【投稿】ダム事業の中止と知事の醜態

【投稿】ダム事業の中止と知事の醜態
                             福井 杉本達也

 総選挙期間中からの国民の政治的覚醒を逸らす「豚インフル騒動」「ノリピー事件」等の大政翼賛報道は連立政権発足後も継続している。10月9日朝8時のNHK「おはようコラム」で島田敏男解説委員は鳩山首相の日中韓首脳会談の課題について、「鳩山総理は国連演説でも表明した東アジア共同体の構築を目指すという持論を展開するでしょうが、これは遠い将来の話」と切り捨て、日本にとっては「当面の焦点は北朝鮮問題です」とコメントしていた。公共放送を“自認する”NHKでさえ歴史的な「東アジア共同体構想」を「北朝鮮拉致・ミサイル問題」に矮小化する情報操作を堂々とやっているのだから、民放の実態はさらにひどい。片山さつきなどの落選議員を並べ、平沢勝栄・山本一太や金美齢らが常時出演する日本テレビの「太田光が総理大臣になったら」やテレビ朝日の「ビートたけしのTVタックル」などは醜悪番組以外の何物でもない。一方の活字媒体である新聞も亀井静香金融相の中小企業の返済猶予案を「鎌倉幕府の徳政令」(福井:2009.10.1)「金融機関は返済が滞るため経営が悪化」「借りたお金は約束通り返すという原則を国の命令で変えることなる」(毎日:10.7)と袋叩きである。では、日本政策投資銀行を通じての、金融危機に対応した危機対応融資26,254億円(620件:9月末現在)及びCP(コマーシャル・ペーパー)購入3,610億円(68件)をマスコミは批判しないのか。これらは全て大企業への政府保証融資である。また、藤井財務相の“円高容認”とも受け取れかねない発言も「鳩山政権は市場の懸念に耳を澄ませ」と攻撃している(日経社説:9.29)。しかし、藤井発言で円が88円台になったのではない。ドル不安から各国通貨に対してドル安が進んでいるからである。金に対しても投機資金が集まっている。ガセネタ臭いが「6日付の英インディペンデント紙は、中東の湾岸諸国が原油取引でドル決済をやめる案を日本や中国、ロシア、フランスと秘密裏に交渉している」(日経:10.7)とまで報じられている。金融資本の“同僚”のはずの英国にこけにされるほどドル=米国は追い詰められているが、こうした事実を覆い隠し、何としても日本における米国の利権をこれまでどおり確保させるために日本のマスコミを総動員している。

 こうしたマスコミの集中砲火を浴びているのが前原国交相の「ダム中止」である。東京新聞は「『利根川の治水対策を』カスリーン台風被災者 八ッ場ダム『中止』に不安」(9.22)と、治水対策への不安を煽り、長野原町ら”地元住民”は国交相の地元説明会をボイコットした。TVではボイコットした”住民”の「ダム中止」を“中止”せよとの意見を繰り返し放映した。しかし、中止反対を訴えていた”住民”は地元の町会議員であり、インタビューを受けていた”住民”が土建屋の社長では何をかいわんやである。しかも、怪しげな場所設定をした公明党の山口那津男新代表は「私は国交大臣の発言後、直ちに、党八ッ場ダム問題対策委員会のメンバーとともに同町を訪問、県知事や町長、地元住民と意見交換しました。多くの皆さんからは、一方的に中止を表明した政府のやり方に激しい怒りが表明されました。」(第33回公明党全国県代表協議会)と自ら手の内を暴露してしまった。
 一方、群馬県の大沢正明知事は「地元の意見を一言も聞かず、生活再建の代替案もなく、ただ『中止』と言う。これは独裁者という以外ないのではないか」と厳しく批判し(時事9/28)、東京都の石原知事も、「政権をとれば、公共事業を中止できると考えることは正に暴論だ」(NHK:9.14)などと述べている。しかし、計画から50年たっても完成しない治水事業とは何ぞやである。八ッ場ダムはまだ本体工事に着手していない。しかも、着工していないにもかかわらず既に事業費4,600億円の7割を使ってしまっているのである。それでも用地補償の3割、付け替え道路の3割が残っている。苦肉の策として取り合えず計画事業費内に全体工事費を抑えるため、本体関係工事費を613億円から429億円へと、事業費全体のわずか9%に落としたのであるが、八ッ場ダム工事事務所のQ&Aでは「ダム本体に係る費用が、建設に要した費用の10%以下であったダムは、現時点で国土交通省において把握している限りでは存在しない」と回答しており、“官僚的迷文”ではあるが、工事費の大幅増額は避けられそうもないことを自ら認めている。ちなみに福井県の桝谷ダム(農水省事業)は当初事業費300億円がその後600億円に変更され、完成時には1,240億円となった(事業評価書)。
 そもそも、なぜ多くの知事はダム中止に反対するのか。八ッ場ダムは、治水のためばかりではなく、群馬、茨城、埼玉県、千葉、東京に水道用水・工業用水を供給することを目的としており(ダム開発予定水量22.123立方メートル/秒)、6都県で1,670億円を負担している。しかし、上水や工水の水需要はあるのか。たとえば、河村たかし名古屋市長は5月15日に国内最大の総貯水量をもつ徳山ダム(岐阜県)の水を木曾川へ流す導水路事業からの撤退を表明している。「水の需要は減っている。」というのがその理由である(福井:5.16)。
 前述の桝谷ダムの場合、当初は農水・工水・上水の取水を目的にダムが計画された。ところが、途中で工水・上水の水需要が大幅に減ることとなったため、ダム高さを当初計画どおり維持するために治水事業を代わりに持ってきている。しかし、桝谷川だけでは流域面積が少なく治水効果が少ない(机上計算でも水がたまらない所にダムを計画するという摩訶不思議な計画)として、隣の日野川からトンネルにより導水している(Wikipedia)。水の工業需要もかつての鉄鋼や染色など重厚長大型産業から水を使わない産業や節水型産業に変わり、また上水も人口減少で需要増は見込めず、農水も減反などで現実には減少する中、一部地域を除いて水需要は確実に減っている。ダム中止反対を唱える知事の多くはこの現実を知っている。中止反対は地方の意見ではない。しかし、公共事業が減ることを、自らの権限が縮小することを恐れているのである。

 10月14日前原国交相と森田千葉県知事の間で1つの茶番劇が行われた。羽田のハブ空港化をめぐってである。前日、森田知事は「頭にきて夜も寝られなかった」と語っていたが、羽田と成田の共同運用ということで笑顔で握手して帰っていった。成田は国際線、羽田は国内線という割り振りは自民党政府が強引に成田空港の建設を目指した時の“屁理屈”である。国家はたとえ誤りがあったとしても一度決めたら変更しないという強硬策のため成田闘争が勃発し、成田も中途半端、羽田も中途半端の状況が30年も続いた。国交相の提案は千葉県知事にとっては渡りに舟だったのであり、歓迎さえすれ反対すべき理由は全くなかった。しかし、成田闘争を含めこれまでの経過・メンツがあり、いきなり賛成と言い出せなかっただけである。同様の事例はダム問題を含め多々ある。八ッ場ダムなどは群馬以外の都県からすれば、負担金だけを自動的に国に取られ、公共事業は群馬県内だけで行われるのであり他の各都県にとっては何のメリットもない。50年かかっても完成しない「治水事業」というのは負担金を取る名目に過ぎない。本当に「治水」上必要な施設なら、6都県が金を出し合って建設すればよい。恐らく言葉とは裏腹に国交相の決定を“歓迎”しているであろう。東海北陸自動車道・阪和自動車道御坊-南紀田辺間などの4車線化も見直しとなった。既に道路はあるのだから、後は予算との兼ね合いでの優先順位だけである。国道157号といった百番台の山間部の国道整備など「熊しか通らない道路」に予算を付けることは辞めなければならない。ムダな公共事業に予算付けを要望することが知事の仕事であるまい。前鳥取県知事の片山善博氏は「知事たちの、知事たちによる、知事たちのための地方分権」(『世界』:2009.9)と皮肉っている。都道府県事業の8割はかつて「機関委任事務」と呼ばれ、現在は「法定受託事務」などとして都道府県事業とした事務である。特に公共事業の多くがそうである。公共事業がなくなることは知事の権限の大幅縮小をもたらす。河川事業や国道事業を国から県に移せば、負担金の問題もなくなり、県もムダな事業の要望をする必要もなくなり、真剣に財源をどの事業に振り向けるかを考えるようになるであろう。県をまたぐ事業ならば淀川水系流域委員会のような調整機関を作り県間で話し合えばよい。県の現状はまだ国の指示に従う下級機関として「機関委任事務」の思考回路にどっぷり浸かったままである。

 今回、整備新幹線の新規着工区間は白紙とされた。一方、着工済みの区間は継続されることとなった。北陸新幹線では長野から金沢までの区間が認可された。新潟、富山県内でも順調に工事が進み、金沢―富山県境間は100%完成するなど、いまさら事業中止と言えないからであろう。しかし、問題は並行在来線のローカル線化をどうするかである。その多くは県と市町村・民間で構成する第三セクターで運営することとなっているが、膨大な経費がかかり安全管理も大変で大幅な赤字が予想される。地域住民の足をどう守るかは大問題である。ところが、並行在来線をどうするかは先延ばしの状態が続いている(日経:8.5)。100キロも200キロもの在来線を統一的に安全に運営しようと考えることさえ恐ろしいのである。特に、新潟県は第三セクターの北越北線を抱えている。現在は金沢・富山方面から上越新幹線を経由して東京行きの最短ルートとなっているが、長野から金沢間が開通すれば、単なるローカル線となってしまう。また、長岡-直江津間もローカル線化は避けられず、新潟県は膨大な負の遺産を抱え込むこととなるので、国との“条件闘争”に必死である(福井:10.14「新潟知事『認可は無効』国交相に申し入れ」)。新潟県知事の狙いは地方負担の軽減にあると思われるが、政権交代によって目算が狂ってしまった。「住民自治を置き去りにしたままで知事たちの自由度や権限や財源を増やしたのでは、住民にとっては却って窮屈で鬱陶しい地域社が現出しかねない…どうやら、自分たちがやりたいことをスムースにやれる環境を整えることが地方分権改革だと、勝手に思い込んでいる」(前述:片山氏)のではないだろうか。 

 【出典】 アサート No.383 2009年10月24日

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【討論】総選挙結果について意見交換会(その2)

【討論】総選挙結果について意見交換会(その2)
               → 総選挙結果について意見交換会(その1)

<公務員政策はどうなるか>
E)国家公務員を2割カットという方向もでているけれど。
F)人員カットとセットでしょ。国と地方の二重行政の問題もある。ただし、賃下げ圧力は強まると思いますよ。
B)行政コスト削減・公務員の賃下げは、受けるんですよ。特に選挙になるとね。
C)先進国では一番公務員の数が少ないということも指摘されているし、教育費についても、少ないと言われているわけやね。
D)内需拡大の議論の中では、公務員の賃下げは全く逆効果になるんだ。大阪府は10%カットしているけれど、その逆の経済効果はかなり大きい。人勧制度では民間よりやや低めに設定されているわけで、自治体周辺の労働者、中小企業労働者への悪影響は大きいわけですね。
B)小泉も郵政選挙の時には、公務員攻撃が中心でしたね。大阪では同じ事を橋下知事が調子に乗ってはしゃいでますが。
E)現場では実感しますね。
F)もう少し意識改革しろよ、という奴もたくさんいますよ。悲しいかなね。
F)大阪市職員の「厚遇」問題・組合活動への批判を強めて、自民党の国会議員が大阪に調査にきたことがありましたね。民主党の実働部隊の労働組合を叩けという明確な意図がありましたね。それで一層公務員攻撃が強まった。一方、民主党政権になったけれども違った意味で緊張関係は残ると思いますね。官僚依存を批判してきたわけで、公と民の違った観点からの問題提起は出てくると思います。
B)民主党も地方分権を言ってますね。しかし、まだ国の行革の一環のような流れの中にある、従来型の地方分権論の域を出ていないという印象ですね。本来、地域づくりを市民と同じテーブルで議論していく、財源も含めて地域主権ということを考えているのかどうか。神野先生も、まだ上からの分権改革ではないか、と指摘されているわけですね。

<直接保障という手法について>
D)小泉は公約どおり「自民党をブッ潰した」わけですね。旧来の自民支持層であった農協や医療関係も離れた。そこを民主が取り込んだ。しかし、持続的な民主の支持層を獲得しようとする場合、それはどこに依拠しようとしているのでしょうね。
A)民主党は、今回子ども手当とか農家の戸別保障というのを言ってますね。旧来の自民党と違うのは、農協のボスにバラ撒いて仕切らせる。小泉はそれを止めた。戸別保障は農協を飛ばして、直接農家に支給しようというわけですね。ボスの中抜きをさせないでね。子ども手当も同様ではないでしょうか。労働政策分野ではまだ見えていませんが、農業分野ではそういう事ではないか。地方議会でも国の配分を自民党議員が仕切る、という構造があったのではないか。直接、市民に繋げる、という手法を取ろうとしているのではないですか。
E)まだまだ地方の民主党は足腰が弱いわけですね。特に町会や自治会というのは、地域のまとめ役的に旧来の構造が出来上がっており、補助金などもある。そこへ新しい住民が増えて、配分に対する不満も出てきている。この構造はまだまだ保守に結びつきやすく、民主がそのにどう切り込むか、というのは課題だと思いますが。市民型の自治体運営をどう実現するかということですね。
F)派遣労働への対応、農家の戸別保障問題、後期高齢者医療と各階層に矛盾が蓄積していた。その解決は民主党に委ねようというのが国民の選択だった。それに対して最初はばら撒き的な政策で繋いだとしても、旧来の構造の変革を展望しないと、また「自民党的」なものの民主党版が出てきてしまう。
B)子ども手当ですが、少子化対策が目的ですから、地方主権の立場から言えば、地方に少子化対策交付金を出して、待機児童対策や学校耐震化など各地方で有効なものを選択して実施するという方がいいと思います。

<公明党の今後は?>
F)公明は選挙協力に熱心でなかったんだね。
E)比例はお願いするが、小選挙区は手を抜いていたよ。
A)小選挙区は自民党、比例は公明党、あるいはその逆という形は徹底できる状況ではなかったようで、自公の大敗の原因はそこにもあったと思います。
F)ある選挙区を取るとね、公明の比例票の2倍を公明個人候補が取っている。それでも負けているんですが。公明は小選挙区制の下では、選挙協力がなければ当選できない。だから自公連立にこだわったわけです。それが、今回破綻して、大敗北となった。これで連立解消でしょう。参議院でも厳しいですよ。
A)政策的親和性から言うと、民主と公明はかなり重なるわけです。朝日新聞にも出てましたが。
B)本来、公明は右ではないわけです。福祉と平和が原点のはずなんですから。地方参政権の議論なども前向きですから。
D)公明も路線転換せざるを得ないでしょう。
C)路線転換で、自公連合解消となると、来年の参議院選挙は、自民党が一層厳しい立場になる。
F)自民党は、参議院選挙で惨憺たる結果になる可能性があると思います。野合はだめだけれど、利用する価値はあると思うね。

<終盤のネガティブキャンペーン>
A)今回の自民党ですが、選挙の出だしは政策で決めてくれ、と主張していたわけです。後半になったら、怪文書みたいなビラで「日教組に操られている」とか「民主党の正体」みたいな内容なんですね。証紙張ったビラですよ。昔、「共産党が当選したら土地を取り上げられる」みたいなビラを見たことがありますが、ひどい内容でした。ネットでもね。
D)政策選挙という割には、民主党のマニフェスト批判ばかりだった。
A)自民党の終盤のビラを見ていると、保守党の再生なんてないですよ。喜んでいるのはネット右翼だけですからね。今まで利益配分で維持していただけで、イデオロギーなんて付け足しだった。自主憲法制定も看板だけですよ。東西冷戦もなくなった、下野して経済の配分もできない。それでは何に依拠するのか。ひょっとしたらイデオロギー政党になる可能性もあります。
C)自民党の改憲派は、バタバタと落選しているんだ。民主党の改憲派は増えているけれどね。
E)世代交代という側面もあったね。自民党は若いのが落ちて、年寄りが復活するという逆世代交代だった。象徴的でしたね。
A)賞味期限の切れた首相経験者が通っても、しょうがないからね。

<ベーシックインカム論>
D)自民党に対する積極的否定の構造があったという議論なんです。A君が指摘した市民への直接補助という手法の問題です。やはり、低所得層が圧倒的に増えているという現実がある。高額所得を望んでいるわけではなく、ごく普通の安定的な生活や雇用を求めているわけです。高度経済成長を再び、とは思っていない。ワークシェアだとか再配分をどうするのか。まだ、明確なコンセンサスにはなっていませんし、まだまだ矛盾もたくさんある。民主党がどうリーダーシップを取れるかということでしょうか。小泉のようなヒーロー型ではない方法でね。
E)湯浅さんは、最低収入保障額を示せと言ってますね。
C)ベーシックインカム論だね。
F)私も興味を持っています。国民全員に10万円を保障すると。高い所得の人からは、税金で引きますということですね。社会保障のシステムが非常にシンプルになると同時に、低賃金の方へのインセンティブが働く。今の生活保護の最低生活費構造では、働いてがんばると保護が廃止になる。ケースワークという仕事も大変。しかし、ベーシックインカムだと非常にシンプルで、就労意欲ももっと喚起できる。
E)子ども・若者の問題は深刻ですよ。親が公務員の場合でも、子どもがフリーターなんてたくさんいます。
D)ハローワークでも高卒の場合、非正規しか職がないんですよ。
F)これだけ非正規労働者が増えると、自民党も民主党も企業ぐるみ選挙ができないわけですね。自民党も次の選挙を考えると、金儲け主義の経営者の方ばかり向いていたこれまでの政策を転換しないといかんわ。
D)その点では、連合と民主党との関係ですね。関係は薄くなってきていますね
A)だから、日教組を叩こうと、自治労を攻撃しようと、選挙に影響はなかったわけです。
D)それでも民主党が勝ったというのは、選挙が市民型になってきているという事だよ。
F)組織票が薄くなって、票が右に左に移動する傾向が強くなっているんですね。だから、明確なマニフェストの民主党の方がわかりやすかった。
C)昨日出た週刊金曜日は、今回の結果は破壊的衝動の結果であると書いていたね。
雨宮さんて言う人も、自民党と民主党が入れ替わっただけで、何も変わっていないというんだね。こういう評価がそれなりに存在している。新しい保守政権ができただけということ。
A)確かにドイツのように社民党があって、キリスト教民主同盟があってという場合ははっきりしている。イギリスも労働党と保守党がある。それ程の対立点はないにしても、アメリカに近い感じでは違いはあると思います。

<共産党の評価について>
F)時間も少なくなってきたので、共産党の評価はどうでしょうか。
D)社民・共産応援団の僕としては発言させてください。もう少し共産党は伸びると思っていました。確かな野党という言い方をしていました。健全な野党の仕事をします、というのは評価できる。さらに、全選挙区での擁立をしなかったこと。結果民主党に流れたと思います。社民党に流れるかなとも思いましたがそうではなかった。僕らは「よりまし政府」という形態を評価してきたわけで、これは評価したい。統一戦線的要素があったにも関わらず伸びなかった。
A)落ち込みを止めたという意味ではないですか。
C)票は前回より伸ばしたけれど、得票率では減少しましたね。
D)思ったより伸びなかったのが残念です。
A)都議選後のシュミレーションでは、もっと落ち込むという分析だったと思います。
C)共産党は最初から建設的野党といっており、政権交代は歓迎するという姿勢だった。
ただ、それなら反自公ということで、すべての政党に共同政策を提案するという事が必要ではないのか。

<鳩山論文の反響と評価>
C)鳩山論文について、アメリカが神経質な反論をしている。どんな内容かなと読んでみたけれど、中々いい内容です。要旨を紹介しましょう。「冷戦後の日本はアメリカ発のグローバリズムと言う名の市場原理主義に翻弄されて続けてきた。道義と節度を喪失した市場原理主義・金融資本主義に如何にして歯止めをかけるか、国民経済と国民生活を守っていくか、それがわれわれに突きつけられている。」「今回の世界経済危機は、冷戦終了後、アメリカが推し進めてきた金融資本主義・市場原理主義によってもたらされたものである。」とはっきり言っている。これにアメリカが反論しているわけです。
「友愛というもうひとつの国家目標は、東アジア共同体の創造であろう。日米安保体制は日本外交の基軸であり続ける。しかし、同時にわれわれはアジアに位置する国家のアイデンティイを忘れてはならない。世界はアメリカ一極支配の時代から多極化に進むであろう。覇権国家であり続けるアメリカと覇権国家たらんとする中国の間の狭間で、国際協力の構築をめざすことが必要である。そのためには各国の過剰なナショナリズムを克服し、国際協力と安全保障のルールを創り上げるべきであり、それが東アジア共同体の道であろう。」
 これにアメリカは過剰反応をした。日本は離れていくのではないか、という事だろう。
E)アメリカと対等だ、という主張は、アメリカにとって脅威と映るのだろうか。
C)現在は、すこし修正にかかっているけれどね。
D)アメリカ側の日本理解も不十分なところがあって、一面だけでの過剰反応だろうね。ただ、この間の鳩山・オバマの電話会談の内容が気になりますね。就任前ということで、誰も聞いていないし、内容も公表されていないから。
E)ブッシュよりはましでしょう。
B)ブッシュ・小泉の時代に、アメリカから年次改革要望みたいなものがありましたね。金融や保険業などについて、開放要求がこれまでありましたが、それはどうなるのかな。
C)あれは正に金融資本の対日要求ですね。郵政民営化もそうだった。今回、新政権はそれを止めようとしている。オバマ政権も経済の復活を金融資本に頼っている側面もあるわけだしね。

<小沢・鳩山の献金問題>
D)ギリギリまで心配していたのが、謀略や政略の類ですね。誰かが逮捕されるとかね。それはなかったわけです。そこでアメリカとの関係で、戦後の松川事件や、近くはロッキード事件の田中角栄逮捕も起こったという説もあるわけです。民主党の鳩山や小沢が脛のに傷がないわけでもないわけで。
C)実は検察は、小沢関連をしつこく調べているらしい。後、鳩山については起訴にもっていく方針のようです。
D)小沢の件は、政治資金規正法で言えば、記載漏れに近い問題で、略式起訴か罰金で済む話ではなかったのか。秘書逮捕までいきましたからね。
C)改めて小沢関係は下請けまで調べているようです。検察の面子もあるでしょうし。

<アジアと鳩山政権>
E)中国との関係はどうなるのだろう。
D)アジア諸国の首脳は、一様に歓迎ということですね。
C)東アジア共同体構想の前に、鳩山はアジア共同体というのを言っている。それを中国は支持していた。中国も鳩山を歓迎している。
E)靖国に参拝しない、国立の慰霊施設構想も出しているしね。
F)麻生も靖国にはいかなかったね。
A)彼はクリスチャンですからね。サミットでローマ法王と会えてうれしかったと言ってますよ。

