【投稿】社会党は一致して党の危機を突破すべし

【投稿】社会党は一致して党の危機を突破すべし
        ---分裂の火種消せない社会党のジレンマ---

<国会閉幕し、社会党の動向が焦点に>
見切り発車・先行離党か、と言われた兵庫の社会党国会議員の離党騒ぎがあったが、新進党の結成が予想通り世論から厳しい評価が出てくる中で、社会党を大きく分裂させないまま、「民主主義・リベラル新党」へと移行させる大きな流れができているのかな、と思われる(思いたい?)のが今日(12月10日)現在の政治状況であろうか。
新進党の年内結成が、小選挙選挙対策と政治改革法に基づく政党補助がらみであったように、新民連の性急な動きも同様であった。「もはや社会党では闘えない」と「国会に如何に戻って来るか」だけを目的とした一連の動きでは、社会党内部どころか国民的にもなんら新しい印象すら与えることはできないことは明白である。
臨時国会が終了した今日、1月中旬の通常国会までの間は、新進党の結成を受けて、むしろ舞台は社会党の党内の動きが焦点となってくる。

<新進党結成に冷たい世論>
12月10日国会議員214名を集めて新進党の結成大会が行われた。国会議員200名を越える政党の誕生は、55年の保守合同・自民党結成以来の事とは言え、国民的な反応は、不信と不安の混じった複雑なものであった。
まず、党首・幹事長選びでは、最後に至って投票による選出が行われたものの、まず小沢幹事長ありき、から始まり、旧新生党内の亀裂しかり、旧自民党の派閥抗争にも似た形だけ「民主的」、中身は派閥争いそのものと国民には映っている。新進党が、小沢や公明の縛りから如何に独立しているかを、示したかっただけ、というのが誰の眼にも明らかだからである。
旧民社党委員長大内はじめ、準備会に参加した225名から、結成時点で12名が不参加を表明し、早くも足並みは乱れている。
さらに、公明は、国会議員だけを参加させ、地方議員(約3000名と言われる)と地方党組織は「分党」と称し、自民党との「再婚」の可能性にカードを確保している。
すでに党を解党した民社、日本新党に至っては、地方組織含めて、新進党に本当に移行することができるのか、極めて疑問である。
聞けば、新進党は、300の小選挙区すべてに候補者を立て、それそれの選挙区を党の支部とし、支部長が小選挙区の党候補者が兼ねるという構想だと言われている。中央で新党結成であっても、地方に至ればなかなかまとまるには時間もかかる。(連合5年目でも故郷に固守している現状もある。まして旧新生党・公明主導が明きらかであれば、この党の今後は極めて不透明と言わざるをえない。)
また、「たゆまざる改革」とは言っても、参加した各党・個人の間に国家観や基本政策において、十分に明確な一致が果たして存在するのかも不安材料の一つとなっている。
なによりも「小沢独裁」が確保されているという事実に、「新」進よりも古い体質を国民は感じている。かつて日本新党が「新党ブーム」を創ったと同じ様なイメージはこの新進党にはかけらも感じられない、というのが国民の一般的な受けとめ方ではなかろうか。 マスコミ各紙も、党首選挙をめぐる報道や新進党結成を報じる中で、むしろこうした本当に「統一新党」になれるのか、数だけの問題で政権奪取をめざす実態に、国民はむしろ「政治不信」を強めていると警告している。

<闘う前に地方で離党・・社会党>
一方の社会党はどうか。残念ながら極めて深刻な事態と言わざるをえない。統一自治体選挙・参議院選挙を前に「社会党の看板では当選はおぼつかない」と、社会党公認より無所属でとか、社会党の来年1月の臨時大会(?)の結果を待ってなど、とにかく候補者と支持労組は動いても、党公認を現時点でも申請しない候補者が続出している。
東京では前回の統一自治体選挙では250名の候補者を擁立したが、現時点でも100名程度の候補者確定に留まっている。全国的にも同様の事態となっており、県会議員候補者がゼロというところもあると言う。
これらの議員意識を生み出しているのが、村山政権の誕生、9月臨時大会での基本政策の転換が「党内議論の徹底」で行われる事なく、「政権党になったから」などの、瓢箪から駒的に決まっていったからに外ならない。(この点では、今号の依辺論文の趣旨と私は同意見である)

<自治労後藤委員長、党内抗争を批判>
国会会期末を控えた12月8日自治労の第105回中央委員会が広島で開催されたが、挨拶に立った後藤委員長は「(社会党の状況について)政権をとって、委員長をトップに送って日本の政治の諸課題に対処すべき時期に、一部の官僚に重要問題をゆだね、ほとんど毎日党内抗争に明け暮れているという現状は情けない。・・・新しい時代の中で責任を果たすべき政治勢力をどう創るか、このことをめざして努力するのならともかく、見方によっては、永田町に帰ってくるにはどうすればいいかを念頭においた出るの、出ないのということはまことに滑稽であり、悲劇ですらある。そんな政治家は去るべきで、政治家の資格はない」と痛烈に社会党内の動きを批判した。
さらに、「①1月の臨時大会で新党結成というのは時間的に無理がある。新しい政治勢力作り、社会党の総括を支持者・国民にしっかりと説明が必要②新しい政治勢力の理念や基本政策、当面の政治課題、中長期的な課題を国民にわかりやすく提示すべきで、国民の支持を求める作業に入ることを臨時大会で決定し、新党準備会スタートを臨時大会で決めるべきだ。③さらに統一自治体選挙、参議院選挙の全党あげた体制をつくり、95宣言についても大胆な議論をすべき」とかなり踏み込んだ発言を行っている。
また、社会党分裂の動きが鎮静化したというのは誤りであり、「何かが起きるとすれば、たぶん密かに、しかも潜行する形で行われることが過去の例である」と、むしろ社会党は分裂をする危機的状況にあるとの認識で自治労は対処すると明言している。
こうした発言は、8日が新進党の党首選挙の日であり、国会会期末という状況の中、社会党の分裂は許さないとの意欲の現れと見るのが妥当と思われる。

<95宣言が示される>
そこで問題になるのが社会党の新しい基本政策である。保守2大政党ではなく、「第3極」の形成を社会党が一致して進めるとの方針の中では、村山委員長、久保書記長とも一致していると言われ、社会党は12月6日、新しい政策の基本である「95宣言(案)」を発表し、12月18日の全国代表者会議で討議し、その後組織討議を行うとしている。 95宣言起草委員会による95宣言草案は、A4で4頁という簡潔なものである。
「(1)はじめに--寛容な市民政党」では、この95宣言は「新しい政治勢力で形成する「民主主義・リベラル新党」に提示され、相互討論を通じて深化・発展される」と、新しい政治勢力のたたき台であることを明確にしている。
以下(2)基本価値と政策目標、(3)新しい社会目標、(4)新しい家庭と男女の社会的平等、(5)教育の改革・文化と宗教の自由、(6)福祉と医療の改革、(7)人権と環境、(8)地域主権の確立、(9)共生型の市場経済、(10)政治の改革、(11)外交・防衛政策の基本、(12)国際協力と国連改革、(13)むすび--新しい政治基盤と国家像、の文書が続く。
特徴的な言葉を拾えば、「新党は・・公正と国際性を重んずる寛容な市民政党」「社会民主主義者は新しい政治勢力の中で重要な役割と任務を果たす」「社会民主主義者の政治・政策判断や社会秩序形成の基準となる基本価値は、公正、共生、平和、創造である」「(新しい社会目標は)ゆとりとバランスのとれた成熟社会の実現を掲げる」「地方分権推進法の制定、自治体の自立した行財政の確立、中央省庁の簡素化と統廃合」「軍備なき世界を人類の究極の理想として掲げる」「自衛隊は合憲とし、段階的な縮小・改編に取り組む」などである。
そして、最後結びでは「日本社会党は結党以来、社会的公正と国際民主主義を求めてきた。この理念は共感を呼び、多くの成果を挙げることができた。しかし、社会主義的な反体制の思考による政策手法は、戦後資本主義のダイナミズムの前では限界があった。・・・・日本社会党はいま、その歴史を「95年宣言」に受け継ぎ、さらに新しい政治勢力を基盤により大きく、より力強く、社会民主主義の翼を広げる決意を表明する。日本社会党は政治・経済・社会のたゆまざる改革を通じて、ここに掲げる基本価値と政策目標を実現し、世界の範となる「新しい平和モデルの国」を建設する」となっている。

<社会党は、新党結成の牽引者となれ>
すでにサイは投げられた感がある。社会党という政治組織は今のままの姿でこれ以上存続することはありえない。問題はその新しい中身であり、姿である。さらに、その政策が国民の支持、もっと正確には勤労者の支持を得られるかどうかにある。
最近の党内抗争のように、単に国会議員の当選第一主義だけを印象づけるような対応では国民の支持は得られまい。また、これまでの社会党支持者からも見放されかねない。
今社会党に求められるのは、少なくとも大部分の現行勢力、国会議員を維持しつつ、新党に移行し、新しく生まれ変わる事であると思われる。(1994.12.11佐野秀夫)

(参考) 11月29日日本社会党の中執内部では以下のことが確認されたと言われている。
①政界再編成の第3極として、「民主・リベラル新党」をつくる
②新党は「新しい党」とする。党名変更ではない。
③新党は既成の政党、政治家の枠を越えて結成する。
④可能な限り広く議論し、とりまとめる。
⑤政界再編の政治状況に対応するため、できる限り急ぐ。
⑥その理念は「95宣言」に盛り込む
⑦12月中に全国代表者会議を開催する。

【出典】 アサート No.205 1994年12月15日

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【本の紹介】「スウェーデン・モデル」は何を提起しているか

【本の紹介】「スウェーデン・モデル」は何を提起しているか
       —増税論議と高福祉・高負担問題—

   「おんなたちのスウェーデン  機会均等社会の横顔」、
       岡沢憲芙著、NHKブックス、9月20日発行、980円
   「体験ルポ 日本の高齢者福祉」、
       山井和則・斉藤弥生著、岩波新書、9月20日発行、620円

「スウェーデン・モデル」は崩壊せず
去る9月18日のスウェーデン総選挙で、社会民主党は45.4%を獲得、穏健党(保守)を軸とする保守・中道連立政権の四党を合わせた41%を抑え、三年ぶりに政権復帰を果たした。3年前、91年9月の総選挙で「福祉か成長か」、「高福祉・高負担社会に未来なし」、「スウェーデン・モデルは崩壊した」と叫び、公共支出と社会福祉の削減、移民受け入れ反対、減税と経済自由化を主張して、社会民主党から政権を奪還したブルジョア4党連合が敗退したのである。しかも注目すべきことは、社会民主党は選挙直前の8月末に、雇用増大を公約すると同時に、高福祉高負担社会を維持し、財政赤字を削減するために増税提案を行って選挙に臨み、前々回の得票率(43%)を上回る支持を獲得したことである。社会民主党が、1930年代から政権を担当しなかったのは9年余りだけということになる。同時にこの選挙では、左翼党も6議席伸ばして22議席を獲得。前回は規定の4%を得られず議席を失った緑の党も18議席を獲得、全体に「左翼の風」が吹いたという状況がもたらされたことである。
当面、復帰した社会民主党政権の最大の課題は、この11月13日に実施される国民投票で、欧州連合(EU)加盟に国民の合意を取り付けることであるが、左翼党と緑の党はEU加盟に反対しており、またボルポ、ユリクソンなど大企業4社首脳が増税実施の場合は企業の国外移転を実施すると警告し、社会的危機を煽り立てていることである。政治的力関係も複雑に入り組んでおり、単純ではない。
しかし、税金と負担金の合計が所得の60%にも及び、25%という世界最高の消費税率によって維持されてきた「スウェーデン・モデル」は、保守連合政権によっても突き崩すことは出来ず、国民の多くはその継続と強化をあらためて支持したのである。いくらか変化しつつあるとはいえ、日本の政治状況ではとても考えられない事態である。ここに紹介する二書は、今回の選挙以前の状況であるが、いずれもなぜ「スウェーデン・モデル」が確固として社会に根付き、支えられているかを具体的に明らかにしてくれる。いずれも日本の現実との対比が鮮やかである。そこから日本社会に提起される両者の具体的提言は、賛否相半ばするかと思われるが、傾聴に催するものである。以下、その政策的提言にしほって両書を紹介しよう。

「三つの連帯」

岡沢氏は三つの連帯の必要性について強調する。
「一つは世代間の連帯、自分達は成長と繁栄を享受し、次の世代には膨大な国債のツケを回すという政策はいずれ持続不可能」である、と指摘する。この点については、高齢化社会が差し迫ったものであり、初期高齢化の段階である7%から14%に到達するまでに、スウェーデンは約80年間かかったが、日本はわずか25年間でそれに到達する。具体的な政策課題として、高齢者介護と家族のあり方、ホームヘルパー制度の整備と在宅介護システムの整備、サービス・ハウスや世代間交流を大切にした機能的な集合住宅の建設、生涯学習環境の整備、国民背番号制度の導入とプライバシー保護、そして真の豊かさを目指した労働環境・住宅環境・余暇環境・通勤環境の整備、社会資本の充実及び自然保護、等を上げ、こうした課題について「自分の問題として考えようとしないこうした態度こそが、自己選択・自己決定・自己投資の精神を鈍らせ、合意形成を困難にし、急がなければならない社会資本の充実を大幅に遅らせる重大な理由になっている」と断ずる。
「もう一つは国境線もしくは国籍線を超えた連帯」の重要性について触れ、外国人労働者の受け入れ問題とその福祉体制、在住外国人への選挙権・被選挙権付与という政策的課遭を提起する。
「そして女と男の連帯である。」岡沢氏の今回の著書の重点はここに置かれている。これなくして社会の活性化はありえない。女性環境の整備、女性の社会参加こそが「スウェーデン・モデル」を支えている。日本においても「どういう迂回路を経由しても究極は、専業主婦業界の縮小・解体を進めることになろう。配偶者扶養控除限度額制度の抜本的見直しや廃止、全ての成人が確定申告の対象になる個人納税制度、それに在宅介護専従主婦の有給化などが、いずれ具体的な政策課題となろう」と指摘する。
斉藤氏は、「スウェーデンでは高齢化につれて、女性市町村議員の数が増加してきた。女性市会議員の比率は全国平均で33%(1993年)、女性議員の比率が50%を越える市も誰生している」ことを紹介し、福祉についての大きな権限が自治体に移された社会では、政治家は「地域の顔役」や「名誉職」ではつとまらないし、ましてや男性だけにまかせてはおれないことを明らかにしている。

「税金観から問い直す必要」
岡沢氏はこうした政策課題との関連で、高福祉・高負担の問題を提起する。「日本では先ず、税金観から問い直す必要がありそう。町税金は何でも反対」「間接税増税は公約違反だから絶対反対」。ここからのスタートはしんどい。せめて「増税何でも反対」という未熟な公約を提出する政党の無責任を問うべきかもしれない。「政権を取るまでは財源論は不要」という政党政治こそ問題」と主張する。
山井氏も「福祉充実を訴える以上は、人間らしく老いるために必要なコストを負担する姿勢が必要だ。「行政改革して無駄を削れば、福祉財源は増やせる。新たに負担する必要はない」という意見もある。「行政改革をして無駄を削る」ことには私も賛成だが、そのことと福祉財源を増やすこととは切り離して論議すべきだと思う。行政改革が進まない限り、お年寄りが人間らしく暮らせない、というのは筋が通らない。必要な負担はして、権利として介護を受けよう。そして人間らしく老いる権利も主張しよう」と述べる。
岡沢氏は同時に、「『福祉先進国がそうだから』」では税率アップの根拠にならないであろうし、「公約違反だから絶対反対』では、その程度の政治家を選出した有権者の力量も問われる必要がある。超高速高齢化の到来は誰もが予測できたのであるから。ましてや『政治や行政が信用できないから、絶対反対』といわれると、『高齢者福祉はめいめいが勝手にどうぞ』になってしまう。その末路は余りにも悲惨である。とにかく、<説得・納得・合意>の政治の時代である」ことを確認する。
しかし、日本では増税論議の前提であるこの<説得・納得・合意>がなきに等しきか、完全に欠落しているような状況である。スウェーデンでは、情報公開や情報アクセス権の確率、データ法によるプライバシー保護、新開への公庫補助制度、プレス・オンブズマン制度などの工夫は、倫理間の強い政治業界の風土とあいまって、「見える政治」「開かれた政治」を支え、それが「わかりやすい政治」「納得できる政治」を加速させている。岡沢氏は、「そうでなければ、だれが25%もの間接税を払うだろうか」と強調する。

