【投稿】迫られる内政・外交の転換と安倍政権

【投稿】迫られる内政・外交の転換と安倍政権

<<小泉「アブノーマル」>>
 12/8、下村官房副長官はTBSのCS番組の収録で、「(小泉前首相がつくり上げた)与党と対立するという構図はアブノーマルだった」と述べた。その前日、12/7には、久間防衛庁長官が参院外交防衛委員会で、米国のイラクに対する武力行使について「日本は政府として支持すると公式に言ったわけではない。(小泉前)首相がマスコミに言ったということは聞いている」と述べ、イラク戦争支持は政府の公式見解ではなく、小泉前首相の個人的見解であるとの考えを示した。いずれも唯々諾々と付き従って来た当事者が、内外の情勢の風向きに不安を覚えたのであろう、小泉前首相のアブノーマルにすべての責任を転嫁しようという意図が見え透いた論調、アドバルーンを上げだした。
 対イラク戦については、小泉内閣として、イラク戦争開戦を受けた03年3月20日、「わが国の同盟国である米国をはじめとする国々によるこの度のイラクに対する武力行使を支持する」との首相談話を閣議決定したのは厳然たる事実である。さすがにこの点を突かれると、久間氏は翌8日の記者会見で、「私の不勉強で、閣議決定を見過ごしていた。公式(見解)でなかったというのは私の間違いで認識不足だった」と述べ、発言を撤回した。ただし、久間氏自身が開戦を支持するかどうかを問われると、「あまりそういう気持ちがない」と語り、さらに、米国の開戦については「早まったのではないかという思いが、その時もしていた。個人としては今でもそう思っている」と改めて疑問を示し、「もう少しいい方法があったのではないか。終戦の処理の仕方をもう少し詰めておくべきだった」とまで述べている。
 これに対し、肝心の安倍首相は、首相就任後の10/6の衆院予算委員会で「(イラクが大量破壊兵器を)恐らく持っているだろうということが当然政府としての判断の根拠だった」と述べ、政府の支持に「合理的な理由があった」と答弁しており、久間氏の発言については12/7、「再三の国連決議を破ってきたイラクに対しての武力行使に日本は支持をした。あの段階では問題なかった判断だったと思っている」と語っている。

<<首相の思考停止>>
 しかし現段階ではどう判断するのか、これが問われているのに、ここに来ると途端に思考停止である。もちろん、反省なしである。防衛庁長官は現段階でも米国の開戦は疑問であると意思表示をしている。これは明らかな閣内不一致である。
 その一方で政府は12/8、イラクで活動する航空自衛隊の派遣期間について、12/14までとなっている基本計画を変更し、来年7月31日まで延長することを閣議決定している。この空自の派兵延長は、米国を含め各国がイラク政策の転換を図る中で、本来あってしかるべき日本政府としての見直しや再検討もまったく論じられずに、いとも安易に自動延長として決定されたものである。ところがこれについても久間防衛庁長官は、自身の認識不足の不用意な発言との関連で、「(自衛隊はイラクに)戦争を支持するために、米軍を支援するために行っているのではないと強調したかった」と述べている。これも閣内不一致と言えよう。
 しかし空自派兵の実態は、イラク南部のサマワ、タリルから首都バグダッドや北部アルビルまで輸送範囲を拡大し、その大半が武装米兵の人員と軍需物資で、「米軍の定期便」とまで言われ、米軍のイラクでの軍事作戦を支援している。
 これはイラク派兵の大義が消えてしまった現在においてもなお、対米追随路線の基調を変えず、反省どころか、見直しさえしようとしない安倍政権の、世界の趨勢からすれば実に奇異な政治姿勢を示すものと言えよう。しかし安倍晋三という政治家の内閣にとっては、これまで小泉内閣によって敷かれてきたレール、憲法・教育基本法の改悪、防衛庁の防衛省への昇格、共謀罪の新設のためには、さらにはミサイル防衛から先制攻撃・核武装論の容認にまで突き進むためには、ブッシュの対テロ強硬路線が不可欠であり、ブッシュにこれを簡単に転換してもらっては困るのである。
 しかしブッシュ政権は、ラムズフェルド国防長官の解任に踏み切り、そしてネオコン強硬路線の代表的人物であり、国連不要論まで唱えたボルトン国連大使の退場にまで追い込まれた。ブッシュ強硬路線は挫折し、対イラク、対イラン、対北朝鮮政策も、その強硬政策の転換が必至とならざるをえない。

<<支持率の急落>>
 これは明らかに、日本の内政・外交に転換を迫るものといえよう。
 まずは、イラクからの自衛隊撤退を明示すべきである。すでに英軍に次ぐ規模のイタリア軍は「間違った戦争」(首相)であったとして完全撤退し、韓国軍も撤退に動き始めている。ブレア英首相も退陣を表明し、転換を余儀なくされている。そして先制攻撃やミサイル防衛網の整備、核武装論の容認など、挑発的な緊張激化外交・重武装外交を停止し、平和外交・対話外交に全てを大転換すべきである。内外の動向は、こうした転換できないのであれば、総辞職すべき段階に来ていることを示している。
 しかし、それにもかかわらず安倍内閣の右旋回・改憲路線では転換が図れない、思考停止状態を続けざるをえない、世界的に孤立しかねない、その矛盾の発現が、久間長官の発言であったと言えよう。
 安倍内閣はむしろ、ブッシュ路線の転換がさらに顕在化しない今の内に、憲法改悪に至るあらゆる反動諸立法を強引に強行採決し、その右旋回・改憲路線を軌道に乗せようとしている。その意味ではきわめて特異で、小泉内閣以上にアブノーマル、危険な内閣であると言えよう。
 だがその安倍内閣も、急速な支持率の低下に直面しだした。十一月下旬のマスコミ調査から軒なみ下落し、「支持する」が増えた調査は一つもない状態である。「安倍首相と蜜月関係」と評される産経・FNN調査(11/30、12/1実施)「政治に関する世論調査」でさえも、「支持」が内閣発足時の前回に比べ16・2ポイント下落の47・7%と50%を割りこんでいる。共同通信社が12/5-6両日に実施した全国緊急電話世論調査でも、安倍内閣の支持率は48・6%となり、前回調査(11月25、26両日)から7・9ポイント急落。9月の内閣発足直後の支持率は65・0%だったが、ここでも初めて50%を割り込んだ。
 検索サイト「ヤフー」の「みんなの政治」で実施している安倍内閣の支持アンケートでは、11/28、「支持しない」に投票した割合が約87%になった。26日から始まったアンケートで、28日午後7時55分すぎの投票総数は1万2781票。「支持しない」が1万1089票(86・7%)と大多数を占め、「支持する」はわずかに1415票(11%)であった。
 今こそ野党が世論を結集して安倍内閣を包囲・孤立させ、内外政策の大転換のイニシァティブをとるべきであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.349 2006年12月16日

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【投稿】「教育基本法」の改悪を許さない!

【投稿】「教育基本法」の改悪を許さない!

 「参院教育基本法特別委員会は7日、教育基本法改正案に関する参考人質疑を11日に、中央公聴会を12日に開くことを決めた。与党は8日の委員会採決を提案したが、野党が中央公聴会などを求め、与党が受け入れた。与党は安倍晋三首相がフィリピン訪問から帰国するのを待って14日に委員会採決を行う日程を提示。改正案は早ければ14日中に参院本会議で成立する可能性が出てきた。」(毎日新聞より)
 特別委員会での強行採決が懸念された8日、「教育基本法改悪阻止!12.8日教組緊急中央集会」が東京・日比谷野外音楽堂で開催され、大阪の地から参加した。「師走」のこの時期、教職員にとっては文字通り忙しい時であり、学校現場を離れるには多少の勇気が要った。全国から集まった他のなかまたちにも似たような事情があっただろうと想像するが、夕闇迫る野外音楽堂には約12000人が結集した。この間の教育基本法に関連する集会としては、熱気あふれる最大規模の結集であった。
 それにしても「タウンミーティング」を巡る一連の「やらせ」策動を見るだけでも、何が何でも「教育基本法を変えたい!」政府・与党の意図が透けて見え、憤りを覚える。森元首相は、「教育基本法を変えるのは、日教組を潰すため。」とまで言っている。「民営化」という名の下、強固な組合の力を削いでいった支配者たち、権力者たちの目論見を、許してはならない、とあらためて身の引き締まる思いである。
 「審議に十分時間を費やした」と繰り返す政府・与党。しかしながら、その審議実態は?「週刊現代」(12/16号)に掲載された「教育基本法改正より『議員の基本』を直せ!」を読むと、「居眠り中の塩崎官房長官や鼻をいじくる伊吹文部科学大臣」をはじめ「(デートスポット紹介の)雑誌を読んでいる議員」までいて、ただただアリバイ作りのための「審議」の実態が暴かれている。
 各世論調査によると、国民の半数以上が教育基本法に関して「慎重審議」を望んでいる。「教育の憲法」といわれる「教育基本法」を「改正」するには、国民各層の意見を十分聞き慎重な審議を重ねる必要がある。にもかかわらず、安倍首相は、「今国会での成立」しか念頭になく、「いじめによる自死」「高校の必修科目未履修問題」など、切実な教育現場の問題に誠実に対応する様子もなく、教育に関しては「教育再生会議」で全てが片付くかのような幻想を世間に与えている。「有識者」と呼ばれる人々が、それぞれ勝手に持論を展開しているばかりの「再生会議」が、どれほどの「成果」をもたらすことができるのか、甚だ疑問だが・・・。
 教育基本法「改正」に関しては、今週が「山場」である。将来に禍根を残すことのないよう、「教育基本法」改悪を許さない闘いを継続していかなければならない、と決意を新たにした。
                          (教育労働者 KAWACHI)

 【出典】 アサート No.349 2006年12月16日

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【投稿】崩壊するアメリカのイラク占領

【投稿】崩壊するアメリカのイラク占領

<「大御所政治」でイラク政策見直し>
 アメリカ中間選挙でブッシュ・共和党は大敗北を喫した。その敗因は泥沼化したイラク戦争に対する国民の痛烈な批判であった。選挙直後、ブッシュはトカゲの尻尾切りとして、ラムズフェルド国防長官を更迭、後任にイラク政策の見直しを唱えるゲーツ元CIA長官を据えた。ゲーツは就任前の12月5日、上院軍事委員会公聴会で「アメリカはイラクで勝利を収めていない」と、現状を憂慮、国防長官としての最優先事項として、イラク問題に取り組むことを強調した。 
 一方詰め腹を切らされたラムズフェルドは辞任表明後、「中間選挙投票日の直前にイラク政策の変更をブッシュに提言していた」とマスコミにリークするなど追求逃れに躍起になっていたが、12月8日には国防総省で「駐留米軍は最大限の努力をしているが、軍事的な勝利は不可能だ。イラク人の手で勝利を勝ち取るべきだ」とのべ、自らの責任を放棄し開き直っている。
こうしたなか、ベーカー元国務長官、ハミルトン元民主党下院議員が共同代表を務める、米連邦議会の超党派諮問機関「イラク研究グループ」(ISG)は12月6日、米軍戦闘部隊の全面撤退を含む報告書をブッシュに提出した。
 イラク政策の転換を担うこととなったゲーツもべーカーも「パパブッシュ」政権に参画した重鎮である。今回の人事も政策提言も、泥沼に落ち込んだ息子の窮地を救うために、父親が根回しをおこなったと見られている。徳川家康よろしく大御所として乗りだしてきたわけである。もはやブッシュ大統領は当事者能力を失いつつあると言っても良いだろう。
 
<「フセインのほうがまし」>
 イラクでは11月下旬以降、シーア派とスンニ派間での大規模テロや襲撃、暗殺が相次ぎ、民間人の犠牲は拡大する一方である。11月27日には米NBCテレビはアメリカ主要メディアとしては初めて「イラクは内戦状態」と報道した。
追い打ちをかけるようにアナン国連事務総長やパウエル前国務長官も「イラクは事実上内戦状態」と発言、アナンに至っては「普通のイラク人の生活はフセイン政権時代の方が良かった」と述べるなど、絶望感が急速に拡大している。
このような見方に対してイラク・マリキ政権は、内戦状態を否定しつつも「イラクの軍、警察が武装勢力を制圧できないのは、十分な装備が無いからだ。アメリカ軍は内部抗争への横流しを懸念して重火器を渡さなかった」(イラク国民議会アティーヤ副議長)と嘆くしかないのが実情である。
 しかしアメリカ軍も打つ手が無い状態どころか、11月末には開戦以来の駐留期間が太平洋戦争を超え、戦死者も三千人に達しようとしている。捕虜や市民に対する虐殺やレイプなどの残虐行為も次々明らかになるなど、駐留軍の士気低下は深刻である。
アメリカ国内世論も中間選挙以降も厳しさを増している。先日おこなわれたAP通信の世論調査では、ブッシュのイラク政策の不支持率は70%を超え、半年以内の全駐留米軍撤退を支持は60%に上った。イラクで「明確な勝利が得られる」と考える人は9%にしか過ぎず、反対に「何らかの妥協が必要」と思う人は87%達した。国民も完全にブッシュを見放している事が改めて明らかとなり、状況はますますベトナム戦争に近づいていると言えるだろう。

<アメリカ軍撤退へ道筋>
 このような内外情勢を踏まえ、提出された報告書は「イラクの現状は深刻で悪化している」と楽観論を全面的に否定したうえ、イラク政府がイラク人主体の治安強化策を進めない時は、アメリカは政治、軍事さらには経済支援を削減すべきとしている。
 またISGは、米軍の主要任務はイラク政府軍など治安機構の練度向上であるべき、と提言。そのための支援要員を現在の5倍の2万人に増強すべきと主張、イラク軍が強化されれば、アメリカ軍の全戦闘部隊2008年3月末までに撤退させることが可能との見通しを示した。
さらにISGは中東政策全般にわたっても言及。アメリカ政府に対し、イランとシリアとの直接対話を行い、アラブ諸国とイスラエルの和平実現に向けての努力を促している。
 この報告について当初ブッシュは「評価はするがすべてを受け入れるわけにはいかない」などと、難色を示していた。しかし、国際社会がISG報告について肯定的に評価し、否定的なのはイスラエルぐらいとまったく旗色が悪くなるなか、12月7日ブレア英首相との会談後にひらかれた共同記者会見で受け入れを表明せざるを得なくなった。
 ブッシュは「報告は非常に納得できる内容だ。わたしは常に、駐留米軍を可能な限り早く撤退させたいと表明してきた」と発言、イラン、シリアとの直接対話についても、条件を付けつつ、イラク情勢をめぐる地域支援グループに両国を含めることに柔軟な姿勢を示した。先にさらに12月9日には、全米向けラジオ演説で報告について「すべての提言を真剣に検討したい」とのべるまでに至った。ブッシュは国民に対して、豪華なクリスマスプレゼントを届ける必要に迫られている。
 
<動揺隠せぬ安倍政権>
ブッシュの方向転換に安部政権は動揺している。塩崎官房長官はISG報告について「米国が実際にどのような政策として取り上げるのか見たい」と様子見の姿勢をうかがわせつつ「今後はあらゆる可能性を想定しながら、独自のステップを踏めるよう検討する」と方針転換を画策していることを隠さなかった。航空自衛隊の派遣期間は延長されたが、陸自と違い拠点はクウェートであり、撤収は容易だ。
 その当事者の久間防衛庁長官は12月7日の参院外交防衛委員会でイラク戦争を「政府として支持すると公式に言っていない」と発言、安倍らを慌てさせた。翌日の記者会見で久間は「当時の閣議決定があった」と発言を訂正したものの「決定には今も疑問を持っている」とものべた。初の防衛大臣に就任予定の閣僚が、こうした見解を堂々と披瀝する事自体、政府内の動揺を端的に表している。政府・与党はブッシュの「盟友」小泉が予定通り退任したことに安堵しているだろう。(大阪O)

 【出典】 アサート No.349 2006年12月16日

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【投稿】相次ぐ大型談合事件摘発の背景に何を見るか

【投稿】相次ぐ大型談合事件摘発の背景に何を見るか
                                福井 杉本達也

福島県、和歌山県、宮崎県、福井県などで大型談合事件の摘発が続いている。こうした談合事件の全国的な摘発は、たまたま各地の動きが重なったものなのか。あるいは談合という行為は全国的に蔓延しており事件は氷山の一角に過ぎないものなのか。それとも別の大きな政治的意図が隠されているのか。事件はまだ流動的だが、11月28日付の毎日新聞の斎藤良太記者ら4名連名の責任を持った署名記事はその意図の一端を以下のように書いている。「<談合事件>全国で摘発続く 検察、警察のねらいは…」と題し、「米国政府は、対日要求『年次改革要望書』に、毎年のように談合問題を掲載してきた…02年7月に竹島一彦委員長が就任して以降…大規模事件につながる摘発を続けてきた。さらに、改正独禁法が今年1月施行され、国税当局と同様の強制調査権限が新たに与えられた。また、従来は東京高検のみだった告発を全国各地の地検にできるようになり、検察当局と連携が強まった…橋梁談合の摘発は、今年8月に国際検察官協会(IAP)から特別功績表彰を受けた但木(ただき)敬一検事総長も9月、全国の高検検事長や地検検事正が集まる『検察長官会議』で、引き続き談合の徹底捜査を訓示した。」(毎日:2006.11.28)。記事は官僚2名を名指しすると伴に、米国の対日要求『年次改革要望書』を出して一連の事件の背景を説明しようと試みている。

