の上の雲」と同じ「プロジェクトJAPAN」の一環として植民地時代の台湾の実態を描いた「JAPANデビュー」に対して向けられた攻撃と軌を一にするものである。
 原作者も脚本家も故人となった現在、修正には容易な部分も難易な問題もあるかと思われる。3年間という企画期間にあわせるためとは思うが、1年という長期のインターバルも気にかかるところである。しかし今回の企画は、前述の場面を単なる付け足しとする中途半端なドラマではなく、賞味期限の切れてしまった原作を、時代の求めるものとして再生させる試みとしなければならない。来年以降放映される「坂の上の雲」第2部、第3部でもNHKがこうした姿勢を貫けるか注目していきたい。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.386 2010年1月23日

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【本の紹介】『貧困の救いかた―貧しさと救済をめぐる世界史』

【本の紹介】『貧困の救いかた―貧しさと救済をめぐる世界史』
       著者 スティーヴン・M・ボードイン
       訳者 伊藤 茂
       発行 青土社 2009/9/25  2,400円+税

      『貧困の正体』
       著者 トーマス・ラインズ
       訳者 渡辺 景子
       発行 青土社 2009/10/23 2,400円+税

      『貧困問題とは何であるか 「開発学」への新しい道』
       編著 下村恭民+小林誉明
       発行 勁草書房 2009/11/25 3,200円+税 

<<貧困率の公表>>
 経済指標上での、民主党政権になっての一つの大きな前進は、貧困率の公表であろう。昨年10月20日、政府は日本の相対的貧困率を15.7%で、1997年以降で最悪の水準だったと算出・発表したのである。
 これまでの歴代自民党政権は、そもそも貧困率なるものを認めようとはしてこなかったし、貧困の存在を認めることは「失政」につながり、貧困率など問題にならないとして意図的に避けてきたものであった。なにしろ、98年の経済企画庁(現・内閣府)の研究所が発表したリポート「日本の所得格差」では、OECDの公表する貧困率を援用しながら、80年代半ばの日本の貧困率は、世界でも平等度が高い北欧並みだと誇らしげに分析していたのである。
 しかしまさにその80年代後半から事態は急速に悪化し、OECDの2000年なかばの統計によれば、日本の相対的貧困率は14.9%で、メキシコの18.4%、トルコの17.5%、米国の17.1%に次いで4番目に貧困率が高くなっていたのである(OECD加盟国の平均は10.6%、西欧諸国は大半が10%以下、スウェーデンとデンマークは5.3%であった)。政府・与党が推し進めた弱肉強食の自由競争原理主義がもたらしてきたものをあくまでも隠し続けたかったのであるが、その貧困率の急速な悪化は彼ら自身にとっても予想外のものであったのであろう。しかも、「ワーキングプアー」として注目を集めてきた貧困層全体に占める働く人の割合は82・8%で、加盟国中六番目であり、OECD平均の62・8%、米国の72%をも上回るものであった。さらに、母子家庭、父子家庭の相対的貧困率は「OECD加盟30カ国の中でワースト1」であることまでが明らかになった。
 反貧困ネットワークは、「貧困率測定についての声明」(10/24)の中で「日本政府が貧困率を公認したのは、1965年以来である。歴史的な政権交代の果実として、半世紀ぶりに政府は日本の貧困問題に向き合う意志をもった。日本の貧困問題は、これにより、ついにスタートラインに立った。大切なのはここからである。」と述べている。
 同声明は、政府に対して次のような課題を検討し、実行することを求めている。
 「貧困率の統計は子ども・母子家庭・父子家庭・若者・女性・高齢者・外国籍者・障害、基礎疾患をもつ人など特に貧困に陥りやすいグループ、ならびに雇用労働者について個別に算出すべきである。また統計はすべて男女別統計であるべきだ。」
 「今回の発表で、貧困率が1998年以来傾向的に上昇し続けていることが明確となった。なぜ1990年代の「失われた10年」からの脱出期に、そして2002~07年まで続いた戦後最長の好景気時に、貧困率が上がり続けたのか。1990年代以降一貫して推進されてきた、わゆる「構造改革路線」の総括的評価を行うべきである。」
 「貧困率15.7%という厳しい実態を直視し、貧困率削減目標とそのための行動計画を立てるべきである。このままでは、日本は荒廃し続け、持続可能な社会ではなくなる。経済成長率のみに一喜一憂するこれまでの姿勢を改め、貧困率の削減を国の重要な長期戦略の一つに明確に位置づけ、それに向けた諸政策の総合を図るべきである。」
 的確な指摘であり、政府・与党にはそのための政策力と実行力が問われている。

<<貧困とグローバリゼーション>>
 さていまやこの貧困問題をめぐって、大型書店には「貧困コーナー」といっていいほど多くの貧困問題に直接切り込んだ書籍や、現状を告発し、その原因を探求し、事態を解決する政策や処方箋を提示する関連書籍が所狭しと集められ並べられている。
 ここに紹介する書籍は、直面する貧困問題をより広い、包括的な視点から、そしてまた歴史的な視点から、そして学際的な視点から捉え直すという点においてユニークで貴重な試みが提示されている。
 『貧困の救いかた』で著者は、「本書は、ジェンダーという魅力的な問題を無視することなく、それを世界史の中の貧困を研究し、理解する重要なレンズとしながら、一五〇〇年ごろに始まったグローバリゼーションのプロセスに主に焦点を当てる。グローバリゼーションを選択することで、貧困と世界史そのものに対する私たちの理解は深まる。というのも、貧困がグローバリゼーションのプロセスと密接に結びついているためである。」という視点を明らかにする。
 第1章 前近代世界における貧困と慈善活動―原因、認識、戦略
 第2章 新興グローバル経済の中の貧困
 第3章 初期近代の貧困救済の革新
 第4章 工業化、帝国主義、世界の貧困―一七五〇‐一九四五
 第5章 貧困、道徳、国家―一七五〇‐一九四五
 第6章 第二次世界大戦後の貧困と貧困救済
この第6章をもう少し詳しく見ると、
 新たな国際機関とその意義
 貧困の性格と原因
  経済のグローバル化と脆弱性の増大 / 人々の暮らしに及ぼす国家の影響
  相対的貧困の増大 / 状況的貧困の拡大 / 構造的貧困の多様性
  ラテンアメリカやアジアの動向 / 農業中心社会の貧困の様相
 貧困とその緩和に対する態度
  冷戦下の攻防 / 近代化への信念のかげりと従属理論の登場
  新古典派経済学の台頭 / 経済成長の目標 / 福祉国家への批判
 社会福祉、貧困救済、開発
  NGOの挑戦 / その他の国際機関 / 世界銀行とIMF / 国連開発計画 / OECDとODA
という目次からも明らかなように、世界の貧困とその救い方をめぐる歴史を検証し、現代の国家規模の貧困救済や世界規模の福祉政策のありようまでを考察している。
 著者は最後の「まとめ」において、「おそらく、もっとも重要なことは、歴史が行動への呼びかけの役割を果せることである。私たちは誰なのか、私たちはどこにいたのかを正しく理解することで、私たちが、歴史の中でどんな役割を果たせばいいのか判断することができる。貧困の歴史をよりよく理解することによって、よりよい判断が下せることを期待したい。それは、グローバル化が進展する時代の中で、私たちの行動が家族や友人や町、さらには国家の枠をはるかに超えて影響を及ぼすという事実を強固にするものである。」と結んでいる。

<<最も貧しい農村の人々>>
 『貧困の正体』について著者は、「本書は、過去二〇年以上にわたって金融界で働いてきた人々に計り知れない富をもたらしてきた、世界市場の自由化という政策を検証する。本書はまた、それと同じ時期に貧困国が陥った「輸出志向」の罠について述べる。われわれは、現在の政策とよく似た自由放任政策の信用を失墜させた一九二九年の大恐慌のことを忘れてしまったようである。自由市場の原理への信頼が再び、地球上の最も貧しく、最も弱い人々の貧困をさらに深刻化させている。信用危機が始まった後の数ヶ月で、この罠がどれほどひどい結果をもたらすかを予測できた人はほとんどいなかった。」と強調し、「本書では、これらの国々の貿易の変化がなぜ、そしていかにして起こったのか、グローバルな市場とサプライチェーンがどのように働いているのか、どうしたら貧困国とその国民がこの泥沼から脱け出せるのかを説明する。経済について、より質の高い見方を再構築するためのいくつかの方法を提案する。第一に配慮されるべきなのは、貿易を自由化して巨額の金融取引を増大させることではなく、一〇億の貧しい人々に、雨風をしのぐ屋根と、ひもじい思いで眠りにつかないですむだけの食糧を保障することでなくてはならない。本書は、それらの人々に捧げられる。」と、その立ち位置を鮮明にしている。
 第1章「取り残された人々」では、「最も貧しい人々の圧倒的多数は農村部で生活している」ことを明らかにする。「とりわけグローバリゼーションに後れを取った数十カ国に共通する経済的特徴がある。それは、規模が小さいこと、遠隔地にあること、農業や農産物輸出、食糧輸入に依存していることである。最も貧しいのは農村地帯であり、中国やインドのような急成長している国や豊かな世界の多くの国々でさえ、農村の危機に直面している。最貧諸国にとっては、輸出志向のドグマがこれらの問題を深刻化させている。彼らの救済を意味するはずだった輸出品の多くが実質価格を急速に下落させているからである。世界がこれらのグローバルな要因に真剣に対処するまで、経済的格差を大幅に縮小する望みはほとんどないだろう。」と指摘する。
 この指摘は、急成長する中国ならびにインド経済の現実、それが抱える深刻な問題を見るうえで非常に重要な視点といえよう。
 第6章「歴史を無視できるのか」において、著者は以下のような提言をまとめて提示している。
 1.各国政府の独自の政策を決定する力を回復させる
 2.輸出志向を要求することをやめる
 3.農産物の国際価格を回復させる
 4.国際的なサプライチェーンでの力の均衡を回復させる
 5.国内農業と主食生産を支援する
 6.とりわけ主食に関して、国内取引と地域貿易を推進する
 同じ第6章の「貧困を破壊する」において著者は、「われわれは、農村で暮らす九億人の貧しい人々のニーズと利益を優先するよう主張すべきであり、それ以外の人々が彼らに合わせる道を探るべきなのである。経済の領域では、彼らの最も重要なニーズは、労働者の労働に対する適正な賃金と農民の生産物に対する適正な価格である。現在の市場支配型の取り決めの下では、一貫してこれらのニーズを満たすような目標を設定することは野心的、あるいは理想主義的とさえ思われるかもしれない。しかし、そうした取り決め自体が、政治的選択を意味しているのである。以前にも、これとは違った取り決めが存在した。そして、われわれは、ふたたび取り決めを変えることができる。今のまま行けば、多くの人々が直面することになる暗い未来を考えれば、このアプローチは唯一人間味のあるものであり、これと不可避的に対立する強力な既得権益をものともせず、推進していかなければならないのである。」と結論付ける。

