【コラム】ひとりごと –PKO法案論議に思うこと–

【コラム】ひとりごと –PKO法案論議に思うこと–

先日、山形新幹線で踏切事故が発生というニュースを開いた。「エッ!新幹線に踏切があるの?」と驚いてしまった。小泉今日子がジャンジャカジャンとやっているイメージとはかなり違い、田圃のまんなかの単線区間を「新幹線」が走っているのである。ニュースステーションで久米宏氏は「新幹線だと思うからおかしい」といっていたが、あれに「新幹線」という名前をつけなければならないJRにも同情する(自業自得でもある)。スーパービユー踊り子号が伊豆山中の畑の間を走るのもやめてほしいが、山形新幹線はそれ以上で(余談ですが、伊豆にはカンナと優美子が乗っている電車が似合う)▼山形新幹線にそう名前をつけた張本人の自民党の議員さんは選挙のまっただ中である。先の通常国会のPKO法案の攻防も逆に利用されている。ちょっと押されているなという状況である▼都内北区で折り込まれた「自由北区」の中で衆議院議員の浜野たけし氏が「シーラカンスの社会党」と題して一文を寄せている▼この中で浜野氏は「牛歩は時代遅れ」「集団辞職は議会の崩壊につながる」「社会党は「自衛隊を戦場に送るな」「夫や子どもを再び戦争の道具に使うな」とデマを流している。PKOは戦争状態が終わって、紛争の再燃を防止して平和を確保する活動である」「国際貢献の必要性を堂々と国民の皆さんに訴えて社会党や共産党と対決していく」など述べている▼論議は「なぜ自衛隊の部隊なの?」「文句を言われな いような、とにかくやろう調の国際貢献でいいの?」ということだったでしょう▼更に氏は「(社会党に)あなた方は、長期的な国益も党利党略を優先させました。民主主義というのは自分だけに都合のいいことばかり言っていては成立しないのです。自己主義にこだわるのは、あなた方の勝手だが、最後に多数決に従わなくてはなりません。それが民主主義です。」と言っている▼どちらが党利党略を優先させたかわらないが、子どもが牛歩のまねをしてもかわいいが、子どもが特別委員会での採決のまねをしないようにしてもらいたいものである。
(東京 Y)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【投稿】何のための育休?

【投稿】何のための育休?    —生理休暇の無給化と引き替え—

私の勤める会社では、この5月から「つわり休暇」と「通院休暇」の導入と引き替えの形で生理休暇が無給となりました。会社は、情報処理業界で従業員は約800人です。
会社には36協定等の窓口として、従業員会があるのですが、事前の協議なしにすすめられました。変更の理由もはっきり示されないまま、就業規則の改定が実施され、その後に従業員会代表の意見書提出と、労基署への届出が行われました。つまり、合理的な理由がないまま就業規則が不利猛変更されてしまったのです。
その後、従業員会役員の改選が行われましたので立候補し、会長となりました。私以外の役員のほとんどは、立候補ではなく互選で選出されました。私は、新役員に労働基準法の説明をし、今回の変更がいかに不当なもの盲、を訴えました。そして、役員の一致した意見で、改定の白紙撤回を求めることになり、人事部長との協議を迎えました。
しかし人事部長は、「手続きに問題はなかった。前の役員は文句を言わなかったのに、今更何だ」という態度でした。私以外の役員のほとんどは、急に物わかりが良くなってしまいました。私は、人事部長と従業員会の役員の両方を相手に、再度労働基準法を説明しました。その結果人事部長は、事前協議の必要性を認めながらも、今回の改定については、「決定事項であり、手続きも完了している」と主張し結局、「今後は事前協議に努める。生理休暇の問題は、今後問題点が明らかになれば、見直しを含めて従業月会から提案する。」ことで決着しました。
人事部長の人権意識の希薄さ、従業員の権利意識の低さにめげながら、にがい酒を飲む私に副会長がささやきました。「出世したい人と、そうじゃない人との差ですね。」 皆さんの周りでは、育児休業法の施行後変化がありましたか?是非聞かせてください。(東京S.H)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【投稿】参議院選挙を迎えるにあたって

【投稿】参議院選挙を迎えるにあたって
                                                                —社会党、連合、社民連の前進を—

<従前の社民結集は失敗>
7月26日に実施される参議院議員選挙は、社会党、連合を軸とする「社会民主主義」勢力の存在価値が問われる選挙となっている。
3年前の選挙でつくられた与野党逆転の有利な状況のもとで、当然進められるべきであった政権交代の基盤作りは、主に社会党の優柔不断と民社党の利己主義により顕著な成果はみられなかった。
それどころか、選挙直前になってPKO問題を巡り、社民の分岐は決定的とも言える段階にまで進行した。こうした既成政党の状況を見かねて調整役をかってでた連合も、組織内に社、民以上の意見の分岐を抱える中で期待された役割を果たせず、連合型選挙の推進にも否定的影響を及ぼす結果となってしまった。ここに来て「社民勢力の結集」は雲散霧消となった感があるが、果たしてそうなのだろうか。

<新たな局面踏まえ 新社民結集を>
この間の事態を考えるならば、もはや民社党は社会民主主義政党としての体をなしておらず、自民党の補完物以外の何者でもないことが明白となった。「民社党」という名称と旧同盟系労働組合との関係を持って「社民勢力」とするにはあたらない。
社会党や連合の中には、まだ民社党の影響力を気にする人もいるが、そもそも社会党系労組と民社党系労組の勢力比(組合員数)と選挙での得票(議員数)の大幅な乖離は、何を物語っているか。それは、一般有権者の支持は社会党に集まること、労働組合の集票能力にも大きな開きがあることである。
労組との関係をもう少し考察するならば、民社党執行部は、自らを「支持する」労働組合幹部の思考をもって、「世論」と考え違いをしているのである。民社党系の労働組合幹部は良きも悪しきも「労働組合主義」なので、PKOのことなど「国際貢献いいんじゃない」ぐらいで真剣に考えていない。また民社党への支持さえも適当にやって、下手をすれば、自民党に話をした方が早いと思っている人も少なくない。それどころか民社党の内部からも自民党に走る議員が続出しかねない状況である。このような政党に義理立てする必要はなく、社民勢力の結集を進めるべきである。

<連合の限界と社会党の自己変革>
その場合、連合が重要な役割を担うことは間違いないが、連合が「政党」になりきることは問題があると言わざるを得ない。連合に結集する労働組合の政策面での完全な一致を、政治スケジュールのみから求めることは、労働組合としての結集軸を放棄することにつながりかねないからである。連合のファジーさは、自民党から指摘される以前からわかっていることである。それでも奈良、宮城で勝利したのは、存在自体に意味があるからである。連合は政党化することを考える以前に、そのまま社会党およびその周辺に、そのままでは結集しづらい人々のパイプに徹するべきではないか。また、その大前提として、社会党のこれまで以上の以上の自己変革が必要なことはいうまでもない。

<社会党・連合候補の当選をかち取うう>
国論を三分したPKO協力法、政治改革などが焦点と言われる参議院選挙、我々は、社会党、連合、社民連の候補者の当選に向けて、それぞれの持ち場で奪闘しよう。             (大阪 0)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【投稿】反アパルトヘイトの声を地域から

【投稿】反アパルトヘイトの声を地域から
                                          —-大阪富田林の反アパルトヘイト運動—

◇反アパルトヘイト運動の新段階
先日、南アフリカ共和国のデクラーク大統領が来日し、マスコミでもかなり大きく取り上げられていた。
デクラーク大統領は、アパルトヘイトはすでに終ったと訴え、日本企業の南アフリカへの積極的な投資を呼びかけていた。マスコミはデクラーク大統領をアパルトヘイト終結の立役者として扱っていた。
ちょうど同じ頃、ANC女性同盟地域議長のユニス・コメネ氏が来日していた。彼女はいまだに黒人に対する白人の暴力的迫害が続いており、黒人には参政権が与えられておらず、政府の省庁は人種別に分かれている等という実態を明らかにしながら、アパルトヘイトはまだ終っていないと強く訴えた。
例えばアパルトヘイト根幹四法が廃止されたとしても、300年続いてきた南アフリカのアパルトヘイト体制が容易に崩壊しないであろうことは、特に部落解放運動に関わってきたものにとっては、十分納得できることである。むしろ新しい闘いが始まったばかりなのだ。
南アフリカの現状や反アパルトヘイト運動については、マンデラ歓迎日本委員会編「ポスト・アパルトヘイト」等の良い本があるので私など出る幕ではないが、このような反アパルトヘイト運動の新段階と一方での自治体の国際化と言う流れの中で、地域で反アパルトヘイト運動に取り組んでいこうとしている、大阪府富田林市の市民運動について紹介したい。

◇部落解放同盟青年部の活動から
部落解放同盟は、この間国際的な人権闘争に力を入れ、その中で青年部は国際青年年や反アパルトヘイトコンサートに取り組んできた。南アフリカに対する経済制裁が徐々に効果を上げ、国際的に反アパルトヘイト運動が盛り上がる中で、富田林市でも部落解放同盟富田林支部青年部が中心となり、PTA、農協、商工会等にも呼びかけて、1989年11月、映画「遠い夜明け」の上映会を400名近い参加者で成功させた。この取り組みを通じて、反アパルトヘイト関西委員会と協力関係を築くことができた。さらに、1990年10月には、反アパルトヘイト関西委員会の後援を受けて、地域でネルソン・マンデラの来日歓迎集会を開催し、市長の連帯メッセージをネルソン・マンデラに手渡す等の活動を行った。この時は、マンデラの闘いを題材にした河内音頭を歌ったり、地元の芸術大学の教授に染め抜きの旗を作ってもらい、参加者のメッセージを書き込んだり、多彩で楽しい催しとなった。地域でマンデラ歓迎集会を開催したのはおそらく富田林だけであろう。

◇南河内人権ネットウークの結成
マンデラ歓迎集会は、90名近い参加者があったが、その中には、ビラ等を見て、このような集会に初めてやってきた個人参加者も少なくなかった。私達は、地域に人権問題に関心のある人々がたくさんいることをあらためて認識した。これらの人々が中心となって、翌年、これまでの運動を継承し、地域を基礎に反アパルトヘイトをはじめ様々な人権問題に取り組んでいこうという「南河内人権ネットワーク」を結成した。そのメンバーは、牧師、イラストレイター、大学講師、技術者、公務員等多彩で、明るく活動的なのには舌を巻くほど。

◇さらなる広がりと具体的運動の展開を
人権ネットワークでは、ゴミ問題を扱った映画「あ-す」の上映運動等にも取り組んできたが、去る6月12日解放同盟富田林支部、日教組等と実行委員会を結成し、ユニス・コマネ氏を富田林に招いて講演会を開催し、市長も含め市民200名以上の参加を得た。そしてその準備の過程でアフリカ問題に取り組んでいる市民グループと関係ができるなど、そのネットワークは益々広がってきている。国際化は市民意識の上では私達の想像以上に広く浸透しており、具体的に行動している市民の多いことに驚いた。いま、人権ネットワークでは解放同盟などとともに、行政も巻き込みながら、民主的南アフリカの再建に貢献する、地域からの具体的な援助の方法はないのかと検討している。 地域からの具体的な支援を継続して初めて、南アフリカの反アパルトヘイトの運動と日常的につながっていけるのではないだろうか。  (大阪 N)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【投稿】地球環境サミットの成果