<オバマとアフガン問題>
F)次は、アフガン問題ですね。
A)アメリカは、アフガンに自衛隊はいらないと言ってますけれど。
C)前原は、昨日のNHK番組で「アメリカからいろいろ言われても私達は独自に判断します。違った貢献があります。」と発言している。軍事とは違う方法の事だろう。
 前原が属していた日米文化交流協会という軍事産業の関係団体があった。事務局長が逮捕されたね。会長が久間だった。歴代防衛庁長官が名前を連ねていた。前原だけ入っていた。ところが全員今回の選挙で落選してしまった。前原からも事件のあと辞任していて、軍需産業の請負団体がその体をなさなくなった。前原も路線転換を余儀なくされている。
E)オバマは、アフガンへの介入を続けるのだろうか。
A)イラクの場合は実は根拠がなかった。大量破壊兵器ね。9・11もあり、実行犯のアルカイダをタリバンが囲っていた、という根拠もある。テロとの戦いという根拠はアメリカには残っている。
D)まだネオコン構造は強固に存在しているんじゃないのか。
A)オバマはF22の製造を止めましたね。アメリカの軍需産業にとっては決定的な事だと思います。政府として調達を中止した。
F)グリーンニューディール政策とかね、軍事産業依存から変化が出ているわけね。
A)あと、核軍縮をやれば決定的になりますね。

<民主党政権下で何をめざすか>
F)いよいよ民主党政権が始まりますが、その間に何を創りだすかですね。労働組合も既得権維持団体から、もっと大きな構想を持つ必要がある。どうチェンジできるか。
D)それは大きい問題です。A君が言った市民に直接繋がる民主党の政策には同感です。ただ、日本の労働運動を考えた場合、企業別・大企業中心の連合運動が一応、政権与党の立場にいる。しかし、圧倒的多数は非正規雇用なわけですね。これを吸収しないとダメですね。連合はある場面では政権を敵に回す覚悟がいるわけですね。同一労働同一賃金・ワークシェアリングも連合はまだ本気じゃない。非正規労働者の組織化を考えれば、まだまだ「保守的」なんですね。まだまだ贖罪的取り組みで本流になっていない。労働運動が後退して民主党が伸びるということが本当にいいのか。
E)旧来型労働運動の腐った部分もある。保守的な構造もある。そこを変えないとだめ。へたをすると反動勢力になる危険性もある。
C)田中康夫は、同じ主張で労働組合を攻撃していたね。それでも当選するわけでしょ。
労働組合官僚主義反対とね。
E)それは言いすぎだけれど、そういう面もある。
F)連合の構造で言えば、旧同盟系は小沢と繋がっている。また、派遣労働法案の時も連合は企業寄りの消極的な傾向だった。
D)今、ある意味でかきいれ時なんですよ。ユニオンも個別対応型で限界がある。民主党が市民と直接繋がる方向であるとすると、労働組合もさらに裾野を広げる取り組みをする必要があると思います。
E)企業内だけじゃなく市民との繋がりということですか。新しい運動形態を考える必要がある。大きな力・資源もあるわけだからね。
D)公務員労働者を入れても組織率20%を切っている。連合に期待することは大事だけれど、かなり限界という気がしますね。ユニオンの裾野をどう広げるか。湯浅さんのやっている方向はかなり参考になると思います。
E)連合のNPOとか、ユニオンとも湯浅さんところとも連携はしてますよ。
D)反貧困ネットは、共産党系とも連合とも等距離外交のスタンスですね。
A)田中康夫も新党日本ですが、ベーシックインカムを言ってるわけです。最低所得保障ですね。これをやったら、じかに政権と労働者が結ばれるわけですね。実現できるかどうかわからないけれど。

<少子化対策について>
B)あくまでも政権交代も手段なんで、どんな国家戦略を立てるか、なんです。もう人口増はないわけです。人口減少を前提に、どんな社会をつくるのかが問われている。
D)本当に少子化を止めなければいけないのか。
E)少子化は社会の問題と捉えるべきです。女性の地位や賃金が高い国では少子化は止まっているわけですね。高度経済成長や人口増加をめざす必要はない。制度を変えることによって、維持できると思います。
B)経済成長のための少子化対策ではなく、多様性を実現するための政策は必要です。
D)社会の問題としての少子化問題はある。ただ、ある程度成熟した社会になると人口増は抑制されてくる。今言われている少子化問題では、このままで減少が続くと労働力不足になるという議論ですね。僕は完全雇用が達成されていいじゃないかと思うわけです。しかし、経営側は違う。競争原理が働かないと困ると思ってるわけで、そこは区別する必要がある。
A)選挙中に麻生が金がないなら結婚するな、と言いましたが、わかりやすく自民党の政策を表現してくれました。(終) 

 【出典】 アサート No.383 2009年10月24日

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【投稿】鳩山新政権—-三党連立政策合意の重要性

【投稿】鳩山新政権—-三党連立政策合意の重要性

<<「君子豹変」を求める各紙>>
 戦後初めての政権交代が現実となり、民主・社民・国民新党連立の鳩山新政権が船出した。自民党主導の自公連立政権の政権たらい回し、そして何よりも小泉政権以来、露骨に推し進められてきた規制緩和と、セーフティネットの破壊、弱肉強食の市場原理主義が、そして徹底した対米追随主義が、圧倒的多数の有権者の選択によって明確に拒否されたのである。その意味では、自民党一党支配体制が崩壊した今回の政権交代は、歴史的意味を持つ変化と評価することができよう。これが見せかけの、あるいは一時的な、底の浅い変化に過ぎないものとなるか、歴史的意味を持つ変革となるかは、この市場原理主義と対米追随主義路線からいかに決別できるかにかかっているといえよう。
 事態の劇的変化に慌てふためき、驚きを隠さない大手メディアはいっせいに警戒と懸念を表明し、投開票翌日には「維持されるべき日本政治の方向性とは、日米同盟を基軸とした外交・安保政策の継続であり、構造改革の推進により経済や社会に活力を取り戻すことにほかならない。民主党が現実的な判断に立ち、これらを継承することができないなら、何のための政権交代かということになる」(8/31、産経・主張「民主党政権 現実路線で国益を守れ 保守再生が自民生き残り策」)と主張し、9/1の読売社説「政権移行始動 基本政策は継続性が重要だ」は、「政権交代によっても、日本の対外関係の基本に変化がないことを、各国首脳に伝え、信頼関係を築くことが大切だ」「(沖縄)普天間飛行場の移設見直しは、日米合意を破棄するに等しく、同盟関係を損なうのは必至だ」「非核三原則について『法制化を検討』し、三原則のうち『持ち込ませず』を明確化する……とも語っている。これでは米軍の核抑止力を否定していると受け止められてしまうのではないか」と深刻な懸念を表明し、同紙は9/17付社説においても「インド洋での海上自衛隊の給油活動について、首相は『来年1月の期限を単純に延長することはない』という。それなら、『単純な延長』以外の方法で、活動を継続する道を探るべきではないか」「普天間飛行場の移設など在日米軍再編は、日米合意を着実に実施することこそが、沖縄など地元自治体の負担軽減の近道である」と書く。
 さらに9/2の日経・社説に至っては、「鳩山政権は対米政策で『君子豹変』せよ」と題して、「鳩山政権に対する最も深刻な不安は、外交政策とりわけ対米関係をめぐるそれである。民主党が野党時代の態度を貫けば、不安は現実になるだろう。鳩山政権にとり『君子豹変』は不可避であり、私たちはそれを求める」「日米関係に否定的な影響を与える問題が少なくとも4つある。第一に、インド洋での海上自衛隊による給油活動反対である。第二に、沖縄の普天間基地の県外移設を求めた点である。第三に『思いやり予算』への反対である。第四に、日米地位協定の改定を求めた点である」として、「君子豹変」を求める事態である。

<<「決別」の危険性>>
 そして当のアメリカにおいてもさまざまな懸念が表明された。鳩山民主党代表が、PHP研究所の月刊誌『Voice』9月号に寄稿した論文「私の政治哲学」の抜粋英訳が、8/27付けニューヨーク・タイムズ電子版に掲載されたのであるが、この論文に対して米紙ワシントン・ポストは9/1付の社説で、鳩山氏が東アジアに軸足を置いた外交政策を目指していることに触れ、「日本が米国との決別を模索すること」は「核を持った北朝鮮の脅威」に直面する日本と周辺地域にとってあまりに危険だと主張、さらに民主党が「元自民党員と元社会主義者、社会活動家の混合体」であり、実権を握るのは「元自民党のボス」の小沢一郎氏だと指摘、民主党が政権公約に掲げた高速道路無料化や子ども手当については財源が不明確だと批判、国内農業の保護を掲げている点にも不安を表明し、ついで鳩山氏が米国の「市場原理主義」を批判しており、沖縄に駐留する米海兵隊の問題などでオバマ米政権と交渉の余地はあるとした上で「決別」の危険性を訴え、米政権はそれを許してはならないとまで主張したのである。
 同じく9/2付け米紙ニューヨーク・タイムズは、「米オバマ政権内で、鳩山代表の外交姿勢に対する懸念が高まっている」として、複数の米政権高官が「アフガニスタンでの戦いといった米国の優先課題や、アジアでの米軍再編などの問題で、米国を支えてきた立場から日本が離れていってしまうのではないか」との懸念を抱いていると紹介、ある高官の「予測不可能な時代に入った」などとする発言を引用しながら、「今回の投票が、米国への長年続いた依存関係から日本が離れようとする、より根本的な変化の予兆なのかどうか、大きな疑問がワシントンにある」とし、オバマ政権が「民主党が勝利したことで、この数十年間で初めて、全く未知の日本の政権、それも、米国への歯にきぬ着せぬ批判をすでに表明した政権に対応しなければならなくなった」と指摘している。
 こうした報道と関連して、米国務省のケリー報道官が総選挙直後の8/31、「米政府は普天間飛行場の移設計画や在沖縄米海兵隊のグアム移転計画について、日本政府と再交渉するつもりはない」と突き放し、また9/9には、米国防総省のジェフ・モレル報道官が記者会見のなかで日本の新政権に対して、インド洋での給油活動の継続を促す発言を行ったりしている。
 こうしたアメリカ側の懸念に、9/11付け読売は、「米が本音をぶつけてきた」、「新政権は大丈夫か」と鳩山新政権を脅し、対米追随の継続を強要しようとしているが、オバマ政権自身がこれまでのブッシュ路線からの「チェンジ」の過程にあり、路線転換を模索している現実を認識すべきであろう。その意味では、米国務省のキャンベル次官補が9/2のワシントンでの講演で「日本が自立志向を持つのは当然のことだ。日米同盟と何ら矛盾するものではない」と強調、民主党が「対等な日米同盟」を掲げていることを念頭に、「主体性は不可欠」であり「米国は支持する」と力説し、冷静な対応を明確にしていることをこそ評価すべきであろう。

<<「私の政治哲学」>>
 ニューヨーク・タイムズ紙に抜粋・紹介された問題の鳩山論文「私の政治哲学」は、以外に基調は明確であり、政権交代の意義を明確にしており、市場原理主義路線からの転換、東アジア地域での恒久的な安全保障としての「東アジア共同体」、地域的な通貨統合としての「アジア共通通貨」の実現を目標として設定し、民主党のマニフェストそのものよりもあいまいさがないとも言えるものである。
 同論文は冒頭で、「冷戦後の日本は、アメリカ発のグローバリズムという名の市場原理主義に翻弄されつづけた。至上の価値であるはずの「自由」、その「自由の経済的形式」である資本主義が原理的に追求されていくとき、人間は目的ではなく手段におとしめられ、その尊厳を失う。金融危機後の世界で、われわれはこのことに改めて気が付いた。道義と節度を喪失した金融資本主義、市場至上主義にいかにして歯止めをかけ、国民経済と国民生活を守っていくか。それが今われわれに突きつけられている課題である。」と述べ、鳩山氏持論の「友愛」について、「この時にあたって、われわれは自由の本質に内在する危険を抑止する役割を担うものとして、フランスのスローガン「自由・平等・博愛」の博愛=フラタナティ(fraternite、友愛)の理念に立ち戻らなくてはならない。現時点においては、「友愛」は、グローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統の中で培われてきた国民経済との調整を目指す理念と言えよう。それは、市場至上主義から国民の生活や安全を守る政策に転換し、共生の経済社会を建設することを意味する。」と述べたものである。
 そして今回の世界経済危機は、「冷戦終焉後アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義の破綻によってもたらされたものである。」と指摘し、「日本の国内でも、このグローバリズムの流れをどのように受け入れていくか、これを積極的に受け入れ、全てを市場に委ねる行き方を良しとする人たちと、これに消極的に対応し、社会的な安全網(セーフティネット)の充実や国民経済的な伝統を守ろうという人たちに分かれた。小泉純一郎政権(2001-2006)以来の自民党は前者であり、私たち民主党はどちらかというと後者の立場だった。」と述べている。
 さらに同論文は、「冷戦後の今日までの日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を破壊し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程と言っても過言ではないだろう。郵政民営化は、長い歴史を持つ郵便局とそれを支えてきた人々の地域社会での伝統的役割をあまりにも軽んじ、郵便局の持つ経済外的価値や共同体的価値を無視し、市場の論理によって一刀両断にしてしまったのだ。」と明確に主張している。
 問題の「東アジア共同体」については、「「友愛」が導くもう一つの国家目標は「東アジア共同体」の創造であろう。もちろん、日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづけるし、それは紛れもなく重要な日本外交の柱である。同時にわれわれは、アジアに位置する国家としてのアイデンティティを忘れてはならないだろう。経済成長の活力に溢れ、ますます緊密に結びつきつつある東アジア地域を、わが国が生きていく基本的な生活空間と捉えて、この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力を続けなくてはならない。」「われわれは、新たな国際協力の枠組みの構築をめざすなかで、各国の過剰なナショナリズムを克服し、経済協力と安全保障のルールを創りあげていく道を進むべきであろう。ヨーロッパと異なり、人口規模も発展段階も政治体制も異なるこの地域に、経済的な統合を実現することは、一朝一夕にできることではない。しかし、日本が先行し、韓国、台湾、香港がつづき、ASEANと中国が果たした高度経済成長の延長線上には、やはり地域的な通貨統合、「アジア共通通貨」の実現を目標としておくべきであり、その背景となる東アジア地域での恒久的な安全保障の枠組みを創出する努力を惜しんではならない。」と結んでいる。三党連立政権が、本来目指すべき当然な主張が展開されていると評価できよう。

<<社会民主党、国民新党の存在意義>>
 民主党が、今回の総選挙にあたってのマニフェスト政策各論の7「外交」政策において、「日本外交の基盤として緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす」「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」と明記されていたものが、さらに9/9の「連立政権樹立に当たっての政策合意」では、「主体的な外交戦略を構築し、緊密で対等な日米同盟関係をつくる。日米協力の推進によって未来志向の関係を築くことで、より強固な相互の信頼を醸成しつつ、沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」とより明確化されている。
 さらにこの三党の「政策合意」では、「中国、韓国をはじめ、アジア・太平洋地域の信頼関係と協力体制を確立し、東アジア共同体(仮称)の構築をめざす。」ことが明記され、「包括的核実験禁止条約の早期発効、兵器用核分裂性物質生産禁止条約の早期実現に取り組み、核拡散防止条約再検討会議において主導的な役割を果たすなど、核軍縮・核兵器廃絶の先頭に立つ。」ことを明らかにし、さらに「唯一の被爆国として、日本国憲法の「平和主義」をはじめ「国民主権」「基本的人権の尊重」の三原則の遵守を確認するとともに、憲法の保障する諸権利の実現を第一とし、国民の生活再建に全力を挙げる。」ことが明記されている。
 とりわけこの最後の「憲法」に関する項目での政策合意はきわめて重要であるといえよう。これは民主党のマニフェストにはなかったものであり、選挙前の三党の共通政策で確認されていた憲法三原則の遵守をさらに明確化し、「憲法の保障する諸権利の実現」と「国民の生活再建に全力を挙げる」ことが盛り込まれたのである。
 そして国内政策の基本路線に関して、市場原理主義を支持する民主党議員が相当多数存在していたことからすれば、また、この「市場原理主義」についてあいまいであった民主党のマニフェストからすれば、この三党連立「政策合意」は、冒頭、「小泉内閣が主導した競争至上主義の経済政策をはじめとした相次ぐ自公政権の失政によって、国民生活、地域経済は疲弊し、雇用不安が増大し、社会保障・教育のセーフティネットはほころびを露呈している。」として市場原理主義を拒否する姿勢を明確にした意義は大きいといえよう。その上に立って、この「政策合意」は、「連立政権は、家計に対する支援を最重点と位置づけ、国民の可処分所得を増やし、消費の拡大につなげる。また中小企業、農業など地域を支える経済基盤を強化し、年金・医療・介護など社会保障制度や雇用制度を信頼できる、持続可能な制度へと組み替えていく。さらに地球温暖化対策として、低炭素社会構築のための社会制度の改革、新産業の育成等を進め、雇用の確保を図る。こうした施策を展開することによって、日本経済を内需主導の経済へと転換を図り、安定した経済成長を実現し、国民生活の立て直しを図っていく。」ことを明らかにしている。
 民主党単独ではなく、連立政権としての鳩山新政権、社会民主党、国民新党の存在意義が確認されたものともいえよう。今回の総選挙における有権者の選択が共産党をも含めた少数野党の抹殺ではなく、その意見と政策が反映される政治の仕組みをも要求した結果でもあるといえよう。
 すでに矢継ぎ早に各種の政策転換が表明されているが、これらを空回りさせず、着実に実績を積み重ね、現実化していくには山あり谷あり、さまざまな壁に直面せざるを得ない現実からすれば、試されている第一は民主党であるが、同時に連立に参加した社会民主党、国民新党が試されており、また共産党、公明党、自民党も試され、岐路に立たされているといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.382 2009年9月25日

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【投稿】 オバマ「核なき世界」は倫理なき世界か

【投稿】 オバマ「核なき世界」は倫理なき世界か
                             福井 杉本達也 

<「道義的責任」という言葉によって問題の核心が闇に>
 オバマ大統領は今年4月5日チェコの首都プラハに置いて、「核なき世界」の演説を行った。また、この9月24日に安保理首脳級会合での決議をめざすとしている。オバマ大統領のこの演説に対し、日本のマスコミはこの間好意的に報道し、共産党までもが歓迎しているがはたしてそうか。演説の骨子は①米国は核兵器のない世界に向けた具体的な措置を取る。ゴールにはすぐにはたどり着けない。②国家安全保障戦略における核兵器への依存度を下げ、他国にも同調を促す。③米国は核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的責任がある。④米国、ロシアの戦略核をさらに削減する新条約を今年末までにまとめる。⑤包括的核実験禁止条約(CTBT)批准に向けまい進する。⑥核兵器原料の生産を禁止する「兵器用核分裂物質生産禁止(カットオフ)条約」の交渉開始を目指す。⑦核拡散防止条約(NPT)体制強化。⑧「核燃料バンク」を支持する。⑨北朝鮮が長距離弾道ミサイルへの国際連携による強い対応。⑩イランに関与していく。⑪チェコやポーランドはミサイル防衛(MD)計画を進める。⑫テロリストが絶対に核兵器を入手しないようにしなければならない。⑬米国は1年以内に「世界核安全サミット」を主催する。などである。このうち、日本のマスコミ等が特に注目したのが③の「道義的責任」である。英文は「the United States has a moral responsibility to act」というものであるが、「moral」という便利な言葉によって問題の核心が覆い隠されてしまった感がある。
 米国は人類史上初めて核兵器を開発し、使用し、現在もなお大量に保有し続けている事実がある。広島・長崎に対する原爆の投下は国際法違反である。「核兵器は戦闘員と文民を区別しない無差別大量破壊兵器であり、国際人道法上認められない非人道的な兵器である」(民主党:「核政策」)。米英は第2次大戦末期の1945年2月13~14日に行ったドイツ・ドレスデン無差別爆撃について(映画『ドレスデン 運命の日』2006年:ローランド・リヒター監督に詳しい)1995年に和解行為を行ったが、広島・長崎については何らの動きを示していない。

<自らの核戦力・通常戦力を棚に上げて、他国を非難する不正>
 また、米国は核兵器を削減しても、圧倒的な通常戦力を保有している。古く管理がしにくい核兵器を処分し、通常戦力によって相手を圧倒しようとうと考えているとしても不思議ではない。核兵器は貧乏国家の兵器という言い方があるが、敵国(仮想敵国)との経済的・技術的格差が極めて大きく、国家の存亡がかかっていると判断した場合、核兵器を一発逆転の兵器として使おうとするものである。1964年の中国の核実験などがこれに当たろう。麻生内閣時の4月27日、中曽根弘文外相は「ゼロへの条件――世界的核軍縮のための『11の指標』」なる演説をおこなった。オバマ演説に便乗したものだが、「米国とロシアの間での安全保障上の核兵器の役割は大幅に低下してきました。両国は、第一次戦略兵器削減条約及びモスクワ条約により配備された戦略核弾頭数を大きく削減してきました。イギリスとフランスも透明性のある形で核兵器削減を行ってきています。しかし、中国の戦略的方向性は不透明な一方、核軍備の近代化を進めており、これまで核兵器削減に取り組んでいません。また、情報開示を一切行っていません。」と中国が核軍拡を進めていると名指しで非難し、その後「中国及びその他の核保有国による核軍縮」との章を設け「中国及びその他の核保有国による核軍縮です。中国とその他の核保有国が、軍備の透明性の向上を図りつつ、核兵器削減を含む核軍縮措置を行うことが、世界的核軍縮の前進のために必要不可欠です。また、これらの国々が、米国とロシアが核軍縮努力を行っている間においては、核軍縮の機運に逆行するような、ミサイル等の運搬手段を含む核兵器開発を凍結することが必要です。」と述べている。しかし、米ロは世界の核兵器の約95%・25,000発(核軍縮交渉の対象となる戦略核だけでも、アメリカが5,576発、ロシアが3,909発(米国務省調べ、今年1月現在))もの核兵器を保有しており、これを大幅に削減したところで、核戦力の圧倒的優位は動かない。どうして問題が「中国」なのか。中曽根外相の演説にはひいきの引き倒しで、オバマ演説が隠している自らの不公正さを“素直に”表現しているといえる。中国の核保有を弁護しようとするものではないが、中国の核戦略で他の保有国と大きく異なる点は「先制不使用」を宣言していることである。他国から核攻撃を受けない限り、自分から先に核兵器は使わないと公約している。

<オバマ政権の性格>
 そもそも、オバマ政権はどのような政権なのか。中田安彦氏著の『アメリカを支配するパワーエリート解体新書』(PHP研究所:2009.9.1)に詳しいが、国家経済議長のローレンス・サマーズ、財務長官のティモシー・ガイトナー、大統領経済復興諮問委員会のポール・ボルカーなどの超有名人の顔ぶれからも軸足は明らかに金融資本にある。ゴールドマン・サックスなどの金融資本を後ろ盾として政策を進めていると見ることが自然であろう。ブッシュ前大統領のネオコン=軍産複合体をバックとした極めて侵略的な政策ではないものの、雲の上のごく一握りの階級層を代弁していることに違いはない。金融資本は必ずしも侵略的でないとはいえない。金融資本は戦争の両当事者に金を貸し付けてぼろ儲けする。戦争行為を煽ることが資金運用の手段である。ケインズには申し訳ないが「軍事ケインズ主義」という言葉もある。オバマ政権が今後どのような政策を取ってくるかは、金融危機の今後の推移とのかね合いもあり、まだ、輪郭ははっきりとしない。必ずしも核軍縮を進めるとはいえない。

