【投稿】次の総選挙で何が争点になるのか

【投稿】次の総選挙で何が争点になるのか

○政界再編いっきに加速
政局は細川辞任によって一気に流動化している。細川政権は、政治改革を前進させる政権としての歴史的使命を終えた途端に、その求心力を失った。さらに自ら墓穴を掘るように国民福祉税構想の提唱とその白紙撤回や日米首脳会談の決裂、内閣改造をめぐる不手際といった細川首相個人の指導性と庶民感覚の欠如をさらけ出し、内閣の崩壊は時間の問題であった。細川首相には辞任後も、自民党政権を崩壊させた佐川マネーに手を染めたことに対する反省と疑惑の全容解明への真摯な姿勢が見られない。また細川は小沢、市川のいわゆる一・一コンビに接近して自己の理想を反故にしつつあり、彼の個人商店である日本新党は分裂に向かっている。自民党も後継首相の指名をめぐって真先に名乗りを挙げた渡辺が新党を結成する意思を固めたり、北川・鹿野の若手グループも新党を結成するなど党の求心力の低下を止められない。社会党と民社党も一・一コンビの渡辺擁立劇に参加するグループと新党さきがけに同調して渡辺擁立に抵抗するグループに分裂する危険性がある。
問題を複雑にしているのは、ただ単に小沢を中心とする「普通の国」=軍事大国路線と武村を中心とする「小さくともキラリと光る国」=平和外交による国際協調路線との対立と次の総選挙を小選挙区で闘うのか、中選挙区で闘うのかという対立とが入り乱れていることである。小選挙区の区割もしないうちに中選挙区で選挙をするということになれば、選挙結果によっては政治改革が後退する可能性がある。本音では中選挙区で選挙をしたいという自民党と社会党の連携プレーが解散・総選挙を早める可能性がある。

○最大の争点としての外交・防衛政策
現行中選挙区か小選挙区かということはともかく、次の総選挙の最大の争点の一つは外交・防衛政策である。軍事大国路線をめざす小沢の新生党、渡辺新党、公明党、日本新党連合対平和国家路線をめざす武村の新党さきがけ、自民党の一部、社会党と民社党の一部の連合が日本全国で入り乱れて闘うことになる。それが小選挙区制での選挙であれば、自治体において一度勝った首長の下に権力が一気に集中することや自治体選挙における小選挙区の過去の経験から見て、最初に小選挙区で勝利した者に選挙区の有権者の相談や献金が集中することは必至で、敗者が巻き返すことはかなり困難になる。従って、おそらく年内には予想される解散・総選挙にむけて各陣営の激烈な闘いが始まっている。軍事大国路線側の政策は平和を愛する国民の感情に配慮して「国連の常任理事国になるべきだ」というソフトな主張として外務省との合作の下に打ち出されるだろう。
しかし、国連の常任理事国に日本が積極的に手を挙げることは、日本の軍事力の強化と軍事的な国際貢献という名の海外派兵=日本の国益に基づく軍事介入への道を開くことになるだろう。従って、平和を愛する国民の大多数の願う恒久平和の世界秩序とは相いれないものになりかねない。むしろ、軍事力を最小限にしながらアジアの平和と安全を保障するアジア版CSCE(全欧安保協力会議)の創設や国連の平和維持活動の強化への平和的手段による貢献、全般的軍縮の実行力を持つ国連への抜本的改革に対する加盟各国の協力体制の構築にこそ力を注ぐべきである。

○官僚国家に対する革命
総選挙でのもう一つの大きな争点は、現行の官僚支配を打倒する政策をどの党が、あるいはどの陣営が明確に打ち出せるのかということである。世界の流れと相容れない官僚支配の弊害が日に日に明らかになりつつある今日、明確に政治の優位を打ち出すことこそ「国民主権」の実現のために必要である。しかし官僚の支配は徳川幕府のように堅固であり、小選挙区の利益を実現したい国会議員に対する官僚による露骨な利益誘導が繰り広げられるだろう。選挙で国民の信任を得た政治が官僚を使うという行政改革に与野党とも力を合わせて着手するべきである。そこに手をつけることができなければ、何時までたっても国民が政府をつくるという民主主義の本来の姿を実現できず、世界のなかでの日本の発言権は低いままに止まるだろう。   (1994年4月15日 大阪M)

【出典】 アサート No.197 1994年4月15日

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【投稿】革新の論理と日本社会党の立場  by 鈴木 市蔵

【投稿】革新の論理と日本社会党の立場  by 鈴木 市蔵

 鈴木市蔵さんから、以下の私信とともに、原稿が送られてきました。
『 近頃は読みごたえのある論文が載るようになりましたね。改題とともによくなったようです。「人民のカ」にのせた、小論をおくります。よかったら「転載」をしてください。』

はじめに
 「政治の世界は一寸さきは間だ」と政界の長老がいったことがあった。いまの政治の状況がまさにその通りである。ここで、これからの成りゆきや、展望まで見通すのはむずかしい話しで、まして、それを土台に事態を論ずるのはいささか気が引けることではあるが、締め切りの関係もあり、この一月二十五日現在の時点で問題点をさぐってみることにした。
 一、「政治改革法案」というものの位置づけだが、いったいこの法案の狙いはどこにあるのか、どこに焦点をあてているのか。
 二、この法案の本質上の責任者はいったい誰か、それは自民党ではないか、自民党が法案が否決されたとき、本当の痛みを感じたか、否、かえってホッとしたではなかったか、責められるべきは自民党であることをマスコミは忘れている。
 三、社会党はどうであろうか、自民党からの多数の造反者が出て、参議院本会議で否決ということになったわけであるが、連立政権の与党第一党としての責任はどうなるのか、造反者の考えは、その行動ははたして正しいものであったろうか。
 四、細川政権はどうなる。残された時間はない。廃案に追いこまれる公算が強い。その場合、責任を取って総辞職するのか、解散して信を国民に問うことになるのか。等々の問題が押し重なっている。ここで、革新の論理はどうあるべきかをさぐるのが本題の中心で、一緒に考えてもらいたいと思う。

法案の狙いはどこにあるか
 窺った評論は「小選挙区」の導入で、保守二大政党を目指しそのさきには改憲がひかえているといっている。だが、これは世界の動きを勝手に処理できるとでも考えている連中の想定で、事態はそうはならない。二大政党制でアメリカ式を念願しても、これだけ価値観の多様性のなかで、二つの政党に世論を収れんすることはできない相談である。下手をすると、「小選挙区制」で、政治の活性化が生き返って、イタリアなみに「イタリアでは比例代表制から逆に『小選挙区』主導型に代わったが、三月に予定されている総選挙では、左翼を中心とした政治勢力が勝利するのは確実だといわれている」と、いうことにならないとも限らない。もっともこのためには、左の政治戦線が統一されていることが前提条件で、いまの日本では間に合わないのが残念でならない。その場合、「社共」の共闘が軸になって、国民にアピールする政策づくりが先行されねばならないが、それができたら「小選挙区」での一騎打ちで、政治闘争は必ず活性化する。次元は違うが、今年は東京の東久留米市、去年の秋は、大阪の岸和田市の二つの市民選で、「社共共闘」の候補が、自民、公明、日本新、新生、さきがけなどの推薦候補を破って勝利している。
 二大政党の夢は、冷戦後の世界では通用しない。多様化のなかの連立政権が、しばらくの主役になるであろう。
 こうみてくると、改革法案などに脅かされて、すべてを「制度」化の罪になすりつけての反対論などは、いわゆる「負け犬」の論理というもので、これでは国民はついていけない。

責任はすべて自民党にある
 改革法案が否決されて、自民党が居直ってきたが、「政治改革」四法案をもっとも必要としたのは、保守的体制の温存をはかる自民党である。
 できれば自分の党の案の丸呑みをこの機会にせしめようとする魂胆がいまの時点では見え見えである。政治資金規制法の抜穴、企業献金の温存、法案の基幹部分の修正などを狙っている。それは改革ではなく改悪である。だが、この党は単純ではない。自党のもくろみを通すにも、質の悪い手練手管一の矢、二の矢とくり出している。ひとつは両院協議会で、ごねる。ごね得の言質をとろうとする。二つには、四法案を廃案に追い込んで、細川政権を危機に立たせる。総辞職は、この際、解散の口実になりかねないので、総辞職も、解散も、時節柄不向きであるとの理由をかかげて、ゆさぶるだけゆさぶりにかかる。悪しゅうとめの嫁いびりはお家芸である。この悪知恵、諸悪の根源が、政治的に無罪で、否決に祝杯をあげるをだまって見過ごすことはできない。社会党の造反組は予想だにしなかった自民党の活気に頭を抱えているだろう。
 この党は五五年体制の主役として、独裁的な政権党として、二十八年間、日本政治をろう断してきた。そして、独占資本と国家権力との癒着の指揮棒をにぎり、官僚陣をしたがえての、いわゆる政官財の鉄の三角体を国家独占資本主義体制として築きあげてきた。この見返りの資金が政治買収を許した。この五年間だけでも、リクルート、佐川献金、金丸事件、ゼネコン汚職と積年の悪の標本はここに集まった。自民党も、金丸事件の正体の暴露をおそれて政治腐敗に歯止めをかける必要に迫られた。選挙に金がかかりすぎる、中選挙区での同士討ちをやめねばならない。腐敗防止と選挙制度の改正は一体のものとして、いわゆる「政治改革」四法案を登場させた影の主役であった。それは、この党の積年にわたる悪の贖罪としての意味も内包している。
 政治の世界はいわば責任のなすりあいの世界で、いちばん悪質な張本人が、自らの責任をふみにじって、法案反対の主軸となる。それは矛盾である。この矛盾はどんな形をとって爆発するのであろうか。

社会党の責任と「造反者」のいい分
 だが、実際のできごとは、社会党が責任を負う羽目になった。貧乏くじを引いたのである。社会党内の造反者が法案反村に廻ったために、十二票差という予想をこえた大差で、「政治改革」四法案は参議院で否決された。連立五党の第一党としての社会党の罪はやはり重い。
 社会党はこれからどのように事態の収拾にあたるのであろうか。やはり連立政権支持の立場をより強めるほか道はないであろう。ここで、造反者のいい分を開いてみたいと思う。かれらは一様に社会党の主体性なるものの危機を主張している。そして、この法案が通ることになるなら、「小選挙区」制のもとでは党は生きられない、消滅する、という危機感を吐露している。そして、四法案よりも腐敗防止法なるものを優先すべきであると説明している。
 これらの論旨は、すでにいくたびとなく党内論議のなかで、くり返してきた筈のものであり、いまさらの感なきにしもあらずで、本音は、もっと別のところにあるのではないだろうか、伝えられる主体性論と、連立重視論の対立のなかにある政治論の性格そのものに根ざすのではないであろうか。
 党外のわれわれにとって、深い党内事情は知るよしもないが、もし、造反者の立場がそうであるとすれば、にわかに同調する立場にはない。われわれは、主体性論と連立重視の立場とは矛盾するものではなく、連立参加の意志決定も正規の機関の討議をえてなされたもので、主体性論が軽視されたものとは考えにくい。「小選挙区」では生き残れないという、いわば危機感は一種の想いすぎで事実の証明は一つもない。まして否決後の「改革」法案が、自民党の党利党略下で、より改悪されたものになるおそれがある場合、いったい造反者はどういう立場に立たされるのであろうか、政治は一面では妥協の産物ではあるが、その結論の基準は、いかなる結果であったかに評価はかかっている。

細川政権と革新の戦略
 問題の核心は細川政権、この連立政権のあり方こついての見解の違い根底に横たわっているのではないだろうか、細川内閣の現実的効用性を、より反動的な立場としてとらえるか、それとも日本改革への過渡的な、ある場合には、緩衝的な存在をもつ政権とみるか、この評価の分かれであろう。
 この政権は、まず自民党の一党独裁を打倒した、反自民政治連合の政権として出現した。日本の真の改革のためには、何よりも自民党の一党独裁を打ちくだくことから出発するほか迫はない。反自民連合はこの事業をなしとげて、五五年なるものにとどめをさしたのである。これはわが国の政治史上の貴重なできごとである。中国の新聞は、一九九三年度の世界十大ニュースのトップに、細川連立政権の誕生を掲げたのは偶然ではない。
 この政権は、日本のこれからの政権づくりが、さまざまな曲折をたどりながらも、連立、連合の政権たらざるをえないであろうことをつげる最初の烽火である。この先駆性をになった政権に社会党が責任政党として参加したのは賢明な選択であった。
 また、この政権は、日本の国家独占資本主義体制に、修正主義的なメスを入れようと試みた最初の改革者でもあった。いわゆる鉄の三角同盟の一角である官僚の構造に一定の制限を加え、その権力を押さえようとした。国会内の政府答弁の権限の縮小、または廃止、人事権の乱用などの禁止などである。日本の政党、とりわけ革新の党がこの事実を過小評価しているのは怠慢である。
 汚職の一大温床であるゼネコンの伏庵殿に、司直の手が入ったことを、この政権は公正に判断しようとしている。このことは自民党政権下ではなしえないできごとで国民的共鳴の大きな支持をえている。
 かつての日本の戦争を、侵略戦争として世界へ宣言した認識の新鮮さも併せて、一時期七○%を超える支持率を得たのも理由のあるところである。
 細川政権の出現は、やはり、激動しつつある世界的情勢の日本的、集中的な政治現象としての客観性の上にたつものであり、同時に、改革、改造、修正がつまりは原理的勝利への今日的な戦略であらねばならないことを改めて教えている。(鈴木市蔵)

 【出典】 アサート No.196 1994年3月15日

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【本の紹介】「知」の正体へのアプローチ

【本の紹介】「知」の正体へのアプローチ

『免疫の意味論』多田富雄著、1993.4.30発行、青土社、2200円
『自己創出する生命 普遍と個の物語』中村桂子著、1993.8.10発行、哲学書房、2200円
『ワンダフルライフ バージェス頁岩と生物進化の物語』、S・J・グールド著、1993.
4.15発行、早川書房、2600円

<<新しい知の世界>>
去る1月19~21日、NHK教育テレビで大阪・高槻市にある生命誌研究館を舞台に、生命誌=バイオ・ヒストリーをテーマに興味深い対論が放映された。その中心的な論点は、生命科学における決定論的思考をいかに乗り越えるかという「新しい知の世界」の提示であった。それは、生命はあらかじめプログラム化された遺伝子によって決定されている、したがってバイオテクノロジーを駆使して、DNAの遺伝子を片っ端から解析していけば生物があるいは生命というものが分かるはずであるし、ある意味では生物という個体はDNAの乗り物ともいえるといった機械論的、決定論的思考の限界と、誤りを明らかにし、それらに対置されるものとしての自己創出系(中村)、超システム系(多田)としての生命科学の提起である。もちろんそれは、過去の科学的遺産の無視、ないしは否定の上に提起されているものではなく、それらの中から新しい知の芽、次の芽を見出し、新たな「知の体系化」を試みようというものである。その中心論者が上記2書の著者、多田富雄、中村桂子両氏である。中村氏は生命誌研究館の副館長であり、この研究館の推進者である。生命科学自身が、最新の科学的知見にもとずく新しい展開の中で、一種の思想になり得る、新しい知の世界が出来ていく時代にさしかかっていることを予感させるものである。

