【本の紹介】『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』

【本の紹介】『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』
  著者 ジョン・J・ミアシャイマー(シカゴ大学教授)
     ステイーヴン・M・ウォルト(ハーヴアード大学教授)
  第一部 2007/9/4 第二部 2007/10/15 副島種彦訳 発行 各 1,800円 講談社

<<「衝撃の問題作」>>
 本書は、昨年9月4日、世界十カ国以上で同時発売され、二部構成の大部であるにもかかわらず、たちまちベストセラー入りした注目の書である。発売直後の9/6付けニュヨーク・タイムズ紙は「イスラエル支持者に対する、検察官による罪状読み上げのような本」と題する書評を掲載し、著者たちが「イスラエルを米国にとってのごく普通の外国の一国として処遇すべき時だ」と記述していることに対して、「そんなことはできない。イスラエルは米国にとって特別な国であり続けるし、そのように考えることこそがリアリズムだ」と酷評、9/11付けワシントン・ポスト紙はリチャード・コーエン筆の書評「イスラエルが消滅することを正当化する論理の提起である」を掲載し、「今のイスラエルは米国にとって戦略的にすでにお荷物になっている。イスラエル・ロビーの活動は米国の国益を損なっている」という著者たちの主張に同意しながらも、「著者たちの主張はあまりに温かみに欠け一方的だ」と抗議している(以上、「訳者あとがき」より)。このように激しい反発と著者たちの勇気と誠実さを賞賛する賛否両論を巻き起こした「衝撃の問題作」である。
 共著者の二人は、国際政治学、国際関係論の分野では知らぬ人のいないほどの学者であり、国際政治学における現実主義という学派を唱道し、そこに属しているという。

<<「イスラエル・ロビー」とは>>
 著者たちの主張はその序文で明確に示されている。
 「私たちの主張は率直でわかりやすい。まず米国がイスラエルに与えている高レベルの金銭的、外交的な支援について記述した。そしそ戦略的な理由や人道的な理由だけではこれらの支援は説明がつかないことを示した。だから<イスラエル・ロビー>の政治的な力が米国のイスラエルに対する大きな支援を生み出している、と私たちは主張する。<イスラエル・ロビー>とは、イスラエルを利する方向に米国の外交政策を向かわせるべく、影響力を行使している諸団体や個人の緩やかな連合体のことである。〈イスラエル・ロビー〉は米国がイスラエルを無条件に後押しするように促す。それに加えて、彼らは米国の外交政策が形成される際に重要を役割を果たしている。イスラエル・パレスチナ紛争、災いをもたらしているイラク侵攻、シリアやイランとの今なお続く衝突など、様々な米国の外交政策について〈イスラエル・ロビー〉は重要な役割を果たしているのだ。私たち著者は次のように主張する。
「こうした米国の外交政策は米国の国益に適っていない。それどころか、イスラエルの長期的な利益をも損なう」

<<より開かれた議論>>
 実に明快である。しかし反応はすさまじかった。
 「私たちの論文への反応は大変なものであった。〇六年七月までに、ハーヴアード大学のウェブサイトに掲載した論文は二十七万五千回もダウンロードされた。私たちの許には『ロンドン・レヴュー・オブ・ブックス』に掲載された論文の翻訳許可や転載許可の依頼が殺到した。予想されたことだが、私たちの論文は〈イスラエル・ロビー〉に属する有名な諸団体や個人から数多くの批判を浴びた。それはまるで嵐のようだった。私たちは〝名誉毀損防止連盟″(ADl)、『ニューヨーク・サン』『ウォールストリート・ジャーナル』『ワシントン・ポスト』『エルサレム・ポスト』などの各紙の論説委員たちから〝反ユダヤ主義者〟と非難された。『ニュー・リパブリック』誌は私たちの論文を攻撃するために四本の論文を掲載した。多くの批評家たちが「この論文には歴史と事実に関する多くの間違いが含まれている」と私たちを非難した。しかし彼らの非雉こそ間違ったものだった。
 イスラエルや〈イスラエル・ロビー〉に関する重要な諸問題について、より開かれた議論が行われる兆候が見られるようになった。」

<<執筆の意図>>
 本書は当初別の出版社から依頼され、05年1月に原稿が送付されたが、掲載を拒否され、その後著者たちによってハーバード大学のインターネットサイトに所属教授論文集の一編として掲載され、上記のような活発な議論を巻き起こし、07年に至ってようやく改めて出版されるにいたった。その間の事情と執筆の意図について、次のように述べている。
 「しかし、依然として〈イスラエル・ロビー〉は米国の中東政策に大きな影響力を持っている。中東地域で米国とイスラエルが直面している諸問題は、私たちの論文が発表された後も小さくなってはいない。実際には中東地域の抱える諸問題はますます悪化するばかりだ。
 米国が行ったイラク戦争は完全に失敗だった。イスラエル国民とパレスチナ人は紛争にからめ取られ、そこから抜け出せないでいる。ハマスとファタフアはパレスチナでの主導権を巡って争いを続けている。レバノンにおけるヒズボラが果たしている役割はトラブルをもたらすだけだ。イランは自国内で核燃料サイクルを完成させようと努力を続けている。アル・カイダのようなテロリスト・グループは、今なお活発に活動を続け、危険である。そして、先進諸国はペルシャ湾の石油に依存している。これらは大変に悩ましい問題だ。もし、私たち米国民が、中東地域での自国の利益と〈イスラエル・ロビー〉を含めた自国の外交政策形成に影響を与える様々な要因について冷静な議論ができなければ、この国が直面している諸問題を効果的に解決することは不可能だ。今後の継続的な議論を促進するために私たちは本書を執筆しているのだ。」

<<米大統領選とイスラエル・ロビー>>
 本年08年11月には米大統領選が控え、予備選の模様が連日報道されているが、著者たちはそこに登場する政治家たちについても次のように述べている。
「米国では大統領選挙の年が近づいている。現段階で選挙結果を予測することは不可能だ。しかし、選挙キャンペーンの特徴のいくつかを予測することは簡単である。候補者たちは、この国が抱える国内の諸問題についてそれぞれ異なる意見を述べ、論争を重ねるだろう。つまり健康管理システム、妊娠中絶、同性婚、税制、教育、移民などだ。候補者たちは外交政策についても活発な議論をすることになるが、論点は次のようなものとなる。イラクにおける活動、ダルフールの危機的状況、イランの核兵器保有への野心、ロシアのNATOへの敵意、中国の台頭などの諸問題に対して米国はどのように対処するのが最善か?地球温暖化やテロリズムとの戦い、そして国際社会における米国のイメージの低下にはどのように対処すべきか?これらの諸問題やその他の多くの問題で候補者たちの意見が相違することを、私たち二人の著者は自信を持って予想できる。
 しかし、ある種の問題に関しては候補者たちが同じようなことしか言わないことも、私たちは自信を持って予想する。大統領選挙が行われる年には決まって見られる光景だが、二〇〇八年も、大統領の椅子を本気で狙う候補者たちは「私はある国と個人的に深いつながりがある」と宣言するだろう。その外国とはイスラエルのことである。それに加えて彼らは、米国がイスラエルへのゆるぎない支援を継続するという決意も述べるだろう。どの候補者も、イスラエルが直面している多くの脅威を正しく理解していることを強調する。自分が大統領選挙に当選したらという前提で、米国はどのような状況になってもイスラエルの利益を守ることを堅く約束するだろう。イスラエルを批判する候補者は誰もいない。また中東地域において米国はより公平な政策を採るべきだ、と提案する候補者もいないだろう。そんなことをしようものなら、大統領選挙からたちまち脱落してしまうからだ。
 アリゾナ州選出の共和党のジョン・マケイン上院議員は「イスラエルを守らねばならなくなった時、私たちは決して妥協することはありません」と高らかに宣言した。
 〇七年はじめ、ニューヨーク州選出の民主党上院議員であるヒラリー・クリントンはニューヨークで、有力な〝米国イスラエル広報委員会″(AIPAC)ニューヨーク支部の面々を前に次のように語った。
「今、イスラエルは大きな困難と危険に直面しています。重要なことは、私たちが自分の友人や同盟国の側に立って行動することであり、私たちの価値観を守ることです。イスラエルは中東地域に立つ、何が正しいかを示す灯台のような存在です。中東地域は急進主義、過激主義、専制政治、テロリズムの悪に覆われています」
 彼女と民主党の大統領候補の座を争っているイリノイ州選出の民主党上院議員バラク・オバマは、〇七年三月、シカゴでAIPACの会員に講演を行い、イスラエルを賞賛した。自分が大統領に当選した暁には、米国とイスラエルの関係を変更しないことを明言した。オバマは、同じ月の選挙キャンペーンではパレスチナ人が過去に味わった苦労に対し同情を示し、パレスチナ人が今なお苦しんでいることに言及していた。にもかかわらず、彼はイスラエルを称えたのだ。その他の有力な候補者も、親イスラエル的な心情を表明している。
 米国とイスラエルとの間の無批判かつ不変の関係について、人々を納得させるだけの人道的な根拠は存在しないのだ。イスラエルが存在することに関しては、強力な人道的な根拠がある。もしイスラエルの生存が危機に晒される場合、米国がイスラエルを助ける約束にも立派な理由が存在する。しかしパレスチナの占領地域において、イスラエルはパレスチナ人に対して野蛮で抑圧的な取り扱いを行っている。イスラエルの占領地政策について考え、さらに人道的な根拠を考慮に入れるなら、イスラエルとパレスチナ双方に対し、米国はより中立的な政策を採るようにすべきだ。もしくは米国政府は、パレスチナ側に肩入れすべきである。しかし私たちは、大統領選挙や議会選挙に立候補する人々の口から、そのような考えを聞いたことがない。
 米国の政治家がイスラエルに対してそこまでへりくだった態度をとるのは、〈イスラエル・ロビー〉の政治的な力を恐れているからなのだ。」
 実に鋭い分析といえよう。確かに注目の書である。

<<本書の目次>>
はじめに
第一部 アメリカ、イスラエル、そしてロビー
第一章 アメリカという大恩人
第二章 イスラエルは戦略上のク賛産″か。負債″か?
第三章 道義的根拠も消えてゆく
第四章 <イスラエル・ロビー>とは何か?
第五章 政策形成を誘導する
第六章 社会的風潮を支配する

第二部 ロビーの実態
はじめに
第七章 〈イスラエル・ロビー〉対パレスチナ人
第八章 イラクと中東体制転換の夢
第九章 シリアに狙いを定める
第十章 イランに照準を合わせる
第十一章 〈イスラエル・ロビー〉と第二次レバノン戦争
終章 何がなされるペきか

(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.362 2008年1月26日

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【コラム】ひとりごと—榊原氏とスティグリッツ氏の近書を読んで– 

【コラム】ひとりごと—榊原氏とスティグリッツ氏の近書を読んで– 

○左派でなくとも、傾聴すべきまともな議論・意見を提起する論者の本は、必ず購入して読むようにしている。○一人は、元財務官の榊原英資氏(現早稲田大学教授)であり、もう一人はジョセフ・E・スティグリッツ(元世界銀行チーフエコノミスト、現コロンビア大学教授)である。○共通しているのは、市場原理主義への批判であろうか。スティグリッツの最近の出版物は、週刊ダイヤモンドに連載されてきた文章を集成した「スティグリッツ教授の経済教室」(ダイヤモンド社、2007年10月)である。○世銀に関わったこともある彼は、グルーバリゼーションが、「富める国はさらに富み、貧しい国はさらに貧しく」している現実を厳しく批判する。市場の開放、外資の導入、変動通貨制度などのプログラムによって、外国資本は儲けるだけ儲けた後は、資本を撤退する自由を得た。それにより貧しい国はより貧しくなった。○中国は、かつて貧しい国だったが、最近の発展は、世銀やIMFモデルを拒否したところに発展の基礎があるという。外資の自由化をしていないし、変動通貨制度も採用していないのである。今後の問題はあるにしろ、中国政府は経済をコントロールできているという。沿岸部と内陸部の経済格差や貧困の存在はあるにしても、全体として貧困から脱却しつつある現実を評価されている。○アメリカのイラク戦略についても批判的である。イラク占領後、アメリカはそれまで国営だった企業の民営化を進めた。しかし、治安もさることながら、経済復興はまったく進んでいないのが現状である。経済復興もできないからこそ、治安も回復できない。○先進国の横暴も批判の対象だ。知的財産の保護を名目に、貧困国への医薬品価格を高止まりさせ、貧しい国のエイズを放置している現実。第1次産品、例えば綿花について、国内の生産者に膨大な補助金を出して、アフリカ諸国の安価な綿花を国内市場から締め出しているアメリカ。○世界経済を見つめる視点は、とても新鮮である。○榊原氏の最近の著書は、「日本は没落する」である。ちょっと刺激的な題名ではある。著者は、近年の著書でも、教育問題を取り上げ、インドや中国など新興諸国の教育と比べても、日本が立ち遅れていると警告されている。教育問題については、私は同意しかねる点が多いのだが、榊原氏の危機感は、前著「幼児化する日本社会」からの継続でもある。中国・インド・韓国において科学技術者が膨大に養成されているのに対して、日本の場合、理科系離れが進んでいること、国を挙げての「戦略」がないことなどが中心と言えようか。○先週の国会で、大田経済財政担当大臣は、「(日本は)もはや経済一流ではない」と述べている。それは、06年の1人当たりの名目GDPが、経済協力開発機構(OECD)加盟国(30カ国)中18位に低下したことが背景にある。EU・中国・インド、そして他の新興諸国の経済発展は目覚しく、日本の地位低下が進んでいることが榊原氏の念頭にあると思われる。○さらに本書で私にとって印象的だったのは、「公(パブリック)の復権」を氏が強く指摘している点である。小泉改革は「民がすべて、官は悪行」という印象を与え続けてきた。また「自己責任」の名の下に、「金がすべて」の風潮を作り出してしまった。社会を支える公務(パブリック)の評価をしっかりすべきであると言う主張であり、まったく同感である。○さらに氏は、「官僚悪玉論」にも批判を加える。民主党の「霞ヶ関批判」が記憶に新しいが、「官僚すべて悪い人」というところまで行き着くと、日本の政策・行政運営力の低下が懸念されるというのである。○現に、「金がすべて」「官より民」という流れのなかで、国家公務員志望が減っているという現実も生まれているのである。○また、天下り批判が、官民の交流まで締め出すところまでいくと、悪弊となるという論調である。現に、氏によれば金融庁や経済官僚の能力が低下しているという。証券・金融の現場を知らない者が金融政策を立てている現実があり、アメリカや欧米と太刀打ちできるはずがないと。こうした「公の崩壊」に対して、榊原氏は「公の復権」が必要と言われているわけであるが、傾聴に値すると思われる。(佐野)

 【出典】 アサート No.362 2008年1月26日

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【投稿】民主党は「大連立」拒否の姿勢を明確にすべき

【投稿】民主党は「大連立」拒否の姿勢を明確にすべき

<<「出合い頭解散」>>
 日本の政局は、いつ衆議院の解散・総選挙があってもおかしくない時期に突入している。防衛省疑惑がアメリカをも巻き込んだ米軍再編と密接に絡んだ一大疑獄事件の様相を呈し始めており、守屋前次官関連だけで一件落着を図ろうとする政府・与党・防衛族の必死の抵抗の中で、国会審議は混迷と泥沼化に陥り、国会会期の再延長、給油新法再議決をめぐって、「出合い頭解散」が現実味を帯びだしている。参議院での首相問責決議可決という事態になれば、それは「年明け冒頭解散になっていいのか」と自民党は民主党をけん制し、これに対し民主党は山岡国会対策委員長が「2月5日公示、17日投開票」説を公言している。
 しかしこうした表面上の駆け引き、けん制が交錯しながらも、自民・公明与党連合、そして民主党を中心とする野党、それぞれに軸足が定まらず、不安と動揺、爆弾をお互いに抱えたまま事態が推移している。それは互いに挑発しあいながらも、実は互いに落としどころや妥協点を探りあうという、有権者の期待と相反しかねない事態の反映でもあろう。
 民主党の前原誠司副代表は12/5、国会内で講演し、参院で審議中の補給支援特別措置法案について、「会期延長せずにやめた場合、インド洋での活動は長い中断になる。これで解散されたら、うちの党は困る。国益を考えているのかと(批判される)。私はどうやって選挙演説したらいいか分からない」と語り、情けない自らの動揺を吐露している。
 自民党の伊吹幹事長は、次の衆議院選挙後に政界再編が起きるとして、与党が負けた場合には自民党から離党者が相次ぐことになりかねない、「かつて細川内閣ができた時に我慢できない人が自民党からドロップアウトした、それと同じことが起こりかねない」との見方を示し、選挙の時期については、「公明党の支持母体は参議院選挙で疲れ果てている」と述べ、解散を先延ばしする意向を表明している。しかしまたその一方で、「自民党が負けるおそれがあるから総選挙を遅らせているとはまったく考えていない」、むしろ「自民党だけの党利党略を考えればいま総選挙をしたほうがはるかに有利だ」とも述べ(12/6、日本外国特派員協会での講演)、支離滅裂である。
 もちろんその背景には、民主党小沢代表を抱き込んだ「大連立」構想の仕掛けによって生じた民主党の動揺、混乱を利用すること、そして福田内閣のソフトポーズ・対話路線によって支持率上昇を狙うという戦略であったが、期待に反して内閣支持率は発足当初より逆に下降傾向が明瞭になり出したこと、その後の国政選挙の指標ともなる11/18の大阪市長選では、自公連合は大差で敗退したことが大きくのしかかっている。有権者は、参院選に引き続き、大連立や談合・総与党化路線ではなく、政策対決に基づく政権交代をこそ要求していることを明らかにしたといえよう。

