【本の紹介】「国家の罠–外務省のラスプーチンと呼ばれて」

【本の紹介】「国家の罠–外務省のラスプーチンと呼ばれて」
                  佐藤 優著 2005年3月15日 新潮社
 
 先の衆議院選挙を通じて、小泉は郵政民営化を掲げた自民党内の旧「守旧派」を切り捨てた。守旧派とは何であったのか。それは、日米同盟を前提にした「平和主義」、軽武装・経済重視の中で、経済発展を確保できた時代の自民党内の「実力者」達であった。それに繋がる議員達は、衆議院圧勝の過程の中で、声を挙げることもできず、小泉にひれ伏す事となった。道路特定財源の一般財源化について、旧道路族は、「抵抗する」こともできないでいる。
 小泉改革、「自民党をぶっ壊す」という意味が、「軽武装・経済重視」の時代が終わり、軍隊としての自衛隊の登場、アメリカとの軍事共同体制に突き進むために、余分な贅肉を削ぎ、身軽な政府=「小さな政府」をつくりあげるためではないか、とも私は思っている。
 今回の郵政守旧派切りに先立って、外交面、特に対露外交において、影の実力者であった鈴木宗男が切られている。今回紹介する元外務省職員佐藤優氏の著書「国家の罠」は、鈴木が何故切られたか、どのように切られたか、そして自らも東京地検特捜部により国策捜査の対象として逮捕され、512日間の拘置所暮らしを強いられた過程をドミュメント風に綴られた著作である。今秋、毎日出版文化賞を受賞し、8万部を越える販売を記録している話題作でもある。
 
<我が家=拘置所にて、日朝首脳会談の報を聞く>
 著者は非常に冷静な方だと思う。本書序章は、2002年9月17日のことが書かれている。この日は拘置所生活127日目、ちょうど拉致問題が明らかになった日朝首脳会談の日である。内政で得点の上がらない中で、外交的賭けに出たな、という印象をもったそうだ。「拉致問題での何らかの成果」が期待できそうなリークが事前にあったのも異例でもあり、政治的意図が感じられたという。著者は「パンドラの箱」を開ければ、一層外交交渉は厳しくなること。ナショナリズムの世界では、より過激な見解が正しくなるからだ。
 著者は、ソ連時代からソ連崩壊にかけて、モスクワに赴任しており、保守派による1991年8月のクーデターの時の思い出を語る。内政と民族問題を担当していた著者は、日本大使館幹部がゴルバチョフ派を重視するなか、共産党の保守派を担当し、クーデターの首謀者側の人物とも通じていた。ゴルバチョフ大統領が軟禁されたわけだが、安否は闇のなかだった。その中で、ロシア共産党幹部のイリイン中央委員会第二書記から、ゴルバチョフ生存情報を引き出したという。
 著者は「人間は内側から崩れる。常に冷静さを失わないことだ。・・・もっとも重要なものは自分との闘いだ。」と自分自身に言い聞かせたのである。

<日露北方領土交渉をめぐって、田中と鈴木の確執>
 「第2章田中真紀子と鈴木宗男の闘い」では、日露交渉の経過を中心にして、小泉内閣誕生・田中真紀子外務大臣と鈴木宗男議員との確執、外務省の内幕などが語られている。小泉首相発足の頃には、外務省機密費問題などで信頼が揺らぐなかで、田中大臣が就任。小泉政権発足時の人気沸騰の要因の一つに国民的人気のある田中真紀子の外相就任が上げられるが、就任してみると外務省内部では一層混乱が進み、外務省幹部は田中追い出しを画策し、外交に詳しい鈴木宗男の政治的影響力を利用したのである。田中が出て行ったあとには、知りすぎている男、鈴木宗男は用済みとなり「整理された」。その鈴木と関係の深かった佐藤氏も「整理された」のではないか、と著者は分析している。
 田中の外相就任から更迭までの9ヶ月間は、70頁に渡って語られている。田中角栄・ブレジネフ会談における「4島一括返還」論に固守する田中外相就任発言に始まり、大臣による強行人事、アーミテージ国防副長官との会談ドタキャンなど話題に事欠かない。2島先行返還論とも見られる東郷和彦欧州局長との確執は、鈴木宗男を背景にしていることもあり、大臣対鈴木、田中よりの幹部対鈴木寄りの幹部の確執を生み出したが、田中によって鈴木の影響力を削ごうとした外務省幹部も田中による米国務省緊急連絡先を記者団に漏らしてしまうという失態以降、田中追い落としに向かったとされる。
 そして、最後は外相更迭、鈴木の衆議院運営委員長辞任という両成敗で終わるのだが、更に「知りすぎた男」鈴木宗男に対して、おそらく小泉の筋だろうが、決定的な追い落としの幕が開いていくことになる。
 
<マスコミ総出の鈴木追い落とし>
 私も記憶しているが、アフガニスタン復興会議(2002年2月)に二つのNGOが出席を拒否されたという話である。著者は、外務省幹部がそのシナリオを書いて、モスクワで鈴木に了承を得た下りを述べている。鈴木が横槍をいれて二つの団体をはずした、鈴木は強引に外交に介入している、という印象を与えた「事件」であり、報道であった。すでにこの時、ボタンは押され、包囲網は狭まっていた。
 2002年2月20日には、「ムネオハウス」問題が、共産党の佐々木憲昭議員によって取り上げられる。外務省の内部文書の暴露によってである。著者は、「・・外務省内部の権力闘争に勝つためには共産党と手を握ってもよいというところまで一部外交官のモラルが低下したということを意味している」という。
 いよいよ鈴木バッシングが本格化する中、「鈴木宗男の運転手をしている外務省職員」などと、著者佐藤氏への風当たりが強まり、国際情報局から外交資料館に「官邸の指示」により、異動となった。そして、外交資料館で著者は、2002年5月14日逮捕されることになる。
 
<背任罪で逮捕され、国策捜査始まる>
 著者にかけられた第一の容疑は、2001年1月テルアブブ大学教授を訪日招待しての学術交流会の開催、及び同年4月テルアビブ大学主催の国際学会に日本の学者・外務省職員を派遣するにあたり、「支援委員会」の予算(3300万円)を使ったことが「背任罪」にあたる、というものである。第二は、国後島ディーゼル発電事業を巡る偽計業務妨害容疑であり、背任罪での逮捕以降に、同容疑で再逮捕となった。
 支援委員会と言われているは、旧ソ連構成国への改革支援を目的とした国際機関で、現実には日本が主体の機関であり、北方領土への支援も行っていた。また、予算の支出にあたっては、外務省内で正規の決済を経ており、著者一人の罪を問うというのもおかしな話であろう。第3章作られた疑惑、第4章「国策捜査」開始、第5章「時代のけじめ」としての「国策操作」、第6章獄中から保釈、そして裁判闘争へ、の4章は拘留期間512日に及ぶ、著者と東京地検特捜部との闘いの記録ということになる。この部分は、西村検事をはじめとする特捜部との攻防戦を通じて、著者が「自分との闘い」を貫徹していく読み物として、非常に興味深いものである。
 ロシア情勢に詳しいのが、イスラエルであり、第一人者がテルアビブ大学ゴロデツキー教授であること、学術研究・交流の形をとった情報活動であったこと。領土交渉の一環としての経済援助の経過などなど、日露問題の見方に貴重な視点を見出すことができると思われる。
 
<親米主義とナショナリズムの昂揚>
 著者は、小泉政権の誕生によって、特に外交において日本国家は確実に変貌したと指摘する。第一は、外交潮流の変化である。著者は、従来大きな意味での親米主義である外務省にあった潮流を三つに分類する。第1は「狭義の親米主義」である。冷戦に勝利したアメリカの一人勝ち時代が長期に継続すると考え、中国やロシアとの余計な外交ゲームは慎むべしという考え方。第2は、「アジア主義」。冷戦の崩壊によって、かえって世界は不安定になる、アジアに位置する日本は、中国をはじめとするアジアとの安定的関係の樹立に国家戦略の軸を移すべきとの考えかた。第3は、冷戦の崩壊はイデオロギーの崩壊であり、反共イデオロギーもまた意味を成さなくなる。日本・アメリカ・中国・ロシアの4大国によるパワーゲームの時代なのだから、中国の脅威に対して日米露で協調すべきという「地政学論」の考え方である。こうした潮流が、小泉政権の登場によって、そして鈴木追い落としの過程で「狭義の親米主義」だけが残ったという。「「ポスト冷戦後」の国際政治に限りなく「冷戦の論理」に近い外交理念で対処することになった。」
 第二は、ポピュリズム現象によるナショナリズムの昂揚をあげられる。国民の大多数が「何かに対して怒っている状態」が続くようになったという。対象は変化するが、怒りの対象は100%悪く、それを攻撃する世論は100%正しいという2項図式である。当然、排外主義的ナショナリズムが急速に強まっていると。
 第3は、官僚支配の強化である。小泉政権によって官邸の力が強くなった。官邸への権力集中は、国会の中央官庁への影響力を弱め、結果として外務官僚の力が相対的に強くなっているという。
 
 <裁判闘争は続く>
 2005年2月17日第1審判決(懲役2年6ヶ月執行猶予4年)、著者は即日控訴した。鈴木宗男は、9月の衆議院選挙で地域政党「新党大地」から立候補して当選。議員の権利である「質問主意書」を連発して、外務省との攻防を続けている。佐藤氏、鈴木宗男両氏とも、週刊誌、月刊誌に数多く登場して、現政権批判をしている。大いにやってもらいたい。
 ただ、鈴木宗男についての私の印象は良くない。食肉汚職で市長辞任した羽曳野市の福谷剛造氏の集いには必ず鈴木宗男は出席していたと聞いているし、本書の中に描かれる政治家としての鈴木宗男とは違和感もある。
 しかし、現在の小泉政権下の自民党議員は、圧倒的多数とは言え、「イエスマンの集合」になった。「烏合の衆(衆議院議員)」のようなものである。気骨のある政治家は、マスコミには登場しない。いずれ飽きがくるに違いない。そうした中、ホームページも「闘争的」な鈴木宗男衆議院議員を少し評価しても良いのかな、とも思う。
 本書は、日露交渉の経過や外交の現場を見事に描き出しているし、地検特捜部との攻防も読み物としても大変面白い。多くの方に読まれているのも頷けるというものであろう。(佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.337 2005年12月17日

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【投稿】小泉外交の惨憺たる失態

【投稿】小泉外交の惨憺たる失態

<<「取り繕えぬ靖国の影」>>
 11/18-19、韓国・釜山で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議は、案の定というか、当然とも言えようが、小泉首相にとってはまったく成果のない、それどころか自らの無恥、無能をさらけ出す場でもあった。
 ホスト国でもっとも肝心な韓国の盧武鉉大統領とはわずか三十分ばかりの短い会談しか持てず、しかもそのほとんどを首相自身が強行した靖国参拝問題でのやりとりに時間を取られ、盧大統領からは「首相の靖国参拝や最近の多数の政治家による参拝は韓国に対する挑戦でもあり、日本が過去に戻るのではないかとの懸念がある」と強い調子で批判されたのである。首相は「戦争の美化、正当化では決してなく誤解だ」と釈明にこれ努めたが、大統領からは、前回の首脳会談では新たな追悼施設建設の検討を進めるよう要請していたが、今回はこれに触れず、逆に前回の会談では言及しなかった独島領有権問題を、靖国参拝問題、歴史教科書問題とともに取り上げ、この3点について「いくら首相の考えを善意に解釈しようとしても、韓国民は絶対に受け入れることはできないだろう」とにべもなく撥ね付けられたのである。慣例化している半年に1度の相互訪問について、年内までにと日本側が働きかけてきた大統領の訪日についてさえ、正式に招請することすらできない、という首相にとっては思いもかけぬ惨憺たる失態を演じたといえよう。
 11/20付け朝日社説はこの事態を、「取り繕えぬ靖国の影」として「せっかくのAPECなのに、これは深刻な事態というほかない。」と嘆く。一方、小泉内閣を叱咤激励してきた読売は、「両国の首脳が、対話の継続さえ確認できなかったのは、異常な事態だ。」としつつも、靖国参拝については「首相が言うように「誤解」以外の何物でもない。」として、盧大統領の「一方的な主張」を批判し、中国・韓国の「“共闘”」を指摘する。(11/19社説)
 なお、この“共闘”をさらに拡大すべく、盧大統領は、11/17に持たれた米韓首脳会談で、ブッシュ大統領に朝鮮半島と北東アジアの侵略の歴史、日本の歴史認識問題を詳しく説明し、小泉首相の靖国参拝を批判したうえで、ドイツを例にあげ、「過去の歴史を反省する両国の姿勢には大きな違いがある」と指摘、ブッシュ大統領も「理解する」と応じたというのである。小泉首相が頼みの綱とし、忠誠を励むブッシュ大統領にまで「靖国の影」が取り繕えぬ影として覆いかぶさりだしたのである。

<<「短期的な一つの問題」>>
 さらに中国との関係について、小泉首相はこのAPEC首脳会議で日中関係に触れ、「あるいは心配している国があるかもしれないが、全く心配はいらない。自分は日中関係を重視しており、中国との友好は大事だと考えている」と述べたにもかかわらず、昨年、一昨年とAPECの機会に続いてきた胡錦涛国家主席との会談はおろか、外相会談すら拒否され、中国との間では、首脳同士の相互訪問が断絶してしまったのである。
 こうした異常な事態をもたらしたことを象徴するのが、11/19、APEC終了後に首相が臨んだ記者会見であった。内外から首相に向けられた四つの質問のうち、三つが靖国参拝問題に質問が集中し、「大勢の人を連れて内外に放送される参拝は私的ではないのではないか」と質問されると、必死に弁明に追われ、あげくの果て「仕事柄、SP(警護官)がいる」「テレビはどこにでもついてくる」など開き直る始末であった。さらに英BBC放送記者からは、靖国神社の戦争博物館、遊就館が日本の過去の戦争を「防衛のためとして正当化する見解を流している」と指摘され、「この解釈を支持しているのか」と追及され、さすがこれには「その見解を支持していない」と弁明せざるをえなかった。
 首相はこの記者会見で、自らの靖国神社参拝問題について、「短期的に一つの問題で意見の違いがあったとしても、中長期的に両国関係を悪化させない方向での努力をしていかなければならない」「お互い時間がたてば理解されうる」などと述べて、事態を取り繕おうとしたのであるが、問題の根本には、首相のこのような態度こそが事態を悪化させていることにまったく気付かないそぶりをしているところにあるといえよう。
 そもそも過去の侵略戦争を正当化するような靖国神社参拝問題を、「短期的な一つの問題」などととらえる姿勢が根本的に誤っているのである。日本の侵略戦争で多大な犠牲をこうむった韓国・朝鮮、中国、東アジア諸国にとっては、現在の日本の政権担当者が、この過去の日本の侵略戦争についてどのような態度をとっているかということは、「短期的な一つの問題」などというものではなく、対日関係の前提となる根本問題だといえよう。ましてや「お互い時間がたてば理解され得るもの」などと言う無責任な発言は、首相自身の歴史認識の程度の低さ、傲慢で恥知らずな無理解をさらけ出しているだけなのである。

<<小泉・麻生・安倍トリオ>>
 問題は、首相が言うような、靖国神社は単なる戦没者慰霊の場でも、ましてや「不戦の決意」を表明するような場でもなく、侵略戦争を肯定する神社であり、先の大戦を聖戦と美化し、皇軍兵士の武勲をたたえ、戦犯を英霊として合祀する神社であり、なおかつ、首相は靖国参拝が何を意味するか、十分に計算し、ナショナリズムを扇動する格好の場として利用し、むしろ「外国政府が、戦没者に哀悼の誠をささげるのを『いけない』とか言う問題じゃない」と挑発し、開き直っているところにあるといえよう。10/17の参拝では、「適切に判断」した結果、例の紋付き袴姿やモーニング姿ではなく、わざわざ平服のスーツ姿で、「総理大臣.小泉純一郎」とも記帳せず、賽銭箱に金を投げ入れて、「私的参拝」だという見え透いた姑息な姿勢にこだわり、それが浅薄な言い訳に役立つと考えているところに、この人物の程度の低さが現れているといえよう。
 中国の王駐日大使は今年の4/27、自民党外交調査会に於ける講演で、「政府の顔である首相、外相、官房長官の3人は靖国神社に参拝しない」との、中曽根康弘内閣時代の1986年に日中政府間で結ばれた「紳士協定」に言及したという。いわば中国側からの日中正常化への最低限これだけはというシグナルであったといえよう。この「紳士協定」は、後藤田官房長官が、靖国神社参拝が「戦争への反省と平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれる恐れが有る」との談話の発表と相前後して結ばれた「紳士協定」である。
 ところが今回の小泉改造内閣の顔である三役、首相、外相、官房長官には、揃いも揃って参拝強行派の小泉・麻生・安倍トリオが就任したのである。いわば挑戦状をたたきつけたのである。来年8月15日には、首相はこのトリオで靖国参拝を強行するとまでいわれている。
 首相は、APECで「日中関係については、心配はいらない」、「問題があっても、友好は進めることができる」と強調したが、自ら日中正常化への道を叩き潰しているのである。国内では今や読売や産経を先頭にもはや批判精神も失い、翼賛化した大手マスメディアや小泉チルドレン、その他有象無象の小泉礼賛の叱咤激励に何とか通用したとしても、一歩外に出れば、国際的にはまったく通用するものではない。
 来月の12月14日には、クアラルンプールで初の東アジアサミットが開かれる。首相が頼みの綱とするブッシュ米大統領は参加しない。このままではまたもや失態を重ねることにしかならないであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.336 2005年11月26日

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【投稿】三位一体改革のホンネ—生活保護費補助金の行方–

【投稿】三位一体改革のホンネ—生活保護費補助金の行方–

地方への3兆円の補助金を削減するという昨年来の小泉流「三位一体」改革。今来年度予算において6000億円の補助金削減を行なおうとしてるが、厚生労働省所管の「生活保護補助金」を巡って暗礁に乗り上げつつある。

○一方的な補助金削減案に地方が反発強める
11月4日に示された削減案は、生活扶助と医療扶助について、従来の国の4分の3補助を2分の1に削減し、削減分の4分の1は都道府県負担とする、住宅扶助・教育扶助・葬祭扶助は一般財源化して、市町村負担とするともに、市町村の裁量権を拡大するというものであった。
かつて10分の8が国負担であったものが、4分の3負担に削減された歴史もあり、特に平成10年以降、生活保護受給者が全国で急増していることから、地方6団体は、むしろ制度そのものの改革と国の負担拡大を求めてきた経過があるにも関わらず、説明文書によると「地方にできることは地方に」とわけのわからぬ「論理」を振りかざし、協議会の場で国補助金の削減提案を厚生労働省は唐突に提案してきたのである。
全国知事会はじめ地方6団体は、一方的な地方への負担増提案を拒否し、協議の余地もない事態となった。
11月18日までに6省から、合計6000億円の補助金削減案を示させるとした安倍官房長官は、厚生労働省が地方との協議が整わず回答できないという中で、様子眺めの省庁からも「ゼロ回答」が示されるにいたり、その手腕が問われることとなった。

