【書評】庶民・対話の思想から見る現代社会

【書評】庶民・対話の思想から見る現代社会
    鶴見俊輔座談(第1巻)『日本人とは何だろうか』(晶文社、1996.1.25.発行)

プラグマティズムの哲学者として、戦後の日本社会に対して積極的な発言を続けてきた鶴見俊輔の座談集が刊行中である(現在第7巻まで。なお著作集の方は『鶴見俊輔集』全12巻が筑摩書房から出ている。1991~2年)。座談集(対談集)の形式で10巻もの書物を上梓するというのも話題になるが、それにもまして注目に値するのは、その中で語られている鶴見の思想内容である。
鶴見は、現在40歳以上の世代には『思想の科学』研究会やベ平連の運動で馴染み深い人物であるが、その姿勢は、マルクス主義思想が日本の左翼陣営において圧倒的な権威を持っていた時代から、マルクス主義思想には基本的に敬意を払いつつも、スターリン主義的傾向の権威主義・独善主義に対しては、一定の批判を加えていくということで一貫している。いわば良心的プラグマティストの立場から、戦後マルクス主義の側面を見てきたといえるであろう。
その鶴見の座談集第1巻『日本人とは何だろうか』は、「日本民族、日本語、日本国家、この三つに属しているのが日本人だ。そういう感じは私にもある。そのことが、大まかに言って現状に事実としてあたっているという考えももっている。だが、そうではないということも、私は自分の底のほうでやはり知っている」という問題意識で語られる。
たとえば日米の文化の関係について次のように言う。
「外国のものというのは、ある意味で自分を打ち砕き、自分を破壊して、自分を新しくするきっかけになるという役割をとうぜんもつべきなんだけれども、そういう意味での自己を広げるということがぜんぜんないしかたで、しかも広がったような幻想をもてるようなシステムを戦後の日本はアメリカに対してつくり出していると思いますね。・
・・それは当時1940年に予定していた第12回オリンピックに、日本の国体は万邦無比(略)といって、それを英語に翻訳したりしてわーっとおしつけていたのと裏返し。両方とも好ましくないですね。」(「名取洋之助の仕事」) つまり鶴見は日本人を見る場合、われわれ自身に第三者的という意味でのさめた目が必要であるとする。それは日本に限らず、民族主義その他について語る場合にもあてはまる。
「その民族を見ているもう一つの目があるわけですよ。アフリカに行こうがどこに行こうが、その民族から虐待されているまたもう一つの目があるわけですよ。(略)そこから見ることがなければ。地球全体の人類政府をつくっても、それによって圧迫されているもののもう一つの目を、自分のなかにもたなきゃ。つまり人類以外の辺境から自分を見る目がなければ、究極的には、われわれは圧迫に与することになると思うのです。」(「金子ふみ子の生活」)
このことは、人間としての生き方においては、権力.特権に対して「大衆」「庶民」としての目をもち、生きていくことを意味する。そしてこれと同時に、鶴見は、「辺境」という言葉に積極的な意味づけを与えて、ここを庶民の基盤としていこうとする。
ここから学問のあり方について、鋭い批判が出される。
「官学は特権にもとづいた学ですけれども、民学は人権にもとづいた学でなきゃだめだ。そういうものが、いつでも官学にしてやられるわけでしょう。別の流れをとにかくつくっていかなきゃ、どうにもしょうがないのじゃないかという気がします。」(「幕末開明派の人びと」)
「点になった市民が一人からでももりかえせるという基盤、人権としての学問という考え方は共産主義の国家でも守られていない。」(同) これにかかわる知識人に対して評価はもっと厳しい。
「どちらかといえば、人間にとって根源的なのは、大衆としての生きかたなので、知識人も結局、大衆的なものだという気がするのですね。大衆はマスではなくて、それぞれ辺境に生きているものなんだ。だから知識人が辺境に生きて大衆はマスだという考え方は、前衛的知識人の迷信だと思うのです。そんなものじゃないと思う。結局大衆は辺境のなかに生きているし、知識人も辺境に生きるんだけれど、知識人は大衆として辺境に生きている。」(前掲「金子・・・」)
この鶴見の「大衆」「庶民」の原理は次のところにある。 「いま司馬[遼太郎]さんが言われた庶民というのは、わたしのことばで言えば、異心のあるもの、違う意見をもったものがいてもいいじゃないかという思想を、からだの反射としてもっている人間のことですよ。一億総玉砕のときでも、そういう人間がいるんです。(略)わたしはそこのところが重要だと思うのです。」(「日本人の狂と死」)
「かくあるべし、かくありたいと真円のような空中の理想を押しつけたがる人はいます。けれども、庶民のほうは、つねに地上に足をつけて歩いていきたい。」(同) この点の指摘は、戦前戦中の天皇制イデオロギーに対する批判であるとともに、また戦後マルクス主義に対する批判としても受け止める必要があろう。鶴見は、「原理原則が自分にのり移っているという狂気」、「集団の場で、より過激な意見を主張するのが必ず勝という空気」に徹底して反対し、「原理原則を押しつけるということに対するある種のこっけいさと、その非人間さに気がつかないと、人間はいまの状況からなかなか越えられないんじゃないでしょうかね」と、述べる。
そしてこれに対して、ある種の「女性原理」による「自治」、あるいは「小さな『人と人とのあいだ』をだいじにして、がっちり組んだ運動」のような形態を提唱する。これは、鶴見によれば、内なる天皇制原理も食い込む余地がなく、かなり悪い状況下でも持ちこたえられるものであるとされる。
このように鶴見の運動論は、地に足をおくことを目ざすものであり、この視点から現代日本社会についての発言もなされている。たとえば、オウムについても、「だから、オウムみたいな不寛容が出てきて、拉致とか殺しとかそういうことをやった場合に、その気持ちがわかるというリベラルってどうなんだろうね。やっぱりそこでは不寛容が出てきたんだから、それに対しては不寛容ではっきり言っていく。不寛容で寛容を守るということは必要なんじゃないかな」という発言となる。
鶴見の思想原理および運動論には、その現状認識や限界等について、さまざまな論議と批判を呼びおこす問題が含まれている。しかし同時にそこには、われわれが謙虚に学び取るべきものも存在していることは疑いないであろう。何よりも座談(対談)というかたちで明らかにされた鶴見の姿勢そのものがこのことを示しているように思われる。 (R)

【出典】 アサート No.225 1996年8月24日

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【投稿】財政再建は国民の負担増で–財政審報告を読む

【投稿】財政再建は国民の負担増で–財政審報告を読む

<財政・行革が争点に浮かび上がる>
大蔵大臣の諮問機関である財政制度審議会は、7月10日に、財政再建目標を年末までに設定すべきとする中間報告及び財政構造改革白書(財政審白書)を発表している。二つの報告は、4年前には170兆円だった国債発行残高が、今年度末には約1.5倍の240兆円に達するという状況、また依然バブル崩壊後の景気低迷が底を打ったといわれながら、設備投資の回復に至らない状況が続く中での税収の横ばい状況、住専問題だけでなく巨額の不良債権を抱える金融状況などを背景にしつつ、来年度からの消費税5%問題をにらみつつ、財政赤字の削減を目標にして、医療・年金・公共投資・防衛費などを財政サービスの削減が必至として、行革の推進、公務員の定数削減などを主張している。諮問機関の報告であり、論議を起こそうという意味だろうが、地方分権の推進や高齢者福祉の充実が求められる折から、一定の分析・評価をする必要があると思われる。
特に、この財政審報告が出される3日まえに厚生省は昨年95年の人工動態統計を発表し、出生数が過去最低の118万7千人に、また出生率も1.43と過去最低となったこと報じており、年金・医療など社会システムへの不安を掻き立てる中で、この報告が出されたことは意味深であろう。

<行革推進の橋本政権を援護>
中間報告では概論的に財政赤字の削減方策について考え方をしめし、財政審白書は具体的な項目をあげて、財政赤字削減方策を示そうとしている。
中間報告だが、高齢化社会の進展により国民負担率は急上昇するのは必至として、歳出抑制・財政再建の手法について年内に目標を設定すべきだと。そこで議論されているのはアメリカ方式の「2002年までに財政赤字をゼロ」にする方式か、EUの「97年に単年度財政赤字をGDP比3%以内に」という方式か、ということだが、両論併記となっている。財政赤字ゼロのためには毎年5%の歳出実質減が必要との試算も示されている。
さらに、財政に頼った景気刺激策への慎重論と、行革の推進を内容としている。
すべての結論は橋本政権に預けているわけだが、「行革推進」をカラーとする橋本首相を援護しているわけだが、財政審の豊田会長(経団連)は、同時に「増税なき財政再建を思い出す必要があり、安易な増税ではなく、歳出削減で再建すべき」と増税については釘を刺している。

<年金・医療などサービス低下>
これらの要点を具体的に各分野に当てはめたのが「財政審報告」ということだ。正式名称は「財政構造改革白書」である。
まず、医療保険制度については、97年度に抜本的改革が必要と以下の点を上げている。薬価の公定価格制度の見直し、診療報酬の出来高制から定額制への移行、保険改革では政府管掌健康保険などの公的保険の対象を「基礎的な医療サービス」への給付に限定し、自由診療を拡大、結果として国民の自己負担を増やす、というわけだ。また、公的介護保険制度についても、民間企業の活用でサービスを充実すべき、としている。もちろん、97年度中に結論は出せるはずもないが、「国民の負担増」で乗り切ろうという意図ははっきりしている。
さらに年金では、年金給付水準の引き下げを示唆し、「経済的に豊かな高齢者への公的年金の給付の制限」なども検討課題とした。

<教育でも自治体・国民負担増>
教育・研究分野については、大規模研究プロジェクトの見直しなどとともに、公教育・義務教育についてはかなり踏み込んでいる。教科書の無償配布について全体では400億円必要だが、児童一人あたりでは4000円程度であり、各家庭での教育費が年間25万円程度になっているので、有償化しても過度の負担にはならないと教科書有償化を検討すべきとし、教職員の給与の1/2を国が負担する現行の国庫負担制度についても、任命権者である自治体が全額負担すべきと国と地方の役割の見直しを求めたりしている。
旧国鉄債務についても、現有の土地等を売却しても20兆円の赤字は必至として新幹線利用税(?)など「一定の国民負担が必要」と利用者の負担増に言及しつつ、整備新幹線問題については、橋本政権の動向にも配慮したあいまいな表現となっている。
その他、防衛費、ODA、公共事業などにも触れているが、やはり医療・年金・福祉などのサービスの低下に一番の即効性があるというトーンになっている。

<地方分権はどうなるのか>
そして最後は、行革の推進と公務員の削減ということになる。国家公務員の定数縮減と地方公務員の定数を適正化せよと。こうして見てくると「国家財政の再建」という課題が重大な政治争点になるであろうことは明白である。鳩山は一旦郵政事業の民営化を出したが全逓の意向も配慮してトーンを下げたと報じられている。一方で具体的日程に上っている消費税5%のためにも「行革推進が形だけでも進めない」と橋本政権は命取りになる。 あくまでも国家財政ということだが、国の負担の減と地方の負担増という構図が見え隠れしており、年末に出てくる地方分権委員会の最終報告との関連では、財政再建下の「地方分権」論議は極めて厳しい環境にある、と考えるべきであろう。不良債権問題、消費税、地方分権、財政再建問題が複雑に絡み合う中、いつあってもおかしくない総選挙を前に早急に新党・民主改革派の側の整理が必要と思われる。(続く)

(紙面と時間の都合で、今月号はここまでと勝手にさせていただきます。以後少し状況は違いますが、財政が危機的状況といわれている大阪府の動向分析、また、7月に日経新聞が連続の主張として掲載した「行財政改革ゼロからの出発」シリーズ、さらに地方分権委員会の動向、そして新党論議と行革政策と繋げて考えていきたいと思っています。同様の問題意識の方も投稿していただければ幸いです。 1996-08-18 佐野秀夫)

【出典】 アサート No.225 1996年8月24日

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【投稿】巻町住民投票から沖縄県民投票

【投稿】巻町住民投票から沖縄県民投票
                   —–政局揺るがす直接民主主義——

<<「宣伝費だけで4億円は使う」>>
この8月4日に行われた新潟県・巻町の住民投票は、日本の政局の今後にとって重大な影響を及ぼすと共に、日本の代議制民主主義のあり方にとっても根本的な問いかけを行ったといえるのではないだろうか。
今や世界中でその是非が問われている原子力発電というテーマの重大性はいうまでもないことであるが、こうしたテーマの賛否を住民投票という住民直接参加の手法によって決定する、わが国初めての直接民主主義の行動が実施され、しかもその結果を誰も無視することが出来ない事態を作り出したのである。
8/4、2万3222人の当日有権者の内、88.3%もの人々が投票に参加し、原発反対が61.2%を占め、全有権者の中でも過半数の53.7%の人々が原発反対の意思を明確に示したのである。巻町の笹口町長は、開票結果を受けて「約束通り、町有地は売却しません。町有地を売却しない限り、巻原発の建設は不可能です」と言明している。
推進派は、政府、通産省、資源エネルギー庁、電力会社、自民、新進両党などが総がかりで金と人を大量に動員してテコ入れし、「宣伝費だけで4億円は使う」(東北電力)と広言した買収行為や利益誘導はもちろんのこと、電力業界は、東北電力だけには任せておけないと、業界総がかりで巻町になだれ込み、各地原発への観光地めぐり付き格安バスツアーから、原発職員の戸別訪問まで実施し、町政に露骨に干渉したにもかかわらず、この結果である。計り知れない打撃に呆然としている実態である。