<<「ねじれ国会」の成果>>
 政府・与党は、与党提案案件が一本も通過しないこうした事態を「ねじれ国会」がもたらした悪しき事態として描き、「国会が機能していない」と思い通りにならない状況を嘆き、伊吹幹事長は「民主党は子供がピストルを持っているようなものだ」と不満を募らせ、町村官房長官は野党が「同意人事を政府の提案通りに通さなかった理由を説明しろ」などと食って掛かる発言までする事態である。
 しかし先の参院選においてもたらされた、参議院における野党優位、与党少数派という事態こそが、政局に緊張をもたらし、これまでのようにやすやすと数々の腐敗や疑惑にふたをすることを許さず、安倍政権下ではろくな議論もなされずに連発された強行採決がいまや不可能となり、逆に野党提案の参議院での可決という事態に与党側が何らかの形であれ応じざるをえないという積極的で前向きな事態を生じさせている。
 参議院では、航空自衛隊をイラクから撤退させるためのイラク特措法廃止法案が11/28の本会議で賛成多数で可決され、さらに年金保険料流用禁止法案、農業者個別所得保障法案も可決され、衆議院に送られている。国会同意人事では、官僚の天下りを許さない不同意が56年ぶりになされた。その他にも肝炎医療費助成法案、障害者自立支援法応益負担廃止法案等が提出され、被災者生活再建支援法改正案が議員立法で可決・成立し、これまでは政府・与党が頑として認めてこなかった住宅本体部分への支援金の適用が可能となる成果を生み出している。これらはまさに政権交代を要求する民意と、それに基づいた「ねじれ国会」の成果といえよう。
 また、年金問題や薬事行政、防衛省疑惑や政官財の癒着に関して国政調査権によるチェックや情報開示が以前と比較すれば格段に進み、応じざるをえなくなったことは、これまた参議院での与野党逆転、「ねじれ国会」の成果でもある。これまで与党側の圧倒的多数支配によって封じ込められ、単なる通過手続きとして形骸化させられていた国会の本来の機能が、ここに来てようやくのことで発揮され始めたばかりなのである。
 ここでもしも福田・小沢会談に引き続く「大連立」構想が民主党側で受け容れられ、自民党・公明党と民主党の大連立政権ができていたとすれば、衆参両院とも与党連合の圧倒的多数支配となり、戦前の大政翼賛体制以上の国会支配体制が成立するところであった。その帰結するところは、衆参両院を支配する与党連合の独裁体制と、それによる国会の形骸化、民意への敵対であったといえよう。

<<中曽根提案>>
 ところが、民主党の小沢代表は辞任撤回騒動後も、いまだに「大連立は正しい」との発言繰り返し発言している。当初、小沢氏は11月7日の辞意撤回発言で、「党首会談をめぐり、国民、民主党の支持者、党員、同僚議員に迷惑をかけ、心よりおわびする」「いま思えば、「総選挙に向けて頑張ろう。私が先頭に立つ」とまとめればよかったと反省している」と語っていたものが、11月16日付朝日新聞のインタビューで、「政治判断は今でも正しいと思っている」と答え、11月20日には、記者会見で「実際に政権の一端を担うことで、自民政権では絶対できないことを実現できれば国民は喜ぶのではないか。より支援が集まると思っていたし、今もそう思っている」と語りだしたのである。辞意撤回発言での反省発言は一体なんだったのか、疑わせるものであり、信頼を裏切るという意味では自らの政治生命の終わりを語るものでもある。自己に有利な党内情勢の反映でもあろうが、まだ懲りていないのである。党内で反対されたからやめたが、ことと次第によってはいつでもその方向に動き出すという意思表明でもある。それは民主党役員会の決定を公然と否定するものでもある。
 小沢代表を援護するかのように、自民党の中曽根元首相は「衆院解散後の(自民、民主両党の)公約に、『情勢によっては国益を中心に両党の協力関係を構築することもある』という程度のことを入れ、国民の了承をある程度得た後で、大連立に入ることが適当だ」と述べ、自民、民主両党が次期衆院選公約に大連立を明記すべきだとの考えを示した(12/2付け読売新聞)。敵もさるもの、まだあきらめてはいない。むしろこれからが本番と考えているのであろう。
 岡田克也副代表(元代表)が「大連立をすれば最終的に自民党に都合のいい形になる。…小沢氏が「大連立は間違っていなかった」というなら食い違いがある。党の方針にかかわるのできちんと議論しないといけない」(毎日新聞11/20付)と語ったのは当然である。鳩山幹事長も日本記者クラブで講演し、「小沢氏は今でも連立が正しいと思っているのかもしれないが、そんなに単純ではない」と述べ、小沢氏の大連立を批判している(毎日11/20付)。そうであるならば、民主党はこの際、「大連立」構想を明確に否定・拒否し、さらに総選挙前に代表を差し替えるべきであろう。民意を獲得し、政権交代を実現させるためには、最低限、このことに踏み切らなければならない時期に到来しているといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.361 2007年12月15日

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【投稿】「対テロ戦争」こそ疑惑の源泉

【投稿】「対テロ戦争」こそ疑惑の源泉

<泥沼の「軍事疑獄」>
 防衛省の守屋前次官を軸とする防衛調達品事件は、時がたつにつれ収束するどころか、ますます疑惑が深まっている。
 今回の問題の基本的な構造は、守屋と山田洋行の宮崎元専務が共謀し、航空自衛隊の次期国産輸送機(CX)エンジンなど自衛隊の装備品としてゼネラル・エレクトリック=GE社の製品を無理やり調達させ、巨額の利益を得ていたということである。
 さらに宮崎は日本ミライズという軍事商社を設立、山田洋行の軍事利権を持ち逃げし、海上自衛隊が建造する新型護衛艦のエンジンなどで、より直接的に利益を吸い上げることを目論んでいたのである。
これまでの調べでは、守屋夫妻への接待に巨額の裏金が使われていたことが判明しているが、当然政治家への工作が行なわれていたことは、だれしも想像ができる。民主党は額賀財務大臣が疑惑の宴会に同席していたとして、一度は額賀大臣の証人喚問を参議院で議決したが、確証が取れずに断念した。
しかしながら、いくら実力者とはいえ官僚でしかない守屋前次官を抱き込むだけで、事が思い通り運ぶわけもなく。政治家にカネが流れていたことは確実である。さらには、普天間飛行場の移設など、沖縄県を中心とした米軍基地再編事業においても守屋が介在した、不透明な部分が浮かび上がって来ている。これらの解明が進めば、他省庁や民需部門も巻き込んだ、ロッキード事件にも匹敵する一大疑獄に発展する可能性がある。
政府与党は、一連の疑惑を守屋の個人的犯罪として収束させようと躍起になっているが、歴代の防衛庁長官、総理大臣の責任は免れないところである。とりわけ久間元防衛大臣は、接待を受けていた宮崎らが日本ミライズを立ち上げて以降、今度はCXエンジンを巡り、山田洋行に有利な発言をしていたことが明らかとなっており、徹底追及すべきである。

<日米軍事利権構造の解体を>
 福田政権は「対テロ支援=給油活動再開と疑惑解明は区別すべき」と主張しているが、守屋や宮崎は、「対テロ戦争」や「イラク復興」も悪用し利益を得ていたことが明らかになっている。
 陸上自衛隊が導入した「生物テロ」などに対処する、生物偵察車の検出装置は、守屋の横車で山田洋行の子会社が代理店を努めるイギリスのメーカーが契約した。またクェート駐留の空自輸送機用の対空ミサイルを撹乱するための「チャフ・フレアランチャー」は、代金の水増し請求が発覚している。
12月10日の参院決算委員会で石破防衛大臣は、水増し請求問題について、山田洋行をはじめとする業者からの水増し請求が98年以降12件あり、そのうち10件の過払い額が597億円に上ることを明らかにした。
 こうした所業で、暴利をむさぼる輩を放置しながら「対テロ戦争」への協力や、国際貢献の大義名分を口にしても、まったく説得力を持たない。
 政府与党は防衛省のあり方を官邸主導で見直す有識者会議「防衛改革会議」を発足させた。会議では今回の問題のほか、給油活動実態の様々な改竄、イージス艦情報の漏洩などを踏まえ①文民統制の徹底、②厳格な情報保全、③防衛装備品調達の透明性確保、を中心に対策が検討されるというが、その実効性に対しては疑問符がつけられている。
 守屋や山田洋行が排除されても、巨大な軍事利権は温存され、新たにそれを貪り食う者が出てくるだけである。「官邸主導」にしても「官邸による利権配分の仕切りなおしではないか」との疑念が寄せられている。
 求められているのは、利権を生み出すシステムそのものである日米軍事同盟の、抜本的な見直しである。そもそもアメリカの進める「対テロ戦争~イラク戦争」は軍需産業の要請もありはじめられた。
 イラク情勢が泥沼に陥いり、スペイン、イタリア、オーストラリアなど多くの国が外交政策の転換を図る中、日本のみが親米一辺倒なのは、利権を温存させるためと見られても仕方がないだろう。
 与党は「給油活動」再開に向け衆議院再議決を視野に入れた国会再延長を目論んでいる。民主党をはじめとする野党は、イラク、クェート、インド洋への自衛隊派遣に絡む利権の洗い出しを進めるとともに、今後の米軍再編、日本の軍拡にかかわる疑惑の全体像を明らかにし、総選挙で信を問うことが求められている。(大阪O)

 【出典】 アサート No.361 2007年12月15日

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【投稿】再び、生活保護と最低賃金について

【投稿】再び、生活保護と最低賃金について

 「生活保護と最低賃金」と題して、No355に投稿をした私だが、その後の展開は、最低賃金の一定の引き上げが実現した一方で、来年度の「生活保護基準の改定」において、保護基準の引き下げが行われようとしている。

<成長戦略に配慮した最低賃金引き上げ>
 本年の「中央最賃審議査会」は、時給850円に向けて、今年度平均50円の引き上げを求める労働側と中小企業などの経営を脅かすと大幅引き上げに反対する経営側の意見が対立、しかし、政府の成長戦略推進会議の議論を反映して、Aランク地域で19円、Bランク地域で14円、Cランク地域で9~10円、Dランク地域で6~7円の引き上げ幅の目安を答申した。5年に及ぶ据え置き、低額引き上げだったが、久しぶりの二桁引き上げ目安答申となり、東京・大阪の最低賃金は、739円(+20円)、731円(+19円)となった。さらに、先日与野党合意により成立した改正最低賃金法では、地域別に定める最低賃金が生活保護の給付水準を下回る逆転現象の解消がうたわれ、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」に配慮する文言が加えられた。まだまだ不十分な引き上げであるが、参議院選挙で示された「格差社会」への国民の不安・改善への希望は、一定の前進を生んだとも言えるのである。しかし、生活保護基準との整合性議論は、以下に述べるように、一方の生活保護基準については、引き下げの方向に進もうとしている。

<生活保護費の引き下げを示唆>
 厚生労働省の「生活扶助基準に関する検討会」は、11月30日に報告書をまとめたが、その内容は、生活保護世帯の生活費(消費支出)が低所得世帯の生活費を上回る現状にあるとして、基準引き下げを求めるというものだ。報告を受け、厚労省は、来年度予算編成と絡めて、基準の引き下げの具体的検討に入ったと報道されている。
 具体的には、夫婦と子供一人の3人世帯で、一般低所得者の生活費は月14万8781円だが、生活保護受給者のそれは15万408円で、1600円上回っている、また単身の高齢者では、同様の比較で9000円高いとの報告となった。(いずれも住宅扶助は別である)
 生活保護が近年急増していることは、「格差社会」化・貧困化の進行の象徴である。今回の保護基準引き下げの議論は、そのような事態の進行に対する有効な対策なのだろうか。残念ながら、全く逆の方向を向いた議論であることは明らかであろう。
 一体どこまでのサンプル調査が行われたのか。現制度では、全国を6つの級地に分けて保護基準が定められているが、級地毎のデータ比較がされたのか、未だ不明である。
 また、今回の検討会の調査は、「消費支出」について比較したとされている。要するにいくら使ったかを比較しているのである。収入の比較ではない。収入が生活保護費(最低生活費)しかない世帯では、それのみが収入である。しかし、少なくとも生活保護受給者ではない「一般低所得者」の場合では、あきらかに収入構造が異なっているし、支出構造も異なる。収入は貧困ではあっても、資産は少々残っている場合もあるし、借金をしている場合もあろう。逆に切り詰めた生活をされている場合もある。将来の不安に備えるためであろう。生活保護世帯の場合は、医療・介護については現物支給であるから、その心配はないと言ってもいい。逆に支出では、保護費を使い切るという事になる。消費支出だけを比較した検討に果たして、どんな意味があるにだろうか。
 生活保護費を一般低所得世帯に合わせるという事だが、一般低所得者の生活実態については問題はないのか。実は、最低賃金が多少引き上げられたとしても、それが低所得労働者の生活改善に大きく寄与する程のものではない。一般の低所得者世帯に対する対策は、置き去りになっているのである。
 
<引き下げは既定路線?目的は保護抑制>
 その中での生活保護基準の切り下げは、まさに貧困の固定化を進める事になる。
 現場で感じているのは、保護基準の構造によって、いろいろある世帯構成間では不均衡を生んでいることである。実感として、他人数の世帯の場合は、感覚の問題であるが、若干のゆとりがあるように思える。他方、2人以下の世帯、単身世帯では、ギリギリの水準と言えるのではないだろうか。こうした、現行制度が内包している問題への対応は先延ばしにして、「引き下げ」ありきの議論では、現場に混乱を生むことは必至だと思うが。
 さらに、保護基準の引き下げは、保護申請への抑制効果があることである。要するに、保護受給が一層厳しくなる。保護基準は、受給者への支給額基準であると同時に、申請に対する審査における「最低生活費」基準でもあるからである。保護基準が下がれば、収入がより低くないと生活保護が開始されない。さらに、現金支給はゼロもしくは若干の自己負担が生じている保護世帯もある。医療費(保険料含む)や介護負担に耐えられない世帯などが存在しているからである。最低生活費(保護基準)が引き下げられれば、これら世帯の中から、保護廃止となるケースも現出してくるであろう。

<制度改正は後回し、引き下げばかり先行>
 2005年12月「生活保護制度の在り方に関する検討委員会」報告では、生活保護基準の在り方・生活扶助基準の評価・検証の項において、「一般低所得世帯の消費実態との均衡が適切に図られているかどうか、・・・5年の一度の頻度で検証を行う必要があり・・平均的に見れば、勤労基礎控除を含めた生活扶助基準額が一般低所得世帯の消費における生活扶助相当額よりも高くなっていること、・・を考慮する必要がある。」との記述がある。今回の引き下げは、この方針の延長上にある。
 「在り方研究会報告」は、生活保護制度全般にわたる検討が行われた結果であり、評価できると思われる点も多い。しかし、先行しているのは、貧困をめぐる変化に対応した制度改正ではなく、保護基準の引き下げばかりである。老齢加算の廃止、母子加算の減額、そして今回の生活扶助費の引き下げである。
 2006年10月の全国知事会・全国市長会は「新たなセーフティネットの提案」を発表し、
全国市長会は同年10月「生活保護制度改革に関する意見」を発表してる。
 共通しているのは、①稼動世代(65歳まで)のための有期保護制度の導入、②貧困の連鎖を避けるための制度改正、③高齢世帯のための新たな制度導入、④若年層の貧困対策・就労支援制度導入、などであろうか。
 これらの抜本的な制度改正について、国における検討は進んでおらず、来年度も見送られる事になるだろう。
 
<利用しやすく、自立しやすい制度に>
 北九州市での餓死事件などを契機にして、福祉事務所における「水際作戦(申請をさせない)」が、問題になった。申請拒否などは問題外としても、現行制度そのものが、利用しにくい制度であることは間違いがない。住宅費だけ、介護費用だけ、あるいは医療費だけ援助してもらえれば、という相談は多いのだが、現行制度は、能力・資産・扶養などすべての点でクリアーする場合のみ保護が開始される。部分的適用はない。逆に、保護開始は、自立のための諸資産をすべて失くした時点で行われるため、自立していくためには、長期の保護期間が必要になるのである。
 こうした制度設計が、「利用しにくく、自立できない」世帯を生み出しているとも言えるのである。
 
<骨太方針は、扶助費削減を明記>
 実は、生活扶助費の引き下げは、政府の規定方針であって、骨太の方針06において、5年間で社会保障費を1,1兆円削減する対象に含まれている。要はその引き下げ幅であるとも言えるのである。仮に一人平均月額1000円の引き下げが行われた場合、国の支出は、受給者150万人とすると、年間支給額で180億円の削減となる(国の負担金額は、75%であるから135億円)。これまで、参議院選挙や総選挙への影響を配慮して、基準額の引き下げは、繰り延べされてきた経過もある。当然、今後行われる総選挙への配慮などから、引き下げ幅、実施時期は、政治的要素が絡んで依然明らかではない。
 しかし、制度改革なき引き下げ先行で、現場の混乱は必至であろう。さらに、原油高騰、資源・穀物価格高騰による諸物価の高騰、来年から始まる後期高齢者医療による高齢者負担の増など、生活圧迫要因は益々増加する中で、引き下げ議論は、世論の支持を果たして得られるのであろうか。(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.361 2007年12月15日

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【書評】「株式会社はどこへ行くのか」

【書評】「株式会社はどこへ行くのか」
       (上村達男・金児昭著 日本経済新聞出版社)
                               福井 杉本達也

