【投稿】2004年の年金改革の再評価と増税論議の行方

【投稿】2004年の年金改革の再評価と増税論議の行方
                             福井 杉本達也 

<年金は破綻するのか>
 2004年の年金改革について、当初「看板倒れ」(日経:03.12.17)、「数字合わせ」(読売:12.17)など、全てのマスコミからけんもほろろに批判されたが、最近諸外国の学者や世銀などからは高く評価する声が出ている(RIETIシンポジウム・05.11.9)。「年金は破綻する」という強力なマスコミ・一部学者による宣伝が継続的行われている中、いまだに評価が二分されている年金改革ではあるが、さる、5月26日「社会保障の在り方に関する懇談会」でも「将来の厚生年金の保険料率については18.3%に固定…今後もこれを堅持することが適当」との最終報告が出された。「在り方懇」において経団連の西室氏は「保険料はできるだけ低く抑えることを盛り込むべきだ」と主張、連合の笹森氏も「保険料率や現行制度の堅持の議論はしておらず、認められない」と主張していた(日経:5.10)。また、経団連・連合は基礎年金部分を全額税方式で賄う方式を求めていたが、「年金制度は社会保険方式が基本」としてこれを退けている(日経:5.27)。
 
<2004年金改革のポイント>
 2004年の年金改革のポイントを改めて整理すると①保険料率の上限(18.3%)設定、②基礎年金国庫負担分を2009年度までに2分の1への引き上げ、③マクロ経済スライドによる年金給付水準の自動調整、④有限均衡方式の導入による積立金の取り崩し、⑤モデル年金の所得代替率50.2%の維持である。
<保険料率の上限設定>
 このうち①保険料率の上限設定であるが、神代和欣横国大名誉教授は「将来何があっても18.3%以上には保険料率を上げないと国が約束した」ということであるから、国際的な評価は非常に高いとしている。それまで5年ごとに実施してきた保険料と給付の見直し(財政再計算)をやめた。5年ごとの見直しにより負担増を繰り返していると現役世代の年金不信が高まることとなる。ただし、先の厚生労働省の発表によると、合計特殊出生率が1.25となり、少子化に歯止めがかかってはいない。03年度の13.58%から22年度には18.3%にまで、年に0.354%づつ漸増するが、上限を設けたことの制度的安定の意味は大きい。
 
<基礎年金国庫負担分の1/2への引き上げと財源>
 2点目の基礎年金国庫負担部分の1/2への引き上げであるが、年額2兆7千億円程度の財源が必要とされる。04年の改革では財源については決着していない。消費税が有力であるが、所得税・住民税の最高税率上げ・年金受給者への課税強化や相続税の強化(吉川洋氏など)の案もある。「骨太方針2006」では、「0九年度の基礎年金国庫負担割合引き上げのための財源確保…社会保障給付の安定的な財源を確保するために、消費税をその財源としてより明確に位置付けることについては、給付と財源の対応関係の適合性を検討する。」という表現で、基礎年金部分の財源として、消費税1~2%の上げが俎上にのせられている。上述の「在り方懇」で連合・経済界とも全額税方式を主張していたが、これだけで消費税は5%~10%も(給付水準をどの程度にするかにもよるが)上げなければならない(橘木俊詔著『消費税15%による年金改革』)。10~15%もの消費税に対し、国民はどう反応するのか。昨年の郵政解散では“劇場”もあるが、「小さな政府」「官から民へ」=「増税をしない」という“公約”で自民党が大勝したのではなかろうか。1986年中曽根内閣時の売上税撤回、1994年細川内閣時の国民福祉税構想の撤回等、政府不信の国民が今回は10%以上もの消費税に納得するのかどうか。
 3点目のマクロ経済スライドの導入は、年金の給付水準をその都度決定しようとすると改正が先送りになり将来負担が積み上がるので、インフレ率の変化などによって自動調整しようとするものである。
 
<2004年の民主党案の評価> 
2004年の民主党年金改革案は既に「在り方懇」座長であった宮島洋氏が指摘しているように「給付水準や執行体制整備などを今後の検討課題とし、厳しい検証と批判にさらされるべき具体的な制度・運営設計を先送りした点で対案にはほど遠いものであった」(『論座』2004.12)。遠い将来の案としてはいいが、自営業者の所得把握が全くできない、最低保障年金を受給できるポイントがいくらになるのかわからないといった制度化して法案とするには程遠い中身であった。
<年金純債務の考え方>
 我が国の年金は賦課方式を採っており、世代間扶養の原則に基づき、年金の財源は将来世代の保険料負担であてることとなる。したがって、「年金バランスシート論」でいう過去の債務-積立金=「年金純債務」という考え方は成り立たない。しかし、賦課方式に批判的な小塩隆士氏は「世代間の公平」という切り口で保険料率の据え置き、基礎年金国庫負担の1/3での固定、所得代替率を35%まで切り下げるという案を提唱している(『人口減少時代の社会保障改革』)。だが、所得代替率を35%までも切り下げて政治的安定性が得られるかどうかは疑問である。
 
<賦課方式を攻撃する狙い>
 財界としては厚生年金負担部分の2倍もの企業年金を支払っており「二重負担」となっているので(経団連:2004年度福利厚生事業費調査)、これ以上の公的年金の保険料率の引き上げはかなわないというのが本音である。一方、小塩氏らの真の狙いは、公的年金の所得代替率を低く抑えることにより、私的年金に、そして世界市場に膨大な資金を回すことであろう。橘木俊詔氏も基礎年金部分は全額税方式だが、二階部分は民営化し確定拠出年金で対応するという案である。しかし、「資本のリスク」と「高齢化のリスク」を比較した場合どちらが大きいかは一目瞭然である。年金にマーケット優先の考え方を当てはめてはならない。
 
<今後の課題・パートタイマーへの年金権の拡大>
 パートタイマーへの年金権の拡大は、残された課題の1つである。財界などの反対のために2004年改正では見送られた。パートタイマーは厚生年金に入れないで国民年金に入れという制度であるが、財界としては安い労働力が社会保険負担によって高くなることを嫌っている。逆に言えば厚生年金強制加入事業者の脱法行為であり、社会保障制度のただ乗りである。少なくとも1/2以上の実労働時間就業するパートタイマーには厚生年金に加入させるべきである。また、少子化対策の観点からも重要である。
 バブル崩壊以降の政府の政策が不安を煽り、若い世代が子供をつくらないという選択をしている結果が、出生率1.25である。「官から民へ」と競争を煽り、金儲けを全てとし、「自己責任」を強調することが国家(政府)に対する不信を極端に強めている。社会はお互いに助け合うものであるという考え方、長寿のリスクを世代間で分け合うという保険原理の考え方、保険料の多寡にかかわらず必要とされる低所得者へ所得を再分配するという相互扶助の精神をもう一度取り戻す中で増税の課題を議論する必要があろう。

 【出典】 アサート No.344 2006年7月22日

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【本の紹介】「粉飾資本主義–エンロンとライブドア–」

【本の紹介】「粉飾資本主義–エンロンとライブドア–」
                    奥村宏著   東洋経済新報社2006年6月

 今年に入って大きな事件と言えば、ライブドア事件であろう。大学生で起業し、数十億円の資産を築いた若者として、マスコミは持ち上げ、昨年には落選したとは言え、自民党の支援を受けて衆議院選挙にも立候補したホりエモンこと堀江貴文社長が、2006年1月証券取引法違反容疑で逮捕され、ライブドア株が暴落。大量の小口売買が殺到したため1月18日には東京証券取引所がコンピューター処理の限界を超えて全銘柄の取引を停止する事態となったことは記憶に新しい。
 一方、1985年に合併によりエンロンはエネルギー会社としてスタート。レーガンの規制緩和政策にのって、1999年には世界ではじめてのエネルギー取引のインターネットサイトを立ち上げるなど多角化し企業買収を繰り返し2000年には全米7位の巨大株式会社となっていた。しかし、2001年には、損失隠しが発覚し、倒産に追い込まれていく。アメリカではエンロンに続いて巨大企業の粉飾決算が次々と発覚し、全米売上高第5位のワールドコムの巨額粉飾決算が発覚・倒産する。
 
<株式会社に内在する問題として>
 著者は、エンロン事件とライブドア事件は、「金がすべてである」「金儲け万能主義」というアメリカと日本の社会のあり方を象徴する事件として取り上げる。そして、「金のためなら何でもする」と言う行動の背後に、現在の株式会社のあり方がそこにはあり、それが危機に陥っているからこそ、このような現象として現れているのであり、「株式会社」そのものの問題として解明することが、本書の目的であると述べている。
 
<高株価経営と粉飾決算> 
 エンロン・ライブドアに共通するのは、「高株価経営」であった。自社の株価が高くなれば、企業買収においても有利になる。また、ストックオプションによって得た自社株を高く売って儲けることができる。高株価を維持するためには、会社の業績が好調なように見せなければならない。粉飾決算は高い株価を維持するために行われた。エンロンでもライブドアでも同様の手法である。
 本来会社経営を監査すべき会計監査法人も粉飾決算に積極的に関与した。

<機関投資家資本主義>
 近代株式会社制度は、19世紀半ばのイギリスにおいて、法律に従っていれば誰でも株式会社を設立することができるようになったのが、始まりと言われる。金融や鉄道に限られていた株式会社はやがて製造業にも普及し、合併を重ねて巨大株式会社が生まれてくる。1901年のUSスチールはその象徴である。
 株式会社は、元々個人が出資して設立され、個人が株主であるのが原則であった。個人の大株主が会社を支配していたのである。巨大化とともに株式が多数の個人投資家に所有されることとなり。大株主の持ち株比率が低下し、株式分散による「経営者支配」が一般的となる。こうして、個人株主が支配する第1期から、株式分散による「経営者支配」の第2期へと移行する。
 1970年ごろから第3期に移行したと著者は述べる。機関投資家(年金基金・投資信託・生命保険など)が大株主となって登場し、個人への株主分散から機関投資家への集中が起こる。機関投資家は経営者に対して、株主重視の経営をせまり、株価を高くする経営を要求するのである。「・・他方で機関投資家の圧力による高株価経営が株式市場、さらに株式会社そのものを投機化させ、ギャンブル資本主義の様相を呈していく。これがエンロン事件となって現れたのであり、それは機関投資家資本主義、そして株式資本主義の矛盾のあらわれ以外の何者でのない。それは株式会社が第3期末においてその矛盾をさらけ出したものであり、株式会社の危機をあらわしている。経営者たちの金儲け主義、そのための不正会計やインサイダー取引、そしてさまざまな企業スキャンダルもこの危機のあらわれである」
 
<法人資本主義の顛末>
 日本の場合は、戦後長らく法人同士の株式持ち合いによる安定株主政策が維持されてきた。企業買収や外資などからの乗っ取りを防止する目的であったが、株主は個人であるという株式会社の原則から逸脱したのが、日本の株式会社制度であった。しかしバブル崩壊とともに、「・・・法人資本主義が解体し、日本型株式会社の矛盾が爆発したあと、これからどちらの方向に向かうのか、その方向が見えないまま模索している段階で起こった事件(ライブドア)である。・・アメリカの株式会社と日本の株式会社は違ったコースを歩んできたが、その第3期末の段階で同じ到達点についたのである。これが、エンロン事件、そしてライブドア事件の意味するところである。」
 
<貯蓄から投資へ>
 「勝ち組は投資をする」と小泉政権は株式投資を誘導してきた。ゼロ金利政策の中、個人責任で貯蓄から株式投資への転換を進めるため、株式配当等についても税率1割にしてきた。アメリカではエンロン事件の教訓から「サーベンス・オクスリー法(企業改革法)」ができたが、日本においては、株式会社制度の危機であるとの認識はまったくないと著者は述べる。ライブドア事件から6ヶ月、マスコミは裁判報道はあるものの、事件の本質を解明する動きは忘れ去られているようにも思える。本書は、エンロン、ライブドア、そして村上ファンド問題を考える上で貴重な問題提起の書である。(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.344 2006年7月22日

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【コラム】ひとりごと —NHK受信料不払いについて—

【コラム】ひとりごと —NHK受信料不払いについて—

○NHKの不払いが依然高水準にある。不払いが対象世帯の3割を占めるとも言われている。ETV特番「問われる戦時性暴力」が、政治家の介入によって変更されたのは2001年のことであるし、以来、プロデューサーの横領事件など不祥事が続発、従来支払っていた人も「不払い」に回ったからである。○現在、実際に契約している割合は、一般世帯で70%と言われている。契約者であっても障害者手帳所持者や生活保護世帯には受信料免除制度があり、実際の支払い者は、どれ程の数字なのであろうか。H17年度の連結決算によると、受信料収入は、前年比96億円減収の6319億円。さらに未収受信料償却費に300億円増の610億円が当てられている。○私自身は、社会に出て以来、一度も払ったことがない。勧誘員とも幾度も「交渉」し、未契約のままである。大学卒業後数年間、同和地域に住んでいたが、一度も「勧誘」はなかった。結婚して地域外の公営住宅に転居したとたん、「勧誘員」が現れた。お世辞にも丁寧な対応ではなく、脅しに近い「勧誘」であったが、「差別体質」が許せなかった。以来ブラックリストに載っているのか、20年余勧誘はない。○現在増えている「不払い」は、私のような未契約者ではなく、契約者が不払いに転じているわけである。1950年施行の放送法では「NHKの放送を受信できる受信設備(テレビ)を設置した者はNHKとの間で受信契約をしなければならない」とある。1950年と言えば、私はまだ生まれていない。テレビがある家庭は余程裕福な家庭であり、貴重品の時代である。現在のような、商品流通・広告経済も発達しておらず、高度成長はまだ先の時代である。国内放送を整備するのに、「受信料」を徴収する必要も、時代としてはあったのかもしれない。○学生運動で揉まれた私には、NHKは「自民党の手先」としか映らなかった。しかし、現在の不払い急増の根本原因は、NHKの存在そのものに内在する問題が噴出しているからであろう。民間放送が広告収入により、無料であるのに、何故NHKが有料なのか。「公共放送」というなら、最低限のニュースと天気予報だけで良いではないのか。さらに、インターネットが普及し、ニュースも天気予報もテレビは必要ない。○経営改革を打ち出したNHKは、第三者組織「NHK“約束”評価委員会」を立ち上げ、6月27日報告書を公表した。その中で興味深いのは、NHKの番組を見ている平均時間に世代格差が著しいということだ。若い世代では一日平均30分以下であるのに対して、60歳台では1時間40分であり、NHKの視聴者は、高年齢に偏っているという。○高齢者は受信料を払うが、若い世代は払う必要性を感じていない。○受信料の減収が止まらず、政府も動き出し、2008年から受信料支払いを義務化するという。政府が焦る理由は他にもある。地上デジタル化という問題である。2012年からは、アナログ放送が終わり、地上デジタル放送のみの放送となる。民間放送も、地上デジタル化に膨大な投資を必要としており、特に地方民間放送の経営は厳しくなっている。NHKもH17年度に500億円のデジタル関連投資を行っている。デジタル化に伴う投資のためにも、受信料収入の増加・安定化が必要となっているわけだ。○テレビが貴重品でなくなり、有料放送には、それなりのメニューが用意され、必要な人は契約するというシステムの中にあって、NHK受信料の問題は、単に法律で義務化するとか、未契約者は罰するとか、「義務化」の枠の中では、決して解決していくとは思われないのである。当然、私は未契約を貫くだけだが。(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.344 2006年7月22日