<<「貧困問題の社会科学」へ>>
 『貧困問題とは何であるか』の目次は以下のとおりである。
序 章 貧しい人々は何をもっているか:展開する貧困問題への視座
第1章 社会科学としての貧困研究:貧困問題と経済学の出会い
第2章 自由を設計することの矛盾:貧困研究と制度論
第3章 近代国家を超える貧困問題:貧困研究と政治学
第4章 「開発社会学」の挑戦:貧困研究と社会学
第5章 他者の生き方を書く:貧困研究と人類学
第6章 貧困をみる眼と自由の選択:価値実現論からのアプローチ
終 章 貧困問題とは何であるか:開発学への新しい道
 この本の「BOOK」データベースの内容紹介に「貧困の社会科学へ。学際的な貧困研究を通じて浮かび上がる新たな「開発学」の姿。途上国の人々の状況を改善するための道筋を提示する。」とあるように、本書は財団法人・統計研究会の「貧困の学際的研究会」での6年間にわたる研究会活動、「貧困に関して、語る、問う、調べる、学ぶ、気づく、知る、行動する、実践する、現場に行く、展望する、提案するなどの多くの作業」を通じてまとめ上げられたものである。
 編者の下村氏は「貧困問題にかんする多くの類書と比較すると、本書は一つの特徴を持っている。これまで有力な国際援助潮流から見落とされてきた重要な側面に光を当てたことである。」と強調する。
 第1章では、河上肇の『貧乏物語』が取り上げられ、「貧乏物語」を「物語」に終わらせずに「貧困問題の社会科学」へ発展させることが提起されている。
 以上に紹介した書籍には、いずれにも貴重な視点と提言が提示されている。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.386 2010年1月23日

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【投稿】路線転換に抵抗する大連立策動

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<<「平和賞」受賞で戦争の合理化>>
 ノーベル平和賞受賞は、オバマ米大統領の苦い現実をさらけ出せてしまった。「平和賞」受賞の場で「戦争の合理化」を強調する受賞者が過去にいたであろうか。
 12/10、オスロで行ったノーベル平和賞受賞演説で、「平和を維持するためには戦争という手段が演じる役割もあるのだ」と述べ、アフガンへの米軍追加増派を引き合いに出して、「米国民が直面している脅威を座視は出来ない。交渉でアル・カーイダを武装解除することは出来ないのだ」として、これを “just war” 、「正義の戦争」だと居直り、「依然としてわれわれは現在、戦争状態にあり、私には、何千というアメリカの青年を遠く離れた地の戦闘に派兵していることに責任がある。彼らの何人かは人を殺し、また何人かは殺されるであろう。」(Still, we are at war, and I’m responsible for the deployment of thousands of young Americans to battle in a distant land. Some will kill, and some will be killed.)と平然と述べたのである。パキスタンを巻き込んだ泥沼の戦争にのめりこむことを公然と宣言し、熾烈な攻撃と犠牲者を前提に、「殺し、殺される」ことを当然視したのである。
 これでは、ホワイトハウスが恒例としてきたノーベル平和賞受賞者の記者会見をキャンセルし、ノルウエイのノーベル委員会とのディナー、テレビインタビュー、平和促進のための子供向けイベント、ノーベル平和センターでの受賞者を称える展覧会への訪問など、その他のすべてのイベントもキャンセルせざるを得なかったのは当然といえよう。「なぜ平和賞の場で、戦争を正当化するのか」という当然な詰問から逃げ出したのである。

<<「両立しがたい難問」>>
 しかしオバマ氏は同時に、この受賞演説の中で「戦争そのものは決して栄誉あるものではないし、我々は決して戦争を栄誉あるものとして吹聴してはならない。とすれば我々は、戦争は時には必要であり、また同時に戦争は一面では人類の愚かさの表現でもあるという、この一見両立しがたい二つの真実を両立させるという難問に直面しているのである。」(But war itself is never glorious, and we must never trumpet it as such. So part of our challenge is reconciling these two seemingly inreconcilable truths — that war is sometimes necessary, and war at some level is an expression of human folly.)とも述べている。言葉の使い分け、レトリック、ごまかしとはいえ、これが前政権との違いといえば、違いともいえよう。
 しかし、このような両立しがたい現実、難問を認識するのであれば、そもそも「平和賞」受賞を辞退すべきであったのだ。核兵器廃絶への道を現実化させたその段階でこそ、受賞候補になりえたにもかかわらず、先行投資が急がれたのであろう。現実のオバマ氏は、期待されるオバマ氏とは違ったのである。イラク戦争に一貫して反対してきたはずのオバマ氏にとって、アフガン戦争への転戦は自己矛盾であり、戦争の泥沼化に利益を見出す勢力への迎合でしかない。アメリカの世論調査では、オバマ氏のノーベル平和賞受賞について圧倒的多数の人々が「時期尚早」、アフガンへの増派にも反対と答え、支持率はどんどん低下しており、逆に共和党のペイリンやギングリッチが、オバマ演説を米国の理念を擁護した演説だとして激賞しているというのもうなずけよう。戦争政策では、オバマ民主と共和党の大連立が事実上成立したわけである。
 このようなオバマ氏の中途半端で一貫性のない政治姿勢は、金融恐慌から経済恐慌へとアメリカ経済を転落させたウォール街の金融資本とその代弁者をあくまでも救済し、その責任者を重要閣僚や地位にとどまらせ、マネーゲームに対する抜け穴だらけの規制策しか打ち出せず、国民皆保険制度改革でも次から次へと譲歩を重ね、チェンジとは程遠い現実にも現れていえるといえよう。

<<躊躇し混迷する路線転換>>
 その中途半端で一貫性のない政治姿勢は、日米相呼応しているかのように、共鳴しあい、鳩山政権をも迷走状態に落とし込んでいる。
 ブッシュ政権のイラク・アフガン戦争政策を徹底して支持、協力し、それに付き従い、その弱肉強食の自由競争原理主義を金科玉条のように振り回してきた小泉・竹中路線、安部・福田・麻生と続いた自公連立政権、その破綻こそが民主党を中心とする三党連立政権を生み出したのであるが、これまた路線転換に躊躇し、混迷の度を深めている。
 客観的政治・経済情勢は、戦争挑発と侵略と軍事介入、軍事力増強と軍事同盟強化、軍事費拡大の路線から、平和と緊張緩和、軍備縮小と軍事基地の撤去、核軍縮から核廃絶への、相互協力と対話の路線への転換、そして自由競争原理主義と格差拡大、規制緩和と緊縮財政・社会保障費削減、セイフティネット切り捨て路線からの転換をこそ要請しており、それが「国民生活が第一」という民主党の路線に勝利をもたらしたものであった。この外交・内政・経済にわたる二つの路線転換は、密接に結びついており、それはまた時代の要請でもあり、またこの決定的で明確な平和路線、グリーンニューディールや社会的セイフティネットの再建・拡充を目指した積極的経済再建路線への転換なくしては、日米ともに現在の政治的経済的苦境から脱出することは不可能なことがますます明らかとなっている。この路線転換での混迷と躊躇が、危機を深化させているのである。
 その意味では、この路線転換には大いなる可能性と現実性が確固として存在しているのであり、希望を現実化させる根拠が存在しているのである。少々時間がかかり、抵抗もあり、軋みがあったとしても、現在の鳩山連立政権はこの路線転換をこそ達成すべきであるし、それは可能なのである。

<<「人の痛みを自分の問題として」>>
 当然このような路線転換に抵抗する旧支配勢力や自民党、主要メディアは、鳩山政権を脅し、危機感をあおり、その迷走状態に乗じて分裂をまで策すことに懸命である。
 12/13日付け読売新聞社説は、「連立党首会談 首相は小党に振り回されるな」と題して、「3党連立を組んでいるせいで政権運営が混乱し、内政・外交とも危機的状況に陥っている。」として、「鳩山首相が社民党党首の福島消費者相、国民新党代表の亀井金融相と会談し、米海兵隊普天間飛行場移設問題の解決に向け、3党で協議していくことを確認した」こと、そして首相が会談で、「具体的方針が出るのはだいぶ先になる」との見通しを示したことを非難し、「社民党の理解が得られなくても、現行計画で早期決着を図るしか道はないはずだ。社民党が連立離脱をほのめかせば、自民、公明両党に協力を仰ぐ選択肢もありえよう。」と、アメリカ追従外交を要求し、またぞろそれを支える大連立工作を公然と表明しているのである。
 さらに「経済問題では、国民新党が積極財政出動の持論を押し通す場面が目立っている。・・・財政規律を優先して歳出規模を抑えたい菅氏らに対し、亀井氏が歳出の大幅な積み増しを求め、基本政策閣僚委員会を欠席した。このため、緊急経済対策の決定がずれ込む騒ぎになった。来年度予算についても、国民新党は歳出増を求めており、第2次補正予算と同じことが繰り返されれば、鳩山内閣が目指す年内編成が危うくなりかねない。・・・ここまで少数党に振り回されている政権は例がない。3党連立とはいえ、国の最高指導者は鳩山首相だ。首相はそのことを強く自覚し、早急に態勢の立て直しを図る必要がある。もはや八方美人では済まされない。」と、財政規律優先の財務省の緊縮路線、規制緩和と福祉切り捨ての小さな政府路線への復帰を促し、それと相反する連立の解消と旧勢力との大連立を要求しているのである。しかしこのような路線には未来がないし、すでに破綻した路線でしかない。
 鳩山連立政権は、じっくり、しっかりと地歩を固め、具体的で着実な政策転換を現実化し、このような旧路線への復帰を許してはならないといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.385 2009年12月19日

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【投稿】「成長なき安定」へどう軟着陸するか

【投稿】「成長なき安定」へどう軟着陸するか
                           福井 杉本達也

1 取り敢えず「安直」しかない
11月25日・ドバイ発金融危機の激震が世界を走った。ドバイがアングロサクソン金融資本のアラブ石油資金吸い上げの中継センターとなっており、結果、英金融資本が債務の4割近くを持つことから、ユーロがつられて下落し、円は一時84円台の独歩高となり、円に対して集中的なデフレ圧力が加わった。これに対応し、鳩山政権は12月8日に7.2兆円規模の2009年度補正予算を決定した。緊縮の財政政策を転換する方針を示したのであるが、中身は、景気悪化による税収落ち込みによる減収分の地方交付税3兆円、エコポイント・エコカー補助金、住宅版エコポイント、中小企業向け融資保証枠10兆円、住宅支援機構金利引き下げなどであり、財源は旧政権の補正見直しで捻出した2.7兆円のほかは、国債の増額で賄うこととなる。8日のTV・モーニングショーではこれでは旧政権の補正予算と変わらないとか、わずか衆参8議席の国民新党や12議席の社民党に振り回されているとの発言や、「連立」とはそんなものだとの達観論も飛び交っていた。
11月20日に菅戦略相はデフレ宣言をしているが、宣言をして何もしないのではどうしようもない。GDP=民間消費+民間投資+政府支出+((輸出)-(輸入))であり、デフレ下で賃金が下落し民間消費が縮小、設備投資も減少する中で政府支出を一気に減らせばデフレを加速させる。エコカーなどは『エコ』でも何でもなく、単なるトヨタなど自動車産業への補助金であるが、取り敢えず「安直」だが、亀井大臣の「政府支出をやるしかない。…経済学者、エコノミストが『ああでもない』とテレビで言っているでしょう。…あんな御託で、経済が動くわけではないのです。…毎日仕事もない困っている人の状況とか、…そういう人たちに仕事を出すにはどうしたら良いか、ということを考えないと。」(金融庁大臣会見2009.12.1)という言葉が正解である。

