【投稿】首相の言葉の軽さと9条・日韓・日中

【投稿】首相の言葉の軽さと9条・日韓・日中

<<「普通の国」と「異常な国」>>
 先月3/19、広島平和研究所の主催で「NPT体制の再検討――広島・長崎からの提言」という公開ワークショップが開かれた。その冒頭で、広島平和研究所所長の福井治弘氏の退任記念特別講演が行われた。タイトルは「『普通でない国』・『普通でない街』の論理」であった。詳細は広島市のメールマガジン「ひろめーる」、広島平和研究所ホームページに見ることが出来る。
 福井氏はその講演の冒頭で、まず、「国連開発計画や列国議会同盟による最近の調査を見ますと、日本における男女間の政治的平等度は、他の先進工業諸国ばかりでなく、多くの開発途上諸国と比べても、際立って低く、国会の下院における女性議員の比率は、174カ国中132位だそうですが、私は、このような状態を生む要因になっている日本の社会や文化の構造が一日も早く変革されて、せめて『普通の国』並みの男女平等度を達成することが、日本国民にとって非常に望ましいと信じています。」と述べて、「普通の国」なら当然達成されていてしかるべき男女間の政治的平等が際立って低い現実を厳しく指摘している。この点は保守勢力において典型的ではあるが、革新と言われる勢力や野党、労働組合においてもいまだ見るべき変革も確認できない状態ともいえよう。
 しかし福井氏が問題にしているのは、「憲法第9条改正論者たちが唱える『普通の国』のこと」である。そして「そういう人々は、日本を『異常な国』にしているこの、いわゆる『平和条項』を撤廃して、日本をいわば『一人前の国』にしようと提案しているわけです。確かに、このように平和主義・非暴力主義的外交政策の原則を憲法に掲げている国は、日本以外には、その憲法12条で常備軍廃止を宣言している中米の小国・コスタリカを除いて、現代世界には存在しません。もちろん、過去にも存在しませんでした。そういう意味で、9条廃棄論者が言うとおり、日本は『普通ではない国』に違いありません。」と述べる。

<<「普通ではない国」にした9条>>
 福井氏は続けて「第9条の平和条項は、明らかに、日本を『普通ではない国』にしたと言わねばなりません。 しかし、新憲法制定後の日本の外交政策は、実際には、『普通でない国』のそれではなく、『普通の国』的な政策でありました。つまり、憲法第9条の存在にも拘らず、1951年の朝鮮戦争勃発直後、警察予備隊と称する軍隊の卵が生まれ、1954年には自衛隊と改名、改組され、その後、正真正銘の現代軍隊に成長、緩慢な速度ではありますが、着実に増強、改良を重ね、今日では、世界有数の戦力を備えるまでに育ったわけです。いずれにしても、現実の日本は非武装・平和主義を実行する国とは程遠い存在になったわけです。 」と強調する。
 しかし現実がたとえそうであったとしても、「非武装・平和主義を掲げる憲法の条文を、制定以来60年近く守ってきた、という点で、日本は、現代世界における特殊な国家、『普通でない国』であると言わねばなりません。」、そしてむしろそのことによって「戦後日本は、これまで、きわめて不完全、かつ不誠実な形ではありましたが、特異な非武装・平和主義を建前とする『普通でない国』として平和と繁栄を享受して」きたという現実を指摘している。問題の核心はここにあるといえよう。
 逆に異常なのは、福井氏が指摘するように「現在戦乱の中にあったり、貧困に喘いでいたりする一部の発展途上国の場合は別として、日本のように、現在、平和と繁栄の恩恵を享受している国で、自分の国が『普通の国』になるべきだと主張する政治家や有力紙を持つ国は日本以外には殆んど存在しない」という現実である。
 平和と繁栄を享受できた9条の、「そのような国家像を捨てて、未だに自滅の道を歩み続ける『普通の国々』の仲間入りをしたいと考えるのは、私の目には、それこそ、自虐精神の発現以外の何者でもないと写ります。 」と述べ、9条改正論者たちこそが自虐精神と自滅精神の持ち主であることを指摘している。

<<「普通でない街」>>
 ここに憲法第9条という、「普通でないこと、特殊なことを誇りにする」ことの重要性を福井氏は強調されている。
 当然、同じことは、国家の場合だけではなく、「地方、市町村の場合にも当てはまります。広島の市民の大半も、広島は他の都市とは異なる、特殊な街だと信じていると思います。恐らく大多数の市民は、広島は世界史上初めて核兵器による攻撃の犠牲になった街であり、長崎と共に、核戦争がもたらす地上の地獄を身をもって体験した街であることが、その最も重要な特殊性だと考えているに違いないと思います。」、そして「被爆者の多くは、同時にあのような経験を地球上のいかなる国、いかなる都市に住む人々にも、味合わせたくない、そのために、核兵器はもとより戦争そのものを廃絶すべく、自分に残された人生を捧げようと決意されていることも事実です。そうであるならば、この絶対に『普通ではない』街が、住民にとっても、訪問者にとっても、一目で『原爆の街』、『国際平和文化都市』であることが分かるような景観を作り上げて頂きたい」と、福井氏はこの講演を結んでおられる。
 秋葉忠利・広島市長は「『普通の国』とは戦争のできる国、戦争を当たり前のこととして受け入れる国であり、日本そして広島は、その意味での普通さを拒否してきたしこれからも拒否し続ける存在でなくてはならないと、熱っぽく説かれる姿に感動したのは私だけではありませんでした。特に、被爆者に言及する場面では声が詰り、福井所長の原点が何処にあるのかを感じることができました。」と、その感動を述べている。

<<重い言葉と軽い言葉>>
 「普通でないこと、特殊なことを誇りにする」という言葉の重さに比して、小泉首相は「だいたい今の憲法第九条は常識に合わない。だから違憲論が出る」という言葉の軽さは、歴史と現実を冒涜するものである。
 こうした言葉の軽さが小泉首相の本質でもあろうが、いよいよ事態は、韓国、中国における未曾有の反日世論とデモの巨大な渦を将来させている。
 周知のように、盧武鉉韓国大統領が、1919年の日本の植民地支配に対する抵抗運動「3・1運動」86周年記念式典で演説し、日本に対して「過去の真実を究明し、真に謝罪、反省し、賠償すべきことは賠償して和解するべきだ。それが世界の歴史清算の普遍的方式だ」と述べ、さらに「韓国政府は国民の怒りと憎悪をあおらないよう自制してきたが、我々の一方的努力だけでは(歴史問題は)解決できない。両国関係の発展には日本政府と国民の真の努力が必要だ」と述べたことに対して、小泉首相はあろうことか、この盧大統領のメッセージの重さを受け止めることも出来ず、あれは「国内向け」の発言であるとテレビの前で語ったのである。外交儀礼上でも失礼極まりないものであり、言ってはならないことを平然と言ってしまったのである。
 3/23、盧武鉉大統領は「国民に贈る文」の中で、「いまやわが政府も断固として対応するほかありません。侵略と支配の歴史を正当化し、ふたたび覇権主義を貫徹しようとする意図をこれ以上手をこまねいて見ているだけすまなくなりました。韓半島と東北アジアの未来がかかっている問題だからです。」と述べる事態である。

<<「いくつかのお願い」>>
 それでも盧大統領は、「今、このことを決心して国民の皆さんに報告しつつ、いくつかのお願いをしたい」として、
 第1に、一部国粋主義者の侵略的意図は決して容赦してはなりませんが、だからといって日本国民全体に不信感を持ち敵対してはならないということです。
 第2に、冷静を失わず落ち着いて対応しなければならないということです。断固として対応しつつ、理性で説得し品位を失ってはなりません。
 第3に、根気と忍耐心を持って対応しなければなりません。知恵と余裕を持って根気よく取り組まなければなりません。
 第4に、遠くを見通しつつ戦略的に対応していかなければなりません。慎重に判断してゆったりと話し行動しなければなりません。一喜一憂してはならず多くの人がいちどきに話してもなりません。
 と述べて、「わが国民の要求は歴史の大義に基礎を置いています。私たちは無理なことを要求しているのではありません。新しく謝罪を要求しているのでもありません。中身のない謝罪さえ白紙化するようなことを改めることを要求しているだけです。そして、まだ処理されずに残っている問題に関して事実を是認し適切な措置をとることを促しているだけです。」と結んでいる。
 この重い言葉と真剣で冷静な態度をどれだけ真摯に受け止められるか、このことに日韓、日中、アジアにおける日本の位置付けがかかっているといえよう。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.329 2005年4月23日

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【投稿】孤立への道歩む小泉政権

【投稿】孤立への道歩む小泉政権

<素人以下の外交感覚> 
4月8日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の葬儀がバチカン宮殿で行われた。これには、国連のアナン事務総長を始め、米・ブッシュ大統領、仏・シラク大統領、英・ブレア首相などの他、イランのハタミ大統領、イスラエルのカツァブ大統領など非キリスト教国からも元首級の要人が多数参列。まさに国連総会がバチカンに場所を移したともいえる光景であった。
 こうしたなか国連安保理常任理事国入りをめざす日本代表はといえば、川口首相補佐官。格下もいいところだ。本人も針の筵に座っている気分だったのではないか。川口補佐官は疑問の声に対し記者会見で、「葬儀に誰を派遣するかはそれぞれの判断。日本は私がいいと官邸と外務省が相談して決めた」と述べ反論したが、その判断が間違っていたとしか言いようがない。本来参列すべき小泉首相の当日(日本時間)の日程と言えば、午前、午後は閣僚、知事、外務省官僚らとの懇談、夕方以降は「散髪」「会食」という休日同様のものだった。
 このエピソードは、小泉政権の外交音痴を如実に現すものだが、東アジアにおいてはそれが韓国、中国との対立という、深刻な事態を招いている。
島根県の「竹島の日条例」制定の動きが明らかになって以降、韓国内ではこれに反発する動きが激化、加えて教科書検定問題も絡んで、反日感情は日増しに高まっている。廬大統領もこれまでにない強い調子で日本政府を非難、対日外交方針の見直しを明らかにした。
 中国では、昨夏のサッカーアジア杯以降も燻り続けていた反日の炎が「歴史認識」などを巡り再び拡大、北京をはじめ上海、成都、広州など主要都市で、「日本の常任理事国入り反対」などを掲げた数万人規模の反日デモが繰り広げられた。
 このような事態を前に日本政府、官邸は具体的対応を示すことができず「お互い冷静に」と無内容なお題目を繰り返し、右往左往するのみである。とりわけ韓国に対しては「韓流ブーム」に便乗し、その場の雰囲気で進められてきた友好政策は行き詰まり、小泉首相らの韓国認識は「ヨン様ファン」以下のものであることが露呈した。
 とりわけ教科書問題の当事者である中山文科大臣にいたっては、以前から「従軍慰安婦や強制連行に関する記述が教科書から減ったのは良いこと」などと、韓国を挑発する発言を繰り返し、今回も「教科書に竹島は日本領土と明記すべき」などと延べ、「妄言」と批判されている。対北朝鮮強硬派の中山恭子内閣官房参与を引退させる見返りに入閣した中山大臣であるが、夫婦揃って朝鮮半島全体を敵に回してしまったわけだ。
 
<日本政府のダブルスタンダード>
 政府は竹島領有権の根拠を、1905年の島根県編入時、韓国政府から抗議がなかったこととしている。しかし日露戦争当時の情勢をみれば、韓国政府が意義申し立てできる訳がない。その数ヶ月後、竹島から対馬にかけての海域でバルチック艦隊を破った連合艦隊は、釜山にちかい鎮海湾を根拠地にしていた。すでに韓国全土は日本の勢力圏下に置かれていたのである。そうした内実を抜きにして、形式論を振りかざしてみても、韓国側は納得しないのであって、ますます反発を強めるばかりだろう。
自民党は、外国人参政権や公務員国籍条項問題などでは、「推進決議をあげるな」と自治体に圧力をかけてきたことを棚に上げ、「竹島の日条例制定は島根県の自主的判断。政府が止められるものではない」と、地方自治を尊重するかのような建前で韓国に反論。一方、中国の市民、学生らの反日行動について「民衆の自発的行為」と説明する北京指導部に対しては「政府がなんとかしろ」と求めるなど、ダブルスタンダードをあからさまにしている。また、「反政府行動は弾圧するのに反日デモは野放し」と政府、自民党は憤慨しているが、日本の公安、機動隊の右翼と左翼への対応の違いをどう説明するのか。天に唾するとはこのことだ。
教科書検定でも、これまで政府の方針にそぐわない教科書、記述については、文部省が家永教科書のように不合格にしたり、何度も書き直しを指示してきた。今回も先の中山発言をふまえた検定はおろか、扶桑社の説明文を「韓国が不法占拠」とより踏み込んで変更させているにもかかわらず、「国定教科書ではないのでそんなことはできない」と白々しい嘘をついて恥じないのである。
 さらに、教科書記述の見直しを求める意見に対して「自国民への教育は内政問題であり、韓国の要求は内政干渉」と非難する勢力がある。それなら中国の「反日(愛国)教育」を批判するのは「内政干渉」ではないのだろうか。また「自国民への愛国教育」を批判するなら、そういう主張を展開する人間は、日本の憲法や教育基本法に「愛国心」(実際は「愛・現政府心」)をねじ込む動きを即刻辞めるべきではないか。
 
<軍拡・孤立の道歩む日本>
日本政府の不誠実な対応では、韓国、中国両国との関係悪化をくい止めることは難しく、政治、経済での連携の強化など、当面望むべくもないだろう。今年アジア地域では、中断されている北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議、さらには「東アジアサミット」など重要な多国間会議が控えており、これら場での日本の対応が問われる年となっている。
6カ国協議では、その再開と共に日米韓の連携が言われているが、流れは「日、米」の強硬路線に対して「韓、中、露」の融和路線が勢いを増している。また東アジアサミットへの関与については、「東アジア共同体」に冷ややかな視線を送る米、豪への配慮からの消極論と、中国のイニシア拡大を座視する訳にはいかないという積極論の狭間で、日本独自の構想を描き得ていない。
こうした曖昧模糊とした外交政策とは裏腹に歴然としているのは、軍拡政策である。政府は仮想敵国を旧ソ連から北朝鮮、中国にシフトしているが、とりわけ北朝鮮についてはさまざまなメディアを駆使して脅威を煽り立てている。北朝鮮は去る2月10日、サッカーW杯予選が終わるのをまって待っていたかのように、「核兵器保有」を公式に宣言した。
しかし、核実験や核弾頭を搭載する弾道ミサイルの性能証明が行われていない、つまりなんら実証がなされていないことから、核兵器保有を疑問視する声が大きいが、日本政府は「大歓迎」のようだ。
先日、1994年に防衛庁が北朝鮮のミサイル基地を「先制攻撃」する作戦を検討、航空自衛隊による攻撃シミュレーションまでを行っていたことが明らかになった。
その内容は、「北朝鮮沿岸部の基地からミサイルが発射されようとしている」という状況で、空自のF4、F1戦闘機が石川県小松基地や鳥取県美保基地から北朝鮮攻撃を実行。帰途で攻撃機が燃料不足に陥った場合は、韓国内の米軍基地への着陸や日本海上での機体放棄も検討されたという。
 私は本誌2003年3月号で「自衛隊が能力的に北朝鮮に反撃できないというのも、眉唾ものである。自衛隊は以前は『自衛隊機の航続距離が短いから無理』と言っていた。これはそもそも、石川県の小松基地からの往復を絶対条件とするため、不可能なのであって、『第2次』朝鮮戦争が勃発し日本も攻撃を受けた場合、九州地方の民間空港や韓国内の米軍基地の使用も考えられるのである。これは性能の問題ではなく、運用、政府間の調整の問題である」と指摘した。
今回明らかになった事実は、そうした見方を裏付けるものであるが、「第2次朝鮮戦争での日本攻撃」という前提から、格段に踏み込んだ「先制攻撃」という研究内容には驚かされる。もっとも防衛庁的には「そうならないためにもミサイル防衛(迎撃ミサイル)が必要」というオチにしたいらしいが、新型戦闘攻撃機、空中給油機の導入や「新・防衛大綱」の具体化で、攻撃能力は大幅に向上しつつある。
中国に対しても、東シナ海の資源問題、尖閣諸島問題、さらには台湾有事などを口実に軍事的対抗手段が進められようとしている(本誌2004年9、12月号拙論参照)。このまま進めば、日本がアジアのなかで孤立するのは明らかである。日本政府は安保理拡大問題などでインドとの連携を模索しているが、先日訪印した中国の温家宝首相は国境問題解決を確認、同国の安保理常任理事国入りを支持するなど関係改善を急速に進めている。最後はアメリカさえいれば、と小泉首相は思っているかもしれないが、安保理拡大問題で、アメリカ政府は「早急な結論づけは支持しない」と表明した。また4月11日、ニューヨークで開かれた投票決着反対派の会合には、119カ国が参加したという。「アナン報告」支持=9月決着を目論む日本政府は梯子を外された形となり、世界的にも孤立しつつある。小泉政権の「任期満了」を待ってはいられない状況となっている。(大阪 O) 

 【出典】 アサート No.329 2005年4月23日

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【投稿】小泉政権の意図的な「周辺脅威」論

【投稿】小泉政権の意図的な「周辺脅威」論

<<「まさかおれが」>>
 いかにも怪しげできな臭い動きが進展しているようである。挑発的でわざわざ緊張をあおるようなメッセージが小泉政権から次から次へと発せられているのである。
 その一つが中国への敵対的な姿勢の強化である。3月8日付けの毎日の特集記事「靖国と日中」によると、これまで中国側の幾度にもわたる批判についにだんまりを決め込み、配慮をしているかのようなそぶりをとり、「靖国神社問題ばかりが日中間の問題ではない」、とか「(靖国問題での)どんな質問がでても何も申し上げない」などと言っていた小泉首相である。ところが今年に入ると、1月5日夜、インド洋スマトラ沖大津波の被災国首脳会議出席のためジャカルタへ向かう政府専用機の中で、外務省幹部らを前に、「君たち、まさかおれが今年は靖国に行かないことを前提に外交を考えているわけじゃないだろう?」と語ったというのである。これは明らかに、靖国神社参拝を前提とした対中対決姿勢の外交を指示したということを意味するものであろう。
 さらに、2/9、尖閣諸島・魚釣島(中国名・釣魚島)に日本の右翼政治団体が設置した灯台を、政府が「国有財産」として管理下に置く手続きを進めていることを明らかにした。当然、中国政府は「非合法で無効」と強く反発、外交ルートでも抗議の意思を表明しているが、小泉首相はこれを「当然の行動」と意に介さない姿勢である。これなどは、中国側との対立を煽ることがその目的ともいえよう。

