【書籍のすすめ】ニッポン貧困最前線

【書籍のすすめ】ニッポン貧困最前線
      「ケースワーカーと呼ばれる人々」 久田 恵 文芸春秋社 1,700円

今年7月25日に発行されたこの本の表には「福祉現場の知られざるドラマ」「政府の締め付けとマスコミの福祉たたきの間にはさまれながら、日本の貧困層と直接向き合ってきたケースワーカーたち。これまで書かれることのなかった彼らの悩み、怒り、喜びを通して、豊かな時代の見えない貧困を描いた衝撃のルポルタージュ。」と書かれています。わが国において国民の生存権を守るために、いや、国民の生存権を守ることを最終的に直接の職務としている人たちがいったいどんな仕事をしているのか、ぜひこの本を読んで知っていただきたいと思いますし、考えていただきたいと思います。
私は、数年前から自治体の福祉職場でケースワーカーとして働いています。それまでは、「ケースワーカー」という言葉を聞いたことはありましたが、どんな仕事をしているのかほとんど知りませんでした。今にして思えば、何年か前に「暴力団員が外車に乗りながら生活保護を受けている、国から生活費を援助してもらっていることがある」という話しを聞いたことがありましたが、まさかその暴力団員の「相談」に乗りながら、「援助」していたと避難されていた人がケースワーカーだったなんてことは自分がケースワーカーになって初めて実感できたのでした。

それから何年かして、労働組合をやっている他市の仲間---彼は地方分権、自治体改革に興味がある---に「君はケースワーカーやっているのか、うちの市の福祉の職員、悶々としているというか、ドロドロしているというか、そういう実態なんだ。だが、本来福祉の仕事はすばらしい仕事のはずだ。福祉現場の苦悩を踏まえたうえで、その仕事のすばらしさ、やりがいを文章にまとめてよ」と言われたことがある。それに対し私は「うーん、ぼくにはまだ・・・」と考え込んでしまった。福祉職場、とりわけケースワーカーの苦悩は当然わかる、仕事のすばらしさもわかっている(と思っている)。しかし、この苦悩とすばらしさはなかなか調和しない。だから、後輩に助言するときでも「仕事なんだから」「割り切って」という言葉が付くときがしばしばある。読者の中の経験豊富な先輩からは「おしかり」を受けるかもしれませんが。
でも、私はぜひこの本を読んでいただきたいと思います、読者のみなさんにも、職場の同僚にも上司にも。
日本は、高齢社会になっており、今後もますますものすごいスピードで進展していきます。いまの日本のマスコミで、行政で、人々の間で、労働組合で高齢者福祉、老人福祉はメジャーな話題のひとつです。一方、生活保護は、日本の福祉制度の中では、予算人員などの面で(従って、期待度も??)低下の傾向にあります。しかしながら、生活保護(ケースワーカー)は、現在メジャーなテーマとなっている高齢社会(高齢者)のさまざまなことに対して、個々の事例(ケースワーク)として、ずっと取り組んできたのです。しかし、そういうことは取り上げられない、話題にならない、人からも評価はされない、「大変な仕事」といって慰められることはあっても。一方、「今夏の猛暑にクーラー処分せよと強引に指導し、老人が死にかかり」生活保護は薄情だ、不正受給を見逃していた、と批判はいっぱい。この本には、そういう事例がいっぱい書いてあり、読んだ人によっては「福祉はなんて無駄な金を使っているんだ」と思うかもしれませんが、同時に、日本の福祉制度の中で生活保護が占めている特別な位置---生活保護が福祉の根幹であるという---が、何となく感じられると思います。

憲法25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定しています。その理念を具体化したのが生活保護法です。かつて日本のエネルギー政策が「石炭から石油に」替わったとき、九州や北海道で地域の経済が、町の経済が崩壊しました。その中で、人々の「生存権」を保障してきたのが生活保護(ケースワーカー)です。今日、高齢社会のためのさまざまな施策が議論され、取り組みされていますが、それらの高齢者施策によっても、生活していくための必要不可欠な諸条件が整わないとき生活保護(ケースワーカー)の出番となるのです。

【出典】 アサート No.203 1994年10月15日

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【書評】新説・ロシア的聖霊非合理主義者レーニン(?!)

【書評】新説・ロシア的聖霊非合理主義者レーニン(?!)
          —中沢新一『はじまりのレーニン』(岩波書店 1994.6.1発行)

「すべてに逆らってレーニン。20世紀の廃虚に、レーニンの笑いがこだまする。無底としての唯物論、誰も書かなかったレーニン」(『はじまりのレーニン』帯より)と銘うたれた、レーニンと唯物論と弁証法に「関する」本が中沢新一によって書かれた。社会主義の崩壊以来とめどもなく落とされ続けてきた、唯物論哲学、マルクス主義、レーニンの評価にまた新たな投石がなされたのである。しかも今回のそれは、あきれかえるまでの神秘化の衣をまとったレーニンを描き出し、彼をロシア的聖霊非合理主義の教組に祭り上げている。
中沢のやり方はこうである。レーニンについてのエピソードの中で、彼の「笑い」は特異な位置を占め、その人柄をしのばせるものとされている。しかしその「レーニンの笑い」は、時として「いじわるで、悪魔的な、おそろしい笑いだった」、あるいは「なにかとてつもなく『客観的』なものが破壊的な冷や水をあびせているような感じなのであると記録されている(クルプスカヤ他による)。そのことは、実はレーニンが、「思考のそとにあるもの」「原始的で言語にあらわせないもの」(トロッキーの記録)のごく近くにいたことを示しているのではないか。というのは、中沢の引用する思想家バタイユ(1897~1962、フランスの無神論的実存主義者)によれば、「人間の意識が未知のものではなく、知りえないものに触れ、それが意識の中に侵入を果たすとき、人間は笑う」からである。中沢は、この「知りえぬもの」、精神の「その外にひろがる無底の宇宙」への通路を開くものこそ「レーニンの笑い」であり、「笑いが開くその無底の空間を、レーニンは『物質』と名付けた」とするのである。つまりレーニンは、「笑い」によって、哲学の概念や言語によっては把握も表現もできないものに「思考のセンサー」で感応し、これを「物質」と名付けたというわけである。中沢はここで、レーニンの「物質」を、合理性をこえた(合理性の底を突き抜けた)ものとして位置づけ、ここからレーニンの唯物論を再検討しようとする。
それでは何故このような解釈が可能になるのか。その経緯は、中沢によるレーニンの哲学的見解の変遷をたどることによって明らかとなるとされる。それによれば、レーニンは『唯物論と経験批判論』において、マルクス主義のマッハ主義的改変を批判し、物質概念について「われわれの意識の外部にある」、「客観的実在」という規定を提出した。しかし「それは、無限の深さと、無限の力能と、無限の階層性と、無限の運動をはらんで、人間の意識の外に、実在している」と規定され、このことが取りもなおさず、レーニンが意識の外にある「物質」に触れていることなのである。そしてこの概念が後に、未完の『哲学ノート』においてその通俗性を脱して「レーニン的『物質』」とされるにいたるのである。
中沢によれば、「レーニン的『物質』概念は、ヘーゲルの「精神(ガイスト)と共通性を有し、ヘーゲルの客観哲学があらゆる観念論を無効にしてしまうように、普通の意味での唯物論を、破壊し完成するもくろみを持っている。」すなわち「レーニン的『物質』とは、思考からも客観からも過剰した、なにものかなのだ」、「それはまた普通の唯物論の言う『もの』ではない」のである。
そして同時にここに、ヘーゲルの「精神(ガイスト)」との根本的な差異が指摘されることになる。それは、古代ギリシャの「はじまりの哲学者」であるヘラクレイトスなどの語った弁証法と、近代観念論哲学の語るものとの「微妙で根本的な異質性」である。すなわち「はじまりの哲学者」においては、「生と有の本性」を絶えず問直し、次々と「立ち現れるもの」(存在=生命の根源)を瞬間的に露呈させることが弁証法であるとの認識が存在していた。換言すれば「過剰したもの、破壊されざるもの、純粋な差異であるもの、まったき力であるものの運動が、弁証法の手に触れていく」ことが彼らにはあった。しかしこのことは、ヘーゲルの弁証法においては実現されなかったというのである。そしてその理由は、「プラトン以後(ヘーゲルにいたるまでーー引用者)の哲学は、はじまりの哲学者たちの存在思想がもっていた、底なしの『暗さ』を忘却することによって、がっしりとして堅固なその存在論の大神殿をつくりあげることができた」ことにある。すなわちプラトン以後の西洋哲学は、存在と生命の無底の根源への問いかけに蓋をし、底をつくることでその暗闇を閉じ込めてきたのである。
ところが今やレーニンが、彼の「物質」によってこの存在(有)の底を踏み抜こうとしている。「私の考えでは、レーニンは、『素朴』なヘラクレイトスの弁証法の背後に、ヘーゲル的な『精神』によっては堰とめることのできない、ある別種の運動を感知していたのだ」。中沢はこう書くことで、レーニンの唯物論を、「自然と生の無底の運動にむかって開いていこうとしている」哲学として描き出す。そこから結果するものとは、「はじまりの哲学者のもとで守っていた、あの素朴さとディオニュソスの力」であり、「亀裂の発生した『精神』の底部からは、暗い存在の底からの『物質』の運動がいきおいよく吹き出してくる」ことになる。換言すれば「裸の客観、むきだしの真実」こそが、中沢のいうレーニンの思考の本質であって、「レーニンはそういうものを、弁証法的唯物論と呼ぼうとした」というのである。ここまでくると、まさに何をか言わんやというところであるが、この徹底した非合理観ーーそれは後にニヒリズムにつながることになるーーが、中沢レーニンの依って立つところである。
そしてこの「暗い思想家」レーニンは、次に示されるように、さらに様々に根拠づけられることになる。
そのひとつは、中沢の心酔するドイツの神秘主義哲学者ヤコブ・ベーレ(1575~1624)の思想を通して語られる三味一体論である。ベーレは、「根拠のない神」「無としての神」を語り、そこから独特の精神の発達過程を展開する。それは大雑把にいって、無(底なし)~求め・あこがれ~「底」~「ガイスト(霊)」~中心・心臓・ロゴスというプロセスをとるが、この無底に立つプロセス全体が、父と子と聖霊(ガイスト)の三位一体説のペルソナ(性格)に対応していると考える。すなわち、父と子と聖霊の三つのペルソナは、一体となって、無底から底へ、底から世界へと展開する原理であり、「父が本質なのでもなく、子が中心をなすのでもなく、また聖霊だけが万能なのでもない」神として作用する。従って神には底がなく、人間にはこの三位一体を手がかりとして、神そのものの内に入り込んでいく、というのがベーメの思想であった。
ところがこのベーメの立場は、実は古代において主張されたが、その後滅び去った東方的三位一体論と同じ内容を有しており、ローマ世界の正統キリスト教における立場ーー「父と子」が神の本質とされ、聖霊はこれに従属するとされる形式論理ーーとは全く対立する。しかしこのように、ヨーロッパでは一度埋葬されたはずの思想がよみがえり、ベーメを評価するヘーゲルを通して、そのヘーゲルを評価するマルクス、さらにはレーニンに継承されている、と中沢は主張するのである。ここにおける環は、またしても「底」(合理性の限界)を打ち破ることで触れることのできる「生命」であり、非合理的な運動である。中沢はこれを次のように語る。「マルクスとレーニンの『唯物論』が、ヘーゲルのかなたに切り開こうとしたものとは、『生命のようなもの』の『底』を破って、そこから生命そのものにたどりついていく、未知の思想の運動を発芽させることだった。概念には『底』がある。価値にも『底』があり、(中略)商品社会は生命そのものを隠す社会なのだ」と。
かくしてレーニンの唯物論が、その「底」を打ち破ろうとする思想であるとすれば、その商品社会、資本主義社会の「底」を打ち破っていく現実の運動が必要とされる。そしてここにレーニンを根拠づけるさらなる理由、すなわちその運動である共産主義とその担い手である「党」が出現することになる。
しかしこの場合にもまたレーニンの共産主義と「党」は、中沢によれば、従来の例にならって古代への先祖返りを行う。それが本書の最後を飾る「グノーシスとしての党」である。グノーシス主義とは、古代キリスト教の異端と呼ばれる思想であるが、その特徴は「現実の世界や宇宙(コスモス)の秩序をそのままで承認することを拒否」し、コスモスによって隠されてしまっている真実の神を、この世界を否定した外部に求めることを主張する。このグノーシス主義の立場と、商品社会のコスモスの「底」を打ち破り、異質なリアルを実現しようとするレーニンの共産主義の運動および「党」との類似性こそ、レーニンの構想した「党」の意義であるとされる。レーニンの「党」は、資本主義の原理とは全く異質なものでなければならないし、そのためにはそれを構成するメンバーひとりひとりが「底」を破っていく「戦闘的な唯物論者」でなければならない。そして「党」は、資本主義社会の「底」を破ることで、それを無低に向いて開いていくのである。
かかる「党」は、中沢自ら述べているように、「ラジカルなニヒリズムを原理とする「党」であり、しかも「底」を破ることで存在自体を変革しようとする「生気あふれるニヒリズム」を持つとされる。まさしく「レーニンの『党』とは、われわれの世界に露呈した、無低からの発芽なのである。」そしてこの「党」は、既成のコスモスの秩序に飲み込まれてしまわないために、「純粋性と分割性」という2つの原理を与えられることになる。絶えず高温の純粋性を維持する流動体としての「党」は、異質の意識(すなわち「前衛」の意識)によって資本主義コスモスのラジカルな否定を実現し続けていくのである。そしてこの意識性こそ、現存する教会のコスモスに反対して、グノーシス(叡知)のみが人間に救済をもたらすとするグノーシス派との類似性を示唆する、と中沢は主張する。
かくして今までさんざん述べてきたことを集約して、中沢は、「レーニン主義の三つの源泉」とは、「古代唯物論、グノーシス主義、そして東方的三位一体論」とするのである。賢明な読者諸氏には、中沢の主張の本質はすでに明きらかであろう。中沢は、レーニンの「物質」概念を手がかりとして、その合理的側面を全くの非合理的側面と塗りかえることで、ことごとくひっくり返し、古代と東方の衣裳を付け、「土くささを失っていない聖霊」を手にした「あのロシア性」のレーニンを描き出したのである。そのレーニンは、近代資本主義の「底」を打ち破る思想と「党」を率いて、コスモスの「底」の下に存在する無底をめざすニヒリストとして、「裸の客観、むきだしの真実」を求める。しかも中沢は、かかるロシア的非合理主義者レーニンを、次のように讃えるのである。「レーニンの思考は、無底である『物質』の運動そのものに触れていた。それと一体であることもしばしばだった。だから、レーニンには、いっさいの神秘主義がないのだ」と。
「無底である『物質』そのものに触れていた」から「いっさいの神秘主義がないのだ」などと言うことは、中沢が、レーニンを純粋の神秘主義者に仕上げてしまったことを意味する。中沢は、このようにしていっさいの理性、合理主義と手を切り、ベーメの無底へと沈んでいくのである。中沢のような立場に立つ限り、無底の予感に恐れおののくか、現実の無秩序な破壊的ニヒリズムへとラジカルに進む以外に道はない。しかし「レーニンの笑い」は、中沢が本書の最初の方で引用した諸文献を読んでみても、そのような恐れおののきや無秩序なニヒリズムなど吹き飛ばしてしまうような、大胆且つ人間的な笑いであったとも考えられるが、いかがなものであろうか。(R)

【出典】 アサート No.203 1994年10月15日

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【投稿】「垣間見たインド世界」

【投稿】「垣間見たインド世界」

○なぜインドか?
「海外旅行で一週間休暇をとります」
「どこへ行くの?」
「インドへ。」
「インド!?」という驚きと変な興味心をもったような反応が職場の大方であった。
その言葉の裏には、なんでわざわざインドのような国へ?と、インドは謎めいておもしろそう、という意味が込められていたと思う。実際、インドに対して「変わったもの見たさ」のような関心もあった。
○インドは広くて多様な世界
一口にインドと言っても実は広い。西ヨーロッパ全体に匹敵する面積があるという。その広いインドを限られた時間でなるべく広く回りたいことから訪問地は東部のカルカッタ、南部のマドラス、西部のボンベイを航空機で回ることとした。それぞれ列車で移動すると30時間以上の距離。飛行機で2時間くらいである。インドというと、ターバンを巻いた言わゆる「インド人」をイメージするが、「インド人」は単一的な存在ではない。宗教は最大数はヒンドゥー教徒だが、イスラム教徒、仏教徒も多く、それらの寺院も数多い。また、ターバンを巻いているのは通常、シーク教徒であり、他の人が巻くことは少ない。また、州により言葉が違う。標準語と大阪弁のような違いではなく、文字の形から全然違うのである。イギリスの植民地であったことから英語が最も全国的に通用するようだ。ヒンディー語は一応公用語とされているが、実態は首都周辺の地方語に過ぎないようである。一つの言葉では全国には通用しないので紙幣の裏には10種類以上の言葉で説明されている。今回訪問した3都市もそれぞれ全く別の言語が使われていた。それぞれの州が一つの国のように言葉が違う。それでいて、インド全体に共通した独特の雰囲気もあり、全体として「インド」という世界をつくっている。

