【本の紹介】『原爆の記憶 - ヒロシマ/ナガサキの思想』

【本の紹介】『原爆の記憶 - ヒロシマ/ナガサキの思想』
      著者 奥田博子(南山大学外国語学部准教授)
      発行 慶應義塾大学出版会 2010年6月25日発行 3,800円+税 

<<「唯一の被爆国/被爆国民」というスローガン>>
 著者は、本書発行元である慶應義塾大学出版会ホームページ上で「なぜ、いま、原爆をあらためて考える必要があるのか?」と題する特別寄稿の中で、
 「65年前の広島と長崎において、一体何が起こったのか。なぜ、広島と長崎に原子爆弾/核兵器が投下されたのか。その後、広島と長崎の原爆体験はどのように語られてきたのか。原爆投下という史実と原爆被害の実相を批判的に検証するうえで、日本政府が唱道する「唯一の被爆国/被爆国民」というスローガンは、アジアひいては世界で日本の立ち位置を模索するとき、障碍としかなりえないことを指摘できる。なぜなら、事後的に創られた「平和(文化)国家」日本という表象のもとで、広島と長崎の原爆体験や被爆の記憶をめぐる議論と想像力に枷を嵌めてしまうからである(なお、この点については拙著のなかで詳細に検討を加えている)。」と指摘している。そしてさらに、
 「国境を越えて共有されうる、また、共有されねばならない原子爆弾/核兵器に対する日本の道義的責任も忘れてはならないだろう。地球環境を含む私たちの社会そのものを考えさせるこの道義的責任は、ほんの少しの他者への思いやりと言い換えることもできる。他者と“触れ合う”なかで、いま、原爆をあらためて考えることは、私たち誰もがヒバクシャであり、ヒロシマ/ナガサキが訴える「核なき世界」を実現する役目を背負っているという責任を自覚することへと繋がってゆく。」と訴える。
 本書は相当に長い序と結論を前後に、以下の通りの目次にわかるように、日本の戦争被害者意識を正当化する「唯一の被爆国/被爆国民」という「集合的記憶」というものに焦点を当て、自らの戦争責任や戦争犯罪に対して免罪符を与えようとしてきた日本政府やマスメディアが、被爆地をどのように表象してきたのかを詳細に分析し、これらを歴史的かつ批判的に考察し、「ヒロシマ/ナガサキを私たち自身の問題として引き受け、考えていく意義」を提起した力作であり、その意義は大きいものがあるといえよう。
目次
第I部 軍都「廣島」「長崎」からヒロシマ/ナガサキへ
第1章 なぜ、広島と長崎が原子爆弾の投下目標となったのか?
第2章 広島と長崎では何が起こったのか?
第3章 広島と長崎はどのように想起/忘却されてきたのか?
第Ⅱ部 日本のなかの「ヒロシマ」「ナガサキ」
第4章 爆心地を再生する――広島と長崎の戦後復興
第5章 歴史/物語を保存する――広島平和記念資料館と長崎原爆資料館
第6章 記憶を記念=顕彰化する――広島平和記念式典と長崎平和祈念式
第7章 過去と物語・記憶を表象する――全国紙vs.地方紙
第8章 原爆体験を思想化する――かつて、いま、そしてこれから
第Ⅲ部 グローバル化のなかのヒロシマ/ナガサキ
第9章 検定歴史教科書のなかの原爆投下
第10章 「記憶の場」のなかの原爆体験

<<「内閣総理大臣の挨拶」>>
 その「第6章 記憶を記念=顕彰化する」は、8・6/8・9のそれぞれの広島平和記念式典と長崎平和祈念式、平和宣言、日本政府の関心、という項目に続いて「内閣総理大臣の挨拶」という項目があり、1960年以来の「唯一の被爆国民」という内閣総理大臣挨拶の類型が表として整理されており、その特徴が次のように述べられている。
 「広島平和記念式典および長崎平和祈念式で読み上げられる内閣総理大臣の挨拶には、四つの特徴を指摘することができる。第一の特徴は、「唯一の被爆国であるわが国」という決まり文句である。・・・つまり、「唯一の被爆国」ないし「唯一の被爆国民」というナショナルなアイデンティティ/神話には自己憐憫的な性格が強いという指摘ができる。・・・日本政府は、広島と長崎の原爆体験を日本の戦争被害と読み換えることによって、「恒久平和の樹立」と「核兵器の廃絶」に主体的に関わってゆこうとする意志を表明する。この主体性を明確にする「誓い」のことばが第二の特徴となる。・・・第三の特徴としては、日本政府による「原爆被爆者」と「被爆者援護」への言及が挙げられる。・・・第四の特徴は、「国是である非核三原則」という決まり文句である。」
 今年の菅総理大臣の挨拶も、この類型パターンと酷似するものであった。
 著者は、「原爆体験や被爆の記憶に対する私的な感情と「唯一の被爆国」ないし「唯一の被爆国民」という公的な政治見解との混同が、ヒロシマ/ナガサキが訴える核兵器廃絶と反戦/平和という普遍性のあるメッセージを空洞化させてきたことは間違いない。」と指摘する。
 そして「首都東京を中心とするナショナルな言説とは対照的に、一地方都市である広島と長崎は、被爆地として、原子爆弾による死者の鎮魂と抗議を介して人類が抱えている生存の危機を忘れてはならないと警鐘を鳴らしている。かつての帝都東京からのまなざしは、軍都「鷹島」「長崎」の原爆体験を鳥轍図的に「受忍」として表象する傾向にある。一方で、核時代のなかでポスト核時代に生きるヒロシマ/ナガサキは、虫撤図的なまなざしから、一国中心的な枠組みを超えてかつてキノコ雲の下で起こった「被害」を問い続ける。原子爆弾がどのように非戦闘員である一般市民を殺したのか、そして生き残った者に今なお何をもたらしているのか。ある意味で、ヒロシマ/ナガサキは原子爆弾/核兵器の致死的な影響や放射線の後遺症に対する現代の医療の無力さを象徴しているかのようでもある。さらに、原子爆弾という科学技術の進化を象徴する核兵器が高性能となり、殺す側の負担は小さくなってゆく。しかしながら、もう一方の殺される側の「いたみ」が変わることはない。殺される側の人々が発する声はどこへゆくのか。自らの痛み/傷み/悼みをともなわない戦争は広範な戦争容認論を引き出すだけではなく、戦争の意味を大きく変えることにもつながるだろう。」と指摘する。

<<「クリーン」かつ「グリーン」という誤った考え>>
 著者はさらに、「原子力/核エネルギーは、近年の地球温暖化ないし気候変動をめぐる環境問題との関連で、「クリーン」かつ「グリーン」なエネルギーというイメージ作りがなされている」ことにも警告を発し、「核の軍事利用」と「原子力の平和利用」はこのように明確に区別されるものではなく、原子力エネルギーの「平和利用」ないし「安全性」を肯定する科学的な根拠は何一つ存在しない、と主張する。
 「第一に、核兵器の製造過程と原子力エネルギーの製造過程、つまり核燃料サイクルは同一である。原子力発電所と再処理工場、そして濃縮工場があれば、広島型ウラン原子爆弾と長崎型プルトニウム原子爆弾どちらの核兵器も製造することが可能である。これが核拡散の根本的な問題であり、「核の軍事利用」と「原子力の平和利用」を区別することができるという大前提に妥当性がないことの証拠でもある。第二に、電気出力一〇〇万キロワットの原子力発電所を一日稼動すると、三キロの核分裂生成物、つまり「死の灰」が生成される。この量は、広島に投下されたウラン原子爆弾がもたらした「死の灰」の強さに匹敵する量である。ストロンチウム九〇、セシウム一三七、沃素一二九といった長半減期がきわめて有毒な放射性物質が含まれる「死の灰」を処理する方法はいまだ見つかっていない。さらに、原子力発電所のもたらす放射性物質の影響は、温排水、長期微量放出、事故漏洩、放射性廃棄物の処理、そして使用済み核燃料の再処理を通じ、大量かつ長期間にわたるものである。水や土、空気といった自然環境、そして人類や生物が汚染され続けるのである。こうしたことから、原子力/核エネルギーは「有害汚染物質を含んでいない”clean”」かつ「環境に配慮した”green”」なエネルギーであるという誤った考えは問題視されるべきであると考える。」
 「結論」の中で、著者は「本書では、広島と長崎の原爆体験を一枚岩に捉えるのではなく、国民国家的な価値観との軋轢を抱えながらもナショナルな集合的記憶として記念=顕彰化されてゆく過程で取り残されている多声性(ポリフォニー)から捉えようとした。なぜなら、敵味方である以前に、人間が人間に対して行った行為として「国籍化」された「ヒロシマ」「ナガサキ」を「ヒロシマ/ナガサキの思想」として普遍化してゆく必要があるからである。それは、他者にどれだけ〝共感〟できるかという問いかけでもある。」と述べている。本書を「ヒロシマ/ナガサキの思想」とする所以でもあろう。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.393 2010年8月28日

カテゴリー: 平和, 書評, 生駒 敬 | 【本の紹介】『原爆の記憶 - ヒロシマ/ナガサキの思想』 はコメントを受け付けていません

【コラム】ひとりごと—若者はなぜ損をするのか– 

【コラム】ひとりごと—若者はなぜ損をするのか– 

○最近興味深い新書を読んだ。PHP新書6月新刊の「世代間格差ってなんだ—若者はなぜ損をするのか—」である。著者は、城 繁幸、小黒一正、高橋亮平の共著である。○お勧め本だからというわけではない。ちょっと複雑な思いもあるが、新しい見解として着目する必要があると考える。○現在そして今後少子高齢化が進む近未来において、若者が高齢者との比較において、雇用や社会保障、所得再配分や政治的発言の力などにおいて、「損をし続ける構造」を分析し、著者達なりの解決策を本書において提示している。著者のうち城氏は、かつて富士通の人事部における成績主義を明らかにした本の著者であり、その他の方は城氏と同世代の研究者である。○彼らは、昨年の総選挙前に「ワカモノ・マニフェスト」を立ち上げ、本書においても各政党の政策を、独自の視点から採点するなど、一定の政治的動きも示している。(http://www.youthpolicy.jp/)○大企業では中高年の雇用と賃金を守るために、若者の正規雇用が縮小され、非正規労働が蔓延している。そのため、若者の閉塞感が強くなっている。「今の若者たちを雇用面で不利な立場に追い込んでいるシステムとは何か。結論から言えば、それは「終身雇用」「年功序列」という従来の日本型雇用システムにほかならない」と。その解決策として、「それは、正社員雇用の流動化以外にない。つまり、正社員の賃下げと(一定条件での)解雇を認めることだ。それによって正規・非正規の壁は消えて無くなるだろう。賃下げが正規においても実行されれば、非正規の間で適正な競争が行われる。能力と熱意のある非正規労働者はどんどんレベルの高い仕事を与えられ、階層が流動化するのである。」雇用の流動化が必要だとするのである。○今後進む少子高齢化の中で、一層世代間格差は広がるという。年金・医療・介護の分野である。例えば年金の場合、現時点では賦課方式であるので、若い世代の保険料が、年金受給者の財源になっている。未来永劫、負担と受益のバランスが保たれるのであれば、賦課方式も妥当性があるが、今後の少子高齢化は、明らかに若い世代に不利益を生むのは必至だ。内閣府の平成17年調査では、年金や医療、社会サービス全体の負担と受益が公表されているのが本書で紹介されている。調査時点で60代以上の世代は、負担と受益を比較すると、4875万円のプラス、30歳台では、1202万円のマイナス、20歳台は1660万円のマイナス、その後の将来世代では、4585万円のマイナスとなり、その差は、最大9000万円を越えるという調査結果である。○年金については、賦課方式から積立方式に替えて、負担と受益を明解にする制度改正や、世代間の格差を是正する法案の制定を結論としている。○現状では、ワカモノ・デモクラシーに対して、シルバー・デモクラシーが力を持っているとする。例として、2007年の参議院選挙が取り上げられる。「0-30歳代の人口は全体の44.9%を占めているにも関わらず、総投票者に占める割合はわずか23.5%である。一方、60歳以上の高齢者の人口割合は28.1%であるのに対して、投票者数の割合は、40.4%に上る。」この傾向は、今後一層強まるという。若者の声よりも高齢者の声が強い実態があり、マスコミも高齢者に傾斜した報道が多いと指摘されている。さらに今後の予測として。投票者に占める高齢者の割合は増え続け、2050年には6割が60歳以上となる。(世代投票率を一定としたNPO推計)○こうした現状に、ワカモノ・デモクラシーを強める政策が必要だと本書は主張するのだ。○日本の社会保障は、高齢者向けに偏っており、若者向けは極めて少ないと指摘し、先進国の比較でも同様であると。(若者関連政府支出のGDP比較では、スウェーデン6.0%、フランス4.1%、日本1.6%OECD調査)そこで、子育てや保育、教育、労働分野での若者政策にさらに力を注ぐべきであり、教育機会格差の是正、公教育サービスの質の向上、子育て支援の充実、などの必要性が示されている。○本書は、政策パッケージとして、よくまとまっている面はある。非正規・不安定雇用労働者が、勤労者全体の3割という現状で、どうして結婚や子育てができるのか、という悲鳴にも似た声を反映もしている。しかし、政治的に収斂させると、各党マニフェスト比較では、特に雇用の流動化政策を明確にしている「みんなの党」の評価が高くなっている。(自民56.8、民主39.3、公明60.7、共産16.1、社民13.9、みんな83.7)○我々の世代は、労働運動・学生運動など社会運動では青年が運動の主軸という気概だけは持っていた。今の若者は本書の指摘する「損をする若者像」に怒りを感じるべきだし、政治的社会的発言・行動が求められていることだけは確かなことだろう。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.393 2010年8月28日

カテゴリー: 人権, 政治, 書評, 経済, 雑感 | 【コラム】ひとりごと—若者はなぜ損をするのか–  はコメントを受け付けていません

【投稿】菅新政権:参院選敗北が明らかにしたもの

【投稿】菅新政権:参院選敗北が明らかにしたもの

<<「民主党のオウンゴール」>>
 参院選での民主党・菅新政権に対する有権者の審判は痛烈であった。民主党は改選前議席を10議席も減少させ、与党過半数維持どころか、過半数を大きく割り込む事態をもたらしてしまったのである。菅新政権は、政権基盤を固めるどころか、船出したばかりだというのに、すでに満身創痍、よれよれ、弱体化の様相を呈し始め、よほどの徹底した反省と路線の再転換、立て直しを図らなければ、政権維持さえおぼつかない事態を迎えようとしていると言えよう。
 昨年夏の衆院解散・総選挙での自民党の大敗、民主党の大勝、歴史的ともいえる政権交代の実現から、まだ10カ月余りしか経過していないにもかかわらず、このような事態をもたらしてしまった民主党執行部の責任はきわめて大きいといえよう。圧倒的多数の人々が期待した政権交代の内実を築きえず、むしろ自公政権時代に逆戻りしたかのような菅新政権による路線転換、「国民生活が第一」から「財政再建が第一」への路線転換が厳しく断罪されたのである。
 参院選の各党の得票数、議席数は以下のとおりであるが、

参議院議員通常選挙の比例代表選挙における各政党の得票数

政党名 2004年(票) 2007年(票)  2010年(票)
民主党 21,137,457 23,256,247 18,450,140
自民党 16,797,686  16,544,761 14,071,671
公明党 8,621,265 7,765,329 7,639,432
みんなの党 7,943,650
共産党 4,362,573 4,407.932 3,563,557
社民党 2,990,665  2,634,713 2,242,736
国民新党 1,269,209  1,000,036
立ち上がれ日本  1,232,207
創新党  493,619
女性党 989,882  414,963 414,963
幸福実現党  229,026
新党日本  1,770,707
維新新党・新風 128,478 170,509
共生新党 146,984
みどりの会議 903,775
九条ネット 273,745
合計 55,931,785 58,913,700 58,453,432

●党別得票数と当選者数【比例代表】 ●党別得票数と当選者数【選挙区】
民主党 1845万票 16議席   民主党 2275万票 28議席
自民党 1407万票 12議席   自民党 1949万票 39議席
公明党  763万票  6議席   公明党  227万票  3議席
みんな  794万票  7議席   みんな  598万票  3議席

 その特徴は、51議席を獲得し、改選第一党となった自民党は、比例代表の得票率は24・07%にとどまり、04年の30・03%、07年の28・08%からすれば、その低落傾向は厳然として続いており、今回もその獲得票数は前回より250万票近くも減らしているのである。にもかかわらず、自民党が改選第一党となりえたのは、それ以上に民主党が票を減らし、「選挙区は自民、比例は公明」という自公の連携選挙が有効に働き、自民は1人区で圧勝し、民主党は比例区でも選挙区でも自民票を上回る票を獲得しながら惨敗したのである。自民党衆院議員・河野太郎氏によれば「民主党のオウンゴール三発で、シュートを一本も打てなかった自民党は負けずに済んだ。」(ごまめの歯ぎしり7/12号)というのが実態であった。

<<「党が沖縄を裏切った」>>
 さらに沖縄選挙区の実態が、今回の選挙の特徴を象徴的に示している。同選挙区の投票率は、前回より7・88ポイントも下回り、52・44%と過去最低、全国でも最低であった。しかも民主党は全選挙区で唯一、沖縄選挙区で公認・推薦を擁立できなかった。普天間基地の「最低でも県外、できれば国外」という公約を破り、「辺野古回帰」という最悪の選択に逆戻り、これによって三党連立、鳩山政権が崩壊したにもかかわらず、新たな菅政権は日米合意を当然のごとく継承し、辺野古回帰路線の沖縄への押し付け、さらには日米軍事同盟礼賛路線にまで推し進め、沖縄県民挙げての大反発を考えれば、候補者擁立などとてもできなかったのである。沖縄県民の政治不信は極に達したといえよう。
 菅首相は6/24の参院選公示後、沖縄県を訪れることは一度もなく、沖縄以外の全国遊説でさえ、普天間問題への前政権の対応を謝罪はしても、共同声明を継承し、日米同盟を「国際的な共有財産」などと礼賛した理由はもちろん、自ら約束した沖縄の負担軽減策についてさえまったく語ろうとせず、ただただ争点隠しに必死だったのである。
 しかもその沖縄選挙区では、現職の島尻安伊子氏(自民公認、公明県本支持、258,946得票)が、新人で無所属の山城博治氏(社民、社大推薦、215,690得票)、伊集唯行氏(共産党推薦、58,262得票)ら3候補を破り再選を果たしたが、その島尻氏は、自民党の公約に反して普天間基地の県内移設反対、日米共同声明反対、さらに消費税増税反対を明確に掲げて当選したのである。山城氏と伊集氏の票を合わせれば島尻氏を上回っていたにもかかわらず、共産党はここでも犯罪的なセクト主義によって自民党の勝利に貢献したのである。
 注目されるのは、社民党の全国での比例得票率は3.8%と低かったにもかかわらず、沖縄県内では22.7%で、民主党の22.5%(11万8915票)を上回り、県連レベルで県内移設に反対した自民党の17.6%(9万3385票)、普天間の無条件撤去を訴えた共産党の6.8%(3万6155票)をはるかに上回ったことである。
 民主党の比例代表候補で県出身の喜納昌吉氏は、「政権は沖縄問題から逃げている」と訴えたが、〇四年の178,815票から70,726票に減らし、再選を果たせなかった。「党が沖縄を裏切ったという感情が強かった」という氏の述懐は、その悔しさがにじみ出ているといえよう。ここでも、菅新政権、民主党執行部の責任はきわめて重大である。
 投票日の直前の7/10、菅首相は福井県での街頭演説で「確かに政治とカネとか、普天間のことで少し心配をお掛けしたが、それもクリアをして、いよいよ時計の針を進めようという時の選挙だ」との認識を示していたが、いったい何をクリアしたというのか、このお粗末で無責任な認識は有権者をさらに反民主に追いやったと言えよう。

