【書評】内発的発展論をめぐる二冊の書物

【書評】内発的発展論をめぐる二冊の書物
     鶴見和子「内発的発展論の展開」
           (筑摩書房 1996.3.15 5,000円)
     保母武彦『内発的発展論と日本の農山村』
            (岩波書店 1996.8.27 3,000円)

 環境・エコロジーの問選、異文化多元的世界の問題等、地球的規模の諸問題が出現している現在、従来までの近代化論(欧米単線型社会発展論)によっては解決の展望が見い出せないとする論調が次第に大きな比重を占めるようになってきている。たしかに欧米近代社会を基準にしてすべての地域の社会の発展程度を測るなどということは、もはや無理な状況であるといえよう。また、これに代るものとして、「世界システム論」なども出現しているが、これとても従来の国家間の関係をこえた世界を対象としているという点で、欧米近代化論の延長上にあるものと見なされている。
 そこで、これまでの観点の枠そのものを打ち破り、人間と自然、人間と人間との関係をもっと密接なかたちで示している「地域」を中心に社会の発展を見ていこうとする観点が出現した。これが「内発的発展論」である。この理論は、あくまでも国家の部分としての「地域」を前提とする「地域主義」とは、それ故異なった様相を見せる。
 今回は、この「内発的発展論」にかんする2冊を紹介する。
 まず前者、鶴見和子の「内発的発展論の展開」は、内発的発展ということを正面に据えた本格的な理論的かつ実証的な書物といえよう。鶴見は、「内発的発展」という表現に、先進国=内発的発展、途上国=外発的発展という図式に対する批判の意味があることを指摘した上で、内発的発展を次のように特徴づける。
「内発的発展とは、目標において人類共通であり、目標達成への経路と、その目標を実現するであろう社会のモデルについては、多様性に富む社会変化の過程である」。
「そこへ至る経路と、目標を実現する社会の姿と、人々の暮らしの流儀とは、それぞれの地域の人々および集団が、固有の自然生態系に適合し、文化遺産(伝統)に基づいて、外来の知識・技術・制度などを照合しつつ、自律的に創出する」。
 このような視点から鶴見は、内発的発展論の先駆者として、民俗学者・柳田国男と中国の社会学者・費孝通を評価する。柳田は、「自然と人間との関係を、自然のままに従うという面と、人間が自然を制御するという面との両面から捕えている」とされ、費孝通の「小城鎮」(地方小都市にあたる)にかんする地域的調査は、内発的発展の対象とされる諸「地域(同じ生態系を共有する村と町との連続体)」を調査することで、「異なる地域の異なる社会変動のモデル」(「模式」とよばれる)を導き出し、地域内の連携と協力の関係を創り出すことをめざした、とされる。(「第1部 原理原論」)
 また著者自らの携わった調査として、水俣病多発集落における水俣病患者・健康者の聞き取りから得た結果から、水俣における内発的発展のかたちを確認する(「第2部 事例研究」)。
 そこでは、水俣病に村する認識として、「水俣病の発生は、部落内の人間関係を「奇病」という差別のレッテルによって分断したが、裁判闘争はそのような差別に抗して、団結を高揚させた。しかしその団結の成果として補償金をかちえたとき、人間関係は崩壊しはじめた。水俣病によってではなく、お金によって、人間関係が崩されたことは一つの逆説である」とする鋭い指摘もなされる。
 そしてその危機をのりこえて、人々が「自分たちを絶望の瀬戸際まで追いつめた、いわゆる「近代化Jとは異なる生活の形と、人間関係を創出しようとして、さまざまな小さな集団を形成しつつある」という事実を踏まえて、「中央集権型近代化に対して、その弊害を身に受けた小さい民が、小さい民の立場から、地域の水と土と歴史とに根ざして、こころみはじめた、内発的発展への萌芽」を見る。
 この過程は、鶴見によれば、「自らの身体を、自分たちの住む地域の自然の一部と見なし、内なる自然と外なる自然との対話と共生をとおして、自立した判断と行動の主体を形成するという姿勢」に裏打ちされている。そしてそこには、「近代の負の側面を修復するために、前近代の正の側面を賦活しようという、世界的な動向に、つらなるもの」があるとされる。

 ここから鶴見は、さらに飛躍して、次のような仮説が成立するのではないか、と述べる(「第3部 アニミズム・エコロジー」)。
 「それは、現在の地球的規模での生態系の危機に直面して、暴力のより少ない科学および技術を形成するために、アニミズムがその動機づけの体系として役立つのではないか、ということである」。
 すなわち近代文明の合理主義の行き詰まりの打開策を、近代合理主義の思考方法の根底にあるとされる「生命の原初形態」「生命の根源」にさかのぼることにより克服しようとする0そしてその例を南方熊楠の「南方曼陀羅」論に代表されるエコロジー運動に見い出すのである。
 ここに見られるように鶴見の内発的発展論は、近代化論に対する割合にまともな批判にはじまるが、これをのりこえる展望としてアニミズムに代表される前近代的な方向へと進んでいく。さまざまな多様な個々の取り組みは、それぞれ現代社会に対して意義をもったものであるとはいえ、それらがかかる前近代的非合理的方向へとつながっていくものであろうか。むしろ鶴見が述べているように、「多様な実例と多様な理論とを、どのように共通の目標にむかって、つなぎあわせてゆけるかが、内発的発展論のもっともむずかしい挑戦的課題であろう」というのが正直なところではないであろうか。
 次に後者、保母武彦「内発的発展論と日本の農山村」は、この内発的発展論の日本の農山村における実例をもとに、より具体的なかたちで論述する。本書は、農山村の現地調査と戦後日本の農山村政策の検討を踏まえて、説得的政策的な提言を出している。前者の鶴見の著書が内発的発展論の本格派とすれば、本書はその社会派というべきものであろう。それだけに内容にはわれわれ自身の足元の現実の重みがある。
 保母の間題意識は次の文に集約される。
「今後の農山村は「生産」と「環境」をキーワードにしていくことが必要である。地域づくりの目標は、「維持可能な発展」と「生活の質」におかれる必要がある。地域振興の方法としては、複合経済の確立、農村の共同事業の実施が大切なテーマとなる。決定的なのは住民の参加と自治である」。
 このような視点から農山村の現代的状況、特に過疎の問題を通して、日本の農山村のもつ本質(農林業・農山村がもつ公益的機能の評価)が指摘される。
「日本の農山村の衰微は、農山村居住者だけの問題ではなく、食糧、水源や余暇活動の場を農山村に求める都市住民の問題であり、また国内の木材や食糧生産をおろそかにして輸入に依存するという点では、地球 環境の問題でもある」。
 それ故「国家政策としては、何よりもまず、農林業・ 農山村が持つ社会的の評価において、食糧生産機能に加えて、地球環境、国土政策(治水、流域管理等)及び都市住民(健康、余暇等)にとって国内の農山村の維持存続が欠かせないことの認識をはっきりさせる必要がある。そして、農家の維持存続や農村集落の維持存続を経済的に支える制度的、財政的制度の検討が急がれる」。
 すなわち農業は、「商工業とちがった別の論理」で動いていることの認識が必要であり、国際化のもとでの「市場論理」、「経済効率」論で割り切ることは、日本の国内農業の否定にしかつながらない。従ってここに、農山村の地域(特に中山間地域)における再生が問われることになる。そしてそれは外部資本の導入による活性化(外発的発展~これはしばしば地域に経済的その他の利益をもたらさないばかりか、害を与えることもある)ではなくて、内発的発展論にもとづく政策としてなされる必要がある。
 それは、農山村のもつ資源・環境・景観を含めた地域社会への総合的視野をベースに、「有効な人工政策」「就業対策」「生活対策」(「農村的生活様式の今日における再生」)が目標となる。そして「地域の独自性」「地域の個性」が、農山村の「自律性」として現われてくるような政策が必要とされるのである。
 ここには前出の鶴見の内発的発展論と通じるものがあるが、保母はこれを具体的な政策として検討する。例えば、生産条件の不良な中山間地域に対して、ヨーロッパにおける「ハンディキャップ地域政策」のような環境保全の具対策を提言する。あるいは経済効率至上の理論からの農山村補助金の解放を主張する。
(なお保母は、鶴見の内発的発展論に対して、「そこでは政策論が消えている」と指摘する。そして「内発的発展論が「権力」奪取を目的とするものでないことや社会運動を必要とすることはそれなりに肯首されるとしても、だからといって、政治権力の一つである地方自治まで拒絶する論理によって、どのような展望を持ち得るというのであろうか」と厳しく批判する。)
 このようにして、保母は、経済効率一辺倒で突っ走ってきた日本社会に地域の「自律」概念によって切り込み、「維持可能な社会」の実現、「生活の質」の要素の重要性を強調する。
 以上の2冊は、内発的発展論をそれぞれの視点でとらえて現代社会を批判し、新たな改革への足掛りとしようとするものである。この理論そのものがまだまだそれほど知られていない時期にこれらのもつ意義は大さいといえよう。(R) 

 【出典】 アサート No.232 1997年3月21日

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【映画紹介】ケン・ローチ監督 「大地と自由」

【映画紹介】ケン・ローチ監督 「大地と自由」

このところ上映中であった、イギリスのケン・ローチ監督の「大地と自由-Land and Freedom」は、感動的であると同時に、多くのことを改めて考えさせ、問いかける貴重な映画であった。
映画の冒頭、イギリスのリバプールで一人の老人・デヴイッドが救急車の中で息を引き取る。彼は若き日、恋人を残し、スペイン人民戦線政府を守る国際義勇軍に参加していた。孫娘が遺品を整理し、古いトランクの中にあった赤い布に包まれた土を祖父の棺にふりかけて埋葬するまでが、スペイン・アラゴン地方の義勇軍の前線での闘いと同時進行する。
リバプールで義勇軍を募る集会が持たれる。ファシストに対する怒りと、それと闘う人民への連帯の感情が「ノー・パサラン!」(奴らを通すな!)のスローガンとなって会場を圧する。私は思わず、当時「ラ・パッショナリア、情熱の花」と請えられ、スペイン人民戦線の象徴であったドロレス・イバルリを思いだした。スペイン共産党を率いていた彼女の呼びかけ=「ノー・パサラン」は共通の理性の叫びであったのだ。彼女の著書「ノー・パサラン」(紀ノ国屋書店刊)は、1960-70年代の日本の若い世代にも多くの感動と影響を与え、多くの人々に読まれたことは、まだ記憶に新しいことである。
また、国際義勇軍に参加し、1937年マドリード近くで戦死した日本人ジャック・白井については、つい先日亡くなられた石垣綾子氏が書かれているし、カール・ヨネダ氏もその著書「がんばって」で触れられていることも思い出された。
しかしこの映画は、そのスペイン共産党の政策、路線を正面から問いかけている。ファシスト軍の攻勢の面前での武力衝突にまで至る、反ファッショ陣営内の抜さ難い不信と村立が、いかに人民戦線を内部から崩壊させたか、そのやりされない心の痛みが切々と伝わってくる。社会民主主義者を「社会ファシスト」として切って捨て、共に闘うべき仲間をスパイ、内通者として断罪しようとするあの度し難いセクト主義がまだ脈々と生さていたのである。スペイン共産党はそれを克服しようとしていたことは明らかである。
コミンテルンは1935年第7回大会を開き、大胆な政策転換を行い、全ての反ファッショ陣営の統一と共同行動を呼びかけていたのである。しかしそうは事態を進行させなかった癒し難い業病とでもいうべきものが厳然として存在していた。しかもその背後にソ連共産党が、スターリン政権がそれを支え、むしろ煽りたてさえしていたこと、さらにはスペイン人民戦線政府に対するうわべの支援とは相反する裏切り的な行動が、今日ではさまざまな形で明らかになってきている。
ケン・ローチ監督は、「スペインの革命は、当時のスターリン・ソビエト共産党の国際政策のために打ち砕かれました。そしてイギリスやフランスの西側諸国は自らの利権のために共謀してスペインのファシズムを助け、スペインの民主主義を孤立させたのです。その過ちのために、人々は内戦について黙して語らぬようになりました。」と語っている。
この映画は、スペイン市民戦争が単なる歴史上の墓石ではなく、ついこのあいだのことが今に生きており、今日の時代につながっている多くの問題を問いかけていることを、あらためて喚起させてくれるものであった。 (K.Ⅰ)

【出典】 アサート No.232 1997年3月21日

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【投稿】「歴史観論争」で気になること

【投稿】「歴史観論争」で気になること

1.「自由主義史観」の一大キャンペーン
時代を逆行したような「歴史観」が強烈にふりまかれている。その先鋒となっているのは、藤岡信勝氏が代表を務める「自由主義史観研究会」であり、同氏の著書「教科書が書かない歴史」は続編と餅せて数十万部のベストセラーとなり、書店にも山積みされている。これにあわせるかのように、産経新聞をはじめ、「正論」「諸君」「VOICE」「SAPIO」「サンサーラ」など雑誌では繰り返し藤岡氏らを登場させ、戦後の歴史教育に対して、「すさまじいばかりの暗黒史観・自虐史観・反日史観のオンパレード」「誇るべき歴史を共有しない限り、国民の自己形成はない。事態は極めて深刻である」などと非難・攻撃のキャンペーンを大々的に展開している。また、「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝東大教授代表、小林よしのり、大宅映子、西尾幹二、林真理子ら)などは文部省に対して中学校教科書における「従軍慰安婦」の削除などを求める動きをおこしている。
こうした一連の動きに対して教科書裁判等を通じてで日本の侵略の事実を明らかにしてさた教師・学者らを中心に真っ向から反論も行われている。しかし、まるで水と油の議論で全くかみ合っていないようであり、あまり注目はされていないように見受けられる。また、朝日・毎日などのマスメディアも有効な反論を行いえていない状況である。本稿では、藤岡氏らの主張をみる中で、こうしたキャンペーンやブームの背景を探るともに、気になる点をあげてみたい。

