【要請】「青年の旗」に替わる新しい名称募集!

【要請】「青年の旗」に替わる新しい名称募集!

1992年5月23日に開催された全国協議会では、「青年の旗」の編集方針について、購読者、労青全国協議会の構成員の皆さんのご意見をひろく募ることを決定いたしました。
とりあえず以下3点についてのご意見をお寄せください。8月の合宿でお寄せいただいたご意見も含めて、討議・検討・意見交換する予定です。
①「青年の旗」に替わる新しい名称。この新開(機関紙)の名称を変更することが好ましいとすれば、どのような名林を希望されますか。
②1頁上段の「青年の旗」の隣の欄に掲げている「平和と平和共存、反独占民主主義、平和・民主・労働戦線統一のために、大衆的青年同盟建設のために」の取扱いについて。例えば、「削除して白紙にする」「削除して替りにOOOOと掲げる」「とりあえず当面は削除して、新しく掲げるものの検討を始める」「このまま掲げ続ける」などなど。
③「青年の旗」の今後の編集方針について、例えば「労青全国協議会の機関紙という位置付けを終了する」「労青全国協議会の機関紙であり続ける」など。
「青年の旗」に替わる新しい名称を募集するからといって、「この新聞(機関紙)の名林が『青年の旗』であることを終了しよう」と全国協議会で決定したわけではありません。従って、「この新聞(機関紙)の名称は『青年の旗』であり続けるべきだ!」とのご意見がありましたら是非お寄せください。ただし、全国協議会としては、「だれかが旗を振って、さあ皆ここに集まれ」というような形式・内容の活動はもはや通用しない時代だ、という点において認識が一致しており、そういう意味で「青年の旗」という名林は変えた方が好ましいとの意見です。そこで、前記項目のような意見募集に踏み切った次第です。「青年の旗」の今後について、ご意見、希望されていることなどありましたらどしどしお寄せください。(報告・文責 W.K.)

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

カテゴリー: 社会運動 | 【要請】「青年の旗」に替わる新しい名称募集! はコメントを受け付けていません

【投稿】P K O法案に思う

【投稿】P K O法案に思う
                           —国際貢献する生き方のできる国へ—

Ⅰ私は現在国会で審議されているPKO法案に反対です。それは、国際社会に対して自分はどのような貢献をすることができるのか一人一人が考え、それを実践するという機会を、国民(市民あるいは民衆と呼びたいところですが、この1億2千万人を考えた時に、いまいちそう呼ぶことに違和感を感じますので、とりあえず国民と呼びます)から奪い、「何かやらなきゃいけないとは思うけど、自分で考えるのは面倒だし、実際にやるのは億劫だし、とりあえずここは自衛隊にでも行ってもらって(行かせてというべきか)、まあ格好だけでもつけとこう」というような安易な考えと行動に国民を至らしめる、と思うからです。
国際貢献といっても、いろいろなことがあって、実は全く普通の人々でも行えるようなことが結構あるんではないかと思います。海外でのボランティア活動に参加する、青年海外協力隊に参加するとか、外国で災害などがあった時に緊急に医療活動に出掛けて行くなど、やってみようとする人々は結構いるんではないかと思います。けれども問題になるのが、海外に出掛けてボランティア活動に参加している間の収入、帰国してからの就職、お医者さんが一時的に海外の被災地に出掛けて活動している間の担当していた患者さんのケア、そのお医者さんが帰国してからもまた以前と同じような患者さんを抱え収入を維持していけるかということなどではないかと思います。2~3年間海外でのボランティアに参加している間、休職扱いにし、それまでの年俸の何割かを支給し続けて、帰国後は復職させる、というようなことを行っている企業も近頃はいるようです。こういうことを行っている法人や、青年海外協力隊の経験者や海外でボランティア活動をやってきた人々を積極的に雇用するというような法人を例えば、税制度上優遇するというような制度を作るとか、お医者さんが緊急に海外の被災地に援助に行けるような社会システムを作れば、もっと多くの人々が、個人で、自発的に、海外へ出掛けて行き、いわゆる国際貢献するのではないでしょうか。(もっとも青年海外協力隊については、出発する前に、3カ月程みっちりと研修が行われて、この研修を外部に委託していることもあって、皇国史観とでもいうような、日の丸、君が代の研修を行うところがあるので、その点は問題だと、全国協議会の場で指摘されました。)
また、街には外国人労働者が多数目につき、大学でも外国人留学生が、中曽根内閣時代の10万人受入れ計画に従って少しずつ増えているようですし、なによりも非常に多くの物を世界中のいろいろな国から輸入し、また非常に多くの商品を世界中へ輸出しているわけで、日常のいたるところで世界と接触しているわけですから、別に国外へ出掛けなくても国際貢献できることはあるのではないでしょうか。
国民一人一人が自発的に国際貢献に参加できるような制度、システムを作ったり、一人一人が自分になにができるか考え、実践していくことを支援することをまず政府は行うべきだと思います。

Ⅱ ①国際貢献などといいますけれど、基本的にその社会や教育システムが、ボランティア活動などに自発的に参加し、世界の様々なことを見聞きしてきた人を有用な人材であると見なすような社会」「公なるものに私心なく貢献することが貴ぶべき生き方であると見なすような社会」になっていなければ、言葉の通り国際貢献する生き方のできる国にはなれないように思います。残念ながらこの日本に存在するのは,「少しでも効率良く、少しでも多く金儲けのできる人が有用な人材である」とみなすような社会であって、そのような人材をより効率良く選別し、育てる教育システムではないでしょうか。国際貢献といわれた時に、何をやったらいいか、どうやったらいいか、すんなりと頭に浮かんでこないで、結局声の大きな人々が言うことを受け入れていくというのは、やはり現在の日本の社会、教育の在り方に問題力盲あるからではないでしょうか。②九州地方で昨年の台風19号で倒れたままになっている木を除去するために陸上自衛隊西部方面隊が動員されています。昨年の台風19号による九州地方の山林の被害は甚大で(被害総額3900億円)、倒された木を早急に撤去しなければ、(山々の保水力が低下しているので)今後更に大きな被害が予想されること、一方、林業従事者は既に大幅に減少し、高齢化しており今のままの人員では倒木を撤去し、元のように木を植えていくのに30年はかかるといわれていた中で、梅雨時を前にして、九州四県の知事が自衛隊に出動を要請したものです。風倒木撤去にあたる隊員は後方支援部隊を含め1万1千人、長崎・雲仙に派遣されている200人を合わせると、西部方面隊(2万4千人)の約半数に上り、5月中に予定されていた演習や訓練は全て延期されたということです。
こういう報道を見て、妻は「そうだ自衛隊はこういうことだけをやってればいいんだ」などと言いますが、私は素直にうなずけません。
自衛隊がこの様な、災害援助や、復旧作業のみを行うようになった時、当然その時には自衛隊という名杯も変わっていると思いますすが、最低限その活動に必要な人員を集めることができるだろうか、不安です。林業労働を行う人々が減っているのは、やはりその仕事がきつく、収入もあまりよくないというのが大きな原因ではないでしょうか。こういったきつい仕事、災害捜助や、復旧作業を専門とするところに若者が集まっていくでしょうか、不安です。もちろん、このような仕事に生きがいを見出だす若者もいてくれるだろうと期待しますが‥・。ここでも社会のあり方、教育のあり方が顔を出します。
楽じゃない災害復旧に駆り出され、今度は(自衛隊に入隊した際には考えてもいなかった)海外の戦場にまでPKOで駆り出され、危険に晒される。そうなれば自衛隊を辞める人が増えたり、入隊希望者が減少するかもしれません。けどそれを単純に、「自衛隊の縮小につながってよい」と考えてよいのか、複雑な気持ちです。
③津田塾大学のダグラス・ラミス教授が「日本という国は47年間も、国家の意思に基づく戦争で人殺しをしていない、これはとっても大事なことだ」と主張されています。そう言われてみれば、周囲には(70才前後以上の人々を別にすれば)、戦争に行って人を殺してきたとか、戦争に行って傷付いてきたという人はまずいませんし、そんなことを考えてもみませんでした。これはとてもラッキーなことで、こういう日本のラッキーな状態を、世界中の人々に体験してもらうようにすることこそが国際貢献だと思います。
ところで、「自衛隊をPKOに行かせて国際貢献させよう」などと考えている人は、自衛隊員がそのことによって、人を殺し、あるいは逆に負傷、死亡する危険もあるということを理解しながら言っているのでしょうか。防衛大学や防衛医科大学はともかく、一般的大多数の自衛隊員は世の偏差値至上主義教育においては、決して「エリートコース」を歩んでいるとはいえない人々だと思います。ここでもやはり社会のあり方、教育のあり方が顔を出します。「自分さえ良ければ、他人様はどうなっても知らない、ましてや自分より偏差値の低かった人間のことなど・・」とばかりに、実際に自衛隊員がPKOに派遣された時のことに想像力を発揮できないとしたら残念なことです。

Ⅲ 以上のように、全国協議会の場でとりとめもなく発言しておりましたら、「暗いな~」と言われてしまいました。確かに暗いと思います。
ダグラス・ラミスさんは(湾岸戦争の時)「アメリカでは万とか10万単位が集まっても、政府は戦争する。日本で数百人しか集まらなくても派兵を止められる。日本の平和運動 は、・‥一番最後の大事なところで、人を殺すことを止めているというところで成功している。」と、日本の「全体社会の(戦争しないのが当たり前になっているという)平和常識」を高く評価されています(毎日新聞、週間エコノミスト6月16日号インタビュー)。
こんなふうに日本の平和運動を持ち上げられても、私はやっぱり暗いです。47年間まがりなりにも守ってきた国のあり方が大きく変えられようとしている、しかも憲法の内容が、憲法の下位にあたる一本の法律によって、変えられようとしているわけです、全く整然・粛々と!。来るべき参議院選挙では、PKO法案に対する世論の反撃を受けて、自民党は(限りなく願望を込めて)大敗してほしいナァ~。今日(6月11日)衆議院PKO特別委員会で法案が可決されました。本日のニュースステーション電話アンケート調査では(細川・日本新党がらみのアンケートですが)、自民党支持率は10日ほど前より2ポイント上昇しました………ア~なんだこりゃ。
(悩める私にあなたのカンフル剤=ご意見を  W.K.)

【出典】 青年の旗 No.176 1992年6月15日

カテゴリー: 平和, 政治 | 【投稿】P K O法案に思う はコメントを受け付けていません

【コラム】ひとりごと –本音と建前–

【コラム】ひとりごと –本音と建前–

 建前と本音といいます。「暮らしの手帳」の編集長であった花森安治氏は生前、若い編集局員達に対して「諸君、建前を大切にしたまえ」とよく言われていたそうです。雑誌「一銭五厘の旗」で読売文学賞を受賞された花森氏が生きておられたら、憲法、自衛隊を巡るこの頃の諸政党、労働組合などの言動にどのように言われるでしょうか▼我々凡人が建前を下ろす時、それを正当化するかのように、よく口から出る言葉が「しょうがない」です。思えば私も、この都合のよい言葉に何度救われたことか▼5月いっぱいで休刊(廃刊)となる朝日ジャーナルに、「東京発」と題して、日本に滞在する外国人ジャーナリストが書いた原稿を翻訳したものが掲載されています。今年に入ってから掲載された原稿ですが、米国人の女性の方が、日本から世界に広まりつつあり、人類を滅ほす恐るべきものとして、日本人のこの「しょうがない」を取り上げ、批判されていました▼彼女は納得のいかないことも「しょうがない」の一言で受け入れてしまう日本人のこの行動・思考を、ユーlモアたっぷりに厳しく指摘されていました▼なるべく I「しょうがない」という言葉を使わないで生きていきたいと思います。(W.K.)