2 「市場との対話」とは市場という「強盗との対話」である
「市場」とは「自由経済の牙城」ではなく国際金融資本という「強盗の牙城」ことである。12月4日にみずほ証券の誤発注に対する地裁判決が出たが、2005年12月8日午前9時27分~37分というわずか10分間で400億円という途方もない金が抜かれてしまった。強盗に対しては一瞬たりとも隙を見せてはならない。緩やかな円高は国民経済にとって好ましいことではあるが、為替相場の激変は金融資本の暴力である。藤井財務大臣のように「(市場は)自由経済の牙城だ。安易に介入しない」(「ガイトナー米財務長官との会談」日経:2009.9.26)などと間抜けな発言はしないことである。
ブログ『厭債害債』は「中国は、おそらく巨額の介入によって事実上のドルペッグを最近維持しているから、このドル安局面では円に対しても自国通貨安となっている。日本が輸入するものに関してはデフレを輸出していることになるわけだ。そういう政策によって、中国は競争力を維持し、景気維持につなげている。…これほどまで明確に自国優先のスタンスを示されるとかえって清清しい。翻って、日本では株がぼろぼろになろうが為替がドル安になろうが、政治のほうからはマジメに考えている雰囲気が伝わってこない。介入は無駄だというのはある種の正論だ。…即効性のある対策などないというのもその通りだろう。しかし、あらゆる局面であらゆる手段を使って国民の利益つまり国益を守る事が政治の最優先課題だと思う。今の政権には『国益』という観念が希薄なように思える。」(『厭債害債』2009.11.27)と書いている。
この間、三菱UFJが1兆円、三井住友が8,629億円、みずほが5,160億円、野村が4,350億円、日立が4,156億円など大企業は軒並み桁外れの増資を行っている。これで株価が下がらなければ七不思議である。しかし、政府が株価は下がるものと達観していたのでは金融資本に突っ込まれる。たとえば9~11月にかけ、マスコミは日本の財政危機を煽り長期金利を高めに誘導しようと試みてきた。「長期金利、上昇圧力じわり」、「国債大量発行くすぶる不安」、「『新規国債発行50兆円』など具体的で巨額な数字が出てくると、『投資家はひるまざるをえない』」(日経:10.21)などと書き綴ってきた。「財政規律が失われたとみれば、長期金利が上昇する」(日経社説:11.21)というのは一種のフィクションであり、「10年債利回り1.27%に低下」(日経:12.09)したように、現在のカネ余りの状況下において国債以外に安定した運用先がないというのが事実である。事実とフィクションとの乖離とはマスコミを使った金利操作であり、カネ余りの状況下にあって、投機の機会を窺がっているのである。

3 ドバイ・ショックはなぜ起ったか。
ドバイは石油代金の中継基地である。ドバイからロンドンを経て世界に流れている。産業革命・フォードシステム以来、大量生産・大量消費という「規模の拡大」「成長」を絶えず追い求めてきたが、産業資本で行き場の失った余剰資本は金融に流れ込み、米経済でITバブルを生み出し、最終的に100兆ドルを超える膨大な資金は金融バブルを創出し、リーマン・ショックで崩壊した。しかし、金融資本は国有化という国家の庇護下に逃げ込み、再びその鎌首をもたげてきている。米FRBはゼロ金利でドルをばら撒き続け金融資本を支え続けており、ドルキャリーでドルが大量に米国から世界に、特に新興国や資源国に流出しており、バブルの輸出を行っているのである。しかし、この成長モデルは既に賞味期限が過ぎている。トービン税課税案など、国際金融資本を規制する動きは強まっている。金融資本は世界的に規制が強まる中でも、飽くなき投機機会を探し求めている。

4 幻想の「成長戦略」=「トリクルダウン理論」
経団連は民主党の国家戦略を「本当に成長戦略を考えているのか」とし、小峰隆夫法大教授も「そもそも経済のパイを増やす発想が乏しい」(日経:2009.11.27)と批判する。日経のコラム『大機小機』が「2002年に491兆円だった名目の国内総生産(GDP)は、07年に過去最高の516兆円に達した。ところがこれは10年前の1997年の数字にほぼ一致する…日本経済は10年間、尻尾をくわえて同じ場所でぐるぐる回っていたことになる」(日経:11.19)と書いているように、経団連が支持し、小峰氏も理論的に荷担した「構造改革なくして成長なし」と唱えていた自民党政権下においてこそ経済はゼロ成長だったのである。
ところで、そもそも『成長戦略』は可能なのだろうか。横国大の中村剛治部氏は「1980年代以降、ポスト工業化段階へ移行=成熟経済化、知識経済化」し、成長経済の米英型モデルとして「グローバル化、ものづくりより、金融主導型成長モデル」になったとし、米では金融がGDPに占める割合は2割を超え、英では32%を占めるまでになったとしている(「グ口一バル経済の第2段階と日本経済・地域経済の展望」2009.11.27)。その肝心の最後の金融主導型成長型モデルが崩壊したのであるから、新たな成長戦略モデルがあるとは思えない。中村氏は新たな成長部門として医療、福祉、環境産業や水や鉄道などの公共的インフラシステムなど内需型産業の『輸出』などを提案するが、電気や内燃機関といった20世紀の成長を主導した技術と比較すればその小粒さはいなめない。そもそも、医療や福祉というサービス産業・つまり生産=即消費という産業が主要な成長モデルとなるとは考えにくい。IT産業にしても、情報伝達手段であり、NC工作機械を例にとってみれば、ワークを加工する部分が付加価値を直接生み出す部分であり、情報を伝達する部分はいかに「早く、ムダを少なくする」かという付随的部分にすぎない。金融はこのITを最もうまく活用したものであり、情報を0.1秒でも他の競争者より先に取得し、利益を得るかということである。これはロスチャイルドがワーテルローにおけるナポレオンの敗北を馬車でいち早くロンドンに伝えたという逸話と中身はほとんど変わらない。「馬車」が「IT」に変わっただけであり、他の競争者に先駆けて利益をいかに「早く」掠め取るかということであり、基本的には「ゼロ・サムゲーム」である。

5 「成長なき安定」へどう軟着陸するか
水野和夫氏は「74年以降は、資本の利潤率は先進国で一斉に下がり始め、実物投資をしても儲からない…経験的には長期金利が2パーセント以下で10年以上長期化すると、実物投資が見合わない」(「近代化の終焉と脱近代経済学」『現代思想』2009.8)と指摘しているが、ゼロ金利の状況下では新興国以外では新たな実物投資の機会はほとんどない。水野氏の計算では、その新興国の投資は年間6兆ドルもあればよいとしており、あるのは再び新興国で金融バブルを起こすか、英国が主導する「排出権取引」といった「空気」に値段を付けて競争者の付加価値を掠め取るという詐欺商法だけである。伊東光晴氏は福祉、教育、学問、文化、芸術等のものをつくらない投資により過剰生産力を高めない社会=「成長なき安定」を提唱する(『日本経済を問う』岩波書店)。また、田中優子氏も価値観は『勝ち負け』と『お金』あるのではないとし、江戸時代が16世紀の戦国から和冦・大航海・朝鮮侵略というグローバリズム・暴力の時代から1640年以降の平和外交と内需産業の育成への方針転換を行った例を引き合いに「人間生きていくために際限なくむさぼる必要はない…自分の能力ではどこまで暴力的にならず、他者を侵さずに生きてゆけるのか…『配慮と節度』『分』が高度に文明的なありよう」(『未来のための江戸学』小学館新書)だと指摘する。35兆円もの需給ギャップ(過剰生産力)を政府支出によって埋め合わせることは不可能であるが、一方、今、超緊縮財政でいきなり政府需要を絞り込めば不況を深刻化させる。経済恐慌は「文化」を疲弊させ「外交」努力を放棄させ「暴力」につながる。3党連立政権の国家戦略の課題は「自由競争」と「暴力」・「グローバリズム」の嵐の中で、途中難破せずにどう新しい価値観の社会に軟着陸できるかにかかっている。

【出典】 アサート No.385 2009年12月19日

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【本の紹介】『貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告』

【本の紹介】『貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告』
       阿古智子著 新潮社 2009年9月20日発行 1400円 + 税

<<「世界エイズデー」>>
第22回世界エイズデーを翌日に控えた11月30日午前、中国の胡錦濤国家主席と李克強副総理は、国家会議センターを訪れ、エイズ予防・治療ボランティア活動に参加し、胡総書記が「エイズは全人類共通の敵であり、エイズの予防・治療は全人類共通の責任だ。国際社会と交流・協力を強化し、エイズという世界的な試練に共同で対処し、エイズ予防・治療事業の効果的な推進に積極的に努めていきたい」と述べ、そして当日の12月1日には北京地壇医院に足を運び、エイズ予防・防止事業を視察するとともに、その第一線で奮闘する研究者やボランティアに心からの挨拶と感謝を伝え、「エイズ予防・防止には社会全体の幅広い参加が必要だ。エイズ予防・抑制の知識を踏み込んで宣伝し、公民1人1人が関連知識を把握し、患者1人1人が迅速に救済されるようにしなければならない」と指摘した、という。
中国衛生部が11月30日に発表したところによると、中国で1985年に初めてエイズ患者が確認されてから2009年10月末までに、確認されたエイズウィルス(HIV)感染者とエイズ患者は合わせて31万9877人で、その中でエイズ患者は10万2323人、死亡した人は4万9845人、今年、エイズウィルスに新たに感染した人は4万8000人であった。中国衛生部エイズ予防処の孫新華・処長によると、HIV抗体検査未受診のため、自分が感染していることを知らない人々を含めると、エイズウィルス感染者総数は約70万人と予測されることを明らかにしている。
孫処長によると、中国政府はエイズ予防治療業務を重視し、2006年に「エイズ予防・治療条例」を公布・施行し、条例では、政府および関連部門、工会(労働組合)・共産主義青年団・婦人連合会など各団体、住民委員会や村民委員会など組織・個人のエイズ予防治療業務における職責と義務が規定されている、という。そして条例では、それまで数年間すでに実施されていた「四免一関懐」(四つの免除と一つの援助)政策を制度化している。四つの免除とは、
(1)生活困難を抱える農村・都市部のエイズ患者に対する抗ウィルス薬の無料提供
(2)無料相談・検査の実施
(3)HIVに感染している妊婦に対する母子間感染防止薬および検査試薬の無料提供
(4)エイズ孤児に対する学費免除
であり、一つの援助とは、
生活困難を抱えるエイズ患者を、政府による福祉の対象に組み入れるというもので、エイズ予防・治療宣伝業務を強化し、エイズ感染者・患者に対する差別撲滅が企図されている。