○報告拒否から、生活保護業務の返上も
補助金削減案を受けて、すでに7月から14政令指定都市は、保護実施状況の月次報告を厚生労働省に提出するのを停止していたが、九州市長会・佐賀県・東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県もこれに同調し10月分からの月次報告の停止を決めた。近畿市長会も11月17日に12月報告(11月分)から、停止することを決定した。
生活扶助・医療扶助分の削減には、反対が強いと判断した厚生労働省は、11月18日、住宅扶助分のみの地方への移譲を一般財源化で行うことを提案することとなった。いずれにしても一方的な地方への負担の転嫁に変わりがない。
これに反発した地方6団体は、月次報告の停止決定に続き、18日、国庫補助金が削減された場合、来年度からの生活保護業務そのものを返上する考えを示すに至った。来年4月以降の新規保護世帯に限り返上するという内容である。

○最低生活の保障は国の責務
まさに「最後のセイフティネット」である生活保護行政は、憲法に規定された「最低生活の保障」という、国の責務に属する。全国を6つの級地に分類し、世帯数・年齢などにより、最低生活費を決め、それ以下の収入の場合、生活扶助はじめその不足分を補填する制度である。その実施は、地方自治体の福祉事務所や都道府県が行っているが、あくまでも「国基準」を守っての一律の制度として、戦後一貫して行われてきた。
今回の補助金削減の動きは、生活保護世帯が急増し、今後も上昇することが確実であることから、単に地方へ転嫁することで乗り切ろうとする誠に安易な提案であった。
「地方でできることは地方で」と11月4日の提案は述べている。「民間でできることは民間で」という小さな政府論とよく似ているようだが、余りに安易であろう。

○何故生活保護受給者が増えているのか。
生活保護が増えていること、その原因を見極め、社会保障制度全般との関係で対応策を提起することが求められているのである。
端的に言えば、まさに小泉構造改革そのものが、生活保護を増やしているのである。雇用を取ってみれば、市場万能主義・雇用を巡る構造改革は、不安定雇用を増加させることであった。派遣・パートなどの非正規雇用の増大は、健康保険・厚生年金などの加入率を引き下げてきた。病気になればたちまち生活に困るという世帯が増えているのである。
また、高齢化社会の進展も生活保護を増やす原因である。そもそも国民年金を満額掛けても、もらえる年金額は、国の決めた最低生活費を下回るのである。高齢者が増えれば増えるほど、生活保護は増加し、医療費は全額生活保護の医療扶助費となる。
現在、生活保護予算の6割が医療扶助である。生活保護費を押し上げているのは、高齢者の医療費・介護費用ということもできるのである。この医療費問題こそ、側面的ではあるが、決定的な生活保護費増大の原因とも言える。
まさに厚生労働省所管の医療行政・年金行政・労働行政全般にわたる問題が横たわっており、構造的な問題へのアプローチ抜きには、生活保護問題は語ることができないのである。

○数字合わせの「三位一体」改革の中身
来年度予算に向けて、6000億円の補助金の削減問題は、この生活保護補助金をめぐる攻防が大きな焦点となった。地方の側は、地方分権に値しない今回の厚生労働省の補助金削減案に危機感を強めている。
戦後大きな改正もなく実施されて来た生活保護法であるが、いろいろな面で時代の変化に会わない面も出てきており、昨年来、国と地方で協議会が作られ、地方からも様々な提案がされてきた経緯があった。その場で、一方的な補助金削減案のみが提起されたのだから、地方の側の反発も半端なものではない。「数字合わせ、先に有りき」しかできないところが、「三位一体改革」の実態でもある。
生活保護法は、最低生活費の規定、他法活用(補完性の原則)、世帯認定、実施責任など、法律そのものが、一貫性を持つ実施法であって、その運用は結構厳格なものである。それ故に、他法と言われる他の社会保障制度が、機能不全を起こせば、それを受け入れざるをえない。健康保険制度の負担が増えれば、年金の支給額が下げられれば、雇用保険の失業給付期間が短縮されれば、最後に残るのは生活保護ということになる。
団塊の世代の大量退職、不安定雇用の増大、若年層(ニート)失業者の増加、年金支給額の引き下げ、医療費自己負担の増加、高齢化の一層の進展など、時代の変化は、どれを取っても、生活保護の増大を帰結することになる。地方の負担を増やせば、生活保護率が下がるなどというものではない。
かつてのバブルのころは、急速に保護率が低下した時期があった。今、景気が上向いていると言われる中でも、低下のきざしも見えてこないのが現実である。景気が上向き、企業収益が増えたとしても、賃金の増加には結びついていない。むしろ不安定雇用という賃金コストの削減が、企業の収益増を生み出していると言って過言ではあるまい。先に述べたような生活保護増加の基礎的要因は、解消されるどころか、ますます強まっている。
こうした背景の中での今回の国VS地方の攻防について、最後は玉虫色のような決着はありうるかもしれないが、数字有りきの「三位一体改革」で、根本的な改革は断じてできないことは明白なのである。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.336 2005年11月26日

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【投稿】雑誌「世界」誌上での「治水のあり方」論争について

【投稿】雑誌「世界」誌上での「治水のあり方」論争について
                              福井 杉本達也
                                 
 雑誌「世界」誌上で治水のあり方をめぐる論争が続いている。最近は学者・研究者も自らの専門分野の蛸壺に入り、他者を批判したりするような論争をあまり好まなくなっている。そうした中での専門的治水分野での論争は、最近の各地での豪雨災害などもあって注目すべきことである。新潟大学の大熊孝教授の「脱ダムを阻む『基本高水』/さまよい続ける日本の治水計画」(2004年10月号)による問題提起に始まり、福岡捷二中央大学教授による批判「大熊孝氏の『脱ダム』治水論を批判する」(2005年4月号)、さらにそれに対する大熊氏の反論「川とは何か、洪水とは何か/福岡捷二氏の二分的治水論に反論する」(2005年6月号)、さらにこの論争に積極的に大熊氏支持で加わる形での今本博健京都大学名誉教授の「これからの治水のあり方について/基本高水をめぐる大熊・福岡論争を読んで」(2005年10月号)、そして、福岡捷二氏による大熊・今本両氏への再反論「治水の計画とは、河川の管理とは/治水は合理的に論ずるべき」(2005年12月号)となっている。これに、読書談話室で神吉和夫氏の「基本高水論争と今本博健氏の所論を読んで」(2005年11月号)と朝日新聞の2005年10月23日の社説「議論は地に足を着けて」が加わって、さらに論争は広がっている。
 
<大熊孝氏の問題提起…治水の安全度は選択の問題である…について>
 大熊氏は2004年10月の論文の中で、利根川や信濃川など「日本のほとんどの河川で、100年たっても完結しない治水計画だらけになってしまったのは、基本高水の決定に際してカバー率を100%にした結果である…これを実行可能なリーズナブルな計画にするには、基本高水のピーク流量を引き下げるしかない。どこまで引き下げればいいのかは、地域住民が安全度をどこまで望んでいるの、換言すればどこまで水害を受忍するかにかかっている。」と問題提起したことに始まる。ここで基本高水(きほんたかみず…業界用語で・土木用語辞典ではきほんこうすい)とは治水計画で防御対象とする洪水規模を流量の時間変化で表現したもので、治水計画の基本となるものである。それをリーズナブルなものにできないかと提起したことで、社会資本整備審議会河川分科会委員の福岡捷二氏の批判を受けることとなったのである。基本高水を下げれば、洪水を河道でどれだけ流すのか、ダムでどれだけ受けるのかという分担、川幅・堤防高・ダムや遊水池の規模など全てが変わってくる。一度作った計画を金科玉条のものとして進めたい国土交通省と審議会委員としては社会的影響が余りにも大きいと判断したのであろう。さらには、ここ数年、各地の豪雨災害で堤防が決壊し、机上の治水計画と現実のギャップが抜き差しならぬほどに大きくなりつつある。治水計画はあるがいつになったら整備されるのか誰にも分からない。その間に豪雨でまさかと思われた堤防が決壊し大きな被害をもたらしている。大熊氏の問題提起は「机上の空論」に対し、現実対応を図ろうとするものである。
 
<福岡捷二氏の反論…治水計画上の問題と危機管理上の課題は分離すべき…について>
 福岡氏は2005年12月の再反論で「計画高水位を超える水位になっても破堤の可能性を『少しでも』減ずるための検討や対策は治水計画上の問題ではなく、実際の管理としての危機管理上の課題である…長期的な目標を明確にした上で、段階的に整備を進めていくことが治水の要諦である…減災対策の実施は万能の特効薬ではなく、あくまでも補助的手段」と位置づける。
 そもそも、「河川工学」=「技術」は費用対効果=経済合理性を抜きにしてはありえない。原発美浜3号機の二次系配管破断事故でも明らかなように、設計段階から一次系の主要配管はステンレス鋼を使用していたが、重要性が劣ると評価されていた二次系配管では炭素鋼で製作されていた。福岡氏の言うように「そもそも基本高水の妥当性を計画の実現の見通しから評価すること自体が科学的・論理的であるとは言えない」とするならば、原発の全ての配管は、ステンレス鋼か特殊合金のインコネルなどで作った方がよっぽど安全である。しかし、そうすると原発の建設費は膨大なものとなり、「実現の見通しから評価」できない、とても採算のとれる設備ではなくなる。当時の設計段階で二次系配管を炭素鋼で設計したことが過小評価であったかどうかは別として、経済的合理性に従うならば、無限大に「科学的・合理的」であることはできない。必ず実現可能性で評価されねばならない。これが「技術論」の常識であろう。
 次に、現実に対応できないようでは「工学」とはいえない。工学とはどこまでを取り上げ、どこからかを切り捨てることである。全てを救うことはできないのである。どうも日本人は1か0の議論が好きであるようだが、河川工学の基本高水論をめぐっても1を達成しようとして結果的に各地で災害が起こり、新潟水害などは破堤してはいけないカ所で破堤し、結果的に0となってしまっているのではないのだろうか。むしろ、大熊氏の主張するように「どこまで水害を受忍するか」を住民と共に行政が考え、その工学的基礎を提供することこそ必要なのではなかろうか。12月3日(土)午後1時から大阪弁護士会主催で「河川管理と住民参加」というシンポジウムが行われる。大熊氏を始め、河川事業の元締めである布村明彦国交省河川計画課長や吉野川第十堰の姫野雅義氏などが報告される。河川事業においても建設的・「工学的」・「技術的」議論を期待したい。  

 【出典】 アサート No.336 2005年11月26日

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【投稿】米国防長官、「タミフル」で大儲け ご注意!その副作用

【投稿】米国防長官、「タミフル」で大儲け ご注意!その副作用

 ラムズフェルド米国防長官は、大量破壊兵器やテロ情報を誇大に仕立て上げて泥沼のイラク侵略戦争に突入した張本人の一人であるが、今度は鳥インフルエンザ大流行の予測で大儲けをしているという。

<<100万ドル以上の資産増>>
 米CNNの05/10/31の報道は以下のように報じている。
 「鳥インフルエンザ大流行の予測は世界の人々をパニックに陥れているが、ギリアド・サイエンシズ社の株を所有するラムズフェルド国防長官やその他政界関係者にとっては朗報だ。カリフォルニア州に本拠を構えるバイオテック企業ギリアド社は、インフルエンザ治療薬として現在世界中から注目されている『タミフル』の特許を所有している。
 1997年からブッシュ政権入閣までの2001年の間、ラムズフェルド国防長官はギリアド社の会長を務めており、現在でも同社の株を保有しているが、その評価額は500万ドルから2,500万ドルの間であることが、ラムズフェルド氏自身による連邦資産公開申告書で明らかになった。
 申告書ではラムズフェルド氏が所有する株数の詳細は明らかになっていないが、過去6ヶ月間における鳥インフルエンザ大流行の懸念とタミフル争奪戦の予測により、ギリアド社の株価は35ドルから47ドルに急騰。これにより、すでにブッシュ政権内で最高額の資産を持つ国防長官は、少なくとも100万ドル以上資産を増やしたことになる。
 さらに重要なことは、合衆国政府が世界最大のタミフル購入者であるという事実だ。今年7月には、米国防総省は兵士への配給用に、5,800万ドル分のタミフルを注文しており、議会も数十億ドル分の購入を検討中である。2005年度におけるロシェ社のタミフル売り上げ予測額はおよそ10億ドルで、前年度は2億5,800万ドルであった。」

<<政界・バイオ企業>>
 米政府はさらにこの11/1、この治療薬「タミフル」の備蓄強化などに71億ドル(約8300億円)を投じると発表した後、たった2日間で株価は約8%急上昇、年初からは5割近い高騰で、国防長官の資産は日本円にして少なくとも数億円規模で膨らんだ計算だ、という。
 この「タミフル」、スイスの医薬品大手ロシェ社が製造販売しているが、ギリアド・サイエンシズ(本社・カリフォルニア州)が96年に開発したもので、製造権はスイスの医薬大手ロシュに供与したが、ギリアド社は販売額の10%のロイヤリティー(特許収入)を受け取っている。このギリアド社は「政界とこれほど繋がりの深いバイオ企業は他に類を見ない」といわれ、これによって利益を得た政界有力者には、ラムズフェルドの他に、ジョージ・シュルツ元国務長官はギリアド社役員として、2005年度に入ってから同社の株700万ドル分を売却して利益を得ており、他にも、前カリフォルニア州知事の妻ピート・ウィルソンがギリアド社の役員に就任している、という。(前出米CNN報道)
 日本では、中外製薬がこの治療薬「タミフル」の国内販売を手掛けているが、同社がロシェ社から2001年2月から輸入販売し、インフルエンザが大流行した昨シーズンは、前12月期の売り上げが86億円、今6月中間期は232億円と大きく伸び、57.2%営業増益、58.5%経常増益、の52.28倍純益増益をあげている。

<<日本も「国家備蓄」>>
 日本でも、ブッシュ訪日にあわせたかのように、11/11、政府の行動計画なるものが明らかにされた。それによると、治療薬「タミフル」の備蓄について、国と都道府県が確保する割合を当初の2割から8割超に引き上げ、「国家備蓄」の色合いを強めたのである。国内で大流行が起きた際の治療の優先順位も明記し、海外渡航の自粛や学校の休業など社会生活の制限まで盛り込んでいる。
 タミフルの備蓄量は、当初の予定どおり2500万人分としたが、1人で3日間服用(1日2錠)する計算を国際的な標準に合わせ5日間服用(同)に見直している。そして備蓄量の割り当てについては、国と都道府県が2100万人分、病院やメーカーなどの市場が400万人分を持つ、という。これまでは、市場が2000万人分、国と都道府県が500万人分としていたが、市場分は通常のインフルエンザにも使われているため、大幅に見直したそうである。
 そして社会生活の制限については、国内で人から人への感染が確認された段階において、厚労省が文部科学省など関係省庁と連携し、発生地域の学校などを臨時休業とするよう要請。緊急性のない大規模集会や、ホールなどの興行施設での不特定多数が集まる活動の自粛勧告、患者が出た企業の従業員に対する出勤停止や医療機関への受診勧告など、社会生活を制限する、という。何やらきな臭い匂いが紛々としている。

<<米FDAの警告>>
 ところがこの「タミフル」、危険な副作用例が続出している。これを医師の処方によって服用した患者2人が、飲んで間もなく行動に異常をきたし、1人は車道に走り出て大型トラックにはねられ死亡、もう1人はマンションの9階から転落死していたことがこの11/11、分かったのである。薬の添付文書には副作用として「異常行動」(自分の意思とは思えない行動)や「幻覚」などが起きる場合があると書かれているが、死亡につながったケースの判明は初めてであり、厚生労働省安全対策課も死亡例の一つを副作用として把握しており「異常行動の結果、事故死する可能性もある」としている、それほど危険な薬なのである。
 この2人のほかにも10代の女性が窓から飛び降りようとして家族に止められたケースもあり、00~04年度には、厚労省の関連機関にも服用後の幻覚や異常行動などが計64件報告されていたという。
 さらに衝撃的なのは、米国の食品医薬品局(FDA)によって、この「タミフル」を服用した日本人の子どもに12人の死亡例があることが明らかにされ、また異常行動や幻覚など、神経や精神の異常を示した症例が32件あり、その内31件は日本での症例であったこと、皮膚の超過敏反応も12件中11件がやはり日本での症例であったとして報告され、警告が発せられたのである。日本の「タミフル」使用量は、実に世界の七割までをも占めているという。いったい、若干なりとも事実を把握していながら、何の発表も警告もしてこなかった日本の厚生労働省や関係当局は何をしていたのであろうか。徹底した情報開示、厚生労働省や、小泉内閣の解体的出直しこそが求められる。(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.336 2005年11月26日

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【コラム】ひとりごと– 国勢調査が示す未来 —ワンルームマンションの増加—

【コラム】ひとりごと– 国勢調査が示す未来 —ワンルームマンションの増加—

○今年は5年に1度の国勢調査の年であった。私も我が自治体で国勢調査の一端を担うことができた。○年末には、速報値が発表されるということだが、調査の過程において気が付いたことを述べてみる。○まず、前回は調査票は「裸」渡しで、希望者には袋を渡すということだったが、今回は、袋とともに両面テープも配られた。実際に集まった調査票は、テープで封をした袋入りの方が多かったように思う。個人情報に対する不安からか。おそらく次回では、両面テープを貼った袋を配ることになるだろう。○そして、何より調査の過程で驚いたのは「ワンルームマンション」の増加であり、コニュミティから「孤立した」その有り様であろう。○連絡票を入れても連絡がない。明かりが付いていても、呼び鈴に反応しない。近所で聞いてもどんな人が住んでいるのか、わからない、などなど。○これまでも、文化住宅やアパートと言う形での賃貸型住宅は多かった。しかし、現在の「ワンルームマンション」は明らかに、それらと違う。○私も、子供の頃「長屋」に住んでいた。お隣さんにもかわいがってもらい、また親同士も何かと親しかったものである。○これらの長屋には「家族」が住んでいた。しかし、ワンルームマンションは、単身者が住んでいる。夜勤の方もいれば、高齢者もいる。極端な話、借金取りから逃げている人もいる。当然にも表札がない部屋が多い。○レオパレスなどのように、企業が派遣社員用に数部屋を確保する場合もあり、住居というよりレンタルルームに近い。クーラーなどは設置済みで、大家さんの名前は契約書により知っていても、手続きは大概、賃貸業者が代行している。転居も簡単だ。○世の中に「単身者」が増えていることの影響だろうと思うのだが、寂しい気がする。しかし、寂しい話だが、今後一層増えていくだろう。個の独立などという事ではなく、格差社会が強まり、若者が独立しても、最低限の居住面積で暮らしていくには、経済的にもそれで十分だからだ。晩婚化や高齢離婚の増加などなど、ワンルームマンションの増加は明るい話ではないのである。○と、書いてきたが、我が息子も、就職した彼の地でワンルームマンション暮らしである。若いうちはそれでも良いだろうが・・・。(佐野) 