  【出典】 青年の旗 No.175 1992年5月15日  

カテゴリー: 雑感 | 【コラム】ひとりごと –本音と建前– はコメントを受け付けていません

【本の紹介】 「アリラン峠をこえて『在日』から国際化を問う」

【本の紹介】 「アリラン峠をこえて『在日』から国際化を問う」
           辛基秀(シン・ギス)著、解放出版社、92.3.1 1600円

日本の民主運動 労働運動への鋭い問いかけ
この本の鋭い問いかけの対象は、過去をも含めた、現在の日本の反戦平和、民主、労働運動の内実に対するものである。著者の視点は明確である。「朝鮮人と日本人の連帯がうまくいかなかったのは、日本の革命運動側の民族問題に対する正しい理解がなく、この間題をなおざりにしてきたからであり、民族問題を階級闘争に解消したままで民族差別が克服できる訳がない」という、日本の、というよりも日本人の運動そのものがかかえている弱点の克服と、共闘・連帯への率直な問題提起である。
「在日朝鮮人の歴史は、とかく暗い受難の側面が多く語られ、日本人側の善意の購罪意識とあいまってマイナスの陰画として写しだされるため、在日の若い世代も一世に対して否定的に考えがちである。」「私が六年の歳月をかけた在日韓国人のたたかいの記録『解放の日まで』をつくったのもマイナスのイメージを訂正するためであった。」-一辛基秀さんがこの記録映画で明らかにしてきた「在日朝鮮人が日本の各地のダム、鉄道などの工事現場で民族差別に抗し、人間解放、民族独立のため青春を奏でたたたかい」「在日朝鮮人と日本人労働者、知識人がさまざまな局面で織りなしてきた共同のたたかいの様々の歴史」はあまりにも知られていないし、無視されてきたといえよう。当然、「日本の労働運動史、反戦運動の歴史でも、在日朝鮮人の役割に言及した書はごく稀である。」そしてわれわれ自身の意識もそのような状況から抜け出すことが出来なかったのではないだろうか。

<人間的な連帯をいかにして築くのか>
現在とは比較にならない厳しい圧制の時代の中にあって、中野重冶が親しい朝鮮の友人の強制送還に際して発表したあの感動的な詩「雨の降る品川駅」、それにたいして、朝鮮側の応答歌、詩人・林和(イム・フア)の「雨傘さす横浜埠頭」が直ちに発表された(1929.9)当時から、そして水平社と衡平社の交流と連帯が活発に行われた時代から、日本の運動はどれほど前進しているのであろうか。時代や条件が大きく変わり、前進してきたとはいえ、その根底のところにおいては疑問符が絶えないといえよう。辛基秀さんは「あとがき」の冒頭で「民族差別の政策により生じた在日韓国・朝鮮人と日本人との間に刻んだ深い溝を埋め、人間的な連帯をいかにして築くのか」ということが永年のテーマであると強調されている。それは日本のさまざまな運動の共通のテーマでもなければならない。        (生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.175 1992年5月15日

カテゴリー: 書評, 歴史, 生駒 敬 | 【本の紹介】 「アリラン峠をこえて『在日』から国際化を問う」 はコメントを受け付けていません

【投稿】長良川河口堰反対 4/11東京デモ報告

【投稿】長良川河口堰反対 4/11東京デモ報告

青年の旗読者の皆さんにはおなじみの長良川河口堰反対運動。いよいよ本当の正念場であります。6月にブラジルで開催される「国連・環境と開発サミット」(地球サミット)や4月の世界賢人会議などに焦点を絞って年明けから全国で反対運動が強められてきました。河口堰建設現場では既に13本の内8本のピア(堰柱)が完成しようとしており、今年度予算250億円が執行されると、河口堰の全体が完成するわけです。
4月11日のデモはこうした中で、昨年10月の5000人の東京デモに続いて、敢行されました。東京代々木公園には午前10時から全国の反対する会はじめ自然保護団体が環境フェスティバルを開催し、午後1時から上記の集会が開催されました。主催者発表はなかったのですが、参加した私の読み(?)では、全体で1500名程の皆さんがデモに参加しました。自治労も「環境自治体」作りの立場から組織的に参加。大阪府本部はじめ、地元の岐阜、愛知、三重県本部、東京都本部から五百名以上の組合員がデモに参加していました。
集会では、社会党(はせゆりこ、旭堂小南陵)、共産党(上田幸一郎)、田秀夫参議院議員などが国会報告、野田知祐、近藤正臣、夢枕漠などがトークに参加。自治労本部鈴木政策局長、長良川地元の運動家、全国の自然保護団体がそれぞれ発言し、建設一時中止を訴えました。集会後は、土曜日の午後とあって道行く人も多い中を渋谷・宮下公園デモ行進を行いました。

<既に根拠を失った河口堰建設>
川幅661mの長良川をせき止めて3千万トンの水を貯める必要があるのでしょうか。。建設省は32年前に河口堰建設の計画を立て、23年前に閣議決定されたわけですが、当初は東海地方の工業地帯への都市用水供給の計画でした。しかし、現在そんな水需要は存在していないのです。その後、災害など治水対策が強調されましたが、むしろ河口堰建設による災害の危険が指摘されてきました。最後に残った「塩害」も昨年の参議院環境特別委員会の答弁で実態のない議論であることが証明され、すでに河口堰建設の根拠は全くなくなってしまいました。今は建設省のメンツしか残っていないのです。
むしろ、日本の自然を守ること、全国で釧路川と長良川しか、ダムのない川は残っていないこと。長良川に生息する豊富な魚類を守ることができるのか、に対して建設省は弁解をする立場になっています。建設省は、4月に河口堰に環境に与える影響について追加調査を発表しているが、調査を行ったのは建設省の外郭周体であり、「堰は出釆ても環境への著しい影響は避けられる」という内容だった。この発表に先立ち、3月に財団法人日本自然保護協会は、堰の建設は環境に悪影響との独自調査報告を発表しているが、建設省の調査結果は、この独自調査の問題点に応えるものでなかった。

<運動的には 少し中だるみか?少ない参加者>
確かに建設省の根拠はなくなった。地元の住民アンケートでも反対が大勢になった。マスコミも味方になっている。自然を守れの声に建設省も弁解する立場になった。また、ワシントン京都会議でも主催者のエジンバラ候が長良川問題に言及するなど国際世論も出てきた。地球サミットでも話題になりそう。しかし、である。運動としては少々道に迷った感もある。それは、国会や政治の場でも反対運動の力が増しているなか、反対運動指導部の中に少し「突出」が目だっているのではと考える私である。集会の準備の段階から「世界賢人会議で竹下が河口堰建設一時中止をぶち上げる」だとか、「河口堰が出来ても建設省は、堰を止めることはない」とかの勝利色を匂わせ、あとは動員を増やせばいい、というような空気があった。要するに10月の頃ように運動の具体的な目標が明示されず、「環境問題の長良川」みたいなおごりとも取れる空気を私は感じていた。案の定、集会、フェスティバルも参加した者としては、さびしい状況だったわけだ。(昨年10月は5000人はいたはず、それも雨の集会、デモだけに)集会の1週間前、浦安でシンポジュームが持たれたが、1000人規模の会場に250名ぐらいの参加だったと聞いているほど。
確かに、自然保護運動としてかつてない高まりと広がりを見せた河口堰建設反対運動だが、今後どう発展させるかについて、反対する会での真剣な議論が必要であろう。
この運動を契機に全国の自然保護運動のネットワークは生まれつつあるが、さらに各地方毎の連携や地域での環境グループの結びつきの問題など課題は多い。
また、我が組合である自治労も「環境自治体」創りを打ちだしたが、単に行政政策のレベルでの対案形成だけでなく、基本的に組合員一人ひとりの生活からの環境運動をどう創るのか大切だと思う。流行だからと環境問題を取り上げるというのでは、ダメである。環境問題は生活の根底からの発想の転換が基本だからである。(大阪 H)

【出典】 青年の旗 No.175 1992年5月15日

カテゴリー: 環境, 社会運動 | 【投稿】長良川河口堰反対 4/11東京デモ報告 はコメントを受け付けていません

【問題提起】92春闘総括を巡って

【問題提起】92春闘総括を巡って

92春闘は事前に予想された通り、賃上げ課題での低額妥結、労働時間短縮での一定の前進という結果に終わった。
春闘以前から景気の後退が明らかになり、連合も当初の8%賃上げから「実質賃金の維持」の防衛戦に転じたものの、主要単産の多くが4%台の賃上げにとどまったため、それさえも経営側に突破されてしまった。
こうした状況の中、私鉄総連や全電通、さらにはJR総連の一部がストライキに突入したものの、実質的な賃上げ効果を獲得するには至らなかった。
もっとも、ストに突入した上記の各単産には、それぞれの内部事情が存在し、純然たる経済ストではなかったものの「回答が不満ならストライキ」の戦術が連合時代でも存続していることを示したものといえる。
一方労働時間短縮については、電機労連を中心に「休日、年休の増加が図られた。しかし、大枠の「1800時間」については、達成時期の先送りが目立ち、政府の92年度はおろか、連合の主張する93年度も極めて困難となってきた。
また、各企業が大量の在庫を抱え込んでいる中での春闘であることから、経営主導の時間短縮=生産調整のイメージもぬぐえない、との見方もある。
とはいっても、獲得された成果は100%行使し、今後どんなことがあっても削られないようにすることが肝要である。
92春闘がこのような結果になったのは、日本的労使関係の必然的帰結であるが、こうした関係の見直しについては、今春関前から学者、関係者の一部で積極的に問題提起をされてきたところである。
それらの論調を意識し、連合も例年以上に経営側との対決姿勢を打ちだしたや官、新たな春闘を模索するまでには至らなかった。
連合自身が、不十分と認めざるを得なかった、賃上げ結果に対する組合員の不満が存在している春闘直後は、総括をめぐって各組合での論議も沸騰する可能性がある。
本来そうした時期にこそ、根本的なところまで突っ込んだ論議を行い、次の闘争につなげていかねばならないのであるが、「総合的判断」をもって肯定的総括をいたずらに先行させ、根本的論議自体を冷え込ませてしまう傾向が一部に見られたのは、残念なことといわざるを得ない。
また現実問題としてすでに連合の政治方針を最重要課題として討議中であるため、春闘を巡っての論議は中断している。それでも春闘ヤマ場直後の主要単産幹部の問題意識をみると「横並び要求基準」や「産業別統一一闘争体制」の抱える問題点から労働組合運動の未来まで幅広いものがある。
今後参議院選挙後の新たな政治情勢の中で迎える各単産大会での、トータルな論議の再開に期待したい。(大阪 0)

