【投稿】「脅威」拡大に走る防衛白書と小泉政権

【投稿】「脅威」拡大に走る防衛白書と小泉政権

 8月8日衆議院は解散し、9月11日総選挙が決定した。この選挙の争点のなかでとりわけ重要なのが、外交、軍事問題である。小泉政権やその亜流を許すならば、日本はますます危険な方向に突き進むだろう。 
 8月2日の閣議で平成17年度「防衛白書」(日本の防衛)が了承された。白書は、この間の「新防衛計画大綱」などの軍拡計画、中国との緊張拡大という小泉政権の意向を踏まえ、より積極的な自衛隊の海外展開、ミサイル防衛などの推進を打ち出している。
 中でも際だっているのが「新たな脅威や多様な事態」という名の仮想敵拡大である。すでに「新防衛計画大綱」では、テロや弾道ミサイル、中国の動向ついては述べられていたが、弾道ミサイル防衛について先日、北朝鮮だけではなく中国のミサイルも対象であることが明らかにされ、防衛白書では警戒感がより明確に示されている。
 
<中国の台湾侵攻を想定>
 白書では、中国の軍事費の不透明さや、台湾独立阻止の「反国家分裂法」制定に懸念を表明。そのうえで「軍の近代化の目標が、中国の防衛に必要な範囲を超えるものではないのか慎重に判断されるべきであり、このような近代化の動向については今後とも注目していく必要がある」として、とくに海上兵力に関して「中国海軍が近海において防御作戦空間を拡大し、統合的作戦能力を増強することを目指しているとされていることに加え、将来的にはいわゆる「外洋海軍」を目指しているとの指摘もあることから、その動向に注目していく必要がある」と強調している。つまり、「中国は台湾侵攻を想定し、制海権、制空権の確保、その際障害となる、アメリカ艦隊への攻撃能力を向上させようとしている」と言っているのだ。       
そして「新たな脅威と多様な事態への実効的な対応」として台湾有事に関わる中国軍の、尖閣諸島を含む南西諸島への侵攻をも想定。「島嶼部に対する侵略への対応は、本格的な着上陸侵攻対処における作戦の形態と共通する点が多いが、自衛隊が平素から行っている警戒監視や軍事情報の収集などにより、早期に兆候を察知することが重要である。事前に兆候を得た場合には敵の部隊などによる侵略を阻止するための作戦を行い、また、事前に兆候が得られず当該島嶼を占領された場合などにはこれを撃破するための作戦を行う」と具体的な軍事行動にも言及している。

<進む日米共同作戦>
 白書の提起を踏まえ、自衛隊は着々と対中国戦の準備を進めている。陸上自衛隊と米陸軍が来年1月に予定している日米共同図上演習「ヤマサクラ」では、日本の島嶼部が侵攻を受けたとの想定で共同作戦を実施する内容が盛り込まれることとなった。
 日米共同図上演習で島嶼作戦が行われるのは初めてだが、すでに自衛隊は98年11月、3軍合同での島嶼上陸演習を硫黄島で実施している。この演習の状況は、82年にイギリス軍が行った、アルゼンチン軍に占領されたフォークランド諸島への上陸作戦を敷衍したものであり、敵に占領された島の奪還作戦であることは明らかであった。これは江沢民国家主席訪日を10日後に控えた状況のなかでの、あからさまな示威行動であったが、当時防衛庁は日中関係に配慮し「これは既に我が方が確保している島嶼への増派訓練であり、奪還を想定してのものではない」と釈明していた。しかし、現在はそうした「遠慮」も無用と、図上演習に続きアメリカ海兵隊との実働演習も予定している。

<反発強めるアジア諸国>
 防衛白書に対して中国外務省は、8月3日声明で「全く根拠がないことであり、日本が政府文書で公にいわゆる『中国の脅威』を強調するとは極めて無責任だ」と非難。「両国の安全保障面での信頼関係構築に寄与するものではなく、公衆の誤解を招き、相互間で疑念や反感をもたらし、中日関係を損ねる」としており、演習が実施されればさらなる反発が予想される。
防衛白書に示された日本政府の姿勢は、中国のみならず韓国からも批判を招いている。白書で「竹島」領有が明記されたことに、韓国国防部は「我々の正当な領土主権に対する挑戦行為であり、決して容認できない」と関連内容の削除を要求した。韓国は先に進水した1万4000トンの強襲揚陸艦を「独島」と命名、後には引かない決意を示している。これに対して海上自衛隊は、「独島」級を上回る1万7000トンクラスのヘリ空母を09年にも竣工させる予定であり、こうした「軍拡競争」で韓国との潜在的な緊張は、ますます高まるものと思われる。 
また防衛庁は、8月15日からシンガポールで開催されている、大量破壊兵器拡散阻止構想(PSI)の多国間共同訓練に、護衛艦「しらね」とP3C哨戒機2機を派遣している。これは米、英、豪などとの共同訓練であるが、マラッカ海峡周辺への自衛隊のプレゼンス拡大に対しては、周辺諸国からの警戒を招くことが予想される。

<政権交代こそ平和と安定への道>
 アジアでの孤立が深まるなか、国連の常任理事国入りが絶望的となった日本政府は、今後国連を軽視する一方で、裏切られたにもかかわらず「支持取り付けにはもっと軍事貢献が必要だった」として日米同盟の強化に向かうだろう。「世界は新たな脅威と不安定要因に満ちあふれている」との認識のもと「国際平和協力活動に主体的・積極的に取組む=アメリカと連携した地域紛争介入」という防衛白書が示す方向性はまさにそういうものである。これは第2次大戦前の国際連盟脱退、日、独、伊枢軸を彷彿とさせるものである。イラクでも欧州、アジアの各派兵国が次々と撤退、または撤退の時期を探っているが、日本政府は最後までアメリカとつき合う覚悟のようである。
 さらに北朝鮮、ロシアとの関係でも、展望の見いだせない、いわば八方ふさがりの状況下、内政的にも行き詰まった小泉政権は、参議院での郵政関連法案否決を口実に、破れかぶれの衆議院解散に打って出たわけである。小泉政権は白書で示された「中国、北朝鮮の脅威」を最大限利用しながら政権延命を図ろうとするだろう。今次総選挙ではアジアの平和と安定のため、国際協調を軸とする政権の確立に全力を挙げなければならない。(大阪 O) 

 【出典】 アサート No.333 2005年8月13日

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【投稿】郵政解散に思う

【投稿】郵政解散に思う

 8月8日、この日が日本の政治にとって歴史的な日となるかどうか、今夜の時点では、予測は不可能である。8月30日公示、9月11日投票という選挙日程も決まり、これから1ヶ月余りの中で、各党が何を主張し、さらに国民がどう判断するかにかかっている。
 本誌次号の発行日程では、すでに総選挙の結果が出ていると言う日程上の制約もあり、現時点で思いつくままに、今回の「郵政解散」について、書いてみたい。

<内閣総辞職こそ常道である>
 第1に、解散に至る経過からみた解散の性格である。小泉首相は「郵政民営化への国民の信を問う選挙であり、そのための解散だ」と解散後の記者会見で述べた。たいへんに無理のある強弁である。小泉政権が誕生して4年を迎えている。この間、衆議院選挙1回、参議院選挙2回が行われているが、民主党は前進してきたとは言え、自公保、また自公で政権を維持し、小泉政権は「国民の信任」を得てきたはずである。小泉改革の目玉は構造改革であり、郵政民営化であった。その流れからすれば、今回の解散ほど、国民にとって「突然であり」「身勝手な」解散はない。小泉は「郵政民営化もできないようなら、財政再建などできるはずもない」と言うが、安定多数を持つ与党体制を持ちながら、党内の造反によって法案一つ通せないというのでは、吐いた唾が自分に返ってくる。自らの指導力の無さを考え、内閣総辞職こそがふさわしいのである。
 しかし、小泉は解散総選挙を選択した。それは何故なのか。森田実氏のHPによれば、「郵政民営化は小泉首相のブッシュ大統領との約束事なのだ。世界の証券マーケットで働くアナリストは言う――「米国の保険業界と米国ファンドは、日本の郵政民営化のための広告費として約5000億円を使っている・・・」と。郵政民営化の頓挫は、日米関係の解消に繋がるというのだ。そして、小泉はあと1年となった自民党総裁任期にしがみつくため、賭けに出ているということだろう。
 
<国民は冷めている>
 第2に、自民党造反グループが、「党議拘束」やら「解散の脅し」に屈せず、参議院での否決、法案の廃案まで、なぜ貫けたのか、という問題である。市場原理主義者やマスコミを賑わす芸能人エコノミストは、郵政民営化は規定方針であり、構造改革に欠かせないと、小泉郵政改革を賛美してきた。しかし、確かに自民党への強力な圧力団体としての郵政グループが存在しているとは言え、郵政事業に対する強烈な批判があるわけではない。むしろ国民の間には郵便事業にしろ保険事業にしろ、信頼感の方が強いのではないか。97年前後の金融不安、銀行の不良債権問題、ゼロ金利で行われている国民からの収奪にたいする銀行、民間金融機関への不満は根強いが、郵政、郵便局が赤字を垂れ流しているわけではない。郵便貯金が特殊法人へ流れているというのなら、民主党が主張している、個人の限度額1000万円を300万円に引き下げることも有効であろう。
 造反グループが、法案否決に追い込めたのも、郵政民営化論が未だ国民の世論になっていないことを見越していたからではないか。
 もちろん、小泉独裁とも言える強引な手法、それは板ばさみになった自民党議員の自殺まで追い込むことになったほどであり、こうした強引な手法に対する綿貫はじめ古参議員の憤懣の発露であったことも事実であろう。
 
<単純な構造ではない、造反組>
 さて、衆議院37名・参議院での造反議員22名の内訳を見ると、衆議院では亀井派12名、旧橋本派16名、堀内派3名、無派閥3名などであり、参議院では亀井派12名、旧橋本派5名などである。今回の解散総選挙では、前回選挙で比例単独候補をのぞくと31選挙区が、造反議員と自民党公認(新人)の競合となる。
 小泉は、31選挙区すべてに公認候補を立てると言うが、造反組に古参議員も多いことから、形だけの新人ということにもなりかねない。小選挙区制になって候補者の公認は党中央に一元化されたという事情はあるものの、地方に行けば行くほど、党公認であろうと「ポッと出の新人」を応援する組織などあるはずもない。
 また、造反の中心となった亀井派、旧橋本派でも、派閥を挙げて造反したわけではなく、派閥が「新党」の基礎になることはできず、派閥の分裂という事態も想定されている。
 判官贔屓もあって、造反組=落選という構図も単純に描くことはできないし、各選挙区事情、候補者良し悪しも手伝って、自民党公認組と造反組の当落は、ある意味で選挙終盤にならないとわからないのではないか。
 
<浮かれるな、民主党>
 さて民主党である。岡田代表は、いよいよ政権選択選挙だと言っているが、はたしてそうであろうか。もちろん選挙結果として、政権が転がり込む場合もあるだろう。しかし、今回の解散総選挙は、あくまでも自民党内紛に端を発している。民主党が解散に追い込んだわけではない。小泉が強気なのもこの点である。民主党は、国会審議において、対抗案としての「郵政法案」を出すことができなかった。この間マスコミに登場してきたのは、自民党造反組であり、民主党は民営化反対を積極的に主張してきたわけではない。対岸の火事を見ていたような印象ではないか。
 とは言え、敵失は敵失である。すでに賞味期限がきれてきた小泉政治、「一点張りの賭け勝負」的選挙戦略に動じることなく、増税反対、行財政改革、アジア中心の安保政策で、限りなく政権交代を追及して欲しいものである。
 この間の「自民党内紛」に対して、国民は冷めている。小泉の自分中心主義の独裁的手法への批判も強く、政権交代は十分に有り得る情勢にあるからこそ、「浮かれるな」と言いたいわけである。
  
<公明は本気になるか>
 公明党はどうか。私は、公明党が今回の総選挙において自党の候補者の選挙は別にして、どれだけ政権与党の立場で選挙に臨むのか、疑問を持っている。「勝ち馬に乗る」公明党である。民主との連立に冬芝も言及している。残念ながら、小泉と心中する気は公明党にはない。おそらく大臣を二つ公明に、と言えばわからなくもないが。
 
<共産票はどこへ行く>
 ここに来て話題になっているのが、共産党票の行方である。残念な事だが、党勢の退潮もあり、共産党は小選挙区300すべてに候補者を立てる、という従来の方式を変更した。現時点でも候補者名は明らかになっていない。
 同様の事が、社民党支持者の皆さんにも言えることだが、「自民も民主も実質は保守だ」という論理が、未だに元「左翼」(現左翼かな)の人たちに多い。「よりまし政府」大いに結構ではないか、と私は言いたい。94年の非自民細川政権で野党に下った自民党は、宗教政党をも巻き込んで生き延びてきた。今回の選挙では、自民党、そして造反組を復活させないために、大局的な判断が必要ではないか。

<小選挙区選挙のメカニズム>
 これまで数度の小選挙区選挙があり、その独特のメカニズムが明らかになってきた。小選挙区での当選が増えるほど、比例区の当選も増える。前回の総選挙で、民主党は比例単独立候補を禁じ、すべての候補の小選挙区からの立候補を義務付けた。2003年の総選挙で民主党は177議席を獲得した。ということは177選挙区には現職の国会議員がいるということだ。自民党は造反組37人を除くと212議席となり、欠席・棄権組14人まで公認しなければ、198議席となる。現職のいる選挙区は、177対198となり、十分に勝負になる数字であると思われる。
 公明を加えて過半数を勝敗ラインと、小泉は宣言し、退路を断ったと言われる。しかし、退路がないのは自民党自身ではないか。小泉構造改革への信を問うとも言われているが、9月11日に「自爆解散」と言われるような選挙結果を生み出し、新たな政治のスタートとなることを期待している。(2005-08-08佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.333 2005年8月13日

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【投稿】公務員賃金改悪攻撃続く —-人事院、地域給の導入の勧告—-

【投稿】公務員賃金改悪攻撃続く —-人事院、地域給の導入の勧告—-

 小泉自民党政府は、郵政民営化の影で、着々と公共ーサービスの縮小、公務員賃金の大幅改悪を狙っている。
まずは、スケープゴートとして登場したのが、大阪市役所厚遇問題なるものである。各種手当や福利厚生が民間に比べ、厚遇であるとのキャンペーンを張り、削減を強行。挙句の果てには、現場協議などで確立していった「実力専従」を剥奪するといった、労働組合つぶしに奔走している。
 この大阪問題に端を発し総務省は、7月19日、すべての都道府県、市区町村を対象とする「職員団体に係る職務専念義務の免除等についての調査」の実施を要請した。時間内組合活動の規制から自治労解体攻撃へと権力の意図はミエミエである。蛇足になるが、自民党の武部幹事長は、この間の定例記者会見の中で「公務員制度改革は、わが党の公約です。これを実行・実現していくために、障害になっているのは労組である」「地方行政の中で、自治労がその影響力を強めると、行政が如何にゆがんでしまうかという教訓でもあり、このままでは、自治労が地方自治体を滅ぼし、ひいては国家の存立さえ危うくするのではないかと心配する。」などと発言している。ここに権力の側の攻撃の意図を見ることが出来る。
 組合側の脇が甘いとか、いくらでも批判は出来るが、今起きていることの本質は、「大増税路線」、特にサラリーマンへの増税といった政策へ突き進もうとする権力の側が、「悪いのは公務員だ、言うことを聞かない公務員の組合だ」とレッテルを貼り、労働者を分断し国民の目をごまかす以外の何者でもない。かっての国労解体攻撃の焼き直しの感もある。
 そして、第二弾として登場したのが、民間賃金の低迷、格差の拡大といった背景に行なわれている、地方の公務員の給料は高すぎるといったキャンペーンと人事院による地域給与の導入である。地域給与とは、全国の公務員の賃金を押しなべて5%削減し、首都圏など一部に手厚くし、地方の給料はおおむね削減となる、権力の側にとっては都合の良い制度である。国家公務員の場合には、あくまで官民格差の配分問題(地域給の導入で余った原資は、広域異動手当など他に使う)であるが、地方公務員の場合は、東京23区などを除いて全国ほとんどの地区で大幅な給料ダウンが避けられない状況である。
 自治労は、各地方からの上京上申行動など大規模な闘いを組んだ。特に賃金の削減必至となる各地方県本部は、本部動員を上回る取り組みなど積極的な行動をとっている。
 このニュースの発行される頃には、地域給導入を含めた人事院勧告が出されると思うが、各自治体での導入阻止に向けたたたかいは、これからが正念場である。
以上のように、今回の攻撃は、新たな質と規模を持ってかけられている。
 今までは、自治労は、どちらかといえば、二番バッターか三番バッターで、攻撃の矢面には立たない。また、産別組織ではなく単組連合体のため、なかなか権力の側の攻撃も浸透しない「もぐら叩き」のようなものだった。しかし、今回は前述の自民党幹事長発言にもあるように、権力の側は、100万自治労を潰すか、変質させる、このことを明確に意図している。だとすれば、我々も腰を据え長期戦も覚悟でたたかっていくしかないであろう。使い古された「総団結」という言葉はいかがかと思うが、役員選挙や全国一般との組織統合問題、もめるのもいいが、そろそろまとめに入ったらと思うのだが・・・・。 (東京 A) 

