【投稿】阪神大震災のその後 

【投稿】阪神大震災のその後  —復興は順調に進んでいるのか

阪神大乗災からすでに2ケ月が過ぎようとしている。今や地元の人も日本のすべての人々もようやくそのショックから立ち直り、やっと復興への歩みが踏み出されてきたところと言っていいだろう。新聞にも円高、東京共同銀行問題等、地震以外のニュースのスペースも多くなってきた。しかし、本当は具体的に復興に踏み出した今こそ、その内容を検討し、地震による被害者を救済し、今後もおこるであろう、地震の被害を最小限にくい止められる町作りが行われているかをチェックする必要があるのではないだろうか。
今回の震災での報道や議論は実に様々な分野にわたっていた。地震の被害の大きさ、悲惨さから、政府や自治体の対応、特に地震直後の危機管理体制とその後の住宅建設、義援金、住宅ローンヘの対応、町作り計画、ボランティア支援等。また、地震予知や活断層、耐震建築、建築基準の改正等科学や技術に関する問題。都市経営と防災との関係。マスコミ、特にテレビの報道のありかた。在日外国人の被害。民間ボランティアの活躍等々。
これらの議論の中身は、復興への積極的な方向を示しているものもあれば、一方疑問のあるものもあり、それぞれ十分検討しなければならないが、今回はその余裕がないので、私自身、実際ボランティアとして神戸の状況を見てきて感じたことを書いてみたい。

■日立つ「復興」の格差
去る3月4日、私は子ども会指導員組織の取り組みとして、神戸の避難所の子どもたちを相手に「遊ぶ」ボランティアとして長田区に出かけていった。このボランティアは、以前アサートでも紹介した東南アジアを中心に活動をしているNGO「SVA」(曹洞宗国際ボランティア会)が中心となってやっているもので、長田区を中心に10数ケ所の避難所を活動の場としている。指示を受けるために本部に行く道中、まだまだ震災による傷跡は深く、かたずけられていない倒壊家屋がいたるところに残っている。JR神戸線は住吉・灘間が不通で、住吉駅前は傾き折れたビル、2階が押しつぶされたマンションがそのままで、代替バス停近くの木造民家は国道2号線に大きく崩れだしている。復興は確実に動きだしてはいるが、町をよく観察すると、その進展状況に大きな差があることがわかる。大企業のビルは大きな機械がはいり、すでに解体撤去を終え、更地になっているところもある。一方、狭い路地裏の木造長屋等は路地に倒れかかったまま完全に道をふきいでいる。おじいさんが一人で手作業で瓦礫を整理している姿が印象的だった。
今回の震災では、その被害が木造家屋の密集地等に集中し、本多勝一氏は「差別的人災」と指摘しているが、現場の状況を見ると復興もやはり「差別的」に行われるのではないかと強い懸念を感じた。また、政府、各自治体は復興に向けての都市計画作りをおこなっているが、これも本当に住民の意向を反映したものになるのであろうか。すでに、住民の意見が反映されていないと計画中止の請願が出ている地域もあると報道されている。震災をチャンスとばかりに被災者の弱みにつけこんで、大手デベロッパーが土地を買い占め、結局人の住まない「防災都市」ができるのではないかと心配するのは杞憂であろうか。

■在日外国人に手は行き届いているか
SVAのボランティア本部で、数人のグループに分かれ、私達はバスで長田区の南端にある南駒栄公園に向かった。この公園には約2榊人の人達がテントを張って避難生活しており、その内半数以上がベトナム人だと聞いた。確かに入り口近くには紙で作ったベトナム語の「表札」の貼ってあるブルーシート製のテントがかなりの数ある。日本人は段々減っていっているが、ベトナム人は教会のツテなどでむしろ段々増えてきているということであった。ボランティアはかなりたくさん入っているようで、共産党等専用のテントがいくつかあった。SVAは子どもの遊び広場というのを作っていて、ちょっとした遊具や工作道具等が置いてある。子どもたち(主に小学校低学年)は三々五々集まってきて、ボランティアと一緒に遊ぶ。ここに入っているSVAのボランティアは東京の学生を中心としたグループである。本部でもそうだが、ボランティアは若い人が多い。しかし、長期の滞在で少し疲れているように見えた。
その日は寒いこともあってあまり子ども達は集まってこなかったが、避難所の様子を見ていると、車やテントでほとんど遊び場の空間がなく、おとな達も生活を切り回すので精一杯で、なかなか子どもまで目が行き届かないといった感じであった。そういう意味で、地味ではあるがこのようなボランティアも大きな意義があると思う。ボランティアの定着している避難所では親の相談相手にもなっているらしい。ベトナム人の子ども達も何人か遊びに来たが、彼らは日本語が達者で意志疎通になんら問題ない。しかし、手や頬が垢で汚れているのが気になった。日本人でも相当辛い避難生活の中で、ベトナム人達の生活の困難さは想像に難くない。また、将来の展望ということになるともっとしんどい状況があるだろう。だからこそ仲間を求めてこの公園に集まってくるのだろう。ここでも震災の被害は在日外国人という弱者により大きくダメージを与えている。しかし、現在十分な援助が行われているとは言いがたい。政府や自治体は彼らへの対策をさちんと復興政策の中に盛り込まなければならないと思う。

■ボランティア活動の転機
SVAのボランティアは、私達に今後も継続して来れるかどうか真剣に問いかけてきた。実は、この公園のボランティア活動を調整しているボランティア本部が3月中旬で一旦解散することになっているらしい。彼らも3月一杯で東京に帰らざるをえず、ボランティア活動は一つの転機にさしかかっているようだった。しかし、被災者の避難所生活はまだ長期間続きそうである。今回の震災ではボランティアの活躍が大きな力となった。しかし、ボランティア活動にも限界がある。復興の進展状況と被災者の自立ということを考えながら、今後のボランティア活動はどうあるべきなのか、行政はそれをどう支えていくのか、ハードの面だけでなくそういうところもきちんと政策化する必要があるのではないだろうか。

今回の震災はあまりにも大きな犠牲とともに、実に多くの問題を提起してくれた。平和運動も反差別の運動も労勤運動も結局人間の幸福を求めるものである。地震が人間の幸福を損なうものならば、それに対しても私達は積極的に立ち向かっていかなければならないだろう。
(若松 一郎)

【出典】 アサート No.208 1995年3月18日

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【投稿】女性問題ことはじめ

【投稿】女性問題ことはじめ

アサート読者で性差別に関心のある方はどれぐらいいるのでしょうか。僕は労働運動を考えていくなかでフェミニズムに出会い、徐々に魅かれていきました。なんといっても“深い”のです。「単なる一つの分野」というより、日本的経営、働きすぎ、福祉、教育等の諸問題と大きく結びついているのです。ここでは働きすぎの問題と絡めて少し説明してみます。
日本人が働きすぎていることは、完全週休2日になっていないことによって19日分、有給休暇が少なくその消化率も低いことによって20日分、欠勤が少ないことによって9日分、その他残業などの分を合わせると合計年間で約500時間、3カ月分ドイツより多く働いていることでも明らかです。何故こんなに働くのでしょうか。
原因はいろいろあります。会社の強制力という直接的な理由もありますが、むしろ問題は「仕掛けられた自発性」とでもいうべき、強制されつつも本人が内面化している発想の問題です。つまり、「どうせ仕事は多いんだから残業してでもやってしまおう」とか「休むと仲間に迷惑かけるから」あるいは「残業を断ると出世に響く」「真面目に働いて家族を養うのが男の責任」と考えて残業長時間労働をしかたなくやってしまうのです。この背景には、労働組合が、要員や仕事量、昇進昇格などに規制力を持っていないことがあります。再度、労働組合の再生が求められていると言えましょう。また、家事・育児・介護を妻に任せることができるが故に、男性労働者は長時間労働ができるという問題もあります。
この間題を考えるとき、いわゆる男女関係の問題を組み込むことが決定的に重要です。ところが依然として、男と女には特性があるのだから性別分業はあって当然と考える人がほとんどです。しかし近年の研究では、男女の差(ジェンダー)は社会的に造られるものであり、「結婚」は決して普遍的なものではないことが明らかにされています。今私たちが異性愛性分業結婚を受け入れているのは、とても時代の制約を受けています。簡単に言えば男女の性差が大きく、性差別が大きいほど結婚のメリットは増大します。男女が自立するほど、結婚のメリットは低下します。つまり本能・自然というより、「結婚をしたら得だ」という条件が多い時代というだけのことなのです。
さて、この性分業があると、家事・育児は女性の役割となりますから、男性は別時間フルに会社人間にならざるをえないことになります。「子どもがいますから早く帰ります」といっても「奥さんがいるだろ」と言われてしまうのです。会社は「家族賃金」「扶養手
当」として妻子を養う家族分まで払っているのですから、男性社員には心置きなく残業をしてもらうつもりなのです。
また、男性は家族を養うという責任を持つので、首を切られないよう働きつづけ、出世競争に頑張らざるをえなくなります。年功賃金のもとでは査定による出世の差が大きく年収の差などに結びつくのです。
つまり、男性は競争に勝たねばならない、強くなくてはならない、妻子を養わなくてはならない、リーダーシップを持たなくてはならない、感情を出してはならない、寡黙でなくてはならないといった、「男らしさ」秩序に縛られてしまうことになります(この点がいま「男性学」として大きく発展しています)。この点を根本的に考え直さないで「時短一般」を唱えていても駄目です。
この性別役割分担には、その他いろいろな問題があります。まず女性が働くときに男性と同じような賃金や労働条件を得ることが難しくなります。「女性は養ってもらう」ことが基本とされるからです。補助的な労働やパートなどの悪い条件でしか働く場所がなくなります。
また「女らしさ」というステレオタイプが押しつけられてしまいます。家事・育児・介護の負担がすべて女性の肩にかかり、それをタダでやっても当然のことにしか過ぎません。それ以外をやろうとすると「わがまま」とされます。長時間働いても経済力がないので、自己決定カがなく依存的にならざるをえなくなります。
性分業が肯定されると異性愛結婚も肯定されるため、それ以外の選択をしたとき--離婚した者や独身者、ゲイ・レズビアン等--に不利に扱われます。
ではどうするか。経済と家族の現実は、いま大きく変わりつつあります。昔の性分業家族モデルに合わせているだけでは、「働きすぎ」問題にしても、「女性差別」問題にしても解決しないでしょう。
したがって「働かざるをえない状況」を変えるには、もう一度労働者一人一人、女と男ひとりひとりが、原点に立ち返って、自分がどのように何をして生きたいのかを明らかにする必要があると思います。カントは、「虫けらになることを受け入れたものは、踏みつけられても文句は言えない」といいました。自己主張をする個人が増えないと、会社や組合などの社会構造は変わりません。個人は暮らしている社会の影響を受けますが、その社会はそれを構成する個々人によって刻々と改造されていくようなものなのです。
この「主張する個人」のことを「シングル」と呼びたいと思います。そして、従来の性分業の社会秩序を変えていくには、性役割に捕らわれず、自分のしたいことを自覚し、それに向かって努力する「シングル」が増えていくしかないでしょう。そしてそれを援助する社会システムを「シングル単位社会」と呼びたいと思います。これは、今までの社会が性分業を組み込んだ「家族(カップル)単位社会」であったことに対応した呼び方です。言い換えれば、多様な生き方を認めあうためには、各人の共通要素である「個人(=シングル)」を単位にするしかないのです。制度としては、介護や育児も社会化し、高齢者や児童や障害者自身の権利として社会保障体系を作り替えることが必要となります。「主人/主婦役割からなる家族」というものを解体していくことが必要なのです。「専業主婦」や「妻役割」を肯定するような「ものわかりのいい」ものではないと思います。「家族」「性・セクシエアリテイ」をめぐる問題は、第1級の政治的課題なのです。これは古い左翼にはなかった思想です。
しかし、このことは言うは易く行うは難しです。従来の秩序から離れると、「受け身的姿勢」ではいられず、各人は不安定を受け入れなくてはなりませんし、自分で方向性を決め、創造力を培っていかなくてはならないからです。役割でなく、個人を生きなければならないからです。親でも子でも、妻でも夫でも、まず自分を持たなくてはならないからです。
でもこれは各人が自由を手に入れる希望でもあります。「シングルになる」とはそうした「創造的な営みのことでもあるのです。そうした試みや努力と結びつくことなしには、真に女・男がゆとりをもち、楽しく働き生活していく民主主義社会を造ることはできないでしょう。

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性差別を考えていくと、(家族)というものについて考えざるをえませんでした。驚くほど「家族肯定」「異性愛肯定」があふれていました。性別分業はあっても、女性も「カを持っている」「評価されている」「庶民の女性はしたたか」という見方は非常に多いのです。「男女の対等なパートナー」「セックスは全人格的コミュニケーション」といったカップル幻想・エロス幻想も非常に多いのです。セックスを生殖に結び付けることによる「ゲイ・レズビアン排除・変態視」は無意識的・意識的に前提でした。「わかったように言う人」はもちろん、いわゆるフェミニストや左翼や労働組合運動家、民主的市民運動層、革新系政治家でさえ、そうした家族にまつわる現在の有り様を無前提に所与のものとしていたり、疑ってもいない場合がほとんどなのです。家族の中の「人間的な暖かい心の交流」が、権力や貨幣と対抗的な価値と思われているのです。
でも、それは思考の中断の結果でしかないとおもいます。女性が「家のなかでしたたか」でも、性別貸金格差にはつながるということがあるのです。セックスが成りたつ背景には、対等でないく女と男>という2分法に基づく幻想があるのです。「女」「男」という
意識(性的自己認識とそれにもとづく性的志向性)自体に既に抑圧関係があるようです。「全人格的でない要素」でセックスをしているのです。家族はそうした「男制、女制」を再生産する場でもあるのです。つまり落とし穴が<家族)<性別分業>にはありました。(愛)に落とし穴があるように。男女が職場と家庭を単に相互乗り入れするだけの問題ではないということです。このことは保守派(宗教勢力、右翼)がこぞって家族や愛や性役割を肯定していることと結び付けて考える必要があります。女性が「家のなかでしたたか」ということと、ゲイ・レズビアン差別やシングルペアレント差別とを切り離して考えられるとおもうのはオネボケです。
この点を深めないで、今日の「人権」を語れるとは思いません。「会社人間」になることと「結婚する」ことには、秩序の観点から同じ根があります。私たちが「自由」なつもりでいて、いかに秩序に囚われ、秩序にそって思考し、秩序の上位へいこうとしていることか。そんなことでは、近代自体が生み出している差別の構造は乗り越えられないでしょう。「男らしさ、女らしさ」というものを受け入れることは、同じ意味で、今の社会に全く受け身的です。それでは民主主義は呼吸できません。
ではどうするのか。そういう立場で僕はこの度『性差別』と資本制』(啓文社)を書き上げました。今までフェミニズムに興味のなかった人も是非読んでやってください。この本では、民主主義の方向性とは、制度においての従来の幻想を解体することにあるということをいいたかったのです。とりあえずは制度的秩序を具体的に解体していくこと。制度において、この私たちの幻想を幻想と意識すること。それしか現実的に性差別を乗り越える展望はもてないと思います(それでも完璧はありませんが)。そしてその上で、長期的には、ジェンダーやセクシュアリティを意識し解体し新しく作っていくこと、その意味での多様性を認めることしかありません。
「シングル」とはそういう「秩序から逸脱するスタイル」のことです。民主主義の単位のことです。「シングル(個人)単位」という言葉には馴染みがない方も多いかと思いますが、いまフェミニズムや福祉制度、家族法、税制度関連分野では徐々に共通認識になりつつある重要な概念です。
『性差別と資本制』の構成はこレギュラシオン理論を援用し、従来のフェミニズムをめぐる諸論争をカップル単位制度の観点から整理・再評価することで、本書の基本的考え・基本概念・自説体系を提示するⅠ章、サービス経済化・ME化や現在のカップル単位の具体的諸制度といった現状を中心に、蓄積体制に対応した家父長制の歴史的推移と内容をみるⅡ章、家事労働の無償性の解明を通じて再生産構造の経済学的把握を試みるⅢ章、結婚と家族の機能分析などを通じて、カップル単位と性差別の関係を解明するⅣ章、カップル単位からシングル単位社会へというパースペクティプで、生産/再生産構造の再編成を展望するV章から構成されています。また、補論1では、上野千鶴子氏の「二元論型マルクス主義フェミニズム」を、統一論型マルクス主義フェミニズムの立場で批判的に検討しています。
本書は家族単位社会がなぜ性差別的なのか、またシングル単位社会とはどのような社会であるのかをはじめて総括的に展開したものです。単純な「男VS女」でなく、新しいフェミニズムの表現です。労働問題だけでなく、行政や教育を考えるうえで非常に実践的な政策提起にもつながっていますので読んでみて感想をお聞かせください。(ヒロユキ・イダ)

【出典】 アサート No.207 1995年2月15日

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【投稿】地方分権と政治改革(3)

【投稿】地方分権と政治改革(3)

3.行政の果たす役割と地方分権

<「地方自治の反動的再編」?>
前号で少しふれたが、日本共産党や「左翼」諸党派及びその影響下にある運動団体の最近の地方分権をめぐる動向に対する評価は、おおむね次のようなものである。すなわち、地方分権を口実に国民生活に直接関わる福祉・教育を切り捨て、国家支出の大半を軍拡やODA・公共投資にふりむけていると見るのである。日本共産党系の自治体労働組合である自治労連の機関紙は次のように述べている。

「今、地方制度再編のプログラムが進行しています。国は『防衛と外交』を中心とする『国際貢献国家』をめざし、国や都道府県の事務や権限を地方自治体に委譲する必要から、その『受け皿』として市町村合併を促進し『中核都市』をつくり、『広域連合』をつくっていくことを『地方分権』と称してすすめています。そのためにじゃまになる規制は緩和し、市町村合併は促進され、都道府県を空洞化し、しだいに『機運』を高めながら『道州制』へと進めようとしています。この一連のプログラムを担い、推進する自治体作りのために『第二次地方行革・【自治体リストラ】』が出されているのです」(「自治体の仲間」1994年11月5日号)

現在の地方分権の動きを「地方自治の反動的再編」ととらえ、「憲法50年になろうとするもとで定着してきた地方自治が、最も危険な状況におかれようとしている」(「自治体の仲間」1994年1月5日号)との認識は、あまりにも一面的で、地方分権をすすめる必要性や意義を損ねるものである。
とはいえ、最近の地方分権に関する事態の進展は、こうした評価を生む「質」を充分に内包している。

<地方分権と「行政改革」>
前号で、地方分権を中央政府の危機管理機能強化のための「国家改造」手段としてとらえる「上からの分権論」について述べたが、基本的にはこの立場に立ちながら、具体的な達成課題の強調点をやや異にするものがある。すなわち、「行政の縮小」を基本的内容とする行政改革の一環として地方分権を位置づける考え方である。例えば、経済団体連合会(経団連)が1993年2月に明らかにした「21世紀に向けた行政改革に関する基本的な考え」では、行政をスリム化するための手法として地方分権と規制複和を同列に扱っている。同提言は、次のように述べている。

「まず、規制緩和と権限委譲によって現在の肥大化した中央行政を徹底的にスリム化した上で、国の役割が真に必要とされる重要課題について、迅速な意思決定や総合的な施策展開が図れるよう、行政組織等の制度改革に取り組むべきである」(1.取組みの基本方向)「縦割り行政の弊害は、そもそも国の規制が多くの分野に複雑に張り巡らされていることから生じている面が強く、その是正の基本は、『官から民へ』、『国から地方へ』という理念に則って規制緩和や地方分権を推進することである」(3.縦割り行政の弊害是正)

また、自由民主党大阪府議会議員有志により結成された「21世紀の政治を考える会」(会長:東 武・大阪府会議員)が1994年9月にまとめた「地方分権の実現をめざして–活力ある大阪と豊かな府民生活の実現のために–」においては、もう一歩楷み込んだ表現を行っている。同提言では、地方分権の意義について、「活力ある地域の形成」「豊かな府民生活の実現」と並べて「行政の効率化」「小さな行政」を掲げ、次のように述べている。

「地方分権の推進によって、前述したように個々の事務執行の効率化が図られるとともに、国と地方の二つの政府が同一の事務に重複して関わることが解消されることとなるが、これを、国・地方をあわせた行政全体の効率化、縮小に結びつけなければならない」「地方分権は、それによって組織の簡素・効率化など小さな行政を実現し、住民の負担を軽減することによってこそ、住民と地域にとって意味あるものとなる」

そして、地方分権を「小さな政府」をめざす「行政改革」のための実現手法ととらえる考え方は、政府方針にも折り込まれることとなった。1994年12月25日に閣議決定された「地方分権の推進に関する大綱方針」では、国及び地方公共団体の斉務として、次の事項を掲げている。