【出典】 青年の旗 No.175 1992年5月15日

カテゴリー: 労働 | 【問題提起】92春闘総括を巡って はコメントを受け付けていません

【投稿】育児休業法について考える

【投稿】育児休業法について考える

昨年5月に民間企業を対象とした育児休業法が成立した。国家公務員及び地方公務員についても、同年12月、従来女子教職員、看護婦、保母等の特定職種に限られていた育児休業法(旧育児休業法)を公務員全体に認める公務員育児休業法が制定された。これで形式的には全労働者を対象とした育児休業制度が整備されたわけだが、果たしてその内容はいかなるものであろうか。
政府自民党は、育児休業制度の創設には極めて消極的であった。初めて法律の中に育児休業制度が登場するのは1972年に制定された勤労婦人福祉法である。この法律は産業構造の転換–第三次産業化–を迎えた日本資本主義が、女性を大量に市場に引きずり出すために制定された。この法律では、育児休業の位置づけは「事業主による便宜の供与」であり、あくまでも使用者の恩恵であった。
その後日教組による法制定運動が高まる中で、1975年に旧育児休業法が制定された。しかし、「職務の特殊性等にかんがみ、継続的な勤務を促進する」との立法目的が示すとおり、これも女性の働き続ける権利の保障という思想に基づくものではなかった。従って、不利益取扱の禁止を規定しながら無給であり、教職員と同じ職場で働いているのもかかわらず事務職員を通用からはずすなど、労働者間の格差を公然と認める内容となっていた。1985年に女子差別撤廃条約の批准にともない男女雇用機会均等法が成立したときも、育児休業は「事業主の便宜の供与」との位置づけは変わらなかった。
このような経過を辿りながらも、社会党を中心に育児休業法の提出が粘り強く続けられ、1987年以降は、社会・公明・民社・社民連の4野党が、法案提出を続けていた。ところが、1991年の通常国会に急拠内閣法案が提出された。もっとも政府自民党は当初から無給、罰則なし、中小零細企業には時間的猶予措置を設けることを原則としていた。従って、所得保障、法律の実効性の確保、不利益取扱の禁止等を求める野党の見解との間には大きな開きがあった。野党側の修正要求にもかかわらず、最終的には自民党案を基本にした内容に落ち着いた。それは、育児休業(育児休暇ではなく)という言葉が全てを物語っているとおり、子どもが1歳になるまで労働力の提供義務及び事業主の労務受領義務(賃金支払い義務)を消滅させるというに過ぎない。結局、労働者及び子の権利として社会的に保障されるべき休暇権とは程遠いものとなった。
まず、日々雇用される者と期間を定めて雇用される者は育児休業の対象者から除かれる。育児休業法は全労働者を対象としたものではなかったのである。また、常時30人以下の事業所では、3年間法の通用が猶予された。これで育休の有資格者と無資格者とが分断されてしまう。
次に、休業を理由とする解雇の禁止以外に不利益禁止条項がないため、賃金、昇進・昇給、退職金計算等マイナス影響を受けることが予想される。これは、原則無給であることと相まって、新たな賃金格差を生み出す。そして、育休を取得したくてもできない労働者を生み出すことになる。しかも、男女いずれも取得可能といっても、大方の夫婦の場合夫の方が給料が多いのが現実であるから、男性労働者が育児休業を取得することは事実上不可能である。
加えて、諸外国に例のない事業主の育休開始予定日指定権なるものが置かれ、時間管理に関する資本の執念を見る思いがする。この他、全体を通じて罰則がないため、法の実効性についても不安が残る。
このように今回の育児休業法は、長年労働者が求めてきた育児休業制度からは大きく後退するものとなった。資本にとっては、労働力を継続して確保できるうえ、賃金を切り下げることができるのであるから、一石二鳥である。
しかし、今回も土壇場で自民党の主導を許してしまう結果となったものの、これまでの民間企業を対象とした育児休業法の成立に消極的であった政府自民党がなぜ突然制定に意欲的になったのであろうか。ここに、1990年11月6日付けで自民党労働部会育児休業問題等検討小委員会が作成した「育児休業制度の確立等を行うための法的整備について」と題する文章がある。この前文には「近年において出生率の低下傾向がみられ、21世紀には我が国が超高齢化社会になると予測される状況の中では、女性の活力を社会に生かすともに、次代を担う者の健全な育成を図ることが、活力ある社会を築くために不可欠である。」とある。すなわち、労働力不足(現在及び将来の)現状に危機感を抱いた政府自民党は、女子労働力を確保しつつ、出生率の維持・増加を図る手段として育児休業制度に力を入れざるを得なくなったのである。すでに、今年度予算案で「仕事と家庭生活の両立を図るための就業援助対策の推進」に関する予算を前年度の20億6200万円から58億6800万円へと3倍近く増やし、その大半を育児休業制度に関する対策の推進にあてることが発表されている。(1992・3・2 日経新聞夕刊)。また、厚生省通達を見直し、育休中も上の子が保育所に継続して通えるようにすること、年度途中の保育所入所を定員の15%超過まで認め、育休明けの子の入所を促進することの二点が改善された(1992・3・5 毎日新聞朝刊)。これらの事実からも、政府の意気込みが伺われる。 従来、女性解放運動を推進する立場からは、女性が解放されるためには、家事の社会化(家事労働からの解放)がひとつの重要な柱であるとされていた。これは、女性労働者の職業と家庭の両立及び職場における男女の均等待遇を阻む原因は、資本主義的生産様式のもとで家事労働が私的労役として位置づけられていることであるとの認識に基づいていた。それでは、資本主義経済のもとでは家事(育児を含む)の社会化は実現しないのであろうか。そうではない。すでに見たように、自民党ですら女子労働力を活用するために不十分ながら育体制度の導入に踏み出したのである。1991年版の「婦人労働の実情」(いわいる婦人労働白書)には、明確に仕事と家庭の両立の促進というタイトルが現れた。家庭責任を担う女性の負担の軽減は今や資本のスローガンである。
資本主義経済と家事の社会化が決して矛盾するものでないことは、男女労働者の平等を社会政策として強力に推進しているECが如実に示している。イギリス、アイルランド、オランダを除き何らかの親休暇(育児休暇)の制度が存在し、スウェーデン、フランス、イタリア、ドイツ、デンマーク、ベルギーでは有給である。給付金は国もしくは事業主が負担している。現在作成中の親休暇及び家族休暇に関するEC指令案は、「親休暇とは、親休暇の期間 子の実際の世話をする責任を引き受けるという条件で、(略)出産休暇の後、一定期間賃金労働者(公的部門に勤務する職員を含む)に権利として付与される休暇をいう。」「親休暇の期間中労働者は、親休暇手当てを受給することができる。この手当は社会保障制度を含む公的基金から支払われるべきである。」としている。資本主義経済のもとでも、女子労働力への依存度が高まれば、家事の社会化は必然的に進むのである。我が国でも育休制度がEC並に整備されるのは時間の問題ではないだろうか。
資本主義的生産様式は、労働力の再生産としての家事労働の領域をも例外なく市場にまきこみ、まず電化製品の普及により家事労働を軽減していった。その後、資本主義の進展に伴い家族単位での労働力の再生産機能が低下するに伴い、家事労働自身の商品化(サービス産業化)という現象も起こっていく。さらに女性の賃労働者化は家族単位の再生産機能を決定的に破壊する。そのため、経済効率が悪く商品化しにくいがしかし労働力の再生産そのものである育児の部門は、保育所のような公的サービスに依存せざるを得なくなった。これらの家事労働の外部化の現象を家事の社会化と呼ぶかどうかはともかく、家事労働の軽減は資本主義自体の要請でもあったのである。育児休業は家事労働の外部化とは矛盾するようにも見えるが、家族の労働力再生産機能を維持しつつ労働力の確保を図る手段という意味では、再生産機能への介入であることはまちがいない。
それでは、女性が望むと望まないとにかかわらず資本主義の必然として家事の社会化が進展していくならば、私たちの課題は何なのか。家事労働に賃金をというスローガンによって、家事労働までが再生産労働として資本の搾取のもとに置かれている(しかも無償労働として)ことを暴露せよとの主張もある。しかし、もしかすると必要とあらば、家事労働すら有償化されるかもしれない。すでにECには、両親の就労状況にかかわらず育児手当の支給がなされている国もある。高齢者や病人に対する手厚い社会福祉制度も、実は労働力の効率的な活用を図るためということもできる。
結局資本主義経済のもとでは、あらゆる制度が労働力の再生産の要求と分かちがたく結びついている。それは、私たちが、肉体的にも精神的にも丸ごと資本に従属させられていることを意味しているのではないか。そうであるなら私たちは、資本のくびきから自由になるための活動を続けざるを得ない。搾取のない社会がどのような世界なのか、どのような価値観に基づくものなのかは今は明らかにできないとしても。しかし、おそらくそのような社会では、女性が育児に従事することを押しつけであるとか、不利益であるとか、差別であるというふうに認識することはないであろう。      (永嶋 92-4)

【出典】 青年の旗 No.175 1992年5月15日

カテゴリー: 人権, 医療・福祉 | 【投稿】育児休業法について考える はコメントを受け付けていません

『詩』エリツィン船長に告ぐ  

『詩』 エリツィン船長に告ぐ     
           —–IMF加盟決まる—–

大木 透

酔いどれ船長よ
目が覚めたか
君は
半年も酔いつぶれていた
ペンを握りしめ
あたりかまわず
指令書にサインしていた

気球に乗った
G7のお偉方は
もう潮時と
甘い香水を
大地に徹り散いた

老人のすする
腐ったボルシチに
香水の一滴が落ちる
おおエリツィン様と
十字を切る

目覚めた君は
豚のように
髪を整え
クジャクの羽根を
振りまわす

君は今
杯をかかげ
仁王立ちしている
乾杯の音頭をとるのは
誰だ
     (一九九二・四・二五)

【出典】 青年の旗 No.175 1992年5月15日

 

カテゴリー: | 『詩』エリツィン船長に告ぐ   はコメントを受け付けていません

【コラム】ひとりごと –アースデイに思うこと–

【コラム】ひとりごと –アースデイに思うこと–

今年も「アースデー(地球の日、4月22日)」がやってくる。かけがえのない地球のために、私たち一人一人が国籍や民族などの違いを超えて、それぞれの地域でできることから始めようという草根的な地球市民運動に参加、行動する日である。環境の汚染、破壊が国境を超える前の1970年、米国の法律家で、環境保護運動の指導者であるデニス・ヘイズ米スタンフォード大学客員教授の呼びかけにこたえて、全米で約2千万人の市民が立ち上がったのが、その発端である。 又、6月にはブラジルで国連環境開発会議(地球サミット)が、国連史上初めて開かれる。地球環境の保全あるいは環境に優しい社会経済構造を具体的に実現するための制度的、資金的、組織的なルールを敷く歴史的出発点になるであろう。
地球環境の汚染、破壊はいまや、複雑、多岐にわたっている。しかし、地球環境問題に共通している最大の悩みは、人類の営みが地球をむしばんできた点にある。人の営みが天与の自然浄化作用の限界を超えて、地球に過剰な負荷を与え、自然の生態系を乱しているためである。 その元凶は、資源、エネルギーを大量に開発、生産、流通、消費することを可能にした近代科学技術とその所産である物質文明そのものにある。このため、問題の解決をなおさら難しくしているといえよう。その発端は18世紀中葉の産業革命で、まだ200年余の経験である。 宇宙の片隅に地球が誕生してから、46億年。その地球上で人間が文化、文明を持ち始めてから、1万年の歳月が流れているに過ぎない。宇宙の悠久な時空の中で考えると、人間の人間らし  い歩みは一瞬の出来事で、何と短い歴史であろうか。しかし、人間はその一一瞬の営みの中で46億歳の地球をむしばみ続けていることを忘れてはならない。
「地球の誕生日」でもあるアースデーを向かえるに当たって、個人はライフスタイルを、企業は経営スタイルを、自治体や回は行政スタイルを、それぞれに環境保安優先型へ組み直し、再構築していくことが問われている。
(名古屋Y)

【出典】 青年の旗 No.174 1992年4月15日

カテゴリー: 環境 | 【コラム】ひとりごと –アースデイに思うこと– はコメントを受け付けていません

【投稿】高校改革をめぐって (その2)<続>

【投稿】高校改革をめぐって (その2)<続>
      (大阪教員交流会ニュースNO.37 1992-01-20より)〈前号からつづく)