 【出典】 アサート No.333 2005年8月13日

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【書評】『絆(きずな)』

【書評】『絆(きずな)』
  (加藤登紀子・藤本敏夫、2005.3.30.発行、藤原書店、2,500円+税)

 周知の歌手、加藤登紀子とその夫であった藤本敏夫との間の獄中書簡集である。藤本は、1944年生。同志社大学で学生運動に参加、京都府学連書記長、68年には三派全学連分裂後に結成された「反帝全学連」の委員長となる。数度の逮捕・拘留を経て、69年、内ゲバ激化に反論し学生運動から離脱。72年4月に公務執行妨害・凶器準備集合罪などで実刑判決を受け、下獄。74年9月に出所。(藤本は、その後農業志向の運動体を組織したが、2002年7月に死去、享年58。)

 本書はこの間の書簡を集めている。量的には加藤からのものが大半を占めている。その中で、加藤の歌の視点と藤本の運動観・歴史観が相互に影響しあいながら、変化していく。(なおこの二人は72年4月に結婚し、12月に長女が誕生している。)

 加藤からの書簡・・・「うたは、人が生きること、それ自体ではない、もっとかなたの何かに想いをかけてしまう時に、生きる営みのすき間からこぼれるものではないか、と思います。/生きるということに執着する世界は、それとして、あくまでも生きていくのでしょう。幕末の志士たちの死に絶えた後に、着実に、権力を築いた人たちのように・・・。これまで、ほとんどいつも、革命家は死にました。それは、ずっとかなたの何かに向って、飛び立つ人の運命なのでしょう」(72.9.19.)。

 藤本からの書簡・・・「驚くなかれ僕は小説を書こうと思っているのです。(略)私としては論理化しえないものを論理化しようがないと云う気持ちもあるのです。(略)題はサガン女史にならって『マルクスなんて知らないよ』とでもしようと思っています。学生運動がテーマなのですが、(略)六〇年代後半のかなり高度な行動力を支えた学生達の夏の在り様を、左翼の論理ではなく、彼ら自身の言葉と心情で書いてみようと思うのです。(略)マルクスなんて知らないよと云うことは言葉に対する反抗という所まで行った総体としての状況否定の心情をあらわしており、今日、多分マルクスは論理派の立脚する最後の砦となっているのです。論理が無意味だと言うのではありません。従ってマルクスの諸説が無意味だと言うのでも当然ありません。私の言いたいのは運動の中であらわれた論理信仰が無意味だと云うことです」(73.5.3.)。

 ここから両者は、それぞれに変化、進展していく。加藤は、それまで属していた石井事務所からの独立と中南米・中近東への旅の後、次のように書く。

 「うたうことは以前よりはるかに、私にとって大切なことになっています。と同時に、その大切さは、日常の生活の中の大切さと同一のものになっていきます。/私のコンサートには、七〇に近い老人から、十八くらいの少年まで来ます。/今までは、音楽の質による断層がとても気になって、そうした客層の開きが嫌だったのですが、それは大変な間違いだとわかりました。/(略)フォークやロックの連中が生み出した、音楽とのかかわり方のナイーブさは、老人に伝わりにくいけれどそれがナイーブである限りは拒絶し合う関係にはないはずだと思うのです。/数百年生きてきている民俗音楽と、最も新しい音楽とが今ほど近づいたことはないのです」(73.10.6.)。

 「(前略)この二年間、私の中では、一つの確かな思いがありました。/中近東の旅の中で見た、宗教と人間共同体との結びつきのすごさから発し、近代都市のかたわらにありながら、全く数百年の営みを脱していない、無数の人間の、土俗的な生活の存在です。/モロッコの原住民のベルベル族は、少女の頃に、天空のかなたへとどく、叫びを身につけるそうです。それは、愛の叫びともなり、神への祈りともなるのです。音楽というものは、もともとそうしたものでありました」(74.7.10.)。

 藤本の方の変化は、出所後の準備とも関連するが、次のようである。

 「ライフ・ワークに対する僕の目標は新たなコミュニティを創ってみたいと云うことに尽きます。旧いコミュニティは断片的で専門分化的で機械文明を代表します。それに対して新しいコミュニティは有機的で、包括的で、巨視的な統合文化の表現としてたちあらわれます。僕の視点の一つは時代変化の動因たる技術の価値転換にありますが、そもそも技術は人間機能のいずれかの部分の拡大・延長ですから、価値の基準は人間機能の全面平衡・調和にあると言えるでしょう」(73.10.3.)。

 藤本は農業志向を加熱させ、「農業を軸とする地域共同体の試みは、僕の考えでは全く新たな実験となるはずです。政治、経済、文化の新生を可能とする新たな生活構造を先験的に作れるかどうかと言う所です」(74.4.7.)と述べる。

 そしてこれを支える背景として、仲小路彰『未来学言論』等の影響下に、各地の「産須那」(ウブスナ)の神々の再興を唱えるに至る。藤本がこの「産須那」の神々(地域の土着的伝統的守護神)の位置づけをどう見たかは十分展開されていないが、出所後の「大地」「鴨川自然王国」等の試みに繋がるものと言えよう。

 以上、加藤-藤本書簡集の紹介をしてきたが、両者の関係の中に、加藤の歌と藤本の運動を目指すものとの間に微妙なズレがあり、それをただ加藤の方がカバーしていこうとする記述が目立つというのが正直な感想である。しかしその過程で加藤が次第に自立していく側面を見せるのが印象的である。また藤本の視点が変化していく跡付けも、今後の興味深い課題である。

 なお付言すれば、1930年代以降中野重治が獄中から妻政野(女優の原泉)に宛てた書簡集(『愛しき者ヘ』上・1983年、下・1984年発行、解説・澤地久枝、中央公論社)と本書を読み比べて、本書に緊張感とユーモアが欠けると評者が感じるのは、戦前と戦後の政治状況の差と同時に、先述の両者の微妙なズレに起因するのかもしれない。(R)

 【出典】 アサート No.333 2005年8月13日

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【投稿】ロンドン・テロと小泉政権

【投稿】ロンドン・テロと小泉政権

<<「たそがれ」サミット>>
 7/7、イギリスにサミット八カ国(G8)首脳が参集し、会議を始めかけたまさにその日、ロンドンで地下鉄やバスを狙った同時多発爆弾テロが仕掛けられた。会議は中断され、ブレア英首相は特別記者会見を行い、「我々はこの蛮行を強く批判する。一国に向けられたものではなく、全人類への挑戦である。テロと断固闘う」と怒りに肩を震わせた。ブッシュ米大統領とともに大量破壊兵器の存在というデッチ上げでイラク侵攻という「蛮行」を行ってきたブレア首相が名誉回復と威信をかけ、支持率挽回に期待をつないだサミットが台無しにされたのである。
 ロンドンは4年前の9・11テロ以降、「反テロ法」を施行、強化し、100万台ともいわれる街頭監視カメラが設置され、イスラム系住民の不当逮捕・拘束等々が頻繁に行われ、主立ったイスラム過激派は常に監視下に置かれる、いわば「監視社会」と化していた。それでもそれをあざ笑うかのような同時多発テロがおこなわれた。現実は、こうしたテロを治安立法の強化や監視社会化や弾圧体制の強化によって防ぐことは到底不可能であることをあらためて明らかにしたといえよう。ブレア首相自身がしぶしぶながら認めているように、「この種のテロは、治安対策だけでは阻止できない」のである。
 7/10付朝日社説は、「主要国首脳会議(サミット)は、その年ごとに世界の世相を反映する。30年を迎えたことしのグレンイーグルズ・サミットが示したのは、『たそがれ』だった。 」と指摘している。「まず参加者たちだ。主要8カ国の首脳のなかで政権の足元がぐらついているのは、小泉首相だけではない。ホスト役のブレア英首相は、総選挙で与党の議席を大幅に失った。シラク仏大統領は欧州連合(EU)憲法の批准を国民投票で否決され、シュレーダー独首相の与党は地方選挙で負け続けている。ブッシュ米大統領の支持率も、就任してから最低の水準で低迷している。」、そして「『新しい世代のテロリストの出現を防ぐ』という視点は必要だ。しかし、それなら、イラクやパレスチナの悲惨な状況がテロ組織を広げている現状についても、もっと議論すべきだったろう。」と述べる。

<<「殺意の思想」>>
 それでもこの「たそがれ」サミットの出席者たちにとっては、今回のテロ攻撃は、干天の慈雨であったのかもしれない。高騰する石油価格と中東地域の政治不安、アフリカへの支援策、地球温暖化問題、国連改革問題、どれをとっても利害は対立し、具体的な成果は期待しがたく、解決への意欲さえ疑われていた。そこへこのテロ攻撃である。サミットは急遽、難問を適当に棚上げして、「テロとの国際的闘いでの団結」を決議し、「罪なき人々へ無差別攻撃を行う者たちを、われわれは一致団結して断固として撃滅する」と宣言した。
 ブッシュ米大統領は「21世紀の『殺意の思想』に米英両国で立ち向かう」として、米英同盟の結束で対テロ戦に勝利する決意を示したが、イラクやアフガンで無差別攻撃を行い、「罪なき人々」を苦境に陥れてきた米英のサミット当事者が今さら何を言うかではあるが、いかにしてテロを「撃滅」するのか、テロを拡大させてきた当事者には、「テロ拠点の一掃」の名の下にさらに展望のない戦争拡大政策しか提示できていない。それこそが「殺意の思想」であろう。しかしそれはさらなるテロの拡大をしかもたらさないことは明らかである。
 今回のロンドン・テロの場合、サミット当事者の「テロに屈するな」の合唱にもかかわらず、ロンドンやイギリスの民衆からは「テロ撃滅」のための好戦的報復や熱狂の声は上がらず、むしろ「対テロ戦争では安全を守れない」という冷静な認識が語られていることに、認識の変化と特徴があるといえよう。

<<「赤旗」まで評価>>
 そして小泉首相もまた、「結束してテロとの闘いを続けていかなければならない」と表明し、「対テロ戦争」の強化に諸手を挙げて賛成してきた。そこで出てきた「テロ対策」は、「ゴミ箱撤去」「監視カメラ増設」や「地下鉄避難の仕方」など、不安と恐怖をあおり、猜疑心を高める警察国家、監視社会体制、人権抑圧体制、そして共謀罪法の制定である。
 日本の大手マスメディアはこぞってテロ事件を非難し「テロとの国際的闘い」を支持し、さらなる「テロ対策強化」を主張している。読売が「毅然とした姿勢で臨め」、「テロによって得るものは何もないことを示さなければならない」と主張し、産経が「G8が『打ち負かすことを決意する』としたのは当然」、「国際テロには、世界各国が協力して立ち向かう必要がある」と主張する。これにたいして毎日は、「自衛隊を派遣した日本も決して人ごとではない」、「浮き足立つ必要はないし、卑劣な脅しには屈してはならない。だが、起こりうるテロに対して日本も真剣に、冷静に対策を再検討する必要がある」と主張、朝日は「むき出しの武力だけではテロを押さえ込めないどころか、はびこらせる結果にさえつながる」と当然の指摘をしながらも、「この戦いに勝つには、警察や情報機関の操作能力を高めるしかない」、「国際的な監視網、捜査網に各国がもっと投資すべきだ」というのだからあきれたものである。
 共産党の「赤旗」までもが「地球上からテロを一掃していく基本は、断じて卑劣なテロを許さないという国際世論を大きくし、テロの策動の余地を封じ、なくしていくことです。テロ対策で二度目のG8声明は最終第七項を『国際的なパートナーシップの強化』としています。そこでいうように、『国際的な義務、規範、標準が普遍的に履行され』なければなりません。」(7/10付)と主張し、サミットのG8声明を支持している。
 テロの標的が「次は日本」という当然の懸念は、日本にとって最大の問題がイラクへの自衛隊派遣にあること、小泉政権のブッシュ追随政策にあることが誰の目にも明らかであるにもかかわらず、日本のマスメディアで自衛隊撤退を主張したところは皆無なのである。ここに日本の現下のマスメディア、与野党を問わず政治の貧困化が現れているといえるのではないだろうか。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.332 2005年7月23日

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【投稿】05’都議選 民主35、前回比13増をどう評価するか

【投稿】05’都議選 民主35、前回比13増をどう評価するか
–自民5減の48、共産また後退–

2005年7月3日行われた都議会議員選挙は、投票者数4、435、435人、投票率は43.69%であった。都の人口は12、020、000(昼間人口14、695、300)有権者総数10、082、864人。首都東京の今後4年間の行方を争点に闘われ、自民48、民主35、公明23、共産13、生活・女性ネット3、社民0 その他5で、定数127の議席が確定した。
任期は4年、都内全体で42選挙区(多摩地区の一部と島部は複数の市町村をまとめて1つの選挙区として合区と呼んでいる)がある。その内訳は、23区、12市、合区7(島1を含む)となっている。

☆ 女性議員22人(定数127)ようやく17、3% まだまだもっと躍進を!
超高齢化社会を迎える中、介護や育児を主に担う女性にとって、厳しい時代になっている。パートタイム雇用など非正規職員が正規職員比率に逆転して増加するなど、労働市場での女性の労働条件は劣悪になっている。若年労働者、特に若い女性にとっては、その諸権利の劣悪さが出生率の低下となって現れる等、政治的な局面で解決すべき課題も多く、首都東京での女性議員の増加が期待された。
今回の女性当選議員は22人、前回19人、前々回13人と較べ過去最高で、17.3%と増加している。そのうち、民主は6人(前回3人)、生活・女性ネット3人(前回6人)と民主党と生活・女性ネットで支持者を食い合う結果となり実質増にならなかった。民主党が、生活・女性ネットまたは社民党から推薦を受けた17名は13名が当選しているのに比して、民主が生活・女性ネットを推薦した7人中当選は2人で、世田谷、杉並で新旧交代が果たせず議席を失い、結果として半減した事は、共闘の方法・戦略の再検討が必要であろう。
しかし選挙後、生活・女性ネットの大河原代表は「『働く、育てる 市民力』のスローガンで10名の候補者を立てたが2大政党化の流れの中で自民・民主の構図が注目され東京の未来を選択する選挙にならなかった、今後は議会で民主と協力して行く」と表明している。

☆ 35議席獲得の民主党は、第2党の座に躍進
石原都政の企業優先政策、福祉・医療分野での「弱者切り捨て政策」に見られる公的責任の放棄を憂い、その転換を望む人々が、自民党や石原支持の公明ではなく、民主党に一票を投じたと思われる。
前回都議選以降の東京での選挙得票率をみると、民主党は自民党を上回っていたにもかかわらず、議席増につながっていなかったが、今回は35議席と第2党を獲得している(表1)。
自民党と民主党の直接対決になった選挙区で、民主の得票率が自民をうわまったのは、今回14選挙区(前回1)で、武蔵野市の女性新人の45.2%が得票率が最も高く、小平市の新人42.9%と続いている。
また、民主党が複数の候補者を立てた選挙区でも、世田谷、江東、杉並区は2人ともに当選、1人当選は中野、北区であったが、「4人以上の複数選挙区では複数候補者を立てて闘った」(川端幹事長談)との攻めの戦略が効をそうしたと言える。
自民は、公明と競合しない選挙区で17人の推薦を受け、16人が当選している。これまでにもまして公明への政策的配慮が必要になるのではないか。
共産党は、国政の退潮傾向に対して得票率、議席数とも踏みとどまった感がある。また定数2の文京区、日野市で元職が返り咲いたことは特筆すべき事かもしれない。ただし新人は0、また大物現職引退の品川、太田、豊島、葛飾で議席を失っている。全選挙区に候補を立てているのは相変わらずだが、市議選・区議選に落選した人まで立てているのでは、選挙民は、本当に東京の政治をよくし、都民の事を考えているのか疑問に感じるのではないだろうか。前衛政党と呼ばれた頃はすでに幻の中か。5選挙区で共産党現有議席を民主党が奪っている。
社民党は、今回候補者を1人に絞っての立候補であったが、「2大政党」「低投票率」にのまれ、「市民派、9条の絆」を訴えた候補者は、自公への批判票を獲得出来ず、議席を獲得出来なかった。