<歓迎すべき東欧へのMD配備の中止>
 ところで、オバマ政権は9月22日以降の米ロ首脳会談に先立って、チェコ・ポーランドへのMD配備を中止することを17日に決定した(朝日・日経等各紙:2009.9.18)。東欧のMD網は明らかにロシアを核戦略の標的にしたもので、この12月に期限を迎える第1次戦略兵器削減条約(START1)の後継条約交渉の最大の障害になっていたものであり、歓迎すべきものである。なぜ、この時期に中止を発表したのかであるが、まず、アフガニスタンの大統領選の結果が不透明であり、カルザイ政権の正当性がさらに疑われる事態となっており、軍事作戦でも米・NATO軍は苦境に陥っている。パキスタン側からの補給路は不安定化しており、どうしても7月6日に首脳会談で合意したロシアルートに頼らざるを得ない。第2に米国からの資本の逃避が進みつつあり、ドル危機が顕在化しつつあることがあげられる。9月8日、金は1トロイオンス:1,000ドルを突破し、中国は自国で産出した金を外貨準備に組み入れ、金準備を1,054トンと一気に8割近く増やし、ドル資産の分散に動いている(日経:2009.9.17)。ロシアの今年7月末の米国債保有残高は1180億ドルと世界第7位となっており、米国としてはドル資産からの逃避は避けたいところである。

<核軍縮に向けての日本の役割>
 麻生内閣までの自民党政府は核軍縮を唱えながら、日本を米の『核の傘』の下に置いていた。自らは持たずとも米国の核で日本を守ろうとするのであるから、核戦略の一環である。日本に配備したMD網はどう説明するのか。日本国内に核弾頭はなくとも明らかに米国の核戦略の一環を構成している。北朝鮮の弾道ミサイルへの対応というのは口実に過ぎない。現実は中国の弾道ミサイルへの対応であり、ロシアの核攻撃に対処するものである。ロシアが東欧配備ほどに日本のMD網に厳しい態度を取らないのはモスクワからあまりにも遠いからに過ぎない。オバマ演説が本当に核軍縮を進めるのであるならば、核の先制不使用を提案すべきである。そうすれば、米国は北朝鮮の核にコミットすることも、イランにコミットすることもない。オバマ演説からはまだ核の恫喝を放棄する確固とした意志は感じられない。民主党の岡田克也外相は幹事長時代の5月20日に、日本は米国に対し、核兵器の先制不使用と非核保有国への核兵器使用禁止を働き掛けるべきだとの考えを表明しており、民主党政権下での日本の役割に期待したい。 

 【出典】 アサート No.382 2009年9月25日

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【討論】総選挙結果について意見交換会(その1)

【討論】総選挙結果について意見交換会(その1)

 歴史的選挙となった第45回総選挙。政権交代が実現した歴史的な選挙となった。選挙直後の9月6日、在阪の編集委員が集まり、恒例の意見交換会を開催しました。以下は、それをまとめたものです。(文責:佐野)
 
 恒例の意見交換会を開催します。歴史的な政権交代選挙となったわけですが、まず、それぞれの感想から始めたいと思います。
 
<公明党の大敗も大きな特徴点>
A)思った通りの結果でしたが、民主が290くらいまでかな、とも思ってました。320まではちょっとね。300越えればすごいということでしたが、結果は308議席ということですね。自民党が減るのは当然としても、公明党があそこまで大敗するとは考えてなかったです。非常に良いことなんですが。公明党が負けたということが印象的な選挙でした。

B)これまでは、民主党候補の事務所にお手伝いにいく程度だったのですが、今回は力を入れまして、推薦はがきをPTAの人脈などにお願いしてみたんです。その反応がすごくよかった。前の会長は創価学会のバリバリだったんですが、その人ですら、もう自民党ではやってられん、と言うわけですね。自民党と連立している矛盾が公明内部にもかなり広がっていることを感じましたね。比例はアカンで、ということでしたが、理解もしてくれました。要因はいろいろ言われてますが、自分の周りは新興の住宅地で、暮らし向きもそこそこと思っていたんです。でも、経済状況の影響は厳しくて、パート仕事を増やしたとか、教育費が大変、など住民の実感もかなり変化していたわけですね。子ども手当や高校無料化など受けていたと思います。昨日の朝日新聞ですが、高橋源一郎氏ですか、「これまで、自民党が家父長制の中で、親父であって、国民は妻であった。我慢していた妻だったが、前回の小泉郵政選挙があって、これなら離婚できると考えた。妻は気づいて今回親父に離婚届けを突きつけた。」との指摘をされていた。
 老人政治家達の敗退を見て、私もそう同感ですね。

<小泉劇場とは質的に違う>
C)前回は「小泉チルドレン」で、今回は「小沢チルドレン」と報道されています。前回は、確かに劇場型選挙と言われた状況があった。しかし、今回は、日本のあらゆるところ、都市部でも地方でも、国民諸階層の中で市場原理主義の破綻が明らかになっていたわけですね。社会保障を毎年2000億円削減するとか、派遣切りに代表的なように社会のセーフティネットが崩壊している状況があった。昨日の自民党の会議では、茨城の代表が言うわけですが、白衣を着た医者や看護師が民主党の宣伝をしていた。2000億を減らして勝てるはずがないと。前回の劇場型とは質的に違う社会的広がりがあって政権交代が起こったと考えるわけです。
D)この会議ではいつも選挙制度を問題にして発言しています。中選挙区論者なんですが、ただ今回の選挙は中選挙区で計算しても比較第1党は民主党になるんです。公明党については、公明党らしさを失って、政権に擦り寄って協力してきたという点で、自民党以上に批判が強かったと考えるべきだと思いますね。私の投票ですが、小選挙区は民主党に、比例区は社民党に入れたわけです。民主党は、西村慎吾などもかつていたように、極右も存在し、社会党系も存在している党です。これを右振れさせないためにも社民・共産にもう少し伸びてほしいという思いがありますた。結果的には現状維持という結果でした。小沢チルドレンという表現はマスコミが作った表現であって、前回の小泉の時は、なかなかうまい命名だと思ったわけです。しかし、今回は、小泉のようなヒーローはいなかったわけで、敢えて言えば民主党旋風だった。今後の政権ですが、この多数政党がまとまって構造改革ができるかどうかが焦点になると思います。小泉の時は単純で「官から民へ」というだけだった。経済で言えば、内需拡大であろうし、所得再分配での消費拡大だろうと。水が土に染み込んで溢れるには時間がかかるわけです。国民には「待つ」という一定の辛抱が必要でしょうし、民主には「団結」を維持するという試練もあると思います。

<「自民党的」なものへの拒否行動>
E)民主党がここまで勝つとは思っていませんでした。小選挙区制恐るべしというところですね。私の周りでも中小企業の社長さんなど、本来は自民党のはずなんですが、今回は自民党には入れられないという状況は確かにあったわけです。大企業の営業マンや農業をしている人にも同様の空気を感じていました。自民党はひどすぎた。民主党が勝ったというのはいいんですが、ちょっと不安な面も強い。自治体にいるわけで、後期高齢者医療の廃止だとか、仕事上の混乱も予想されるわけです。
F)思い越せば1996年の民主党結成以来ですね、政権交代可能な政党を作ろうと労働組合も議論に参加してきたわけで、10数年で政権交代を実現したという感慨はあります。小選挙区制への選挙制度改正も、政権交代がしやすいという意味がありました。しかし、今回の政権交代は、イギリスの労働党と保守党、アメリカの民主党と共和党という2大政党制における政権交代とは違う様相が出てきている。ひょっとしたら自民党が消滅する可能性が否定できないのではないか。「自民党的」なものが維持できなくなってきている。次の選挙で自民党が返り咲く可能性は極めて低いのではないか。民主党が政権を握った以上、2回程度の予算編成・執行ができたら、「自民党的なもの」を無くすことが可能になるのではないか。単なる政権交代で終わらない可能性について見て行きたいと思います。
 自民党ですが、負けても爽やかさがない。情けないくらい。一方の公明党は代表・幹事長ともに落選して、今後どうなるか。
 そこで民主党ですが、残念ながら地方議会では圧倒的少数という現実がありますね。ここで政権与党だと天狗になる人も出てくる。
 予算の問題ですが、補正予算をめぐっては、地方自治体で大変なことになると思っています。政策を変更するわけですから、後期高齢医療、生活保護の母子加算、障害者自立支援法の関連など。マニフェスト選挙でしたから国民への説明はわかりやすくなりましたね。自民党的な構造から、次の「民主党的」な構造がどうなるか、というとですね。
 
<3党連立協議の行方>
F)民主党と社民党・国民新党との連立協議については、安全保障問題で対立しているかのように報道されていますね。しかし、私は落ち着きどころがあると感じています。
C)時間的余裕を持った内容とする方向のようです。阿部知子という人も非常に柔軟な人で、なかなかしっかりした人物のようですね。小児科医で、以前からメールマガジン「かえるニュース」を出していて、見ているわけですね。臓器移植法の時も対案を用意してがんばっていましたね。
F)小選挙区で社民党は3議席を獲得しているわけですが、すべて民主党推薦です。選挙調整ができていて当選した経過がある。沖縄・大分・大阪8区です。スタートから調整すみですね。さらに、参議院選挙が来年ありますからね。それまでは、参議院過半数が必要という民主党の計算もある。
C)沖縄では、自民の衆議院議員はゼロになりました。彼等はすべて基地の県内移設派でした。自民党の参議院議員だけが県内移設派となった。民主党のマニフェストでは、アメリカと交渉するとなっていますが、決して簡単ではない。米国務省は直ちに反応して、再交渉はないと明言した。来年の参議院選挙では、県内移設派の自民党議員を落とすことが必要であろう。その中に社民党がいるということは重要な事だと思いますね。
F)福島代表が入閣と報道されているし、国民新党は郵政改革で総務大臣をと要請しているようです。

<民主党政策の財源論について>
D)不安はあるでしょうね。中小企業対策はどう変わる–民主党の政策について、などど研修会を宣伝すればたくさん参加するでしょう。みんなちょっと不安に思っているからね。まだ見えていない部分がある。公務員についても国家公務員の人件費2割削減なども含まれていて、戦々恐々というところではあります。
E)でも、実際のところ公務員にはどんな影響が出るのかな。また、財源論も議論になっていたけれどね。
F)財源論だけれど、北沢栄という人が「亡国予算」という本を出しています。特別会計のからくりを明らかにした内容です。そもそも一般会計と特別会計の2本立ての国家予算構造は日本だけのようです。一度も執行されたことのない外為基金とかね。天下り先を作っているようなもので、もっと財政状況を公開させていけば、かなりの財源が温存されていると見ていいと思います。
B)財政再建が至上命令の自治体の立場から言えば、それは臨時的なものになりますね。経常的な歳入の必要があると思います。臨時的利用はできたとしてもね。ただ、自民党はそれを温存していたわけで、手をつっこんでみることは政権交代で可能になった。
C)確かに財源論は、選挙の焦点になった。ただ、民主党も明確な内容を示した経過はない。ところが、それが選挙行動のマイナス材料となったかというと、そうではなかったんだね。世論調査でも、民主に投票した人の84%が財源論について信用していないと答えている。それでも、自民党には退場していただこうという結論だった。
E)子ども手当にしても高速道路の無料化にしても反対意見の方が多数というんですね。それは財源論に対する不安があるからでしょう。

<高速道路無料化問題>
D)高速道路料金は安い方がいいわけですが、時間とともに輸送経費などが縮小して経済効果が出てくるという面は否定できないです。民主党もそういう説明はしている。最近のマスコミの流行でね、わかりやすさを求める傾向が強い。民主党の話も十分に説明されると、なるほどという事が多いのも事実ですね。
C)高速道路問題はまさに典型ですね。反対派は環境を悪化させる、渋滞が起こる、など重大な問題だと批判している。だから、これも段階的実施にならざるをえないと思いますね。
A)首都高速と阪神高速は除外と最初から言ってるし、地方から段階的に進めるようですが。実際に、琵琶湖の西を走っている湖西道路は有料から無料になりましたが、渋滞は起きていませんしね。車も増えていない。どこの道路を無料化するか、という点ですね。
C)昨日、馬渕議員が説明してましたね。彼の説明では、CO2などの環境悪化を生み出しているのは一般道路だというわけです。都市近郊のね。無料化になることでトラックなどの輸送産業は高速道路に回り、環境悪化には効果があるという説明をしていた。
E)ヨーロッパなんかは無料なんですか。
C)基本的に無料ですね。但し、都市部に入ると有料になったり、渋滞エリアに入ると有料という場合があるようです。
A)交通政策全体との関係で提起する必要があると思います。都市部への乗り入れ規制やパークアンドライドなどですね。ナンバーで規制するとか。都市部と東名・名神などの幹線道路をどうするか、などの問題ですね。
F)5月の連休と7月に大渋滞の経験があります。道路の問題であると共にライフスタイルの問題でもあって、連休やお盆などに車の移動が集中するという背景がある。休暇のあり方、過ごし方を分散できるようにする必要がある。

<製造業派遣の禁止について>
D)内需拡大に向けた構造改革の問題として、労働法制の規制強化の問題がある。これは非常に重要な問題ですね。トヨタの会長が若者にもっと車を売れ!という。どんどん派遣切りをやってきた会社ですよ。年収200万円以下で、どうして車を維持できますか。製造業の派遣労働を認めたことが格差社会を決定的にしたわけです。民主党政権は、労働法制を改革して安定的な社会をめざすべきです。マニフェストにも書いていたと思います。派遣労働含めて資本の側の論理には、国際競争力の維持ということがあった。北欧型の資本主義でも、国際競争力は維持しているわけですね。高度経済成長型ではないけれど安定的成長をめざすということではいけないのか。そういう意味で資本への規制を強める必要があると思いますね。
E)選挙選で自民党は経済成長なくして生活の安定はない、という主張だった。民主党は生活が第一ということで、あざやかな対比でした。あれだけ長い選挙期間だったので、印象に残ったと思いますね。
D)小泉時代の終わりに若干の経済が持ち直した。しかし、それで雇用は伸びたのか、所得は改善したのか、という点です。ほとんどなかったし、賃金はむしろ低下した。池田内閣当時の経済成長は、配分の原資・パイも増えて、合理化も雇用の拡大と矛盾しなかった。今の時代はそうではない。国民も感覚的にわかってきている。

<トリクルダウン論>
F)金持ちが儲ければ、おこぼれは貧困層含めて社会に回ってくる、というのが自民党のトリクル・ダウン論ですね。能力のある者がより多くの所得を得ることが社会の利益になる、ということですか。でも、それは実現していませんよ。より貧しくなっていった。
C)民主党のマニフェストでは「常用雇用を拡大し製造現場への派遣を原則禁止」と書いてある。ただ、これを直ちに実施というのは、難しいね。登録型派遣の禁止も書いてあるが、業界は猛烈に反対している。これが実現すると失業者が増大するとも主張して、抵抗が強い。実現するには、ワークシェアリングなどの労働政策と組み合わせるなどの方法が必要になるのではないか。
F)現在、雇用調整給付金の対象者が234万人と報道されていましたね。いわば企業内失業といっていい。戦後最悪の失業率5.7%と言われているが、企業内失業者や、求職活動をあきらめてハローワークに行ってない人は含まれていないわけです。常用派遣の原則禁止と言っても雇用の場が生まれてこないと意味がない。雇用政策全般が問われていると思います。
D)反論するわけではないけれど、もし製造業の派遣が禁止されていたら、自動車産業は競争力を失っていたのか、という問題がある。やはり直接雇用の原則が大事だと思います。そして同一労働同一賃金の考え方の徹底が必要だと思います。同じ仕事をして技能を磨いても、明らかな賃金差別がある。資本主義社会の中の封建的身分制度ですね。均等な待遇、正社員への登用の保障など改善が必要です。
 外国人労働者の問題が最近騒がれなくなった。それは国内の賃金水準が圧倒的に下がってきたからですよ。高卒程度の若い労働者の賃金は、外国人と比較しても大差がない。常用派遣の禁止となった場合、再び外国人労働が問題になる可能性はあります。しかし、派遣禁止となった場合、失業者が増えるという議論ですが、より安定的なシステムに向けての我慢ということで、別の対応が政府に求められるという議論の方向が必要だと思いますが。
E)オランダ型では、派遣を禁止しているわけではなく、派遣契約が終了しても、所得保障や職業訓練ができるというシステムですね。その前提には同一労働同一賃金という原則が確立しているわけですね。単に派遣禁止というだけでなく、同一労働同一賃金の原則、さらに雇用のセーフティネットの確立が求められていると思います。
 反貧困ネットの湯浅さんが言ってますが、派遣労働を切られたら、何のセーフティネットにもかからずに、すべり落ちる。「すべり台社会」と言ってますね。社会保険のない、雇用保険もない、生活保護も住居がなければ受けられないというわけです。

<民主党は何をめざすのか>
F)今回の選挙は、「政権交代」がキーワードだった。何も「社会民主主義」を国民が選択したのでもなければ、民主党が明確に戦略を示したわけでもないところに問題があると思います。今回はかなり保守層も民主党に流れた。民主党はまだアメリカ型の「市場主義モデル」なのか、北欧型のモデルをめざすのか、曖昧なままですよ。市場原理主義には批判的な姿勢を強めてはいるけれど、社会モデルを純化させて提起をしているわけではない。
C)派遣労働でも直接雇用みなし制度を創設するとマニフェストには書いているね。一応考えてはいるけれどね。
F)マスコミも、新政権に我慢強く待つべきとの論調ですね。
A)4年間あるのだから、じっくりやればいいわけですね。
D)労働問題に戻しますが、雇用保険にしても今、現行法制すら守られていないわけです。パート労働でも週24時間でしたか、越えれば雇用保険に入れる義務がある。有給休暇然り。現行法制をしっかり守らせることから始める必要があるんですね。
 また、日本は労働組合も産業別ではなく企業別の組織化が主流ですね。ならば、常用雇用における派遣規制についても、企業グループの枠組みで正規職員化という規制をかける方法もあると思いますね。障害者雇用の分野でグループ企業で1.9%を守らせるという改正も行われているんです。弾力化して安定雇用を実現するという方向ですね。(続く) 

 【出典】 アサート No.382 2009年9月25日

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【投稿】「平頂山事件」を知っていますか? 

【投稿】「平頂山事件」を知っていますか? 

 筆者はこの9/12に、「憲法九条を誇りにする会」のフィールドワーク「中国東北部(旧・満州)を訪ねる旅」に参加して、世界屈指の露天掘り炭鉱で有名な撫順を訪れ、平頂山事件の犠牲となった「平頂山殉難同胞遺骨館」を訪れることができた。
 ところでこの平頂山事件(へいちょうざんじけん、平頂山惨案ピンディンシャンサンアン)とは、日本ではほとんど知らされていないが、1932年9月16日、現在の中国遼寧省北部において、撫順炭鉱を警備する日本軍の撫順守備隊が、楊柏堡村付近の平頂山集落のまったく無防備の3000人に及ぶほとんどの一般住民を虐殺した事件である。事件は、1932年9月15日深夜、反満抗日ゲリラ「遼寧民衆自衛軍」が、三方から撫順炭鉱を占領していた日本軍を襲撃し、日本側に炭鉱所所長を含め死者5名、負傷者6名、その他の被害を与えたことに対する報復として計画され、実行されたものである。
 撫順守備隊は、襲撃事件の報復として、平頂山集落がゲリラが通過したのに知らせなかった、それはゲリラと通じていたものであるとの判断の下に、村ごと燃やし尽くし、殺しつくし、抹殺するという残忍な手段で報復することを決定し、9月16日早朝より、日本軍守備隊、憲兵隊、警察署、炭鉱防衛隊の数百人が出動、平頂山村を包囲し、一軒一軒家を回り、その時集落にいたほぼ全住民(女性・子供・赤ん坊を含む)を村の西にある平頂山のふもとに集合させ、一斉に機関銃を掃射し、それでも死ななかったものを銃剣で刺し、殺害した死体には重油をかけて焼却するというものであった。同時に一軒一軒の家に火を放ち、家屋を燃やし尽くした。この虐殺行為は約三時間に及び、さらにその後、崖をダイナマイトで爆破して死体を土石の下に埋めて事件の隠蔽をまではかったものである。

<焼け焦がされた遺体と身につけていたもの>

 中国では、この平頂山事件は平頂山惨案として広く知られていて、事件現場は「平頂山殉難同胞遺骨館」として保存されている。これらの遺骨は、1970年夏に発掘が開始され、掘り出されたものである。わたしたちは、そこで累々と折り重なっている人骨、発掘されたありのままの状態を目の当たりにし、そのさまはまともに正視できるものではない、衝撃的なものであった。
 この平頂山事件で奇跡的に生き残った人々が五人生存していたが、現在は三名となり、この生き残った3人の方々が1996年、日本政府に6千万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴、最高裁まで争ったが06年に敗訴している。このため生存者と弁護団は日本政府に対し、賠償を求めない形で(1)公式な謝罪(2)犠牲者を供養する記念碑などの設置(3)事実を究明し後世に伝える――を求めることを決め、民主党議員24人の協力を取り付けたという。そして今年、2009年5月5日、民主党議員有志を代表して相原久美子参院議員が、遼寧省撫順市で事件の生存者3人と面会し、公式の謝罪などを日本政府に求めていくことを約束したという。民主党を中心とする連立政権が誕生した現在、この生存者の方々の切なる願いが一日も早く実現することを願うばかりである。
(生駒 敬)
 
 【出典】 アサート No.382 2009年9月25日

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【投稿】広島・長崎平和宣言と「政権交代」選挙

【投稿】広島・長崎平和宣言と「政権交代」選挙

<<「オバマジョリティー」>>
 8月6日の広島平和宣言、8月9日の長崎平和宣言は、いずれも今年4月のオバマ米大統領のプラハ演説の画期的意義を強調し、「核兵器のない世界」に向けて「核兵器廃絶のために活動する責任」、唯一の被爆国として世界に占める「被爆国の責任」を強調する、新しい希望を託し、それを実現させる活動の責任を強調するものであった。
 秋葉忠利・広島市長は、その広島平和宣言において「今年4月には米国のオバマ大統領がプラハで、『核兵器を使った唯一の国として』『核兵器のない世界』実現のために努力する『道義的責任』があることを明言しました。核兵器の廃絶は、被爆者のみならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、『廃絶されることにしか意味のない核兵器』の位置付けを確固たるものにしました。
 それに応えて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を『オバマジョリティー』と呼び、力を合わせて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。その思いは、世界的評価が益々高まる日本国憲法に凝縮されています。」と強調し、来年のNPT再検討会議で、2020年までに全ての核兵器廃絶を目指す「ヒロシマ ・ ナガサキ議定書」(2020ビジョン)が採択されるように取り組むこと、オバマ演説を支持し核兵器廃絶の責任を自覚する「オバマジョリティー」(核廃絶への世界の多数派)として力を合わせることを呼びかけた。
 そして田上富久・長崎市長も、長崎平和宣言において「日本政府はプラハ演説を支持し、被爆国として、国際社会を導く役割を果たさなければなりません。また、憲法の不戦と平和の理念を国際社会に広げ、非核三原則をゆるぎない立場とするための法制化と、北朝鮮を組み込んだ『北東アジア非核兵器地帯』の実現の方策に着手すべきです。 」と訴え、核兵器保有国と開発疑惑国の個々の指導者の名前を挙げて、「オバマ大統領、メドベージェフ・ロシア大統領、ブラウン・イギリス首相、サルコジ・フランス大統領、胡錦濤・中国国家主席、さらに、シン・インド首相、ザルダリ・パキスタン大統領、金正日・北朝鮮総書記、ネタニヤフ・イスラエル首相、アフマディネジャド・イラン大統領、そしてすべての世界の指導者に呼びかけます。被爆地・長崎へ来てください。」と呼びかけたのであった。

