【投稿】自治労の再生なるか–臨時大会に参加して

【投稿】自治労の再生なるか–臨時大会に参加して
 
1)72回臨時大会で中央本部五役総辞職
 昨年9月30日の新聞報道以降、次々と明らかになった自治労の不正・不法行為によって、自治労は組合員・単組と社会から信頼を失い、辛うじて組織と団結を維持してきた。この間の検察と税務当局の捜査により、自治労と後藤元委員長および開発元事業本部事務局長が法人税法違反事件により起訴されることとなり、国税・地方税あわせて3億2千万円にのぼる修正申告・納税を行なった。またubc(自治労関連コンピュータ-会社)は、「長谷川陽光ほかに対する業務上横領事件」に関わって7名が起訴されている。
 自治労第72回臨時大会は、①真相の究明と二度と不正の起こらない組織・財政システムの構築、②不正・不法行為をした者に対する厳正な対処と執行部の組織的責任の明確化の上に立ち、この間明らかとなった39億円の借財返済計画の策定、③失った信用を回復するための自治労再生方針を確立することにあった。
 臨時大会では、大原委員長が冒頭あらためて組合員に対し謝罪を行い、自治労再生への道筋がついたため大原委員長、福山書記長をはじめ5名の五役と関係団体2名の役員が責任をとって辞任することが表明された。

2)臨時大会の争点と本来の課題

 自治労再生にかかわって、「自治労再生プログラム(案)」、「自治労再生プログラムにもとづく第一次再生実施(案)」等が提案された。
 とりわけ争点となったのは、再生プログラムの一環として、①県本部を強化するために自治労基金を取り崩し各県に50億円を交付する(5月中央委員会までに結論)②社会に対しての信頼を回復するため社会貢献基金をつくるため一定額(20億円)を基金から取り崩す(8月大会までに検討)2点の提案内容であった。
 この提案に対し、代議員からは「自治労本部の認識が組合員・単組と大きくかけ離れている」、「真相究明はなお不十分」、「50億円の県本部への交付や社会貢献基金は金で問題を解決するもの」、「200億を自治労基金として残すことやその位置づけ、基金発動の基準が不明確」など、厳しい発言が続いた。
 しかし、基金の発動そのものが継続討議事項となっていたため、修正案の提出は無く採択では、「自治労再生プログラム(案)」等に対する採決が行われ、執行部提案が賛成多数(出席代議員数969人、賛成864人)で承認された。
 議論としては上記のように、責任追及と基金の発動問題に集中したが、本来どうあるべきだっただろうか。アサート前号の投稿でも指摘されているように組織の「マネジメント」感覚の麻痺と役職員政策の欠如が指摘されている。今回の再生プログラムでは、例えば会計システムの改革については一定の方向が示されたが、役職員政策については明確でない。市ケ谷界隈では「自治労官僚」という言葉をよく耳にする。地方勤務経験の皆無な本部書記が県本部を指導したり、本部の指示系統が役員と書記別々になっていたりと、様々に指摘されている。役員と書記の責任と権限の明確化、書記の広域人事交流、給与体系の見直し、役員選出過程の公開、女性参画の推進など具体的な改革が求められている。そのため進行状況を検証・管理する新たな組織を立ち上げていくことは大きな課題だ。また「社会貢献基金」の創設について、一部の主流派県本部を除き否定的であった。唐突な提案ではあったが、労働組合の社会的な意味・役割を考えた場合、具体的ビジョンをもとに議論を進めることも大切だったのではないだろうか。

3)自治労の団結は強化されたか?
 臨時大会では、辞任した大原委員長をはじめとする5名の五役の選出選挙が行われ、以下の新五役が新任された。

役  職 氏名 信  任 不信任 白票他
中央執行委員長 北岡勝征(三重県本部 798 157 22
副執行委員長 竹花恭二(岩手県本部) 523 440 14
書記長 君島一宇(長野県本部) 699 262 16
書記次長 宮原一夫(千葉県本部) 783 173 21
財政局長 大西繁治(香川県本部) 671 285 21
 投票結果から明らかなように、岩手の竹花氏に大量の不信任票が投じられた。不祥事のあおりを受け北海道、東京、大阪が立候補を見送る中で、非主流派(社民グループ)は、5ポスト中3ポストを要求したと言う。結果として、この間の個人的言動もあいまって竹花氏(社民党東北6県グループ)に批判票が集中、あわや落選といった結果となった。総団結とは程遠く暫定政権スタートといったところだろうか。
 また、大会全体も自治労最大の危機と言われながらヤジは飛ぶが、誰も演壇に詰め寄らない(自治労各級役員の老化現象の表れか?)元気も半分と言った大会であった。

4)終わりに――求められる新生自治労――
 大会は終わった。しかし自治労再生はまさにこれからである。闘争・闘争でがんばった60年代70年代、自治労連との組織抗争が主軸となった80年代、そしてある意味では「安定」の90年代。どこで歯車が狂ったのかを総括し、自治労の再生を果たさなければならない。月並みではあるが職場から地域からの地道な取り組みで信頼を回復するしかない。「社会の風をしっかり受け止め、社会と響きあう」新生自治労を創るため地域から奮闘する決意である。              (S.I) 

 【出典】 アサート No.291 2002年2月16日

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【書評】『開発と健康──ジェンダーの視点から』

【書評】『開発と健康──ジェンダーの視点から』
    (青山温子・原ひろ子・喜多悦子共著、2001.9.30.発行、有斐閣選書、1600円)

 最初に少々長くなるが,本書の終章から引用する。

 「光をあてる角度を変えれば,見えなかったものが見えてくる。あたりまえと思っていたことが、実はとんでもない思い込みだとわかることは少なくない。その中から,本質的に大切なものが浮かび上がってくる。

 なぜ、開発途上国の母親が病気の子どもを診療所に連れていけないのか、あるいは行かないのか、それは、女性が村の外に出られないなど社会的行動を制限されているためかもしれない。診療所が遠くて、交通手段がないためかもしれない。『子ども、中でも女の子は死んでも仕方がない』と思っているからかもしれない。あるいは、母親は出稼ぎに出ていて祖父母が子どもの世話をしているのかもしれない。どの子どもも献身的な母親が面倒を見ているはずという思い込みにとらわれていると、問題点は見えてこない。父親の役割はどうなのか、女性への社会的行動制限が強いのか、どのようにしたら社会規範に反しない形で健康改善ができるのか、家族の中、社会の中で人々が公平・公正な位置づけを得ているのか、さまざまな視点で、吟味を重ね検討していく必要がある」。

 ここに見られるように本書は、社会や経済の開発過程で顕現する健康についての諸問題に、ジェンダー的視点からアプローチしようとする書である。

 本書によれば、「開発の目的は、人々の幸福と社会の発展であり、言い換えれば、人々の健康と社会の健康を達成すること」とされる。それ故「健康と開発は相互に作用しあい関連しあうため、開発により健康が改善するばかりでなく、健康改善により開発が促進されることも広く知られている」と述べられる。すなわち「人々の健康状態は、開発の度合いを示す指標」となるのである。
 この「開発」概念のとらえ方には異論もあると思われるが、本書では「開発」の内容については、次のように変化したとする。

