【投稿】中国脅威論の台頭 -「友好国」から「仮想敵国」へ

【投稿】中国脅威論の台頭 -「友好国」から「仮想敵国」へ

<高まる反日、反中感情>
 今夏、中国で開かれたサッカーアジア杯で大規模な反日騒擾が勃発。「小日本」を叫び日の丸を燃やす中国人サポーターの姿は、中国における反日感情の高まりを見せつけた。
 これ以前にも昨年9月には、中国珠海市で日本人観光客による集団買春が発覚。さらに翌月、西安市の西北大学文化祭で、日本人留学生らがわいせつな寸劇を行ったとして、同大学の中国人学生による弾劾デモが発生している。
 中国の社会科学院日本研究所が11月発表した、国民の対日意識調査結果でも、「日本に親しみを感じる」がわずか6%なのに対し、「感じない」が54%と2年前に比べて約10ポイントも上昇、対日感情が悪化していることが明らかになった。
 一方日本では、中国海軍の原子力潜水艦が石垣島近海で領海を侵犯。また排他的経済水域での海洋調査、東シナ海でのガス田開発などが継続されている。さらにこの間、福岡での一家殺害など来日中国人による凶悪事件も続発、02年におこなわれた日本世論調査会の調査でも、中国に「親しみを感じない」との回答が43%に上っており、現時点では日本人の対中感情も悪化の一途をたどっている。

<反日感情の深淵>
 こうした状況のなか、APEC、ASEAN首脳会議の場を利用し、小泉首相と胡錦濤国家主席、温家宝首相が相次いで会談、関係修復、事態打開を試みたが、お互いの主張を繰り返したのみで芳しい成果はなかった。このなかで中国側は繰り返し小泉首相の靖国神社参拝中止を要求。これに対し小泉首相は「靖国参拝は戦没者慰霊のため」と強弁、今後も参拝を続けるかについては明言しなかった。
 先述した中国の調査では靖国神社参拝について、「どのような状況でも認められない」が42%、「侵略を謝罪すれば可能」が19%、「戦犯を分祀すれば可能」が17%であった。
 また同調査では「親しみを感じない」理由として、「中国を侵略した」が26%、「侵略の歴史を反省していない」が62%で、合わせて9割近くを占めた。すなわち中国では侵略無反省の象徴として靖国参拝が見られているわけで、この問題を回避し続けるなかでは、日中首脳の相互訪問再開も不可能なことが明確になった。
 日本政府は反日感情の原因について、1990年代に進められた江沢民政権時代の抗日闘争を強調する「愛国教育」と、国内の経済格差に対する民衆の不満の矛先を逸らすためと分析している。中国共産党が反日感情を利用していることは一面事実であるが、総体的にはあまりに皮相的な解釈である。

<偽りの友好とその崩壊>
 そもそも1972年の日中国交回復、78年の日中友好条約締結は、東西冷戦、中ソ対立という状況下で行われた、自民党政府と北京指導部との政治的野合の側面が強い。「反覇権」の名のもと日本としては東アジアにおけるソ連包囲網に中国を組み込み、市場化を進める。中国も反ソである限りにおいて日米安保を黙認し、日本からの経済援助を獲得する、という利害の一致が合った。この流れのなかで日中友好が演出され、日本の本質的な戦争責任総括と中国民衆の反日感情は封印、三木首相以降の歴代総理の参拝や1978年のA級戦犯合祀も見過ごされてきた。
 しかし、1985年のゴルバチョフ政権発足による冷戦構造変革が流れを変えた。中国政府は同年8月15日に行われた、当時の中曽根首相による公式参拝に対し強く抗議、翌年の公式参拝は見送られ、1996年の橋本首相までの間、参拝は途絶える。
 その間に冷戦構造、そしてソ連までが崩壊し日中野合の政治的目的は消滅し、封印は解かれ始めた。そうして噴出したのが「愛国教育」なのである。経済的にも中国の成長は著しい。先の首相会談では、温家宝首相が日本のODA打ち切り論を批判し、「ODAを中止すれば両国関係は”雪上加霜”(泣きっ面にハチ)となる」と述べたものの、一方的に円借款、政府開発援助を施される立場ではなくなっている。これらが「経熱政冷」と言われる状況の本質である。

<「仮想敵国」にシフト>
打開の糸口が見つからないまま、小泉政権は「日中関係は重要」といいつつ、両国関係悪化を口実として、一層の軍備拡充を進めようとしている。12月10日、新たな「防衛計画の大綱」、「次期中期防衛力整備計画」が閣議決定された。新大綱では「中国は、核・ミサイル戦力や海・空軍力の近代化を推進、海洋における活動範囲の拡大などを図っており動向には注目していく必要がある」として、北朝鮮と共に仮想敵国視していることをあからさまに示した。
 これら軍拡計画では、とりわけ弾道ミサイル対策を重視、アメリカと共同での弾道ミサイル防衛(MD)を推進、イージス艦やパトリオット・ミサイルのグレードアップを行うと、
している。さらに当初は敵国内の基地や「占領された離島」を攻撃できる「長射程誘導弾」=巡航ミサイル、弾道ミサイルの開発も計画に盛り込まれようとしていた。
 これまでミサイル防衛については「ノドン」や「テポドン」といった北朝鮮の弾道ミサイルが対象と説明されてきた。しかし存在するかどうか不確実な北の核ミサイルを口実に、オーバースペックのMD計画を進めるのはあまりに非合理であった。そして今日にいたり、その範囲が拡大され中国も含まれたことが明らかにされたのである。

<東アジア安定のために>
 小泉政権は日本人の対中感情の悪化を利用して、軍拡を一気に進めようとしている。これではとても「中国政府は反日感情を利用している」と批判できたものではない。両国関係の「政冷」は冷戦を意味するものになり、熱くなるとしても「経熱」とは違った意味合いになる危険性が増大してくるだろう。
 過去を封印してきた責任は両国政府にあるが、まずは侵略国であった日本がけじめを付けなければならない。そのため靖国参拝の中止にとどまらず、新たな戦没者慰霊施設の具体化を進めなければならない。こうした「しきり直し」抜きには、真の友好関係構築はもとより、6カ国協議や、来年からの東アジア首脳会議での日中協調は不可能だろう。
(大阪 O)

 【出典】 アサート No.325 2004年12月18日

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【書評】『アソシエーション革命へ──理論・構想・実践』

【書評】『アソシエーション革命へ──理論・構想・実践』
(田畑稔・大藪龍介・白川真澄・松田博編著、2003.3.25.発行、社会評論社、2,800円+税)

 1年半以上も前に出版されたものの、本書についての書評はこれまでにお目にかかったことがなかった。しかし本書には、「アソシエーション」にかかわる社会変革の運動の将来的な方向への重要な諸点が詰め込まれている。そしてこれらは現在の運動の状況から見て、ますますその比重を高めている。本書を紹介する意義がここにあると考える。
 さて本書は、「序」「第1部 アソシエーション革命の構想」「第2部 アソシエーションと経済システム」「第3部 アソシエーションの実践へ」から成る。その流れとしては、「アソシエーション革命」の議論のための理論的課題、論点を押さえた上で、現代社会システムとの関係を考察し、そして具体的な諸実践へというかたちを取っている。
 「序 『アソシエーション革命』について」(田畑稔)は、本書および今後の議論のために、「アソシエーション革命」の前提となる諸事項、歴史的経過、問題意識、課題を鳥瞰的に概説する。筆者には『マルクスとアソシエーション』(1994年、新泉社)という著作があるので、アソシエーションの用語等についてはそちらも参考にしていただきたいが、ここでは、「アソシエーションの波」が歴史的諸文脈–①「近代主権国家」の再編成、②地域経済と協同労働による雇用創出、③「モラル・エコノミー」と「ステークホールダー・ビジネス倫理」、④国境を超えた世界市民的な意識と運動の台頭、⑤家族および近隣社会の危機への処方箋、⑥社会主義の再生、という諸文脈–で押し寄せていることが強調される。そして社会の4類型–(a)自生的共同体類型、(b)権力社会類型、(c)商品交換社会類型、(d)アソシエーション–の比較において前者3類型とアソシエーション過程との対抗関係が示される。すなわち(a)に対しては「閉鎖的共同体への対抗過程」として、(b)に対しては「権力過程への対抗過程」として、(c)に対しては「物件化(物象化)への対抗過程」として、アソシエーション過程が「自由な個人を前提に、市民的、世界市民的開放性の地盤で共同性を再構築する営み」とされる。しかし同時にこれとは正反対の方向の運動(「脱アソシエーション過程」)が絶えず存在していることも看過されるべきではないとされ、現存システムとの関係として、「中間集団」、「ヘゲモニー」、「市民社会」の問題が論じられる。
 「第1部」では、「国家とアソシエーション」(捧堅二)で、近代国家の機能拡大とそれが抱える矛盾の拡大という歴史的経緯の考察やアンソニー・ギデンズ等の理論とイギリスの政治状況の検討から、その「ラディカルな分権化」による「多元的民主主義」が探られる。そしてこれとの関連で、ポール・ハーストの「結社型民主主義」の詳細な内容紹介がなされる(「P.ハーストの『アソシエーティブ・デモクラシー論』」形野清貴)。また「過渡的時代とアソシエーション」(大藪龍介)は、20世紀社会主義の破綻の教訓から、マルクスの過渡的社会・国家構想(「協同組合型志向社会と地域自治体国家の接合」)の検討を通じて、アソシエーションの革命路線について提唱する。それによれば、社会革命中心、対抗する異質の権力体系の攻防・競合としての革命過程、高次民主主義革命がその特徴とされる。
 「第2部」では経済システムとの関係が論じられる。「協同組合と社会経済システム」(河野直践)は、資源・環境問題への対応において協同組合の機能発揮がとりわけ有効であることを強調し、「私的セクター」を中心とする資本主義経済と、「公的セクター」に重点を置いた社会主義経済に対して、「非営利・協同セクター」の拡大による新しい経済体制を提唱する。「現代資本主義におけるアソシエーション的調整」(宇仁宏幸)では、市場的調整と比較してのアソシエーション的調整の特徴を明らかにしつつ、現代資本主義ではこれらに加えて「国家的調整」という三種の調整が複合的に展開していることが指摘される。そして公共的サービスの問題解決にとっては「国家的調整」のアソシエーション的補完が、また公共投資や経済規制の問題解決にとっては「市場調整の国家的補完の内実」をアソシエーション的補完に変えるような試みが有効であることが示される。
 「第3部」は実践編で、「イタリアにおけるアソシエーションの歴史的背景と可能性」(松田博)では、現実の運動としての代表的なアソシエーションとして、「人民の家」がルポルタージュを含めて紹介される。また「生涯学習時代のNPO–市民社会の再生のために」(黒沢惟昭)では、NPOなどの活動を通じての「市民社会的論的」アソシエーションの形成が説かれるが、その際に市民(団体)・アソシエーションと行政側との協働(コ・プロダクト)の機能の意義が強調される。
 「フェミニズム・家族・協同組合」(榊原裕美)は、フェミニズムの視点から、歴史的に女性を従属的地位に押し下げた家父長制の特質が、戦後家族(核家族)においても貫かれてきたこと、このことはこれまで主婦が中心であった生活協同組合運動においても例外ではなく、性別役割分業については問われることなく置かれてきたと指摘する。これに対して80年代から始まった新しい働き方であるワーカーズ・コレクティブ(労働者生産組合、略称ワーコレ)が注目される。それは雇用–被雇用という関係ではなく、一人一人が出資して平等な経営者として事業を行う主体的な働き方であり、現在の資本主義的な流通の仕組みに対抗できる可能性を持つ。ワーコレについては今のところ必ずしもプラスの評価ばかりでなく、矮小化される危険もあるが、しかし新たなアソシエーションとしての可能性が検討される。そして最後の「現代の社会運動と新しい政治」(白川真澄)では、「新しい社会運動」に焦点を合わせて、その特質–多様性と「非政治性」–を検討し、その「シングル・イッシュー」的な運動が「制度化」によって矛盾を含むものとなることを指摘する。その上で「制度が引いた境界線を内と外から同時に越える運動」の創造と、「持続する抵抗闘争と対抗社会形成と制度的変革の三つの要素」が不可欠であると主張する。
 以上本書を概観してきたが、「アソシエーション革命」の流れは多様化、多方面にわたっており、本書だけで到底そのすべてを網羅できるものではない。また現実の社会的諸条件の変化に応じて、さまざまな新しいアソシエーションの可能性が展望されるであろう。本書はこの将来を見据えての基本的視座を確認できる一歩としてある。遅ればせながら紹介する次第である。(R) 

 【出典】 アサート No.325 2004年12月18日

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【投稿】天皇家で何かが起こっている

【投稿】天皇家で何かが起こっている

 今年は、天皇家をめぐる話題が多かった。
 5月ヨーロッパ訪問を前に記者会見した皇太子は、「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と、いわいる「人格否定発言」を行い、宮内庁やマスコミを驚かせた。雅子妃は、昨年12月宮内庁病院に入院したが、後に「ストレスによる心身の不調」が原因として、今年の春まで静養すると発表されたが、このヨーロッパ親善訪問に行く事はできなかった。
 後に、雅子妃の病名は、適応障害と発表され、うつ病に近いものであると公表され、雅子妃は結局今年一年間はほとんど公的な場に姿を見せることがなかったのである。
 一方、こうした皇太子の発言に対して、11月に弟の秋篠宮が「私も少なからず驚いたわけですけれども、(天皇)陛下も非常に驚かれたというふうに聞いております。記者会見において発言する前に、せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったかと思っております。そこのところは残念に思います」と皇太子徳仁を批判した。
 このように、従来、当たり障りのない発言しかしてこなかった皇室が、極めて人間的に発言することに当初は少し困惑もしたが、天皇自身が、「(君が代・日の丸について)強制でないことが望ましい」との発言をするに至って、天皇家・皇室・そして日本の天皇制そのものに、明らかに軋みが生じつつあると気づかされた。
 
 私自身の記憶を辿れば、現天皇の美智子皇后との結婚がテレビ報道されたことにはじまり、、日曜日だったか「皇室アルバム」というテレビ番組が天皇家の「暖かい家庭生活」や「子供たちの成長」を伝え、幸せとはこういう家庭なんだ、というほのぼののした意識を持って(持たされて)いた事が、私の少年時代の記憶の中はある。
 もちろん私も成長と共に、反天皇制の立場になるのだが、昭和天皇がなくなり、平成天皇の時代になって以降、にわかに天皇と天皇家をめぐるマイナスイメージの話題が増えてきた。皇后の「やつれた様子」から、皇室内の不和話がマスコミを賑わしてきた。
 そして、皇太子の結婚問題では、花嫁候補の名前が挙がっては消えていくという展開の後に、外交官キャリアの経歴を持つ雅子妃の誕生となった。結婚したからには世継ぎの誕生を期待され、女子の誕生となったものの、今度は、憲法改正論議も絡んで「女帝容認論」が話題になってきている。
 
 専門家ではないので、簡単に言ってしまえば、極めて人間くさい皇室の有り様が表に出てきているということだろう。明治以来の天皇制を引きずりつつも、皇太子は明らかに現代人なのである。雅子妃が適応障害という「精神的疾患」になるほど、様々な軋轢が存在している事にも、天皇制をめぐる現代的な歪が伺えるのである。イギリスの皇室のように、皇太子の不倫が堂々と報道され、ダイアナ妃との離婚が起こるなど、何ら一般人と変わらない姿が見えるのが、現在の姿であるはずであろう。皇室という看板の重圧と現代人の皇室の軋轢は、確実に天皇制そのものの変化を生みつつあるのであろう。
 
 昭和天皇の場合は、帝国憲法下の戦争遂行者と戦後の人間天皇という二つの面を持ち、古い天皇制を引きずってきたが、現天皇と皇太子には、戦争の匂いも消え、高齢者はいざ知らず、若い世代にとっては、尊敬の対象でも敬愛の対象でもない。象徴天皇制という現在の位置づけすらも、若い世代にとっては、どれ程意味のあるものなのかどうか。国民統合の象徴として天皇を位置づけること自体に無理が生じていると言わねばならない。豊かになり自由を謳歌している世代にとって、囲いの中で不自由な生活を強いられた存在である皇室に対してシンパシイすら感じないのが現実ではないのか。
 
 一方で、日の丸・君が代を教育の場で強制しようとする意図が一層強まっている。しかし上記のような天皇を見つめる若い世代の現実は、回顧的ナショナリストにとって皮肉なことに見事に逆風と言わねばならない。静かに進行している変化は、皇室の中にいる個人の葛藤に集中的に生まれていると言える。昨年来の皇室を巡る出来事がそれを示しているのだろう。
 従来タブーとされてきた皇室をめぐる議論は、今後一層広がる事だろう。まさに、情報公開の対象なのだから。(佐野秀夫)
 
 参考文書:
★「皇太子・雅子夫妻・愛子さまと戦後天皇制のゆくえ」(無名性の会 山口保弘氏-社会運動 297号-)
★『「個人を尊重する皇室」が皇室の存在意義のそのものを揺るがす理由』(原武史氏 (文芸春秋社 日本の論点2005) 

 【出典】 アサート No.325 2004年12月18日

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【コラム】ひとりごと–イラク自衛隊派遣延長と支持率低下–