(表1)党別得票率、議席数の推移

自民 民主 公明 共産 市民 社民
01都議選(前回) 36% 13.5% 15.0% 15.6% 2.8% 3.7%
03/11参議院比例 (53議席)33% (22議席)40% (23議席) (15議席)9.3% (6) (0)
04/7参議院比例 27% 39% 9.4%
05/7都議選(今回) 30.6%(48/3) 24.5%(35/6) 18.0%(23/2) 15.5%(13/6) 4.1%(3/3) 3.6%(0/0)

* (48/3) の表記は、48議席中女性議員3人を表す。
* 社民の01年都議選3.7%は、05年と同じ世田谷選挙区の得票率で比較した
01年都議選では6選挙区に候補者を立てて、得票率は1.4%、議席数0であった。

☆ 投票率の長期低落傾向は
投票率43.9%と前回を6.0%下回り、前々回40.8%に次ぐ過去2番目の低さであった。しかし投票に行かないのは選挙民の怠惰だけが原因ではない。小選挙区制、並列制、非拘束名簿方式、惜敗率など、分かりにくく結果をみると政権党が有利となる工夫ばかりでは選挙民は呆れて選挙に行かなくなる。そして「何も変わらないから棄権する」また「政治への無関心」を標榜する層の増加は広く世界的に見られる。議員内閣制や選挙制度は、18世紀半のイギリスに産声を上げたもの。日本では1900年代に作られた選挙制度が、激動の時代をへて、現在の社会の構成員が納得でき、意見反映できるシステムとして有効なのか、根本から問い直す必要があるのではないだろうか。

☆ 昼間人口266万(H12年国勢調査)の意見を都政に反映する方法はないのか
東京は巨大な都市で、昼間仕事をする為に東京に通勤する勤労者や通学する学生がたくさんいる。このいわゆる昼間人口は、埼玉県、神奈川県から約100万人づつ、千葉県からも約80万人が流入していて、266万人にのぼるといわれている。この人たちは、東京の行政のあり方に深くかかわり、利益も不利益もうけ大いに関心があるにもかかわらず、今の選挙制度では都政にその意見、意思を反映することが出来ない。こんなところにも投票率が上がらない原因があると思われる。
東京都昼間人口 14,695,300
夜間人口 12,016,271
昼間人口の比率   122.3

☆ 都民に分かりやすい手法を
自民・公明の合計議席数は過半数を大きく上回っており勢力地図に大きな変化はない。都政運営はあまり変化しないと見るむきもある。しかし、石原知事の非民主的な議会運営に対する批判は、都議会「百条調査委員会」で発揮され、知事の懐刀といわれた浜渦副知事や出納長を更迭(7/22)させるまでに追い込んでいる。さらに都議会はこれで4年間の切符を手にした訳で、後2年しかない石原知事より優位に立つ。
これまでの強権的な都政運営への批判が民主党への期待として動いたわけで、民主党が「政権交代」を言うからには、既得権重視の自民党や石原流政治手法に対抗し、選挙戦を闘ったマニュフェストにそって、都民に分かりやすく、問題のある予算や条例についてはその修正や対案を提示するなど、その行方を都民に見せる事が大切である。
4日未明、川端幹事長は民主党に寄せられた声として「税金を無駄遣いしない都政」「都民が納得できる身じかな政治」「都民の目線で判断する勢力として育って欲しい」そんな都民の期待を感じたと述べている。裏切る事のないよう、今後の頑張りに期待したい。        (E.T東京都在住)

【出典】 アサート No.332 2005年7月23日

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【投稿】 あぶない教科書はいらない! — 扶桑社の教科書採択を阻止しよう—

【投稿】 あぶない教科書はいらない! — 扶桑社の教科書採択を阻止しよう—

 4年前、日本全国が教科書の採択に揺れいていた。しかし、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)のつくった教科書のあまりに非科学的な内容、誤った記述、海外からの注視と各地の運動によって、結局その採択率は0.039%と0.1%にも満たない状況に終わった。そして、今年も各自治体の教育委員会で教科書採択の時期を迎えた。しかし、前回ほどマスコミはこの問題を報道していない。では、安心していていいのであろうか。いや、現在の状況は前回よりずっと悪い状況になっている。前回の失敗に学んだ「つくる会」とそれに加担する右派勢力は、静かに巧妙に「つくる会」の扶桑社歴史・公民教科書を浸透させようとしている。彼らは、日本の全体的な右傾化の重要な戦線として、「つくる会」教科書採択を突破口にしようとしている。

◎右派に乗っ取られた文科省
 そもそも前回の「つくる会」教科書は検定にも通るような代物ではなかった。歴史教科書では138箇所も検定意見が出され、現行本でも143箇所の誤りが指摘されており、とてもまともに使えるようなものではない。NHK圧力コンビの安倍晋三や中川昭一など自民党右派によって無理やり検定を合格させたものの、採択するところはほとんどなく、前回の採択では惨敗という状況であった。
しかし、その影で確実に進んでいったものがあった。それは、文科省による教科書への支配である。「つくる会」教科書惨敗の影で、日本の植民地支配や侵略戦争の実態をきちんと描き、従軍慰安婦についても詳細な記述を残した日本書籍のシェアが13.7%から5.9%に落ち込み、今や実質倒産の状態である。一方、比較的無難といわれる東京書籍のシェアが40.4%から51.2%と大幅に伸びた。「つくる会」のキャンペーンの中で、教育委員会はあまりゴチャゴチャ言われない教科書を選んだのである。実はこの東京書籍は文科省官僚の天下り先である。この結果、文科省が教科書をコントロールできる状況が作り出されつつある。現在の中山文科相は、「つくる会」議員連盟の前座長であり、この間の発言を見ても民族主義・排外主義の確信犯である。彼は、昨年11月の採択教科書の検討の時期に「教科書に慰安婦・強制連行の記述が減ってよかった」などと発言している。明らかな圧力である。また、町村外相、安倍幹事長代理らと密接に連携をとり、この4年間で、「つくる会」・扶桑社・自民党・文科省が協力する関係が着実に積み上げられてきたのだ。このような動きを背景に「つくる会」は10%採択に自信を示している。

◎変わらない「つくる会」教科書のあぶない本質
 今回の検定にあたって、「つくる会」は残存していた143箇所の問題記述のうち56%を訂正・削除した。このことは、採択に向けた彼らの意気込みが示されている。しかし、いくら訂正してもその本質は変わらない。教科書情報資料センターの上杉聰氏は次のような問題点を指摘している。①強い主観性と排他性を持つ宗教史観(皇国史観の基盤)考古学で実在が否定されている天皇神話の歴史化 ②天皇中心の家族的国家観 いきなり巻頭で日本史は「みなさんと血のつながった先祖の歴史」外国人は対象外 ③国内の民衆・女性・部落などの歴史を軽視 他社がすべて載せている「渋染め一揆」を載せない ④他国への優越的支配意識と自国中心史観 日本は素晴らしい 大戦は仕方なくやった 新羅は独自の律令を持たなかった(ウソ) (日本軍の)緒戦の勝利はめざましかった…たちまちのうちに日本は広大な東南アジア全域を占領した…日本の将兵は敢闘精神を発揮してよく戦った(戦争の悲惨さ、過ちの意識は微塵もない) 日本の南方進出は…アジア諸国で始まっていた独立の動きを早める一つのきっかけになった。等々。
 驚くのは、検定意見によってさらに改悪されている部分があることだ。竹島問題について、当初「つくる会」教科書は韓国が「占拠している」と書いていたが、検定意見では占拠の前にわざわざ「不法」がつけられた。同様の記述の他社の教科書にはこのような意見はなく、「つくる会」教科書がいかに文科省の意図を表現するために利用されているかがわかる。
 そして、注意しなければいけないのは、このような動きに引っ張られて他社の教科書も少しずつ真実を伝えなくなってきていることだ。9年前に全社が載せていた従軍慰安婦問題は、今や1社も触れられておらず、強制連行も2社しか載せていない。もし、「つくる会」教科書が大きく広がらないとしても、このことだけでも彼らの勝利といえるのではないだろうか。
さらに、公民の教科書もひどい内容である。「世界で活躍する日本人」のグラビアの最初は自衛隊であり、巻末資料に「世界人権宣言」「子どもの権利条約」「男女雇用機会均等法」などが載っていない唯一の教科書である。

◎地域から運動を起こし、教育委員会に働きかけを
 このように厳しい状況であるが、「つくる会」教科書のようなあぶない代物を子どもたちに渡してはならない。今回「つくる会」は、前回とは違い深く静かに採択を狙っている。すでに7月13日、栃木県の大田原市で市町村最初の「つくる会」教科書採択が行われた。他にも日教組組織の弱い、愛媛県、熊本県、福井県、鹿児島県などが危ないと言われ、東京でも約半数は採択されるのではないかと言われている。関西では和歌山県が要注意とのことだ。右翼以外このような教科書を本気で良いと思う人はいない。とにかく地域の住民と連帯して地元の教育委員会に働きかけることだ。靖国問題とも連動し、今回は中国・韓国からの働きかけも大きい。7月中にはほぼすべての自治体で採択教科書が決定する。早急な行動が求められている。
 教科書問題の学習会で、上杉聰氏が「軍隊や武器を何ぼつくっても戦争はできない。戦争が必要だと思う人をつくらなければ。」とおっしゃったのが印象的である。日本の現在の危機を戦争への道を開くことで打開しようとしている自民党右派にとって、それは焦眉の課題であり、教科書問題に注ぐ彼らの思い入れを察することができる。グローバリズムの中で世界が不安定になり人々の不安が広がっているとき、ナショナリズム・排外主義の流れに対抗するのは決して容易なことではない。しかし、現在の不安定な世界を平和的に和解させていく未来を担う子ども達のためにも、国家間の対立と憎悪を煽るこのような教科書を絶対に採択させてはならない。闘いは今回だけでは終わらない。将来を見据え、アジアの民衆とも連携した腰を据えた闘いが求められている。(若松一郎)
(この文章の内容は、上杉聰氏による学習会の内容に全面的に負っています。詳しい内容はhttp://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/ 教科書情報資料センターのHPをご参照ください)  

 【出典】 アサート No.332 2005年7月23日

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【書評】『現代規範理論入門—ポスト・リベラリズムの新展開』

【書評】『現代規範理論入門—ポスト・リベラリズムの新展開』
(有賀誠・伊藤恭彦・松井暁編著、2004.5.10.発行、ナカニシヤ出版、2,600円+税)

 本書によれば、「規範理論」とは、「社会のあり方に関する価値判断的な議論を研究対象とする」分野である。従ってそれは価値判断に関わるという性格を持つ以上、絶えず「規範的諸理論と規範的諸価値との関係」を混同することなく、明確に区分しておく必要を持つ。

 このため本書では、対象とされた諸価値–正義、自由、平等、人権、福祉、疎外,共同体、公共性、民主主義、多元主義–のそれぞれに関して反省的思考を保持するという視点から、叙述の形式を整えている。すなわち(1)当該概念が問われている必要性を提起、(2)その概念の基本的な定義の説明、(3)現代の理論的動向や論争状況の紹介、(4)筆者の見解、という順序になっている。ただし上にあげられた諸価値は、現代社会の根幹に関わるものであり、これらについての議論を限られたスペース行うことは難しい。このため本書の説明には「入門書」としては難解な部分もあることを指摘しておきたい。以下いくつかを紹介しよう。

 「第1章 正義–他者と私との間柄の正しさ」(伊藤恭彦)は、「現実政治における正義に対する不信とアカデミズムにおける正義の過剰」という落差の認識から、正義を検討する。それによれば、正義の原型とされるのは、古代ギリシャの正義観念–「正義が共同体の根底にある『正しさ』の客観的な基準」であり、「個人の正義(徳)と共同体の正義」が関係付けられていた–である。ところが20世紀にケルゼンによって、「正義を合法性に限定」し、正義の実質的な規範内容の探求が放棄されてしまった(「価値相対主義的正義、」「形式的正義」)。

 このような状況下で現代の社会正義論では、ロールズの『正義論』以降、分配的正義において「等しいものと等しくないものを選別する実質的な基準」が論じられており、また「実質的規範の正当化」(正義の正当化)の方法をめぐる論戦も展開されている。そして後者の議論は、正義が貫徹すべき共同体の理解の問題へと連なっていく。しかし正義という規範は、ケルゼンによる否定に加えて、現代ではさらに現実の暴力の中で殺されつつある。そしてこれに対して正義の復帰が探られるが、この方向は、デリダなどの、他者への応答責任にそのラディカルなかたちを見ることができるのではないかとされる。

 「第5章 福祉–他者の必要を把握するとはどういうことか」(神島裕子、山森亮)は、「直接、福祉そのものを、『援助』や供給に還元しない」視点から取り組む。それによれば福祉概念には、「福祉を主観的な効用として捉える見方」(ヘドニズム派–J.ベンサム、A.C.ピグーなど)と「福祉を客観的な概念として考えようとする考え方」(エウダイモニア派–A.スミス、C.メンガーなど)があるが、ここでは主として後者が取り上げられる。そして現代におけるその出発点としてのロールズの理論–「正義にかなった社会の基本構造を提示する」ために、「資産の平等主義」と指摘される規範理論–が紹介されて、これに対する批判として、A.センの「ケイパビリティー・アプローチ」(人間の多様性の組み入れとその機能への注目)の理論とT.ポッゲによる福祉のナショナル化批判が検討される。

 またこの議論に関連して、M.ヌスバウムの「人間の中心的なケイパビリティー」のリスト–「人間性を構成する特徴が自然の選択肢の変化を受けて変わる可能性があること、また、他文化との出会いによって普遍と特殊の関係が交代する可能性があること」を含む「可変的」リスト–が示される。

 この他、「第7章 共同体–自己と道徳性の諸源泉」(坂口緑)は、共同体と自己との関係を結びつける「道徳性という契機」へ注目する。また「第8章 公共性–市民社会という準拠点(有賀誠)での、「S.ジジェクが『民主主義』について語った次のような言葉は、おそらく『公共性』に置き換えたとしても、そのまま妥当する。『歪みを取り除いて、〈宇宙〉をその純粋無垢な形で捉えようとすると、正反対の結果になってしまう。いわゆる『真の民主主義』とは非民主主義の別名である』」との指摘も鋭い。

 このように本書は、現代社会に通用している諸概念が、規範理論的には根深い論争を含んでいることに気付かせてくれるという意味では「入門書」と呼ぶに適した刺激的な書である。しかしこれらの理論そのものが高度な専門性を持つという状況を踏まえれば、本書で紹介されている諸規範をどのように普及理解させていくのかが、今後著者たちの知恵の絞りどころと言えよう。(R) 

 【出典】 アサート No.332 2005年7月23日

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【本の紹介】高橋哲哉著「靖国問題」(ちくま新書 2005年4月)

【本の紹介】高橋哲哉著「靖国問題」(ちくま新書 2005年4月)

 日中韓をめぐって、焦点の一つとなっているのが、「靖国神社」問題である。本書は、この靖国問題を「感情の問題」「歴史認識の問題」「宗教の問題」「文化の問題」「国立追悼施設の問題」に切り分けて、靖国神社そのものの本質、そしてこれらの「戦死者追悼施設」そのものが持つ政治との関係を明らかにする。大変明快な内容となっている。