<<「逃げ」、「ぶれ」、「すり替え」>>
 そうした民主党の迷走にダメ押しをしたのが、菅首相自らが提起した唐突な消費税10%増税問題であった。内閣支持率が一時期60%を超え、それで有頂天になったのであろう、6/17の民主党のマニフェスト発表会見で、消費税増税をマニフェストに入れることを明らかにし、超党派の議論を呼びかけて「自民党が提案している10%を参考にしたい」と表明し、「今年度中に増税案を取りまとめる」ことを明言し、「当面の税率を10%とする」趣旨の発言を明示したのである。そして質疑応答を担当した玄葉光一郎政調会長は「消費税率10%引き上げを最速で2012年秋に実施する」ことを明言し、これは党の公約になることを認めたのであった。首相自身も6/21には「公約と受け取って頂いて構わない」と踏み込んでしまった。
 ところがその後、内閣支持率の急落、消費税大増税に反発する世論の強まりにあわてふためき、菅首相お得意の「逃げ」、「ぶれ」、「ごまかし」、「すり替え」、「火消し」が始まった。「私が消費税に触れたことが、すぐにでも消費税を引き上げるのではないか、という心配につながったところがあったのかなと」と逃げ、「すぐにでも消費税増税を実施するとの印象を与えたのは誤解だ」とごまかし、青森市内での演説では「年収200万円とか300万円とか少ない人」、秋田市内では「年収300万とか350万円以下の人」と述べたかと思うと、山形市内の演説では「例えば年収300万、400万以下の人にはかかる税金分だけ全部還付するという方式、あるいは食料品などの税率を低い形にする方式で、負担が過大にかからないようにする」とぶれにぶれまくり、それも行き詰ると「もともとそういうふうに(消費税は一切手をつけないと)いっていたが、私の声が小さすぎて、なかなか届かなかった」などと、自身の“声の大きさ”の問題にすり替え、ついに選挙戦終盤の街頭演説では「次の衆院選までは1円も上げない」と言及するなど火消しに追いまくられたのであったが、この時点ではすでに、このような自らの言動にさえ責任をもてない菅首相のあきれた政治姿勢、その場しのぎの公約の乱発と政策の迷走、それを弁護する閣僚や民主党執行部は有権者から見放されていたといえよう。
 有頂天から大敗北へ、菅首相は貴重な経験をしたのであるが、果たしてこのような公約違反を平然と行い、綿密な政策形成もできず、党内合意、政権合意すら手順を踏めず、政策で迷走と混乱を重ね、結果として政権が弱体化し、指導力やリーダーシップがほとんど期待できないとすれば、この政権に何が期待できるのであろうか。何よりも民主党内自身の責任の明確化と再編成が要請されるであろうし、政界再編成もありえよう。しかしそれは、「国民生活が第一」という政権交代の画期的意義をぶち壊すようなものであってはならないことが強調されるべきであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.392 2010年7月24日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬 | 【投稿】菅新政権:参院選敗北が明らかにしたもの はコメントを受け付けていません

【投稿】韓国哨戒艦沈没事件と情報操作

【投稿】韓国哨戒艦沈没事件と情報操作
                            福井 杉本達也 

1 安保理の「議長声明」-北朝鮮に“無罪”
 3月26日に起こった韓国哨戒艦「天安」沈没事件から3か月以上経過した7月9日、安保理は、「決議」ではなく拘束力の弱い「議長声明」という形で、しかも、行為の主体を明らかにせず「攻撃に遺憾の意」を表するだけで決着した。そして「事件に無関係だと主張した北朝鮮を含む関係国・団体の反応に留意」する一文が付け加えられ、「日米韓が当初探った『できる限り強い措置』とはほど遠いところに“着地”した」(日経:2010.7.10)。北朝鮮は声明を評価し「『韓国の哨戒艦事件に関する議長声明は、米韓が朝鮮を陥れようとする企みはおろかなものであることを証明している』と述べ、『安保理の議長声明は哨戒艦沈没事件について明確な判断を出していないし、結論も下していない。真相をまだ究明していないこの事件について、このような結果がでたのはあたりまえのことだ』と述べた。」(中国「人民網」:7.12)。北朝鮮の完全“無罪”の「判決」である。
 既に米国務省のクローリー次官補は6月28日の定例記者会見で「韓国海軍哨戒艇沈没事件は『国際テロ行為ではない』と指摘、北朝鮮に対しブッシュ前政権が2008年10月に解除したテロ支援国家指定について、沈没事件を根拠にした再指定はできないと判断したことを明らかに」している(福井―共同:2010.6.30)。「議長声明」は、この3ヶ月間に米韓両国が上げた手を下ろすための「儀式」にすぎない。

2 沈没事件の顛末
 当初、爆発の原因は不明だが北朝鮮の直接の関与はないものと報じられた。クローリー次官補も3月26日、北輯鮮の攻撃を裏付けるいかなる証拠も見つかっていないと述べた(産経:3.27.28)。元世勲韓国国家情報院長は4月6日、国会情報委員会における答弁で、北朝鮮が関与している可能性は見出せず、一部の軍人の突出的攻撃についても疑わしいとの冷静な見方を示した。(『ハンギョレ』)。
 事件が急展開するのは4月15日に調査団が沈没した天安の船尾部分を引き上げて以降である。「外部爆発の可能性大」「機雷。魚雷攻撃か」(福井―共同:4.17)と北朝鮮関与を匂わす発表を行った。さらに、事件を「北朝鮮の犯行」と“決めつけ”たのは、5月20日の調査団の中間報告である。「北(北朝鮮)製の魚雷による水中爆発」が沈没原因と断定、魚雷は「北の小型潜水艦から発射された以外に説明できない」とした(福井―共同:5月21日)。
 南北朝鮮は一触即発かと思われたが、意外にも5月24日の李明博大統領の戦争記念館での談話は抑制の利いたものであった。「『われわれの究極目標は軍事対決ではなく、韓(朝鮮)半島の平和と安定、(そして)民族の共存共栄だ』。李大統領は演説の約3分の1を割き、国際社会の責任ある一員として行動するよう北朝鮮に強く訴えた。…保守派からは、南北協力事業である開城工業団地についても『廃止すべきだ』との声が噴出したが『あえて事業継続を決断した』 」(福井―共同:2010.5.25「南北関係断絶避けた韓国」)。その後、国連やG8に舞台を移し、事態は展開したが、李大統領の戦争はしないというメッセージだけは正確に北朝鮮に伝わったものと思われる。

3 明らかになってきたこと
 まず、5月20日の韓国調査団の発表した「北朝鮮製魚雷」について、回収されたスクリューの破片がわずか2カ月程度海中にあっただけで激しく腐食している点、北朝鮮魚雷のシリアルナンバーと報道された油性マジックでハングルの1(?)と表記された文字が50日以上海中にあったにもかかわらず鮮明すぎる点、艦船を真二つに破壊するほどの衝撃があったにもかかわらず、公開された魚雷の部品が歪みも破損もなく完全に形が整っている。スクリュ-も欠けておらず曲がってもいない(河信基氏)。北魚雷の設計図とされたものに謎のカタカナ表記があり(県民福井:5.24)、最終的にこの設計図は誤りとされた(『ハンギョレ』)。さらにはこうした疑問点を補強するものとして、独自調査団を韓国に派遣したロシアは、「北朝鮮の犯行と断定できない」(日経:6.17)としたのである。

4 韓国の国内世論
 5月24日に行われた『韓国日報』の世論調査によると、「哨戒艦沈没調査結果を信じるか?」という問いに対し、「全面的に信じる」が24.4%、「信じる」が45.7%あるものの、「信じない」が16.6%、「全く信じない」が7.4%もあり、韓国国民がこの事件に対して意外と冷静であることが明らかとなった(日経:5.28)。さらに、6月2日投票の韓国統一地方選挙では、与党ハンナラ党の惨敗に終わった。沈没事件を利用しようとしたハンナラ党はソウル市長選を辛うじて制したものの、北と接する仁川市や江原道では敗北した。韓国内の北朝鮮制裁論は失速してしまったのである(日経:6.4).また、6月15日には韓国の市民団体参与連帯が安保理に対し、韓国調査団の結論に疑問を投じる書簡を送っている。韓国政府は、これに対し「一体どこの国民なのか」と批判したが、参与連帯は「民主主義国家のNGOが展開する日常的な活動だ」と反論している(毎日:6.16)。
 1988年の盧泰愚大統領が掲げた7.7宣言を経て南北関係を大きく改善し、GDP世界13位の経済発展を遂げた。現代グループやサムスン・LGといった世界的企業を輩出までになった。北朝鮮との全面戦争はこうした経済成長を台無しにして、韓国を再び1960年以前の状態に戻すことである。この間、都市に人口や工場が集中し、戦争にきわめて弱い国家構造となっている。韓国国民の誰も戦争を望んでいないのである。

5 明らかにならないこと
 そもそも、鋼鉄製の軍艦が荒天時でもないのに簡単に真二つに破壊されて46名もの乗員を乗せたまま簡単に沈没する理由はなんであろうか。一般船よりはるかに剛構造の軍艦が「完全分離破断が起きうる唯一の可能性、それは、天安船底の中央部に集中的にかつ上向きに強大な剪断力と縦方向曲げモーメントが同時作用したケース」(ベンチャー革命:5.23)である。沈没した海域周辺は南北の境界線があいまいな係争区域であり、海の“火薬庫”として知られ、これまでしばしば南北の艦艇による軍事衝突が起きている。事件当時、米韓軍事合同演習が行われており、当然、哨戒艦である「天安」は北朝鮮の潜水艦や魚雷をレーダーやソナーを使って“哨戒”していたはずである。田中宇氏は早くから「天安艦は米潜水艦から誤爆された」という説を採っている(田中宇「韓国軍艦『天安』沈没の深層」2010.5.7)。又は2001年2月のえひめ丸のように米潜水艦と衝突した可能性もある。ロシア海軍予備役大佐は「魚雷攻撃ではなく、弾薬、爆発の可能性が高い。水中音響探知システムで周辺を探知するのが哨戒であり、天安が魚雷攻撃で沈没したとしたら、彼らは海軍ではなく、穀潰しだ」と述べている。

6 米国戦争勢力の主導する極東の緊張
 事件後、米韓両国は黄海上で合同軍事演習を行うと脅しをかけている。日本の横須賀を母港とする原子力空母「ジョージ・ワシントン」をこの軍事演習に参加させるという。これに対し、中国は7月8日「外国軍艦船が黄海など中国の近海に入り中国の安全保障上の利益を損なう活動を実施することにたいして断固として反対する」(毎日:7.9)と表明している。中国の天津市は黄海に面している。天津開発特区にはトヨタをはじめ伊藤忠・田邉製薬など様々な日本企業が進出している。また、韓国の現代自動車・サムスン・LGなどが進出している。アメリカ企業としてはAT&A、コカコーラ、モトローラなども進出している。また、最近重要性を増している大連・青島も黄海に面している。天津から北京までは高速鉄道で1時間である。中国の一大政治経済の中心である。
 このようなところで、戦争状態を引き起こすならば誰の利益なるのか。少なくとも経済が急成長する中国にとって何の利益もない。また、韓国にとっても、これまでの安定した経済成長を台なしにすることである。しかし、米国の戦争勢力は極東に緊張状態を醸し出して軍事予算を獲得することを狙っている。米オバマ政権は軍事費を5年間で1000億ドル(約9兆円)削減すると表明したが、議会側は1兆ドル規模の削減を目指し、努力不足と反発している(日経:7.10)。アフガニスタンでは、苦戦中であり現地司令官を交代せざるを得なくなった。こうした、アフガニスタンや極東の火つけにヒラリー・クリントンが飛びまわっている。オバマは逆にカルザイとの調整や司令官の更迭など火消しに飛び回っている。哨戒艦沈没事件はこうした米国戦争勢力の動きに利用されている。韓国李政権は米の動きにいやいや従わされている。韓国は、2012年の予定だった在韓米軍が持つ朝鮮半島における有事作戦統制権の韓国軍への移管を2 015年12月まで延期することを決めたが、戦争指揮権という国家の存亡を米国に握られた「属国」の悲哀である。

7 国際社会から相手にされない「属国」日本
 前鳩山政権は5月21日に来日したクリントンに恫喝され、普天間基地の辺野古への回帰を表明した。5月24日のNYT電子版は「オバマ米政権の勝利で、鳩山首相にとっては屈辱的な後退」とする記事を掲載した。一国の首相が米軍にとってはさほど重要ではない基地1つで首を切られるということは、米戦争勢力の完全勝利であり、日本国民にとっては最大の屈辱である。わずかな日本滞在後、クリントンは中国を訪問し6日間も滞在し、胡錦涛国家主席を恫喝したが、中国は戦争勢力に同調することはなかった。他方、“完全屈服”した鳩山前首相は5月30日の日中韓首脳会談で、事件を安保理に提起する韓国の方針を支持した。安保理は北朝鮮の“無罪”を声明したが、日本は上げた手をどうするのか。「属国」として戦争勢力に忠実に従い、極東における戦端を開かせるのか。同じ「属国」でも韓国はしたたかに開城団地の権益だけは死守した。これだけ経済関係で緊密化した極東においての火遊びは日本を壊滅させることになる。 

 【出典】 アサート No.392 2010年7月24日

カテゴリー: 政治, 杉本執筆 | 【投稿】韓国哨戒艦沈没事件と情報操作 はコメントを受け付けていません

【投稿】修正加速するアメリカの世界戦略と東アジアの情勢 

【投稿】修正加速するアメリカの世界戦略と東アジアの情勢 

<一方的な移転計画変更>
 この間複数のメディアが、沖縄駐留米海兵隊のグアム移転について、「アメリカ側が当初の計画を変更、沖縄に司令部を残し、戦闘部隊を多めにグアムに移駐させる方向」と報道している。
 これまで2006年のロードマップで示されている、海兵隊8千人と家族9千人のグアム移転については、第3海兵機動展開部隊(3MEF)司令部とその要員が中心とされていた。
 つまり、司令部は後方にさがるが、戦闘部隊基幹は引き続き沖縄に駐留し、「抑止力」を発揮するものと捉えられ、新旧の日米両政府もことある毎にそれをアピールしてきた。
ギリギリまで普天間基地の県外、国外移設にこだわった鳩山前総理も最後には「沖縄に駐留する海兵隊の抑止力が重要なことを学んだ」などと発言、辺野古移設を合理化する口実としていた。
 ところが、去る5月28日、日米安全保障協議委員会(SCC)=日米2+2(外務、防衛閣僚=岡田外相、北澤防衛相、クリントン国務長官、ゲーツ国防長官)が連名で発表した日米共同声明ではアメリカ側の要求でその部分が微妙な表現となった。
 声明では「両政府は、09年2月17日のグアム協定(在沖縄海兵隊のグアム移転に係る協定)に従い、3.MEFの要員・・・の沖縄から米領グアムへの移転が着実に実施されることを確認した・・・米側は、地元の懸念に配慮しつつ、抑止力を含む地域の安全保障全般の文脈において、沖縄に残留する3.MEFの要員の部隊構成を検討する」と書かれている。
 「抑止力を含む地域の安全保障全般の文脈」とは、駐留理由において「抑止力」が絶対要件ではなくなり、トータルな観点=アメリカの都合で、残留部隊を決めると言うことであり、「地元の懸念に配慮」とは沖縄の事情も考えてますよ、というリップサービスと変更は日本のせい、というだめ押しである。
 日本政府が必死になって説明してきた、海兵隊の沖縄駐留理由を否定するような事を突然アメリカ側が言い出してきたわけである。
 移転部隊の差し替えについて詳細は明らかになっていないが、司令部に変わり戦闘部隊数千人程度を追加し、現在普天間に駐留する問題のヘリ部隊も移転する可能性があるという。そうなれば、代替施設を辺野古近辺に建設する必要性はますます薄れていき、これまでの議論は白紙に戻るかも知れない。

<アフガンが最重要>
 こうした決定の背景にあるのは、世界的な米軍再編=トランスフォーメーションに基づくアメリカの世界戦略と「対テロ戦争」が、とりわけアフガン情勢の悪化に直面し修正を余儀なくされ、この影響が、「脅威」の見積もりに於ける日米韓のギャップが存在している東アジアに及び「同地域軽視」として現れていることである。
 アフガン情勢については深刻な事態になりつつある。オバマ政権は今年2月「4年ごとの国防政策見直し」(QDR)を発表。これまでの2正面作戦を見直し、アフガン最優先の戦略を打ち出した。
 これに沿って「立つ鳥後を濁す」ようにイラクからの撤退を進める一方、アフガンに対しては来年からの撤退をスムーズに進めるため、今年中にタリバーンとの「決着」を付けようと増派を進め、この春からアフガン軍と共同で大規模な軍事作戦を展開しているが、状況は芳しくない。
 こうしたなか6月末には派遣軍の司令官であるマクリスタル陸軍大将が、雑誌のインタビューでアメリカ政府批判を展開。激怒したオバマ大統領に召還されたうえでの「辞表提出」という事実上の解任処分を受けた。
 現在、アメリカ軍はカンダハル制圧に向けた準備を進めているが、タリバーンの巧妙な戦術に翻弄され、消耗戦を強いられている。対ソ連用に構築された空母打撃部隊や戦略空軍は、アフガン戦争、イラク戦争の緒戦では威力を発揮したが、本格的な非対称戦争のでは、有効な戦力にはなっていない。

<中国とは妥協と協調>
 QDRによれば、中国について「潜在的な敵国に関する記述」で、北朝鮮などとともに触れ、「攻撃型潜水艦や空母の建造、コンピューターネットワークや宇宙空間での攻撃能力向上など・・・で近代化を進めている」として「そうした近代化の長期的意図が何なのか疑念を生んでいる」と指摘しているが、正面とは位置づけられていない。
 この間の「チョナン」爆沈を巡るアメリカの動きをみれば明らかで、QDRの表現とは裏腹に、中国に対する配慮を押し出した行動を見せている。
 当初6月上旬にも黄海で予定されていた米韓合同演習は、国連安保理の動きを見ながら、規模や日程も明らかにされない中、ズルズルと延期。そうするうちに7月9日に、国連安保理議長声明が明らかになった。
 アメリカと中国の妥協による声明は「46人の人命損失を招いた攻撃を非難する」として沈没の原因が「攻撃」であることを認めたものの、攻撃の主体については言及しないという、曖昧な表現のものとなっている。
 こうした決着を見越し、中国は本誌390号で指摘した「何らかの反応」として黄海での米韓合同軍事演習に断固反対することを再三にわたり表明、7月15日には東シナ海でミサイル演習を実施した。
 これらの動きを受け、アメリカも当初の計画を変更。演習自体は行うものの黄海と日本海に分散、懸案となっていた原子力空母「ジョージ・ワシントン」は黄海には入らない方向となっている。
 これらは、韓国と同国に対する「全面支持」を打ち出した日本政府から見れば明らかに弱腰であり、とりわけ韓国にとっては、先の国連議長声明とともにフラストレーションのたまる内容となっている。

