【投稿】「日本環境会議四日市」 現地報告1

【投稿】「日本環境会議四日市」 現地報告1

わが国の公害裁判史上画期的な判決とされる四日市公害判決から2周年を迎えた7月24日から2日間、三重県四日市で、環境問題専門研究者ら約500人で組織する日本環境会議(JEC)がシンポジウム「第12回日本環境会議四日市」を開催した。シンポジウムは、非政府組織(NGO)の立場から、日本の環境破壊の原点・四日市の経験を再認識するとともに、日本とアジアを結ぶ課題、6月にブラジル・リオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)の成果、課題を生かす道を模索していくことを主題にして、約500人の参加で熱心に論議された。
そして、環境保全を国家の最優先政策として、公正で客観的な環境アセスメント制度を立法化するなどを骨子とした「四日市宣言」を採択した。又、宣言とは別に、「長良川河口ぜきの公正で客観的なアセスメントの実施と事業の総合的、抜本的な見直しを要求する特別決議」も採択した。しかし、この秋にも政府が準備している環境基本法」への取り組みが、準備不足もあって十分討議できず、今後、早急に政策を提案し、論議していくことにした。
会議の性格・内容は当日採択された「四日市宣言」によく表れているため原文をそのまま掲載して報告としたい。(詳細報告は次号)(名古屋Y)

■  日本環境会議四日市宣言
国連・環境と開発に関するリオ会議から1か月余り、四日市判決から20年を経た今日、NGOの立場から環境政策の提言をめざすわれわれ研究者、弁護士、市民は、戦後日本の開発のあり方を鋭く批判した四日市判決からの20年を検証し、リオ会議では十分に成功しなかった環境と開発との関係にかかわる基本政策を日本とアジアを結ぶ視点から検討するため、ここ四日市に参集し、1992年7月24日及び25日の2日間にわたって、議論を重ねた結果、次のような認識を共有した。
1・国連・リオ会議は、現在及び将来世代の権利と福祉のために環境保全の枠内での地域の発展を可能とする国際的及び国内的社会システムづくりの合意に達しなかっただけでなく、そのモデルを示せなかったと言う意味で、成功しなかった。経済優先の国内政策を 環境保全型に転換できなかった先進諸国のリーダーシップの不足及び先進国と途上国との対立が解けな かったことが、その主要な原因と考えられる。しかし、現在の世代のみならず、将来世代の権利と福祉の追求が人類共通の課題である以上、われわれは、環境保全の枠内での地域の発展をめざす社会システムづくりに全力を傾ける責任がある。
2・環境保全の枠内の地域の発展をめざす新たな社会システムづくりのためには、開発は環境と鋭く対立した過去の事例をどう克服したかの反省が重要である。四日市判決からの20年の検証はこの意味で極めて意義深いものと考えられる。それは–四日市開発の検証にとどまるだけでなく、環境と開発にかかわる日本社会のあり方の検証ともなるからである。検証の結果、四日市コンビナートが公害対策を通して一定の転換をとげたことが明らかとなった。また、四日市が公害防止技術の移転という形でアジアと結ぶ志向を持っていることも明かとなった。しかしなお、被害者の全面救済や都市構造上の歪みを是正し、住民参加のもとに豊かな住みよい都市環境の再生をすすめるべき課題を残している。しかも、いま新たに内陸部で再び「外来型開発」を推進しようとしていることも明かとなった。四日市開発の検証はまた、アジアへの展開をめざした日本経済の一つの問題性をも明らかにした。四日市および日本経済のアジアへの展開は、アジア現地において新たな環境問題を引き起こしつつあるからである。先頃、マレーシアのイポー高等裁判所から差し止めの判決が言い渡されたARE事件は、四日市判決によって立地上・操業上の過失を厳しく問われた日本企業が多国籍企業化し、アジアの地域で再度環境問題を引き起こしたと言う意味で、われわれに大きな衝撃を与えた。しかし、それが国際化した日本経済のあり方に対する厳しい批判でもある以上、われわれは、日本とアジアを結ぶ視点から環境と開発のあり方を再度問い直す必要がある。

3.環境保全の枠内での地域の発展をめざす新たな社会システムづくりのためには、また、足元の環境問題を検証し、新たな地域づくりを考える必要がある。中部地域で開かれた今回の環境会議を機会に、われわれは、中部地域で展開されているいくつかの地域づくりの例を議論し、ともに考えることによって、地域からの内発的発展をめざすことが環境と開発との関係を解く一つの重要な鍵であることを確認し、そのためにも地域住民主体の行動性の重要性を再確認した。われわれは、また、中部地域で行われた今回の環境会議を機会に、長良川河口ぜき建設問題を取り上げ、いったん決定された公共事業がいかにして転換され得るかの道を探ったが、その結果、住民参加を前提とした社会的、経済的評価を含む公正で客観的な環境アセスメント制度の必要性と、いったん決定された公共事業を見直し、必要な場合にはそれを修正し、撤回する行政手続きの明確化が不可欠との認識に到達した。
以上の認識に基づいて、日本環境会議四日市シンポジウムに参加したわれわれは次のような環境と開発にかかわる政策を提言する。
1.環境の保全を国家の最優先的の政策として宣言すること。今後制定される可能性のある「環境基本法」には、このような宣言が含まれるものであること。
2.国家および公共団体の環境保全の責任を宣言するとともに、現在および将来世代の権利を代表するものとしての国民ないし市民の環境権を宣言すること。
「環境基本法」はこのような宣言をも含むものであること。
3.環境保全の枠内での地域も発展を可能とする行政手続きとして、社会・経済的評価を含む公正で客観的な環境アセスメント制度を立法化すること。同制度を立法化するにあたっては、住民の参加の権利と情報を受ける権利とを十分に保証すること。
4.環境アセスメントは、国内の開発行為に通用されるのみならず、日本企業ないし日系資本の海外進出やODAに対しても通用できるよう制度的に考案されるべきこと。また、既に海外に進出している企業は、進出先地域の住民の生命・健康と人権を尊重するよう自ら措置すること。
5.環境と開発にかかわる国内の環境問題を見直し、公共事業については、必要な場合には計画の修正と撤回ができるような行政手続きを明確にすること。長良川河口ぜき建設問題はこのような制度がつくられ、公正で客観的なアセスメントを踏まえて見直されるまで工事を中止すること。
われわれは、今後とも、アジアへの視点をもちつつ、国内環境政策の前進と国内外における環境問題の解決に向けて一層の努力を傾ける覚悟である。
1992年7月25日                         日本環境会議四日市

【出典】 青年の旗 No.178 1992年8月15日

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【集会報告】PKO法は成立したけれど……、

【集会報告】PKO法は成立したけれど……、 派兵阻止の行動はこれからだ。

 7月17日、東京・総評会館で「海外派兵を止める市民のつどい」が行われた。これは、広瀬隆氏、色川大吉氏などが中心となって(日市連も絡んでいるよう)、アジアに視点を置き、PKO法案通過後の自衛体の派兵をやめさせようとする会の発足に向けた集会だった。
 当日は、色川氏の報告(①「軍隊の歴史・現実・未来とPKO」)の他ダグラス・ラミス氏(津田塾大学教員)の②「国連との交渉~自衛隊派兵は国際法違反」、中村欣資氏(TBSラジオニュースデスク)の③「カンボジア現地報告」、姜尚中氏(国際キリスト教大学教員)の④「日本の新たな動向と朝鮮半島」、広瀬隆氏⑤「国連・死の商人」などの報告があった。次の日は代々木オリンピックセンターで1日討論会が開かれた。

色川大吉氏の問題提起の要旨

 PKO法案通過後の世論調査では「法案成立をよかった」とする人のなかで半数以上が「憲法上問題あり」とする意見である。要するに「憲法違反だけど、とりあえずよかった」と言うとんでもない声である。自衛隊の志願者は減少しており、来年は半減するといわれている。このなかで、限定徴兵制度(年齢限定、体力限定)の検討もされている。ある大学で、PKO法通過後に同様のアンケートをとったら同じような結果であり、併せて限定徴兵の賛否を問うたら、認める3%、認めない90%だった。
 かつて、満州事変のころには「日本の生命線一満州防衛」というスローガンであり、誰も戦争だと思っていなかった。次第に中国大陸に入り、「アジアに新しい秩序を作る」「野蛮なシナの支配から国民を助ける」と叫ばれ、10年たっても終わらない。更に「大東亜共栄」「欧米の支配からアジアを解放する」になり、タイービルマーインドまで侵攻していった。この出発点ば”国際貢献””国際協力”と同じような響きがある。
 核時代の”自衛”は核兵器を持たなければ成り立たない。”自衛”とは崇高なイメージがあるが戦争を伴うものであり、フランス革命のころからの国民国家の崇高な権利であった。以来、200年続き、民族・人種を一つの国として中央集権的支配を掛けてきた。しかし、欧州では、資本主義の危機を感じ、国家の統合が進み、”自衛”は過去の遺物となりつつある。
 日本国憲法は、5000万人の死者の願として、自衛権としての戦争も放乗した。ところが米ソ冷戦のなかで自衛隊を持たせてしまった。従って、米ソ冷戦が終了した現在「自衛隊は解体してなくなる」はずである。しかし、湾岸戦争・PKO問題で、専守防衛から国際貢献に新しい任務を得て存続している。
 我々の国際貢献は、実際アジアの民衆が何を求めていのかから出発して、彼らの要求をフイードバックできるネットワークを作る必要がある。彼らの声は知らされていないし、PKO調査団が政府や軍隊を見てもけっしてわからない。
 過去の侵略を繰り返すようなバカなことはありえないと
 の、意見もあるが自衛隊は十分な能力と技術がある。従っ て、25万自衛隊は半分は民間に、残りの半分は災害・国際救助を任務とする組織に改編すべきである。自衛隊の蓄積した能力は十分利用し、予算の4兆円は減らし、ボランティアで バックアップする機関にすべきである。
 では自衛はどうするのか。武器は一切禁止。民族紛争に外国の軍隊を入れても解決はできない。割って入って説得しかない。 PKO参加が100カ国になっても参加しない。平和憲法下の国際貢献を実験しよう。

 ダグラス・ラミス氏の問題提起の要旨
 これまで日本の平和運動は憲法9条1項の「戦争放棄」のみに集中していた。政府の軍拡と戦う上で、これは当然のことである。海外派兵が問題となっている現在、9条2項の「交戦権はこれを放棄する」に注目しなければならず、政府も過去「放棄をやめた」との見解を発表していないので、放棄されたままである。
 日本政府は過去、憲法国際法を無視してきた。先の色川氏の報告のように「法案通って良かったが、憲法上問題がある」意見など、自衛隊を作ったことで、国民の中にも憲法を無視して良いという感覚になれてしまっている。
 自衛隊を海外に送った場合、国際法が関係する。武器を持ったものを海外に出して国際法を無視するのはとんでもないことである。
 「交戦権」とは国際法上「侵略する権利」ではなく、侵略する権利」はどの国も持っていない。国家(派遣された軍人)は人を殺しても逮捕されない。正当防衛か否か裁判で決まる。兵隊は国家の交戦権に基づいて行動する。派遣先で捕まったら捕虜になる権利がある(告訴されるのではなく)。
従って戦争が終わったら帰国できる。交戦権は侵略された際に、自衛の時だけにある。自衛権は交戦権と同じような意味。
 「交戦権を復活させた」との政府の声明はこれまでないので、「PKO法が成立した」ことによっても、自衛隊を海外派兵できる根拠とはならない。
 「交戦権がない者(自衛隊)が武器を持って外国に行く」という事例は過去に存在しない。PKFは国家交戦権を持つ軍隊である。おそらく、国連では日本以外の人は「日本国憲法」について無知であり、「日本は正規な兵力を持っていない」とは思っていない。事務総長もおそらく知らないのでは?だから知らせましょうと公開質問状を出そうと思っている(翌日出した)。
 派兵する可能性として以下の3点が考えられる。①非合法に出す‥‥ヤクザと同じである。②警察権はあるので、これに基づいて出す‥‥普察権の拡大解釈であり、普察権は国境で終わる0従って海外派兵できない。③交戦権とは別に「自衛権」がある・…国際法上は存在しない。仮に存在したとしても海外で使えるはずがない。
 国際法違反の武力行使は大変なことになる。人を撃った自衛隊貞は一般犯罪人として逮捕され、一人一人裁判になり、正当防衛か否か判断される0アジアでは日本国憲法の知識はある。自衛隊110番の電話相談で自衛隊員や家族からジュネーブ協定(捕虜に関する)に当てはまるか否かを訪ねる相談が多いそうである。軍人以外が戦場で人を打ったら戦犯であるが、”国連の権威”により「一般犯罪人扱いとなる確率は少ない」かもしれない。しかし法的根拠はない。
結論として、日本国憲法は生きている。従って、自衛隊の参加は「やめてほしい」「やめてもらいたい」のレベルではなく、「やってはいけない」ものである。
公開質問状は翻訳もしてあちこちに配りたい。集会の主旨とは異るかもしれないが、自衛隊を海外に送らないとの視点で同じだと思う。