 著者は、まず「感情の問題」から解き明かそうとする。
 「靖国神社は、大日本帝国の軍国主義の支柱であった。たしかにそうなのだが、この問題のポイントの一つは、靖国信仰がかつての日本人を「軍国主義者」にしたかどうか、というレベルにおいてだけではなく、より深層において、当時の日本人の生と死そのものの意味を吸収し尽くす機能をもっていた点にあるのではないか、と私は思う。」と著者は述べている。
 出征し、天皇のために戦死した夫、子供をもつ「靖国の母」達の、悲壮なまでの靖国信仰発言と、日本に植民地化され、皇軍に徴用され戦死した台湾の人々が「靖国神社に合祀されている」事を知った台湾の人々の感情。靖国を巡る国内外の感情の有様を明らかにしつつ、著者は、戦前は国家宗教としての靖国神社とその儀式が、戦死を悲しむのではなく、「天皇に捧げた命」という方向に導き、「靖国の妻」「靖国の母」「靖国の遺児」など国民全体の生と死の意味を吸収しつくす機能をもっていたことを明らかにしていく。「感情の錬金術」として、戦争執行国家の不可欠な機能を果たしてきたわけである。
 靖国の発端は、日清戦争・台湾征討における膨大な戦死者への顕彰から始まっている。凱旋した将校・兵士には名誉が与えられたが、戦死した兵士に対してどうのように処するべきか。1895年11月の「時事新報」に掲載された「戦死者の大祭典を挙行す可し」と言う論説のなかに著者はその答えを見出すのである。
 日清戦争の戦死者1万3619人、「台湾征討」1130人に対して、国家的名誉を与え、明治天皇による祭典を挙行すれば、「名誉の戦死」に続く兵士を確保できる。そうでなければ、引き続くであろう戦争に軍隊を送りつづけることができない、というのである。
 天皇のための戦争を継続するためにこそ、国家装置としての靖国神社の祭典が必要とされたのであった。死を悲しみから切り離し、名誉とするための装置として。
 
 つぎに、著者は「歴史認識の問題」について展開する。
 戦死者を追悼する場合、その戦争の性格をどう理解するのかという問題を抜きに語れない。「国のために斃れた」とは言え、他国に侵略し、蹂躙し、戦闘員を一般市民を殺戮した戦争責任について、歴史認識の問題が現れるのである。
 特に、中国韓国が、A級戦犯を合祀している靖国を首相が参拝することを強く非難している問題である。
 ただ、著者はA級戦犯合祀問題を中心に据えることは、逆に靖国問題を矮小化させる危険性があると警鐘を鳴らしておられる。
 A級戦犯として、東条英機元首相はじめ14名が、靖国神社に合祀されたのは1978年10月である。BC級戦犯として刑死した1000名以上は、1970年までに合祀を終えていた。国際的批判はまだ起きていない。そして1985年戦後政治の総決算を掲げる中曽根首相が「公式参拝」を行った時点で、中国政府は、「公式参拝は、日本の侵略戦争を正当化するもの」と強く反発し、政治問題化してくる。
 戦争遂行者としての兵士については、日本軍国主義者の犠牲になった人民として捉え、戦争責任者としてのA級戦犯の合祀についてのみ言及するという中国政府の姿勢について、著者は、あらかじめ「政治的妥協」を前提としたものであって、それならば合祀を止め、分祀すれば事は済むというような論調に対して批判されている。
 「私が強調したいのは、A級戦犯分祀論は靖国神社問題における歴史認識を深化させるものではなく、むしろその反対にその深化を妨げるものだということである。・・・今仮にA級戦犯が分祀されたとしてみよう。そのとき何が起こるだろうか。・・・日本の首相が公式参拝する・・・そして次にA級戦犯合祀が公になってから今日まで途絶えている天皇の「御親拝」が復活する。・・・」A級戦犯をスケープゴートにして戦争責任論が東京裁判とおなじように曖昧にされていくであろうと。
 さらに、靖国が日本帝国主義の植民地支配のための戦争に斃れた軍人を「英霊」としてきた歴史そのものも明らかにされる。靖国神社に合祀されているのは、明治維新7,751柱にはじまり大東亜戦争2,133,915柱まで合計2,466,532柱であるが、(靖国が公表している戦争名、数字)1935年9月20日発行の「靖国神社忠魂史」全5巻によれば、「そこに靖国神社の戦争のもう一つの歴史が、つまり日中戦争とアジア太平洋戦争以前の無数の戦争の歴史が、それらをすべて「聖戦」とする靖国神社の立場から記述されているからである。・・・『靖国神社忠魂史』全5巻は、植民地支配のための日本の戦争を栄光の戦争として顕彰し、靖国神社の「英霊」たちを、植民地帝国確立のための「尊い犠牲」として顕彰している点で貴重な資料である。」と。
 続いて、著者は、憲法の政教分離条項に関連して「宗教の問題」を、そして、死者を追悼することを日本文化の問題だとする論調に対して「文化の問題」を取り上げ、最後に靖国問題の「解決策」として提起されている、靖国に替わる「国立追悼施設」について、「国立追悼施設の問題」を展開される。紙面の関係で、詳しい紹介はできないが、新たな国立追悼施設を造ったとしても、「第2の靖国化」の危険性を否定できない。自衛隊が海外での活動を行い、「国のために」斃れた場合、またしても同じ問題が生起して来るのである。国のために斃れた兵士(一般市民も含まれる可能性はあるが)を追悼し、天皇が、首相が儀式に参加していけば、第2の靖国になっていく。
 こうして靖国をめぐる歴史、国内外の感情問題などを分析して、分祀問題・国立追悼施設問題について、著者の結論とされるのは「・・・決定的なことは、施設そのものではなく施設を利用する政治であることにほかならない。・・国の政治にとりこまれ、「靖国化」することがありうることを忘れてはならない」と。
 そして、おわりの項では、靖国問題の解決として、「政教分離の徹底、国家機関としての靖国神社の廃止、天皇・首相の参拝など国家と神社との関係性を絶つ」「合祀取り下げを求める遺族の要求に靖国神社が応じること」これが、実現すれば
靖国は、「そこに祀られたいと遺族が望む戦死者だけを祀る一宗教法人として存続することになるだろう」と。
 本書は、2005年4月に初版が出ているが、私が手にした時は、既に7版、直近では9版になっており、話題の本となっている。思想の問題として靖国を解明するものとして、是非一読をお勧めしたい。(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.332 2005年7月23日

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【投稿】進退窮まる小泉内閣の危険性

【投稿】進退窮まる小泉内閣の危険性

<<「罪を憎んで人を憎まず」>>
 もしもドイツの首相がヒットラーの墓参りでもしようものなら、世界中から非難ごうごう、全世界から孤立し、当のドイツ国内からも放逐されるであろうことは想像に難くない。ところが靖国神社参拝を通じて本質的には同じ事を行っているということが、小泉首相にはまったく理解されていない。いや、むしろブッシュ政権の対中・対アジア政策の意向をかんがみて、日本の国連常任理事国入りもかなわず、意図的、挑戦的に事態悪化の方向に日本を引きずり込もうとしているのであろう。
 5/16の衆議院予算委員会で首相は、「どの国でも戦没者への追悼を行う気持ちを持っている。どのような追悼の仕方がいいかは、他の国が干渉すべきでない」と、中国や韓国の批判に対して内政干渉論を持ち出し、「A級戦犯の話がたびたび論じられるが、『罪を憎んで人を憎まず』は中国の孔子の言葉だ」とまで言ってのけ、翌5/17には、民主党の仙谷氏の追及に、「他の国が干渉すべきではない」とまたもやいいはり、「けしからんと言うのはいまだに理由がわからない」と開き直り、最後は「いつ参拝に行くか、適切に判断する」としてあくまでも参拝を強行する姿勢をむき出しにしたのである。
 そもそも「罪を憎んで人を憎まず」という言葉は、常識的には加害者側の反省と謝罪に対応して、被害者側が配慮を示して使う言葉であろう。加害者側の日本が被害者側の中国や韓国に対して使う言葉では決してない。ましてや、加害者側の東条英機らA級戦犯を英霊として祭り上げ、「大東亜戦争を戦わざるを得なかった」として日本の侵略戦争を正当化している靖国神社に参拝して、反省と謝罪とはまったく逆行する行動を取りながら、「内政干渉だ!」と叫ぶ姿は異様でさえある。

<<「戦争犯罪人だと認識」>>
 ここまでくると、日本政府がサンフランシスコ平和条約で、A級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)を受諾していることまでをも問題にし、「わが国が裁判の正当性をも承認したことを意味するものではない」とする靖国神社や神社本庁の見解、さらには東条元首相の孫が「極東国際軍事裁判(東京裁判)は勝者の一方的な裁判で納得していない。A級とかB級とかC級とか言うが、便宜上、連合軍が裁判でつけたのにすぎない。この裁判史観を認めることは先の戦争が侵略戦争だったことを認めることになる」などとしてA級戦犯の分祠を拒否する見解と小泉首相の見解が同一線上に並んでしまうものである。
 さすがにここまでくると、首相は「A級戦犯のために参拝しているのではない」、「(A級戦犯を)戦争犯罪人だと認識している」、「靖国神社を参拝することが靖国神社の考えを支持しているととらないでほしい」などと弁明しだしたが、本質的には、そして「戦争犯罪人だと認識」しながら参拝を強行するという意味では、結果的に靖国神社の見解と同一線上のものである。
 訪中していた自民党の武部幹事長が、5/21の会談で、「首相の靖国神社参拝に対する中国側の批判は、内政干渉だという人もいる」と述べたことに対して、中国共産党対外連絡部の王部長から「それは(内政不干渉の原則を確認している日中平和友好条約の)新しい解釈なのか」と激しく反論され、さらに、「(A級戦犯という)国際的に決着したことを内政干渉の範囲に入れる解釈を、与党の幹事長がするのか」と詰め寄られ、何も答えることが出来ず、こうしたやりとりがあったことは、公表しないことを頼み込み、合意したことが暴露されている。

<<「A級戦犯はもう罪人ではない」>>
 それでも懲りずに首相の周辺では、靖国参拝弁護論がこのときとばかりに盛り返し、マスメディアはろくにその問題点を追及もしなければ責任さえ問わない、歴史修正主義がまかり通り、反中国・反韓国ムードが煽り立てられ、東京都の石原知事などは北京オリンピック・ボイコットまで語りだす、危険な雰囲気が醸成されている。
 5/26、森岡正宏厚生労働政務官は自民党代議士会で、小泉首相の靖国神社参拝を「大変良いことだ」と持ち上げ、「極東国際軍事裁判は、平和や人道に対する罪を勝手に占領軍が作った一方的な裁判だ。A級戦犯でありながら首相になったり、外相になった方もいる。A級戦犯の遺族には年金をもらっていただいており、日本国内ではその人たち(A級戦犯)はもう罪人ではない」とまで放言したのである。さらに「中国に気遣いして、A級戦犯がいかにも悪い存在だという処理のされ方をしているのは残念だ。日中、日韓関係が大事というだけで、靖国神社にA級戦犯がまつられているのは悪いがごとく言う。こういう片づけ方をするのは後世に禍根を残す」とも発言をしている。ところが小泉内閣の政務官という公職につくこの人物のこうした発言は、当然罷免されてしかるべき発言であるが、政府は「個人の見解」(細田官房長官)だとして、責任を問うどころか事情聴取さえしていない。
 それどころか、自民党の片山参院幹事長は「森岡さんのような意見は国民の間に昔からある。それを代弁したのだと思う」と擁護し、久間総務会長は「A級戦犯というレッテルは外国が張った」ものだと主張し、その一方で「戦争で負け戦をした首相を一緒にまつることは、私は抵抗感がある」とも語っている。勝っていればよかったという論法である。
 自民党の安倍幹事長代理にいたっては、5/28の札幌市内での講演で、小泉首相の靖国神社参拝について「小泉首相がわが国のために命をささげた人たちのため、尊崇の念を表すために靖国神社をお参りするのは当然で、責務であると思う。次の首相も、その次の首相も、お参りに行っていただきたいと思う」とまで述べている。

<<「ごまをすり、へりくだる」>>
 さらに町村外相は6/6、「無用にごまをする人がいるから日中関係がおかしくなる。率直に言わないと友好関係にならない」として、中国の呉儀副首相が小泉首相との会談をキャンセルして帰国したことに触れ、「自民党国会議員が中国に行き、『町村はキャンセルを事前に知っていたはずだ』と言った。私が知ったのは当日だ。伝統的な日中友好派の人の行動は理解できない。どうしてそこまで、中国要人にへりくだらないといけないのか」と批判した。批判された日中協会会長でもある野田氏は、5/16に小泉首相が靖国神社参拝を継続する意向を表明した直後に、それを理由として中国政府が日本側に呉副首相の訪日日程の繰上げを打診し、首相との会談以前の日程は予定通りに消化することで、折り合っていたし、町村外相も、そうした事情を知っていたとの認識を示唆し、外相が野田氏に対して「『ごますり』と言ったらしいが、感情を表に出した外交は必ず失敗する」と反論している。意図的に対立をあおっている外相に対する当然の反論であろう。
 このときに町村外相はさらに、歴史教科書に対して軍国主義を賛美しているなどと近隣国で批判されていることに対して、「教科書を執筆している人たちは左がかった人たちだ。左がかった教科書でないと日教組に採択されない。ゴルフでいえば左OB(境界外)すれすれの教科書を書くのだから軍国主義を賛美するわけがない」と支離滅裂な論法である。問題の本質をロクに調べもせず、日教組が教科書を採択しているかのようにでっち上げ、その場しのぎの発言をする。あの首相にしてこの外相ありか。アメリカに対しては「ごまをすり、へりくだり」ながら、いきりたっているのである。
 この教科書問題では、従軍慰安婦や強制連行の記述が「減って良かった」と発言してきた中山文部科学相が、6/11、静岡市で開かれたタウンミーティングで、「そもそも従軍慰安婦という言葉は、その当時なかった。なかった言葉が教科書に出ていた。間違ったことが教科書からなくなったことはよかったと評価した」とまたまた問題発言をしている。

<<「やめる方が勇気を要する」>>
 森前首相もこの問題では、5/26、自民党衆院議員のパーティーであいさつし、中韓両国が小泉首相の靖国神社参拝や日本の歴史教科書などへの批判を強めていることに対し、「『歴史を美化する』とか、『政府の反省がない』とか、いちゃもんもいいところだ。日本は民主主義国家で、どんな教科書であれ検定を受けている」と反論している。
 ところがこの同じ森前首相が 6/9の森派総会で、小泉首相に靖国神社参拝の自粛を求めた河野衆院議長を安倍幹事長代理が批判したことについて「議論するのはいいが、先輩を非難することはできるだけ避けるべきだ」と語り、同席していた安倍氏にクギを刺し、「河野さんは自民党が一番苦しい時の総裁だった。総裁経験者として皆さんの意見を聞いた。河野さんの発言は、党を思いやってのことだ」と擁護したのである。首相にとっては意外なことであったといえよう。
 さらに首相にとってもっと意外だったのは、中曽根元首相から決定的とも言える批判を受けたことであろう。中曽根氏は「個人的信条と国家的利益を比較考量するのが総理大臣の仕事だ。個人的信念を通す誉れがいいのか、外交的障害を除くか」と問題を投げかけたうえで、「国連の常任理事国になろうというなら、2、3年前から、個人的信条を犠牲にしても中国、韓国との友好を長期的戦略として考えるべきだった」と述べ、さらに、「小泉君がもっと早い段階で国益を考え自分はやめるといえば、やめぎわがよかった。それが国家の利益にプラスになるなら国民はわかる。やめる方が勇気を要するが、勇気のあることをするのが政治家だ」などと述べたのである。「2、3年前から、長期的戦略として考えるべきだった」と批判されていることは、首相としての不適格宣言を下され、突き放されたようなものであろう。

<<「8月15日午前0時参拝強行」>>
 与党連合を形成する公明党の神崎代表からは、「事態を沈静化させるためには、小泉首相が靖国神社参拝を自粛する、靖国神社に合祀されているA級戦犯を分祀する、国立の追悼施設をつくる。この解決法しかないと思う」、「首相が参拝を自粛することが、この局面では一番重要だ」と述べ、それでも首相が参拝を続けた場合は、「連立の基盤に悪い影響があると思う」とまで迫られている(5/25記者会見)。
 6/20からは「親中派」といわれる自民党の加藤元幹事長や小里派の園田衆院議員、無派閥の野田聖子、堀内派の望月義夫、旧橋本派の山崎力、北岡秀二の各議員らが中国を訪問して、首相によってずたずたにされた日中関係打開の糸口を探るという。
 民主党の岡田氏からは「参拝に行かないと決めることも、相手を説得して考えを貫くこともしない。解決策を見つける責任がないなら首相をやめるべきだ」と退陣を迫られ、首相は「中国が不快感を持っているからと言って、退陣せよという議論とどうして結びつくのか。退陣しなければならないとは考えていない」と否定はしたものの、明らかに小泉首相は進退窮まるがけっぷちに立たされていることだけは間違いないといえよう。
 ところがそのさなかに、「小泉首相は8月15日午前0時に靖国神社の参拝を強行する」との情報が永田町を飛び交っているという(日刊ゲンダイ6/11号)。情報の出所は官邸周辺といわれており、首相お得意のサプライズ戦略、情報操作とかく乱の狙い、投げやりな無責任体質が取りざたされている。
 小泉内閣を退陣に追い込むことが出来るのかどうか、野党の力量が問われている。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.331 2005年6月18日