○甘党はインドに向いてないか?
インドと言えばカレー。日本のような「カレーライス」というものは存在しないが、街のいたるところには多種多様な香料が売られており、これらが料理に混ぜられる。いわゆる「カレー」(必ずしもカレーという名称はついていない)だけでなく、肉や野菜、焼きそば(中華料理として作られる)など、ほとんどのメニューが辛いし、それもピリッと辛いというよりはじわっと染みてくる辛さだ。しかし、とびあがるような辛さのものは以外と少ない。インドの気候は地域にもよるが、全般的に暑い。そこでは辛さの刺激がないと食欲がわかないのであろう。しかし、辛いものだらけの一方で、超甘口のヨーグルトやミルクが実に多い。辛いものを食べての口直しなのであろうが、定食のようなものを頼むと、必ずヨーグルトがついてくる。しかも甘すぎるほど甘い。私はインドで唯一食べられなかったのは実は甘すぎるヨーグルトなのである。

○インドは貧しいか?
インドが貧しいというのは間違ってはいないが正確ではない。貧富の格差が大きいのである。今回の旅行で最も印象に残り、忘れがたいのは貧富の差である。また、その格差が固定化していることである。
まず、街の中で驚くのは「物乞い」の多さである。街を歩いていると子供や、若い母親が手を伸ばして「ジャパーニ」「ハロー、ハロー」と寄ってきて進路をふせぐ。小銭を渡すまで立ち退かないのだ。しかし、下手に渡してしまうとその他大勢もわっと寄ってきて収拾がつかなくなる。ボンベイでは交差点での信号停止中を狙って近づき、小銭をとろうとする集団にも出会った。拒みつづけるわけにもいかず、かといって与えつづけてもきりががないし、またそれで何が解決するわけでもない。インドを旅行中、複雑な気持ちで彼らと接し続けざるを得なかった。
しかし、インド人全てが物乞いであるわけではない。近代的なマンションや大邸宅に住んでいる人もいる。一方でスラム化した街の中で住む人々もいる。「階級・身分の違い」という言葉がそのままあてはまる世界であった。大人に人力車を引かして通学するきれいな洋服を着た子供たちがいれば、裸足で物乞いをしており学校にも行けない子供たちがいる。彼らの関係はおそらく30年たっても変わりようがないほど固定的なものに見えた。身分制度で有名なカースト制は既に憲法の上では廃止されているが、民衆の職業や地域、生活に密着して根強く残っているということである。しかし、1週間の旅行者にはそれ以上を見ることはできなかった。今回はインド世界を垣間見ただけであったが、旅行後1ヵ月たった今、ペストの流行に気を揉みつつも、もういちど訪れる日を期待する毎日である。(大阪 ABC)

【出典】 アサート No.203 1994年10月15日

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【報告】NAGARAGAWA DAY 94

【報告】NAGARAGAWA DAY 94
          —-「ダムサミットin長良川」開催される—-

<河口堰は来年春本体工事完了>
すでに何回もアサート他で紹介してきましたが、長良川河口堰はいよいよ来年春に本体工事が完了することになっています。他方で、これまでダムのない川をみつけるのが難しいほど、あらゆるダム建設を進めてきた日本ですが、ダムが土砂の蓄積によってその機能が失われつつあることが報告されているように、日本の電力資源・水資源開発の中心であったダム建設そのものに重大な疑問が投げかけられつつあります。
こうしたなかで、「長良川河口堰建設をやめさせる市民会議」主催による「ダムサミットin長良川」が9月23日から25日まで現地長良川河川敷で開催されました。

<24日は前夜祭、雨のなかでも参加者多数>
私は24日午後からの参加となったので、23日の美濃川下りカヌーデモ・全国河川代表者会議については、参加できませんでした。24日午後メイン会場の伊勢大橋河川敷に仲間と到着し、キャンプの準備などをしながら、夜を待ちました。
前夜祭は、例年の通り、夢枕ばく、立松和平、本多勝一など文化人、ジャーナリストなどがトークや対談で川を守るアピール。全国の川を守る活動家から、それぞれの運動を報告して、今後の運動の協力と前進を訴えました。午後8時ころから雨が強くなりましたが、前夜祭イベントは雷の中でも続けられ、ここだけは昨年よりも参加者が多いように感じました。(社会党からの参加者に、激しい野次が飛ぶ一幕もあったようですが・・・)

<25日ダムサミットに各界から代表が挨拶。>
翌日は雨は上がりましたが、少し強風。カヌーには少しつらい天候でした。会場では地元運動団体、政党関係、労働団体などが連帯の挨拶が続きました。
特に印象に残ったのは、新党さきがけの高見裕一衆議院議員。彼は昨年の衆議院選挙では日本新党から兵庫県で当選。この春さきがけに移籍しています。彼の報告では、長良川問題を考える国会議員の会で、最近地元住民へのアンケートを行った結果でした。特に河口堰への住民の不安に関するものです。河口堰の安全対策は充分かとの質問に対して過半数の住民が不安を訴え、河口堰の運用にも疑問が多いという結果が報告されました。
社会党の議員は少し慎重な言い回し、共産党はいつもの上田耕一郎。たしか北川元環境庁長官も挨拶をしていました。
午前11時30分から行動開始、デモが出発。バイク、カヌーデモも出発。午後0時には、河口堰横の伊勢大橋付近で、「ダムはいらない」を叫んでアピール行動。主催者は参加者5000人、カヌー700と発表していました。

<参加者が少ないのは何故だろう>
残念なのは、1昨年・昨年と比べて明らかに参加者が減少していること。主催者発表にも関わらず、毎年参加してきた私としては、昔よくやった「水増しの主催者発表」の感を持ちました。
原因の一つは、すでに河口堰本体の完成にストップがかけられない事実。運動的には、今後「河口堰の運用」ストップ、導水管建設費など地元負担問題など、課題は多い訳だが「直接行動、現地行動」としては、十分に運動共感者たちに伝わっていないこと。アウトドア雑誌などでの事前広報が不十分だったこともあります。
さらに、運動団体の内部で少し意見の相違と分岐が深刻になった事実もあります。

<社会党系は少し距離、共産党は熱が入る>
また社会党系は全体的に距離を置こうとしています。何故かはわかりませんが、事実としてはそう推移しています。一方共産党系は、ここぞとばかり挨拶でも「現連立」「旧連立」を切り、唯一の革新の宣伝をしようとしていました。名古屋水労・国労名古屋・系列の市民団体がデモ隊列を独自に作っていました。(少しイメージ悪いなー)

<運動の方向は、それぞれの地元へ>
長良川河口堰反対運動は、もちろん今後も長良川を守る運動として続けられなければならない。しかし、日本の川の象徴としての運動イメージは、長良川流域での「地元運動」こそが、本来の中心である。おなじように全国には各地にダム建設や「近代河川工法」によって自然が失われた川を元にもどす、また川を守る運動があります。それぞれの運動を強めていくことも今後の課題といえます。今回の行動が「ダムサミット」としてのも、「河口堰反対運動」もダム問題へと一般化していこうとの意図が含まれていました。
それでも「長良川」という看板は今後も、そうした運動の「軸」のような意味で、川を守る運動の象徴的中心に位置し続けることでしょう。

<雑感>
さて、河川敷でキャンプをしていると、近所のおばさんが話かけてきました。「あんたら何をしているの?」。「私ら地元には、今日こんなことがあるって知らんかった」と。イベントの音楽などがうるさいと見に来た感じ。「あんたらどこから来たの」などと話が続きました。もちろん、運動側は外から来ている人間が多いのは事実だが、地元の人から消極的な意見を聞くと少しいやなものです。
今回の報告は少し粗いものになっています。私自身も少しこの運動に飽きてきたのかな?。労働組合の活動が多忙となり、市民団体への取り組みになかなか参加できないことも一因です。(佐野秀夫 1994/10/16)

【出典】 アサート No.203 1994年10月15日

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【投稿】朝鮮通信使に何を見るか

【投稿】朝鮮通信使に何を見るか
                —-戦後処理における江戸時代と現代の落差—

<<多彩な取り組み>>
去る10月13日、大阪で「朝鮮通信使に何を見るか 善隣友好の260年」と題する公開シンポジウムが開かれた(朝日新聞社主催)。これは、9月13日から10月23日まで大阪市立博物館で開かれた特別展「朝鮮通信使-善隣友好の使節団-」に合わせて開かれたものであり、同時にこの期間、朝鮮通信使縁地自治体サミット(10/1)、朝鮮通信使が遺した津市と鈴鹿市の二つの唐子踊りの合同公演(9/25)、朝鮮通信使物故者の追悼慰霊祭(10/9)、辛基秀氏の講演会「朝鮮通信使と日本」(10/8)や4回にわたる「市民セミナー」など多彩な取り組みがもたれた。いずれも青丘文化ホール(主宰・辛基秀氏)を中心とするネットワーク朝鮮通信使展の人々の多大な努力によるものである。そしてこの特別展が、二度にわたって朝鮮侵略を行った豊臣秀吉の大阪城本丸内の博物館で開かれたという事実、それが問いかけるものは、現代の日韓・日朝関係に、そして戦後処理にかかわる日本政府やさらにはわれわれ民衆の姿勢を厳しく問い直すものであったともいえる。

<<朝鮮侵略とは対極に位置する使節団>>
ところでこの朝鮮通信使とは一体いかなるものであったのか。戦前はもちろん、戦後においてもほとんど触れられることのなかったテーマである。ようやくここ十年前後に教科書でも取り上げられ出したところである。それには相応の理由があったといえよう。まず、豊臣秀吉の時代の朝鮮侵略と明治維新以後の秀吉賛歌、征韓論の登場、そして朝鮮侵略、日韓併合という歴史的事実である。ところがこの狭間にあった徳川・江戸時代というものはどのような時代であったのか。これを朝鮮侵略とそれと対極にある善隣友好の使節団・朝鮮通信使を軸にして歴史を見直すと、これまでの歴史観とは相当に異なった江戸時代の本質的様相が浮かび上がってくる。いわゆる征韓論、これは後期は別として江戸時代には表面上は否定されていたものである。秀吉の前後7年に及ぶ、15万8000の大軍を出した朝鮮侵略、文禄・慶長の役(壬辰倭乱、1592~97)を傍観し、秀吉の死と豊臣方の疲弊の機に乗じて1600年、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、実にこの侵略戦争後9年で朝鮮との間に平和使節団を実現させているのである。そして1607年から1811年まで、12回にわたって、少ない時でも300名、多い時には500名の大型使節団を迎え入れ、各藩、各大名に歓待の限りを尽くさせ、対馬から江戸まで延々1000キロ以上に及ぶ大行程をさまざまな政治的文化的芸術的交流の場として提供し活用しているのである。その意図や狙いは別として、敵対と侵略の期間よりも善隣友好の期間の方が日本の歴史上最も長いのである。戦後50年を経過しようとしているのに、いまだ戦後処理にもたついている現在の日本の姿とは対照的であるといえよう。

<<「民際」の重要性>>
さてシンポジウムでは、辛基秀氏を中心に、上田正昭氏(大阪女子大学長)、ロナルド・トビ氏(米イリノイ大教授)、田代和生氏(慶応大教授)、河宇鳳氏(韓国・全北大教授)がパネラーとして参加した。上田氏は、国際交流の国際に対置するものとしての民際ということの重要性を強調され、民衆と民衆の交流にこの朝鮮通信使が果たした役割を指摘し、さらに雨森芳州という当時の傑出した外交官が幕府や藩の思惑を超えた交流、「互いに欺かず争わず」、「誠信の交わり」という誠信誠意の外交を推進した意義について強調されたが、これは各パネラーとも一致して強調された点であったといえる。雨森芳州が朝鮮侵略を「大義名分の無い、無名の戦」と断罪した言葉は、現今においても再確認されなければない言葉であろう。
一方、江戸幕府側としては、鎖国政策をとりながらも、対朝鮮、そして琉球を通じた対中国、さらに対アイヌとは貿易通商関係を維持することが必要不可欠であったし、アジアの中での孤立を避ける必要からも、そして日本における将軍の権威確立の必要からも朝鮮との平和な関係を維持し、使節団を盛大に迎え誇示する必要があった。また各藩に多大な財政負担をさせる必要もあった。田代氏はこうした問題点を経済面から強調された。江戸時代の鎖国政策の意味と現実を改めて検証しなおすことが問われているともいえよう。

<<わだかまりを払拭するもの>>
河氏は、この朝鮮通信使が室町時代から行われてきたものであり、しかもそれは相互に60回以上にわたって訪問していた事実を想起し、その後戦国時代に中断したのであるが、豊臣時代になると、当時の首都漢城への日本の使節団の三つのルートが秀吉の朝鮮侵略のルートにことごとく利用されたことから、江戸時代は日本側の使節は釜山どまりとなり、その後の植民地化を通じた屈辱と苦難の歴史の中で、第二次世界大戦後の現在においてもいまだ重要な不信感の根拠となっており、容易にわだかまりが消え去らない状況を指摘していたことが印象的であった。トビ氏は、河氏の指摘された状況を日韓双方を滞在して実際に感じたことを報告しながら、同時に今回トビ氏がアメリカで新たに発見した江戸時代の狩野派の画家・久隅守景の描いた12枚の朝鮮通信使の行列を描いた絵をスライド上映して披露し、いかに当時朝鮮通信使が重要なイベントであり、多くの民衆から好奇と好意を持って迎えられていたかを明らかにされた。会場からの質問や疑問にも応える形で多くの問題を提起したシンポジウムであったといえる。
村山内閣は、これまでの政権とは違った戦後処理、戦後補償問題に対する誠信誠意の「民際」をともなった善隣友好外交に大転換すべきであろう。朝鮮通信使展と一連の今回の催しは改めてこのことを確認させてくれるものであった。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.203 1994年10月15日

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【本の紹介】「良い円高 悪い円高」

【本の紹介】「良い円高 悪い円高」
         リチャード・クー著 東洋経済新社 ¥1600円

経済の本ですが、とても読み易い本です。為替レートのメカニズムや戦後最高値を更新し続ける現在の円高について、マクロに理解させてくれます。特に著者は、投資家の立場に視点を置いて、一個人人ですら海外投資をする条件にない中、どうして投資家による海外への「貿易黒字還流」ができるのか、また内外価格差が解消されない以上輸入が増加する条件もない、と言う中で出口の見えない深刻な現在の円高を解明している。

<深刻な現在の円高基調>
まず、著者は特に90年代に入っての円高の評価について、将来の日本にとって対処の仕方を間違えると、日本経済に壊滅的な打撃を与えかねないと指摘する。
80年代のいわいる「円高不況」は、アメリカをはじめとする海外諸国の高金利状況の中で、海外債権を日本の機関投資家が大量に購入し、円高の陰でドル買いが進められ、また日本にあっては「バブル景気」といわれる金融主導の好景気によって、特異な形で乗り切ることができたが、現在の円高については、80年代のこうした「特異な脱出条件」は見あたらないという。具体的には①海外の債権金利は低調に推移していること。②円高基調であっても、将来の為替差損に耐えられる株の含み益は、激減しており、機関投資家による海外への債権投資をほぼ凍結状態にしているからである。
これらが、投資家の海外投資、すなわち、ドル買いにストップをかけており、80年代のような、円高の解決策は現状では不可能だという。
為替レートは、経済のファンダメンタルの表現であるとしても、80年代にアメリカが、ドル高の中で国内の主力製造業を軒並み衰弱させた実例のように、現在の円高は日本の「産業の空洞化」を一層進めることになるが、それしか解決策がないのか、とも問いなおしている。

<良い円高とは>
書名のとおり、著者は現在の円高を「悪い円高」と規定している。「悪い円高」とは何か。それは輸入障壁や商慣行の違いから、なかなか増えない輸入に対して、輸出が減る形で是正が行われる場合のことである。
年間1300億ドルという日本の貿易黒字という状況での円高は、本来一層の市場開放、内外価格差の是正を通じて、輸入の拡大により、通過の安定が行われる必要があるが、現状ではこうしたことが進行する状況にない。日本で進行しているのは「悪い円高」と言うわけである。
一方、「良い円高」とは何か。巨額の経常収支の黒字がある中で、輸入を増やし、すでに巨額になっている輸出に輸入が追いつく形で不均衡が是正される円高であると著者は規定する。拡大均衡の中で、通貨の安定、産業の安定を確保でき、輸出入の拡大を通じて世界経済にも好影響を与えるというわけだ。