 また、中村氏はカンボジアの現地報告をスライドを使って報告し、UNTACの問題点として、①費用17億ドル(93年9月15日まで)が必要で日本の分担金は12.45%といっているが具体的な見積を出していない、②本部要点が落とす金でカンボジアのインフレを招いている、などが報告された。
 また、姜尚中氏の報告は、国連には現業的面と政治的面の2面性があり、政治的に利用されている部分がある旨報告された。また、自衛隊の存在が朝鮮の軍隊の縮小や北朝鮮の核(たぶん能力的にあるでし上う)の撤去の支障になり、自衛隊は既に十分に、憲法9粂の「武力による威嚇」にあたっている。日本が朝鮮の南北統一の阻害要因にならないでもらいたい。また、広島に、軍港広島の果たした役割を残したもう一つの記念館を作りたい旨の提案もなされた。
 最後に、広瀬隆氏は、既に集会終了時間を過ぎており時間がなく、詳細は出版された『国連死の商人』(八月書館発行)を読んでもらいたい旨報告された。

 尚、発言の要旨は筆者のメモを元に文章を起こしましたので、「そのようなことを言っていた」程度であり、言い回しや文脈は筆者の判断によるところが多いので、ご了承 ください。  (東京 C)

【資料】 公開質問状

 国連事務総長殿

 去る6月15日、日本の自民党政権は、議会と世論の強い反対と疑問の声にもかかわらず、国連平和雑持活動に関する新法の制定を強行しました。政府はこの法律によって、国連平和維持活動として日本の自衛隊を、武装した形で海外へ派遣することが可能になるとの見解をとっています。しかしながら私たちは、武装した自衛隊の海外派遣は、国内法及び国際法の双方に抵触するものであると確信しています。
 敗戦後、日本国憲法が制定されて以降自民党政権は、交戦権を放棄した第9条を厄介視し、あらゆる手段を用いて日本の再軍備を実現しようとしてきました。武装した自衛隊の国連平和維持活動への参加が、日本の再軍備を大きく進める重大な一歩であるということは、多くの日本のアジアの人々の知るところです。私たちは、国連が武装した自衛隊を利用する前に、以下の事について慎重に考慮して下さるよう、強く要請します。

 過去国連が、非軍事要員を武装させ、平和維持活動に参加させた先例はありません。武装した形での参加は、すべてのケースにおいて、国家の軍隊(国家の交戦権のもとに創られている)の成員に限られて来ました。
 ご存知のように日本国憲法は第9条は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記しており、条項の最後には「国の交戦権は、これを認めない」とあります。この条項は、日本における積極的平和希求の民意を反映し、これまで破棄されたことも、修正されたこともありません。このことは以下の疑問につながります。
 すなわち、国内法および国際法において、日本の自衛隊が有する資格は何なのか?自衛隊は、武装した形で国連平和維持活動に参加する資格を有しているのだろうか?
 理論上、三つの可能性が考えられます。第一に、自衛隊は他国の軍隊と同じ資格を持つ「軍隊」であること。もしそうであれば、自衛隊は憲法違反であることが明かです。実際、相当な割合の日本の法律学者が、自衛隊は非合法の組織であるという見解をとっています。この場合、国連は当然、そのような組織に関与すべきではありません。
 第二の可能性は、自衝隊は、憲法が否定していない、国家警察権の拡大解釈として創られたということ。実際自衛隊は、当初は警察察予備隊として創設され、現在の形にまで拡大されてきました。もちろんこれは、国家警察権の強引な拡大解釈です(潜水艦や戦闘機を持つ警察なんて、一体だれが聞いたことがあるでしょうか?)。より重要なことは、警察権はそもそも国境を越えて行使されることはない、ということです。つまり、自衛隊が国家警察権に基づく物であるとしても、自衛隊には国外で活動する法的鳩拠はないことになります。
 第三の可能性は、自衛隊は交戦権とは別個の「自衛権」に基づいて創られたということ。これは、日本政府の立場です。政府はこれまでに、日本やアジアの人々に対して、日本国の交戦潅が復活したと言ったことはありませんし、自衛隊を「軍隊」と呼んだこともありません。日本政府はあくまで、自衛隊は「自衛権」に基づいて創られた、という見解をとっています。もちろんこの「交戦権ではない自衛権」は、国際法では存在しえない概念です。仮に国連が日本政府の立場を受け入れ、そのような「権利」の存在を認めたとしても、それは国家警察権と同様に、国境の枠内のみしか行使できないことは明かです。
 上記のどの場合も、PKO法のような新しい法律の制定を正当化する逃げ道地ならないことは明かです。問題の核心は、自衛隊の存在自体のあいまいさにあるからです。
 上記の考察はきわめて複雑で重要な法的疑問につながります。「軍隊」とみなされていない自衛隊が海外で武装して活動する場合、ジュネーブ条約(1948年制定)において、その資格は、どのように規定されているか?(多くの日本の自衛隊員はこのことに関して大きな関心を寄せています)もし、自衛隊員が捕虜となった場合、文民としてみなされるのか、軍人としてみなされるのかは、捕らえた側の判断によって左右され得ます。特にアジアでは、日本の自衛隊は違憲であ非合法な組織であると認識されており、武装グループが自衛隊員の法的地位を文民とみなし、武器を使用した彼らを一般犯罪者とりて取り扱うことは充分考えられることです。これがどの程度起こりうるかは別として、問題は、これらの扱いが明確な国際法違反になるかどうか、そうだとしたら法的根拠は何なのか、ということです。
 上記の点からも、自衛隊がいかに解釈されようとも、交戦権の放棄を明示した日本国憲法下では、自衛隊の国外での武器の使用を可能にする法的根拠はないのだということを、ご理解していただけると思います。また、このようなあいまいな性質を持つ部隊を、国連平和維持活動に参加させることにより、活動全体にあいまいな様相をもたらし、日本の隊員のみならず、他国の隊員をも不必要な危険な状況におくことになりねません。
 冷戦の終結とともに、世界中の多くの人々が新しい平和希求の道を模索しはじめている現在、日本の憲法第9条は、これまでになく多大な関心を集めています。
 この日本国憲法は戦争を永久に放棄したという点で、世界的に先例のないものです。日本の自衛隊にかかわる法的問題が特異なのはこのためであり、したがってこれらの諸問題は、先例を参照することにその解決の道を求めることはできません。

 私たちは、以上の問題に関して、国連としての明確な見解を表明してくださるよう、強く要請いたします。

1992年7月
             津田塾大学学生・教員有志 

 【出典】 青年の旗 No.178 1992年8月15日  

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【投稿】PKO法と日本の「国際貢献」

【投稿】PKO法と日本の「国際貢献」

PKO法に対する国民の支持率は50%を超えたといって良いであろう。自公民の議席は改選議席の50%を超えた。
一方でまた、唯一反PKO法を掲げて関った広島栗原君子さん、沖縄鳥袋宗康さんが当選した。社会党候補は、各地で連合との選挙協力の為、鮮明な反PKOの主張で闘えなかった中にあって、被爆地広島と唯一の地上戦の地沖縄の市民の選択は自衛隊海外派兵の本質を見抜いたと言えるだろう。
全国的にPKO法の本質が国民に広く理解されいるとは言えない。公明党が「平和貢献」をスローガンに支持者を組織化し、選挙戦を有利に関った。反戦平和の公明党の支持者は昨年の国連平和協力法案の強行採決に強く反発したが、今回のPKO法の強行採決には理解を示した。なぜであろうか。PKOは戦争のために軍隊を送るのではない、平和のために軍隊を送るのだ、という主張が浸透したからであろう。また、現地を代表するシアヌークSNC議長、フンセン首相、ソン・サンが皆こぞって自衛隊の派遣を希望したことがあげられよう。現地が望んでいるのなら、と肯定派にかわった人も多いはずだ。
PKO法に対する見解を巡る議論がしばしば平行線になってしまうのは、別の問題がごちゃごちゃに議論されているからであろう。
第一に、PKOの活動に対する評価の問題がある。
第二に、PKOとは無関係に存在する日本国憲法の規定の問題がある。平和憲法は他国に例を見ない戦争放棄の親定を持つ。それは国の交戦権の否定と戦力の不保持を唱っている。自民があれまでこだわった自衛隊の部隊としての派遣はその双方に反する。国内的には「国家の自衛権」と解釈して合理化しているが、国際的には通用しないであろう。
第三に、カンボジア情勢の評価の問題がある。 この三つが別にして論議された上で、日本のなすべき選択が検討されなければならないのに、自公民はきわめて情緒的議論に流されているきらいがある。「日本は国際貢献しなくては世界の中で孤立する。社会党、共産党はこれに反対する。」とか、「PKOは戦争に行くんじゃじゃない。平和のためにいくのだ」とか「カンボジアの人々も自衛隊の派遣を望んでいるから」とか。
国際貢献に、社会党共産党は反対しているのではない。賛成している。国際貢献だからと言って、日本の憲法親定をじゅうりんしてよいという話にはならない。津田塾大学のダグラス・ラミス教授は、PKO法に基づいて自衛隊のPKO参加が国際法違反になるのではないかと、国連事務総長宛に公開質問状を出した。ジュネーブ条約は戦争における捕虜の取扱い等について規定しているが、日本からPKOに派遣された自衛官の身分があいまいだと指摘している。もし、自衛官が軍人として取り扱われるなら、明確に日本国憲法日本の憲法に反する事になる。もし、民間人として扱われる事になるなら、民間人に武器をもたせることは犯罪になる。どちらにしても、PKOへの自衛隊の参加は国際法上許される事ではないので、国連事務総長は受け入れるべきではない、というのがその公開質問状の趣旨だ(公開質問状全文参照)。
PKOを平和のための活動、戦わない軍隊として宣伝する向きがある。果してそうであろうか。活動は停戦状態から始まる。停戦は戦崗行為一時停止にすぎない。カンボジアPKOの場合、ポルポトは停戦とその後の選挙までの活動を定めたパリ和平協定に調印したものの、この停戦の取り決めを公然と破っている。停戦状態は既に崩れている。戦闘がカンボジアに未だ続いているのである。ここに自衛隊を送ることは戦争状態の中に軍を送ること以外の何ものをも意味しない。
ただし、通常の戦崗行為と違う点は、自衛隊の参加するPKO部隊の側に戦闘意志がなく、相対するポルポト派にはあるということだけである。決して戦闘行為(防衛という形にしても)が予想されない状態ではない。
カンボジアを代表するSNC議長、プノンペン政権、ソンサン派がなぜ自衛隊の派遣を望んでいるかは、ひとえにポルポト派の軍事的脅威ゆえであろう。あくまでも武装闘争をめざすポルポト派にわかる言葉は「強大な軍」だけであろうと各派は身にしみているのだ。カンボジア当局者にとってはどこの国の軍でもいい。一つでも一つでも多くの国が、一人でも多くの兵員を派遣してくれることを望んでいるのだ。彼らにとっての和平への期待がそこにしかない。彼らにとって日本の平和憲法は視野の外にあるだろう。
カンボジア4派のうち、ポルポト派以外の3派が望んでいるのは、日本の平和的貢献ではなく軍事的貢献である。
日本は国際貢献をしたいと言って、PKOに自衛隊を参加させることで、ジュネーブ協定他の国際法に抵触し、平和的貢献のはずが軍事的貢献をカンボジアで期待され、停戦合意が崩れた下で、自衛官はポルポト派の標的にされかねない。ポルポト派はあくまでも和平のプロセスを妨害し、自派に有利な情勢(現状ではシアヌークの大統領選出はほほ確定的で、ポルポト派が選挙で多数派を占めることはあり得ないだろう)を期待している。そのためには、日本の自衛官を殺傷し、日本がPKOから撤退する情勢を作り出すこともまた、ひとつの選択肢かもしれないからである。
PKO法は成立したが、自衛隊の海外派兵はこれからである。アンゴラの停戦監視団への自衛隊派遣はPKO法通用の第1号である。万が一、カンボジアに自衛隊が派遣できなくなった際の、PKO法下における実施の実績作りであろう。狙いはカンボジアPKOであろう。その規模も500~600人と期待されている(明石国連特別代表)。目標は10月中である、と新聞は伝えている。
決着はまだついていない。未だに国論は二分されたままである。PKO法実施に伴う数々の問題を民衆の間に広げ、自衛隊の派遣をSTOPさせよう。
(8月4日  東京 S)

【出典】 青年の旗 No.178 1992年8月15日

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【投稿】転換を求める意思表示–参院選の結果が示すもの–

【投稿】転換を求める意思表示–参院選の結果が示すもの–

<<前回より1200万人が棄権>>
今回の参院選の投票率は、50.72%で史上最低を記録した。これは何を意味しているのであろうか。89年の前回参院選65.02%から約15%も低下し、単純に考えても、前回投票した人の内実に約1200万人が棄権しているのである。そして今回社会党は、改選議席と同じ22議席を維持したから善戦と評価しているが、比例区の得票では前回の得票を1200万票近く減らしている。この1200万票近くの激減が選挙区の連合候補を直撃し、公認候補全滅となったわけである。
逆に自民党はこの低投票率、棄権に支えられて、獲得票数が減少しているにもかかわらず、1人区で3年前の3勝22敗から様変わりし、25勝1敗、2人区でも4県で独占、大阪、滋賀で議席を獲得、空白区を解消するという大勝を獲得したのであった。
またこの低投票率は、浮動票にあまり期待できず、支持者がある意味で固定し、宗派的な独善色の強い公明、共産両党には有利に作用した。法難来ると奪い立った公明党はこの低投票率にもかかわらず、わずかながらも票数までも増大させた。共産は苦戦し、票、議席とも減らしたとはいえ、社会主義陣営崩壊という不利な状況からすれば激減にまでは至らなかった。