<<免疫の意味論>>
多田氏は、この書を世に問うに至った理由の一つについて、「免疫学は、現代の生物学で最も急速に進展しつつある分野のひとつである。脳神経系の機能と同様、あるいはそれにもまして生命というものの全体性について示唆を与えている免疫について、これまで立ち入った議論をした書物は皆無である。そういう私の躊躇を破ったのは、そのころ燃え上がった「脳死」に関する議論である。鷺を烏と言いくるめるような議論も現れる中で、生命の全体性について別の観点もあることを発言しておくことは必要なのではないか」、と述べている。しかもこれは専門書とは違って、雑誌「現代思想」に12回にわたって連載したものを集めたものである。
まず「脳死」との関連で、たとえ脳死状態であっても脳以外の身体が「自己」を主張して免疫反応を示すことの意味が問われる。そして「自己」と「非自己」を識別する能力を決定する免疫の中枢臓器が、「胸腺」であることを明らかにする。しかしこの「胸腺」の働きについては、1960年代に至るまで全く不明のままだったのである。この「胸腺」からサプライされる細胞が、T細胞と呼ばれるリンパ球である。T細胞はいろいろな免疫反応に参加し、ことに「自己」と「非自己」を識別し、「非自己」を強力に排除するための免疫反応の主役となる。胸腺で生まれた細胞の90%以上、96~97%もの細胞は、「胸腺」から出てゆくことなしに、そのまま死んでしまう。この壮大な無駄と冗長性が、免疫系を特徴づける重要な要素である。
さらに重要なことは、免疫系をとりまく「自己」は次々に変容する。幼時には作られず、成熟してはじめて分泌されるホルモンや母乳蛋白もある。そういうものさえ、免疫系は「自己」の体制に組み入れているらしい。個体はさらに次々に異なった外部環境に適応してゆく。免疫学的な「自己」を作り出す環境は、時とともに変化するのである。刻々と変化する外部および内部環境に可塑的に適応して自己組織化してゆくわけである。そうした免疫系の「多様性」は、実はレパートリーを作り出す過程におけるランダムネスに基づくのである。一卵性双生児でも、免疫学的な反応性だけはしばしば違っている。それは、生後の経験、たとえば感染症などを通して違ったネットワークのパターンを形成したためである。しかも経験のチャンス、反応の方向性などはすべて偶発的に決まる。そしてこうしたネットワークの利点は、むしろ高い自由度と理論的不完全性によって、現実をどのようにでも受容できることを指摘する。
著者は、このように「変容する「自己」に言及しながら自己組織化をしてゆくような動的システムを、超(スーパー)システムと呼びたいと思う。言うまでもなく、マスタープランによって決定された固定したシステムとは区別するためである」と述べ、「偶然を積極的に自己組織化のために取り込むことのできるのは超システムのほかにはない」ことを強調する。
そして「胸腺」のもう一つの重要な特徴は、胸腺自身がかなり正確な「生物時計」であることである。「胸腺」は、10代の前半に最も大きく、以降経時的に小さくなってゆく。細胞の密度から見ると、すでに生後間もなくから脂肪が入り込んできて、40代ではすでに半分、60代では四分の一に縮小する。80代になるとほとんどが脂肪に置き換えられて、「胸腺」そのものは痕跡程度になってしまう。「胸腺」の退縮に応じて、免疫系にはドラスティックな変化が起こる。「自己」と「非自己」の識別の失調を含む恐るべき「自己」の崩壊過程である。さらに超システムもまた恐るべき脆さを持っている。システム内のひとつの構成メンバーに一定以上の障害、あるいは欠落を生じたとき、超システムは不連続的に破滅(カタストロフィー)に陥る。その典型的な例が、エイズと老化である。このエイズと老化、そしてアレルギー、さらには難病中の難病である自己免疫病について、それが意味するところが詳論される。
著者はこの超システムが機能するためには、第1に、システムの構成メンバーが充分に多様であること、第2に、その多様なエレメントが自己言及的なやり方で補充可能であること、第3に、それぞれの構成メンバーが単一あるいは複数の役割分担を持ち、それによって相互調節機能を持つことを、条件として上げている。この指摘の意味するところは、あらゆることに通じるのではないだろうか。

<<自己創出する生命>>
「生命誌」とは何であろうか。これについて中村氏は、「生命誌(バイオヒストリー)は、DNAをゲノムとして見るようになったことを背景にして生まれた分野である。ゲノムを総体として見るだけでなく歴史が作り上げたものとして見る。これは生命を総体的であるだけでなく歴史的存在として見ることでもある。90年代を踏まえて未来を見ようとするなら、DNAや遺伝子ではなく「ゲノム」で考える必要があるというのが「生命誌」からの提案である」と述べている。
著者によれば、DNA研究のあり様は大きく次の三段階に分けられる。最初が1960年代までで、地球上の生物の遺伝子はすべてDNAであること、更にはDNAを解読する言葉、つまりコドンも共通であることを明らかにした段階。60年代が、「何でも分る」という期待に満ちた時代だったとすれば、70年代は、DNAを用いて「何でもできる」という気持ち(それは一方で何かを畏れる気持ちをも引き起こす)をしばらくの間持たせた時代ということが出来る。しかし、この同じ技術が、高等生物のDNAが大変複雑で一筋縄で解明できるものではないことを明らかにした。1980年代の半ばになってゲノムの時代が始まる。これは一つの生物が持っているDNAを総体として見る時代である。
さてそのゲノムとは何であろうか。「ゲノム、これはある生物の細胞内にあるDNAの総体をさす。同じヒトでも一人一人が皆異なるゲノムを持っているのである。つまり、ゲノムという単位をとることによって、細胞、個体、種というような、DNA研究が始まる以前の生物学で重要な役割を果たしていた単位が呼び戻されることになる。ゲノムを通してみれば、普遍性だけでなく多様性へもアプローチできる。普遍と多様、総合と分析というように、これまで二項対立的に見えていた事柄がゲノムを通すとひとつのものとして見えてくる」というわけである。
われわれの体を作る細胞内には、ゲノムが一対(二つ)ある。二つを表すために、これをディプロイド細胞と呼ぶ。しかも、それがある時期、ゲノムを一セットだけ持つ細胞、ハプロイド(具体的には生殖細胞であり、動物の場合は卵と精子)になり、これの合体によって、新しいディプロイド細胞(受精卵)をつくる。そして、また新しく自律的な自己組織化(つまり発生)を始めるのである。こうして、この系は変化しながら続いていくことになる。親から子へ遺伝物質が伝えられはするが、親の一部が子に渡されることはなく、子は、まったく新しく作られるというところにこの系の特徴がある。故に一つ一つの個体は唯一無二のものになる。ここに著者は、生命系を自己複製系というよりは、自己創出系として捉え直すことの重要性を提起する。
さらにこのゲノムの情報の下で自己創出する生命系は、でき上がった免疫系、神経系の中にも自己創出という性質を与えている。その性質を持ったそれぞれの系は、外部との関わりの中でそれぞれの歴史を持ち、外部の影響を大きく受けた系になる。免疫系の場合、誕生以来どんな異物と出会うかによって個人の免疫系のありようができ上がっていく。
このようにして著者は、生命を物質として追ってきた現代生物学が、研究の進展にともなって歴史という視点を必要とし、それが偶然性と変化を常に内包しているものとしてとらえ、そこから生まれてくる現代的な生命の捉え方、時代を支える基本概念(スーパーコンセプト)としての「生命」を提起しているといえよう。

<<ワンダフルライフ>>
J・S・グールドはアメリカの著名な生物学者であるが、「ワンダフルライフ」という書名に関連して、「本書の書名は、二重の驚嘆(ワンダー)の念を込めたものである。すなわち、生物そのものの美しさに対する驚嘆と、それらが駆り立てた新しい生命観に対する驚嘆である。オパビニアとその仲間たちは、遠い過去の不思議な驚嘆すべき生物(ワンダフル・ライフ)の一員だった。それらはまた、歴史における偶発性というテーマを、そのような概念を嫌う科学に押しつけてきた」と述べている。ここに言う「遠い過去の不思議な生物」というのは、北米大陸カナディアンロッキー山中のバージェス頁岩から発見された5億年前の奇怪な化石動物群のことである。とくに、正確を期して新たに復元されたそれら生物の常軌を逸した奇妙さがすごい。五つの眼と前方に突き出た”ノズル”をもつオパビニア、当時としては最大の動物で円盤のようなあごをもつ恐ろしい補食者アノマロカリス、幻覚という学名にふさわしい形状をしたハルキゲニアなどである。
著者はさらに、「バージェス頁岩の無脊椎動物群こそ、世界中で最も重要な化石動物群である。現生する多細胞動物のグループが化石記録中にはっきりと出現するのは、今から5億7000万年ほど前のことである。その出現の仕方は、徐々に数を増すのではなく、爆発的だった。”カンブリア紀の爆発”と呼ばれるこの出来事で、現生する主要動物グループの事実上すべてが、地質学的にはあっという間の数百万年で(少なくとも直接的な証拠の中に)出現したのだ。バージェス頁岩は、その爆発的な出来事が終了した直後の時代、その出来事が生みだした動物のすべてがまだ地球の海に生息していた時代を今に伝えている。そこから見つかる化石群が貴重なのは、三葉虫の鰓の繊維の一本一本、環形動物の消化管内に残っている最後の食事、生物の柔らかい部位(軟組織)の構造などが、細かいところまでみごとに保存されているからである」と強調している。
ここで重要なことは、生物進化の歴史にかかわることである。これまでの進化を扱ったおなじみの図像はみな、鳥類からワニ、イヌ、古代の類人猿を経て人類が登場したのは必然であり他に優越しているという心地よい考え方を、ときには露骨に、ときにはそれとなく、補強するためのものである。ところがバージェス頁岩の化石が示したことは、「生命はたくさんの枝を分岐させ、絶滅という死神によって絶えず剪定されている樹木なのであって、予測された進歩の梯子ではない。従来の図式は、クリスマスツリーを逆さにしたような”逆円錐形状の多様性増大”というただ一つのモデルにしがみついてきた。生命は限定された単純なものからスタートし、どんどん上へ上へと、つまりはどんどん改良されたものへと進歩していくというわけである」、しかし、「科学的知識が深まるほど、自分達は万物の中心に位置しているわけではなく、人間のことなど頓着しない宇宙の辺縁に住まいする存在にすぎないことをますます思い知らされて精神的打撃を背負い込むことになるのである。いかなる意味でも、生物は人類のために存在しているわけではないし、人類がいるから生物が存在しているわけでもない。われわれ人類は結果的に生じたものにすぎず、宇宙に起こった事故のようなものであり、進化というクリスマスツリーに飾られた安っぽい飾りの一つにすぎないかもしれないのだ」ということを明らかにしている。これは、これまでの進化と人間観に関する考え方の根本的な転換を迫るものだといえよう。
著者はここで、従来からの決定論的思考がいかに科学の怠慢を招いてきたかを具体的なバージェス頁岩の奇妙きてれつ動物を中心に据えることによって立証してゆく。その結論として、「テープを何度リプレイしても、そのたびに、進化は実際にたどられた経路とはぜんぜん別の道をたどることになるはずなのだ。しかしリプレイの結果が毎回異なるからといって、進化は無意味であり、意味のあるパターンを欠いているということにはならない。一つ一つの段階はそれぞれに原因があって踏み越えられていくのだが、開始時点で最終到達点を特定することはできないし、同じことが同じしかたで二度繰り返されることもない。初期の段階でちょっとした変更が加えられると、その変更がいかに小さかろうと、また、その時点ではぜんぜん重要そうには見えないとしても、進化はまったく別の流路を流れ下ることになる」と述べる。
これは進化と偶発性に関する問題である。「偶発性とは自己完結的なものであり、決定論にランダム性がどれだけ混入しているかで測れるようなものではない。科学は歴史という別個の説明原理に従う世界をなかなか自分達の領域に入れようとはしなかった。その怠慢のせいで、われわれの解釈は貧困なものとなっていた。科学はまた、歴史を軽視する傾向があった。歴史に目を向けざるをえないときでも、偶発性をちょっとでも引き合いに出すことは、時間を超越した”自然界の法則”に直接基づいた説明よりも的確さや有意義さの点で劣っていると見なしてきたのである」。多くの写真と図像を駆使して著者が解き明かしたワンダフルライフの実像は、確かに驚嘆すべき多くの示唆を与えてくれることは間違いがないといえよう。
以上に紹介した三書に共通する考え方が、「新しい知の世界」を開くキーとして提起れているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.196 1994年3月15日

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【映画評】戦争が生んだ「悪」と「善」

【映画評】戦争が生んだ「悪」と「善」 
          映画『シンドラーのリスト』を観て

ステイープン・スピルバーグ監督が、十年の構想を経て監督・製作にあたった映画「シンドラーのリスト」を先日観た。上映時間3時間15分の長さを全く感じさせない、すばらしい出来であった。「ジュラシック・パーク」の大ヒットで得た収入を全てつぎ込んでもやりたいとスピルバーグ監督が語っていた作品だから、公開されるやすぐ観たのだが、期待していた以上のものが得られた。
自分自身がユダヤ系出身であることにこだわり、ホロコーストをテーマに選んだ監督の真撃な姿勢や映画人としての生き方に、強く引かれた。
1980年、オーストラリアの作家トーマス・キニーリーは、アメリカ旅行の途中訪れたカバン屋で、オスカー・シンドラーという男の名を初めて聞かされた。カバン屋の主人ペフアーベルクは、ポーランドの元陸軍中隊長であり、「シンドラーのリスト」に載ってアウシエビッツから奇跡の生還を遂げたいわゆる”シンドラーの生き残り組”の一人だった。あまりにも衝撃的な話に、キニーリーは小説の形で書き上げることを決意し、各国に散らばって今も生きて続けている当事者約50人にインタビューを試みた。映画の最後の場面で、実際にこの人達自身が登場する場面は、事実の重さと感動を余すところなく伝えてくれる。
この小説をスピルバーグが知ったのは、1982年「E・T」が世界的大ヒットを収めてまもなくの頃だった。その時点ですぐ映画化権を取得したが、映画化に着手することなく10年。満を持しての製作・公開だけに、3時間15分という長編、映像も全編モノクロで、ジョン・ウイリアムズの音楽と合わせて、ナチスの犯罪性と極限下に生きた人間の哀しみと強さがひしひしと伝わってくる。オスカー・シンドラー役のリーアム・ニーソンはもとよ
り、ドイツ人シンドラーの手足となりながら、なかなか心を開かなかったユダヤ人会計士イツアーク・シュテルン役のペン・キングスレーが見事であった。シンドラーは、はじめから「善」に生きていたわけではない。実業家として一旗揚げようと、ナチのバッジを胸につけ、軍の幹部に金品をふんだんに贈って取り入り、軍用のホーロー容器工場経営に乗り出す。その労働力として、ポーランド人より安く雇えるユダヤ人を、シュテルンの働きで多数確保する。1943年2月、ゲットーが解体されて新しく強制労働収容所が作られ、ナチスのユダヤ人に対する迫害はますます激しくなっていくが、シンドラーの気持ちは微妙に変化していく。「シンドラーの工場の労働者になれば地獄から抜け出せる」の噂を耳にして、若い娘が両親を雇ってくれるよう頼みに来たときは、保身から娘を追い返すが、後でシュテルンの説得を聞き入れる。
1944年4月、ソ連が急速にドイツヘの反撃に転じ、ナチスは死の収容所の証拠の一掃を始めた。「このままでは、従業員たちの命が危ない」と決意を刷めたシンドラーは、全財産をかけ、身の危険をも省みず1200人のユダヤ人をチエコの工場に移した。600万人もの人間を虐殺していった残虐無道のナチスを相手に、一人で立ち向かった人間が実際に存在したという史実に改めて感動するとともに、戦争が生む「異常」に慄然とする。そして、スピルバーグが、シンドラーを「英雄」として描かず、また、収容所長を単なる「極悪人」として扱わず、戦争が作り出す「極悪人」の心理描写を丁寧にしてみせたことにより、どんな戦争も決して許されるものではないと強く意識させるものであった。人は、おかれた状況下で、「悪」にも「善」にもなれる。そんな選択をしないですむ社会こそ、平和な社会といえる。「シンドラーのリスト」は、過去と現在を強く結び付けてくれる点でも、必見に催する映画といえよう。(田中 雅恵)