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【投稿】在日米軍再編の行方

【投稿】在日米軍再編の行方

<明らかになる真の敵>
 アメリカが世界的規模で進めている米軍再編計画(トランスフォーメーション)の大きな焦点のひとつが在日米軍の再編である。
 現在の米軍は、基本的には冷戦時代の対ソシフトのままとなっており、「9、11」以降の「対テロ戦争」、とりわけユーラシア大陸を横断する「不安定の弧」で活動する国際テロ組織やイスラム原理主義過激派を対象とした軍事行動に充分対応できないとアメリカは主張している。
 今回の在日米軍再編は、そうした専ら「新しい敵」に対応した軍事行動の効率化を進めるものであると言われているが、極東地域においては「本当の敵」は中国ではないかと思われる。現在アメリカは北朝鮮を牽制するため、中国を最大限利用したいと考えており、無用な挑発は避けている。しかし、北朝鮮の核問題が解決した後は、台湾問題が浮上するのは明らかであり、ブッシュ政権はそれを見越した動きに出ているようである。
 大野防衛庁長官とラムズフェルド国防長官は6月初旬、在日米軍の再編計画案を年内に合意することで一致した。この日米防衛首脳会談でも、中国の軍事費について、大野長官が「透明性に問題」と指摘し、ラムズフェルド長官も「何を国防費に含めるかは国によって違うが、中国の実際の国防費は公表されている額の2~3倍ある」と懸念を表明、共通の脅威であることが確認された。
 在沖米軍の削減については、昨年沖縄国際大への墜落事故を起こした普天間飛行場のヘリ部隊を嘉手納基地へ移転させることが確実視されている。ヘリ部隊については当初、辺野古沖への移転が有力であったが反対運動で足踏み状態のなか、白紙撤回となりそうである。しかし、嘉手納基地周辺では沖縄市議会で反対決議が採択されるなど、統合反対の動きが強まっており、沖縄県内での「たらい回し」ではなんら負担軽減につながらないことは明白である。逆に浮かび上がってくるのは対中国シフトの強化である。
 先の会談でも大野長官は「沖縄の負担軽減」をあげて、海兵隊の削減を含めた兵力構成の見直しにふれた。しかし、ラムズフェルド長官は「抑止力の維持」が重要との立場を強調した。さらに浦添市の海兵隊キャンプ・キンザー(牧港補給地区)返還問題についてもアメリカ側は重要な補給基地であると主張、返還に難色を示している。これらは、いずれも中国を念頭においたものである。

<進む日本の対中基地化>
 日本本土の米軍再編画もそうした方向に沿ったものとなっている。すでに米第1軍団司令部のワシントン州からキャンプ座間(神奈川県)への移転が固まっている。しかし中東までを作戦区域に含む同軍団の日本移転については、日米安保条約の極東条項との絡みで問題点が指摘されてきた。
 これに対しアメリカは同司令部の機能や名称を縮小、改変、指揮権を「極東」に限定する意向だという。米軍は組織改編で指揮系統を、広域司令部(UEY)と作戦運用司令部(UEX)の2段階に再編する計画を進めている。第1軍団司令部は現在UEYだが、座間移転を機にUEXに改編し、太平洋軍司令部(UEY)の下に置くことを検討している。中国を対象とするなら指揮範囲を「極東」に限定しても何ら問題はないというわけだ。
 また米空母艦載機の夜間発着訓練(NLP)は厚木基地の騒音被害が深刻な事から、一時三宅島への移転が計画されたが、全島的な反対運動の前に白紙撤回となった。それが今回の再編で艦載機部隊が山口県の岩国基地に移転されることが確実となり、NLPも岩国で実施される可能性が強まった。これらの具体的な動きは、グアムの空軍力の強化と合わせて、太平洋軍の矛先がどこに向いているかを示している。

<自らの首を絞める日本政府>
 一方日本政府は、アジアでの影響力拡大のため、自衛隊の外征軍化、米軍との共同行動強化を基本としながら、日本本土の基地機能拡充を進めようとしている。
 共同行動に関しては、改憲で明文化が目論まれている集団的自衛権の行使というソフト面とともに、ハード面でも、ミサイル防衛の研究から開発への移行、レーダー情報の日米共有化など、軍事一体化への動きが加速している。来年3月にはハワイ沖で海上配備型ミサイル(SM3)の迎撃実験を行うことが明らかになり、国内での手続きに関する自衛隊法改正と合わせて、即応体制が強められつつある。
 これらの動きは、「北朝鮮の脅威」を口実としたものであるが、今後アメリカに引きずられる形で、「対北」にも増して中国に対しての措置であることが、露わになってくるだろう。
 現在小泉政権は内外の強い反発にもかかわらず対中強行路線を進めている。このような時期に中国を睨んだ米軍の再編計画に組み込まれていくことは、ますます中国の警戒感を強め、与党内からも求められている関係改善への道のりを険しいものにするだろう。国内的にも沖縄の負担軽減が進まないことに加え、本土の負担が増える状況を前に、政府の危機感は深まるだろう。しかしアメリカに善処を求めても「日米共通の敵である中国に対処するため」と切り替えされれば、手の打ちようがないのである。
 今回の米軍再編の動きと、それへの同調は、韓国、北朝鮮との関係も含め、東アジアにおける日本の選択肢をこれまで以上に狭めるものであり、目論む方向とは逆に小泉政権は自ら袋小路に陥ったと言えるだろう。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.331 2005年6月18日

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【書評】『ネパールに生きる—揺れる王国の人びと』

【書評】『ネパールに生きる—揺れる王国の人びと』
    (八木澤高明 写真・文、2004.12.15.発行、新泉社、2,300円+税)

 「ネパールは今、出口の見えない混迷の渦中にある。そんなネパールの現実が日本で伝えられることはほとんどなく、同じアジアであるにもかかわらず、はるか遠い国の出来事としか思われていない。日本はネパールに対する世界最大の援助国であり、多額の政府開発援助(ODA)が注ぎ込まれている。日本人の想像が及ばないほど、ネパール人にとって日本は近い国であり、・・・(後略)。かたや、日本で知られているのはヒマラヤぐらいで、『知られざる国』というのが現実なのではないだろうか」。

 本書は、カメラマンとしてネパールに魅せられた著者が、ネパールを撮り続けた記録である。そこからは日本人の想像が及ばないほどの、ネパール社会の諸側面の複雑で深刻な現実が浮かび上がってくる。

 ネパールについてごく簡潔に触れておけば、1769年にネパール全土を統一したシャハ王朝は、1846年実権を握ったラナ家一族の下に鎖国政策をとっていたが、1951年立憲君主制をしき、開国に踏み切った。しかし1960年、マヘンドラ国王のクーデターにより議会解散、政党活動禁止のパンチャヤト(評議会)体制で国王親政を開始した。その後1990年のピレンドラ国王時には大規模な民主化運動によって政党活動が解禁され、立憲君主制を柱とする新憲法が公布された。しかしカースト差別、貧困、土地改革などの改革が進まないため、1996年以来マオイスト(ネパール共産党毛沢東派—-ただし中国共産党とは無関係)が武装闘争を展開するにいたった。この中で2001年6月、皇太子によるとされるピレンドラ国王一族の虐殺事件が起こり、前国王の弟ギャネンドラ新国王が即位して、直接統治を宣言、議会諸政党と対立した。こうしてネパールは現在、王権と議会諸政党とマオイストの3勢力の対立が続いている。

 このような浮き足立ったネパール社会を著者は撮り続ける。その詳細は本書に掲載されている多くの写真を見ていただきたいが、内容的には社会問題に焦点を合わせたものとなっている。「こどもたちの現実」(児童労働)、「見えざる王室の闇」(王宮事件)、「銃を取る若者たち」(マオイストⅠ)、「出口なき混迷」(マオイストⅡ)などの諸章は、経済の低迷と人口の急増と政治的混乱の中で、どう切り開いてみても縺れてしまう諸要因を抱え込んだネパール社会を映し出している。例えばネパール西部に根を張るマオイストたちへの取材では、一方において確信に生きる左翼運動の主張があると同時に、他方にきわめて単純な理由(今の貧窮生活からの脱出)がマオイストの隊列への参加理由となる、といった具合である。

 とりわけネパール社会に歴史的に暗い影を落としているのがカースト制度である。これについては、桐村彰郎「ネパールのアンタッチャブル」(沖浦・寺木・友永編著『アジアの身分制と差別』、2004.9.30.発行、解放出版社、「第Ⅱ部 インド・ネパールのカースト制差別」第3章所収)に詳しいが、本書では「逃れられない宿命」(アウトカースト・バディ)の章で、バディ(桐村論文では、バディは[ダンサー]の職業カーストとされている)の置かれている因習的伝統的で苛酷な状況を紹介している。

 またネパール社会の現代的な影としては、「日常に潜む影」(エイズ)が取り上げられる。貧困の故にインドなどに出稼ぎに出ていた夫からHIVを感染された妻、売春婦として身売りされ感染した女性など問題は深刻である。

 最終章「夫の無実を信じて」(東電OL殺人事件)では、犯人として無期懲役の判決を受け服役中のネパール人が出てくる。この事件は1997年に発生し、週刊誌などによってセンセーショナルに取り上げられたが、ここでは彼を取り巻く背景(ネパールの社会・家族)を切り口に、日本社会の警察・司法、外国人労働者対策の姿勢が問われる。

 なお「忘れられた兵士たち」(グルカ兵)の章では、勇名を馳せたグルカの退役兵が登場するが、過去において(そして現在でもなお)イギリスの傭兵として働いていながら、待遇、補償の面で差別され続けているグルカの人びとの現状が紹介される。そしてこの問題が、日本の戦中戦後の補償問題と共通するものを持っていることが示唆される。

 以上本書を概観してきたが、ヒマラヤに聳える高峰以外にはほとんど知られていないネパールに、実は現代世界の諸矛盾が凝縮されたかたちで噴出していることを示してくれたのが本書である。登山と観光というエキゾッチックな舞台裏に、貧困とカーストと内戦という闇の世界が広がっているネパール社会を、最大の援助国である日本が今後どれだけ理解していくのか、課題は重いと言わねばならない。(R)

 【出典】 アサート No.331 2005年6月18日

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【演劇評】 「その河を越えて5月」を観て

【演劇評】 「その河を越えて5月」を観て
                  —- 韓流ブームの向こう岸に見えるもの—-

 先日、「その河を越えて5月」という演劇を見た。3年ぶりの再演である。脚本は平田オリザと金明和、演出も平田オリザと金炳焄、そして日韓の俳優が同時に両国語で演じるという、まさに日韓の共同作品といえる演劇だ。
 
 韓国語学校の「日本人」生徒達と韓国人の先生の家族とのソウル漢江河畔での花見の場面でストーリーは展開する。会社や学校や家族をめぐる日常の日本人同士の日本語の会話と韓国人家族の韓国語の会話が同時に進行して、それがすれ違ったり、反発したり、重なったり、ひきつけあったりしながら日本人や日本社会、韓国人や韓国社会、二国間の関係や歴史を浮き上がらせる。言葉がうまく通じないまどろこしさ、とんちんかん、中途半端な理解、気まずい雰囲気などがユーモアを交えて伝わって来る。しかし、日本人も韓国人も日帝支配に由来する断絶を少しでも埋め、お互いを理解しようと努力しているのだ。そして、最後に少し溝が埋まって、離れていた2つのゴザがお互いに近づけられ(しかし、ぴったりひっつきはしない)、全員が日が暮れる漢江の向こう岸を眺める。
 
 この演劇が初演されたのは2002年。ワールドカップ共同開催で日韓両国が大いに盛り上がっている時だった。その後「冬ソナ」に象徴される韓流ブームが怒涛のように押し寄せ、ここ数年で韓国との文化交流や情報流通は驚くほどの様変わりを見せている。多くの人が韓国を訪れ、韓国ドラマや映画に接し、ハングルを学んだ結果、日本社会に沈潜している韓国に対するマイナスイメージがかなり払拭された。このブームを背景に在日の人たちも積極的に表に出て活躍できるようになってきた。

 しかし、政治の世界では全く反対である。北朝鮮との緊張と煽られる憎悪、靖国神社参拝をめぐる小泉首相のあまりに無責任な対応、竹島(独島)についての挑発的パーフォマンス。近づこうとする両国民をあえて引き剥がそうとするような動きが続く。そんな中で韓流ブームは一時のあだ花で終わってしまうのだろうか。

 私はこの演劇で、一筋の光明を見た。竹島(独島)問題や靖国問題の影響で多くの民間交流が中止されているいる中で、あえて提携を結んだ大学や実のある交流を進めた団体もあった。脚本を書いた金明和はパンフレットの中でこう書いている。「初演の柔らかな雰囲気とは違って、再演を目の前にしている今は硬くなっています。…その硬くて荒い現実の論理を目の前にし、演劇は何ができるのでしょうか。柔らかく、かよわい演劇が、さらに現実の論理からすれば役立たずにさえ見える剰余のものが…。…剰余の声が現実の論理を看過する機会を提示できる、という奇跡を望みます。…そして、私たちの心の奥深くに潜んでいる共存の夢を少しでも喚起してくれることを…。」
ブームは確かに去っていくだろう。しかし、ブームの波が引いた後には、この演劇のような輝く小石が必ず砂浜に残っている。演劇のラストシーンで出演者が眺めていたのは、その小石を伝って渡る向こう岸。桜散った(ブーム去った)あとの未来、新緑萌える5月だったのではないだろうか。
(若松一郎) 

 【出典】 アサート No.331 2005年6月18日

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【追悼】大木さん逝く

【追悼】大木さん逝く
        (弔辞に代えて 友人代表・生駒敬)

生き方を問う人だった
 ハンガリー事件に失望し
  それでもフルシチョフに希望を見出し
 ブレジネフにプチ・スターリンを見
  メドベジェフ兄弟の分析に共感し
 ゴルバチョフとそのペレストロイカにこそ
  あるべき社会主義と民主主義の姿を見た
 そうしたわれらが遍歴の中で
  あなたは常に我らがありようを問う人であった

その問い方が生半可ではなかった
 片っ端から電話をかけまくり
  深夜に人を呼び出してまで問いかけ
 連日朝方近くまで酒を酌み交わし
  それでも人を追い詰めることなど無縁な人であった
 強制的抑圧的態度を忌み嫌い
  共にありえる可能性に賭け
 常に我に振り返り、自省する人であった
 とりわけ師の苦悩を理解し、共に行動し
 ありのままを受け入れられる人でもあった

だからこそ酒を飲み
 飲みながらその純な思考が冴え渡り
  鋭く本質を付けば突くほど
 これでいいということなど常になかった
 酒が酒を呼び込み
  それでも複雑多岐にわたる仕事をこなし
 ついにそれは脳内出血という非常事態をもたらした
 共にあった我らはうろたえ、動転し
  その存在の大きさに改めて気付かされた

あれから18年
 芳子夫人
 お二人の娘さん
 そしてそのお連れ合い、お孫さん、ご家族の方々
 その並々ならぬ愛情と努力によって
 「まさに奇跡的にカムバックを果たした」
 詩人・大木透の本来の姿の登場であった
 「この精神的荒廃の時代に」
 「若い人々との交流と対話を」勝ち得た
 安らかに眠られんことを 