 1970年代までは、開発とは経済開発によって生活を向上させて貧困をなくすことに主眼が置かれ、農業や工業の生産増加、道路・鉄道・ダムなどの建設が取り組まれた。しかし多くの開発途上国では、経済開発はかえって貧富の差を拡大させ、社会的公正の実現などの社会全体の近代化は取り残されたままであった。

 1980年代に入ると、経済主導のやり方が行き詰まり、社会が不安定な状態になった。この反省から、生活向上のためには人間の基本的ニーズ(基礎的な教育や保健医療など)を満たすことに重点を置き、貧困の克服に向けて意識的に努力する必要があることが認識されるようになった。これが社会開発(social development)の考え方であり、その課題は、貧困、雇用、環境、人権、社会的公正、食料、住居、健康など多岐にわたっている。

 そして1990年代以降、社会開発に重点が移るが、その中で、経済開発という点から見ても、教育や保健医療などの水準を向上させることによって人材の基礎水準の引き上げをはかることが有効性を持つということが理解されてきた。こうして開発目標を人間そのものに置く人間開発(human development)の考え方が生まれた。

 本書では、この経済開発、社会開発、人間開発の視点を踏まえる。「第1部、健康と開発」では、貧困(とくに「貧困の女性化」)のために生じる健康の問題、経済開発過程で起こる環境汚染などの健康への影響の問題、自然災害が社会のひずみによって被害状況の格差を大きくしている問題などを検討する。そして健康の問題に、ジェンダー・社会階層・エスニシティーに代表される社会的文化的要因が深くかかわっていることが解明される。

 また「第2部、健康とジェンダー」では、ジェンダー的な視点から健康と開発が見直される。この中で、従来の健康問題の分析研究や保健医療計画が、男性の視点から取り組まれていて、女性の健康改善がつねに後回しにされてきたこと、多くの開発途上国で女性の教育水準の低さが、女性の健康改善や社会参画への妨げとなっていること、またこのことが子どもたちの健康や生活水準にも悪影響を与えていることが指摘される。すなわち「女性の教育水準と乳幼児死亡率は、ともに、その家庭やその国の人間開発・社会開発の水準を反映する指標であるとも考えられる」のである。

 ここで紹介されている考え方で注目されるのは、経済開発が女性に負の影響を与えることが多いことへの反省から、経済開発への女性の参画や開発成果の女性への公平な波及をめざすWID(women in development:開発と女性 )の概念やこれをさらに進めたGAD(gender and development:開発とジェンダー)の概念である。後者はジェンダー間の不平等・不公平の除去が開発につながるという考え方であり、今後の発展課題とされる。

 また性と生殖にかかわる健康を包括的に捉える概念として「リプロダクティブ・ヘルス(reproductive health)の概念が提唱されている。これはWHO(世界保健機構)とUNPFA(国連人口基金)によって、「性と生殖に関し、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態にあること」と定義される。具体的には、妊娠と出産、避妊と不妊、性感染症、思春期保健、更年期以降の健康、男性の健康など多方面にわたっており、母子保健や人口・家族計画などとも密接な関連をもつ。そしてこれを達成する権利として、「リプロダクティブ・ライツ(reproductive rights)」が基本的人権の一部とされている。

 しかしこのような概念・権利を効果的に浸透させていくためには、各国各地域の社会的文化的政治的状況を考慮した施策が採用されねばならず、また教育や医療以外の分野の対策も同時に行っていく必要があるとされる。

 以上のように本書は、ジェンダー的視点からの基本的人権の向上、とくに健康権の改善を訴え、女性と健康に関する問題が、男性のジェンダーとも深くかかわっていることが強調されている。開発と健康という一見直接関係がないと見なされがちな事柄について、視点を変えて見ることを教えてくれる書である。一読を薦めたい。

 なお各章のエピソードも興味深く、日本に関して言えば、敗戦後GHQ(占領軍総司令部)の軍医サムス大佐によって行われた保健医療改革が紹介されており、その教訓にも教えられるところが多い。(R)

 【出典】 アサート No.291 2002年2月16日

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【投稿】「戦争の年」の「不審船・日本」

【投稿】「戦争の年」の「不審船・日本」

<<羽織袴で「有事立法」>>
 新年早々、危険な足音が闊歩し始めている。杞憂に終わることを望みたいところであるが、流れ出した勢いを止めるに足る力が結集されてはいない。読売新聞1/1、1面TOP記事の大見出しは「安保基本法制定の方針」、「武力攻撃・テロ対処、首相権限強化」、「私権制限も盛る」である。一日前の、年末12月31日に、政府が安全保障基本法を次期通常国会に提出することをあきらかにした、というのである。他紙が報道していない中での読売一流の挑発的な煽り行為であるが、首相が首相だけに無視できない。
 案の定、1月4日の新春記者会見で羽織袴姿で登場した小泉首相は、この読売記事に応えるかのように、「有事法制に対して強い反対の議論もあることは事実でありますが……国民に不安と危害を及ぼさないような体制を、法的な面においても、現実の各省庁の対応においても、しっかりと整備していくことが政府の責任ではないかと思いまして、今年通常国会に真剣にこの問題を議論し、できることから法整備を進めていきたいと思っております」と、有事法制提案への強い意欲を改めて表明したのである。
 しかも、12月の不審船事件をネタにして、「『有事』は、戦争だけではない。テロも不審船や拉致(らち)問題もある。我々日本人としては理解に苦しむような不可解な意図と、そして装備をして、能力を持って日本に危害を与えるかもしれないというようなグループが存在しているということも見逃すことはできない」と言い、これまで検討されてきた有事法制からさらに進めて、「日本が侵略された場合」だけでなく、テロ事件や不審船のような「不可解な」事態に際しても、総理大臣が「緊急事態」を宣言して、国民の権利の制限等をおこなうことを可能にしようというものである。

<<“国家的自己欺瞞”>>
 具体的には、〈1〉首相が安全保障会議を通じて各閣僚を統括し、政府が一体となって危機や非常事態に対応できる体制を作る〈2〉国民の義務、私権の制限と憲法の基本的人権とのかかわりをはっきりさせる〈3〉国民の避難・誘導や私有財産の損失補てん、戦争捕虜の取り扱い――などを盛り込み、また、日米安保条約に基づいて自衛隊と共同行動する在日米軍の行動についても、日米地位協定改定と合わせ、基本法で規定する方向だという。まさに「戦争のできる国家体制」づくりである。
 同じ1/1付の読売社説は、「憲法解釈の変更が必要だ」として、「自衛隊創設後、内閣法制局が組み立ててきた“国家的自己欺瞞”ともいうべき憲法解釈を根本的に変えることである」として、「当面、政府がなすべきことは、『集団的自衛権は保持しているが行使できない』などとする論理の混乱した憲法解釈を、『行使できる』と変更することである」と政府に指図し、さらには「衆参両院の憲法調査会も、『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』とある憲法第九条第2項を改正するよう、早急に結論を出すべきだ」と督促している。同社説は言う。「変化の兆しは見える。テロ特措法をめぐる国会論議では、『自衛隊は戦力』との小泉首相の国会発言が、さしたる騒ぎにもならなかった。同時テロ発生以前なら、この発言だけで法案審議が空中分解しただろう」。憲法第九条を破棄しても「さしたる騒ぎにはならない」、憎むべき戦後平和憲法をぶち壊す千載一遇のチャンスと見ているのであろう。

