【投稿】フセイン元大統領の死刑についての断想 (その2)  吉村励

【投稿】フセイン元大統領の死刑についての断想 (その2)  吉村励
                       <(その1)は、こちらから

 4、死刑問題に関する日本の最近の思想情況
 ところで、本論にたちかえって、私が拙文を書こうとした本来の目的は、現在の日本において、死刑に関して、ある種の逆流現象が生じ、かつ強まっていることに危機感をいだいたからに他ならない。
 まず第1の理由は、ここ数年来、1年間に自殺者が3万人の大台を持続しているということである。2006年5月10日の『毎日新聞』は、1998年より2004年まで連続7年間、自殺者の数は、3万人の大台を維持し、とくに2004年では、警察庁の発表によれば3万2325人。厚生労働省の発表によれば3万0247人であったと報じている。7年間で21万人以上自殺者があったということは、たとえば大阪府では7年毎に岸和田市が一つ消滅するのと同然である。
 さきに、私は「汝 殺すなかれ」という基本命題を論じた。「汝 殺すなかれ」という命題は、対象を他者に限定するものではなく、自己にもむけられている。自殺は、他殺に通じるのである。それは、命の重さを重視するという点では共通なのである。
 自殺だけではなく、殺人・放火・交通事故等の事件による死者も増加しており、とくに子供にたいする殺人事件は、世間を震撼させた。このような事情を背景として、2000年代にはいると「加害者の人権よりも被害者の心情が重んじられるべきだ」という「報復刑」としての死刑という考えがひろまったといえよう。「光市母子殺人事件」の被害者家族が加害者への死刑を求める運動を展開し、多くの同情と理解を集めたこと、殺人事件裁判の死刑判決が出されるたびに、テレビは大々的にこれを報道して、殺人被害者の家族が「これで被害者も冥福するでしょう」と涙にむせびながら発言する情景をうつしだすことは「報復刑」としての死刑容認の感情と思想を一層増幅しているといえよう。
 個人的な報復=「仇討ち」よりも「報復刑」としての死刑は、それを裁判を通じる公的な報復として実現したとして、一歩前進であったといえる。しかし、その根底には報復の思想が重く存在している。
 報復の思想には「目には目を、歯には歯を」という命題が横たわっている。「目には目を、歯には歯を」という命題の延長には「死には、死を」という暗黙の前提が存在する。
 はずかしながら、血気盛んな青年期には、私も「報復刑」としての死刑の積極的な賛成論者であった。それ以上に、徳川幕府時代に存在したといわれる「三犯以上の累犯者はいかなる犯罪であろうとも死刑」という考え方にも賛成であった。しかし、あの十五年戦争の過程で、兄や多数の友人を戦争で失い、戦争それ自身が、国家権力による大量殺人であることを痛感した。平和とは、国家による大量殺人の否定でなければならないとしたら、国家による個人報復の代替として死刑=国家による殺人がみとめられるのかということが私の最初の疑問であった。一方で平和を強調しながら、他方で「報復刑」としての、死刑を容認するのは、矛盾しているのではないか。一貫して、この矛盾に関する疑問はたえることなく、私の心の中を流れ続けている。
 だが、また一方で、現実にもどれば殺人被害者の家族の悲しみといかりは、この世がさけて、くだけても良いと思う位の深く、大きなものであろう。報復の情念の焔は、消しても消しても燃えあがる強烈な焔であろう。この情念の焔を鎮静させ、弱め、次第に消火させるための方策は、理論的に説得するというのではなく(理論的説得は一蹴されるであろう)情念にうったえる方策が準備されなければならないであろう。それは、時間をかけて、心から被害者家族の悲しみによりそい、その悲しみと悩みに耳をかたむけ、慰め、おりにふれて「目には目を、歯には歯を」という報復の思想の空しさを、理解させてゆくことではあるまいか。
 そして、我が国は、社会は、われわれ庶民は、殺人被害者の家族に、どれだけの配慮を行ったであろうか。また殺人被害者が家計の主柱であった場合は、家族がたちまち路頭に迷うことになる。殺人被害者に対する国家の経済的補償も必要であろう。このような経済的配慮をふくめて、国家は、ほとんど、なんの支援も行なわず、悲しみのどん底に放置してきたのではないだろうか。遺族が、加害者の死刑を求め、その支援を求める運動を展開したのも、その支援の輪が広まったのも当然といえる。
 このような情況のもとにおいて、「報復刑」としての死刑が、存在感をもつのは当然であるといえよう。

 <表8> 死刑制度に関しての世論調査(2004年)
「死刑制度に関してこのような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか」
(ア)どんな場合でも死刑は廃止すべきである ・・・6. 0%
(イ)場合によっては死刑もやむを得ない ・・・・・・ 81. 4%
(ウ)わからない・一概に言えない ・・・・・・・・・・・ 12. 5%
(注)内閣府により2004年『基本的法制度に関する世論調査』による。

 表8「死刑制度に関しての世論調査」は、内閣府によって2004年12月に実施されたものである。その設問設定には、(ア)が積極的廃止を意味するのに対し、(イ)には積極的賛成と消極的賛成がふくまれているという問題があるにしても、死刑容認派が81.4%という高率であること、積極的死刑廃止論は、わずかに6.0%、「わからない・一概に言えない」が12.5%であることを示している。
 さきに示した表1「世界における死刑制度廃止国と存置国数」では、廃止国が64.9%、存置国が35.0%であった。世界の趨勢と日本とでは、死刑存続と廃止の比重が逆転しているのである。世界と日本の距離の遠さ、日本の孤立が、切実に感じられるのである。私がさきに「逆流現象」
がおこっていると述べたのも、このことにもとづいている。

 ところで私が殺人被害者への社会の配慮と、報復=復讐の情念(報復主義といっても良い)との関係に思いいたったのも、次にのべる二つの文献に接したからに他ならない。その一つは「新約聖書」であり、いま一つは菊池寛「恩讐の彼方に」である。
 まず、新約聖書の「山上の垂訓」の著名な一節は、次のようである。やや長いがそのまま引用する。
 「<目には目を、歯には歯を>といえることあるを汝らは聞けり。されどわれ、汝らに告ぐ。悪しき者に抵抗する(あらがう)ことなかれ。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。汝を訴えて下衣(したぎ)を取らんとする者には、上衣をも取らせよ。人もし汝に一里ゆくことを強いなば、共に二里を歩め。汝に請う者には与え、借らんとする者を拒むなかれ。また<汝の隣を愛し、汝の敵を憎め>といえることあるを、汝らは聞けり。されど、われ、汝らに告ぐ。汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れと。これ天にいます汝らの父の、子とならんが為なり。天の父は、その太陽を、悪しき者のうえにも、善き者の上にも昇らせ、その雨を、正しき者にも、正しからざる者にも降らせ給う。汝ら、己を愛する者を愛するとも何の報をか得べき。取税人も、然するにあらずや。兄弟にのみ挨拶するとも何の勝ることかある。異邦人も然するにあらずや。されば、天の父の全きがごとく、汝も全かれ」(マタイ伝、第5章第38節→第48節)
 この文章については、詳説は不要であろう。ただ、ここに、全文を引用したのは、キリストが批判の対象としてとりあげた<目には目を、歯には歯を>という言葉が、あたかもキリストの言葉であるかのような曲解が一部に流布されているからに他ならない。
 次には、菊池寛「恩讐の彼方に」である。この作品は、菊池寛が、いわゆる大衆小説家として活躍(その出発点は「眞珠夫人」1920年)する以前の初期の作品で、彼の初期の作品にはすぐれたものが多い。中でもこの「恩讐の彼方に」は、卓越した作品と私は考えている。
 この作品を読まれた方は多い(一時期、中・高の教科書にも採用されたことがあると聞いている)と思うが、その内容を簡単に要約すると次のようである。
 現在の九州大分県耶馬渓の山国川の急流の横には昔、絶壁にかけられた桟道のみがあり、それが住民の通行路であった。その桟道は毎年何人かの犠牲者を生み出していた。この犠牲者をなくするために、この絶壁の岩に、単身独力でトンネルを掘るという難事業を始めたのが了海(俗名市九郎)であった。了海の仕事を住民は、始めは無視しているが、次第に力をかすものがあらわれる。難事業が開始されてから19年後、市九郎を父の仇としておい続けてきた実之助があらわれる。了海の仕事と了海の仕事を続けさせたい住民の願いに、実之助は、仇討ちを一時とりやめ、洞門の開通が完成すれば、仇討ちを行うという諒解のもとに、二人で洞門をほりはじめる。いわゆる「青の洞門」の物語りである。仇を討つ者と討たれる者は、了海が作業を始めてから21年目、実之助が了海と遭遇してから1年6ヶ月目に、青の洞門は貫通する。しかし、この1年半の共同作業の中で、実之助は、「報復主義」を克服するのである。そのプロセスの一部を原文から引用する。
 まず、仇討があきらめられず、実之助がひそかに了海の作業現場に訪れる場面から。
 
 <深夜、人去り、草木眠っている中に、ただ暗中に端座して鉄槌を振っている了海の姿が、墨のごとき闇にあってなお、実之助の心眼に、ありありとして映ってきた。それは、もはや人間の心ではなかった。喜怒哀楽の情の上にあって、ただ鉄槌を振っている勇猛精進の菩薩心であった。実之助は、握りしめた太刀の柄が、いつの間にか緩んでいるのを覚えた。彼はふと、われに返った。すでに仏心を得て、衆生のために、砕身の苦を嘗めている高徳の聖に対し、深夜の闇に乗じて、おひはぎのごとく、獣のごとく、瞋恚の剣を抜きそばめている自分を顧ると、彼は強い戦慄が身体を伝うて流れるのを感じた。
 洞窟を揺がせるその力強い槌の音と、悲壮な念仏の声とは、実之助の心を散々に打ち砕いてしまった。
・・・
 敵と敵とが、相並んで槌を下した。実之助は、本懐を達する日の一日でも早かれと、懸命に槌を振った。了海は実之助が出現してからは、一日も早く大願を成就して孝子の願いを叶えてやりたいと思ったのであろう。彼は、また更に精進の勇を振って、狂人のように岩壁を打ち砕いていた。>
 次に最終節から引用する。
< それは、了海が樋田の刳貫に第一の槌を下してから二十一年目、実之助が了海にめぐりあってから一年六カ月を経た、延享三年九月十日の夜であった。この夜も、石工どもはことごとく小屋に退いて、了海と実之助のみ、終日の疲労にめげず懸命に槌を振っていた。その夜九つに近き頃、了海が力を籠めて振り下した槌が、朽木を打つがごとくなんの手答えもなく力余って、槌を持った右の掌が岩に当ったので、彼は「あっ」と、思わず声を上げた。その時であった。了海の朦朧たる老眼にも、紛れなくその槌に破られたる小さき穴から、月の光に照らされたる山国川の姿が、ありありと映ったのである。了海は「おう」と、全身を震わせるような名状しがたき叫び声を上げたかと思うと、それにつづいて、狂したかと思われるような歓喜の泣笑が、洞窟をものすごく動揺めかしたのである。
「実之助どの。御覧なされい。二十一年の大誓願、端なくも今宵成就いたした」
 こういいながら、了海は実之助の手を取って、小さい穴から山国川の流れを見せた。その穴の真下に黒ずんだ土の見えるのは、岸に添う街道に紛れもなかった。敵と敵とは、そこに手を執り合うて、大歓喜の涙にむせんだのである。が、しばらくすると了海は身を退けて、
「いざ、実之助殿、約束の日じゃ。お切りなされい。かかる法悦の真ん中に往生いたすなれば、極楽浄土に生るること、必定疑いなしじゃ。いざお切りなされい。明日ともなれば、石工共が、妨げいたそう、いざお切りなされい」と、彼のしわがれた声が洞窟の夜の空気に響いた。が、実之助は、了海の前に手を拱いて座ったまま、涙にむせんでいるばかりであった。心の底から湧き出ずる歓喜に泣く凋びた老僧を見ていると、彼を敵として殺すことなどは、思い及ばぬことであった。敵を討つなどという心よりも、このかよわい人間の双の腕によって成し遂げられた偉業に対する驚異と感激の心とで、胸がいっぱいであった。彼はいざり寄りながら、再び老僧の手をとった。二人はそこにすべてを忘れて、感激の涙にむせび合うたのであった。>
 
 この最終節の文章を読むたびに、私は深い感動を覚える。「新約聖書」でキリストが一般的に呈示した「報復主義」の克服を、菊池寛は、了海と実之助という生身の人間の、迷い、悩み、苦痛を通して描き出したからである。了海と実之助は、時代こそ変われ、今の私達であり、私達のそばにいるAさんであり、Bさんでもある。違いは、努力と苦悩と労働を通じて、彼らは報復主義をこえた「恩讐の彼方」に到達したのに対し、私達は、今も「報復主義」のちりと泥にまみれてあがいているということであろう。
 そして私は、この菊池寛の作品の中に、親鸞上人の「善人なおもて成仏す。いわんや悪人においておや」という思想との連帯を見出すのである。
 
 むすび
 フセイン元大統領の死刑を契機として、死刑制度、その根底にある報復主義を通して、日本の現在の思想情況をうつしだそうとした本稿の目的が、どれだけ達成されたかについては、読者の皆さんの批判を待つのみである。死刑制度という本来、法律学の専門家の対象とすべき問題を、門外漢の一経済学徒である私があつかましくもとりあげたのは、現代の日本の思想情況が、菊池寛の「恩讐の彼方に」が発表された時代より、逆行したように思われたからにほかならない。読者の身さんの御教示を乞う次第である。
 なお、この拙文をまとめるにあたっては、『アサート』編集者の佐野秀夫・生駒敬の両氏の激励によるところが大きい。とくに資料面に関しては、圧倒的に生駒君に助けられた。彼の助力なくしては、拙稿は日の目を見ることはなかったであろう。2005年に『アサート』に連載し、幸いにも好評を得て『労働運動研究』に「六十年目のレクイエム」という評題で発表された拙文に関しても、資料的には生駒氏の努力によるところが大きかった。重ねて、生駒氏に謝意を表するものである。(2007年1月30日)

 【出典】 アサート No.352 2007年3月17日

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【投稿】末期症状の安倍政権と従軍慰安婦問題

【投稿】末期症状の安倍政権と従軍慰安婦問題

<<「閣僚に忠誠心が足りない!」>>
 統一地方選、参院選を目前に控えながら、安倍政権はやることなすこと全て裏目に出だし、混乱の極みに達していると言えよう。与党自民・中川幹事長が「閣僚に忠誠心が足りない」とぶちまけ、「当選回数は問題ではない。かつて仲良しグループだったかどうかも関係ない」、「首相が入室したときに、起立できない政治家、私語を慎まない政治家は、美しい国づくり内閣にふさわしくない」と安倍首相を軽んじる雰囲気に露骨な怒りを表明した。本人のこれまでの”非行”を棚に上げて何をかいわんやであるが、こうしたことを本気でくそ真面目に語らざるをえないと言う、こんな発言がマイナス効果にしかならないことも自覚できない、来るとこまで来たのかという前代未聞の事態である。
 政権発足早々から、政府税調会長や行革担当大臣の醜聞での辞任、柳沢厚労相の「子どもを産む機械」発言、首相自身を含めて農水相をはじめ次から次に出てくる政治資金収支報告書や事務所費に関する不正や疑惑の数々、防衛相、外相、文部科学相らの閣内不一致の発言、放言の数々、枚挙に暇のないほどボロボロ、ガタガタ、満身創痍の状態である。そしていくら首相が否定しても、参院選前の内閣改造の可能性が語られる始末である(3/1、自民・丹羽雄哉総務会長)。そのタイミングは、予算成立後の3月下旬、首相が訪米する5月の連休明け、国会が閉会する6月下旬のいずれかだなどとささやかれているという。
 首相本人は、求心力も指導力も発揮できない自らの非力な現状を打破しようと、自らのよりどころをあらためて保守反動の右派回帰路線、戦後民主主義の成果に敵対心をあらわにし、その成果を奪い取る路線に軸足を設定、内閣の結束の乱れを、憲法改定のための準備法案としての「国民投票法案」の早急な成立によって政府・与党を結束させ、3月中に法案の衆院通過を経て、5月3日の憲法記念日までには成立させると声高に言い始めた。その行き着くところ、憲法改正を前面に掲げて参議院選挙を闘う、その最大の争点にしたいなどと言い出したのである。その危険な路線の暴走の可能性は依然として高いが、しかしそれでも、5月3日にこだわるのは無理があると判断したのであろう、「基本的には法案は成立すればいい。いつまでにというよりも成立することが大切だ」と表現を変えだした。

<<人権メタボリック症候群>>
 その他のこの政権が直面する政策課題についても、この政権の軽さといかがわしさは、次から次へとさらけ出されている。資本の要求を露骨に代弁した残業代不払いを合法化するホワイトカラー・エグゼンプションなる労働法改正は、いったん提出を決めながら、土壇場で労働界はもちろん、各界各層からの猛烈な反発を恐れて首相自ら見送りを発表せざるをえなくなった。とりわけ首相が力瘤を入れた教育改革については、教員免許の更新制やいじめる子供に対する登校停止処分などを目玉とする教育再生会議の第一次報告を性急にまとめさせたが、これとてさまざまな反発に直面して迷走状態、教育三法の策定へ答申づくりを督促された中央教育審議会はまとめきれずに両論併記、という事態である。修正取り引きの共謀罪、最低賃金法改正案、社保庁改革法案等々、いずれも迷走、そしていまや格差是正・「再チャレンジ」政策など単なる思い付きでしかなかったかのように放擲されている。もちろん、この軽さといかがわしさの中にも、民主主義と基本的人権、労働基本権を出来るだけ徹底して切り縮めると言う姿勢だけは一貫されている。
 その象徴が伊吹文部科学相の「人権メタボ」発言であろう。独自の民族的存在であるアイヌ系住民や在日韓国・朝鮮人の存在を無視した「(日本は)大和民族が統治した同質的な国」発言に引き続いて、昨年12月に改正された教育基本法に触れて、同法の前文に「公共の精神を尊び」という文言が加わったことについて、これは「日本がこれまで個人の立場を重視しすぎたため」だと個人の自由を抑制する狙いを明らかにし、さらに「毎日バターばかり食べていれば、皆さんはメタボリック症候群(内臓脂肪症候群)になる。人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になる」と発言したのである。そして安倍首相自身がこの発言について、「特に問題あると思わない。権利には義務がつきもの」と平然と肯定し弁護したのである。この首相にしてこの文部科学相ということであろう。
 この発言に対しては2/27、アムネスティ・インターナショナル日本は安倍首相と伊吹文部科学相に人権否定の発言として申し入れを行い、
「『権利に義務がつきもの』という考えはその通りです。しかし、市民が持つ権利とセットになっている義務を負っているのは、国家、政府です。市民の権利を実現するための義務を、国家、政府が果たさなければならないのです。それが『権利には義務がつきもの』の意味であり、国際的な人権基準の基本的な考えです。その責任当事者である総理大臣と閣僚が、『権利には義務がつきもの、そのためには規律が必要』と述べて市民の規律重視を打ち出すという姿勢は、自らの責任を放棄し、市民の権利を無視する態度に他なりません。」と明確に指摘している。この視点は多くのマスメディアにも欠落している視点である。

<<「万が一負けても」>>
 こうしたことの当然の帰結として、今や安倍内閣の支持率下落に歯止めがかからない事態である。各メディアの世論調査では不支持が支持を上回る逆転が相次いでいる。このままでは参院選では過半数割れしかねない、敗北の責任を取って総辞職という危機感が現実のものとして実感されたのであろう、小泉前首相が「鈍感力が大事。いちいち気にすることはない」と指南役を買って出、3/7には、安倍首相、小泉前首相、中川幹事長の三者懇談が持たれ、小泉氏は首相に「自信を持ってやりなさい」と助言し、7月の参院選について敗北を前提にしたのか、「万が一負けても参院選は政権選択の選挙じゃない。堂々と胸を張って『野党の主張にも耳を傾けてやります』と(言えばいい)」と述べる事態に立ち至っているのである。参院選を戦う前から敗北を前提にしているとはあきれたものであるが、政権発足後半年も経たないうちにすでに安倍政権は末期的症状に冒されているのである。
 しかしそれでも前首相に励まされたおかげか、安倍首相は「支持率のため政治をやっているわけではない」と繰り返すようになり、支持率低落の焦りから一転強気姿勢に転じ、中川幹事長の「絶対的な忠誠」発言を逆手にとって、郵政造反組であった衛藤晟一・前衆院議員の復党を「思想信条をともにする同志」としてゴリ押し、それでも復党審査では、賛否は7対7、欠席者3人の書面提出でやっと賛成多数というきわどさである。
 問題は、その「ともにする思想信条」が従軍慰安婦問題であり、それと関連する「河野談話」見直し問題であったところに、安倍内閣のいかがわしさを際立ててしまったところにある。
 首相はこの3/1に、「1993年の『河野談話』が認定した強制性を裏付ける証拠はないと考える」と語り、3/5には従軍慰安婦に対する公式の謝罪を要求する米国下院の決議が通過しても日本政府が再び謝罪することはないと発言したのである。さらに首相はこの日、自身の発言を批判する野党議員に対し「あなたは日本を見下げているのか」と受け答えたのである。多くの女性を性的奴隷として戦場に拉致・連行した過去を反省する姿勢や態度さえ表さない、なんともやりきれない愚劣極まりない発言である。
 こうした首相の発言に力を得て、3/8、自民党の有志議員でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長の中山成彬・元文部科学相は、首相官邸で安倍首相と会い、従軍慰安婦問題をめぐる93年の河野官房長官談話が「数々の誤った認識を生んでいる」として、政府に事実関係の再調査を求める提言を手渡す事態となっている。