2.「自由主義史観」とは?
<自由主義史観研究会の考え方>
「自由主義史観研究会」の考え方は「教科書が教えない歴史」の「はじめに」に集約されている。以下、少し長くなるが引用する。
★日本人の立場で国益追求の立場にたつこと
「これからの歴史教育では、このように自国をことごとく悪とみるような外国の国家利益に起源を持つ歴史観から一切自由になって、日本人の立場で、自国の歴史を考えることが必要なのです。」
「私たちは日本人ですから、まず日本の立場、日本の国益に立ってものを考えるのは当然で、出発点として自国の生存権や国益追求の権利をハツキリと認めるべきです。しかし、そうだとすれば他国もまた同じ権利をもっていることを認めなければなりません。そこで、再び日本としてどのような政策をとることが、自国の国益にもかない他者をも生かす道になるかを考えることです。このような歴史の味方・思考方法は、今までの歴史教育でハツキリと表明されたことはありません。」
★多様な視点、タブーにとらわれない実証的研究
「自由主義史観の立場では、あくまで実証的な歴史研究の成果を重視します。結論をあらかじめ決めるのではなく、多様な視点をつきあわせて、タプーにとらわれない自由な議論を巻き起こす一助になればと考えています。」
こうした考え方の前提として、従来の(少なくとも現在の教科書に書かれている)歴史観を「東京裁判史観」「コミンテルン史観」「自虐史観」「暗黒史観」「反日史観」「謝罪外交史観」などとレッテルをはり、これらからの「自由」な歴史観として「自由主義史観」を対置している。
★「自由主義史観」から「大東亜戦争史観」へ
上にみたように、「自由主義史観」は一見すると、中立を装い、これまでのタプーを打破するという画期的な歴史観にもみえる。また代表の藤岡信勝氏もたとえば日本の戦争が侵略戦争であったかどうかについて、その侵略性を原理的に一切認めない立場を「大東亜戦争史観」、その逆に自衛の側面を認めることを一切拒否する立場を「東京裁判史観」と名付けて、自由主義史観はどちらの立場もとらないと当初は言明している。しかし、実際には日本の侵略を「やむを得ない」ものとする事情(自衛のためにやむを得ない国際情勢であった、アジア諸国がヨーロッパ諸国の植民地から独立するのに役立った等)を「実証的に」研究し、限りなく「大東亜戦争史観」に近づいているのが実情である。そこに既成右翼や自民保守派、保守系マスコミがとびつき、「大東亜戦争肯定史観」ブームに発展し、今や、藤岡氏らは政治的に踊らされているといってもいいような状況である。
★論争の根にあるもの
今回の歴史観論争においては、表面上は日本の侵略あるいは「従軍慰安婦」等を巡っての「事実」に関する争いが行われている。これらの「事実」に関しては、教科書裁判や研究者、証言者、旧日本軍関係の資料などにより既に実証されており、もはや覆される余地は少ない。しかし、彼らが本当に言いたいことは、「歴史の暗い事実ばかり教えたり主張すると自分の国や国民に自信や誇りをもてない。」ということで、このことを貫徹したいがために、「客観」「実証」「中立」「デイベート」等の仮面をかぶっているのである。

3.ブームの背景を考える
★日本の侵略事実を認める政府見解、教科書記述等によるあせりと危機感
近年、政府が関係諸国への現実的な配慮から日本の侵略事実を一定認め、また歴史教科書においても日本の侵略・加害の事実が記載されるようになり、とりわけ来年度中学校教科書からは「従軍慰安婦」問題が記述されるようになった。こうした動きに村し、従来の保守・右翼勢力があせりと危機感をもっているものと思われる。
★主体性のない「謝罪外交」と「押しつけ」への反発
日本政府は、アジア諸国に対して日本の侵略事実を一定認め、また謝罪をしているが、これが「本心」からではなく、「現実的・政治的配慮」によるもので主体性のない「謝罪外交」を繰り返しているようにみえることから、反発する層も多いと思われる。また、従来の日本の戦争責任に対する議論・教育においても、決して国民的な合意が十分に行われているとは言えず、その過程で「押しつけ」的なものを感じている層が少なからず存在すると思われる。こうしたことへの反発が自由主義史観研究会の「タプーにとらわれない自由な議論」にを打破し」に魅かれる層をつくっているのであろう。
★将来の不透明感と自己アイデンティティの喪失
日本経済は出口の見えない長期にわたる不況に加え、21世紀の前半には中国などの台頭により日本のアジアにおける存在感は著しく低下すると言われている。また、高度資本主義と国際化の進展により、「国境」の曖昧化、従来の「国民国家」意識の弱まり、国や民族などに対する帰属心の弱まりなどが進み、自己アイデンティティが不明瞭になってきている。こうした状況に不安や憤りを感じる人々の中に、自己アイデンティティや存在感を確認するために「国益」や「民族の誇り」を訴える歴史観に共鳴するケースが一定増えているのではないか。

4.「実り」ある論争のために
産経等をはじめとする一部マスメディアのキャンペーンはすさまじいものがあるが、一方それに対して朝日、毎日などのメディアは十分な反論・対抗を行いえていない。それは、「侵略戦争だ」「自衛戦争だ」といったところで、もとになる「歴史観」が異なるもとでは、全く議論がかみ合わないのであろう。しかし、なぜことなる「自由主義史観」が一定の支持をうけているのかも踏まえて、「実り」ある論争を展開するべさだと考える。以下、「実り」ある論争のために気になる点をあげたい。
★「史観」のぶつかりあいだけではなく、客観的事実の積み重ねが不可欠
歴史の前提となるのは、イデオロギーでもなく、「史観」でもなく、物語でもない。自由主義史観研究会では、「実証」の名のもとに、著しい論理の飛躍が随所にみられる。何よりも客観的事実の積み重ねこそが第一であり、日本の侵略の事実も、戦後客観的事実の積み重ねにより明らかにされ、政府も認めるところになったのであることを忘れてはならない。
★「主観」的な歴史観ではなく、他国と「共有」できる歴史観を
自由主義史観研修会のいうようにいかに「出発点として自国の生存権や国益追求の権利をハツキリと認めるべき」であるとしても、それが自国のみの利益にとらわれたり、他者の痛みを感じとらないものであってはならない。「主観」的な歴史観ではなく、他国、とりわけアジア諸国と「共有」でさる歴史観が必要である。EUにおいては、12か国の歴史家が共同で歴史の副読本として「ヨーロッパの歴史」がまとめられた。アジアにおいてもこうした試みを行ってみるべきである。その中でこそ、真に過去を振り返り、「共有」できる歴史観が確立され得るであろう。
★新たな自己アイデンティティの空白を埋める作業が必要
戦後の平和と民主主義を求める勢力は、日の丸や君が代など、国家主義、軍国主義につながる教育や政策などに対抗してさた。しかし、一方で、日本人の民族や国家に対する帰属心やアイデンティティの拠り所などの確立については十分に対策を行ってはこなかったと思う。「国」や「民族」を強調することは、個人の尊厳を脅かすことにつながり、また異なったものへの排外主義にもつながるものである。しかし、自己アイデンティティの空白には、新たなナショナリズムや民族主義が入り込む余地がある。自分たちの国家や民族をどのように捉えていけばよいのか。またどのような「誇り」をもっていけばよいのか。新たな自己アイデンティティや連帯感を創出するための何らかの作業が必要ではないか、と気になるのである。 (当麻太郎)

【出典】 アサート No.232 1997年3月21日

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【投稿】動燃爆発事故 もんじゆと東海村は即刻閉鎖・解体を

【投稿】動燃爆発事故 もんじゆと東海村は即刻閉鎖・解体を

■(原発増設)同意は当分延期する
この原稿を書きかけた矢先に(3/16.14:50)、突如家が揺れだした。大阪の震度は2で、静岡・愛知県境が震源地で震度5であった。そのすぐ東側の近くには中部電力の浜岡原発が位置している。先日来度々強襲している震度4~5クラスの地震が頻発している伊豆半島はそのまたすぐ東側である。いわばこの原発は地震の巣の真っ只中に存在しているのである。報道ではこの原発の様子は一切漏れ伝わってこない。この浜岡原発では、4号炉迄現在稼働中であるが、その内の1、2号炉は81年に改定される前の78年の甘い耐震設計審査指針設定前から運転している危険極まりない原発である。中部電力はそこへまた5号炉の増設を申請し、静岡県の石川知事は先月2/25の記者会見で増設同意を表明していたのである。ところが3月11日の動燃東海村核燃料再処理工場での爆発事故に驚いた静岡県当局は、翌日の3/12、急遽「知事同意は当分延期する」と発表した。「同意は県議会開会中に間に合うことが望ましい」(県企画部長)と同意を出す姿勢は変わってはいないが慌てふためいているのである。そこへ今度の地震である。動燃の事態と言い、静岡県の事態と言い、原発当局や官僚どもは情報を秘匿しながら、自己の保身と利害追及に汲々として、生命と環境にかかわる重大事は視野の外に置かれ、情報公開の要求の前に身を固くして責任をなすりつけ合っている現在の日本の姿がここに典型的に示されている。

■起こるべくして起こった爆発
しかしそのぼろやほころびは今や繕えなくなってきたとも言えよう。動燃東海の事態の推移を見てみよう。
3/11、10:06AM、アスファルト固化処理施設の火災警報が作動。職員一人がのぞき窓から炎を確認、スプリンクラーを手動で起動(自動スプリンクラーが取り付けられていない)。10:12から10:13まで1分間だけ3・3立方m放水して手動で停止。炎が見えなくなったからと言うが、室内は煙が充満していて消火が確認できる状態ではなかった。当初、動燃は「セルの窓から消火を確認した。16分後に消火した」と発表していたが、実際には処理施設に入って確認をした訳ではなかった。遠隔監視用のテレビカメラは設置されていなかったと発表していたが、これも嘘であった。東海事業所の小山副所長は、スプリンクラーを止めた理由について「室内に撒いた水は放射性廃液になり、処理が難しいということが念頭にあったのではないか」と担当職員に責任をかぶせたが、スプリンクラーを作動させる消火訓練はしたことがなかったこと、鎮火確認のマニュアルも存在するかどうか分からないと答える始末であった。消防法違反どころの話ではない。
13:34から9分間、消防職員と職員の2人が施設内に入ったが、照明電源も落ち、暗くて内部が良く見えず、放射能汚染の危険性もあったため、すぐ表に出たという。消防署には「午前中のボヤは鎮火した」と伝えていたため、放射線防護服もつけずに入ろうとしたが、ボヤどころの話ではなく、事態はそんなに甘くはなかったのである。室内には固化処理用のアスファルト入りドラム缶が31本、160度以上にに熱せられていた上に、換気装置が作動していなかった。
17:00前、換気装置の復旧作業のために制御室に入り、起動スイッチを入れたが作動しなかったと言う。ここからはもはやただただ爆発が起こるのを手をこまねいて見守っていたともいえよう。ただしそうした事態の進展にどれだけの当事者が自覚し、早急な回避処置をとろうとしていたかは疑問である。
20:14、爆発は起こるべくして起こった。不幸中の幸いは、隣の建屋の更衣室で技術者42人が現場に入ろうとして着替え中で、まだ爆発現場に入っていなかった事である。ただしこの建屋の渡り廊下のハッチは吹き飛ばされており、放射能汚染がこの建屋にも及んだことは間違いない。

■担当部署が異なっていた
この爆発後の事態がまたどうしようもない無責任体質を露呈している。同日午後10時頃の記者会見では、爆音がして鋼鉄製の扉が吹き飛び、ガラス窓が全部割れているにもかかわらず、動燃は「まだ爆発かどうか分からない」と答え、0時の会見では、ようやく爆発までは認めたが、被爆状況の確認もされていない段階であるにもかかわらず、「被爆はない」と断言する始末である。そしてこの段階で科学技術庁の片山課長は「人的な放射能汚染、けが人などはなかった」と語ったのであるが、なんの根拠も示さず、後に10人と発表し、さらには20人、と二転三転し、結局30数人の被爆が確認されているがこれとて怪しいものである。放射能放出量や種類については計測さえろくに出来ない中で「環境への影響は軽微」と発表したが、これもまた変転し、最も危険なプルトニウムが施設外へ放出された可能性が極めて濃厚になっている。
連絡体制に至ってはずさん極まりない実態をまたもやさらけだしてしまった。同日午前中の第一回目の火災発生直後、10:26には放射能漏出警報が作動し、11:05には測定データを確認し、異常を認識していたにもかかわらず、「動燃内部の連絡体制の不備」から、この情報が実に約8時間後の午後6時過ぎまで公表されなかったことが「動燃の調査で分かった」と言うのである。ところがすでに10:39に動燃本社には「アスファルト固化施設からの排気には異常がない」と伝えられ、午後4時過ぎからの記者会見で科学技術庁は「排気筒モニターにより環境への放射性物質の放出はないことが確認された」と発表しているのである。いったい当事者は8時間もの間、何を確認し合っていたのだろうか。「状況の確認に手間取って、連絡が遅れた」と言うのであるが、実態は事故隠し以外のなにものでもないであろう。さらに重大な事故であれば、日本国内はもとより世界中が何も知らされない間に放射能が地球規模でばらまかれるに十分な時間である。動燃は、「虚偽の報告では決してなく、情報が充分入っていなかった。アスファルト固化施設と蒸発処理施設とでは担当部署が異なっていたことが、情報がうまく伝わらなかった」などと全くあきれ果てた言い訳をしている。危険極まりない施設での、空恐ろしい実態である。

■動燃はいらない!
首相官邸に午前中の火災情報が届いたのは、発生後6時間も後の午後4時過ぎ、古川官房副長官が受け取った。梶山官房長官は、同じ頃行われていた会見の席上、記者の質問で初めて事故の情報を知るというお粗末さであった。午後の爆発事故についても橋本首相に伝えられたのは科学技術庁からではなく、通信社電経由であった。翌3/12、状況説明をしようと首相官邸に参上した動燃の近藤理事長に対して梶山官房長官は、「予約を入れていない」という理由で面会を拒否し、「(動燃幹部は)座禅でもしていろ」、「安全というなら、自分の床の間にでも飾っておけ」、「私に釈明をする余裕があるなら、東海村へ行って、原因対策を講じるべきだ」と怒りをぶちまけたという。ごもっともではあるが、梶山氏はご当地茨城県選出の議員としてこの危険極まりない施設を推進してきた重要な責任がある人物である。
今回の事態が改めて明らかにしたことは、たとえ当初は小規模の事故であったとしても、いったん放射能処理施設での事故が発生すると、容易に現場に近づくことも、事故の進展を最小限に止める作業に入ることすら困難な事態が出現するということである。その上にさらに動燃は高速増殖炉や核燃料再処理工場という世界的にも最も危険な施設を運転、管理する能力がそもそも欠落しており、最優先に考慮されなければならない安全確保、正確、詳細で迅速な情報公開についてその意欲も意図も全く持ち合わせていないということが、またもや暴露されたことである。もはや動燃が推進する福井県敦賀の高速増殖炉もんじゅや今回の東海村核燃料再処理工場は即刻閉鎖されるべきであり、動燃それ自体も組織的に解体されるべきであろう。原子力資料情報室代表の高木仁三郎氏が言うように「日本のプルトニウム政策と廃棄物処理にかかわる重要な研究すべてを行っているにもかかわらず、技術的能力と国民の信頼が欠如している。組織を改めるべきで、極端に言えば動燃はいらない」(3/12毎日)のである。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.232 1997年3月21日