 【出典】 アサート No.336 2005年11月26日

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【映画評論】モーターサイクル・ダイアリーズ  杉本達也

【映画評論】モーターサイクル・ダイアリーズ  杉本達也

キューバ革命の指導者チェ・ゲバラ(エルネスト)の青春の物語である。1952年、23歳の若き医学生エルネスト(ガエル・ガルシア・ベルナル)とその先輩アルベルト(ロドリゴ・デ・ラ・セルナ)は無謀にもおんぼろバイクでアルゼンチン・ブエノスアイレスから、南米大陸1万キロの冒険の旅に出る。前半は雪のアンデスを越えチリに入り、2人の写真を載せた新聞記事をネタにただでバイクの修理を頼もうとするなど希望に満ちたどたばた劇が展開していく。バルパライソで恋人からの別れの手紙を受け取ったあたりから、徐々にエルネストの心境に変化が起こる。チリのチュキカマタ鉱山へ行く途中、土地を追われた共産党員の夫婦と野宿をする。ペルーに入り、クスコ、マチュピチとめぐり、リマのベッシェ博士からサン・パブロのハンセン病療養所を紹介される。エルネストとアルベルトはアマゾン川を下りペルーのサン・パブロに着く。そこは修道院が設立したハンセン病の隔離療養所であった。療養所の医師から手袋をして患者と接することが療養所の規則であり、規則を守らないとシスターからにらまれると忠告される。しかし、エルネストもアルベルトも忠告を守らず、患者たちと素手で握手する。患者は「規則を知っているのか」と少しためらい、次に喜んで握手を交わす。さわやかなシーンであるがハンセン病の真髄をついている。ハンセン病はらい菌によって感染するが感染力は非常に弱く握手程度で感染することはありえない。にもかかわらず、この修道院の療養所は患者との接触にあたり、手袋の着用を義務づけ、患者の病棟と本部・医療施設はアマゾン川で隔てられている。両岸を結ぶのは舟だけである。療養所の医師は「ハンセン病は感染しない」という知識は持ちながらも修道院のハンセン病患者に対する差別と偏見を容認しつつ、惰性のまま治療している。
2001年5月、熊本地裁の歴史的判決は、1907年の「らい予防ニ関スル件」(1931年「らい予防法」)以来90年に亘る国のハンセン病隔離政策を断罪した。判決以前のハンセン病に対する保健行政の対応は惨憺たるものであった。A県ではハンセン病に対する啓蒙と称して、わずかB4裏表の印刷物を申し訳程度に配布していた。全国各県でハンセン病元患者の生まれ故郷訪問事業として1泊2日程度の予算が組まれていたが、宿泊先は差別と偏見からホテルや温泉旅館といった民間宿泊所を使えず、厚生省関連の宿泊施設が使われていた。2003年に熊本県はたまたま民間旅館を使用したため、ハンセン病元患者宿泊拒否事件となったが、2001年まではそれを差別として抗議することさえはばかれる状態にあったのである。1996年の「らい予防法」廃止後はそのわずかな数十万円の予算さえも「不要不急な事業」ということで風前の灯火であった。訪問事業では元患者と県の厚生部幹部が夕食会を共にする。「○○君、同席して本当に大丈夫かね。」という言葉には、怒りを通り越して涙が出た。いったいこの幹部はどのような立場で夕食会に出席するのか。国の機関委任事務として、自らが率先して棄民・隔離政策に荷担した責任というものを全く自覚していなかった。
サン・パブロ療養所の医師やシスターらに見られる差別と偏見の現状を容認する姿勢は我々のすぐ身近にもある。その時、エルネストのようにすっとさわやかに手が出せるかどうか。さる3月1日、ハンセン病問題検証会議の最終報告書が出された。新聞各紙は1面程度の特集記事を組んでいた。社説でも反省の弁が語られた。百年近くにわたりハンセン病に対する根深い差別と偏見を植え付けたマスコミの責任は大きい。現状を追認し容認することは簡単である。しかし、差別と偏見の現状を変革して行くには100倍も200倍もの力がいる。マスコミは今回もたった1回の特集記事で隔離政策に荷担した自らの犯罪を「贖罪」しようとしている。エルネストはサン・パブロ療養所を去る最後の夜、パーティーを抜け出し誰も泳いで渡ったことのないアマゾン川をたった一人で向こう岸にある患者の病棟まで泳ぐ。エルネストの熱き思いで離ればなれの両岸をつないだのである。
冒険の旅はベネズエラ・カラカスの空港で終わる。エルネストは「私は昔の私ではない」といってアルベルトに別れを告げ飛行機に乗り込む。エルネストとアルベルトが旅をしてから50年が経過した。エルネストの死後、チリではアジェンデ社会主義政権が成立したが1973年のピノチェトのクーデターで倒され、そのピノチェトも裁判にかけられている。アルゼンチンでは軍事政権が無謀なフォークランド紛争を引き起こしイギリスに敗北した。米国の裏庭として当時と同じような貧困や差別、軍事独裁政権を米国が支援する構造を引きずっている。ベネズエラは、チャペス政権の下、メジャーの影響力から離れるべくインドネシアと油田共同開発の合意をしたという。カラカスからの旅立ちは明日の中南米の行く末を占うようである。(監督:ウォルター・サレス、製作総指揮:ロバート・レッドフォード)

【出典】 アサート No.328 2005年3月19日

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【投稿】靖国参拝違憲判決と小泉外交

【投稿】靖国参拝違憲判決と小泉外交

<<「政界の奇跡」>>
 10/14、参院本会議は郵政民営化法案を成立させた。何の見直しも行わず、ただ執行日だけを変えた再提出の法案が、衆参たった6日間の審議だけで、自民党で前回衆院で反対し、今回非公認で当選した13人のうち11人、参院でも前回反対した議員のうち1人を除いて全員が賛成にまわるというあきれ返るほどの無節操ぶりで成立した。小泉首相はこれを、「政界の奇跡だね。支持してくれた国民の皆さんのおかげだ」、「目標達成した充実感はある」と、満面の笑みで自画自賛した。
 しかしとんでもない話である。実際は、郵政民営化以外のすべての争点を隠して、議会政治のルールまで無視して、強引に解散・総選挙に持ち込み、刺客パフォーマンスと敵失によってたまたま3分の2の議席を獲得したに過ぎない、そのような危なっかしい、脆くて崩れやすい「政界の奇跡」である。しかもその最も重要な、首相自身が郵政民営化の国民投票だと言った、その得票数でみれば、多くの分析が明らかにしているように、民営化賛成の3389万7275票に対して、反対は3419万4372票と、反対が賛成を上回っているのである。「支持してくれた国民の皆さんのおかげだ」といえるようなものでは決してない。
 首相はもはや、ある意味ではその使命が終わっているともいえる。9/27の所信表明演説は、あのガリレオ引用の解散演説以来であり、圧勝の余韻覚めやらぬ雰囲気の中で、その意気込みや如何と世間は注目したが、圧勝した気楽さからかまったく気抜けした、選挙中よりもさらに無内容で具体性に欠け、展望も示しえない空疎な所信表明であった。日本が直面するさまざまな政策課題の打開への意欲など、何も示しえなかったのである。それは大手全国紙の社説の多くが失望をあからさまに表明するほどのものであった。郵政民営化では首相を持ち上げてきた朝日の社説までが、「『5月病』でしょうか」と皮肉るほどであった。
 首相は、選挙戦では実にうまくしてやったりとほくそえんだであろうが、それがまたしたたかな戦略家、民主党などよりも一枚も二枚も上の老獪さともてはやされもしたが、一皮めくれば、熱しやすく冷めやすい、挑発されて弱点を突かれればムキになって反撃するが、場当たり的で、内容を深く考えることもない、そのような本質を浮かび上がらせている。

<<「これは高裁判決でしょ!」>>
 こうした首相の浮かれ気分に冷水を浴びせかけたのが、首相の靖国神社参拝を明瞭な憲法違反と裁定した、9/30の大阪高裁判決であった。
 判決は、首相が自民党総裁選での公約として参拝したこと、公用車を使い、首相秘書官を伴い、内閣総理大臣小泉純一郎と記帳していること、「私的行為」か「公的行為」かをあいまいにしてはいたが、「公的行為と認定されてもやむをえない」と述べて、参拝は首相の職務と判断され、なおかつそのことによって「国は靖国神社との間にのみ意識的に特別のかかわりを持った」と指摘し、「参拝の核心は、本殿で祭神とじかに向き合って拝礼するというきわめて宗教的意義の深い行為」であり、しかも、首相は「3度にわたって参拝した上、1年に1度参拝を行う意志を表明するなどし、これを国内外の強い批判にもかかわらず実行し、継続しているように、参拝実施の意図は強固であった」との判断を示し、こうした行為は「特定の宗教を助長、促進する役割」を果たし、憲法第20条3項に定める「国は宗教的活動をしてはならない」という、政教分離規定に違反するものであると、断じたのである。
 これによる原告側の権利侵害、損害賠償請求こそ認めはしなかったが、首相側の明らかな敗訴である。前日、9/29の、首相の靖国神社参拝を「私的」「個人的」として憲法判断を回避し、逃げた東京高裁判決に対して、この大阪高裁判決は明快に首相の行為を憲法違反行為と判決したのである。この判決に対し、すぐさま細田官房長官は「昨日、今日と高裁判決が相次いだ。昨日の判決は良かったが、今日の判決は大変遺憾だ」と記者会見している。
 当の首相自身は、9/30の予算委員会で「私の靖国参拝が憲法違反だとは思っていない。総理大臣の職務として参拝しているのではない」と反論し、あくまでも「私的参拝」であると強調し、言うに事欠いて「これは高裁判決でしょ」などと述べ、まるで最高裁段階では高裁の違憲判決がひっくり返ることを示唆し、押し付けるかのような発言までしている。行政府のトップが司法の判断をまるで無視したような態度でからかい、自己の行為を省みることさえ拒否する姿勢である。

<<「この判決こそ政治的」>>
 さらに首相は、「判決が今後の参拝に影響するかどうか」と問われて、「ない」と断言し、年内に参拝するかどうかについては、例によって「適切に判断する」と応え、参拝強行を強くにじませる挑戦的姿勢をとり続けている。
 こうした首相の姿勢を支持する産経新聞10/1付け「主張」は、「靖国訴訟 ねじれ判決に拘束力なし」と題して、「判決文は小泉首相の靖国参拝の主たる動機・目的を「政治的なもの」と決めつけているが、裁判官こそ、中国や韓国などからの批判を意識しており、政治的意図を疑わざるを得ない。小泉首相は今回の大阪高裁の違憲判断に惑わされず、堂々と靖国参拝を継続してほしい。」と主張している。同日の読売社説もまた、「きわめて疑問の多い『違憲』判断」と題して、「近隣諸国の批判などを理由に首相の靖国神社参拝を違憲だとするなら、この判決こそ政治的なものではないか。」と高裁判決を批判している。常に右派的言論をリードする政治的主張を掲げてきた両紙が、今回の判決を「政治的だ」として批判する姿勢は滑稽でさえある。
 しかしこの靖国参拝問題は、郵政民営化問題とは明らかに異なる。郵政民営化はたとえアメリカ側からの圧力があったにせよ、あくまでも国内的問題であり、その意味では今回の選挙で示されたとおり、詭弁、ごまかしを押し通すことが出来た。しかし靖国参拝問題は、国内問題であると同時に、それ以上に国際問題であり、参拝を強行する以上は、抜け道やごまかしが通用するものではない。その上、首相は今回の選挙では靖国参拝問題は徹底的に争点にすることを避け、隠し通してきたのである。
 11月には韓国・釜山でアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議、12月にはマレーシアで初の東アジアサミットが予定されている。こうした段階で、首相が大阪高裁判決を「理解に苦しむ」、「今後の参拝に影響しない」と言い切ったことは、対外的には参拝を強行する姿勢をわざわざ鮮明にしたようなものである。すでにこうしたサミットでの日韓。日中の首脳会談がいまだペンディングになったままであり、ずたずたになり、孤立したままの日本の東アジア外交は袋小路に入り、友好善隣関係を築きうる端緒さえつかみえていない。首相は来年9月で辞任する意向を示していはいるが、参拝強行姿勢をとり続ける限りは、すでに現段階で、用なしなのである。政界再編の胎動となる可能性が大ともいえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.335 2005年10月22日

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【投稿】総選挙結果を考える意見交換会(2005-10-2)

【投稿】総選挙結果を考える意見交換会(2005-10-2)             

「増税かくし」で大勝した小泉自民党

佐野)今日は、総選挙結果について、いろいろな角度から考えてみる、というのが趣旨ですので、忌憚のない議論ができればと考えています。まず、自己紹介と選挙への感想をお願いしたいと思います。
 ある新聞によると、岡田代表と言うのは、ある種の優等生的で、政策をきっちりだして、まじめにやれば道は開けると取り組んだわけだけれど、小泉の劇場型選挙に敗れたというわけです。小泉についての感想としては、「分かりやすくても、中身がない」というのは、いかがなものかな、というところです。国民はいつ気づくのかな、というところでしょうか。4年間選挙がないと言われていますが、どれだけ挽回できるか。それほど悲観はしていません。今回の逆もありかな、と思うわけですね。
 
<自公統一戦線に野党の側は分裂>
生駒)前号のアサートで、民主党政権が誕生する、と期待をしていたわけです。いざ解散になって、どんどん事態が逆の方向にいくので呆れ果て、深刻に考えなおさないといけないと思ったわけです。今日はそういう意味で議論していきたいと思います。
 大きな問題は、自公がきっちり統一戦線を組めているのに、野党があのありさまということで見放されたのか、という感想を持っています。
江川)今回の選挙結果以降の話ですが、郵政で選挙が戦われたわけですけれど、国の官僚の発言を聞いていますと、財務省あたりなんですが、交付税問題などの三位一体改革が今後一層出てくる。自治体では予算が組めないという状況も出てきていて、住民サービスをカットせざるをえないわけです。私は民主党政権が必要だと思いますし、地方分権の推進は小泉政権では難しいと感じています。
 民主党は前回の選挙では、全面的に地方分権を掲げていたわけですね。中央から地方への権限・財源の移譲ということです。実はそのためにも地方での「足腰」を強める必要があります。敗北したとは言え、多数の国会議員を有する民主党ですが、まだまだ地方議員については少ない。特に市町村レベルでは、自民党が半数に対して、民主は1とか2という場合が多いわけです。新興住宅地を抱えている私の自治体すらです。また、仮に民主党政権になったとしても、自治体の側が、地方分権の用意ができていない実態もあるわけです。地方自治体レベルでも、分権を担う改革を進める必要があると思っています。

<自民党と民主党を含めた総保守の再編成では>
民守)今日の出席者の中では少数意見ではないかと思いますが、今回の選挙は、全体的には都市型保守とこれまでの旧来型の保守の総再編成-少々シビアに言えば、民主も自民も含めた保守側の総再編成という意味があったと思います。つまり、これまでは民主党の基盤が都市部であったわけですが、今回の選挙では自民党が都市型に変わっていく中で、民主党は都市部の支持を失ったわけです。しかし、議席結果では相当のひらきがありますが、比例の投票総数で言えば、その差は小さく、まさに小選挙区制のマジックによって議席に大差がついた。
 2点目は、僕の一貫した主張ですが、「小選挙区制」についての問題-民主主義の基本的な制度である選挙制度としてどう評価するのかということです。単に小選挙区制は政権交代が起こりやすいと言う事だけで、評価するのは間違っていると考えています。「逆に民主党が政権を取ることも有り得るから良い」という意見もありますが、民主主義の基本的制度としての視点を見失っているのではと思うわけです。麻雀で言えば「ドラだ、横付けだ」などと、差がひらくようにするシステムであって、問題指摘せざるを得ない。
 最後に、新保守・旧保守含めた総保守に対する労働者側という意味における「革新側」の統一ということも考えていかなければ、この総保守化の流れを止めることはできないのではないか、という危機感を持っています。

<増税かくしに徹した小泉自民党>
杉本)今回の選挙についての意見は、アサート9月号の私の文章のとおりで、読んでいただければ幸いです。私の思いとしては、基本的には「ゼニ」の問題ではなかったのか、ということですね。増税するのか、しないのか、という事です。郵政民営化するということが、増税しないということへの大衆受けのする回答ではなかったのではないか、ということです。そこには、両方の勘違いがある。言った方にも投票した方にも勘違いがある。それが、増税しない、という約束として分かり易かったわけです。増税しないという約束に支持が強かったということは、政府に対する極端な不信が存在していた、ということでもあるわけですね。
 私はこれまで社会民主主義的な、あるいは欧州的な福祉国家が目標ではないかと思ってきたわけです、この結果をみるとたどり着くのは、まだしんどいな、という感じです。
 何故かというと、これは2度目の立ちすくみなんです。一度目は消費税の時ですね。増税論に対する強い拒否がありました。ということで、今後はかなり難しいな、と思います。だから自民党も非常に難しい。単純に増税論という素直なマニフェストでは無理があると思います。だから、もう一度政府機構を見直すことにならざるをえない。道路特別会計などが見直しの対象として出てこざるを得ない。この方向へ一度行ってからしか、欧州的な社会民主主義的な方向に向かわないのではないか、という感想を持っています。

<メディアの怖さを感じます>
A)今回の選挙については、メディアの怖さということを感じます。森田実さんも言ってますが、アメリカから5000億ですか、メディア対策があったとかね。特にワイドショーですね、小泉が仕掛けた刺客云々の話題とか、選挙期間中そればかり。すごいコマーシャル効果があったと思います。見ていたのは、普段投票に行かないような人で、その人達が投票に行ったのではないか、そして自民党に投票した。自民党には強固な基盤は崩れていて、勝たせすぎたと思った人は、次の参議院選挙では、逆の行動に出る可能性も高いとは思います。
 郵政民営化ということの支持は得た、しかし政権運営の白紙委任を受けたということではありません。勝手な方向には、強力な反対が起きると思います。
 それから、民主党の前原新代表が、労組を切るみたいな発言をしているのが気になります。新代表の評価についても議論していただきたいと思います。

<客席から見ていた都市部の有権者> 
大阪O)今回の選挙は、小泉が郵政民営化というシングルイシューに設定されてしまった事が、民主党敗北の最大の原因だと思いますね。結局郵政問題は、今回自民党に多くが投票したと言われる都市部の住民にとっては、民営化されようが、公社のままであろうが、余り関係がない問題なんですね。客席から見ていられる問題なんです。真剣に投票しなかったとは言いませんが、面白がって投票したかもしれませんね。そんな軽い課題でしかなかったのではないか。郵政ではなくて、先ほども触れられた増税問題と言うことであれば、「死んでもいいから増税をします」と言ったところで、票は集まりませんね。「死んでも徴兵制をする」なんて言ってもね。そんな軽いテーマでしかなかったのではないか。
 昨年の参議院の時は、直前にジェンキンスさんに曽我ひとみさんを会わせて日本に連れてくるというパフォーマンスをやったり、北朝鮮の拉致問題も語られたわけですが、今回は一言も触れられませんでした。むしろ自民党ではなく、民主党の西村真吾や大阪14区で立候補した長尾たかしが、拉致問題の会のメンバーで自治労と日教組と解放同盟の推薦はいらん、と言って憚らないタカ派でびっくりしたわけです。民主党は、これまで次期衆議院選挙への公認条件を50%以上の惜敗率としていましたが、次はさらにハードルを高くするようで、長尾たかしは、次期選挙では公認されないと思いますが。

<マーケティングは、まず静岡で>
杉本)最初の刺客が片山さつきですね、静岡7区から立候補したわけですね。ポイントは、マーケティングはまず静岡で行うという鉄則にあります。静岡で成功するかどうか、静岡で新製品が売れるかどうか、そこから全国に出すかどうか決めるんですね。商売上の原則なんです。たぶん、そこで受け入れられたので、自民党は全国展開させたフシがあるんです。自民党のマーケティング戦略を感じますね。
大阪O)民主党の広報は、アメリカ企業に出したという話がありますね。「日本をあきらめない」というものでしたね。
生駒)とても、後ろ向きのスローガンですよ。
佐野)敵ながらあっぱれ、と私は感じましたよ。今地域ではコミュニティが失われていて、政治向きの話をする環境は少ない。核家族でテレビが情報源だから、マスコミを総動員して「郵政一色」「刺客戦争一色」にされたら、自民党以外目に入らない。国民へのメッセージをどう伝えるか、とても大切なことですよ。
杉本)わかりやすいというか単純明快というか、非常にわかりやすいスローガンで語りかけることは大切ですね。増税もしたいんだろうけれどね。ただ、選挙のやり方として、それがいいのかどうかね、今後も。