 【出典】 アサート No.331 2005年6月18日

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【コラム】ひとりごと —郵政民営化の混乱に思うこと—

【コラム】ひとりごと —郵政民営化の混乱に思うこと—

○6月19日の国会会期末を控えて、なにやら国会がおかしい。郵政民営化法案の行方である。○小泉改革の目玉として、首相は何がなんでも成立を図ろうとしているらしいが、一向に世論がついてきていない○読売新聞の世論調査では、61%が法案の早期成立に異論を持っているという。さらに自民党支持層の49%が「郵政法案最優先」の小泉首相の姿勢に納得していないという結果である。確かに、何が変わるのか、分かりやすい説明は行われていない。○自民党の郵政族を中心とする強力な反対派には、玉虫色の条文を書き加えたものの、依然反対論は燻り続けている。○「法案否決なら解散だ」と首相飯島秘書官が叫べば、「法案に反対する議員の選挙応援はしない」と公明党幹部。「再度修正すれば、党議拘束は当然」と久間総務会長。すでに与党が国会に上程した法案についてである。何かおかしい。○民主党も主戦論派と、模様眺め派が並存して、分かりにくい。○当初は、国営の金融機関が膨大な資金を保有し、財政投融資を通じて、無駄な公共事業に投入するシステムが問題にされた。官業が民業を圧迫してはいけない、という「市場原理主義」的改革論からのスタートだったと記憶している。○ここから、郵便・保険(簡易保険)・郵便貯金の三事業の分離・民営化議論となり、まず「郵政公社」化された。○民営化というなら、不採算部門は切り捨てるのが本道であるが、郵便事業については、都市・過疎地を含めた全国一律の事業展開など不可能となる。○ネット社会が進むにつれて、郵便は益々不採算部門化していくのは目に見えている。都市部では、郵便でなくとも宅配が結構利用できるが、地方では、まだまだ不便な実態に変わりはない。民営化で何が変わるのか、見えてこない。○貯金については、ずさんな顧客管理で、一人1000万円という枠は守られていないらしい。民間ではすでに始まっているネットバンキングも、郵政では殆んど進んでいない。この分野は怠慢の世界であろうか。○官業が民業を圧迫しているという議論も、民間金融機関が不良債権問題で沈んでいた時なら理解もできたが、民間銀行が「ゼロ金利」政策の継続のおかげで、肥え太った現在では、何の説得力もない。○最後に残るのが、小泉首相の「悲願」「政治信条」を形だけでも実現するのか、どうか、などと言う「私事」に近い世界になってきているのである。国民が理解しようにも、できるはずがない。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.331 2005年6月18日

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【投稿】小泉外交の破綻と孤立化

【投稿】小泉外交の破綻と孤立化

<<わい曲と言い逃れ>>
 日本にとって、戦後60年という節目にいかに対峙するかということが、国際社会からこれほど厳しく問われるということはかつてなかったことであろう。小泉政権は、国連の安保理常任理事国入りを目指しながら、実に軽くこの問題を扱ってきた。国内ではむしろ過去の日本の軍事ファシズムを正当化し、その象徴でさえあった靖国神社参拝を臆面もなく誇示し、検定制度によって中国、朝鮮、アジア諸国侵略の歴史的事実をさえ教科書から抹殺することに誘導しておきながら、その検定制度をたてに日韓共同の研究委員会がまとめたものについては「それは自分の権限ではできない」(小泉首相)とかわす、このような姿勢が日本の外交を完全に孤立化させてしまったのである。
 この5/9に開かれた第二次世界大戦終結六十周年を記念する国連総会の特別会合で、アジアからは中国、韓国、日本の三カ国が演説したのであるが、中国、韓国からは、過去の歴史認識をめぐって、明らかに日本の現在の政治姿勢を前提とした鋭い批判が展開される事態となった。国連総会という場で、しかもアジアの隣国から常任理事国にふさわしくない国として糾弾されるという異常な事態を招いたのである。
 中国の王光亜国連大使は、「戦後六十年たっても、ナチズムと軍国主義の亡霊は消え去らず、極右勢力の信奉者がいまもしきりに過去の犯罪をわい曲し、否定しようとしている」と日本の歴史修正主義の動きを批判し、「歴史をかがみとして、恥ずべきことも知り、それを前向きに変えねばならない。この特別会合では犠牲者を追悼するだけでなく、歴史を記憶し、それに向き合い、教訓を学ぶことが重要だ。そのようにしてこそ、次の世代は戦争の災難から逃れられる」と指摘している。
 韓国の金三勲国連大使は「第二次大戦中に大きな被害をこうむった国の市民として、平和を乱した者が真摯で誠実な償いをする必要があることを強調したい」、「真の償いには、単なる言葉の謝罪だけでは不十分である。真摯な謝罪は行動に移されねばならない。歴史をわい曲しようとすることは、和解という目的を後退させる。過去の過ちについて言い逃れ、残虐行為を犯した者を称賛することは、真の和解を阻害するものである」とあらためて日本政府の無責任な政治姿勢の根本的な転換を促したのである。

<<常任理事国の条件>>
 さらに国連総会の特別会合と同じ5/9、「対独戦勝60周年」式典出席のためモスクワ訪問中の韓国の盧武鉉大統領は、アナン国連事務総長と会談し、国連改革について「アジアを代表して常任理事国になるのであれば、アジアの支持を受けなければならない」と指摘し、常任理事国の条件として「世界平和にどれだけ犠牲を払い、どんな道徳的妥当性を有しているのかを考慮する必要がある」と発言、さらに「(国連負担金など財政的な)寄与金額が多いことがすべてではない」とも述べ、日本の常任理事国入りに事実上反対する姿勢を明確に示したのである。
 そして同じくモスクワを訪れた中国の胡錦涛国家主席と盧武鉉大統領が会談し、両首脳は北東アジアの平和と繁栄のために歴史認識の問題が何よりも重要だという認識で一致したというのである。また両首脳は、北朝鮮の核問題について、6者協議再開のめどが立たない現状を深く憂慮するとし、北朝鮮が協議に復帰するよう外交的努力を強化することで合意したのであるが、同じくモスクワを訪問し、当事者でもある小泉首相はまったく蚊帳の外であった。
 こうした批判に対し、国連総会の特別会合で日本の大島国連大使は、「歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのおわびの気持ちを常に心に刻みつつ、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力によらず平和的に解決するとの立場を堅持していく」とした1995年の村山談話を繰り返した小泉演説を紹介したが、あくまでも村山談話であり、免罪符として利用しただけであり、小泉首相の姿勢とはかけ離れた説得力のない空虚な言い訳にしか過ぎないものであった。

<<免罪符「村山談話」>>
 そもそもこの村山談話、小泉首相が4/22のバンドン会議で引用したものであるが、その同じ日に、小泉内閣の閣僚でもある麻生総務大臣をはじめ、民主党の議員2人も加えた80人の国会議員が勢ぞろいして靖国神社に参拝しているのである。言葉の謝罪の裏で、行動では侵略戦争を賛美する参拝をあえて強行する、まさに小泉内閣の本質をさらけ出したものである。参拝を組織した「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の藤井孝男副会長は、年内の小泉首相の参拝の可能性について「ぜひ参加してほしいし、参拝すると確信している」と語る始末である。
 この「村山談話」、いいように使われた当の村山元首相は、「談話を引用して反省とおわびの姿勢を示すのなら、靖国参拝はただちにやめるべきだ」と指摘しているが、その通りであろう。
 首相は、高まる批判の前に一定の「反省」の言葉をくちにはすれども、あくまでもうやむやな態度で靖国参拝への言及を避け、機会と隙さえあれば参拝を強行する構えである。事実、自民党の中川国会対策委員長は5/8のテレビ番組で、首相の靖国参拝について「今年も行くと思う。時期は慎重に判断するだろう」との見通しを明らかにしている。中国が参拝を批判していることに関しては「しなかったからといって、劇的に日中関係が改善されるものではない」と関係改善をする意欲を初めから放棄しているのである。この同じ番組で自民党の加藤元幹事長が「行かない方がよい」と首相参拝に反対する姿勢を明らかにするとともに、「靖国問題を解決するには、A級戦犯の分祀、新たな慰霊施設の建設、歴史教科書の日中韓3カ国での共同研究しかない」と語っているが、これこそ正論といえよう。
 ところが次期リーダーに擬せられてのぼせ上がっているかに見える安倍幹事長代理は、訪米中の講演で、「次の首相も靖国神社に参拝すべきだ。国民のために戦った方に尊敬の念を表すのはリーダーの責務だ」とまで述べたという。

<<「反日」の「反」>>
 ところが日本の大手マスメディアは、こうした小泉外交の完全な破綻と孤立化についてまともな報道をするどころか、逆に反中国、反韓国ムードをいっせいにあおっているかにさえ見える状況である。「反日デモ」を、その過激さから一方的に断罪し、その抗議行動が提起する小泉政権に対する問題提起を受け止めるのではなく、これを逆に「中国はけしからん」「韓国はけしからん」という嫌中・嫌韓のナショナリズムに利用さえしているといえよう。その結果でもあろう、中国・韓国への旅行ブームは一挙に冷え込み、韓流ブームは冷水を浴びせかけられた状態である。
 全国紙横並びで「中国外相、謝罪せず」の大見出しが踊りはすれども、こうした事態をもたらした小泉政権の政治姿勢、バンドン会議での首相の「謝罪」についてはまったく小さな扱いでしかない。そして、自らの非を棚に上げて、中国、韓国の歴史教科書もけしからん、「反日教育」をしている、調査するべきだと煽り立ててさえいる。町村外相などはこれに力を得て、中国、韓国に申し入れまでしており、それをまたメディアが大きく取り上げるという事態である。野党までこれに乗せられ、小泉政権はのうのうと責任を回避している。
 問題の「反日」の「反」は、日本の文科省が承認した「新しい歴史教科書をつくる会」に対する反対行動であり、首相自身が復活させ、挑発的に誇示してきた「靖国参拝」に対する反対行動であり、これらの根本に横たわる過去の日本の侵略戦争を正当化する歴史認識の問題に対する反対行動という、きわめて具体的なものなのである。ナショナリズムを煽り立てるマスメディアに対するきびしい監視が必要といえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.330 2005年5月21日

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【書評】『アーレントとマルクス』

【書評】『アーレントとマルクス』
(吉田傑俊・佐藤和夫・尾関周二編著、2003.9.22発行、大月書店、2,800円+税)

 本書は、今日なお様々な評価を得て、その位置の定まらぬ思想家ハンナ・アーレントを取り上げた論文集である。収録された論文の多くは、マルクスとの関係ではアーレントを、どちらかと言えばマルクス寄りの立場で取り上げている。ところが、「ソ連型」社会主義の崩壊以来、マルクスの思想が未だに確固としたものとして結論付けられていない状況が、微妙な影を落としている印象で、読み終えてなお一定の形を持つアーレント像に至らないというのが正直な感想である。
 さて編者によれば、アーレントが今日まで現代性を持ち得ている理由は、次の2つであるとされる。
 「一つは、彼女が、1941年以降、ナチスによる迫害を避けてアメリカ合衆国に移住し、結果的に、戦争によって破壊されることなく、空前の物質的繁栄を遂げた『豊かな』資本主義社会を目の当たりに経験できたことであり、そこで、現代のヨーロッパや日本の状況と基本的には共通する問題に、すでに、五〇年以上前に直面したということがある」。
 すなわち大量消費社会の出現とそれに伴う文化的な諸問題への考察である。
 「もう一つの原因は、彼女がナチズムとスターリン主義という二〇世紀の最も恐るべき事態に直面し、その問題をカール・マルクスとの対話と対決のなかで思考しぬいたことにある。(中略)その際、彼女の出発点ともいうべき立場は、スターリン主義と系譜的には結び付いているはずのマルクス主義がヨーロッパの政治思想の中核から生まれてきたものであるという認識であった」。
 すなわち、マルクスの思想が全体主義につながる要素を持つとされるならば、それに対する批判は、ヨーロッパ思想そのものが持つ伝統への批判になるという認識で、アーレントは、マルクスの中心思想–労働概念–に焦点を当てる。そしてマルクスによって人間化活動への契機とされた労働に対して、「自由な協同の『政治』的活動」、「人間の『始める力』」を人間が固有の意味で人間的になるための活動であるとした。「解放」という点で言えば、「アーレントにとっては平等な人間関係を前提にした話しあいと活動の『政治』空間こそが、解放の空間そのもの」であり、「他者の存在の絶対的承認を基礎とする」とされる。
 以上のような問題意識に立って本書は、アーレントの思想を「第1部 アーレント思想の射程」「第2章 アーレントとマルクス」「第3部 アーレント思想の影響」という内容で考察する。以下主な論文を紹介しよう。
 「第1部」の「ハンナ・アーレントの革命論–自由と〈胃袋〉(ネセンティ)の問題」(古茂田宏)は、アーレントの『人間の条件』(1958年)を手がかりにして、革命論を取り上げる。著者によれば、アーレントは「フランス革命は貧困(ネセンティ)(『胃袋』の問題)の解決という政治的に不可能な課題を背負わされたために、自由の革命から必然性(ネセンティ)の革命へと変質し、独裁とテロルのなかで自壊した。ロシア革命はその挫折を確信犯的に反映した」として旧来の革命論を批判し、「自由の創設」を遂行し得たアメリカ革命を評価した。しかしこの批判の重要性は認められるものの、この視点ではかえって「社会問題」(ネセスティの領域問題)を排除してしまう「逆向きの倒錯」になってしまうのではないかと指摘する。
 また「世界疎外と精神の生きる場–活動(アクション)とは何か」(佐藤和夫)では、アーレントが人間の営みを三つ–労働、仕事、活動(アクション)–に分けた中での活動(アクション)の意味が探られる。すなわちアーレントは、近代社会で規範化された〈工作人〉としての人間のあり方には、「制作」の論理に従って自然や人間関係を手段化する暴力的な過程が入り込んでいるとして、これを批判する。そしてその克服のために、「『何』という形で表現される社会的機能なり役割とは区別される『誰』というかけがえのない存在」としての「人びとの協同の営みである活動(アクション)が自己目的として追求される社会」を対置することが示される。
 「第2部」の「〈社会的〉解放か、〈政治的〉解放か?–カール・マルクスVSハンナ・アーレント」(石井伸男)は、アーレントが、マルクスの「社会的解放」に対して「公共圏の再建による『政治的解放』」を提示したことについて、「自然的素材とその社会的形態規定の二重性を分析するというマルクスの方法」に対する無理解があることを指摘する。しかしこの両者の間の架橋については、「マルクスにおける政治理論の空白部分にアーレント的着想を生かすという形では積極的な立論の余地がありうる」との展望を示す。
 「エコロジーとコミュニケーション—アーレント-マルクス関係の一考察」(尾関周二)では、アーレントの労働概念の一面性と「労働」・「仕事」の二元的区別の不適切さがエコロジー問題の解決への障害になっていることが指摘される。同時にアーレントの「活動」、「言語」概念の持つ積極的な意義が語られる。
 以上の他に、アーレントの思想は、現代変革思想にとって「助走路のマーク程度に留まる」という評価(竹内章郎「アーレントの発想は現代の変革に資するか?」)や、「第3部」でハーバーマスやサルトルの思想との比較検討等もなされている。
 このようにアーレントをめぐる議論は幅広く深い展開を見せており、マルクス像、社会主義像が模索されている状況では、現実の社会変革運動と絡めても多くの反省点と教訓を含んでいる。本書はアーレントの紹介書として一石を投じたものであるが、その具体的豊富化が今後に期待されている。(R) 