1. 対日要求「年次改革要望書」には何が書かれているか
そもそも、「年次改革要望書」というマイナーな外交文書は日本のマスコミや学者の間ではこれまでほとんど表舞台で取り上げられたことはなかった。「郵政改革」などをめぐり、森田実氏や故吉川元忠氏・本山美彦氏・中尾茂夫氏など一部評論家・学者が問題視しているだけである。関岡英之氏は、「毎年秋に米国政府と日本政府が交換してきた公式文書…相手国の法律や制度の中で、自国にとって都合の悪い部分を変更するよう要求を突きつけるもので…過去十年、日本の国内問題として論じられ、実施されてきた『規制改革』や『構造改革』の少なからぬ部分が、実は事前に米国から与えられていた宿題だった…にもかかわらず、日本国民のほとんどがこの文書の存在や内容をきちんと知らされていない。日本政府は説明責任を果たさず、マスメディアも報道責任を果たしていない」(吉川元忠、関岡英之『国富消尽』P40)と明快な解説をしている。
『日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書』(2005 年12 月7 日 原文は英文 在日米国大使館のHPに日本語訳)は改正独禁法の運用と談合について次のように指摘している。「米合衆国は、2005 年の独禁法改正による日本の競争政策制度の重要な改善を歓迎し、これらの改正の有効的な履行を期待する。…さらに、最近の事件はその多くが政府職員により幇助された談合が日本の重大問題であり続けていることを証明しており」として、「独禁法違反者に対するより厳しい刑罰の奨励、刑法の施行を強化するための公取委の新たな調査権限の履行、談合の通報を企業に奨励するために、国土交通省内に行政措置減免制度を導入、談合の再発を防止するために…再犯者に対する指名停止期間の下限の引き上げ」、「談合行為によって受けた損害を…企業に対し損害賠償を請求する審決を履行する。」、「(一般)競争入札が用いられる事業数を最大限にし、日本または外国企業がそれらの本店または支店の所在地によって入札資格が奪われることのないよう保証する。」と。まさに、改正独禁法施行後の事細かな実施計画を手取り足取り日本政府に要求していたのである。さらに厚かましくも2006年12月5日付けの『年次改革要望書』では「独禁法違反事件を扱う検察官と裁判官を教育する計画を実行すること、不当カルテル活動に係わる個人に対して、5年の刑事罰を科すこと」、さらに今年度はわざわざ「地方自治体の契約に関して」も要求している(原文は現在英文のみ)。なお、12月6日付の日経を始めほとんどのマスコミは2006年版要望書の提出を無視している。

2. 竹島一彦公取委員長はわざわざ米国まで行って、独禁法の見直しを“宣誓”
竹島委員長は2003年9月、ワシントンで全米法曹協会会員に対し「競争分野で世界をリードしている米国から多くを学び,我が国において競争という考え方を広く国民に浸透させるべく,絶えず努力をしてまいりました…今回の独占禁止法の見直しは…我が国経済社会に与えるインパクトは大きいものがあります…私に与えられた5年の任期のうち,既に1年が経過したわけですが,残り4年のうち,最初の2年は独占禁止法の強化に全力で取り組み,残りの2年は改正後の独占禁止法が定着するようその執行を厳正に行うこととしたいと考えております。」(竹島公取委員長 全米法曹協会主催講演予定原稿:2003.9.17 公取委HPより)と“宣誓”した。2005年には独禁法改正の目標を達成したので、残る約束は適正な執行である。本年1月以降の各種談合事件の摘発はこの延長線上にある。「水門工事を巡る入札談合で3月末、関与企業の情報提供(企業の自首)が発端とみられる立ち入り検査を…4月末にはし尿・汚泥処理施設工事の談合容疑で強制調査権に基づく家宅捜索」に入り、いずれも三菱重工業や日立造船、住友重機械工業、三井造船、JFEエンジニアリングなどの名だたる企業が連座し、産業界を震撼(しんかん)させたのである(日経:5.1)。
一方、官製談合について竹島委員長は、「国・地方公共団体等の「官」の意識を改革しなければ根本的に解決できない問題もございます…入札制度ひとつとっても,競争原理が働きやすい一般競争入札制度を導入する、過度に競争性を低下させるような入札参加要件を設けない」(一橋大学COE/RESプログラム国際シンポジウム:2006.1.18)と発言し、米国の要望書に沿って9月には自治体等への強制捜査にも入ったのである。

3.競争法は本当に消費者の利益をもたらすか
竹島委員長は「競争法の厳正な執行による違反行為の排除が競争力のある事業者の育成を促し,活力ある経済を生み出すとともに,我が国の消費者への利益をもたらす」(前記:全米法曹協原稿)と盛んに強調するかははたしてそうであろうか。
国土交通省の発注工事で・鹿島などゼネコン大手四社の落札率は、昨年は平均97%程度だったが、1月の改正独禁法施行後の1~3月期は79%に急落した(日経:6.14)。福井県では土木工事のたたき合いで139社が最低制限価格(85%~66%)を下回り失格となっている(福井:11.3)。静岡県の高架橋設備入札では落札率が40%まで低下、北海道開発局発注の夕張シューバロダム堤体建設期工事は予定価格50億円に対し、落札した大成建設らJVの入札価格は23億円と落札率46・6%という数字が業界に衝撃を与えた。単純にゼネコンの儲けが減ったなどといえる段階ではない。「シューバロのような例では下請けも苦しい。断ればその後の仕事がなくなるし、やむなく請け負っても安値落札のしわ寄せを食う」(日経:6.21)。落札率の異常な低下は「常識外れのコストの外部化が図られ…環境負荷の対策を疎かにしたり…安価な不安定就労に依存したり、果ては法定負担費用を逃れたりなど、反社会的な行為を助長する結果に結びつくこと」すらある。「落札率を見るだけでは、妥当な金額で落札されたかどうかの判断はつかない」のである(「自治体における入札・契約制度の課題」宮崎伸光:『月刊自治研』2006.6)。建設業界には56万杜がひしめく。568万人が働き、就業者全体の9%を占める。あふれ出る雇用はどこで吸収するのか。
このような規制緩和が何をもたらすかはタクシー業界の現状を見れば明らかである。2002年1月の道路運送法の改正により、タクシー台数の規制がなくなった。車両数は04年度で21万9千台と、改正後に1万台以上増え、経営が厳しく、運転手の長時間労働が深刻になっている。公取は「談合」の取り締まりに熱心な割には「取引上の優越した地位を背景とした優越的地位の濫用といった不公正な取引方法」に対してはきわめて不熱心ではないのか。運輸業界では1990年に参入規制が緩和された結果、事業者数が1.5倍になったが、過当競争の中、荷主からの「優越的地位を濫用」した運賃切り下げの要求が日常的になっており、過労運転による交通事故は枚挙に暇がない。公取自身の調査でも、物流事業者が荷主から一方的な代金引き下げの要請について「よくあった(4.6%)」、「ときどきあった(26.1%)」と回答しており、約3分の1が一方的な引き下げの要請を受けていることとなる。要請があったと回答した物流事業者の対応として、「要請どおり承諾した(33.6%)」、「代金引き下げ自体は承諾したが、引き下げ幅は自社の意向も酌んでもらった(59.9%)」、と多くの物流事業者が荷主からの引き下げ要請に対して応じざるを得ない実態が浮き彫りとなった。さらに、荷主との協議について、「協議の機会を与えられなかった(32.6%)」、「協議したが、十分とはいえなかった(43.2%)」と回答している(公取調査 2006.3.15)。
また、11月のNHK「クローズアップ現代」では、トヨタ子会社やシャープをほぼ名指しして派遣労働者が「労災飛ばし」や「労災申請拒否」にあっていること、派遣経費を一方的に削られ労働保険等の支払いに困った派遣会社が倒産したことを報道している。桶のタガを外すような競争政策が労働市場に何をもたらしているかを十分吟味しなければならない。

4. 検察による強引な“門戸開放”
1987年に関西国際空港プロジェクトへの米国の大手建設会社ベクテル社の参入を強引に認めさせて以来、米国が日本の公共事業の入札制度や独禁法行政に長年干渉してきた“成果”がようやくでようとしている。国交省は独禁法の施行と鉄製橋梁工事をはじめ相次ぐ談合摘発の圧力を受け、5月23日に「公共事業の入札・契約に関する適正化指針」を改正した。その中身は、○一般競争入札の拡大と○総合評価の拡充である。しかし、まだそのハードルは何本かある。国交省の「総合評価」は“くせ玉”でもある。国交省は土木技術官僚の牙城である。そこに一般競争入札を持ち込めば技術官僚はいらなくなる。また、地方自治体の入札制度は「公共事業も『地産地消で』」(福島県 日経:10.26)というように徹底的に地域分割的である。都道府県では、まず、事業者を規模ごとに特A・A・B・C・Dのランクに分け、入札金額の参入区分を決め、それを土木事務所の管轄区域ごとに振り分けている。X土木管下の事業者がY土木の指名入札に参加することさえもかなり困難である。それを外国企業にも“門戸開放”しようとするには、官憲をも使った強引さが必要なのである。市町村合併など国の政策に異論を唱えてきた佐藤栄佐久前福島県知事が10月に、改革派とされた木村和歌山県知事が11月15日に、12月8日には県職員上がりの安藤宮崎県知事が逮捕される中、全国知事会では、官製談合の再発防止策を話し合うプロジェクトチームを設けた。改革案の柱として(1)一般競争入札の拡大(2)入札前後の情報公開の徹底などについて検討を進めるとしている。

5. 入札改革はどうあるべきか
これまでの指名競争入札は業者の「指名」をどうするかで「官僚支配」と「不透明感」がつきまとっていた。土木所長のエネルギーの大半は肝心な技術評価ではなくこの「業者指名」に割かれている。一般競争入札にし、最低制限価格を無くせば基準は「価格」だけであるから単純明快ではある。しかし、「『発注者に最も有利』な契約希望金額を提示する受注希望者が、必ずしも真に適切な契約相手とは限らない」(宮崎伸光:上記)のである。
複雑で困難な道ではあるが、ここはあえて「総合評価」の方向をめざすべきであろう。既に大阪府では障害者雇用率の達成率を点数化し、「行政の福祉化」という政策意図にしたがった事業者選定=総合評価方式を庁舎清掃業務などに取り入れている。2005年の総合評価項目として「価格評価」50点・「技術的評価」14点・「福祉への配慮」30点・「環境への配慮」6点として評価している。(吉村臨兵:「公共サービス分野における労働環境の間接的規制」『社会政策研究』2006.4、大阪知的障害者雇用促進建物サービス事業協同組合(エル・チャレンジ)冨田一幸:「入札制度に挑んだ障害者雇用・行政の福祉化」『部落解放』2005.8)。 一般公共事業の場合には当然ながら本来の技術的評価の占める割合が大きくなる。しかし、これが最も困難な課題である。橋梁工事やトンネル工事・建築工事などは、この間、設計を丸投げしてきた自治体技術者より民間技術者の方が遥かにレベルは高い。低い方が高い方の技術評価はできない。そこで、例えば、2003年度から設けられた指定管理者制度は委託契約ではなく「指定処分」という位置づけであるが、価格によるのではなく、管理技術や職員の専門性などの総合評価が行われている。指定に当たり、自治体職員だけではなく外部の専門家などが加わった委員会も設けられた。また、メーカーと発注者の間に技術格差が有りすぎるプラント工事などの場合には、環境省が今年4月に示したごみ処理施設の「入札・契約の手引き」のように、コンサルタントを含む専門家集団の支援による技術評価などの手法を提案している。「金額の大きい工事は技術評価を中心として技術的評価点を高く、小さい工事は雇用・福祉への配慮点を高くした総合評価をすることは可能であろう。米国の圧力に屈して、いたずらに一般競争入札の上限金額枠を下げていく(2億円から7000万円といったように)のではなく、こうした地道な評価の積み重ねが「談合」対策として求められている。また、2005年の会社法(商法)の改正と独占禁止法の二大経済法の改正は最大の失政である。国内政策を無視して米国の顔色のみを窺うエージェント官僚の動きは厳しく批判されねばならない。

【出典】 アサート No.349 2006年12月16日

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【コラム】 ひとりごと–梅原猛氏の「神殺しの日本」について–

【コラム】 ひとりごと–梅原猛氏の「神殺しの日本」について–

〇安倍政権は、構造改革重視の小泉路線とは違い、経済重視よりも政治路線を強化しており、その中心が憲法改正であり、教育基本法改正である。〇マスコミ全般も右寄り路線と評価はしているが、的確な批判はない。最近出版された梅原猛氏の「神殺しの日本」では、小泉の靖国参拝への批判がしっかりと展開されている。〇梅原氏は、憲法改正も、教育基本法改正も、その中で重視されている愛国心が意味するものは、あくまでも明治以降の国家主義、国家神道を懐かしむ方向でしかないと指摘されている。〇1984年中曽根政権下において、藤並官房長官の私的諮問機関として「靖国懇」が設置され、梅原氏も参加している。○「靖国懇」の中で梅原氏は首相の靖国参拝に反対を表明するとともに、「記紀に示される伝統的神道は、味方よりも味方に滅ぼされた敵を手厚く祀るが、靖国神道は自国の犠牲者のみを祀り、敵を祀ろうとしない。欧米の国家主義に影響され、伝統を逸脱した新しい国家神道である」と意見表明をされた。○アサート338号において、吉村励先生が、廃仏毀釈によって天皇教が成立したと指摘され、廃仏毀釈をもっと研究すべきだと言われたことも大いに関係しているようだ。○廃仏毀釈は、八百万の神を殺し、神社を壊し、仏も排除し、「天皇神」のみを唯一の神として国家の中心とするために明治政府が富国強兵の旗の下に強行したものである。○侵略国家日本の精神的支柱を意図的に作り出したものである。明治国家神道が基礎となり、日清・日露戦争から中国侵略、太平洋戦争と続く侵略国家日本が出来上がったのである。○安倍政権が、憲法改正でも教育基本法改正でも目指しているのは、明治の国家神道であり、国を守り(他国を攻め)、伝統(侵略の)守り、他国に対抗できる国民的統一を目指しているのである。誤れる基盤の下では、再び誤れる道が開かれる。○占領憲法反対とか、個人主義よりも愛国心などの主張は、何も新しいものではなく、明治以降の国家主義的社会への回帰でしかない。○「神殺しの日本」を読んでから、再び梅原本を読み返している私だが、その宗教論においても、人間中心主義のキリスト教より、人間を含む自然中心の仏教を再評価する必要があるのかなと思う毎日である。○まず、教育基本法に対する攻撃に対して、反撃していこう。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.349 2006年12月16日

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【投稿】ブッシュ政権の完敗と安倍政権

【投稿】ブッシュ政権の完敗と安倍政権

<<「がっかりした」>>
 11月7日の米中間選挙の結果は、ブッシュ政権のみならず、日本の安倍政権にとっても致命的でノックダウンにも至りかねないボディブローとなって効果を及ぼし、その痛みに呻吟せざるをえないであろう。もはやブッシュの政治的主導権は、民主党の側に奪われてしまったのである。なにしろ、上院(任期六年)の100議席のうちの三分の一、下院(任期二年)の全435議席などが改選される中間選挙で、上下両院とも民主党に過半数を制され、州知事選でも多数を失ってしまったのである。ブッシュ政権の完敗である。これまでブッシュの共和党政権は、大統領、上院、下院のいずれをも支配することで、「強い大統領制」をふりかざし、軍拡と戦争挑発、先制攻撃、弱肉強食の新自由主義路線を推し進め、強硬な内外政策を実施してきた、その足場が崩され、その政策に「ノー!」が突きつけられてしまったのである。その歴史的政治的意味の大きさ、それが及ばす政治的影響は、今後強まりこそすれ、弱まりはしないであろう。
 11/8、もはや取り返しのつかない事態が判明するや、緊急記者会見を行ったブッシュ大統領は「国民の多くが、イラク情勢が進展しないことに不満を表明した」「言うまでもなくがっかりしており、共和党の指導者として責任の大半を負っている」として敗北を認め、ただちにラムズフェルド国防長官を解任し、民主党系寄りとされる新国防長官を任命した。
 11/8、ニューヨーク株式市場は低調な取引であったが、ラムズフェルド辞任が伝えられるやそれを好感して買い注文が急増して反転、一時は前日終値比40ドル高近くまで上昇し、NYダウは史上最高値を更新したのだから皮肉なものである。
 ラムズフェルドは、イラク攻撃の際に、「大量破壊兵器のありかを知っている」、「イラク攻撃は5日か5週間、長くても5ヶ月で終わる」と大法螺を吹き、そのおごりと脅しの傲慢な姿勢を押し通してきたのだが、ついにイラク戦争泥沼化の前に解任に追い込まれることとなったのである。その直前の11/4には、米軍内部の陸海空軍、海兵隊という4軍種の国防専門紙4紙の共同社説で辞任を迫られ、「制服組の指導者、兵士たち、議会、そして一般大衆の間で信頼感を失った。彼の戦略は失敗し、指導力に限界が出ている」と指摘されていた。しかしブッシュ大統領はこの11/1、自らの任期が終わる〇八年までラムズフェルド氏を国防長官にすえ続けると明言したばかりであった。いかに狼狽したかが見て取れよう。