<<「南西諸島有事」>>
 そして2/19、ワシントンで行われた日米安全保障協議委員会(2+2)の共同発表である。これは新たな日米軍事同盟宣言ともいえるもので、「新たな脅威」があるところはアジア・太平洋地域は言うに及ばず、国際テロを名目に全地球的規模で、自衛隊が米軍の下請け部隊として軍事作戦を行うということを宣言したようなものである。その中で台湾問題が明記され、中国軍の透明性を問題視したことに、中国外務省は深刻な関心を表明し、「すべてに根拠がない」と反論し、「中国政府と国民は断固として反対する」と述べる事態となっている。
 こうした新たな軍事同盟は、明白な憲法違反行為である。小泉政権登場以来、こうした憲法違反行為が「周辺脅威」や「国際テロ」の名のもとに見過ごされ、大手メディアは一切問題にもしないという状況が、小泉政権をさらに励ましているともいえよう。
 この問題に関してはすでに昨年12月、日本政府が新防衛大綱を閣議決定した際に、北朝鮮と中国を名指しで「警戒対象」としており、これに沿うかたちで防衛庁は「南西諸島有事」を想定した侵攻阻止などの対処方針をまとめている。これについては、「宮古、八重山へ自衛隊を駐屯させる布石」、石垣島の軍事基地化など、警戒感が広がっており、宮古市町村会会長・伊志嶺亮平良市長は、「最近の防衛庁は、われわれが守ってきた平和憲法の理念に逆行する考え方を持っており、今回のことも危険な兆候だと思う。アジアの国々と平和に共存できる関係をつくるべきで、仮想敵国を想定した政策を展開するのはおかしい。このような動きには断固として反対だ。」(1/16付琉球新報)と述べざるをえない事態である。

<<「竹島の日」>>
 2/23には、島根県議会で「竹島の日」条例案が議員提案され可決された。日本海にある絶海の孤島、竹島を島根県が県土と告示して100年になる今年、その2月22日を「竹島の日」に制定し、韓国に実効支配されている島の「領有権の確立」をめざす、というものである。韓国政府は条例案の即時廃棄を求め、潘基文外交通商相の訪日、韓国外交通商省のアジア太平洋局長の訪日も延期された。潘基文外相は3/9の記者会見で「竹島問題は日韓関係より優先される」と発言し、「日本の一部政治家などが歴史を正しく認識せず、韓国の国民を刺激している」と語る事態である。
 2/25、盧武鉉韓国大統領は、国会での演説で「歴史問題を処理するドイツと日本の異なった態度は多くの教訓を与えてくれる。態度によって周辺国から受ける信頼も違う。過去に率直にならねばならず、そうすることで初めて過去を振り払い未来に向かうことができる」と発言し、靖国神社参拝や歴史認識に関する問題で小泉首相や日本政府の態度を批判し、さらに3/1には、1919年の日本の植民地支配に対する抵抗運動「3・1運動」86周年記念式典で演説し、日本に対して「過去の真実を究明し、真に謝罪、反省し、賠償すべきことは賠償して和解するべきだ。それが世界の歴史清算の普遍的方式だ」と述べ、さらに「韓国政府は国民の怒りと憎悪をあおらないよう自制してきたが、我々の一方的努力だけでは(歴史問題は)解決できない。両国関係の発展には日本政府と国民の真の努力が必要だ」と述べ「任期中は歴史問題を提起しない」と述べてきた盧武鉉大統領が、日韓の過去清算や戦後補償問題での日本の態度、そして日本の外交姿勢そのものについてまで問題を提起し、真摯な解決への努力を促したのである。

<<国家主義の台頭>>
 盧武鉉大統領はまた、北朝鮮による日本人拉致問題についても触れ、「日本国民の怒りを十分理解する」としながらも、「日本も、強制徴用から慰安婦問題まで日本支配時代に数千、数万倍の苦痛を受けた我が国民の怒りを理解しなければならない」と述べ、「真の自己反省」がなければ「いくら経済力が強く軍備を強化しても隣人の信頼は得られない」と強調している。
 問題の北朝鮮・核問題については「一喜一憂せず、柔軟性を持ちながら一貫した原則に従って冷静に対処する」と述べ、北朝鮮の核保有を容認しない一方で、平和解決を探る韓国政府の基本方針を改めて確認している。ここには本来あるべき日本の対外姿勢の基本も示されているといえよう。
 ところが小泉政権はこれとはまったく逆の方向を選択している。それではなぜ、これほどまでに周辺諸国との対立や摩擦を意図的に演出し、関係を悪化させる方向に踏み出しているのであろうか。もちろん事態を単純化することは出来ないが、最大の要因としてアメリカ・ブッシュ政権の世界支配戦略の重要な一翼を日本が積極的に担い、加担しようとし、そこに日本の活路を見出そうとしていること、そのためには日本が軍事的にも大手を振って軍隊を派遣できる体制をこの際どうしても作っておきたい、つまりは憲法を改定できる環境を意図的に醸成し、周辺諸国とは緊張状態にあるほうが望ましいということであろう。「日本では隣国を憂慮させるに十分な摩擦を引き起こす国家主義が再び台頭してきている。ますます多くの日本の政治家が愛国的な大義を採用するようになってきている」と指摘する事態である(2/15付け英紙フィナンシャル・タイムズ)。
 このような事態にあっても国会の論議は至って低調であり、与野党間の緊張関係は無きに等しく、民主党の一部グループからは、核、生物、化学兵器など大量破壊兵器の保持にも余地を残しておくべきだという改憲案(『創憲』を考えるための提言)まで出されて、小泉政権を激励している。以上のような危険な動きが見過ごされてはならないであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.328 2005年3月19日

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【投稿】規制緩和下におけるタクシー労働者の意識と生活

【投稿】規制緩和下におけるタクシー労働者の意識と生活
                          立花 豊(タクシー労働者)

タクシー会社に就職しておよそ1年がたった。以前の職業とはまったく畑違いだが、生活のためには「贅沢」もいってられず、53歳という年齢と、運転免許以外さして特技も資格ももたない身としてはごく普通の職場選択であると思ったからである。しかし、就職した当時と比較して、タクシーに乗って1年が過ぎると、具体的にタクシーをとりまくものが透けて見えてきた。想像以上の長時間労働と、それに影響される日常生活。オール歩合給独特の切迫感。さらに盛り場での多すぎるタクシー。ここではそれらの一端を私の経験から述べてみたい。

<長時間労働と様々な勤務形態>
タクシーの出番の一日は車の点検と点呼からはじまる。朝6時過ぎ会社に出る。点呼が終わるのがおよそ6時半。それから出庫し、翌日の朝3時過ぎに帰庫するまで21時間、客を乗せ、町を走る。休憩は食事とトイレだけだ。午後3時過ぎ客が引けると、1時間から2時間程度仮眠する人もいるが、新人の私は走り回る。建前は3回(3時間)ほどの休憩が認められているが、食事も走りながら摂ったり、たち食いそばなどで済ませ、十分な時間をかけることはそうそうない。
私は朝出る勤務スタイルだが、私の会社ではこの勤務形態がおよそ3分の2程度。あとは、朝出て夕方帰る、夜6時から翌日の朝6時までなど、勤務形態は様々だ。出番も、私は1日でると帰った日の1日は明け番、さらにその翌日出ると、その次の日は明け番、そしてその翌日が公休日となる。5日間で2回の出番となる。建前の拘束時間は42時間だが実態はかなり違う。3時に社に帰るのはまれだ。4時に帰るのが日常的になり、その後営業報告と清算を済ませたら、洗車をする。実際に家路につくには朝の6時近くになる。つまり24時間拘束となるのが日常的で、実際の労働時間は5日間で48時間。そのほかに、社内で研修などがあれば、朝8時からはじまるのが普通だから、帰りは10時過ぎとなる。研修や会合は一切無給だ。
朝から夕方までと、昼から朝6時までの場合は毎日の出番となり、土日が休日となる。この場合も一日の労働時間はおよそ11時間。
私の場合、月12回1年間で144回出番で、1回の拘束が24時間となれば、年総労働時間は3456時間となる。建前の1日21時間計算でも3024時間となり、3時間の休憩時間を差し引いても、2736時間となる。相当少ない人でも2500時間は確実にあるだろう。
長時間労働者の日常生活は単純に睡眠を中心に据える。朝帰宅すると、まず「朝食」を摂る。その後睡眠をとるが、人によって時間は異なる。私は通常午前中一杯で起きだす。睡眠時間は4時間あまり。それ以上長時間とると、夜寝られなくなるからだ。午後、昼間しかできない雑用をすますと、夕食をとり、一杯の酒を飲み、翌日の勤務に備え、また寝る。夜12時前には就寝し、翌朝5時半には起きだし、勤務に出る。ここまで3日間で9時間程度の睡眠時間である。同僚の話をきくと、勤務後の明け番の1日をひたすら睡眠に明け暮れる人が多い。帰宅後、朝9時に就寝し、午後4時におき、夜8時には寝る、翌朝4時半に起きて食事を摂り、勤務に出るといった生活パターンだ。生理的に夜寝るようになっている身体のリズムは昼の睡眠では疲れがなかなか取れない。私は日常的に睡眠不足を感じるようになった。
明け番の翌日の公休日こそ、ようやく普通人の生活に戻る。朝おき、食事を取り、新聞を読み、・・・といった具合だ。5日間でたった1日の休日であるが、翌日の勤務を考えると、そう夜更かしはできない。しかも休日が毎週決まった曜日ではないので、何か定期的な会合や遊び、習い事などは予定に組みにくい。結局無為な休日を過ごしがちになり、雑用に終始することになる。歯医者に通院する必要があっても、予約がしにくいために、歯を治せないでいる乗務員も多い。また友人と会うにしても、週末とはいかない場合が多くなる。世の中の1週間をリズムとした通常の生活の動きに合わせられないのがタクシー労働なのだろう。
かつてタクシー会社の風紀は乱れ、会社の仮眠所はばくちの鉄火場となっていたといわれたこともあった。労働条件のきつい、劣悪な職場ではありがちな話であるが、少なくとも今の私の会社ではまったくといっていほどそうにはなっていない。劣悪さはそう変わっていないが、世のパチンコブーム程度の影響はあるにしても、かつての雰囲気は弱い。勤務後缶コーヒーを飲みながらその日を振り返って営業成績や客とのトラブルなどを話し合うことは日常的にあるが、ギャンブルの話はまったく出ない。もっぱら仕事の話だ。ギャンブルのための時間も、また経済的余裕もないというのが実情ではないだろうか。

<賃金と給与計算>
タクシー労働者の賃金はオール歩合給が普通だ。事故や違反はタクシーに限らず運転労働にはつき物だが、万一休むと休業分の賃金は一切でない。私と同時期に入社したAさんは病気で3週間入院して休んだが、その間の賃金はない。女性のBさんはお客さんに指示されて右折禁止を無視した違反で免許停止となり30日休んだが、これも賃金は支払われていない。タクシー会社によっては内勤や洗車などでかろうじてアルバイト程度の賃金が払われるところもあるが、私の会社では通常ない。
さて、営業収入の65%(上限らしい)が賃金となるが、営業収入の金額によって歩合も変化する。一定の金額に到達すると1%から2%増額する。逆に言うと一定の金額に到達しなかったら、その分減額されるというわけだ。この歩合給のシステムを明確に説明されたことは入社後これまで何故か一度もない。営業収入のうちタクシーチケットやクレジットカードでの支払いがあれば、その歩合も減額されるらしいとか、事故1回あたりの減額などあるのか、なにも知らされていない。運転手仲間で聞くしかないのか。
1出番あたりの営業収入が5万円程度であれば月12回の出番で60万円の営業収入となるから賃金は39万円計算だ。これから税金や社会保険料など差し引かれて手取り32万円程度となるのがこの会社のタクシー乗務員の一般的な賃金モデルとなる。毎日勤務する人でも相場はそう変わらない。しかし、近年の不況の影響で乗客は減り、営業収入を1出番当たり平均で5万円を確保する乗務員はそう多くない。営業収入は1日56000円程度が目標だが、私の営業収入でこれをクリアした日は月に数えるほどだ。まして1日3万円台でおわることもたびたびだ。朝から夜11時までの営業収入は3万円程度で、深夜の料金割り増し時間帯での長距離客があった場合に目標をクリアできることになるのが通常である。無線などを使用しない限り、また企業との契約などがない限り、タクシーから長距離客を選択はできない。その日の運次第だ。結局平均で月60万円クリアしている人は全体の半数もいない。私の会社の平均賃金は手取りで28から29万円程度と想像する(毎日の営業成績は金額順で全乗務員の成績一覧が壁に掲載される)が、賃金は公開されていない。賃金水準が低いため、明け番や公休日に「代行運転」などのアルバイトをしている乗務員も少なからずいる。

<交通事故と違反>
タクシーに交通違反と事故はつきものといったが、私でもわずか1年で3回事故にあった。違反も2回。事故3回は多いが、うち2回は相手が100%責任であり、1回は居眠り運転だ。違反はタクシーにつきものの違反内容だ。同時期入社の6人のうち違反キップを切らされていない人はいない。事故は経済的にはほぼ会社で負担されるが、違反は個人での処理となる。1回の違反で軽微なものでも違反金は6000円支払わなければならない。反則金も痛いが、違反が重なれば免停となるのがもっと怖い。路上を職場とするタクシーにとって警察の交通取り締まりは一般ドライバーより生活がかかっているという意味で深く、重い。
乗客を他のタクシーと奪い合い、乗客がいればいたで、乗客の指示に従い、最短距離と最短時間を要求される運転をするタクシーは違反すれすれどころか、当然のように違反を重ねる。「みつからなければいい」というのが職場の管理職の指示だ。プロは見つからないように運転しなければならないというわけだ。そんなタクシーにも「30年無違反無事故」という乗務員も当然いるが、なかでも無違反は勲章ものだ。

<規制緩和・多すぎるタクシー台数>
夜の銀座の路上はタクシーでいっぱいだ。新宿ではタクシーによる渋滞が日常茶飯事である。タクシーに規制緩和がなされて3年目に入った。新規事業者の参入と既存事業者の増車の結果である。運賃・料金は多様化されたが、乗客争奪戦の結果、実際には事業者間の値引き競争になった。タクシー台数が多くなると、1台当たりの水揚げは客の総数が増加しない限り減少する。乗務員のベテランの多くはバブル時代を懐かしむ。現在の売り上げの2倍はあったと。
「タクシーは不況に強い」と過去にはいわれたこともあったが、現在のタクシーは構造不況の真っ只中にある。乗客は依然として増えず、タクシー会社の大中小を問わず、また法人・個人を問わず、経営困難をきたしている。多すぎるタクシーは結果として歩合給制度下のタクシー乗務員の賃金をも大幅に減らし、さらに「客奪い合い競争」の結果、違反や事故を増やす。交通事故や違反の多くを占めるタクシーに対して、警察もタクシー会社も当然のように「違反をするな、事故をするな」と乗務員に口すっぱく言うが、違反も事故も構造的に存在し、かつ増加するのが現在のタクシー環境なのである。
もともとタクシー産業は、失業対策的な役割を担わされ、中途採用が圧倒的に多かった。現在もその傾向は強いが、採用者の層は大きく変化してきた。現在は女性の深夜労働が規制緩和されたこともあって女性乗務員が増え、さらに年金受給年齢の人も多い。つまり「一人前の賃金」を期待しない(しなくてもいい、期待したいができない)人が増えたのである。私の勤務する会社の乗務員の平均年齢は53歳に達する。三十代四十代は少数派で、60歳以上が相当数いるのだ。個人タクシーの老齢化が一時問題視されたこともあったが、法人タクシーも平均年齢が高くなってきているようだ。経験年数は比較的短いが、それなりに歳を重ねてきている中高年のタクシー乗務員が、生活のために違反や事故を繰り返している実態はまさに悲劇的だ。

<期待される労働組合活動>
こうした労働実態の中で労働組合は大きな役割を期待されるが、実情はまったく逆だ。オール歩合給制度は目先の営業収入の確保こそがもっとも大事な問題となり、労働者の意識を金縛りにする。春闘でのベースアップはまったく他人事だ。賃金明細書を見ても、基本給や精勤給などが並んでいるが、単純に賃金総額を振り分けただけで、意味をなしていない。私には通勤のための交通費すら支給されない。春闘スローガンに「基本給アップ」などありえないのだ。歩合比率も昨今の会社の営業成績では多少の調整はなされても、大きな変更や改善の余地はない。賃金水準のアップは労働者の要求の大前提だが、そうはならないのだ。
私の会社の組合も、昨年は正社員登用への評価基準を緩和させるという要求や、厚生的な要求をしている。まったく同じタクシー労働をしている正規社員と準社員の差別をなくせという要求をなぜしないのか不思議だが、日常の組合はもっぱら親睦会的な「社員会」と化しているようだ。組合には準社員ははいらない。準社員も組合費を取られるくらいだったら、営業成績を上げたほうがいいと思っている。
正社員と準社員では身分上も大きく差別されている。歩合給制度下では事故や違反による休業は実質賃金カットになる。しかし正社員は最低基本給が確保され、準社員はそれがない。歩合給比率も差がある。
新規採用はすべて準社員からスタートするが、ほんの一部だけが一定期間「模範的な」営業成績をあげ、正社員に登用されることになる。昨年1年間で登用されたのはわずか数人である。現在、組合員の比率は全体の半数にもならなくなっている。私も採用されてから一度も組合に勧誘されたことがないので気になっていたが、準社員(私)には組合員資格がないのか。組合が万一ストライキを決行しても、会社の営業車の多くは通常通りに非組合員によって出庫するだろう。組合の刃はさびてきた。
会社は一年中新採用を募集している。ベテラン乗務員の多くは組合員だが、この層は高齢化と個人タクシーへの転出などで年々減少する一方だから、組合員比率はこのままだと低下するだけだろう。ここの組合はかつては歴史のある行動的な組合として知られていたようだが、実態はかなり落ち込んでいるといわなければならない。
タクシー労働者の多くが営業成績一本やりの賃金制度下にある。さらに正社員と準社員の差別がある。まずもって全乗務員の組織化こそが最優先課題ではないか。そのためには全乗務員の要求を丁寧に集めることからはじめてほしいものだ。私に組合勧誘の話すらしない組合の幹部も組合員の要求を真剣に聞くことが少なくなっているのではないだろうか。
また、タクシー労働者はタクシー会社を渡り歩くこともままある。企業を離れたら組合員ではなくなるが、他のタクシー会社にまた入るのであれば、企業の枠をこえた地域での組織化や行動も視野に入れる必要もあるだろう。

【出典】 アサート No.328 2005年3月19日

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【投稿】「東京都を女たちが変える!キャンペーン(3/3)」に参加して

【投稿】「東京都を女たちが変える!キャンペーン(3/3)」に参加して

「東京都に今何がおこっているか?」を分析・討論する集まりが行われた(シリーズで第2回目)。石原都政が2期目に入って、福祉や医療の現場ではどんな変化が起こっているのか、下記の4つの視点から分析し、ともに考える企画であった。

1)「石原都政の進める新公共経営とは」–新自由主義「石原」なるもの–
2)都政はどう変わったのか(1)  –福祉の分野から–
3)都政はどう変わったのか(2)  –医療の分野から–
4)石原知事の政治手法  「ファムポリティク」編集者から