<<様変わりをもたらしたもの>>
何がこのような様変わりをもたらしたのであろうか。3年前は反自民の3点セット=消費税、リクルート、農政不信、それに土井委員長の登場と連動した女性ならびに無党派市民層の大いなる活性化と期待が前面にでた。その結果、たとえ参院とはいえ自民党は過半数割れという大変動をもたらし、自民党長期単独政権は崖っぷちに立たされた。しかしその後の3年間の事態の推移は、たとえ「逆転」しても、政治は活性化されず、期待したほどの成果は上げられず、参議院の存在意義自体に疑問を投げかけるものであった。さらに3点セットそのものが完全にうやむやにされ、リクルート事件以上といわれる佐川急使事件ではすでに野党側の名前が表面化しており、自民党への不信が野党をも含めた政治不信へと拡大した。それはまた中小業者から女性、市民層に至る新しい支持層の結集と拡大もなおざりにさせ、そっぼをむかせる事態をもたらした。
そしてこの間に社会党委員長は、交渉の巧みさと柔軟さが売りもので国対政治のテクニシャンに交替した。それはある意味で自民党政権に取って代る新しい連合政権形成にとって必要な野党連合への期待を込めたものであったが、結集軸なき交渉技術と柔軟さは自らを策に溺れさせ、ついには出口なき袋小路に追詰めることとなった。逆に自民党は、PKO法再修正で公民両党の要求をほとんど受け入れ、社会対民社・公明間の分断を難なくなしとげ、連合型選挙に致命的な打撃を与えることに成功した。もはや最後の抵抗となった徹底牛歩や「議員総辞職戦術」といった強硬戦術は、本音との乖離を見透かされ、かえってしらけ気分を拡大させることとなったといえよう。

<<PKOと国際貢献>>
こうしたことが、各種世論調査で多数を占める自衛隊海外派遣批判派をなぜ結集できなかったかということと密接に関係している。確かに、広島ではPKO反対を掲げた社会党推薦女性候補が連合に競り勝ち、自民と議席を分け合った。しかし得票率は、前回社会党票24.6%の半分以下11.7%であり、また沖縄では、「許すな自衛隊海外派兵」を前面に掲げて革新側が勝利し、自民に空白区をもたらしはしたが、それは辛勝といえるもので、その得票率は83年選挙以来最低であった。
争点なき選挙、争点隠しの選挙といわれたが、PKO問題は厳然として存在しており、環境問題はリオの国連環境開発会議の地球規模の問題からゴミ処理問題に至る生活に密着した重大な開演に浮上してきており、さらにソ連邦崩壊と冷戦終結による世界的規模での軍縮と日本の軍事費の削減問題、その中での国際貢献の有り方、等々は、世界と日本の進路をめぐる大問題として急速に浮上してきている。そこではPKO=戦前への復帰、PKO=徴兵制といった短格的な訴えは、一定の根拠をもちながらも説得力を持たなかったばかりか、時代錯誤的な思考ととらえられたのである。もはやそのような反動的な回帰が不可能なほどの内外の情勢の転換を有権者は冷静に見ていたのである。
問題は与野党ともにこのような世界史的な曲り角に明確な指針を持ち合せていないことである。そうした無方針と怠慢は必然的に旧態依然たる利益誘導型で、争点をあいまいにした連呼中心型の、有権者を単なる1票の投票機械としかみなさない選挙運動を横行させたのであった。いわば有権者はそうしたものの出直しを求めて棄権をしたともいえよう。

<<日本新党が示したもの>>
こうした中で、環境問題と平和、政治改革を前面に掲げ、既成政党の政治の打破を訴えた日本新党が、比例区で民社、共産を上回る360万票、4議席を獲得、8%の支持をえて、健闘したことは注目すべきであろう。たった数ヵ月間で、既成政党の内、共産、民社を一気に乗り趨えて、時代の要請を受け止めようとする有権者の受け皿になったのである。しかしこれとて、善戦したとはいえ広範な政治不信の票を結集することは出来なかった。それは革新の側の連合と同様に、保守の側の連合の限界を示すものでもあろう。にもかかわらず、保守革新を問わず、政治の転換が強く求められていることを明瞭に示したのではないだろうか。
自民党は大勝したというものの改選議席77を維持できず、参院での与野党の勢力差はさらに拡大したのである。このことはすくなくとも3年間は、自民党は公明、民社との協調体制を維持し、公明、民社は自民党へのすりよりにしか活路を見出せないという事態を作り出したといえよう。しかしこうした路線こそが政治を不透明なものにさせ、政治不信を蔓延させ、史上最低の低投票率をもたらしたのであって、こうした路線の継続は彼ら自身の内部に自己崩壊と分裂の危機を育てるものでしかない。
自民党の勝利が大々的に予測されていたにもかかわらず、投票日直前には株価が急落し、政府・自民党はあわてて緊急経済対策を練り直し、総花的な公約をばらまいた。そして予想以上に自民党が勝ち、公定歩合も0.5%引き下げたのに、翌日の株式市場は冷たい反応を示し、自民党の勝利をあざ笑うかのように、株価は年初来の最安値を更新したのである。経済はよりいっそう深刻に政治への不信を表明したともいえよう。
このようにして時代の要請に対応した根本的な政治の転換が求められていることを、今次参院選は浮き彫りにしたのではないだろうか。  (生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.178 1992年8月15日

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【投稿】大手会社のイキイキ時短?事情

【投稿】大手会社のイキイキ時短?事情

ざっくばらんに私の知り合いの人は年間休日120。つまり一年365日ですから3日に1日は休みなわけです。これに、有給休暇やリフレッシュ休暇などもあるのですから・・・。本人日く、「とても3日に1日休んでいるとは思えない」。と思っていたら、129日という人もいたりして。イヤー、今はすごいな-とあらためて実感しています。ことしは時短もちょっぴりだったようですけれど、話題のひとつに残業の割り増し率のアップがありました。これも土、日に限りOKとなったようですが、これも土日は出勤させないという前提で、経営側の理由も大きいようです。
ちなみに3K代表格の中小の印刷産業ではやっと隔週2日というところや、週休2日制にするために一日の勤務時間を30分延ばしたりというところもあります。(これをやるところは次には一日の時間を減らすしかないので、さいごのアガキともいいます)。さて、みなさんはイキイキ時短してますか?
本当は「休みたいときに休める」時短がいいな-!会社が決める「休み」は、まるで生産調整ですよネ!(まわりの時短でよけいに忙しい零細印刷屋 それでも休みは増えている 東京・Ⅰ)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【投稿】「前衛党主義」からの脱却は可能か

【投稿】「前衛党主義」からの脱却は可能か

<左翼主義を引きずる私の場合>
以前、左翼のメシアニズムについて、書評の形で問題提起があったので、私の問題意識を書いてみる。
私は72年大学入学、2年生で民学同加盟。以来その年の秋に民学同創建10周年記念集会に参加した。筑波大学法案反対や学費闘争で盛り上がった時代であり、4年生でデモクラート派との分裂を経験した、そんなかなり「古い世代」である。来年は40歳になってしまう。
吉村先生が、2年前「私のように、スターリンの『レーニン主義の基礎』で学習を始めた世代は、頭の構造を変えるのはむずかしいだろう」と言うことを発言された時、他人事のように聞いていた自分だったが、この頃は、ひょっとして自分もそうなのかな、と思い始めているのである。
私自身は、85年のベレストロイカ以降の新思考、ゴルバチョフ路線を違和感無く受け入れた。もちろん「社会主義の枠内での民主的革新」という意味である。確かに東欧の民主革命ではかなりぐらついた。社会主義が否定されたからである。それでも、ソ連はまだ大丈夫だと思っていた。しかし、昨年の事態の中で、ソ連共産党の解体にまで至り、根本的な出直し以外には考えられなくなってきたのである。この考え方自身もかなり、ソ連依存主義の臭いがするのだが。

<前衛党主義とは何だううか>
そこで問題提起されている「前衛党主義」とは何だろうか。それはレーニンの「なにをなすべきか」に示された、自然成長主義に対する意識注入主義であり、真理を唯一獲得している革命家の集団、労働者階級の前衛の指導性を承認し、かつその具体的指導に従うこと。大衆運動とは独立し、且つ「それ以上の規律と思想性」をもった、唯一の前衛党の再建を目標とすることであり、少なりと言えど、我が派が前衛党になるように、またそうであるように他と区別する事を大事にする考え方と、とりあえず定義しよう。
この考え方は、つい数年前まで我々自身の中に確実にあった。学生時代には、積極的にこの考え方を学んだ。プロレタリア国際主義の立場から、日本共産党の議会主義と民族主義を批判し、前衛党の再建事業を心情的に支持してきたのである。
もちろん、私たちの組織、民学同や労青は、小型共産党主義を徹底的に批判してきたし、むしろ運動の統一を掲げてきた。また、運動の組織化にあたっては、運動の利益を最も尊重し、大衆運動の利益の上に、我々の組織の利益を考える事は間違いと「伝導ベルト論」も批判してきた。要するに、セクト主義の徹底的批判者であった。

<前衛党主義は私の身体の中に、今もまだ生きている(?)>
にも関わらず、である。小型共産党はだめだが、大型の本格的な共産党なら創るべきとの考え方は確実にあった。それをする状況にない、そういう中では、強行すれば小型共産党となり、左翼小児病的誤りに至ると。
こうした議論は、決して労青の組織議論の中で行われた訳ではなく、むしろ暗黙の了解事項という感覚であった。原則的な本格的な共産党、前衛党組織の結成が可能ならば、それを歓迎するし、意識的に推進すべきという考え方であろう。もちろん、そんな状況は生まれず、組織の目標として党の再建を掲げた事もないのであるが。
私は、労青をどうしようかと考える時、こうした前衛党主義、また前衛党期待主義をどうにかして整理・総括してしまわないと、本当の意味で転換したことにならないのでは、と考えている。

< 前衛党主義に冒されると、運動の枠は狭くなり、広がらない>
さて、実は私の中には、まだ学生運動の時代の感覚が生きている。かなり薄れて来たとはいえである。まとまらないが、以下に思い当たることを列挙してみよう。
★叶うならば、「上から方針」が出るのを待っている (特定の人物に頼る)
★運動を見ると、どこのセクトが関わっているかに興味がある(最近はセクト主導の運動など余りなく なったが)
★特定の支持する理論に強い(?)が、違った意見を真剣に検討しない
★自分の運動領域を、他派から守ろうとする(テリトリー主義)
★他派批判や日共批判するのに、事欠かない
★どこかに、自分達は一般の人たちと違うんだという意識がある。
学生時代は確かにセクト別の運動が多かった。この「セクト」というのは、究極的に前衛党主義の産物でしかなかったのではないか。自分のセクト拡大のための「運動」であれば、テリトリー主義は必然である。
前衛党主義は、セクトの乱立には寄与したが、健全な運動の成長には有害であったわけである。我々もその責任を免れるわけにはいかない。

<前衛党主義に基づかない組織への脱皮は可能か>
前衛党主義では運動が前進しないこと、獲得された社会主義すらも、前衛党主義が民主主義を破壊し、内側から崩壊した事実を私は深刻に受けとめている。
少なくとも社会主義を理想と考えるなら、前衛党主義に替わる原理を提出しなければならない。それは、だれでもなく私たち一人ひとりの仕事ではないかと思っている。(92年7月 大阪:H)

追記)これだけであれば、我々のこれまでの組織的活動が無意味であったようにとられそうである.もちろん,決して断じてそうではない。これからも継承されるべきものは何なのか、今後の活動に継承発展させるべきものは何か。次の機会に整理することにさせていただきたい。

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【コラム】ひとりごと –PKO法案論議に思うこと–

【コラム】ひとりごと –PKO法案論議に思うこと–

先日、山形新幹線で踏切事故が発生というニュースを開いた。「エッ!新幹線に踏切があるの?」と驚いてしまった。小泉今日子がジャンジャカジャンとやっているイメージとはかなり違い、田圃のまんなかの単線区間を「新幹線」が走っているのである。ニュースステーションで久米宏氏は「新幹線だと思うからおかしい」といっていたが、あれに「新幹線」という名前をつけなければならないJRにも同情する(自業自得でもある)。スーパービユー踊り子号が伊豆山中の畑の間を走るのもやめてほしいが、山形新幹線はそれ以上で(余談ですが、伊豆にはカンナと優美子が乗っている電車が似合う)▼山形新幹線にそう名前をつけた張本人の自民党の議員さんは選挙のまっただ中である。先の通常国会のPKO法案の攻防も逆に利用されている。ちょっと押されているなという状況である▼都内北区で折り込まれた「自由北区」の中で衆議院議員の浜野たけし氏が「シーラカンスの社会党」と題して一文を寄せている▼この中で浜野氏は「牛歩は時代遅れ」「集団辞職は議会の崩壊につながる」「社会党は「自衛隊を戦場に送るな」「夫や子どもを再び戦争の道具に使うな」とデマを流している。PKOは戦争状態が終わって、紛争の再燃を防止して平和を確保する活動である」「国際貢献の必要性を堂々と国民の皆さんに訴えて社会党や共産党と対決していく」など述べている▼論議は「なぜ自衛隊の部隊なの?」「文句を言われな いような、とにかくやろう調の国際貢献でいいの?」ということだったでしょう▼更に氏は「(社会党に)あなた方は、長期的な国益も党利党略を優先させました。民主主義というのは自分だけに都合のいいことばかり言っていては成立しないのです。自己主義にこだわるのは、あなた方の勝手だが、最後に多数決に従わなくてはなりません。それが民主主義です。」と言っている▼どちらが党利党略を優先させたかわらないが、子どもが牛歩のまねをしてもかわいいが、子どもが特別委員会での採決のまねをしないようにしてもらいたいものである。
(東京 Y)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【投稿】何のための育休?