<<「対テロ戦争対象国」>>
 すでにブッシュ大統領は、「われわれのテロとの戦争はアフガニスタンをはるかに超えている」、「2002年は戦争の年になろう」と広言している。米誌ニューズウィーク1月2/9日号は「本誌が得た情報によれば、米軍の統合参謀本部は、イラク国境の南と北にそれぞれ五万人の兵力を送り込み、首都バグダッドを挟み撃ちにする作戦プランを検討している。…時期が来ればフセインと対決すると、ブッシュは折に触れて語ってきた。そのタイミングは刻々と近づいている」と報じたが、米軍高官は即刻これを否定している。しかしその理由が「イラクでの作戦は、最低15万人の戦闘要員が必要」で、口実がまだ見つからず、海洋発射巡航ミサイルの保有数も対アフガン戦で50発前後に減少し、増産待ちということにすぎない。ニューズウィーク誌は、2002年初夏までが限界だと見ている。
 その一方で同時に、ウォルフォウィッツ国防副長官は、アフガニスタン後の対テロ戦争対象国として、ソマリア、イエメン、インドネシア、フィリピンの四カ国の名を挙げ(1/8付ニューヨークタイムズ)、すでに特殊部隊が投入されていることを示唆し、「国際テロ組織追跡は、アフガニスタンでのアルカイダ根絶を待つ必要はない」としている。国連の承認も国際的合意も何もない、一方的戦争行為、国家的テロルの新たな国際化に踏み出そうとしている。
 日本もこれに一枚加わろうと言うわけであろう。「北朝鮮もテロ支援国家」に仕立て上げ、緊張を一気に高め、機密保護法・有事立法の制定・テロ対策特措法の恒久化・憲法9条の破棄、そして弾道ミサイル防衛体制と米軍指揮下の戦争行為への参加、こうした危険なシナリオがすでに動き始めているのだともいえよう。

<<日本は国際社会の『不審船』>>
 昨年末12/22に起きた東シナ海公海上での銃撃・撃沈事件は、そもそもの発端からして12/18の米軍軍事衛星偵察情報による北朝鮮からの「不審船」の自衛隊への通報から始まっており、その後の無線交信の傍受、海上自衛対P3C哨戒機による船舶の発見と追跡、イージス艦の急派、そして海上保安庁への通報、船体射撃と武力行使、すべてが周到に仕組まれたかのような軍事作戦以外の何物でもないといえよう。
 しかも海上保安庁の巡視船は、炎上・沈没により漂流している当該船舶の乗員の救助も行わずに放置するという、国連海洋法条約の明白な違反行為を行っている。しかし海上保安庁によれば、国民から寄せられた電子メールの98%は不審船の沈没を支持する内容だったという。北朝鮮側の不可解な行動に乗じた、一方的な都合の良い情報だけで操作するお得意の大本営作戦である。
 「今回の事件で最もぞっとしたのは、沈没した不審船の生存者が真冬のいてつく海に取り残されたことだ。海上保安庁の船舶はサーチライトで生存者を発見していたが、救助しなかった。これが巡視船のすることか。あるいは、彼らのほうこそ不審船だったのか。」、ニューズウィーク1/16号「日本は国際社会の『不審船』だ」と題するコラムでデーナ・ルイス氏がこう述べて、「日本はこの数ヶ月、軍事的関与の枠を国境の外ばかりか、平和国家というこれまでのイメージを超えるレベルにまで広げてきた」と指摘し、「軍事的関与の枠を超えてまで世界の安全保障に貢献しようとするなら、戦争責任を気にする平和国家として振る舞うのはやめるべきだ」と直言している。氏によると、日本政府は、戦時中のアメリカ人捕虜に対して行った日本軍の強制労働と残虐行為の責任・補償を求める改正案を廃案に追い込むことをブッシュ政権に働きかけ、その「裏取引」として対テロ戦争への自衛隊派遣を提起したと言う。「これでは、日本はやはりずるがしこい国だと思われても仕方がない」と述べている。「裏取引」の正体見たりである。
 日本がなすべきことは、軍事的緊張を意図的に高めるのではなく、北朝鮮との平和的友好的な関係改善への努力を第一義的に優先させることである。それは可能であるばかりか、国際社会がもっとも日本に期待していることでもあろう。野党側がこの件に関してもっと果たす役割を自覚し、行動すべきであろう。いかにも努力もイニシャチブも足りないのではないだろうか。(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.290 2002年1月26日

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【講演録】「21世紀のグランドデザインをどう描くか」(その2)

【講演録】「21世紀のグランドデザインをどう描くか」(その2)
                 公立はこだて未来大学 複雑系科学科 小野 暸

<体制間対立から何を学ぶか>
 レジメの次の項目に「体制間対立から何を学ぶか」とありますが、社会主義と資本主義の間の思想的対立構造は、ほぼ百数十年間続いてきました。ソ連が成立して、体制間対立という様相を呈するようになってから7~80年間です。その歴史から何を学ぶかという課題です。
 レジメに「同じ穴のムジナ」と書きましたが、私は資本主義も社会主義も、現実に存在した姿・形としては、同じルーツから派生したものと考えています。すなわち、近代という共通のルーツを持っているわけです。近代という時代が如何なる時代であったのかということですが、近代に入って以降、社会の隅々にまで「組織化」現象が及んでいった、そういう時代でありました。人々を「組織する」ということが素晴らしいことであり、社会や経済に効率をもたらし、前向きの方向へとリードしていく原動力となるのだとの考え方が圧倒的に支配的となった時代、それが「近代」でした。人々が社会的規律や秩序を学ぶ「学校」としての「組織」こそが、進歩の担い手であるという考え方、それが近代以降に世界大で蔓延した考え方であるわけです。
 社会主義・共産主義の側では、その理念をより純粋な形で実現しようとしました。「一国一工場」と表現されますように、国家全体を一元的に組織化するシステムが追求されました。それこそが経済的・社会的無秩序を克服する道であり、理性的計画に基づく国家全体の組織化=計画化が、恐慌や景気変動のない安定的発展を保証する唯一の方途であると考えられました。一方、資本主義陣営においては、一国全体という形では組織化されなかったけれども、社会の隅々・最末端に至るまでほとんどの人々が企業組織・政府機構・政党・学校・病院・組合等々の内部に囲い込まれることとなりました。その結果、経済や社会システムのあらゆるところで「ヒエラルヒー構造」が作り上げられていきました。「組織化」を至高の原理として尊ぶ時代の風潮の中で、どちらの側もそれを当然視しながらも、一方は一国レベル全体での組織化を考え、それがもっとも合理的・効率的だと考えた。他方は、法人企業への組織化とその巨大化を追求していきながらも、創業の自由・経済活動の自由を承認した……その違いが、結局、社会主義と資本主義の命運を分けた違いだったのではないか、と私は考えています。