【投稿】地球環境サミットの成果

■ はじめに
6月3日から14日までブラジル・リオデジャネイロで開催された「国連環境開発会議(地球サミット)」は、183カ国から政府首脳や環境保護で活動する非政府組織(NGO)が集まり、「環境と開発に関するリオ宣言」、行動計画である「アジェンダ21」、森林保全のための「森林原則声明」を採択・調印した。同時に、150カ国余りが「地球温暖化防止条約(気候変動枠組み条約)」「生物学的多様性保護条約」を調印し、地球環境の保全に向け具体的な一歩を踏み出した。
また、地球サミットの成果の実行を上げるために、フォローアップ(事後点検)会合を開くこと、最大の焦点であった発展途上国への資金援助問題では、先進国が援助額を国民総生産(GNP)比0.7%まで高めるよう努力することを確認した。
しかし、各国の利害対立は厳しく調印された各声明・条約の内容は、現在の地球環境の破壊状況を考えると環境保全を達成するには力不足でる。地球は一つしかなく、責任が誰にあるにしろ、破壊されてしまえば人類は全てが破滅するのである。我々は、待ったなしの状態まで地球環境を酷使してきたのである。
同時に開催されたNGOによる「92グローバルフォーラム」は、フラメンゴ公園を主会場に165カ国7500団体約2万人が参加して行われ、地球サミット成功の大きな役割を果たした。

■ リオ宣言
環境保全と開発を調和させる基本原則を定めた「環境と開発に関するリオ宣言」は、前文と27の基本原則からなり、人類は自然と調和した健康で生産的な生活を送る権利があるとした「環境基本権」を打ち出す一方、発展途上国を配慮して「開発の権利」も盛り込んだ内容である。
リオ宣言の骨子は、以下のようである。
1.各国は自国資源を開発する主権的権利を持つ
1.持続可能な開発には環境の保護が欠かせない
1.生活水準の格差縮小のため貧困を根絶する
1.持続不可能な生産と消費を縮小し適切な人口政策を推進する
1.効果的な環境法を制定しなければならない
1.環境被害をもたらす物質の他国への移転防止に、各国は協力しなければならない
1.女性、先住民は環境に極めて重要な役割を持つ
1.圧政、占領下にある人の環境と天然資源は保護される
1.各国は環境に関する抗争を平和的に解決しなければならない

■ アジェンタ21
21世紀に向けてのリオ宣言の行動計画である「アジェンダ21」は、「持続可能な開発」を目指して、大気保全、砂漠化防止、技術移転、資金協力など40章からなり、リオ宣言の理念を実現するために各国の政府、国民、企業が実行すべき具体的な対策を示した。
条約のように法的な拘束力はないが、地球環境保全のためには欠かせない計画である。
アジェンダ21の骨子は、以下のようである。
1.貧困撲滅のため雇用機会を確保すべきだ
1.浪費的でない持続可能な生活スタイルを達成する
1.GNPに森林減少や環境破壊を数値化して組み込んだグリーンGNPを開発する
1.現在のエネルギー供給構造を見直す
1.森林保護地域を設置、拡充する。焼き畑の制限
1.海洋資源を守るため公海では混獲を最小限に抑える
1.先進国は政府開発援助(ODA)をGNPの0.7%にする目標を再確認。目標を達成していない国はできるだけ早く、いくつかの国は2000年までに達成
このほか、アジェンダ21には、①砂漠化防止条約を94年6月までにまとめる②環境保全技術の途上国への移転を促進する③各国のアジェンダ21に基づく政策の実施状況を監視する「持続可能な開発のための委員会」を国連に設置する④人口増加の防止策を強化する--などが主要な柱として盛り込まれた。

■ 森林原則声明
CO2の吸収や生物種の多様性を保護する森林の機能を重視する先進国と開発の自由を主張する途上国との間でまとまった「森林原則声明」の骨子は、以下のようである。
1.国家には社会経済の発展水準に応じて、森林を利用し開発する権利がある
1.森林は現在と将来の世代のために持続可能な方法で管理されるべきだ
1.森林保全の費用は国際社会で公平に分担されるべきだ
1.世界の緑化に向け、特に先進国で森林面積を増やす努力が行われるべきだ
1.森林政策は先住民の権利を尊重すべきだ

■ 地球混暖化防止条約と
生物学的多様性保護条約
地球サミットの最大の目玉「地球温暖化防止条約(気候変動枠組み条約)」は、米国の反対で「各国は温室効果ガスの排出量を、現在から10年以内にそれ以前の水準に戻す政策をとる」と述べているようにCO2抑制の明確な時期も量も明記できず、具体性を欠く内容になった。
「生物学的多様性保護条約」は、地球上にすむ生物未確認のものを含めれば数千万種にも達するとされている生態系の保護と生物の産業利用の調和を図る内容になった。米国は調印を拒否した。

■ 地球サミットの限界
地球サミットで採択されたリオ宣言、アジェンダ21には、各種の環境破壊に対しても、社会的公正な補償の必要性が認識されるとともに、大気汚染、森林、砂漠化、山岳、農業と村落、生物学的種の多様性、バイオテクノロジー、海洋環境、水質の保全、有害化学物質や廃棄物、核物質に至るまで、各論的に対策のための危険の評価や情報化、監視などの具体的提案がなされている。又、現段階での環境破壊に対する社会的コスト概念についても、過去に比べより明確に、国際的理解として広められた。
しかし、問題は、こうした新たな認識をどのような形で具体的な社会的費用(グローバル・コスト)負担の制度として発展させ、安定した財源として確立し、新たな国際的公共システムの資金として活用して行くかにあったが、日本は5年間で1兆円のODA増額、欧州共同体(EC)は40億ドルの資金拠出を約束したものの、最大の懸案だったODA問題では、日、英、独の反対で2000年までにGNP比0.7%が達成目標に後退した。
又、地球サミット事務局が各国政府に示していた途上国支援のため必要な年間1250億ドル(約16兆円)という資金の見通しについても、「サミット事務局の試算に過ぎず、具体的な援助額は各国が独自の判断で決定する」という注釈付でアジェンダ21の本文中に盛り込まれたにすぎない。
今後、地球環境基金(GEF)を活用し、運営を改善することで合意したものの、新たな国際的公共システムの構築に向かって、リオ宣言もアジェンダ21も、残念ながら、環境保全の新たなシステムのための基本的な価値基準作りまでには至らなかった。

■ 地球サミットの成果
人類は生存のための経済活動として、自然から資源をとり、それをリサイクルしながらも、最終的には同量のものを廃棄物として自然に戻す。自然からの資源採取は、自然の能力を超えたり、自然の再生カを損なったりしてはならない。廃棄物も環境に負荷を著しく与えてはならないのである。環境破壊はこうした物質循環のバランスを人類が大きく崩しているところから生じている。自然とその物質収支を正しくするエコロジー基準が、全ての経済活動の前提とならねばならない時代になったのである。
今回の地球サミットは、環境優先か開発が重要かをめぐって南北が対立したが、東西冷戦終えん後の社会体制の枠組みを転換させ、地球環境の保全あるいは環境に優しい社会経済構造を具体的に実現するための制度的、資金的、組織的なルールを敷く歴史的出発点になった。そのためにも、地球サミットが果たし得なかったエコロジー経済のための国際的公共システムの形成と、そのもとでの新たな市場システムへの転換という課題の重荷を、全ての国家、そして人類が背負っていかなくてはならない。  (名古屋 Y)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【投稿】PKOと日本の進路