「(3)国及び地方公共団体は、地方分権の推進に伴い、国及び地方公共田体を通じた行政全体の簡素効率化を進めるものとする」

また、政府は、同大綱方針策定に先立つ1994年10月7日、「地方公共団体における行政改革推進のための指針の策定について」という自治事務次官通知を出したが、同通知では、「来るべき地方分権の時代にふさわしい簡素で効率的な行政システムを確立することが急務」とされた。「簡素で効率的な行政の確立」という課題が地方分権を具体化する大きな柱であるかのような状況がつくりだされているのである。
地方分権を推進するにあたっての障害の一つに、自治体の行財政運営についての不信や懸念があることは事実である。実際、後で述べるように、地方自治体の行財政運営には改革すベき課題も多く、先の次官通知についても、内容的には妥当だと思われるものも多く含まれている。「簡素で効率的」という言葉も、それ自体、否定すべきものではない。
しかし、「第二臨調行革路線」と呼ばれる民間活力の導入、行政組織・機能の一律的縮小など一連の政策の功罪についての総括がなされないままに、再び「簡素・効率化」が一人歩きすることには、やはり大きな危惧を感ぜざるを得ない。私は、「民間活力の導入」という名の下での公的責任の縮小・市場経済への全面的依拠を基調とするこの路線(「小さな政府」路線)は21世紀の高齢社会への対応において不適切であり、現時点ではっきりと清算すべきものと考えている。
地方分権の主要課題は、あくまでも国と地方の役割や権限、そして財源の適切な配分である。地方が地方分権の時代を見据えて独自の改革を自ら進めることは当然必要であるが、国が自らなすべきことをなさずして地方の「効率化」だけを押しを進めようとするのでは、地方分権に名を借りた「福祉・教育の切り捨て」との批判が起こるのも当然であろう。

<国と地方の役割分担をめぐって>
地方分権の性格をめぐる問題は、国と地方の役割分担のあり方をめぐる記述に特徴的に現れる。以下にポイントとなる提言等を抜粋し、比較してみる。

○経団連「21世紀に向けた行政改革に関する基本的な考え」(1993年2月)
中央政府の担当分野は、外交、防衛、国際協力などの対外政策やマクロ経済対策等、国全体としての整合性が必要な最小限の範囲に限定

○連合「1993~94年度政策・制度要求と提言」(1993年6月)
外交、防衛、司法など国としての統一的対応が不可欠な分野及びナショナルミニマムの確保を目的とする分野は国の役割、生活に密着した分野は地方自治体の役割とすることを基本

○第3次臨時行政改革推進審議会答申(1993年10月)
国は、国家の存立に直接かかわる政策、国内の民間活動や地方自治に関して全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定、全国的規模・視点で行われることが必要不可欠な施策・事業など国が本来果たすべき役割を重点的に分担するものとし、思い切った見直しが必要。一方、地域に関する行政は、基本的に地方自治体において立案、調整、実施する

○自治労「分権自治構想」(1994年8月)
国は国家間外交・安全保障、政府内部での組織管理事務、国内施策の全国的最低水準(nationl minimum /ナショナル ミニマム)の設定等を行うにとどめ、原則として内政事務は、すべて自治体が担う体制を構築するべき

○第24次地方制度調査会専門小委員会・中間報告「地方分権の推進について」(1994年10月)
国は、(ア)国家の存立に直接関わる政策に関する事務(例えば、外交、防衛、通貨、司法など)を行うほか、(イ)国内の民間活動や地方自治に関して全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定に関する事務(例えば、公正取引の確保、生活保護基準、労働基準など)、及び(ウ)全国的規模・視点で行われることが必要不可欠な施策・事業に関する事務(例えば、公的年金、宇宙開発、骨格的・基幹的交通基盤など)を重点的に行うこととし、その役割を限定的なものにしていくべきである。地方公共団体は、国が行う事務以外の内政に関する広範な事務を処理する

○地方分権の准進に関する大綱方針(1994年12月)
国は、国家の存立に直接関わる政策、国内の民間活動や地方自治に関して全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定、全国的規模・視点で行われることが必要不可欠な施策・事業など国が本来果たすべき役割を重点的に分担することとし、その役割を
明確なものにしていくものとする。地方公共団体は、地域の実情に応じた行政を積極的に展開できるよう、地域に関する行政を主体的に担い、企画・立案、調整、実施などを一貫して処理していくものとする

これらを比較すると、次のことが注目される。
すなわち、労働組合関係の二つの文書(連合提言、自治労構想)では、福祉施策などを念頭において、国内施策の全国的最低水準(ナショナルミニマム)の確保・設定を国の役割として提示しているが、政府関係の三つの文書(第三次行革審答申、第24次地制調中間
報告、大綱方針。内容は、ほほ同じ)では、「全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定」という表現になっていることである。
実は、「施策の最低水準の設定」と「統一した基本ルールの制定」という両者の表現の差は、見過ごしにできない重大な意味を持っている。
それは、一言でいうならば、社会権と呼ばれる基本的人権の実現に対して中央政府が果たすべき責任の放棄につながるということである。もちろん、中央政府の役割が徹底して縮小され、国と地方の財源の配分もそれに見合ったものになるならば、何の問題もない。しかし、現実的はそんな段階にないので、国の役割を「統一した基本ルールの制定」に縮小することは、実質的には国の地方への財政負担の転嫁、ないしは個人の自助努力の拡大を意味するだけになる。そして、個々の具体的な政策をめぐっては、すでにそうした方向の具体化がすすめられつつあり、その是非をめぐって色々な運動団体との間で厳しい対立が続いているのである。(大阪 依辺 瞬)

【出典】 アサート No.207 1995年2月15日

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【投稿】厳しい情勢だからこそ明るい展望を持って

【投稿】厳しい情勢だからこそ明るい展望を持って
           ・・・95春闘を巡る情勢について・・・ 

いよいよ95春闘が、本番スタートした。とは言っても、突然の阪神大震災。労働側にとっては、出鼻を挫かれたような春闘スタートとなった。
[労資の主張]
今春闘は、昨年末から労使間で舌戦が繰り広がれていた。経営側は「円高を背景とした基幹産業の海外流出には、日本の最高水準にある賃金コストにある」として、「雇用を確保するためには、賃金抑制が必要。当分の間、賃上げはゼロ」と今春闘に限らず、将来においても「賃上げゼロ」を明言するに至っている。更に労働側の賃上げ要求の組み立て方式にも言及し、「物価上昇分を賃上げに上乗せすべきではない。賃金が上がらなくても生産性の向上分だけ物価は下がり、生活水準は向上する」と批判している。
これに対し、労働側は「日本経済を安定した軌道に乗せるためには、賃上げは必要不可欠。適切な賃上げで消費回復・内需拡大を図るべき」と反論している。特に主要大手企業50社の別途積立金が、前年より3,550億円上回る12兆6,000億円となっていることを指摘し、「この額は、人件費総額の1.28倍に達し、労働側の賃上げ要求に充分、耐えられる」と主張している。
実際のところ、賃上げと物価との関係においては、この間の賃上げ率以上に物価は安定しており、「賃上げが、物価上昇に拍車をかける」との経営側の主張は、破綻していると言える。しかし産業の海外流出による雇用不安については、そのことの原因が、これまでの労働側の賃上げ闘争にあると言うよりは、元々の国際的な賃金水準のアンバランスや国際経済トータルとしての円高の結果とは言え、労働側にとっても強い脅かしになっている。経営側の本音の思惑で言えば、賃上げ要求があろうが、なかろうが、より低賃金コストの開発途上国への流出を図るつもりであろうが、労働側への牽制としては、強い恫喝の口述になっている。しかし産業の海外流出が更に進めば、マクロ的に見れば、日本型雇用形態と言える年功序列体系が崩れ、それに替わる様々な雇用形態を生み出しながらも、結果として相当な雇用不安と社会不安を巻き起こし、更には日本経済そのものが失速してしまうことが予想される。その意味で産業の海外流出は、春闘論議とは別次元で、その歯止めと一定、社会主義的な産業政策が求められるのではないか。

[戦術上の特徴]
連合は、今春闘で二つの大きな戦術の転換を打ち出した。一つは、賃上げ要求の率から額への転換で、その目的は中小と大手との格差是正にある。だが額方式にしたからと言って、中小経営側が要求に応じやすいとは言い難く、また要求額にも産別でバラツキが見られ統一要求額とはなっておらず、結果として従来からの「産別自決方式」の名の下に、相場形成の相乗作用の効果までは期待し難いものとなっている。しかし連合は、この額方式の転換は、将来の個別賃金方式の移行の過程として「是非とも格差是正が必要」との認識で位置付けており、今春闘の結果如何に関わらず、そのことの有効性について、明確な総括を行い、更に個別賃金方式への追求を図ることを前提に、積極的な評価を与えたい。
もう一つの戦術上の転換は、打順の入れ替えで、従来からのJCが前面に出るパターンから私鉄・電力・NTT等の公益事業が、前面に出る戦術に変更した。これは、JCの厳しい経営状況に鑑みて、不況の影響が少なく、支払能力のある公益事業を前面に出すことで、有利な相場形成を図ろうとするものだが、公益事業の経営側が、実際にJCよりも早く回答額を提示するとは考え難く、その実効性となると極めて乏しい。その上に、突然の阪神大震災。こうした公益事業にも大きな打撃を与え、せっかくの、この基本戦術の転換も破綻したと言える。

[阪神大震災と95春闘]
阪神大震災は、95春闘にも大きな打撃を与えた。前述の基本戦術もさることながら、とにかくも盛り上がろうと春闘準備を進めていた労組にも冷水を浴びさせるような出来事で、旗開きを取り止めるところや、今春闘は見送りを囁く労組も少なくない。ましてや被災地の中小企業を中心に失業・雇用不安が増大し、賃上げどころではないと言う様相だ。本音のところで連合も頭を悩めているのが実態であろう。
しかし、せめて明るい展望をと提言するならば、次のことぐらいは言えるのではないか。例えば、明らかに大震災により情勢は変わったとの認識の下に、平時の春闘から震災救援・復興春闘に切り替えることであろう。その中味の一つとしては、雇用・生活対策も含めた総合的な復興対策(いわばニューディ-ル政策)を政府よりも大胆に提起し、結果として、より強く内需・個人消費の拡大を求めること。もう一つは、復興には大量の様々な労働者の動員が必要なことに鑑みて、経営側にも一定の賃上げによる早期妥結を求め、労使共に安定的な救援態勢の構築を提起すること。更には、そう遅くない時期に復興景気が来ることを予想して、秋闘も念頭に入れた通年戦略・戦術を検討・提起すること、等々が考えられる
いずれにしても、余りにもショッキングな出来事だけに、本当に厳しい春闘ではあるが、それだけに創意・工夫しながらも裸の闘いで乗り越えることを期待したい。 (民守 正義)

【出典】 アサート No.207 1995年2月15日

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【投稿】長い復興・「平常」への道のり

【投稿】長い復興・「平常」への道のり--芦屋市での数日--

<<突然の職員派遣依頼>>
1月の末日、もうすぐ一日の仕事が終わろうとしていた午後5時ごろ職場(市福祉事務所)にFAXが飛び込んで来ました。「地震のため福祉事務所(生活保護)の業務が滞っている。至急生活保護職員の派遣を求む!!」という内容でした。急きょ、職場で会議を行い、意見交換。
「うちも仕事があるのに行ってられない」
「近畿各府県に依頼しているからどこかがいくよ」
「他市が行くならうちも行こう」
「今年度は地震まで起こって、何にもいいことないなあ」(・・という八つ当たりの意見)
「困っているのは明らか。できるだけ行こう」・・・・・。
いろんな意見が出た後、その日は「情報を集めて、他市と同等の対応」という無難(?)な所に到着。

翌日朝、再度FAX。派遣依頼人数は前日の30人/日から80人/日。派遣依頼先は近畿各府県から、全国の都道府県に対して。今日中に返事を!!
また職場で会議。出る意見は昨日と同じ。しかし、結論の方向は少し違う「最初の依頼は全ての市にあったが、全ての市が派遣するわけではない。どうせ回答するなら要請者の希望にあったものを」。戦後最大級の大惨事が身近に起こったため、「何かせなあかん」との共通認識があったのかも知れません。

<<交代で芦屋市へ>>
結局、期間で2週間足らず、芦屋市へ交代で応援に行くこととなりました。
芦屋市内の状況はマスコミの報道どおり。月並みですが、百聞は一見に如かず。途中の電車から見えたぷっつり切れた阪神高速。建物が傾き、立ち入り禁止の市役所旧館。地震から4週間経っても土砂で塞がれた道路。へしゃげた家は珍しくもない。路上に散乱するビルのガラス片。波打つ歩道。割れた道路。・・・・
電車の中、隣で地図を見る若者「ボランティアですか?どちらから?」と聞くと「ええ、東大阪市からです。ぼく散髪屋です。40人の仲間で水の要らないシャンプー持って3カ所の避難所へ行くんです。」一人ひとりが何ができるかを考えているんだと感心。
市役所も避難場所。執務場所の傍らで陣地を確保している被災民。顔をあげれば着替えをしている人。洗面所へ行くと歯磨き。段ボールで囲って寝ている人。壊れたロッカー、脇に押しやられたロッカー。職員も必要最小限いるのかいないのか、聞くのも気がひける。
近くにいた福祉部のある課長さん「地震があってから、今日(2/13)初めて自分の席に座った」「職員を2つに分けて24時間交代、この体制が出来たのが地震後1週間目でした」。
夕方、私に応援のお礼を言ってから救援物資の仕分けという次の仕事に向かう係長さん。「最初の1週間、何をやったのか、よく覚えていない」
彼らは、この状態をいつまで続けなければならないのでしょうか。

炊き出しをしている公園、広場を数カ所巡る。2月の寒い昼、あっちにもこっちにも100人前後の列。芸能人もボランティア(石原プロのトレーラー、渡瀬恒彦も走り回っていた、なぜかカメラを向ける人も多かった。)「応援に来てもらって何も(歓迎)できない。これも勉強のうち、気分転換になったら・・・」と、公園・広場巡りをしてくれた職員。「お宅も地震で大変なんでしょう」と聞くと「わが家は何とか住めるようになったが、向かいの実家が潰れ、母が亡くなりました。私だけじゃなく皆さん、同じだから・・・」(大阪 T.T)

【出典】 アサート No.207 1995年2月15日

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【投稿】阪神大震災と「大地動乱の時代」

【投稿】大都市直撃地震の恐怖と教訓  阪神大震災と「大地動乱の時代」

<「午前5時46分」>
1月17日、その日は上下左右の強烈な、叩きつけるような激しい振動によって突如目を覚まされた。今何が起ころうとしているのか、これがさらにどうなるのか、今まで経験したこともない、立っても座ってもいられない、中腰で右往左往し、家族を呼び合い、ただおろおろし、これは大災害になるのではないか、火事が発生しているのではないかという恐怖の戦慄におののくばかりであった。振り返ってみれば、その後の余震に未だに極度に敏感になっているとはいえ、当初のその時間は10秒ほどだったのである。
大阪でこのような状態であったのだから、震源地の淡路島、神戸、西宮、芦屋、宝塚、尼崎地域では事態はもっと破壊的であり、悲劇的であった。神戸の現地に足を踏み入れると、庶民の家屋やアパート群は軒並みといっていいほど押しつぶされ、ガレキの山に変貌し、残っていてもほとんど瓦屋根はずり落ち、1階部分はへしゃげ、傾斜し、あるいは亀裂と歪みを露わにしている。狭い路地の電柱は折れ曲がり、電線が垂れ下がり、火災の発生した地区では見るも無残な姿に一変していた。巨大なビルや工場も相当な被害を受けているが、あらゆる階層、地区、住民の弱い脆弱な部分に、弱者に被害が集中している。ビルの谷間で全壊していたある小さな家にたむけられていた花束には「千穂ちゃん、たくさんの思い出をありがとう」と記されてあった。

<「被害広げた開発行政」>
神戸に住んで17年、その開発志向の異様さを警告し、地元新聞にも書いてきた早川和男・神戸大学教授(建築学)は、「被害広げた開発行政」と題して、「神戸市は株式会社といわれるほど商売にたけ、‥山を崩し、海を埋めて人工島を作り、売った。‥それに伴う山や海や生活環境の破壊には目を向けない。住民の反対運動や裁判闘争を、行政は「反対のための反対」などと無視してきた。行政が巨大開発とイベントに明け暮れていれば、市民の安全や生活の保障は後回しにされる。行政の最大の責務は市民が安全で安心して住み続けられる住宅と町をつくることである。それがこの町では切り捨てられ、戦災と見まがう人命の損失と焼け野原につながったのではないか。経済効率中心の都市開発が被害を甚大にしたといわざるをえない。‥・大地震でも倒れない家、延焼しにくく、消火活動の容易な術の構造、電気・ガス・水道などのライフラインの頑丈な共同溝、こういう町づくりこそが本当の震災対策であり、福祉の町づくりである」と書いておられる(1/21朝
日)。今最も必要な核心をついていると言えよう。
今になって兵痺県内には多くの活断層が走っていて、かなり大きな地震の可能性が10年前から指摘されていたにもかかわらず、神戸市が防災計画上の想定被害を、意図的に低く抑えて「震度5」にしていたとか、「神戸市に地震はない。うまくやってくれ‥」などと
いう指示をしていた、活断層の分布地図を隠していたなどと暴露され、報道されているが、ついこの前まではマスコミあげて神戸市の企業精神を生かした自治体経営をもてはやしていたのである。こうしたことは多少の差はあれ、どこの大都市圏でも共通の姿勢であり、問題であった。しかし今回の阪神大震災は、自然のエネルギーを見くびり、最新の地震学の知見や警告をも無視してきた、人間の騎り高ぶった傲慢な姿勢を一撃のもとに叩きのめしたといえよう。ここから深刻な反省と教訓を得ないならば、そしてそれを生かさないならば、さらに巨大な悲劇が待ちかまえていることは確実であろう。

<1998年4月±3.1>
昨年8月に発行された岩波新書『大地動乱の時代一地震学者は宰告する-』(建設省建築研究所国際地震工学部応用地実学室長・石橋克彦著)は、1月17日以降あっというまに姿を消してしまい、増刷が追い付かないほどのベストセラーになっているという。この警
告は、主として関東首都圏の巨大地震について述べているのであるが、今回の阪神大震災に照らしてみて実に的確であり、「そのとき何がおこるか」という地震災害の共通項にもとづいた想定と現実の一致には驚かされる。
著者はマジックナンバー70年という地震発生の周期を、過去の詳細なデータと最近の著しい知見の発展をもとに検証し、西相模湾断裂の大規模な震源断層運動を、1560年から確認されている5回の年月をプロットするとほとんど一直線上に並び、繰り返しの平均年数が約73年でバラツキが非常に小さく(標準偏差0.9年)、地震や火山噴火といった現象としては驚くほど規則正しいことを明らかにしながら、前回1923年7月からすると、次回を1998年4月±3.1にプロットされるグラフを呈示する。その場合に考えられる最悪のシナリオを次のように述べている。
「西相模湾断裂の最後の破壊(1923年)から7,80年経過する今世紀未から来世紀初めにM7クラスの小田原地震(神奈川県西部地震)が発生する。目下警戒態勢が取られているM8クラスの東海地震がその時までに発生しなければ、それが小田原地震に引き金をひかれて数年以内に発生する。その結果首都圏直下が大地震活動期に入り、M7クラスの大地震が何回か起こる。この活動期は、相模トラフで次の関東巨大地震が発生するまで長期間続く」。
そしてこのようなシナリオが予想時期に発生しないとしても、21世紀半ばまでにほほ確実に東海・南海巨大地震が同時または連続して起こり、その場合には宝永や安政に匹敵する最大規模と予想され、過去にはみられなかった長大構造物の損壊や地盤災害が生じ、さらに中部・西南日本の広範囲の山地で地盤災害が顕在化するだろう、と述べ、「地震の災厄は、台風などと違って、進路が変わったり消滅したりすることはない。プレートが動いている限り、ひずみエネルギーの蓄積は続くから、先送りされればされるほど事態は悪化するのである」と強調する。