<現在の円高は日本製>
著者は、そもそも70年代・80年代を通じる日本の経済政策そのものが、現在の円高を生みだしたのであって、現在の円高は純粋の日本製だという。現在円は、ドルだけでなく、すべての通貨に対して円高となっているから、単に対ドル関係が要因ではないという。
著者は、イギリス、アメリカ、ドイツの例を挙げて、貿易黒字の発生に対して、自国通貨の高騰が起こった時、どのように解決して行ったか、を示している。
ドイツは70年代、急速なマルク高に襲われ、ドイツマルクは実効ベースで3割も高騰した。ツアイスをはじめ西ドイツ製カメラが次々生産中止に追い込まれて行った。やがてドイツの投資家達に巨額の為替差損がおそった。その後、ドイツ政府は国内の市場開放を進め、その結果、ドイツマルクの上昇率は73年頃から穏やかなものになり、自国産業の空洞化が加速するのを抑えることに成功した。現時点でのマルクは60年代の初めに比べ実効ベースで2倍になっているが、円は同時期に4倍になっている。
日本は80年代に対外投資は自由化したが、市場開放は進めなかった。

<投資家の動向を注目>
こうした分析を通じて、著者は、日本のエコノミスト達が投資家の動向を経済の重要な変数として認識していないと指摘する。貿易黒字は、投資家によって固定的に海外に投資される、という理論が横行している。ところが投資家は儲からなければ動かない。海外金利の低迷、膨大な含み益の激減、円安期待が出来ない現状では、如何に貿易黒字が発生していようと、投資家の海外投資は凍結される。実際に80年代をつうじる海外債権・資産投資は、円高によって利益を得るのではなく、累積で35兆円の差益差損を生じさせた。投資家とは生命保険会社や年金資金などを運用する人たちのことを指すが、一部の大金持ちだけでなく、すべて国民の年金や保険の原資であり、これらの損害は最終的に国民に負わされる。日銀のドル買いも経済政策としては是認されるとしても、全面的な円高基調に対しては、焼け石に水程度の効果しかない。
現状は、おそらく日米経済協議の動向を投資家達は注視しているため、100円前後で推移しているが、日米協議の動向によっては、一段の円高は避けられない。商工中金の円高影響調査によると、中小輸出関連企業の101社の98%が、1ドル100円を切れば採算が合わず、111,7円でようやく採算が合うと回答している。一層の円高ともなれば材料の海外調達、海外生産に拍車がかかることは必死の状況である。

<ノーと言った日本>
今年2月の日米首脳会談で、米国側が要求した輸入拡大の数値目標で合意できずに決裂、その後一気に円高が進んだ。貿易不均衡に対して、数値目標で合意出来なければ為替レートで是正するしかない。「ノー」の判断が、どこまで考えての判断だったのか、と著者は日本の官僚の考え方に疑問を投げかけている。
以下の章で、円高是正を自力で進められない日本内部の問題を分析している。日米交渉のポイント、金融不安と土地利用規制の緩和、日本の官僚の体質、企業の姿勢を含む日本式資本主義の問題などなど、いずれも説得力のあるものばかりである。

<「輸出より内需拡大論」でいいか>
この本を読んで考えたことがある。これまで労働組合は「内需拡大」をスローガンにしてきた。その中身は、賃上げによる購買力の増加であり、社会資本の充実などである。それによって不況からの脱出をすべきという考えであった。それに対して日経連などは物価の安定が大切で賃上げは物価を引き上げると、平行線の議論をしてきた。
しかし、すべての通貨に対して円高基調、内外価格差は縮まらない(いわいる円高メリットは一向に国民に還元されない)と言う中で、労働組合が賃上げ・内需拡大をいうだけで、急速に進行しようとしている「産業の空洞化」による国内雇用の減少などに対抗できるのか、という問題である。
規制緩和・市場開放についても、労働者国民の立場から、具体的に政策提起することが必要ではないか。円高がもたらすメリットよりも明らかにデメリットの方に注意を向ける時が来ている。勤勉な日本人と怠惰なアメリカ人論、外国からの謀略説など感情的な円高論や日本経済は今回の円高も乗り越えるだろうという考え方が一般的だが、今回の円高をどうするか、まさにグローバルエコノミーの時代にあって、円高問題に対処すべきだと感
じた。今後村山政権が日米包括経済協議をどうすすめるか、注目されるところである。
(佐野秀夫)

(追記:本書の出版元・三一書房が労働争議のために出版活動を停止している。このため本書については入手困難な状況となっているが、機会があれば一読を要請する次第である。)

【出典】 アサート No.202 1994年9月15日

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【投稿】旧連立野党の新党構想について

【投稿】旧連立野党の新党構想について

去る9月5日、新生・公明・日本新党・民社・自由・新党みらい・高志会・旧改革の会・リベラルの会、民主改革連合などの野党10党派(改革推進協議会)は、首脳会談を開き、新党協議会を設立を確認し、自社さの村山連立政権に対抗する統一政党の動きを進めた。はたして、この新党はいかなる政策を持っているのか。「新党結成にむけての国民へのアピール」と「責任ある政治を求めて・‥新党結成への基本理念」を材料に、新党を概観してみたい。
今回の新党協議会は、今月下旬の臨時国会での統一会派結成から年内での新党結成をめざすものと公明新聞9月8日号は報じているが・‥・。

<政党補助が一番の日的>
新党の結成を急ぐのは、総選挙が近いからでも、統一を求める声が巷にあふれているからでもない。先般成立した政治改革法案の政党補助を受けんがためであることは周知の事実である。民社・日本新党に慎重論があるにも関わらず、新党結成を強行に進めようとする原動力は、この一点に尽さるようだ。

<責任ある政治?>
村山政権の「人にやさしい政治」に対して、「責任ある政治」がキーワードになっている。「・・いかに困難であろうとも問題を先送りせず、改革にまい進する責任ある政治の実現」「38年ぶりに非自民政権を実現し、政治改革をはじめ、さまざまな改革に取り組んだ細川政権、それを引き継いだ羽田政権は、久かたぶりにみた青空であった」とし、「旧来の55年体制の主役たちが既得権の維持のために公然と手を握り・‥改革が後退することを真剣に危惧する」などが「国民へのアピール」のすべてである(かなり情緒的な文書になっている)。
基本理念では、「‥・今日までわが国を支えていたシステムは方向性を見失い、完全に行き詰まっている。・・・日本の良き文化と伝統を活かしつつ、地球社会を視野に入れ、自由・公正・友愛・共生の政治理念を基本とした活力ある福祉社会を築くことは我々の使
命‥」としている。
以下 3項の具体的(?)な政策が提示される。
1、たゆまざる改革では(1)健全な議会制民主主義を確立し、たゆまず政治改革を継続し、官僚依存の政治を打破し、国民に開かれた政治。(2)行財政改革と地方主権の確立では、極力規制を緩和し、行政の肥大化を抑えるべく行財政改革に取り組み、地方主権を確立し、効率的な体制を整え、国民の負担を極力抑制しつつ、その公平を期す。(3)経済改革と生活の質的向上では、規制緩和、高度情報化社会の到来に経済改革を進め、内外佃i格差を是正し、生活の安定をはかり、環境と調和する生活の質的向上をはかる。(4)教育改革では、教育制度の改革、日本人としての誇りを持ち、心豊かな国際人としての素養を高める。
2、長寿福祉社会の基盤の確立では、生きがいを感じうる活力ある長寿社会、経済的安定と雇用の確保、勤労者・生活者の立場に立つ公正な社会をめざし、少子高齢社会を視野に入れ、‥我が国社会の特質にあった質の高い福祉社会を築く。多様な生き方を選択できる男女共同参加型社会をつくる.。
3、平和な世界をつくる‥一国平和主義、一国繁栄主義からの訣別では、国連改革をはじめ世界の運営に積極参加、力に依存する冷戦時代の発想を乗り越え、信頼醸成、予防外交につとめ、世界の繁栄に責任をはたす。核兵器の廃絶、拡散の防止、世界の軍縮をリードする。日米関係の安定と強化、アジア太平洋地域の繁栄に寄与。自由貿易を守り、南北格差の是正、地球環境の保全。人権及び自由の確保に大きな役割をはたす、など。

<時代を反映する基本理念>
こうして全文を読んで見ると、それなりに考えられた内容ではある。地方主権、男女共同社会、官僚依存政治の打破、軍縮、地球規模の環境保全など個々の文言だけでは、それほど私自身も違和感がないほどである。
それだけ、時代の選択枝は狭くなっているのであろう。敢えて言えば戦後補償に代表される問題には触れられていないし、特に「勤労者・生活者の立場に立つ」と言うが、この新党がどの層に立脚するのかは、極めて曖昧である。
全体的には「自社さ」政権の政策と敢えて違いを出そうとしているのだろうが、残念ながらさらに具体的な目標・政策の提示がなければ、明らかにはできないようで、インパクトには欠けている。この点は、新聞各社の主張でも同様の指摘が行われている。

<新党結成に広遠い道>
今後、新党結成までには、党綱領の決定、さらに党首の選出方法や具体的人選、既存の各党派の組織を統合する課題など、様々な問題が待ち受けている。いずれ新生・公明を軸とする「一大保守政党」となるであろうが、新・新党結成というだけでは国民からの関心も期待も少ないことは間違いがない。
他人事と考えず、十分に注目していくことが必要と思われる。
(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.202 1994年9月15日

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【投稿】社会党は消えゆくのか

【投稿】社会党は消えゆくのか

先の参議院愛知補欠選挙は連立与党のものの見事な惨敗だった。旧連立の旗手である海部の地盤だったとはいえ、あまりの大差に驚きを隠せない。当然、これが衆議院の小選挙区だったならば連立与党の全滅である。末広という無党派侯補に浮動票をかっさわれた格好だが、ある意味で浮動票の行方に左右される自社両党のそれぞれの弱点が、選挙協力によりむしろ拍車がかかったともいえる。連立与党は「村山政権への評価ではない」と必死になって政権への影響を否定しているが、旧連立がますますもって新党結成へ勢いをつけて突っ走っていることを見れば、先々大きな影響があると言わざるをえない。
社会党にとって、本当に自社連立でよかったのだろうか。あの政治情勢の中では、この選択しかなかったとしても、その後の展開を見れば社会党が首班となったことへの期待から失望へと変わってきているのが正直な気持ちだ。現状を追認し、自らの党是を変え、今まで支持していた市民運動を切ることが、責任政党だというのであれば、何もそれが社会党であることの意味などないではないか。これが社会党改革の中身だというのだろうか。新生一公明ラインになめきった対応をされながらも、必死になってがんばっていた第1次連立時代の方が、よほど社会党らしかったと思うのである。首班となればその「らしさ」がより強くだせるというのが、普通の常識的な感覚ではないだろうか。「責任がある」ということは現状を追認するのではなく、現状を変えていくことに責任があるということなのである。
新生一公明の国家主義的強行路線が露骨になりはじめたころに、ほのかに期待を寄せていた「社民リベラル結集」は夢のまた夢となってしまった。江田五月はなぜかブームがさったころに日本新党にいってしまい、労働運動をなおざりにしてまでこの課題にかけていた山岸連合会長は舞台から降りようとしている。横路北海道知事の行き場はどうなるのだろう。 旧連立は新・新党結成へ着々と準備をすすめ、公明新聞の見学などというパフォーマンスに大はしゃぎしている(確かにあの公明新聞がそのまま新・新党の機関紙になれば脅威であり、小沢が喜ぶのも無理はない)。地方議員や地方組織はどうするのかという大きな問題がありながらも、着実に前を向いてすすんでいるという印象を受ける。
自社連立は一時的な戦略どころか、旧連立の新・新党に対抗して、自社さ3党で新・新党をという話すらささやかれている。先月号での佐野秀夫氏の「民主主義のコストについては後払いできない」という言葉はまさしくそのとおりである。最近の政治はあまりにも安易に物事が決められすぎている気がする。そんな政治に官僚たちはますます責任感をもってがんばり、市民たちはますます不信感をもってシラけるのである。
先の社会党の臨時党大会は予想外の静けさの中で幕を閉じた(一部場外では「革命的暴力」をふりかざして騎ぐことしか知らない、どうしようもない輩がいたようだが)。自民党はこれを「仮免許から本免許になった」と評価したようだが、とても無難に乗り切ったなどとは思えないのである。むしろ、この静けさが崩壊一自然消滅への道を歩んでゆく第1歩を象徴していると感じるのは、思い過ごしだろうか。参議院選挙も総選挙もとてもうまくいくとは思えない。選挙協力ができても愛知の二の舞で、できなければ共倒れ、そんなシナリオしか浮かばない。第4次連立政権への劇的な展開を待つしか望みがないのだろうか。
解放運動や労働運動などを通じて、国政の場へ私たちの意見を反映させることのできる存在として社会党に期待していた人が多いと思う。これからはどうすればいいのだろう。この間題で投稿するたびに呼び掛けているのだが、第1線で社会党としてがんばっている諸氏のご意見を是非聞かせていただきたいのである。投稿をお待ちしています。
(大阪 江川 明)

【出典】 アサート No.202 1994年9月15日

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【投稿】日本共産党第20回大会は何を明らかにしたか

【投稿】日本共産党第20回大会は何を明らかにしたか

<<「-部の落後者」>>
去る7月19~23日、日本共産党は代議員999人を集めて、第20回大会を開いている。公式発表によると、現党員数は約36万人で、日曜版を含む赤旗読者数は250万人ということである。これは、87年の第18回大会時の公式発表、党員数48万人以上、赤旗読者数300万からすれば7年間の間に党員数は12万人、赤旗読者数は50万人減少したことを示している。実態はいわゆる「12条該当党員」といわれる未結集党員が10万人前後に達していることを考慮すれば、もっと深刻であろう。
志位書記局長の報告によれば「前大会以降、入党者の4割は青年であり、4千人以上の青年が我が党に入党している。同時に全党的にみると、党員現勢の中で占める十代、二十代の党員の比率は、低い水準にとどまっていることも事実である」と述べている。逆算すれば、前大会以後1万人しか入党せず、それに倍する党員が、しかも若い党員が数多く共産党から去ったことを示している。そして赤旗読者の減少についても、「毎月数万の規模の構読中止読者をなくする問題は、極めて重要である」と報告せざるを得ない事態である。
さらに同書記局長は、「ソ連・東欧の崩壊などの情勢の急激な変化を、科学的につかみきれずに落後していったものが、一部に生まれました」と指摘して、できるだけ低く見せかけた「一部の落後者」が相当多数に及んでいることを語らざるを得なくなっている。すでに久しく共産党のお家芸の域に達した排他的な憎悪と攻撃の対象は、反党分子や盲従分子から、これからは「落後者」、「脱落者」へと重点移行するのであろうか。冷戦体制の終焉、ソ連崩壊という歴史的転換の時代からすれば、ここまで食い止め得ていることは、むしろ評価されてしかるべきであろうと思えるが、指導部の姿勢には「わが党以外は、すべてダメ」という硬直的で排他的、独善的な姿勢にいっそうの磨きをかけることに全精力を費やしているとしか見えない。

<<「冷戦終結」論=アメリカ帝国主義美化論>>
その硬直的で、歴史的転換の特徴をまったくつかみ得ない論法が、「冷戦は終結していないどころか、いっそう強まっている」という、現実を直視し得ない強弁論法である。志位書記局長は、「終結したどころか、生き残り、再編・強化されているのである。アメリカを中心とする軍事ブロックは、諸国民への軍事的経済的支配の手段としての役割と機能をいっそう強めている。「冷戦が終結した」とするのは、世界のこの現実に目をつむる根本的誤りである」と報告している。そもそもアメリカ帝国主義はソ連や中国とは仲良くしながら、各個撃破政策をとっていたのであって、それが冷戦体制であった、したがってソ連が崩壊すればそれがよりいっそう強化されるというわけである。しかしもはや冷戦的政治支配体制や軍事支配体制が主観的にも客観的にも継続し得なくなってきていることは否定しがたい。
そこで不破委員長は、「アメリカ帝国主義が、かつての『ソ連脅威』論をより一般的な「紛争脅威」論などにおきかえて、『世界の憲兵』戦略という新しいよそおいのもとに、冷戦体制を再編・継続している」として、「いま注目すべさことは、ソ連解体という情勢のもとで、同じ型のアメリカ帝国主義美化論が再び登場していることです。それが『冷戦終結』論であります」と論点のすり替えを行っている。そして、「冷戦終結」論などを唱えるものはアメリカ帝国主義美化論者であるとして、たとえ党内の学者や研究者であれ、容赦はしないという姿勢を打ち出すわけである。これは、昨年10月の党員研究者の会議で、この党中央の冷戦崩壊論批判に異論が続出し、それが新聞報道されたこと(94/4/6、毎日)を念頭においている。