【出典】 アサート No.196 1994年3月15日

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【投稿】ジリノフスキー現象とは何か

【投稿】ジリノフスキー現象とは何か

去る3月10日、「ロシア総選挙後の政治経済情勢 ジリノフスキーとは」と題して、ボイチェフスキー・モスクワ大学経済学部教授、藤本和貴夫・大阪大学教授を講師に講演会がもたれた(現社研、ニュービジネスサロン共催)。昨年12月のロシア連邦議会選挙で突如第1党に躍りでてきた自由民主党、そしてジリノフスキー党首のネオナチ的言動が世界の注目をあびたことは周知のことである。講演会では、この問題を中心にその後のロシアの政治経済情勢をめぐって熱心で活発な質疑応答が行われたが、以下にボイチェフスキー教授のジリノフスキー現象の解明にしぼって、その要旨を報告したい。
まず、ロシア自由民主党は、選挙に当たってごく普通のスローガンを掲げていたこと、そのスローガンは混迷する政治経済情勢ではロシアの民衆の意向をある意味では的確に捉えていたといえる。第1に、犯罪と汚職の増大を糾弾し、これと闘う姿勢を明確にしたこと。第2に、現政権の急進改革路線は貧困化しかもたらさなかったこと。第3に、西側に屈服・従属するような外交政策の転換を要求したこと。第4に、旧ソ連を構成していた14共和国内で圧迫を受けているロシア民族の名誉と地位の保証を要求したこと。そして、西側的改革を拒否し、強いロシアを復活させようというスローガン。
これに対して改革派は、もはや大衆から見放され、主要な役割を果たし得なくなっている旧共産党諸派を主敵として、共産党の復権阻止を選挙運動の中心に据え、現実の政治経済改革で明確な対案を持っていなかった。こうした「赤の恐怖」で票を稼ぐ路線は、エリツィン・ガイダルのショック療法的な急進経済改革路線の評価でも分岐を深め、改革派を大きく分裂させてしまった。そして現実に、IMF受け売りのガイダルの急進改革路線は、インフレと物不足、経済の混迷現象をいっそう加速させ、汚職と腐敗、犯罪の急増、マフィアの大規模な支配と暗躍をもたらした。こうして社会経済状況は、ガイダル政策をもはや信じ得るような状況ではなく、政府に対する信頼も急速に失われている状況下で、「主要な敵は、赤だ」というキャンペーンは、改革派にいくべき支持をジリノフスキー側に追いやったといえる。そして連邦崩壊と共に苦境に立たされている多くの軍人、とりわけ中堅幹部の軍の支持を、「強いロシアの復活」を唱えるジリノフスキー陣営は巧みに獲得した。
ところでジリノフスキーの党をヒットラーの党とダブらせて考えることについては、当時の状況とは大きく異なっていることをまず考慮に入れるべきであろう。まず第1に、彼らは、自らをファシストではなく中道派だと位置づけている。そして現実の社会経済状況に即応した政策を掲げている。問題は、それが極めて拝外主義的なことである。誇りも自尊心も失った客観的状況から抜け出す道を、ロシア民族主義に求めている。バルト三国のロシア人がひどい目にあっているから何とかしろといえば、誰も反対できないような状況の中で、ジリノフスキーの党だけがロシア人を救えと叫んだわけである。国民は共産党にはもうあきあきした、民主派や改革派は国を貧困に導いたし、まともな政策でまとまってもいない。ジリノフスキーを積極的に支持したというよりは、それに代わるべきよりましなものがなかったのである。そして投票権を持つ住民の50%が棄権をしたのである。
ジリノフスキー自身は決して愚か者ではなく、賢い人間ではあるが、冷静な男ではない。彼よりも冷静であり、より権威のある人物が登場してくれば、ファシストの党にもっていける可能性もあるかも知れないが、そうたやすくはない。その意味では彼らのウルトラ民族主義、侵略的民族主義の危険性を見逃すことは出来ない。しかし選挙戦術としての反ファッショ委員会というようなものでは、それはゲームと取引の場でしかない。ポポフ、サプチャークを中心とする民主改革運動を初め、民主派は客観的に大きな力を持っており、その考え方も正しいといえよう。その意味では民主派が改革と統一の路線について合意する必要があるし、何よりも再団結することが要請されている。(大阪、GAN/IKM)

【出典】 アサート No.196 1994年3月15日

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【投稿】政治改革は進んでも改革できない日本社会党

【投稿】政治改革は進んでも改革できない日本社会党

政治改革問題、米輸入問題、そして国民福祉税問題さらには内閣改造問題と細川連立丸は右に左にと荒波にもまれつづけている。しかし、なかなか舵取りは巧みで、転覆寸前に見えても、寸でのところでバランスをとって体制を建て直しているが、細川丸のバラスト=社会党は度重なる緊急事態にボロボロになっており、度々船体から剥離しそうになっている。
他の与党からはお荷物あつかいされ、世間からも嘲笑の目で見られているにもかかわらず、何かにつけて「与党第一党」と愚にもつかない自画自賛を繰り返し、それでいて相手にされない現実の前に、プライドの裏返しである被害者意識が拡大していく悪循環に陥っているのである。
この間の、福祉税、内閣改造問題では一定社会党の主張が反映された結果となったが、「勝って兜の緒を締め」るのではなく、無邪気に喜ぶところなど、幼稚園児も顔負けだ。
こうした事態は、身から出た錆というものだ。社会党は与党になって、「何でも反対」からは態度が変わったけれども、何事につけ受身の体質は不変である。そもそも社会党が、政策を積極的に提案し、世論にアピールするという政党としての基本的活動が不得手なのは、中央本部にその能力が欠如しているからと言わざるを得ない。           それを物語るエピソードとして次のような話がある。某地方本部がある法案の審議状況について、中央本部に問い合わせたところ、それを扱う専門局ではらちがあかず、国会の政策審議会に振られたうえ、そこの書記から「何故おれにきくのだ、何処がおれに聞けと言ったのだ」と開き直られたという。また省庁要請のため上京した自治体議員が、要請内容について確認のため、中央本部に尋ねたところ「事情が判っている書記は、政治改革粉砕で走り回っている。他には判る者がいない」と言われ、あきれてものが言えなかったそうだ。
これはもう、イデオロギーや主義主張がどうのこうの、という以前の問題であり、時間を守らないとか、客が来ても挨拶もしない等の、社会人としてのモラルの欠如と併せて、普通の企業なら正真正銘の、誰も文句のつけようのない「リストラ」の対象である。
書記が書記なら、役員も役員だ。政治改革法問題での「造反議員」の処分についても、厳正な処分を求める声が党内的には多かった。にもかかわらず、村山委員長自身が及び腰なのに加えて、中央の規律委員会でも、70歳、80歳の古参党員が「今の執行部こそ処分の対象だ」などと、大久保彦左衛門よろしく、ほとんど放談に近いアジテーションをするものだから、まともな論議をするだけで大変という有り様だ。
こうした状況に対する冷やかな目を尻目に、不逞幹部、書記の自己満足は果てるところを知らない。「月刊社会党」2月号では、安田講堂攻防戦の生き残りの参議院議員が中央本部の「若手書記」相手にお説教を垂れ流すという、一般誌ではギャグにしかならない、壮絶な対談を掲載している。会社でも、役所でも、こうした「全共闘オヤジ」の説教が一番煙たがられているというのに、それをうやうやしく拝聴する「若手」がいては、ますます若者から相手にされなくなっていくだろう。さらに、同号では「日中両党の理論交流から」との報告が載せられている。日本社会党が「日中両党」と表現するのだから、中国にも社会党があるのかと思えば、そんな訳はなく相手は中国共産党である。社会党は自らがいまだに前衛党と思っているのだろうか。いくら「友党」かもしれないけれど、あまりの主観主義には、思わず涙が出てきてしまう。
以上罵詈雑言を書き連ねてきたが、あまりに世間と遊離した党内の意識、行動を何とかしなくては、ということである。
中央本部のこうした状況に負けず劣らず、地方でも悲惨な闘いが始まっている。例えば兵庫県の「左右対立」は有名な話だが、昨年末の県本部大会の流会をきっかけに、遂に県レベルの分裂が起こった。県議会、神戸市議会の議員団は分裂し、県本部の書記局も社会主義協会派が全員退職した為、壊滅状態となってしまった。また分裂の例にもれず、お互いを誹謗する文書合戦が行われているのだが、その文面たるや、この拙文など褒め言葉に見えてしまうような内容である。とにかく、こうした事態は他の県本部でも起こってくるであろうし、ほとんど右派の大阪のような所でさえ、社会党事態が求心力を失いつつあるなかで、深刻な事態を迎えつつあるのだ。
とりわけ、来年その多くが改選を迎える自治体議員は危機感が強く、「人前で社会党と名乗れない」「今度の選挙では無所属で闘いたい」との悲壮な思いで、なんとか生き残る道を探っているのが実情なのだ。この様な状況を、思考停止状態の中央本部は理解すべくもなく、政党助成金がはいれば、地方議員など金でコントロールできるぐらいにしか考えておらず、造反議員問題も、このところの「得点」で曖昧に済まそうとするものだから、党に見切りをつける議員も徐々に現れはじめている。ある総支部では、離党を表明した議員の処分問題が論議された折、離党批判の急先鋒に立っていた別の議員が最後に「おれの方が党を辞めたいくらいだ」と本音を漏らした、という。
一方、離党というどちらかと言えば消極的な対応とは別に、政党の枠を越えた新たな政治の流れを創り出していこうとする動きもある。そうした人達は、社会党のこれまで果たしてきた役割は否定していないけれど、抵抗政党としての過去の栄光から抜けきれない人々とは違い、これからの問題として社会党という組織には必ずしもこだわっていない。
中央本部レベルにおいても、この間の内閣改造問題で浮上してきた政界再編問題に絡め、発展的解消ということがようやく、口にではじめた。党を現状のまま放置しておけば、言いたい放題、やりたい放題の放蕩息子のような議員、党員は居残るけれども、真面目な党員は次々に辞めていく、という事態になるだろう。
本来なら、先月号でも述べられていたように、「小沢一郎」に振り回される「嬉々」とした「殉教者」の役割を自作自演したい人々は、自らそれにふさわしい舞台を準備しなければならない。いずれにせよ、社会党の自己崩壊は始まっており、新たな政治勢力=新党の形成と、地道なしかし積極的な民主主義確立の取り組みの合流、この様な作業を進めていくしか、社会党の最良の部分、遺産を生かしていくことはできないだろう。
(大阪 O)

【出典】 アサート No.196 1994年3月15日

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【投稿】受け身から「ASSERT」への脱却   

【投稿】受け身から「ASSERT」への脱却   

「青年の旗」が郵送されてくるのを、毎月心待ちにしている。ここ1、2年の「青年の旗」は、めまぐるしく動く現実社会をいかに認識し、どう対峠したらいいか、それぞれが自らの頭で考えぬいた「主張」が多く掲載されており、実に刺激的である。
とりわけ、労働組合運動の再生に向けて連載された「依辺論文」や、今日の政界再編を前に社会党のあり様から現代政党論にまで論及せんとする「M論文」をはじめ、知的好奇心がかきたてられる論文を読み、幾度となく教えられてきた。「青年の旗」という題字を外してコピーし、地域で共に活動している仲間の人に配ったことも、二度や三度ではない。
なにゆえに心ゆさぶられるのか。これまでに自らが取り組んできた課題、積み上げてきた経験、そして活動している中で、絶えずゆれ動き、わき上がってくる問題意識に、正面から切り込んでくる主張であるからだ。
「ASSERT」として新たなスタートが切られた。「主張・参加・交流のためのネットワーク情報誌」と銘打ってあるのがうれしい。これでようやく、形式が内容に合致したように思う。
わかっていても、これまで路襲してきた組織活動の形態を、時代の動きに合わせて刷新することは、ほんとうに難しい。「青年の旗」から「ASSERT」に題字を変えようという議論が起こって以降今日まで、まず内容自身から刷新してきた編集者諸氏のなみなみならぬ奮闘に頭が下がります。
「自らも『ASSERT』に参画せねば!」という気持ちになる。が、つい日常に埋没してしまい、郵送されてくる「ASSERT」を心待ちしているという、受け身の姿勢からなかなか脱却できない結果となっている。
この激動の時代、まさに自己変革せねばならないのは、この受け身の姿勢だろうと痛切に思う。これからは、それぞれが主張し、、冷静に議論をかわし、新しい改革をお互いが生み出していける民主主義の新たな形態を目的意識的に模索していく時代なのではないか。
編集部のI氏からたび重なる投稿依頼の約束を反故にしてきたこれまでの姿勢に耐え切れず、いま主張したい課題を定めないまま、この文章を書いている。私が「ASSERT」に参画したい問題意識をここに列挙することによって、自らへの書く義務を課したいと思う。

(1)マルクス・レーニン主義に引きつけられて以降、20年経ったいま、そこからかなり離れてしまっている自らの思想的変遷を、読書遍歴をとおしてみつめてみたい。
(2)その思想的変遷から自ずとでてくる現代社会の課題に対し、自らの主張を展開していきたい。あくまでも自ら内発的にでてくる実感を中心に据えながら。

と、決意新たにしていますが、果たして実行できるか。自らのために、今後の自らの人生のために、いかくぐらねばならない課題だと言い聞かせ、「ASSERT」に参画したいと思います。(織田 功)

【出典】 アサート No.196 1994年3月15日

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【投稿】日米対立の新段階—スーパー301条の復活—

【投稿】日米対立の新段階—スーパー301条の復活—

先月の日米首脳会談は、「大人の関係」の始まりであったはずだが、クリントン政権はもはやがまんも限界に来たのか、対日制裁を前提にした悪名高いスーパー301条を復活させた。ただし、制裁を前提にした交渉までの猶予期間を6カ月に延長しており、その間に対日包括協議再開で全て合意に持ち込もうという戦略である。
これに対しては、ブラッドリー上院議員が米政府の対日政策に対して「国内政治優先の一種の日本たたきだ。長期的、戦略的な関係への配慮が足りない」と批判しており、また米航空機最大手のボーイングは「世界の貿易システムを傷つけ、日米間の貿易交渉を険悪なものにする法的手段を取らないよう望んでいる」との談話を公表している。
さらにニューヨークタイムズ3/5付社説は「スーパー301条を復活させたことは不必要であり危険な誤った決定である。これは多国間交渉による通商上の問題解決を公約している米国の立場をないがしろにするものだ。スーパー301条は重要な同盟国との貿易戦争につながりかねないうえ、貿易障壁の撤廃にカを入れている細川首相の政治基盤をさらに弱める危険性を持っている。また米国の貿易赤字は、米国人が自国で生産する以上の製品を外国から買った結果であり、日本に自動車やコンピューターなどの米国製品を購入するように強要しても貿易赤字が大きく減少することはないだろう。さらに日本の貿易黒字が米国の雇用を奪っているというのも事実に反することだ」と、厳しく批判している。