<<焦りといらだちの官房長官、相次ぐ暴言>>
推進派の土田町議会議長は「住民投票はあくまでも意識調査。結果は参考意見として議会運営を続けていく。今後も推進の立場は変わらない」としているが、平山・新潟県知事は「法的拘束力はないが、地元の理解と協力が得られていないという結果が民意として出た。国に対しては、現時点で巻原発を推進するのは無理があると申し上げる」と言わざるを得なくなった。
また、東北電力社長は「(計画の白紙撤回は)まったく考えていない。こうした動きが広がっていくことに危惧を持っている。日本の将来にとって重要な問題」と、危機感を表明している。橋本首相も「残念ながら、原子力政策全体を通じて十分まだ理解を頂いていないことに尽きると思う」(8/5記者団に)と無念さを隠しきれない。江崎・資源エネルギー庁長官は「住民投票には法的な拘束力がなく、電源開発調整審議会の計画に直接の影響は及ぼさない。このまま計画を推進することが適切」(8/4記者会見)と見栄を切った。
こうした焦りといらだちの中で梶山官房長官の暴言が飛び出した。「権利を主張する以上、義務もなければならない。『ノー』というのであれば、『これ以上電力は消費しない』という市民の感情があってしかるべきだ。『電力はほしい。しかし立地はいやだ』というだけで、全てが解決するものではない」(8/5記者会見)。原発建設に協力するのが国民の義務で、それがいやなら電力を消費するなといった開き直りの暴論である。
各紙紙上では、一斉に読者の反論が寄せられ、「安全だったら東京に原発を」と突きつけられている。
梶山氏は、8/8日経連トップセミナーでも「朝鮮半島有事の際は、大量の難民が日本にきて市街戦になる可能性がある」などといった低劣極まる奇想天外な差別的暴言を吐き、金太智駐日韓国大使に「不穏当だった」と陳謝し、そのお粗末を詫びてはいるが、相次ぐ暴言、いよいよ連立政権の官房長官としての平衡感覚も失ってきたのであろうか。

<<「通過儀礼」としての間接民主主義>>
今回の巻町の住民投票は、地域住民の現在及び将来を左右する重大な問題は、住民の総意を表現する直接参加で決めるという地方自治のあるべき原点を提起したといえよう。
そのことは同時に、代議制民主主義では吸収し得ない、直接民主主義の優位性を住民自らの行動と参加によって示したとも言えよう。
巻町における事態の推移はそのことを如実に示している。東北電力が巻原発を計画してから25年、国家プロジェクト、「国策」として電源開発基本計画に組み入れられてからでも15年の長期にわたる計画であったが、反対派の介入を防ぐため、可能な限り隠密裏に原発建設計画、用地買収を進めてきた政府や電力業界の姿勢が町政を混乱に陥れたのである。利益誘導と利権がらみで町議会多数派を買収し、94/8には、ついに前町長が原発凍結から推進に転換して、代議制民主主義の中では三選を果たした。そして通産省や原子力安全委員会が地元で開く公開ヒアリングや公聴会といった行政手続きも、住民の声を吸収するのではなくて、単なる通過儀礼として行われ、ほとんどが推進派だけの儀式としてとり行われてきたのである。これは全国共通の実態であろう。
そうした中で昨年6月住民投票条例の制定-前町長のリコール運動-前町長辞任と町政の混乱が続き、昨年10月、「巻原発・住民投票を実行する会」が発足、会長の笹口氏が今年1月の町長選で原発の是非よりも、「住民投票の実施」を公約にして当選、今回の投票実施にこぎつけたものである。この段階に至ってようやく、事態の推移に危機感を抱いた電力業界や通産省が一斉総攻撃とも言える公開説明会や講演会、シンポジウムを連日開催し、大量の説明パンフ、チラシ、ビラの配布、呑み食い付きの料亭説明会までもうけて、原発そのものの説明と安全性について一方的な情報を垂れ流したのであった。しかし町民の圧倒的多数は冷静な判断を下した。
笹口町長が、原発による町政の混乱は情報隠しが原因として、「情報公開条例も在職中には整備したい」と意欲を燃やしているのも当然であろう。住民投票の実施は、こうした間接民主主義の裏で進行する腐敗や官僚制の肥大化と彼らによる情報独占をさらけ出させ、そこにメスを入れたとも言えよう。

<<他の原発立地への波及>>
巻町の結果は、他の原発立地へも波及することは確実であろう。住民投票条例を制定している原発候補地点は、原発立地をめぐり「住民投票条例」をもつ高知県窪川町をはじめ、現在、巻町の他に図のように3箇所存在している。三重県南島町と紀勢町にまたがる芦浜原発計画を進める中部電力については、南島、紀勢両町では原発建設申し入れと同時に住民投票を実施することになっており、条例の存在自体が「電力会社などに対して、住民の意思を無視できない歯止めになっている」(南島町議会・橋本議長、8/5日経)。
さらに九州電力は昨年12月、住民投票の動きが表面化し、住民投票条例を強化したことで、宮崎県串間市で92年来の原発立地構想を凍結せざるをえなくなった。敦賀市では「原発新設・増設の可否を住民投票で」という住民投票条例制定の直接請求運動がここ数年来展開されている。石川県珠洲市に原発を計画している関西電力は、先のやり直し市長選挙で推進派が当選したが、立地調査、用地確保、補償など問題が山積したままである。
そして、原発を抱える市町村など計38自治体で組織する「全国原子力発電所所在市町村協議会」会長の河瀬・福井県敦賀市長は、「この結果は、従来の国の原子力政策が住民の支持や信頼を得られなかったとも言える。国のエネルギー政策をはじめ立地政策などの全面的な再確認が急務であろう」とする談話を発表している。
三重県・南島町議会は今年7月、巻町の町議らを訪ねて、原発を抱える自治体や建設計画のある自治体の間でネットワークを作り、情報交換と同時に共同で国や電力業界に住民のニーズを伝える全国組織作りを提案、今年中の発足を目指している。
こうした事態の進展は、今回の巻町の住民投票の結果を正面から受け止めず、ずるずると原発増設新設計画や、使用済み燃料から抽出したプルトニウムを一般の原発で燃やす「プルサーマル」計画などを推し進めるならば、膨大な財政的人的負担を投入した世界的にも異様で突出した国の長期的な原子力戦略はことごとく破綻する運命にあることを明らかにしている。それでなくてもことごとく地震の恐怖と隣り合わせに存在している日本の原発は、即刻撤退すべき人類的課題なのである。

<<賛否から直接提案制へ>>
巻町の住民投票が、年々投票率が低下し、政治的無関心層を増大させているこの国の間接民主主義に、重大な挑戦状を突きつけ、大きな反省を迫ったことは間違いないといえよう。しかも重要なことは、住民投票条例自体はいずれも、間接民主制の機関である議会で可決、成立したものである。
住民投票は単一の政策課題を賛否で直接に意思表示するものであるが、代議制民主主義と共に、直接民主主義が民主主義制度の重要で不可欠な構成要素となることが要請されているといえよう。当然の論理として、地方自治体からやがては国政の上でも直接民主制、国民投票が取り入れられる方向に向かわなければならない。しかし、日本ではいずれも制度化されておらず、法的拘束力はない現状である。
アメリカでは、州や市単位での住民投票は、70年代以降盛んに行われており、欧州では全国的な国民投票が実施され、スエーデンでは2010年までに原発から全面撤退することが国民投票で決定されている。アメリカでは単なる賛否を問うだけではなく、住民からの提案を直接投票によって法制化する「プロポジション制」(直接提案制)が1898年来導入されており、現在、州と市を合わせて約20の自治体にこの制度があるという。カリフォルニア州では1911年に導入しており、今回11月の米大統領選と同時に実施される州民投票には15本の直接提案が投票に付される予定である。
今回、新進党の細川前首相が「地方自治体に議会とは別に民意を反映させるための手段が必要だ」として、地方自治体での住民投票制度の創設を提唱(8/6)したことは注目されてしかるべきであろう。

<<「次はわれわれの番だ」>>
そして日本の政局の焦点は、9月8日に行われる沖縄県民投票に移行している。これも県レベルでは初めての歴史的ともいえる住民投票である。これは昨年の米兵女児暴行事件に端を発した、85000人もの人々が参加した昨年10月21日の県民総決起大会の直接の帰結でもある。この総決起大会の4項目の決議の内、①日米地位協定の見直し、②在沖縄米軍基地の整理・縮小の二項目について、「県民の総意を示そう」と、連合沖縄が今年二月から県民投票条例制定の直接請求の署名運動を開始、地方自治法の規定を大幅に上回る署名を集約し、大田知事に直接請求、そしてこの6月の県議会選挙後の臨時議会で賛成26、反対17(自民と新進の一部)で可決されたものである。
沖縄県の大田知事は、先の最高裁での意見陳述で「沖縄の基地問題は、日本の主権と民主主義が問われる日本全体の問題ではないか」と述べているが、今回の住民投票はまさに県民自身の直接投票によってそのことを明らかにしようとしているとも言えよう。
県知事公室長の粟国氏は「(県民投票は)議会制民主主義を否定するものとの指摘があるが、沖縄は代議制にも参加する機会がなく、基地や地位協定が適用された。今回初めて自らの意思を示すことになる」(8/10、沖縄県主催の「沖縄の未来と県民投票を考える」講演とシンポジウム)と、意義を強調、投票への参加を呼びかけた。
8/6の沖縄タイムスの社説は「人口約3万人の日本海に面した小さな町が国を動かそうとしている。個人では太刀打ちできなくても、結束すれば自らの進路を切り開くことができることを示した新潟県巻町の住民パワーに地方自治の原点を見る思いがする。次はわれわれの番だ-と感じた県民も多いだろう。本県でも9月8日には日米地位協定の見直し、基地の整理・縮小の是非を問う県民投票が行われる。巻町の教訓を生かしたいものだ」と述べている。県民の投票に寄せる思いが伝わってくる。
連合沖縄は、構成組合の38単産・単組、48000人に、組合員一人300円カンパ、「労組内での投票行動の呼びかけはもちろん、市町村さらに区・校区レベルまでの住民投票推進組織に入ってほしい」と要請している。
この県民投票の結果は、日本の政局を大きく揺るがし、歴史的な一里塚となるであろう。大きな支援と励ましが要請されている。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.225 1996年8月24日

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【書評】「猫」の眼を借りた近代批判のミステリー

【書評】「猫」の眼を借りた近代批判のミステリー
       ・・・漱石の『猫』はその後何処へ行ったのか
      (奥泉光「『吾輩は猫である』殺人事件」、新潮社、1996.1.30.発行)