<<「公開の討論は、中央委員会の承認のもとに」>>
これに関連して、今回の大会では、「党の会議や機関紙誌で党の政策・方針に関する理論上・実践上の問題について、討論することができる。ただし、公開の討論は、中央委員会の承認のもとにおこなう」という規約改定が行われている。その理由説明に立った小林幹部会委員は、「討論の権利に関連して、公開討論は中央委員会の承認のもとにおこなうことを明記した。討論は党内民主主義の保障にとって重要ではあるが、この討論を公開で行うか非公開で行うかという討論形態は別個の問題である」と述べている。またもや党員の除名や排除は「意見の相違が理由ではない、党規律違反が理由である」、党の承認を得ずに党内の討論を党外に持ち出したから、党内の討論であっても所属の違う党員に討論を持ち出し、それは分派活動的な規約違反行であったからといった、これまでにもさんざん用いられてきたすりかえ論法が規約上でも確保されたわけである。
さらにこの規約改定では「討論は、文章であれ口頭であれ、事実と道理にもとづくべきであり、誹誘、中傷に類するものは党内討論に無縁である」という規定を追加し、その理由について、「近年、党大会前の機関紙誌などでの討論、あるいは質問や意見提出などのさいに、とうていまともな議論や疑問とはいえない、悪罵や誹誘、中傷に類するものも少なからずあったので、それが党内討論とは異質であることを明らかにした」と、その意図を露骨に述べている。公開討論はもちろん、党内討論においても「悪罵や誹誘、中傷」等々を理由に、「アメリカ帝国主義美化論者」やその他諸々の異見を有する人々を排除するお膳立てが整ったのである。

<<綱領に「反動的俗論」に対する反論を挿入>>
さらにその排他的な磨きの矛先は、丸山真男氏の日本共産党論にも向けられ、これを「反動的俗論」として描き出し、わざわざ綱領改定の重要な柱としている。「他のすべての政党が侵略と戦争、反動を推進する流れに合流する中で、日本共産党が平和と民主主義の旗を掲げて不屈に闘い続けたことは、・・侵略戦争を阻止しえなかったから日本共産党にも戦争責任があるとするたぐいの攻撃の、根拠のなさを明らかにしている」という反論
を今回新たに挿入したのである。丸山氏は、絶対主義的天皇制の精神構造が日本共産党にも転移していることを指摘したものであるが、綱領改定の提案者である不破委員長は「その提唱者が誰であれ、学問の名に値しない反動的俗論であります」と切って捨てている。
ここには共に闘うべきさまざまな人々、諸政党、広範な要求に根ざした運動、諸団体に対して、「唯一日本共産党だけが・‥」、「我が党だけが一貫して・‥」といった、馨り高ぶった、統一戦線思想をまったくかえりみない極左的俗論と言うべきかあるいはセクト主義的な唯我独尊論が浮き出ているといえよう。そこには戦前の党が、社会民主主義者を始め、さまざまな反ファシズムの諸運動や大衆団体、労働運動と連帯して闘い得なかったことにたいする徽塵の反省もないばかりか、むしろそれぞれに対する断罪に全エネルギーを注ぐ醜悪な側面が浮かび上がってくる。
志位書記局長は大会決議の報告の中で、現在の社会党について、「もはや社会党から自民党政治を引いたら何も残らない。『社会党マイナス自民党はゼロ』という『方程式』が成立するような状況になったわけです」と述べ、さらに村山政権のもとで、「海外派兵体制と小選挙区制は、反動勢力の「車の両輪」ともいえる長年の野望だったが、その実現への突破口が開かれたことは、日本型ファシズムヘの危険を増大させるものである」と、危機感を煽っている。唯一前衛党をふりかざし、他をあざ笑い、危機感を煽り立てるような政治姿勢は、絶対主義的天皇制思想と同一のものが転移したと指摘されても致し方のないものであろう。

<<「日本の支配体制」論の混迷>>
ところでその絶対主義的天皇制についても、今回綱領改定を行い、「当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、農村では半封建的地主制度が支配しており、これらの基礎の上に絶村主義的天皇制が反動支配勢力の主柱として軍事的、警察的な専制権力をふるい、国民から権利と自由を奪い、アジア諸国に対する侵略と戦争の道をすすんでいた」と改定している。そのようにした理由を不破委員長は「現行の文章で述べられている『当時の支配体制の特殊性』を、内容的に明確にした。絶対主義的天皇制、半封建的地主制度、独占資本主義の三つの結合だが、並列的な結合ではなく、軍事的、警察的な専制権力をふるった天皇制がその全体の背骨をなし、農村における半封建とともに、日本社会の進歩をおさえる前近代的な遺制をなしていた」と述べている。
これは何を意味しているのであろうか。戦前の講座派やコミンテルン32テーゼの誤りの上塗りをここでなぜ繰り返す必要があるのであろうか。そのいずれもが戦前の支配体制を絶対主義的天皇制の優位においてとらえ、独占資本の侵略と戦争責任を免罪し、社会民主主義主要打撃論を展開して反ファッショ統一戦線の道を自ら閉ざした主要な立脚点である。戦後においては、日本の支配体制を独占資本よりもアメリカ帝国主義の支配の優位においてとらえる、日本=対米従属・半占領国家というあの破産ずみの俗論である。さすがにこの点については、今回の綱領改定で現行の「アメリカ帝国主義になかば占領された」事実上の従属国という規定を、「国土や軍事などの重要な部分をアメリカ帝国主義ににぎられた」事実上の従属国と改定している。しかしこれでは本質的な改定にはなっていない。やむをえず不破委員長は、「この「半占領」という規定は、理論的な意味では、日本の現在の状態にもあてはまりうる規定です。ただ、現状の表現としてよりわかりやすい、うけとりやすい規定に改めたというのが、改定の趣旨であります」と弁解している。さらに「一部には、経済面の従属はもうないのか、という質問がありました。経済面での対米従属では、いまでは、アメリカが日本経済の重要部門を直接にぎるといった形態よりも・‥」とまったくしどろもどろの答弁である。まさにこの点は、彼らの政治的理論的混迷の象徴ともなっている。

<<「旧ソ連は何だったのか」という問題>>
この政治的理論的混迷をさらに押し進めたのが、「社会主義をめざす国」という新しい規定である。今回の綱領改定で新たに「社会主義をめざす国々には、第二次世界大戦後、世界の広大な地域にひろがった。しかし最初に社会主義をめざす道にふみだしたソ連では、レーニンの死後、スターリンを中心とした指導部が、科学的社会主義の原則を投げ捨てて、‥・」と述べて、さらに「ソ連およびそれに従属してきた東ヨーロッパ諸国の支配体制の崩壊は、科学的社会主義の失敗ではなく、それから離反した覇権主義と官僚主義・専制主義の破産である。これらの国ぐにでは、革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標が掲げられたが、指導部が誤った道をすすんだ結果、社会の実態として、社会主義社会には到達し得ないまま、その解体をむかえた」と規定している。
これについて不破委員長は、「ここでまずあきらかにしておきたいのは、この『社会主義をめざす』という言葉は、その国の人民あるいは指導部が社会主義を目標として掲げている事実をあらわしているだけで、これらの国ぐにが、社会主義、共産主義社会にいたるいわゆる過渡期に属していることを、一律に表現したものではない、ということです。では、旧ソ連は何だったのかという問題で、これは、大会前での討論でも、最も議論の多かった問題の一つであります。スターリン以後の転落は、政治的な上部構造における民主主義の否定、民族自決権の侵犯にとどまらず、経済的な土台においても、勤労人民への抑圧と経済管理からの人民のしめだしという、反社会主義的な制度を特質としていました。スターリンによる転換以後、強力をもって形づくられた旧ソ連社会が、社会主義社会でもそれへの過渡期の社会でもなかったということ、そこに私たちの認識の今日的な到達点があるということであります」と述べている。
「ソ連共産党の解体を歓迎した党の態度の根本には、この綱領的立場があった」というのであるが、それでもなお旧ソ連は一体何だったのかという疑問には答えていない。そこで不破氏は「私たちは、この党大会でソ連をいかなる社会主義構成体とよぶべきかという学問的結論をだして、こんごの学問的研究を制約するつもりは少しもありません」と、一見殊勝な態度を表明している。しかしそれは単に自らの理論的混迷を示しているに過ぎない。歴史的な社会主義の現実をありのままの姿で真摯に検討し、自らの教訓とするのではなく、自分たちの尺度に合わないものを検討の対象外として、「おれたちには関係のないこと」とする無責任な態度の表明といえよう。

<<よりいっそう重くなる業病>>
このようにして問題点を取り上げ出すとキリがないので、最後に実践上のいくつかの問題についてだけ触れておきたい。今大会に限らずそうなのであるが、労働運動の現状と展望について、そして人類的課題である地球環境問題については言及がほとんどなされなかった。本来彼らがセクト的な引き回しの結果として作ったはずの全労連についてその強化策がまったく触れられず、質的にも量的にも展望が見出し得ない実態を反映して、大会決議では「連合参加労組や、末組織労働者の中での活動を抜本的に強化する」方針に転換している。連合参加労組内での反対派活動、フラクション活動の強化である。
さらに生協問題についても大会決議で不穏当な方針が提起されている。「この間、生協運動の分野では、日生協本部の活動方針から、核兵器全廃などの平和の課題が欠落したり、組合員の共同購入を消極的に扱って大企業と競い合う大店舗化をすすめるなど、『平和でよりよい生活』をめざす生協運動の原点からの逸脱が問題とされてきた。生協運動の原点と伝統を守り、生協本来の活動を発展させるための改善の努力をはかることが、期待されている」。これは次のセクト的な行動を予測させるものであろう。
そして綱領改定の中で、当面の行動綱領の内、部落問題を独立の項目からはずし、「党は、社会の諸方面に残っている半封建的な残りものをなくすためにたたかう。いわゆる部落問題については、ひきつづき国民的な融合に努力する」と改定し、その理由について「同和問題をめぐる全国的な闘いの成果をふまえて、独立の項目とせず、半封建的な残りものをなくす全体的な要求の中に位置づけた」と述べている。ここでいう全国的な闘いの成果とは、いうまでもなく自らが扇動してきた差別キャンペーンであり、その最終段階での強化を意図しているといえよう。
もう一つ奇怪なのは、今回の綱領改定で「18歳になった日本国民は、党員になることができる」としたことである。その理由について、「現行の『日本人』という規定は、第7回大会での規約統一解釈において在日外国人は日本共産党の党員となることができないとしたのを明文化したものであり、『日本国民』として、本来の趣旨をより明確化した」と述べているが、このボーダーレス化がますます進行し、国際的人類的課題の遂行が共通の責務となっている時代に、この民族排外主義的な認識は何という落差であろうか。多くの地方自治体や議会で在日外国人の選挙権、被選挙権を認める方向が論議され、また実際に決議もされ、新しい諸政党がその入党を当然のこととしている時代にである。
彼らに骨の随から染み着いた民族主義的でセクト主義的な業病は、今回の大会でその症状をよりいっそう重くしたといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.202 1994年9月15日

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【本の紹介】『獄中19年-韓国政治犯のたたかい-』

【本の紹介】『獄中19年-韓国政治犯のたたかい-』徐勝著、
           94年7月20日発行、岩波新書、650円
       『完全なる再会』キム・ハギ著、93年6月1日発行、影書房、2884円

<<「国家保安法」改廃問題、急浮上>>
今、韓国では、国家保安法の改廃問題をめぐって与野党全面対決の状況になろうとしている。朝鮮民主主義人民共和国の金日成主席の死去、核疑惑、金正日体制の不明確さなど、情勢の不安定なさなか、去る8月11日夜、韓国の検察・警察当局が韓国の在野団体で最大規模の「民主主義民族統一全国連合」(約40万人)の李・常任議長ら二人を国家保安法違反容疑で拘束したのである。李氏らが、北朝鮮の統一方式に共感を示し、金主席の死亡の際も反政府的な論評を繰り返した疑いだという。翌8月12日、民主党、新民党の両野党党首はこれを「新公安政治」と非難し、全面対決の方針を明らかにし、9月国会で保安法改廃問題を最優先する方針を明らかにしている。8月10日には米政府が保安法の改廃要求を改めて打ち出しており、社会的な緊張の高まりと共に、この問題が急浮上してきたわけである。従来の「公安政治」を主導してきた軍人政権からの転換をはかってきた金泳三政権が、これにどう対処するか注目されるところである。

<<自由と人権思想に反する悪法>>
ここに紹介する二つの書籍は、この国家保安法と密接に関連する痛切な問題提起の書である。二人の著者は共に、この国家保安法や反共法、社会安全法といった法律によって逮捕、拘禁され、筆舌に尽くせぬ拷問を受け、獄中生活を余儀なくされた。これらの逮捕の根拠となった法はいずれも、植民地朝鮮に日本帝国主義が残してきた治安維持法をそっくり継承したものである。
徐勝氏は、朴正煕の大統領選を1週間後に控えた71年4月20日、弟の徐俊植氏を含む51名が「在日僑胞学生学園浸透間諜(スパイ)団事件」で逮捕され、死刑判決を受けた。徐勝氏は、73年1月31日の上告理由書の中で、「反共法、国家保安法は人間固有の権利である思想と良心の自由を宣言するところの世界人権宣言の精神、すなわち近代世界における自由と人権の思想に反し、ひいてはその精神を承認する憲法の精神に反します。従って原審が反共法、国家保安法違反を宣告したことは不当であると考えます。」と述べている。

<<「過ぎ去った日の思い出ではない」>>
徐勝氏は、この本を書くに当たって、「私が語ろうとすることは、過ぎ去った日の思い出ではない。長い軍部支配が終わり、文民政府が樹立された韓国では、いまも南北朝鮮を敵対関係と規定し、人権を抑圧する国家保安法が厳存している。そして信念を放棄しないという理由で、3、40年にも及ぶ監獄生活を強いられている年老い、病み疲れた33人の非転向政治犯がいる。私が経験した非人間的な監獄の状況は現在進行中である」と、述べている。
徐勝氏は、90年2月28日に釈放されたのであるが、「多くの年老い病んだ政治犯を残したまま、私が一人釈放されたことは遺憾だ。思想転向制度は良心・思想の自由に反し、民族を分断している体制のイデオロギー的装置であり、分断体制を最終的に支えているものだ。統一を念願するものとして、これを受け入れることはできない」と訴えている。
また本書には、1970~80年代に監獄にとらわれていた政治犯・思想犯の生々しい姿や拷問の実態、絶望と孤独や転向、そして機知に富んださまざまな闘いが克明に描かれている。

<<朝鮮戦争以来の非転向囚と若者の交流>>
そしてこの本の中で出色なのは、韓国社会で深く隠されてきた朝鮮戦争以来、30~40年も獄中に捕らわれてきた非転向囚の存在と、70~80年代に広範な青年、学生の民主化闘争の中で逮捕され、投獄された若者との交流である。
「緊急措置令違反の学生たちを一般舎棟に収容すれば、一般囚に対する法を無視した当局の処遇や人権蹂躙を学生たちが問題にし、一般囚が呼応し、騒乱が起きるので学生たちを特舎に収容した。しかしその結果、韓国社会で最も深く隠蔽され秘密にされていた非転向囚の存在が外部に知らされ、孤立を打破する大きな契機が作られることになった。」
「歌をこのうえなく愛す朝鮮人が一緒に10年も暮らしていても、お互いに歌がうたるのかどうかも知らずに過ごしてきた(歌をうたうことはもちろん、歌の本も許可されていなかった)。それが、学生たちが特舎にきて忘年会をやろうということになった。老人たちは戸惑いぎみだったが、若い連中が押し切った。南民戦の若者たちの歌声もすばらしかった。人民軍の文化宣伝隊にいた崔善黙先生の民謡『夢金浦打鈴』もよかった。任俊烈先生の『奪われた土地にも春はくるのか?』も日帝時期の国を奪われた民族の怒りと苦しみがうたわれていて意味深かった。しかし、私たちの魂を揺すぶり、深い物想いへと引き込んだのは李公淳先生の『白い雪が降るよ』という歌だった。初めて聞く歌だった。パルチザンでうたった歌だろうか? 先生が作った歌だろうか? すばらしい美声だった。それよりもうめくように、泣くように、高く低く大晦日の凍てつく空気を貫く歌声は、体の芯をギュッと絞り上げてつかの間の慰みから目覚めさせ、私たちを苦難に満ちた民族の歴史への想いへと駆り立てた。」