<「思い切った地方分権を!」>
石橋氏は、「敗戦後の復興期とそれに続く高度経済成長--一極集中の時期が関東地方の地震活動静穏期にあたり、しかも人類史上かつてない技術革新の時代に一致したことは、過去と決定的に違う要因である。その間に東京圏は、実際の大地震に一度も試されることなく野放図に肥大・複雑化して、本質的に地震に弱い体質になってしまった」ことを指摘し、しばしば「大正関東地震にも耐えられる」という言葉を開くが、「これは無責任な言い方である」と断言する。問題なのは、現代日本社会が、このような技術の限界をわきまえず、大自然に対する畏怖を喪失して、経済至上主義で節度のない大規模開発を推し進めていることであろう、と述べ、「関東大地震にも耐えられる」という言葉の蔭で、実は、「超高層ビルや先端的な都市基盤施設が密集する東京圏は、けっして大地震に万全だから建設されているわけではない。むしろ、無数の市民をいやおうなく巻き込んで大地震による耐震テストを待っている、壮大な実験場というべきである」と、悲鳴にも似た警告を発している。その警告のさなかに共通の特徴を持つ大都市圏である阪神地方に大震災が生じたのである。この警告は、さらに重大な危惧を持って原子力発電所の安全性についても発せられなければならない。人類全体を脅かす、地球的規模の危険性を有していることが現実のものとなってきているといえよう。
氏は、事態を切迫する時間との競争であるととらえ、「21世紀に向けて、私連日本人も経済至上主義を改め、農林業・沿岸漁業を復権し、地球の一部としての日本列島の環境と自然力の回復をはかり、産業・人口・情報・文化的活動などが分散した多様で永続的・安定的な国土と社会を創るべきである」と訴え、そのためには「日本の国土と社会を望ましい姿に変えるためには、思い切った「地方分権」を実現するしかない」と主張する。それは地震学者として、地震工学がいかに進歩しても、短周期から長周期までの激烈な強振動と地殻の絶対的な隆起・沈降に抗して、超過杏都市の地盤と構造物と地域全体を耐震的・免震的にすることは不可能であるという確信からの繰言でもある。

<住民参加の地方分権>
今回の大震災を機にここぞとばかり、「危機管理」や「非常事態法制」、「有事立法」の必要性が声高に語られ、自衛隊の活用に重点がおかれている。しかし事態の進行が明らかにしたことは、東京一極集中の中央集権制の弊害であり、それにもとづいたタテ割り行政の弱点が客室されたことである。災害にかかわる行政だけでも道路=建設省、鉄道など輸送機関=運輸省、車両規制=警察庁、消防=自治省、災害出動=防衛庁、電気・ガス=通産省、水道=厚生省、電話=郵政省など、受け持ち範囲はバラバラであり、それらを国家レベルで調整・統括すべき国土庁も寄り合い所帯で、協議機関にしか過ぎず、実行力を持たをい。自衛隊自身が初動からバラバラに行動し、そのもたつきは上に行けば行くほど事態の掌握カを欠いていたことが暴露されている。そもそも自衛隊は冷戦時代の軍事対決を理由に肥大化してきたものであり、災害出動の組織や装備を目的に訓練されてきたものではないし、災害出動はいわば余技にしか過ぎないのである。その余技であっても重要な役割をはたしたことからすれば、この際、自衛隊の組織や装備を根本的に見直し、災害復旧を専門とする「緊急援助隊」に質的に転換させることが必要であるといえようが、基本はあくまでも自治体を基礎においた消防部隊の質的な強化とそれを全国的にもそして今では国際的にも活用できる態勢の構築であろう。
さらに重視すべきことは、政府のもたつきや行政の出遅れに比べて、被災地住民自身のすばやい協力体制やモラルの高い自治活動、在日外国人を含めた連帯活動、救助・消火活動、大量のボランティアの献身的な活動、そして数々の国際的支援などの全面的で積極的な評価こそが、今後の防災体制、都市改造に生かされなければならないことであろう。多様な形態での市民参加、住民参加の地方分権こそが問われているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.207 1995年2月15日

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【投稿】年頭にあたって-政局雑感-

【投稿】年頭にあたって-政局雑感-
                               民守 正義
<これまでの「連立政権」で思うこと>
昨年は、細川から羽田、そして村山政権と2回の政権交替が生じる激動の一年であった。 細川連立政権は一昨年、自民党長期一党支配の崩壊の結果として誕生した。すなわち細川政権が誕生したのは、本当に国民の声が「自民党NO!非自民連立政権へ期待」が積極的にあったからではなく、自民党長期政権の中で、金権腐敗政治に対する批判と政治一般に対する幻滅、そして自民党の党内外における求心力の著しい低下が選挙の結果として反映されたものである。その具体的事象が、自民党支持率の低下であり、自民党の分裂・新生党の誕生である。当然のことながら細川政権は、非自民で連立を組しながら「政治改革」を金看板にし、その具体メニューは元々、自民党のメニューでもあった「小選挙区制の導入」を自民党以上に積極的に推進することを使命とした。しかし小選挙区制の導入が、政治改革の有効な手段であるかについては、当初から疑問が呈されていた。政治腐敗の防止を選挙制度の問題にスリ替えたものであるとの批判は、当時の世論調査でも明らかであった。今もなお「金のかからない政治」=「小選挙区制」などといった論理を理論的・科学的に説明できるものは誰もいない。にも関わらず、社会党もこの政策に迎合したのは、自民党政治に終止符を打ち、連立政権に積極的に参加するための妥協でしかなかった。私個人の考えとしては、この選択が必ずしも誤りとは思わない。政治改革の基本的観点・施策が異なっていたとしても、自民党政治をとにかくは終焉させることの方が重要であるとの政治的判断は、有り得ると思う。しかし、その場合においても、本来の政治改革とは何かを明らかにし、小選挙区制についての問題点についても指摘しながら、「歴史的妥協」として連立政権を選択するとの立場を明確にすべきでなかったのか。少なくとも社会党内で、その論議と手続きを十分に行わずして、小選挙区制導入路線に向かったことは、その後の社会党の党内基盤の弱体化と党の結束力の低下に拍車をかけるものとなったと言わざるを得ない。
いずれにしても政治改革関連法案に目途を付けた細川政権は、安保・自衛隊・原発・平和貢献・消費税等の基本政策で、改めて政策合意を見いだしていかなければならなかった。とりわけ消費税については、おりしも春闘前段の減税問題とも相まって「国民福祉税」の名のもとに、実質的消費税の7%アップを打ち出し、これが細川連立政権内の不協和音と支持率の低下を決定的なものにした。そして細川首相の突然の辞任。連立与党は急処、基本政策合意を図り、第二次連立内閣とも言うべき、羽田連立政権を発足させたが、間髪入れずにまたもや統一会派「改新」の結成、社会党は政権離脱を決心した。社会党にすれば、連立政権維持のために妥協に妥協を重ね、ようやく取りつけた政策合意に、更に闇討ち的にタガをはめる行為に憤るのも心情的に理解できる。その後、羽田連立政権2カ月後に社会党は、自民党と連立を組み、村山内閣を発足させることになるが、この一連の判断を極めてミクロ的に見る限りは、自民党との政策合意が、結果として羽田政権時の政策合意と余り違わないことからも、積極的に政権に関与するとの立場からすれば、自民党アレルギーが社会党内外にあるにせよ、基本的な誤りではなかったと思う。
ただ、それよりも社会党に重要な問題として指摘しておきたいことは、この連立時代において、党の長期的・本来的な基本方針・理念と当面の連立政権下における妥協すべき政策との区別がなされていないことにある。言い替えれば、当面の妥協すべき政策が、党の基本理念・方針にまで高めてしまっているところにある。例えば自衛隊についても当面、軍縮方向を明らかにしながらも自民党との連立運営上、自衛隊を容認した現実的な対応を行うことと、党がこれまで主張してきた違憲論を堅持することとは明確に区別されなければならない。このことは、原発政策でも国際貢献でも言うことができる。連立である以上、妥協は付き物である。しかし、だからといって本来、社会党が理想とした基本理念・長期方針まで変更することは、将来ビジョンなき政治と言わざるを得ないし、また他党が社会党に基本理念の変更まで迫るのは、社会党の存在そのものを揺さぶるものであることを見抜かなければならない。このことは、社会党が細川連立政権から政権参加してきたことの積極的意義まで否定しているのではない。戦争責任の問題や国家責任を明示できなかったとは言え、長年の懸案であった被爆者援護法の制定、そして今、論議されている水俣訴訟の和解への努力等々、社会党が政権参加したからこそ、前進した成果も評価されなければならない。要は連立政権は、政権与党間の妥協により運営されるものであって、どの党の政策がより鮮明になるかは、その時の力関係により左右されるし、曖昧性は伴うものである。しかし、それだけに社会党の「本来政策」を常に明示しておくことが、連立政権の今後の方向をより、国民的な政権へと発展させる可能性をもたらすし、少なくとも国民の政策選択権を保障するものであるといえよう。

<当面の政局に思うこと>
政治は依然として流動的で、今年の政局も大波乱が予想される。村山政権の今年を占う当面の要素として一つは、新進党の動向、そしてもう一つは、新民主連合の動きであろう。
新進党は、小選挙区制による二大政党時代を目論んで結成されたが、当面、早期解散を求めて政権奪還への意欲が窺える。しかし、その内部は、頭は「新生党」足腰は「公明 党」その他は単なる多数派形成との感は拭えない。特に「公明」に対するアレルギ-・危惧は相当なもので、かつての社共時代のように、やがては「公明」に母屋を取られまいかと言う懸念は、民社を中心に根強くあると言われる。しかし、こうした新進党の結成当初からの結束力の弱さはあるものの、社会党に対しても積極的な多数派工作・揺さぶりをかけている。現に都市区においては、公明党が対抗を出されては当選不可能な選挙区が数多くあり、中央の政治状況とは別に、公明党に対し大なり小なりラブコールを送る社会党候補が見られる。いずれにしても、こうした水面下の動きを中間的に総括するものとして、本年春に行われる統一自治体選挙が、新進党の力量の発揮程度も含め、大きな試金石となろう。
さらに新民主連合の動きについては、社会党の分裂・解散という要素も含みながらも、これが一定の勢力となりうるか、どうかにかかっている。そもそも新民主連合の動き自体、大局的には新進党結集へのステップとなるのか、第三または第四の勢力となるのか、あるいは単なる社会党の「新党化」なのか、予想さえできないが、少なくとも当面の一定の勢力となりうる必要条件には、いったい、どのようなアイデンティティを持って、どの部分との結集を図るのか、そのビジョンをより明確にしなければならない。例えば「社民リベラルの結集」というが、自社連立下において自民党も一定、「リベラル化」したと言えるし、旧連立との関係では、「公明」も「社民リベラル」の範疇に入るのか、明確ではない。また社会党と「さきがけ」及び民社、そして自民党の一部の結集をイメージしているとするならば、その際の具体政策も、もう少しは踏み込んで明らかにすべきだろう。特に連合との関係で、社会・民社の関係改善を図ることを念頭に考えるならば、なおさら政策論議を先行させることは、より重要と言える。いずれにしても新民主連合が、こうした当面のビジョンを前向きに示し、一定の政治潮流をつくることになれば、それなりの歴史的役割があるだろうが、結局、自らも混沌とした全体状況に流されるのであれば、単に村山政権の崩壊を早めただけのものとしかならないであろう。
ただ、このような極めて流動的な政治状況にも関わらず、ドラマチックでも余り激動感を感じないのは、結局のところ、具体的な政策論争や階層間対立によるものではなく、政治力学先行のパワーゲームに終始しているからであろう。小選挙区制が一層、これに拍車をかけ、政党の枠組み論争の域を脱し得ていない。今日の政治の無関心、支持政党無し層の増加が、そのことを如実に示している。今、国民が、少なくとも労働組合がなすべきことは、地方分権であれ、税財政改革であれ、高齢社会への対応であれ、具体的に「このような政策を実施する政党はどこか」を問い、これに賛同する政治勢力の枠組みを労働組合が主体的に形成させていくことが、政治をよりシビアなものとして刺激を与え、労働組合としてのよりましな政府づくりに積極的に関わる重要な手段だと思う。  (民)

【出典】 アサート No.206 1995年1月15日

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【投稿】政党再編成と日本共産党

【投稿】政党再編成と日本共産党 

<<現実の政治過程と無縁な「唯一の党」日本共産党>>
このところの社会党の混乱状況は、一人社会党だけの問題ではないといえよう。冷戦構造の解体と終焉は、これまでの二極対立、あるいは相互補完体制にもとづいたあらゆる政党のあり方を根本的に揺るがしており、新しい構造的な再編成が必至のものであることを示しているのではないだろうか。短期的な数合わせや組み合わせの変容にとどまらない、相当に長期的でしかも本格的な変革の時代が到来していることを感じさせるのであるが、言い過ぎであろうか。その意味では、自民党単独政権とそれを支えてきた五五年体制の崩壊、それがもたらした連立政権のめまぐるしい変転、そしていわゆる「政治改革」と政党再編成をめぐる混乱は、日本における冷戦体制の解体過程を象徴しているとも言えよう。
このような過程に一人超然として、自己改革はもちろんのこと、連合政権や政党再編成に何の指針や政策も示し得ず、現実の政治過程の進行に何の影響力も及ぼし得ない唯一の党が日本共産党となっている。「唯一の革新」を誇るのであれば、今こそ出番でなければならない。今こそ具体的で革新的な政策を掲げ、実現可能な戦略を提起し、なによりもあらゆる共同戦線を組織し、連合と統一戦線戦略の実践者となり、今やどの政党にとっても共通の土俵となってきている連立政権に参加し、現実の政権を担う気概と責任を示さなければならない時であろう。共産党の支持者の多くはそのことを期待してきたはずである。しかし日本共産党は、このようなことと全く無縁な党として取り残されようとしている。当然このようなことは長く続けられるものではない。多くの綻びがこのところ目立ち始めてきたのである。

<<エース記者がみた『赤旗』の暗黒>>
『文芸春秋』誌1994年12月号に発表された「エース記者はなぜ解雇されたか 私が見た『赤旗』の暗黒」という元「赤旗」企画委員・下里正樹氏の独占手記は党内外に多くの反響を及ぼしている。「自由と民主主義」を掲げながら、それにまったく敵対する党の実態が赤裸々につづられているのである。単なる暴露記事ではない。党の現状を心から憂れえている党員の痛恨の手記といえる。『エコノミスト』誌の「敢闘言」(94/12/13号)で日垣隆氏は次のように紹介している。
「さて、いい仕事をする記者は『赤旗』にもいた、と私は認識している。ルーマニア特派員の・・・、いずれも離職後に“象牙の党”時代より数段良質なルポを発表している。・・・森村誠一『悪魔の飽食』の共著者だった下里正樹も最近、解雇された。『赤旗』のエース記者であり、現代史研究者からの評価も高い。この下里に対し、党お得意の査問が五カ月間も強行され、戦時中の例のあれを彷彿とさせる。宮本議長が「例のあれは書いてはならん」と命令したため森村誠一が党と絶縁した経過や・・・話などを含め手記を寄せている。本来有能な下里が、「知人にも会うな」と言う査問者の命令に従い「我が党」を未だに信じようとする姿は哀れを誘う。」
「赤旗」12/19号は早速これに対して「疑われる『エコノミスト』の見識」という反論を載せ、「党規律違反問題についての調査には六カ月かかっていますが、それは主として下里側の個人的都合によるものであり、七回行われた調査も、多くの場合、彼が自己弁護や党に対する攻撃を繰り返し長々と弁舌をふるうため長時間を要した、のが事実です。しかも彼はその間、調査にあてられた七日間以外は、自宅やその他で自由に過ごしていたのです」という言い訳をしている。
査問を「調査」と言い換えたのはいいが、五カ月ではなく「六カ月」もかけて自己の党員を調査し、査問していたこと、「調査にあてられた七日間」は「自由に過ご」させず、事実上の監禁状態での強制的な査問であったことをはしなくも自ら暴露している。

<<「長時間を要した」査問の実態>>
さてその査問の実態はいかなるものであったのか。これまでと同様、当然予想のつくものであるが、下里氏の場合は次のようなものであった。
「査問が始まった。第1回は93年11月20日。査問の全過程がテープに録音されること、録音テープは、請求があれば下里にも聞かせることが約束された。だが「聞かせる」の約束は間もなく反故にされた。
長期にわたる査問は、ひどくこたえた。たまりかねた私は、査問のやり方に、異議を申し立てた。<これまで3カ月間の査問を経て、調査を受ける側からの緊急異議を申し立てたい。査問開始から処分にいたる民主的手続きの保証は、党内民主主義の根幹にかかわる大切な問題であるが、今回査問の経過には、党内民主主義と憲法に反する問題点が多すぎ、査問の合法、有効性を疑わしめるものである。>・・・11月20日の査問の席上、「調査期間中3カ月の権利制限」が言い渡された。しかし、今日までに明らかになった「権利制限」の実態は、同僚記者に会い、「話し合うことはしてはいけない」、事実確認のために「現地と連絡をとってはならない」、「図書館に行き資料文献を調べることはしてはいけない」、「対外活動」を行う場合には、「事前に統制委員会と相談し、その許可を得てもらいたい」、等々・・・近代刑法以前の人権感覚による、異常な措置であるといわざるを得ない。
応答を大声でさえぎり、答えさせず、関連質問をあびせる。それに答え始めると、またも大声でさえぎり、答えさせない。そして別の質問をあびせる。「それは」と答え始めると、またもや大声でさえぎる。明らかに答えを求めての質問ではない。相手を混乱させ、怒らせ、自分のペースに持ち込むための、高圧的な人を侮辱する尋問態度である。私が「答えさせないのなら、査問に応じる意味がない。もう止めよう」というと、すかさず「答えないんだね」「拒否するんだね」とたたみこむように、きめつける。薄笑いを浮かべ、待ってましたといわんばかりの、計算の行き届いたきめつけである。」

<<「うす汚れたスリッパのような扱い」>>
これが自己弁護すら許さない、「長時間を要した」査問の実態である。彼らの薄笑いは、彼ら党官僚に固有の知的道徳的退廃以外の何ものでもない。テリー・伊藤著『お笑い革命日本共産党』(94/8/1発行)が茶化して描き出した宮本・不和・上田との漫画的なやりとりが実際に行われていたわけである。下里氏は彼を取り囲んで査問した内の一人、赤旗編集局長の河邑氏に対して「河邑氏にお聞きしたい。あなたは、いったい何者かと。党員の上に君臨する、独裁者か。人を侮蔑し、答えさせず、大声できめつける権限を、いつ党から与えられたのか。あなたが、高圧的な態度で詰問する、根拠権限はどこにあるのか。党規約の、どこにそのようなことをしてもよいと、書かれてあるのか。
私は、この事実を全党に告発するものである。」と述べている。 こうして下里氏は、94/5/31「党規律違反」で本部勤務員の職を解かれ、10/14付「赤旗」は、「元赤旗記者・下里正樹同志の規律違反の内容の公表について」と題した赤旗編集委員会名の論文を掲載した。下里氏は公表文を熟読した上で、「この公表文の内容は、私への悪意ある個人攻撃に満ち、かつ多くの事実をねじ曲げているものです。・・
・今日まで私は、解雇にいたる事実経過について、私の方からの公表を自制してきました。自分の言い分を胸に刻みながら、仕事に専念してきました。しかし、どのような人間にも最小限の名誉があり、人格があり、人権があります。一方的に攻撃されたからには当人には反論する権利が生じます。・・・私は、党機関紙上での反論を強く希望しますが、断られた場合には、やむなく他のマスメディアでの反論を行わざるを得なくなるでしょう。」(10/19)として、赤旗編集委員会宛てに手紙を出した。もちろん反論掲載は拒否され、『文芸春秋』誌に手記が公表されるや、待ってましたとばかりに11/11に除名が行われ、「赤旗」には「虚構につらぬかれた反日本共産党の手記-下里はどこまで転落したか」という長大論文が二度にわたって掲載された(11/21-22)。
下里氏は、党官僚にとっては何の考慮にも値しない自制に自制を重ねてようやくにして手記を発表したのである。「ここに至って私は決意をした。ことは一人の赤旗記者の処分・解雇、私の名誉人格など私的な問題にとどまらない性格を持っている。・・・またこの間、私に加えられた長期にわたる査問は、日本国憲法の民主的条項に違反するものであり、「自由と民主主義の党」を標榜する日本共産党の、体質が問われる問題でもある。この間、共産党本部の中で体験したありのままを公表し、同時に私個人へのあからさまな批判にたいし、最小限の反論を行う必要があると判断したのである。・・・この段階に至って、私は現在の「党」が掲げている自由と民主主義擁護の旗が、一部幹部の手によって、うす汚れたスリッパのように扱われていることを知った。このような体質のまま「党」が政権をとれば、日本国民の上に、私に対すると同様のことが起こらないだろうか。私はそれを思った」。
政権をとればという心配は杞憂というものであろう。しかし現実に党を内外で支持している人々にとっては杞憂ではすまされないものである。

