【映画紹介】「月はどっちに出ている」

【映画紹介】「月はどっちに出ている」

日本は今、加速度的に国際化している。そして、その波の中で、さまざまな問題、矛盾も次々と派生している。
私が携わっている教育現場でも、3年ほど前から「国際化」云々が随分語られるようになった。そうした時代の要請に応えるべく、大阪では、昨年10月、「大阪府在日外国人教育研究協議会」(略して“府外教”と呼んでいる)が発足した。続いて今年10月末には「第1回大阪府在日外国人教育研究集会」が開催され、私も全体会に参加した。周知の通り、大阪で「在日」といえばほとんどイコールで在日韓国・朝鮮の人々をさし、数多く住んでいる。
「在日韓国・朝鮮人教育」が、他に先駆けて取り組まれてきた所以である。いろいろな研究会や講演会で話を開くたびにこのことに自分がどう向き合えばよいのか、はっきりと答えを出せないでいた。「本名を名のる教育」の報告を開くことが多かったせいか、私は、「本名」にこだわりすぎる傾向に少なからず疑問を感じていた。もちろん、実践を積み上げてきた人々も、「本名を呼び名のる」ことは、教育の終結点ではなく始まりに過ぎないと認識している人が多いとは思う。また教育現場だけで解決できる問題でもない。そんなことを考えていたので、10月頃、新開で「月はどっちに出ている」の紹介記事を読んだとき、是非観たいと思った。題名の奇抜さに引かれて記事を読んだのだが、「在日」の崔洋一監督が、その非凡さで「在日」をどう措いているのか、とても興味があった。
観賞後の感想を一言で表すと、「とてもおもしろかった!」。日経新開の映画評でおなじみの嶋田邦雄氏によると「日本映画で最近、これほど受けロングラン上映している作品も珍しい」そうだ。主役の姜忠男(在日コリアンのタクシードライバー)を演じた岸谷五朗も適役で、気負いのない熱演ぶりに心を動かされた。忠男の勤める金田タクシーの二代目社長金世一、「祖国統一のため、金融業をやっているんだ」とうそぶく朴光珠、忠男の3人は朝鮮高校の同級生という役柄だが、全員、日本人の役者だ。監督の言を借りると、「僕の映画にとって必要な、有能な人材を結集させることが大事なんであって、国籍にこだわる必要はないんです」。はっきり言い切る姿勢に共鳴する。在日一世や二世の時代から、もはや三世、四世の時代を迎えつつある。生き方や考え方も当然変化してくる。その辺の事情が、忠男と母(フィリピン・パブを経営しながら、稼いだ金を祖国朝鮮に住む家族にせっせと送金している)の絡み合いからも想像できる。
「チョーセン人は嫌いだけど、思さんは大好きだ」と忠男にまとわりつく運転手仲間のホソ、忠男が朝鮮人だと知ると「慰安婦問題」を得意気にしゃべり始める乗客のサラリーマン、日本人のある側面をかいま見せてくれる。それらが、全体としてユーモアたっぷりに描かれていて、少しもイヤ味がな い。それでいて現実の「在日」をめぐるさまざまな問題を浮き彫りにしてもいる。嶋田氏の言う通り、「鄭義信の巧みな脚本にも負うところが多い」。
国際化の現実、「在日」問題に関心がある方はもちろん、映画ファン、笑いを欲している方は、是非、「月はどっちに出ている」をご観賞下さい。
(大阪十三・第七芸術劇劇こて12月30日迄上映中)
(大阪・田中雅恵)

【出典】 青年の旗 No.193 1993年12月25日

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【書評】『食人宴席 抹殺された中国現代史』

【書評】『食人宴席 抹殺された中国現代史』
     鄭義(ツェンイー)著、93.11.25発行、 光文社カツパブックス、820円

<広西事件のニュールンベルク裁判を!>
「食入宴席」という書名を見ただけでは、いったい何が書かれているのか定かではないし、「食人」といっても何かの例えなのだろうという印象を受ける。ところがこれは、文字通り人間を殴り殺し、人肉を切り刻んで煮たり、焼いたり、炒めたり、揚げたりして人肉宴会を行っていたという驚くべき事実の告発である。しかもこの地獄図絵は、ある特異な性格のごく一部の発作的で突発的な事件であったり、あるいは飢餓的な極限的な状況で起きた事件ではない。毛沢東指導下の1960年代後半の文化大革命期に、権力組織を行使して、実に広範囲な規模で、多数の群衆を動員して繰り返し行われた<人肉宴会>なのである。
これを読み進んでいくと、思わず気分が悪くなるほどの内容である。著者の鄭義は、1987年東京国際映画祭でグランプリを獲得した中国映画「古井戸」の原作者である。中国民衆の厳しい現実を見つめる目は鋭く、なおかつ暖かい。その著者が危険をかえりみず、このおそるべき犯罪行為を現地で実地に調査し、多くの被害者やその家族、加害者にまで面接調査して、白日のもとにさらけ出したのは、これが「プロレタリア独裁理論で武装され、国家各レベルの党、政策、そして権力側芽の黙認のもとで、直接的に計画された組織的な暴行事件である」ということ、その上こうした「文革当時、人間を殺害し、人間を食った黒幕達は、まだ法律上の制裁を受けていない」という現実にもとずいている。著者は中国のみならず、世界の世論に訴えている。「私は絶対、信じる。近い将来のある日、全人類がこのファシズム的犯罪行為を告発するに違いない。共産党という一党独裁政権のもとで、われわれは広西事件のニュールンベルク裁判を行うことができなくても、ある日、人民はかならず、このような犯罪行為に対するニュールンベルク裁判で道徳的清算を行うに違いない。」

<<人肉を食へて出世>>
事件の一端が明らかになったのは、中国・広西省武宣県である。ここだけで「殺され、迫害によって死んだ人間は524人、その内、食われた者は百数十人。武宣県の食人者は推定1万~2万人にのぼる」。ここでは上からの犠牲者割り当てに応じて、走資派や実権派をデツチ上げ、「まず批判闘争宣言があり、糾弾集会を行い、その後、人間を殺して、生きているままに人肉を削ぎ、生きている人間が絶命すると、人間の心臓、肝臓、胆嚢、腎臓、胸肉、骨髄、太もも、足、筋、・・人間の骨肉を切り取り、削ぎ取って、それを煮たり、揚げたり、炒めたり、そして酒にゆっくりと漬けたりして、さまざまな調理方法で、豊かな献立にしたのである。また<人肉宴会>では酒を飲み、杯を交わし、論功行賞をした。」、「こうして食人の嵐がうずを巻き、集会があるごとに闘争があり、闘争があるごとに死者が出て、死者が出れば、かならず食われ、惨劇が繰り広げられたのだ」。
例えば、1968年7月1目、武宣県の桐嶺中学副校長・黄氏は同中学の教室で開かれた批判糾弾大会に引きずり出され、棍棒で殴り殺され、生徒から教師達までが副校長の人肉を切り取って、大々的に食べられた。頭は殴られ、真っ黒にはれ上がり、大腿骨とすね、そして手の肉は全部、切り取られ、肝、心臓、性器もすべてとられ、胸部は空っぼで、はらわたも流れ出していた。そして学校の食堂や廊下、区役所の炊事場で、教員宿舎や女子学生宿舎で人肉を煮たり、焼いたりして人肉料理の宴会が行われたのである。
女子民兵・王文留は、「人肉を食べたことによって、共産党から認められ、だんだんと地位が上がり、最終的には武宣県革命委員会の副主任になった。彼らは人殺しから出世しただけではなくて、人間を食って出世した」のである。

<<寛大な収拾策と居座る幹部>>
毛沢東死後、文革は収拾されていったが、このような犯罪者に対する措置はきわめて寛大なもので、多くの食人事件は、確実な証拠を上げることが出来なかったとしたり、これまで犯罪行為を認めていた者が次々と否認に転じたり、逆に「毛主席もこういう話をしたのではないか。われわれが彼らを殺さなければ、逆に、彼らはわれわれを殺す。彼らが死ぬか、私が生きるかというのが階級闘争である」として正当化さえ行われた。また食人事件を画策した人々が現在なお、何ら問われることなく居座っている。広西省党委員会書記であり、広西事件の最大の元凶である韋国清は、後日、人民解放軍総政治部主任に栄転し、彼は「なぜ、人間を食べた人間は、続けて幹部であることはできないのか」と反論したという。
現在の中国では、毛沢東生誕百年でふたたび毛沢東ブームがあおられているという。功罪あわせ持つというが、功の方はこれまで幾度も称揚されてきたが、罪の方はいっこうに明確にされてはこなかったし、ブームがあおられるときはきまって罪がまさっている。功とは、多様な存在を認める統一戦線、人民戦線の思想、人民連帯、人類愛の思想であり、罪とは、個人崇拝、独裁権力、セクト主義と内ゲバの思想であり、つまるところは抹殺と食入思想に行きつくものである。罪がまさることのないよう、この著者の問いかけを受け止めるべきではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.193 1993年12月25日

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【投稿】深刻な雇用合理化と今後の選択は何か?

【投稿】深刻な雇用合理化と今後の選択は何か?
              –冷たい労働運動への視線を変えていくために–

93春闘時、バブル崩壊のつけを労働者に転嫁させない(今後バブルの矛盾の整理が本格的に開始される)、「ゆとり・ゆたかさ」というスローガンの真価を問うことの重要性を指摘してきた。しかし、事態はますます景気後退の中で悪くなり、同様に労働組合あるいは労働運動への視線も冷たくなる一方である。それはあたりまえで、93春闘は実質賃金を守ることもできず、この間おおいに進められた「時短」についてもみるべき改善がなく、それどころか「リストラ」ブームのなかで大幅な雇用合理化がすべての産業で吹き荒れているにもかかわらず、労働組合は「声」もほとんど出さず、経営団体と政府に景気回復施策を陳情するということだからである。おかげで今や解雇された労働者やその恐れのある人は、弁護士の「雇用110番」や行政・労政事務所などの講座や企画が大流行というからなさけない(これはこれでよいことだが)。労働弁護団の報告ではこのことが赤裸らに描かれているが、やはりここに今の企業内組合を主体とした運動の限界が如実に表現されている。当該「組合員」だけの利害を「代表する」(これすら危ういのであるが)だけでは、もはや時代錯誤もいいところである。少なくとも姿勢とスタンスは労働弁護団や地域ユニオンのような「すべての労働者」に開かれた組合活動が目に見えるように必要なのである。

▼深刻な雇用情勢
この1年間、新聞や雑誌をにぎわせたリストラ合理化は相当なレベルである。(これらは「賃金と社会保障」誌1993年9月下旬号などに一覧があるので参照されたい)しかも、今回の特徴は労働組合からはずれたホワイトカラー(事務職・間接労働者)を中心とした合理化という点である。さらに93年下期からは不況型の倒産・合理化が追い打ちをかけてきた。実際、私の友人の中にも企業内で残業規制・一時帰休・解雇などなんらかの対策が講じられたのは半数以上、会社閉鎖、子会社併合などがおこなわれる人も実際に存在する。身近な人にこれほど切迫した事態があるのは今回がはじめてである。(これはわたしが単純に年をとったせいかもしれないが・・)
第一次石油危機不況(74年)、第二次石油危機不況(81年)、円高不況(86年)の三回にわたる雇用合理化では常に製造現場の合理化が中心となってきた。しかし現場の合理化の余地は少なくなってきており、企業の成長力がなくなってきたこともあいまってのポスト不足で中高齢者、中間管理職が企業から排除されるようになったという点。またバブル期に大量に入社した若年労働者についても、配転や異動などを通じてのふるい落としが行われていることも見逃せない点である。
そして、これは大いに労働組合側が問題にしなければいけないことだが、これらの合理化が企業の倒産危機などの事態に直面したなかでのギリギリの選択としての雇用合理化ではなく、短期の赤字解消や・単なる利益の低下にたいする企業処方として横行しているという点である。大手企業の合理化は、バブル崩壊の不況を通じて「リーン生産方式」に代表されるいっそうの「ムダのない」、一ドル=100円レート時代での国際競争力と企業力を維持するための21世紀をめざした体質づくりを行っているといえる。資本の図に乗ったともいえる雇用合理化は、これまでの日本的労使間係を基礎づけてきた終身雇用制の崩壊を確実にもたらしてきている。ここぞとばかりに「不況」を口実とした経営側の攻撃もあるので、組合や労働者はしっかりと見きわめることも必要である。企業内労務管理と賃金制度もこれにより今後大きな変化が生ずる。
問題は労働組合が存在するにもかかわらず、賃金や一時金、残業などの値切りが横行し、これらについての組合としての交渉がほとんど見えてこない点であろう。また新しい企業体質に対応した組織・運動づくりも必須であるが、これらはほとんどまだまだ実際の議論にならない点だ。組合員離れが進む中で、組合員の関心をつなぎ止めるために様々な試みが行われてきた。耳触りのよい言葉、マークやロゴ、組合旗を変えたりするUI活動などなど。しかし、今回の雇用合理化の中でしっかりと活動したところは何よりもまして、組合の団結は強化されることは自明である。NHKで土曜の朝放送された「経済ジャーナル」の合理化問題での特集で取材をうけた人たちはいずれも企業への怒りと緊張から体のふるえを隠せないようであったのが深く印象に残った。労働者は誰が自分達の見方なのかをしっかりと見ているようである。