 【出典】 アサート No.330 2005年5月21日

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【投稿】大阪市問題を考える

【投稿】大阪市問題を考える

 果たして、というべきか、とうとう来たか、というべきか、大阪市の職員厚遇問題に端を発して、公務員への風当たりが益々強くなってきている。思いつくままに、意見を列挙してみたい。まとまってはいないことをお許し願いたい。
 今回の一連の流れの特徴として、第一に「カラ超勤」問題が最初に取り上げられたわけだが、実際には、地方財政の悪化を原因として、超勤不払いの現実が広く存在している事実が全く忘れ去られている。個別大阪市のある職場の実態と言う形で報道されてはいるが、一般市民の目からは、大阪市も、どこの市町村も同じようなものという感覚であろう。「カラ超勤」などは、だれも望んでいるわけでもないし、他の市町村では、歴史的に一時期存在したことは事実としても、もうはるか昔に是正され、むしろ支配的な現実は、残業手当不払いなのである。財政再建を錦の御旗に、賃金切り下げと長時間労働が常態化していることこそ、明らかにすべきであろう。公務員組合に求められているのは、このことを明確にすることである。
 第2には、自民党と公明党が、2007年の総選挙に向けて、何が何でも政権を維持するために、連合運動と自治体労働運動に焦点を絞って攻撃を仕掛けていることである。昨年の参議院選挙では、比例区で自民党は民主党に大きく票を空けられ、議席を落とした。小泉改革のペンキも剥げ落ち、増税と福祉切捨てで財政再建を進めるしか、選択肢がない自民党にとって、「国民の敵」を自らの外にもって行くことが至上命令になっている。国会での質問、調査団の派遣などを通じて「労働組合は国民の敵」であるかのようなキャンペーンに出てきている。加えて公明党の変質であろう。今回の大阪市の騒動の中で、調子に乗って、同調し、自民党以上に「公務員たたき」に奔走しているのである。
 全国的に見ても、宮城県での連合役員の「選挙違反」摘発、山梨県での日教組攻撃など、2007年問題と言われる民主党・連合への攻撃に注意する必要があると思われる。政権交代をめざすと言われて久しいが、自民党公明側の「危機感」に比べて、民主はじめ野党側の「危機感」の方が乏しいのではないか。
 第3に、残念なことではあるけれど、組合側の「慢心」と「既得権維持体質」が、より破壊的な事態を招いている事であろう。
 確かに、大阪市の労使関係は、市長選挙などにおける表と裏の調整を含めて労働組合が力を発揮し、自民・公明・民主(旧社会)が候補者を擁立し、当選させてきたこともあって、全国的にも特異なほどに、良好な労使関係を築いてきた。さらに、大阪では共産党勢力の地域での力が強いこともあり、共産党以外の勢力は、特に選挙において、対共産党シフトから、大阪府知事選挙、大阪市長選挙、加えて堺市長選挙においても、自民・公明・民主(旧社会)がまとまって対応してきた歴史がある。その中で、組織的であり行動力もある労働組合が、まとめ役を演じることで、政党との関係においても、議会との関係のおいても、それなりのポジションを確保してきたのである。それは、自治体の労使関係にも反映することになった。労働組合の助けがなければ調整ができない実態があった。それは、行政の執務執行の場においても同じ事が言えたのである。
 おそらく今回の事態の発端は、衆議院大阪5区における民主党候補が公明候補に対して、2年前の総選挙で肉薄し、小選挙区で敗れたとは言え、惜敗率で復活当選したことにあるように思える。民主党候補は大阪市職出身であった。
 新聞報道等を見ていても私自身驚くほどの「厚遇」の実態が暴かれ、市民の怒りを買い、殆んどゼロ回答とも言える「厚遇」剥奪の結果を招いているのである。結果として指摘できることかもしれないが、組合側に慢心がなかったかどうか、既得権に固守する体質がなかったかどうか、反省する点は多いように思う。
 第4に、客観的に見て、大阪市は財政的には第3セクター事業を中心に大赤字であり、特に「大阪オリンピック」誘致失敗以来、厳しい財政状況にあったことである。私もかつて組合役員であった頃、大阪市の労使関係がこのまま続くはずがない、と思った事もあったが、今回一番悪い形で、それが実現したことになった。現在の関市長は医者出身であり、「行政手腕」は見てのとおりである。当然理事者側の一部に、今回の事態を十二分に活用して、労組の力を殺いでおこうとする意図があったに違いがない。現業部門の民営化や賃下げ、職員削減などの話もうわさされている。ただ、破壊的な打撃を与えた結果が、逆に厳しい労使関係を復活させるとすれば、それも因果応報というもので、労組の底力をいずれ見せてやればいいのであるが。
 第5に、これは推測ではあるが、共産党の力の低下が逆に今回の事態を生んでいるというのが私の意見である。かつて知事選挙でも与党連合と互角に対峙した共産党勢力も、組織力でも市民の信頼という意味でも、その力を弱めてきた。知事選挙、大阪市長選挙、そして堺市長選挙でも、候補者も貧弱、組織力も低下し、危機感を持つことなく与党側は選挙に臨めるようになってきた。頼りない大阪の自民党ではあるが公明と組めば何とかなると思い始めたのかも知れない。今回の事態は一自治体の労使関係に止まらず、大阪の政治地図の激変を生み出すことになるだろう。
 
 大阪市問題は、府内の衛星都市にも波及し、健保・福利厚生施策における当局側負担に向けられ、さらに大阪市においては、組合専従のあり方が非難の的となりつつある。8月人勧での地域別賃金導入、公務員の人事制度改革と並んで、今後大きなテーマとなることは必至である。
 
 いずれにしても、市民の信頼を回復するとともに、正常な状態の労使関係に戻すことが必要である。おそらく大阪市の職員は胸を張って仕事を普通にしている状況にはないことだろう。労使合意なき強行には断固反対を貫き、組合員の声をまとめて、労働組合の力を再び発揮してほしい、と願っている。(2005-05-17佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.330 2005年5月21日

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【コラム】ひとりごと—生活保護の現場から—

【コラム】ひとりごと—生活保護の現場から—

○ 何年ぶりかで、再び生活保護の職場に配属された。10年以上の間隔があるせいか、いろいろな意味で驚きの日々である。○当然ながら保護率は上昇する一方である。確かに近年の不況の影響でもあるわけだが、それだけではない。○社会の変化が大きく影響している。第1は、何といっても高齢世帯の増加である。老齢基礎年金だけで、生活できるわけはなく、医療・介護絡みで、縁者の援助が望めない場合、生活保護しか残っていない。高齢化率の高まりとともに、高齢世帯の保護率が上昇することになる。一昨年から老齢加算が縮小されたが、高齢者の医療扶助費・介護扶助費は増え続けている。もちろん、年金がある人はましな方であり、年金の支給要件を満たしていない人が圧倒的である。○さらに、息子・娘からの仕送りがある場合は、ほとんどない。現役世帯も、苦しい生活の中にあるからでもあるが、親子が一緒に暮らす世帯が少なくなり、高齢者のみの世帯が増えていることも一因である。世帯の個別化は保護率の上昇を必然にしている。○次に増えているのは、母子世帯の増加である。離婚率の増加もあるが、前夫からの養育料がもらえないケースがほとんどである。さらに、近年増えている「できちゃった婚」、この場合は、極端な例では、夫婦とも10代の場合もあり、子供ができても、生活は安定せず、即離婚してしまい、養育料もない。そして保護受給となるケースも多い。単に生活費の問題以上に、育児そのものに準備ができていなかった場合、不安定な世帯となり、育児上の問題も深刻である。○就労歴を見ても、厚生年金のない職歴を重ねてきた人が多く、特に30歳以下の場合などは、厚生年金のある職場経験を探す方が難しい。アルバイトやパート就労歴しかなく、さらに短期間に転職を繰り返し、職歴・スキルも身についていない。そんな場合は、自立の道も険しく長期の保護ケースとなる。○厚生労働省は昨年末にまとめられた「生活保護制度の在り方に関する専門委員会報告」に基づき、単に経済的支援を行うだけでなく、就労支援などを行うために「自立支援プログラム」を策定した。従来から就労指導として転職や収入増を被保護者に求めてきたわけだが、様々な就労支援プログラムを実施していこうというわけだ。○確かに、これまでの制度では、就労に結びつく職業訓練などについて、その費用等については、厳しい基準があり、名ばかりの制度であった。○近年の法改正で社会福祉法に「自立支援」という言葉が入り、障害者福祉にいても「障害者自立支援法」が現在審議中である。「自立支援」というネーミングには、「エンパワーメント」の考え方があると思われるが、現実の生活保護実態を変えていくことができるかどうか、まだ未知数である。○かつてイギリス労働党が、低所得層を固定化させないために、社会的包摂政策(ソーシャル・インクルージョン)と教育改革を打ち出した歴史を思い起こすが、日本社会の激変もまた、生活保護のあり方の「改革」を求めているように思える。(B) 

 【出典】 アサート No.330 2005年5月21日

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【投稿】空襲の総括のために(吉村 励)

【投稿】空襲の総括のために(吉村 励)

               (参考図表 表1 、表1(簡略版)から表9 )

 敗戦後アメリカから輸入された映画に「心の旅路」という名画があった。記憶喪失者が周囲のあたたかい配慮と愛情によって、失われた記憶をとりもどしてゆくというストーリーであったが、若い青年であった当時の私は強い感動を受けた。記憶喪失者の存在を知ったのも初めてであった。最近は、テレビにもたびたび記憶喪失者が登場するようになり、珍しさはなくなったが、それでも私は、そのたびごとに「心の旅路」から受けた新鮮な感動を重ねあわせる。そしてその私の感動は、記憶喪失者が、過去の記憶をとりもどしてゆく過程は、実は主人公が「人間をとりもどしてゆく過程」そのものであることに由来する。記憶喪失は人間喪失であり、記憶恢復は人間恢復であったのだ。しかし、これは、私達人間がまず生物(生理的・生物学的存在)であり、ついで社会的存在であることに起因する。そして私達が「社会的存在」であることは、私達が社会における「関係の総体」であることを意味する。家族関係(血縁関係)・住居をめぐる近隣関係、友人関係、教育関係、職場関係や雇用関係を抜きにして、私達は自分を認識することはできない。そして、生まれてこの方のこれらの関係の変遷と歴史が、私達を形成しているのである。私達が、なんらかの行動をおこす前に、決断を下す材料は、私達の過去=歴史から引き出される。したがって、私達は社会的存在であることは歴史的存在であり、歴史を抜きにして私達は「無」なのである。もっというならば「心の旅路」の主人公と同じく記憶喪失者なのである。加藤周一氏は『朝日新聞』の05年2月22日の夕刊「夕陽妄語」で「年月が経つとわれわれの記憶の中で過去の出来事は次第にその姿をかえてゆく。—中略—もしも今の意味を持つ出来事をなお思い出さないとすれば、それは記憶喪失症—しばしば集団的なそれ—-であろう」とのべている。私が本誌『アサート』の326号で、「1894年から1945年まで日本がかかわった戦争」の戦死傷者の数を追跡し、戦場となった太平洋地域の人的被害を検討したのも、また『アサート』327号で、日本が拉致したと推定される朝鮮人労務者72万4千人、中国人労務者3万8千人、泰緬鉄道建設のために拉致したと推量される英領マラヤ人、ジャワ人、中国人(タイ)、インドネシア人、ビルマ人計18万2千人を指摘したのも「集団的記憶喪失症」にたいする対症療法を企図したことにほかならない。
 私が『アサート』326号を送るさいに、かつての同僚柴田悦子さんに、私信で、ある女子高生が、真珠湾はどこにあるかという問いに対して「三重県にある」という迷答をしたという新聞記事に言及したところ、柴田さんから私達の共通の友人笹川儀三郎氏(故人)が某私立短大の臨時講師として太平洋戦争に言及し、戦った相手はアメリカであるとのべたところ、異口同音に「ウッソー」という返事が返ってきて絶句したと言われたことを紹介された。「集団的記憶喪失症」はここまで来たのである。そして、その理由の一端は、私達が21世紀にはいるに際して、参戦諸国、被占領諸国の国際会議を開催し、相互に資料をつきあわして、戦争被害の総決算をおこなうという20世紀の終幕の儀式を遂行しえなかった(あるいは、政府に圧力をかけてその作業を行うことを強制しえなかった)ことによるものであろう。それは、教育にたずさわった私達の全部の責任でもあろう。「教え子を再び戦場におくるな」というスローガンのもとで、教育にたずさわった私達の努力は、どこで空転したのであろうか。
 まえおきが長すぎたようである。本稿の目的はわが国の空襲被害の解明である。太平洋戦争の日本の死者は軍人・軍属240万人、民間人50万人というのがほぼ定説となっている。この民間人50万人の死者といえば、まず最初に思いうかぶのが空襲である。表1「全国の空襲被害」は、空襲被害を都道府県毎に、被害都市町村、空襲回数、死者数、損失家屋数、主要空襲年月日の項目毎に表示したものである。読者の皆さんは、まず全国で408都市町村が被害を受けていることに軽いショックを感じられたことと思う。まとめている私自身がそうであった。親戚・友人・知人の住んでいる町や村が、空襲被害地であることを知った時、私達は、空襲といえば、まず原爆被害都市広島・長崎を思い、大空襲を受けた東京、横浜、大阪、名古屋、神戸、福岡、北九州等を思いうかべ、あとは無関心でいた自分を恥ずかしく思う。まず周囲に焼夷弾をおとし、退路をふさいでおいてから、爆弾・焼夷弾を投下するという大量虐殺方式による火焔と焦熱の地獄の中で落命した大都市の多くの犠牲者を私達は忘れてはならないが、同時に全国的には著名ではない、ときには山村僻地といわれる町や村で、空襲のためにひっそりと命をおとした方々の一人ひとりの「いのち」を大切に思い、その冥福を祈るという鎮魂の願いが、408都市町村名にこめられている。その意味で、表1「全国の空襲被害」は、忘れられていた「いのち」にたいして、敗戦60年を機会に、私達が心の中にたてる透明な墓標ともいえるであろう。
 表1が示すもう一つのことは、戦争時に、日本全土が、すみずみまで、アメリカ空軍の支配下にあったということである。最初、私が依拠して分析を始めた「全国主要都市の空襲被害」(週刊朝日百科「日本の歴史」122頁「敗戦と原爆投下」)では、秋田県、石川県、奈良県、鳥取県、佐賀県の5県が、空襲被害ゼロとなっていた。しかし、本表が依拠した早乙女勝元著『東京大空襲』(河出書房新社、2003年)も、後出の表5でも、これら5県があきらかに他府県と比べると軽微であるが空襲被害を受けていることを示している。重ねて、戦時下において、日本全国がアメリカ空軍の支配下にあったということを強調するゆえんである。
 なお表1で、もう一つ注意していただきたいことは、死者が小数で、家屋消失を伴わない空襲は、殆んどが戦闘機による機銃掃射によるものであるということである。本来空襲といえば、(1)爆撃機による爆弾投下、(2)爆撃機からの爆弾・焼夷弾の投下(いわゆる混投といわれるもの.日本の都市爆撃の主流は、主としてこの混投であった).(3)爆撃機による焼夷弾の投下.(4)戦爆混合部隊による爆撃機からの爆撃と戦闘機の機銃掃射とを組み合わせたもの.(5)戦闘機だけの機銃掃射(単機からの編隊によるもの)<後に主力を形成したP51戦闘機はP51AからP51B、P51Dと改装されることで、225キロの爆弾2個の積載可能となり、爆撃もおこなうようになった>に分けられる。日本の空襲は、最初の(3)の爆撃機による混投が主流であったが、1945年の5月後半からは、(4)の戦爆混合型、(5)の戦闘機だけの機銃掃射(その最大のものは戦闘機2,000機の大編隊の空襲<1945年7月30日>ついで1,200機の大編隊の空襲<1945年7月10日>)で、6月後半から7月にかけて登場する(参照 後出表8「アメリカ空軍の出撃・爆撃状況」ならびに註参照のこと)。したがって、表1で、機銃掃射による空襲回数は1になっているが、戦闘機がたまたま被害を与えた空襲が1回という意味で、毎日頭上を戦闘機が飛来していたことを否定するものではない。この空襲回数1を、始めて飛行機が飛来して被害を与えたと誤解しないでほしい。連日戦闘機は頭上に飛来しており、たまたま、ある日に機銃掃射を行ったにすぎない。この点で、爆撃機による空襲回数と戦闘機(艦載機)による空襲回数の意味は異なるのである。
 なお、もう一つ、つけ加えておきたいことは、戦争被害をとりあつかいながら、痛感した人間の「いのち」の軽さである。統計表ごとに、数字はちがい、いずれの統計を採用するか迷うことは、いつものことである。戦争という異常な状態下で、戦争被害をとりあげる場合の宿命といえる。たとえば戦死するか空襲で死亡した人間の知人・友人が全員死亡するか、行方不明になった場合、その死亡者はおそらくゼロとして扱われるであろう。しかし、戦争関連の調査の困難さとは、私は、まず第一に「戦争の最初の犠牲者は真実である」ということに起因するように思われる。戦争遂行が至上目的となり、有利な情報は拡大され、不利な情報は縮小され、かくされる。人間の「いのち」は単なる消耗品としてとりあつかわれ、時には馬よりも軽んじられた。「大本営発表」がうそのかたまりであったことは周知の事実である。しかも、戦後の調査は、関係者が年とともに減少することによって困難さをます。そのような困難な情況のもとで、私達が利用できる統計を残してくれた先人達、またそのような条件のもとで、『東京大空襲』(岩波新書)(1971年)と『大阪大空襲』(東方出版)(1985年)の東西二つの金字塔をうちたてた早乙女勝元氏、小山仁示氏にあらためて深い敬意を表するものである。
 私はすこし脱線しすぎたようである。再び表1にもどって、表1の最大の欠陥は、市町村毎の死亡者数は記載したが、市町村毎の負傷者・行方不明者数は空白のままに残されたということである。註で指摘したように、府県毎の数字のみを記入した。府県別毎の負傷者は、表4にも記述されており、負傷者の府県別統計がある以上、市町村毎の負傷者の統計はある筈である。私が見つけだせなかっただけである。だれか有志の方が、この空白を埋めて下さることを期待している。
 ところで、表1で、私達は、北は北海道の襟裳岬の東西の入口、広尾や様似や流氷の街網走から、南は鑑真上陸の地といわれる鹿児島の坊津や俊寛で名高い喜界島(鬼界ヶ島)の喜界町まで、きっちり空襲されていることを知ったのであるが、表2では、個々の具体的な町や村をはなれて、府県毎の空襲の被害に直面する。表2は、空襲による死者が100人以下の県が、秋田、山形、長野、石川、滋賀、奈良、鳥取、島根の8県、100~500人までの県が、埼玉、京都、佐賀の3県、500~1000人までの県が、岩手、福島、栃木、愛媛、高知、熊本、大分、宮崎の8県、1000~5000人までの県が、北海道、青森、宮城、群馬、茨城、千葉、新潟、福井、富山、岐阜、和歌山、岡山、香川、徳島、山口、鹿児島の16県、5000~10,000人までの県は三重、神奈川、静岡、福岡の4県、10,000以上の県は東京、愛知、大阪、兵庫、広島、長崎の6都府県で、そのうち広島の262,425人、東京都の116,959人、長崎の75,380人が突出している。この3都県に愛知、大阪、兵庫の3府県の死者を加えた496,334人は、全国の空襲による死者562,708人の88%に達する。6都府県の空襲の激甚さが推量されるのである。ちなみに、広島・長崎の死者337,805人は、全国の空襲による死者の60%、広島・長崎・東京の死者454.764人は、全国の死者の80.8%である。
 ただ、ここで読者諸君にお願いしたいことは、この空襲被害だけで、戦争被害と混同ないでほしいということである。各都道府県、各市町村の戦争被害(とくに死者)を語る場合、われわれは、空襲による死者の他に、軍人・軍属の戦死者を加えなければならないからである。
 私事にわたって申し訳ないが、私は奈良県の小さな田舎の村で生れ育った。奈良県は空襲被害微少の県である。小学校は小規模校で、私の同級生は、男19人女21人計40人であった。この男子同級生のうち、戦死者は13人(うち戦病死1人)で、戦後に残った男子生徒の同級生は、わずかに6人であった。そして、戦死した同級生の一人、辻中勇君(あえて本名を書く)は、男兄弟4人で全員戦死であった。未亡人で、女手一人で子供を育ててきた母親は、兄弟4人の最後の戦死の公報が届いた後で、行方を絶った。今に至るまで消息は不明である。戦後、戦死した同級生の母親の一人に「拷問を受けたかもしれないけれど、ツトムさんは、治安維持法で牢屋の中にいてよかったね」といわれ、絶句した経験がある。
 戦争被害として、表1のように、都道府県の市町村毎に、空襲被害による死者とならべて、戦死者の数を表示することが課題として残されているように思われるのである。
 もう一つ、つけ加えていえば、戦争被害の階層性(=階級性)についてである。小学校の同級生では19人のうち13人が戦死であった。中学の同級生では、40人のうち5人が戦死であった。大学予科では同級生40人のうち、戦死は2人であった。そのかわりに治安維持法違反容疑で投獄中での獄死者1名が加わる。学歴が上昇するほど、戦死者は「減少するのである。
 同じことは、ある程度、自然災害についてもいえるのではないだろうか。これは、個人的経験の範囲に属するので一般化は危険であろうが、阪神・淡路大震災の時、酒造業をいとなむ灘の魚崎の友人に電話したところ、数年前に家を建て、ドコもいたんでないから安心してくれというノンビリした回答がかえってきた。戦争被害にしろ、災害にしろ、私達はそれがもつ階層性にどこまで切りこんだであろうか。かえりみて恥じ入るばかりである。次表「アメリカの人口と軍隊」は、この点で一つの示唆をわれわれに与える。 
 