<<論争無用の「科学的社会主義」>>
季刊誌「窓」第22号(1994/12発行)は、もう一つの重要な論文を掲載している。それは高橋彦博(法政大学教授)氏の「論争無用の『科学的社会主義』-萎縮する日本共産党分析のための一資料」である。これは氏自身が日本共産党から排除された記録であり、問題提起である。
氏は、日本共産党中央委員会に宛てて以下のように異議を申し立てている。
「過日、1994年5月19日、私は東京都委員会から、5月19日付けの決定として、党規約第12条により除籍すると言い渡されました。この除籍言い渡しの経過と内容が、公党としての資格を欠く組織運営になっていると思われますので、私は異議を申し立て、日本共産党の責任ある機関で調査されるよう要望します。
①私の著書『左翼知識人の理論責任』の内容について問題があるとの提起が、機関の責任者から私の所属する支部組織に正式に提起されたことは一度もありませんでした。
また、この問題について私の所属する支部組織で正式に検討されたことは一度もありませんでした。私の所属する基本組織に一度も事情聴取がなされず、一度も意見打診がなされないまま、突然、上級機関における除籍決定がなされています。
②『前衛』1994年4月号に、私の著書『左翼知識人の理論責任』に対する批判論文が党中央委員会文化知識人委員会事務局員の名によって発表されました。この批判論文は、私に対し、「もはや革新陣営とは無縁の立場」にあるとする追放宣言を行っています。
党の機関において私の問題に対する態度決定がなされる前に、党の機関誌上で事実上の処分発表がなされています。
党内の批判者に対して、党内における討論の機会を提供する代わりに組織的な排除処分が課せられています。公刊された書物の著者に対して、「堕落」「変質」「転落」などの悪罵を浴びせたまま、反論掲載の要望を無視し、党籍剥奪処分で対応するという姿勢が、日本共産党中央委員会の名で発行される「理論政治誌」によって示されています。 1994年5月31日、法政大学教職員支部 高橋彦博」 こちらは査問どころか、一度の事情聴取もなければ、意見打診も全くなされないまま、規約に規定された基礎組織での討議も経ずに、いきなり上級機関である共産党東京都委員会が一方的に氏の除籍を行っているのである。自己に都合が悪ければ、論争無用というわけである。

<<「ネオ・マル派」の党からの追放>>
高橋氏は、同論文の中で「第20回党大会の発表によれば、「訴願委員会」へは年平均333人、ほぼ一日一人の割合で提訴がなされてきたとのことである。この多数の訴願者の中に、異端派としての日本共産党から排除された一定数の異端内異端が含まれていた。以下に紹介する資料三点は、最近の日本共産党において、かなりの党歴の持ち主である一人の研究者党員、実は、私、が「除籍」された経過である。私も訴願者の一人としてカウントされているはずである。私は、私と同じように何人かの研究者党員が「ネオ・マル派」として日本共産党から追放されたことを知っている」という事実を明らかにし、先の中央委員会宛文書等を資料として公表し、これによって「日本共産党においては、異端派集団としての組織内結束が重視され、組織内の異論提起者に対する排除の態勢が強化されつつあるのである。・・・自己の組織内における異議申し立て人に対しては呵責ない排除の論理が採用されている構造をお目にかけることができるであろう」と述べている。
高橋氏は、政治学・政治史を専攻しており、80年には共産党系の学習の友社から『現代日本の議会と政党』を共編著者として刊行している。この著作を著した段階で「私は、日本の議会制民主主義の担い手としての革新統一戦線と日本の共産党に大きな期待をかけていた」ことを氏は明らかにしている。「だがその期待は適えられなかったのである」。
氏は、89年に戦争指導者の責任を追求する姿勢の陰に隠れて消えていた民衆自らの責任を議論のテーマとし、その討論記録を『民衆の側の戦争責任』と題して青木書店から刊行している。それは次いで左翼の政治責任の問題として93年に、窓社から『左翼知識人の理論責任』に引き継がれて刊行された。ここにおいて氏は、科学的社会主義と称される理論構造が、結果責任の倫理を受容できる構造になっていないことを結論するに至ったわけである。折しも共産党は丸山眞男氏の戦争責任論に対する異常とも言える批判キャンペーンを展開しているさなかである。それは先の共産党第20回大会で頂点に達した。
そしてこの大会で、党内の異論提起者を、党を誹謗中傷する者として、機関の独自の判断で排除することができる新しい党規約の改定が行われたのである。高橋氏の党組織からの排除は、その先取り実施であった。

<<「結社の自由」と組織内民主主義>>
このような処分に対して党内外からの批判が行われると、共産党が必ず持ち出す論法が「結社の自由」の枠内のことであり、憲法に保証されていることだと開き直る例の論法である。今年からはいよいよ政党助成が実施されようとしている。政党助成のあり方については、当然共産党の主張する論拠も考慮されてしかるべきであろう。しかし助成金を貰わないから党内において何をやろうと他からとやかく言われる筋合いはないと、いう議論は成り立つものではない。
現代において政党というものが、もはや私的な組織でも非公然の非合法的な組織でもなく、ましてや秘密結社ではない時代である。自らが「公党」であるという以上、その組織のあり方は公的に認知され得る最低限の共通の民主主義的規範を土台としなければならないであろう。「自由と民主主義」の旗を掲げるのであればなおさら、民主主義的諸原則の貫徹においてより厳しく徹底されるべきものであろう。「結社の自由」にもとづいて組織された政党に個人の自発的意志で加入した以上、その政党が何をやろうと自由であるという論法は、もはやヤクザ社会でしか通用しないものである。
先頃、日本新党の前事務局長が比例区候補者の名簿に搭載されていながら、細川氏個人との対立により一方的にそれこそまったく非民主的に解任され、順位が下の候補者の繰り上げ当選の有効性が裁判で争われ、日本新党側が敗北したことはまだ記憶に新しいことである。日本新党内部の決定が、通常の民主主義的規範に外れ、非合法とされたのである。共産党においてもそうした事態が生じたとしても不思議ではないであろう。
高橋氏も指摘していることであるが、時代の要求はさらに、党議拘束の緩和、党首公選制、党員登録の定期的確認制度、各種選挙候補者についての予備選挙制度などを具体的な実行課題として浮上させているのである。これはもはや時代に取り残されつつある共産党の課題ではないかもしれないが、他の進歩的諸政党、あるいはこれから作られてくるであろう新しい党の重要な課題となるものであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.206 1995年1月15日

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【投稿】いじめは誰の責任か

【投稿】いじめは誰の責任か

愛知県におけるいじめを苦にした中学生の自殺により、またもやいじめの問題がクローズアップされている。こうした陰湿ないじめはもちろん今に始まったことではなく、脈々と続き、むしろ拡がっているのではないかと思われ、いろいろな場で解消にむけて真剣に取り組まれているにもかかわらず、一向に解消される気配はない。今回のようなショッキングな形で表に出るたびに問題にされるが、有効な処方箋は見つかっていないというのが現状であろう。
私自身は教師ではないが、教育行政の一端に携わる者として、現場とはまた違った感覚で、この問題で考えていることがある。解決の方向性といえるものではないが、日々感じている点を述べていきたい。

<いじめは学校の責任か>
今回の問題を契機としたマスコミの論調は「なぜ学校は気付かなかったのか」「もっと有効な手立てが打てたのでは」「事件後の学校の対応は問題だ」といった形で、事件前後の学校の対応のまずさを指摘し、日々の学校の体制なり、体質を問題にしてきた。その後の各地からの報告や投書などでも同じような論調が目立っている。教師の対応の中には、確かにまずい点がある場合もあろう。被害者からの訴えを相手にしなかったり、ましてや加害者になっている場合もある。しかし、一様に「いじめの責任は学校にあり」とすることには少々違和感を覚えるのだ。
いじめの契機なり実際の現場は確かに学校である。加害者・被害者ともに同じ学校であることがほとんどであろう。その中で「いじめをしよう」などと教育している学校などはなく、「いじめをやめよう」「いじめをなくそう」という形で取り組まれている筈である。それでもいじめは起こる。それもできるだけ担任や学校側にはわからないように巧妙に隠しながら陰惨と行なわれるのである。加害者は担任の前ではいい子でいるか、いじめとは別のことで目立っていることが多い。
一方、教師はと言えば、日々の授業や教材研究といった主たる仕事の上に、「問題」行動を起こす子供や登校拒否になっている子供に目を向けることで精一杯の状況にある。それも当然のことであろう。ルーチンワークだけでも結構大変な上に、たったの数年間で40人ものいろいろな個性をもっている人間の一人一人に十分な目を注ぐことなど不可能に近いのである。いくら副担などをつけたところで、少々楽にはなっても事態はそれほど変わらないであろう。いじめに耐え、苦しんでいるのは目立たない「普通の子」であり、できるだけ教師の目を盗んで密かにいじめは行なわれるのだから。仮に気付くことができたとしても、加害者がいじめをやめるまで十分にフォローアップすることは非常に難しい。 学校側の体制も心もとない。必ずしも指導力に秀でたものが学校長になるわけではない今の状況である。束ね役の教頭もたったの1人だということも問題があろう。同じことは教育委員会の指導主事にも言えることだが、こうした教委-学校の体質・体制の問題については、また別の機会で述べたいと思う。
いじめの基本は人権意識の問題である。人の身体や心を傷つけること、物事の善悪を判断することの問題は、加害者がいかなる人権意識を持っているかによる。そうした人権意識が基本的に形づけられていくのは家庭、すなわち親の教育がどこまで徹底しているかによると考える。子供の人格形成や人権意識には親の影響を多大に受けるのであり、間違った方向に進んでしまった場合も、それを是正するのは親の責任である。教科指導や学力といった面での教育を学校という行政機関に委ねているとしても、人格形成までも委ねてしまってはならないのである。これは経済的な責任よりも重要な親の責任ではないだろうか。そう考えれば、最近のマスコミ等の論調の中で、加害者の親や家庭の問題があまり取り上げられていないことが不思議に思える。何より最も追及されねばならない点であるにも関わらず、あまりに学校側の問題ばかりを取り上げすぎではないだろうか。
つい先日、いじめが問題となったある学校のクラスの保護者会の議事メモに目を通す機会があったのだが、まず加害者側の保護者のほとんどが欠席しており、出席した保護者は、我が子の被害の実態を訴えている被害者の保護者に対し、「被害者だって悪いところがある」と何ら反省の色もなくいけしゃあしゃあと攻撃しているのである。「うちの子はちょっと元気なだけで、たまに行き過ぎてしまうのだ」とさえ言っているのだ。言語道断、まさしく無責任の極みである。しかし、こうした風潮は世間に結構広まっているのではないだろうか。少々粗暴な子供は「やんちゃ」の一言で、とがめを受けるよりはむしろ歓迎される。自分の子供がいじめられたどうしようと心配する親は多いが、自分の子が人をいじめたらどうしようと心配する親は少ないのである。
学校は社会の縮図であると言われる。そうであれば、いじめが蔓延している大人社会の反映として、学校でいじめが起こっているのは、ある意味ではしかたのないことなのかもしれない。だからこそ、大人たちは自分たちとは同じことにならないよう、徹底して子供たちを教育し、加害者を作り出してはならないのであり、万が一、我が子が加害者になってしまった時には、親の責任において被害者に謝罪、補償し、その姿を子供の目に焼き付かせ、子供に対して事の重大性をわからさなければならないのである。それが親の責任というものであろう。
一方、別の意味での親の責任もある。いじめにおいて被害者には一片の責任もないというのは当然であるが、被害者の親には責任がないとは言えない。いじめられていることを言えない家庭の雰囲気や信頼関係をつくりだしているのは、親の責任である。また、被害にあった時にすぐさま学校に訴えるが、本当の矛先は加害者であり、加害者の親なのである。代理人たる親同士で徹底的に話し合い、謝罪と補償をさせなければならず、二度といじめをしないことを確約させなければならないのである。学校に訴えたところで「指導を徹底する」ことしかできず、速効性を期待することができないのが現実であり、そもそも民対民の問題の解決を行政機関がすることはできないのである。
だからと言って、学校側が免責されるわけではない。教師にとって相手は40人であっても子供から見れば唯一のおとななのだから、その影響の大きさを考えて言動や行動には十分注意しなければならない。あたり前のことではあるが、過去、子供の前で他の教師の悪口を言う教師の多かったことを思い出すのである。事実、職員室の中でもいじめは行なわれているのである。そんなことで、子供たちのいじめがなくなろうはずがないのだ。
以上、飲み屋で一席ぶっているような整理のついていない話になってしまったが、あまりにも現場の愚痴や本音を聞きすぎたのかもしれないし、今の現状の裏の部分を知りすぎたのかもしれない。読者の方々には当然違った意見をお持ちであろうと思う。今回の事件が起こってから、教員のみなさんの意見を未だお聞かせいただいていない。ASSERT自身教員の方々の投稿が少なくなっているのではないだろうか。ぜひぜひ、建前でなく本音の意見を投稿いただきたいものである。 (江川 明)

【出典】 アサート No.206 1995年1月15日

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【投稿】地方分権と政治改革(2)

【投稿】地方分権と政治改革(2)

2、地方分権の意義と理念
                —-「新保守主義」との分岐——

<地方分権は大きな政治上の課題>
前号末尾で、地方分権は「非常に地味ではあるが、今後大きな政治上の課題となると思われる」と述べたが、その理由は次の三点である。
まず第一に、地方分権の問題は、単なる「国と地方自治体の権限争い」の問題ではなく、21世紀を展望した国家システムの再編成に関わる課題である。
第二に、地方分権に関する議論の背景には、急速な高齢化の進展など社会構造の変化が存在している。分権論は、分権後の地方政府が高齢社会を支える福祉に対していかなる役割を果たすのかなど、「政府」のあり方をめぐる課題としての性格を持つ。「大きな政府か小さな政府か」という対立軸の整理は聞き慣れたものだが、「政府」という概念には「中央政府」のみならず「地方政府」を含めることが重要だろう。「アサート204号」で大阪M氏は、リベラル・新保守・社民の三極の政策の相違について「インサイダーNO.327」の整理を紹介されている。ここでは「政府」という対立軸について、リベラル=大きな政府、新保守=小さな政府、社民=小さな政府・大さな自治体と整理されているが、適切だと思う。ただ、「政府」という概念が「行政機構、組織」を意味するのか、「行政機構、公的責任」を意味するのかの整理がなされていない場合が多いので、議論の際には注意が必要だ。私は、後者の意味で理解している。
第三に、地方に権限が移ることによって、国会と地方議会の関係性が変化する。それに従って、分権後の政治体制は、現在のものとは大きく異なるものにならざるを得ないし、地方政治のあり方に変革を迫る。地方分権の問題は、地方政治を活性化して地方分権を支えるような新たな政治構造を作りだす課題として焦点化する。
これら3点については、それぞれ関連する章で、また詳しく述べることとするが、中央・地方を含めた政府のあり方、政治のあり方を包括するこの課題は、実は政治理念や政策の違いを明確にする最大の課題であろう。政治的な対立軸には国際貢献など外交に関わるものもあるが、「外交は内政の延長」という言葉のように、めざす国家像が明らかになれば、選択できる外交政策は自ずと決まるからである。
社会党の新党論議は相変わらず内容抜きのかけひきに終始している。しかし、今、最も必要なことは、結成しようとする新党の政策理念のたたき台となる「95年宣言(案)」の論議をもっと活発に、開かれたものとして行わうことではなかろうか。そして、宣言の中で、「地方分権(地域主権)」を単なる政策目標の一つではなく、全体を貫く理念として位置づけることが重要ではいかと、私は考えている。

<上からの地方分権論>
「地方分権」という言葉は、ここ一、二年、随分あちこちで語られたが、その内容は、連邦制や道州制への移行、市町村の統合・再編成、広域行政機構の整備や権限移管など、実に多種多様であった。しかし、昨年11月22日、首相の諮問機関である第24次地方制度調査会(会長・宇野収関経連相談役)が「地方分権の推進に関する答申」を決定。地方分権の枠組みの具体化が進むにつれ、連邦制や道州制などの「大きな話」は影をひそめてきた。さらに、12月25日、政府が決定した「地方分権の推進に関する大綱」に至っては、地方分権そのものが何やら腰くだけになりそうな雰囲気を漂わせている。ブームとも呼べそうな先の地方分権論議の華やかさと、骨抜きにされようとしている現在におけるリアクションの小ささは、何を物語っているのだろうか。
地方分権がなぜ必要なのかについては、「東京一極集中の是正」「地域の活性化」「国際対応力の強化」「高齢社会への対応」など様々な理由付けが論じられてきた。
しかし、この一、二年、地方分権論を牽引してきた議論は、間違いなく「国の統治システムの合理化を図ろうとするもの」(辻山幸宣・中央大学法学部教授。「自治労大阪」1995年1月1日号。府本部第7回自治研集会講演「分権・自治推進と市民参加」報告)であった。具体的には、『日本改造計画』(1993年、講談杜)に現れている新進党(旧・新生党)の小沢一郎氏と彼を支えるプレーンの主張が特徴的であろう。同書は次のように述べている。

「したがって、国政改革の第一歩は、国民生活に関係する分野を思い切って地方に一任することだ。その結果身軽になった中央政府は、次の章に述べるように、強いリーダーシップの下に国家として真剣に取り組むべき問題、例えば国家の危機管理、基本方針の立案などに全力で取り組むのである」(82頁)

いわば、「国際対応力の強化」など中央政府の機能充実を目的とした地方分権論である。同様に、1992年12月に出された政治改革推進協議会(民間政治臨調)の「地方分権に関する緊急提言」においても、「分権革命」が必要な第一の理由として、何よりも国の存亡にかかわる」と、国内政治・行政構造の分権化こそ中央政府の国際社会への対応能力を高める手法だとの主張を行っている。
このような、いわば「上からの地方分権論」が地方分権推進に関する世論形成をリードしてきたのだが、現在では、やや勢いをなくしているように見える。いくつかの理由が考えられるが、一つは、「政変」であろう。すなわち、自民党単独支配の崩壊、細川・羽田「改革」内閣を経た後の「揺り戻し内閣」としての自社連立・村山内閣の成立、それに伴う日本型政治・経済システムの構造的改革路線の減速、ないしは中断である。他の一つは、地方分権に消極的な中央官僚の抵抗を排除するパワーの欠如である。これは「上からの地方分権論」が、まさに「上から」の議論であるがゆえに、地方分権の真の主人公である地方自治体や市民の広範な合意やバックアップを得られないということに起因している。

<自治労の「分権自治構想」>
「国際対応力の強化」を目的とする地方分権論に対して、分権・市民自治の拡大という視点で地方分権のあり方を提言しているのが自治労の「分権自治構想」(1994年10月25日)である。同構想は、自治労本部に設置された「分権自治プロジェクト」の検討結果をもとに作成されたもので、同プロジェクトは、先の辻山教授をはじめ地方自治研究機関の研究員など8人の学識経験者で構成された。1993年11月から1994年6月まで計11回の作業委貞会と2回のヒアリングを経てまとめられた同構想は、地方分権に関する基本的な考え方のみならず、税財政面での改革、自治体自立のための法制度改革、自治体の自己改革などの課題にまで踏み込んだ、極めて優れた力作となっている。
同構想は、なぜ地方分権を求めるのかという点に関して、中央政府の危機管理機能強化のための地方分権論を「地方分権を『国家改造』の手段と位置づけるこのような議論は市民不在との批判を免れないものである」と厳しく批判している。そして、重視するものを「そこに住むものの多様な意思にかなった個性的で豊かな地域社会で市民生活が営まれることであり、これを可能とするような仕組みを実現することである」とした。
また、「市民のまちづくり」を考える要因として、高齢型社会システムの設計は高齢者の日常生活に密着した地域を基礎に行われなければならないこと、人間と自然の共生など環境をめぐる問題も自治体の課題であること、各地の創意と英知を妨げる制度的障壁を廃し自由でいきいさとした地域づくりを可能にする仕組みに変える必要があることなどを指摘している。
具体的な事務権限・財源のあり方についての原則に関する提言では、「立法分権の原則」が注目される。この原則によると、今後の行政施策は、複層的な基準(デュアルスタンダード/dual standard)にもとづいて実施されるという。その一つは、国が定める全国的最低基準(ナショナルミニマム/national minmum)で国が確実に保障しなければならない性格のもの。もう一つは、自治体が定める地域最適水準(ローカルオプティマム/local optimum)で施策内容、水準、費用負担に関する住民意向にもとづき、自治体が自主的に制定しうるものとされる。
同時に、新しい「利害調整・合意形成機能」を創造するため、市民参加重視の計画策定手法の開発を自治体の自己改革課題として指摘している点も重要な点であろう。