▼今後の選択は何か?
リストラ合理化の中で労働組合が果たすべき役割として前述のことは当然のことである。まずこれらがきちんとなされていなければ、問題はただ資本の動向に一方的に左右されるだけである。
一方で、今回の不況が当初いわれた単純な循環的な不況局面という事態ではなく、構造的なものになっている点である。すでに数次にわたる景気対策では前回の円高不況時の5倍近い30兆円以上が投入されたにもかかわらず、いっこうに景気は上向かず、消費不況が拍車をかけ雇用不安を増大させている。これらの常套手段が通用しない経済環境はいったいなぜなのか?
ひとつには公共投資型の不況対策ではもはや日本経済を誘導できないということである。70年代後半から花形産業は自動車や電機関連産業へとシフトし、今回の不況がこれらを直撃し、需要も延びなくなっていること。(もちろんこれは資本の論理として「売れない」のであり、発展途上国など自動車等を社会的に必要としている潜在的需要はまだまだ多いのである。)
さらには建設需要談合に象徴される、プロジェクト需要の水増し体質である。社会資本充実も不透明な収支のなかで、公共投資の実質投資効果が疑われている。談合体質もそうであるが、投資対象や内容にも新しい評価が必要であるし、これらを公正・公開する必要がある。
冷夏、米不足、円高、株価の低迷、実質賃金の低下による「ゆとり・ゆたかさ」から「清貧」の生活、消費不況・・・バブル崩壊後の景気調整は思わぬ複合的な構造不況となった。すでに一年以上におよぶ景気後退は、当然、税収不足を引き起こし、景気対策のためにのこされた所得税減税をするためには財源がないので消費税率のアップという。景気回復のためには10兆円規模の新規投資が必要とされ、そのためには5%の消費税率のアップが必要とされる。したがって、消費税は7~10%程度とされることが予想されている。
国内的には連合と日経連が音頭をとって「一致協力」している規制綴和による市場拡大と資本回転の促進、そのための官僚・行政機構改革が目玉であろう。いままで、経営側はさんざんこれら国家保護行政の枠で事業を拡大し利益をしこたまためてきたが今度はそれが邪魔だから親制をなくそうという、彼らにしてはなんともむしのいい話である。11月24日の連合と経団連とのトップ会談では、連合側は「全国民的視野に立って、政府、経済界、労働界がそれぞれの立場で経済危機を突破するために最善を尽くすべきだ」「総理の減税先行一発言があったが、減税と財源のワンセット論を否定するものとして、高く評価する」(山岸会長)、「政権は変わったが官僚機構は変わらない。規制親和も地方分権も、中央省庁を変えていかないと実現は難しい。この改革に向けては連合と経団連は一緒にやれる」(後藤氏・自治労)という。経営側は「規制緩和は新しい起業機会を増やすことになり、雇用創出につながる。新しい産業で雇用を吸収していくべきであり、その意味では終身雇用から継続雇用に向かわざるを得ない」(中内氏・ダイエー)、「円高は消費者にとって本来喜ばしいことだが、規制のせいでメリットが出ていない。行政の過保護のもとでは企業も国民も自己責任意識が育たない。連合とわれわれが大連合をつくって日本の官僚機構を変えないと、規制緩和も進まない」(盛田氏・ソニー)という具合で、政府と日経連、連合が手をとって行政改革を行うことが当面する課題だというわけである。
国際的には一方ではEC、NAFTなどの経済統合と一方でのウルグアイランド交渉における市場開放要求など日本をとりまく環境は円高という形で市場調整されている。これらは「条件付き市場開放へと向かわざるを得ない」というのが大方の見方であり、米問題などは米不足(これも政策・意図的な和が多々ある)に乗じて規制事実化しようという判断であろう。
したがって今後、かなりドラスティックな行政機構の改革は必須であろう。すでに人口の高齢化にともない行政ニーズも変化し、これらの見直しが開始されている。子どもや若年人口の減少は保育園や児童館などにたいする予算の削減・一般財源化、管理機構の第3者機関委託など民活路線の一層の導入などがすでに着手されている。
3度の不況合理化を経験してきた労働界が、いまだにこれらを経験化せず、対処療法的な闘い方にとどまってきたことは歴史が物語っている。今は民間レベルのリストラだが、それは公務関連労働者への攻撃の前触れでもある。単純な抵抗闘争(抵抗闘争自体は必要である)ではもはや闘い得ぬが、大きく労働者全体の利益を擁護する闘い方が本当に問われる時代であろう。(東京・Woz)

【出典】 青年の旗 No.193 1993年12月25日

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【投稿】工クパットの可能性

【投稿】工クパットの可能性

1、はじめに
これからの日本で人権問題を考えるとき、抜きにできないのは、加害者としての自覚とそれに立脚した立ち上がりという視点である。これまでの日本における解放運動や解放教育の基本的視点となってきたのは、被差別者の立ち上がりである。水平社宣言を出発点とする被差別者の立ち上がりという視点は、これまでの日本の人権闘争を引っ張ってきた。しかし、現在の日本が世界の中で占める位置を見るとき、被差別者や被害者の立ち上がりという視点だけでは決定的に不十分である。自己の差別性や加害者性をエネルギー源にしなければ、これからの解放運動や解放教育は生き残れないのではないだろうか。
このような視点について、これまでも言葉としては語られてきた。いわく、黒人問題は白人問題である。
女性問題は男性問題である。部落問題は部落外問題である。障害者問題は健全者問題である。しかし、その中身、加害者が立ち上がる論理が語られることはあまりに少なかったように思う。そろそろ本気でこの課題にとりくんでよいころである。もはや日本においては、被差別者の解放運動でさえも、自己の加害性を見失うならば朽ちてしまうのではないかとさえ思える。
アジア各地における観光買春問題は、その格好の例である。そしてエクパット・キャンペーンは、観光買春のなかでも子どもを被害者とするものに課題を限定してとりくもうとする国際キャンペーンである。

2、エクパットとは
エクパットというのは、「アジア観光買春根絶国際キャンペーン」(=TheInternationalcampaign toEnd Child Prostitution in AsianTourism)の略称である。1991年から93年までが第1期、94年から96年までが第2期とされ、それ以後は打ちきることが定められている。
ここ数年、アジア各地で子どもからの買春(かいしゅん)が大きな問題となってきている。日本製のパイプレーターを膣につめられて半年間苦しみぬいて死んでいったフィリピン人の少女ロザリオ・バルヨット。フィリピンのルソン島からだまされて日本に連れてこられ売春を強いられたミミ(仮名)という少女。このような被害が報告される中で、問題の重大さが改めて確認され、キャンペーン開始にいたった。
タイではチュアン政権が子ども買春根絶を宣言した。フィリピンではアキノ政権末期に子ども特別保護法が制定された。被害国では本格的なとりくみが始まっている。
加害国でも、法改正などが進んでいる。ドイツではこの6月に、海外で子どもを性的に虐待したドイツ人をドイツ国内で罰することができるよう法律が改正された。オーストラリアでも同様の法改正が検討中でおそらく来年には制定もしくは改正されることになるだろう。
いずれもエクパットキャンペーン展開以前には考えられなかった事態の進展である。エクパットは子ども買春という問題を世界の世論に載せ、これへのとりくみを開始させることに成功したのである。
このような成果を受けてエクパットは、93年10月には世界でもっともふるい人権NGO反奴隷制インターナショナルから、「国際賞」を授与された。また、世界旅行業協会(UFTAA)からも93年11月に「平和賞」を授与されている。世界的には高い評価を受けているキャンペーンであることがわかる。

3、日本での対応
日本ではどうか。ここ数年、フィリピンなどで日本人男性が子どもを性的に虐待しポルノなどを撮ったという罪を問われて逮捕されたという事件が相次いでいる。彼らは日本に帰ってきてもおとがめなしだ。また、日本のやくざに取りこまれて麻薬の売買や少女の誘拐を手伝わされたという子どもの話しがタイやフィリピンの新聞に報道されている。日本に連れてこられて売春を強要されていたという少女の話しもあとを断たない。「買春大国」日本はこうした面で「活躍」している。従軍慰安婦問題は決して過去の問題ではない。
ところが、各地で訴えてみて、賛同の声が上がる一方で、驚くばかりに同じ様な反応が返ってきた。それ時、「好きでやっている人もいるんじゃないか」「日本に公娼制度がなくなったために、海外まで行ってそんなことをする人間が出てくるんだ」「買春する者が問題だという視点を前面に出すより、子どもの権利という視点を前面にだしたほうがいいのではないか」といった意見である。男性側から前向きな答えが返ってくることはごくまれであった。差別問題にとりくんでいる人々の間で報告したときも、男性参加者の多くは、押し黙ってうなだれたような感じで、発言が出ないことが多かった。
日本のNGOの反応も決してよいとはいえない。飢餓や識字や教育といった問題に比べて子ども買春という問題は重くハードなイメージが強いからだろうか。世界的にはエクパットを支えているような団体が日本ではあまり協力的でないという例も見られる。たとえばセイブ・ザ・チルドレンは、国際エクパットに執行委員を送りこむほどの団体である。ところが日本では、いまのところキャンペーンへのとりくみがほとんど見られない。エクパット側の問題もある。しかし、NGO側にも問題がありそうだ。

4、今後の課題
エクパットキャンペーンは、多様な可能性を秘めている。とかく泥沼になりやすい買春間題にすっきりした視点を提供してくれる。女性差別への取組の入り口としても、独特の切り口を持っている。第三世界と日本との関りを最も厳しいところから問いかけてくれる。もちろん子どもの権利条約との関係も明確だ。
この特徴を生かせるかどうかが今後の課題である。運動の目標としては、海外で子どもを買春した日本人を国内で罰する法律の制定である。制定の前提には子どもの権利条約批准が必要だ。組織論的には、NGOの結集が望まれよう。ぜひ注目していただきたい。
(大阪:森)

【出典】 青年の旗 No.193 1993年12月25日

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【投稿】ロシア総選挙の結果について

【投稿】ロシア総選挙の結果について

◎ロシアの新議会選挙で、フィンランドの併合まで公然と唱える極右のジリノフスキーの党が躍進した。彼がエリツィンと大統領の座を争った2年前に比べ約2倍強の支持を集めた。この結果が判明するや、大統領報道官のコスチコフは「ジリノフスキーともうまくやっていける」と言ってのけた。これは一見奇異な感じを与えるが、ソ連邦崩壊後の対外政策を振り返って見れば、それほど驚くに値しない。
◎ソ連邦崩壊後エリツィンが、クリミヤの返還を要求したりカザフのロシア人居住地域の領有を主張したりしたことに見られるように、ピョートル崇拝者のエリツィンにとって、ジリノフスキーの言動の明快さは羨ましい限りのものに映っているのではなかろうか。
◎CIS内部でのロシア人保護の名目でロシア軍の平和維持活動の合法化を求めたり、旧ワルシャワ条約機構参加諸国に対するNATOの攻勢にプレジネフドクトリンの復活ともとられかねない論理を展開して見せたコーズレフ外相の最近の発言は、エリツィン・ジリノフスキー連合があながち幻ではないことを物語ってはいないか。
◎最近制定された国章は「双頭の鷲」を形どった帝制ロシアのそれに酷似したものであり、採択された新憲法もその時代を思い起こさせるものであるといっても過言ではない。この面でも体制の整備が進んでいると見るのはうがち過ぎであろうか。今後、エリツィンが「国内の反動勢力を押えるために」という、かつて最高会議を隠れ箕にしたのとおなじ手法で、徐々にロシア帝国の復活の道を突き進むことだって十分考えられる。
◎「民主主義者」エリツィンを支持しその権力基盤の強化に手を貸してきた西側に以外と大きなツケがまわってこないと断言できる根拠はない。国内問題もさることながら、軍事ドクトリンを含むロシアの対外政策についてロシアの改革諸派がどのような態度をとり、大ロシア主義にかわる新しいアイデンティティを国民の前に明示しその発展を促すことができるか大いに注目されるところである。(0)

【出典】 青年の旗 No.193 1993年12月25日

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【投稿】混迷する政局に思うこと

【投稿】混迷する政局に思うこと
                 — 連立政権時代の新たな対抗軸を求めて —

今日12月14日現在では、選挙制度改革をはじめとする政治改革の行方は、コメ問題そして所得税減税や景気対策など国際的にも注目される重要案件の中で、正直に言って良く見えない。社会党の動き次第では連立内閣解消、総選挙ということも決して否定できない状況にある。
私は、細川連立政権を支持するものだが、若干混迷した情勢のなか、独断を承知の上でいくつかの点について私見を述べる。