<このままじゃ大変>
平成15年4月、石原知事が308万票を獲得し、2期目の当選を果たしてから、東京は強権かつ非民主的な政治の発信地になった。都立七生養護学校(日野市)の「性教育」否定と教員処分(*1)、国旗・国歌の強制と教員の大量処分、歴史教科書をつくる会の教科書採択問題、「ジェンダーフリーという用語の不使用決定と男女混合名簿の禁止」(*2)、都立4大学の一方的な統合、都立病院の統廃合(*3)、男女特性論の明記と「東京ウイメンズプラザ」を男女平等政策の拠点と明記しない条例の策定など男女平等政策の後退が起こっている。

<東京都の先駆的役割を否定・放棄>
これまで、教育・福祉・人権の各分野で東京都が先進的に制度を作るなどフロントランナーとして果たしてきた役割は完全に否定・放棄されている。
都知事の女性蔑視発言(*4)が撤回されないまま、続々と政治家たちの差別発言が続き、石原知事の障害者、外国人に対する差別発言をみると、この人には他人を思いやる心や想像力はなく、人は皆平等で「教育を受ける機会を社会が均等に提供すべき」などという近代社会のリベラル思想が皆無であると思える。
また公務員である知事たるものは、本来憲法を守る義務がある。ところが知事は雑誌やTVで「自分は憲法を認めない」とくり返して言っている。直近の教育審議会委員の選任では、経済同友会出身者(高坂氏:憲法改正論者)始め経済団体関係者を3人(委員6人中)選任したという事態になっている。

<都議選や知事選挙にむけて>
3/3集会主催者は「今年は都議会議員選挙がある。石原都知事と同じ路線で、都政をとんでもない方向に引っ張っている都議会議員を再び都議会に送り出す訳にはいかない。都議選は状況を変えるチャンスであり、石原都政がますます勢いづくような状況にストップをかけたい。」と具体的な目標を提起している。
彼女達は「憲法や教育基本法を生かし、男女平等を進め、子どもからお年よりまで安心して暮らせるよう」東京都を変えたいという思いを行動につなげて、あと2年半となった都知事選を射程距離に入れている。
市民運働や女性運動団体、環境や反核平和勢力、労働組合は、東京のこの反動的な流れを変えるために分散している力を結集しなければならないと思う。(東京E,T)

注1  七生養護学校で取り組んできた「こころとからだの教育」に対し教員を処分:知的障害や自閉症の子はきちんとした知識がないとレイプされて妊娠し、しかもそれに気づかないような悲劇が後を絶たない。その子が人生を大切にする為に性教育が必要と考え現場の先生たちが工夫し進めてきた養護学校での性教育を「不適切な性教育」とし145点の教材・教具や授業記録を没収した。石原知事は「指導要項より子供の人生の方が大切とは考えないか?」との議会での質問(福士敬子市民派無所属都議会議員)に「学習指導要項にそった指導が大切、教材の人形をご覧になったことがあるか。あんなグロテスクで醜いものはない」と壇上で怒鳴っている。都教育委員会は「性教育に不等な介入」を行い他の養護学校も含めて116名の校長・教頭・教職員を「処分」した(平成15年12月)。これに対し「子供の必要な教育を受ける権利の保障を求め『人権救済』の申し立て」(児玉法律事務所)をしている。
注2  都は「ジェンダーフリーの思想は誤解を生みやすく現場を混乱させる」として不使用を決定しており、知事は、「ジェンダーフリーの思想は男女を区別せず同一視する『そういう危険な思想は考え直さなきゃね』」と本会議で答弁している。
注3  都立病院の統廃合:1999年4月第1期石原知事当選。同年、東京都監査条例が施行され、外部監査を行う。その報告(都立病院の医師数が全国自治体病院の平均より多い、看護師の給与が同平均より高い、人数が多いなど)をうけ、2000年都立病院改革会議が設置される。2001年「都立病院改革マスタープラン」が出される。そのテーマは東京発医療改革であるが、1、16あった都立病院を8の直営とその他は廃止、統廃合、公社化に再編する 2、東京ER(府中、広尾、墨東)の整備を方針として明らかにした。以後平成14年の母子保健院の廃止を皮切りに、平成16年4月大久保病院を公社化した。18年に荏原病院の公社化予定。梅が丘病院(小児精神科)と清瀬小児病院を府中キャンパスへ移転統廃合などを予定している。
注4  石原都知事は「週刊女性」01年11月6日号のインタビューで「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典(東大大学院教授)がいってるんだけど、文明がもたらしたもっともあしき有害なものはババアなんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪ですって」などと述べた。
これに対し、石原知事が雑誌のインタビューなどで女性に差別的な発言をしたことで名誉を傷つけられたとして、首都圏の女性131人が都知事を相手に慰謝料計約1400万円の支払いなどを求めた訴訟を起こた。その判決で河村吉晃裁判長(東京地裁)は都知事の発言を「個人の尊重を定めた憲法の理念と相いれない」と批判する一方、「原告個々人の名誉が傷つけられたとは言えない」として請求を退けた。
判決によると、河村裁判長は「松井教授の説には、都知事の説明とは異なり、おばあさんに対する否定的な言及はみられない」と指摘。発言について「教授の話を紹介するような形をとっているが、個人の見解の表明」としたうえで、「女性の存在価値を生殖能力の面のみに着目して評価した」「多くの女性が不愉快になったことは容易に推測される」と述べた。

<参考>  ホームページ http://womenchange-tokyo.jp

【出典】 アサート No.328 2005年3月19日

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【追悼】松江さんのこと

【追悼】松江さんのこと

広島で原水爆禁止運動に取り組んでこられた、松江澄さんが亡くなられた。朝日新聞に、ソンタクと並んで大きな追悼記事が出ていた。彼は、各国が核実験などをやると、必ず、平和公園の座り込みの先頭に立っておられた★彼にはじめてお会いしたのは、もうはるか35年も前のことになる。松江さんが幹部を務めていたこの国の前衛党に多くの困難が生じて、彼は中央指導部に反対する立場に立っていた。この時も、原水爆の問題がからんでいた。そして、戦前からの幹部とともに、新しい組織を作ろうとして大変な努力を払っておられた★この運動には多くの学生上がりの若者達も応援団として加わっていた。小生もその末席を汚していた。今はもう詳しく覚えていないが、小生達は松江さんの考えに、必ずしも賛成でなかったように思う。我々は、相当、ごりごりの「国際主義者」だったのだろう。彼らの、新しいものに平然と向かおうとする進取の精神についていけなかったのだろうと思う★松江さんは、ヨーロッパの先進的な考え方に惹かれておられたようで、ソ連などの評価をめぐっても随分と論議した記憶がある。こういう類の議論は、なかなか収斂することなく、いつの間にかソ連も崩壊してしまって、みんな反原発や環境問題などの「草の根運動」みたいなものに散っていってしまった★しかし、松江さんには、生涯離れることの出来ない現地に根を張った原水爆禁止運動があった。最近、原水爆禁止運動をめぐる二つの組織の再統一の話し合いが始まっているらしいが、遅ればせながら、是非、これを実現させてもらいたいものだ。(T.O)

【出典】 アサート No.328 2005年3月19日

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【松江 澄さん追悼】「もっと民主主義を」

【松江 澄さん追悼】「もっと民主主義を」

松江澄さんといえば、広島市中心部にかつてあった「なめくじ横丁」などという、飲み屋で一緒に飲んだ。今は地上げで消えた。一九八〇年ごろ、広島県議をやめて間もないころだ。県労会議のメーデーに招かれ、社・共・労(労働者党)の順であいさつしていた。広島では、保革を超えた、今で言うカリスマ的な人気があった。スタンド(スナック)のママが「松江先生が共産党でなくて自民党だったらよかったのに」などと言っていた。
六十代の時に心筋梗塞で倒れたが、「焼酎の湯割りで立ち直った」と豪語。反核市民団体の代表になり、若手運動家の信望を集めた。その一方で九〇年代初頭、グラムシの著作の小さな勉強会を主宰したこともある。理論家だが、柔軟に現実をみすえた人だった。
ロシア革命の二年後の一九一九年に広島市内に生まれた松江さんは、東大在学中、「学徒出陣」した。行き先も知らされずに玄界灘を渡り、朝鮮半島を列車で縦断すると、極寒のソ連国境の町へ。牡丹江重砲兵連隊(現在の中国・黒竜江省)に入隊した。凍傷の恐怖と闘い、内務班でのいじめに耐え、四四年に帰国。富士山ろくの陸軍重砲兵学校教育隊で敗戦を迎えて広島に戻るが、原爆で実家は焼け、医師だった兄は被爆死していた。 非道な軍隊の経験と家族を原爆で失った経験、戦後の原水禁運動や労働運動の原点だった。
復員して朝鮮戦争までの五年間、占領軍と対峙した日鋼争議の指導や「原爆廃棄」を初めて訴えた平和擁護広島大会の開催など運動のうねりの渦中に身を置く。レッドパージで勤務先の中国新聞を追われ、路線対立から六一年に共産党を離れ、社会主義革新運動(社革)に参加。二十数年後の八四年、社会主義の優位性を批判する論文を発表した。ソ連の崩壊はその七年後だった。
「神のごとく尊ぶ」という批判的な言い回しをよく使っていた。その対象が天皇制であり、「前衛党」だった。最後にたどり着いたのは「もっと民主主義を」だった。
松江さんの告別式はキリスト教会で簡素に営まれた。レッドパージ組とおぼしき老闘士たちの姿もあった。臨終にあたって洗礼を受けていたことに驚き、司式する牧師が松江さんの思想とイエスの教えは同じだ、と説いた。その意味をこれから考えてみる。(広島・S)

【出典】 アサート No.328 2005年3月19日

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【追悼】松江さんの変わらぬ姿勢

【追悼】松江さんの変わらぬ姿勢

以下に引用するものは、1991年2月3日に大阪で開かれた「91フォーラム関西 社会主義・その根源を問い直す」というフォーラムで松江澄さんが最初の問題提起者として発言された一節である。

「私は1919年生まれです。…学生であれば軍隊に行かなくて済むと持っていた私は、在学中、二十四歳で学徒兵として徴兵され、中国の東北部、当時は満州と呼ばれていたソ満国境の戦線に投入されました。零下四十度ものなかでの訓練、あるいは初年兵としてのイジメのなかで、私の中に目覚めたフランス革命はもろくも崩れ去ったと、知らされました。私はこうした軍国主義、非人間的な軍隊生活に対して何も出来ませんでした。出来ないだけでなく、しようとする心、私のフランス革命は完全に消え去りました。
そして戦争と原爆の中で私は生きのびることが出来ました。敗戦後、私は広島の崩壊した街の中で考えたことは、仲の良かった学友たちの戦死、原爆で殺された私の親、兄弟や知人たちのいわば弔い合戦といいますか、それは精神的な弔い合戦でもありますが、労働組合運動、反戦、反核運動を経てまもなく日本共産党に入りました。
入党後の二、三年は共産党に熱中いたしました。しかし五十年分裂から極左冒険主義へと変転する中で、私は多くの疑問を抱きました。党中央を批判したため、私は二回の機関罷免、二回の除名を受けました。1961年、私は日共を去りました。私の去った理由は確かに綱領論争と意見の相違もありましたが、それ以上に批判の自由を圧殺し、真理は党中央にのみあるという考え、あたかも兵営にも似たあの一枚岩主義に対する決別でもありました。
それから多くの同志と一緒に社革(社会主義革新運動)に参加し、大結集に失敗し、いろんな挫折と経過を経て1975年に、前衛党再建のために、というアピールを出して活動しました。私は日共のニセ前衛党ではなく、本当の唯一前衛党があるに違いないと理想を追い続けたのであります。…」

ほんのこれだけの短い発言の中に、松江さんが生きてこられた時代の雰囲気、その世代に重くのしかかった軍国主義、敗戦後の労働組合運動、反戦、反核運動、そして社会主義・共産主義運動の問題が凝縮されていると、あらためて思い知らされる。
筆者が松江さんを知ったのは、「大結集に失敗し、」と言われている、1966、67年をピークとした、日共の路線とは異なる在野共産主義者の総結集運動のときである。その「統一懇談会」には、いつも広島から内藤知周さんと一緒に参加され、内藤さんが独特の鋭い生真面目な論陣をはられる横で、松江さんはあの柔らかな微笑をいつも崩さず、しかし眼は議論の成り行きを厳しく見守っているという姿勢であったように思い出される。この総結集運動は、党名をどうするか、頭部の人事をどうするかといった大詰めの段階にまで進んでいたのであるが、一部の政治的思惑によって頓挫してしまった。それは筆者にとっても苦々しい思い出ではあるが、果たしてそれが成功していたとしても、それが「唯一前衛党」論に立っている限りは、やはり政治的思想的に頓挫していただろう、と思われる。それは今だから言えることだが、そもそも「前衛」などというおこがましい手前勝手な論理に対する思想的理論的な批判精神が欠落していたという筆者自身の反省と自己批判でもある。民主主義に立脚しない社会主義などありえないことが立証されてしまったのと同様に、民主主義と「唯一前衛党」論は両立し得ないのである。
「91フォーラム関西」では、松江さんの問題提起に続いて筆者が発言し、「ブルジョア民主主義の断絶の上に社会主義を対置するという傾向、そして運動上においても共産主義あるいは社会主義、あるいは前衛的な諸名称を持った運動でないと、先進的、進歩的な運動ではないというふうなつかまえかた」を問題にし、僭越にも松江さんのブルジョア民主主義論に対する批判を試みたつもりであった。しかし優しさと包容力に富み、笑顔を絶やさない松江さんは、うなずき、「今日は本当に多くの方々の率直なご意見を聞かしていただきまして、フォーラムをやって良かったなと心から喜んでいます」と述べられ、「統一とはやはり、意見が違うもの、考え方が違うものが共に追求し、共に闘い、あるいは共に行動することだと考えています」と締めくくられた。これこそが松江さんの終始変わらぬ姿勢であったように思われる。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.328 2005年3月19日

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【投稿】「朝日」「毎日」「日経」「読売」と東京大空襲

【投稿】「朝日」「毎日」「日経」「読売」と東京大空襲

                              吉村 励

本誌『アサート』 の326、 327号に、 日本の戦争被害と戦争加害について書いてきた私は、 本号328号で、わが国の空襲被害に関するやや詳細な分析の文章を載せる計画であったが、 資料蒐集と整理に手間取り、本号に間に合わなくなった。
ところが、本日 (三月十日)の新聞は、三月十日の東京大空襲に関して『朝日』『毎日』『日経』『読売』は、それぞれ、最近の新聞論調にはめずらしい、まともな見解をコラム欄(『朝日』は天声人語、『毎日』は余禄、『日経』は春秋、『読売』は編集手帳) でのべており、『朝日』はさらに社説「あれはく戦場>だった」で、大空襲に触れている。 『読売』は社説(2)で、いかにも読売らしいくだりもあるが、「[東京大空襲]明らかに『戦争犯罪』だった」として取り上げている 。 (東京大空襲を社説で触れているのは『朝日』『読売』で、『毎日』『日経』は、別の問題を取り上げている)。 私のような年金生活者の老人とはちがって、 忙しい現役諸君は 『朝日』『毎日』『日経』『読売』の四紙に目を通すというようなことは、ごくまれなことと思われるので、編集者の生駒敬さんに無理にお願いして、 『アサート』に転載してもらうことにしました。 次号の拙稿のための序走として、目を通していただければ幸甚です。

『朝日』社説東京大空襲 あれは「戦場」だった
東京大空襲から10日で60年になる 。
大平洋戦争の末期、大都市から地方都市まで、全土が米軍の無差別爆撃にさらされた。その犠牲者は広島、長崎の原爆による約30万人に匹敵するといわれる。
とりわけ、東京大空襲では10万人が亡くなったとされている。当時の陸軍記念日をねらっての攻撃だった。
飛来したのは B29 300機、 投下された爆弾は1800トンに達したという。兵器工場などの軍事日標から都市部へのじゅうたん爆撃に戦略を変えて最初の攻撃だった。
書家の故井上有一氏は、本所区(現在の墨田区)にあった横川国民学校の教員として宿直についていた。 日付が10日に変わった直後からの空襲に、安全とされていた校舎は避難民であふれた。 猛火がガラス窓を破り、建物の隅々までなめ尽くした。
九死に一生を得た彼が見たのは、 戦場そのものとも言える凄慘(せいさん)な光景だった。 1978年の作品「噫(ああ)横川国民学校」には、「白骨死体如火葬場生焼女人全裸腹裂胎児露出 悲惨極此」 「噫呼何の故あってか無辜(むこ)を殺戮(さつりく)するのか」などの文字がたたき付けるように書かれ、断末魔の叫びが伝わってくる。
当時の記録では、遺体のうち65%は男女の別も分からなかった。身元不明のまま合葬されたのは、7万体とされる。この人たちは、他の戦災の犠牲者とともに450個の大きな白磁のつぼに納められ、墨田区の東京都慰霊堂に安置されている。本来なら、それぞれの墓に眠ったはずの人々である。
慰霊堂からほど近い江戸東京博物館では現在、被災地図が展示されている。新たに見つかった名簿などをもとに、住まいと亡くなった場所を結んだものだ。 約700人分が描かれている。
展示品の中に、赤茶けた「防空新聞」があった。東部軍管区、東京都、警視庁の指導で、 朝日新聞が発行したものだ。昭和19年12月5日の紙面は、「女、子供でも掴(つか) める」との見出しで、焼夷弾(しょういだん)について報じている。新聞は町内で回覧され、最後のページにはいくつもの判子が押してあった。
国民に防災の義務を課した「防空法」はこうして隅々に伝えられ、その結果、逃げ遅れた人が多かったとも言われる。 同じ新聞社に働く者として、 決して繰り返してはならない過ちである。
空襲を体験した人たちは年々、減っている。こうしたなか、日米双方の資料にとどまらず戦跡など「場所の記憶」も生かして、この史上まれに見る惨劇を後世に伝えるよう努めたい。
今も空爆と名前を変えた空襲が、世界のあちこちで人々の命を脅かしている。
大空襲の被害の実態を立体的に明らかにすることは、日本が加害者だった時代に生きたアジアの人々の嘆きの深さを共有し、イラクで続く理不尽な死への住民の怒りを理解することにつながる。

『朝目』天声人語
「居を麻布に移す。ペンキ塗の二階家なり因って偏奇館と名づく」 (「偏奇館漫録」)。 永井荷風が長く住んだこの家は、60年前の3月10日の未明、米軍による東京大空襲で焼かれた。▼「わが偏奇館焼亡す一一火焔の更に一段烈しく空に舞上るを見たるのみ。これ偏奇館楼上万巻の図書、一時に燃上りしがためと知られたり」(「罹災日録」)。 荷風は、家々の焼け落ちる様や人々の姿を、その場にしばらくとどまって見ていた。その頃、隅田川周辺の下町一帯では、猛火に追われた人々が逃げまどっていた。▼生き残った人たちが当夜の有り様を描いた絵には、駅構内で幾重にも折り重なったり、川の中を埋め尽くすようにしたりして息絶えた住民たちの姿がある。一晩で約10万人の命が奪われた。▼「B29約百三十機、 昨暁/帝都市街を盲爆」。翌日の朝日新聞の一面トップの見出しだ。大本営発表を伝えたもので、「十五機を撃墜す」とあるが、被害状況の具体的な記述はない。統制下ながら、目の前の大被災を伝え得なかったことを省みて粛然とする。▼この後、米軍は名古屋、大阪、 神戸など大都市での空襲を重ね、 更には中小都市へも爆撃を加え続けた。東京の地獄絵は、規模こそ違っても全国で繰り返された。▼荷風は被災の 2日前に、ぶどう酒の配給を受けたという。ぶどうの実をしぼっただけで酸味が甚だしくほとんど口にできないものだった。そして、こう記している。「醸造の法を知らずして猥 (みだり) に酒を造らむとするなり。外国の事情を審(つまびらか)にせずして戦を開くの愚なるに似たり」