<攻めぎ合いの本格化にむけて>
さて、地方分権をめぐる対立構造は、いわば三極である。
一方の極には地方分権に極めて消極的な勢力が存在する。中央官僚はもとより、権限ある中央省庁への影響力の大きさを自らの存在価値とする国会議員、分権に伴い再編の対象となる組織の労働組合なとがこの勢力に含まれるだろう。後で述べるが現在の状況を「地方自治の反動的再編」ととらえ、「自治体リストラ反対」闘争を中心課題とする日本共産党や「左翼」諸党派の人々も、主観的な意図はともあれ、結果的には現状維持を指向するという点において、この極の側にあろう。
もう一方の極は、先に述べた中央政府の危機管理機能強化のため、『国家改造』の手段としての地方分権論を展開する勢力である。現状に強い危機感を抱く若手中央官僚や旧新生党グループ、財界などがこの勢力に含まれる。
もう一方の極が、高齢社会を見据え、分権・自治型の社会システムの形成をめざす勢力である。現実には勢力と呼べるだけのものがないから、こうした勢力を作ることが必要だということである。
地方自治体行政や「分権自治構想」をまとめた自治労でさえ、内部的には、地方分権に関する論議は低調である。関心が低いわけではないが、一つは、突き詰めていくと議論の拡がりがあまりにも大きいこと、二つには、地方自治体における地方分権の課題は紛れもなく自己改革の課題であり、その対応に臆するということが原因で、議論が成熟していない。市民レベルでは、更に議論にならない。地方分権をして何が変わるのか、何が良くなるのか、さっぱりわからないからである。
ただ、地方分権がこのまま腰くだけで終わることはありえない。それは、今日の成熟した社会構造が求める必然的な社会システムであるからであるからだ。世界で最も地方分権が進んだ国のひとつであるスウェーデンのルポルタージュである「高齢社会と地方分権–福祉の主役は市町村–」(斉藤弥生+山井和則著、ミネルバ書房)の『中で著者は、中央集権型経済大国の優等生である日本と、地方分権型生活大国の優等生であるスウェーデンの差は、イデオロギーではなく人口構造の変化がそうさせている、と述べ、その書を次のように結んでいる。

「高齢社会へソフトランディングするためのキーワードは地方分権だ。地方分権の時代は、ローカルデモクラシー(地域の民主主義)が問われる時代。人生80年時代は、地方政治の時代だ。地方政治の活性化なくしては、安心して老いられる日本を築くことはできない」

地方分権の実現が最大の政治的課題として再度焦点化する時までに、高齢社会を見据え、分権・自治型の社会システムの形成をめざすという理念と政策を明確にする勢力を形成しなければならない。これこそが、「社会民主主義」の中心的課題である。地方政界や市民レベルにおいては、こうした理念・政策に支持を寄せる人々は圧倒的多数派である。自信を持って、積極的に内容をアピールしていくことが求められよう。
そして、地方分権をめぐる最終的な対立軸は、新保守勢力との間にあることに留意しなければならない。政府・国家・福祉・産業などの各分野で「リベラル・新保守・社会民主」の三極の違いを整理、争点化しようとする著書、「カオスの中の対立軸」(1994年、悠々社)を出版した社会党の前衆議院議員の筒井信隆氏は、昨年12月16日付の社会新報紙上で、「分権の問題では、(社会民主は)『小さい政府』を強調する新保守と近い」と述べている。しかし、表面的なものは別にして、新保守主義の立場と社会民主主義の立場は大きく異なっていると見るべきでる。地方分権の位置と性格がどのようなものになるかについて、辻山教授は「より豊かな高齢社会を実現するために分権を構想するのか、それとも中央政府の機能を強化するために分権を重視するのか。結局のところこの二つのベクトルの攻めぎ合いの中で決まる」と述べている(「自治労大阪」1995年1月1日号)。
違いを明確にしながら、わかりやすく市民にビジョンを指し示す.‥新党に求められているのは、まさにこうした作業であろう。 (〔大阪〕依辺 瞬1995.1.7)

【出典】 アサート No.206 1995年1月15日

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【投稿】社民勢力は生き残れるか

【投稿】社民勢力は生き残れるか
               —–社会党と社民勢力のサバイバルの行方——-

新民主連合の離党騒ぎに示されている社会党の迷走が政局を流動化させている。1995年は、4月の統一自治体選挙と7月の参議院選挙、そして年内にも予想される小選挙区比例代表並立制による初めての衆議院総選挙と、まさに選挙一色の年になりそうだ。今後の日本の進路を決める大事な時期にさしかかったにもかかわらず、国民の政治への関心は低い。東西冷戦後の新しい世界はどうあるべきか、そして日本の果たすべき役割は、といった大きな問題を国民の一人ひとりが自分の問題として考えなければならないのだが・・・・。
○社会党の内紛劇に党内外からレッドカード
社会党の御家芸ともいえる左右の対立が急激に厳しくなった。93年の夏に細川連立内閣を成立させた右派、羽田政権の発足と同時に小沢(新生党)・市川(公明党)のいわゆる一・一コンビと絶縁して自民党、新党さきがけと連立政権をつくった立役者は左派。それぞれ政権のうま味を一人占めしてしまったので、内部対立はいっそう深刻化してしまった。しかし、国民の目から見れば社会党の首班をつくりながら何をしているのか。なぜ自分達の代表者の足を引っ張るのかわからない。さらに春の統一自治体選挙の候補者にとってみれば、ある日突然の政策の大転換と消費税引き上げ容認という公約違反とで支持率が下がり続けている上に、内紛によって党のマイナスイメージばかり膨らんでいるため、とても選挙にならないという怒りが渦巻いている。 なぜ、これほどまでに内部対立が深まってしまったのか。やはり背景にあるのは、支持労組の対立である。全逓、全電通、電機連合など反自民の連立政権を指向する組合と新進党よりは自民党と組んだ方がよりましな政府であるとする組合との対立がある。連合800万人の労働者でみると、村山政権支持が200万人、村山政権とは一線を画すが新党結成には慎重なのが100万人、村山政権を支持できないというのが300万人、中立が200万人と一部でささやかれている。どちらにしても、党分裂が決定的になりつつあるときでも労働組合に依存するしかない党の体質が、国民の信頼感をますます損なっているのである。

○優柔不断のリーダー達と国民の政治不信の相関関係
それにしてもなぜ今頃になって、という声が多いのは事実である。左派主導の村山内閣が左右対立の芽であった主要課題について次々と自ら政策転換に踏み切ったことによって党分裂の政策的な誘因は確かになくなった。しかし、今後の政治方針という対立の火種がますます燃え盛りだしたのは、議員一人ひとりの当選がかかっているからである。政権復帰によって息をふきかえした自民党は、今選挙をすれば単独政権をつくれるぐらいの圧勝をする可能性が大きい。自民党が総選挙で勝つために社会党、さきがけとの選挙協力をする必要がないばかりか、協力すればするほど自民党内の対立が深まってしまう。夏の参議院選挙までに解散・総選挙になった場合、さきがけも必要がないという結果になりかねないが、そこは押すだけしか能がない小沢と違い、社会党とさきがけにも気を配る竹下の妥協の方針でいくつかの選挙区でアメを与える事になりそうだ。
参議院選挙後まで解散が引き延ばされて初めて新進党の政権奪還のチャンスが生まれてくると予想されている。早期解散では地方議員をあまり抱えていないので選挙態勢を組めないし、寄合所帯でまとまりがないため政権を奪還しないかぎり劣勢を挽回できない。6年前に消費税・リクルート疑惑の追い風で参議院選挙で一人勝ちした社会党が今年の7月の参議院選挙で惨敗することは目に見えており、委員長としての責任問題が発生するため、村山内閣はよくもっても夏までである。社会党が大きく分裂してしまえば、新進党の政権奪還が可能となる。自社さきがけ連立政権が、もし仮に参議院選挙後も村山内閣を延命させたとしても、内閣の求心力は確実に低下するため、新進党につけいる隙を与えることになる。
このように小選挙区で勝つと不祥事でも無いかぎり当分その議員は落ちないと考えられるため、小選挙区比例代表並立制での最初の総選挙で勝つための死闘が永田町で連日繰り広げられているが、国民の政治に対する関心は低く、朝日新聞社の12月中旬の世論調査によると、今選挙をすると圧勝するはずの自民党でさえ支持率は36パーセント、新進党も21パーセントしかない。社会党は13パーセント、さきがけは7パーセントで、支持政党なしは16パーセントである。このような支持政党なし層は選挙を棄権する場合が多いと思われるので、選挙に民意が反映されにくくなっている。マスコミが政治不信をあおってますます選挙に対して白けた雰囲気をつくり出している。しかし、権力を本来もっているはずの国民が選挙に行かなければますます国民主権の空洞化が進むことになる。政治家は選挙に行く層(地方の農民や組合員や宗教団体の信者)のことだけしか考えなくなるのは当たり前である。日本の政治を変えようと思えば、都市の勤労者など普段政治に関心がない層や白けている層が投票所に足を運ぶようにならないといけない。小林某流にゴーマンかますならば「政治不信の原因は政治家だけとちがう!国民をいいように操る役人を攻撃できないマスコミと選挙に行かずに家でごろ寝してテレビばかり見ている無責任な有権者や!」と拳骨を振り上げて言っておく。

○どんな日本をつくりたい?
胸のつかえが少し降りたところで、政治を自分の問題としてとらえ、誰でも参加することが当たり前の国にするために何とかしようと思っている人だけ読んでほしい。講釈だけで選挙を手伝わない、あるいは投票にも行かない人はもう「自分で世の中を変える気がなくなった症候群」なので、そんな人達がたくさん住んでいる王権国家(北朝鮮などまだ近いところにもあります)にさっさと亡命してほしい。
私は、自民党が一人勝ちすると地方分権や役人から国民への大政奉還はこれから数十年間できないと思う。新党さきがけが何を思ってついていくのか知らないが、ここはまず反自民の統一戦線を組んで自民党を過半数以下に留めておかなければならない。その上で、政権を奪還された自民党が大分裂をおこし、新保守主義的な福祉切捨て自由放任国家をめざす小沢=渡辺の極悪同盟対大きな政府による福祉国家型安定成長をめざすリベラル勢力との対決をめざすべきだと思う。ビジョンも何もない学会=公明は勝つほうにつくだけの話である。ビジョンを示せないなら社会党も新民連もいらないという判断を国民が下すのである。「ダメと言ったらダメ」というような単純な政策を出す時代は終わった。(1995年1月13日大阪M)

【出典】 アサート No.206 1995年1月15日

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【書評】マルクスと「アソシエーション」の新たな展望

【書評】マルクスと「アソシエーション」の新たな展望
       田畑 稔『マルクスとアソシエ-ション--マルクス再読の試み』
                           (新泉社 1994.7.5)

マルクスの死後110余年を迎えた今日、マルクスから発した社会主義革命とその結末としてのソ連の崩壊によって、その権威、理論は見捨てられようとしている。しかし他方でマルクスが指摘解明した資本主義社会の諸問題は、今なお未解決のまま残され、年々深刻化していることは周知の事柄であろう。
このような時期に著者は、「この十数年、私は自己批判の意味を込めて『世界という書物』とマルクスを平行的に再読する作業を続けてきた」として、現代日本の日常的世界--宗教論、教育論、天皇制論、会社論、保守政治文化論等--についての分析、批判を通して「世界という書物」を読み直す著作を世に問うてきた。そして今、もうひとつの作業である「マルクス再読」の中間総括が、本書として出版された。
著者によれば、本書はその第一作で、以下『市民社会とマテリアリズム--マルクス「唯物論」再研究』、『”弁証法的唯物論”へのオールタナティブ--マルクスの意識論・認識論・存在論』と続く予定であるが、これら一連の著作によって、現在の地平でマルクスを「越える」試みを提示する。その問題意識は、次の文に示される。
「マルクスを真に『越える』には、まず『越える』べき『マルクスの稜線』が見えていなければならない。ところが、われわれがこれまで『マルクスの稜線』と見ていたものが、実はエンゲルスやレーニンやスターリンの稜線であったことに、われわれはまだまだ気づき方が足りない。ほかでもない、われわれ自身の『マルクス主義』という『雲』が『マルクスの稜線』を見えなくしているのだ。」
かかる問題意識から著者は、従来のマルクス研究では隠れてしまっている「アソシエーション」論に焦点をあてて、マルクス再読を行おうとする。このことは、従来のマルクス主義者が、いわいる「ソ連型社会主義」を尺度にマルクスを読んでいたことに対する批判であり、「唯物論的歴史観」が、晩年のエンゲルスによって導入された「哲学の根本問題」の歴史への応用として解釈されたことに対する反省であるとされる。
著者によれば、「アソシエーション」とは、「諸個人の連合化としての未来社会」を特徴づけるものとして、「相互孤立的私的個人」からなる「諸個人から自立化した社会的存立体」である市民社会に対抗するものである。すなわちその特徴は、「個人性の本格展開」と「共同社会性の自覚的組織化」との結合である。
しかしこの「アソシエーション」の視点は、今までのマルクス主義においては、全く無視ないしは看過されてしまっており、問題にすらされていない。このことは、『マルクス・エンゲルス全集』において「アソシエーション」の訳語が20にものぼり、「概念として」すら扱われて来なかったということで明きらかであろう。(序論「『アソシエーション』というマルクス再読視点」)
ところがこの視点は、初期マルクスでは、ルソーのアソシアシオン論--国家をも「アソシアシオンの一形態」として実践的に再構築しようとする--の影響というかたちで大きな思想的要素となっており(第一章「ルソーのアソシアシオン論とマルクス」)、このことを踏まえて「諸個人の連合化」は、『ドイチェ・イデオロギー』では、「諸個人から『自立化』し、物件的な社会的『権力』として(中略)現象している、諸個人自身の社会的諸力や生存諸条件を、諸個人に『服属』させることが唯一可能な、諸個人相互の関係の《あり方》として構想されている」が、「同時に他方では、そのもとで人類上初めて、諸個人の『個人性』が本格展開する社会形態としても構想されている」(「トータルな諸個人」「経験的にユニヴァーサルな諸個人」「局限されない完全な自己活動」等々)、すなわち「『個人性』の本格的展開にもとづく『共同性』の自覚的形成」(=アソシエーション)として構想されている。かかる「アソシエーション」の積極的アスペクトが評価されねばならない。(第2章「『ドイチェ・イデオロギ-』と諸個人の連合化」)
では「アソシエーション」は、いかにして実現するのか。著者は、マルクスの論点の基本性格を、現行のシステムに二元的に対置するアソシエーションではなく、「脱アソシエーション過程をはらみつつ、諸個人の自己統治能力の歴史的展開に応じてアソシエーション過程が進行すると見る、《過程的》アソシエーション」と考える。すなわち「人々は共通の目的のために自由意志にもとづいてアソシエーションを形成するが、このアソシエーションは歴史的に所与の主体的客体的諸条件の中で有効に働かねばならない以上、さまざまな脱アソシエーション化の力が働き、その力はアソシエーションそのものを変質、歪曲するに至る。」従ってアソシエーションとしての未来社会に到達する路は、脱アソシエーション化の諸力の直視と再アソシエーション化のプロセスを必要とする過程であることが指摘される。(第3章「アソシエーションと移行諸形態」)
そして最後に、アソシエーションの下での「個人性」の全面展開についての理論的基礎づけが、交換論、所有論、労働論、人格論のそれぞれに即して叙述される。例えば交換論では、「[?]上下秩序にもとづく分配に副次的にともなう共同体内の交換→[?]全面的私的交換→[?]生産手段の共同の領有とコントロールの基礎の上にアソシエートしあっている諸個人の自由な交換」という三段階図式において、「自由な交換」が「個人性」のい展開のための基礎であるとされ、以下同様の三段階図式が各論において検討される。これらはすべて「アソシエーション」と「自由時間」とを二大チャンネルに「必然の国」から「自由の国」へという展望を持ったものとして著者によって明快に語られている。)第4章「アソシエーションと『自由な個人生』)
さらに補論として「マルクス再読の試み」が付けられているが、これは、著者の思索の視点、本書とこの後に続く著作との関連をスケッチしたもので、マルクスの意識論、「唯物論」、国家論等への鋭い指摘も見られる。しかしこれらの諸問題については、今後の深化発展を待つ外ない。
以上本書の諸特徴の概略を述べてきたが、本書は従来のマルクス像に対して、--とりわけソヴィエト・マルクス主義に圧倒的に影響されてきた実践的組織的マルクス主義に対して、「かなり根本的な《マルクス像の変革》」、「《アソシエーション論的転回》」を迫るものであり、この意味ではマルクス主義の中に大きな石を投げ込んだものと言えよう。このような研究は、著者自ら述べているとおり「少なくとも独立した書物としては、おそらく世界でも例がない」以上、「アソシエーション」論そのものにまず論議の眼が向けられる必要がある。もちろん「アソシエーション」への移行の現実的諸形態(権力、民主主義、組織論等)に関して、あるいはそこにおける所有、労働、個人のあり方等に関して、今後大規模で深い論争も引き起こされねばならないが、本書はその第一歩を記したと言う意味で重要であり、将来の社会主義運動の展望との関わりで、一読してほしい書物である。(R)

【出典】 アサート No.205 1994年12月15日

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【投稿】「地方分権と政治改革」

【投稿】「地方分権と政治改革」

1、はじめに—今日の政治状況と課題        No205 1994-12
2、地方分権の意義と理念—「保守主義」との分岐  No206 1995-01
3、行政の果たす役割と地方分権  No207 1995-02  No208 1995-03
                No209 1995-04  No210 1995-05
4、地方分権と政治改革              No211 1995-06
5、分権・自治の拡大に向けた新たなシステム    No212 1995-07

1、はじめに —今日の政治状況と課題—
<必要な政策的分岐の明確化>
現在、日本の政治は過渡期にある。近い将来、日本の政党も、政治理念や政策の共通性によって集合・組織される本来の姿になるだろう。また、そうでなければ、日本の政治は「機能不全」に陥ってしまう。
しかし、当面はそんな展開は見られそうもない。なぜなら、現局面では、政党を形成する上で最大のポイントとなる国会議員や地方議員は、自らの個別利害、すなわち新しい選挙制度の下で生き残れるか否かに最大の関心を払うからである。「当落」という現実の前では理念や政策は二の次となる。
実際、新生党や公明党による新党(新進党)づくりは、理念や政策をポータレスにして、選挙における利害調整を武器に人集めをしている。日本の政界に理念や政策でなく利害で集合・組織されている自民党という巨大な政治勢力が存在している限り、そうした対応が現実的なのだろう。政治改革の一部をなす「政党再編」から「政党改革」への道を進むには、自民党を更なる分裂に追い込むことが引き続いて第一の課題である。
そしてその際には、自民党内の政治理念や政策における混在を整理させることが必要でなる。すなわち、新保守主義政党の性格を明瞭にしつつある元・新生党とその同調者をひとまとめにし、それ以外の考え方のグループとの分岐を拡大することが、長期的な政治戦略として重要なのである(※アサート11月15日号掲載の投塙、「社民・リベラル新党と3橿構造の産みの苦しみ」を拝見した。私は、大阪M氏と考え方を同じくしている。)
具体的な政策課題のすべてに基本理念の相違が反映するということは、今も昔も変わらない。現在は、東西冷戦体制にあった時のように単純な構図で反映するものではないが、政治理念の相違が政策に如実に反映することに違いはない。ただ、その相違が見えにくいだけだ。また、各政党も具体的な政策の違いを通して、基本的な政治理念の違いを明らかにする作業をなし得なかった、あるいは、違いを認識し得ずにきたように私には思える。
しかし、日本の政治における「分水嶺」は、間違いなく「新保守主義」と「洗練されたリベラリズム」ないしは「社会民主主義」の間に屹立する。特に、「政府(地方政府を含めた)」のあり方、換言すれば、「公的保障(特に福祉のあり方)」は最大の分岐点となろう。新生党が主導する新進党は、その点をあいまいにした寄り合い世帯である。なぜなら、新保守主義のエッセンスである「自立・自助」という考え方を強く’打ち出せば、公明党や民社党グループとの乖離が大きくなり、新党づくりが瓦解してしまう危険性が大きいからである。
政治再編は更に進めねばならないし、実際、この数年の間に大きく進むだろう。しかし、その展開は政治理念や政策の違いを明確にすることでしか加速できない。その作業が何よりも重要なのである。

<社会党の混迷–連立政権でなすべきこと>
ところが、その作業を中心になって担わなくてはならない社会党の混乱ぶりは目に余る。
9月3日に開催された日本社会党第61回臨時全国大会で採択された「当面する政局に臨むわが党の基本姿勢」という文章の冒頭を読んで、私は開いた口がふさがらなかった。第1章は次のように述べている。

「党は現在、国政の最高責任を担い、生活者優先の政策が実現できるという可能性を手にした半面、これまでの『政敵』を失ったことによって、新しいアイデンティティー(自己存在)の確立が求められます。党にとって『政敵なき時代』は初めての体験であり、全党員はあらゆる固定観念、慣行から自らを解放し、新時代に対応できる党へ建て直す『自己革命』の決意と決断を示さなくてはなりません。」