<連立政権をどう考えるか>
細川連立政権を考える前に、今はどんな時代状況なのか、について触れてみたい。89年の東欧の民主化、91年のソ連の解体の流れは明かに歴史的とも言える変化を生み出した。これまでは社会主義と資本主義の対立、東西の対立が日本の政治をその深部で規定していたが、その構造そのものが解体した。日本では今年7月の総選挙によって自民党政権が倒れ「55年体制の崩壊」が語られた。そして、細川連立政権が誕生した。
しかし、現時点でも「55年体制」に替る、「新たな対抗軸」がまだ明確に見えてこない時期ではないか、と私は考える。見えていないのは、政治家であり、また国民であるが、また、見ようとしていないわけではなく、見えつつあるが、はっきりと姿を現していないともいえる。少なくとも細川連立政権の「実験」のなかで、国民の目にはっきりと見えてくるものがあると思っている。
対社会主義という政治の粋が取り払われた後、アメリカでは若い民主党大鹿領が生まれ、日本では昨年7月の政権交替が起こった。日本の国民の選択もまた同様に、ゼネコン汚職まみれの自民党にNOという意志表示を行なって、変化に対応できる政治、新しい政治を求めたのである。自民党が分裂し、新党が生まれ、連立政権が発足した。
連立政権は、まだ生まれて4カ月の政権であり、従来の自民党政治の継承を行ないつつ、政権発足にあたっての「8党合意」だけで出発をした。連立政権として極めて基盤が弱いという気がする。しかし、変化を求めている世論が存在するかぎり、連立政権は維持されるが、実際に変化を生みだせない政樵はいずれ国民から見放される。そんな気持ちで私は連立政権や社会党を見ている。
社会党が「新たな対抗軸」を政策と共に、運動として獲得することができなければ、未来は厳しいものになるに違いない。

<自民党、社会党に共通する苦しみ>
新たな対抗軸がはっきりしないけれど、過去の対抗軸の喪失状況の中で、依然として過去の対抗軸を持ち続けている政党こそ、現在生みの苦しみかあるいは、断末魔の苦しみの中にある。
自民党という政党が、政権党から転がり落ち、新党が生まれ、保守的意識の国民からは「保守の選択肢」が増えた。保守系無所属という言葉もさらに一様では無くなる。いかなる主張を持った保守かが問われる。
主張のない単なる保守というのは、東西対立の時代、自民党一党政権の時代には有り得たが、これからはありえない。主張のない保守は単なる「民族主義者」または「利権屋」ということになる。
自民党も野党になれば、つい半年前までの社会党のような「抵抗政党」のスタイルしかとれないでいる。
「コメ自由化絶対反対」「国会決議を守れ」というように。
社会党も残念ながら、同様に旧来の対抗軸=「反自民」だけの看板ではその成立ちすら危うい。保守与党への反対政党であるだけで支持が得られた時代はもはややっては来ないことを肝に命ずることこそ必要である。残念ながら社会党は、その努力を一貫して行なって来なかった。
党の主張と連立政権の政策との間には、必然的に乖離が生じる。それがわからない議員など「政治家」に値しない。自民党の利権議員とは違った形で、一部の労働組合や団体の利害にのみ存在する議員は国政に責任を持てるはずがない。こうした議員こそ、社会党の中に多い。土井旋風で続出した市民派議員は7月の総選挙で軒並み落選し、社会党への逆風の中で辛うじて当選した現職の議員はなんとか、こうした組織票の頼みで当選したわけだから、一層これらの団体の利害に忠実に、すなわち「保守的」にならないと、生き延びられないという抜き差しならぬ状況にあるのではないか。
政権与党と抵抗政党的体質の確執、社会党にも新たな対抗軸は明確になっていない。

<選挙制度での修正、コメ問題での決断の背景>
コメ問題で細川連立与党側が部分開放を決める中で、党内の反対の根強い声にも関らず、最終的に社会党がコメ部分開放の決断をせざるをえなかったのは何故だろう。私は以下のように思う。93宣言という新しい「党の立場」を決定する前に、7月の総選挙が行なわれ、突然政権政党になった。それも議席半減という代価を支払って。しかし、社会党の支持率は低下する一方である。小選挙区比例代表並立制の与党案の修正及び採決の問題、またコメ部分開放決断の過程に見られた事実上の分裂状態をみれば、だれが社会党に票を投じようか。自民党政権の時代、社会党は幅広い国民政党だと自慢していた体質が逆に、国民に分裂と映る状況になってしまっている。
そういう現実であるからこそ、衆議院70議席という与党第1党という立場は絶対に守らないことには、次は有り得ないという認識を社会党幹部は持っているだろう。次の総選挙を新しい選挙制度で、さらに連立与党の統一会派で戦わない限り、社会党と言う政党をすくなくとも維持することすらできなくなる可能性が高い。次の選挙を必ず新制度で実施し、かつ連立与党での小選挙区候補者の調整をする、この時までに、社会党の「93宣言」など新しい政策・活動スタイルを創りあげるための時間を稼ぐ、ということが、現実問題として求められる。そういう意味で「連立政権を守る」ために、党の従来の方針と異なっても連立与党で有り続ける、という社会党の現在の選択を私は是としたい。
ただし、この選択が正しかったという結果に結び付くには、ふたつの条件が有る。ひとつは今国会で選挙制度改革が実規し、連立政権が維持されること。ふたつには、次の新しい選挙制度のもとでの総選挙が行なわれるまでに、社会党のマイナスイメージを転換し、新しい対抗軸を確立するである。
「政治改革」実現までの間、連立各党は、社会党との連立解消、また自民党との連立を選択することは、おそらくできない。総選挙があれば別である。自民党が再分裂した場合なら考えられないこともない。そうして見れば、ひとつめは実現の可能性が高い。問題はふたつめの社会党改革の問題である。

<自己主張なき政権擁護は墓穴を掘ることになる>
コメ部分開放決断にあたっての社会党村山委員長の説明は、現時点では党を維持したままの改革が極めて多難であることを示している。部分開放には反対だが、連立政権を維持するためなら、止むをえないと。私はコメ開放に賛成であるので、結論には賛成であるとしても社会党を支持しつづけることは、考え直したくなる。
コメ開放問題が政権の存続まで決定しようとしている時、こうした曖昧な態度は国民からは「大臣病」との非難を受けざるをえないし、党の「主体性」論者からの政権埋没論に対抗できない。むしろ、大多数の都市勤労者からの支持を得ようとするならば、部分開放を明確に支持しつつ、日本農業の存続について政策提言を行なうがよい、一時の批判を甘んじて受けるがいい。閣外に出ると言うなら、すっきりと出るがいい。勤労者にわかりやすい形で、総選挙を戦えば良い、その方がいいのである。ところが、今回のような「党内事情優先」「政策不明」「政権優先」「具体的政策提起なし」という曖昧な態度だけならば、例え会期延長によって、政治改革やコメ問題に決着しようとも、党としての体裁すら無くし、国民からは見る影もないものになってしまう可能性がある。

<国際的視野を持った、政策政党へ>
今、政党に求められているのは、21世紀を生きる日本人は、世界の人々とどのように接し、どんな仕事をして、どんな暮らしをしていくべきかを全体として明かにして、そのための政治、経済政策を総合的に示していくことだと思う。残念ながら、社会党は言葉の上でも行動の上でも「党の主体性」として明確にできていない。
平和/人権/環境と言葉でいうことは簡単であるが、社会党のイメージとは結び付かない。93宣言のような、難解な文章でなく、国民にそうした変化を示すことが必要ではないか。
文章で言うのは簡単なことかもしれない。すでにこうした意見はこれまでの「旗」にも出されてきた。しかし、今回の連立政権の成立を受け、言わば社会党が、袋叩きのような状況にあるなかでこそ、「改革」が求められているのではないか。
(大阪・佐野秀夫)

【出典】 青年の旗 No.193 1993年12月25日

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【コラム】ひとりごと–細川政権と共産党に思うこと

【コラム】ひとりごと–細川政権と共産党に思うこと

▼いまさら周知のことを繰り返すのはどうかと思われるのだが、共産党は、現在の細川政権を、「保守反動の第二自民党」政権と位置づけ、自民党政権よりも悪質な政権として、国会の場では共に野党である自民党と共闘することもしばしばである。共産党議員の質問に対して自民党席からやんやの拍手喝宋が行われることも珍しくはなくなった。それが時によっては必要なことも理解できよう。▼しかし、細川首相の「侵略戦争」発言や、韓国訪問の中で表明した「植民地支配に対する反省と陳謝」にまで、もってまわった論理でケチをつけるのはどうにもいただけない。細川首相は、日本語強制や創氏改名など日本の植民地支配の中での具体的な事実を上げて加害者としての反省と陳謝を表明したのである。これは戦後48年も要して、初めてなされた謝罪発言なのである。自民党政権が決して行おうともしなかった行為である。▼ところが11月9日付「アカハタ」紙主張は、この発言の背後にあるものから説き起こしてくれる。「細川内閣は、日本・南朝鮮の新しい関係を作ることによって、自民党政権にはできなかった、いっそう危険な役割をはたそうとしているのです」と述べ、「この態度表明は、連立与党の中枢にいる小沢新生党代表幹事が最近の「朝鮮日報」紙で、日本の戦争責任についても「明かな侵略」とのべていることとの関連でみる必要があります」とくる。したがってその発言の意図は、「米・日・南朝鮮三国の軍事的一体化をめざすものであることは明らかです」というわけである。▼当然、韓国の金泳三大統領が細川首相の態度表明を「歴代自民党首相にはできなかったこと」と称賛、今回の会談を「両国が未来に向かって共同の努力を誓った重要な転機」と位置付けたことも気に入らぬ。金大統領は「韓国外交の基本は米国と日本の関係だ」と述べており、これは米・日・南朝鮮の軍事的一体化をめざすものである、だからとても評価できるものではない。とにかく、細川や非自民連立政権を評価するものは、何がなんでも気に入らぬという論理である。▼現在、連立政権内で社会党などが中心となっ、て大戦中の「謝罪決議」の本会議での議決が目指されているが、自民党の一部議員65人が「歴史検討委員会」なる新グループを作って、これを「絶対に阻止する」と息巻いている。共産党は、細川「保守反動政権」と対抗するために彼らと共闘するのであろうか?   (T.Ⅰ)

【出典】 青年の旗 No.192 1993年11月15日

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【書評】「地球の掟」(EARTH IN THE BALANCE)

【書評】「地球の掟」(EARTH IN THE BALANCE)
          アル・ゴア著 小杉 隆訳 ダイヤモンド社 ¥2500

「EARTH IN THE BALANCE」というのが原名の著作。著者は、昨年秋のアメリカ大統領選挙でクリントンの副大統領となったアル・ゴア。

<アメリカの議員は政策立案者>
この本の著者は、学者ではない。ジャーナリストから弱冠38才で下院議員という経歴を持つ政治家そのもの。アメリカ上院の議員時代に書いたものである。はたして、日本の政治家にはこれほどの本を書くだけの、調査期間や力量があるのかなと思ってしまう。政治改革や政治家のあり方が問われている時期だけに、日本の政治家とアメリカのそれとの違いを感じたので、まず最初は、この違いについて触れておきたい。
日本の政治家、国会議員は野党、与党を問わず、団体の代表の性格が強く、団体と政府、地域と国の利害調整カが問われる。労働組合でも役員の行き着く先が議員というパターンもある。
しかし、アメリカの国会議員に最終的に問われるのは、議員立法を幾つ成立させるかどうかであるようだ。野党か与党か、民主、共和党を問わず如何に多くの理解者を作り、政策を磨くことが第一に問われる。
そのため、議員には調査費用やスタッフの費用も公費で保障される。ゴアも環境問題を自らの重要な政策課題として一貫して取り上げてきた経過の中で、「地球の掟」も書けたわけだ。

<地球環境危機への哲学>
構成は序章、終章を含めて17章。序章では、彼が環境問題に関わった経過、議会で環境問題を取り上げてもなかなか理解されなかったこと、息子の事故死に関わって、一層環境問題への理解が哲学的なレベルに至る道筋が語られる。まさに、人間ゴアが語っている。
「これは私の25年以上に及ぶ探求の旅の本である。この探求の旅は、地球規模の生態系が瀕している危機を理解し、どうしたら解決できるかを見いだすためだった。私は地球という惑星に起きている生態系破壊の現場を訪ね歩き、地球環境を守るために人生を賭けて関っている世界中の素晴らしい人々に巡り会った。・・・・・私にとって環境危機は政治的冒険に踏み出すべきかどうかという岐路に立たされる問題である。私は自分が冒険し過ぎているのではないかと立ち止まって考えるたびに、世界中から流れ込んでくる新しい事実を見つめ、まだまだ努力が不足していると再確認してきた。環境問題の重要性を考えれば、この問題を人気取りや派手な政治ゲームの駒として使うべきでないのは明白だ。私は今になって、環境危機にもっと早くから、もっと強力に、もっと効果的な解決策を提案し、その実現のために多くの政治的冒険を乗り超え、より多くの政治的批判に立ち向かうべきだったと深く後悔している」。この後悔が、この本を書かせたとゴアは語る。