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【投稿】重油回収ボランティア報告

【投稿】重油回収ボランティア報告
        <広がる環境破壊、頼みはボランティアでいいのか>

ロシア国籍のタンカー「ナホトカ号」が未だ原因不明の事故によって船体が二つに割れる事態となったのが、1月2日。折りから冬の日本海の悪条件も重なり、漏れ出した重油が越前海岸に大量に漂着し始めたのが、1月8日から9日。特に分断された船首部分が流れ着いた福井県三国町の東尋望東側の海岸線は、自然公園に指定されている風光明媚な場所であった。
当初は、三国町の海岸線のすべてに流出した重油が押し寄せ、砂浜といわず岩場といわず黒色一色になった。町民総出で回収作業に当たったという。
日々テレビ報道が行われる中、大阪では民主党大阪の呼びかけと連合大阪の呼びかけによる「重油回収ボランティア」の派遣が1月13日から開始されている。
私も労組の呼びかけで、1月下旬に1泊2日で回収作業に従事することとなった。連合大阪の220名を乗せたバス4台が早朝8時に大阪を出発、一路三国町をめざしたわけだ。
<吹雪きの中の回収作業>
当日は低気圧が接近中ということで、三国町の船首部分の漂着地点付近は吹雪になっていた。すでにこの日までに重油回収のためのボランティア3名が死亡しているわけでボランティア本部も慎重になっている。この場所での作業は中止が決定されていた。波も高く水辺での回収は危険ということだ。急遽、福井市の鷹巣海岸へ移動。三国町が海岸沿いの岩場での作業予定だったのが、夏は海水浴客でにぎわう砂浜での回収作業となった。
もちろんこちらも吹雪きである。高波4mということで海は荒れ狂っている。とりあえずボランティア本部の指示で、むしろ後方支援の形で、回収された重油を一時入れておくドラム缶の作業や回収のための道具の洗浄などをしていたが、短時間で終わる。すこし海岸の方に近づくとあちらこちらに重油の固まりが漂着して砂浜に点在している。ゴム手袋のままで回収作業をはじめた。すぐ近くに波が押し寄せており、時折波が長靴を荒いにくる。しばらくして指導者のほうから「危険だから中止するように」との指示。吹雪きと荒海。作業が進まないのも無理はない。
この日の作業は、ここでエンド。私たちは明日の作業を期待して宿舎に向かった。
<翌日には新しい重油が漂着している>
翌日は、一旦タンカー船首部分近くの海岸にある「連合福井現地対策本部」を訪れましたが、福井県の連合組合から続々とボランティアが集まってきていました。この日は天候は曇りということでしたが、海は依然荒れているのでここでの回収作業はこの日も中止でした。その場所からは、遠く海を望むとタンカーの船首部分が見えます。
そこで昨日の鷹巣海岸では作業が決行されているといので、移動して作業することにしました。すでに現地の漁民の方や市民ボランティア、連合組合員が百名ほど集まっており、私もも一緒に回収作業を行いました。昨日海岸の重油の固まりは回収したはずですが、一晩経つとまた海岸には重油の固まりが打ち上げられていました。午前中は約1kmに及ぶ海岸を固まりを拾いながらの作業。ただ、砂浜の底にも重油の固まりがある、ということで午後はスコップを手に砂を掘り返しての作業になりました。
この日も高波4mという中、流れ着いた重油の固まり(大きい物はバレーボールのようなもの、小さいものはマーブルチョコのような)の回収をしたわけですが、明日になればまた、新たな重油が漂着すると思うと、中々回収作業は進まないな、と感じたのでした。
ただ、現地の漁民・市民の皆さんはこれが連日のことであり、大変な苦労があります。お昼には、ボランティアに心尽しのおにぎりとブタ汁の炊き出しがあり、和気藹々と作業をすることができました。
ただ、午後の作業中に少し足を伸ばして、海岸線を過ぎ、岩場に行ってみると打ち寄せる波の上に重油の固まりが直径4mほどの固まりになって、岩場付近を浮き沈みしています。砂浜は表面上だけなら人海戦術でも回収できるわけですが、すべての海岸線にこうして重油が漂着し、岩を汚している、と思うと、気が遠くなる思いでした。
午後には本日出発した連合のバス四台が到着し、一緒に作業。このバスに乗せてもらって帰阪しました。
<二一年ぶりに同級生と再会>
今回のボランティアで、懐かしい友人と再会することができたのは、もう一つの収穫でした。実は大学の同級生が三国町に就職をしており、年賀状だけは卒業以来20年間欠かさずやりとりをしていましたので、民宿から思い切って電話をしたところ民宿まで来てくれて、三国町内を案内してくれました。案内といっても、タンカーの船首部分とその周囲の被害の一番大きかった海岸線、重油に洗われ黒くなった岸壁、イルカを須磨に送った水族館など、重油被害見学といったところ。一月中旬の一番ひどい時には町の職員総出で回収作業を行ったとのこと。現在きれいになったように見える砂浜も掘れば底に重油が溜まっているらしく、春になれば砂浜全体を掘り返し、重油回収をすることになるらしいのです。
また、彼の話によると、海の自然浄化作用(主にバクテリアが主体)は確かに存在するそうで、近年起きたアラスカでのタンカー事故の場合は比較的早く浄化したと言います。ただ日本海の場合、アラスカや北極海と比べてこうしたバクテリアが少ないという科学的データがあるそうで、自然浄化にもかなりの時間がかかると推測されているようです。また流出している重油はC重油の中でも一番粗悪な重油らしく、回収後の安全な処理も日本中で広島にある施設以外では処理できない、ということで回収後の処理も時間がかかるらしい。
三国町は競艇事業があり、比較的財政に余裕のある街とのことですが、観光には深刻な影響がでており、冬の味覚である越前がにを目当ての観光客が激減し、魚介類の価格も低迷、経済にも深刻な影響が出始めているとのことでした。重油回収費用も膨大な額になりそうで、政府の特別交付税上乗せもいわれているが、とても追いつかないだろうとのことでした。
<危機管理に問題あり>
ただでさえ、ソ連邦の崩壊以来、何かと評判の悪いロシアのタンカーが引き起こした今回の重油流出事故。助け出された乗組員が新潟で買い物をして顰蹙をかっているとか、タンカー会社が責任を逃れようとしているとか、ロシアの評判を益々悪くしているようだ。しかし、今回の事故などに事前の対策が何も取られていなかったという日本政府の対応は批判されるべきである。ボランティアの積極的な参加が。テレビ報道で行われて、そちらに目が行っているが、海底深く沈んでいるタンカー本体からの引き続く重油の流出が予想される中、日本政府の事故対策が問われていると言える。(佐野)

【出典】 アサート No.231 1997年2月15日

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【投稿】生き証人・姜徳景さんを追悼して

【投稿】生き証人・姜徳景さんを追悼して

以前に紹介したことのある映画『ナヌムの家』に出られていた姜徳景(カン・ドッキョン)さんが、この2月2日、ソウルの病院で亡くなられた。享年、68歳であった。いま、従軍慰安婦の存在を躍起になって否定し、あったとしてもそれは「商行為にすぎない」などと、過去の日本帝国主義の行為を弁護するゴーマンきわまりない人々、教科書から「従軍慰安婦」の記述削除を要求する藤岡信勝氏ら自由主義史観を標榜する歴史学者、自民党や新進党の時代錯誤な保守頑迷派の人々にとっては、手ごわい歴史の生き証人であった。
彼女は、映画の中でもはっきりと証言されていたように、まだ16歳の女生徒の時に、150人の級友らと共に勤労挺身隊の一員として、釜山から下関経由で富山県の不二越飛行機工場に連れてこられた。母親が必死で止めようとしたが、甘言と脅しによる事実上の強制連行であった。その後彼女は小林という憲兵に強姦され、1、2畳毎に区切られた軍隊の慰安所に連行され、強制的に慰安婦にさせられたのである。ハルエという名前をつけさせられ、毎日10人の兵士の相手をさせられ、軍の移動と共に慰安所も変わり、その後犯された相手は日に5人程度に減ったこともあったが、その総数は文字どおり自分でも分からない状態であったという。そしてお金も軍票もまったく貰えなかった。
2年後に日本は敗戦を迎えたが、その時、彼女は妊娠していた。18歳である。その若さで身体は深刻な病気に苦しまされ、子供は死亡し、一生が苦難の連続であった。従軍慰安婦であったことを名乗り出たのは、実に47年後の92年の冬である。翌年の93年12月23日、ソウルの日本大使館前のデモで姜さんは「私たちの人生は残り少ないけれど、若い人たちを信じて、たくさんの息子や娘たちを信じて、私たちが先頭に立って責任者を糾弾しなければなりません。処罰しなければなりません!」と訴えられた。
その姜さんが、日本政府が国家の責任において謝罪し、戦後補償に正面から取り組もうとしない姿勢を厳しく批判し、「女性のためのアジア平和国民基金」の受け取りも拒否されたまま亡くなられたのである。
ひるがえって、今、日本国内では一部ジャーナリズムが一斉に歴史を逆行させるキャンペーンを張り、右翼の街宣車が教科書会社に押し掛け「教科書が直るまで何度も来る!ぶっ殺してやる」などとがなりたて、執筆者には「冥土の飛脚」なる脅迫状を送り付け「偏向自虐的教科書の出版は、国家転覆陰謀罪を構成いたします」等と述べて、「一人の至誠」で殺人をほのめかすことまで公然とまかり通っている。「新しい歴史教科書を作る会」の呼びかけ人や賛同者には、藤岡・東大教授を先頭に、作家の林真理子、井沢元彦、藤本義一、漫画家の小林よしのり、加藤寛・千葉商科大学長、山本・富士通会長、賀来・キャノン代表取締役、住友電工の亀井正夫ら、そして草柳大蔵、長谷川慶太郎氏等、7、80人のそれなりの人々が加わっている。馬脚が現れたというか、あきれたものである。
そして、このような状況が繰り返し出現してくるのは、日本社会の中にそれを許す土壌が厳然とあるからだ。「自由主義史観研究会」「新しい歴史教科書をつくる会」等の動きを憂慮する在日朝鮮人のアピールは、以下のように主張している。
ーー私たちは、「つくる会」等の動きを、一部の特殊な人々のものだと軽視することはできない。現に彼らの著作は書店に高く積み上げられて無視できない多くの読者を獲得しており、一部マスコミは彼らの主張を執拗に代弁し続けることで世論を誘導しようとしている。最近では日本社会のいたるところから、「従軍慰安婦という制度は存在しなかった」などという声までが聞こえてくる。「従軍慰安婦」記述の削除を求める決議を採択する地方議会も現れた。こうした流れは、このまま放置すれば危険な排外主義に転化しかねないものであろう。日本社会はそれをくい止めることができるのだろうか。
私たちは彼らの言説や行動そのものよりも、現在の日本社会の中にそれを産み出し受容していく素地があることに強い危機感を覚えるのである。ーー
私たちは問われているのである。連日のように報道される「従軍慰安婦」問題に対し、「またか・・・」で済ますのではなく、上記のアピールを発表されている「憂慮する朝鮮人」の方々の切望に応え、「真実を隠蔽・歪曲しようとする人々の『歴史に対する暴力』を許さない声」をもっと上げていかなければならない。
(大阪・田中 雅恵)

【出典】 アサート No.231 1997年2月15日

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【投稿】春闘再構築か、見直しか-97春闘で問われる課題-

【投稿】春闘再構築か、見直しか-97春闘で問われる課題-

[97春闘の状況]
97春闘は、連合が賃上げ1万3千円中心を要求し、経営側も5年連続の「ベアゼロ」を宣言している。とはいっても今春闘の特徴は、労資双方とも、一枚岩とは言えない状況があるようだ。経営側は、労働問題研究委員会報告で「ベースアップには慎重な対応を。賃上げより雇用確保や一時金原 資、製品価格の引き下げを」と述べ、日経連も「ベアゼロ」を強調した。しかし経営側の中には業績の格差も大きく、自動車業界のトップも「ある程度、賃上げに応えざるを得ない」と述べている。また日経連自身が「ベアゼロ」を提唱する一方、「個別企業自主決定」も掲げざるを得ない状況となっている。
一方、労働側も金属系労組がベア廃止を表明し、また鉄鋼労連は来春闘から隔年春闘を決めてい る。さらに賃上げのみに拘らず、一時金や福利厚生費も含めた人件費トータルで要求交渉を進めた り、新たな賃金体系の導入(能率給の導入・改定等)を受け入れた賃金交渉を進めるなど、いわゆる春闘=一斉賃上げ方式自体が問われる動きが表面化してきている。
このように春闘が労使双方に対応の異なりがあるのは、業種間の業績にバラツキがあるのに加え、賃金体系・制度も年俸制や成績主義の導入等が広がり、従来の一斉賃上げ方式では対応できない具体的背景があるからであろう。
[問われる春闘のあり方]
この数年、春闘のあり方を見直す議論が労使双方から出されてきているが、そのこと自体は上記でも述べているように、好むと好まざると関わらず、むしろ必然的なものといえよう。ただ労働側における春闘のあり方論議を見た場合、現実の状況変化に労働側総体として、いかに対応するかではなく結局、産別ごと、あるいは個別労組ごとにおける当面の対策的な議論に終始している感が否めない。例えば一斉賃上げ方式が困難とするならば、統一要求方式も見直し、産別自決方式を今まで以上に公然・積極的に掲げて闘うのか、またその場合、業種間格差を、どのようにカバーするのか(例えば産別最低賃金制度への取り組み等)、トータルとしての具体的な論議が、あまり見られない。また年俸制や成績主義の導入は、日本型雇用制度とも言われる終身雇用制の崩壊にも一層、拍車を翔るもの で、企業別組合という組織形態と客観的に労働側の力関係が弱い状況の中では、結果として労働側に不利な賃金・雇用体系を押し付けられることになる。
今春闘における春闘のあり方を巡る論議は、ようやく切実感を持ちつつあるといえるが、重要なことは、その論議が個別の現実追随の議論ではなく、労働側総体としていかに対応するのか、春闘のあり方論議のあり方自体が問われているといえよう。その意味で連合のナショナルセンター機能・リーダーシップは極めて重要で、賃上げについても産別自決の名に値する産別闘争力の強化を図る一方、ナショナルセンターとしては横断的な賃金水準の引き上げ(最低賃金制度の取り組みや中小労組の支援等)をいかに図るか、更には年俸制・一時金を念頭に置いた標準年間賃金の獲得目標の設定や能率給制度における基本給部分の引き上げ等、産別とナショナルセンターの役割分担を明確にした、より具体的な方針と議論の提起が求められる。加えてナショナルセンターの独自機能とも言える減税や社会保障の充実等の制度・政策闘争についても、形式的な対政府・自治体要求に止まらず、大衆行動をより前面に打ち出した強化が求められる。
ナショナルセンター機能とは調整機能であり、総合的方針の発信機能でもある。春闘のあり方を 巡って、個別の論議に終始することなく、連合が、このナショナルセンター機能をいかに発揮するかが単なる春闘の見直しか、将来に向けた再構築となるか、重要な要素となろう。