実に見事にビンほけた認識である。理由は次の二点だが、村山政権発足以来の社会党の混迷ぶりの基礎は、このスタンスに起因しているように思える。
第一に、自民党との連立政権が始まり、55年体制が崩壊した、だから「政敵なき時代」に入った、などというのは「お人好し」を通り超して、政党としての日本社会党の解党宣言に等しい。連立の相手こそ政策実現に向けてイニシアチブを競い合う最大の「政敵」だし、自民党は新生党と袂を分かったとはいえ、政治理念や政策内容においては、新保守主義的なものも色濃く持っているのである。ましてや、野党の新生党は「政敵」でなくて何なのか。こんな認識では、「党の独自性」もあったものではないし、連立相手に吸収されてしまうのは当然の帰結であろう。現に社会党はその道を進んでいる。
第二に、首相を出したからといって、「自らの政策が実現できるという可能性を手にした」と評価するのも楽観的に過ぎる。これも、社会党が苦しい対応を強いられてきたこの間の現実が証明している。
私は一つの連立政権で成し遂げられることは、あらかじめ政策合意が形成できた一つか二つの重要課題が精一杯で、残るテーマは、いわば「連立の解消に至るプロセスのプロデュース」と「自らの存在価値の売り込み」に尽きると考えている。逆説的だが、連立政権は「守る」ことに意味があるのではなくて、「壊す」プロセスが重要なのである。
連立政権では、政策調整が当然必要だから、必ずしも自党本来の政策は実現できない。すなわち、連立政権とは、自党の政策の優位性と連立政権ゆえの限界を絶えずアピールする場でしかないということである。政治的に妥協し、自らの政策に近いものを一つでも実現する。また、決裂して連立を解消し、連立相手の組み換えに進む。いずれにせよ肝心なのは、自らの存在価値を高めることである。「連立の維持」を自己目的化して、自らの安楽死に至るような対応は愚の骨頂である。
ただし、自らの存在価値を高めながら連立政権を構築し、また解消するためには、常に個々具体的な政策について内容を詰め、背景となる理念の差異を明確にしておく必要がある。そして、政治的妥協を行うのであれば、それに至るプロセスを積み重ね、理由を明確にした上でタイミング良くこれを行う決断力が必要だ。そうしたことを考えると、社会党村山政権はあまりにも準備不足であった。
さて、社会党内の議員集団「新民主連合」が「社民リベラル新党」の結成に向かうという。社会党が丸ごと新党結成に向かうのか、はたまた党の分裂に進むのか、先行きは不透明である。
しかし、いずれにしても「新党」という言葉が浮き上がっていて、実質的な意味がないように私には見える。既成政党・グループの集合・離散だけで新党をつくろうとしても、できたものは「新党」になりそうもないし、第一、時期的にやや遅きに失した観がある。
ただ、社会党の動きがどうであれ、個々具体的な政策や、それを支える理念を明確にする作業の必要性に変わりはない。
本稿では、非常に地味ではあるが、今後大きな政治上の論点となると思われる「地方分権」の内容と意義について、そして、地方分権の確立が真の意味での政治改革を完成させるのだということについて述べてみたい。     (以下次号)(by 依辺 瞬)

【出典】 アサート No.205 1994年12月15日

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【投稿】社会主義の理想に寄せて

【投稿】社会主義の理想に寄せて

① 小森さんが、以前「社会主義の理想がまちがっていたとはとても思えない」と書いていらっしゃったのを、痛ましい思いで読んだ記憶があります。ぼくも同感で、大阪のUさんがいつもおっしゃるような「とにかく民主主義だ、というスタンス」もわかるけれども、ぼくは、まだ社会主義にこだわっているのです。
マルクスもレーニンもたいへん評判が悪い昨今ですが、おりに触れて著書を読み直してみると、やはりそんなに間違っていたとは思えません。もちろんみなさんご承知のように歴史的限界はあって、マルクスはいくつものおもな先進国で一挙に革命が起こらざるを得ないと思ったし、「絶対的貧困化」という実際にはそのまま当たらなかった見通しを述べた。その他にも、「全集」の序文でも指摘されているような、たとえばバルカンのスラブ諸民族についての見解など、明らかな誤りだってあった。民族自決権については、どうしてもマルクス主義では「階級の利益優先」ということで抑圧される傾向があって・・・・でも、これは難しい。よくわからない。スターリンみたいな領土拡張主義は論外としても、みんなが自発的に民族の利益より階級の利益を優先するようにすれば、問題はないはずなのに、と、つい思ってしまうので、いけませんね。
さてレーニンの場合ですが、彼は議会制民主主義の否定的側面ばかり強調しすぎていたでしょうし、何しろ絶対主義的ツァーリ専制の国の人ですから、彼の「戦闘組織としての革命党」の論は、今では有効でない面が多いのも確かでしょう。しかしそれもまさに歴史的限界で、当時の事情では実践的には有効な選択だったと思えます。ただ、たとえば「プロレタリア革命と背教者カウツキー」をはじめ、とくに革命情勢下での論文に強く見られる攻撃的で激越な調子に、ついて行けないなと思うことはよくあります。現実の革命運動の方針をめぐって、メンシェビキやエスエル派の「社会排外主義」と激しくて重大でギリギリの闘争(もちろん理論的な)を展開していたから、仕方がないのかなとは思いながら。だいたいがマルクスからして論争のときに口調が辛辣すぎたから、マルクス主義者に悪い模範になっちゃったんだ、とある先輩がおっしゃっていたのを思い出します。
② 森信成(この人の名はアサートではあまり目にしませんが)は、民主主義を徹底したところに社会主義があるのだと実にわかりやすく説明した人でした。そして、社会主義における民主主義的要素の拡大(独裁的要素の死滅)をめざす任務でうしろ向きになったところにスターリンの限界があり、この点にスターリン批判の眼目があったと森先生は総括している。でも今から見れば、スターリンの政権は、最初からおよそ民主主義とは無縁だったとしか思えません。スターリンの政権奪取によって、ロシア革命は(そして世界中の社会主義運動が)大きく変質した。そして、フルシチョフらによる批判、改革の試みは不徹底に終わり、198号で紹介されている書物の著者西尾氏も言う通り、「プラハの春」は、現実の社会主義体制が悶え苦しんでいる矛盾を露呈した。
では、その前は? なるほどレーニンは反革命軍との内戦の時期、とにかく利敵行為は厳禁で、「銃殺」の命令を乱発していますが、あれは革命の防衛のために、どうしても必要だったのだろうとぼくは思います。では内戦終結後は? 残念ながら、レーニンが反対政党の復活のために努力した・・・・とは言えないように思われます。ソヴェト権力の維持が至上命令だったから、反対政党を積極的に復活する余裕がなかったのでしょうね。でも、共産党以外の政党を認めることがいずれは必要だったはずで、レーニンが長生きしていればそういうときが来ていたのではないかと希望的に観測する。ただし、そういう党がもし多数派になりそうになったら、やっぱり、「プロレタリア独裁の維持」のために、非合法手段を取ったかも知れない、いや、きっと取っただろうな、という気はする。要は、そうならないように、社会主義の方がいいんだと人々が政治経験を通じて納得できるようにやれたはずだし、そうでないなら、社会主義の思想は絵にかいたモチに過ぎない。いまの朝鮮民主主義人民共和国みたいに、個人崇拝の大宣伝と情報統制で維持する「社会主義」なんて。それこそ、新聞のない政府よりは政府のない新聞を選ぶ、と言ったとかいうアメリカの大統領の方が、ずっとまともです。
③ どこかの党みたいに「プロレタリアートの独裁」を「執権」だの「労働者階級の権力」だのと言いかえたらすむというものではないけれど、この「ディクタトゥーラ」という語は、たしかに物騒な語感がありますね。でも、資本主義社会は議会制民主主義になっていようがいまいが「ブルジョワ独裁」である、とする把握を反映した言い方なわけですから、歴史的に正当な用語だったと思います。
レーニンがていねいに説明している通り、選挙で公平に代議士を選んでいるんだといくら言ったってカネやメディアを握っている資本にカネもメディアも持たない労働者人民が公平に戦えるわけではない。したがって、議会制民主主義だからというのでただちに超階級的な全人民の国家だとは、もちろん言えない。本質的にブルジョワ独裁であることに変わりはないとしたレーニンの指摘は、十分に真実を含んでいたと思います。
でも、やっぱり一面的すぎたかな、と。レーニンに議会主義クレチン病だとか何だとかひどい言葉で罵倒された一部の社会主義者たちは、議会制度を充実させつつ、そこで多数派を占めることを通じて、社会主義が実現できると思った。それは当時の情勢や力関係のもとでは、まだ実現可能性の低い方針であったかも知れないけれども、のちには「モスクワ声明(81か国共産党・労働者党の声明)」にも明記されたように共産主義者が一致して有効な方針だと認めるようになったわけですから、むしろ彼らに先見性があったとも言える。逆に言えば、レーニンは専制国家しか経験していなかったために、ブルジョワ議会制度の意義やその未来の可能性を十分に見抜くことができなかったのかも知れません。
さらに言えば、「民主主義的中央集権制度」という本来正しいはずのシステムが、すっかり諸悪の根源みたいに言われるような代物になり下がったのも、レーニンの指導する非合法下の社会民主党での運用のされ方(くりかえし言えばそれは当時の事情においては不幸ではあってもやむを得ない、その意味で正しい運用であったとぼくは考える)が悪い伝統として残り、また広まってしまったというのも、一つの原因ではなかったかと思う。民主主義的中央集権制については、これが最も完全な民主主義を体現するものであることを森先生が明快に論証しています。(したがって「民主集中制なんて間違いだ」とは、ぼくは思えないのですが、アサート紙の寄稿者の方々はみんなそう思ってらっしゃるように感じる。でもぼくはいろいろな会議などにもなかなか参加できないので、どういう議論を経てそういう共通認識になったのか知らないのです。あるいは、以前にどなたかの論証が載ったのでしょうか。どなたか教えてくれないかしら。)しかし、言うまでもなく、これが国家のシステムに適用できるのは、再び森先生の言葉を借りれば「全人民を党の水準に引き上げることによって、党が自己を不要にする」ことが達成できた暁のことなのであって、そうでないのにこれを国家のシステムに適用すれば、それは民主主義の封殺に導かざるを得なかったのではないかと思うのです。旧ソ連の大きな誤りの一つは、このことだったでしょう。「ソヴェト」という形態は、レーニンをはじめ当事者たちの言う通り、ロシアにおいて自然発生的に生まれ、人々が進んで選び取った権力形態ではあったのでしょうけれど、それがロシアの後進性の刻印を生まれつき帯びていたものでなかったのかどうか? ぼくにはまだよくわからない部分なのですが、とにかく、西欧で模範的に発達したブルジョワ議会制度とは、無関係ではないにしても、ある程度は独自に生まれた制度だったと言えるでしょう。そして、それを指導したロシア社会民主労働党の圧倒的影響力のもとで歩んできた社会主義(共産主義)運動。きちんと整理することはぼくの力に余りますが、このへんに「不幸の始まり」があったのかも知れないという気がしています。
ともあれ、議会制度と、三権分立。日本の三権分立の機能のしかた–ことに司法権のテイタラク–を見ると、今のままでもいけませんが、やはりこのシステムの思想は人類の経験と英知の産み出した宝物だと思います。この基礎の上に、そしてその発展の中に、一つ一つの民主主義的な改革がかちとられて行くことを通じて、社会主義の理想に向って行かなければならないのではないか。
ここまで来れば、ぼくの考えは、たとえばUさんの「とにかく民主主義」とほとんど違わないような気もします。要するに、ぼくのこだわりは、敬愛するマルクスやレーニンがナニモカモ間違っていたという前提の上に立ってこれからのことを考えるのはイヤだ、という「ファンの感傷」みたいなものに過ぎないのでしょうか。
④ 話はすっかりかわりますが、最近気に入らないことを一つ。日本の常任理事国入りなんて、とんでもない思い上がりですね。前に、PKOだって憲法改正して、やってもいいのじゃないか–などと気楽なことを書いてしまったのですが、あれは原則論としてはともかく、やっぱり実際論としては間違いだったと深く反省しています。日本にそんな資格はない。
いまの常任理事国どもも、たいして立派な国ではないと思いますが、そこに日本みたいなろくでもない国を加えることはありません。女子差別撤廃条約だって、大慌てでいいかげんな法律を作ってやっと批准できた国。むしろ、国連が示す世界のスタンダードに肩をならべるために、まだまだ努力を要する政治後進国で、国連によって指導してもらわなきゃいけない身分なのに、指導的な立場になろうだなんて、おこがましい限り。それに、韓国をはじめ、日本から迷惑をこうむった国々は、日本との経済関係が大きいからか、あまりあからさまには反対せずに遠慮しているけれど、まだまだ日本に常任理事国になってほしいだなんて言っていない。そういう国々の人々みんなが気持ちよく日本を常任理事国に推してくれるまで、おとなしくしてるのが、分相応の態度です。
蛇足もいいところでしたが、どなたも「常任理事国」問題に触れてらっしゃらないように思うので、一言申し述べました。         (大阪 I)

【出典】 アサート No.205 1994年12月15日

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【投稿】米・中間選挙が問いかけるもの

【投稿】米・中間選挙が問いかけるもの

<<「希望」の象徴から「失望の象徴」へ>>
去る11月の米・中間選挙の結果、上下両院で野党の共和党が過半数を占めて逆転、米議会では万年少数派といわれた共和党が上院で多数を占めるのは1986年以来、下院での過半数は54年以来、40年ぶりの共和党の上下両院支配という新しい事態が現出した。さらに州知事選でも過半の州を共和党が押さえ、大統領選挙人を多く抱える大きな州の知事のほとんどが共和党ということになり、クリントン大統領再選の可能性が断たれたとまで言われる状況である。今回のいわば地滑り的な変動は常識を超えるものとさえ言われている。
なぜこのような事態になったのであろうか。90年中間選挙では「税金」、そして92年大統領選の「経済」にかわって、今年の中間選挙では「犯罪」が最大の争点になったといわれる。2年前、クンリントン氏は冷戦体制終焉後の新しい時代への「変化」「変革」をスローガンに、冷戦体制を引きずり、貧富の差を拡大し、世界の憲兵役を任じて国防費の膨張にいそしむ共和党の路線に対決して大統領選に勝利した。共和党色が強い南部にも支持を広げ、六つの州を制したのは、冷戦体制の中で疲弊した米国の再生を掲げ、「変革」を訴えた「ニューデモクラット」路線の勝利であったとも言えよう。93年1月の大統領就任に当たり「ニューデモクラットの旗のもとに結集を」と国民に呼びかけ、希望が語られた。
その後の2年間で財政赤字は減り、景気は後退期を脱し、国際収支の赤字は縮小し、失業も減少し始めた。景気過熱を抑える政策さえ提起している。本来ならば成果を誇っていいはずである。にもかかわらず今回の結果は、2年前の大統領選で公約したこうした「変化」を実現できなかったことへの有権者の強い失望感の表明であった。ワシントン政治の批判者として登場したクリントン氏は、2年の間に逆に自らが既成政治を代表し、「変革」を実行できない、えこひいきと身内びいきで行動し、政策決定過程に信頼と確信を持てない権力者として、不満を一身に浴び、二年前のイメージが全く変わってしまったのである。同大統領の不正資金問題「ホワイトウォーター事件」でアルトマン前財務副長官が辞任しているが、不正疑惑がさらに再燃する中で続いて今回ベンツェン財務長官までこの事件を不快なこととして辞任。クリントン氏の支持母体となってきた民主党指導者会議(LDC)でさえ激しいクリントン批判が噴出し、民主党自身が、次期大統領候補に現在の大統領を推すかどうか検討中と言わざるをえなくなっている。

<<「保守政治の復権」の実態>>
それでは共和党は、クリントン政権に対抗した「変革」と「希望」を語ることができたのであろうか。実態はクリントン攻撃、民主党攻撃に終始し、事態をよりいっそう悪化させる政策しか提示し得ていない。ましてや共和党が大統領選敗北後の2年の間に魅力ある政党に生まれ変わったわけでもない。
選挙戦の最中、共和党は「米国民との契約」と題した公約を発表している。その十項目の公約によると、まず、増税法案については、過半数ではなく「議会の五分の三の賛成が必要」と憲法を修正する「財政責任法案」を用意する一方、中間所得者層や高齢者中心の減税を公約し、同時に軍事費を増大させる法案を実現しようとして、「国防の強化、世界中での信頼性の維持、軍事費増額」を掲げている。さらに重要なことは、連邦政府の民間への介入を減らすことを主張し、福祉予算削減を要求していることである。
これらは冷戦体制下のレーガノミックスへの復古宣言とも言うべきものであろう。共和党は議会支配が実現した後、百日以内に大胆な政策を実現すると公約している。
ガチガチの保守派として有名で次期下院議長が確定しているギングリッチ氏は、選挙期間中、「大統領は、普通の米国民の敵」、「左派の世俗主義が米国をダメにした」と語り続け、「20の小委員会でクリントン政権の腐敗を追及する。関係者もどんどん喚問する」と公言している。同氏は、議会の最優先事項として、財政均衡、医療保険制度改革、犯罪防止の三点を上げ、共和党主導の法案作成に強い意欲を見せ、サッチャー前首相やレーガン元大統領の言葉を引用しながら「保守政治の復権」を繰り返しアピール、「神を米国の中心におくべきだ」として犯罪や都市荒廃の原因を道徳観の欠如にもとめ、公立学校でのお祈りを認める法案を半年以内に議会にかけると息巻いている。上院共和党のドール院内総務は、軍内部の同性愛問題や中絶問題でのクリントン氏のリベラルぶりをたたき、「共和党が両院で多数をとったら、政府を手元にくくりつけてやる」と語っている。

<<「不法移民締め出し法」の成立>>
さらに危険なのは人種差別的な排外主義の高まりである。カリフォルニア州では、同州だけで160万人と推定される不法移民の医療・教育に年30億ドルもの税金が費やされているとして、メキシコとの国境を越えて流入する不法移民に対して子供は公立学校に受け入れない、緊急医療以外の福祉サービスを停止するという住民提案「不法移民締め出し法」が、中間選挙と同時に投票にかけられ、予想を上回る賛成59%を獲得して可決され、州法として成立したのである。しかもこの提案は、医療・教育機関に不法移民かどうかを調べさせ、「疑わしい場合」は移民帰化局に報告するよう義務づけまでしている。もちろん同法は違憲の疑いが強く、施行差し止め訴訟が相次いでおり、同提案阻止の市民運動が各地で広がっている。
提案者である「わが州を救え」(Save Our State=SOS)委員会のロン・プリンス委員長は「提案した理由は二つある。ひとつは、不法移民対策だ。特に30万人に上る中南米系のこどもたちだ。もう一つは、こういう現状に何の手も打たない連邦議会や大統領に圧力をかけることだ」と述べている。提案支持を表明して再選された共和党のP・ウィルソン・カリフォルニア州知事は、同提案と同様の連邦法を作成すべきだと盛んに主張し、ギングリッチ共和党院内幹事は、不法移民対策強化に向けた立法化を示唆している。
しかし不法移民の大半は、米国民が嫌がる建設現場の力仕事、家事雑役、農作物の収穫作業など、さまざまな低賃金労働に従事しており、禁止されている児童の労働まで含めて徹底的に利用してきた、アメリカ経済にとって今や不可欠な労働力なのである。ワシントンのシンクタンク、都市問題研究所によれば、「連邦政府への納税分などを考慮すると中長期的には不法移民のバランスシートも、米国社会にとってプラス」の労働力である。しかし今やアメリカ社会にとってそれも受け入れ難い雰囲気が作り出されている。その背景には、黒人層やマイノリティを中心に貧困層(四人家族で年収150万円以下)は4年連続で拡大し、3900万人に達し、総人口に占める貧困者層の割合は、91年の14.1%から15.1%に上昇し、医療無保険者は4千万人にものぼるという実態がある。アメリカ社会の格差はむしろ広がっており、景気上昇過程にあるにもかかわらず、低所得者層の比率も上昇し、教育、医療、福祉への費用の攻撃が排外主義と不法移民攻撃の形をとって行われているのである。

<<新たな地殻変動の始まり>>
クリントン政権は、国内政策の目に見える具体的な成果として、国民皆保険をめざした医療保険制度改革を上げたのであるが、それは多くの庶民の期待に応えるものであったといえよう。そして事実米国民の70%以上が何らかの改革を望み、支持していたのである。しかし、民主党主導の議会においてさえ「イエス」か「ノー」かの論争に終始し、論争は何の具体的な成果も生み出さなかったばかりか、「政府の介入が強まる」とする共和党の批判や、負担増への企業や事業主の反発、民間保険会社などの反対でつぶれてしまったのである。
こうした個別問題に対する不満と政権の指導力に対する不信の高まり、さらには経済指標がよくなっても実感が全くともなわない景気回復へのいらだち、強まる格差拡大への不満の表れ、さらには増加する凶悪犯罪や政治や社会に対する先行きの不透明や不安感がクリントン政権、民主党に向けられ、大統領はもはや「失望の象徴」としか映らなくなったとも言えよう。逆に言えば、今回の結果は、冷戦体制終焉後の時代が求めている「変革」にもっと徹底して取り組むことを迫ったものだとも言える。
一方、共和党の元下院議員ウェーバー氏が語っているように「共和党はクリントンと民主党を叩くだけで、われわれは国民に問題解決の方策を示せていない」。その意味では今回の選挙は民主党の敗北ではあったが、共和党の勝利といえるものではない。事実、共和党は赤字削減への処方箋を示さないまま、大幅減税と国防支出拡大というレーガノミックスに戻れるものではないし、「銃規制反対」と「凶悪犯罪に対する断固たる措置」が両立するものでもないし、ましてや「保守政治の復権」や宗教右派政治の復権はアメリカ社会の「変革」に対立するものでしかない。これらは主張すればするほど、逆に共和党指導者に膨大な「政治的負債」となってふりかかってくるものでしかないのである。
ここに、冷戦期には互いに相互補完しあってきた民主党、共和党という二大政党政治は、ある種の機能不全、機能麻痺に陥っているといえよう。投票率が38.7%という低さにも象徴されているが、冷戦体制型の政党や政治制度に有権者は「変革」への期待や希望を抱けなくなっているのである。冷戦が終わって米国の政治経済社会のさまざまな矛盾とほころびが噴出してきたが、その多様化し複雑化する社会の矛盾や要求に、従来の二大政党制では対応しきれなくなったことを示していると言えよう。その意味では、米国の政党政治も、従来型の政党政治が崩れ始め、日本を含めた他の先進各国と同様、新たな地殻変動期に入ったと見るべきなのかもしれない。