<はしごを外すアメリカ>
 韓国に対しては、現在アメリカ軍が持っている韓国軍の指揮権である作戦統制権の韓国への移管について、当初予定の2012年4月から約3年半延期することで、引き続き韓国防衛に責任を持つ姿勢を示した。
 しかし在韓米軍については、一時アフガンへの派遣が検討されるなど、ここでもアメリカの都合が露骨に見え隠れしている。普天間のヘリ部隊などは、アフガン派遣で定数割れが常態化していといわれており、日本の期待とは違い、中国や「テロ支援国家」再指定が見送られた北朝鮮への対応など2の次であることが判る。
 それでは、アフガン情勢が好転し、撤退が順調に進めば東アジアが「作戦正面」=戦闘部隊の貼り付け対象になるかといえば、そうはならないだろう。トランスフォーメーションにおける在外駐留兵力の引き上げは既定事実で、韓国軍の指揮権移管延期などはあるものの、QDRでの実戦部隊の前方展開戦略の見直しはそれを加速化させる形となっている。その具体的な形はアメリカ政府が、今年末をめどに策定を進めている「世界規模の兵力構成見直し」(GPR)で明らかになるだろう。
 現在菅政権は、日米合意の着実な実行を表明し、辺野古移転を推進しようとしているが、民主党政権にとっては2階に上がってはしごを外されたような事態となるだろう。参議院選挙において沖縄で示された民意を踏まえ、空洞化しつつある日米同盟の見直しをすすめることこそが求められている。 (大阪O) 

 【出典】 アサート No.392 2010年7月24日

カテゴリー: 平和, 政治 | 【投稿】修正加速するアメリカの世界戦略と東アジアの情勢  はコメントを受け付けていません

【本の紹介】『税を直す』

【本の紹介】『税を直す』
      著者 立岩真也・村上慎司・橋口昌治
      発行 青土社 2009年9月10日発行 2,200円+税 

<<菅首相の迷走>>
 何が何でもとにかく10%以上の消費税増税にしがみつき、年収200万、300万、350万、400万と日ごと場所ごとに基準が変わる戻し税や食料品などへの軽減税率などその場その場で思いつくままに発言し、そのあまりのブレの大きさと不用意さに大反発を食らい、迷走の果てに、今度は消費税論議にまったくふたをし、参院選大敗北を自ら招いてしまった菅首相を先頭とする民主党政権の人々、このあきれた思い上がりもはなはだしい人々は、そもそも税制論議などはなから真剣かつ十分にに精査・検討・論議などまったくしていなかったことを暴露してしまった。年収400万円以下となると納税者の8割以上にも達するという、これらの人たちが1年間に支払った消費税全額をすべて集計して還付するなどという、まったく非現実的で膨大な経費がかかり、30%以上の消費税にしなければ逆に減収をさえ招きかねない、何のための増税なのかその目的をさえ疑われる、その場しのぎの思い付きで、とにかくこの選挙戦を乗り切ろうなどという政治姿勢そのものが、投票権を行使する有権者を冒涜する浅はかな行為であったといえよう。当然の厳しい審判を受けたわけである。
 ここに紹介するのは、昨年9月に発行されたものであるが、政権交代の意義を実りあるものとするために、ぜひともこのような民主党政権の人々に頭を冷やすために精読してもらいたい一書である。もちろんそのためだけに紹介するものではなく、税の累進性を強める、という所得再配分にとってごく当たり前のことが税制論議から抜け落ちていることを丁寧に検証し、累進課税に対して常に持ち出される常套句的反論を事細かに取り上げ、その問題点を丹念に検証し、反論し、本来あるべき当たり前の「税の直し方」を提起している、非常に意義深い問題提起の書である。

<<税の大きな目的と意義>>
 著者の立岩氏は、本書の冒頭、「はじめに」において「予算を増やさねばならない。しかし難しい。だから増やせない。節約し、減らせるところを減らさざるをえない。しかしそれも限界があるから消費税だとか目的税だとか。そんな具合になっている。だが、その前に、多くを得たところから少ないところに移すことをするのがよい。基本的には、ただそれだけのことを述べる。」とその立場を明確に宣言している。
 さらに著者は、「序 要約的な短文」において「この国の政府にはお金がないと言われる。しかし、税金を上げる前に、無駄使いを減らそうということになる。たしかに不正な使用はなくすべきではある。ただ冷静に考えるなら、それで節約できるのはたかがしれている。次に、私自身は、支出しなくてもよいあるいは減らしてよい費目が多々あると考えるが、そこは意見が分かれるところだろう。そして、みなが知っているように、削るべきでない社会保障・医療に手がつけられてしまっている。
 そこで、仕方ない、消費税を上げるしかないということになる。所得税等では現実には取りはぐれが出てしまうのに対し、金を使えば自動的に支払うことになるから、この税の利点はある。私は絶対反対という立場には立たない。
 けれどもそれよりすべきこと、できることがある。つまり、課税の累進性、つまりたくさん持っている人がたくさん税を出す仕組みをきちんとさせればよい。多くの人が忘れているが、そして少なからぬ人が知らないことなのだが、この国はしばらく前に累進性を緩めてしまい、そしてずっとそのままにしてきた。さしあたり課税の仕方をもとに戻すだけでもかなりのことができる。だからそうすればよいと思う。」と述べる。
 「第1章 分配のために税を使う」においても「そこで、言いたいことはきわめて単純なことである。市場において多くを得てしまったところからそうでないところに財を金を移転することが税の大きな目的であり意義であり、それをしかるべく行なうべきである。そのことによって、必要だが足りないとされてしまっているものを得ることができる。
 具体的にどうするか。今どうするか。はっきりしている。一つに、税の累進性を強めることである。それは穏当でないと言う人がいる。まったく穏当だと思うが、いくらかそれを受け入れ、ひとまずは以前の税率に戻すというのでもよい。それ以前に、何度もその率が切り下げられてきたことを知らない人もいるのだから、まずそれを知ってもらいたいと思う。」と述べる。

<<反射的な反論>>
 「第2章 何が起こってしまったのか」において「変化は、消費税導入にあたっての騒動に比べれば、いつのまにやら、静かに、起こった。税率の変更は、段階的に、だがわりあい短い期間になされた。まずたしかに今では高いと思われるかもしれない税率が高いとされ、低くされるのだが、次にはその低くされた税率が高いとされ、といった具合に引き下げられていった。それがもたらしたものは小さくはなかった。消費税導入前の最高税率は七〇%だったが、導入後五〇%に、一九九四年改正でさらに三七%にまで引き下げられた。」と述べ、最高税率の引き下げが自民党政権時代に意図的、計画的、短期間のうちに実行され、具体的には、「最低税率一〇・五%から最高税率七〇%の一四区分だった所得税は、一九八七年に、最低税率一〇・五%から最高税率六〇%の一二区分になった。次に一九八八年、一〇%から五〇%の五段階。そして一九九九年、一〇%から三七%の四段階になった。」経緯を明らかにする。
 そこで、税の累進性を強化すべきだ、あるいは以前の状態に戻すべきだと提起すると、税の専門家なる人々ほど、あるいは財務省幹部から、聞き覚えのある反論がさまざまに繰り出される。
 「累進性を強くすればよいというと、ほとんど反射的に、ある人々から言われるのは経済によくないという話だ。・・・それよりはもっともな理屈も言われる。一つは、勤労意欲、事業意欲、労働インセンティブである。累進性が強化されると人は働く気をなくし、かえってよくないというのである。・・・もう一つが、国境・越境のこと、例えば、税を上げれば富裕な人たちが国外に逃げていってしまうという話だ。」
 著者は、それは本当にそうなのだろうかと疑問を提起し、思索的で綿密な議論を展開し、その論拠や根拠が実ははっきりしてないことを、懇切、丁寧に論じていく。

<<税の累進性の強化>>
 「第2部 税率変更歳入試算」において、現時点の最新統計データに基づいて、二〇〇七年の「民間給与実態統計調査」と「申告所得税標本調査」を用いた試算を行ない、「試算結論を概略すると二〇〇七年の税率で給与額に関する源泉所得税が八兆七五七四億円、申告所得税が三兆七〇七人億円であったのに対して、一九八七年の税率に戻した場合、源泉所得税が一二一兆九八四六億円、申告所得税が五兆二四〇〇億円となり、六兆七五九四億円の増額となる。」ことを明らかにしている。つまり、一九八七年の累進税率構造に戻すことで、源泉分と申告分を合わせて六兆七五九四億円の増額が可能になることを示している。
 これは所得税に関してだけのことであるが、立岩氏は、より広く税の累進性をとらえ、「税の累進性を強化してよい。むろんそれは、個人のその年々の収入に課される税の累進率だけを指すのでなく、資産・遺産も含めてのことである。また、様々に存在し指摘される不合理を正すことによって得られるものも大きいはずである。よく言われるように、様々に複雑な控除等も整理すべきはした方がよい。消費の場面での徴税も、うまく機能させることができるなら、否定するものでもない。「累進消費税」と呼ばれる案もある。それらとともに、所得税については累進性をいくらかもとに戻すぐらいのことはできるし、した方がよい。それは効果的で現実的な案である。
 所得税の税率を戻すだけで年に数兆円にはなる。その数倍あった方がよいとして、さらにどこからどれだけを得て、何に使うか、具体案は様々に考えられようが、基本的に得たものは、所得保障と福祉・医療といった社会サービスのために使う。前者は当然直接人に渡る。後者かはとんどもその仕事に就く人が得る。それで今起こっている問題のかなりの部分について、だいたいのかたがつくと考える。すぐに具体的にできるしすればよいのはこのことである。」と強調する。
 今回の参院選では、自民党でさえ、路線転換をしたのであろうかと思わず目を疑うが、そのマニフェストに「個人所得税課税については……高所得者の税負担を引き上げるとともに、歳出面も合わせた総合的取り組みの中で子育て等に配慮して中低所得者世帯の負担軽減を図ります」と公約せざるをえないほど、税制は弱肉強食の自由競争原理主義が支配し、金持ち優遇税制が野放しになされているのである。
 「税を直す」ことが喫緊の課題である以上、「多くある人は、少なくある人よりも、より多く負担する」という当たり前の税制を確立することの重要性を論じた本書は、貴重な問題提起といえよう。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.392 2010年7月24日

カテゴリー: 政治, 書評, 生駒 敬, 経済 | 【本の紹介】『税を直す』 はコメントを受け付けていません

【コラム】ひとりごと—民主党は、もう一度出直した方がいい—

【コラム】ひとりごと —民主党は、もう一度出直した方がいい—

○目も当てられない状況である。昨年の政権交代による政治への期待がものの見事に吹き飛んでしまった。○参議院選挙では、民主党が敗北した。消費税問題が一番大きいと言われている。果たしてそれだけだろうか。「鳩山・小沢」ならもっと負けていた、という声もある。○確かに、鳩山は「死に体」状態だった。小沢の問題が、現職国会議員を逮捕して立件する程の問題であったのか疑問は残るが、マスコミが作り出した状況の中では、鳩山・小沢の「政治とカネ」問題は、民主党の政治姿勢の根幹を揺るがすことになった。○最後に止めを刺したのが、普天間問題であった。○筆者は、政権交代があったのだから、新たな日米関係の再構築を前提として、違った選択肢があるはずだし、もっと厳しい交渉が可能だったのではないかと考えている。なぜできなかったのか。○さらに菅新政権が、退任直前の「日米共同声明」を簡単に引継いだことで、問題は残った。外交・防衛問題における民主党の基本路線が曖昧なままになっている。○そして「消費税問題」である。選挙の争点が消費税だったのか。結果として、そうなった。○自民党の消費税10%方針に、「参考にしたい」と菅総理が発言したことから、始まったと言っていい。その意味で責任の所在は明白である。○衆議院選挙からまだ1年しか経っていない。予算も1回しか組めていない。マニフェスト公約は4年間で実現するものであろう。1年間の取り組みを確認し、残り3年で何をするか、それを明確にすれば良いだけのはずだった。衆議院選挙では、4年間消費税は上げないと鳩山が言って政権交代が実現したはずだ。○さらに「事業仕分け」を行い、ムダを省く努力を続けると言えばいいだけではないのか。ここが「謎」である。○まして参議院選挙である。政権選択の選挙ではない。消費税を持ち出すなら、衆議院選挙で国民の信を問えばいい。○何故、それができなかったのか。財務省官僚に唆されたのか、そんな簡単な話ではないだろう。○鳩山政権が信頼を失い、人心一新で誕生した菅政権だったが、逆に余りに準備不足だったのではないか。○東京・大阪の選挙区では、事業仕分けでマスコミの注目を浴びた蓮舫・尾立両候補がトップ当選等を果たしている。自民党ではできなかった「切り込み」に国民の支持が高いことが確認できる。○しかし、負けは負けである。菅総理もポストに連綿としがみつかない方がいいと思われる。少なくとも、選挙総括をやり切り、基本政策をしっかり立てて、組織を立て直す必要があるだろう。○政権交代といっても官僚は自民党時代の役人がそのまま残っている。かつての自民党時代は、大臣は省庁官僚の手のひらの上で踊らされていたのを、政権交代ですぐに変わるとも思われない。少々の時間がかかるのもしょうがない。○それが、比例票では2000万は切ったとは言え、1800万票が取れた要因だろう。○一から出直すことを民主党に期待したい。○一方、脱官僚・脱霞ヶ関と訴えて議席を増やしたのが、「みんなの党」であろう。民主に流れていた自民党・保守票、そして無党派層の取り込みに成功した。皮肉なもので、かつての民主党のスローガンとそっくりだ。ただ公務員(国も地方も)の賃金切り下げの主張が強烈で、「民・みん」は避けてほしいものである。○さて、共産党である。消費税増税反対を強く訴えていたはずだが、逆に得票を大幅に減らし、356万票に留まり、比例議席も1議席減らす結果となった。07年の参議院選挙と比べて84万減らしたことになる。○消費税が焦点と言われるが、消費税反対の共産・社民は、大幅に票を減らす結果となっている。○ここも焦点であろう。普天間問題でも最も鳩山政権を批判してきた政治勢力だからである。○今回の選挙結果については、私自身、まだ戸惑っている。消費税を10%にすると言った自民党が勝利した。消費税に曖昧に言及した民主党と合わせて95人の議員が当選した。○逆に、消費税議論については、民主党の大敗を別にすれば、国民の拒否反応は少なくなったと言えないこともない。それだけ、社会保障や将来のことについて国民の中に不安があるということを逆説的に証明しているとも言える。○民主の大敗によって、衆参でのねじれ状態が生まれた。現時点では、連立ではなく、政策・法案毎の国会運営になるという。何が起こるのか、予想もできないのが政治の世界というが、民主党への試練、大いに結構。一から出直せばよいのである。(2010-07-19佐野)

【出典】 アサート No.392 2010年7月24日

カテゴリー: 政治, 雑感 | 【コラム】ひとりごと—民主党は、もう一度出直した方がいい— はコメントを受け付けていません

【投稿】菅新政権:「国民生活が第一」から「財政再建が第一」への路線転換

【投稿】菅新政権:「国民生活が第一」から「財政再建が第一」への路線転換

<<「自己都合第一」>>
 政局はめまぐるしく動き、鳩山内閣は倒れるべくして倒れた。民主党・小沢幹事長との抱き合い心中のごとき内閣崩壊劇の中で、菅直人新政権があわただしく登場、20%を切っていた内閣支持率が60%台に回復するや、この好機を逃すまじと、党首討論も予算委員会も開かず、参議院では決算委員会の締めくくり総括も行わず、各委員会の会期末処理(請願の処理)もさせず、さらに前代未聞の、閉会にあたっての本会議開催さえも拒否して、6月25日公示、7月11日投開票の参院選へと一気に逃げ込んだ。菅新政権への衆参予算委員会での論戦を封殺したまま国政選挙に突入する姑息な「逃げの戦法」は、まさに「ズル菅」菅直人の面目躍如といったところである。しかも菅首相自身が亀井金融担当相との間で、国民新党と取り交わした合意書でさえ、わずか一週間足らずで反故にしてしまう。
 しかし、かくして菅新政権は、国政選挙を目前に控えながら、民主的討論を通して政策と選択肢を明らかにするという最低限のルールさえ投げ捨てる暴挙をあえて強行することによって、船出の初めから「権力欲むき出し・自己都合第一」という重大な汚点を撒き散らして船出したのである。
 この菅新政権は、はたして支持率V字回復に値する政権なのであろうか。
 鳩山前首相は辞任せざるを得ない理由として、第一に「沖縄の普天間基地の問題で県外移設を果たせなかったこと」、そして第二に「自身の政治とカネの問題」を挙げた。普天間基地の問題に関しては、辺野古案に回帰することによって「結果として沖縄の人たちに基地を押しつける形になってしまったこと」「3党合意も沖縄との合意も取れずに日米で合意してしまったこと」「連立を組む社民党の福島党首を罷免する結果になってしまったこと」を挙げている。ならばこのような事態をもたらし、むしろそこに追い込んだ重要閣僚、岡田外相、北澤防衛相、沖縄担当相の前原国交相がなぜそのまま責任も問われることもなく、辞任することもなく、菅新政権に横滑りしているのであろうか。もちろん、副総理であった菅氏自身の責任も問われるが、この三閣僚は、平野前官房長官とともに、鳩山前首相の「最低でも県外、できれば国外」路線に徹底して抵抗し、ろくに日米交渉も行わず、ただひたすら辺野古案に回帰することを押し付け、鳩山内閣を崩壊へと追い込んだいわば戦犯、実行犯である。6/11のBS朝日の番組に出演した前首相の鳩山氏は、鳩山氏が目指した県外移転には、米国だけでなく、外務、防衛両省も非協力的だったことを明らかにしている。鳩山首相とともに辞任・罷免すべきこのような非協力的な閣僚をそのまま重用したところにむしろ菅新政権の本質が露骨に示されているといえよう。それは、あやふやな鳩山内閣の「辺野古の海を汚してはいけない」「最低でも県外、できれば国外」路線から、あくまでも沖縄県内での基地たらいまわし・辺野古基地建設強行、日米軍事同盟強化路線への転換である。