<全地球的視野と新しい哲学>
潅がい工事によって水が干上がったアラル海で砂漠の船団を目撃し、アメリカで大気浄化法案が成立した年をさかいにした南極の氷河の変化を見つめ、温暖化のため1メートルにも薄くなった薄氷の北極海を潜水艦で調査し、ファーストフード(マクドナルド?)用の牛肉を生産するための牧草作りの犠牲となったアマゾンの熱帯雨林の破壊現場を歩き、アフリカでは象牙を取られたアフリカ象の屍体に遭遇し、がノブ海では死んだサンゴにであった。
こうした現実に出会いながら、ゴアは「そういう環境破壊の実態を一つひとつ考えることはもちろん必要だが、それを系統的に分類し、考え方や感情を整理し、バラエティにあふれた問題のどれにでも適切に対応できる統一した考え方を持つ必要がある」と言う。
戦争を例にして、局地的紛争、地域的戦闘、全地球的衛突を想定し、環境問題では、水質汚染、大気汚染などは本質的に局地的なもの、酸性雨、地下水脈、大量の石油流出などの汚染は地域的なものであり、真に地球環境の働きそのものには影響を与えない。しかし、全地球的な戦略上の驚異は、地球の生態系システムに影響を与えるものと規定する。
地球温暖化、CO2と他の温室効果ガスの濃度は、第二次大戦後25%も増加し、太陽からの熱量を一定に保つ地球大気の能力を狂わせる全地球的な驚異となっているのだ。
文明が特定の地域だけでなく、全地球的な環境に影響を与えるまで発展した事実に我々は直面している。しかし、我々はこの事実に抵抗している。地球の自然’シ女テムの脆弱性を信じようとせず、あいわらず無関心なままだ、と。
今世紀に入って、地球と人間との関係の物理的現実に二つの劇的な変化が生じた。人口爆発と科学技術革命。人類は、その出現以来、1945年に世界の人口が20億人に達するまで一万世代を要した。ところが、今や世界の人口は、10年毎に中国の全人口に匹敵する数、約11億人ずつ増えている。科学技術の急速な革命的進歩は、地球を構成する物質を燃やし、切り倒し、焼き尽くし、移動させ、変形させてきた。こうして、人間と地球の関係を一変させてしまった現実を理解しなければいけない。
第一に、地球を傷つける人間の能力が、全地球的規模であり、しかも永続的な影響を与えるところまで到達していることを認識すること。
第二に・・・重要なことは「環境に対する人間の影響」という観点に立つのではなく、むしろ「環境と人間の関係」を理解することである。地球環境問題の解決策を採るためには、人間と自然の関係についての慎重なアセスメント(影響評価)が必要となる。「やみくもな自然回帰論は、よい方法かもしれないが単細胞的な考えだ。本当の解決策は文明と地球との関係を再構築し、最終的にバランスさせることだと思う。・・・・地球との関係を改善するためには、もちろん新しい技術も必要だが、鍵になるのはその関係そのものに対する新しい哲学なのである。」

<地球環境版マーシャルプランの提唱>
このような哲学的とも言える原点を持って、ゴアは<地球環境版のマーシャルプラン>を提唱してる。地球規模での環境破壊が進み、政治の課題としての環境問題がクローズアップされつつある現時点においてこそ、世界親模の「環境保護を行動原理とする具体的活動」を実現する必要があると主張している。
「地球環境版マーシャルプランは、元のモデルとは比べものにならないほど広範囲で複雑な要素をもっている。このプランには大規模で長期にわたり慎重に組まれた発展途上国への経済援助、貧しい国の経済的発展を支える技術の設計と移転の努力、世界人口の抑制計画、環境に対する責任ある生活スタイルを推進するための先進国による結束が盛り込まれることになる。」と。
特にゴアが問題としているのは、先進国と発展途上国との関係である。化石燃料の利用による重化学工業の発展をすでに終えている先進国に対して、発展途上国はこれからがそうした「環境破壊を必然化する工業」への発展段階にある。昨年の地球サミットでも問題になったことであるが、環境破壊をしてきたものが、発展途上国には環境破壊をするなとは言えない。
ここに地球規模でも矛盾がある。先進国こそ、富と技術を途上国に保障する責任があるとゴアは主張する。マーシャルプランでは、資金はアメリカが負担した。しかし、地球環境版では先進国全体がこれを負担することが必要であり、そのためには先進国国内の制度や政策の変革が求められる。これは現状で既得権を得ている人々の反対を呼び起こすことになる。しかし、「人類の生存を保証するには、先進諸国、発展途上国のどちらにおいてもこの変革を起こさなければならない。それもあらゆる国に同時に義務を課す様な地球規模の協定を成立させる必要がある」と。
具体の協定を示しながら、それぞれのテーマにおけるアメリカの役割もゴアは明かにしている。まさに環境版アメリカ戦略とも言える。
ゴアは日本には厳しい意見を持っている。「日本は経済的には大国だが、世界の政治的なリーダーシップを振る責任を回避してきたし、そのような役割が求められていることにすら気がついていないようである」と。さらに、ヨーロッパも、統合に伴う問題の解決に時間を取られ、さらに東欧問題も抱え複雑な状況にある。そこでリーダーシップを取るのはアメリカしかないと言うわけだ。
この著書は、具体的な地球規模の環境問題の入門書としても豊富な内容を持っている。それに加えて、地球環境の哲学とも言える原点と具体的政策も提案されている。是非一読していただきたい本である。
(大阪・佐野秀夫)

【出典】 青年の旗 No.192 1993年11月15日

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【投稿】シンガポールを旅して

【投稿】シンガポールを旅して(大阪教員交流会ニュース NO53 93-9-29より)

<民族の統合を進めるシンガポール>
今回の旅行の目的は、アメリカ以外のアジアの国の学校の視察と勤務する学枚の姉妹校提携のメドをつけることです。その都市としてシンガポールを選んだのは、2つの理由からです。一つは多民族国家であり、シンガポール流の多民族複合教育を行っているのではないか、と考えたのです。もう一つは日本はかつてシンガポールを侵略した歴史をもつので、日本の加害性を検証できるのではないか、と考えたからです。
シンガポールは淡路島ほどの国土に280万人の国民が生活している国です。小さな国であるにも関わらず、イギリスの植民地時代から世界貿易において重要な位置を占めてきたのです。現在では世界的にも有数のジエロン・コンテナヤード、チヤンギ国際空港を擁して、自由貿易港として、世界に向けてアジアの窓口になろうという国です。
シンガポールのおもしろさは多民族の複合、あるいは統合(Integration)を国家が積極的に推進しているということだと思います。現在のシンガポールの人口構成は中国系75%、マレー系12%、インド系8%、他5%です。そのシンガポールの多民族を融合してシンガポーリアンを創りだそうという国家的な実験を行っているのです。
新しく建設されている住宅は数十階建ての高層住宅ばかりです。一棟当りの入居人数はシンガポールの人口比率と同じように割り当てられるのです。ですから子どもは小さいときから、気が付いたら異なる民族と一緒である、という生活をしているのです。ですから当然、学校も人口比率と同じ様な民族構成になっているのです。かつてはアラブ・ストリート、リトル・インデイア、チャイナ・タウンetc.民族ごとに生活空間が異なるように住み分ける傾向があったのですが、今の政府は民族の統合を目指して積極的に国民生活に介入しているのです。

<移民には厳しい統合政策>
民族政策で、アメリカとの違いは移民に非常に厳しいということです。 アメリカは移民の国ですから、認められれば世界中のどの国からでも市民権を獲得できます。アメリカ人としての権利を獲得することができるのです。
シンガポールにおいては、外国人は基本的にシンガポール人としての権利を得ることはできません。マレーシア、タイ、フィリピンから外国人労働者が来ますがあくまでも外国人労働者であって、労働ビザが無効になると帰国しなければなりません。ですから多民族統合というのは、あくまでも中国系、マレー系、インド系のシンガポール人の間でのことなのです。外国人労働者に対しては、厳然とした差別があるのです。彼らに対してはシンガポール人として認められないもとで、働きに来るのだから当然だと考えているのです。
日本とも違います。日本では日本人と外国人が結婚すると、日本国籍を取得できます。ですから偽装結婚という法の網をくぐり抜けることが起こってきます。しかし、シンガポールでは外国人がシンガポール人と結婚してもシンガポール国籍を取得することはできなのです。結婚しても外国籍であることは変わらないのです。ですから偽装結婚をしても意味がないのです。
アメリカは誰もがアメリカ人になれるし、そのもとで多民族統合を目指している国ですが、シンガポールは外国人と明確に区別されたシンガポール人のみの間での多民族統合を目指している国です。日本の場合は外国人が日本人になる可能性を残しつつ、外国人労働者には異化を求め、帰化した外国人には同化を求めるという形で多民族複合の政策を取っていない国といえるのです。
外国人労働者はシンガポールでは3Kの仕事をしています。男性では建設労働者、女性では家庭でのお手伝いさんが多いのです。毎日甲早朝と夕方、トラックの荷台に10人程度の外国人労働者が乗り込み、建設現場と宿舎の間を移動しているのを見かけます。その様な仕事をシンガポール人は絶対しない、と現地スタッフがいっていました。

<自由貿易の保持とマイノリティの保護>
シンガポールが経済的に発展するための政策の根幹にあるのは、自由貿易を保持するということです。自由貿易で日本、アメリカ、ECからの投資によって、完全雇用を創出するということです。完全雇用を実現し、所得から年金の積み立てを義務づけることで、失業対策一社会福祉にかかる国家の財政支出における負担を少なくするという考え方です。 月々の手取りは12~13万円程度ですが、住居は500万円程度で買えるように価格が設定されています。自動車の価格が非常に高く設定されており日本のホンダのアコードが500万円程度するという話でした。公共の交通機関はバスが0.4S$程度(約30円)MRT地下鉄の初乗りが0.6S$(約40円)と安く設定されているのです。給料は通勤経費込みで、支払われるそうです。
教育は国家の政策と深く結び付いています。シンガポールでは、タバコやゴミを捨てると500S$、唾を吐けば500S$、MRTのホームでジュースやお菓子を食べると500S$という具合いに罰金が設定されています。それを認識するように禁止されている項目を書いたTシャツまで売られているのです。それらは教育の力で、教習道徳を守る人間を育てることで、公衆衛生の保持にかかる国家の支出を抑える、あるいは熱帯雨林を抱える国土の保全を図るという国家の政策の実現と結び付いているのです。
また、例えば、肥満の子供には特別のカリキュラムとして体育の授業が追加で課されるのです。それは親のしつけの結果、肥満になっているにしても、その様な生活習慣を断ち切ることが子供の将来のために必要であるということ、孫の代にまで、その様な生活習慣を持ち越さないということと結び付いています。そのことは国家の医療支出を抑えるということの実現と結び付いているのです。
国家による国民生活の向上の実現と教育の果たす役割が結び付いているのです。
言語は第一言語として英語、第二言語として中国語、マレー語、タミール語となっています。かつての宗主国イギリスの言語をなぜ使うのか、と思ったのですが、これは多民族国家として生き残って行くための知恵なのだそうです。
それは中国語を第一言語にすると、外国からの投資が鈍って、完全雇用を達成できなくなる可能性があるからです。ですから、国家のトータルな政策の一環として、英語を第一言語にせざるを得なかったのです。 さらに、中国、あるいは中国共産党との関係があります。中国系の人口が75%であり、インド系、マレー系の人口が減ってしまうということになると、中国本土にいる親戚etc.の関係で中国共産党の影響が出て来ると考えたのです。シンガポールにおいては、マイノリティを保護することが中国化、あるいは共産主義化を防ぐ保障なのです。そのことが外国資本をして安心して投資せしめる条件であったのです。ですからマイノリティの保護も英語圏であることも、国民経済が向上し発展するための条件なのです。
国家が経済的な必要性から、資本の論理からマイノリティを保護するのがシンガポールなのです。ですからマレー系やインド系の人々に対する配慮は生活のいろいろなところで見られます。このことは逆に日本においてはマイノリティの解放や地位向上ということで運動を展開している団体は皆無に近く、交流は望むことはできないのです。そういう意味ではアメリカとは大きく異なっているのです。
健略の地を訪れて 8月15日にシンガポールに「太平洋戦争の犠牲者に心を寄せる集会」をしている団体(代表 高嶋伸欣 筑波大学付属高校教諭)に飛び入りで合流しました。出発する4日程前に、その集会の案内が封書で届いたので、事務局に問い合わせたところ、すでに日本を出発しているということであったので、ホテルと電話番号を開いて、訪ねていったのです 15日には合流はできませんでしたが、部屋に手紙をおいていったところ、夜に電話連絡があり、16日に合流することができました。
血債の塔(Chopstick Tower)、林謀盛の記念碑を見学した後、バスで日本人基地、晩晴園を訪ねました。
血債の塔とは、4本の箸(Chops tick Tower)の様な塔です。日本軍に虐殺された4つの民族を表現しています0つまり中国人ニマレー人、インド人、ユーラシア人です。Civic Centerの前の広場に設けられていました。 林謀盛はマレー半島解放の闘士です。彼の碑は血債の塔の近くに設置されています。碑には4カ国語で彼の業績を讃えたプレートが張り付けられていました。
日本人墓地は、7ヘクタールの土地に910基の墓標が並んでいます。最近まで荒れていたそうですが、近ごろ整備されたそうです。からゆきさんの墓がたくさんありました。また戦死した兵士の墓だけではなく、戦犯処刑された人の墓、近衛師団戦友会の墓碑もあります。戦争中に進出してきた企業が自らの「業績」を讃えて作った碑etc.もあります。この企業はシンガポールでは今でも評判が悪いようです。
晩晴園は孫文が辛亥革命の活動中に訪れた建物であるところから「孫文記念館」といわれています。もともとは中国商人の所有で中国の詩の一節から「晩晴」の名前がつけられたのです。1966年には孫文生誕百周年を記念して4回目の改修をして、一般開放されるようになったのです。常設の「日本統治下のシンガポール」展示が行われています。遺品は眼鏡、時計、ペン、入れ歯、指輪、ピアス、腕輪などが展示され、虐殺の被害者が女性や子供にまで及んでいたことを示しています。
高嶋先生のツアーはマレー半島を北から縦断して南下していくコースがとられていました。高嶋先生の話でなシンガポールでは戦争の時の聞き取りは困難であるということでした。それは、第一に過去の問題として、日本軍の侵略の際に中国人が徹底的に虐殺された結果、「生き残り」として聞き取りができる人が少ないということ、第二に現代のあり様として最大の投資国である日本の感情を害しては資本が逃げていきかねないという配慮から、戦争のことを「過去」のこととして振り返りたがらない、という政府の考え方があるからではないかと感じました。(大阪・F)
追記:大阪の「新しい人権教育」をテーマにしたドキュメントがNHKで全国放送されます。11月の27日又は28日に「国際化と人権教育」という題名になる予定です。