<<クリントン政権と村山政権>>
クリントン米大統領は、共和党の要求を先取りするかのように、12月1日、96会計年度から6年間の軍事予算を総額で150億ドル増額することを発表している。大統領は政権発足当初、96年までの累計で約600億ドルの国防費削減を宣言、実行に移していた。大統領の当初予算案では後年になるごとに削減幅が拡大していたことからすれば、根本から修正した内容である。これが中間選挙敗北後の最初の対応であった。とすれば、任期後半の2年間に直面するのは「何をやるための政権か」というアイデンティティーの危機、存在意義そのものが問われている。
共和党主導の議会は、来年1月から始動するが、すでに上院外交委員長に超保守派ジェシー・ヘルムズ氏、軍事委員長に91歳の保守派ストロム・サーモンド氏が就任するとみられている。両氏は、共和党政権時代ですら、政府がまとめた米ソの軍備管理に関する合意に批判的であった。今回の米朝合意にも批判的でる。ヘルムズ氏は「クリントン大統領は軍最高指令官に不適格」「大統領が私の地元に来るならボディガードを付けた方がいい」と発言するに及んで、共和党内からも「委員長の適性に問題あり」と批判が出る人物である。議会を中心とする政策論議は共和党色の強い「タカ派路線」に戻るのは確実であろう。中間選挙の翌日、次期下院軍事委員長と目されるスペンス議員(共和党)は早速「過去二年間続いた国防無策を逆転させる」と息巻いている。国際的な安全保障案件について日本などに対する負担の要求が強まることは確実であり、新進党幹事長になった小沢氏の「普通の国」論との対応が注目されるところである。
一方、クリントン大統領は共和党の選挙公約である大幅減税と社会保障年金削減に早々とノーと言い、代わりに生活保護費抑制で医療保険改革の財源を生み出す「福祉と医療保険の抱き合わせ改革」を支持するよう求めている。議会での不毛な論争と政争の激化で、クリントン政権が有効な政策を打ち出せない事態も起こり得るし、多数派に対する拒否権の発動は国民的な支持がなければ、政治的に「死に体」となりかねいものである。クリントン大統領がおかれている切羽詰まった国内状況を見れば、外交政策や経済ナショナリズムにおいて政治的な生き残りをかけることに重点が置かれ、緊張激化政策の中でポイントを稼ぐという冷戦期の手法が頭をもたげ、それが自己目的化する危険性がなしとは言えないであろう。その意味ではクリントン政権が直面する課題は、単にアメリカ一国のものではなく、国際的な共通の課題でもある。
村山政権の置かれた状況は、クリントン政権の置かれた状況といわば二重写しともいえよう。自民党一党支配を打破した細川連立政権の登場は、時期的にも政治的にもクリントン政権の登場と軌を一にする共通性を持っていた。ところが細川政権の強権的政治手法への変質は、羽田政権を経て、以外にも自民党・社会党・さきがけの連立政権をもたらし、立場が逆転し、新進党は共和党的政治手法の小沢氏を幹事長に据えた。ある意味では村山氏は、クリントン氏と同様の状況に立たされたのである。社会党が掲げてきた平和と変革の政策が現政権においてこそ徹底して追求されなければ、もはやそのアイデンティティ、存在意義そのものがなくなるのである。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.205 1994年12月15日

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【投稿】社会党は一致して党の危機を突破すべし

【投稿】社会党は一致して党の危機を突破すべし
        ---分裂の火種消せない社会党のジレンマ---

<国会閉幕し、社会党の動向が焦点に>
見切り発車・先行離党か、と言われた兵庫の社会党国会議員の離党騒ぎがあったが、新進党の結成が予想通り世論から厳しい評価が出てくる中で、社会党を大きく分裂させないまま、「民主主義・リベラル新党」へと移行させる大きな流れができているのかな、と思われる(思いたい?)のが今日(12月10日)現在の政治状況であろうか。
新進党の年内結成が、小選挙選挙対策と政治改革法に基づく政党補助がらみであったように、新民連の性急な動きも同様であった。「もはや社会党では闘えない」と「国会に如何に戻って来るか」だけを目的とした一連の動きでは、社会党内部どころか国民的にもなんら新しい印象すら与えることはできないことは明白である。
臨時国会が終了した今日、1月中旬の通常国会までの間は、新進党の結成を受けて、むしろ舞台は社会党の党内の動きが焦点となってくる。

<新進党結成に冷たい世論>
12月10日国会議員214名を集めて新進党の結成大会が行われた。国会議員200名を越える政党の誕生は、55年の保守合同・自民党結成以来の事とは言え、国民的な反応は、不信と不安の混じった複雑なものであった。
まず、党首・幹事長選びでは、最後に至って投票による選出が行われたものの、まず小沢幹事長ありき、から始まり、旧新生党内の亀裂しかり、旧自民党の派閥抗争にも似た形だけ「民主的」、中身は派閥争いそのものと国民には映っている。新進党が、小沢や公明の縛りから如何に独立しているかを、示したかっただけ、というのが誰の眼にも明らかだからである。
旧民社党委員長大内はじめ、準備会に参加した225名から、結成時点で12名が不参加を表明し、早くも足並みは乱れている。
さらに、公明は、国会議員だけを参加させ、地方議員(約3000名と言われる)と地方党組織は「分党」と称し、自民党との「再婚」の可能性にカードを確保している。
すでに党を解党した民社、日本新党に至っては、地方組織含めて、新進党に本当に移行することができるのか、極めて疑問である。
聞けば、新進党は、300の小選挙区すべてに候補者を立て、それそれの選挙区を党の支部とし、支部長が小選挙区の党候補者が兼ねるという構想だと言われている。中央で新党結成であっても、地方に至ればなかなかまとまるには時間もかかる。(連合5年目でも故郷に固守している現状もある。まして旧新生党・公明主導が明きらかであれば、この党の今後は極めて不透明と言わざるをえない。)
また、「たゆまざる改革」とは言っても、参加した各党・個人の間に国家観や基本政策において、十分に明確な一致が果たして存在するのかも不安材料の一つとなっている。
なによりも「小沢独裁」が確保されているという事実に、「新」進よりも古い体質を国民は感じている。かつて日本新党が「新党ブーム」を創ったと同じ様なイメージはこの新進党にはかけらも感じられない、というのが国民の一般的な受けとめ方ではなかろうか。 マスコミ各紙も、党首選挙をめぐる報道や新進党結成を報じる中で、むしろこうした本当に「統一新党」になれるのか、数だけの問題で政権奪取をめざす実態に、国民はむしろ「政治不信」を強めていると警告している。

<闘う前に地方で離党・・社会党>
一方の社会党はどうか。残念ながら極めて深刻な事態と言わざるをえない。統一自治体選挙・参議院選挙を前に「社会党の看板では当選はおぼつかない」と、社会党公認より無所属でとか、社会党の来年1月の臨時大会(?)の結果を待ってなど、とにかく候補者と支持労組は動いても、党公認を現時点でも申請しない候補者が続出している。
東京では前回の統一自治体選挙では250名の候補者を擁立したが、現時点でも100名程度の候補者確定に留まっている。全国的にも同様の事態となっており、県会議員候補者がゼロというところもあると言う。
これらの議員意識を生み出しているのが、村山政権の誕生、9月臨時大会での基本政策の転換が「党内議論の徹底」で行われる事なく、「政権党になったから」などの、瓢箪から駒的に決まっていったからに外ならない。(この点では、今号の依辺論文の趣旨と私は同意見である)

<自治労後藤委員長、党内抗争を批判>
国会会期末を控えた12月8日自治労の第105回中央委員会が広島で開催されたが、挨拶に立った後藤委員長は「(社会党の状況について)政権をとって、委員長をトップに送って日本の政治の諸課題に対処すべき時期に、一部の官僚に重要問題をゆだね、ほとんど毎日党内抗争に明け暮れているという現状は情けない。・・・新しい時代の中で責任を果たすべき政治勢力をどう創るか、このことをめざして努力するのならともかく、見方によっては、永田町に帰ってくるにはどうすればいいかを念頭においた出るの、出ないのということはまことに滑稽であり、悲劇ですらある。そんな政治家は去るべきで、政治家の資格はない」と痛烈に社会党内の動きを批判した。
さらに、「①1月の臨時大会で新党結成というのは時間的に無理がある。新しい政治勢力作り、社会党の総括を支持者・国民にしっかりと説明が必要②新しい政治勢力の理念や基本政策、当面の政治課題、中長期的な課題を国民にわかりやすく提示すべきで、国民の支持を求める作業に入ることを臨時大会で決定し、新党準備会スタートを臨時大会で決めるべきだ。③さらに統一自治体選挙、参議院選挙の全党あげた体制をつくり、95宣言についても大胆な議論をすべき」とかなり踏み込んだ発言を行っている。
また、社会党分裂の動きが鎮静化したというのは誤りであり、「何かが起きるとすれば、たぶん密かに、しかも潜行する形で行われることが過去の例である」と、むしろ社会党は分裂をする危機的状況にあるとの認識で自治労は対処すると明言している。
こうした発言は、8日が新進党の党首選挙の日であり、国会会期末という状況の中、社会党の分裂は許さないとの意欲の現れと見るのが妥当と思われる。

<95宣言が示される>
そこで問題になるのが社会党の新しい基本政策である。保守2大政党ではなく、「第3極」の形成を社会党が一致して進めるとの方針の中では、村山委員長、久保書記長とも一致していると言われ、社会党は12月6日、新しい政策の基本である「95宣言(案)」を発表し、12月18日の全国代表者会議で討議し、その後組織討議を行うとしている。 95宣言起草委員会による95宣言草案は、A4で4頁という簡潔なものである。
「(1)はじめに--寛容な市民政党」では、この95宣言は「新しい政治勢力で形成する「民主主義・リベラル新党」に提示され、相互討論を通じて深化・発展される」と、新しい政治勢力のたたき台であることを明確にしている。
以下(2)基本価値と政策目標、(3)新しい社会目標、(4)新しい家庭と男女の社会的平等、(5)教育の改革・文化と宗教の自由、(6)福祉と医療の改革、(7)人権と環境、(8)地域主権の確立、(9)共生型の市場経済、(10)政治の改革、(11)外交・防衛政策の基本、(12)国際協力と国連改革、(13)むすび--新しい政治基盤と国家像、の文書が続く。
特徴的な言葉を拾えば、「新党は・・公正と国際性を重んずる寛容な市民政党」「社会民主主義者は新しい政治勢力の中で重要な役割と任務を果たす」「社会民主主義者の政治・政策判断や社会秩序形成の基準となる基本価値は、公正、共生、平和、創造である」「(新しい社会目標は)ゆとりとバランスのとれた成熟社会の実現を掲げる」「地方分権推進法の制定、自治体の自立した行財政の確立、中央省庁の簡素化と統廃合」「軍備なき世界を人類の究極の理想として掲げる」「自衛隊は合憲とし、段階的な縮小・改編に取り組む」などである。
そして、最後結びでは「日本社会党は結党以来、社会的公正と国際民主主義を求めてきた。この理念は共感を呼び、多くの成果を挙げることができた。しかし、社会主義的な反体制の思考による政策手法は、戦後資本主義のダイナミズムの前では限界があった。・・・・日本社会党はいま、その歴史を「95年宣言」に受け継ぎ、さらに新しい政治勢力を基盤により大きく、より力強く、社会民主主義の翼を広げる決意を表明する。日本社会党は政治・経済・社会のたゆまざる改革を通じて、ここに掲げる基本価値と政策目標を実現し、世界の範となる「新しい平和モデルの国」を建設する」となっている。

<社会党は、新党結成の牽引者となれ>
すでにサイは投げられた感がある。社会党という政治組織は今のままの姿でこれ以上存続することはありえない。問題はその新しい中身であり、姿である。さらに、その政策が国民の支持、もっと正確には勤労者の支持を得られるかどうかにある。
最近の党内抗争のように、単に国会議員の当選第一主義だけを印象づけるような対応では国民の支持は得られまい。また、これまでの社会党支持者からも見放されかねない。
今社会党に求められるのは、少なくとも大部分の現行勢力、国会議員を維持しつつ、新党に移行し、新しく生まれ変わる事であると思われる。(1994.12.11佐野秀夫)

(参考) 11月29日日本社会党の中執内部では以下のことが確認されたと言われている。
①政界再編成の第3極として、「民主・リベラル新党」をつくる
②新党は「新しい党」とする。党名変更ではない。
③新党は既成の政党、政治家の枠を越えて結成する。
④可能な限り広く議論し、とりまとめる。
⑤政界再編の政治状況に対応するため、できる限り急ぐ。
⑥その理念は「95宣言」に盛り込む
⑦12月中に全国代表者会議を開催する。

【出典】 アサート No.205 1994年12月15日

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【本の紹介】「スウェーデン・モデル」は何を提起しているか

【本の紹介】「スウェーデン・モデル」は何を提起しているか
       —増税論議と高福祉・高負担問題—

   「おんなたちのスウェーデン  機会均等社会の横顔」、
       岡沢憲芙著、NHKブックス、9月20日発行、980円
   「体験ルポ 日本の高齢者福祉」、
       山井和則・斉藤弥生著、岩波新書、9月20日発行、620円

「スウェーデン・モデル」は崩壊せず
去る9月18日のスウェーデン総選挙で、社会民主党は45.4%を獲得、穏健党(保守)を軸とする保守・中道連立政権の四党を合わせた41%を抑え、三年ぶりに政権復帰を果たした。3年前、91年9月の総選挙で「福祉か成長か」、「高福祉・高負担社会に未来なし」、「スウェーデン・モデルは崩壊した」と叫び、公共支出と社会福祉の削減、移民受け入れ反対、減税と経済自由化を主張して、社会民主党から政権を奪還したブルジョア4党連合が敗退したのである。しかも注目すべきことは、社会民主党は選挙直前の8月末に、雇用増大を公約すると同時に、高福祉高負担社会を維持し、財政赤字を削減するために増税提案を行って選挙に臨み、前々回の得票率(43%)を上回る支持を獲得したことである。社会民主党が、1930年代から政権を担当しなかったのは9年余りだけということになる。同時にこの選挙では、左翼党も6議席伸ばして22議席を獲得。前回は規定の4%を得られず議席を失った緑の党も18議席を獲得、全体に「左翼の風」が吹いたという状況がもたらされたことである。
当面、復帰した社会民主党政権の最大の課題は、この11月13日に実施される国民投票で、欧州連合(EU)加盟に国民の合意を取り付けることであるが、左翼党と緑の党はEU加盟に反対しており、またボルポ、ユリクソンなど大企業4社首脳が増税実施の場合は企業の国外移転を実施すると警告し、社会的危機を煽り立てていることである。政治的力関係も複雑に入り組んでおり、単純ではない。
しかし、税金と負担金の合計が所得の60%にも及び、25%という世界最高の消費税率によって維持されてきた「スウェーデン・モデル」は、保守連合政権によっても突き崩すことは出来ず、国民の多くはその継続と強化をあらためて支持したのである。いくらか変化しつつあるとはいえ、日本の政治状況ではとても考えられない事態である。ここに紹介する二書は、今回の選挙以前の状況であるが、いずれもなぜ「スウェーデン・モデル」が確固として社会に根付き、支えられているかを具体的に明らかにしてくれる。いずれも日本の現実との対比が鮮やかである。そこから日本社会に提起される両者の具体的提言は、賛否相半ばするかと思われるが、傾聴に催するものである。以下、その政策的提言にしほって両書を紹介しよう。

「三つの連帯」

岡沢氏は三つの連帯の必要性について強調する。
「一つは世代間の連帯、自分達は成長と繁栄を享受し、次の世代には膨大な国債のツケを回すという政策はいずれ持続不可能」である、と指摘する。この点については、高齢化社会が差し迫ったものであり、初期高齢化の段階である7%から14%に到達するまでに、スウェーデンは約80年間かかったが、日本はわずか25年間でそれに到達する。具体的な政策課題として、高齢者介護と家族のあり方、ホームヘルパー制度の整備と在宅介護システムの整備、サービス・ハウスや世代間交流を大切にした機能的な集合住宅の建設、生涯学習環境の整備、国民背番号制度の導入とプライバシー保護、そして真の豊かさを目指した労働環境・住宅環境・余暇環境・通勤環境の整備、社会資本の充実及び自然保護、等を上げ、こうした課題について「自分の問題として考えようとしないこうした態度こそが、自己選択・自己決定・自己投資の精神を鈍らせ、合意形成を困難にし、急がなければならない社会資本の充実を大幅に遅らせる重大な理由になっている」と断ずる。
「もう一つは国境線もしくは国籍線を超えた連帯」の重要性について触れ、外国人労働者の受け入れ問題とその福祉体制、在住外国人への選挙権・被選挙権付与という政策的課遭を提起する。
「そして女と男の連帯である。」岡沢氏の今回の著書の重点はここに置かれている。これなくして社会の活性化はありえない。女性環境の整備、女性の社会参加こそが「スウェーデン・モデル」を支えている。日本においても「どういう迂回路を経由しても究極は、専業主婦業界の縮小・解体を進めることになろう。配偶者扶養控除限度額制度の抜本的見直しや廃止、全ての成人が確定申告の対象になる個人納税制度、それに在宅介護専従主婦の有給化などが、いずれ具体的な政策課題となろう」と指摘する。
斉藤氏は、「スウェーデンでは高齢化につれて、女性市町村議員の数が増加してきた。女性市会議員の比率は全国平均で33%(1993年)、女性議員の比率が50%を越える市も誰生している」ことを紹介し、福祉についての大きな権限が自治体に移された社会では、政治家は「地域の顔役」や「名誉職」ではつとまらないし、ましてや男性だけにまかせてはおれないことを明らかにしている。

「税金観から問い直す必要」
岡沢氏はこうした政策課題との関連で、高福祉・高負担の問題を提起する。「日本では先ず、税金観から問い直す必要がありそう。町税金は何でも反対」「間接税増税は公約違反だから絶対反対」。ここからのスタートはしんどい。せめて「増税何でも反対」という未熟な公約を提出する政党の無責任を問うべきかもしれない。「政権を取るまでは財源論は不要」という政党政治こそ問題」と主張する。
山井氏も「福祉充実を訴える以上は、人間らしく老いるために必要なコストを負担する姿勢が必要だ。「行政改革して無駄を削れば、福祉財源は増やせる。新たに負担する必要はない」という意見もある。「行政改革をして無駄を削る」ことには私も賛成だが、そのことと福祉財源を増やすこととは切り離して論議すべきだと思う。行政改革が進まない限り、お年寄りが人間らしく暮らせない、というのは筋が通らない。必要な負担はして、権利として介護を受けよう。そして人間らしく老いる権利も主張しよう」と述べる。
岡沢氏は同時に、「『福祉先進国がそうだから』」では税率アップの根拠にならないであろうし、「公約違反だから絶対反対』では、その程度の政治家を選出した有権者の力量も問われる必要がある。超高速高齢化の到来は誰もが予測できたのであるから。ましてや『政治や行政が信用できないから、絶対反対』といわれると、『高齢者福祉はめいめいが勝手にどうぞ』になってしまう。その末路は余りにも悲惨である。とにかく、<説得・納得・合意>の政治の時代である」ことを確認する。
しかし、日本では増税論議の前提であるこの<説得・納得・合意>がなきに等しきか、完全に欠落しているような状況である。スウェーデンでは、情報公開や情報アクセス権の確率、データ法によるプライバシー保護、新開への公庫補助制度、プレス・オンブズマン制度などの工夫は、倫理間の強い政治業界の風土とあいまって、「見える政治」「開かれた政治」を支え、それが「わかりやすい政治」「納得できる政治」を加速させている。岡沢氏は、「そうでなければ、だれが25%もの間接税を払うだろうか」と強調する。