<<「強制性はなかった」>>
 首相は一方で、「河野談話は基本的に継承している」と言いながら、「狭義の意味で強制性を裏付ける証言はなかった。いわば官憲が家に押し入って連れて行くという強制性はなかったということだ。」と河野談話を否定しているのである。首相は、首相に就任する以前は河野談話を公然と非難していたが、首相に就任すると一転して河野談話をしぶしぶながらも認めざるをえなかった。ところがこの間の政権運営のつまずきから、またもや右翼返りで反転攻勢に出ようとしたのであろう、ところがこの発言は世界的なブーイングの対象となってしまった。
 そもそも、1993年8月に発表された河野洋平官房長官(当時)による談話は「日本軍の慰安所は軍が設置した。軍慰安婦の募集は、主に軍の要請を受けた民間業者が行ったものの、虚偽の甘言や強制によることが多く、官憲が直接加担したこともあった」として、日本政府の関与を公式に認め、同時に、談話の背景となる調査結果をまとめた内閣官房外政審議室の文書も発表し、その結果、明らかになった事実として、
 ――慰安所の開設は、当時の軍の要請によるものだった。
 ――慰安所の経営・管理は、軍が直接経営するか、民間業者の場合も、軍は直接関与した。
 ――「慰安婦」は、外出時間や場所が限定されており、「戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられたことは明らか」だ。
 政府は、こうした結論を根拠づけた当時の公文書も明らかにしたのである。
 だが首相は、この「河野談話を継承する」としながらも、「日本政府の直接的な責任を認めてはならない」と主張しているのである。首相は3/5の発言で「米国で決議が話題になっているが、事実誤認があるというのが私どもの立場だ。決議があったからといって、我々が謝罪するということはない。決議案は客観的事実に基づいておらず、日本政府のこれまでの対応も踏まえていない。米議会内の一部議員の動きを受けて、引き続き我が国の立場の理解をえるための努力を行っている。下院は判断していない。まだ案でしかない。」と述べている。

<<「過小評価するのは誤り」>>
 首相が問題にしている米下院の決議は、「慰安婦」の虐待および被害の償いのための民間基金「アジア女性基金」の権限が2007年3月31日に終了し、基金は同日付で解散される。このため、以下、下院の意思として決議する。として
日本政府は、
(1)一九三〇年代から第二次世界大戦を通じたアジア太平洋諸島の植民地支配と戦時占領の期間、日本帝国軍隊が若い女性に「慰安婦」として世界に知られる性奴隷を強制したことを、明確にあいまいさのないやり方で公式に認め、謝罪し、歴史的責任をうけいれるべきである。
(2)日本国首相の公的な資格でおこなわれる公の声明書として、この公式の謝罪をおこなうべきである。
(3)日本帝国軍隊のための性の奴隷化および「慰安婦」の人身売買はなかったといういかなる主張にたいしても明確、公式に反論すべきである。
(4)「慰安婦」にかんする国際社会の勧告に従い、現在と未来の世代に対しこの恐るべき犯罪についての教育をおこなうべきである。
 というものである。アジアと世界の平和と人権、日本の信頼回復のためには当然の決議内容と言えよう。この決議に安倍首相が噛み付いているわけである。この安倍発言によって、同決議案の共同提出議員数が逆に増加、新たに十人が加わり、現在三十六人になっているという。3/9、シーファー駐日米大使でさえ、「決議案は拘束力のないものだが、この問題の米国での影響を過小評価するのは誤りだ」と述べ、「米国には、河野談話からの後退を望む日本の友人はいない」とも語り、河野談話の見直しを模索する自民党内の動きを批判している。
 ニューヨーク・タイムズは6日付の社説で「日本は1993年の謝罪談話を見直すのではなく、より拡大しなければならない。また日本の議会は従軍慰安婦問題に対して率直に謝罪し、生存する被害者に十分な公式の賠償をするべきだ。安倍首相をはじめとする日本の政治家が過去の恥ずべき行いを認めるのがその過ちを克服する第1歩であることを悟るべき時だ。」と述べている。
 5月訪米を前にして、首相は火消しに躍起となっているが、今や遅しと言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.352 2007年3月17日

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【書評】『産軍複合体のアメリカ』 宮田律著

【書評】『産軍複合体のアメリカ』 宮田律著
           (2006.12.15発行 青灯社 1800円+税)
                             福井 杉本達也 

 去る2月20日に来日したチェイニー米副大統領の目的は何だったのか。安倍首相・麻生外相とは会談したが、イラク開戦を巡り苦言を呈した久間章生防衛大臣とは結局会わずじまいであった。しかし、米軍横須賀海軍施設内で自衛隊トップの齋藤隆統合幕僚長らと会談したことは、韓国では米軍の指揮権を移譲する一方、自衛隊の指揮権の米軍への統合を進める現状をあからさまに示すものであった。また、横須賀基地に停泊する空母キティホーク艦内で「米国民は撤退を支持しない」と演説し、厭戦気分の目立つ米軍の士気を鼓舞している(2.23 福井)。イラクに残る航空自衛隊の活動範囲の拡大、アフガニスタンへの自衛隊の派遣、準備を進めるイランとの開戦への戦費調達等々様々な憶測が流れたが、2月18日・絶妙のタイミングで沖縄嘉手納基地へ一時配備された日本の次期主力戦闘機の候補・ステルス戦闘機F22(1機500億円・総額3兆円)の売り込みともいわれている(3.8 社会新報)。周知のようにチェイニー副大統領は父ブッシュ政権では国防長官として湾岸戦争を主導し、2001年に現ブッシュ大統領(ジュニア)の副大統領となったもので、2000年までは世界最大の石油掘削機の販売会社・軍需企業であり、湾岸戦争で大きな利益を得たハリバートンのCEOであった。また、この会社の最大の個人株主でもある。中間選挙の敗北の責任をとって辞めさせられたネオコン・ラムズフェルド前国防長官とは30年以上もの師弟関係にある。
 「軍産複合体」という言葉は、アイゼンハワー大統領が1961年、離任演説の際に用いて、肥大化するアメリカの軍需産業と軍との癒着構造に警戒するよう呼びかけたものであるが、アメリカが世界各地の戦争・紛争に介入する中、特にイラク戦争以降、注目されるようになってきている。本書は「対テロ戦争」と称されるものの背後にあるアメリカの「軍産複合体」の実態に迫るとともに、さらに、その背景にあるユダヤ系社会やキリスト教右派の実像を分析したものである。
 そもそも、イラク戦争を米国が始めた本当の理由は定かではない。慎重にその意図は隠されているといってよい。さらにはイラク戦争が行き詰まった段階で、イスラエルを使って、2006年7月、レバノンにおける対ヒズボラへの第2戦端を開いたのか。既に著者は『イスラム石油戦争』(2006.10.27 NTT出版)を著し、石油をめぐるイスラム諸国・ロシア・中国と欧米ユダヤ連合のユーラシア「グレートゲーム」を分析しているが、そのゲームをさらに突き動かす『最深部』に踏み込むものである。著者は「アメリカの『対テロ戦争』は9.11事件を起こしたイスラム過激派の掃討以上の軍事行動を伴い、明らかにオーバーアクション」であるという。「対テロ戦争開始後の軍事費の増加で潤ったのは・ロッキード・マーティン、グラマン・レイセオン、ボーイングといつた巨大軍需産業である。増額された軍事費はアフガニスタンの戦争に使われたというよりも、新鋭のF/A-18E/F、F―22、また現在は消滅したソ連の潜水艦を追跡する目的で計画されたヴァージニア級の潜水艦・トライデントD5潜水艦射型の弾道ミサイルの購入に用いられた。これらの兵器が対テロ戦争とは何の関係もないことは明らかである。…ブッシュ政権は『対テロ戦争』の名目の下に冷戦時代以上の規模の軍事力を保有することを考えた。」のである。「テロリストが製造するかもしれない生物兵器や化学兵器にはTMDやNMDは役にたたないし、テロリズムには弾道ミサイルやスマート爆弾で対抗することはできないが、それでもなお、アメリカは『テロとの戦い』を口実にこれらの武器の開発を推進している。」とし、2001年12月のABM制限条約からの一方的脱退もその一環であったと指摘している。2002年には三大軍事産業は、国防省と420億ドルの契約をし、そのうち、ロッキード・マーティン社が、170億ドル、ボーイング社が166億ドル、ノースロップ・グラマン社が87億ドルを占める。
 また、イスラエルとの関係では、「アメリカの軍産複合体は、イデオロギー的にも、また政治・経済安全保障の上でもイスラエルと結びついている。…イスラエルは…国家経済の3分の1が軍需産業に占められている。アメリカのイスラエルへの軍事援助は毎年150億ドルにのぼる」とし、「イスラエルを支援する背景には…アメリカのキリスト教右派の影響力」(福音派等のキリスト教原理主義)があり「ユダヤ系団体は、アメリカのユダヤ人社会から寄付を得てロビー活動を行い、メディアに圧力をかけてイスラエル政府を支持する世論を形成し続けている。」
 このように、アメリカの提唱する戦争の背後には軍産複合体やユダヤ・ロビー、キリスト教原理主義者などの思惑や利益が見え隠れし、「アメリカ国民全体の意向や利益を反映するものでは決してない。アメリカ政治の仕組みが民主主義の理想から遠くかけ離れている」のである。代表的なネオコンの論客である、ブッシュ政権の前国防副長官ウォルフォウイッツ(2005年より世界銀行総裁・ユダヤ系・アメリカ新世紀プロジェクトのメンバー)は元々第四インターナショナル系の活動家であるが(Wikipedia)、「民主化」の名のもと「原理主義革命の輸出」を行っているといってよい。2005年のアメリカの軍事支出は世界全体の48%、1兆1180億ドルという膨大な額であり、「アメリカ経済が軍需産業抜きでは成立しないことは明白であり、民需への大規模な転換がなければアメリカの関心は戦争に常に向かっていく。」と分析する。こうしたアメリカの軍産複合体の動きを制するには「国際社会がアメリカの軍産複合体が戦争を起こす仕組みを理解し、それへの認識を深め、その目標を奪うような政策を追求していくこと」だと著者は提案する。日本の場合にはチェイニーに追随することではなく、イラク・インド洋上の自衛隊を撤退させるとともに、拉致問題を利用した反北朝鮮キャンペーンをやめ、北朝鮮と国交回復に向けた真面目な交渉を進めることであろう。また、15%もの石油を依存するイランの核問題へも日本なりの経済技術援助を中心とした対応ができるはずである。
 最後になるが、最近、当著作をはじめ、本山美彦・関岡英之・吉川元忠・中尾茂夫氏等の諸著作、また、右からの対米批判として西部邁などの著作が特集コーナーに積まれるようになってきた。また、伊東光晴氏は『日本経済を問う』(2006.11.29 岩波書店)で、経済理論的に整理した対米批判を行っているが、米中間選挙以降、少しは情報統制を緩めてきたということであろうか。

 【出典】 アサート No.352 2007年3月17日

カテゴリー: 政治, 杉本執筆, 経済 | 【書評】『産軍複合体のアメリカ』 宮田律著 はコメントを受け付けていません

【投稿】フセイン元大統領の死刑についての断想 (その1)

【投稿】フセイン元大統領の死刑についての断想 (その1)
                                吉村 励

 まえがき
 2006年12月30日フセイン元大統領(59)は、バクダッドで絞首刑に処せられた。新聞は「24年にわたりイラクを独裁支配してきた元大統領は<人道に対する罪>で裁かれた(06年12月31日『毎日新聞』)と報じた。そして「米国の影響下で行われた裁判の正当性には疑問がつきまとい旧フセイン政権を支えたスンニ派の反発は必至だ。シーア派が主導するイラクのマリキ政権や米国は死刑執行で治安情勢が安定することを期待しているが、泥沼化している宗派間対立に一層拍車がかかるおそれがある」(同)とつけ加えている。多くの読者(私を加えて)の見解=予想は、これと同様であろう。イラク問題、フセイン元大統領の死刑について、広汎にして体系的な論評を加える能力は、私にはない。この拙文の目的は、この死刑に関連して、種々な問題を指摘し、読者諸君と一緒に考えて、多くの教示を与えられることを期待するものである。
 
 1、歴史の流れ、独裁と民主主義
 二者択一で「民主主義と独裁とはどちらが良いか」と選択を要請されたら、多くの現在の日本人は、躊躇なく「民主主義」と答えるであろう。しかし歴史の流れを見ると、事態はそれほど簡単なものではない。
 中世=封建社会から近代社会(資本主義社会、その政治的形態としての民主主義社会)へ移行するに当って、多くの国(とくにヨーロッパ)では、17世紀から18世紀にかけて、絶対主義=絶対王政の時代を経験した。この絶対王政は、それ自身封建的性格を持ちながら、国内で分散・支配している封建領主を掃蕩し強力な国家権力をうちたて、分散している地方市場を一つの国内市場とまとめ上げ、資本主義への道を開拓した。
 こうして形成された国内市場と国際貿易を基礎として資本主義が発達するとともに、発言力を増した資本家と後には労働者が、国内生産の一層の発展のために、かつては資本の形成・成長のための庇護者であった絶対主義を排除し、厖大な官僚機構と軍隊を必要とする「金のかかる政治体制=絶対王政」を?伏して、自分達の思いのままになる「安価な政府」をつくり上げるために絶対王政を打倒したのが、いわゆるブルジョア民主主義革命であり、その成果がブルジョア民主主義(簡単にいえば民主主義)なのである。
 ここまでいうと、読者の皆さんは、もうおわかりと思う。絶対王政=専制が良いか、民主主義がよいのかという問題は、善とか悪とかの問題ではなく、それぞれの国の歴史の発展の段階における選択の問題なのである。生産力が発展せず、資本主義の発展がまだ未熟である国においては、絶対主義(専制=独裁といいかえても良い)は、必要であり、カッコつきの「善」、あるいは「必要悪」なのである。それでは、イラクの経済発展段階はどうなのであろうか。本来ならば、経済=産業の広汎な資料・統計を準備することが必要なのであろうが、それを示す簡単なメルクマール(指標)で代替することができるであろう。そのメルクマールとは非識字率(100人のうち字の読めない人の率)である。経済が発展し、働く労働者がふえれば、識字率は向上する(工場内で<火気厳禁とか禁煙>とかの掲示が読めなければ大災害を招来する)。ところが、やや古いが1996年のイラクの非識字率は男女平均で42.6%(男29.3%、女55.0%)(総務庁統計局編『世界の統計』1999年版319頁)(ちなみに、同統計によれば、イランの非識字率は男女平均27.7%、男21.6%、女34.2%、アフガニスタンのそれは、男女平均68.3%、男52.8%、女85.0%である。)である。イラクでは、男性の約3割(3人に1人)、女性の6割弱が字が読めないのである。政府の公報も読めず、新聞・雑誌も読めない人民が、約半分に近い4割強の国では、近代産業が広汎に発達する余地はなく、民主主義が成立する基盤もないのである。なぜなら、民主主義とは経済的・政治的に自立した市民(経済的・社会的・法律的常識を身につけ、自立的に判断する主体)を前提にするからである。アメリカが巷間流布されているように、日本で成功した占領→民主主義の移植を軽々にもイラクで意図し実行したとすれば、それはイラクと日本の経済・社会の発展段階のちがいを無視したからにほかならない。フセインの処刑にあたって、アメリカは、そしてその傀儡政権は、今から25年前の1982年の「ドジヤイル事件」での148人の殺害事件を理由としてあげているが、かくされた真実の理由は、「24年の独裁」であったことは、衆目の一致するところである。アメリカは、フセインの死刑によって、停戦・和平条約を締結する相手を自ら葬りさったのである。上からの占領軍の圧力によって、形式だけの選挙で選出されたマリキ政権が、傀儡政権として、イラク国民の支持をえることができない以上、アメリカは、さきの見えない長期の占領を継続しなければならない。独裁者を失って「事実上の内戦状態」におちいったイラクを占領しつづけるために、ブッシュ大統領は07年1月10日のテレビ演説で「現在派遣中の13万2000人の駐留米軍に、さらに5戦闘旅団1万5000人を増派する」方針を表明した。すでに駐留米軍の死者が3000人をこえ、9・11の死者数を凌駕し、過日の中間選挙で、アメリカ国民に「ノー」をつきつけられたブッシュ大統領は、今回の「焼け石に水」程度の兵力増強で、事態の好転をまねきうる筈はなく、ぬきさしならぬ泥沼にノメリこんでゆくことになるであろう。元来、大量破壊兵器の存在を口実として始まった「イラク戦争」は、大量兵器の存在が無いということが判明して、その「大義」と「名目」を喪失したのである。残るところは、無条件の不名誉な、しかし賢明な兵力撤収が唯一の道であろう。この場合、世界的に「アメリカのポチ(愛犬)」と評せられている日本の小泉・安倍首相、そして日本人民のとるべき道は・・・・?。私達にも問題は厳然として課せられているのである。
 
 2、死刑問題に関する国際情況
 ところで、フセイン大統領の死刑について、次に私の問題としたいのは、死刑問題に関する日本と世界との関係の問題であり、とくに死刑制度廃止に関する世界と日本の情況についてである。
 
<表1> 世界における死刑制度廃止国と存置国

あらゆる犯罪に対して、死刑を廃止している国
88(44.6%)
通常の犯罪にのみ死刑を廃止している国
11(5.6%)
事実上の死刑廃止国
29(14.7%)
死刑制度存置国
69(35.0%)
(注) 原文: Abolitionist and Retentionist Countries
これは2006年12月12日に更新された原文を和訳したものです。(アムネスティ・インターナショナル日本)

 表1「世界における死刑制度廃止国と存置国数」は、何らかの形で死刑制度を廃止している国が128(64.9%)に対し、死刑制度を残している国が69(35%)であり、死刑制度を残している国は、約3割強の少数であることを示している。これらの死刑制度を廃止した国々は、当然フセイン元大統領の死刑についても反対であった。その所見発表は簡単で明瞭であった。わが国のマスコミの報道が死刑肯定的で詳細であることとは対照的であることに注目されて良いであろう。

 <表2> 死刑を全面的に廃止した国(88)
(法律上、いかなる犯罪に対しても死刑を規定していない国)
アンドラ、アンゴラ、アルメニア、オーストラリア、オーストリア、アゼルバイジャン、ベルギー、ブータン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルガリア、カンボジア、カナダ、カボベルデ、コロンビア、コスタリカ、コートジボアール、クロアチア、キプロス、チェコ共和国、デンマーク、ジブチ、ドミニカ共和国、エクアドル、エストニア、フィンランド、フランス、グルジア、ドイツ、ギリシャ、ギニアビサウ、ハイチ、ホンジュラス、ハンガリー、アイスランド、アイルランド、イタリア、キリバス、リベリア、リヒテンシュタイン、リトアニア、ルクセンブルク、マケドニア(旧ユーゴスラビア)、マルタ、マーシャル諸島、モーリシャス、メキシコ、ミクロネシア(連邦)、モルドバ、モナコ、モンテネグロ、モザンビーク、ナミビア、ネパール、オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ニウエ、ノルウェー、パラウ、パナマ、パラグアイ、フィリピン、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、サモア、サンマリノ、サントメプリンシペ、セネガル、セルビア、セーシェル、スロバキア共和国、スロベニア、ソロモン諸島、南アフリカ、スペイン、スウェーデン、スイス、東チモール、トルコ、トルクメニスタン、ツバル、ウクライナ、英国、ウルグアイ、バヌアツ、バチカン市国、ベネズエラ (注)同前

<表3> 通常犯罪のみ廃止した国(11)
(軍法下の犯罪や特異な状況における犯罪のような例外的な犯罪にのみ、法律で死刑を規定している国)

アルバニア、アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、チリ、クック諸島、エルサルバドル、フィジー、イスラエル、ラトビア、ペルー (注)同前

<表4>  事実上の廃止国(29)
(殺人のような通常の犯罪に対して死刑制度を存置しているが、過去10年間に執行がなされておらず、死刑執行をしない政策または確立した慣例を持っていると思われる国。死刑を適用しないという国際的な公約をしている国も含まれる。)

アルジェリア、ベニン、ブルネイ・ダルサラーム、ブルキナファソ、中央アフリカ共和国、コンゴ共和国、ガボン、ガンビア、ガーナ、グレナダ、ケニア、キルギスタン、マダガスカル、マラウィ、モルディブ、マリ、モーリタニア、モロッコ、ビルマ(ミャンマー)、ナウル、ニジェール、パプアニューギニア、ロシア、スリランカ、スリナム、スワジランド、トーゴ、トンガ、チュニジア (注)同前

<表5>  死刑制度存置国 (69)
アフガニスタン、アンティグアバーブーダ、バハマ、バーレーン、バングラデシュ、バルバドス、ベラルーシ、ベリーズ、ボツワナ、ブルンジ、カメルーン、チャド、中国、コモロ、コンゴ民主共和国、キューバ、ドミニカ、エジプト、赤道ギニア、エリトリア、エチオピア、グアテマラ、ギニア、ガイアナ、インド、インドネシア、イラン、イラク、ジャマイカ、日本、ヨルダン、カザフスタン、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国、クウェート、ラオス、レバノン、レソト、リビア、マレーシア、モンゴル、ナイジェリア、オマーン、パキスタン、パレスチナ自治政府、カタール、ルワンダ、セントクリストファーネビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、サウジアラビア、シエラレオネ、シンガポール、ソマリア、スーダン、シリア、台湾、タジキスタン、タンザニア、タイ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ、アラブ首長国連邦、米国、ウズベキスタン、ベトナム、イエメン、ザンビア、ジンバブエ (注)同前

<表6> アメリカ合衆国の死刑制度廃止州と存置州
<死刑を廃止している州及び地区>
アラスカ州、ハワイ州、アイオワ州、メイン州、マサチューセッツ州、ミシガン州、ロードアイランド州、ミネソタ州、ノースダコタ州、ヴァーモント州、ウェストバージニア州、ウィスコンシン州、コロンビア特別区(ワシントンD.C.)、プエルトリコ、グアム、北マリアナ諸島、米領ヴァージン諸島、米領サモア

<死刑が執行されていない州>
ニューヨーク州、カンザス州の裁判所は2004年に死刑を違憲とした。ニューハンプシャー州、ニュージャージー州、サウスダコタ州では1976年以来死刑が執行されていない。

<死刑が執行について調整に入った州>
イリノイ州においては司法当局により死刑確定後であっても、州の特別委員会の調査の上で改めて死刑が認められない限り、被告人は死刑とならない状況である。