<増税で低迷した都議選の教訓>
生駒)小泉が何故勝ったのか、という点で、増税議論を避けたという点の指摘がありました。避けるために郵政民営化を出してきたということ。
 小さな政府論を前面に出したやり方です。それに対して民主党は、消費税増税ありますとマニフェストに出した。劇場型とかの問題もありますが、この増税論議を自民党はうまく避けたと言う問題が確かにあると感じます。
大阪O)総選挙の直前に都議選がありましたね、その前に政府税調が増税を打ち出します。それが都議選結果に影響が出たということで、民主党が少し議席を伸ばした経過がありました。その結果、総選挙では増税の文字が消えたのではないか。
生駒)むしろ、「サラリーマン増税」に組しないというのが、自民党のマニフェストでしたね。税の問題に触れずに、郵政だけでやった意図は明らかですね。

<アメリカ支配を望む小泉、反対する右翼>
杉本)もうひとひねりしてね、何故郵政民営化なのか、という問題です。こちらだけじゃなくて、郵政民営化反対の「自民党候補」も刺客を送られたわけです。それは別に特定郵便局だけの話ではない。実態としてね。右翼的な人も反対したわけです。西部 邁とかもね。要するにアメリカの支配を嫌うという点からですね。だから本来的には、前川レポート以来そういう流れなんです。本来は小泉はそれが狙いなんだけれど、増税に触れずに郵政だけで臨んだ、アメリカの戦略もあったとは思いますね。金をどう流すか、ということなんですね。財政投融資で国債を買うのか、どうか。金利差が3~4%あれば、金はアメリカに流れますね。今日本の国債は1.3%ですか、だから金の流れは変わらない。郵政反対派は、こうしたアメリカの支配に反対したんじゃないかな。向こうの方がストーリーが上手かったということですか。そこにねじれがあった。小泉の思いとしてもねじれがあったのではないか。国民の投票行為としてもねじれがあったと思います。持っている人が郵便局に預けているわけで、これが年金資金ということでは話は別であったと思います。
佐野)選挙以前からですが、エコノミストや経済界からのメッセージは、小泉再選ならば、「改革」推進で株式相場を含めて経済は上昇、民主党政権ができれば、増税含む引き締めで経済停滞、というものでしたね。実際に解散して直後に株式相場は上昇しまして、投票日直前の金曜日にも、自公勝利と読んで選挙結果を待たずに株は急上昇しているんです。ネットトレードなんかでミニ投資家が増えているんですが、そうした層は自民勝利で株上昇、民主勝利で経済停滞、というメッセージには弱いと思います。これまでもこうした図式がまかり通っていますが、果たしてこれでいいのかと思います。
生駒)実際、13000円を回復していますね。これまでなかったことですね。
佐野)先週は、毎日株価が上昇して、売買高、売買株数ともに数年来の最高を更新しているんですね。外国人投資家からの資金流入なんですが。
杉本)日本の金が金利差からアメリカへ流れて、その金がまた日本に投資されるという構造です。とにかく、アメリカは日米に一定の金利差をつけて維持されなければならないわけですね。お約束としてずっとね。ゼロ金利政策が続いています。
佐野)上げられないし、上げれば国債の金利や、借金の金利が上がってしない、手が付けられない、という意味で、金融政策など何もないというのが日本の状況ですね。
杉本)金融政策というのは、国の基本的な政策なんだけれど、今の日本には金融政策など何もないんですね。

<財政議論をしっかりすべきだ>
江川)杉本文章の中で触れられた、関学の小西教授なんです。合併推進派のように言われていますが、現場主義の丁寧な方でして、財政投融資問題も発言されています。投資先のえーかげんさだとか、年金財源を社会保険庁が勝手に使っている問題とか、地方自治の現場から想像もできない使い方ですね。
 入りの議論として民主党も預金限度額の引き下げとか言い出したんですが、むしろ出の方の問題こそまず議論すべきではなかったかと思います。郵政では議論にもならなかった、議論させてもらえなかったということが実際ですが、今後年金問題などでも、入りと出をわけてきっちり議論する必要がある。今回の郵政議論についても、総括しておく必要があると思います。
杉本)財政投融資なんていうのは、国民にはほとんど分からない分野ですね。玄人でも説明がしにくいのに。2001年には郵貯と財投との関係は切れましたが、まず財投に入って特殊法人の方へ流れていくわけで、その流れは普通の者にはわからないわけです。
 今は政府系のHPに、かなり数字が出てきています。昔なら絶対出てこないものです。一番驚いたのは道路公団の民営化の時に、どこの道路はどれだけ赤字でというのがHPに出ていた。これまで絶対に出ない数字ですね。
佐野)次の課題という意味では、年金・医療、特に医療改革をしないといけないと思っています。仕事柄福祉医療に関係深いこともありますが、医療費がほんとに野放し状態です。高齢者医療もそうですが、医療効果の検証もされていないし、医師免許更新制もなく、情報公開も全く進んでいません。医療費負担がいろいろな分野で財政を圧迫している。高齢化が進むことだけに眼が行きがちですが、システムとしても問題山積みです。郵政族以上に日本医師会という圧力団体を料理できるのかどうか。
民守)当初、世論は「郵政民営化が国民にとってそれほど大事なことか?」との声も多くあったと思いますが、テレビで何度も「郵政民営化」と言われると、中身抜きに、「郵政改革」が正しく思えてくるのでしょう。一方、民主党のキャッチフレーズは非常に弱気を感じさせるもので、「政権奪取に本当は自信がないのか」と思えるものでしたね。キャッチは自民党のほうが上手かった。
 増税問題で言えば、自民党は「政府税調どおりに実行するとは限らない」と軽くかわして、実質増税路線を「郵政民営化」の争点の後に隠してしまったという感じでしたね。
 民主党も増税問題では明確に反対姿勢を示さなかったということでは、保守側に移ったということではないか。確かに民主党の支持勢力には連合もあるわけですが、大阪市職問題も労働者層と民主党との切り離しを狙ったものとも言え、「労働者の側にたった政権の樹立」という目標からすれば、もっと厳しい議論が必要ではないかと思います。

<今後強まる公務員批判>
江川)ムード作りという点では、小泉のテレビCMでは、郵政民営化というよりは公務員の既得権に的を絞った訴えでしたね。閉塞感のある社会の諸問題をすべて郵政民営化が、郵政公務員27万人の雇用問題が解決するかのごとく。公務員が労働者であるというより、あたかも特権階級のように描き出してましたね。個人的にも公務員であることを明らかにすることが、居酒屋なんかでも躊躇することがあるくらいですね。役所といわずに会社と言ったり、市長と言わずに社長と言ったりね(笑い)。分断されているわけですね。連帯から分断へという危険な方向ですね。我々の側の反省も必要かとは思いますが。
A)連合の中でも、公務員組合と距離を置こうとする動きもありますね。選挙闘争の中でも、そうした空気を感じました。あなたたちは、リストラもないし解雇もないし、などとね。完全に分断されていると感じます。
大阪O)サラリーマン増税という言葉がありますが、サラリーマンには公務員は含まれないと思っている人が多いっていいますね。公務員を組合を含む連合が、自民党・民主党と対峙してくれればいいのですが、そうなっていないんですね。
民守)サンデープロジェクトの中で、社民党の代表が公務員の問題について発言しようとしたんですね。そうすると田原が「社民党は既得権を守る守旧派なんだから」と発言を封じるんです。ひどい公務員バッシングですね。今後社会保障や年金問題が出てくるわけですが、自民党の政策の中に公務員バッシングを含んでの手法が仕組まれることは眼に見えていますね。

<広がる格差と強まる社会の閉塞感>
A)閉塞感が広がっていますね。階層分岐も固定化しつつありますしね。夢も希望のない、みたいなところが、公務員バッシングに向けられているという感想です。大阪のある自治体の市民アンケートの結果を見たんですね。箱物行政への批判は当然としても、公務員はヒマそうだとか、そんなのがどんどん出てくるわけです。本当に感覚的なものなんです。人が多いとかね、何の根拠もないと思うんですけれど。
 そんな感覚が支配的なので、大阪市のカラ残業問題もスッと入ってしまう。夜になって遅くまで残業していて電気がついていても、残業していると思われていないんですね。
 アメリカでは、何でも民営化されていて、コンビニでも保育所ができるみたいにね。低賃金の労働者・保育師しかいないので、質も悪い。一方で、金持ちには金に飽かした保育が保障されているみたいな。行くところまで行かないとわからないのかな、という気にもなります。

<公務の積極面を押し出すべきだ>
民守)小泉改革は「民間でできることは民間で」ということですね。「民間は効率的で公務員は非効率だ」と決め付けている。これに対しては、自治労も世間からの批判があっても、公の積極性を打ち出すべきだと思います。例えば今、国勢調査が行われていますが、公務員の回収と民間の人の回収とでは、守秘義務に関わる信頼が、やはり違うようです。
また、最近では様々な委託が進んでいますが、個人情報については不安が残ります。情報を漏らした方が金になるとなれば、その利益の方を優先することが有り得る。
 さらに民間職業紹介事業にしても、求人企業側の立場に立った手法が目立って、民間が必ずしも良いとは思われません。特に職業安定行政は、かつての悪徳紹介業者(手配師)から求職者を守り、公正雇用に配慮する意味からも、公共において行われてきたわけです。
 こうした公共による積極性の面を、もっと打ち出していく必要があると思います。
 そもそも、最近の公務員バッシングは、小さな政府論と大きな関係があると思います。
A)本当に官でなければならないものを、提案していく必要がありますね。直営堅持というのは無理にしても離したものをどう監視していくか、という問題も出てきます。市民参加で行政評価システムを作っていくことが必要ですね。
大阪O)自民党はこれまで、NPOというのは民主党や社民党の流れのなかにあると考えてきたわけですが、今回の選挙の自民党候補者の中には、NPO関係者もいるわけです。
江川)確かにNPO取り込みを狙っていますね。NPOは経営的にも厳しいものがあり、そこで生き抜いてくる人たちの中には、結構鍛えられている人もいます。
A)障害者福祉や、町内会のイベントへの協力だとか、NPOが頑張っている例が出てきているしね。無視できない存在になりつつあることの反映とも言えます。今後は子育て、介護、環境、防災などの分野では、行政もNPOと積極的に協力していく必要があると思います。

<自民党は変わったのか>
民守)今日の討論として「自民党は変わったのか」という予定テーマがありますが、僕は小泉改革は自民党を変えたと考えます。20年程より前の選挙なら、最初は地方から開票が進んで自民党が優位、そして都市部の開票が進んでくると、だんだん革新も伸びて「まあまあ」という結果になっていたと思います。しかし今回は、むしろ都市部で自民党が議席を取っている。
 それと自民党の変化とは異なった視点の話ですが、今回の選挙では郵政族も切り捨てられましたが、今後さらに族議員の既得権益のようなものを無くしていくとすれば、その先は何を目指しているのか-どのような社会が想像されるのかと言うことです。感覚的に思うことですが、「小さな政府-官から民への流れ」を加速させるということは、民間の自由競争に任せるという方向で、それは勝者と敗者の格差が開いていくことになると思います。
 僕自身は、公共の優位性を明確に位置付けていくことが重要だとは思っていますが、仮にそうならずに民間競争原理に委ねていく社会を良しとするならば、せめて最近、企業のコンプライアンスとかCSRとか言われていますが、そこにはルールを適用していく-公共的秩序の規制をしていくことに力点を置くことが必要ではないかと考えています。ルールがないと非常に危ない社会になっていくということを指摘すべきだと思います。

<市場原理だけでは不正が起こるのは必至>
杉本)小泉さんが競争社会を目指していることは間違いがない。しかし、民間型の競争社会でうまくいくかどうか、それは又別問題だと思います。アメリカでも日本でも会計監査法人自身が不正をするということで、不信をかったわけですね。カネボウ粉飾で話題となった中央青山の理事長・奥山章雄はアメリカの会計基準を持ち込んだ人物ですね。自由主義的な資本主義社会で不正が起こらないはずがない。逆に言うとね。格差社会というのは、そういう社会になることは間違いがないと思います。金があるものが力を持つ社会なんですから。不正も出てくる。そんな社会をめざすわけにはいきません。
 アメリカだってエンロン問題が起こる前に、会計基準を見直している。それでも不正が起こる。

<「官から民へ」は、規制がより必要になる>
民守)ルールという問題を何故出したかというと、労働の問題がある。今や正社員の採用は非常に少なくなって、非正規雇用が蔓延してきている。「労働者は渡り歩くものだ」という感覚になっている。ルールが必要だと言う意味は、例え労働者が企業を渡り歩いたとしても、労働に関る社会的保障やルールが守られないといけないということなのです。それが競争社会における労働者側のセイフティネットと言うことだと思っていますが。
A)自治体が委託する場合でも、委託先の雇用条件を縛るとかね。役所がどんどん不安定雇用を作り出すということは避ける必要があります。入札の場合も、雇用条件などを規制するという取り組みが始まっています。
佐野)「官から民へ」ということでの枠組みのひとつとして、介護保険事業や障害者福祉の支援費事業があると思います。在宅サービスの供給先は民間ということです。介護保険事業は5年になります。事業者の認可や保険料の徴収や運営は行政が行いますが、サービス提供は民間ですね。
 事業者認可を行う大阪府が何をしているかというと、不正の摘発ですね。サービス提供をせずに費用を請求しているとか、基準を満たしていないとかね。
 民の不正を官が監視しているという構造なんです。サービス需要が上昇してますし、供給を官が行うことは不可能だと思います。そういう意味では、官から民へということが流れが広がっているのが、社会福祉の分野ではないかと思います。
 ただ、事業当初の歌い文句は、措置の時代よりも利用者の選択権が重視されているということだった。いい事業者はより選択され、悪い事業者は淘汰されていくというわけですね。ただ、現在は需要の伸びの方が強いので、現在も新事業者の参入が続いていて、淘汰されずに、まだ生きている。不正もまだまだ隠れていると考えていいと思っています。
 厚生労働省は単価の見直しなどで見直しを図ろうとしていますが、それは小手先の、その場凌ぎであって、さらなる論議が必要ではないか、と思います。
民守)介護事業者の件ですが、大阪府の場合、月に新規事業者が100件を越えているという状況が続いていると聞いています。まだまだ増えています。
 そして小さな政府論との関係で言えば、実際にすべての不正行為、事業者をチェックできているかと言えば、できていない。人が足りない。小さな政府こそ、チェック・監視体制には人が要るということだと思うのですが-。
杉本)例えば特別養護老人ホームがありますね。そこには、医者や看護師などなどの配置について必置規制があるわけです。ところが他の病院などと兼任している場合が結構多いわけです。厳しく規制すると潰れてしまう。確実に潰れると思います。ここをしっかりと規制する必要があります。バイトの医者を規制したので医者不足なんですね。大学が研修医を引き上げたりしてね。
 障害者雇用は3%でしたか、これを本気で守らせるかどうか。行政の入札でも、人件費単価は積算されているけれど、結局ピンハネされている。これらを規制することができるかどうか、官の仕事もはっきりする。大きな政府か小さな政府か、新たな基準を設定できるかもしれません。

<前原新代表の評価は?>
佐野)民主党の前原新代表の評価についてはどうですか。
A)京都はそこそこ当選させていますね。前原さんとか山井さんとかね。
B)今回落選した候補者たちのなかでは、新代表にどう評価されるか、戦々恐々としている人が多いと聞いています。惜敗率の関係もありますしね。
佐野)ちょっと心配ということころですかね。憲法改正発言、労組との関係についての発言とね。
杉本)松下政経塾出身ですね。小泉と同じで小さな政府論者ですね。
生駒)民主党の中の「小泉」みたいな気がしますね。
杉本)さきほど言ったように、もう一ひねり必要なわけで、前原でそれができるか、どうかではないですか。一気に福祉国家には行かないわけでね。
A)菅では、新鮮さがないという意味ではしょうがない選択だったでしょうね。(笑)
生駒)同じ京都ですが、山井さんは違いますね。社会保障拡大論です、菅と前原が決戦になった時、山井は迷ったと、そして最後は同じ政経塾出身、同期ということで前原に投票したと、しかし前原があまり右により過ぎないようにブレーキをかけるのも、私の役割だと、メールマガジンには書いています。
 前原も時間とともに発言をセーブしているようだけれど。
A)選挙時のマニュフェストは、現在も有効な民主党の約束なんだから、前原も守らないといけない。
民守)民主党も自民党も新保守的な傾向の人も多い中で、民主党と自民党が連携する可能性も否定できない。その場合、公明党はどう動くかという点も心配ですね。
 また小さい勢力ではありますが、社共がどうなるのか、連携も含めた共同の可能性があるのかどうかも関心があります。
生駒)横路派的なものはどうなんですか。あまり見えてきませんが。本来は、彼らと社民と共産、そして中間派などが共同戦線が張れれば、いいと思うけれど、そうはならない。多数派に付いて発言権だけ確保しておこう、前原執行部に協力していくという姿勢ですかね。

<民主党は衆参でねじれる恐れがある>
大阪O)民主党が若干右傾化していくのは、止むをえないところがありますね。当選した衆議院議員を見てみてもね。参議院の方は選挙制度の違いもあって、労組出身や喜納昌吉とかのグループがありますから、衆議院と参議院でねじれてくる可能性は大きいと思います。
江川)代表選も僅差は僅差ですね。朝日が書いていましたが、演説草稿になかった、自分が奨学金で大学を出た話をアドリブで入れたという話ですね。それで何票か動いたかどうか。まだそうした話を受け入れる基盤が民主にはあると思いますね。
生駒)大橋巨泉が週刊現代に書いていましたが、僕がいたら菅にいれている、そうすれば同数になるとね。僕が辞めたおかげで比例で議員になったツルネン・マルティが、前は菅に入れたが今回は前原だった、たったそんなもんだとね。
江川)劇場型という点で言えば、マスコミは前原を好意的に写していると感じますね。
大阪O)マスコミは、二大政党を煽ってきた経過があってね、このまま民主党がフェイドアウトしてもらうのは困るわけですね。
民守)小泉が国会で、前原を持ち上げたりしているのを見ると、保守の再編を感じてしまいますね。
大阪O)小泉は、私の後継は前原だと言い出しそうな感じですね。

<社会民主主義的政策で対抗すべき>
佐野)杉本さんが書いたように、対抗軸は当然福祉国家であり、社会民主主義的政策をだしていかないと、民主党は埋没していくわけです。参議院は2年後に選挙ですが最大4年間総選挙がないという中で、焦ることはないと思いますが。
杉本)たぶん4年も持たない政権だと思いますね。増税論議がくすぶりだしたら、1年もたないと思いますね。
佐野)小泉は1年で退任するというのだからね。自民党のマニュフェストには「サラリーマン増税はしない」と書いてあるわけです。ところが、選挙の2日後に谷垣大臣は、定率減税全廃を言っています。それを前原が代表質問で追求したけれど。私も4年も続くことは有り得ないと思います。
杉本)300議席も取ってしまったので、増税を口に出せないという面がある。次に増税を口にする時は、解散しかないわけです。
江川)中曽根の時、300議席というのがありましたが、4年持たなかったですね。85年ですか。
民守)売り上げ税問題だったね。