<<「衝撃の中・短編集」>>
もう一つの本、『完全なる再会』のカバーの帯には、「韓国文学界に突如予告なしに現れた青年作家の衝撃の中・短編集」と書かれているとおり、深い感動をもたらすものである。
本書は1991年、韓国の創作と批評社より刊行されたものの完訳である。訳者の李哲氏は、現在大阪市在住であるが、高麗大学大学院在学中、1975年、やはり国家保安法違反で逮捕され、死刑宣告を受け、88年に釈放されたのであるが、著者のキム・ハギ氏とは大田矯導所で同じ房に収容され、寝起きを共にし、釈放後も協力しあっている。
その訳者の紹介によれば、キム・ハギ氏は、1978年、釜山大学哲学科に入学、光州民衆抗争が起こった80年、戒厳令撤廃の示威のためビラをまいて逮捕された。軍の特捜部で過酷な取り調べを受けた後、軍隊へ強制徴集され、別件の捜索情報を得て、M16自動小銃と実弾数十発を手にしたまま山中に姿を隠し、1週間後に逮捕された。この時の捜索ではヘリコプターまで数機動員し、射殺の許可までおりていたという。軍法会議で10年の刑を宣告される。1982年、特別舎棟に収監され、そこではじめて長期服役囚たちに会う。訳者と同じく、88年に釈放された。

<<爆発的な売れ行きと発禁処分>>
キム・ハギ氏は、自分たちの民主化運動と一世代前の「アカ」たちがスパイ罪を被された統一運動、さらにそのまた一世代前の日本帝国主義からの武装独立運動が、ともに根を同じくする変革運動であるという認識を抱くに至る。
そして釈放直後から小説を精力的に書き始め、89年から90年の2年間に一連の短、中編の作品を発表、その一篇一篇が大きな反響を呼び、91年の2月に小説集が創作と批評社から単行本として出版されると爆発的に売れ始めた。とりわけ青年学生たちはこれを大学生の必読十大図書の中の一冊と指定したほどであったという。これにあわてた政府当局は発禁処分にするという通達を出してきたが、それにもかかわらず現在もなおステディ・セラーとして書店に並べられているという。
小説の舞台の中心は、特別舎棟=特舎という所である。ここは、転向書に署名することを拒否して生きている人たちが収容されている「究極の舎棟」である。最初に発表された短編、『生きている墓』は、そのすさまじい実態を描き出したものである。89年に発表され、第一回林秀卿統一文学賞を受賞している。

<<「生きている墓」での転向強要>>
最後にその一節を紹介しておこう。
「専担班(転向工作のための専門担当班)の教誨師である朴炯貴が45口径のリボルバー拳銃を引き抜くと、虚空に向けて空砲を撃ちながら口を開いた。」「おまえたちはこれまで転向を拒否してきた非転向囚だった。しかし今日は非転向囚から転向囚に、アカから大韓民国の国民に生まれ変わる再生の日だ。昨年の7・4共同声明以後、国民の分別のない統一騒ぎのため滅共戦線に穴があき、国が極度に混乱してしまった。わたしたちの領導者であられる朴正煕大統領閣下はこれを心配されて十月維新を断行し国をもとの軌道に戻した後、すぐに転向工作のための専担班を設置するよう命令された。南韓にいる非転向囚すら転向させられないでどうして北のイデオロギーを破ることが出来るのだ、というのがその理由だった。それで、きょう非転向囚を全員、百パーセント転向させろという公文書が下りてきたのだ。百パーセントというのは一人もぬけることなく、すべて転向させろということだ。私は面倒くさい話など好きではない。おまえたちの前にはただ二つの道しかない。転向して生きるか、転向を拒んで死ぬかの選択だけだ。」「では転向しようとする者は手を挙げてみろ。」
この後、何が続くのか、是非ご一読を。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.201 1994年8月15日

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【投稿】自然保護運動と政党

【投稿】自然保護運動と政党

ここ数年のあいだに、環境問題が注目されるようになり、自然保護運動のみならず、行政や民間企業レベルでも、環境に対する取り組みが活性化してきた。そうした中、政党も環境問題にカを入れはじめているが、社会党は残念ながら一歩も二歩も出遅れている。自然保護、環境問題も範囲は広いが、森林や渓谷を中心とする山岳地帯の問題を見た場合、ことさらその感が深い。
社会党は、依存している労働組合が職業的(産別として)に関わりのある一部単産以外は、これまで殆ど無関心であること、農村部でも山奥のことは知らん、という対応であり、党本体もイデオロギー先行であることから、森林の保全とか、不必要な道路やダムの建設反対運動には、軍事基地反対運動や反原発運動に比べ力を入れてこなかった。また、地域で自然保護運動に携わってきた人々との接点も無く、党の政策にもそうした観点が反映されることは無かった。幹部にしても、村山総理大臣は漁師の息子だから山は関係ないのは仕方ない?土井衆議院議長は山を動かしたものの、登らなかった。「好きこそものの上手なれ」と言うけれど、組織のなかに関心のある人がいるか、いないかで是ほど大違いなことはない。
一方、共産党は戦後の「勤労者山岳会」=労山の組織化に始まり、日本のあちらこちらで自然保護運動とのつながりをつくっていった。(一説によれば山村工作に失敗しさらに奥地に撤退、山岳ゲリラを目指したため山に強くなったのではないか、と言われている)現在各地で行われている運動で、共産党の影響が無い取り組みを探すのは難しいほどだ。そもそも不破暫三自身、登山が趣味で、自らの山岳紀行を出版しているくらいであるか
ら、カの入れかたが違うのである。
また、自民党をはじめとする保守政党でも、党の政策とは相いれない形になっているが、結構自然保護に関心があったり、キャンプや登山などアウトドアを本格的に楽しむ人が、閣僚クラスにも海部俊樹、橋本龍太郎、愛知和男など結構いるのだ。
かといって、自然保護を保守党や共産党に全く委ねてしまうことは出来ない。保守政党では個人の思いも族のまえでは非力だ。愛知和男は環境庁長官時代、山岳専門誌の長良川河口堰問題のインタビューを受け苦悩する心中を語っていた。
共産党はここでも引回しが過ぎる。労山の会報で「南アルプスに登って」との紀行の後にいきなり「国民平和大行進参加報告」が出てくると、落石の直撃を受けたみたいになってしまう。「週刊金曜日」の「日本アルプスで何が担きているか、三俣山荘撤去命令の本質」という記事(5月20号)を読まれた方もあると思うが、内容は全くその通りで山小屋に法外な地代を吹っ掛ける、林野庁のやり方は問題がありすぎる。しかし、三保山荘主人の孤軍奪闘を英雄視する一方で他の山小屋経営者が林野庁の桐喝に臆したため、山小屋の共闘が困難かのように描くのはどうか。三俣山荘の主人は、労山の結成に深く関わり、現在では日本共産党スポーツ後援会の幹部に名を連ねる人なのだ。もちろん撤去反対運動の支援者は共産党ばかりではないけれど、これだけ露骨に色が出てくると共闘の幅が決まるの仕方がない。
長良川河口堰の運動は、共産党も関わっているが、市民が主導し自治労が積極的にサポートしたため、帽広い取り組みが可能となった。しかし、社会党については非常に影の薄い存在であった。自社さ連立の現在社会党自体の改革が急務ななか、求められる役割も野党時代、前連立時代のとは違ってきている。
そのなかで環境問題の位置づけをいままで以上に重要視し、地域での地道な運動が無駄にならないような政策を確立していくことが求められている。それ以前に、党の人間も薄暗い酒場ばかりで悉くいてばかりではなく、野や山に飛び出していってほしいものだ。
(大阪 O)

【出典】 アサート No.201 1994年8月15日

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【投稿】労働側の「価格破壊」を迫る日経連

【投稿】労働側の「価格破壊」を迫る日経連

日経連永野会長は8月18日日経連経営トップセミナーで「このまま円高傾向が続けば日本の製造業は急速に空洞化し、大失業の発生という事態に直面する」「本当を言えば、貸金を下げ、物価も下げるというプロセス(過程)が必要だ」と、あらためて「貸下げ論」を強調した。また19日に発表された日本企業の再生に向けた提言(富士吉田提言)では「ワークシェアリングなどにょって余剰労働力を吸収、国全体として現状の失業率を維持したい」と明記するなど、賃下げとワークシェアリングによってこの危機を乗り切るという経営側の姿勢を明確にした。
ブームとなった「価格破壊」がついに労働力にも通用されるわけである。一つには貸下げであり、またもう一つはあらゆる領域でのパート労働の採用である。ワークシェアリングについても、この道筋で考えられ、そこにはこれまでの労働慣行や制度の大幅な手直しが行われそうである。すでに一部サービス業の労組からは「基幹社員以外はすべてパート社員化し、コスト競争に生き残ろう」という苦渋に満ちた提案もされている。問題は、正社員はこれまでと大きく変わることのないシステムに落ちつくと思われるが、パート社員の方は賃金(一時金・退職金)をはじめ労働条件(就業条件・年金・保険関係など)は大幅に引き下げられようとしていることが問題である。

結局、資本の論理のおもむくままに
あいつぐ生産移管で製造業は空洞化本番

さて、セミナーでは同時に今後の成長プランについても「輸出抑制」論をめぐって白熱した討議が行われた模様である。しかしこちらの具体策は何もなく、「まだ思考実験にすぎない」としており、資本論理のおもむくままとなりそうである。現実問題、大手リサーチセンターの調べでもすでにこの円高を通じて急速に海外生産拠点(とくにアジア圏)を拡充し、メーカー系列の下請け・外注量は1/4も削減されている。とくに自動車や精密機械の生産拠点となっている地方では著しい雇用環境の悪化が起きているのである。
長野県ではマレーシアなどへ海外進出を続けている三協精機製作所が円高による不況のため、400人の希望退職を募集し、2月で300人あまりが退職。
茨城では日立製作所がマレーシアへ生産移管。従業員を大量に配置転換。子会社4社の合併。
宮城県の東北アルプス電気は中国とマレーシアへ移転するため、県内の2工場を閉鎖し、1500人の希望退職者を募集中。
島根県出雲市では誘致した電子部品組立会社は親会社が生産拠点を中国に移したため閉鎖。地元の職安が失業者の職探しに奔走。
愛媛ではタオルなど繊維26社、紙・パルプ15社が海外に生産移転。
熊本では九州松下電器の工場がアジア進出のため磁気ヘッドの生産を中止し、地元企業が倒産。
宮城では都城市のアルミ製缶企業がスリランカに進出。

円高はいわば「市場の論理」である。先のクリントン・村山会談でアメリカが選択したのは、「日本の輸出が同じように続くなら、それは為替レートで調整するしかないであろう」ということであり、それが今回の円高の直接の政治的要因である。
80年代レーガン政権下で問題となったアメリカの「産業の空洞化」も、結局は「モノづくり」ヘアメリカが再挑戦することによって克服されてきた事態を見ても、日本の大企業の海外生産移管が安易な選択でしかないことは明白である。自動車やコンピューター、電機・機械など日本製品を売れるところに売れるだけ輸出するという、経済体質そのものが問題になっていることはすでにいくどとなく指摘されているのだ。
国内や海外をはじめ、開発や発展、市場そのものを拡大する努力をよそに、「売れるところに売って何が悪い」ではもはや通用しないだろう。アジアをはじめひろく世界に開かれた日本として、仕事や労働をわかちあう経済へと脱却する道を模索することぬきに、海外移転と賃下げ・労働条件の引き下げを一方的に要求する日経連の姿勢は断じて許されない。

lLOでパート労働条約採択される
フルタイム労働者同様の保護を認める
フルタイムからパートタイム労働への転換と
その逆の自由な選択を確保

ワークシェアリングやパート労働に関しての問題はなにも日本国内の事情ではない。いわゆる「先進国」ではいずれも雇用における焦眉の問題となっている。
こうした状況を反映し、ジュネーブの国際労働機関(ILO)総会で6月24日、パートタイム労働に関する条約が採択された。パート労働者の基本的人権を国際的に認め、パート労働をただ労働時間がフルタイムより短い労働者と定め、フルタイムの人と同じ労働基本権(いわゆる労働三権)を認めている。
同様に、母性保護、病気休暇、契約期間の終了を理由とする雇い止めなどについては、正社員と均等な扱いをすることを定めている。
条約文ではフルタイム労働者に関する規定を以下のように定義している。
「対応するフルタイム労働者とは、次のようなフルタイム労働者を指す
(1)当該パートタイム労働者と同一の事業所あるいは支所に雇用される者
(2)後者と同一タイブの雇用関係にある
(3)同一もしくは類似するタイブの労働または職業にある者」
また、第5条では
「パートタイム労働者が、パートタイムで働くことを唯一の理由として、比例的に計算して対応するフルタイム労働者の基本賃金よりも低い賃金を受け取ることがないょうにするため、国内法および慣行に合う措置を取らなければならない。」
第6条では
「職業活動に基づく法定社会保障制度は、対応するフルタイムの労働者のものと対等の条件を享受できるようにするために、パートタイム労働者の職業事情に合わせなければならない。適宜、これらの条件は労働時間、拠出額あるいは所得に関連させて決定されるかもしれない。」
これらのように国際的に様々な形態で短時間労働者が増加する中で、フルタイムだけでなくパートタイム労働を《自由に選択できる生産的な雇用≫と積極的に位置づけ、これらの経済的・社会的重要性とパートタイム労働者の保護を確保するため条約は採択された。

準社員・契約社員・臨時職員いろいろあるけど?
さて日本では昨年「パート労働法」(「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律案」)が可決されたが、その内容は名前の通り、パート労働者を保護するものではなく、「雇用管理」を目的とした内容となっている。法案審議の過程で地域ユニオンなど関係団体の働きかけで、①適正な労働条件の確保、②通常労働者との均衡(これが参院でもめた)、③「雇い入れ通知書の発行、④就業規則の作成、⑤3年後に法を見直す等が盛り込まれた。また「均等待遇か均衡待遇か」をめぐって論戦がたたかわれ、討議をふまえた附帯決議を確認し、「均衡」の概念に関する確認答弁をとるなど異例づくめの法案成立過程であった。
急速な円高と国内製造業の急ピッチな海外生産へのシフトで、雇用問題がふたたび焦点化してきたが、今後の労働力市場を考えるうえでも、パートタイム労働の適切な扱いやワークシェアリングなどが重要な課題となってきている。郵政や自治体職場でも短時間職員についての動きは具体化しつつあり、また、現実問題として準社員・契約社員・臨時職員・非常勤職員などの名称でパート労働は広く社会的労働を担っていることは誰一人として否定できないであろう。これらの労働者を含め労働者全体をいかに保護し、労働を確保するのか、労使ともに具体的な解決策をめぐって選択が迫られている。
(東京 R.Ⅰ)

 【出典】 アサート No.201 1994年8月15日

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【投稿】「村山政権」に望むこと

【投稿】「村山政権」に望むこと

社会党・自民党・さきがけの連立政権「村山内閣」が誕生して2カ月余、支持率の低迷が気になると同時に、「自衛隊合憲」や「日の丸・君が代容認」等が矢継ぎ早に発表された経過について懸念する。
新生党代表幹事小沢一郎氏や公明党市川氏らの「社会党はずし」のいきさつから考えて、自民党と組まざるをえなかった社会党の事情は理解できる。だが、自民党と組んだからといって、自民党寄りとみられる政策変更を、なぜ次々と短期間に行う必要があるのか、疑問である。「連立」というのは、どの政党も単独で政権が担えないから、複数の政党の合意で成立しているはずなのに、自民党の数に遠慮しているのか、屈服しているのか、はたまた、自民党の政治力・行政力に押されているのか、真相はわからないが、村山首相の好感度ぶりとは裏腹に、社会党にはやや情けないものを感じる。
社会党と連立を組まざるを得なかったのは何よりも自民党なのである。その点では自民党自身が一番大きな矛盾を抱え込んだのであり、困惑しており、日々の新聞報道でもよく感じられる。だからこそ、タカ派で差別主義者の渡辺を押さえて、ハト派色、民主派色の強い河野総裁が登場したのであろう。小沢氏が最後のカケを託した海部氏も、党内タカ派の中曽根や渡辺が支持したとたんに挫折したのではないだろうか。その意味では自・社・さ連立政権は、反共冷戦時代の終焉を象徴する時代の転換点に直面しているからこそ、成立し得た連立政権であると思う。とすれば、社会党はもっともっとハト派色、民主派色で自民党内にクサビを打ち込む政策的な攻勢をしかけるべきであろうし、自民党にそれを飲み込ませる絶好の機会ではないのだろうか。
「自衛隊合憲」にしても「日の丸・君が代」にしても、現実的対応とは別に、本来ハト派・民主派が目指すべき軍縮と核兵器廃絶への国際的イニシャチブを鮮明に打ち出した上で、論議をしなければならない問題である。左派といわれる人達は一体どうしたのだろうか。小選挙区制問題の時にはあれほど自民党や新生党を利する抵抗をしておきながら、今回は音無しである。社会党がキャスチングボートを握っていればこそ、党内はもちろん、広く国民にアピールする形で、議論を巻き起こすことができる最大のチャンスなのである。こうしたチャンスを生かせなければ、「自民党政権と変わらない」とか「社会党の変節」とかばかりがまかり通って、このままだと次の選挙が相当苦しくなるのではないかと思う。
これまで掲げて来た政策・方針を変更しなければならない時は、時代や情勢の変化とともに、常にある。今回も「政権与党」「首相のおひざもと」という、これまで以上に責任を問われる立場であることは明白だし、もはや「対立」の時代ではなくなったのも事実である。しかしながら、「変更」には、理解や納得が必要である。これまで社会党を支持してきた票数は小数ではない。紆余曲折がありながらも、長い間第2党の地位を維持してこれたのも、多くの国民の支持があればこそである。「被爆者援護法」をはじめとして「消費税」「自衛隊派遣」等々、越えなければならないハードルはたくさんあるだろう。その時は、自民党をも含めた政権内の議論をできるだけ国民にわかりやすいように公開し、結果だけポット発表することのないようにするべきである。
政治に「黒幕」も「仕掛人」もいらない。徹底した話し合いを基に合意し実行していく民主的スタイルの確立を、対立から連立へと大きく変貌させた村山政権下でこそ、望みたいものである。(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.201 1994年8月15日