【コラム】ひとりごと–イラク自衛隊派遣延長と支持率低下–

 ○小泉政権は、12月10日自衛隊のイラク派遣の1年間の延長を決めた。それは、国会審議を行わず、野党提案のイラク復興支援特別措置法廃止法案の審議採決すら拒否しての「強行」決定であった。与党内からの反旗を考慮したとも言われているが、無責任極まりないやり方である。○派遣延長を巡る世論調査では、6割を超える国民が派遣延長に反対・疑問を持っていることが明らかであり、民意を一切無視した「自信の無さ」を暴露したものに他ならない。10日を前に、防衛庁長官、公明党幹部が申し訳のようにイラク入りし、「サマワは安全」と言ったところで、イラクに「非戦闘地域」など実態的にも論理的にもありえない。イラク反占領勢力からすれば、彼らが武装闘争をしかけた場所が戦闘地域になるのであって、日本政府が決めるものでない。○そもそも、イラク派遣とはいっても、民間援助でもできる水道や学校の復興工事をわざわざ自衛隊という軍隊を送るという「国際平和協力活動」。現地でも防衛的配慮というらしいが、一年も経つというのにイラクでの自衛隊の活動について報道制限を設け、何をしにいっているのか、国民は具体的・映像的にも知らされていないのである。○派遣延長を受けて、イラクの反占領勢力は、日本も占領軍の一部と見なし選挙以後は攻撃対象とすると明言している。○アメリカの単独主義にいつまでも付き合うことは何ら国際社会の求めるものではないことは明らかである。○イラク派遣延長決定の日、閣議決定された新防衛大綱は、アメリカの軍事態勢と一体化することのみを主軸にした内容となった。MDシステム(ミサイル防衛システム)の導入を明記し、アメリカと共同歩調を取ることを明言しているものの、肝心のミサイルがどこから飛んでくるのか、全く不明である。○冷戦終結後の仮想的国はいったいどの国なのか。北朝鮮すらも海外に撃って出る力はない。唯一急速に政治的には冷たい関係になりつつある中国を仮想的国とする内容も含まれているが、これだけ強い経済的関係をもった両国の課題は軍事的問題ではない。○「我が国に対する本格的な侵略事態生起の可能性は低下する一方、我が国としては地域の安全保障上の問題に加え、新たな脅威や多様な事態に対応することが求められている」というフレーズが何度も登場する大綱だが、「新たな脅威と多様な事態」が極めて曖昧で、拡大解釈可能な叙述となっている。○皮肉にも、イラク派遣延長決定後の内閣支持率は、不支持が増え、支持と逆転した結果となった。(毎日新聞・TBS)これ以上、小泉政権の存続を許してはならないのである。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.325 2004年12月18日

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【投稿】ブッシュ再選がもたらす混迷

【投稿】ブッシュ再選がもたらす混迷

<<「赤」「青」の塗り分け>>
 ブッシュ米大統領の再選が決まり、最も胸をなでおろした一人が小泉首相であろう。なにしろ、選挙前に世界各国で行われた世論調査では、欧州をはじめ多くの国々でブッシュ落選・ケリー勝利を望む声が多数派であったのである。そして現実の選挙戦も、過去の例からみて圧倒的に有利で、強くて当然と言われる「戦時大統領」であるにもかかわらず、両者互角の激突、接戦となった。ブッシュ陣営は、9・11テロで息を吹き返して90%以上の支持率を獲得していた当時はすでに過去のものとなり、ケリー候補にぎりぎりまで追い詰められる激戦となった。いまや米国の世論は、甲乙つけがたく明確に二分された姿を現わしたと言えよう。
 ブッシュの「赤」、ケリーの「青」に塗り分けられたアメリカは、東北部と西部太平洋岸の各州、そして五大湖周辺は「青」、中西部と南部は「赤」一色とくっきりと塗り分けられた。いわば「赤」は南部、「青」は北部、というアメリカの南北問題を軸に、保守とリベラル、都市部と農村部、世代間対立、宗教観対立が重層的に深まり、分断された社会の様相を濃くしたと言えよう。「都市の持てる層によるリベラリズム」に対する地方の「草の根保守」や「モラル・ママ」、テロ恐怖の流布と「セキュリティ・ママ」現象があおられた。
 テロ恐怖の極め付けが、投票日4日前に意図的計画的ともいえる手法で流されたビンラディン映像であった。
 しかし、米CNNなど主要テレビ局や有力紙が11/3に発表した出口調査によると、ブッシュ支持者が最重要問題として挙げたのは、イラク問題やテロ対策ではなく、同性愛結婚や中絶、銃規制問題など倫理的価値観で、ブッシュ支持者はそれらを重視する年配の白人が多かったことが判明したという。ウォールストリート・ジャーナルによると、性別ではブッシュ氏は男性の52%、女性では45%が支持したのに対し、民主党のケリー氏は男性が47%、女性は54%で男女が逆転し、また、白人票はブッシュ氏が55%、黒人票はケリー氏が90%、ヒスパニック系ではブッシュ氏が41%に対しケリー氏は56%で、黒人ヒスパニック票はケリー氏が強さを見せたという。さらに世代別では、ケリー氏が18~29歳の若年層が56%を獲得したのに対し、ブッシュ氏は60歳以上の年配層が51%となったという。

<<「あまり歓迎されない2期目」>>
 しかし選挙戦、なかんずくテレビ討論は、イラク戦争の是非を軸に激論が交わされ、外交・安保問題がトップテーマに浮上、直後の世論調査で明らかなようにケリー優勢は誰の目にも明らかであった。選挙の結果は僅差で現職が制したが、いかに対テロ・イラク戦争に反対論が多く、今後一層厄介な問題としてブッシュ政権を悩まし続けていくかが証明されたともいえよう。
 いずれにしてもこの問題では、「あと4年」、「あまり歓迎されない2期目」が始まる。ブッシュ大統領は11/3、ワシントン市内で演説し、「わが軍は敵には正義を、アメリカには名誉をもたらした」と、イラク戦争をあらためて自画自賛、2期目も「あらゆる資源を動員して対テロ戦争を行う」と挑戦的な姿勢を表明した。そして「無実の民を殺害する者、イラク国民や連合諸国を恐怖に陥れようとする者、民主主義の阻止を図る者たちを裁きにかける」と叫ぶ。しかしこの言葉ほどブッシュ氏自身に向けられた言葉がないと言うほどに皮肉なものはない。国連事務総長の警告をも無視したイラク・ファルージャの総攻撃は、まさに「無実の民を殺害する者」、「イラク国民を恐怖に陥れようとする者」、「民主主義の阻止を図る者」、そして「裁きにかけられる」者とは、ブッシュ氏自身であることを明らかにしている。
 ファルージャへの大規模な空爆・掃討作戦は、今や住民大量虐殺の様相を呈し、反米感情をより一層激化させ、イラク全土で非常事態宣言が出され、ベトナム戦争以来の激しい市街戦となっており、イラク全土で宗派を超えた抵抗闘争をさらに拡大させ、イラク国内外の混乱をよりいっそう深めさせ、ブッシュ氏ではますます泥沼から抜け出せないことを証明しつつある。

<<ドル急落の可能性>>
 2期目に入ったブッシュ政権が、国論を二分した選挙結果を踏まえ、より現実的路線、協調的路線に転換するのではないかという考え、それは幻想であるということを、ブッシュ氏自身が指し示した。
 しかし「あらゆる資源を動員して対テロ戦争を行う」という戦略は、ブッシュ政権を混迷に追い込むであろう。限りなく膨れ上がるイラク戦費の膨張、広がる対テロ戦線の拡大、その一方での富裕層を対象とした大規模な減税は、財政赤字をさらに拡大させ、経常収支をより悪化させ、このまま推移させれば、ドルの大幅な下落、そして世界経済全体の混乱を招くのは確実である。いくら基軸通貨国であるとはいえ、価値の下落するドルを支えきれない事態を招来するのは不可避と言えよう。
 すでにブッシュが大統領に就任した当初は黒字だった財政赤字はGDPの4%を超えるまでにふくれ上がっており、経常収支の赤字は今年中にGDPの5%を超える見込みである。そしてこの経常収支の赤字が5%を超えた1980年代半ばには、ドルの急落が起きているのである。
 ところで、日本政府が持つ外貨準備高の大半は米国債で運用され、保有残高は2004/8月末で約7000億ドルもの巨額に達している。さらに、政府・日銀が円高抑制・ドル買い支えのために続けてきた大規模な円売りドル買い介入は限界に来ている。このままブッシュに追随して事態を放置すれば、これらの外貨準備が一瞬にして激減する深刻な打撃を受けかねない。もちろんそれにとどまらず、ドルの暴落は円高を招き、ドル建て資産が打撃を受け、経済全体がダメージを受ける。こうした事態の進行を回避するためには、大胆な政策転換が要請されるところであるが、強制されない限りは不可能と言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.324 2004年11月20日

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【投稿】正念場の三位一体改革

【投稿】正念場の三位一体改革

 小泉構造改革の目玉の一つである、国庫補助負担金の改革、地方交付税の改革、税源移譲を含む税源配分の見直しの三位一体の改革は、今秋いよいよ正念場を迎えようとしている。
 2004年6月に閣議決定されたいわゆる「骨太の方針・第4弾」において、三位一体の改革の全体像を今秋に明らかにする、としていたからであるが、当初予定されていた11月中旬にはまとまらず、結論は12月にまで持ち越されそうな状況である。
 
<地方の提案>
 骨太の方針・第4弾では、2003年に打ち出された第3弾における4兆円程度の国庫補助負担金の廃止・縮減の方針を受けて、2004年度予算で「芽出し」された1兆円の残り、3兆円規模の税源移譲を2006年度までに目指すとしている。
 その前提として、自治体側に国庫補助負担金改革の具体案を取りまとめるよう要請し、これを踏まえて検討するとしているのが、このたびの方針の大きな特徴である。
 それまでも、地方の側は改革に関する様々な提起を行っているが、あくまでも一方的な要望、要請にとどまっており、政府の方針として初めて、具体案の提示が求められたのである。
 これを受けて、地方6団体(全国知事会、全国市長会、全国町村会、全国都道府県議会議長会、全国市議会議長会、全国町村議長会)は、8月に「国庫補助負担金等に関する改革案~地方分権推進のための「三位一体の改革」~」をまとめ、148件、総額3.2兆円もの廃止-移譲対象補助金のリストを政府に提出するに至ったのである。
 さらに、この改革案の前提条件として、国と地方との協議機関の設置、税源移譲との一体的な実施、確実な税源移譲、地方交付税による確実な財政措置、施設整備事業に対する財政措置、負担転嫁の排除、新たな類似補助金の創設禁止、地方財政計画の作成に当たっての地方公共団体の意見の反映を掲げ、税源移譲対象の税目も含めた、包括的かつ具体的な三位一体改革の全体像を提示しているのである。
 この政府からの「要請」については、「補助金廃止だけが先行し、税源移譲は中途半端になるのではないか」といった、国の「美味しいところ取り」「梯子はずし」が危惧されていた。
 また、地方側にも、「都市と農村」をはじめとしたヨコの対立が内在している中で、一致して「各論」にまで踏み込むことができるのか、むしろ、対立を顕在化させ、国の思うツボになるのではないか、との懸念もあった。
 しかしながら、全国知事会主導で薦められたという点、その過程の中で、教育問題を中心とした政治家としての知事の理念の違いが顕わになった点など、いくつかの問題点を抱えながらも、地方の側として改革案を取りまとめ、ボールを国に投げ返すことができた点は評価しなければならない。

<省庁の「抵抗」>
 地方側の提案を受けた国の側では、予想どおり、各省庁からの一斉反発が起こった。
 提案を受けて設置された国と地方の協議会において、補助金を総合化した交付金という「化粧直し」が次々に提案されるばかりではなく、厚生労働省に至ってはゼロ回答、挙げ句の果てには「代替案」の名目で補助率の切り下げを言い出す始末である。
 これと平行して、各省庁は出先機関を通じて、現時点では未だ補助金に頼らざるを得ない個別自治体に対して、補助採択をちらつかせながら、「改革案に反対せよ」との圧力をかけているのである。
 さらに、財務省はこの機に乗じて、地方交付税会計の赤字があたかも地方の側が原因であるかのような攻撃キャンペーンを強め、地方交付税の抑制を図ろうとしている。
 骨太の方針・第4弾では、「地方の意見に十分耳を傾ける」としていながら、まるで地方の声を踏まえようとしない、各省庁のこの態度こそが混乱に拍車をかけているのである。全体像の取りまとめの遅れの原因は、国の側にあり、そして、その責任は、自ら指示したにも関わらず何らのリーダーシップを発揮しようとしない、小泉首相にあると言わざるを得ない。
 
<そもそもは税源移譲>
 そもそも、地方の側が求めていたのは、税源移譲なのである。
 最終支出ベースでは、国と地方の比率は概ね2:3であるのに対し、租税収入配分では、国と地方の比率概ね3:2であるという、最終支出と税源配分の大きな乖離が、地方自治体の自立的な財政運営にとって大きな問題となっている。
 機関委任事務の廃止などの成果を挙げた2000年の第1次分権改革、その残された課題として、政府の地方分権推進委員会も「次は税源移譲」であるとはっきりと指摘しているのである。
 あたかも、地方がその財政危機を理由として国に「カネをよこせ」と主張しているように喧伝されたり、また、国が自らの財政危機や地方の「過大な」支出を理由に税源移譲を渋っているのは、まったくの筋違いの話である。財政危機であろうとなかろうと、税源移譲が第2次分権改革の第一義的な課題なのである。
 その税源移譲の道筋をつけるために、国庫補助負担金の廃止・縮減や地方交付税の改革があるのであり、税源移譲の具体策がない中での補助金の先行廃止や補助率の切り下げ、交付税抑制ありきの議論は、本末転倒である。
 とりわけ、ここ最近、交付税抑制の理由として財務省が「交付税の基準以上のことを自治体が行っている」と主張していることについては、分権型社会の理念に則って地方が地域の実状に応じて独自施策を講じていること、地方財政の現実として交付税に算定されている事務事業の全てが行えているわけではないこと、そして何よりも、交付税は地方自身が自由に使える地方固有の財源であることへの、意図的かつ悪質な無理解があることを指摘しておきたい。
 ちなみに、骨太の方針・第3弾において「国の歳出の徹底的な見直しと歩調を合わせつつ、地方財政計画の歳出を徹底的に見直し、交付税総額を抑制」としておきながら、1999年度末から2004年度予算にかけての長期債務残高が、地方全体においては約174兆円から約204兆円と、約30兆円・17%の伸びであるのに対し、国においては約449兆円から約548兆円と、約99兆円・約22%の伸びに達していること、また、2004年度の地方財政計画が対前年度比1.8%の減であるのに対し、2004年度国家一般会計予算が対前年度比0.4%の増であることを付記しておく。
 
<自治体現場の混乱>
 この時期、地方自治体では2005年度予算の編成作業に突入しているのであるが、三位一体改革の全体像の遅れは、現場に大きな混乱をもたらしている。
 昨年度も交付税の突然の大幅抑制への対応に大わらわだったのだが、今年度においても、改革の全体像、とりわけ交付税の動向が不透明なことから、予算編成の前提となる財源計画が立てられず、「予算が組めない」状況に陥っている。
 現場では、首長選挙の前でもないのに「当初予算は骨格編成にしておいて、6月に交付税額が出てから補正予算を組もうか」などということが、まことしやかに語られているのである。
 本来、地方自治体のための三位一体改革であるはずなのに、現場にとっては逆に、改革努力に水を差すばかりでなく、編成事務も行えない、はた迷惑な存在となっているのである。
 
<やはり政権交代を>
 小泉構造改革の中でも、特殊法人改革や郵政民営化、年金改革に比べて、三位一体改革は地味な印象が免れない。ともすれば、国と地方のカネの分捕り合戦に見られたり、地方自治体が特殊法人などと同列に扱われているきらいがある。
 もちろん、遠くない過去において極めてずさんな財政支出を続けていた自治体や国とのパイプを強調してきた首長が少なくないし、この期に及んでも改革を遅々として進めていない自治体があるのも事実である。
 しかしながら、多くの自治体は血の滲むような行財政改革に取り組み、ときには合併という苦渋の決断に追い込まれているのである。
 これらの自治体は、公団や社会保険庁とは違い、住民自らが首長を直接選挙する地方政府であることを忘れてはならない。
 省庁の権益をタテにした地方へのコントロール、利益誘導を基盤とした自民党政権では、もはや地方分権の実現を期待することはできない。ましてや、その出自が大蔵族である小泉首相の「政治決断」は、期待どころか危険極まりないものであることは簡単に想像できる。
 やはり、地方の立場に立った政策を掲げる、中央政府の樹立が急がれるのである。
 この間の三位一体改革の議論において、民主党のメッセージは明確に伝わってこない。地方の側は、都道府県ごとに地方版の6団体を結成して、運動の基盤を固めようとしている。民主党においても、地方自治体、とりわけ改革派の首長と連携して、政権交代をも視野に入れた、現実的で迫力のある問題提起を行うことが求められているのである。
(大阪 江川 明) 

 【出典】 アサート No.324 2004年11月20日

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【投稿】増税を巡る攻防へ

【投稿】増税を巡る攻防へ

 国・地方の債務残高は716億円。GDPの1.4倍に上ろうとしている。国家財政においても、2004年度(平成16年)予算においては、歳入において租税収入に匹敵する公債費収入約40兆円が組まれるなど、国・地方において、財政バランスが失われる事態となっている。
 この事態の本質を捉え、どう脱却していくのか、政治の課題として、憲法問題と共に、今後焦点となる問題である。当然、政府は経済の回復基調から、各種増税による突破を想定している。すでに死に体となっている小泉政権は、小泉の任期中には「消費税による増税は行わない」と明言し、自らの政権維持のみに執着している姿を見せ、議論を回避しているかに見える。
 しかし、税・社会保障を含む国民負担を巡っては、今後増税・増負担への攻防が確実である。景気浮揚という大義名分の下で、増税議論は控えられてきたが、今後国民負担をめぐる厳しい闘いが求められている。
 今年の税制改正では、老年者控除の廃止、公的年金等控除の縮小、住宅ローン減税の段階的縮小、市町村民税均等割税額の一律化(3000円、都道府県民税均等割との合計で4000円)および夫と生計同一の妻に対する非課税措置の廃止、2006年度までに所得税から個人住民税への税源移譲の実施、2007年度を目途に消費税を含む税制改革の実施が盛り込まれた。
 政府税調に続いて、今後与党税調に舞台を移していく現時点の焦点は、来年度の税制改正議論の中で、税収アップの具体的標的となっている定率減税の廃止問題である。
 
<所得税20%、住民税15%を減税>
 定率減税は、1999年小渕政権が実施したもので、景気対策として所得税額の20%(最大25万円)、個人住民税額の15%(同4万円)の税額控除するもので、所得税で2兆5000億円、住民税で8000億円、合計3兆3000億円という減税が現在も実施されている。
 すでに昨年の与党税調の中で、この定率減税については、2005-2006年度において縮減・廃止を検討すると明記され、同時に所得税から住民税への税源移譲を通じて、4兆円の地方への税源移譲を実現するというストーリーも描かれている。
 そして、本年の政府税調において、来年から2年間をかけて、段階的に廃止するとの方向が示された。
 