「対日制裁実施せよ!」85%が賛成
しかしこのほどAP通信が実施した世論調査(全米の成人1,003人対象)によると、調査対象の70%が日本製品の米国での販売を制限することに賛成、58%が日本製品に輸入関税を課すことに同意、44%が個人的に日本製品をボイコットすると答えている。そして日本が市場開放を拒否し続けた場合、これら一三つの制裁・報復の内少なくとも一つを実施するべきだと解答した人は実に85%に達している。
一方で米国の景気について言えば、今年になって昨年10-12月の国内総生産(GDP)の実質成長率が年率換算で7.5%に上方修正されたことで、米景気の本格的な回復が鮮明になっている。年明け以降も堅調な乗用車販売などを映し、4%程度の成長を維持しているとの見方が多い。さらに1月の耐久財受注が前月比3.7%の大幅増加、同月の鉱工業生産も前月比0.5%の上昇で、米連邦準備理事会はここに来て景気過熱を防ぐ「予防的引き締め」に傾斜している。しかし米景気回復それ自体は、対日貿易赤字を是正するものではない。むしろこれまでのところ日本が高度部品を製造し、米がそれに構造的に依存していることからすれば、逆にさらに増人する可能性さえある。そして日本の市場が完全に開放されたとしても、現在年間600億$の米国の対日貿易不均衡の是正は年間90-180億$でしかないことは米経済人統領諮問委員会も指摘しているところである。

「建て前」から「本音」の日米関係
こうした中でのスーパー301条の復活は、日米摩擦がこれまでとは違った新たな段階にきていることを示しているといえよう。かつては米ソ冷戦時代であり、「建て前」で議論せざるを得なかったし、対ソ共同歩調を優先して日米対立を脇に置いてでも、米国は経済問題よりも政治・軍事・安全保障問題を重視せざるをえなかった。ある意味では日本は米ソが緊張激化と軍拡競争に明け暮れ、疲弊していくことに最大の成長要因を持っていたと
もいえ、過去の米政権に甘やかされ、またそれにつけ込んできたともいえる。
しかし冷戦崩壊後、事態は大きく様変わりしたのである。相互に利用・依存する関係は、本来の相互共存関係のあるべき姿をめぐって「建て前」ではなく、「本音」を出し合わざるを得ない関係に立ち至ったのである。米政権内には、日本弱体化期待を露骨に表明し、「1$=70円にすれば日本は米国の相手でなくなる」と発言するものまで現れている。クリストフアー米国務長官は「日米間の政治的小競り合いが、全面的な貿易戦争に発展することはない」と必死に言明しているが、冷静な対応がなければそのようになり得る可能性を示しているといえよう。
一方、日本経済の深刻な低迷は、このところようやく上向きの指標が出始めている。日銀の2月時点の短期経済観測調査によると製造業の業況判断が、横ばいにとどまり、6月の予測は彼やかな改善を見込んでいる。生産、住宅、消費などの景気指標でも、金融超緩和と地価の落ち着きで、住宅建設が好調を続け、1月の住宅着工戸数は20.7%増の106.097戸で87年10月以来約6年ぶりの高い伸び。2、3月が前年並であっても93年度の住宅着工戸数が150万戸台に乗せることが確実となっている。消費支出も10月から3カ月連続前年を上回り、それに応じて、家具や台所・洗面所関連製品、家電機器や音響・映像機器も売上が回復し始めている。しかし依然として回復力は鈍く、不安定でもある。日米経済双方ともに、政治的経済的相互関係の微妙な揺らぎがたちまち経済の不安定化をもたらすような状態に立たされている。急激な円高は日本の株価の急落につながり、それは日本の資金の米国から引き揚げをもたらし、当然米国の資金需要圧迫と長期金利上昇など、双方とも“返り血”を浴びる関係にある。

問われる日本の政策
そうした意味では、これまで以上に日本の国内政策が国際的意味と責任を持つようになってきたことは否定できないことであろう。ところが細川内閣の新年度予算は所得減税の件を除くと緊縮予算そのものである。新年度の一般歳出は94年度の当初予算に対して2.3%しか伸びていない。また5兆5千億円の所得税減税にしても1年限りをうたっており、一方で社会保障負担の1.2兆円増が予定されているほか、税外負担も引き卜げられるものが多い。大蔵省や官僚の財源論に振り回された結果が、せっかくの景気対策を台無しにし、国際的評価も低めているのである。
少なくとも3年以上にわたる大型減税と社会資本投資拡大の大胆なパッケージを打ち出すべきであろう。そして日本経済の活力を弱めている独占資本の寡頭支配体制、談合・カルテル的体制、中小企業に犠牲転嫁する系列支配体制を打破する政策を明瞭にする必要があろう。
(T.Ⅰ)

【出典】 アサート No.196 1994年3月15日

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『詩』 揺らぐ自画像

『詩』 揺らぐ自画像
               大木 透

自画像のバックに
ゲノムだのDNAなどの絵柄を
ぼんやりと浮き出させる手法が
流行っているという
俺は
こんな高価なキャンパスは
手に入らないから
せめて
鏡の前に座って
後ろの壁に
天体図やら
世界地図を
張りつけてみる。

数世紀前の聖人のように
落ち着いて
遠くを見る眼差しをして
悟ってはいるが
まだけっして満足はしていないという
意気がったポーズをしてみる。
すると
地震でもないのに
妙に頭がくらくらしはじめ
めまいもして
座っていられなくなる。
俺自身か
バックか
鏡のせいか。

俺は立ち上がり
バックの世界地図を
最新のものに取り替えてみる。
天体図に
新発見の星雲を
書き込んでみる。
おまけに
俺自身の自分史年表を
まん中に据えてみる。
それでも
お流行の「揺らぎ」は
いっこうに収まらず
とうとう
俺は
鏡を
近所の眼鏡屋に持込み
眼鏡と一緒に
計測してもらう
店主は
「何にこだわっているんですか?ばかばかしい」
と仏頂面をしたが
代金は受け取らず
問題なしと診断を下してくれた。
俺は嬉しくなって
帰りにラーメンを喰って
意気揚々と
引き上げてきて
どっかりと
椅子に座りなおして
コンテを軽く握って
俺を凝視するが
前にもまして
揺れがひどくなる。

全部の道具だてを
いっぺんに動かしたのが
誤りのもとかもしれない。
俺は
今度は
ひとつずつ
ファクターを替えてみるが
その組合わせの
なんと多いことか。
とうとう
俺は諦めて
目が回るままに
手を震わせ
一進一退の
自画像を描く。
(1994.1.21)

【出典】 アサート No.195 1994年2月15日

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【書籍紹介】「政治改革」

【書籍紹介】「政治改革」
              岩波新書 山口二郎著 ¥580 93年5月発刊

<造反議員を批判 若手の政治学者>
すでに昨年5月に出版されている本書ですが、最近著者本人の講演を聴く機会があったので、その印象も含めて紹介します。
著者は、北海道大学教授の山口二郎氏。35才という若手政治学者である。その講演を聴いた印象は、非常に若く、新しいタイプの学者だということです。私は氏の講演を聴いていて、何よりも社会党左派への心情的な肩入れが皆無である点が非常に新鮮でした。
参議院での社会党内左派と称する造反議員が展望もなく、与党案に反対したとき、山口氏は2月8日の日経朝刊の経済教室でも「・・・・・・同時に浮かび上がったのは、社会党内の造反派の責任である。彼らは政府案を葬ることによって、結果的に自民党案に近い制度改革の実現を助けた。・・・55年体制のもとでは、社会党は役割としての反対に専念して結果を考慮する必要がなかったが、今では反対のもたらす結果を引き受けなければならない」と痛烈に批判されています。私も同感です。

<政治をどう考えるか>
「政治を理念や理論の実現のため、たとえ小数でも主張し続けるのか、大多数の国民の利益の一歩の前進をめざして妥協も含めて決断していくのか、私は政治の仕事は後者だと考える。」講演の冒頭、山口氏は切り出した。非常にすっきりした論法である。
著書の中では、政治腐敗の原因は選挙制度だけにあるのではなく、また政治家の倫理の問題だけではなく、「政治腐敗を根元から断つためには、規制や助成のさまざまな政策の立案・実施の過程、それらの政策を生み出す行政や統治の構造にまで踏み込むことが不可欠となる。そして、政治による社会に対する利益配分の政策が政治家による私利私欲の追求の舞台とならないような工夫・・・責任追求を容易にするための工夫を考えることが必要となる」という出発点から論を進めている。
腐敗が起こる要因を「政策的要因」「行政的要因」「政治的要因」に分けて分析し、必要な改革と、それをどう進めるかを明らかにされている。

<地方分権と情報公開、対抗政党が必要>
特に小選挙区制との関連で、山口氏が論じているのは、地方分権を伴わない小選挙区制は、腐敗を助長する危険が大きいため、財源・権限など地方分権を進めて、中央の政治が関与する範囲を狭めることが必要だということ。
また、日本の政党政治は確立してこなかったと指摘されている。腐敗した政治家や誤りを犯した政治家を政党が断固処断する規律がない、政党の政策と反対のことを主張して当選する政治家が多いなど、国民が選ぶのは政治家個人ではなくて、政党を選ぶことだという原則を確立することが必要であり、そういう政治環境の中での政策と権力をめぐる政党間の競争が行われるような政党のあり方、政治のあり方が必要だと主張する。
また、法律は国会で決まるが、通達や許認可に代表される行政府の裁量に属する官僚の権限についても、一部政権政党との癒着というものが腐敗の温床になるとして、行政・政治の情報公開のシステムが必要になること。

<社民リベラル勢力の再編成が必要>
社会党が野党であり続けてきたのは、戦後革新運動の中心であったこともさることながら、国会のシステムが反対政党の存在を際だたせるものであったこと。それは、国会の会期が非常に短く、審議未了案件は廃案となるため、野党の戦術が政策論争より審議拒否や議会内の駆け引きとなり、政権交代が起こらないという前提の下で、政権党から一定の譲歩を引き出してこれた。こうした構造の終末が国対政治というものになった。
政策政党、対抗政党としてすべての政党は、出直す必要があるという主張になる。
「・・・国会改革の基本的な方針としては『国会は政府に対する抵抗の場だけではなく、政党間の相互批判と政権党の鍛錬の場へ』というスローガンを導き出すことができる」
そこで、社会党を含めた政界再編にあたっての政策的分水嶺が以下の2点にあるとされる。第1は、対外政策における政治大国派かネオ護憲派か、第2は国内政策における自由放任か公共性かである。
社会民主主義とリベラルとの結合による社民リベラル政党の創出に社会党は取り組み、政治のイニシアチブを握るべきだ、という主張である。

<新しい社会党のブレーンとなるか?>
実は、氏の講演を聴く数日前、昨年5月にすでに購入していた本書をもう一度読み返してみた。歴史的な93年7月の総選挙の前に書かれた内容だが、政治改革に具体的で明快な主張であること、社会党が陥っている袋小路の原因と、今後の問題についても明確な提起が含まれていることなど、改めて認識した次第です。(佐野秀夫)

参考図(政策的対抗軸と政党再編)

政治大国(実質改憲)

       |
自民党    |   小沢新党
守旧派    |
       |
       |
公共性 ←―― |-----→自由放任
保守本流    |
   さきがけ|日本新党
       |
  社民   |
       |
       ↓
 ミドルパワー(ネオ護憲)

【出典】 アサート No.195 1994年2月15日

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【投稿】森滝さんと「人類的立場」

【投稿】森滝さんと「人類的立場」

原水爆禁止運動の象徴でもあり、常に運動の先頭に立っておられた森滝市郎さんがついに亡くなられた(1月25日)。92歳の高齢であり、いつ亡くなられても不思議ではなかった。しかし、昨年7月にも計475回(1962年に開始されて以来)にも及ぶ原爆慰霊碑前の核実験抗議の座り込みをされていて、その意志の強さと気力にはなみなみならぬ思いが伝わり、たとえ亡くなられても、「核実験の再開など、断じて許してはならんのです」と、あの背筋を伸ばした白髪の森滝さんが登場する姿が、何度も去来して頭を離れない。今年頂いた年賀状は「いのちとうとし」であった。
1963年8月、第9回原水爆禁止世界大会が、ソ連や中国の核実験をめぐって分裂したとき、共産党やその支持者達(実は私もその方針と内部で闘ってはいたが一員であった)が「防衛的核実験」、「きれいな核実験」、「アメリカ帝国主義と闘うことこそが原水禁運動」といった主張をして、分裂を合理化したことは周知のことである。そのとき森滝さんは原爆慰霊碑前の集会の壇上で、彼らの悪罵と中傷の中で、「いかなる国の核実験にも反対」するという「全人類的立場」、広島の原点を明らかにし、これは金輪際曲げられないことを明言された。そして森滝さんは、共産党の分裂主義とセクト主義にはほとほと悩ませられながらも、広島、長崎、静岡の被爆三県の原水禁運動の統一と連帯に奔走されていた。そうしたさなかに私は森滝さんのお宅を訪ね、八月六日被爆地広島の地獄図絵の生々しい記憶や、アルバムを次から次へ出されてヨーロッパ各国での被爆体験の語り歩き、シュバイツァー博士との交流など一晩語り明かして頂いた。ろくに眠りもせず、翌日は広電に乗り、平和公園以外の埋もれた被災者の慰霊碑や広島大学構内の被災の様子を案内して頂き、最後に原爆資料館に着いた。ちょうどその日は修学旅行の高校生が見学中であった。森滝さんは最初私一人に説明をしていたのだが、横で聞いていた人たちがどんどんふくらみ始め、大集団となり、「この写真の娘さんは実はぼくの知っている人で、・・・」、「このホルマリン漬けの・・・は、実は教え子の・・・」と、そのリアルで鬼気心に迫る8/6当日の様子に皆が一斉に涙を出し始め、声を出して泣きながら、会場を移動したのである。忘れられない思い出である。
振り返って、森滝さんは、「人類」という概念を運動の中で最初にはっきりと言及し、しかも「人類的立場」を運動の原点に据えられた最初の人と言えるのではないだろうか。森滝さんは、1956年、日本被団協が結成され、その宣言文を起草されているが、その中でも「人類は生きねばならぬ」と主張されている。1960年前後、中国とソ連の論争、いわゆる中ソ論争の中で、フルシチョフが米ソ平和共存、核軍縮を人類的立場から主張したのに対して、毛沢東は「原爆などはりこの虎、恐れるに足らず」と主張し、人類的立場を階級性を投げ捨てたもの、右翼日和見主義、現代修正主義と嘲笑した。そして日本共産党もそれにならって毛沢東に追随し、平和運動に限らず、さまざまな分野で党派性と階級性の名による大衆運動や労働運動の分裂を押し進めたのである。社会主義の崩壊も、実はこの人類的立場の忘却にこそ基本的な原因があるのではないだろうか。森滝さんの死は、あらためてあらゆる分野においてこの人類的立場に立った運動の必要性と力強さを想起させて頂いたように思われる。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.195 1994年2月15日