<<ねずみ算式感染拡大>>
以上はあくまでも中国当局者の、エイズ=HIV感染の予防・治療に対処する基本姿勢を示したものである。ここに紹介する本の著者の阿古智子氏は、2006年に「エイズ予防・治療条例」が公布・施行された後の2007年に、HIV感染者が30万人とも言われるほど多いことで知られる河南省の現地に飛び込まれ、長期間、幾度にもわたる精力的なフィールドワークによって明らかにされた実態が対置されている。
この本の「第1章 エイズ村の慟哭」が提示するものは以下のような実態である。

「2007年8月、河南省の省都・鄭州市を出て、長距離バスで約2時間行くと、同省東部にある商丘市雎県の東関南村に到着した。・・・東関南村では人口700人余りのうち、170人は売血で、20人は輸血によっでHIVに感染し、すでに40人以上が亡くなっている。河南省は中国でも売血によるHIV感染者が多いことで知られているが、それは、1990年代初めから半ばにかけて、省や市・県の衛生部門が血液銀行の開設を奨励し、農民に売血を呼びかけたからだった。当時、雎県の共産党委員会書記は、「ゆとりある生活を早く実現したいなら、献血に行こう」とテレビを通して語りかけている。国道両側の家屋の壁には、「売血による地域振興」というスローガンが、刷毛で大きく善かれた。
こうして、1990年代半ばには大規模かつ組織的な血液売買が横行したが、採血は不衛生な環境で行われていた。多くの血液ステーションが作業を早めようと、同じ針を使って多数の人から採血したり、遠心分離機の殺菌を怠ったりしでいたため、ねずみ算式に感染が広がった。
河南省の農村で5年間、医療活動に従事していた北京佑安医院の張可医師は、省内のHIV感染者を約30万人と推定している。1990年代半ばの短い期間にこれほど急激に感染者が増加したのは、都市開発偏重の経済政策によって格差が拡大し、発展から取り残される一方の地域において、地方政府が血液売買を促進したからであった。」

ここにはまさに地方政府・共産党も直接関与していた血液ビジネスの実態が明らかにされている。

<<「口頭文書」>>
一方、こうした実態を目の当たりにした多くの医療従事者たちがこの問題に警鐘を鳴らし、患者自身も中央政府に直接訴えるため、北京にまで何度も足を運んでてきたのも事実である。しかしことごとく撥ね付けられる。

「河南省東部・周口地区防疫所技術員だった王淑平は、1994年、売血者400人の血液検査を実施した。そのうち15%がエイズに感染していたため、ただちに河南省の衛生局に対策を訴えたが、衛生局は何の対策も講じなかったため、エイズ研究の第一人者であった中国予防医学科学院院長の曾毅に再検査を依頗したところ、結果は同じであった。
北京の曾毅の働きかけもあったのだろうか。この後すぐに、中央政府は河南省に売血禁止の指令を出したといわれている。しかし、河南省政府はそれに従うことはなく、王淑平は脅迫の電話を受けたり、棍棒を持った暴徒に乱入されたりした挙句に、職場から解雇された。彼女は現在中国を離れ、アメリカで検査の仕事をしている。」
「呉麗の紹介で会った別の輸血HIV感染者の馬秀(仮名)は、カルテの開示や生活補助費の値上げを要求したが、公安局長及び共産党政法要員会副書記が直々に対応し、「3つの不可能」という方針を掟示したという。すなわち、(1)河南省ではエイズ関連訴訟は立件しないという「口頭文書」が出されている、(2)カルテは開示できない、(3)生活補助費は上げられない。
「口頭文書」というのは、上級機関から下級機問に出される特別な指示であり、下級機関は拒否することができない。「口頭」であるから、何らかの状況で問題が取り上げられるとしても、証拠書類となる文書が残ることはない。権力側が、やましいことがある場合に使う常套手段であり、明らかに透明性を欠く制度である。」
「政府も役人も頼れない。法も裁判も機能しない。隣にいるのが、慈善家なのか、ペテン師なのかも分からない。昨日まで被害者だったほずの人が、今日には犯罪者に転落してしまう。「信頼」「正義」「互助」などの人間性が失われ、社会が崩壊していく恐ろしい現実を前に、筆者は暗澹たる思いにとらわれた。」

「口頭文書」とは、あきれるばかりであるが、ここまでして「被害者たちの正当な権利さえ認めず、他の感染者を買収して傷害を負わせようとしたり、恐喝罪などの罪をなすりつけようとしたり、不正な力を行使してでも被害者たちの動きを封じ込めようとする」腐敗した権力の実態が明らかにされると情けなくなるばかりである。
著者は「エイズは今や、死に至る病気ではない。体をいたわり、生きながらえることが彼女たちにとって最も大切なことであるが、裁判所にも政府にも、自らの言い分をまったく聞き入れてもらえない現状を前に、自暴自棄になっている者も少なくない。エイズが恐ろしいのは、病気そのものではなく、それがもたらす人間の腐敗や差別、そして、憎悪や絶望なのだ。」と訴えている。この訴えや警告は、日本にも世界にも向けられたものといえよう。

<<>>
ここで改めて、この本の目次を紹介しておこう。

第一章 エイズ村の慟哭
不満を爆発させる輸血感染者/政府も関与していた血液ビジネス/生かされなかった他国の経験/「政績」重視の中国政治/裁判で解決できない理由/「上訪」―中国特有の陳情制度/医師やNGOへの圧力/「被害者」が「犯罪者」に転落する理由
第二章 荒廃する農村
戸籍制度が規定する「農民」/不公平な農業税制度/烏蘭蘇村の農民たち/「村民自治」の現実/農民負担問題/農村税費改革/自治の後退/崩壊する集団灌漑システム/困難な利害調整/民営化の弊害/土地をめぐる争い/娯楽、人間関係の変化
第三章 漂泊する農民工
若者のいない村/第二世代の農民工/複雑なアイデンティティ/露天商の厳しい現実/「市民」不在の無法地帯/戸籍制度の変遷/難航する戸籍制度改革/「勝ち組」が支配する社会の現実
第四章 社会主義市場経済の罠
毛沢東時代の土地改革/「先富論」と農村の土地制度/失地農民の出現/失地農民の行く末/「重慶茶館爆破事件」と「補償金離婚」/小産権の出現/錯綜するエゴイズム/私有化は可能か/「社会主義市場経済」はなぜ機能しないのか
第五章 歪んだ学歴競争
格差を助長する大学入試制度/「自力更生」と競争原理/点数は金で買える/豪華すぎる実験モデル高校、ブランド化を図る重点高校/さまざまな公私協同学校/高額化する大学の学費/壊れていく子どもの心/なぜ親を殺さなければならなかったのか/「自分」を表現したい

著者略歴は以下のとおりである。
あこ・ともこ 1971年生まれ。大阪外国語大学中国語学科卒、名古屋大学国際開発研究科修士課程修了、香港大学でPh.D.取得。在中国日本大使館専門調査員、姫路獨協大学助教授、学習院女子大学准教授を経る。

第一章を紹介しただけであるが、「貧者を喰らう国」の実態がこれほど広く、深くフィールドワークされた本書は、日本では他に類例を見ない価値ある一冊といえよう。
著者の姿勢は、「中国社会は深く入り込まなければ表面を撫でるだけで終わってしまう。地域の集団のメンバーにならなければ問題は見えてこない。逆に仲間としての関係性が得られれば、さまざまな情報を共有することができる。」「弱者を理解することは、人の痛みを自分の問題としてとらえる姿勢を持って共に感じ、考え、もがく中で得られる感覚や視野を大切にしなければならない。」という言葉に良く表れている。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.385 2009年12月19日

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【コラム】ひとりごと—第2のセーフティネット論について—

【コラム】ひとりごと—第2のセーフティネット論について—

○昨年末の日比谷公園・「年越し派遣村」の経験から、新政権はこの年末を迎えて、就労・住居・低利融資・多重債務・自殺防止など、様々な問題について、離職者・求職者・失業者を対象に、11月30日にワンストップサービスの取り組み(試行)を行った。全国の政令都市を中心に77箇所のハローワークで実施され、2404名の利用があった。○失業・離職対策には雇用保険給付があるが、実態として、非正規雇用の場合、雇用保険にさえ入っていないケースが大半である。ハローワークにおいては、就職斡旋に加えて職業訓練と生活給付がセットになった「基金訓練」や、求職活動中の生活資金貸付などの支援策がある。○ただ、これらの新制度が利用できない場合、生活保護は福祉事務所へ、また低金利の融資の場合は、社会福祉協議会へ、と窓口が異なり、利用できる人が制度を知らされないまま、という状況も生まれていた。○そこで、反貧困ネットの湯浅氏の提言もあって、新政権の下で、失業や住居をなくした人たちへの総合的な相談窓口を全国のハローワークを拠点に整備しようという試みとして計画されたのである。○09年に入って以降、厳しい雇用環境もあり、全国で生活保護受給者が急増している。特に大都市圏である大阪・名古屋においては、昨年比5割増を越える申請があり、12月議会に提案された09年度補正予算の大半が生活保護予算の増額というのが実態である。生活保護現場は人員不足もあって、許容範囲を越えた激務となっている。○「すべり台社会」と言われるように、最後のセーフティネットである生活保護制度が、最初のセーフティネットとなっている。そこで、最近主張されるようになってきたのが、「第2のセーフティネット論」である。○2・3年前は、弁護士同行でホームレスさんが福祉事務所に申請に来るケースがよくあったように記憶している。当時は、自立支援センターがある場合、そちらを優先して利用する場合が多かった。弁護士からは、生活保護の申請権を犯していると批判されたものだった。しかし、自立支援センターでは、多重債務については弁護士相談が実施され、職業訓練を希望する方には、入所中に訓練を受けてもらい、求職希望の方には、ハローワークから出張して出向いてもらい、就職の斡旋を受けることができた。結果、生活保護に至らず、社会復帰することができる方が多かった。まさに、社会復帰のための「ワンストップサービス」が提供されていた。○逆に、「貧困ビジネス」の餌食になり生活保護を受けたが、ひどい仕打ちをうけたホームレスが続出し、搾取される悲劇があとをたたない。○最後のセーフティネットの一歩手前の対策の充実が、必要なのである。生活保護に至らないように、職業訓練給付や低利融資などを充実するということである。私も大いに賛成である。企業内福祉が枯れ、家族の支援も得られない場合従来であれば生活保護がしかない。しかし失業状態にある人々は、働く力があっても仕事がない。これまでは失業しても職業訓練やスキルアップを給付付きで保障する仕組みは真剣に制度構築されてこなかった。○生活保護制度は、最後のセーフティネットということもあり、資産調査などが厳しく「入りにくく、出にくい」制度となっている。私はもっと簡素な制度設計にしていく必要があると感じている。○働く力と意欲のある方には、雇用対策の充実こそ必要である。○数年前から、生活保護のメニューの中に、「自立支援・就労支援」が盛り込まれた。昨今の厳しい雇用情勢、すなわち、解雇自由に近い派遣など非正規雇用の増大とその縮小という資本の側の勝手な都合で生み出された現下の厳しい雇用情勢の責任は、企業と社会が、その再構築のコストを負担すべきなのである。○雇用・離職者対策はハローワーク、住宅手当・生活保護は福祉事務所、低金利貸付は社協、というように、元々別々の機関で、別々の予算で実施されている。今回のワンストップサービスは窓口の一本化を目指しているが、本来は失業対策自身の総合化的な発想が必要なのである。12月は21日を中心に再度の取り組みが行われる。諸制度の総合窓口化に止まらず、安心してリスタートできる雇用対策の再構築と充実が求められている。(2009-12-14佐野) 