2006年5月から「新会社法」が施行されたが、how-toものの解説書は多いものの、会社法の本質を抉り出すような著書にはほとんど出くわさない。本書は早稲田大学の上村達男氏と経済評論家の金児昭氏の共著の体裁を取っているが、もっぱら上村氏が理論を展開し、金児氏が聞き役に回るという形で話が進められる。

1.危険がいっぱいの「新会社法」
株式会社はいま危険な領域にある。経済産業省が主導し、市場経済論者がからんで作られた「新会社法」はとんでもない代物となった。株式を公開している大規模な株式会社とこれまでの有限会社のような小規模な閉鎖会社を同列に扱うこととなってしまった。株式会社の資本金が1円でもよいというように、まさに、「なんでもOKの株式会社」ができあがるのである。元々はベンチャー企業用の会社形態で、1円企業も企業再編の自由も緊急時の時限立法のはずであった。それを一般化することによって、民法に近い会社法を作ってしまい、「株式会社とはもっともルーズな有限会社である」ことになってしまった。日本経済の社会的共通資本というべき会社法が徹底的に破壊され、法律条文に禁止事項として「書いていないことはやってよい」という「契約と所有といった古典的な民法理論に近い発想」になってしまった。その結果、「めちゃめちゃな交換比率で投資事業組合が株式交換」をするライブドア事件のような、財産の“収奪”が日常的に行われるような社会になると警告する。

2.株式会社の本質とは
会社がつぶれた場合、お金を出した出資者は債権者に対しどこまで責任をとるのかであるが、無限責任の場合には限度がなく、出資者が持っている全ての財産を債権者から差し押さえられる。だが、有限責任の場合には出資額の範囲内であり、自分の個人財産を切り離すことができる。債権者が路頭に迷おうが、出資者は知らん顔でいられる大変な特権がある。しかし、無限責任では危険すぎて大きな資本を集めることができない。有限責任にして、投資家個人=生身の人間(ヒト)との関係を切ったものが証券化=株式(モノ)である。ヒトとの関係を切ったモノはそれ自身で自由に売買でき、大きな資金を集めることができる。これが株式会社の利点である。他方、ヒトと切り離されたため投機の対象となり、暴走することになる。これが、株式の危険な側面である。したがって、「会社と証券市場という幸福と不幸が表裏一体となった取扱危険物を市民社会がどうやってコントロールするのかという問題」が浮上する。
米オハイオ州で11月中旬に、ドイツ銀行は、 地元の14世帯のサブプライム住宅ローンの借り手を相手に起こした裁判に敗訴した。銀行は以前、オハイオ州の金融機関が貸し出した無数のサブプライムローンを束ねて輪切りにした債券を購入したが、債券の価値が急落したため、もともとのローンの担保となっていた債務者の住宅を競売にかけて債権の一部を取り戻そうとした。裁判では住宅の担保権(抵当権)をドイツ銀行が持っていることを示す証書の提出を命じられたが、権利関係を証明できず、敗訴してしまったのである。銀行が買ったのは、オハイオ州の金融機関が融資した無数のローンを集めてミンチにした「挽き肉」であり、もともとのローンの貸し借りの担保権とは関係の切れた商品である(2007.12.5:田中宇)といった状態が生まれてくる。
そこで、相手の顔が見えないモノの関係で資金を集めようとする場合、一定の社会的ルールが必要となる。ルールによってようやく「予測可能性が確保される」。そのルールが「会社法」や「金融商品取引法」であり、上村氏の提唱する「公開株式会社法」などであるとする。

3.会社は株主のものか?
「会社は株主のもの」という理論がまかり通っているが、そこでいう株主とはグローバル市場においては欧米の金融資本・ヘッジファンドである。「会社は株主のものだ」という考え方は、「お金さえ持っていれば、借金する力さえあれば株主になることができる」・究極的にはマーケットで大量の資金を持っている者が主役だということに行き着く。結果としてヒト自身が「人間のつくったモノの世界に支配される」ことになる。たとえば、英ヘッジファンドのTCIは電力という我国の最重要な社会的共通資本を運営するJパワーの筆頭株主となり、Jパワーに大幅な増配の要求を突きつけているが(日経:2007.12.5)、会社が生み出す価値を体で感じることができない金融資本やファンドは株価を1円でも高く、配当を1円でも多くということにしか関心を抱かない。しかし、「会社はステークホルダーのものである」・従業員、顧客、取引先といった生身の人間・地域社会のものであるという考え方こそ重視されるべきものである。
契約自由に任せておくと最適な状態が生まれるというのは空理空論であり、市民社会の規範意識などといった視点には関心が払われない。アメリカでは経済活動は自由放任だといわれるが、筆者はそうではないという。「アメリカは連邦会社法を持たない珍しい国です。会社法は各州にあります。…それぞれの州政府は雇用や地域社会の問題に対してひじょうに敏感で、各州には外部から州内企業を守るための反テークオーバー法があります。…日本からみれば明らかに『ダブルスタンダード』ですが、このように、自国の国益や企業をしたたかに守りながら、攻めるときは資本の論理を駆使していくのがアメリカの姿」であると上村氏は明確に述べている。こうした事実を我々日本人は知らされていない。法律を作った当時の小泉首相も経済産業省も市場経済論者も、また、その経済理論に影響された法律家や現在の政府の審議会のメンバーもマスコミも意識的に隠し通したのである。その結果、ルールのないところで自由だけが拡大し「ステークホルダーの大半を占める日本人を犠牲にして、グローバルな無国籍な資本に貢献する…日本人はよく理屈もわからないのに、じつにお人好しのグローバル優先人種になっている…日本の企業は外国人に貢献することを目的とする企業なって」いくのである。「株主が誰だかわからない株式会社というのはありえない…匿名でかつ支配に影響をもちうるようなのは単なる投資ではありません…おカネを借りられたから株を買えたという事実だけで、せいぜい数十人の人間が数千万の人間を支配できる。こういう構図こそまさに企業と市場と市民社会という観点からいえば、日本人が懸命になって戦わなければならない」ことなのである。
サブプライム問題で金融資本の危機がいよいよ深まり、12月6日、米ブッシュ政権は、「小さな政府」を信奉する共和党の反対を押し切り、住宅ローン金利の5年間の凍結という“徳政令”を出し危機の沈静化に懸命となっているが、本書は「会社法」の改正という法理論から金融資本の実態に迫ろうとする好著であり、是非一読を進めたい。

【出典】 アサート No.361 2007年12月15日

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【コラム】ひとりごと—サブプライム問題が明らかにしたもの—-

【コラム】ひとりごと—サブプライム問題が明らかにしたもの—-

○サブプライム問題に端を発した信用不安・住宅資産価格下落によりアメリカ住宅バブルが破綻し、2007年のアメリカ経済は、株式の大幅下落などにより大きな後退を余儀なくされた。投機資金は株式から逃避し、通貨においても円の買い戻しが進んだ。8月には、最大の下げ幅を記録したのをはじめ、円高・ドル安が、一層の原油高騰を呼び込むなど、2007年の世界経済は波乱の内に暮れようとしている。○日本においても、大幅な損失を補填するため、日本株を外国人投資家が売りに売り抜けたのである。○証券化されたサブプライム・ローン債権などを保有していた欧米の大手金融機関は、7-9月期決算で巨額の損失の計上を余儀なくされ、経営者が交代した銀行も続出した。○今後も、低利子期間が終わり、高利率が適用されるサブプライム案件・返済不能が続出する可能性が高いとも言われている。サブプライム金融危機は、まだ始まったばかり、との評価もある。(世界規模で最大44兆円の損失が発生するという予想もある)○欧米の金融機関が相次いで損失を織り込みんだこと、アブダビ投資庁が、資金をシティバンクの増資に投入するなど、金融機関の資金不足を手助けしたこと、アメリカ政府が今後発生するサブプライム関連の個人債務について、利子補填するなどの対策を講じると発表したことなどで、危機的状況については一旦落ち着きを見せているようにも見える。○しかしながら、本当の危機は、これから訪れるのではないか。サブプライム問題が引き金を引いたのは、ドル優位の現行国際通貨システムの幕ひきではないのか。○サブプライム問題によるアメリカ金融システムの不信、住宅バブルの崩壊、購買力低下による個人消費の冷え込み、経済の低成長化により、意識的なドル高政策は不可能となった。サブプライム危機の回避のためのFRBによる政策金利・公定歩合の引き下げは、一層のドル安要因となる。今後一定期間、ドル安基調が続くことは必至であろう。○NHKの報道によると、先日開催されたOPEC総会の秘密会議では、ドルに対して固定相場制を採用している産油国から相次いで、「新しい通貨システム」検討の発言があったという。ドル安によって、今後自国通貨も価値が下がる。膨大なオイルマネーは、ドル保有として蓄積されている産油国にとって、外貨準備をドルのみに頼ることはリスクが多きすぎる。ただ、急激な通貨政策の変更は、ドルの暴落を招きかねないとの危惧から、慎重な姿勢であるとの事だが、ドル離れの基調は進行するだろう。○ドル安によってアメリカの輸出が増えるのだから、アメリカ経済はまた復活するのではないか、との議論もある。しかし、アメリカに競争力のある輸出品はあるのか。自動車は環境対策の遅れから、トヨタをはじめとした日本車や欧州車に水を明けられている。80・90年代にアメリカから主要な製造業は姿を消した。IT分野と金融・投資手法が最後に残ったアメリカの売りだったはずである。アメリカが生み出したローン・不動産の証券化手法そのものが、サブプライム問題で破産に追い込まれているのである。唯一残るのは軍事産業だけではないのか。○サブプライム債権は、様々な金融商品に「分散」して組み込まれ、AA格付けであった金融商品まで5割以上の下落したと言われている。破壊的リスクがほとんどの金融商品に際限なく影響を与えてしまったのである。○本紙9月号(NO.358)で杉本氏も述べているように、基軸通貨としてのドルの地位の一層の低下を、サブプライム問題は促進していると言えるのである。○2007年はアメリカ発の金融不安が世界を駆巡った1年であった。2007年は、イラク戦争の誤りが国際社会において明らかになった事、そしてサブプライム問題でアメリカ発の金融不安が爆発した事、この二つによって、アメリカの凋落が誰の目にも明らかになった年として記憶されるだろう。○明らかに支払い能力のない人にサブプライム・ローンを組ませ、そのローンをすぐさま証券化して売ってしまった「住宅販売会社」に負債が発生しない、などという仕組みは、1980年代バブルを経験した日本もない事だったろう。まさにバブルは弾けるべくしてして弾けたのである。○ドルの地位低下、原油など資源・商品の価格高騰、経済の停滞、2008年もこの基調は続くと思われる。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.361 2007年12月15日

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【投稿】「大連立」構想の破綻と小沢代表の辞意撤回

【投稿】「大連立」構想の破綻と小沢代表の辞意撤回

<<仕掛けられたワナ>>
 安倍政権が突如、9/12、前代未聞の無責任きわまる政権投げ出しを行って退場し、まだ二か月も経たないうちに今度は、11/4、小沢民主党代表が突如記者会見を開き、二回にわたる党首会談を経て、自民党との大連立を前提とした政策協議について持ち帰り、民主党役員会にはかったところ、それが拒否されたことは「代表として不信任を受けたに等しい」、「多くの議員、党員を指導する代表として、また党首会談で誠実に対応して下さった福田総理に対し、けじめをつける必要があると判断した」と発言し、党代表の辞職願を提出したことを明らかにした。これまた党首の座を投げ出したのである。日本の二大政党の指導者のあきれ果てた未熟さぶりには驚かされるばかりである。安倍氏と対比された小沢氏の「豪腕、らつ腕、こわもて」はこの程度のものでしかなかったこと、いとも簡単に大連立構想に乗せられ、踊らせられ、有権者を裏切る小心者でしかなかったことをぶざまに見せつけたといえよう。
 そもそもこの「大連立」構想なるもの、きわめて謀略的であり、一部マスコミの情報操作、世論誘導が露骨に行われ、意図的に小沢代表に仕掛けられたものといえよう。すでに周知の事実として明らかにされているように、参院選の自民党の敗北直後の八月初めから読売新聞が社説で「大連立」構想を提起し、福田政権登場と共に、渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長が「仲介人」として直接乗り出し、小沢氏の記者会見によれば、10月半ば以降、また連絡があり、「福田総理もぜひそうしたいとの考えだ。ついては、総理の代理の人と会ってくれ」という話があった。私も、むげにお断りできる相手の方ではないので、じゃあ参りますと言って指定の場所に行き、「本当に総理はそんなことを考えているのか」と質問すると、「総理もぜひ連立をしたい、ということだ」。「では、あなたも本気か」とその総理の代理という方に質問したら、「おれも本気だ」という話でした。この総理の「代理人」というのが森元首相であった。つまりは渡辺恒雄氏と森元首相の作り上げた「大連立」シナリオどおりに福田・小沢両党首会談が行われ、合意にこぎつけたと仕掛けた側は見たのである。
 11月4日付読売新聞朝刊は、小沢氏の提案が民主党役員会で拒否されたことを知るや、1面トップの見出しで、「『大連立』小沢氏が提案」、「絶対党内まとめる」と報じ、その記事の中で、「小沢氏は「これで決める。(連立参加で)私が党内をまとめます」と明言。首相が「大丈夫ですか」と問いかけると、小沢氏は「絶対にまとめます」と重ねて強調した。」、「そもそも、10月30日の最初の党首会談を持ちかけたのも小沢氏の側だった。」と、謀略的な暴露記事を掲載したのである。この報道は毎日新聞側にも流された。
 小沢氏は記者会見で、「『小沢首謀説』なるものまでが、社会の公器を自称する新聞、テレビで公然と報道されています。いずれも、全くの事実無根です。事実無根の報道が氾濫していることは、朝日新聞、日経新聞等を除き、ほとんどの報道機関が政府・自民党の情報を垂れ流し、自らその世論操作の一翼を担っているとしか考えられません。」と強く抗議したが、ときすでに遅しであった。

<<乗せられた小沢代表>>
 小沢氏は明らかに乗せられたのである。乗せられるだけの弱点、政治経歴、政治姿勢が付きまとっていたからこそ引っ掛けられたとも言えよう。その一つのきっかけは、先月号でもすでに筆者が指摘したことであるが、月刊誌「世界」(岩波書店)11月号で、「国連の活動に積極的に参加することは、たとえ結果的に武力の行使を含むものであってもむしろ憲法の理念に合致する」とした政治姿勢であった。これなら「大連立」出来ると評価されたのであろう。「世界」12月号では、この小沢論文に石破防衛大臣が現行憲法に反するとして反論するという攻守逆転現象が生じている。もちろんその他にも、防衛疑惑やアメリカ側からのさまざまなリーク説などが流されている。
 しかし、たとえそうであったとしても、問題の基本は、小沢氏が、自らこれまで何度となく強調してきた「総選挙による政権交代」を放棄し、「自民党との大連立」の方向に擦り寄ったことは、公約違反であり、有権者に対する背信行為であったということである。七月の参院選で示された民意は、衆院においても徹底的に自民党を追及、孤立させ、解散総選挙に追い込み、野党連合の結束を強め、自民・公明連合の議席を過半数以下に激減させること、その結果として「政権交代」を勝ち取ること、自民党政治に幕を下ろさせることこそが、民主党の果たすべき役割であり、党代表の最大の責務であった。「政権交代」が公約であって、「大連立参加」は公約ではなかった。有権者は「政権交代」、「生活第一」という公約を支持したのであって、小沢氏個人を支持したのではなかった。それが、総選挙近しといわれる現下の状況の下で、窮地の自民党に手を差し伸べ、大連立構想に乗せられ、もっとも安易な政策協議の道に踏み出そうとしたことは、有権者に対する裏切りであり、その責任は重く、有権者の政治不信と失望が一挙に拡大したことは間違いがないし、その悪影響は計り知れないほど重大であり、深刻でさえある。メディアの策謀だけが先行し、政治不信が拡大され、結果として福田政権がほくそえんでいる構図である。
 民主党の役員会がこの大連立構想を拒否したことは当然のことであり、このような策謀に加担した小沢氏が党代表を辞任することも当然であったといえよう。
 ところが問題は、この大連立構想に乗せられた経過、内容、党首会談の一切合切が、民主党の側からは、今に至っても一切公表も説明さえもなされず、それに対する民主党の態度が一向に明らかになっていないし、むしろあいまいでさえある。