【投稿】PKOと日本の進路
                                                —国家の論理を越えて—

参議院選挙が、闘われている。自民党は、PKO(国連平和維持活動)協力法に対する予想以上の国民の反発を見て、争点を景気対策に絞ろうとしている。
これに対して、牛歩戦術と議員辞職願い提出で徹底的に関った社会党と社民連は、PKO協力法の違憲性を選挙戦の最大の焦点にしようとしている。
毎日新聞の通常国会閉幕直後の調査では、PKO協力法に対する「賛成意見」は31%しかないが、「反対意見」は37%と「賛成」を上回り、1年前の「賛成」45%、「反対」13%という数字が完全に逆転する結果となっている。PKO協力法を推進してきた読売新聞でもこの傾向は同じで、4月の調査では、「自衛隊の海外派遣は憲法上問題なし」と答えた人は45%で、「問題あり」とする人41%を上回っていたが、6月20、21日の両日の調査では、「問題あり」が56%で、「問題なし」の34%を大きく上回った。そしてPKO法を「評価しない」人が47%で、「評価する」の44%を上回っている。
このように国論を三分している状況の下でも、政府の調査団はカンボジアに派遣され、わずか1週間足らずの慌ただしい日程で泥縄式の調査を終えた。言うまでもなく、このPKO協力法は、「国際協力」という美名の下に自衛隊を海外に派兵する、すなわち「専守防衛」という枠に閉じこめていた自衛隊を全世界に解き放ち、「自衛権」を地の果てまで拡大するための憲法無視の悪法である。法的に言えば、世界に誇るべき平和憲法を否定する下位法によって「交戦権」を全世界に示したことになり、何を考え、何を基準に物事を考えているのかさっぱり判らない「顔のない日本人」という悪評をさらに高めることになりそうである。
保守系の評論家からさえ、いつまでも解釈改憲で押し通すことはもうできないという声が挙がるほど、明らかに違憲であるこのPKO協力法を政府・自民党は、なぜ強引に成立させたのか。東西冷戦構造の終焉という国際情勢の激変により、自衛隊が仮想敵国としてきたソ連邦が崩壊し、全世界の軍縮への流れがアジアにも及ぶことが期待されるという時に、なぜ日本の自衛隊が経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で唯一防衛費の増額の恩恵に浴することができるのか。国民の納得が得られないことが多すぎるのである。
一つのきっかけは、湾岸戦争で米国やクウェートの一部から日本の人的貢献不足に対する不満がでてきたということである。そのような一部の声に呼応することに利権を嗅ぎ取った政府・自民党の小沢一郎をはじめとするタカ派は、解散・総選挙が恐い公明党、民社党を脅かし、世界の流れと日本の安全保障政策の転換という本質論議を全く無視して、法案成立のための「党利党略の日本的根回し」に成功したのである。これほど国民を愚弄し、民主主義を踏みにじる暴挙が戦後あっただろうか。この民主主義に対する挑戦、法治国家の根底を揺るがす「マキャベリズム」への不信が、参議院選挙で吹き出すことを願わずにはいられない。
このPKO協力法問題の背景にある国際情勢の認識の違いは、以下のとおりである。タカ派の方は、冷戦の終結により、世界はあたかも「戦国時代」のようになり、湾岸戦争やユーゴ内戦を始めとした局地戦、地域紛争は、一層激化すると考えている。ハト派は、冷戦秩序から多極化・ボーダーレスへという国際構造の変化に伴う混乱が生じているが、これは良い歴史のほんの一コマに過ぎないという認識である。例えば「国家がその役割を低め、従って軍事力に頼って何事かをなそうとする野蛮から卒業しようとしていることが主要なトレンドであり、それ故にかえって一時的には民族・宗教等の紛争が増えるという付随的な現象が出てくるのだ」(インサイダー、92年7月1日号)といった認識である。
社会党を始めとした護憲勢力の中にも、この点についての議論が十分こなされてはいないといううらみがある。突き詰めて言えば、社民勢力の結集のため、あるいは政権を担うためには自衛隊容認に踏み切るべきか、あくまで国際情勢の変化を先取りする平和憲法を守り抜くべきかという議論を避けている状況である。
自公民の結束がPKO協力法を成立させたことによって、社民勢力の結集の動きは、大いに水をさされた。しかし、国際情勢を軽視し、本質論議を避けた国会運営に対する国民の怒りを政治そのものに対する不信につなげないようにするためにも、平和を愛する国民一人ひとりの行動と真筆な議論が今こそ必要である。
湾岸戦争が、43日間に総計14万1491トンという恐れるべき爆弾をイラク軍と民衆の頭上に投下した(かつて東京の半分が壊滅した東京空襲の78倍の爆弾量)ことによって、「死の商人」といわれる軍需産業の在庫一掃処分に貢献したように、今アジアが、軍需産業のターゲットとして注目を集めている。主要先進国で唯一の貿易黒字国日本を筆頭に成長するアジアの国々は、世界で最も有望なマーケットに成長しつつある。中国のロシア製空母「フリヤーグ」を始めとしたロシア製ハイテク兵器購入の動きに対して、日本はもとより台湾、ASEAN(東南アジア諸国連合)は、極めて神経質になっている(朝日新開92年7月1日付け)。
先進国が、ロシアの経済建て直しに全力を挙げなければ、ますますロシアは、外貨を稼ぐために兵器輸出をしなければならない。エリツィン大統領は、外交努力を圧力とはき違え、「北方領土を日本に返せ」という国際世論づくりに躍起となっている宮沢政権に対する不快感を表明し、「ヨーロッパと反対にロシアに対する投資を一切することなく、非協力的態度に終始しながら北方領土が帰ると思うのは、甘い考えだ」と強調している(TBS/毎日放送系列’92年7月5日朝放映「関口宏のサンデーモーニング)。
また欧州では、ドイツ、イギリス、イタリア、スペインの4カ国による次期戦闘機共同開発計画からのドイツの撤退と独自の開発を進めるフランスのスケジュールの遅れが各国の軍事産業に暗い影を落としつつある。アメリカのタカ派も今後、数少ない国際競争力を持つ商品として「兵器」を積極的に売り込みながら、在庫一掃の消費地=「戦場」を捜し求めるだろう。日本においては、このような兵器産業と結びつく政党は自民党であり、民社党であるならば、彼らに兵器の生産と輸出を世界的に規制し、平和の配当を世界の津々浦々までもたらす「平和外交」を求めることは、「木によりて魚を求む」に等しいと言えるのではないだろうか。
いつの時代でも戦争によってますます苦しみ、地獄の経験をするのは、一般の国民である。政治家は、自らの利害と後ろめたさを勇ましい演説と美辞麗句に包み込む。21世紀を平和な世界にするための一人ひとりの努力と貫任を明らかにし、非武装の理念の気高さと力、およびその歴史性について国民的な議論を巻き起こさねばならない。アジアの人々の怒りと苦しみを同じ人間としての自らの問題と位置づけなければならない。軍隊は、決して国民を守るためではなく、国家という崩壊しつつある抑圧機構の手段を選ばぬ維持・強化のためにあるのだから。
「冷戦後の新世界秩序には、日本の憲法、とりわけ第9条の精神が、どの国の憲法より適している」(ブライアン・ウドール=ハーバード大学助教授、6月29日付け朝日)。
(この原稿は、92年7月7日に執筆した。大阪 M)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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【投稿】朝日ジャーナルの廃刊?

【投稿】朝日ジャーナルの廃刊?

メディアのゆくえ
TVは生活そのものであろう。ここで感じ、納得し、参加するという。いま、やっとメディアのすみわけが議論されている。新聞、雑誌、書籍、TVなど、どこをみても同じネタが流れる時代だ。それでは速報性の高いTVに流れるのは当然である。新聞は新聞の役割を果たそう!とね。 朝日ジャーナルが廃刊となった。本紙の読者には、最終号を買った人も多いことだろう。本田勝一氏は新しい日刊紙を発行準備中途いう。個人株主を募って、その株をもとにタプーのないジャーナリズムをつくりたいという。
これもTVがとくに近年「特集」もので掘り下げた取材をしはじめた影響かも知れない。「NHKスペシャル」や、やわらかいところで「しってるつもり」などは典型だ。ニュース番組の人気もその例だろう。
さて私たちは今度はTVを見ることで「安心し」「納得」してしまっている。これはこわい気がする。この「旗」もこうした意味で確かな情報をもとに身近なホンネをきっちりといえる場として大切にしていきたい。

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】ヨーロッパ旅行雑感

【投稿】ヨーロッパ旅行雑感

某印刷会社から転職して一年。新しく入った会社は、新聞・雑誌の広告を中心に行なっている100名弱の製版屋です。そこの会社の創立00周年記念旅行ということで、生まれてはじめて海外(ヨーロッパ10日間)へ行ってきました。
きっちりとした報告はできませんが、いろいろと思ったことを述べてみたいと思います。
まず、おじさんたちの旅行に行く前の反応です。旅行が近づくにつれ、当然、社内では旅行の話で持ちきりになるわけですが、その話題の中心は「旅の不安」なのです。「パリには警官をよそおった観光客狙いのドロポウがいるらしい」と言って、新聞の切り抜きを持ってくるもの。「ポーチやデイパックはナイフで切られるからやめたほうがよい」という治安に関する話から「旅行用紙パンツ」の試着報告に至るまで、社内の論議は「旅の不安」しかないのです。もちろん、諸外国に比べて日本ほど治安のよい国はないわけですから、「旅の不安」が語られて当然です。しかし、その話のみなのです。誰一人として、「ルーブル美術館のOOという絵はすばらしいから、ぜひ、見てきたほうが良い」とか「ウィーンの森から見る景色はすばらしいらしいぞ」とか、前向きな話はひとつもなく、あいかわらず毎日、「旅の不安」が語られ続けられるのです。しかも、社員のほとんどが海外旅行未経験ならまだわかりますが、社員旅行で2~3回は出かけている人がほとんどなのです。
なぜ、このような話しかでてこないのか私にはよく理解できませんでした。また、若い世代の反応はいろいろですが、結構多いのが、「会社の人と10日間も一緒にいるくらいなら行きたくない」といって、辞退する人です。「アフター5は会社とは別な人間と過ごしたい」という傾向が強くなっている昨今ですから理解できなくはありませんが、私などは「ただで行けるのにもったいない」と思ってしまいました。
ヨーロッパに行って一番思ったことは、街に対する考え方の違いです。まず、古い建物と街の景観を非常に大切にするということです。パリもウィーンもそうですが、街の建物のほとんどは中世(?)の建物です。日本みたいな高層ビルはほとんどありません。そして、そのような景観を守るために様々な条令が定められています。建物には色を塗ってはいけない。店の看板は細かくサイズや位置が決められています。ネオンなどあまり見かけないのですが、ネオンをつけるにしても細かく規定があります。その上、パリでは表に洗濯物をほしてはいけないという条令もあります。ほとんどの家庭では、洗催物はバスルームにほすそうです。
アパートについても古ければ古いほど人気が高く家賃がいそうです。機能面から見ても、古いアパートは最低でも壁の厚さが60cm以上あるため、隣の部屋の物音が聞こえない。夏は涼しく、冬は一度部屋を暖めてしまえば、熱が逃げることなく暖房費がかからない等の利点があるようです。
また、街の緑についても非常に大切にしています。ウィーンでは市民一人あたり、最低でも2平方メートルの緑を確保しなければならないという法律があり、自分の庭の木であっても、かってには切れないそうです。パリでは、歩道の工事をするにしても、歩道の木の保護を充分行なってからでないと工事ができないし、まして工事中に木が一本でも切られようものなら、街中にデモの嵐が吹き荒れるそうです。 そのようなヨーロッパで異臭を放つかのように存在しているのが、日本人の料理店、ラーメン屋等です。パリには約100軒くらいの日本料理店がありますが、その多くが店先にラーメン屋の大きな赤い提灯をぶらさげていたり、派手な日本語の看板をぶらさげていたりします。外に洗濯物もほさずに、パリの景戟を保っているパリ市民がどのような気持ちでこれらを見つめているのかを考えると思わずぞっとしてしまいます。
古いものを大切に残すことが一概に良いとは言うつもりもありませんが、日本人とヨーロッパの人々の間には、街、生活等に対する考え方に大きな開きがあるようです。「このあたりに、歴史的な労働者の戦いによって築きあげられたヨーロッパの民主主義と底の浅い日本の民主主義のギャップがあらわれているのではないか……」とかってに思い込んで帰ってきた私でした。
いずれにしても、学ぶことの多いヨーロッパ旅行でした。言葉が良くわからなくても、片言の英語と学生運動で鍛えたずうずうしさがあれば、なんとかなるという実感も持てました。来年は、自分でお金を貯めてまた海外へ出かけてみようと思っています。自分の視野を広げるという意味でも、運動を考え直すという意味でも非常に役立つと思います。みなさんも機会があれば出かけてみて下さい。     東京・N

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】大阪府勤務時間問題を考える

【投稿】大阪府勤務時間問題を考える

–大阪府では4月中旬から5月にかけて勤務時間問題をめぐって大きく揺れ動いた。

<問題の経過と内容>
事の発端は、一昨年3月26日にN池田市市議会議貞が住民監査請求を起こしたことにさかのぼる。監査請求の内容は「府の勤務時間の内、午前・午後の休息時間(各15分・計30分)を仕業・就業時に各々、設定していることで、勤務時間条例に従わず事実上30分の時間短縮を行っている。ついては、実態として勤務していない30分の給与については、不正支給に当たるので、知事・出納長は受給者全員に対し返還を求めること。併せて勤務時間の是正を求める。」というもの。ここで、府の勤務時間が、どうなっていたのか図示する。
規定上の勤務時間 ├———-┼——-┼———┤
(休息時間含む)  8:45     12:15   13:00  17:30