<<「現代の参勤交代」>>
 果たせるかな、菅新首相は6/11の施政方針演説のなかで、「日米同盟は日本の防衛のみならず、アジア・太平洋の安定と繁栄を支える国際的な共有財産といえます。今後も同盟関係を着実に深化させます。」と断言した。日米同盟が「国際的な共有財産」とはなにごとか、ここまで日米同盟を礼賛するのは、あの小泉政権以来のことであろう。
 そして実は、菅首相は官邸入りしたその日の夜の内に、アメリカのオバマ大統領に電話をし、辺野古「移設」合意を「しっかりやる」と約束し、ルース米駐日大使に対しても直接、同様の言明をしたことも明らかになっている。あらためて新首相としての菅氏が、たとえ県民の合意を得られなくても、沖縄県内新基地建設路線を強行することを申し出て、米政権への追随政策の遂行を約束したのである。そして逆に沖縄県民に対しては、6/23の沖縄全戦没者追悼式典には参加するが、「長年の過重な負担に対する感謝の念を深めることから始めたいと思います」として、あくまでも「過重な負担」を押し付けることを鮮明にしたのである。岡田外相や北沢防衛相は、日米合意で8月までに決めることになっている基地の配置や工法について、「沖縄の合意を求めなければならないものではない」と公言する事態である。民主党の玄葉政調会長に至っては、6/13のNHK政治討論番組で、「沖縄問題を反基地闘争にはさせない」とまで発言しているが、沖縄の人々の反感と反発におびえるその政治感覚の低劣さは、菅新政権の象徴でもあろう。
 菅首相が過去に海兵隊不要論を公言したことを代表質問で指摘した社民党の福島瑞穂党首に対して、首相は「自社さ政権で村山富市首相も安保廃棄の社会党方針を撤回した。首相の立場の高度な判断だった」と切り返した。何という言い草であろうか。マニフェストで公約して政権交代を勝ち取った民主党政権が、公約を反故にして鳩山政権が辞任に追い込まれたのである。何のための政権公約なのか、政権をとってしまえば、「首相の立場の高度な判断」で何をしてもいいという、あきれた論法である。菅氏が過去に、新首相が真っ先にアメリカ大統領に電話を入れることを「現代の参勤交代ともいうべき慣行」だとか、海兵隊は「抑止力とはいえない」とか、「海兵隊は沖縄から撤去させる」とか、その場その場で適当な都合のよい発言をしていたことをいちいち問い返すことは、もはや無意味となっているが、「最低でも県外、できれば国外」は、どう弁解しようとも首相を先頭とした民主党の公約だったのである。であればこそ昨年夏の衆院解散・総選挙で民主党を中心とした民主・社民・国民新党の三党連合が沖縄県で全勝し、社民党、国民新党を含む与党連合が政権交代を成し遂げられたのである。その公約を反故にしたことを追及されて、「今は変わった」などと開き直る菅氏の姿勢は、語るに落ちる、としか形容しようのないものである。

<<「強い、強い・・・」>>
 さらに菅新政権にとって決定的ともいえるダメージは、6/17に行われた民主党の参院選マニフェストの発表会見で、消費税について「早期に結論を得ることをめざして、消費税を含む税制の抜本改革に関する協議を超党派で開始する」と打ち出し、その会見の場で菅首相自身が、具体的な税率について自民党案の10%を参考にする、と踏み込み、党内の正式な論議や手続きも経ないままに、消費税の10%への増税を首相自身の公約として勝手に打ち出してしまったことである。
 問題なのは、民主党が昨年8月の解散・総選挙で掲げたマニフェストでは消費税率の引き上げにはまったく触れていないばかりか、当時党代表だった鳩山氏が「私どもが政権を担う4年間、消費税の増税をする必要がない」と明言して、その上で勝ち取った政権交代であった。それがわずか九ヶ月足らずで、この基本政策をひっくり返し、なおかつ2012年度よりいきなり10%に増税するというのであるから、公約違反もはなはだしき暴挙である。閣内に疑問と亀裂を生じさせたが、それでも玄葉政調会長は「10%」が党の公約となるかについて「当然そうなる」と開き直り、前原国交相も「首相を全面的にサポートしたい」と語るのである。これまでの公約の嘘・偽りを平然と認め、誠実さのひとかけらさえも見せようともしない、いったいこうした人々はなんなのであろうか。ここでも小泉政権の再来が、如実に示されているといえよう。第二小泉政権の始動である。
 それはすなわち、財務省主導の財政再建原理主義、弱肉強食に最も都合のよい市場原理主義・新自由主義に取り込まれた路線の再来である。ここに民主党は、明らかに「国民生活が第一」の路線から「財政再建が第一」の路線に転換したのである。「国民生活が第一」を放棄して、「強い経済」「強い財政」「強い社会保障」などと「強い、強い・・・」を連発する強がり、そしてやたらと「リーダーシップ」を強調する姿勢は、かつての小泉路線のスタイルと酷似し始めている。
 連立相手の国民新党の亀井氏は、「国民新党は断じて賛成しない」と消費税増税への反対姿勢を鮮明にし、「民主党がコペルニクス的な転回をして消費税アップを決めるのであれば、そういう事態も予想される」として連立離脱の可能性にまで言及しているにもかかわらず、選挙戦に突入するや、菅氏は今の財政状況ではギリシャの金融危機と同様になり、国家危機となると危機感を煽り立てる先頭に立っている。その帰結が、「増税で景気が良くなる」とまでの暴論・珍説の開示にまで至り、暴走し始めている。
 こんな民主党なら願い下げである。早晩頓挫するこんな路線での参院選圧勝など許されてはならないといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.391 2010年6月26日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬 | 【投稿】菅新政権:「国民生活が第一」から「財政再建が第一」への路線転換 はコメントを受け付けていません

【投稿】「最少不幸社会」は右を向くのか、左を向くのか?

【投稿】「最少不幸社会」は右を向くのか、左を向くのか?
                           福井 杉本達也 

1 法人税率は果たして高いのか?法人税率を引き下げれば所得が海外移転するだけではないのか?
 6月11日付の日経新聞によると、直嶋正行経産相は、日本の法人税率は国際水準より15~20%高いので、税制の抜本改革の議論を待たず「法人税の税率を来年度にまず5%下げる必要がある。」と発言している。しかし、本当に日本の法人税率は高いのか。少なくとも日本の税収と歳出のバランスは1991年までは均衡を保ってきた。これを大きく崩したのは、富裕層への所得税の大幅減税と伴に、1998年に法人税率を34.5%に下げ、1999年にはグローバル化に対応するため「国際水準並みにする」として30%に引き下げたことにある。一方で政府が『財政健全化目標』を掲げ、もう一方で大臣が『抜本改革の議論を待たず法人税を下げろ』というのでは何をか言わんやである。
 そもそも、日本の法人税率は高いのか。広義の法人所得負担は、国税と地方税だけでなく、社会保険や民間医療保険なども加えて比較しなければならない。神奈川県の井立雅之氏の「法人課税の負担に関するGDP対比による国際比較」によれば、2004年で日本は9.4%であるのに対し、アメリカは11.2%、イギリスは8.3%、ドイツが9.2%、イタリアが14.3%、フランスが15.8%であり、決して、日本の法人負担が高いことはない。しかも、この四半世紀において、我が国の法人所得課税への負担は、他の先進国と比較して、最も軽減が図られてきたのである(「法人課税の負担水準に関する国際比較について」)。
 法人税率を下げたとろで、カネが『成長』に回るとは限らない。日産の取締役の「平均報酬額は単純計算で1億6900万円となり、トヨタ自動車(3752万円)などと比べても突出して高い。日産の取締役のl人当たりの報酬額が高いのは、カルロス・ゴーン社長の報酬水準が高いためと見られる」(日経:2010.6.8)と報じられている。また、「『外国人役員はべらぼうな報酬をもらっている。1億5千万円くらいとっている』。亀井静香郵政・金融担当相は先月、2期連続赤字となった新生銀行を記者会見で批判」(日経:6.10)しているが、法人税率の下げは、成長投資には投入されず、役員報酬と配当に回り、その一部は海外流出する恐れが高い。直嶋大臣は「労働貴族」との評判ではあるが、その言動から察するに「国際金融資本のエージェント」と評価すべきであろう。

2 誰も言わない所得税の累進課税強化
 2005年の厚労省の「所得再分配調査報告書」によると、当初所得のジニ係数(社会における所得分配の不平等さを測る指標。係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する。)は1993年には0.3703であったものが、2005年には0.4354となり所得格差が拡大している。主要な要因は高齢化によるもので、社会保障+税による再分配によって再分配所得は0.3074(1993年)→2005年では0.3225と改善されている。2005年における社会保障による改善度は22.8%、税による改善度は4.1%(計26.4%)となっており、年々社会保障による改善度の比重は高まり、逆に、税による改善度は6.5%(1993)→4.1%(2005)と微々たるものになりつつある。世帯主の年齢別所得再分配状況では、30~44歳の子育て世代層では現金給付は9.0~18.6であるのに対し、医療などの現物給付は34.3~41.4となっており現金給付は圧倒的に少ない。一方、60~74歳の年金生活世代層では現金給付が119.7~223.8、医療介護などの現物給付が 70.4~90.9となっており、医療なども膨らむが、生活を支える年金等の現金給付が多くなる。世帯員の年齢階級別の再分配所得は30~44歳の層でM字型に落ち込んでおり、この子育て世代を下支えするには、税による現金給付が重要である。したがって、6月から支給開始された「子ども手当」や「高校無償化」は非常に重要な政策手段である。所得税は1986年以前の15段階・70%の最高税率が6段階・40%にまで引き下げられてしまった。当初所得格差が拡大してきていること及び税による再分配機能が年々低下していることを考えるならば、所得税の累進課税を強化すべきである。

3 消費税増税の大合唱の中身
 マスコミの論調や自民党のマニフェストは消費税の増税と法人税の減税、社会保険料の削減で、そして社会保障費の削減である。しかし、これは昨年8月30日以前の日本に戻すことである。確かに財政的余裕はない。今後とも国債を無限に増発していくことはできない。安定財源としては付加価値税が考えられる。日本の付加価値税率はドイツの19%、フランスの19.6%、中国の17%などと比較して、国際的には著しく低い。しかし、消費税の増税と抱き合わせで法人税の減税をやらせてはいけない。それは国民の負担で大企業や国際金融資本を肥え太らせ、日本の資金を海外に漏出させることである。「小泉構造改革」の再来である。法人税の税率見直しは、事実上の補助金となっている租税特別措置の見直しと抱き合わせでなければならない。
 マスコミの消費税増税大歓迎の論調にはバイアスがかかっている。マスコミはこの間、日本の国債残高はGDPの2倍もあり、財政は持続不可能だと「危機」を煽ってきた。しかし、「『危機』を感じさせるイベントが起こったときに、妙に活性化する一群のビジネスがある。」と山崎元氏は説く。「行動経済学は、損をしている場合に人間がリスクのより大きい状態を好む傾向があることを指摘している。ヘッジファンドの提供者側から見ると、損を抱えた年金基金運用担当者は、格好のマーケティング・ターゲットだ。官庁も広義のビジネスだと考えると、なんとしても『増税』を行いたい官僚たちの意を受けて、日本の財政はギリシャ並みかそれ以下だとあおる宣伝が盛んだ。… いずれにせよ、顧客の危機感につけ込んで、恐怖と一緒に売る商品にろくなものはない。」(『ダイヤモンド』2010.6.12)と述べている。財政健全化論議も「恐怖」と一緒に煽られてはろくな商品にはならない。財政危機を煽って増税したい主体は官僚ばかりではない。国際金融資本は、日本国民の資産を、安全な国内預金や郵便貯金・日本国債から引きはがして、米国債や海外のハイリスクの資産運用に持ち込みたいのである。

4 アメリカ型低福祉社会を目指すのか、欧州型高福祉社会を目指すのか?
 米国では上位1割の所得階層が、全所得の49.3%を有している。特に利子・配当所得の偏りは顕著で、100 万ドル以上の所得層(2006 年納税申告者数の0.3%)がその過半を独占している(2000年:55.7%、2006 年:61.4%)(田村 太一「アメリカの証券資本主義と所得格差」2009.3.31)。所得税の全税収に占める割合は70%もある。こうした不平等社会では、所得税の累進税率を上げることによって税収を確保することが容易である。日本の場合、課税所得が900万円超の階級・97万人で課税所得は18.3兆円(全課税所得の17.2%)、税収は4.8兆円と全所得税収入の40.2%となっている(平成21年度税制調査会資料)。つまり、日本のように相対的に平等な社会では、中堅の330~900万円の階級でも900万円超の階級に匹敵する4.6兆円の所得税を支払っており、累進税率だけでは大きな税収を確保することは困難である。既に、自民党時代からの国民年金の1/3から1/2への国庫負担増部分(2.5兆円)や子ども手当(5.3兆円 満額支給すると12.6兆円)などで税負担の先食いを行っており、赤字国債となっている。やはり、安定的な財源としては現行の消費税を欧州的なインボイス方式による付加価値税に変え、そのうえで、累進課税を組み合わせ、支出面では所得再分配による福祉政策を行うしかない(伊東光晴「付加価値税と累進課税で所得の再分配を進めよ」『東洋経済』2010.4.24)。日本はアメリカ型の社会を選ぶのか、欧州型の社会を選ぶのか、民主党・与党を含め国民自身の腰が全く定まっていないことに問題がある。 

 【出典】 アサート No.391 2010年6月26日

カテゴリー: 政治, 杉本執筆, 経済 | 【投稿】「最少不幸社会」は右を向くのか、左を向くのか? はコメントを受け付けていません

【本の紹介】『マルクスへ帰れ RUBEL on KARL MARX』

【本の紹介】『マルクスへ帰れ RUBEL on KARL MARX』
     著 者 マクシミリアン・リュペル
     編訳者 ジョゼフ・オマリー キース・アルゴージン
     訳 者 角田史幸
     発 行 こぶし書房 2010年4月15日 3,200円+税 

<<マルクスの思想的原像の復原>>
 マルクス主義経済学、マルクス主義哲学、マルクス主義的歴史観、等々、常々、社会科学にはマルクス主義は不可欠であり、マルクス主義的立場に立脚せんとしてきた者にとって、ここに紹介する本書は、実に刺激的であり、かつこれまで抱えていた疑問や問題点、反省点に鋭く切り込む視点を与えてくれる格好の書である。
 著者のリュペルは、1905年オーストリア=ハンガリー帝国領チェルノヴィッツ生まれ。ドイツ占領下のフランスでレジスタンスに身を投じて戦い、そのただなかでマルクス研究を開始。戦後、フランス国立科学研究センターで研究の傍ら、『マルクス学研究』の編集にあたる。すでに1996年パリにて死去している。
 しかしこの著者についてはほとんど知られていない。それは、「訳者あとがき」によると、「マルクス研究において圧倒的な量と質を有するリュペルの行跡が、これまで紹介される機会があまりに少なかったからである。この事情は、フランス語圏以外の地域に当てはまる。原書の編者ジョゼフ・オマリーの言葉を借りるならば、「未公刊テキストを含めたマルクスの全テキストに関して、リュペルが約四十年間にわたって一貫して取り組んできた研究の蓄積や、しばしば先駆的な成果を生み出したその学識に匹敵できるような人物は、ほとんど誰もいない。(中略)英語圏においては、リュペルのマルクスに関する見解は、リュペルよりも質も畳もはるかに劣る学識に依拠しているだけのマルクス解釈学者たちほどには知られていない」という実情から来ている。「特筆すべきは、彼が生涯一貫して、いかなる党派からも独立した単独の研究者として、原資斜に基づくマルクスの思想的原像の復原に取り組んだことである。リュペルが生涯かけて目指したのは、未だに完全版が存在していない(それどころか、カール・コルシュの言葉によれば、「削除され、改竄され、偽造された」劣悪版しか存在しない)マルクスの全テキストに関して、歴史的批判版を編集・刊行することであった。一九七〇年代、この目標のためにリュペルは、世界中の独立研究者に呼びかけ、マルクス死後一〇〇年を期した記念碑版を編集・刊行するための準備を進めた。しかし折しも、モスクワと東ベルリンのマルクス主義・レーニン主義研究所は、新MEGA(新『マルクス・エンゲルス全集』)の刊行を予告していた。リュペルの試みは「アンチMEGA」として位置する否定的なものにすぎないという臆断の中、協力者の脱落という事態によって日の目を見ることなく終わったのである。」

<<「マルクス主義」と『資本論』>>
 本書は、編者による序文、に続いて、
第1章 「マルクス伝説」、あるいはマルクス主義の創始者エンゲルス
第2章 社会主義と倫理
第3章 ロシアへの予言的遺言
から成る。
 この第1章において著者は以下のように強調する。

 「マルクスは、この〔マルクス主義という〕概念から自分自身を切り離そうと、不断の努力を払った。彼は、繰り返し、そして断固としてこう宣言した。「私が分っていることのすべては、ただ、私自身はマルキストではない、ということだ」。このような驚くべき警告を、彼らのセクト的な弟子たちと後世に伝えたのは確かにエンゲルスの功績ではあるが、しかしそれでもなお、そのことによって、「マルキスト」とか「マルクス主義」とかいう用語を自分の権威をもって最終的に認可した責任から、エンゲルスが免れるわけではない。自分以外の人物によって「発見され」洗練されたと自ら認める当の理論の守護者、継承者として、エンゲルスは、マルクスの名前を称揚することこそが誤りを正すことになる、と確信していた。しかしながら、まさにそうすることで、彼は、ある一つの神話の生育を促進していたのだ。その神話の破壊的な思想的結末を、彼自身、まったく予期しなかった。」

 このエンゲルスとの関係で重要なのは、マルクスの主著『資本論』そのものの成り立ちである。「編者による序文」はこの点について以下のように述べている。

 「マルクスが意図したのは、六部からなる政治経済学批判の叙述である。しかし、自らの「経済学」であると彼自身が言明したこの著作は、彼の死によって、大部分が書かれないままに残された。この著作は、マルクスが一八五七-九年の時期に定式化し公表したプラン、その後彼が決して放棄せず、重要な変更もしなかったそのプランに従って、仕上げられ完成されるはずであった。構想された六部のうち、マルクス自身が完成し出版できたのは、第一部のそのまた一部分、すなわち、今日われわれに『資本論』第一巻として知られているものだけであった。彼の死のあとには、程度の差こそあれ、未完成な草稿の山と生の研究データが残された。エンゲルス、そしてその後はカール・カウツキーが、これらの材料から『資本論』の残りの部分を創作した。エンゲルスが第二巻と第三巻を編集し、カウツキーが第四巻(『剰余価値学説史』)を編集した。世間一般の見解、それは同時に、正統派マルクス主義のプロパガンダによって広められている見解であるが、『資本論』がマルクスの政治経済学の教義全体を表わしているという見解は、次の二点において誤りである。第一に、『資本論』は、たとえその四巻すべてを合わせたとして、マルクスが自身の「経済学」として構想したものと同じものではなく、ただ単に、後者の一部をなすものに過ぎない。第二に、エンゲルスの編集による形でわれわれの手もとにある『資本論』第二巻・第三巻は、完成された論稿と見なされるように編集されているにもかかわらず、実際には決して完成されたものではない。むしろそれは、程度の差こそあれ、マルクスの生原稿の集積であり、それも、エンゲルスによって時として恣意的に選択されアレンジされたものである。従って、これらの二点から次の事柄が導かれる。政治経済学におけるマルクスの理論的著作の性格に関して、それは、通常考えられているよりも、あるいは、正統派マルクス主義のふれ込みよりもはるかに未完成である、と。
 リュペルの見解によれば、『資本論』は未完成な作品であり、しかも、ただ未完成であるだけではなく、修正し得るものである。未完成の第二巻・第三巻に当てられたマルクスの草稿は、厳密、且つ確定的を構築物であるよりは、むしろ往々にして、批判的推論や予備的仮説への試みとしてある。さらに、自身の「経済学」のために立てられたマルクスの幅広いプランが示すものは、硬直した体系であるよりはむしろ、修正や拡大へと開かれた思考のパターンである。総じて、リュペルが提示するのは、閉じられ、完結し、公理的な体系をもった単一体としてのマルクスではなく、生きたマルクスであり、その教義が、常に開かれてあり、未完であり、まさにその作者の批判的精神に忠実である、そのようなマルクスなのである。」