【投稿】何のための育休?    —生理休暇の無給化と引き替え—

私の勤める会社では、この5月から「つわり休暇」と「通院休暇」の導入と引き替えの形で生理休暇が無給となりました。会社は、情報処理業界で従業員は約800人です。
会社には36協定等の窓口として、従業員会があるのですが、事前の協議なしにすすめられました。変更の理由もはっきり示されないまま、就業規則の改定が実施され、その後に従業員会代表の意見書提出と、労基署への届出が行われました。つまり、合理的な理由がないまま就業規則が不利猛変更されてしまったのです。
その後、従業員会役員の改選が行われましたので立候補し、会長となりました。私以外の役員のほとんどは、立候補ではなく互選で選出されました。私は、新役員に労働基準法の説明をし、今回の変更がいかに不当なもの盲、を訴えました。そして、役員の一致した意見で、改定の白紙撤回を求めることになり、人事部長との協議を迎えました。
しかし人事部長は、「手続きに問題はなかった。前の役員は文句を言わなかったのに、今更何だ」という態度でした。私以外の役員のほとんどは、急に物わかりが良くなってしまいました。私は、人事部長と従業員会の役員の両方を相手に、再度労働基準法を説明しました。その結果人事部長は、事前協議の必要性を認めながらも、今回の改定については、「決定事項であり、手続きも完了している」と主張し結局、「今後は事前協議に努める。生理休暇の問題は、今後問題点が明らかになれば、見直しを含めて従業月会から提案する。」ことで決着しました。
人事部長の人権意識の希薄さ、従業員の権利意識の低さにめげながら、にがい酒を飲む私に副会長がささやきました。「出世したい人と、そうじゃない人との差ですね。」 皆さんの周りでは、育児休業法の施行後変化がありましたか?是非聞かせてください。(東京S.H)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【投稿】参議院選挙を迎えるにあたって

【投稿】参議院選挙を迎えるにあたって
                                                                —社会党、連合、社民連の前進を—

<従前の社民結集は失敗>
7月26日に実施される参議院議員選挙は、社会党、連合を軸とする「社会民主主義」勢力の存在価値が問われる選挙となっている。
3年前の選挙でつくられた与野党逆転の有利な状況のもとで、当然進められるべきであった政権交代の基盤作りは、主に社会党の優柔不断と民社党の利己主義により顕著な成果はみられなかった。
それどころか、選挙直前になってPKO問題を巡り、社民の分岐は決定的とも言える段階にまで進行した。こうした既成政党の状況を見かねて調整役をかってでた連合も、組織内に社、民以上の意見の分岐を抱える中で期待された役割を果たせず、連合型選挙の推進にも否定的影響を及ぼす結果となってしまった。ここに来て「社民勢力の結集」は雲散霧消となった感があるが、果たしてそうなのだろうか。

<新たな局面踏まえ 新社民結集を>
この間の事態を考えるならば、もはや民社党は社会民主主義政党としての体をなしておらず、自民党の補完物以外の何者でもないことが明白となった。「民社党」という名称と旧同盟系労働組合との関係を持って「社民勢力」とするにはあたらない。
社会党や連合の中には、まだ民社党の影響力を気にする人もいるが、そもそも社会党系労組と民社党系労組の勢力比(組合員数)と選挙での得票(議員数)の大幅な乖離は、何を物語っているか。それは、一般有権者の支持は社会党に集まること、労働組合の集票能力にも大きな開きがあることである。
労組との関係をもう少し考察するならば、民社党執行部は、自らを「支持する」労働組合幹部の思考をもって、「世論」と考え違いをしているのである。民社党系の労働組合幹部は良きも悪しきも「労働組合主義」なので、PKOのことなど「国際貢献いいんじゃない」ぐらいで真剣に考えていない。また民社党への支持さえも適当にやって、下手をすれば、自民党に話をした方が早いと思っている人も少なくない。それどころか民社党の内部からも自民党に走る議員が続出しかねない状況である。このような政党に義理立てする必要はなく、社民勢力の結集を進めるべきである。

<連合の限界と社会党の自己変革>
その場合、連合が重要な役割を担うことは間違いないが、連合が「政党」になりきることは問題があると言わざるを得ない。連合に結集する労働組合の政策面での完全な一致を、政治スケジュールのみから求めることは、労働組合としての結集軸を放棄することにつながりかねないからである。連合のファジーさは、自民党から指摘される以前からわかっていることである。それでも奈良、宮城で勝利したのは、存在自体に意味があるからである。連合は政党化することを考える以前に、そのまま社会党およびその周辺に、そのままでは結集しづらい人々のパイプに徹するべきではないか。また、その大前提として、社会党のこれまで以上の以上の自己変革が必要なことはいうまでもない。

<社会党・連合候補の当選をかち取うう>
国論を三分したPKO協力法、政治改革などが焦点と言われる参議院選挙、我々は、社会党、連合、社民連の候補者の当選に向けて、それぞれの持ち場で奪闘しよう。             (大阪 0)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【投稿】反アパルトヘイトの声を地域から

【投稿】反アパルトヘイトの声を地域から
                                          —-大阪富田林の反アパルトヘイト運動—

◇反アパルトヘイト運動の新段階
先日、南アフリカ共和国のデクラーク大統領が来日し、マスコミでもかなり大きく取り上げられていた。
デクラーク大統領は、アパルトヘイトはすでに終ったと訴え、日本企業の南アフリカへの積極的な投資を呼びかけていた。マスコミはデクラーク大統領をアパルトヘイト終結の立役者として扱っていた。
ちょうど同じ頃、ANC女性同盟地域議長のユニス・コメネ氏が来日していた。彼女はいまだに黒人に対する白人の暴力的迫害が続いており、黒人には参政権が与えられておらず、政府の省庁は人種別に分かれている等という実態を明らかにしながら、アパルトヘイトはまだ終っていないと強く訴えた。
例えばアパルトヘイト根幹四法が廃止されたとしても、300年続いてきた南アフリカのアパルトヘイト体制が容易に崩壊しないであろうことは、特に部落解放運動に関わってきたものにとっては、十分納得できることである。むしろ新しい闘いが始まったばかりなのだ。
南アフリカの現状や反アパルトヘイト運動については、マンデラ歓迎日本委員会編「ポスト・アパルトヘイト」等の良い本があるので私など出る幕ではないが、このような反アパルトヘイト運動の新段階と一方での自治体の国際化と言う流れの中で、地域で反アパルトヘイト運動に取り組んでいこうとしている、大阪府富田林市の市民運動について紹介したい。

◇部落解放同盟青年部の活動から
部落解放同盟は、この間国際的な人権闘争に力を入れ、その中で青年部は国際青年年や反アパルトヘイトコンサートに取り組んできた。南アフリカに対する経済制裁が徐々に効果を上げ、国際的に反アパルトヘイト運動が盛り上がる中で、富田林市でも部落解放同盟富田林支部青年部が中心となり、PTA、農協、商工会等にも呼びかけて、1989年11月、映画「遠い夜明け」の上映会を400名近い参加者で成功させた。この取り組みを通じて、反アパルトヘイト関西委員会と協力関係を築くことができた。さらに、1990年10月には、反アパルトヘイト関西委員会の後援を受けて、地域でネルソン・マンデラの来日歓迎集会を開催し、市長の連帯メッセージをネルソン・マンデラに手渡す等の活動を行った。この時は、マンデラの闘いを題材にした河内音頭を歌ったり、地元の芸術大学の教授に染め抜きの旗を作ってもらい、参加者のメッセージを書き込んだり、多彩で楽しい催しとなった。地域でマンデラ歓迎集会を開催したのはおそらく富田林だけであろう。

◇南河内人権ネットウークの結成
マンデラ歓迎集会は、90名近い参加者があったが、その中には、ビラ等を見て、このような集会に初めてやってきた個人参加者も少なくなかった。私達は、地域に人権問題に関心のある人々がたくさんいることをあらためて認識した。これらの人々が中心となって、翌年、これまでの運動を継承し、地域を基礎に反アパルトヘイトをはじめ様々な人権問題に取り組んでいこうという「南河内人権ネットワーク」を結成した。そのメンバーは、牧師、イラストレイター、大学講師、技術者、公務員等多彩で、明るく活動的なのには舌を巻くほど。

◇さらなる広がりと具体的運動の展開を
人権ネットワークでは、ゴミ問題を扱った映画「あ-す」の上映運動等にも取り組んできたが、去る6月12日解放同盟富田林支部、日教組等と実行委員会を結成し、ユニス・コマネ氏を富田林に招いて講演会を開催し、市長も含め市民200名以上の参加を得た。そしてその準備の過程でアフリカ問題に取り組んでいる市民グループと関係ができるなど、そのネットワークは益々広がってきている。国際化は市民意識の上では私達の想像以上に広く浸透しており、具体的に行動している市民の多いことに驚いた。いま、人権ネットワークでは解放同盟などとともに、行政も巻き込みながら、民主的南アフリカの再建に貢献する、地域からの具体的な援助の方法はないのかと検討している。 地域からの具体的な支援を継続して初めて、南アフリカの反アパルトヘイトの運動と日常的につながっていけるのではないだろうか。  (大阪 N)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【投稿】地球環境サミットの成果

【投稿】地球環境サミットの成果

■ はじめに
6月3日から14日までブラジル・リオデジャネイロで開催された「国連環境開発会議(地球サミット)」は、183カ国から政府首脳や環境保護で活動する非政府組織(NGO)が集まり、「環境と開発に関するリオ宣言」、行動計画である「アジェンダ21」、森林保全のための「森林原則声明」を採択・調印した。同時に、150カ国余りが「地球温暖化防止条約(気候変動枠組み条約)」「生物学的多様性保護条約」を調印し、地球環境の保全に向け具体的な一歩を踏み出した。
また、地球サミットの成果の実行を上げるために、フォローアップ(事後点検)会合を開くこと、最大の焦点であった発展途上国への資金援助問題では、先進国が援助額を国民総生産(GNP)比0.7%まで高めるよう努力することを確認した。
しかし、各国の利害対立は厳しく調印された各声明・条約の内容は、現在の地球環境の破壊状況を考えると環境保全を達成するには力不足でる。地球は一つしかなく、責任が誰にあるにしろ、破壊されてしまえば人類は全てが破滅するのである。我々は、待ったなしの状態まで地球環境を酷使してきたのである。
同時に開催されたNGOによる「92グローバルフォーラム」は、フラメンゴ公園を主会場に165カ国7500団体約2万人が参加して行われ、地球サミット成功の大きな役割を果たした。

■ リオ宣言
環境保全と開発を調和させる基本原則を定めた「環境と開発に関するリオ宣言」は、前文と27の基本原則からなり、人類は自然と調和した健康で生産的な生活を送る権利があるとした「環境基本権」を打ち出す一方、発展途上国を配慮して「開発の権利」も盛り込んだ内容である。
リオ宣言の骨子は、以下のようである。
1.各国は自国資源を開発する主権的権利を持つ
1.持続可能な開発には環境の保護が欠かせない
1.生活水準の格差縮小のため貧困を根絶する
1.持続不可能な生産と消費を縮小し適切な人口政策を推進する
1.効果的な環境法を制定しなければならない
1.環境被害をもたらす物質の他国への移転防止に、各国は協力しなければならない
1.女性、先住民は環境に極めて重要な役割を持つ
1.圧政、占領下にある人の環境と天然資源は保護される
1.各国は環境に関する抗争を平和的に解決しなければならない