<景気次第での変更もありうる>
 一方、先週発表されたGDPの速報値が大きく低下し、景気減速が明らかとなり、日銀短観も景気の減速傾向を認めた事もあり、定率減税縮減廃止の時期を巡って、与党内においても議論になっている。景気の先行き不安を根拠に継続を求める声である。
 公明党の坂口税調会長は、 「景気動向を見ながら、直前に縮小するかどうかを判断することもあり得る」と発言し、仮に廃止の場合は、その税源は、一般財源とすることなく、基礎年金の国庫負担分に充てるべきだと、その使途先についても注文をつけている。(11/5)一方、財政再建の覚悟があるなら、縮減・廃止を実施すべきと(毎日新聞主張11/14)という意見もある。
 連合は、「不公平税制を放置し、抜本的な税制改革を明確にしないまま、個人や年金所得層に負担増を強いる」として、抜本的税制改正議論なしの縮減・廃止には断固反対している。
 1999年以降、国内経済については、9.11テロ以後の景気落ち込みもある中で、超低金利政策と不良債権処理が継続され、企業においては人員削減・賃金引下げによる企業収益の確保は行われてきたが、昨年来の景気の上向き傾向の中にあっても、賃金への反映は基本的に行われてきておらず、むしろ賃金の横ばい・低下が進行しているのである。定率減税の目的が景気対策であったと言うならば、労働者国民の立場からは、賃金の引き上げに繋がっていない現実を踏まえれば、単純に定率減税の縮減廃止を認めるわけにはいかない。
 
<2007年度には消費税改革>
 次に控えているのが、小泉の任期が切れる2007年度に開始される消費税の増税論議である。昨年の税制改正大綱では、「平成19年度を目途に、社会保障給付全般に要する費用の見通し等を踏まえつつ、あらゆる世代が広く公平に負担を分かち合う観点から、消費税を含む抜本的税制改革を実現」と明確に明記され、消費税の増税議論が正面に出てくることになる。
 年金や社会保障目的財源なら消費税率引き上げは止むを得ないと国民の意識は明らかに変化してきている。消費税への理解が進んだ結果であると同時に、税の使途について逆に厳しい視点を確立しつつある証左でもある。一時期、無駄な公共事業への批判を追い風に民主党が伸長したことに学んで政府自民党も一部修正せざるをえない状況に追い込まれた。政権交代が決してお題目ではなく、現実可能性が生まれつつある現在、消費税議論は厳しい展開が予想される。民主党にも同様の「政権担当能力」が求められるのである。

<続く国民負担の増加>
 この数年、国民負担の増加が続いている。健康保険の本人負担が1割→2割→3割と引き上げ。今年の年金改正で、国民年金・厚生年金保険料率が引き上げられた(国民の強い批判もあった)、雇用保険についても、失業率の悪化による失業保障の増加によって財政が破綻し、保険料のアップが実施された。昨年からは年金課税強化の方向が打ち出され、年金収入への控除が縮小された。
 現在、厚生労働省は介護保険の財政負担を、障害者福祉を取り込むことを前提に現在の2号被保険者(40歳以上)を、20歳からとする案を進めようとしている。
 
 <不安材料ばかりの日本>
 加えて、少子高齢化社会と言われて久しいが、2005年をピークに日本の労働人口が下降線を辿ること、団塊の世代の大量退職・年金受給者への参入時期とも重なって、これからの10年は、社会構造が大きく変化していくと言われている。当然、給与収入に対する所得税も減少、一方で高齢化に伴って年金・社会保障の基礎的支出が増加していく。膨大な国・地方の債務残高を抱えつつ、こうした社会構造の変化に対応した税制の改正が正面に出てくることになるのである。
 
<地方への税源移譲も絡んで>
 所得税から地方税への税源移行による地方分権推進の課題も、定率減税廃止問題に絡むことになる。2006年度までに4兆円を所得税から地方税に移行させることが三位一体改革の中で決められている。定率減税廃止の場合の税源を、地方移譲へ振り替えるという案である。昨年の大綱では年金の国庫負担増の財源とするとされているが、財務省は一般財源化を主張する。
 三位一体改革との関係は他稿に譲るが、ここで触れておきたいのは、大胆な地方分権こそ、財政再建と税制改革にとって絶対にプラスであるという点である。私は、安易な増税を認める立場にはないが、費用対効果を税制に求めるとすれば、自ら収めた税がどう使われているか、効率的に使われているか、より身近な単位で議論できるところ配分が決められるのが望ましい。中央省庁が既得権益のように財政を運営していては、これから訪れるであろう高負担の時代に必要な国民的合意を形成していく事は困難であるということだ。
 補助金の削減にすら極端な抵抗を示している現在の中央省庁の対応を見るにつけ、どのような中身にせよ、国民的合意の形成は不可能と言わざるをえないのではないか。
 
<勤労者よ、声を上げよう>
 労働組合は元気がないと言われる。しかし、定率減税問題をはじめ、各種控除の廃止を含めて、税負担をめぐる課題は、まさに国民的課題である。信用のできない国の増税は認められないことを行動で示す必要がある。(2004-11-14佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.324 2004年11月20日

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【投稿】新潟中越地震と柏崎刈羽原発

【投稿】新潟中越地震と柏崎刈羽原発

<<震源地から25kmの原発>>
10月23日午後6時過ぎ、本紙先月号の発送作業にとりかかろうと集まり、準備をしているそのときに、地震発生のニュースが飛び込んできた。「新幹線が脱線したようです」とまで報じられ、それを伝えるニュース報道のさなかに再び強い余震が襲い、手でテーブルを押さえながら「落ち着いてください!」と叫ぶアナウンサーの声が上ずっていたが、落ち着くどころか、なんとも言いようのない不安と恐怖がいまだに続いている。
予想外に強烈な被害の実態、いまだに続く強い余震、しかしその中でも何事もなかったかのように平然と運転を続行している東京電力・柏崎刈羽原発、この原発は震源地から25kmしか離れていないのである。最大の不安と恐怖の正体の一つは、この原発にある。
東京電力がプレス発表した「新潟県中越地震における柏崎刈羽原子力発電所の状況について」(11/2)は、「今回の中越地震において、柏崎刈羽原子力発電所では、57ガルという揺れを観測しましたが、直接、プラントの運転に関わるような設備被害はありませんでした。そもそも、柏崎刈羽原子力発電所は、『建屋は安定した岩盤に支持させる』『建屋は地震に強い丈夫な構造とする』『調査により考えられる最大の地震を想定する』などの耐震設計になっており、また大地震の時は、耐震強度に十分な余裕を持って原子炉の運転を自動的に止める仕組みになっています。具体的には、水平方向の揺れが120ガル、上下方向の揺れが100ガルを超えると自動的に止まります。」と述べている。
ところがその二日後の11/4、東京電力は「本日、8時57分頃の地震に伴い当所7号機が原子炉自動停止いたしました。なお、当所1,2,3,5,6号機は、現在、定格出力で運転を継続しております。また4号機は定期検査中であります」と発表しているが、それ以上の説明はない。ということはこの日の余震が「水平方向の揺れが120ガル、上下方向の揺れが100ガルを超える」ものであったことを明らかにしている。それにもかかわらずその他の1,2,3,5,6号機は自動停止せず、なおかつ停止させることもなく、定格出力をしているというのである。

<<1500ガルの衝撃>>
防災科学技術研究所によると、震央からの距離1kmに設置されていた小千谷市のK-NET(強震計)で、最大加速度1500ガルを記録したという。これは阪神大震災の際に神戸海洋気象台が観測した818ガルを上回る観測史上最大級の強さである。長岡では、岩盤上の1成分だけで400ガルを超す加速度が観測されている。柏崎市でも地表で144ガルが記録されている。
ところが、原発が想定している揺れは、最も大きく想定している静岡県の浜岡原発でさえ600ガルである。柏崎刈羽原発の各原子炉の耐震設計は,基礎岩盤の300ガル(設計用最強地震)および450ガル(設計用限界地震)の地震動(地震の揺れ)に対してなされている。その4倍近い1500ガルなどと言う値は、そもそも想定外なのである。
しかも問題なのは、東京電力が言う「調査により考えられる最大の地震を想定する」という最大地震エネルギーは今回のマグニチュード6.8どころか、マグニチュード8.0強を想定している。マグニチュード8クラスでも、最大振動が600ガルや450ガルを上回らないという根拠などまったくなかったのであるが、現実はこんな架空の想定を吹っ飛ばしてしまったのである。すでに阪神淡路大震災でも818ガル、そして今回は1500ガルである。耐震設計基準は、音を立てて崩れてしまったと言えよう。
さらにこの想定は、最大震度1回を前提としているが、今回のように繰り返し多数回にわたって襲ってくる余震、本震と同程度にまで及ぶ強力な余震というのも全くの想定外であった。しかも柏崎刈羽原発の場合は,建屋が設置されている岩盤の質が、弾性波速度700m/s以下のものもあるほど劣悪だという指摘もなされている。

<<あふれ出た冷却水>>
その上に問題なのは、人為的安全放棄である。柏崎刈羽原発の1・2・3・5号炉は、原子炉本体のシュラウドにひび割れを多数残したまま運転を続けている。これは、昨年八月にヒビ割れや記録改ざんの隠ぺいを発表せざるを得なくなった時、東電は「隠したのは悪かったが安全性に問題はない」と主張していたが、その一方で応急的なヒビ割れ修理を行っていたものである。
さらに、再稼働を強行した6号機と7号機は、シュラウド以外は従来通りの検査しかしていない。他の原発でヒビ割れの見つかった炉内構造物や配管、配管の減肉、不具合や内部告発があった制御棒駆動装置や、溶接焼きなましデータ捏造疑惑部位などの点検を行っていないのである。
しかも、ひび割れが激しい1号機では、過去五年間の検査で34箇所中、4箇所のひび割れが発見されていたにもかかわらず、『異常なし』と報告し、その後の記録改ざん・不正事件後の一斉点検では、突如、45箇所中、実に26箇所もの溶接部でひび割れが見つかったというのであるから、ずさん極まりない安全対策、信用できない検査記録・プレス発表を自ら暴露する結果となっている。
そもそも信用など出来ないのであるが、それでも東京電力は運転中の原子炉に関する詳細な情報提供を怠っていることは間違いがない。10/25付け『新潟日報』によると,1号炉と2号炉のタービン建屋でモルタルが落下したり、地震の揺れにより2・3・4・5・7号炉の使用済み燃料貯蔵プールから冷却水があふれ出し、4号炉で200リットル、他の炉でも数リットルから100リットルがあふれたようだ、と報じている。東京電力は10/31、2号機で、原子炉内の水位が異常に低下した場合に水を送り込む「原子炉隔離時冷却系」のタービンが正常に動かない不具合が見つかった、原因を調査していると発表したがそれだけである。その後も重大な事故につながりかねないこれらの事態について東電は詳細な情報をほとんど開示していないのである。

<<地震学者の警告>>
新潟県中越地震の全貌はまだ明らかになってはいないし、余震もまだ続いている。政府の地震調査研究推進本部は10/13、長岡平野西縁断層帯で全体が一つの区間として活動した場合、マグニチュード8.0程度の地震が発生する可能性があるという評価結果を出したばかりである。その意味ではまだまだ地震エネルギーがすべて放出されたとは言いがたい状況である。
阪神淡路大地震以来、東北で連続して発生した大地震、その後も各地で相次ぐ地震報道は、日本列島が大地震活動期に入っていることを改めて示しているともいえよう。マグニチュード8クラスの東海大地震、中南海大地震の可能性が無視できない現実となってきているとき、それらの巨大地震がずさんな管理と検査の手抜き、浜岡原発のように「シャブコン」と呼ばれる水増しコンクリートで作られた建屋、減肉でやせ細った配管に覆われ、ヒビ割れた原子炉を抱える日本の原発を直撃し、人類未曾有の原発大震災を発生する可能性がますます高まっていることを肝に銘ずべきであろう。
以下に示すように多くの地震学者が破局的災害の現実性を警告している。この警告にあるように、事態を真剣に受け止め、この問題に真っ正面から取り組むことが求められているのではないだろうか。
(生駒 敬)

<追記:地質学者の警告については、ネット上でご覧ください。編集委員 佐野>
「【資料】「原発震災:日本列島で懸念される、地震と地震による核事故とが複合する破局的災害」 石橋克彦氏 (神戸大学理学部教授)」

【出典】 アサート No.324 2004年11月20日

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【コラム】ひとりごと—新潟中越地震に思う—

【コラム】ひとりごと—新潟中越地震に思う—

○災害は忘れた頃にやってくるというが、まさに今回の新潟中越地震がそうであろう。関西でも9月上旬に和歌山県を震源地とする震度5の地震があり、被害は少なかったとは言え、ひやりとした経験をした直後のことだった。○阪神大震災のような人口密集地での地震でなかったわけだが、それはそれとして、山や川が元の姿を留めず、地震によって土石流や道路の破断、ダムの形成と新たな災害が危惧されるなど、都市部とは違う恐ろしさをまざまざと示したものだった。○被災された皆さんには、お見舞いを申し上げると共に、一日も早い復旧を祈るばかりである。○ 特に今年は、災害に明け暮れた年であった。猛暑とともに上陸した台風は観測史上最多となり、堤防の決壊、都市部での床上浸水、災害死亡者数が百名近いものもあった。台風については、西太平洋の海水温が高温が長く維持されたためとも言われ、地球の温暖化も関係しているらしい。来年以降も同様の傾向が指摘されている。○いずれの災害も高齢者が多く犠牲となり、通常生活への復帰についても一番困難である様子が伺える。特に過疎地においては、一層深刻な事態となる。自然災害の場合、災害を未然に防ぐことは中々困難なことであろうが、コミュニティで維持されてきた生活を復旧させる場合もまた、コミュニティの力が必要になる。ボランティア活動をはじめ地域活動の大切さも、住民自身自覚的・日常的に取り組む必要があると思う。(佐野) 

 【出典】 アサート No.324 2004年11月20日

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【投稿】小泉政権の「言葉の軽さ」と背後で進む危険な動向

【投稿】小泉政権の「言葉の軽さ」と背後で進む危険な動向

<<「ブッシュでないと困る」>>
 11月2日の米大統領選を目前にして、小泉首相も気が気ではなくなってきたのであろう。10/14、記者団から「第3回テレビ討論があり、各社の世論調査でケリー氏勝利という結果が出たが、盟友であるブッシュ大統領にどういった言葉をかけたいですか。」と問われて、首相は、「世論調査と選挙の結果が違うことはよくある。結果を見ないとわからないですね。他国の選挙には干渉したくないけど、ブッシュ大統領とは親しいから、頑張っていただきたいね。」と思わず本音を漏らした。民主党から「特定の人を応援しているという表現は、民主主義の観点からも外交的観点からもおかしい」と批判されると、細田官房長官はあわてて、「親しい関係にあるブッシュさんに『頑張りなさい』という意味でエールを送ったんだと思う。そのような(選挙応援の)趣旨で言われたと解することは誤解だ」と釈明の記者会見。
 ところがさらに、10/15、首相に忠勤を売りにして自民党幹事長になった武部幹事長が「ブッシュ大統領でないと困ると思う。ケリーさんなんか北朝鮮問題を(米朝の)2カ国(間協議)でやろうと。とんでもない話ですよ」などと言ってのけた。今度は政府・与党内からも疑問の声が上がったが、「政党政治家としての意見を述べたもの」と居直る始末。農水相時代、狂牛病対策に際して、「感染源の解明は大きな問題なのか」と失言し、「感染牛はまだまだ出るので驚かないでください」といった暴言にまで及んで、ついに農水相失格となった人物だけに、自らの発言の政治的意味が理解できないのであろう。

<<「勉強をサボったりしないように」>>
 続いて、10/16、沖縄を訪れた町村外相が、米軍ヘリが沖縄国際大学本館に衝突、墜落炎上した事故現場を視察して、「(米軍の)操縦士の操縦がうまかったこともあって、ヘリ事故で重大な被害が出なかった」などと、事故直後の在日米軍発表をそのまま受け売りした発言で、沖縄県民の反発を招き、あの発言は「不適切だったかもしれない」と釈明に追い込まれ、これまたその政治的資質が問われている。この人物、沖縄国際大学の職員に対して、「事故当時は夏休みで、学生はほとんどいなかったんでしょう」「ヘリは爆発したんですか」と、質問するなど、そもそもヘリ事故の基礎的事実や、放射能漏れという重大な事実についてはまったく把握もしていなかったのである。その上、自らの不勉強を棚に上げて、「事故を機に学生が勉強をサボったりしないように」などと発言する無神経さである。
 問題はこの外相の沖縄視察の前の10/12に、政府は首相官邸で米軍ヘリ沖国大墜落事故に関する第3回関係閣僚会合を開き、米側から要請があれば、事故機と同型のCH53Dヘリの飛行再開の容認を確認し、日米が設置した事故分科会で結論が出ていないなかであるにもかかわらず、翌10/13には米軍はすぐさま住宅地上空での飛行を再開し、政府はこれをを容認したことである。当然、沖縄県側は「納得できない。政府に対し説明を求める必要がある」(比嘉茂政沖縄県副知事)、「県は事故原因の究明と公表、実効ある再発防止策が示されるまでは飛行停止を求めている。米側から報告書が示されただけで、県としては、現在も事故原因の究明が行われている過程の段階との認識だ。再発防止策を日米間で確認した上で県民に説明が必要だ。それがまだ説明されていない」(府本禮司知事公室長)と、不満を表明し、飛行停止を求めている県の方針に変わりがないことを強調している。
 町村外相はこうした県民の要請を無視して、「被害を最小限に食い止めるため、乗員3人が行ったことは大変すばらしい功績だった」という在日米軍司令官の発言をそのまま後追いしただけであった。