「吾輩は猫である。名前はまだ無い」という文章で始まる有名な小説を下敷きに「推理小説」が出版された。漱石の文体の模倣などでも、かなりの出来と見受けられる。
漱石の『吾輩は猫である』は、人も知るユーモア小説、風刺小説の先駆的作品として、いつもその名をあげられるのではあるが、漱石その人の文学的評価は、この『猫』よりも、他の諸作品(『三四郎』『それから』『心』等々)によってなされるのが常である。ところが本書の出現によって、『猫』が見直され、漱石その人の評価すら再度検討される契機が出てくるのではないかと、評者などには思われるほどである。
本書は、『猫』の最終場面で「或る暮れ方、麦酒の酔いに足を捉られて水甕の底に溺死」したとされる「吾輩」こと「猫」が、上海において生存していたという「事実」、およびその元の飼い主であった苦沙弥先生が殺害されるにいたったという驚くべき「事実」から始まる。
何故死んだとされたはずの「猫」が、日本から遠く離れた上海で生きていたのか、という謎は、本書を繙くに従って次第に解明されることになっているが、実は「猫」の上海移動と元飼い主の苦沙弥先生の殺害事件とが深いかかわりを持っていたのである。
物語は、「吾輩」こと「猫」と、それを取り巻く上海在住の諸猫たち、および苦沙弥殺害事件にからむ陰謀で上海にまで渡ってきた、かつて苦沙弥の家に出入りしていた面々・・寒月、東風、三平など・・・の騒動で転げまわっていく。その前半は、上海で知り合った諸猫が、それぞれの立場から苦沙弥殺害事件を名推理していくなかなかの展開である。中でも主色はイギリスからきたホームズとワトソンという猫の話で、この事件に「モリアチー教授」と「パスカビル家の狗(イヌ)」が大いに関係していることが判明し、世界的大陰謀が露見する。
そしてまた著者は、かかる外見上の事件と同時進行で、とくに「吾輩」の深層心理の分析にかこつけて、漱石の『夢十夜』の内容を物語に巧みに取り入れて、「現実」の事件との融合を図ろうとする。
この試みは、後半では諸猫たちの事件解決への行動、および登場人物たちによる大陰謀の計画と必ずしもマッチせず、ある面では荒唐無稽との感を拭い切れないが、ユーモア的パロディ的SFと見えないこともないし、漱石の新解釈の試みと思えないこともない。ともかくも、苦沙弥殺害事件にかかわるさまざまな「現実的」事件、解説、意見陳述等われわれ読者には興味深いものが多く、今後この作品の持つ意味が論議されること必定であろう。そこで評者としては、次の数点について注意をうながして、それ以上の詮索は読者に一任すべきであると考える。
まず、そもそも『猫』の発表は、日露戦争 (1904~ 5年) とほぼ時を同じくする1905~ 6年であった。ところが近代日本の国家成立と海外侵略の始まりを代表するこの戦争について、『猫』では一言も語られない。これについて本書の「吾輩」は、こう語る。
「思ひ起せば吾輩が苦沙弥邸に飼はれた時期は、日露大戦のたけなはに重なつて居つた。(略)のるかそるかの大博打に日本は打つて出た訳で、色々聞いてみるとかなり危ない橋を渡つたらしい。(略)斯様に考へて来ると、(略)日本という国が其全財を投じ、存亡を賭けた博打を打つてゐる時に、一臣民たる苦沙弥先生が等の戦争について殆ど無関心の様子であったのはいかにも奇妙である。苦沙弥先生許かりではない。迷亭寒月をはじめとする諸先生方も亦、口角泡を飛ばし、敷島の烟を鼻から吹き散らして、天下国家の行く末を嘆じ人類文明の未来を論じながら、当面火急の問題である戦争についての論評は片言隻句すら漏らしたのを聞いたことがない。(略)敢えて疑つて見るなら、例えば迷亭君の饒舌抔は何事かを押し隠すための擬態であつたとも思へてくる。心中に云ひたくない事があるからこそ人は途切れなく喋り続けるのかも知れん。」
漱石が日露戦争について敢えて語らなかったのは、あるいは他の理由があるのであろうが、その本音は意外とこんなことかもしれない。
また、浪漫主義について「我輩」に言わせている。
「凡そ浪漫的なる事とは遠くから憧れる所に其本質はある。(略)幻と知りながら其幻を愛し切る精神こそが正しく浪漫的と呼ばれるにふさはしい。とすれば吾輩の為すべきは、三毛子(「猫」が想いを寄せる雌猫・・・引用者)なる美の理念を脳裏に思ひ描き、以て清澄なるエーテルの大気中に其理念と一体と化す事である。」
この結果は極端にいたる。                            「三毛子が生きてゐようが死んでゐようが、三毛子の理念をさへ胸中に仕舞ひ込んで置きさへすれば委細問題ない。もはや後顧の憂ひはない。浪漫主義とは甚だ便利な主義である。」
ここでは「美しい花を愛でる」のではなく、「花の美しさを身を焦がすまでに愛し尽くす」ことの方に重きが置かれるという浪漫主義の滑稽さが軽くあしらわれている。
さらにあげれば、「死」の問題がある。
「今後どれ程科学が発達したところで、死の実相許りは解明され得まい。死は人間に支配され得まい。(略)吾輩が思ふに、分からんものは分からん儘にした方が宜しい。無理に分かった気になるのは却って苦しい許りだ。(略)生きている者が死についてする思弁は必ず他人事なのであつて、いざ自分が死ぬるとなれば聊も訳に立たない。必ず死ぬと云ふ絶対の事実丈を真つ向から見据ゑて、死の事は死んでから考へればよい。」
まさしく漱石の諦観を思わせるような内容である。
さて以上の叙述は、本書からの引用であるが、一見したところ著者が漱石の意を体してあらわした、という印象が強い。漱石のパロディであるとしても、パロディとして充分な資格がそなわっているといえよう。かかる風刺精神、遊び心こそ、ある意味では最も漱石的であるのかもしれない。
本書は堅苦しい裃を外して読むものであると思われるが、その根底にある諧謔精神には大いに注目すべきであろう。ただし同時にわれわれは、著者の立場を形成しているもう一つの思想・・・ユートピア的幻想文学的傾向をはっきりと認識しておく必要がある。というのも、著者には『葦と百合』(1991年) 、『蛇を殺す夜』 (1992年) 、『ノヴァーリスの引用』 (1993年) 等、近代精神の裂け目に焦点を当てて、幻想的非合理的世界と接触していく点で一貫したものがあるからである。この意味で本書は、パロディとして評価するにしても、著者の依って立つところを見きわめながら読むことが必要であると思われる。(R)

【出典】 アサート No.224 1996年7月20日

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【投稿】障害者問題 雑感

【投稿】障害者問題 雑感

最近いくつかの出来事が、個人的にありまして、「障害者問題」(この表現には少し抵抗がありますが)に重なり合うことが多かったので、少し意見をまとめてみました。

<コンピューターと障害者>
これは、テレビで紹介していましたが大阪のボランティア団体のことです。(団体名は忘れてしまいました)障害者の人々のための「コンピューター(以下はPCとします)講座」を行っている団体が大阪にあるそうです。それを運営するスタッフの皆さんと参加する障害者の皆さんの有り様をドキメンタリーで描いていくものでした。
障害者が自立して生計を立てていく、給料をもらうためには、PCを使いこなすことは、結構可能な状況の皆さんが多いようです。車イスの人や、かろうじて手だけが、動く人たちも熱心にがんばる姿を描いていました。その中で、関西電力やその他の会社が、この団体からの要請に対して「仕事」を出していこうという場面もあり、企業や社会の「障害者自立への理解が少しは進んできたのかな、と感じた次第です。
また、この団体の「キャップ」のおばさんが、中々しっかりしていまして、お茶をにごすだけの講座ではなく、初めてPCに触れる人にも自立のための厳しさを要求する姿勢などがあり、とてもさわやかな番組でした。

<労働組合が全盲の書記採用>
次は、労働組合の本部が全盲の書記を採用した話。自治労の本部(東京)のことですが、全盲の女性を書記採用し、機会があってお話を聞くことができました。大学卒の女性ですが、盲導犬を連れての移動だったそうです。大阪に着いた日に大阪駅で食堂に行ったそうです。ところが、「ペットお断り」ということで何軒も断られた末に、やっと食事ができたそうです。盲導犬はペットだというのです。「東京ではこんなことはもうありません」ということなので、大阪は遅れているな-と感じました。(ちなみに盲導犬が食堂で料理を注文するわけではありません。盲導犬用のペットフードを日に1回食べるだけだそうで、彼女の食事中はテーブルの下で寝ていました。
共に生きることは、いっしょに働くことでもあるわけで、私の自治体には、車イスの人もいませんし、今度障害者雇用で要求書を出してやろうか、と考えているところです。
元気な彼女に、また会いたいものです。

<障害者カヌー協会のこと>
実はこれを書こうと、ここまで引っ張ってきました。最近設立されたこの団体。マスコミの注目度はトップクラスです。5月(?)には日経新聞の最終Pの欄で、副代表の吉田さんが文章を載せていましたし、最近毎日新聞も取り上げていました。
京都と奈良の障害者団体が中心になり、障害者のためのカヌー教室を始めたのが4・5年前でしょうか。私も、京都嵐山・和知などで開かれた教室にボランティアで出かけていました。(最近、中々行けないのが残念ですが・・・)
関西だけか、と思っている内に、今では北海道、栃木、大分でも障害者カヌー教室が開かれ、これがバックボーンで、今回「障害者カヌー協会」が設立されました。これら各地のカヌー教室(パラマウント・チャレンジ・カヌーと呼ばれています)の年間の集大成・全国大会が9月奈良の吉野川で開催されます。
上半身の自由が何とか効けば、カヌーはOKです。パッドでもかまして、腰は固定できますから。元気な障害者、といえば失礼ですが、一人で1BOXカーで乗り付けて、自分で降り、ごろ石だらけの河原を車イスでスイスイと乗り越え、カヌーを自由に操る「障害者」を見れば、「障害」って何だったのかと感じます。また、最近はボランティアも大学生などたくさん参加してくれるそうです。
関心のあるかた、資料を送りますので、ASSERTのNIFTY-ID までメールをいただければ幸いです(佐野)

【出典】 アサート No.224 1996年7月20日

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【投稿】「慰安婦は商行為」発言の根深さ

【投稿】「慰安婦は商行為」発言の根深さ

またまた、奥野発言が世間を騒がしている。従軍慰安婦問題について、「慰安婦は商行為に参加した人たちで、強制連行はなかった」と、「明るい日本」国会議員連盟結成後の記者会見で、発言した奥野衆議院議員は、これまでも史実否定の暴言を何度となく繰り返している。法務大臣の時には、暴言に対するアジア各国からの抗議で辞任に追い込まれている。「にもかかわらず」である。
さらに奥野氏の盟友である板垣参院議員は、抗議のため来日中の韓国人慰安婦・金相喜さんが「私は15歳で拉致、連行され、日本軍部隊の慰安婦にされた。私が生き証人だ」と傷跡まで見せて抗議した際に、「カネはもらっていないのか」と何度も尋ね、「いっさいない」と答えると、「客観的証拠はあるのか」とまで開き直っている。金さんはその場で「かつて戦場で私の体を汚し、50年たって今度は私の魂まで汚すのか」と抗議している。

こうした醜悪な議員の「頑迷さ」を支えているものは何か! 朝鮮人の元従軍慰安婦を支援している「ハルモニ(おばあさん)たちを支える会」の朴壽南(パク・スナク)さんが、「奥野議員のような発言が続くのは、日本政府が侵略戦争を認めていないから。」と語るように、発言の“根”は深い。初めて従軍慰安婦だったことを名乗り出た金学順さんは「お金のために日本の軍人に体を売る仕事をすすんで始めたのだなどという日本人が、まだいるということを聞いただけでも体が震えてきます。私たちはお金がほしくて声をあげているのではありません。日本が国としての責任をはっきりさせることを求めているのです」と語っておられる。体の震えが、怒りの震えが伝わってくる。

奥野議員が会長に就任した「明るい日本」国会議員連盟は、昨年の村山内閣が提起した「戦後50年国会決議」に対して「先人の努力を誹謗する決議には反対だ。日本は侵略的行為も植民地支配のどちらもしていない」として、野党の新進党と共に議決に加わらなかった「終戦50周年国会議員連盟」を直接に受け継いだ、もっとも頑迷な保守反動議員の集まりである。その結成趣意書には「侵略国家として罪悪視する自虐的な歴史認識や、卑屈な謝罪外交には同調できない」とする挑戦的な姿勢が露骨に示されている。これに、116人もの自民党議員が加盟していること、その中には現橋本内閣の二人の閣僚と6人の政務次官も名前を連ねている。こうした「歴史も恥も知らぬ」政治家たちが日本国内においては堂々とまかり通っているという事態は、実にいい加減で無責任な政治が横行してきたかという証左でもある。これに関連して、「アジア各地の元従軍慰安婦の現状などをルポした特集番組のロケ取材を進めていたNHK取材班が、上層部の中止決定で解散させられていた」ことも、看過できない事実である。取材に協力してきた韓国挺身隊問題対策協議会が放映中止に抗議し、「中止に至った経緯の真相を明らかにするよう」求めている。

しかし一方で、奥野発言に対して、自民党内部からも批判が出始めた。「7月2日の同党役員連絡会で、野中広務幹事長代理は『異常な時代の異常な出来事について、政府・与党が傷口をいやそうとしている時に残念な発言だ。発言を慎むべきだ。』と指摘。亀井静香組織広報本部長も『国策としてやらなかったとは思うが、軍が実態としてそうしたことを行ったのは事実だ。党全体として奥野氏のような認識は問題だ』と述べた」(7/3朝日新聞)という。また、奥野議員の地元である奈良県内を中心に、関西で抗議が広がっている。「議員辞職を求める」動きもある。こうした「懲りない」議員や同調する議員たちには、その責任を厳しく追及し、引退して戴くしかない。来たる総選挙を待つまでもなく、「即時辞職」を求めて行動することが求められていると思う。
(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.224 1996年7月20日

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【集会報告】「獄中から見た死刑」集会報告

【集会報告】「獄中から見た死刑」集会報告

死刑廃止フォーラム in おおさか主催の集会「獄中から見た死刑」(6月29日午後6時、アピオ大阪)が、成功したことを報告します。70名の会場でしたが、午後6時開始時点で、ほぼ満席の状態でした。(受付では、最終的に76名の参加を確認しています。)
講師は、元受刑者で、大阪拘置所で藤岡さん(95年5月26日執行)などと接していたNさんとその身元引受人の下村忠利弁護士。飛び入りで、山之内幸夫弁護士(93年3月26日川中さんらが執行されたとき大阪拘置所に収容されていた)も参加。また、中道武美弁護士とともに、元衛生夫で藤岡さんなどのお世話をされていた方も話をされました。
外部には伝わりにくい確定死刑囚処遇の様子や、執行の際の獄中の様子、職員の様子などが、克明に話されました。死刑執行の残虐さや、法務省の密行主義の問題点が集会参加者に明らかになったと思います。参加人数、内容ともに大成功でした。
詳細は、「フォーラム90」(死刑廃止条約の批准を求めるフォーラム90)などを見てください。
(尚、集会では、Nさん、元衛生夫の方も実名で話されました。1996-06-30 Y)