決定権力は「可能な限り、
市民の日常生活の近くに」

当然、市民と政治の間の、説得・納得・合意という手順が、負担と貢献の意欲につながることはいうまでもない。とすれば、決定権カは「可能な限り、市民の日常生活の近くに」というのが大原則にならなければならない。分権が当然の帰結なのである。
岡沢氏によれば、現実にスウェーデンの自治体パワーは大きい。消費量でGNPの19%。これはパブリック・セクターの全消費の71%に当たる。「小さな中央政府・大きな地方政府」のフレーズ通りである。歳出はGNPの25%。これはパブリック・セクターの全歳出の39%に当たる。そして、雇用については労働市場の27%。これはパブリック・セクターの全雇用数の72%に当たる。多くのコミューンでは、最大の雇用体がコミューンそのものとなっている。地方自治体の収入の大部分は地方税と国庫補助金、それに料金収入である。1991年の税制改革で年収約20万クローナ以下の所得層は約30%の地方所得税だけでよくなった。それ以上の所得層はそれに加えて20%の国所得税を納入する。給与所得層の約10人に二人弱くらいしかこれに該当しないので、多くの市民は地方税だけということにな
る。税制自体も地方重視になっているのである。
斉藤氏によれば、現在スウェーデンには23県(ランステイング)、286市(コミューン)が存在する。市は大きな自主財源と権限を持って、生活関連サービスを担当している。市の平均人口は約3万人である。市は自主財源を持つので、固からの補助金がなくても、市民のこ-ズをいち早く施策化することができる。
そしてこれは重要なことだと思われるのだが、スウェーデンの地方議員のほとんどが「兼業議員」である。圧倒的に多いのは、政党を問わず、教員で市職員、サラリーマン、民間労働者、医療福祉関係者と続く。政治家としての給料は、公的な会議へ出席した時間で計算される。ベタショー市(スウェーデン南部、人口7万人)の場合は、時給130クローナ。市議会は月に一度、各委員会の会議が毎週あるとしても、議員だけの給料ではとても生活できない。(1クローナ=約13-14円)
斉藤氏は、こうしたことによって「現場の声が政治に反映されている」というよりも、むしろ「現場の声が政治を動かしている」と指摘する。
以上、両書のごく一端を紹介したに過ぎないが、それでも現在の日本の状況からすれば、充分に刺激的な問題提起と言えるのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.204 1994年11月15日

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【社会時評】2つの生誕百年  江戸川乱歩とダシール・ハメット

【社会時評】2つの生誕百年  江戸川乱歩とダシール・ハメット

今年1994年は、江戸川乱歩生誕百年である。乱歩が主人公の映画「Rampo」が、フェモロンの香りを出すということで話遺を呼んだり、ミステリー雑誌が特集号を縮んだり、かなり世間一般には乱歩生誕百年が知れ渡っているようである。しかし何よりも少年探偵読
物—少年探偵団、明智小五郎、小林少年、怪人二十面相等—が乱歩の名前を伝説的にしている。これらの読物が発売された当時といっても怪人二十面相が最初にデビューしたのは、1936年(昭11)であるからかなり昔ということになる—-から、少年達にとっては、乱歩と明智小五郎の区別がつきにくいほど、乱歩は彼らの心の中に住んでいるのである。
この乱歩は、わが国の探偵小説(デテクティブ・ノベルズ—推理小説)の草分け的存在であり、当時としては最新の心理学理論—異常心理学、深部(深層)心理学、精神分析等—を駆使して自ら探偵小説を創作するとともに内外の作品を精力的に紹介して、わが国の探偵小説の確立に大いに貢献した。そしてこの系譜は、過去何回かのブームを経て、現在も受け継がれている。
その乱歩の生誕百年ということは、わが国の推理小説界を乱歩がたどった足跡を手がかりに、しばし考えてみる機会が与えられたということであろう。そこで現在発行されているr江戸川乱歩全集J(全25巻、講談社)をはじめ、文庫本等によって乱歩の作品を読み返してみると、乱歩が目指したものは、探偵小説というものの性格上、ストーリー、トリック、謎解きの面白さであることはもちろんのことであるが、それ以上に人間の心理のそこにある何かではなかったか、と思われる。すなわち日常普通の人間の心理では表面化しないが、その人間の心の奥底に轟いている暗闇のような欲望、自分でも気付かないままに捉えられている欲望こそが、乱歩の珠究の対象であったと言えるのである。そのことは、初期の本格物と呼ばれる作品においてさえ、加虐性、被虐性、性格異常といったテーマに事欠かないばかりでなく、時代が下るにしたがってその要素が大きな比重を占めるようになり、一種異様な雰囲気、独特の生臭さがただよってくることが示している。
人間の心理の奥底にかかる暗闇を見、それをテーマに作品を書くという乱歩の姿勢は、乱歩自身が自らの創作態度について語っている、自分自身について知るということと密接な関係がある。つまり乱歩は、われわれは日頃自分自身についてほとんど知らないままに生活していて別に不思議とも思っていないが、実は自分についてこれほど知らないということは問題ではないが、だから最も大事なものは自分自身である以上、自分についてもっとよく知ることが必要である、ということを語っているが、(「探偵生活四十年)、その自分自身の探究、すなわち人間の心理の根底に潜む傾向の探究が、乱歩の作品を支えているのである。だから乱歩のテーマには、日常から見て異常な状態である犯罪、殺人を扱いつつも、それをさらに異常な猟奇にまで追い詰めていくものが多い。
それ故かかる乱歩の文学は、自己の内部に閉じこもる文学であり、現実から逃避する文学であった。従ってそれがそのような傾向を有する限り、現実の社会とは隔離されたところで—-乱歩のイメージを借りれば、土蔵の中でローソクの光をたよりに読むような文学として—-存在すればよく、政治、経済、階級等々とは何の関係も持たずともよかったのである。
しかし現実には、乱歩の方でそのような姿勢をとっていたとしても当時の日本の時代の方が彼をからめとり、引きずっていくのである。すなわち乱歩の活躍した時代とは、あの1930年代であって、日本が大恐慌から侵略戦争へとドロ沼への道を歩んでいるときであった。その時期に乱歩は、社会に背を向け、ひたすら自分自身に閉じこもることで自分を珠究しようとしたのである。しかしこのような乱歩ですら、戦争への遣をゆく日本帝国主義にとっては目障りな存在であり、社会的風潮に逆らうものとして弾圧するべき対象と映ったのである。そして実際戦争が急を告げるとともに、乱歩のほほ全作品が禁本となり、乱歩は実際上執筆活動を断念せざるを得なかったのである。
その禁が解けるのは日本の敗戦を待つまでなかったのであるが、このような悲劇が、乱歩に限らず日本の文学、ジャーナリズムのいたるところで起こっており、今なお問題が解決されていない部分がある。われわれは、この乱歩の姿勢とそれがもたらした結果にどのような教訓を見るべきであるのか。自己の内面追求という主観的意図と現実の社会の客観的な動きとの関係を、乱歩の文学をひとつの例として考えていくことができるのではないだろうか。
さて生誕百年を迎えたもう一人の推理作家は、ダシール・ハメツト(DashiellHammett)である。ハメツトは、近年ハード・ボイルドの先駆者として評価が定まりつつあり、アメリカ社会に対する批判的作家として本格的な研究がなされている。わが国でも、「マルタの鷹」「赤いい収穫(血の収穫)」等の作品はよく知られている。
ハード・ボイルドは、この後レイモント・チヤンドラー、ロス・マクドナルドなどの作家を得て全盛時代を迎えることになるが、彼らに共通しているのは、その乾いた文体とともに、当時のアメリカ社会に対する批判的視点であり、同じ30年代の作品として比べてみれば乱歩との相違は歴然としている。腐敗堕落したアメリカの都市を舞台に、大上段で正義を主張するわけではない(実際、裏取引も、脅迫も、はったりも行うし、また暴力を是認する姿勢もあって、この点に関しては議論が必要である)が、しかし腐敗—権力の腐敗と同時に左翼の腐敗も—をそれなりに暴き、自己を主張していくハメツトの主人公達は、ニヒルな面を持ちつつも現実社会に生きる人間として描かれている。
ハメツトの作家としての活動は、デビューした頃のいくつかの長編と後にまとめられた短編集を残すのみで割合に短命で、その後にはまったく作家活動をしていない—その理由としては、全米的に知られた人物として、さまざまな社会運動に参加し続けている。
たとえば、第二次世界大戦の時期には、スペイン人民戦線支援やユダヤ人迫害反対運動と関わり、戦後の「赤狩り」の時代には非米活動調査委員会での査問会に召喚されたが抵抗し、投獄される目にもあっている。
このようにハメツトには、作品の内外を問わずアメリカ社会を批判するという姿勢が貰かれており、その後継者たちにも、批判的視点が脈打っている。現在アメリカで流行している推理小説にも、アメリカ社会のさまざまな現実—中央や地方の政治の実態、法廷の内幕、警察の腐敗、下層社会の貧困、人種差別、麻薬や銃社会のもららす歪み等-を背景にしたものが多いのもそのあらわれと言えよう。われわえは、これらの作品を読むことで、アメリカの病根を認識するとともに、それを克服しようとする民主主義の伝統を感じとることができるのである。
以上日米2人の推理小説作家の生誕百年について簡単に触れてきたが、これらを比べてみて、自己の内面に沈潜していった乱歩と、社会批判の目を持ち続けたハメツトとは対照的な姿勢の作家であると言えよう。すなわちそれは、一方では自己の内面に閉じこもろうとした乱歩でさえ弾圧する日本帝国主義の悪辣さとそれに屈服せざるを得ない文学の姿勢を、また他方では社会批判を堅持しつつ民主主義を叫ぶ文学の姿勢を示している。そしてこの伝統が今もなおそれぞれの国の推理小説に根強く生き残っていることを否定することはできない。
推理小説が、事件・謎解き・解決というゲーム的性格を有し、読物という娯楽的性格を持たねばならないことは言うまでもないが、それはまた、謎(ミステリー、非合理)を推理(理性)によって解いていく合理的な性格をもあわせ持たねばならない。そしてその謎、事件は抽象的次元においてではなく、具体的な現実に生起するとされる以上、その時代の社会的状況を反映せざるを得ない。ここに推理小説が現実の社会状況と関わる接点がある。この現実の状況を推理作家がどれだけ認識しているのかどうかが、さらには推理作家自身が置かれている状況そのものが問われなければならない。
わが国でブームが続いている推理小説が、一部マニアの同好会や、大衆のたんなるゲーム的な気晴らしに読まれる読物に終わってしまうという傾向を脱するためには、乱歩ではなく、ハード・ボイルド文学が踏まえた視点を、日本的な眼で考える必要があろう。ただこの動きが、最近の新進作家の一部に見られるということで明るい展望がなくもないということだけは指摘できるであろう。(R)

【出典】 アサート No.204 1994年11月15日

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【投稿】米朝合意の後にくるもの

【投稿】米朝合意の後にくるもの 

<画期的な合意ではあるが>
アメリカと北朝鮮の「核疑惑問題」解決に向けた合意は、朝鮮半島における当面の危機を回避し、今後の平和的安定関係構築に向けた基礎を創ることに、取りあえずは成功したといえるだろう。
アメリカは、NPT体制の維持と軽水炉転換という制度的、技術的な二重の封印を張ることによって、北朝鮮の将来の核兵器保有の道を閉ざした。一方北朝鮮は冷戦時代末期、社会主義体制の崩壊で国際的孤立を深め危機感をつのらせるなか、ほぼ確実に核兵器開発を指向した過去を封印し、経済基盤の安定につながる手形を引き出すことに成功したのである。
しかしその時間的猶予は5年であり、特別査察が実施されるまでに、残された課題が全て解決されるかはまだまだ不透明と言わざるを得なし、その鍵は交渉当事国以外が握っているのである。
それは当時国の利害の一致と裏腹に、韓国と日本が軽水炉転換に伴う多額の資金援助を負担する方向になったことだ。中国やロシアも何らかの形でこうした支援体制にコミットするであろうが、経済的負担の大部分は日韓両国が受け持つことに変わりはないだろう。

<あり得ないシナリオ>
ここで示され、了解されているのは、北朝鮮が核兵器を保有することにより、日本と韓国が重大な危機に陥らないためには「受益者負担」は当然という考えである。しかし、キムヂョンイルの「何をするか判らない」という個人的資質を持って、北朝鮮が日韓に対する軍事的冒険に打って出ることを論議の前提とするのは、あまりに拙速である。
なぜなら過去の軍事的冒険である朝鮮戦争当時と現在では、状況がまったく違っているからだ。ロシア、中国の支援はおろか、食料、燃料、弾薬さえ満足になく、そのうえ国家№2の実力者であるオジンウ人民武力相が「末期癌」で明日をも知れない体とあっては、とても戦争はできまい。
だからこそ、北朝鮮はキムイルソン死去までの「和戦両様」の交渉戦術から、明らかにアメリカとの妥結を目的とした方向へと転換したのである。アメリカもそうした舞台裏を熟知しての交渉を行ないながら、どこか第三者的な振る舞いが目につくのは、紛争当事者にはなることがないという条件と、経済的負担を回避したいという事情に動かされているからだ。

<北朝鮮の危機と中露の責任>
そもそも、北朝鮮が戦争という手段をとれないまま経済的に破綻していくことにより、韓国の次に大きな影響を受けるのは、海で隔てられた日本よりも陸続きの中国やロシアである。よく北朝鮮崩壊のシュミレーションとして、大量の難民が日本に押し寄せるという図式が描かれるが、中国、ロシアへは全然桁違いの人数が向かうだろう。
そうなれば、自国の経済的事情もけっして余裕があるとはいえない両国は、局地的なパニックが発生する危険性がある。こちらの方が軍事的な衝突よりもよほど可能性が高いわけで、そうなると中国・ロシアが日本以上の経済的負担を被ってもらうのが筋ということになる。また、そもそも北朝鮮に核技術や多大な軍事援助を行ってきた両国、とりわけ旧ソ連の後継者たるロシアの責任は厳しく問われなければならない。

<日本の立場と責任>
しかし、現実問題として中露の経済協力が期待できないなかで、結局日本は相当の負担をする事になるだろうが、今回は金は出すが口は出さない、という対応では済まされない。
日本に求められる対応は、過去の植民地支配を精算して、米、中、露と対等の立場に立ったうえで、各国や北朝鮮に対しても主張すべき点は主張すること、そして北東アジアの総合的安全保障体制のプランを積極的に提起していくことである。ただ社会党、自民党の底流にある北偏重、植民地支配肯定を精算することなしの「合作」などは直ぐに破綻するだろう。 (大阪O)

【出典】 アサート No.204 1994年11月15日

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【投稿】社民・リベラル新党と3極構造の産みの苦しみ

【投稿】社民・リベラル新党と3極構造の産みの苦しみ

55年体制の崩壊から95年体制への移行は、小沢の社会党いじめが裏目に出て、自社さきがけ連立政権が生まれたことから混迷を深めている。政権に復帰した自民党は、復権を果たした竹下の支配のもとで新・新党に対抗する選挙戦の青写真を仕上げつつあり、一方小沢に対する緊急避難で連立政権をつくった社会党は、選挙協力の可能性が少ないことが明確になればなるほど社民・リベラル新党に傾斜せざるを得なくなっている。来年予想される総選挙は、復活した自民党の独り勝ちか、反自民の選挙協力かというせめぎあいが続いている。いずれにしても、戦後体制の崩壊はいよいよカウントダウンに入り、国民のために新しいビジョンを打ち出すことができる党が生まれるのかどうかを、今こそしっかりと見つめ参画しなければならない。

○動きだした政界再編第2幕
小選挙区比例代表並立制の衆議院通過によって、政界再編の第2幕が俄然活気を帯びてきた。しかし、12月の結成を目前にした新・新党の中で公明党が、任期を3年半残す参議院議員11人と約2000人の地方議員、600人の党職員は新たな公明新党に残すという「分党」=二股膏薬方式を掲げる他、今や落日の日本新党や支持率低下が著しい新生党に、党内矛盾を抱えたままついてきた民社党という寄せ集め集団に国民が大きな期待を懐けなくなっている。新党の政策も各政党の従来の政策の寄木細工であり、新保守から社民まで幅広い勢力が反自民という一点で集まった第2自民党となっている。したがって明確な理念も思い切った政策も期待できないうえに、自民党に秋波を送る公明党の動きに結党前から白けた雰囲気が漂い始めている。
連立与党側はと言えば、竹下復権で総選挙への準備を固める自民党も、社会党の山花前委員長の新民主連合結成から離党=新党づくりの活発化によって村山連立政権の瓦解をくい止めるのに必死である。また自民党・社会党・さきがけの連立政権をつくるまでは勢いの良かった新党さきがけも、国民の前に新しい時代を開くビジョンを未だに打ち出せないばかりか、自民党の前では日に日に影が薄くなりつつある。
村山内閣の支持率は39パーセントと少し不支持率を上回っているが(11月6、7日朝日新聞調査)、国民の中には社会党に対する失望感が広がりはじめている。連立政権とは言え党首が首班の内閣をつくりながら社会党の従来の主張をほとんど実現できないばかりか、消費税の引上げを打ち出すという公約破りの姿勢について不満が募っている。そんな不満に拍車をかけているのが非武装中立放棄・日米安保容認、自衛隊合憲、原発容認など方針を大転換しながら何故か今だに続く党内抗争である。左右両派の派閥抗争はお家芸とはいえ、左右の政策の対立がなくなったにもかかわらず新民主連合の結成に相変わらずの派閥抗争を見て失望をしている。