<社共は善戦したか>
佐野)民守さんの「社共善戦」ということなんですが・・・
民守)敢えてわかりやすい構図で言えば、競争社会の中で敗者-犠牲になった方の支持を得たということかと思いますが-。ただ社民党も共産党も活動家は、けっこう高齢でして、そこが心配ですね。
江川)地方分権の立場で言えば、地方議会はまだまだ共産党は健在なんですね。まじめな議員も結構いるにはいます。若い人もね。
A)公明は、今回議席も票も減らしましたね。親は必死の公明党でも子供は違うみたいなこともあるみたいですよ。
生駒)公明は自民党候補の当選には貢献したけれど、見返りは余りなかったわけだね。
A)大阪の公明党は、小選挙区で3名当選させましたね。小選挙区の票は伸ばしているけれど、比例票は減らしているわけです。かなり危機感を持っているようですよ。

<野党連合はなぜできないのか>
生駒)選挙制度の問題で、民守君の提起があるわけですが、要するに以前の中選挙区制度は、実質的な比例的要素があり、それぞれが言いたいことを言って棲み分け、政治状況が変わらない、小選挙区にした方が対立構造が明確になって政権交代もありうると提起されてきたわけです。私は、それは今でもある程度有効だと考えているわけです。と言うのも、いろいろあっても保守の側は統一戦線組んでいるのに、野党はバラバラで社民党まで民主批判するなど統一戦線が組めない。日本でもオリーブの樹の連合のようなものができて然るべきなのにできない。そうかと言って、これ以上小選挙区を増やせば大変なことになる。今残っている比例区は中々いいものだと思うけれど。よりまし政府論に批判もあるけれど、どちらかの選択が必要と言う時に、バラバラでいいのか、結局は自民党支配を許してきたのではないかと思いますね。
民守)当時そういう議論があったことは事実ですね。ただ僕はその時から批判的でした。「政権交代の可能性があるから小選挙区制を」という意見ですが、「国民の声を議会にどのように反映させていくのか」という点から言えば、ある程度の社会的各層の代表が議席を取れることが必要なのではないでしょうか。現状の問題認識として「自民対反自民」と言われるけれど、その実態は、保守基盤の総入れ替えが起こっているわけで、その中で「自民党政権をとにかく終わらせる」ということだけでは不十分ではないかと思うわけです。
 
<利益誘導型政治の終焉か>
生駒)自民党の抵抗派と言われてる議員が追いやられたと言うことの客観的背景として、これまでの自民党政権の下では利益配分ができた、予算的余地もあった。ところがこの長期不況化、現在のグローバル経済体制の中で余裕がなくなってきた。小泉政権としても分配できる財政的余地がなくなった、地方と農村型配分構造から、都市型、格差拡大型分配構造へと、弱肉強食型へとということが言える。利権型族議員を切らざるを得ないという背景があるのではないか。そういう意味での保守再編はあり得るでしょうね。
民守)前回参議院選挙結果の総括議論の際に、「自民対民主の対立区で、共産党が全て候補者を立てるというのは問題だ」という意見があったが、それは筋違いだと思いますね。民主党にも相当、保守的な主張する候補者もいるわけだから。
生駒)しかし今回情けないのは、300選挙区あって、選挙協力があったのは、たったの23区ですよ。もっと広がる余地があったはずですよ。それで逆転も可能だったはずです。
大阪O)共産党も立候補区を減らすといいながら、最後はほとんど前回と変わらない候補者数でしたね。
民守)共産党も自民党支持者から票を取るより、社民党支持者からの方が取りやすいと、今回の選挙でも社民批判が赤旗でも目立っていたことは事実ですね。
佐野)ただ「もしも」はないわけだが、どこかの選挙区でね、ひどい自民党の候補に対して、落選させるために、他党の候補者を選択的に支持するという判断はあってもいいと思う。その行動はね、選挙民からは支持されると思いますよ。共産党への印象も格段に違ってきますよ。
 今回の選挙でね、小泉のメッセージに国民は信頼を持ったわけです。信じてしまったわけです。「郵政民営化で死んでもいい」とかね。心にひびくメッセージというのは大事なわけですね。
江川)政党論と運動論は分けて考えるべきではないか。小泉も小選挙区導入の時は反対していた。その小泉がこの制度を上手く利用したというのは皮肉ですね。小選挙区制は細川内閣が作ったんですよ。
民守)それが情けない。
杉本)まあ、小選挙区とか首長選挙とか、一つしかない議席を争う選挙は疲れるね。最後の最後まで気が抜けないわけ。 (文責:佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.335 2005年10月22日

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【書評】韓流の原点を求めて–辛基秀と朝鮮通信使の時代

【書評】韓流の原点を求めて–辛基秀と朝鮮通信使の時代
              (明石書店 上野敏彦 著 定価2500円)

(1) 映像で日韓の近世の歴史を甦らせた人
 もう今は三年が過ぎた。畏友辛基秀さんを哀しく送る棺を、一緒に担いだ知人の上野敏彦さん(共同通信社)が、永年の努力の末、この本を上梓された。
 一九七九年辛基秀は、「江戸時代の朝鮮通信使」の映像を作り世に出した。
江戸時代、二代将軍秀忠の時代(一六〇七年)秀吉の朝鮮侵略後の日朝の国交を修復し戦時、大量に、連行された被慮刷還を兼ねた五百名余の朝鮮大使節団が、初めて日本を訪れた。以後十二回に亘り、日本を訪れたこの使節団は、朝鮮通信使と呼ばれることになる。通信使と初めて聞けば、何やら文書のやり取りや、手紙の配達便と間違えそうだが、信(よしみ)を通ずる使節団という大変な国と国との友好使節であり、双方の文化交流を果たす代表団だったのである。約二百年に亘る国をあげての世界でも稀有といわれる友好交流の歴史は、何故か明治以後から、僅か二十余年前まで、日本でも、朝鮮半島でも触れられることなく、歴史の闇に隠されていたのである。この埋もれた史実に光をあて、世に知らせたのが、「江戸時代の朝鮮通信使」の映像であった。
「朝鮮と日本の双方に、大きな災厄をもたらした秀吉の朝鮮侵略(文禄・慶長の役)の後、僅か十数年を経ずして国交が回復し、善隣友好のシンボル、朝鮮通信使が往来した史実に接したとき、あの残酷な侵略を二度も受け、倶に天を戴かない筈の日本と、どうして友好が回復したのか……。」
江戸時代のこの史実の映像化、資料の発掘収集、製本に生涯をかけ、世に知らしめた、辛基秀の足跡をたどり、その功績を改めて甦らせてくれたのが本書である。

(2) 映像の影響と縁地連のこと
この映画の上映の反響は、大きかった。辛基秀が兄事していた姜在彦(当時大阪市大講師)は、「自分でも通信使関係の翻訳をして朝鮮と日本の友好の歴史を紹介してきたつもりだが、この映画のインパクトには、かなわない、江戸時代の絵巻物や屏風に描かれていた外国人は、南蛮人か中国人かの区別しかなかったのだから。」と語っている。
当時の朝日新聞の夕刊のインタビュー記事は、「こうまで反響を呼んだ理由は何でしょうか。」(日本の場合、最大の理由は、こんなにも明るく絢爛豪華な交流があったことを知らなかった、それも知らされていなかったという、もう一つの驚きがある。日朝関係の歴史といえば、秀吉の朝鮮出兵、明治以降の征韓論、日韓併合といった暗い面ばかり教えられてきた。明暗のコントラストがあまりにも大きすぎる。)ある雑誌編集者は、「このように歴史的事実に、ほとんど無知だった私自身が恥ずかしい。」との記事を残している。
辛基秀は映像上映後、この映画を作る苦労を問われて、「各地に残る歴史的資料にライトをあてるためには、所蔵者の合意を得ねばならず、一つ一つを紡いで行く作業は「明治百年の思想による傷を癒すようなあたかも現代における通信使の役割を背負ったようであり、歴史の持つダイナミズムの回復作業には当然なことかもしれない」と毎日新聞の取材に答えている。
韓国のソウル、釜山から対馬、下関、上関、下蒲刈、鞆の浦、牛窓、室津、兵庫、大阪、京都、朝鮮人街道と彦根、大垣、名古屋、静岡、箱根、江戸、日光と朝鮮通信使のあとを幾度となく訪ね歩き、通信使たちにまつわる書、屏風、絵巻物、祭りの踊り、民芸品など、全国各地に足繁く通い記録し、収集し、写経し尽くした辛基秀の努力の足跡を丹念に調べ上げ紹介してくれる。
また、この朝鮮通信使の取材の縁で、今日では、日光から対馬まで十八の自治体と二十七にのぼる団体により朝鮮通信使縁地連絡会が生まれ、毎年一回通信使にちなんだお祭りと、交流会を持つまでになっている。辛基秀は学者の域を出たオルガナイザーでもあったことが解る。著者は、これもよく伝えてくれる。
やがて、辛基秀は、究極の資料集として、「善隣と友好の記録」「大系、朝鮮通信使」全八巻(辛基秀、仲尾宏 共著)の大作を完成し後世に残すことになる。

(3) 雨森芳州や教科書へのインパクト
各縁地の中で、特に滋賀県高月町にある雨森芳州庵は、印象深い。通信使の一行をして「日東の(抜群の人物)」と言わしめた芳州の業績を発掘し多いに心酔して世に現した上田正昭(京大名誉教授)と共鳴した辛基秀は、芳州の志を、ともに多くの機会に訴えているが、一九九〇年韓国大統領として来日した盧泰愚が国会演説した際、「互いに欺かず争わず、真実を以て交わる」という芳州の言葉を引用したことから、今では、国内はもとより、韓国からも、修学旅行生などが相次いで訪れるようになっている。また、この映画がきっかけで、朝鮮通信使は教育の世界でもクローズアップされるようになる。「小学社会6年上」に、大阪書籍、東京書籍、教育出版などが、(鎖国の中での外国との交流)(江戸を訪れた朝鮮通信使)など教科書が出版され、高校中学校でもバラつきがあるが、出されるようになる。
教科書は一種類で国定教科書の韓国の社会歴史にも登場している朝鮮通信使の扱いも紹介されている。この影響はかなり大きいといわねばなるまい。

(4) 沙也可・姜沆・李眞栄父子など
 この本では、この朝鮮通信使のみならず、辛基秀の歩んだあとを追って多くの足跡を紹介している。司馬遼太郎の「韓の国紀行」によって知られ始めた、秀吉の朝鮮侵略に参加しながら、「この闘いに大義なし」と叛旗をひるがえし、倭の降将となり、部下とともに、李朝の武将として活躍した「沙也可」一族の住む韓国友鹿洞を度々訪ね、その十四代世孫の金在徳さんを日本に招き、以後、日韓平和友好の砦として双方の交流、交友が始まったのである。
 また、四国の大洲の城址に建つ、姜沆の記念碑の建立は、辛基秀自ら基金の訴えや、地元教育委員会等への進言によるものだった。
 言うまでもなく姜沆は秀吉侵略のとき、武将でありながら捕虜の身であったが、口述で四書五経を伝えて、近世日本の教育の源となる儒学を最初に日本に伝えたとされる。
 また、姜沆とは対象的だった李眞栄・梅渓父子の記念碑の建立も、辛基秀の史実発掘によるものだった。文禄の役(壬辰倭乱)で紀州徳川家に虜われたり真栄は、故国に戻ることなく藩主学問指南役に梅渓を出し、儒学を教え、後の八代将軍吉宗なども大きな影響を受けたといわれる。一九九二年には李親子の顕彰碑も故郷の慶尚南道霊山に曲折の末、建てられ、碑文には辛基秀の書が刻まれている。

(5) あらゆる差別と闘った人間愛
 容量の大きな辛基秀の残した仕事の中に、写真集「日韓併合史」の出版と、三時間二十分に及ぶ長編ドキュメンタリー映画「解放の日まで」がある。この六年の歳月をかけたフィルムは、江戸時代の朝鮮通信使と表裏をなすものであり、かつての日本各地の炭鉱や山間僻地のダム、鉄道建設などで、劣悪な労働条件で働かさせた、朝鮮半島出身者たちの資料や証言を元にしたものである。
 ここには、民族差別に抵抗し生きる人間として権利を主張して闘った一世たちの強さ在日の誇りが描かれる。
あらゆる人間の差別を憎み、民衆の生きる連帯を求めていた辛基秀は、今でも、南北朝鮮に根強く残り、在日韓国人の中にも一部残っているといわれる「白丁」差別と向き合い、衡平社運動と日本の部落解放運動との連携にも労を惜しまなかった。
韓国一の名城といわれる晋州城前に、衡平運動の記念碑が立ったのは一九九六年のことである。
辛基秀は、大阪環状線寺田町のガード下に青丘文化ホールを開いて、この本にも紹介される多面的な活動の場を提供し、援助していた。著者の言う複眼的見識を持つ辛基秀の人間性と博識にひかれた日韓朝の世代を問わない多くの文化人、活動家の出入りがあった。
この本は、青丘文化ホールで知り合ったこれら友人たちの思い出も甦らせてくれた。
最後に、辛基秀の足跡の隅々まで、丹念に探し追った、著者に、心からの敬意と謝意を述べたい。また、掲載されている中野重治さんの「雨の降る品川駅」と、アサートの同人であった故五十嵐武さんの追悼の詩を読みながら、読者の皆さんも、是非、読んでくださることを願って拙文を送ります。
秋田三翁(奈良の住人) 

 【出典】 アサート No.335 2005年10月22日

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【書評』「森永卓郎式ニュースの読み方」(日本証券新聞社) 

【書評』「森永卓郎式ニュースの読み方」(日本証券新聞社) 
                             福井 杉本達也

 10月14日、一旦否決・廃案となった郵政民営化関連法が参議院を通過・成立した。衆議院選の自民党大勝を受けてほとんど議論らしい議論もなかった。30兆円以内に国債発行額を絞るといった自らの政治公約を「この程度の約束を守れなかったのは大したことではない」と国会答弁した小泉首相をはじめ、自らの言葉に責任を持たない者の多い時代、過去の自らの発言に解説を加え、当時の判断がどう誤っていたか、あるいは正しかったかということを一冊の書にまとめるというのはなかなか困難な作業である。著者は2002年10月からの経済アナリストとしての自説を検証する。
 2002年9月、小泉首相は、ブッシュ大統領との首脳会談で日本の金融危機の終息を約束させられる。10月に柳沢金融相を更迭し、経済財政相の竹中平蔵氏に兼務させ、木村剛氏を中心メンバーとする金融改革プロジェクトチームを発足、強引に大手金融機関の整理=公的資金の注入へと突き進む。今日の郵政民営化の流れから考えると、この9月が小泉内閣にとって大きな転換点になったといえる。当時、著者は「今回のプロジェクトチームの目的は、銀行や問題企業をつぶすことそのものにあるのだと考えざるをえない。このまま行けば来年、日本は外資の草刈り場と化すだろう。」と述べていた。2003年5月にはりそな銀行が国有化され、同年11月には中央青山監査法人は5月に監査した足利銀行の決算を金融庁の圧力で否認し、突然に債務超過に陥った同銀行も国有化されることとなった。さらに、2004年6月には「特別監査」でUFJも東京三菱との合併へと追い込まれた。
足利銀行の処理を少し詳しく解説すると、2004年1月15日の参議院財政金融委員会で、中央青山監査法人が繰り延べ税金資産の全額否認をしたことに関し、日向野足利銀行元頭取は「突然、繰り延べ税金資産を全額否認された」と主張し、同監査法人の代表・奥山章雄日本会計士協会会長も、「結果としては、やむを得ない判断だった」「監査意見は…途中で事態の突然の変化があれば、それも含めて意見を出さねばならない」と説明、「金融庁の検査結果を含めて処理した損益計算書を出したことが、突然の変化だった」と証言し金融庁の露骨な監査介入を認めた。2006年3月期からの減損会計導入などを「会計ビッグバン」と称し「政治的にいじれば、日本が国際的信用を失う」として、竹中大臣と二人三脚でアングロサクソン型・新自由主義の会計基準を強引に日本に持ち込もうとしてきた奥山会長ではあったが、その足元は日本の伝統的会計手法そのものであった。足利銀行あたりに今日のカネボウ粉飾までの伏線があったといえる。10月1日に合併した三菱UFJは監査法人について中央青山をやめトーマツにすると決めた。
 今回の衆議院選真っ只中、9月1日付け日経は、金融庁は「銀行への公的資金注入に伴って政府が保有している優先株を、銀行から申請がなくても独自の判断で普通株に転換し市場で売却する検討に入った」と報道した。いくら金融庁といえども、優先株の突然のルール変更ができるかどうかは疑問があるが、「株を外資(ハゲタカ・ファンド)に売る」というのは脅しには十分過ぎる観測記事である。10月に入り、みずほFGは、あわてて公的資金の一部2500億円を返済すると発表した。
さらに追いかけるように、9月22日、金融庁は7大金融グループに対して「<自己資本に占める繰り延べ税金資産の割合を06年3月期に上限40%、07年3月期に30%、そして08年3月期には20%へと段階的に下げること。ただし地方銀行は適用しない>」という通知を出した。「大手行はビックリ。なにしろこの金融庁基準でいけば、自力でBIS規制の8%をクリアできない銀行が出てくるからだ。05年3月期連結決算ベースで見ると繰り延べ率の高い順に、(1)三井住友FG(自己資本率9.94%中繰り延べ税金資産は47.6%=以下同じ)(2)UFJHD(10.39%中47.3%)(3)三井トラスト(10.34%中35.1%)(4)みずほFG(10.91%中24%)(5)三菱東京FG(11.76%中9.9%)(6)住友信託(12.5%中9.3%)(7)りそなHD(9.74%中3.8%)となっている。この数字で見る限り、UFJ、三井住友、みずほ、三井トラストの各行が08年3月までに大幅な改善をしなければならないことになる。」(2005.9.30GENDAI・NET)。
金融庁の支配からまぬかれようと公的資金を返済すれば自己資金が減少する。繰延資産が否認されても自己資金が減る。自己資金が8%を割ればBIS基準で当然市場からの撤退を迫られる。繰延資産の査定と転換株売却の脅しによって、金融庁は大手行を完全に支配下に置いたといってよい。著者は2004年5月時点で既に「竹中大臣の思うがままに…今後金融庁は、大手銀行を『大口与信管理態勢検査』で、そして地銀や信用金庫は『金融構造強化プログラム』に基づく検査で厳しく取り締まる。そうすれば、いつ、どれだけ不良債権を処理させるのかは、金融庁の思いのままだ。」と述べている。
 ところで、著者は巻頭インタビューで今後の日本経済について「来年になるとデフレからインフレへと、世の中の流れが大きく切り替わる…金利上昇の裏返しである債券価格の暴落によって、国債で膨大な損失が発生する」と述べている。しかし、金利が上昇するかどうかはアメリカの景気次第ではなかろうか。9月20日にも米連邦準備理事会(FBR)は0.25%の利上げを行った。同日の米10年もの国債利回りは4.24%ということで、10月4日入札の日本の10年国債が1.48%という結果から考えても、日本とアメリカが金利差は数%ないとアメリカに資金は還流しない。日本国民がせっせと貯蓄した“虎の子”の金利をゼロにしたまま、“相対的に安い”金利で米国の財政赤字の補填に貸し込み、大手銀行は中間マージンを貪っている(ゼロ金利は日本国民から米国や大手銀行への逆利子補填=補助金=所得移転である。)。国・地方合わせ1000兆円近い借金を抱え、安い金利で国債を調達できる政府にとっても、国債で資金を運用する銀行にとってもデフレは良である。著者は行間に“インフレへの期待”を滲ませているが、米国が政策変更せず、現竹中路線が続く限り、「ゼロ金利」の呪縛からの脱却はあり得ないのではなかろうか。
(注1:繰り延べ税金資産…将来、利益が出ることを前提として、その利益に課せられる税金を支払ったものとして、その金額を自己資本に組み入れ計上すること。 注2:減損会計…バブルの崩壊により土地・建物などの固定資産の時価が大幅に簿価を下回り、含み損が発生した場合に、その差額を損失として反映させる会計制度のこと。) 