2.集団作りと学力保障・・・高校での集団作りの特殊性
A:交流会ニュースの前号の最後に集団作りのあり梯の再検討が必要とあったが。自分も 村的な共同体意識に基づく集団作りはできても、その場合には学力がつかないと思う。
T:その場合は生徒の中に、一方でここは他の高校と違うというプラス面と、他方で中学と同じことをやっているというマイナス面という、二側面の評価が出てくる。学力の段階に生徒の自主性が照応しているという現実のもとで、総合高校を目指すには集団作りの内容をどうしていくか。手厚く面倒を見るという義務制の絹神に学びつつ(原則)、中学生とは違った高校生の段階に応じた面倒の見方(方法)を整理することが必要なのである。集団作りのレベルを高度化しなければならない。高枚生では自主性を持つように指導するということが必要でいかに自主性を引き出すかということが教師の役割である。
A:教師の中には子どものニーズに応えると言うのはパチンコ講座や競馬講座を開くということであって、興味・関心というものの無い子どもがほとんどだとという者もいる。
T:進学校では生徒の自主性の名のもとに指導放棄している。そして授業の不十分を生徒の質で補っているのである。生徒のニ一ズというのは小中の過程で受験と
いう枠に限定されてきているので、幻想ででも進学に希望をもっているものは授業に関心はある。しかし、小中の過程でその希望を捨てさせられてきた者は、学問に対する興味・関心の芽を引き出すレディネス・助走が必要である。様々な肥料を撒く必要がある。
A:生徒にやる気が無いという教師に生徒に何を教えたいか、何が教えられるか、と開いても、答えを持ち合わせていない教師が多い。これまで人権教育と考えてきた教育が教師の資質をこのようにしてしまったのではないかと、考えてしまう。
T:教師は文糸・埋系という従前の枠でやっている。教科教師集団つくりをコース制とリンクして推進すべき。コース制では、コンピューターを導入している数学科、LLの英語科で教科教師集団つくりが一番進んでいる。
子どものニーズがどこにあるかを議論する中で生徒の把握と、教科の内容の創造に結び付けるのである。
B:組合の議論でも困難校ほど子どもに「興味・関心」はない、といっている。
T: 一方の生指で子ども理解といいながら、他方の教科では生徒蔑視になっている。教師が学力エリートだからである。
A:必修を少なく選択を多く、教師一人が一講座を担当するというスタイルを推進中。
T:レディネス・助走のカリキュラムを早くつくって府教委と交渉すべき。でないと、中でのサボリと、周辺での府教委の「多様化」スタイルの高校に包囲されて、“全ての”子どもを尊重した学校改革とそれに対する財政的裏付けを引き出す闘いは困難になる。
A:転任の生かし方を考えねばならない。強制人事でそのことに迫られている。
T:「最後まで子どもを切らないでほしい。後は見せてほしい。」といっておけばよい。プライドのある人はやろうとする。一生懸命しようとする人は子供理解もはやい。教師を生かすうえでは、こちらの尊大さは駄目。教師集団においてもそれぞれの存在を認め合わねばならない。進学校でも受験の学力に批判的な人もいるのである。子供を生かすためには教師を生かすことである。コースでは教科にまたがる内容を創造することである子供を中心にひとつのテーマに取り組むことで教師間の相互理解を進めることである。
A:勤務実態の困難さをいかに緩和するのかということも大きな問題になる。全員担任削や複数担任制の見直しやある程度分担制を導入して余裕をつくることも必要である。今後は授業を通じて生徒指導をすることが必要である。
T:その上では授業の内容の深化が不可欠。生活指導において体を張ってやってきた推進派の教師の一番つらいところでもある。しかし、無駄・遊びが無いと教えることに幅がでない。それをやろうとしてきた教師を「逃げ」と捉えてきたのである。国語の教師は文章を書かなくなったら終わりであるし、社会の教師はいろいろな雑学を知ってないと授業はおもしろくない。
授業をおもしろくするという必要性を強調するために授業で生徒を指導するというのは当たっている。しかし、授業のみに仕事が限定されていない今の日本の教育システムでは生活指導と教科指導を割り切ることはできない。かつての東ドイツに視察にいった報告では学校(教科指導)と地域(生活指導)で分担されているということで、その当時は非常に驚いたものである、日本の現状では、確かにおもしろい授業で引き付けるという面とともに、本当にしんどい子の生活面での支えを捨てることはできないのである。(おわり)

【出典】 青年の旗 No.174 1992年4月15日

カテゴリー: 労働, 教育 | 【投稿】高校改革をめぐって (その2)<続> はコメントを受け付けていません

【投稿】ロシアレポート PARTⅢ

【投稿】ロシアレポート PARTⅢ
        <宗教のモード化 ペテルフルクから>
                大木 のり(在ペテルブルグ)

“プロコンテクス”(?)が過去3度にわたり、ペテルブルグ市民の宗教意識に関する世論調査を行った。調査は、宗教番組の開設に関するアンケートをもとに90年12月、91年5月、11月に実施された。

Q/あなたは宗教に関心がありますか?

A/     90/12   91/5   91/11
YES     73.9   69.7    60.2
NEUTRAL   22.7   25.2   33.1
NO      2.9    5.2    6.6

この数字は、近年の宗教への関心の急激な高まりを世論が全般的に高く評価している。

世論における<民族の復活>と<精神的浄化>への期待とに関係しているのであろう。
しかし、すべての人間が宗教の復活を軽はずみに歓迎しているわけではない。インテリ層の一部の人間はこの現象に疑いをもっている。91年11月の調査では、彼らのうちのわずか半数(53%)あまりが宗教性の高まりを肯定しているにすぎない。おかしなことだが、年金生活者もまた同様である。しかし一般の労働者(ブルー・カラー)は積極的に支持している。
つまり、インテリ層は高い教養と広い視野を身につけており、物事を分析することに慣れてしまった結果、宗教性の高まりをモードととらえ危惧している。彼らは、現在高まりつつある宗教への関心は表面的なものと見なしている。年金生活者・…彼らは無神論者を育てた時代の子供たちである。労働者……彼らは残念ながら、これまで常にさまざまな紋切り型のプロパガンダに簡単に左右され、現在もまた、宗教的な価値観に傾こうとしている。また、彼らの多くは昨日まで農村で育ち、都会人よりも厚い信仰JL、を持ち続けてきた。
都会人の多くは、宗教的モラルに基づいた情操教育を好意をもって受け入れている。これは90年12月の調査での質問である。“子供の教育に宗教は必要か?”–回答者の60.6%が必要と考えている。
だが、最近、宗教への関心が減少の傾向にあることに我々は注目している。この現象は、宗教に対して中立な態度の市民が増えたことと関係している。
おそらく、無神論の社会がもとのさやに治まると言うにはまだ時期尚早である。我々の見解では、宗教への関心は安定の傾向にある。“禁断の実’’から、モードから宗教は徐々に我々の生活の一部となり、人々の頭と心の中に浸透しようとしている。したがって宗教意識の減少の傾向は当然のことと言える。

Q/通常のテレビ放送において宗教番組は必要か?

A/    90/12   91/5   91/11
YES    76.1   76.0    58.2
NEUTRAL  18.4   17.9   26.2
NO     5.3    6.2   15.0

独自の宗教番組開設のアイデアは全般的に受け人れられている。いち早く、チャンネル<ロシアビデオ>の宗教番組は高い評価を受けた。91年5月の調査では、視聴者の64.5%がこれらの番組を支持した。しかし、11月の調査では、支持率に動きはなくなっている。おそらくこの原因は、他のチャンネルで流されている宗教番組があまりにお説教的なことにある。これらの番組は現実的なインフォメーションを志向する視聴者の欲求をまったく考慮にいれていない。このため視聴者の関心が低下していると言える。
我々のアンケートは、今日、人々は心的なテーマによる座談会や宗教儀式のテレビ中継よりも、むしろ生活に役立つ情報を求めていることを明らかにしている。例えば、宗教的な祝祭日や彼らに関係の深い慣習、あるいは聖人伝などについて関心を示している。また、哲学や宗教の歴史、美術や建築における宗教的な主題が大きな関心の的ともなっている。

Q/大人のための宗教番組は必要か?
A/    90/12   91/5   91/11
YES    69.1   75.5   63.9
NEUTRAL 20.8    15.7   25.3
NO    9.1    8.7    10.6
(11月の調査で“YES”と答えた回答者のうちわけは、インテリ層-48%、年金生活者、および労働者-58%、技術者-67%、学生-69%)

91年11月の調査結果は、番組の合目的性に疑問をもつ視聴者の数が増えたことを明らかにした。ここでは、現実的な欲求と視聴者の関心を考慮にいれなくては、最終的な目的を果たさない。

Q/子供のための宗教番組は必要か?
A/    90/12   91/5   91/11
YES    69.1   75.5   63.9
NEUTRAL  20.8   15.7   25.3
NO    9.1    8.7   10.6

91年11月の調査において、子供向けの宗教番組の必要性に疑問をもつ数が10%に増えた。しかし、それでも依然として番組の必要性は高い。都会人の3分の2が番組の開設に賛成している。(そのうちわけは、インテリ層--56%、年金生活者--58%、労働者--64%、技術者--72%、学生--74%)

【出典】 青年の旗 No.174 1992年4月15日

カテゴリー: ソ連崩壊 | 【投稿】ロシアレポート PARTⅢ はコメントを受け付けていません

【経済展望】岐路に立つ日本経済

【経済展望】岐路に立つ日本経済

<市場に無視された緊急経済対策>
3月31日、政府は深まる不況の進行を食い止めるために、緊急経済対策を決定し、公共事業の75%上期前倒しをはじめ電力など公共事業の設備投資増額、住宅、省力化投資の促進など7項目の景気テコ入れ対策を発表した。宮沢首相は「効果は5兆円」にのぼると胸をはった。
これを受けて、自民党から「総裁の首を切ってでも利下げを」と圧力をかけられていた日銀も翌4月1日、公定歩合を当初予想の0.5%を上回って、0.75%引下げた。首相は取引所及び証券業界幹部と会談し、低迷する株式市場の活性化に期待をかけた。
しかし政府、日銀の期待に反し、当日の日経平均株価は764円の大幅下落となり、失望をもって迎えられた。さらに4月3日には18000円の大台を割込むに至った(17898円)。発表後3日間で株価は1383円28銭もの値下がりを記録、加えて円安、債券安のトリプル安となった0利下げしても、緊急経済対策を打ち出し、首相が働きかけても、むしろ株下落に拍車がかかり、その景気浮揚効果は無視されたのである。

<金融システムの崩壊?>
株価は、86年末の19000円から、89年12月に日経平均が38000円台にまで上昇し、株式投資は土地投機とともに我が世の春を謳歌していたのであるが、現象的にはバブル経済の崩壊と軌を一にして崩れ始め、底値は2万円、景気の実態からすればこれから反転上昇するとの専門家のご託宣や期待もむなしく、今年3月には2万円を割込み、4月にはピーク時の半値以下にまで下落してきたのである。
「これ以上の株価の下げは、日本の金融システムの崩壊にもつながりかねない」と声高に叫ばれ始めている。
しかしバブル時代、暴騰させた不動産を担保に貸しまくったのは銀行やノンバンクであり、証券会社は企業に対してタダ同然の低コストで大量の資金を調達し、企業はそれらの資金を設備投資に拘さず、特金、ファントラ等財テクや不動産に投じ、金融・証券会社自身も不正取引と株価操作で不透明な価格形成を行ない、よってたかって投機熱をあおり、バブルを膨張させたのが日本の金融システムなのである。
バブル崩壊によってこれら金融システムが大きな痛手を負い、信用システムそのもののありかたが問われるのは当然のことであろう。

<「生活大国」とは無縁な対策>
不況期には積極的な景気テコ入れ策が取られなければならないことはいうまでもない。それではなぜ市場はいっそう厳しい反応を示したのであろうか。
財政で需要が喚起され、金利負担が軽減されても、当面救われるのはバブル崩壊で不良債券を抱え、その借入金利負担で苦しんでいる企業や金融機関のみであろうという冷めた判断、逆に言えば、金融緩和と積極財政はバブルの再膨張を助長することはあるにせよ、実体経済に対する内需を喚起し、景気を浮揚させる効果は微々たるものにとどまるであろうという判断である。
92年度の公共事業規模は15兆円弱で、このうち上半期の契約額は約11兆3千億で前年度上期を15.7%上回る規模であり、確かにその前倒し効果は無視し得ない。
しかし異常なほど地価の高い首都圏の公共投資をいくら増額しても、7~8割が用地費にとられるようでは社会資本の形成にはそれほど寄与せず、地価暴騰を再燃しかねない。公共投資は、従来のような大企業優先の産業基盤型から、生活基盤型の社会資本形成への明確な転換、地方への大胆な配分こそが緊急の課題となっているにもかかわらず、政府の対策にはそれが欠けているのである。「生活大国」は単なるかけ声だけで、緊急対策も7月の参院選挙をにらんだ政治色優先のものにしかすぎないという判断である。
さらにいえば、所得税減税や住宅投資の本格的な促進策など、GNPの6割近くを占める個人消費に波及効果の大きい政策がまったく抜け落ちていることである。春闘は金属労協大手に対する回答が、昨年を1%近く下回る4.7-4.8%水準に抑え込まれ、なかでも電機は、自動車の担当役員が驚くほどのペア抑制姿勢を示し、時短がペア抑制の材料とされて、実質賃金低下の事態である。