<<「司令塔」の座間移転問題>>
 小泉首相にしろ、武部幹事長にしろ、町村外相にしろ、いずれもブッシュ政権に忠実なあまり、政治や外交のイロハも見失ったといえよう。しかしその生来の「言葉の軽さ」の背後で進行しつつある、これまでとは質的に異なった重大で危険な動向を見逃してはならないだろう。
 それは、米陸軍第一軍団司令部の座間移転問題である。現在、米本土・ワシントン州にある米陸軍第1軍団司令部を、日本の座間基地(神奈川)に移転し、中東や中央アジアで展開する統合部隊の「司令塔」にしようとする米軍再編案である。
 小泉首相は10/13の衆院代表質問で、鳩山由紀夫氏(民主)の「米陸軍第一軍団司令部の座間移転は、日米安保条約第5条の極東条項に抵触し、安保条約の性格にかかわる重要な問題」という質問に、「在日米軍の兵力構成見直しは、日米安保条約の枠内で行われるべきで、憲法との関係でも問題が生じるものではない」と答弁した。首相は、在日米軍の再編は、日米安保条約の「極東条項」の枠内で行うと語る。
 ところが、9/20の日米局長級協議で日本側は、陸軍第1軍団司令部のキャンプ座間への移転案については、極東条項との整合性や地元の反発などを理由に「政治的に受け入れは困難」と米側に伝えていたものである。この「極東条項」、日米安全保障条約第6条で、米軍が日本国内に駐留し、基地を利用できる理由として「日本国の安全への寄与」に加えて、「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与」を挙げており、この「極東」の範囲について、政府は60年2月の統一見解で「フィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域であって、韓国及び台湾の支配下にある地域もこれに含まれる」と示してきたところである。今回の米軍再編案は、この「極東」の範囲をはるかに超えるものである。司令部を受け入れれば在日米軍の活動領域を極東に限った安保条約との整合性が問われる。そればかりか、これまでとは質的に異なった米軍の世界戦略への日本の加担という新たな問題が浮上してくる。安保条約どころか、憲法そのものに抵触する問題である。

<<「整合性にはとらわれず」>>
 すでに米側は座間に司令部を移転させることで、800名の将兵が移転(増加)するという具体案を日本政府に示している。このままでは極東条項を無視することとなり、条約違反から、憲法違反にまで発展しかねない。そこで出てきたのが拡大解釈案である。10/12、外務省首脳とアーミテージ米国務副長官らとの会談で、両者は米軍再編の協議を加速させることで一致、日本側は、日米安保体制の意義について「日本や極東の平和と安全」に加えて、「テロや中東の安定、大量破壊兵器の拡散などグローバルな脅威への対応」という言葉を付け加えることを表明したのである。
 これを受けたのであろう。10/16、町村外相は訪問中の沖縄県那覇市での記者会見で、「頭からまず安保条約、極東条項ありきということでやると狭い議論になってしまう」として、在日米軍の活動領域を「極東」に限定した日米安保条約の「極東条項」との整合性にはとらわれず、テロや大量破壊兵器拡散など「新しい脅威が伝統的な脅威に付け加わってきた」と指摘、米軍や自衛隊の使命、役割をより幅広い観点から捉えなおす必要があるとして、その観点から米政府との協議には柔軟に臨むことを明らかにした。
 首相は「安保条約の枠内で」と言い、外相は「安保条約の枠内にとらわれず」と言う。ゴールは同一の二人三脚である。しかしいくらつじつまあわせや拡大解釈をやってみても、安保条約や憲法との整合性は確保しがたい。
 だからこそ、アーミテージ米国務副長官らが「憲法九条は日米同盟関係の妨げの一つ」と発言したのであろう。憲法改訂が日米共通の急務となってきた所以でもあろう。

<<常設の「憲法委員会」>>
 これに呼応するかのように、10/14の参院代表質問で、自民党の片山参院幹事長は、「憲法第九条を見直し、とくに自衛隊の位置づけや国際貢献の明確化、さらには集団的自衛権の行使が可能となるようにすべきだ」と政府に迫った。たとえ自民党といえども、代表質問という場で、集団的自衛権の行使を可能とするために憲法を改正せよと迫ったのは今回が初めてである。これに答えて、小泉首相は「憲法九条などさまざまな議論がある。憲法が実態にそぐわなければ、改正の議論を避けるべきではない」と応じた。
 そして同じ10/14、自民党の保岡興治議員は、衆院憲法調査会で、「憲法調査会が終わったあと、両院にしっかりした常設の憲法を論ずる機関をただちに継続して起こすことが必要ではないか」とのべ、来年の報告書提出後に議案提出権をもった常設機関として「憲法委員会」を設置することを提案し、この憲法委員会については民主党議員と認識が一致していることを強調した。この「憲法委員会」は、国会の改憲発議(憲法九六条)にむけて改憲案の審議と発議提案をおこなう場と位置付けられているものである。
 この憲法委員会については、民主党の枝野幸男前政調会長がポスト憲法調査会として「恒常的な常設の機関が必要だ」(「読売」9/14付)と発言し、保岡氏が「憲法委員会を作る国会法改正案が来年の通常国会で成立することが望ましい」と応じている(同9/18付)。自民党の民主党取り込み作戦が功を奏しているともいえよう。この点では、公明党の赤松正雄氏は「常設委員会については慎重でなければならない」と述べているが、その慎重姿勢も現在の公明党指導部ではいつ豹変してもおかしくはない事態である。
 改憲勢力は、世論の動向や内外の情勢の変動に不安を抱きつつも、その危険な歩みをまた一歩進めたといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.323 2004年10月23日

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【投稿】大阪府、4度目の財政再建計画を提案

【投稿】大阪府、4度目の財政再建計画を提案

全国都道府県のなかで、経常収支比率は15年以上ワースト1にあり、且つ94年からは100を超え、また、98年度以降6年連続赤字決算となっている大阪府は、今年9月1日、行財政計画「改定素案」を公表し、現在パブリックコメントに付されている。
大阪府の行財政計画は、96年1月の行政改革大綱に始まり、同年8月には『財政健全化方策(案)』を発表。また98年9月にはあの定期昇給24月延伸、特別昇給3年停止を強行決定した『財政再建プログラム(案)』を策定。更には2001年に行財政計画(案)を策定しており、今回で途切れることのない4回目の行革計画である。
行財政計画(案)は集中取組期間3年間で、1,145億円の経費削減計画予定に対し、2、132億円にのぼる987億円の歳出削減効果を上げていた。主な削減対象は人件費であり、職員数の削減にも増して、職員給与が際だっておりそのラスパイレス指数は平成15年4月時点で99.1と全国48道府県の中で46番目となっている。 しかし、長引く景気低迷の影響による税収減や交付税の大幅な削減により、このまま推移すれば2007年度に財政再建団体へ転落することが必死となったとし、これを回避するため、2005年から2007年度の3年間を「緊急取組期間」と位置づけ更に絞ることとしている。
具体的には府立高校再編に伴う跡地売却等で330億円、税収確保90億円、合計420億円の増収を見込むとともに、人員削減、一時金のカット(指定職10%、管理職6%、その他4%)、時間外手当の年360時間の上限設定、非常勤特別嘱託制度を廃止し再任用職員に置き換えることにより新規採用職員の抑制、管理職手当の見直し、職員互助会・教職員互助会等への補助金の削減、公営企業に対する繰出金の削減、アウトソーシング・PFI等による民間活力の活用、出資法人の改革、公の施設への指定管理者制度の導入、主要プロジェクトの「点検」等により805億円を削減するとしている。問題なのは805億円の削減額のうち、510億円(63%)を人件費抑制により生み出すこととしており、行革計画のなかでも類を見ないすさまじいものである。
しかし、「再建方策だけでは未来への展望を開くことができない」ため2つの視点(アジアの中の大阪、住む人が安心できる大阪)と7つの戦略的取組分野を設定し、施策の重点化を行うための「再生重点枠」を削減効果の一定割合を財源に行う、「あえて「再建」と「再生」の二兎を追う」としている。また、行財政改革有識者会議とその専門部会を設置し、改定素案項目全体についてお目付け役をおくこととしている。国における経済財政諮問会議(行財政改革有識者会議)は小泉首相流の手法を大阪府に持ち込んだ構図となっている。
今回の改定素案は、第1に、財政収支試算の歳入について一定の前提条件で試算したとしているが、「三位一体改革」による交付税等への影響が前提となっていることである。平成16年度地財改革により大阪府は普通交付税8.2%減、臨時財政対策債を加えると14.8%(750億円)の減になっている。これがなければ改定素案を策定することは必要でなかったかもしれない。9月府議会でもこの点を突かれ知事は「長期財政推計につきましては、これら(三位一体改革の動向)を踏まえ見直しを行い、当初予算案と合わせて公表したいと考えます」と答弁することになった。
第2に、3年間の削減効果額のうち510億円(63%)が人件費抑制額であり、8年連続の賃金抑制に加え、あと3年以上抑制が続くことに対する問題である。9月府議会でも、一般行政職員は除外されているようであるが、「一律カットは、職員のやる気を失わせ、・・・特に、医者や警察官など府民の生命に直接かかわる職種についてその特殊性をまったく考慮しない対応は問題がないとはいえない」(自民党西野議員)、「昇給2年間停止、人事委員会勧告も実施されず、全国ワースト1に近い警察、教職員を含む職員の給与水準も限界にきていると考えますがいかがでしょうか」(民主党漆原議員)など計画の組み立て方に対する疑問も出ている。
第3に、再生重点枠は、要は「府内と府外に関すること」を重点としてやりますとしているだけで、「府内と府外」以外何があるのか分からない。唯一府庁新庁舎建設は凍結するということだけである。これも議会では「2つの視点、7つの戦略的取組分野はきわめてあいまい且つ包括的で、まったく重点化になってません」(自民党西野議員)と指摘されている。
第4に今後の課題等について、有識者会議専門部会で検討するとされているが、専門部会と施策決定の関係など専門部会の位置づけが不明確である。これについては、議会軽視であるとして議員からの評判は最悪であり、各部長クラスの中にも「聞いてない」と不満を漏らす人もいるらしい。
国、地方自治体を問わず財政は経済社会の混乱を背景に、政治的に設定されるものである。財政赤字のみに関心を寄せ、つじつま合わせに終始するならば、木を見て森を見ないのではなく、木も見ず葉っぱのみを議論している事と同じである。ウエスト100センチの人に80センチのベルトを締めさせても根本的な解決にはならない。 (羽)

【出典】 アサート No.323 2004年10月23日

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【投稿】支援費制度導入2年目で、早くも制度見直し案

【投稿】支援費制度導入2年目で、早くも制度見直し案

今年3月のアサートNo316(『課題山積みの福祉制度改革–介護保険と支援費–』)において、私は以下のような指摘をしている。

『<福祉サービスを巡る制度設計不足>
支援費制度は当初より制度的に問題が多かった。介護保険は、要介護度認定にあたり医者などを構成員とする専門委員会で決定し、さらに要介護度に応じて金額ベースの利用上限を設定し、標準的なサービス量を想定し、組み合わせはケアマネジャーという資格者の権限とした。支援費制度には、障害程度区分3段階はあるが、専門家委員会もケアマネも制度化されなかった。さらに標準的なサービス量も示されなかった。自治体にお任せというやり方である。さらに今回の統合論では、2002年から導入された精神障害者への在宅サービスも含まれているが、高齢者介護や身体障害者介護とは、全く性格を異にするスキルが要求されるサービスである。
いずれも、施設依存型福祉から地域・在宅型福祉への転換という大テーマの下に構想されたことは当然としても、単なる財源論から出発した論議では、高齢者福祉・障害者福祉の向上が望めないのは当然ではないか。』

<障害者福祉サービスの統合を提案>
厚生労働省は、10月12日 社会保障審議会障害者部会を開催し、「今後の障害保健福祉施策について」(改革のグランドデザイン案)を公表した。基本的視点として、
①三障害福祉(身体・知的・精神)を一体的に市町村事業にする
②保護型のシステムから「自立支援型システム」へ
③「制度の持続可能性の確保」・・・・・給付の重点化、制度の効率化・透明化
を挙げて、さらに★現行の制度的課題を解決する★新たな障害保健福祉施策体系を構築すると、二つの「改革の基本的方向」に整理している。
具体的内容の中で特徴的なのは、①福祉サービス提供事務の市町村への委譲②計画的な整備手法(数値目標を示した計画の策定)③国民の理解促進を挙げていることである。
その中では、私の指摘した問題点について、一定の改善策が提示されている。
まず、支援計画の作成について、ケアマネ制度を導入し、費用も負担する。そして、障害程度に係る尺度とサービスモデルの明確化(標準モデル作成)を行うとしているのである。介護保険の先例に習い、一定の制度的成熟を目指そうという意図は決してまちがってはいない。

<財政問題が、その本質>
しかし、「グランドデザイン」という割には、改悪部分は具体案が多く、目標が明確であるのに、改革案の方は、明らかに「構想」でしかないものが多い。それがこの報告の特徴でもある。
特に、現在の障害者サービスの利用者負担額が低く抑えられている点については、サービスの量に比例する「応益的な負担金制度の導入」という事で、かなりの利用者負担を提案してくる可能性が強い。入所施設負担金の見直し、公費負担医療制度の見直しという点でも利用者負担をさらに重くしようという提案が含まれているのである。
特に、提案の中に、「既存の公的保険制度等と比較して制度を維持管理する仕組みが極めて脆弱なことから・・・」というフレーズが繰り返し述べられている。既存の公的保険制度とは、介護保険に他ならないと思われるが、介護保険の財源構造は極めて安定している、というのだろうか。現在の障害者福祉は、基本的に税財源で実施されているが、本来はこちらの方が安定しているはずである。この提案の終着駅には、介護サービスの統合があることは明白である。

<最終目標は、介護保険との統合>
今回の提案の第一の目的は、支援費制度と介護保険の統合へのステップであるということだ。唐突なアドバルンを挙げて、厳しい批判をあびた反省から、まず支援費制度と精神障害者への福祉制度の統合、一体化をまず進め、その中で、介護保険に極めて近い制度設計を進めておく。それが、実現した上なら、介護保険との制度統合については、ハードルは低くなると考えているようだ。
第2の目的は、介護保険との統合を待つ事なく、支援費で導入された利用者自己負担額の値上げによる財政効果が狙いである。保険料負担を除いて、介護保険では利用者はサービス費用の一割を負担しているが、支援費では1.3%にすぎない。この負担率を実質10%に近づけることが目標になるに違いない。

<一部には、前向きな提案も>
唐突な提案の時、特に抵抗が強かった点は、介護保険が利用の上限を設けている点だ。その点について、今回の提案では、障害者介護について、障害者介護給付と障害者自立支援給付の2本立てを行い、自立支援と社会参加的なホームヘルプを別立てとした。また、障害者の居住保障という事で、居住サポート事業を提案している点や、都道府県・市町村に数値目標を示した障害者計画を義務付けるとした点など、一部に積極的な提案も見て取れる。
ただ、現状でも身体障害者在宅サービスを実施した自治体が78%に留まっている点、精神障害者サービスに至っては52%の自治体しか行われていないなど、現状でも遅れている全国的なサービス実態がある。

<議論は、これからだ>
この提案については、あくまでも厚生労働省の試案とし、関係審議会、関係機関等と協議を行い、次の通常国会に法案提出を目指すとししている。しかし、基本的に介護保険との統合をめざしていること、サービス利用の上限問題、利用者負担の具体案など、障害者団体が反対してきた点について明確になっていないし、自立支援を主眼としているものの財源問題が見え隠れしているのである。
欠陥制度としてスタートした支援費制度であったが、サービス利用が増えている事は、一面ではニーズが掘り起こされたことも事実である。介護保険と支援費の統合自体に自治体関係者の反対も根強いものがある。成熟した制度としてスタートできるよう、障害者・団体の声に耳を傾け、現場の声も十分くみ上げる姿勢が望まれている。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.323 2004年10月23日

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【本の紹介】成績主義批判の現在

【本の紹介】成績主義批判の現在
        –「虚妄の成績主義」と「内側から見た富士通」–

 2冊の本の紹介を通じて、「成績主義賃金」の批判の現在について考えてみたい。 『虚妄の成績主義–日本型年功制復活のススメ–』(高橋伸夫 日経BP社 2004年1月)と『内側から見た富士通–「成績主義の崩壊」–』(城 繁幸 光文社 2004年7月)の2冊である。2冊とも大いに話題となって雑誌などでも取り上げられ、ビジネス書としてはかなりの販売数が出たと思われる。それだけ成績主義賃金制度に対して不安や混乱・疑問が溢れていることの証左でもある。
 「虚妄の成績主義」の高橋教授は、連合の機関誌「連合」10月号の特集『どこまでやる気・・・「成果主義」』にも、問題提起を掲載されているし、一方の「内側から見た富士通」の城氏は、文芸春秋11月号に、富士通凋落の責任は経営者にあるとの一文を寄せられるなど、話題の本でもある。
 
 前書は、かねてより成績主義的賃金制度に反対の論陣を張ってきた高橋教授が実際に企業人事担当者とのヒアリングを通じた企業の実態、人と仕事との関係において、賃金の高い低いよりも、より達成度の高い仕事をし続けられる企業環境の確立こそが必要であるという観点でから、明確に成績主義賃金を批判したものであり、「日本的年功制」が持つ優位性を解明し、積極的に年功制を擁護されている。一方、後書は著者本人が、富士通人事部に在籍した経験を持ち、成績主義によって如何に企業が蝕まれていったかを、経験を交えて解明しようとした内容をもっている。
 
 いずれも、進行している「成績主義重視の人事制度の流れ」に批判的であることは共通しているが、前者が短期的な業績・成績にのみを重視した制度では、企業存続の基礎としての人材育成ができないこと、仕事そのものは賃金の高い低いではなく、「仕事のやり甲斐」と未来を托せる会社と感じられることによって遂行される、そういう意味で積極的な「長期雇用と一定の年功制」の必要性を結論としているのに対して、後者は、管理職評価の実施、評価の公開などを必要不可欠とした上で成績主義導入には時代の流れでは、との結論を行っている。
 方向性は異なるものの、現在進行している「成績主義賃金の導入」が、好ましい結果を生むことなく、むしろ一時期企業経営者からもてはやされた空気から脱して、冷静な議論が必要な時期に至っていることを示しているように思える。
 