■ アジェンタ21
21世紀に向けてのリオ宣言の行動計画である「アジェンダ21」は、「持続可能な開発」を目指して、大気保全、砂漠化防止、技術移転、資金協力など40章からなり、リオ宣言の理念を実現するために各国の政府、国民、企業が実行すべき具体的な対策を示した。
条約のように法的な拘束力はないが、地球環境保全のためには欠かせない計画である。
アジェンダ21の骨子は、以下のようである。
1.貧困撲滅のため雇用機会を確保すべきだ
1.浪費的でない持続可能な生活スタイルを達成する
1.GNPに森林減少や環境破壊を数値化して組み込んだグリーンGNPを開発する
1.現在のエネルギー供給構造を見直す
1.森林保護地域を設置、拡充する。焼き畑の制限
1.海洋資源を守るため公海では混獲を最小限に抑える
1.先進国は政府開発援助(ODA)をGNPの0.7%にする目標を再確認。目標を達成していない国はできるだけ早く、いくつかの国は2000年までに達成
このほか、アジェンダ21には、①砂漠化防止条約を94年6月までにまとめる②環境保全技術の途上国への移転を促進する③各国のアジェンダ21に基づく政策の実施状況を監視する「持続可能な開発のための委員会」を国連に設置する④人口増加の防止策を強化する--などが主要な柱として盛り込まれた。

■ 森林原則声明
CO2の吸収や生物種の多様性を保護する森林の機能を重視する先進国と開発の自由を主張する途上国との間でまとまった「森林原則声明」の骨子は、以下のようである。
1.国家には社会経済の発展水準に応じて、森林を利用し開発する権利がある
1.森林は現在と将来の世代のために持続可能な方法で管理されるべきだ
1.森林保全の費用は国際社会で公平に分担されるべきだ
1.世界の緑化に向け、特に先進国で森林面積を増やす努力が行われるべきだ
1.森林政策は先住民の権利を尊重すべきだ

■ 地球混暖化防止条約と
生物学的多様性保護条約
地球サミットの最大の目玉「地球温暖化防止条約(気候変動枠組み条約)」は、米国の反対で「各国は温室効果ガスの排出量を、現在から10年以内にそれ以前の水準に戻す政策をとる」と述べているようにCO2抑制の明確な時期も量も明記できず、具体性を欠く内容になった。
「生物学的多様性保護条約」は、地球上にすむ生物未確認のものを含めれば数千万種にも達するとされている生態系の保護と生物の産業利用の調和を図る内容になった。米国は調印を拒否した。

■ 地球サミットの限界
地球サミットで採択されたリオ宣言、アジェンダ21には、各種の環境破壊に対しても、社会的公正な補償の必要性が認識されるとともに、大気汚染、森林、砂漠化、山岳、農業と村落、生物学的種の多様性、バイオテクノロジー、海洋環境、水質の保全、有害化学物質や廃棄物、核物質に至るまで、各論的に対策のための危険の評価や情報化、監視などの具体的提案がなされている。又、現段階での環境破壊に対する社会的コスト概念についても、過去に比べより明確に、国際的理解として広められた。
しかし、問題は、こうした新たな認識をどのような形で具体的な社会的費用(グローバル・コスト)負担の制度として発展させ、安定した財源として確立し、新たな国際的公共システムの資金として活用して行くかにあったが、日本は5年間で1兆円のODA増額、欧州共同体(EC)は40億ドルの資金拠出を約束したものの、最大の懸案だったODA問題では、日、英、独の反対で2000年までにGNP比0.7%が達成目標に後退した。
又、地球サミット事務局が各国政府に示していた途上国支援のため必要な年間1250億ドル(約16兆円)という資金の見通しについても、「サミット事務局の試算に過ぎず、具体的な援助額は各国が独自の判断で決定する」という注釈付でアジェンダ21の本文中に盛り込まれたにすぎない。
今後、地球環境基金(GEF)を活用し、運営を改善することで合意したものの、新たな国際的公共システムの構築に向かって、リオ宣言もアジェンダ21も、残念ながら、環境保全の新たなシステムのための基本的な価値基準作りまでには至らなかった。

■ 地球サミットの成果
人類は生存のための経済活動として、自然から資源をとり、それをリサイクルしながらも、最終的には同量のものを廃棄物として自然に戻す。自然からの資源採取は、自然の能力を超えたり、自然の再生カを損なったりしてはならない。廃棄物も環境に負荷を著しく与えてはならないのである。環境破壊はこうした物質循環のバランスを人類が大きく崩しているところから生じている。自然とその物質収支を正しくするエコロジー基準が、全ての経済活動の前提とならねばならない時代になったのである。
今回の地球サミットは、環境優先か開発が重要かをめぐって南北が対立したが、東西冷戦終えん後の社会体制の枠組みを転換させ、地球環境の保全あるいは環境に優しい社会経済構造を具体的に実現するための制度的、資金的、組織的なルールを敷く歴史的出発点になった。そのためにも、地球サミットが果たし得なかったエコロジー経済のための国際的公共システムの形成と、そのもとでの新たな市場システムへの転換という課題の重荷を、全ての国家、そして人類が背負っていかなくてはならない。  (名古屋 Y)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【投稿】PKOと日本の進路

【投稿】PKOと日本の進路
                                                —国家の論理を越えて—

参議院選挙が、闘われている。自民党は、PKO(国連平和維持活動)協力法に対する予想以上の国民の反発を見て、争点を景気対策に絞ろうとしている。
これに対して、牛歩戦術と議員辞職願い提出で徹底的に関った社会党と社民連は、PKO協力法の違憲性を選挙戦の最大の焦点にしようとしている。
毎日新聞の通常国会閉幕直後の調査では、PKO協力法に対する「賛成意見」は31%しかないが、「反対意見」は37%と「賛成」を上回り、1年前の「賛成」45%、「反対」13%という数字が完全に逆転する結果となっている。PKO協力法を推進してきた読売新聞でもこの傾向は同じで、4月の調査では、「自衛隊の海外派遣は憲法上問題なし」と答えた人は45%で、「問題あり」とする人41%を上回っていたが、6月20、21日の両日の調査では、「問題あり」が56%で、「問題なし」の34%を大きく上回った。そしてPKO法を「評価しない」人が47%で、「評価する」の44%を上回っている。
このように国論を三分している状況の下でも、政府の調査団はカンボジアに派遣され、わずか1週間足らずの慌ただしい日程で泥縄式の調査を終えた。言うまでもなく、このPKO協力法は、「国際協力」という美名の下に自衛隊を海外に派兵する、すなわち「専守防衛」という枠に閉じこめていた自衛隊を全世界に解き放ち、「自衛権」を地の果てまで拡大するための憲法無視の悪法である。法的に言えば、世界に誇るべき平和憲法を否定する下位法によって「交戦権」を全世界に示したことになり、何を考え、何を基準に物事を考えているのかさっぱり判らない「顔のない日本人」という悪評をさらに高めることになりそうである。
保守系の評論家からさえ、いつまでも解釈改憲で押し通すことはもうできないという声が挙がるほど、明らかに違憲であるこのPKO協力法を政府・自民党は、なぜ強引に成立させたのか。東西冷戦構造の終焉という国際情勢の激変により、自衛隊が仮想敵国としてきたソ連邦が崩壊し、全世界の軍縮への流れがアジアにも及ぶことが期待されるという時に、なぜ日本の自衛隊が経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で唯一防衛費の増額の恩恵に浴することができるのか。国民の納得が得られないことが多すぎるのである。
一つのきっかけは、湾岸戦争で米国やクウェートの一部から日本の人的貢献不足に対する不満がでてきたということである。そのような一部の声に呼応することに利権を嗅ぎ取った政府・自民党の小沢一郎をはじめとするタカ派は、解散・総選挙が恐い公明党、民社党を脅かし、世界の流れと日本の安全保障政策の転換という本質論議を全く無視して、法案成立のための「党利党略の日本的根回し」に成功したのである。これほど国民を愚弄し、民主主義を踏みにじる暴挙が戦後あっただろうか。この民主主義に対する挑戦、法治国家の根底を揺るがす「マキャベリズム」への不信が、参議院選挙で吹き出すことを願わずにはいられない。
このPKO協力法問題の背景にある国際情勢の認識の違いは、以下のとおりである。タカ派の方は、冷戦の終結により、世界はあたかも「戦国時代」のようになり、湾岸戦争やユーゴ内戦を始めとした局地戦、地域紛争は、一層激化すると考えている。ハト派は、冷戦秩序から多極化・ボーダーレスへという国際構造の変化に伴う混乱が生じているが、これは良い歴史のほんの一コマに過ぎないという認識である。例えば「国家がその役割を低め、従って軍事力に頼って何事かをなそうとする野蛮から卒業しようとしていることが主要なトレンドであり、それ故にかえって一時的には民族・宗教等の紛争が増えるという付随的な現象が出てくるのだ」(インサイダー、92年7月1日号)といった認識である。
社会党を始めとした護憲勢力の中にも、この点についての議論が十分こなされてはいないといううらみがある。突き詰めて言えば、社民勢力の結集のため、あるいは政権を担うためには自衛隊容認に踏み切るべきか、あくまで国際情勢の変化を先取りする平和憲法を守り抜くべきかという議論を避けている状況である。
自公民の結束がPKO協力法を成立させたことによって、社民勢力の結集の動きは、大いに水をさされた。しかし、国際情勢を軽視し、本質論議を避けた国会運営に対する国民の怒りを政治そのものに対する不信につなげないようにするためにも、平和を愛する国民一人ひとりの行動と真筆な議論が今こそ必要である。
湾岸戦争が、43日間に総計14万1491トンという恐れるべき爆弾をイラク軍と民衆の頭上に投下した(かつて東京の半分が壊滅した東京空襲の78倍の爆弾量)ことによって、「死の商人」といわれる軍需産業の在庫一掃処分に貢献したように、今アジアが、軍需産業のターゲットとして注目を集めている。主要先進国で唯一の貿易黒字国日本を筆頭に成長するアジアの国々は、世界で最も有望なマーケットに成長しつつある。中国のロシア製空母「フリヤーグ」を始めとしたロシア製ハイテク兵器購入の動きに対して、日本はもとより台湾、ASEAN(東南アジア諸国連合)は、極めて神経質になっている(朝日新開92年7月1日付け)。
先進国が、ロシアの経済建て直しに全力を挙げなければ、ますますロシアは、外貨を稼ぐために兵器輸出をしなければならない。エリツィン大統領は、外交努力を圧力とはき違え、「北方領土を日本に返せ」という国際世論づくりに躍起となっている宮沢政権に対する不快感を表明し、「ヨーロッパと反対にロシアに対する投資を一切することなく、非協力的態度に終始しながら北方領土が帰ると思うのは、甘い考えだ」と強調している(TBS/毎日放送系列’92年7月5日朝放映「関口宏のサンデーモーニング)。
また欧州では、ドイツ、イギリス、イタリア、スペインの4カ国による次期戦闘機共同開発計画からのドイツの撤退と独自の開発を進めるフランスのスケジュールの遅れが各国の軍事産業に暗い影を落としつつある。アメリカのタカ派も今後、数少ない国際競争力を持つ商品として「兵器」を積極的に売り込みながら、在庫一掃の消費地=「戦場」を捜し求めるだろう。日本においては、このような兵器産業と結びつく政党は自民党であり、民社党であるならば、彼らに兵器の生産と輸出を世界的に規制し、平和の配当を世界の津々浦々までもたらす「平和外交」を求めることは、「木によりて魚を求む」に等しいと言えるのではないだろうか。
いつの時代でも戦争によってますます苦しみ、地獄の経験をするのは、一般の国民である。政治家は、自らの利害と後ろめたさを勇ましい演説と美辞麗句に包み込む。21世紀を平和な世界にするための一人ひとりの努力と貫任を明らかにし、非武装の理念の気高さと力、およびその歴史性について国民的な議論を巻き起こさねばならない。アジアの人々の怒りと苦しみを同じ人間としての自らの問題と位置づけなければならない。軍隊は、決して国民を守るためではなく、国家という崩壊しつつある抑圧機構の手段を選ばぬ維持・強化のためにあるのだから。
「冷戦後の新世界秩序には、日本の憲法、とりわけ第9条の精神が、どの国の憲法より適している」(ブライアン・ウドール=ハーバード大学助教授、6月29日付け朝日)。
(この原稿は、92年7月7日に執筆した。大阪 M)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【投稿】朝日ジャーナルの廃刊?

【投稿】朝日ジャーナルの廃刊?