<黄金時代の終了?>
それでは今後の経済の動きはどのようになるのであろうか。最近の景気指標を見てみよう。
まず91年10-12月期GNP速報では2年半ぶりのマイナス成長になり、景気後退が予想以上に深刻なことを裏付けた。鉱工業生産は昨年10月から今年2月まで連続5カ月減少を続けている。2月は前年同月比4.2%減で、75年11月以来最高である。92年度の設備投資計画は前年度に比ベ4.9%減と円高不況期の86年度以来6年ぶりにマイナスになる。
東京電力社長は「産業用電力需要の世界は、あれあれという間にどしゃぶりになった。回復には1年かかる」(4/1日経)と述べている。事実、製造業の所定外労働時間は、前年同月比20%減少、これは75年7月以来、16年7カ月ぶりの大幅な減少で15カ月連続前年同月を下回っている。自動車関連の下請けは30%の受注減、建設・ゼネコン関連では40%前後の受注減となっている。設備投資とならんで大型景気を支えてきた個人消費にも波は及び、耐久消費財は昨年秋以降軒並出荷額が前年水準を下回っている。半導体、家電の販売不振で電機主要16社が軒並大幅減益。鉄鋼大手5社も2桁台の大幅な減益率、等々、深刻な不況への突入を裏付けるデータには事欠かない。
このような事態について米誌タイムは「日本経済のゴールデン・エイジは終った」(3/23)と述べている。

<楽観論 悲観論>
不景気時には成長悲観論、好景気の時には成長楽観論が勢力を伸ばす、つまり景気見通しも「景気循環とともに循環する」という皮肉な観察が紹介されていたが(4/2日経)、マルクス主義者あるいは左派の分析は、資本主義経済はうまく行くはずがないという大前提のもとに、常に成長悲観論、全般的危機激化論に必ず結論が落ち着く傾向が強かったのではないだろうか。これは自らの反省でもある。事態は楽観論をも悲観論をも乗り越えてきたといえよう。今回の不況突入についても悲観論と楽観論が交錯している。
一つは、「雇用面の過剰がはっきりし、個人の生活も防衛的になる。消費は崩れ、戦後最大級の不況になる」(野村総研経済調査部長4/1日経)という主張である。
いま一つは「不況は悪性なものではない。供給側の力が強すぎて、需要がそれに追いつかないだけのことであるから、緊急経済対策による内需拡大によってじきに景気はよくなる」(日本経済研究センター会長4/3日経)というものである。
いずれの主張についても、すでに述べたことを含めて重要な視点が欠落しているといえよう。それは日本経済が重要な転換点にさしかかっていることとも関連している。米ソ冷戦体制と緊張激化、軍拡競争のはざまで、米ソの経済の疲弊を最大限に利用し、いわば漁夫の利をもかせいできた世界的な条件が、ここ数年来で大きく変化し、これまでのようなやり方ではもはや通用しない状況が出現してきているのではないだろうか。技術革新、地域統合、環境問題、旧社会主義圏との交流・支援、貿易摩擦、等々、いずれをとっても転換が求められているにもかかわらず、場当り的な対応しかなし得ない状況が現在の事態をもたらしているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.174 1992年4月15日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬, 経済 | 【経済展望】岐路に立つ日本経済 はコメントを受け付けていません

【投稿】イギリスに於ける労働事情

【投稿】イギリスに於ける労働事情

海外で働く:海外で働く時は、仕事以外でも“仕事”の為にエネルギーを使う。つまり生活するだけで日本に居るときよりも高い緊張状態にいると言う事である。これは、異文化の中で24時間生活しているので避けられない事である。また“安全”の問題など最近よく報道されているようである。また“日本人を狙った”というような報道もあるが、日本人が日本以外で生活した経験が少ないのと、日本製品がその国の経済を圧迫しているなどの問題があるようである。
依然として鎖国の国である日本の中で“外国人労働者問題”はあっても“外国での労働問題”はいまだ課題として上がっていないようである。もはや海外で働く、または、海外に住む日本人は“特殊な人”ではなくなりつつある。(現在は特殊な人である確率は大きい) イギリスでは、“外国人労働者”問題はすでに経験済みであるが、日本に付いてはまだ戸惑いがあるようである。物が先行して入ってきて市場を荒し(オーディオ製品の95%は日本製である)、それを作った日本人は、彼等がまったく理解できないような習慣を持っている。これで問題が起こらないほうが不思議である。日本国内の“外国人”労働者についても同様と考える。まして“鎖国の国目本で”である。
海外で働く事は、その国の全てが、労働環境といえる。もし労働組合が組合員の生活に責任を持つのであれば、その国の歴史や習慣など全てが労働環境であり、全てに対して議論すべきであろう。そして今から“出る方の鎖国”について議論を始めるべきであろう。
(GB.S)
*******************

氏は、外資系企業に勤務し、数度の長期出張の末、ついにイギリスで雇用関係を結んでしまった。今回の一時帰国の際に一文を寄せてもらった(編集局)。

【出典】 青年の旗 No.174 1992年4月15日

カテゴリー: 労働 | 【投稿】イギリスに於ける労働事情 はコメントを受け付けていません

【書評】社会主義とは何であったのか

【書評】社会主義とは何であったのか
          『メシアニズムの終焉–社会主義とは何であったか』
           桜井哲夫 著  筑摩書房 1991年12月初版

題名を見てもわかるように、この本は、この間の世界史的な激動を総括しようという出版物のひとつである。ただ、他の多くの出版物は、政治ルポルタージュであるが、この本は、極めて本格的な「思想史」の研究書であるという点に特徴がある。
著者は、「はじめに」の中で、こう述べる。「問題は、スターリンにのみあるわけではない。そもそも、ロシア革命とは、何だったのかが、問われねばならない。
あるいは、ロシア革命を主導したポリシェヴイズムとは、いかなる思想だったのか。・・・さらには、社会主義の起源たる初期社会主義にまでさかのはって、こうした独裁を生み出した根源を探らねばならない」。
そして、著者は、「マルクス主義の名前のもとに、マルクスの思想とはまったく異質の思想が、世界を支配した歴史を語る試み」を行なう。著者は、この思想体系を、「サン=シモン主義的社会主義」と表現している。
以下、少し詳しく、本書の内容を紹介したい。

サン=シモンは、1760年~1825年に生きたフランスの思想家であるが、著者は、サン=シモン及びサン=シモン主義の核心を、生産力主義と知識ある者による権力の確立=「知の支配」に見る。そして、社会主義思想の系譜の中で、サン=シモン主義は影響を与え続け、ロシアにおけるレーニンの前衛党論の確立によって、サン=シモン主義は、支配的な思想となったとする。また、著者は、ここに至って、社会主義がプロレタリアート信仰のメシアニズムに転じたというのである。
本書の第2章において展開されているレーニンに至るロシアインテリゲンツィアの世界、第3章において展開されている知識人問題と社会主義に関する論争の整理、特にレーニンの『何をなすべきか』と『一歩前進、二歩後退』の分析は、非常に興味深い。著者は次のように指摘している。
(レーニンの、この2つの著作の論理を素直におってゆけば、)「ジャコバン派たるポリシェヴキ(彼らこそ正しいインテリゲンツィアである)こそ、イデオロギー形成はできないが、工場で規律に服することを学んだ労働者を指導し、管理するということになってしまう。これは、まさに、社会的司祭(革命的インテリゲンツィア)が、規律に服する大衆を指導するという、かつての、アンファンタンらのサン=シモン主義的な構図だとも思える」。
次に、本書の第4章で、著者は、ロシア革命が、結局のところ、「新しい階級」を生み出しただけであったということを、マハイスキー、トロッキー、リュシアン・ローラ、リツツイ、バーナム、カストリアデイス、ジラスなどという人々の議論をおって、論じていく。ここで言う「新しい階級」とは何か。それは、官僚集団(ビューロクラシー)のことである。
蛇足だが、後にノーメンクラトウーラと呼ばれることになる特権的知識官僚層による支配の問題を、「スターリン主義」という言葉では済ませられないということに、今日にして、ようやく気づかされたのは、決して私だけではないだろう。以前の私には、この種の指摘は、社会主義を妖悪する勢力の政治的キャンペーンだと、なぜかア・プリオリに思えて、一顧だにしないという反応を示していた。しかし、これは、一種の「思考停止」であったと、今、つくづく思う。
「新しい階級」とは、ジラス(戦後ユーゴスラヴイアでティトーのもとで副大統領をつとめたが、体制批判のかどで逮捕された人物)が、1957年に西側に持ち出して出版した本の題名である(この本から、以下の引用がなされているが、私には非常に興味深かった。少し長くなるが、次に紹介する。
「新しい階級は権力を掌握して、新しい経済秩序を完了したのではなく、独自の経済秩序をはじめて確立したのであり、また、そうすることによって、社会にたいする権力を樹立したのである。過去においては、ある階級、ある階級の一部、あるいはある政党が権力の座につくことは、その形成と発展の最終結果であった。ソ連の場合は、逆もまた真なりである。ソ連では、権力を獲得したのちに、新しい階級が明確に形成されたのであった。
(中略)新しい階級は、いろんな幻想にもかかわらず、工業化をめざす客観的な傾向を代表したのである。その実践上の性向はこの傾向から発している。(中略)トロッキーは、革命前の職業的革命家が将来のスターリン主義官僚の起源だったと指摘した。かれが気づかなかったのは、職業的革命家が所有者と搾取者の新しい階級の始まりだったことである」。
「新しい階級は工業化を達成すると、野蛮な暴力を強化し、民衆を収奪する以外にもはや道はない。新しい階級は、創造することをやめる。その精神的な遺産は暗黒にょってしっかとつかまれる。(中略)新しい階級が歴史の舞台から退場するときには--それは必ず起こるが-かつてのどの階級の退場にあたって涙が注がれたよりも、悲嘆はすくないだろう」。
さて、本書の第5章では、第1次世界大戦後、戦間期の社会主義と知識人の問題を整理している。
著者は、
(1)メシアニズムのもと、「選ばれた人=指導者」による統治を選ぶのか、あるいは、(2)世俗化(宗教の影響力の弱体化)を認識しつつ、合理的な世界設計を担う専門家による支配をえらぶのか、という、知識人たちの2つの道が、両大戦間の社会主義・共産主義運動の行方に大きな影響を与えているというのである。そして、この時期の共産主義運動は、メシアニズムの色彩を強く帯びていたが、そうでない道をとった2人の論者の紹介が、私には、特に興味深かった。
1人は、「マルクス主義を超えて」で有名な、ベルギーのド・マンである。ド・マンの路線は、いわば、「テクノクラートの社会主義」路線であり、彼の作った枠組は、「第2次世界大戦を経て、戦後のヨーロッパ諸国で、経済的には、政府主導の誘導的計画化を軸とする混合経済体制、政治的には、社会民主主義という『ネオ・キャピタリズム』の形で残った」と、著者は指摘している。
もう1人は、メシアニズムに染まらず、また、ド・マン型の「テクノクラートの社会主義」路線にも向かわずに、独自の「知識人」認識、独自の「ヘゲモニー」論を構築した、イタリアのグラムシである。本書ではふれられていないが、ソ連や東欧諸国の共産党の崩壊とは異なった、イタリア共産党の「解党」に至る経過を考えると、彼の理論に、私は、再度、注目したい。
本書の最終章で、著者は、知識人の解体とメシアニズムの崩壊に至ったことを指摘する。
そして、体制の担い手たる「メシアニズム(プロレタリアート信仰)に生きる知識人」がくずれさったとき、「体制もまた、弱体化し、崩壊の道をたどらざるをえない。ソ連の解体は、この30年間におけるメシアニズム失墜の当然の帰結であった」と、今日の事態を説明する。
この背景として、著者が指摘するのは、かってと比べものにならないほど拡大した知識層、高等教育機関の学生数の増大である。著者は次のように述べる。
「メシアニズム運動は、知識人などという自負とは無縁の、新しい世代の登場によってとどめをさされた。学生運動は、少数の特権的な学生たちの、殉教者としての自負なくして成立しない。いずこでも、19世紀以来、将来の国家を担うエリート層の運動にすぎなかったのである」。
私は、これに加えて、情報や知識の伝達におけるメディアの飛躍的な発達を指摘する必要があると考えているが、この点についての展開はひかえる。
最後に、著者は、19世紀に生まれた社会主義の命脈が尽きたのかどうかを問う。社会主義や共産主義が解決しょうとしたものは何だったのか、その課題は解決したのかと。著者は次のように述べる。
「いかにすれば、バラバラになった群衆的個人を結び合わせる、新しい『共同性』を作り出すことができるのか。まだ、このテクノクラート支配の高度産業社会は、その解答を見だしていない。その意味で、社会が、テクノロジックに、人と人の結びつきを断ち切るように管理されればされるほど、人びとの間にユートピアの希求は、再興するだろう」。
「社会主義を、人と人との、国と国との、民族と民族とのコミュニケーションを回復する道として、とらえなおせば、社会主義の命脈は、決して尽きてはいない。『万人の万人への闘争』の支配するこの地上への平和の回復を19世紀社会主義の願いだと規定するなら、社会主義の課題は、まだ、まったく果たされていないからである」。