<<「慰留」大合唱>>
 その象徴が、民主党全体を覆いつくしたかのような「小沢さん、やめないで」コール、「慰留」大合唱であった。小沢代表は記者会見で辞意に至った理由を「不徳のいたすことから党に迷惑をかけた。そういう思いが強くて、気力を張りつめていたものが途切れたというか、ぷっつんした。そのため、これ以上、表に立っていれば党に迷惑をかけ、国民に迷惑をかける。けじめをつけなきゃと心がいっぱいになった。」と述べている。民主党はこれをそのまま受け止め、了承すべきであった。「ぷっつん」体質は、本人が吐露しているように気力を張り詰めていればこれからも起こりうる「不徳のいたす」ところである。その意味では危険極まりない。即刻代表選を実施し、速やかに後継者を決定し、負の遺産を最小限で食い止め、再生民主党のスタートを切り開くべきであったし、出来たはずである。200人以上の衆参議員を抱えていれば、これまでの党首とは異なったすぐれた人材もいるはずであるし、発掘すべきであろう。ところが出てきたのは小沢氏にすがりつく「辞めないで」コールであった。鳩山幹事長や菅副代表など民主党幹部のうろたえぶりも、実に情けない姿であった。そして小沢代表自身が、当選回数別の民主党議員の会合で慰留工作が拡大することを期待し、それを待ってから態度を決めるかのような態度を取り、ホテルの一室でその報告を聞くという横柄さである。
 その結果として、小沢氏は「恥をさらすようだがもう一度頑張りたい」と辞意を撤回した。ところが小沢氏はこの11/7の辞意撤回の記者会見で、「私の無精や口べたで誤解があるなら反省し、わかりやすく丁寧にいろんな場面に応じていきたい。」と語りはしたが、党内で議論さえ行わずに大連立構想に加担したことへの反省の弁は、遂に語らずじまいである。政策協議についても、「政治は国民のためにいいことをやるというのが、最終目標。年金でも農業でも、基本的な考えは全く違うが、我々の主張が一つでも実行できるなら、それもひとつの方法ではないか。政策協議をするというのはいいんじゃないか、ということを役員会に諮ったら反対だったので、やめた。」と語っている。こうも態度をコロコロ変え、ゴタゴタとお騒がせを得意芸とするような党首を担いでいては、民主党内はもちろん、他の野党にとってもどこまで信用できるのか疑心暗鬼をかえって拡大し、信頼回復などできようはずがないし、有権者はそれ以上に厳しい目で民主党を評価するであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.360 2007年11月17日

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【投稿】原油高騰と「ピークオイル論」

【投稿】原油高騰と「ピークオイル論」
                            福井 杉本達也

1.原油の最高値更新
 11月7日午前のニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)で原油先物相場は上昇。WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)で期近の12月物は一時1バレル98.62ドルを付け過去最高値を更新した。国内でも11月には原油高のコストを転嫁するため、ガソリンの給油所店頭価格はレギュラーガソリンで全国平均は1リットル149.9円と150円に迫った。
IEAは11月7日に「2007年版・世界エネルギー見通し」を発表したが、世界のエネルギー需要は2030年までに5割超増える一方、原油価格は30年には150ドルを上回ると予測している。いったい、原油価格に何が起こっているのか。

2.世界の石油の埋蔵量
 BP統計によると(以下、『BPエネルギー統計レポート』吉田高行)、2006年末の世界の石油確認可採埋蔵量は1 兆2,082 億バレルであり、可採年数は40.5 年である。埋蔵量を国別に見ると、サウジアラビアの2,643 億バレルであり、全体の22%を占めている。第2位はイラン(1,375 億バレル、11.4%)、第3位イラク(1,150 億バレル、9.5%)と続き、以下クウェート、UAE、ベネズエラ、ロシア、リビア、カザフスタン、ナイジェリアの各国が挙げられる。これら10 カ国の世界シェアの合計は82.3%に達する。

3.石油生産量
 2006 年の世界の石油生産量は日量8,166 万バレルであった。これを地域別でみると中東が2,559 万バレルと最も多く全体の31%を占めている。欧州・ユーラシア1,756 万バレル(22%)、北米1,370 万バレル(17%)、アフリカ999 万バレル(12%)、である。埋蔵量と生産量を比較して、将来の石油生産を維持又は拡大できるポテンシャルを持っているのは中東のみである。国別にでは、最大の石油生産国はサウジアラビアであり、生産量は1,086万バレルであった。第2位はロシア(977 万バレル)であり、両国で全世界の4分の1(25%)の石油を生産している。この後には米国(687 万バレル)、イラン(434 万バレル)、中国(368 万バレル)が続いている。5 位以下、メキシコ、カナダ、UAE、ベネズエラ、ノルウェーである。

4.中国などの新興国の消費増大
 2006年の世界の石油消費量は日量8,372 万バレルであった。北米が2,478 万バレルと最も多く全体の30%を占めている。このうち米国は2,059 万バレルで世界全体の25%の石油を消費している。次に多いのがアジア・大洋州の2,459万バレル(29%)であり、このうち、中国が745 万バレル(9%)、日本が516 万バレル(6%)、インドが258 万バレルとなっている。欧州・ユーラシア2,048 万バレル(24%)であり、このうち、ロシアが274 万バレル、ドイツ262 万バレルであり、これら3地域で世界の石油の8 割以上を消費している。
 特に最近消費量が急拡大しているのが中国であるが、李志東氏の計算によると、中国が今後も7%台の経済成長を続けると、「石油輸入量は2010年代前半に日本を超え、2030年に日本の約3倍となる。」これほど膨大な石油が確保できるかどうか問題であるが、中国はこの間、エネルギー安全保障対策として、①石油と天然ガスの国内開発を促進、②石油と天然ガスの輸入先を多元化、③海外資源の確保による開発輸入の促進、④輸送インフラを整備(『世界』2005.2)等の対策を行い、一定程度の成果を上げてきた。しかし、こうした資源外交の展開は、スーダン=ダルフール、イラン、ナイジェリア、ベネズエラ、エチオピアやマラッカを迂回するミャンマーでのパイプライン計画、石油中継基地としてのパキスタン・グアダールなど世界各地で様々な摩擦を引き起こしている。

5.ベネズエラの台頭
 1960年に設立されたOPECは、メジャーに握られていた石油価格の支配権を産油国に取り戻すことが主眼であった。 しかし80年代後半から90年代にかけて逆に石油価格は長期にわたり10ドル(バレル当り)台に低迷し、OPECのシェアは55%から43%に低下し、この間、OPECだけで価格操作ができる状況にはなくなった。それに替わって台頭しているのが、ベネズエラである。ベネズエラのチャベス大統領はこのOPECの政治的インパクトの再復活を狙っている。米国に対抗するために、アンゴラ、スーダン、エクアドル、ボリビア4カ国をOPECに加えようとしている。
 2002年4~12月、チャペス政権は米石油資本によるクーデターの危機に直面したが、国内貧困層の支持を集め、逆に2007年5月にシェブロンなどが権益を持っていたオリノコ油田を国有化してしまった。おかげで、空前の原油高騰にもかかわらず、エクソンモービルやコノコフィリップスの今年9月期決算は減益となった(日経:11.2)。ベネズエラの危機直前の2002年1月には17~18ドル/バレルであった原油価格は、クーデター危機時には32ドルまで一気に高騰した。

6.ロシアによる資源の囲い込み
 ソ連は1980年代に石油生産のピークを打った後、91年12月のソ連の崩壊で、石油産業もその影響をまともに受けた。2000年以降、石油大国ロシアとして復活をみせるが、ユーコスのミハイル.ホドルコフスキー社長などのオリガルヒが、石油産業を支配するようになる。03年6月に、このような新興財閥に対し、プーチン政権は、全面対決へ踏み切る。10月にユーコスのホドルコフスキー社長を逮捕したのを皮切りに、欧米石油資本と一体化したオルガリヒを一掃する。04年にはユーコスを解体し、直近では、サハリンでもロシア政府は外資に開発権益の譲渡を迫るなど資源開発の国家管理が進んでいる。
 また、天然ガスについても、ロシアは埋蔵量、生産量、輸出量いずれも世界1 位である。ロシアの天然ガスは、年産6,400億立方メートルで、石油とガスを合わせるとロシアは世界長大のエネルギー生産国である。現在世界の天然ガス輸出の75%はパイプラインであり、残り25%がLNG である。これらのロシアから欧州へのパイプラインはウクライナやバルト三国などでの紛争の種となっているが、欧州へは、ウクライナを迂回してバルト海底からドイツに直接入る「北ヨーロッパ・ガス・パイプライン」を建設して更に供給を増やす計画だ。一方、中国に対しても、西シベリアからカザフスタン・モンゴル間の狭隘な中露国境を串刺しにして新産ウイグル自治区の「西気東輸」パイプラインと接続して上海に至る「アルタイ・ガス.パイプライン」を建設中で、稼働開始は2011年を目指している。ロシアはユーラシア大陸の西と東とに市場を確保し、双方を競わせるしたたかな戦略をとっている(本村真澄『エコノミスト』2006.7.16)。

7.いわゆる「ピークオイル論」
 「ピークオイル論」とは、石油消費量の増加ペースが油田開発による新規埋蔵量の追加と生産量増加のペースを上回る状況を危惧したものである。
確認可採埋蔵量の増加は拡大期と停滞期を繰り返している。BP統計の1980年~2005年までの25年間の埋蔵量の変化を見ると、80~89年までは埋蔵量が急拡大し、90~95年は停滞、その後2002年まで増加を続けた後、2003年以降は停滞している。03年以降に埋蔵量の増加が停滞しているのは、90年代に石油価格が低迷し十分な投資がなされなかったことが最大の要因であるとされているが、確認埋蔵量増加の主要部分を占めている中東については増加要因がはっきりしない。中東の2000年の増加量162億バレル及び2002年の336億バレルは、それぞれカタールとイランによるものであるが、これは新規油田の発見ではなく、既存油田の可採埋蔵量を見直したものであり、その技術的根拠が極めて曖昧である。中東産油国ではこのような埋蔵量の大幅な上方修正は過去にも幾度か見られる(例えば、サウジアラビアは1988年に1,700億バレルから2,600億バレルに見直している。『ピークオイル論を検証する』吉田高行)。
 マシュー・R・シモンズの『サウジ石油の真実』によると、世界最大の確認埋蔵量を誇り、今後とも世界の原油生産の主軸を担うとされるサウジアラビアは、その生産量を世界最大のガワール油田など少数の老朽化した巨大油田に頼っている。これらの油田の「生産能力が実は既に地質学的な限界に達しており、一方新規の巨大油田の発見と開発は滞っていて、将来発見される可能性も殆ど無いので、同国の原油生産は今がピークであり、後はどんどん生産能力の減退が進むはずである」と指摘している。サウジは正確な地質・技術的詳細データを公表せず世界を欺いているのではないかというのがシモンズの主張である。これまでの「ピークオイル論」が世界的な統計をベースとしたマクロ分析だったのに対し、本書は個別油田の地質・技術的データによるミクロ分析からの評価だけにその衝撃は大きい。
 今年2月、ロシアのプーチン大統領がサウジ・カタールを初訪問した。カタールのLNG 輸出は近年急激に伸びており、昨年インドネシアを抜いて世界1 位となった。西側諸国は「ガス版OPEC」ではないかと危機を煽り立てたが、狙いは天然ガスのパイプラインやLNGによる輸送手段等の開発をすすめることにあるのではないだろうか。世界の天然ガスはロシアと中東という二つの地域に極端に偏在しているが、いずれにしても、サウジも石油から天然ガスへのシフトが始まっていることに注意すべきである。
 この間、日本はイラン・アザデガン油田からの撤退、中国との東シナ海大陸棚油田調査での対立、ロシアとのパイプライン交渉の失敗・サハリン1・2でのロシア権益の拡大など、石油・天然ガスなど資源確保に積極さは全く見られない。「不安定の弧」(麻生太郎)などと大上段に構える、海自によるインド洋での給油活動をめぐる議論だけが空回りしている。むしろ、焦点化することによって、今日、世界で進みつつある現実から目をそらし、欧米メジャーによる日本エネルギー支配構造の隠蔽をしようとしているのではなかろうか。8月5日付けの日経は、「ベネズエラから日本に原油出荷・三井物産など」という目立たない見出しで、国際協力銀行の支援を受けた200万バレルの「融資買油」契約の記事を載せているが、こうした取り組みこそ必要とされる。

 【出典】 アサート No.360 2007年11月17日

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【書評】『茶色の朝』

【書評】『茶色の朝』
        (F・パヴロフ・物語、V・ギャロ・絵、高橋哲哉・メッセージ、
             藤本一勇・訳、大月書店、2003年12月、1,000円+税)
 
 一読したところ、特に冒険があるのでも、感動的なシーンがあるわけでもない短い童話である。
 物語は、「陽の光がふりそそぐビストロで脚を伸ばしながら、俺とシャルリーは、とくに何を話すというわけでもなく・・・」座っている場面から始まる。
 二人が話しているのは、日常生活のとりとめもないこと。しかし、「俺」は、シャルリーが犬を安楽死させねばならなかったことに引っかかる。
 「わかるだろう、/あの犬を茶色だって言い張るには無理があったんだ」
 「たしかに、あんまりラブラドールの色じゃないよな。
  けど、何の病気だったんだ?」
 「病気のせいじゃない。茶色の犬じゃなかった、ただそれだけさ」
 「何だって?猫といっしょになっちまったてことか?」
 「ああ、同じだ」
 ここで、この物語の背景が明らかとなる。この国では都会に猫が増えすぎたため問題が起こり、その対策として、「科学的」研究を踏まえて「ペット特別措置法」で、もっとも繁殖率の低い「茶色」の猫のみ飼うことが許されることになったのである。このため「街の自警団の連中が毒入り団子を無料で配布していた。えさに混ぜられ、あっという間に猫たちは処理された」。
 そしてこのとき「俺」は、猫を処分していた。
 これについて「俺」は、「そのときは胸が痛んだが、/人間ってやつは『のどもと過ぎれば熱さを忘れる』ものだ」と思う。
 しかし今その対象が、猫から犬にまで広げられ、その後、この法律を批判し続けてきた新聞『街の日常』が廃刊に追い込まれる。
「それから、図書館の本の番だった。/これまた、あんまりすっきりした話じゃない。/『街の日常』の系列出版社がつぎつぎと裁判にかけられ、/そこの書籍は全部、図書館や本屋の棚から/強制撤去を命じられた」。
 そして会話でも、自主規制が始まる。
 「だれに会話を聞かれているかわかったもんじゃない。/用心のために、言葉や単語に茶色をつけくわえるのが習慣となってしまっていた」。
 しかしこのことにも、馴染んでしまった。
 「最初は、『茶色のパスティスを1杯』なんて/ばかみたいだったが、結局は、言葉なんて慣れの問題で、/仲間うちで何かにつけて『くそ野郎!』と言うのとおなじように、/茶色に染まることにも違和感を感じなくなっていた」。
 そしてある日には、「俺」が新しく茶色の瞳と茶色の毛並みの雄猫を飼い、シャルリーが新たに茶色の犬を飼い始めたことがわかり、「俺たちは笑いころげた」。これはすごく快適で安心な時間だった。
  「まるで、街の流れに逆らわないでいさえすれば/安心が得られて、面倒にまきこまれることもなく、/生活も簡単になるかのようだった。/茶色に守られた安心、それも悪くない」。
 「茶色の安全」「茶色の安心」の中での生活、「俺」の気持ちは、ここまで来てしまう。
しかしこの「安全」「安心」の生活は、突然崩壊する。シャルリーが、自警団によってアパートから連れ去られたのだ。人々のひそひそ話で、その理由がわかったのだ。
「だけどやつの犬はほんものの茶色だったぜ」
「ああ、だけどあいつらが言うには、/前は、茶じゃなく黒の犬を飼っていたからっ
てことらしいぞ。黒をな」
「前は、だって?」
「そう、前はだ。/いまじゃあ、前に茶色じゃないのを飼っていたことも/犯罪なんだとさ。/そんなこと簡単にばれちまう。近所に聞けばいいんだからな」
「俺」はやっと気がつく。
 「茶色党のやつらが/最初のペット特別措置法を課してきやがったときから、/警戒すべきだったんだ」
  「いやだと言うべきだったんだ。/抵抗するべきだったんだ」。
 しかし「俺」は、まだ言い訳を探し続ける。
 「でもどうやって?/政府の動きはすばやかったし、/俺には仕事があるし/毎日やらなきゃならないこまごましたことも多い。/他の人たちだって、/ごたごたはごめんだから、/おとなしくしているんじゃないか?」
 そして朝、「俺」の家。
「だれかがドアをたたいている。こんな朝早くなんて初めてだ/・・・/陽はまだ昇っていない。/外は茶色。/そんなに強くたたくのはやめてくれ。/いま行くから」。

 このすべてが「茶色だけ」になってしまう物語が、本書である。出版されたフランスにおいて、「茶色」はナチスを連想させ、そこからさらに、全体主義、「極右」を連想させる色となっている。
「茶色」の状況に囲まれた、「俺」とシャルリーは、極力「事を荒立てぬよう」行動し、「茶色に守られた安心」を得る。しかしその後の展開は、・・・というところで物語は終わる。
 本書から、どのような教訓を汲み取るべきかについては、読者の視点に任せる以外にないが、本書の後半に、高橋哲哉による「やり過ごさないこと、考えつづけること」と題するメッセージを一つの手がかりとして読まれたい。
 本書に出てくる「俺」とシャルリーのような人々は、わが国にも、いたるところに存在している。かつて詩人・高良留美子は、次のような詩を書いた。

「 大きな手
大きな手が耳をそぎにくるとき/ほんとうは少しほっとするひとがいる
大きな手が鼻をそぎにくるとき/ほんとうは少しほっとするひとがいる
大きな手が首を絞めにくるとき/ほんとうは少しほっとするひとがいる
大きな手の手先になるとき/はじめてほんとうにほっとするひとがいる」

 憲法改定が日程に上っている現代のわが国で、本書は、権力に対する個人の姿勢を問う重要な課題を提起している。そして本書が、2002年の大統領選挙でシラク大統領と一騎打ちとなった、極右政党・国民戦線のルペン候補に対する大きな批判の力となったことも想起するべきであろう。(R)

 【出典】 アサート No.360 2007年11月17日

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【本の紹介】「素描・1960年代」(川上徹・大窪一志 同時代社 2007-03)

【本の紹介】「素描・1960年代」(川上徹・大窪一志 同時代社 2007-03)