 表 アメリカの人口と軍隊

白人   マイノリティ
総人口  75%  25%
陸軍 55%  45%
海軍 60% 40%
海兵隊 65% 35%
空軍 72% 28%

 (『朝日新聞』2003.4.17)
 
 アメリカの全人口では、白人とマイノリティの比率は75%と25%であるのに、陸軍では、 55%と45%であり、総人口で4分の1のマイノリティーが陸軍の約半分(45%)を占めているのである。このマイノリティーの比率は、海軍・海兵隊とだんだん低くなるが最低の空軍でも28%で、人口比率より3%多い。現在イラクに出兵中のアメリカ軍隊において、最前線の陸軍歩兵のマイノリティの比率は、もっと高いのではないかと想像される。
 わが国の場合でも、現在の自衛隊員の出身家族の収入階層別分布や、戦前の軍隊の兵士、下士官、下級将校、上級将校の出身家族の、収入階層別分布や職業別分布、所属階級別分布、戦死者・空襲による被害者の同じく収入階層別、職業別分布が明らかになれば、空襲の被害分析は、一層ヴィヴィッドなものとなるであろう。その意味で、府県別空襲被害の表は、空襲被害分析のいわば第一段階であり、この第一段階をステップとして、後来の諸君が一層の分析を進めてくれることを期待している。
 また脱線したようである。本論にもどろう。表3は、既存の経済安定本部の調査、建設省の調査、朝日新聞の調査と私の表とを比較したものである。詳しい註をつけたので、それを参照してくだされば幸である。
 表4は、鶴見俊輔『日本の百年』(3「果てしなき戦線」)(筑摩書房)よりそのまま引用したものである。原典は不詳。註でも指摘したように、私達は経済安定本部の1948年調査ではないかと推測している。表3の統計項目が30都市である(なぜ、この30都市を項目として選定したかの理由は分からない)のに対し、表4は、全国の府県別統計であり、私達が府県別統計として、利用しうる有力な統計である。表5は、表4と私達の作製した表とを比較したものである。死者数、負傷者の項目では、私達の表が改善されているように思われる。その理由は、私達の依拠した統計が、表4の推定作製年の1948年よりおそく作製されたからである。しかし、損失家屋数(表4の全焼壊+半焼壊)では、私達の表よりも、表4の表がくわしく、われわれの表が空白である京都、奈良、滋賀、鳥取、徳島、香川、愛媛、宮崎、鹿児島、秋田、山形の損失家屋が表示されている。ただ、われわれの表が依拠した表が1948年以降のものであるから、記入された府県では改善されている。しかし、決定的な点は、われわれの表には、罹災者の項目が欠除している点である。今後罹災者の統計が必要とされる場合、われわれは、表4にたよらざるをえないことを、表5は示している。
 表6「艦砲射撃による被害」は、いままで私達が問題にしてきたのは、空襲による被害であったが、その他に直接軍艦から陸地の市町村にむかって大砲をうちこむ艦砲射撃による被害があったことを思い出させるものである。被害のあった府県は、太平洋沿岸の北海道、岩手、福島、宮城、千葉、静岡、和歌山の1道6県であり、死者は1107人、負傷者は629人であった。アメリカの軍艦が陸地に接近して砲撃するということは、日本が制空権、制海権ともにアメリカに握られたことを意味し、事実上の敗北状態にあったことを意味する。
 空襲による被害、艦砲射撃による被害とともに忘れてならないものは、民間の船舶の被害である。表7 太平洋戦争中の船員死亡者と民間船舶の沈没原因と沈没海域はこれを示す。沈没した民間の船舶数は2,394隻、船員の死亡者は62,692人である。大阪府であれば四条畷市の全人口に匹敵する。船舶の沈没原因の56.5%は雷襲(主として潜水艦からの魚雷攻撃)によるものであり、次に航空機による爆撃がこれに続く。この統計では、10トン以下の小型船舶はふくまれていないので、私達は62,692人の死者に更に10トン以下の小型船舶の犠牲者アルファを付加しなければならないのであるが、必要な資料を入手することができなかった。漁船もこの10トン以下の民間船の中に入ると思われるが、必要な資料は発見できなかった。他日を期したい。
 今まで、私達が検討してきた表(表1~7)は、被害者の側からの空襲被害であった。これに対して、表8「アメリカ空軍の出撃・爆撃状況」は、加害者=アメリカ空襲対象、空襲主体の機種、参加機数、空襲年月日を表示したものである。周知のように1942年4月19日のドーリットル大佐のひきいるB25ボーイング双発爆撃による東京空襲が日本最初の空襲といわれるが、空襲が本格化したのは1944年の11月からであり、表もまた1944年11月からの空襲状況を表示している。爆撃機の主体は、B25の双発機でもなければ「空の要塞」といわれたB17でもなく、もっぱら「超空の要塞」といわれたB29である。援護戦闘機は、P38,、P41、P47、グラマンFと登場するが主力はP51ムスタングである。B29、P51については、註を参照されたい。空襲は、1944年の11月では、B29主体の爆撃空襲が6回であったのに対し、12月に入ると、倍増して12回になり、5月6月7月と回数、参加機数とも増大していることがわかる。またP51ムスタングやグラマンの戦闘機数だけの空襲は1945年が最初で、その後、回数を増していることがわかる。この空からと海からの攻撃の前に、無防備のままによこたわる日本本土のあわれな情況を、表8は示している。そして、この空襲の最後の仕上げが広島、長崎の原撃投下であった。8月15日の敗戦は、おそすぎる位であった。しかも、この8月15日に、秋田、小田原、高崎、熊谷、伊勢崎の5都市が爆撃され、376人の死者と3,231人の負傷者と6,479の消失家屋を出しているのである。表9「8月15日の空襲被害」は、そのことを示している。伊勢崎市に疎開中、8月15日の空襲体験を経験した奥津嘉久栄さんは次のように述べている。「焼け跡はまた余燼がくすぶっていました。もちろん停電のため玉音放送は聞けませんでしたが、午後一時頃だったでしょうか、敗戦を知りました。焼け跡の杭にはられた新聞を見た時の、何とも名伏しがたい複雑な気持ち、敗戦が一日早かったらという口惜しさ、虚しさ、苦々しさを噛みしめました。喉元から突き上げてくるような感じ・・・・。今でもすぐ思い出せますよ」(小学館『昭和』第7巻、廃墟からの出発、110頁)
 しかし、私は、この奥津嘉久栄さんの「敗戦が一日早かったら」という口惜しさは、ドイツが敗北した1945年5月7日以降のすべての日本人にいえることではないかと考えている。ドイツの降伏によって、ヨーロッパは、戦勝気分によっていた。残るは日本だけ。だれが見ても日本の敗北は明白であった。5月14日、日本の最高指導会議の構成員は、国体護持(=天皇制護持)を条件に、対ソ交渉=終戦工作を始めた。1938年39年張鼓峰事件で戦火をかわし、独ソ戦争開始以降は、ソ満国境に大軍を集結して、ソ連を牽制しつづけ、1945年5月30日には、「大本営が第17方面軍、関東軍、中国派遣軍に対ソ作戦準備を発令」している日本の要求をソ連がまともに受け入れる筈がなかった(通説では、ソ連が一方的に日ソ条約を破棄して、ヤルタ協定にもとづき日本に参戦したといわれているが、この5月30日の大本営の発令は、日本が事実上、日ソ条約を破棄していたことを示している)。かくして「国体護持=天皇制護持」のために、万策つきて日本政府が「無条件降伏」を8月15日におこなうまで、日本人民は、爆弾の雨の下に放置されていたのである。5月8日に、無条件降伏を申し入れておれば、5月8日以後に落命した多くの人命が救われた筈である。
 ところで、私が今まで述べてきたのは、いわゆる内地の空襲被害であった。しかし、私達が忘れてならないのは、ある意味で内地の楯となって、全土が戦場になった沖縄である。そこでは、空襲・艦砲射撃、銃撃戦、火炎放射器の使用、肉弾戦のすべてがあった。そこでの戦いの中で軍隊は住民を守らなかった。軍隊はむしろ住民を自分達の「タマの楯」としたのである。「軍隊が国民を守る」という伝説が、いかに虚妄であり、白々しいものであるかは、沖縄の当時の住民が、きびしい戦場の経験をとおして骨肉に銘記したものである。相前後して、関東軍におきざりにされ、旧満州からの引きあげで、辛酸をなめた引き揚げ者も、「軍隊は国民を守る」という幻想を、涙と汗とともに破棄した筈である。いな、沖縄では軍隊は住民を守るどころか、自分達の安全のために、住民を安全な壕や空洞から銃剣で追い出した。
 土壇場になると「軍隊は住民の敵になる」というのが、沖縄における歴史の教訓である。
 沖縄出身の私のゼミナリストS君の仲人をつとめた際、S君のお母さんから、壕から日本軍兵士におい出され、アメリカ兵に救出されたといういきさつを聞き、声を失った。沖縄は、軍が呼号していた本土決戦の縮図であったのである。
 表6 沖縄戦における死亡者数は、この苛烈な状況のもとでの犠牲者数である。軍人・軍属の死亡者数は94,138人、住民の死亡者は94,000人、計188,136人で、当時の沖縄人口59万人の約3分の1である。沖縄決戦が、本土決戦のシュミレーションであったとするならば、日本は本土決戦において、当時の人口の7,200万人の3分の1、約1,400万人を失ったであろう。
 なお、沖縄住民の死者9万4千人に、さきに指摘した内地の空襲による死者52万2千人、艦砲射撃による死者1千人、船員死亡者6万2千人の計58万5千人を加えると、67万9千人になる。私達が『アサート』326号、327号に掲載した表1の太平洋戦争での戦死者200万人~240万人の数字はさておき、市民の死亡者は68万人と訂正すべきと考えている。
 最後に私の結論にかえて、本日(05年2月24日)の『朝日新聞』の夕刊所収のオーバービー博士のメッセージ「<九条の会>は手遅れではない」を引用する。読者の皆さんの寛恕を乞う次第である。
 
 ★「九条の会は手遅れではない」
 「九条の会のメンバーは、これまで九条を熱心に擁護してこなかった日本人の多くを、この問題に深くかかわらせる力を持っている。米軍の軍事的な破壊力を(日本政府が)やむなく支持することに反発を覚える日本人はいる。これらの人たちを勇気づけることにもつながるだろう。
 多くの日本人は「私たちは九条の崇高さを壊すのではなく、復権させたい」というメッセージを日米の指導者たちに発信することができる立場にいると思う。
 「九条の会」が各地に広がる動きが、もはや手遅れだとは思わない。戦争と破壊を好む政府に対して真実を告げる役目を負う私たちにとって、遅すぎることは何もない。
 9条は日本だけの宝ではない。世界中の人たちのものだ。戦争という低俗で支配的で男性的な構造を終わらせたいという人間の叫びだ。九条破棄を食い止められるのは、日本人しかいない。
 実は私は(今の政治状況に)意気消沈し、苦悩している。そんなとき、日本の人々が九条の崇高さを復権させるために動いていると知り、希望がわいた。
   (オハイオ大学名誉教授 チャールズ・オーバービー博士)
 
 追記 今回もまた貴重な資料や激励をいただいたことを深く感謝しています。とくに森山弘毅さんからいただいた貴重な資料の一部は、本文の表5として利用させていただきました。有難うございました。川上憲一さんからは、「おしつけ憲法論」にたいする反論の資料として。植木枝盛を起点とする民主憲法論の流れを考えるべきとの指摘とともに、植木枝盛の憲法草案をいただきました。友永健三さんからは、資料と貴重な意見をいただきました。また、大津静夫さん、宝樹文彦さん、大賀正行さん、岡本弥八さん、伍賀偕子さん、上原清さん、玉井金五さん、里見賢治さん、樋口紀子さんからはあたたかい激励の便りをいただきました。深く感謝しています。とくに樋口さんからは、コピー90枚を友人・知人に送ったと知らされ感動しました。
 この3月で83歳になった私が、『アサート』に連続して拙文を掲載しえたのも、編集者の生駒敬さん、佐野秀夫さんを始めとする皆さんの援助と激励によるものと深く感謝しています。ある意味で、文責は当然私にありますが、拙文は、私は皆さんとの合作と思っております。ありがとうございました。課題は本文中に指摘したとおり、いくつか残りましたが、機会をえて、また一緒に検討したいと思っています。さらに、本稿で、利用できなかった貴重な送付資料につきましては、編集者生駒・佐野さんと相談して善処するつもりです。最後にもう一度ありがとうございました。(2005年3月29日)

 【出典】 アサート No.329 2005年4月23日海兵隊 65% 35%

カテゴリー: 平和, 歴史 | 【投稿】空襲の総括のために(吉村 励) はコメントを受け付けていません