【出典】 青年の旗 No.191 1993年10月15日

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【映画紹介】映画「学校」を観て

【映画紹介】映画「学校」を観て 

先日、「学校」を観た。特別試写会の券を手に入れた知人が行けなくなって、代わりに私が行くことになったのだ。先月の朝日新開でも紹介されていて、「学校」現場で働いている者として、観る必要性を感じていたので、良い機会であった。
監督は、「寅さんシリーズ」で有名な山田洋次で、主演は西田敏行。その他の出演者は、「寅さん」の渥美清(特別出演)を始め、山田監督好みの俳優がズラリと名を連ねている。その割には、胸にズキンとこなかった。泣ける場面はいくつかあったが、感動するまでには至らなかった。それはなぜだろうか?試写会場を出た後、地下鉄の駅まで歩きながら、場面を思い起こしながらいろいろ考えてみた。
「夜間中学を描いた」点は、高く評価したいし、すばらしいことだ。周知の通り、行政側は夜間学級・夜間学校の数を減らそうとしている。「生徒の減少」を主な理由に挙げているが、それは若年の生徒のことであって、中高年齢唇の間では希望者は増えているそうだ。若い時に、勉強したくても、諸々の事情で学校に通えなかった人々が、生活も一応落ち着き、もう一度学枚に行きたいと願っている。そういう人々の中には在日韓国・朝鮮の人も多く含まれている。映画では、その役を、「ひとり芝居」の新屋英子さん(関西芸術座)が演じている。つっぱり、登校拒否、中国からの帰還者、障害者等、西田演じる「黒ちゃん」の学級には、様々な課題を抱えながら生きている「生徒」が通って来る。夜間中学生の厳しい現実を伝えようという、監督の熱意は感じたが、やはり問題の羅列という気がしてならない。
一人一人の生徒が体現している「重い」現実によって、映画全体が「暗く」ならないように、山田監督は努力している。西田敏行のキャラクターを生かし、萩原聖人演じる若者に時々「軽さ」を出させている。ほんの一瞬、渥美を登場させたり、観客へのサービスも忘れていない。しかし、私には、どれも消化不良で素直に笑えなかった。もっとも、この映画で、夜間中学の問題を決るのではなく、夜間中学の紹介と「こんなに楽しい所ですよ。」というアピールを主要な目的にして製作されていたならば、目的は達成されていた。また、「学ぶ」という事の本来的意味が失われつつある現在、心から学びたいと夜間中学に辿り就いた人々を軸に据えて、映画を作った意味は大きいし、15年間も脚本をあたためていた監督ならではと思う。
山田監督の視点と手法は、「寅さん」映画に象徴されており、それによって、氏は名監督になった。ただ、今回のようなテーマの場合、同様の描き方では、「名作」になりにくいと、私は思う。夜間中学生を演じる人々に、もっと「生活」を感じさせるものが欲しかった。出演者の中で、50歳にしてやっと文字を獲得した「イノさん」を演じる田中邦衛は、さすがの好演であった。
この映画が問いかけるものは、「学校」現場にとどまらない全社会的な課題でもある。多くの方々が是非この映画をみられて、新しい対話や討論の場ができればと、思う。(松竹系、12/24迄上映中)
(大阪・田中 雅恵)

【出典】 青年の旗 No.192 1993年11月15日

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【投稿】転換期の経済と不況克服策

【投稿】転換期の経済と不況克服策

<この先5-10年は乱気流>
来日中の米クレアモント大教授P・ドラッカー氏は、日本の不況について、「これはリセツション(景気後退)ではない。現在を転換期とみるべきだ。この先5-10年は乱気流が続く。特に日本にとって転換期の乱気流は厳しい。経済が製造業にどの国以上に依存しているためだ」と分析している。「日本とドイツは自動車、鉄鋼、家電といった古い成熟産業に依存する度合が高いため特に厳しい調整に直面」していると見る。
第一に、そうした古い成熟産業を代表してきた「大企業は世界の激しい変化に柔軟かつ速やかに対応しにくい」こと、そして「産業が直面するのは単なる経済的な問題ではなく、社会的な挑戦」であり、さらに「競争に国境はなくなり、インドネシアもアルゼンチンも競争相手になる。市場が仮に愛知県であっても、競争はグローバルになる」というわけである。
ドラッカー氏は、「世界中で米国政府ほど経済の分からない政府はない。理由は余りに多くの経済学者が政府に入っていることにある。彼らは過去の経済を学んだが、それと現実の経済はかけ離れている」と指摘し、こうした転換期における政府の役割について、「5-10年もしたら、どこの政府も愚かなものになる。理由は単純だ。予想できないことが起こり、前例が役に立たなくなるからだ」と断言する。(以上、日経11/3)

<”逆説”の経済政策を>
一方、米ハーバード大名誉教授J・ガルプレイス氏は、現在の世界的な不況の進行をどちらかといえばポストバブル経済の循環局面とみる。そしてそこにおける政府の役割がある意味では決定的でさえある。「われわれは現在、1980年代の大規模な投機騒動の影響下にいる。その大騒動にどう反応しているかを見てみると、残念ながら、その多くは事態をより悪化させている」と判断する。「不動産バブルが崩壊した結果、銀行から個人に至るまで幅広く、深刻なデフレに陥り、それが主因となって不況と停滞を引き起こし、今日、我々を苦しめるに至っている」という事態は、日米とも共通であろうが、「しかしながら日本では、公共政策が適切に行われてきたことは十分明白である。個人消費と企業投資が減少したのを補うために、強力な公的財政支出策を打ち出しているからだ」と評価する。しかし米国では、バブル感覚に浸ってきたレーガン・プッシュ政権時代の膨大な財政赤字というツケのために、「政府支出を削減し、均衡予算を求める声が圧倒的に強かった。しかしこの政策は間違っている。縮小・均衡予算はその意図に反してデフレ効果を加速させ、投機後に発生した失業を増やすだけである」と述べ、「こうした政治的判断こそが実は、投機時代には投機を許し、かつ投機話に金を注ぎ込んでさらに投機をあおり、その後バブルがはじけて、景気の回復を図らなければならないときになると、時期はずれの緊縮財政論をぶつことになる」と批判する。
逆説的ではあるが、「景気判断が楽観的な時にこそ政府が緊縮財政政策をとり、景気が後退したり、不況に陥った時に財政拡大策をとることが」最も重要であると主張する。日本では、「官僚の抵抗は多少あっても、景気刺激策として強力な公共事業政策を進めている。そうした積極的な政策こそ、誰の目にも分かりやすく、私もまた強く支持する。米国でも、また他の不況に陥っている諸国でも、日本と同じ行動を取るよう切に願っている」と述べる。(以上、日経11/8,9)

<逆説的事態の進行>
ところで、10月の景気指標によると、米国の93年上半期実質経済成長率は年率1%程度であったが、下半期は3-3.5%に上昇してきている。しかもそのリード役は製造業、とりわけ自動車産業であることが鮮明になってきている。自動車関連業界の雇用増(前年比+2.6%)が製造業全体の雇用縮小に歯止めをかけ、設備投資は主要産業の中で最高の伸び(前年比+39.0%)で、全製造業の設備投資増(同+3.4%)をリードしている。日本とは逆にニューヨーク株式市場は史上最高値圏に達している。さらに、米国版新社会資本投資としてのクリントン・ゴア両氏の「情報スーパーハイウェー構想」が米国経済にプラスの活力と新たなビジョンを与え始め、情報ネットワーク構築と地球環境問題を軸にハイテク産業の再活性化が試みられ、さまざまな連鎖反応を起こしているという。もちろんこうした動きはまだまだ不安定であり、いわば乱気流の中の一局面であるのかもしれない。しかし、ドラツカー、ガルプレイス両氏の指摘とは逆に無視し得ないし、注目すべき動きではないだろうか。
一方、日本の不況は戦後最悪ともいえる局面にさしかかっている。6月半ばの景気底入れ、回復宣言はついえ去り、いっそうの「底割れ」、大規模な雇用調整さえ叫ばれている。株式市場活性化をもくろんだJR東日本の上場は、2週間で高値から25%も下落し、個人投資家の株式離れを一段と進行させ、この間にJR、NTT両社の時価総額は1兆8400億円も減少するという事態である。所得税減税が景気回復の最大のテコとして期待されているさなかに、これだけの資金が市場から消失しているのである。財政均衡、緊縮財政論が大手を振ってまかり通り、政府、経済界を金縛りにし、経済活性化とは逆の現象をもたらし、「心理不況」の様相さえ語られている。しかし一方では、9月の機械受注統計によると、製造業からの受注が26.3%増え、鉄鋼、自動車工業からの受注は減少しているが、石油石炭製品工業では532.9%増、非鉄金属515.6%増、金属製品75.0%増という具合いに、明らかに下げ止まりの傾向が見えている。こうした事態は、やはりドラッカー、ガルプレイス両氏の指摘とは異なっているとも言えよう。
それにもかかわらず、確かに冷戦時代の終結を転機として明らかに、世界経済は転換期にさしかかっており、国際的な規模での構造的変革が迫られているということは間違いのないところであろう。しかし、そうした変革と打開の糸口は、それを推進する勢力の意思や努力、個々の逆説的事態の進行の中に現れているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.192 1993年11月15日

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【投稿】歴史認識と戦後補償問題

【投稿】歴史認識と戦後補償問題
                 —今こそ歴史認識を改めるとき—

細川総理大臣が就任後の記者会見で「太平洋戦争は侵略戦争」との発言を行うやいなや、各方面から反発の声があがった。そうした意見は「戦死者が浮かばれない」という、死者を隠れ蓑にした論調が主なものだった。正々堂々と「大東亜戦争は聖戦である」と言えないところが、かえって後ろめたさを浮き上がらせる結果となって、戦後48年の現在において、二重に戦死者を冒頭し、自己弁護に汲々とする醜態が演じられたのだ。
もう少し、ずる賢い人間は「あれは欧米の植民地支配に対するやむにやまれぬ戦い」とか「欧米もアジアを侵略していた」と主張する。こうした主張は、ある強盗犯が、他にも強盗犯がいるという事実をもって、己の無罪を主張するがごとき破廉恥なものであるが、それが戦争で指導的立場にあった人のみならず、世代や党派を越えて唱えられる現状は、誠に憂慮すべきものがある。そもそも、日本人の戦争に対する認識は、少なくとも日中戦争以降の15年間も連続的に捉えるべきであるとの提言が、過去幾度と.なくなされ、日中戦争は侵略戦争であったとのコンセンサスはほほできた。しかしそれ以降の認識は、実際は東南アジア・太平洋戦線における米・英軍との聞い、本土空袈、対ソ戦-シベリア抑留、という断片=被害者としての記憶しか、共有できていないのではないか。
ひょっとすると、沖縄戦はもちろん、ヒロシマ・ナガサキでさえ、地域的、特殊な記憶でしかなかったのではないか、ましてやアジアにおける残虐行為など、個人の封印された記憶でしかなく、朝鮮に対する支配は、現在の民族差別を見るとき忘却の彼方の出来事なのではないだろうか。
この様な認識を放置してきた責任は、戦犯を指導者に戴いた保守政治のみならず、日本人の被害者としての厭戦意識に依拠した平和運動にも少なからず存在する。原水禁運動は70年代後半から朝鮮人被爆者問題などで、その事を指摘してきたが、それでも戦後四半世紀経過していた。その後も、問題の所在は明らかであったにも係わらず、それが平和運動のなかで正面から取り上げられることはなかった。状況が変わっていったのは、やはり冷戦体制の崩壊からであり、国内では55年体制の解体が拍車を掛けた。それ以前は自民党が主体的に取り組むはずもなく、社会党も一般論としては主張するけれども、総括を置き去りにした論議であった。
こうした状況のなかで、当事者たちが声を挙げてはじめて運動が広がってきたのである。マスコミが映し出す当事者は全てが高齢者であり、戦争に起因する障害を持った人も少なくない。大島渚監督が「忘れられた皇軍」を作成してから、三十年が経過し、その主役達が再びブラウン管に映し出された。さらにアジア各地で、様々な戦後補償要求が起こってきている。
細川首相は先の韓国訪問の際にも、日本の具体的蛮行に言及し、謝罪を行なった。細川首相は近衛文麿と良く比較されるけれども、本人にしてみれば敗戦直後自決した近衛と対照的に、まんまと生き延びて、戦後の支配層を形成した戦犯に連なる人々に対する遠慮などないのだろう。ともかく、日本の総理がそうした発言を行い、日本人にショックを与えたことは大きな成果であると言える。今後は国内、国外の運動の要求を踏まえ、日本とアジアの共同作業として、共通の歴史認識を創るとともに、最も適切な施策を行なっていくことが必要とされている。
(大阪 O)