<<「宿題をサボる小学生」>>
 本来なら、この被爆都市両市の平和宣言を受けて、オバマ演説を具体化させるために提起された呼びかけに応え、日本が核廃絶の積極的なイニシアチブをとることこそが期待される。ところがこれに応えるべき政府・与党には、誠実な態度は一片たりとも示すことができず、逆に「核兵器への依存」をこそあらためて確認するものであった。
 麻生首相は6日、広島市内で「核を持って攻撃しようという国が隣にある」と述べ、「日本を守るために日米安保体制は引き続き重要」、現状では米国の「核の傘」が必要との認識を強調。9日の長崎での記者会見でも、核軍縮の一環として核兵器の先制不使用を米国に求めることについて問われると、「核兵器を保有している国が『先制攻撃をしません』と言ったとしても、その意図を検証する方法はない。日本の安全を確保するうえで現実的にはいかがなものか」と否定的な見解を示すだけであった。これでは核兵器の先制使用、先制攻撃を認めるものであり、この発言に対して、長崎市内で首相と面談した団体の一つ、財団法人長崎原爆被災者協議会の谷口稜曄会長は「被爆国の首相としてはあるまじき発言。この場で撤回するよう求める」と抗議されている。
 8/14の「各政党の核廃絶に関する公約について」の記者会見で、秋葉・広島市長は、「(核廃絶という)『当たり前のことは盛り込まない』と麻生総理はおっしゃったが、それは間違いだ。マニフェストは考えを示すもの。『大事なことは言わないのだ』といったら、選挙は出来ない。麻生総理は一方で、『核の傘が必要だ』ということも言っている。(選挙に当たって)何が総理の考えかという基準がなくなってしまう。それはきちんとやっていただく必要がある」とし「言葉だけでなく具体的に政権の座にある人が、願いを実現すべく最大限の努力をすべき」と、麻生首相を批判し、「日本国民の悲願が核廃絶にあるならば、いろいろな努力、外交努力、信頼醸成などさまざまな国や市民と連携をとりながら辛抱強く前に進むべき」と指摘し、さらに「努力をしないためにそういう理屈(核抑止力)を持ってきている。後付の理由は良いから、努力をするのが大事だ。努力をしない理由をつくるのは誰でも出来る。小学生が夏休みの宿題をサボるのと同じ」と、首相の論理と認識の甘さに鋭く切り込んでいる。

<<「政権を取った錯覚」>>
 もはや御用済み寸前の事態にある麻生首相に対比して、民主党・鳩山代表には大きな期待が寄せられているが、これまたなんともふがいなく、頼りない姿を露呈している。
 8/12日、21世紀臨調の主催で行われた自民・麻生、民主・鳩山両党首の対決討論では、鳩山氏には、歴代自民党政権、とりわけ小泉-安部-福田、そして麻生政権がここまで日本社会を破綻に陥れ、内政・外交ともに行き詰まりをもたらしたその重大な責任を追及する攻勢の姿勢がほとんどなきに等しく、麻生首相側の財源論に引っ張りまわされて防戦・守勢の姿勢ばかりが目立つ、先が思いやられる情けない展開となってしまった。政権交代必至との報道に乗せられて、地に足が着かず、浮ついた右往左往に追い込まれているともいえよう。
 問題の平和・外交政策においても、8/9、鳩山氏は長崎市内で被爆者団体の代表者らと懇談し、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則について「唯一の被爆国として守っていくことが重要で、法制化という考え方もある。党としてしっかり検討する」と述べ、政権交代を実現した場合、非核三原則の法制化に取り組む姿勢を明らかにした。これは大いに歓迎すべきことであるが、その三日前の8/6には、「法律にすれば逆に、政府が代わると力関係の中で、曲げられてしまう可能性がある」と、法制化に慎重姿勢を示していたばかりであり、政策の歩み寄りを本来歓迎すべき社民、国民新両党からさえ「政権を取った錯覚を起こしたような軽々しい発言はやめるべきだ」(国民新党の亀井静香代表代行)との苦言が出される状況である。
 この問題と関連する核密約に関しても、先月の7/14の記者会見で、鳩山氏は「非核三原則が堅持される中で、北朝鮮の問題も含め、必要性があったからこそ現実的な対応がなされてきた。(今後も)その方向で考えるべきだ。」と述べ、現に裁判で争われている密約を公然と認め、それを「現実的な対応」として承認し、さらには非核三原則のうち「持ち込ませず」を廃止する二原則化の方向を打ち出していたのである。
 現政権ならびに米政権にいとも簡単に妥協し、擦り寄り、迎合さえする。政権に就けば、多少の柔軟性や修正も求められるであろう。その場合でも明確な説明責任が問われてくる。しかし政権につく前から政策を変更するのであれば、政治への信頼性は根本から崩れてしまう。
 8/14、民主、社民、国民新の野党3党は、今回の総選挙の「共通政策」を発表した。「共通政策」は、〈1〉消費税率の据え置き〈2〉子育て支援〈3〉年金・医療・介護など社会保障制度の充実――など6項目で構成。冒頭で、「小泉内閣が主導した市場原理・競争至上主義の経済政策は、国民生活、地域経済を破壊した」と指摘し、家計支援を最重点と位置づけ、国民の可処分所得を増やして国民生活を立て直す方針を強調している。
 外交安保政策については「選挙後の連立政権協議の課題」として先送りし、社民党が主張する非核三原則の法制化も盛り込まれず、前文で「唯一の被爆国として日本国憲法の『平和主義』をはじめ『国民主権』『基本的人権の尊重』の3原則の遵守を確認する」と記すにとどめている。
 浮ついた、実態の変わらない政権交代ではなく、根本的な政策転換を実現する政権交代にすることこそが求められているといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.381 2009年8月22日

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【投稿】クリントン訪朝と日本の孤立化 

【投稿】クリントン訪朝と日本の孤立化 

<「米朝トップ」会談>
 8月4日、アメリカのクリントン元大統領が平壌を訪問、金正日総書記と会談したうえ、北朝鮮により拘束されていた女性記者2人を伴い翌日帰国した。
 この事件は去る3月17日、ゴア元副大統領が経営に関わるケーブルテレビ局の中国系、コリア系アメリカ人の記者が、中朝国境の図們江(豆満江)付近を取材中、北朝鮮の意向を受けた中国朝鮮族のガイドに誘導され、待ち伏せしていた北朝鮮国家安全保衛部要員に捉えられたもの。
 当初は越境した2人が、巡回中の国境警備隊に捉えられた偶発的なものと見られていたが、その後周到に準備された計画的行動であることが明らかとなり、政治的意図が込められた人質事件として国際問題化した。
 2人の解放に関しては、アメリカが何らかのアクションを起こさない限り難しいと見られていたが、その後の「テポドン2号改」発射、2回目の「核実験」強行という北朝鮮の暴走行為による6ヶ国協議中断と、国際的圧力の強まりのなか、何ら進展は見られなかった。
 そうしたなか北朝鮮の裁判所は6月8日、2人に対し「労働教化刑12年」の実刑判決を下し、アメリカにさらなる揺さぶりをかけた。オバマ政権内では、かねてより解放交渉に関しては特使の派遣が模索されており、関係上ゴア氏の名前が取りざたされていたが、最終的には米朝間の調整により、格上のビル・クリントン氏に落ち着いたものである。
 電撃的に見える今回の訪朝劇であるが、このように周到な根回しの上に成り立った政治的パフォーマンスであったと言えよう。オバマ政権はクリントン氏の訪朝を「個人的な行動」としているが、氏の元大統領かつ現国務長官の配偶者という立場上、また随行メンバーに、クリントン政権時の首席補佐官でオバマ大統領への政権移譲チームのトップが含まれたいたことから「大統領特使団」と見て差し支えない。
 3時間半に及んだクリントン氏と金総書記との会談内容については、米朝で食い違いはあるものの、2人の解放問題にとどまらず、核開発問題まで踏み込んだ意見交換がなされたと見られており、事実上2国間交渉のスタートと考えられている。

<苦しい弁明>
 一方麻生政権はこの間の事情に関して、一切知らされていないと思われ、事件解決後に「米政府から事前に連絡があった」と発表している。しかし連絡の詳細な時間等については明らかにしておらず、事実上蚊帳の外に置かれていたものと思われる。
 また、クリントン氏が会談の中で、日本人拉致問題にも言及したとの報道を受け、拉致被害者家族から「日本政府もなんらかの行動を」と声があがった。
 これらに慌てた麻生政権は、「実は『首相特使』の派遣を検討していた」との情報をリークした。その内容は「昨年12月末、首相周辺が朝鮮総連を通じ、北朝鮮側と接触を始めた。特使は国会議員の重鎮クラスが想定されていた」(8月10日「読売」)というものだが、「ミサイル問題で立ち消え」(同)になったらしい。
 これはこの間日本政府として散々圧力をかけ、北朝鮮の対外代表部とは見なしていない朝鮮総連を「窓口」というところから眉唾物で、滑稽を通り越して哀れさえも禁じ得ない苦しい弁明である。
 首相官邸が右往左往するうち8月16日には、訪朝中の韓国財界のトップである玄貞恩現代グループ会長が、金総書記と会談。13日の北朝鮮に拉致されていた現代社員の解放に加え、離散家族の再会、金剛山観光、開城工業団地開発など中断している南北協力事業の再開を合意した。
 玄会長の訪朝も単なる民間人の訪問ではなく、現代グループと関係の深い李大統領の意向を踏まえた「特使」と考えるのが普通であり、北朝鮮の「回答」は核放棄による協力関係構築を訴えた、8月15日「復光節」演説に応えたものと考えられる。
 一連の流れは、李明博政権誕生以来緊張状態が続いてきた南北関係に転機が訪れたものと言えるが、6ヶ国協議当事国の内、この間北朝鮮との関係改善が図れなかったのは、唯一日本だけとなり、政府の無策さが改めて浮き彫りとなった。
 麻生政権は、小泉政権末期から安倍政権時代の圧力一辺倒路線を口実に、拉致問題はおろか核開発問題解決への努力を放棄してきたが、ここに来てそうした政策は破綻を迎えた。

<世界でも孤立化>
 他方でも東アジアに於ける日本の孤立化は一層進んでいる。
 クリントン訪中に先立つ7月27,8日初めての「米中戦略・経済対話」がワシントンで開催され、米中の「G2」体制がスタートした。
 これらの動きは「6ヶ国」や「G8」が停滞、形骸化する中で、これまでの枠組みを維持しつつも、「G20」など新たな枠組みの創設と共に、2国間協議で懸案を解決していくことが、多極化する世界での現実的な外交であることを示している。
 これとはまったく対照的に6ヶ国協議で拉致問題に固執したり、セレモニーと化したサミットに出席し脳天気に喜ぶという麻生政権は、アジアのみならず世界でも孤立の道を歩んでいる。
 こうした時期に自らの決断で長期の政治空白をつくり、政治主導の外交をストップさせたうえ、間近にせまった総選挙にむけ、麻生総理は盛んに北の脅威とそれを口実とした軍拡を声高に唱えている。
 8月9日には長崎で「傷跡(ショウセキ)」とやらかした後、核兵器先制不使用宣言に関して「核兵器を保有している国が『先制攻撃をしません』と言ったとしても、その意図を検証する方法はない。日本の安全を確保するうえで現実的にはいかがなものか」(8月10日「毎日」)と、日本核武装と敵基地先制攻撃に含みを残す発言を行った。
 自民党は民主党のマニュフェストなど野党の選挙政策について、外交・安全保障がおざなりと批判しているが、自民党のそれこそ、国際情勢のダイナミズムから取り残された時代遅れのものでしかないのは明らかである。
 次期政権は、北朝鮮との対話を再開し、平和的手段による拉致問題の決着、核開発問題解決の道筋を指し示すことが求められている。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.381 2009年8月22日

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【投稿】貨幣の暴走をどう止めるか

【投稿】貨幣の暴走をどう止めるか
                     福井 杉本達也 

1 米経済は底打ち?-クルーグマンはオバマ政権をヨイショ
 米労働省が発表した7月の雇用統計によると、失業率は6月より0.1%改善し、9.4%だったという。また、企業の4~6月期決算は予想外の堅調さで、ゴールドマン・サックス、JPモルガン・チェースやシティグループなど金融大手も黒字を維持したと報道されている(日経:2009.8.2、 8.8)。これを受け8月12日の米連邦公開市場委員会(FOMC)の声明は、「収縮ペースが減速している」から「横ばい状態である」に上方修正した。国債買い入れ期限については、9月末から10月末に延長することを決め(ロイター:8.13)、何でもありの「量的緩和策」からの出口戦略を模索しだした。NYT紙上でのポール・クルーグマンは「Averting the Worst」として「結局、我々は第二の世界大恐慌を経験せずに済みそうである。何が我々を救ってくれたのか?その答は、基本的に、大きな政府である。政府が1930年代とは非常に異なる役割を果たしたことにある。…我々は最悪の状態を回避したようである。もはや全面的な惨事が発生する可能性は低そうである。 そして、大きな政府が、その長所を理解している人々に運営されている大きな政府がその理由なのである。」(NYT2009.8.10 訳abetchy blog)と述べている。しかし、同一人物がわずか1ヶ月前の6月の雇用統計発表直後のNYTでは「大統領、私のメッセージは次の通りだ。今すぐ、経済チームと政治チームに追加的な刺激策を練らせるべきだ。なぜなら、そうしないと、あなた自身が1937年型の大不況に直面するからだ。」(NYT:7.3)と語っていたのだからほとんど信用できまい。
 今、政府による財政支出が必要なことの評価は別として、クルーグマンの経済理論の無責任さについては白川日銀総裁が中国要人を前に名指しで皮肉混じりに批判している。「1990年代後半以降、日本の政策当局に対し、国内外のエコノミストや国際機関から様々な政策提言がなされたことは記憶に新しいと思います。…典型的な政策提言としては、『日本銀行が行うべきことは、高めの目標インフレ率を設定し、その目標を達成するため、実物資産を含めてあらゆる資産を購入することだけである』、『日本銀行は財政赤字のマネタイゼーションを行うべし』などがありました。中でも、最も有名な提言の1つは、『無責任な政策にクレディブルにコミットすべし』というものです。」(8.8日銀総裁上海講演・参照:日経:8.13)。元々、当時の無意味な「量的緩和」「インフレターゲット」の提言は円金利をゼロにして日本資金の米への収奪を仕組みたかっただけであろうから、その意味では時の金融資本の意向に忠実な“首尾一貫した”ノーベル経済学賞“屋”ではある。

2 「偽りの夜明け」?
 米国の場合、2008Ⅱ期―2009Ⅱ期のGDPの年間減少幅は-5,229億ドルで-3.9%、内訳は、個人消費が-1,705億ドル(-1.8%)、民間投資が-5,546億ドル(-27.4%)、純輸出が-1,367億ドル(-28.7%)で政府支出が552億ドル(2.2%)のプラスとなっている(www.recovery.com)。今後、2009年度予算の39,980億ドル、2010年度の35,910億ドルの財政支出が本格実施されれば多少とも景気悪化の下支えは可能であろう。しかし、これは米国債の消化の95%が中国や産油国、ブラジル、ロシアなどに頼っており、無事、ファイナンスされての話である。また、米住宅ローン問題はくすぶり続けており、当初は信用の低いサブプライムローンが中心だったが、ここに来て、信用力の高いプライムの焦げ付きが目立ち始めている。景気低迷で失業が増え。 プライムの延滞額は4-6月で13.8%も増加している(日経:8.10)。財政支出はあくまでもフローの話であり。住宅価格などストックの下落を補てんするものではない。いかなる「大きな政府」も、約350兆ドル(水野和夫氏)~1000兆ドル(吉田繁治氏)と見積もられるキャピタル・ロスを総額わずか3~4兆ドルの財政支出で埋め合わせることは不可能である。伊東光晴氏はGDPの2倍・1,000兆円を超すキャピタル・ロスが発生した1990年代の日本の不況対策を「このように大きな投機の失敗による不況の進行下での政府支出増は、民間企業の在庫減・投資減によって相殺され、社会全体の投資増とならず、波及は急速に減衰して、景気を上昇させる効果は期待できない」(『現代に生きるケインズ』2006.5.19)と総括している。米国の住宅価格はまだ15~20%下落するとの指摘もある。これまで以上の下落幅以上である。そもそも、年間新規着工件数が50万戸台というのは低すぎる。日本でも100万戸前後である。人口で比較すれば200万戸以上が正常値である。「景気底打ち祭りが偽りの夜明けになりませんように」(blog「朝のドラめも」8.13)と皮肉られても仕方はない。オバマ政権に『医療制度改革』を断行できるだけの力があれば「底打ち」だが、残念ながら期待薄である。

3 日本は選挙用の“ご祝儀相場”
 一方こうした、米国の状況をにらんで日本の株価も一時期10,500円台を回復した。しかし、足元の設備投資指標は7月の工作機械受注率が前年比72.2%減というなべ底に残ったみそ汁のような惨憺たる状況にある(日経:8.11)。8月11日付の日経『大本営発表』記事は「増収増益 100社超す」「外食や日用品健闘」とあたかも選挙前に景気が回復したかのような見出しであるが、中身が「セルフ式うどん店のトリドール」「王将フードサービスのギョーザ」「ユニ・チャームのおむつ」では迫力に欠ける。確かに「餃子の王将」は儲かっているのであろうが、日本を代表するような企業ではない。そもそも、日本の株価は年金資金によって政治的に買い支えられている。年金資金117兆円のうち92兆円が市場運用分でその12%が国内株式・10%が外国株式に投じられており、2008年度の運用実績は9.6兆円の大幅損失であった(日経:7.2)。さらには、2009年度当初予算の7兆4000億円の公共事業契約の前倒し発注が進んでおり、6月末で55.8%になるなど、選挙直前にした国民の実感とは益々かけ離れた景気の粉飾が進んでいる(Nevada blog 2009.8.12)。

4 “なんちゃって”会計基準による粉飾決算
 ところで、米景気には粉飾はないのであろうか。もともと全面時価会計を主張していたはずのIASB( International Accounting Standards Board国際会計基準審議会)は昨年の金融危機の真っ只中に保有目的区分の変更基準を緩和した。今回さらに①証券化商品などの最上位優先部分(いわゆるスーパーシニア)については債券と同様償却原価の対象となる(償却原価対象=満期まで保有するので途中で売らないので価格変動がないという名目で時価評価しない)旨明記。②組み込みデリバティブのある金融商品は主たる契約(たとえば債券)の内容にしたがって区分することができることを明記するとした。ようするに、IASBは信用リスクやデリバティブ組み込み系の損失を隠す方向(=時価評価しない)でまさに、「なんでもあり」の改正をしようとしているのである。もっとも「時価会計」の導入はあらゆる資産を市場取引の対象として叩き売り、あるいは自らの懐に入れようとする強欲ファンドの要求によるものであるから、元々“基準”として無節操であり、それを反転させたところで同様ではあるが。これでは、米金融機関の赤字は表面化しない。株価が上昇するはずである。

5 貨幣の暴走をどう止められるか
 そもそも、今回の金融恐慌で最も被害を受けた(今後受ける)層は中産階級である。実体経済が頭とすれば本来尻尾であるべき金融が実体経済を振り回し、米自動車産業などは壊滅状態である。GMを始め米国内の多くの工場が閉鎖される。トヨタと合弁のカリフォルニア・NUMIIも閉鎖される。米中産階級を代表していたUAWの労働者は医療保険もない「盲腸の手術が300万円」という社会に放り出される。その一方で、当事者である金融資本は膨大な国民の税金を突っ込んで救済され、金融資本の元締めは損失の多くを回収し、番頭の経営者は巨額の退職金を受け取っている。日本でも派遣労働者や日系人などが真っ先に首を切られた。
 水野和夫氏は金融が実体経済を振り回す根源を、実物投資では満足なリターンをもとめられなくなったことにあるとする(『現代思想』2009.8「近代の終焉と脱“近代”経済学」)。先進国に投資機会がなくなってきたのは、粗鋼消費量を見ても分かるとし、1974年のピーク1トン/1人当たりで頭打ちとなっている。後は、サービス経済のウエイトや商品の付加価値を高めることでGDPという数字を膨らませてきただけである。「カローラ」を「レクサス」に換えただけであり、自動車という移動手段の根本原理は変わっていない。現在のような2%以下の世界的低金利では長期投資によるリスクを考慮すれば資本のリターンはゼロに近く、水野氏の計算ではこうした過剰マネーが100兆ドルもある。中国やインドなどの新興国の開発投資に経済規模(20兆ドル)の3割=6兆ドル程度振り向けたとしても残り95兆ドルが国民国家の枠組みを超えて投機に動いてしまう。

6 GDP価値観からの脱却を
 これまでは、英国のインド経営(インドの1人当たりGDPは270年間下がり続けてきた)や米英の産油国(石油の実質価格は1974年まで1世紀にわたり下がり続けてきた、また1990年代も低下した)等との不等価交換により途上国の資本蓄積を阻害し続けてきた(水野)。また、1990年の冷戦の崩壊によって、ロシアや中国などが金融資本の草刈場=「ニュー・フロンティア」になると“期待”された。ところが、中国の“思わぬ”経済的成功とプーチンの国際金融資本の締め出しによって立場が逆転してしまった。これまでは15%の豊かな国と85%の安く資源を売る国があったが、80%が高所得国の仲間入りを果たそうとしているのである(水野)。行き場を失った余剰資金の「投資先」は投機しかない。投機によってGDP成長を図ろうとするものである。購買手段あるいは流通手段としての貨幣(Geld)ではなく、G(貨幣)―G´(貨幣´)―G”(貨幣”)の自己増殖の運動である。金融資本の論理は今日買って明日売る中でキャピタル・ゲインをあげることである。そこでは労働は重要では無い。1995年以降の金融資本の暴走は「利潤極大化のもと万国の資本家が一致団結したこと」(水野)である。しかし、そこには抽象化された価値の増殖があるのみで実態的な人間の生活の改善はもはや無い。
 経済=「エコノミー」とはギリシャ語の「オイコノミヤ」を英語化した言葉あり、エコノミーとエコロジーの共通語源である「オイコス」は人(生命)の住む場所の意味であり、「ノモス」はその場所の掟や習慣・法律の意味している。アリストテレスは経済学を「オイコノミカ」と称したが、「オイコノミカ」とは社会全体(共同体)が幸せになる方法のことである(本山美彦blog「伝統の復権」)。つまり、「経済」とは社会の一部分を切り取って見たものでしかない。ところが、現代(近代)は社会(共同体)からこの「経済」を突出させ、社会の様々な制度を経済に従属させてしまったのである。
 かつて、小泉首相は「構造改革なくして経済成長なし」を呪文のように連呼し、自民党は今回の選挙のマニフェストでも「1人当たり国民所得を世界トップの100万円増」(円高公約?)「2%の経済成長」を掲げ、相も変わらず「経済のパイを大きくして配分を考える」という論理にしがみつくが(党首討論8.12)、もはや金融資本を肥大化させるためだけのGDP(国富)の数値に何の意味もない。1776年にアダム・スミスが『国富論』を出し、この二百数十年間一貫して“経済の成長”・“生産性の向上”・“効率”・“生産力の発展”を追求してきたが、「成長すれば豊かになるという近代的価値観からの脱却」(水野)こそもとめられる。「国富」という数値(GDP)=抽象的価値=交換価値という経済「学」?がこの二百年追い求めてきた“概念”の根本的修正が求められている。
 その場合、当然「貨幣」の自己増殖運動をどのように人間生活の枠内に閉じ込めうるのか。例えば、水野氏は「領土拡張的『帝国』」(EUあるいは上海協力機構・ASEAN+3・米州機構などを指すのか?)が働く労働者側に立つことで金融資本の『帝国』の横暴を規制することを提唱する(水野氏の『帝国』とは国民国家を超えた政治体制を指す)。一方、伊東光晴氏は福祉、教育、芸術等のものをつくらない投資により過剰生産力を高めない社会=「成長なき安定」を提唱するが、また、「シュンペーターと同じく、『成長なき資本主義は存続可能か』との問いに」(『日本経済を問う』2006.11.29)懐疑的でもある。もちろん「成長なき」とはいっても、英国が主導するような新興国の「チャレンジ」を低成長に抑え込もうとする「地球温暖化論」を利用したトリックなどは道義的に不正であるばかりでなく、80%の仲間入りを目指す新興国には受け入れられまい。衆院選後、日本はアングロサクソン金融資本の暴走とは一線を画し、こうした課題にこたえる未踏の位置に立たなければならない。 