[問われる労働法制の規制緩和]
今、行革-規制緩和の流れの中で、労働法制についても規制緩和の動きが顕著となってきている。 その一つは、労働者派遣事業法の改正で、昨年6月の法改正で適用対象業務12業務の範囲拡大がされたが、更に原則自由化に向けて労働省が検討を進めている。これによりホワイトカラー等の業務にも人材派遣ができるようになり、企業におけるリストラが一層、行いやすくなる。また派遣労働者の権利も、どこまで守られるか問題がある。ただ労働省は「違法派遣を受け入れた企業の罰則適用も検討する」としているが、現実に一方的な契約打ち切り(事実上の解雇)等、派遣労働に関わるトラブルは多く、現行の労働基準法の監督さえ不十分な中で、その実効性は疑問である。更に労働力の流動化や就職難の解消の名の下に、こうした不安定就労者の拡大が図られることが、雇用対策として適当なのか、労働側の検証も求められる。
もう一つが労働基準法の抜本的見直しで、①裁量労働制(見なし労働制)の適用対象業務の拡大 (現行5業務からホワイトカラー業務全般にも拡大)②有期雇用契約の上限規制の延長(現行1年以内を3~5年に延長)③時間外・休日・深夜労働に関する女子保護規定の撤廃が主な内容である。①については、現在でもホワイトカラーにおけるサービス残業が横行する中で、なお、これを合法化しようとするものと言わざるを得ない。また②については、事実上の若年定年制、早期定年制につながり、若年労働力の使い捨てを促進するものである。③については、既に男女雇用機会均等法の改正を前提に来年4月に実施する方向で法案要綱が出されているが、これは女性の保護規定を撤廃することにより男性の長時間労働を肯定化し、女性も組み込もうとするものである。
更に職業安定法の見直しでは、これまで19職種に限って認められていた有料職業紹介事業が原 則、自由化が検討されている。これは今でも、予め示した賃金・労働条件が異なる等、不公正雇用がまかり通り、未組織労働者の個別紛争が多発している状況に一層、拍車をかけ、また、かつてのリクルート汚職事件の本質を合法化するものといっても過言ではない。                これら労働法制の規制緩和は、経営側の要請に基づいて検討が進められているものであるが、こうした労働法制一つ一つが、国際的にも長い労働運動の歴史の中で、勝ち取られてきた成果であり、未組織労働者をも含め、賃金労働者全てに付与された基本的労働条件の最低保障制度である。しかし、このような動きに対して、労働側の対応は極めて鈍い。とりわけ連合は、抗議・反対の態度を示し得ていないばかりか、労働省の各審議会においても十分な反論さえできていない。

[問われる連合]
春闘のあり方論議でも述べたように今日、連合がナショナルセンターとしての客観的役割は、極めて大きい。しかし、連合統一が図られて7年余経過して、そのナショナルセンター機能が発揮できないのは何故なのだろうか。その要因の一つには、産別の寄り合い所帯の域を脱却し得ていないこともある。その背景には政治的結集軸が定まっていないことや遠慮も含め、まだ旧四団体での枠にこだ わった組織実情にもあろう。もう一つには、官公労または民間ビッグユニオンが主体で、労働法制規制緩和への対応に見られるように中小労働運動や、まして未組織労働者の感性に欠けていることもある。更には組織率の低下や若手活動家の不足等、労働運動総体が抱えている問題も大きな要因にあるだろう。こうした連合の不十分性は、なお連合労働運動としての経験不足に加え、時代の変化が著しく、対応しきれない側面もあるとは思う。ただ逆に言えば、それだけに連合運動の発展に時代は待ってくれないし、客観的に連合に替り得るナショナルセンターが存在しないことも事実である。重要なことは、各々のユニオンパーソナリティーを踏まえながらも、相互批判と内部討議を十分行い、可能な限り統一的な方針の確立と統一的な運動の展開を繰り返し行うこと、また質と量において、幅広い運動を指向することによってしか、労働者の代表的存在価値・ナショナルセンター機能を高めることにならないのではないか。(民)

【出典】 アサート No.231 1997年2月15日

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【投稿】公務員国籍条項撤廃を巡る新たな展開

【投稿】公務員国籍条項撤廃を巡る新たな展開

1 自治相の談話を契機に撤廃枠拡大の動き
地方公務員採用の国籍条項撤廃に動きにおいて、新たな展開が進んでいる。昨年の11月22日に白川自治大臣が「(外国人が就けない)公権力に携わる具体的なポストや人事の方針を自治体が明確に定めれば、一般職でも外国人を採用することは可能」との談話を発表したことがその契機となった。自治相の談話は、「公権力の行使または公の意思の形成の参画に携わる公務員になるには日本国籍が必要」という従来の政府見解を踏襲しながらも、その具体的な判断と運用については自治体側の裁量に委ねるというものである。
この自治省の「方針転換」をうけ、従前から一般職採用の国籍条項の撤廃を試みながらも自治省の抵抗にあい、部分的な門戸開放にとどまっていた神奈川県、川崎市、横浜市、神戸市、大阪市などの自治体では一斉に撤廃枠拡大の動きをみせている。神奈川県や神戸市などでは決裁権をもたない範囲で部長、局長級までの昇任も可能としている。
今回の撤廃枠拡大の動きは自治省の発言を契機としたものではあったが、決して「上からの改革」というわけではなかった。まず第一に、国際化の進展と人権尊重の潮流の中で、韓国・朝鮮人をはじめとする在日外国人を多く抱える自治体では、外国人住民を排除し続けることが困難になってきたことから、1980年代以後、徐々に撤廃の枠を拡大していった。ところが、都道府県、政令指定都市における一般職の国籍条項の撤廃については自治省の強烈な抵抗にあい、この数年、一進一退の膠着状態にあったこと。第二に、撤廃を押し止めようとする自治省の見解に無理があり、論理に破綻が生じていたことである。
すなわち、憲法や法律に明文の規定がないのに、「当然の法理」という曖昧・抽象的な概念で画一的に各自治体における外国人採用を抑制しようとしたのである。これは法治主義のみならず、地方分権の流れにも逆行していたのである。
2 今後の課題
今回の撤廃の動きで、公務員の国籍条項の撤廃は一気に進むのかどうかは予断を許さないところである。まず、「公権力の行使につけない」という政府見解は変わっておらず、撤廃を表明している自治体においても依然として昇任の差別は残る。また、どこまで公権力にあたらない昇任が可能かを具体的に判断できない自治体が自治省に相談するケースが続出すると、結局自治省が基準を決めてしまうことにもなりかねない。
さらに、全国的にみた場合、今なお国籍条項を撤廃していない、あるいは撤廃する気のない自治体が多数を占めているという現実がある。自治労の調査によると、「全ての職種で外国人が受験できない」、すなわち外国人に 門戸を開いていない市町村が60.1%も存在しているとの結果も出ている。また京都市長は「(国籍条項は)当然の法理で(撤廃を)検討する必要はない」「公権力の行使や公の重要な意思形成をする際に、(日本)国籍のない人がいない。」(1996.12.19毎日新聞)として国籍条項を撤廃する考えのないことを明らかにしている。
従って、今後の課題としては、まず第一に先行自治体では、採用実績をつくり、昇任の差別・制限を撤廃していくことが必要である。また第二に、こうした動きとも連動して、他の自治体へも波及させていき、国籍条項撤廃を圧倒的多数派としていくことが必要である。
3 自治体は「人事行政」の枠を超えた施策の重要性を認識すべき 公務員の国籍条項の撤廃が都道府県や政令指定都市に及ぶことが現実的な問題になってきたもとで、これに逆行する勢力の台頭もみられる。マスコミ等の中には、「公務員の資格は、外国人の人権保障や就労の機会均等といったこととは全く次元の異なる問題である。国、地方を問わず公務員には国家に対する忠誠(ロイヤルティー)が求められるのは当然であり、国籍はそのあかしといえる。」(1997.1.16 サンケイ新聞社説)などと正面から反対を唱えるものもでてきている。また、「韓国、北朝鮮、台湾等は日本と各自の国籍国との間の対立・紛争次第によって、日本人との間に、利害や国籍国への忠誠心による対立が増大する可能性がある」(加藤富子千葉経済大学客員教授)などの論者もいる。これらを単なる民族主義者の勝手な主張と見過ごすべきではないだろう。日朝関係が悪化したときに、朝鮮民族学校の女生徒のチマ・チョゴリが切られる事件が続発したことは記憶に新しい。また、就職難の現在、「日本人でさえも公務員になれないのに…」などの妬み意識が噴出してくる可能性も十分考えられる。こうした問題は、結局のところ、住民の外国人に対する人権意識の問題、そして、共に生活をしていくパートナーと認識できているかどうかの問題に帰結する。1年前、大阪市、横浜市、高知県などは国籍条項の撤廃を表明しながら、議会や人事委員会の反対にあい、あえなく見送った経験がある。外国人採用の問題を「人事行政」の枠内に押し止めてはならない。住民に、外国人に対する偏見や排外意識が存在している場合には、反動勢力と連動し、逆行する動きにつながりかねない。悪くすれば排外主義に発展しかねない。国籍条項撤廃を先行する自治体は、最大限に撤廃の枠を拡大するとともに、学校教育や地域社会などを通じて、住民が外国人住民を共に生活し、共に自治を担っていくパートナーとして認識していくよう、啓発や有効な施策を進めていくことが同様に重要であることを忘れてはならない。(当麻太郎)

【出典】 アサート No.231 1997年2月15日

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【投稿】ドル高・円安は何を問いかけているか

【投稿】ドル高・円安は何を問いかけているか

<<同床異夢のG7>>
2/8、ベルリンで主要七ヶ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)が開かれた。会議は「為替市場の著しい不均衡(円高ドル安)は是正された」として、「今後の為替レートは経済の基礎的条件を反映すべきで、過度の変動は望ましくない」、したがって「今後の為替動向を監視し、適切な協力をする」ことで合意したという。三塚蔵相は日本の主張が取り入れられたと胸を張ったのであるが、それぞれまったくの同床異夢であり、G7の協調には参加者自身がそれほど期待してもおらず、市場自身も冷めた反応しか示していないのが実態である。むしろ日本の経済運営については、特別減税の廃止や消費税率の引き上げによる景気失速について多くの懸念、不信感が露骨に示され、その弁解に日本側がしどろもどろのていたらくであったといえよう。
1$=120円を突破し、今や125円台にまで接近してきたドル高・円安については、2年前の1$=80円に比べて50%以上も上昇しており、三塚蔵相は「極度の円安は好ましくない」としきりに訴えたが、ルービン米財務長官は「ドル高は米国経済を支えている」という基本姿勢をあくまでも堅持し続けた。ドイツのワイゲル蔵相にいたっては「1年前はドル安で対応に苦慮したが、現在は満足している」と、マルク安容認の姿勢を明瞭に示したのである。
かろうじて共同戦線を張れたのはイギリスであるが、こちらは逆にポンド高であり、英ポンドの対マルク相場が、ドル高・マルク安の輪をかける形で半年間に17%も上昇し、「さらにポンド高が進めば、英経済の競争力は損なわれる」(メージャー首相)ことから、そしてさらには欧州通過統合実現へマルク安を容認するドイツとフランスの路線への対抗上、ドル高是正要求を消極的に支持する程度にしか過ぎなかったのである。

<<綱渡りのドル高維持>>
しかし米国のドル高維持の基本姿勢も、ある意味では綱渡り的なものである。ドル高は、第一に、海外からの資本流入の増大によって米長期金利の安定につながり、さらにはインフレ抑制、物価安定にも寄与する。しかし、ここで逆にドル高是正の必要性を認めれば、それと同時に長期金利の上昇、株価暴落というシナリオが急浮上しかねない状況にあることも事実である。
グリーンスパン米連邦準備理事会議長は「資源の稼働率が高い米国経済にあって、急テンポに増加する輸入は物価の安全弁を提供している」(1/21米上院予算委員会)としているが、ドル高は、一方で米経済の海外資金への依存度を急速に高めてもいる。96年の外資直接投資の年間総額は950億$を超える見込みで、95年の608億$をはるかにこえている。なにしろ、公定歩合は日本が0.5%、ドイツが2.5%に対して、アメリカは5%であり、米国は外資にとって最高の市場なのである。とりわけ日本の超低金利、不良債権を大量に抱えた金融機関への不安から、高利回りの米国債などの購入に日本の資金が猛烈に流れ込んで、円相場の下落、ドル相場と米株価上昇の原動力にさえなっている現状である。しかしその先行きは、ジャパンマネーが景気の冷え込みや株安でいつ米国債を売りに出すかという不安におびえ、この状態がいつまで続くのか誰も予測し得ない事態に突入しており、ちょっとしたきかっけで株価が暴落しかねない危険な状況をももたらしているのである。