『毎日』余録
「負けたら我々は戦争犯罪人だ」。60年前の3月10日、一夜で約10万人の市民の命を奪った束京大空襲を立案指揮したC・ルメイ米空軍少将は、当時の部下で後に国防長官になったR・マクナマラ氏にそう語ったという (映画「フォッグ・ オブ・ ウォー」)▲「君は10万人を問題にするが、敵を殺さねばこちらに何万も犠牲が出る」。その後空軍参謀総長に昇進する彼が、戦争犯罪人になることはむろんなかった。それどころか戦後日本政府は航空自衛隊創設に貢献したとして彼に勲一等旭日大緩章を与えた▲飛行機の発明の一番大きな影響は、人が空から地上を見下すという”神の視点”を手に入れたことかもしれない。非戦闘員の命を平然と奪う戦略爆撃はそうした“神の視点”が、実は”悪魔の視点”でもあったことを示した▲戦争中であれ、幼子が暮らす家に油を注いで火を放つ所業が許されるはずがない。だがその悲鳴が聞こえず、逃げ惑う姿も見えない上空からなら、人は手や心を汚すことなく平気でそれをやってのけてしまう▲火を逃れてプールに飛び込むと、驚いた4歳の輝一ちゃんは 「おかあちゃん、ごめんなさい。 僕おとなしくするから」 と泣いた。2人の赤ん坊と共にその輝一ちゃんを失った森川寿美子さんの手記にある。死を前に輝一ちゃんは言った。「おかあちゃん、 熱いよ、 赤ちゃんもっと熱いだろうね」(「東京大空襲60年・ 母の記録」岩波ブックレット)▲負ければ戦争犯罪人でも、勝てば勲章が授けられる。それが人の世といえばそれまでだ。そして、火の中で妹を気づかった 4歳の子の物語はほうっておけば誰もかえりみない。「それで本当にいいのか?」。語り継がれる地上の歴史は、いつも私たちにそう問いかける。

『日経』春秋
このところ南海の暖気が吹き込んで、首都圏はぽかぽか陽気に包まれている。60年前の同じ3月10日、南の島から東京にもたらされたのは、300機を超す B29長距離爆撃機が落とした2000トン近い焼夷(しょうい)弾。東京の4分の 1を焼き尽くし、死者は10万人とも一一。 ▼第二次大戦の末期、日独への爆撃は軍事施設や軍需工場だけでなく、非戦闢員を含む都市の無差別爆撃へと拡大してゆく。東京大空襲の 1ヵ月前、 2月13、14の両日、戦火を逃れた避難民で人口が倍にふくれあがっていたドイツの古都ドレステンは英米の猛烈な爆撃を受けた。街は 4日間燃え続け、死者は13万人を超えたという 。▼同じ年の 4月から始まった沖縄戦では、 軍人の戦死者を大きく上回る十数万人の住民が命を落としている。広島、長崎の原爆も含めて、第二次大戦は非戦闘員、市民に多くの犠牲を出した。この苦く重い歴史を風化させまいと、語り継ぐ様々な努力が続いている。▼東京大空襲で母と妹を亡くした高木敏子さんが、戦争体験を伝えようと28年前に書いた「ガラスのうさぎ」は、若い世代に向けて、今年アニメになる。 3人の子供をいっぺんに失った森川寿美子さんの手記は英訳されて、米国の大学生の心を揺さぶった。次世代へつなぎ、世界へ広げれば、事実は風化しない。

『読売』社説(2)
[束京大空襲]「明らかに『戦争犯罪』だった」
「もし、われわれが負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い、私は勝者の方に属していた」
60年前の 3月10日未明、東京の下町を焦土と化した大空襲の指揮をとったカーチス・ ルメイ米司令官が、後年語った言葉である 。
東京大空襲は、初めから一般市民を主日標とした大量虐殺作戦だった。明らかな国際法違反である。軍事関連施設に目標を絞った爆撃で戦果を上げることができなかった米軍は、焼夷(しょうい)弾を使って市街地を焼き払い日本国民の戦意をそぐ作戦に転じていた。
木造住宅密集地が火の海となり、約10万人の生命が奪われた。犠牲者は、欧州最大規模の英米によるドイツ・ ドレステン爆撃を上回る 。
東京大空襲で“成功”した米国は、 3月12日に名古屋、13、14日には大阪へと軍民無差別爆撃の対象を広げて行く。終戦までに150前後の都市が空襲され、 犠牲者は50万人に上った。
東京大空襲を戦争犯罪と認めているのは、 ルメイ将軍だけではない。
「ルメイも私も、戦争犯罪を行ったのだ。 もし負けていればだ」。ベトナム戦争介入責任者の一人だったロバート・ .マクナマラ元国防長官が、 昨年日本公開されたドキュメンタリー映画「フォッグ・ オブ・ ウォー」で、こう述べている。
マクナマラ氏は当時、ルメイ将軍の下の中佐として“効率的” な焼実弾爆撃の作戦計画作成に手腕を振るっていた。
日本の政治・軍事指導者を戦争犯罪人として裁いた極東国際軍事裁判 (東京裁判) とは、 いったい何だったのか。改めて考えさせられる述懐である 。
1992年、ドレステン爆撃を指揮したアーサー・ハリス将軍の銅像がロンドンの中心部に建てられた際、ドイツ政府は強く抗議した。
対照的に、 日本政府は1964年、ルメイ将軍に勲一等旭日大緩章を贈っている。航空自衛隊の育成に協力した、という理由だった。“東京裁判史観”の呪縛(じゅばく)がいかに強く日本社会の歴史認識をゆがめたかを示す、象徴的な現象である 。
警視庁のカメラマンだった石川光陽さんは大空襲直後の街の光景をカメラに収めていた。連合国軍総司令部(G H Q) にフィルムの提出を命じられたが、自宅の庭に埋めて、守り抜いたという 。
その一部、 黒焦げになった母子の写真などが、江戸東京博物館の 「東京空襲60年」のコーナーに展示されている 。
恒例の、東京都平和の日記念式典も、きょう催される。大空襲の記憶を風化させず、 語り継いでいきたいものだ。

『読売』編集手帳
「鳥も鳴かない。 青い草も見えない」。 焼かれ尽くし、満日荒涼たる東京・本郷の廃墟(はいきょ)に呆然(ぼうぜん) と立った23歳の医学生、山田誠也は日記に書いている。こうまでしたか、奴(やつ) ら」。 のちの作家山田風太郎さんである◆戦争だから恨みごとは言わないと、日記はつづく 。「われわれは冷静になろう、冷血動物のようになって、眼(め)には眼、歯には歯–血と涙を凍りつかせて、 きゃつらを一人でも多く殺す研究をしよう・・・」◆彼我の物量の差を知る後世の目で青年の所懷をわらうのは易しい。戦後の平和に慣れた日で報復の決意を難じるのは易しい。無差別の大量虐殺を日の当たりにして、だが、ほかに何を語り得ただろう◆60年前のきょう未明、米軍のB29がおびただしい数の焼夷弾(しょういだん) を東京上空から降らせた。 巨大な溶鉱炉と化した下町一帯で約10万人の命が奪われた。 東京大空襲を指揮したのはカーチス・ ルメイ将軍である◆日本政府は戦後、自衛隊育成の功労者としてルメイ氏に勲一等旭日大綬章を贈った。東京五輪の年である。高度成長の上昇気流に酔い、かって凍らせた血と涙の記憶を喪失したのだろう。人はときに、上に向かって墮落していく◆火炎と熱風をのがれて水辺に逃げた人の多くは酸欠死し、あるいは溺死(できし) し、凍死した。 遺体からにじみ出た脂で隅田川が濁つたという 。

【出典】 アサート No.328 2005年3月19日

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【投稿】一人が二人の仲間を(吉村 励)

【投稿】一人が二人の仲間を(吉村 励)

                          (関連図表は、こちらへ)  『アサート』のNo.326号(2005年1月22日)に、私は「憲法九条は私達のほこり」という小文を書きました。私の頭の中にあった風景は、ヨーロッパの町の広場では時々見かける右手に剣をもち、左手に秤(はかり)を持った正義の女神像でした。女神のはかりの一方の皿に、60年間の戦死傷者ゼロをのせ、他方の皿に戦前50年の戦死傷者3,300万人と3億3000万人の涙をのせ、「ゼロ」の重さをはかるというものでした。その3,300万人の戦死傷者(正確にいえば民間人を含めた戦争被害者)の算定の基礎になったものが、表1「1864年から1945年まで日本がかかわった戦争」と表2「太平洋戦争の人的被害の推計」(死者のみ)でした。表1は、ところどころ空白がある不十分なものでした。そこで、私は拙文の最後に私達も努力するけれども、読者の方々へも空白を埋めるための援助をお願いする言葉を書きそえました。
 ところでこの「憲法九条は私達のほこり」という拙文は、私が今まで書いてきた論文の中で、一番みじかいものでした。しかし反響は予想外に大きなものでした。皆さんの援助と支持にはげまされ、生駒敬さんの相当な努力のおかげで、表1の空欄がほぼうずまりました。本稿は、その意味で、前稿の表1を、より完全に近い形で皆さんにお送りするものです。
 この表1の充実作業にあたって、直木孝次郎さんからは、1982年に出版された小学館『昭和の歴史』(全10巻)のうちの『15年戦争の開幕』(江口圭一、第4巻)『日中全面戦争』(藤原彰、第5巻)のコピーをいただきました。(尚、手紙の中に江口・藤原両氏が一昨年、昨年と相次いで逝去されたことが書かれていました。御二人のご冥福をお祈りしたいと思います)。柴田悦子さんからは全日本海員組合の『海なお深々』(1981年)のコピー(船舶損耗数、戦没船員数を表示した部分)をいただきました。木村陽吉さんからは『靖国神社御祭神戦没・事変別の柱数』のコピーをいただきました。小森哲郎さんからは、文学者であり同時に軍医でもあった森鴎外の著作の中の、日露戦争に関連する部分のコピー(鴎外は軍医であるから戦病死者37,200余名の中、脚気による死者数は27,800余名と推定している)を送っていただきました。厚くお礼申し上げます。また、川北信彦さん、木村敏男さん、小林英夫さん、荻田誠一さん、大谷強さん、大野訓代さん、横田三郎さんからは懇篤な激励の便りをいただきました。これらの援助と激励に励まされて、前稿の表2を表3として「太平洋戦争の人的被害の推計(死者のみ)」を再録(はじめてこの拙文を読まれる方を考慮して)するとともに、表4「空襲 原爆による死亡者数」、表5「沖縄戦における死亡者数」、表6「軍人・軍属の戦争時現存者数及び死亡者数」、表7「朝鮮人労務者の対日本動員数」、表8「中国人強制連行の実態」、表9「泰緬鉄道建設におくりこまれた労務者数」をつけ加えることにしました。表1、表2、表3で十分なのに、なぜ、さらに表4~表9の6個の表をつけるのかと、疑問におもわれる方があるでしょう。理由は、次のとおりです。
 まず、拙文の標題を思い出して下さい。標題は「一人が二人の仲間を」ということになっています。昔有名な哲学者が「思想が大衆をとらえると、巨大な力になる」といったといわれています。そして、その巨大な力を形成するために、まず「一人が二人を獲得する」ことが出発点だといわれてきました。一人が二人を獲得する。その二人が、それぞれまた二人を獲得する。一人から二人、二人から四人、四人から八人といわゆる倍々ゲーム式に共鳴者は拡大します。この「一人が二人を獲得する」という言葉に私は強く感動しました。しかし感動しながらも「獲得する」という言葉に少し抵抗を覚えました。それは、その言葉の前に「同志を獲得する」という古い共産党的なニオイを感じたことに他なりません。もっと自由で明るい言葉、それは同志ではなく仲間だと思い、「一人で二人の仲間を」という標題にしたのです。仲間になってもらうためには、表1、表2の意味を深々理解していただき、現在マスコミによって流布され、影響力をもっている偏見とたたかわなければなりません。それが新しくつけ加えた表4~9なのです。
 まず想いおこしてください。昨年から今年にかけて、私たちは豊岡・出石市を襲った風水害、中越大地震、印度洋の大津波を見聞し、追体験しました。そして、そこで私達が痛感したことは、自由に水が飲め、たべたい時には喰べ、眠くなれば足をのばして眠むり、親子・兄弟・夫婦が一緒に生活できるという平凡な生活、今日の生活がそのまま明日につらなるという、時に単調で退屈と思われる生活が、実は「幸福」の内実だということでした。それは、風水害、地震、津波という自然災害によって、私達がそれを失った時に、はじめて、私達は、「幸福」の実態を知りえたのです。メーテル・リンクの『青い鳥』で、チルチルとミチルが青い鳥をさがして過去の国やいろいろのところを遍歴して、帰ってきたら、自分の家で、青い鳥が死んでいたということは、このことを示唆するものでしょう。そして、私が空襲に着目したのは、「幸福」の破壊が、自然災害よりも、戦争の方が大きいということでした。今年の1月17日は阪神・淡路大震災の10周年祈念ということで多くのイベントが開催され、犠牲者は4,633人と発表されました。表4「空襲・原爆による死亡者数」をごらんください。神戸の空襲による死亡者は、最近の経済安定本部の調査で6,789人、最大の「朝日新聞」の調査で8,400人になっています。阪神・淡路大震災ですから神戸市さらに明石市の死亡者を加えると最低8,149人から最大9,869人となります。阪神・淡路大震災の死亡者の約2倍弱から2.5倍弱になります。しかも、空襲の場合には全国が空爆や機銃掃射の被害にさらされていたから、隣接の諸都市からの援助もなく、もちろんボランティアの支援や仮設住宅の提供もありませんでした。それにもかかわらず、阪神・淡路大震災を下地にしたNHKの朝ドラの「わかば」にも、マスコミ各社の報道にも、地震の報道はあっても、空襲に関する報道は一言半句も存在しませんでした。明らかに、自然災害と戦争被害を切断し、戦争被害への回想が反戦につらなることを防止しようとする政府・マスコミの意志が感じられます。
 最近のNHKと「朝日新聞」との論争を通じて、はしなくもNHK内部に、番組に関する政府との事前協議が当然とする風潮が支配的であることが明らかになりました。検閲を当然とする風潮が、自然災害と人的災害(戦争災害)をきりはなしたのは、当然といえましょう。
 表7、表8、表9は、いわゆる拉致問題と関係する表です。
 戦争中、政府は軍隊の全滅を玉砕といいかえ、退却を転進といいかえました。敗戦後も敗戦を終戦といいかえ、今日にいたるまで、終戦と言う言葉が一般に使用され、8月15日を敗戦記念日という人はごく小数にとどまっています。本来言葉というのは哲学的に概念であり、概念は事象を反映するのです。この言葉=概念の本質を逆手にとって、言葉をかえることによって、あたかも対象や事態が変化したかのような錯覚を与えるのが言葉の魔術です。例えば、終戦とは、戦争が終わったということであり、太陽が東からのぼり西に沈むように、一つの事象の変化を示すものにほかなりません。しかし敗戦といえば、そこには勝者と敗者があり、敗者には、敗北の原因追究と敗北の責任所在の明白化、責任者の責任のとりかたが問われます。日本の権力者は、敗戦を終戦といいかえることによって、敗戦の責任追及をぼやかし、「一億総ザンゲ」という言葉で責任問題を空中分解することに成功しました。極東軍事裁判が、今も勝者の一方的断罪としてマスコミでとりあつかわれているのも当然といえましょう。この言葉のすりかえに成功した権力者は、今度は強制連行問題を拉致といいかえ、民族主義的イデオロギーを鼓吹し、改憲風潮を強化しています。数十人の拉致被害者と表8「中国人の強制連行の実態」に表示されている38,935人の数字を比較していただきたい。表7「朝鮮人労働者の対日動員数」、表9「泰緬鉄道建設に送りこまれた労務者数」で表示されている72万4787人の朝鮮人労働者、泰緬鉄道建設に18万2496人の計90万7283人は、ほぼ被拉致者と推定されますが、当時の雇用情況の詳細は不明なので拉致被害者と断定するのは保留しました。なお、表8「中国強制連行の実態」を「中国人被拉致者の実態」と変更したい誘惑にかられましたが、表7、表8、表9は、歴史学研究会編著『日本史史料<5>現代』(岩波書店、1997年)からの引用であるので自制しました。なお、この文章を執筆中に、朝井保さんから、日本空襲の詳細な資料を含む沢山の貴重な資料が送られてきましたし、直木孝次郎さんからも、再度シベリア出兵に関する『日本近現代史辞典』(同編集委員会編)(東洋経済新報社、1978年)のコピーをいただきました。深く感謝いたしております。
 最後に、本日すなわち2005年2月12日の『朝日新聞』は、「九条の会続々」という標題で、ここ半年間に全国で「九条の会」に賛同するグループの結成が千を超えたと報じています。全国で仲間がふえてえます。読者の皆さんが、ホームページやメールなどを駆使して、「一人で二人の仲間を」の方式で、いそがず、あせらず、仲間をふやしてくださることを期待しています。(2005年2月12日)

 【出典】 アサート No.327 2005年2月19日

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【投稿】小泉内閣と憲法九条をめぐる攻防

【投稿】小泉内閣と憲法九条をめぐる攻防

<<「本当に憲法を守らなければならないのか」>>
 ついに小泉首相は、1/31の参院予算委員会で、自民党の若林議員の質問に答えるかたちで、憲法九条について「厳密に解釈すれば、自衛隊は廃止しなければならないという議論がいまだにある」としたうえ、「もっとはっきりとわかりやすい条文に改めた方がいいのではないか」と、軍隊保持を憲法に盛りこむ明文改憲をすべきだとの考えを明言した。国会開会冒頭の施政方針演説では、改憲については「大いに議論を深める時期」としていたものを、さらに踏み越えたものである。これは明らかに憲法九九条(天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。)で政府に義務づけられた憲法尊重・擁護義務を踏みにじるものである。
 さらに首相は挑戦的に、「現在の憲法のままでいいか、問題点はたくさんある」として、公の支配に属しない事業への支出を禁じていることと私学助成が矛盾するかのような軽薄な詭弁を弄して、「憲法九条ばかりでなく、本当に憲法を守らなければならないのか」と憲法そのものに露骨に敵対する姿勢を表明したのである。このような発言は、首相職どころか国会議員を辞職した上でなされるべきものであって、歴代首相もなしえなかった異常な突出ぶりである。ところが多くのマスメディアは、この異常さを批判も、指摘さえも出来ないでいる。
 図に乗った首相は、2/2の衆院予算委員会でも、憲法への「自衛軍」の明記を求めた民主党の鳩山由紀夫議員の質問に、「私も賛成だ」と答弁し、さらに「集団的自衛権」の行使も可能にすべきだとの考えを示し、鳩山氏の「国連決議の基づく自衛隊の海外派兵」に対しては、「今後、国連決議が必要かということについては、よく議論していただきたい」と答弁し、国連決議のない派兵にまで踏み出し始めたのである。