 【出典】 アサート No.381 2009年8月22日

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【本の紹介】『[新訳]大転換 市場社会の形成と崩壊』

【本の紹介】『[新訳]大転換 市場社会の形成と崩壊』
         カール・ポラニー著  訳者 野口建彦・栖原学
    発行 東洋経済新報社 2009年7月2日発行 ¥5,040(税込)

<<市場原理主義への「もっとも強力な批判」>>
 ここに紹介する『大転換』は、古典的名著の新訳であり、632頁に及ぶ大著である。第二次世界大戦中の1940年代初頭に書かれ、1944年に発行されたものであるが、「半世紀以上を経てもなお、多くの点で新鮮である。実際、本書は、二一世紀初頭のグローバル社会が直面するディレンマを理解するのになくてはならない本なのである。かくも長く読み継がれるのには十分な理由がある。『大転換』は、各国社会およびグローバル・エコノミーは自己調整的市場によって組織できるし、また組織されねばならないという市場自由主義の信条に対して、これまででもっとも強力な批判を提供しているからである。」(ポラニー研究者でもあるフレッド・ブロックの「紹介」より)
 筆者は、このような本書の存在をこれまで知らなかった。筆者の不明もさることながら、その理由の一つが、本書の長文の紹介文を書いているF・ブロックが「『大転換』が1944年に初めて出版された直後に、アメリカ合衆国とソヴィエト連邦との冷戦が激化し、そのためにポラニーの提言の重要性が理解されにくくなってしまった。資本主義を擁護する者とソヴィエト型社会主義を支持する者とに完全に二極化した論争のなかでは、ポラニーの入り組んだ含蓄ある主張の入り込む余地はほとんどなかったのである。」と指摘していることと関連していると思われる。それが1990年代初頭のソ連型社会主義の崩壊、冷戦時代の終焉と相前後して、サッチャリズム、レーガニズム、新自由主義、さらにグローバリズムを背景とした規制緩和と自由競争原理主義が、社会主義の存在を意識し、考慮する必要がなくなり、今やわが世の時代と、弱肉強食の論理を剥き出しにしたのであった。しかしそうした市場万能論の破綻が、昨年来の世界経済恐慌の深化にともなって明らかになり始め、それ故にこそ、今再び、ポラニーの著作がそれにふさわしい注目を集めはじめているのは当然のことといえよう。
 著者のカール・ポラニー(1886-1964)の略歴は、同書によれば以下の通りである。
 1886年オーストリアのウィーンに生まれ、幼少期にハンガリーのブダペストに移住。1906年ブダペスト大学進学。1908年文化運動組織「ガリレオ・サークル」を結成。1918年「ハンガリー革命」により、自由主義勢力連合政権の法相となる。1919年右派民族主義政権の誕生により、ブダペストを去り、ウィーンに亡命。1922-24年ミーゼスとの「社会主義経済計算論争」に参加。1924-33年ウィーンの総合誌『エスターライヒッシェ・フォルクスヴィルト』の編集主幹を務める。1933年ナチス政権の出現により、ウィーンからロンドンに亡命。1934-40年オクスフォード大学・ロンドン大学の成人教育プログラムである「労働者教育協会」の講師を務める。1941-43年アメリカのヴァーモント州にあるベニントン大学の客員研究員となり、本書を執筆、1944年アメリカで、45年イギリスで出版。1947-53年カナダに移住し、コロンビア大学客員教授を務める。1953-58年経済人類学の研究プロジェクトに従事。1958年『初期帝国における交易と市場』を出版。1958年マジャール語の詩集『鋤とペン』を妻イローナと英訳し出版。1961年ハンガリー訪問。1963年ハンガリー再訪。1964年没す。

<<ポラニーの中心的命題>>
 この『大転換』にはまた、2001年のノーベル経済学賞受賞者であり、現行のグローバリズムがもたらす様々な弊害に警鐘を鳴らしてきたジョセフ・ステイグリッツがこれまた長文の「序文」を寄せており、次のように述べている。
 「ポラニーの提起した中心的命題は、次のようなものである。すなわち、自己調整的市場はけっして機能しない。また、自己調整的市場の欠陥は市場内部の作用においてのみならず、その作用の影響--たとえば、貧困者にとっての影響--においてもきわめて重大なため、政府の介入が不可欠となる。さらに、そうした影響の大きさを決定するに際しては、変化の速度がもっとも重要である。ポラニーの分析が明確にしているのは、トリクル・ダウン・エコノミクス--貧困者を含むすべての人々が経済成長の利益にあずかることができる--という通説には、ほとんど歴史的裏づけがないということである。彼はまた、イデオロギーと特定の利益集団との相互関係を明らかにし、自由市場イデオロギーがいかに新しい産業の利益集団の手先となってきたか、こうした利益集団は自分たちの利益を追求する必要が生じた場合、随時政府の介入を求めつつ、このイデオロギーをどれほど都合のいいように利用してきたかを明らかにしている。」
 その典型例として、ステイグリッツは、「IMFの一貫性のなさ-自由市場体制を信頼すると公言しながら、いつも決まったように為替市場に介入し、また、公的機関でありながら、外国の債権者救済のために資金を供給する一方で、国内企業の倒産を招くような高金利を要求する-は、一九世紀のイデオロギー論争において予示されていた。実のところ、労働市場でも商品市場でも、自由市場というものはけっして存在しなかった。皮肉なことに、今日では、ほとんどの人が労働については、自由移動を主張することすらせず、また先進工業諸国は発展途上諸国に対して、保護主義や政府助成金の弊害を説きながら、発展途上世界の比較優位を代表する財・サーヴィスへの先進工業諸国の市場開放よりも、途上諸国の市場開放を頑強に主張してきている。」と指摘している。
 トリクル・ダウン論は、富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)するというもので、日本においては竹中平蔵元総務相が、「市場競争で富が集中しても,その富のおかげでやがて国民全体が潤う」と言ってのけた、小泉・竹中の構造改革の正体をなす論でもあった。「金持ちを儲けさせれば貧乏人もおこぼれに与れる」ということから、「おこぼれ経済」とも揶揄されながらも、未だに日本においては幅を利かせており、スティグリッツが、『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』において、「トリクルダウン効果が有効だという幻想だけが残っているのは興味深い」と述べているところである。

<<ニュー・ディールの評価>>
 ポラニーのさらに重要な問題提起は、民主的選択肢としての市場への介入・規制の問題である。
 「ポラニーは、第二次世界大戦中に『大転換』を執筆したにもかかわらず、将来については依然として楽観的であって、国際紛争の悪循環を断つことは可能であると考えていた。その重要な一歩が社会生活は市場メカニズムに従うべきだとする信念を覆すことであった。ひとたびこの「時代遅れの市場志向」から解放されれば、一国経済とグローバル・エコノミーの双方を民主政治に従わせる道が開けるのではないかと考えた。ポラニーは、ルーズヴエルト大統領のニュー・ディールをこうした将来の可能性のモデルと考えた。すなわち、ルーズヴェルトの改革は、アメリカ経済を依然として市場および市場活動に基づいて組織するものの、新たな一連の規制メカニズムによって人間と自然を市場諸力の圧力から守ることができるようにするものであった。民主政治を通して、年長者は、社会保障制度の恩恵によって所得を稼ぐ必要がないようにすべきだという国民の決定がなされたのである。同様に、民主政治は労働者が「全国労働関係法」を通じて強力な労働組合を結成する権利を拡大した。ポラニーは、こうした試みこそ、社会が民主的手段によってある種の経済的脅威から個人と自然を守ることを決定するプロセスの出発点だと考えた。」(F・ブロックの「紹介」より)
 そして同時に、危機への解決策を提示できない場合、社会に何がもたらされるかということについて、警告を発している。ポラニー自身の言葉によれば、「ファシズムが強力な政治勢力として登場する局面に近づいた国にはいくつかの兆候があったが、それは必ずしもファシストの運動の存在それ自体というわけではなかった。少なくとも重要な前触れであったのは、非合理主義哲学、人種的審美学、反資本主義的デマゴギー、異端的通貨学説、政党制への批判、「既存体制」その他名称は何であれ現存の民主主義的機構に対する非難の蔓延であった。」(第20章 社会変化の始動)と指摘する。
 「ポラニーは、自由放任の経済を志向する運動は安定性をつくりだすための対抗的運動を必然的に招来すると述べている。たとえば、一九二〇年代(もしくは、一九九〇年代)のアメリカ合衆国に見られるように、自由放任を支持する運動がきわめて強力なとき、投機の行き過ぎや不平等の拡大は繁栄の持続のための基盤を破壊するのである。ポラニーは総じて保護主義的な対抗運動に共感を寄せているが、そうした運動が時折危険な政治的・経済的な行き詰まり状態を生み出すことも認識している。ヨーロッパにおけるファシズムの台頭についての彼の分析は、自由放任を志向する運動も保護主義的な対抗運動も、そうした危機への解決策を提示できなかったがゆえに緊張が増大し、その結果ファシズムが力を増して権力を奪取し、自由放任と民主主義をともに捨て去ったことを指摘している。」「ポラニーの見るところ、市場自由主義のきわめて根深い欠陥は、人間の諸目的を非人間的な市場メカニズムの論理に従わせるところにある。彼は、それに対して次のように主張する。人間は、民主的な統治手段を用いて、個人ならびに集団の要求を満たすために、経済を統御し方向づけるべきである。ポラニーは、こうした課題に取り組まなかったことが二〇世紀における大きな苦難を生み出したことを示した。新しい世紀に向けての彼の予言は、きわめて明確である。」(F・ブロックの「紹介」より)

<<ポラニーの政治的立場>>
 ポラニーの社会主義についての理解、定義は実に新鮮であり、刺激的である。
 「ポラニーの政治的立場を一般的な基準によって判断することは難しい。彼はケインズの市場自由主義に対する批判の多くに同意しているが、けっしてケインジアンではなかった。彼は生涯を通してみずからを社会主義者であると考えてはいたが、マルクス主義の主流派を含むすべての経済決定論とは明確に一線を画していた。資本主義と社会主義についての彼の定義そのものが通常の理解とは異なっているからである。」
 「ポラニーは、社会主義を次のように定義する。すなわち、「社会主義とは、自己調整的市場を意識的に民主主義社会に従属させることによって、自己調整的市場を超克しようとする産業文明に内在する性向である」。この定義は、社会主義社会の内部で市場が引き続き果たす役割を容認している。ポラニーは次のように述べている。すなわち、あらゆる歴史的局面において得られる可能性はさまざまである。なぜなら、市場は多様な方法で社会に埋め込むことが可能だからである。実際、ある方法は他の方法にくらべて、生産量を拡大し革新を促す能力という点においていっそう効率的であろうし、別の方法は市場を民主的な方向に従わせるという点においていっそう「社会主義的」であろう。しかし、ポラニーは次のように示唆する。効率的でしかも民主的な方法は、一九世紀および二〇世紀においてもあったはずだ、と。」(F・ブロックの「紹介」より)
 さらに意義深い分析が、ロシア革命についてなされている。
 「四半世紀に及ぶロシアの歴史を振り返ってみれば、われわれがロシア革命と呼ぶものは実は二つの別々の革命から成り立っていたように思われる。すなわち第一の革命は、伝統的な西ヨーロッパの理想を具現したものであるが、第二の革命は、一九三〇年代のまったく新たな展開の一部を構成したものであった。一九一七-二四年の革命は、実際イギリスのコモンウェルスやフランス革命のモデルに従うヨーロッパにおける政治的大変動の最後のものであった。他方、一九三〇年前後の農業集団化とともに始まった革命は、一九三〇年代にわれわれの世界を転換させた大きな社会変動の最初のものであった。というのは、第一のロシア革命は、絶対主義、封建的土地所有、人種的抑圧の解体を達成したもので、それは一七八九年の理想の真の継承であったが、第二の革命は社会主義経済の樹立だったのである。結局のところ、第一のものは単にロシアの出来事であって、長期にわたるヨーロッパの発展をロシアの土壌のうえに実現したものであったのに対し、第二のものは、地球上で同時に生じた普遍的転換の一部を構成していたのである。
 一見すると、一九二〇年代のロシアはヨーロッパとは切り離されており、独力で道を切り開いたかのようである。しかしもっと仔細に分析すれば、この見方が誤りであることがわかるだろう。というのは、二つの革命の間の歳月においてロシアに一国社会主義の決断を迫った条件の一つが国際システムの破綻だったからである。一九二四年にはすでに、「戦時共産主義」は忘れられた事件となっており、ロシアは外国貿易と主要産業に対する国家管理を維持しながらも、再び自由な国内穀物市場を成立させていた。ロシアは今や、外国貿易を拡大しようと躍起だった。貿易は主として穀物、木材、毛皮その他いくつかの有機原材料の輸出に依存しており、そうした商品の価格は、貿易の全面的な崩壊に先立つ農業不況の過程で大きく下落しつつあった。ロシアが有利な条件で輸出を展開できなかったことが機械の輸入を制約し、したがって国内工業の樹立を妨げた。このことがまた、都市と農村の間の交換条件に好ましからざる影響を与えて、いわゆる「鋏状価格差」をもたらし、それによって都市労働者の支配に対する農民の敵意を掻き立てた。このようにして、世界経済の解体がロシアにおける農業問題に対する一時しのぎの解決策による緊張を増大させ、コルホーズの到来を早めたのである。ヨーロッパの伝統的な政治システムが安全と信頼をもたらさなかったことも、同じ方向に作用した。というのは、このような状況が軍備の必要性を高め、したがって強制的工業化の負担を増大させたからである。一九世紀的なバランス・オブ・パワー・システムの欠如は、世界市場がロシアの農業生産物を吸収できないこととあいまって、ロシアがやむなく自給充足型経済の道を選択することを強要したのである。一国社会主義は、市場経済が世界各国間の結びつきを生み出すことができなかったがゆえにもたらされた。ロシアの自給自足体制と見えたものは、実は資本主義による国際主義の消滅にほかならなかった。」(第20章 社会変化の始動)
 汲めども尽きせぬ、なくてはならない書籍に接した感がある。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.381 2009年8月22日

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【投稿】「自滅解散」と「政権交代」の意義

【投稿】「自滅解散」と「政権交代」の意義

<<「がけっぷち解散」>>
 与党過半数維持を信じ込み、都議会議員選挙での自民党の大敗という結果に驚き、その責任追及から逃れるために、7/21の衆議院解散、8/30の総選挙・投開票という前代未聞の解散予告・奇策に打って出た麻生首相。自民党内からは「がけっぷち解散」(山崎拓前副総裁)とか「自滅解散」(山本拓衆院議員)といわれる事態である。
 麻生首相は、小手先の姑息な足掻きに拘泥することによって、ますます自らを貶め、その無能力さをさらけ出し、いよいよ自らの手によって自公連立政権の命運を尽きさせようとしている。麻生降ろしを画策する反対派封じの策を弄すればするほど、混乱に混乱を重ね、身内であるはずの閣僚からさえ反旗を翻され、しかも投票日を確定した段階で選挙対策に責任を持つ選対委員長が辞任を表明する異常事態を招き、わずかながらも反転・逆攻勢に出る機会として残されていた自民党所属両院議員総会を懇談会に切り替え、しかも非公開として逃げ回る姿は、腐敗堕落した今の自公政権を象徴するものと言えよう。ここに、泥舟と化した麻生丸は沈没以外に道は残されてはいず、再浮上のチャンスなどまったく皆無と化してしまったのである。
 ここまで現政権の醜態をさらけ出されれば、大方の予想以上に自民党は大敗する可能性が大となっている。09/5/26現在の衆議院の会派別勢力は、
自民  303 、民主  112、公明  31、共産   9、社民   7
国民   7 、無所属  9、欠員   2、計   480
であり、自公で334、過半数の241を大きく超えている。これが今次選挙予測では、自民は200議席を割り、180~190議席との見方が大勢であるが、170議席台まで激減、130台という予測まで出されている。

<<マニフェストの表紙>>
 都議会議員選挙に象徴される大きな地殻変動が起きている、一種の「風」が吹いているのであろう。それは「政権交代の風」とも言えよう。自公政権にはこの際、退場してもらう以外に現在の日本の政治経済を打開する道はない、という「風」である。
 小泉・竹中路線に象徴される自由競争原理主義・規制緩和の政治は、社会保障費を徹底的に削減し、後期高齢者医療などの医療破壊をもたらし、社会的セイフティネットをぶち壊し、派遣労働・偽装請負を蔓延させ、金持ちを優遇し、格差を拡大させ、環境と農業を破壊し、公的インフラである郵政を民間大資本やアメリカ金融資本・保険会社の草刈場に提供し、公共資産をオリックスなど政商資本に破格の安値で叩き売る、そのような政治の結果として、現在の未曾有の経済危機に直面させられている。麻生・自公連立政権は、このような路線を修正するかに見えて、何の転換もなしえず、利権漁りに迎合するばら撒き政策によってむしろ事態をより悪化させ、それでもなおかつ小泉路線の継続・継承をしか言えない、このような政治に愛想がつかされているのである。
 その端的な表れが、自民党のマニフェスト作りであろう。7/21の衆議院解散のその日にさえマニフェストができていないのである。「反麻生」勢力がマニフェスト反対で結集することを恐れ、公約作成プロジェクトチーム(PT、菅義偉座長)は秘密裏に会合を重ねて原案の作成を進め、7/17にPTと公約作成委員会(委員長・細田幹事長)の合同会議が初めて開かれたが、批判続出、まとめられず、7月末に先送りされている。しかも「麻生首相の写真が載ったマニフェストなんて国民に配れない」との党内の声に、首相自身がマニフェストの表紙から自らの写真をはずすよう指示する事態である。何という弱気、自信のなさであろうか。写真さえ出せないのであれば、自ら即刻辞任すべきであり、そこから起死回生の契機をつかむべきだったのである。とにかく自らの手で解散したいという、面子へのこだわりが、日本の政治の貧困を際立たせてしまったといえよう。

<<政権交代の「風」>>
 馴れ合いと汚職・腐敗の政治を打破し、これまでとは異なった新しい政治へ「チェンジ」するという意味において、政権交代の意義は大きいし、民意はそこにこそ期待をかけている。また、政党間の離合集散、連立劇によってではなく、選挙の結果によって、有権者の意思の反映によって政権交代がなされることは、それ自体にも大きな意義があるといえよう。
 そして今回の「政権交代の風」は、名古屋市長選、千葉市長選、静岡知事選、そして東京都議会議員選、奈良市長選で、いずれも民主系候補に圧倒的に有利に作用し、自公連合はことごとく敗退している。当然この「風」は、8/30の衆院選にも大きく作用し、2009年8月30日が「自公連立政権最後の日」になる可能性はきわめて高いし、このような自公政権を権力から引き摺り下ろすことそれ自体が重要であろう。
 しかしこの「風」は、民主党それ自体に対する期待の高まり、民主党の政策への期待、民主党への信頼から巻き起こったものではなく、今のような自公連立政権ではどうしようもないし、このような政権は退場させなければ、現在の日本の政治の貧困は打開できないという民意の反映であると言えよう。
 現に6/28の横須賀市長選では、小泉王国といわれた横須賀で現職市長が自民、公明はもちろん、民主の推薦まで得ていながら、新人・無党派・33歳の元市議が当選している。民主が自民・公明に迎合している限り見放されることをもこの「風」は示している。
 そしてまさにこの点において、民主党鳩山党首の立ち位置はあやふやなものである。「政権交代」をまず第一に掲げるが、その政権交代によって何をどう変えるのかは明瞭ではない。「官僚政治からの脱却」はしきりに強調されるが、「長期政権で霞が関、既得権益集団となれ合っている自民党には…予算配分の大転換はできない」などという批判はあれども、大転換の中身・方向性が示されず、民主党政権になれば政策的にどのような方向転換をするのかが一向に明らかではない。個別政策として「子ども手当」「高校無償化」「年金記録問題」「農家の個別所得補償制度」などを並べてはいるが位置づけが不明確であり、もっとも肝心な雇用対策や社会的セイフティネットの構築ではまったく穴だらけである。

<<危なっかしい鳩山党首>>
 さらに問題なのは、鳩山党首は7/14の記者会見で、「非核三原則が堅持される中で、北朝鮮の問題も含め、必要性があったからこそ現実的な対応がなされてきた。(今後も)その方向で考えるべきだ。」と述べ、現に裁判で争われている密約を公然と認め、それを「現実的な対応」として承認し、さらには非核三原則のうち「持ち込ませず」を廃止する二原則化の方向を打ち出す、現政権ならびに米政権にいとも簡単に迎合する、その程度の被爆国の首相としてはあるまじき軽薄な認識しかできない状況である。記者会見で、それでは非核三原則の見直しにつながるのではないかとの問いに「(三原則の)見直しと言ったわけではない。現実を無視はできないので、政権を取ったら日米でよく協議したい。守れるなら一番望ましい」と答え、おまけに、昨年の臨時国会では「反対」していた新テロ特措法に基づくインド洋での米軍への給油活動について、「一気にすぐやめるのも無謀な議論」「オバマ政権と信頼関係を築く中で、どういう形で日本が役割を果たせるか考えていきたい」などとして、米国への迎合姿勢を露骨に示しているのである。これでは何のための政権交代なのか、危なっかしくて、民主党の党首交代こそが要請される事態でもある。被爆国の首相であれば、まず提起すべきは、オバマ米大統領の提起する核軍縮サミットを、広島・長崎でこそ開催することであろう。
 参議院での議席配分からすれば、民主党は、社民、国民新党との連立を維持しなければならず、共産党をも含めた民主党へのチェックの重要性が増し、キャスティングボートとしての重要性を増大させることが要請されていると言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.380 2009年7月25日

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【投稿】東京都議選-石原与党過半数割れは民意の反映 

【投稿】東京都議選-石原与党過半数割れは民意の反映 
                          和田三郎  

 12日投開票の都議会議員選挙の結果は、東京における社会的支持関係を、率直に反映したものになった。「前線通過による突風」の結果ではないと判断できる。定数127中、非自公66対自公61となり、石原与党は、過半数を割った。非与党は、民主54+生活者ネット2+共産8となり、民主は単独過半数までは届かなかった。
 この結果、共産が、都議会野党陣営のキャスティングボードを握ることになる。