 9年前、本紙上で書籍『査問』を紹介した。1972年日本共産党が民青同盟本部役員・県委員長などを「新日和見主義」として断罪し、数百人を処分した事件の当事者川上徹さんの著書であった。川上さんは、1991年に離党して、査問以後の経過を書かれたのである。 今年の7月、川上さんは『査問』が後編とすれば、前編にあたる「事件」に至る経過を中心に振り返る内容の著書を大窪一志氏と共著で出版された。それが『素描・1960年代』である。
 一読して、本書は60年代から70年代の青年学生運動の担い手になる「時代記」として、また、それを通じての運動総括への問題提起の書として、私は特別の書ではないかと感じた。一つには、立場は共産党・民青系であっても、60年代の時代精神である「革命への確信」を持つ世代が、60年代後半の「学園紛争期」を経て、その「自由の精神」故に弾圧されていく経過が綴られていることである。
 1964年の「民青全学連」再建後、新左翼、構革派などとの「競争」時代に入り、川上さんによれば、学生運動分野は、党勢拡大運動を除けば、学生対策部を中心に、党中央からの介入は少なかった。学生部分と民青の中では、自由な空気があったと言う。しかし、東大闘争の突然の党中央主導の方針変更に続いて、共産党の議席増など躍進が進む中、70年を前後して党中央は議会至上主義にのめり込み、党員に対して「教養を身に付けろ」、「服装は清潔に」など、選挙の票を減らさないために腐心し、「革命代行主義」を強めた。民青運動にも党に従属させるよう介入を行う。民主連合政府路線などの「議会主義」の跋扈に、川上氏らは違和感を感じていく。そしてこれに抗して、民青本部、県委員長を中心に大衆運動に軸足を置いた反論が組織されていくことになる。この動きを弾圧したものが「新日和見主義事件」であった。本書の中で川上氏は前回の『査問』では語られなかった「分派活動」の詳細についても触れておられる。
 二つには、60年代後半からの学生運動の「急進化」について、否定的・敵対的な対応ではなく、「ノンセクト・ラジカル」的な多数の学生をどう理解し、獲得しようとしたのか、という問題意識について語られて、60年代後半の青年学生運動全般の総括について貴重な問題提起が行われている事である。
 全共闘VS民青という構図が一般的には理解されている。バリケード派と反バリケード派とでも言おうか。大窪氏が関わった、1968年の医学部と文学部で学生処分に端を発した東大闘争では、すべての党派を巻き込んで「全学行動委員会」が結成され、機動隊の導入に対しても全学ストが闘われた。東大民青の左バネが自由に放たれたという。少なくとも、1968年11月の文学部長カンヅメ団交と党中央による介入までは。
 川上さんは述べている。「だが、運動は動いている。<敵>とわれわれだけが広い野原で対決しているのではない。そこには大衆が存在しているのであり、対決の帰趨を決定するのはその大衆をどちらが獲得するかなのだ。そこに大衆がいる限り、僕らは出かけていかなければならない。ましてや自主的で大衆的な<かたまり>が現にそこにあるとき、その中にひとりやふたりの(敵)が紛れ込んでいたところで、どうしてその<かたまり>全体を(敵)扱いできよう。そこから逃亡することなどもってのほかではないか。
 「トロ」とその影響下の学生(ノンセクトラジカル〉を区別せよ。後者をわれわれの陣営に引きつけよ。そのためには彼らの声を開け。よーく聞いて彼らと行動方針を一緒に決めよう!。こうした考え方に、一部からは「それは危険な考えだ」という声もあった。急進化した学生たちの声を聞いているうちにそっちに引きずられるから、というのがその理由だった。実際、新日和見主義事件のあと、共産党は一連のキャンペーンの中で、「この人たち」(僕らのことを指して)は、結局のところ「トロツキストたちの思想的影響」を深く受けることになったのだ、と。」
 大窪氏は1966年に東大入学。川上さんとは6つ年下だ。彼によると、1967年入学の学生の雰囲気は明らかに変化していたという。それまでの学生運動参加者の特質でもある「倫理意識」は薄らぎ、ベトナム戦争に加担する日本に不満を感じ、贖罪意識と行き場のない不満を根底にもつ世代。彼らは、戦後生まれであり、高度成長期に少年少女時代を過ごした、後付すれば「団塊の世代」であった。
 「そして、ヴェトナム戦争を考えることを契機にしてかきたてられた世界に対する罪責意識が、ヴェトナム戦争に実質的に荷担しながら、それに頬かぶりして平和を唱え経済成長を追い求める日本社会の集団エゴイズムに対する反撥を呼び起こしたのだ。僕は、この点こそが六〇年代後半の学生運動のエートスの原点だったと思う。「ヴェトナム」こそが僕らをそうした原点に立たせたのだ。」
 さらに、自己否定にまで行き着いた全共闘は「安田講堂決戦」のように、行動それ自体が目的となり、一方に武装路線の赤軍派の自己破産、一方に「企業戦士」として、運動それ自体から「身を引く」一般学生という2極を生み出していった。
 三つには、「新日和見主義」で処分された部分は、実は立場は違え、大衆運動の先頭に立ち、現場から運動を創ってきた部分であり、これらを切り捨てた共産党に残ったのは、議席増のための赤旗拡大、中央に従うだけの「優良党員」だけとなった。民青も67年には、20万人を組織したというが、「新日和見主義事件」の後は、停滞の坂を下ることになった。
 東大闘争の方針転換を、党中央直轄の部隊を投入して乗り切った宮本共産党だったが、それは組織内で「党不信」の種を蒔く事になった。72年の「弾圧」まで、彼らがどのように考え、行動したのか、『査問』の前史が語られているのである。
 「ところが、これからいよいよ正念場という11月に大転換がやってきた。まさに『やってきた』のである。
 11月初め、文学部秘密教授会を察知した文学部の日共=民青系学生が会場に乱入、教授会に対して追及を始めた。これに革マル系学生が便乗、「無期限カンヅメ団交」が始まった。マスコミはこれを非人道的なつるしあげあるいは「人質」作戦であるかのように書き立てたが、実態はそんなものではなかった。・・・・
 そんな団交が数日つづく中、突然、文学部の共産党員に、有無をいわせぬ「撤退命令」が伝えられ、翌朝の『赤旗』に党中央青年学生対策部副部長・土屋善夫名の「声明」が出て、僕らにはなんの事前連絡もなしに、東大闘争のありかたを非難し、方針転換を示唆した。
 なんなんだ、これは!?といっているうちに、11月16日、いきなり、「東大民主化行動委員会」なる聞いたこともない団体から活版刷りのビラが出た。・・・・いったい、いつ、どこで、こんな政策と組織が論議され、決定されたんだ!?東大闘争勝利行動委員会は、解散させられた。東大闘争の初期から東大に常駐して指導をしてきた共産党都委員会青学対部Kさんが解任された。」
 一方、民青本部にいた川上さんは、宮本指導による方針転換を学生にオルグする立場で動くことになる。本書では、党本部において宮本が主導する方針転換を党ぐるみで強要する過程が詳細に記されている。
 69年から70年にかけて、全学連再建当時の三役全員など10名程の研究グループが秘密裡に動き出した。そして、71年12月共産党は六中総を開催し「民青同盟に対する指導と援助について」という決議を採択する。共産党に従属する民青となるよう指導を強化する内容だった。しかし、川上さんらには「・・・六〇年代末から七〇年代初頭に至る青年学生連動の経験総括は、ここにはまるで反映されてはいなかった。代わりに「学習」「教養」「文化・スポーツ」が青年同盟に相応しい活動として奨励されていた。共産党版の「期待される民青像」がここに凝縮されていた。」と感じたという。
 さらに、民青の年齢資格を25歳とし、幹部も30歳以下とするという「年齢条項」は、内部提案として含まれていた、「『六中総決議』は民青活動家とくに都道府県委員長をはじめとする機関幹部には衝撃をもって受けとめられた。その多くが三〇歳以上だったからだ。」
 延期された民青大会での「六中総決議」の方針化の過程で、先の研究グループの輪は極秘の内に民青会館常駐者、県委員長などに広げられる。
 そして、72年5月、民青大会を前にした、運動方針と年齢条項論議において、川上さんらは党中央の方針に反対を組織し、決定すらできない情況を生みだすことになる。この直後、『査問』の網が打たれることになった。
 川上さんによれば、「シンヒヨ」は、秘密グループである必要はなかった。民青三役を除いた中央常駐者、各県委員長など総体が、党方針に反対で結集したのだという。それにより、幹部としての立場を失う確実な予感はあったが、党革新のためならば、「捨石」となる覚悟があったようだ。四半世紀におよぶ沈黙も頷けるのである。

 読み終えて見て共感を覚える記述が多い。60年代民青と新左翼・構革派との分岐が鮮明になって以降、党の直接指導は低下し、運動指導では、大衆的青年同盟としての「一定の独自性」が保たれ、運動は飛躍的に伸びた。しかし、それが党の許容を超えた時、弾圧が開始された。それが「新日和見主義事件」の本質だった。60年代の青年学生運動を語るに際して、貴重な書と言えるだろう。(佐野秀夫)

追記:本書の訳注には、民学同40年を考えるHPの中で紹介している「青年学生運動革新会議」の文書も、URL(P408)で紹介されている。

 【出典】 アサート No.360 2007年11月17日

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【投稿】テロ特措法問題と民主党

【投稿】テロ特措法問題と民主党

<<「クリンチ内閣」>>
 安倍政権の前代未聞ともいえる政権放り出しを冷ややか、かつほくそえみながら眺めていた福田康夫氏のとりあえずの急造・ありあわせ内閣がドタバタ騒ぎの中で登場した。この内閣は、「ダラダラ小泉路線継続内閣」、あるいは「クリンチ内閣」、はたまた「安倍康夫内閣」、「ヤケッパチの開き直り内閣」などと形容されているが、いずれもその本質の一端を浮かび上がらせているといえよう。ほころびや格差の拡大に言及しながらも、そうした事態をもたらした弱肉強食の市場原理主義を推し進める「改革の継続」にあくまでもこだわり、「戦後レジームからの脱却」路線は表面上は引っ込めたものの、その路線に邁進してきた閣僚をほとんどそのまま引き継ぎ、「こちらはひたすら低姿勢。理解をたまわること」などといって、ただただ野党に抱きつき、自らの弱さをカバーし、クリンチして体力消耗を防ぎ、相手の弱みを引き出そうとする、政権交代回避を最大の目的とした過渡期の内閣といえよう。これまでさんざん数の横暴で最低限の民主主義的な議論さえ無視して、無謀な強行採決を繰り返してきた与党連合が、参院で過半数を失うや、とってつけたように「話し合い」、「協議」などとその「低姿勢」ぶりを強調しているが、それはそうせざるをえないところまで追い詰められた彼らの不本意のやむを得ざる選択以外の何のものでもない。
 さらに福田首相自身が相当に悪質なのは、自身の政治団体で領収書の改ざんが見つかり、それが少なくとも100枚以上に達することが分かった際に、「枚数はね。ずいぶんありますよ。毎年そうやって、誰からも文句を言われなかった。改ざんではなく正しく直したということ」と平然として居直り、あとはムニャムニャと論旨不明の言葉を発して逃げる、その手法である。自身の政治団体への公共事業受注企業からの違法献金問題でも同様である。これでは政治資金問題について、その領収書の公開基準などについて論じる資格などそもそも持ち合わせていないことを自ら暴露したようなものである。一政治家としてのみならず一国の首相として、政治資金の使途について問われている問題の本質をまるで理解もしていず、危機感すら持っていないという鈍感さの、その程度の低さである。施政方針演説に対する答弁でもこの手法で、都合の悪いことはすべてはぐらかし、論旨不明のムニャムニャ、つかみどころのない答弁で逃げ切る、一方で「低姿勢」「話し合い」といいながら、これでは何の本質的な協議や話し合いも進まないの当然といえよう。福田内閣の悪質さは、それらの責任をすべて野党側に押し付けようとしていることである。

<<世論調査の逆転>>
 それでも世論の動向は、メディアの誘導とも符合して一種浮付いたものでもある。読売新聞10/10付けの世論調査では、福田内閣の支持率は59.1%と、不支持率26.7%を大きく上回り、1978年発足の大平正芳内閣以降の発足直後の支持率調査では「4番目の高さ」だという。それは焦眉の争点となっているインド洋での海上自衛隊の給油活動継続の賛否についても現れており、給油活動継続について「賛成」49%、「反対」37%と、安倍辞任直前の9月8、9日に行った同紙の世論調査では、「賛成」29%、「反対」39%であったのが、完全に賛否逆転しているのである。
 こうした事態に気を良くしたのか、自民党内では年内解散説が飛び交い、テロ特措法で混乱直後の11月16日解散、12月4日公示、16日選挙という具体的日程まで取りざたされているという。
 問題は野党の、とりわけ民主党の対応である。
 当初民主党の小沢代表は、「アフガニスタンの戦争はブッシュ米大統領が『米国の戦争だ』と言って、国際社会の合意なしに米国独自で始めた。日本の直接の平和、安全と関係ない区域に米国や他の国と部隊を派遣して、共同の作戦をすることはできない」「米国を中心とした作戦は直接、国連安保理で認められていないという認識だ」(8/8、シーファー駐日米大使との会談での発言)としてテロ特措法延長に反対する態度を表明していた。ここまでは「国際社会の合意」、国連決議がない以上、テロ特措法延長には賛成できないという態度であった。
 ところが、10月2日の記者会見ではさらに進んで「基本的に(給油は)憲法上許されないという考え方だ」「憲法上許されないという原則については、協議のしようがない」と語り、テロ特措法延長には妥協しないし、与党との協議もしようがないという考えを明らかにした。これは国連決議があろうがなかろうが、テロ特措法による海上給油は、給油活動を通じて米国の戦争に協力するものであり、それは憲法9条に違反するものであり、許されない、という態度を表明したものである。反対の論拠が以前よりもさらに本質的なところで組み立て直されたと見るべきであろう。当然のことではあるが民主党の党内情勢からすれば、大いなる前進であろう。いつまでこれを堅持できるかは疑問でもあるが、政府与党にとってはこれは衝撃であり、町村官房長官は、「(憲法違反などという小沢発言は)まったく理解できない」と気色ばむ事態となった。

<<攻守逆転>>
 ところがその後の事態は、疑問が危惧となって現れることとなった。
 小沢氏は、月刊誌「世界」(岩波書店)11月号で、「米国は自分自身の孤立主義と過度の自負心が常に、国連はじめ国際社会の調和を乱していることに気づいていない」と指摘し、インド洋上での給油活動については「国連活動でもない米軍等の活動に対する後方支援」であり、「(憲法が禁じる)集団的自衛権の行使をほぼ無制限に認めない限り、日本が支援できるはずがない」とテロ特措法反対の姿勢を改めて明らかにしているが、その一方で、国際社会への日本の対応について「平和維持への責任をシェアする覚悟が必要」と強調し、「国連の活動に積極的に参加することは、たとえ結果的に武力の行使を含むものであってもむしろ憲法の理念に合致する」とし、「私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAF(国際治安支援部隊)への参加を実現したい」と述べている。
 これでは明らかな武力行使容認論である。小沢氏は同誌論文の最後で、「貧困を克服し、生活を安定させることがテロとの戦いの最も有効な方法だ。銃剣をもって人を治めることはできない。それが歴史の教訓であり、戦争の果てにたどり着いた人類の知恵だ」と述べてはいるが、武力行使容認論と明らかに矛盾するものである。
 政府・与党は早速この問題を取り上げ、高村外相は10/7の民放テレビ番組で、民主党の小沢代表が国連決議に基づくアフガニスタンの国際治安支援部隊(ISAF)への自衛隊参加は可能との見解を示していることについて「陸上でのアフガニスタンはすべて戦闘地域みたいなもの。憲法解釈上難しいのではないか」と指摘し、さらに石破防衛相も「国連が決めたら突如として日本の主権が消えて憲法9条に反しないという理論が本当に党内で賛同されているのか」と批判し始めた。 まさに憲法9条をめぐる攻守逆転である。
 テロ特措法をめぐるこのような政治的対決の時期に、まったく矛盾した不用意な論理を展開することは民主党にとって何の利益ももたらないばかりか、混乱をしかもたらさないであろう。憲法第9条はそもそも、「国権の発動たる戦争」だけでなく、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と明確に規定しているのである。そして憲法9条の輝きはここにこそあるといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.359 2007年10月20日

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【投稿】朝鮮半島和平の行方  

【投稿】朝鮮半島和平の行方  

<激変した朝鮮半島情勢>
 10月2日~4日、平壌で開かれた第2回南北首脳会談は、韓国の盧武鉉大統領と北朝鮮の金正日総書記が、会談の成果を盛り込んだ共同宣言=「南北関係発展と平和繁栄に向けた宣言」に署名し終了した。
 宣言では両国が経済、政治分野などで両国間の往来、交流を推進するとともに朝鮮半島の非核化、休戦状態にある朝鮮戦争を終結させ、恒久的和平の実現に向け、全力を傾注することが明らかにされている。
 今回の首脳会談は、今年2月の核問題に関する6カ国協議での合意以降、米朝協議の進展から、安倍政権の崩壊へと劇的に変化した情勢のなかで開催された。日米はこれまで朝鮮半島における民族主導の和平に対して、干渉をして来たが、政策転換と政権交代により韓国、北朝鮮はほぼフリーハンドで会談に臨むこととなった。
 朝鮮戦争から冷戦時代においては、米ソのくびきのなかで翻弄されつつ、時にはそれを自らの独裁政権の正当化に利用してきた、南北両国であるが、冷戦崩壊後、民主化を達成した韓国と、金日成亡き後の北朝鮮は、新たな環境のもとでの存立を模索してきたといえる。
 それが2000年の第1回首脳会談として、具現化したものの、翌年の9,11テロによるブッシュ政権の対テロ戦争=「悪の枢軸」発言=イラク侵攻という緊張激化策のもと、和平進展は停滞した。
 さらに、北朝鮮の核武装計画の推進、とりわけ昨年10月の「核実験」により緊張は高まったが、今年に入っての急激な局面変化により首脳会談開催の環境は再び整ったのである。
 ただ、首脳会談の切望度については、大統領選挙を控える盧大統領側がより大きく、本来なら金総書記がソウルを訪問するのが筋であるにもかかわらず、訪朝するなど、大幅な譲歩をしたのは事実である。