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【投稿】小泉政権と日銀のインサイダー取引

【投稿】小泉政権と日銀のインサイダー取引

<<プレスリーの墓参り>>
 6月18日の通常尾国会会期期限切れを目前に控え、小泉政権は改憲にかかわる国民投票法案、愛国心教育の教育基本法改正案、共謀罪を新設の組織犯罪処罰法改正案、「防衛省」昇格法案など稀代の悪法を目白押しに提出し、軒並み継続審議とした。武部・自民幹事長に言わせると「先送りではなく、『先出し』だ。与党が出すべき法案を全部出したことに意義がある」として、秋の臨時国会で成立を図るという。きわめて危険な動向である。
 小泉首相は、すでに6月末の米国訪問と7月のサンクトペテルブルク主要国首脳会議(サミット)に関心を移し、ブッシュ大統領への提灯持ちの結果としての国賓待遇、それに応える日米「価値共有」声明、そして何よりもロック歌手エルビス・プレスリーの生誕の家の訪問と墓参りでのパフォーマンスに心を奪われているという。こうした外交日程を政権最後の段階で崩されたくないがために、公明党の強い要請や党内からのこの際一気に悪法通過をという意見を抑えて、会期延長に同意しなかったと言う。さもありなん、と言えよう。
 しかし、事態はそんなものではなそうである。会期延長をした場合、小泉政権瓦解の危機にまで発展しかねない事態が現出しかねない、それを怖れたのである。その危険で忍び寄る影がこれまでになく大きくなり、ライブドア・ホリエモンの逮捕、それに続く村上ファンド・村上世彰の逮捕、そして日銀・福井総裁のインサイダー疑惑にまで及び出した疑惑の広がりである。中央銀行総裁の首にまで事態が進展すれば、薄っぺらな浮かれたパフォーマンスどころではなくなる。ここはなんとしても、職権を使ってでも真相に蓋をし、日銀総裁の辞任には至らせない、そのためには会期延長など応じられるものではない、これが首相の本音であろう。
 6/13、日本銀行の福井総裁が、証券取引法違反(インサイダー取引)容疑で逮捕された村上世彰容疑者が代表を務めていた「村上ファンド」に1000万円を拠出、運用委託していたことが明らかになった。「金融と通貨の番人」であるはずの中央銀行総裁が、こともあろうにインサイダー取引と脱法行為でぼろ儲けをしてきた悪質なはげたかファンドを激励し、アドバイザリーボードの筆頭に名を連ねて深く関与し、自らもその巨額な利益に群がって、その“分け前”にあずかっていたというのであるから、許し難いことである。即刻解任すべき事態である。

<<「何が問題なの」>>
 ところが小泉首相は事態の重大性を察知したのかロクに調べもしないうちに早々と、「問題のある行為じゃない」と語ったうえで、「民主党は何でも辞任すればいいと思っている。もっと冷静に考えた方がいい」と総裁辞任は必要ないと断言。谷垣財務相に至っては「何が問題なの。何か法に触れますか」とまで放言し、与謝野金融相までが「総裁になるということが予想されていない時期に民間の方として出資に応募したということで、それ自体は何ら問題がないと思っている」と、一斉にかばいだしたのである。
 福井総裁は、「(拠出額1000万円は)引き続き繰り延べ投資している」と、現在はまだ拠出したままであることを認め、なおかつ「帳簿上の利益は出ていて、これはきちんと確定申告で納税している。たいした金額ではなく、巨額にもうかっている感じはしない」と説明した。しかし村上ファンドの収益は年率30、40%を謳い、仮に年率30%としても、収益の再運用によって、投資資金は三年で倍に、六年で五倍化しているのである。「たいした金額ではない」どころか、悪質なマネーゲームに加担しながら、自らが進めている日銀のゼロ金利政策によって苦しむ庶民の千倍以上もの金利、1000万円で300万円以上の利益を労せずして手に入れ、それを「巨額にもうかっている感じはしない」というのであるから、あきれたものである。しかも日銀総裁就任後もずるずると関係を維持し、解約しなかった理由に「仲間内意識があった」ことまで認めている。
 しかしそれ以上に問題なのは、福井総裁がこのマネーゲームから逃げ出した時期である。福井総裁はこの1000万円については「数カ月前に解約を申しこんでいた」という。今年2月の段階である。その結果、この6月末で運用委託契約は解除されると言う。2月といえば、ライブドアへの強制捜査が進み、村上氏との関連がささやかれ出した時期である。
 そして、村上ファンドの「MACアセットマネジメント」に資本金の45%に当たる約4,000万円を出資し、非常勤役員二人も派遣し、約200億円を投資しているオリックスの宮内会長が、同じく出資金と役員についてはこれを引き揚げると発表したのが今年の5月12日である。福井、宮内とも、彼らは明らかに何らかのインサイダー情報によって、つまりは小泉政権側か検察側か、何らかの内部情報によって、村上逮捕の直前にバタバタと逃げ足早く提携解消に動き出していたのである。「村上ファンドの生みの親であり、育ての親」ともいわれるオリックスの宮内会長、そして「勇気ある青年を激励するために、仲間とともに金を出した」という日銀の福井総裁、彼らは二人とも村上ファンドと共犯・共謀関係にあり、かれらこそが「共謀罪」で摘発されてしかるべき存在なのである。

<<ワルの相関図>>
 福井総裁は、ゼロ金利政策を維持し、マネーゲーム規模を極端に拡大してきた「金融の量的緩和」を強力に推進してきた張本人である。本人自身が、最近の株式ブームは「預金金利のゼロ金利が続いていることが原因」だと認めている。
 問題は、この「金融の量的緩和」をめぐって、日銀と小泉政権との間でその解除時期をめぐって綱引きが行われ、それが当然、ゼロ%金利の解除に繋がる重要な政策転換の時期と重なっていることである。ゼロ%金利解除となれば、当然、マネーゲームの資金は投資先を求めて移動し、株式市場はマイナスの影響をこうむる。福井総裁の村上ファンド契約解除の動きは、その意味では村上ファンドに対する、あるいはそれを支えるオリックス会長に対する、「金融の量的緩和」の解除時期を示唆し、手持ち株の早急な売り抜けを指示するインサイダー情報の提供ともいえよう。これはこれでより悪質である。通信・放送株や百貨店・電鉄株をめぐる村上ファンドの売り抜けを急ぐ性急な対応にも裏があり、彼らの間では暗黙の了解と裏取引があったことが想定されよう。
 日銀には日銀自身が定めた「日本銀行員の心得」なるものがあり、(1)日銀内部で知り得たインサイダー情報について利殖活動を禁じる、(2)株式投資などについて事後に報告する、と定め、「世間からいささかなりとも疑念を抱かれることが予想される場合には……個人的利殖行為は慎まなければならない」としている。「金融の番人」が、違法ファンドに資産運用させ、インサイダー情報をやり取りしていたとすれば、福井総裁の行動は明らかにこれに反していると言えよう。
 そしてこうした怪しげな村上ファンドやホリエモンを持ち上げ、「時代の寵児」に仕立て上げてきた相関図の中心に座っているのが小泉首相である。その相関図のキーワードは、構造改革=規制緩和であり、格差拡大万歳・稼ぐが勝ちの市場原理主義である。そのデタラメ改革の主導役に、政府の規制改革・民間開放推進会議議長のオリックス・宮内会長、竹中総務相らが馳せ参じ、三井住友銀行から横滑りし、村上と気脈を通じていた日本郵政・西川社長や日本振興銀行の木村剛氏、楽天の三木谷浩史社長、ヒルズ族の面々が群がり、マネーゲームをもてはやす小泉―竹中―ホリエモン―村上コンビが形成され、そこに日銀総裁までが加わっていたと言うわけである。彼らはいっせいに黙り込み、口をぬぐいだした。
 しかし、小泉政権を賛美してきたマスコミは弱腰であり、検察当局が財務省や金融庁、あるいは小泉―竹中コンビと適当に手を打つならば、事態はうやむやに付されてしまう可能性が大である。小泉首相登場以来、首相が加速させて、蔓延させてきた日本社会の無責任で利己的な風潮を断ち切るためには、日銀総裁の解任にとどまらず、彼らの一連の悪事を徹底的に解明し、断罪することが求められているといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.343 2006年6月24日

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【投稿】ジェンダー図書焚書事件の裏と表

【投稿】ジェンダー図書焚書事件の裏と表
                            福井 杉本達也

1 福井県生活学習館・ジェンダー図書を書架から撤去
さる4月28日、福井県生活学習館(女性センター)情報コーナーの書架にあった、上野千鶴子著「スカートの下の劇場」・福田眞弓著「『主人』ということば」、福島瑞穂著「結婚はバクチである」などジェンダー関連の図書150冊が3月下旬より撤去されていることが統一協会のHP「世界日報」上で明らかとなった。
「世界日報」によると、2005年11月、K福井県男女共同参画推進員(協会関係者と思われる)が同館に「家族解体まで目指す本を本県の予算で運営する生活学習館に置くのは理解できない」として排除を求めたという。当初、同館を所管する男女参画・県民活動課のU前課長は申し出を断ったものの、2006年3月下旬、同課長の指示により撤去された。
5月11日今大地晴海敦賀市議らが住民監査請求と抗議文を県に提出すると同時に記者会見し、市民オンブズマンが公開質問状を提出、併せて、東京では清水澄子元参議院議員ら福井県出身著名人が猪口邦子男女共同参画担当大臣に要望(要望日は大臣の日程で6月5日)を行った結果、5月16日に同館書架に戻された。

2 県の対応
県は「県民の方から当館として不適切な図書があるとの指摘を受け、当館において書棚から図書を取り出しましたが、撤去ではありません。一時的に閉架扱い」としたとし、「指摘された図書について、個人に対する誹謗中傷や他人の人権の侵害等公益を著しく阻害するような内容がないかといった観点から事務室において再確認を行いました。冊数が多いことや参考として他県の選定基準を調べていたことなどもあり、5月15日の閉館日に全ての図書を元の書棚に戻しました。」(5月30日付け、生活学習館館長 市民オンブズマンへの回答)との無責任な回答を寄せた。
同時に、県監査委員は、5月31日付けで、今大地議員らの監査請求に対し、図書を書架から他の場所に移動させたのは「行政的な管理」に該当。金銭にかかわる「財務的な管理」に限られている監査請求の対象にはならない、と回答した。

3 最高裁判例と監査却下の問題点
今回の焚書対照図書とは全く中身は対極にあるが、同様の書籍焚書事件に関わる最高判例が、既に昨年7月14日に出ている。千葉県船橋市立西図書館の司書が新しい歴史教科書をつくる会と作家の井沢元彦ら7人の著書を廃棄したため、表現の自由を侵害されたとして、市に慰謝料などの支払いを求めた。最高裁第1小法廷は「公立図書館は思想、意見を伝達する公的な場で、職員の独断による廃棄は著者の利益を侵害する」との初判断を示したその上で、司書が廃棄を決めた今回のケースも利益侵害に当たると認めている。
上告では廃棄された著者にも権利侵害の事実が及ぶかどうかが争われたものであり、地裁段階での「公費で購入した図書を市民の閲覧に供しなければ,市民との関係で,公費の使途としての適切性に問題が生じる」(千葉地裁判決)との前提があり、最高裁の判決はこれを踏まえたものである。公費で購入した図書を県民の供覧に供しなければ、違法となることは明らかであり、監査請求の却下は、当該判決から見て全く妥当性を欠いている。

4 右翼の脅しに屈したことについて
拉致問題を利用した情報・思想の統制や憲法改正をめぐる右翼的な策動が強まっており、どこまでが真実なのか、嘘なのかも分からない一方的な「大本営」情報が連日・連夜大量にマスメディアを使って流され続けており、規制緩和・民活の名の下、格差是認・差別容認の新自由主義の思考が浸透しつつある。行政機関自身もこうした流れの例外にはない。維持管理予算の削減や指定管理者制度・独立行政法人制度の導入など、現場の声を無視した制度の導入がどんどん進みつつある。生活学習館も当初は先進的な講師などを招へいした企画講座が設けられていたが、最近では鳴かず飛ばずで維持管理に汲々としているというのが実態である。こうした中、組織自身のポジションも益々不透明となりつつある。
しかし、1団体の脅しに行政が屈したことは、公平な行政を行っていく上で重大な問題である。しかも、担当者1個人が屈したというのではなく、主管課長の指示によるということは、組織的な犯罪である。それも「男女共同参画推進条例」を持ち、男女共同参画を積極的に推進すべき課とその出先機関「女性センター」である。県は戦前の治安維持法やGHQによる「検閲」という55年前の決して越えてはならない一線をいとも簡単に越えてしまったようである。市議らの抗議文に対し、右翼への配慮からか、図書の購入について「選定基準を設け適正に購入・配置している」と回答しているが、オンブズマンが「選定基準」の情報公開を求めたところ、「選定基準」自体が当時存在しなかったではないかという疑惑も浮上している。新聞やHP上で、U前課長の他、S館長・H同館課長など何名もの幹部職員の名が散見される。かつて、福井市出身の松下圭一法政大学名誉教授は「行政の劣化」を指摘したが、市議はじめ女性団体の抗議へのその場しのぎの無責任な対応を見る限り、「劣化」どころか「行政組織全体の人権意識の根本的欠落、倫理・理性の崩壊」を疑わざるをえない。

【出典】 アサート No.343 2006年6月24日

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【投稿】大間原発訴訟の原告「熊谷あさ子」さん死去のニュースに思う