 得票の特徴は、民主の損票率(落選者の得票数/全得票数)が2.5%と極少であったことである。落選者は4人、その内、急降下落下傘候補は1人に過ぎない。今回当選者の民主議員の平均年齢は43.6歳と他党より10歳程度は若い。当選回数でみても、初回22人、2回目20人であり、これだけで民主全体の77%になる。
 得票率(%)は、民主40.79、自民25.88、公明13.19、共産12.56等となり、前回参院選比例代表と近似している。この結果は、来月の衆院選比例においても、確保目標になっていく。
 戦術的には、若い候補者擁立とチェンジ後主役イメージの提供との合作が成功した。選挙結果について、「風」効果とする評論が多い。しかし、前回参院選以来続いている支持率の基礎的変動は、社会基盤の変動を表しているのではないか。
 ところで、民主議席は20増の54となったが、自民の議席数は38で、実は10減に過ぎない。中選挙区制の利点が、今回は自民に及んだ。しかし、自民の得票内容を見ると、特徴がある。第一は、都連あるいは都議会幹部の長老が、枕を並べて討ち死にしたことである。その多くは、知事石原と都中枢幹部の対議会工作の中心にいた議員(五輪招致議連会長もその中にいる)であった。永年にわたり都周辺各種団体を支持基盤にしており、利権の差配役でもあった。

 これら議員の落選は、二重の意味で、石原都政に10人減をはるかに越えるダメージを与えそうである。第一は、石原のマスメディアにおける「自民保守政権批判」の派手さ(かつてヒットラーが資本主義批判をしたように)は、これらの長老を通した自民都連支配と、表裏一体となっていたからである。それが今後は続かなくなる。
 この期に及んで、知事石原は「国の総選挙の前相撲にされた。都にとっては大迷惑な結果」と述べ、自民党批判をしている。しかし、石原は、自民36人の候補者事務所を激励訪問した。有力長老議員と子息衆院候補予定者の地元で、応援演説をした。しかし、東京新聞出口調査によると、石原支持(36.7%)の内、知事与党自公に投票したのは、その55%にとどまった。

 選挙戦の中で、都議選の争点は、石原都政の諾否をめぐっても大きくなっていった。民主からは、新銀行東京からの撤退はもちろん、築地市場移転も、党本部幹部の街頭演説で明確な反対が示された。
 第二は、自民そのものの地域支持基盤の空洞化を表したことである。かつて、革新知事時代も連綿と背後に置かれ、知事からも手を触れさせないでいた周辺各種団体連合が、分散・崩壊の道を歩んでいる。あたかも、全特(旧全国特定郵便局長会)が自民党と袂を分かったごとくである。産業構造の変化と長期不況および小選挙区制の、現段階での結果を示している。

 今回、都行政中枢の干渉も激しかった。選挙戦最中に、有権者の批判が多かった都立小児病院統廃合の都広報全戸配布、新銀行東京の(累損の改善にさえならない)短期決算好転のプレス発表など、表に出た行動だけでも、都行政を使った露骨な干渉がなされた。また、石原軍団は「裕次郎二十三回忌祭典」を、投票前週に、国立競技場で開いた。
 これらすべてが、自民得票に好影響をもたらさなかった。深部における地盤変動は確実に進行している。生活全般における欲求不充足は、急速に高進している。都政はそれらに応えていなかった。これが、今回選挙結果として現れた都民の意志である。

 これらの結果は、民主党に何を求めているのか。
 端的に言うと、次都議会冒頭から、都中枢幹部を先頭にした、都議会民主党議員への“恫喝”は、頻発するだろう。次回統一地方選挙まで2か年を割っている。知事選での敗北を避けることが、彼らの必須目標になる。そのための到達可能な目標が、都議会民主党の切り崩しである。総選挙終了を(どちらの結果が出るにせよ)彼らは待っている。
 第一に、具体的な議会行動においては、非自公の協働体制を是が非でも成功させることである。第二に、情報共有の立場に立ち、公開を徹底し、絶えず都民との対話を続けることである。自治体の統治体制はいわゆる大統領制であり、首長は住民の直接投票で選出されている。だから、味方として獲得すべきは、首長を選出したと同じ住民である。政治権力の獲得過程を混同してはならない。
 
 これからの移行期に求められるのは、住民に対する論理的な説明、意見交換であると思う。「風」論が一般化しているように、有権者の選択行動は、長期的にみると(いつの時代でも)定着しているものではない。時代閉塞状況を共通項に置き、その先に来るべき姿を、「チェンジ」の結果としてイメージにおいて捉えている。イメージは、論理知・形式知と絶えず行き来することによって脳の中で確信に変わり、より長期に安定したものになる。だから、その媒介は、論理の提供によってもたらされる。組織としての政策論争と一致した方針確立によって、論理的な主張が可能となる。この役割が、都議会民主党には求められてくる。
 地方自治が、民主主義の学校であり、生活保障の現場である。都議選は、総選挙と知事選と続く政治過程の出発点である。自治体議会の獲得は、新しい政治フィールドを作る。期待はすこぶる大きい。

 【出典】 アサート No.380 2009年7月25日

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【投稿】エカテリンブルクとラクイラの落差

【投稿】エカテリンブルクとラクイラの落差
                             福井 杉本達也

Ⅰ 上海協力機構の役割
 6月17日、ロシアのメドベージェフ大統領と中国の胡錦濤国家主席の首脳会談により、石油・ガスなどエネルギー分野で1000億㌦規模の契約に合意したと発表。エネルギー取引の決済で人民元とロシアルーブルの活用を増やし、国際金融市場で中ロの立場強化を求める意向を示した。中ロは米ドルの価値下落への懸念を強めており、ドル一極体制からの脱却を図っている(日経:2009.6.18)。昨年来の金融危機以降、米国は巨額の財政支出と超金融緩和を行っている。しかし、「こうした米国の行動は、まともに国の借金を返済する気があるのか、インフレにして、どうにか払わないで済ませたいのではないか 。そんな疑念を中国とロシアが抱いても仕方がない。そのうえ、よくよく考えると、中国とロシアのお金は、米国国債を通じ、自分たちに対する軍備強化に投じられていることになるわけだ。中国とロシアは、もはや効果の薄れた、ドルを支える目的の資本輸出を減らしかねない。それは米国の軍事費の資金調達を抑制し、けん制できるということだ。米国にとっては大いなる脅威である」と日経のコラム『大機小機』は分析している(日経:2009.6.25)。
 この上海協力機構の首脳会議に先立ち、16日にはBRICsの初の首脳会議が開催され、冒頭の挨拶でメドベージェフ大統領は「世界の金融システムの改革につながる提案をしたい。今回の会議はBRICsという枠組みの出発点となる」と述べ、欧米への対抗軸としての立場を鮮明にした(日経:6.17)のである。

Ⅱ 胡錦濤主席-ラクイラ・サミット欠席の意味
 このエカテリンブルクの首脳会議から3週間後に開催された、ラクイラ・サミットでの成果はどうであったのか。肝心の主役・中国の胡錦濤主席は新疆ウイグル自治区の暴動を理由に予定を急遽変更して帰国してしまい、当初、先進国側が期待した温暖化ガスを2050年に半減する(発展途上国の経済成長をと抑える)いう合意はできず、オバマ米大統領は7月10日のサミット閉幕後の会見で「中国、インド、ブラジル抜きでは意味がない」と述べ、今後はG20 重視の枠組み再編を目指す構えを明言した(日経:7.11)。
そもそも胡錦濤主席はなぜ途中で欠席したのか。中田安彦氏は「大西洋同盟主導の世界秩序に対しての嫌がらせをしていく。いつの間にか覇権国が中国になっていた、という既成事実の実現を狙っていく」(ブログ・「ジャパン・ハンドラーズと国際金融情勢」:2009.7.12)とし、原田武彦氏は「中国勢は今回のサミットで、基軸通貨の問題や米ドルないし米国債をめぐる自らの態度表明をするには時期尚早だと判断していたのではないかと判断した」と分析している(同氏ブログ・2009.7.9)

Ⅲ ドルを特権的地位から引きずり降ろそうとする中国の強い意志(周総裁論文)
 周小川中国人民銀行総裁の論文については日本では、金融サミット直前の4月1日の日経が「主権国家とつながっていない通貨を創設することは、国際通貨体制改革の理想的な目標だ」と指摘したと報道したが、ことの重大性の割には極めて扱いの小さな記事であった。周総裁の論文については田代秀敏氏が『エコノミスト』(2009.623)誌上に翻訳全文を掲載している。田代氏の解説によると、周論文は、金との交換が保証されないドルが基軸通貨の地位にある現在の国際金融体制が、金融危機を発生させているとし、準備通貨の条件として①貨幣価値の安定的な基準があること、②その総供給量は需要の変化に柔軟に対応して調節されること、③その調節は、ある1つの国の経済の利益を超越したものであること挙げている。中国の狙いは、米国に代わって基軸通貨の発行国になることではなく、IMF特別引出権(SDR)を準備通貨として米州がドル圏、欧州がユーロ圏、アジア・アフリカが人民元となる構想である(田代:『エコノミスト』2009.6.2)。
 周論文は「全世界が現行の(国際)通貨システムに支払った代価は、そこから得た利益を超えているかもしれない。準備通貨の使用国は重い代価を払わなければならないし、発行国は日増しに増大する代価を支払っている」と言葉は慎重だが、明らかに、イラク・アフガンの軍事支出や原油・世界貿易の決済などドルを大量に印刷し湯水のごとく世界にばらまいてきた、これまでの米ドル特権を剥奪しようという強い意志が脈々と流れている。これに対し、米国はあらゆる手段を行使して自らの特権を守ろうとしている。「属国」としての日本には、当然の如く米軍駐留経費の負担を要求し、郵政民営化の340兆円の資金を米国に掠め取ることを画策している。一方、7月9日のG20ではブラウン英首相に「深刻な気後退から脱却しようと一努力している今、大きな変化を変化が近く起こるという一印象を与えたくない」と発言させ中国を牽制し(日経:7.10)、また、サミット終了後、ガイトナー財務長官は7月14日にはロンドン・サウジアラビア・UAEを訪問し、ドル資産の安全性を強調しオイルマネーの米国への環流ルートの補修に奔走した(日経:7.15)。

Ⅳ イラン「カラ―革命」とウイグル暴動の間
 補修は「平和的な」話し合いだけではない。時には恫喝も必要である。イランは上海協力機構のオブザーバー国であり、今回6月16日の上海協力機構の首脳会議に出席したが、会議に合わせるようアハマディネジャド大統領の再選に不正があったとして13日から反政府デモが広がった。6月16日付の日経は「米国務省高官は16日、イランの大統領選を巡る抗議デモの参加者らが情報交換の手段として利用しているミニブログ『ツイッター』に、サーバー増強のためのサービス中断を遅らせるよう要請していたことを明らかにし」、通信手段による情報の攪乱を行ったことを明らかにしている。「テヘランの抗議デモに、心からの参加者が多数いたことは疑うべくもない。しかし、抗議デモは、CIAが仕組んだグルジアやウクライナでの抗議デモの特徴を共有している。すっかり目をつぶらない限り、これが見えないはずがないのだ」(Information Clearing House:Paul Craig:ブログ「マスコミに載らない海外情報」訳)。“緑の革命”は中国・ロシアが主導する上海協力機構の内部攪乱をねらったものである。
 また、中国新疆ウイグル自治区でも7月8~10日のG8・G20首脳会議に合わせるように7月6日から暴動が広がった。中国はチベット族やウイグル族・モンゴル族など少数民族を55民族も抱えており、少数民族問題は中国のアキレス腱である。この間の中国の急激な経済成長により、沿海部と内陸部の格差、漢民族と少数民族の経済格差・軋轢は広がっている。中国はラビア・カーディル氏が率いる「世界ウイグル会議」こそ新疆「7・5」事件の首謀者であると決め付けたが、同会議は米国家民主基金会(NED)からの支持と資金援助を受けており(Wikipedia)、一連の中国牽制策の一つといえる。上海協力機構が強化されれば、陸路でEUもロシアも中国もイランやインドまでもつながる。日本へもサハリンや朝鮮半島を経由して、石油も天然ガスもパイプラインで運ぶことが可能となる。わざわざ天然ガスを液化してLNGとして運ぶことも、アラビア海を“海賊の襲撃”を恐れつつタンカーで運ぶこともいらない。これは18世紀以降続いてきたアングロサクソンの海洋覇権の終わりを意味する。覇権は徐々に中国に移りつつあるが、米国はそうやすやすとドルの特権を剥奪されることを望んではいない。今後、あらゆる手段で妨害を試みるであろう。

Ⅴ それでもアングロサクソン金融資本の泥舟にしがみつく日本
 新生銀行・あおぞら銀行の合併が行われるという。新生銀行は旧長期信用銀行であり、1998年の経営破綻後リップウルドに買収され、米ファンドJCフラワーズが、あおぞら銀行は旧日本債券信用銀行であり同様に1998年に経営破綻し、米ファンドサーベランスが50%超を支配している。既に新生銀行には3兆2,350億円、あおぞら銀行には3兆1,414億円が国の贈与という形で国民の税金がつぎ込まれている。さらに公的資金が新生銀行には2,169億円・あおぞら銀行には1,794億円残っている。万一両銀行が破綻すればこの公的資金は戻ってこない(日経:7.3)。日経の広告面には新生銀行預金1.3%、あおぞら銀行1.5%といった数字が踊っている。両銀行ともインターネットバンキングにより高利回りの預金を募って資金調達を行い、資金繰りのショートによる破綻を回避しようとしている。もし、両行が破綻すれば、これらに預けた個人預金が1,000万円以下なら全額預金保険機構が負担することになろう。元々、新生銀行・あおぞら銀行とも設備資金等の長期資金の安定供給を目的に金融債を発行して資金調達を図る銀行であったため支店数も少なく、かつ、破綻後に大手の融資先を切るなどしたため、国内に優良融資先はなく米国に資金を環流していると思われる。これがリーマンショックで焦げ付き青息吐息の状態にある。そもそも、定期預金金利が通常0.2%程度というのが常識であり、1%以上の金利を提示するなどはきわめて異常であり、しかも、国内・国外にも融資先がないとなればそのようなビジネスモデルが成立するはずはない。いずれ、公的資金に泣きついてくると思われるが、いったいどこまでアングロサクソン金融資本に奉仕するのか。
 かつて、ケインズは『インドの通貨と金融』(1913年)の中でポンドとルピーの為替レートを分析したが、当時のイギリスの軍事費、国家公務員年金は主としてインドが負担しインドのルピーで支払われていた。イギリスの軍隊はインドを守るためにあるという名目で、軍事費の大半をインド政府が支払っていたのであるが(「解題―ケインズ一般理論」宇沢弘文)、100年後の日本も同様の状態にある。しかも日本は「独立国」?であり、当時のインドのような英国の植民地として英連邦の一部という立場にはないのであるが、おもいやり予算で米軍の駐留経費の負担をし、海兵隊のグアム移転費を負担するというのである。足の先から頭までどっぷりと浸かった「日本占領」をどう「リセット」できるのか、日本国民の真価がこれから問われることになる。

 【出典】 アサート No.380 2009年7月25日

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【書評】『シベリア抑留とは何だったのか──詩人・石原吉郎のみちのり』

【書評】『シベリア抑留とは何だったのか──詩人・石原吉郎のみちのり』
                (畑谷史代、岩波ジュニア新書、740円)

 本書は、中高生向けのシリーズ本の一冊ではあるが、内容的には十分な重さを持っている。対象となる人物は、詩人・石原吉郎(1915~77)。かつてシベリア抑留の体験を秘めた魂からの深い声を発した詩人として知られていた。本書はこの石原を取り上げて、その足跡をたどる。「いまごろなぜ石原吉郎の話を?」という問いに対して本書は、沖縄の作家・目取真俊との対談において、目取真が触れた石原の言葉、「人間とは、加害者であることにおいて人間となる」(=自らの加害者性を自覚して、そのことを深く考えたとき、人間は真の人間となるのだ)に注目し、この意味するところを解明しようとする。
 石原は、1945年から53年までシベリアに8年間抑留されるが、抑留体験をエッセーで発表し始めるのは60年代の終わり、そして主要なエッセーが世に出るには復員から16年間の時間が必要であった。この間石原は、「内なるシベリア」について問い返し続ける。視点は二つある。
 その視点の一つは、石原の『ある〈共生〉の経験から』に書かれている極度の飢餓状態に置かれた収容者たちに間に生まれた〈慣習〉である。本書から引用する。
 「軍属や民間人が主に収容された第三分所では、兵士用の飯盒を所持していた人が少なく、食事は二人分が一つの飯盒で配られた。収容者は二人ずつの〈食罐組〉を組み、一人が飯盒に入った食事を同じ大きさの空き缶二つに分ける。その間、もう一人は瞬きもせず相手の手元をにらみつけている。豆が沈んだ薄いスープも、雑穀の三分がゆも、完全に『公平』に分けなければならない。互いの生死がそれにかかっていた。/食事を分け終わると、途端に食罐組は解消する」。
 「眠るときにも、二人一組の〈共生〉と〈連帯〉の関係は生まれた。真冬の外気が氷点下三〇度に達するこの地で、収容者たちは一人に一枚支給されるだけの毛布を、二人が、一枚を床に敷き一枚を体にかけて、体をくっつけあって眠った。〈いま私に、骨ばった背を押しつけているこの男は、たぶん明日、私の生命のなにがしかをくいちぎろうとするだろう。だが、すくなくともいまは、暗黙の了解の中で、お互いの生命をあたためあわなければならないのだ〉と石原は書く」。
 この〈共生〉と〈連帯〉の関係—-「それは、助け合って生きる、というような甘いものではなく、不信と憎悪を向け合う人間同士が、自分が生き延びるために結ぶぎりぎりの関係にほかならなかった」—-が、石原の社会に対する姿勢を形成する。そしてこの収容所での状況が、戦後日本の日常—-反目と競争と孤独の状況—-につながっていることを自覚する。
 この石原の視点に関して、哲学者・鶴見俊輔は、かつてこう述べた。
 「このように、身近の協力者の中に敵を見る眼は、敵という概念を新しいものにした。/自分からはなれて特別に悪い個人がいて、それが敵であるというわけではない。自分とある関係にたつ時、その人は敵になる。ということは、ある人は加害者で、ある人は被害者というふうに切りはなすことをやめることであり、加害者–被害者という自分の輪から一歩はなれることである。/被害者として自分を規定して、その立場から加害者を告発するという方法をとらない見方である。この決断は、政治に対する石原吉郎の独自のかかわりかたへのいとぐちとなる」(鶴見『私の地平線の上に』)。
 「石原は、スターリンの牢獄については証言はしても、告発をしないように自分を抑制する。それは告発する自分の行動の中にもう一つの専制国家への芽を見ているからではないか」(同)。
 もう一つの視点は、石原が次の文章に書いている違和感である。
 『私は、広島告発の背後に、「一人や二人が死んだのではない。それも一瞬のうちに」という発想があることに、つよい反発と危惧をもつ。一人や二人ならいいのか。時間をかけて死んだ者はかまわないというのか。戦争が私たちをすこしでも真実へ近づけたのは、このような計量的発想から私たちがかろうじて抜け出したことにおいてではなかったのか』(石原『アイヒマンの告発』)。
 これについて、本書はこう語る。
 「一九四五年八月六日、広島に投下された原爆によって、この年の末までに、推計で約十四万人が亡くなった。その膨大な犠牲者数が、ヒロシマを反核平和運動の象徴の地にした。/しかし、犠牲者の数で〈大量殺戮〉の恐怖を語ることが、一方で〈一人の死を置きざりにしたこと。いまなお置きざりにしつづけていること〉を、石原は〈戦後へ生きのびた私たちの最大の罪である〉と書く。〈私たちがいましなければならないただひとつのこと、それは大量殺戮のなかのひとりの死者を堀りおこすことである〉/石原が投げかけたこの問いは、ヒロシマに限らず、戦争の死者が語られるとき、どれだけ顧みられてきただろうか」。
 今日、イラクで、パレスチナで、アフガニスタンで命を奪われてる人々、あるいは日本社会において孤独や貧困に迫られて命を絶つ人々、そのような人々を集団にくくって、数字として扱ってしまうことに暴力性や頽廃を感じた石原の視点の意義が、いま問われていると言えよう。
 石原の視点は、地味ではあるが、シベリア抑留者の終わらざる「痛み」を伝えると共に、その状況が現代日本社会と通底していること、そしてその克服への道が「量としての人類に対してうったえる政治思想ではなく、一人の人からもう一人の人に呼びかける政治思想」(鶴見)にあること再確認させる視点である。(R)

 【出典】 アサート No.380 2009年7月25日

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【本の紹介】『危機突破の経済学 日本は「失われた10年」の教訓を活かせるか』

【本の紹介】『危機突破の経済学 日本は「失われた10年」の教訓を活かせるか』
                著者 ポール・クルーグマン  訳者 大野 和基
      発行 PHP研究所 2009年6月17日 第1版第1刷発行 852円+税

<<「最悪の打撃を受けている日本」>>
 本書は、アメリカを代表する経済学者の一人、ポール・クルーグマン教授(プリンストン大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授兼任)が日本の読者向けに行った訳者自身による単独インタビューをまとめたものである。クルーグマン教授は、昨年の米大統領選では反ブッシュの旗手としても知られ、民主党大統領候補指名のキャンペーンではヒラリー・クリントン候補のメディケア政策を擁護してきた。また、「貿易のパターンと経済活動の立地に関する分析の功績」によって2008年度のノーベル経済学賞を受賞している。関連した著書に、『嘘つき大統領のデタラメ経済』 三上義一訳(早川書房, 2004年)、『格差はつくられた 保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略』 三上義一訳(早川書房, 2008年)、『世界大不況からの脱出 なぜ恐慌型経済は広がったのか』 三上義一訳(早川書房, 2009年)などがある。
 教授はまた、1980年代のバブル不況後の日本の経済について、流動性の罠に落ちていることを指摘し、デフレ不況に対する日本政府や日本銀行の対応の遅さを繰り返し批判してきており、その著書に『Japan’s trap 恐慌の罠 なぜ政策を間違えつづけるのか』 中岡望訳(中央公論新社, 2002年)がある。
 今回の本書は、冒頭から、今次世界大恐慌で「最悪の打撃を受けている日本」がテーマである。
 「どうして日本は主要経済大国のなかで最悪の打撃を受けなければならなかったのか。」と問いかけ、「このパラドックスを生じさせる主な理由の1つは、日本の経済が、財、とくに耐久消費財の輸出への依存度が極めて高いことである。・・・そして、日本の問題にはもう一つの理由がある。それは、日本がまだ「失われた10年」から完全に回復していないということだ。」と述べる。
 「つまり日本は、世界経済の縮小と円高というダブルパンチを食らっているのです。
 いまの危機の最大の源がアメリカの住宅バブルがはじけたことにあったとしても、日本のスランプのほうがアメリカよりもひどくなっているのです。」
 「いまの日本の経済状況は、日本経済がいかにもろいかを示しているのです。日本経済が、2000年以降にある程度復活したことを認めたとしても、それは輸出に依存したものでしたから、やはり参考にならないのです。」