【出典】 アサート No.224 1996年7月20日

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【投稿】「新党」構想の現実化と社民党

【投稿】「新党」構想の現実化と社民党

<<過去最低を更新する社民党支持率>>
本紙前号の大阪・O氏の「最終局面迎えた社民党」は、もはや「ご臨終」の段階に至った同党の惨状を実に赤裸々に描き出している。氏は最後に、「こうした惨状は、言ってみれば自業自得であり何ら同情に値するものではないし、逆に最後にして最大の社会貢献と言っても良いのではなかろうか」と断を下しておられる。確かに同じ実感を持つのではあるが、「最後にして最大の社会貢献」にしては情けなく、もう少し「社会貢献」の余地がないものであろうかと考えさせられてしまう。
7/7-8の朝日の世論調査によると、政党支持率で社民党は過去最低を更新したという。全国平均では5月調査の11%から10%へ低下、大都市地域(東京区部と12政令指定都市)では、さきがけ10%(全国8%)、共産9%(全国7%)をも下回る8%であった。
一方、自民支持率は46%と高い水準を維持し、新進は14%で低迷している。共産支持率が7%になったのは、76/3調査以来である。
なおこの少し前に行われた、6/21-23の日経調査は以下の通りである。
支持率   今回 前回=4月    連立与党の成果      鳩山新党
———————— ——————– ———————-
自民    39.6  40.7      十分な成果 2.1      大いに期待   9.1
新進    10.0  11.3      ある程度成果 30.5   少しは期待   31.2
社民     8.8    8.7     あまり成果ない 41.3   あまり期待しない 34.5
共産     5.5    5.4     成果なし 21.0       期待しない  19.6
さきがけ   4.2    5.2     わからない 5.2      わからない   5.5
———————– ——————- ———————-

<<「新党」への期待度と共産党の善戦>>
確かにこれらを見ると、社民党が「臨終」局面に至っていることは間違いないといえよう。問題は、この「ご臨終」に際して「親族、関係者ご一統」が「ご焼香」「お見送り」でそれぞれの帰路へとただただ解散してしまう以外に道がないのであろうかということである。
焦点は「新党」結成への動きである。すでに「鳩山新党」は9月結党を目指して動き出しており、「ソフトクリーム」であろうがなかろうが、これに失敗すればもはや誰からも相手にされないギリギリの局面でレールが敷かれたといえよう。新党への期待は何度も裏切られ、挫折を繰り返してきたがために、あきらめムードが強いにもかかわらず、それでも40%前後の期待が寄せられている。
それは、自民、新進、保守2党体制への危機感、保・保連合への嫌悪感が多くの人々の意識の中に厳然として存在していることの証明でもある。朝日の調査では、消費税の5%への引き上げについては、「支持する」18%に対し、「支持しない」が76%にも達している。共産党の支持率が久方ぶりに上昇してきたこと、各種選挙で善戦していることもその現れであるといえよう。それでも、先頃の共産党中央委総会で不破委員長が「党活動が前進している中で、機関紙拡大だけが後退を続けていることは重大だ」と指摘せざるをえない、幅の狭い、敵失による前進である。そのセクト主義的我田引水路線が改められない限り、質的な前進はありえないであろう。

<<政党交付金にしがみつく抜け殻>>
その意味で、新たな第三勢力、第三勢力と言うよりは、反保・保連合という意味での広範で強力な連合への国民的期待度は依然として強いのである。
 〇〇氏の立候補通信にあるように、すでに社民党内では赤松氏ら「創志会」グループ20名前後の現職議員が離党を前提に新党合流を確認している。これに北海道の衆参現職9名、自治労系新グループ18人が同じく合流を目指している。ローカルパーティ系もこれに加わることは間違いない。これらが現実化すれば、社民党の現執行部は、年間50億円にも上る政党交付金にしがみつく老齢グループの抜け殻と化してしまう可能性が極めて高いのである。
たとえ「抜け殻」であっても、その存在価値があればまだしもであろうが、事態の進展はそうしたことも許さないであろう。まず連合政権を組んでいる当のさきがけはそのほとんど20名以上が新党に合流し、その主柱を構成するであろう。海江田氏らの市民リーグ5名、そして新進党の反小沢グループ、旧日本新党系グループからも当然参加が見込まれている。こうして新党が事実上形成されつつあり、これが9月の時点で現実に結党という事態になると同時に、もはや自・社・さ連合政権の屋台骨が崩壊してしまうのである。あえて現橋本政権を継続させようとすれば、それを支えるのは自民党加藤グループと社民党残留グループでしかなくなってしまう。当然、橋本政権は無理矢理現状を維持するか、あるいは結成された「新党」と手を組むか、いずれにしても新たな政界再再編成を前提とした国会解散・総選挙に踏み切らざるを得ないといえよう。

<<「最後の社会貢献」>>
ここで、社民党にとって残された最後の「社会貢献」が、切りとられ、散々に踏みつけにされ、「抜け殻」と化した惨状をさらすことだけではないとすれば、後々の新党のためにも、現連合政権の枠内であれ、最大限の政策転換を明示し、実行に踏み出すことであろう。消費税の据え置き、特別減税の継続、不公平税制の改革、地方分権の推進、強制収用を目指した沖縄特別基地立法の放棄、従軍慰安婦問題等の国家賠償による戦後補償責任の明確化、「もんじゅ」の即時閉鎖、情報公開法・人権基本立法・環境保護立法の確立、等々、社会党としてこれまで一貫して掲げてきた政策課題は依然として有効であり、今後とも継承され、追求されなければならない課題である。「臨終」を前に、「最後の社会貢献」があるとすれば、これらの一つでも獲得するために、最大限の努力をすることではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.224 1996年7月20日

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【投稿】地方分権は自治体こそが牽引車に

【投稿】地方分権は自治体こそが牽引車に
                   —国の限界:建設省の場合—

3月末に地方分権推進委員会が「機関委任事務は原則廃止を決断すべき」と積極的な中間報告を行い、いよいよ今年一杯で「分権が進むか、立ち止まるか」の瀬戸際に来ている。この中間報告に対して中央省庁は「権限委譲」に頑強に抵抗していると言われている。
私自身の自治体での仕事も都市再開発事業という建設省の補助を受けて行う事業であるため、「地方分権推進」には、大いに関心がある。
現状は、「お上から補助金をいかにいただくか」ということであり、その実態はほとんど変わっていない。特に、3年前の非自民連立政権以後も、もちろん自社さ連立政権になっても、一向に変わることはなかった。

<国の許可するものにしか補助金はおりない>
国と地方の財政的関係には、交付税、特別交付税、補助金、起債などがある。交付税・特別交付税は単独の事業単位ではなく、特定の自治体全体の行政運営に対して交付されるのだが、補助金は「法律に基づく特定の事業」に対して、国(建設省)が認めた場合、補助金が出る。
さらに補助金の配分については建設省が握っており、また補助率の規定も「1/3を限度として補助できる」という規定であり、「予算がないから辛抱せよ」と1/4の補助しか出ない場合もあり、その配分実態は地方にはわからない。
こうして「陳情」や「政治家」を使った「要望」がまかりとおっており、地方分権が進まない限り、補助金の配分を通じた建設省の地方支配の側面は当分揺るぐとは思えない。

<情勢の変化で苦しむ建設省>
しかし、道路、港湾、空港や下水など従来の都市基盤整備型補助にかげりがさしているのも事実だ。長良川河口堰の問題でも明らかなように、闇雲な開発が自然破壊を生んできたこと、ダムが電力と水源を生み出してきた高度成長期ならいざ知らず、現在の国民は「環境」への配慮なしに建設省の言いなりにはならなくなってきた。そこで「自然にやさしい河川改修」「自然に配慮した下水道事業」などと、官制団体を使って「環境に配慮した建設省」というイメージ作りに躍起である。
同様に、「人にやさしい街作り事業」「高齢化社会対応のまち作り事業」や環境に配慮した事業等には上乗せ補助を行うなどの「新規施策」を毎年のように打ち出し、「政策的な予算配分」をしているかのように国民に見せようとしている。
昨年からは「防災型」がはやりで、従来の枠はそのままに、「防災」を頭に付けて、既存のシステムを守ろうとしている。

<すでに限界の政策配分>
しかし、地方分権の論議と関連して考えると、これら建設省の施策も「地方」の後追いでしかない面が強い。環境にやさしいといってもせいぜい「地域冷暖房施設」だとか「ごみの集約施設」だとか、大規模設備に対する補助を増やしたに過ぎない。(それも設備業者の売り込みの結果だが)
省庁縦割り式の国補助金体系に対して、地方の側はしたたかに、横に広がって、建設省の、あるいは厚生省の、通産省のと補助金を並列で獲得することで都市の整備を図ろうとしている。
地方の側のまちづくりは、まさに現場主義であり「国に頭を下げて」補助金を取る、という従来のシステムから、地方の側がコーディネイトして補助金を利用するという方向が実態となりつつあるのではないか。
国を越える知恵を地方の側が獲得しつつある、というのが現在の流れだと感じる。建設省の新規施策というのもそれに乗っかっている、というのが実態であろう。

<地方の連合が求められる時代>
たしかに一自治体での経験、蓄積はなかなか難しい。また自治体どうしの人事交流も現在制度的には府県と市町村の関係以外では行われていない。
国と対抗する地方という道筋からは、権限・財源の移譲もさることながら、人材の共同育成・経験の普遍化という作業も必要になると思われる。地方分権が進めば、府県にはこの程度の仕事しか残らないという議論もある。3300自治体がまとまって国に対して「連合」を組むというくらいの迫力が地方分権を進める原動力であろう。
そしてその責務は我々自治体労働者であることは当然のことである。 (大阪 S)

【出典】 アサート No.223 1996年6月21日

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【書評】「児童虐待と魂の記録」

【書評】「児童虐待と魂の記録」
    『シーラという子・・・虐待されたある少女の物語』(トリイ・L・ヘイデン、
                   入江真佐子訳、早川書房、1996.3.31.発行)

「1995年10月25日付日本経済新聞によると、全国に 157カ所ある児童相談所で処理した18歳未満の児童虐待件数は1994年度で1961件と、91年度からの4年間で 1.8倍に増加しています。しかも虐待は家庭内という密室で起こり発見されにくいことを考えれば、この数字は氷山のほんの一角であり、実際にはこの何倍もの件数が潜在化している可能性があります」(訳者あとがき)。
本書は、このように日本でもよく聞かれるようになった児童虐待が、もっと大規模に深刻なかたちで発生しているアメリカで、小学校の重度の情緒障害児のクラスを担当している教師が、一人の6歳の少女・・・異常行動でまわりのものもすべてに反抗し、拒否する少女・・・を受持ち、その少女が、自分自身と周囲をを受け入れて成長していく過程を綴ったものである。
その少女の名は、シーラ。そもそもの話は、「11月の寒い夕方に、女の子は3歳の男の子を連れ出し、その子を近所の植林地の木にしばりつけて火をつけた」という事件から始まる。その女の子が、警察に拘束されて、州の精神病院の小児科病棟に措置されるが、そこに空きができるまで、ということで、著者の情緒障害児のクラスに押しつけられる。そこから著者の悪戦苦闘の日々が続くことになる。
季節労働者用キャンプの一部屋だけの小屋での、アルコール依存の父親との二人だけの生活。シーラが4歳のとき、弟だけを連れて家を出ていってしまった母親。そして幼時時代の虐待の経験等々、およそ正常な生育環境とはほど遠い状況で過ごしてきた彼女の行動は、著者にとっては、予想し得る限界を越えたものであった。特にシーラの最大の自己防衛本能は、「決して泣かない」ことを少女に強いていた。クラスと著者に慣れてしばらくして後、シーラはこのことを、担任である著者にこう語る。
「あたし、ぜったい泣かないんだ」
「どうして?」
「そうすれば誰もあたしを痛めつけることはできないから」
私は彼女の顔を見た。彼女の言葉が示す冷やかな感性にぎょっとしたのだ。「どうい うことなの?」
「誰もあたしを傷つけることはできないんだよ。あたしが泣かなければ、あたしが痛 がっていることはわからないでしょ。だからあたしを痛めつけることにならないんだよ 。だれもあたしを泣かせることはできないんだよ」
わずか6歳の女の子が、このような冷たく固まってしまった感性を持ってしまうほどの心の傷は、それ故徹底した攻撃と反抗(破壊的行為)で示される。その具体的な状況は、本書の至る所に見られるが、これに対して著者は、信頼と癒しによってシーラの心の扉を開こうとする。
それは、著者が読み聞かせるサン=テグュジュペリの絵本『星の王子さま』に出てくる王子さまとキツネの「飼いならし」(友情)ということに象徴される互いの心の通じあいと言えよう。こうした中で、シーラが、外見上から判断される知的障害児ではなく、並外れた知能の持ち主であることが発見される。そしてそうであるからこそ、より心の痛みが深いことが理解されるのである。
シーラが著者に対して徐々に心を開いていく過程は、山あり谷あり、期待と絶望と不安といらだちの混じりあった日々の連続で、本書を読んでいただく方が手っとり早いが、この中で一つの決定的事件が、彼女への性的虐待事件である。それは、途中から家に同居することになった叔父ジェリー(父親の弟)によってなされる。
かつて3歳の男の子に対しては加害者であったシーラが、今度は被害者として見なされることになる。この事件によって、著者の眼は、犯人であるシーラの叔父ジェリーに対する憎しみの気持ちから、ひるがえって、かつての被害者の男の子の両親がシーラに対して持っている怒りとかなしみの気持ちに思いいたり、さらに深化する。
「この事件に関しては胸の悪くなるような思いだったが、同時に私は不思議な胸の疼 きを感じていた。5ヵ月前には、シーラが加害者で他の誰かがその犠牲になったのだ。 被害者の男の子の両親は、チャド(著者の恋人・・・引用者)がいまジェリーに感じて いるのと同じように感じていたにちがいない。この極悪非道な犯罪はぜったいに許せな いが、私がシーラの中に見いだした心の傷が、おそらくジュリーの中にもあるのだろう ということに私は気づかされた。二人とも潔白ではありえないが、二人ともまた芯から の悪人というわけでもないのだ。ジェリーもまたシーラと同じく犠牲者なのだと思うと 、私はたまらなかった」。
ここには、被害者も加害者もともに抑圧して苦しめる「病める社会」の姿が端的に描かれている。これは、シーラの父親にもあてはまる。
「犠牲者はシーラだけではないのだ。彼女の父親もまた彼女と同じだけの気遣いを必 要としており、またそうされるだけの資格を持っているのだった。かつて、痛みからも 苦しみからも決して救われることのなかった少年がいて、それがいま一人の男性になっ ているのだった」。
何ともやり切れない社会状況であるが、著者は、この状況を冷静に見すえ、シーラの成長の妨害となっているものを取り除くべく闘う。われわれは、この著者の姿に心を打たれる。
しかしまた著者の努力が、孤軍奮闘であるとの感も否めない。このことについては著者自身も、「私は教師仲間の間でも、ずっと一匹狼的な存在だった。私は“別れるときに辛い思いをしても思いきり愛したほうがいい”派だったが、この考え方は教育界ではあまり人気がなかった」と述懐している。この点については、アメリカ的社会の特質と位置づけるのか、あるいはわれわれの社会にも共通するものを含む問題として考えるのか、議論される必要があると思われる。
そしてこれに関連して、行政の側からする障害児教育の位置づけの問題がある。本書では、結局著者の受け持つ障害児クラスは解散されてしまうことになるが、著者と同様に、行政の側の担当者にも切実な問題として提起されている。
以上本書は、感動的なまた驚くべき場面の連続によって、一人の少女が成長変化していく姿を描いたノンフィクションであるが、このような例は極端なものであるとしても、同様な子どもがあらわれてくる背景が日本でも確実に存在している今日、他人事では済まされぬ内容を含んだ書であると言えよう。孤軍奮闘的な本書とともに、子どもを取り囲む状況に対する社会的連帯を示唆する書が続いて出てくれることが待たれる。
それにしても、シーラのような子ども・・・並外れた知能を持つと同時に社会性が全く欠如している・・・が示す破壊的行為と、現代社会の「エリート・システム」によってつくりだされた人々がしばしばもたらす社会的破壊行為とが重ね合わさって見えてしまうというのは、評者の思い過ごしであろうか。(R)