<<憲法9条は「常識に合わない」>>
 鳩山氏はこの質問の中で「ぜひ、主導的立場を、総理として自民党総裁としてとってほしい」と、首相に改憲の「リーダーシップ」をとることを、こともあろうに政府と自民党に要請する事態である。
 国会審議の場で、民主党が首相の金銭疑惑や政治姿勢、郵政民営化等について何を聞いてもニタニタ、ヘラヘラと、人を食ったような答弁で済ましてしきた首相、そんな答弁を許してきた民主党が、改憲論議となると俄然張り切りだし、擁護・尊重義務のある憲法について、しかもその根幹を改悪する危険なすりあわせ問答を、政府・与党・自民党と民主党を代表する両者が行っているのである。これは危険な大政翼賛問答ともいえよう。
 野党の元党首から激励されて意を強くしたのであろう、首相は同日夜の記者会見で、「自衛隊にしても自衛軍にしても日本を防衛する組織は違憲論が出ないようにしっかりと憲法に位置付けたほうがいい」との見解をあらためて強調し、だいたい今の憲法9条は「常識に合わない。だから違憲論が出る」とまで言い放ち、「憲法違反ではないようにだれにでも分かりやすく明記した方が良い」と言い切ったのである。
 だからこそであろう、憲法第九条が「常識に合わない」という認識が、昨年10月末、現職の陸上自衛隊幕僚監部の幹部自衛官に改憲案を作成させ、「自衛軍」の創設や集団的自衛権行使の明文化、特別裁判所(軍法会議)の設置、国民の国防義務など非常に危険きわまりない内容が盛り込まれ、それがそのまま自民党改憲草案大綱に反映されたのである。憲法順守義務のある自衛隊員が許されるはずのない改憲に公然と手を貸し、しかもそれが発覚しても、防衛庁は、シビリアンコントロール(文民統制)原則から逸脱したこの重大な憲法順守義務違反行為に対して、さらに付け加えていえば自衛隊法第61条で禁じられている自衛隊員の政治的行為に該当する厳禁行為に対して、防衛庁内の身内の調査だけで済まし、「組織的関与はなかった」と断定、「口頭注意」という極めて軽微な措置で事態の収束を図り、処罰されないという(昨年12/24)、本来あってしかるべき「常識」に合わない危険な事態が進行しているといえよう。

<<「攻撃的なたたかい」>>
 1/24、自民党の新憲法起草委員会(委員長・森喜朗前首相)の初会合が開かれ、九条を焦点として、個別の条文を検討するため、同委員会の下に設けた十の小委員会で三月末をめどに報告書を取りまとめることを決定、これらをもとに、四月に委員長試案を策定し、十一月の結党50年大会に併せて草案を発表するとしており、森氏はあいさつで、「党を挙げて新憲法草案の取りまとめを行う態勢が整った」と述べている。
 森氏はこのあいさつの中で「わが国は平和憲法前文に書かれているように攻撃的なたたかいはできないんだということで、これからも洞が峠を決め込んでいて国際社会で信頼をされるのかどうか。このことが今度の憲法の一番のテーマだ」と語り、ついに「攻撃的なたたかい」への参画と憲法前文までをも否定する改憲論の本音を吐露している。
 1/27、衆院憲法調査会の幹事懇談会が開かれ、自民党の中山太郎会長と民主党の枝野幸男会長代理は、今国会での「最終報告書作成へ向けての調査(案)」と題する日程と調査項目を提案し、自民、民主、公明はこれを了承している。
 そして本年五月には、憲法改定の手続きを定める国民投票法案を通常国会に提出し、審議入りを狙っている。これについて自民党の武部勤幹事長は、「与党として提出は決めている。通常国会で必ず出す」と明言し、公明党の神崎代表も、国民投票法案を通常国会へ提出し、成立をはかることに「異論はない」とし、「今年五月ぐらいに衆参両院の憲法調査会で、憲法改正についての一定の方向性が出される。タイミングとしては、その報告を受けて手続き法を国会に提出するのがいい」との見方を示している。
 かくして小泉内閣の下で、憲法九条改悪が着々と進行しつつあるかに見える危険な事態である。

<<「”守旧”勢力」>>
 そして以前から改憲論を声高く主張し、改憲案まで発表してきた『読売新聞』は1/1日付で、憲法と教育基本法を脱却すべき「『戦後民主主義』の残滓」と規定し、「いまだに『戦後』思考を脱却できない”守旧”勢力」を断罪し、1/4付では、「憲法改正の核心は九条改正だ」として、「自衛軍」「集団的自衛権の行使」の明記を主張した。同じく『産経新聞』も1/1付で、「『戦後の終焉』を告げる象徴的ゴールとしての、あるいは究極の構造改革としての憲法改正(および教育基本法改正)がある」と主張、『日本経済新聞』も1/9付け社説「新憲法制定で真の民主国家に」で、自衛権を明記すべきだと主張している。
 全国紙の改憲派三紙が旗職を鮮明にしたのに対し、『朝日』『毎日』は沈黙したままである。これに対して地方紙には、「違った状況」があるという。
 週刊金曜日(1/21号)、山口正紀氏の「新年社説に見る憲法」によると、『琉球新報』は一日付で《われわれには戦争の悲惨さと、軍隊・基地の存在する愚かさを伝える義務がある》と述べ、一〇日付《憲法改正の是非》で改憲スケジュールの進行を《危険な気配》と警告。『沖縄タイムス』も一〇日付で、《戦後の原点に立ち、国民が憲法に求めた国づくりの方向を確認する年としたい》《現在の改憲論議は、主役を国民から国家へと移しかえる方向にある》と書いた。『中国新聞』は、一日付《戦後60年 かみしめたい平和の重み》で、《戦後を形作ったのが「平和主義」を掲げる新憲法であり、理念を具現する「九条」である》とし、小泉首相などの《憲法越える軽い言葉》を批判した。そして『東京新聞』一日付は《この国にふさわしい道》として、《憲法九条の理念を最大限に生かし、平和と安定の新しい国際的な秩序づくりに大きな役割を》と提唱した。『北海道新聞』は一日付《平和の構想力を高めよう》で、自衛隊のイラク派兵を批判しつつ、《恒久平和の実現という人類共通の願いを掲げた憲法の精神を具体化する勢力を、政府は真剣にしてきただろうか》と疑問を投げかけた。

<<「日本人の誇り」>>
 さらに1/23放送のNHKスペシャル「徹底討論 どうする憲法9条」では、評論家・加藤周一氏が「第一次大戦、第二次大戦以降、世界の主な潮流は戦争を非合法化、禁止する傾向なんです。日本の憲法は、一歩先へ踏み出したのであって、古くなったのではなく、いやがるのに無理におしつけられたというのでもない。日本人が平和を望んだあの機会に、天下の潮流にのって、世界の一歩先に進んだ。ですから日本人の誇りになりうるわけです。」と主張、前号本誌の「憲法九条はわたくし達のほこり」という吉村さんの思いがここでも生き生きと主張されている。加藤氏はさらに「日本の安全は東北アジアの平和と密接に関係する。東北アジアの安全を築くのに、日本外交は失敗した。独仏関係と日中関係は違う。それでも、東北アジアと日本との関係を平和的に発展させるために、九条はたいへん役に立つ。それを除けばマイナスに働く。」と発言している。当然、社民党の土井たか子氏も「いよいよ九条を生かす時代になってきた」と主張し、「九条を世界の規範に」とのべている。
 国会内の力関係では、いかにも改憲を主張する勢力が多数であるかに見えるが、このようにことはそう単純ではないことは論を待たない。確かに、改憲反対の社民、共産の議席は圧倒的に少数である。しかし野党第一党の民主党内には改憲賛成派が多数派を形成してきたが、民主党の衆院当選3回以下、参院当選2回以下の若手らでつくった「リベラルの会」(代表世話人は生方幸夫衆院議員ら)は、憲法を改正し集団的自衛権行使を認めることに反対している。そのメンバーが約80人になったという。さらに与党連合を組む公明党やその支持母体である創価学会の中には九条護憲の意見は根強く、幹部は躊躇し動揺している。そして自民党の中にさえ憲法九条問題でも亀裂は存在している。
 吉村さんが言われるように「彼らがたとえ議会で改憲を決議しても国民投票では必ず敗北するという予想を与える」、そのような事態に向けて改憲策動を封じていく努力と力の結集が要請されている。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.327 2005年2月19日

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【投稿】粗雑な最高裁判決で問われる自治体の「裁量」

【投稿】粗雑な最高裁判決で問われる自治体の「裁量」
                        ―東京都管理職員国籍条項訴訟― 

1 あまりに粗雑な判決
  日本国籍がないことを理由に東京都の管理職員試験の受験を拒否された在日韓国人2世で韓国籍の東京都職員の女性が受験資格の確認などを求めていた訴訟で、去る1月26日、最高裁大法廷において、二審の東京高裁の判決を覆し、合憲とする判決が出された。
判決では、「普通地方公共団体が外国人を任命することを禁止するものではない。」として自治体による外国人の採用を一定認めながらも、「職員に採用した外国人の処遇につき合理的な理由に基づいて日本国民と異なる取扱いをすることまで許されないとするものではなく」「合理的な理由に基づくものである限り,憲法14条1項(法の下の平等)に違反するものでもない。」として合理的理由による異なった取り扱いを容認。また、地方公務員のうち、「住民の権利義務を直接形成し、その範囲を確定するなどの公権力の行使に当たる行為を行い、若しくは普通地方公共団体の重要な施策に関する決定を行い、又はこれらに参画することを職務とするもの(公権力行使等地方公務員)」の職務の遂行については、「原則として日本の国籍を有する者が公権力行使等地方公務員に就任することが想定されているとみるべき」「外国人が公権力行使等地方公務員に就任することは,本来我が国の法体系の想定するところではない」として公権力行使等地方公務員の外国人の任用についての制限を明示。そのうえで、任用のあり方について「普通地方公共団体が,公務員制度を構築するに当たって,公権力行使等地方公務員の職とこれに昇任するのに必要な職務経験を積むために経るべき職とを包含する一体的な管理職の任用制度を構築して人事の適正な運用を図ることも、その判断により行うことができる」として、自治体が管理職職員の任用にあたって公権力行使等公務員とそうでない公務員を一括した制度を作って運用することを自治体の裁量の問題とし、そのために一律に管理職職員から外国人を排除してもそれは「合理的理由」に該当するとしたのである。法の下の平等という基本的人権の根幹に関わる問題についての最高裁の判断としてはあまりに粗雑としか言いようがない。
  第二審の東京高裁判決では、管理職について一律に外国人の任用(昇任)を認めないとするのは相当でなく、その職務の内容,権限と事案の決定とのかかわり方、その程度によって、外国人を任用することが許されない管理職とそれが許される管理職とを区別して任用管理を行う必要があり、東京都の課長級の管理職の中にも外国籍の職員に昇任を許しても差し支えのないものも存在するから、外国籍の職員から管理職選考の受験の機会を奪うことは,外国籍の職員の課長級の管理職への昇任のみちを閉ざすものであり、憲法22条1項(職業選択の自由)、14条1項(平等原則)に違反する違法な措置であると示している。
  日本国憲法上、外国人にも基本的人権は保障されており、平等的取り扱いや職業選択の権利が制約される場合には、合理的で必要最小限の範囲であり法的根拠が必要である。にもかかわらず、最高裁判決では、東京都の管理職のなかに「企画や専門分野の研究を行うなどの職務を行うにとどまり、公権力行使等地方公務員には当たらないものも若干存在していたとしても上記判断を左右するものではない」として現行の解釈上で就任できる管理職があるにもかかわらず一律に外国人を排除することを理由もなく正当化して、制約を最小限に抑えようとする姿勢を全くみせず、また、当該職員が歴史的経緯と特別永住者としての法的地位をもつ在日韓国人であることについても、「特別永住者についても異なるものではない。」として特段厳密な合理性を求める認識を示さなかったのである。

2 問われる自治体の「裁量」
今回の判決が職業選択の自由、法の下の平等にかかわる判断を行うにあたって、厳格に合理性の検証を行わないことを正当化する考え方として、「当然の法理」の考え方が色濃く反映されている。当然の法理とは、1973年に大阪府からの照会に対する自治省の回答として出された「公務員の当然の法理に照らして地方公務員の職のうち公権力行使または地方公共団体の意思の形成への参画に携わるものについては、日本の国籍を有しないものを任用することはできないものと解する」というものである。最高裁判決でも、「公権力行使等地方公務員の職務の遂行は,住民の権利義務や法的地位の内容を定め,あるいはこれらに事実上大きな影響を及ぼすなど,住民の生活に直接間接に重大なかかわりを有するものである。それゆえ、国民主権の原理に基づき、国及び普通地方公共団体による統治の在り方については日本国の統治者としての国民が最終的な責任を負うべきものであること(憲法1条,15条1項参照)に照らし,原則として日本の国籍を有する者が公権力行使等地方公務員に就任することが想定されているとみるべき」として、「国民主権の原理」を援用して公権力行使等地方公務員から外国人を排除することをいとも簡単に正当化している。
  しかしながら、国際化の進展や歴史的社会的な事情により、国家と国民、国籍の関係は相対化するものであり、絶対的固定的なものではない。「国民主権の原理」をふりかざすことにより、地域社会の一員であり責任を担っている外国人住民の人権を侵害する結果になることさえあることに留意すべきである。とくに、地方行政においては,国とは異なり、たとえ住民の権利義務や法的地位を定めたり、住民の生活に重大なかかわりを有する職務を外国人が行ったとしても、それをもって「日本国の統治者としての国民が最終的な責任を負うべきものであること」に反するとは言えないであろう。そして、知事や市町村長、行政委員会などを除くと、たとえ一定の権限を行使したとしても、それはあくまで自治体の長等の指揮監督のもと補助機関として行うものであり、こうした職務を行う公務員としての適性は,国籍ではなく、住民全体の奉仕者として公共の利益のために職務を遂行しているかどうかなどのが重要であるということが改めて認識されるべきである。
1980年代以後、日本で生まれ育った3世以後の在日韓国・朝鮮人を中心に地方自治体の国籍条項の撤廃運動が進められ、現在では、都道府県では十一府県、政令指定都市では全十三市が採用時の国籍条項を撤廃している。しかしながら、ほとんどの自治体では「公権力の行使や公の意思形成への参画に携わる」職員への任用を認めていないが、その具体的な内容は確立したものはなく、管理職への任用の考え方も一律ではない。このため、既に国籍条項を撤廃している自治体においては、今後の管理職への任用のあり方、撤廃していない自治体においては撤廃の職の範囲等を見定めるうえで、今回の最高裁の判決が注目されていたわけだが、結果は、厳格で合理的な判断を放棄し、後退したものとなった。しかし、自治体における外国人の採用自体は一定容認され、管理職への就任も一律に禁止されたわけもない。肝心なところは自治体の裁量に委ねられたものとなっている。少なくともこれまでの採用、運用の仕方が否定されたわけではない。このため、これまで外国人の採用と任用を進めてきた自治体は、決して後退することなく、地域社会の一員としての外国人の採用・昇進を進め、外国人とともに地域の自治を担う実績を積み重ねていくべきである。また、これまで採用を躊躇していた自治体においても、一定自治体の裁量が認められたのであるから、積極的に採用、昇進の工夫を行っていくべきである。
  自治体における外国人職員の採用・任用の積み重ねは、単に現在の在日外国人との関係にとどまるものではない。近い将来日本が人口減少社会となり、若年労働者不足のため多数の外国時労働者の受け入れが不可避ともいわれているもとで、外国人とともに歩んでいける社会としていくのか、それとも単に都合よく働く労働者としてだけ処遇する社会としていくのかが問われている試金石でもある。
(桂義郎) 

 【出典】 アサート No.327 2005年2月19日

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【投稿】問われる、課題の共有化—自治労第130回中央委員会を振り返って—

【投稿】問われる、課題の共有化—自治労第130回中央委員会を振り返って—

 自治労第130回中央委員会が、1月27日~28日、東京にて開催された。
 今回の中央委員会は、春闘方針とともに、地公3単産(全水道、都市交、自治労)との組織統合討議案、全国一般との組織統合討議案、島根県本部不祥事問題に端を発した島根県本部再生に向けた支援などが課題であった。
 今中央委員会は、この間の長期不況と小泉政権の規制緩和路線を背景とした、社会全体の公務員バッシングとどうたたかうのか、といった危機意識を共有すべきであったが、一言で言ってしまえば、そのことの共有化といった観点からは、問題を残した中央委員会であった。
 今自治体労働者をめぐっては、賃金抑制や民間委託化などはもとより、最近は、社会保険庁解体や、大阪市役所高額福利厚生費、カラ超勤問題での報道など、非常に扇動的な様相を示している。
 連合白書によれば、構造的変化として低所得層の拡大、階層の分化と固定化が指摘されている。(平均年収450万円以下の世帯は92年と2002年では4.8%増大しており、また1世帯あたり貯蓄額は、ゼロの世帯が、94年の8.8%から2004年22.1%と上昇)
 政府・自民党は、このような構造上の変化と、それにともなう国民感情の変化を巧みに利用し、公務員バッシングを助長している。それらが、端的に現れたのが、社会保険庁バッシングなどに良く使われた「税金ドロボー」の罵声である。無論個々の事例について、批判されるべき事例はあるにせよ、この間の事業や業務の検証など冷静な判断を抜きに、批判と罵声を浴びせる昨今の風潮は、いかがなものであろうか…。
このような、動きの中で自治労は、今中央委員会の中で毅然とし、また一方で柔軟性のある方針の確立が問われていた。しかしながら、大会発言を聞く限り、本来議論されるべきことが議論されずに、右から左に議案が可決されていった。そんな思いがしてならない。
 会議2日目に方針部分に対する議論が行われたが、冒頭に発言したのは、次期定期大会開催県本部の発言であった。その内容は「夏の定期大会にたくさんの人が、ご当地へ来てください」という招致の発言であった。ここにすべてが現れていると思う。
自治労は、2001年秋に発覚した多額の使途不明金などの不祥事問題の反省を踏まえ、2002年1月に「自治労再生プログラム」を決定、履行してきた。例えば、定期大会についても、以前の大会は巡業のように地方都市で開催し、1日当り約5000人、事前会議も含め合計2万人を超える組合員が参加するイベントであり、参加者すべてとは言えないまでも「物見遊山」的な色彩もあり、見直しの声も強かった。その反省と財政事情から、当面東京大会としてみたものの、地方開催の声に押され、今夏から隔年で地方大会、東京大会の開催となったものである。
 そこまでは、まだ理解したとしても、今期中央委員会「冒頭発言」が、たたかいの課題の共有化ではなく、前述のとおり定期大会のご案内とは、いったい何なのか?そのことに対し、違和感をどれだけの役員が感じたのだろうか?
 また島根における不祥事問題、すなわち、島根県本部で4億8千万円の債務超過(簡単に言えば、使途不明金)が生じた問題で、地検が調査に入っているとの理由はあるにせよ、当該県本部も含め詳細が語られず、それに対し他の県本部からも徹底究明の声が上がらないのは、どういうことなのか?
 さらには、大阪市役所高額福利厚生費、カラ超勤問題での発言が、当該も含めほとんど無いのはどういうことなのか?この問題で言えば、右肩上がりの時代では、大阪的に理解されてきた中身も、現在の情勢の中で外部から見れば、正直、違和感を覚えるというのが、オール自治労の役員感覚のように思われる。
 今必要なのは公務員バッシングが強まる中で、この間の経過や交渉過程については、ある意味オープンにし、正当性を確認しながらも、柔軟性をしっかり持ち、方針を打ち出すことではないだろうか?
 自治労は今後、団塊の世代の退職や市町村合併、民間委託化などの中で組合員が減少し、2015年には、現在より20%減、約78万人組合員体制になるというシュミレーションが出されている。全国一般との統合についての議論はまだまだ必要だが、公共民間の組織化を本気でやりきることには、誰も異論が無いであろう。公共サービスユニオンとして生き残るために、自治労再生プログラムの原点に帰り、私たちの運動や活動スタイルを今一度見直す、そのことが問われている。(S) 