○社会党右派の社民リベラル新党づくり
時代の変化を無視して、あくまで従来の社会党の路線を継承するのは護憲新党であり、冷戦後の世界に対応した新しい政治が求められている状況下で社民勢力が生き残る道は、連合をバックにした社民リベラル新党しかないということが右派を中心とした認識である。この背後には7単産(全逓、情報労連、電気連合、電力総連、鉄鋼労連、自動車総連、ゼンセン同盟)がついていて、集団離党→新党結成→新・新党との連携へという目論見をもっていた。一方、自治労を中心に新民主連合の動きに警戒をしている労組は、党分裂=村山政権崩壊を恐れるとともに、旧同盟系の狙う小沢主導の新・新党への合流を阻もうとしているからだ。
つまり新民主連合を解剖すれば①旧連立勢力の新・新党との連携を深めることを意図したグループ(松前仰・左近正男・など旧新政策懇話会=数人)②新党はつくるが、自民党、新・新党とは一線を画す勢力(自社連立に反対し改革を推進する連立政権を実現する会=本岡昭次氏ら数人)③社会党内にとどまり民社党などからの離党者を吸収し、力を蓄えてから新党に移行する考えの勢力(五島正規・岩田順介・佐藤観樹氏ら約20数人)に別れているようだ。

○社民リベラルの行方
政権を取った自民党の社会党安楽死作戦は、このまま行くと来年の統一自治体選挙を前にした社会党分裂=村山政権崩壊という自民党にとっては総選挙にやや不利な状況を生む可能性がでてきた。国民にとっては自民党と反自民の対立というよりも、時代に対応した争点を明確にした闘いを期待したいところである。しかし現実には、政権に復帰して息を吹き返している55年体制の亡霊=自民党をまず崩壊させるために、反自民の統一戦線でまず自民党の息の根を止める小選挙区選挙をする必要がある。
次回の選挙で自民党の敗北=党分裂を導いてから、自民党タカ派と新・新党のタカ派の合流による「新保守党」の誕生と自民党ハト派と新・新党ハト派による「新リベラル党」の誕生、そして旧社会党右派と旧民社党一部を中心とした社民政党の誕生につながることが最も国民にわかりやすい政治になるのではないか。そのためには来年に予想される総選挙で、各候補者が政治改革や福祉や環境あるいは人権、平和についてどのような考えかたを持ち行動をしているのかを国民がしっかりと見つめていく必要がある。小選挙区選挙になることによって、候補者の政策や人格に対する有権者の目がより厳しくなるのは必至である。そして小選挙区のただ独りの代表者が国の官僚に対する発言力を強め、結束して地方分権のために国家官僚の解体と地方への分散に取り組むように有権者の闘いを強めていく必要がある。政治改革は、まだ始まったばかりである。(94年11月11日大阪M)

◆リベラル、新保守、社民の3極の政策の相違 (インサイダー№327 より抜粋)

対立軸   リベラル 新保守  社民
福祉 福祉国家 自立・自助  分権型福祉社会
政府 大きな政府  小さな政府  小さな政府・大きな自治体
税制 国税中心の累進課税 間接税中心の一律課税 地方税中心の総合累進課税
分権 中央集権の是正 上からの分権論  下からの分権論
貿易 管理による可能な限りの自由貿易 構造改革による徹底した自由貿易 混合公正貿易
安保自衛隊 軽武装経済優先 武装平和 普遍的安全保障による非武装

【出典】 アサート No.204 1994年11月15日

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【書籍のすすめ】ニッポン貧困最前線

【書籍のすすめ】ニッポン貧困最前線
      「ケースワーカーと呼ばれる人々」 久田 恵 文芸春秋社 1,700円

今年7月25日に発行されたこの本の表には「福祉現場の知られざるドラマ」「政府の締め付けとマスコミの福祉たたきの間にはさまれながら、日本の貧困層と直接向き合ってきたケースワーカーたち。これまで書かれることのなかった彼らの悩み、怒り、喜びを通して、豊かな時代の見えない貧困を描いた衝撃のルポルタージュ。」と書かれています。わが国において国民の生存権を守るために、いや、国民の生存権を守ることを最終的に直接の職務としている人たちがいったいどんな仕事をしているのか、ぜひこの本を読んで知っていただきたいと思いますし、考えていただきたいと思います。
私は、数年前から自治体の福祉職場でケースワーカーとして働いています。それまでは、「ケースワーカー」という言葉を聞いたことはありましたが、どんな仕事をしているのかほとんど知りませんでした。今にして思えば、何年か前に「暴力団員が外車に乗りながら生活保護を受けている、国から生活費を援助してもらっていることがある」という話しを聞いたことがありましたが、まさかその暴力団員の「相談」に乗りながら、「援助」していたと避難されていた人がケースワーカーだったなんてことは自分がケースワーカーになって初めて実感できたのでした。

それから何年かして、労働組合をやっている他市の仲間---彼は地方分権、自治体改革に興味がある---に「君はケースワーカーやっているのか、うちの市の福祉の職員、悶々としているというか、ドロドロしているというか、そういう実態なんだ。だが、本来福祉の仕事はすばらしい仕事のはずだ。福祉現場の苦悩を踏まえたうえで、その仕事のすばらしさ、やりがいを文章にまとめてよ」と言われたことがある。それに対し私は「うーん、ぼくにはまだ・・・」と考え込んでしまった。福祉職場、とりわけケースワーカーの苦悩は当然わかる、仕事のすばらしさもわかっている(と思っている)。しかし、この苦悩とすばらしさはなかなか調和しない。だから、後輩に助言するときでも「仕事なんだから」「割り切って」という言葉が付くときがしばしばある。読者の中の経験豊富な先輩からは「おしかり」を受けるかもしれませんが。
でも、私はぜひこの本を読んでいただきたいと思います、読者のみなさんにも、職場の同僚にも上司にも。
日本は、高齢社会になっており、今後もますますものすごいスピードで進展していきます。いまの日本のマスコミで、行政で、人々の間で、労働組合で高齢者福祉、老人福祉はメジャーな話題のひとつです。一方、生活保護は、日本の福祉制度の中では、予算人員などの面で(従って、期待度も??)低下の傾向にあります。しかしながら、生活保護(ケースワーカー)は、現在メジャーなテーマとなっている高齢社会(高齢者)のさまざまなことに対して、個々の事例(ケースワーク)として、ずっと取り組んできたのです。しかし、そういうことは取り上げられない、話題にならない、人からも評価はされない、「大変な仕事」といって慰められることはあっても。一方、「今夏の猛暑にクーラー処分せよと強引に指導し、老人が死にかかり」生活保護は薄情だ、不正受給を見逃していた、と批判はいっぱい。この本には、そういう事例がいっぱい書いてあり、読んだ人によっては「福祉はなんて無駄な金を使っているんだ」と思うかもしれませんが、同時に、日本の福祉制度の中で生活保護が占めている特別な位置---生活保護が福祉の根幹であるという---が、何となく感じられると思います。

憲法25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定しています。その理念を具体化したのが生活保護法です。かつて日本のエネルギー政策が「石炭から石油に」替わったとき、九州や北海道で地域の経済が、町の経済が崩壊しました。その中で、人々の「生存権」を保障してきたのが生活保護(ケースワーカー)です。今日、高齢社会のためのさまざまな施策が議論され、取り組みされていますが、それらの高齢者施策によっても、生活していくための必要不可欠な諸条件が整わないとき生活保護(ケースワーカー)の出番となるのです。

【出典】 アサート No.203 1994年10月15日

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【書評】新説・ロシア的聖霊非合理主義者レーニン(?!)

【書評】新説・ロシア的聖霊非合理主義者レーニン(?!)
          —中沢新一『はじまりのレーニン』(岩波書店 1994.6.1発行)

「すべてに逆らってレーニン。20世紀の廃虚に、レーニンの笑いがこだまする。無底としての唯物論、誰も書かなかったレーニン」(『はじまりのレーニン』帯より)と銘うたれた、レーニンと唯物論と弁証法に「関する」本が中沢新一によって書かれた。社会主義の崩壊以来とめどもなく落とされ続けてきた、唯物論哲学、マルクス主義、レーニンの評価にまた新たな投石がなされたのである。しかも今回のそれは、あきれかえるまでの神秘化の衣をまとったレーニンを描き出し、彼をロシア的聖霊非合理主義の教組に祭り上げている。
中沢のやり方はこうである。レーニンについてのエピソードの中で、彼の「笑い」は特異な位置を占め、その人柄をしのばせるものとされている。しかしその「レーニンの笑い」は、時として「いじわるで、悪魔的な、おそろしい笑いだった」、あるいは「なにかとてつもなく『客観的』なものが破壊的な冷や水をあびせているような感じなのであると記録されている(クルプスカヤ他による)。そのことは、実はレーニンが、「思考のそとにあるもの」「原始的で言語にあらわせないもの」(トロッキーの記録)のごく近くにいたことを示しているのではないか。というのは、中沢の引用する思想家バタイユ(1897~1962、フランスの無神論的実存主義者)によれば、「人間の意識が未知のものではなく、知りえないものに触れ、それが意識の中に侵入を果たすとき、人間は笑う」からである。中沢は、この「知りえぬもの」、精神の「その外にひろがる無底の宇宙」への通路を開くものこそ「レーニンの笑い」であり、「笑いが開くその無底の空間を、レーニンは『物質』と名付けた」とするのである。つまりレーニンは、「笑い」によって、哲学の概念や言語によっては把握も表現もできないものに「思考のセンサー」で感応し、これを「物質」と名付けたというわけである。中沢はここで、レーニンの「物質」を、合理性をこえた(合理性の底を突き抜けた)ものとして位置づけ、ここからレーニンの唯物論を再検討しようとする。
それでは何故このような解釈が可能になるのか。その経緯は、中沢によるレーニンの哲学的見解の変遷をたどることによって明らかとなるとされる。それによれば、レーニンは『唯物論と経験批判論』において、マルクス主義のマッハ主義的改変を批判し、物質概念について「われわれの意識の外部にある」、「客観的実在」という規定を提出した。しかし「それは、無限の深さと、無限の力能と、無限の階層性と、無限の運動をはらんで、人間の意識の外に、実在している」と規定され、このことが取りもなおさず、レーニンが意識の外にある「物質」に触れていることなのである。そしてこの概念が後に、未完の『哲学ノート』においてその通俗性を脱して「レーニン的『物質』」とされるにいたるのである。
中沢によれば、「レーニン的『物質』概念は、ヘーゲルの「精神(ガイスト)と共通性を有し、ヘーゲルの客観哲学があらゆる観念論を無効にしてしまうように、普通の意味での唯物論を、破壊し完成するもくろみを持っている。」すなわち「レーニン的『物質』とは、思考からも客観からも過剰した、なにものかなのだ」、「それはまた普通の唯物論の言う『もの』ではない」のである。
そして同時にここに、ヘーゲルの「精神(ガイスト)」との根本的な差異が指摘されることになる。それは、古代ギリシャの「はじまりの哲学者」であるヘラクレイトスなどの語った弁証法と、近代観念論哲学の語るものとの「微妙で根本的な異質性」である。すなわち「はじまりの哲学者」においては、「生と有の本性」を絶えず問直し、次々と「立ち現れるもの」(存在=生命の根源)を瞬間的に露呈させることが弁証法であるとの認識が存在していた。換言すれば「過剰したもの、破壊されざるもの、純粋な差異であるもの、まったき力であるものの運動が、弁証法の手に触れていく」ことが彼らにはあった。しかしこのことは、ヘーゲルの弁証法においては実現されなかったというのである。そしてその理由は、「プラトン以後(ヘーゲルにいたるまでーー引用者)の哲学は、はじまりの哲学者たちの存在思想がもっていた、底なしの『暗さ』を忘却することによって、がっしりとして堅固なその存在論の大神殿をつくりあげることができた」ことにある。すなわちプラトン以後の西洋哲学は、存在と生命の無底の根源への問いかけに蓋をし、底をつくることでその暗闇を閉じ込めてきたのである。
ところが今やレーニンが、彼の「物質」によってこの存在(有)の底を踏み抜こうとしている。「私の考えでは、レーニンは、『素朴』なヘラクレイトスの弁証法の背後に、ヘーゲル的な『精神』によっては堰とめることのできない、ある別種の運動を感知していたのだ」。中沢はこう書くことで、レーニンの唯物論を、「自然と生の無底の運動にむかって開いていこうとしている」哲学として描き出す。そこから結果するものとは、「はじまりの哲学者のもとで守っていた、あの素朴さとディオニュソスの力」であり、「亀裂の発生した『精神』の底部からは、暗い存在の底からの『物質』の運動がいきおいよく吹き出してくる」ことになる。換言すれば「裸の客観、むきだしの真実」こそが、中沢のいうレーニンの思考の本質であって、「レーニンはそういうものを、弁証法的唯物論と呼ぼうとした」というのである。ここまでくると、まさに何をか言わんやというところであるが、この徹底した非合理観ーーそれは後にニヒリズムにつながることになるーーが、中沢レーニンの依って立つところである。
そしてこの「暗い思想家」レーニンは、次に示されるように、さらに様々に根拠づけられることになる。
そのひとつは、中沢の心酔するドイツの神秘主義哲学者ヤコブ・ベーレ(1575~1624)の思想を通して語られる三味一体論である。ベーレは、「根拠のない神」「無としての神」を語り、そこから独特の精神の発達過程を展開する。それは大雑把にいって、無(底なし)~求め・あこがれ~「底」~「ガイスト(霊)」~中心・心臓・ロゴスというプロセスをとるが、この無底に立つプロセス全体が、父と子と聖霊(ガイスト)の三位一体説のペルソナ(性格)に対応していると考える。すなわち、父と子と聖霊の三つのペルソナは、一体となって、無底から底へ、底から世界へと展開する原理であり、「父が本質なのでもなく、子が中心をなすのでもなく、また聖霊だけが万能なのでもない」神として作用する。従って神には底がなく、人間にはこの三位一体を手がかりとして、神そのものの内に入り込んでいく、というのがベーメの思想であった。
ところがこのベーメの立場は、実は古代において主張されたが、その後滅び去った東方的三位一体論と同じ内容を有しており、ローマ世界の正統キリスト教における立場ーー「父と子」が神の本質とされ、聖霊はこれに従属するとされる形式論理ーーとは全く対立する。しかしこのように、ヨーロッパでは一度埋葬されたはずの思想がよみがえり、ベーメを評価するヘーゲルを通して、そのヘーゲルを評価するマルクス、さらにはレーニンに継承されている、と中沢は主張するのである。ここにおける環は、またしても「底」(合理性の限界)を打ち破ることで触れることのできる「生命」であり、非合理的な運動である。中沢はこれを次のように語る。「マルクスとレーニンの『唯物論』が、ヘーゲルのかなたに切り開こうとしたものとは、『生命のようなもの』の『底』を破って、そこから生命そのものにたどりついていく、未知の思想の運動を発芽させることだった。概念には『底』がある。価値にも『底』があり、(中略)商品社会は生命そのものを隠す社会なのだ」と。
かくしてレーニンの唯物論が、その「底」を打ち破ろうとする思想であるとすれば、その商品社会、資本主義社会の「底」を打ち破っていく現実の運動が必要とされる。そしてここにレーニンを根拠づけるさらなる理由、すなわちその運動である共産主義とその担い手である「党」が出現することになる。
しかしこの場合にもまたレーニンの共産主義と「党」は、中沢によれば、従来の例にならって古代への先祖返りを行う。それが本書の最後を飾る「グノーシスとしての党」である。グノーシス主義とは、古代キリスト教の異端と呼ばれる思想であるが、その特徴は「現実の世界や宇宙(コスモス)の秩序をそのままで承認することを拒否」し、コスモスによって隠されてしまっている真実の神を、この世界を否定した外部に求めることを主張する。このグノーシス主義の立場と、商品社会のコスモスの「底」を打ち破り、異質なリアルを実現しようとするレーニンの共産主義の運動および「党」との類似性こそ、レーニンの構想した「党」の意義であるとされる。レーニンの「党」は、資本主義の原理とは全く異質なものでなければならないし、そのためにはそれを構成するメンバーひとりひとりが「底」を破っていく「戦闘的な唯物論者」でなければならない。そして「党」は、資本主義社会の「底」を破ることで、それを無低に向いて開いていくのである。
かかる「党」は、中沢自ら述べているように、「ラジカルなニヒリズムを原理とする「党」であり、しかも「底」を破ることで存在自体を変革しようとする「生気あふれるニヒリズム」を持つとされる。まさしく「レーニンの『党』とは、われわれの世界に露呈した、無低からの発芽なのである。」そしてこの「党」は、既成のコスモスの秩序に飲み込まれてしまわないために、「純粋性と分割性」という2つの原理を与えられることになる。絶えず高温の純粋性を維持する流動体としての「党」は、異質の意識(すなわち「前衛」の意識)によって資本主義コスモスのラジカルな否定を実現し続けていくのである。そしてこの意識性こそ、現存する教会のコスモスに反対して、グノーシス(叡知)のみが人間に救済をもたらすとするグノーシス派との類似性を示唆する、と中沢は主張する。
かくして今までさんざん述べてきたことを集約して、中沢は、「レーニン主義の三つの源泉」とは、「古代唯物論、グノーシス主義、そして東方的三位一体論」とするのである。賢明な読者諸氏には、中沢の主張の本質はすでに明きらかであろう。中沢は、レーニンの「物質」概念を手がかりとして、その合理的側面を全くの非合理的側面と塗りかえることで、ことごとくひっくり返し、古代と東方の衣裳を付け、「土くささを失っていない聖霊」を手にした「あのロシア性」のレーニンを描き出したのである。そのレーニンは、近代資本主義の「底」を打ち破る思想と「党」を率いて、コスモスの「底」の下に存在する無底をめざすニヒリストとして、「裸の客観、むきだしの真実」を求める。しかも中沢は、かかるロシア的非合理主義者レーニンを、次のように讃えるのである。「レーニンの思考は、無底である『物質』の運動そのものに触れていた。それと一体であることもしばしばだった。だから、レーニンには、いっさいの神秘主義がないのだ」と。
「無底である『物質』そのものに触れていた」から「いっさいの神秘主義がないのだ」などと言うことは、中沢が、レーニンを純粋の神秘主義者に仕上げてしまったことを意味する。中沢は、このようにしていっさいの理性、合理主義と手を切り、ベーメの無底へと沈んでいくのである。中沢のような立場に立つ限り、無底の予感に恐れおののくか、現実の無秩序な破壊的ニヒリズムへとラジカルに進む以外に道はない。しかし「レーニンの笑い」は、中沢が本書の最初の方で引用した諸文献を読んでみても、そのような恐れおののきや無秩序なニヒリズムなど吹き飛ばしてしまうような、大胆且つ人間的な笑いであったとも考えられるが、いかがなものであろうか。(R)