【出典】 青年の旗 No.192 1993年11月15日

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【コラム】ひとりごと–ロシア最高会議ビルに砲撃に思う– 

【コラム】ひとりごと–ロシア最高会議ビルに砲撃に思う–

▽ロシア最高会議ビルを戦車が重火器で砲撃し、数百人もの死者が出た。現在までのところこの正確な死者の数さえ厳しい検閲の為に公表されていない。私はこのおぞましい映像を見ながら、思い浮かぶかぎりのロシアのリベラルな知識人の胸のうちを想像してみた。▽西側の世論は、今までのところロシアが核大国であること、エリツィンが「民主主義者」を装っていること、反大統領派が先に手を出したという喧嘩の論理でエリツィン支持で固まっている。▽しかしこれはきわめて政治的判断にもとづく「支持」であり、当然のことながら、リベラルな思考が求められるレベルでは、問題はまったく別である。ニューズウイークの最新号にその一端が載っている。一例をあげてみよう。「保守派は大嫌いだけれど、今の状況は一方だけが悪いんじゃない。議会を軍隊に包囲させておいて、何が”勝利”なの?本当に恥ずかしい」(ジャーナリストのリュドミラ・サラスキナ)、「エリツィンは国を一つにまとめられなかった。そのくせ自分を支持するか武装蜂起で戦うか、どちらかを 選べという」(政治評論家アンッドレイ・コルトウコフ)、「新しい指導者、新世代の政治家が必要だ」(詩人のユーリー・キム)などなど。▽これらの控えめな発言からも、ロシアの良識派の悲痛な心情が伝わってくる。願わくば、彼らのこうした発言が保守派に肩入れするものだというあらぬ意図的なフレームアップによって封じ込められることにならぬことを祈るばかりである。 (O 10月5日)

【出典】 青年の旗 No.191 1993年10月15日

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【投稿】「ニッポンの川を問う、長良川DAY93」参加報告

【投稿】「ニッポンの川を問う、長良川DAY93」参加報告

今年の「NARAGAWA DAY 93 ニッポンの川を問う」は、「着工阻止」をめざした昨年の「10・4世界行動DAY」の行動とは、いろいろな意味で違ったものになった。

<運動をめぐる昨年からの変化>
第1は、行動目標である。昨年は「河口堰建設中止」であった。今年も言葉の上では同じである。しかし、今年はすでに河口堰そのものが、ほぼ完成した状況であり、同様のスローガンが掲げられたとしても、すこし意味が違っていた。現時点では、島根県の宍道湖中海淡水化計画が工事が完成しても、淡水化を止めたような「政治的」解決を長良川河口堰でも行わせることを意味していた。堰として使用せずに、「河口堰」を環境保護運動のモニュメントにしてしまおうと。
第2は、政権の交替があったことである。昨年は宮沢自民党政府に対して「建設中止」を求めたが、今年は8月に成立した細川連立政権に対して、「建設中止」を求めて行った。さらに加えて、五十嵐建設大臣は社会党出身である。運動側が、新政権に期待するところは大きかった。しかし、五十嵐建設大臣が就任直後前向きな発言をしたにも関わらず、後に後退発言をしたことは、一方で不安を感じさせてはいたが。それでも、環境問題への姿勢を党是とする日本新党の党首である細川首相にはきっちりとけじめてもらわなければならない。
第3に、現地漁協組合員が、今年3月河口堰建設等差し止め仮処分申請を建設省と水資源公団を相手に行い、裁判闘争に立ち上った。5年前漁協との補償交渉の調印を持って、建設省は河口堰工事を着工した。しかし、船主達が中心に進めた補償調印であったが、南松ケ浜漁協の漁師達は、疑問を持ち続けてきた。昨年来、宍道湖の淡水化を阻止した島根の漁協組合員との交流、反対する会などの働きかけのなかで、補償金を人国に返還することを決めた上で、今回の裁判闘争に至ったのである。
第4に、金丸逮捕に始まる政治腐敗問題は、建設業界と政治家の関係を明らかにした。ゼネコン汚職である。長良川河口堰工事に関わって、談合があったことは現在明白になってきた。公共工事のあり方、建設業界に奉仕してきた建設省への世論はより厳しくなり、反対運動には大きな力を提供してきたこと。
第5は、行動目標とも関連するが、「長良川河口堰建設に反対する会」の組織的発展、移行をどう図るのかが問われる行動であったことである。個別長良川の「反対運動」としての活動から全国の川を守る運動との関係をどう一歩進めるのかが、問われていた。

<前日は、河口堰早く止めナイト>
10月9日土曜日、長良川河口堰建設現場から上流、伊勢大橋を越えた河川敷公園に続々と人々が到着してくる。午後7時から始まる、「河口堰早く止めナイト」に参加し、河川敷でキャンプ、そして10日の行動に参加するためである。
筆者の感覚では、約2000人の参加者というところ。7時ころから「かまやつひろし」の野外コンサートが始まった。天野礼子実行委員会代表が、集会に至る経過を述べる。(残念ながら、私は食事中で、話を開いていない。かなりつっこんだ話をしたらしい)続いて、全国の川を守る運動家が、各地の川の話をはじめる。北海道からは、萱野茂さんが、鮭とアイヌの歴史と生活を語る、細川内ダム反対で当選した徳島県の木頭村藤田村長がダム反対を訴える、北海道の千歳川放水路に反対する人たちはじめ全国の自然保護団体が発言する。最後は、作家夢枕莫さんとカヌーイスト野田知佑さんのトーク。すでに午後11時を過ぎている。夜を超えて、参加者の交流が続いた。

<「NO DAM」のカヌー文字>
10日は、朝10時から集会が始まった。集会には社会党、共産党の国会議員、北川石松前環境庁長官が挨拶。社会党の女性議員は、政権与党の立場からか、今日の発言は個人の立場と表明した。共産党は、細川政権がゼネコンまみれで、期待してはならないと、的はずれ。北川氏は自然をまもれなくて何の政治か、ともっともすっきりした発言。
労働組合からも自治労東海地連などが発言する。裁判闘争に立ち上がった漁師の代表は発言もあった。言葉少ないが参加者の拍手を受ける。 (この後の集会の内容は筆者は知らない。カヌーデモ準備に水上の人となったからである)
集会決議は建設省に対して「1、過剰な水需要予測に基づいた水資源開発を見直すこと。その際、計画中であれ、建設中であれ、事業そのものを中止するシステムをつくること。2、コンクリートや河川の直線化を中心とした河川行政を転換すること」さらに「1、長良川河口堰建設事業を速やかに中止し、94年度予算への計上を留保すること。あわせて、愛知、三重両県への導水事業を凍結すること。2、木曽川水系水資源開発計画全体を見直すこと。」要求している。(10月27日には、反対する市民会議と建設省との交渉が予定されている)
さて、参加者は、カヌー隊、バイク隊、MTB隊、デモ隊となって午後3時に向けて、行動を起こした。カヌー隊は約500。長良川に「NO DAM」のカヌー文字を創る。デモ隊は、河口堰建設現場と大成建設・鹿島建設の建設事務所を取り囲んでデモを行い、伊勢大橋に終結。陸上と水上から「河口堰建設を止めろ」と一斉アクションを行った。

<運動に変化のきざし>
大いに盛り上がり、マスコミの注目を集めた今年の長良川DAYだったが、運動の底流では、いろいろな議論があったし、問題も残している。あくまでも、運動に関わる個人の私見として述べさせてもらう。 第1は、反対運動と政党、労働組合との関係である。実際、社会党と反対運動は冷たい関係になっている。社会党側は、建設中止を党議決定としてはっきりさせていない。これに対する反対する会側の不満は当然である。さらに、昨年10月以来岐阜、三重では県知事選挙があったのだが、社会党含めて保守系の知事候補は、河口堰問題を明確にせず、反対する会側は、第3の候補者について選挙闘争を戦うことになった。市民運動と政党の論理がかみ合わず、お互いの不信感を蓄積させている。こうしたことが、自治労の運動参加にブレーキをかけることになったのである。共産党は「赤旗」等では、長良川をよく扱う。しかし、政治的に関わるだけであり、運動側もあまり期待はしていないようだ。
今年から、全建設省労働組合(全労連)、全水道が運動参加の動きがあった。
第2は、反対する会など市民運動側のジレンマの問題。明らかに、「活動家」に疲れが見える。実際に参加者数は昨年より減少している。昨年は主催者発表万人と発表しても「それくらいいたよ」と参加者自身が納得する数字であった。今年、参加者7千人と言われても、そんなにいたのかな、という感じである。その原因は何よりも、「建設中止」という目標が曖昧になってきていること。宍道湖中海方式が今後の方向だが、どうしても「政治的解決」となり、昨年までのような直接行動型から変化しようとしている。運動側では「リバーズ・ネットワーク」という全国の川問題に取り組む全国組織の結成も検討されている。これ自身は私も大賛成で、恒常的な川の環境保護団体へという基本方向は正しいと思う。しかし、会員からは「長良川が薄れる」という声もある。いずれにしても「リバーズ・ネットワーク」を、日本の代表的な環境保護ネットワークに育てるためには、人と財政の問題も含めて未だ課題は多いようだ。

<市民運動のカをさらに強く>
こうして、反対運動の頂点としての「長良川DAY」は終わった。200人近いスタッフの働きがこの運動を支えた。すべて市民運動的な関わりである。この運動の強さは、参加する個人の自然に対する思いに依拠している。ここまで育てた運動がさらに発展することを期待するし、その一員として努力したいと思っている。
今後、運動は「日本新党」への働きかけを強めようとしている。日本新党議員団が長良川現地調査をおこなっているし、反対する会は文書作戦で細川首相の決断を迫ろうとしている。建設省は、これまで一端はじめた公共事業は、どんな問題があろうと完成させるという伝統をもっている。環境破壊の公共事業、根拠のなくなった公共事業である「長良川河口堰」の建設中止こそ、新政権の取るべき道であろう。10月27日には長良川河口堰建設を止めさせる市民会議と建設省河川局との交渉も予定されているのである。
(大阪・S)

【出典】 青年の旗 No.191 1993年10月15日

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【本の紹介】現代科学をめぐる20の対話

【本の紹介】現代科学をめぐる20の対話

『デカルトなんかいらない?カオスから人工知能まで、現代科学をめぐる20の対話』
ギタ・ペシス・パステルナーク著 1993.7.29.発行、産業図書、3296円

この本の冒頭に、ドストエフスキーの「生きる思想は、それが破壊されるまさにその融点で維持できる思想だけである」という引用が掲げられている。果してマルクス主義は、あるいは社会主義思想は、過去の歴史的遺物としてではなく、「生きる」思想として維持されうるのであろうか。
ここに紹介する、フランスの科学ジャーナリストによる科学者20人へのインタビューは、その点で多くの示唆を与えてくれる刺激的な問題提起である。問題の出発点は、17世紀デカルト以来のヨーロッパ合理主義の伝統、方法論、その決定論的思考方法はもはや完全な壁にぶつかっているのではないかということである。ニュートン力学の確立は、その決定論的思考のピークに符合していたとも言えよう。しかしその後のアインシュタインの一般相対性理論の登場、ニールス・ボーアの量子力学、ハイゼンベルグの不確定性原理、等々が明らかにしたことは、これまでの伝統的で決定論的で可逆的な法則は、一定の条件付きの、限られた状況にしか通用できないものであることを明らかにしてきたと言えよう。