<死刑が適応される州>
テキサス州が死刑制度が最も盛んな州として知られている。全米の死刑のうち3分の1はテキサス州によって執行されている。
(注) (アメリカ合衆国では)死刑は「合憲」と連邦最高裁の判断が出ている。
ただし執行方法の合憲性が問題となることもある。州の判断で死刑廃止することも可能。ニューヨーク州高等裁は死刑執行方法を違憲とする判決を出した。テキサス州は2000年代において年間100人以上が死刑に処せされている。
かつてアメリカでは「レイプを罪状とする死刑」が横行していた。1870~1950年までにレイプを理由に771件が死刑判決を受けたが、そのうち701人が黒人であった。人種差別との批判が相次ぎ、1972年に連邦最高裁によって「レイプを罪状とする死刑」は違憲と認定された。しかし、「未成年に対する殺害を伴わない性犯罪の再犯者」へ死刑が適用される州法がサウスカロライナ州、フロリダ州、ルイジアナ州、モンタナ州、オクラホマ州の5州で最近成立し、殺人を犯していない性犯罪者に対する死刑適用は過酷であり、憲法違反であると強く批判されている。
死刑制度の有無は、州によって異なる。民主党優位の州では廃止、共和党優位の州では維持される傾向にある。具体的にはニューイングランド諸州、ニューヨーク州で死刑廃止、または禁止された。ただし、共和党勢力が強い中北部諸州も死刑廃止されている州があるが、これらの州が治安的に安定している事が背景にある。逆に、民主党が強い西海岸諸州でも死刑制度が存続している州がある。これは、賛成派と反対派が拮抗している状態であるためである。また凶悪犯罪の率の高い州で死刑制度が維持される傾向にある、特に南部諸州で顕著である。死刑維持派は主に被害者の権利を根拠とし、廃止派は人権保護の普遍性人命の尊重とを根拠としている。

<表7> 1976年以降死刑を廃止した国
1976: ポルトガル(すべての犯罪に対して)
1978: デンマーク(すべての犯罪に対して)
1979: ルクセンブルク、ニカラグア、ノルウェー(すべての犯罪に対して)
ブラジル、フィジー、ペルー(通常の犯罪に対して)
1981: フランス、カボベルデ(すべての犯罪に対して)
1982: オランダ(すべての犯罪に対して)
1983: キプロス、エルサルバドル(通常の犯罪に対して)
1984: アルゼンチン(通常の犯罪に対して)
1985: オーストラリア(すべての犯罪に対して)
1987: ハイチ、リヒテンシュタイン、ドイツ民主主義共和国(注1)(すべての犯罪に対して)
1989: カンボジア、ニュージーランド、ルーマニア、スロベニア(注2)(すべての犯罪に対して)
1990: アンドラ、クロアチア(注2)、チェコスロバキア連邦共和国(注3)、ハンガリー、アイルランド、モザンビーク、ナミビア、サントメプリンシペ(すべての犯罪に対して)
1992: アンゴラ、パラグアイ、スイス(すべての犯罪に対して)
1993: ギニアビサウ、香港(注4)、セーシェル(すべての犯罪に対して)ギリシャ(通常の犯罪に対して)
1994:  イタリア(すべての犯罪に対して)
1995: ジブチ、モーリシャス、モルドバ、スペイン(すべての犯罪に対して)
1996: ベルギー(すべての犯罪に対して)
1997:  グルジア、ネパール、ポーランド、南アフリカ(すべての犯罪に対して)
ボリビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ(通常の犯罪に対して)
1998: アゼルバイジャン、ブルガリア、カナダ、エストニア、リトアニア、イギリス(すべての犯罪に対して)
1999: 東チモール、トルクメニスタン、ウクライナ(すべての犯罪に対して)ラトビア(注5)(通常の犯罪に対して)
2000: コートジボアール、マルタ(すべての犯罪に対して)アルバニア(注6)(通常の犯罪に対して)
2001: ボスニア・ヘルツェゴビナ(注7)(すべての犯罪に対して)チリ(通常の犯罪に対して)
2002: キプロス、ユーゴスラビア(後のセルビア・モンテネグロ(注9))(すべての犯罪に対して)
2003: アルメニア(すべての犯罪に対して)
2004: ブータン、ギリシャ、サモア、セネガル、トルコ(すべての犯罪に対して)
2005: リベリア(注8)、メキシコ(すべての犯罪に対して)
2006: フィリピン(すべての犯罪に対して)

(注)
(1) 1990年に、ドイツ民主主義共和国はドイツ連邦共和国(1949年に死刑を廃止)に統一された。
(2) スロベニアとクロアチアは両国がまだユーゴスラビア社会主義連邦共和国であった間に死刑を廃止した。両国は1991年に独立した。
(3) 1993年にチェコスロバキア連邦共和国はふたつの国に分かれ、チェコ共和国とスロバキアになった。
(4) 1997年、香港は中国に特別行政区として返還された。それ以降も香港は死刑廃止を維持している。
(5) 1999年、ラトビア国会は、平時の犯罪に対する死刑を廃止している欧州人権条約第6議定書を批准することを決議した。
(6) 2000年、アルバニアは、平時の犯罪に対する死刑を廃止している欧州人権条約第6議定書を批准した。
(7)2001年、ボスニア・ヘルツェゴビナは、すべての犯罪に対して死刑を廃止している「市民的および政治的権利に関する国際規約の第2選択議定書」を批准した。
(8)2005年、リベリアは、すべての犯罪に対して死刑を廃止している「市民的および政治的権利に関する国際規約の第2選択議定書」を批准した。
(9)モンテネグロは、すでにセルビアとの連邦国家の一部となった2002年に死刑を廃止していた。2006年6月28日には独自の国連加盟国となった。
(10) ヨーロッパ
EU各国は、不必要かつ非人道的であることを理由として死刑廃止を決定し、死刑廃止はEUへの加盟条件の1つとして掲げている。欧州評議会においても同様の基準を置いているため、ヨーロッパ唯一の死刑存置国ベラルーシは欧州評議会から排除されている。EUは日本やアメリカなど死刑を存続している他国に廃止を迫り、2001年6月には、両国の欧州評議会全体におけるオブザーバー資格を剥奪する決議を採択した。
(11)出展 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 表2は、全面的に死刑を廃止した国の名称であり、表3は通常犯罪に関してのみ死刑を廃止した国の名称であり、表4は事実上死刑を廃止した国(名目上は死刑制度を残しているが)の名称である。表5は、死刑制度存置国の名称である。これら表2、表3、表4、表5を通じて、私達は、傾向として、死刑制度廃止国は、ヨーロッパに多いことを知ることができるのである。
 表6は、一応、死刑制度存置国となっているが、州の独自性が強く、州ごとに、死刑廃止の州ならびに地区と死刑執行州が混在するアメリカ合衆国の情況を示すものである。この表6では、全国50州(特別区1区がこれに加わる)のうち、18州ならびに区では死刑が廃止されており、5つの州で死刑が事実上停止されており、1つの州では死刑執行の調整に入っており、24/51が、死刑反対であることがわかる。その点では、アメリカは反対・賛成が拮抗しているが、わずかに死刑賛成派が優勢であることと言えよう。
 表7は、1976年以降に死刑を廃止した国の名称である。死刑廃止の国(128)の58.5%(約6割弱)が、1976年から2006年の約30年間に、死刑制度の廃止にふみきったことを示している。ちなみに、1976年は、1972年の石油ショックを契機とする世界的不況のまっただなかの年で、西欧先進諸国は軒並みマイナス成長となり、失業者は増大し、パリ郊外のランプイエで史上初めての先進国首脳会議が不況を題材として開催された年でもある。
 なお、もうひとつ注目してもらいたいのは、表7に関しては、(注)10の「EUが日本やアメリカなどの死刑を存続している他国に廃止をせまり、2001年6月には、両国の欧州評議会全体におけるオブザーバー資格を剥奪する決議を採択した」という指摘である。ヨーロッパの主要諸国によって構成されるEU(ヨーロッパ共同体)から、日本にたいして、オブザーバー権剥奪という形で、死刑廃止問題が日本に提起されるということは、不勉強な私は知らなかった。政府もマスコミも大々的に報道しなかった。なぜだろうか。次に、この問題を解明しなければならない。
 
 3、死刑制度廃止に関する日本の概況
 死刑問題に関する日本の情況を語る前に、まずのべておきたいことは、1989年に、国連で死刑廃止条約(「国連人権規約」の「市民的及び政治的権利に関する国際条約の第二選択議定書」)が採択されたということである。さきにのべたように、ヨーロッパ共同体(EU)が、死刑廃止をEUへの加盟条件として掲げ、欧州評議会においても、同様の基準をおいているため、ヨーロッパ唯一の死刑存置国であるベラルーシが欧州評議会から排除されていることは、この国連の「死刑廃止条約」に照応するものであるといえよう。この国連の死刑廃止条約の採択にあたっては「国連中心の外交政策」を、外交政策の基準と称する日本政府の代表が反対した。奇妙なことである。しかし、さすがに気がひけたのか、日本は、1989年の11月から1993年の3月までの3年4ヶ月の間は、死刑執行を停止した。死刑が再開されたのは、1993年4月、当時の法務大臣 後藤田正晴が死刑執行を復活させたからである。それ以降、わが国では、最低1回は死刑が執行されている。
 ところで、国連の「死刑廃止条約」、EUの加盟条件の一つとしても「死刑廃止」の存在、世界の197ヶ国の中の少数派(35%)としての死刑制度存置国という情況のもとで、わが国がなぜ執拗に死刑制度存置に固守するのかという問題が生じる。そのために、私達は死刑制度が立脚する基本命題にアプローチしなければなるまい。
 死刑廃止論の基礎にあるものは「汝 殺すなかれ」という基本命題である。西欧の神話によれば、神は天地創造の後で、「自分の姿ににせて」人間(男性アダム)を創り、さらに女性(イブ)を創り、多くの動植物を創ったとされている。生物の誕生である。神によって与えられた命は、ただ神によってのみ召されることができる。人間がこれに関与するのは不遜の極みである。その思想が集約されたものが「汝 殺すなかれ」という命題に集約されている。
 死刑廃止論の根拠となるもう一つの問題は、やはり、人間の本性に関する命題=「人間はあやまちを犯すものである」という命題である。神は完全であり、あやまちを犯すことはない。しかし、人間は、不完全なものであり、必ずあやまちを犯すものである。絶対にあやまちを犯さないという「絶対」は、神にのみ固有のものであり、人間が「絶対」を呼称することは、限界をこえた不遜の限りである。そして、人間が不完全であり、誤りを犯すものであるならば、裁判における判決においても、また過ちを避けることはできない。そして死刑判決において、そのあやまちが、一万回に一度、あるいは百万回に一度、生じたとしても、死刑された者の命はもう永久に帰ることはない。国家権力を背景として、国家が、無罪の人間を殺すという「殺人行為」が合法的に行われることを回避しようとすれば、必然的に「死刑廃止」という結論に到達するのである。最近(今年すなわち2007年に入ってから)富山県における誤判の実例がマスコミによって報道された。裁判によって、3年の実刑に服した男性が、解放された後で、実際の犯人があらわれたというのである。読者の多くは、テレビもしくは新聞で、この事実を知られた筈である。この場合、失われたものは、3年の歳月である(しかし、実は、3年の歳月のみでなく、家庭も、職業も、未来も失われたであろう。この喪失をのりこえての再生は、彼に長期間にわたる課題と努力を課するであろう)。彼にいかなる国家補償が行われるか、その補償の内容とあり方が、国家の良心を表現する。私は、この誤判の生じた詳細な検討と、国家補償に注目するとともに、それが<死刑>であったら・・・・と慄然とするのである。
 死刑廃止論のもう一つの命題(それはさきの二つの命題に比べて、やや現実的であり、その比重は軽いと思われるが)は、死刑の犯罪防止効果が、さまで大きくはないということである。犯罪を犯す場合、多くの人は逆上して「我を忘れる」という状態にあるものと考えられる。その点を考えれば、この命題(犯罪防止効果があまり大きくはない)ということは諒解されるところである。詳論は不要であろう。
 ただ、ここでつけ加えておきたいことは、私が、さきの二つの命題に関して<神>という概念に依拠したことである。私を知る読者は、私がいつの間にか、唯物論者=無神論者から神秘主義者あるいは観念論者に変質したのかと疑問に思われたかもしれない。しかし私は依然として唯物論者であり、無神論者であると考えている。ここで神という概念を使用したのは、スピノザが、自然=神と考えたことにならったにすぎない。
 科学が進み、社会や自然に関するわれわれの認識が進んだとしても(あるいは認識が進んだがゆえに)社会や自然に関して、われわれ人類の知らない世界は増大した。一つの事象が解明=認識されれば、それと関連し、またその先に、一層多くの知らない世界が出現する。かつて私の大学在職中、医学部の友人に「最近の医学の進歩で、何パーセント位、病気の原因が認識できましたか」と問いかけたところ、「新しい発見があると、それに関連して一層解明すべき疑問がふえるのです。われわれの知っていることは、せいぜい<大海の一滴か二滴>にすぎませんよ」といわれて、赤面し、かつ感動したことを覚えている。人類の認識が進めば進む程、逆に認識されない領域がわれわれの前に大きくなって立ちはだかる。この認識されない世界、認識されていなくとも、何らかの形で常に私達の生活に影響を与え続けている未知なる世界をふくめて、自然・社会全体を、敬虔の心をこめて「神」といってもよいのではないかと考えている。(続く)

 <投稿のお礼と、分割掲載について>
 今回、吉村励先生から、1万字を越える投稿をいただきました。先生のご努力に感謝するばかりです。
 紙面構成等の関係で、止む無く2回に分けての分割掲載とさせていただきました。
  投稿の構成は
 <まえがき>
 <1、歴史の流れ、独裁と民主主義>
 <2、死刑問題に関する国際情況>
 <3、死刑制度廃止に関する日本の概況>
 <4、死刑問題に関する日本の最近の思想情況>
 <むすび>
 となっておりまして、2月号では<3>までを掲載させていただき、以下は次号3月号に掲載することといたします。 読者各位におかれましては、積極的にご意見・ご感想をお寄せくださるよう、お願いする次第です。
             アサート編集委員会 佐野秀夫

 【出典】 アサート No.351 2007年2月24日

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【投稿】チェイニー訪日と日米の「不都合な真実」

【投稿】チェイニー訪日と日米の「不都合な真実」

<<「4代後の米政権まで忙殺させる」>>
 チェイニー米副大統領が2/20~22に日本を、その後オーストラリアを訪問し 両国のイラク派兵に感謝を示し、ブッシュ大統領の米軍2万人余増派案など、これからのイラク政策を説明した後、グアムの米軍基地に立ち寄ってから帰国する予定だという。
 チェイニー氏は、ブッシュ政権と密着し、世界でも屈指の石油関連企業・ハリバートンの元最高経営責任者(CEO)として、いわば自らの利権のためにイラク戦争を主導し、同社をさらに戦争請負・軍需物資調達企業として肥大化させてきた張本人であり、支持率歴代最低のブッシュ大統領より好感度ランキングがさらに下回り、米国史上最悪・最凶の副大統領だと評される人物である。
 今やイラク戦費は、開戦時の2倍に達し、米政府が2007会計年度(2006年10月~07年9月)に支出するイラク戦争の経費が月平均84億ドル(約1兆円)となる見通しであることが今年1/18の国防総省の集計で明らかにされている。戦争を開始した03年度の同44億ドル(約5300億円)のほぼ2倍、毎月約1兆円もの戦費が垂れ流されているのである。
 ところがチェイニー氏は、この泥沼化し、戦費が膨大化する一方のイラク戦争について、1/29日発売のニューズウィーク誌に掲載されたインタビューの中で、イラクでの戦いは4代後の米政権まで引き継がれるだろうと述べ、イラクでの戦争は国際テロ組織アルカイダやイスラム教過激派との戦いでもあると指摘、この戦いに決定的な終結はなく「将来の2つ、3つ、あるいは4つの米政権をも忙殺させるだろう」とまで述べている。
 さらに同じインタビュー記事の中で、イランの核問題について「空爆が正当化されるシナリオはあるか」という質問に答えて、「国連を通じた外交的な解決を目指し、できることを行っている。だが、我々はいかなる選択肢も排除していないことも明確にしてきた」と述べ、「空爆」も排除しない姿勢を強調している。戦争挑発と軍需で利権を拡大してきた人物の面目躍如たる発言とも言えよう。

<<「副大統領は米国民を見くびっている」>>
 しかし、米下院本会議は2/16、民主、共和両党議員が提案し、ブッシュ政権のイラク米軍増派に反対する決議を賛成246、反対182で可決した。拮抗するかと思われたが大差で可決されたのである。ブッシュ政権のイラク政策に議会が反対の意思を示したのは初めてのことである。しかもブッシュ与党の共和党議員17人が賛成に回った。
 決議には大統領権限への拘束力がないとはいえ、「米軍戦闘部隊を追加派遣する決定を承認しない」ことを明記しており、今後拡大するイラク戦費の承認などが危ぶまれ、ブッシュ政権は苦しい事態に追い込まれることは間違いない。
 こうした事態に苛立ちを隠しえないチェイニー氏は、CNNの番組で「決議では我々は止まらない。大統領はすでに決定を下した」と述べ、議会の意向を無視する考えを鮮明にし、「米国人は戦う根性がないとテロリストに言われる。それが最大の脅威だ」と述べ、質問者から「イラク政策の失敗が政権の信頼を損ね、共和党内にも増派への疑問が広がっている」と問われると、チェイニー氏は「くだらない」と吐き捨てている。
 これに対し、増派反対決議案に賛成している共和党のヘーゲル上院議員からは「副大統領は米国民を見くびっているのか。3000人を超える戦死者の家族に根性がないと言えるのか」と怒りの反論をされている。
 すでに、ブッシュ大統領の対イラク政策に対する米国民の不支持率は、米軍がバグダッドに侵攻した03年四月の22%(米紙ワシントン・ポスト、ABCテレビ世論調査)から、今年の一般教書演説直前の1/19には70%にまで上昇、これまでの最高となっている。米兵向け週刊紙を発行するミリタリー・タイムズ社が現役兵士を対象に行っている世論調査でさえ、不支持が42%で支持の35%を上回るという事態である。もはや、反テロを掲げれば何でも通るといったチェイニー好みのブッシュ政権時代は、すでに過去のものとなっているのである。
 米誌ニューズウィークが1/27に公表した最新の世論調査結果によると、ブッシュ大統領の支持率は30%と就任以来最低を記録、08年の大統領選で「民主党候補が勝ってほしい」と答えた者が49%とほぼ半数に達したのに対し、「共和党候補」という回答は28%にとどまっている。チェイニー氏は、その「共和党候補」にさえ名前が上がらない。

<<「アーミテージ・レポート2」>>
 こんな人物が今回訪日したわけである。昨年11月の米中間選挙でブッシュ与党が大敗し、対イラク戦をはじめとする外交・内政の戦略転換を余儀なくされ、国務省、国防総省、大統領府で要職を占めていたネオコン陣営の一角は政権を去らざるをえなくなり、チェイニー陣営は後退したかに見えたが、ブッシュは、超党派のイラク研究グループが提起する段階的撤退案ではなく、副大統領―ジャック・ケアン元米国陸軍参謀次長―フレデリック・ケーガンAEI研究員(軍事専門家)のネオコンラインが提起する、増派に主眼を置く新戦略案を採用した。この増派は、孤立と自滅の道であり、今やイラクに軍隊を派兵してきた「有志連合」も38カ国から17カ国に減少し、イギリスでさえ段階的撤退の方針を決め、世界中から反発を食らっているが、今回チェイニーが訪問する日本とオーストラリアだけは高く評価してくれたということであろう。
 当然、チェイニーは、六カ国協議で事実上置き去りにされ、米朝の対話ムードに懸念を抱き、何よりも拉致問題を重視する安部政権の立場に理解を示し、支持を表明する方針を明らかにし、「北朝鮮のミサイル問題や拉致問題で米国が日本を非常に支持していると日本国民に表明する」ことによって安倍政権を手なずけ、改めてイラクへの米軍増派についても日本側に説明し、協力を求め、日米同盟の連携強化の重要性を確認することが今回の訪日の主眼と言えよう。
 折りしも2/17、チェイニー訪日に合わせるかのようにアーミテージ元米国務副長官ら米国のアジア専門家が集まり、2020年までのアジア戦略と政策提言をまとめた「アーミテージ・レポート2」が公表された。今回の提言では、露骨に「日本の憲法問題の議論はわれわれを勇気づける」と歓迎し、また、米国が日本での海外派兵恒久化の議論を歓迎し、安全保障面での政策に対する自己規制を解除し、短期間で兵力を海外に展開できる同盟国を求めていると強調、さらに日米同盟について、「武器輸出三原則の撤廃」「宇宙の軍事利用」「航空自衛隊次期戦闘機の導入」など、イージス艦や兵器の共同開発、「機密情報の保護」や「軍事情報の共有」など、日米の軍事的融合・一体化、軍事安保協力の促進とともに、日本が軍事費を国内総生産(GDP)比でさらに拡大し、国連安全保障理事会の常任理事国となり、軍事的貢献も行うことまで提言している。