【出典】 アサート No.203 1994年10月15日

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【投稿】「垣間見たインド世界」

【投稿】「垣間見たインド世界」

○なぜインドか?
「海外旅行で一週間休暇をとります」
「どこへ行くの?」
「インドへ。」
「インド!?」という驚きと変な興味心をもったような反応が職場の大方であった。
その言葉の裏には、なんでわざわざインドのような国へ?と、インドは謎めいておもしろそう、という意味が込められていたと思う。実際、インドに対して「変わったもの見たさ」のような関心もあった。
○インドは広くて多様な世界
一口にインドと言っても実は広い。西ヨーロッパ全体に匹敵する面積があるという。その広いインドを限られた時間でなるべく広く回りたいことから訪問地は東部のカルカッタ、南部のマドラス、西部のボンベイを航空機で回ることとした。それぞれ列車で移動すると30時間以上の距離。飛行機で2時間くらいである。インドというと、ターバンを巻いた言わゆる「インド人」をイメージするが、「インド人」は単一的な存在ではない。宗教は最大数はヒンドゥー教徒だが、イスラム教徒、仏教徒も多く、それらの寺院も数多い。また、ターバンを巻いているのは通常、シーク教徒であり、他の人が巻くことは少ない。また、州により言葉が違う。標準語と大阪弁のような違いではなく、文字の形から全然違うのである。イギリスの植民地であったことから英語が最も全国的に通用するようだ。ヒンディー語は一応公用語とされているが、実態は首都周辺の地方語に過ぎないようである。一つの言葉では全国には通用しないので紙幣の裏には10種類以上の言葉で説明されている。今回訪問した3都市もそれぞれ全く別の言語が使われていた。それぞれの州が一つの国のように言葉が違う。それでいて、インド全体に共通した独特の雰囲気もあり、全体として「インド」という世界をつくっている。

○甘党はインドに向いてないか?
インドと言えばカレー。日本のような「カレーライス」というものは存在しないが、街のいたるところには多種多様な香料が売られており、これらが料理に混ぜられる。いわゆる「カレー」(必ずしもカレーという名称はついていない)だけでなく、肉や野菜、焼きそば(中華料理として作られる)など、ほとんどのメニューが辛いし、それもピリッと辛いというよりはじわっと染みてくる辛さだ。しかし、とびあがるような辛さのものは以外と少ない。インドの気候は地域にもよるが、全般的に暑い。そこでは辛さの刺激がないと食欲がわかないのであろう。しかし、辛いものだらけの一方で、超甘口のヨーグルトやミルクが実に多い。辛いものを食べての口直しなのであろうが、定食のようなものを頼むと、必ずヨーグルトがついてくる。しかも甘すぎるほど甘い。私はインドで唯一食べられなかったのは実は甘すぎるヨーグルトなのである。

○インドは貧しいか?
インドが貧しいというのは間違ってはいないが正確ではない。貧富の格差が大きいのである。今回の旅行で最も印象に残り、忘れがたいのは貧富の差である。また、その格差が固定化していることである。
まず、街の中で驚くのは「物乞い」の多さである。街を歩いていると子供や、若い母親が手を伸ばして「ジャパーニ」「ハロー、ハロー」と寄ってきて進路をふせぐ。小銭を渡すまで立ち退かないのだ。しかし、下手に渡してしまうとその他大勢もわっと寄ってきて収拾がつかなくなる。ボンベイでは交差点での信号停止中を狙って近づき、小銭をとろうとする集団にも出会った。拒みつづけるわけにもいかず、かといって与えつづけてもきりががないし、またそれで何が解決するわけでもない。インドを旅行中、複雑な気持ちで彼らと接し続けざるを得なかった。
しかし、インド人全てが物乞いであるわけではない。近代的なマンションや大邸宅に住んでいる人もいる。一方でスラム化した街の中で住む人々もいる。「階級・身分の違い」という言葉がそのままあてはまる世界であった。大人に人力車を引かして通学するきれいな洋服を着た子供たちがいれば、裸足で物乞いをしており学校にも行けない子供たちがいる。彼らの関係はおそらく30年たっても変わりようがないほど固定的なものに見えた。身分制度で有名なカースト制は既に憲法の上では廃止されているが、民衆の職業や地域、生活に密着して根強く残っているということである。しかし、1週間の旅行者にはそれ以上を見ることはできなかった。今回はインド世界を垣間見ただけであったが、旅行後1ヵ月たった今、ペストの流行に気を揉みつつも、もういちど訪れる日を期待する毎日である。(大阪 ABC)

【出典】 アサート No.203 1994年10月15日

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【報告】NAGARAGAWA DAY 94

【報告】NAGARAGAWA DAY 94
          —-「ダムサミットin長良川」開催される—-

<河口堰は来年春本体工事完了>
すでに何回もアサート他で紹介してきましたが、長良川河口堰はいよいよ来年春に本体工事が完了することになっています。他方で、これまでダムのない川をみつけるのが難しいほど、あらゆるダム建設を進めてきた日本ですが、ダムが土砂の蓄積によってその機能が失われつつあることが報告されているように、日本の電力資源・水資源開発の中心であったダム建設そのものに重大な疑問が投げかけられつつあります。
こうしたなかで、「長良川河口堰建設をやめさせる市民会議」主催による「ダムサミットin長良川」が9月23日から25日まで現地長良川河川敷で開催されました。

<24日は前夜祭、雨のなかでも参加者多数>
私は24日午後からの参加となったので、23日の美濃川下りカヌーデモ・全国河川代表者会議については、参加できませんでした。24日午後メイン会場の伊勢大橋河川敷に仲間と到着し、キャンプの準備などをしながら、夜を待ちました。
前夜祭は、例年の通り、夢枕ばく、立松和平、本多勝一など文化人、ジャーナリストなどがトークや対談で川を守るアピール。全国の川を守る活動家から、それぞれの運動を報告して、今後の運動の協力と前進を訴えました。午後8時ころから雨が強くなりましたが、前夜祭イベントは雷の中でも続けられ、ここだけは昨年よりも参加者が多いように感じました。(社会党からの参加者に、激しい野次が飛ぶ一幕もあったようですが・・・)

<25日ダムサミットに各界から代表が挨拶。>
翌日は雨は上がりましたが、少し強風。カヌーには少しつらい天候でした。会場では地元運動団体、政党関係、労働団体などが連帯の挨拶が続きました。
特に印象に残ったのは、新党さきがけの高見裕一衆議院議員。彼は昨年の衆議院選挙では日本新党から兵庫県で当選。この春さきがけに移籍しています。彼の報告では、長良川問題を考える国会議員の会で、最近地元住民へのアンケートを行った結果でした。特に河口堰への住民の不安に関するものです。河口堰の安全対策は充分かとの質問に対して過半数の住民が不安を訴え、河口堰の運用にも疑問が多いという結果が報告されました。
社会党の議員は少し慎重な言い回し、共産党はいつもの上田耕一郎。たしか北川元環境庁長官も挨拶をしていました。
午前11時30分から行動開始、デモが出発。バイク、カヌーデモも出発。午後0時には、河口堰横の伊勢大橋付近で、「ダムはいらない」を叫んでアピール行動。主催者は参加者5000人、カヌー700と発表していました。

<参加者が少ないのは何故だろう>
残念なのは、1昨年・昨年と比べて明らかに参加者が減少していること。主催者発表にも関わらず、毎年参加してきた私としては、昔よくやった「水増しの主催者発表」の感を持ちました。
原因の一つは、すでに河口堰本体の完成にストップがかけられない事実。運動的には、今後「河口堰の運用」ストップ、導水管建設費など地元負担問題など、課題は多い訳だが「直接行動、現地行動」としては、十分に運動共感者たちに伝わっていないこと。アウトドア雑誌などでの事前広報が不十分だったこともあります。
さらに、運動団体の内部で少し意見の相違と分岐が深刻になった事実もあります。

<社会党系は少し距離、共産党は熱が入る>
また社会党系は全体的に距離を置こうとしています。何故かはわかりませんが、事実としてはそう推移しています。一方共産党系は、ここぞとばかり挨拶でも「現連立」「旧連立」を切り、唯一の革新の宣伝をしようとしていました。名古屋水労・国労名古屋・系列の市民団体がデモ隊列を独自に作っていました。(少しイメージ悪いなー)

<運動の方向は、それぞれの地元へ>
長良川河口堰反対運動は、もちろん今後も長良川を守る運動として続けられなければならない。しかし、日本の川の象徴としての運動イメージは、長良川流域での「地元運動」こそが、本来の中心である。おなじように全国には各地にダム建設や「近代河川工法」によって自然が失われた川を元にもどす、また川を守る運動があります。それぞれの運動を強めていくことも今後の課題といえます。今回の行動が「ダムサミット」としてのも、「河口堰反対運動」もダム問題へと一般化していこうとの意図が含まれていました。
それでも「長良川」という看板は今後も、そうした運動の「軸」のような意味で、川を守る運動の象徴的中心に位置し続けることでしょう。

<雑感>
さて、河川敷でキャンプをしていると、近所のおばさんが話かけてきました。「あんたら何をしているの?」。「私ら地元には、今日こんなことがあるって知らんかった」と。イベントの音楽などがうるさいと見に来た感じ。「あんたらどこから来たの」などと話が続きました。もちろん、運動側は外から来ている人間が多いのは事実だが、地元の人から消極的な意見を聞くと少しいやなものです。
今回の報告は少し粗いものになっています。私自身も少しこの運動に飽きてきたのかな?。労働組合の活動が多忙となり、市民団体への取り組みになかなか参加できないことも一因です。(佐野秀夫 1994/10/16)

【出典】 アサート No.203 1994年10月15日

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【投稿】朝鮮通信使に何を見るか

【投稿】朝鮮通信使に何を見るか
                —-戦後処理における江戸時代と現代の落差—

<<多彩な取り組み>>
去る10月13日、大阪で「朝鮮通信使に何を見るか 善隣友好の260年」と題する公開シンポジウムが開かれた(朝日新聞社主催)。これは、9月13日から10月23日まで大阪市立博物館で開かれた特別展「朝鮮通信使-善隣友好の使節団-」に合わせて開かれたものであり、同時にこの期間、朝鮮通信使縁地自治体サミット(10/1)、朝鮮通信使が遺した津市と鈴鹿市の二つの唐子踊りの合同公演(9/25)、朝鮮通信使物故者の追悼慰霊祭(10/9)、辛基秀氏の講演会「朝鮮通信使と日本」(10/8)や4回にわたる「市民セミナー」など多彩な取り組みがもたれた。いずれも青丘文化ホール(主宰・辛基秀氏)を中心とするネットワーク朝鮮通信使展の人々の多大な努力によるものである。そしてこの特別展が、二度にわたって朝鮮侵略を行った豊臣秀吉の大阪城本丸内の博物館で開かれたという事実、それが問いかけるものは、現代の日韓・日朝関係に、そして戦後処理にかかわる日本政府やさらにはわれわれ民衆の姿勢を厳しく問い直すものであったともいえる。

<<朝鮮侵略とは対極に位置する使節団>>
ところでこの朝鮮通信使とは一体いかなるものであったのか。戦前はもちろん、戦後においてもほとんど触れられることのなかったテーマである。ようやくここ十年前後に教科書でも取り上げられ出したところである。それには相応の理由があったといえよう。まず、豊臣秀吉の時代の朝鮮侵略と明治維新以後の秀吉賛歌、征韓論の登場、そして朝鮮侵略、日韓併合という歴史的事実である。ところがこの狭間にあった徳川・江戸時代というものはどのような時代であったのか。これを朝鮮侵略とそれと対極にある善隣友好の使節団・朝鮮通信使を軸にして歴史を見直すと、これまでの歴史観とは相当に異なった江戸時代の本質的様相が浮かび上がってくる。いわゆる征韓論、これは後期は別として江戸時代には表面上は否定されていたものである。秀吉の前後7年に及ぶ、15万8000の大軍を出した朝鮮侵略、文禄・慶長の役(壬辰倭乱、1592~97)を傍観し、秀吉の死と豊臣方の疲弊の機に乗じて1600年、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、実にこの侵略戦争後9年で朝鮮との間に平和使節団を実現させているのである。そして1607年から1811年まで、12回にわたって、少ない時でも300名、多い時には500名の大型使節団を迎え入れ、各藩、各大名に歓待の限りを尽くさせ、対馬から江戸まで延々1000キロ以上に及ぶ大行程をさまざまな政治的文化的芸術的交流の場として提供し活用しているのである。その意図や狙いは別として、敵対と侵略の期間よりも善隣友好の期間の方が日本の歴史上最も長いのである。戦後50年を経過しようとしているのに、いまだ戦後処理にもたついている現在の日本の姿とは対照的であるといえよう。

<<「民際」の重要性>>
さてシンポジウムでは、辛基秀氏を中心に、上田正昭氏(大阪女子大学長)、ロナルド・トビ氏(米イリノイ大教授)、田代和生氏(慶応大教授)、河宇鳳氏(韓国・全北大教授)がパネラーとして参加した。上田氏は、国際交流の国際に対置するものとしての民際ということの重要性を強調され、民衆と民衆の交流にこの朝鮮通信使が果たした役割を指摘し、さらに雨森芳州という当時の傑出した外交官が幕府や藩の思惑を超えた交流、「互いに欺かず争わず」、「誠信の交わり」という誠信誠意の外交を推進した意義について強調されたが、これは各パネラーとも一致して強調された点であったといえる。雨森芳州が朝鮮侵略を「大義名分の無い、無名の戦」と断罪した言葉は、現今においても再確認されなければない言葉であろう。
一方、江戸幕府側としては、鎖国政策をとりながらも、対朝鮮、そして琉球を通じた対中国、さらに対アイヌとは貿易通商関係を維持することが必要不可欠であったし、アジアの中での孤立を避ける必要からも、そして日本における将軍の権威確立の必要からも朝鮮との平和な関係を維持し、使節団を盛大に迎え誇示する必要があった。また各藩に多大な財政負担をさせる必要もあった。田代氏はこうした問題点を経済面から強調された。江戸時代の鎖国政策の意味と現実を改めて検証しなおすことが問われているともいえよう。

<<わだかまりを払拭するもの>>
河氏は、この朝鮮通信使が室町時代から行われてきたものであり、しかもそれは相互に60回以上にわたって訪問していた事実を想起し、その後戦国時代に中断したのであるが、豊臣時代になると、当時の首都漢城への日本の使節団の三つのルートが秀吉の朝鮮侵略のルートにことごとく利用されたことから、江戸時代は日本側の使節は釜山どまりとなり、その後の植民地化を通じた屈辱と苦難の歴史の中で、第二次世界大戦後の現在においてもいまだ重要な不信感の根拠となっており、容易にわだかまりが消え去らない状況を指摘していたことが印象的であった。トビ氏は、河氏の指摘された状況を日韓双方を滞在して実際に感じたことを報告しながら、同時に今回トビ氏がアメリカで新たに発見した江戸時代の狩野派の画家・久隅守景の描いた12枚の朝鮮通信使の行列を描いた絵をスライド上映して披露し、いかに当時朝鮮通信使が重要なイベントであり、多くの民衆から好奇と好意を持って迎えられていたかを明らかにされた。会場からの質問や疑問にも応える形で多くの問題を提起したシンポジウムであったといえる。
村山内閣は、これまでの政権とは違った戦後処理、戦後補償問題に対する誠信誠意の「民際」をともなった善隣友好外交に大転換すべきであろう。朝鮮通信使展と一連の今回の催しは改めてこのことを確認させてくれるものであった。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.203 1994年10月15日