 【出典】 アサート No.327 2005年2月19日

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【投稿】『希望格差社会』を読んで

【投稿】『希望格差社会』を読んで

 正規の仕事に就かず、職が不安定な若者の数は400万人を越えると言われている。所謂フリーターという人々である。どうしてフリーターが増えてきたのか。彼らは今後も増え続けるのか。それが意味するものは何か。それを解明しようとしたものが、これから紹介する本書『希望格差社会–「負け組」の絶望感が日本を引き裂く」(筑摩書房 2004年11月)である。
 
 著者は東京学芸大学の山田昌弘教授。パラサイト・シングル問題など現代の家族と若者の有り様を分析されてきた。こうした若者分析を踏まえ、それに留まらず現代日本社会が陥っている社会・経済状況を捉えようとされている。
 
 著者の結論を述べると、現代日本社会は、「将来に希望が持てる(少数の)人と、希望が持てない(多数の)人」に分裂しつつあり、それを「希望格差社会」と名づける。「希望格差社会」は、単に富めるものと貧しいものという現実の経済格差に留まらず、将来にわたって、富めるものと貧しいもの、将来に希望のもてる人と持てない人の格差が固定化し、二極化していく。それは経済的な格差だけでなく、心理的にも「希望」が持てない人々を固定化させる。希望が無いところには、努力も辛抱も苦労も回避する意識が生まれて、非合理的・非社会的な行動も生まれてくる。こうした流れに対して個人責任、努力だけでは抵抗できない。公共政策の介入が総合性とスピードをもって対応する必要がある、ということであろうか。
 
 本書の目的として著者は、現代日本社会の「リスク化」の実態を明らかにし、生活のあらゆる領域で、勝ち組と負け組が分かれていく状況を明らかにすること、そして「リスク化・二極化」が特に若者の心理に与える影響を明らかにし、その結果、将来の日本の社会秩序が脅かされる可能性について考察したいと述べておられる。
 
<リスク社会、社会の二重化・二極化の進行>
 著者によると、親と同居する成人した未婚者(20歳~39歳)が1200万人、未婚で若年のアルバイト雇用者(フリーター)は200万人、失業中の若者と未婚の派遣社員などを加えると400万人になり、さらに家庭の中にひきこもっている青少年50万人を加えると、500万人にのぼる若者が、従来型の正規就業者に含まれないフリーターとして現代日本に存在しているという。
 著者の分析によると、これらフリーターと言われる若者が出現してきたのは、1990年代以降である。それは、日本社会のリスク社会化が進み、同時に社会の二極化が進行していることと同時に進行しているという。
 本書の1,2章では、リスク社会・社会の二重化・二極化について分析されている。
著者はリスクを「何かを選択するときに生起する可能性がある危険」と定義し、特に1990年頃以降に、日本は急速にリスク社会に移行しているとされる。もちろん、日本特有の事象ではなく、先進国で共通の事象としてではあるが。
 1990年以降、つまりバブル経済の崩壊からの脱却過程において生起したのは、企業の急激なリストラやスリム化であったり、生産拠点の海外移転であったり、グローバリゼーションと呼ばれる経済の多国籍化の進展であろう。当初中高年のリストラが話題になったが、それ以上に企業が従来の企業内での職能形成–長期雇用形態から、中心的な労働者には長期雇用と待遇の確保をするけれど、それ以外は短期の外部市場からの調達ということで、派遣・パート労働者導入を図った時期でもある。(1995年から2001年の間に、正規労働者は125万人減少し、非正規労働者は175万人増加している)
 一流大学を卒業しても、就職できない。大学院を出ても希望する仕事がない。「生きがい」を求めて仕事を探しても求める仕事に就くことができず、アルバイトのような単純労働を続ける若者。親と同居することで、低賃金でも何とか暮らしてはいけるが、希望する仕事が就けない状況が続く限り、いずれ若者も30才を越えて、長期のフリーターとなれば、正規労働者への道は一層厳しいものになっていく。
 これらの現象は単に不況というだけでは説明がつかない。著者の分析は、若者の実態から積み上げている点で、非常に説得力があると思われる。
 
<家族・中間集団のリスク化>
 失業のリスクであったり、病気のリスクなど従来から予想されるリスクは存在していた。しかし、従来はそれらのリスクを緩和し、個人を守る機能を果たす中間集団が存在していた。家族、会社、コミュニティ、労働組合、業界団体などである。
 著者によれば、1990年頃を境にし、リストラ・失業による生活リスクが高まり、家族がリスクを引き受ける力が薄れるとともに、離婚や家庭崩壊と言われる状況のように、家族そのもののリスク化が起こっている。会社も社員を守る前に、会社のために社員を切り捨てるのが当たり前になるなど、中間集団が個人のリスクを引き受けられなくなってきた。益々、個人のリスク化が進んでいるという。
 そのような流れの中で、自己実現・自己責任という主張が出てきたが、著者は、現在進行している個人のリスク化は、自己責任という「やる気」で、果たしてすべての人が乗り切れるものなのかどうか、疑問を提起している。
 ただ、一般的に中間集団が個人を守れなくなってきているという評価と、労働組合がそうであるのか、は区別していただきたい、というのが私の意見ではある。本来連帯を基礎とする労働組合・労働運動は、個人のリスク化が進む現代こそ、その力を発揮すべきであり、その機能が発揮されていないなら、詳細な分析・評価が別途必要かと思われる。
 
<雇用・家族形態の変容>
 そこで、それ以前はどうであったのか。少なくとも高度成長期は、発展する経済・豊かな社会への移行期ということもあり、ローリスクな社会であった。大学卒業者はそれなりに、高卒ブルーカラーも工場労働者であっても流通関係にあっても、それなりの生活を維持することができたし、結婚や家族の形成においても、努力すればという前提付きで、「人並み」の生活ができたのではないかと。
 少なくとも教育と言う面では、学歴社会・受験競争と言われつつも、「選別と納得」というプロセスを経て、高い求人倍率も背景に、それぞれ個人は一定の生活を確保・展望することができていたという。(大いに議論のある所だが)。現在は、著者が「教育のパイプライン」システムと呼ぶ選別システムが、出口以後(就職)が保障されないという事から機能せず、一部の条件の整った家庭の子弟のみを除いて、教育のリスク化も進行しているとしている。(第7章教育の不安定化)
 著者は「サラリーマン-主婦型家族」を高度成長期の典型的な家族類型とし、比較的ローリスクであった時代を対照的に提起している。
 本書の第4章戦後安定社会の構造において展開されているが、数点を除いて概ね同感できる内容であろう。確かに、それは私自身の経験と照らし合わせても、同感できるものである。1960年代に少年期を過ごした私も貧しくはあれ希望は持っていた。職業的な技能を身につければ、なんとかやっていけると信じることもできた。数年先輩の世代は、大学闘争などあれだけ暴れまわるリスクを賭けても、企業社会で結構な地位に就いた人も多い。
 ただ、「サラリーマン-主婦型家族」が崩壊していく現実は、必ずしも否定的なものではない。女性の社会進出があり、旧来の「家族」の揺らぎは、新たな個人の確立の過程と見ることも必要であろう。
 
<希望の喪失–リスクからの逃走>
 こうして現代の若者は、現在も不安定だが、将来もまた不安定な生活しか望めないという意識を持たざるをえない。そんな中では、どのような行動が起こるのか。「努力が報われない機会」が増大していくとどうなるのか。
 著者は、特に1998年がひとつの転換点だと指摘する。1998年は、大手証券・銀行が破綻し、中高年を中心に自殺者が年間3万人を越えた年である。実質GNPがマイナス1%となる不況の年でもあった。貧しさ故の犯罪ではなく、犯罪のための犯罪が起こるようになる年だったとしている。フリーターは1999年から急増しているという。1998年に就職できなかった若者が、そのままフリーターとなった。企業は正規雇用を減らし、パート・アルバイトを増やす。彼らが不安定就労の供給先になった。
 希望があってこそ、苦労にも耐えられる。苦労しても報われないなら、苦労から逃れようとする。引きこもりの増加もこの時期だと指摘される。
 そして、彼らが30歳、40歳を越えても、単なる単純労働者で、年金未加入・職能的な熟練も得られないとすれば、言わば「フリーターの不良債権化」が進行していく。
 
<希望格差社会からの脱却は可能か>
 このように著者は、希望という言葉をキーワードに現代の若者の意識と行動を分析する。「ニューエコノミーが生み出す格差は希望の格差である」「ニューエコノミーが平凡な能力の持ち主から奪っているのは『希望』なのである」。
 では、希望格差社会からの脱却は可能なのか。著者は「個人的対処から公共的支援」の重要性を提起する。市場原理主義者達は、自己実現・自己責任が基本だとして、努力の結果報われないのは、個人の責任なのであって、せいぜい生活保護程度の「セイフティネット」の保障で十分と主張するが、著者はこの立場は取らない。むしろイギリス労働党の若者政策に近く、公共政策として職業訓練や能力開発策を充実させ、努力が報われるシステムを総合的にスピードを持って実施すべきだとしている。
 現在求められているのは、経済的課題であるとともに、それ以上に心理的なアプローチであり、苦労・努力に報いられる希望の再建だとされているのである。
 希望格差という切り口は中々新鮮なものがある。確かに、現在若者と家族、社会に生起している様々な問題を解明・説明するに足る議論だと思う。しかし、著者が希望格差社会を生みだした根本には、ニューエコノミー化でありグロバリゼーションの進展があるとしているが、この流れは止めることはできないとしている前提そのものは、果たしてそうなのかという議論は必要であろう。
 従来の企業社会の枠に収まらない新しい経済システムはありえないのか、どうか。単純な社会主義論ではない展望を持ちたいものだと思う。(2005-01-07佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.327 2005年2月19日

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『詩』  何気なく

『詩』  何気なく

                  大木 透

何気なく
FMを入れる
ゲルギエフ
北オセチアの指揮者が
ウイーンを振る
得意の
チャイコフスキーの四番
サントリーホールの
生中継
Mという音楽評論家が
この苦衷からの
出口を探す
管楽器のほえ声の
説明をしている

僕は
それよりも
この間の
三百人も死んだ
事件のことを想い
ゲルギエフのことを想う
前に見た
彼の指先の
震えに震えながら

突然
僕を窓の外の
高い空を見た
近づきつつある
冬空に低くかかる
青みがかった
薄い雲の帯
散りばめられた
宝石のように
橙色と桃色の光が
淡く光る
なにかを待ちながら
滞っている
始皇帝の
銅馬車のように
動き出そうとしている

僕は
急にこみ上げて来た
僕は吸いとられるに違いない
と思って
話に聞いた
教養ある
旧制高校の学生より
もっと昔の
何者かによって
僕は消されてしまうと
思った

(二〇〇四・一一・二一)

【出典】 アサート No.326 2005年1月22日

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【投稿】憲法九条はわたくし達のほこり(吉村 励)

【投稿】憲法九条はわたくし達のほこり(吉村 励)

 昨年の6月大江健三郎氏らの創立した「憲法九条の会」は私達に勇気と運動の方向を与えてくれました。しかし、私達はこの「憲法九条の会」を単なる広告塔として孤立させず、草の根の「憲法九条の会」のネットワークでもって、おぎなわなくてはならないのではないかと思っています。都道府県毎に、都市毎に町や村毎に職場や町会やマンションや部落ごとに「九条の会」をつくりましょう。
 なぜなら、今年は憲法の年といわれ、議会はすでに3分の2以上が改憲勢力によって占められているからです。彼らが現実的行動(改憲)に出るまでに、彼らがたとえ議会で改憲を決議しても国民投票では必ず敗北するという予想を与えることが、彼らの改憲策動を封じる唯一の方法だからです。
 もちろん、私達は制定(1946.11.3)公布(1947.5.3)以来50数年を経過した憲法が個々の条文において古くなって改正を要するものがあることを否定しません。しかし、現在日程に上がっているのは個々の古くなった条項を口実とする憲法の全面的改定であり、日本を「普通の国」(戦争のできる国)に変えるための憲法改悪だからです。ねらいの中心は憲法九条です。それゆえに、私達は憲法九条を守りぬかなければならないのです。
 では、なぜ私達は憲法9条に固守するのか。
 理由は明瞭です。憲法9条は、戦争放棄を定めた世界にほこるべき条文だからです。
 では、何故、憲法9条は私達のほこりなのか?
 まず表1「1894~5年の日清戦争から太平洋戦争の敗北にいたる50年間(正確に言えば51年間)に18の戦争・事件・出兵を日本国民は経験していることを表は示しています。戦争・事件・出兵のなかったのは、1896年から1900年までの4年間、1901年からの3年間、1912・13年の2年間、1923年から26年までの4年間の計13年です。表では、満州事変の1931年(上海事件の1932年)から、日中戦争の37年まで5年間の空白がありますが、歴史書の多くが31年から45年までを15年戦争と規定しているように、中国では小規模の戦闘行動が続いていたと思われます。この5年間を平和期としても平和の年は18年間、後の33年間は戦争・事件・出兵の年でありました。ざっとした計算で51年間の6割6分が戦争の年であったのです。
 太平洋戦争までの戦死傷者は77万9000人(1000人以下は省略)で、太平洋戦争の戦死者500万人、市民の死者50万人(計550万人)を加えると627万9000人になります。(この死傷者の中には台湾征伐、義和団事件、朝鮮軍隊叛乱鎮圧、シベリア出兵、山東出兵<第1回~第3回>、上海事件、張鼓峰事件の死傷者は入っていません。私達の力不足で調べられませんでした。)
 この627万9000人の死傷者は、日本側の被害であり、相手方の被害は太平洋戦争までの戦死傷者約806万8000人です。これに太平洋戦争時の東アジア地域の死傷者1,882万人を加えると計2,688万8000人となります。(日清戦争、台湾征伐、義和団事件、シベリア出兵、山東出兵、満州上海事件の死傷者は入っていません。)
 日本側と相手方(もしくは被占領国)の死傷者の合計は3,316万7000人となり、これは実数をはるかに下まわるものと思われます。

     (参考)
     表1 1984年から1945年まで日本がかかわった戦争
     表2 太平洋戦争の人的被害の推計(死者のみ)

 これらのことを総括すると、日清戦争から太平洋戦争の敗北までの50年間は約7割が戦争の年であり、戦争被害者は3,300万人にのぼる「血塗られた50年間」であったといえます。
 この戦争の50年に比べて、1945年からの60年は、戦争はなく戦死者はなかった。憲法九条のおかげです。60年間の平和の時代と50年間の戦争の時代のちがいは、戦争に起因する死傷者ゼロの時代と3,300万人の死傷者に血ぬられた50年の時代とのちがいです。
 一人の死傷者に泣く人は、親兄弟姉妹、夫婦親族、友人、恋人をいれて平均10人と想定すれば、3,300万人の死傷者は、3億3000万人の涙の対象でありました。それ故に戦前の50年は、3,300万人の血にまみれた50年であり、3億3000万人の涙にぬれた50年であったといえます。
 私達は、憲法九条を「ほこり」と思うのは、まさにこの理由によるものです。60年間一人の戦死者もなく、戦争によって殺した一人の人間もないこと。私達はいくら世界に誇っても誇り足りないという自信をもつべきでしょう。
 もし、私達を「平和ボケ」という人があれば、戦前の50年間に戦争・事件で3,300万人以上が死亡し、3億3000万人以上が愛する人のために涙を流し、時には生活そのものの基盤を失ったことを忘れたものこそ「平和ボケ」だと、自信をもって言い返そうではありませんか。(2005・1・13)
 
(読者へのお願い:お気づきのように表1、表2ともに空白部分があります。この空白部分を満たす資料をおもちの方は御一報ください。今後も私達はこの空白を埋める努力をしますが、皆様にもご協力いただければ幸甚です。)

 【出典】 アサート No.326 2005年1月22日

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【投稿】スマトラ島沖地震・津波が警告するもの

【投稿】スマトラ島沖地震・津波が警告するもの

 <<「津波警報ではない」>>
 昨年末の12/26、インドネシアからアフリカのソマリアにいたる海岸線を襲った未曾有の大津波によって、少なくとも15万人以上の人々が死亡し、そのほぼ3分の1が子どもたちであるという。国連のヤン・エーゲラン緊急援助調整官によれば、11の国で何千人もがいまだ行方不明のままであり、何百万人もの人々が家を失い、家財道具一切を失い、飲料水の汚染に直面し、「これらの貧困な国々や名も知れぬ多数の漁民や漁村などの被った犠牲の大きさは見当もつかない」事態である。被害は拡大の様相さえ示している。
 問題は、これほどの多くの死と破壊は、実は非常に単純で安価な津波検出ブイ「ツナミーター」による警報システムがあれば防ぐことが出来たはずだというところにある。今回の事態を受けてそのシステムが整備されることは間違いないと思われるが、それでも問題は、現在の津波警報システムでも最善の努力がなされたのかどうかということは、今後のためにも検証しておく必要があるといえよう。
 12/26、午前7時58分53秒(現地時間)の発生から15分後に、米海洋大気局(NOAA)の太平洋津波警報センター(PTWC、ハワイ)が第1報を発信している。この情報の発信先には、太平洋津波警報組織国際調整グループ(26カ国・地域)の加盟国でもあるインドネシアとタイ政府も含まれていた。しかしこの段階では、この文書は「津波警報では無い」と二度も断り、「地震の規模はマグニチュード(M)8.0。太平洋の外で起きており、歴史的データによれば、破壊的な津波の脅威は存在しない」と説明していた。
 そして地震発生から1時間5分後の午前9時4分、同センターは第2報を発信。地震規模をM8.5に上方修正し、「震源付近での津波の可能性」を追加した。それはあくまでも、near the epicenter(震央付近)にすぎず、バンダ・アチェ近辺だけを想定したものであった。しかもそれは、同局によると、「地震の規模から考えた推定で、実際の津波データに基づくものではなかった」といい、「強い津波警報」までには至らなかった。
 その結果タイでは、驚くべきことに津波が実際に押し寄せてきてから1時間も経過し、何千人もの死者が出た後まで、テレビからもラジオからも警戒警報は出されなかったのである。被害のもっとも大きかったといわれるタイのプーケットでは、津波の到達が、地震の発生から実に約2時間後であったが、何の警告もなされなかった。