<<「不都合な真実」>>
 まさにブッシュ・チェイニー陣営にとっては、こうした提言を忠実に受け容れてくれる日本の小泉・安倍政権の路線、「戦後レジームからの脱却」路線は、願ってもない「われわれを勇気づける」路線であろう。
 ところがブッシュ政権と同様、安倍政権も不支持率が支持率を上回るという事態に見舞われている。いずれの世論調査でもそうであるが、例えば共同通信社がこの2/3-4両日に実施した全国電話世論調査で、安倍内閣の支持率は40・3%、不支持率は44・1%と、昨年9月の政権発足以来初めて不支持率が支持率を上回り、支持率は一貫して下落し続けており、朝日新聞の世論調査では支持率は39%に落ち込み、4割を切ったのは初めてのことである。女性を「産む機械」に例えた柳沢厚生労働相が「辞任すべきだと思う」と答えた人は58・7%、首相が問題発言に「適切に対応しているとは思わない」とした人は74・7%にまで上っているのに、首相はその首をすげ替えることさえ出来ない。安倍政権はガタガタ、安倍首相個人の求心力低下があらためて浮き彫りとなり、このままでは目前に迫った参議院選挙もおぼつかない事態に直面している。
 その前哨戦として注目された愛知県知事選挙と北九州市長選挙は、与野党一勝一敗という結果に終わったが、実質的には与党の敗北であり、自公連立を勝たせることにしか貢献しなかった共産党によって与えられた薄氷の一勝でしかない。与党にとっては共産党様様であろう。
 その安倍首相が2/17、東京・六本木の映画館で地球温暖化問題を描いた映画「不都合な真実」を鑑賞したあと、「(地球温暖化の取り組みには)政治のリーダーシップが必要であると改めて認識した」と記者団に語り、訪日するチェイニー米副大統領と「ポスト京都(議定書)の重要性についてよく話をしていきたいと思っている」と話したという。この映画は、民主党のアル・ゴア元米副大統領が地球環境問題に警鐘を鳴らす、きわめて説得的で具体的な行動まで提起した必見の映画である。だがこの映画は、地球温暖化問題に関してブッシュ大統領とチェイニー副大統領とが、6年前、二酸化炭素などを削減する京都議定書に背を向けたことを告発し、彼らの悪しきリーダーシップが地球環境に何をもたらしているかを明らかにしたものである。首相は何を観ていたのか、ただ映画館で時間を過ごしただけなのであろうか、首相をも含めた日米政権指導部の「不都合な真実」に目をつぶっていたのであろう。
 前号でも指摘したが、野党がこうした政権を退場させ、政権交代を勝ち取るためには、小泉政権以来の市場原理主義がもたらす弱肉強食、社会の貧困化、格差拡大政策に対決すると同時に、「戦後レジームからの脱却」政策に、唯一対抗できる対話と協調、平和外交への転換、そして地球環境保護政策での対決という最も重要な政策の確立こそが求められていることを指摘しておきたい。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.351 2007年2月24日

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【投稿】「イスラムシフト」のブッシュに引きずられる安倍

【投稿】「イスラムシフト」のブッシュに引きずられる安倍

<「解決」に向かう北の核問題>
 北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議は、2月13日に北朝鮮の核施設の停止を合意した。採択された共同文書では「初期段階の措置として北朝鮮は60日以内に寧辺の核施設を停止、封印する」「北朝鮮に対し60日以内に重油5万トン相当のエネルギー支援をおこない、第2段階で95万トンの追加支援をおこなう」「日米は北朝鮮との国交正常化協議を始める」「朝鮮半島の非核化など五つの作業部会を設置する」「次回の6カ国協議を3月19日に開催する」事などが盛り込まれた。
 アメリカは初期段階のエネルギー支援には参加しないものの、マカオの「バンコ・デルタ・アジア」(BDA)に関する金融制裁解除問題を「30日以内に解決」すること、さらにテロ支援国家の解除についても検討することを明らかにしている。
 一方の北朝鮮は、「既存核兵器の処理問題」や「高濃縮ウラン製造問題」を不問にされたうえ、どのようなプロセスで、核施設が本当に使用不能になるのかなど、合意履行の担保については曖昧さを残したまま、莫大な見返りを手にした。
 この「核施設停止~エネルギー支援」というスキームについては、1月にひらかれた米朝ベルリン協議で基本合意ができており、6カ国協議はその調整と確認の場だった。
 こうした内容に、中国、ロシア、韓国は概ね満足の意向を示している。3月には韓国でエネルギー支援作業部会の開催が予定され、南北首脳会談も展望されるなど次なるステップを模索する動きも始まっているが、日米両政府内には当惑が広がっている。アメリカでは、6カ国協議を前に米朝ベルリン協議の内容に激怒した、対北朝鮮強硬派のロバート・ジョゼフ国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)が辞任を表明、協議後もボルトン前国連大使が合意内容について最大級の批判を展開している。
 日本政府は最大の懸案とする拉致問題が議題にならず、まったく存在感を示せなかったばかりか国際的孤立が浮き彫りになった。安倍は「拉致問題が進展限りしない限り、支援もおこなわない」と従来のポーズを崩していないが、予想以上の事態の進展に動揺を隠し切れていない。政府は「間接的な協力」として、北朝鮮のネルギー事情調査への参加のため、職員の渡航見合わせ措置を解除せざるを得なくなった。このように制裁措置の一環が崩れ始めており、今後さらに日本への「対話と圧力」が強まることは必至である。日本政府にとっては拉致問題について参加国から同情的な言葉をかけられたのが「せめてもの救い」だった。
 
<「棚ぼた」手にした北朝鮮>
 今回の6カ国協議で合意された内容の実行と検証については、今後の各作業部会や次回協議、さらには米朝協議などを通じた、綱渡り的な対応が迫られるのは事実である。北朝鮮が本当に核を放棄する意図があるのかについては、金正日総書記の胸中を覗かない限り不明であり、6カ国協議での合意は、北朝鮮にとって非常に有利であったとの指摘は的をえている。
 金正日総書記は合意内容について、昨年夏から秋にかけての連続ミサイル発射実験、核実験実施という強硬路線、瀬戸際外交が実を結んだ物と考えているかもしれない。しかしアメリカの大幅な譲歩は、イラク、中東の泥沼化の賜物で、北朝鮮にとっては棚ぼただったのである。

<米軍増派で緊張高まる中東>
 中間選挙の大敗北で、イラク政策の見直しを迫られたブッシュ大統領は、国民や世界の望む方向とは全く逆の見直しを強行しようとしている。ブッシュは、当面全精力を中東に傾注しようとしているのである。
米政府はイラク内戦鎮圧のため、短期間に2万人の米軍増派を決定、すでに先遣隊は2月からイラク治安部隊と共同で、バクダッド周辺の掃討作戦を開始している。
 しかしイラクでは、大規模な爆弾テロが続発、抵抗組織の反撃も活発化し、一月足らずで米軍や民間軍事会社(PMC)のヘリ5機が撃墜された。またイラク政権内部の矛盾も深刻化し、シーア派(サドル師派)民兵に甘いマリキ首相に対しアメリカは苛立ちを募らせている。今後、アメリカ軍が単独でシーア派への攻撃を強めれば、マリキ政権崩壊から「対米戦争」へと事態が拡大しかねない状況になりつつある。
アメリカ国内の反発も依然として強く、AP通信の世論調査では、約7割が増派に反対していることが明らかになった。ブッシュの支持率も同調査で政権発足以来最低の32パーセントに落ち込んだ。ワシントン・ポスト紙とABCテレビの緊急電話調査でも、反対が61パーセントに上っている。
 焦りを深めるブッシュはシーア派武装組織の背後にはイラン政府(革命防衛隊)がいるとし、イラク国内でイラン外交官を拘束、ペルシャ湾へ空母機動部隊を増派するなど、アフマデネジャド政権に対する挑発も強め、中東全域での一層の緊張激化を煽り、イランへの軍事行動も懸念されている。さらにブッシュ政権は、新たな地域統合軍として08年中に、エジプトを除くアフリカ大陸を管轄する「アフリカ軍」を創設する方針を明らかにした。
 この主要な目的はソマリアなどアフリカ各国に浸透する、イスラム原理主義勢力に対抗するためであり、インドネシアやフィリピンなどで進めるイスラム武装勢力制圧作戦と軌を一にするものである。中東に軸を置きながら、両腕でアフリカ、アジアを押さえ込もうというのが新たな対テロ戦争戦略の一環としてうかびあがる。

<「下駄の雪」の安部政権>
 こうしたなか、2月20日にはチェイニー副大統領が来日、安倍に対し、イラク新戦略と対テロ戦争への一層の協力を求めた。アメリカの対テロ戦費は、01年9月の同時多発テロ以降、累計で約5000億ドル規模に達している。さらに、新たに示された向こう3年間で総額約2950億ドルの追加支出を加えれば、約6000億ドルのベトナム戦費を大きく超過することとなる。これからも北朝鮮問題で新たな支出を捻出することが困難なことが判る。
安部は「新イラク政策への理解」を表明しており、経済的負担に加え、今後新たな海外派兵を求められることになるだろう。内閣の看板である拉致問題では6カ国協議に於いて事実上切り捨てられたにも関わらず、表面上のアジア重視外交のメッキがはがれた今、アメリカの要求を丸飲みし、対北朝鮮支援についても追従していく他に選択肢は無くなっている。
「瀬戸際内閣」化が顕著な安倍に対し、イラク開戦を批判した久間防衛大臣に加え、ポスト安倍を狙う麻生外務大臣もアメリカのイラク占領政策を批判、距離を置き始めている。
 統一自治体選挙、参議院選挙では内政問題に加え、破綻した外交政策も争点として、安部政権を追いつめていくことが野党、民主勢力に求められている。(大阪O)

 【出典】 アサート No.351 2007年2月24日

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【投稿】新型転換炉「ふげん」—補助建屋の強度不足が明らかにする非破壊検査の曖昧さ—     

【投稿】新型転換炉「ふげん」—補助建屋の強度不足が明らかにする非破壊検査の曖昧さ—
                               福井 杉本達也

1 「ふげん」補助建屋が倒壊のおそれ
 2月10日付け毎日新聞の1面トップは「ふげん原子炉補助建屋コンクリ強度不足・掘削調査6カ所中5カ所」との見出しが踊った。最も強度が低いところでは、1mm2あたり、22.06N(ニュートン=0.10kgf)の設計基準値に対し10.6Nと50%以下であることが明らかとなった。コンクリート工学の専門家・小林一輔氏著の『マンション』によると、1995年の阪神淡路大震災では1階部分がつぶれた6階建てマンションの天井大梁の設計強度は180kgf/cm2・小梁の設計強度は210kgf/cm2に対し、実際は124kgf/cm2(12.4N/mm2)しかなかった。今回のふげんの測定結果は、こうした過去の地震で倒壊した建物の実測値をさらに大幅に下回るものであり、ゆゆしき事態である。
 ふげんは元々、旧動燃が新型転換炉の原型炉として1970年から敦賀市において建設を進め、78年に初臨界に達した炉である。出力は16万5千キロワットで、天然ウランだけではなくプルトニュウムの混合酸化物のMOX燃料も使えるなど、軽水炉と高速増殖炉の中間的な位置づけの炉であったが、位置づけがあいまいであったため、福井県の「15基体制の維持」という名目の下、日本原電敦賀3・4号機の増設了承と引き替えに廃炉が決定し、2003年より運転が停止している。

2 コンクリートの非破壊検査はあてにならない
 日本原子力研究開発機構では試料の圧縮による破壊検査の直前にハンマーによる非破壊検査を行っている。原子力機構によると非破壊検査では全ての地点で設計基準を満たしていたとし、破壊検査と非破壊検査は相関関係にあるのが常識で「本当に劣化しているのか信じがたい。データの信頼性について検査方法や試料の抜き方を確認している」(2007.2.11:福井)という。ここで、原子力機構の設計強度への無理解が馬脚を現している。『図解 コンクリート辞典』(小林一輔他)によると、ハンマーによる「反発硬度法は試験方法が簡便であり、コンクリートの強度推定法として最も一般的に使用されている。ただし、測定するのはコンクリートの表面硬度であり、コンクリート強度との関連性は原理的にはない」のである。これは、コンクリート構造物を扱う土木・建築の技術者なら、“常識中の常識”である。完成した構造物に一応はシュミットハンマーをあてて現場試験は行うが、それはあくまでも目安である。そんなところで強度が無かったら、それこそ、その構造物は全部作り直せということになる。だからこそ、わざわざ現場で、受け入れた生コンをサンプリングして材齢7日強度と28日強度のコア(供試体)の破壊検査を行っているのである。
 
3 技術の堕落を地で行く保安院
 保安院原子力発電検査課の「国内で運転開始30年を超えた原発12基については、すべてコンクリートを採取して強度を測り、問題ないことを確かめている。測定結果は非破壊検査の結果ともほぼ一致し、ふげんの測定結果が一般の原発に影響をすることは考えていない」(2.10:毎日)というコメントに至っては、これが技術者の言葉かと思うと情けなくて涙が出る。コンクリートの場合、表面や表面から数十cmのところでは強度があっても中は『ブラックボックス』である。生コンの投入の仕方も異なるので、同じ建物でも場所によっては強度が異なるのが普通である。保安院は稼働している厚さ1mを超すような原子炉建屋のコンクリート構造物に何カ所も穴を空けてコアを採取したのか。そのような話は聞いたことがない。中電浜岡1~3号機原子炉建屋で、号機ごとにわずか各コア1体づつを(04.12.10「浜岡原子力発電所の建物・構築物のアルカリ骨材反応に対する健全性の評価について」、東京電力福島第一・福島第二発電所で原子炉建屋からも、各コア1体づつの破壊検査やっているだけではないのか(しかも、福島第一2号炉原子炉建屋では破壊検査をしていない。05.2.15「アルカリ骨材反応に対する健全性の評価について」)。佐野文之氏によると、建物の健全性を判断する場合、規模の小さな建物でも最低3カ所はコアを採取すべきとしている(「耐震診断のフローと補強事例」『建築知識』1995)。原子炉建屋のような巨大な建築物で、たった1体のコア採取で何がわかるというのか。うそをつくのも甚だしい。そもそも、「測定結果は非破壊検査の結果ともほぼ一致」すること自体がおかしいのである。東京都建築材料検査所や建築学会による反発強度法による強度の推定値と実際のコアの強度の比較では「相当にずれている」(上記:辞典)のが常識なのである。
 
4 建設を急ぐあまりシャブコンを大量投入?
 では、今回の強度不足の原因は何か。コンクリートはセメントと水と骨材(砂・砂利・砕石)によってつくられる。「水を多く入れれば入れるほど、セメントとの化学反応によって生成される結晶が粗大で疎な状態になるとともに、空隙の多い脆弱な組織のコンクリートになる」(『コンクリートが危ない』小林一輔著)のである。学説では水セメント比が0.5から0.7になった場合、圧縮強度は2/3に低下してしまう。今回のふげんのデータはこうした学説に合致する。ようするに、「シャブコン」といわれる、水を基準以上に含んだ生コンを打ち込んだのではないかという疑問である。生コン車で運ばれた生コンは、現場でコンクリート圧送車により、鉄筋が組み込まれた型枠に流し込まれる。この時、不法に水が余計に加えられると生コンがやわらかくて作業がやりやすいのである。コンクリートの流動性を高めることが型枠内での作業効率を高めるのである(上記:『コンクリートが危ない』)。むろん、その直前にコアは採取されるが、その後に水を加えるのであるから、コアをいくら28日後に破壊試験しても実際の強度が異なるのは当たり前であるし、これが、日常的に行われているからこそ、コンクリートの現場打ちの時刻(朝の8時半とか午後1時とか)には必ず発注者側の責任者が立ち会うというのが、これまた“常識中の常識”なのである。
 
5 オイルショックの時期にあわてて建設
 小林氏は東京オリンピックを境目に1964年以前のコンクリート構造物は信頼性が置けるが、それ以降の構造物は信頼性が置けないとしている。高度成長期に、ともかく大量に安く早く完成させようとした構造物にその傾向が強いと指摘している。ふげんは大手ゼネコンの鹿島が建屋工事のほとんどを請け負い、1972年から1974年にかけて主要な建物が建設されている。その時期はオイルショックの時期と重なる。当時は物価が高騰する時期であり、土木の資材単価も短期間に2倍、3倍と高騰していた時期である。ゼネコンとしては1日も早く工事を完成させたかったに違いない。
 
6 原子炉建屋の健全性評価は破綻
 今回のサンプリング調査で、地下2階①地点・壁厚400ミリの内壁調査では、サンプル数9本の破壊検査では強度16.9~19.4N/mm2、地下1階③地点・壁厚400ミリでは、サンプル数10本の破壊検査で、強度10.6~14.0N/mm2、地上3階⑤地点・壁厚300ミリで、サンプル数4本の破壊検査で、強度13.3~16.5N/mm2と全て設計基準値以下であったが、事前の非破壊検査では全て基準値以上のそれぞれ、34.1~36.6N/mm2、27.7~37.0N/mm2、26.5~29.0N/mm2となっていた。いかに非破壊検査が当てにならないかということを、今回の破壊検査の結果は如実に証明している。にもかかわらず、保安院の担当者は13日の福井県における高経年化調査研究会の場で「非破壊検査は誤差がつきものだが、原発の強度確認には同検査が極めて有効と考える」と強弁している(2.14:福井)。建物に穴を空けるということで通常はなかなか取りにくい手法であるが、破壊検査の結果こそが全てである。でなければ、なぜ、全国全ての工事現場で、生コンの投入直前に7日強度のコアと28日強度のコアをわざわざ採取して、生コン協同組合などが設立した試験センターで地道に破壊検査をする必要があるのか。試験員は毎日、供試体の破壊検査を何十本、何百本とやっているのである。それを全て無駄とでも言うのか。保安院は全国の土木・建築の学者や技術者に笑われるだけである。黒を白といいくるめようとすることはいいかげんにやめるべきである。
 
7 補助建屋の早急な補強と原子炉建屋の対策を
 運転は停止しているというものの、MOX燃料は今も発熱しており、原子炉冷却系・補助系等の設備を収納する補助建屋が倒壊すれば原子炉本体の安全性に重大な影響を及ぼすことは明らかである(2012年度までに使用済み燃料を搬出する計画となっている)。低強度コンクリートについては、耐震診断基準ではコンクリート強度が13.5N/mm2以下では適用できないとされており、地下1階③地点の10.6N/mm2という強度は、このような強度の低いコンクリート建築物を耐震診断した場合,保有水平耐力が小さいことから,耐震補強を施しても耐力の向上があまり期待が持てないため,耐震診断の結果は『解体』という結論しかない状態なのである。しかし、補助系統とはいえいきなり解体することはできない。もう1点は、今回は廃炉の準備作業の一環として、放射線管理区域外の建屋のコンクリート強度を破壊検査により実測したものであり、原子炉建屋についてはどのような状態にあるかはわからないということである。もしも、同一ゼネコンによって、オイルショックの同時期に建てられた原子炉建屋が同様の強度不足にあるとするならば、膨大な放射性物質を抱えた建物の倒壊が予想される。早急に対策を講じなければならない。

 【出典】 アサート No.351 2007年2月24日

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【投稿】「戦後レジームからの脱却」路線に対置すべきもの

【投稿】「戦後レジームからの脱却」路線に対置すべきもの

<<「五月三日までの成立」>>
 安倍首相は1/4、年頭記者会見で「憲法改正をぜひ私の内閣で目指していきたい。参院選でも訴えていきたい」と述べ、昨年末の教育基本法改悪に引き続いて、「戦後レジームからの脱却」路線の中心に憲法改悪を据えること、それが「安倍カラー」であることを明らかにした。就任以来あいまいさが目立つとの批判をかわす最大の力点をこれに置き、まずは改憲の前提となる改憲手続き法案の「通常国会での成立を期する」と宣言している。
 1/5、首相は衆院憲法調査特別委員会の中山太郎委員長を呼び、同法案について「民主党の枝野憲法調査会長も三月に衆院通過、四月中に成立と言っている」との報告を受け、意を強くしたのであろう、その後の首相発言はさらにエスカレートしている。
 これに呼応するかのように公明党の太田代表は1/13、この改憲手続き法案について「成立させることが一番大事な本年の憲法論議の課題だ。五月三日の憲法記念日の前に、できれば成立を期したい」と応じ、改憲手続き法案の「五月三日までの成立」は、昨年末の民主党の枝野党憲法調査会長の言及、1/12のの中川・自民幹事長の同様の意向等によって、自民・公明の与党に加え、民主党憲法調査会グループとの間でほとんど合意に達しているかのような状況が作り出されている。
 そして1/9、防衛庁が「防衛省」に昇格し、安倍首相はその記念式典で、省昇格を「戦後レジームから脱却し、新たな国造りを行うための第一歩」と位置付け、「『美しい国、日本』をつくっていくためには、『戦後体制は普遍不易』とのドグマ(固定観念)から決別し、21世紀にふさわしい日本の姿、新たな理想を追求し、形にしていくことこそが求められている」と訓示。この「防衛省」昇格法案は64年に池田内閣が閣議決定したが国会に提出できず、01年には保守党(当時)が提出したが廃案になったいわくつきのものであったが、ついにわが安倍内閣で実現できたと言うわけである。ただちに、その「新たな理想、形」として、自衛隊の海外派兵を付随的任務から本来任務に格上げし、専守防衛原則に反するとして、政府の憲法解釈で禁じられた集団的自衛権行使の研究を進める考えを明らかにした。首相自ら憲法遵守義務を放棄するものと言えよう。
 1/10には、日本版NSC(国家安全保障会議)の創設に向けた関連法案を、3月中旬までに通常国会に提出する方針を決めている。北朝鮮を仮想敵とした有事体制・緊張激化政策の具体化である。
 さらに1/12、ベルギー訪問中に安倍首相は、北大西洋条約機構(NATO)の理事会で演説し、「いまや日本人は自衛隊が海外で活動することをためらわない」と述べ、恒久法制定も含め、自衛隊の海外派遣を積極的に進める意向を表明している。