 以上の指摘は非常に重要であり、含蓄のあるものといえよう。

<<「偉大な社会的ユートピアンの系列」>>
 第2章「社会主義と倫理」は、マルクスを「普遍的な人類共同体についてのユートピア、最も多数且つ最も貧しい人々によって構成される階級と、その階級によって意志され実現される普遍的な人間共同体についてのユートピア」に合理的な基盤を与えた「偉大な社会的ユートピアンの系列」に位置づける。著者は次のように述べている。

 「マルクス文献の歴史的-批判的テキスト・クリティークにかかわっている研究者にとっては、マルクスの歴史の理論を、エンゲルスが定めたような、いわゆるプロレタリア的世界観と同一視することは、もはやまったく正当化され得ない。また同様に、彼の理論を、いかにそれが弁証法的であろうとも、思弁的な「唯物論」と定義することもできない。まして、マルクス主義というレッテルが貼られているか否かにかかわりなく、マルクスの理論を何らかの党派の戦略的、戦術的教義へと還元することなど、まったく正当化され得ないのだ。さらにわれわれは、マルクスの社会的ユートピアが、彼の後期の経済理論と矛盾しないばかりか、むしろ、全生涯にわたる仕事の中心的動機をなすと見なすべきものであることを発見する。人間性の全面的な回復への展望を提唱する人間として、マルクスは、偉大な社会的ユートピアンの系列のうちに位置する。しかし、社会主義へ到達するために彼らユートピアンたちが提唱したものが幻想的手段に過ぎなかったのと異なって、マルクスは、社会主義の実現という倫理的要請を、資本主義崩壊の科学的法則へと結び付け、さらに、人間の行為に関する内在的帰結へと結び付けることによって、社会主義のユートピアに合理的な基盤を与えたのである。」

 この指摘と関連して、「労働者階級の党に関してマルクスが抱いた概念を通じて、われわれには、プロレタリアの自己解放という彼の公準の倫理的本質を明確に証明することが可能となる。自身の存命中に存在したプロレタリア党に関して、自分が関与したか否かにかかわらず、いかなるものも自らの理想に一致しないとマルクスが考えていた事実は周知である。さらに、より知られておらず、まず驚きをもって迎えられるのは、共産主義者同盟の解体からインターナショナル創出までのあいだでさえ、マルクスは、あたかも現存する実体であるかのように、「党」について語り続けていたという事実である。」という指摘も実に含蓄に富んでいるといえよう。

<<「偽造してミイラ化」>>
 第3章「ロシアへの予言的遺言」も示唆に富む。ここでは、スターリンによるマルクス思想の改竄・神話化が、レーニンに遡ってその淵源を抉り出している。著者は、レーニンについて次のように述べる。

 「〔レーニンの〕再三にわたる政治的適応能力の高さを保証したものは、恒常的、且つほとんど強迫的なまでの自己批判、自己反省だった。彼ほどに、ロシアの経済的、文化的後進性-これは、史的唯物論(科学的社会主義の基本原理)の視点からすると決定的な要因であった-に気付いている者は、他のボルシェビキ政治家には誰もいなかった。また、彼ほどに、バクーニン、ネチャーエフ、あるいはトカチョフらによって提示された「思想や方法」に対するマルクスとエンゲルスの批判と、そこから導き出される警告に注意をとめている者は、ロシア・マルキストの中には誰もいなかった。その警告こそ、ボルシェビキ党の政策に対しても、依然として妥当だったのである。」
 「従って、レーニンによって提案された革命のプログラムは、その開始時点から、私的資本主義を弱体化させ、国家資本主義の発展を加速する方向へと設定されていたことになる。それは、「あらゆる土地と農地の国有化-すなわち、国内のあらゆる土地と農地の、中央国家権力所有への移行」を、そしてさらに、「全銀行と資本主義シンジケートの国有化、あるいは少なくとも、それらに対するソヴィエトによる直接的統制の導入…」を要求する。レーニンが強調したのは、これらの革命的政策は、確かに、「社会主義の導入」を意味するものではないが、しかし、にもかかわらずそれは「社会主義へと向かうステップ」である、ということだった。資本に関するマルクスの理論の基本にきわめて精通していたがゆえに、社会主義に向かう最重要ステップは資本の最高度の集中と蓄積とともに達成されることを、彼が知らないはずはなかった。」
 「最初はコミューン弁護論として開始されたレーニンのスピーチは、次第に、スペシャリスト・オルガナイザーとしての、すなわち、私的資本のシステムを国家資本のそれによって置き換える野望を待ったきわめて有能な産業マネージャーとしての思考ラインに沿って進むようになる。実際に彼は、マルクスが「資本家的関係」と定義したような社会構造のヒエラルキーを、手つかずのまま残した。その際彼は、不可分の権力-ラッサールの言葉を使えば、「知見による独裁」を求める党の要求を正当化するために、「弁証法」を名人芸的に使用する。「社会主義と、は、全人民の利益のために採用され、その結果、資本主義的独占であることをやめたような、国家資本主義的独占以外の何ものでもない」。レーニンは、「国家社会主義」という概念より以上に、「国家資本主義」という言葉を使うのをためらわなかった。しかしこのようなやり方は、マルクスの理論の視点からすれば、まったく維持され得ない。」

 このロシア革命の過程での、最初は「付随事項」であった〔スターリニズム〕が、「マルクスの思想を政治目的のために悪用」する一方で、それを「偽造してミイラ化」させた。すなわち、マルクスのテキストの一部を「神聖化」する一方で、他のテキストを、混迷と恐怖を植え付けられた人たちの手による劣悪版に貶めた。スターリニズムはかくして「あらゆる文化の絶対的な否定」という自身の正体を暴露した、と著者は結論付ける。
 以上、著者の主要な論点のごく一部を紹介しただけであるが、一読の価値ありといえよう。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.391 2010年6月26日

カテゴリー: 書評, 生駒 敬, 社会主義 | 【本の紹介】『マルクスへ帰れ RUBEL on KARL MARX』 はコメントを受け付けていません

【コラム】ひとりごと—参議院選挙、緊張感のある結果を望む— 

【コラム】ひとりごと—参議院選挙、緊張感のある結果を望む— 

○6月4日、菅内閣が誕生した。鳩山政権の後を受けて、参議院選挙に臨むことになる。個人的感想から言えば、理想的なパターンである。しかし、危なさも残る。○理想的なパターンという意味は、「本来の民主党路線」への回帰のイメージを作りだし、小沢主導路線が持っていた「自民党的」政権運営からの変化が期待できるという意味である。○危なさとは、「小沢抜き」でやれるのか、ということ。一昨年の参議院選挙での勝利から昨年の衆議院選挙での政権交代へと民主党が躍進した経過には小沢指導の存在を抜きに考えられないからである。○一般的な国民から見れば、旧民主党は「左派」過ぎたのかもしれない。小沢自由党との合流、選挙采配などなど、政治経験が長く手腕のある小沢とそのグループが民主党に合流したことで、ある種の「安心感」が生まれたことは否定できない。○小沢手法は、連合系の主要組合出身者も取り込んでしまった。連合について選挙の現場部隊としての力を小沢は評価しているのであるし、逆に前原グループなどが、既得権益反対の意味からも労組と距離を置こうとしたことと比較すると、中々すご腕であると思う。表向き、「小沢抜き」は結構だが、実績を上げられるかどうか、菅新体制は問われることになる。○菅政権誕生後の世論調査では、民主党の支持率は急速に回復した。(政権発足直後の週末に実施された調査では、民主の政党支持率は39%(同29%)に伸びている。自民は過去最低の5月調査に並ぶ14%(同18%)に後退した。)敵失にのみ期待していた谷垣自民党や「第3極」を期待していたみんなの党なども、支持率が急降下する結果となった。○高支持率の要因は何なのだろう。それは、擬似政権交代のように国民に写ったからであろう。ひ弱な鳩を凄腕の小沢が操っているかのような前政権から、民主党結成以来の主要メンバーが内閣・党人事に納まったことで、違った意味での安定感も生み出すことに成功したのではないか。党三役も小沢色を一掃したことで、同じ民主党連立政権であるのに、全く新しい政権であるかのような印象を与えることに成功。新閣僚も蓮舫議員などの新メンバーなどを加えて、新鮮さも感じられた。○新政権の最大の課題は、財政再建であろうか。昨年の政権交代後、鳩山政権は、事業仕分け等の目玉政策実行でムダの削減に取り組んだように見えるが、子ども手当・高校無償化といった新政策への財源措置は、新年度予算では税収減もあり国債増発に頼ることとなった。○「強い財政・強い経済・強い社会保障」と菅首相は唱えている。強い財政とは、安定した税収の確保だろう。消費税も含む税制全般の議論を進める必要があるだろう。○小泉以来高所得者の減税が進められたが、所得再分配の観点から所得税の累進性を高めると共に、インボイス制・軽減税率制度を導入し、使途先を社会保障・年金などの財源にするとの設定であれば、国民が納得する可能性はあると思う。○しかし、鳴り物入りで事業仕分け第3弾の特殊法人や独立行政法人への切り込みは、財務省主導のため、ほとんど成果をあげていない。この点では、昨年のマニフェストに謳われた特別会計そのものの解体をめざすのでなければ意味がない。一般会計の3倍の規模を持ち、官僚の天下りの聖域に徹底的に切り込むことが大切である。○ただ、細川連立政権が、福祉目的税=付加価値税導入問題で退陣した記憶も甦るが、菅首相が「与野党含めて広範に議論したい」としている点は、控えめで中々したたかである。○参議院選挙は、新内閣誕生の余韻覚めやらぬ中で執行されるということ、民主が支持率を回復しているということから、とりあえず「民主党勝利」ということになるのだろうが、単独過半数となるかは不明であろう。○外交・防衛問題での国内移設方針は、米軍基地の段階的縮小も言われているとはいえ、このままでは自民党と変わらない。○例え過半数確保できなくとも確実なことは、この選挙を乗り切れば、向こう3年間「民主党政権」が長期化することである。○谷垣自民党は目標議席を40とするなど、戦う前から自民劣勢が濃厚であり、自民党公認から無所属への変更する候補者も出てきている始末である。○大阪では、橋下知事が地域政党「大阪維新の会」を立ち上げ話題になっている。しかし、加入する議員のほとんどが自民党党員である。自民党は地域政党であるということで、自民党籍を残したまま、大阪維新の会への帰属を認めざるを得ず、すでに崩壊が始まっている。沈み行く泥船から議員が逃げ出しているとも言えるのである。自民の弱体化の結果であるという側面が強い。(民主党から移行した2人の府会議員の場合は、除籍という「処分」となった。)○基地問題、消費税問題、マニフェスト修正の是非などが焦点という参議院選挙の様相であるが、すでに公示されている状況の中、自民の没落は当然としても、民主単独過半数ではなく緊張感のある議席配分になるのではないか。もちろん、私は懇意の民主党新人を応援することになるけれど。(2010-06-20佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.391 2010年6月26日

カテゴリー: 政治, 雑感 | 【コラム】ひとりごと—参議院選挙、緊張感のある結果を望む—  はコメントを受け付けていません

【投稿】辺野古回帰・鳩山政権存在意義そのものの否定

【投稿】辺野古回帰・鳩山政権存在意義そのものの否定

<<「怒」の渦の中>>
 5/23、鳩山首相は再度沖縄を訪問、県庁前を埋め尽くした「怒」を高く掲げた抗議の渦の中、仲井真知事との会談を行い、この場で初めて米軍普天間基地の移設先として「辺野古周辺」と明言するに至った。米軍キャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てる前自公政権が取り決めた現行計画を「自然への冒涜」と批判し、「辺野古の海を汚してはいけない」、「最低でも県外」と主張し続けてきた自らの態度を完全にかなぐり捨てたのである。
 防衛大臣や外務大臣が辺野古現行計画を前提に対米追随交渉を展開していても、首相はあくまでも県外移設を追及しているかのようなそぶりを繰り返し、4/24付けワシントン・ポスト紙が岡田克也外相が辺野古案を大筋で受け入れる態度を示したという報道に対しても、首相は「外相が大使と会ったのは事実だが、内容は必ずしも事実ではない」「そういう事実はない」と否定し、同じ4/24の記者団の質問に対して、「私は辺野古の海に立って、海が埋め立てられることの自然への冒涜を大変強く感じた。現行案が受け入れられる話は、あってはならない」と述べていたのである。たった一ヶ月足らず前のこの態度表明はいったい何であったのであろうか。ずるずると期待を持たせるだけ持たし、あげくの果てに前政権の現行計画への逆戻りとは、まったく沖縄県民を愚弄するものであり、その不誠実で「裏切り」にも等しい態度は許せるものではないし、もはや首相としての資格をさえ喪失したものともいえよう。それは、政権の存在意義そのものを自ら否定したものでもある。

<<「全く交渉さえしてこなかったのでは」>>
 この沖縄訪問の直前、5/21、当初は中国、韓国だけを訪問する予定だったクリントン米国務長官が来日し、鳩山首相、岡田外相との会談が持たれ、首相は会談後、記者団に「北東アジアに大変緊張感が漂っている時、日米同盟の重要性で一致できた。普天間問題は五月末までに(日米で)合意すると言ってきた。クリントン氏もその考えで努力していただいている」と力を込め、岡田外相も「(沈没事件は)普天間問題に直接影響するものではないが、日米同盟の重要性を国民に再確認させた」と強調し、今回突如浮上した韓国海軍哨戒艦沈没事件で緊迫する朝鮮半島情勢をこれ幸いと利用し、米軍普天間飛行場の沖縄県内たらいまわし決行と「五月危機」乗り越えの絶好の機会ととらえたのであろう。
 しかし、クリントン長官との会談は、中国には5日間も滞在しながら、日本にはほんの3時間あまりの立ち寄りであり、しかも普天間問題にわずかでも触れたのは3分程度でしかなく、しかも共同記者会見での「日米は共通の危機に直面している」として在日米軍基地の重要性を強調した発言は、日本に「辺野古現行案」をそのまま承認させ、実行させる絶好の機会として米国側に巧みに利用され、鳩山政権側もそれに便乗したものともいえよう。
 鳩山首相と仲井真知事の会談録(5/23付け沖縄タイムス)によれば、首相は「私はこれまでぜひ、『普天間』の代替施設は県外にと考えて、実際にそれも追求してまいったわけでございます。それがなぜ県内なのだと、皆さまのご懸念、お怒りはもっともなことだとも思っております。これは昨今の朝鮮半島の情勢からもお分かりだと思いますが、今日の東アジアの安全保障環境にまだ不確実性がかなり残っているという中で、海兵隊を含む在日米軍全体の抑止力を現時点で低下させてはならないということは、一国の首相として、安全保障上の観点から、皆さま方に、低下をさせてはならないと申し上げなければならないことでございまして、」と、朝鮮半島情勢を早速に利用している。続いて首相は「批判、ご批判をちょうだいしておりますことから、逃げるつもりもございません。同時に、ただ今回の政府の方針の中には、これまで実現はおろか、米国と本当に交渉してきたんだろうかと、全く交渉さえしてこなかったのではという点も含めまして、・・・」と発言をしているが、実際には今回のクリントン長官との会談でも明らかなように交渉らしい交渉などほとんどしていないのが実態といえよう。

<<首相との面談拒否、議員全員座り込み>>
 この時点で明らかになったことは、政権交代を成し遂げて誕生した鳩山政権は、その政権交代にこめられた民意、期待を背負って誕生したにもかかわらず、これまでの自公政権と同様の対米追随外交をしか展開していない、民意を無視することにおいては前政権以上に期待を持たせ続けただけにより悪質とさえいえる、さらに日米双方ともに、民意無視の県内移設を強行することを双方が了解した上で、協議を急いでいる、という否定しようのない現実が鮮明に浮かび上がってきている。
 しかし民意を無視した基地建設の強行は、もはや不可能となっていることをこそ、日米双方ともに認識をすべきであろう。強行すればより重大な、取り返しのつかない失政と災厄に見舞われることは間違いない。
 肝心かなめの沖縄現地の民意は、これまでよりもより強固になり、その激しい怒りは強まりこそすれ弱まることなどありえないといえよう。
 すでに5/21、沖縄県議会は21日、各会派の代表者会議を開き、鳩山首相との面談を拒否することを決め、48人の県議全員が県議会棟前に座り込み、県内移設断念を訴えることも申し合わせ、高嶺善伸議長は「県民の思いを伝えるためには、いままでとったことのない行動で全国民に訴える方が有効だという結論に至った。県内移設が政府原案と決まっても、県議会はそれを容認することはない」と決意を表明している。
 さらに辺野古現地を抱える稲嶺市長は、首相が米軍普天間飛行場を名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブに移設する方針を正式表明したことについて、「『ようこそ』という気持ちにはとてもなれない。これまでの思いを裏切ることで怒りを覚える。断固反対する」と述べ、受け入れをあくまでも拒否する考えを明瞭に表明している。
 鳩山政権に残された道は、ごまかしの負担軽減策などではなく、徳之島の大久保町長が的確に指摘しているように、「基地を、ここやあそこに移すという議論でなく、今こそ軍縮をしていけばこのような問題にはならない」という立場を貫くことである。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.390 2010年5月29日

カテゴリー: 政治, 沖縄, 生駒 敬 | 【投稿】辺野古回帰・鳩山政権存在意義そのものの否定 はコメントを受け付けていません

【投稿】高速増殖炉もんじゅの運転再開

【投稿】高速増殖炉もんじゅの運転再開
福井 杉本達也

1 因縁めいた連立政権下でのもんじゅの再稼働
民主党は原子力推進が基本的立場となっている。昨年8月のマニュフェストでは、「安全を第一として、国民の理解と信頼を得ながら、原子力利用について着実に取り組む」とし、さらに政策集では、再処理や放射性廃棄物処分について、国が技術の確立と事業の最終責任を負い、安全と透明性を前提にして技術の確立を図るとしている。また、連立政権での3党連立政権合意書の中には、原子力政策に対する言及はない。合意書では「調整が必要な政策は、3党党首クラスによる基本政策閣僚委員会において議論し、その結果を閣議に諮る」としており、原子力政策は位置づけが全く不明確のまま地球温暖化対策という名目の下、強引な推進政策が展開されようとしている。
こうした中、高速増殖炉もんじゅは1995年12月に二次系配管室で起きたナトリウム漏れ事故から14年5カ月ぶりに5月6日に運転を再開した。14年間も停止した原子炉の再開は世界的にも例がない。ところで、16年前にもんじゅの稼働ボタンを最初に押したのは、当時、細川連立政権下で科学技術庁長官であった江田五月現参議院議長(当時:社民連)である。今回の連立政権下での再稼働は因縁めいた感触が拭えない。