<<ディエゴガルシア島米海軍基地>>
 ところが、「TUP速報433号 IAC緊急声明:米国は現地政府に津波警告を出さなかった!」によると、NOAAは、インド洋中央部に位置する英領ディエゴガルシア島の米海軍基地には地震発生と同時に即座に警報を発していたという。この島は全島米軍が借り上げ、アフガン戦争やイラク戦争への出撃拠点としているところである。当然、あらゆる手段で警告を受けたのであろう、津波の被害はほとんどなかった。つまり、現地政府は警告を受けていなかったが、米国政府は警告を受けて、直ちに行動した、というのが真実であろう。NOAAのジェフ・ラドゥスは、インドネシア政府の役人に電子メールを出したと言い訳をしたが、電子メールを送った後のことはわからないと言う。そして、米国の週刊誌タイム(1/3発売)が、インドネシアでは12/26にハワイの津波警報センターから津波の警報を受け取りながら、翌日まで見ていなかったという情報を流している。日本の朝日、毎日、日経など各紙も、これを敷き写した共同・時事の記事を検証もせずに掲載している。責任は当方にはないというわけである。そのうえ、同警報センターの職員が津波の大きな被害を知ったのは、地震発生から約2時間半後、インターネット上でのニュースを通じてだったと言い訳をしている。
 つまりNOAAは、最初の津波が海岸部を直撃するまでに数時間もの通報のチャンスがあったにもかかわらず、その地域の米軍基地には警報を出したが、被害が想定されるインド洋諸国の政府当局者には電話やその他の通信手段を使った何の警告もせず、タイとインドネシア当局には電話一本もかけず、津波警報をあくまでも回避した電子メールを送っただけであり、ましてや津波の直接の進路に何千万人もの人々が住む海岸地帯に住む民間人への警告や警報、避難勧告などは何もなされなかったのである。これは、まったくの犯罪的な怠慢であり、津波災害を拡大させたのは米国の「不作為」という批判も当然のことであろう。

<<わずか25万ドル>>
 ところで、津波をモニターする検出ブイは何十年も前からあり、1960年のチリ地震津波を教訓にして、1966年、UNESCOの政府間海洋委員会に設置された、ITSU(太平洋津波警報組織)というネットワークに26の国と地域が加盟している。そのキーステーションになっているのが、アメリカのPTWC(太平洋津波警報センター)であり、その下に日本の北西太平洋地域津波センター(気象庁)、南西太平洋地域センター、東インド洋地域センターがある。当然これらのそれぞれのセンターの役割は、地域ごとに地震.潮位に係る情報(予報・観測値)を迅速・詳細に提供し、お互いの情報を共有することにある。
 米国北西海岸の沖には、地震を監視、計測するために、50基以上の地震計が設置されており、太平洋中央の海域には、「ツナミーター」と呼ばれるセンサーを装備するブイが6基配置されていて、通信衛星で警報センターと直結され、リアルタイムに津波発生状況を監視し、海中の異常な圧力変化を読み取って、わずかな水圧変化も測定し、ハワイとアラスカの2箇所の米国立津波警報センターに自動的に警告を送るシステムが機能している。
 問題は、こうした機能・性能、そして役割が今回の地震の場合、敏速かつ的確に機能しなかったこと、その上に情報の提供・公開に怠慢と不作為があったのではないかということである。
 さらに言えば、このブイのいくつかがインド洋に配備されておれば、被害は最小限にとどめられたことは間違いがない。昨年6月に開かれた国連の政府間海洋委員会の会議で、専門家は「インド洋の両岸国は、近海並びに遠洋からの津波による多大な脅威にさらされている」ので、警告ネットワークを持つべきだと主張したが、具体的措置の合意はなされなかった、という。米国地質調査所の地質学者ブライアン・アトウォーターは、「スマトラはたくさんの巨大地震の起こった歴史を持つ。だから、インド洋津波警報システムがないことは、なおさら悲劇的だ。スマトラは弾を込めた銃だ、ということは、誰もが知っていたことだ。」と語っている。さらに、シアトルの米国海洋大気管理局太平洋海洋環境研究所長のエディー・バーナード博士は、たった数個のブイがあれば間に合ったはずだと言う。研究者たちは、インドネシア近海を含めインド洋に、もう2基の津波測定器を置くことを要望したが、その計画には資金が出なかったと、バーナードは語っている。
 ツナミーター1基当たりの費用はわずか25万ドルである。けれどもブッシュ政権には、毎日支出されている軍事資金15億ドルの予算はあっても、そのような人命救助のための予算はない。

<<「ブッシュは守銭奴だ」>>
 被災諸国に向けた緊急援助のために最初にブッシュ政権が指し出した千五百万ドルという金額について、12/30のニューヨークタイムズ紙は、お話にならない、ブッシュの党が再選大統領の就任祝賀会を実行するために費やすことになる資金の半分以下であるとして、「ジョージ・ブッシュはまったくもって守銭奴だ」と断じ、仏紙のフィガロは、「悲劇の規模を考えれば、まったくもって馬鹿げている」とし、それが「米国で犬猫のエサのために使われる費用の半分」であり、さらには「イラクで米軍が費やす金額の十分の一」、「新型F16戦闘機の値段の半分」でしかないとすら書く事態となった。批判の強さに驚いたブッシュ政権は、その後、援助金額を三千五百万ドルまで増やし、結局は3.5億ドルと、十倍にまで引き上げたが、それでもイラク戦争に使われた戦費の数パーセントに過ぎない、イラク占領のために過去21カ月に1500億ドルを優に超える浪費、イラク占領に日に2億7000万ドルも使っているという批判に直面している。
 さらに問題なのは、津波災害の支援をめぐって、ブッシュ大統領が日米豪印の4カ国を中心に「核(コア)グループ」を創設して被災地支援・復興にあたると発表し(12/29)、自国中心の支援を行おうとする米国と、あくまで「国連中心」の支援を行うべきであると主張するEU・欧州との間に対立を持ち込んだことである。しかしこの場合は、一時失われかけていた国連の有効性が逆に立証され、イラクと同じくここでも「有志連合」方式援助を行おうとしていたブッシュ政権の目論見は成功はしなかった。

<<「マラッカ海峡は日本の死活問題」>>
 そこでブッシュ政権は、軍事力を中心とした支援体制を急遽浮上させ、米軍主体で支援する枠組み、「中核グループ」構想を実行に移し、タイ・ウタパオに救援活動の拠点を置き、在日米軍が活動の主体となって、米国の「単独行動主義」を補完するものとして、日本の自衛隊をインド洋に派遣させる方向を打ち出した。
 1/5付け毎日は、防衛庁の動きがあわただしくなったのは、米軍主体で支援する枠組み「中核グループ」構想が出てからのことと指摘、あわせて「今回の救援オペレーションは、テロとの戦いを目的とした今後の日米同盟そのもの」との防衛庁幹部の声を紹介している。この作戦には、1000人規模の部隊派遣、C130輸送機、U4多用途支援機、大型輸送ヘリコプターCH47、多用途ヘリコプターUH60Jなど、これまでになく大量に投入する予定である。この「インド洋津波 自衛隊をスマトラ島に派遣 先遣隊が出発」という記事は、この派遣計画が「在日米軍が再編された後の日米同盟のあり方を先取りしたもの」となりそうだと指摘している。これに対して、防衛庁はあくまで「自主的に活動計画を考案した」と強調しているが、災害支援よりも、米国の求めに応じた軍事的な日米共同作戦であることをはしなくも暴露しているといえよう。
 こうした脈絡の中で、大野防衛庁長官がインドネシア、シンガポール、マレーシアの東南アジア3カ国を歴訪し、津波被災国への自衛隊派遣をアピールし、自衛隊の海外活動を本来任務へ格上げする絶好の好機ととらえたのである。
 ところが大野氏は、戦前の日本軍国主義の幹部と同じく、「マラッカ海峡の安全は日本にとって死活問題だ」と語ってしまった。これに対して、テオ・シンガポール国防相は「安全確保は沿岸国が一義的に責任を持つべきだ」と反論し、マレーシアのナジブ国防相は「沿岸国の主権と矛盾しない範囲で協力を」と注文をつけ、インドネシアのユウォノ国防相からは「当面の活動期間は3カ月」、「延長にはインドネシア政府の了承が必要」など、次々と歯止めをかけられ、大野氏は「日本は平和国家で自衛隊の海外活動は平和協力活動に限られている」と弁解せざるを得なかったのである。
 ブッシュ・小泉路線の問題が、こうした津波被災援助問題でも浮かび上がってきたといえよう。

<<放射能漏れのうわさでパニック>>
 今回のスマトラ島沖地震・津波報道の中で、非常に重大で見過ごしえない、しかしほとんど報道されなかった問題がある。それは、インド南部、臨海都市チェンナイ(マドラス)近郊海岸部のカルパカム核複合施設の津波被災である。ここでは津波と核の恐怖という二重の災厄に襲われたのである。
 今回の大津波で原発の冷却装置につながるポンプ室に大量の海水が流入し、稼働中だった原子炉1基が緊急停止した。インド政府当局がろくに調べもせずにあわてて出した最初の報告では、当核複合施設にはまったく被害はなかったと断定し、さらに強い調子で、いかなる放射能漏れもなかったと否定している。しかし、この報告の中でさえ、施設の職員が住むカルパカム全地域で破壊的被害があったことを認めている。災害直後に、施設内でおぼれ死んだ従業員、突堤の廃液排出口で仕事をしていて行方不明とされている作業員、職員の住宅地区で研究員や技術員など少なくとも60人、その他の地区で約250人の死亡が報告されており、死者数は、その後も増え続けているが、実際にはさらに多いと思われる。核施設の被害をことさらに隠そうとする当局の姿勢からして、被害の全貌が明らかになるには時間を要するであろうが、非常に厳しい事態も予想される。
 このカルパカムの核複合施設には、加圧水型重水炉2基(84年と86年に運転開始)、実験炉1基、再処理施設、09年の完成を目指し建設中の高速増殖炉原型炉が存在している。さらに問題なのは、高速増殖炉の位置が海抜わずか3メートルから5.6メートルであるという事実、そして今回の津波の結果、沿岸部において「地盤沈下」が、必至であると予測されていることである。
 この核施設における津波被災はまったくといっていいほど報道されてこなかったが、ようやく登場したのは、1/9付け毎日新聞である。それによると、この地区の原発労働者と家族ら2万5000人が暮らす隣接の居住地区も津波の直撃を受け、計38人が死亡。海沿いのアパート1階にいた原発職員のラビクマルさん(40)は「灰色の波が押し寄せ、首の高さまで海水につかった」と恐怖を語る。また近くの漁村プドゥパティナム・クッパムに住むサディーシュ・クマルさん(20)は「津波発生直後に原発から放射能が漏れたとのうわさが流れ、パニック状態になった」と話す。チェンナイ在住のジャーナリスト、シュリ・ラーマン氏は「インドの原発は今回のような大津波を想定した設計になっていない。一歩間違えれば原子炉が破壊され第二のチェルノブイリになる危険性があった」と指摘する。
 カルパカム原発は03年1月にインドで過去最悪とされる放射能漏れ事故を起こし、作業員6人が被ばくした。しかし、当局は半年近く事故を公表せず、「秘密主義」が批判されたばかりである。

<<原発震災を避けるために>>
 しかし日本は、こうした事態を対岸の火事視することは到底出来るものではない。津波大国として有名なこの日本において、東海地震の震源域のど真ん中に浜岡原発を建設し、地震危険地帯の活断層やその近くに原発銀座といわれるほどの核施設を建設・稼動させている日本である。さらに最も多くの津波被害を受けてきた三陸海岸部近くに核再処理施設まで建設しているのである。
 1896年の明治三陸地震津波では、38.2mという本州最大の津波の高さを記録しており、犠牲者数も死者22,066人に至っている。その地震は三陸沖約150Kmを震源とするマグニチュード8.5という巨大地震で、この地震発生後35分たった午後8時7分に津波の第一波が三陸沿岸に襲来、続いてその8分後の午後8時15分に津波の第二波が襲い、第一波で残った家もすべてさらって流し去ったものである。はたして2005年の現在において、もしこのような津波が襲ってきた場合、このような短時間の間に避難し、安全を確保することは可能であろうか、大いに疑問なところである。
 さらに三陸地方を襲い、地震と津波の大きな被害をもたらせた過去の地震は、1611年(M8.1)、1677年(M8.0)、1896年(M8.5)、1933年(M8.1)、1960年(チリ地震)、1978年(M7.4)と、たびたび襲来しており、ある周期で地震が発生し、津波が襲来している形跡さえ指摘されている。
 しかも日本に住むわれわれが日ごろ経験しているように、たとえ津波警報体制が整っているはずの国でさえも、津波が警報よりも先に到来したり、往々にして地震情報があったにもかかわらず津波警報が遅れるといった事態になる。
 その意味では、地震・津波災害と原子力災害が同時に起きる可能性が最も高い国は日本なのである。本誌前々号でも紹介したように、これを地震学者の石橋克彦神戸大教授は原発震災と名付け「原発震災―破壊を避けるために」という懸命な警告を発しておられる。日本はこの警告を真剣に受け止め、原子力発電からの撤退、核施設の全廃に向けて動き出すべきであろう。

<<「人身売買」と日本>>
 今回のスマトラ沖震災で、日本にとってもう一つ気になるニュースは、インドネシア・アチェ州などで、孤児となった子どもたちが「保護」名目で連れ出され、行方不明になっている、ユニセフ(国連児童基金)の調べでは、その数は四百人に上るという。アチェ州で推定三万五千人とみられる孤児が人身売買の危険にさらされており、スリランカ北部でも三千人以上の孤児が出ており、うち九十人が何者かに連れ去られたという情報があり、「人身売買」の組織が関与した子どもの連れ去りが問題化している、というものである。
 1/4、ユニセフは、こうした子どもたちの早急な保護を求める声明を発表し、この関係者は「子どものいない白人家庭では東南アジア系の子どもを育てたいという夫婦が多いし、売春組織は七、八歳の女の子を求めている。臓器売買などを目的とした人身売買も行われている」と指摘している。
 日本にとって問題なのは、日本は人身売買の受け入れ大国であるという重大な事実である。すでに昨年6月、米国国務省から、日本は「人身売買を防止する最低限の基準も満たしていない」国と指摘されている。日本国内において、人身売買禁止ネットワーク(JNATIP)などが中心になり、加害者の処罰、被害者の保護・救済、被害防止を3本柱とした、包括的な人身売買禁止法の制定を求める運動が展開されており、ようやく政府も重い腰を上げかけてはいるが、その姿勢は不十分であり、遅々としたものである。
 おりしもこの1月初めには、日本では臓器摘出の可能な対象年齢を、これまでの15歳以上から、年齢制限を撤廃してより新鮮で拒絶反応が起きにくい15歳以下から新生児・胎児にまで対象を拡大する提案がなされている。
 日本人が第三世界で腎臓移植等の臓器移植を実行する例が相当数に増えており、これに対応した幼児誘拐、臓器売買が以前から指摘されていたところである。梁石日著『闇の子供たち』(2002年、解放出版社発行)は、こうしたフィリピン、タイを経由した、日本が関与した臓器売買の実態を克明に描いている。
 スマトラ島沖地震・津波は、かくも多くの問題をわれわれに突きつけているといえよう。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.326 2005年1月22日

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【書評】池田晶子著 『41歳からの哲学』

【書評】池田晶子著 『41歳からの哲学』
        (2004.7.15.発行、新潮社、1,200円+税)

 昨年本誌319号(2004.6.26.発行)で紹介した、同著者の『14歳からの哲学–考えるための教科書』(出版・トランスビュー)の続編である。ここ2年間の連載コラム(『週刊新潮』)を整理したものであるらしいが、著者自身が40歳を超えたということから、新たに見えてきたもの、というよりも、従来からの主張をより過激に提唱している書である。

 確かに人に少しは考えさせる逆説や言い回しはある。例えば本書冒頭の章には次のような文がある。

 「人は、現実とは、生きるか死ぬこのことであると思っている。だからこんな話(イラク戦争に関連して、死の問題が取り上げられ、その中で、人間は本能的に死を恐れたり、絶望的になったりしているが、生きているわれわれは、死ぬとはどういうことなのかを知ってはいないのだから、本来これはちょっとおかしい議論ではないか、と著者は言う–引用者)は空想的非現実的だと思いがちだけれども、しかし本当は逆なのである。人がそれを現実だと思う生きるか死ぬか、まさにその生きるか死ぬかの何であるかの話をしているのだからである」(「なぜ人は死を恐れるか──戦争」)。

 すなわちここで著者は、前掲の著書と同様、「人は、他人と出会うよりも先に、先ず自分と出会っていなければならないのである。まず自分と確かに出会っているのでなければ、他人と本当に出会うことなどできない」(「誰と出会うつもりなの–出会い系サイト」)、「人生の快楽を追求するより先に、そも人生とは何かを追求する方が先であろう。快楽だけなら、サルだって知っている。なにゆえの快楽なのかを考えるから人間なのである」(「どこまで馬鹿になりたいの–テレビ」)等々と語り、考えることこそ人間の特質だと強調する。そしてその中心は、生死の謎を考えることから発する「生きること」と「善く生きること」であるとする。

 「『ただ生きることではなく、善く生きることなのだ』と、生存の価値を喝破したのは、二千五百年前のソクラテスである。『善く生きる』とは、通俗道徳の意味ではない。快楽や金銭が生存の価値ならば、定義により、生存そのものには価値はない。逆に、生存そのものが価値ならば、それらなしでも生存は価値であるという驚くべき当たり前のことである。生命至上主義とは、生存そのものが価値である、生きているならそれでいいとするものである。これに対して、ただ生きてりゃいいってもんじゃない。ただ生きているだけなら、ただ生きているだけなのだから、生きていることが価値であるわけがない。善く生きていない人にとって、なんで生きていることが善いことである道理があるか」(「今さらどうして生命倫理–クローン」)。

 著者は、この視点から世界を見る。これは、それ自体としては伝統的な「哲学」の姿勢と言えよう。ところが他方において著者は、例えば死について、「現実に自分が死ぬという経験をする時には、自分はいないのだから、自分の死というものは現実にはあり得なくて、やはり観念なのである。死はどこまでも観念、観念でしかないのである」(「死にたいのか、死にたくないのか–人間の楯」)と観念としての本質を強調する。しかも「観念」を「思い込み」、「現実」を「大勢の人の観念によって成立しているもの」と規定することで、社会的政治的諸事件に関わる個々の現実の死は、「自分ひとりで思い込んだ観念」が、「大勢の人の観念によって成立している」「現実」に敗れたものとして位置づけられる。つまり(人間の楯として)「反戦という観念に殉じて死のうとした人びと」は、「愛国という観念のために自爆して死んだ人びと」と「その心性としては」同じとされる。換言すれば、ともに自分の行き方を自分の事柄として考えることを欠如したものとされるのである。そこで社会的政治的諸事件に関わる事柄について、シニカルな主張がなされる。