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【投稿】私は、「主張」したい

【投稿】私は、「主張」したい

「青年の旗」が、「ASSERT」に改題され、新しくスタートされたことを心から歓迎したいと思います。私自身は別の名称を提案していたのですが、印刷された文字を見てみると、新鮮な印象を受けました。そして、題字の横のスローガンも外して、「改革と民主主義をめざす」とだけされたことに対して、大賛成です。今は、誰かが、「旗」を振って「この指とまれ」の時代ではありません。一人一人が、多くの資料と情報を基に、分析と考察をして、自分なりの意見を持ち、それらを出し合いながら、社会の変革に寄与していくことが、求められています。「社会主義国ソ連」の崩壊は、私たちに多くの真実を知らせてくれましたが、以来、私自身は、「民主主義の重要性」を改めて強く認識するに至っています。民主主義を守り発展させるためには、「個人」の質的な向上がなければなりません。一国民として一市民として、国の政治や地域の状況をより良いものにするには、どうしていけばいいのか、各自の「主張」を持つべきだと思います。それらを繋ぐネットワーク誌として、「ASSERT」が位置付き発展することを期待していますし、自らも積極的に投稿したいと思います。
1月21日、参議院本会議で政治改革法案が否決されたのを、知った時、無性に腹が立ちました。反対した議員全員ではなく、社会党員でありながら反対票を投じた議員に対して。「信念に基づいて」、反対した議員さん達は異口同音に語っておられました。党の方針に異議を唱え、受け入れられなければ、議員として除名覚悟で行動せざるをえない場合を全面否定するつもりはありません。過去に、「核実験停止条約」を巡る賛否の中、志賀義雄氏は共産党の方針に反した行動をとり、党を除名された事実があります。当時の状況から考えて、私は、やむをえない結果だと思います。しかし、今の政治状況は大きく変わったのです。「連立政権」が誕生したのです。自民党一党支配から抜け出し、いろいろあっても、七党一会派が協力し合って、細川政権をつくりだしたのです。
そして、社会党は、与党第一党という非常に責任ある立場に置かれているはずなのに、執行部をはじめその自覚があるのかと問いたくなるほどです。「その場しのぎ」の政策・方針ばかりに追われていたのでは、有権者の支持どころか、内部から瓦解していくのでは、と少し同情心を持ちつつ思っています。そして、悲惨な状態を迎える前に、「小選挙区」時代に対応できるよう党内論議を活発化し、すっきりさせるべきはさせていく方が、支持をえやすいのではないでしょうか。今まであいまいにして来た問題を、先送りにせずはっきりさせないと、「困惑と苦渋」の社会党というイメージばかりが目について、頼れる党に変身できません。決断には、多少の出血も伴うでしょう。が、今は「変革」の時です。大胆な議論をオープンに行った党が信頼されると思います。
「民主主義の重要性」を如実に示したのが、増税問題を巡る与党間の調整だったように感じました。「一一ライン」と首相・一部官僚の独走にストップをかけられたのは、今後の政局運営にとって意義深いと考えます。いずれ増税を考えなければならなくなるとは思いますが、国民の生活に深く関わって来るような一大事を、一部の人間だけで相談し深夜に発表するなんて、きなくさい感じを受けて良くないです。「政治」から清新なイメージが失われて久しくなります。「政治家」の多くが「政治屋」になってしまった感があります。国民の信頼を回復するためには、「談合」とか「根回し」といった、プロセスがはっきりしない方法は、とるべきではありません。高支持率に驕ることなく、連立各党の主張をよく聞いて、政府としての政策決定を行った方が、政権基盤は強まりこそすれ弱くはならないと思います。細川首相も、「連立政権」の長であることを、肝に銘じておく必要があります。民主主義の質を高めうる実験場を、私達は手にしているのです。「細川政権は、自民党政権より悪い」とまで言いきる方々がいらっしゃるが、私は問いたい、「では、どんな政権をお望みか」と。自民党政権の時も「反対」「断固闘おう」そして、今も「反対、反対、反対」。常に「外野」に身を置き、傍観者を決め込むつもりなら、それもいいでしょう。しかし、より良い社会の到来を望み、その実現にいくらかでも寄与しようとするならば、そんな無責任な態度では、何一つ前向きに解決できないことは明かです。現政権を礼賛するつもりはありませんが、「反自民」できた者としては、よりましな政権として考えています。もちろん、どんな場合でもそうであるように、監視を怠ってはいけないと思います。
以上、長々と「今、主張したいこと」を述べましたが、この「ASSERT」をお読みになっておられる皆さんへ提案します。それぞれの想いや考えを、気楽に出し合って、交流し合いませんか、民主主義の発展と個人の向上を願って。 (大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.195 1994年2月15日

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【投稿】「キラリと光る」政界再編成を

【投稿】「キラリと光る」政界再編成を

<<国民福祉税をめぐる混乱>>
2月3日未明に突如発表された「国民福祉税構想」を巡る混乱は、現在の細川連立政権の実態を如実に示すものであったともいえよう。首相自らが緊急の記者会見で発表しておきながら、社会党のみならず、身内の日本新党、官房長官や閣僚からさえ相次いで反対され、おおあわてで再協議して、「白紙」に戻すことを発表、あとは「与党で十分ご協議願いたい」というのである。過ちは改めるにしかずではあるが、まったくあきれた事態であった。
今回の場合、わざわざ政界の裏情報に通じていなくても、こうした暴走を仕組んだのは新生党の小沢氏、公明党の市川氏、そして大蔵省幹部であることが歴然としている。彼らは他の与党幹部や閣僚にさえ秘匿してコトを運び、首相自身さえ直前まで知らされていなかったといわれる。だからこそ首相が記者会見で、7%の税率の根拠を聞かれてしどろもどろとなり、「だいたいこの程度は」とか「腰だめの数字」などを連発せざるをえなかったのであろう。政治改革、新しい政治を語り、だからこそ高支持率を誇ってきた首相にとって、政策の決定過程を不明朗にした責任は重大であるといえよう。

<<なぜ突如出されてきたのか>>
問題は、与党内や閣僚の合意も得ないままに、「消費税を廃止して国民福祉税」などという明らかなスリカエ議論がなぜ突如出されてきたのかということである。この案は「早く出るとつぶれる」と伏せられてきた大蔵省の秘策であったという(2/4朝日)。いわゆる官僚主導論である。細川政権の支持率が再び上昇したこの機に一気に念願の増税をというわけである。不況対策や福祉・高齢対策をないがしろにしてすべてを財源論で切って捨てる論法である。今回の混乱で、一定程度これは良くも悪しくも浸透したといえよう。しかし情報や実態を秘匿した問答無用の誘導的な論議はもはや許されるものではない。あらゆる情報を公開した国民的な議論こそが要請されている。それこそが政策形成の近道であり、強さでもある。最終的には国民投票のような手段で問われるべき課題である。こうしたことを回避したい勢力が今回の事態を引き起こしたのだといえよう。

<<「やっぱり怪しい」ミッチー>>
しかしもう一つ忘れてならないのは、政界再編との絡みではないだろうか。自民党の大勢が今回の国民福祉税構想に反対を明らかにしているのに、渡辺元蔵相だけはすぐさま支持を表明したのである。2/4日経によると「実は小沢と渡辺ミッチーの間で密約が出来ている。政治改革に代わって、国家財政観を軸に連立の線引きをし直す」、「渡辺が国民福祉税構想を高く評価したので『やっぱり怪しい』ってことになった」という。
税制改革を政界再編の起爆剤にしようというわけである。ねらうところはもちろん社会党の連立政権からの切り捨てである。社会党は造反議員の行動で大いに自民党に点を稼がせた。もはやご用済みである。この際、新生・公明連合に渡辺新党が加わった政界再編第2幕を切って落とそうという目論見である。渡辺派の幹部である山崎氏は「渡辺新党構想は生きている。党内で渡辺会長が多数を掌握できない場合は、新党という可能性はある」ことを認めている(2/10朝日)。今や自民党議員にとっても「いまは自民党を出ても行くところはいくらでもある。もはや派閥は機能しない」と公言する事態である。自社両党ともに党内はドラスティックな再編必至の状態にあることが予想されるのである。

<<あらゆる可能性を追求すべき>>
今回の事態ではそこまで一挙に進むことはありえなかった。税制や福祉という国民の生活に直接かかわる政策を一部の闇取引で決められるものではないし、何よりも国民の監視にさらされているのである。しかしこうした底流はいつ表面化してもおかしくはないといえよう。そして変化と新たな展開はより多くのさまざまな可能性を提供してくれることも間違いないであろう。自民党の一党独裁政治の復活を許さないことを大前提にすれば、あらゆる可能性を追求すべきであろう。このほど武村官房長官は、「小さくともキラリと光る国・日本」を出版し、日本は軍事的には「小さい」ままで、環境など非軍事分野の貢献によって国際的に評価されるべきだ、と述べている。これは明らかに小沢氏の「日本改造計画」、軍事面を含む国際貢献を果たす「普通の国」に対抗するものであろう。
一方、社会党は今回の事態で初めて存在感を示し得たのであるが、連立政権内野党の立場でしかなかったことを肝に銘ずべきであろう。連立政権のイニシャチブをとれる新しい結集軸に向けて大胆に踏み出さなければ、社会党はもはや取り残され忘れ去られる存在となろう。「反新生・公明大連合」といった程度のものではなく、この際もっと幅広く、政策とビジョン、国家観の競合を軸とした国民に開かれた広範な連合に向けて、あらゆる政治勢力が解党的な再編成に動き出すべきときに来ているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.195 1994年2月15日

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【投稿】必要な「政治」の再生

【投稿】必要な「政治」の再生

正月明けから、政治改革に関連したことについて、何度か投稿しようと思いながら、結局果たせずに今日まで来た。現実の動きがめまぐるしくて、何を書いても、原稿が紙面に出る頃には、ピンぼけになっているような気がしたからだ。
案の定、1月21日の参議院本会議での政治改革法案否決に始まって、両院協議会の開催、細川首相と河野自民党総裁によるトップ会談による合意と、特に終盤は目まぐるしく事態が移り変わった。1月29日の衆参本会議において政治改革法案が可決された時には、いささかうんざりした気分にすらなった。
しかし、今、一連の事態を振り返ると、あらためて明白になったこともあるような気がするので、気のつくまま、考えていることを記してみたい。

トラップに引っ掛かった社会党造反議員
今回の一連の事態の中で最大のポイントは、何と言っても1月21日の参議院本会議での政治改革法案の否決であった。そして、その鍵を握ったのが17人(欠席を入れると20人)の社会党造反議員であった。
彼らの主張に対する私の考えは後に述べるとして、結果的に彼らの果たした役割は、次のとおりだった。第1には、政治改革法案、とりわけ、政治資金規制について、政府案からの大幅後退を導いた。第2には、「社会党の主体性重視」との主張とは裏腹に社会党の分裂(解党)状況、公党としての発言力低下を決定づけた。
これらは「結果論」ではあるが、冷静に考えれば、1月21日の時点で十分に予測できたことであった。ヘボ将棋でも、自分が打った手の次の手ぐらいまでは考えるものだが、社会党の造反議員たちには、そうしたセンスもなかったようだ。「信念に基づく」というと聞こえは良いが、現実判断能力の決定的な欠如は、抵抗型の市民運動では通用しても、政治家としては致命的であった。
参議院での採決結果が12票の大差での否決だと聞いた時に、「なぜこんなに大差なのだろう」「否決されるのなら、なぜこんなに強引に採決に持ってきたのだろう」と何となく腑に落ちなかったが、今日までの事態の推移を見ると、参議院での否決も想定されるシナリオの一つとして折り込み済だったような気がする。昨年の総選挙以降、着々と進められてきた「社会党解体」の最後に仕上げとなるトラップ(仕掛け)に、社会党造反議員がまんまと引っ掛かったということだろう。
政治はまさに「結果」である。「地獄への道は善意によって舗装されている」とは、筑紫哲也氏がよく引用されるフレーズであるが、まさにそのとおりの結果だったと言える。

不十分な選挙制度改革の目的論議
政治改革、とりわけ選挙制度改革に関する国会での議論を聞いていると、否定論者の主張はそれなりに聞こえるが、推進論者の主般が一向に聞こえなかった。特に社会党の場合が、ひどい。
「連立を組んだ時に(小選挙区比例代表並立制いう毒は飲んだのだから、最後まで行くしかない」とか、「政権から離れるべきでないから、賛成するしかない」などという乱暴な議論ばかりが目についた。これでは造反議員が出ても仕方がないとも言える。
ー方、新生党代表幹事の小沢一郎氏は、その著書「日本改造計画」の中で、小選挙区比例代表並立制の導入という選挙制度改革の目的や理念についての考えをそれなりに明確にしている。その内容は、どうも
「強権政治指向」としか理解されないことが多いが、私は「機能的な国家意志の形成」と「政権交替による民意の反映」が彼の主張の核心だと理解している。
さて、私は、違ったプロセスから、彼の結論に一致するところがあり、今回の選挙制度改革は、後に述べる主体的条件を満たすことができれば、大きな意義を持つのではないかと考えている。

根源的な危機にある日本の政治状況
前提として、現在の日本の政治状況に対する私の認識を明らかにしておかねばならない。制度を変えるか変えないの議論は、現状に対する評価の如何に尽きる。現状にリスクの大きい制度変革を行うほどの問題がないと判断するのならば改革には消極的になるし、そうでないなら、多少のことには目をつぶってでも何らかの改革を実施しようということになる。改革に対する姿勢は、現状に対する評価の反映なのである。
実は、私は、今日の日本の政治状況は「根源的な危機」に直面しているのではないかと感じている。「根源的な危機」とは、「政治の機能不全」ということであり、この場合の「政治」とは、「異なる利害の民主的調整機能」ということを意味している。こうした事態が最もドラスティックに展開しているのがロシアであろうが、日本の事態も相当に深刻だと、私は思う。
1月28日付「週刊金曜日」に筑紫哲也氏が次のような指摘をされていたが、私も全く同感である。
「欠陥、問題だらけ、危っかしい私たちのデモクラシーのなかでいまいちばんの問題は何だとお考えですか。私は有権者が投票にやって来ないことだと思います。・‥この『観客民主主義』を生んだ要因はいろいろですが、やはり政治腐敗と中選挙区制との関係が大きいと思うのです。いくら腐敗、汚染が明らかにされた政治家でも、この制度の下では同じく腐敗、利権に組み込まれた一部の有権者を取り込めば当選してしまう。いわゆる『16%の不正義』に多くの人がうんざりし、投票に行かなくなる。不信、無関心だけでなく有権者としての無斉住もそこから生れています。」
私は、これに加えて、「投票行動の政策に対する無力感の増大」を指摘したい。
世の中はどんどん変わっているのに、政治の世界だけが「モグラ叩き」のようなことをやっていて、新しいことが何も打ち出されない--このような事態に対する苛立ちが有権者にあると思うのだ。
その原因は、自民党については、個々の議員の選挙公約と党としての政策が一致していないこと。例えば、消費税を党としては導入する方針にも関わらず、個々の候補者は実質的には導入反対で選挙を闘うといったスタイルの横行にある。野党については、万年野党を脱却するための戦略もなければ、気力もないといったことが、有権者のシラケを増幅させてきたと思う。
自分の投じる1票が政策に反映する「手応え」のようなものを感じなければ、多くの人々は投票には行かない。投票に行く人は、何らかの形で政党・議員に系列化されている層だけとなる。そうすると、ますます何の変化も起きない。「観客民主主義」を決め込んでいた多くの人々も、このあいも変わらぬ田舎芝居にとうとう愛想が尽きて、「こら、え-加減にせえ!」と国会に向かって座布団を投げているというのが今日の状況ではないだろうか。
現に、政治改革法案が吋決された後の世論調査で、細川内閣の支持率は再び急上昇した。しかし、一方で「この改革によって政治が良くなる」と答えた人は極めて低い率であった。有権者の目はシビアで、制度改革に過大な期待はしていないが、とにもかくにも現状を変革しろというのが大勢であったのだ。国民の世論は「腐敗防止の先行」などという「正論」よりは、はるかにラジカルだったといえよう。

「被害妄想思考」の克服を
それにしても、日本の「左翼」を称する陣営の発想の貧困さは救いがたい。一言でいうなら、「被害妄想思考」とでもいうべき発想だと私は思っている。「被害妄想思考」という表現が不適切なら、「最も危険な意図の貫徹作用との観点からすべての動きを理解する発想」と言ってもよい。
例えば、「小選挙区制」というと、「保守勢力による一党支配の強化」「大衆収奪強化」「強権政治・翼賛政治の展開」「憲法改悪」「徴兵制導入」「軍国主義復活」と直結する思考回路が形成されている。
ひとたびこうした思考回路が形成されると、どんな状況もこの文脈で理解されるから(アドラー心理学でいうところの「認知バイアス」が働く)、確信が高まることはあれ、客観敵な状況分析に基づいて方針が修正される可能性は皆無となる。また、具体的な対応姿勢は、ヒロイズムに裏打ちされた「名誉ある孤立」路線一辺倒で、最終的には、見事な「討ち死に」を図るということになるのである。
これは、裏返して言うと、「自信のなさ」「民衆に対する信頼のなさ」の反映である。そして、最も重要なのは、こうした思考の迷路にとどまっていると、現実に対応し、現実を自らの描くイメージの方向へ引っ張っていく「構想力」をいつまでたっても確立しえな
いことであろう。