2 全ての想定が誤りであった高速増殖炉開発
高速増殖炉を開発する目的は(1)ウランは希少であり,低コストで採掘できる鉱床は早期に枯渇してしまう。(2)増殖炉は,軽水炉との経済的競争カを早期にもつようになる。(3)増殖炉は,軽水炉と同じぐらい安全で信頼性のあるものになる。(4)増殖炉と、それに伴う燃料サイクルの核拡散リスクは,対処しうるというものであった。しかし、これらの想定は,すべて間違っていることが判明した。
2009年6月の「総合資源エネルギー調査会小委員会報告」の「天然ウラン需給の見通し」では「現在、核兵器の解体に伴うウラン供給等により、濃縮ウランの需給バランスが保たれているが、ロシアの解体核兵器からの濃縮ウランの供給は、2013年で停止される可能性があり、世界的な需要拡大に伴い世界的な供給不足に陥る可能性がある。」と書かれているが、OECDの原子力機関が「2008年に出した隔年報告書によると,インフレにもかかわらず,130 $/kgU未満で採掘できるウランの在来型確認埋蔵量〈世界全体〉比は約470万tから約550万tに増加している」(雑誌『科学』2010.2フランク・フォンヒッヘル「プルトニウムの科学・各国の増殖炉計画の経験と現状からの考察」)のであり、一時的に投機的な動きがあったとしても枯渇したり価格が急激に高くなることはない。
また、軽水炉との経済性では、「高速増殖炉の建設単価については、たとえば原型炉「もんじゅ」は電気出力28万kWに対して建設費5900億円となっており、発電容量あたりの建設単価は210.7万円/kWである」。また、使用済み後のウラン燃料の直接処分を1とすると、MOX燃料の再処理は1.87倍であり、「高速増殖炉は、建設単価、サイクルコストの両面で経済性がないと、現在よりもウラン価格が10倍以上高くならなければ、直接処分よりも経済的に優位ではないことがわかる。」(地層処分問題研究グループ 「核燃料サイクルのコスト評価について」2004.9)としており、全く破綻している。
増殖炉は、中性子の速度を落とす減速材(水)を使用しない。連鎖反応を継続させる中性子が「高エネルギー」(高速)のままでいるようにするためである。中性子は水の原子核と衝突すると急速に速度が落ちる。そこで、増殖炉の冷却材には,溶融ナトリウムを使用する。ナトリウムは,水と比べ,冷却材として安全性上の大きな短所をもっている。空気に触れると,水分と激しく反応し燃える。また、軽水炉においては,冷却材が失われた場合、連鎖反応は止まるが、増殖炉では,プルトニウムの濃度が高いため,冷却材がなくなっても,連鎖反.応を維持し続け、炉心はその高熱のため崩壊するに至り、さら高度な超臨界形状となり,炉心がチェルノブイリ原発事故のように吹き飛んでしまう可能性もある。さらに、冷却材である溶融ナトリウムは空気に触れると発火し・また、水のように透明ではないため、原子炉容器内の燃料取替えや修理を複雑かつ困難なものとしている(『科学』同上)。

3 プルトニウムの管理の問題
周知のように、プルトニウム約6kgで原爆1発が作れるという。日本における分離されたプルトニウムの量は六ヶ所村の再処理工場が“順調”に稼働すると仮定すると、海外処理の返還分と合わせ、2020年には約120トンという膨大なものになる(『科学』2010.2勝田忠広・「日本のプルトニウム需給バランス」)。しかし、このような大量のプルトニウムをどう管理していくのか。
わが国は、原子力開発利用を平和目的に限るとしている。また、核不拡散条約(NPT)に加盟し、全ての核物質に対して国際原子力機関(IAEA)の保障措置を受け入れることとなっている。もんじゅの運転は、回収されたプルトニウムの利用を前提としており、核不拡散問題について国際的に懸念を生じないよう、核物質管理に厳重を期し、必要な量以上のプルトニウムを持たないようにすることを“建前”としている(1981.8「我が国における核燃料リサイクルについて」)。当初の計画では、増殖炉の常陽・もんじゅで70~80トンのプルトニウムを利用する計画になっており、プルトニウムの収支は何とかつじつまが合っていたのであるが、予測される120トンという量は何とも説明がつかない。米国とその指揮下にあるIAEAがこれを“容認”にしているのは、日本を“核の傘”の下に置き、日本独自の安全保障戦略を無効化すること(考えさせないこと)、及び、プルトニウムという取り扱いの難しい物質を平時は日本の費用負担により管理させ、万が一の時に米国の管理下に置くことにある。

5 もんじゅは地域振興に寄与するのか?
もんじゅという「迷感施設を引き受けた見返りに地域振興を引き出そうとする受け身の姿勢を脱し、自立的な地域振興を図ろうと県はエネルギー研究開発拠点化計画を進める。」としており、地元はもんじゅを中心とした国際的研究開発拠点の整備としてFRBプラント技術研究センター、福井大学附属国際原子力工学研究所などの活用による新産業の創出や知の拠点になることを期待している(福井:2010.5.3)。また、県は北陸新幹線の金沢から福井までの延伸を要望している。
しかし、増殖炉や軽水炉などの原発は本当に新産業などの創出になるのか。周知のように、原発機器のほとんどは、三菱・東芝・日立といった重電メーカーが製造している。また、軽水炉の最重要部品である圧力容器などの鍛造品は日本製鋼所が製造している。こうしたメーカーの個別技術の集積が原発プラントを構成しているのであり、逆ではない。プラントがいくら集積しているからといって新しい技術を生み出すものではない。さらには福井県にはそのようなプラントを修理する企業の集積もない。これでは技術の波及効果を期待しても無理がある。地元の構想する「エネルギー拠点化計画」は幻想でしかない。また、こうした計画の一環として、福井県立病院内に陽子線がん治療施設を建設した。しかし、治療費は県が補助しても240万円もかかる。健康保険の適用外だからである。保険適用とならないのは陽子線治療が前立腺がんなど一部の治療にしか明らかな効果が認められないことにある。設備費はシンクロトロンなど約100億円といわれ、三菱電機が受注しており、財源は電源交付金であるが、カネはみごとに原発企業に回収されており、地元振興に役立つとは思えない。

高速増殖炉は将来、実用化につながる可能性はなく、経済的にも成り立たず、溶融ナトリウムの取り扱いに苦慮して欧米諸国も撤退した技術である。さらには、核兵器用の高純度のプルトニウムが容易に生産できる。しかも、もんじゅ直下には活断層の存在も明らかとなっており、耐震安全性についても疑問が深まっている。民主党の核燃料サイクルを強引に推進しようとする流れを転換させねばならない。

【出典】 アサート No.390 2010年5月29日

カテゴリー: 原発・原子力, 杉本執筆 | 【投稿】高速増殖炉もんじゅの運転再開 はコメントを受け付けていません

【投稿】続「チョナン」爆沈の衝撃 

【投稿】続「チョナン」爆沈の衝撃 

<「北の攻撃」と断定>
 韓国海軍コルベット「チョナン」の沈没原因について、韓国の軍民合同調査団は5月20日、「北朝鮮による魚雷攻撃以外に考えられない」とする調査結果を公表した。
 この事件については、5月に入ってから北朝鮮の関与に結びつく「爆薬反応」「金属片」「プロペラ」などの物的証拠が次々と検出、発見されたとの情報がリークされ、魚雷攻撃説に固まりつつあるものの、実行主体の特定は避けるのではないかという観測もあった。しかし今回の調査団発表は、北朝鮮の犯行と自信を持って断言する内容となっている。
 当日の発表では、海底から回収されたプロペラなど魚雷の駆動部と北朝鮮が輸出用に作成した図面を照合し、魚雷の型番を特定したほか、北朝鮮独特のマーキング=「1番」が公開された。さらに当該北朝鮮潜水艦の攻撃前後の行動なども明らかにされ、これらが決定的証拠とされた。
 一方同艦の被雷に至る状況については、明らかにされなかったが、これは結果として、攻撃を回避できなかった艦長(生存)の処分問題や、下手をすれば海軍上層部の責任も絡んでくるからと推察される。
 いずれにしても、北朝鮮潜水艦は、日常から韓国艦艇の行動を完全に把握しており、予想される航路近くで、待ち伏せをしていたものと思われる。
 「チョナン」が対潜警戒を密にしていなかったのも事実だと思われるが、潜水艦が機関を停止して潜んでいれば、探知は難しかったと考えられる。

<「全面戦争」と恫喝>
 この調査結果を受けて5月24日、李明博大統領は国民に向けた談話を発表し、北朝鮮に対して「断固たる措置を取る」と述べた。その内容として国連安保理へ提起しつつ、韓国の独自制裁措置として、北朝鮮船舶に対する済州海峡など韓国領海内通行不許可や、一部を除いた南北の貿易・交流を中止することを明らかにした。
 さらに李大統領は北朝鮮政府に対し、謝罪と関係者の処罰を要求、再度の領土への侵犯があった場合、直ちに自衛権を発動すると警告した。
 北朝鮮側は、4月以降韓国内で「北朝鮮魚雷攻撃説」が流布されたことに対し「でっち上げ」と応酬、5月初旬の金総書記訪中の際も、首脳会談で自ら関与を否定したという。
 金総書記の訪中が遅れた要因の一つは間違いなく、「チョナン」爆沈を巡る問題であったと考えられ、中国側に提示できる無実の証を取りまとめる時間が必要だったのではないか。
 そして20日の韓国側の発表に対しては、北朝鮮「国防委員会」は即座に「韓国の発表はねつ造であり、制裁が強化されたなら『全面戦争』になる」と述べ「韓国が示した証拠に対する調査団の受け容れ」を要求。21日には「祖国平和統一委員会」が、韓国が報復などの措置を講じれば、南北交流を全面的ストップし、不可侵合意を破棄するなどの対抗手段を取ると発表するなど、反発を強めているものの、北朝鮮軍の具体的な動きは確認されておらず、韓国軍や在韓米軍も特別の体制はとっていない。

<「上海万博」が人質>
 こうしたなか、苦しい立場に置かれているのが、中国政府である。核開発に関する6ヶ国協議再開を模索するなかで起こった今回の事件は、中国の努力を水泡に帰さすものであり、議長国の面目は丸つぶれである。
 そうかといって、制裁強化に同調した結果、南北の武力衝突にいたらずとも、航路封鎖など、黄海や周辺空域での船舶、航空機の安全、自由な往来に支障を来す事態や、中朝国境の緊張が激化すれば、開催中の上海万博にも計り知れない影響を及ぼすことになるだろう。
 訪中した金総書記と湖主席との首脳会談の詳細は明らかになっていないが、韓国の一部マスコミは、北朝鮮側が大規模な経済支援を要請したが断られ、金総書記は日程を短縮して帰国した、と報じている。
 中国にしてみれば、事件に関する北朝鮮の関与が疑われる状況の中で、韓国や他の6ヶ国協議参加国の手前もあり、積極的に援助することを躊躇したのではないか。
 また、関与を否定する金総書記に対し、それ以上は問いつめたりはしなかったものの、中国が踏み込んで「北朝鮮は爆沈と無関係と考える」旨のコメントを出さなかったことが、中国政府の立場を暗に表明していと言える。
 一方20日の韓国側の発表については是認も否定もせず「冷静な対応」を要請するにとどまっており、それ以前の韓国政府の真相解明に関する協力要請に対しても、色よい返事はしなかった。
 さらに、5月24日、クリントン国務長官は「米中戦略・経済対話」で、中国政府に対しこの問題についての共同歩調を求めたが、積極的な姿勢は見せなかった。
 この間中国は北朝鮮に対しては、「自重」を求めているであろうが、今後も強い対応は取れないだろう。今回金政権は、「上海万博」を人質に、中国政府の足下を見透かしている感がある。

<継続する緊張状態>
 当面は、国連安全保障理事会を舞台にした韓国、北朝鮮の応酬の激化が予想されるが、先月号でも述べたように、国連レベルでの制裁は現時点では実効性あるものにはならず、韓国単独、もしくは日米を加えた「有志連合」の措置になるだろうし、軍事的制裁は考慮の外である。
 アメリカも、中国への働きかけのほか、テロ支援国家再指定などの独自措置の検討を進めているものの、突出した制裁には踏み込まないだろう。
 ただ不測の事態もあり得ないわけではない。李大統領は24日の談話で「再度領土侵犯があった場合自衛権発動」と述べたが、国連と北朝鮮が合意した休戦ラインである陸上の「38度線」とは違って、海上については明確な領海線が存在しない。事件が起こったのは「北方限界線」の南(韓国側)であるが、北朝鮮はこの線引き自体を認めていない。
 事件後の5月15日にも、北朝鮮艦艇が2度にわたり北方限界線を越えた。この時は、警告の伝達、警告射撃で北朝鮮艦艇は引き返した。李大統領の「自衛権」が具体的にはどのような措置なのかは明らかになっていないが、海上の場合、警告射撃を抜きに撃破射撃を実施することだと捉えられている。仮に北朝鮮艦艇が撃沈され、その報復として、度々発射演習が報じられている対艦ミサイルが実戦使用されれば、エスカレートは免れないだろう。

<60年目の「6,25」を前に>
 また韓国は軍事的圧力を強めるため、朝鮮戦争開戦60年の6月にも米韓合同軍事演習を計画していることが明らかとなった。これには、3月の合同軍事演習には参加しなかったアメリカの空母も加わる方向と言われている。
 こうしたなか、ロシア北方艦隊旗艦の重原子力ミサイル巡洋艦(巡洋戦艦)「ピヨトール・ヴェリキー」(満載排水量24、300トン)が、5月18日対馬海峡を通過、日本海に入ったことが確認された。
 「バルチック艦隊」を彷彿とさせる欧州からの来航は、以前から予定されていた日本海での大規模演習に参加するためであり、現下の朝鮮半島情勢とは直接関係はない。
 しかし、演習日程が明らかにされていないなか、さらに黒海艦隊主力の合流が予想されており、当面ロシア艦隊はウラジオストックにとどまるものと考えられ、北朝鮮に対する間接的な圧力になるだろう。
 米韓演習が黄海で実施された場合、奇しくも朝鮮半島を挟んで米ロ艦隊が「対峙」する形となる。これには中国も何らかの反応を示すであろうし、近海での兵力の集中が一気に高まることが懸念される。
 このように流動化する情勢の中、鳩山政権はいち早く、韓国支持を打ち出したものの、緊張を緩和する方向での具体策を示し得ていない。そればかりか鳩山総理は今回の事件を口実に「やはり抑止力は重要」と普天間基地の沖縄県内移設を合理化するような発言を行い、県民の反発を買った。
 さらに、前原国交相は海上保安庁に、中井国家公安委員長は警察庁に警備強化を指示するなど、大はしゃぎである。次は北村防衛相が、護衛艦隊を対馬付近に派遣するとでも言い出しかねない雰囲気である。
 先月号では高校授業料無償化問題への波及を懸念したが、現時点では閣内からそうした声は出ていない。しかし今は本来なら逆に政府は、「在特会」などが跳梁跋扈する状況の中、朝鮮学校生徒への危害行為などが発生しないよう、積極的にアピールをすべきではないか。
 鳩山政権は、対北朝鮮圧力一辺倒の前政権が、何ら成果をあげられなかった教訓を踏まえ、朝鮮半島を巡る諸問題へのアプローチを転換すべきではないか。 (大阪O) 

 【出典】 アサート No.390 2010年5月29日

カテゴリー: 政治 | 【投稿】続「チョナン」爆沈の衝撃  はコメントを受け付けていません

【本の紹介】(その1)「橋下イズム」への巻き返しの書

【本の紹介】『我、知事に敗れたり 二〇〇九年九月 堺市長選』
      木原敬介著 2010年5月20日発行 論創社 1500円+税

今回話題の書について、二人の方から投稿をいただくことができました。 
関西の政治状況に関して重要な視点が提示されておりますので、共に掲載
させていただきます(見出しは編集部作成)。
「我、知事に敗れたり」

(その1)「橋下イズム」への巻き返しの書

 本書は、平成21年9月の堺市長選についての、選挙当事者による報告書であり、回顧録である。
 回顧録は、普通、功なり名遂げた人が、暇に任せて著すもので、崇めて遠ざけたくなるものだが、本書の赴きは類書とは大きく異なる。本書はタイトルが端的に示す如く敗北の書である。2009年9月27日の堺市長選挙で著者は、三期目を果たすべく戦ったが新人候補に敗北。それだけなら、一地方都市の首長選挙で、多選候補が、新人候補に敗れるというよくある選挙の成り行きであるが、この堺市長選は一種異様な様相を呈した。橋下大阪府知事が元部下の竹山修身氏を刺客候補として送り込み、知事自身、公務をよそに連日竹山候補の応援に街頭に繰り出したのである。堺市長選はまるで木原候補対橋下知事の選挙戦であるかのような様相を呈したのである。知事が基礎的自治体の首長選挙に直接介入するのは、前代未聞のことである。マスメディアはこの話題に飛びつき、派手に報道したが橋下知事が何を狙って堺市長選挙に介入したのかについては明らかにしなかった。しかし、その真相は、橋下知事のその後の言動を見ると明らかである。橋下知事の介入は、知事の地域政党「大阪維新の会」の結成による「大阪都構想」実現のための前哨戦であったのである。
 本書は、堺市長選の経緯を時系列で淡々と記し、三選で何を目指そうとしたのかを明らかにしている。二期八年で、堺市を一地方都市から関西を代表する政令市として都市格と自治の基盤を作り上げ、いよいよその上に「歴史と伝統ある国際都市」が開花するはずであった。木原第三期市政は頓挫してしまったのである。著者は「数多くの方々に支援され、数多くの方々によって、多くの実績や成果を残すことができた、その一点において、私は本当に幸せ者であった」(『あとがき』より)、と記しているが、内心は憤懣抑え難いであろうことは、紙背に想像するに余りある。氏の忸怩たる思いが昇華されるのは、将来、木原市政継承選挙が戦われるときであろう。
 先般の堺市長選挙は、一地方都市の首長選挙に留まらない、現代政治に潜む深刻な二つの問題を投げかけているように思われる。そのひとつは、地方行政における市民合意の形成の問題である。堺市の場合、LRT建設構想という、まちづくり構想にとって中核的な施策について、市民合意が形成されないまま、選挙の争点になり、それが木原陣営にボディーブローのような影響を与えたと思われることである。この施策に留まらず、8年間の木原市政のさまざまな実績にもかかわらず、それらが、必ずしも木原市政への市民の信頼に繋がっていなかったのではないか、と思われることである。もし、木原市政に対する市民の信頼が磐石であれば、選挙結果は違ったものになっていたのでは、と思われる。もう一つは、選挙戦術の問題である。橋下陣営は、竹山候補をひとつの商品として、市民感覚に会わせてイメージ化してマスコミに売り込むマーケティング戦術をとり、政策論議を一切避けたのである。これにたいして、木原陣営は、生真面目なまでに、オーソドックスに政策と実績を手作りのメディアで訴える戦術に徹したのである。これでは、まるで重火器の装備にたいして、短銃で戦うに等しく、当時の特殊な政治状況を考慮にいれても、戦う前から勝敗は明らかではなかろうか。しかも、橋下陣営の戦術は、2年前の大阪府知事選挙で明らかで、堺市長選挙でも同じ戦術を取ることは予め分かっていたはずである。橋下知事は、知事選で、「私は不特定多数にたいしては、政策を語らない、かれらの感情に訴えるだけだ」(徹底検証「橋下主義」読売新聞社)と語っている。また、精神医家の香山リカ氏は橋下知事のTVを利用した大衆迎合手法を次のように指摘している。「橋下さんは、・・・・市長達に自分が泣いたときに、テレビ的にどんな映像になるか、常に意識しているはずである。でもそのときの視聴者の反応は、絵として子犬がかわいいとか、泣いている女の子がかわいいとか、そんな感情と似た情緒的なものでしかない。そうゆうやり方で支持率を上げていくのは大衆迎合的で、危険な方向に流れていく恐れがある」(同上)このような政治手法をパフォーマンスだとして、切って捨ててしまうだけでは、対抗できないことは明らかである。このような大衆迎合主義(ポピュリズム)が嵐のように吹き荒れている現代日本政治状況のなかで、いかに戦うかが、堺市長選挙を通じて、典型的な形で提起されたと思える。先の堺市長選が、基礎的自治体の住民が政治に対する真の批判力を持ち、一人ひとりが自治の真の担い手として成長していくための試金石となること、このことが単なるきれいごとでなく、現実に木原市政の継承選挙戦が、将来戦われることを願わざるを得ない。
 本稿の執筆中に、橋下地方新党「大阪維新の会」の候補者が、福島区大阪市議会補選に民主党や自民党の候補者を抑えて圧勝した、と新聞は報じている。今後、大阪市長選や統一地方選挙でも、恐らく橋下ポピュリズムは猛威を振るだろうし、マスコミはそれを「改革者」として無批判に持ち上げるだろう。本書が、「橋下イズム」への巻き返しとして、一石を投じることになることを期待したい。(T)