 【出典】 アサート No.385 2009年12月19日

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【投稿】進行するデフレ不況と鳩山内閣の無策

【投稿】進行するデフレ不況と鳩山内閣の無策

<<3年5カ月ぶりのデフレ宣言>>
 11/20、菅直人副総理兼経済財政担当相は、日本経済について「総合してみると、緩やかなデフレ状況にある」として、今や日本経済が物価下落が長期化する「デフレ」に陥っていると宣言し、このデフレが景気を腰折れさせる恐れがあるとの見方を示さざるをえなくなった。その前日の11/19、経済協力開発機構(OECD)が、日本のデフレが2011年まで続くとし、日銀に量的金融緩和で戦うべきだと提言したが、日銀は翌11/20の金融政策決定会合で政策を現状維持し、白川総裁は量的緩和の拡大など追加策は不要との考えを示し、日銀のデフレに対する認識の甘さが問われるところであるが、いずれにしても、政府が明確にデフレを認めるのは06年6月以来、3年5カ月ぶりである。
 戦後初めて政府がデフレを認定したのが01年3月であったが、それ以来今日に至るまで、デフレ脱却宣言をすることができないままに、今回再びデフレがぶり返したというわけである。
 これまでのデフレに対する「小泉・竹中」路線に象徴される自公連立政権の「デフレ対策」は、徹底した自由競争原理主義を推し進め、規制緩和の名の下に派遣労働・非正規労働を全産業にいきわたらせ、コストカットと労賃切り下げによって大企業・大資本の競争力を高め、内需拡大ではなく、輸出依存・輸出主導によって景気回復を図る、それに呼応して、郵政民営化を初め、公的社会的資産を安値で売り飛ばし、医療・教育・社会保障財源を徹底的に削減し、セーフティネットをずたずたに切り崩し、その結果として「小さな政府」を実現するというものであった。
 その結果はいかなるものであったか。「いざなぎ景気」を超える景気回復が続いたと喧伝されども、景気回復を実感したものは皆無に近く、潤ったのは内部留保を極大に溜め込んだ一部の大企業・大資本、マネーゲームで巨利を稼いだ金融資本、一部の資産家だけであり、貧困と格差がこの期間に一挙に拡大し、社会はずたずたにぶっ壊されてしまったのである。こんな路線は早晩破綻することが明らかであったが、昨年来の世界経済恐慌の進行によって、このような路線こそが全世界にただならぬ経済不況をもたらした根源であることが暴露されてしまったわけである。

<<チェンジできない弱点>>
 このような「小泉・竹中」路線、市場経済原理主義・弱肉強食・規制緩和路線に対して、民主党が対置したのが「国民生活が第一」という路線であった。時代は明らかに転換点にあり、アメリカでもブッシュの同様な路線に対抗してオバマ政権が登場し、ブッシュ政権に追随し、「小泉・竹中」路線を踏襲してきた自公連立政権は敗退し、民主党に勝利をもたらした。ある意味では必然的な勝利であったといえよう。
 問題は、時代は転換点にあるにもかかわらず、その転換の方向がいまだに確立されず、むしろ逆行状況さえ現出されているところにあるのが現状といえよう。
 オバマ政権はイラク・アフガン戦争から決定的な決別ができず、アフガンの泥沼に足踏みをしており、サブプライムローンで暗躍し、金融恐慌をもたらした金融資本への規制策はいまだに野放し状態にあり、ゴールドマンサックスなど生き残った大手金融資本は、金融ミニバブルを演出し、再びマネーゲームで巨額の利益を手にしようとしている。
 そして鳩山内閣は、国際舞台での華々しいデビュー、その積極的な平和友好政策、反核政策、環境政策によって、これまでの自公政権とは明らかに異なるプラスイメージをもたらし、「国民生活が第一」のマニフェスト実現に向けた内閣の姿勢はプラス評価をもたらし、高い支持率をもたらした。しかしここにきて、これらのプラス評価にはいずれにも実が伴っていないばかりか、むしろ前政権と代わり映えのしないマイナス評価、逆行する兆しさえ明らかになってきている。そして閣内は不統一、普天間基地撤去問題で明らかなように、まったくばらばらで無責任な発言が横行する事態である。
 そして最も致命的な最大の弱点は、鳩山政権には「国民生活が第一」をもたらすべき経済政策がまったくなきに等しく、むしろ「小泉・竹中」路線の根幹たる市場経済原理主義・規制緩和路線が民主党の中に色濃く根を張っており、それらが前面に踊りだしてきていることであろう。

<<「恐竜」論争下の「鳩山大不況」>>
 問題はデフレ不況の進行に対する危機認識の薄さ、軽薄さ、当然そこから出てくる不況克服対策への関心の薄さ、経済政策の不在、無策である。雇用情勢が一段と厳しさを増し、雇い止めが拡大し、完全失業者数が12カ月連続して増加し、失業率がさらに悪化し、冬のボーナスの大幅減、全面カットまで打ち出され、内需は拡大するどころかいっそう縮小する状況下にあってもなお、デフレ不況の克服に正面から取り組む緊急経済対策、雇用対策、派遣切り対策はいっこうに打ち出されてもいなければ、実行されてもいないのである。
 菅直人副総理兼国家戦略担当相にいたっては、10兆円以上の不況対策の必要性を主張する亀井静香金融・郵政担当相に対して、「日本の財政は危機的状況にあり、金でなく知恵を出すことが必要だ。財政出動が大きければ大きいほどいいというのは恐竜時代(の感覚)」と切って捨てるありさまである(11/18の政府の経済対策検討チームの初会合での発言)。藤井財務大臣、平野官房長官、仙谷由人行政刷新相らの唱導する「緊縮財政路線」への追随である。これに対して亀井氏は、11/19の参院財政金融委員会で「私は恐竜みたいなでっかい、おっかない男ではない」といなし、そのうえで「経済が氷河期に入っていて、今のままでいいのかという問題がある」と切り返している。
 民主党のブレーンでもある榊原英資・早大教授(元財務官)でさえ、第2次補正予算の規模について「3兆円といわれるが、少な過ぎる。4兆~5兆円は必要だ。そうでないと景気が二番底に直面する懸念がある」としている。すでに現実の経済は、物価変動をそのまま映す名目国内総生産(GDP)では、09年7~9月期まで6四半期連続で減少し、来年以降はさらに二番底に向かう可能性が極めて高く、現在の無策のままではこれは「鳩山大不況」という事態に突入し、消費は縮小し、生産や投資が萎縮するデフレ不況がさらに長期化し、日本経済はこのままでは「失われた20年」になりかねないものである。

<<財務省主導・演出の「仕分け作業」>>
 そして「金でなく知恵を出すことが必要だ」といって出されてきたのが、行政刷新会議の「事業仕分け」公開作業であった。220項目、447事業について、本当に必要か、国がやるべきか、改善の余地はないか、などを精査して、財務省の予算査定に反映していくというものであった。情報開示と無駄遣いカット、追い詰められた官僚の姿が大々的に報じられ、注目を浴び、かつ絶賛されさえした。鳩山首相は「静かな革命」だとさえ自賛した。確かに一定の成果はあったといえよう。
 しかしここでも、その本質的な欠陥が露呈されてきている。そもそもこの仕分け作業開始に当たって、10/22の行政刷新会議で、この会議の事実上のリーダーを委嘱された稲盛和夫京セラ名誉会長は、「景気よりも財政再建」の考え方を示し、仕分け項目の選定から切り込み方にいたるまで財政再建を至上命題とする財務省の提供・主導・演出が突出するものとなったのである。
 もともとこの「事業仕分け」は、小泉内閣時代に「行政改革推進法」(2006年)によって規定されたものであり、公的な事業を削減し、民営化を推進するために提起、規定されたものであり、08年には自民党内のプロジェクトチームが「事業仕分け」に着手、そこには今回の鳩山政権の行政刷新会議事務局長をしている加藤秀樹氏が代表を勤める「構想日本」が参加、関与していたものである。鳩山内閣は、この小泉路線の象徴であり、それを推進してきた「構想日本」をわざわざ事務局のかなめに据え、「民間人」の「仕分け人」の選定は加藤秀樹氏の「構想日本」にゆだねたのである。同一労働同一賃金や最低賃金引き上げに反対し、労働者派遣法のいっそうの緩和を推し進めてきた自公政権下の規制改革会議・労働タスクフォースの座長を務めた人物など、小泉・竹中路線を推進してきた民間人や小泉・竹中の「隠れ経済政策立案者」と言われたモルガン・スタンレー証券経済調査部長のフェルドマン氏らが多数入り込み、論議を主導したのも当然といえよう。
 結果は当然のこととして、小泉・竹中路線の市場経済原理主義・規制緩和路線のいっそうの継続政策であり、縮小均衡路線をいっそう押しすすめるものであった。このようなことがまかり通っている限りは、不況・失業はさらに深刻化し、「鳩山大不況」を自ら招くものであることが警告されなければならないといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.384 2009年11月28日