<<「日本に鼻も引っかけない」>>
95年春には4400$台であったニューヨーク市場の平均株価が、この2/3には6809$にまで急上昇し、史上最高値を更新している。一方、89年末に39000円近くまで上昇した東京株式市場の平均株価は、97/1初めにはわずか5日間で2000円以上も下落し、現在1万7000~8000円台を上下している。
メリルリンチの経済学者スタインバーグ氏は、「ドルの価値は経済のファンダメンタルズを反映している。米国経済は6年間拡大してきたが、まだその活力は失われていない。それに反して日本の経済はデフレ状態で、大きな金融業界の問題を未だに処理しきれずに残している」と指摘しているが、それにしてもアメリカのこの異常株高はバブル状況を明らかに示しており、アメリカ経済の、貧富、低所得・高所得の危険な二極分解状況を推し進めているとも言えよう。バブル状況の裏側では、西側先進国の中でも医療保険未加入者数と貧困率では最高水準の実態が厳然として控えているのである。
2/4、クリントン大統領は年頭教書を発表したが、米国の自画自賛と米国至上主義をあらためて確認し、対外政策に関連して、アジア、東アジア重視の姿勢を鮮明にしたが、中国については6回も言及し、韓国、北朝鮮にも言及したが、ついに「日本」には触れずじまいであった。翌日慌てた梶山官房長官が「クリントン大統領は日本に言及しなかったけれども、アメリカが日本を重要としていることに変わりはない」とわざわざ記者会見せざるをえないような、日本の地位の低下である。なにしろ、昨年後半には、中国の対米貿易黒字が日本のそれを上回ったのである。まさに「かつて『日本を手本に』などと、日本を賛美したり、逆に日本叩きを商売にした者たちは今では日本に鼻も引っかけない」(1/29クリスチャン・サイエンス・モニター紙)事態である。
しかし事態はそう単純ではない。ジャパンマネーや日本の景気動向次第で米経済が大きく揺さぶられかねない事態が進行していることも事実なのである。「ドル高は国益」(ルービン財務長官)といっても、米自動車工業会などの不満は高まっており、今年1月の米自動車販売は、米自動車大手三社が前年同月比1%増にとどまったのに対して、日本車は23%も増えている。

<<裏目に出た在庫ゼロ方式>>
このドル高・円安の利益をこれ幸いと享受して、フル操業に入っていたトヨタ自動車が、ブレーキ部品工場の火災事故で、トヨタ自慢の在庫ゼロ方式が裏目に出て、トヨタ全工場の生産が完全にストップするという皮肉な事態を生み出している。火災事故自体は単純なものであるが、いつでも発生し得るものであり、こうした不安定要因は、日米経済関係により深く、より深刻な形で広範に存在しているとも言えよう。
日本の円安・株価の下落は、明らかに現在の自民党・橋本政権に対する不信、政権基盤の脆さに対する不安、増税と減税中止による景気後退政策への懸念、不良債権処理のもたつきと金融不安の再度の拡大、等々の反映であることは間違いないであろう。しかしそれは同時に、日本経済の構造問題に根ざす株安・円安でもあり、これまで誇りにしてきた日本型システムの崩壊、いわば「金属疲労」のあらわれともいえよう。
もはや害悪しかもたらさないあの中曽根元首相が、「日本は沈没寸前だ。再建の見通しがつくまでは死んでも死にきれない」として「新進党をも視野に入れた行革大連合」をまたもや提唱し、暗躍している。梶山官房長官と新進党の小沢党首が密談し、「保保連合の準備」かと騒がれ、これに対抗して1/29には自民党のYKKMKと呼ばれる山崎政調会長、小泉厚相、加藤幹事長、森総務会長、亀井建設相らが「反『保保連合』の結集」かと噂された会合を企画、その内の一人が「昔の仲良し組(新進党)と組めば、かつての力を取り戻せると思っている人達がいる。時計の歯車を戻そうとしてもだめだ」(1/29朝日)と発言。野党は、それぞれに埋没して、手をこまねいて見守っている。「金属疲労」は、政界全体にまで及んでいるのである。
自民党が議会内少数派でありながら、無修正で通りかねない97年度予算案の抜本的修正を、野党は断固として要求し、貫徹すべきであろう。それさえなしえなければ、政治不信はいよいよもって増大し、全政党が見離されていくであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.231 1997年2月15日

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【投稿】阪神大震災2周年に思うこと

【投稿】阪神大震災2周年に思うこと

1月18日に日本テレビが、2年前の阪神大震災の報道記録を深夜番組として放映した。解説のない、現場の音声のみ、午前3時50分までの2時間番組だった。地震直後の高速道路の倒壊シーン、そして当日夜にかけての火災、避難所風景など震災後2日間の映像だった。2年前テレビで見て目に焼き付いている映像に時を忘れて見てしまった。
年末には、我が街にある震災被災者の仮設住宅で支援の餅つき大会があり、労働組合も応援して私も参加した。テレビカメラもやってきた。元気を出そうと支援者50名あまり、仮設住宅入居者の皆さんとともに餅をつき、おでん・ぜんざいを持ち込んで交流を深めた。
仮設入居者も、ピーク時からは減り、神戸やその他住居を確保できた人は転居をしていき、残られているのは、高齢者・単身者ということで少し表情がみんな暗いな、というのが印象だった。
阪神大震災からの復興をテーマにしたテレビ報道が、17日を前後して相次いで報道されていた。ケミカルシューズの街神戸長田のこと。震災で製造が低下している間に中国製の低価格靴の輸入が急増、生産再開後新たな問題に直面していること。家が全壊した場所に住宅建設がはじまった話、それでもコミュニティの復活にはまだまだ時間が掛かると言う現実、区画整理事業への不信と困惑などなど。自然災害に対する個人補償についても、アメリカでは実現しているのに対して、日本では「私有財産」である、との建前から個人補償を否定している現状など。
1月17日大阪市内の駅前では、連合組合員・全労災の職員が「自然災害に対して国民的保障を求める署名」活動が行われていた。すでに兵庫県では県民の8割を超える署名が集められており、1月末の集約、政府・国会への要請と国民的運動が広がりつつある。
しかし、保障が実現しても、コミュニティの復活という課題はまだまだ遠いように思える。新しい街ができても、そこに住む人々の暖かい関係の復活には、10年20年の歳月が必要である。
ボランティアといえば、今日本海沿岸でタンカー事故による重油流出、沿岸への漂着という事態に、ボランティアが除去作業に多数参加しているという。阪神大震災で心に焼き付いたボランティア精神、心で繋がり、からだで支える行動が大切だと思う。
(私も来週福井県三国町へボランティア参加する予定。佐野秀夫)

【出典】 アサート No.230 1997年1月25日

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【書評】買売春と日本社会の構造

【書評】買売春と日本社会の構造
      いのうえせつこ『買春する男たち』(新評論、1996.10.31.発行、1854円)

セクハラ、従軍慰安婦問題等々、女性の人権にかかわる重大問題が次から次へと提起されている。そしてその中で問題は、女性の側にではなく、むしろ男性の側にこそ存在するということが少しづつ明らかになってきた。
本書は、このような視点を前面に押し出し、未だ明確に自覚されたとは言い難い性の問題(性風俗、買売春等)における男性の役割とこれを支える社会の構造を追及する。
「『売春』の歴史は、人類はじまって以来、いや、私有財産制が誕生した以降だ、等々と言われてきた。(中略)『売春』のウラ側には、買う側の『買春』が存在していると思うのだが、なぜか『性』を売る側については語られても、買う側についての『買春』はほとんど話されてこなかった。なぜだろう」。
もともと著者は、70年代のウーマンリブ以来さまざまな女性運動にかかわってきて、その中で次のような感想を抱くようになったとする。
「女性への差別反対! 女性の人権侵害は許さない! 家父長制打倒! 性別役割反対!等々と叫ぶことの裏側に、なぜか、むなしい風が吹くのを、ここ十数年あまり感じてきた。そして、それはどうやら、女性の問題は女と男の問題であり、社会の問題はまた個人と社会との関係性の問題でもあることに気づきはじめたからかもしれない」。
本書では、それ故、「売春」はそれを買う側からの「買春」として位置づけられる。そのことは何よりも「買春」を文化、社会構造の視点からとらえることであり、この視点を抜きにしては「買春」の根絶はあり得ないからである。
本書で取り上げられている「買春」の歴史──奈良時代から近世の遊廓、「からゆきさん」、売春宿(娼楼)、従軍慰安婦から売春防止法の制定にいたる歴史──において、「女性とセックスを通して人間的な交流を持つというより、金銭を払って女性とのセックスを買うということの方が、男性の性を確かめることができた」という精神構造が指摘される。このことは、「男性の意識の中に、・結納金・で妻を買う意識と、女性の中にもある『食べさせてもらっているのだから』という意識が、現在にいたるまで買売春を存続させている」ということにつながるとされる。
これに続いて著者は、「だからこそ、・性を売る・ことへの無批判な思考が、若い女性や中高生の『小遣いをもらって、どこが悪いの』という居直りを生み、『金を払っているのだから』という性を買う側の買春意識をもつくり出しているのだろう」と現代社会の大人の意識のあり方を厳しく批判する。
このような状況は、風俗買春──テレクラ買春の実態を見ればより鮮明になる。「『自分の体だってお金になるのだ』とする少女たちの行動と、それを需要する『買春する男たち』との関係」こそ、現代の性のあり方を象徴するものであろう。
そしてこの意識の延長上に、「買春ツアー」が存在し、「子ども買春」が存在する。 本書の最後の方での、ある超有名企業の管理職へのインタビューが、赤裸々に「買春ツァー」の衝撃的な内容を語る。
「罪悪感はナイ! ナイ。買春するのも仕事、オシゴトの内と思っているのだから、そんなこと・アタリマエ・のこと。それにオンナを買いに行くのも、企業の連帯意識のうちでするわけだから、行かないヤツは連帯意識がないということになる」。
「とくに、企業同士の接待買春旅行は仕事の延長上で行くわけだから、オ世話にナリマス! といった関係で、外国へ観光買春旅行に招待する。(略)・買春・って、日本株式会社そのものだと僕は思うよ。社会構造がそうさせている。とくに、男にとっての性衝動は、時に外国での・つまみぐい・として買春するというわけ」 ここには、歴史的社会的文化的に形成されてきた日本の男性の性意識と、それを支える社会の構造が端的に示されている。
同時に著者は、絶対に許すべからざるものとして「子ども買春」を取り上げる。「子ども買春」は、80年代初めにフィリピンやタイなどにヨーロッパやアメリカから「安い性」を求める買春ツァーの客が押し寄せてきたことから大きな社会問題になったが、80年代後半から日本人客が目立ちはじめている。日本国内で87年に風俗界にエイズパニックが起って、ソープランド等の「プロ買春」からテレクラなどの「素人買春」に移行して行ったのと時を同じくして、日本人客による「子ども買春」が増加したといわれている。
(またこれと関連するものとして、子どもを使ったポルノや美少女路線がある。) このようなペドファイル(小児性愛者、むしろ小児性虐待者と呼んだ方がふさわしい)がいかに子どもを傷つけ虐待しているかということについては、背筋の寒くなるような実態が存在するが、これの客に日本人男性が、また子どもポルノの制作に日本の出版社が関わっていることに怒りを覚えないわけにはいかない。
以上のように本書は、「買春」の構造が日本の社会構造との深い関係の中で支えられている事実を指摘する。それはまさしくわれわれの意識を規定する社会の構造であろう。ただ本書はそのアウトラインしか描いていない点でやや物足りない印象も残すが、「買春」を正面切って紹介した先駆的なものとしての価値はある。
そしてこれ以外にもこれから議論されるべき問題提起も多い。例えば、買売春・性欲とモラル・法律の関係の問題、「年商十兆円」と言われているセックス産業とセックス・ワークをどう見るかという問題、また障害者の人権と性欲のケアの問題等、解決を要する問題は余りにも重いと言わねばならない。そのような問題へのきっかけとなる書であろう。(R)

【出典】 アサート No.230 1997年1月25日

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【投稿】「『新しい歴史教科書をつくる会』に抗議する

【投稿】「『新しい歴史教科書をつくる会』に抗議する
            女たちの緊急アピール」を支持します!

「アサート」の先月号に、「新しい歴史教科書をつくる会」についての意見を寄稿したが、この「会」のその後の活動並びに呼びかけ人について情報を得れば得る程、腹立たしさがこみ上げてくる。
日本国が戦争中行った非人道行為に目をつむり、過去のマイナスな行為を闇の中に葬り去ろうとしている「会」の人々。9人の呼びかけ人には、聞いて「エツ!」と驚くようなメンバーが入っている。そのひとり小林よしのり氏に対しては、彼の出身地である福岡の市民団体から次のような申し入れ書が出されている。「かつて、小林よしのりさんは、部落差別の問題を、漫画作品『ゴーマニズム宣言』に取り上げ、社会派漫画家としての評価を得ましたが、はたして、現在の状況はどうしたことでしょう。小学館発行の雑誌『SAPIO』1996年8.28/9.4号の『新ゴーマニズム宣言』第24章『従軍慰安婦カマトトマスコミを撃つ』に至っては、もはや、私たちは黙っていられないほどの衝撃を受けました。『マスコミを撃つ』と言いながら、その内容は元『従軍』慰安婦へ、そして、全女性に向けられた差別意識の吐露であり、元『従軍』慰安婦の女性たちの支援をしてきた人たちへの誹謗中傷です。」
そして、昨年12月15日、「『新しい歴史教科書をつくる会』に抗議する女たちの緊急アピール」が出された。以下、アピールの一部分を紹介したい。
「つくる会」は、結成にあたっての声明文で、この6月に検定を通過した 7社の中学歴史教科書が「日本の近現代史全体を、犯罪の歴史として断罪」する「自己悪逆史観」に貫かれているとし、その例として、「証拠不十分なまま『従軍慰安婦』強制連行説をいっせいに採用した」ことをあげています。さらに記者会見では、「慰安婦」問題の記述全体の削除を要求しました。同様の要求はすでに「明るい日本」国会議員連盟、「日本を守る国民会議」、自由主義史観研究会などによってなされていましたが、今回の「つくる会」結成には言論界・経済界から78人が賛同人として名を連ね、さらに広がる気配をみせています。私たちは、「従軍慰安婦」問題解決への真摯な取り組みが、アジアとの共生と女性の人権確立につながると考え、ひれびれに努力を続けてきました。今回の「つくる会」の結成はこうした私たちの努力を真っ向から否定するものであり、なによりも勇気を奮って名乗り出た元「慰安婦」の方々の名誉と尊厳を傷つけるものです。とうてい見過ごすことはできません。ーーー
紹介したようなアピールや申し入れ書が、今後どんどん出てくることを期待したい。「つくる会」の主張そのものをそのまま取り入れた意見書が、各地方議会から出されるような状況を考えると、抗議・反論が必要だ。真の「国際化」を大切にしていくためにも、今後とも、この問題に関心を持ち続けたいと思っている。      (大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.230 1997年1月25日