<<「この危機の犯人リスト」>>
 教授は、今回の世界大恐慌への展開について、「それでも、現在の金融危機が大恐慌以来の最悪の事態になる、まさかグローバルに景気後退してしまうなどとは、私も予測しておりませんでした。」と告白する。
 教授はこうした危機を招いた犯人リストのトップに、グリーンスパン前FRB議長をあげ、市場原理主義を説いてきたすべての経済学者、政治家を糾弾して次のように述べている。
「そして、これほどの被害を招いたのは、もちろん1人の人間によるものではないのですが、そのリストのトップにいるのは、もちろん前FRB議長のアラン・グリーンスパンです。
 というのも、グリーンスパンこそが、誰よりもこの危機を避けることができる権限能力があったからです。しかし、実際に彼がやったことは、その逆のことであり、この危機に突入するのに加担したと言っても過言ではないのです。
 そして、彼は金融規制を強化することを積極的に妨げていました。さらに彼は、多くの人に金融派生商品を広めようとしました。そして、住宅バブルがあることも、進んで否定したのです。ですから、彼こそが犯人リストのトップの人物です。
 ゆえに彼こそが最大の悪人ですが、市場の効率を説きすすめたすべての経済学者、規制をはぎとろうと必死になったすべての政治家も同じく犯人です。
 とくに元共和党の上院議員フィル・グラムは、おそらくグリーンスパンの次に悪人だったでしょう。彼は大恐慌時代の金融規制やグラス・ステイーガル法の銀行業と証券業の分離規定の緩和に、中心的な役割をしました。市場の金融商品も規制しないようにしたのです。」

<<景気後退といかに戦うか>>
 そして教授は、「景気後退といかに戦うか」というテーマの根幹に、セーフティネットの拡大を据えて、次のように述べている。
 「景気後退と戦うのに、まず政府が果たすべき積極的な役割は、本書の冒頭でも少し触れましたが、やはりセーフティネットを拡大することです。
 1930年代において、ニューディール政策により、社会保障、失業保険、給料をよくするための交渉力をサポートすることが行われました。そこで労組運動が大きく拡大し、所得の不平等が大きく減少したのです。そういう変化を、オバマ政権でも見てみたいと思っています。社会保障が70年前に社会にもたらした役割を、医療制度がこれから果たしてほしいと思っています。また景気刺激策も、少なくともアメリカにおける不平等を減少させるでしょう。
 私は2009年3月25日の議会で、医療問題について証言しましたが、いまの経済危機がヘルスケアのような、より長期的な目的の追求にどのように影響するか、ということについても話しました。
 私が主張したいのは、とにかくぐずぐずしていないで早くやれということです。ヘルスケア産業の成長が、いま我々ができる最大のことだからです。いまのアメリカの医療システムは悲惨です。ひどく不公平です。何かあって医師にかかっても、基本的な医療を受けられないということが簡単に起きます。
 解雇されると、保険給付が受けられず、病院にも行けません。このようなリスクがあることは、先進国では特異なことです。いまはある程度妥協した案でもいいので、早く作ることが重要なのです。」
 この指摘は、日本の現実とあまりにも酷似し、共通していることでもある。

<<「失われた25年」へと突き進んでいる日本>>
 しかし現実のオバマ政権については、教授は、「失われた10年」時代の日本との類似性・共通性に警告を発する。
「しかしそうしたことを踏まえても、いまのアメリカの政策を見ると、1990年代の日本のそれに類似してきているように思えます。
 つまり、財政拡大はするが、十分な拡大になっていない。金融政策を実行するが、すぐに限界にぶつかってしまう。さらに、銀行をサポートするが、日本のときと同じように「ゾンビ銀行」問題を抱えながら、足を引きずるようになってしまう可能性がとても強いのです。」
 そして日本自身について言えば、いままさに「失われた25年」へと突き進んでいると警告する。
 「いまの日本は需要が不十分であるという恒常的な問題を抱えているという主張には、誰もがたいてい納得するでしょう。確かにあの「失われた10年」のあとに、一時的な回復がありました。でもその回復は、輸出に依存したものでしたから、磐石なものでは決してなかったのです。そしていま現実に元に戻っている。
 ですから、日本は「失われた10年」ではなかったのであり、いままさに「失われた25年」へと突き進んでいると言えるでしょう。」
 日本がこの危機を突破するには、何が必要なのか。教授はここで再び強調する。
 「私が目を通した日本に関するレポートのほとんどには、日本のセーフティネットは貧弱であると書かれていました。窮状を減らし、スランプの深さに歯止めをかけるためにも、セーフティネットの強化は、いまの日本が間違いなく必要としていることの一つです。」

<<「奇妙な政策」>>
 なお、この本の出版記念として教授はこのほど来日し、訳者のインタビューを受けている。
 ―― 米連邦準備理事会(FRB)が実施した金融機関に対するストレステストの結果をどう見ていますか。
 クルーグマン:ストレステストの結果はIMF(国際通貨基金)の調査結果と一貫していますが、ストレステストそのものに不可思議な点があります。例えば状況がかなりひどい状態のシティグループについては、まだ実行していないことも評価の対象にして、状態がいいように見せていることです。
 ストレステストの前提は現在、銀行に支払い能力がある、ということですが、その前提は間違っています。今の銀行は十分機能していないのであって、いくらストレステストをやってもその事実は変わりません。
 全く意味がないテストではありませんが、先に政策を立てて、その政策を正当化するために、ストレステストをやっただけです。
 ―― 与謝野大臣と話してみて、印象はどうだったですか。
 クルーグマン:今までいろいろな国の財務大臣と話していますが、皆驚くほど無知でした。しかし、与謝野大臣はよく理解されていると思います。ただ知っていることと、それを実際に行動に移せるかは別問題です。
 ―― 日本では景気浮揚策として、高速道路料金の値下げ策を実施しています。こうした施策は有効だと考えますか。
 クルーグマン:独自性のあるアイデアだと思いますが、奇妙ではっきり言えば良い政策とは言えません。
 環境のことを考えれば、逆に高速料金は値上げすべきでしょう。自動車を運転しないと、カネが回らないという状況をつくることが、経済全体に有効なのでしょうか。
 ―― 以前「日本より中国が、先に危機から脱する」と述べていますが。
 クルーグマン:日本に来る前に中国に行ってきましたが、そこで起こっていることは何が本当で何が本当でないのか分からなくなってきました。すべてがフィクションに見えます。
 ですから、最初は中国が危機から脱するのが早いと思っておりましたが、今は分からないというのが率直な考えです。

 なかなか示唆に富む指摘といえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.380 2009年7月25日

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【コラム】ひとりごと— いよいよ政権交代だが—

【コラム】ひとりごと— いよいよ政権交代だが—

○東京都議選の結果が最終的に麻生政権に退場を命じることになった。民主党が第1党となり、自民・公明合わせても過半数に達しなかった。○あくまで地方選挙であると強弁し、責任論を回避しようとした麻生だったが、それではと、古賀選対委員長が辞任を申し出た。○古賀は、東国原宮崎県知事を選挙パンダにと奔走したが、相手が悪かった。悪乗りで「総裁候補」が前提などと高いハードル設定をされておいて、最後はビートたけしの一喝で衆議院選挙出馬を断念する結果となった。一連の報道は、マスコミを賑わしたが、パンダ探しは、逆に自民党の政権末期症状が露呈する結果となった。○都議選後の動きも同様である。野党は、直ちに衆議院に内閣不信任案、参議院に問責決議案を提案したのを受けて、麻生首相は、21日の週の解散予告、8月30日の総選挙を発表する。危機感に駆られた自民党内の不満は、両院議員総会開催への署名活動となった。麻生降ろし派と党内議論派の野合は、3分の1に達したのだが、選挙前の党執行部の恫喝の前に沈静化し、揚句、非公開の懇談会でお茶を濁すだけとなった。○これも、政権末期のただの「内紛」に終わり、国民に政権末期を一層印象づけることとなった。○何をやっても、支持率を下げる結果となり、毎日新聞(07-20)の世論調査によると、次期衆議院選挙で勝利してほしい政党として、民主党が56%、自民党が23%となり、内閣支持率も17%に下落している。○最悪の状態で、選挙に臨むことになったわけである。自業自得とはよく言ったものである。○公明は、すっきりしたもので、衆議院選挙の結果で、下野した場合は、当然連立解消し、選挙結果が僅差などの場合は、キャスティングボードを握ろうということだろう。選挙戦では、大型補正予算でのセーフティネット政策(就労支援のために給付金などの雇用対策や住宅手当など)を自党の成果と宣伝している。小泉改革・新自由主義路線に加担してきた犯歴には全く無感覚である。○そこで、共産党であるが、都議選でも5議席を減らし、惨敗している。倒産が相次ぎ、雇用状況が益々悪化している中で、支持を拡大できないのは、何故なのだろうか。総選挙でも同様の結果が予想されるのだが。○自民・公明政権が、こんな状態の下で戦われる総選挙なので、国民は、一度政権交代して、やり直しては、との風を感じている。○しかし、肝心なのは、市場原理主義・格差容認の社会システムなのか、社会民主主義的改革なのか、ということであろう。当面、自民党を否定しても、次の政権が、政策的には、自民党と代わり映えしない、ということならば、政治の混乱は、さらに継続すると見なければならない。○郵政選挙で、無内容な圧倒的多数を獲得して、自滅した自民党のように、次期政権も同様の経過を辿ることにならないか。○と心配をしているが、取らぬ狸の云々にならぬよう、暑い夏の総選挙をそれぞれの部署でしっかり取り組むこととしましょう。(佐野2009-07-20) 

 【出典】 アサート No.380 2009年7月25日

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【投稿】自壊の道を歩む麻生政権と民主党の課題

【投稿】自壊の道を歩む麻生政権と民主党の課題

<<「麻生ー、さっさと辞めろー」>>
 麻生首相は、やることなすことすべて裏目に出ている。唐突にいかにもしたり顔で提案し、閣僚に指示しながら、事態が混乱するや「最初からこだわっていない」などと空とぼけ、ドタバタ劇を演じて尻すぼみとなった厚生労働省の分割騒動がその典型であった。内閣を統率し、一貫した姿勢を堅持すべき首相としての、「矜持」も識見もなければ、指導性など皆無であることが、その稚拙極まりないその場しのぎの首相の姿勢に露骨に表れている。単に誰かの提案に飛びついただけで、要するに「首相の座」に居座り続けていたいだけなのである。
 とにかく人気回復のネタはないかと、「百年に一度の危機」を利用して、何の一貫性も政策基調も持たない巨大なバラマキ予算を編成してはみたものの、それでも一向に支持率が上昇しない。それは当然である。ばらまく一方で、平然と消費税増税を口にするのである。それも12%への増税である。そこには増税を説得、納得させることのできる哲学も一貫した政治的主張も皆無である。庶民感覚どころか、政治感覚さえ喪失しているのである。
 6/10に政府が示した「骨太の方針2009」は、社会保障費を毎年度2200億円抑制する方針をあくまでも継続し、11年度以降、消費税率を12%程度に引き上げる方針を示し、首相はこれを選挙の争点化することに固執している。与党内からは反対論、異論が続出し、マニフェストの取りまとめさえできない状況である。
 そこで首相は人気回復に躍起となり、露出度の高いイベントに片っ端から出向き、その得意とするはずの笑顔を振りまくが、いまやわざとらしいその悪代官ばりのニヤケきった不快な笑顔がかえってマイナス材料となっている。
 5/31、東京・府中の東京競馬場に姿を見せた麻生首相は、日本ダービーを制した横山騎手らに「内閣総理大臣賞」を授与するため例の笑顔で登場した。すると、会場から「麻生ー、さっさと辞めろー」というひときわよく通る声が投げかけられ、一瞬、会場がどよめいたという。

<<事実上の三くだり半>>
 麻生内閣はいまや完全な末期の迷走状態にあると言えよう。その極め付けが、今回の鳩山総務相の辞任問題である。現与党が息を吹き返す政治的選択としての麻生首相に期待された唯一の活路は、小泉・竹中主導の新自由主義路線、規制緩和・民営化路線からの決別・転換であった。その象徴が日本郵政問題であった。
 郵政民営化の本質が、340兆円にも及ぶ郵貯マネー、簡保の資金をアメリカの金融資本に開放し、叩き売る、そしてゴールドマン・サックス=住友連合にその草刈場を提供する、さらに小泉内閣の規制改革・民間開放推進会議議長となり、規制緩和の旗振り役となって政商役を買って出た宮内会長のオリックスへの利益供与をなんとしても実行する、ということであった。郵政民営化問題の表面化は、こうした隠されていた悪質な目的の本質的な膿が噴き出してきたのであった。不当に安く払い下げられようとした「かんぽの宿」問題は、その隠し切れなかった薄汚れた取引の一端が噴出した重大な疑獄事件であったと言えよう。それらの薄汚い取引がさらに暴露されることを恐れた小泉・竹中一派、それに連なる政財界が必死になって西川社長の続投と擁護に回り、麻生首相に脅しをかけ、首相はうろたえ、決断することもできず、鳩山総務相から「辞任」という事実上の三くだり半を突きつけられたのである。麻生氏を首相候補に担いだ盟友であり、有力閣僚である鳩山氏から、首相の方針は「不正義」と決めつけられて、辞表を叩きつけられたのである。麻生政権の統治能力の欠如がこれほどあからさまに露呈されたことは、もはやこの政権を支える自民・公明連合には明日はないということを示すものであったと言えよう。
 それは、鳩山総務相の辞任会見の「世の中、正しいことが通らない時があるんだなと。今はそういう思いですね。どんなに不透明で悪事をはたらいていても、私がそのことを、はっきり説明を世の中に対してもしてきましたが、今の政治は正しいことを行っても認められないことがあると。・・・私もそういった意味では、政府、内閣を去ることは躊躇しませんでした。」という言葉にはっきりと表れている。

<<「官僚の、官僚による、官僚のための政治」>>
 あの読売新聞でさえ、「今回の問題の核心は、「かんぽの宿」の不明朗な売却手続きなど不祥事が続発しているのに、西川社長が経営者としての責任を果たさなかったことにある。ところが、鳩山氏の発言が「罷免されても再任に反対する」とエスカレートするにつれ、「社長を辞めさせれば郵政民営化が後退する」といった、別次元の議論にすり替わってしまった。小泉元首相に近い中川秀直・自民党元幹事長から、首相が鳩山氏の肩を持つなら「本気で戦う」という発言まで飛び出すなど、党内抗争の兆しを見せ始めていた。首相が鳩山氏を更迭したのは、党内が混乱し、亀裂が一層拡大することを恐れたためだろう。しかし、不祥事に対する説明不足や経営責任を問う鳩山氏の主張には、肯(うなず)ける部分が少なくない。鳩山氏の指摘に共感する人は多いのではないか。」(6/13付け社説)と指摘される事態である。
 この段階での麻生首相の活路は、鳩山総務相と軌を一にし、西川社長の続投を認めず、郵政民営化の実態にメスを入れ、日本郵政問題で筋を通すところにしか存在しなかった。そうすれば、起死回生、支持率回復への大きな足がかりを得ることが可能であった。なぜなら、対する民主党は、新自由主義路線、規制緩和・民営化路線からの転換については態度があいまいであり、むしろ新自由主義路線を唱える議員が少なくはないし、鳩山・民主党党首自身が、閣内不一致を指摘すれども、麻生内閣の路線を「官僚の、官僚による、官僚のための政治」などといった的を打たざる主張を展開している状況である。「政策目標なき政権交代」論はあっても、何よりも、現在の経済恐慌に対する経済政策、不況・失業対策がいまだに不明確、かつ一貫性に欠ける状況にある。民主党ならびに野党連合が決定的な勝利を得るためには、このことこそが問われていると言えよう。
 しかし、自壊の道を歩む現在の麻生首相を先頭を先頭とする自民・公明与党連合党幹部は、民心を読む力をまったく失ってしまっている。民心の、世論の動きにまったく「鈍感」な政治には、もはや退場以外の道は残されていないと言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.379 2009年6月21日

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【投稿】朝鮮半島情勢と麻生総理のお気楽 

【投稿】朝鮮半島情勢と麻生総理のお気楽 

<一気に緊張激化>
 5月25日、北朝鮮は朝鮮中央通信を通じ、「2006年10月に続く2回目の核実験を、前回を上回る規模で成功裏に実施した」と発表した。これを受け、国連安保理は直後に緊急理事会を開催、ロシア選出のチュルキン議長が「核実験は2006年の安保理決議1718の明確な違反」とし「この問題に関する安保理決議の作業を直ちに始めることを決定する」との議長談話を明らかにした。
 日米両国は、決議には武力行使も辞さない貨物検査(海路および陸路での臨検)の義務化を盛り込むことを主張、武力衝突を危惧しこれに難色を示す中国、ロシアとの間で長期間の駆け引きが続いた。
 この間アメリカや韓国のマスコミが「北朝鮮が長距離弾道ミサイル(ICBM)、さらには日本を狙った中距離弾道ミサイルの発射準備に入った」と報道。さらに6月8日、北朝鮮は先に中朝国境地帯で拘束したアメリカ人女性記者2人に対し、労働教化12年の判決を下すなど、金正日政権は対決姿勢を一層エスカレートさせている。
 一方、韓国政府も核実験を受け、PSI(大量破壊兵器拡散防止構想)への全面参加を発表、さらにクリントン国務長官は「テロ支援国家再指定」の検討に言及するなど、朝鮮半島情勢は危うい状況のまま推移している。

<麻生首相の「戦う覚悟」>
 こうしたなか、麻生太郎首相は6月7日、東京都武蔵野市で都議選応援の街頭演説を行い、北朝鮮に対して「戦うべき時は戦わなければならない。 その覚悟を持たなければ国の安全なんか守れるはずはない」と発言、聴衆を唖然とさせた。
 発言を素直に解釈すれば、戦争を想定したものに他ならず、自民党国防部会等が主張する「敵策源地先制攻撃論」と相まって、北朝鮮メディア風に言えば「宣戦布告」に等しいものである。「敵基地先制攻撃可能論」については、1956年に鳩山一郎内閣の政府統一見解として出されたものである。
 米ソ冷戦時代の想定と現在の情勢の変化を考慮することなく、「法理上は可能」などと一般論で開陳した口も渇かないうちに、唐突に北朝鮮攻撃という具体論に飛躍させてしまうのは、北朝鮮が過去繰り返している「○○○を火の海にしてやる」などの過激発言と同レベルの、思慮を欠いた軽率きわまりないものだ。
 ただこれが口先だけであるのは、万人の知るところで、選挙戦を闘う覚悟もない人間が、国民に対して戦争の覚悟を説くなど、笑止千万である。
本人は「国際的な空気を読んだ」つもりなのだろうが、国連などを舞台に、心理戦も含めた丁々発止の駆け引きが展開されている最中に、あまりに単純な発言は、事実上日本政府が蚊帳の外に置かれていることを、自ら証明したものとも言える。

<妥協の「国連決議」>
 日本国内閣総理大臣が世界中にその浅はかさを見せつける中、国連安全保障理事会は6月13日(日本時間)、北朝鮮の核実験に対する制裁決議案を15理事国の全会一致で採択した。
 決議は貨物検査と金融制裁、武器禁輸を主な内容とし、「安保理決議1718」と合わせ、北朝鮮の核兵器、ミサイル開発および核拡散阻止のため、関連物資と資金の遮断をめざすものとなっている。
 同決議では5月25日の核実験を「最も強い表現」で非難し、安保理各国が、国連憲章7章のもとで行動し、同章41条が定めた経済制裁などをとるとしている。これに従い人道支援目的以外の金融、援助は大幅に制限されることとなった。
 米中の間で焦点となっていた、貨物検査に関しては、禁輸物資積載疑惑がある場合、国連加盟国に「公海上では当該船舶が所属する国の同意を得て検査する様に求める」とされ義務化は見送られた。
 要は米中の妥協の産物であり、中国が本気で履行しなければ実効性は保障されないものであるが、麻生政権は日本外交の成果と自画自賛している。

<強硬姿勢の裏側>
 しかしこれに対しても北朝鮮は、同決議が採択された会議を欠席するなど、反発を強め「国連脱退」「3回目の核実験強行」も一部では取りざたされている。
 この一連の瀬戸際外交の背景には、病身の金総書記の後継者問題、「核保有国の権力者」として三男正雲氏に箔をつけるため、など様々な憶測が為されている。金日成誕生100年を迎える2012年までには、「強盛大国」と世襲の実現を図りたいのは確実といえる。
 逆に見れば、残された時間はあまりなく、昨年夏の健康悪化という想定外の事態に焦りを深めた金総書記が、矢継ぎ早に「ミサイル発射」、「核実験」という強硬手段を打ち出しているのは、動揺の反映とも言えよう。
 そしてここに来て、これら北朝鮮が喧伝する一連の成果に大きな疑問符が付き始めている。4月に発射された「テポドン2号改」は、北朝鮮の発表に寄れば、地球の周りを回っているはずである。しかし実際は、飛距離こそ以前よりは伸びたものの、予定された「人工衛星」の軌道投入はおろか、2段目3段目の分離にも失敗し、太平洋に落下したことが明らかとなっている。
 さらに2回目の「核実験」についても、核爆発にともなう特有の放射性物質が、日米韓の採取、測定活動にも関わらず、いまだに大気中から検出されていないことから、「失敗」もしくは、通常火薬を大量に爆発させた「偽装」だったのではないか、との見方が出てきている。
 第1回目の時は、米韓の測定で放射性物質が検出され、核実験の裏付けとなった。しかし今回は、そうした物的証拠がないため、このような疑惑が持ち上がっているのである。

<最後まで「まんが太郎」か>
 考えてみれば、北朝鮮が核実験に失敗、あるいは実施しなかったというなら、その方が、近隣諸国はもとより国際社会にとって良いに越したことはない。そもそも「拉致問題」でも「総書記健康問題」でも「北朝鮮の言うことはみんな嘘である」という姿勢を崩さない勢力が、なぜ「核、ミサイル」だけは素直に信じてしまうのか不思議ではある。
 北朝鮮自身は何があっても「失敗でした」「やっていません」とは言えないだろうし、アメリカもおかしいと気付いていながら、不問にしていた方が日本などをコントロールしやすいことから、「核実験はあった」ということで、問題は推移するのかも知れない。
 この期に及んでも麻生内閣は正確に事態を把握していないようだ。日本政府は国連決議に船舶検査の義務化を盛り込むよう主張していた。にもかかわらず、日本にはその体制が無く、公海上で実施するには新法が必要なことが露呈してしまい、ソマリア沖派兵とはうってかわって「とりあえずは領海内で海上保安庁に任せる」という無責任ぶりである。
 麻生首相には、同じくまんが好きと言われる金正雲氏を日本に招待し「国立まんが喫茶」で一緒にアニメに興じる姿が似合っている。そのほうが平和でいいかもしれないが、残された宰相としての日々を安穏として過ごさせてくれるほど、内外情勢は甘くはないのである。(大阪O)

 【出典】 アサート No.379 2009年6月21日

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【投稿】北朝鮮の2度目の核実験と日本の立ち位置

【投稿】北朝鮮の2度目の核実験と日本の立ち位置
     -豊下楢彦・「昭和天皇・マッカーサー会見」から読み解く-
                           福井 杉本達也 