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【本の紹介】「良い円高 悪い円高」

【本の紹介】「良い円高 悪い円高」
         リチャード・クー著 東洋経済新社 ¥1600円

経済の本ですが、とても読み易い本です。為替レートのメカニズムや戦後最高値を更新し続ける現在の円高について、マクロに理解させてくれます。特に著者は、投資家の立場に視点を置いて、一個人人ですら海外投資をする条件にない中、どうして投資家による海外への「貿易黒字還流」ができるのか、また内外価格差が解消されない以上輸入が増加する条件もない、と言う中で出口の見えない深刻な現在の円高を解明している。

<深刻な現在の円高基調>
まず、著者は特に90年代に入っての円高の評価について、将来の日本にとって対処の仕方を間違えると、日本経済に壊滅的な打撃を与えかねないと指摘する。
80年代のいわいる「円高不況」は、アメリカをはじめとする海外諸国の高金利状況の中で、海外債権を日本の機関投資家が大量に購入し、円高の陰でドル買いが進められ、また日本にあっては「バブル景気」といわれる金融主導の好景気によって、特異な形で乗り切ることができたが、現在の円高については、80年代のこうした「特異な脱出条件」は見あたらないという。具体的には①海外の債権金利は低調に推移していること。②円高基調であっても、将来の為替差損に耐えられる株の含み益は、激減しており、機関投資家による海外への債権投資をほぼ凍結状態にしているからである。
これらが、投資家の海外投資、すなわち、ドル買いにストップをかけており、80年代のような、円高の解決策は現状では不可能だという。
為替レートは、経済のファンダメンタルの表現であるとしても、80年代にアメリカが、ドル高の中で国内の主力製造業を軒並み衰弱させた実例のように、現在の円高は日本の「産業の空洞化」を一層進めることになるが、それしか解決策がないのか、とも問いなおしている。

<良い円高とは>
書名のとおり、著者は現在の円高を「悪い円高」と規定している。「悪い円高」とは何か。それは輸入障壁や商慣行の違いから、なかなか増えない輸入に対して、輸出が減る形で是正が行われる場合のことである。
年間1300億ドルという日本の貿易黒字という状況での円高は、本来一層の市場開放、内外価格差の是正を通じて、輸入の拡大により、通過の安定が行われる必要があるが、現状ではこうしたことが進行する状況にない。日本で進行しているのは「悪い円高」と言うわけである。
一方、「良い円高」とは何か。巨額の経常収支の黒字がある中で、輸入を増やし、すでに巨額になっている輸出に輸入が追いつく形で不均衡が是正される円高であると著者は規定する。拡大均衡の中で、通貨の安定、産業の安定を確保でき、輸出入の拡大を通じて世界経済にも好影響を与えるというわけだ。

<現在の円高は日本製>
著者は、そもそも70年代・80年代を通じる日本の経済政策そのものが、現在の円高を生みだしたのであって、現在の円高は純粋の日本製だという。現在円は、ドルだけでなく、すべての通貨に対して円高となっているから、単に対ドル関係が要因ではないという。
著者は、イギリス、アメリカ、ドイツの例を挙げて、貿易黒字の発生に対して、自国通貨の高騰が起こった時、どのように解決して行ったか、を示している。
ドイツは70年代、急速なマルク高に襲われ、ドイツマルクは実効ベースで3割も高騰した。ツアイスをはじめ西ドイツ製カメラが次々生産中止に追い込まれて行った。やがてドイツの投資家達に巨額の為替差損がおそった。その後、ドイツ政府は国内の市場開放を進め、その結果、ドイツマルクの上昇率は73年頃から穏やかなものになり、自国産業の空洞化が加速するのを抑えることに成功した。現時点でのマルクは60年代の初めに比べ実効ベースで2倍になっているが、円は同時期に4倍になっている。
日本は80年代に対外投資は自由化したが、市場開放は進めなかった。

<投資家の動向を注目>
こうした分析を通じて、著者は、日本のエコノミスト達が投資家の動向を経済の重要な変数として認識していないと指摘する。貿易黒字は、投資家によって固定的に海外に投資される、という理論が横行している。ところが投資家は儲からなければ動かない。海外金利の低迷、膨大な含み益の激減、円安期待が出来ない現状では、如何に貿易黒字が発生していようと、投資家の海外投資は凍結される。実際に80年代をつうじる海外債権・資産投資は、円高によって利益を得るのではなく、累積で35兆円の差益差損を生じさせた。投資家とは生命保険会社や年金資金などを運用する人たちのことを指すが、一部の大金持ちだけでなく、すべて国民の年金や保険の原資であり、これらの損害は最終的に国民に負わされる。日銀のドル買いも経済政策としては是認されるとしても、全面的な円高基調に対しては、焼け石に水程度の効果しかない。
現状は、おそらく日米経済協議の動向を投資家達は注視しているため、100円前後で推移しているが、日米協議の動向によっては、一段の円高は避けられない。商工中金の円高影響調査によると、中小輸出関連企業の101社の98%が、1ドル100円を切れば採算が合わず、111,7円でようやく採算が合うと回答している。一層の円高ともなれば材料の海外調達、海外生産に拍車がかかることは必死の状況である。

<ノーと言った日本>
今年2月の日米首脳会談で、米国側が要求した輸入拡大の数値目標で合意できずに決裂、その後一気に円高が進んだ。貿易不均衡に対して、数値目標で合意出来なければ為替レートで是正するしかない。「ノー」の判断が、どこまで考えての判断だったのか、と著者は日本の官僚の考え方に疑問を投げかけている。
以下の章で、円高是正を自力で進められない日本内部の問題を分析している。日米交渉のポイント、金融不安と土地利用規制の緩和、日本の官僚の体質、企業の姿勢を含む日本式資本主義の問題などなど、いずれも説得力のあるものばかりである。

<「輸出より内需拡大論」でいいか>
この本を読んで考えたことがある。これまで労働組合は「内需拡大」をスローガンにしてきた。その中身は、賃上げによる購買力の増加であり、社会資本の充実などである。それによって不況からの脱出をすべきという考えであった。それに対して日経連などは物価の安定が大切で賃上げは物価を引き上げると、平行線の議論をしてきた。
しかし、すべての通貨に対して円高基調、内外価格差は縮まらない(いわいる円高メリットは一向に国民に還元されない)と言う中で、労働組合が賃上げ・内需拡大をいうだけで、急速に進行しようとしている「産業の空洞化」による国内雇用の減少などに対抗できるのか、という問題である。
規制緩和・市場開放についても、労働者国民の立場から、具体的に政策提起することが必要ではないか。円高がもたらすメリットよりも明らかにデメリットの方に注意を向ける時が来ている。勤勉な日本人と怠惰なアメリカ人論、外国からの謀略説など感情的な円高論や日本経済は今回の円高も乗り越えるだろうという考え方が一般的だが、今回の円高をどうするか、まさにグローバルエコノミーの時代にあって、円高問題に対処すべきだと感
じた。今後村山政権が日米包括経済協議をどうすすめるか、注目されるところである。
(佐野秀夫)

(追記:本書の出版元・三一書房が労働争議のために出版活動を停止している。このため本書については入手困難な状況となっているが、機会があれば一読を要請する次第である。)

【出典】 アサート No.202 1994年9月15日

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【投稿】旧連立野党の新党構想について

【投稿】旧連立野党の新党構想について

去る9月5日、新生・公明・日本新党・民社・自由・新党みらい・高志会・旧改革の会・リベラルの会、民主改革連合などの野党10党派(改革推進協議会)は、首脳会談を開き、新党協議会を設立を確認し、自社さの村山連立政権に対抗する統一政党の動きを進めた。はたして、この新党はいかなる政策を持っているのか。「新党結成にむけての国民へのアピール」と「責任ある政治を求めて・‥新党結成への基本理念」を材料に、新党を概観してみたい。
今回の新党協議会は、今月下旬の臨時国会での統一会派結成から年内での新党結成をめざすものと公明新聞9月8日号は報じているが・‥・。

<政党補助が一番の日的>
新党の結成を急ぐのは、総選挙が近いからでも、統一を求める声が巷にあふれているからでもない。先般成立した政治改革法案の政党補助を受けんがためであることは周知の事実である。民社・日本新党に慎重論があるにも関わらず、新党結成を強行に進めようとする原動力は、この一点に尽さるようだ。

<責任ある政治?>
村山政権の「人にやさしい政治」に対して、「責任ある政治」がキーワードになっている。「・・いかに困難であろうとも問題を先送りせず、改革にまい進する責任ある政治の実現」「38年ぶりに非自民政権を実現し、政治改革をはじめ、さまざまな改革に取り組んだ細川政権、それを引き継いだ羽田政権は、久かたぶりにみた青空であった」とし、「旧来の55年体制の主役たちが既得権の維持のために公然と手を握り・‥改革が後退することを真剣に危惧する」などが「国民へのアピール」のすべてである(かなり情緒的な文書になっている)。
基本理念では、「‥・今日までわが国を支えていたシステムは方向性を見失い、完全に行き詰まっている。・・・日本の良き文化と伝統を活かしつつ、地球社会を視野に入れ、自由・公正・友愛・共生の政治理念を基本とした活力ある福祉社会を築くことは我々の使
命‥」としている。
以下 3項の具体的(?)な政策が提示される。
1、たゆまざる改革では(1)健全な議会制民主主義を確立し、たゆまず政治改革を継続し、官僚依存の政治を打破し、国民に開かれた政治。(2)行財政改革と地方主権の確立では、極力規制を緩和し、行政の肥大化を抑えるべく行財政改革に取り組み、地方主権を確立し、効率的な体制を整え、国民の負担を極力抑制しつつ、その公平を期す。(3)経済改革と生活の質的向上では、規制緩和、高度情報化社会の到来に経済改革を進め、内外佃i格差を是正し、生活の安定をはかり、環境と調和する生活の質的向上をはかる。(4)教育改革では、教育制度の改革、日本人としての誇りを持ち、心豊かな国際人としての素養を高める。
2、長寿福祉社会の基盤の確立では、生きがいを感じうる活力ある長寿社会、経済的安定と雇用の確保、勤労者・生活者の立場に立つ公正な社会をめざし、少子高齢社会を視野に入れ、‥我が国社会の特質にあった質の高い福祉社会を築く。多様な生き方を選択できる男女共同参加型社会をつくる.。
3、平和な世界をつくる‥一国平和主義、一国繁栄主義からの訣別では、国連改革をはじめ世界の運営に積極参加、力に依存する冷戦時代の発想を乗り越え、信頼醸成、予防外交につとめ、世界の繁栄に責任をはたす。核兵器の廃絶、拡散の防止、世界の軍縮をリードする。日米関係の安定と強化、アジア太平洋地域の繁栄に寄与。自由貿易を守り、南北格差の是正、地球環境の保全。人権及び自由の確保に大きな役割をはたす、など。

<時代を反映する基本理念>
こうして全文を読んで見ると、それなりに考えられた内容ではある。地方主権、男女共同社会、官僚依存政治の打破、軍縮、地球規模の環境保全など個々の文言だけでは、それほど私自身も違和感がないほどである。
それだけ、時代の選択枝は狭くなっているのであろう。敢えて言えば戦後補償に代表される問題には触れられていないし、特に「勤労者・生活者の立場に立つ」と言うが、この新党がどの層に立脚するのかは、極めて曖昧である。
全体的には「自社さ」政権の政策と敢えて違いを出そうとしているのだろうが、残念ながらさらに具体的な目標・政策の提示がなければ、明らかにはできないようで、インパクトには欠けている。この点は、新聞各社の主張でも同様の指摘が行われている。

<新党結成に広遠い道>
今後、新党結成までには、党綱領の決定、さらに党首の選出方法や具体的人選、既存の各党派の組織を統合する課題など、様々な問題が待ち受けている。いずれ新生・公明を軸とする「一大保守政党」となるであろうが、新・新党結成というだけでは国民からの関心も期待も少ないことは間違いがない。
他人事と考えず、十分に注目していくことが必要と思われる。
(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.202 1994年9月15日

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【投稿】社会党は消えゆくのか

【投稿】社会党は消えゆくのか

先の参議院愛知補欠選挙は連立与党のものの見事な惨敗だった。旧連立の旗手である海部の地盤だったとはいえ、あまりの大差に驚きを隠せない。当然、これが衆議院の小選挙区だったならば連立与党の全滅である。末広という無党派侯補に浮動票をかっさわれた格好だが、ある意味で浮動票の行方に左右される自社両党のそれぞれの弱点が、選挙協力によりむしろ拍車がかかったともいえる。連立与党は「村山政権への評価ではない」と必死になって政権への影響を否定しているが、旧連立がますますもって新党結成へ勢いをつけて突っ走っていることを見れば、先々大きな影響があると言わざるをえない。
社会党にとって、本当に自社連立でよかったのだろうか。あの政治情勢の中では、この選択しかなかったとしても、その後の展開を見れば社会党が首班となったことへの期待から失望へと変わってきているのが正直な気持ちだ。現状を追認し、自らの党是を変え、今まで支持していた市民運動を切ることが、責任政党だというのであれば、何もそれが社会党であることの意味などないではないか。これが社会党改革の中身だというのだろうか。新生一公明ラインになめきった対応をされながらも、必死になってがんばっていた第1次連立時代の方が、よほど社会党らしかったと思うのである。首班となればその「らしさ」がより強くだせるというのが、普通の常識的な感覚ではないだろうか。「責任がある」ということは現状を追認するのではなく、現状を変えていくことに責任があるということなのである。
新生一公明の国家主義的強行路線が露骨になりはじめたころに、ほのかに期待を寄せていた「社民リベラル結集」は夢のまた夢となってしまった。江田五月はなぜかブームがさったころに日本新党にいってしまい、労働運動をなおざりにしてまでこの課題にかけていた山岸連合会長は舞台から降りようとしている。横路北海道知事の行き場はどうなるのだろう。 旧連立は新・新党結成へ着々と準備をすすめ、公明新聞の見学などというパフォーマンスに大はしゃぎしている(確かにあの公明新聞がそのまま新・新党の機関紙になれば脅威であり、小沢が喜ぶのも無理はない)。地方議員や地方組織はどうするのかという大きな問題がありながらも、着実に前を向いてすすんでいるという印象を受ける。
自社連立は一時的な戦略どころか、旧連立の新・新党に対抗して、自社さ3党で新・新党をという話すらささやかれている。先月号での佐野秀夫氏の「民主主義のコストについては後払いできない」という言葉はまさしくそのとおりである。最近の政治はあまりにも安易に物事が決められすぎている気がする。そんな政治に官僚たちはますます責任感をもってがんばり、市民たちはますます不信感をもってシラけるのである。
先の社会党の臨時党大会は予想外の静けさの中で幕を閉じた(一部場外では「革命的暴力」をふりかざして騎ぐことしか知らない、どうしようもない輩がいたようだが)。自民党はこれを「仮免許から本免許になった」と評価したようだが、とても無難に乗り切ったなどとは思えないのである。むしろ、この静けさが崩壊一自然消滅への道を歩んでゆく第1歩を象徴していると感じるのは、思い過ごしだろうか。参議院選挙も総選挙もとてもうまくいくとは思えない。選挙協力ができても愛知の二の舞で、できなければ共倒れ、そんなシナリオしか浮かばない。第4次連立政権への劇的な展開を待つしか望みがないのだろうか。
解放運動や労働運動などを通じて、国政の場へ私たちの意見を反映させることのできる存在として社会党に期待していた人が多いと思う。これからはどうすればいいのだろう。この間題で投稿するたびに呼び掛けているのだが、第1線で社会党としてがんばっている諸氏のご意見を是非聞かせていただきたいのである。投稿をお待ちしています。
(大阪 江川 明)