メディアのゆくえ
TVは生活そのものであろう。ここで感じ、納得し、参加するという。いま、やっとメディアのすみわけが議論されている。新聞、雑誌、書籍、TVなど、どこをみても同じネタが流れる時代だ。それでは速報性の高いTVに流れるのは当然である。新聞は新聞の役割を果たそう!とね。 朝日ジャーナルが廃刊となった。本紙の読者には、最終号を買った人も多いことだろう。本田勝一氏は新しい日刊紙を発行準備中途いう。個人株主を募って、その株をもとにタプーのないジャーナリズムをつくりたいという。
これもTVがとくに近年「特集」もので掘り下げた取材をしはじめた影響かも知れない。「NHKスペシャル」や、やわらかいところで「しってるつもり」などは典型だ。ニュース番組の人気もその例だろう。
さて私たちは今度はTVを見ることで「安心し」「納得」してしまっている。これはこわい気がする。この「旗」もこうした意味で確かな情報をもとに身近なホンネをきっちりといえる場として大切にしていきたい。

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】ヨーロッパ旅行雑感

【投稿】ヨーロッパ旅行雑感

某印刷会社から転職して一年。新しく入った会社は、新聞・雑誌の広告を中心に行なっている100名弱の製版屋です。そこの会社の創立00周年記念旅行ということで、生まれてはじめて海外(ヨーロッパ10日間)へ行ってきました。
きっちりとした報告はできませんが、いろいろと思ったことを述べてみたいと思います。
まず、おじさんたちの旅行に行く前の反応です。旅行が近づくにつれ、当然、社内では旅行の話で持ちきりになるわけですが、その話題の中心は「旅の不安」なのです。「パリには警官をよそおった観光客狙いのドロポウがいるらしい」と言って、新聞の切り抜きを持ってくるもの。「ポーチやデイパックはナイフで切られるからやめたほうがよい」という治安に関する話から「旅行用紙パンツ」の試着報告に至るまで、社内の論議は「旅の不安」しかないのです。もちろん、諸外国に比べて日本ほど治安のよい国はないわけですから、「旅の不安」が語られて当然です。しかし、その話のみなのです。誰一人として、「ルーブル美術館のOOという絵はすばらしいから、ぜひ、見てきたほうが良い」とか「ウィーンの森から見る景色はすばらしいらしいぞ」とか、前向きな話はひとつもなく、あいかわらず毎日、「旅の不安」が語られ続けられるのです。しかも、社員のほとんどが海外旅行未経験ならまだわかりますが、社員旅行で2~3回は出かけている人がほとんどなのです。
なぜ、このような話しかでてこないのか私にはよく理解できませんでした。また、若い世代の反応はいろいろですが、結構多いのが、「会社の人と10日間も一緒にいるくらいなら行きたくない」といって、辞退する人です。「アフター5は会社とは別な人間と過ごしたい」という傾向が強くなっている昨今ですから理解できなくはありませんが、私などは「ただで行けるのにもったいない」と思ってしまいました。
ヨーロッパに行って一番思ったことは、街に対する考え方の違いです。まず、古い建物と街の景観を非常に大切にするということです。パリもウィーンもそうですが、街の建物のほとんどは中世(?)の建物です。日本みたいな高層ビルはほとんどありません。そして、そのような景観を守るために様々な条令が定められています。建物には色を塗ってはいけない。店の看板は細かくサイズや位置が決められています。ネオンなどあまり見かけないのですが、ネオンをつけるにしても細かく規定があります。その上、パリでは表に洗濯物をほしてはいけないという条令もあります。ほとんどの家庭では、洗催物はバスルームにほすそうです。
アパートについても古ければ古いほど人気が高く家賃がいそうです。機能面から見ても、古いアパートは最低でも壁の厚さが60cm以上あるため、隣の部屋の物音が聞こえない。夏は涼しく、冬は一度部屋を暖めてしまえば、熱が逃げることなく暖房費がかからない等の利点があるようです。
また、街の緑についても非常に大切にしています。ウィーンでは市民一人あたり、最低でも2平方メートルの緑を確保しなければならないという法律があり、自分の庭の木であっても、かってには切れないそうです。パリでは、歩道の工事をするにしても、歩道の木の保護を充分行なってからでないと工事ができないし、まして工事中に木が一本でも切られようものなら、街中にデモの嵐が吹き荒れるそうです。 そのようなヨーロッパで異臭を放つかのように存在しているのが、日本人の料理店、ラーメン屋等です。パリには約100軒くらいの日本料理店がありますが、その多くが店先にラーメン屋の大きな赤い提灯をぶらさげていたり、派手な日本語の看板をぶらさげていたりします。外に洗濯物もほさずに、パリの景戟を保っているパリ市民がどのような気持ちでこれらを見つめているのかを考えると思わずぞっとしてしまいます。
古いものを大切に残すことが一概に良いとは言うつもりもありませんが、日本人とヨーロッパの人々の間には、街、生活等に対する考え方に大きな開きがあるようです。「このあたりに、歴史的な労働者の戦いによって築きあげられたヨーロッパの民主主義と底の浅い日本の民主主義のギャップがあらわれているのではないか……」とかってに思い込んで帰ってきた私でした。
いずれにしても、学ぶことの多いヨーロッパ旅行でした。言葉が良くわからなくても、片言の英語と学生運動で鍛えたずうずうしさがあれば、なんとかなるという実感も持てました。来年は、自分でお金を貯めてまた海外へ出かけてみようと思っています。自分の視野を広げるという意味でも、運動を考え直すという意味でも非常に役立つと思います。みなさんも機会があれば出かけてみて下さい。     東京・N

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】大阪府勤務時間問題を考える

【投稿】大阪府勤務時間問題を考える

–大阪府では4月中旬から5月にかけて勤務時間問題をめぐって大きく揺れ動いた。

<問題の経過と内容>
事の発端は、一昨年3月26日にN池田市市議会議貞が住民監査請求を起こしたことにさかのぼる。監査請求の内容は「府の勤務時間の内、午前・午後の休息時間(各15分・計30分)を仕業・就業時に各々、設定していることで、勤務時間条例に従わず事実上30分の時間短縮を行っている。ついては、実態として勤務していない30分の給与については、不正支給に当たるので、知事・出納長は受給者全員に対し返還を求めること。併せて勤務時間の是正を求める。」というもの。ここで、府の勤務時間が、どうなっていたのか図示する。
規定上の勤務時間 ├———-┼——-┼———┤
(休息時間含む)  8:45     12:15   13:00  17:30

時差出勤措置時間 ├———-┼——-┼———┤
9:00     12:15    13:00   17:45

体息時間運用によ ├———-┼——–┼——- ┤
る実態勤務時間   9:15    12:15    13:00   17:30

これを受けて丁昨年5月25日、監査結果報告が出され、給与の不正支給一返還請求は退けられたものの今後の勤務時間については「必ずしも適正とは言えず、府民の誤解も招きやすい。」として「是正」を要望した。この監査報告は、府議会でも有力自民党議員から指摘され、府当局は「是正」を約束した。当然、当局は組合側(連合系府労連・共産党系府労組連)に是正提案を行い、既に一昨年11月には、本庁2部出勤制(30分ズレ勤務)や夜学職免制度、交替制職場における週40時間施行実施等の一定の条件を獲得したものの午前15分休息時間については「是正」されている経過がある。今回の勤務時間問題は、残りの午後15分休息時間について、重ねて「是正」提案を行ってきたもの。今回さらに当局が「是正」を迫ってきた背景には、自民党議会筋や監査請求人の指摘が続いていたのに合せ、マスコミの動き、加えて国の完全週休2日制が5月実施と早まったことに伴い、都道府県の立場として府としても早期実施する必要から前提に解決すべき問題としてあったことなどがある。現に本年4月15日に当局は、本格提案を行ってきたが、提案趣旨は、「完全週休2日制5月府議会条例化を検討するに当たり残り15分休息時間の運用について、是正したい。」となっており、その協議のタイムリミットを議会対策上、4月末となっている。

<交渉経過と組合側の主張>
本格提案を受けた府労連・自治労府職は、提案が勤務時間是正」と完全週休2日制実施とセット提案であることから、その切り離しを目指して交渉を展開した。特に連日の団体交渉・決起集金を開催し、近年にない盛り上がりを見せた。
組合側の主張は以下のとおりに集約される。(①勤務時間の運用は、組合側が一方的に行ってきたわけではなく、勤務時間条例が制定されたころから労使合意の上で行われていたこと。②運用のうえに職員の生活が成り立っている実態。③総合的労働時間短縮を推進する行政としての立場、等々。しかし結果的には、完全週休2日制5月府議会条例化を見送ってでも闘争継続することは困難と判断し「是正」には至らなかった。しかし、その一方で、①保育・介護に関する責任、②休息・休憩時間等の労働条件確保の責任、③総合的労働時間短縮推進の責任を当局の使用者斉任として認めさせ、具体的には①保育特別休暇。(男女通用・生後3年・1日30分)の制度化と個別救済、②休息時間確保のための時報、窓口時間等の明確化、③年間総労働時間1800時間以内達成に向けた労使協議期間の設置等の条件的成果を勝ち取った。

<勤務時間問題が物語るもの>
今回の勤務時間が物語る教訓は、戦後の労働組合運動の発展の過程の中で、勝ち取られてきた成果=「既得権」が、その存在が闇・影的存在である以上、行革攻撃以降、次々と剥奪され、守り切れないものとなっていることである。まさに大阪府においては、今回の勤務時間問題が残された大さな「既得権」であったといえる。特に公務員の賃金・労働条件が法定主義が基本であることから、労使の力関係だけで存在している「既得権」は、むしろ公務員批判の下で攻撃の対象とされること、その意味では今後の公務員労働組合運動では、社会的合意形成・公的認知の下に正々堂々と制度化を主張し、その成果をもって逆に社会的に拡大する努力が必要な時代となってきている。今回の保育特別休暇、完全週休2日制、育児休業制度等は、そういった意味合いで意義は大きい。
もう一つの教訓は、労働時間短縮が、連合の取り組みもあって確かに社会的な流れ・要求になっているものの、全体的な総合的労働時間短縮としては比較的、前進していない実態、とりわけ国際的な圧力・枠組みの中で完全週休2日制を始めとする時短促進が叫ばれている中であっても、大企業と中小企業との格差のかくだい、実効ある残業規制についても成果が上がっていない状況がある。そのことが大阪府においては、完全週休2日制と合わせ、1日の勤務時間の短縮には至らなかった背景がある。
最後に今回の勤務時間問題で共産党系府職は、4月末まで実際的な団体交渉を行わす、府労連・自治労府職が一定の判断を行った後に、見せかけの反対闘争を展開し、結果として府労連・自治労府職への批判に終始したことを付言しておく。

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】”Ⅰ’m here” JAGDA 平和と環境のポスター展

【投稿】”Ⅰ’m here”        JAGDA 平和と環境のポスター展

5月27日~6月1日、東京で社団法人日本グラフィックデザイナー協会(JGADA)が主催する「平和と環境のポスター展“Ⅰ’m here.”(私はここにいる)--すべては『私』から始まっている。」が開催された。
同協会に属する全国の会員1800人のうち10人に一人に当たる189人が参加して展覧会であった。各作品は作者の様々な視点からのイラストとコピーとの組み合わせが実におもしろかった。出品者の互選による10人の審査員が選んだ大賞は「かあさん。ポクは、ホントは生まれたくないんだよ。」と題する(コピーは山之内慎一氏)赤錆た鉄くずで作られた巣の中に卵のような石が2つ描かれたイラストの作品である。私個人的には、やはり大賞作品もすばらしいと思ったが、加えて GREEN REVOLUTIONと超するマニキュアした手が地球をつかむイラスト(中村誠氏)に「人間が言った。私には植物の声など聞こえない。あるはずもない。ロマンチズムで、この地球の腐食を救えるものか。」
品、「サアカナゴトではない!」(イラスト今北紘一氏、コピー稲本幸男氏)の作品、「来世紀では遅すぎる。」というう地球儀がつぶれたイラスト(生駒由紀夫氏)の作品なども感銘を覚えた。
これだけ多くの“環境”を見ると「環境問遮」「環境運動」とは何かと考えさせられるo「平和を守れ、戦争反対」にしても、あるいは「地球を守れ」という主張に対しても反対する人は(たぶん)誰もいないと思う。かつて(今でも?!)「平和」と言うカテゴリーが一つの試金石であったように、今、「環境」がそうなりつつあるのではないか。サミットで竹下氏がどれだけ良い事を言ったって、日本で何ができるの?政府として。企業の経済活動を規制してまで…。
今回の展覧会に当たり日本グラフィックデザイナー協会会長の亀倉雄策氏は「自由な発想と飛躍」と超して次のような文章を寄せている。少々長いが、なかなかおもしろいので全文を引用する。
「私は『I’m here』というタイトルが大変気にいっている。それは、気張らずに自分の好きな表現ができそうだからである。「Ⅰ’m here.」の意味を自分で考えで、自由に発想を飛躍させられる面白さがあるのだ。そこが、すばらしい。展覧会だッと云って肩を怒らせないで、のびのびと好きなポスターをつくれるチャンスが久々にやってきたといううれしさである。
『JAGDA平和と環境のポスター展』というのが冠についている。だから、お前がそんなにのんきに喜んでいるのはスジ違いというものだと展覧会委員会から文句をいわれそうだが、ここで『まてよ……』と考えてみたい。ご承知のように、ソビエトがロシアという普通の国になり、核兵器削減という現実にフレデイリツク・フオーサイスでさえ小説のネタに困惑している今日、骸骨や原爆雲でもあるまいというきがしているからだ。特に鳩ポッポやPEACE PEACEと凝ったロゴタイブを並べて見せられても空虚な形式主義だけが鼻について感激しない。環境問題だって、工場の煙突のモクモクや、よごれたドプ池、ゴミの山といった観念もやっぱり空虚な形式主義としてしか目に写らない。
じゃあ-なにを表現したらいいんだと問われれば、これに答えることはむずかしい。私だって教えてもらいたいくらいだ。要するに、平和と環境というテーマはグラフィックデザインの袋小路に入ったようなものだと思うからである。
その袋小路の徒き止りに颯爽と出現したのが、この「Ⅰ’mhere.」である。これだ!と飛びついたのは私だけではないょうだ。このタイトルは国境を超えた説得力がある。例えば昨年ドイツのオルガー・マチスに『Ⅰ’m here.』の話をしたら、即座に「すばらしい」と感動してくれた。きっと面白い展覧会になるという予感がしたんだと思う。きくところによると、この『I’m here.』Jはコピーライターの日暮真三の命名ということだが、さすがに非凡な才能の人だと感銘した。
『I’m here.』が平和、環境という正面きった大テーマに硬から爽風が吹きつけて、自由な表現をゆるしてくれる雰囲気が生まれてくれたのは幸せだった。きっと面白い、すばらしいポスター展になると、私は直感している。」
話は替わりますが、今回の展覧会で180点の作品の中に女性の作品が10点にも満たないというのは、環境運動に果たしている女性の役割からするとあまりりに寂しいとは思いませんか?
展覧会は、環境サミットが開かれているリオジャネイロで開かれた後、7月14日からは名古屋市市民ギャラリー、続いて広島、福岡、大分、釧路などでも開かれる予定ですので、近くの方は是非覗いてみてください。
環境問題って何ですか。あなたにとって環境問題って何ですか…。(東京 C)