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【投稿】インターネットの衝撃

【投稿】インターネットの衝撃

年末になってやっとインターネットができる環境が整ってきた。昨年10月にはすでに「プロバイダー」から、IDを取得していたのだが、それを活用するには暇と心の余裕がなかった。少し長い年末年始の休暇をいかにすごすか、を考えて、ちょっと入れ込んでみたわけだ。年末の日本橋で28800bpsのモデムも1万円で買えたし、ソフト、関連書籍を買い込んで、田舎回りもノートパソコンとケーブル持参で、・・・・。

年賀状にも、「昨年パソコンを買った」とか「インターネットに繋がった」という書き込みが目に付いた(アサート読者だが)。パソコン通信のIDとインターネットのIDを書いているひとが出てきたわけである。

<パソコン通信とは世界が違う>
このアサートの編集にはパソコン通信が欠かせない。原稿の依頼、入稿、印刷所への指示などニフティで行っている。もう7年目になる。富士通のメインコンピューターを経由しての個人間のメール交換の形をとっている。一文書の最大でも8000字程度の文字データのやり取りならパソコン通信で十分だと思う。
さて、インターネットだがこちらは、メインコンピューターではなく、それぞれのネットワークコンピューターを経由して情報のやり取りをおこなうわけだ。電話回線を通じて日本のみならず国を越えて世界中のコンピューターに繋がるわけだ。
ホームページという言葉をよく聞くが、それは情報を提供しようとする団体・個人がコンピューターネットワーク上に開いた「玄関」のようなものだ。
民主党のホームページ、ホワイトハウスのそれ、日本共産党のそれ、など・・・・。
パソコン通信のような単調な画面ではなく、カラフルな画像も音も聞ける。そしてあたかも隣の家を順番にまわるように、世界中の公開されている「玄関」を瞬時にノックして「話が聞ける」というのもすごいことだ。

<背景にあるコンピューターの発展>
アメリカのゴア副大統領の「情報ハイウエイ構想」というのが思い出されるが、インターネット上で行われている情報のやり取りを可能にしているのが、技術革新と世界基準の統一の実現であろう。個人であっても1秒間に64000バイト(全角文字で32000文字)のデータをやり取りすることが可能になっている。私がパソコン通信を始めた8年前は、せいぜい1200バイト/秒で通信をおこなっていたのだから。
インターネット上のコンピューターでは世界中で識別可能な番号が振り分けられている。12桁の数字で管理されている情報の整理によって、瞬時に世界中のコンピューターを識別し、接続することができるわけだ。

<地方自治体もプロバイダ設置>
最近は、大阪府内の各自治体も「情報化」と「市民サービス」の意味からインターネットのプロバイダーを設置する方向になっている。大阪市、池田市などでサービスが開始されている。これはインターネット接続の中継窓口であると同時に、自治体のホームページを開いて情報提供をしようというもの。(大阪市が外郭団体で行っているサービスの中には部落解放同盟日の出支部もホームページを開いている。)

<急増する利用者>
昨年春先から、インタネットブームに新しい火をつけたのは、家庭用のデジタル回線である、NTTのINS64である。既設電話なら3000円+工事費で家庭からデジタル回線が利用できる。すでに昨年末で100万件を超える加入があったという。また、これまでのパソコンが、ある程度ビジネス分野、ワープロや表計算ソフトなどをターゲットにしていたのに対して、明確に「エンターテイメント」的利用でパソコンを使う人々が参入してきたわけで、今後情報機器としてのパソコンが、家庭用電化製品的に普及する傾向にある。オールインワン型のパソコンはまさにそれである。「お母さんは家計簿、僕はゲーム、お父さんはインターネット」などの宣伝もあるように。(ちょっとこだわるところもあるが)
一日に5万・6万とアクセスがあるホームページもあるというが、結構アダルトものらしい。いろいろ議論があると思うが、ホームビデオにせよ、パソコンにせよ、インターネットも同様に、こうしたセクシャルな欲求・関心が利用者を拡大させている面は否めない。

<情報の氾濫と選択>
現在世界中には、200万を超えるホームページが開かれており、わけがわからないといった感もないわけではない。アダルトものも結構多いし、朝日新聞のホームページのようなニュース系、政党や労働組合も開きはじめた。
これからも企業、個人のホームページ開設が続いて、情報は氾濫状態になるだろうが、淘汰も同時進行で進む。アサートでも面白いホームページの紹介・情報交換の必要もあると思う。(いっそ、ASSERTのホームページというのも考えられるが・・・)
(追記:こうして流れに追いつこうとすると、また新しいコンピューターがほしくなるというもの。近々にNEWマシンの検討に入ろうと思っています。
(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.230 1997年1月25日

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【投稿】97年、政界再々編成への新たな胎動

【投稿】97年、政界再々編成への新たな胎動

<<大震災から2年の現実>>
阪神・淡路大震災からちょうど2年が経過した。あれほど身近で強烈な体験は、誰もが予想しなかったことであろう。自然を侮った人間の行為は、あらためてさまざまな自らが引き起こした問題に直面せざるをえなくさせた。政治、経済、社会、文化の全てにわたる根本的な反省である。しかしそれも今や風化の波に洗われようとしているかのようである。厳しい現実は、2年を経過してなお、7万人余の人々が仮設住宅やその他で生活再建のメドも立たないまま放置されていることに象徴的である。政府や官僚は、これは「天災」であるから政治の責任の範囲外のことであり、たとえ支援する場合でも、「私」的損失に対しては「公」的援助は出来ないなどとして、被災者の切実で悲痛な声を拒否し、無視し続けてきたのである。家屋が全焼・全壊した所帯であっても、この2年間に受け取った「義援金」がたったの数十万円にしか過ぎないのである。被災者の生活再建援助法案を提起している小田実氏は、こうした日本の現実を「棄民」「難死」の国であると表現している。
ところがその一方では、この2年間に私的「民間」金融機関や住宅金融専門会社を救済し、その「私」的損失を穴埋めするために公的資金を大量に投入しており、その額はすでに1兆円を優に越えているであろう。厚生省の構造的汚職の一端が暴露された岡光事件の場合でも、何千億という補助金がいとも簡単に執行され、税金の不正な横取りと官僚と政界へのキックバックが公然と行われてきたのである。
そして今回の来年度予算決定に当たっては、橋本政権が少数政権であるにもかかわらず、かつての自民党一党独裁が甦ったかのような、ゆすりたかりの族議員体質を丸出しにした政官一体の予算ぶんどり合戦が展開されたが、被災者への公的支援は完全に無視されたも同然であった。

<<「日本売り」「橋本内閣売り」>>
こうした日本の現実への警鐘の一つが、年初来の株価暴落であるとも言えよう。東京株式市場は、1/6の大発会以来続落し、わずか5日間で平均株価が2000円以上も下落、市場は、「日本売り」「橋本内閣売り」を鮮明に打ち出したのである。これとは対照的に年頭のニューヨーク株式市場は、3日間で平均株価が101$高を記録し、6500$台を超え史上最高値を更新している。
橋本内閣の来年度予算案は、消費税率の引き上げと特別減税の廃止で6兆円もの増税、医療費の自己負担倍増、電気・ガス、高速道路料金等公共料金の値上げで、総額9兆円以上の国民負担の増大が組み込まれているのである。そこには、公共投資の大幅見直しや抜本的な組み替えもなければ、阪神大震災補償など一顧だにされず、縮小されてしかるべき冷戦後の防衛費のあり方とは逆行した増額、別建て防衛予算まで用意し、旧態依然たる予算争奪戦とあいまって、「火だるま行革」のかけ声とは逆に、族議員と官僚のための歳出はますます膨張し、借金は増え、新規国債発行の減額幅は4兆円余に過ぎない実態が浮かび上がっている。
問題はそれにとどまらず、目に見えて明らかになりつつある住専処理の行き詰まり、旧国鉄債務問題の浮上、新たな金融不安と不良債権問題など、行政の失敗のツケを国民に回す路線が間近に控えているのである。
株式市場は、いわば単純かつ率直に今後の成り行きを予測し、それを株価に反映させたものとも言えよう。もちろん、事態はそれほど単純ではない。

<<アンパンマンの危機>>
橋本首相は、こうした97年度予算案についての記者の質問に対して、「俺の頭は単線で複線じゃないんだ」、「すまん、頭が飛んでおるんだ。ペルーの事件で指示するのが一杯だから」と逃げ回り、年初来連日外務省のオペレーションルームに通い、アンパンの差し入れに精を出している。上っ面のパフォーマンスではなく、沖縄の基地対策や震災被災者対策にこそ連日通い、精を出して欲しいものである。内閣支持率も1月の日経調査で明らかに低下し始めてきた。
「橋本内閣売り」は、今や橋本内閣崩壊の危機として現実的にとり上げられ、危機は3月、6月、9月とほぼ3ヶ月毎に襲う可能性があると指摘される事態に至っている。政局が行き詰まり危機が現実化する要因は目白押しである。
①行革は、自らもどっぷりと浸かってきた政官財の腐敗癒着構造の前になすすべなく後退する。そのことはすでに来年度予算案決定過程で実証済みである。
②橋本自身を含めた汚職と腐敗のスキャンダルが続発する。厚生省の岡光スキャンダルがさらに発展してより巨大な汚職腐敗事件が厚生省支配下の外郭団体で爆発寸前にあり、いつ橋本に飛び火するか分からない。加えて、新しい政官業癒着スキャンダルが発覚し橋本自身の関与まで明らかになる。石油疑惑の泉井から7億円を貰った超大物政治家=竹下元首相疑惑も政権基盤を揺るがす、等々、疑惑要因は枚挙にいとまがない。
③沖縄、有事法制などで冷戦体制持続の政策が行き詰まり、連立の崩壊、政権基盤の喪失が現実のものとなる。5/15には沖縄の嘉手納基地など3001人の地主の契約更改期限が切れ、強制収用に踏み切るかどうかの決断が迫られ、さらに集団自衛権の拡大解釈、日米軍事同盟の新しいガイドラインの策定と有事法制の整備、などをめぐってデッドロックに乗り上げてしまう。
④増税、医療費負担増額、住専・28兆円に上る旧国鉄債務処理・不良債権処理の国民へのツケ回しで景気回復どころか、景気後退がより鮮明になる。さらに金融ビッグバン(金融市場開放)政策が逆に金融不安、株価暴落を呼び込みかねない事態をもたらす。

<<「行革特命政権」構想>>
危機感を抱き始めた梶山官房長官、中曽根元首相らはこのところ行革のための保保連合、極東有事態勢のための保保連合をたびたび提唱している。相手は当然、新進党の小沢グループである。橋本首相が自らの政権維持のためにこの路線に乗れば、その場合の野党との対立軸は鮮明になるが、自らは放り出されかねない。一方、これに対抗して加藤幹事長らは、民主党、太陽党との連立を模索し、早期解散も辞さない構えで、「年内に解散、総選挙が行われる可能性がある。衆院選の態勢作りは夏の東京都議選に有利に連動するし、解散を恐れる社民党や野党の内閣不信任案提出を抑止しうる」と盛んに言い出している。
民主党の菅代表は、「橋本政権では行革が出来ないと判断したならば退陣を迫り、自民党やその他の政党と行革特命政権を組むという選択肢も存在する」として、「行革特命政権」なるものを提唱し、その場合の自民との連立については「きちっとけじめをつけなければならない」し、「少なくとも、橋本首相に交代を求めざるをえない」と明言している。ただし民主党はこの路線で一体というわけではなく、鳩山代表は否定的である。
一方、新進党は、すでに副党首だった羽田元首相が離党し、13人で太陽党を結成、これが新進党分解の序曲になる可能性を濃厚にしているといえよう。すでに橋本内閣の腐敗スキャンダル追及にもなすすべなく見過ごさざるを得ない事態である。オレンジ共済疑惑で政界に流れた額が10億以上に上り、細川元首相に2億、小沢党首、小沢辰男、初村前代議士にそれぞれ1億、海部元首相、鳩山邦夫氏(当時、新進党)にもそれぞれ5000万といわれ、被害者側はそれらの全額返還を求めているのである。2月の新進党大会では、自民・新進連立政権の首班に細川を押すために、小沢辞任、細川党首の可能性が流されている。しかし先の議員総会でも明らかになったように、路線対立は予想以上に深刻であり、公明党として選挙に臨むことを明らかにしている7月の東京都議選では、創価学会の新進党離れが決定的になる可能性である。それに応じて、細川グループも新進党を離れて民主党あるいは羽田新党と合流する可能性があり、下部議員はすでにその方向で動いている。

<<再編成、加速の年>>
社民党も、今や、少なくなった議員の中でさらに土井党首グループ、自民連立グループ、民主党合流グループ、別新党グループなどに分解することが目前に迫ってきている。
こうした政界の動きは、もはや驚くこともなくなってきた政界の再々編成をさらに加速させているといえよう。自民党の中曽根・梶山らと新進党小沢らの旧保守・新保守による保保連合グループ、加藤幹事長らの保守・リベラル連合グループ、これらのはざまの中で揺れ動く社民・さきがけ残党グループ、民主党、太陽党、新進党・旧民社グループ、公明グループという構図である。その中にはさらに非自民・非新進結集構想、久保元蔵相らの参院大会派構想まである。大きくは新たな保守対リベラルへの政界再編成が動き出しているとも言えよう。
橋本政権のスキャンダル続出、政策的行き詰まり、支持率の失速、「火だるまになってもやる」と明言した行革も行き詰まる中でもなお、野党が橋本内閣に政策転換を迫り、追い込むことが出来ないならば、ただ単に現状を追認する存在価値の無い政党として見放されるであろう。逆に言えば、今が政局転換の絶好のチャンスなのであり、今年ほど新たな政界再編成のイニシャチブがこれほど多様で可能性を秘めたチャンスはないのではないだろうか。もはや錆び付き、金属疲労をあらわにしてきた自民単独政権を崩壊させ、新たな革新・リベラルな連合政権を形成し、形骸化し、危機に瀕した民主主義を徹底した情報公開と主権在民原則の貫徹によって再生することが求められているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.230 1997年1月25日

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【投稿】ダム建設中止決定と自民党・建設省

【投稿】ダム建設中止決定と自民党・建設省
            – 一部のダム計画の中止を決定 –

新聞報道によると、昨年12月18日までに、福島県や茨城県で実施計画調査中の4つのダムについて、建設省は、ダム開発の中止を決めたという。理由は「計画当初に予測した水需要等が伸びていない」など。建設省が計画したダム開発の中止を決めたのは初めてのことである。亀井建設大臣は「地権者の同意を得たダムについては急いで完成させるため、予算の重点配分する」との方針を表明し、今後同様に開発目的が失われたり、緊急度の低いダムは計画の見直しを順次行っていくようだ。
この報道を受けて、長良川河口堰に反対するグループは、次は河口堰ゲートの開放だ!と通常国会からの闘いを準備している。確かにこれまで建設省は計画したダムの見直し・中止は、たとえ開発目的が失われた長良川のような場合にも、「メンツにかけて」目的をすり替え、またいいかげんな環境アセスに守られて計画を中止することはなかった。そういう意味では画期的なことと言えるのだが、「市民的常識」からはあたりまえのことにすぎない。とはいえ、こうした「ダム開発見直し」が動き出した背景には3つの問題があるように思える。