<朝鮮戦争終結、非核化へ>
 共同宣言では、朝鮮戦争について「南北は現在の休戦状態を終結させ、恒久的和平を構築するという共通認識」のもと、終結宣言に向け「3~4か国による会合を開催」すると述べている。
 これに関し、中国政府は劉建超外務相報道局長が記者会見で「中国は停戦協定の重要な締結国である。朝鮮半島、北東アジア地域の平和メカニズムの問題で、重要で建設的な役割を果たす」とのべ、積極的な姿勢を示している。
 アメリカとしても、先にヒル国務次官補が「朝鮮戦争の休戦協定に代わる朝鮮半島の恒久的和平体制を目指す機構の創設」を提案しており、ブッシュ大統領も盧大統領との電話会談で「4カ国会談」に賛意を示したという。
また、共同宣言を踏まえ、11月には南北国防相会談も予定され、軍事境界線付近における緊張緩和、衝突防止策が具体化されていくこととなっており、朝鮮戦争は実態的にも国際法規上も終結へ向かうこととなる。
 こうした動きと連動し、6カ国協議の進展も加速化している。アメリカ政府はニューヨークで、北朝鮮と実務者レベルの協議を行い、金融問題やテロ支援国家の指定解除など、米朝間の問題をテーマ別に議論する分科会の設置について検討した。
一方、宋旻淳韓国外交通商部長官は10月8日、朝鮮半島終戦宣言に向けた4カ国首脳会談を、北朝鮮核施設の無能力化を前提に推進することを明らかにした。 宋長官は「非核化と平和体制は両輪の輪のように並んで進行する」との認識を示した。
こうした流れから、来年初めまでには、韓、朝、米、中の4カ国会談が実現する可能性が大きい。年内に「無能力化」が達成できれば、連続して「朝鮮戦争終結」「テロ支援国家指定解除」に進むことが考えられる
 さらに、北朝鮮の核施設「無能力化」に向け、平壌入りしたアメリカの専門家チームは、年内の「無能力化」実現のため、具体的な計画策定を進めている。

<政策転換せまられる日本政府>
 このような環境変化に日本政府は対応できていない。小泉―安倍政権下であまりに硬直した北朝鮮政策の転換は容易ではないだろう。福田政権は北朝鮮への経済制裁延長を決定した。ミャンマー軍政への制裁に関し「中国、ロシアが不参加では実効がない」と消極的なのに比べると、明らかなダブルスタンダードである。
 しかし、日本政府もいずれは軌道修正を余儀なくされるだろう。福田首相は記者団の質問に対し、在任中の訪朝―日朝首脳会談の可能性に言及した。タイミングとしては6カ国、4カ国会談の日程をにらみながら、解散総選挙への影響を考慮し進められるだろう。福田政権としては、小泉政権のように拉致被害者帰国を最大限利用したいところであろう。ところが先の首脳会談で金総書記は盧大統領に対して「拉致日本人はもういない」と言い放ったという。政府はこの発言に対し、無視を決め込んでいるが、今後「進展」があったとしても「遺品の返還」くらいが関の山ではないか。
 拉致問題を日朝交渉の機軸にする限り事態は動かないのは明白である。朝鮮半島の非核化、東アジアの緊張緩和に日本がどう関わるかが問われているのであり、国会での論議の深化、総選挙での争点化が望まれる。(大阪O)

 【出典】 アサート No.359 2007年10月20日

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【投稿】「成長を実感に」とは資本の『反革命』である

【投稿】「成長を実感に」とは資本の『反革命』である
                           福井  杉本達也

1.「生活第一」か「成長の実感」か
先の7月の参院選では民主党の掲げた「生活第一」か、自民党の掲げた「成長の実感」かが争われたが、どうも「いざなぎ景気を超える」といわれるにもかかわらず「実感のない成長」が嫌われたようである。
政府は景気の回復基調は崩れていないと強調していたが、9月10日発表した2007年4―6月期の国内総生産(GDP)改定値は物価変動の影響を除いた実質で前期比0.3%減、年率換算で1.2%減と3四半期ぶりのマイナス成長となった。改定値に反映する統計で設備投資が振るわず、8月の速報より前期比は0.4ポイント、年率では1.7ポイント下方修正された(日経:07.9.11)。この間、石油、鉄鉱石、非鉄金属、穀物など輸入原材料の価格が高くなっている。中国やインドをはじめ発展途上国の経済発展による一次産品の需要増もあるが、世界的な金余りによる投機マネーの流入が大きい。しかし、日本のGDP統計を見るかぎり、輸入品の価格が上昇しているのに、GDPのデフレータはほとんどゼロ(マイナス0.2%)である。これは輸入原材料費の高騰を日本国内のどこかで吸収しているからである。つまり、輸入原材料費の値上げの皺寄せを労働者・中小企業が被っているからである。合理化されたのは人件費と下請業者である。労働分配率は低下を続けている。また下請の中小企業は選別発注で納入価格が下落を続けている。

2.大幅に低下した労働分配率
 「法人企業統計」の2001年と2005年を比較すると、労働分配率は63.5%から60.0%へと低下している。さらに細かく見ると、資本金10億円以上の企業では、従業員給与と福利厚生費は4兆円減って、労働分配率は2001年の62.9%から実に53.8%へと大幅に低下しているのである。
経済がどん底だった1997年と比較すると、2006年度は全産業の経常利益は54兆円と倍増したが、雇用者の報酬は6%減となり、残業時間は15%も増えている(日経:07.10.1)。2006年度の「損益分岐点比率」は76.35%と前年比で1.46ポイント低下し5年連続で低下し続けている。損益分岐点が低下するというのは、売上高が伸びるにもかかわらず人件費が多くを占める固定費部分が低下することである(日経:07.9.8)。
 国税庁の「平成18年度民間給与実態統計調査」によると、民間企業の給与は2000年から9年に亘って下がり続けており、06年は平均で434万円、非正規社員の増加により300万円以下の層は38.8%と増え続けている。特に女性の中央値は200万円以下~100万円超であり472万人、100万円未満が287万人となっており、男性の200万円以下の層をあわせると、1千万人を超え、実に4人に1人が200万円以下の所得層となっている。「各種の経済統計が示す景気回復の影響が給与には及んでいない」のである(日経:07.9.29)。
 さらに、定率減税の廃止などの増税・社会保険料の引き上げなどによって、家計の可処分所得は2000年度の298兆円から2005年度の283兆円へ15兆円も減っている。給与実態調査によると、給与天引きされる所得税は9兆9千億円で、05年度より10.4%も増加している。
 
3.大企業の株主配当・役員報酬は大盤振る舞い
 前記の「法人企業統計」では、資本金10億円以上の企業では、従業員給与は減っているのに、役員給与・賞与と株主配当の合計は逆に6.2兆円も増えている。労働分配率の低下に反比例して資本への分配金は9.4%から25.6%への大幅な増加となっている。一方、1億円未満の中小企業の場合の労働分配率は同期間に62.3%から61.9%へと若干低下しているものの、役員給与・株主配当の資本への分配金も20.7%から18.5%へと低下している。つまり、大企業は派遣労働者や偽装請負、パート労働者等で人件費を大幅に切り下げるとともに、中小企業に対しては発注単価を徹底的に絞っており、中小企業の業績も悪くなっているのである。
 統計上からは経済が成長しない状態で、所得格差だけが大きくなったことが分る。この傾向は2006年、今年と年を追うごとに拡大する傾向にあり。上場企業は株主配当と自社株買いにより今年4-9月期の中間配当を5兆5200億円も行っている(日経:07.9.24)。
 日本企業は人件費の節約分を製品価格の引き下げによってグローバル競争に勝ち抜こうといいながら、「実際には、人件費の下落を上回る分が、まるまる企業のもうけになっていたのだ。」(nikkeiBP:07.9.10 「節約した人件費の向かった先」 森永卓郎)。さらに詳しく業種別に分析するならば、この間の円安により外国人による日本株取得が大幅に増えているが、「外国人持ち株比率が30%を超える輸送用機械(自動車を含む)の04ー06年の実質賃金は、労働生産性の伸び率に比べ3・4%低い…精密機器や電気機械でも同様に賃金の伸びが低めに抑えられている…外国人株主は利益を株主配当に優先的に回すべきだとの要求も強い。一方、外国人持ち株比率が15%未満の建設や電気・ガスといった『内需型』の業種では、生産性の伸びに比べた賃金が高めになっている。」(日経:07.5.25)。何のことはない。日本の労働者の賃下げ分が欧米資本によって海外に持ち去られているのである。グローバル化とは労働者の賃金原資を欧米金融資本に提供することである。

4.このままでは国民皆保険制度は崩壊し、地域社会も破綻する
 森永卓郎氏によると、非正社員の平均年収は厚生労働省の「『就業形態の多様化に関する実態調査』に中央値を与えて年収を推計すると、120万円程度しかない…特殊技能を持った派遣社員や定年を過ぎた嘱託社員…を除いた一般のパートやアルバイトは、100万円ちょっとの年収で暮らしている人が大半なのだ。こうした年収100万円台の非正社員を放置した場合、将来何が起きるかを考えてみれば分かるだろう。…年収100万円台の人たちの大半は年金を払っていない。このまま放置して、年金制度が崩壊したらどうなるか。彼らの生活保証はすべて生活保護が受け持つことになり、莫大な税金が必要となってしまう。(nikkeiBP・07.10.5:「『年収100万円台の非正社員』を放置していいのか」:森永卓郎)と指摘している。年収120万円では、国民年金保険料の169,200円の支払いはもちろんのこと、国民健康保険料の3万数千円さえも支払うことも難しい。福井県内の某自治体の消防署は市内で発生した急患の無保険者を毎回密かに30キロも離れた中心都市の大病院に救急車で搬送している。医療費を負担したくないからである。無保険者のたらい回しが横行している。
 NHKの10月6日放映のニュースは、「昨年度、生活保護を受けた世帯は107万5000余りと過去最多を更新し、受給者の数も、およそ40年ぶりに150万人を超えました。世帯の内訳では、65歳以上のお年寄りだけの世帯が全体の44%を占めています。」と報道している。
 慶應大学の権丈善一氏は厚生年金適用除外規定に対して「見方を変えれば、パート労働をかかえる企業への租税支出(tax expenditure)――本来支払わなければならない税金を、租税特別措置法によって減免するという形で支払われる補助金――の一種とみなすことができる。( 権丈善一(2006)『再分配政策の政治経済学』)と指摘している。さらに、“補助金”で儲かった利益を法人税で取られないようにと、さらなる法人税率の切り下げを要求する厚かましさである(日経:07.10.3 政府税調議論)。今回、パート労働者への厚生年金・政府管掌健康保険等への加入問題は参議院選のどさくさで無期限延長となってしまったが、労働者の1/4が加入しなければ、国民皆保険制度は崩壊する。生活保護・医療をはじめ、労働者の生活崩壊を何とか地域で食い止めようと努力する自治体も破産する。

5.米国に従属する財政・金融・為替政策をやめ、内需主導の経済の構築を
 日経の「大機小機」というコラムは「グローバル企業が、十分に低下した労働分配率を引き上げれば、景色は違ってくるはずだ。政府は税・財政で民間から資金を吸収し、日銀は超低金利で家計から企業へ所得移転を促す。金利を求める海外への資本流出が招く過度の円安で交易条件が悪化し、企業の賃金切り詰めで国民の購買力を奪った。」とし、「為替と連動する金利の正常化は企業のコストに跳ね返るが、家計の金融所得を増やす。個人消費が拡大すれば、内需依存の中小企業・非製造業を潤す効果を期待できる…内需拡大で世界への貢献を求められる場面がくる。外圧に渋々従うのではなく、財政・税制・金融・為替政策を転換し、家計中心の内需主導経済の見果てぬ夢に再挑戦する時だ。」(日経:「大機小機」07.9.11)と参議院選挙の結果を短い文章の中でうまく論評している。グローバル化という名の下に今、日本は米国型の無保険社会に向かってまっしぐらに進んでいる。このまま制度崩壊が進めば、後戻りのできない所得の再分配機能の麻痺した「弱肉強食」型の世界が出現してしまう。日本資本と欧米金融資本による「反革命」を何としても阻止しなければならない。

 【出典】 アサート No.359 2007年10月20日

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【本の紹介】「日本人だけが知らないアメリカ『世界支配』の終わり」

【本の紹介】「日本人だけが知らないアメリカ『世界支配』の終わり」
         (カレル・ヴァン・ウォルフレン 徳間書店 2007年7月) 
 
 小泉・安倍内閣に続く福田内閣も「テロ特措法」の成立をめざすなど、アメリカ追随の外交姿勢は一貫している。世界の平和と安全保障はアメリカと歩調をあわせるという選択しかないというメッセージを繰り返している。
 しかし、アメリカの「支配」は、軍事・外交・経済・南北問題・環境問題など、いずれにおいても、揺らぎ始めており、福田自公政権の選択はもはや有効性を持っていないと思われる。
 本書は、軍事・外交他それぞれの分野における「アメリカの世界支配」という虚構を暴きだしている。日本の方向を議論するには、この虚構から別れを告げることが必要であろう。
 
<つくられた物語>
 2001年9月11日ニューヨーク・マンハッタンで起きた同時テロ以降、「世界は劇的な変化をはじめた。」ブッシュと取り巻き達は、なぜ事件が起きたかを説明しようとして、「ある物語」を描いた。いわく「犯人達は、アメリカ人を憎んだ、それはアメリカが民主主義国家であり、その価値観故に憎まれた」「テロは恒常的に存在する脅威であり、アメリカはそのような脅威から自分達を防衛しなければならない」「イスラム主義が世界に脅威を与えている」などなど。
 さらに、幻想を生み出したのは、冷戦終結後の世界に「文明の衝突」が起こると「予言」したサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』であり、ソ連崩壊後に共産主義と資本主義・自由経済主義とのイデオロギー対決は終焉したとしたフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』であった。
 まさに物語は作られる。彼らの行動を正当化するためである。「アラブ世界を民主化する必要性」に行き着いた物語は、イラク戦争を引き起こすのである。
 
<アメリカの覇権は終わった>
 「われわれが聞かされてきた物語の中で最も規模が大きく最も強力であったはずのものが虚構となってしまった。アメリカはもはや世界の覇権国ではない。」
 著者によれば、「覇権というのは軍事力だけでは成り立たない。それは強力な国家の存在を受け入れることから発生する恩恵をこうむっていると理解している国々からの、集団的な尊敬の念に依存している」からである。少なくとも冷戦終結までは、資本主義陣営の国々は、アメリカの行動に信頼を寄せた時期があった。アメリカが戦争に勝利した国に対しても植民地の扱いをしなかった、かつて宗主国イギリスに対する独立戦争の歴史も持っているからであった。
 しかし、現在はどうであろうか。NATO諸国との同盟関係は荒廃し、イラク・アフガンへの軍隊派遣もアメリカの利益のためにすぎないと考えられている。アジアでも、マレーシア・タイはアメリカに背をむけ、フィリピンも米軍基地を必要としなくなった。ラテンアメリカでは、反米左派政権が、アメリカの搾取にこぞって反旗を翻している。
 「ブッシュ政権が登場してからというもの、アメリカは外交努力を放棄し、他の国々との間の相互利益についても語ることがなくなった。」そして「「なぜアメリカはこれまで長期にわたり遵守してきた、世界秩序を守るために、先制攻撃をしないという政治原則を自ら違反してしまったのか?・・・ここにある問題は、盲目的な国家、中東に武力によって民主主義をもたらすという、まったく不可能な虚構を実現しようとする政権の狂気とでも称するべきものがある」と。
 
<巨大な軍事力がさらけだす脆弱さ>
 確かにアメリカの軍事力は世界最強であろう。「ブッシュ政権のもともとの構想は、『フル・スペクトラム・ドミナンス』と呼ばれる、陸上や地下、海上、海中、空中や宇宙を含めた全方位における軍事的優位性を達成することだった。」しかし、圧倒的軍事力が威嚇となり、アメリカのやり方に同意できないものは、自分達に敵対しているとみなすという姿勢をとり続ける限り、それはパワーとは言えないのではないか。
 「今のアメリカは、脅しと賄賂によってでなければ他国の協力を得ることができない。そしてアメリカがこのような事態を迎えた原因の大半は、パワーの実体を正しく認識できないことにあるのだ。」
 