 【出典】 アサート No.335 2005年10月22日

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【投稿】公務員バッシングの嵐が吹き荒れる

【投稿】公務員バッシングの嵐が吹き荒れる

 総選挙は、予想を超えた自民党の圧勝となり、自公の超安定・権力集中型政権の誕生となった。どうしてこの結果が生み出されたのか。多面的な分析が必要になると思われる。
 
 <民主党、都市部で敗退>
 選挙結果に注目すべきは、自民党が都市部の小選挙区で圧勝したことである。東京都では、菅ただひとりが小選挙区で当選、他はすべて自民党、公明党が占めた。神奈川、千葉、埼玉、大阪、福岡でも同様であり、都市圏の無党派層が小泉自民党に流れた結果である。
 これまで、民主党が基盤としてきた都市部有権者が自民党に投票したこと。同時に比例票についても、自民党が民主党を圧倒してしまった。
 先にあげた、6府県の小選挙区は、東京23(自民21、公明1、民主1当選、以下同様)、神奈川18(自民16、公明1、無所属1、民主0)、千葉13(自民12、民主1)、埼玉15(自民12、民主3)、大阪19(自民13、公明4、民主2)、福岡11(自民9、無所属1、民主1)であり、都市部99議席のうち、自民党が83議席、公明6、無所属2、民主8という結果である。
 民主党敗北の背景は、この都市部での完敗と言っていいと思われる。
 何故勝てたのか、であり、何故負けたのか、ということになる。
 
 <マスコミが、小泉に肩入れ>
 選挙中のテレビ報道が、余りに自民党寄りに傾斜していた事は、だれもが感じたことである。気分が悪くなるほどであり、私は選挙中はテレビを見ないようにしていたほどである。
 さらに、郵政反対派を切り捨て(公認しない)、「刺客」を送ったことで、それらが「注目選挙区」とされ、マスコミの報道は、ほぼこうした選挙区の動きにのみ集約され、選挙の関心は、「刺客」が勝つか、反対派が勝つか、に収斂されていく。これらの過程は、8月8日の解散以降、告示の8月30日まで、延々と続くことになる。
 森田実氏は、「体制翼賛報道」と指摘しておられるが、まさにマスコミが自民党に加担したことは、犯罪的といえるほどである。こうした「無分別」なマスコミの「特性」を熟知した上で、選挙戦略を打ち出した事は、残念ながら「敵ながらあっぱれ」と言わざるをえないのかも知れないが。
 
 <小泉の4年間を思い起こせば>
 自民党内の対立を、自公対民主の対抗以上に煽りたてたマスコミの今回の所業を我々は忘れるわけにはいかない。こうした報道姿勢に良心的な視聴者の非難が集中したのは当然であり、選挙終盤になって、申し訳のように、「郵政以外にも争点はある・・」のような報道も一部に見られたが、それは言い訳に過ぎない。
 本来小泉の4年間を総括する、という番組があってもいい。そうすれば、日朝会談は実現したものの、拉致問題は膠着。日朝関係は凍結状態。特殊法人改革として「道路公団民営化」を進めたものの、計画道路の建設継続、橋梁談合の発覚、国連常任理事国入りを宣言したものの、国際的支持得られず。靖国参拝に対するアジア諸国からの批判続出、ブッシュに追随してイラク自衛隊派遣したものの、不正義の戦争であることは明らかになり、泥沼化。そして所得税・消費税の引き上げが否定もされず既定路線化。市場主義・能力主義への肩入れから、ニートの増大、年金「改革」と言ったものの、負担増の給付減で、年金不信払拭できず。医療改革など手も付けられず・・・と何の成果もないことが明らかであろう。
 
 <予想外の大勝に、危惧広がる>
 憲法改正の発議も視野に入った自公政権だが、予想外の巨大与党の出現を受けて、今度はマスコミも「独裁政権」への危惧を口にし始めた。それは後の祭りというものだ。しかし、また、巨大与党故に自らの責任も大きくなったということでもある。民主党が年金、増税、子育てとマニュフェストで「真面目に」提起したように、この巨大与党が、何らの解決策を持っているとは思えない。公共事業の縮小にしても、年金の統合問題にしても、霞ヶ関官僚政治からの脱却にしても最初に提起したのは民主党であった。そういう意味でも、小泉の「政策」は、民主党からのパクリが多いのである。ここにまた、2大政党とは言え、違いがすっきりしない原因ともなっている。
 
 <自民党と民主党の違いは?>
 旧自民保守派と支持基盤の郵政族を切り捨てて、郵政民営化・構造改革を断固進めると訴えて小泉は圧勝した。確かに小泉は、旧来の自民党をぶち壊したのかもしれない。市場主義・自由主義に純化したかに「振舞って」である。
 市場主義・自由主義は、民主党内に根強い傾向でもある。新進党・自由党・日本新党の流れの民主党議員達は、社会民主主義よりも、「公平性のある自由主義」という主張を持っている。今回の選挙では、郵政民営化を材料に、自民党の方が、より改革的であり、民主党の方が「保守的」に写しだすことで、「日本を何とかしなければ」という、国民の中にある不安や期待を、自民への投票に結びつけることができたのである。
 そこで、民主党の課題は何かということになる。市場主義・自由主義の競い合いをする限りは、自民党と違いが曖昧なままということになる。対抗政党として、何を訴えるのか、民主党に問われているのである。
 
 <公務員バッシングが強まる>
 公務員削減、人件費削減は、自民も民主も掲げた。民主はマニュフェストで、公務員に労働基本権を認めることを銘記した上で、人件費の削減を掲げていた。
 そして、自民党であるが、「郵政民営化」では、実際に借金国家を抜け出すことはできないばかりか、「受験生に同行する教育ママ」よろしく、民営化過程で、追加支出を公言してきた。財政再建は増税でしか行えないことを隠してきた自民党は、当然財政削減の目玉として、「公務員の人件費削減、人員削減」を強行してくるだろう。
 自民党のテレビCMを覚えていますか。小泉は「郵政公務員27万人の既得権を守って、財政再建ができるんですか」と訴えた。背景、服装は、8月8日の参議院郵政法案否決後の記者会見と同じであった。小泉の決意を印象付ける映像であったが、その中で、「公務員の既得権」を守らないと宣言したわけである。大阪市職員厚遇問題などを発端にした「反公務員キャンペーン」、労組への弾圧など、公務員を槍玉にすることで、労組を支持団体に持つ民主党への「悪印象」を植え付けつつ。
 日本の公務員の数が、先進国の中でも、最低の水準維持会費あることは誰でも知っている。財政破綻の原因が人件費にあるはずもなく、ここでもデマゴギーを撒き散らしている。「大きな政府」か「小さな政府」か、と言えば、日本は十分に「小さな政府」なのである。
 公務員攻撃を強めて、そして増税。何をやるかは見えている。それでも、国民は自公政権を支持し続けるだろうか。(2005-09-17佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.334 2005年9月24日

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【投稿】自民圧勝の脆さと弱さ

【投稿】自民圧勝の脆さと弱さ

<<「日本をあきらめない」>>
 自民党に単独過半数を優に超える議席を与えるなどということは、まったくの想定外であった。その点では、解散決定前に投稿した筆者前号の見通しの甘さは恥じ入るばかりである。そしてまた、8月6日の森前首相による缶ビールとチーズ片手の「決裂会談」までが「ヤラセ」であったとはあきれたものである。自民党の幹部の面々はどれも人間的に信用できない人間で多くが占められてはいるが、こんな奇策がまかりとおる日本の政治的環境の低さにはあらためて恐れ入ったとしかいいようがない。
 参議院で郵政民営化法案が否決されるや、直ちに一方的で独善的な解散を断行し、「郵政民営化ができないで、どんな大改革ができるのか」、「ガリレオはそれでも地球は動くと言った」と、お得意の派手なパフォーマンスと無内容で薄っぺらな口から出まかせを連発して絶叫する首相の姿が連日放映され、反対派への刺客候補者が最大の焦点でもあるかのような「劇場型」選挙報道がマスメディアの中心に居座り、全国紙、その系列のテレビ局すべてが郵政民営化賛成論を何の検証もなく垂れ流し、自民党から取材拒否されている朝日新聞までが社説で「郵政民営化の灯を消すな」と書き、テレビに至っては民営化論オンリーの出演者が「大きな政府か小さな政府か」などと吠えまくり、マスメディアがこぞって小泉政権にエールを送る事態の中で、内閣支持率急上昇がお膳立てされ、自民圧勝が準備された、これがことの真相とも言えよう。首相官邸の振り付け、演出で大政翼賛的な状況が作り出され、メディアもそれに悪乗りし、批判的報道を一切押さえ込み、あまりの圧勝に終わってから申し訳程度の自重を求める、まさに危険な事態の進行である。
 対する民主党は、「日本をあきらめない」などという、後ろ向きで焦点の定まらない、野党としての対決姿勢も放棄したメインスローガンであった。本来与党の責任である「日本をあきらめ」させるような政治・経済情勢をもたらした小泉政権に対決して、政権交代を迫る気力も迫力もここからは感じ取れるものではない。民主党のスローガンであった「改革」の旗が、自民党に奪われ、おまけに、自民党から支持団体の労働組合との関係で民営化反対論なのだろうと攻撃されると、急遽、同党が掲げたのは「郵便貯金、簡易保険の徹底縮小」である。これでは自民党と大差ない民営化論の後追いにすぎない。愚直に政策を訴える姿勢は評価できても、その政策でふらふらしていては、初めから勝負にならないし、大きな敗因を自ら作り出したといえよう。

<<国民投票としては「否決」>>
 問題はもちろん、こうした表面的な事態の進行にだけ自民圧勝の原因を求めることは出来ないであろう。さらに、選挙前の段階での世論調査では、郵政民営化への関心は高くはなく、ましてや郵政民営化が最優先課題だなどとは誰も考えてはいず、年金や増税問題のほうがトップを占めていた。ところがこの郵政民営化問題をめぐって、首相は「賛成か反対か」というシングルイッシュウの選択を迫る国民投票であるかのような戦術で成功したのであるが、もしこれが小選挙区制の議員選出ではなく、本来の国民投票であったとすれば、事態は別の展開をたどったといえよう。
 小選挙区での得票率は
 自 + 公     =49.2% (議席数 227)
 民+共+社+国+日+他 =50.8%(議席数  73)
であり、「49.2%」対「50.8%」で郵政民営化は「否決」なのである。
 得票数でいっても、反対議員の得票は3419万4372票、一方、郵政民営化に賛成議員の得票総数は3389万7275票と計算されており、やはり「否決」である。
 だだし、比例区では
 自 + 公     =51.5%    
 民+共+社+国+日+他 =48.5%
となり、微妙なところである。
 いずれにしても、首相や与党幹部が言う、「民営化は圧倒的に支持された」はウソ・イツワリである。
 ところが、獲得議席数では、自民249→296、47増。民主175→113、62減、公明34→31、3減、共産9で変わらず、社民7で1増、その他となり、前回大きく伸ばした民主党の議席だけが今回は大きく減少し、その減少分がそのまま自民党の議席増に貢献し、他はほとんど変わらずであるが、議席数では与党が衆院の三分の二を七議席上回る327議席を獲得するという事態をもたらしている。

<<“弱さ”の現れ>>
 郵政民営化が圧倒的に支持されてもおらず、有権者の最大の関心事でもなかったにもかかわらず、小泉自民党は争点をこれ一本に絞り、しかも修正に修正を重ね、与党幹部でさえロクに説明も出来ないようなあやふやな法案で対決を迫ったのは、彼らにはこれ以外に野党の隙を突き、混乱をさせうる政策を持っていなかったからだといえよう。小泉政権登場以来の内外の失政を覆い隠すためのいわば「煙幕」として、郵政民営化問題が利用されたのである。そのことは、無理やり解散を強行し、「改革賛成か反対か」というシングルイッシュー選択という奇策が、野党側の敵失に支えられてのもでしかない、“弱さ”の現れでこそあれ、決して“強さ”の現われではないことを示している。
 だからこそ、争点になっては困る問題はすべて避けて通り、自らの公約に反して、八月一五日の靖国神社参拝も取り止め、増税問題でさえ、自民党のマニフェストでは「政府税調の『サラリーマン増税』の考えは採らない」と表明して、本音をことごとく隠した奇策選挙を実行したのであり、それが功を奏した、究極の争点隠しの選挙であった。
 問題はむしろ、こうした賭けに似た奇策が、投票率を近来になく、7.65%も押し上げ、800万人近くもの有権者を新たに投票所に動員し、なおかつ都市部で退潮傾向著しかった自民党に、無党派層の多くの若い世代の票が投じられたことにある、といえよう。そのことは、北海道や沖縄ではこれが通用しなかったことに端的に現れている。
 都市部の若い世代にとっては、まさに小泉路線の構造改革の後押しもあって、強者と弱者の階層化がいっそう拡大され、雇用構造が激変し、正規雇用がますます削減される一方で、パート、派遣、契約社員、フリーターなどの非正規の不安定雇用が蔓延し、健康保険や年金への信頼がますます薄らぎ、閉塞感が強まりこそすれ、展望が見えてこない現状にあって、安定雇用・終身雇用・高額年金・高額退職金が保証されているとする公務員攻撃がありとあらゆる分野で展開され、既得権益にしがみつく労働組合の保守性とあいまって、格好の攻撃材料となった。小泉政権によってこそ拡大されてきた不安定な生活の不満が、いわば公務員に対する反感として組織されたのだともいえよう。これまでは都市部の無党派層の多くの票は、野党、とりわけ民主党に流れていたのであるが、今回は大きく自民党へと流れを変えたのである。野党側はいがみ合い、あいもかわらず他の野党との違いばかりを強調し、反与党連合を形成できず、みすみす与党側に勝利を明け渡している選挙区が今回もまた多数に上っている。無党派層の多くはこうした野党側の現状を突き放したのである。しかしこれらは、自民党にとっては一時的な成功ではあっても、しっぺ返しがともなわざるをえない不安定な脆さを内包した勝利でしかありえないことも明らかである。早速、自らのマニフェストに反して、増税案が臆面もなく登場してきている。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.334 2005年9月24日

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【投稿】「大きな政府」の前で立ちすくむ日本

【投稿】「大きな政府」の前で立ちすくむ日本
                                  (民主党の敗北の原因-郵政民営化から考える )  
        福井 杉本達也

福井県は3小選挙区がある。ここ2回の衆議院選挙ではいずれも自民党が独占する保守王国ある。今回も結果的に自民党独占となったが、その経過は自民党にとっても大混乱であった。福井市を含む1区選出の松宮勲氏が郵政法案に反対票を投じたため、1区には稲田朋美氏という大阪の弁護士が「刺客」として送り込まれた。稲田氏は本多勝一氏などを相手とした、いわゆる「百人斬り訴訟」の主任弁護士や靖国神社関係訴訟の弁護士を務めるなど、超右翼的な弁護士であるが、福井では全くの無名であり、出遅れも響き、選挙カーも運動員も内閣官房副長官である山崎参議院議員の借り物で、当初は泡沫候補と見られていた。一方、無所属から立候補した松宮氏はほとんどの自民党系県会議員・市議会議員の支援を受け、また、前回まで無所属で出馬し落選していた笹木竜三氏は今回民主党の公認候補とし、これまでの保守系支持層に連合系の労組票を上積み出来るものと考えていた。ところが、いざ選挙戦に入ると稲田氏は「郵政民営化」1本の波に乗り、土建業界、農協の一部、商工会の支援なども受け、女性票などの浮動票も獲得し、民主党の笹木氏に373票の差で競り勝ってしまったのである。民主党の笹木陣営としては、ボランティア層と労組との軋轢などもあったが、選挙戦最終盤までは個人ポスターもろくろく貼りきれない、全く動きの「見えない敵」になぜ負けてしまったのか。全く奇妙な選挙戦であったといわなければならない。

(1)民意は歳出の削減による「小さな政府」
現在の日本は米国型のような「小さな政府」ではない。国民皆年金・医療保険・介護保険制度等、既に「大きな政府」である。その一方、財政的には平成16年度末の国債及び借入金の残高は781兆円、これに地方分204兆円を加えると985兆円もの膨大な借金を抱えている。このままでは日本の財政は立ち行かなくなることは誰の目にも明らかである。その選択肢は消費税等を中心とする「増税」か(増税時期は別として)、年金も医療保険も切り捨てた「小さな政府」しかない。
政府税調の石弘光会長は朝日新聞とのインタビューで「今回の選挙では都市部を中心に『地方などにばらまかれる無駄な歳出を削れ』という民意が示されたように思う。」(朝日・2005.9.14)と述べている。小泉首相の掲げた「改革」とは大きな政府をぶっ潰すということであり、その一点で衆議院の2/3の絶対多数を獲得したということであるから、民意は歳出削減=増税なしの「小さな政府」ということになろう。
しかし、ここに大きな錯誤がある。小泉首相は本気で「大きな政府」をぶっ潰すシナリオも心構えも持っていなかったのではないか。それは財務諸表が2つもあるといって大騒ぎした道路公団のニセ「民営化」の結果からも明らかであろう。公団の借入金に「政府保証」を付けて「民営化」もくそもない。現状のままでは、残り9,242kmの高速道路は粛々と建設されることとなる(道路特定財源を使った国交省の直轄事業と分担して)。逆に言うと、自民党は、「小さな政府」というトリックの「小さな成果」だけを上げて、やはり無理だから「2007年度をめどに消費税を含む抜本改革をする」という「増税」路線に踏み込むシナリオを描いていたのではないか。そのシナリオが思わぬ2/3の「大勝」により手足を縛られることになるのではないか。

(2) 郵便貯金が特殊法人をはじめとする「大きな政府」の無駄使いの「本丸」というトリック
小泉首相は選挙期間中「改革の本丸」「郵政民営化は経済活性化のため、景気回復のため、将来の社会保障の税負担軽減のためにも必要な改革だ」とあたかも郵政民営化で将来の税負担が軽減され「小さな政府」が実現するように訴えた。
つまり、官業の郵便貯金の資金の運用先である道路公団や政府系金融機関などの特殊法人で不良債権が発生し(つまり、国民から見えないところで膨大な赤字が膨らんで)、多額の税金を補填せざる得ない状況となっている。もちろん特殊法人は官僚の天下り先であり、利用料金は高く、何の経営努力もしていない。この制度を根本的に改革することが、「構造改革」であるというものである。
しかし、「郵政改革」の国民への問い方に決定的なトリック=「ウソ」がある。既に郵便貯金は2001年4月の改革より資金運用部への預託が廃止され、自主運用に任されるようになった。郵政公社のHPからも明らかなように、平成16年度末における郵便貯金の運用資産現在高210兆円のうち国債は107兆円を占め、財政投融資資金は79兆円に過ぎなくなっている。同簡易保険運用資産現在高は118兆円で、うち国債が56兆円を占めている。財政投融資は財投債と財投機関債で資金調達される仕組みに変更されたのであり、郵便貯金からは切り離され、「自主運用」の主な運用先は『国債』である。