<<「絶望的イラク情勢」>>
 11/8付米紙ニューヨーク・タイムズは「ラムズフェルド国防長官のイラク戦略や在外米軍再編の米軍変革は誤りだった」とする批判の社説を載せ、「失敗した政策を擁護し、役に立たない戦略をいじくり回す以外に国防長官としてやるべきことは全く残さなかった」とこきおろし、後任のゲーツ氏の課題は「ブッシュ大統領に対しイラク情勢がいかに絶望的で、戦争はイデオロギーではなく現実に基づいて命令されるべきだと認識させることだ」とまで主張している。
 しかしブッシュ大統領は、現実ではなく、ネオコン・イデオロギーに基づく人脈を重用し、その頂点にあってイラク攻撃を主導し指揮したチェイニー副大統領やラムズフェルドらを常にそばに置き、彼らの傲慢な先制攻撃・挑発戦略を称賛し、支持し、自らもその先頭に立ってきた。したがってこの期に及んでもなお、11/8の緊急記者会見では「国民もワシントンの両党の指導者も(イラクでの)敗北を受け入れられないことは理解している」はずだと弁明し、「米国民が撤退を求めていることは分かるが、イラクを放置し、アルカイダの安息の地にしてもかまわないとは思っていない」として、根本的な反省や政策転換を拒否しようとしている。その意味ではラムズフェルド解任は、自らの責任を回避し、あいまいにするトカゲの尻尾きりといえよう。
 それでも大統領は、新しい視点でイラク戦略に取り組み、早期撤退論が強い民主党とも、超党派で協議していく考えを明らかにせざるをえなかった。下院で多数を占めた民主党は、イラク問題での政権の責任追及に本腰を入れる構えであり、初の女性下院議長になると予想されるペロシ民主党下院院内総務は、イラク政策に関し「現在の破滅的な道を歩み続けることはできない。新しい方向が必要だ」と語っている。上院でも民主党が多数派になったことによって、閣僚や連邦裁判事など大統領が指名する人事や条約批准の承認は、民主党の同意を取り付けない限り不可能な事態となったのである。
 遅かれ早かれ、これまでのブッシュ政権の「力の政策」は批判的に再検討され、転換を余儀なくされよう。

<<「レームダック」化>>
 明らかにブッシュ政権は、急速に影響力を失う「レームダック」(死に体)化現象に直面していると言えよう。すでにその兆候は、中間選挙のさなかに露骨に表れていた。ブッシュ大統領が共和党候補の応援演説に駆けつけたのに、当の候補者が居ない、すっぽかされる、同席を拒まれる、フロリダ州では弟のブッシュ現知事後継の州知事候補が大統領と同席する集会をわざわざ避ける、ブッシュ政権と対決するような環境保護政策を掲げて再選を果たしたシュワルツェネッガー知事はカリフォルニア州の大統領出席の選挙集会を欠席する、といった事態に象徴的である。それほどブッシュ氏への風当たりはきつく、不人気は本人さえ当惑するものであった。
 このような事態の進展が明らかにしていることは、第一に、これまでのアメリカ、イスラエルのような先制攻撃・戦争挑発・力の行使といったタカ派政策は後退せざるをえず、より穏健で国際協調と対話を重視するハト派政策に転換せざるを得ないということであろう。
 第二は、当然のことではあるが、それと連動して膨大な軍事費をつぎ込み、ミサイル防衛・迎撃網を構築する軍拡政策も見直しを余儀なくされ、後退せざるをえないということでもあろう。
 そして第三は、軍事力と帝国主義的支配を背景としてきた、独占的支配を目指す弱肉強食・市場万能・格差拡大型の新自由主義路線は、その継続が不可能となり、環境保護政策を含め地球的規模での相互依存と相互協力を前提とした政策に転換せざるをえないであろう、ということである。
 そのような意味では、今回の米中間選挙の結果は、いま、世界は歴史的転換点にあることを明らかにしたともいえよう。ラムズフェルドの更迭は、その端的な象徴であった。

<<何が「大問題」なのか>>
 そしてブッシュ大統領とともに、この中間選挙の結果に最も驚いたのは小泉・安倍両氏であろう。米国に追随し、ブッシュの戦争を手離しで支持し、ラムズフェルドの言い分をそのまま国会で垂れ流し、イラク戦争を一貫して支持してきた小泉・安倍政権、自民・公明両党は当然厳しく責任を追及されてしかるべきである。あのブッシュ大統領でさえ国防長官を解任し、責任を認めたのである、小泉前首相はもちろん、官房長官として同じくブッシュ政権に追随してきた安倍首相も責任をまぬかれないし、深刻な反省が迫られてしかるべきであろう。ところが彼らはまったく口をぬぐってしまっている。
 少なくとも小泉・安倍両氏はアメリカの言い分を鵜呑みにし、大量破壊兵器があると言い張り、その後も詭弁を弄した責任を明確に謝罪し、イラクに飛んで泥沼化の事態を隠蔽した防衛庁長官、自民・公明両党幹部も謝罪を表明すべきであろう。ところが彼らはほうかむりしたまま、野党の追及も甘く、メディアもその責任を一切追及しない。日本の無責任横行状態を象徴している。安倍政権は、このままブッシュ政権への追随を続けるか、民主党路線への乗り換えに移行するかの選択に迫られているのであるが、無責任な成り行き任せで事態をやり過ごそうとしている。しかしそうした無責任路線は、アメリカと同じく手痛いしっぺ返しを必ず受けるざるを得ないであろう。
 そしてそれ以上の安倍政権の問題は、ブッシュ路線の破綻が現実のものとなった現時点で、ブッシュ路線をより醜悪化させた緊張激化・戦争挑発路線をより鮮明にし出したことである。歴史的転換点であえてそれに逆らい逆行する核武装容認論議がそれであり、こんな日本核武装論を平気で展開すると言う無恥、政治的無定見には驚くばかりである。
 米中間選挙の結果がほぼ明らかになった11/8の安倍首相と民主党小沢代表による2回目の党首討論で、安倍首相は麻生外相と中川自民党政調会長らによる核保有議論発言を擁護し、「安全保障の議論として、そういうこと(核の抑止力)を触れたから大問題のように言うのはおかしい」と述べ、麻生外相らの発言を容認する考えを明らかにしたのである。安倍首相がその右翼的本性を現したと言えばそれまでであるが、「非核三原則を守る」と明言する首相が、それとまったく相反する核武装容認論を、それも政権の中心にある外務大臣と与党・自民党の政調会長が繰り返し放言していることを許すことのほうがそれこそ「大問題」である。首相の立場としてはこの二人は即刻更迭させるべきであろう、ところが首相はこれを公然とかばいだしたのである。小沢代表が言うように「首相や発言者が非核三原則の堅持を言いながら、核武装の議論を是認すれば、「非核三原則を守る」という言葉も国民や国際社会に受け入れられない」し、世界の笑いものであり、安倍・麻生・中川は危険極まりない政治的挑発者とみなされよう。日本の政治もいよいよ政権交代に向かって動きださなければならないし、野党もそのために結束すべきであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.348 2006年11月18日

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【投稿】現行の「教育基本法」を活かそう!

【投稿】現行の「教育基本法」を活かそう!

 「教育基本法改定」の採決が来週末までには行なわれそう、という大変な事態を迎えている。安倍政権の最重要法案として、この臨時国会で何としても成立させようとしている。
「何としても」という至上命令に、内閣府や文科省は、政府主催の教育改革タウンミーティング(TM)で「やらせ質問」を仕掛けた。「教育基本法改正のため『やらせ質問』をやらせたことが事実なら、教育基本法改正案は直ちに取り下げるべきである。
『やらせ質問』まで行って教育基本法改正を実現しようとする、いやしい勢力に教育を語る資格はない。国会は『やらせ質問の疑惑』が晴れるまでは教育基本法改正の議論をやめるべきだ。事は重大だ。この事件に内閣府が関与していたとすれば、内閣府の責任者である安倍晋三首相と塩崎恭久内閣官房長官は責任を免れることはできない。
 この問題をうやむやにして教育基本法改正案を採決することは許されない。安倍首相と塩崎官房長官は他人事のような対応をしているが、こんなことが許されていいはずはない。」 <2006.11.6 『森田実の言わねばならぬ』[468]> 全く森田さんの言う通り!
 「いじめ自殺」の連続と「高校単位未履修問題」は底辺を広げており、野党側は一致して文部科学委員会の開催を要求しているが、与党は応じる気配はない。安倍首相をはじめとする「教基法改悪→憲法改悪」を目論む勢力は、「改正ありき」で事を急いている。
 現在生起しているこうした諸問題に誠実に向き合うことなくして解決はあり得ないし、「自死」の道を選ばざるを得なかった生徒たちの遺志を生かすことはできない。
 安倍首相は「教育再生会議」を立ち上げ、そのメンバーとして各界の著名人を並べたが、教育労働者の声を代弁し得る人は皆無である。「やらせ質問」に象徴される全体主義的傾向が進むと、「いじめ」はなくなるどころかますます陰湿化する可能性が高い。現行の教育基本法が謳う「個人の尊厳」を学校現場で徹底させ、人権教育を「再生」強化していくことこそが求められている。
「男女共学の趣旨が広く浸透し、性別による制度的な教育機会の差異もなくなっている」という表向きの理由で、「改正案」から「男女共学」が削除されている。
 しかしながら、現行法の第5条を削除して、新たに第10条として「家庭教育」の条項を設けたことに、今回の「改正」の意図が透けて見え、より男女の性別役割を強調する内容となっている。これは、「男女平等」「男女共同参画」「男女共生」へと進んできた歩みを、大きく逆戻りさせることになり、世界の流れにも逆行している。
 「家庭教育」にまで踏み込むところに、「改正案」の国家主義が見え隠れするが、「我が国と郷土を愛する心」強要に至っては、大変問題だ。戦前、国家主義教育の下「お国のために」と強要され死地に赴いて行った多くの若者たち。同じ過ちを繰り返してはならない。
 問題だらけの「改正案」の成立を阻み、現行の「教育基本法」を現場で活かしていきたいものだ。 (教育労働者 KAWACHI) 

 【出典】 アサート No.348 2006年11月18日

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【投稿】飛鳥会事件と大阪市政“改革”への疑問

【投稿】飛鳥会事件と大阪市政“改革”への疑問
                            福井 杉本達也

<マスコミ報道等による同和行政を巡る一連の事件の概要>
 大阪市では、昨年末から、130億円を無担保融資してきた民間の旧芦原病院の経営破たん、「大阪府同和建設協会」(同建協)に所属する業者を入札で優先的に指名してきた発注方式を談合をとして、職員3人の起訴、5月には、大阪市開発公社の直営駐車場を巡る業務上横領事件で、財団法人「飛鳥会」理事長の小西邦彦被告が逮捕(部落解放同盟大阪府連合会飛鳥支部長だった)されるなど同和行政を巡る一連の事件が起こった(読売2006.7.5)。解放同盟大阪府連は、飛鳥会事件について「同和をかたり、個人が利益を得ているとすれば、エセ同和行為である」との見解を表明した。市は同和行政の見直しを進めるとして、8月29日、旧芦原病院(民事再生手続き中)や財団法人「飛鳥会」を巡る事件など、一連の問題について、「不適切な事務の執行を命じた」などとして、前健康福祉局長を諭旨免職するなど職員計99人と、外郭団体などの6人の計105人の処分を発表した(読売2006.8.29)。
 さらに市は同和事業の見直しとして、「高齢者福祉や教育など、委託したり補助金を支出したりしている19事業について2008年度末までに廃止する基本方針を決定した。廃止される委託事業は高齢者パソコン講習や老人健康相談、保育所環境整備事業など14件。取りやめられる補助金支出は被差別部落史編さんや地域医療の研究大会への補助など5件。このほか市内12カ所の同和地区に1館ずつある青少年会館も廃止。同和行政の中核として各地区に設置された人権文化センター(旧解放会館)も統廃合を検討する。廃止される施設の職員と同和地区内の保育所に基準を超えて配置されている保育士など約300人も本年度末で引き揚げる予定」としている(共同10.10)。

<事件は一大フレーム・アップ-筋書きは1年以上も前に>
 同和対策事業の見直しは、2006年6月に設置した「調査・監査委員会」の8月に出した提言を受けてということになっているが、実に奇妙なことに既に2005年時点で、一連の筋書きが出来上がっていたのではないか。2005年9月27日の「市政改革本部案」(2006年2月一部修正して「市政改革マニフェスト」)では「人権文化センター13 ホール、会議室利用率12.7% 【何が問題か】・事業目的によっては年齢等の利用者制限を設けた施設が存在し、空き室があっても利用できない状況が生じている。平均利用率が…低く、特に1割程度しか利用されていない施設も存在する」「【今後の具体的な取組課題】②施設の…統廃合を進める。③ 監理団体等派遣職員の大幅な引きあげ」等々具体的な見直し項目を上げていた。
 特に市政改革マニフェストの見過ごすことのできない問題点は民間企業に対しては、「②市政全般への民間企業等との協働の推進…全庁的な検討体制のもと、監理団体等も含めた事務事業全般にわたり、官民協働推進の観点からの検討を行う。」としながら、市民・地域団体に対しては「③市民・地域団体との健全な協働の推進」とし、「地域振興会等地域団体や、コミュニティ協会・社会福祉協議会等本市の関与が大きい関連団体等への委託料、補助金等について実態を調査し、健全な協働推進を図る。不明瞭であるとの批判のある地域団体など各種団体との関係について点検し、業務委託契約・施設利用のあり方などを見直す。」としていることである。どうして市民・地域団体には『健全な』という形容詞をつけなければならないのか。『健全でない』市民・地域団体があるという意味なのか。そもそも、地方自治の基本的構成要素である市民・地域団体を不審者呼ばわりするこの「マニフェスト」には、市民・地域団体を自治の主体とは見ず、統治の対象としてしか見ない思想が根底に流れている。
 大賀正行氏は今回の一連の事件について、「飛鳥小西事件は第2期の行政闘争方式と「特措法」時代のもつ マイナス面が典型的に出たもので、これはいわば氷山の一角である。私はこれに早くから気付き『特措法強化延長』から『部落解放基本法』にスロ-ガンを変えさせ、特措法時代の終結後を見越して第3期論を15年以上もまえから提唱してきたが、指導しきれなかった無念の思いに駆られる。しかしながら飛鳥小西事件は同和行政打ち切りの口実として、権力側がマスコミと一体となって仕掛けてきたもので、私らが苦労して積み上げてきた50年の成果を一挙に、元に戻すという一大反動と弾圧である。今月末に発表される大阪市の同和行政見直し案は全国すべての同和行政への悪いモデルになることは必至だ。」(2006.7.31)としている。事件は2002年3月に「特措法」という法的根拠が無くなるのを待って、1年以上の月日をかけて官憲・マスコミを総動員し、「社会意識としての差別観念」をフルに利用しての綿密に練られた一大フレーム・アップ(frame-up)事件ということができよう。

<差別意識を煽って、市民の財産を掠め取る>
 ではこの一大フレーム・アップはいったい何を目的としているのか。市の改革会議の委員長を務める上山信一慶應大教授(大阪市大特任教授)は2006年10月3日付けの日経紙上で「官業 民間に『大政奉還』を」と題して、「大阪市では、市営地下鉄の完全民営化を検討中だ。メリットは予想以上に大きい。公務員法などの制約がなくなり顧客サービスと経営効率を同時追求できる。…私鉄並みの駅ナカビジネスや遊休資産の有効活用も始まる。市内にある広大な操車場の郊外移転など都市構造のあり方に直結する動きも予想される。今まで眠っていた交通局の膨大な資産が…フル活用される。」「官の事業と資産を徹底解体し、民の手に委ねる。…官という名の大木を引き倒し、それを市場という名の土に還(かえ)していく。」と述べている。
 また、マニフェストにおいても「市営住宅の建替え等」として、「市政全般への民間企業等との協働の推進」の項目の中で、「市営住宅の建替事業により生み出された余剰地において、コンペ方式等による民間マンションやコミュニティビジネスの拠点施設等の導入を図るなど、民間のノウハウを積極的に活用する。」とし、また、「②民間企業やNPO 等の活用」の例として「焼却工場の施設整備について、これまでの公設整備に加え民間資本の活用についても検討する。」ことなどが列挙されている。
 ようするに、地下鉄の操車場用地や老朽化しつつある市営住宅の底地をはじめ、大阪市民がこれまで営々と築き上げてきた『社会的共通資本』を、いとも簡単に「民間企業」にたたき売ろうというのである。『社会的共通資本』の提唱者である宇沢弘文東大名誉教授は「社会的通資本はどのような所有形態をとろうと、その管理、運営は決して官僚的基準にしたがつて管理されてはならないし、また、市場的基準によつて大きく左右されてはならない。それぞれの社会的共通資本にかかわる職業的専門家集団によつて、専門的知見と職業的倫理観にもとづいて管理、運営されなければならない。」(エコノミスト2003.5.6)と明確に指摘している。
 では、社会的共通資本を民間にたたき売るとどうなるのであろうか。上記論文で上山教授が評価してやまない小泉改革について、日本医師会の坪井栄孝前会長は「小泉政治のスタイルは、あらゆる面で『アメリカンイデオロギー感染症』に侵されており、決定にあたっては、自民党の意思よりアメリカの意向を、日本の専門家よりアメリカナイズされた学者や営利業者を優先する傾向を持っています。…小泉政権の中枢を司る経済財政諮問会議や総合規制改革会議のメンバーは、財務省の息のかかった、人の命よりも財政を最優先させる学者や民間人のみが起用されています。…日本国を持参金つきで外資に売り渡すことに余念がないと言われても仕方がない現実もあります。例えば、長銀はリップルウッドというアメリカの投資会社に3兆円以上の持参金つきで売り渡され、今度はあおぞら銀行がサーベランスに売り渡されます。そもそもこれらの売り渡し先は、ユニバーサルバンクですらありません。定見のないアメリカ追従の政策が、財政一本やりの聖域なき改革の流れをつくってきています。」(日本医師会総会挨拶:2003.3.30)と正当にも述べている。10月7日の日経によると、あおぞら銀行(旧日本債券信用銀行=国策銀行であった)は近々再上場されるが、その株の売出価格は1株570円に決まり、全体の株の6割を保有する米ハゲタカ・ファンドのサーベランスは持株の1/3の株を放出するが、1000億円もの金が入るというのである。また、村上ファンドを後ろで支援したオリックスにも数百億円の利益が入ると報道されている。社会的共通資本の民営化とはこのようなものである。地下鉄の操車場を売り、市営住宅の底地を売り、公園・緑地や道路までも民間に売ろうというのであろうか。その際、最も邪魔になるのが解放同盟である。

<ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)とは詐欺行為>
 「今回の改革は、いわゆるニュー・パブリック・マネジメントの手法を採用したものである。」とする市政改革マニフェスト― 解説資料では、ニュー・パブリック・マネジメント(New Public Management)を「民間企業の経営理念・手法を可能な限り公的部門に導入したもので…徹底した競争原理を導入し、政策の企画立案と実施執行の分離をする。そのことで事業の効率化・活性化を図ろうとするものである。」と定義する。上記の上山論文の表現を借りれば、「BS改善させる平成の払い下げ」とし、「事業と資産の民間移譲、政府は一段のスリム化が必要だが、従来手法での予算や人員、組織の削減には限界がある。…今後は、債務圧縮や資産の有効活用などBS(貸借対照表)面の改革を重視すべきだ。具体的には、官の事業と資産を徹底して相対もしくは市場経由で民間譲渡すべきである(「平成の払い下げ」)。空港・港湾の経営、保険・年金事務など、当然のごとく政府の仕事とされてきた業務を資産とともに民間企業に譲渡すべきだ。」ということである。
 しかし、よほどの成長分野でない限り(あるいはホリエモンのような粉飾をやらないかぎり)「貸方」の資産を民間企業に売却すれば反対勘定の「貸方」には債務が残らざるを得ない。「借方」の債務は結局税金を投入して(市民の負担で)清算する意外にはバランス(BS)は回復しない。国鉄の民営化でも最終的には28兆円の税金を投入することとなった。「BSを改善させる」などというのは会計学のイロハも知らない(あるいは知らない者をたぶらかす)ごまかし以外の何ものでもない。そもそも、民間企業がまっ先に利益の源泉である大事な工場を売り払うということがあるであろうか。工場を売り払うのは借金が払えず企業が倒産する時である。“官の事業と資産を徹底的に売り払う”とは「官」を無くすということである。無くした後の「政策の企画立案」とは何を意味するのか。それこそ無用のものである。経営学とは何か、マネジメントとは何かを知らない者のする議論である。国と異なり、地方自治体の行政は市民生活に密接なものがほとんどである。施設管理など部分的に民間委託できるものもあるが、売れるものはしれている。港湾開発の資産にしても、売れないからこそ三セクが特定調停に持ち込まれたのではないか。しかも、『相対』でとは、ある特定の利害関係者に売却するということである。

<「身の丈改革」とは地方分権からの「敵前逃亡」>
 マニフェストは『身の丈改革』というキーワードで、「過剰行政の実態については、『人口1 万人あたりの職員数』という指標でみると、大阪市役所は185 人で、横浜市役所の95 人、名古屋市役所の138人、政令指定都市平均の111 人を大きく上回っている。」というが、「昼間人口1万人当たり職員数」では川崎市より低く、名古屋市や神戸市と同等である(2005.7.29 有識者会議資料「財務リストラクチャリングの考え方」)。大阪市は元々中心都市であり、周りの市から市内の企業へ・商業地区へと人が集まってくる。その為に地下鉄を整備し、道路を整備し、下水道を整備してきたのではないか。たとえば、夜間人口を基準に下水道を整備していたならばすぐにパンクしてしまうことは明らかである。横浜市や川崎市のような周囲にまだ広大な“田舎”を抱える都市とは構造が基本的に異なっている。他都市の比較はシロウト目には分かりやすく見えるが、安易なものであり、何も問題を解決するものではない。都市構造・歴史の違いをしっかりと分析して政策を立てる以外にはない(詳しい評価は『市政研究』06春『「市政改革」雑感』木村収大阪市大特任教授)。他都市と比較した数字でしかマニフェストを書けないところに大阪市官僚の職業的倫理観の欠如と上山氏ら新自由主義者の理論の無内容さと低俗性がある。三位一体改革で交付税も減り、税収入も増えず、その一方で借金が膨らみ、市民の高齢化や60年代・70年代に建てた市営住宅の老朽化も進むなど、地方自治体を取り巻く問題は山積みではあるが、それを、民間に売ったから後は知らない、民間に管理委託したからプールで死人がでても知らないとはいえない。それこそ、地方分権が進む中で、目の前の困難を避けての敵前逃亡である。

 【出典】 アサート No.348 2006年11月18日

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【書評】『クルド学叢書 レイラ・ザーナ—クルド人女性国会議員の闘い』

【書評】『クルド学叢書 レイラ・ザーナ—クルド人女性国会議員の闘い』
    中川喜与志・大倉幸宏・武田歩編、2006.1.15.発行、新泉社、2,800円)

「本書は、一人のクルド人女性の半生を通して、パレスチナ問題と並ぶ中東世界のもう一つの焦点であるクルド人問題の本質を探るとともに、少数民族問題とは何か、テロリズムとは何か、民主主義とは何か、といったテーマに可能なかぎり迫ることを試みたものである」(「序 民主化の旗手か、テロリストか?」)。
 中東の先住の民、クルド人は、2500~3000万の人口を持ちながらも、自らの国家を形成できぬままに、トルコ、イラク、イラン、シリア等複数の国家にまたがって居住している。このような状況に至らしめたものは、それぞれの国家がクルド民族とその居住地域(クルディスタン)を分割、併合したからであった。この意味でクルド人問題は、「多国間植民地」の問題である。
そしてそれはまた、「それぞれに民族主義(アラブ民族主義、トルコ民族主義、ペルシャ民族主義)あるいはイスラーム主義がクルド人たちを無権利状態に置く、他民族支配のイデオロギーとして機能してきた問題でもある」とされる。
 「そして、全クルド人口の約半数(1200万~1500万)のクルド人が暮らし、そのクルド人たちに対して最も過酷な同化政策、抑圧政策をとってきたのがトルコ共和国である」。
 1923年のトルコ共和国建設において、トルコ共和国に暮らす全住民が「同胞としての“トルコ人”」と見なされるというスローガンが宣言された。一見したところ進歩的で寛容に見えるこのスローガンは、しかしながら現実的には、クルド民族、クルド語の存在を否定するスローガンとして展開され、暴力的に押し付けられるものとなった。すなわち「このスローガンの意味するところは、現実には『単一民族国家』の建設であり、それは、その後のいくつかのクルド人反乱を経て、『クルド民族は存在しない』『クルド語なる言語は存在しない』という究極の同化政策を生んだ」。すなわち「トルコのクルド人は『少数民族』ですらなくなった」のである。
 本書編者は、上のように紹介することで、クルド人たちの置かれている過酷な現状を批判するが、この状況に抗して、トルコにおけるクルド民族の権利を主張して登場したのが、本書で取り上げられているレイナ・ザーラであった。
 レイラは、1980年代末よりクルド人の、女性の活動家として大きな注目を集めていたが、1991年、トルコ大国民議会(国会)総選挙に同国東部のクルド人居住地域(クルディスタン)から立候補、30歳の若さで当選した。そして議員就任式に際して、クルド民族の伝統色をまとったレイラは、トルコ語で議員宣誓を行なった後、「クルド人とトルコ人の兄弟愛に万歳!」と数語のクルド語を発する。まさに「クルド民族の存在」が公然と主張されたのである。
 この事件を発端としてレイラは、国会議員不逮捕特権を剥奪され、1994年より2004年にかけての約10年間、首都アンカラの中央刑務所に投獄されることになる。この事件についてレイラ自身の「獄中メッセージ」から引用しよう。
 「私が議会で最初に発言したのは、公職に就くにあたっての宣誓を行う時だった。(中略)1980年のクーデターによって成立した軍事政権が起草し、制定した、その反民主的な文書の諸原則を尊重することを、おごそかに誓わなければならなかった。それは苦痛以外の何ものでもなかった。(中略)この憲法は、クルド民族の存在の否定を法律として成文化し、クルド人アイデンティティのいかなる主張も犯罪とした。要するに、トルコの政治・軍部の支配層は、クルド民衆に選ばれた代表である私たちに、公に自らのアイデンティティを、民主的な闘いの存在意義を、放棄するよう求め、そのような体制に忠誠を誓うことを求めていたのだ。(後略)」。
 「どのようにして、私たちは国会議員としての経歴のまさに最初から、一連の罠を回避することができたのだろうか? 誰もが、とりわけ私たちを選んだ民衆は、『クルド人のラ・パッショナリア』(マスコミが私をなぞらえたように)がどうするかを注視していた。私は圧倒的な重さでのしかかってくる責任を感じていた。私は屈服しない道を選び、自らのアイデンティティに対する誓いをはっきりと表明するため、クルド民族を象徴する色彩のスカーフを身につけた。私の名前が呼ばれた時、議会の満員のホールを重い沈黙がおおった。演壇から私の座席までを分かつ距離は、果てしないように見えた。(中略)これは、私の真実の瞬間なのだ、と私は自分に言い聞かせた。ライオンの穴に投げ込まれた、クルディスタンの農村の幼い少女・・・」。
 「私はこの状況に対処するために、ありったけの力を奮い起こした。最初に、宣誓文のトルコ語の文章を静かに読み上げた。それは、公式に私に[議員としての]権限を有効にした。そして、私は次の文章をクルド語で加え、トルコ語でも読み上げた。
 『私は強制されたこの形式的行為を耐えました。私は民主主義の枠内で、クルド人とトルコ人の友愛的な共存のために闘うつもりです』。
 このわずかばかりの言葉は、議場内に集団ヒステリーを爆発させた。『分離主義者! 売国奴!』という叫び声が四方から聞こえてきた。(中略)議員の中には、『逮捕しろ、絞首刑だ!』と叫んでいる者もいた」。
 かくしてレイラは、この後10年間にわたり獄窓に閉じ込められることになるが、本書はこの事件を、「Ⅰ なぜレイラ・ザーナは投獄されたのか?」「Ⅱ 夜を照らす暗黒–レイラ・ザーナ半生記」(映像作家ファイサル・ダールの寄稿)「Ⅲ 獄中からのメッセージ」「Ⅳ 獄中からの手紙」「Ⅴ 起訴状と弁論–1994年レイラ裁判」「Ⅵ トルコにおける政党政治とクルド人たち」(社会学者イスマイル・ベシクチの寄稿)という構成で、資料を駆使して詳細に焙り出す。
 そして編者は、レイラ問題の背景には、トルコ建国後にケマル・アタテュルクによって掲げられた「六つの矢」の原則(共和主義、民族主義、世俗主義、民衆主義、国家主義、革命主義)が持つ矛盾が存在すると指摘する。
すなわちこれらの中で最も重要な国民統合のイデオロギーとなってきたのが、民族主義(トルコ民族主義)であり、「トルコ民族主義は、共和国建設後、クルド民族の存在否定という政策を通して成長、発展してきたと言っていい」。
 ところが近年、建国以来西欧を範として追求してきた「近代化」の象徴的な目標として、トルコのEU加盟が日程に上ってきた。この「近代化」は、「世俗主義」との結び付きが強く、国内のイスラーム主義に対抗するイデオロギーとして機能してきたので、「EU加盟はトルコの近代化路線にとって外せぬ課題となってきた」のである。
 かくして「トルコ民族主義と表裏一体の関係で実行されてきたクルド民族の存在否定と近代化=西欧化という二つの路線が、トルコのEU加盟という問題を通して、相容れない矛盾として立ち現れたのである」。
 このトルコの建国イデオロギー(ケマル主義)の内含する矛盾の最中に、レイラ問題は置かれている。そして民族主義(クルド民族の否定)と近代化(西欧民主主義化=クルド民族の承認)の分裂という局面は、2004年6月のレイラの突然の釈放という事態で、トルコ政府の一定の譲歩を生み出した。しかしクルド民族拒否イデオロギーは強固に温存されており、レイラが言うように、「入り口に立ったばかりで、道はまだまだ続く」。
 「トルコのクルド人問題が今後、いかなる展開を見せるか依然不透明だ。それを動かす諸要因はかつて以上に複雑に絡み合っている、そんな環境のなかで、レイラ・ザーナたちは政治活動再開の新たなる一歩を踏み出した」と編者は述べる。
 なおまたレイラがマスコミによって「ラ・パッショナリア」と呼ばれていることは、かつてのスペイン市民戦争(1936~39)において「ラ・パッショナリア(受難華、もしくは情熱の花)」と呼ばれたドロレス・イバルリ(1895~1989)思い起こさせる。トルコとスペイン、対トルコ民族主義と対ファシズムという地域や時代の差、あるいは彼女たちを取り巻く政治情勢の違いはあるとはいえ、民族と民主主義への思いには通じるものがあると言えよう。そのイバルリは、『奴らを通すな!』(久保文訳、1970年、紀伊国屋書店)の最終章「新しき出発」でこう叫んでいる。
 「鎖につながれた国、牢獄のスペイン、拷問のスペイン。即決死刑のスペインの土に、新しい信頼と希望の光があらわれた。裏切りの侵略に対するわれわれ人民の叙事詩のようなレジスタンスを力づけた光、未来への人道主義を導く光、民族の苦悩の深みから輝き出る光、牢獄の暑い壁を通してさしこむ光、不死の人々のひびきわたる声で全世界に次のように知らせながら、
  スペインは生きている!
  スペインは戦っている!
  スペインは存在する!
 (中略)
 異った道から、異った遠い出発点からお互いにちがったものが同じ結論に達した。
 『死者たちのあの重荷を今生きている物が再び負わないために戦うこと、フランコがその行手をふさいでしまったスペインの歴史をつづけるために』」。
 本書は、このような状況下のクルド人問題に踏み込んだ最初の本格的な書であり、一読に値する。(R)

 【出典】 アサート No.348 2006年11月18日

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【投稿】金正日-ブッシュ-安倍 その危険な緊張激化・挑発路線

【投稿】金正日-ブッシュ-安倍 その危険な緊張激化・挑発路線

<<怪しげな核実験>>
 10/9、北朝鮮外務省は地下核実験の実施とその成功を発表した。
 しかし世界各国からの核実験監視データを集約しているウィーンの包括的核実験禁止条約(CTBT)事務局は10/13、今回の爆発による揺れの規模はマグニチュード(M)4.0(誤差0.3以内)で、核実験を示す放射性物質は検知できなかったと関係各国に通知している。M4.0ならTNT火薬換算で1.5キロトンに相当する。地震波測定に関しては、韓国ではM3,58、アメリカではM4,2、日本の気象庁はM4,9と発表している。
 CTBTの監視網は、1キロトン程度以上の地下核実験探知を目指しており、これは広島型原爆(濃縮ウラン型)の約15分の1、長崎型原爆(プルトニウム型)の約20分の1相当である。これより小さな小型核爆弾は、米ロなど核実験を重ね、高度な製造技術の蓄積が必要なため不可能とみなされている。とすれば、今回の爆発実験の規模は、ほぼこの下限ぎりぎりか、それ以下である可能性が高い。
 さらに核実験を行えば、実施後に自然界には存在しないストロンチウム90やセシウム137、クリプトン85などの放射能物質が放出されるが、韓米中ロ日のどの国も、まだこれを感知していない。米軍は、10/10以降連日、沖縄の嘉手納基地から気象偵察機WC135を出動させ、北朝鮮上空、日本海沿岸で大気を採取してきたが、放射性物質を採取できず、10/13に微量の放射性物質を検知したと発表されたが、特定できていないという。
 韓国の地質資源研究院では今回の爆発を、M値からTNTで400~500トン規模の爆発力と推定している(事前の推測では北朝鮮の核爆発は15キロトン(15000トン)~20キロトン(20000トン)であった)。しかもその地震波は、大きな波がいくつかに分かれ、「理想的な核爆発」とは考えにくいという。
 いずれにしても今回の核実験は核兵器の実験にしてはあまりにも爆発力が少なく、本来想定された核分裂エネルギーの数パーセントしか発生させられなかったといえよう。その意味では、客観的には失敗したものといえよう。核爆発にはこぎつけたかもしれないが、プルトニウムが核分裂を起こした段階で爆弾本体が臨界を維持できなくなった未熟実験であり、金正日政権が目指した核兵器の獲得には失敗したというのが真相であろう。

<<「強いられた」核実験>>
 同じく核実験を強行したインドとパキスタンの場合、1998年に5~6発の核爆弾を連続して爆発させることによって、核爆弾としての実戦使用能力を実証し、核保有を誇示したわけである。北朝鮮の場合も当然、そのために二回目以降の実験強行が予測されたし、今後もその可能性は大ではあるが、すでに1発目の段階で深刻な実験続行の危機に直面したし、その隠しがたい技術的実戦的に未成熟な実態を世界中にさらけ出したと言えよう。7月にはミサイル・テポドンの発射にも失敗したというのが事実であろう。
 今後核実験の継続を試みたとしても、それを取り巻く内外の環境、条件、ハードルはますます高くなり、その過重な負担は耐え難いものとなろう。これまで曲がりなりにも友好国として利用してきたはずの中国政府からも支持を取り付けられず、国連の対北朝鮮制裁決議が全会一致で採択されるという事態を招いている。
 金正日政権は、焦れば焦るほど追い詰められ、より過激な瀬戸際政策に頼らざるを得なくなり、それは自らの政権基盤を疲弊させるばかりである。まだ冷静に事態を分析し、対処できる能力があるならば、そして10/11の北朝鮮外務省声明にあるように、今回の実験強行が「米国の戦争の威嚇の増大を阻止するため、我々は核兵器を保有していることを証明することを強いられた」とするならば、同じ声明の中で「米国が原因で核実験を行ったものの、対話と交渉を通じた朝鮮半島の非核化への努力は続ける」という、その「非核化への努力」をこそ具体的に明らかにし、まずは自らの一方的な核放棄政策をこそ宣明し、実行すべきであろう。
 ここで問題は、むしろこうした事態の進行に最大限の利益を見出し、危機を挑発し、核軍拡と全世界的なミサイル防衛網の拡充にここぞとばかりに精を出しているブッシュ政権の役割であろう。その意味では、客観的にみてブッシュと金正日は手を組んでいるのである。
 すでに米国内ではこうしたブッシュ政権の姿勢こそが今日の事態をもたらしたとし、ホルブルック米元国連大使は、ブッシュ政権はもっと早い時点で平壌との直接対話に踏み切るべきだった、と指摘(10/13朝日)、米国戦略国際問題研究所のミッチェル上級研究員は「ブッシュ政権は北朝鮮政策で柔軟性を示すべきだった」(10/12毎日)、ヒラリー・クリントン上院議員も「ブッシュ政権の失敗した政策が背景にある」と切って捨てている。そしてカーター元大統領は10/11付のニューヨーク・タイムズ紙に寄稿し、米政府に対し「信頼できる特使」を北朝鮮に派遣するよう主張している。