<<「戦後レジームからの脱却」>>
 ここで安倍首相が言う「戦後レジームからの脱却」とは何か。それは端的に言えば、憲法に集約される平和主義、民主主義、基本的人権、地方自治等々に対する、アンチテーゼ、すなわち、軍事力強化と海外派兵、日の丸・君が代の復活と愛国心の強制、民主的諸権利の規制と統制の復活、地方自治の形骸化と国家統制の強化、等々である。これを「美しい国、日本」などと化粧直しして、「新たな理想を追求」などと称しているが、その実体は「美しい国」とは程遠い、傲慢で権力主義丸出しの復古調に彩られた戦前回帰の右傾化政策である。その意味では確かに『戦後体制は普遍不易』からの決別宣言である。戦前回帰と異なる点は、徹底してアメリカ帝国主導の軍事的・政治的・経済的支配・グローバリズムに追随し、これを利用することにあろう。そして安倍内閣が引き継ぐ、小泉政権以来の市場原理主義の徹底は、日本の社会・経済を根底から破壊、分断し、所得の社会的再配分をぶち壊し、弱肉強食、社会の貧困化、格差拡大、腐敗蔓延の方向に推し進めようとしている。こうした結果を覆い隠す美辞麗句のスローガンが、「美しい国、日本」であり、その空虚でお粗末な政策の柱が「戦後レジームからの脱却」だと言えよう。
 問題は日本の大手マスメディアのほとんどが、こうした「戦後レジームからの脱却」に無批判であり、むしろ激励・礼賛し、結果として政治権力の手先になり、政府の広報機関と化してしまっていることにあろう。新年冒頭の元旦社説で、読売は、「タブーなき安全保障論議を 集団的自衛権「行使」を決断せよ 」と迫り、「日米同盟関係の信頼性を揺るぎないものに維持する努力が要る。同盟の実効性、危機対応能力を強化するため、集団的自衛権を〈行使〉できるようにすることが肝要だ」と述べて、それにはただ「政府がこれまでの憲法解釈を変更すればいいだけのことだ。安倍首相は、決断すべきである」と激励している。産経は、「凛とした日本人忘れまい 家族の絆の大切さ再認識を」と題して、「その意味で改正教育基本法の成立は価値ある重要な一歩といえる。・・・教育基本法も憲法同様、人類の普遍的価値や個の尊重を強調するあまり、結果として無国籍化と個の肥大や暴走を招いた」と、これまた安倍首相の「戦後レジームからの脱却」に賛辞を呈している。
 朝日の元旦社説は「戦後ニッポンを侮るな 憲法60年の年明けに」と題して、「軍事力より経済」で成功した戦後日本を擁護して、安倍首相の憲法9条改正の主張を批判する姿勢を明らかにしたことは評価できるが、1/7付朝日は、編集委員・西井氏の「民主党の経済政策を読み解く」を掲載し、民主党に対して「増税明言し勝負せよ」と主張している。これなどは明らかに財務省の広報機関と化し、政府・与党の本音を代弁し、政治的わなにかけるような悪質な主張と言えよう。

<<「音もなく速やかに進行」>>
 こうした日本の政治の危険な傾向に対して、1/7付、韓国の朝鮮日報紙は「『音もなく速やかに進行』する日本の右傾化」と題して、
 「安倍晋三首相が右傾化政策を『速やかに音を立てず』推し進めている。靖国神社参拝を除けば、安倍首相は首相就任以前に示していた右傾化路線を大きな反発なく一つずつ成就していっている。
 また、安倍首相は1日の年頭所感で、『戦後レジームから脱却し、新しい時代にふさわしい憲法とするため憲法改正に取り組む』と強調した。昨年、愛国心教育を強化した教育基本法改正案を国会で通過させた余勢を駆って、今年は改憲を最も重要な政治課題として推進するという意志を見せたのだ。
 外交的反発を招く恐れのあるデリケートな事案については、政権内の極右傾向のある人物の『口』を通じて推進されている。
 同様に『日本の核武装論』も、安倍首相は認めていないものの、中川政調会長や麻生太郎外相など、安倍政権の主要人物が主導している。
 しかし、こうした右傾化の流れに対し、日本国内からの反発はほとんど見られない。核武装論は既にタブーの領域から抜け出し、マスコミで活発に賛否をめぐる議論が展開されている。さらに、『皇室典範』改正案の白紙化や『河野談話』否定の動きは論点にすらなっていないというのが実状だ。」と指摘している。実に簡明に本質を突いているといえよう。
 1/9の中国・新華社通信は、防衛庁の省昇格は「日本が軍事大国に向けて踏み出した重要な一歩である」と警戒する論評を発表し、「日本はすでにアジアで最も先進的な武器装備と強大な作戦能力を持っている」と指摘、「日本の軍事力強化の動向は、日本軍国主義の被害を受けたアジア各国の国民の憂慮と警戒を必ず招く」と警告を発している。
 さらに、1/5付英紙フィナンシャル・タイムズ(アジア版)は「安倍氏は、日本の有権者がもっとも関心を寄せる経済問題ではなく、なぜ憲法改定や学校の教育課程での愛国心を強調し続けるのか驚かされる」との声が出ていると指摘している。
 いずれも安倍政権の危険な性格を浮き彫りにするものである。

<<早くも「ポスト安倍」>>
 ところが安倍政権は、威勢のいい「戦後レジームからの脱却」の掛け声とは裏腹に、またそれだからこそとも言えるが、おざなりで空疎なその場しのぎの政策の故に、支持率の急落、低迷にあえぎ、閣僚の不祥事と辞任が相次ぎ、浮上のチャンスをつかめてはいない。
 安倍首相は年頭、「この100日間で、美しい国づくりに向けて、礎を築くことができたと思います」と自賛し、その第一に改正教育基本法の成立を挙げたが、その担当大臣である伊吹文部科学相に不正経理処理の疑いが浮上したのをはじめ、このたった100日余の間に政権を揺るがし、対応に追われる疑惑が次から次へと発覚し、政府税調会長と行政改革担当相が辞任し、松岡農林水産相についても疑惑が取りざたされている。首相は「個別の事案の詳細は担当大臣に聞いていただきたい」と逃げ回らざるを得ない事態である。
 安倍内閣は発足わずか三カ月にして深刻なダメージを受け、1/8には、麻生外相が次期自民党総裁選について触れ、「いつあるか分からないが、捲土重来を期し、それまでに備えておかねばならぬと決意を新たにしている」と語り、早くも「ポスト安倍」に名乗り出るという、危うくて脆い、足元ガタガタの内閣の様相を呈している。しかもその「ポスト安倍」の候補者が、これまた安倍首相に輪をかけて反動的で、程度が低いという現実は、自民党にとっても深刻であろう。
 これに対して民主党は1/9、25日召集の通常国会を「格差是正国会」と位置づけることを決め、雇用・労働や年金・福祉、子育てなど幅広い分野で格差問題に取り組む姿勢を前面に打ち出そうとしている。これ自体は重要なことではあるが、民主党には、それと同時に提起すべき、安倍政権と対決する平和外交への全面的な外交姿勢の転換をめぐる政策が欠落していると言えよう。折りしも、泥沼から抜け出せないブッシュ政権のイラク増派決定が内外から厳しい批判に晒され、孤立している最中に、日本の安倍政権が「イラクの安定化に向けた大統領の強い決意表明を評価したい」と追随姿勢を鮮明にした。今こそこうした政権を退場させ、政権交代を勝ち取るためには、安倍政権の憲法改悪・軍事力強化・緊張激化政策という「戦後レジームからの脱却」政策に、唯一対抗できる対話と協調、平和外交への転換、そして環境保護政策での対決という最も重要な政策の確立こそが求められている。
 さらに野党は、今夏の参院選で与党議席を過半数割れに追い込むために、「ブリッジ共闘」であれ何であれ、どのような形態であろうとも結集、結束すべきであり、それが世論の、有権者の要求であること、そしてそれは可能であることを銘記すべきであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.350 2007年1月20日

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【投稿】労働規制破壊=労働時間規制撤廃に対抗して

【投稿】労働規制破壊=労働時間規制撤廃に対抗して

<労働時間規制改悪の動き>
 昨年来より「ホワイトカラー・エグゼプション」や労働者派遣法改正の動きが07春闘を前に急ピッチになってきた。安倍首相を議長とする経済財政諮問会議は、労働者の派遣期間制限の撤廃やすべての労働者に適用される共通ルールの新設など「多様な働き方」を可能にする『労働ビッグバン』の実現に向けて動き出した。また厚労相の諮問機関である労働政策審議会は、経済財政諮問会議に沿った内容で昨年12月27日に最終報告を出した。
 そもそも日本経団連が2005年に発表した「ホワイトカラー・エグゼプションに関する提言」は、何度か手直しされてきた労働基準法の改正が規制緩和の方向でなされたが、いまだ不十分だとして、①労働者派遣法で定められている「一定期間を経た派遣労働者」を受け入れ企業が直接雇用する義務の撤廃、②一定の要件に該当するホワイトカラー労働者に、労働基準法に定められている労働時間規制を適用させず、時間外労働賃金を不要にするという「ホワイトカラー・エグゼプション」の導入をはかろうとするものである。もっともこうした動きに対する世論の動きや労働側の強い反発と、川崎前厚労相など与党内部からの慎重論をけん制するものとして、ホワイトカラーに該当する労働者の年収制限を「年収400万円程度以上」から大幅に増額し「800~900万円程度以上」にするなど、議論は紆余曲折したが、「日本版ホワイトカラー・エグゼプション」は、対象労働者を①労働時間では成果を適切に評価できない業務に従事する者、②業務上の重要な権限および責任を相当程度伴う地位にある者、③業務遂行の手段および時間配分の決定などについて使用者が具体的な指示をしない者、④年収が相当程度高い(下限を800~900万円程度)者という条件を決めた最終報告案を決定・調整し、導入の是非を審議中としている。また厚労省は長時間労働の是正策を挙げ、時間外労働賃金の割増率を1ヶ月の時間外労働に応じて三段階に分ける新制度を導入する方針を発表した。
 労働時間規制除外労働者の年収の下限を発表されたように実施されれば、確かに対象労働者は全雇用者の5%程度と圧縮される(年収400万円下限では対象者は全雇用者の四割、およそ2000万人)が、労働側は限りない労働強化につながるとして、さらに下限年収を将来引き下げることが予想されることから強く反対しているのは当然だろう。事実、サービス残業を告発する法的根拠が失われると予想されるため、厚労省の労働基準監督官の60%が「ホワイトカラー・エグゼプション」の導入に反対している(全労働調査「東洋経済」2007年1月13日号より)。

<労働時間は減ったのか>
 厚労省「毎月勤労統計調査」をみると、1950年以降、総労働実労働時間は改善されてきているようにみえる。ここ数年の「1労働者1人平均年間総実労働時間の推移」(暦年)をみても、総労働時間では1990年2052時間、1995年1909時間、2000年1859時間、2001年1848時間、2002年1837時間、2003年1846時間、2004年1840時間、2005年1829時間と減少してきた。所定外労働時間でも1990年186時間、2000年139時間、2005年149時間とバブル崩壊後の数年間よりやや上昇気味ながら、1997年の150時間を越えていない。こうした傾向は企業規模別でみても大きな違いはみられないようだ。「週休2日制等の普及率の推移」でも「完全週休2日制適用労働者数の割合」は「同企業数の割合」と同様にそれぞれ56%~60%程度、88%~91%程度とやや上昇傾向もみられ、ここ6~7年大きな変化はない。しかし、「働きすぎの時代」(岩波新書、森岡孝二著)によると、平均化するとみえてこない実態があるようだ。同書によると、パート・派遣労働など非正規労働者が大きく増大し、正規労働者と非正規労働者に二極分化した現在では、労働時間も二極分化の傾向が強くなってきている。同書によると、1993年から2003年までの10年間の動きをみると、非正規労働者の比率はこの10年間で21%から33%へ増大しているなかで、週35時間未満の就業者(主に女性)は男女計で929万人(18%)から1259万人(24%)へ増大した。同時に、週60時間以上の就業者(主に男性)も540万人(13%)から638万人(16%)に増大した。つまり短時間労働者も長時間労働者もともに増加し、「労働時間の性別分化をともなった二極分化」が進行したというのだ。
 こうした実態は、「連合の2006生活アンケート調査」にあるように、労働者の生活のさまざまな断面にみてとれる。たとえば、「1日の労働関連時間」は「12~13時間未満」がもっとも多い21.3%(総計、以下同じ)となっており、つづいて「11~12時間未満」が20.5%、「10から11時間未満」16.9%、「13~14時間未満」16.3%となり、「出勤日の平均的な帰宅時間」では「19時台」23.1%、「18時台」21.9%、「20時台」19.4%、また「1週間のうち家族と一緒に夕食をとっている回数」では、「週2回くらい」20.8%、「週3回くらい」16.3%、「週4回くらい」12.3%となっているが、男女別にみると、男性ではそれぞれより厳しい結果がみてとれる。さらに「同調査」の「仕事と生活のバランス」の質問では「自分の生活時間を増やしたい」が総計で62.1%と「仕事を増やしたい」3.7%を大きくうわまっている。

<労働者の賃金は増えたのか>
 「格差拡大」、「ワーキングプア」という言葉を毎日のように目にするが、全雇用者の3割を越える1600万人といわれる非正規労働者の年収は200万円前後であり、その悲惨さはさまざまなマスメディアによってつたえらえている。この年収レベルは明らかに正規労働者との格差はある。では正規労働者の賃金はどうなっているのか。
 厚労省の「賃金構造基本調査」から男性・高卒・常用労働者(企業規模10人以上)の所定内賃金を年齢別にみると、「中位数」で1995年から2005年の比較で18-19歳をのぞきすべての年齢層で減っている。これは大卒・女性をみてもほぼ同様である。正社員全体での賃金低下が続いているのだ。さらに、1990年代半ばには若干縮小した企業規模間格差も、1995年以降は拡大傾向を続けている(07連合白書より)。
 一方、非正規労働者も時間給は現在およそ850円、年間2000時間労働でも年収約170万円と、今後も大幅に増える見通しはない。所得を増やすためには正規・非正規問わず労働時間を増やすしか方法はないのだが、一定の時間を越えて労働することは不可能だ。結果は、健康破壊であり、過労死であり、たとえ可能であっても、賃金が支払われないサービス残業となる。
 財界は利益追求を果てしない「国際競争力の向上」と「ワークライフバランスの実現」を掲げて、ほんのわずかな基幹労働力と他の多くの非正規労働でなしとげようとしているのだろう。結果は労働者の低賃金化=貧困化と過労しか残されていない。

<賃金の底上げと規制の強化こそ必要>
 07春闘はスタートしているが、各産別ではすでに1000円から2000円程度の賃上げ要求を出している。「連合」は最大のテーマを「『格差拡大』の流れを反転させること」としている。つづけて「月例賃金を重視した『賃金改善』に取り組む」「規模間格差の是正」「パートタイム労働者等の待遇改善」「賃金構造を底上げする運動」「仕事と生活の調和をめざし、働き方の見直し」を掲げている。どれも「正しい」要求である。
 しかし、ではどうしたら実現できるかが問題である。20%を割った労働組合組織率、賃上げすらままならない運動状況に、圧倒的多数の未組織労働者は不満を抱え続けている。連合に例をとれば(連合に限らないが)、企業別(本工)労働組合運動を続けてきた結果、企業内での組合組織率すらも低下し、同一職場に関連の他企業やパートや派遣の未組織労働者が半数を超えていることもあるという。また、関連企業の労働組合が元請企業の賃上げを超える水準を出そうとなった場合に元請企業の労組がヨコヤリを入れるという事態すらあったこともある。職場に存在するすべての労働者の賃金の底上げと要求の実現を通して、労働組合運動の復権が期待できるのである。パートや季節労働者の処遇を引き上げることなく、「本工労働者だけの労働運動」の結果が今日の事態を招いているのであれば、ナショナルセンターは一刻も早く全労働者の労働運動を提起し、企業毎に分裂する労働組合も、職場ごとに統一しなければ、本格的な「反転」はありえないのではないだろうか。そういう意味では、格差が拡大したとはいえ、全労働者の賃金が低下し、労働時間規制の除外という全労働者的課題を突きつけられている今日こそ全労働者的運動を展開する労組復権・労働運動再生の最大のチャンスと思えてならない。(立花 豊 東京)

 【出典】 アサート No.350 2007年1月20日

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【投稿】異議あり-メタボリック症候群

【投稿】異議あり-メタボリック症候群
                   福井 杉本達也

1 メタボリック症候群とは
 男性ではウエストが85センチ以上、女性では90センチ以上で、高脂血症、高血圧、高血糖の三項目のうち二つに該当する人がメタポリック症候群(Metabolic Syndrome)、一つに該当すれば予備軍とされる。個々の数値がそれほど高くなくても、放置し続ければ心筋梗塞や脳卒中、糖尿病などの生活習慣病になる危険性が高いとされる。厚生労働省は2006年5月にメタボリック症候群の全国調査結果を発表した。その結果は、40~74歳男性の2人に1人、40~74歳女性の5人に1人、1,960万人がメタボリック症候群かその予備軍だという。
 なぜ、厚生労働省がメタボリック症候群を問題にするのであろうか。生活習慣病は国民医療費の約3割、死因全体の約6割を占める。昨年6月に成立した医療制度改革法は医療費抑制のための生活習慣病対策として、40歳以上の健診の義務化や保健指導の徹底を求めている。厳しめの判定基準を設けることで、医療費を減らす狙いがあるといわれるが、40歳以上の男子の半分がメタボリック症候群及びその予備軍だというのでは別の狙いが隠されているのではと勘ぐらざるを得ない。
 
2 やや肥満気味が長寿
 藤田紘一郎 東京医科歯科大学名誉教授も「太りすぎが重大な病気の引き金になることは確かですが、統計的にはやや肥満気味の人の方が、やせた人よりもむしろ長寿であることが分かっています。肥満の度合いは体格指数(BMI=体重を身長の二乗で割った数値)で表されます。日本ではこの指数18・5~24・9が正常とされ、厚生労働省は22~23を推奨しています」「国内では、BMIが24~25くらいの人の寿命が最も長いというデータがあります。米国でも25~29.9の過体重の人々の死亡率が最も低い。つまり、少し太り気味の人が最も長生きという結果です。日本の判定基準だと、この最も元気な人々を病人扱いすることになってしまいかねません」(日経:2006.9.4)と述べている。鎌田實 諏訪中央病院名誉院長も「おお太ではなくちょい太がいい。『やせている人ほど短命』『最も長生きなのは小太り』…少しだけ太っていることは体にいい働きをする。免疫力を高め、感染症にも強くなり、がんにかかりにくい体にしてくれる」(鎌田實『ちょい太でだいじょうぶ』集英社)と厚生労働省とは逆に“ちょい太”を推奨する。

3 マネジドケア導入の隠された意図
 むろん、厚生労働省の狙いは2千万人もの国民を“病人”に仕立てあげ、医療費を増加させることではあるまい。『健康日本21』(21世紀における国民健康づくり運動)を提唱する厚生労働省のY課長が保健関係者の間では常識的なBMI(Body Mass Index)の“ちょい太”の数字を知らないはずはない。そもそも、BMIにはアメリカや厚労省での追跡調査による根拠があるものの、ウエスト85センチには何の科学的裏づけもない。各国で基準はばらばらである。厚労省は保健指導として、生活習慣病の危険度に応じて、危険度が高い人には、食生活の改善や運動、禁煙など3~6カ月間の支援プログラムを、それに次ぐ人には、生活習慣の改善指導を行うというが、むしろ、病気への危険性を意識的に煽ることによる個人への“動機づけ”にその真意があるのではなかろうか。その場合、保健指導の対象者が1~2割というのでは少なすぎる。だから、あえて判定基準を厳しくし、50%を確保したかったのではないか。
 個人への“動機づけ”の最終目標には、医療費の急激な増加を抑えようとする「管理された医療」=マネジドケア(Managed Care)の導入の意図がある。マネジドケアとは、医療サービスへのアクセスやサービスの内容を管理・制限することで、限られた財源のもとで効率よい医療サービスの提供を目指すということ、つまり、適切な医療サービスを提供すること、医療コストを削減することが目標である。しかし、現実には、医療コストを削減する方法としては、①医療サービスへのアクセスの制限であり、患者が勝手に救急病院で受診したり、専門医で受診したりすることを制限すること。②管理の手段として市場原理により、医療サービス供給側に大幅な値引きを迫る。③コストのかさみそうな症例については、効率よくすることが行われる。例えば出産は1日で、分娩後の母親が24時間後に退院させられる。乳がん1日、肺炎2日、冠動脈バイパス手術4日、心筋梗塞4日であり、5日目からの入院は医学的必要性が認められないと言われる(李 啓充 ハーバード大学医学部助教授「現代米国の医療制度に何を学ぶべきか」富士通21世紀病院経営戦略フォーラム)。マネジドケアは国民皆保険制度のないアメリカ生まれの制度であり、そのまま単純に持ち込むと皆保険制度の崩壊に繋がりかねない。

4 公的医療保険制度の掘り崩し
 個人への“動機づけ”のもう一つの側面は、「個人責任」という市場主義経済の“キーワード”を持ち込むことである。肥満=生活習慣病は“個人責任”であるという論理により、肥満者で保健指導に従わない者は医療サービスから排除する、あるいは、高い医療費を払わされるという形で、公的医療保険制度を掘り崩そうとする臭いが感じられる。肥満になるのは個人の責任であろうか。むしろ、ファーストフードをはじめとする現在の食生活、超過勤務、異常な社会的ストレスなど社会的要因によるものが多いのではあるまいか。鎌田實氏は上述の文章の中で、長寿県として名をはせていた沖縄県の男性の平均寿命が、全国26位まで急落した『沖縄ショック』をもたらしたものは、格安のアメリカの牛肉の入り込みや、ハンバーガーなどアメリカ風の食事、生活スタイルによる食生活の転換の蓄積が、文字どおり体の贅肉となったことだと分析している。

5 社会的排除の論理
 ここ数年、特に2003年の健康増進法改正以来喫煙に対する風当たりが強まっている。病院や学校、官公庁舎などにおいては、それまで行われていた分煙が廃止され敷地内を全面禁煙にするところも増えている。むろん、かつてのように事務室や航空機などの狭い空間で喫煙することは受動喫煙の被害もあり許されることではない。しかし、物事を善玉と悪玉に二分して、喫煙を絶対悪とするアメリカ的思考方法には違和感を感ぜざるを得ない。2002年に施行された地域全体を禁煙とする東京・千代田区の「路上喫煙禁止条例」などは異常というしかない。そもそも、かつての結核や赤痢などの感染症中心の時代から生活習慣病(慢性疾患)の時代へ、ケアの時代へと病気の構造は大きく変化している。生活習慣病を感染症のように、喫煙や肥満など特定原因だけに単線的に求めようとするには無理がある。アメリカでは肥満にかかる遺伝子の研究も進められているが、社会的排除に繋がりかねない。