(3) 財政投融資先は国民負担を増やす不良債権先ばかりか?
小西砂千夫関西学院大学教授は『政策コスト分析を活用した財政投融資改革』(大和総研「経営戦略研究」2004秋季号)の中で、「清算時の純価値が、平成16年度でマイナスになっている機関は、農林漁業金融公庫、地域整備振興公団工業再配置等事業勘定、環境再生保全機構(継承勘定)、本州四国連絡橋公団、民間都市開発推進機構(融資勘定)」などであり「債務超過の状況は、個別の機関のあり方について議論があっても、国民負担の増加という意味ではそれほど深刻ともいえない。」と述べている(むろん土建法人の道路公団などの事業をどう見直すかは別の政策判断がひつようではあるが)。

(4)民営化は経済理論からは説明がつかない
郵政民営化は、民間金融機関と競争条件を同じにして競わせるということである。しかし、全銀行の預貯金の1/3を占める巨大金融機関の出現は不良債権処理で傷め続けられてきた民間金融機関から見れば、虎を野に放つようなものである。そこで、様々な縛りをつけることとなる。廃案となった民営化法案でも、民営化当初は政府が持ち株会社に全額出資し、持ち株会社も郵貯銀行と郵便保険の株式をすべて保有し、定額貯金などを管理する旧勘定で民営化後も国債による資産運用を義務付け、郵貯.保険に「暗黙の政府保証」をつけるしかけであった。

(5) では、何のための「民営化か」
小西教授は「財政投融資は、メカニズムとしては欠陥があるわけではないが、政治的に制御できないとなったときに、それならば制御できるように政策運営のあり方を変えるという選択肢と、それならば政策手段を丸ごと放棄しようという選択肢がある。この2つを並べると、多くの良識のある方は、前者を選ぶであろう。政策手段の放棄はいつでもできるからである。まずは、運用のあり方を変えるべきという方が常識的である。ところが筆者の印象では、わが国の近年の改革論議は、政策手段を廃棄すべきという、いささかヒステリックな方向に傾いている。緻密に考え、制度改革の論議を地味に積み上げるということができなくなっている。」(同上「経営戦略研究」)と述べている。
緻密な議論をして、制度設計ができなければ、320兆円という膨大な預金は当面の運用先を求めてグローバルな金融市場に投げ込まざるを得ない。保守派の論客:佐伯啓思京都大教授(社会経済学)は「郵政民営化は、明らかに、90年代以来の、金融市場のグローバル化と市場競争の強化という流れを背後にもっているからであり、問題は、この市場のグローバル化の中で340兆円にのぼるといわれる郵貯資金をいかに有効利用するか、という一点にこそある。ひとつの考えは、郵貯資金の市場化によって資金をハイリス・ク、ハイリターンのグローバルな金融市場に放出するというものである。言い換えれば、アメリカ主導のグローバル市場競争への適応を説くもので、だからこそアメリカは郵政民営化を強く要求しているのである。」(『壮大で皮肉な「茶番劇」有効な政策選択肢示されず』(朝日新聞:2005.9.14))と述べている。
ルービン元米財務長官はその「回顧録」(2005.7日本経済新聞社刊)の中で、1997年4月、橋本龍太郎総理が始めてクリントン大統領を訪問した際、「サマーズと私は首脳会談に備えて、大統領に要点をかいつまんで説明し、日本に現状を認識させることが肝要だと念を押した。大統領は日本の総理大臣を脅すような態度を取ることはあまりに乗り気ではなかったが、プレッシャーは重要であると割り切り、実際にプレッシャーをかけた。」と露骨に表現している。

(6)「大きな政府」の前で立ちすくむ国民
以上、国民は「大きな政府」の前で立ちすくんでいる。さすがに小泉首相は今回の選挙では「年金」を争点にしなかった(「日経」2005.09.15)。年金を争点にすると社会不安を煽ることになること(グローバル市場相手に貯金が目減りしても持てるものだけが損をするが、年金は社会の根底を揺るがす)を彼の政治的臭覚が感じ取ったからであろう。現在の民主党も自民党もグローバル化という米国の経済的覇権主義の要求にどう対処していくのかという明確な意思も方向性も持ち合わせていない。民間に「金」はあるが、政府は「金の使い道がわからない」。日銀の「量的緩和」・「ゼロ金利政策」・「インフレターゲット論」等々を含め、米国から「金」の使い道を教えましょうといわれてその通りに実行していくという実に情けない状況である。今後、米国の「脅し」に屈せず、来るべき少子高齢化社会に向けた社会的共通資本を整備するためにどのように「金」を使っていくのかを、自分の頭で考え「緻密な議論で指し示す必要あろう。」

【出典】 アサート No.334 2005年9月24日

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【投稿】負けたのは民主党ではなく「タカ派」?「左傾化」する?小泉政権

【投稿】負けたのは民主党ではなく「タカ派」?「左傾化」する?小泉政権

 第44回総選挙は、自民党の歴史的大勝利、民主党の壊滅的大敗北に終わった。この結果は選挙中から予想されていたことであり、さらに参議院での郵政関連法案否決時点で、この結末は決定していたともいえる。
 小泉純一郎総理が差し出した踏み絵を踏まなかった候補者には、磔、火炙りに等しい地獄が待っていたわけである。そして296議席という圧倒的な議席数を背景に小泉独裁の恐怖政治が始まる・・・。
 以上が一般的な評価であるが、ここでは郵政選挙という視点を変えて論じてみたい。

<「片山さつき」の衝撃>
 まさに衆議院本会議で、郵政関連法案の投票が行われようとしていたとき、本会議場の後方、議員出入り口付近で、自民党の安倍晋三幹事長代理は城内実衆議院議員を説得していた。元警察庁長官の息子である城内は雑誌(「月刊現代」8月号)に「人権擁護法案反対」の論文を寄せるほどのタカ派若手のホープであり、安倍の子飼い中の子飼いである。その親分安倍の留意に対し城内は「安倍総理の誕生に全力を注ぐので、ここは自分の信念通りにさせて欲しい」と振り切り、反対票を投じた。
 この時点では城内は、まさか解散総選挙までは行かないだろうと思っていたに違いないが、不安に駆られた安倍は小泉に対し「郵政法案は解散、総選挙で問うべき問題ではない」「自民党内反対派への対抗馬擁立はすべきではない」と再三再四訴えていたという。
 小泉が安倍を重要視、すなわち総理後継候補と考えていたなら、他候補の手前城内に「刺客」をたてるにしても、本当の泡沫候補を送っていただろう。しかし小泉が白羽の矢を立てたのは、片山さつき元財務省開発機関課長というダークホースだった。片山は主計官として臨んだ今年度防衛予算査定の際、「この時代に潜水艦などいらない」(「中央公論」1月号「自衛隊にも構造改革が必要」)などと持論を展開、バサバサ軍事費を切りにかかった官僚である。
 このような防衛庁はもとより、自民党国防族からは蛇蝎のごとく嫌われていた片山を、城内に当てるとは常識では考えられない行動であった。このことは小泉が軍拡より軍縮、族議員より官僚を選んだ象徴的な行動ではないだろうか。
 さらにこれは、ポスト小泉と自惚れ、外交問題などで挑発的発言を繰り返す超タカ派の安倍に対する絶縁状、とも考えられる。また、小泉支持で当選しながら、最近は手の平を返したように小泉批判を繰り返している、舛添要一参議院議員に対する最大限の当てつけとして、離婚した元配偶者を擁立したとすれば、一石二鳥である。

<落選あいついだタカ派候補者>
 それはともかく、静岡7区は大激戦の末片山が勝利した。「片山の応援には行かない」と最大限の抵抗をしていた安倍は、自民党勝利のなかで笑顔を取り繕ってはいるものの、心中穏やかではないだろう。他にも多くの「同士」が消えていったからだ。
 城内が事務局長を務めていた人権擁護法案反対派の「真の人権擁護を考える懇談会」では会長の平沼赳夫と座長の古屋圭司が当選したものの郵政法案の対応で無所属となった。
 「拉致議連」の事務局長でもあった古屋は、安倍がかつて事務局長を務めた自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長。「つくる会」教科書の採択を目論む、同会幹事長の衛藤晟一は落選した。
 「教育基本法改正に関する検討委員会」の保利耕輔座長も無所属となり、影響力はなくなった。安倍が顧問を務め、反韓行動を推進してきた「国家基本政策協議会」会長の森岡正宏も郵政法案に反対し落選した。
また安倍が中心となり設立した「平和を願い、真の国益を考え、靖国参拝を支持する若手国会議員の会」は、会長の松下忠洋と事務局長の古川禎久氏が郵政法案に反対したため、公認を得られないまま立候補、古川氏は当選したが無所属になり、松下は落選した。
 さらに参議院議員でも郵政法案に反対した亀井郁夫、中曽根弘文らのタカ派の多くは小泉の軍門に降り、影響力を低下させている。 
 一方、小泉チルドレン、シスターズあるいは「喜び組」とまで揶揄されている、女性を中心とする新人議員はどだろうか。先の片山や元国連軍縮大使の猪口邦子はともかく、何を考えているか判らない人物が多いのは確かだ。しかし無派閥、小泉直系である限り安倍らにオルグされるとは思えない。このように自民党タカ派は大勝利のウラで惨憺たる状況になっている。

<日朝正常化が隠された狙い?>
 こうして見てくると、小泉は表では郵政法案に対する賛否を争点にしながら、実は自民党内のタカ派を追い出したかったのではないかと思えてくる。タカ派を尊重するなら郵政法案賛成のタカ派を「刺客」として擁立すれば問題はないからだ。女性でそんな人物はいくらでもいるのに、あえて片山らを擁立したのはそうした狙いがあったからではないか。そしてその大きな目的は日朝国交樹立だろう。言い換えれば、今回の総選挙で小泉は「郵政」「日朝」という表と裏の二兎を追い、まんまと一羽を仕留め、二羽目を虎視眈々と狙っている、ということである。
 小泉は「任期内の日朝国交正常化」を再三公言している。郵政民営化のように「殺されてもいい」(郵政問題で本当に殺されることはないが、日朝問題では判らないので)とは言わないが、粘着質の小泉は相当執念を持っている。それを妨害する安倍や同調する議員が邪魔だったことは想像に難くない。
 投票日直前の「週刊文春」は「ヒトラー小泉「独裁」を喜ぶのは池田大作と金正日だけ」という記事を掲載した。要は与党大勝で公明党の主張する人権擁護法案や、北朝鮮が望む国交正常化が実現するというのである。危機感を募らせるタカ派の主張そのものであるが、あながちはずれてないのではないか。さらに別の記事では飯島総理秘書官が、自民党候補者に拉致問題解決を求める集会に出席するなと圧力をかけたと報じている。また藪中三十二局長の拉致被害者「遺骨」に関わる「念書」が流出したのは、外務省の対北朝鮮強硬(反田中均)派に対する牽制だとも述べている。そう考えると、強硬派とつながる元外務官僚の城内に対する執拗な攻撃も理解できる。こうした事態をふまえてか、総選挙直後に再開された六カ国協議では、選挙前とは明らかに日朝間の雰囲気が違ってきている。

<タカ派の冠は民主党に贈呈?>
 総選挙では小泉は郵政法案反対の反改革派として民主党を叩いた。しかしこれまでの流れをみると、民主党攻撃もタカ派追い落としの一環だったのではないかと考えられる。民主党には松下政経塾出身者や旧自由党出身者を中心に、自民党以上の右翼政治家が多数存在し、党の対北朝鮮政策にも影響を及ぼしている。小泉はこうした議員も行きがけの駄賃で落選させたかったのではないだろうか。しかし民主党で落選したのはどちらかといえばハト派の議員が多く、西村慎吾や河村たかしなどの極右政治家は生き残った。
 これは誤算だっかかもしれないが、少数野党ではたいした影響力は持てない。逆に民主党がこれらを抱えたまま政権を獲得していたらもっと困った事態になったかもしれない。いずれにしても民主党は、マイノリティや労組の出身者が少ない衆議院ではタカ派的色彩を強めていくだろう。ある意味自民党と民主党が入れ変わったともいえるだろう。
 そこで今後小泉はどう動くのか。日朝交渉とともに注目されるのは靖国参拝である。選挙中日本経団連の奥田会長は、異例の自民党支持を表明、民主党王国といわれた愛知での自民党勝利に貢献したといわれている。ここでも表向きは構造改革推進を要請したわけであるが、ウラではかねてからの奥田の持論である靖国参拝中止を求めたことは、間違いないだろう。自民党の既存集票組織が没落する中で唯一影響力を拡大させたのが経団連、トヨタである。遺族会からの圧力が軽減した小泉がどう判断するか、である。さらに特別国会終了後の閣僚人事も注目しなければならない。
 以上考察してきた小泉政権の動きの中で、日朝国交正常化、さらには人権擁護法などが実現するとしても、それは副産物かもしれない。小泉が進めてきた「弱肉強食」の構造改革、日米同盟強化、イラク派兵などは継続されるであろう。しかし自・公政権が当面継続することが確定した以上、野党との連携を前提としつつも、与党内の力関係を巧みに利用しながら、半歩でも個別の民主的改革を前進させることが、民主勢力にできうる最大限の作業ではないだろうか。(大阪 O) 

 【出典】 アサート No.334 2005年9月24日

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【投稿】「自民圧勝」と地方分権の行方

【投稿】「自民圧勝」と地方分権の行方

<地方の評価>
「自民圧勝」に終わった衆議院選挙の結果は、地方分権の推進にどのような影響を及ぼすのであろうか。全国知事会の麻生渡会長(福岡県知事)は、「(三位一体改革が)やりやすくなった。追い風になる」「小泉内閣の改革の中身は、『官から民へ』と『国から地方へ』。第一の改革の象徴が郵政民営化であり、第二は三位一体を中心とする分権改革」「首相は党首討論などで、明確に地方分権、三位一体改革をやると言っており、われわれは首相と一緒に改革を具体的に実現しなければならない」と述べている(2005/9/12時事通信)。果たして本当にそうだろうか。
一方で、高知県の橋本大二郎知事は、「地方への風当たりは間違いなく強くなる」「三位一体改革などで地方への圧力となった官僚、財界と考えを同じくするもの。風の吹き返しで地方の厳しさは増す」と懸念を示している(2005/9/14時事通信)。

<小泉―財務省のホンネ>
財務省は、選挙結果に対して「かなりの事が進められそうだ」(官房幹部)と自身を深め、実際、財務事務次官は「選挙結果を受け止め、この一年の間に財政再建に向けた選択肢、工程を示していくことになるが、難しい課題に腹を据えてしっかり取り組んでいきたい」と述べている(2005/9/13時事通信)。ここに大蔵族たる小泉首相のホンネが見て取れるのではないだろうか。
そもそも三位一体改革とは何か。一言でいうならば、権限委譲に続き税財源の移譲を求める地方の側と、国庫補助金負担金や交付税の重荷をとり財政構造を見直したい財務省との妥協の産物であるといえる。いや、更に厳しい見方をするならば、財務省の積年の課題、念願の一つを地方分権に乗じて達成してしまおうとしているともいえる。
いずれにしても、今回の「自民圧勝」で国―財務省が勢いづき、決着が先送りされている義務教育国庫負担金や生活保護費の補助率引き下げ、そして公務員の総人件費削減、そして何よりも交付税の総額削減へと、一気に突き進もうとするであろう。基幹税の移譲などは、増税の議論にスリカエられ、またもや民間企業のサラリーマンと「役所」との対立が煽られることになるであろう。確かに、各省庁の「省益」は一定押さえ込まれるであろうが、地方の側にとっては、それは決して利益となる結果を生み出さないのではないだろうか。
小泉内閣は、厳しい地方財政の状況の中にあって、まるで唯一の解決の手段であるかのように市町村合併を進めてきた。その合併が成功だったかどうかは、「アメ」である財政措置の特例が切れる10年後、15年後に評価されるべきものであるが、今回の合併に「乗り遅れた」自治体には、いよいよ「ムチ」が待っている。三位一体改革もその文脈から読みとらなければならない。

<民主党再生と地方自治>
地方自治制度の枠組みが中央政府によって形作られる以上、地方分権の推進のためには、やはり地方の意を汲んだ政権の樹立が必要である。民主党は、前回の総選挙でマニフェストのトップに地方分権を掲げ、ネクスト地方主権大臣に長野県の田中康夫知事を据えるなど、スタンスを明確にしていた。今回の総選挙では、地方分権の政策順位はやや下がったとはいえ、北海道比例区の1位に改革派首長の一人、前ニセコ町長の逢坂誠二氏を据えるなど、マスコミ受けばかりを狙う自民党に対抗するかのように、「シブイ」感覚を見せていた。
確かに「負け」は「負け」である。しかしながら、得票総数の上では、小選挙区制度の結果生み出された程の大差がついているわけではない。「強い」と勘違いしていた都市部も含めて、今一度しっかりと足腰を据えて、地方組織の強化に努めるべきである。
とくに、地方議員の数に至っては共産党より少ない議会が多い中で、地方議会が地方分権を担う重要なアクターの一つであることを改めて認識し、より一層対策を強化すべきである。(選挙のためだけというわけではないが、「郵政造反組」の当選者を見ると、中央の圧力に屈しない強固な地方組織があったことも事実である。)
さらに、自治体改革にも、もっとコミットすべきである。むしろ改革派首長からは、守旧派と見られたり、既得権益にしがみついてるかのように捉えられることが多々あるのは嘆かわしい。中央では地方分権を掲げながら、実際の地方自治体では「追いついて」いない現状があるのである。
このことは自治労にもいえる。これから始まる公務員攻撃に対して如何に対抗できるのか。自らを厳しく律し、自治体改革のアクターとして、地方分権の担い手として、組織を確立しなければ、小泉の扇動にいとも簡単に負けてしまうであろう。公務労働の質の向上に果たす役割は大きいのである。
前原新代表が、地方自治や地方分権にどのような見識をもっているのか、今後に期待したいところである。これから迎える「冬の時代」の中で、足元をしっかりと固めながら、小泉自民党の総攻撃に耐え、自治体との統一戦線の砦を築きながら、次期決戦に備えなければならない。ましてや小泉のように、労働者の不満を対立にスリカエ、自らの支持に扇動していくことなど、あってはならないのである。
(大阪 江川 明)

【出典】 アサート No.334 2005年9月24日

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【本の感想】近くて遠い国、台湾を理解する

【本の感想】近くて遠い国、台湾を理解する
                                 「台湾は台湾人の国」(許世楷・盧千惠:はまの出版 2005-04)

東アジアを考えた場合、朝鮮半島の二つの国、そして中華人民共和国、そして中華民国の4つの国が文化的に歴史的にも関係が深い。しかし、中華民国(台湾)について、余りに我々は理解していないのでは。紹介する「台湾は台湾人の国」を読んで、私は反省を込めて言うことができる。
著者の許世楷氏は、台湾独立運動を経て、現在は台湾の民進党陳水扁氏より任命された台湾駐日大使である。戦前の日本植民地時代に生まれ、戦後国民党蒋介石支配時代に日本に留学され、国外から国民党の恐怖政治に対して台湾独立運動を展開、90年代に一定の民主化の中で、帰国を果たした。本書は、連れあいの盧千惠女史との共著の形を取り、台湾独立・憲法制定運動を展開されてきたご夫妻の「自伝」である。