時差出勤措置時間 ├———-┼——-┼———┤
9:00     12:15    13:00   17:45

体息時間運用によ ├———-┼——–┼——- ┤
る実態勤務時間   9:15    12:15    13:00   17:30

これを受けて丁昨年5月25日、監査結果報告が出され、給与の不正支給一返還請求は退けられたものの今後の勤務時間については「必ずしも適正とは言えず、府民の誤解も招きやすい。」として「是正」を要望した。この監査報告は、府議会でも有力自民党議員から指摘され、府当局は「是正」を約束した。当然、当局は組合側(連合系府労連・共産党系府労組連)に是正提案を行い、既に一昨年11月には、本庁2部出勤制(30分ズレ勤務)や夜学職免制度、交替制職場における週40時間施行実施等の一定の条件を獲得したものの午前15分休息時間については「是正」されている経過がある。今回の勤務時間問題は、残りの午後15分休息時間について、重ねて「是正」提案を行ってきたもの。今回さらに当局が「是正」を迫ってきた背景には、自民党議会筋や監査請求人の指摘が続いていたのに合せ、マスコミの動き、加えて国の完全週休2日制が5月実施と早まったことに伴い、都道府県の立場として府としても早期実施する必要から前提に解決すべき問題としてあったことなどがある。現に本年4月15日に当局は、本格提案を行ってきたが、提案趣旨は、「完全週休2日制5月府議会条例化を検討するに当たり残り15分休息時間の運用について、是正したい。」となっており、その協議のタイムリミットを議会対策上、4月末となっている。

<交渉経過と組合側の主張>
本格提案を受けた府労連・自治労府職は、提案が勤務時間是正」と完全週休2日制実施とセット提案であることから、その切り離しを目指して交渉を展開した。特に連日の団体交渉・決起集金を開催し、近年にない盛り上がりを見せた。
組合側の主張は以下のとおりに集約される。(①勤務時間の運用は、組合側が一方的に行ってきたわけではなく、勤務時間条例が制定されたころから労使合意の上で行われていたこと。②運用のうえに職員の生活が成り立っている実態。③総合的労働時間短縮を推進する行政としての立場、等々。しかし結果的には、完全週休2日制5月府議会条例化を見送ってでも闘争継続することは困難と判断し「是正」には至らなかった。しかし、その一方で、①保育・介護に関する責任、②休息・休憩時間等の労働条件確保の責任、③総合的労働時間短縮推進の責任を当局の使用者斉任として認めさせ、具体的には①保育特別休暇。(男女通用・生後3年・1日30分)の制度化と個別救済、②休息時間確保のための時報、窓口時間等の明確化、③年間総労働時間1800時間以内達成に向けた労使協議期間の設置等の条件的成果を勝ち取った。

<勤務時間問題が物語るもの>
今回の勤務時間が物語る教訓は、戦後の労働組合運動の発展の過程の中で、勝ち取られてきた成果=「既得権」が、その存在が闇・影的存在である以上、行革攻撃以降、次々と剥奪され、守り切れないものとなっていることである。まさに大阪府においては、今回の勤務時間問題が残された大さな「既得権」であったといえる。特に公務員の賃金・労働条件が法定主義が基本であることから、労使の力関係だけで存在している「既得権」は、むしろ公務員批判の下で攻撃の対象とされること、その意味では今後の公務員労働組合運動では、社会的合意形成・公的認知の下に正々堂々と制度化を主張し、その成果をもって逆に社会的に拡大する努力が必要な時代となってきている。今回の保育特別休暇、完全週休2日制、育児休業制度等は、そういった意味合いで意義は大きい。
もう一つの教訓は、労働時間短縮が、連合の取り組みもあって確かに社会的な流れ・要求になっているものの、全体的な総合的労働時間短縮としては比較的、前進していない実態、とりわけ国際的な圧力・枠組みの中で完全週休2日制を始めとする時短促進が叫ばれている中であっても、大企業と中小企業との格差のかくだい、実効ある残業規制についても成果が上がっていない状況がある。そのことが大阪府においては、完全週休2日制と合わせ、1日の勤務時間の短縮には至らなかった背景がある。
最後に今回の勤務時間問題で共産党系府職は、4月末まで実際的な団体交渉を行わす、府労連・自治労府職が一定の判断を行った後に、見せかけの反対闘争を展開し、結果として府労連・自治労府職への批判に終始したことを付言しておく。

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】”Ⅰ’m here” JAGDA 平和と環境のポスター展

【投稿】”Ⅰ’m here”        JAGDA 平和と環境のポスター展

5月27日~6月1日、東京で社団法人日本グラフィックデザイナー協会(JGADA)が主催する「平和と環境のポスター展“Ⅰ’m here.”(私はここにいる)--すべては『私』から始まっている。」が開催された。
同協会に属する全国の会員1800人のうち10人に一人に当たる189人が参加して展覧会であった。各作品は作者の様々な視点からのイラストとコピーとの組み合わせが実におもしろかった。出品者の互選による10人の審査員が選んだ大賞は「かあさん。ポクは、ホントは生まれたくないんだよ。」と題する(コピーは山之内慎一氏)赤錆た鉄くずで作られた巣の中に卵のような石が2つ描かれたイラストの作品である。私個人的には、やはり大賞作品もすばらしいと思ったが、加えて GREEN REVOLUTIONと超するマニキュアした手が地球をつかむイラスト(中村誠氏)に「人間が言った。私には植物の声など聞こえない。あるはずもない。ロマンチズムで、この地球の腐食を救えるものか。」
品、「サアカナゴトではない!」(イラスト今北紘一氏、コピー稲本幸男氏)の作品、「来世紀では遅すぎる。」というう地球儀がつぶれたイラスト(生駒由紀夫氏)の作品なども感銘を覚えた。
これだけ多くの“環境”を見ると「環境問遮」「環境運動」とは何かと考えさせられるo「平和を守れ、戦争反対」にしても、あるいは「地球を守れ」という主張に対しても反対する人は(たぶん)誰もいないと思う。かつて(今でも?!)「平和」と言うカテゴリーが一つの試金石であったように、今、「環境」がそうなりつつあるのではないか。サミットで竹下氏がどれだけ良い事を言ったって、日本で何ができるの?政府として。企業の経済活動を規制してまで…。
今回の展覧会に当たり日本グラフィックデザイナー協会会長の亀倉雄策氏は「自由な発想と飛躍」と超して次のような文章を寄せている。少々長いが、なかなかおもしろいので全文を引用する。
「私は『I’m here』というタイトルが大変気にいっている。それは、気張らずに自分の好きな表現ができそうだからである。「Ⅰ’m here.」の意味を自分で考えで、自由に発想を飛躍させられる面白さがあるのだ。そこが、すばらしい。展覧会だッと云って肩を怒らせないで、のびのびと好きなポスターをつくれるチャンスが久々にやってきたといううれしさである。
『JAGDA平和と環境のポスター展』というのが冠についている。だから、お前がそんなにのんきに喜んでいるのはスジ違いというものだと展覧会委員会から文句をいわれそうだが、ここで『まてよ……』と考えてみたい。ご承知のように、ソビエトがロシアという普通の国になり、核兵器削減という現実にフレデイリツク・フオーサイスでさえ小説のネタに困惑している今日、骸骨や原爆雲でもあるまいというきがしているからだ。特に鳩ポッポやPEACE PEACEと凝ったロゴタイブを並べて見せられても空虚な形式主義だけが鼻について感激しない。環境問題だって、工場の煙突のモクモクや、よごれたドプ池、ゴミの山といった観念もやっぱり空虚な形式主義としてしか目に写らない。
じゃあ-なにを表現したらいいんだと問われれば、これに答えることはむずかしい。私だって教えてもらいたいくらいだ。要するに、平和と環境というテーマはグラフィックデザインの袋小路に入ったようなものだと思うからである。
その袋小路の徒き止りに颯爽と出現したのが、この「Ⅰ’mhere.」である。これだ!と飛びついたのは私だけではないょうだ。このタイトルは国境を超えた説得力がある。例えば昨年ドイツのオルガー・マチスに『Ⅰ’m here.』の話をしたら、即座に「すばらしい」と感動してくれた。きっと面白い展覧会になるという予感がしたんだと思う。きくところによると、この『I’m here.』Jはコピーライターの日暮真三の命名ということだが、さすがに非凡な才能の人だと感銘した。
『I’m here.』が平和、環境という正面きった大テーマに硬から爽風が吹きつけて、自由な表現をゆるしてくれる雰囲気が生まれてくれたのは幸せだった。きっと面白い、すばらしいポスター展になると、私は直感している。」
話は替わりますが、今回の展覧会で180点の作品の中に女性の作品が10点にも満たないというのは、環境運動に果たしている女性の役割からするとあまりりに寂しいとは思いませんか?
展覧会は、環境サミットが開かれているリオジャネイロで開かれた後、7月14日からは名古屋市市民ギャラリー、続いて広島、福岡、大分、釧路などでも開かれる予定ですので、近くの方は是非覗いてみてください。
環境問題って何ですか。あなたにとって環境問題って何ですか…。(東京 C)

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】地球環境問題をめぐって2

【投稿】地球環境問題をめぐって
                                                        その2 「地球サミット」が問いかけるもの

<「地球環境破壊の責任は先進国にある」>
リオデジャネイロの地球サミット(環境と開発に関する国連会議)に合わせた政府広報紙「今週の日本」(6月8日号)は、「地球にやさしく」という見出しを大きく掲げて、その下に紙面一杯に焼畑農業の写真をこれみよがしに載せて、これが地球温暖化の一因であるとの解説をつけている。
人をあざむくこれほど厚顔無恥な態度はない。 地球温暖化の最大の原因となっている二酸化炭素(CO2)の排出については、実にその四分の三が先進工業国から吐き出されているのである。日本は、このCO2汚染寄与度がアメリカに次いで二位であり、しかも森林破壊についていえば、フィリピンから東南アジア諸国、ブラジルに至るまで、熱帯林を乱伐し、実にその50%以上を丸太として輸入してきたのは日本なのである。焼畑農業が森林破壊とCO2汚染に一定の役割を果たしていることは明らかであるが、日本の汚染寄与度とは比較にならない。ましてやいつのまにか環境先進国をきどり、日本の経験と技術を他国は学ぶべきだといった態度は、途上国側からすれば、資源を買い占め、地球環境破壊の先頭に立ち、公害を他国へ移転、輸出しながら、「環境」を商売道具とする新植民地主義的な傲慢さ以外のなにものでもないであろう。
リオの地球サミットには、日本からはしたたかに「環境族」ポーズをとる竹下派をはじめ、空前の163カ国が参加し、NGO組織もこれに合せて大挙結集、地球環境破壊の責任と義務を問う一大「南北サミット」の様相を呈した。激しい論議の末、そこで採択された「環境と開発に関するリオ宣言」は、「われわれの家」である地球益を守る27原則を明示し、その第七原則では、「各軋ま共通の、しかし、差異のある責任」を負うと同時に、しかし「地球環境破壊の責任は先進国にある」ことを明らかにし、先進副こ技術と財源の分野で「特別の義務」を課している。宣言はまた、「自国の資源を開発する権利が他国の環境に害を与えないようにする責任」(第2原則)、「環境悪化の移転防止」(第14原則)、「有害効果をもたらす自然災害、緊急事態の通報義務」(第18原則)についても確認している。