【投稿】大間原発訴訟の原告「熊谷あさ子」さん死去のニュースに思う

5月21日(日)毎日新聞朝刊の地方版の片隅に熊谷あさ子さん死去の記事が小さな写真と共に、ひっそりと掲載されていた。気になって、青森県下を網羅している地方紙「東奥日報」にも目を通すと、写真のない、もっとひっそりとした内容であった。
熊谷さんは大間原発建設を計画している電源開発を相手に工事差し止め訴訟を起こしている地権者で、「自然豊かな大間の海を守りたい」と着工に反対し、土地売却を一人で拒否し続けた信念の人であった。原発予定地内の個人所有地と共有地の売却を拒否し、同意なく計画し共有地を造成したのは違法だとして青森地裁に提訴した。
一方、電源開発は共有地を移転登記して土地を明け渡すよう求める訴訟を起こし、一審、二審とも勝訴した。熊谷さんは判決を不服として今年四月、最高裁に上告していた。遺族は「裁判は最後まで戦う」と熊谷さんの意志を受け継ぐ決意を表明しているという。
今や核の県と化した青森県で核の危険性を危惧している良識派が少なからず存在していることを認識させられた記事であった。大企業が存在せず、中央の繁栄から遠ざかり、そのために働く場が少ない状況を打破する起爆剤として、青森県は核関連の施設をことごとく受け入れてきた。原子力発電所の受け入れに始まって、核の再処理工場・燃料工場及び、ウラン濃縮工場、貯蔵・埋蔵施設の建設、挙げ句の果てにはITERまで県を挙げて受け入れようとした(結局、候補地はフランスに決定)。今や政財界主導で青森県は下北地方を中心に一大核基地化されようとしている。すでに建設済みの施設ばかりか建設中の施設も頻繁に冷却水漏れやひび割れなどの事故を引き起こし、操業停止が県内のマスコミをにぎわす。それでもなぜか、テレビも新聞も全国版ではほとんど報道されない。先日は六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場で、出向作業員がプルトニウムなどで内部被爆したという報道が県内版で報道された。事故のたびに、県は安全性が最優先だというポーズをとるものの、結局は操業再開を許可する。古くは原子力船「むつ」に始まって、政府による県民無視の原子力行政が青森県という中央からの遠隔地で繰り返されてきたのが現状である。県民には核の本当の危険性を知らされてはいないのである。それどころか、電力9社が出資して設立された「日本原燃株式会社」(本部青森県六カ所村)が核の安全性のピ-アルに多額の費用を使って児童生徒や県民の洗脳に躍起になっている。
そんな青森県の現状を少なからず苦々しく思ってきた青森県民は数多くいることは確かなのである。だから、それぞれの施設建設への反対運動やフランスからの再処理された核燃料棒搬入阻止運動などの抗議行動はたびたび組織され実行された。平和な青森県、緑豊かな青森県、安心して食べられる農産物・魚介類豊富な青森県の維持への取り組みは平和団体や労働組合を中心に組織されるものの、広がりに欠けるものであった。安定した雇用の場の確保の大合唱と「日本原燃」のプロパガンダが勝っている。
青森県の東(太平洋側)は核、一方西側(日本海側)ではつがる市の航空自衛隊車力駐屯地に米軍のXバンドレーダーが配備されるというニュースが飛び込んできた。県や地元自治体は政府の補助金目当てに、農業者や平和団体を中心に反対運動が組織されようとする矢先に、短期間で受け入れ表明してしまった。今後、西側の津軽地方は軍事基地化が心配される将来である。
青森県は三方が海で囲まれ、魚介類豊かな地である。津軽海峡で捕獲される大間の鮪は築地で最高級の近海ものとして取引されているし、陸奥湾のホタテは全国的に有名である。太平洋に面した八戸は有数の水揚げを誇る漁港である。日本海につながる汽水湖である十三湖のシジミ貝は味に定評があり、高値で取引されている。農産物も津軽地方のりんごをはじめ、長いも、田子のニンニクと枚挙に暇がないほど豊富である。自然は世界遺産に指定されている白神山地、十和田湖、恐山等々、観光施設が多い。県はこれらの農産物を売り込もうと首都圏や関西圏で開催される青森県産物フェアーに知事自ら出向き県産品の消費拡大を図ろうとしている。
その一方で、核と軍事施設の膨張を推し進めるという一次産業や観光と相容れない矛盾した行政を行っている。事故やトラブル、あるいは、風評被害などで、魚介類や農産物が販売できなくなる事態は敢えて想定していないばかりか、原子力の危険を覆い隠す行政に必死である。「自然豊かな大間の海を守りたい」と訴えた熊谷さんの思いは全県民に通じる願いであろう。核と軍事による一部の繁栄の途ではなく、大多数の県民は自然を大切にした豊かさを本当は求めているはずである。

熊谷あさ子さんの死の小さな報道が、誤った道を歩みはじめている青森県に一石を投じる記事であることを願うものである。

青森県在住 江良

【出典】 アサート No.343 2006年6月24日

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【書評】「グローバルスタンダードと国家戦略」坂村健著 

【書評】「グローバルスタンダードと国家戦略」坂村健著 
                          福井 杉本達也

 日経の「私の履歴書」(2006.4.16)で、宮沢喜一元首相は「日米繊維問題は『謀略』・ニクソン陣営、沖縄材料に」と題して、1970年から71年にかけて行われた、当時日米間の最大の経済摩擦と評された日米繊維交渉=繊維輸出の自主規制問題が、「沖縄を取引材料にしてニクソン陣営が仕組んだ謀略だったとしか思えない。」と結論づけている。いくら政界を下りたとはいえ、「日米同盟」の一方の当事者であった元首相(交渉時は通産相)が、当時「日米経済戦争」とまで騒がれた問題を「謀略」と決めつけているのである。
 最近のマスコミは事象を単発にしか報道しないので、あたかも「様々な問題が出ている」程度にしか世の中の動きを把握できないが、個々の事象は個別バラバラに起こっているのではなく相互に関わっている、政治と経済も相互に関わっていると見るのが「うがった見方」ではなく自然な見方である。米軍再編経費を日本が3兆円も負担する約束をしたのであるから、サービスとして、ブッシュ大統領が拉致被害家族の横田早紀江氏と会うことなど安いものである。中央青山監査法人の業務停止もこの間『グローバルスタンダード』として持ち込まれた「キャッシュフロー会計」や「減損会計」をはじめアングロサクソン型会計制度の日本企業への押しつけの最終的詰めの一環であり、いよいよ米国会計法人が直接日本に乗り込み個別企業をM&Aしやすように直々『監査』することとなる。この4月から施行された商法の改正=新会社法もM&Aをやりやすくするためのものである。防衛庁談合や一連の談合摘発も米企業の日本市場参入に目的がある。普天間基地のキャンプシュワブ沖移設の計画は米ベクテル社が設計している。道路公団談合もしばらく前に騒がれたが、ちゃっかりベクテル社は第二東名等の工事に参加している。金融危機だとして10兆円もの公的資金を投入した旧長銀はわずか10億円でハゲタカファンドのリップルウッドに売却され新生銀行として復活した。35年前は日本国民の反発を恐れ、密かに『謀略』としてしか行えなかったものが、今日では日本政府自らが公式に堂々と恥ずかしげもなく「差し出す」という、実に嘆かわしい事態となっている。
 坂村健氏はコンピューターOSのTRON(トロン)の開発者である。情報通信分野ではインテル・マイクロソフト連合が世界を席巻しているが、TRONも最近ようやく携帯電話やデジタルカメラといった家電分野で注目されだした。そのTRONには苦い歴史がある。1984年に、東大助手だった坂村氏は現在のパソコンからは比較もできないようなフロッピーディスク2台と低速の16ビットCPUでマルチウインドウOSが動くという優れた国産OSであるTRONを開発した。これを松下のパソコンに搭載し、学校教育現場に広めようとした。これに横槍を入れたのが、アメリカ・USTRである。TRONを非関税障壁だとして「スーパー301条」を発動すると脅した。結局、通産省はアメリカの脅しに屈し、TRON計画を潰してしまったのである(詳しくは、坂村健著「21世紀の日本の情報戦略」)。その後の結果は推して知るべし、パソコンの世界では、ほとんどのOSがつぶされ、マイクロソフトのウィンドウズOSの独壇場となっている。
 今再び、20年前と同じようなことがICタグをめぐって争われている。ICタグは昨年の「愛・地球博」の入場券にも取り入れられたので、入場券を手にした人はどのようなものかが具体的に分かるであろうが、ICを埋めこんだタグ(荷札)で、無線で情報を読みとったり、書き込んだりすることができる。このシステムをRFID(無線Radio の周波数Frequency を使った身分証明Identification )と言う。RFIDについて、日本では米国のつくったものをグローバルスタンダードとして使えばよいという認識がある。ICタグについて、日本ではすでに、坂村氏らのユビキタスICセンターが、Uコード体系を開発しているが、ペンタゴン・ウォルマート連合は、マサチューセッツ工科大学(MIT)のオートIDセンターが開発したEPCコードを世界標準にするため、一大運動を起こし、日本の経産省内にもこれに賛成する動きがある。これら一連の動きに対し「なにがなんでも『世界標準』『国際標準』に合わせるというのではなく、多様な判断基準と、将来まで視野に入れた戦略性をもって…自立的に判断すること…『グローバルスタンダード』という言葉で思考停止するのではなく、ともかくきちんと自分の頭で考えるということである」と坂本氏は主張する。「会計原則」についても「金融政策」についても「規制緩和」についても「グローバルスタンダード」だといわれると、それで思考を停止してしまう傾向がこの間続いている。特に米国との関係ではそうなっているし、軍事面では完全に思考停止の状態が続いている。本書は技術面から「グローバルスタンダード」というものを批判的に考察しているが、全ての関係に当てはまるものである。「一般論であるが日本人はそういう面での粘り強さは不得意で、大づかみで話をして『勝ち馬に乗る』的な思考停止をしたがる傾向にあるようだ。常に疑い、常に考え続けていることは体力がいる。体力不足から来る思考停止と、結果として国際標準を採用しさえすればよいという考えには安心感がある。」と著者は述べているが、今日の我々に求められるものも「常に疑い、常に考え続ける体力」ではなかろうか。

 【出典】 アサート No.343 2006年6月24日

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【雑感】『マオ』を読んで思うこと

【雑感】『マオ』を読んで思うこと

 『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(ユン・チアン/ジョン・ハリディ 2005/11/17講談社発行 上下巻)を読んだ。恐ろしい内容だった。
 印象に残るいくつかを書き出してみると、まず1923年1月上海・党指導部にモスクワから国民党に入党せよとの指令が下る。無節操として指導部全員が異議、毛沢東は逆に手を挙げ、党中央に引き上げられる。以後、国民党湖南支部幹部、国民党創刊の「政治週報」編集長などを歴任し、1927年の蒋介石による国民党内の共産党勢力粛清まで国民党員であったこと(中国はこのことを隠し続けているという)。
 あの有名な「長征」も、その過程において、共産党の古参の幹部を毛沢東が追い落とし、自らの権力確立のために敢えて多くの犠牲をだした。
 また、国民党時代に、末端の農民協会の粗暴な活動家達の「農村に恐怖現象を作り出す」残虐行為を「すばらしい、かつてない痛快さ」との報告を行い、以後共産党軍に合流の後も、残虐な暴力(死刑も横行)による支配を常態化させた。
 朱徳軍や彭徳懐軍に合流した1929年には、軍の中にAB団(アンチ・ボルシェビキ団、富農出身者や反革命分子という意味)がいると、摘発運動を強行。11月彭徳懐軍部隊に毛に反対するAB団分子がいるとして虐殺を開始、朱毛紅軍にも広げ「1ヶ月の間に4400人以上に達した」と毛自身が上海に報告している。
 1930年日本軍が柳条湖事件を起こし、第2次大戦への道を歩みだした。蒋介石は、共産党包囲網を解き9月南京に引き返し、対共包囲作戦を一時停止することを決定、交戦地帯から軍を引揚げ抗日統一戦線を提唱。共産党は「笑止千万の戯言」とはねつけ、党の主要任務は「打倒国民党」を言うのみで、日本軍と闘う国民党を尻目に、内陸部で革命根拠地拡大のみを行っていた。ところが現在では共産党が抗日統一戦線、一致対外を提案したとされている。
 1937年日中全面戦争にいたり、共産党軍は国民革命軍第八路軍となる。38年8月八路軍は山西省前線に向け黄河を渡り、多くの兵士は日本軍との闘いに勇み立ったが、毛は「戦闘ではなく根拠地創造に集中せよ」と指示、指揮官達の反発の中、9月山西省.平型関で初めて日本軍と交戦、毛はこれに猛烈に怒り、「蒋介石を利するだけ、何の足しにもならない」として、日本軍が国民政府軍を打ち負かすのを待ち、その後背地を領土として獲得せよ、むしろ日本軍の進軍に「大いに感謝したい」と述べたという。
 抗日戦最中にも、国民党軍を倒すため、日本軍に対して国民党の軍事情報を提供し、見返りに共産軍への攻撃を控える密約をかわす。
 1940年日中戦争重大局面に入り、重慶に退いた国民党に対する日本の重慶爆撃の爆弾総量は、連合軍が日本全土に投下した爆弾総量の1/3にも上った。毛は日本軍が「重慶あたりまで侵攻してくれることを望んでいた」と語っている。ところが八路軍を指揮していた彭徳懐は党よりも国を優先させる決断を下し「百団大戦」という日本軍への大規模な作戦計画を立て、毛に何度も打電するが承認を得られず、8月戦闘開始命令を出し、日本軍にとって「完全に予想外の出来事」で、1ヶ月の戦闘によって日本側の損害は「きわめて深刻かつ甚大」であった。毛は蒋介石敗北の可能性が小さくなったとして、怒りで煮えたぎり、百団大戦は中国が日本占領下にあった8年の間に共産党勢力が実行した唯一の大規模作戦であったにもかかわらず、後年、彭徳懐は高い代償を支払わされる。
 1942年毛はケシ栽培事業を「革命的アヘン戦争」と呼んで、公然と大々的に生産、取引を拡大し、43年2月毛は周恩来に、延安は「財政難を克服し、2億5千万法幣相当の貯蓄ができた」と告げている。この額は陜甘寧辺区の年間予算の6倍に当り、43年の毛の阿片売上高は44760kg、値段で24億法幣、当時のレートで6千万米$、今日の価格で6億4千万米$という途方もない額に達した。延安の党幹部の生活は劇的に豪勢な生活に変化した。一方、延安の地元住民からはあらゆる搾取を続け、43年6月には「まもなく蒋介石が延安を攻めてくる」という口実で「自発的寄付」が強制され、農民はどん底の生活で極度に衛生状態が悪化し、2年間で31%の住民が死亡する地域まで出現した。
 「上巻」には1950年中華人民共和国建国までが書かれており、「下巻」は、それ以後の、朝鮮戦争参戦、「大躍進運動の失敗」や、国民を飢餓に追い込んでも、軍事予算を増やし続けたこと(大躍進と大飢饉の4年間に3800万人近くが餓死または過労死したと記されている)。ソ連に対抗し「超大国」を目指して、中ソ対立を煽ったこと。自らの独裁を守るために、朱徳や彭徳懐を攻撃し続け、最終的に文化大革命という国家破壊を強行したことなどが描かれている(文化大革命以後は、軍の粛清により、300万人が犠牲になった)。劉少奇・林彪も失脚・逃亡死去し、最後まで毛沢東を支えたのは、周恩来だけであった。こうして毛沢東の中国は4000万人を越える人々を犠牲にしてきた事になるのである。
 同様の内容を含む書籍には、「中国がひた隠す毛沢東の真実」(草思社、北海閑人著)があるが、中国内部のしかるべき地位にある人が著者だそうだ。私は先にこちらを読んでいたので、ショックは経験済みだった。『「マオ』について、私は、真実に近いのではないかとの感想を持っている。
 かつて、著者のユン・チアンの「ワイルド・スワン」を読んだ時の感動を忘れてはいないし、彼女は、「ウィルド・スワン」を上梓した時、次は毛沢東を取り上げてみたいと言っていたという。以来15年を越える取材ののち、書き上げたのが今回の『マオ』である。インタビューは470名に及び、本書下巻にはリストが示されている。中には、毛沢東のロシア語通訳・秘書・医療関係者も含まれている。上下巻1000頁を越える本書であるが、膨大な文献リストまで含むことはできず講談社のホームページに掲載されているほどである。
 年配の活動家の皆さんは、口を揃えて「反共の書だ」と、切って捨てる方が多いと聞いている。しかし、果たして、そんな簡単に無視できるものではないと私は思う。
 今年は、文化大革命40周年にあたるが、中国共産党は、毛沢東が仕組んだ権力闘争である文化大革命の功罪について、論評も行わずじまいだった。
 本書によると、「国共合作」の時代に、国民党内に多くの共産党員が送り込まれた。その中には、国民党敗走の時期まで、軍の最高指導者であったものもいたらしい。彼らは、紅軍との戦闘において、敢えて不利な作戦を立案し、結果として紅軍の勝利に導いた。しかし、蒋介石は彼らが共産党のスパイであることを承知の上で、彼らを処分しなかったという。蒋介石は裏切りによって破れ、毛沢東はソ連の軍事支援と国民の収奪で生き延びたのである。
 文化大革命で失脚させられた鄧小平が、後に復活し「改革開放」路線に転換したことで、現在の中国の姿がある。しかし、鄧小平も1989年の天安門事件では、デモ隊に戦車と機銃掃射で対応し、平然と殺戮を行い、民主主義を葬り去った。
 毛沢東は1976年9月に死亡している。ちょうど30年前ということになる。以後、4人組失脚、鄧小平復活、江沢民と指導者は変わったが、党支配構造に変化は起こっていない。経済の発展により貧困からの脱却が進んでいるが、中央・地方党幹部の腐敗一掃が課題となっていると言われている。
 『マオ』の亡霊がいまなお生き続けていることこそ、中国の真実ではないだろうか。
 そして、スターリン・毛沢東・金日成と旧社会主義が独裁者の個人崇拝・異なる意見に対する粛清の常態化を生み出した事実。内戦の中にあったとは言え、唯一前衛党論、民主集中制、終わりのない階級闘争論がその根源にあることは疑いはないと私は思う。
(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.343 2006年6月24日