<「虚妄の成果主義」>
 著者は、「はじめに」において、端的に結論を述べている。
 「私がこの本で主張していることは簡単なことである。日本型の人事システムの本質は、給料で報いるシステムではなく、次の仕事の内容で報いるシステムだということである。仕事の内容がそのまま動機づけにつながって機能してきたのであり、それは内発的動機づけの理論からすると最も自然なモデルであった。他方、日本企業の賃金制度は、動機づけのためというよりは、生活費を保障する視点から賃金カーブが設計されてきた。この両輪が日本の経済成長を支えてきたのである。「賃金による動機づけ」という呪縛から抜け出してしまえば、本当のことが見えてくる。今からでも遅くはない。従業員の生活を守り、従業員の働きに対しては仕事の内容と面白さで報いるような人事システムを復活・再構築すべきである。それは『日本型年功制』の究極の姿である」と。
 第1章では、流行に乗って成績主義を導入してみたものの、むしろ矛盾が噴出している実態が語られる。1年で成果を出すために低い目標を設定する社員の急増、マニュアルに従い、点数をつけたものの出てきた結果は、本人も周囲も納得できないもので、評価した上司は「マニュアルを作ったヤツが悪い」と居直る。逆説的だが、窓際族的に集められた部署が心気一転がんばって成績がダントツとなり、辞めさせたいのに、できなくなった会社などなど。
 成績主義と連動している年俸制についても、この制度を導入する会社には、二つの種類がある。一つは新しくできた会社などで、中途採用者が多く長期雇用が始まっていないケース。しかし、新入職員を採用するようになると、年功的要素を含む制度に移行していく場合が多い。(「自前で人を育てられない新興企業は年俸制を志向する」)もう一つは、成績主義とは名ばかりで、賃金を自由に切り下げる事が目的であったり、業績が下向きになった場合など社員のせいにしてしまう会社に多いという。
 著者が主張するのは、前述のとおり、成績と賃金を連動させても、それだけで業績が上がり、優秀な社員が集まるという理論的には成り立たない。それは、2章以下において述べられる。成果主義的な試みは、欧米でも100年以上も前から導入・検討されてきた経過があって、金銭的動機は業績には逆に悪影響を与えるとすでに結論がでているとしている。

<「内側から見た富士通」>
 「虚妄の成果主義」にも例示された成績主義の失敗例、それを内部告発的に富士通について語られるのが、「内側から見た富士通」であろうか。(著者はすでに同社を退職)
 同社は、1992年にバブル崩壊も重なり、初の単年度赤字に転落する。シリコンバレーに同社調査団を派遣し、エンジニア達が成果に応じた報酬を受けて高い成長を実現していると、成績主義の導入を決定した。翌年1993年から管理職の年俸制を導入、1997年には中堅社員以上に、そして1998年に等級制度を一般社員に導入し、資格制度を廃止、システムは全社員に適応されることとなった。
 しかし、この制度の導入と正反対に、2001年のITバブル崩壊後、大規模リストラを断行した後も、ひとり富士通は2年連続最終赤字1000億円を越えることとなった。その最大の原因こそ、誤った成果主義の導入であったと著者は言う。
 富士通の成果主義のシステムは著者によると以下の通りである。
 基本は目標管理制度ということになる。全社の目標、部門の目標が立てられ、部員・社員がそれぞれ目標を設定し、その結果が評価の対象となる。その結果が賞与や昇給額に反映される。さらに裁量労働制が導入され、費やす時間ではなく結果を出す事が求められる。
 ただ、こうしたスーパーパフォーマーを生み出すはずだった夢は、2000年に入ると業績悪化となって現出。株価も10分の1にまで下落する。一方で人件費総額は2割アップし、成績主義にも関わらず、従業員の離職率が増加、優秀な人材ほど会社を去っていく、新卒社員ではない中途採用応募者の質・量共に低下する。導入前には溢れていた全社一丸といった愛社精神も低下しはじめた。
 どうしてダメになったのか。ここからが本書の核心となる。そこには余りにひどい富士通の実態がある。
 
<社員はこうして「やる気」をうしなった>
 評価は、SA・A・B・C・Dの5段階評価なのだが、あらかじめ人事部により中学校の成績のように割合が決められていた。成果よりも評価の割合が優先したためがんばってもBという評価が出るなど、矛盾が噴出した。また、優秀な大学出身者にはあらかじめ幹部候補生として、いい評価が振り当てられる。目標シートは評価の際、チェックもされず、残業時間と有給休暇・勤怠のみで査定が行われていた。同じ営業部でも販売部門と保守点検のサポート部門ではあらかじめ評価が決まっていた。勢い裏方的で地味な部門の評価は低くなった。
 制度導入後、数期が経過するとはっきりと特徴が現れてくる。製品品質が低下しはじめ、はっきりと社内の空気が変わってきたという。1割と言われる「できる社員」は、裁量労働制を選択し時間外手当を失ったが、それ以上を賞与のアップで稼ぎ、普通の社員は時間外労働を「作り出し」、残業手当を積み上げた。その結果、人件費は2割アップとなったが、業績は落ちていったという。
 「こうして社員は、まじめにやっても結局は疲れるだけになった。」という。その後、不満の解消を目的に「評価割合の解消」が行われたが、これが逆に誰でもAが付くというような「評価のインフレ状態」を生み、さらにボーナス原資は限られているために、上位評価を受ける社員の賞与も知らない内に減額される事態となり、これらの優秀とされる人材も、富士通に見切りをつけ、転職が続出する。
 さらに具体的な実態が語られるのだが、これが「富士通の成績主義賃金制度の実態」であった。
 著者は、経営者・管理する側が自らには役職賃金として年功で積みあがった高給を確保する一方で、社員には欠陥だらけの「富士通型成績主義」を強要してきたとし、「富士通凋落」の全責任は経営側にあると断じている。
 
<日本型成績主義の確立>
 著者によれば、大企業は所謂団塊の世代に続いて、1980年代後半に入社したバブル期の大量採用社員が存在し、一定の年功賃金体系を維持し続ければ、給料・年金・健保負担など人件費負担は増大するばかりであり、人件費カットのために飛びついたのが成績主義であったとの結論である。ただし、年功制と成績主義とどちらがいいか、という論点は不毛であり、富士通の経過を踏まえて、「日本型成績主義の確立」が必要であるという。まず目標管理制度を廃止し、評価の専門家を育成し、評価のズレをなくす。成績は公開する、などである。
 著者は1973年生まれの30代。若い世代の代表である。高給が保障されているのに働かない中高年社員に対して批判的であり、若い世代が成績主義の恩恵を受けていないという発想の原点があるように思える。
 
<成績主義幻想を捨てよ>
 偶然だろうか、両著にはよく似た文章がある。高橋教授は、第4章を「未来の力の持つ力を引き出す」と題され、「未来には力があるのだ。日本型年功制は、その『未来の力』を引き出すために設計・運用されてきた。」と語る。一方、城氏は、「人間はなぜ働くのかと聞かれれば、それは「未来」のためだろう。・・・しかし富士通には未来はなかった。・・富士通を辞めた人たち何人かに会ったが、彼らも口をそろえて『あの会社には未来がない』と言った。」と。
 二つの書物の結論にかなりの違いがあるものの、「成績主義幻想」から脱すべきだ、という共通点はある。民間企業の7割が何らかの成績主義を導入しているという現実とそれとどう向き合うか、という点において、大いに参考になると言える。
 特に、こうした民間の流れを受けて、公務員にも評価制度の導入や成績主義的賃金体系を導入しようという公務員制度改革が動き出そうとしている現在、正面から受けて立つためにも。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.323 2004年10月23日

カテゴリー: 労働, 書評 | 【本の紹介】成績主義批判の現在 はコメントを受け付けていません

【投稿】安保理常任理事国入りのファンタジー

【投稿】安保理常任理事国入りのファンタジー

<<「苦悩」さえ見せない首相>>
 小泉首相が繰り出してきた耳目驚かすサプライズ作戦も、もはや種も尽き、その浅薄な底意も見え見えで、求心力も失い、すがるはブッシュ頼みとなったのであろう。突如、首相は、国連総会で安保理常任理事国入りを目指すという。支持率回復作戦である。6月の日米首脳会談で、ブッシュ大統領から「日本は安保理常任理事国になるべきだ」とリップサービスでおだてられ、この21日の日米首脳会談でも、大統領選挙で苦戦するブッシュを支援し、改めて米国に協力を求めるという。厚顔無恥、あるいは傲岸不遜とは、こういう連中のことを言うのであろう。国連を徹底的に無視し、嘘と欺瞞で、大量破壊兵器の存在を口実に対イラク戦争に踏み切ったブッシュ政権、これに無条件で追随してきた小泉政権、事態が泥沼化し、彼らの手に負えなくなるや、国連重視、国連改革である。
 しかし彼らの目論見は、そうたやすいものではない。ブッシュ政権自身が窮地に立たされている。パウエル米国務長官はこの9/13、上院政府活動委員会の公聴会で、ブッシュ政権がイラク開戦の最大の根拠と位置付けた大量破壊兵器について、「いかなる備蓄も発見されておらず、この先も発見されることはないだろう」と証言したのである。先制攻撃直前の昨年二月の国連安保理で大画面映像を使って得々と大量破壊兵器の存在について、脅威がいかに差し迫っているかについて偽証したその本人が、今さら「情報機関のスタッフの一部は情報が疑わしいと分かっていたが、それが私に知らされなかったことを知り苦悩した」と反省の言葉を口にしても、国際社会を欺いた責任は免れるものではない。
 この証言は、小泉首相にとってもショックであろう。なにしろ首相は、イラクは「大量破壊兵器を保有する」と断言し、その根拠を問われると、「フセインが見つからないから、存在しないとはいえない。大量破壊兵器も見つからないからといって、なかったとは言えない」という詭弁まで弄して、失笑と爆笑を買ってきた張本人である。当然、首相はこの証言に何のコメントも出来ないでいる。もちろん反省もなければ、パウエル長官のような「苦悩」さえ見せない。

<<アナン事務総長には反論>>
 ところが国連のアナン事務総長の発言には直ちに反応している。
 アナン事務総長は9/15、英BBC放送に対して、「イラクを攻撃するかどうかの決定は安保理で行われるべきであり、(これを無視して)単独で決定すべきではなかった」と語り、戦争が違法だったかとの質問に対し「違法だった。我々から見ても国連憲章から見ても違法だった」と語り、「イラク戦争以降、国際社会は『つらい教訓』を学んだ」と指摘、「結局すべての人々が、国連を通じて加盟国と一緒に仕事をするのが最善だという結論に達したと思う」と述べ、さらに、「国連の承認がなく、国際社会からの幅広い支持のないイラク型の作戦が今後実行されないよう望む」として、ブッシュ政権の有志連合型単独行動主義やその先制攻撃論に対して明確な批判を明らかにしたのである。
 その上、今後の展望についても、「治安状況が今のまま続けば、信頼できる選挙はできない」と、米主導の占領統治への懸念まで表明している。
 この発言に対しては、翌9/16、細田官房長官は「(イラク攻撃の根拠となった)安保理決議との関係で、どのような観点で言ったかはっきりしない。真意を照会し、確認したい」とあわてたが、続いて9/17、閣議後の会見では、川口外相が「日本政府としては違法と考えていない。一連の国連決議があり、(安保理は)満場一致でイラクが継続的な違反をしていると認定している。アメリカの行動は国連憲章に合致していると思う」と、アナン発言に反論し、さらに外相は、「事務総長は国連の中で大変重要な役割を果たしているが、安保理決議を解釈する権利は安保理にある。米英の解釈を、日本も国連メンバーとして支持している」とまで語ったのである。解釈権まで持ち出した、事務総長への全否定である。
 しかし国際社会は、占領政策の失敗や捕虜への拷問・虐待には目をつぶり、自主性も主体性もなくブッシュ大統領には従う一方で、アナン事務総長には即座に反論というこの常軌を逸した日本政府の姿勢を厳しく評価せざるを得ないといえよう。

<<プレ911時代のファンタジー>>
 ところで今回、外相が持ち出したこの解釈権は天に唾するものである。問題の決議は、安保理で採択された直後、安保理常任理事国のフランス、ロシア、中国の三カ国が同決議に関する共同声明を発表し、決議が「(イラクに対する)武力行使におけるすべての自動性を排除している」ことを評価し、「安保理において次にとられる措置が決定される」ことを明らかにしていた。
 その上、ネグロポンテ米国連大使(当時)自身が、同決議には「武力行使に関して『隠された引き金』も『自動性』も含まれていない」と発言し、イラクが武装解除に応じない場合にも、自動的に対イラク戦争を容認するものではないと明言していたのである。
 つまり、安保理各国にとって、自動的に武力攻撃を容認しないことが全会一致による採択の条件となっていたのである。日本政府でさえも、「米国代表も、武力行使につながる隠れた引き金はないと述べている」と述べて、決議が自動的に米軍の武力行使を容認しないとの認識、解釈を示していたものである。
 だからこそ、アメリカは対イラク戦争容認の新たな安保理決議案の採択をその後も追求し続けたが、多数の反対にあい、採択が不可能と判断して、安保理決議なしの、「国連の承認のない」違法な対イラク戦争に突入し、今日の事態をもたらしたのである。いくら川口外相が「アメリカの行動は国連憲章に合致していると思う」と弁護しても、アメリカ自身は「国連の承認のない」戦争行為を自覚していたのである。
 ニューヨークの何十万人ものブッシュ批判渦巻くデモのなかで開かれた共和党大会では、「国連の指揮下ではアメリカは守れない」、「国連重視はプレ911時代のファンタジー」などといったスローガンが騒々しく流されたという。まさにこうした国連軽視のブッシュ政権に追随しながら、そのブッシュ政権の後押しで、ファンタジー・幻想まがいの、国連重視の安保理常任理事国入りを目指そうというのだから、小泉政権もまたとんだ皮肉な役回りである。

<<「9条改憲」の足場作り>>
 もちろんその役回りには、小泉政権のしたたかな計算があることも見逃せない。
 9/13、ブッシュ大統領は遊説先のミシガン州で、自らの選挙戦を有利にするためにわざわざ小泉首相との緊密な間柄を強調し、「彼とは平和について、さらに北朝鮮の独裁者への対応について語り合う仲だ」と述べている。当然そこには、対中国、対ロシア、韓国、イランを含めた核開発問題、等々での日米間の駆け引きや裏取引も介在していよう。それでも、またであればこそ、世界で孤立するブッシュにとっては、小泉は忠実につき従ってくれる、ブレア英首相にも劣らぬ得がたい存在である。
 一方の小泉首相にとっても、レイムダック化しつつある自らの立場を、米国を後ろ盾にして挽回し、政局の主導権を握りなおす絶好の機会でもあるといえよう。「9条改憲」の足場作り、集約化がその典型である。それに呼応するかのように、この七月以降、アーミテージ米国務副長官、パウエル国務長官らが相次いで、日本の常任理事国入りの条件として、9条改憲を期待する、と露骨に表明しだした。「憲法九条は日米同盟関係の妨げの一つ」(アーミテージ発言)だというわけである。新たな論拠を打ち出してくれた、気付かせてくれたとばかりに、自民党憲法調査会は8月末、九条改正について「常任理事国入りを含めた議論が必要」という認識を打ち出した。
 これならば、訪米中に「9条を書き換えると言う前提」で改憲是認発言をした岡田・民主党代表も巻き込めるし、少なくとも民主党内はかき回すことが出来る、政局のイニシャチブもとれる、と読んだことは間違いない。

<<「夏休み中だから」>>
 しかしたとえそうであったとしても、小泉首相のレイムダック化は止めがたいであろう。なぜなら、そのような小泉政権の路線は、よほどのことがない限り、圧倒的多数の庶民の支持を獲得することは出来ないからである。
 その典型が、沖縄国際大学構内に米軍ヘリが墜落、炎上した際の、米軍の対応、小泉政権の事後処理と沖縄県民の怒りに象徴されている。
 事件がおきた8/13、「犠牲者が出なかったのは奇跡」という大事故であるにもかかわらず、そして日米地位協定で米国側が警護や管理のために必要な措置が取れる「施設及び区域内」ではなく、米軍基地外での事故であり、普天間基地から米兵30人が急遽駆けつけ、銃を構えて現場を閉鎖、先に到着していた消防署員と県警の捜査員を閉め出し、日本側の立ち入りを禁止し、米軍が機体を勝手に撤去し、現場の立ち木まで含めてあらゆるものを持ち出し、しかも警察の現場検証すら拒否するという、明らかな違法行為(日米地位協定第3条違反)、日本の主権侵害行為、沖縄国際大学への住居不法侵入行為に対して、小泉政権は一切の抗議すら行わなかったのである。しかも、米軍は墜落現場で放射能測定器のガイガーカウンターを使った調査をし、密封容器に覆いをかけて運び出しており、そのことから当然、劣化ウラン弾などを搭載していた可能性が疑われており、放射能飛散・近隣住民への汚染の可能性さえ疑われる事故である。
 ボルネオから緊急帰国し、首相官邸に抗議と要請に訪れた沖縄県知事に対しては、小泉首相は「夏休み中だから」として門前払いし、面会にさえ応じなかった。ところがこの間、首相は高級ホテルで静養し、歌舞伎鑑賞、映画三昧、オリンピック番組に明け暮れ、金メダル選手に「感動した!」などと国際電話をして、それを記者団に披露までしていたのである。ようやく稲嶺知事との会談に応じたのは事故後10日以上たってからである。首相はこの期に及んでも沖縄県民の怒りと不安の声に耳を貸そうともせず、ただ川口外相に対してパウエル米国務長官に電話して「事故原因の早期究明」をお願いさせただけである。
 首相は9/13、米軍ヘリ墜落事故を受けた世論調査で、81%が首相の対応を評価しなかったことについて、その態度を問われると、ただ「再発防止に努めることが大事だ」としか答えられないありさまである。年金問題にしてもしかりであるが、庶民の怒りや不安を甘く見くびるような権力者に未来はないと言えよう。しかしそれを現実化するには、野党の対応が問われている。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.322 2004年9月25日

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【投稿】関電美浜3号機蒸気噴出事故について

【投稿】関電美浜3号機蒸気噴出事故について
                            福井 杉本達也

福井豪雨からまだ1ヶ月もたたない8月9日午後3時28分、関西電力美浜原子力発電所3号機(加圧水型軽水炉・出力82.6万キロワット)タービン建屋内で、2次系冷却配管が突然破損して大量の蒸気が噴出し、たまたま、現場付近で定期検査準備作業中の下請け会社「木内計測」の社員11名が被災し、うち5名が死亡するという日本の原発史上最悪の事故となった。