<<立ち上がりから「エンジン全開」>>
 ここで俄然張り切りだしているのが安倍政権である。ブッシュとともに今回の核実験で最も喜び、恩恵を受けたのは安倍晋三その人ともいえよう。
 安倍内閣メールマガジンの創刊号(10/12)で安倍氏は「安倍内閣は、立ち上がりからエンジン全開です。連日、国会審議に全力投球しつつ、連休を利用して中国首脳、韓国首脳との最初の会談を行いました。日本を出てからもどるまでの36時間、疾風のごとく動き回わった初めての首脳外交、充実した会談だったと思います。また、ブッシュ大統領とも緊急連絡をし、国際的に連携をし、断固とした姿勢で臨むことを確認しました。国民の安全を守るのが私の第一の仕事です。私はこの問題で決して妥協することなく、強いリーダーシップをもって、私たちの国の、そして、世界の平和と安全を守る気概です。」とまさに「エンジン全開」、気負い立っている。
 なにしろ、自らの主張を押し隠し、村山談話・河野談話を受け継ぐことを表明せざるをえなかったとはいえ、靖国問題が事実上棚上げされ、北朝鮮に対する制裁で共同歩調までとれるという出来過ぎたシナリオが用意され、支持率上昇の絶好のチャンスとばかりに張り切りだしたのである。
 しかしこの「エンジン全開」は、北朝鮮の危険な挑発路線に便乗した、強硬政策一点張りで突っ走り、日本が真っ先に独自の制裁政策をぶち上げ、すぐさま実行し、北朝鮮船舶の臨検・軍事的衝突まで想定した、むしろ北朝鮮が暴走することをさえ願い、煽っているかのような「エンジン全開」である。そこには冷静な対話と外交努力によって事態を平和的に解決しようというかけらさえない、妥協を排した「断固とした姿勢」の危険な路線である。その意味では金正日と同様の危険極まりない挑発路線である。
 今年の8月に開かれた「日米安保戦略会議」でコーエン前米国防長官が、北朝鮮のミサイル発射実験を指して、「金正日はよくがんばってくれた」と高く評価し、これを受けて、宝珠山・元防衛施設庁長官が「いや、これからもっと頑張ってもらわなければ」と応じたというが、こうした彼らの露骨な発言からも言えるように、北朝鮮・米国・日本の金正日-ブッシュ-安倍政権は、軍事的緊張激化路線・挑発路線において、客観的には緊密な提携関係にあるとさえいえよう。

<<「ブッシュ化」する安倍>>
 9/27付け『ニューズウィーク(日本版)』のジェームズ・ワグナー副編集長の巻頭言の表題は〈「ブッシュ化」する安倍新首相の恐怖〉である。その中でワグナー氏は次のように述べ、問いかけている。
 <もっとも恐ろしいのは、安倍が「ブッシュ化」するという仮説だ。00年の大統領選でジョージ・W.ブッシュは「思いやりのある保守主義」を掲げ、外交面でも謙虚さが必要だと訴えた。
 ギリギリで民主党のゴア前副大統領に勝利したブッシュは、超党派的なコンセンサスを重視するだろうと多くの人が予想した。だが実際は、ネオコンが描いたイメージにアメリカ社会を変身させた。9.11テロ後、国民はブッシュが国を守るためだと言いさえすれば、何でも好きにやらせてしまった。
 北朝鮮の金正日総書記は、安倍にとってのウサマ・ビンラディンになるのか。日本国民は恐怖のあまり、国を変身させてしまうのか。>
 これはきわめて現実的な問いかけであり、警告と言えよう。「思いやりのある保守主義」は、空虚で中身のない「再チャレンジ」政策であり、復古主義的な教育基本法改悪、そして憲法改悪政策である。「外交面での謙虚さ」は、反中・反韓的本質を覆い隠した日中・日韓首脳会談であった。日本国民にとって悲劇的なのは、日本のマスメディアにこうした警告を発する真摯な問いかけがほとんど皆無に近く、むしろ危機と緊張激化をことさらに強調し、大騒ぎをして吠えまくる政治家や言論人が跋扈し、マスメディアを独占して、挑発政策に反対し、平和的解決を求める行動はほとんど報道されず、批判的言論が押しつぶされ、大政翼賛的状況が作り出され、「恐怖のあまり、国を変身させてしまう」危険な路線が持ち上げられ、やむをえないものとして受け容れられ、さらなる強硬政策をさえ要求していることにある、と言えよう。その上に悲劇的なのは、沖縄を除いては、近づく補選や国政選挙においていまだに反自民の統一候補さえ立てられないという事態である。野党の責任は重大と言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.347 2006年10月21日

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【投稿】北朝鮮「崩壊」と東アジアの混沌

【投稿】北朝鮮「崩壊」と東アジアの混沌

<核実験は失敗か>
 10月9日、北朝鮮は核実験を行ったと発表した。当初は核爆発にしてはあまりに規模が小さく、放射能も観測されなかったため、大量の通常火薬を爆発させた「偽核実験」ではないか、との見方もあった。
 しかし、その後大気中で放射性物質が確認され、爆発規模の詳しい解析などから、核爆発は起こったが、失敗であったという見解がアメリカでは支配的になってきている。すなわち原爆は起爆したものの、核分裂は中心部のみで、残余のプルトニュームは反応を起こす前に吹き飛ばされてしまった、というのである。
 7月の「テポドン2号」も、発射直後に空中分解したことが明らかになっており、北朝鮮の核ミサイル開発は弾頭、運搬手段とも完成の域には達しておらず、戦力化にはほど遠いことが、はからずしも明らかになった。いわば北朝鮮の一連の実験はアメリカに対する「決意表明」の意味合いはあっても、恫喝にはなり得ないのは明白である。
 今回の核実験は、技術水準を露呈させたうえ、対米関係の進展をはかられなかったことのみならず、韓国の太陽政策を事実上破綻させ、中国やロシアにまで、匙を投げさせてしまったあげく、日本の軍拡にさらなる口実を与えるという、最悪の結果となった。
 さらに国際的な孤立も進んだ。国連安保理も、制裁決議を全会一致で採択した。特定品目の禁輸や在外金融資産の凍結と、そのための船舶検査など、その内容が完全に履行されれば、北朝鮮にとっては大打撃となり、金正日体制の存続にも大きな影響が出てくるのは避けられない。しかし、決議の確実な実行による早期の体制崩壊があるかと言えば、そうはならないと思われる。中国、韓国、ロシアは外交努力による解決で一致している。
 
<崩壊危惧する中、韓、露>
 それは直接国境を接する中国、韓国、ロシアそれぞれが、金正日体制の崩壊を想定しつつ、ポスト「金王朝」を巡っては激しく対立する可能性があり、当面は体制維持、できることなら穏健改革路線への転換と言う軟着陸を望んでいるからである。
 とりわけ中国、韓国の立場は微妙である。中国が一番危惧するのは、北朝鮮の急速な崩壊により中朝国境地帯のみならず、朝鮮族が多く住む中国東北部に混乱が拡大、長期化することだ。こうした事態は、2年後の北京オリンピックに深刻な影響を及ぼすだろう。
 中国は、北朝鮮が崩壊した場合、朝鮮族を主体とした人民解放軍の進駐までもを想定しているだろう。この間中国は中朝国境地帯の中国化、いわゆる「東北工程」を押し進めている。
 中国社会科学院は昨年9月、朝鮮系騎馬民族国家と理解されていた「高句麗」や、その遺臣が建てたと言われる「渤海」を独立国ではなく、唐など古代中国の地方政権であると規定。一部の中国歴史学者は「古代は(ソウルを流れる)漢江以北までが中国領土」とまで主張している。
 また最近では長白山(朝鮮では白頭山)を中国領として世界遺産に登録申請をするなど、して、韓国の反発を招いている。中国社会科学院の見解は政府の認識と軌を一つにするだけに、韓国では、これら「東北工程」は北朝鮮崩壊後、中国が影響力を拡大するための「地ならし」ではないかと言われている。
 しかし、それがオリンピック前では大変不都合なのであって、もしそんなことをすれば、モスクワオリンピックの二の舞になる可能性が高い。しかし手をこまねいていて先述のように、中国国内に混乱が波及すれば、同じようにオリンピックは危なくなるのである。
 もっとも北朝鮮崩壊に際し国連で然るべき決議がなされ、平和維持活動としての駐留ならば国際的な合意も得られようが、その場合の中心部隊はは韓国軍となり、アメリカ、ロシアもそれに加わるであろうから、中国の影響力行使は限定的にならざるを得ない。
 いずれにしても、中国としては北朝鮮の崩壊は当面望むところではないのである。またその事態が避けられないにしても、オリンピック以降、できれば2010年の上海万博以降に先延ばしすべく、それまでは北朝鮮を支えていくだろうし、金正日もオリンピックを人質に取っているつもりではないか。
 それは韓国も同じであり、南北統一の理念は掲げつつ、北朝鮮崩壊に際しての、国内の混乱、中国との軋轢、よしんば韓国主導で統合できたとしても、以降の莫大な経済的負担を考慮すれば、急速な崩壊は避けたいのが本音である。
 
<「制裁」突出する日本政府>
 しかしながら、北朝鮮の現体制が厄介なのはロシアも含めての共通認識であり、金正日の後継者体制が確立するまでに、アメリカも加わった形で何らかの協議がもたれる可能性もある。それは核問題のみならず、ポスト「金王朝」をどうするかというレベルのものになるだろう。
 仮にそれで朝鮮半島の安定が保障されたとしても、関係各国の利害を最優先させたスキームでは、肝心の北朝鮮国民の意思が反映されない。最も好ましいのは国民自身による北朝鮮民主化を通じた安定ではあるが、それは望むべくもないのが現実である。当面、窮乏化する国民への支援を継続するほかはないが、それさえも断ち切ろうとしているのが安倍政権である。
 日本政府は国連決議を超えて、全面禁輸など独自の経済制裁をさらに強化し、武力行使につながる船舶検査も強行する姿勢であるが、北朝鮮国民の生活に関しては一顧だにしていない。そればかりか早期の体制崩壊を願い、混乱を楽しむかのようである。国連決議でさえ「大量破壊兵器関係、贅沢品の禁輸」と中枢に対する制裁にとどめているのに、指導者と一般国民を分けて考えるのが大嫌いな安倍晋三ならではの対応である。
 先の中国、韓国歴訪で表面上は関係改善に動いたかに見える東アジア外交であるが、所詮は爪を隠しての訪問である。北朝鮮制裁で日本が突出することになれば、振り出し以前に戻ることになるだろう。(大阪O)

 【出典】 アサート No.347 2006年10月21日

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【投稿】日本に資源戦略はあるのか 

【投稿】日本に資源戦略はあるのか 
    ―アザデガン油田の権益縮小と東シナ海天然ガス開発の行方―
                            福井 杉本達也

1.米国に脅されて撤退するアザデガン油田開発
 イラン南西部のアザデガン油田の開発交渉で、国際石油開発は10月6日、75%持っていた権益を10%に引き下げることでイランと合意した。開発投資に対する政府からの融資保証が得られないため、事実上の撤退である。2004年に開発契約を締結。推定埋蔵量260億バレルと中東最大級を誇るアザデガン油田は、日本にとって悲願の大規模自主開発油田となるはずだった。日量26万バレルは、日本の原油輸入の6%分に相当する。しかし、契約前から、米はイランの核開発疑惑を理由に日本の参画に反対を表明。開発着手は延期が重ねられた。イラン側が早期着工を強く求めたのに対し、日本は対米追随か、資源獲得との板挟みに陥り、この2年間、交渉は混迷を極めてきた。
アザデガン油田の開発交渉は、2000年11月ハタミ大統領が来日時に、日本が優先交渉権を獲得するという形で始まり、優先交渉権の見返りとして日本側が30億ドルの原油購入の前払い金を支払うことで合意した。当時わが国最大のアラビア石油がサウジアラビア・カフジ油田の利権を失った。サウジの見返り要求が過大すぎることが原因であった。このため日本はこれにかわる大型油田を求めていた。日本は原油輸入量の15%程度をイランに依存しており、アザデガン油田開発と言う経済協力によってイランとの絆を強め、同時に26万バレルの石油を確保できることは、日本にとってまさに一石二鳥の開発計画であった。
 10月13日の日経は社説で「エネルギー安全保障は、国家の総合的な安全保障政策の一部であり、両者の間に矛盾があってはならない…日本が国際社会と足並みをそろえて核拡散を阻止するという政策をとる以上、自主開発油田の確保もそれに沿ったものでなければならない。」と対米追随こそ『国益』と述べるが、果たしてそうか。日本が今後も米国の意向に忠実に従えば、米国が日本のエネルギーの安定確保を保証してくれるのであろうか。米国は世界最大のエネルギー輸入国であり、その最大の石油供給源であるベネズエラでは反米機運が高まっている。世界的に資源ナショナリズムの高まる中、イラクへの侵略は何としても中東の石油を押さえておきたいというエネルギー戦略の一環であり、米国は今後も自国の国益を優先し、その分け前は米英系石油資本にしか配分されない。日本がいかに対米追随の姿勢を示しても見返りは期待できない。そもそも、自衛隊のイラク派遣もアザデガン油田開発の『お目こぼし』を狙ったものであったが、石油に関する限り米国の態度は厳しいものがある。中国・インドをはじめ発展途上国も原油確保に必死となる中、その膨大な量を他に代替を求めようと言うのは幻想に過ぎない。日本のLNG需要の3割近くを占めるインドネシアも、一時期、輸出削減を打ち出し、ロシアのシベリア石油パイプラインも中国への敷設を優先され、日本の商社が権益を得て液化天然ガス(LNG)生産を目指すロシアのサハリン2プロジェクトも「環境問題」で頓挫の危機にある。アザデガン油田開発からの撤退は小泉内閣5年間の対米追随外交のみじめな失敗の結果である。

2.ようやく『共同開発』の方向へ動き出すか・東シナ海天然ガス開発
 一方、この間、日中の政治的緊張の中で膠着状態にあった東シナ海天然ガス開発は、さる10月8日の安倍首相と胡錦涛国家主席らとの首脳会談により、ようやく『共同開発』の方向へ動き出す気配である。この東シナ海の天然ガス開発問題は、尖闇諸島の領有権も絡む。「日本側が主張するEEZ境界である日中中間線付近の複数のガス田で開発を進める中国側に日本側は『日本側のEEZの海底にあるガスも採掘される懸念がある』と中国側に主張している」(日経:10.8)。国連海洋法条約では、EEZが重なりあう場合は、中間線をもつて境界とするとされているが、国土の地形・地質的自然延長としての大陸棚はそれに接する国のもの、という規定もあり、中国は東シナ海の大陸棚と琉球列島との間にある沖縄トラフまで権利があると主張している。
 中国側が設置した採掘井プラットフォームは、この中間線より中国側に五キロメートル人ったところにある。「油や天然ガスが眠る鉱脈が境界線をまたいで日本側の海域につながっている可能性があるため、日本は開発中止を要求」(日経:2005.7.15)。日本は『コップの中の飲み物をストローで呑み尽くすに等しい』という中川経産相(当時)の比喩に代表されるように、日本国内のナショナリズムを煽り、いたずらに日中間の緊張状況を作りだしてきた。
 しかし、元石油資源開発取締役の猪問明俊氏など、資源探査の専門家からは日本側の主張に疑問の声が上がっていた。「日本の国内法では、石油・ガス井戸は鉱区境界から100㍍離せば掘ることが認められており、それだけ離れさえすれば、先に掘った者が結果的に隣の鉱区の資源を採ることを禁じていないのである。隣の鉱業権者がそれで不満なら、自分も境界から100㍍離して井戸を掘るほかなく、相手に対して開発をやめろという権利はない。国際的に、国境からどれだけ離せという法律はないし、日中間でそのような取り決めもないのだから、「春暁ガス田」 の開発をやめろというのは国際的に通らない要求なのである。中国は、「春暁ガス田」を見つけるまでに不成功井を含め、いろいろな調査や掘削を実施し、その結果、地下地質資料を蓄積してきたはずである。そのために膨大な投資をしてきたことは間違いない。つまり、地下地質資料というのは、石油開発会社にとつては貴重な財産なのである。それを見返りもなく見せろという日本側の主張は、工業製品メーカーにその特許技術を開示しろと迫るのと同じくらいに失礼なことで、この業界では世界のどこでも通用しない要求である。」(東洋経済2005.10.1『非常識な日本側の要求中国と共同開発交渉を』)と猪間氏は明確に述べている。