「もうひとつのサン=シモン主義たるアメリカニズムはどうかといえば、ここもまた、倫理的基盤の崩壊、社会生活の荒廃という点で、ソ連に劣らない現実がある」。
そして、著者は、社会主義の本質的価値を、軍事的産業社会の非軍事化要求に見る。ロシア革命も、反戦運動として出発したこと、また、ソ連のその後の運命が、列強の干渉、内戦を経て、戦時共産主義という、戦時体制が固定したことに起因していることを、著者は指摘するのである。
そして、著者は、戦後、日本が生み出した憲法第9条の条文を高く評価する。そこにあるのは、「19世紀以来の、もっとも良質のユートピア社会主義の原理」であり、武装放棄、軍事的対決国家であることを放棄する決意こそ、どこよりも思想的に進んだ選択であった。だからこそ、現在の日本の繁栄があるのだと指摘するのである。
ただ、この指摘は、示唆にとどまり、本書の最後を著者は、こう締めくくる。
「われわれは、150年にわたって影響力を及ぼしてきたひとつの思想体系(サン=シモン主義的社会主義)の終焉に立ち会っている。しかしながら、ひとつの支配的な思想の解体は、新たな思想への道筋を必然的に準備するものである。すべては、混沌のなかからこそ生まれる。いずれにせよ、普遍的理念の再建への努力は、すでにさまざまな人びとがおりなしている運動や思惟のなかで始まっているのである」。
本書は、レーニンの名のもとにしか、マルクス主義を、社会主義を理解してこなかった私にとって、新たな視野の広がりを与えてくれるものだった。
ただ、本書を読んだあと、疑問がひとつ残った。それは、レーニンの前衛党論が「メシアニズム」であったとして、その「理論的源泉」をレーニンが何に求めたのかということである。
考えてみれば、著者のメシアニズム批判は、単なる社会システムとしての「社会主義」批判ではなく、思想としての「(サン=シモン主義的)社会主義」批判であるのだから、それは必然的に、哲学領域の見直しを迫ることになるのである。
前衛党がメシアとなれたのは、前衛党こそが、社会や運動の発展法則=「兵理」を把握できると考えられたからであった。そして、すべての前提として、社会や運動には「発展法則」が存在するとの理解がある。
私にとりついた疑問が、唯物論哲学に対する根本的な懐疑にいたるのか、その単純で皮相な適用に対する批判で終わるのか、現時点で、私には予測できない。
ただ、はっきりしているのは、すべてをつくり直す努力が必要だということだろう。 受け入れる、受け入れないは別にして、一読に値する著作であると思う。      (大阪 SAY)

【出典】 青年の旗 No.174 1992年4月15日

カテゴリー: 思想, 社会主義 | 【書評】社会主義とは何であったのか はコメントを受け付けていません

【書評】 『人生にとって組織とはなにか』

【書評】 『人生にとって組織とはなにか』
                   加藤秀俊書 中公新書1990年9月初版

「拘束」と「自由」が統合して収放する?
「まァ!大胆な題名だ」東京的習慣では、「そしき」と言ったらやはり「政治同盟、政治的組織」を指すであろう。しかし、残念ながら、この本での「組織」とは主に「会社組織」のである。
<民間企業に「勤めている」人は「会社」から給与を貰っている。では「会社」とはなにか・・・・・・株式会社ではサラリーマンは自分たちを「社員」だと思い込んでいるけれども、厳密に言えば、サラリーマンは株主という本来の「社員」たちによって雇われた「従業員」であるにすぎない。「役員」にしてもたまたま多少の株式を所有する「社員」を兼ねている場合もあるが、たまたま株主から経営を委託されているが「従業員」の一人には違いない>地縁・血縁に対する「社縁」(いわゆる会社、法人)の歴史は新しく、“明治”の成立の中で生まれたものである。縁も所縁もない人々が一つの目的の為に集まっているにすぎない。
まず、著者は「社縁」の成立過程と歴史、「社縁」法律的な存在根拠を迫っている。
サラリーマンは、日常は不安だらけである。失業の不安は当面ない(実際は?)としても、一旦『社縁社会』から離れてしまうと世の中は冷たい。社縁は利害関係あればこそ成立しているので、一旦その関係がなくなれば、その途端「縁」は完全に切れる。本来はそんな組織なのである。
その不安の原因の一つに忖度(そんたく)がある。
「他人の気持ちや願望を推量して、それに合わせて行動すること」…・・・正しく機能するれば大変“美徳”であるが、下から上まで迎合とゴマスリと遠慮が横行すれば、忖度の連鎖はしばしば逆説的に機能する。構成員のサラリーマンの憂欝も高まる。そして組織はツプレル。また、上司、部下、からのタテの圧力、同僚のヨコの圧力、他人の日、他人の「評価」を気にしていなければならない。一定の地位を獲得した人でも同じである。
これまで、組織への帰属意識、そして忠誠心等というものを日本の組織の伝統的特徴と論じているが、間違いではないだろうか・・・・・・司馬遼太郎は「お家大事」という忠誠心を持つようになったのは徳川幕府藩体制以降、と分析している。また、桜井徳太郎氏は義理や人情が成立したのは近世以降で、中世の主従関係は極めて冷酷な「契約」関係であったという。
「しごと」と我々との間に取り結ばれている関係をもう一度反省して見ることにあるように思う。まず組織と我々との関わりが、じつは人間の一面でのかかわりに過ぎない。ある会社で、従業員の特技調査をしたら70%の人が「会社人間」であると同時に、何らかの才能を他の領域でもっていたのである。当たり前といえば当たり前であり、「会社人間」であると「同時に」とかいたが、正しく言えば、全ての人間は「会社人間」である「以前に」個性を持った一人の人間なのであった。その個人が、たまたま組織に入り、その中で人格の一つの側面を見せている、と言うのが偽りのない事実なのではないか。その点について、組織、取り分け組織のリーダーたちがこれまでいかに鈍感であったかを反省した方が良いと思う。ひとりの人間の全てを「しごと」に投入することを期待するのは間違いだ。
もちろん・・・・・・、しごとじたいの持つおもしろさを発見することも大事だ。しごとと余暇という二分法で人生を分割するのはあまりにも単純すぎる。組織と個人の関係は、もっとさわやかな関係であっていいのである。別な言葉で言えば、優れた組織人とは、組織べったりの人間ではなく、人間としての他のもろもろの役割をも見事に果たしうる人間のことだ。
人生80年のうち「組織」に属し規律に従って9時から5時まで働く期間はたかだか40年間に過ぎないではないか。そう考えると、最近フリーターと呼ばれる種族、やパートタイマー、臨時社員、常勤非常勤等雇用形態はいろいろ生じているが、彼等は決して不真面目に働いているのではない。
全員「臨時」なのであり、一番長い「臨時」が定年までの30年間。一番短いのが日給制による1日限りの契約。われわれは全て人生の「パート」を組織の為にささげているに過ぎない。従って、正社員と臨時工の差別の無意味であり、そのことも述べている。まして、定年後になっても(更に20年もある)の人生で昔の「肩書き」・・・「元○○」を振りかざなければ生きれれないのは、余りにも空しい。
また、「組織を離れて自由に生きたい」と言う願望とは裏腹に、脱サラして「自由人」となっても「組織」は付きまとう。作家には作家の、古本屋は古本屋の、ほか弁屋もしかり。では逃れられないのなら、効率的で楽しいものにしていく努力が大切だ。経営者も、雇用者も。組織の論理と自己実現をどう調和させるか。気楽に考えようではないか?!というのがこの本の結論である。
組織にとって、人間とは、はっきり言って労働力である。・‥・・・人間側から組織を利用して自らを訓練し、向上させることもできるはずだ。拘束と自由という一見矛盾した二つの概念も、こうした観点から見れば、統合されて収赦されていく性質のものであろうと私は信じている、とも述べている。
こんな本を紹介すると「資本を美化し、シビアな組合と経営との関係を曖昧にする」等と言われそうだけれど、指摘も確かに当たっている。また、この本は、取り分けて新しい事象を展開しているわけではない。「じゃ、私は明日からどうすればいいのだ」と聞かれると困るが、そういう本ではない。また、組織の発展は「異文化交流」と「研修」にあると分析している。
「会社」「働き方」を考える上で、私にとって新鮮な“切り口”を提供してくれた一冊である。
また、ここで言われている「組織」を我々の目指そうとしている「組織」に置換えても興味が持てる。
(東京 C)