<事故の原因は腐食と水流による磨耗>
事故の原因は腐食と水流による磨耗が重なって、想定以上スピードで炭素鋼製の配管が減肉し、内部の圧力に耐え切れず破損したものである。直径55cm、肉厚1cmの配管は腐食・減肉で最も薄い部分ではわずか0.4mmになっていた。炭素鋼管の場合通常は内側の薄いさびの皮膜によって、さびが内部に進展することを防いでいるが、配管内の水流が乱れると一様なさび皮膜に亀裂が入り、さびが内部にまで進展していくこととなる。破損した配管の直前にはオリフィスという水流を計測する部品が取り付けられており、これが水流を乱したと考えられる。配管内の水流が乱れると予想される箇所は1976年の運転開始以来一度も検査されたことはなかった。
加圧水型原子炉は放射能を含んだ1次系配管と2次系配管費分離されており、1次系の熱を蒸気発生器という熱交換器で2次側に伝える仕組みである。2次系配管は万一破断しても放射能を含まず、冷却材喪失事故にも結びつきにくいことから、原子炉等規正法の対象外で自主保安にまかされており、配管材料も高級なステンレス鋼などを使わず炭素鋼などが使われることが多い。今回と同様の2次系の炭素鋼管の破断は1986年12月に米国サリー原発2号機ですでに起こっていた。4人が事故で死亡し、この事故を契機に日本でも該当箇所を低合金鋼に取り替えたり(高浜3号機、大飯1号機などはSUS304に交換済み)、肉厚検査を実施したりすることとなった。
なお、BWRについても給水・復水系,抽気系等の配管はSB・STPTなどの炭素鋼を使用しており、従来より減肉が生じることが知られているが,配管内への水に対しては酸素注入、配管材料に対しては,必要に応じてエロージョン/コロージョン対策材への取替へを行ってきており、東電などの調査結果では大きな減肉は今のところ生じていないようである。しかし、点検漏れの箇所がないとは言い切れず、BWRは1次系であり万が一美浜3号機と同様の箇所で大規模破損が起こった場合には重大な放射能漏れ事故となる。
関電から配管検査をまかされた関電子会社の日本アームは1996年から美浜3号機の検査をすることとなったが、それまで3号機の検査を担当してきた三菱重工から5年前に当該箇所の検査漏れを指摘されていたにもかかわらず、関電には報告していなかった。日本アームから関電へは昨年11月に報告されたというが、関電の検査は日本アームに「丸投げ」の状態であり、事故が起きるまでことの重大性にはまったく気づかなかった。

<今回の事故は氷山の一角>
関電の品質管理体制の問題点については、MOX燃料のデータ捏造に関連して、以前に「捏造問題の中間報告で…『自動計測を製造者としての品質管理とすれば、抜取検査データは発注者への品質保証』という認識を示している…自動機器による全数検査で不良品を大量にはねても、まだ、多量の不良品が完成品に混入する確立は非常に高く、抜取検査は必要不可欠の検査であり、「発注者への品質保証」などと“情緒的な”認識をしているような問題ではない。関電は元来が製造事業者ではないため、品質管理に関する能力は高いとは言えない。」(ASSET2000年1月20日号)と指摘しておいた。関電の安全管理・品質管理の状態は濃霧の氷山の海をレーダーも無しに航海しているようなものである。ハインリッヒの法則にもあるように、今回の事故は氷山の一角である。目に見える氷山の下には巨大な事故の可能性が潜んでいる。関電の経営者はこのことを全く理解していない。これが社会的影響の少ない企業であればまだしも、万一の事故の時には膨大な被害が発生するおそれのある原発を11基もかかえる企業の実態である。

<国の検査体制への関与>
事故調査委員会中間報告では、国の関与は電力会社が勝手に解釈運用している検査基準を統一し書面化して電力会社の事業者検査(自主保安)に任せたい考えのようである。しかし、安全管理・品質管理を全く理解できていない電力会社に自主保安として任せても担保がない。西川福井県知事は今後の安全対策について、2次系配管について国の関与を明確にするように求めている。2次系配管の保安に国が関与するということは、自主検査結果を書面で確認するのではなく、定期検査に立ち会うことしかない。原子炉設備が益々経年劣化する中、さらに多数の検査職員が必要となり、現在の原子力安全・保安院の組織の拡充が必要となる。保安を担保し、検査回数を減らすには2次系の主要部分をすべてステンレス鋼化することである。(桜井淳:『日経ものづくり』2004年9月号「予測は可能だった美浜原発蒸気噴出事故」)。または、一定年数、たとえば15年経過した設備は検査結果のいかんにかわらず全て新品と交換することであろう。

<安全規制法規の統一>
高温高圧の水やガス設備を対象にした安全規制の法律・規則には「原子炉等規正法」「ボイラー及び圧力容器安全規則」「高圧ガス保安法」などがあり、監督官庁も経済産業省と厚生労働省とに分かれ、技術基準もそれぞれ異なっている。原子炉等規正法では放射能の管理区域内を対象とし、今回のような2次系配管は「電気事業法」の自主保安の部類に入る。原子炉圧力容器や蒸気発生器などはボイラー規則の対象施設ではあるが原子炉等規正法で対象から除外されているし、高速増殖炉「もんじゅ」の冷却材である液体ナトリウムを空気などから遮断するアルゴンガスの高圧ガス設備も高圧ガス保安法の適用除外となっているなど運用は複雑である。過去よりボイラーや高圧ガスにおいても様々な事故が起こってきた。今回、美浜3号機の事故後、保安院はPWR・BWR原子炉・火力の緊急点検調査を実施したが、事故の履歴が統一の「技術基準」として共有化されているとは言いがたい。8月15日には福島県の相馬共同火力でも美浜3号機と同様の箇所の破損事故が起こっている。こうした安全規制法規に抜け穴が多いことが今回、関電が火力発電の技術基準のただし書きを勝手に解釈して配管の耐用年数をごまかそうとした行為にもつながっている。

<現場を離れた書類検査だけでは安全性がないがしろに>
今回の事故で子会社の日本アームが炭素鋼の性質をよく理解していなかったことが、事故の直接のきっかけとなった。日本アームは三菱重工から検査を引き継いだものの、なぜ、その場所を検査しなければならないのか、構造・材料・溶接等にまで踏み込んで理解していなかったものと思われる。でなければ28年間も無検査状態ということは起こりようがない。関西電力は、8月18日付けの点検漏れ調査報告書の中で、「高浜3号機等3機で合計11部位が点検対象から漏れていたが、同一仕様プラントの測定結果から健全性は確認できていた」と報告したが、同一仕様であろうが、全く同一の材料が使われることはない。製造工場やロットが違えば材料も微妙に異なる。溶接も異なってくる。そのような違いがその後の腐食・減肉に大きく影響してくる。検査はそのような違いが起きていないかどうかを検査することにある。関電のような認識では、「2次系配管肉厚の管理指針」でなぜ曲管やエルボ、弁部分を検査することとなっているのかということはわからない。水流などの変化によって元々材料に潜在化していた欠陥が顕在化するおそれがあるからこそ検査するのである。
金属の表面がある限り、き裂は必ず発生するし、大気が存在する限り腐食は避けることができない。一般的に保安検査の立会ではプラント所有の検査発注会社の立会者はほとんど技術的に信用できない。検査員は検査会社の技能者の技量を信じるしかない。たとえば、低圧力小口径の安全弁の吹き出しなどは技術基準の許容範囲内に入れようとすると微妙なものがある。それをうまく調節できるかは技量そのものである。これを書類上で安全弁の検査結果として表せば「検査結果は+0.08で技術基準の+0.1~―0.1の許容範囲内」という記述になってしまう。原発では1次系は放射能に汚染されており、どうしても書類審査が主とならざるを得ない。また、原発の配管は1基でも200キロメートルにもおよぶといわれる。これを全て検査し、まして保安院が全て保安検査に立ち会うことはできないが、書類審査だけではなく、抜取検査をするだけでも現場の緊張感は全く異なる。原子炉が経年劣化すればするほど、益々、設備の状態を監視し・検査することが重要となる。原発では放射線被爆をできるだけ避け、しかも検査期間を短縮しようとする圧力の中、書類検査に頼り、現場検査がなおざりにされてきたのではないか。しかし、これは技術の衰退を招く行為である。書類検査だけに頼れば、現場から発信される貴重な情報は、異常値として処理され、あるいはデータ改ざんをされることとなる。今年6月28日、関電の「11基の火力発電所で、約3,600件にも上る検査データの不正処理が発覚した…タービンの保安装置などの検査を行わないままデータをねつ造したり、基準に達していない測定値の改ざん、さらに基準値そのもの書き換えという悪質なものも含まる。」(福井:9月12日)。原子炉が老朽化する中、経験則のない時期に入り、高温高圧の環境にさらされ続ける金属がどのような振る舞いをするのかを予測することは難しくなってきており、今回の事故以上の重大事故が起こる恐れが高い。

<トップマネジメントの問題>
関電は「日本の電力会社で初めて全社的品質管理(TQC)活動に取り組み、1984年には日本科学技術連盟からデミング賞を受賞した。秋山喜久会長は当時、TQC推進組織の責任者で、藤洋作社長も秋山氏の下でTQC活動を引っ張っていた。」(日経:8月16日 その後、関電はTQC(Total Quality Control)をTQM(Total Quality Management:総合品質マネジメント)に名称変更)という。絶えず変化する顧客ニーズに応えるために、プロセスを継続的に改善していくこと、そのために経営のトップが品質問題を、戦略として、トップダウンでプロセスの見直しを行うのものであるが、そこではビジョンや長期的な戦略が全社的な視点で共有されていることが重要である。ISO9000では品質要求事項の第1に当然ながら「経営者の責任」があげられている。そして経営者はそのために「誰が何をやるのか」という役割をはっきりさせ、それが確実に実行されるようにする。「誰が何をするか」=責任者を明確にしなければシステムは機能しない。関電は過去に自ら行っていた品質管理手法を捨て去り管理を「丸投げ」し、品質管理体制を風化させてしてしまった。
安全管理・品質管理において性善説に立つことはできない。必ず自分に都合の良いように解釈したがるものである。「求めている品質要求事項を満足するように品質システムを構築し、」「決めたルールを確実に守る」ために、ISO14001では、『仕組み』として、「品質記録の保管 」「内部品質監査 」「第三者機関による登録審査、定期審査(サーベランス)、更新審査 」の3点をあげていが、データの改ざん、技術基準の勝手な解釈、下請けへの「丸投げ」という状況では前2点は機能しない。関電の無責任体質を改善するためには外部の第三者によるサーベランスしかない。関電においては多量の「検査」“不良品”が“完成品”に混入する確立は非常に高く、第三者による抜取検査は必要不可欠であり、もし、抜取検査で“不良品”が混入していれば“全数返品”せざるを得ない。原発を扱っている以上『顧客満足の向上』とはまずは安全である。安全という前提がなければ電力単価や安定供給をはじめ全ての品質管理は崩壊してしまう。今回の事故は関電経営者がいかにマネジメントとはかけ離れた世界に生きているかを明らかにした。

【出典】 アサート No.322 2004年9月25日

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【コラム】ひとりごと–市町村合併に思う–

【コラム】ひとりごと–市町村合併に思う–

○全国的には市町村合併が進んでいるようだ。合併特例債などの誘導策に乗った例も多い。○大阪府でも、様々な動きがあったが、結局「堺市と美原町」の合併が残っただけとなった。大阪南部地域では、8月22日に行われた住民投票で、3市2町の合併問題では、3自治体で合併反対が多数を占め、合併協議会の解散となった。同日行われた岸和田市との合併を問う忠岡町の住民投票でも、反対派が選挙さながらの反対運動を繰り広げた結果、合併反対が多数となり、合併はご破算となり、町長は辞任を表明する事態となった。○さらに、9月19日に行われた門真市・守口市合併の住民投票では、守口市で反対が圧倒的多数、門真市では投票率50%に達せず、非開票となって合併は頓挫した。○確かに合併議論は複雑で困難が付きまとう。3000と言われる事務事業の比較シートを作成し、さらに合併後の住民負担や各種制度を巡っては、不利益となるケースも多い。言葉の上、数字の上では「10年後には豊かになりますよ」というのでは説得力もない。○私の立場は、合併には是々非々の立場である。要するに住民の選択の問題だからである。さらに言えば、地方分権が言われながら、合併議論では住民説明会と言う形は取られているが、市民参加の議論の場が設けられたという話は聞かない。行政主導で進められる場合が圧倒的に多い。現在の合併問題が、時限立法であり、手続きを急がざるをえないことも、原因のひとつでもある。○昨年来の補助金削減、そして三位一体改革の影響、不景気を反映しての各種税収の激減の中で、合併特例債に望みを繋ごうとする行政姿勢が目立つわけだが、合併にしろ財政再建にしろ、その選択を住民がしっかりできるよう、問題整理と情報公開を進めることが重要だと思う。○さらに、求められているのが、首長の政治姿勢と資質と言うことになる。合併を推進したのに住民から否決されると言う事は、明らかに首長不信任だということを認識できない手合いが多すぎるのである。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.322 2004年9月25日

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【投稿】米軍、自衛隊再編の危険性

【投稿】米軍、自衛隊再編の危険性

<先制攻撃戦略の完遂>
 ブッシュ大統領は8月16日、欧州、アジア各地に駐留する約20万人の米軍のうち、6,7万人を今後10年間で米本土に撤収させることを表明した。現在アメリカは、冷戦期にソ連軍などとの全面戦争を想定して、世界各地に配備した米軍の変革・再編(トランスフォーメーション)を進めている。  
 これらの措置は、アメリカおよび駐留先の同盟国の負担軽減につながるとして、歓迎する向きも多い。しかしこの本質は「9,11」以降、「対テロ戦争」を大義名分にアメリカが進める、中東地域への覇権拡大を効率的に行うための「改革」に他ならない。
 ソ連、ワルシャワ条約機構軍の脅威が完全に消滅した欧州では、かつての最前線であったドイツに駐留する地上兵力を中心に削減を進める一方で、侵攻の最先鋒となる航空兵力については、ドイツ配備のF-16戦闘機はトルコもしくはルーマニアへ、アイスランド配備のF-15戦闘機はイタリアへと、より中東に近い地域への展開が計画されている。
 極東地域については、欧州とは異って、朝鮮半島、中国、台湾情勢など多くの不安定要因を抱えていており、これらをにらんだ再編となっている。朝鮮半島に関しては、最早北朝鮮の大規模な南侵は不可能であることから、在韓米軍3万7千人のうち陸軍約1万2千人を削減、基本的には航空兵力による「先制攻撃シフト」へと切り替えられ、その際の早期拠点制圧のため、沖縄からの海兵隊移駐も検討されている。
 こうしたなか、日本については極東のみならず、世界規模の「対テロ戦争」の戦略拠点として位置づけられようとしている。この間の日米協議で明らかになった再編計画は、①陸軍第1軍団司令部を米本土のワシントン州から、キャンプ座間(神奈川)へ移転、②横田基地(東京)とグアム島の空軍司令部の統合、(司令部機能は横田に、戦闘機、輸送機など実働部隊はグアムへ)③三沢基地(青森)からF16戦闘機を嘉手納基地もしくはグアム島に移転(グアム島については、米本土から戦略爆撃機や新型戦闘機が配備される計画もある)、④在沖縄海兵隊については一部を先述の韓国の他、矢臼別(北海道)やキャンプ富士(静岡)など本土へ移転、等である。
この再編計画が目論むものはなにか。米軍は世界のどこであろうと空爆による先制攻撃で「テロ集団」や「テロ支援国家」に打撃を与えつつ、地上部隊を4日以内に1個旅団、5日間で1個師団、1ヶ月で5個師団を展開し「敵」を制圧することをめざしている。
 これらが実現すれば、日本中枢圏(横田、座間)を司令部としつつ、グアム島や米本土などからの航空、地上兵力が朝鮮半島のみならず、アジア全域および中東を攻撃するという体制ができあがる(中東に対しては欧州からとの2方向)。
 
<進む自衛隊の「外征軍」化>
 米軍戦略に呼応する形で、自衛隊の再編も進められようとしている。小泉政権はアメリカのアフガン攻撃以降、「対テロ戦争」に協力し、自衛隊の海外派遣を繰り返してきた。それでもこれまでの護衛艦隊の派遣やイラクへの陸自派遣は、いわば「お付き合い」程度の内容であったが、今後はさらなる一体化に向けて踏み込もうとしているのだ。
 防衛庁は年内に策定される新たな「防衛計画の大綱」に関わり、PKOなどの海外任務を、これまでの「付随的任務」から「本来任務」へ格上げし、2段階ある本来任務のなかでは、治安出動、災害派遣、と同様の「従たる任務」(主たる任務は防衛出動)とする方針を明らかにした。
 そのため陸上自衛隊は新たにPKF活動も視野に入れた、900人の普通科大隊を中軸とする「国連任務待機部隊」を編成、1300人規模の部隊を同時に2カ所派遣可能な態勢とすることも示された。この部隊は先に創設された対テロ特殊部隊の「特殊作戦群」などとともに、防衛庁長官直轄の中央即応集団に置かれる計画であり、これらは名実共に日本の「緊急展開部隊」に他ならない。
 現在はあくまで「国連任務」という歯止めがかけられているようだ。しかし少なくとも小泉政権下では、今後の「恒久的海外派遣法整備」の過程で「テロ特措法」や「イラク派遣法」と同様、性格や任務が曖昧にされたうえ、実施段階に於けるなし崩し的な拡大解釈で、米軍との共同行動が強行される危険性があると云わざるを得ない。
航空自衛隊も、「新大綱」で空中給油機を4機から8機に倍増、また装備計画とは別に航空総隊司令部の横田基地への移転、那覇基地へのF15戦闘機の配備、沖縄本島と台湾の中間地点にある下地島への戦闘機配備を計画、アメリカ側も嘉手納基地の日米共同使用を検討するなど、より露骨な形で海外展開、一体化が進められようとしている。
 とくに沖縄方面の動きは、中国に対する明確な牽制であり、日中関係をより悪化させる危険性を孕んでいる。
 また海上自衛隊は日米共同のMD(ミサイル防衛)計画に対応し、弾道ミサイルに対応するイージス艦の性能向上を図ろうとしている。さらに今後大型輸送艦、補給艦やヘリ空母も逐次配備され、海外展開能力は飛躍的に高まる。
 「新大綱」は、戦車、火砲、作戦機、護衛艦の削減を打ち出しているが、これらは冷戦時代「本土決戦」用に整備されたものであり、今回はMD予算と引き替えになっただけである。その内容は創立50年を迎えた自衛隊総体の再編方向が、国土防衛からアメリカと一体となった海外派兵の強化へ、急速に転換していくことを示したのである。
 この動きを後押しするように、小泉首相の私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」は、「基盤的防衛力」の見直し=戦力上限の撤廃、武器輸出解禁、国連中心から国益中心への転換、(海外派遣は貢献ではなく国益が基準)などの提言を行おうとしている。
 今回の在日米軍再編にあたり、沖縄県など基地を抱える自治体が期待しているのは、地元負担の軽減である。しかし日米両政府が向かおうとしている先には、大きなリスクはあっても真の負担軽減はない。ハイリスク・ローリターンなのである。
小泉政権のようにアメリカ一辺倒や、露骨な国益を声高に叫ぶのではなく、国連を舞台とした地道な国際貢献こそ国益につながる道であるし、拍手を持って常任理事国に、迎え入れられるのではないだろうか。(大阪O)