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【投稿】反小泉政治への流れの変化

【投稿】反小泉政治への流れの変化

<<「演説後に靖国参拝はしない」>>
 小泉首相はいよいよあらゆる面で岐路に立たされていると言えよう。
 まずは、自民党総裁任期切れ直前の8月15日に、念願の敗戦記念日当日の靖国神社参拝を強行しようというたくらみが、こともあろうにアメリカ側から強くけん制され、これにどう対応するか決断を迫られている。
 各紙報道によると、6月末に予定されている小泉首相の訪米をめぐり、米下院のハイド外交委員長(共和党)が、日本が模索している米議会での首相演説を実現するには「靖国神社を参拝しないことを自ら進んで表明する必要がある」とする趣旨の書簡を同党のハスタート下院議長に出し、首相が演説の数週間後に靖国神社を参拝することへの懸念を示し、真珠湾攻撃に踏み切った東条英機元首相ら同神社に合祀されているA級戦犯に首相が敬意を示せば、フランクリン・ルーズベルト大統領が攻撃の直後に演説した場である米議会のメンツをつぶすことになるとし、さらに、真珠湾攻撃を記憶している世代にとっては、首相の議会演説と靖国参拝が連続することは懸念を感じるにとどまらず、侮辱されたとすら思うだろう、と指摘、「演説後に靖国参拝はしないと議会側が理解し、納得できるような何らかの措置をとってほしい」と求めているという。
 ブッシュ追随と新自由主義的規制緩和路線以外には何も政治的見識を持たず、目立ちたがり屋でパフォーマンスを売りとする小泉首相にとっては、訪米時に上下両院の合同会議で演説することは、実現すれば日本の首相としては初めてのことであり、首相任期中の最後の機会としてぜひとも実現したい。
 しかし、敗戦記念日当日の靖国神社参拝は、首相の総裁選公約であり、日韓、日中を始めアジア近隣諸国との善隣友好関係を徹底的にぶち壊してきた靖国神社参拝強行政策の最後の仕上げであり、自らの後継ともくす安倍官房長官への申し送りでもある。くだらない面子にこだわり続け、「後は野となれ山となれ」の無責任首相のことである、これも何とか実現したい。すべてを欺いてこれを実現する道を探っていると言えよう。

<<「米国側の勝手な計算」>>
 そしてブッシュ追随の総仕上げが、米軍再編への全面的協力・追随である。
 日米両政府は5/1、外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)を米国務省で開き、在日米軍再編に最終合意した。司令部間の連携など自衛隊と米軍との一体化を進めると同時に、沖縄の普天間飛行場移設先の建設や海兵隊グアム移転を14年までに実現するなど、今後の再編日程を定めた「ロードマップ(行程表)」を発表し、「再編案の実施により、同盟関係における協力は新たな段階に入る」とうたい、世界規模での再編を目指す米軍と自衛隊が一体化を進める方向を示した。まさに米軍への自衛隊の一体化であり、アジアにおける緊張激化要因を質的に高めるものである。
 問題の第一は、ラムズフェルド米国防長官が、今回の再編によって日米同盟の永続的な能力が確保され、この同盟は米軍の太平洋における安定的で持続可能な前方展開によって支えられる、と指摘したうえで、「われわれは日本自衛隊の再編を具体化したが、これは米軍の再編を補完し、従前に比べて一層効果的な作戦上の協調を実現することになります」と言明したことにある。米国防長官が、日本の自衛隊を再編し、米軍を補完する自衛隊と言う役割を明確にし、これに議会側の同意も得ずに勝手に日本側が合意したことである。明らかに憲法第九条に真っ向から挑戦するものである。
 そして第二の問題は、最終合意した同報告には、「これらの案の実施における施設整備に要する建設費その他の費用は、明示されない限り日本国政府が負担する」と明記されていることである。その負担額たるや、実に三兆円を大きく超えるとされており、ここからほころびが出始めている。先月4/25、ローレス米国防副次官が「米軍再編に伴う日本側の負担は3兆円以上」と発言し、翌日、問い詰められた安倍官房長官は「途方もない額だ」「説明を求める」と首をすくめてみせ、谷垣財務相は「三兆円という数字が独り歩きしている。どういう根拠でこういう数字が出ているのか」(4/28)と発言、麻生外相までが「根拠が全然分からない」(同日)などとぼけてみせた。5月に入り、久間・自民党総務会長ら与党議員団が訪米し、ローレス氏と会談。その中で同氏が「(三兆円は)細かく積み上げた数字ではない」と述べた、と久間氏は言い訳をし、三兆円というのは「(米国側の)勝手な計算」(山崎拓自民党前副総裁)だと釈明して見せ、合意の舞台裏から置いてきぼりにされてきた面々は、その額の膨大さにあきれ果て、怒る世論をなだめ、その火消しに躍起となっている。

<<防衛庁が持ちかけ>>
 ところが、こうした日本側の火消し発言を覆したのは当のローレス副次官本人であった。ローレス氏は久間氏らとの会談後に、民放テレビのインタビュー(5/5)に答え、自身の三兆円発言について「3兆円のもとになった情報は日本側パートナーから提供された」「日本の担当者は『残りの経費は海兵隊のグアム移転費用の二倍だ』と話していた」と暴露したのである。すなちこの巨額負担は、防衛庁が米国に持ちかけていたわけである。
 米軍のグアム移転費の総額は約100億ドル(約1兆1500億円)、日本側はそれ以外の在日米軍再編経費はグアム移転費の二倍と言ったので約200億ドル(約2兆3000億円)、プラス、グアム移転費の日本負担分約60億ドル(約7000億円)、しめて総額では約260億ドル(約三兆円)になるという計算である。米側の「勝手な計算」どころか、日本側が提示した負担額をもとにした数字であった。言い訳と火消し発言をしていた連中は、これをどう説明するのか、見ものであるが、負担額を提示した防衛庁責任者の額賀長官は、この期に及んでも「ハッキリした数字は分からない」、「2兆円も3兆円もかからない」などと逃げ回っている。ほころびが目立ち始めた小泉デタラメ・追随外交極まれりというところである。
 問題は、この米軍再編は、アメリカ側がアメリカ側の都合で始めるものであって、ラムズフェルド長官自身が言うように、日本側はその補完役にしか過ぎない、その補完役でさえ違憲行為であり、本来、日本側は一切負担する必要のない再編である。ベトナム紙クアンドイ・ニャンザン5/3付が「今回の移転は米軍の世界的な再配置計画に基づくものなのに、費用負担の多くが日本に押し付けられた」と述べ、「米軍がドイツから撤退した時には、ドイツはまったく金を負担しなかった」と指摘している通りである。
 さらにその上に問題なのは、この3兆円負担を撤回するどころか、安倍官房長官は「しかるべき予算措置が必要になる」とか言い出し、そのための「臨時増税」案まで浮上させていることである。果たしてこんなことが許され、押し切ることが可能なのかどうか、ここでも小泉政権は岐路に立たされていると言えよう。

<<「最初はグー」>>
 こうした事態の進行は、小泉政治凋落への明らかな変化の兆しをもたらし始めている。
 その端的な象徴が、4/23の衆院千葉7区補選の結果であった。ニセメール問題で、民主党が圧倒的に不利とみられていたにもかかわらず、そして共産党の独自候補の存在にもかかわらず、自民党を制して民主党が当選を獲得したのである。
 「最初はグー、サイトウケン!」などといった政策そっちのけの“ジャンケン選挙”は、小泉政治の本質を露呈した程度の低さを選挙民に知らしめ、ひんしゅくを買わせただけであった。遅すぎたとはいえ、ようやく選挙民をなめきった小泉政治に鉄槌が下され始めたのだともいえよう。
 そしてこれは千葉に限らず、米軍再編で問題となっている山口県岩国市と沖縄県沖縄市の市長選でも、米軍の部隊移転などに反対する候補を当選させた。米国に追随することしか考えていない小泉政権に対する、住民の怒りの結果である。
 ごく最近のフジテレビ「報道2001」の世論調査(5/4調査)でも、民主党の支持率が28.8%となり、自民党を0.8ポイント上回っている。民主党が自民党に逆転したのは昨年7月以来のことである。そして小泉首相の支持率も45.4%に落ち込み、不支持はこれより1.0ポイント多い46.4%で約3カ月ぶりに不支持が支持を上回る、逆転現象である。
 明らかに流れは変わり始めたと言えよう。あせりだした小泉政権は、首相が退陣する9月までに、あらゆる悪法を一気に成立させようと目論みだしたが、政府与党にとっては諸刃の剣でもある。
 すでに政府与党は、犯罪の合意があれば、実行行為がなくても処罰可能とする「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法等「改正」案を審議入りさせ、教育基本法改悪案は、会期末まで実質一カ月半という時期に提出し、特別委員会を設置して、強行採決の構えである。改革の総仕上げと称する行革推進法案、改憲準備の国民投票法、防衛庁の「省」への昇格法案、等々、悪法の目白押しである。首相が「私も引き際を大事にして任期まで逃げることなく頑張りたい」という、実態がこれである。
 あらゆる反小泉勢力を結集した野党側の徹底した反撃こそが要請されている。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.342 2006年5月20日

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【投稿】「負け組ゼロ」で、競り勝つ

【投稿】「負け組ゼロ」で、競り勝つ
                    —-千葉7区補選雑感——
 
 衆院千葉7区(松戸市北部、野田市、流山市)補欠選挙は4月23日投開票され、民主党公認の前千葉県議、太田和美氏(26)が、自民党公認の前埼玉県副知事、斎藤健氏(46)=公明党推薦=ら4氏を破り、初当選した。この選挙の勝因なりについて、少し考えてみたい。
 当初自民党は、民主党の「メール問題」での混迷もあり、楽勝ムードそのものであった。自民党候補の斉藤氏は安心しきってか、当選後の秘書探しまで始めていた、との話もあるぐらいである。しかしながら、「小沢自民党」の誕生以降ムードが一変し、自民党が危機感を持ち、武部幹事長が先頭になって「小泉チルドレン」の連日の動員や、訳のわからない「じゃんけんパフォーマンス」を繰り広げたのは、ご存知の通りである。

<上滑っていた自民党選挙>
 この選挙での自民党選挙の特徴は、パフォーマンス型選挙とよく言われている。しかし、厳密に言うならば中央指導型選挙+パフォーマンス型選挙であろう。
 自民党は国会議員、秘書集団に対し、厳しい動員体制をとった。おかげで主要駅の駅頭は、自民党の秘書集団に占領され、民主の側は、人はいるが目立ちたくても目立てないぐらいであった。選挙区で一番大きな、「新松戸駅」のある日の光景を再現するならば、武部と小泉チルドレンが駅のまん前に立ち、それを取材する報道カメラと、チルドレンと写真を撮りたい高校生がワーワーと騒ぎ、黒山の人となっている。もちろん候補は、そこになおらず、政策の訴えは無しという状況である。共産党系は、駅前でがんばってはいるものの、本当に高齢化が進み、年齢からして70歳以上の活動家のみが頑張っている感じである。 民主は前述の通りである。
 このような光景が連日各駅で行なわれた。ある自民党のビラまき要員(国会議員秘書)に聞いたところ、武部幹事長の指示で夜の12時まで帰れないと、我々に愚痴をこぼすありさまである。またある駅では、女性の秘書も駆り出され、夜の11時半過ぎまで黙々とビラをまいている。おもわず、こんなにしてまでも…..。と思ってしまうぐらいである。
 でも、なにかおかしい。いつもビラまきをする地元の商工業者や農家のおばちゃんがいないのである。居るのは地元とは関係のない自民党の国会議員や秘書ばかり、こんな選挙は初めてである。おかげで今までの千葉の選挙と比べ、お行儀は、いいのだが。
 全てがこんな調子である。この流れの中で、武部のくだらないパフォーマンスが連発されていくのである。

<公明党ー創価学会の異常な熱意>
 地元の公明党ー創価学会は当初、自民党斉藤候補には、あまり乗り気でなかったと聞く。前回の知事選では、公明党は堂本知事推薦、自民党は森田健作を推薦と対立、結果として僅差で堂本が勝った。しかし自民党は、次期知事選をにらみ、ことごとく堂本知事と対立、男女共同参画問題や障害者福祉では、公明党がアグレマンを与えた条例を葬り去ったのである。このことに公明党が面白いわけはない。千葉県段階では自民党と公明党のギクシャクした関係が続いていた。しかし、そこは公明党ー創価学会である。中央からの一声で「反小沢」一本で結束、終盤に浜四津や創価学会婦人部長も現地入りし、相当な梃入れをした。
 その結果、出口調査では、公明党支持者のなんと97.4%が自民党斉藤候補に投票したのである。
 また、選挙のさなかに太田候補は、元「キャバクラ嬢」という週刊誌報道が突然始まりだした。世間では、太田候補がすぐに認めたことで、かえって庶民性をアピール出来た、などと言っているが、実際、そんなに甘くは無い、地元を走る常磐線、千代田線には「週刊文春」と「週刊新潮」のつり革広告が並べられ、真っ赤な字体で「キャバクラ嬢」と大宣伝している。まさに「走る怪文書」といった感じである。
 また駅頭では、中年の女性が通りすがりに「キャバクラ嬢のところかい」と捨て台詞をはいていく。そんな姿を見るときに、職業やその人物の過去により、自分より下のものとして決めつけ、差別する姿が垣間見えた。
 ボディブローとして、前述のような女性層のある部分には、効果があったかもしれない。このネガティブは、当たっているかどうかわからないが、創価学会女性部対策で、小泉官邸筋が流したのではないかと思うくらいである。

<この地域の特殊性ー社民投票のゆくえ>
 出口調査によれば、社民支持者の7割が太田候補に投票している。実際の票数はともかく、社民票をまとめ上げたのは事実である。この地域、特に、野田・流山地区は伝統的に社会党の強かった地区である。ご存知の方もいるかもしれないが野田の地は、戦前の労働争議の中で、218日の長期ストと同盟休校など家族ぐるみ地域ぐるみの争議を戦った有名な「野田醤油争議(後のキッコーマン醤油)」の地である、戦後も革新首長や社会党の国会議員、各地方議員を多く生み出している。現在も衰えたにせよ、底流としては残っている。その力を小沢民主党は、うまく取り込んだ。社民系の地方議員も太田支持で動き、一定の集票につながった。民主党が前原党首だったら、労組関係、社民グループは、寄りつきもしなかったに違いない。