6 医療改革は国民皆保険制度を守ったうえで
日本の医療の基本的な評価は「低い医療費で高い健康水準や健康寿命(健康状態を加味した平均寿余)を達成している」ということである。WHOが2000年にまとめた報告書では、日本は「健康寿命」の面で世界一で、医療費(対国内総生産=GDP=比率)は先進国中最低クラスにある(日経:2004.11.8 広井良典千葉大教授)。しかし、今後とも医療費の増加は避けられないので、開業医重視から病院重視に改めることを含め、医療サービスの効率化は図る必要がある。だが、それは健康管理を個人の責任に帰して皆保険制度の肉を全て剥ぎ取ることではない。『ちょい太でだいじょうぶ』なのである。いたずらに国民の危機意識を煽るのではなく、地に足が着いた議論をすべきであろう。

 【出典】 アサート No.350 2007年1月20日

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【書評】『途上国社会の現在──国家・開発・市民社会』

【書評】『途上国社会の現在──国家・開発・市民社会』
          (松下洌編、2006.2.10.発行、法律文化社、2,500円+税)

 『途上国社会の現在–国家・開発・市民社会』と題された本書は、次の4つのねらいを持っている。すなわち、①「発展途上国の現状を包括的・全体的に描く」こと、②「『国家』、『開発』、『(市民)社会』という基軸となる3つのカテゴリーから成る、相互に連関したトライアッドの枠組みを意識」すること、③途上国の位置については、「グローバル化の影響は決定的」であり、これが国家・経済・社会およびこれらの関係の再構築を強制することに注目すること、そして④「途上国における新しい市民・民衆の運動や動向にも注目し、それらの積極的意義と可能性」を探ること、である。
 これらのねらいの基本的なところは、「序章 発展途上国の現在と可能性」(松下洌)に手際よくまとめられている。それによれば、グローバル化のさまざまな側面、特にそのイデオロギー的側面に留意しつつ、開発主義国家の経緯と動向を探っていく必要がある。その中で地方分権化と「参加」という世界的な傾向に着目するならば、「国家」に対して「市民社会」、「公共圏」の視点が検討されなければならない。また「市民社会」と「市場」との関係では、「社会的に責任ある資本主義」によるアプローチ(主流派アプローチ)と「資本主義へのオールタナティブ」アプローチ(代替的アプローチ)が、またトライアッドの枠組みでは、コンセンス型「国家-開発-市民社会」関係とシナジー(相乗効果)型のそれとが比較考察される。
 そしてポストコロニアルの途上国社会を3ないし4つの時期に区分し、本書の概観が示される。それは時代の流れで言えば、(1)「独立後の国家建設とナショナリズムの時代」、(2)「開発」の時代–この時期は「開発」の主体や方式、「理念」によって、(2-1)「国家主導の開発主義」と、(2-2)「市場の優位のネオリベラリズム型開発」の2つに区分されるが、「両者を明確に区分するのは必ずしも効果的でない」とされる。そして(3)「ポスト開発主義」の時代(1990年代以降)、である。
 本書では、上の区分の(2)の時期以降を対象としているが、それぞれの時期の大まかな特徴は次の通りである。
 (1)の時期:「国家」中心の議論に有利な条件であったが、「社会の実体はコロニアル社会との継続性が強く」、国民経済や市場は弱い。
 (2-1)の時期:「国家は経済領域に対して主導的、促進的、調整的役割を果たすが、国民や個人の利益は無視される」。(本書では「第Ⅰ部 国家と開発」にあたる)
 (2-2)の時期:「開発」の進展と「市場」支配、ネオリベラリズムとグローバル化の中で、「『国家–開発』関係に収まらない『国家–社会』関係がダイナミックに展開し始めるが、民主化と民主主義の視点からはきわめて流動的で不安定でもある」。(本書ではおおよそ「第Ⅱ部 国家と社会」にあたる。)
 (3)の時期:「この時期はネオリベラリズム型グローバリズムの負の側面が認識され問題視され、一部の国際機関は修正ネオリベラリズムに衣替えする。他方、『人間開発』、『社会開発』の流れが強まる。市民社会は民主化・民主主義に向けて各アクターが争う主要な場を提供する」。(本書では「第Ⅲ部 躍動する市民社会」にあたる。)
 以下ではそれぞれの時期の興味深い論考を紹介しよう。
 (2-1)の時期:「第1章 アジアにおける『国家と企業』—産業政策の変容と『国家』の役割をめぐって」(井手文紀)は、国家(政府)と内外企業との関係の生成、経済開発における国家の役割を東南アジア諸国の事例で検証する。その中で現在、この関係と役割が国内外の大きな流れの中で変化しており、「中立的な産業政策が必要とされる余地は依然充分にあり、そこに各国は生き残りのための活路を見出していかねばならない」とされる。
 「第2章 改革開放時代の中国–『国家』と『市場』の関係」(下野寿子)は、中国の急速な経済成長を可能にしたのは「計画経済から市場経済への転換」であったとし、「改革開放は国家と市場との関係を再構築する試みであったと同時に、近代化・国際化・計画から市場への経済体制移行という3つの側面が同時進行する過程でもあった」と見る。
 (2-2)の時期:「第4章 途上国における軍の役割—フィリピンにおける国軍の政治関与の諸相」(山根健至)と「第5章 民主化時代のインドネシアにおける国家暴力の変容」(本名純)は、途上国における政軍関係について、日本では余り言及されていない視点を提供する。特に権威主義体制から民主化への移行の時期に軍隊がどのような役割を担うかは重要であり、途上国の性格すら決定付ける要因となるという指摘は的確である。
 また「第6章 中東政治におけるイスラーム主義運動の位置–多様化・多極化する方向性」(吉川卓郎)は、イスラーム主義運動の考察から、そこに「両極化」と「多様化」が見られるとし、それが「中東の政治・社会変動の過程において成長した、イスラームという伝統的価値観を近代的に再解釈する運動」であること=「一見すると反近代的で地域横断的なイスラーム主義運動には近代性と地域的特性が見え隠れして」いること、従って「中東諸国の政治領域でイスラーム主義運動が拡大するにつれて、多くは地域特有の事情を背負わざるを得なくなった」ことを指摘する。
 (3)の時期:「第7章 韓国における市民社会と公共圏–デジタル・デモクラシーの射程」(文京洙)は、2004年の大統領訴追事件をテーマに、「周辺フォード主義」下の韓国の民主化の過程で、韓国の民主主義が、「プレ・モダンとポスト・モダンの二重苦にあって」その建て直しの道筋を模索している状況を分析する。
 「第9章 交錯するエスニシティとネイション—中央アメリカの先住民運動を例に」(小澤卓也)では、現代社会における従属的集団(サバルタン)のヘゲモニー集団に対する抵抗・解放運動の新しい可能性を、中央アメリカのサパティスタ解放軍(EZLN)を例として考察する。それによれば、従来の先住民集団の抵抗運動=「国民的」価値観に対して自分たちのエスニックな価値観を対峙させる形態ではなく、EZLNは、「ネイションを否定せず、逆に白人系住民と同じ『メキシコ国民』として先住民の権利を侵害している『非国民的な政府』を非難」する。そしてこのことで、「かれらは『国民』という枠組みを利用しながらも、その『国民』イメージを『国民国家』の中心部分から周縁部分へとずらし、彼ら自身の視点から修正を施し」、「自集団のエスニックなマイノリティ性と市民社会というマジョリティ性を共存させている」のである。この抵抗・解放運動のユニークさは今後注目される価値があると思われる。
 さらにこれらの(1)~(3)の市民社会の発展の時期を通じて、民主化との関連で、「人権」概念が認識されてきたことも重要である。本書では「第Ⅳ部 グローバル化と対峙する途上国」において、「第12章 国連の民主化政策及びアフリカの人権」(龍沢邦彦)が「人及び人民の権利に関するアフリカ憲章」(バンジュール憲章)を分析している。そして「第13章 帝国の逆襲—グローバルな世界の南側におけるグローバリゼーション、テロとの戦い、そして人間の安全保障(の欠如)」(ジョルジョ・シャーニー)では、「人間の安全保障概念」について考察がなされている。

 以上のように本書は、発展途上国社会の現在をさまざまな角度から切り取って検討を加えたものであるが、ここで言及できなかったものも含めて、それぞれの論考には興味深い諸問題が提起されている。ただその対象とするところが余りに広範囲であるために、充分把握できているとは言いがたい側面が存在しているのは止むを得ないであろう。しかしグローバリゼーション概念そのものの分析から、これに対する諸方向の検討までを考える上で、本書は貴重な示唆を与えてくれる。将来的にこれに続く多くの諸論考が世に出ることを期待したい。(R)

 【出典】 アサート No.350 2007年1月20日

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【投稿】「無言館」を訪ねて

【投稿】「無言館」を訪ねて

 以前から行きたいと思っていた所―戦没画学生慰霊美術館「無言館」(長野県上田市)を、06年12月28日、訪ねた。
 数年前、日本教職員組合主催のある講演会で、講師の方が「いろいろなことがあって気持ちが落ちこんだときには、無言館に行って一時間ほど館内で佇むんです。すると、志半ばにして戦争のために死んでいった画学生の、声なき声が聞こえてくるんです。そして、落ちこんでる場合ではない、画学生の分もしっかり生きなくてはとリセットして東京に戻るんです。」と話しておられたことが印象深く、心に刻まれていた。
 昨年12月、国会会期末ぎりぎりに「教育基本法」改正政府法案が強行可決され、国民の半数以上が望んだ「改正には慎重審議を!」という願いは踏みにじられた。「教育再生会議」での議論も合わせて考えると、これまで各学校現場で地道に実践されてきた「平和・人権・共生」などをキーワードにした教育への攻撃が予想される。こうした情勢下、私は教育労働者としてなお一層の「決意」を固めたいとの思いもあって、「無言館」へ旅立った。
 大阪から上田への最短経路は東京経由の新幹線利用と初めて知ったが、予算の都合で特急「しなの」に乗車した。同行者とふたり、車窓の風景を楽しみながら稚拙な俳句づくりに興じつつ笑い合っているうちに、長野駅に着いた。時間短縮のため長野新幹線「あさま」に一駅分だけ乗り、上田駅に到着。上田電鉄別所線に乗り換え、塩田町駅にて下車後タクシーにて目的地へ。4月から11月末までは塩田町駅から無言館までシャトルバスが運行しているようだが、この時季の訪問客は限られているのか「12月1日~3月31日バス運休」と張り紙がしてあった。
 館内で買い求めた「無言館 戦没画学生『祈りの絵』」(窪島誠一郎著)に記されている説明によると、「無言館は、1997年に開館した『信濃デッサン館』の分館として、本館東隣にある丘陵地の頂に開館した慰霊美術館。先の太平洋戦争で志半ばで戦死した画学生百余名、六百余点の遺作・遺品を展示し、館主自身の設計による建物は十字架形をしたヨーロッパの僧院を思わせる。」
 前掲書の著者が、無言館の館主である。この書の巻頭に、澤地久枝さん(ノンフィクション作家)が「無言の語りかけ」と題する賛同文を寄せておられ、「絵の巧拙など問題ではない。修業途中の”わかがき”のういういしさ、どこまでも伸び得たか未知数の才能が、戦争によって無残にねじきられた実相を、展示の作品はあなたに語りかけてこよう。絵は無言のまま、見る人の心に多くの思いをかきたてずにはいない。」と結んでおられる。
 安倍首相は、年頭会見で「憲法『改正』を参議院選挙の争点にする。」と言明し、「戦争のできる国」づくりを加速化させようとしている。教育労働者として、日教組不滅のスローガン「教え子を再び戦場に送るな」をこれまで以上に大きく掲げ、闘っていかなければならないとの思いが強い今日この頃である。
 「館内で佇むと画学生の声が聞こえてくる」と語られた講師の方同様、私にも聞こえたような気がした。「生きたい!」「もっと絵が描きたかった・・。」「家族ともっと話がしたかった。」「若い命を無残に散らす戦争は止めて!」などなど・・・。入館料(随意制 5百円~千円)を払い関連書3冊を買って、無言館を後にした。
 その晩宿泊したあずまや高原ホテルの露天風呂に浸かりながら、しんしんと降り積もる雪の白さに画学生の精神の「高潔さ」を重ね、自らの人生を想った。
 皆さんにもお薦めします、「無言館」への旅を。
(教育労働者 Kawachi)

 【出典】 アサート No.350 2007年1月20日

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【コラム】ひとりごと–加藤紘一「テロルの真犯人」を読んで

【コラム】ひとりごと–加藤紘一「テロルの真犯人」を読んで

加藤紘一、1939年生まれ、当選12回(山形第3選挙区)の衆議院議員。彼の実家・事務所は、昨年8月15日、65歳の右翼団体構成員によって放火され全焼。偶然にも散歩に出かけていた97歳の実母は、被害を免れている。
加藤は、小泉の靖国参拝に異議を唱え続けてきた自民党議員である。右翼は彼に的を絞り、放火という手段で、脅しをかけてきた。放火された日の様子から、この本は書き始められている。事態を悪化させないために、記者会見でも、事実の究明を見守る姿勢を続け、冷静を保ち続けたが、「テロに屈せず、発言を続ける」ことは明言した。
「私は、この種の事件に対抗するには社会全体が大きな声を挙げるほかはないとかんがえている。卑劣な手段を激しく批判し、たとえ自分と思想信条の違う人間であっても、「狙われた」ものを社会が守ろうという姿勢を示さないと、この種の事件は止むことがない。」
小泉は、「夏休み」中を理由に10日以上も沈黙を守り、放火テロ事件への批判を避け続けた。加藤は、いつもは靖国参拝を支持している産経新聞が社説において、テロは許されないと批判したことに勇気づけられたと述べている。一方、「放火事件を支持する」と右翼団体が1000名以上を集めて集会を開催しているという。
加藤は山形市長(後に衆議院議員)を父に持ち、東京大学法学部を卒業後、外務省に入省。中国外交に携わるというコースを選択する。大学時代は、まさに安保闘争の最中に東大に通い、安保デモへの参加に戸惑いを持ちつつ、社会主義中国を外交の対象にする道をえらび外務省入省。外務省入省後、海外研修の後、台湾・香港領事館に勤務。父の死後、後継者として要請されるも、固辞。別の後継候補が落選した後、1972年総選挙に地元山形で立候補し初当選している。
本書は、題名にもあるように「テロルの真犯人」を突き止めるために書かれたという。生い立ちや大学時代の事、幾人かの自民党政治家の歴史的発言などを検証しつつ、こうしたテロ行為を生み出した「時代の空気」とも言うべき「怒りのナショナリズム」が如何に形成されてきたか、そして対抗する方策は何か、という構成である。
注目は、第6章「時代の空気」だろうか。加藤は、若者を中心に人気のある小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」を「偏った歴史観」と批判しつつ、靖国神社「遊就館」展示に見られる「欧米によって日本が戦争をせざるをえなかった」など被害者日本という歴史観にも批判を行う(戊辰戦争では官軍のみを、日中戦争・太平洋戦争では日本軍の戦死者だけを祀る姿勢は、闘いの勝者も敗者も祀っている伊勢神宮・出雲大社など、日本古来の神道とかけ離れている事も批判している)。東京裁判についても、「判決は受け入れたが、裁判は受諾していない」「A級戦犯も戦争状態の中で死んだのであり、戦死者である。だから靖国合祀は正当である」との東京裁判否定論者への反論を、政府答弁を引用しつつ、展開するのである。
小泉に対しても、「挑発する外交」「稚拙な外交」だったとして、対立を誘導することで支持率を維持しようとした政治手法に疑問を投げかけている。「小泉首相の5年半は、(派閥の領袖ですらない中で)、「いかに風を起こすか」に腐心する年月だったといったも過言ではない。道路公団しかり、郵政民営化しかりである。私には、靖国もそのひとつの手立てだったようにみえる。」
そして終章において、スポーツの世界などに見られる「競うナショナリズム」、排外主義を煽る「闘うナショナリズム」に対して、自国のアイデンティティ、独自の文化・文明を見つめ、それに誇りを持つ「誇りのナショナリズム」こそ「きわめてまっとうなナショナリズム」であると言う。「(小泉のように)闘うナショナリズムをあおり、それを政権の支持浮揚のために利用することは「禁じ手」であり、必ず将来に大きな禍根を残す。決して政治的なツールとして使ってはならない」と。
「闘うナショナリズム」の蔓延と、テレビでしか政治が語られない日本の現実が、「テロルの真犯人」であり、地域社会の再生・教育の再構築こそ、政治の復権などにより可能であること、コミュニティに対する愛着こそ国を愛することの原点だと結論付けている。
自民党の中にも、中々気骨のあるリベラリストもいるものだと思った。議員になりたいだけの薄っぺらな連中とは、格が違う。こんな議員が民主党にもっといてほしいとも思うのである。時代への発言として、是非読む価値ありだと思った。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.350 2007年1月20日

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【投稿】耐震偽造問題を考える

【投稿】耐震偽造問題を考える
                           福井 杉本達也 

 11月17日に発覚した耐震偽造問題は当初千葉県の1設計事務所による些細な事件と見られていたが、その後、建築基準行政ばかりか国の建築行政そのものの根幹を揺り動かす大きな問題となってきた。国交省の発表によると、問題の発端である姉歯建築設計事務所が関与して構造計算書を偽造したとされる物件は12月8日現在63件となっており、まだ調査中・不明の物件も多数あり、さらに被害が拡大する様相をみせている。
 
<建築確認は抜け穴だらけ>
 建築確認の図面と完成後の実物が大きく違うことはよくある。むしろ、建築主事(今回問題の建築確認者)が完了検査には来ないことをいいことに(2階建て以下の木造建築物は完了検査がいらない・住宅公庫融資を除き)申請図面通りに施工せず、建築確認申請が通ったら現場工事では大幅に修正して建ててしまうということすらある。
 本来の建築主事の仕事は、「建築確認」・「中間検査」・「完了検査」である。しかし、現実には建築主事が足りず、中間検査はほとんど行われていないのが実態である。「完了検査」ですら、昨年度に全国で73%しか実施されていないことが4日、国土交通省のまとめで分かった。最低の茨城県はわずか50.6%しかなかった(「時事」2005.12.5)。だから手抜きのし放題といったところが建築業界の実態ではないか。建築基準法で耐震基準を強化したといっても、実態がこのようでは、どうしようもない。本来は特に中間検査(現行法は木造3階建てと3階以上かつ500m3を超えるものを対象)が重要である。中間検査を行ったといっても写真による確認がほとんどである。写真では鉄骨の溶接・鉄筋の立ち上がりや、コンクリートの「かぶり厚」がどうかまではよくわからない。基礎や鉄筋の本数・鉄骨の強度など建築物が完成してからでは検査できないものを検査するには工事の中間で検査するしかない。

<コンサルタントと称して手抜き>
 今回の場合、姉歯だけでなく、コンサルタントの「総合経営研究所(総研)」(東京都千代田区)も構造計算を委託した設計業者もヒューザーなどの発注者も木村という土建屋もみんな手抜きしているということはわかったはずである。第一、現場では鉄筋の本数を減らせば、生コンはスムーズに入るのだから、疑問に思わないはずはない(通常、1階部分の生コン打ちは鉄筋の本数が多すぎて、上から棒でたたいたり揺すったりして四苦八苦して生コンを入れている。あるいは、通称『シャブコン』といって強度が出ない水のようなしゃぶしゃぶの生コンを打って手抜きを行っている)。
 12月7日の衆院国土交通委員会の参考人質疑で、民主党の馬淵議員は、奈良県内のホテルの開業指導をめぐり、コンサルタント料として総研は約六千九百万円を得ており、「総研、木村建設、平成設計、姉歯氏の四者が一体となり、利益を吸い上げる構図がある」と指摘している(「日経」2005.12.8)が、建設コンサルタントと称して、手抜き工事の組織化を図っていたことは疑う余地がない。
 
<建築でVE(バリュー・エンジニアリング:Value Engineering)は無理>
 11月24日の国交省の聴聞では、姉歯建築士は「取引先三社から圧力があった、特に木村建設の篠塚明東京支店長から『鉄筋を減らせ』と指示されたと証言している。
 ヒユーザーの小嶋進社長も「コストダウンの努力と経済設計は正しいこと」(日経2005.12.4)とする発言を繰り返している。また、総研の内河健社長(71)は、業界紙上で、「設計にかかわった二つのホテルを比較。一方の『Pホテル』の1平方メートル当たりの鉄筋量が109.2キロなのに対し、『Sホテル』は69.55キロで、差の39.65キロにPホテルの延べ床面積をかけて165トンの鉄筋(1824万円分)を節約できるとしていた。さらに、この節約分が建築請負費の2.6%にあたるとして『構造計算屋さんを変えるだけで2.6%原価が違うんですよ』と強調している」(「Yahoo―読売」2005.12.9)。
 しかし、そもそも建築工事で“経済設計”が成り立ちうるものなのか。建築は周知のように、建築工事は鉄骨工事、鉄筋工事、コンクリート工事、型枠工事、ALC工事、電気設備工事、設備工事など専門工事が原価の7~8割を占めている。建築基準法で定められた「構造計算」を行えば、使う材料の質や材料の大枠はほとんど自動的に決められてくる。原価を下げようとすれば、こうした専門工事業者を安く叩く以外にはない。しかし、型枠工や鉄筋工、設備工などの人件費単価は下げようがない。また細々としたVE(例えば、地中基礎はどうせ埋めるので見栄えはどうでもよいので、木の型枠ではなく、金属の網の型枠を使うなど)や専門工事業者いじめはどの業者でもやっている。中国からの鉄骨の輸入なども手がけている。他の業者と大幅に差をつけるには、「工程管理」と称して「工数」を“省略”するしかない。つまり、鉄筋の本数を少なくする、配筋基準を守らない、溶接の手を抜く等々を行い工事の実日数を少なくし人件費総額を削ること、併せて材料費もそぎ落とすという手口である。だから、「建築基準法」が邪魔なのである。