<テロリズムは脅威ではない>
 「これまでに世界でわれわれが耳にしてきた物語の中で、決定的に恐ろしいほどに現実とかけはなれているのが、テロに対する戦争である。・・・だがいかなる角度から見ても、テロに対して闘うことなど、現実の世界では不可能である。」
 なぜなら、「テロは、通常の政治的プロセスによっては達成しえない政治的な目的を実現する方法であ」り、テロは犯罪に似ている。「いまだかつて、どんな独裁的な政府であっても、あらゆる犯罪をなくすことはできない。」と。
 「ならずもの国家という概念は、アメリカ国防総省と、軍産複合体が広めたものである。そして軍産複合体はアメリカの国防予算が一定のレベルを保たないと自らを維持できないため、予算を獲得する口実となる敵を常に必要としている。ソ連が消滅した後、彼らは新しい敵がソ連の地位にとって代わることを求め、その結果として考え出されたのがならずもの国家という実体のない存在なのだ。」
 さらに、テロに共通なのは、「自分達の領土と信じている地域が不当に占領されていることを不服として闘っているという事実である。イラクしかりチェチェンしかりである。「このように、テロリズムの目的はそれぞれの地域に根ざしたものなのであって、地球規模のテロなどという図式がいかに現実とかけはなれているかはおのずと明らか」なのである。
 
<経済格差を広げたグローバリゼイション>
 1990年代、世界の富裕国と貧困国の格差を是正するとしてグローバリゼイションが提唱された。しかし、現実には「当初約束されていた、社会正義と社会の公平をもたらすような経済発展は実現しなかった。それどころかグローバリゼイションはあらゆる地域で持てるものと持たざるものの格差を拡大した」のである。
 「・・・ところがグローバリゼイションが意図していたのは、国内企業と同じ権利を与えることで、アメリカやヨーロッパ、そして日本企業が、開発途上国において活発な経済活動を展開できるよう世界を変えよ、ということだった」のだ。
 その現実を前にして、開発途上国がグローバリゼイションに反旗を翻し始めた。2003年のWTO第5回閣僚会議では、インド・ブラジル・中国が富裕国が国際貿易分野で決定したことには従わないと宣言、そしてドーハ・ラウンドも2006年7月に一時凍結となった。「WTOのもともとのルールが富裕国に有利なことに業を煮やし、貧しい国々は今度は自分達を利する貿易交渉で勝利を得ようとした」のである。
 「自由貿易という原理主義、グローバリゼイションや民営化、政府サービスの削減といった世界銀行やIMFによって押し付けられてきたプログラムに異議申し立てする勢力としてラテンアメリカ諸国が台頭しつつある。」
 著者は、まさにグローバリゼイションの失敗例がイラクだという。イラクでは、フセイン打倒後、国営企業は解体されたり、縮小された。国営企業は、破壊されたインフラ修復から排除された。(建設事業は、アメリカのハリバートン社が独占した。)地元の企業に対する保護措置が撤廃されて、またたくまに多国籍企業が市場に参入し、独占した。これにより地元企業は衰退する。国営企業と地元民間企業の衰退は、国民所得の激減・失業者の増大を招き、治安の悪化、略奪が常態化してしまった。そしてイラク国民の購買力が低下したと見るや、多国籍企業はイラクから撤退してしまう。
 イラクの混乱は、単に宗教や部族の対立が原因ではない。「このようにネオリベラル的手法こそ、イラク社会の崩壊を招いた最大の要因なのである。」
 
<地殻変動をおこす地球経済>
 経済分野において、「アメリカが世界経済の現実を決定づける」という仮定もまた、根拠がなくなっているという。「世界経済の実態というのは、見る者にショックを与える。アメリカはもはや中心にはなく、ヨーロッパや東アジア経済に対する影響力も衰えている。EUも東アジア地域も自力で資金調達をすることができる。これらの地域は自立しており、世界レベルの技術を獲得し、・・・アメリカがいまなお支配的であるという見方にも関わらず、現実にはアメリカが独占してきた世界貿易と金融フローを受け継ぎ、世界経済における需要なセンターとなった。」
 アメリカは債務を増やし続け、東アジアとヨーロッパは債権国の地位にある。そして、アジアからの資金供給がなければアメリカ経済は崩壊すると著者は言う。ロシアも天然ガスをヨーロッパに提供して経済を維持発展させている。
 ラテンアメリカ諸国も、選挙を通じて左派政権が相次ぎ誕生し、ネオリベラル的な経済手法からの転換が進められている。
 
<対米を離れてアジアと世界を見る重要性>
 このように著者は、題名にあるとおり「アメリカの世界支配の終焉」という歴史的過程を本書において描き出している。その要因は、ネオリベラル的経済手法の誤りであり、ブッシュ・ネオリベラリストによる「力による世界支配」の失敗と言えるだろう。
 著者も最終章において、危うい日本の現状について書いているのだが、日本ではいまだ「アメリカの世界支配」を好意的に受け止める保守勢力が優勢である。しかし、アジアとの共生を戦略に掲げ、新しいアジアの枠組みを担いうる日本、アジアの平和と安全保障を推進する日本となるような社会・経済政策を推進することが求められているのではないだろうか。それを考える上で本書は大変参考になると思われる。(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.359 2007年10月20日

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【コラム】ひとりごと—異常気象という「不都合な」現実—-

【コラム】ひとりごと—異常気象という「不都合な」現実—-

○今年の夏は、まさに異常気象だった。7月はそれ程暑くはなかったが、8月から9月にかけては、猛暑日・熱帯夜の連続だった。日本における最高気温も更新された。○急に秋の訪れを感じたのは、つい1週間前のことだ。○熱中症で倒れる人が相次いで、死者まで出た。まさに「地球の温暖化」の現実を、すべての日本人が実感したのではないだろうか。○アル・ゴアの「不都合な真実」によると、「今、私達が直面している問題とは、人間が膨大な量の二酸化炭素やその他の温室効果ガスを排出していることから、この大気の薄い層がだんだん厚くなっていることだ。大気の層は厚くなるにつれ、本来ならば大気へ抜けて宇宙に出ていくはずの赤外線放射の多くを逃がさなくなる。その結果、地球の大気や海水の温度は、危険なほどに上昇しつつあるのだ。これが気候の危機なのだ。」○温暖化による気候の変動により、世界各地の氷河の融解し消滅しつつあるのは象徴的な現象だろう。○氷河が消えれば、世界の水(飲料水)の不足は深刻な事態となる。○さらに、北極や南極大陸が痩せ細りはじめたことも報告されている。海水面の上昇も今後確実だろう。○このように地球の温暖化に警鐘を鳴らし続けてきたアル・ゴアと科学者達に今年のノーベル平和賞が贈られることが決まったことは、喜ばしい事であると同時に、事態の深刻さを我々は認識する必要がある。○今年は日本だけではなく、南北アメリカ大陸、アジア全域、オーストラリアでも異常な高温が記録されている。○大気の不安定による局地的な豪雨も観測されたし、海水温の上昇による台風の大型化も進んでいる。○気候の変動による異常気象は、今後次々と起こるであろう。一連の異常気象を地球の温暖化と関連付けて認識していれば、地球市民レベルで事態の深刻さへの理解が深まり、それに対処すべき行動が広がることが期待されている。○冬のスポーツを愛する私は、異常気象の夏に続いて雪のない冬が来るのかな、と心配をしているのだが。(佐野)

 【出典】 アサート No.359 2007年10月20日

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【投稿】安倍政権自壊の必然性

【投稿】安倍政権自壊の必然性

<<「未熟で脆弱、お粗末」>>
 いかにも唐突な、国会や有権者を愚弄した、「未熟で脆弱、お粗末」な政権の前代未聞の辞任劇であった。安倍首相は政権を投げ出し、自壊したのだが、これは遅かれ早かれ来たるべき必然であったとも言えよう。
 第一に、安倍首相が掲げ、衆参両院の過半数を超える多数をもって強行採決を繰り返して成立させてきた教育基本法の改悪、国民投票法の制定、防衛庁の防衛省への昇格、集団自衛権の解釈変更、そして憲法九条改悪にいたる「戦後レジームからの脱却」路線は、そもそも有権者の審判を経て承認されてきたものではなく、小泉政権時の郵政解散の一時的成果を利用したものに過ぎなかったものであり、この「安倍カラー」なる路線は、先の参議院選挙で年金問題放置・政治とカネ腐敗問題と共に、大敗を喫する最大要因となり、「ノー」を突きつけられたものであった。その大敗にもかかわらず、辞任を拒否し、「安倍カラー」を薄めてまで続投に固執してきたが、すでに参院選大敗の時点で安倍政権の存続根拠は破綻していたものである。
 第二に、問題は首相個人の政治的エネルギーの源となってきた「安倍カラー」そのものが、破綻をつくろいえないばかりか、政治生命存続の障害にさえなってきたことである。首相のいわば一枚看板ともいえる対北朝鮮の強硬・制裁路線は、成果をあげられないばかりか、六者協議の進展と共に、米国の対北朝鮮との対話路線にさえ障害となり、完全に取り残されてきた。さらに従軍慰安婦についての、日本軍が強制したという証拠はないという首相発言は、米議会の謝罪要求決議を以前にもまして圧倒的多数で採決を促進させてしまうという事態を招いてしまった。戦争犯罪見直しをめぐる東京裁判を疑問視する首相の姿勢、それと連動したインド訪問時のパル判事遺族訪問は、首相の右翼偏向歴史観を際立たせ、ブッシュ政権にとってさえ、いかがわしい存在になりつつあった。そして自分の任期中にやり遂げたいとしていた「憲法改正」は明らかに遠のいてしまった。

<<「生けるしかばね」>>
 第三に、直接の辞任のきっかけとして首相自身が取り上げたテロ特措法の延長問題では、「職を賭して」までその成立のために最大限の努力をするとしていたが、実際には何の努力もせず、党首会談申し入れは辞任当日であり、しかもその以前から首相の党首会談申し入れ意向は麻生幹事長ら党執行部によって握りつぶされていた疑惑を実感せざるを得なかった。さらに、首相はあくまでもテロ特措法の延長であったが、党執行部は「国会承認」は「事前」も「事後」も必要としないテロ特措新法を新たに制定する方向に向かい、その成立を期すには参議院で否決されても、衆議院で三分の二以上の多数で再議決する必要があり、相当期間のインド洋給油の「断絶」が避けられない事態に向かっていた。しかもこの再議決には公明党が慎重姿勢を示しだした。自民単独では三分の二には達しない。なおかつ、国会では国政調査権を使った「インド洋給油疑惑」の実態解明が突きつけられ、対アフガンではなく、対イラク戦への横流しが暴露されかねない。かくして自作自演の「国際公約」実行はもはや風前の灯となった。
 9/12の辞任決断以前に、首相はすでに完全に八方塞がりに追い込まれ、遠藤農水相解任に際して明らかになったように、首相は党執行部からさえ無視されていた。自らがまいた種とはいえ、ここまで追い込まれれば「迫力、覇気がなえ、政治的エネルギーがなくなっていた」というのはさもありなんと言えよう。
 それでも首相が「未熟で脆弱、お粗末」なのは、たった一回の党首会談申し入れで断られたと判断し、それを辞任の理由にしてしまう程度の低さである。しかも辞任記者会見では、「テロとの戦い」の継続以外に語る言葉をなくしてしまい、本来ケジメをつけるのであれば語るべき所信表明演説で述べた続投の基本政策、組閣されたばかりの新内閣の基本政策について、辞任によって無責任に放棄することについて一言の謝罪も、何の反省の言葉も語れなかったことである。
 9/13付米紙ワシントン・ポストが、安倍首相が7月末の参院選で惨敗して以来、「生けるしかばね」だったと酷評したのも当然であろう。

<<解散・総選挙へ>>
 このような人物を首相に祭り上げた、前首相の小泉氏、参院選大敗後すぐさま続投支持を表明し、後継を期待・画策した麻生氏、この続投を後押しした公明党幹部の政治的責任はきわめて重大であり、まずは謝罪すべきであろう。そして、こうした国会、国政の無意味な混乱と空白を招いた責任をとって、与党は総退陣し、総選挙で有権者の審判を仰ぐために、野党側に選挙管理内閣の組閣をゆだねるのが本来取るべき責任の取り方であろう。
 しかし事態は、自民党の後継総裁をめぐって、福田・麻生対決を自民党再浮揚のチャンスとしてショー化し、その演出に懸命であるが、「福田雪崩」現象の中で、単なる手続きと化し、盛り上がりに欠け、振り向きさえされない状態である。こうした事態をもたらし、政治的空白を放置してきたことに対して、次の首相と目される福田氏やその内閣が真摯に謝罪を表明するかどうかをしっかりと監視する必要があろう。
 朝日新聞社が9/13におこなった全国緊急世論調査によると、首相の今回の辞任を「無責任だ」と思う人が70%に達し、辞任を「よかった」と受け止める人は51%、「そうは思わない」は29%、首相は辞任の理由として、「局面の打開が必要だと判断した」との説明に「納得できる」は11%に対し、「納得できない」が75%であった。自衛隊のインド洋上での活動継続そのものへの賛否では反対が45%と、賛成の35%を上回った。安倍政権の実績については、「大いに評価する」が4%、「ある程度評価する」が33%に対し、「あまり評価しない」は45%、「まったく評価しない」は15%と、当然の厳しい評価である。衆院の解散・総選挙の時期を巡っては「早く実施すべきだ」が50%で、「急ぐ必要はない」の43%を上回っている。参院選直後の7月末の調査では39%対54%であったものが、逆転している。首相が政権を投げ出すという異常な事態を受け、衆院の解散・総選挙が現実的課題として要請されているといえよう。
 福田新政権にとっては、このような状態の下での衆院の解散・総選挙は到底受け容れられるものではない。しかし、野党の結束と政策対決、国政調査権の発動によって解散・総選挙に追い込むことは十分に可能であり、野党にはそれが求められているといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.358 2007年9月22日

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【投稿】インド洋に轟沈した安倍政権

【投稿】インド洋に轟沈した安倍政権

<テロ対策支援の実態>
 安倍総理の突然の辞任表明で流動化する政局の中、テロ特措法問題は新たな局面を迎えようとしている。現行法の延長は絶望的であり、政府は新法による給油活動の延長を狙っている。これは、海上自衛隊の活動を給油に限定する一方、国会承認を必要としないという、民主主義を否定する内容となっている。
 現在の海上自衛隊の活動は給油と給水で、米・英やパキスタン海軍等「連合軍」の命綱となっており、日本が撤収すればインド洋上での対テロ戦線が崩壊する、国際公約が守れなくなると、政府・与党は盛んに喧伝している。
 しかし、この間「テロ対策支援」実態が明らかになってきており、虚構のうえに成り立った政府の主張が崩れ始めている。インド洋上での「対テロ活動」の実態は「アフガン復興支援」とは程遠いのが現実だ。「連合軍」はインド洋ではあるが、ペルシャ湾からソマリア沖に展開されており、事実上イラクシフトなっている。主要な任務はイラク情勢への対応であり、自衛隊が米軍に補給した燃料の約8割は、そのために使われたと、当事者の米第5艦隊が明らかにしている。
 また政府・外務省は「日本の高品質の燃料でなければパキスタン艦艇は動かない」などと荒唐無稽な説明をしていたが、11日の記者会見で吉川海上幕僚長は、あっさりとこれを否定した。
 さらに朝日新聞によると「防衛閣僚経験者の一人」が「イスラム国家のパキスタンが米国から給油をうけるとパキスタンの国内世論がもたない」と語ったと伝えているが、そもそもパキスタン世論はアメリカ主導の作戦にパキスタンが参加していること自体に批判的なのであって、本末転倒もはなはだしい。
 そもそもアルカイーダなどに対する臨検などは、補助的なものに過ぎないし、「テロ組織」は船舶を利用した人・物の移送などは、ほとんどしていないのである。産経新聞でさえ「日米軍事筋によると、海自のインド洋での活動開始から今年6月までの5年半に、(連合軍の臨検で)摘発されたのは8件で、大半は同海域でタンカーや商船を狙った海賊で・・・イスラム・テログループは含まれていない」と報じているほどだ。

<日本脱落も視野のアメリカ>
 こうした虚構のうえに成り立っているテロ特措法の役割は、安倍政権の対米貢献のシンボル以外のなにものでもない。
 米中東海軍副司令官のスイフト准将は、インタビューに対し「海上自衛隊による補給がなくなることの損失は大きいかもしれないが、何とか対応可能だ・・・本当の問題は日本が(有志連合に)関与しなくなることだ」(毎日新聞9月12日朝刊)と正直に答えている。
 この間アメリカは、6カ国協議での北朝鮮との妥協、下院本会議での「従軍慰安婦決議」採択など安倍政権の神経を逆撫でする行為を平気でしてきた。対米追随以外に外交上の代替戦略を持たない日本政府としては、何とかアメリカに恩を売る機会を手放したくないと必死なのである。
 しかし、参議院選挙の結果、アフガン派兵など新規の対米軍事貢献は不可能になった。これまで政府はテロ特措法、イラク復興支援法を制定し陸・海・空三軍の派遣を強行してきた。しかし昨年の陸自イラク撤退に続き、海自も撤退すれば、のこるはクウェートの空自のみとなる。これとて、参議院選挙前の強行採決での駆け込み延長であり、遅くとも参院与野党逆転下の2年後に失効となるのはほぼ確実となっている。
 この間ブッシュ政権は、給油活動延長への期待をアピールしているが、作戦上は大きな支障がないことが明らかとなっており、実際は日本脱落も視野に入れているのではないかと思われる。