 【出典】 アサート No.322 2004年9月25日

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【投稿】広島・長崎「平和宣言」と改憲論議が提起するもの

【投稿】広島・長崎「平和宣言」と改憲論議が提起するもの

<<アルジャジーラの日本風刺アニメ>>
 カタールの衛星テレビ・アルジャジーラのウェッブ・サイト(http://english.aljazeera.net/Structural%20Postings/CartoonDisplayerPopUp.htm?idPageImage={A676ABD4-ECEF-4C01-B013-6FAF69F49780})に8月7日付で掲載されている約30秒の風刺アニメ「日本は広島の惨禍を忘れない」(Japan remembers the horror of Hiroshima.)が評判である。冒頭のJapan に続いて、August 1945 で広島への原爆投下が描かれ、And Today…の画面になると、日の丸の鉢巻きをした羽織袴姿の日本人が片手で刀を振りまわしながら、そっともう一方の手で「われわれは核兵器開発を非難する」(We condemn nuclear & atomic development)というプラカードを差し出す。そして次の場面では、米国、ロシア、中国、英国、イスラエル、インド、パキスタンがそれぞれの大きさに見合った核爆弾の上に乗っかっておきながら、「われわれもそうだ」(We too…)と口をそろえている。実に痛烈できつい皮肉の効いた作品である。日本が世界で、中東でどのように見られているかを端的に示してくれる。
 その日本の小泉首相は、8月6日と9日、広島と長崎の平和記念式典に足を運びながら、まるで誠意の感じられないおざなりなあいさつに終始し、しかも今年のあいさつは、昨年のあいさつの段落を入れ替えただけのしろもので、時間も短縮し、あいも変わらず「核兵器の廃絶に全力で取り組んでまいります」とか「今後とも、平和憲法を順守する」などとその気などさらさらない空虚な大嘘を並べたてただけで、参加者の拍手さえほとんどまばらで孤立したものであった。広島市長や長崎市長の平和宣言に対しては力強い大きな拍手が送られたのとは対照的である。首相がまさに「We too…」の同伴者であることが見抜かれているのである。

<<「日本政府に求めます」>>
 秋葉忠利・広島市長は、その平和宣言の中で「広島市は、世界109か国・地域、611都市からなる平和市長会議と共に、今日から来年の8月9日までを「核兵器のない世界を創(つく)るための記憶と行動の一年」にすることを宣言します。…私たちが今、蒔(ま)く種は、2005年5月に芽吹きます。ニューヨークで開かれる国連の核不拡散条約再検討会議において、2020年を目標年次とし、2010年までに核兵器禁止条約を締結するという中間目標を盛り込んだ行動プログラムが採択されるよう、世界の都市、市民、NGOは、志を同じくする国々と共に「核兵器廃絶のための緊急行動」を展開するからです。 」と具体的な目標に向かって呼びかけ、さらに「日本国政府は、私たちの代表として、世界に誇るべき平和憲法を擁護し、国内外で顕著になりつつある戦争並びに核兵器容認の風潮を匡(ただ)すべきです。また、唯一の被爆国の責務として、平和市長会議の提唱する緊急行動を全面的に支持し、核兵器廃絶のため世界のリーダーとなり、大きなうねりを創(つく)るよう強く要請します。」と結んでいる。
 伊藤一長・長崎市長も、「アメリカ政府は、今なお約1万発の核兵器を保有し続け、臨界前核実験を繰り返しています。また、新たに開発しようとしている小型核兵器は、小型といっても凄まじい威力を持つものです。来年は被爆60周年を迎えます。国連で開催される核不拡散条約(NPT)再検討会議へ向け、平和を願う一般市民やNGOなど、地球市民による連帯の力を結集し、非人道兵器の象徴ともいえる核兵器の廃絶に道筋をつけさせようではありませんか。」と訴え、同時に「日本政府に求めます。日本国憲法の平和理念を守り、唯一の被爆国として、非核三原則を法制化すべきです。この非核三原則と朝鮮半島の非核化を結びつけることによって、北東アジア非核兵器地帯を生み出す道が開けます。」と日本政府への具体的な要求を突きつけている。
 この両宣言が提起する国連の核不拡散条約再検討会議に向けた行動プログラム、「核兵器廃絶のための緊急行動」、そして日本政府に対する平和憲法の擁護、非核三原則の法制化、北東アジア非核兵器地帯への努力の要求こそが、いま問われている焦眉の課題といえよう。

<<「どんどんやろう」>>
 ところが平和憲法の根幹ともいうべき九条改定が日米両政府の焦眉の課題ともいえる論調や発言が横行しだしている。
 7/21に、アーミテージ米国務副長官が中川秀直自民党国対委員長との会談で「憲法九条は日米同盟関係の妨げの一つ」と発言したのに続いて、この8/12には、パウエル米国務長官が在ワシントンの報道機関計7社と会見し、「日本が国際社会で十分な役割を演じ、安保理でフルに活躍する一員となり、それに伴う義務を担うというのであれば、憲法9条は(現状のままで問題がないかどうか)検討されるべきだろう」と明言したのである。 同長官は憲法9条について「日本の人々にはとても、とても強い思い入れがある」との認識を示し、憲法9条の「重要さ」や日本の憲法に9条が盛りこまれている背景を理解しているとも述べ、「憲法9条を修正するか、変更するかどうかは、もちろん絶対的かつ完全に日本の人々が決めるべき問題だ。それは皆さんの憲法だからだ」とも付け加えたが、これは「常任理事国入り」というエサに小泉首相が飛びついてくることを前提にした、明らかな内政干渉発言である。
 アーミテージ氏は先の中川氏との会談で「十年前でさえ、今のような(憲法改正)論議は無理だった。五年前でも、ささやかなければならなかった」と振り返り、しかし今や状況は大きく変わり、今こそ「どんどんやろう」と発言している。これを受けたパウエル発言は、この際、改憲を明言しだした小泉首相、民主・岡田代表の改憲是認発言を絶好の好機と判断して、九条改定を一気に押し進めようという魂胆が露骨に現われている。
 すでに自民党は「おおよそ三年後、二〇〇七年には戦後初の憲法改定が実現する」(中山太郎衆院憲法調査会会長)と位置付けている。

<<憲法改正をまず『やってみる』>>
 日本経団連の奥田会長は、今年四月の会見では「(憲法問題は)私としてはいいにくい」と明言を避けていたが、七月下旬に開いた恒例の夏季セミナー後の会見では、「(自分を)改憲論者と思ってもらっていい」と明言している。
 この夏季セミナーでは、経団連の憲法改正などを議論する「国の基本問題検討委員会」委員長の三木繁光副会長(東京三菱銀行会長)も、「憲法九条二項や(武器の輸出を制限した)武器輸出三原則の見直しは避けて通れない」と断言している。
 しかしこの夏季セミナーで講師を務めた作家の半藤一利氏が「国連憲章をきちっと具現化している日本の憲法を『これ以上のものはないんだ』と訴えかける方が、改正論議よりはるかに良い」と語るとうなずく出席者も多く、改憲をめぐる意見が経団連内でも大きく割れている様子をうかがわせ、これに呼応するように「軍隊を持たないできたことが、日本経済の発展にもそれなりに貢献した面もある。もうちょっときちんとした議論をしないと危なくてしょうがない。日本はムードですぐ行っちゃう国だから」と、勝俣恒久副会長(東京電力社長)が、戦力保持や交戦権を否定した憲法九条二項の拙速な改正論にくぎを刺したという。(7/25、東京新聞)
 しかし、財界の政策提言団体である日本経済調査協議会(理事長・橋本徹みずほフィナンシャルグループ名誉顧問)の「憲法問題を考える調査専門委員会」(委員長・葛西敬之JR東海会長)は7/29、改憲をめざした提言をまとめ、これまで「タブー視されてきた」憲法問題を真正面から取り組むことを強調し、憲法九条については、「国際社会の現実から目をそらし、平和の幻想を守ることに役立つ」ものだったと事態を逆さに描き、「憲法改正により、軍事力使用の枠組みを憲法に明示すること」を提言し、さらに憲法の「改正」手続きにまで言及し、国会発議の条件を、総議員の「三分の二以上の賛成」から「過半数の賛成」に緩和することを求め、その上で、「党派間での合意を醸成して、憲法改正を『やってみる』ことがまず必要」などと無責任な提言を行っている。

<<後出しじゃんけん>>
 さて、問題は民主党である。同党の岡田代表は7/29、訪米先のワシントンで講演し、同党の外交政策にかかわって「憲法を改正して国連安保理の明確な決議がある場合に、日本の海外における武力行使を可能にし、世界の平和維持に日本も積極的に貢献すべきだ」と述べ、憲法9条改定によって武力行使を可能にする立場を表明したのである。
 すでに岡田氏は、7/15のテレビ番組で「9条を書き換えると言う前提だ」と発言し、「9条は非常に分かりにくい条文だし、素直に読めば自衛隊も違憲になる」、「場合によっては海外での武力行使が認められるよう書き換えればよい」などと述べていた。そして今回の訪米先の講演では、イラクへの自衛隊派兵についても、治安状況の安定や憲法との関係がクリアされれば「自衛隊を派遣しPKO的な役割を果たさせる」ことも選択肢だとまで述べている。もちろんその前に岡田氏は、小泉首相とは違って、ブッシュ政権の単独行動主義に苦言を呈しつつ、日本は米国との集団的自衛権の行使を無条件で認める立場をとるべきではないと強調してはいる。
 しかし直前の参院選では、民主党が自衛隊の多国籍軍参加反対を前面に打ち出し、イラクへの自衛隊派兵反対を訴え、岡田氏自身、憲法問題でも日本記者クラブの党首討論(6/21)で「武力行使に対して現憲法がとる慎重な姿勢は引き続き維持すべきだ」と主張していたのである。ところが民主党が躍進し、選挙が終わればこれである。「政治家にとって言葉は重い。これだけ大事な問題で、いかようにも解釈される乱暴な発言をしたことは、党首としては失態だ。」、「小泉首相のイラク政策に賛成できず、民主党に期待する有権者も戸惑う。まず、きちんと説明することだ。」(8/3付、朝日社説)と指摘されても当然であろう。
 二日放映のテレビ朝日系「報道ステーション」で古舘キャスターが「(参院選では)自衛隊の(イラク)派遣反対で、本音はいまごろ武力行使といった。これは後出し(じゃんけん)だと思う人がいる」と指摘したのに対して、岡田氏は「今回の発言は新しい発言ではない。私がいろんなメディアを通じて何回ものべてきたことだ」と反論する、コメンテーターの加藤氏が「それなら、ついこの前、参院選をやったんだから、そこで問いかけたらよかったんじゃないか」と述べる、岡田氏は「マニフェストにも書いてありますよ」と反論するが、古舘氏に「マニフェストには一言も書いていないですよ。国連決議のもとに、武力行使ということは」とたたみかけられて一巻の終わりである。
 公明党は、選挙直後の中央幹事会で「自公連携は重要だが、国家主義や右傾化にはブレーキ役になる」と確認している。そこで自民党からは、求心力を失いレームダック化しつつある小泉政権に活路を開くために、この際は改憲のための自民・民主の「大連立」(中川秀直国対委員長)を求める声があがる事態である。憲法9条改定に賛成する民主党議員の立場が問われているといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.321 2004年8月24日

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【投稿】福井豪雨を検証する

【投稿】福井豪雨を検証する   福井 杉本達也

さる7月18日の福井豪雨により、福井県の北部5市町は一級河川足羽川の福井市中心部における決壊をはじめ甚大な被害を被った。死者3名、行方不明者2名、家屋の全壊84世帯、半壊139世帯、床上浸水4319世帯、美山町を走るJR越美北線は橋梁流失5カ所で復旧には数年を要する等々すさまじいものであった。7月29日時点の被害集計では福井市が487億円、その他5市町で167億円と見積もられ、今後調査が進むにつれさらに膨れあがるものと思われる。

災害の原因は福井県上空へ南下してきた梅雨前線に南からの湿った空気が吹き込み、1時間に88㎜(美山町)という過去最高の年最大時間雨量の1.5倍もの記録的な集中豪雨が足羽川流域のきわめて狭い範囲に降ったことにある。池田町を源流とする足羽川は同町下池田付近で既に道路に越水する状態となり、美山町に入ってからは谷全体を濁流が埋め尽くし、同町高田大橋付近では通常30mの川幅が農地・道路部分を含め300mもの濁流と化して流れる状態となった。美山町の谷部を抜けた濁流は福井市安波賀地区の扇状地で氾濫しつつ平野部に入り福井市街地入口の橋脚等で堰き止められ、最も堤防高の低かった左岸の同市春日町で決壊し、市街地中心約4平方キロメートルが水没することとなった。

足羽川は福井市街地の西で日野川に合流し、さらに日野川は北に流れて九頭竜川本流に合流して三国町で日本海へ注ぐ。福井市はこの3河川の氾濫域に位置しているが、ここ数十年の河川改修技術の進歩により、足羽川が決壊するとは福井市民の誰もが予想しなかった。では、なぜ足羽川の堤防決壊はなぜおこったのか。
国交省によると、決壊地点の約8キロ上流で、当時毎秒1900トン程度の水量があったと概算している。現在工事中の足羽川の河川整備計画でも毎秒1800トンの水量しか想定しておらず、数時間内の集中豪雨による急激な河川の増水に未改修区間の市街地の堤防は対応できず足羽川の決壊は避けられなかったといえる(毎日:7月25日)。

水害当初、県・学者とも決壊の要因を確率洪水で説明しようとする論調であった。福井大学の荒井教授は「従来の河川整備は150年に1度の豪雨を想定するなど、過去の最大降雨量に耐えられるよう設計が行われてきた」が「これまでの範囲では足りなくなってきている」とし、どんな豪雨でも決壊しない堤防やダムによる洪水対策を福井新聞にコメントしている(福井:7月19日)。しかし、確率洪水の計画値を200年、300年とレベルを上げていったとしても想定外の集中豪雨に対応できるという保証はない。全ての水を河道に集める洪水処理対策はハード優先の考えであり、それがさらに洪水最大流量を増大させる。県は7月23日には「短時間に大量の雨が降った今回の豪雨は、国の基準の限界を示す」として「200年に1度」という確率洪水を訂正した(福井:7月24日)。

これまでの河川事業の思想は、降った雨水を川に集めて、海まで早く安全に流すことを基本とするものであった。しかし、元河川審議会委員・水資源開発審議会会長の橋裕東京大学名誉教授は「治水事業は大きな成果を上げてきたとはいえ、ひとつの限界に達している。…もはや堤防をより高く、河幅をより広げることは現実的でないとともに、土地問題への圧迫もあり、投資に対する治水効果としても疑問がある。…自然としての川の本性とその機能尊重する方向に転換する時機に立ち至っている。」と河道主義からの脱却を提言している(「科学」1999年12月)。

東海水害後の2000年12月、河川審議会計画部会は堤防やダムといった河川構
造物一本槍の河川事業の大転換を図る「流域での対応を含む効果的な治水の在り方」と題する中間答申を出している。答申では「近年頻発している集中豪雨等により極めて甚大な洪水被害を受けたところでは、その規模の洪水に対応できるよう河川改修を行った場合に、下流が流出量の増大に対応できない事態や、地域の基盤である宅地や農地の大半を堤防敷地として失ってしまうような事態を生ずるため」、これまでの連続堤方式による河川整備ではなく、河川の氾濫を前提として、「氾濫区域において、浸水区域や浸水深の実績についての情報を公開」するとともに、「建築物を新築する場合の制限」等の「土地利用方策を組み合わせた対策」を提案している。
2003年2月には上記答申を織り込んだ社会資本整備審議会河川分科会の答申が出されているので、同答申の「主要な施策展開」に沿って今回の福井豪雨の課題を検証してみることとする(美山町・池田町・鯖江市等の土砂災害については、砂防ダムのない福井市の浄教寺川や鯖江市の河和田川の被害が大きかったことなど、ダムの効果があったといえるが、別な角度からの検討が必要であろう)。

(1)「流域・氾濫域での対応を含む効果的な治水対策の実施」では「流域における
保水・遊水機能を確保する」ことがあげられている。ここ数十年福井市周辺部では農
地をつぶし大規模な区画整理が行われてきた。破堤の直接的な原因ではないものの保
水能力は確実に低下していた。特に今回越水した荒川(決壊箇所対岸で足羽川と合流
する)上流では東部第6区画整理事業をはじめ急激な宅地開発が進んでいた。また、「都市計画との連携」もあげられている。今回、足羽川に隣接していないが元々地盤高が低い市南部のみのり地区にまで濁流が流れ込み、被害が拡大した。本来的には宅地に不向きな場所が区画整理により宅地化されていったものであり、行政主導の無計画な都市のスプロール化が被害の拡大をもたらしたといえる。みのり・月見地区では足羽川の破堤前に既に内水により浸水していた。次に、「輪中提、宅地嵩上げ等の対策や土地利用規制等」があげられている。輪中堤は市街地では用地の確保が困難であるが、宅地の嵩上げは公民館などは可能であろう。今回は避難場所としての豊(みのり)公民館自体も水没している。また、市南西部に位置するみどり図書館も内水で浸水し地階が水没したが、元々沼地跡の深田を区画整理し、その事業費を生み出すために無理矢理保留地を設定した場所に用地を選定することを含め公共施設の安易な配置が問われている。鯖江市では北中山公民館のように周囲より1.5m程度嵩上げしてあったため鞍谷川(日野川-浅水川の支流)からの浸水を免れた公共施設もある。
「流域上流部の大半を占めている森林については、その洪水緩和機能が、中小洪水においては発揮されるものの、大洪水においては顕著な効果が期待できない」と指摘しているが、今回の豪雨における森林の役割については今後の検討課題といえる。