決定権力は「可能な限り、
市民の日常生活の近くに」

当然、市民と政治の間の、説得・納得・合意という手順が、負担と貢献の意欲につながることはいうまでもない。とすれば、決定権カは「可能な限り、市民の日常生活の近くに」というのが大原則にならなければならない。分権が当然の帰結なのである。
岡沢氏によれば、現実にスウェーデンの自治体パワーは大きい。消費量でGNPの19%。これはパブリック・セクターの全消費の71%に当たる。「小さな中央政府・大きな地方政府」のフレーズ通りである。歳出はGNPの25%。これはパブリック・セクターの全歳出の39%に当たる。そして、雇用については労働市場の27%。これはパブリック・セクターの全雇用数の72%に当たる。多くのコミューンでは、最大の雇用体がコミューンそのものとなっている。地方自治体の収入の大部分は地方税と国庫補助金、それに料金収入である。1991年の税制改革で年収約20万クローナ以下の所得層は約30%の地方所得税だけでよくなった。それ以上の所得層はそれに加えて20%の国所得税を納入する。給与所得層の約10人に二人弱くらいしかこれに該当しないので、多くの市民は地方税だけということにな
る。税制自体も地方重視になっているのである。
斉藤氏によれば、現在スウェーデンには23県(ランステイング)、286市(コミューン)が存在する。市は大きな自主財源と権限を持って、生活関連サービスを担当している。市の平均人口は約3万人である。市は自主財源を持つので、固からの補助金がなくても、市民のこ-ズをいち早く施策化することができる。
そしてこれは重要なことだと思われるのだが、スウェーデンの地方議員のほとんどが「兼業議員」である。圧倒的に多いのは、政党を問わず、教員で市職員、サラリーマン、民間労働者、医療福祉関係者と続く。政治家としての給料は、公的な会議へ出席した時間で計算される。ベタショー市(スウェーデン南部、人口7万人)の場合は、時給130クローナ。市議会は月に一度、各委員会の会議が毎週あるとしても、議員だけの給料ではとても生活できない。(1クローナ=約13-14円)
斉藤氏は、こうしたことによって「現場の声が政治に反映されている」というよりも、むしろ「現場の声が政治を動かしている」と指摘する。
以上、両書のごく一端を紹介したに過ぎないが、それでも現在の日本の状況からすれば、充分に刺激的な問題提起と言えるのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.204 1994年11月15日

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【社会時評】2つの生誕百年  江戸川乱歩とダシール・ハメット

【社会時評】2つの生誕百年  江戸川乱歩とダシール・ハメット

今年1994年は、江戸川乱歩生誕百年である。乱歩が主人公の映画「Rampo」が、フェモロンの香りを出すということで話遺を呼んだり、ミステリー雑誌が特集号を縮んだり、かなり世間一般には乱歩生誕百年が知れ渡っているようである。しかし何よりも少年探偵読
物—少年探偵団、明智小五郎、小林少年、怪人二十面相等—が乱歩の名前を伝説的にしている。これらの読物が発売された当時といっても怪人二十面相が最初にデビューしたのは、1936年(昭11)であるからかなり昔ということになる—-から、少年達にとっては、乱歩と明智小五郎の区別がつきにくいほど、乱歩は彼らの心の中に住んでいるのである。
この乱歩は、わが国の探偵小説(デテクティブ・ノベルズ—推理小説)の草分け的存在であり、当時としては最新の心理学理論—異常心理学、深部(深層)心理学、精神分析等—を駆使して自ら探偵小説を創作するとともに内外の作品を精力的に紹介して、わが国の探偵小説の確立に大いに貢献した。そしてこの系譜は、過去何回かのブームを経て、現在も受け継がれている。
その乱歩の生誕百年ということは、わが国の推理小説界を乱歩がたどった足跡を手がかりに、しばし考えてみる機会が与えられたということであろう。そこで現在発行されているr江戸川乱歩全集J(全25巻、講談社)をはじめ、文庫本等によって乱歩の作品を読み返してみると、乱歩が目指したものは、探偵小説というものの性格上、ストーリー、トリック、謎解きの面白さであることはもちろんのことであるが、それ以上に人間の心理のそこにある何かではなかったか、と思われる。すなわち日常普通の人間の心理では表面化しないが、その人間の心の奥底に轟いている暗闇のような欲望、自分でも気付かないままに捉えられている欲望こそが、乱歩の珠究の対象であったと言えるのである。そのことは、初期の本格物と呼ばれる作品においてさえ、加虐性、被虐性、性格異常といったテーマに事欠かないばかりでなく、時代が下るにしたがってその要素が大きな比重を占めるようになり、一種異様な雰囲気、独特の生臭さがただよってくることが示している。
人間の心理の奥底にかかる暗闇を見、それをテーマに作品を書くという乱歩の姿勢は、乱歩自身が自らの創作態度について語っている、自分自身について知るということと密接な関係がある。つまり乱歩は、われわれは日頃自分自身についてほとんど知らないままに生活していて別に不思議とも思っていないが、実は自分についてこれほど知らないということは問題ではないが、だから最も大事なものは自分自身である以上、自分についてもっとよく知ることが必要である、ということを語っているが、(「探偵生活四十年)、その自分自身の探究、すなわち人間の心理の根底に潜む傾向の探究が、乱歩の作品を支えているのである。だから乱歩のテーマには、日常から見て異常な状態である犯罪、殺人を扱いつつも、それをさらに異常な猟奇にまで追い詰めていくものが多い。
それ故かかる乱歩の文学は、自己の内部に閉じこもる文学であり、現実から逃避する文学であった。従ってそれがそのような傾向を有する限り、現実の社会とは隔離されたところで—-乱歩のイメージを借りれば、土蔵の中でローソクの光をたよりに読むような文学として—-存在すればよく、政治、経済、階級等々とは何の関係も持たずともよかったのである。
しかし現実には、乱歩の方でそのような姿勢をとっていたとしても当時の日本の時代の方が彼をからめとり、引きずっていくのである。すなわち乱歩の活躍した時代とは、あの1930年代であって、日本が大恐慌から侵略戦争へとドロ沼への道を歩んでいるときであった。その時期に乱歩は、社会に背を向け、ひたすら自分自身に閉じこもることで自分を珠究しようとしたのである。しかしこのような乱歩ですら、戦争への遣をゆく日本帝国主義にとっては目障りな存在であり、社会的風潮に逆らうものとして弾圧するべき対象と映ったのである。そして実際戦争が急を告げるとともに、乱歩のほほ全作品が禁本となり、乱歩は実際上執筆活動を断念せざるを得なかったのである。
その禁が解けるのは日本の敗戦を待つまでなかったのであるが、このような悲劇が、乱歩に限らず日本の文学、ジャーナリズムのいたるところで起こっており、今なお問題が解決されていない部分がある。われわれは、この乱歩の姿勢とそれがもたらした結果にどのような教訓を見るべきであるのか。自己の内面追求という主観的意図と現実の社会の客観的な動きとの関係を、乱歩の文学をひとつの例として考えていくことができるのではないだろうか。
さて生誕百年を迎えたもう一人の推理作家は、ダシール・ハメツト(DashiellHammett)である。ハメツトは、近年ハード・ボイルドの先駆者として評価が定まりつつあり、アメリカ社会に対する批判的作家として本格的な研究がなされている。わが国でも、「マルタの鷹」「赤いい収穫(血の収穫)」等の作品はよく知られている。
ハード・ボイルドは、この後レイモント・チヤンドラー、ロス・マクドナルドなどの作家を得て全盛時代を迎えることになるが、彼らに共通しているのは、その乾いた文体とともに、当時のアメリカ社会に対する批判的視点であり、同じ30年代の作品として比べてみれば乱歩との相違は歴然としている。腐敗堕落したアメリカの都市を舞台に、大上段で正義を主張するわけではない(実際、裏取引も、脅迫も、はったりも行うし、また暴力を是認する姿勢もあって、この点に関しては議論が必要である)が、しかし腐敗—権力の腐敗と同時に左翼の腐敗も—をそれなりに暴き、自己を主張していくハメツトの主人公達は、ニヒルな面を持ちつつも現実社会に生きる人間として描かれている。
ハメツトの作家としての活動は、デビューした頃のいくつかの長編と後にまとめられた短編集を残すのみで割合に短命で、その後にはまったく作家活動をしていない—その理由としては、全米的に知られた人物として、さまざまな社会運動に参加し続けている。
たとえば、第二次世界大戦の時期には、スペイン人民戦線支援やユダヤ人迫害反対運動と関わり、戦後の「赤狩り」の時代には非米活動調査委員会での査問会に召喚されたが抵抗し、投獄される目にもあっている。
このようにハメツトには、作品の内外を問わずアメリカ社会を批判するという姿勢が貰かれており、その後継者たちにも、批判的視点が脈打っている。現在アメリカで流行している推理小説にも、アメリカ社会のさまざまな現実—中央や地方の政治の実態、法廷の内幕、警察の腐敗、下層社会の貧困、人種差別、麻薬や銃社会のもららす歪み等-を背景にしたものが多いのもそのあらわれと言えよう。われわえは、これらの作品を読むことで、アメリカの病根を認識するとともに、それを克服しようとする民主主義の伝統を感じとることができるのである。
以上日米2人の推理小説作家の生誕百年について簡単に触れてきたが、これらを比べてみて、自己の内面に沈潜していった乱歩と、社会批判の目を持ち続けたハメツトとは対照的な姿勢の作家であると言えよう。すなわちそれは、一方では自己の内面に閉じこもろうとした乱歩でさえ弾圧する日本帝国主義の悪辣さとそれに屈服せざるを得ない文学の姿勢を、また他方では社会批判を堅持しつつ民主主義を叫ぶ文学の姿勢を示している。そしてこの伝統が今もなおそれぞれの国の推理小説に根強く生き残っていることを否定することはできない。
推理小説が、事件・謎解き・解決というゲーム的性格を有し、読物という娯楽的性格を持たねばならないことは言うまでもないが、それはまた、謎(ミステリー、非合理)を推理(理性)によって解いていく合理的な性格をもあわせ持たねばならない。そしてその謎、事件は抽象的次元においてではなく、具体的な現実に生起するとされる以上、その時代の社会的状況を反映せざるを得ない。ここに推理小説が現実の社会状況と関わる接点がある。この現実の状況を推理作家がどれだけ認識しているのかどうかが、さらには推理作家自身が置かれている状況そのものが問われなければならない。
わが国でブームが続いている推理小説が、一部マニアの同好会や、大衆のたんなるゲーム的な気晴らしに読まれる読物に終わってしまうという傾向を脱するためには、乱歩ではなく、ハード・ボイルド文学が踏まえた視点を、日本的な眼で考える必要があろう。ただこの動きが、最近の新進作家の一部に見られるということで明るい展望がなくもないということだけは指摘できるであろう。(R)

【出典】 アサート No.204 1994年11月15日

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【投稿】米朝合意の後にくるもの

【投稿】米朝合意の後にくるもの 

<画期的な合意ではあるが>
アメリカと北朝鮮の「核疑惑問題」解決に向けた合意は、朝鮮半島における当面の危機を回避し、今後の平和的安定関係構築に向けた基礎を創ることに、取りあえずは成功したといえるだろう。
アメリカは、NPT体制の維持と軽水炉転換という制度的、技術的な二重の封印を張ることによって、北朝鮮の将来の核兵器保有の道を閉ざした。一方北朝鮮は冷戦時代末期、社会主義体制の崩壊で国際的孤立を深め危機感をつのらせるなか、ほぼ確実に核兵器開発を指向した過去を封印し、経済基盤の安定につながる手形を引き出すことに成功したのである。
しかしその時間的猶予は5年であり、特別査察が実施されるまでに、残された課題が全て解決されるかはまだまだ不透明と言わざるを得なし、その鍵は交渉当事国以外が握っているのである。
それは当時国の利害の一致と裏腹に、韓国と日本が軽水炉転換に伴う多額の資金援助を負担する方向になったことだ。中国やロシアも何らかの形でこうした支援体制にコミットするであろうが、経済的負担の大部分は日韓両国が受け持つことに変わりはないだろう。

<あり得ないシナリオ>
ここで示され、了解されているのは、北朝鮮が核兵器を保有することにより、日本と韓国が重大な危機に陥らないためには「受益者負担」は当然という考えである。しかし、キムヂョンイルの「何をするか判らない」という個人的資質を持って、北朝鮮が日韓に対する軍事的冒険に打って出ることを論議の前提とするのは、あまりに拙速である。
なぜなら過去の軍事的冒険である朝鮮戦争当時と現在では、状況がまったく違っているからだ。ロシア、中国の支援はおろか、食料、燃料、弾薬さえ満足になく、そのうえ国家№2の実力者であるオジンウ人民武力相が「末期癌」で明日をも知れない体とあっては、とても戦争はできまい。
だからこそ、北朝鮮はキムイルソン死去までの「和戦両様」の交渉戦術から、明らかにアメリカとの妥結を目的とした方向へと転換したのである。アメリカもそうした舞台裏を熟知しての交渉を行ないながら、どこか第三者的な振る舞いが目につくのは、紛争当事者にはなることがないという条件と、経済的負担を回避したいという事情に動かされているからだ。

<北朝鮮の危機と中露の責任>
そもそも、北朝鮮が戦争という手段をとれないまま経済的に破綻していくことにより、韓国の次に大きな影響を受けるのは、海で隔てられた日本よりも陸続きの中国やロシアである。よく北朝鮮崩壊のシュミレーションとして、大量の難民が日本に押し寄せるという図式が描かれるが、中国、ロシアへは全然桁違いの人数が向かうだろう。
そうなれば、自国の経済的事情もけっして余裕があるとはいえない両国は、局地的なパニックが発生する危険性がある。こちらの方が軍事的な衝突よりもよほど可能性が高いわけで、そうなると中国・ロシアが日本以上の経済的負担を被ってもらうのが筋ということになる。また、そもそも北朝鮮に核技術や多大な軍事援助を行ってきた両国、とりわけ旧ソ連の後継者たるロシアの責任は厳しく問われなければならない。

<日本の立場と責任>
しかし、現実問題として中露の経済協力が期待できないなかで、結局日本は相当の負担をする事になるだろうが、今回は金は出すが口は出さない、という対応では済まされない。
日本に求められる対応は、過去の植民地支配を精算して、米、中、露と対等の立場に立ったうえで、各国や北朝鮮に対しても主張すべき点は主張すること、そして北東アジアの総合的安全保障体制のプランを積極的に提起していくことである。ただ社会党、自民党の底流にある北偏重、植民地支配肯定を精算することなしの「合作」などは直ぐに破綻するだろう。 (大阪O)

【出典】 アサート No.204 1994年11月15日

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【投稿】社民・リベラル新党と3極構造の産みの苦しみ

【投稿】社民・リベラル新党と3極構造の産みの苦しみ

55年体制の崩壊から95年体制への移行は、小沢の社会党いじめが裏目に出て、自社さきがけ連立政権が生まれたことから混迷を深めている。政権に復帰した自民党は、復権を果たした竹下の支配のもとで新・新党に対抗する選挙戦の青写真を仕上げつつあり、一方小沢に対する緊急避難で連立政権をつくった社会党は、選挙協力の可能性が少ないことが明確になればなるほど社民・リベラル新党に傾斜せざるを得なくなっている。来年予想される総選挙は、復活した自民党の独り勝ちか、反自民の選挙協力かというせめぎあいが続いている。いずれにしても、戦後体制の崩壊はいよいよカウントダウンに入り、国民のために新しいビジョンを打ち出すことができる党が生まれるのかどうかを、今こそしっかりと見つめ参画しなければならない。

○動きだした政界再編第2幕
小選挙区比例代表並立制の衆議院通過によって、政界再編の第2幕が俄然活気を帯びてきた。しかし、12月の結成を目前にした新・新党の中で公明党が、任期を3年半残す参議院議員11人と約2000人の地方議員、600人の党職員は新たな公明新党に残すという「分党」=二股膏薬方式を掲げる他、今や落日の日本新党や支持率低下が著しい新生党に、党内矛盾を抱えたままついてきた民社党という寄せ集め集団に国民が大きな期待を懐けなくなっている。新党の政策も各政党の従来の政策の寄木細工であり、新保守から社民まで幅広い勢力が反自民という一点で集まった第2自民党となっている。したがって明確な理念も思い切った政策も期待できないうえに、自民党に秋波を送る公明党の動きに結党前から白けた雰囲気が漂い始めている。
連立与党側はと言えば、竹下復権で総選挙への準備を固める自民党も、社会党の山花前委員長の新民主連合結成から離党=新党づくりの活発化によって村山連立政権の瓦解をくい止めるのに必死である。また自民党・社会党・さきがけの連立政権をつくるまでは勢いの良かった新党さきがけも、国民の前に新しい時代を開くビジョンを未だに打ち出せないばかりか、自民党の前では日に日に影が薄くなりつつある。
村山内閣の支持率は39パーセントと少し不支持率を上回っているが(11月6、7日朝日新聞調査)、国民の中には社会党に対する失望感が広がりはじめている。連立政権とは言え党首が首班の内閣をつくりながら社会党の従来の主張をほとんど実現できないばかりか、消費税の引上げを打ち出すという公約破りの姿勢について不満が募っている。そんな不満に拍車をかけているのが非武装中立放棄・日米安保容認、自衛隊合憲、原発容認など方針を大転換しながら何故か今だに続く党内抗争である。左右両派の派閥抗争はお家芸とはいえ、左右の政策の対立がなくなったにもかかわらず新民主連合の結成に相変わらずの派閥抗争を見て失望をしている。

○社会党右派の社民リベラル新党づくり
時代の変化を無視して、あくまで従来の社会党の路線を継承するのは護憲新党であり、冷戦後の世界に対応した新しい政治が求められている状況下で社民勢力が生き残る道は、連合をバックにした社民リベラル新党しかないということが右派を中心とした認識である。この背後には7単産(全逓、情報労連、電気連合、電力総連、鉄鋼労連、自動車総連、ゼンセン同盟)がついていて、集団離党→新党結成→新・新党との連携へという目論見をもっていた。一方、自治労を中心に新民主連合の動きに警戒をしている労組は、党分裂=村山政権崩壊を恐れるとともに、旧同盟系の狙う小沢主導の新・新党への合流を阻もうとしているからだ。
つまり新民主連合を解剖すれば①旧連立勢力の新・新党との連携を深めることを意図したグループ(松前仰・左近正男・など旧新政策懇話会=数人)②新党はつくるが、自民党、新・新党とは一線を画す勢力(自社連立に反対し改革を推進する連立政権を実現する会=本岡昭次氏ら数人)③社会党内にとどまり民社党などからの離党者を吸収し、力を蓄えてから新党に移行する考えの勢力(五島正規・岩田順介・佐藤観樹氏ら約20数人)に別れているようだ。

○社民リベラルの行方
政権を取った自民党の社会党安楽死作戦は、このまま行くと来年の統一自治体選挙を前にした社会党分裂=村山政権崩壊という自民党にとっては総選挙にやや不利な状況を生む可能性がでてきた。国民にとっては自民党と反自民の対立というよりも、時代に対応した争点を明確にした闘いを期待したいところである。しかし現実には、政権に復帰して息を吹き返している55年体制の亡霊=自民党をまず崩壊させるために、反自民の統一戦線でまず自民党の息の根を止める小選挙区選挙をする必要がある。
次回の選挙で自民党の敗北=党分裂を導いてから、自民党タカ派と新・新党のタカ派の合流による「新保守党」の誕生と自民党ハト派と新・新党ハト派による「新リベラル党」の誕生、そして旧社会党右派と旧民社党一部を中心とした社民政党の誕生につながることが最も国民にわかりやすい政治になるのではないか。そのためには来年に予想される総選挙で、各候補者が政治改革や福祉や環境あるいは人権、平和についてどのような考えかたを持ち行動をしているのかを国民がしっかりと見つめていく必要がある。小選挙区選挙になることによって、候補者の政策や人格に対する有権者の目がより厳しくなるのは必至である。そして小選挙区のただ独りの代表者が国の官僚に対する発言力を強め、結束して地方分権のために国家官僚の解体と地方への分散に取り組むように有権者の闘いを強めていく必要がある。政治改革は、まだ始まったばかりである。(94年11月11日大阪M)

◆リベラル、新保守、社民の3極の政策の相違 (インサイダー№327 より抜粋)

対立軸   リベラル 新保守  社民
福祉 福祉国家 自立・自助  分権型福祉社会
政府 大きな政府  小さな政府  小さな政府・大きな自治体
税制 国税中心の累進課税 間接税中心の一律課税 地方税中心の総合累進課税
分権 中央集権の是正 上からの分権論  下からの分権論
貿易 管理による可能な限りの自由貿易 構造改革による徹底した自由貿易 混合公正貿易
安保自衛隊 軽武装経済優先 武装平和 普遍的安全保障による非武装

【出典】 アサート No.204 1994年11月15日

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