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【投稿】軍事同盟見直し以外に道なし―沖縄米軍基地問題― 

【投稿】軍事同盟見直し以外に道なし―沖縄米軍基地問題― 

<アメリカの「怒り」>
 日米両政府の懸案となっている、沖縄の米軍海兵隊および基地移設問題は着地点が明らかにならないまま年末を迎えようとしている。鳩山総理は従来の日米両政府の合意を前提とはしないという姿勢を堅持し、岡田外務大臣は普天間基地機能の嘉手納基地への統合を追求しつつ、辺野古案の修正も視野に入れている。さらに北沢防衛大臣は現行案での推進を示唆するなど「閣内不一致」の様相を見せている。
 こうした状況に対し、一部外務官僚、マスコミや自民党などは「鳩山政権の迷走」と盛んに喧伝し、ブッシュ政権時代の「政府関係者」「高官」のコメントを元に「アメリカは怒っている」と旧態依然の虎の威を借りる狐のごとく批判を繰り返している。
 確かに政権の見解がまとまらず、地元との調整もままならない状況は問題であるが、動揺しているのは実はアメリカ政府も同じである。
 当初11月のオバマ訪日が回答期限とされていたが、鳩山総理にのらりくらりとかわされ、ズルズルと後退を余儀なくされている。
 オバマ大統領は、政権の要である国防長官にブッシュ政権からゲーツ長官を残留させた。この人事はイラク戦争遂行やその「戦後処理」を巡り、トカゲのしっぽ切りのごとく「辞任」したラムズフェルド前長官の後任として、イラン―アフガン処置担当として任命された経緯によるもので、東アジアの軍事的課題はほとんど考慮されていない。
 さらに駐日大使も「素人」のルース氏が起用され、着任以降基地問題に関し、鳩山政権への積極的なアプローチを行った形跡が見られないなど、オバマ政権はタカをくくっていたのか、情報不足なのか、いずれにせよ日本を軽視していたのは明らかで、今になって慌てているのが現状である。
 アメリカのマスコミは「鳩山政権の対応では北朝鮮や中国の脅威に対応できないのではないか」と恩着せがましく忠告するが、そもそもアメリカ自身がこの間、両国を脅威とみなすどころか、中国に対しては厚遇を続け、北朝鮮に対しても現実的な姿勢を見せている。

<アジア重視の本音は?>
 米中関係に関しては両首脳が「G2」関係構築を謳い上げたが、蜜月ぶりは経済関係強化にとどまらず、9月のロケット関連技術移転規制の緩和(許認可権限を大統領から商務長官に移譲)、10月の中国最高位級将官訪米による軍事交流拡大合意など、着実に共同歩調の分野を拡大し、11月のオバマ訪中もそうした関係を反映したものとなった。
北朝鮮に対しても、ブッシュ政権下における昨年のテロ支援国家指定解除以降、今年相次いだ「核実験」や「弾道ミサイル発射」にもかかわらず、実質的制裁を行わないどころか、12月のボスワーズ特別代表訪朝による2国間交渉開始を決定するなど、柔軟な対応を取り続け、日本に対しては拉致問題などリップサービスのみに止めるという「冷遇」ぶりである。
 中朝両国へこうした対応を取りながら「中国、北朝鮮の脅威」を口実に、米軍再編計画への貢献を押し付けることは、それを利用していた自公政権では通用しても、矛盾を隠ぺいすることは無理がありすぎる。
 オバマ訪日日程の短縮と併せてこれらは「鳩山政権に対する警告」という文脈で語りたがる向きがあるが、これらはすべてアメリカの既定の外交方針から導き出されたものなのである。
 また、アメリカ上院は在沖海兵隊のグアム移転費用約3億ドルの7割削減案を決定した。これも「アメリカのいらだち」とまことしやかに語られているが、グアム移転に反対しているのは当の海兵隊なのである。
 さる6月、海兵隊のコンウェイ総司令官は上院軍事員会で、普天間基地存続ともとれる「日米政府合意」の見直しを示唆した。当時は政権交代が現実味を増している時期とはいえ、総選挙の日程も決まらない微妙な時期である。そうした時に生粋の軍人が、日本の政治情勢を先読みするとは思えず、組織防衛的見地からの発言と言われている。
 アメリカは国内事情を整理し、オバマ大統領がこの間、東京やシンガポールで明らかにした「アジア回帰」に沿った明確な東アジア方針を、日本国民や沖縄県民に示すべきである。

<利権政治との決別を>
 アメリカが考えをはっきりさせれば、困るのは日本の旧政権とそれにつながる一部官僚、業界などの利権勢力である。
 そもそも普天間基地の移転構想は、米軍の世界的な再編計画の一環でしかない。冷戦終結後、過剰な軍事力を抱えるアメリカはその財政的負担に喘いでいる。対ソ連用に構築した軍事力を維持するには不可能となり、新たに見つけ出した「国際テロ組織」という脅威へのシフトを進めている。
 その中で日本は軍事費の肩代わりをしてくれる稀有の存在だったが、日米安保体制はソ連の脅威が前提だった。しかしそれが崩壊した現在、在日米軍の縮減と日米軍事同盟の見直しは必然的なものとなっている。
 これに関連し4月にアメリカが旧政権に対し、青森の三沢基地からのF16の全面撤収年内開始、嘉手納基地のF15の一部削減を打診したが、麻生政権は難色を示したと、総選挙後に報道された。さらに、米軍が1996年に実施した普天間移設の調査研究では、軍事的見地からは県外移設が最も高い評価となっていたことが明らかとなっている。
 旧政権の思惑で、在日米軍の再編は、「思いやり予算のキックバック」など、より多くの利権を生み出す冷戦シフトを前提として進められてきたが、砂上の楼閣は崩れだしている。無理やりに同盟を維持しようとするなら、中国を日米共通の脅威とすることか、「対テロ戦争」に参加する集団的自衛権の行使しかないが、そのどちらも不可能である。
 冷戦後の安全保障に関する確たるビジョンが存在しない中で、居心地のよい沖縄に居座りたい一部米軍を利用して、基地関連予算、公共工事の利権として現れたのが辺野古基地建設の本質である。
 04年の沖縄国際大へのヘリ墜落事故は深刻な事態であったにも関わらず、沖縄の負担軽減という美名のもと、多くの沖縄県民の声は野合を糊塗するものとして日米両政府に利用された。
 沖縄では総選挙で「県外移設」を主張する候補者が全員当選し、11月8日には2万人規模の県民大会が開かれた。1月に予定されている注目の名護市長選では基地建設反対派候補が一本化した。
 沖縄の民意は決定的となりつつある。鳩山政権は防衛(旧施設庁)官僚等がちらつかせる「負担軽減」という名の利権温存策に惑わされることなく、県民世論を基に「国論」を統一して交渉に臨めば、本音では沖縄から撤退したいアメリカには渡りに船となり、日米軍事同盟の見直しへとつながるだろう。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.384 2009年11月28日

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【投稿】成長なき経済下での民主党の「コンクリートから人へ」の政策転換をどう評価するか

【投稿】成長なき経済下での民主党の「コンクリートから人へ」の政策転換をどう評価するか
                         福井 杉本達也

1 事業仕分けはパフォーマンスか?
行政刷新会議の事業仕分けが11月11日より始まった。自民党の大島幹事長は「わずか1時間で良い悪いを簡単に裁断…パフォーマンスにしか見えない」(朝日:2009.11.18)と酷評している。「公開処刑」・「人民裁判」と評し、説明者の発言を遮る蓮舫参院議員を中国文化大革命時の「四人組」の1人毛沢東夫人・江青女史に例える向きもある。
確かに、1時間で何が分かるかだが、仕分け作業は国民には非常に単純で分かりやすく構成されている。たとえば、初日の11日に行われた国交省の下水道事業であるが、事業費5,188億円を「財源を移したうえで自治体が判断する」と判定されが、もともと、下水道事業は市町村の事業であり、しかも、国交省の「公共下水道事業」(市街化区域)と農水省の「集落排水事業」(農村部)と環境省の「合併浄化槽事業」(分散する地域)がダブっているのである。3省連名で2001年に『効率的な汚水処理施設整備のための都道府県構想策定マニュアル』が出され、どれがその地域にとって安く合理的な事業かが仕分けされうることにはなっていたが、この間何の考慮もなされず、ずるずると事業が続けられてきた。下水道工事を担う土木業界は自民党の集票マシンであったことが大きい(毎日:2009.1027)。たとえば住宅が分散している地域では、m当たり単価10~30万円の下水管埋設工事を延々1kmも2kmも住宅の全くない田んぼの中の道路を掘削してわずか数十軒の住宅に接続するという信じられない工事が横行している。このため全国の多くの自治体は下水道事業のために破たん状態に陥ってしまった。どこの地域は「公共下水」で、どこは「集落排水」で住宅の分散した地域は「合併浄化槽」でと色塗りを決めるのは県の「下水道計画」であるが、ほとんど見直されることはない。下水道は一番端末の終末処理場からつくり出さなければならない。終末処理場は処理する計画人口によってその規模を決定する。規模は下水処理人口が多ければ多いほど大きな事業費となる。一旦終末処理場を作ってしまって、途中で合併浄化槽がいいとして部分的に地域をはずすと、処理人口が減ることとなり、処理場は過大施設となる。見直すと困るのである。合併浄化槽は1戸100万円程度である。家屋連たん地区以外ならば圧倒的に安い。上記マニュアルもあるように、公共事業については財務省の主計官の手を借りなくても費用対効果は研究し尽くされている。人口が減少する中、市町村も補助金という金の圧力がなくなれば自分の頭で考えることになる。「こらおもろいわな。新鮮に映る。非常にヒットしている」(朝日:11.18)と、同じ自民党でも谷川秀喜参院幹事長はほめちぎりである。

2 「もんじゅ」も仕分けの俎上に
新聞紙上などでも事業仕分けは財務省主導だという見解が多い。植草一秀氏も「財務省が舞台回しを行なっていることが明白で、財務省自身への切り込みが極めておろそかになっている」(同氏HP「知られざる真実」2009.11.19)と指摘している。確かに、各事業の予算の法的根拠や考え方・仕組みなど、財務省の査定官でなければ切り込めないところばかりである。しかし、前半最後の日の17日の仕分けは少し異なっていたのではないか。「もんじゅ再開予算容認(仕分け人と文科省との)議論かみ合わず混乱?」(福井:11.18)とマスコミ各紙は評価するが、高速増殖炉「もんじゅ」が仕分けのまな板に上ったからである。「昭和三大馬鹿査定」という言葉がある。「戦艦大和」、「伊勢湾干拓」、「青函トンネル」であるが、「もんじゅ」もこれらに匹敵する。1995年12月8日にナトリウム漏れ事故を起こして以来14年間にわたり停止している。その間1ワットの発電もしていないのに2,300億円もの維持管理費を突っ込んでいる。建設費を含めると約9,000億円という巨額になる。しかも、核兵器に転用可能なプルトニウムを生み出し、冷却材に液体ナトリウムを使用するため事故が絶えず、あの原発先進国のフランスでさえ撤退したというきわめて厄介な原子炉である。「もんじゅ」を仕分けに載せたということは“確信犯”である。仕分け作業を“仕切る”枝野幸男衆院議員は「額も大きく国民的議論が必要と考え、事業仕分けの俎上に載せたが、責任を率直に反省する」と弁明したが、事業仕分けの447の対象事業は「おもいやり予算」のように事前に恣意的に選択することは十分可能だったのであり、まな板に載せたこと自体に行政刷新会議・民主党の「もんじゅ」に対する対応が透けて見える。少なくとも電力業界同様に“やっかいもの”と判断しているのである。