【出典】 アサート No.223 1996年6月21日

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【投稿】沖縄復帰24周年を考える

【投稿】沖縄復帰24周年を考える

<なぜ沖縄に>
1995年9月4日、沖縄駐留の3人の米兵による少女暴行事件が起きた。同年10月21日の「少女暴行事件を糾弾し、地位協定の見直しを要求する県民総決起大会」には思想信条や政党の枠を越え、予想を大幅に上回る9万1千人が参加したと報道されていました。こうした沖縄県民の大きな怒りを背景として、大田沖縄県知事は代理署名を拒否し、米軍用地の強制使用拒否の姿勢を明確に示しました。
125万人県民の1割に近い人々が抗議集会に参加をする現実に、わたしも一度沖縄に行ってみたいと思いました。
そんな時期に思いが共通したのか、自治労から沖縄の平和行進に参加するいうことになり、わたしも初めて沖縄に行くことになりました。

<5.15平和行進>
5.15平和行進は、沖縄平和運動センターの主催する「5.15平和とくらしを守る憲法月間」の行動であり、今年は第19回目となっています。
5月12日に結団式を行い、5月13日から5月15日まで3日間沖縄本島3コース、宮古・八重山コースに別れて平和行進を行い、5月15日の「平和とくらしを守る県民総決起大会」で総結集するものです。平和行進は1コース1日約20km、全部で約60km歩くかなりハードなもので、沖縄の日ざしの強い気候や集団での行進による疲労などなかなか大変なものでした。
平和行進の本土からの今年の参加者は、例年の約2倍の750名ほどになり、関心の強さを示していました。そして、平和行進にはのべ約3千人が参加し、最後の「平和とくらしを守る県民総決起集会」には約5千人が結集し、集会後県庁前までデモ行進して行動を終わりました。

<復帰24年の沖縄>
今回の沖縄訪問で、わたしが最も関心をもったのは、「基地のない平和な沖縄」を目指した沖縄の現在の取り組みが、これからの地方分権の時代の中での地方自治の在り方や自治体職員の役割などを考えるうえで大変参考になり、大きな示唆を含んだものと考えられることでした。
今年の『5・15』は、あの悲惨な沖縄戦が終わって51年、復帰後満24年、基地問題がかってない盛り上がりを見せている中で迎えました。マスコミ各紙は、沖縄に今も在日米軍基地の約75%が集中し、県土の11%を占めており、県民の日常生活を悩ませていることや、今後の沖縄の進む方向をいろいろと報道していました。その中で、注目されるのは「基地のない平和な沖縄」を実現するためのアクションプログラムと、21世紀に向けた沖縄の「国際都市形成整備構想」であります。
それによると、沖縄県では、復帰24年を迎えた今年を「脱基地元年」として、2015年までに在沖米軍基地の全面返還を求めており、そのための「基地返還アクションプログラム」を立案しています。また同時に、沖縄を「アジア・太平洋地域と日本を結ぶ結節点」として活用を目指す「国際都市形成整備構想」も発表しており、国際都市沖縄の基本理念を「平和」「共生」「自立」としています。さらに沖縄県では、今後の国際都市形成を目指し、今年県庁組織を大幅に刷新し、国際都市形成推進室や地域離島振興局を設置しました。また、国際交流や県産品の市場拡大・観光等のためにアジアを中心に韓国・台湾・香港に加えてシンガポールやフィリピン・マレーシアなど多くの県海外事務所を設置しました。そして、大田知事は5.15復帰24周年にあたり「若い人々が将来に希望をもてる社会を目指し、取り組んで行く」とのコメントを発表しました。
この沖縄県の構想には、基地問題や今後の沖縄振興策の在り方をなど、非常に多くの困難が待ち受けている中で、自らの進む道を知事や県職員、多くの様々な立場の県民が知恵を出し合って取り組んでいることが示されています。この力が、政府やアメリカ軍を相手にしながら、「基地のない平和な沖縄」を実現する力になっている事がよくわかります。 進むべき方向を示し、その実現のために様々な立場の、多くの人々が自分自身の問題として知恵を出し合い、取り組んで行くこと、このような取り組みは、地方分権が大きな課題となっている、これからの地方自治体の在り方、住民自治を考えるうえで大いに参考になるものと思われます。
わたしも、地方自治体に働く一人として、職員としてできることや、今後の目指そうとする方向を考える上で、大きな刺激となった沖縄平和行進参加でした。  (大阪 T)

【出典】 アサート No.223 1996年6月21日

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【投稿】ロシア大統領選の混迷

【投稿】ロシア大統領選の混迷

<<新たな混迷と混乱の追加>>
6月16日の投票日を間近かに控えた去る5月31日、「ロシア大統領選挙・直前予想と旧ソ連・東欧圏の現状分析」と題して講演会が持たれた(主催:ニュービジネスサロン・現代社会主義研究会・関西ロシア経済協会)。講師のビクトル・ボイチェフスキー氏(モスクワ大学経済学部教授)は、44歳、新進気鋭の行動派の学者である。前回来日時の、ソ連崩壊後の政治経済情勢の分析においてもそうであったが、その鋭い批判的精神と具体的事実に裏付けられた洞察力は聴衆を引きつけて離さないものがあった。通訳を介したこの種の講演はえてして間延びのした焦点の定まらないものになりがちであるが、ロシア人以上にロシア人たる岩崎氏の間髪入れぬ的確な翻訳は、友人以上の親交のある講師の言わんとすることを生き生きと豊かにさせるものであった。
ボイチェフスキー氏自身は、エリツィン再選委員会の重要なメンバーであり、結局はエリツィン氏が選挙戦には勝利するであろうと分析する。しかしそれはロシアの新たな混迷、これまで以上の混乱をもたらす可能性を指摘し、同時にロシアの民主的発展にとって避け難い現実との妥協、学習の場でもあることを強調する。

<<「私が行くところには、金が湧いてくる」>>
エリツィン再選戦略の最も重要な柱は、特権的地位利用による豊富な資金と利益供与、マスコミ操作による人気取り作戦である。マスコミはほとんどがエリツィン派によって占拠されている。まるでサンタクロースのように金をばらまいて、エリツィン万歳を叫ばせ、憲法違反もどこふく風、選挙のために20億ルーブル以上をすでに使っている。実行不可能な約束の連発は枚挙にいとまがなく、エリツィン氏自身が「私が行くところには、金が湧いてくる」と放言する始末である。すでに、軍需産業に2兆8000億ルーブル、炭坑労働者・教員の未払い賃金の早期支払、学生奨学金の増額1億ルーブル、年金増額24億ドル、80歳以上老人への預金インフレ目減り補償、等々から、小はボルクタ炭坑地域への自動車ジグリ60台の寄贈に至るまで、そして州知事、市長には締め付けを強化すると同時に、国庫からの資金提供を約束するなど、そのほとんどは財源を無視した大統領令の連発である。さらには、2000年に向けて徴兵制を廃して全部志願兵制にするとまで言い出したが、ただただ人気取りのための政策であって、陣営の幹部は無視しており、誰も実行することなど本気で考えてもいない。
ここまでなりふり構わずやらざるを得なくなったのは、エリツィン支持が今年の1月には10%前後にしか過ぎず、他の候補に大きく水をあけられ、大衆のまともで健全な世論を無視できなくなってきたからでもある。

<<共通の立場「ロシア大国主義」>>
一方、これまでの世論調査では常に1位を確保してきた共産党のジュガーノフ氏の立場も複雑である。今や共産党自身が一枚岩ではない。ジュガーノフ氏は民族愛国ブロックの候補者である。党の指導部の多数は、社会民主主義的考え方に移行しているが、実は共産党は社民党だということを徹底させたいと考えているのは一派にすぎない。社会民主主義についていえば、ヤコブレフ、ポポフ、シェワルナゼといった純粋社民派が存在しており、第三勢力としてヤブリンスキー陣営が存在している。
共産党にとっては、大国愛国主義を前面に掲げ、共産主義の臭いをできるだけ減らすために、民族主義的左派の候補として、ジュガーノフしかいなかったのである。しかし多数派ではないのでブロックを組む必要があり、「大国ロシアを再建する」、「偉大なロシアを破壊したエリツィンを追い払おう」、「ロシア、祖国、人民」が民族愛国ブロックのメインスローガンとなったわけである。
しかしロシア大国主義はエリツィン陣営と共通のスローガンである。事実、ジュガーノフは「プリマコフ外相の外務省はより民族的で、国益にかなった路線をとっている」と、エリツィン政権の外交政策を評価しだしているのである。 ジュガーノフ陣営は、特に選挙に力を入れなくても30%はとれる、左翼全国ブロックとしては40-45%は獲得するであろう。しかし、仮に多数を取っても、ジュガノフ氏は今の状況の下では、大統領の仕事ができないし、もたないことを自覚している。

<<「最悪の中での最良の選択」>>
仮にジュガーノフが勝つと、麻痺した経済を回復させることは不可能であるばかりか、スタグフレーションがさらに強まり、それを圧し止める力が政治的にも経済的にも現在の共産党には残っていないのである。そこでどこかで今の政権と妥協を見いだす方向、共倒れの回避、国全体のために妥協する必要が主張されるわけである。
そしてエリツィン派の冷静な部分も、シャターロフ等は共産党と交渉をやっている。極右民族派のジリノフスキーは、今回控えめな態度をとりながら、ジュガーノフに挙国一致、全党派の連合政策を提案している。派手な選挙戦の水面下で、閣僚ポストをめぐる駆け引きが進行しているのである。
第3位にヤブリンスキーがつけているが、エリツィンの取り込み作戦は失敗している。ゴルバチョフ氏は、3-4%の支持はあるが、彼のチャンスはゼロに近いものである。ゴルバチョフとヤブリンスキーの政策がよく似ていることは見ておく必要があるだろう。「強いロシア」を主張するレベジ氏のロシア共同体運動は、5%程度の支持であろう。 こうした事態の中で、ロシアの知識人は呆然として何をしていいのか分からない状態に置かれている。今回の選挙は、いわば駄目な中での選択、さまざまな悪いケースの中での最良のものの選択といえよう。
(以上は、筆者の主観的なまとめであることをお断りしておきます。)
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.223 1996年6月21日