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【投稿】村山政権と労働組合の対応

【投稿】村山政権と労働組合の対応
                 ・・支持労組の分裂と社会党大会・・

突然の自社さ連立政権に当惑
6月29日の村山政権の成立は、従来からの支持団体の中にいろいろな波紋を投げている。9月3日に開催される社会党第61回臨時大会議案である「当面する政局に臨むわが党の基本姿勢」の中でも「予想外の選択」として執行部が決断したと言われているように、自社さ連立は予想外の結果であった。55年体制では互いに敵同士であった自社が、手を結ぶということが、いろいろなところで矛盾を超こしている。特に社会党支持労組の中で、深刻な事態を迎えている。
6月29日社会党と連帯する労組会議は、橋村会長談話を出している。「社会党を支持し、社会党とともに活動をしてきた立場から、「村山新総理」を全面的に支えていく決意を新たにしています」と。
一方、連合は翌30日の中央執行委員会で「新連立政権に対する連合の対応について」を決定している。連合は26日の幹部会において、「細川政権の枠組みで連立再構築と安定政権を求め、自民党政権の復活は有り得ない」との立場であったため、「今回の結果は、我々の期待と大きな違いがあり遺憾である」と、不満の意を表明。さらに「社民両党が与野党に分かれたことから、羽田政権と同様、政策を通じての是々非々主義にもとづき対応する」とした。自民党政権の復権を恐れるとともに、社民両党の対立傾向がさらに拡大したことを憂慮し、連合800万労働者の団結にマイナスの影響が出ないよう最大限の努力を行うと。

自治労は積極的支持
細川連立政権の枠組みを基本とする新しい第3次連立政権の実現を期待することを基本的立場としていた自治労であった。6月中旬の混乱した政治状況の中でも依然、自治労の幹部は、さきがけとともに「社民リベラル」の結集による、細川政権の枠組みを追求していた。しかし、報道されているように、デモクラツツからの自治労議員の離脱、最終局面での自社さ政権への判断を自治労中央が行ったようだ。
7月4日の県委員長会議で決定された「細川政権の成立と自治労の基本的スタンス」によれば、さきがけとの共同の政権構想など、自治労は従来の連立枠組みを優先していたが、自民党を含む連立政権が成立した原因は「民主主義のコスト(粘り強い話し合いと上手な妥協)を払おうとしない政治姿勢であり、自民党と社会党を分解させて新保守勢力中心の政権作りが一貫して追求されたことは否定しがたい事実」と、旧連立側の「強行路線」を批判している。
さらに「村山政権の成立によって、最悪のケース(保守大連立、自民党単独)は避けられ、さきがけとの連携は維持されたものの、我々が期待した姿とはことなった政権構成となった」。しかし、「社会党の政権構想」は、自治労は基本的に支持できるものであり、合意された政権構想を基本に民主政治の実現と着実な改革を進めるよう、政策実現を軸に対応するとし、与党第一党の自民党には、旧来の体質に対して厳しい態度で臨むとしている。また、社会党が、「新しい政治勢力の形成」に直ちに着手することを求めると共に、統一地方選挙や、参議院選挙への旧来の枠組みでの選挙準備については、8月末の定期大会で提案するとしている。
村山総理が自治労組織内議員である事情もあるが、村山政権支持を自治労は固めた。

自民党中心の政権だ・・全電通
7月4日の全電通地本委員長会議では、村山政権に厳しい判断を示した。
「細川政権の枠組みを基本とし、自社連立は選択しない。」などを、第3次連立政権の基本としてきた全電通は、村山政権に対して「・・・自民党中心の政権であり、極めて遺憾」「さきがけとは政策合意が行われたが、自民党とは政策合意も政権構想も明らかにされていない」として、「連合の対応」を基本に、「村山政権とは是々非々で対処する」「社民両党が与野党に分かれた実態を深刻に受けとめ、社会党との支持・協力関係は維持し、公・民との協力・協調と新党各党との友好関係を維持しつつ、「社民リベラル」の結集による新政治勢力の形成に全力をあげる」としている。

社会党が参加する政権は評価・・日教組
7月1日の日教組第79回定期大会で、横山委員長は「村山政権を支持する」姿勢を示した。「護憲」か「自主憲法制定」かなど、自社の党是の違いはどうなるのかなど、政策協議もなく政権を組んだことで、国民に戸惑いがあるが、これに謙虚に耳を傾け、政権構想に基づき、3党が政策の詰めを急ぐべきだとしている。また、日教組としては新政権の教育政策を注目するとし、新政権とは政策を中心に協力関係を保っていく、とのべた。
(その後、所信表明などでの、日の丸・君が代問題などでは、批判的姿勢にある)

支持労組の間で、分裂傾向
このように村山政権に対して、社会党支持労組の態度の相違は明白になっている。
明確な政権支持は、自治労、日教組、私鉄総連、金属機械、全水道であり、政権を冷静に受けとめるとする慎重な態度、または遺憾との見解に立つのは、全電通、都市交、全逓、電機連合、鉄鋼労連などである。
おそらく連合をはじめ労働界との十分なコンセンサスを取られずに、社会党が自社さ政権を選択したことが原因と思われる。社会党の側にも自社連立が戦略として論議・確定された上での選択ではなく、6月の中央委員会でも「自社政権はありえない」と決定していたわけで、そうした余裕もなかったというのが、現実だった。
ともあれ、共通しているのは「自民党政権の復活への危惧」であり「社会党の政権政党としての主体性」である。遺憾を表明した産別組合も「政権構想」の具体化を注視し、政策の実現を求め、社会党の変革を求めている。
また、第3次連立内閣としての村山政権の意味を過渡的なものとし、社会党も含めた政界の再編がさらに進むなかでの「新しい社会党」への脱皮を求めていることは、共通しているのである。

今後の展開と問題
こうした社会党支持労組の政権への温度差がもたらす最大の問題は、第1に当面する統一自治体選挙、参議院選挙での選挙協力問題であろう。
すでに、旧連立の枠組みでの選挙協力による候補者選びなど選挙準備は、特に地方において進行しており、有る意味で社会党を除く旧連立の枠組みは新党構想も含めて維持されている。全電通のように明確に公民・新党との連携を打ち出している動きなどのように、社会党の選挙体制は、自社連立の事態の中で一層困難が予想される。
さらに、連合という枠組みがどう作用するのか。山岸会長の最近の発言は、政権とは一線を画す方に、重心が置かれ、連合の政治的影響力の確保を最大のポイントにしている。私見だが、社民が与野党に分かれ、旧連立が分裂した現時点で、一定の期間、連合よりも各単産の決定が重要になり、連合の政治的影響力は低下せざるをえない。
このことは、政治的影響力よりも、連合の制度政策闘争の真価が問われると言う意味で、連合の試練と逆にとらえ替えす必要がある。
第2には、社会党が議席獲得の最大の基盤としている労働組合の中で、政権を巡って意見の相違が存在する以上、自社連立に反対の労組出身議員を中心に社会党の内部で、意見と行動に相違が生まれてくる可能性がある。社民勢力の結集という旗を掲げて、村山政権に反対した議員有志が民社党の有志議員と共に議員グループを8月21日に約80名で結成と報じられている。このグループの代表は連合の山岸会長に協力を依頼しているという。また、旧連立の枠組みを重視する方向にある連合は、与野党の議員を集め、「連合政治フォーラム」を結成した。こうした政党と労組、政党と議員のねじれ現象は、どのように発展・推移するのか、その焦点は当面、9月の社会党臨時大会となっている。

基本政策の変更は承認されるか
9月の臨時大会への事前配布議案は、大きく4つの枠組みで構成されている。第1に村山政権と社会党の任務、第2に村山政権成立の評価、第3に「新たな時代の政策展開」とする基本政策の変更問題、第4に当面する活動について、となっている。
ここでは特に第3番目の基本政策問題について考える。村山首相が所信表明などを通じて明らかにした、社会党の基本政策の変更点は①非武装中立問題②自衛隊と日米安保③国際貢献④日の丸・君が代⑤エネルギー問題である。
非武装中立について、村山総理は国会での所信表明においては、「非武装中立政策はその歴史的使命を終えた」としたが、「非武装路線は党是を越える人類の理想」と規定し、今後も高く掲げ、中立・非同盟については、冷戦終結の情勢の変化の中で、その歴史的使命は終わったと規定している。この点については私自身も異論はない。
自衛隊・安保では、軍縮基調を堅持して、「自衛のための必要最低限の実力組織」である自衛隊を認め、合憲であるとし、「防衛力の再縞・整備と縮小」に努める。日米安保は、冷戦の終結により性格が変化し、むしろ平和のための積極面を評価している。
この点は、大いに議論が分かれるところであろう。連立政権としてさらに「自衛隊の縮小プログラム」まで合意できるよう、予算の前年比%問題より以上に軍縮へのプログラム、政策提起が求められ、それなしに、社会党内に留まらず、国民的にも支持を受けられまい。
日の丸・君が代では、それぞれ国旗・国歌との認識にたつが、強制については同意しない、という立場である。早速、日教組から批判が超こっている。いくら「国民に定着している」といっても、あまりに唐突であろう。掲揚・斉唱問題への物理的対応に終始する運動には私も現時点で疑問はあるが、時間をかけて、議論する姿勢が必要であろう。
エネルギー問題では「稼働中の原発は、代替エネルギーが確立されるまでの過渡的エネルギーとして認め、‥・自然エネルギー中心体系への転換をはかる」としている。
これらの内容は、私個人は一部を除き基本的に支持してもいいと思う。しかし、党是の変更となれば、あまりに唐突、混乱をまねく危険性が高い。物分かりの悪い、教条的左派があっさり転換に応じたようだが、むしろ「民主主義のコスト」については後払いができないことを認識していないと、現実に党大会の混乱状況も予想され、久保書記長の辞任と言う事態を想定する人もいるぐらいだ。
社会党広島が、基本政策の変更に修正案を予定しているとも報道されているが、とにかく我々は、この臨時大会の動向を見守るしかないようである。

長期政権化と連合・各単産の態度
短命であろうとの当初の予測に反して、この政権が「長期政権」となる可能性も生まれつつある。小選挙区区割り案が可決されても、2年程度選挙が行われなければ、長期政権となる。(自民党の連立重視の譲歩がどこまで続くか、また村山首相の所信表明に示される「政権政党としての社会党の基本政策の転換」などが、社会党内で十分に支持され、確立すればという仮定付きではあるが。)さらに、来年の統一地方選挙、参議院選挙まで以上述べた社会党陣営内の分散傾向がどうなるか。また、「自民党政権の復活」を危惧する声に、どのような方向が示されるか。問われているのは、各産別それぞれの状況、見解よりも社会党自身の問題であると言える。社会党自身の「変革」か、新たな政界再縮を通じての「第4次連立政権」を展望したぎりぎりの選択が早晩求められるだろう。(大阪:佐野秀夫 940821)

【出典】 アサート No.201 1994年8月15日

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『詩』 ノイエスト「白樺派」の興隆を

『詩』 ノイエスト「白樺派」の興隆を
                     大木 透

男は
この国の大文豪である
海外でも
相当
名が売れている
三半器官の発達した
慎み深さを
備え
あの
懐かしい
アンガージュマンの
敗者復活戦を
しっかりと
走っている

近頃は
ノイエスト
「白樺派」らしい
香も放っている
四国山脈の懐に
正倉院の
扉の音によく似た
名をもつ
二代目教組様を
祭って
アイドルの昇華に
賭けているらしい

この神様の
行く末が
書き下ろしの
長編小説のなかでも
なかなか
定まらないようだ

これからも
さまざまな
シュミレーションを
画策なさって
いるらしいのであるが
アウグスチヌスも
ダンテも
まして
イエーツも
完全な回帰曲線を
残していないらしく
教組様は
思うように
転位なさらず
男が
わざと
お話しを
引き延ばしているのだ

あらぬ疑いを
懸ける奴も
いる

ボランタリーで
教会を設計した
自称ポストモダニストも
コンペで
しっかりとした
成績をあげ
金銭の苦労がないものだから
神のお住居など
見えるものかと
皮肉られている
思い切って
私財を投げ売って
バベルの塔でも
建てたらどうだ

からかう奴もいる

アメリカの
有名な音楽賞をもらい
一五万ドルもの
賞金を稼いだと
妬まれている
作曲家も
時々
お忍びで
教会に通っているらしい

まことしやかに言う
マスコミ関係者もいる

それがなんでえ
放っておいてくれ
そんな風聞を
流す奴に
天罰を

財界人も巻き込んで
「清貧」の神への
巡礼が
華麗に繰り広げられている
御時世ではないか

ガンバ大阪の親元では
経営の神様が
いまでも
[産業報国]を
お説きになっている
御時世ではないか

正倉院の扉を
年に何回開けようが
文句を言える
筋合いではあるまい

それでも
心優しい
ノイエスト
「白樺派」の
皆様よ
もうこれ以上
理詰めで
神探しをなさるのは
お止めなされ

昔の人は言いました
「神はあるよでないようで」
「神はないよであるようで」

「それでいいのだ」
「それでいいのだ」

天才バカボンパパも
言いました

至悦の御時は
もっと
もっと
先に
お延しなされ

そして
万が一
「聖なるもの」に
お触れになった
その暁には
なにとぞ
分け隔てなく
下々にまで
その喜びを
御分かち
くだされ

(1994・5・28)

 【出典】 アサート No.200 1994年7月15日

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【本の紹介】『脱=社会科学 19世紀パラダイムの限界』

【本の紹介】『脱=社会科学 19世紀パラダイムの限界』
         ウォーラーステイン著、93年9月15日発行、藤原書店、5800円

<<「世界システム分析」論の提起>>
国際政治経済学者でニューヨーク州立大学教授のイマニュエル・ウォーラーステイン、この名前を聞かれたことがあるだろうか。今、注目の学者であり、日本でも昨年、12月7日、国立京都国際会館で、京都精華大学開学25周年事業として開かれた講演会で満員の聴衆を前に「リベラリズムの苦悶」という講演を行っている。
氏は、長期の大規模な社会的変化を研究の中心にする視座としての世界システム分析を提唱している。ここで提起される世界システム論とは、これまで分析の中心を占めてきた「国民経済」という経済単位では、世界経済の全体像を表現するには不十分であるとして、ヨーロッパに始まり全世界を覆うに至った世界システムとしての資本主義の出現に分析の中心を据え、そのシステムには中核(コア)、半辺境(セミ・ペリフェリ)、辺境(ペリフェリ)という三つの地域から構成される一つのシステムして見なければならない、その意味では世界システム分析は、19世紀社会科学の批判を目指しているという立場である。このように書くと、世界を三つの地帯に分けて、都市を農村が包囲するという毛沢東の「中間地帯」論を思い出させるのであるが、似て非なるものである。