建設省を動かした環境運動
「計画中止」を行わない、という姿勢は、建設省の省益確保こそが元凶である。大手ゼネコンとの運命共同体的関係なども影響している。しかし、80年代以降の自然破壊への国民的不安・環境問題への関心の高まりは、建設省の各部局の政策テーマの中にも「環境にやさしい河川改修」などと「環境」への配慮が顕著になってきた。
細川政権時代の五十嵐建設大臣が、公共事業の見直しを政策化したレールがここに来て生きてきたようだ。また、アメリカで新規ダム建設がすべて中止となるなど、ダムが自然破壊を生み出すという考えかたが、浸透してきたことも大きい。ダムによって流砂が塞き止められ、またダムの内側に堆積し最後はダムを壊さなければいけない、という状況も生まれているわけだ。

公共事業への批判
次に、「公共事業」自体への批判の高まりだ。昨年の総選挙で自民党は過半数を取れず、何とか社さの閣外協力で事実上の単独政権に返り咲いた。とたんに「族議員」が動き出し、整備新幹線などなど、将来に膨大な赤字を残す「公共事業」が動き出した。そういう意味では、このダム開発中止は、それらの「公共事業」批判そらしの面もあるように思える。
今回中止される4つのダム計画にはすでに55億円の調査費が使われていると言われている。現在全国で実施計画調査以上の段階にあるダム建設予定地は291箇所、319ダムがあり、今回の4つのダムもその中に含まれている。「緊急性がない、代替策がある」ということでこの4つが決まったそうだが、まだまだ「必要のないダム」がある。もちろん「長良川河口堰」は、有害なダムである。

民主党との関係
昨秋の総選挙における民主党の政権放送を見た人は思い出してほしい。菅直人が非効率な日本の省庁システムを批判する時に、山と川と海の例を出していたことを。山は農林省で川は建設省河川局、河口・港は運輸省などなど、環境問題についても各省がバラバラなことをしていると。実はこの話は、長良川河口堰に反村する会の天野事務局長から管直人代表に対する総選挙政策検討の際、環境問題についてのレクで用いられた話しだ。選挙中の演説の中でも菅代表は、この話しを繰り返していたという。
現在自民党は、通常国会を前に、土井社民党・さきがけとの不協和音が生まれており、安定的な政権運営には、民主党との連携を盛んに試みている。先の自民党大会でも民主党・労働団体へのラブコールが目立った。そうした背景がこのダム間題の背後に微妙に影響しているのでは、というのが私の読みである。4つのダム計画中止の報道は昨年12月18日に行われたが、新年1月10日過ぎにも亀井建設大臣がダム建設再検討問題で記者会見をおこなっている。
ともあれ、来年度の予算編成も従来どおりの予算枠が固定されたシーリング方式。建設省の予算を見ても、各費目の増加率は横並び。道路・港湾への傾斜は変わらない。
公共事業のチェックも、このダム開発中止を受けて、一層強めていくことが求められている。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.230 1997年1月25日

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【投稿】新しい博物館-琵琶湖博物館を訪ねて

【投稿】新しい博物館-琵琶湖博物館を訪ねて

先日、琵琶湖博物館を訪ねる機会があった。10月20日に開館したこの博物館は滋賀県で初めての県立博物館であり、ユーニークな博物館として新聞等でもよく取り上げている。私自身見学して、それなりの満足感を得たので少し紹介してみたい。

*「湖と人間」がテーマ

この博物館は滋賀県が相当の力を入れて建設したもので、10年前から職員を募集、調査研究を先行してから開設にこぎつけた。自治体が経営する博物館では、入れ物を造ってから内容を決め、職員を募集するのが普通だということなので、全国の博物館の中でも開設の段階からユニークだ。建物もなかなか立派で、すでに予定の倍の21万人が見学に訪れているとのことだ。
博物館のテーマは「湖と人間」。自然と人間とのかかわりを考える場であり、琵琶湖を擁した滋賀県全体を大きな博物館と位置付けて、この建物はその博物館への入り口としている。展示は見学者に何かを教えようとしているんではなくて、すべてフィールドへの誘いなのだと職員の方が説明してくれた。

*見応えのある展示

いよいよ展示室に入る。A展示室のテーマは「琵琶湖のおいたち」。地殻変動の模型、巨大な古代象の骨格、実物大のワニまで泳いでいる約380万年前の古琵琶湖のジオラマ、豊富な化石とかなりの迫力で見る者を飽きさせない。おもしろかったのは「研究者の気分にひたれる展示室」というのがあって、化石の発掘や魚の解剖の実際の場面に立ち会っているようである。
B展示室のテーマは「人と琵琶湖の歴史」。人々が琵琶湖の周辺に住み着いてから戦前までの歴史を、遺構や遺物、道具や古文書・絵図・伝承等といった形で目にすることができる。それぞれ原寸大で復元した瀬田の唐橋の橋脚基礎部や百石積の丸子船は迫力がある。歴史の好きな人にはこたえられない展示室だろう。
C展示室のテーマは「湖の環境と人々のくらし」。まずアプローチに床一面のタイルに焼き付けられた、琵琶湖を中心とした1万分の1縮尺の精密な航空写真。家屋一つ一つの形まで確認できるので、老若男女床に顔をすりつけて自分の家や知っている建物を探している。中に入ると実際に生活が営まれていた湖東の農家を昭和30年代の姿で丸ごと移築・再建してある。食卓の上の食事から肥えだめの中の肥えまで実に細部にわたって再現してあり、一見の価値はある。これら人の生活様式も含め、滋賀県に住む生きもの調査や石鹸運動の歴史等を通じて「よい環境とは何かを」を考える展示になっており、この展示室がこの博物館のメインかなと思った。
下に降りるとそこは水族館になっており琵琶湖に住む様々な生きものや希少淡水魚、世界の淡水湖に住む珍しい魚の姿を見ることができる。派手さはないが魚に触れるコーナーもあって生きものを身近に感じることのできる展示である。
子どもは1階のディスカバールームできまり。ザリガニになって魚やバッタを捕まえる遊具や人間の骸骨を組み立てたり、音で木の種類を当てるゲーム等ユニークな遊び道具があって、インストラクターのお姉さんが親切に指導をしてくれる。

*活きのよいごった煮風博物館

2時間くらいかけて見学したがとても全部は見切られない。この博物館の特長はほとんどの展示物が手で触れることができ体験型であること。また、それぞれの展示に学芸員が腕によりをかけてお互いに競争しあっているという感じがおもしろい。
悪く言えば、ばらばらでごった煮風。しかし、だからこそ飽きないで楽しめるという所がある。新しいだけにスタッフの意気込みが感じられる博物館である。
隣には国連の国際環境技術センターや公園等もあり、子連れで十分1日楽しめる場所である。冬休みなど子どもと一緒に訪ねてはいかがだろか。

交通機関:JR草津駅下車、バスで15分ほど。
車では名神栗東I.Cから国道1号線-栗東志那中線-湖岸道路を経て烏丸半島へ。
休館日:毎週月曜日・休日の翌日、年末年始は12月28日から1月4日まで
入場料:大人500円 高・大生400円 小・中生250円
℡:0775-68-4811

【出典】 アサート No.229 1996年12月14日

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【書評】佐々木力『スターリン主義科学哲学の成立』

【書評】佐々木力『スターリン主義科学哲学の成立』
     (岩波書店『思想』862・864・868号、1996年4月・6月・10月号に分載)

ソ連邦の崩壊後、そのイデオロギー構造を支えていた理論もまた厳しい再検討に曝されることになった。しかし今なお、われわれ自身を含めて、ソ連型マルクス主義の哲学=マルク・レーニン主義をどう総括・評価するかということについて、断罪と自己批判と戸惑いが存在していることは疑いがないところである。かつてわれわれが信奉し、行動の指針として研究理解してきた思想について、現在われわれ自身が問い直すことは、必要不可欠な事柄であるとはいえ、苦痛を感じることも事実である。しかし批判的総括はなされねばならない。
本書は、マルクス・レーニン主義の成立とその正統と称して他を威圧してきたスターリン主義の思想の役割と変化を、(1)ロシア革命以前のレーニンの『唯物論と経験批判論』をめぐる論争と、(2)これに続く革命期~1920年代の哲学論争、および(3)1929年のスターリンによる「文化革命」以後の状況という三時代区分を軸として展開する。そして更にはこのことと日本のマルクス主義哲学との歴史的関係から、日本におけるマルクス主義哲学の本質的欠陥を衝く指摘を行う。
まず第一の時期について著者は、レーニンの『唯物論と経験・・』の出版をめぐる論争=レーニンに対するアクセリロードとボグダーノフの批判を考察する。そしてレーニンのこの著作が哲学的には素朴実在論と唯物論を同一視して、むしろ観念論の原型である「プラトン主義を裏返しにして」(アクセリロードの批判)いること――その理由は「二元論を採ったうえで、イデア(形相、観念)ではなく、ヒューレー(質料、物質)の実在を主張している」からとされる――、および「きわめて停滞的傾向」、「『坊主主義』への志向を敵側のものと見なすこと――絶対的なものへの礼拝を伴う、深い宗教的思考」(ボグダーノフの批判)として特徴づけられると指摘する。
にもかかわらずレーニンは、1905年以降の反動期の政治的情勢によって、「『唯物論』の認識論的側面ではなく、断固とした無神論的観点から「哲学的唯物論」に固執することになった、というのが著者の評価である。
しかしそれに続く第二の時期、レーニンは、ヘーゲル哲学の研究をつうじて上記の姿勢を変化させて、『哲学ノート』に結実される新しい「反映論的認識論」──「人間の意識は対象的世界を反映するだけでなく、それを創造しもする」とする「弁証法」にアクセントを置いた立場──へと移行する。レーニンの思想はこの時期に飛躍的な発展を遂げるが、1920年代の哲学論争──「機械論者」(素朴な意味でのそれではなく、自然科学から遊離した哲学的図式を退け、知的営為の自律性をうたうところに真の弁証法を見い出そうとする)対「弁証法論者」(プレハーノフの弟子であったデボーリンに代表される哲学者のグループで、「戦闘的唯物論者レーニン」を強調し、自然科学の研究も「目的意識的」な弁証法を導きの糸としなければならない、と主張する)の、いわば「自然科学の哲学」「科学哲学」に関する論争であった──においてもレーニンの在世中には政治的な介入指導はなされなかったといえるであろう。すなわちとのもかくにも1920年代には哲学の論争は可能だったのである。
しかしこの哲学論争は、1929年に哲学によってではなく、デボーリン派の勝利として政治的に決着されることになる。そしてここに1930年代からの第三の時期が始まる。それはスターリン政治体制の成立、第一次五ケ年計画と相即する文化革命の時代である。
哲学においては、勝利したデボーリン派の中から「もっと『急進的』な青年哲学者たち」──ミーチン、コーリマン、ユーディンら──が「ボリシェヴィキ化」した哲学を開始する。そしてレーニンの『唯物論と経験・・』の反映論が「マルクス主義哲学の最大の理論的達成」として位置づけられ、これのドグマティックな解釈が「哲学のレーニン的段階」として賞賛されることになる。
かくして「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」という「ディアマート」の教程の制度化がなされて、ここにわれわれに馴染みのマルクス主義哲学が成立することになる。この状況は本書からの重引でいえば、「権威の真理が真理の権威に取って代った」と特徴づけることができるであろう。
さらに著者は、このような哲学が日本に輸入されてわが国のマルクス主義哲学に与えた圧倒的な影響を検討するが、これについては著者の「わが国がソヴィエト思想を受容する際に示した態度に関して抱く感懐は、その非主体的で無批判な姿勢がきわめて顕著であったという点である」という主張があることを指摘するにとどめたい。

以上のように本書は、「スターリン主義科学哲学」の萌芽から成立までを大胆かつ克明に描き出したものであるが、現在のわれわれにとってのマルクス主義哲学の根幹にかかわる問題点は次のようなものであろう。
まず第一に著者は、マルクスとエンゲルスとの関係について、現在ではエンゲルスが「卑俗」な唯物論によってスターリン主義の芽を育てたと批判再検討されていることに対して、エンゲルスを「不当におとしめる」と反批判する立場をとっている。著者によればスターリン主義の根源は、プレハーノフの「ひからびた」哲学的唯物論とこれを信奉した『唯物論と経験・・』期のレーニンにあるのであり、このレーニンの著作の神格化がスターリンによってなされたとされる。それ故著者は、エンゲルスとレーニンやスターリンの思想の違いを強調することで、これを論証しようとする。しかし哲学に関してエンゲルスの中に歴史的社会的諸条件を超えた「超歴史的」諸命題が見い出され、これをどう解釈し、その社会主義への(特にスターリン主義形成に与えた)影響をどう解明していくかということが現在の問題なのである。この根が深い問題についてエンゲル
スに手をつけずに置いておくことはできないであろう。
第二。レーニンの評価については、『唯物論と経験・・』の時期と『哲学ノート』の時期とを区分し、前者には酷評を、また後者には肯定的評価を与えている。弁証法的思考という観点から見ればこの評価はおおむね妥当と思われるが、この後者の時期についてのレーニンへの高い評価にもかかわらず、その後このレーニンの姿勢がソ連において伝統とはならずにスターリン主義にあっ気なく置き換えられたことについて、著者はいかなる説明をしようとするのか。ここにはスターリンの責任(これが最大であることはいうまでもないが)のみでは済まされ得ない、当時のソ連の構造とそれにかかわった主要な政治家についてのもっと包括的な総括が必要であるように思われる。著者自らが、「ソヴェト哲学の歴史過程を統べる基底音は、″政治の優位″ということ」であると述べているだけになおさら、著者が肩をもつトロツキイの位置とその果たした役割をも含めて、レーニンとの思想的関係を明確に特徴づける必要がある。その際レーニン自身の再評価も不可欠であろう。
第三に、著者は「哲学的唯物論」(プレハーノフからマルクス・レーニン主義、スターリン主義にいたるソ連型哲学)が発生する基盤として、ロシアのツァーリズム体制とその先輩格(体制としても思想形態[18世紀唯物論]としても)にあたる18世紀フランスの旧体制との類似を指摘する。けれども、かかる状況証拠が前提も無しに持ち出されて「哲学的唯物論」の「精神的・物質的基盤」とされたところで、それほど大きな意味があるとは思われない。このことのためには、もう少し詳細かつ実証的な裏付けが必要であろう。
第四に、著者の長大かつ精力的な検証過程に敬意を表するとしても、後半とくに終章における著者の叙述は、学問的研究とは表し難く、むしろ政治的主張に限りなく接近しているといえよう。その「マルクス主義『哲学』」に関しての論述はともかく、「スターリン主義」あるいは現在のロシアの評価については、政治的プロパガンダそのものと見なしてもよいような記述である。著者は、この政治的主張にこそ力点を置いているのであるが、このことは必ずしも成功していない。例えば、終章においてわが国では「学問的に厳密な意味で『スターリン主義』という概念が定義されず」としているにもかかわらず、同章の別の箇所でのロシアの現状分析については、「第一次五ケ年計画を冒険的に推進したスターリン主義者と今日のエリツィンらには明確な共通性が存在する」と無造作に「スターリン主義」という言葉を使用するなどの混乱が存在する。
そして何よりも著者の本音を明らさまに示しているのは、本書の最終部分で、政治学者・丸山真男氏への日本のマルクス主義のセクト主義的対応を批判的に総括した後に、こう述べている部分である。
「セクト主義が、新旧を問わず、日本のマルクス主義の宿痾であることを、このことは存分にしめした。だが、最終的結論がくだされたわけではない。われわれ第三者には希望する権利がある」。
今までマルクス主義の思想に関係してきた者とは思えぬ第三者的発想で、今後のマルクス主義を希望する著者の立場とは一体いかなるものであるのか。
このように本書はかなり深刻な問題を孕んだものであり、これからもっと真剣な議論に移されるべき事柄も多い。そして現在までの日本のマルクス主義への的確な批判も存在しないわけではない。それ故本書は、著者の学問的論証とトロツキイ寄りの政治的主張とを注意深く区別して教訓を汲み取るべく読む書であろう。(R)