<政権獲得に向け大同団結を>
 新聞では、9.11の小泉旋風とは逆に、小沢民主党が、マスコミをうまく利用し、無党派の流れを作ったと評価している。それもその通りだと思う。しかし、底流で何があったのかが大事である。格差の拡大という中で、太田候補がキャッチコピーにした「負け組みゼロ」という言葉が自民党との対抗軸となり、また一方では、小沢民主党が自民党支持母体まで食い込み、また前原時代に疎遠となった労組との関係を修復するなど、ウイングを左右に広げたこと、このことが、今回の選挙総括の一番大事な部分だと私は考えている。そうであるならば、政権獲得への道はおのずと見えてくる。民主党が前原の時のような、つまらない自意識をすて、大同団結の要になることである。
 格差拡大、小さな政府路線を推し進める小泉路線との対決を、ただ一つの結集軸に据えて、市民派や社民グループとも連携し、また右では国民新党などとも連携する。そのような大きな絵の下書きが出来たとすれば、意味のある選挙結果だったのではないだろうか。 (千葉県在住 A)

 【出典】 アサート No.342 2006年5月20日

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【投稿】問題あり、原発新耐震設計指針案

【投稿】問題あり、原発新耐震設計指針案

<<「問題はなかった」>>
 原発震災への画期的な警告となった、去る3月24日の金沢地方裁判所の志賀原発運転差し止め判決の、その激震ともいえる影響が具体的に及び始めてきている。
 国の原子力安全委員会は、あの判決以来、耐震指針検討分科会をこれまでになく頻繁に開催し、この4月28日には、原子力発電所の新しい耐震設計の指針案を取りまとめ、「28年前に策定された指針が全面的に見直されたのは初めて。想定して備えるべき地震の揺れ(地震動)は従来より2、3割強まる見通しで、既存の原発55基にも適用される。電力会社は「余裕を持ってつくっているので、大規模な補強は必要なさそう」とみるが、正式に決まる今夏以降、原発によっては補強工事などが必要になる。」と各紙で報じられている。
 それによると、指針案は、原発周辺の活断層の有無によって二つの対策を示し、活断層が近くにない原発では、一律に決めていた「直下型でマグニチュード(M)6・5」の耐震基準を廃止する。代わりに各原発ごとに、地盤など立地条件を十分に考慮し、現行を上回る地震を想定するよう求め、原発近くに活断層がある場合は、考慮すべき断層を、これまでの五万年前から十二万-十三万年前までさかのぼり、調査するとしている。これらによって、実質的には指針強化といえる、とされているが、果たしてそうなのであろうか。
 一方、電力業界は、M6・8程度の地震を目安に耐震設計をしてきており、電力各社は「大規模な補強は不要」としている。
 そもそも、原子力安全委員会は、金沢地裁判決当日、「金沢地方裁判所において、志賀原子力発電所2号機の運転差止請求に対する判決が言い渡され、北陸電力(株)側が敗訴したとの報告があった。・・・原子力安全委員会は、耐震設計審査指針に基づき、北陸電力㈱志賀原子力発電所の安全審査を行い、耐震設計に関する基本的な方針が妥当なものであると判断したものであり、安全審査に問題はなかったと考えている。」という、判決を真摯に受け止める態度がまるで感じられないコメントを発表するような機関である。

<<「業界側の見解を指針に」>>
 原子力安全委員会のホームページの<原子力安全委員会について> によると、「原子力安全委員会は原子力基本法、原子力委員会及び原子力安全委員会設置法及び内閣府設置法に基づき設置されています。文部科学省、経済産業省等の行政庁からの独立性や中立性が保たれるよう、内閣府に置かれています。原子力安全委員会は、内閣総理大臣を通じた関係行政機関への勧告権を有するなど、通常の審議会よりも強い権限を持っています。 」と自らを規定している。
 ところが、4/20付け毎日新聞報道によると、「原発の耐震指針見直しを進める国の原子力安全委員会・耐震指針検討分科会の委員の過半数が、業界団体「日本電気協会」の専門部会などの委員を兼任していることが分かった。新指針案には同協会のまとめた報告が多数反映され、作成者自ら審査して業界側の見解を指針に盛り込んでいる形。金沢地裁判決で直下地震の想定規模が小さいとして、志賀原発2号機の運転差し止めが命じられたが、専門部会の報告を基に大幅な引き上げはしない方向で、分科会の中立性が問われそうだ。」とし、「同分科会は、地震や原発などの専門家19人で構成する。議長役の主査を務める青山博之・東京大名誉教授ら9人が、日本電気協会の原子力発電耐震設計専門部会(28人)の委員を兼任し、青山氏は専門部会でも主査を務めている。また、7人(うち5人は専門部会も兼任)が同協会の原子力規格委員会・耐震設計分科会の委員をしている。新指針案には、原子力安全基盤機構など複数の組織の報告が盛り込まれているが、同協会の報告が16件で最も多く反映されている。」という。
 こうした兼任について青山主査は「問題だと思われても仕方がない。ただ、主査を引き受ける際に、原子力安全委員会の事務局から『差し支えない』と言われた」と話している。始めから独立性もなく、中立性さえ疑われる委員会の構成なのである。
 これに対し、同分科会で「事前の規模予測は難しい」と報告した産業技術総合研究所の杉山雄一・活断層研究センター長は「業界の人たちが都合のよい情報だけを組み合わせている。地域によって違うが、鳥取県西部地震が起きた山陰地方ではM7.3を想定すべきだ」と話している(同4/20付け毎日)。

<<「原子炉施設立地面の変形」>>
 同じく、同分科会の3/28に開かれた第41回会合で、一貫して「原発震災」の危険性を解明し、訴え続けてきた神戸大学・都市安全研究センターの石橋克彦教授は、以下のように問題を提起し、警告を発している。
 a.海岸でメートル級の地震時地殻上下変動を伴うM 7 級以上の大地震は、日本列島の各地で発生の可能性がある(日本海側も北海道から山陰まで過去の実例が多数ある)。
 b.その場合、実際の地震では、くい違い量が断層面上で不均一だから(アスペリティの存在)、地震基盤における静的変形は・・・はるかに凸凹し(短波長の不均質)、その上の地盤の性状によっては、原子炉施設立地面の変形を否定できない。
 そしてこの「原子炉施設立地面の変形」について、中国電力島根原子力発電所(松江市鹿島町)立地近くで、これまで見逃されてきた活断層が新たに発見されている。5/6付け中国新聞によると、5/5に広島工業大や広島大など六大学でつくる共同研究チームは、島根原発から約十二キロ南東にある川部地区で北東から南西の方向に伸びた逆断層で、約五十五センチのずれを認めたという。
 この活断層について、中国電力側は「国の安全審査基準である、五万年前以降の活動を示す証拠を見つけていない」として考慮すべき活断層に加えていない。こうした態度について、チームの中心である広島工業大環境学部の中田高教授は「調査で活断層が見つからなかったから『存在しない』と断定するのは困難」などと、これまでの中電の調査を批判している。これに対し、中電島根原発広報課は「第三者の調査であり、結果自体を把握していないのでコメントできない」という態度である。

<<「日本中のどの原発も」>>
 島根原発に限らず、日本列島に位置する商業用原発(原子炉五一基)のほとんどが、大地震に直撃されやすい場所に立地していることは明らかであろう。石橋教授の言うように、「日本海東縁~山陰の地震帯の柏崎刈羽・若狭湾岸・島根、「スラブ内地震」という型の大地震が足下で起こる女川・福島・東海・伊万、東海巨大地震の予想震源域の真っただ中の浜岡などである。原子炉設置許可の際、過去の大地震や既知の活断層しか考慮していないが、日本海側などでは大地震の繰り返し年数が非常に長いから、過去の地震が知られていない場所のほうが危険である。 」
 さらに「活断層が無くてもマグニチュード(M)7級の直下地震が起こりうることは現代地震科学の常議であるのに、原発は活断層の無いところに建設するという理由でM6・5までしか考慮していない。しかも実は、多くの原発の近くに活断層がある。最近、島根原発の直近に長さ8キロの活断層が確認されたが、中国電力と通産省は、それに対応する地震はM6・3にすぎないとして安全宣言を出した。しかし、長さ八キロの活断層の地下でM7・2の1943年鳥取地震が起こって大災害を生じたような実例も多く、この安全宣言は完全に間違っている。 」
 「要するに、日本中のどの原発も想定外の大地震に襲われる可能性がある。その場合には、多くの機器・配管系が同時に損傷する恐れが強く、多重の安全装置がすべて故障する状況も考えられる。しかしそのような事態は想定されていないから、最悪のケースでは、核暴走や炉心溶融という「過酷事故」、さらには水蒸気爆発や水素爆発が起こって、炉心の莫大な放射性物質が原発の外に放出されるだろう。」
 これは原発震災の地獄図の始まりとして、石橋教授が警告するものである。原子力安全委員会の動きを厳しく監視していくことが求められていると言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.342 2006年5月20日

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【書評】『人間科学の新展開』

【書評】『人間科学の新展開』
    (滝内大三・田畑稔編、2005.10.10.発行、ミネルヴァ書房、2400円+税)

 地球的規模の環境問題が意識され、それに応じた新たな知的探究・学問の分野が成立、進展するにつれ、これを探究する人間自身もまた新たな探究の対象となっていくことが、反省的意識として認識されてきた。いわゆる科学(自然科学)の対象とされてきた客体としての人間を超えて、その客体との関係を含み込んだ人間存在そのもののあり方が探究の対象となってきたのである。一方において近代自然科学の成果を踏まえつつ、他方においてその成果自体の意味をも問う視点が議論されるようになったのである。

 「人間科学」はこのような状況の中に姿を現わした。それ故それは現在のところ、まだ模索の域を出ていない部分を含むが、しかし人間の全体像を捉える知の営みとして注目されている。本書はこの一つの試みである。

 本書は、「Ⅰ シンポジウム『人間科学の新展開』」と「Ⅱ 人間科学のプロジェクト」の2部から構成されており、前者では人間科学の理論的構築の視点・可能性が探られ、後者では人間科学の諸分野での個別的実証的研究が展開されている。

 第「Ⅰ」部、「1.人間科学とは何か–その対象・方法・組織・課題をめぐる諸論点」(田畑稔)では、人間科学を「鳥の目」で見て、いくつかのモデルに整理することで人間科学のイメージを示そうとする。それによれば、人間科学は歴史的には、人文諸科学(humanities)、人間学(anthropology)、人間の科学(the science of man)などと用いられてきたが、19世紀以降ではもっぱらthe human sciences という語が使用されている。しかしその内容とするところが多様な上に、「自己認識的な科学」であるので、必ずしも一定していない。そこでこれを6つのモデルで分類することを提案する。すなわち(1)便宜系人間科学モデル(以下「人間科学モデル」を省略)、(2)自然系、(3)還元系、(4)自律系、(! 5)総合系、(6)応用系、の諸モデルである。

 このうち(1)は学部学科名称としてのみ意味を持つものであるので除外されるが、(2)は「自然科学の総合、あるいは自然存在としての人間に関する総合科学」を、(3)は自然科学以外との分業的共存を拒否し、自然科学的方法による人間科学を目指す。これに対して(4)は「自然としての人間」を対象から除外して、「人間を自然から区別させるゆえんのもの」を括ることで自然科学からの自律を主張する。また(5)は人間についての総合的研究として、生物的と文化的、ミクロとマクロ、生成と構造,個人と社会、中心と周縁等々の「総合」を試みる。最後の(6)は「産業的実践や日常生活実践における実用価値(Human Well-being)の実現を目指して、自然科学を含む諸科学を応用する」とされる。

 そして著者は、21世紀の課題への人間科学の挑戦として、上記のそれぞれの人間科学の展開が問われると同時に、「アソシエーション革命」の可能性についての人間科学的な吟味と、(4)との関係で「フーコーの人間科学批判」の視点の参照が要請されているとする。

 「2.人間科学の可能性を探る」(太田裕彦)では、人間科学に含まれている基礎科学(「人間とは何か」を問う)と応用科学(「人間を幸せにする科学」)との区別と連関、個別科学と学際科学の進展から人間科学の可能性が探られる。

 「3.構造構成主義–人間科学の新たな認識論の理論的・実践的射程」(西條剛央)では、複合領域にわたる人間科学にかけられた「呪」–現状の人間科学の組織で生じている基礎と臨床、生物学者と社会学者、方法論的、認識論的な諸対立–を克服する手段としての「人間科学のメタ理論」が提唱される。それは、「哲学的構造構成」と「科学的構造構成」という二つの営為領域とこれら双方にまたがる中核原理としての「関心相関性」による「構造構成主義」の視点とされる。すなわち「自分の関心を対象化することによって、自分が感じ取っている価値や意味を相対的に(より客観的に! )捉える」「関心相関」を通じて、信念対立の解消と科学的知の生産が可能になるとされる。

 第「Ⅱ」部においては、上述の田畑論文の(6)にあたる人間科学が様々な側面で展開される。それらは大まかには〔身体〕〔いのち〕〔若者〕〔ジェンダー〕〔ヒーロー〕といった項目に分けられているが、それぞれに興味深い内容を持っている。

 例えば〔いのち〕では、「人間らしい生と死を求めて」(平等文博)は、「他者との関わり」と「自らの生と死」の二つの契機を統合する視点で「人間らしさ」を考えることが必要であるとして、「人は死して土に還るのであればその土との関わりにおける生き方を、また人は死して人びとのうちに還るのであればその人びととの関わりにおける生き方を、死という現実と向き合う中で問い返す必要がある」と問いかける。

 〔若者〕では、「荒れる成人式をめぐって–マヤの若者と日本の若者をめぐる比較文化的考察」(桜井三枝子)が、グアテマラの成人への通過儀礼との比較において、日本の戦前~戦後~高度成長期において子どもの位置づけが変化し、子どもが「生産財」から「消費財」、管理の対象へと、そして森岡正博のいう「自己家畜化」へと移っていったことが指摘される。

 また「大学生の携帯電話と携帯メールの利用に及ぼす心理的要因の分析」(松田幸弘)は、携帯電話・メールの利用実態を心理的要因、個人的属性、社会・経済的状況等の実証的な調査データをもとに考察を加え、大学生にとって携帯電話・メールがすでにライフスタイルを構成する必須アイテムとしてのコミュニケーションツールであり、孤独感の解消と親密感の形成に加えて、人間関係の維持・強化に重要な役割を果たしていることを解明する。

 そして〔ジェンダー〕項目の「子育てを楽しむ–子育ての現状と展望」(市川緑)、「少女小説に見るウーマンヘイト」(小川直美)、「ドイツと魔女」(大槻裕子)等の諸論考は、いわゆる「近代自然科学」の男性性を突く様々な素材を与える。

 以上見たように、本書は「人間科学」をめぐる諸問題を改めて諸レベルにおいて焙り出してくれるものである。ただ第「Ⅰ」部での理論的考察と第「Ⅱ」部の個別的実証的考察との間に必ずしも統一性の取れていない側面=「鳥の目」と「虫の目」の食い違い、関心の焦点が分散している部分が見受けられるのが難と言えば難であるが、このことはかえって「人間科学」の置かれている現状と直面している課題を象徴しているものと解することができよう。より重要なことは、人間の知的な営みの諸アスペクト(哲学知、科学知、技術知、日常知)をその区別と連関を踏まえてより総合的な地平へと導くことであり、「人間科学」の様々な試みは、その一環として評価されるべきであろう。(R)