<国家賠償法の適用>
 マンションの購入者は大変な被害者である。住宅ローンは払わなければならないし、物件はなくなるし、どこかへ引っ越しして賃貸はしなければならなし。一生に一度の高い買い物でこのようなことをされたらたまったものではない。しかし、まさか購入予定マンションの建築現場を四六時中監視しているわけにはいくまい。
 ところで、今回、国は非常に素早く、マンションの住民に対する補償の決定をした(ただし、本来の強度の50%を下回るマンションのみ)。補償内容は新潟地震や各地の水害による住宅被害者の補償100万円と比較すると雲泥の差である。対応の早い理由は、今年6月24日の最高裁大法廷判決により、指定確認検査機関の瑕疵は地方自治体の瑕疵という判決が確定しているからである(「建築基準法の定めからすると,同法は,建築物の計画が建築基準関係規定に適合するものであることについての確認に関する事務を地方公共団体の事務とする前提に立った上で,指定確認検査機関をして,上記の確認に関する事務を特定行政庁の監督下において行わせることとしたということができる。そうすると,指定確認検査機関による確認に関する事務は,建築主事による確認に関する事務の場合と同様に,地方公共団体の事務であり,その事務の帰属する行政主体は,当該確認に係る建築物について確認をする権限を有する建築主事が置かれた地方公共団体であると解するのが相当である。 」)。国はまことに現金な判断である。むろん、補償の額は別として、本来の強度の50%以上のマンションでも確認検査機関の瑕疵は明らかであるから国家賠償の対象とはなる。

<民間開放が原因か?>
 構造計算は難しいので、ほとんどの設計業者は一部の構造計算専門の業者に委託している。いわゆる『構造屋』。さらにある程度の規模の建物になれば、それぞれ専門の『設備屋』『電気屋』も加わる。一級建築士の数は全国に312,185人いる。しかし、そのうち構造設計をできるものは、わずか1万人である。今回の事件で、イーホームズや日本ERIなど民間確認検査機関に建築確認を開放したことが不正の温床となったというような見解も一部にはある。しかし、建築確認が民間開放される以前から、人口20万人程度の都市では、構造を審査する担当者はいない。県においてすら構造審査する担当者はほとんどいないのが現状である。県レベルでは一級建築士を少ないところで70~80人から多いところで数百人抱えているが、建物を建設するに当たり、ほとんど全ての設計は民間の設計事務所に丸投げし、構造も民間の構造専門の設計事務所に発注している。自ら建築する建物においてすら、自ら設計し構造計算する能力を持ち合わせていないのである。ましてや、市レベルではなおさらである。だから、愛知県や京都府、長野県、荒川区、神奈川県平塚市、長野県松本市、愛知県岡崎市等で姉歯建築士の偽装を見抜けなかったのである。
 確かに「建築基準法」には守らなければならない基準がこと細かく書かれている。しかし、それを審査すべき体制は「官」においても以前からまことに心細い状況にあったのである。それを民間開放したところが、それに輪をかけることとなった。基準は厳しいが中身は守られないというのが日本の法律である。特に「建築基準法」はその典型である。「性善説」に立つのではなく、「性悪説」に立つ立法論が必要である。政府の機能が小さければ、それに反比例し、社会的費用も嵩むということを肝に銘ずるべきである。

 【出典】 アサート No.337 2005年12月17日

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【投稿】迫られる内政・外交の転換と安倍政権

【投稿】迫られる内政・外交の転換と安倍政権

<<小泉「アブノーマル」>>
 12/8、下村官房副長官はTBSのCS番組の収録で、「(小泉前首相がつくり上げた)与党と対立するという構図はアブノーマルだった」と述べた。その前日、12/7には、久間防衛庁長官が参院外交防衛委員会で、米国のイラクに対する武力行使について「日本は政府として支持すると公式に言ったわけではない。(小泉前)首相がマスコミに言ったということは聞いている」と述べ、イラク戦争支持は政府の公式見解ではなく、小泉前首相の個人的見解であるとの考えを示した。いずれも唯々諾々と付き従って来た当事者が、内外の情勢の風向きに不安を覚えたのであろう、小泉前首相のアブノーマルにすべての責任を転嫁しようという意図が見え透いた論調、アドバルーンを上げだした。
 対イラク戦については、小泉内閣として、イラク戦争開戦を受けた03年3月20日、「わが国の同盟国である米国をはじめとする国々によるこの度のイラクに対する武力行使を支持する」との首相談話を閣議決定したのは厳然たる事実である。さすがにこの点を突かれると、久間氏は翌8日の記者会見で、「私の不勉強で、閣議決定を見過ごしていた。公式(見解)でなかったというのは私の間違いで認識不足だった」と述べ、発言を撤回した。ただし、久間氏自身が開戦を支持するかどうかを問われると、「あまりそういう気持ちがない」と語り、さらに、米国の開戦については「早まったのではないかという思いが、その時もしていた。個人としては今でもそう思っている」と改めて疑問を示し、「もう少しいい方法があったのではないか。終戦の処理の仕方をもう少し詰めておくべきだった」とまで述べている。
 これに対し、肝心の安倍首相は、首相就任後の10/6の衆院予算委員会で「(イラクが大量破壊兵器を)恐らく持っているだろうということが当然政府としての判断の根拠だった」と述べ、政府の支持に「合理的な理由があった」と答弁しており、久間氏の発言については12/7、「再三の国連決議を破ってきたイラクに対しての武力行使に日本は支持をした。あの段階では問題なかった判断だったと思っている」と語っている。

<<首相の思考停止>>
 しかし現段階ではどう判断するのか、これが問われているのに、ここに来ると途端に思考停止である。もちろん、反省なしである。防衛庁長官は現段階でも米国の開戦は疑問であると意思表示をしている。これは明らかな閣内不一致である。
 その一方で政府は12/8、イラクで活動する航空自衛隊の派遣期間について、12/14までとなっている基本計画を変更し、来年7月31日まで延長することを閣議決定している。この空自の派兵延長は、米国を含め各国がイラク政策の転換を図る中で、本来あってしかるべき日本政府としての見直しや再検討もまったく論じられずに、いとも安易に自動延長として決定されたものである。ところがこれについても久間防衛庁長官は、自身の認識不足の不用意な発言との関連で、「(自衛隊はイラクに)戦争を支持するために、米軍を支援するために行っているのではないと強調したかった」と述べている。これも閣内不一致と言えよう。
 しかし空自派兵の実態は、イラク南部のサマワ、タリルから首都バグダッドや北部アルビルまで輸送範囲を拡大し、その大半が武装米兵の人員と軍需物資で、「米軍の定期便」とまで言われ、米軍のイラクでの軍事作戦を支援している。
 これはイラク派兵の大義が消えてしまった現在においてもなお、対米追随路線の基調を変えず、反省どころか、見直しさえしようとしない安倍政権の、世界の趨勢からすれば実に奇異な政治姿勢を示すものと言えよう。しかし安倍晋三という政治家の内閣にとっては、これまで小泉内閣によって敷かれてきたレール、憲法・教育基本法の改悪、防衛庁の防衛省への昇格、共謀罪の新設のためには、さらにはミサイル防衛から先制攻撃・核武装論の容認にまで突き進むためには、ブッシュの対テロ強硬路線が不可欠であり、ブッシュにこれを簡単に転換してもらっては困るのである。
 しかしブッシュ政権は、ラムズフェルド国防長官の解任に踏み切り、そしてネオコン強硬路線の代表的人物であり、国連不要論まで唱えたボルトン国連大使の退場にまで追い込まれた。ブッシュ強硬路線は挫折し、対イラク、対イラン、対北朝鮮政策も、その強硬政策の転換が必至とならざるをえない。

<<支持率の急落>>
 これは明らかに、日本の内政・外交に転換を迫るものといえよう。
 まずは、イラクからの自衛隊撤退を明示すべきである。すでに英軍に次ぐ規模のイタリア軍は「間違った戦争」(首相)であったとして完全撤退し、韓国軍も撤退に動き始めている。ブレア英首相も退陣を表明し、転換を余儀なくされている。そして先制攻撃やミサイル防衛網の整備、核武装論の容認など、挑発的な緊張激化外交・重武装外交を停止し、平和外交・対話外交に全てを大転換すべきである。内外の動向は、こうした転換できないのであれば、総辞職すべき段階に来ていることを示している。
 しかし、それにもかかわらず安倍内閣の右旋回・改憲路線では転換が図れない、思考停止状態を続けざるをえない、世界的に孤立しかねない、その矛盾の発現が、久間長官の発言であったと言えよう。
 安倍内閣はむしろ、ブッシュ路線の転換がさらに顕在化しない今の内に、憲法改悪に至るあらゆる反動諸立法を強引に強行採決し、その右旋回・改憲路線を軌道に乗せようとしている。その意味ではきわめて特異で、小泉内閣以上にアブノーマル、危険な内閣であると言えよう。
 だがその安倍内閣も、急速な支持率の低下に直面しだした。十一月下旬のマスコミ調査から軒なみ下落し、「支持する」が増えた調査は一つもない状態である。「安倍首相と蜜月関係」と評される産経・FNN調査(11/30、12/1実施)「政治に関する世論調査」でさえも、「支持」が内閣発足時の前回に比べ16・2ポイント下落の47・7%と50%を割りこんでいる。共同通信社が12/5-6両日に実施した全国緊急電話世論調査でも、安倍内閣の支持率は48・6%となり、前回調査(11月25、26両日)から7・9ポイント急落。9月の内閣発足直後の支持率は65・0%だったが、ここでも初めて50%を割り込んだ。
 検索サイト「ヤフー」の「みんなの政治」で実施している安倍内閣の支持アンケートでは、11/28、「支持しない」に投票した割合が約87%になった。26日から始まったアンケートで、28日午後7時55分すぎの投票総数は1万2781票。「支持しない」が1万1089票(86・7%)と大多数を占め、「支持する」はわずかに1415票(11%)であった。
 今こそ野党が世論を結集して安倍内閣を包囲・孤立させ、内外政策の大転換のイニシァティブをとるべきであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.349 2006年12月16日

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【投稿】「教育基本法」の改悪を許さない!

【投稿】「教育基本法」の改悪を許さない!

 「参院教育基本法特別委員会は7日、教育基本法改正案に関する参考人質疑を11日に、中央公聴会を12日に開くことを決めた。与党は8日の委員会採決を提案したが、野党が中央公聴会などを求め、与党が受け入れた。与党は安倍晋三首相がフィリピン訪問から帰国するのを待って14日に委員会採決を行う日程を提示。改正案は早ければ14日中に参院本会議で成立する可能性が出てきた。」(毎日新聞より)
 特別委員会での強行採決が懸念された8日、「教育基本法改悪阻止!12.8日教組緊急中央集会」が東京・日比谷野外音楽堂で開催され、大阪の地から参加した。「師走」のこの時期、教職員にとっては文字通り忙しい時であり、学校現場を離れるには多少の勇気が要った。全国から集まった他のなかまたちにも似たような事情があっただろうと想像するが、夕闇迫る野外音楽堂には約12000人が結集した。この間の教育基本法に関連する集会としては、熱気あふれる最大規模の結集であった。
 それにしても「タウンミーティング」を巡る一連の「やらせ」策動を見るだけでも、何が何でも「教育基本法を変えたい!」政府・与党の意図が透けて見え、憤りを覚える。森元首相は、「教育基本法を変えるのは、日教組を潰すため。」とまで言っている。「民営化」という名の下、強固な組合の力を削いでいった支配者たち、権力者たちの目論見を、許してはならない、とあらためて身の引き締まる思いである。
 「審議に十分時間を費やした」と繰り返す政府・与党。しかしながら、その審議実態は?「週刊現代」(12/16号)に掲載された「教育基本法改正より『議員の基本』を直せ!」を読むと、「居眠り中の塩崎官房長官や鼻をいじくる伊吹文部科学大臣」をはじめ「(デートスポット紹介の)雑誌を読んでいる議員」までいて、ただただアリバイ作りのための「審議」の実態が暴かれている。
 各世論調査によると、国民の半数以上が教育基本法に関して「慎重審議」を望んでいる。「教育の憲法」といわれる「教育基本法」を「改正」するには、国民各層の意見を十分聞き慎重な審議を重ねる必要がある。にもかかわらず、安倍首相は、「今国会での成立」しか念頭になく、「いじめによる自死」「高校の必修科目未履修問題」など、切実な教育現場の問題に誠実に対応する様子もなく、教育に関しては「教育再生会議」で全てが片付くかのような幻想を世間に与えている。「有識者」と呼ばれる人々が、それぞれ勝手に持論を展開しているばかりの「再生会議」が、どれほどの「成果」をもたらすことができるのか、甚だ疑問だが・・・。
 教育基本法「改正」に関しては、今週が「山場」である。将来に禍根を残すことのないよう、「教育基本法」改悪を許さない闘いを継続していかなければならない、と決意を新たにした。
                          (教育労働者 KAWACHI)

 【出典】 アサート No.349 2006年12月16日

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【投稿】崩壊するアメリカのイラク占領

【投稿】崩壊するアメリカのイラク占領

<「大御所政治」でイラク政策見直し>
 アメリカ中間選挙でブッシュ・共和党は大敗北を喫した。その敗因は泥沼化したイラク戦争に対する国民の痛烈な批判であった。選挙直後、ブッシュはトカゲの尻尾切りとして、ラムズフェルド国防長官を更迭、後任にイラク政策の見直しを唱えるゲーツ元CIA長官を据えた。ゲーツは就任前の12月5日、上院軍事委員会公聴会で「アメリカはイラクで勝利を収めていない」と、現状を憂慮、国防長官としての最優先事項として、イラク問題に取り組むことを強調した。 
 一方詰め腹を切らされたラムズフェルドは辞任表明後、「中間選挙投票日の直前にイラク政策の変更をブッシュに提言していた」とマスコミにリークするなど追求逃れに躍起になっていたが、12月8日には国防総省で「駐留米軍は最大限の努力をしているが、軍事的な勝利は不可能だ。イラク人の手で勝利を勝ち取るべきだ」とのべ、自らの責任を放棄し開き直っている。
こうしたなか、ベーカー元国務長官、ハミルトン元民主党下院議員が共同代表を務める、米連邦議会の超党派諮問機関「イラク研究グループ」(ISG)は12月6日、米軍戦闘部隊の全面撤退を含む報告書をブッシュに提出した。
 イラク政策の転換を担うこととなったゲーツもべーカーも「パパブッシュ」政権に参画した重鎮である。今回の人事も政策提言も、泥沼に落ち込んだ息子の窮地を救うために、父親が根回しをおこなったと見られている。徳川家康よろしく大御所として乗りだしてきたわけである。もはやブッシュ大統領は当事者能力を失いつつあると言っても良いだろう。
 
<「フセインのほうがまし」>
 イラクでは11月下旬以降、シーア派とスンニ派間での大規模テロや襲撃、暗殺が相次ぎ、民間人の犠牲は拡大する一方である。11月27日には米NBCテレビはアメリカ主要メディアとしては初めて「イラクは内戦状態」と報道した。
追い打ちをかけるようにアナン国連事務総長やパウエル前国務長官も「イラクは事実上内戦状態」と発言、アナンに至っては「普通のイラク人の生活はフセイン政権時代の方が良かった」と述べるなど、絶望感が急速に拡大している。
このような見方に対してイラク・マリキ政権は、内戦状態を否定しつつも「イラクの軍、警察が武装勢力を制圧できないのは、十分な装備が無いからだ。アメリカ軍は内部抗争への横流しを懸念して重火器を渡さなかった」(イラク国民議会アティーヤ副議長)と嘆くしかないのが実情である。
 しかしアメリカ軍も打つ手が無い状態どころか、11月末には開戦以来の駐留期間が太平洋戦争を超え、戦死者も三千人に達しようとしている。捕虜や市民に対する虐殺やレイプなどの残虐行為も次々明らかになるなど、駐留軍の士気低下は深刻である。
アメリカ国内世論も中間選挙以降も厳しさを増している。先日おこなわれたAP通信の世論調査では、ブッシュのイラク政策の不支持率は70%を超え、半年以内の全駐留米軍撤退を支持は60%に上った。イラクで「明確な勝利が得られる」と考える人は9%にしか過ぎず、反対に「何らかの妥協が必要」と思う人は87%達した。国民も完全にブッシュを見放している事が改めて明らかとなり、状況はますますベトナム戦争に近づいていると言えるだろう。

<アメリカ軍撤退へ道筋>
 このような内外情勢を踏まえ、提出された報告書は「イラクの現状は深刻で悪化している」と楽観論を全面的に否定したうえ、イラク政府がイラク人主体の治安強化策を進めない時は、アメリカは政治、軍事さらには経済支援を削減すべきとしている。
 またISGは、米軍の主要任務はイラク政府軍など治安機構の練度向上であるべき、と提言。そのための支援要員を現在の5倍の2万人に増強すべきと主張、イラク軍が強化されれば、アメリカ軍の全戦闘部隊2008年3月末までに撤退させることが可能との見通しを示した。
さらにISGは中東政策全般にわたっても言及。アメリカ政府に対し、イランとシリアとの直接対話を行い、アラブ諸国とイスラエルの和平実現に向けての努力を促している。
 この報告について当初ブッシュは「評価はするがすべてを受け入れるわけにはいかない」などと、難色を示していた。しかし、国際社会がISG報告について肯定的に評価し、否定的なのはイスラエルぐらいとまったく旗色が悪くなるなか、12月7日ブレア英首相との会談後にひらかれた共同記者会見で受け入れを表明せざるを得なくなった。
 ブッシュは「報告は非常に納得できる内容だ。わたしは常に、駐留米軍を可能な限り早く撤退させたいと表明してきた」と発言、イラン、シリアとの直接対話についても、条件を付けつつ、イラク情勢をめぐる地域支援グループに両国を含めることに柔軟な姿勢を示した。先にさらに12月9日には、全米向けラジオ演説で報告について「すべての提言を真剣に検討したい」とのべるまでに至った。ブッシュは国民に対して、豪華なクリスマスプレゼントを届ける必要に迫られている。
 
<動揺隠せぬ安倍政権>
ブッシュの方向転換に安部政権は動揺している。塩崎官房長官はISG報告について「米国が実際にどのような政策として取り上げるのか見たい」と様子見の姿勢をうかがわせつつ「今後はあらゆる可能性を想定しながら、独自のステップを踏めるよう検討する」と方針転換を画策していることを隠さなかった。航空自衛隊の派遣期間は延長されたが、陸自と違い拠点はクウェートであり、撤収は容易だ。
 その当事者の久間防衛庁長官は12月7日の参院外交防衛委員会でイラク戦争を「政府として支持すると公式に言っていない」と発言、安倍らを慌てさせた。翌日の記者会見で久間は「当時の閣議決定があった」と発言を訂正したものの「決定には今も疑問を持っている」とものべた。初の防衛大臣に就任予定の閣僚が、こうした見解を堂々と披瀝する事自体、政府内の動揺を端的に表している。政府・与党はブッシュの「盟友」小泉が予定通り退任したことに安堵しているだろう。(大阪O)

 【出典】 アサート No.349 2006年12月16日

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【投稿】相次ぐ大型談合事件摘発の背景に何を見るか

【投稿】相次ぐ大型談合事件摘発の背景に何を見るか
                                福井 杉本達也

福島県、和歌山県、宮崎県、福井県などで大型談合事件の摘発が続いている。こうした談合事件の全国的な摘発は、たまたま各地の動きが重なったものなのか。あるいは談合という行為は全国的に蔓延しており事件は氷山の一角に過ぎないものなのか。それとも別の大きな政治的意図が隠されているのか。事件はまだ流動的だが、11月28日付の毎日新聞の斎藤良太記者ら4名連名の責任を持った署名記事はその意図の一端を以下のように書いている。「<談合事件>全国で摘発続く 検察、警察のねらいは…」と題し、「米国政府は、対日要求『年次改革要望書』に、毎年のように談合問題を掲載してきた…02年7月に竹島一彦委員長が就任して以降…大規模事件につながる摘発を続けてきた。さらに、改正独禁法が今年1月施行され、国税当局と同様の強制調査権限が新たに与えられた。また、従来は東京高検のみだった告発を全国各地の地検にできるようになり、検察当局と連携が強まった…橋梁談合の摘発は、今年8月に国際検察官協会(IAP)から特別功績表彰を受けた但木(ただき)敬一検事総長も9月、全国の高検検事長や地検検事正が集まる『検察長官会議』で、引き続き談合の徹底捜査を訓示した。」(毎日:2006.11.28)。記事は官僚2名を名指しすると伴に、米国の対日要求『年次改革要望書』を出して一連の事件の背景を説明しようと試みている。

1. 対日要求「年次改革要望書」には何が書かれているか
そもそも、「年次改革要望書」というマイナーな外交文書は日本のマスコミや学者の間ではこれまでほとんど表舞台で取り上げられたことはなかった。「郵政改革」などをめぐり、森田実氏や故吉川元忠氏・本山美彦氏・中尾茂夫氏など一部評論家・学者が問題視しているだけである。関岡英之氏は、「毎年秋に米国政府と日本政府が交換してきた公式文書…相手国の法律や制度の中で、自国にとって都合の悪い部分を変更するよう要求を突きつけるもので…過去十年、日本の国内問題として論じられ、実施されてきた『規制改革』や『構造改革』の少なからぬ部分が、実は事前に米国から与えられていた宿題だった…にもかかわらず、日本国民のほとんどがこの文書の存在や内容をきちんと知らされていない。日本政府は説明責任を果たさず、マスメディアも報道責任を果たしていない」(吉川元忠、関岡英之『国富消尽』P40)と明快な解説をしている。
『日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書』(2005 年12 月7 日 原文は英文 在日米国大使館のHPに日本語訳)は改正独禁法の運用と談合について次のように指摘している。「米合衆国は、2005 年の独禁法改正による日本の競争政策制度の重要な改善を歓迎し、これらの改正の有効的な履行を期待する。…さらに、最近の事件はその多くが政府職員により幇助された談合が日本の重大問題であり続けていることを証明しており」として、「独禁法違反者に対するより厳しい刑罰の奨励、刑法の施行を強化するための公取委の新たな調査権限の履行、談合の通報を企業に奨励するために、国土交通省内に行政措置減免制度を導入、談合の再発を防止するために…再犯者に対する指名停止期間の下限の引き上げ」、「談合行為によって受けた損害を…企業に対し損害賠償を請求する審決を履行する。」、「(一般)競争入札が用いられる事業数を最大限にし、日本または外国企業がそれらの本店または支店の所在地によって入札資格が奪われることのないよう保証する。」と。まさに、改正独禁法施行後の事細かな実施計画を手取り足取り日本政府に要求していたのである。さらに厚かましくも2006年12月5日付けの『年次改革要望書』では「独禁法違反事件を扱う検察官と裁判官を教育する計画を実行すること、不当カルテル活動に係わる個人に対して、5年の刑事罰を科すこと」、さらに今年度はわざわざ「地方自治体の契約に関して」も要求している(原文は現在英文のみ)。なお、12月6日付の日経を始めほとんどのマスコミは2006年版要望書の提出を無視している。