3.身勝手な米国の対インド政策と追随する日本
 今年3月1日、ブッシュ大統領はインドを訪問し、両国は「グローバルな戦略パートナーシップ」であると確認し合った。インドは核不拡散体制の要であるNPT(核不拡散条約)に公然と背を向け、非加盟を貫いてきた。米国がインドに原子力協力することは、NPT否定派のインドのこれまでの行為を容認するものである。1974年の核実験実施以降米国はこれまでインドの核計画を非難し、1998年の再度の核実験を受けて核技術輸出を禁止した。しかし、9.11で米国は対印制裁を解除、日本も米国に追随し何の整合性もなく2001年にはインドに対する経済制裁を解除した。米国の豹変の背景には台頭するインド経済への接近政策と中国への牽制がある。
 インドはイランの天然ガスを輸入しようと、イランからパキスタンを経由してインドに至る全長2,800KMのパイプラインを敷設する総額70億ドルのプロジェクトを計画している 。インドとパキスタンは対立しているが、エネルギーを安定的に確保するために両国は協力しようとしている。イランの孤立化を図りたい米国は、この計画からインドに手を引かせるため、インドに民生用の核開発技術を供与することに合意したのである。NPTに加盟していないインドに核技術を供与することは米国の明らかなダブル・スタンダード(二重基準)である。そして思惑通りパイプライン・プロジェクトは立ち消えつつある。麻生外相はイラン制裁が議論される中、8月1日に「『アザデガン油田で話の趣旨を変えるつもりはない。核(問題解決)の方が優先だ』と述べ」対米追随政策を明らかにした(日経:8.2)。今回の北朝鮮の核実験により、日本政府の否定にもかかわらず海外のメディアの間には日本の核武装を論じる報道が目立ち始めた(日経:10.12)。背景には日本が大量のプルトニウムを保有することにある。核拡散は防がなければならないが、米国追随のダブル・スタンダードでは国際的信用も得られずエネルギーの確保もままならないことを自覚すべきである。

 【出典】 アサート No.347 2006年10月21日

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【書評】『検証・憲法九条の誕生

【書評】『検証・憲法九条の誕生
     –「押し付け」ではなく、自ら平和条項の条文を豊富化した論議の全過程』–
           岩田行雄編・著〔自費出版〕、2004年6月30日初版、500円)–

「自衛隊の存在は憲法違反である。その自衛隊の海外派兵、さらに多国籍軍への参加は、二重、三重の憲法違反である」(本書『刊行にあたって』)。
しかし「政府は、自ら創り出した憲法違反の状態を解消し、日本を、戦争を出来る国にするために、憲法の改正を急いでいる」。そして「憲法前文の書き換え」と「第九条の見直し」を主張し、改憲に関しての根拠を並べ立てる。
それらは、「『現憲法は占領軍に押し付けられたもの』であり『自主憲法の制定を求める』とするもの、『古くさくなった』というもの、個別的自衛権から進んで集団的自衛権を容認するもの(中略)、等様々だが、最大の狙いは第九条の廃棄である」。
本書は、この問題意識に立って発行された。「本書を刊行する目的は、これらの主張に対して、歴史的事実を以って第九条が押し付けられたものではないこと、平和憲法の先駆性を明らかにし、憲法改悪に真っ向から反対し、第九条を守る運動を広げ、その運動を勇気付けることにある」。
そしてこのこのために本書は、二つの具体的歴史的文書を再現して詳細に検討することでその根拠を裏付ける。
その第一は、憲法草案の準備過程で作成された法制局による『憲法改正草案に関する想定問答』(昭和21年4月及び6月作成)と『憲法改正草案逐条説明』(昭和21! 年4月及び5月作成)であり、第二は、第九十回帝国議会衆議院本会議、帝国憲法改正案委員会議、帝国憲法改正案委員小委員会の議事録からの憲法九条に関するすべての論議の再録である。
著者は言う。「これらの資料で論議の全体を通して読んでみると、各党の議員と政府の間での自主的な、そして真剣な論議により、平和の理念が語られ、平和条項である憲法九条が、短文ながらも格調高い、豊富な内容を持った条文に仕上がっていく様子が手に取るように分かる」。
第一のものからあげれば、まさしく文字通りの、法制局の役人による政府答弁用の文章が残されている。
「第九条 本条はわが国が今次の戦争の経験に徴して、将来全く戦争を放棄することを宣言した条文であって、草案の最大の特色を成すものであり、世界に比類を見ざる徹底した平和主義の表明である。
(中略)
おもふに従来の世界に於ては、各国余りにも、紛争の解決に、武力を手段として恃(たの)み過ぎた。(略)これをわが国の例に徴するに戦前及び戦時中を通じて戦争及び武力行使は、他の目的を達成する手段と謂うよりも寧ろ、夫れ自体が目的と為ったかの観があり、(略)戦争に依て、政治的、社会的或は経済的に不當の利益を得んとする、悖徳漢(はいとくかん)は遂に国を誤って国民を無限の苦悩に陥れ、剰(あまつさ)へ相手国の国民に譬(たと)うべくもない苦痛を蒙らしめるに至った」(『逐条説明』より)。
また第二の記録からは、戦争の廃棄に関して次のような議論がなされているのも注目すべきであろう。
「野坂議員(日本共産党):(略)戦争には、我々の考えでは二つの種類の戦争がある。(略)一つは正しくない不正の戦争である。これは、日本の帝国主義者が満州事変以来起したあの戦争、他国征服、侵略の戦争である。これは正しくない。同時に侵略された国が自国を護るための戦争は、我々は正しい戦争と言って差し支えないと思う。この意味において、過去の戦争において、中国或いは英米その他の連合国、これは、防衛的な戦争である。これは、正しい戦争と言って差し支えないと思う。
一体、この憲法草案に戦争一般放棄という形でなしに、我々はこれを侵略戦争の放棄、こうするのがもっとも的確ではないか(後略)」(第九十回帝国議会での論議、昭和21年6月28日)。
これに対して政府側はこう答えている。
「吉田内閣総理大臣:また、戦争放棄に関する憲法草案の条項につきまして、国家正当防衛権に依る戦争は、正当なりとせらるるようであるが、私は、かくの如きことを認むることが有害と思うのであります(拍手)。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実であります。故に、正当防衛権を認むることが、たまたま戦争を誘発する所以であると思うのであります。(略)正当防衛に依る戦争がもしあるとするならば、その前提において侵略を目的とする戦争を目的とした国があることを、前提しなければならぬのであります。
故に正当防衛、国家の防衛権に依る戦争を認むるということは、たまたま戦争を誘発する有害な考えである(後略)」(同日)。
吉田は、これについて他の答弁でも、こう述べている。
「吉田内閣総理大臣:(略)私の言わんと欲しました所は、自衛権に依る交戦権の放棄ということを強調するというよりも、自衛権に依る戦争、また侵略による交戦権、この二つに分ける区別そのことが有害無益なりと、私は言ったつもりで居ります。今日までの戦争は、多くは自衛権の名に依って戦争を始められたということが、過去における事実であります。自衛権に依る交戦権、侵略を目的とする交戦権、この二つに分けることが、多くの場合において戦争を誘発するものであるが故に、かく分けることが有害であると申したつもりであります。(中略)交戦権に二種ありとするこの区別自身が無益である。侵略戦争を絶無にすることに依って、自衛権に依る交戦権というものが自然消滅すべきものである」(7月4日の発言)。
ここに見られるのは、「理論的には自衛戦争は正しいにしても、すべての戦争が自衛戦争の名を借りて、しからざる戦争に赴くという労いを、憲法の中に残して置くような言葉を避けるほうがよろしいという考えも成立する訳であります。この憲法は、そのような考えに依りまして、特に区別せず、いわば捨身になって世界の平和を叫ぶという態度を執った次第であります」(7月11日、金森国務大臣の答弁)という明確な姿勢であろう。
本書に掲載された九条成立の帝国議会での論議を通じて、われわれは、第九条についての当時の真摯な雰囲気を感じ取ることができる。この後の世界情勢の激変に伴って、残念ながら政府の姿勢は次第に変化していくことになるが、しかしわが国の敗戦直後の再出発にあたっての平和を希求する熱意は、今なお汲み取られるべきものであろう。
またこの中の「第七章 改正案委員小委員会論議」において、「国権の発動」か「主権の発動」か、「戦争の放棄」か「戦争の否認」か、「保持せず」か「保持しない」か、等の語句と順序に関わる論議の記録も興味深い。
本書は、著者の心意気による九条擁護運動の普及のための自費出版であるので、購入には直接注文することになるが、是非一読を薦めたい。(R)

【出典】 アサート No.347 2006年10月21日

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【コラム】ひとりごと–『新平等社会」への疑問』–

【コラム】ひとりごと–『新平等社会」への疑問』–

○私は、アサート327号に山田昌弘氏の「希望格差社会」の書評を書いている。本書は、ニートやフリーターと呼ばれる若年で非正規・不安定労働者層の増大する現実を解き明かし、「希望格差」が拡大することが社会的不安定を増大させることを指摘していた。○さらに、高度成長時代を通じて比較的安定的に推移してきた家族・教育・労働などの社会システムが崩れていく中で、こうした層が形成されたことを解明したことなど、問題提起の書としては、一読に値すると紹介した。○しかし、今回、同氏が出版された「新平等社会–希望格差を超えて」(文藝春秋 2006年9月)を読んでみて、前著とはまったく違う印象を受けた。○「経済改革には賛成(限定付きだが)、その結果生じた格差拡大への対処のため、生活の構造改革を進めるべしという立場である」(本書15P)と。全体を通じて、これが本書の結論である。構造改革の結果として格差拡大は止むを得ない。しかし、行き過ぎると社会に悪影響が出る。生活にも構造改革が必要だ、という事のようだ。○本書の随所に「小泉改革が格差拡大を進めたのではない」「格差拡大は不等ではない」との表現が多数ある。本当にそうだろうか。○今回の本に決定的に欠落しているのは、非正規労働・不安定労働を拡大し、成果主義賃金で総賃金を抑制してきた資本への批判であろう。高度成長期でさえ、日本の経営者達は、労働側への分配を渋ってきた。中小企業などでは、社会保険の負担コストさえ渋ってきた。○バブル崩壊後、中高年のリストラを強行し、派遣やパートなど非正規・不安定労働を拡大してきた資本は、労働者福祉からの一層逃亡を決め込んでいる。雇用保険や厚生年金加入を強める制度改正を一貫してサボタージュしている者への批判は微塵もない。まさに小泉の構造改革そのものである。○前書の書評においても、こうした資本への批判が欠落している点について、私は指摘している。今回の書では、それが一層あからさまになっている。ニューエコノミーになって、専門的知的労働と単純労働に労働は二極化することは、避けられない所与のものとして著者は受け止めているらしい。○その純化のヒントは、本書の中にあった。著者は、竹中平蔵経済担当大臣が報告書「日本21世紀ビジョン」の作成にあたって、生活・地域グループの一員として参加したらしい。残念ながら、こうした政府系の審議会に参加した人は、二つのタイプに別れる。知らぬまに、政府系の御用学者になるか、革新と思われる人の場合は、現場と政府との間に立たされて、悩んでしまうか、である。私は後者の例を知っている。山田氏の場合は、前者のようである。○安倍新政権は、「格差拡大の何が悪い」と居直った小泉と違い、「再チャレンジ政策」を抽象的に掲げている。新自由主義的立場をちょっと薄めようと言うわけだ。この線に乗るには、本書はピッタリである。○ちなみに、彼が参加した「日本21世紀ビジョン」の生活・地域グループの座長は、八代尚弘氏だが、彼は今回新たに経済財政諮問会議メンバーになった人物である。最近のテレビ番組で、八代氏は、「年功制があるから若者の雇用拡大が進まない。長期雇用は全廃しないと雇用の流動化は進まない」と発言していた。新自由主義の御用学者そのものである。○社会的不安定を生み出す格差拡大には対処が必要だ。保守でも、公明でも言うセリフである。本書は、その程度の本であることを紹介し、間違っても買わないようにお勧めする。私は買ってしまったが。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.347 2006年10月21日

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【投稿】翼賛・安倍政権の危うさと弱さ

【投稿】翼賛・安倍政権の危うさと弱さ

<<核武装論者が広島で出馬会見>>
ただただブッシュ米政権の路線に追随し、中国・韓国との対立を煽り、民営化路線と無責任な放言によって日本の政治と社会、そして経済を荒廃させてきた小泉政治が終焉を迎え、そのもっとも悪しき路線が、安倍政権によってより純化された形で、より民族主義的、よりファシズム的な形で継承されようとしている。
しかし彼らが依拠し、頼みとしてきたブッシュ政権は今や反テロ戦争、対アフガン・イラク戦争の泥沼から這い出すことが出来ず、最低の支持率で呻吟し、この11月の中間選挙で敗北すれば、大統領任期を後2年残しながら衰退化一途のレームダック化政権に陥ることが確実視されている。
そしてこのブッシュと行動をともにしてきたスペインのアスナール、イタリアのベルルスコーニ政権は敗退し、イギリスのブレア首相は激しい労働党内部の批判に耐え切れず、退陣を予告せざるを得ない事態に追い込まれている。ブッシュ取り巻き四人組の最後、日本だけは、小泉首相が幸か不幸か、批判的精神をなくした翼賛的マスコミに支えられて、高支持率の中で、より極右で好戦的な安倍晋三氏にバトンタッチできるという悲劇的状況が形成されてきた。
その意味では自民党総裁選は一種の茶番劇であった。親中派やハト派といわれてきた議員までが安倍支持にわれもわれもと群がり、“勝ち馬乗り”現象で総裁選をやる前から、安倍の圧勝は決まっているという出来レース、結果が分かっていても国民の投票権とは無関係な総裁選を大々的にやり、いかにも国民に支持されたかのように取り繕う必要があったのである。そこで、あわよくば入閣を狙い、次を狙う麻生外相、谷垣財務相の2人は自民党本部で出馬会見をしたのに対して、9/1の安倍官房長官の総裁選出馬会見は、どういうわけかわざわざ“平和の地・広島”が選ばれた。会場となった広島プリンスホテルには巨大スクリーンがしつらえられ、海外メディアのための同時通訳機まで用意し、安倍氏が登場するやその顔がスクリーンに照明変化つきで大写しにされ、安倍新首相の前景気を煽り、まるで新しい独裁者の登場を歓迎し、祝うかのような前代未聞の演出である。

<<村山談話踏襲しない>>
そもそも「憲法上は原子爆弾だって問題ではない」、「小型核兵器なら核保有はもちろん核使用も憲法上認められている」、「9条は時代にそぐわない」、「私自身の手で憲法を書き換えていきたい」などと発言してきた人物が、被爆地・広島で出馬会見などという姿勢そのものが広島の地を侮辱、愚弄するものである。
つい先日ともいえる8/6の平和祈念式典で秋葉・広島市長が、核廃絶を願う世界の市民の声を「世界政治のリーダーたちは無視し続けている」と痛烈に批判し、日本国政府には、被爆者や市民の代弁者として、核保有国に対して「核兵器廃絶に向けた誠実な交渉義務を果せ」と迫り、世界に誇るべき平和憲法を遵守し、日本政府が「ミサイル防衛」システムの導入を推進していることを強く批判したばかりである。これは小泉政権に向けられたものであるが、今となっては、広島の願いとはまったく対極に位置し、ミサイル防衛ばかりか先制攻撃論まで容認しだした安倍氏にとりわけ向けられた批判の矢ともいえよう。
ここで、総裁選に至るこの間の安倍氏の政治姿勢でさらに明らかになってきた問題点を確認しておこう。
まず第一は、9/7の発言で、「植民地支配と侵略」を反省し、謝罪した95年の村山首相談話について、「踏襲するのか」と聞かれ、「その内閣において認識を示すべきだと思う」として意図的に明言を避け、踏襲するつもりのないことを明らかにしたことである。
安倍氏は村山内閣当時、自民党の終戦50周年国会議員連盟事務局次長として、その結成趣意書で先の戦争を「日本の自存自衛とアジアの平和を願った」と正当化し、「後世に歴史的禍根を残すような国会決議は決して容認できるものではない」として、村山談話を潰そうとした中心的存在であった自らの行動にあくまでも忠実であることを改めて示したと言えよう。そして村山談話より、さらにあいまいな表現の戦後50年国会決議でさえ、安倍氏は採決を欠席している。
しかしこの村山談話に関しては、後の橋本、小渕、森、小泉の4代の政権に引き継がれ、近隣諸国の理解を得て、国際的にも認知、評価され、日本のアジア外交の基本となってきたものであり、小泉首相ですら「(村山首相と)同じ認識を共有している」と明言してきたものである。これを安倍政権が否定するとなれば、政権発足当初からアジア外交の再建など希望ゼロとなってしまう、きわめて危険で愚かで危うい事態を招来しよう。安倍氏は、小泉氏以上に中国・韓国・アジアに対して挑発的・挑戦的である。これだけでも安倍氏には、首相の資格なしといえよう。そしてこうした政治姿勢は、安倍政権が失速し、迷走しかねない最大の弱点となろう。