 【出典】 アサート No.342 2006年5月20日

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【コラム】ひとりごと–筆坂氏の日本共産党批判–

【コラム】ひとりごと–筆坂氏の日本共産党批判–

 日本共産党元参議院議員の筆坂秀世氏が、新潮新書から「日本共産党」を出版した。私も近所の本屋で買おうとしたが、見当たらない。ベストセラーというわけでもないのに、本屋を2,3軒のぞいたがないのである。やっとのことで、大阪難波のジュンク堂書店で購入できたのが連休中のこと。昔の公明党=創価学会の出版弾圧みたいなものか、買占め指示でも出ているのかな、とも思ったものである。(ここでも、残り2冊であったが・・・)
 中身と言えば、それほど刺激的でもない。むしろ、日本共産党の生身の姿を明らかにされているのであって、決して「批判の書」という程ではない。まだまだ愛情たっぷりの内容なのだ。それがまた、共産党指導部には頭に来たらしく、赤旗には、例によって「党に敵対する転向者」と決め付けた批判文章を3回も出している。
 ということは、この程度の内容でも、かなり大きな影響を及ぼす「危険文章」ということになる。減少する赤旗購読数、党員数、支部数、遅配が常態化した専従者給与問題、不破と志位の対立、しゃんしゃん党大会などの党機関会議の実態、一部幹部の独裁体制などなど。むしろ、これらは「改善」「改革」の課題であって、党内議論として、きっちり展開されるべき内容でもあろう。
 セクハラ問題の不明瞭な経過から発言を封印され、「プライド」を回復するための離党であったと筆坂氏は述べる。一連の経過の中で、多くの党員から励ましも受けたとも記されている。当然、本書を読んだ党員からは、同感だとの声も出ていることだろう。そんな思いが党内に広がる事を党幹部は恐れているのだろう。
 本書では触れられていないが、ネット上ではセクハラ発覚から議員辞職に至る過程においての党内手続きの不明瞭さや、内部告発FAXを巡るドロドロした背景などが溢れている。筆坂氏は、このような内容には一切触れることなく、自己弁護も党批判もされていない。「愛情たっぷり」と表現したが、筆坂氏の論説には、「なぜ現役時代に問題提起できなかったのか」と、反省の言葉も含まれていて、人柄も分かろうというものである。兵本達吉という元共産党国会議員秘書の書いた「日本共産党史」を読んだ印象とは大違いである。(自慢話と右派的批判ばかりの内容)
 かつては、明確な党内議論において、反対派に対し「反党分子」や「裏切り者」と決め付け、弾圧すれば良かったのだろう。しかし、そうした激動の時期は過ぎ、筆坂氏のような犠牲者が、疲れ果てて離党し、醒めた目で見つめて始めて意見を公表するというご時世である。陰鬱なる政党が衰退する過程はすでに急勾配に差し掛かっているのだろうか。(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.342 2006年5月20日

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【投稿】小沢民主は小泉自民との違いを打ち出せるか

【投稿】小沢民主は小泉自民との違いを打ち出せるか

<<自己崩壊した前原体制>>
 民主党の前原党首はついに就任六カ月目にして辞任に追い込まれることになった。いったい民主党の前原体制とは何であったのか?
 前原氏は代表就任直後から、自民党と競い合うかのように「憲法改正必要論」をぶち、憲法九条第二項の戦力不保持規定の削除や集団的自衛権の行使を主張、訪米するや「ブッシュ-小泉」の「日米同盟」路線を強力に支援し、小泉政権以上に中国脅威論を唱え、韓国と対決する姿勢を誇示し、小泉首相からは「憲法でも安全保障でもかなり自民党と似ている」として大連合構想まで持ちかけられ、内政においては、新自由主義路線・規制緩和路線という小泉政権と同じ基盤に立った「改革競争」を宣言し、「対決」ではなく、「対案」路線を打ち出し、これらのいずれもが途中挫折、修正を余儀なくされ、最後には拠り所をなくして、偽メールに飛びつき、ガセネタ問題で1カ月半以上も事態を収拾できず、責任を放棄し、ついに執行部全員の総辞職により、自己崩壊してしまった、というのが真相であり、実態であろう。こうした経緯は、この間、小泉首相本人の無責任体質によって低められ、もともと高くはなかった日本の政治への信頼度をいっそう低下させた、その責任の重さが問われてしかるべきであろう。
 さてその後に登場した小沢一郎氏を党首に選出した民主党の新体制は、こうした事態をいかに打開するのか俄然注目を浴び、小沢代表選出後の4/7-8の共同通信調査によれば57.4%の人が「小沢民主党に期待する」と答え、最も望む課題として「自民党との違いの明確化」を挙げた人が43・8%に達し、小沢氏を含めてメール問題でもたついた民主党執行部への評価は依然厳しいものの、民主党支持率は2月下旬当時の11・3%のどん底から、19.9%へと持ち直し、対照的に小泉内閣の支持率が47・2%と、今月1、2両日の前回調査より7・3ポイントもダウン、昨年8月以来の50%割れとなっている。しかしそれでも72.7%の人が「政権交代が実現するとは思わない」と答えている。

<<「うんうんうん。そんなところだ」>>
 確かに民主党に小沢一郎新代表が誕生したことによって、政界を取り巻く空気は大きく変化し、民主党への期待度は高まり、逆に小泉政権と、小泉後を目指す安倍氏を始めとする自民各派にとっては安穏としておれない状況をもたらしたといえよう。
 問題はまさに、小沢民主がいかにして「自民党との違いの明確化」を打ち出せるかにかかっているといえよう。
 その点について小沢新代表は4/10のマスコミ各社とのインタビューで、次のように語っており、小泉政権との違いを打ち出そうとはしており、そのことは過小評価すべきではないが、現段階ではこれ以上のものでもなく、それ以下のものでもないというところにその中途半端さがうかがえるのではないだろうか。
 ――靖国神社参拝問題に関する小沢氏の考えは分祀(ぶんし)論とは異なるのか。
 「(A級戦犯は)戦場で亡くなった戦死者ではないから、間違いを正せということだ。(戦没者をまつるという)本来の靖国の姿に戻したい」
 ――間違いをやっているところに、首相は参拝すべきではないと。
 「そうだ」
 ――前原誠司・前代表は「中国脅威論」を唱えていた。
 「日本国民にとって『脅威だ』と政治家が口にした以上、それを取り除かなければならなくなる。だから、小泉首相でさえ(脅威論を)言っていない」
 ――小泉首相は郵政民営化法案の反対者を公認しない手法を取った。
 「その一点では正しかった。郵政民営化を公約して自民党総裁に当選しており、反対する方が自己矛盾だという論理は正しい。私だってそうやる」
 ――非自民、非共産で選挙協力していくのか。
 「選挙協力かどうかは別だけど、共産党だけいらないと言う必要はない。反自公、非自公が過半数を取るかどうかだ」
 ――「ニュー小沢」は純化より融和を少し大事にするということか。
 「うんうんうん。そんなところだ」

<<「自分も変わらなくてはならない」>>
 小沢氏は「自分も変わらなくてはならない」というセリフで代表選を制したのであるが、どう変わるか、何をどう変えるかという肝心かなめの点、単にその横柄で独裁主義的な姿勢やだまし討ち的な裏工作主導の姿勢を変えることも確かに必要ではあろうが、最も決定的な政策面では、小沢氏の考えははっきりしていないし、はっきりさせることが出来ないのではないかという疑念である。もちろんたとえそうではあっても、与党・政治権力の無責任体制と堕落、腐敗、失政をきびしく批判・追及し、過ちを正すことが野党の重要な役割であり、責任でもあり、これまでの民主党にはそれが欠けていたことからすれば、その点で民主党が大きく変わるとすれば大いに評価できよう。
 しかしそれでも問題は、小泉政権に対して基本的な政治理念で対決できる政策を提示できるかどうかにかかっているが、小沢氏のこれまでの日米同盟、規制緩和と自己責任確立、小さな政府・官僚支配の排除などの主張と政策においては、小泉自民と大差はないし、これらの点において本質的な相違を打ち出せなければその政治的リーダーシップは旧態依然たるものに陥ってしまうものといえよう。
 確かに小沢氏は、4/7の代表選の際の演説で「一部の勝ち組だけが得をするのは自由ではない。民主党の目指すべき社会は、黙々と働く人、努力する人が報われる公正な社会だ」と述べ、これまでの小沢氏本来の新自由主義的な規制緩和論や自己責任論とは、明らかに異なる論点に政策対立の軸足を移そうとしていることは評価できよう。
 そしてまた、小沢氏が他の野党勢力との連携について、共産党をも含めて「自民党、公明党の政権では駄目だという人たちとは、どなたでも協力する。当たり前のことだ」という姿勢を明確にしたことも大いに評価できよう。具体的な連携の努力を注視したいところである。

<<「デモさん、ストさん」>>
 折りしもイタリアでは、小泉首相とは政治スタイルにおいても対米追随においても極めて近く、相似形でもあった極右ベルルスコーニ政権がついに敗北した。5年ぶりの政権交代である。全野党が「オリーブの木」以来の野党左派連合・「ユニオン(連合、団結)」という「統一戦線」を形成して、野党統一候補が与党連合を打ち破る成果を勝ち取った結果である。5月には、イラク戦争について「不正で正当化できないものであった」とし、「戦争はテロを封じ込めるどころか、それを激化させるのに貢献しただけだ」と批判し、「わが軍隊を撤退させ、再建を援助する民間部隊を派遣する」との方針を示しているブロディ政権が発足する。
 そしてフランスでは、首切り自由な不正規雇用を全面的に拡大しようとした新雇用制度に対して、高校生や大学生から始まった大規模なデモとストライキ、それに連帯し、自らの問題として立ち上がった労働組合のストライキの決行とデモによって、この新雇用制度の撤回を勝ち取っている。歴史的な意義深い勝利だと言えよう。
 このイタリアとフランスの事態の進行が示している貴重な教訓は、最も重要な国の進路にかかわる戦争と平和の問題、新自由主義の横行による富の一極集中と格差拡大、社会保障の削減、基本的人権と社会的民主的諸権利の制限と抑圧に対抗して、労働者と庶民の権利を擁護する広範な連帯と連合、統一戦線、そして直接民主主義の発露であり、権利行使の具体的形態でもあるデモとストライキに象徴される大衆運動こそが民主主義の根幹を支え、展望を開くことが出来る唯一の道であるということであろう。
 ところがこうした動きを報道する日本のマスコミでは、4/2付け朝日に示されているように、冨永格パリ支局長の、「重要政策が街角で揺らぐ風土も健全といえるのか」などとして、「デモさん、ストさん」「フランスの階級闘争」を不健全なものとして冷笑し、軽蔑、揶揄する記事を平気で掲載する程度の低さである。共産党をも含めて、日本の野党勢力がこうしたマスコミの世論誘導に流されずに、大衆運動をもって小泉政治と対決することこそが望まれているといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.341 2006年4月22日

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【投稿】米軍再編の足下揺るがす民衆の反発

【投稿】米軍再編の足下揺るがす民衆の反発

<基地押しつけ進める政府>
 在日米軍再編の最終報告を自治体、住民の反発で、予定の3月末までにまとめることが出来ず、メンツを潰された形となった日本政府は、ますます強引な方法で基地を押しつけようとしている。 
 暗礁に乗り上げていた普天間基地の代替施設建設問題は、V字型に2本の滑走路を設ける「新沿岸案」で政府と名護市が4月7日合意した。15年の使用期限を設けた上で軍民共用施設の辺野古沖建設を求め、それ以外の案では県外移設を主張していた、沖縄県の稲嶺知事も態度を軟化せざるを得なくなっている。
 これにより議会も含めた両自治体トップレベルでの抵抗は、弱まらざるを得ないが、地域住民による反対の声は衰えを見せていない。地元メディアの県民世論調査では7割が「新沿岸案」に反対を唱え、普天間基地を抱える宜野湾市も強い反対姿勢を崩していない。
 また名護市が同意を取り付けたとしている飛行予定コース下の「地域住民」も、一部の有力者のみであることが明らかになり、頭越しに決められた市民からは島袋市長の辞任やリコールの声も出ている。今後名護市、沖縄県とも政府と市民、県民の板挟みとなり,苦しい立場に追い込まれることは必至の状況となっている。
 一方、日米両政府は着々と再編計画を具体化し、「新湾岸案」を既成事実化しようとしている。4月14日の日米審議官級協議では、普天間に配備されている12機の空中給油機を岩国基地に移転させ、訓練は航空自衛隊鹿屋基地(鹿児島県)などを使用することで合意した。合併前の旧岩国市は先月の市民投票で、空母艦載機移転反対が示されたばかりである。しかも昨年の中間報告では空中空輸機の移転先は鹿屋が有力視されていたのである。今回の決定は地元の意向を無視したものとして、新岩国市長選挙で再度民意が示されることとなった。

<拡大する不安定地域>
 そもそも在日米軍再編を含む世界規模での軍事再編(トランスフォーメーション)の目的は、アメリカの言う「新たな脅威」と効率よく戦うためであり、同盟国の負担軽減など「おまけ」に過ぎない。アジア地域では「新たな脅威」「不安定の弧」への備えとして日本、韓国、フィリピンが位置付けられている。韓国でも大規模な在韓米軍の再編が計画されているが、廬大統領の「北東アジアのバランサー」発言にみられるように、アメリカの世界戦略とは一線を画す姿勢を打ち出している。国民の間でも反米意識は拡大し、など米軍基地の地元では激しい闘争が続けられている。
 フィリピンでは、現憲法で規定されている「外国軍基地設置原則禁止条項」を削除した新憲法が年内に制定される予定となっている。スービック海軍基地、クラーク空軍基地が閉鎖されて以降、本格提起な米軍の駐留は途絶えていたが、東南アジアの「イスラム原理主義テロ組織」攻撃のため、再び重要視され始めたのである。しかし拡大する国民の経済格差などから、アメリカにとって都合の良い政情が続くとは限らない。アロヨ大統領は強硬姿勢により、イスラムや左翼の反政府勢力、野党はもとより軍の一部も回しており、再び退陣要求が拡大しつつあり、ミンダナオ島など南部では武力衝突も起こっている。
中央アジアではカザフスタンまでしか東欧から「民主化ドミノ」が波及せず、ウズベキスタンでは独裁的な政権に米軍駐留を依存せざるを得ない状況である。さらにロシアの強力な巻き返しもあって、カリモフ政権から撤退要求を突きつけられるなど、この地域は以前より混迷の度を深めている。
このように「不安定の弧」への戦略拠点が不安定になりつつあり、米軍再編の足下を揺るがしている。それ以前に9,11以降、戦火を拡大し不安定な地域を拡大させているのは。そもそもアメリカ、ブッシュ政権自体である。そのアメリカでさえ、イラクが内戦状態になるなか、国民からのイラク撤退要求が高まり、さらには退役将官からのラムズフェルド批判が噴出するなど、政権基盤は揺らいでいる。
こうしたなかで日本は世界中で最も安定したアメリカのパートナーである。イタリアは中道左派政権によってアメリカとの距離が広がるだろう。ドイツの大連立政権も社民党政権より踏み込んだ対米協調策は打ち出していない。ブレア政権も、アメリカと共に新たな戦争に踏み込む力は無いだろう。関係各国の協力が無ければトランスフォーメーションも画餅に帰すだろう。対米協力を続ける小泉政権は、国内での在日米軍再編の強行とともに、イラクからの自衛隊撤兵も先延ばししようとしている。世界の潮流に逆行する政権の継続を許してはならない。(大阪 O)