小選挙区制をどう生かすか
はっきり言って小選挙区制は怖くない。怖くないどころか、それを使って、日本政治の抜本的改革を達成するぞとの意気込みが必要だと、私は考えている。
「小選挙区制では膨大な死票がでる」と反対論者は言う。しかし、考えてみれば、これまで自民党以外の万年野党に投じられてきた票は、「膨大な死票」ではなかったか。小選挙区選挙では、1回の選挙においては「死票」であっても、次回の選挙では「生票」となる可能性が高い(もちろんいつまでたっても「死票」となる少数勢力は存在するが)。
前述の1月28日付「週刊金曜日」で筑紫哲也氏は次のような指摘もされている。
「…小選挙区制はアングロ・サクソンの『ゲームの論理』と分かちがたく結びついている。「勝者ひとり占めJ(wimer-take-all)が基本原則で、・‥勝つ時は思い切り勝つ、負けた方も次に思い切り勝てばよい、というゲーム感覚がそのベースにはある。」
今日の政治状況は、資本を背景にした強大な自民党が、勤労国民の利害を代表する社会党と対決をするといった二項的対立関係にあるわけではない。国家戦略をめぐっても、個々の政策をめぐっても、複雑な対立や違いが存在しており、小沢流の路線が(例え創価学
会と結託したとしても)常に一人勝ちできるような状況にはない。3割~5割の棄権票のパワーを少しでも掘り起こした者がキャスティングボードを握れるのだから。
議員を選ぶ選挙が、本当に政策をめぐる国民投票の観を呈するまでに争点を明確化できれば、日本の政治における意志決定システムは、もっと明瞭で、ダイナミズムのあるものになろう。

何よりも重要な「政党再編」
調子に乗って書いているうちに原稿が長くなった。最後に、この選挙制度改革を実りの多いものにするために最も重要な主体的条件について指摘して、拙文を終えることにする。
私は、現在最も重要なのは、「政界再編」にとどまらない「政党再編」であると考えている。
とりあえず自民党も社会党も早く分裂することだ。今のような状態で、それぞれの看板にしがみついていることは、何のメリット(党財産の分割という問題はあろうが)もない。
そして、誰と誰が一緒になるというレベルでの「政界再編」ではなく、新たな理念・新たな価値・新たな意志決定や運営手法を具体化できる「新党」を結成することだ。日本新党は細川首相の「個人商店」、新生党は「自民党旧田中派」という性格を脱皮しきれてい
ない。再度、「新党」の結成をめざすべきであろう。
もちろん、新党は理念だおれではだめだ。政治は力である。理念や政策で多少の譲り合いをしても多数派を結集し、政策の実現担保性を高めた方が良い。
そして、その際の理念・政策は、小沢流の「普通の国家」ではなく「平和国家」、「個人自立を原則にした自由主義国家」ではなく、「自己決定権が保障された民主主義国家」、「市場経済放任」ではなく「市場経済の民主的制御」、「中央集権」ではなく「地方分権」、「低負担、低福祉」ではなく「高負担・高福祉」、「経済活動重視」ではなく「環境保護重視」というものだろう。そして、女性や障害者、そしてあらゆるマイノリティの人権に配慮したような政策を一歩でも(現実的制約の中では、本当に「ー歩」でよい)具体化するとの姿勢を打ち出せれば、土井ブームの時のような幻ではなく、本当に「山が動く」のではないかと思うのだ。
次から次へと押し寄せる現実課題への対応に右往左往している連立与党、とりわけ社会党の議員の中で、大きな構想の実現に向けて地を這っている人はいないのだろうか。ぜひ、明るい情報を教えていただきたいものだと思う昨今である。
(依辺 瞬 1994年1月31日記)

【出典】 アサート No.195 1994年2月15日

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【投稿】アウシュビツ収容所跡を訪れて

【投稿】アウシュビツ収容所跡を訪れて

年末・年始の休暇を利用してヨーロッパを旅行した際、ポーランドのアウシュビツ収容所跡を訪れた。アウシュビツ収容所跡は、ワルシャワの南西約350キロに位置するオシフィエンチム市とそこから約3キロ離れたブジェジンカ村にある。宿泊しているワルシャワから特急電車で約2時間半かけてクラクフというポーランドの古都に行き、そこからタクシーで約1時間乗ったところであった。人口密集地から離れているため収容所の増設や隔離が十分可能であったこと、一方で鉄道の要衝であり収容者の輸送が容易であったことなどからこの地が選ばれたという。
「アウシュビツ」というのはナチスが命名した収容所の名称であり、こうした地名はない。オシフィエンチムの収容所はアウシュビツ、3キロほど離れたブジェジンカ村の収容所はアウシュビツ2号(ビルケナウ)と呼ばれた。1947年にポーランド政府により、かつての収容所を「国立アウシュビツ博物館」として永久保存されることとなった。
オシフィエンチムのアウシュビツ収容所跡が博物館となっている。「博物館」といっても、各国語の案内の販売やミニ記録映画を上映するだけの建物があるだけで、あとは実際の収容所の建物や鉄条網がそのまま残され、収容所の建物の中に、犠牲者の遺品などが展示されているのである。
収容所の入口には「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書かれた皮肉な門が建てられている。その門をくぐって収容者は毎日労働に駆り出されていたのである。
実際に収容されていた建物のいくつかには、ナチスの犯罪を示す証拠が展示されている。犠牲者の衣服や遺体から取り出された義手や義足、眼鏡、髪の毛、そして20,000人以上がその前で射殺されたと言われる「死の壁」などである。
ナチスは更に効率よく殺害をはかるため、「チクロンB」という毒薬を開発し、シャワー室に見せかけたガス室で収容者の70パーセント以上を殺害したという。ナチスの敗戦が確実になり退却する際、歴史的な犯罪を隠蔽するため、多くのガス室を破壊して逃亡したが、それでもいくつかのガス室・焼却炉は破壊を免れ、また利用された毒薬「チクロンB」の空き缶は残され、山のように積まれ、展示されている。
アウシュビツ収容所は最初、ポーランド人の政治犯を収容するため設立されたが、その後、ユダヤ人・ソ連軍捕虜のほか、囚人としてチェコ人、ユーゴスラビア人、フランス人、ドイツ人なども収容されていたという。収容された者のうち、ほとんどのユダヤ人や体力のない者、病気の者はすぐに銃殺やガス室に送られた。そうでないものは強制的に働かされた。収容所の増築作業や近隣に建設された向上での労働である。ナチスは収容者の個々人の写真を前後斜めの三方向から写真をとり個人ファイルまで作り、細かく管理した(あたかも警察が被疑者一人一人の写真を撮って保存するように)。何千もの収容者個人の写真が証拠として壁一面に展示されていた。子供もいれば、女性もいる。こうした写真がこの場所に生身の人間が確かに収容されていたことを生々しく物語っている。
アウシュビツ2号(ビルケナウ)の収容所はアウシュビツよりもずっと広い。ナチスは虐殺設備の多くをここに置いたというが、多くはナチスが逃亡する際に破壊されている。端まで歩いて10分以上はかかる広さで、こちらまで見学に来る人は少なかったが、この場所で数百万人が虐殺されていたという事実の前に感じた寒けは、決して朝から残っている雪のせいだけではなかった。タクシーを待たせていたため、2つの収容所を合わせて3時間くらいしか見学できなかったが、じっくり見れば半日はかかるし、決して短時間で通り過ごせない場所である。
アウシュビツの収容所跡について印象に残ったことは、変な加工など一切せず、広大な収容所と遺物をそのままの形で残していることである。おそらく全体で1キロ四方くらいにはなったかと思う。このことが、この地で人間が人間を虐殺した歴史的な事実を50年を経た今も風化することなく我々に伝え、未来への教訓としているのである。
(大阪ABC)

【出典】 アサート No.194 1994年1月15日

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【書評】『複雑性の科学 コンプレクシティへの招待』

【書評】『複雑性の科学 コンプレクシティへの招待』
       ロジャー・リユーイン著、1993.10.31発行、徳間書店、2000円
『複雑性の探求』G.ニコリス/1.プりゴジン共著、1993.8.10発行、みすず書房、5150円
『複雑性とはなにか』エドガール・モラン著、1993.1=5発行、国文社、2266円
バラタイムの転換

このところ、<複雑性>について、あるいは<複雑思考の必要性>についていくつかの重要な問題提起が行われている。ここに紹介する書籍は、そうしたものの中でも比較的最近のものである。現実のわれわれを取り巻く世界は単純ではなく、一次元的でもない。当然、さまざまな相互作用や相互の矛盾、錯綜した諸関係について複雑な思考が要求される。その意味では複雑なのは当たり前である、何をいまさら、といえなくもない。
しかし近年、このことがとりわけ取り上げられるようになってきたのは、自然科学からの問いかけである。アインシュタインの相対性理論、ボーアの量子力学、ハイゼンベルグの不確定性原理、ゲーデルの不完全性定理、等が明らかにしてきたことは、ニュートン力学を頂点とする決定論的世界観からの質的な転換である。それはバラダイムの転換としてしばしば取り上げられている。バラダイムの転換とは、これまで共有してきた支配的な思考方法総体の転換ということである。その際のキーワードは、相対性原理と不確定性原理であり、さらには熱力学第二法則(エントロビー増大の法則)、相補性、散逸構造、そしてカオス(混沌)、ランダム、偶然性、確率、等々である。

生命の進化から国家の興亡まですへてを貫く法則
これは、『複雑性の科学 コンプレクシティへの招待』のサブタイトルである。この本は、気鋭のサイエンスライターによって書かれたもので、アメリカ・ニューメキシコ州のチャコ峡谷の遺跡、約一千年ほど前のアナサジ文化の崩壊の謎をさぐるという独特のスタイルをとったもので、多くの科学者との対話は、刺激的で興味をそそられるものである。その中心は、米ニューメキシコ州のサンタフェ研究所の学者たちとの対話であり、彼らは、コンプレクシティ(複雑性)を「カオスの縁(ふち)」という新しい概念で解釈しようとしている。この中で提起されているいくつかの視点を紹介しておこう。
【相転移】=温度、圧力、外部磁場、成分比などの変数の変化により、物質が異なる相に移る現象。相転移の際の臨界現象における物質の特徴的なふるまいは、コンプレクシティの科学にとって重要な意味を持っている。
【自己組織化】=複雑な発生システムの自然な特性だということ、秩序は複雑な系から自発的に結晶してくる、自然選択やその他のいかなる外的な力も必要とせずに。無秩序な状態から構造が自立的に形成されてくる現象。非線形・非平衡の統計物理を踏まえたブリゴジンやハーケンの理論などをきっかけに、研究が盛んになった。さらには社会構造の成立などにもこの概念を適用する試みがある。これもコンプレクシティの科学の基礎となる概念。
【カオスの縁】=秩序とカオスのあいだの移行点に位置することによって、このうえもない制御力、小さな入力で大きな出力が得られ、そこでは情報がエネルギーより優勢になり、情報処理というものが系のダイナミックスの重要な部分となり得る可飴性も出てくる。秩序とカオスのあいだの狭い移行地帯、そこに複雑な情報処理の潜在的な力が秘められている。
【断続平衡】=安定した期間が爆発的な変化によって中断されるという。進化は一様に漸進的に進んで行くという伝統的な進化論に対して、平衡状態が長い間続き、それが比較的短期間の急激な変化によって中断されるという説。
【創発エマージェンス】=これがコンプレクシティの科学の主要なメッセージ。自己組織化するダイナミックスにおける創造性の創発、生態系におけるコントロールの創発、自然の中で絶えずより大きな複雑さと情報処理へと向かう抑えがたい推進力の創発。
国家の興亡については、「複雑な社会の崩壊の際にみられるいくつかの特徴、崩壊に先立って起こるあたふたとした集団的な活動、そのようすはあたかも社会が高まるストレスに逆らおうと絶望的な努力をしているかのようだ。ローマ帝国やマヤ文明、そしてチャコといったきわめて異なる諸社会の最終段階に認めている。それらは社会の歴史の区切りとでもいうべきもの、生物系にみられ、そして相転移として物理系にも知られているような急激な転換だったのである。それぞれの崩壊の直接的原因はさまざまかもしれない。共同体自身がその経済的発達の軌跡の中で、この種の圧迫の脆い段階に達していたのではないか」と指摘されている。1991.10ソ連のクーデターが失敗に終わってから2カ月余、かつての超大国は崩壊の危機に瀕していた。C・ラングトン(サンタフェ研究所)は「ぼくは冷戦を礼賛するわけじゃない。でも誓っていうが、それが終わったいま、世界には多くの不安定状態が見られることだろう。つまり、もし、われわれのモデルが有効だとすれば」と語っている。

転換の時代における科学
これは、『複雑性の探求』の最初の問題設定となっている見出しである。この本は、以前に紹介したことのあるプリゴジン(ノーベル化学賞授賞者)の共著であり、複雑性に関する総体的な入門、あるいは導入の基本的前提を論じたものである。物理学、化学、数学
を中心に展開されているが、図表や写真が多く使われており、説得的である.ここではいくつかの重要な結論について紹介しておこう。
【多元的な世界】今世紀初頭における物理学の二つの大変革は、量子力学と相対性理論である。どちらも、普遍定数c(真空中の光速度)およびh(プランク定数)の役割の発見とともに必要となった古典力学に対する修正から出発している。我々が住んでいる世界は、決定論的現象と確率論的現象、可逆的現象と不可逆的現象が見出される多元的な世界なのである。
【新しい物質観】今世紀の初めに物理学者たちは、古典物理学の研究プログラムの伝統に従って、宇笛の基本法則は決定論的で可逆的であるという点においてはぼ一致していた。この枠組に収まらない過程は、複雑性に起因する人為的なものにすぎない例外とみなされた。すなわち、我々の無知、あるいは含まれる変数の制御方法の欠如によって説明されるべきものとみなされた。今世紀末の今日においては、ますます大勢の科学者たちが、我々と同じく、自然界を象る多くの基本法則は不可逆で確率論的であり、要素的な相互作用を記述する決定論的で可逆な法則だけが物語のすべてではない、と考えるようになってきている。このことは新しい物質観へとつながってゆく。それは、力学的世界観によって記述されるような受動的な物質観ではもはやなく、自発的な活動を伴う物質という見方である。それは、例えば素粒子論、宇宙論、あるいは平衡から遠く隔たった系における自己組織化の研究のような、物理学と化学におけるきわめて多様な分野の研究から得られた予期せぬ成果によるものである。
【偶然性と決定論との協同】偶然性と決定論との驚くべき協同へと到達する。これは、ダーウインの時代以来、生物学ではおなじみの突然変異(偶然性)と自然選択(決定論)の二重性を思い出させる。非平衡性によって、系は熱的無秩序を回避し、環境から伝達されたエネルギーの一部を散逸構造という新しいタイプの秩序立った振舞いへと転換させることができたのである。散逸構造とは、対称性の破れ、多重選択、巨視的範囲にわたる相関、によって特徴づけられる状況である。古典物理学の諸概念が不十分で不的確で、さらに本質的に無意味でさえあるような状況に対して、いまや、新しい知識を適用しようと思うのである。
【複雑性の本質的な特徴】複雑な振舞いの本質的な特徴の一つは、異なるいくつかの状態間の転移を行う権力があるという点であった。別の言い方をすれば、複雑性が関わりをもつのは、観察される振舞いにおいて進化、したがって歴史、が重要な役割を果たす、あるいは果たしてきた系なのである。今日見られる地球大気は、この惑星において生命が発達した結果生じたものである。現実には、実在世界の系は時間の経過とともに単一の状態に留まったままでいることは決してない。まず第一に、はとんどの系は複雑でかつ予測不可能ですらある環境と接触を保ち、その環境は系に絶えずわずかな量の物質、運動量、エネルギーを伝達しているのである。その結果、どの状態変数であろうと無制限の精確さで制御することは不可能になるのである。実際のところ、瞬間値の記録は基準となる巨視的な状態変数からの絶えざる偏移を示し、この偏移は環境とは無関係に系自身が自発的に発生させるものなのである。(この内在的な偏移を揺らぎと呼ぶ)