<無視できぬ「開発」政策への異議>
リオの地球サミットがもう一つ明らかにしたことは、単に南北間の対立のみならず、環境保護政策をめぐる米欧間の対立、それぞれの国家間の利害の衝突に加えて、より重要なことは、NGO、市民運動、住民運動と、政府や世界銀行、淘際的な開発・援助組織との対立が一層鮮明になってきていることである。これまでとは違って、開発途上諸国から多くのNGO組織や住民運動組織が参加し、自国政府や多国籍企業の「開発」政策に異議を唱え、しかもこれらの異議をもはや無視することが出来なくなってきたことである。
インドのナルマダ川流域のダム開発、ブラジルのバルビナダム、エクアドル・アマゾン流域の原油開発計画、フィリピンの脱硫装置なしの火力発電所計画(日本のODA資金による)etc.、これらは環境破壊を広げるばかりか、借金返済のための資源輸出をよりいっそう強制して、さらに環境破壊の悪循環をもたらす、開発は地域住民の主導による民主的なものとするべきだという意見である。
利潤追求と市場コストに専念し、汚染をたれ流し、環境コストを一切顧慮することなく膨張を遂げてきた資本主義経済は重大な岐路に立たされている。環境保護と両立する「持続可能な開発」をめぐっても、もはや政府、企業レベルでの意思・政策決定は、市民・住民レベルの合意、監視、規制なくしては成り立ちえない時代に突入しつつあることを示している。地球環境の悪化は「待ったなし」の状況に近づいていることを全ての人々が肌身で感じてきているのである。

<「最悪の汚染地帯」=ソ連・東欧圏>
そしてこのような市民・住民レベルでの合意、政策決定への民主的参加を無視するような社会システムが何をもたらすかという、もう一つの典型が、いわば自己崩壊せざるをえなかったソ連・東欧の社会主義ではなかったろうか。 その実態がいかなるものかについては、石弘之著『酸性雨』(岩波新書、92.5.20、580円)に詳しく紹介されている。
「一九八○年代末になって、東欧各国で次々にカーテンが開け放たれるや、最悪の環境汚染が目の前にさらけ出された。そのあまりのひどさに世界は慄然とした。」「酸性雨は森林も、湖沼も、建造物も蝕ばんでいた。とくに、チェコスロバキア、ポーランド、旧東ドイツの三国にまたがる国境地帯、通称「黒い三角地帯」は、酸性雨の集中攻撃を浴びて、生態系は壊滅状態だった。」
「旧東ドイツにいたっては、一人当り日本の四五倍もの大量の硫黄酸化物を浴びていることになる。」
「旧東ドイツ最大の化学工業地帯、ビターフェルト。この都市は統一ドイツ政府と環境保護団体グリーンピースによって「世界でもっとも汚染された町」との烙印を押された。だが東欧開放後、老朽化ゆえに西側との競争力を失って、次々に繰業停止を余儀なくされている。九万人いた労働者の半数が職を失った。皮肉なことに、それにつれて大気汚染も好転してきた。」 「旧ソ連は世界最大の硫黄酸化物の排出固で、国連の推定(一九八九年)では年二五00万トンに上る。」 「社会主義が本来求めていたのは、新しい人間による新しい社会の建設であったはずだ。だが、現実には政治的な腐敗と官僚主義がはびこり、社会はいたる所で機能がマヒして、誰もノルマだけが関心事となり、工場の生産設備の更新や公害防止設備の設置に責任を持つものはほとんどいなかった。環境関係のデータは「国家機密」とされて、都合のよい数字しか外部に発表されなかった。」
また、熊谷徹著『ドイツの憂鬱』(丸善ライブラリー、92.3.20.、620円)によると、「ケムニッツ・ライプチヒなどの工業地帯では、空気中の有害物質の濃度が、基準を大幅に上回っている。最も汚染がひどいのが、ライプチヒの南側にあるボルナという町。ここでは、一九八九年の時点で、空気中の二酸化硫黄の濃度が東ドイツ政府の基準値の四○倍、塵挨の値が二○倍に達していた。東ドイツ全体で、一九八八年に空気中に放出された二酸化硫黄の量は、五百万トン、西ドイツの五倍にのほる。これらの数字は、旧東ドイツの社会主義政権が環境と健康に対する配慮を、全くと言っていいほど怠ってきたことを裏付けている。一九八九年の東ヨーロッパ革命がもたらした最大の功績の一つは、西ヨーロッパ諸国が、東側の深刻な環境汚染に歯止めをかけるチャンスを得たことだと指摘する学者もいる。環境汚染は、統一ドイツに社会主義政権が残した「負の遺産」の筆頭といえるかもしれない。」という事態である。

<「環境破壊」のツケ>
問題はこのような社会主義の名にはばかる深刻な事態を抱えていたにもかかわらず、一切それが自国民にさえ明らかにされず、対外的には「国内には環境汚染など存在しない」などと主張し、国際的な環境汚染の規制に反対してきたことである。
たとえば、前掲書『酸性雨』によると、「スウェーデンは、一九八二年に人間環境会議の一○周年を記念して「環境の酸性化に関するストックホルム会議」を主催した。ここで「長距離越境大気汚染条約」の早期批准を各国に訴えるとともに、具体的な汚染物質の削減計画を要求した。そして翌八三年の条約締約国会議で、他の北欧諸国とともに、八三一九三年に硫黄酸化物の排出量を八○年レベルより三○%以上削減することを目指す提案を行なった。同時にオーストリア、スイスなどが、窒素酸化物の三○%削減を提案した。これに対して、英、米、フランスが反対にまわり、窒素酸化物の削減に抵抗する東欧圏もこれら三国に同調した。当時、東欧諸国は国内に環境汚染は存在しないとして、三○%削減の必要性を認めなかった。東欧欧諸国はこぞって、科学的に不明確な点が多いことを理由に規制に反対した。」これが実態である。
現実の社会主義に理想の環境保護政策を求め、少なくともそれが追求されているのではないかという期待は、明らかな幻想であったといえよう。実態とかけはなれたこうした幻想が、環境問題を軽視することにつながってきたことが深く自己反省されなければならないであろう。
こうして戦後だけでもソ連・東欧圏の社会主義が四十数年間にわたって放置してきた環境汚染のツケは、あまりにも大きい。ゴルバチョフの人類的課題の優先性、情報公開、もっと民主主義をという叫びは、ここでも社会主義者としての当然の悲痛な叫びであった。    (生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】地球環境問題をめぐって1

【投稿】地球環境問題をめぐって
                                                       その1 地球環境サミットを前に

はじめに
宇宙の片隅に地球が誕生してから、46億年。その地球上で人間が文化、文明を持ち始めてから、1万年の歳月が流れているに過ぎない。宇宙の悠久な時空の中で考えると、人間の人間らしい歩みは一瞬の出来事でしかないのに、人間はその一瞬の営みの中で46億歳の地球をむしばみ続けているのである。
地球環境保全と開発の両立を目指し、新たな地球規模の協調体制を確立する「国連環境開発会議(地球サミット)」が、6月3日から14日までブラジル・リオデジャネイロで国連史上初めて開催される。百カ国以上の固から政府首脳や環境保護で活動する非政府組織(NGO)が集まり、環境保全と開発を調和させる基本原則を定めた「リオ宣言」や行動計画である「アジェンダ21」、地球温暖化防止条約、地球の生態系を守る「生物学的多様性保護条約」などの調印を予定している。
今回の地球サミットは、環境優先か開発が重要かをめぐって南北対立が予想されるが、東西冷戦終えん後の社会体制の枠組みを転換させ、地球環境の保全あるいは環境に優しい社会経済構造を具体的に実現するための制度的、資金的、組織的なルールを敷く歴史的出発点になるであろう。
この地球サミットを契横に、今回から数回にわたって地球環境問題に取り組んでみたい。横兵器が人類史に与えた衝撃以上に地球環境問題は人類の未来に大きく立ちふさがっていると考えるからである。

<地球サミットヘの経過>
地球サミットは、1972年6月ストックホルムで開催された国連人間環境会議の20周年を記念して開かれる会議で、テーマは「持続可能な開発」である。経済最優先の開発は物質的な豊かさをもたらすものの、いつかは資源を開発し尽くし、破綻を招くことを世界が認識したうえで、今後は子孫にわたって成長できる経済社会を目指そうという考えに基づいている。
ストックホルム会議では世界各国が環境問題の重要性を認識し、改善していくことで合意した。しかし、それから20年たっても環境の状況は悪化する一方である。80年代の中ごろ、初めて南極に於て発見されたオゾンホールは、全世界に大きな衛撃を与えた。さらに地球温暖化や酸性雨など、国境を超えて広がる新しい環境問題への関心の高まりを受けて、国連のブルントラント委員会が、87年初めて「持続可能な開発」という表現を使って環境破壊の深刻さを問題提起し、国連は地球サミットを開催することを決定した。
会議には100カ国にも及ぶ各国の首脳の参加が予定されており、今世紀最大の首脳会議となる。また地球サミットでは、国連主催の会議としてはめずらしく民間人の参加も認められている。環境保護団体や科学者らによるイベント「92グローバルフォーラム」も同じリオデジャネイロを舞台に企画されている。総参加者は3万人とも言われている。

<地球サミットの背景>
地球環境の汚染・破壊はいまや、複雑、多岐にわたっている。地球の温暖化をはじめ、オゾン層の破壊、酸性雨、熱帯林の減少、砂漠化、海洋・湖沼河川の汚染、有害廃棄物の越境移動などはいずれも相互に複合、連鎖しているため、その因果関係の解明が不確定で、解決への糸口を不透明にしてきている。
しかし、地球環境問題に共通している最大の悩みは、人類の営みが地球をむしばんできた点にある。人の営みが天与の自然浄化作用の限界を超えて、地球に過剰な負荷を与え、自然の生態系を乱しているためである。
その元凶は、資源、エネルギーを大量に開発、生産、流通、消費することを可能にした近代科学技術とその所産である物質文明そのものにある。このため、問題の解決をなおさら難しくしているといえよう。その発端は18世紀中葉の産業革命で、まだ200年余の経験である。

<地球サミットの方向性>
地球サミットでは、①環境と開発に関する「リオ宣言」②行動計画「アジェンダ21」の策定③地球温暖化防止条約・生物学的多様性保護条約への署名④財源問題・技術移転・国際組織の検討—等が予定されている。
「環境と開発に関するリオ宣言」は、地球サミットでストックホルム宣言を再確認し、地球規模の新しい協調体制を作り上げることを目的としている.。この為、発展途上国グループが要求した「開発の権利」を認め、貧困の撲滅への協力を求める一方で他国の環境破壊につながらないようにする責任と、将来の世代に開発だけでなく環境に対する要求にもこたえられるべきだと加えている。
「持続可能な開発」を目指す行動計画(アジェンダ21)の骨格は、①大気保全のため国別にエネルギー需要目標を設定し、石油などの消費を抑制する②森林再生などに必要なコストを、石油課税などいわゆる環境税を通じて石油、電力といったエネルギー価格に反映させ、省エネを促す③発展途上国への援助資金を確保するため防衛費の削減や世界銀行の地球環境基金の拡充を検討する—などの内容になっている。