2. 竹島一彦公取委員長はわざわざ米国まで行って、独禁法の見直しを“宣誓”
竹島委員長は2003年9月、ワシントンで全米法曹協会会員に対し「競争分野で世界をリードしている米国から多くを学び,我が国において競争という考え方を広く国民に浸透させるべく,絶えず努力をしてまいりました…今回の独占禁止法の見直しは…我が国経済社会に与えるインパクトは大きいものがあります…私に与えられた5年の任期のうち,既に1年が経過したわけですが,残り4年のうち,最初の2年は独占禁止法の強化に全力で取り組み,残りの2年は改正後の独占禁止法が定着するようその執行を厳正に行うこととしたいと考えております。」(竹島公取委員長 全米法曹協会主催講演予定原稿:2003.9.17 公取委HPより)と“宣誓”した。2005年には独禁法改正の目標を達成したので、残る約束は適正な執行である。本年1月以降の各種談合事件の摘発はこの延長線上にある。「水門工事を巡る入札談合で3月末、関与企業の情報提供(企業の自首)が発端とみられる立ち入り検査を…4月末にはし尿・汚泥処理施設工事の談合容疑で強制調査権に基づく家宅捜索」に入り、いずれも三菱重工業や日立造船、住友重機械工業、三井造船、JFEエンジニアリングなどの名だたる企業が連座し、産業界を震撼(しんかん)させたのである(日経:5.1)。
一方、官製談合について竹島委員長は、「国・地方公共団体等の「官」の意識を改革しなければ根本的に解決できない問題もございます…入札制度ひとつとっても,競争原理が働きやすい一般競争入札制度を導入する、過度に競争性を低下させるような入札参加要件を設けない」(一橋大学COE/RESプログラム国際シンポジウム:2006.1.18)と発言し、米国の要望書に沿って9月には自治体等への強制捜査にも入ったのである。

3.競争法は本当に消費者の利益をもたらすか
竹島委員長は「競争法の厳正な執行による違反行為の排除が競争力のある事業者の育成を促し,活力ある経済を生み出すとともに,我が国の消費者への利益をもたらす」(前記:全米法曹協原稿)と盛んに強調するかははたしてそうであろうか。
国土交通省の発注工事で・鹿島などゼネコン大手四社の落札率は、昨年は平均97%程度だったが、1月の改正独禁法施行後の1~3月期は79%に急落した(日経:6.14)。福井県では土木工事のたたき合いで139社が最低制限価格(85%~66%)を下回り失格となっている(福井:11.3)。静岡県の高架橋設備入札では落札率が40%まで低下、北海道開発局発注の夕張シューバロダム堤体建設期工事は予定価格50億円に対し、落札した大成建設らJVの入札価格は23億円と落札率46・6%という数字が業界に衝撃を与えた。単純にゼネコンの儲けが減ったなどといえる段階ではない。「シューバロのような例では下請けも苦しい。断ればその後の仕事がなくなるし、やむなく請け負っても安値落札のしわ寄せを食う」(日経:6.21)。落札率の異常な低下は「常識外れのコストの外部化が図られ…環境負荷の対策を疎かにしたり…安価な不安定就労に依存したり、果ては法定負担費用を逃れたりなど、反社会的な行為を助長する結果に結びつくこと」すらある。「落札率を見るだけでは、妥当な金額で落札されたかどうかの判断はつかない」のである(「自治体における入札・契約制度の課題」宮崎伸光:『月刊自治研』2006.6)。建設業界には56万杜がひしめく。568万人が働き、就業者全体の9%を占める。あふれ出る雇用はどこで吸収するのか。
このような規制緩和が何をもたらすかはタクシー業界の現状を見れば明らかである。2002年1月の道路運送法の改正により、タクシー台数の規制がなくなった。車両数は04年度で21万9千台と、改正後に1万台以上増え、経営が厳しく、運転手の長時間労働が深刻になっている。公取は「談合」の取り締まりに熱心な割には「取引上の優越した地位を背景とした優越的地位の濫用といった不公正な取引方法」に対してはきわめて不熱心ではないのか。運輸業界では1990年に参入規制が緩和された結果、事業者数が1.5倍になったが、過当競争の中、荷主からの「優越的地位を濫用」した運賃切り下げの要求が日常的になっており、過労運転による交通事故は枚挙に暇がない。公取自身の調査でも、物流事業者が荷主から一方的な代金引き下げの要請について「よくあった(4.6%)」、「ときどきあった(26.1%)」と回答しており、約3分の1が一方的な引き下げの要請を受けていることとなる。要請があったと回答した物流事業者の対応として、「要請どおり承諾した(33.6%)」、「代金引き下げ自体は承諾したが、引き下げ幅は自社の意向も酌んでもらった(59.9%)」、と多くの物流事業者が荷主からの引き下げ要請に対して応じざるを得ない実態が浮き彫りとなった。さらに、荷主との協議について、「協議の機会を与えられなかった(32.6%)」、「協議したが、十分とはいえなかった(43.2%)」と回答している(公取調査 2006.3.15)。
また、11月のNHK「クローズアップ現代」では、トヨタ子会社やシャープをほぼ名指しして派遣労働者が「労災飛ばし」や「労災申請拒否」にあっていること、派遣経費を一方的に削られ労働保険等の支払いに困った派遣会社が倒産したことを報道している。桶のタガを外すような競争政策が労働市場に何をもたらしているかを十分吟味しなければならない。

4. 検察による強引な“門戸開放”
1987年に関西国際空港プロジェクトへの米国の大手建設会社ベクテル社の参入を強引に認めさせて以来、米国が日本の公共事業の入札制度や独禁法行政に長年干渉してきた“成果”がようやくでようとしている。国交省は独禁法の施行と鉄製橋梁工事をはじめ相次ぐ談合摘発の圧力を受け、5月23日に「公共事業の入札・契約に関する適正化指針」を改正した。その中身は、○一般競争入札の拡大と○総合評価の拡充である。しかし、まだそのハードルは何本かある。国交省の「総合評価」は“くせ玉”でもある。国交省は土木技術官僚の牙城である。そこに一般競争入札を持ち込めば技術官僚はいらなくなる。また、地方自治体の入札制度は「公共事業も『地産地消で』」(福島県 日経:10.26)というように徹底的に地域分割的である。都道府県では、まず、事業者を規模ごとに特A・A・B・C・Dのランクに分け、入札金額の参入区分を決め、それを土木事務所の管轄区域ごとに振り分けている。X土木管下の事業者がY土木の指名入札に参加することさえもかなり困難である。それを外国企業にも“門戸開放”しようとするには、官憲をも使った強引さが必要なのである。市町村合併など国の政策に異論を唱えてきた佐藤栄佐久前福島県知事が10月に、改革派とされた木村和歌山県知事が11月15日に、12月8日には県職員上がりの安藤宮崎県知事が逮捕される中、全国知事会では、官製談合の再発防止策を話し合うプロジェクトチームを設けた。改革案の柱として(1)一般競争入札の拡大(2)入札前後の情報公開の徹底などについて検討を進めるとしている。

5. 入札改革はどうあるべきか
これまでの指名競争入札は業者の「指名」をどうするかで「官僚支配」と「不透明感」がつきまとっていた。土木所長のエネルギーの大半は肝心な技術評価ではなくこの「業者指名」に割かれている。一般競争入札にし、最低制限価格を無くせば基準は「価格」だけであるから単純明快ではある。しかし、「『発注者に最も有利』な契約希望金額を提示する受注希望者が、必ずしも真に適切な契約相手とは限らない」(宮崎伸光:上記)のである。
複雑で困難な道ではあるが、ここはあえて「総合評価」の方向をめざすべきであろう。既に大阪府では障害者雇用率の達成率を点数化し、「行政の福祉化」という政策意図にしたがった事業者選定=総合評価方式を庁舎清掃業務などに取り入れている。2005年の総合評価項目として「価格評価」50点・「技術的評価」14点・「福祉への配慮」30点・「環境への配慮」6点として評価している。(吉村臨兵:「公共サービス分野における労働環境の間接的規制」『社会政策研究』2006.4、大阪知的障害者雇用促進建物サービス事業協同組合(エル・チャレンジ)冨田一幸:「入札制度に挑んだ障害者雇用・行政の福祉化」『部落解放』2005.8)。 一般公共事業の場合には当然ながら本来の技術的評価の占める割合が大きくなる。しかし、これが最も困難な課題である。橋梁工事やトンネル工事・建築工事などは、この間、設計を丸投げしてきた自治体技術者より民間技術者の方が遥かにレベルは高い。低い方が高い方の技術評価はできない。そこで、例えば、2003年度から設けられた指定管理者制度は委託契約ではなく「指定処分」という位置づけであるが、価格によるのではなく、管理技術や職員の専門性などの総合評価が行われている。指定に当たり、自治体職員だけではなく外部の専門家などが加わった委員会も設けられた。また、メーカーと発注者の間に技術格差が有りすぎるプラント工事などの場合には、環境省が今年4月に示したごみ処理施設の「入札・契約の手引き」のように、コンサルタントを含む専門家集団の支援による技術評価などの手法を提案している。「金額の大きい工事は技術評価を中心として技術的評価点を高く、小さい工事は雇用・福祉への配慮点を高くした総合評価をすることは可能であろう。米国の圧力に屈して、いたずらに一般競争入札の上限金額枠を下げていく(2億円から7000万円といったように)のではなく、こうした地道な評価の積み重ねが「談合」対策として求められている。また、2005年の会社法(商法)の改正と独占禁止法の二大経済法の改正は最大の失政である。国内政策を無視して米国の顔色のみを窺うエージェント官僚の動きは厳しく批判されねばならない。

【出典】 アサート No.349 2006年12月16日

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【コラム】 ひとりごと–梅原猛氏の「神殺しの日本」について–

【コラム】 ひとりごと–梅原猛氏の「神殺しの日本」について–

〇安倍政権は、構造改革重視の小泉路線とは違い、経済重視よりも政治路線を強化しており、その中心が憲法改正であり、教育基本法改正である。〇マスコミ全般も右寄り路線と評価はしているが、的確な批判はない。最近出版された梅原猛氏の「神殺しの日本」では、小泉の靖国参拝への批判がしっかりと展開されている。〇梅原氏は、憲法改正も、教育基本法改正も、その中で重視されている愛国心が意味するものは、あくまでも明治以降の国家主義、国家神道を懐かしむ方向でしかないと指摘されている。〇1984年中曽根政権下において、藤並官房長官の私的諮問機関として「靖国懇」が設置され、梅原氏も参加している。○「靖国懇」の中で梅原氏は首相の靖国参拝に反対を表明するとともに、「記紀に示される伝統的神道は、味方よりも味方に滅ぼされた敵を手厚く祀るが、靖国神道は自国の犠牲者のみを祀り、敵を祀ろうとしない。欧米の国家主義に影響され、伝統を逸脱した新しい国家神道である」と意見表明をされた。○アサート338号において、吉村励先生が、廃仏毀釈によって天皇教が成立したと指摘され、廃仏毀釈をもっと研究すべきだと言われたことも大いに関係しているようだ。○廃仏毀釈は、八百万の神を殺し、神社を壊し、仏も排除し、「天皇神」のみを唯一の神として国家の中心とするために明治政府が富国強兵の旗の下に強行したものである。○侵略国家日本の精神的支柱を意図的に作り出したものである。明治国家神道が基礎となり、日清・日露戦争から中国侵略、太平洋戦争と続く侵略国家日本が出来上がったのである。○安倍政権が、憲法改正でも教育基本法改正でも目指しているのは、明治の国家神道であり、国を守り(他国を攻め)、伝統(侵略の)守り、他国に対抗できる国民的統一を目指しているのである。誤れる基盤の下では、再び誤れる道が開かれる。○占領憲法反対とか、個人主義よりも愛国心などの主張は、何も新しいものではなく、明治以降の国家主義的社会への回帰でしかない。○「神殺しの日本」を読んでから、再び梅原本を読み返している私だが、その宗教論においても、人間中心主義のキリスト教より、人間を含む自然中心の仏教を再評価する必要があるのかなと思う毎日である。○まず、教育基本法に対する攻撃に対して、反撃していこう。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.349 2006年12月16日

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【投稿】ブッシュ政権の完敗と安倍政権

【投稿】ブッシュ政権の完敗と安倍政権

<<「がっかりした」>>
 11月7日の米中間選挙の結果は、ブッシュ政権のみならず、日本の安倍政権にとっても致命的でノックダウンにも至りかねないボディブローとなって効果を及ぼし、その痛みに呻吟せざるをえないであろう。もはやブッシュの政治的主導権は、民主党の側に奪われてしまったのである。なにしろ、上院(任期六年)の100議席のうちの三分の一、下院(任期二年)の全435議席などが改選される中間選挙で、上下両院とも民主党に過半数を制され、州知事選でも多数を失ってしまったのである。ブッシュ政権の完敗である。これまでブッシュの共和党政権は、大統領、上院、下院のいずれをも支配することで、「強い大統領制」をふりかざし、軍拡と戦争挑発、先制攻撃、弱肉強食の新自由主義路線を推し進め、強硬な内外政策を実施してきた、その足場が崩され、その政策に「ノー!」が突きつけられてしまったのである。その歴史的政治的意味の大きさ、それが及ばす政治的影響は、今後強まりこそすれ、弱まりはしないであろう。
 11/8、もはや取り返しのつかない事態が判明するや、緊急記者会見を行ったブッシュ大統領は「国民の多くが、イラク情勢が進展しないことに不満を表明した」「言うまでもなくがっかりしており、共和党の指導者として責任の大半を負っている」として敗北を認め、ただちにラムズフェルド国防長官を解任し、民主党系寄りとされる新国防長官を任命した。
 11/8、ニューヨーク株式市場は低調な取引であったが、ラムズフェルド辞任が伝えられるやそれを好感して買い注文が急増して反転、一時は前日終値比40ドル高近くまで上昇し、NYダウは史上最高値を更新したのだから皮肉なものである。
 ラムズフェルドは、イラク攻撃の際に、「大量破壊兵器のありかを知っている」、「イラク攻撃は5日か5週間、長くても5ヶ月で終わる」と大法螺を吹き、そのおごりと脅しの傲慢な姿勢を押し通してきたのだが、ついにイラク戦争泥沼化の前に解任に追い込まれることとなったのである。その直前の11/4には、米軍内部の陸海空軍、海兵隊という4軍種の国防専門紙4紙の共同社説で辞任を迫られ、「制服組の指導者、兵士たち、議会、そして一般大衆の間で信頼感を失った。彼の戦略は失敗し、指導力に限界が出ている」と指摘されていた。しかしブッシュ大統領はこの11/1、自らの任期が終わる〇八年までラムズフェルド氏を国防長官にすえ続けると明言したばかりであった。いかに狼狽したかが見て取れよう。

<<「絶望的イラク情勢」>>
 11/8付米紙ニューヨーク・タイムズは「ラムズフェルド国防長官のイラク戦略や在外米軍再編の米軍変革は誤りだった」とする批判の社説を載せ、「失敗した政策を擁護し、役に立たない戦略をいじくり回す以外に国防長官としてやるべきことは全く残さなかった」とこきおろし、後任のゲーツ氏の課題は「ブッシュ大統領に対しイラク情勢がいかに絶望的で、戦争はイデオロギーではなく現実に基づいて命令されるべきだと認識させることだ」とまで主張している。
 しかしブッシュ大統領は、現実ではなく、ネオコン・イデオロギーに基づく人脈を重用し、その頂点にあってイラク攻撃を主導し指揮したチェイニー副大統領やラムズフェルドらを常にそばに置き、彼らの傲慢な先制攻撃・挑発戦略を称賛し、支持し、自らもその先頭に立ってきた。したがってこの期に及んでもなお、11/8の緊急記者会見では「国民もワシントンの両党の指導者も(イラクでの)敗北を受け入れられないことは理解している」はずだと弁明し、「米国民が撤退を求めていることは分かるが、イラクを放置し、アルカイダの安息の地にしてもかまわないとは思っていない」として、根本的な反省や政策転換を拒否しようとしている。その意味ではラムズフェルド解任は、自らの責任を回避し、あいまいにするトカゲの尻尾きりといえよう。
 それでも大統領は、新しい視点でイラク戦略に取り組み、早期撤退論が強い民主党とも、超党派で協議していく考えを明らかにせざるをえなかった。下院で多数を占めた民主党は、イラク問題での政権の責任追及に本腰を入れる構えであり、初の女性下院議長になると予想されるペロシ民主党下院院内総務は、イラク政策に関し「現在の破滅的な道を歩み続けることはできない。新しい方向が必要だ」と語っている。上院でも民主党が多数派になったことによって、閣僚や連邦裁判事など大統領が指名する人事や条約批准の承認は、民主党の同意を取り付けない限り不可能な事態となったのである。
 遅かれ早かれ、これまでのブッシュ政権の「力の政策」は批判的に再検討され、転換を余儀なくされよう。

<<「レームダック」化>>
 明らかにブッシュ政権は、急速に影響力を失う「レームダック」(死に体)化現象に直面していると言えよう。すでにその兆候は、中間選挙のさなかに露骨に表れていた。ブッシュ大統領が共和党候補の応援演説に駆けつけたのに、当の候補者が居ない、すっぽかされる、同席を拒まれる、フロリダ州では弟のブッシュ現知事後継の州知事候補が大統領と同席する集会をわざわざ避ける、ブッシュ政権と対決するような環境保護政策を掲げて再選を果たしたシュワルツェネッガー知事はカリフォルニア州の大統領出席の選挙集会を欠席する、といった事態に象徴的である。それほどブッシュ氏への風当たりはきつく、不人気は本人さえ当惑するものであった。
 このような事態の進展が明らかにしていることは、第一に、これまでのアメリカ、イスラエルのような先制攻撃・戦争挑発・力の行使といったタカ派政策は後退せざるをえず、より穏健で国際協調と対話を重視するハト派政策に転換せざるを得ないということであろう。
 第二は、当然のことではあるが、それと連動して膨大な軍事費をつぎ込み、ミサイル防衛・迎撃網を構築する軍拡政策も見直しを余儀なくされ、後退せざるをえないということでもあろう。
 そして第三は、軍事力と帝国主義的支配を背景としてきた、独占的支配を目指す弱肉強食・市場万能・格差拡大型の新自由主義路線は、その継続が不可能となり、環境保護政策を含め地球的規模での相互依存と相互協力を前提とした政策に転換せざるをえないであろう、ということである。
 そのような意味では、今回の米中間選挙の結果は、いま、世界は歴史的転換点にあることを明らかにしたともいえよう。ラムズフェルドの更迭は、その端的な象徴であった。

<<何が「大問題」なのか>>
 そしてブッシュ大統領とともに、この中間選挙の結果に最も驚いたのは小泉・安倍両氏であろう。米国に追随し、ブッシュの戦争を手離しで支持し、ラムズフェルドの言い分をそのまま国会で垂れ流し、イラク戦争を一貫して支持してきた小泉・安倍政権、自民・公明両党は当然厳しく責任を追及されてしかるべきである。あのブッシュ大統領でさえ国防長官を解任し、責任を認めたのである、小泉前首相はもちろん、官房長官として同じくブッシュ政権に追随してきた安倍首相も責任をまぬかれないし、深刻な反省が迫られてしかるべきであろう。ところが彼らはまったく口をぬぐってしまっている。
 少なくとも小泉・安倍両氏はアメリカの言い分を鵜呑みにし、大量破壊兵器があると言い張り、その後も詭弁を弄した責任を明確に謝罪し、イラクに飛んで泥沼化の事態を隠蔽した防衛庁長官、自民・公明両党幹部も謝罪を表明すべきであろう。ところが彼らはほうかむりしたまま、野党の追及も甘く、メディアもその責任を一切追及しない。日本の無責任横行状態を象徴している。安倍政権は、このままブッシュ政権への追随を続けるか、民主党路線への乗り換えに移行するかの選択に迫られているのであるが、無責任な成り行き任せで事態をやり過ごそうとしている。しかしそうした無責任路線は、アメリカと同じく手痛いしっぺ返しを必ず受けるざるを得ないであろう。
 そしてそれ以上の安倍政権の問題は、ブッシュ路線の破綻が現実のものとなった現時点で、ブッシュ路線をより醜悪化させた緊張激化・戦争挑発路線をより鮮明にし出したことである。歴史的転換点であえてそれに逆らい逆行する核武装容認論議がそれであり、こんな日本核武装論を平気で展開すると言う無恥、政治的無定見には驚くばかりである。
 米中間選挙の結果がほぼ明らかになった11/8の安倍首相と民主党小沢代表による2回目の党首討論で、安倍首相は麻生外相と中川自民党政調会長らによる核保有議論発言を擁護し、「安全保障の議論として、そういうこと(核の抑止力)を触れたから大問題のように言うのはおかしい」と述べ、麻生外相らの発言を容認する考えを明らかにしたのである。安倍首相がその右翼的本性を現したと言えばそれまでであるが、「非核三原則を守る」と明言する首相が、それとまったく相反する核武装容認論を、それも政権の中心にある外務大臣と与党・自民党の政調会長が繰り返し放言していることを許すことのほうがそれこそ「大問題」である。首相の立場としてはこの二人は即刻更迭させるべきであろう、ところが首相はこれを公然とかばいだしたのである。小沢代表が言うように「首相や発言者が非核三原則の堅持を言いながら、核武装の議論を是認すれば、「非核三原則を守る」という言葉も国民や国際社会に受け入れられない」し、世界の笑いものであり、安倍・麻生・中川は危険極まりない政治的挑発者とみなされよう。日本の政治もいよいよ政権交代に向かって動きださなければならないし、野党もそのために結束すべきであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.348 2006年11月18日

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