<<改憲は5年以内に>>
第二に安倍氏は憲法改定の時期については、それを5年以内に、目安がつけばさらに前倒しもありうる、とこれまで以上に踏み込んだ発言をしたことである。9/11、日本記者クラブ主催で行われた自民党総裁選の公開討論会で、憲法改定について「五年近くのスパンで考えないといけない。しかし、国民的議論が進み、三分の二のコンセンサスを得る目安が付けば、さらに前倒しもありうる」と述べたのである。
安倍氏は、総裁選「政権公約」の冒頭で「新たな憲法の制定」を掲げ、次期政権で政治日程にのせると公言し、出馬会見では「新憲法を制定するためにリーダーシップを発揮していく」と宣言、同時に、最近出版された『美しい国へ』(文春新書)では「憲法も教育基本法も占領下でできた。自分たちの手で、この国の姿かたちを、子供たちをどう教育していくかを書こうではないか。この目標は残念ながら後回しにされて(自民党結党から)50年たってしまった」と述べている。
さらに同書では、憲法前文に書かれている文章は「詫び証文」だと批判し、「われらは、平和を維持し、……国際社会において、名誉ある地位を占めたい」という文章は、「妙にへりくだった、いじましい文言」とまで述べるに至っている。
安倍氏にとってはだからこそ「まさに憲法の改正こそが、『独立の回復』の象徴であり、具体的な手だてだったのである」とし、それが後回しにされたがために、「弊害もあらわれ、損得を超える価値、たとえば家族の絆や、生まれ育った地域への愛着、国に対する思いが、軽視されるようになってしまったのである」と書いて、時代錯誤調の復古的な「何でも憲法が悪い」論の典型を披瀝して恥じない空疎な程度の低さである。
この程度の認識で、自らリーダーシップをとり、安倍政権として憲法改定を政権公約の冒頭に掲げる行為は、その「強い意欲」のゆえに、その危なっかしい政治姿勢への離反者を増大させ、声高に唱えれば唱えるほど内外の警戒心を高めさせ、そのことが安倍政権の躓きの石となりうる可能性を大いに秘めていると言えよう。
すでにこうした安倍氏の政治姿勢に対して、同じ改憲論者であるはずの民主党憲法調査会長の枝野幸男氏から、「改正発議の権限を持つのは国会であって、内閣ではない。政権の課題として改正を進めようという安倍氏が自民党総裁になったら、憲法の論議は止まる」と強く牽制されている。

<<「闘う政治家」>>
他の政策課題については安倍氏はほとんど語れない、何もない、先の同書でも経済、財政、金融、税制、年金、格差問題、どれ一つ政策課題を出せず、したがって政策提言もない。唯一「再チャレンジ」支援政策が同書の最後の部分でほんの少し語られるが、具体的な言及は出来ない、官僚に丸投げ、中身もないという有様である。ただ「世界から尊敬される美しい国をつくっていく」と繰り返すだけで、だからこそ組しやすしと見られたのであろう、自民党の多くの議員が雪崩を打って安倍支持へと回った。実体はバブル的な支持であり、もろくて崩れやすいのである。
逆に言えばそれだけに「闘う政治家」を気取り、「強い政権体制づくり」を目指す危険な傾向が現れだしている。その一つが「首相官邸機能強化」である。安倍氏は「首相補佐官を増やす、広報機能を充実させる、総理の目指す方向へ省庁が力を合わせる体制を、そのためスタッフの公募も」と強調しだした。安倍氏の側近の下村博文衆院議員は、「首相官邸機能強化のなかには国家安全保障会議、情報収集する日本版CIAのような機能の強化も必要。官房副長官(現在三人)は七人くらいいていい」「総理主導のもとに教育再生会議(仮称)をつくる。すでに十テーマくらいある。」と語っている。
すでに安倍氏は、政権発足直後の臨時国会の喫緊の課題として「大切なのは教育基本法の改正、防衛庁の省昇格、(成立の)難易度が高いが、テロを防止するための刑法の改正だ」と述べ、その強権的姿勢を明らかにしている。
田中真紀子元外相が9/4、民主党議員の研修会で講演し、「小泉さんは4尺玉の花火。安倍さんは線香花火」、「ドーンと上がってみんなが政治が変わると飛び出したら、5年たったら何だったの、というのが小泉さん」、「(安倍さんは)線香花火がつくと思ったら、すぐ落ちてしまうことに国民は気づく」と評したという。
危うさ、弱さ、もろさ、未熟さ、線の細さが常に付きまとう政権の出発である。野党は自民党政権打倒の最大のチャンスを生かすかどうかが問われている。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.346 2006年9月23日

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【投稿】9.11から5年–「悪の枢軸」化する日米同盟

【投稿】9.11から5年–「悪の枢軸」化する日米同盟

<反米活動を拡散させたアメリカ>
 9.11同時テロ事件から5年が過ぎた。アメリカ、ブッシュ政権は「対テロ戦争」を口実に、アフガニスタン、イラクを攻撃、タリバン、フセイン両政権を崩壊に追い込んだ。
 しかし、この間にもスペイン・マドリードでの列車爆破(04年3月)、イギリスロンドン・での地下鉄・バス爆破(05年7月)、インドネシア・バリ島などでの連続テロなど、イスラム原理主義組織の犯行とされる事件が頻発している。
 先月には、イギリス発の米旅客機爆破を狙ったテロが、未然に発覚、国際テロは封じ込められるどころか、かえって拡散、増加していることが明らかになっている。またアメリカがテロの首謀者とするビンラディンについては、生死・所在も不明であり、アルカイダも「なりを潜め新たな攻撃を準備している」との見方がもっぱらとなっている。
 アフガン、イラクでは「新政権」が誕生したものの、その基盤は脆弱でNATO軍やアメリカ軍による事実上の占領が続いる。とりわけイラクでは、アメリカ軍による住民虐殺などが後を絶たず、国民の激しい抵抗が繰り広げられ、またイスラム各宗派などの抵抗組織同志の衝突やテロにより内戦状態となっており、開戦以来の市民の犠牲者は4万人近くに達している。
 さらにアフガンでも復興が進まない中、タリバンが勢力を盛り返してきており、各地で激しい戦闘が続いている。アメリカ中央軍司令部のキミット准将は「タリバンが強くなっていることに驚いた」と焦燥感を露わにしているが、アメリカ軍はイラクで手一杯で、アフガンへの増派の余裕はなく、治安回復の目処は立っていない。
 パレスチナでは、イスラエルがレバノンに大規模な侵攻を開始したが、ヒズボラの徹底抗戦で制圧に失敗、国連による停戦を受け入れざるを得なくなった。オルメルト政権は戦争推進派と反戦派の双方から厳しい批判を受け、窮地に立たされている。
 当初アメリカはイラク西部の強力な抵抗組織の壊滅と、それを支援するシリアへの圧力強化のため、イスラエルの侵攻を歓迎した。しかし、一般市民の犠牲が拡大し、日増しに高まる国際的な批判の前に、軌道修正を余儀なくされた。この事態にヒズボッラーやハマスを支援しているイランはますます自信を深め、アフマディネジャド政権は核開発を推進、アメリカとの対決姿勢を強めている。

<孤立深める日米両政権>
 キューバのバハナで開かれた非同盟諸国首脳会議では、イランだけでなく、ベネズエラのチャベス大統領を始め中南米、アフリカ諸国の首脳が相次いでアメリカの一国行動主義を非難、極めて反米色の強い共同声明を採択し、反米やいわゆる非米のうねりが強まっていることが確認された。
予想外の展開に、アメリカを軸とする有志連合の綻びが拡大している。欧州ではスペイン、イタリアの政権交代を受け、フランス、ドイツの「古いヨーロッパ」が優勢となり、イラン核問題、パレスチナ問題でも強硬姿勢を崩さず、イスラエル支持一辺倒のアメリカとの距離を広げつつある。アフガンに派兵しているNATO諸国も、情勢の悪化により方針転換を迫られる可能性がある。
 これまでアメリカの最大のパートナーだったイギリスも、ブレア首相が与党・労働党からの批判に晒され1年以内の辞任を表明、政府は混乱し末期的症状を見せつつある。欧州でアメリカへの支持を明らかにしているのは、対ロシア関係からアメリカに頼らざるを得ない、旧社会主義国のみと言っても過言ではない。
 このように「対テロ戦争」勝利の展望が一向に見えないなか、ブッシュは同時テロから5年目の9月11日、ホワイトハウスから国民に向けテレビ演説を行った。ブッシュは「今、敵を倒さなければ、核武装したテロ国家と急進的独裁者が支配する中東を子供たちに引き継ぐことになる」と戦争の正当性と中東民主化の必要性を強調し、国民の団結と支持を請うた。
 イラク侵攻の大義名分であった「大量破壊兵器」の存在や、アルカイダとフセインの関係も否定された今日、ブッシュは「対テロ戦争」を「文明を守るための闘い」「21世紀の重要な思想闘争」と強弁、詭弁を呈して、実は自らが最も危険な原理主義者であることをさらけ出している。
 しかし、中間選挙を目前にしながらブッシュの支持率は30%前後で低迷したままであり、国民の団結どころか「対テロ戦争」の口実となった「9.11」さえ、政府の「自作自演」ではないかと疑念が国民の間に広まっている。
またブッシュが議会に承認を求めている、「テロ組織メンバー」への拷問合法化を目論む特別軍事法廷設置法案に対しては、パウェル前国務長官をはじめ共和党有力議員からも反対の声が上がっている。こうした状況ではブッシュがいくら自らの戦線への結集を国民に、世界に訴えてみても空虚に響くのみである。
 孤立を深めるブッシュに対し、脱落しつつあるイギリスに変わってパートナーに名乗りを上げているのが、日本政府である。小泉首相は戦略外交の一環として中央アジア諸国、モンゴルを相次いで訪問した。これはアメリカが「不安定の弧」とするユーラシア地域で、影響力を拡大させつつある上海協力機構に楔を打ち込む狙いがあった。しかし、退任間際のあたふたとした外遊は、表敬訪問を超えるものではなかった。
 安倍新政権は、小泉の日米同盟の強化、東アジアでの孤立路線を継承、さらにそれを強めようとする構えである。新政権がこうした道を歩む限り、国際的な孤立は避けられず、それがますます日米同盟を危険なものとし、実はそれこそが「悪の枢軸」に他ならないと評されるだろう。(大阪O)

 【出典】 アサート No.346 2006年9月23日

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【投稿】原子力安全委員会の背信行為

【投稿】原子力安全委員会の背信行為

<<パブリックコメント>>
本紙4月号で「原発震災への画期的な警告—金沢地裁・志賀原発運転差し止め判決—」としてその画期的な意義を紹介した判決は、今年の3月24日であった。その際、翌日の読売社説などはこの[志賀原発判決]を「科学技術を否定するものだ」と題して「原子力に「絶対安全」を求めた問題判決と言えるだろう。」と反発はしたものの、原子力発電所の耐震設計審査指針については、「現在の指針は20年以上前に作られた。最新の知見に合わせて、もっと安全に余裕を見込み、分かりやすいものにすべきだ、という声は多い。」、「政府の原子力安全委員会は5年近く前から見直しを検討中だ。だが、専門家の間で議論がまとまらない。今回の判決はその隙(すき)を突かれた、とも言える。」と述べて、判決の根拠を逆に証明してしまっていることは、すでに指摘したとうりである。
その後、問題の原子力安全委員会・耐震指針検討分科会は、判決直後の3/28、4/7、4/8と審議を急ピッチで進め、しかもしばしば長時間にわたって行い、5/23には「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針(案)」、「原子力安全基準・指針専門部会の見解」、「各種指針類における耐震関係の規定の改訂等について(案)」を発表し、これに対する意見募集を、行政手続法に基づいて公表し、その際、この「パブリックコメント」という意見募集について、「本意見募集に応募いただいた意見のうち反映すべきものは、原子力安全委員会の調査審議に反映させるとともに、その反映状況をとりまとめ公表いたします。」と内閣府原子力安全委員会名で明らかにした。
そしてこのパブリックコメントへの公募には、実に726通もの多数の意見が寄せられ、しかもそのほとんどは発表された原案の見直しを求めるものであった。とりわけ、中田高・広島工業大教授ら活断層研究の専門家から「指針に基づいて決められた活断層調査の基準は不十分。過小評価につながる恐れがある」との厳しい問題点が指摘され、同時に原案発表後の今年5-6月には、中田高教授らによる調査によって、島根原発近くで中国電力による調査を大幅に上回る活断層が見逃されていたこと、その活断層ではM7級地震が起こる可能性があることが判明、指針や改定案の不十分さが浮き彫りとなり、耐震指針検討分科会においても、この最も重要な活断層の扱いが大きな論点となったのであった。何しろ新しい指針案は耐震設計の最大震度を電力会社が容認するM6.8にとどめることを至上命題としていたのである。

<<石橋委員の辞任>>
そして、耐震指針検討分科会は、パブリックコメントを受けて7/4、7/19、8/8、8/22と開かれたが、「議論を蒸し返さない」ということだけがしきりに強調され、これらの意見募集の結果に対して「調査審議に反映させる」どころか、十分な審査・検討をほとんど行わず、結果的にはこれらの意見募集を単なるアリバイ作りとして位置づけることになったのである。8/22には鈴木篤之・原子力安全委員長自らが分科会論議で発言し、「修正はできれば必要最小限にしていただきたい」と露骨な圧力をかけ、「指針改訂案をできるだけ早期に確定いただくことを何としてもお願いしたい」として、議論に終止符を打たせ、とにかく幕引きを急ぎ、事務局の主査に一任して検討分科会が閉じられたことが明らかになった。
その耐震指針検討分科会の結論を決定し、改定案を取りまとめる最終日の8/28、会議の冒頭、神戸大の石橋克彦教授が原子力安全委員会・耐震指針検討分科会の委員辞任を表明したのであった。
議事録によれば、石橋委員は次のように述べている。
「本分科会の5年に及ぶ審議のなかで、「活断層」の心髄に迫る議論や外部専門家の解説は、行われなかった。したがって、分科会関係者全員が「活断層」のことを正しく知らないまま改訂指針案がまとめられた、といっても過言ではない。」
「私が一番残念に思う点は、活断層研究の第一線にいる変動地形学者の生の説明を分科会で聴けなかった、聴かなかったことであります。複数の外部専門家による貴重な活断層問題の解説があったわけですけれども、そのときに同時に変動地形学者にも来ていただいて、彼らが、地形発達史というようなものも論理的によく考えながら活断層をどのように認定して実証しているか、そこにどんな困難や問題点があるか、そういう話を直接伺っていれば、もちろん私を含めて分科会の委員、それから原子力安全委員の先生方、事務局、関係各省庁、民間の関係者の方々の理解が恐らく格段に深まって、意見公募で指摘された大きな問題点を事前にクリアできたのではないかと思います。」
「きょう提出されている震分第48-2号の事務局から出された修文案は私としては非常に納得しがたいものであります。つまり、これは7月4日以来、特に19日以来、私が非常に強く主張している2つのこと。つまり、改正行政手続法に基づいて意見公募を行ったその提出意見を十分に尊重すべきであるということ。それから、島根原子力発電所の近傍で6月に生じた活断層の大きな問題、これが一般的な、根本的な問題であるということ。原子力と活断層の問題をきちんと反省するというか振り返ってみること。その2つを根本にすえて修文を考えるべきであるということも私、主張していたわけですけれども、その2つともが全く理解されなかったというか理解しようとされなかったという結果、こういう修文案が出てきたんだ、と私は理解しております。」

<<分科会の正体・本性>>
ことここに至って、石橋委員は最後に「私は地震科学の研究者として自分の知識や考え方を極力その社会に役に立てたいという気持ちでこの会に参加してきたわけでありますけれども、このような分科会のありさまでは、このままここにとどまっていても私は社会に対する責任が果たせないと感じます。むしろ今これだけのパブコメが寄せられてそれを取り上げて議論している中で、この状況ではむしろ私としてはパブコメを寄せてくださった方に対する背信行為を行いつつあるような感じすらいたします。ですので、今ここで私は原子力安全委員会の専門委員を辞任いたします。耐震指針検討分科会の委員をやめさせていただきます。これまで4年9カ月ぐらいですけれども、分科会の委員の先生方、それから原子力安全委員の先生方、それから事務局の方々、あと外部の専門家の方々から非常に多くのことを学びました。それは大変感謝しております。しかし、最後の段階になって、私はこの分科会の正体といいますか本性といいますか、それもよくわかりました。さらに日本の原子力安全行政というのがどういうものであるかということも改めてよくわかりました。私がやめればこの分科会の性格というのが非常にすっきり単純なものになるだろうと思います。ですので、そこであとは粛々とこの審議を進めていただいて合意をなさったらよかろうと思います。」と述べている。
石橋氏は、退席後、原子力安全・保安院、原子力安全委員会のこれまでの活断層調査が現在の活断層研究の常識からみて、あまりに不合理であり、「原子力における活断層研究は異常。非常に特殊なごく一部の人が牛耳っている」と報道陣に述べている。
石橋氏が一貫して原発震災がもたらす重大で悲惨な結果に警鐘を鳴らし、原子力安全委員会の専門部会においても「少しでも良いものに」という真摯な姿勢がついに受け入れられなかったのである。それは原子力安全委員会なるものの正体・本姓が、石橋氏の警告を受け容れられなかったことを示している。