 【出典】 アサート No.341 2006年4月22日

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【投稿】規制緩和政策の打破をめざすタクシー労働者の春闘

【投稿】規制緩和政策の打破をめざすタクシー労働者の春闘

 いまや社会問題化してきたタクシー労働者の低賃金問題が国会でもとりあげられるように、タクシーの労働者状態はきわめて深刻な状況に陥っている。問題の主因は、規制緩和による増車競争、低賃金競争の激烈化にある。2002年2月1日に施行された改正道路運送法によって、タクシーの免許制は、許可制に変わり、地域ごとに規制のあった車両台数も原則増車自由になった。また運賃は、認可制度を維持したが、上限価格制の下でのゾーン運賃で、そのゾーン内であれば自由に運賃を認める許可制度となった。ゾーンを下回る運賃についても、個別に審査し、労働組合が認め、「適正」原価を満たしていれば許可することとなり、実質的に運賃自由化となった。法改正以前7000社程度であったタクシー会社数は8760社となり、約25%も増加した。増車が自由となり、会社数も増えた結果、全国でおよそ15000台も車両台数が増えた。運賃の割引競争も激化しつつあり、法人事業者の8割が深夜の割引、大口割引を始めた。
 こうした結果、乗客数の増加の見込めない状況での割引と増車によって、車両1台当たり、一人当たりの売り上げが大幅に減少してきている。その結果、ほとんどが歩合給制にあるタクシー労働者の賃金は大幅に減少を続けている。規制緩和以前の1990年の平均年収は4011500円で、全産業労働者(男性)の平均5068600円の79.1%だったものが、2004年には3079600円となり、全産業労働者の56.7%とその比率を低下させている。年収300万円以下が34道府県、250万円以下が20道県と悲惨な状況にあり、生活保護費以下は39道府県(年収ベース)と地方に大きく拡大してきている。
 こうした過当競争と賃金・労働条件の劣悪化はタクシーサービスの低下をもたらし、タクシー労働者に経路不案内による迂回走行やメーター不正操作をおこなわせ、さらに事故も増加している。警察庁「交通統計」によれば、1990年のハイタクの事故16609件が2004年には27104件と増加し、交通事故数全体との比較でも1993年を100とすると、2004年には131と大幅に悪化してきた。公共交通としてのタクシーはすでに崩壊しつつあるといっても言いすぎではないだろう。
 こうした情勢の中での2006春闘は「格差是正」と過当競争をやめさせることが大きな課題となっている。当然全産業労働者との格差を縮小させていくことはタクシー労働者にとって長年の課題ではあるが、ここまで格差拡大をもたらしたものの主因が国の規制緩和政策にあり、直ちにこれをやめさせることが第一の課題となっている。そして、国の規制緩和政策に対して場当たり的に増車し、労働者に賃金低下をもたらしているタクシー会社の経営者の姿勢を改めさせることである。
私の所属している自交総連は規制緩和政策に反対し、また安易に乗務員を増員させないために運転手のプロ化(国家試験導入による養成)をめざし、法制化を要求している。具体的には私は多くを知らされていないため(職場討議でも一切議論されてきていない)、その是非についてここでは論じないが、その導入に数年間を要するのは想像できるために、現在の苦境を脱するための即効薬としては期待はできないだろう。むしろ、多くの地方で問題になっている賃下げから『どう脱するか』ではないだろうか。
 全自交労連の調査では、地域最賃割れが多くの地域に拡大し、北海道では全道で1割、道東では3割となっている。また、年金受給者やパートの導入も多くなり、たとえ正規雇用でも賃金実態は非正規雇用者の水準にとどまっている。基幹的労働者が最低賃金すれすれにあり、また最低賃金割れも多い。「地域最低賃金を払えばいい」という経営者が、増車・低運賃競争の温床になっているという。
この賃金低下をくいとめるためには、ハイタク産別最賃の創設が喫緊の課題であろう。適正な賃金を可能にするために賃金ベースの底上げが必要であり、公正競争確保の観点からも必要である。
 幸い、規制緩和による賃金低下の国家賠償請求訴訟で全自交労連と自交総連はともに同じ立場で運動を進めてきた。産別として組織を超えて最低賃金闘争を取り組む道も可能性が大きい。個別企業での差別的な賃金実態を打破するとともに、産業別での企業横断的な賃金水準の確保こそが企業間での「公正競争」を確保するのではないだろうか。
(東京・立花 豊)

 【出典】 アサート No.341 2006年4月22日

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【投稿】原発震災への画期的な警告

【投稿】原発震災への画期的な警告
                   —金沢地裁・志賀原発運転差し止め判決—

<<驚きと衝撃>>
周知のとおり、先月の3月24日、金沢地方裁判所は、志賀原発2号機の運転差止訴訟において、「被告(北陸電力)は、石川県羽咋郡志賀町赤住地区において,平成11年4月14日付通商産業大臣許可に係る志賀原子力発電所2号原子炉を運転してはならない。」という主文の、画期的な判決を出した。
問題の北陸電力・志賀原発2号機は、老朽化した旧来型の原発ではなく、最新型の改良型沸騰水型炉=ABWRで、出力135万8000キロワットは国内2番目の大きさであり、この3月15日に国内55基目の商業用原発として営業運転を始めたばかりであった。
この志賀原発2号機に対して、金沢地裁は、1、直下地震の想定が小さすぎること、2、考慮するべき断層による地震を考慮しなかったこと、3、耐震設計の際、地震動の想定に使われている「大崎の方法」に妥当性がないこと、などを主たる理由として「電力会社の想定を超える地震動が原子炉の敷地で発生する具体的な可能性があるというべきだ」と認定し、「被告の耐震設計は、地震によって予想される本件原発周辺住民が受ける被害の内容や規模に照らして相当と評価し得る対策を講じたものとは認め難い。よって、人格権侵害の具体的危険が認められる原告らについて、その本件原子炉運転差止め請求を認容すべきことになる。」として、「原子炉を運転してはならない」という主文の判決を結論としたのである。
営業運転中の原子炉の運転差し止めや原子炉設置許可の取り消しを求めた訴訟で、原告の訴えが認められたのはこれが初めてであり、なおかつ地震動が原発運転差し止めの主たる理由として認められたのは歴史上初めてのことである。
電力業界はもちろん、原発政策を推し進める政府にとっては、この判決そのものが巨大地震の「激震」と受け止められ、その衝撃に今も揺さぶり続けているといえよう。
判決当日出された北陸電力・永原功社長名のコメントは、「今回、志賀原子力発電所2号機の安全性について、裁判における当社の主張が認められなかったことは、誠に遺憾に思う。まさに不当な判決であり、驚きをもって受け止めており、準備が整い次第、直ちに控訴したい。」と、あわてふためき、「志賀原子力発電所2号機は、今月15日に国の最終検査に合格して営業運転を開始しており、現在も安全・安定運転を継続している。志賀原子力発電所2号機の安全性は十分に確保されており、今回の判決をもって運転を停止することはない。」と、判決を真摯に受け止める姿勢までかなぐり捨てて、むしろ挑戦的でさえある。
判決の第一報を聞いた経済産業省原子力安全・保安院の広瀬院長も、「判決の内容をよく見てみないと分からないが、まったく予想していなかった」としてその驚きぶりを隠せなかったほどである。

<<「隙(すき)を突かれた」>>
3/25付読売社説に至っては、[志賀原発判決]「科学技術を否定するものだ」と題して、「原子力に「絶対安全」を求めた問題判決と言えるだろう。あり得ない状況まで想定していては、どんな科学技術も成り立ち得ない。」と反発している。しかしその一方で耐震設計審査指針について、「現在の指針は20年以上前に作られた。最新の知見に合わせて、もっと安全に余裕を見込み、分かりやすいものにすべきだ、という声は多い。」ということは認めざるをえず、「政府の原子力安全委員会は5年近く前から見直しを検討中だ。だが、専門家の間で議論がまとまらない。今回の判決はその隙(すき)を突かれた、とも言える。」と述べて、判決の根拠を逆に証明し、自身については最新の科学技術の知見の成果をかえりみない態度を暴露してしまっている。
今回の判決ははまさに、相当に詳細な最新の科学技術の知見の成果とその分析にもとづいて、「電力会社の想定を超える地震動が原子炉の敷地で発生する具体的な可能性があるというべきだ」との評価に至ったのである。
判決は、現行の原子力施設の耐震基準が、1978年に策定された古い地震学の知見に基づくもので、近年次々と発生している地震で確認された諸事実から、基準の不十分さが明確になったとして、2000年10月6日の鳥取西部地震では活断層が未確認の地域でマグニチュード7.3が観測されたが、島根原発の安全審査では直下地震としてマグニチュード6.5しか想定していないこと、2005年8月16日の宮城県沖地震は女川原発の安全審査の想定より遠くて小さい地震であったが、想定以上の揺れを観測したこと、政府の地震調査推進本部が想定する地震規模に比較して原子力施設の設置許可時の想定する地震規模が小さいこと等に具体的に言及して、安全審査で想定した地震での揺れの推定が、実態と合わないことを厳しく指摘している。
そして、これまでの原発の耐震設計について、実質的に日本にあるすべての原子力発電所、再処理工場などの核燃料サイクル施設の耐震設計に用いられ、国も妥当な方法と認めている「大崎の方法」は観測結果と整合していないことが、裁判所によって確認され、原発の耐震設計の元になる基準地震動の計算方法に妥当性がないとされたのである。
原発と地震動の関係についてこれほど詳細に論じ、分析した判決はこれまでになかったことである。

<<「積極的な反論は乏しく」>>
さらに判決は、石川県能登半島の原子炉施設立地についても詳細に言及し、「石川県が我が国の他の都道府県と比較して,地震の数が少ないことは公知の事実であり、歴史時代において記録が残されている地震で本件原子炉敷地周辺が受けたと推測される震度は、強震以上が5回、烈震以上が2回で、激震はないことが認められる。しかしながら、他方、我が国において、過去の地震活動性が低いと考えられていた地域で大地震が起こった例が珍しくはない上、むしろ従前地震が起こっていない空白域こそ大地震が起こる危険があるとの考え方も存在する。その上、前記のように、近年,東へ動くアムールプレートの存在を指摘する学説があるところ、証拠(甲717)によれば、この考え方によれば,サハリン、北海道、東北、北陸、山陰付近がその東縁変動帯に当たり、大地震の発生が予測される地域に当たるというのであるから、件原子炉敷地周辺で、歴史時代に記録されている大地震が少ないからといって、将来の大地震の発生の可能性を過小評価することはできない。そうすると、被告が設計用限界地震として想定した直下地震の規模であるマグニチュード6.5は、小規模にすぎるのではないかとの強い疑問を払拭できない。」と述べる。
さらに続いて、国の地震調査委員会が公表した原発近くの邑知潟断層帯に対する評価を詳細に述べ、「本件原子炉施設の耐震設計については,その手法である大崎の方法の妥当性自体に疑問がある上、その前提となる基準地震動S2の設計用模擬地震波を作成するについて考慮すべき地震の選定にも疑問が残るから,本件原子炉敷地に,被告が想定した基準地震動S1、S2を超える地震動を生じさせる地震が発生する具体的可能性があるというべきであり、原告らは、本件原子炉が運転されることによって、本件原子炉周辺住民が許容限度を超える放射線を被ばくする具体的可能性があることを相当程度立証したというべきである。」と結論付けている。
そして当事者、被告・北陸電力側の態度について、判決は、「これに対して、本訴において被告がした主張立証は、耐震設計審査指針に従って本件原子炉を設計、建設したことに重点が置かれ、原告がした耐震設計審査指針自体に合理性がない旨の主張立証に対しては、積極的な反論は乏しく、現在調査審議が継続中の耐震設計審査指針の改訂が行われれば、新指針への適合性の確認を行うと述べるに止まった。」と厳しく断じている。

<<全原発に共通>>
本来ならば北陸電力は、判決が提起する問題点に真剣に対処する姿勢を示し、速やかに志賀原発2号機の運転を停止し、閉鎖の準備を開始するべきなのである。ところがこれに反発するかのように「今回の判決をもって運転を停止することはない」とする態度である。これを見越したかのように、判決はこうした姿勢についても以下のように述べている。
「本件原子炉の運転は私企業の経済活動であるが、被告が本件原子炉で生産しようとしているものは電気という公共財であり、その運転が差し止められれば、我が国のエネルギーの供給見通しに影響を与えかねないということはできる。しかしながら、証拠(甲955)によれば、平成16年秋には本件原発1号機の定期検査が約2か月間延長されたが、被告の電力供給にさしたる問題がなかったことが認められるから、本件原子炉の運転が差し止められても,電力需要が伸び悩む中,少なくとも短期的には,被告の電力供給にとって特段の支障になるとは認め難い。他方、被告の想定を超える地震に起因する事故によって許容限度を超える放射性物質が放出された場合、周辺住民の生命、身体、健康に与える悪影響は極めて深刻であるから、周辺住民の人格権侵害の具体的危険は,受忍限度を超えているというべきである。」
つまり判決は、志賀原発2号機の運転を停止しても北陸電力の電力供給に何ら問題はないことを認めており、事実においても北陸電力は、電力需要の伸び悩みから、余剰電力としてほぼこの原発一機分の電力を他社に売却しているという。
判決は最後の部分で、「原子力発電所のような先端の科学技術を利用した設備や装置は、常に事故の危険を孕んでおり、その可能性を零にすることは不可能であるが、その設備や装置を設置して利用することについて社会的合意が形成され、かつ設置者が、想定される事故及びこれによって予想される被害を回避するために、その被害の内容や規模に照らして相当と評価し得る対策を講じたのであれば、それでもなお残存する危険については、社会的に許容されていて違法性がないとみる余地があると解せられる。しかしながら、既に詳細に説示したところによれば,被告の耐震設計は、地震によって予想される本件原発周辺住民が受ける被害の内容や規模に照らして相当と評価し得る対策を講じたものとは認め難い。」と述べている。
この結論は、地震列島である日本に位置するすべての原子力関係施設についても言えることである。判決が指摘する耐震設計の欠陥は、小手先で覆えるようなものではなく、日本中の全原発に共通する欠陥でもある。取り返しのつかない惨事を招かないためにも、とりわけ地震頻発の巣の中に位置している中部電力浜岡原発や六ヶ所村の再処理工場・核燃料サイクル施設は直ちに運転を中止し、閉鎖に着手すべきである。
今回の金沢地裁判決は、原発震災への画期的な警告として受け止められる必要があるのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.341 2006年4月22日