<<19世紀社会科学の危機>>
氏は、われわれは今、史的システムの危機の只中にあるという。「構造的な緊張があまりに大きくなったために、結局システムそれ自体が消滅せざるをなくなるような状態、しばしば100年から150年間の期間を要する移行期、資本主義世界経済から何か別のもの、おそらく社会主義的な世界秩序であろうが、危機への移行期に生きているのである。」
それはとりわけ19世紀社会科学の支配的な見方の危機として取り上げられる。そうした支配的な見方とは「世界システムとしての資本主義の出現の結果でありまたその支えともなった知識のシステム、ニュートン、ロック、デカルトによって体系化された、人は理性によって、普遍的法則という形態での真理や正確さに到ることができるという信念」である。
ここでウォーラーステインは、こうした見方に対置するものとして、以前にも何度か紹介したことのあるI・プリゴジンの自己組織化論、複雑性の科学を取り上げる。「この新しい根底的な批判の代弁者の一人であり、社会科学にとっての意味をも熟知しているのは、イリヤ・プリゴジンと、かれのいわゆるブリュッセル学派である」。「自然を、普遍的法則によって支配される、単純な現実に還元することはできないこと」、「ハイゼンベルグの不確定性原理はミクロ的な現象にだけ当てはまるものではない」ことを主張する。
そして氏によれば、「世界システム分析は、種々の社会科学の批判として登場したが、それはまずもって、1960年代を通じて世界中で社会科学を支配しているようにみえた発展段階論と近代化論の批判として登場したのである」。

<<政党マルクス主義の危機>>
ここで当然、マルクス主義も批判の爼上に乗せられる。「マルクスの思想は、政党マルクス主義によって組み立てられた解釈に従って、政治経済学批判の追究であるよりは、支配的な認識論の一部となり果ててしまっている」。
そして社会主義運動は、つまり「マルクス主義者たち」は、「三つの主要なメッセージを引き出したように思われる。1=資本主義世界の経済的及び政治的過程に占めるプロレタリアートの中心的地位。しかも工業プロレタリアートだけが剰余価値を生産し、「鉄鎖の他は失うものは何も持たない」。2=最「先進」諸国の先進性。資本主義とは、それ以前の諸形態に対する「進歩」を示すものであった。ここからヨーロッパ中心主義は単に正当であるだけでなく、必須でもあった。3=商人資本と産業資本の区別の経済的重要性。一定の国における商人資本に対する産業資本の勝利はとにもかくにも進歩的」という、周知のメッセージである。マルクス主義を、あるいは社会主義運動をこのように単純化、図式化することには当然問題のあるところであるが、それらを克服し得なかったことは事実といえよう。
この点についてウォーラーステインは、一方では「わたしはここで、もう一人のマルクスに、19世紀社会科学の支配的な見方に抵抗したマルクスに立ち戻ってみたい」として、いくつかの論点を上げているが、ここでは省略する。
いずれにしても、氏は「世界システム分析は、発展主義、自由主義的・マルクス主義的合意、そして最後にはニュートン的科学観念、これらに対する批判であり、こうした考え方からどう自由になるか、自己を解放しうるかということを目的としています」と強調する。

<<反システム運動の危機>>
同様の批判は、反システム運動にも向けられる。「反システム運動そのものが資本主義世界経済の産物であった。結果としてその運動は自らの行動によって世界システムを掘り崩しただけでなく、この同じシステムを支えもしたのである。したがって、世界システムが危機にある一方で、それに対抗する反システム運動も危機にあり、さらに付け加えるならば、このシステムの分析的な自己反映構造、つまり科学も危機にあるのである」。
そして反システム運動の存在にもかかわらず、「世界経済の境界の拡張は、新たな低賃金労働の統合様式として機能するようになった。その統合様式のために、実際にはどこか他のところで実質賃金の上昇が埋め合わせられ、そうして世界的平均を低下させたのであった」。
反システム運動の中では、「一方で、発展は国内的平等の推進、つまり根本的な社会的(あるいは社会主義的)変革を意味すると考えられていた。他方では、発展は先導者に「キャッチアップ」していくことを含む、経済成長を意味すると考えられていた」のである。
しかし、何らかの形態の空間的な不等価交換、半周辺地帯の構造的な存在、賃労働とならんで、非賃金労働が大きくかつ持続的な役割を演じている点、そのシステムの組織原理としての人種差別や性差別の根本的な重要性が、反システム運動の中では忘れ去られてきたが、これらは世界システム分析にとっては、決定的に重要な地位を占めている。

<<第三世界、階級、エスニシティ>>
ウォーラーステインは、「第三世界というように呼んでいる、階級-エスニシティの(つまり国民-階級の)下層がまさに世界レベルで存在していること」の重要性を指摘する。今日の世界で「階級-エスニシティの下層」をもたない国家の名前は一つも思い浮かばない。「下層がいたるところに存在するのは一体なぜかを問うのみならず、たいていの場合その下層がエスニックな次元を有しているのは一体なぜなのか、を問わねばならないのだ」と主張する。
そして「人種差別と低開発はジレンマ以上のものではないだろうか。わたしのみるところ、それらは史的システムとしての資本主義世界経済の構成要素となっている。それらによって、史的資本主義の存在理由である、不断の資本蓄積が可能となる。それらをともなわない資本主義世界経済の概念を構築することは不可能である」と強調する。
先進国の賃金に比べて、10分の一、50分の一、100分の一という国が数多く存在し、しかもその人口は先進国の何倍にもなるという現実、そしてこれらの諸国は低賃金労働でしか世界に対抗し得ないという現実、さらに難民や移民、不法入国、出稼ぎ労働といったさまざまな形態を通じて先進諸国の最底辺の最も低賃金な労働に組み込まれている現実を見るならば、この指摘の重要性はますます高まってきているといえよう。

<<「史的社会科学を建設すべし」>>
ウォーラーステインは、このような分析の上に立って、われわれは「システムの危機の只中にいるが、この危機は目には見えるが予想のほか緩慢な速度で進展する長期のものである、と言いたい。その方向を予想することは出来るが、確信はもてない。だが、方向に影響を与えることが出来る」と主張する。
そして「現在われわれは長い移行期に生きており、そのなかにはそのシステムの矛盾があるがゆえに、その機構を調整し続けることは出来なくなっている。この時代は、そのシステムの旧来の仮説にもとづいては理解できない時代である。世界システム分析とは、史的社会科学を建設すべしという要求である。その史的社会科学は、移行の不確実さに違和感をもたず、善が不可避的に勝利するという信念をたよりにする手段に訴えないで、さまざまな選択枝を明らかにすることによって、世界の移行に貢献するものである」と提起している。
世界システム論という言葉の中に、何か形式論的で自己完結的な、還元論的な色彩を感じるのであるが、既成社会科学に対する批判は鋭く、本質的でもある。氏の言う史的社会科学の建設、19世紀パラダイムを超える新たなパラダイムの構築に向けた呼びかけは傾聴に値するものがあるのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.200 1994年7月15日

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【書評】労働時間短縮から個の生の自由へ

【書評】労働時間短縮から個の生の自由へ
             山科三郎『自由時間の哲学--生の尊厳と人間的共同』
              (1993.6.10発行、青木書店、2472円)

長時間労働による人間疎外、およびその究極の帰結としての「過労死」、これが現代のわが国の縮図であり解消されるべき課題であると言われながら、今日もまた長時間労働が繰り返されている。この現実を暴露、告発している書が過労死にいたるまで働かされ続けた労働者の怒りやその家族の悲しみを訴えている時でさえ、長時間労働は止まる気配すら見せていない。
本書は、かかるわが国の社会を支配している独占資本の異常な長時間労働方策に対して、労働時間の短縮の闘いこそが人間の尊厳性の回復、人間の解放へのキー・ワードであることを主張する。すなわち、長時間労働の実態と構造を解明する第Ⅰ部「”企業社会”の陰影---長時間労働の根源はなにか」、人間の生活時間における労働時間(賃労働時間)の本質と位置について検討する第Ⅱ部「長時間労働と生活時間の構造の変化---時間から人間疎外をとらえなおす」、そして労働時間の短縮から自由時間の獲得を通じて人間疎外の克服と全面的発達を目ざす方向を探求する第Ⅲ部「自由時間の獲得・享受と人間の再生---”わたし”が”わたし”らしく生きるために」である。
著者はまず「一見、労働者の主体的な行為にみえる長時間労働は、労働者のいのちを全面的に否定(過労死)するにいたらしめる緩慢な、社会的殺人の未遂行為であるといわなければならない」として、過労死を「計画的な、凶器なき殺人」と特徴づけ、この長時間労働を強制するものとして、①企業社会維持のための秩序原理=「能力」主義的序列の原理(「業績」主義)、②優勝劣敗の原則の「競争」の原理、③「日本」的集団主義の原理、④「巨大企業による労働者の全生活過程の包摂の原理」を指摘する。
そしてこれらの原理に対応して(対応させられて)、労働者の側には独占資本による人格管理=「企業内人生」という生活意識が形成されて、彼らを長時間労働に駆り立てている。その内容は、①労働者の「意識革命」=企業への帰属意識を基盤にした、労働者の精神的生活を生涯的に管理する「生産管理」論、②「個人の消費(水準)が社会的権威を示すという生活原理」、および③「市場にあふれる商品世界への物神崇拝」=「飽食」と「浪費」によって象徴される「ゆたかさ」への渇望、である。こうして「労働者自身が主体的に『能力』競争をつうじて企業目標を達成することのうちに、自分の”生きる喜び”と”労働の誇り”を感じとる人間」=「ワーカホリック」となって長時間労働が遂行されることとなる。
しかしこのことは、彼の全生活時間の構造を根本的に変化せしめ、規定することになる。すなわち著者によれば、個人の一日の生活時間は、(a)生理的生活時間、(b)社会的労働(生活)時間、(c)家事的生活時間、(d)社会的・文化的生活時間に区分される。しかしこ
のうちの(b)社会的労働時間は、資本主義社会においては、労働者の「生命の発現」とい
う労働の本来的意味においてではなく、「賃労働時間」として、資本によって直接的に拘束された時間としてあらわれてこざるを得ない。従って右の個人の生活時間はまた、拘束時間としての(b)賃労働時間と、非拘束時間のその他(a)(c)(d)の各時間とに区別される。 周知のように資本主義社会においては資本の目的は利潤獲得であり、このためにはいかなる手段をも辞さないというのが資本の本性である。従って資本は、拘束時間の延長、非拘束時間の短縮のためにその全機構をあげて邁進する。この結果労働者は、(d)から(c)、(c)から(a)へと必要性の高い生活時間の領域に次々に追いつめられ、最後には(a)の生理
的生活時間すら削らざるを得ない状況に陥っていくのである。そしてこの挙句の果てに過労死に導かれると言えよう。かくして労働者は、二四時間稼働体制の下で彼の家族をも含めてその生活過程を支配され、「時間ドロボー」たる資本に従属し、疎外された生活時間(賃労働時間)を送ることになる。
ではこのような状況を克服する方向はどこにあるのか。著者はこれを、労働時間の短縮に見出そうとする。労働者の現状が右に見てきたようなものであるとするならば、「労働時間の短縮は、いまや、わたしたちの現実的生活過程全体の構造的な変革の問題」として位置づけられる。それは「労働者の”人間宣言”」なのである。この視点から現在闘われている労働時間短縮要求の運動を見るならば、労働時間短縮は、たんに労働者の生命を摩耗させる長時間労働からの一時的脱出という意味にとどまらず、「理屈ぬきで自分自身にかけられる時間」を獲得し、「人間らしく生きるための前提条件」となる。すなわち、「賃労働時間短縮は、(中略)疎外された労働をしいられる生活時間の長さを短縮し、短縮した長さだけ形式的には、自分の自由な生活時間として自分の生を未来につなぐというかたちで、労働者の日常生活における全面的な要求のうちに内在する未来志向に、(中略)表現する」。
それ故労働時間短縮には同時に賃金引上げがともなわねばならず、また法的社会的に公認させると共に、自由時間における社会的文化的生活活動の手段を活用し得る権利をかちとらなければならない。こうしてはじめて労働者は、「個の生の自由」と全面的発達の可能性を手に入れることができるのである。
ところがこの労働時間短縮の要求に対して、資本の側は、彼ら自身育成してきた「会社人間意識」、「企業内人生」によって希薄化してきた「余暇意識」を逆手にとることで、「余暇=自由時間」という宣伝を行ない、賃労働時間を他の生活時間に優先させる方策を打ち出している。そして余暇を企業社会において資本が労働者に対して精神的肉体的限界まで剰余価値を搾取するための社会的必要条件として位置づけ、これに従って労働者の「余暇」管理、余暇の消費過程の支配まで目論んでいるのである。
かかる独占資本の新たな領域に対する攻撃に対して、著者は、「自由時間---それは余暇時間であるとともにより高度な活動にとっての時間である」というマルクスの言葉を引用しつつ、その「より高度な活動」とは、「目的意識性」、「目的生活活動(目的志向型)」、「人間的な共同関係の創造」をメルクマールとする「人間活動の本質」であるとする。またこのためには「自由時間を使用する人間的な力、自由時間の使用能力の形成」が不可欠であることを指摘する。
そしてこのような労働者の自由時間、全面的発達を目ざす運動は、実は資本主義的大工業自体が発展過程において(社会的生産力の発展、労働者の全面的可動性等々によって)その客観的諸条件を可能性として形成しつつある。従って労働者は企業社会の原理に対して、「人間の原理」、「人間的共同の原理」、「自治的共同の統御」を全面的に打ち出すべきであるとされるのである。
以上のように本書は、長時間労働の批判から、労働時間短縮の主張を通して人間的共同という将来への展望を有するものとなっている。人間の本質的活動が労働にのみ限定されず、その他の生活時間にも眼が向けられている現在、本書のように労働時間に焦点を合わせて問題を論ずるタイムリーな姿勢は評価されるべきであろう。ただ賃労働の克服が労働時間短縮をひとつの契機とするとはいえ、これのみにとどまらないことは明かであり、また独占資本の側からの強力広範囲かつ組織的な日常攻勢にどのように抗していくかについては、自由時間の目的意識性に加えて、労働者の側からの積極的かつ組織的な対応が重要な環を占めると考えられる。現在のところ本書にそこまで要求するのは無理であるとしても、本書が人間の生活活動を考察する上でひとつの指針を照らし出したことは確かであり、今後、自由時間・遊び・創造的活動等人間の本質を検討する際に示唆を与えるものであろう。(R)

【出典】 アサート No.200 1994年7月15日

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【投稿】これからのASSERT~「何でもあり」の時代に~

【投稿】これからのASSERT~「何でもあり」の時代に~

ASSERTに改題してから半年が経過し、同時に通算で200号を迎えることとなりました。私たちの新聞が現在の形態に変わってからというもの、ソ連-社会主義の崩壊、クリントン米民主党政権の誕生、自民党一党支配の崩壊-連立政権の誕生と、これまでの私たちの「常識」を覆す様々な出来事がありました。今にして思えば、当時の段階でよく新聞の形態を変えていたなぁとつくづく感心します。これが政治的主張のアジテーションのみという旧来の形態であれば、主張の内容に詰まり、どんな内容にするのかということで延々と議論し、中途半端な折衷的内容が掲載され、到底時代の流れにはついて行けず、あげくの果てにはこの新聞は消滅の一途をたどっていったのではないかと思うのです。ソ連の崩壊を目の前にして途方にくれた当時の悩み、葛藤が生の声として掲載されたからこそ、堰を切ったように本音が飛び出し、時代を追って、新たな価値観を生み出そうとする前向きな「動揺」が次々と投稿されていったのです。
ASSERTに改題してもそれは変わりません。むしろ時代の流れは加速し、連立政権は期待された役割を果たすことなく崩壊し、私たちがその動向を最も注目していた社会党は何と自民党と組んで首相を出すという、まさしく「何でもあり」の時代になり、私たちの悩みは益々深まるばかりです。連立政権参加以来の社会党のぶざまな動揺は、まさしく私たちの姿そのものなのではないでしょうか。
新聞がこの形態になって、ひとつ不満なことがあります。様々な主張が掲載されるのはいいのですが、いまいち議論になっておらず、一方的になっているのではないかと思うのです。確かに多様な価値観に基づく意見は出ているのですが、やや時流追認の傾向があるのは否めません。真っ向から反対の意見の人や賛同できるが一部納得できないという意見の人が必ずいるはずです。「最近の新聞の論調についていけない」というメッセージを編集委員あての年賀状のスミに書いていた人もいたそうです。そんな人たちの意見を聞きたいのです。現場の最前線や地域でがんばっている私はこう思う、という意見のぜひ聞いてみたいです。書き手が固定化しているのではないかといわれているこの頃、そういった人たちの声は貴重です。
「そうはいっても文章を書くのはちょっと構えてしまう」「ASSERTは結構レベルが高くて難しい」という声もあります。そんなことは気にせずに、どんどん書こうじゃありませんか。こんな拙文でも堂々と記事になるんです。要は「私はこう思う」というのがはっきりしていれば立派な「主張」なのです。そんな文章の方が、起承転結はきっちりしていても退屈な文章より、よっぽどおもしろいと思います。また、ネタは政治に限りません。世相や日常の雑感も時代の反映です。そんなことが掲載されない方がおかしいのです。
「そんな新聞では単なるおしゃべりサロンではないか。この時代に明確な指針を」と思う方もいるでしょう。おしゃべりサロン、大いに結構ではありませんか。私たちに指針を指し示すリーダーはもういらないのです。自分たちで考え、議論し、悩み、苦しみ、行動、展望を切り開いていくことが求められているのであって、甘ったれた「メシア主義」とはおさらばしなければならないのです。
せっかく毎月定期的にある程度リアルタイムに発行できるようになったのですから、自分たちのやっていることの情報交流や紹介をもっと積極的に掲載していってもいいのではないでしょうか。例えば、読者の中に「公務員の国籍条項撤廃」の運動をやっている人がいると聞きます。今の運動の状況や次の集会などの案内を広く紙上で呼びかけることはできないものなのでしょうか。これだけの貴重なメディアなのですから、有効に利用したいものです。
何だか支離滅裂な文章になってしまいましたが、これからのASSERTをどうすればいいのかという私なりの意見です。地域の読者会というのも考えたのですが、何か前衛党的な感じもしてピンときません。でも年に1回は読者の集いみたいなものをやって、生で議論してみるのは必要なことだと思います。また、ひとつのテーマにひと区切りつけば、別冊で特集を組んでみるのもおもしろいかもしれません。やれることはいろいろあるような気がします。主張だけにとどまらず、いかに参加・交流をはかっていくのかが、これからのポイントになるような気がします。
メディアの基本は、受手(読者)のニーズがどこにあるかを的確に把握することです。みなさんの求めているものは一体なんなのでしょうか。ぜひ教えてください。
(大阪 江川 明)