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】地球環境問題をめぐって2

【投稿】地球環境問題をめぐって
                                                        その2 「地球サミット」が問いかけるもの

<「地球環境破壊の責任は先進国にある」>
リオデジャネイロの地球サミット(環境と開発に関する国連会議)に合わせた政府広報紙「今週の日本」(6月8日号)は、「地球にやさしく」という見出しを大きく掲げて、その下に紙面一杯に焼畑農業の写真をこれみよがしに載せて、これが地球温暖化の一因であるとの解説をつけている。
人をあざむくこれほど厚顔無恥な態度はない。 地球温暖化の最大の原因となっている二酸化炭素(CO2)の排出については、実にその四分の三が先進工業国から吐き出されているのである。日本は、このCO2汚染寄与度がアメリカに次いで二位であり、しかも森林破壊についていえば、フィリピンから東南アジア諸国、ブラジルに至るまで、熱帯林を乱伐し、実にその50%以上を丸太として輸入してきたのは日本なのである。焼畑農業が森林破壊とCO2汚染に一定の役割を果たしていることは明らかであるが、日本の汚染寄与度とは比較にならない。ましてやいつのまにか環境先進国をきどり、日本の経験と技術を他国は学ぶべきだといった態度は、途上国側からすれば、資源を買い占め、地球環境破壊の先頭に立ち、公害を他国へ移転、輸出しながら、「環境」を商売道具とする新植民地主義的な傲慢さ以外のなにものでもないであろう。
リオの地球サミットには、日本からはしたたかに「環境族」ポーズをとる竹下派をはじめ、空前の163カ国が参加し、NGO組織もこれに合せて大挙結集、地球環境破壊の責任と義務を問う一大「南北サミット」の様相を呈した。激しい論議の末、そこで採択された「環境と開発に関するリオ宣言」は、「われわれの家」である地球益を守る27原則を明示し、その第七原則では、「各軋ま共通の、しかし、差異のある責任」を負うと同時に、しかし「地球環境破壊の責任は先進国にある」ことを明らかにし、先進副こ技術と財源の分野で「特別の義務」を課している。宣言はまた、「自国の資源を開発する権利が他国の環境に害を与えないようにする責任」(第2原則)、「環境悪化の移転防止」(第14原則)、「有害効果をもたらす自然災害、緊急事態の通報義務」(第18原則)についても確認している。

<無視できぬ「開発」政策への異議>
リオの地球サミットがもう一つ明らかにしたことは、単に南北間の対立のみならず、環境保護政策をめぐる米欧間の対立、それぞれの国家間の利害の衝突に加えて、より重要なことは、NGO、市民運動、住民運動と、政府や世界銀行、淘際的な開発・援助組織との対立が一層鮮明になってきていることである。これまでとは違って、開発途上諸国から多くのNGO組織や住民運動組織が参加し、自国政府や多国籍企業の「開発」政策に異議を唱え、しかもこれらの異議をもはや無視することが出来なくなってきたことである。
インドのナルマダ川流域のダム開発、ブラジルのバルビナダム、エクアドル・アマゾン流域の原油開発計画、フィリピンの脱硫装置なしの火力発電所計画(日本のODA資金による)etc.、これらは環境破壊を広げるばかりか、借金返済のための資源輸出をよりいっそう強制して、さらに環境破壊の悪循環をもたらす、開発は地域住民の主導による民主的なものとするべきだという意見である。
利潤追求と市場コストに専念し、汚染をたれ流し、環境コストを一切顧慮することなく膨張を遂げてきた資本主義経済は重大な岐路に立たされている。環境保護と両立する「持続可能な開発」をめぐっても、もはや政府、企業レベルでの意思・政策決定は、市民・住民レベルの合意、監視、規制なくしては成り立ちえない時代に突入しつつあることを示している。地球環境の悪化は「待ったなし」の状況に近づいていることを全ての人々が肌身で感じてきているのである。

<「最悪の汚染地帯」=ソ連・東欧圏>
そしてこのような市民・住民レベルでの合意、政策決定への民主的参加を無視するような社会システムが何をもたらすかという、もう一つの典型が、いわば自己崩壊せざるをえなかったソ連・東欧の社会主義ではなかったろうか。 その実態がいかなるものかについては、石弘之著『酸性雨』(岩波新書、92.5.20、580円)に詳しく紹介されている。
「一九八○年代末になって、東欧各国で次々にカーテンが開け放たれるや、最悪の環境汚染が目の前にさらけ出された。そのあまりのひどさに世界は慄然とした。」「酸性雨は森林も、湖沼も、建造物も蝕ばんでいた。とくに、チェコスロバキア、ポーランド、旧東ドイツの三国にまたがる国境地帯、通称「黒い三角地帯」は、酸性雨の集中攻撃を浴びて、生態系は壊滅状態だった。」
「旧東ドイツにいたっては、一人当り日本の四五倍もの大量の硫黄酸化物を浴びていることになる。」
「旧東ドイツ最大の化学工業地帯、ビターフェルト。この都市は統一ドイツ政府と環境保護団体グリーンピースによって「世界でもっとも汚染された町」との烙印を押された。だが東欧開放後、老朽化ゆえに西側との競争力を失って、次々に繰業停止を余儀なくされている。九万人いた労働者の半数が職を失った。皮肉なことに、それにつれて大気汚染も好転してきた。」 「旧ソ連は世界最大の硫黄酸化物の排出固で、国連の推定(一九八九年)では年二五00万トンに上る。」 「社会主義が本来求めていたのは、新しい人間による新しい社会の建設であったはずだ。だが、現実には政治的な腐敗と官僚主義がはびこり、社会はいたる所で機能がマヒして、誰もノルマだけが関心事となり、工場の生産設備の更新や公害防止設備の設置に責任を持つものはほとんどいなかった。環境関係のデータは「国家機密」とされて、都合のよい数字しか外部に発表されなかった。」
また、熊谷徹著『ドイツの憂鬱』(丸善ライブラリー、92.3.20.、620円)によると、「ケムニッツ・ライプチヒなどの工業地帯では、空気中の有害物質の濃度が、基準を大幅に上回っている。最も汚染がひどいのが、ライプチヒの南側にあるボルナという町。ここでは、一九八九年の時点で、空気中の二酸化硫黄の濃度が東ドイツ政府の基準値の四○倍、塵挨の値が二○倍に達していた。東ドイツ全体で、一九八八年に空気中に放出された二酸化硫黄の量は、五百万トン、西ドイツの五倍にのほる。これらの数字は、旧東ドイツの社会主義政権が環境と健康に対する配慮を、全くと言っていいほど怠ってきたことを裏付けている。一九八九年の東ヨーロッパ革命がもたらした最大の功績の一つは、西ヨーロッパ諸国が、東側の深刻な環境汚染に歯止めをかけるチャンスを得たことだと指摘する学者もいる。環境汚染は、統一ドイツに社会主義政権が残した「負の遺産」の筆頭といえるかもしれない。」という事態である。

<「環境破壊」のツケ>
問題はこのような社会主義の名にはばかる深刻な事態を抱えていたにもかかわらず、一切それが自国民にさえ明らかにされず、対外的には「国内には環境汚染など存在しない」などと主張し、国際的な環境汚染の規制に反対してきたことである。
たとえば、前掲書『酸性雨』によると、「スウェーデンは、一九八二年に人間環境会議の一○周年を記念して「環境の酸性化に関するストックホルム会議」を主催した。ここで「長距離越境大気汚染条約」の早期批准を各国に訴えるとともに、具体的な汚染物質の削減計画を要求した。そして翌八三年の条約締約国会議で、他の北欧諸国とともに、八三一九三年に硫黄酸化物の排出量を八○年レベルより三○%以上削減することを目指す提案を行なった。同時にオーストリア、スイスなどが、窒素酸化物の三○%削減を提案した。これに対して、英、米、フランスが反対にまわり、窒素酸化物の削減に抵抗する東欧圏もこれら三国に同調した。当時、東欧諸国は国内に環境汚染は存在しないとして、三○%削減の必要性を認めなかった。東欧欧諸国はこぞって、科学的に不明確な点が多いことを理由に規制に反対した。」これが実態である。
現実の社会主義に理想の環境保護政策を求め、少なくともそれが追求されているのではないかという期待は、明らかな幻想であったといえよう。実態とかけはなれたこうした幻想が、環境問題を軽視することにつながってきたことが深く自己反省されなければならないであろう。
こうして戦後だけでもソ連・東欧圏の社会主義が四十数年間にわたって放置してきた環境汚染のツケは、あまりにも大きい。ゴルバチョフの人類的課題の優先性、情報公開、もっと民主主義をという叫びは、ここでも社会主義者としての当然の悲痛な叫びであった。    (生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】地球環境問題をめぐって1

【投稿】地球環境問題をめぐって
                                                       その1 地球環境サミットを前に

はじめに
宇宙の片隅に地球が誕生してから、46億年。その地球上で人間が文化、文明を持ち始めてから、1万年の歳月が流れているに過ぎない。宇宙の悠久な時空の中で考えると、人間の人間らしい歩みは一瞬の出来事でしかないのに、人間はその一瞬の営みの中で46億歳の地球をむしばみ続けているのである。
地球環境保全と開発の両立を目指し、新たな地球規模の協調体制を確立する「国連環境開発会議(地球サミット)」が、6月3日から14日までブラジル・リオデジャネイロで国連史上初めて開催される。百カ国以上の固から政府首脳や環境保護で活動する非政府組織(NGO)が集まり、環境保全と開発を調和させる基本原則を定めた「リオ宣言」や行動計画である「アジェンダ21」、地球温暖化防止条約、地球の生態系を守る「生物学的多様性保護条約」などの調印を予定している。
今回の地球サミットは、環境優先か開発が重要かをめぐって南北対立が予想されるが、東西冷戦終えん後の社会体制の枠組みを転換させ、地球環境の保全あるいは環境に優しい社会経済構造を具体的に実現するための制度的、資金的、組織的なルールを敷く歴史的出発点になるであろう。
この地球サミットを契横に、今回から数回にわたって地球環境問題に取り組んでみたい。横兵器が人類史に与えた衝撃以上に地球環境問題は人類の未来に大きく立ちふさがっていると考えるからである。

<地球サミットヘの経過>
地球サミットは、1972年6月ストックホルムで開催された国連人間環境会議の20周年を記念して開かれる会議で、テーマは「持続可能な開発」である。経済最優先の開発は物質的な豊かさをもたらすものの、いつかは資源を開発し尽くし、破綻を招くことを世界が認識したうえで、今後は子孫にわたって成長できる経済社会を目指そうという考えに基づいている。
ストックホルム会議では世界各国が環境問題の重要性を認識し、改善していくことで合意した。しかし、それから20年たっても環境の状況は悪化する一方である。80年代の中ごろ、初めて南極に於て発見されたオゾンホールは、全世界に大きな衛撃を与えた。さらに地球温暖化や酸性雨など、国境を超えて広がる新しい環境問題への関心の高まりを受けて、国連のブルントラント委員会が、87年初めて「持続可能な開発」という表現を使って環境破壊の深刻さを問題提起し、国連は地球サミットを開催することを決定した。
会議には100カ国にも及ぶ各国の首脳の参加が予定されており、今世紀最大の首脳会議となる。また地球サミットでは、国連主催の会議としてはめずらしく民間人の参加も認められている。環境保護団体や科学者らによるイベント「92グローバルフォーラム」も同じリオデジャネイロを舞台に企画されている。総参加者は3万人とも言われている。