【出典】 アサート No.202 1994年9月15日

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【投稿】日本共産党第20回大会は何を明らかにしたか

【投稿】日本共産党第20回大会は何を明らかにしたか

<<「-部の落後者」>>
去る7月19~23日、日本共産党は代議員999人を集めて、第20回大会を開いている。公式発表によると、現党員数は約36万人で、日曜版を含む赤旗読者数は250万人ということである。これは、87年の第18回大会時の公式発表、党員数48万人以上、赤旗読者数300万からすれば7年間の間に党員数は12万人、赤旗読者数は50万人減少したことを示している。実態はいわゆる「12条該当党員」といわれる未結集党員が10万人前後に達していることを考慮すれば、もっと深刻であろう。
志位書記局長の報告によれば「前大会以降、入党者の4割は青年であり、4千人以上の青年が我が党に入党している。同時に全党的にみると、党員現勢の中で占める十代、二十代の党員の比率は、低い水準にとどまっていることも事実である」と述べている。逆算すれば、前大会以後1万人しか入党せず、それに倍する党員が、しかも若い党員が数多く共産党から去ったことを示している。そして赤旗読者の減少についても、「毎月数万の規模の構読中止読者をなくする問題は、極めて重要である」と報告せざるを得ない事態である。
さらに同書記局長は、「ソ連・東欧の崩壊などの情勢の急激な変化を、科学的につかみきれずに落後していったものが、一部に生まれました」と指摘して、できるだけ低く見せかけた「一部の落後者」が相当多数に及んでいることを語らざるを得なくなっている。すでに久しく共産党のお家芸の域に達した排他的な憎悪と攻撃の対象は、反党分子や盲従分子から、これからは「落後者」、「脱落者」へと重点移行するのであろうか。冷戦体制の終焉、ソ連崩壊という歴史的転換の時代からすれば、ここまで食い止め得ていることは、むしろ評価されてしかるべきであろうと思えるが、指導部の姿勢には「わが党以外は、すべてダメ」という硬直的で排他的、独善的な姿勢にいっそうの磨きをかけることに全精力を費やしているとしか見えない。

<<「冷戦終結」論=アメリカ帝国主義美化論>>
その硬直的で、歴史的転換の特徴をまったくつかみ得ない論法が、「冷戦は終結していないどころか、いっそう強まっている」という、現実を直視し得ない強弁論法である。志位書記局長は、「終結したどころか、生き残り、再編・強化されているのである。アメリカを中心とする軍事ブロックは、諸国民への軍事的経済的支配の手段としての役割と機能をいっそう強めている。「冷戦が終結した」とするのは、世界のこの現実に目をつむる根本的誤りである」と報告している。そもそもアメリカ帝国主義はソ連や中国とは仲良くしながら、各個撃破政策をとっていたのであって、それが冷戦体制であった、したがってソ連が崩壊すればそれがよりいっそう強化されるというわけである。しかしもはや冷戦的政治支配体制や軍事支配体制が主観的にも客観的にも継続し得なくなってきていることは否定しがたい。
そこで不破委員長は、「アメリカ帝国主義が、かつての『ソ連脅威』論をより一般的な「紛争脅威」論などにおきかえて、『世界の憲兵』戦略という新しいよそおいのもとに、冷戦体制を再編・継続している」として、「いま注目すべさことは、ソ連解体という情勢のもとで、同じ型のアメリカ帝国主義美化論が再び登場していることです。それが『冷戦終結』論であります」と論点のすり替えを行っている。そして、「冷戦終結」論などを唱えるものはアメリカ帝国主義美化論者であるとして、たとえ党内の学者や研究者であれ、容赦はしないという姿勢を打ち出すわけである。これは、昨年10月の党員研究者の会議で、この党中央の冷戦崩壊論批判に異論が続出し、それが新聞報道されたこと(94/4/6、毎日)を念頭においている。

<<「公開の討論は、中央委員会の承認のもとに」>>
これに関連して、今回の大会では、「党の会議や機関紙誌で党の政策・方針に関する理論上・実践上の問題について、討論することができる。ただし、公開の討論は、中央委員会の承認のもとにおこなう」という規約改定が行われている。その理由説明に立った小林幹部会委員は、「討論の権利に関連して、公開討論は中央委員会の承認のもとにおこなうことを明記した。討論は党内民主主義の保障にとって重要ではあるが、この討論を公開で行うか非公開で行うかという討論形態は別個の問題である」と述べている。またもや党員の除名や排除は「意見の相違が理由ではない、党規律違反が理由である」、党の承認を得ずに党内の討論を党外に持ち出したから、党内の討論であっても所属の違う党員に討論を持ち出し、それは分派活動的な規約違反行であったからといった、これまでにもさんざん用いられてきたすりかえ論法が規約上でも確保されたわけである。
さらにこの規約改定では「討論は、文章であれ口頭であれ、事実と道理にもとづくべきであり、誹誘、中傷に類するものは党内討論に無縁である」という規定を追加し、その理由について、「近年、党大会前の機関紙誌などでの討論、あるいは質問や意見提出などのさいに、とうていまともな議論や疑問とはいえない、悪罵や誹誘、中傷に類するものも少なからずあったので、それが党内討論とは異質であることを明らかにした」と、その意図を露骨に述べている。公開討論はもちろん、党内討論においても「悪罵や誹誘、中傷」等々を理由に、「アメリカ帝国主義美化論者」やその他諸々の異見を有する人々を排除するお膳立てが整ったのである。

<<綱領に「反動的俗論」に対する反論を挿入>>
さらにその排他的な磨きの矛先は、丸山真男氏の日本共産党論にも向けられ、これを「反動的俗論」として描き出し、わざわざ綱領改定の重要な柱としている。「他のすべての政党が侵略と戦争、反動を推進する流れに合流する中で、日本共産党が平和と民主主義の旗を掲げて不屈に闘い続けたことは、・・侵略戦争を阻止しえなかったから日本共産党にも戦争責任があるとするたぐいの攻撃の、根拠のなさを明らかにしている」という反論
を今回新たに挿入したのである。丸山氏は、絶対主義的天皇制の精神構造が日本共産党にも転移していることを指摘したものであるが、綱領改定の提案者である不破委員長は「その提唱者が誰であれ、学問の名に値しない反動的俗論であります」と切って捨てている。
ここには共に闘うべきさまざまな人々、諸政党、広範な要求に根ざした運動、諸団体に対して、「唯一日本共産党だけが・‥」、「我が党だけが一貫して・‥」といった、馨り高ぶった、統一戦線思想をまったくかえりみない極左的俗論と言うべきかあるいはセクト主義的な唯我独尊論が浮き出ているといえよう。そこには戦前の党が、社会民主主義者を始め、さまざまな反ファシズムの諸運動や大衆団体、労働運動と連帯して闘い得なかったことにたいする徽塵の反省もないばかりか、むしろそれぞれに対する断罪に全エネルギーを注ぐ醜悪な側面が浮かび上がってくる。
志位書記局長は大会決議の報告の中で、現在の社会党について、「もはや社会党から自民党政治を引いたら何も残らない。『社会党マイナス自民党はゼロ』という『方程式』が成立するような状況になったわけです」と述べ、さらに村山政権のもとで、「海外派兵体制と小選挙区制は、反動勢力の「車の両輪」ともいえる長年の野望だったが、その実現への突破口が開かれたことは、日本型ファシズムヘの危険を増大させるものである」と、危機感を煽っている。唯一前衛党をふりかざし、他をあざ笑い、危機感を煽り立てるような政治姿勢は、絶対主義的天皇制思想と同一のものが転移したと指摘されても致し方のないものであろう。

<<「日本の支配体制」論の混迷>>
ところでその絶対主義的天皇制についても、今回綱領改定を行い、「当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、農村では半封建的地主制度が支配しており、これらの基礎の上に絶村主義的天皇制が反動支配勢力の主柱として軍事的、警察的な専制権力をふるい、国民から権利と自由を奪い、アジア諸国に対する侵略と戦争の道をすすんでいた」と改定している。そのようにした理由を不破委員長は「現行の文章で述べられている『当時の支配体制の特殊性』を、内容的に明確にした。絶対主義的天皇制、半封建的地主制度、独占資本主義の三つの結合だが、並列的な結合ではなく、軍事的、警察的な専制権力をふるった天皇制がその全体の背骨をなし、農村における半封建とともに、日本社会の進歩をおさえる前近代的な遺制をなしていた」と述べている。
これは何を意味しているのであろうか。戦前の講座派やコミンテルン32テーゼの誤りの上塗りをここでなぜ繰り返す必要があるのであろうか。そのいずれもが戦前の支配体制を絶対主義的天皇制の優位においてとらえ、独占資本の侵略と戦争責任を免罪し、社会民主主義主要打撃論を展開して反ファッショ統一戦線の道を自ら閉ざした主要な立脚点である。戦後においては、日本の支配体制を独占資本よりもアメリカ帝国主義の支配の優位においてとらえる、日本=対米従属・半占領国家というあの破産ずみの俗論である。さすがにこの点については、今回の綱領改定で現行の「アメリカ帝国主義になかば占領された」事実上の従属国という規定を、「国土や軍事などの重要な部分をアメリカ帝国主義ににぎられた」事実上の従属国と改定している。しかしこれでは本質的な改定にはなっていない。やむをえず不破委員長は、「この「半占領」という規定は、理論的な意味では、日本の現在の状態にもあてはまりうる規定です。ただ、現状の表現としてよりわかりやすい、うけとりやすい規定に改めたというのが、改定の趣旨であります」と弁解している。さらに「一部には、経済面の従属はもうないのか、という質問がありました。経済面での対米従属では、いまでは、アメリカが日本経済の重要部門を直接にぎるといった形態よりも・‥」とまったくしどろもどろの答弁である。まさにこの点は、彼らの政治的理論的混迷の象徴ともなっている。

<<「旧ソ連は何だったのか」という問題>>
この政治的理論的混迷をさらに押し進めたのが、「社会主義をめざす国」という新しい規定である。今回の綱領改定で新たに「社会主義をめざす国々には、第二次世界大戦後、世界の広大な地域にひろがった。しかし最初に社会主義をめざす道にふみだしたソ連では、レーニンの死後、スターリンを中心とした指導部が、科学的社会主義の原則を投げ捨てて、‥・」と述べて、さらに「ソ連およびそれに従属してきた東ヨーロッパ諸国の支配体制の崩壊は、科学的社会主義の失敗ではなく、それから離反した覇権主義と官僚主義・専制主義の破産である。これらの国ぐにでは、革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標が掲げられたが、指導部が誤った道をすすんだ結果、社会の実態として、社会主義社会には到達し得ないまま、その解体をむかえた」と規定している。
これについて不破委員長は、「ここでまずあきらかにしておきたいのは、この『社会主義をめざす』という言葉は、その国の人民あるいは指導部が社会主義を目標として掲げている事実をあらわしているだけで、これらの国ぐにが、社会主義、共産主義社会にいたるいわゆる過渡期に属していることを、一律に表現したものではない、ということです。では、旧ソ連は何だったのかという問題で、これは、大会前での討論でも、最も議論の多かった問題の一つであります。スターリン以後の転落は、政治的な上部構造における民主主義の否定、民族自決権の侵犯にとどまらず、経済的な土台においても、勤労人民への抑圧と経済管理からの人民のしめだしという、反社会主義的な制度を特質としていました。スターリンによる転換以後、強力をもって形づくられた旧ソ連社会が、社会主義社会でもそれへの過渡期の社会でもなかったということ、そこに私たちの認識の今日的な到達点があるということであります」と述べている。
「ソ連共産党の解体を歓迎した党の態度の根本には、この綱領的立場があった」というのであるが、それでもなお旧ソ連は一体何だったのかという疑問には答えていない。そこで不破氏は「私たちは、この党大会でソ連をいかなる社会主義構成体とよぶべきかという学問的結論をだして、こんごの学問的研究を制約するつもりは少しもありません」と、一見殊勝な態度を表明している。しかしそれは単に自らの理論的混迷を示しているに過ぎない。歴史的な社会主義の現実をありのままの姿で真摯に検討し、自らの教訓とするのではなく、自分たちの尺度に合わないものを検討の対象外として、「おれたちには関係のないこと」とする無責任な態度の表明といえよう。

<<よりいっそう重くなる業病>>
このようにして問題点を取り上げ出すとキリがないので、最後に実践上のいくつかの問題についてだけ触れておきたい。今大会に限らずそうなのであるが、労働運動の現状と展望について、そして人類的課題である地球環境問題については言及がほとんどなされなかった。本来彼らがセクト的な引き回しの結果として作ったはずの全労連についてその強化策がまったく触れられず、質的にも量的にも展望が見出し得ない実態を反映して、大会決議では「連合参加労組や、末組織労働者の中での活動を抜本的に強化する」方針に転換している。連合参加労組内での反対派活動、フラクション活動の強化である。
さらに生協問題についても大会決議で不穏当な方針が提起されている。「この間、生協運動の分野では、日生協本部の活動方針から、核兵器全廃などの平和の課題が欠落したり、組合員の共同購入を消極的に扱って大企業と競い合う大店舗化をすすめるなど、『平和でよりよい生活』をめざす生協運動の原点からの逸脱が問題とされてきた。生協運動の原点と伝統を守り、生協本来の活動を発展させるための改善の努力をはかることが、期待されている」。これは次のセクト的な行動を予測させるものであろう。
そして綱領改定の中で、当面の行動綱領の内、部落問題を独立の項目からはずし、「党は、社会の諸方面に残っている半封建的な残りものをなくすためにたたかう。いわゆる部落問題については、ひきつづき国民的な融合に努力する」と改定し、その理由について「同和問題をめぐる全国的な闘いの成果をふまえて、独立の項目とせず、半封建的な残りものをなくす全体的な要求の中に位置づけた」と述べている。ここでいう全国的な闘いの成果とは、いうまでもなく自らが扇動してきた差別キャンペーンであり、その最終段階での強化を意図しているといえよう。
もう一つ奇怪なのは、今回の綱領改定で「18歳になった日本国民は、党員になることができる」としたことである。その理由について、「現行の『日本人』という規定は、第7回大会での規約統一解釈において在日外国人は日本共産党の党員となることができないとしたのを明文化したものであり、『日本国民』として、本来の趣旨をより明確化した」と述べているが、このボーダーレス化がますます進行し、国際的人類的課題の遂行が共通の責務となっている時代に、この民族排外主義的な認識は何という落差であろうか。多くの地方自治体や議会で在日外国人の選挙権、被選挙権を認める方向が論議され、また実際に決議もされ、新しい諸政党がその入党を当然のこととしている時代にである。
彼らに骨の随から染み着いた民族主義的でセクト主義的な業病は、今回の大会でその症状をよりいっそう重くしたといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.202 1994年9月15日

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【本の紹介】『獄中19年-韓国政治犯のたたかい-』

【本の紹介】『獄中19年-韓国政治犯のたたかい-』徐勝著、
           94年7月20日発行、岩波新書、650円
       『完全なる再会』キム・ハギ著、93年6月1日発行、影書房、2884円

<<「国家保安法」改廃問題、急浮上>>
今、韓国では、国家保安法の改廃問題をめぐって与野党全面対決の状況になろうとしている。朝鮮民主主義人民共和国の金日成主席の死去、核疑惑、金正日体制の不明確さなど、情勢の不安定なさなか、去る8月11日夜、韓国の検察・警察当局が韓国の在野団体で最大規模の「民主主義民族統一全国連合」(約40万人)の李・常任議長ら二人を国家保安法違反容疑で拘束したのである。李氏らが、北朝鮮の統一方式に共感を示し、金主席の死亡の際も反政府的な論評を繰り返した疑いだという。翌8月12日、民主党、新民党の両野党党首はこれを「新公安政治」と非難し、全面対決の方針を明らかにし、9月国会で保安法改廃問題を最優先する方針を明らかにしている。8月10日には米政府が保安法の改廃要求を改めて打ち出しており、社会的な緊張の高まりと共に、この問題が急浮上してきたわけである。従来の「公安政治」を主導してきた軍人政権からの転換をはかってきた金泳三政権が、これにどう対処するか注目されるところである。

<<自由と人権思想に反する悪法>>
ここに紹介する二つの書籍は、この国家保安法と密接に関連する痛切な問題提起の書である。二人の著者は共に、この国家保安法や反共法、社会安全法といった法律によって逮捕、拘禁され、筆舌に尽くせぬ拷問を受け、獄中生活を余儀なくされた。これらの逮捕の根拠となった法はいずれも、植民地朝鮮に日本帝国主義が残してきた治安維持法をそっくり継承したものである。
徐勝氏は、朴正煕の大統領選を1週間後に控えた71年4月20日、弟の徐俊植氏を含む51名が「在日僑胞学生学園浸透間諜(スパイ)団事件」で逮捕され、死刑判決を受けた。徐勝氏は、73年1月31日の上告理由書の中で、「反共法、国家保安法は人間固有の権利である思想と良心の自由を宣言するところの世界人権宣言の精神、すなわち近代世界における自由と人権の思想に反し、ひいてはその精神を承認する憲法の精神に反します。従って原審が反共法、国家保安法違反を宣告したことは不当であると考えます。」と述べている。

<<「過ぎ去った日の思い出ではない」>>
徐勝氏は、この本を書くに当たって、「私が語ろうとすることは、過ぎ去った日の思い出ではない。長い軍部支配が終わり、文民政府が樹立された韓国では、いまも南北朝鮮を敵対関係と規定し、人権を抑圧する国家保安法が厳存している。そして信念を放棄しないという理由で、3、40年にも及ぶ監獄生活を強いられている年老い、病み疲れた33人の非転向政治犯がいる。私が経験した非人間的な監獄の状況は現在進行中である」と、述べている。
徐勝氏は、90年2月28日に釈放されたのであるが、「多くの年老い病んだ政治犯を残したまま、私が一人釈放されたことは遺憾だ。思想転向制度は良心・思想の自由に反し、民族を分断している体制のイデオロギー的装置であり、分断体制を最終的に支えているものだ。統一を念願するものとして、これを受け入れることはできない」と訴えている。
また本書には、1970~80年代に監獄にとらわれていた政治犯・思想犯の生々しい姿や拷問の実態、絶望と孤独や転向、そして機知に富んださまざまな闘いが克明に描かれている。