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【投稿】最終局面迎えた社民党  

【投稿】最終局面迎えた社民党

■もはや「筋弛緩剤」が必要?
社民党は新党結成の展望を見いだせないまま、最後の時を迎えようとしているが、今回の「臨終」は、残念ながら過去の総評解散のような「安楽死」には、到底ならないだろう。
それは、医師が「あなたは癌であり、手術が必要です」と告知しているにもかかわらず、「そんなことはウソだ、オレはまだまだ死なない」と治療を拒否し、末期に至ってしまった患者の姿そのものである。
そして、こうした頑迷な対応に医者も「それなら勝手にすればよい」とサジを投げてしい、家族にも「もうつきあっていられない」と見捨てられつつある。
現在はさすがに死期を悟ったようだが、そうすると急に取り乱して「医療制度が悪い、医者が悪い」と断末魔のあがきを見せている。
こうした姿に皆が愛想を尽かすのも当然で、一般有権者はもとより、支援労組や身内の議員や地方組織の離反が相次いでいる。
これまで「党中央」は、地方組織や議員の造反については、政党助成金を握っているかぎり大丈夫とタカを括っていたのだが、北海道の様にほとんど丸ごと出ていってしまう地方組織や、大阪(近畿)の様に、国会は新党でいくが、地方議員中心に社民党組織は残して助成金の「二重取り」をもくろむ地方が続出するといった事態を前に、ただ狼狽するのみだ。
■無力感漂う三宅坂
すでに「党中央」は制御機能を喪失して久しいし、党官僚の不甲斐なさも、前から指摘されていたことだが、ここにきて一層、脱力感、ニヒリズムが強まる傾向が明らかになっている。
例えば「支持率は史上最低だった・・・決して未来への希望が閉ざされたわけではない・・が、それは遙かな深霧の彼方にある」(月間「社会民主」6月号編集後記)「編集後記の書き手が減った・・・一人は新設のミニ政党に去った」(月間「政策資料」6月号編集後記)と専従職員が億目もなく絶望感を吐露しているのである。
非自民連立政権や村山総理が誕生したときの異様なハシャギぶりとの余りの落差には、思わず笑ってしましそうになるくらいだ。
この様に打ちひしがれているプロパーに追い撃ちをかけようとしているのが、一部新聞でも報道された、小選挙区への立候補強制である。3月の社民党第1回大会で、地方組織から「ウチでは自前の候補者をつくれないので、中央の書記を立候補させろ」と、随分勝手な要請があった。この時は佐藤幹事長も「基本的にはそういうふうにするために何が障害になっているかということをいま詰めておるところでございます」などと曖昧な答弁をしていたのだが、まさに恰好のリストラであり、執行部にとっては渡りに船だった様だ。 当の地方組織は「負ければ三宅坂に帰れば良い」などと都合の良いことをいっているが、負ければ三宅坂自体が無くなってしまうのであって、母艦を失った艦載機の様に海中に没する運命が待っているだけだ。そうなれば冗談ではなく、元社民党職員のホームレスが出現するだろう。
■地方組織も展望なし
こうした難破船から、一刻も早く脱出しようとしているのが、大都市圏を中心とした地方組織であるが、特別な条件のある北海道以外は、決して明確な展望があるわけではない。
この間「近畿新党」が取り沙汰されているが、音頭取りと言われている大阪にしても、現職の社民党衆議院議員が、参加をためらっている状況であり、加えて新党の「顔」が武村、土井という全く新鮮味が欠ける状況である。
現実は社民党で死ぬか、新党で死ぬか、どちらが苦痛が少ないかというレベルの問題であって、唯一の展望は、ローカル政党の流れには逆行するのだが、鳩山新党に合流していくことである。しかしそうなれば今度は、大阪の社民党議員は、そうした新党に最も似つかわしくない、ということになってしまう手詰まりの状況である。(最も、そうした人達が希望どおり自民か新進党に行ってしまえば話はべつだが)
とにかく、こうした閉塞状況は中央と同じくメディアにも反映するものであって、「大阪新報」の6月11日号では府連合の副代表のひとりが、展望は新党にしかないと言いつつ「(大阪新報)は何の役にも立たない記事がほとんどですが、赤旗を読むよりは無害なだけでも有益」と愚痴をこぼしている。
これは最早、政策がどうのこうのと言う以前の問題で、人も組織も落ち目な時は、何をやっても駄目としか言う他ない。
こうした惨状は、言ってみれば自業自得であり何ら同情に値するものではないし、逆に最後にして最大の社会貢献と言っても良いのではなかろうか。
(大阪 O)

【出典】 アサート No.223 1996年6月21日

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【映画紹介】「ナヌムの家」

【映画紹介】「ナヌムの家」

所属する組合から、チケット購入の案内があり、初日の5/18に早速観に行った。
題名の「ナヌムの家」は、「分かち合いの家」という意味だそうだ。この「分かち合いの家」は、ソウル市内鐘路(チョンロ)区にある一軒家で、元「従軍慰安婦」の女性たち6人が、仏教団体の支援を受けて共同生活をしている。彼女たちハルモニの日常生活を、撮影開始当時27才だった新人女性監督ビヨン・ヨンジュが、1993年から94年にかけて丹念に記録し、ハルモニたちの心の<つぶやき>に耳を傾けた作品である。
ハルモニたちの<つぶやき>は、私の胸を射抜いていく。中国湖北省武漢のハルモニの一人、ホン・ガンニムさんの話は強烈だった。「性器が小さくて大勢のヘイタイの相手ができないという理由で、強制的に日本軍の病院で性器を切られた」「毎日小さな部屋でたくさんの兵士の相手をさせられた」「慰安所を取り仕切る女主人-日本人にお金を巻き上げられ、食事もろくに与えられなかった」。
昨年夏、村山首相(当時)は「従軍慰安婦問題」について、歴代首相よりは一歩踏み込んだ表現で「謝罪」した。そして、「国民基金」によって補償していく計画を発表した。その基金である「アジア女性基金」の呼びかけ人に、村山首相自らの度重なる要請に応えて、「国家補償が筋」との自説を持ちながらも三木睦子さんは、呼びかけ人に就任されたと聞く。しかしながら、基金は予定の額には遠く及ばないばかりか、橋本政権になってからの政府の対応は後退しており、国連の勧告にすらまともに応えていない。
失望した三木さんが「呼びかけ人を辞任する」と表明されたのも、当然の結果だ。報道によると、他の呼びかけ人の中にも、三木さんに同調する動きがあるという。日本政府の無責任さ・厚顔無恥ぶりばかりが、際だって見えてくる「従軍慰安婦問題」である。
そういう現状を十分認識しながらも、監督のビヨン・ヨンジュは、「憤りを感じたのは、戦場に連行した日本帝国主義による戦争にというよりも、慰安所生活を終えても故郷に帰れず、自らを隠さねばならない状況を強制した、自分たち自身に対してだった」と語る。彼女は撮影が終了した今でも、2日に1度はハルモニたちを訪ねているという。
しかし、ハルモニたちの痛みを100%理解しているとは思っていない。ただ、ハルモニたちの苦しみが自分たちの苦しみでないわけはないと思うようになったという。ハルモニたちが世の中を見つめる視線で自分も見つめたいし、それを学びたいと語っている(映画パンフレットより)。そして、私も、そう語るビヨン・ヨンジュの姿勢に学びたいと思うし、毎週水曜日、日本政府の正式謝罪と賠償を求めて日本大使館前でのデモを行っている、元「従軍慰安婦」のハルモニたちの姿を焼きつけておきたい。
何はともあれ、映画をご覧になることをお薦めします。(6/28迄、第七芸術劇場で上映中)
(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.222 1996年5月26日

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【書評】ネットワーク社会をどう読むか

【書評】ネットワーク社会をどう読むか
       赤木昭夫『インターネット社会』(岩波書店、1996.2.26.発行、1800円)

現代の「情報化社会」を象徴するインターネットの拡大がニュースを賑わしている。本書は、「情報の洪水」の中で「今まさに、インターネット上にかつてない文化と産業の組織が生まれようとしているのだ」(表紙の紹介文より)として、激変する情報環境「実証的に分析」し、対処の仕方を指し示そうとする。
著者の視点は、産業的には一時停滞したとはいえ、情報産業とくにソフトウェア、インフォメーション・サービスで稼ぎまくっているアメリカが打ち出した、圧倒的な国際的優位をさらに高める企て(インフォメーション・スーパーハイウェイの目標のひとつがここにある)に対して、日本がどう対処していくかにある。
すなわち著者によれば、「情報は国際競争力」なのであり、著者の勤務先である慶応の創設者・福沢諭吉のインフォメーションの重要性についての先見の明に代表される姿勢こそが近代日本を守り育ててきたとされる。ここに福沢の脱亜入欧論への言及と評価がないのは問題であるが、現代資本主義諸国の闘争における情報の位置の認識と、アメリカ社会のインターネット拡大による情報化の分析を通じて、本書は日本の独占資本の将来への不安の一部を抉り出していると言えよう。
著者は、アメリカの80年代までの30年間の電子化が、主としてプロセッシング(処理)であったのに対して、90年代以降の電子化がコンピュータと通信のコンヴァージョン(融合)によるインタラクティブ・コミュニケーション(双方向通信)とブローカレッジ(仲介)、インテグレーション(統合)であることから、パラダイムの大転換が起こったことを指摘する。
つまり社会全体にわたってネットワークが大きく貢献できる時代が到来したのである。その代表はCALS(コンピュータによる生産管理システム)やEC(電子商取引)であり、これらによってネットワーク・ビジネスが飛躍的に増大している。そしてアメリカは、産業面でも金融面でもこの方向を積極的に推進しようとしているのである。
かかる背景をもって登場したインターネットは、異機種・異規格のもとでのやりとり(インターオペラビリティ)を可能にすること(インターネッティング)を技術の核心として、軍・産・学とリレーされて発展してきた。従ってインターネットは多様性をこそ最大の特色としている。この特色を活かしたネットワークがWWW(ワールド・ワイド・ウエッブ)であり、これが今や教育・研究・商業のあり方さえも変えつつあるのである。
さてネットワーク化の状況は、著者によれば、組織については自律・分散・協調型の水平型の組織、ダウンサイジング、ヴァーチャルな組織を進行させて、これらの組織は「制約にもとづく信頼とイニシャティブ、その結晶としてのルールとカルチャー」という原理によって、生体システムのようにダイナミックに保たれて活動し(ガーバナンスの原理)、国境を越えて広がっていく。しかしまたそのような「ヴァーチャル組織はうたかたのように現れては消えてゆく」ものであり、「理想的な効率の高い永続的なヴァーチャル組織を求めるのは、どこにもないユートピアを探すのに似ている」とされる。
そしてその中で諸個人は、上のカオス的状況をもつネットワークに接することで分散し流動的となり、人格の同一性(パーソナル・アイデンティティ)を絶えず脱構築(ディコンストラクト)することになる。ネットワークが発達すればするほど人間に対する働きかけが強くなるが故に、このことは将来的に人間に関する大きな不安を含んだ問題となることが懸念される。
以上のように予測することが困難な近未来的問題を多く抱えたネットワーク社会は、同時に現実的な諸問題にも直面せざるをえない。すなわちインフォメーション・スーパーハイウェイ(全米光ファイバー網)設置に際しての電話の加入者線の同軸ケーブル化の規模がとてつもなく金と時間のかかる事業であるということ、さらにはそもそもアメリカ全土で電話の普及率が世帯の94%で止まっているという事実がある(スペイン語系の失業者では15.3%、黒人の失業者では20%の自宅には電話がない)。つまり一方においてインフォメーション・スーパーハイウェイが華々しく宣伝されているのに対して、他方では貧困層とマイノリティを中心に「情報弱者」が確実に出現しているのである。
これがネットワーク加入者になればもっと明確な格差が生じる。これについては著者も「アメリカではじりじりと貧困層に区分される人口がふえるなかで、インターネットの利用者がふえるという形で、情報アクセスにおける格差がひろがり、情報弱者がつくられつつある」と指摘する。情報の分野においても、国際的国内的を問わず資本の論理が貫徹する例をわれわれはここに確認することができる。
このようにネットワーク化された社会の諸問題は、資本主義社会の諸矛盾を新たなかたちでわれわれに突きつけるものであり、インターネットの拡大により、その諸矛盾は地球的規模広がっていると言えるであろう。本書は、専門用語・略語・カタカナが多くて読みづらくかつ不親切で独断的な書物ではあるが、将来的に諸矛盾をわれわれの側で解決していく方向性を見いだすための参考にはなるであろう。(R)