条約とは異なり法的な拘束力はないが、地球環境保全のためには欠かせない行動計画である。

地球サミットの最大の目玉である「地球温暖化防止条約(気候変動枠組み条約)」は、各国の利害の調整が難航していたが、「温室効果ガスの排出量を90年代終わりまでに90年水準に戻すことを目指し、各国が努力する」という内容で妥協した。当初、日本と欧州共同体は、「2000年時点で90年レベルに排出量を安定化させることを誓約する」という強い拘束力を持つ案を主張していたが、米国の強い反対で努力目標になった。
もう一つの条約「生物学的多様性保護条約」は、地球上にすむ生物未確認のものを含めれば数千万種にも達するとされている生態系の保護と生物の産業利用の調和を図る内容となっている。
財源・技術移転・国際組織問題は、先進国と発展途上国とのあいだで最も対立している問題である。特に、地球環境対策の財源開港に関しては、事務局が2000年までの環境と開発の両立のための資金需要を年間1250億ドル(約16兆円)と見込み、先進各国による政府開発援助(ODA)で賄われる550億ドル以外の残り700億の新規財源の出資問題が絡み激しい意見対立が予想される。

<地球サミットの意義>
少し古いが、地球環境問題の本質を語っていると考えるので引用したい。「環境破壊の危機の前では、二極化したイデオロギー的世界という対立図式は却下される。経済圏や軍事同盟の体制の差によって、生命圏を分割することはできない。全ての国が一つの気候体系を共有しており、一国たりとも自国だけを隔絶する独自の環境防衛上の国境を設けるわけにはいかない。」(シュワルナゼ外相88年国連演説) 地球サミットは、環境保全に取り組む各国の「基本的合意と政治的意思の表明」の場ではあるが、環境問題を決着させるまで期待することはできないだろう。しかし、各国の理解や行動を改善する大きなステップになる。持続可能な開発及び地球環境の改善という原則で合意し、これを受けて継続的に環境問題に取り組む体制の出発点になればサミット最大の成果になるであろう。 (名古屋 Y)

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】メディアは何を伝えているのか?

【投稿】メディアは何を伝えているのか?

PKO法案をめぐり国会は山場だ。かずかずの行動が取り組まれ、傍聴へも多くの人がつめかけている。特別委員会の審議打ち切りと手続きもはっきりしない中での採決があり、参議院での反対派の牛歩での抵抗、そして採決。
この法案をめぐって労働組合での議論や討論はどれほどあったのだろう。そうした組織の中にある人はともかく、かやの外、国会外の人は?
牛歩で二日目ともなると、「どうせ通過するのです」「牛歩は民主主義に反する」などとTVキャスター・アナウンサーは主張し、日頃にない自己主張ぶりを徹底している。もちろん反対派への直接取材はない。このひとことが与える影響ははかりしれない。大手新聞の社説もTVのこのリアルなひとことにはかなわない。PKO法案をめぐって何が起きているのかを客観的に視聴者に提供しない。
面白かったのは、朝日新聞が報じた参院特別委員のメンバーである議員の地元での様子である。後援会幹部が、「先生がそのようなことをなさっているのもまったく知りませんでした」というような報道であった。これが「民主主義」の実態である。もちろんだからといって「国民」の政治選択の責任がなくなるわけではない。一票を投じたのは「国民」である。
これは反対派も賛成派も同様であるが、やはり「民主主義をいかに貫くことができるのか」(実践的)が重要な問題である。現実には、この点で妥協してしまっているのではないだろうか?納得、満足している人はいるのか?現状で上程されている「PKO法案」は、当初の法案からかなりの内容の変更があったにもかかわらず、「審議をつくした」というのは暴論である。自衛隊員からも「わたしは海外へいくために隊員になったのではない」という意見が寄せられているという。そもそも憲法問題もあるこの法案をこのまま通過させて、いったいどのような整合性と大義名分の「国際貢献」をできるのだろうか?法案は通過しても「何もできない」事態が待ち構えている可能性もある。この法案こそ「国民的合意」が必要ではないだろうか?湾岸戦争での「機雷撤去の掃海艇派遣」でもそれは示されたのではないだろうか。

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】続・街頭日記

【投稿】続・街頭日記

梅雨真っ盛りである。毎日うっとうしい日が続き、気分も滅入ってくる。元来が出無精な私のような人間にとっては、こんな時期は仕事も早めに切り上げてさっさとうちに帰り、推理小説でも読んでいたいところであるが、梅雨入りとほぼ時期を同じくしてそれ以上にうっとうしい事態が持ち上がってしまった。梅雨時のカビと同じで放っておいたら取り返しのつかないことになりそうなそいつの名前は、言わずと知れた「PKO法案」である。
現在6月13日の午前1時である(つけっぱなしの我が家のテレビは衆議院の牛歩の模様をまるで静止画像のように映し出している)。「青年の旗」7月号の締切は既に数日前に過ぎているが、締切日を延ばしてでもPKO法案反対の市民の行動についての報告の第一報をタイムリーに掲載したいとの要望があり、急遽私が駆り出されることになった。時間がないので皮相で散漫な報告しかできないが、マスコミからは全く黙殺された労働者、市民の聞いの中から気がついたことを列挙してみたい。

PKO法案反対の運動は、「憲法違反のPKO法案を廃案
にする全国実行委員会(以下全国実)」を中心に、連日展開された。まず、全国実発行の「日刊緊急通信」から、主な見出しをひろってみよう。
「許すな強硬採決 全国から国会ヘー土・日緊急動員体制の準備を!」「“可決”などされていない!質疑打切りすら無効のうちに散会しただけ 空前の暴挙に6/5緊急国会包囲で対決を」「違憲の三党修正案反対、自公民の暴挙糾弾」「座して死を待つよりも起って反撃へ 社党議貞総辞職断固支持、国会解散へ追い込め!」
日増しに激烈さを増していくタイトルは、市民の怒りを反映したものであった。参院特別委での強行採決に端を発したまさに風雲急を告げる事態については、多くを語る必要はないだろう。しかし、マスコミが報じるのは-おそらく強い報道管制が敷かれているのだろうが一院内での牛歩戦術の模様のみで、それもほとんどが批判的、さらには揶揄し、茶化したような内容のものであった。院外での市民の行動についてはいわずもがなで、ほほ完璧に黙殺されていた。集会、デモに貼り付く報道陣も実に寂しく、それも取材ではなく、資料映像を確保するとさっさと引き上げてしまうというものであった。しかし、情報を制限されながらも、法案に反対する市民の数は日増しに増えていく。運動の輪は広がっていく。
連日の行動にも関わらず、目減りするどころか拡大していく市民のエネルギーに、いまさらながらその機動力と腰の強さを実感させられる。集会の開始を待っている間、私の近くで固まっていた数人のグループの会話-(事情通らしいおじさん)「どうやら国対委員長会談で社会党が自民党に抱き込まれる恐れがあるらしいぞ」(もう一人のおじさん)「コクタイってなんだい?」-ともかく反対だからここにやってくるという人々の力は誠に頼もしい。
私が参加したのは6月7日の日市連主催の渋谷駅頭デモ→国会座り込み、請願行動、8日の請願行動、9日の社会党主催の集会、11日の請願行動、12日の全国実主催の集会である。7日の請願行動に応えて、社会党議員達は「私たちは最後まで体を張って闘います」と勇ましい傲を飛ばしていたが、その日の深夜の参院本会議(しかも肝心のPKOの採決の場で)において、社会党は牛歩を取り止め、何だか肩すかしを食わされたような気分になった。これは私だけの感想ではなかったらしい。翌日の社会党主催の集会において、田辺委員長の挨拶に対して会場から「本当に闘えよ!」とヤジが飛んだり、国対委員長の「あれは当初からの方針であった」という発言がかえって集会をシラケさせてしまったりしていた。こうした危機感はその日以降の行動の雰囲気を若干変質させてしまい、デモにおいても「社会党は最後まで頑張れ」というシエビレッヒコールがヤケに多くなり、それに呼応するように「裏切ったらあとが怖いぞ!」「絶対に日和るな」とヤジが飛び交うようになってしまった。
市民の運動は正直である。誰かに対して気を使う必要がないため、その場の気分が如実に雰囲気を支配する。これは誰かに命令されてやっているのではない自主的で自立した運動としての積極的な側面を持っているだろうが、肝心実のところで結局社会党に頼るしかないという一方での自立の限界性をも現している。そして市民の期待を一身に受け、吸収し、社会党は牛の歩みを続けていく。そして市民は危機感を募らせ、集会には会場からあふれるほどの人々が集まってくる。

行動に参加して一番感じることは、仕事帰りに個人で参加してくるサラリーマンの数のあまりの少なさである。私にとってご同輩ともいえる未組織のサラリーマンたちは沈黙を続けている。反対なのか賛成なのかもはっきりしない。であるならば、その声を開くために永田町ではなくて、もっと人間のいる場所に打って出るべきだったのかもしれない、夕暮れ時や日曜日の国会周辺には活動家と警察権力しか存在していないのである。
収拾がつかなくなりそうなので、そろそろ筆を置こうと思う。緊急の第一報であるのでご容赦願いたい。第二報を行う機会があったらもう少しまとまったレポートをしていきたいと思う。

【投稿】メディアは何を伝えているのか?
PKO法案をめぐり国会は山場だ。かずかずの行動が取り組まれ、傍聴へも多くの人がつめかけている。特別委員会の審議打ち切りと手続きもはっきりしない中での採決があり、参議院での反対派の牛歩での抵抗、そして採決。
この法案をめぐって労働組合での議論や討論はどれほどあったのだろう。そうした組織の中にある人はともかく、かやの外、国会外の人は?
牛歩で二日目ともなると、「どうせ通過するのです」「牛歩は民主主義に反する」などとTVキャスター・アナウンサーは主張し、日頃にない自己主張ぶりを徹底している。もちろん反対派への直接取材はない。このひとことが与える影響ははかりしれない。大手新聞の社説もTVのこのリアルなひとことにはかなわない。PKO法案をめぐって何が起きているのかを客観的に視聴者に提供しない。
面白かったのは、朝日新聞が報じた参院特別委員のメンバーである議員の地元での様子である。後援会幹部が、「先生がそのようなことをなさっているのもまったく知りませんでした」というような報道であった。これが「民主主義」の実態である。もちろんだからといって「国民」の政治選択の責任がなくなるわけではない。一票を投じたのは「国民」である。
これは反対派も賛成派も同様であるが、やはり「民主主義をいかに貫くことができるのか」(実践的)が重要な問題である。現実には、この点で妥協してしまっているのではないだろうか?納得、満足している人はいるのか?現状で上程されている「PKO法案」は、当初の法案からかなりの内容の変更があったにもかかわらず、「審議をつくした」というのは暴論である。自衛隊員からも「わたしは海外へいくために隊員になったのではない」という意見が寄せられているという。そもそも憲法問題もあるこの法案をこのまま通過させて、いったいどのような整合性と大義名分の「国際貢献」をできるのだろうか?法案は通過しても「何もできない」事態が待ち構えている可能性もある。この法案こそ「国民的合意」が必要ではないだろうか?湾岸戦争での「機雷撤去の掃海艇派遣」でもそれは示されたのではないだろうか。

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【要請】「青年の旗」に替わる新しい名称募集!