(2)「治水施設の信頼性の向上と治水事業の一層の効率化」としては、まず堤防が
「その機能を発揮されなければならない」。しかし、決壊の1時間半前には市街地の
堤防は決壊限界の計画水位10.2mをオーバーする10.36mとなっていた。堤
防高は10.6m(市街地・九十九橋)あるが、計画水位より上は土盛してあるだけ
の状態であり、どこで決壊してもおかしくない状況にあった(福井:7月20日)。
堤防を強化すべきとの意見があるが、家屋が連たんする市街地中心部において堤防の嵩上げは不可能といってよい。決壊した地点の「堤防」の評価については「洪水災害調査対策検討会」の調査を待つしかないが、今回の決壊により市街地での治水事業は袋小路に入ったといってよく、今後の対策は困難を極めることは間違いない。次に「治水事業の重点化」としての「ダム建設」があげられている。足羽川ではその支流の部子川(池田町)に足羽川ダムの建設が計画されている。しかし、もともと上流部は河川の全流域面積に対してダムが支配できる流域面積は小さいため、下流に発生する洪水の一部を貯留できるにすぎない(高橋裕編『水のはなしⅠ』)。しかも、その流域は今回の集中豪雨を受けた地域全てを含むものではなくかなりズレがある。仮にダムがあったとしても今回のような短時間の集中豪雨による水害が防げたかどうかは疑問としなければならない。

(3)「被害の最小化のためのソフト施策の実施」については、「都市域を中心に新たに居を構えた住民の多くは、自ら居住する周辺の土地が本来浸水被害が起こりやすい氾濫区域であるのか否かについて、十分な知識を有していないのが実情である」。
そこで、まず「わかりやすい防災情報の提供」としては、今回は足羽川が決壊するまで情報が伝わらなかったというのが実情のようである(「地元SOS届かず」福井:7月26日)。わかりやすいという点ではCATVとインターネットによる決壊箇所のライブ中継が行われた。しかし、ポイントの情報であり、浸水地域全体がどうなっているかは掴み切れない。また、福井市はインターネット上で浸水区域の区域名を流している。足羽川の河川情報としては決壊地点上流約8kmの福井市脇三ヶ町天神橋の水位図がインターネット上でリアルタイムに手に入る。こうしたポイントが市街地にもあり、CATVなどでも常時流されていれば情報の質も格段に高かったのではないかと思われる。

「浸水想定区域の公表」、「ハザードマップの作成と周知の支援」については、国交省が管理する九頭竜川・日野川部分の浸水想定区域図を2002年3月に策定しているだけであり、県の管理する足羽川についてはまだ策定されていない(国交省が1999年に作成した市街地の洪水氾濫シミュレーションはインターネット上で閲覧可能)。2001年に既に水防法が改正され作成の義務があるが対応は遅れている。7月20日付けの毎日新聞によるとハザードマップを作成している市町村は全国の3割にもならない。

「地下空間における浸水被害」については、今回、福井商工会議所ビル地階が水没し約6億円の被害となった。しかも、全ての電気設備等が地階に設置してあったため一時は電話も通じない状況に置かれた。これが足羽川右岸で決壊した場合、県庁、市役所、JR駅、商店街、地下駐車場等地下構造物を多数抱え甚大な被害が予想される。
また、携帯電話も中継機が水没するなどの弱点もある。

洪水に関わる情報の提供については、国交省の検討会が今年3月に作成した「的確な理解に繋がる洪水渇水の情報提供について」がより詳しい。河川や堤防の情報提供のあり方について、「水位は、住民にイメージしやすい橋の桁下等からの高さで表現」し、「堤防が周辺より低くなっていたり、流下を阻害するような橋梁等の重要な水防箇所について、その箇所での水位と、そこで発生するおそれのある氾濫などの現象とあわせて提供」するように求めており、今後の参考とはなる。また、居住地等の浸水情報についても、「被害の形態の違いにより住民の行動が切り替わることを念頭に、与えられた情報が住民のアラームに繋がるように、路面浸水、床下浸水、床上浸水等の浸水深さでランク分けを行い提供」するよう求めている

被災者が一番困るのは住居の問題である。今回福井県はいち早く住宅再建に向けての独自制度を打ち出した。内容は全壊400万円、半壊で200万円、一部損壊・床上浸水で最高50万円を補助するとしている。この他、義捐金で被災全世帯に一律2万円から10万円の一時金を設けた。全壊、一部損壊の住宅については被災者生活支援法による補助の上乗せとなる。住宅再建対策は早ければ早いほどよい。逆に言えば、被災者生活支援法の中身がとても住宅を再建できるほどのものではないということである。また、火災保険では風水害では最高300万円までの保障となっている。さらに、福井県は自動車社会といわれており、今回の災害でも多くの自動車が流失したり水につかったりした。1家で4台もの車が水につかったというところもある。しかし、車両保険に入っていない限り保障はない。

また、災害救助法の欠陥も浮き彫りになってきた。応援要請の費用負担を誰がするかということがネックとなっている。自治労福井県本部では7月24日・25日、災害により発生した半年分・1年分ともいわれる大量のゴミ処理のために大阪府をはじめ近隣11府県・82団体にゴミ収集車334台、応援要員987人を要請した。ゴミの処理は機械力を必要とし専門性も高い。被災者の疲労がピークに達した災害1週目での専門職員による支援はタイムリーなものであった。また両日に延べ1万8千人ものボランティアが被災地に入り泥出し作業をおこなったことにより福井市・鯖江市等の被災者はようやく日常的な生活を確保できることとなった。

河川法は1997年に大改正が行われ「河道主義からの脱却」へと大きな一歩を踏み出した。しかし、被害最小化のためのソフト対策をはじめ都市計画・災害救助法・保険制度等々各種の制度はまだこれについて行っていない。行政も住民の意識もまだ「河道主義」というハード優先の思想の中にある。琵琶湖博物館の嘉田由紀子氏は高橋裕氏との対談の中で「河のもつ危険な面と共存しているということを、私たちは忘れてきています。ここ数十年、行政は“堤防をつくれば安全です”と宣伝をしては堤防をつくり、住民は“それが完成したらもう安全なのだ”と信じました。しかし、これは行政と住民がお互いにつくってきた架空の安全神話のように思えてなりません。…“50年確率”よりも“100年確率”のほうが善であると判断してきました。…もしも100年に一度のことがおこるとしたら、50年に一度のことよりも社会としてはずっと危険です。」(『科学』1999年12月)と述べている。この1世紀の治水事業により河川を連続高堤防で囲い、氾濫原を開発してきた。開発すればするほど浸水を防がなければならないので豪雨時の河川への流出率は増加し災害の危険性は高まる。氾濫原の開発は土地所有権の全面的な自由化の過程でもあった。しかし、河川の氾濫原について土地利用の規制を行うとことは是非とも必要である。そのためには、浸水のおそれがある土地についてハザードマップにより情報を公開することが必要である。それによって地価が下がる地域もあろうし、土地所有者の理解もなかなか進まないこともあろう。しかし、これ以上無計画な土地所有権の全面自由化を進めることはできない。河川にももっと自由度を与える必要がある。

【出典】 アサート No.321 2004年8月21日

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【本の紹介】山口二郎著 「戦後政治の崩壊」

【本の紹介】山口二郎著 「戦後政治の崩壊」
             (岩波新書 2004年6月)   

 山口二郎教授の政治分析には、いつも注目している私だが、ちょうど参議院選挙が小泉自民党の敗北に終った後で、本書の出版を知り、早速購入し、読ませていただいた。
 
 <戦後政治の崩壊>
 山口氏は、現在進行している政治的状況、日本政治が陥っている危機を「戦後政治の崩壊」と捉えることから、解明し、危機を乗り越えるための変化の兆候に光をあてる、と序において語る。
 本書の構成は
  第一章 戦後政治とは何だったのか
  第二章 変質した憲法政治
  第三章 迷走の政党再編
  第四章 構造改革の政策対立
  第五章 政治主導への挑戦
  第六章 デモクラシーの融解
  第七章 次なるデモクラシーに向けて
  
 第一章においては、戦後政治の構造を次の4つの構成要素から解き明かそうとする。「外交・安全保障」「政党システム」「政策内容」「政策決定システム」である。
 著者が、戦後政治の崩壊と捉えているのは、冷戦終焉とバブル崩壊までは、それなりに平和を維持し、経済復興・成長を支え、機能してきた「戦後政治」が機能不全に至っている状況を言う。そして、冷戦終焉から15年を経過した現在、それに対応した外交・安保政策も未確立であり、経済政策においても市場万能主義が強力に推し進められているにしても、それが決して成功していない。
 冷戦終焉とグローバル化の進展という事態の中、15年を経て、新しい政治のシステムを構想しようと著者は、分析を進めておられる。
 
 外交・安全保障においては、60年安保を経て、「第9条も自衛隊も」という、「軽武装+経済発展」を重視する「保守本流路線」が自民党の基本政策となる。専守防衛と日米安保の傘の下で経済発展が保証されたわけであるが、この間の内政中心的傾向は、日本の思考力を麻痺させ、冷戦終結以後問題を噴出させることになる。
 政党システムにおいては、自民党一党支配が冷戦体制の間継続した。中選挙区制の下で、保守と革新が二対一で推移した結果、政権交代の起こらないシステムと、「保守本流路線」の下で、自民党議員は、それぞれの出身地域への利益誘導型政治にまい進した。一方野党は政権を目指さず、政権のチェック役を果たして、社会党も野党第一党に安住した。
 自民党が推進した政策は、「国土の均衡ある発展」であり、地方への財源分配であった。高度成長にも支えられ、都市部から地方への税財源の一方通行的移転に不満が起こらなかった。(現時点では、都市部の反乱といわれるほど、シビアになっている)
 安定した政権の下で、実際に政策を立案・決定してきたのは官僚であった。同じ議員内閣制を取るイギリスとの比較において、「官僚内閣制」とも言えるシステムであった。さらに、省庁利害と結びつく族議員の形成を通じて、「無謬の官僚」達が、閉鎖的な省利害を追求してきた結果、財政赤字は深刻な事態となった。

<護憲勢力の衰退と日本版ネオコンの登場>
 第二章では、「九条=安保」体制の終焉との副題で、冷戦終結後に起きた諸変化を分析する。冷戦後、地域紛争が強まり、国際的には日本の役割が直接問われる場面が現出する。「九条は役に立たない」とする改憲派に対して、「九条を守ろうとする護憲派は、こうした逆境の中で、国際紛争の解決や平和の創出にどのように取り組むかという難問に取り組まねばならなかった。そして、この問いに答えを出せなかったところに、護憲勢力の衰退の原因がある」と著者は言う。
 村山政権による社会党の路線転換(自衛隊・安保容認)、自民党の右傾化を経て、日本ネオコンが登場することになる。しかし、「安倍の核武装発言に現れているとおり、世界の現実を知らないのは彼ら(安部や石破)の方である。・・日本の独りよがりの行動がどれだけ国際的な緊張を高めるかについて考慮することもできない。・・・これこそ平和ボケ以外の何であろうか。」と批判される。
 保守本流といわれた自民党内の老練な政治家が退場し、二世、三世のタカ派政治家が改憲論議の主役となっており、「改革」の仕上げとしての改憲に躍起となっているが、単に自衛隊への制約をはずし、武力行使を可能にすることのみが改憲の目的となっているのである。
 
<政党の変質、政策不在の連立政治>
 1993年の細川連立政権は、政治改革の実現をめざし、村山政権は戦後政治体制の維持を通じて、歴史の積み残し課題に取り組むという、政権の性格がはっきりした政権であった。しかし、1996年の総選挙以後の連立政権は、自民党が連立相手を社会党から自由・公明という転換させた事を含めて、「自民党主導の政権維持」を目的とする連合政権となった。
 現在の公明党も、連立政権に入るにあたって、実現する政策目標の示さず、「与直し」「実現力」ともっぱら、政権維持による利益を求めているにすぎない。実際にはチェック機能さえ果たせていないが。
 小選挙区制では自民党議員が一層利益誘導を図るため、政権交代を不可能にする可能性にこれまで言及してきた著者であったが、特に昨年の総選挙以降は、民主党がマニフェス戦略を採用し、ほとんどの選挙区に候補者を擁立させたことで、必ずしも現職に有利に働かず、政権選択を意識した投票行動が生まれつつあること、さらに利益誘導策だけですまない基本戦略において、自民党の側にも候補者選びにも変化が出てきていることを肯定的に評価する。
 その意味において、民主党の戦略については、以下の2点を指摘されている。
 第1は、正攻法による政権交代の道筋の重要性である。菅前代表の手法として、自民党を書き込んだ政変による政治戦術が目立った。自らの党首辞任もこうした戦略の裏返しであった。第2は、国会における与党との戦い方で、明確な反対を貫くことの重要性をあげている。与党の推進する法案の問題点を明らかにし、反対を貫くことの重要性である。与党との妥協については、野党の役割放棄につながる、「野党の政策は、政権交代が成就した暁でなければ実現しない。野党は採決で負けることを前提として、自らの政策・主張の優位を効果的に訴える戦術が求められる」と。
 
<構造改革の政策対立>
 この著書のメインテーマは、ここからだと思う。つまり、構造改革をめぐる構造を明らかにし、対抗軸の設定についての議論に言及されている部分が、第四章、第五章である。
 著者は、まず自民党が戦後推進して生きた「社会経済政策」を、「リスクの社会化-個人化」と「裁量的政策-普遍的政策」の二つの軸で類型化し解明しようとする。
 「リスクの社会化-個人化」の軸は、健康や失業などの不幸に対して、リスクにどう対応するかを巡る軸となる。極端な例として、アメリカでは公的健康保険が存在せず、4000万人以上が、未加入の状態にあり、「リスクの個人化」そのものである。一方、「リスクの社会化」とは、誰もが陥る可能性のある困難については、みんなでコストを負担しあって、分散させる、健康保険や雇用保険など社会保障を整備する考え方となる。
 小泉構造改革は、基本的に前者の「リスクの個人化」路線であるが、実は保守本流と言われた自民党の旧来の路線は、どちらかと言えば「リスクの社会化」の考え方にあったはずである。
 もうひとつの軸、「裁量的政策-普遍的政策」は、政府の政策手段の特徴を捉える軸であり、普遍的政策とは、政府の行動についてルールや基準が明確な政策であり、裁量的政策とは、権限を持つ省庁や官僚が裁量によって、補助金や業界への利益配分を行うことである。
 これまでの自民党は、基本的に「リスクの社会化」を「裁量的政策」で運営してきたわけだが、80年代・90年代を通じて、「リスクの社会化」と「裁量的政策」に問題がでてきた。リスクの社会化にかかる財源問題は、膨大な財政赤字となってなり、国家財政を縛り、補助金・交付税制度に頼った自治体の財政赤字問題などで行き詰まってしまう。
 裁量的政策については、無駄な公共事業や官僚の密室体質などに批判が強まっていった。まさに、この場面で、小泉が登場してきたわけである。
 小泉は、官僚バッシングや「抵抗勢力」を批判してきたが、これは「裁量的政策」を拒否する動きであり、「リスクの個人化」については、健康保険自己負担増などがすでに実施されてきた。このように小泉構造改革は、「リスクの個人化」を「普遍的政策」で行おうとしていると分析され、これに対抗する勢力は、「リスクの社会化」手法を対置し、裁量的政策を止めさせ、普遍的政策手法による、「日本版第三の道」を対置すべきだ、というわけである。
 
<再構築必要な「平等」と「平和」>
 本書の終章は、「次なるデモクラシーに向けて」と題され、目指すべき社会像としての「平等」の再定義と、世界における日本の針路としての「平和」の再定義の必要性が語られる。
 竹中平蔵が好んで用いる「努力したものが報われる社会」というスローガンが象徴的である。これは明らかに虚偽を含んでいる。現在の社会が、努力しないものが報われる社会であるはずがない。
 著者は、結果の平等ではなく機会の平等をいかに実現するか、そのための公共政策の必要性を説く。この路線は、西欧社会民主主義政党の展開する「第三の道」路線である。その際注意すべきこととして、裁量的政策の縮小と明確なルールの確立があれば、リスクの社会化がモラルハザードを助長するものではないと言う点。そして、裁量的政策の縮小を図る意味でも地方分権の重要性であり、政策の中身において、公共事業におけるモノへの投資から、教育・雇用・医療などへの投資に優先順位を切り替えることが必要である点である。
 「平和」の再定義については、憲法九条理念は21世紀の現在も今なお有効である点を確認しつつ、「単にかつての専守防衛路線に戻ることを主張するだけでは不十分であり」、非軍事的手段だけでは平和を作り出せない場合、日本はどう行動すべきか、という難問に答える必要がある。
 人道や民主主義を実現するために武力の発動が必要な場合、日本もそれに参加する必要がでてくる。国連による国際的安全保障の活動などであろう。加えて、アジアの安全保障について、地域的協力の強化について、イニシアティブを取る事も、日本に求められるだろうとしている。
 
<新たな政治実現の基礎となる内容>
 総選挙の結果は、国民は「リスクの個人化」を推進する小泉政権にNOの意思表示をしたと言える。政権交代も視野に入った今、現在の野党に求められる戦略は何か。キーワードは何であり、掲げるべき政策のポイントは何なのか。本書は、専門書ではなく、平易な言葉でそのグランドデザインを描いているのではないか。ぜひ、読んでいただきたい1冊である。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.321 2004年8月21日

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