<マルクスとアソシエーション>
 数年前に、田畑稔さん(現在、広島経済大学教授)が、『マルクスとアソシエーション』(新泉社)という本を出されました。お読みになった方もおられると思います。その中で何が言われていたかと言いますと、マルクスの基本的な考え方は、従来理解されてきた内容とは正反対に、徹底的に透徹した「個人大切主義」であったということです。田畑さんは、マルクスのアソシエーションという考え方のバックボーンになっているのは、個人一人ひとりが大切だという認識であり、徹底した個人的自由の追求を土台としていたことを、マルクスの全文献の徹底した渉猟によって明らかにされています。マルクスの「自由な生産者・諸個人の連合」=「アソシエーション」という考え方の土台には、個人的自由の徹底によって初めてそれが可能になるとの認識があったということです。私も同じようなことを考えておりましたので、本を見つけて読ませて頂いた時には大変感動致しました。現在、田畑さんには「はこだて未来大学」に非常勤講師として来て頂いています。
 けれども、田畑さんのおっしゃることはまったくその通りと思いますが、そうしたマルクスの基本思想がその後、「一国一工場」を追求するような方向へと何故に途方もなく歪められていったのか、について考えなければならないと思います。この点については、なお入念な検討が必要と思いますが、かいつまんで言ってしまえば、「組織化」を神聖視することが当時の時代の雰囲気でもあり、それに対してはどんな人間であっても抗い難かったのだと言うしかありません。
 マルクスの思想の中にも、やはり「軍隊」思想と言いますか、革命のための軍備を整えよとか、労働組合は労働者のための学校だとか、あるいは学校とはすばらしい教育システムだとかの、一方で組織化を「時代を前に進める進歩的なもの」であり先進的性格のものと見なす傾向も同時に強く刻印されています。その傾向は、革命のための運動論の領域では、いっそう際立って現われてきます。おそらくこの、マルクスの個人性重視という根本思想のベースと、実際の時代の雰囲気に浸ったが故の組織性重視あるいは「組織の悲惨」への認識の弱さとの自家撞着と言いますか、矛盾と分裂がその後のマルクス主義運動の悲惨な結末をもたらしたと言えるのではないでしょうか。

<自由・平等・友愛>
 さらに遡って捉え直していくなら、近代という時代がまさに「個人と組織の相克の時代」でありました。近代市民革命は、それ以前の王侯・貴族のみの自由を否定し、市民個人の自由を掲げて闘われました。政治的自由のみならず、経済的自由をも掲げたという点が重要です。つまり、創業の自由です。近代以前の時代には、庶民の経済活動は強く規制され、王侯・貴族・寺社等の特別の許可を必要としていました。そうした経済活動に対する制約を打破して、市民の誰でもが自由な経済活動を如何なる形態でも起こし得る権利の獲得、その権利の市民すべてに対する保証、それを近代市民革命は明確に掲げていました。
 『自由・平等・友愛』というフランス革命及びアメリカ建国のスローガンに謳われた有名な三つの言葉は、フランス国旗の三色旗に端的に表現されていますように、当初はひとつの理念を形成する異なる三側面の表現だったのです。自由と平等と友愛とは、言葉では別の表現のようですが、理念的には決して分けられないひとつの理念であるとの思想です。それぞれ別々に追求することが可能だとは、当時の人は全く考えていなかったわけです。「自由で平等な友愛社会」を一体のものとして追求する中にこそ、近代市民革命の基本理念があるのだ、新しい時代はその基本理念に従って築かれなければならないのだと考えていたわけです。そんな考え方が、2~300年前には当然の常識としてあったわけですね。
 けれどもその後、近代という時代が進展するにつれて、また資本主義つまり法人企業システムが成立・発展・拡大するに従って、自由と平等とは当初の一体性を失っていきます。近代市民革命の基本理念は、あっという間に三つに分裂してしまい、それぞれが別個に追及されることになります。要するに、近代市民革命によって歴史上初めて「個人一人ひとりの尊厳」という観念が出現するわけですが、市民の個人的自由の追求を土台とする「自由・平等・友愛」社会の建設という目標は、結局のところ、一方で組織というものを前向きなもの、先進的なものとして容認していった結果として死滅に向かい、市民個人はさまざまな組織に徹底的に囲い込まれていくわけです。その結果、自由主義と平等主義とは、完全な対立的構造に転化していきました。自由とは資本主義(=アメリカ)であって、平等とは社会主義・共産主義(=ソ連)であるという観念が支配的となり、自由と平等とは二律背反的概念であると考えられるようになりました。それが、19世紀後半以降の新たな常識となっていったのです。
 なお、「自由・平等・友愛」の理念は、完全に死に絶えてしまったわけではありません。それは政治的領域における「一人一票原則」として、辛うじて社会に根付いています。例えば選挙での投票権は、市民個人一人ひとり(自然人)にのみ容認され、「法人組織」には一切の権利を与えないこと、それが「一人一票原則」です。つまり、政治の領域では、「法人組織」という存在は原理的に否認されているのです。もちろん、それは名目的・形式的な否認であって、実際には政党という組織が政治を牛耳り、また企業や役所などが隠然たる影響力を発揮していることは言うまでもありませんが、原理上、否認されている点が重要です。他方、経済の領域では、法人企業に所有権などの法的諸権利が付与されており、「一人一票原則」は風前の灯火に近くなっています。言い換えれば、近代という時代は「自由・平等・友愛」との理想を、政治的領域では曲がりなりにも実現したけれども、経済の領域ではまったく反する事態を招来してしまったのです。ならば、経済領域における「一人一票原則」とは一体如何なることか、それが問題となりますが、その点については後ほど詳しくお話ししたいと思います。その他にも、お話ししたいことはいろいろありますが、続いて先に進ませていただきます。

<国家を超えて>
 次に、国家システムに関してです。近代が追求してきた「民族国家」というシステム、これも今、大きく揺らいでおります。EUが成立し、2002年1月1日からは共通通貨ユーロが現金として流通を始める一方、旧ソ連やユーゴ連邦がどんどん解体・分裂していく等々、この点に関しては皆さんも実感として感じておられるだろうと思います。これから起こってくること、恐らくそれは「中国の解体」でしょう。今でも鮮明に覚えておりますのは、1980年代の半ば過ぎ頃、ゴルバチョフが意気盛んな頃でしたが、私が「万人起業家社会論」の萌芽みたいなことをいろいろ考えていた頃です。中国におけるチベット問題を考えていた時に、突然、東ヨーロッパから日本海まで、ユーラシア大陸に連なる社会主義世界体制が西の端からメラメラと燃え上がって潰れていくというビジョンが頭の中に浮かんできました。ソ連・東欧社会主義圏の崩壊と、民族対立の激化を予感したわけです。とは言え、その頃はゴルバチョフが健在でして、ソ連も改革を続けていくことで、あと10~20年はもつだろうと思っておりましたが、それから5~6年くらいで、あっと言う間にそれが現実のものになったわけですね。おそらく今後、中国が解体していくプロセスの中で同じことが起こってくるだろうと思います。
 近代以降、国家を民族単位で組織すべきだということが、国家の基本的理念として叫ばれました。しかし、この考え方は一方では、大変な惨害を招くことになります。皆さんご承知のように、いわゆる「一民族一国家」とのスローガンは、ナチス・ドイツのスローガンでありました。「民族」を重視する国家理念は、当然にも民族排外主義を宣揚する結果をもたらします。一方、多民族の融合・統合を掲げて成立したソ連社会主義共和国連邦ですが、これがどうなったかということも今では言うまでもないことです。要するに民族単位で国家を組織するという近代の基本理念そのものが、あらゆる間違いの根源であって今後の基本理念とはなり得ないということは明らかでしょう。
 さらに、国家という形態が民族国家であるべきか否かを越えて、今後、マルクスが構想したように、国家それ自体が眠り込み死滅していくとは如何なる方向なのか、その具体的プロセスを展望していくべき時期に来ていると私は考えています。そう考えますと、昔、私の父がよく言っていたことですが、国家の公共的性格と権力的・階級的性格をきっちりと峻別して国家の機能・あり方を再考し直す、そこのところからもう一度考え直さなければならない。要するに、新しい形での集団全体での協議システム、秩序維持システム、安全確保互助システムがどういう形で展望されなければならないのか、具体的な話をもう始めるべきだと私は考えております。