<<朝鮮戦争以来の非転向囚と若者の交流>>
そしてこの本の中で出色なのは、韓国社会で深く隠されてきた朝鮮戦争以来、30~40年も獄中に捕らわれてきた非転向囚の存在と、70~80年代に広範な青年、学生の民主化闘争の中で逮捕され、投獄された若者との交流である。
「緊急措置令違反の学生たちを一般舎棟に収容すれば、一般囚に対する法を無視した当局の処遇や人権蹂躙を学生たちが問題にし、一般囚が呼応し、騒乱が起きるので学生たちを特舎に収容した。しかしその結果、韓国社会で最も深く隠蔽され秘密にされていた非転向囚の存在が外部に知らされ、孤立を打破する大きな契機が作られることになった。」
「歌をこのうえなく愛す朝鮮人が一緒に10年も暮らしていても、お互いに歌がうたるのかどうかも知らずに過ごしてきた(歌をうたうことはもちろん、歌の本も許可されていなかった)。それが、学生たちが特舎にきて忘年会をやろうということになった。老人たちは戸惑いぎみだったが、若い連中が押し切った。南民戦の若者たちの歌声もすばらしかった。人民軍の文化宣伝隊にいた崔善黙先生の民謡『夢金浦打鈴』もよかった。任俊烈先生の『奪われた土地にも春はくるのか?』も日帝時期の国を奪われた民族の怒りと苦しみがうたわれていて意味深かった。しかし、私たちの魂を揺すぶり、深い物想いへと引き込んだのは李公淳先生の『白い雪が降るよ』という歌だった。初めて聞く歌だった。パルチザンでうたった歌だろうか? 先生が作った歌だろうか? すばらしい美声だった。それよりもうめくように、泣くように、高く低く大晦日の凍てつく空気を貫く歌声は、体の芯をギュッと絞り上げてつかの間の慰みから目覚めさせ、私たちを苦難に満ちた民族の歴史への想いへと駆り立てた。」

<<「衝撃の中・短編集」>>
もう一つの本、『完全なる再会』のカバーの帯には、「韓国文学界に突如予告なしに現れた青年作家の衝撃の中・短編集」と書かれているとおり、深い感動をもたらすものである。
本書は1991年、韓国の創作と批評社より刊行されたものの完訳である。訳者の李哲氏は、現在大阪市在住であるが、高麗大学大学院在学中、1975年、やはり国家保安法違反で逮捕され、死刑宣告を受け、88年に釈放されたのであるが、著者のキム・ハギ氏とは大田矯導所で同じ房に収容され、寝起きを共にし、釈放後も協力しあっている。
その訳者の紹介によれば、キム・ハギ氏は、1978年、釜山大学哲学科に入学、光州民衆抗争が起こった80年、戒厳令撤廃の示威のためビラをまいて逮捕された。軍の特捜部で過酷な取り調べを受けた後、軍隊へ強制徴集され、別件の捜索情報を得て、M16自動小銃と実弾数十発を手にしたまま山中に姿を隠し、1週間後に逮捕された。この時の捜索ではヘリコプターまで数機動員し、射殺の許可までおりていたという。軍法会議で10年の刑を宣告される。1982年、特別舎棟に収監され、そこではじめて長期服役囚たちに会う。訳者と同じく、88年に釈放された。

<<爆発的な売れ行きと発禁処分>>
キム・ハギ氏は、自分たちの民主化運動と一世代前の「アカ」たちがスパイ罪を被された統一運動、さらにそのまた一世代前の日本帝国主義からの武装独立運動が、ともに根を同じくする変革運動であるという認識を抱くに至る。
そして釈放直後から小説を精力的に書き始め、89年から90年の2年間に一連の短、中編の作品を発表、その一篇一篇が大きな反響を呼び、91年の2月に小説集が創作と批評社から単行本として出版されると爆発的に売れ始めた。とりわけ青年学生たちはこれを大学生の必読十大図書の中の一冊と指定したほどであったという。これにあわてた政府当局は発禁処分にするという通達を出してきたが、それにもかかわらず現在もなおステディ・セラーとして書店に並べられているという。
小説の舞台の中心は、特別舎棟=特舎という所である。ここは、転向書に署名することを拒否して生きている人たちが収容されている「究極の舎棟」である。最初に発表された短編、『生きている墓』は、そのすさまじい実態を描き出したものである。89年に発表され、第一回林秀卿統一文学賞を受賞している。

<<「生きている墓」での転向強要>>
最後にその一節を紹介しておこう。
「専担班(転向工作のための専門担当班)の教誨師である朴炯貴が45口径のリボルバー拳銃を引き抜くと、虚空に向けて空砲を撃ちながら口を開いた。」「おまえたちはこれまで転向を拒否してきた非転向囚だった。しかし今日は非転向囚から転向囚に、アカから大韓民国の国民に生まれ変わる再生の日だ。昨年の7・4共同声明以後、国民の分別のない統一騒ぎのため滅共戦線に穴があき、国が極度に混乱してしまった。わたしたちの領導者であられる朴正煕大統領閣下はこれを心配されて十月維新を断行し国をもとの軌道に戻した後、すぐに転向工作のための専担班を設置するよう命令された。南韓にいる非転向囚すら転向させられないでどうして北のイデオロギーを破ることが出来るのだ、というのがその理由だった。それで、きょう非転向囚を全員、百パーセント転向させろという公文書が下りてきたのだ。百パーセントというのは一人もぬけることなく、すべて転向させろということだ。私は面倒くさい話など好きではない。おまえたちの前にはただ二つの道しかない。転向して生きるか、転向を拒んで死ぬかの選択だけだ。」「では転向しようとする者は手を挙げてみろ。」
この後、何が続くのか、是非ご一読を。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.201 1994年8月15日

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【投稿】自然保護運動と政党

【投稿】自然保護運動と政党

ここ数年のあいだに、環境問題が注目されるようになり、自然保護運動のみならず、行政や民間企業レベルでも、環境に対する取り組みが活性化してきた。そうした中、政党も環境問題にカを入れはじめているが、社会党は残念ながら一歩も二歩も出遅れている。自然保護、環境問題も範囲は広いが、森林や渓谷を中心とする山岳地帯の問題を見た場合、ことさらその感が深い。
社会党は、依存している労働組合が職業的(産別として)に関わりのある一部単産以外は、これまで殆ど無関心であること、農村部でも山奥のことは知らん、という対応であり、党本体もイデオロギー先行であることから、森林の保全とか、不必要な道路やダムの建設反対運動には、軍事基地反対運動や反原発運動に比べ力を入れてこなかった。また、地域で自然保護運動に携わってきた人々との接点も無く、党の政策にもそうした観点が反映されることは無かった。幹部にしても、村山総理大臣は漁師の息子だから山は関係ないのは仕方ない?土井衆議院議長は山を動かしたものの、登らなかった。「好きこそものの上手なれ」と言うけれど、組織のなかに関心のある人がいるか、いないかで是ほど大違いなことはない。
一方、共産党は戦後の「勤労者山岳会」=労山の組織化に始まり、日本のあちらこちらで自然保護運動とのつながりをつくっていった。(一説によれば山村工作に失敗しさらに奥地に撤退、山岳ゲリラを目指したため山に強くなったのではないか、と言われている)現在各地で行われている運動で、共産党の影響が無い取り組みを探すのは難しいほどだ。そもそも不破暫三自身、登山が趣味で、自らの山岳紀行を出版しているくらいであるか
ら、カの入れかたが違うのである。
また、自民党をはじめとする保守政党でも、党の政策とは相いれない形になっているが、結構自然保護に関心があったり、キャンプや登山などアウトドアを本格的に楽しむ人が、閣僚クラスにも海部俊樹、橋本龍太郎、愛知和男など結構いるのだ。
かといって、自然保護を保守党や共産党に全く委ねてしまうことは出来ない。保守政党では個人の思いも族のまえでは非力だ。愛知和男は環境庁長官時代、山岳専門誌の長良川河口堰問題のインタビューを受け苦悩する心中を語っていた。
共産党はここでも引回しが過ぎる。労山の会報で「南アルプスに登って」との紀行の後にいきなり「国民平和大行進参加報告」が出てくると、落石の直撃を受けたみたいになってしまう。「週刊金曜日」の「日本アルプスで何が担きているか、三俣山荘撤去命令の本質」という記事(5月20号)を読まれた方もあると思うが、内容は全くその通りで山小屋に法外な地代を吹っ掛ける、林野庁のやり方は問題がありすぎる。しかし、三保山荘主人の孤軍奪闘を英雄視する一方で他の山小屋経営者が林野庁の桐喝に臆したため、山小屋の共闘が困難かのように描くのはどうか。三俣山荘の主人は、労山の結成に深く関わり、現在では日本共産党スポーツ後援会の幹部に名を連ねる人なのだ。もちろん撤去反対運動の支援者は共産党ばかりではないけれど、これだけ露骨に色が出てくると共闘の幅が決まるの仕方がない。
長良川河口堰の運動は、共産党も関わっているが、市民が主導し自治労が積極的にサポートしたため、帽広い取り組みが可能となった。しかし、社会党については非常に影の薄い存在であった。自社さ連立の現在社会党自体の改革が急務ななか、求められる役割も野党時代、前連立時代のとは違ってきている。
そのなかで環境問題の位置づけをいままで以上に重要視し、地域での地道な運動が無駄にならないような政策を確立していくことが求められている。それ以前に、党の人間も薄暗い酒場ばかりで悉くいてばかりではなく、野や山に飛び出していってほしいものだ。
(大阪 O)

【出典】 アサート No.201 1994年8月15日

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【投稿】労働側の「価格破壊」を迫る日経連

【投稿】労働側の「価格破壊」を迫る日経連

日経連永野会長は8月18日日経連経営トップセミナーで「このまま円高傾向が続けば日本の製造業は急速に空洞化し、大失業の発生という事態に直面する」「本当を言えば、貸金を下げ、物価も下げるというプロセス(過程)が必要だ」と、あらためて「貸下げ論」を強調した。また19日に発表された日本企業の再生に向けた提言(富士吉田提言)では「ワークシェアリングなどにょって余剰労働力を吸収、国全体として現状の失業率を維持したい」と明記するなど、賃下げとワークシェアリングによってこの危機を乗り切るという経営側の姿勢を明確にした。
ブームとなった「価格破壊」がついに労働力にも通用されるわけである。一つには貸下げであり、またもう一つはあらゆる領域でのパート労働の採用である。ワークシェアリングについても、この道筋で考えられ、そこにはこれまでの労働慣行や制度の大幅な手直しが行われそうである。すでに一部サービス業の労組からは「基幹社員以外はすべてパート社員化し、コスト競争に生き残ろう」という苦渋に満ちた提案もされている。問題は、正社員はこれまでと大きく変わることのないシステムに落ちつくと思われるが、パート社員の方は賃金(一時金・退職金)をはじめ労働条件(就業条件・年金・保険関係など)は大幅に引き下げられようとしていることが問題である。

結局、資本の論理のおもむくままに
あいつぐ生産移管で製造業は空洞化本番

さて、セミナーでは同時に今後の成長プランについても「輸出抑制」論をめぐって白熱した討議が行われた模様である。しかしこちらの具体策は何もなく、「まだ思考実験にすぎない」としており、資本論理のおもむくままとなりそうである。現実問題、大手リサーチセンターの調べでもすでにこの円高を通じて急速に海外生産拠点(とくにアジア圏)を拡充し、メーカー系列の下請け・外注量は1/4も削減されている。とくに自動車や精密機械の生産拠点となっている地方では著しい雇用環境の悪化が起きているのである。
長野県ではマレーシアなどへ海外進出を続けている三協精機製作所が円高による不況のため、400人の希望退職を募集し、2月で300人あまりが退職。
茨城では日立製作所がマレーシアへ生産移管。従業員を大量に配置転換。子会社4社の合併。
宮城県の東北アルプス電気は中国とマレーシアへ移転するため、県内の2工場を閉鎖し、1500人の希望退職者を募集中。
島根県出雲市では誘致した電子部品組立会社は親会社が生産拠点を中国に移したため閉鎖。地元の職安が失業者の職探しに奔走。
愛媛ではタオルなど繊維26社、紙・パルプ15社が海外に生産移転。
熊本では九州松下電器の工場がアジア進出のため磁気ヘッドの生産を中止し、地元企業が倒産。
宮城では都城市のアルミ製缶企業がスリランカに進出。

円高はいわば「市場の論理」である。先のクリントン・村山会談でアメリカが選択したのは、「日本の輸出が同じように続くなら、それは為替レートで調整するしかないであろう」ということであり、それが今回の円高の直接の政治的要因である。
80年代レーガン政権下で問題となったアメリカの「産業の空洞化」も、結局は「モノづくり」ヘアメリカが再挑戦することによって克服されてきた事態を見ても、日本の大企業の海外生産移管が安易な選択でしかないことは明白である。自動車やコンピューター、電機・機械など日本製品を売れるところに売れるだけ輸出するという、経済体質そのものが問題になっていることはすでにいくどとなく指摘されているのだ。
国内や海外をはじめ、開発や発展、市場そのものを拡大する努力をよそに、「売れるところに売って何が悪い」ではもはや通用しないだろう。アジアをはじめひろく世界に開かれた日本として、仕事や労働をわかちあう経済へと脱却する道を模索することぬきに、海外移転と賃下げ・労働条件の引き下げを一方的に要求する日経連の姿勢は断じて許されない。

lLOでパート労働条約採択される
フルタイム労働者同様の保護を認める
フルタイムからパートタイム労働への転換と
その逆の自由な選択を確保

ワークシェアリングやパート労働に関しての問題はなにも日本国内の事情ではない。いわゆる「先進国」ではいずれも雇用における焦眉の問題となっている。
こうした状況を反映し、ジュネーブの国際労働機関(ILO)総会で6月24日、パートタイム労働に関する条約が採択された。パート労働者の基本的人権を国際的に認め、パート労働をただ労働時間がフルタイムより短い労働者と定め、フルタイムの人と同じ労働基本権(いわゆる労働三権)を認めている。
同様に、母性保護、病気休暇、契約期間の終了を理由とする雇い止めなどについては、正社員と均等な扱いをすることを定めている。
条約文ではフルタイム労働者に関する規定を以下のように定義している。
「対応するフルタイム労働者とは、次のようなフルタイム労働者を指す
(1)当該パートタイム労働者と同一の事業所あるいは支所に雇用される者
(2)後者と同一タイブの雇用関係にある
(3)同一もしくは類似するタイブの労働または職業にある者」
また、第5条では
「パートタイム労働者が、パートタイムで働くことを唯一の理由として、比例的に計算して対応するフルタイム労働者の基本賃金よりも低い賃金を受け取ることがないょうにするため、国内法および慣行に合う措置を取らなければならない。」
第6条では
「職業活動に基づく法定社会保障制度は、対応するフルタイムの労働者のものと対等の条件を享受できるようにするために、パートタイム労働者の職業事情に合わせなければならない。適宜、これらの条件は労働時間、拠出額あるいは所得に関連させて決定されるかもしれない。」
これらのように国際的に様々な形態で短時間労働者が増加する中で、フルタイムだけでなくパートタイム労働を《自由に選択できる生産的な雇用≫と積極的に位置づけ、これらの経済的・社会的重要性とパートタイム労働者の保護を確保するため条約は採択された。

準社員・契約社員・臨時職員いろいろあるけど?
さて日本では昨年「パート労働法」(「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律案」)が可決されたが、その内容は名前の通り、パート労働者を保護するものではなく、「雇用管理」を目的とした内容となっている。法案審議の過程で地域ユニオンなど関係団体の働きかけで、①適正な労働条件の確保、②通常労働者との均衡(これが参院でもめた)、③「雇い入れ通知書の発行、④就業規則の作成、⑤3年後に法を見直す等が盛り込まれた。また「均等待遇か均衡待遇か」をめぐって論戦がたたかわれ、討議をふまえた附帯決議を確認し、「均衡」の概念に関する確認答弁をとるなど異例づくめの法案成立過程であった。
急速な円高と国内製造業の急ピッチな海外生産へのシフトで、雇用問題がふたたび焦点化してきたが、今後の労働力市場を考えるうえでも、パートタイム労働の適切な扱いやワークシェアリングなどが重要な課題となってきている。郵政や自治体職場でも短時間職員についての動きは具体化しつつあり、また、現実問題として準社員・契約社員・臨時職員・非常勤職員などの名称でパート労働は広く社会的労働を担っていることは誰一人として否定できないであろう。これらの労働者を含め労働者全体をいかに保護し、労働を確保するのか、労使ともに具体的な解決策をめぐって選択が迫られている。
(東京 R.Ⅰ)