 「人間の楯にせよ、自爆テロにせよ、死をもってすれば何とかなると思って何かをする人々を見ると、真面目にやれ、と私は言いたくなる。あんた、本気でやる気あるの、と」(同)。

 次の言い方も同様である。

 「イラク戦争の折に、ネット上で反戦の声を上げた若者たちを扱った番組を観た。(略)痒くなるような感じがした。気持ちはわからなくはないのだが、ものの考え方が、最初から的をはずしているのである。同じ時代に、同じ地球上で、戦争が起こっているというのに、何もできない自分に無力感を覚える。と、彼らは言っていた。/(略)/つまり彼らは、無力感を覚えるというまさにそのことによって、戦争を他人事だと思っているのである。自分のことでないと思っているのである」(「ミサイル、それがどうした–北朝鮮」)。

 「そんなふうに考えると、人というのは案外に呑気なもんである。何もできない自分に無力感を覚えるほどに、暇なのである。自分の人生を他人事みたいに生きているから、そういうことになるのである」(同)。

 次から次へと飛び出してくる著者の言葉には、まさしく自分で考えていくことの何たるかが徐々に意味づけられてくる。すなわちそれは、世界に関わっていく前に自分の人生をただ自分に関わることとしてのみ考えようとするアピールである。そうすればそこには、「自分が存在するということの不思議」、「日常こそが、神秘である」こと、「自分」の何であるかが、問題になってくる。このような自分で考えることによる世界の見直しこそ、他の何ものよりも重要であり、ソクラテスの言わんとしたことだというわけである。

 しかしここまでくると、著者の視点にはやはりどこかに無理があるのではないかと感じざるを得ない。著者の、社会の常識に異議を唱え考え直せというまっとうな主張について、その視点で欠落しているのは、自分の考えること自体が社会的に規定されているということであろう。本書には意見はあるが対話は存在しない。しかし人と人との対話を通じて真理を求め続けたのは、ソクラテスその人ではなかったか。自分を見つめ続けて愛犬と対話をするよりも、媒介者としてのソクラテスとして人との対話を望む次第である。(R) 

 【出典】 アサート No.326 2005年1月22日

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【投稿】NPOは社会を変えるか–阪神・淡路大震災10周年–

【投稿】NPOは社会を変えるか–阪神・淡路大震災10周年–

 今月は阪神・淡路大震災から10周年である。大震災は我々に様々な教訓をもたらした。便利ではあるが自然災害に無防備な大都市、危機にすばやく対応できない行政、高齢者・障害者・外国人等の災害弱者へ大きなしわ寄せ…。超近代的大都市が崩れ去り、赤々と燃え続ける街の姿を前に、私たちは人間の無力さと喪失感を感じざるを得なかった。しかし、そのような悲惨な状況の中で、唯一明るい光を放っていたのがボランティアの活躍である。被災直後から、のべ100万人を越えるというボランティアが現場に駆けつけ、医療、炊き出し、後片付け等様々な分野で被災者の援助と復興を支援した。ボランティアたちは見事に組織され、機能不全に陥った行政の隙間を埋め、被災者に希望と人のつながりの暖かさを伝えた。それまで、日本はボランティアは不毛の地だと言われてきた。誰もこのようにたくさんの人たちが自発的に援助に駆けつけ、効果的な活動をするとは思っていなかった。

NPOとは

これをきっかけに、ボランティアは見直され、非営利の民間組織に法人格を与え、活動を支援するための特定非営利活動促進法(いわゆるNPO法)が1998年成立した。以後毎年、NPO法人は増え続け、2004年末ではすでに2万件を越えていると言われている。NPOというのはnonprofit organizationの略で、日本では非営利組織と言われる。NPOの定義は国によって様々であるが、アメリカでは病院や学校、労働組合までその範疇に入れている。日本ではNPOというと、NPO法により認証されたNPO法人と誤解する人が多いが、「営利を目的とせず、広い意味での社会的課題への対応を目的に、自発的に組織された自立した団体」というところが一般的な理解ではなかろうか。そのような団体はさらに何十万件と存在し、どんどん増え続けている。

今やNPOばやり―その背景は

ここ数年、国をはじめとして、行政がNPOに益々注目している。自治体の首長候補の公約には必ずと言っていいほど「市民との協働」「NPOの支援」といった言葉が並んでいる。各自治体は次々と市民参加による「NPO促進懇談会」のようなものをつくり、そこからの提言を背景に、NPOを巻き込んだ様々な施策を展開し始めている。この状況にはいくつかの背景がある。一つは行政側の事情。①財政危機。行政の仕事の一部をNPOに任せスリム化をはかりたい。②行政ニーズの多様化・複雑化。縦割りの行政の対応では融通が利かず、NPOに頼らざるを得ない。そして、市民側の事情。①高齢化社会への移行。団塊の世代が退職しつつあり、退職後の生きがい・社会的活動の場を求めてNPOを作ったり、参加している。②女性の社会進出。多くのNPOは女性が中心的な役割を果たしている。主婦や子育てで退職せざるを得なかった女性たちが社会活動の場としてNPOに参加している。③市民の力量の強化。これまですべて行政任せだった市民が、自ら組織し、活動資金を集め、目標を定めて問題解決のために具体的に行動している。また、社会貢献がブランドになりつつある企業もNPOに注目しており、NPOに対する積極的支援や共同事業などにも取り組み始めている。

変わる自治体と市民

このような中で、これまで「行政=やる人、市民=要求する人」というような関係が、知恵と力を出し合って、具体的な課題の解決のために一緒に行動するという形も生まれてきている。また、そのような「協働」を実現するために、市民による予算編成(埼玉県志木市)、住民税の1%を納税者が選んだNPOに寄付する(千葉県市川市)といった、これまででは考えもつかなかったユニークな制度をつくる動きもある。地域はNPO活動を通じて確実に変わってきているように思う。

問題点と課題

しかし、問題点と課題も多く存在する。一つはNPOの活動基盤の弱さ。特に財政基盤は弱く、それがNPO活動の不安定性、信頼性の欠如にもつながっている。かといって、行政からの援助に頼れば自立性を失うし、実際は現在の行政にそのような体力は望めない。それならば民間寄付に頼れば良いが、税制上の壁もあり、日本ではほとんど集まらないのが現状である。そのような中でCB(コミュニティー・ビジネス)として、自ら採算の取れる収益事業を行うNPOも増えている。
また、NPOが注目される中で、儲けのために安易にNPOを立ち上げたり、暴力団が役所からの委託のダミーとしてNPOを作ったりという例も聞くようになった。自立したNPOとして「役所公認」なんていうのはなじまないならば、やはり、徹底した情報公開で市民自身が評価を下し、淘汰されていく仕組みも作る必要があるだろう。

アサート的評価は?

NPOの伸張と行政・企業活動への参入は、権力に対する市民参加であり、明らかに民主主義の進展とも言える。一方、危機にあえぐ日本政府が巧みに民間を取り込み、行政課題をNPOに任せて、戦争国家への道を突き進んでいるのかもしれない。NPOの活動を我々はどう評価すべきなのだろうか。これまで、我々はあまりNPOのような活動をきちんと評価してこなかったと思う。今回の文章を書くにあたって過去のアサートを遡って見たが、労働組合に関する文章は多いがNPOやボランティアに言及したものはほとんどなかった。私自身は、NPOの勢いやその影響力、実際に活動している人たちの意気込みに接して、NPOは社会を変える力を持っている、それも革命的に変えていく方向に向かうのではないかと感じている。もしかしたら、労働組合よりNPOの方が社会を変える力を持っている、あるいは持つようになるのではないか。
基本的にクローズドで不況の時には守りにならざるを得ない日本の労働組合と、常にオープンで攻めの姿勢のNPOは場合によっては対立する場合もありえる。例えば公の施設の民間参入に道を開いた指定管理者制度に対して、組合員の雇用確保のためにこれに反対する自治労と、指定管理者となって新たな事業を展開しようとするNPOとの間には、けっこう大きな溝が横たわっている。しかし、これからは労働組合もNPOと連帯することによって、社会的な公正性を担保できるだろうし、NPOも不安定な活動基盤を強化できるのではないか。私は労働組合の一員として今後NPOの活動にも大いに注目していきたい。
(若松一郎)) 

 【出典】 アサート No.326 2005年1月22日

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【投稿】ドル安の進行と暴落の可能性

【投稿】ドル安の進行と暴落の可能性

<<ドルの独歩安>>
 米大統領選終了と同時に、ドル安が急速に進行し始めている。ブッシュ再選時、1ドル=106円台だった円ドル相場は、11/19、ニューヨーク外国為替市場で一時1ドル=102円68銭と、4年8カ月ぶりのドル安水準に下落。さらに12/2には、約5年ぶりの水準となるドル安、1ドル=101円83銭をつけ、12/6には、再び1ドル=101円台をつけた。12/8には日本の7-9月期GDP下方修正が明らかになり、日本経済の先行き、景気減速に対する悲観的な見方が強まり、円売り材料視された結果、105円前後に戻してはいるが、多くのエコノミストは、「100.0円でも止まらない可能性」、早晩1ドル=100円割れを予測し、05年には90円台割れ近しとまでいわれる事態である。ユーロ/ドルについても、2ヵ月前は1ユーロ=約1.20ドルだったものが、G20(20ヵ国財務相・中央銀行総裁会議)会合前日の11/18には一時1ユーロ=1.3074ドルまで急騰、過去最高値を更新している。あらゆる通貨に対してドルの独歩安である。
 市場は、ブッシュ再選によって、米国の双子の赤字(経常赤字と財政赤字)は減るどころか持続し、より以上に拡大しかねないという懸念を再燃させたのである。クリントン時代に黒字に転換したアメリカ財政は、ブッシュの4年間で財政赤字が危険水域とされるGDPの5%を超えるまでに急速に悪化した。ブッシュは「5年間で財政赤字半減」の目標を掲げながら具体策はほとんど示すことができず、逆に軍事費の急増、財政支出の増加、最裕福層への減税によって赤字幅を増大させ、03年度4770億ドル、04年度(03年10月―04年9月)5210億ドルという膨大な赤字で2年連続で過去最大を更新。ブッシュ政権になってから改定し続けてきた財政赤字の上限を、今年度もまた引き上げなければデフォルト(債務不履行)さえ懸念される事態であり、今後10年間の財政赤字は2兆3000億ドルにまでのぼる見込みである。

<<「予測不可能」>>
 もう一方の経常赤字(貿易赤字)も増え続けている。今年1-9月の赤字額(年率換算値)は5920億ドルで、通年の赤字額は03年の5310億ドルから04年には6500億ドル、対GDP比5.7%になると予想されている。これも危険水域の5%超えが確実である。結果的にはこの膨大な赤字を補うために、1日平均で約14億ドル以上もの資金が世界中から米国に流入していることになり、こうした資金の流れに少しでも停滞や減少の動きが生じれば、ドル暴落や金利急騰、経済的大破綻という事態になりかねない。
 11/19、ベルリンで開かれたG20に出席するため、訪独中だったグリーンスパンFRB(米連邦準備制度理事会)議長は、講演の中で、巨額に膨れ上がった米国の経常赤字の問題を取り上げ、このままのペースで赤字が続けば、ドル安と金利上昇が起こる可能性があると警告し、「現在の経常赤字の規模を考えると、将来のある時点で、外国人投資家のドル資産(米国債など)購入の意欲が低下するだろう」と予測、「外国人投資家は、ドル投資を調整(削減か停止)するか、あるいは、より高い投資リターン(金利上昇)を求めるようになる」と指摘し、「投資意欲の低下が、いつ、どんなルートで、また、どんなドルの水準で起こるのかは、ドルや他の通貨の為替レートの動向を予測することが難しいため、残念ながら明確に答えることはできない」とし、さらに、「為替レートを的確に予想できるかどうかの成功率は、コインの裏表を当てるくらい難しい。政府がある特定の為替レベルを支持する試みをして成功した例はごくわずか」とも述べたのである。この傍観者的なお手上げ発言が、2期目に入るブッシュ政権は当面、現行のドル安を容認する方針だと受け取られ、ドル下落に拍車をかけたことは間違いない。
 一方では確かに、ブッシュ大統領は11月の日米首脳会談などで「強いドル政策」を維持していることを繰り返し強調し、記者会見では、財政赤字を減らすために議会と協議していくとも述べている。だが、市場がこれにはほとんど反応せず、無視している。「アメリカはドル高を希望している」と発言するスノー財務長官自身が、ドル下落のタイミングを狙って「市場介入はしない」という趣旨の発言をわざわざ行い、むしろドル安を煽っていることが見抜かれているともいえる。米当局にとっては、ドル安は、実質的な赤字規模減少に役立ち、輸出産業に競争力を与え、経常収支の赤字を改善し、ユーロ圏諸国にも打撃を与えられると踏んでいるのであろう。問題は、このようなドル安政策がいったん動き出したとすれば、ドル暴落への歯止めがかからず、ドルの自滅・米国経済の大破綻をもたらしかねないという恐怖の綱渡りにさしかかっているところにある。

<<「破綻しない可能性は10%」>>
 米大手投資銀行のモルガン・スタンレーのチーフ・エコノミストであるステファン・ローチは最近、機関投資家を集めた私的な会合の席上で「アメリカが経済的な大破綻(ハルマゲドン)を回避できる可能性は10%しかない」(America has no better than a 10 percent chance of avoiding economic `armageddon.’)と語り、参加者を驚かせた、という(田中宇の国際ニュース解説 04年11月26日「ドルの自滅」)。ローチは、アメリカが間もなく不況に陥る可能性が30%、しばらくは延命策で何とか乗り切るがいずれ破綻する可能性が60%、破綻しない可能性は10%と予測している。
 破綻を回避するためには、双子の赤字の解消に向けて具体的な政策が問われる。ブッシュ政権にはこれとは逆の政策があれども、破綻を回避する政策が打ち出せない。年間2兆4千億ドルの米政府予算のうち、政権が歳出額決定可能な裁量的経費は約8200億ドル、その5割強は軍事費と国土防衛費である。この軍事費と国土防衛費がブッシュ政権の下で膨れ上がる一方である。イラク侵攻のツケがどんどんと増え続け、侵攻直前には、米政府は毎月の戦費を22億ドルと概算していたが、昨年4月の勝利宣言後も事態は悪化し、昨年半ばごろからは毎月39億ドルに膨らみ、ゲリラ戦の泥沼化のもとで現在は、毎月58億ドルが消えてしまっている。ブッシュ再選は、「あらゆる資源を動員して対テロ戦争を行う」姿勢を再確認させ、この泥沼化から手を引く可能性を自ら閉ざしてしまい、財政赤字がさらに膨大化することが予測される。05年の防衛予算は前年比7%増の4207億ドルという巨額なものである。
 ドイツのシュレーダー首相が、米国の経常赤字と財政赤字が明らかにドル安の原因と指摘し、米政府の同問題に対する対策の欠如を非難したのは当然のことであろう。同首相が、ECB(欧州中央銀行)と各国の中央銀行が協調介入を実施するよう求め、さらに、為替レートの問題について、アジア諸国、特に中国と日本ともっと協力する必要がある、と述べたことは、事態の新しい展開を示唆していると言えよう。

<<「ドル離れ」の進行>>
 こうした事態に呼応するかのように、各国の「ドル離れ」が徐々に進行している。アジア諸国や産油国がドル資産をユーロに切り替えたのではないかとの観測は絶えず、これによってもドル暴落の懸念が強まってきている。すでに国際決済銀行(BIS)が12/5に公表した金融市場の四半期報告で、「アジアの中央銀行や産油国が資産をドル建てからユーロに移したと市場の一部が確認した」と指摘している。ロシアや中国もドルからユーロへの振り替えを始めたとの観測が流れている。中国政府は今回のドル安を受けて、ドルを売ってアジア諸国の通貨を買う動きを強めた、アジア諸国が、アジア通貨の持ち合いなど、ドル以外の備蓄方法に切り替える傾向を増しているとも報じられている。
 12/8、南米十二カ国の大統領らが出席する第三回南米首脳会議が、ペルーのクスコで開かれ、二〇〇〇年九月の第一回会議以来追求してきた南米諸国の連合体「南米共同体」の設立を正式に宣言している。この「南米共同体」は、南米北部のアンデス共同体(ペルー、エクアドル、ベネズエラ、ボリビア、コロンビアが加盟)と同南部の南部共同市場(ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイが正式加盟)の九カ国に加え、チリ、ガイアナ、スリナムで構成される。ペルーのトレド大統領は、「われわれは単一の通貨、一種類のパスポート、直接選挙によって選出される一つの議会をもつことになるだろう」との見通しを明らかにし、さらにロドリゲス同国外相は、欧州連合(EU)の「例にならう」とのべ、域内貿易自由化など経済的な統合だけでなく、共通の政策をもった国家間の統合をめざす立場を強調、米国へのいいなりを拒否し、米国に対抗する方向としての共同体発足が追求されだしたのである。

<<「あまりリスクを背負い込んでも」>>
 12/5、英オブザーバー紙が「ドルが下落を続ければ、巨額の資産が米国から離れるだろう」とする自民党の与謝野馨政調会長の発言内容を掲載し、さらに「日本政府は保有している米国債の売却も辞さないとして、米国のドル安放置の姿勢をけん制した」と報じたが、財務省はあわててこの報道を否定、与謝野氏は「一般論で述べただけ」として沈静化に懸命な姿勢を示したが、97年に当時の橋本首相がニューヨークでの講演で「米国債を売却する誘惑にかられたことがある」と述べ、米株価の急落を招いたことはまだ記憶に新しいことでもあり、一種の駆け引きともいえよう。
 12/7の記者会見で谷垣財務相は「日本のように巨額なもの(米国債)を持っていると、全体の為替秩序に与える影響が非常に大きい。しかし、あまりリスクを背負い込んでもいけない」と苦渋に満ちた発言をせざるをえなかった。いずれにしても日本は、11月末現在の外貨準備高が8400億8700万ドル(約87兆円)にも達し、米国債の発行残高の1割近くをもつとされる世界一の保有者である。この内、実に30兆円を超える米国債購入が、昨年度、今年の3月までに、円高阻止のために円売りドル買いの市場介入で急増したものである。この円高阻止、1ドル=110円割れを防衛線としていたことからすれば、すでに8兆円前後の評価損が現在進行中である。ドル下落が続けばさらに膨大な評価損を招きかねない。1ドル=101円台となった12/2、谷垣財務相は、「かなり急な動きだ。よく注意しなければならない」とし、「米欧当局と密に連絡をとっている」と協調介入の可能性を示したが、米当局には無視され、結局は“口先介入”しかできない実態である。
 ブッシュの赤字垂れ流し政策に追随し、泥沼化する軍事作戦に協調する小泉政権にとっては、「破綻しない可能性は10%」に賭けるしかなく、それは政治的経済的に膨大な損失を招きかねない。2005年は重大な岐路に立たされると言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.325 2004年12月18日

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