<市場の失敗、政府の失敗、そして「組織の失敗」>
 当然のことながら、国家の権力的・階級的性格を徹底的に弱めつつ、サービス的公共的機能については、これを国家によらずして提供していく方法等々についても当然提示していく必要があります。その時に依拠すべき理論として、よく言われる「市場か政府か」という議論をもう一度根本から見直すべきだと私は主張しています。というのも「市場か政府か」という議論は伝統的に数十年続けられておりまして、今でも「市場対政府」という大部の本が出されたりしています。「政府が大事だ」という立場の人々は「市場は必ず失敗するのだ」「市場だけではうまくいかないのだ」という伝統的な議論を背景にしておりますし、「市場が大事だ」といういわゆる規制緩和論者の議論も、ハイエクやフリードマンが展開した「政府の失敗」という議論をベースにしてきましたが、決着は付いていません。
 私はどちらも間違っていると、十数年前から同じことを言い続けてきました。私の提示する主張は、新しい概念としての「組織の失敗」という議論です。市場も政府も、「組織」されてしまったが故に失敗するのです。市場に関して言えば、「組織」されない市場とは人々の取引の場というだけの意味しかありません。従いまして、私は学生たちに、「市場」を「しじょう」と読むな、「いちば」と読めと言っております。「いちば」とは単なる交易の場所であり、取引の場ということです。交易の場としての「いちば」は、人間の経済活動・日常の暮らしに必要不可欠なものでありまして、それなしに人々は生きていくことはできません。「いちば」が人格的な意味で失敗するなどということは有り得ないわけです。
 にも関わらず、我々は「しじょう」という言葉を使った瞬間に、価格成立のメカニズムですとか、株式市場制度であるとか、企業間の競争戦や駆け引きでありますとか、そういうことを連想してしまい勝ちです。現行の経済学も、市場を価格メカニズムと捉えて、そこにどんな参加者がいるのか、参加者の間での約束事がどうなっているのか等々についてはまったく等閑視してきました。現実に存在する市場は、市場参加者が法人企業にほぼ限定され、庶民は単に生活物資の消費者として振舞うことしかできません。市場が「組織」されているという意味は、そうした意味です。これまでの経済学は、そうした市場の基本的枠組みを一切無視して、市場ではあたかも自動的・非人格的に価格が決定され、需給量や取引数量も決まっていくのだと見なしてきたのです。その一方では、よく「マーケットの意向は」とか、ニュースでも「マーケットは拒否しました」とか、「マーケットは政府に追随しているようです」とか、あたかもマーケットそれ自体が人格を持っているような表現を使います。市場から排除されている生身の人格的諸条件(つまり、人々の思い)をまったく無視する一方で、単なる「場」をあたかも擬人的に取り扱う、こうした現行の経済学は二重の意味で錯誤に陥っています。マーケットを「いちば」と言ってしまえば、いずれも論理として成り立ち得ないわけで、だからこそ私は市場を「いちば」と読めと言っております。
 他方、「政府の失敗」という議論も、ハイエクやフリードマンらの主張によれば、彼らが擁護する「市場の自由」という概念の中には「法人企業の自由」しか存在しないのでありまして、企業内部に囚われている大多数の人々の存在は完全に無視され、あるいは単なるロボットとしか見なされてこなかったのです。経済活動に対する政府規制の緩和・撤廃さらに自由化という議論には私も基本的に賛成ですし、政府が歴史的に見てもロクなことをしてこなかったことを見れば、また「国家の眠り込み」というマルクスの展望からしても、政府規制に何らかでも期待することは歴史に逆行することだと考えています。
 けれども、規制緩和・撤廃という議論は、多くの人々が主張するような企業活動に対しての緩和だけでなく、人々個人の自由な諸活動に対してこそ徹底的に緩和・撤廃されるべきなのです。とくに緊急に必要な「規制撤廃」としては、企業内個人の情報発信の自由を保証する措置でしょう。組織内個人に課せられた情報の守秘義務こそは、組織を組織たらしめる土台であり、個人よりも組織を上位に置く思想の具体的表現なのですから。
 ハイエクらの徹底した個人的自由主義は、大陸ヨーロッパ(ハプスブルグ帝国!)における貴族的自由主義の伝統を濃厚に受け継いでいます(ハイエクは貴族の出自でした)。ですから、下々の人々のことなど、彼らにとっては視野の外にあったのですが、今後の個人的自由の拡大を展望していく上では、大陸欧州の王侯・貴族たちが謳歌した自由を、すべての人々の自由にまで拡大・拡張していくとの観点が不可欠であると思います。
 結局のところ、人間的な意味で望ましい財の交換と取引のシステム、人々の暮らしを律する望ましい協議システム・秩序維持システムではなく、限定的・排他的・独裁的な形で市場そして政府の形態が作られ、そのような形態で近代的に「組織」されてしまったが故の「失敗」ということではなかったか。どちらの議論も、「組織の失敗」という観点を入れて根本的に見直すべきではないか、というのが私の提起しております「組織の失敗」という議論です。この「組織の失敗」という議論は、私のオリジナルでございまして、もしお使いになる場合は、必ずクレジットを入れてくださいますようにお願いします
(笑)。

<宗教について>
 次に宗教の問題です。先ほど、カミとは「宇宙の謎」「世界の謎」「生命の謎」だと理解するならば、カミに対して宗教的・独善的な解釈を与えてはならない、と申しましたが、言い換えればカミとは科学の基本的な探求の対象であるべきなんですね。けれども従来の科学は、デカルト以降、宗教と平和共存してきました。それは、当時のローマ教会からの干渉・介入・異端審問を真剣に恐れるが故でした。カミの世界はココロの世界であって、その領域ではキリスト教が自由に支配することを容認する一方、モノの領域に関しては科学の領域であると主張して、ローマ教会からの過剰な口出しを封じようとしたのです。
それゆえ、宗教については何も言わない、宗教世界に一切介入しない、カミが何かということについても物質的な意味でしか追及しない、という態度を厳格に貫いてきたわけです。それがデカルトの「精神/物質二元論」「意識/身体二元論」の根底にあった考えででした。
 しかし、そろそろ、科学的営みの中からヒトのココロの領域を厳格に排除した、こうした極めて中途半端な科学主義を捨て去り、カミそのものを科学的検討の対象にする時期がきているのではないでしょうか。もし、人類が早期にそれを進め、少しでもカミの謎に迫っていくことができたら、その時こそ宗教は最終的に乗り超えられていくことでしょうし、それは可能だと私は考えております。宗教を超えていく道とは、旧ソ連のスターリン時代に行われたような教会への暴力的な弾圧であって良いはずはありません。戦前の日本でも、大本教や様々な新宗教に対する弾圧が行われましたが、そういう形で宗教を乗り超えることは絶対にできません。私たちのココロが世界を認識する構造そのものが、基本的に科学をベースとするものに変っていかない限り、絶対に宗教が無くなることはありません。宗教成立以来、数千年あるいは数万年を経てようやく、宗教を死滅させ眠り込ませるプロセスが、科学の世界において始まりつつあるという認識を私は持っているわけです。