 【出典】 アサート No.390 2010年5月29日

カテゴリー: 大阪維新関連, 政治 | 【本の紹介】(その1)「橋下イズム」への巻き返しの書 はコメントを受け付けていません

【本の紹介】『我、知事に敗れたり 二〇〇九年九月 堺市長選』

【本の紹介】『我、知事に敗れたり 二〇〇九年九月 堺市長選』
      木原敬介著 2010年5月20日発行 論創社 1500円+税 

(その2)
 民主主義を冒涜する橋下知事のファシズム的独裁的手法を徹底批判

<<ファシズム的扇情・扇動型選挙の実態>>
 本書の題名が良くない、手にしたときそう感じさせるものがあった。「知事に敗れたり」では、いかにも後ろ向き、消極的であり、諦めと詠嘆に流され、ことの本質が見逃されてしまうのではないか、との危惧がもたれた。しかし読み進むと、昨年九月に行われた堺市長選は、現職の堺市長であった著者が対立候補と闘って敗れたのではなく、マスコミとメディアを徹底的に利用して嘘とでたらめ、デマゴギーで選挙民をたぶらかし、無責任にかき回す橋下徹・大阪府知事との闘いであったこと、それがいかに予想外、理不尽であったとしても、あまり関心のなかった有権者をまで投票に動員し、その先頭に立つ大阪府知事との闘いに敗れた、その選挙の実態と、民主主義を冒涜するファシズム的な危険な様相が詳細に明らかにされ、「知事に敗れたり」という著者の実感が浮かび上がってくる。その具体的で時系列に沿った、橋下徹という特異な大阪府知事の公権力を行使した、政令指定都市市長選挙への直接的介入の実態は、憤懣やるかたないはずの著者が、冷静かつ分析的に叙述しているだけに、このような選挙のあり方、それと対抗する闘いのあり方に多くの貴重な教訓と反省を与えてくれる。
 堺市長選告示後、投票日まで14日間のうち、橋下知事が堺市に乗り込み、直接指揮し、応援演説をする日数は実に9日間に及ぶ、異常な力の入れよう、直接的介入である。さらに橋下知事が主導する「首長連合」には、中田宏・前横浜市長、山田宏・東京都杉並区長らと会談、橋下知事が送り込んだ刺客候補の推薦・支援を決定させ、テレビ、新聞などマスメディアを総動員させ、駅前、繁華街でぶちまくる、小泉流の劇場型選挙を展開、朝日新聞9/23付けは「首長連合 堺へ布陣 きのう松山市長、きょうは名古屋市長」などと各紙に大々的に報道させ、その応援演説で橋下知事は「堺市には太った馬がいる。何もしないで市役所で寝ているだけの馬がいる。そんな馬には、もっとムチを入れて速く走るようにしなければなりません。皆さん、この堺からNOを突きつけましょう!」などと揶揄、中傷する薄汚いお得意の扇情・扇動演説を徹底して繰り返す手法である。
 そして刺客候補自身は、事実誤認を承知しながら現職候補を貶める、明らかな嘘をばらまく手法である。「堺市に、喝を入れます。私が一番問題だと思ったのは、5月17,18日の未明、舛添厚生労働大臣と橋下知事が、午前二時に電話で会談し、中学校、高校の休校を決めた。そのときに堺市に伝えようと思ったのに、伝わらなかった。対策本部を開いていないから。こういった緊張感、どうですか。新型インフルエンザ対策で何もしてこなかった。私は。この事実を見てびっくりしました。」などというまったくの嘘、でたらめ演説を繰り返すデマゴギー手法である。事実は、すでに堺市では4/18に対策本部を設置、以降24時間体制に入り、問題の5/18の休校については事前に堺市への連絡はまったくなく、逆に堺市側から大阪府危機管理室、厚生労働省に問い合わせをしていたもので、後日(7/10)、当日の情報伝達の問題点について大阪府知事は自身の判断や対応に伴う当日の混乱発生について陳謝していたものである。それでもあえて嘘をばらまく、その手法が、市長当選後の臨時市議会で追及され、「新型インフルエンザ対策については、大阪府の担当職員に確認したところ、私の思い違いであり、内心忸怩たるところですが、あくまで堺市民の安全と安心の実現のために発した言葉です。ご理解いただきたい」と、当選してしまえばそんなことはどうでもよいといった逃げの答弁である。こんなことがおおっぴらにまかり通り、発言の責任さえ取らない、民主主義と選挙への冒涜といえよう。

<<一過性の勝利>>
 問題の本質は、それでもこうしたファシスト的な手法がまかり通る、昨今の政治経済情勢の混迷を反映した、人々の不満の鬱積、国、都道府県、地方自治体レベル全般の政治と行政に民意が正しく反映されていない、という間接民主主義には不可避的でもあるいらだちや反感、これらを橋下知事に代表される煽動型ポピュリストたちが、煽り立て、組織していることである。
 その際、いかにも我こそが解決して見せるという、独裁的手法によって、首長の直接選挙という、擬似的な直接民主主義を通じて実現できるかのように大衆に訴えかける。しかし彼らは大衆には一回限りの投票への参加しか期待も、それ以上の評価もしておらず、決して大衆をその直接民主主義に継続的系統的に参加させる意図などもうとう持ち合わせてはいない。反感と憎悪、熱狂を組織すれども、民主主義的な大衆参加など決して組織しない。彼らはつまるところ、不満と反感の対象を、役人・官僚嫌いから組織し、官僚機構、公的諸機関、社会的文化的経済的公的資産、セーフティネットにいたるまでを攻撃し、縮小と破壊の対象にするところへと集約させる。しかもその際に危険なのは、独裁的権力の集中にこそ解決の道があるかのように事態をすり替え、この独裁制を脅かすような制度、組織、運動などを徹底して排斥し、差別と選別を持ち込み、朝鮮高校の無償化対象からの除外など、民族的排外主義をさえ公然と口にし、それを煽り立てることである。彼らにとっては、「大阪都」や「道州制」も、独裁的権力集中への道具立てにしか過ぎない。
 堺市長選挙は、こうした典型的な煽動型ポピュリストの直接的な介入による選挙戦となり、現職市長の積極的な成果をすべて切り捨てることによって、嘘と中傷、デマによって彼らに勝利をもたらした。しかしその本質からして、その勝利は一過性のものにしか過ぎない。反感と憎悪を煽り立てたが、政策的中身は皆無に等しい。自治都市・堺の歴史的伝統と能動性を回復し、市民や市民組織が政策決定とその過程に参加できる仕組み、独裁制とは無縁な民主的政治を再生させる改革こそが問われているのではないだろうか。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.390 2010年5月29日

カテゴリー: 大阪維新関連, 政治, 書評, 生駒 敬 | 【本の紹介】『我、知事に敗れたり 二〇〇九年九月 堺市長選』 はコメントを受け付けていません

【投稿】辞任論まで飛び出す鳩山政権の迷走

【投稿】辞任論まで飛び出す鳩山政権の迷走

<<内閣支持率30%台切る>>
鳩山政権はいよいよ重大な岐路に立たされている。内閣支持率が、麻生政権末期の様相に酷似してきており、支持率の下落に歯止めがかからない事態である。
4月3~4日の共同通信の世論調査では内閣支持率が33%(前回より-3.3%)、4月2~4日の読売新聞調査でも同支持率が33%(前回より-8%)であったが、4月10~11日に実施されたテレビ朝日の世論調査では内閣支持率が28.5%、4月9~11日の日本テレビの調査でも28.6%、4月12日放送のNHK調査でも28%台、時事通信が4月16日に発表した世論調査によると、なんと内閣支持率は23.7%(前月比-7.2%)へと急落、4月17~18日実施の朝日新聞調査でも25%に続落、政権維持の危険水域とされる内閣支持率30%をついに下回り始めたのである。

いずれの調査においても、民主党に「失望している」人が7割前後に達しており、支持政党なしの無党派層が5割台に急増している。
それは、米ブッシュ政権の戦争政策と市場原理主義・弱肉強食路線に追随し、社会をずたずたに切り裂き、セーフティネットの破壊と格差の拡大と貧困化を推し進めてきたこれまでの自公政権路線、小泉・竹中路線からの根本的転換を期待して、民主党を中心とする「政権交代」が実現したのであったが、そうした人々の期待に鳩山政権がほとんど応えていないことへの「失望」である。
鳩山政権のこの間の表面的な特徴を列挙するならば、常に基本政策が定まらず、毀誉褒貶が激しく、日毎に発言が変わり、しかも閣僚個々人が勝手気ままに相違する発言を繰り返し、閣僚間でお互いにののしりあい、首相自身がその跡始末に追われ、その首相自身も政策や政治姿勢がぶれまくって定まらないという、なんともお粗末な実態である。首相ばかりか全閣僚に、政権維持能力、統治能力はゼロに近いと採点せざるを得ない状況といえよう。

<<「最大の敗者」>>
表面的な鳩山政権の右往左往と表裏一体なのが、根本的な政策面での迷走であり、実質的には裏切りに近い政権公約違反の実態である。政権交代によるいくつかの積極的な政策転換が実現しつつあるが、それを打ち消して余りある否定的側面が前面に出てしまっている。
最大の懸案である沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題にそれは象徴的である。首相自身が昨年の総選挙の際に基地移設先を「最低でも県外」と繰り返し訴えてきたにもかかわらず、外相や防衛相が沖縄県内移設案を繰り返し放言していてもそれを野放しにし、移設先の候補地を二転三転垂れ流し、挙げ句の果てに、沖縄県知事に防衛相や官房長官をして沖縄県内移設案としてのキャンプシュワブ陸上案、勝連半島(同県うるま市)沖の埋め立て案を打診するという背信行為を行っているのである。これだけではまずいと判断したのであろう、鹿児島県・徳之島へのヘリ部隊移転などを組み合わせる案に収斂させようとしている。どれもこれも利権がらみであり、個々の政治家の暗躍が見え隠れし、地元の同意など到底ありえない事態を自ら招いているのである。
さらに醜態なのは、4月12日からワシントンで開かれた核安全保障サミットの夕食会席上で非公式にしか持てなかったオバマ大統領との約10分間の会談でのやりとりである。鳩山首相が米軍キャンプ・シュワブ陸上部などへの移設を組み合わせた日本政府案を念頭に、「5月末の決着に向けて努力している」と説明、そのうえで、「大統領にもぜひ協力を願いたい」と要請したのに対して、オバマ大統領は「(11月の首脳会談で)あなたは『私を信じてほしい(Trust me)』と言った。しかし、何も進んでいないではないか」と不満を表明、さらに、「きちんと最後まで実現できるのか(Can you follow through?)」と、5月末までの決着を疑問視され、日本政府の対応に強い不信感と疑念を示されたという。
4/14付けワシントン・ポスト紙は、核安全保障サミットで最大の敗者(the biggest looser)は日本の鳩山由紀夫首相だと報じ、「不運で愚かな日本の首相」とまで紹介し、「鳩山首相はオバマ大統領に2度にわたり、米軍普天間飛行場問題で解決を約束したが、まったくあてにならない」とし、「鳩山さん、あなたは同盟国の首相ではなかったか。アメリカの高価な核の傘のおかげで何十億ドルも節約してきたんじゃないか。核の傘をお忘れか。その上で、まだトヨタを買えというのか。鳩山首相を相手にしたのは、胡主席だけだ」と報じた。核全廃の精神とも相反し、アメリカが居座り、押し付け、「思いやり予算」をさんざん日本政府からふんだくってきた基地問題の重要性をまったく理解していない、その意味では言いがかり的なたちの悪いコラムを掲載したが、政府は不快感を示しただけで抗議の意思も示すことができないでいる。それは政府・与党にあくまでもアメリカの核の傘に頼り、沖縄に米軍基地が存在してくれることを願う勢力が厳然と存在し、暗躍しているからでもある。腰が定まらないのも当然といえよう。ここまでくれば、じっくりと腰をすえて、米軍基地は米軍本国にお引取り願う戦略にこそ切り替えるべきなのである。

<<「普天間なんて知らなかったでしょう」>>
しかしことここまでにいたってもなお、鳩山首相は普天間問題の「5月末決着」に固執し、自縄自縛に落ちっている。たとえ無理やり政府案を決定したとしても、米側や関係自治体の合意を得るめどは全く立たないことが歴然としているのである。
いらいらをつのらせたのであろう、4/16、国会内で後援会関係者と懇談し、米軍普天間飛行場の移設問題をめぐり、「皆さん、普天間なんて知らなかったでしょう。それが国民の一番の関心事になること自体が、何かメディアがいろいろ動きすぎている」と述べ、問題がこじれているのはメディアの報道に問題があるという責任転嫁論を口にしだしたのである。さらに首相は懇談の場では「5月末決着」についても言及し、「どうせ鳩山なんだから、できないだろうと、メディアが書いているが心配しなくて結構だ。必ず5月末までに結論を出すと言っているのだから、結論を出す」と開き直ったが、自らを窮地に追い込む以外のなにものでもない。首相であるならば、本来持つべき冷静さをまで失いかけているともいえよう。
そしてついにこの「5月末決着」と関連して、首相辞任論までもが現実的可能性として浮上するにいたっている。4/16のTBSの番組収録で仙谷由人国家戦略担当相は、「永田町ではダブル説が流れている。おっしゃる通りかもしれない」と述べ、鳩山首相が辞任した場合に触れ、「(前の衆院選から)1年で申し訳ないが、ダブルを問う可能性がある」と述べ、衆参同時選がありうるとの見方を示したのである。現職閣僚がこのような発言をすること自体が、一種の政権末期症状であろう。
政権交代後一年も経たないうちにこのような事態を迎えたことは、この政権の脆弱性と限界を明らかに示すものであるが、方向を決定付け、それを不可避とさせる広範な世論の結集と大衆運動こそが要請されているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.389 2010年4月24日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬 | 【投稿】辞任論まで飛び出す鳩山政権の迷走 はコメントを受け付けていません

【投稿】大阪復権とは無縁の「大阪都」構想―虚構を食い物にする「大阪維新の会」 ―

【投稿】大阪復権とは無縁の「大阪都」構想―虚構を食い物にする「大阪維新の会」 ―
元田隆文

<選挙目当てのみで野合する「大阪維新の会」>
橋下大阪府知事が主導する地域政党、「大阪維新の会」が4月19日に発足した。
この橋下新党は、・府と大阪市などを再編し、ワン(ONE)大阪を目指す、・大阪(伊丹)空港の将来的な廃港、・府庁舎をWTCに移転、・府議会の定数削減、を基本政策として、橋下知事を代表者とし、結成総会には自民党系を中心に府会議員24人、大阪市会議員1名、堺市会議員5名が参加した。そして、いわゆる「大阪都」を実現すること一点を突破口とし、5月の大阪市議補欠選挙を皮切りに、大阪市長、大阪府議と大阪市・堺市議の過半数を制することを目論むというのである。
そもそも大阪に「都制」を導入しようとする案は、前太田知事時代に関西財界の意向を受けて打ち出されたものの全く相手にされずお蔵入りしたという経過がある。「都制」の導入について、橋下知事の政治的野心に一定の距離を置く財界や自民党からも、「大阪府・市の二重行政解消や広域行政投資の迅速・集中化に意義がある」との発言がなされ、マスコミで全面肯定的な報道ばかりが一方的に流されている理由はここにある。
しかし、この「橋下」「大阪都」構想は、前構想と比べても橋下流のバイアスがかかり、大阪復権、地方分権の切り札とはとてもいえず、将来に大きな禍根をもたらす様々な問題を有するばかりでなく、具体的内容や実現の手順などが意図的にぼかされており、決して真面目なものということはできない。
ワイドショー的な話の大きさと面白さで府民を煙に巻き、それへの注目でしか存在しえない政治集団。橋下知事にとっては自分の独裁的府政運営を担保する大政翼賛議会実現を狙い、「誰も本気で府市再編など考えていない(自民府議)」議員にとっては、次の地方選挙を橋下人気にあやかって乗り切りを狙うもので、政治の本質を忘れ、目先の利益を狙う、野合の集団という以外にない。

<府市再編「大阪都」構想の虚構>
「大阪都」構想とは、つまるところ、自治権限の強い政令市を始め市町村自治が存在するから大阪は潜在能力を発揮できないなので、府内経済の大部分を占める地域について、広域行政などの権能と財源を府に移し、地域の行政内容を一手に府がコントロールする制度に変える、というのである。
確かに、これまで大阪には、府と大阪市の対立に根ざす無用な二重行政と地域発展に関する一元的戦略の欠如という大きな問題があり、これが凋落を加速させてきた。
だからといって、2政令都市及び周辺9市を消滅させ、府に権限を集中させれば解決するというのは、論理のすり替えと飛躍でしかない。
そもそも、広域行政の責任主体としての府の責任と能力のなさを棚に上げて、府がやれば何でも旨くいくということ自体がありえない。府がこれまでどれだけ多くの巨大プロジェクトを失敗させ、大阪経済に打撃を与えてきたことかをみれば一目瞭然である。