<日本抜きでも活動は継続>
 海上自衛隊撤収後の代替としては、アメリカとの関係強化が進むインドが考えられる。インド海軍は、空母1を含む艦船141、兵員5万という当該海域の海軍としては、最大の戦力を保持しており、補給活動に欠かせない補給艦3、給油艦6、給水艦1も保持している。国内ではイスラム過激化のテロが相次いでおり、「対テロ」の大義名分もある。アフリカ東海岸を含むインド洋での活動を考えれば、遠く離れた日本よりまさに「自らの海」であるインド海軍のが、よほど適役なのは疑う余地がない。
 今年4月には初の日米印合同軍事訓練が、房総南方海域で、9月には日米印にオーストラリアを加えた演習がベンガル湾で展開されており、インドが洋上での対テロ活動に参加する条件は整いつつある。問題はインドと微妙な関係にあるパキスタンの動向である。パキスタン海軍は活動継続を表明しているが、先のモスク占領事件などで不安定化した政情は、今後ブット前首相の帰国でますます流動化するのは確実である。そのような時期、脆弱な海軍(艦船40、8万5千トン、インドは08年就役の空母1隻で4万5千トン)の派遣は大きな負担であり、対テロ戦線は陸上に限定してもらいたいのがムシャラフ政権の本音であり、日本の撤退を機に戦列のシャッフルもありうるだろう。

<アメリカに見捨てられた安倍>
 APECで空手形を切りまくった安倍は、「テロ特措法延長に職を賭する」と発言、自ら退路を断ったうえ帰国、所信表明演説の翌日唐突に辞任を表明した。テロ特措法の見通しが立たない上、日米首脳会談で「北朝鮮へのテロ支援国家指定解除」「米朝国交樹立」などが伝えられたのでは、という観測も流れている。
 自らの対外公約も国内公約も大きく崩壊し、耐えられなくなったというのである。いずれにしても、ブッシュ大統領が、内患外憂に苦悶する安倍に助け舟を出さなかったのは事実であり、そればかりか追い詰め、最後には突き放した感さえある。
 仕切りなおしとなったテロ対策支援問題であるが、福田新総裁は給油活動継続の意向を表明しており、民主党も反対の姿勢を崩していない。国民の判断を求めるため、早期の解散・総選挙で、対米貢献を是正しアジア重視の協調外交を推進する政権の確立が望まれる。
(大阪O)

 【出典】 アサート No.358 2007年9月22日

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【投稿】「サブプライム問題」-実はドルの特権が揺らいでいる

【投稿】「サブプライム問題」-実はドルの特権が揺らいでいる

                          福井 杉本達也

1.サブプライムローン問題の広がり
 米国のサブプライムローンの焦げ付き多発問題をきっかけにした世界の市場の動揺が拡大している。先行き不透明感から市場参加者はリスクの高い取引を縮小、世界的なカネ余りの修正が加速し、日米欧で市場の動揺が連鎖している。
 欧州中央銀行(ECB)は短期金融市場に8月9日から13日までの3営業日間に資金供給を合計約2035億ユーロ(約32兆8千億円)を投入、米連邦準備理事会(FRB)も 8月9日・10日に620億ドル、13日に20億ドルと計640億ドル(約7兆5千億円)を供給し、たったの3日で日米欧合わせての資金供給総額は約42兆円という驚異的な資金を投入し市場の動揺の沈静化を図ろうとしている(日経:8.14)。しかし、その後も市場の動揺は拡大し続けており、9月14日には英国中銀は中堅銀行ノーザン・ロックに対し緊急融資をすると発表した(日経:9.15)。
 
2.ドルの基軸通貨としての特権が今崩壊の危機に
 1987年のブラックマンデー以降、米国は製造業をあきらめて産業構造を金融にシフトした。90年代のITバブルを経て1997年のアジア通貨危機から1998年のLTCM破綻を経て、2000年にはハイテク株のバブル崩壊により不況に陥ったが、その不況からの脱却を、「9.11」を利用した2001年10月よりのアフガン侵攻とそれに続く2003年からのイラク戦争による軍事特需(いわゆる「対テロ戦争」)によって、また、2001年からの米国の低金利による住宅市況の上昇という新たな延命策によって引き伸ばしてきたが、最終的に今回のサブプライム問題に端を発するバブル崩壊によって終末を迎えようとしている。
 今の米国経済は基軸通貨国であるがゆえに、世界中の資金が集まることで支えられている。この「帝国循環」がいま崩壊しかかっているのである。国家であれ企業であれ、資金繰りさえつけば破綻することはないが、永久に財政赤字・経常収支赤字を積み重ねる国家がいつまでもこの循環を続けることは不可能である。
 これまで、米国経済は、安い海外の資金を導入することによって、国内景気を支え、低金利の住宅ローンで家を買い、値上がりした住宅を担保にしてさらに金を借り、株式に投
投資し、耐久消費財を買い米国経済は成長した。数千万の低所得者層を抱える移民国家米国経済にとって、他人の金によって所得を分配し成長を続けていかない限り社会は分解しかねない。本来は、サマーズ元財務長官のいうように、「アメリカ国民は一時的な苦痛を覚悟しても消費を抑え、地道な生活に戻ることから始めるしかない」のであるが、金融資本家は、投機をあきらめることはない。政府も本気で景気を冷やしたくはないだろう。

3.20年間、米国の資金繰りを支え続けた日本
 1987年のブラックマンデー時は日本の景気は絶好調の時であり、日本は金利を引き上げるべき時だったが、ブラックマンデーの再発を恐れるアメリカの圧力によって、日本は金利を引き上げられなかった。政府日銀は日本を犠牲にして米国を救った。株価も土地価格も急上昇したが政府日銀はそれを放置した。日本の資金が暴落を食い止めたのである。アメリカに出来た大きな負債の穴を日本が一手に引き受けて、日本の投資家は90年代のバブル崩壊で負債の穴を大きくした。その一例が89年の三菱地所のロックフェラーセンタービルの買収である。当時の為替レート換算で1200億円(84600万ドル)で買わされ、1995年9月、三菱地所は4期連続の減益決算と1000億の固定資産除却損を計上してロックフェラーに買い戻された。1000億円がロックフェラーに所得移転したことになる(HP「三菱地所の誤算ロックフェラー・センターとREIT」より)。
 初期のクリントン政権は為替を通商政策の道具に徹底的に使い、1995年4月に円の対ドル相場は79円75銭まで急騰させられた。その後、ルービン財務長官の下で、「ドル高戦略」が採られるようになり、海外からの膨大な資本フローを呼び込み、設備投資の資金に回しIT革命を推し進める政策が採られた。1997年には山一證券を倒産させるなど米国は日本の金融危機を煽り、1998年8月には円は一時150円にまで下落した。この間、ヘッジファンドは低利の円資金を借りてドル建て資産に投資する円キャリー取引を行った。
 ハイテク株のバブル崩壊により不況に陥ったが米国経済は、2001年に低金利政策に踏み切ったが、低金利による住宅ローンにより米経済は再び成長の歩みを始めた。しかし、米国が低金利では米国への投資のうま味はない。米国への資金流入は止まってしまう。ここで米国への資金流入を支えたのが、日本による巨額の為替介入である。2002年までは0だった円売りドル買いの為替介入は2003年1-3月期に2.4兆円、4-6月期に4.6兆円、7-9月期に7.6兆円、10-12月期に5.9兆円と2003年度全体では20.5兆円の巨額介入を行ったのである。さらに、2004年に入っても1-3月期にさらに4.8兆円の介入を行ったのである。この巨額介入はそのまま外貨準備としての米国債の保有となり、米国財政・経常赤字の4割をも補填したのである(吉川元忠:『経済敗走』)。介入の時期はイラク戦争開始の時期ともピタリと一致する。戦争は武器だけではできない。ロジスティック=兵站=資金をどうするかである。日本の資金がイラク戦争を支えたのである。
 その後、米連邦準備銀行(FRB)は2004年後半から、再び高金利政策に転換する。この時期は日本が為替介入を止めた時期と一致する。短期金利は04年夏の1%からしだいに上がり、06年夏以降は5・25%になった。しかし、日本には「ゼロ金利政策」を続けよう圧力が掛けられ続け、時の小泉首相・竹中平蔵は忠実に米国の圧力に従い、短期金利は0・1%のままだった。そのため再び、日米間の金利差を使って円キャリー取引が急増した。金利差を使って再び資金を米国に集めたのである。但し、今回は日本ばかりでなく、中国・資源国の資金も加わることとなった。

4.米国に流動性の危機が迫っている
 サブプライムローンはもともと優良(プライム)以下(サブ)の、元々信用に問題のある借り手への住宅ローンだが、その債権を証券化してファンドに売ることで、ローンの貸し手である金融機関はリスクを回避でき、一方、買い手は、そのリスクを引き受けることで高金利を得ることができるというものである。つまり、「証券化の進展でどこに不良債権があるのかいくらあるのかという危機が見えにくく制御不可能となっている」と指摘されているが、慶應大学の小幡績准教授は、こうした見方に異論を唱えている。「今回の危機の本質は、サブプライムや証券化ではなく、古典的なバブルの生成と崩壊だ。金融市場が発展して資本が増大し、金融技術が進歩すればするほど、逆説的に、バブル発生と崩壊は恒常化し、金融市場の本質となる。…現実に起きているのは、急速な円高及びその裏にある円借り(円キャリー)取引の収縮である。そして、円キャリー取引の収縮とは、世界のリスクマネーの収縮の一例であり、本質は、リスクマネーの収縮によるバブル崩壊なのである。」(日経:8.23「21世紀型バブルが崩壊」)と見ている。
 問題はこの先である。取り合えず各国は巨額の資金を短期市場に投入しバブル崩壊の先延ばしを図るであろう。しかし、問題の根底には米国への資金流入が減少し続けていることにある。FRBは今後、金利を下げざるを得なくなる。日銀も金利を上げることはできないであろうが、日米金利差は確実に縮まざるを得ない。欧州も金利を上げないことに付き合うかもしれない。しかし、それだけで米国の赤字をファイナンスすることはできない。米国の流動性=資金繰りの危機が迫っているのである。イラクから撤退するのか。または、イランやパキスタン辺りで第二戦端を開き軍需景気で乗り切ろうとするのか=戦争か平和かの瀬戸際に立っている。巨額介入を行い米国の軍資金に貢献した時の責任者は小泉前首相であり金融相の竹中平蔵氏であったが、当時の官房長官は福田康夫氏であった。安倍政権下では、このところ、山本有二前金融担当相や塩崎前官房長官らは9200億ドルにも積みあがった外貨の運用について積極的であった(日経社説:7.25「外貨準備運営は入念さが必要」)。ほとんど米国債で運用されている外貨準備金の自主運用がされるとするならば、米国は即破産である。現に発展途上国の外貨準備ではドル資産での運用は60%と2000年に比較して10%も低下し、反対に30%が「ユーロ」で運用されはじめている(日経:9.14)。イラクからなんとしても撤退したくなく、しかも米国への資金流入が先細って八方ふさがりの苦境に陥っているブッシュ政権にとって、安倍政権の動きは絶対に許すことのできない『背信行為』だったのではあるまいか。シドニーではなにが話し合われたのか。

 【出典】 アサート No.358 2007年9月22日

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【書評】『みんなの9条』

【書評】『みんなの9条』
(『マガジン9条』編集部編、集英社新書、2006.11.22.発行、700円+税)

 政局が流動的で、課題が山積している現在の状況である。しかしこと憲法9条問題に関しては、一時的な足踏み状態はあるとはいえ、既成事実の積み重ねと改憲の雰囲気の中、進行中と言ってよいであろう。
 そんな中で本書は、小冊子ながら憲法問題に関してさまざまな視点を与えてくれる書である。『マガジン9条』とは、2005年3月からスタートした、インターネット上で毎週更新されるウエブマガジンで、その編集部が、「この人に聞きたい」というコーナーでインタビューした記録が本書となった。
 当然のことながらいろいろな分野の人びと–ミュージシャン、作家、映画監督、ゲーム・クリエーター等々–が登場するが、その意見は「まともさ」の感覚で貫かれているというのが、評者の印象である。それぞれにスタンスが異なるために議論が広がってまとまりにくい部分もあるが、改憲派の「現実主義」をキーワードに、二、三紹介しよう。
 作家・橋本治は語る。
 「まず始めに言っておくと、私は基本的に憲法改正に関しては『なんで改正しなきゃいけない理由があるんだろう?』というだけの人間なんです」。
 「憲法で言っているのは『交戦権の否定』ということだけで、自衛隊についてはうやむやですね。でも私は、うやむやでも不都合がないのだから、それでいいのじゃないの、と思う。
 不都合がない、というのは、実はとても重要なことなんですよ。(中略)これは、ずば抜けた才能だと思っていい。
 だから、日本人の知恵として、『自衛隊は自衛隊であって、軍隊ではない』という言い逃れがあったほうが、逆に歯止めになる」。
 橋本は、ここから、日本政府には外交がわからないと断じ、「日本人は『現実』と『未来』を切り離して考えているから、『未来を論ずること』を『現実的でない』と考える。そうじゃないでしょう。現実を考えるというのは、『現実からつながっている未来を考える』ということ。未来を考えることが現実的なんです」とする。この視点は、改憲派の「現実的」という意味に大きな批判を与える。
 また「現実」について、作家・松本侑子は、こうも語る。
 「『現実にあっていないから現実に合わせるべきだ』という考え方もあるようですが、ほかにも現実と乖離している条文はあります。
 例えば、憲法24条では『両性の平等を定めていますが、いまだに実現していません。(中略)25条の『健康で文化的な最低限の生活』についても、毎年三万人を超える市民が自殺をしている国で、果たして、実現していると言えるでしょうか?
 その意味でも、『現実と合っていないから変えるべきだ』という理由には、賛成できません。それならば、24条、25条も、現実に合わせて『男女不平等』『不健康で非文化的な生活』に条文を変えましょう、となります」。
 さらに環境活動家・辻信一は、「現実主義の非現実性」を次のように批判する。
 「北朝鮮が攻めてきたらどうなるんだ、というような議論があるでしょう? その土俵に一度引きずり込まれてしまうと、その対応に追われてしまうことになる。でも考えてみてください。『北朝鮮が攻めてきたらどうなるのか?』というのは、結構すごい想像力です。そんな立派な想像力を持った人なのに、『もし老朽化した原発に大地震がきたらどうなるのか?』とか、『全部が海辺にある原発に津波がきたらどうなるの?』と考えてみるだけの想像力を持てないでしょう。こういう場合の『現実主義』というのは、ものすごく偏っている。実はとても非現実的なわけですよ。(中略)
というのは、僕らはもう、いろいろとんでもない危機の只中を生きているわけです。(中略)人類存続の危機というのは、何千年も先の話でなくて『今そこにある危機』です。戦争も、自然環境の劣悪化に起因する部分が大きくて、人々は土地や水や石油などの資源をめぐって争いを続けている。こんな大問題をさておいて、北朝鮮が攻めてきたらどうするか、と考えることが、あたかも現実的であるかのように議論されている」。
改憲派の「現実主義」の中身が、このようなものであることを、今一度現実から問い直してみる必要がある。
 しかしこれに対する、護憲派の「現実」への対応についても、手厳しい意見が出ている。国立市長・上原公子は、こう語る。
「現在ある自衛隊を具体的にどうやって変えるのか。そのプロセスを示しながら『納得できる具体案』をどんどん提案していく必要があると思います。9条をまもる=急に自衛隊を全部なくす、といったイメージがあるから、『現実的じゃないよ』とみんなから言われている気がするのです。『私たちは平和をまもります』『9条が大事です』とアピールしたところで、『私たちは平和が嫌いです』『戦争をやります』とは誰も言っていないわけですから」。
 先ほどの辻信一も、運動のスタイルについて次のように述べる。
「これまで環境運動にしても平和運動にしても、たとえそれが清く正しくはあっても、なんとなくダサいし、楽しくなさそうだし、おいしそうじゃないし、なんかいらいらしていて安らぎもなさそう、ということがおおかったんじゃないでしょうか。そして、その運動を担っている人たちも、いつの間にかそういうモードに入ってしまっていた。(中略)僕は環境運動や平和運動に関心を持ってあちこち足を運んでいる女性に出会ったことがあるんだけれども、その女性はラテン系な感じですごくおしゃれなんです。だけど、そういった運動に行くときには地味にするという。派手な格好をして行くと、『なんか浮ついているんじゃないか?』と怒られちゃうというんですね。これは非常によくないですよ」。
 同様のことを、漫画家・石坂啓も語る。
「その一方で、護憲のイメージは古びています。9条をまもろうという意見に『正しい主張をしてるのになぜ、わかってくれないのか』という姿勢が見え隠れするのも気になります。ナショナリズムを背景に『わかりやすくて強いもの』が待望されている今、それでは私たちの輪は広がらない。対抗するためには、これまでよりも新しいイメージで、9条はじつはカッコイイ! という賛同者を増やす工夫が必要なのではないでしょうか」。
本書では短いながらも、これ以外に、香山リカ、いとうせいこう、木村政雄、太田昌秀、姜尚中、雨宮処凛、渡辺えり子、伊藤千尋等のインタビューが出ている。議論的には百花繚乱であるが、得るところは大きい。
 例えば、日本の品格について、『サクラ大戦』『天外魔境』等のゲーム・クリエーター広井王子は、こう語る。
 「アメリカから押しつけられた憲法を嫌がる前に、現在の幼稚な資本主義を嫌がるべきなんですよ。(略)
 今の日本で『勝ち組』とか『セレブ』と呼ばれている人たちは、株でもうけたり、お金でお金を生み出している人たちですね。昔だったら、ただの成金ですよ。いちばんいやしい部類の人たちですね。それが今や、社会のトップになっている。汗して働かない者に憧れ、うまくやってお金をもうけ、楽して暮らしたいとか。この考えこそ、アメリカ流のお子様資本主義です。お金を持ったら、そう使うかで、その人の品格が決まります。そして、その国の品格もね。」
 もっともな意見である。憲法問題への視点の広がりについては、改めて論じるつもりであるが、本書は確かにその一助となる書であると言える。(R)

 【出典】 アサート No.358 2007年9月22日

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