<「万人起業家社会論」とは>
 さて、大きな3点目ですが、ようやく、私のアドバルーンであります「万人起業家社会論」に入っていくことができます。誰でもが社長、誰でもが起業家、誰でもが例えば大学の教師、誰でもがミュージシャン、つまりどんなものにでも誰でもが成り得るような社会と経済のあり方を、私は「万人起業家社会論」の中で主張しています。この用語は十数年使ってきたのですが、あまり誰もこの言葉を広めてくれません。ネーミングが悪いのかとも思います。もっと一般受けするような、カッコいいネーミングがあれば教えて頂きたいのですが…。
 要するに、現在の企業は法人として組織されており、この人間でない法人という存在が例えば権利主体・所有主体になる一方で、企業の中にいる生身の人間は、その中にいる限り主体にはなれないという転倒した状況を、如何にすれば再転置し得るのかということです。あるいは、わかりやすい話として、企業組織の中で何らかの発明をしたとします。その発明・発見の権利が誰に帰属するかと言いますと、全面的に企業に所属するわけです。特に日本での状況はひどいもので、実際に発明・発見した人には金一封、せいぜい数万円、場合によっては数千円というお涙金でお茶を濁されています。
 これからは、恐らく大学の中での発明発見もどんどん行われていくことになりましょうが、このままで行きますと独立行政法人になろうがなるまいが、結局のところ発明発見の権利は大学に帰属することになるでしょう。あるいは、統括的に管理するTLOや何らかの新組織に帰属するということになりそうですね。つまり、法人が人に成り代わって生身の人を支配する、このような構造は人間が大切だ、一人ひとりの個人が大切だという考え方からしますと、完全に倒立・転倒した考え方であるわけです。そうした構造を、我々自身、唯々諾々と当たり前のように受け入れてきたわけですが、我々をそのように思い込ませてきた過去の社会・経済は、根本からおかしかったのではないでしょうか。法人を権利主体としてきた従来の社会・経済のあり方は、まず否定されなければならない。生身の人が行った発明・発見の権利は、当然、発明・発見した人個人にこそ帰属することを承認すべきでしょうし、他方では発明・発見者がその利益を独占したり過度に利益を享受したりすることがないよう、知的進歩の成果を社会が広く享受できるような、既存の特許権や知的所有権に関わる制度の全面的な見直しが必要だと考えています。
 「万人起業家社会論」の話をしますと、我々の頭の大部分には組織こそ効率の源泉であるという考え方がこびりついていますから、すぐにそんなことはできるはずがない、空想的な夢のまた夢、夢物語だという反応がすぐに返ってきます。いろんな所で講演をし、しゃべっているわけですが、どこでもそんな感想が返ってきます。もちろん私も、今すぐそんなことが可能とは考えていません。ただ、新しい社会の基本理念として、そうした方向性が時代の流れの基本潮流となっていることを理解して頂ければと思っております。現実にも、事態はその方向へと、急速に雪崩を打って世界大で展開をしております。例えば、私のカミサンも私の考え方に乗せられて、それまで勤めていた結構大きな会社をあっさりと辞めて、独立開業しました。そういう形で、今まで所属していた大企業を見切って、どんどん自分から転職をし、あるいは事業を起こす、あるいは仲間とリトルカンパニーのようなものを創る、またカンパニーを作らないで人々のネットワークという形で非常に柔軟に仕事をしている、皆さんの周りにもそんな人がどんどん増えてきていると思います。
 これは日本だけではなく、欧米諸国では戦後50年ずっと続いていることです。とりわけアメリカでは、優秀な学生は大企業には絶対に入りません。優秀であればある程、大学を出るとすぐに自分で事業を起こしていく、学部生の頃から人々を引き付けるだけの魅力ある具体的な事業プランを一生懸命考え、プレゼンテーションを創り、全米を飛行機で飛び回っていわゆるエンジェル(投資家)を探し回っている。投資家の方も、日本とは比べ物にならない程に厚い層をなして存在しているわけでして、彼らも組織を見るのではなくて人を見る、提案の中身と本人自身が信頼できるか否かを見て、信頼できるとなれば数万ドル~数十万ドルをポンと出すわけです。そういう構造が、ずいぶん以前からできあがっております。
 日本でも、最近ようやくそうなってきております。これは世界大でのことです。ヨーロッパもそうですし、アジア諸国もそうです。とりわけ韓国とか台湾とかシンガポールなどは、日本よりはるかに急ピッチで起業家を輩出しています。最近は中国ですね。中国でも雪崩を打って、起業家が雨後の筍の如くに現われ始めています。80年代後半の、いわゆる「郷鎮企業」設立ラッシュが皮切りとなり、郷鎮企業の場合には資金提供者は基本的には共産党か自治体だったのですが、それ以降の動きはそれに止まらず、上海や北京等の中国の大都市ではいわゆる「起業家」が無数に誕生しています。従って、もう私は「万人起業家社会論」と叫ぶことを止めようかなとも思い始めていまして、もっと新しいことを言わなければとも思う程、そう考えざるを得ない程に当たり前のことになってきているわけですね。
 今後考えるべきは、インターネット等々のIT技術を通じて、技術的にもそういったことがますます可能になってきているわけですが、そうした下で出来上がってくる集団的協業と分業の未来形が具体的にどんなものになっていくのか、そのプロセスの中で「法人企業」がどのように死滅していくのか、それを描き出していく時期が来ていると私は考えています。(続く:次号2月号で完結の予定です) 

 【出典】 アサート No.290 2002年1月26日

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【投稿】「雇用春闘」-問われ出したワークシェアリング- 

【投稿】「雇用春闘」-問われ出したワークシェアリング- 

1.今春闘の特徴
 年々、形骸化・マンネリ・敗北連続の春闘だが、今年の春闘は、その中でも若干、趣の異なった春闘となってきている。その一つとして賃上げ要求については、まず連合自体が従来の統一要求基準を掲げるのを止め、各産別・単組の業績等に応じた要求設定を行うとしている。そして各産別においても低い水準での賃上げ要求になる模様であり、また電機労連やNTT労組など、主要産別・単組で賃上げ要求自体を見送る動きが見られる。二つ目の特徴として、その一方で各産別とも雇用確保にかなりの重点を置いた取り組みを方針に掲げている。すなわち労働側として賃上げ要求も自粛する代わりに何とか、これ以上のリストラ・人員削減も歯止めを掛けようと目論んでいるのだが、今のところ、経営側はこれにも冷たい反応である。昨年までの春闘では、経営側の「雇用か賃上げか」と迫り、厚い賃金抑制の壁を崩せなかったのだが、今年は賃上げを自粛すればしたで、「今日の経営状況では、それすら許容できるものではない」と相変わらず、高飛車な経営側と劣勢に立たされている労働側の力関係にはある。