<ランダムなものによる形成の豊かさ>
ノーベル化学賞授賞者でブリュッセル自由大学教授のイリヤ・ブリゴジンは、「ランダムなもの(量子力学からマルコフ連鎖に至るまで)による形成の豊かさや利益を強調する人々のことを敵前逃亡よばわりすることはできないし、決定論の獲得だけが科学が唯一目指すものとすることもできない」と述べる。「古典科学が安定性や決定論を主張していたのに対して、今日では、いたるところで不安定や、ゆらぎや、分岐といった話題が見られます」、そして「この新しい考え方について同じようにとても面白いと思われるのは、そう考えることで自然の豊かさが理解できるようになるということなんです。自然は、黒体放射のような秩序のない系と、生物学的系がすべてそうであるような平衡からはずれた系からなっています。どうしてもこんな問いを立ててみたくなりますね。どんな必然性があって、物質がこれほどの豊かな構造をもって姿を現すことになるのかということです。これは素粒子や原子や分子の運動が規則的な軌道に制約されるわけではないという事実のせいです。宇宙が基本的に不安定な動力学系からできているということですね。このように宇宙を予測できず、複雑なものと見るのは、欠陥なのでしょうか。それとも人間の精神の勝利なのでしょうか」と問う。
そして、決定論の図式とランダムの図式を対置することは、そこから二つの対立する教条主義の可能性を導き出すものであって、それに対しこの科学の領域に目新しいものが存在するとすれば、これら二つの自然についての見方が、対立するよりも補完するようになるのだということを強調する。しかし同時に、現代科学で表される宇宙では、ランダムな面が演じる役割が段々大きくなっていることを明らかにする。

<「知の相対性」と「相補性原理」>
医学者であり生物学者であるアンリ・アトランは、「知の相対性」というものを重視し、科学技術によって引き起こされた倫理や社会の問題を取り上げ、「組織化する偶然」、「ノイズによる秩序」というテーマを提起している。彼によれば、「我々は不確定や予測不可能な状態」から抜け出すために、「我々の周りに環境を組織する」、しかしそれは歪んだ効果を持っている。なぜなら、「不確定や予測できない状態がないというのは、新しさや創造性というものを抑庄しているということですからね。そこでは、最初こそ秩序は自然のランダムさから我々を解放するにしても、自分で組み込んだ秩序によって我々は窒息してしまうという危険」を生み出してしまうわけである。
カリフォルニア大学の物理学者、フリツチョフ・カプラは、「現代物理の大きな発見の一つは、独立した物理的実態は存在しないということに気づいたということです。現実は相関関係の集まりというか、相互につながった事象の組織というか、観測する側と観測される側の接触する領域だ」ということを強調する。そしてニールス・ボーアはすでに波と粒子を「相補性原理」で統一し、今では「散逸構造」という新しい理論がイリヤ・プリゴジンによってもたらされ、「またシステム論は生命をあらゆるレベルで包括的に理解することを強調していて、対立物の統一でことを進めています。我々が今科学的思考の劇的な革命と呼べるものを観察しているのは単に物理学だけでのことではない。これはデカルトやニュートンの普遍主義的で機械論的な見方から、プリゴジンの全体論的でダイナミツタな見方への移行を表している」ことに注意を向ける。

<「純粋」というのは「貧弱」の同意語>
環境・遺伝学者であるアルベール・ジャカールは、「我々の集団としての豊かさは我々の多様性からできていて、個人であれ社会であれ、「他者」が自分と似ていなければそれだけ、我々にとっては貴重なのだ」という視点の重要性を明らかにする。そして、「人間や集団の間には、不平等はなく、ただ差異、つまり相補性がある」こと、したがって、「知能指数のような尺度や遺伝といった概念に依拠して社会的不平等を正当化するような試みは、科学の成果の不正利用」であるとして、科学的、哲学的、政治的レベルでの活発な論争に身を投じている。
その意味では、「純粋」というのは「貧弱」の同意語にしかすぎないわけである。さらに言えば、アインシュタインの言っていたように、「歩調を揃えて歩くのに脳は要らない。脊髄だけで十分」なんであって、「複雑さ」、「相互作用」というような概念こそが、人間にとって本質的であることを強調する。そして「我々の複雑な世界では、自分の能力を代議士だとか、学者だとか医者だとかに委ねてしまうという習慣が多すぎますね。そうではなくて、一人一人が自分で理解するようにして、一人一人にその手段を与えなければならないでしょう」と述べている。

<創造的精神と「新しい知」>
以上に紹介してきたことは、この本のごく一部の内容である。後半には、コンピュータによる人工知能の可能性について興味深い論争が展開されている。ランダムの創造性、科学における偶然の決定的役割、カオスと不確定性などと聞けば、拒否反応を示される向きもあるかもしれないが、「新しい知」は、こうしたことの積極的な位置づけの上に展開されている。一見、マルクス主義や社会主義理論とは無関係に見えるかもしれないが、私には決定的な重要性を持っているように思える。残念ながら公式的マルクス主義は、マルクス以降の人類の科学的成果や遺産を無視し、その本来持っている創造的精神と多様な発展を圧殺してきたのではないだろうか。自らを窒息させ、その発展を押しとどめてきた、いわば決定論的思考は、前衛党思想やメシア主義、ヘゲモニー主義、指導党思想などに如実に現れている。しかし、そこから抜け出て、克服するチャンスは幾度もあったのではないだろうか。ソ連史をとっただけでも、レーニンのネップへの移行論、1935年の反ファシズム組一戦線理論、フルシチョフのスターリン批判と社会主義への移行の多様性理論、そしてゴルバチョフのベレストロイカ、これらは創造的で新しい思考を目指すものであったが、すべて未完の内に押し潰されてしまった。いずれもある意味で「多様性」と「相補性」を目指すものであった。今、あらためて問われているのは、マルクスやレーニンの字義解釈や正統派継承論ではなく、現代の科学の発展に照応した多様性の積極的擁護と創造性ではないだろうか。その意味でここに紹介した対話集は、実に刺激的であると同時に、挑戦的でもある。 (生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.191 1993年10月15日

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【投稿】ユニオンとしてはじめて政府交渉をセット

【投稿】ユニオンとしてはじめて政府交渉をセット

<問われる地域ネットワーク>
コミュニティユニオン第5回全国交流集会が9月24日から2日間、東京江戸川で開かれ、40ユニオン・団体、250名以上が参加した。①今年の全国集会の特長は「全国ネット」として初めてパート・派遣・外国人労働者問題をテーマに労働省交渉をもったことである。政策制度の立案過程に関与する交渉の設定は、非自民連立政権の成立という有利な条件に加え、「地域社会に密着した多様なユニオン運動のねばり強い5年間の蓄積」の成果として高く評価できる。交渉には140名が参加し、「政府と市民の土曜協議会」担当議員である岡崎宏美・五島正規両衆議院議員が同席した。
パート問題では「パート法」での「均衡」を欠いた処遇に対する「指導」等のチェックポイントを迫り、労働省側は「個々の事例は答えにくい。行政指導の対象とする」と回答。「指針」の作成ではユニオンと話し合うことが確認された。
外国人労働者問題では労災申請時パスポートやビザの写しの添付が義務づけられている問題、平成4年には外国人が労災で23人死亡しているが、遺族補償給付は一人しか通用になっていない点を問いただした。労働省側は「パスポートなどの添付はあくまでも任意、指導はしていない。労災隠しの排除に努めており、死亡者数の差は調査し報告する」と約束した。
派遣問題では「交通費は賃金と別に支払うのが望ましい。行政指導する」「事前面接は違法、厳しく取り締まる」と回答した。
労働省交渉は今回だけではなく「パート法」の「指針」に「差別禁止」を盛り込むよう今後も継続する。 25日の一橋大学金子郁容教授ら4人のパネラーによるパネルディスカッション「コミュニティユニオンと地域ネットワーク」では、パートや不安定雇用労働者の組織化から始まったユニオン運動が、国籍を問わず地域の労働者の「24時間の生活と労働」そのものが運動の領域となる広がりを反映してきたこと、地域社会の再生やコミュニティの創造に大きな役割が果たせるのではないかという視点から「多様な分野でのネットワークの試みと拡大」にスポットが当てられた。
一方、地域労働運動の中で作られたユニオンは労働運動の再編の最終局面で「まったなし」に運動と組織の「自立」が求められている。分科会でも「どのように活動を継続させるか」真剣な討議が続いた。連合地協によって結成された秋田ユニオンの活動も報告されたが、「連合、自治労をはじめ単産・地方・地区の労働組合との交流、連帯強化。全国安全センター・派遣労働ネットワーク・外国人労働者ネットワーク・労働弁護団、運動に関係する市民運動などとの交流・共闘ネットワークを強める」(94年度活動計画)ことをどう具体化するかが問われている。
さらに今回、「協同事業」「パート労働」「外国人労働者問題」「相談活動」「組織運営」「セクシヤルハラスメント」の6分科会が準備され、社会状況を先取りした運動や試行錯誤をいとわず活動を続ける各地のユニオンの現状が報告された。
また、24日の午前には「女のユニオン・かながわ」が呼びかけたイトウヨーカ堂/イハラケミカルでの「不当解雇」・「セクシヤルハラスメント」にかんする2件の抗議行動がオプションとして取り組まれ、企業側と交渉を行うなど全国集会の前段のタイムリーな設定として好評だった。

<労働組合の”コンビニ”といわれるユニオン>
労働運動への視線が、このところ冷たくなる一方である。とくに活動的な人たちからのきびしい評価がある。大手企業での労働組合は企業システムの一要素として取り込まれ、専業化した人たちの「仕事」になっており、組合員はほとんど「組合」らしい活動には無縁である。それにやはり会社あっての社員、労働者、組合という関係を重く引きずっているようだ。
コミュニテイ・ユニオンはそんな中でも、ちょっとちがった様相だ。ここには正社員もいれば、パート、派遣、外国人もおり、職種も様々だ。それに日本的な下請け重層構造の中の底辺、中小というより零細的な事業所で働く人たちが多い。そんなことから労働組合の“コンビニストアー”ともいわれ、扱う問題も企業内組合のそれとはずいぶん変わっている。でも、それは一人ひとりの組合員の問題をしっかりと据えて問題解決をはかろうという、自然な、むしろ当然あるべき姿勢からでてきている。
だが、もちろんその力量には限界もある。第一には対処療法的な処置しか出来ない問題がやはり圧倒的に多いことである。これは「パート110番」などの相談活動から運動が始まっているということもあるし、「地域」という共通項はありながらも、あまりに広範囲な人たちを組織していることにもよる。しかし、運動の実績が蓄積され、地域社会での認知も進めば自ずとそれは強制力として機能してくることに期待したい。
それだけにユニオンはユニオンだけでなく、さまざまな地域運動との連携をとりながら問題解決をはかっていくという姿勢もある。連合定期大会で山岸会長は「組織率1.8%といわれる中小企業労働運動を最大の運動課題と位置づけ、地域での『目に見える運動』を推進しなければならない」と訴えたが、地域連合とも連携を取りながら運動を進めていくことも今後の大きな課題である。逆に企業内組合にとってもユニオンとの連携は有意義なことであろう。
第二にユニオンは少ない組合員でがんばっているところが多い。それこそ手弁当でやっているところがほとんどである。専従者や事務担当をおけるところなどは小数である。一企業の中とは違い、それこそ普段はアフターファイブの中でしか存在しない活動である。ほっておけば、何もなくなってしまうようなものだ。逆にいえば組合員が助け合わないと何もできない体質なのである。これが今もとめられているユニオンの自立であるが、地域運動との連携の中での自立とともに議論をよんでいる。
この二つの問題がユニオンを支えていると同時に弱さでもある。これらユニオン運動の現状と課題については「ユニオン・にんげん・ネットワーク」(第一書林、2200円)によくまとめられている。この本は先の東京全国集会へ向けて各ユニオンのアンケートを通じてまとめられたものである。興味ある方はご一読を。       (東京・R)

【出典】 青年の旗 No.191 1993年10月15日

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【投稿】総選挙から共産党は何を学んだか

【投稿】総選挙から共産党は何を学んだか
              ・・・日本共産党の総選挙総括と実践・・・

こんなテーマはもう「旗の紙面には似合わないな」と思いつつ、少し書いてみる。

<連立政権=第2自民党幹、唯一の革新政党論>
歴史的な非自民連立政権成立を生んだ今回の総選挙の中で、ひとり「政権」と関わらない政党がある。日本共産党である。
「‥・なぜ私たちは細川内閣を自民党より、より反動的とあえていうのかと申しますと、自民党の年来の野望であった小選挙区制導入、この暴挙を彼らは敢えてもっとも中心的な眼目としてやろうとしているからであります。・・・・・これは憲法改悪へ道をひらく、そのステップであるということを私たちはみておく必要がある」(十中総での宮本議長冒頭発言) 彼らの論調はすべて、この調子であった。しかし、残念ながら国民の細川政権の高支持率に示されるように、全体としては非自民連立政権への期待は大きく、一般的な国民の意識動向に、共産党が支持をのばすことはできなかった。
15議席となった今回の選挙結果について、彼らはまず「健闘」との評価をする。反共攻撃、「体制選択論」の中でよく陣地を守った、と。
しかしながら、十中総の文書を読むかぎり、共産党内にも少しは健康な議論があった形跡もうかがえる。そのひとつは、総選挙のもっとも重要な焦点が、自民党政権から非自民政権の実現だ、という時、共産党の中で「党は政権構想を持つべきだ」との意見が北海道や大阪、福岡で出てきたということ。宮本は、これを批判し「自民党政治の継承という呼びかけに対して、同じベースの対案を提起することは、国民に幻想か欺まんを呼びかけるもの」だとし、「よりまし政権論という形の競い合いに、参加すべきでなかったと言う点も明瞭である」「革新懇を強めることが、・・・」と発言している。残念ながら、説得力に欠ける。