<地球サミットの背景>
地球環境の汚染・破壊はいまや、複雑、多岐にわたっている。地球の温暖化をはじめ、オゾン層の破壊、酸性雨、熱帯林の減少、砂漠化、海洋・湖沼河川の汚染、有害廃棄物の越境移動などはいずれも相互に複合、連鎖しているため、その因果関係の解明が不確定で、解決への糸口を不透明にしてきている。
しかし、地球環境問題に共通している最大の悩みは、人類の営みが地球をむしばんできた点にある。人の営みが天与の自然浄化作用の限界を超えて、地球に過剰な負荷を与え、自然の生態系を乱しているためである。
その元凶は、資源、エネルギーを大量に開発、生産、流通、消費することを可能にした近代科学技術とその所産である物質文明そのものにある。このため、問題の解決をなおさら難しくしているといえよう。その発端は18世紀中葉の産業革命で、まだ200年余の経験である。

<地球サミットの方向性>
地球サミットでは、①環境と開発に関する「リオ宣言」②行動計画「アジェンダ21」の策定③地球温暖化防止条約・生物学的多様性保護条約への署名④財源問題・技術移転・国際組織の検討—等が予定されている。
「環境と開発に関するリオ宣言」は、地球サミットでストックホルム宣言を再確認し、地球規模の新しい協調体制を作り上げることを目的としている.。この為、発展途上国グループが要求した「開発の権利」を認め、貧困の撲滅への協力を求める一方で他国の環境破壊につながらないようにする責任と、将来の世代に開発だけでなく環境に対する要求にもこたえられるべきだと加えている。
「持続可能な開発」を目指す行動計画(アジェンダ21)の骨格は、①大気保全のため国別にエネルギー需要目標を設定し、石油などの消費を抑制する②森林再生などに必要なコストを、石油課税などいわゆる環境税を通じて石油、電力といったエネルギー価格に反映させ、省エネを促す③発展途上国への援助資金を確保するため防衛費の削減や世界銀行の地球環境基金の拡充を検討する—などの内容になっている。

条約とは異なり法的な拘束力はないが、地球環境保全のためには欠かせない行動計画である。

地球サミットの最大の目玉である「地球温暖化防止条約(気候変動枠組み条約)」は、各国の利害の調整が難航していたが、「温室効果ガスの排出量を90年代終わりまでに90年水準に戻すことを目指し、各国が努力する」という内容で妥協した。当初、日本と欧州共同体は、「2000年時点で90年レベルに排出量を安定化させることを誓約する」という強い拘束力を持つ案を主張していたが、米国の強い反対で努力目標になった。
もう一つの条約「生物学的多様性保護条約」は、地球上にすむ生物未確認のものを含めれば数千万種にも達するとされている生態系の保護と生物の産業利用の調和を図る内容となっている。
財源・技術移転・国際組織問題は、先進国と発展途上国とのあいだで最も対立している問題である。特に、地球環境対策の財源開港に関しては、事務局が2000年までの環境と開発の両立のための資金需要を年間1250億ドル(約16兆円)と見込み、先進各国による政府開発援助(ODA)で賄われる550億ドル以外の残り700億の新規財源の出資問題が絡み激しい意見対立が予想される。

<地球サミットの意義>
少し古いが、地球環境問題の本質を語っていると考えるので引用したい。「環境破壊の危機の前では、二極化したイデオロギー的世界という対立図式は却下される。経済圏や軍事同盟の体制の差によって、生命圏を分割することはできない。全ての国が一つの気候体系を共有しており、一国たりとも自国だけを隔絶する独自の環境防衛上の国境を設けるわけにはいかない。」(シュワルナゼ外相88年国連演説) 地球サミットは、環境保全に取り組む各国の「基本的合意と政治的意思の表明」の場ではあるが、環境問題を決着させるまで期待することはできないだろう。しかし、各国の理解や行動を改善する大きなステップになる。持続可能な開発及び地球環境の改善という原則で合意し、これを受けて継続的に環境問題に取り組む体制の出発点になればサミット最大の成果になるであろう。 (名古屋 Y)

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】メディアは何を伝えているのか?

【投稿】メディアは何を伝えているのか?

PKO法案をめぐり国会は山場だ。かずかずの行動が取り組まれ、傍聴へも多くの人がつめかけている。特別委員会の審議打ち切りと手続きもはっきりしない中での採決があり、参議院での反対派の牛歩での抵抗、そして採決。
この法案をめぐって労働組合での議論や討論はどれほどあったのだろう。そうした組織の中にある人はともかく、かやの外、国会外の人は?
牛歩で二日目ともなると、「どうせ通過するのです」「牛歩は民主主義に反する」などとTVキャスター・アナウンサーは主張し、日頃にない自己主張ぶりを徹底している。もちろん反対派への直接取材はない。このひとことが与える影響ははかりしれない。大手新聞の社説もTVのこのリアルなひとことにはかなわない。PKO法案をめぐって何が起きているのかを客観的に視聴者に提供しない。
面白かったのは、朝日新聞が報じた参院特別委員のメンバーである議員の地元での様子である。後援会幹部が、「先生がそのようなことをなさっているのもまったく知りませんでした」というような報道であった。これが「民主主義」の実態である。もちろんだからといって「国民」の政治選択の責任がなくなるわけではない。一票を投じたのは「国民」である。
これは反対派も賛成派も同様であるが、やはり「民主主義をいかに貫くことができるのか」(実践的)が重要な問題である。現実には、この点で妥協してしまっているのではないだろうか?納得、満足している人はいるのか?現状で上程されている「PKO法案」は、当初の法案からかなりの内容の変更があったにもかかわらず、「審議をつくした」というのは暴論である。自衛隊員からも「わたしは海外へいくために隊員になったのではない」という意見が寄せられているという。そもそも憲法問題もあるこの法案をこのまま通過させて、いったいどのような整合性と大義名分の「国際貢献」をできるのだろうか?法案は通過しても「何もできない」事態が待ち構えている可能性もある。この法案こそ「国民的合意」が必要ではないだろうか?湾岸戦争での「機雷撤去の掃海艇派遣」でもそれは示されたのではないだろうか。

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】続・街頭日記

【投稿】続・街頭日記

梅雨真っ盛りである。毎日うっとうしい日が続き、気分も滅入ってくる。元来が出無精な私のような人間にとっては、こんな時期は仕事も早めに切り上げてさっさとうちに帰り、推理小説でも読んでいたいところであるが、梅雨入りとほぼ時期を同じくしてそれ以上にうっとうしい事態が持ち上がってしまった。梅雨時のカビと同じで放っておいたら取り返しのつかないことになりそうなそいつの名前は、言わずと知れた「PKO法案」である。
現在6月13日の午前1時である(つけっぱなしの我が家のテレビは衆議院の牛歩の模様をまるで静止画像のように映し出している)。「青年の旗」7月号の締切は既に数日前に過ぎているが、締切日を延ばしてでもPKO法案反対の市民の行動についての報告の第一報をタイムリーに掲載したいとの要望があり、急遽私が駆り出されることになった。時間がないので皮相で散漫な報告しかできないが、マスコミからは全く黙殺された労働者、市民の聞いの中から気がついたことを列挙してみたい。

PKO法案反対の運動は、「憲法違反のPKO法案を廃案
にする全国実行委員会(以下全国実)」を中心に、連日展開された。まず、全国実発行の「日刊緊急通信」から、主な見出しをひろってみよう。
「許すな強硬採決 全国から国会ヘー土・日緊急動員体制の準備を!」「“可決”などされていない!質疑打切りすら無効のうちに散会しただけ 空前の暴挙に6/5緊急国会包囲で対決を」「違憲の三党修正案反対、自公民の暴挙糾弾」「座して死を待つよりも起って反撃へ 社党議貞総辞職断固支持、国会解散へ追い込め!」
日増しに激烈さを増していくタイトルは、市民の怒りを反映したものであった。参院特別委での強行採決に端を発したまさに風雲急を告げる事態については、多くを語る必要はないだろう。しかし、マスコミが報じるのは-おそらく強い報道管制が敷かれているのだろうが一院内での牛歩戦術の模様のみで、それもほとんどが批判的、さらには揶揄し、茶化したような内容のものであった。院外での市民の行動についてはいわずもがなで、ほほ完璧に黙殺されていた。集会、デモに貼り付く報道陣も実に寂しく、それも取材ではなく、資料映像を確保するとさっさと引き上げてしまうというものであった。しかし、情報を制限されながらも、法案に反対する市民の数は日増しに増えていく。運動の輪は広がっていく。
連日の行動にも関わらず、目減りするどころか拡大していく市民のエネルギーに、いまさらながらその機動力と腰の強さを実感させられる。集会の開始を待っている間、私の近くで固まっていた数人のグループの会話-(事情通らしいおじさん)「どうやら国対委員長会談で社会党が自民党に抱き込まれる恐れがあるらしいぞ」(もう一人のおじさん)「コクタイってなんだい?」-ともかく反対だからここにやってくるという人々の力は誠に頼もしい。
私が参加したのは6月7日の日市連主催の渋谷駅頭デモ→国会座り込み、請願行動、8日の請願行動、9日の社会党主催の集会、11日の請願行動、12日の全国実主催の集会である。7日の請願行動に応えて、社会党議員達は「私たちは最後まで体を張って闘います」と勇ましい傲を飛ばしていたが、その日の深夜の参院本会議(しかも肝心のPKOの採決の場で)において、社会党は牛歩を取り止め、何だか肩すかしを食わされたような気分になった。これは私だけの感想ではなかったらしい。翌日の社会党主催の集会において、田辺委員長の挨拶に対して会場から「本当に闘えよ!」とヤジが飛んだり、国対委員長の「あれは当初からの方針であった」という発言がかえって集会をシラケさせてしまったりしていた。こうした危機感はその日以降の行動の雰囲気を若干変質させてしまい、デモにおいても「社会党は最後まで頑張れ」というシエビレッヒコールがヤケに多くなり、それに呼応するように「裏切ったらあとが怖いぞ!」「絶対に日和るな」とヤジが飛び交うようになってしまった。
市民の運動は正直である。誰かに対して気を使う必要がないため、その場の気分が如実に雰囲気を支配する。これは誰かに命令されてやっているのではない自主的で自立した運動としての積極的な側面を持っているだろうが、肝心実のところで結局社会党に頼るしかないという一方での自立の限界性をも現している。そして市民の期待を一身に受け、吸収し、社会党は牛の歩みを続けていく。そして市民は危機感を募らせ、集会には会場からあふれるほどの人々が集まってくる。

行動に参加して一番感じることは、仕事帰りに個人で参加してくるサラリーマンの数のあまりの少なさである。私にとってご同輩ともいえる未組織のサラリーマンたちは沈黙を続けている。反対なのか賛成なのかもはっきりしない。であるならば、その声を開くために永田町ではなくて、もっと人間のいる場所に打って出るべきだったのかもしれない、夕暮れ時や日曜日の国会周辺には活動家と警察権力しか存在していないのである。
収拾がつかなくなりそうなので、そろそろ筆を置こうと思う。緊急の第一報であるのでご容赦願いたい。第二報を行う機会があったらもう少しまとまったレポートをしていきたいと思う。

【投稿】メディアは何を伝えているのか?
PKO法案をめぐり国会は山場だ。かずかずの行動が取り組まれ、傍聴へも多くの人がつめかけている。特別委員会の審議打ち切りと手続きもはっきりしない中での採決があり、参議院での反対派の牛歩での抵抗、そして採決。
この法案をめぐって労働組合での議論や討論はどれほどあったのだろう。そうした組織の中にある人はともかく、かやの外、国会外の人は?
牛歩で二日目ともなると、「どうせ通過するのです」「牛歩は民主主義に反する」などとTVキャスター・アナウンサーは主張し、日頃にない自己主張ぶりを徹底している。もちろん反対派への直接取材はない。このひとことが与える影響ははかりしれない。大手新聞の社説もTVのこのリアルなひとことにはかなわない。PKO法案をめぐって何が起きているのかを客観的に視聴者に提供しない。
面白かったのは、朝日新聞が報じた参院特別委員のメンバーである議員の地元での様子である。後援会幹部が、「先生がそのようなことをなさっているのもまったく知りませんでした」というような報道であった。これが「民主主義」の実態である。もちろんだからといって「国民」の政治選択の責任がなくなるわけではない。一票を投じたのは「国民」である。
これは反対派も賛成派も同様であるが、やはり「民主主義をいかに貫くことができるのか」(実践的)が重要な問題である。現実には、この点で妥協してしまっているのではないだろうか?納得、満足している人はいるのか?現状で上程されている「PKO法案」は、当初の法案からかなりの内容の変更があったにもかかわらず、「審議をつくした」というのは暴論である。自衛隊員からも「わたしは海外へいくために隊員になったのではない」という意見が寄せられているという。そもそも憲法問題もあるこの法案をこのまま通過させて、いったいどのような整合性と大義名分の「国際貢献」をできるのだろうか?法案は通過しても「何もできない」事態が待ち構えている可能性もある。この法案こそ「国民的合意」が必要ではないだろうか?湾岸戦争での「機雷撤去の掃海艇派遣」でもそれは示されたのではないだろうか。

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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