3 事業仕分け人:構想日本(加藤秀樹)について
これまで日本の“シンク・タンク”はあまりにも政府・自民党べったりであり、しかもきわめて貧弱なものであった。日本総合研究所(寺島実郎会長)などは、寺島氏個人のスタンスは別として、三井住友G=ゴールドマン・サックスべったりであり、新政権としては使うわけにはいかないだろう。伊東光晴氏は「費用・便益分析」を例に、「シンク・タンクは、発注者の意を受け…コストはできるだけ低く見積もり、ベネフィットは課題に見積もり、その社会的有効性を示していく。」ものであり、九州新幹線の場合、計算を行ったのは銀行系のM総合研究所であり、発注者は鹿児島県選出の自民党議員であり、便益を「鹿児島と福岡の間の利用者の予想数の過大推計と利用者の受ける時間短縮便益を1時間いくらとし、恣意的にふくらませていた」(『世界』2009.11「鳩山新政権の経済政策を評価する」)と指摘している。
政府系でも銀行系・業界系でもないシンク・タンクとなると数は限られる。構想日本は、自民党政権下(「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」河野太郎)においても2008年8月より文科省・環境省、外務省・財務省の事業仕分けを行い始めていた。今回廃止に仕分けされたスパコンについて「世界最高水準のスパコンを開発することが自己目的化している。」との指摘や全国学力調査についても「サンプル調査でよい」とするなど部分的なテストは一部なされている。自民党政権下においてテストされなかったのは、国交省・農水省・防衛省・厚労省・総務省・経産省や文科省においても原発関係などである。周知のように河野太郎は竹中平蔵を顧問と仰ぐ「プロジェクト日本復活」のメンバーであり、世耕弘成や山本一太らと伴に国際金融資本の若手エージェントである。
構想日本=東京財団の出資者は日本財団(笹川陽平会長)である。日本財団の創設者は右翼:笹川良一であり、CIA人脈―児玉誉士夫・岸信介に繋がるものである。亀井金融相は仕分け人に「弱肉強食を推進した学者や外国人を入れている」として川本裕子・土居丈朗・ロバート・フェルドマン氏などを入れていることに苦言を呈したが(朝日:2009.11.12)、単なる事業仕分けの手法は小泉政権下の「聖域なき財政再建」と同様であり、国際金融資本と連動した民主党内市場原理主義者の動きに注意しなければならない。

4 コンクリートへのバラマキでなく、人へのバラマキを
GDP=C(民間消費)+I(民間投資)+G(政府支出)+X(輸出)-M(輸入)である。輸出が増えず、民間設備投資もままならない中で政府支出を仕分けで削ればどんどん経済は縮小し、不況は深化してしまう。11月16日に発表された第3四半期(7月―9月)のGDP成長率は名目で▼0.3%(年率換算)である。実質は4.8%増であり、名目より実質が高いということは物価が下落しているということを意味し、“デフレ”である。米国の10月の失業率は10・2%と26年半ぶりの水準に上昇(日経:11.10)しており、かつてのような輸出ドライブは望めそうにもない。
国民所得を維持するには消費の割合を増やす以外にはない。「子ども手当」や「農業の戸別所得補償」も家計への直接支援であるが、民主党はさらに政策集(2009.7.23)の中で「給付付き税額控除制度の導入」を提案している。これは上記東京財団の森信茂樹氏らが提唱しており、納税額が少なく減税の効果が及ばない低所得者に対し、所得の額に応じた現金給付、または税額控除を行う仕組みである。「負の所得税」「ベーシック・インカム」とも呼ばれ、一定金額を国民の権利として補償するものであり、家計への究極的な直接補助である。
民主党の峰崎直樹財務副大臣はこれを「所得税の課税最低限以下に位置する人々への最低保障」として位置づけ、消費税の中で「基礎的な衣食住の基となる部分をそこでかえそうということです」(『民主党政権で税制はこう変わる』ぎょうせい:藤井財務大臣・仙谷行政刷新大臣・峰崎財務副大臣・古川国家戦略室長座談会 2009.9.3)としている。伊東光晴氏の上記『世界』の解説では、家計所得が年400万円、付加価値税率20%、ベーシック・インカム20万円の4人家族のモデルでは、「年収400万円の家計はそれを支出して年80万円の付加価値税を払う。しかし、80万円のベーシック・インカムがある。したがって、税率は0%になる」ことになる。年600万円のモデルでは差し引き40万円の税を払い6.6%の税率となる(伊東:上記)。逆に年200万円の貧困層モデルでは40万円の税支払に対し、80万円の控除なので、差し引き40万円が戻ることとなる。むろんこれは、消費税を付加価値税とし、プラス累進課税・社会保険番号制度を利用するなどして「ちゃんと所得を把握する」(古川:上記)ことが前提である。これまでの日本の税制・社会保険制度は所得捕捉が出来ないことを前提に形づくられている。
民主党の政策の弱さは社会保険と税制がうまくリンクしていないことにある。基礎年金の全額税方式で一番得をするのは、低所得者層ではなく厚生年金の1/2を負担をしている企業である。付加価値税の増税分は特に医療・介護に使われなければならない。作家の高村薫氏は「時代の変化を止めることばできないけれども、変化に合わせて生き方を変え、分配の仕方を変えて相対的貧困率を下げたとき、私たちはまた新しい安定の実感を得るのではないだろうか」(県民福井:11.18)と説く。政策転換のためには、過去の“消費税”の轍を踏まず国民の賛同を得られるようどううまく説明出来るかにかかっている。

【出典】 アサート No.384 2009年11月28日

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【本の紹介】憲法第九条を発案したのは誰か〔新説〕

【本の紹介】憲法第九条を発案したのは誰か〔新説〕
     『「東京裁判」を読む』
     著者 半藤一利 保阪正康 井上 亮
   発行 日本経済新聞出版社 2009年8月3日発行 2,310円(税込)
     『占領下日本』
      編者 半藤一利 竹内修司 保阪正康 松本健一
   発行 筑摩書房 20D9年7月25日発行 2,300円+税 

 筆者は以前に、本紙(アサート No.318(2004年5月22日)号)に、「9条の生みの親」を知ろう 、と題して、憲法九条の戦力放棄を明確に規定した「9条の生みの親」は、実はアメリカから押し付けられたものではなく、日本帝国主義の敗戦の年、1945年10月に内閣を組織した幣原喜重郎首相であったという、しかも幣原氏自身が、思い付きや、「一時的なものではなく、長い間考えた末の最終的な結論だ」と語っているという、これまでほとんど知らされていなかった事実について、【資料紹介】を行った。
 今回ここに紹介する二つの書籍は、出版元は違うが、今年のほぼ同時期に発行され、しかも昭和史では第一人者と目されている半藤一利、保阪正康の両氏が著者、編者として参加、討論を主導されている。それぞれに扱うテーマは異なっているが、いずれも敗戦直後から東京国際戦犯裁判を含む占領下日本において、いまだに多くの謎と未解決の問題を問いかけている諸問題について鋭く切り込んでいる注目の好著といえよう。
 『「東京裁判」を読む』の目次は、
序章 歴史の書庫としての東京裁判
第1章 基本文書を読む
第2章 検察側立証を読む
第3章 弁護側立証を読む
第4章 個人弁護と最終論告・弁論を読む
第5章 判決を読む
第6章 裁判文書余録
であり、
『占領下日本』の目次は、
序章 「八月十五日」の体験
第1章 日本は「無条件降伏」をしたか
第2章 「一億総懺悔」の問題点
第3章 天皇とマッカーサーとの会談の真実
第4章 天皇が「人間」となった日
第5章 「堕落論」および「俳句第二芸術論」の衝撃
第6章 憲法第九条を発案したのは誰か
第7章 当用漢字・新かなはどうして採用になったのか
第8章 検閲はどう行なわれていたか
第9章 国敗れてハダカありき
第10章 “日本人民共和国”成立の可能性
第11章 『はるかなる山河』に生き残ったことの意味
第12章 東京裁判でパル判事が主張したこと
第13章 「デス・バイ・ヘンギング」という判決
第14章 『日本の黒い霧』の推理は正しいか
第15章 朝鮮戦争は「神風」だった?
第16章 古橋・湯川・黒澤の活躍
第17章 警察予備隊が編成されたとき
第18章 マッカーサーが忘れられた日
である。

<<白鳥敏夫の憲法論>>
 両書で期せずして、憲法九条成立にかかわる文書として、元駐イタリア大使・白鳥敏夫の弁護資料が取り上げられている。
 まず、『「東京裁判」を読む』の第4章「個人弁護と最終論告・弁論を読む」の中で、問題の文書について以下のように紹介される。

 検察、弁護側双方の反論は一九四八年二月十日で終了した。これで法廷での証拠文書はすべて出尽くしたことになる。この前日の二月九日の公判で元駐イタリア大使、白鳥敏夫の弁護資料として提出された不思議な文書がある。それは終戦から四カ月過ぎた一九四五年十二月十日付で白鳥から当時の吉田茂外相に宛てられた書簡だ。このとき白鳥は巣鴨拘置所に収監されていた。
 書簡で白鳥は皇室のキリスト教化と戦争放棄の平和憲法制定を訴えている。白鳥は日本の敗戦をかつてのユダヤ王国の滅亡に誓え、日本民族との類似性を指摘する。そして、キリストを受け入れなかったために流浪の民となったユダヤ民族の悲劇を語り、日本ほ同じ道をたどってはならないと説く。・・・
 白鳥は続いて憲法改正問題について述べる。これからの日本人は「絶対平和の民」であるべきで、天皇の終戦の詔勅にある「万世泰平」の基礎は新憲法で打ち立てる必要かあるという。
 国民は兵役に服することを拒むの権利及び国家資源の如何なる部分をも軍事の目的に充当せざるべきこと等の条項は新日本根本法典の礎石たらざるべからずと存候〔略〕
 天皇に関する条項と不戦条項とを密接不可分に結びつけ而して憲法のこの部分をして純然たる革命を他にして将来とも修正不能ならしむることに依りてのみこの国民に恒久平和を保持し得べきかと存侯
 吉田は白鳥からこの提案を当時の幣原喜重郎首相に伝えてほしいと要望され、幣原に書簡の写しを手渡したと供述している。憲法改正作業は幣原内閣のもとで行われたが、はたして白鳥の書簡は何らかの影響を与えたのだろうか。そう考えるのは白鳥を買いかぶりすぎであろうか。

<<「新説」の根拠>>
 一方、『占領下日本』では、同じ文書が、「第6葦 憲法第九条を発案したのは誰か」で取り上げられ、この章の冒頭報告を行っている竹内修司氏が以下のように紹介している。