【要請】「青年の旗」に替わる新しい名称募集!

1992年5月23日に開催された全国協議会では、「青年の旗」の編集方針について、購読者、労青全国協議会の構成員の皆さんのご意見をひろく募ることを決定いたしました。
とりあえず以下3点についてのご意見をお寄せください。8月の合宿でお寄せいただいたご意見も含めて、討議・検討・意見交換する予定です。
①「青年の旗」に替わる新しい名称。この新開(機関紙)の名称を変更することが好ましいとすれば、どのような名林を希望されますか。
②1頁上段の「青年の旗」の隣の欄に掲げている「平和と平和共存、反独占民主主義、平和・民主・労働戦線統一のために、大衆的青年同盟建設のために」の取扱いについて。例えば、「削除して白紙にする」「削除して替りにOOOOと掲げる」「とりあえず当面は削除して、新しく掲げるものの検討を始める」「このまま掲げ続ける」などなど。
③「青年の旗」の今後の編集方針について、例えば「労青全国協議会の機関紙という位置付けを終了する」「労青全国協議会の機関紙であり続ける」など。
「青年の旗」に替わる新しい名称を募集するからといって、「この新聞(機関紙)の名林が『青年の旗』であることを終了しよう」と全国協議会で決定したわけではありません。従って、「この新聞(機関紙)の名称は『青年の旗』であり続けるべきだ!」とのご意見がありましたら是非お寄せください。ただし、全国協議会としては、「だれかが旗を振って、さあ皆ここに集まれ」というような形式・内容の活動はもはや通用しない時代だ、という点において認識が一致しており、そういう意味で「青年の旗」という名林は変えた方が好ましいとの意見です。そこで、前記項目のような意見募集に踏み切った次第です。「青年の旗」の今後について、ご意見、希望されていることなどありましたらどしどしお寄せください。(報告・文責 W.K.)

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【投稿】P K O法案に思う

【投稿】P K O法案に思う
                           —国際貢献する生き方のできる国へ—

Ⅰ私は現在国会で審議されているPKO法案に反対です。それは、国際社会に対して自分はどのような貢献をすることができるのか一人一人が考え、それを実践するという機会を、国民(市民あるいは民衆と呼びたいところですが、この1億2千万人を考えた時に、いまいちそう呼ぶことに違和感を感じますので、とりあえず国民と呼びます)から奪い、「何かやらなきゃいけないとは思うけど、自分で考えるのは面倒だし、実際にやるのは億劫だし、とりあえずここは自衛隊にでも行ってもらって(行かせてというべきか)、まあ格好だけでもつけとこう」というような安易な考えと行動に国民を至らしめる、と思うからです。
国際貢献といっても、いろいろなことがあって、実は全く普通の人々でも行えるようなことが結構あるんではないかと思います。海外でのボランティア活動に参加する、青年海外協力隊に参加するとか、外国で災害などがあった時に緊急に医療活動に出掛けて行くなど、やってみようとする人々は結構いるんではないかと思います。けれども問題になるのが、海外に出掛けてボランティア活動に参加している間の収入、帰国してからの就職、お医者さんが一時的に海外の被災地に出掛けて活動している間の担当していた患者さんのケア、そのお医者さんが帰国してからもまた以前と同じような患者さんを抱え収入を維持していけるかということなどではないかと思います。2~3年間海外でのボランティアに参加している間、休職扱いにし、それまでの年俸の何割かを支給し続けて、帰国後は復職させる、というようなことを行っている企業も近頃はいるようです。こういうことを行っている法人や、青年海外協力隊の経験者や海外でボランティア活動をやってきた人々を積極的に雇用するというような法人を例えば、税制度上優遇するというような制度を作るとか、お医者さんが緊急に海外の被災地に援助に行けるような社会システムを作れば、もっと多くの人々が、個人で、自発的に、海外へ出掛けて行き、いわゆる国際貢献するのではないでしょうか。(もっとも青年海外協力隊については、出発する前に、3カ月程みっちりと研修が行われて、この研修を外部に委託していることもあって、皇国史観とでもいうような、日の丸、君が代の研修を行うところがあるので、その点は問題だと、全国協議会の場で指摘されました。)
また、街には外国人労働者が多数目につき、大学でも外国人留学生が、中曽根内閣時代の10万人受入れ計画に従って少しずつ増えているようですし、なによりも非常に多くの物を世界中のいろいろな国から輸入し、また非常に多くの商品を世界中へ輸出しているわけで、日常のいたるところで世界と接触しているわけですから、別に国外へ出掛けなくても国際貢献できることはあるのではないでしょうか。
国民一人一人が自発的に国際貢献に参加できるような制度、システムを作ったり、一人一人が自分になにができるか考え、実践していくことを支援することをまず政府は行うべきだと思います。

Ⅱ ①国際貢献などといいますけれど、基本的にその社会や教育システムが、ボランティア活動などに自発的に参加し、世界の様々なことを見聞きしてきた人を有用な人材であると見なすような社会」「公なるものに私心なく貢献することが貴ぶべき生き方であると見なすような社会」になっていなければ、言葉の通り国際貢献する生き方のできる国にはなれないように思います。残念ながらこの日本に存在するのは,「少しでも効率良く、少しでも多く金儲けのできる人が有用な人材である」とみなすような社会であって、そのような人材をより効率良く選別し、育てる教育システムではないでしょうか。国際貢献といわれた時に、何をやったらいいか、どうやったらいいか、すんなりと頭に浮かんでこないで、結局声の大きな人々が言うことを受け入れていくというのは、やはり現在の日本の社会、教育の在り方に問題力盲あるからではないでしょうか。②九州地方で昨年の台風19号で倒れたままになっている木を除去するために陸上自衛隊西部方面隊が動員されています。昨年の台風19号による九州地方の山林の被害は甚大で(被害総額3900億円)、倒された木を早急に撤去しなければ、(山々の保水力が低下しているので)今後更に大きな被害が予想されること、一方、林業従事者は既に大幅に減少し、高齢化しており今のままの人員では倒木を撤去し、元のように木を植えていくのに30年はかかるといわれていた中で、梅雨時を前にして、九州四県の知事が自衛隊に出動を要請したものです。風倒木撤去にあたる隊員は後方支援部隊を含め1万1千人、長崎・雲仙に派遣されている200人を合わせると、西部方面隊(2万4千人)の約半数に上り、5月中に予定されていた演習や訓練は全て延期されたということです。
こういう報道を見て、妻は「そうだ自衛隊はこういうことだけをやってればいいんだ」などと言いますが、私は素直にうなずけません。
自衛隊がこの様な、災害援助や、復旧作業のみを行うようになった時、当然その時には自衛隊という名杯も変わっていると思いますすが、最低限その活動に必要な人員を集めることができるだろうか、不安です。林業労働を行う人々が減っているのは、やはりその仕事がきつく、収入もあまりよくないというのが大きな原因ではないでしょうか。こういったきつい仕事、災害捜助や、復旧作業を専門とするところに若者が集まっていくでしょうか、不安です。もちろん、このような仕事に生きがいを見出だす若者もいてくれるだろうと期待しますが‥・。ここでも社会のあり方、教育のあり方が顔を出します。
楽じゃない災害復旧に駆り出され、今度は(自衛隊に入隊した際には考えてもいなかった)海外の戦場にまでPKOで駆り出され、危険に晒される。そうなれば自衛隊を辞める人が増えたり、入隊希望者が減少するかもしれません。けどそれを単純に、「自衛隊の縮小につながってよい」と考えてよいのか、複雑な気持ちです。
③津田塾大学のダグラス・ラミス教授が「日本という国は47年間も、国家の意思に基づく戦争で人殺しをしていない、これはとっても大事なことだ」と主張されています。そう言われてみれば、周囲には(70才前後以上の人々を別にすれば)、戦争に行って人を殺してきたとか、戦争に行って傷付いてきたという人はまずいませんし、そんなことを考えてもみませんでした。これはとてもラッキーなことで、こういう日本のラッキーな状態を、世界中の人々に体験してもらうようにすることこそが国際貢献だと思います。
ところで、「自衛隊をPKOに行かせて国際貢献させよう」などと考えている人は、自衛隊員がそのことによって、人を殺し、あるいは逆に負傷、死亡する危険もあるということを理解しながら言っているのでしょうか。防衛大学や防衛医科大学はともかく、一般的大多数の自衛隊員は世の偏差値至上主義教育においては、決して「エリートコース」を歩んでいるとはいえない人々だと思います。ここでもやはり社会のあり方、教育のあり方が顔を出します。「自分さえ良ければ、他人様はどうなっても知らない、ましてや自分より偏差値の低かった人間のことなど・・」とばかりに、実際に自衛隊員がPKOに派遣された時のことに想像力を発揮できないとしたら残念なことです。

Ⅲ 以上のように、全国協議会の場でとりとめもなく発言しておりましたら、「暗いな~」と言われてしまいました。確かに暗いと思います。
ダグラス・ラミスさんは(湾岸戦争の時)「アメリカでは万とか10万単位が集まっても、政府は戦争する。日本で数百人しか集まらなくても派兵を止められる。日本の平和運動 は、・‥一番最後の大事なところで、人を殺すことを止めているというところで成功している。」と、日本の「全体社会の(戦争しないのが当たり前になっているという)平和常識」を高く評価されています(毎日新聞、週間エコノミスト6月16日号インタビュー)。
こんなふうに日本の平和運動を持ち上げられても、私はやっぱり暗いです。47年間まがりなりにも守ってきた国のあり方が大きく変えられようとしている、しかも憲法の内容が、憲法の下位にあたる一本の法律によって、変えられようとしているわけです、全く整然・粛々と!。来るべき参議院選挙では、PKO法案に対する世論の反撃を受けて、自民党は(限りなく願望を込めて)大敗してほしいナァ~。今日(6月11日)衆議院PKO特別委員会で法案が可決されました。本日のニュースステーション電話アンケート調査では(細川・日本新党がらみのアンケートですが)、自民党支持率は10日ほど前より2ポイント上昇しました………ア~なんだこりゃ。
(悩める私にあなたのカンフル剤=ご意見を  W.K.)