【出典】 アサート No.222 1996年5月26日

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【投稿】武満 徹著「時間の園丁」(新潮社刊)を読んで

【投稿】武満 徹著「時間の園丁」(新潮社刊)を読んで

 昨日読んだ「時間の園丁」のなかで、妙に気に掛かる言葉がある。それは、武満が「官能性」ということにしばしばば触れていることである。第2回芥川作曲賞の選考過程の述懐では、これを限定的に使用し、黛や松村禎三らが山田泉の「ひとつの素描」を官能性の豊かさのゆえをもって推挙したことに対して異議を申し立てているが、同書に収録されいる文章の他の箇所、例えば、日経新聞の文化担当記者への回答文のなかで、現代音楽がマイナーなものにとどまっている最大の理由として、官能性の欠落をあげ、1980年代以後にその反省が起こり、それが、現代音楽を大衆にとって身近なものにさせるうえで大きく寄与したと述べていることなどが、気掛かりになるのである。
勿論、官能性という言葉自身が多義的でものであり、単に無味乾燥でないこととか、あるいは人間的なことなどを意味する場合がないわけではないが、ここで言われているのは、より積極的な事象の表現としてであるようだ。特に、1950~60年代、つまり、12音技法を中心とする音楽言語と技法による、時代精神に鋭敏な百花繚乱、百歩譲って、百鬼夜行の時代と比較して、80年代が官能的と言うのであれば、それは、なんと力ない無内容な猥雑なものであろうか。これが、いわゆる「ネオ・ロマンティズム」を指していること、俗論として流行している「ポスト・モダン」の音楽を賞賛していることは言うまでもあるまい。あるいは、この意味するところはそれほど深刻なものではないのかもしれない。意外と、武満が、自らが主宰した「ミュージック・トゥデー」や「八ケ岳音楽祭」を通じて、いやおうなくその位置に立たされざるをえなくなっていた現代音楽のリーダーとして、その弁護を引き受ける積もりで、無理にこんな外交辞令を述べているのではあるまいかと思うほどである。そもそも、官能性とは、抽象に対する具体性とか、感覚的な快感とかを意味するものであるまい。ベルクとウェーベルンを比較して、ベルクがより官能的だという時に、頷ける意味合いにおいてそれは成り立つ、ある要素の優先あるいは表面化に過ぎないのではあるまいか。こと芸術に関して言えば、官能性が自律した絶対的な要素として外部に存在し、それに接近することがポピュラーであるというようなものではあるまい。芸術によって官能性もまた能動的な挑戦を受け、それ自身が揺らぎ、その波動によって変化していくものであろう。
80年代以降、安直な弛緩した宗教性やモビリティとダイナミズムを失った抒情性という「官能性」が、若手作曲家を中心にして氾濫しているなかで、武満が自身の作品の価値を突き崩すような、俗論に与したのではあるまい。(グレツキの「ソローフル・シンフォニー」やグレゴリオ聖歌の妙な人気やアダジオものの相次ぐ発売などがこの系譜の一部であると言えば暴論であろうか)こういった感慨も手伝って、今日は、彼の初期のピアノ曲を繰り返し聴く。「リタニ」(事実上彼の第1作である1950年の「2つのレント」の改定版)はもとより、「遮られない休息」(1952~59)だって、80年代よりもはるか前の世代のものであるにもかかわらず、十分刺激的で我々に豊かなイマジネーションの広がりをもたらしてくれるし、今日風に言えば「癒し」を与えてくれるものだ。それは、官能的でさえある。だから、最近NHKテレビで見た、ニューヨーク・フィル創設150周年記念の委嘱作品である最晩年の「ファミリー・トゥリー」の方が、ストーリーもあり生身の少女が登場するからといって、より官能的だなどと到底言うことは出来ないと思う。(この作品の演奏会の最後に、作曲者の武満と作詞の谷川俊太郎が舞台に上がって、指揮者の小沢等と握手を交わしていたが、これを見て、昔、「死んだ男の残したものは」を歌った頃の感慨が生暖かい風に触れたように蘇った)芸術家は、変革よりも風化を望むような感性の「慣性」の重圧に負けてはならないのであろう。この最後のエッセイ集を読んで、もうひとつ気掛かり(こっちは感銘を受けたほうであるが)なのは、「時間の園丁」のなかに漂う一種の無力感と世界に対する不信感である。つくずく思うのだが、これとの葛藤こそが、武満の音楽の大きなモチーフであったと言っても過言ではあるまい。それゆえに、彼がもっともっと生きて、ぎりぎりのところで、オペラであれ映画音楽あれ、音楽そのものの力は深く信じていたその得がたい逞しい精神力で我々に「真の癒し」を与え続けて欲しかったとの思うのであるが。(T・O) 

 【出典】 アサート No.222 1996年5月26日

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【書評】『ゴルバチョフ回想録』

【書評】『ゴルバチョフ回想録』  上巻(96.1.30発行)、下巻(96.2.29発行)
               工藤精一郎・鈴木康雄訳、新潮社、各巻4800円

6月の大統領選挙を直前に、ロシア情勢は混迷を深めている。インフレは下降傾向にあるとはいえ、失業は拡大し、賃金未払いは蔓延し、貧富の格差は目立つ一方にある。
「エリツィンの栄光」も91年をピークに同政権は低空飛行を続けている。国民の中に政治的無関心層が増大する反面で、中高年層を始め、比較的に生活の安定感があったソビエト時代に郷愁をよせる層も多いといわれる。
ソ連邦が崩壊しても、ロシア革命とソ連邦の成立が、20世紀最大の政治的事件として、18世紀のフランス革命と同様、後世に深く影響を与え続けることを否定する人は少ないであろう。ブレジンスキーが資本主義万々歳を叫び、フランシス・フクヤマが歴史の終りをいくら説いたとしても、資本主義の側に根本的な反省がない限り、人はその背景にうさん臭さを嗅ぎつけるだけであろう。
「ロシア革命とは何であったのか」「社会主義とは何だったのだろうか」は歴史的に、多角的に究明を要する現代の課題である。
この5年間、旧ソ連では当時の指導者の筆によって、数多くの論文や回想、回想録が出版され、わが国にも翻訳紹介された。
日く、元副大統領、元党副書記長、元大統領補佐官、元外相、市長、と多子才々にわたり、テーマはもっぱらペレストロイカの7年に照準を当てつつも、社会主義の原理原則、十月革命の評価、ペレストロイカとゴルバチョフ路線の功罪、さらにエリツィン現政権の評価と展望等と多岐に及び、百花繚乱の趣がある。
ブレジネフ以前の時代を想定するとき、今昔の感に打たれるとともに、このような論戦が、社会進歩と歴史研究に大いに寄与することに疑いはいれない。ロシアも遂に情報化社会に突入した。しかしまた、そこに危険な陥井もある。
回想録には往々にして毒があるといわれる。人は誰でも自分を合理化したい誘惑から離れるのは困難だし、ましてソ連邦史は現実ロシアの政治、社会、あるいは人間関係と深く結びついている。
時も時、旧ソ連邦大統領ゴルバチョフ氏の回想録が、わが国でも翻訳出版される運びとなった。上下二巻、1,600頁にわたる怒涛のごとき長編である。同氏が連邦解体の日の翌日から開始し、氏の口述を土台にし、同僚十数人との強力で作成したといわれる同著は、何といってもペレストロイカの最高責任者の体験に基づく発言として、他の凡百の「回想録」に見られない重量感がある。
本書の構成をごく簡潔に紹介しておこう。
ゴルバチョフ氏自身の説明によると、叙述は単なる事実の羅列を避け、今日的課題との関連を見失わないためにも、敢えてテーマ別に整理したとのことである。
全体は5部で構成され、1部ではペレストロイカの起源-なぜ自分が改革の旗手たらざるを得なかったか-が自叙伝風に語られて行く。ゴルバチョフ氏の親族が弾圧の犠牲者であったこと、フルシチョフ報告に大きなショックを受けたこと、体制の機能不全が限界に近づきつつあったこと、にもかかわらず、彼は自分の意見を殺し、野心を隠して次第に最高権力へと昇りつめて行く-。
2部はペレストロイカの展開、発展の過程を描く。書記長に就任したゴルバチョフは、先ず党の改革、それも上から始めなければならないと、腐敗した党幹部の更迭、人心の一新に辣腕を振るう。そして「このままでは生きられない。」をキーワードにソ連経済の活性化のため、とりわけ消費財生産の拡大をめざして、「国営企業法」「農地法」「協同組合法」などの新機軸を次々と打ち出そうとするのであるが、その度に、党、国家官僚は面従腹背する。そこでゴルバチョフはグラスノスチを利用して大衆に直接働きかけ、渋る党幹部を説得、党と国家の分離を図り、自ら大統領に就任するのであるが-。
3,4部はペレストロイカの外交への展開としての、新思考政策、3部では対西側、4部では対社会主義関係があつかわれる。
この部分は従来最も論争を呼んでいるところであるが、同時にゴルバチョフを「外交の魔術師」に押し上げた、彼の最も面目躍如たる部分でもある。
「全人類の利益」「ブレジネフ・ドクトリンの廃止」をさっそうと掲げて世界の桧舞台に飛び出したゴルバチョフは次々と首脳外交を展開して、西側に大きな衝撃を与える反面、話し合える指導者の出現として相互の信頼関係を深め、冷戦の解消に大きく寄与した。
社会主義諸国関係においても、ゴルバチョフは救世主として民衆からは圧倒的支持を受けるのだが、一方で既成政権は次々と崩壊し、バルト三国の独立傾向として、ブーメランのようにはねかえってくる。

5部は、この書の結びの部分に相当し、バルト三国の公然たる反乱、インフレの一層の亢進と物不足による国内の不満増大、八月クーデターと共産党の解散、エリツィンの権謀術策とベロベジの虐殺、そして遂にソ連邦解体へと、いわばペレストロイカから「カタストロイカ」への時期であり、ゴルバチョフ氏の残念と怨念を節々に感じさせる章である。
経済改革案は左右両派の反対で否決、「親の心子知らず」のリトアニア独立声明と軍部の暴走、盟友シェワルナゼの離反、ロシア連邦エリツィン大統領の誕生、左右両派から一斉に辞任の要求を突きつけられ、満身創夷のゴルバチョフは、それでも持ち前の楽天性と政治力で、連邦維持のため最後の努力をふりしぼるのであるが、既に西側首脳も足元を見越して冷淡な態度をとり始める。
ここでゴルバチョフ氏が何度も繰り返し述べる言葉が、印象的だ。「われわれがどんな所から改革を始めたのか、是非わかってほしい」。悲痛な叫びである。
さて、ゴルバチョフ氏は謎の多い人物であり、極めて複雑である。今後も色んな立場、色んな視角のゴルバチョフ論が現れてくることであろう。しかし、権力を自己目的とせず、停滞したソ連社会に透明性と合理性を与え、冷戦の解消へ最大の貢献をした彼の功績は永遠に忘れられることはないであろう。
ゴルバチョフ氏は末尾の章で、自分は何者かと自問し、「私は共産主義者ではあるが、レーニン主義者ではない。強いていえば民主的社会主義者だ」と自己規定する。「回想録」の中で彼がとりわけ強調するのは、目的と手段の混合は許されないし、改革は流血を避け平和裡に遂行すべきだということである。経済改革案をめぐり、またリトアニア問題の処理をめぐって不決断だと非難されるのは、思うに彼のこういう発想と姿勢が根底にあったのではないだろうか。
ともあれ、本書は全巻を通し、ゴルバチョフ氏の温かい人間性(特にライサ夫人に対する気遣い)、緻密な論理と生来の楽天性、細部にわたる文学的表現の的確さなどが、名訳の助けも得て、感銘深い作品に仕上がっていると思う。
巻末で、ゴルバチョフ氏は読者に向かって「この長い書物を最後まで読んでいただいて本当にありがとう」とサービスする。そこで私もそれに倣い、広野に叫ぶ同氏に心を込めて「大統領選の御健闘を心より御祈りする」とお返ししたい。(高橋 禄朗)

【出典】 アサート No.222 1996年5月26日

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【投稿】「”新安保”保・保連合」構想の迷妄

【投稿】「”新安保”保・保連合」構想の迷妄

<<「『負担をなくす』という表現は絶対にだめ」>>
5/10、参院でも住専に税金を投入する96年度予算案が、追加措置なし、無修正で成立し、住専論議の舞台は住専処理法案や金融関連法案の審議に移行した。つくづく現在の政治勢力のだらしなさ、無力さを痛感させられる事態である。
もっとも腹立たしさを覚えるのは、最終局面における国会決議をめぐる与野党のやりとりである。自民党が住専予算成立の前提条件として、「結果として国民負担をなくすよう可能な限り努力する」という国会決議で合意しようと動きだしたにもかかわらず、村山前首相・社民党党首が「『負担をなくす』という表現は絶対にだめ」だとただただメンツにこだわり、佐藤・社民党幹事長も「国民の声があるからといって、出来ないことを出来るかのように言うのは無責任だ」(5/10)とまるで大蔵省の言い分をそのまま代弁し、固執した結果、さきがけも竹村前蔵相のメンツを立ててこれに同調、銀行業界を代弁するかのような新進党の腰の引けた態度と相まって、自民党はこれ幸いと無修正、付帯決議なしで押し切ったのである。

<<「私どもの知らなかった問題」>>
しかしここまでに至る事態が明らかにしたことは、当初の「金融システム崩壊」論がいかにでたらめで、母体行、農協の「負担の限界」論も政・官・財の裏取引による適当な手打ちにしか過ぎなかったかということである。現実に母体行側は、史上空前の業務純益を計上している中で、負担増の能力があることをしぶしぶながらも認めており、橋本徹・全銀協前会長は「確かに体力はあるが株式会社としての法的制約があり名案がない」と述べ、全銀協側からは「政府・与党が法的根拠を決めれば、応じられるかもしれない」との声まででてきたのである。
さらに農協系の負担に至っては、昨年12月16日の段階で1兆1千億円で話が進んでいたことまで明らかにされ、それが一夜にして5300億円に減額され、そのこと自体を農林中金幹部が知らなかったにもかかわらず、農協系の負担の限界に仕立て上げられ、公的資金導入の根拠にされるという、ずさんきわまりない実態が浮かび上がってきた。
橋本首相は5/8の住専集中審議の中で「処理策を決めた段階では、私どもの知らなかった問題も次々に現れている。何と言っても、母体行が自らの責任をどう受け止め、どうこたえていくのか」と、しどろもどろである。

<<首相、有事法制の研究を指示>>
その橋本首相は、自らの住専疑惑からも逃れるようにして、新たな日米安保共同宣言を前面に立て、関係官庁に有事法制の研究を指示し、有事の際の私権制限や民間施設の強制収用、国民生活を直撃する有事立法に乗り出そうとしている。
そして緊急に直面する問題として、沖縄県の収用委員会が、すでに「不法占拠」状態になっている米軍楚辺通信所の一部用地について「緊急使用」を不許可としたことに対して、今後は米軍用地の収用手続きを政府自らの権限で進められるよう法整備を急ごうというわけである。橋本首相は普天間基地返還について「最大限の努力をした」と自画自賛したが、その後の事態が明らかにしたことは、基地の沖縄県内たらい回しと一層の長期固定化、集団安保体制への組み込みが露骨化してきていることである。来年5月には、さらに12の施設にある約3千人の地主の土地が使用期限切れとなる。自治体の収用委員会の権限が、政府の意に沿わない、「日米安保体制の信頼性を損なう」といった理由で取り上げられようとしているのである。さすがにこの点では社民党は全面賛成とは行かず、慎重姿勢を要請しているが、どこまで貫徹できるかおぼつかないものである。