 竹内 いちばん最初に戦争放棄を言い出したのは、戦前の外交官で、東京裁判のA級戦犯でもあった白鳥敏夫だと最近いわれ出したので、そのもとになった原文を探して見てみたのですが、驚くほど荒唐無稽な手紙です。・・・
 「昨今はもっばら天皇大権の縮減、人民権利の伸長に一般の注意が向けられおり、それはもちろん負荷なしとは存知候らえども、これらの事項は諸外国の憲法に於いて明記せられおり、我々は自由にこれを斟酌しうる理にて、問題は比較的簡単にござ候。さりながら日本の我らは絶対的平和の民たらんとするものに候らわずや。去る八月十五日の御詔勅に拝する万世太平の基礎は新憲法に於いて、しかと打ち立てざるべからずと存じ候。将来この国民をして再び外戦に赴かしめずとの、天皇の厳なる確約、いかなる事態、いかなる政府の下に於いても、何らの形式によるかを問わず、国民は兵役に服することを拒むの権利、及び国家資源のいかなる部分をも軍事の目的に充当せざるべからずなどの条項は新日本根本法典の礎とならざるべからずと存知候」
「有体に申せば、小生は旧天皇制なくんば、いかにして新憲法の中に平和条項を有効適切に折り込むべきかを知らざるものにござ候。天皇に関する条章と、不戦条項とを密接不可離に結びつけ、而して憲法のこの部分をして純然たる革命を他にして将来とも修正不可能ならしむることによりてのみ、この国民に恒久平和を保障しうべきかと存ず」。
というのが、その部分なのです。・・・
 竹内 そして「よろしければ一通、幣原首相にお返し願いあげたく、小生は新憲法に関する愚見を、首相がいかに受け取られるかに、承知いたしたく存知候」なんて言っておしまいになっている。吉田さん、よかったら回してくれよ、ということです。
 これが、二十二年一月二十日まで、進駐軍に留め置かれているのです。一月二十日に吉田の手に渡っている。吉田がそれを幣原に見せたかどうかはわかりません。でも暗合があるのは、幣原がマッカーサーと会見をして、戦争放棄のことについて言い出して、マッカーサーが感激をしたというのが一月二十四日ですね。名目上はペニシリンを貰ったことへのお礼で、三時間くらい話をしているから、その時に出た話だろうというのが普通言われていることです。その四日前に少なくとも吉田の手に初めてこの手紙が渡っていて、それがもしも幣原のところに渡ったとすれば、ちょうどいい頃合いだろう、と。だから、というのが新説なんですね。

 以上が、「憲法第九条を発案したのは誰か」、それは白鳥敏夫だという新設の根拠である。
 この後の討論の中でさらに注目されるのは、
 竹内 マッカーサーが、ワシントンに天皇無罪のメモを送ったについては、私はオーストラリアが戦犯リストを提出して、その七番目に「ヒロヒト」を挙げたことと関連していると思います。オーストラリアのリストのことをマッカーサーが知ったのが一月二十二日、その三日後の二十五日に、彼は二カ月も遅らせていた「天皇が戦犯であるかどうか、証拠を収集せよ」という指示に対する返事を、急遽送っているのです。
 先に話に出た、その時期の空気がそうだったという話。吉田茂なんかは戦争放棄を憲法に謳うということまでは考えなかったけれど、軍備を持たないという、それくらいのことは言ったと思います。
 半藤 そのことは、どうも幣原さんが普段から理想論で言っているらしいのです。不戦条約以来。あの言葉そのものが不戦条約の言葉とそっくりですからね。そのものズバリですものね。
という箇所である。
 ここで半藤一利氏が述べている「あの言葉」とは、もちろん憲法九条の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という文言そのものである。白鳥敏夫発案という「新説」も、幣原説を補強する以上のものではないといえよう。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.384 2009年11月28日

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【投稿】鳩山内閣のアキレス腱

【投稿】鳩山内閣のアキレス腱

<<「日本解体阻止!」>>
 産経新聞報道によると、10/17に衆院選での自民党大敗と民主党政権発足を受け、日本の保守勢力の結束を図るシンポジウム「10・17 日本解体阻止!! 守るぞ日本!国民総決起集会」(草莽全国地方議員の会など主催)なるものが、東京で開かれ、集会には約1400人が参加、鳩山首相が掲げる温室効果化ガス25%削減や、国防・安全保障の軽視、選択的夫婦別姓の導入などへの懸念の声が相次ぎ、集会後、参加者は国会付近をデモ行進した、という。
 集会では、平沼赳夫元経済産業相が、鳩山首相ら民主党幹部が在日外国人地方参政権付与に意欲を示していることについて「どこの国の政党か、慄然とした」と批判。「自民党にも変な議員はいる。自民党を含め、保守が再結集し、真の保守政党をつくることが必要だ」と訴え、また山谷えり子参院議員は、政権への日教組の影響に強い懸念を表明、自公政権で推し進めた道徳教育や教員免許更新制度が次々に否定される現状を憂い、「来夏の参院選で自民党が勝ち、逆ねじれを起こさなければ大変なことになる」と訴え、政権への批判が続出したという。
 しかし、こうした主張を含め、彼らが執拗に追求し、安倍元首相が唱えていた「戦後レジームからの脱却」路線、それはつまるところは、憲法に集約される平和主義、民主主義、基本的人権、地方自治等々に対する、アンチテーゼ、すなわち、九条改悪、軍事力強化と海外派兵、核武装論や先制攻撃論、日の丸・君が代の復活と愛国心や道徳教育の強制、民主的諸権利の規制と統制の復活、地方自治の形骸化と国家統制の強化、等々であったが、こうした路線こそが先の衆議院解散・総選挙の結果として基本的に否定されたのである。またこうした路線と連動して追求されてきた弱肉強食の市場原理主義も同時に、基本的には拒否されたのである。また、言い換えれば彼らがこのような市場原理主義路線と唱和していたからこそ大量落選の結果を招いたともいえよう。したがって、いまさらこのような路線での保守再結集を試みても、それは成功するはずもなく、孤立するばかりであろう。このことはもちろん、民主党内に根強く存在するこのような勢力と同調する改憲派議員についても言えることである。

<<歓迎されるべき変化>>
 内外の情勢は明らかに転換、チェンジしているのである。鳩山氏が首相就任四日目にして国連の舞台に登場し、9/24の国連総会では「日本は核保有国と非核保有国の「架け橋」となって核軍縮の促進役になれる可能性があります。すなわち、核保有国に核軍縮を促し、非核保有国に核兵器保有の誘惑を断つよう、最も説得力をもって主張できるのは、唯一の被爆国としてノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキと訴え続けてきた日本、そして、核保有の潜在的能力を持ちながら非核三原則を掲げ続けている日本です。」と訴え、また9/25の国連安保理首脳会合では【唯一の被爆国としての道義的責任】と題して演説し、「なぜ日本は、核兵器開発の潜在能力があるにもかかわらず、非核の道を歩んできたのでしょうか。日本は核兵器による攻撃を受けた唯一の国家であります。しかし、我々は核軍拡の連鎖を断ち切る道を選びました。それこそが、唯一の被爆国として我が国が果たすべき道義的な責任だと信じたからであります。近隣の国家が核開発を進めるたびに「日本の核保有」を疑う声が出ると言います。だがそれは、被爆国としての責任を果たすため、核を持たないのだという我々の強い意志を知らないが故の話です。私は今日、日本が非核三原則を堅持することを改めて誓います。」と述べ、同時に「世界の指導者のみなさんにも、ぜひ広島・長崎を訪れて核兵器の悲惨さを心に刻んでいただければと思います。」と訴え、さらにまた9/22の国連気候変動サミットの開会式で鳩山氏は温室効果ガスの「25%削減」を宣言し、そうした日本の政策転換が大きく評価され、歓呼の声で迎えられたのである。鳩山氏の演説には、改憲論者としての鳩山氏の立場からすれば当然でもあろうが、非核三原則の元となりそれを支えてきた、世界に誇るべき憲法九条の評価は欠落し、現実の政策との整合性や裏づけが欠落しているとはいえ、内外情勢の転換を反映した積極的な評価を得たのである。
 そして現実に、核兵器の削減・廃絶については、オバマ米大統領が、2012年には2001年比半減することを明らかにし、10/15にはこれまで一貫して反対し続けてきた核兵器廃絶決議案について賛成するのみならず、さらに共同提案国になることまでを明らかにする事態となっている。こうした前向きな変化が定着し成功するかどうかはまだまだ不確かなものであるが、歓迎されるべき変化だといえよう。

<<変わらない縮小均衡路線>>
 鳩山政権が抱える問題は、こうした前向きで積極的な変化をいかに現実のものと化し、定着させるかにあるが、より短期的には、あるいはより決定的には、現実に進行している経済不況の進化に対する経済政策が極めて無策に近く、むしろ縮小均衡路線に重心をおいている。これが鳩山内閣のアキレス腱といえよう。
 現実の経済情勢は、経済恐慌の進化によって行き場を失った投機資本が再び金融市場、投機市場、マネーゲームに戻り、これらを再活性化させてはいるが、実体経済への恐慌の進化は、さらなる失業率の悪化、格差と貧困の拡大をもたらそうとしている。こうした経済面での情勢の悪化は悲観的で、展望の持てない、諦観と無力感を蔓延させる、ファシズム的傾向を助長させかねない経済情勢をもたらしかねないものである。現実に、在特会(在日特権を許さない市民の会)といった外国人排斥運動が暴力的な全国リレーデモを展開する事態まで生まれている。右翼的保守再編はむしろこうした経済の現実から提起されてくるものといえよう。
 鳩山政権は、こうした現実に対する、そしてこれまでの自由競争原理主義の行き詰まりに対する経済政策の転換の根本的政策を出しえていないことに決定的な問題があるといえよう。現実に出されているものは、拡大する予算をいかに減額するかにばかり焦点が当てられ、積極的な経済政策の転換はすべて後回しにされている。そもそも積極的な経済政策そのものの姿を描きえていないのである。結果として不況をより深化させることに寄与しかねない、このような鳩山内閣の姿勢は、自らの崩壊の序曲ともなりかねないものといえよう。
 不況対策の要として、大規模なニューディール政策を提起することこそが要請されている。その予算的裏づけとして、特別会計の可処分積立金が47.4兆円(08年3月時点)あり、さらに可処分剰余金が28.5兆円(09年3月時点)存在することからすれば、50兆円規模の「経済危機・国民生活支援」を目的とした基金を作れという提案は鳩山政権こそが現実化すべきであろう。しかし現実には、藤井財務大臣は、特別会計の活用についても財政投融資特会と外国為替特会の運用益5兆円分の活用しか考えておらず、各省の概算要求についても「平成21年度予算を下回るような形で要求をしてもらいたい」、「新規の話があり得るだろうが、その時はその既存の予算の削減の中でやってもらいたい」の一点張りである。鳩山内閣の中で、失業を食い止め、さらなる倒産を防止するために積極的政策、具体的政策を提起しているのは緊急雇用対策や「3兆円以上の二次補正予算」を提起している亀井静香郵政改革・金融担当大臣ぐらいしか存在しない、それほどお寒い状況というのは言い過ぎであろうか。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.383 2009年10月24日

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