【出典】 アサート No.229 1996年12月14日

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【投稿】侵略の事実は消せない

【投稿】侵略の事実は消せない 

「アサート」11月号(No.228)の「紙上討論ー総選挙結果は何を提起しているか」の記事の中で、看過できない発言があった。「G:今関心のあるのは、歴史観の問題。藤岡という人が書いている。今の日本の歴史観について、私は基本的に彼の意見に賛成なのですが……」
Gさんが挙げた藤岡というのは、藤岡信勝・東大教授のことで、「『従軍慰安婦』をとりあげることは、そもそも教育的に意味のないことである。人間の暗部を早熟的に暴いて見せても、とくに得るところはない」(「論争・近現代史教育の改革 歴史教科書批判運動の提唱」『現代教育科学』96年9月号)と主張し、彼が主宰する「自由主義史観研究会」に属するメンバーが、精力的に発言を繰り返している。この動きは、コミック「ゴーマニズム宣言」でHIVや部落問題など様々な社会問題を取り上げて大きな役割を果たしてきた小林よしのり氏にまで及んでいる。
今、「慰安婦」問題が盛んに取り上げられるのは、中学校の全教科書に記載されるという、同問題に対する認識の広まりと深まりに対する抵抗であり、彼らこそが追い詰められている結果だと、上杉聡氏(戦争責任資料センター事務局長)は分析しているが、私も同感だ。歴史が前進すれば、その反動もまた起こってくるのが、歴史の必然。と考えれば、そうカッカする事もあるまいにと自分で思いつつ、やはり許せない。
日本のかつての侵略の事実を伝える教科書記述の削除や改変を求める人々は映画「ナヌムの家」をご覧になっただろうか?繰り返し証言される生々しい事実に対して、「慰安婦たちは業者に伴われて戦地に働きに来た売春婦であり強制連行ではなかった」と、あの人達に面と向かって言えるのか!「17歳の時、日本の軍人に『殺す』と脅かされて連行され、最前線で一日何十人もの軍人の相手をさせられました。そのつらさは・・・もう人間のすることではありません。いまでも夢に見ます。死ぬまで続くでしょう。」(金学順さんの証言から) 吉見義明・中央大学教授が1992年に、戦争中の公文書を防衛庁防衛研究所図書館で見つけ、発表したことが、日本政府や軍の関与を証明することになった。かたくなな態度を取り続けるものに対しては、やはり《事実》を証言なり資料で突きつけていくしかない。
Gさん、一度「ナヌムの家」を見て下さい。(今月11日、四条畷市中野三丁目の同市市民総合センターで上映されるそうです)(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.229 1996年12月14日

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【投稿】総選挙討論を読み返して

【投稿】総選挙討論を読み返して

先月号の「総選挙分析の意見交換会」を読み返してみて、感じていることをまとめてみたい。大きく分けて、第1に政治不信の議論について、第2に政策論争について、第3に「説明責任」について、第4に民主党について、である。

<政治不信について>
投票率が落ちるところまで落ちた、という点で、政治不信が極にまで達した、という議論があり、その原因についてF氏は要約すると「選挙で選択すべき政治の選択肢は、おそらく新保守主義が純化しないかぎり、似たりよったりとなっているのが現状。そんな中では政策論争が成立しないのでは」と捉え、C氏は「政策論争の課題は税制改革など、勤労者にとっての政策提起など現状でも可能。ただ、そんな選挙を闘った政党がなかったために、政策論争にならなかった。」と反論。「普通の市民」として、選挙に「関わった」D氏は「そもそも政策で一致している政党がほとんどない、中でどうして政策選挙ができるのか」・・・・と、立場を反映しながらも、残念ながら噛み合う、というところまでいかなかった。
私の意見としては、ややF氏に近いものがある。投票は国民の義務と言っても、投票による政治参加に「魅力がない」から、投票に行かないわけで、個々の課題である戦後補償問題、沖縄問題、そして消費税問題にしても、「それで私の生活がどう変わるの?」みたいなところになると、今一つの感がある。全体として「中産階級化した」とは言わないが、国民の中にとりあえず「現状に満足」みたいな感触があるのでは。それを脅かす事態が迫っている、という感覚は国民に希薄になっている。これは事実の問題。
そういう意味では、60年・70年の安保世代が共有する「世代の危機意識」みたいなものは、F氏のいう「日本における新保守主義」が、どう展開していくのか、政策で見る新進党含めた「新党」、また自民党の政策の現状については、引き続いて議論が必要だと思う。
選挙に関わる人は「選挙産業従事者」であり、いまや選挙産業は「斜陽産業」ではないか、というD氏の意見も、なかなか的を得ているように思えた。

<政策論争について>
政策論争にならなかった、ということは一致しているが、どうしてならないのか、またどんな政策提起が必要なのか、という点では十分な議論になりませんでした。
我々は、金より政策、政策選挙が大切だ、と主張しているわけですが、残念ながらそれは今回の選挙でも実現されませんでした。というのも政策とは、そんなギラギラしたものではなく、もっと冷静なものであるし、起承転結・一貫性のあるものでなければならないわけです。F氏のいう「部分的政策も、全体に影響し、負担も含めての政策提起・決断が問われるものが政治であり、その全体を貫く価値観(世代?)こそが敢えて今選挙の争点であった」みたいな意見は、至当と言えるものであった。
環境というものさしから、ガソリンは高くていい、という考え方が是認されれば、その税財源で環境政策を行うことも可能になる。そうした価値観に基づく政策的提起は可能だと言えるということかな。
消費税議論も同様であった。私は消費税増税賛成である。その条件は所得税減税、さらに上限撤廃、租税特別措置の廃止・縮小などであろうか。もちろん、インボイス実施である。日常的な食料品等への2重税率も必要である。もはやエンゲル係数が10数%という時代に低所得者への影響のみで「消費税反対」というのは、「受け狙い」以外の何者でもない。共産党が「一環した政策」を提起しているなどというのは、全くの幻想にすぎないし、新進党の「消費税据え置き」提案も無責任の極みであった。

<説明責任について>
さて、この意見交換会の後で、同じ問題意識から興味を持って呼んだ本がある。「ウォルフレンを読む」(窓社:関曠野編)である。書評で取り上げるべき書籍なのだが、「日本/権力構造の謎」以来、日本論、知識人論など日本の民主主義確立への提言を継続的に行っているカレル・ヴァン・ウォルフレン氏の「問題提起を意味を吟味し、自らの分析によって検証し、内実ある公論をつくりだす契機として」編集されたものだ。私も「謎」は軽く読んだ経験があるが、この本を読んで、さらに現在読み直しているところである。
民主主義について、われわれは「権力の一形態」だと、教えられてきた。もちろん「ブルジョア民主主義」「プロレタリア民主主義」などといっしょに。しかし、教条主義は別にして、民主主義は政権交代を可能にする制度であり、そのシステムが日本に形成されていない、とするウォルフレン氏の日本論の展開に大いに興味を引かれた。
その中に、「アカウンタヴィリティ(説明責任)」という言葉も出てくる。政策や決定の責任者、政治家や行政担当者・官僚は、その政策・決定について「説明責任」を持っているのに、日本ではほとんど、その責任があいまいだ、という論は、HIV問題での厚生省の対応や、長良川河口堰での建設省の対応など、その通りである。
本号の生駒さんの投稿にも「情報公開の必要性」について記述があるが、全くその通りである。情報公開の必要な最たるものこそ、国家財政そのものかもしれない。税金の使われかたも含まれるし、財政投融資の実態、などなどである。情報公開により、政策論争も一層その興味が増し、政治への関心が深まるというものである。
意見交換会の中でも、国家財政の実態がよくわからない、という議論があった。我々の重大な課題なのかもしれない。

<民主党について>
最後は民主党についてである。選挙では現職維持ということで、その後あまり話題になっていないが、民主党はそれなりに組織整備を進めている。11月には大阪と兵庫で地域組織準備会議、12月には埼玉、神奈川、島根、北海道、香川で結成会議等の動きが始まっている。地方組織検討委員会の資料によると、「民主党の組織のあり方」として、自立した個人の結集による開かれた政治参画の場を追求することを組織原則とし、政党組織はネットワーク型とし、地方分権を推進し、地方政府と中央政府のあるべき機能分担を想定した地域・中央組織のネットワークをめざすことを打ち出している。
意見交換会では、必ずしも民主党でまとまるという雰囲気ではなかったが、新進党の分裂や自民党の先祖返り状況を見るかぎり、民主党の今後をしっかり見守りたいとおもうところである。
意見交換はひさびさであったが、前号の編集後記でも触れたように、我々内部でも意見が少なからず分岐している点があった。もちろん議論不足という意味だが、そういう意味では、再度「戦略論」的に議論の仕切り直しが、今後も必要だな、自分も勉強不足だな、と感じた次第である。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.229 1996年12月14日

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【投稿】「雑感~96年滑り込みセーフ!」

【投稿】「雑感~96年滑り込みセーフ!」

日曜日の夜、編集委員の佐野氏から電話があった。12月号の原稿が足りない、是非書いてくれ、とのことだった。新天地での御多忙故か、佐野氏も点検が甘かったそうだ。と、他人事のようなことを言っているが、ここ最近、編集委員としての責任を全く果たせていない後ろめたさと、佐野氏への申し訳なさから本稿を引き受けた。さて、と今年のアサート綴をパラパラとめくっていると、ふと気が付いた。私の無責任、ここに極めり。何と、ちょうど1年前の95年12月号を最後に丸1年原稿執筆していないのだ。確かに、妻の入院、転勤、次女の出産etc、言い訳するには事欠かない状況ではあったが、あまりの滞りぶりに恥じ入るばかりである。佐野氏のお声掛けがなければ、危うく96年のアサートに私の原稿なしという状況になるところでだった。95年以前は再々、アサートへの投稿を紙上で呼びかけていた私だったが、その言葉がそのまま自分に返ってくることとなった。反省しきりである。
さて、’96年も残りわずか。この滑り込み原稿も、1年前と同様に「1996年とASSERT」と、1年を振り返る企画モノにしようとしたが、一筆も入れていない私には、とてもおこがましくてできそうもない。
で、私自身は妻と娘のダブル発熱で残念ながら参加できなかった”総選挙総括の討論会(11月号掲載) の感想めいたことを、最近の状況・心情も含めて一言。

報告を読ませていただいて、まず感じたことは昨年の参院選から見れば、自民党の「復調」、民主党の登場、社民党の解体と、結果や状況は違えども、底流にある根本問題ー討論会の論点でもあるー、すなわち、低投票率や政治不信、対立軸、政策論争云々と言った点については、基本的に何も変わっていないのだなということである。私自身忸怩(じくじ)たる思いで「民主党」と書いたが、投票ギリギリまで、「社民党」と書けるのは、これが最初で最後になるかもしれないと、正直言って悩んだ。討論会でのC氏の意見、「勤労者・給与所得者の利益代表は必要」との考えが、心情的には捨て切れないからだ。期待していた民主リベラルの結集は、中途半端な形となったものの、さらなる結集への思いを込めた投票行動だった。新進党では羽田グループの年内離党が決定的なようである。旧民社グループの動きも含めて、もうひと波乱起きそうであり、また起きてほしいものである。やはり、連合の股裂き状態は、労働者にとって長く放置しておくものではないと思うのである。ただ、討論全体を見ているとこういう悩みは古いのかなと感じてしまうところもある。
というのも、ここ数年すっかり政治活動や労組活動にご無沙汰しており、日常業務や私生活での忙殺にかまけて、逆の意味で思考が硬直化しているのではないか、と思うときがある。政治的に地元も職場も無風状態、労組旗上げの情熱も色褪せてゆく中での、転勤・・・。地方官僚への道、まっしぐらという状況になってはいるが、自らの生き方として地方分権の担い手となり、行政の民主的改革の内なるイニシアティブの発揮が必要と考えるのは「逃げ」なのだろうか。
来年は憲法、地方自治法施行50周年の年である。アサート読者には公務員が多い。「なみはや国体」もあって、いろいろ騒がしいだろうが、地方分権や行財政改革etc議論するにはもってこいの年でもある。労組活動家の方も、そうでない方も、我々はどう考え、どう行動すべきなのか、ともに考えようではありませんか。(入稿がんばります)(江川 明)

【出典】 アサート No.229 1996年12月14日

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