<<小沢「自民単独少数政権に協力する」>>
こうした事態に呼応するかのように、新進党の小沢党首は「集団的自衛権の行使は合憲」という考え方を打ち出し、「自社さ三党の連立政権では何も決められない」、「自民党の単独少数政権になれば、大事な問題には協力する」(5/5北京)と、突如自民党単独政権支持、保・保連合構想をぶち上げた。偶然か故意か同時期に訪中していた竹下元首相とも北京会談を行い、「酒を酌み交わしながらよもやま話をした」ということであるが、自民党ににじり寄る「押しかけ保・保」、「”新安保”保・保」と、新進党内でも物議をかもしている。
よからぬ動きには必ず登場する中曽根氏が早速(5/7)、「目先の仕事、党派にとらわれた考え方が多すぎる。小乗仏教であり、大乗仏教ではない」として、安保政策を軸にした勢力結集論を展開し、北京での小沢-竹下会談にも理解を示したという。
さらに山崎・自民政調会長は、5/17のワシントンでの講演で、「自社さ連立政権の下では、日米防衛協力の指針の見直しは現行の憲法解釈の範囲内で限定されたものになるだろう」、しかし「総選挙の時期と結果次第では、従来のカテゴリーでは集団的自衛権の行使に当たるとされるような内容にまで日米防衛協力の範囲が広げられて合意される可能性も出てくる」と俄然キナ臭さが現実化しだしている。

<<首相直系議員の「魔女狩り」発言>>
そしてとんでもない議員がどこにでもいるものである。元厚生官僚で自民党の熊代議員が、パソコン通信の電子掲示板のボード上で「エイズ問題のデタラメ報道を信じてますか?」と題して、薬害エイズに直接関与した厚生省、学者、製薬会社には「故意過失はない」と断言し、マスコミ報道を「魔女狩り」とかみつき、菅厚相を「厚生省の正当性を断固として主張しなければ、真の厚生大臣とはいい難い」と論難したのである。今回のエイズ疑惑で嘘とごまかしを繰り返してきた厚生官僚を弁護するのに「ウソも百ぺん繰り返せば真実になる。かつて、ドイツのナチズムが脅威を振るった時代の有名な言葉が思い出されます」とは、まったく天に唾するたぐいのあきれ果てた低俗議員である。
この人物、厚生省援護局長を最後に退官、橋本首相が厚相時代から癒着、橋本と同じ岡山から出馬、橋龍後援会の直接の支援を受けて当選している首相の直系議員である。そして今回の参考人招致をめぐっては「そんな馬鹿なことはやめろ」と主張して、薬害エイズ加担者の喚問を終始妨害してきた張本人でもある。
5/14の衆院厚生委員会理事会では早速、新進党側から「真の大臣とはいい難いと自民党厚生委員が言っている。大臣とは言い難い菅厚相に質問などできない」と自民党に呼応するかのような対応が示され、戸井田元厚相は「次の内閣改造で厚生省は自民党に返して貰う」と菅厚相の更迭を公言している始末である。

<<「保・保連合」許さぬ政治勢力の結集>>
最近の世論調査では、自民党の支持率がが47%に上昇し、新進党は14%に下がったというが、事態は極めて流動的であることも事実であろう。与野党それぞれに重大な波乱要因を抱えていることは疑いない。自民党内でさえ、「集団的自衛権の問題だけで小沢氏とウェディングマーチを奏でようと思っている人はほとんどいない」実態である。小沢氏の発言はそうした事態への焦りの表現ともいえる。
6/19の会期末を控え、会期末には銀行・農協系が金を出すか否か、特別減税の続行と消費背増税にいかなる結論を出すのか、沖縄米軍基地の土地収用手続きにいかなる対応を打ち出すのか、集団自衛権に踏み出すのか否か、厚相を含めた内閣改造にとりかかるのか否か、解散・総選挙に打って出れるのかどうか、まさに政権が行き詰まるかどうかという、抜き差しならない局面にいたる可能性も十分にあり得るといえよう。たとえ遅くても、「来年度予算案の編成直後の来年1月国会開会冒頭解散・1月総選挙」(5/15梶山官房長官発言)が既定の路線となりつつある。「保・保連合」に対抗した新たな政治勢力の結集は可能であり、ローカルであれ、グローバルであれ、そうした結集の芽を強く太くすることこそが求められているのではないだろうか。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.222 1996年5月26日

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【書評】日本思想の可能性とは何か・・・その非合理主義的民族性

【書評】日本思想の可能性とは何か・・・その非合理主義的民族性
吉本隆明・梅原猛・中沢新一『日本人は思想したか』(新潮社、1995.6.30.発行  1900円)

「社会主義の崩壊」、「マルクス主義の挫折」とともに近代合理主義の破綻が声高く叫ばれて久しい。そしてこれに代わって「宗教ブーム」「哲学ブーム」が到来した。しかしその「哲学ブーム」も実は「哲学ファンタジー」ブームがその本質であることが次第に明らかになりつつある。つまりリアルな現実に代わって「ファンタジー」(非合理的幻想)が人々をとらえているという状況は変わっていないのである。
かかる時代の風潮に迎合して、現代日本社会の非合理性を思想史の領域で「総括」し、「われわれはどこへ行くべきか? 大転換期のいま、日本思想の可能性をさぐる!」と大見栄を切っているのが本書である。
本書において日本思想史を語り会う三名は、それぞれ馴染みの人々であろう。そして立場も思想も異なると考えられている彼ら三名が鼎談して打ち出している日本思想の可能性、それは「近代の超克」から「現代の超克」へと通じる現代社会の非合理主義的徹底否定でありこれを裏打ちする日本思想(東洋思想)の「独自性」と自然観の優位(人間中心主義の否定)の主張である。
さて本書では、「概念思考、概念的な体系が日本思想には乏しい」(梅原)、「日本人はシステマティックな思想の体系をつくらなかった」、「断片でしかない日本思想」(中沢)という前提から、「思想と言ったとき、内部でもあるし外部でもあるという、重なり合った混沌とした領域」(吉本)が注目される。
すなわち日本人にとって体系的制度的なもの(「国家」や「法」などの普遍)は、いつも外部から異質なものとして中心に持ち込まれた。このために、これらについてはわかりにくい思想の形態しか存在しなかった。しかしこれに対して、「中間的」な位置を占める宗教・文学・芸能・習俗などのかたちできわめてユニークな思想が、日本思想として成立したとされるのである。これを中沢は「日本思想の境界的性格」と名づける。そしてこの日本思想は、梅原の言う中国文化渡来以前の思想、「それよりも前に日本に存在していた何か」(縄文文化とされる)を地下水脈として持っていて、これが連綿として日本の歴史を流れ続けているとするのである。
これは「『国家』という枠をこえた、むしろ普遍」、「一時代前の、人類の普遍的な原理」(梅原)であり、ヘーゲルの国家概念や中国の国家を示す「普遍」を超えた「もうひとつの普遍」(中沢)とでも言うべきものとされる。そしてこの後者の「普遍」が「いまとこれからの日本が超近代というような形で出てくるものとして探っている普遍なんじゃないか」(同)と提起される。
かかる日本思想は、ギリシア哲学に始まる西洋思想が自然から人間へという方向を持つのに対して、逆に人間中心から自然中心へという方向性を有し、これが近代の行き詰まりを解決する手立てとして示される。梅原の次の言葉はこのことを端的に表している。
「近代世界というものはもう明らかにだめだと。(中略)その一番のところが人間と自然の関係。これはやはり間違っている。これは西田〔幾多郎・・・引用者〕も批判したところですけど、人間の自我が自我に対立する自然を征服していく、そういう征服の道具が科学であり技術である。(中略)それが歴史の進歩だという考え方が近代の前提になっている。これは私はもう通用しないと思う」。
「『近代の超克』は、近代じゃなくて人類の歴史そのものをもっと根本的に、農耕・牧畜文明発生以来の文明を超克していく、という考え方に立たなくちゃならない。そしてその超克において、東洋文明は比較的ましだろうと」。
かくして近代社会は、梅原のいう「生命の奥深い暗さを凝視して、そういう奥深い生命というものを重視」することで超克されることになる。(なお付言すれば、梅原はこれを京都学派の特徴であるとする指摘に同意している。)すなわち近代は徹底してより以前の原初的人類の生命に還元されることで超克されるべきなのであり、このことを日本思想の経過が検証しているとされるのである。
吉本も、梅原ほど性急にではないが、基本的には上の立場に賛意を示して「科学技術が発達して、それが倫理に反することをしでかしたり、副産物が出てきたりする、(中略)それは、倫理と結合しなきゃ科学自体がだめだぜ、と結論するよりも、あの世からもこの世からも見ないとなかなか解答できない問題がそろそろいろんなところから出てきたぜ、というふうに理解して、少なくとも既成の倫理はちょっと保留しとこうじゃないですか」と主張する。そして「西欧現代」と「現在」との区別の上に立って「結局、俺はかつての『近代の超克』と同じことを言おうとしているなとしきりに感じます」と述べる。
以上本書においては、終始日本文化の様々な側面を梃子として、日本思想の底流をなすとされる原始的非合理主義への還帰が語られる。われわれは、この鼎談に露骨に示された日本文化論と「現代の超克」の危険性を指摘しなければならない。そしてこの危険性は、本書に登場した三人の持つ日本人観によってさらに深刻となる。というのも、本書において語られた日本人観では、「日本民族」「日本人」としての民族的アイデンティティが無条件に確実なものと見なされているからである。
ところが決定的に重要なことは、歴史的に見れば日本において「民族」という言葉が初めて用いられたのが1880年代後半であり、それの確立・定着が1900年前後(日清・日露の戦間期)であったという事実であり、「近代の日本において、『民族』の観念(意識)が成立し、また戦前の日本人を呪縛した『日本民族』という範型が形成されたのは、日本のアジア侵略の深化の過程、とくに大規模な対外侵略戦争の時期であった」ということである。そして「戦後の『日本人』という言葉は、戦前の皇国史観、つまり『日本民族』にまとわりつく神話性を切断するのではなく、むしろ隠蔽する役割をになうものとして機能してきた。そこから、戦後の日本は、被害者意識のなかに埋没し、その『被害者』的な意識を癒す便法として西欧民主主義の“普遍主義”にのめり込み、それがやがて1970年代以降、私生活中心型の『快適さの囚われ人』というかたちのナショナリズムの醸成につながったと思われる」という指摘(引用はいずれも尹健次『民族幻想の蹉跌・・・日本人の自己像』岩波書店、1994.8.26.発行、より)が、本書の前提である「日本思想」の「本質」を根底から覆しているのである。このことは、現在流行の日本人論、日本文化論への徹底した批判の必要とともに、われわれ自身の有している民族意識の常識を再検討する契機を示していると言えよう。
それ故「今日の戦後日本の転換期において、総体としての日本人が抱え込んでいる問題の本質は、たんなる戦後体制の再編ではなく、世界の民族問題につながる『日本の民族問題』であるという認識が不可欠である」(同上)という指摘は、日本思想の領域にとどまらず広範に論議されるべき重要課題を含んでいる。 (R)

【出典】 アサート No.221 1996年4月20日

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【投稿】今こそ、沖縄に連帯して

【投稿】今こそ、沖縄に連帯して

昨年9月の米兵による少女暴行事件は、冷戦崩壊後の一見もっともらしい「平和」にならされていた私に、厳しい沖縄の現実を突きつけた。学生時代、幾度となく「本土復帰を求める沖縄」に連帯して、集会やデモに参加した経験を持ちながら、年月と共に沖縄のことを忘れかけていた。
戦後50年間、耐えに耐えてきた沖縄の人々。少女暴行事件以来、県民総ぐるみの怒りとして、米軍基地を存在させている日米安保条約そのものを問い、治外法権にも等しい日米地位協定の根本的見直しを求めている。昨年10月21日、大田沖縄県知事は、8万5千人の県民集会で、「本来一番に守るべき幼い少女の尊厳を守れなかったことを心の底からお詫びしたい」と述べ、基地使用のための代理署名を拒否している。かつてないほどに沖縄は怒り、燃えている。
「今こそ、沖縄に連帯して・・・」と思った私は、昨年末から正月にかけて沖縄を再訪した。新装なった「ひめゆり平和祈念資料館」で、館内に常駐しておられる語り部の方の生々しい戦争体験を聞き、「多くの犠牲の上に、私たちの今がある」と改めて強く実感した。出口付近に置いてあった感想用紙に、思いのたけを書きつづった。先日、当資料館から思いがけず「資料館発行の感想文集に掲載する」とのハガキが届き、本当に嬉しかった。細い細い糸だが、沖縄と繋がれたような気がしたからだ。
4月12日、「沖縄米軍基地撤去を要求する大阪府民衆会」(大阪平和人権センター主催、8千人参加)の帰途、「普天間飛行場の全面返還」の報に接した。国際情勢の厳しい中での返還だけに、その意義は大きい。しかし、飛行場諸機能の、嘉手納・岩国基地への移転・統合は、新たな問題を内包しており、手放しで喜ぶわけにはいかない。
これからも、沖縄の問題を自分の問題として捉え、沖縄が本当の意味で平和な島になるよう、いろいろな活動に参加していきたいと思っている。
(大阪、田中雅恵)

【出典】 アサート No.221 1996年4月20日

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