思考の文明化への呼びかけ
これは、『複雑性とはなにか』の最後で著者エドガール・モランが、複雑性について語っている言葉である。著者は、第二次大戦中レジスタンス活動を行い、フランス共産党に入党したが、1951年、党内のスターリン主義に抵抗して党を除名されている。現在、フランス国立高等研究院社会科学部門学際研究センター所長などを務めている。彼によれば、いまやすべての文化、すべての文明が恒常的に連結されているような地球時代に入っている一方で、「さまざまな人種間の関係、文化間の関係、民族集団間の関係、権力間の関係、国民間の関係、超大国間の関係において、ひとびとが全面的な野蛮状態」にあり、「われわれはいまだ損壊と分断をこととする思考のもとにあり、複雑な仕方で思考することはいまだ非常に困難」な状況の中で、複雑性は、思考の文明化への呼びかけだというわけである。ここでもいくつかの特徴的主張について紹介しておこう。
【複雑性と不確実性】複雑性は、不確実性-われわれの知性の限界による不確実性であれ、現象そのものに備わっている不確実性であれ-と部分的に一致している。しかし、複雑性は不確実性に還元されはしない。複雑思考はけっして明晰さ、秩序、決定諭を拒絶するわけではない。複雑思考は、それらが不十分であり、発見や認識や行為をプログラム化することができないことを知っている。理論の病理は、理論をそれ自身のうちに閉じ込め、化石化させてしまう教義偏重主義や教条主義にある。政治的戦略は複雑な認識を必要とする。なぜなら、政治的戦略とは、不確実なもの、偶発的なもの、相互作用や遡及作用(フイードバック)のさまざまな働きを用いて、あるいはそれらに逆らって、展開されるものだからである。
【ア・プリオリな分離と同一化】ソ連の強制収容システム(グラーグ)は、資本主義による包囲網と、社会主義建設当初の困難がひきおこした副次的で一時的な否定的現象として、ソ連社会主義の周縁部へ押しやることができた。けれども、それとは逆にグラーグを、ソ連社会主義の全体主義的本質を明らかにするシステムの中心核として考えることもできたのである。大切なことは、ソ連社会主義という観念と強制収容システムという観念とを無関係なものとして切り離すア・プリオリな分離を避けるとともに、ア・プリオリな同一化(ソ連という観念をグラーグという観念に還元してしまうこと)を避けることである。
【計画経済と自発的アナーキー】1990年までのソ連経済の例を取り上げてみよう。ソ連経済は、理論上は、超厳格で超干渉主義的な中央の計画によって支配されていた。この計画経済は、極端に厳格で、プログラム化された命令的性格をもっており、とうてい運用可能な代物ではなかった。ところが、この計画経済は、多くの怠慢をともないながらも機能を果たしていたのである。これはもっぱら、あらゆるレヴェルでの不正行為によってやり繰りされていたおかげである。つまり、トップレヴェルには硬直した命令しかなくとも、下部には自発的な組織化を生むアナーキーがあったわけである。また、実に多くの場合、ずる休みは必要なものであった。労働条件からいって、ひとびとは、少ない給料を補うために、別のちょっとしたアルバイトを見つける必要があるからだ。このように、これらの自発的アナーキーは、抑圧的なシステムにたいするひとびとの抵抗と協力を示しているわけである。いいかえれば、ソ連の経済が機能しえたのは、上からの匿名の命令にたいする、各自のこうした自発的アナーキーによる応答のおかげであった。事実、ソ連のシステムは崩壊したのではない。ひとつの政治的決断が、その膨大な無駄、効率の悪さ、発明性の欠如に鑑みて、このシステムを放棄することを選択したのである。そしてこのシステムが続いていたかぎり、そのプログラム化された計画経済を機能させていたのは自発的アナーキーであった。

単純化と教条化を脱する道
以上、期せずして同時期に発行された複雑性に関する書籍について紹介した。それぞれはまったく別個の分野から取り組みながら、基本的な立脚基盤は実に共通しているといえよう。複雑性の背後には、混乱、不確実性、無秩序が控えている。それは一つの決定諭的法則性に還元できないものをこそ問題として提起しているといえよう。そのもつ意味は、深遠でさえある。
しかしこれは、処方箋であったり、問題の解決を示すものさしではない。それは自己否定となり、単純思考への再転落をもたらしかねない。マルクス主義の単純化と教条化がもたらした害悪は計り知れないし、まだまだその見えざるくびきから脱しえていない自らの現状からすれば、複雑性の探求が提起する課題は広くて深いものを予感させる。    (生駒 敬)

【出典】 アサート No.194 1994年1月15日

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【投稿】細川連立政権と長良川河口堰

【投稿】細川連立政権と長良川河口堰
                   建設一時中止して再調査が課題

以下の文章は、月刊労働運動研究2月号に筆者が寄稿した長良川河口堰問題の中から、青年の旗紙への寄稿内容との重複を避けて、長良川河口堰の昨年10月以降の動きについての部分を投稿させていただく。できれば本文を読まれるようお願いします。

<はじめに>
1、長良川河口堰建設とは
<根拠を失った長良川河口堰>
<建設省、着工時に治水・塩害防止目的に変更>
<生態系への影響>
<残る地元財政負担>
2、本体工事着工以後の運動の高まり
<反対する会と自然保護団体が起爆材に>
<第二次反対運動は、なぜ高まったか>
3、おいしい水は、誰が飲んだか(公共事業とゼネコン汚職)
<以上を省略>
4、連立政権と長良川河口堰

来年度河口堰予算を凍結せよ
ゼネコン汚職、政界のドン金丸逮捕という腐敗列島に、七月総選挙で国民は非自民勢力の伸長と言う結果を与えた。そして∧月の細川非自民政権の誕生、社会党出身の五十嵐建設大臣の就任という、新しい政治状況が生まれた。環境保護を立党の政策の重要な方針とした日本新党代表の細川首相、北海道旭川市長から国会議員になった地方分権擁護の五十嵐建設大臣の政治的決断を求めることに重点を置くことになる。建設現場では十三本の堰柱がはぼ完成し、来年度予算での河口堰予算をどうするか、秋から年末が重大な局面との認識からである。(九月には日本新党環境部会が長良川現地視察)
一方、反対運動側は、十月に長良川DAY93「ニッポンの川を問う」を現地行動として行い、日本各地の川を守る運動グループの参加も得て、シンポ、集会、カヌーデモなどに七千人を集めて、大衆行動で細川政権への決断と世論の喚起をめざしていった。
河口堰建設の進行で、シジミ漁の打撃を受けた漁協の漁師達も漁船デモで参加した。
十一月参議院環境特別委員会で細川首相は「地元の要望がある」と、長良川河口堰建設続行の答弁を行う。建設省の来年度河口堰建設予算八九億円の取り扱いをめぐり、反対運動側は、建設省への抗議行動、赤貌賀漁協有志の建設大臣への建設中止要請など連続の行動とともに、「河口堰推進の陳情は公団の指示で行われていた事実」や「間違った数字的根拠が河口堰計画で使われていた事実」を公表していった。
結果的には、政治改革、景気対策、コメ問題などの政治の混迷を受けて、来年度予算編成は越年となったが、引き続き一月以降で、連立政権の長良川河口堰への決断を求めていく必要がある。

五十九建設大臣現地視察し、再調査打ち出す
昨年十二月十九日五十嵐建設大臣は、長良川河口堰の建設現場を就任後はじめて視察し、推進派、反対派から意見を聞き、その後の記者会見で「堰本体は実質的に完成しているが、さまざまな疑問や不安が指摘された。(さらに)環境面や、防災、塩害などについて調査したい。」と述べ、堰本体工事の継続を認めた上で来年度予算で新たに調査費を要求する考えを明らかにした。(東京新聞)また、調査結果についても公開するとし、堰完成後の運用も現在白紙であると強調したことの意味は大きいものがある。
また、十二日の朝日新聞には「長良川河口堰など大事業、見直し機構創設へ」の見出しで、五十嵐建設大臣が自民党政権下で計画、着工された長良川河口堰など長期の巨大プロジェクトについて、計画規模や利用方法を見直すための機構設立を細川総理などに提案し、基本的に了承した、との報道もされている。
この二つの記事で注目されるのは、自民党政権が計画実行した大型事業の見直しが、連立政権の課題であること、国民が納得できる事業実施が必要であることを建設大臣が認めたことである。再調査は来年度一年かけて行われる方向だが、その問建設工事を一時中止することこそ必要ではないか。

さきがけ日本新党環境那会が工事の-時中止をまとめる
連立与党内のさきがけ日本新党統一会派環境部会は、昨年末長良川河口堰について、重要な見解をまとめ公開した。その中では利水、治水など従来の事業の目的を批判的に検討し、とくに住民の大半がが河口堰に危険性を感じていることを重視し、最後に問題解決のための提言として
①事業の一時中止・事業計画の再検討(代替計画の策定・実施までの事業凍結)
②専門家による検討委員会の設置(建設省などの諮問機関でなく総理直轄の機関)
③平成六年度予算編成への反映(維持費を除く建設費の凍結、導水事業の凍結、見直しのための必要経費計上)
④堤防などの治水事業は継続⑤大規模事業の定期的見直しと環境アセスメントの実施など、かなり大胆な提言である。会派全体としてはまだまとまっていないと言われているが、この「見解」が連立与党内での河口堰議論を呼び起こすことは確実であろう。
社会党環境部会も1月に入って現地視察を行ったと報じられており、動向が注目される。
まだまだ予断を許さない情勢だが、長良川河口堰が細川連立政権の真価がと問われる問題となってきていることは事実である。。連立政権を基本的に支持する私としては、自民党に出来なかったことを一つでもふたつでも細川政権は実行すべきであり、長良川河口堰を解決することこそ自民党政治との決別を国民に知らせることのできる、本当の政治改革と言えると思う。

5、第三者機関による環境アセスメントを確立させよう
最後に環境アセスメントについて触れておきたい。
長良川河口堰の環境影響調査については、一九六三年から六七年にかけて行われた「木曽三川河口資源調査報告書」(KST報告書と言われている)がある。全部で六000ページという膨大なもの。ところが、この報告書は非公開となっている。また、北川環境庁長官(当時)により命じられた堰周辺部の環境影響調査が一九九二年四月に発表され、「河口堰の環境への影響は少ない」という内容だったが、事業主体である水資源公団が、建設省認可の財団法人(理事長は建設省OB)に発注したもので、調査研究者の名前すら公表されなかった。調査結果の客観性は全く疑問の代物。同年三月に「財団法人・日本自然保護協会」は学会の専門家調査による「河口堰は問題がある」との報告書を発表しており、事業推進者の行う環境調査に問題があるのは明きらかである。建設省はこうした調査報告書のデータ公開さえも拒否しており、到底住民を 納得させるものではない。
徳島県吉野川河口の堰改築計画でも、一九九二年十月に建設省は調査委員会の発足にあたって検討内容、環境調査委員の氏名を非公開とするなど秘密主義を改めようとしない。 長良川河口堰の再調査を建設大臣が約束したわけだが、これまでのような秘密主義、客観性に疑問のある事業者よりの調査機関では話にならないだろう。環境基本法が昨年成立しているが、第三者機関・公開を明確にした環境アセスメント法の整備が求められているのである。

***おわりに***
すでに河口堰本体工事の九四%が完成したと宣伝されているが、導水事業他の仝事業規模ではまだ七割の以上が残っている。今からでも十分にこの事業の中止と見直しをすることは可能である。今からでも遅くはない。残された自然を守るため、長良川河L」堰の建設一時中止と再調査を求める運動が今必要なのです。来年度予算編成を巡って、まもなく次の山場がやってくる。今この時が、勝負の時なのです。
(佐野 秀夫)

【出典】 アサート No.194 1994年1月15日

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【経済展望】「平和の配当」と日米経済

【経済展望】「平和の配当」と日米経済

近頃当てにならないもの
昨年末の日本経済新聞(12/28)は、93年の経済を振り返って、ここ二、三年の政府や民間経済研究機関、エコノミストの経済予測がことごとく外れたことを具体的に立証しながら、「近頃当てにならないものは長期の天気予報と経済見通し」と嘆いている。そして「経済分析や予測を業(なりわい)とするエコノミストの犯した誤謬と事実認識の甘さはとてもその道のプロと言えるものではない。そのうえ、はずれても知らぬ顔で反省の色もなく、予測の下方修正を続けた」と手厳しい。日経自身がそのお先棒をかついできたのではないのだろうか。さて新年に入ると、今度は逆に甘さの反省からか、暗く深刻に描くことが大方の予測の共通点となり、逃げ道を外的要因に求めている。断言好きのある評論家は、これまでの世界に冠たる日本経済最強論から一転して、「デフレ不況の本番はこれから始まる」とのご託宣である。
東西の冷戦体制の崩壊は、世界経済に、そして各国の経済にさまざまな複雑な影響を与えていることは間違いのないところであろう。冷戦のはざまで潤ってきた日本経済にとっても構造的な転機が訪れているといえよう。世界経済は一方で主要先進諸国が深刻な不況と停滞の中でブロック化しつつも、アジアを中心とする低賃金の諸国がダイナミックな成長と発展を維持しながら世界経済に参入し、その比重を急速に高め、経済のグローバル化が一層進展しようとしている。そうした兆侯がここ数年より明瞭になってきているのでは
ないだろうか。

百年に1回あるかないかの産業変革期
緊張激化と軍拡競争、社会福祉政策の切り捨てを柱にしてきたレーガノミックスのツケは、米経済に膨大な財政赤字と貿易赤字、基幹産業の空洞化をもたらした。ソ連崩壊と軌を一にしたこうしたレーガン・サッチャー・中曽根路線の崩壊後、米国はそうしたツケの解消をめざし、新たな路線選択と模索をクリントン政権、クリントノミックスに託したのだとも言えよう。
そうした成果がすぐに現れるものではないが、93年10-12月の米成長率は年率で4%強、自動車を中心にした個人消費や設備投資、住宅投資といった内需の主要項目で明らかに、景気は既に回復過程に入っている。
1月末には「情報ハイウェイ法案」が成立する見通しであるが、米国内を光ファイバーで結ぶ情報スーパーハイウェイ構想、通信各社の大型投資、パソコンの二桁の需要拡大、自動車の買い替え需要の盛り上がり、工作機械や鉄鋼業界などへの波及効果を見て、「百年に1回あるかないかの産業変革期」とまで言われ始めている。
米自動車メーカービッグスリーは、縮小傾向にある国防産業を離職した技術者を着々と雇用し、合理化、人減らし、品質改善をテコに10%前後の増産を続けており、米国メーカーのシェアは91年を底に着実に上昇し始め、93年に入って日本からの輸入車のシェアも低下、クライスラーの日本車キラー「ネオン」は、日本車より2-3000$安い価格を設定し、「アメリカの再逆転」をかけている。こうして自動車は94年の販売が7%増え、6年ぶりに1500万台に乗せるとの見方が現実的となっている。さらに日本の競争力が磐石と見られていた半導体でも、付加価値の高い製品分野では圧倒的にリードしていることは周知の通りである。
しかし景気回復のペースは従来の半分程度にとどまっており、雇用の伸びが鈍く、回復すれば国際決裁通貨としてのドルを武器に輸入が増え、93年は3年ぶりに貿易赤字が1000億$を超えている。94牛には財政赤字削減策、増税、医療保健制度改革等の景気抑制的なデフレ、不確定要因をかかえており、クリントン政権がまだ不安定であることとあいまって一本調子に行くはずもないであろう。