 【出典】 アサート No.201 1994年8月15日

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【投稿】「村山政権」に望むこと

【投稿】「村山政権」に望むこと

社会党・自民党・さきがけの連立政権「村山内閣」が誕生して2カ月余、支持率の低迷が気になると同時に、「自衛隊合憲」や「日の丸・君が代容認」等が矢継ぎ早に発表された経過について懸念する。
新生党代表幹事小沢一郎氏や公明党市川氏らの「社会党はずし」のいきさつから考えて、自民党と組まざるをえなかった社会党の事情は理解できる。だが、自民党と組んだからといって、自民党寄りとみられる政策変更を、なぜ次々と短期間に行う必要があるのか、疑問である。「連立」というのは、どの政党も単独で政権が担えないから、複数の政党の合意で成立しているはずなのに、自民党の数に遠慮しているのか、屈服しているのか、はたまた、自民党の政治力・行政力に押されているのか、真相はわからないが、村山首相の好感度ぶりとは裏腹に、社会党にはやや情けないものを感じる。
社会党と連立を組まざるを得なかったのは何よりも自民党なのである。その点では自民党自身が一番大きな矛盾を抱え込んだのであり、困惑しており、日々の新聞報道でもよく感じられる。だからこそ、タカ派で差別主義者の渡辺を押さえて、ハト派色、民主派色の強い河野総裁が登場したのであろう。小沢氏が最後のカケを託した海部氏も、党内タカ派の中曽根や渡辺が支持したとたんに挫折したのではないだろうか。その意味では自・社・さ連立政権は、反共冷戦時代の終焉を象徴する時代の転換点に直面しているからこそ、成立し得た連立政権であると思う。とすれば、社会党はもっともっとハト派色、民主派色で自民党内にクサビを打ち込む政策的な攻勢をしかけるべきであろうし、自民党にそれを飲み込ませる絶好の機会ではないのだろうか。
「自衛隊合憲」にしても「日の丸・君が代」にしても、現実的対応とは別に、本来ハト派・民主派が目指すべき軍縮と核兵器廃絶への国際的イニシャチブを鮮明に打ち出した上で、論議をしなければならない問題である。左派といわれる人達は一体どうしたのだろうか。小選挙区制問題の時にはあれほど自民党や新生党を利する抵抗をしておきながら、今回は音無しである。社会党がキャスチングボートを握っていればこそ、党内はもちろん、広く国民にアピールする形で、議論を巻き起こすことができる最大のチャンスなのである。こうしたチャンスを生かせなければ、「自民党政権と変わらない」とか「社会党の変節」とかばかりがまかり通って、このままだと次の選挙が相当苦しくなるのではないかと思う。
これまで掲げて来た政策・方針を変更しなければならない時は、時代や情勢の変化とともに、常にある。今回も「政権与党」「首相のおひざもと」という、これまで以上に責任を問われる立場であることは明白だし、もはや「対立」の時代ではなくなったのも事実である。しかしながら、「変更」には、理解や納得が必要である。これまで社会党を支持してきた票数は小数ではない。紆余曲折がありながらも、長い間第2党の地位を維持してこれたのも、多くの国民の支持があればこそである。「被爆者援護法」をはじめとして「消費税」「自衛隊派遣」等々、越えなければならないハードルはたくさんあるだろう。その時は、自民党をも含めた政権内の議論をできるだけ国民にわかりやすいように公開し、結果だけポット発表することのないようにするべきである。
政治に「黒幕」も「仕掛人」もいらない。徹底した話し合いを基に合意し実行していく民主的スタイルの確立を、対立から連立へと大きく変貌させた村山政権下でこそ、望みたいものである。(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.201 1994年8月15日

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【投稿】村山政権と労働組合の対応

【投稿】村山政権と労働組合の対応
                 ・・支持労組の分裂と社会党大会・・

突然の自社さ連立政権に当惑
6月29日の村山政権の成立は、従来からの支持団体の中にいろいろな波紋を投げている。9月3日に開催される社会党第61回臨時大会議案である「当面する政局に臨むわが党の基本姿勢」の中でも「予想外の選択」として執行部が決断したと言われているように、自社さ連立は予想外の結果であった。55年体制では互いに敵同士であった自社が、手を結ぶということが、いろいろなところで矛盾を超こしている。特に社会党支持労組の中で、深刻な事態を迎えている。
6月29日社会党と連帯する労組会議は、橋村会長談話を出している。「社会党を支持し、社会党とともに活動をしてきた立場から、「村山新総理」を全面的に支えていく決意を新たにしています」と。
一方、連合は翌30日の中央執行委員会で「新連立政権に対する連合の対応について」を決定している。連合は26日の幹部会において、「細川政権の枠組みで連立再構築と安定政権を求め、自民党政権の復活は有り得ない」との立場であったため、「今回の結果は、我々の期待と大きな違いがあり遺憾である」と、不満の意を表明。さらに「社民両党が与野党に分かれたことから、羽田政権と同様、政策を通じての是々非々主義にもとづき対応する」とした。自民党政権の復権を恐れるとともに、社民両党の対立傾向がさらに拡大したことを憂慮し、連合800万労働者の団結にマイナスの影響が出ないよう最大限の努力を行うと。

自治労は積極的支持
細川連立政権の枠組みを基本とする新しい第3次連立政権の実現を期待することを基本的立場としていた自治労であった。6月中旬の混乱した政治状況の中でも依然、自治労の幹部は、さきがけとともに「社民リベラル」の結集による、細川政権の枠組みを追求していた。しかし、報道されているように、デモクラツツからの自治労議員の離脱、最終局面での自社さ政権への判断を自治労中央が行ったようだ。
7月4日の県委員長会議で決定された「細川政権の成立と自治労の基本的スタンス」によれば、さきがけとの共同の政権構想など、自治労は従来の連立枠組みを優先していたが、自民党を含む連立政権が成立した原因は「民主主義のコスト(粘り強い話し合いと上手な妥協)を払おうとしない政治姿勢であり、自民党と社会党を分解させて新保守勢力中心の政権作りが一貫して追求されたことは否定しがたい事実」と、旧連立側の「強行路線」を批判している。
さらに「村山政権の成立によって、最悪のケース(保守大連立、自民党単独)は避けられ、さきがけとの連携は維持されたものの、我々が期待した姿とはことなった政権構成となった」。しかし、「社会党の政権構想」は、自治労は基本的に支持できるものであり、合意された政権構想を基本に民主政治の実現と着実な改革を進めるよう、政策実現を軸に対応するとし、与党第一党の自民党には、旧来の体質に対して厳しい態度で臨むとしている。また、社会党が、「新しい政治勢力の形成」に直ちに着手することを求めると共に、統一地方選挙や、参議院選挙への旧来の枠組みでの選挙準備については、8月末の定期大会で提案するとしている。
村山総理が自治労組織内議員である事情もあるが、村山政権支持を自治労は固めた。

自民党中心の政権だ・・全電通
7月4日の全電通地本委員長会議では、村山政権に厳しい判断を示した。
「細川政権の枠組みを基本とし、自社連立は選択しない。」などを、第3次連立政権の基本としてきた全電通は、村山政権に対して「・・・自民党中心の政権であり、極めて遺憾」「さきがけとは政策合意が行われたが、自民党とは政策合意も政権構想も明らかにされていない」として、「連合の対応」を基本に、「村山政権とは是々非々で対処する」「社民両党が与野党に分かれた実態を深刻に受けとめ、社会党との支持・協力関係は維持し、公・民との協力・協調と新党各党との友好関係を維持しつつ、「社民リベラル」の結集による新政治勢力の形成に全力をあげる」としている。

社会党が参加する政権は評価・・日教組
7月1日の日教組第79回定期大会で、横山委員長は「村山政権を支持する」姿勢を示した。「護憲」か「自主憲法制定」かなど、自社の党是の違いはどうなるのかなど、政策協議もなく政権を組んだことで、国民に戸惑いがあるが、これに謙虚に耳を傾け、政権構想に基づき、3党が政策の詰めを急ぐべきだとしている。また、日教組としては新政権の教育政策を注目するとし、新政権とは政策を中心に協力関係を保っていく、とのべた。
(その後、所信表明などでの、日の丸・君が代問題などでは、批判的姿勢にある)

支持労組の間で、分裂傾向
このように村山政権に対して、社会党支持労組の態度の相違は明白になっている。
明確な政権支持は、自治労、日教組、私鉄総連、金属機械、全水道であり、政権を冷静に受けとめるとする慎重な態度、または遺憾との見解に立つのは、全電通、都市交、全逓、電機連合、鉄鋼労連などである。
おそらく連合をはじめ労働界との十分なコンセンサスを取られずに、社会党が自社さ政権を選択したことが原因と思われる。社会党の側にも自社連立が戦略として論議・確定された上での選択ではなく、6月の中央委員会でも「自社政権はありえない」と決定していたわけで、そうした余裕もなかったというのが、現実だった。
ともあれ、共通しているのは「自民党政権の復活への危惧」であり「社会党の政権政党としての主体性」である。遺憾を表明した産別組合も「政権構想」の具体化を注視し、政策の実現を求め、社会党の変革を求めている。
また、第3次連立内閣としての村山政権の意味を過渡的なものとし、社会党も含めた政界の再編がさらに進むなかでの「新しい社会党」への脱皮を求めていることは、共通しているのである。

今後の展開と問題
こうした社会党支持労組の政権への温度差がもたらす最大の問題は、第1に当面する統一自治体選挙、参議院選挙での選挙協力問題であろう。
すでに、旧連立の枠組みでの選挙協力による候補者選びなど選挙準備は、特に地方において進行しており、有る意味で社会党を除く旧連立の枠組みは新党構想も含めて維持されている。全電通のように明確に公民・新党との連携を打ち出している動きなどのように、社会党の選挙体制は、自社連立の事態の中で一層困難が予想される。
さらに、連合という枠組みがどう作用するのか。山岸会長の最近の発言は、政権とは一線を画す方に、重心が置かれ、連合の政治的影響力の確保を最大のポイントにしている。私見だが、社民が与野党に分かれ、旧連立が分裂した現時点で、一定の期間、連合よりも各単産の決定が重要になり、連合の政治的影響力は低下せざるをえない。
このことは、政治的影響力よりも、連合の制度政策闘争の真価が問われると言う意味で、連合の試練と逆にとらえ替えす必要がある。
第2には、社会党が議席獲得の最大の基盤としている労働組合の中で、政権を巡って意見の相違が存在する以上、自社連立に反対の労組出身議員を中心に社会党の内部で、意見と行動に相違が生まれてくる可能性がある。社民勢力の結集という旗を掲げて、村山政権に反対した議員有志が民社党の有志議員と共に議員グループを8月21日に約80名で結成と報じられている。このグループの代表は連合の山岸会長に協力を依頼しているという。また、旧連立の枠組みを重視する方向にある連合は、与野党の議員を集め、「連合政治フォーラム」を結成した。こうした政党と労組、政党と議員のねじれ現象は、どのように発展・推移するのか、その焦点は当面、9月の社会党臨時大会となっている。

基本政策の変更は承認されるか
9月の臨時大会への事前配布議案は、大きく4つの枠組みで構成されている。第1に村山政権と社会党の任務、第2に村山政権成立の評価、第3に「新たな時代の政策展開」とする基本政策の変更問題、第4に当面する活動について、となっている。
ここでは特に第3番目の基本政策問題について考える。村山首相が所信表明などを通じて明らかにした、社会党の基本政策の変更点は①非武装中立問題②自衛隊と日米安保③国際貢献④日の丸・君が代⑤エネルギー問題である。
非武装中立について、村山総理は国会での所信表明においては、「非武装中立政策はその歴史的使命を終えた」としたが、「非武装路線は党是を越える人類の理想」と規定し、今後も高く掲げ、中立・非同盟については、冷戦終結の情勢の変化の中で、その歴史的使命は終わったと規定している。この点については私自身も異論はない。
自衛隊・安保では、軍縮基調を堅持して、「自衛のための必要最低限の実力組織」である自衛隊を認め、合憲であるとし、「防衛力の再縞・整備と縮小」に努める。日米安保は、冷戦の終結により性格が変化し、むしろ平和のための積極面を評価している。
この点は、大いに議論が分かれるところであろう。連立政権としてさらに「自衛隊の縮小プログラム」まで合意できるよう、予算の前年比%問題より以上に軍縮へのプログラム、政策提起が求められ、それなしに、社会党内に留まらず、国民的にも支持を受けられまい。
日の丸・君が代では、それぞれ国旗・国歌との認識にたつが、強制については同意しない、という立場である。早速、日教組から批判が超こっている。いくら「国民に定着している」といっても、あまりに唐突であろう。掲揚・斉唱問題への物理的対応に終始する運動には私も現時点で疑問はあるが、時間をかけて、議論する姿勢が必要であろう。
エネルギー問題では「稼働中の原発は、代替エネルギーが確立されるまでの過渡的エネルギーとして認め、‥・自然エネルギー中心体系への転換をはかる」としている。
これらの内容は、私個人は一部を除き基本的に支持してもいいと思う。しかし、党是の変更となれば、あまりに唐突、混乱をまねく危険性が高い。物分かりの悪い、教条的左派があっさり転換に応じたようだが、むしろ「民主主義のコスト」については後払いができないことを認識していないと、現実に党大会の混乱状況も予想され、久保書記長の辞任と言う事態を想定する人もいるぐらいだ。
社会党広島が、基本政策の変更に修正案を予定しているとも報道されているが、とにかく我々は、この臨時大会の動向を見守るしかないようである。

長期政権化と連合・各単産の態度
短命であろうとの当初の予測に反して、この政権が「長期政権」となる可能性も生まれつつある。小選挙区区割り案が可決されても、2年程度選挙が行われなければ、長期政権となる。(自民党の連立重視の譲歩がどこまで続くか、また村山首相の所信表明に示される「政権政党としての社会党の基本政策の転換」などが、社会党内で十分に支持され、確立すればという仮定付きではあるが。)さらに、来年の統一地方選挙、参議院選挙まで以上述べた社会党陣営内の分散傾向がどうなるか。また、「自民党政権の復活」を危惧する声に、どのような方向が示されるか。問われているのは、各産別それぞれの状況、見解よりも社会党自身の問題であると言える。社会党自身の「変革」か、新たな政界再縮を通じての「第4次連立政権」を展望したぎりぎりの選択が早晩求められるだろう。(大阪:佐野秀夫 940821)

【出典】 アサート No.201 1994年8月15日

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『詩』 ノイエスト「白樺派」の興隆を

『詩』 ノイエスト「白樺派」の興隆を
                     大木 透

男は
この国の大文豪である
海外でも
相当
名が売れている
三半器官の発達した
慎み深さを
備え
あの
懐かしい
アンガージュマンの
敗者復活戦を
しっかりと
走っている

近頃は
ノイエスト
「白樺派」らしい
香も放っている
四国山脈の懐に
正倉院の
扉の音によく似た
名をもつ
二代目教組様を
祭って
アイドルの昇華に
賭けているらしい

この神様の
行く末が
書き下ろしの
長編小説のなかでも
なかなか
定まらないようだ

これからも
さまざまな
シュミレーションを
画策なさって
いるらしいのであるが
アウグスチヌスも
ダンテも
まして
イエーツも
完全な回帰曲線を
残していないらしく
教組様は
思うように
転位なさらず
男が
わざと
お話しを
引き延ばしているのだ

あらぬ疑いを
懸ける奴も
いる

ボランタリーで
教会を設計した
自称ポストモダニストも
コンペで
しっかりとした
成績をあげ
金銭の苦労がないものだから
神のお住居など
見えるものかと
皮肉られている
思い切って
私財を投げ売って
バベルの塔でも
建てたらどうだ

からかう奴もいる

アメリカの
有名な音楽賞をもらい
一五万ドルもの
賞金を稼いだと
妬まれている
作曲家も
時々
お忍びで
教会に通っているらしい

まことしやかに言う
マスコミ関係者もいる

それがなんでえ
放っておいてくれ
そんな風聞を
流す奴に
天罰を

財界人も巻き込んで
「清貧」の神への
巡礼が
華麗に繰り広げられている
御時世ではないか

ガンバ大阪の親元では
経営の神様が
いまでも
[産業報国]を
お説きになっている
御時世ではないか

正倉院の扉を
年に何回開けようが
文句を言える
筋合いではあるまい

それでも
心優しい
ノイエスト
「白樺派」の
皆様よ
もうこれ以上
理詰めで
神探しをなさるのは
お止めなされ

昔の人は言いました
「神はあるよでないようで」
「神はないよであるようで」

「それでいいのだ」
「それでいいのだ」

天才バカボンパパも
言いました

至悦の御時は
もっと
もっと
先に
お延しなされ

そして
万が一
「聖なるもの」に
お触れになった
その暁には
なにとぞ
分け隔てなく
下々にまで
その喜びを
御分かち
くだされ

(1994・5・28)

 【出典】 アサート No.200 1994年7月15日

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