1 米中との“距離”のとりかた
 北朝鮮が5月26日に2度目の核実験をして以来協議を重ねていた国連安保理の追加制裁決議が6月13日にようやく出された。緊張状態を極度に高め、偶発的戦闘が起こることが予期される船舶の「臨検」については、船籍国の同意を求める内容であり、非軍事的分野に限定されることとなった。核実験から安保理決議までの間に、韓国国家情報院から金正日総書記から三男・正雲?(ジョンナム)氏への権力継承の情報が流された(日経:2009.6.3)。スタインバーグ米国務副長官も「核実験強行やミサイル発射準備など相次ぐ強硬姿勢の狙いが内部の体制固めにあるとの見方を強め」(日経:6.4)、決議直前には北朝鮮問題担当のボズワース特別代表は9日「北朝鮮が一連の行動は米国の敵対的な態度に対応するものとしていることについては、米国には敵対心はないと否定。『米国には北朝鮮を侵攻したり、武力をもって北朝鮮体制を変革させようとする意向はない』とし、北朝鮮に対して6カ国協議の場に戻るよう呼びかけ」(ロイター:2009.6.10)北朝鮮の安全保障を確約した。北朝鮮の意図は「体制の生き残り」であるが、国内的には「体制の引き締め」、対外的には中露・特に中国の影響力をいかに少なくして「独自路線」をとるかである。「権力継承」情報が事実かどうかは確認できていないが、米韓から「体制固め」のみと見られたとすれば、核実験の政治目的は失敗である。
 
2 北朝鮮の位置とチェコの位置
 麻生首相は5月にチェコを訪問した際、チェコを「チェコスロバキア」と言い間違えたが、北朝鮮もチェコも米が提唱した「不安定の弧」(arc of instability)(それを猿真似し2005年の安倍内閣発足時に麻生外相(当時)が提唱した「自由と繁栄の弧」)の最外周部に属する。チェコ・ポーランドにMD網を設置することと、北朝鮮に核実験・ミサイル発射騒動で日本にMD網を整備したこととは、どちらもロシアの核戦略包囲網の一環であり、上海協力機構の包囲網として連動している。オバマ大統領が4月5日にわざわざ、チェコの地において「核軍縮の包括構想」を打ち上げたが(日経:2009.4,6)、「不安定の弧」を不安定化させておくことこそ米英金融資本・軍産複合体の主要目的である。その意味で米英金融資本の北朝鮮の利用価値ははっきりしていた。ところが、イラクで足をとられ、アフガンでも泥沼につかり、NATO軍はパキスタンルートからの補給が困難となり、ロシアルートやイランルートからの補給を考えざるを得なくなっている(日経:2009.3.25・毎日:3.28)。また、ラトビア・ポーランドをはじめとする東欧は金融危機でMDの火遊びどころではなくなってきている。上海協力機構包囲網は今まさに崩壊寸前という状況にあり、北朝鮮の“価値”も米ドルの信認のように低下しつつあるのではないかと金正日“王朝”が考えたとしても不思議ではない。
 
3 ガイトナーの土下座外交
 6月3日の日経は「財政赤字半減中国に公約」という見出しを掲げ、ガイトナー財務長官は「米議会に提示した財政赤字の半減構想を胡主席にも伝えたもようで、事事実上の対中公約とする考えを示した形だ」との記事を掲載した。まさに米国債を中国に買ってもらうための歴史的土下座外交である。覇権が米国から中国に徐々にではあるが移行しつつあることを如実に示すこととなった。そのガイトナーの片思いを逆なでするかのように、5日には500億ドルのIMF債(ドル、ユーロ、円、英ポンドで構成する合成通貨SDR(特別引き出し権)建て)を購入すると発表した。すかさず、ロシアも10日、米国債を売却しIMF債を100億ドル購入するとし、ブラジルも100億ドルのIMF債の購入を発表した(日経:6.3・6.11・6.12)。
 
4 危うい軍拡カード
 4月の北朝鮮の「人工衛星」では日本に落下してきたら「迎撃」するとして、イージス艦やPAC3部隊を東北地方や周辺海域に移動させるなどの一連の「戦争騒ぎ」をやったが、今回も麻生首相は6月7日、都議選応援演説の中で、北朝鮮問題に触れ「我々は戦うべき時は戦わねばならない。その覚悟を持たなければ国の安全なんて守れるはずがない」と語気を荒げて戦争の必要性や軍備増強の必要性を力説した(きっこのブログ:6.7)。中谷元自民党安全保障調査会長は「『座して自滅を待つべしが憲法の趣旨とは考えられない』との鳩山一郎首相の答弁がある。」とし、民主党の前原誠司副代表は「まず遅きに失している感じがする。」とこれに応えた(県民福井=中日:6.6)。自民党国防部会・安全保障調査会の合同部会は6月9日、敵基地攻撃のために巡航ミサイルなども持つべきだとの提言をまとめた。これらとは別に、昨年10月に航空幕僚長を更迭された田母神俊雄氏は、毎月20~30回の講演をこなし、「核を持っている方が日本は安全。日本の政治家だけ持たない方が安全だと寝言を言う」と独自核武装の必要性を煽り続けている(福井:6.5)。
 こうした一連の動きは、米国の覇権が弱まってきていることへの日本側の焦りである。日本はアングロサクソン金融資本の「属国」のまま一緒に沈没するのか、中国の「冊封体制」に入るのか厳しい選択をせまられつつある。北朝鮮と日本とは向かい合わせの鏡で踊っている。違いは、日本には何の戦略もないが、北朝鮮には「体制の生き残り」というはっきりした戦略があることである。
 
5 昭和天皇の「国体護持」が安保体制の出発点
 なぜ、日本には何の戦略もないのであろうか。解くカギは日米安保体制の発足時にある。豊下楢彦関西学院大教授は『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫:2008.7.16)の中で、日本が米軍の占領期から独立するにあたって、米国の最大の関心事は「占領期と同じように、米軍が日本に駐留し基地や国土を自由に使用する権利を確保することにあった」とし、当時、交渉に当たっていたダレスは“無条件に”米軍が日本国土を使用するという「『このような特権』を米国に与える『いかなる政府』も『日本の主権侵害を許したという攻撃』にさらされるであろう」と非常に困難な課題として認識していたのであるが、昭和天皇は講話交渉を担っていた吉田首相をバイパスする形で、『二重外交』を繰り広げたと分析している。昭和天皇は1949年9月のソ連の原爆実験成功、10月の中国革命、50年6月の朝鮮戦争の勃発を「日本有事」「天皇制の有事」ととらえ、「革命」と「戦争裁判」と天皇制の打倒に繋がるものと看ていた。この未曽有の危機を救えるのは米軍以外にはないとし、吉田首相が米軍への基地提供で動揺することは許しがたいことであり、まして、基地提供を交渉カードに使おうとする白州次郎らなどの発想それ自体が認められないと考えていたのである。日本の基地提供と米軍駐留は、天皇制の死守をはかる昭和天皇にとって絶対条件だったのである。結果、日本は無条件的に米軍駐留を「希望」「要請」し、基地の「自発的オファ」に徹するものとし、1960年に改正する旧安保条約には「内乱条項」が盛り込まれ、革命から天皇制を守るきわめて重要な位置を占めていたのである。こうして「国体護持」を保障する安保体制こそ「独立」を果たした日本の新たな「国体」となったと指摘している。
 
6 富田メモの解釈
 こうした文脈で2006年7月20日に日経紙上で公表された富田朝彦元宮内庁長官が残した日記・手帳(「富田メモ」)を豊下氏は読み解く。公表当時、小泉首相の靖国神社参拝問題が日中間の外交の障害となってこともあり非常に注目されたが、櫻井よしこ氏ら保守派の論客からは“捏造”説まで出された。富田メモの靖国神社参拝にかかわる部分である1988年4月.28日の記述で、昭和天皇は「私は、或る時に、A級(戦犯)が合祀され、その上、松岡、白取(原文のまま)までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と述べていた。そもそも靖国神社は天皇のための戦争によって死んだ兵士らを祭る神社であり、天皇の存在なしにはアイデンティティを維持しえない。その神社に天皇裕仁はA級戦犯の合祀後1976年以降一度も参拝せず死去し、現在の天皇明仁も一度も参拝していない。昭和天皇のスタンスは極東軍事裁判に「謝意」すら表明し、「すべての責任を東条にしょっかぶせるがよい」として、日米合作により東京裁判を切り抜けたのである。戦争責任を追及され天皇制廃止の可能性も否定できなかった当時、昭和天皇の側近として奔走したのが松平慶民であったが、その子松平永芳は「親の苦労も知らず」で、東京裁判史観を否定し、靖国神社宮司として東条らA級戦犯を合祀したのであるが、東京裁判の受諾と安保体制は不可分であり、合祀は天皇制の「国体」を根本から揺るがす行為であった。昭和天皇と松平永芳の東京裁判に対する見方は180度異なっていたのである。
 
7 保守派の論調と天皇制
 保守派の論客関岡英之氏は「拒否できない日本」(文春新書)や「奪われる日本」(講談社現代新書)などで、米国の年次改革要望書や郵政民営化の狙いなどを積極的に暴き、アングロサクソン的価値観・グローバリズムを批判してきた。だが、一方では関岡氏は「安倍晋三氏は自民党の結党以来の悲願だった憲法改正のための国民投票法の制定、教育基本法の改正、防衛庁の省昇格という三つの偉業を成し遂げました」(日本会議「日本の息吹」:2009.5)と安倍内閣の憲法改正の一連の流れを積極的に評価するとともに、「奪われる日本」においても「皇室の伝統を守れ」という1章をわざわざ設け、米国の覇権が弱まる中で、「日本の伝統」「天皇制」に独自の国家戦略の根拠を求めようとしている。
 しかし、昭和天皇の対米論は関岡氏の“期待”とは裏腹な無条件の服従であり、東京裁判の絶対承認の上に「天皇制」「国体」が守られたということであり、その結果、日本国土は60年以上にわたり米軍占領下にあり、「沖縄処分」がある。したがって、関岡氏を始めとする右派の論調とは「異様な“ねじれ”現象が生じている」(豊下)のである。小泉・竹中氏といった新自由主義者ばかりでなく、米中の狭間で揺れ動く関岡氏が依拠しようとした「天皇制」=昭和天皇その人こそ、1300年もの歴史を誇る「国体護持」のためにリアリスティックに日本を米国に売り渡した徹底した売国奴であったのである。天皇の外交について「政治的責任を負えないもの、公に説明責任を果たし得ないものが政治過程に介入し影響力を発揮するということは、日本の政治と民主主義の根幹を突き崩すことを意味している。仮に、この状況を評価せざるを得ないとすれば、日本の政治の持つ病根は限りなく深く、日本の民主主義は救いがたく未成熟である」(豊下)。60年後の今日も我々はまだこの現状を克服していない。中部大学の武田邦彦氏は「原爆報道は『凍り付いている』と思う。それは,『現状を報道できず,単に北朝鮮のことだけしか言えない』という報道だからだ。アナウンサーの口元は凍り付いていた。・・現在,アメリカとロシアが持っている核爆弾は2万5000発と言われている。さらにイギリス,フランス,中国など国連の安保理の中心国はすべて「核爆弾」を持っている。『自分たちは正しいから核爆弾を持っても良いが,北朝鮮は間違っているから核爆弾を持ってはいけない』という論理の正当性はいつまで続くのだろうか?」とブログで述べているが、昭和天皇から連綿と続く呪縛から抜け出さない限り、「口元は凍り付いた」ままであろう。

 【出典】 アサート No.379 2009年6月21日

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【本の紹介】『スラム化する日本経済 4分極化する労働者たち』

【本の紹介】『スラム化する日本経済 4分極化する労働者たち』
               著者 浜 矩子(同志社大学大学院教授)
             講談社+α新書 2009年3月20日発行 838円+税

<<「年末底入れ・来年回復」説>>
 このところ、今回のグローバルな世界経済恐慌はそれほどたいしたものではなく、これ以上深刻化することはない、「年末底入れ・来年回復」するという楽観的なシナリオが盛んに喧伝されている。6/9に開かれた日米欧の経済協力開発機構(OECD)経済政策委員会は、今月末に発表する世界経済アウトルック(見通し)で各国の成長予測を前回予測から引き上げることを決め、各国とも生産や貿易が底を打ち、企業心理が改善、世界景気は年末に底入れし、来年には回復に向けた動きが出てくるとの見方を示すという。
 日本でも6/12には、東京株式市場で日経平均株価が、昨年10/8以来約8カ月ぶりに1万円台の大台を回復し、6/12、イタリア南部レッチェで開かれた主要8カ国(G8)財務相会合でガイトナー米財務長官と与謝野馨財務・金融・経済財政相が会談し、日米両国の経済動向について、景気後退が緩やかになり、最悪期を脱しつつあるとの見方を確認したという。
 景気動向はジグザグな過程をたどるものであり、山あり谷ありで予測しがたいものであるが、問題は経済恐慌を引き起こした本質的基本的原因がどのような状況にあるかを掘り下げることなく、主観的願望で判断しては裏切られるばかりであろう。1929年大恐慌時にも、翌年初め株式市場が一時持ち直し、当時のフーヴァー大統領は「好景気はもうそこまできている」と盛んに繰り返し、景気対策や市場への干渉を拒否し、「愚か者による株価の持ち直し」と揶揄される結末となった。
 今次恐慌においても、29年大恐慌以来最悪の金融危機・信用崩壊の最大の原因の一つとなった野放し・不透明・複雑怪奇なデリバティブ(金融派生商品)取引・マネーゲームにかかわった大手金融資本、「大き過ぎてつぶせない」金融機関が、ガイトナーらオバマ政権内の支援者のバックアップの下に公的資金の注入を徹底的に利用して息を吹き返し、いずれも政府に救済されたはずのシティグループやJPモルガン・チエース、ゴールドマン・サックスなどが集まって、ロビー団体「企業金融改革連合」を設立し、問題のデリバティブ取引に対する規制にあくまでも反対する傲慢・強欲な行動に乗り出している。こうした動きに力を得て、また各国の空前の規模の国債増発、市場への緊急資金供給を利用し、これまで現金や国債など安全資産に逃げ込んでいた投資資金、投機資本の一部が、株式や石油等原燃料・国際商品相場、通貨取引市場などに戻り始めているのである。こうして再び膨れ上がった投機資本が、悪化の様相を一段と強めつつある実体経済の動向とは無関係に市場を支配しようとしているのである。

<<日本が真の震源地である理由>>
 さてここで紹介する「本書のタイトルは『スラム化する日本経済』である。いかにもセンセーショナルなタイトルではある。だが、グローバル・ジャングルが砂漠化するとなれば、何が起こっても不思議ではない。本文のなかで見ていく通り、目下、日本では「豊かさのなかの貧困」が深まりつつある。このフレーズから「豊かさ」の部分が消えれば、残るは「貧困」のみである。」と著者自身が「はじめに」の中で述べている。
 本書の構成は、以下のとおりである。

はじめに-グローバル・ジャングルに広がる荒涼なる光景
序 章 グローバル恐慌は第三幕へ
第一章 インフレとデフレの狭間で
第二章 豊かさのなかの貧困
第三章 新・資本主義の構図
第四章 国家がハゲタカになるとき
終 章 砂漠化する地球経済

 序章において著者は、現在のグローバル恐慌について、
 「『影響は軽微』説こそ総じて影を潜めたが、『影響は短期』説は必ずしも後退していない。今なお、全治二年説や全治三年説が少なくない。むろん、その程度の調整ですむに越したことはない。
 だがなぜ、その程度ですむと考えられるのか? そこには大きな疑問を感じざるを得ない。日本のバブル崩壊は『失われた一〇年』をもたらした。一九二九年の世界恐慌は一九三〇年代の不況につながった。全治三年どころではない。歴史的経験則としては、むしろ全治一〇年という数字がおのずと浮かび上がってくる。」と述べる。
 そして今次恐慌の震源地について、以下のように指摘する。
 「ちなみに、どこが震源地であるかにこだわるのだとすれば、むしろ、震源地は日本だという言い方さえできる。
 なぜなら、金融大膨張から金融大破綻につながる今回の展開は、元をたどれば日本の長引く超低金利がもたらしたものだと考えるべき面があるからだ。ゼロ金利政策が続き、政策としてはゼロ金利解除となったあとも、なお、金利水準は限りなくゼロに近い状態に張り付いたままだった。正常化が一向に進まない。
 そのなかで、日本の国内で金利を稼げないジャパンマネーが世界に溢れだし、世界的にもカネ余りと低金利を醸成する展開になった。そのような環境のなかでハイリターンを求める行動が、ハイリスクを内包する危うい金融商品の数々を生み出し、世界にグローバル恐慌の種をばらまいた。それがことの真相ではないかと思う。
 そうであるとすれば、日本は誰かが起こした危機のとばっちりを受けた被害者どころではない。むしろ震源地そのものだ。日本で形成された恐慌につながる力学が、地球経済を巡り巡って、結局は日本に里帰りしてきた。そう考えるべきところだ。
 いずれにせよ、現状において、もっとも危険なことは、問題の根の深さと広がりの度合いを直視しないことである。」
 鋭い指摘だといえよう。

<<下方柔軟化する賃金>>
 さらに重要な指摘は、グローバル時代とは、徹底した賃金最下位争いの時代だということである。著者は、以下のように述べる。

 「一九七〇年代においては、まだまだ、国という囲いがヒト・モノ・カネの動きを制約していた。だからこそ、その囲いのなかで物価と賃金の下方硬直的なスパイラル上昇が起こった。だが、国境を越えた賃金競争が、今やそれを許さない。競争の土俵が一つになってしまったことで、賃金は、むしろいくらでも下がるようになってしまった。下方硬直性ならぬ下方柔軟性の時代である。
 下方柔軟性の時代は最下位争いの時代だ。もっとも早く、もっとも低い賃金レベルに到達できる者が勝利する。そこはまことに熾烈な競争のアリーナだ。最下位記録はどんどん塗り替えられていく。
 かつては中国がこの分野の金メダリストだった。だが、その地位はたちまち後発諸国によって脅かされ、奪われていくことになる。
 次のチャンピオンに輝いたのがベトナムだった。ベトナムの次を狙うのがラオスであり、カンボジアだ。欧州に目を転じても、東欧諸国のなかには、まだまだ賃金の最下位争いに参加する資格が充分にある。
 この最下位争いが続く限りにおいて、賃金はいくらでも下方柔軟化する。そして、そうなればなるほど、インフレはデフレを深化させることになる。下方柔軟な賃金に甘んじざるを得ない人々にとって、インフレになるということは、生存権を奪われることに等しい。そのような立場に追い込まれる人々が増えれば増えるほど、経済活動は全体として活力を失い、委縮していく。インフレが生むデフレの構図だ。」

 ここに「なぜワーキングプアが必要なのか」という論拠がある。
 それは、「金融がグローバル化し、投資機会を求めるカネが世界を股にかけて飛び交うなかでは、企業は常に買収対象となる可能性を意識していなければならない。収益力が落ちれば、株価が下がる。株価が下がれば誰かに買収されてしまうかもしれない。
 このような状況下に追い込まれれば追い込まれるほど、企業はコスト削減と生産性向上の手を緩めるわけにはいかない。そんな彼らにとっては、低賃金労働は不可欠の寄る辺だ。賃金に下方柔軟性がなければ困る。ワーキングプア状態に甘んじる人々がいてもらわなくては、経営が成り立たない。」からである。

<<民間委託が貧困者を増やす>>
 さらにそれに拍車をかけるのが自由競争原理主義に基づく規制緩和、公共サービスの民間委託である。「政府が自ら貧困の種をまき、しかも財政難で充分な救済資金を用意できない」事態を現出している。
 「建設労働者、病院の雑用係り、保育施設の補助的スタッフ、学校の給食係り。民間委託された公共事業のありとあらゆる場面で、派遣労働者たちがこき使われる。
 委託元である政府省庁や自治体は、彼らに関する労務管理について、いっさい、責任を持たない。すべては委託先に丸投げされる。委託元のお役所たちが求めるのは効率性と低コストだけである。経費節減が実現されさえすれば、そのための手段は問わない。
 一方で公共サービスの質的向上を口にしながら、一方では、派遣労働者たちを最悪の雇用環境のなかに封じ込めていく。ここに大いなる矛盾と欺瞞があることは明らかだ。.労働福祉という社会政策の要の部分を踏みにじりながら、公共サービスの向上をいうのは、いかにもご都合主義だ。
 そもそも、公共サービスが「豊かさのなかの貧困」を拡大再生産すればするほど、結局は弱者救済のための財政負担も大きくなっていくわけである。公共事業の経費節減を目指した官業の民間委託が、貧困対策のための財政負担の増大をもたらす。赤字が増えた政府はますます経費節減をせざるを得ず、一段と安上がりな民間委託を進めようとする。
 すると、そのことがワーキングプア化する人々をますます増やしていく。このような悪循環に陥ったのでは、一体、何のために何をしているのか、さっぱり分からなくなってくる。
 政府が自ら貧困の種をまき、しかも財政難で充分な救済資金を用意できないというようなことになれば、格差と貧困は広がっていく一方だ。そのような状態に陥れば、経済活力は確実に弱まっていく。」
 著者は、「本来は格差と貧困から人々を救うはずの政策や行政が、格差と貧困を作り出す。グローバル・ジャングルのこの奇妙な力学をどう矯正するか。ここでもまた、我々の叡智が問われるところだ。」と問題を提起する。

<<四分極化する労働者たち>>
 このような事態の結果として、本書のサブタイトルとなっている「四分極化する労働者たち」の問題が提起される。それは、正規労働者、非正規労働者、外国人労働者、そして雇用機会を得られない「労働難民」への四分極化である。著者は次のように述べる。

 「かつて、資本主義の構図は、「資本」と「労働」を基本骨格としていた。ところが今や、我々は「労働」と「労働」が対立する、新しい二元構図の世界へと向かいつつある。そのように見える。なぜならば、今の時代を生きる労働者たちに団結の力はない。
 正規労働者が非正規労働者と対峙している。非正規労働者が登場したことで、正規労働者たちは既得権益の損失に怯えることになった。一方、非正規労働者たちは、労働の世界において二流市民の扱いを受けていると感じて、憤懣を募らせている。
 かくして、「労働」対「労働」の新たな対時の構図が出現している。それは、世界中の企業がグローバル・ジャングルのなかで、苛烈ともいえる生き残り競争を強いられているからだ。生き残るために、何よりも必要なのが徹底したコスト削減だ。グローバル・ジャングルは最下位争いの世界だ。コストについても価格についても、もっとも低水準を制した者が、勝利を博する。
 最下位争いを勝ち抜くために、お雇い経営者も擬似資本家も、徹底的といえるほどに労働を選別する。かくして世は格差社会の時代を迎え、情け容赦ないほどの労働者の格付けが進んでいく。
 しかもこの「労働」対「労働」の新二元論は、次第に三元論的な様相を呈しつつあるのが現状だ。すなわち、「正規労働者」対「非正規労働者」対「外国人労働者」という関係である。この三者が三つどもえで対峙する構図がすでに見え始めている。
 さらにいえば、労働の世界は今や四元対立の世界になりつつある。第四の存在として、そもそも労働者になりたくてもなれない人々が増えているからである。彼らがすなわち、ネットカフェ難民に代表される人々だ。住所不定であるゆえに、雇用機会を得られない。このように「労働難民」化する人々の存在を、見落とすわけにはいかない。」

 以上の論点は、掘り下げが足らないと感じられるが、あくまでも本書の一部分である。著者は「富める者がより豊かになり、貧する者がより貧乏になるような構図を放置していれば、経済活動全体が豊かさを失う。一人勝ちの論理から共存の論理へと、人々の行動原理を軌道修正しなければならない。」と主張する。共感できるところである。
(生駒 敬)

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