対照的な日本経済
一方、日本経済は、93年度の実質経済成長率はマイナス0.2%と、第一次石油危機不況時の74年度のマイナス0.03%をすら下回る戦後最悪に落ち込む見込みである。景気後退は今年1月で33カ月続いており、不況の長さという点でも戦後最長記録(80年3月~83年2月の36カ月)を更新するのは確実とみられている。
さらに完全失業率は昨年11月で2.8%となり、過去最高だった87年当時の3.1%にせまりつつあり、有効求人倍率も94年度に0.47倍とこれまでの過去最低の0.54倍(77年度)を大幅に下回る可能性がある。製造業の常用雇用者数は、93年11月で前年同月比1.2%減、10カ月連続の減少である。ただしサービス業では同3.1%増、建設業3.0%増で、全体では0.9%増となっている。
こうした状況を跳ね返すべき春闘賃上げ率は、3%を割り込んで過去最低になるとの見方が広がっている。仮に賃上げ3%でも、ボーナスや所定外賃金の落ち込みで、名目で0.1%、実質で0.6%減少すると見込まれている。(日経1/14)
このように見てくるとアメリカとは対照的である。総額30兆円にも逢する財政面からの不況対策、累計4.25%に及ぶ引き下げで公定歩合も年1.75%と戦後最低の水準に引き下げられたにもかかわらず、いっこうに回復の兆しが見えないのである。もはや従来型の公共事業中心の景気政策では、景気刺激効果が薄いばかりではなく、社会資本ストックを高め、国民の購買力を高めたりするのではなく、政官財の癒着と腐敗をしかもたらさないことが暴露されてきている。大型技術革新の不振、技術進歩に対する労働面でのミスマッチ、経済を力強く牽引する基幹産業の不在と空洞化、等も指摘されている。いわば日本経済は構造的な問題の顕在化に直面しているのだといえよう。細川連立政権の登場は、そのような時代の要請でもあった。しかしこれがいかにも危なっかしく、時代の要請に応えきれて
いない。

猫も跨ぐ「猫跨ぎ」対策
ところがこうした不況のさ中にあっても、海外旅行と住宅需要だけは着実に伸びている。円高によって、年末年始の海外族行は史上最高を記録している。パブル崩壊、地価下落、住宅金利の低下が住宅需要を支えている。もう一つ、パチンコは公共投資の半分以上にも逢する17兆円の需要規模で成長を続けている(社用族が闊歩したゴルフはその十分の一以下)。これらは何を意味しているのであろうか。円の国内での実質購買力はドル表示の所得の約半分だが、東南アジアでは逆に2倍、中国では4倍という実態である。実質購買力が国内で最低という事態は、これまでの経済政策は国内の生活水準の向上にはほとんど眼を向けてこなかったことを示している。大企業と独占資本の利益第一主義が、住宅や社会福祉、社会資本の貧困さをもたらし、将来への不安にもとずく貯蓄性向の高さと消費性向の低さ、国内生活の貧困さをもたらしたのであ
る。GNPの6割近くが個人消費なのである。いまようやくその構造的なしっペ返しが釆ているのだとも言えよう。
だとすれば、住宅、環境、社会資本、社会福祉など構造的な政策を重視する必要性こそが問われなければならない。数兆円規模の所得税減税が言われながら、財源問題を理由に年内実施が見送られ、ここまで政策ラグが生じては、中途半端な政策では起爆剤にはなり得ない。いまのままでは、消費税増税の実施時期に景気条項をっけた景気対策ぐらいになりかねない。すでに新聞では、猫も跨いで通る「猫跨ぎ」対策と椰揺されている。ここまでくれば、まず短期的には10兆円規模の所得税減税、住宅、環境、社会資本への集中投資などを柱とした緊急対策を早急に突施する必要性があるのではないだろうか。
ところで、このような日本経済の見通しについて、ローレンス・クライン米ペンシルバニア大名誉教授(ノーベル経済学賞授賞者)は、「おそらく94年の早い段階で日本は景気回復が始まると思う。米国の景気は年率3-3.5%成長へと、これまで考えてきたより高い成長ペースに移ったようだ。米景気回復と、日本に二、三カ月先行するドイツ景気の回復も日本の立ち直りを助ける。原油価格下落の追い風もある。今年半ばからは日本の景気回復に次第に勢いがっいてくるだろう。」(1/1日経)と述べている。果たして現実はど
のように進行するのであろうか。これまで以上に、さまざまな諸勢力間の政治的経済的力関係の変化が及ぼす影響が大きくなることは間違いないのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.194 1994年1月15日

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【投稿】55年体制から95年体制への転換

【投稿】55年体制から95年体制への転換
                一自民党・社会党の分裂から何が始まるのか-

94年1月12日、日本社会党第60回定期全国大会
(続開大会)が閉会した。左右両派の激突が予想されていた大会は、分裂の先延ばしという際どい結末をお互いの妥協の末選択した。しかし、政治改革関連法案の成立と同時に始まるであろう政界再縞成の本格化によって、党の分裂はもはや必至の状況である。今後どのような再編が予想され、政治のあり方は本当に変わるのか考えてみたい。

◇94年に何が起こるのか?
93年の総選挙で国民は社会党を始めとした既成政党への不信を棄権や新党への投票行動で示した。衆議院1年生の細川首相の誕生と戦後歴代内閣の支持率を上回る高い支持は国民の変革への期待の大きさの結果である。細川連立内閣の支持率は、内閣発足時よりも低下してきたとはいえ過去最高の支持を誇った吉田内閣よりもまだ4%高い(毎日新聞93年12月全国調査)。一内閣で一つの政治課題も解決できないまま崩壊してきた近年の自民党内閣に変わって政治改革という大仕事をなんとか仕上げることが細川内閣の公約であり、今月中にその仕事に決着をつけると、今度はそれに対応した政治勢力の離合・集散が始まる。すでに自民党の分裂と社会党の分裂とどちらが早いかが、小沢と自民党の保守派との勝敗の分かれ目という見解がマスコミを賑わし始めている。
もう一つの波瀾要因は、経済政策とくに不況対策と日米関係で、連立政権としては国民が高い関心を寄せているこのような問題に思い切った対策を打ち出し、新政権の政権担当能力を示したうえで95年以降の解散・総選挙に打って出たいところである。さらに95年度予算編成と官僚の人事で新政権色を出し、官僚の自民党離れを進めていくことで選挙を有利にしたいと考えている。しかし、細川政権が景気対策に有効な大型所得減税を実施できなかったり、消費税の引き上げ問題で大歳官僚と社会党の板ばさみによる政権内部の対立が深刻化するなどの失策を重ねた場合、国民が新制度による選挙を早めるように求めることになるだろう。
また政治改革が成立した後は、焦点が緊急課題である景気対策にとどまらず規制緩和、地方分権などに移り、それらの諸課題をめぐっての各政党の政策論議と新党づくりが本格化する。小沢の新生党は、市川の公明党との連携を強め「自由党」ともいうべき新党をめざし、細川の日本新党と武村のさきがけは「民主党」とでもいうような新党を社会党の右派とともに模索し、新選挙制度の公認漏れ候補を中心として自民党の解体作業に凌ぎを削ることになりそうだ。新選挙制度での最後の決戦に賭けようとしている自民党の保守派は、社会党の左派=保守派と同様に自民党の看板を守り抜くか「保守党」ともいうべきものを旗揚げするかの決断を選挙後の結果まで先進ばしし、あわよくば自民党政権の復活を追求するだろう。

◇新党の結成と95年体制への課題
小沢と市川の「自由党」は、徹底的な規制緩和と「普通の国」=国連の常任理事国になり軍事面も含めた国際協力を大胆に遂行する米国型の政治大国を打ち出し、中央集権の徹底的改革を伴う地方分権論とは一線を画すと思われる。自民党のタカ派である渡辺派などから合流する動きが出てきたとしても、この政党の中心権力が新闇将軍としての創価学会=池田大作に移る可能性もあり、幅広い国民の支持は得にくい存在となろう。特に政治手法が、かつて自民党の最大の利権集団であった竹下派のそれを受け継ぐものであるだけに、国民の求める清潔で透明性の高い政治とはかけ離れた存在となるだろう。
社会党の解体が進み、「民主党」の結成にスムーズに進めるかどうかに連合の関心が移っている。日本新党は細川の個人商店であり、細川人気が落ちついてくればより大きな集団づくりに走らざるをえない。武村は小沢=市川ラインとの対立をますます深めており、対抗できるグループづくりに進む。問題は社会党の内部対立の解消が分裂という形できれいに精算されるかどうかであるが、新党づくりが自民党の一部を含む保守との垣根を破る形で進む以上、革新の旗にこだわりつつ社会党の路線を守るという保守派は出ていかざるをえなくなる。民社党は政治大国路線に共鳴し、細川の戦争責任発言に批判的な右派と連合系の左派との分裂の可能性を秘めつつ、議員は小沢=市川ラインに合流する方が多いのではないか。
結局、政策をめぐる対立が先鋭化するが、冷戦構造が崩壊した結果として旧来の社会党の役割がなくなり、たとえば新世界秩序の中での日本の進路を指し示すなどの存在をアピールする政策を打ち出す能力の欠如をさらけ出してしまった。今日、米国の指導力が急速に低下しつつある中で、経済大国としての日本がどれだけの国際貢献を自らの理念に基づいて自主的に果たせるのかが問われている。すなわち帝国主義の変形としての政治大国ではなく、国境を越えて人類の課題に取り組む「世界政府」ともいうべきもの(IMFやガットなど)に対してどれだけの貢献をできるのか(世界市民主義)。そして日本やドイツが中心となって国連を改革し、武器輸出禁止に向けて指導的な立場をとるなど世界平和への貢献を果たせば、常任理事国の地位も推されて得ることができるだろう(国連の非軍事的平和創造能力の強化)。
国内政治の改革の焦点として地方分権が浮上するが、それとともに国民の生活の質の向上と福祉や環境対策の飛躍的前進のために縦割り行政の打破が不可欠となっていることを明らかにする必要がある。今や利権配分の固定化=事業別予算編成の比率の固定化によって、国民生活の質の向上につなげるための諸課題の解決が遅々として進んでいない。省庁間の既得権擁護と新利権拡張=新たな規制項目の追加によって、国民の税金がむだに浪費されていることに対して、国民の怒りは大きい。地方分権=権力の争奪の地方化をすすめ、国民がコントロールしやすい身近な所としての地方政府でのガラス張りの政治・行政を実現するべきである。そこで政治のみならず日本の体制全体の変革が必要であることを国民も官僚も共に認識を深めるために、遷都も-つの選択肢である。過去の日本の遷都は強大に成り過ぎた権力を破壊し、新体制を創ることに成功してきた。今日の日本においても、国家官僚の権力の腐敗と肥大化を一気に解決するための国民的合意は、遷都によって初めて現実のものとなるのではないだろうか。官僚を地方に配分し、国には国防と外交とナショナルミニマムを保障するための最低限の機能を残すだけでよいのだ。95年体制=分権・自治と民主主義の時代を切り開くための歴史的決戦が、今年94年に火蓋をきる。  (94年1月23日大阪M)

【出典】 アサート No.194 1994年1月15日

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新年を迎え「青年の旗」改め「ASSERT(アサート)」になりました

改革と民主主義めざす[アサート]
主張・参加・交流のためのネットウーク情報誌
No.194 (1994年1月15日より)

新年を迎え「青年の旗」改め「ASSERT(アサート)」になりました

更なる歴史的な激震と新たなる時代への胎動を予感させつつ、1994年が幕を明けました。この新年の幕明けを機会に、今号より私たちの機関紙名を「青年の旗」から、「ASSERT」(アサート)に改題します。
改題に伴い、「編集:労働青年同盟全国協議会編集局、発行:青年の旗社」となっていた編集・発行人を「ASSERT編集委員会」に改めます。

なせ今改題なのか

「青年の旗」が現在の形式で毎月1回の定期発行を維持できるようになってから、3年間が経ちました。おかげ様で評判もよく、「読み易くなった」「従来の建前の扇動的な内容ではなく、生の考えが伝わってくる」「自分も何か書きたいと思わせる」などの声が読者のみなさんから寄せられてくるようになりました。
一方で、「せっかく中身が変わったのに、題字があのままでは職場の仲間に配れない」「題字の横の3本柱や縮集・発行人はなんとかならんのか」「『旗』といえば何か前衛党的で私たちが目指しているものとずれているのではないか」との意見もあり、全国協議会で議論した結果、メンバーや読者のニーズに応え、この度の改題に至ったのです。
つまり、従来の位置付けでは「3本柱の実現のための政治同盟の機関紙」であり、それを体現したものとしての表題だったのですが、社会主義国の相次ぐ崩壊や国内の政治・経済情勢の転換により3本柱は急速にその意味を失い、また労青自身も大衆運動の指導部隊というよりも、実態体として活動家のネットワーク組織であることから、機関紙の位置付けの整理、それに伴う表題の変更の必要に迫られていたわけです。

なせ「ASSERT」なのか

以前に紙上にて改題が提案されて以来、何点かの私案が寄せられていました。それぞれに意味があり、検討に検討を重ねた結果、呼び易く、親しみ易く、意味もわかり易く、そして現代風であるということから、「ASSERT」(アサート)に決定しました。「ASSERT」は英語の動詞で「主張する」という意味です。    第183号から第187号に連載された依辺瞬氏の論文「労働組合運動の再構築にむけて」の一節「<主張的>(assertive)であることが自立した個人の重要な要素である」(第184号所収)からヒントを得て、激動の時代にこれまでの指針を失い海図なき航海に船出している状況下、これからの私達に必要なことは、一人ひとりが考え、議論し、道標をつくりあげていくことであり、その第一歩として、「主張する」ことが何より大事なことなのではないか、という思いが込められています。あえて動詞にしたのは、語感がいいというだけではなく、より積極的な意味合いを持たせるためなのです。
3本柱が印刷されていた左肩の部分は、前述の新たな位置付けと改題名の意味を反映して「主張・参加・交流のためのネットワーク情報誌」としました。「改革と民主主義をめざす」の一文は、私達の最低限の約束・ルールを示しています。これらの付随するものについては、当面の文言ですので、今後の誌上での議論などによって変わっていくことになるでしょう。

さあ皆さんの声を!投稿を!

この新しいネットワーク情報誌を支えるもの、発展させるものは、何と言ってもみなさんからの生の声、投稿です。内外の政治・経済・社会情勢について感じたこと、自分の参加している運動のこと、最近読んだおもしろい本の紹介など、話題は何でも結構です。
パソコンで編集し、印刷会社への送稿もパソコン通信で送っていますので、リアルタイムで掲載することができます.投稿は、パソコン通信はもちろんのこと、手書きややワープロで作成したもののFAX送信、私書箱への郵送など、どんな形態でも結構です。肩肘はらずに気軽に書いてください.意見、それに対する感想、反論など、誌上での討論を発展させ、今後の方向性を私たち一人ひとりの手でつくりあげていきましょう。誌上での情報交換により、自分の運動のためにこの「ASSERT」を利用して、輪を広げていきましょう。
みなさんからの声、投稿を心よりお待ちしています。
(ASSERT編集委員会一同)

【出典】 アサート No.194 1994年1月15日

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