2.問われ出したワークシェアリング
 しかし経営側も今日の雇用問題に関心がないわけではない。自らの雇用調整・人員合理化は棚に上げながらも、これ以上の雇用状況の悪化は「一層の社会不安と消費の冷え込み-経済の縮小を引き起こす」(日経連「労働問題研究委員会報告」)との警戒心は抱いている。また政府も、有効求人倍率が0.5以下、完全失業率が5%後半(近畿は6%後半)に上がる勢いという最悪の雇用状況が続く中で、いささか無責任ながらも「もはや雇用政策として成すべき事には限界に近づいている」(坂口厚生労働相)として、ワークシェアリングに注目している。こうした労働側・経営側・政府の当面の思いの一致から昨年11月末にワークシェアリングをテーマとした「産業労働懇話会」が発足し、ようやく三者の協議のテーブルが用意されたところである。しかしながら「ワークシェアリング」と一言で言っても、その描く内容と実態には各々、相当な認識と意見の違いがあり、そう簡単にまとまらないことは言うまでもない。

3.ワークシェアリングの具体的内容と問題点
 そもそもワークシェアリングとは何か。その目的・定義を簡単に言うと、「雇用の維持または創出を図ることを目的として、仕事と所得を分かち合うもの」と言える。そして、その内容も以下の類型に別れる。
(1)目的・効果別
  ①雇用維持型-直面する解雇を回避するための緊急避難的な施策。企業単位・個別単位に実施さ  れることが多い。今春闘で三洋電機が締結される労使協定も、これに含まれる。
  ②雇用創出型-中長期的な雇用創出を講ずる施策で、その中でも働き方の枠組み変化を伴う場合  (パート労働の多用など)と伴わない場合とに別れる。国家的施策として取り組まなければ実施  は困難。
(2)実施の方法等
  ①実施の根拠-法律または労働協約、個別労働契約による。
  ②時短方法-一律に行う方法と個別に行う方法(長期休暇・残業規制等)とがある。
 では、こうしたワークシェアリングを念頭に、日本で導入する場合、現実的にどのような問題があるだろうか。先ず雇用維持型で個別企業において実施する場合、労使合意は当然の事ながら、時短による賃金カットを伴うため、労働者内部での意思統一も必要不可欠である。前述のとおり三洋電機の場合、これを労使協定で行おうとするものであるが、それなりのしっかりした企業内労組が存在していることが求められるし、例え一部少数とは言え、反対派がいれば事実上、困難だと言わざるを得ない。特に「個別労働者の不利益変更をもたらす労働協約は、一般的拘束力が及ばない」と言う法的解釈も一部あるし、ましてや複数組合がある場合、「多数組合が3/4以上を組織していても、拡張適用されない」というのが通説であることを考えると、意外に労使合意以上に組合側内部の合意の方が難題ではないだろうか。さらに、こうした個別企業の取り組みによる社会的波及効果を考えた場合、果たしてどれだけの拡がりを持つのか、いささか疑問である。何故なら労組組織率が20.7%と低く、加えて圧倒的に多い中小・未組織の企業においては、このように「労使、話あってー」等という社内風土にないことは明らかである。また最近、ある製造業の中小企業経営者との話であるが、「受注は大幅に減っている上に、下請け単価の切り下げは相当なもので、少々の時短・賃金カットでは、過剰雇用を吸収できない」と言っていたが、率直な意見だろう。いずれにしてもさほどの社会的効果が期待できないとしても、それを一定、進めるためには何らかの国家的助成・促進施策(例えば実施企業に対する減税措置、労働者の標準報酬切り下げによる社会保障上の助成措置等)が求められるだろう。
 次に雇用創出型について検証してみよう。これを典型的に出されるのが、オランダの成功事例である。これは1980年代までの経済低迷を克服するために、政府は歳出削減と減税、経営側は雇用確保と時短、労働側は賃金抑制の容認との内容で合意し取り組んだ結果、高い経済成長率と失業率の低下が実現したもので、「ヴァッセナー合意-オランダモデル」と言われている。これが果たして日本でも行いうるかであるが、このような手法においても国家的な合意が大前提であることを考えると、極めて困難と言わざるを得ない。その理由の一つは、日本のように激しい国際的な企業間競争の中で形成されてきた経済システムと、ヨーロッパのように、それなりに生産と所得の再分配の経済システムが形成されていることの違いがあるし、また国民的な共同体意識・労働に対する意識にも乖離があるように思われる。さらに大企業と中小企業における様々な面での格差も、こうした一律的な手法には馴染まないのではないか。その意味では日本の経済と労働の基本的なポリシーとシステムの転換に関わる問題だとも言える。
 加えて具体的な事として、例え残業の規制と時短で一定の雇用創出を図るにしても、元々、日本の残業手当の割増率が低いことから、その労働量を新規雇用しても社会保険関係をはじめとした事業主負担分との関係で採算が合わないとの見方もある。となると、その不採算部分は政府の助成制度でまかなうと言うことで、新たな支出増を招くということになる。それに何よりも経営側・労働側の各内部の合意もさることながら、現在の自民党-小泉政権で、そのようなリーダーシップが期待できるかと言えば、なおさら疑問である。しかしながら筆者は、日本におけるこうした国家的ワークシェアリングを一切、否定しているわけではない。何故なら今日の雇用状況が、そんな批判をしているばかりの状況ではないし、何らかの日本の事情にあったワークシェアリングの方法を検討する必要があることだけは確かであるからである。ただ重要なことは、製造業などの第二次産業とサービス業をはじめとした第三次産業、大企業と中小企業、組織労働者と未組織労働者等々、様々な角度からのきめ細かな対応措置が求められることだけは言えよう。

4.最後に
 今までワークシェアリングに注目して述べてきたが、当面の雇用回復措置として、何もワークシェアリングに拘らなくとも為されるべき事は他にもあると思う。例えば、サービス残業解消と年次有給休暇の完全消化で100万人ぐらいの雇用創出効果があると言われている。現実、残業手当などの賃金未払いで労基署への申告は後を絶たないし、結構、多くの経営者で「我が社においては年休はない」と公言はばからず、労働者がやまれぬ事情で年休取得を申し出れば、直ちに解雇という労使トラブルも増えている。こうした雇用ルールを守らない経営者の厳正な指導と啓発を徹底させるなどのワークルールを確立することでも、それなりの雇用維持・創出が図られることを忘れてはならない。
 また既存の政府の雇用対策でも、企業・労働者双方のニーズから見てもミスマッチな技術講習でお茶を濁す失業者の一時預かり的な措置から、中長期的視野に立った公的雇用への拡大、さらには各種雇用助成金の不正受給も横行する中で、真に雇用につながる雇用助成金制度の見直し・創設など、要は少しでも効果的な雇用施策を打ち出す姿勢と内容もまた求められていることも指摘しておきたい。(民守 正義) 

 【出典】 アサート No.290 2002年1月26日

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【書評】 『フェミニズムと科学/技術』

【書評】 『フェミニズムと科学/技術』
 (小川眞理子著、2001.11.5.発行、岩波書店──双書・科学/技術のゆくえ、2,100円)
 
『フェミニズムと科学/技術』という題名は、やや唐突な印象を与えるが、本書は、まさしく近代世界システムの原理をなす「科学」に切り込んだ書である。

 著者はまず、「事実に依拠する」が故に「客観的」で確実であると思われてきた科学知識が、1950年代末~60年代初めに登場した新科学哲学派によって大きく揺さぶられたことを指摘する。R.N.ハンスンのいう「事実の理論負荷性」(人間の観察には「裸の事実」はあり得ず、「事実はある理論的な枠組みの中で初めて捉えられる」)やT.クーンの「パラダイム」(ある時代の科学者共同体が共有する世界についての基礎概念)によって、科学の「客観性」や「合理性」は動揺し、科学実在論から科学の「社会構成主義(社会構築主義)」的な見方が確立した。すなわちこのことは、科学の卓越した客観性や価値中立性を後退させ、「自然という書物」は、誰が読者であるかによって解釈が変わる「自然というテクスト」に置き換えられ、「複数の可能な読解に対して開かれた」ものとなったことを意味する。