<社会党批判が足らなかったのが敗因?>
第2は、社会党批判が徹底しなかったという「反省」が挙げられている。特に北海道では「歴史的に形成された社会党への敗北主義」は根強いと。
「・・・ところがすでに社会党は、80年の「社公合意」で、安保、自衛隊容認、反共を全面にして右転落、革新の立場を放棄した政党である」「社会党は、もともと世の中を変える解放の哲学をもたない改良主義の党だが、いま体制の擁護者となり、自民党政治に吸収され、未来のない党である」(十中総、総選挙総括)「社民主要打撃」という批判も、「共産党唯一革新論」の前に吹き飛んでしまった。今後はいっそう飛躍的に社会党枇判・攻撃をするという方向になっている。
連立与党内のリベラルを援護するなり、どこで対決点を設定するかなどの、介入論はもはや存在しない。

<他党批判に不信の声>
しかし、共産党の法定ビラに対して「法定ビラは他党批判ばかり、共産党が何をしようとしているのかわからない」という意見も出ている。これに対して、共産党以外の他党がしようとしているのは、翼賛政治と日本の反動化であり、これを徹底的に批判することこそ当然、という調子である。もちろん最後は、赤旗購読者が減少した状況で選挙に突入したことが、もっとも大きな問題と結んでいる。(「赤旗」購読者は減少し、七十年代初頭の水準にあり、240万台と報告されている)
すでに以前から、「選挙党」となった共産党だが、小選挙区比例代表並立制を焦点にした今国会でも、香登要な「介入」を放棄し、「宣伝・扇動」の党に一層純化するしか道はない。

<十中総方針を忠実に堅持し、惨敗した大阪府堺市長選挙>
すべての党を敵に回すこうした傾向は、大阪の自治体首長選挙でも同様である。大阪でも、革新自治体論と共産党支持市長がもはや現実性を失ってきている。羽曳野、吹田など「衛都連」支持の市長が落選、また政治的力関係が変化してきている。
特に堺市は、歴史的に共産党の支持が強く、共産党VS他党という選挙では、かなりの接戦をしてきた。今回10月3日投票の市長選挙では、保守系無所属が立候補し、共産党候補、連合型現職の3つ巴になり、私自身も選挙に関わったが、当初の予想ではへたをすれば80万都市で共産党の市長誕生か、という危機感で選挙戦が取り組まれた。
しかし、開票の結果は無所属の共産党候補は、同時に行われた市議補欠選挙の共産党候補の票に千票あまり足しただけ。市民派市長という宣伝に反して「共産党票」しか、集まらないという大敗北となった。
後で思い返すと、実はこの選挙、本当に市長選挙だったのか、という疑問が出てきた。とにかく、「共産党で何が悪い、共産党が支持しているからこそ革新市長だ」というような論調で選挙をしていたからである。もちろん、社会党にはじまり、すべての他党を批判するばかりであった。市長選挙というよりは、共産党擁護、の宣伝選挙であった。結果は惨敗。3つ巴で、共産党の勝利が実現しそうなので、余裕を持って本来の主張を全面にしたのか、市長選を名目に、次期の選挙対策を行ったのか不明だが、明らかに「十中総」決議に忠実な「唯一革新政党論」は、ただ「共産党」の陣地を確認するだけの「市長選挙」にしてしまったのである。
「連帯を求めて、孤立を恐れず」とは、それなりに共感できる立場だが、「連立を拒否して、孤立深まるのを恐れず」というのは、もはや時代遅れだけでは済まないのではないだろうか。 (大阪 佐野秀夫)

【出典】 青年の旗 No.191 1993年10月15日

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【投稿】「社会党大会」と「自民党大会」

【投稿】「社会党大会」と「自民党大会」

9月25日、29日と、これまで日本の「左」「右」を代表してきた政党の大会が開かれた。社会党と自民党。先の総選挙で、「55年体制の終えん」とマスコミに冷たく扱われ、その動向によっては、文字通り「終えん」を迎えかねない状況の中で、二つの大会は開催されたのである。私自身、いずれも危機的状況にあればあるだけ、組織であれ個人であれ、その後の進路や生き方がシビアに問われて、これまで見えてこなかったものが透かされてくるのではないかと、両者の大会を非常に注目していた。もちろん、社会党支持者として、前者の前進的再生を願いつつ・・・。
しかし、結果は予想以上のものだった。自民党は、日頃から歯に衣着せぬ論調で活躍中の田原総一郎氏を司会者に迎え、オープンな討論を展開してみせたのである。そして、その中で先の戦争が「侵略戦争」だったかどうかをめぐり、河野総裁と橋本政調会長がもろにぶつかった。「侵略だ」、「いや一言で言えぬ」と、それぞれの見解を主張し、「会場は一瞬緊迫した空気が流れた」(朝日新聞)そうだ。私は、ここで「戦争問題に対して、自民党の見解にズレがある」ことを問題にしようとは思わない。「ズレ」があっていいと思うし、また、当然だと思う。一言一句の違いを認めず、いつも同じスローガンを唱え、同じスタイルを強制してきた社会が、21世紀を目前にしてどうなったかを考察するならば、教訓は自ずと見えてくる。党を代表するリーダーが公開の場で、種々の問題について自分の考えをはっきり述べることは、とても大切だし、国民がその考えや主張を資料にして、次代を担う指導者を選定できる社会こそ、民主社会と言える。その点で自民党は、いろいろあろうとも、時代に合わせられる柔軟性を内包していたと言えるのではないだろうか。もちろん、そうせざるをえないほど追いつめられていたことは間違いないし、今後ともそうするという保証は全くないのであるが。
一方で、まだまだ過去のスタイルから解放されていないのが、社会党であった。「保守政党に取り込まれる」と、大会前日、「なくすな憲法・社会党、小選挙区並立制に反対する国民集会」を開いて気勢を上げ、大会に臨んだ党員や支持者グループがあったが、私は問いたい。「あなたたちは、政権党を本当に望んでいたのか?」と。私も、「小選挙区制」については疑問もあるし、選択に迷っているのは事実だ。が、社会党は今や連立政権を支える与党第一党であり、自民党政権時代より一歩でも二歩でも前向きな政治を行う使命があることを、肝に銘ずる必要がある。この現実は、いつも念頭において議論をしなければならない。こういうと、「いつも妥協しろ」というふうに聞こえるかもしれないが、「保守政党に取り込まれる」というきわめて後向きな発想の仕方を180度転換すべきだと言いたいのである。もはや旧態依然、古色蒼然とした「保守」も「革新」もいらない。今の状況よりもちょっとでも前進でき、国民が全体として幸せになる道を、多種多様な議論を経て、たどって行けるよう、政党あげて努力すべきだ。「反対」や「抵抗」、「左」を気取った「エエカッコ」ばかりしても、もはや国民はついては来ない。支持率低下が物語る現実をもっと分析しなければ、党の再生は有り得ない。そして連立政権の中でも、さすが社会党といえる独自性を持った具体的で積極的な代案、対案をこそ提起すべきだ。選挙権を得て以来、支持者であり続けてきた一人として、切に思う。
(大阪・田中 雅恵)

【出典】 青年の旗 No.191 1993年10月15日

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【コラム】ひとりごと–「植村直巳と山で一泊」を読んで

【コラム】ひとりごと–「植村直巳と山で一泊」を読んで

◆「植村直巳と山で一泊」という本を読んでいて、気にかかるくだりがあった。◆「それとふつうの人の山での遭難というと、気温が下がって体の熱を奪われて死ぬということが多いですね。・・・・ただ恐いのはね、助かろう助かろうと焦って、とことんまで歩いて、体力を使い切ってしまうことです。冷静に生きのびることを考えず、どこかに辿り着こうと思って、とにかくどんどん行ってしまう、そして力尽きる。それが恐いですね」◆私が連想したのは、委員長選挙のごたごたといい、近ごろ良いところなしの社会党のことである。◆さらに、引用を続ける。「どんなときでも、状況が厳しければ厳しいほど、体力を使い切らないで、少しでも余力を残すのが大事なんだと思うんです。そうすれば状況を判断する余裕も生まれますし、生きのびる工夫をいろいろやってみることができるわけです」「正しい判断をするには、余力がどうしてもなくちゃいけません」「山で迷ったりして遭難した時はこの体力の温存というのが決め手になるんじゃないでしょうか。50%の体力を残しておけば、わりに周囲の状況が冷静に判断できるし・・・・」◆果たして社会党が遭難状態かどうか不明だが、自滅の遣の方に近いという印象を持っている。10年前マッキンリーに消えた冒険家植村の言葉は、厳しさを増す社会党叩きの中で、冷静な判断を行うためのヒントにならないか。「改革派」としての再生には、開かれた議論を通じた冷静な判断が求められているように思う。     (佐野)

【出典】 青年の旗 No.190 1993年9月15日

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【映画紹介】ベトナム参戦の真実

【映画紹介】ベトナム参戦の真実
     –韓国映画「ホワイトバッジ」日本公開に向けての鄭智泳監督のメッセージ

<タフーから再点検へ>
韓国はアメリカとの協定により1964年から75年まで、実に延ベ31万2853名の兵士を派遣し、4687名の戦死者を出している。しかしこの数字は、昨年2月になって初めて国防部から発表されたものである。参戦当時すでに泥沼に入り、抜き差しならない状態に陥っていたアメリカのベトナム侵略戦争は、米国内はもちろん全世界で激しい批判にさらされていた。しかし当時韓国は朴正熙軍事政権のもとで、ベトナム参戦は対米関係、軍事政権強化、ベトナム特需と外貨稼ぎ、経済力強化の重要なカードであった。参戦は客観的理由も、何の正当性も持たない、ただただ反共軍事政権を支えるための不道徳きわまりない戦争であったといえよう。したがってベトナム戦争の真実は全面的な言論・報道統制により隠ペいされ、批判はもちろん、このテーマを取り上げること自体がタブーであった。
しかし周知のように80年代後半より民主化の汲はもはや抑えきれないものとなり、90年代に入ってようやくベトナム参戦、帰還兵問題が社会的に取り上げられるようになってきた。昨年9月26日にはベトナム戦争の後遺症に苦しむ400人余りの帰還兵とその家族が、京釜高速道路の占拠籠城に決起し、韓国社会に大きな衝撃を与えている。

<ベトナム現地で撮ったベトナム戦争映画>
そしてここに紹介する「ホワイトバッジ」は、このところ鋭いテーマを提起し続け、躍進めざましい韓国映画界が初めてベトナム戦争をテーマとした見事な作品であると同時に、実に衝撃的な作品である。米国人の同じテーマを扱った「プラトーン」をしのぐ作品ではないだろうか。内容の紹介はいっさい省くが、ベトナム兵や農民を「敵」として制圧した証拠に耳を切り落として持ち帰り、誇示しようとする場面は、思わず秀書の朝鮮出兵軍が耳を塩漬けにして持ち帰った事実を想起させるものであった。
この映画の日本公開に向けてチョン・ジョン監督は以下のようなメッセージを寄せている。
「ベトナム戦争ははっきり言って韓国現代史における恥部です。しかしそういった過去の問題を隠ペいしたままでは韓国の明るい未来は考えられません。遅すぎた感じがしないわけではありませんでしたが、歴史に対する客観的な再点検という意味をももってこの映画に取り組んだのです。撮影はベトナム現地で行いました。ベトナム人の手による作品を別としたならば、この映画は世界で初めてベトナム現地で繰ったベトナム戦争映画なのです。・・・‥・・・・この映画をご覧になるやはり同じアジア人である日本の皆さんに、この映画を通して戦争というものがいかに人間の魂を無惨に破壊していくものかということを感じ取って頂きたい。現在日本では、PKO等、自衛隊の海外派遣が大きな社会問題になっていると聞きます。そういったことを踏まえたうえで、軍隊を海外に派兵する意味をあらためて問いなおしてみてはいかがでしょうか。そして日本と韓国の過去の歴史を振り返っても、問題を隠ペいしてしまうことはその国の未来の発展を妨げるだけです。
むしろ問題を掘り起こし、再点検することが明るい日本の未来への大きな一歩になるはずです。」 9月4日封切り、2時間5分
(生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.190 1993年9月15日

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