【出典】 青年の旗 No.173 1992年3月15日

カテゴリー: 社会運動 | 【書評】 『人生にとって組織とはなにか』 はコメントを受け付けていません

【短信】「私一人ぐらい」から「私一人は」

【短信】「私一人ぐらい」から「私一人は」

169号(11月発行)の『ひとりごと』の中で、東京Cさんが「(取り分け我々の関係者が)点検を取られなければ行動をしない」と、ものぐさな行動を嘆いていました。これは組織(と活動)がものぐさな個人しか集められなかったのか、組織(と活動)がものぐさな個人を変えることができなかったのか、いずれでしょう。
博物館的表現ですが、組織は一つの目的の為に自覚した個人が一致団結してことに当たれば、目的実現の有効な力を発揮する(一般的ですが、違ってはいないと思います)はずである(あった?)。従って、もし不可抗力で個人の一部が欠けた場合でも、目的実行の為に対策して事に当たるものです。ここで、「私一人ぐらい」と言う意識が働いているのではないだろうか。確かに、結婚式の二次会や、集会での50人や100人では確かに一人くらい増減したところで大勢に影響はないと思います。それが、「私一人ぐらい」が8割もいれば収拾が付かなくなります。
でもそれは、政治組織だけではなく、私の属している軟式野球のチームでも同じで、8人では公式戦は不戦敗になります。政治活動以前の問題だと思います。
まあ、今までの活動に欠点があったことだけは、確かでしょう。
最近、対案としてネットワーク型組織と言うことが語られています。言葉としては、結構古いと思いますが、不勉強でよく分からないので他の人の言葉を借りてみます。
金子郁容氏が書いた『ネットワークへの招待』(中公新書1986年)では、この本の中で様々なネットワーカーとネットワークが紹介されていますが、彼が関心を寄せて紹介する基準としたネットワークとは「固有の意思と主体性のある『ユニット』が夫々の自由意思で自発的で自発的に参加したまとまりであり、メンバーが互いの違いを主張をしながらも何らかの相互依存関係を持ちながら結び付き、関係の中で意味と価値を作り出すことを可能にするシステム」と定義しています。具体的には、以下のような組織生成原理とは根本的に異な為とも言っています。
① 全体の目的の達成の為に個々のメンバーが存 在するという考えに基づく組織の原則
② メンバーが、社会全体のなかの自分の絶対的位置ではなく、その特定の組織の中の相対的位置に重きを置き、メンバー間のあつれきを避けることを至上目的とする組織原則
③『友達の輪』のように、友達の友達はまた友達だといううように結び付き、和気あいあいとすることだけが目的で、互いの差異と意思の確認をすることを求めないネットワークの原理
④ 一部の市民運動団体のように、限られたいみの価値観を共有することを前提にしているために、自分立ちの価値観と相容れないものに対し
て排他的になってしまう組織の原理
⑤ 日米貿易摩擦に関する議論にあるように、他の人が自分と同じ「(文化的)場」を持つこと
を了承するか、逆に自分力平目手に屈して相手の「場」に引き込まれるのではなくては意味のある関係は持てない、という結び付きの原理
そして、当然「情熱と、ある種の余裕を持って対立したものを認めることができる為には、自己が確立していることが必要だ。」となります。そうして
みると「ユニット」(個人、あるいは主体性と意思を有する集団)の行動が大前提ということです。ユニットが情報を発信しなければ何も始まらないのではないでしょうか。
また、こうも述べています。「ネットワークは一人一人の自発性や主体性を発揮する為にのシステムではあるが、それがシステムに過ぎないということに注意したい。我々のいうネットワークは、自主性と相互依存性というデイレンマを最初から内包しているが、ネットワークそのものはデイレンマを解決したり、『アウフヘーペン』したりする機能は備えていない。デイレンマの解決はネットワークメンバーの自発性、意思、自主的調整に委ねられている。」
結局「この指とまれ」の指の種類と集まる個人の姿勢?の問題に帰ってしまうのではないだろうか・。(東京 N)

【出典】 青年の旗 No.173 1992年3月15日

カテゴリー: 社会運動, 雑感 | 【短信】「私一人ぐらい」から「私一人は」 はコメントを受け付けていません

【投稿】地域ユニオン運動の状況

【投稿】地域ユニオン運動の状況
                「知らせ愛、励まし愛、助け愛、連帯しよう」

このスローガンはわたしが活動している地域ユニオンの合言葉です。わたしも子供ができ保育園や地域とのかかわりできるなかで地元で地域ユニオン結成という話もあり、最近になってかかわりはじめました。そこでみなさんにユニオンの活動を紹介しながら、ちょっとだけ問題提起もしたいと思います。
昨年は大阪でCUNN(コミュニテイ・ユニオン全国ネットワーク)全国交流集会が開かれました。わたしはユニオンに参加したばかりでしたので参加はしなかったのですが、組合員の報告をもとにお伝えします。
全国から集ったのは33ユニオン。その代表約150名が参加。事務局の報告では現在全国で65ユニオン、会員数は約1万人だそうです。活動としては、パートや女性、外国人、派遣、生協・ワーカーズコレタティブなどとのかかわり、市民運動などとの連帯ではばが広がっている、ユニオンの組織化や財政面でもと総評系地区労の解散などで活動のバラツキや停滞状況等がでているなどが報告されています。
開会式の挨拶で、連合組織局長の戸崎副事務局長が「連合も努力しているが、まだまだ大企業中心の労働運動。中小・パートの問題にも力を入れ、パート労働法の実現のために積極的に取り組む。来春、連合としてパート集会をひらく」とあいさつ。ちなみに大阪ということで、このほか大阪総評センター下市議長、社会党の佐藤衆議院議員、山中府議会議員、甲南大学熊沢教授等があいさつしました。
交流会はパネルディスカッション「地域・ユニオン・未来」ということで、各ユニオンの活動交流、「おんな・ユニオン・夢」というテーマで女性陣が活躍、この他に3つの分科会が開かれ、全体を終了しています。
ユニオン運動ではそれこそ秋田のように連合が全面的にバックアップしているところもあれば、独立独歩てやっているところ、地区労の支援で自立してきたところ等があります。運動としてはまだまだですが、ユニオンにはある意味で他の組合がタプーとしていることを地域を拠点に展開しているということで注目されています(マスコミがとびついているだけで、運動としてはまだまだです)。たとえば自治労のなかにも全国で20万人ほど非常勤がいるのですが、このうち組織されているのはほんのわずかです。こうしたひとたちもユニオンに入っています。
本当は自治労自身の問題です。こうした例は民間ではもっとあります。

<労働組合はすべての労働者の味方か?>
いま労働組合の組織率は24.5%です。公務員・教員関係では組織率90%ほどでしょうから、民間の実態はさんざんたるものです。
民間の給与の実態はどれくらいか知っていますか? 国税庁企画課が毎年調査する「民間給与の実態」によると、給与所得者の56.1%が年収400万円以下です。特に女性は73.5%が年収300万円以下です。全体の平均給与は425万円(年齢41.4歳)、男子は520万円(41.8歳、勤続12.7年)、女子は249万円(40.8歳、勤続8.7年)です。全体の54.5%が99人以下の事業所に勤務しています。これら労働者はほとんど組織されていないと言っていいでしょう。また共働き家庭は全世帯の1/3に達しています。
一方で、特徴的なのは従業員5000人以上の事業所では年収800万円を超える人が25.4%もいることです。こちらは大体、労働組合があって、社宅や福利厚生面でも手厚い労働者と言っていいでしょう。連合の中心組合もこんなものかもしれません。(詳しい方がいましたら教えてください)
さて日本の労働組合は企業別で、従業員の組合なのはよくご存知でしょう。つまり企業のなかでは労働組合員でありながら、ひとたび外へ出ると、「企業戦士」(このことばは本当に軍隊みたいですネ)なわけです。自社製品を売らなければ飯が食えないのですから、自分の企業を守ります(本人は知らず知らずこうなっているのです)。もっといえば競争相手とたたきあいます。産別の労働組合の中にもこうした面がどうしてもでてしまいます。
労働組合の事務所や労働会館等も会社のなかにあって組合員以外は入れません。これでは労働組合はそれ以外の人に取っては権力といっしょです。固く門を閉ざした労働組合です。たとえ隣に困った労働者がいても相談する事もできないのです。組合員はそれがあたりまえになってしまっています。

<企業組合のからをやぶるべきだ>
春闘ということばも知らない世代が増えてきました。労働組合運動もある意味でこれまでのやり方では力を持てないのではないでしょうか?組織率の低下や運動のダイナミズムという点でも、これまでのからを破らなければ「公正、平等、連帯」などはスローガンに終わってしまいます。
そこで一つ。企業別組合にとらわれない組織化を地域を基盤に支援してほしい事です。地域ユニオンや全国一般など地域でいろいろあると思います。できるところは組合事務所やセンターでこうした活動の場を提供してほしい事です。そして共済組合員や生活協同組合、労働者事業、労働者基金をつくってほしいとおもいます。よい街づくりにはこうした地域での活動をもとに働くものの広-いネットワークが必要です。
知らせ愛、励まし愛、助け愛、連帯する活動を、誰の目にも見える活動として展開するならば、そこにひょっとすると労働運動の再生のヒントもあるかもしれません。まわりは誰を見ても働いている人が圧倒的なのですからネ。
まあ、こんなことを夢におもいながら一歩一歩やっているのです。
だれか好きな人がいたら声をかけてください。
ユニオンはその地域で働く人、住んでいる人ならだれでも加入できます。 
(東京・R.Ⅰ)

【出典】 青年の旗 No.173 1992年3月15日

カテゴリー: 分権 | 【投稿】地域ユニオン運動の状況 はコメントを受け付けていません

【投稿】外国人登録法の改正について

【投稿】外国人登録法の改正について

在日外国人の人権問題を端的に現すものとして、注目されてきた外国人登録法がついに大幅な改正をされることになった。法制度の根幹をなす指紋押捺制度は、かねてから基本的人権をじゅうりんするものとして、在日韓国・朝鮮人をはじめとする多くの在日、外国人が押捺を拒否、更に、登録証の常時携帯義務、重罰規定の廃止などを求める運動が1985年をひとつのピークとして盛り上がった。
こうした、国内の動きと韓国政府の度量ねる要求によって、政府、法務省は何回か小手先の改正を行ってきたが、それは到底在日外国人を納得させるものではなく、法の抜本的改正を求める運動は、地方自治体をも巻き込んだ形で続けられた。
この間法務省は、指紋押捺拒否者に対して、見せしめとも言える不当な圧力をかけ続けてきたが、1991年1月の日本と韓国政府の首脳会談により、指紋制度の全廃を含む政治決着が図られた。その後庁間で杏室協議が重ねられ今国会への法案提出となったのである。 その内容であるが、指紋押捺制度については、旧植民地出身者である特別永住者、および永住者に限り、写真、署名、家族登録の代替手段の導入を持って廃止することとなっている。そもそも外国人登録法=指紋押捺制度は、東西冷戦・朝鮮戦争を背景として在日韓国・朝鮮人を治安管理する目的で制定されたものである。したがって、冷戦が崩壊し、日朝国交回復もちかじかという情勢の今日、当初の目的はほとんど喪失してしまったものである。
これに変わるようにアジア諸国を中心とする外国人の急増に対し、治安管理の対象はシフトされた。しかし資格外就労者は、外国人登録法で網羅することが不可能であり、法務省は入管法を軸とした対策を行っている。
このように、外国人登録法は権力側にとってもその歴史的役割は終焉したも同然であって、少なくともこれからの社会には対応できない法律であることは明らかである。しかし今回の改正案では、依然として1年以上の在留外国人に対する指紋押捺制度及び常時携帯義務、重罰規定はそのまま残されているのである。
また今回の改正では、地方分権に逆らうごとく、現行法以上に登録事務を地方入管局に移行し、地方自治体の裁量を削減しようとしており、まったくの時代錯誤のものとなっている。
外国人登録法は、そこから冷戦時代の残滓を一掃し、在日外国人が必要な公的社会保障などを受けるための制度に抜本改正して、その業務はすべて、地方自治体に移管すべきである。これはすでに運動に関わってきた多くの団体から捉起されていることであるが、今こそそれを実現する時期なのである。               (大阪 0)

【出典】 青年の旗 No.173 1992年3月15日

カテゴリー: 人権 | 【投稿】外国人登録法の改正について はコメントを受け付けていません

【投稿】高校改革をどう進めるか(その2)