氏によれば、現在4つのエスニック系住民が共存した国家であると言われる。原住民、15世紀以降に福建などから移住した人々(ホーロー語系、客家系)、そして中国の社会主義革命の中で大陸から逃げ出してきた蒋介石国民党政権に繋がる人々。確かに歴史的に中国大陸から移住してきた人々を中心にしているが、1949年以来、中国大陸とは分離された主権・領土、独自の文化圏、国家圏を形成しているのである。当然、中国(中共)の一部などではない。
近代になり、アヘン戦争の頃から台湾は、列強のアジア侵略の中継地として注目され、日本と同様にイギリス・フランスの侵略行為を受ける。清王朝の庇護の下にあったが、最終的には日清戦争の戦後処理として、1895年下関講和条約により、清朝は、台湾を日本に割譲し、以後1945年日本の敗戦まで植民地となった。

著者は、日本統治が始まって40年程経った1936年に台中市に生まれる。著者の少年時代は、日本支配の時代であり、台湾語は禁止され、学校では日本語が強要されていた。その影響は文化の継承にも及ぶこととなった。著者の祖父が日本支配に抵抗する台湾文化協会に属し、京大卒の弁護士であり、台湾人としての誇りを強く持っていた影響もあり、日本人学校への入学を拒否したことが、彼の生き方を決めたと語る。

1945年の日本の敗戦により、日本軍が引き揚げた後、今度は大陸から国民党軍が台湾に入り、国民党の支配が始まる。日本語に変わって北京語が強要される。日本語しか話せない多くの人々に対して、「反日教育」が行われ、敵国日本の文化を否定し、今度は中国の文化・教育が強要されることになる。国民党支配は2000年まで55年間続くことになる。
国民党支配の下では、戒厳令体制となり、反政府運動は弾圧される恐怖政治が続く。著者は、1959年日本に留学、早稲田大学に入学し、国外から台湾を見つめ、台湾人としての自覚を強め、台湾独立運動を広げていくのである。
60年安保闘争期には、日本の運動を見つめ、台湾人としてのアイデンティティを獲得していく。以後、著者は国民党政権から危険人物として見なされ、33年間台湾に入国できなかった。
台湾国内の政治犯釈放運動を展開した著者達留学生は、1966年米ラスク国務長官が京都で開催された日米貿易経済合同委員会のため来日。会場前の墓地で「政治犯の釈放」を求めるハンガーストライキを決行している。
大学卒業後、東京大学博士課程を経て、津田塾大学国際関係学科に職を得て以降も、在日台湾人の人権擁護、台湾国内の政治反釈放などの人権運動の中心となり活動していくことになる。

やがて、蒋経国死去後、1990年に国民党李登輝政権の下、一定の民主化が図られ、1992年に帰国を果たす。以来、現台湾憲法が国民党により作られた憲法であり、台湾にそぐわないと「憲法改正運動」を提起。この運動を進めた仲間が、民進党政権誕生後、その中枢を形成している。

台湾人としてのアイデンティティの確立のため、夫人であり児童文学者の盧千惠女史は、伝承民話の収集や台湾文化を見直す運動を進められ、文化面での台湾復権を担われてきた。民進党が2度に渡って、国民党に勝利してきた台湾国民の力の源泉が、この二人の闘いに象徴的な「台湾独立」という願いなのである。
植民地として日本に支配され、続いて国民党による恐怖独裁政治を経て、今、台湾の政治的変化の源泉が、ここにあると思われる。

本書は、お二人の共著として、大変平易な言葉で語られ、人間味溢れる内容となっている。中国の脅威に対して台湾の独立を掲げている、という台湾の立場を理解することができる。現在、日台は、「中国はひとつ」という中国の主張により、国交がない。経済的には台湾の成長も著しく、日本を訪れる最大の外人観光客が台湾人であること、55年の植民地支配にも関わらず親日家が多いことを含めて、日本に対しては、「中国は二つ」を明確にすること、「親日的な台湾」とも友好を深める立場にたつことを期待されている。国外生活33年(夫人は38年)に及ぶ長い闘いを貫いてこられた著者の言葉は自信に満ちている。台湾の歴史と変化の中にある台湾を理解するには最適の本と言えると思う。
(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.334 2005年9月24日

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【投稿】9/11選挙結果 小選挙区制は民意を反映しているのか

【投稿】9/11選挙結果 小選挙区制は民意を反映しているのか

 自民圧勝、衆議院3分の2を超える巨大与党が誕生した。野党の多くが比例復活と揶揄されている。アメリカ大統領予備選挙で、州の色分けがブッシュ色に染められ、あんなに頑張っていたブッシュ批判票が完全に捨て票にされてしまうのを見て唖然とした。それと同じ事が今回おきた。
 しかし、比例区で『自民77(議席)対民主61、公明23』が、小選挙区では『自民219対民主52、公明8』となる。小選挙区の自民と民主の得票数は3251万対2480万(1.3倍)でも、議席数では4倍を越す差がつく。『比例』こそが有権者数を正確に反映し、民意の付託に相応しい選挙制度ではないだろうか。小選挙区制では、1位以外2位3位の人に投票した票は捨て票になる。
 日本の制度は小選挙区と比例の併用といいつつも小選挙区の比重が重すぎ、民意が反映されているとはいいがたい。

<貴重なニュージーランドの経験>
 小選挙区制度が大政党・政権党に有利である事は、かつてニュージーランドが経験し、その改革を市民自身が決定している(1993年まで小選挙区制)。1980~90年代、ニュージーランド政府が行った一連の行政改革は、日本でも高く評価され、お手本にしているふしがあるが、全てのニュージーランド市民が市場・競争原理の導入に賛成していた訳ではなかった。当時大政党に有利な小選挙区制(一院制)をとっていた為、与党がたやすく過半数の議席を獲得し、絶大な権力をもって政策を次々に決定、実行することとなった。
 その「専制」政治に歯止めをかける「選挙制度の変更」を求める世論が無視できなくなり、1990年国民党は、選挙制度改革に関する国民投票を公約にかかげた。政権についた国民党は、1991年「選挙制度国民投票法」を制定し、2度にわたる国民投票を実施している。1回目は、制度を改革するか否か(4つの制度から1つを選ぶ、現行制度が多数であればそれで終了する)。しかし、もちろん「改革」が多数を占めたので、次ぎの1993年総選挙と同時に2回目の国民投票を実施した。「現行の選挙制度」と「1で最多得票した選挙制度」とで投票を実施し、その際決定された選挙制度で1996年以降の総選挙を実施している。その他1票の格差是正も適宜行いほとんどない。NZには学ぶべき事が多い。

<閉塞状況のはけ口としての公務員攻撃>
 このように小選挙区制は極めて問題で、すでに国民的運動でこれを乗り越えた国民もあるが、しかし現在の日本では自民圧勝となった今回の選挙で示された動きに注目しておかなければならない。
 「改革」を行えば将来がバラ色になるという幻想をふりまき「改革」を阻害するのは「悪」として映し出す。郵政民営化反対議院、公務員、労働組合を批判し、閉塞状況へのはけ口として集約した結果が今回の自民党大勝であり、この社会情勢はきわめて危険な状況として捉えるおかなければならない。労働組合の社会的役割の強化が求められている。

<ワンイシューの選択には「国民投票」を対峙できないか>
 9/11は郵政民営化のワンイシュー選挙であったはずが選挙後既に、小泉政権は信認され全権委任されたとして、公務員制度「改革」、憲法改憲、サラリーマン増税、2007年消費税増税が矢継ぎ早に取りざたされている。
 ワンイシューを選択するには、国民投票という手法もある、野党は小泉人気に負けたというだけでなく、郵政問題に対案を示して国民投票を仕掛ける事も出来たのではないか。
  民主党について一言、政権交代をスローガンにし「あきらめない」マニフェストを、1回の選挙で諦めるおボっちゃまでは情けない。岡田代表の演説は、5分では理解出来ない15分聞いて腑に落ちる。論理的に物事を語らずフィーリングで大衆の心をつかむタレント小泉が党首討論を最後まで避けた理由がそこにある。中身は間違っていないし、岡田党首の誠実な人柄の見て取れる選挙戦だった。国民は何年かかっても政権交代を追求する迫力ある政治家・リーダーをこそ求めている。でなければ長期間政権をにぎり続けている老練・老獪な自民党に勝てる訳がない。
 最後に、都市部の票が郵政改革に「賛成」票なのは当然ともいえる、過疎地の郵便局が廃止されようと東京や大阪住人は何ら不便は感じないのだから。個人のエゴだけでなく国民全体の利益を不公平にならないよう考えるのが正しい政治家だと思う(東京在住E.T )

 【出典】 アサート No.334 2005年9月24日

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【書評】『天使のナイフ』(薬丸岳、2005.8.8.発行、講談社)

【書評】『天使のナイフ』(薬丸岳、2005.8.8.発行、講談社)

本年度の江戸川乱歩賞の受賞作である。主人公はかつて三人の中学生たちに妻祥子を殺された桧山貴志。彼はその事件の時に助かった娘の愛美と二人暮しで、埼玉大宮でブロードカフェ(セルフサービスのコーヒーショップ)を営んでいる。そこに県警の三枝刑事が姿をあらわすところで物語は始まる。

本書の大筋は、かつての事件の犯人であった少年AとBが殺され、Cが駅のホームから突き落とされるという、一見復讐劇風のストーリーである。しかもいずれの場合も、桧山が近隣にいたか、またはアリバイの無いときに起こるという含みを持っている。

桧山にとって妻の殺害事件は大きい衝撃であったのはもちろんのことであるが、それにも増して犯人であった少年たちのその後の措置について、現行の少年法の矛盾と直面させられ続けてきた日々であった。例えば、犯人たちが捕まって、三枝刑事と署長が桧山を訪問した時に、このことが特徴的に描かれる。

「今、祥子さんにもご報告しましたが、・・・」三枝は祥子の遺影を振り返り、苦い表情を桧山たちに戻して言った。「犯人が捕まりました」/(中略)/「やっと逮捕されたんですね」/桧山はようやく言葉を摘み上げた。/「逮捕はされません」/三枝は無念さを滲ませた表情で告げた。/桧山は、その言葉の意味を図りかねて三枝を凝視した。/「捕まったのは所沢市内の中学校に通う、中学一年の三人の男子生徒でした。祥子さんを死なせた少年たちは、いずれもまだ十三歳なのです」/桧山は絶句した。/(後略)

「・・・今朝から少年たちを署に呼んで、あらためて詳しく事情を聞きました。一時間ほど話をすると、少年の一人が泣きながら自供を始めました。そして少年たちの指紋と桧山さん宅にあった指紋も一致しましたので、先ほど署の方から桧山祥子さんを殺害したと言う非行事実を児童相談所に通告して、少年たちを補導しました。逮捕ではなく、補導です」/三枝の最後の言葉は、自分のやるせなさを吐露するような、どこか投げやりな口調に聞こえた。/「補導?」/桧山は自分の耳を疑った。/(後略)

「桧山さんは刑法四十一条というのをご存知でしょうか」/三枝が切り出した。/「知りません」/「刑法四十一条には十四歳に満たない者の行為は、罰しない、とあります」/桧山は暗澹たる思いで三枝を凝視した。/「十四歳未満の少年は刑事責任能力がないんです。刑罰法令に触れる行為をしても犯罪を行ったとはいえないので、触法少年と呼ばれて保護手続きの対象になります」/「そんな馬鹿な!」/桧山は声を荒げた。(後略)

少年審判で少年A とB は児童自立支援施設に送致、Cは保護観察処分となるが、このことすら被害者側には知らされず、2001年4月の改正少年法施行によってはじめて、事件の記録閲覧が可能になったのである。

このように少年たちによる殺人事件は、現行の少年法の問題点を焙り出していくが、これと並行して、主人公をめぐる人物たちがより過去に犯した事件が明らかになっていく伏線が張られている。ミステリーという性質上その詳細は割愛せざるを得ないが、筋としてはしっかりした複雑な構造となっている。

そして少年法、少年犯罪における罪を犯した少年と刑事責任の免責という構図を、その後それぞれがどのように生きてきたのかを問う、贖罪の視点と絡めて描いているのが本書に社会派ミステリーとしての厚みを加えている。

なおこの点と関連するが、死刑制度と恩赦に焦点を合わせた社会派ミステリーとして、喧嘩による殺人で仮釈放中の青年が、職務上で挫折した元刑務官とともに、冤罪で執行寸前の死刑囚を救うという『13階段』(高野和明、2001年、講談社)がある。この書も第47回江戸川乱歩賞を得ている。関心のある読者は、あわせて読まれたい。(R)

【出典】 アサート No.334 2005年9月24日

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【投稿】解散・総選挙、小泉政権の終幕へ

【投稿】解散・総選挙、小泉政権の終幕へ

<<「心、ヒロシマにあらず」>>
 8/6、被爆60周年という節目の当日、小泉首相は広島の平和記念式には出席したが、その直後に開かれた「被爆者代表から要望を聞く会」には4年連続で欠席した。「心、ヒロシマにあらず」、参議院の郵政法案否決の流れに心奪われ、衆院解散か否かを詰め寄る記者団に「可決か否決か、どちらか一つだ」と虚勢を張るのみであった。
 この「要望を聞く会」には首相に就任した01年には出席していたにもかかわらず、そして今年6月の日韓首脳会談で「在韓被爆者に対する支援を人道的観点から可能な限り進める」と表明し、在韓被爆者代表も要望を携えて来日していたにもかかわらず、首相は欠席し、美術館鑑賞に出かけているのである。
 8/6付朝日夕刊によると、会に出た広島県原爆被害者団体協議会の坪井直理事長(80)は「郵政国会で忙しいかも知れないが、核は国の存亡にかかわる問題だ」と憤り、県朝鮮人被爆者協議会の李実根(リ・シルグン)会長(76)も「被爆60年の節目に会わないとは、被爆者を無視したのも同然だ」と話し、韓国原爆被害者協会元事務局長の朴源釦(パク・ウォング)さん(70)は「何かしてくれると期待したが、数カ月たっても何もない。我々が何を求めているのか、直接会って聞いてもらいたかった」と残念がった、という。
 秋葉忠利・広島市長がこの日の平和宣言の中で、核保有国と核保有願望国に対して「世界の大多数の市民や国の声を無視している」と厳しく批判し、10月の国連総会で核兵器廃絶の具体策を協議する特別委員会を設けるよう提案し、「核廃絶に努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意を」と平和宣言で呼び掛け、今後一年間を被爆者の願いを受け継ぎ、核廃絶へ歩む「継承と目覚め、決意の年」にする決意を明らかにした。さらに秋葉氏は、戦争の放棄をうたった日本国憲法は「21世紀の世界を導く道標(みちしるべ)」であることを、世界に向かってあらためて宣言している。
 この秋葉市長と小泉首相の差は、まさに雲泥の差である。本来、全世界に対して平和の尊さを呼びかけ、戦争の中止と核兵器の廃絶を訴えて行動に移すべきなのは日本の首相であろう。被爆者の願いなど、聞く耳持たずというこの日の首相の行動は、唯一の被爆国としての首相という自覚など、これっぽちもないということを自ら示したものであり、解散・総選挙の結果にかかわらず、この時点ですでに首相としての資格を自ら放棄したものといえよう。

<<「解党元年、分裂元年」>>
 「郵政法案参院否決なら解散」、「殺されてもいい。おれは総理大臣だ」。小泉首相は6日、自らの支持母体、出身派閥の会長辞任を表明してまで衆院解散の翻意を迫る森前首相にそう、決意を語ったという。「外交だって山積みだ。予算もある、経済もある」。森氏は約1時間半にわたって解散を思いとどまるよう説得したが、首相は一切耳を貸そうとしない。「おれに対して、こんな対応ですよ。さじ投げたな。私に何をしろって言うの」、「変人以上だよ」とあきれれはてる森氏。「神の国」発言で世をあきれ果てさせたあの森氏をしてこういわせるのだから、もうつける薬がないというわけである。
 解散カードで議員を、国会を脅しつける戦法が、首相自身の首を絞め、暴走を止めることも出来ず、自民党議員が「集団自殺」と恐れる自爆解散に突き進む事態を招来したともいえよう。首相自身の最大のマニフェストが、「自民党をぶっ壊す」ことだったことからすれば、これまでの「抵抗勢力」に取り込まれてきた紆余曲折、野垂れ死に同然の「改革」、うらみ、つらみを一挙に晴らす“私憤”解散・“自爆テロ”解散で自民党分裂選挙を強行し、結果的に「自民党をぶっ壊す」ことに最大の貢献をなす、これが残された唯一の役割なのかもしれない。
 自民党の武部幹事長は北海道稚内市で「立党50年になるのに、解党元年、分裂元年になったらジョークにもならない」と嘆いたが、すでにジョークではすまなくなってきたのである。首相は、衆院の採決で党議拘束に従わず、反対・欠席した51人の造反議員は公認しない方針であり、造反グループは「新生自民党を結成して戦う」(平沼前経産相)こととなり、分裂選挙は確実である。
 8/12付けの週刊ポストは「自民党160議席割れで民主党・岡田政権誕生だ」と題する福岡政行緊急分析を掲載し、衆院選300小選挙区当落全氏名を予測し、「小泉首相は郵政問題を名目に解散を打とうとも、それが国民の関心を引かないことは十分認識している。そこで中国などの反発をあらかじめ見込んだ上で8月15日に靖国神社を公式参拝し、〝靖国解散〟にすり替える。国民の愛国心に訴えかける作戦である。」、「総選挙のポイントは『郵政』、『靖国』、『増税』の3点セットとなる」と分析し、週刊文春は、自民200議席割れ(現有251)、民主241議席(現有175)とはじいている。いずれも当たらずといえども遠からずといえよう。

<<「こういう事態はあり得る」>>
 内政のみならず、靖国参拝や領土・領有権問題、教科書問題、従軍慰安婦や強制連行など各種戦後補償問題等々で、反中国、反韓国のナショナリズムを煽り立て、その上でなおかつ国連安保理常任理事国入りを目指すという支離滅裂な外交は完全に破綻し、国連への拠出金の減額までちらつかせてアフリカ諸国を切り崩そうとしてきた独善的な姿勢は、アフリカ連合諸国からも拒絶され、絶望的なまでに孤立してしまっている。常任理事国入りは、アメリカからさえも突き放されてしまった。8/5の記者会見で町村外相は、「こういう事態はあり得ると思っていた。何が何でも投票というつもりはない」と述べ、政府が目指してきた枠組み決議案の国連での採決断念までをも示唆した。そして6カ国協議でも、なんらの積極的なイニシアティブや提案も持たずに出席し、情報交換さえロクに出来ず、日本だけが蚊帳の外に置かれたままであった。
 こうした事態を改善し、国際的な信認を勝ち得るためには、もはや最大の障碍となっている小泉政権を退場させ、新たな政権で事態を打開する以外にない、そのような段階に直面していることを明らかにしている。
 いかに道理のない解散といえども、こうした事態は小泉首相はもちろん、小泉政権を支える自民・公明の与党が招いたものである。こうした事態を招いた結果責任が問われなければならないのは当然のことといえよう。その意味では、今回のふってわいたような解散・総選挙は、その結果責任を問い、自民党政権を退場させ、新たな政界再編成をもたらす重要な一つの機会といえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.333 2005年8月13日

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