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

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【コラム】ひとりごと –本音と建前–

【コラム】ひとりごと –本音と建前–

 建前と本音といいます。「暮らしの手帳」の編集長であった花森安治氏は生前、若い編集局員達に対して「諸君、建前を大切にしたまえ」とよく言われていたそうです。雑誌「一銭五厘の旗」で読売文学賞を受賞された花森氏が生きておられたら、憲法、自衛隊を巡るこの頃の諸政党、労働組合などの言動にどのように言われるでしょうか▼我々凡人が建前を下ろす時、それを正当化するかのように、よく口から出る言葉が「しょうがない」です。思えば私も、この都合のよい言葉に何度救われたことか▼5月いっぱいで休刊(廃刊)となる朝日ジャーナルに、「東京発」と題して、日本に滞在する外国人ジャーナリストが書いた原稿を翻訳したものが掲載されています。今年に入ってから掲載された原稿ですが、米国人の女性の方が、日本から世界に広まりつつあり、人類を滅ほす恐るべきものとして、日本人のこの「しょうがない」を取り上げ、批判されていました▼彼女は納得のいかないことも「しょうがない」の一言で受け入れてしまう日本人のこの行動・思考を、ユーlモアたっぷりに厳しく指摘されていました▼なるべく I「しょうがない」という言葉を使わないで生きていきたいと思います。(W.K.)

  【出典】 青年の旗 No.175 1992年5月15日  

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【本の紹介】 「アリラン峠をこえて『在日』から国際化を問う」

【本の紹介】 「アリラン峠をこえて『在日』から国際化を問う」
           辛基秀(シン・ギス)著、解放出版社、92.3.1 1600円

日本の民主運動 労働運動への鋭い問いかけ
この本の鋭い問いかけの対象は、過去をも含めた、現在の日本の反戦平和、民主、労働運動の内実に対するものである。著者の視点は明確である。「朝鮮人と日本人の連帯がうまくいかなかったのは、日本の革命運動側の民族問題に対する正しい理解がなく、この間題をなおざりにしてきたからであり、民族問題を階級闘争に解消したままで民族差別が克服できる訳がない」という、日本の、というよりも日本人の運動そのものがかかえている弱点の克服と、共闘・連帯への率直な問題提起である。
「在日朝鮮人の歴史は、とかく暗い受難の側面が多く語られ、日本人側の善意の購罪意識とあいまってマイナスの陰画として写しだされるため、在日の若い世代も一世に対して否定的に考えがちである。」「私が六年の歳月をかけた在日韓国人のたたかいの記録『解放の日まで』をつくったのもマイナスのイメージを訂正するためであった。」-一辛基秀さんがこの記録映画で明らかにしてきた「在日朝鮮人が日本の各地のダム、鉄道などの工事現場で民族差別に抗し、人間解放、民族独立のため青春を奏でたたたかい」「在日朝鮮人と日本人労働者、知識人がさまざまな局面で織りなしてきた共同のたたかいの様々の歴史」はあまりにも知られていないし、無視されてきたといえよう。当然、「日本の労働運動史、反戦運動の歴史でも、在日朝鮮人の役割に言及した書はごく稀である。」そしてわれわれ自身の意識もそのような状況から抜け出すことが出来なかったのではないだろうか。

<人間的な連帯をいかにして築くのか>
現在とは比較にならない厳しい圧制の時代の中にあって、中野重冶が親しい朝鮮の友人の強制送還に際して発表したあの感動的な詩「雨の降る品川駅」、それにたいして、朝鮮側の応答歌、詩人・林和(イム・フア)の「雨傘さす横浜埠頭」が直ちに発表された(1929.9)当時から、そして水平社と衡平社の交流と連帯が活発に行われた時代から、日本の運動はどれほど前進しているのであろうか。時代や条件が大きく変わり、前進してきたとはいえ、その根底のところにおいては疑問符が絶えないといえよう。辛基秀さんは「あとがき」の冒頭で「民族差別の政策により生じた在日韓国・朝鮮人と日本人との間に刻んだ深い溝を埋め、人間的な連帯をいかにして築くのか」ということが永年のテーマであると強調されている。それは日本のさまざまな運動の共通のテーマでもなければならない。        (生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.175 1992年5月15日

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【投稿】長良川河口堰反対 4/11東京デモ報告

【投稿】長良川河口堰反対 4/11東京デモ報告

青年の旗読者の皆さんにはおなじみの長良川河口堰反対運動。いよいよ本当の正念場であります。6月にブラジルで開催される「国連・環境と開発サミット」(地球サミット)や4月の世界賢人会議などに焦点を絞って年明けから全国で反対運動が強められてきました。河口堰建設現場では既に13本の内8本のピア(堰柱)が完成しようとしており、今年度予算250億円が執行されると、河口堰の全体が完成するわけです。
4月11日のデモはこうした中で、昨年10月の5000人の東京デモに続いて、敢行されました。東京代々木公園には午前10時から全国の反対する会はじめ自然保護団体が環境フェスティバルを開催し、午後1時から上記の集会が開催されました。主催者発表はなかったのですが、参加した私の読み(?)では、全体で1500名程の皆さんがデモに参加しました。自治労も「環境自治体」作りの立場から組織的に参加。大阪府本部はじめ、地元の岐阜、愛知、三重県本部、東京都本部から五百名以上の組合員がデモに参加していました。
集会では、社会党(はせゆりこ、旭堂小南陵)、共産党(上田幸一郎)、田秀夫参議院議員などが国会報告、野田知祐、近藤正臣、夢枕漠などがトークに参加。自治労本部鈴木政策局長、長良川地元の運動家、全国の自然保護団体がそれぞれ発言し、建設一時中止を訴えました。集会後は、土曜日の午後とあって道行く人も多い中を渋谷・宮下公園デモ行進を行いました。

<既に根拠を失った河口堰建設>
川幅661mの長良川をせき止めて3千万トンの水を貯める必要があるのでしょうか。。建設省は32年前に河口堰建設の計画を立て、23年前に閣議決定されたわけですが、当初は東海地方の工業地帯への都市用水供給の計画でした。しかし、現在そんな水需要は存在していないのです。その後、災害など治水対策が強調されましたが、むしろ河口堰建設による災害の危険が指摘されてきました。最後に残った「塩害」も昨年の参議院環境特別委員会の答弁で実態のない議論であることが証明され、すでに河口堰建設の根拠は全くなくなってしまいました。今は建設省のメンツしか残っていないのです。
むしろ、日本の自然を守ること、全国で釧路川と長良川しか、ダムのない川は残っていないこと。長良川に生息する豊富な魚類を守ることができるのか、に対して建設省は弁解をする立場になっています。建設省は、4月に河口堰に環境に与える影響について追加調査を発表しているが、調査を行ったのは建設省の外郭周体であり、「堰は出釆ても環境への著しい影響は避けられる」という内容だった。この発表に先立ち、3月に財団法人日本自然保護協会は、堰の建設は環境に悪影響との独自調査報告を発表しているが、建設省の調査結果は、この独自調査の問題点に応えるものでなかった。

<運動的には 少し中だるみか?少ない参加者>
確かに建設省の根拠はなくなった。地元の住民アンケートでも反対が大勢になった。マスコミも味方になっている。自然を守れの声に建設省も弁解する立場になった。また、ワシントン京都会議でも主催者のエジンバラ候が長良川問題に言及するなど国際世論も出てきた。地球サミットでも話題になりそう。しかし、である。運動としては少々道に迷った感もある。それは、国会や政治の場でも反対運動の力が増しているなか、反対運動指導部の中に少し「突出」が目だっているのではと考える私である。集会の準備の段階から「世界賢人会議で竹下が河口堰建設一時中止をぶち上げる」だとか、「河口堰が出来ても建設省は、堰を止めることはない」とかの勝利色を匂わせ、あとは動員を増やせばいい、というような空気があった。要するに10月の頃ように運動の具体的な目標が明示されず、「環境問題の長良川」みたいなおごりとも取れる空気を私は感じていた。案の定、集会、フェスティバルも参加した者としては、さびしい状況だったわけだ。(昨年10月は5000人はいたはず、それも雨の集会、デモだけに)集会の1週間前、浦安でシンポジュームが持たれたが、1000人規模の会場に250名ぐらいの参加だったと聞いているほど。
確かに、自然保護運動としてかつてない高まりと広がりを見せた河口堰建設反対運動だが、今後どう発展させるかについて、反対する会での真剣な議論が必要であろう。
この運動を契機に全国の自然保護運動のネットワークは生まれつつあるが、さらに各地方毎の連携や地域での環境グループの結びつきの問題など課題は多い。
また、我が組合である自治労も「環境自治体」創りを打ちだしたが、単に行政政策のレベルでの対案形成だけでなく、基本的に組合員一人ひとりの生活からの環境運動をどう創るのか大切だと思う。流行だからと環境問題を取り上げるというのでは、ダメである。環境問題は生活の根底からの発想の転換が基本だからである。(大阪 H)

【出典】 青年の旗 No.175 1992年5月15日

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【問題提起】92春闘総括を巡って

【問題提起】92春闘総括を巡って

92春闘は事前に予想された通り、賃上げ課題での低額妥結、労働時間短縮での一定の前進という結果に終わった。
春闘以前から景気の後退が明らかになり、連合も当初の8%賃上げから「実質賃金の維持」の防衛戦に転じたものの、主要単産の多くが4%台の賃上げにとどまったため、それさえも経営側に突破されてしまった。
こうした状況の中、私鉄総連や全電通、さらにはJR総連の一部がストライキに突入したものの、実質的な賃上げ効果を獲得するには至らなかった。
もっとも、ストに突入した上記の各単産には、それぞれの内部事情が存在し、純然たる経済ストではなかったものの「回答が不満ならストライキ」の戦術が連合時代でも存続していることを示したものといえる。
一方労働時間短縮については、電機労連を中心に「休日、年休の増加が図られた。しかし、大枠の「1800時間」については、達成時期の先送りが目立ち、政府の92年度はおろか、連合の主張する93年度も極めて困難となってきた。
また、各企業が大量の在庫を抱え込んでいる中での春闘であることから、経営主導の時間短縮=生産調整のイメージもぬぐえない、との見方もある。
とはいっても、獲得された成果は100%行使し、今後どんなことがあっても削られないようにすることが肝要である。
92春闘がこのような結果になったのは、日本的労使関係の必然的帰結であるが、こうした関係の見直しについては、今春関前から学者、関係者の一部で積極的に問題提起をされてきたところである。
それらの論調を意識し、連合も例年以上に経営側との対決姿勢を打ちだしたや官、新たな春闘を模索するまでには至らなかった。
連合自身が、不十分と認めざるを得なかった、賃上げ結果に対する組合員の不満が存在している春闘直後は、総括をめぐって各組合での論議も沸騰する可能性がある。
本来そうした時期にこそ、根本的なところまで突っ込んだ論議を行い、次の闘争につなげていかねばならないのであるが、「総合的判断」をもって肯定的総括をいたずらに先行させ、根本的論議自体を冷え込ませてしまう傾向が一部に見られたのは、残念なことといわざるを得ない。
また現実問題としてすでに連合の政治方針を最重要課題として討議中であるため、春闘を巡っての論議は中断している。それでも春闘ヤマ場直後の主要単産幹部の問題意識をみると「横並び要求基準」や「産業別統一一闘争体制」の抱える問題点から労働組合運動の未来まで幅広いものがある。
今後参議院選挙後の新たな政治情勢の中で迎える各単産大会での、トータルな論議の再開に期待したい。(大阪 0)

【出典】 青年の旗 No.175 1992年5月15日

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