【投稿】高校改革をどう進めるか(その2)
             大阪教員交流会ニュースNO.37 1992-01-20より

1月例会は8人の参加で行いました。内容は高校改革の続きです。

1 コース(領域)制と集団作りの今後のあり様について
B:コース制で、コース別クラスか原学級か、現場で議論を整理しなければならない。
A:先月号のこユースの9の集団作りのあり様についての再検討について深めたい。
T:この間、大賀さんは解放運動の第3期論で教育のあり様について問題提起をしている。そのことに我々は理論的にも実践的にも答えを出すこと、つまり先進事例を出すことで教育運動、教育労働運動をリードしていくことが求められているのである。
この問題提起の内容のひとつに集団と個人の関係の整理があるのではないか。集団を重視してきたが、個人は重視してきたか、という問題である。臨教審風に言うと、画一性に偏重してきたために個性が伸ばされなかったのではないか、という問題提起である。集団において個性が伸びるということが強調されすぎて、集団に支えられることを前提にしないと何もできないということになっていないか、という問題である。コース制を実施すると、コース別クラスにするか、原学級クラスにするのか、という問題が当然出てくる。この問題も「同質」生徒の共同体意識に依拠するか、異質なる個性を認めあっての連帯意識に依拠するかという問題である。
つまり集団と個人の関係という問題がコース制とリンクする形で具体的に現象していると捉えられる。もちろん、現実には原学級クラスによる展開授業は、生指上、教務上の問題点があることははっきりしている。このことを認めると、条件派は、だからコース制はないほうがいい、と言うことになる。にもかかわらず、コース制でいくという時には、教育改革についての助走の議論を先行させなければならないのである。
A:一時、被差別生徒の拠点クラスを作り、問題提起クラスとして学年に位置づけたが、それは良くないという総括を残してきている。このクラスは特別や、という具合いに生徒に映り、クラス間に序列ができ拠点クラス内外に悪い影響の方が大なのである。今は被差別生徒を過度に集中しないという形で各クラスの編成を行っている。しかし時には問題提起クラスのアンチで選択授業なしで10クラスとも同じカリキュラムでやるべきであるという時期もあった。そのことも余り成果を上げないということで、集団作りのあり様について一段高める必要性が出てきているのである。生徒の選択を尊重するということが必要になってきており、そのためには生指上の問題も二次的な間遠だと思っている。
T:コース別のクラスはやはり問題が多い。基本的な考え方でいえばひとつのクラスで混在する方が個性の認め合いができるのでよい。しかし、技術的には展開授業が多くなるという困難点を克服しなければならない。
この問題の本質は何か。人間はひとつの物差しで優劣をつける方が意欲が出るのか、それとも、多様な物差しでそれぞれの長所を認めることで意欲が出るのか、という問題である。コース別クラスはそれぞれのクラスに物差しがひとつである。そこから、英語クラス、体育クラス、芸術クラス等のクラスの中でひとつの物差しに基づいて生徒の中で優劣の関係が出て来ぎるを得ないのである。それは物差しがひとつだからである。クラスの中で優劣関係が生まれると、クラスの中で劣等意識をもったものは、「他の00クラスにいくよりましだ」と、他のコースに対して優越感を持とうとすることで劣等意識を補おうとすることになる。クラスの中ではひとつの物差し(体育なら体育)で能力の劣った生徒に対して他のものに負けるな、頑張れということになる。そこには優劣関係がはっきりあるわけで、いつも劣位におかれるものは固定されているのである。固定的に劣位におかれた者に優越感をもたせるのは体育大会や文化祭等の行事で他のコースのクラスに「勝つ」ということにおいて行われるのである。
学校が力を入れているコース別クラスを軸に、優劣関係が普延して、他のクラスにも優劣関係をつけることになる。つまり、コース別クラスは縦横に優劣関係を固定化するのである。お互いを認め合うのは優位にある一部の子供間のみで、多くの子供は競争の関係におかれ、お互いを蔑み合うという非常に殺伐とした関係になるのである。
A:現在、うちでも教務的に可能な限り原学級を基本にした展開授業を模索しようとしている。原学級に多様な子供を包含するのは、他の子の生き方を認め、自分の生き方を認められる関係でこそ子どもは生き生きできるという考え方(これを多様の統一といってもいい)からきているのである。体育コースを選択している子どもが自分のことを誇らしく感じるのは、他のコースを選択している子どもにそのことを認められるときである。また、他の子どものコース選択に当たっての問題意識に触れることは自分以外の人間の過去の経験の総体に触れることになるので、間接的にであれ、自分の経験を豊富にするものである。その結果、自分の興味、関心が変化して学年が進行するに当たってコースを変えてもよいではないか。コースが子どもに自分の興味・関心、学習、進路に関する自分の意識を明確にする過程を与えるものと考えると、原学級でのコース変更は、多様な進路を保障したもとでの興味・関心の変化に対するより高い次元での保障ということになる。しかし、コース別クラスの場合はコース変更は狭い進路しか保障しないもとでのドロップアウト=敗北を意味することになる。
多様なコースを選択している子どもの中で物差しそのものを対比するからこそ、自分の興味・関心についての意識が明確になり、それぞれの物差しを認めようという基盤がクラスにできるのである。この中でこそ、それぞれのコースの中で学力に優劣関係があっても、それを越えて相互に認め合う関係が基本になったクラス、学年の関係がつくられるのである。
T:もちろん、進学志望の者にはコースでの競争を協調しなければならない必要もあるし、教務的な問題としてのクリアーが前提であるが、できる限り多様な生徒を包含したクラスが基本的方向ではないか。
A:狭い意味での進路(進学)に対応しコース別クラスを積極的に導入して特進クラスをつくっているのは私学である。進学にのみ対応するということで一日8時間授業土曜も6時間授業を展開し、夏休みも無しというところもある。さらに生徒が休日に集まってソフトポールをしているところをたまたま教師に見つかったところ、宿題が少ないからこんなことになるのだとして、どっさり宿題を出された、という笑えない詰もある。
T:親もそんなゆがんだ教育は望んでいないが、私学にその様な実態を許していてもその実態が全く表に出てこないのは、それでも公立高校の進路指導よりもすっとまし、という親の意識があるからではないか。だからマスコミも取り上げない。それだけ、公立高枚の教師のサボリに比べたら、荒っぼくても熱心にやってくれているのだから文句を言えないというところではないか。我々自身の問題として考えねばならない。親に進学(私学)か人間性(公立)という選択できないものを選択せよという苦渋の選択を追っているのは公立高校の学力・進路指導のお租末さなのである。
A:だから公立高校の中でもその私学の動きを見て、私学と同じ考え方で、コース制とコース別クラス、あるいは府下一区の学科制に移行しようというところが出てくるのもうなずける。この方法の基礎にある原則は、単一の物差しで競争させるところから人間の意欲は高まるのだという考え方である。人間は「多様」なのでそれぞれの物差しに応じてクラス、学科に分けてそこで競争させるという考え方である。しかし、この原則と方法は「多様」の名のもとに多数を切り捨てる結果を生み出すのである。“全ての”子どもが尊重されるのではなく、序列で優位にある一部の者のみが尊重されるのである。
原学級をもとにした授業展開は、それぞれが持つ多様な物差しを認めることで、人間の意欲は高まるのだという考え方である。子どもの多様性を認めることで全ての子どもを尊重するという考え方である。
T:教育委員会との対決点は“全ての”子どもを尊重する多様性か、それとも一部の者のための多様性か、である。この閣いは、全ての親、解放運動と連携することで十分勝利する可能性のある運動である。教育委員会に対して納税者である親と共にこの論点で闘うための運動を構築するためにも、教育改革の内容を教職員で練り上げねばならない。そのときにてががりになるのは関東の学校である。神奈川の弥栄東や埼玉の伊奈総合学園等がすごく進んでいる。108の選択授業があって、領域選択と自由選択を組み合わせている。私学では明浄、和光、玉川、栄進(?)等である。これらはかつて工業高校がしんどい時に総合科学技術教育の高校の先進例としてつくられた高校である。しかし日教組の議論が没になってその後取り組みが広がらなかったのである。
A:それらは新しいコンセプトに基づいて新たにつくられた高校であるが、都市部では用地確保の上で困難なのでいくつかの高校をまとめてひとつにするという案がある。
T:府教委でも160数校のうち50校は不必要になると考えており、統廃合を考えている。一刻も早く地域に根ざして改革案を持たないと高校が統廃合されて無くなっていくときに飯のタネとしての職場も守れないということになってくる。
それともうひとつ高校改革を行うときには、こちらの立場でカリキュラムを作れる人間を教務に入れておくことが必要そぁる。カリキュラムをいじるということは人事が絡むのである。選択制を実施するとさにどの授業を切るか、というのはどの教師をの仕事が不用かということを打ち出すということである。首切りの宣告である。これを大衆論議でやるのは大混乱を引き起こすだけである。政治判断するトップと、そのもとでの実務スタッフが必要なのである。このスタッフが教務ということになる。教務に人材をおかずに「そんなカリキュラムは組めません」と言われたら、全ては破綻するのである。徹夜ででも自分一人ででも原則に沿って最大限の可能性を追求するという人間を投入しなければならないのである。我が方の人間がリーダーシップをとるにしても必ず、シンパの中に教務の意義と任務を理解する人間にまで育てることを目的として活動することが必要である。

【出典】 青年の旗 No.173 1992年3月15日

カテゴリー: 労働, 教育 | 【投稿】高校改革をどう進めるか(その2) はコメントを受け付けていません

【ロシアレポート PARTⅡ】土地改革をめぐる世論の動向

【ロシアレポート PARTⅡ】土地改革をめぐる世論の動向
                        大木 のり(在ペテルスブルグ)

このデータは、ペテルブルグの「社会プロセス予測研究センター」とモスクワ、ケメロボ、サマラの研究センターが変化している生活条件に対する大都市住民の対応の様子を共同アンケートしたものである。アンケートはペテルブルグのセンターが作成したものであり、約1万人を対象に行われた。
“土地の個人への譲渡は経済危機からロシアを救うと思うか?”と言う質問に対してモスクワ市民の72%がYES、13%がNO。ペテルブルグ市民の75%がYES、11%がNO。サマラ市民の63%がYES、15%がNO。残りはこの問いに対してまだはっきりとした意見を持っていない人である。
この結果から分かるように重要な土地改革の支持者は反対者を上回っている。また、92年2月の時点ではペテルっ子は(この質問から)モスクワっ子より急進的である。そして最も保守的なのがモスクワからそれほど速くないサマラっ子である。これは最近、違う都市の人達が出会ったら必ず話題になる“どの町が最近悪くなった?”ということに対する間接的な回答と見ることも可能である。
一般に30歳までの若い人達が最も急進的である。例えばペテルブルグではこの質問に対して若い人の中での支持者と反対者の割合は15:1である。また年齢が上がるほど過激性が低くなり、“以前と同じように生活したい”と思う傾向がある。しかし最も保守的であると見なされている60歳以上の人の中でも土地改革の支持者と反対者の割合はモスクワでもペテルブルグでも3:1である。この年齢層の人達が以前どのように、またどのような体制下で生きてきたかを考慮すればこの数字は若者の15:1より重みを持っている。
モスクワ、ペテルブルグでは最も支持者の多い層は文科系インテリで、サモラでは技術系インテリ層である。また3都市とも反対者の最も多い層は未熟練労働者である。この層は自分達の現在の経済状態と近い将来の見通しを身にしみて感じているから反対者が多いと見ることができる。このアンケートによるとこの層は2月の時点ではその他の職業グループに比べて今までの食事のレベルを維持できていない(働いていない年金生活者の次に)。そして彼らは土地改革が成功したその効果の恩恵を受けるのもまた一番最後になるであろう。
また国営企業に勤めている人となんらかの形で自由を味わった“新しい経済体系”の企業に勤めている人とでは改革に対する態度はかなり違っている。

土地の個人への譲渡は経済危機からロシアを救うと思うか?

A/     モスクワ市   ペテルブルグ   サマラ市
YES       72%       75%      63%
NO       13%       11%      15%

雇用層別に見れば教育、学術、文化関係者が最も改革に賛同している。つまり文科系のインテリと言うことになる。
土地改革を認めるか認めないかということは、イデオロギー的、政治的見解の表明であり、社会経済生活の法則性の理解度でもある。
土地改革に対する見方は、社会的オプティミストと社会的ペシミストでもはっきりと異なっている。
土地改革を承認するか、しないかは価格の自由化と私有化に対するしかるべき評価と一致している。一連の改革は全てセットで受け入れられるかいないかである。
最後に一つだけ確実に言えることは、都市の住民にとって土地改革は不可欠である。今後改革が停滞することがあれば、それは農民が改革を望まない時である。しかし実際農民に土地が不必要であるはずがない。
エリツィン政権は口先では“土地を農民に”をスローガンに掲げているが、実際に新ノメンクラツーラや旧保守層の抵抗を打破して、土地改革を実行することができるかどうか注目されるところである。
(92-3-3)
*サマラ市はボルガジ河中流域の都市で、ウリヤーノフスタ市の近くにある。
く表も送られてきましたが、紙面の都合で省略しています)

【出典】 青年の旗 No.173 1992年3月15日

カテゴリー: ソ連崩壊 | 【ロシアレポート PARTⅡ】土地改革をめぐる世論の動向 はコメントを受け付けていません