【出典】 アサート No.200 1994年7月15日

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【投稿】ドル安・円急騰と村山政権の登場

【投稿】ドル安・円急騰と村山政権の登場

<<ドル売り・円買いに走る日本企業>>
6/21正午過ぎのニューヨーク外為市場で、外為ディーラーがあっけにとられるうちに円は1$=100円を突破した。そのきっかけは、このところ強まってきていたドル暴落の危険性を予感して、今の内に少なくとも100円台で円をドルに替えておきたいという日本の輸出企業、その浮き足立った注文を受けた金融機関が一斉に円買い・ドル売りに走ったことにあり、しかもそのドル売りの規模は50億ドルに達したという。利益確保の行動が、逆に急激な円高という逆襲を受けることとなった。
こうした事態はさらに拍車をかけ、その後一気に95円台をうかがうに到り、協調介入も行われ、とりわけ日銀の円売り・ドル買い介入は100億ドル以上に達した。ドル買い支えのために政府の外為会計の累積為替評価損は94年度末で10兆円を突破する勢いである。泥縄式に惜しげもなく使い捨てられた評価損の規模は、決して無視し得ない巨額なものであり、これらが円の国内購買力を高め、貧困な社会資本の充実に使われていたならば事態はまったく違った展開になっていたであろう。

<<一顧だにされないサミット特別声明>>
そして少なくとも通貨対策ぐらいは注目されていたナポリ・サミットであるが、各首脳はワールドサッカーの結果に気もそぞろで、何らの合意も獲得できず、為替対策にいたっては、「ドル安は好ましくない」との蔵相特別声明だけで終わった。市場は、この特別声明を無視し、あざ笑うかのように、いっそうのドル売りを進行させている。冷戦終結後のサミットには、個々の不安定な国内事情、ブロック化した経済とその維持に精いっぱいで、もはや国際的に強固な意思統一を期待すべきリーダーも政策も不在であり、サミット廃止論まで登場する中、国際的な市場と経済に影響を与えたり、コントロールできるような先進国サミットの時代が終了したことを明らかにしたといえよう。
それは同時に、国際通貨体制について言えば「今やドル本位制ではなく、市場本位制なのだ」という新たな時代への移行期をも表している。ドルの包括的支配の時代、決裁通貨としてのドル垂れ流しの時代がもはや許されないし、さらにはサミット参加諸国を含めた先進国が世界市場を支配し得ていた時代が、すでに過去の時代のものとなったのである。それぞれの諸国の当局の動き、そしてサミットでの合意でさえ、急速にグローバル化し、拡大した国際市場の中では、それらの比重は以前ほどの重さを持ち得なくなっており、いわば市場の一材料に過ぎなくなってしまったのである。

<<景気回復下のドル不信>>
もちろんドル安の放置は、クリントン政権にとって最も危険なドル暴落をもたらしかねないし、短期的にも物価上昇をもたらし、インフレ抑制の大きな障害になる。しかしこれまでクリントン政権は貿易赤字縮小の最も手っとり早い手段として、公然とドル安を求める発言を繰り返してきた。その結果、今年の1月から6月にかけてドルの実効為替レートが5%も下落してきたのであるが、今回の新たなドル安は、株・債券を含めたトリプル安をもたらし、金融・株式市場の混乱を伴った新しい段階に入っていることを示している。
これまで米国にとっては、「ドル本位」制を続けておれるかぎり、膨大な経常赤字対策を先延ばしにし放置してきても、他の諸国や黒字国が対外資産をドル建てで運用する限り、赤字が自動的にファイナンスされる利点を徹底的に利用してきた。だが基軸通貨であり決済通貨であるドルだけに働くこの特権も、もはや通用しなくなってきたのである。市場は放漫財政を支え、ドル紙幣を乱発する体制を支えきれなくなり、逆に規律を失ったドルと、支えるに値しなくなってきたドル支援体制そのものをも投機の対象とするようになってきた。
そして皮肉なことに、米景気回復が明瞭になるとともに、ドル信認低下のムードが広がってきたのである。94年上期には米経済は、4%台の経済成長を達成している。ところがレーガン・ブッシュの放漫財政のツケは、景気回復とともに、財貨・サービスの輸入(実質)のテンポが同輸出より早いという経済構造を根付かせてしまっている。これを改善し、逆転させるには、ドル安政策からドル防衛政策に転換し、財政赤字穴埋めのための対外借り入れ依存から脱却し、金融引き締めと財政の構造的赤字の大胆な削減の実行が迫られている。しかし、11月に議会の中間選挙を控え、内政外交上で多くの行き詰まりを打開できず、個人的スキャンダルで傷つけられているクリントン大統領にはそれが出来ないであろうという不信感が市場を支配している。

<<MIT教授「日本は5年程度の減税先行が必要」>>
クリントン政権下の米エコノミストの主流は、レーガン・ブッシュの共和党政権時代に影響力のあったシカゴのマネタリスト派からハーバード、MIT(マサチューセッツ工科大学)系のネオ・ケインジアン派などに移っているといわれる。その一人、ドーンブッシュMIT教授は、「いまのように米国内の投資が好調で、貯蓄をはるかに上回っている状態では、経常赤字が減少しないのは当然だ」として、「むしろ米国とは逆に投資が増えずに貯蓄がたまり、経常黒字の減らない日本が、景気低迷を放置していることこそ問題なのではないか」と主張している。もちろん一方では、「ドルの全面安になった段階で、米政府はドル安放置がいい政策ではないことをはっきりと認識した」と政策転換の必要性は認めている。しかしドルは、円とマルク以外の通貨に対しては強含みであることから、特に日本の財政・景気政策に不信を投げかけ、官僚の強大な抵抗を問題にし、とりわけ日本の内需拡大に不可欠な減税問題について、「大蔵省の力が非常に強いから結局、消費税の引き上げが減税とセットになるだろう。減税の先行期間は1年より3年の方がいいに決まっている。実は日本を消費者重視の経済にするには5年程度の減税先行が必要だ」と述べている。(6/17日経)
日本の内部では、減税先行論は財政に無責任な暴論としてまともに検討もされず、旧連立与党では新生党と公明党が大蔵省と組んで、社会党に無理矢理消費税の大幅増税を認めさせようと、次から次へとハードルを高く設定してきたことは周知の通りである。
景気回復に冷水を浴びせるような暴論が、責任政党の必須条件に祭り上げられていたわけである。

<<村山新連立政権登場の意味>>
たしかに世界中を駆けめぐる投機資金は、日本が抱える巨額の経常黒字を格好の標的にしていることは間違いない。大蔵省の貿易統計によると、不況進行下の92年度の平均1$=125.15円から、93年度1$=108.17円へ、約13%円高が進んだのであるが、それでも輸出額は3662億$で、前年度を6.5%上回っている。94年度に入っても、実質数量ベースでは減少傾向が明瞭になっているといわれながらも、ドル換算の輸出額では、4月が前年同月比7.3%増、5月も同4.4%増と、増え続けているのである。最近は5月の通関統計によると、貿易黒字額が前年同期比15.9%も減少するなど、明らかに円高で輸入が増える作用の方が強く働いているのであるが、90円台に入った急速な円高によってドルベースでは逆に、94年度の貿易黒字額も当初の見通しより40-60億$増額すると試算されている。
大胆な内需拡大を目指した景気拡大政策が実行されない限り、円高攻撃は止まないであろうし、一部には1$=80円台説まで言われ始めている。すでに94/1-6月期、円高倒産が近畿地区では前年同期の5倍近く発生している。こうしたさなかに村山新連立政権が登場したのであるが、旧連立政権とは違って、ハト派色を鮮明に打ち出し、所得税減税の先行を明瞭にし、消費税増税については何よりも国民合意を重視し、論議の公開性と民主的手続きの重要性をうたっている。そしてサミットでの村山・クリントン会談では村山首相は、大衆の生活に根ざした公共投資の見直しと拡大を提起している。唐突な社会党と自民党、新党さきがけとの連立政権の登場ではあったが、ある意味では現実の要請と必然性に敏感に対応したものであったとも言えよう。
モンデール駐日米大使は村山政権の登場とともに「羽田政権とはかなり違った話が出来た」ことを評価し、税制改革について「減税は恒久的ということなら非常に良い。増税は景気が回復してから考えれば良い」と強調し、「日本に戻ったら大蔵省があいまいにしているようだ」と大蔵官僚の批判を忘れてはいない。(7/16日経)
問われているのは、日本の官僚を乗り越える政治経済改革の具体性と整合性、そして国民の合意を背景にした実行力ではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.200 1994年7月15日

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【投稿】官僚主義から民主主義へ

【投稿】官僚主義から民主主義へ
               —-村山大連立政権と政界再編の行方を考える——

<羽田=小沢ファッショ政権の崩壊>
6月29日、47年振りに社会党の党首が首班となって第1党自民党と第2党社会党による大連立内閣が成立した。この1年の間に、自民党一党支配とそれがもたらした政治腐敗に対する国民の不信感が、細川・羽田という2代の連立政権を生んだ。自民党を初めて野党に追い込んだことによって、念願の政治改革が緒に着き、選挙制度改革や政党助成が準備されていた。しかし、「改新」という新会派づくりを社会党に何の断りも得ずに進めたことで、社会党の存在を数合わせとしか見ていない小沢ファッショ内閣の本質が明らかになって、社会党の政権離脱と羽田=少数与党内閣の成立という波瀾ぶくみの展開となった。政局の焦点は、自民党政治に止めをさすのか、「普通の国」=政治大国へと一気呵成に突き進もうという小沢の政治戦略に止めをさすのかという消極的な選択にうつった。
社会党がそのキャスティングボードを握った。なぜなら、その選択について党内が真っ二つに割れていたからである。右派のデモクラッツは反自民の連立をあくまで追求するべきだと主張したが、これは連合の社会・民社両党の協調という路線に後押しされていた。しかし、小沢ファッショ政治は歩み寄りを見せなかった。すなわち消費税の大幅な引上げを年内に決めること、欧米主導の国連安保理事会の常任理事国入りに積極的になることなど反国民的、好戦的課題について社会党の一方的な譲歩を迫った。大蔵省を始めとした官僚とマスコミが一体となって展開された福祉のための増税という大キャンペーンや「普通の国」に対抗するビジョンを国民に示せなかった自社大連立派の政策面での弱さによって、国民の期待はまだ反自民連立政権にあった。したがって、世論の後押しを受けた小沢ファッショ政権の内閣総辞職から政権協議へという動きに同調する社会党右派のデモクラッツの動きも楽観的であった。
しかし、小沢は海部という切札をもっていた。これによって社会党を割り、自民党の政治改革推進派を取り込むという、自社を分裂へと追い込む勝負に出た。この勝負は、小沢の後ろに中曾根が付いていたことが会期末ぎりぎりになって明らかになったことで、デモクラッツの村山首班指名への方針転換につながった。しかし、74人の衆議院議員の内3分の1の24人が白票か海部票だったことに社会党内の混乱振りが現れている。

<「ハト派政権」の波紋>
自民党が社会党の首班を担ぎ、しかも社会党の政権構想を丸飲みするという決断をしたこと自体が自民党の政権奪取への並々ならぬ意欲を示している。社会党の従来からの「反自民」の看板もわずか一日で降ろされてしまった。このような姿勢を国民は「野合」政権ととらえている。確かに一年前の選挙まで全国津々浦々で宿敵のような闘いを演じてきた両党がなぜ簡単に連立を組めるのかという疑問が湧いて当然である。その疑問をいち早く捉えて大連立への道を清めたのが新党さきがけである。「ハト派政権」という国民のもっとも受け入れられやすいネーミングで時代遅れのイメージが定着しつつあった社会党への国民の再評価と分裂を繰り返してきた自民党の体質の変化を端的に表現し、国民の自社大連立アレルギーを幾分和らげた。
新党さきがけの「普通の国」批判は、ビジョンとして国民に示されるところまでまだいかないが、国民に何が論点かを示している。国連安保理事会の常任理事国になることによって発生する責任と義務の重さ、そして積極的になることによって加重する軍事的貢献の危険性を指摘したことが、社会党や自民党の平和国家路線を結びつける触媒の役割を果たした。ここでも官僚とともに羽田政権が、国民の重大な進路選択を国民の前にわかりやすく説明することなしに既成事実を積み重ねていた。このような官僚が国民の意思を問うことなく重要な意思決定をするという官僚政治の悪弊は、族議員という形で一定程度の発言力を持っていた自民党政治よりもひどい状態、すなわち小沢と彼を支える創価学会=池田というごく一部の人間にだけ官僚が意思を聞けばよいという国民不在の政治になりつつあった。
新党さきがけと自民党が社会党の村山を担いで結束できたのは、このような一部の人間が密室で政治を行うというファッショ政治の阻止ということが最大の理由である。しかもこの羽田=小沢政権の好戦的性格に対してアジアの国々が警戒の色を強めていたことに示されるように、社会党が政権構想を骨抜きにして反自民の連立に付いていたならば、消費税の大幅引上げがもたらすであろう軍事大国化に周辺諸国の警戒はますます強まっていたと思われる。村山内閣の誕生を中国が歓迎の意思で迎えたことと日本をカードとして国連で使いたい覇権主義のアメリカが落胆の色を隠せなかったのは、当然の結果である。

<官僚支配から民主主義の国づくりへ>
消費税の問題は村山政権の命運を掛けた大問題であると同時に、日本の官僚支配を政治の側が第1党と第2党の大連立で打ち破れるかという民主主義をかけた戦いである。国民が選んだ政治家たちが国の進路に関わる政策決定に何の影響も及ぼすことができないという官僚支配の壁を破壊するための闘いが、自民、社会、新党さきがけのサンフレッチェ内閣で始まることを、国民が本当に期待できるかが問われている。民衆の立場を代弁するという当たり前のことを政治がしはじめたとき、政治不信が解消に向かいはじめる。消費税問題にしろ、国連安保理事会の常任理事国入りにしても国民の声と村山内閣の政権合意とはみごとに符号していることに一縷の望みがある。
問題は、このような国民の声を実行できるだけの力量が村山内閣にあるかどうかということである。官僚の壁は厚く一筋縄ではいかないが、国民世論を味方にして闘いを挑むのか、55年体制のような密室での取引に終わるのかによって内閣の命運が決まるだろう。村山内閣が自らの公約を国民の生活に密着した具体的なビジョンとして国民に示し、行政改革と大企業優遇税制の是正、誰もが安心して暮らせる福祉社会づくりといった公正な政策を確実に実行に移すことがまず必要なことである。
・—新しい連立政権の樹立に関する合意事項(1994年6月29日)—–
①政治改革の継続的推進 ②行政改革と地方分権の推進 ③経済改革の推進
③農林漁業振興の推進 ④高齢社会と税制改革 ⑤外交・安全保障・国連改革
⑥戦後50年と国際平和 ⑦朝鮮民主主義人民共和国の核開発への対応 ⑧教育
の充実と男女共生社会の創造 ⑨連立政権与党の運営
(1994年7月15日 大阪 M)

【出典】 アサート No.200 1994年7月15日

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