<<「残余のリスク」>>
原子力安全委は今月中にも開く本委員会で改定案を正式決定する予定であるが、原案通りとなることが見え透いている。これまでの耐震基準は全国一律に最大マグニチュード(M)6・5と想定していたものを、M6・8程度に引き上げるが、全国一律とはせず、また旧指針では「過去5万年間に動いた活断層」を対象にしていたが、「過去12万年間」に広げてはいる。
しかし、この「M6・8」という基準は、電力業界が「新たな目安」として国に要望していた数値であり、既存の原発に適用しても、巨額の経費がかかる耐震補強工事は必要ないと強弁しているものである。
だが現実には、阪神大震災ではM7・3を記録しており、00年の鳥取県西部地震では、活断層が見つかっていない地域でM7・3の地震が起き、05年には宮城県沖でM7・2の地震が起こり、原発が建つ岩盤上の揺れが設計上の限界を超えている。パブリックコメントでも多くの意見がM6・8の基準では不安が残るという声を寄せているのは至極当然のことと言えよう。
新指針案は、サラ金規正法における金利上限審議と同じく、いやそれ以上に業界寄りの妥協値なのである。
これと関連して新指針案でもう一つ指摘しておきたい重大な問題は、今回新たに「残余のリスク」の存在なるものを言い始めたことである。新指針案によれば「残余のリスク」とは「策定された地震動を上回る地震動の影響が施設に及ぶことにより、施設に重大な損傷事象が発生すること、施設から大量の放射性物質が放散される事象が発生すること、あるいはそれらの結果として周辺公衆に対して放射線被爆による災害を及ぼすことのリスク」というものである。「この残余のリスクを十分認識しつつ、それを合理的に実行可能な限り小さくするための努力が払われるべきである」としている。
これは明らかに、彼らが低く見積もった想定の震度を上回る現実的可能性を排除できないが故の逃げの論理である。しかも「合理的に実行可能な」とは、これまた低い震度までは最大限の努力をしてきたのだから、それ以上の震度による被害に関しては責任を負えないという責任回避の論理である。そもそも「施設に重大な損傷事象が発生すること、施設から大量の放射性物質が放散される事象が発生すること、あるいはそれらの結果として周辺公衆に対して放射線被爆による災害を及ぼすことのリスク」が存在するのであれば、原発の建設は即刻中止すべきであり、認めるべきではないのである。ここにも重大な原子力安全委員会の背信行為が行われていると言えよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.346 2006年9月23日

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【投稿】もはや「死んだも同然」長良川–ゲート開放が最後の手段—

【投稿】もはや「死んだも同然」長良川–ゲート開放が最後の手段—

<シジミは絶滅し、鮎は消えた>
 9月上旬、長良川上流域の郡上八幡を訪れた。郡上踊りで有名なこの町は、また水の町であり、長良川に注ぐ吉田川が町を貫き、水と共に生きる町でもある。町の中には水路によって水が導かれ、生活用水として活用されている。それが町の風情を演出し、多くの観光客を呼びこんでいる町であった。
 しかし、長良川のはるか上流でながら河口堰の影響は確実に現れてきている。下流に河口堰が完成しゲートが閉められて11年が経過し、長良川は、まさに死の淵にあるのである。
 すでに、ゲート閉鎖により長良川の汽水域(海水と淡水が交じり合う場所)は消滅し、長良川のヤマトシジミは絶滅した。
 年々漁獲量が減少している鮎は、毎年稚魚放流が40トンから50トン程度行われてきた。しかし、1992年は1029000kgの漁獲量があったが、2005年には181800kgと17%に激減している。もはや長良川は鮎の棲みかではなくなっている。これに比例して、鮎の日釣券の販売も、1993年16500枚(延べ16500人の釣り客が来た)であったものが、2005年には6100枚と3分の1強にまで激減しているのである。鮎師達は長良川から去っていった。
 長良川は鵜飼で有名であったが、鮎の激減などにより観光客が激減している。昨年は愛知万博の影響で若干増えたというが、2004年は、過去最高であった74年の3割にも満たない鵜飼乗船者数であった。この影響は、岐阜市内の旅館・ホテルの廃業となって表れてきている。
 
<生態系が激変し、川は湖沼化している>
 ゲートが閉鎖されて、単に魚道が無くなり、鮎の遡上ができなくなっただけではない。ゲート上流には、ヘドロが堆積し、自然の浄化作用が無くなり、水質が異常に悪化している。川に生息するすべての生き物の生態系が激変しつつあるという。
 河口堰近くの上流部は、すでに川ではなく湖沼化しており、水中のリン・窒素濃度の上昇によりかつては見られなかったアオコの大量発生が繰り返されている。また、水位の上昇によりヨシ原が激減し、自然の浄化作用も奪ばわれてしまった。
 郡上周辺のある川では、ヨシノボリ(淡水魚で高級魚)が大量発生したという。サツキマスなどの大型川魚が激減したためではないかと言われている。
 
<利水も治水も、事業目的に利用されず>
 事業目的が消滅しても、事業変更しないのが、国土交通省(旧建設省)はじめ日本の公共事業は特徴である。長良川河口堰についても同様である。最初「利水」目的によって河口堰は計画されたが、ゲートが閉じられても、利水は一向に進んでいない。
 当初の計画では、愛知・三重に、工業用水として14.8立方m/s,上水7.7m/sの利用であった。しかし、堰のゲートが閉められて11年間、1滴の水も中部地方の工業用水として利用されてはいない。困った当局は、地元の反対を押し切って愛知・知多地方に河口堰から上水を供給した(1.6m/s)。しかし、異臭が強いと不評である。また、河口堰周辺に堆積した大量のヘドロの浚渫工事が行われたので、水害対策としても河口堰は必要が無くなっている。
 
<ゲートを開放し、長良川を自然に任せよ>
 こうして、ゲート閉鎖から11年が経過し、何が残ったのであろうか。工業用水も上水も売れない、買わないとなれば、建設費用は誰が負担するのか。自然資源の激減は、漁獲量の激減となって漁業者を廃業に追い込むことだろう。観光客の減少も同様である。
 建設コストを回収できないばかりか、自然が本来持っている浄化作用や再生作用を奪った結果、建設コストをはるかに上回る再生コストが必要となるのではないか。さらに、川の自然が生み出してきた産業は衰退し、経済に与える影響も計り知れない。
 確実な答えは一つしかない。河口堰ゲートを開放し、本来の姿をもう一度再現することであろう。漁協関係者からは、鮎の遡上時だけでもゲートを開けたらどうかとの要望もある。売れない水を貯めておく必要もない。治水が目的というなら、梅雨や台風シーズンを除いてゲートを開放するという方法もあり、どのような変化が現れるか、実証すればいいのである。
 しかし、現時点では、国土交通省は従前の姿勢を変えていない。小泉は公共事業を縮小したというが、有効な公共事業のあり方もまた求められているのではないか。
 ゲート開放こそ、長良川再生に必要なのである。(佐野秀夫)
  
 さらに詳しい情報は、以下の「長良川ネットワーク」参照のこと。
 http://nagara.ktroad.ne.jp/network

 【出典】 アサート No.346 2006年9月23日

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【コラム】ひとりごと—親王誕生と皇室典範—

【コラム】ひとりごと—親王誕生と皇室典範—

9月6日秋篠宮家に親王が誕生した。これが女帝論議をぶっ飛ばした。小泉の私的審議会が、女性天皇も可能とする見解をまとめたことが嘘のような雰囲気だ。
マスコミは競って奉祝報道を終日繰り返していたが、一人の特別な子供の誕生を騒ぎ立てる雰囲気が不愉快だった。望まれて生まれてくる子供がいる反面、子育てもできない父母の間に生まれてきた子供もいる。それぞれが一つの命なのである。いずれ天皇になる子供だ、と特別扱いすることは、見捨てられてしなう子供を容認することを招く。
さて皇室典範問題である。万世一系の男子家系では天皇制が危ういと、女帝論議が始まったが、確かに男女平等の時代には、天皇も女性であっていい、という一面前向きな雰囲気で、危機回避論議がされ、春の国会では採決強行論もあった。しかし、紀子さんの懐妊報道が、機運を鎮めた。見守ろうというわけだ。週刊誌では、男子誕生論も出ていた。今は、皇室典範改正議論は遠のき、時期を待ってもいいのではと、事実上たな晒しとなった。皇太子親子は、出産の時期を見計らって欧州へ静養に出かけ、マスコミ報道の的になることを避けたが、何かしら「権力闘争」のような雰囲気も漂う。
男子出生を喜ぶ流れは、明らかに世間一般の常識とは異なる。天皇制・天皇家という存在が、明らかに時代遅れというべきか、時代錯誤の存在となりつつある事態は、今回の親王誕生によっても何ら止まるものではない。皇室典範論議を推進した方々の「ご苦労」も、何らの国民的議論を呼ぶこともなく、いずれ忘れ去られるのであろう。それ自体がまた、天皇制の衰弱過程であり、天皇制の実質的な死滅への一歩をまた歩んでいる事ではないか。男子誕生でも天皇制礼賛・保守主義者達の焦りは静まらないのである。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.346 2006年9月23日

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【投稿】小泉・安倍政治のの破滅的路線

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<<ヒロシマ「連続出席」のうつろさ>>
 被爆61年の8月6日、ヒロシマ、4万5000人もの人々が参列した広島の平和記念式典。昨年もそうであったが、式典に出席した小泉首相のあいさつの、耐え難いほどの軽さ、そのうつろな響き、今年はそれが一層際立ち、式典参加者の思いとはかけ離れたものであった。ただただ無内容な原稿を急いで読み終え、一刻も早くこの場から立ち去りたい意識が丸見えの、熱意もお得意の感情表現さえもないそのあいさつは、直前の広島市長の平和宣言、子ども代表二人の真剣で熱意のこもった訴えとは、格段の対照を成すものであった。
 秋葉忠利市長は平和宣言で、核廃絶を願う世界の市民の声を「世界政治のリーダーたちは無視し続けている」と痛烈に批判し、日本国政府には、被爆者や市民の代弁者として、核保有国に対して「核兵器廃絶に向けた誠実な交渉義務を果せ」と迫る、世界的運動を展開するよう要請、そのためにも世界に誇るべき平和憲法を遵守し、さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した人間本位の温かい援護策を充実するよう求めます、と訴えている。
 秋葉市長はまた、「平和問題に関する要望」の中で、日本政府に対し、憲法にのっとり、核廃絶に向けた積極的な外交を展開することとともに、「広島・長崎の記憶と声そして祈りを世界、とりわけ米国に伝え、明日の世界のために戦争を未然に防ぐ責任を果たす」ことを求め、同時に、日本政府が「ミサイル防衛」システムの導入を推進していることに言及。「広島としては、この計画が、世界の核兵器体制をより不安定なものとし、宇宙における新たな核軍拡競争を招きかねないことを強く危惧している」と批判している。
 そして伊藤一長長崎市長も、「長崎平和宣言」の中で核兵器廃絶に真摯に取り組もうとしない核保有国を批判し、日本政府に対しては、憲法の平和理念を守り、非核三原則の法制化、被爆者援護の充実を要求している。いずれも当然の要求である。
 ところが小泉首相は、式典への6年「連続出席」の実績を強調すれども、一度としてこうしたヒロシマ・ナガサキの要望や訴えに応えるどころか、それとは逆の好戦的で挑発的な敵対的外交、軍拡と憲法改悪路線を順次エスカレートさせ、レールに乗せてきたのである。首相のあいさつがうつろに響くのは当然でもあり、早く式典から逃げ出したかったのであろう。

<<「公約は守るべき」>>
 そして首相が今年もやはり出席しなかったのが、6日の平和記念式典後、広島市内で開かれた「被爆者代表から要望を聞く会」である。首相が被爆者代表と会うこの場は、30年前に原爆症認定訴訟の判決が直前にあり、国の不認定処分が取り消され、当時の三木首相がこの会に出席し、被爆者代表を前に「控訴しない方針」を表明した。その後、00年の森首相まで計15回、首相が被爆者代表と会見し、被爆者の要望を聞いてきたものである。ところが、小泉首相は就任直後の01年だけ出席したが、その後は欠席。
 折りしもこの8月4日には広島地裁で原爆症を訴える被爆者41人が全員勝訴したばかりであり、首相は当然この場からも逃げ出したかったのであろう。「控訴断念」を期待していた、「最後になぜ小泉さんはこの場に来てくれなかったのか」という被爆者の声は、その後の国側の控訴という、冷酷無慈悲な小泉政権の政治判断にかき消されてしまったのである。被爆者援護という国の公約、「被爆者の実態に即した人間本位の温かい援護策」とはかけ離れた、被爆者にまったく冷たい仕打ちである。
 ところがその一方で首相は、広島の平和記念式典出席後、取り囲まれた記者団に対して、8月15日の靖国参拝について、これまで靖国参拝は私的、個人的な「心の問題」であるとしていたものを、突如、これは公約であり、「公約は守るべき」だと意図的に言い出したのである。
 ところでこの靖国についての公約なるもの、01年4月の自民党総裁選において、遺族会票を獲得して、公式参拝を控えていた対立候補の橋本龍太郎・遺族会会長に勝つために、「8月15日に靖国神社に公式参拝する」との取り引きを行ったに過ぎないものである。この取り引きは、靖国神社問題を自民党の総裁選挙に利用するための、それまで靖国参拝など無縁であった小泉首相の、遺族会票欲しさの政略的取り引きであった。その行動の出発点からして、そもそも「心の問題」どころか、特定集団との取り引きという、政治家としても人間としても「よこしまな」動機にしかすぎないもので、およそ「公約」とは縁遠いものである。取り引きと公約を区別できない、あるいは意図的に混同させる、首相が得意としている薄っぺらで無責任なご都合主義がここでも顔を出している。

<<「無分別の極み」>>
 そして小泉首相は、8月15日、やめる寸前の最後っ屁のようにして、文字通りの靖国神社公式参拝を強行した。これは日本の平和憲法に意図的に背反する違憲行為であり、中国、韓国を始めとするアジア諸国民、国際社会への挑発行為である。任期切れを待たずして、首相失格を自ら宣言したものである。
 しかし、批判されるとメンツをつぶされたかのごとく怒り、中国、韓国から批判されると内政干渉のごとく事態を偽ってナショナリズムを煽り、ムキになって反発し、外交断絶もいとわない、こんな愚かな行為も、マスコミにかかると、筋の通った人気者に仕立てられてしまい、世論操作がまかり通ってしまう。危険な体制翼賛政治への傾斜である。
 そして事実、この挑発行為は、報道ヘリが空を飛び交い、前夜から待機するテレビカメラの放列、数千人にも及ぶ厳重警戒網の中、公用車が空から生中継され、到着するやフラッシュが次から次へとたかれ、メディアは首相の公式参拝を持ち上げ、全面協力するかのように報道する、空疎だが物々しく、行く末が危ぶまれる政治ショーとして展開された。
 8/16付け英フィナンシャル・タイムズは、「日本の犯罪を名誉としアジアでの日本の侵略を無視するこの記念碑・靖国神社を小泉首相がしつこく参拝したことはアジアでの日本のリーダーシップの望みを傷つけ、日本の国連安保理常任理事国への支持を失わせた」と論評している。
 同じく16日付のフランス紙リベラシオンは、小泉首相を、オーストリアの極右政治家ハイダー氏になぞらえ、2人の共通点として「急進的自由主義と過去への愛惜の思いに加え、人類に対する罪を擁護しようという傾向がある」と指摘、「ハイダー氏が権力の座に就き、(ナチス政権下の)ドイツ帝国の犠牲者らを愚弄)する様子を想像してみればいい。小泉首相のしたことはそれに近い」と批判する社説を掲載した。
 また同じ16日付の南ドイツ新聞は、「小泉首相は、靖国神社参拝という反抗的で愚かな行為を最後に国際政治の舞台から去ることになった」とし、今回の参拝で小泉政権の外交は「無分別の極みに達した」とまで批判している。

<<「次の首相もその次の首相も」>>
 さて、このような小泉首相が「反抗的で愚かな行為を最後に国際政治の舞台から去ることになった」ことによって、今後の事態がどのように展開するのか、事態はより悪い方向への警戒を必要としていると言えよう。
 問題は、小泉後の最有力候補とされている安倍官房長官である。安倍氏は、小泉首相の最初の参拝のときは、「ここ数年間、(歴代)首相の参拝ができていない中で、小泉首相が行かれた意義は大きい。大切なのは何年も連続で参拝することだ」(01年8月)として靖国参拝を称賛し、04年4月に小泉首相の靖国参拝に違憲の司法判断が出ても「判断を気にせず今後も参拝してほしい」と司法判断を無視し、05年5月には「次の首相もその次の首相も当然お参りしてほしい」と首相の靖国参拝を自らの基本的政治姿勢としてきた人物である。そして本人自身が自民党幹事長、幹事長代理として八月十五日に連続参拝し、官房長官就任後も、今年四月に参拝しているのである。今回は、情勢が不利と見たのか、「(靖国に)行くか行かないか、あるいは(今年4月に)参拝したかしないかについて申し上げるつもりはない」と卑劣な論法に逃げている。しかし、私人として参拝したと言いながら、「内閣官房長官安倍晋三」と記帳としたという。小泉首相と同じく支離滅裂であるが、首相の取り引き公約とはちがって、より悪質な確信犯である。
 さらにより悪質なのは、安倍氏は「A級戦犯を含めた先の大戦の評価は歴史家の判断に任せたい」、「東京裁判はわが国が主体的に裁いたわけではない。彼ら(A級戦犯)が犯罪人かと言えば、そうではない」などとして、靖国神社へのA級戦犯合祀の妥当性をしきりに強調していることである。小泉首相がA級戦犯を戦争犯罪人と認めているのに対して、安倍氏はこれを否定しており、自民党の加藤紘一・元幹事長も、「安倍さんは基本的に東京裁判を認めないというニュアンスだ。小泉さんより、きつい靖国観だ」(8/15)と語っている通りである。
 そして安倍氏はこのところ「闘う政治家」を気取りだしたのであるが、その中身は要するに反中国、反韓国的姿勢をより鮮明にし、従来からの核武装論をも含めて「先制攻撃」論を公然と掲げ、憲法九条改悪に執念を燃やすところに、小泉「亜流」以上の危険な路線が横たわっているのである。「再チャレンジ」などとオブラートで包んではいるが、これは日本の政治的経済的破滅の路線である。
 ところがこんな人物をマスコミはおだて挙げ、人気者に仕立てているところに日本の危険な状況が位置していると言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.345 2006年8月26日

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