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【コラム】ひとりごと—愛国心だけが焦点か—

【コラム】ひとりごと—愛国心だけが焦点か—

○教育基本法改正案が、自公与党による協議会でまとまったという。報道によれば、自民党が「愛国心」の盛り込みを主張し、公明党が「戦時中の国家主義を想起させる」と反対し、折衷案として「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という表現にまとめられたという。○あたかも、公明党が自民党の主張を止めたかのような報道だが、マスコミ向けのポーズにすぎない。よくもまあ、非公開の会議を70回もやって、国民的議論もなしに、通常国会中に成立させようというのだからあきれた話だ。○「国家権力の不当な教育支配」を排除し、学問と教育の自由を保障し、平和と個人の尊厳を尊重するとした現行教育基本法の精神を骨抜きにしようとしているのである。○与党の最終報告案を読んで思うのは、教育を保障する公的責任を放棄して、家庭と個人の自立が大切だ、と言う内容になっていること。不当な支配が、国家権力ではなく、あたかも日教組であるかのような印象であること、現行教育基本法の文言を一部残しつつも、新自由主義的な主張をちりばめ、且つ国家主義的に「道徳心」や「国の発展」を強調している。○要するに、支配する側の危機感を背景にしているのであって、国民的な関心をよべるような中身ではない。官僚は、きっちり「教育振興基本計画」の文言をすべり込ませて、予算の確保を担保しようともしている。○すでに明らかになっている格差社会の広がり、教育機会の不均等、一方における拝金主義的傾向など、国民の多数が教育に対して抱いている不安に応える内容ではない。○こうして考えると「我が国と郷土を愛する」文言だけが自公の対立点だったなどというのは茶番にしかすぎない。公明党も納得したのだから、自民党だけで決めたわけではない、というポーズにすぎないのである。○「障害者問題」にも盛り込まれたというが、すべての文脈とはかけ離れ、唐突に出てくる。国際化社会の点から、また共生の社会という点からも、単一的な発想ではなく、多様性と寛容の立場、相互理解の立場が求められているのである。○国を愛せよと言うのではなく、愛することのできる社会や国にすることが先ではないか。中国韓国と、靖国問題で対立を煽り、偏狭なナショナリズムを撒き散らしている小泉政権による教育基本法改正は、許してはいけない。(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.341 2006年4月22日

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【投稿】「愚かで不道徳な」小泉政権と前原・民主党の責任

【投稿】「愚かで不道徳な」小泉政権と前原・民主党の責任

<<「ぜひとも行っていただきたい」>>
 小泉という人物、首相という職にありながら、あえて人を挑発するようなことを平気で口にし、それをさも得意げに語っていけしゃぁしゃぁとして、何の責任も感じず、自らの無恥をさらけ出していることにも思い至らない御仁といえよう。
 3/16、韓国の盧武鉉大統領が、同国を訪問中の福田元官房長官、中曽根元首相らと会談し、日韓関係の改善に努力することで一致したのであるが、その際大統領は、靖国神社の軍事博物館「遊就館」について「周りに止められたが、実際に行ってみたいと思っている。日本側が承知してくれれば行きたい」と述べ、同時に「歴史について一方的な立場を取るのはよくない」と釘を刺し、小泉首相の靖国参拝を改めて批判し、「上で解決できないならば、民間の力で解決できるようにしてもらえればいい」と、小泉抜きでの解決に意欲を示した。
 ところがこの発言を受けた首相は翌3/17、自らの靖国参拝についてはまったく不問に付しながら、「遊就館」訪問については記者団の質問に答えて、「妨害はしません」と述べる一方、「どこでも行きたいというなら、ぜひとも行っていただきたいですね。歓迎しますよ」と語ったのである。
 首相が「ぜひとも行っていただきたい、歓迎しますよ」と語った靖国神社の展示施設「遊就館」は、「大東亜戦争」を「自存自衛のため」とすることを明らかにすることが「使命」と公言し、「わが生命線である韓国」、「満州の権益」を守り、北太平洋からニューギニア、ビルマに連なる線を「絶対国防圏」と称して、これら他国への侵略と領土拡大の過程を当然のこととして描き、展示し、主張している侵略戦争肯定の軍事博物館である。「侵略戦争だったという人がいます。虐殺をしたという人もいます。それは大東亜戦争というものを正しく理解していうのではなく、戦後、日本弱体化の占領政策を推し進めたアメリカの言い分を、今日まで信じ込んでいることに、大きな原因がある」と主張してはばからず、A級戦犯についても、「形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命をたたれた」方々と持ち上げ、靖国神社への合祀を当然視する、侵略戦争賛美センターなのである。
 こんなところへ行くことについて盧武鉉大統領が「周りに止められた」というのは当然のことであろうが、この際「遊就館」に乗り込み、あらためてじっくりとそのひどい実態を確かめ、日本社会自身の戦争犯罪に対する反省の欠如と、こんなことが許され、政府・与党によって弁護されている根の深さを実感し、日本の政治の現実と対峙する参考とし、かつ内外にその犯罪的実態を告発するとすれば、大いに意義あることといえよう。

<<「品格に欠ける」>>
 肝心の小泉首相は反省するどころか、3/14、中国の温家宝首相が自身の靖国神社参拝を改めて批判し、日中関係の悪化について「原因は中国にも日本の人々にもなく、日本の指導者にある」、「A級戦犯をまつった靖国神社への日本の指導者による度重なる参拝が中国やアジアの人々の感情を傷つけている」と語り、小泉首相自身の責任を指摘されたことに対して、「戦没者に哀悼の念を持って靖国神社に参拝する。これは心の問題ですから、何も問題あるとは思っていません。政治問題にはなりませんし、外交のカードにもなりません」といまだに言い張っているのである。現に政治問題化し、アジア外交はまったく頓挫し、山積する問題から逃げ回っている首相は、自らの空疎な「アジア重視」とは逆に、各国にソッポを向かれ、中国、韓国からは小泉首相抜きで対日改善めざす姿勢を鮮明にされ、もはや相手にされなくなってさえいることの自覚さえ出来ないのである。「心の問題」だとすれば、かくも稚拙な論理を振り回して「他国にとやかく言われたくない」とすね回る、その首相自身の病みきった「心の問題」こそが問われよう。
 そのまさに「心の問題」に関して、中国の李肇星外相がドイツ政府当局者の発言として、小泉首相の靖国神社参拝を「愚かで不道徳なこと」と述べたことについて、安倍官房長官は3/8の記者会見で、「現職の外交当局トップの地位にある人物が、他国の指導者に対し『おろか』とか『不道徳』といった品格に欠ける表現を用いるのは外交儀礼上、不適切だ」と批判した。靖国参拝を「愚かで不道徳」と言い切ることの出来るドイツ、日本とドイツの決定的な相違をあらためて確認させてくれるものであるが、「品格に欠ける」小泉首相を弁護する安倍官房長官自身の姿勢も問われよう。
 この首相に最も同調し、次期首相を狙う安倍官房長官自身は、これまで「国のために戦い命を落とした方々の冥福を祈るのは当然。その気持ちを持ち続けたい」と語って首相を弁護しつつも、首相になった場合の対応は明言はしていない。ところがその意を受けたのか、森前首相は3/12のテレビ番組で、安倍官房長官が首相になった場合、靖国神社に参拝はしないとの見方を示し、その理由として「参拝することでどういう波が起こるかを考えればいい」と述べ、安倍氏が必ずしも小泉首相と同一行動を取るわけではないと指摘している。本当にそう考えるのであれば、森氏が首相に直言すればいい話である。二人三脚で世間を欺いてきた前首相と現首相ではあるが、首相自身が属する派閥の長からもはや用なしと宣告されたようなものでもあろう。

<<「誰でも過ちはある」>>
 もはや用無し=レイム・ダックと化した首相ではあるが、この首相を窮地から救い出し、蘇生させてきたのがこの間のふがいなき民主党といえよう。なにしろガセネタメール1枚で、本質的に議論すべき多くの問題が吹っ飛んでしまい、政府・与党の思いのままに議会運営が運ばれ、「空洞国会 民主平謝り、論戦欠き予算案通過」となり、外交は言わずもがな、耐震偽装にライブドア、BSE、防衛施設庁、米軍再編と基地移設問題、どれもこれも行き詰まり、立ち往生し、死に体状態に陥っていた小泉政権の息を吹き返させてしまったのである。このような状態をもたらし、前代未聞の謝罪広告まで出すに至った民主党執行部の無責任さとずるずるとなし崩しに後退する怠慢さは、確かに「万死に値する」といえよう。
 陰謀と謀略の臭いさえ感じさせる事態である。野中広務・元衆院議員はテレビ番組で「自民党の陰謀じゃないのか」と指摘し、「今から思うと、民主党は上手な仕掛けに乗ったのではないのか」「自民党の平沢勝栄も同じメールを持っている。同じものが出たということは出どころは自民党か官邸かも分からない」とまで述べている。同じく元参院、衆院議員でもあった糸山英太郎氏は自身のホームページの中で、今回のホリエモン・メールについて「結論なら私が言ってあげよう『金はもらっているに決まっている、しかし振込みでもらう馬鹿な議員はいない』これですべてだ。私はホリエモンが無所属であるにも関わらず自民党幹事長室で会見を行っているのを見て確信した。そして国会議員は銀行振込をしない、金銭のやり取りはすべて現金なのだ。20年近く永田町にいたこの私が言うのだから間違いは無い。」と断言し、民主党に対しては「民主党が極端に弱すぎることによる国益の毀損を見過ごせないと、私はHPで度々書いている。小泉チルドレンも同様だが、松下政経塾出身者や地方のボンボンが議員になると、なんと打たれ弱いのだろうか?」と嘆いている。
 小泉首相はといえば、「私は運がいいと言われるが、運だけじゃなくて、ピンチに陥ると福の神が支えてくれるんだ」と笑いが止まらないばかりか、「前原さんにはしっかり頑張っていただきたい」と激励までして、「人間、誰でも過ちはある。過ちを反省して出直せばいい経験になる」と変に温情を示すほどの言いたい放題である。

<<「改革を目指す仲間」>>
 ここまで来ると、明らかに小泉政権は前原・民主党が前原・民主党のままでいることに最大の利益を見出しているのだともいえよう。
 そのことを端的に示しているのが、2/22の党首討論であった。前原代表は記者団にメール問題について「楽しみにしてくださいよ」と期待させていたにもかかわらず、新しい証拠を何も出せず、首相の答弁すら要求しない拍子抜けの党首討論に終始し、首相はあらかじめ気を通じ合っていたかのごとく、「民主党は改革を目指す仲間だ」とむしろ激励を繰り返す場面が再現され、しかもその後、ニュースでも繰り返し流されたとおり、本会議場で首相は前原代表の肩を笑顔でたたき、握手までしているのである。こうした場面がすべてを、コトの本質を物語っているともいえよう。
 コトの本質は、小泉政権にとって、民主党の前原執行部は、防衛政策や憲法改正論議にしても、規制緩和と新自由主義的な経済運営にしても、総体としての自民党以上に小泉政権に近く、対中、対北朝鮮政策では小泉政権以上に過激であり、北朝鮮に対しては「場合によっては先制攻撃もありうる」とまで述べるほどの貴重な存在である、というところにある。
 そのことは逆に民主党にとっては、前原執行部である限り、小泉首相と同じ「小さな政府論」に立ち、小泉政権のエセ改革を小泉首相以上に進めようと「改革競争」に励み、そうすればするほど政治理念、政策、路線で小泉政権との「路線的」な違いを示すことができず、野党としての存在意義が日々失われ、それがゆえにしばしば安易なスキャンダル暴露に活路を見出し、挙句の果てに今回のような墓穴を掘る事態を招来させたのである。
 小泉政権にとっては、民主党の前原体制が倒れては困るのであり、民主党にとっては、前原体制が続く限り、何の展望もないことが、今回の事態は明らかにしたといえよう。前原執行部の退陣、民主党の解党的出直し、政府・与党と真に対決できる野党の再編こそが要請されているのではないだろうか。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.340 2006年3月25日

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【投稿】三位一体改革の「決着」

【投稿】三位一体改革の「決着」

<混乱の中での決着>
 国と地方の税財政改革、いわゆる三位一体改革(税源移譲、国庫補助負担金改革、地方交付税改革)が、昨年11月末に政府・与党合意により「決着」した。
2004~06年度の3年間で4兆円の国の補助金削減、3兆円の地方への税源移譲という「目標」は達成されたものの、国庫負担率の引下げなど地方の自由度・裁量性が高まらない、言わば「地方への負担のつけ替え」が多く含まれるなど、様々な課題、問題点を残す内容となった。
 とりわけ、2006年度においては、またもや厚生労働省が、2005年度の国民健康保険に引き続き、地方が提案していない「生活保護費負担金」の負担率引下げを持ち出し、これに対して地方が受給者データの提供を中止するなど猛反発し、大事な論点を忘れさせるほどの「混乱」に陥った。
 結果的には、国は撤回することになったのであるが、「地方は生活保護の適正化について真摯に取り組む」との文言が盛り込まれるとともに、急きょ代替案として、これまた地方が提案していない児童手当の国庫負担率引下げ(2/3→1/3)、児童扶養手当の国庫負担率引下げ(3/4→1/2)が盛り込まれることとなり、決して「勝利」したとは言えない内容となっている。
むしろ、その直後に公明党の強い要請により、児童手当制度が拡充(小3→小6への引上げ、所得制限の緩和)されたことを考えると、極めて意図的なものを感じるのである。
 昨年9月の「自民圧勝」からの流れ、省庁の分権・三位一体改革への「嫌気」、そして、小泉首相そのものの無理解、いや無関心を考え合わせるならば、十分に想定内の「決着」であったと言わざるを得ない。
 
<第2期改革はあるのか>
 地方側は、「これで第1期改革は終わった。次は第2期改革だ」と意気込んでいるが、合意文書では「地方分権に向けた改革に終わりはない」と全く抽象的な表現にとどまり、次なる方向性は明確になっていない。
 全国知事会や全国市長会などの地方6団体は、「新地方分権構想検討委員会」を設置し、第2期改革に向けて動き始めている。
 委員長の神野直彦氏(東京大学教授)は、これまでの国の諮問機関等でも一貫して地方の側に立って発言されており、大いに期待されるのであるが、実際には、「大先生」堺屋太一氏から、榊原英資氏、北川正恭氏、そして自治体職員に密着し地方財務の実務に精通している小西砂千夫氏(関西学院大学教授)など、委員構成があまりに多士済済すぎて、議論がまるで噛み合っていない状況にある。
 都市と農村の「対立」を抱えながらも、三位一体改革では「運命共同体」として結束を保ってきた地方6団体が、今後も一致団結して運動できるのどうか、この神野委員会にかかっているのである。
 一方、相前後して竹中総務大臣は「地方分権21世紀ビジョン懇談会」、いわゆる竹中懇談会を設置し、「三位一体改革後のビッグピクチャー」を描くとして、第2期改革どころか、自治体破綻法制の検討を始めるなど、地方の側とはまったく違うステージでの議論を進めている。
 メンバーが、あの猪瀬直樹氏であり、大阪市を「恫喝」した本間正明氏(大阪大学教授)であることを考えるならば、その「危険な」結論が想像できるのである。
 さらには、内閣府の経済財政諮問会議では、国にとっての地方税財政改革の「本丸」である地方交付税改革について、本間氏を中心としたワーキンググループで議論が進められている。
 今後、これらの様々な動きが、今年6月の「最後」の「骨太の方針」を一つのヤマ場として、活発になってくるであろう。今後の分権改革の推移を見極めるためにも、小泉構造改革がどのような遺伝子を残していくのか、注視していかなければならない。
 この間の地方分権を巡る動きの中で、民主党は完全に「カヤの外」であった。地方自治制度の枠組みを中央政府がつくるという根本矛盾を解決するには、やはり、地方の側に立った政権の樹立が必要不可欠なのである。民主党がしっかりと地方6団体と連携し、「戦線」に復帰してもらわなければ、いつまでたっても分権改革は進まないのである。
(大阪 江川 明)

 【出典】 アサート No.340 2006年3月25日

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