<地方分権の流れに逆行する「大阪都」>
構想では、大阪市は基礎自治体としては大きすぎるので、基礎自治体機能と広域自治体機能を明確に区分し、基礎自治体はコミュニティ施策に集中することが望ましいとして、大阪市、堺市の分割を主張する。そして、都区は公選の区長と議会を持つから現行政令市の区制より住民のコントロールが効くと、あたかも自治が前進するかのようにいう。
しかし、ここにも嘘がある。大都市内の分権は今後の課題として存するが、都市はそれが全体として持つ権限が大きければ大きいほど市民に還元できる施策の幅も大きくなる。もともとの権限と財源を減らすのでは、公選の区長、議会にするといえども自治の進展とはいえない。まして、周辺9市は、単に市から区に権限を剥奪されるだけであり、何の必然性もない。大阪市は、関西経済活動の中枢機能を担っている。大阪市民は自分たちの身の回りのことだけ関心を持てばよいのであって、大きなことにはよらしむべからず、というのでは、まさに官治の思想であり、大阪の衰退が加速されるだけであろう。
政令指定都市は不十分な制度とはいえ、政治経済が集積する都市の制度として政策的、歴史的、文化的に国民生活の前進に大きな役割を果たしてきたし、今もその役割を担っている。
政令市と周辺市を消滅させて都区にすることは、自治の後退に外ならず、基礎自治体の優先(補完性原理)という世界的自治制度の流れに大きく逆行するものである。地方制度は、第一義的に、自治の制度としていかなる価値のあるものかが問われなければならない。

<「大阪都」では大阪問題は解決しない>
仮に都制が実現したとしても大阪地域の抱える困難な諸課題を解決する保証は全く無い。
大阪・関西の経済的衰退、関空などの困難というのは、本質的には、日本の政治・経済で東京一極集中が進行しその他の地域が衰退している反映であり、大阪の内部事情である府市連携という問題への矮小化で解決できないものである。なるほど、司令塔を一本化し独裁的に運用すれば、戦時経済的に投資効率は向上するかもしれない。しかし、それが大阪全体の嵩上げに繋がるかどうかは別物である。東京都制では、区部と周辺の格差解消問題が旨くいっているわけではないし、区部で独自施策が出来ているように見えるのも、東京一極集中で財政的に余裕があるからなのである。

<橋下構想の不純な意図>
このような問題に加え、構想は、現状の問題点、将来構想の内容などを明確にしていない。橋下知事は、走りながら考えたらよいのであって結論を出してから動くのでは事態を変える力にならないと強弁する。だが、都制しかありえないと決めつけ、それに反対する者を口汚く罵倒して世論誘導するためには、明確にすると支障が出るのである。
さらに、ここでも、橋下知事はデマと論理のすり替えを行っている。
市民の共同体としての自治体としての政令市大阪のあり方という問題であるにもかかわらず、都市制度の点から疑問を呈する平松大阪市長に対し、市長は「大阪市役所」に乗っ取られていると表現し、再編反対者=「大阪市役所」=守旧派というレッテルを貼る。市民の反公務員感情を煽りたて、市民と市役所という架空の対立をでっち上げ、冷静な制度論から市民の目を逸らそうとしているのである。
地方制度というのは、一時的な感情的熱狂で進めるべきものではない。にもかかわらず、何故かくも性急に政治争点として持ち出されているのか。そこには、広域行政の効率化に名を借りて財源を集中し、橋下独裁の下で大型公共投資と都市運営の利権を配分することが目当てという極めて不純な意図が見え隠れする。
なお、橋下構想問題はひとり大阪の問題ではなく、全国に共通する国と自治の問題であり、地域のあり方の問題であることを改めて強調しておこう。

【出典】 アサート No.389 2010年4月24日

カテゴリー: 大阪維新関連, 政治 | 【投稿】大阪復権とは無縁の「大阪都」構想―虚構を食い物にする「大阪維新の会」 ― はコメントを受け付けていません

【投稿】米の医療制度改革法の成立と鳩山連立政権の医療政策200日

【投稿】米の医療制度改革法の成立と鳩山連立政権の医療政策200日
福井 杉本達也

1 米の医療保険改革の始動
オバマ米大統領が内政の最重要課題に据えながらも、難航が続いていた医療保険制度改革法案が3月21日に下院本会議で可決・成立した。米史上初めて皆保険制度への道筋をつけたことになる。米国では所得が少なければ医療保険に加入できないのは「仕方がない」と見る風潮がある。このため歴史的に税金を投入して皆保険制度を実施することへの反対は根強い。その意味で今回の改革は1912年以来懸案となっていた米医療制度の大きな転換となる可能性がある。しかし、これを実現するためには、今後10年間で85兆円の財政支出が必要となる。
最後まで公的医療保険制度の導入に抵抗してきた米国が、国民皆保険制度に大きく近づいたことは、金融危機以降、「小さな政府」から「大きな政府」への流れが強まってきたことを意味する。これまで、米国の医薬品・保険資本からの強い圧力により、自己負担3割・高齢者医療費の2割負担、後期高齢者医療制度の導入、医療介護施設からの高齢者の「追い出し」など公的保険制度の破壊、社会保障費の削減を続け、GDPに占める租税社会保障負担の割合はOECD加盟30ヶ国中最低の部類となってしまった日本の政策にも大きな影響を与えるものである。

2 疲弊する日本の救急医療体制
『救急搬送における医療機関の受入状況等実態調査』(消防庁)では「重傷患者を搬送時に4回以上医療機関に受入れの照会を行った件数」は、全国合計で13,164件(3.2%)となっている。地域別では近畿圏・首都圏が特にひどく、奈良県が11.8%、大阪府が8.9%、兵庫県が6.8%、埼玉県が8.5%、東京都が6.5%などとなっている。受け入れ拒否の理由は、「処置困難」(21.3%)、「手術中・患者対応中」(21.1%)、「ベッド満床」(17.9%)、「専門外」(13.3%)などとなっているが、根底には医師不足がある。
今年3月19日に7病院から受け入れ拒否され女性が死亡した伊賀市のある三重県の場合は同件数は3.2%で中部圏としては最も高くなっている(県民福井:2010.4.13)。三重県の場合、特に県内唯一の医学部のある三重大学の教育機能の低下が医師不足に拍車をかけている。今年度医学部卒業生の中で、大学に研修医として残るのはわずか5~6人である。大学が卒業生に見切られる状況では医師不足の解消はおぼつかない。

3 二木立氏(日本福祉大学教授)の民主党の医療政策批判
『医療改革』(頸草書房)などの著者・二木立氏は当初、政権交代と民主党の医療政策を大きく評価していた。特に、民主党がマニフェストで、総医療費と医師数の大幅増加の数値目標(共にOECD平均までの引き上げ)を示したことは画期的だと高く評価していた。また、医療保険制度改革についても、民主党は高齢者医療制度廃止と医療保険制度の一元的運用を公約しており、氏が評価したところである。
しかし、2010年度の予算編成段階になると、医療費の大幅引き上げが断念され、本年4月からの医療費全体の引き上げは、わずか0.19%にとどまり、診療報酬改定も4年間の任期中に今回を含めて2回しかないことを考えると、総医療費をOECD平均にまで引き上げることは事実上不可能であり、鳩山政権内での医療政策の優先順位が低い(二木立:「日本の政権交代と民主党の医療政策」『日本医療新報』2010.3.6)と批判に転じた。
財源難で手足が縛られていることが要因であるが、それに対しても二木氏は「2009年度予算総額が昨年度当初予算に比べて2.5兆円も増加していること、国債発行額に至っては11兆円も増加していることを考えると、それは言い逃れにすぎず、民主党政権内での医療政策の優先順位の低さの現れというべきです」(二木:「日経メディカル」2010.1.27)と民主党の政策に手厳しい。

4 医療費財源の長期的な見通しが示されていない民主党の政策
二木氏は政権交代前より民主党の医療政策には「医療費拡大のための財源の長期的見通しが明確に示されていないことと言えるかもしれません…税金の無駄使いの根絶と「埋蔵金」の活用等により16.8兆円(2013年度)を捻出できると主張していますが、この試算に対しては、現与党(自民党・公明党)だけでなく、すべての全国紙が疑念を呈しています。私自身も、日本がアメリカと並ぶ「小さな政府」であることを考慮すると、無駄の排除と埋蔵金の活用だけでは、公的医療費拡大の長期的な安定財源は確保できないと考えています。」(二木:「日経メディカルオンライン」2009.8,1)と疑念を呈していた。
確かに、民主党の社会保障や医療政策に財源の長期的な見通しはない。しかし、それは民主党だけに限ったことではない。前政権時代に基礎年金の国庫負担の1/2への引き上げをしたが、財源2.5兆円は今も宙ぶらりんのままである。
小泉政権時の「骨太の方針」=社会保障費の5年間で1兆1000億円の削減は新政権下で完全に撤回された。二木氏は子ども手当や高校無償化への財源の振り向けが気に入らないようだが、それは政策選択の問題である。社会保障費は27兆円と国の一般歳出の51%を占める。何もしなくても毎年1兆円ずつ増える。財源の見通しを立てるには、消費税(インボイスによる付加価値税化)・所得税の累進課税・租税特別措置の整理・納税者番号制と一体的に、財源をどれだけ確保できるかを議論せざるをえない。古川元久国家戦略室長は番号制について「格差の拡大、特に下への格差が広がって、低所得の人が相当増えているはずですが、課税最低限以下の人たちについては、その所得分布状況か全くわかっていないのです。だから、きちんとした手立てを打とうにも打てない。番号の導入によって、本当に手を差し延べなければいけない人に差し延べることが可能になる…一律主義ではなく、めりはりをつけた政策が打てるようになる」(『世界』2010.4 )と述べている。しかし、このような抜本的な税制改正は2~3年では無理である。わずか半年で強引に大改正を行おうとするなら、議会制民主主義を無視したクーデター同様となろう。二木氏はあまりにも結果を焦りすぎである。

5 民主党は公的病院偏重という批判
二木氏は「公的(大)病院偏重という疑念です。…逆に、日本の地域医療の大半を支えている民間中小病院や診療所の役割に対する言及はまったくありません。一般には、救急医療の主役は自治体病院や公的病院というイメージがありますが、それは誤りで、全国的に見ても、救急搬送患者の57%は民間医療機関が受け入れており、…特定の(公益性のあるとみなされた)病院の入院のみを対象にして診療報酬を2割も引き上げる政策は、極めて恣意的である」と公的病院偏重だと批判している(「日経メディカル」2009.8.1)。
確かに、民間の中小病院や診療所が日本の地域医療のかなりの部分を支えていることは間違いない。しかし、限られた財源をどう配分するかである。政権交代後、診療報酬では病院の再診料を60点から69点に、また、救急医療や産科・小児科の診療点数を引き上げた。また、医学部定員を360人増やすとともに、22年度予算で「大学病院の機能強化」などに68億円、昨年の第二次補正予算で大学医学部の定員増を見越し112億円の養成体制強化費が盛り込んだ。医学部の教官が増えるのは、数十年ぶりである。しかし、マスコミはこうした改善点を全く報道しない。
伊東光晴氏は相対的に開業医ら医師の所得は高く看護師らの給与は低いと指摘する。診療所の多くは「風邪」で年間の半分を稼ぐといわれている。「風邪」の原因はウィルスであり、ウィルスには抗生物質は効かない。にもかかわらず、開業医は何かしらの処方(?)を行っている。風邪の季節には待合室は患者で一杯である。昨年5月からの豚インフルエンザ騒動でも多くの開業医は稼げたことであろう。
ところで、豚インフルエンザの「パンデミック(大流行)」という定義をめぐって、WHO内では大激論が交わされている(日経:2010.4.13)。製薬会社の謀略でWHOが意図的に危機を煽ったのではないかという疑いが持たれている。ボーダルク欧州会議保健委員長(ドイツ)は「WHOのある人々は製薬会社とつながっており(各国にワクチンを過剰摂取させるため)恐怖心を拡大させた。こんな戒厳体制を敷く理由はなかった。」と批判している(毎日:2.24)。感染症は全国の開業医が定点となって流行の観測を行っている。日本での流行初期の昨年10月24日の時点で中部大学の武田邦彦氏は「2005年には定点観測で50人の患者さんが出たが,このときのカーブの形は「滑らかなピーク状(正規分布)」になっている.これは流行すると周囲に感染していない人が多いので,患者数が増え,患者が増えてくると「感染していない人の数」が減るのでピークを打つ.さらに一度,感染した人には免疫ができるので…流行は終焉する.実に理窟通りに進んでいる.」と予測した。インフルエンザの研究者が正規分布を知らないはずはあるまい。結果3月末には1126億円もの巨額資金を出した輸入ワクチン9900万回分が行き場を失った。パンデミックを煽った麻生前首相や河村前官房長官が悪いのか、輸入を決定した桝添前厚労相が悪いのか、それとも後の対応を怠った長妻厚労相が悪いのか、統計学も知らない厚労省の医療技官の質の問題か。インフルエンザ特効薬と言われるタミフルはラムズフェルド元米国務長官が会長を務めていたギリアド社が特許権を持っている。貴重な財源を国際医薬・化学資本に掠め取られないよう、また、国内の怪しげな研究者・医師に配分しないようにしなければならない。

【出典】 アサート No.389 2010年4月24日

カテゴリー: 医療・福祉, 杉本執筆 | 【投稿】米の医療制度改革法の成立と鳩山連立政権の医療政策200日 はコメントを受け付けていません

【投稿】「チョナン」爆沈の衝撃

【投稿】「チョナン」爆沈の衝撃

<乱れ飛ぶ憶測>
 3月26日夜、韓国海軍のコルベット「チョナン(天安)」(1200トン級)が、海の38度線と言われる「北方限界線」近くの韓国西岸ペリョン島沖で哨戒任務中、突然強い衝撃を受け、間もなく沈没した。
 この事件で乗組員104名のうち、46名が死亡または行方不明となった。当初は、正確な沈没場所や時間も含め様々な情報が錯綜し、原因についても憶測が乱れ飛んだ。
 沈没原因については、①内部要因説と②外部要因説に大別され、①では「弾薬庫爆発」「艦体(金属)疲労」「過重兵装(トップヘビー)による転覆」「気化燃料に引火」などが示され、②では「座礁」「機雷」「魚雷攻撃」などと見解が分かれた。
大まかに言えば①は事故、過失であり②は、自然現象を除けば北朝鮮の関与を臭わすものとなっており、韓国内では、北朝鮮に対して厳しい姿勢を取る与党関係、保守派などと、融和的姿勢の野党サイドで沈没原因について、その主張が分かれ、行方不明者の捜索をよそに論議が沸騰する事態となった。
 しかし、生存者の証言などから、艦は直前まで既定の進路を正常に航行し、波も穏やかであり、艦内では燃料漏れなど引火爆発にいたるアクシデントも発生していないことが分かり、内部要因説はほぼ否定された。

<魚雷説が有力>
 当然「機雷」もしくは「魚雷」など兵器による爆発に絞り込まれることとなったが、救援、捜索活動による犠牲者が続出したことなどから、艦体引き上げが難行、原因の特定は進まず、韓国国会やマスコミでの論議が続いた。
 4月15日になって引き上げられた艦体の破損状況を見た軍関係者や造船関係者からは「魚雷による爆発の可能性が大きい」との見解が支配的となり、16日、韓国軍民合同調査団は「外部爆発の可能性が非常に高い」との見方を示した。
 魚雷説が確定されたならこれは、北朝鮮による意図的な攻撃ということになり、朝鮮半島情勢は改善への動きは停滞し、今後の展開次第では更なる緊張激化へと進むことが懸念される。
 朝鮮戦争休戦以降、北方限界線付近では3回に渡って、南北艦艇の交戦があり、双方1隻ずつの損失があったが、いずれも小型艦艇であり100人以上が乗り組む1000tを超える水上戦闘艦が「撃沈」され、50名近くの「戦死者」が出たのは初めてである。

<韓米の対応は>
 韓国の柳明桓外交通商部長官は4月18日、KBSテレビのインタビューで「沈没が北朝鮮の攻撃によるものだった場合、まず国連安保理への提起を検討する」と述べた。
 これは、沈没から時間が経過していることから、不幸中の幸いとして、公の場で是非を論じる方向性に進んでいるのであって、「チョナン」爆沈直後は付近を航行中の僚艦がレーダーで探知した「目標」に、主砲による撃破射撃を実施するなど、一触即発の状況があった。
 後にこの「目標」は水鳥の群れだったと説明されたが、北朝鮮の艦艇であった場合、本格的な交戦にエスカレートしていたと考えられる。
 仮に安保理での論議が開始された場合、声明や何らかの制裁が議決される可能性がある。しかし、過去の「ノドン2号改」発射や「核実験」に関わる制裁措置が、中国、ロシアの消極的姿勢で腰砕けになったのと同様の結果となるだろう。
 アメリカとしても、国連においては中、露の協力を得てのイラン核開発への対処を優先させるため、韓国に対し原因究明への協力は行っているものの、6ヶ国協議や米朝協議の再開延期程度の対応にとどまるだろう。

<危惧される展開>
 こうした状況を見ながら北朝鮮は、現在のところ抑制された対応を取っている。朝鮮中央通信は「沈没事件は我々とは無関係」とし「(南)は魚雷攻撃説をでっち上げている」と非難しており、韓国政府の「自作自演」との見方も示している。
 しかし、北朝鮮は1983年、ミャンマーでの韓国政府高官に対する爆弾テロ、87年の大韓航空機爆破テロなどの際も「南朝鮮の自作自演」と主張してきた経過があり、今回も同様ではないかとの疑念が出ている。
 北朝鮮の関与が明らかになった場合、初動と救助、事態究明の不手際を追求されている韓国政府としては、やすやすと攻撃を許したことに対する国民からの非難の声に晒され、アメリカの対応と相まって6ヶ国協議の長期中断や、南北交流の全面停止レベルの事態に進むかも知れない。
 さらに今後北朝鮮が「犯人」と名指しされた場合、金正日政権がどのような動きに出るかは、まったく不透明である。昨年末のデノミ失敗、金正日総書記の健康不安、不確定な後継者問題など、国内情勢は不安定なままである。
 とりわけ金総書記に関しては、年明け以降訪中説が流布されているが、いまだに実現していない。何らかの理由で国外に出られない事態が続いているのだろう。北朝鮮が国際的に「犯人」と指弾されても、絶対に認めはしないだろうし、かえって新たな挑発、暴発の口実とされかねない。
 現時点で韓国政府は軍事報復を選択肢としていない。李大統領も4月19日の犠牲者に対する追悼演説で「原因が明らかになれば断固たる措置をとる」と述べるにとどまっているが、今後新たな「攻撃」があった場合、政権は苦しい対応を迫られるだろう。この間も「これは明白な停戦協定違反であり、韓米相互防衛条約が適用されなければならない懸案だ」(「中央日報社説」4/18)との強硬意見が噴出している。

<反応鈍い鳩山政権>
 このように朝鮮半島情勢は、予断を許さない状況に進みつつあるが、鳩山政権の対応は何とも心許ない。鳩山首相は普天間基地問題で頭がいっぱいかも知れないが、そもそも海兵隊の沖縄駐留理由とされている朝鮮半島情勢に対し、鈍感すぎではないだろうか。 
 朝鮮半島で緊張が激化すれば、ますます沖縄海兵隊の存在が大きくされるのであって、在日米軍縮減や沖縄の負担軽減など画餅に帰す懸念がある。さらに「東アジア共同体」や6ヶ国協議進展を追求するのならば、それと密接にリンクする問題として平和的解決を目指す動きを見せるべきである。
 間違っても今回の問題を、朝鮮高級学校無償化を認めない理由の一つとするような愚を犯すべきではない。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.389 2010年4月24日

カテゴリー: 平和, 政治 | 【投稿】「チョナン」爆沈の衝撃 はコメントを受け付けていません