 「さまざまな解釈を待つテクストとなった自然は、ここにはじめてフェミニストの視点(中略)から科学知識を問い直す余地が生じる。過去において男性ばかりによってなされた自然というテクストの解読に、女性が参加することによって、また西欧以外の人々が参加することによって、何かが違うかもしれないという期待が抱かれたとしても不思議ではない。多くの人によって、テクストの読みは深められる」。

 そしてこの科学哲学の大変革期と重なるのが、第Ⅱ期フェミニズムである。第Ⅰ期フェミニズム(リベラル・フェミニズム──女性の法律的な権利の獲得を目指した20世紀初頭までの運動)とは異なって、20世紀後半の第Ⅱ期フェミニズムは、ラディカルな様相をもち、「男女の性的関係というきわめて個人的なことが実は政治的なことであるとし、家父長制を批判」する側面を有していた。この運動は大衆レベルへと拡大していったが、80年代にジェンダー(「社会的文化的に構築された性差」)という言葉が導入されることで、「生得的で生物学的な性差(セックス)だけでは掴みきれず納得できなかった問題に新しい理解を与えることになった」。つまりセックスの問題としてこれまで考えられてきた事柄の多くが、実はジェンダーであったことが明確に意識されるに至ったのである。

 かくしてジェンダーは、「個々の女性ではなく概念としての女性を考える道具となり」、これを分析の手段として科学知識の問い直しが可能となった。そして科学がジェンダー概念から決して自由ではないことが論議されはじめたのである。

 著者はこの視点から、「なにゆえ女性科学者は少数か」あるいは別の表現を用いれば「なにゆえ女性科学者はメインストリーム(mainstreamは malestreamだともいわれる)にならなかったのか」を問う。そして女性科学者の場合、優れた科学者である前に、女性というアイデンティティを確立しておく必要のある「ダブルスタンダード」が問題となると指摘する。ノーベル賞を受賞した女性科学者でさえ、「彼女は料理し、掃除し、ノーベル賞をとった」という新聞の見出しで報道されるように、世界的な科学研究のみならず女らしい仕事での有能さが強調されるのである。しかもそのような女性科学者も、ごく近年まで権威ある学会から排斥されてきたという事実も存在する。(例えばフランス科学アカデミーは1911年、キュリー夫人の入会を拒否したが、彼女は翌年に2度目のノーベル賞を受賞している。同アカデミーは1979年になってはじめて女性の正会員を認めた。)

 そして日本の女性科学者の分析を踏まえて、女性研究者の増加のためには、女性を排斥して形成されてきた現行の科学システム=「女性の側に独身男性並になることを強いる」システムの改革が不可欠であり、「制度の中で子育ても介護も支援して女性科学者を男性の対等なパートナーとして育て上げる意気込みを持たなければ、日本の科学/技術に期待することはできないだろう」と強調する。

 以上の指摘は的確であるが、著者はさらに「科学に貼り付いている男性性というジェンダー」について検討する。その中で「科学的思考=男性的」という広く信じられている図式は、「科学=ヒロイズム=男性的」の図式に由来するという説を紹介する。また「ケプラー、ベーコン、ガリレオ、ボイル、ニュートンといった人物によって彩られる目覚しい科学革命の時代、すなわち理性の輝かしい勝利の時代が、その一方で激しい魔女裁判の嵐が吹き荒れた時代でもあった」ことに注目し、次のように述べる。

 「このような状況にあって科学と魔女裁判が深いところで繋がっていないはずはなく、男性科学者による徹底的な自然の探求と征服は、男性による女性の懐柔・征服と軌を一にするものであり、そこから著しく逸脱した女性は魔女として糾弾されることになった。また実験科学においては『女としての自然』を詳しく調べることは、自然を拷問にかけて秘密を白状させることに例えられ、魔女裁判における審問と平行して考えられていた」。

 このように自然探求という行為が、近代において「積極的で攻撃的な実験的探求へと変化し」、男性性というジェンダーが貼り付けられてきたとする。著者は、この具体的な例を18世紀の動物学と解剖学を通して明らかにし、「科学者が何を研究テーマに選ぶかは重要な問題であり、これは誰が科学をするかということと深く関係している。研究者が男性であれ女性であれ真理の探求には変わりがないというほどことは単純ではない」と指摘する。

 ここにおいて近代科学は、その枠組み自体を再検討せざるを得ない時代に突入したのであり、フェミニズムと科学、ジェンダーと科学の問題は今後大きな課題として取り組まれる必要がある。本書はそのための入門書として適しており、この中で紹介されているエピソードや諸文献も有用である。(R) 

 【出典】 アサート No.290 2002年1月26日

カテゴリー: 人権, 思想, 書評, 書評R | 【書評】 『フェミニズムと科学/技術』 はコメントを受け付けていません

【投稿】自治労再生への道とは

【投稿】自治労再生への道とは

 はじめに
 昨年9月以降、日本最大の労働組合に激震が走っている。使途不明金問題、右翼対策費、そして簿外口座処理問題、関連会社の幹部による横領発覚・逮捕起訴、続いて法人税法違反で元委員長まで在宅で略式起訴される事態となった。マスコミ報道が先行し、組合側は対応に追われ、組合員の不信は底流で広がり続けている。
 一体、何が原因でこうした事態となったのか。私の勝手な見解を明らかにして、自治労の再生の道を考えてみたい。

1、連日の「自治労報道」、狙われていた自治労
 自治労は2001年8月末に第72回定期大会を開催して、新しい執行部体制を確立した。そのわずか1ヵ月後の9月30日、読売新聞と朝日新聞が「自治労が右翼と関係」「2億円の使途不明金」との報道を行う。
 関係会社UBC、そして共済事業の手数料などの収入の流れ(簿外口座)とその使途(組織対策費等)、手数料収入をめぐる法人税法違反へと追求は止まらなかった。10月10日関連会社役員の逮捕から簿外口座暴露、そして39億円とも言われる、簿外での借財問題。そして後藤元委員長逮捕(12月初旬)、と昨年の秋から冬へ、闘争どころではない事態だった。まさに公務員制度改革の山場の時期であったにも関わらず。

2、決定的なダメージ
 自治労という労働組合の位置と役割は、非常に大きいことは周知のことだ。政治闘争にしても、自治体を取り巻く政策課題や市民と結びついた活動、平和・人権運動など、連合労働運動の中でも地域闘争を担う「律儀」な組合という、今どき稀有な労働組合なのだ。
 今回の一連の事件の発覚によって、これまでの社会的な信頼もかなりのダメージを受けてしまった。組合員の信頼も然ることながら、社会に対してダーティな印象を与えてしまったことは、大きな後退である。自他共に「誇り高い」自治労組合幹部(本部から単組まで)は、従来の自信を無くしているようにも思える。一連の再生議論も内外の不信にいかに対処するか、この危機的状況をどう乗り切るか、に議論の中心があるように思えてならない。「自治労」という名前を変えるとか、300億円を超える自治労基金を取り崩し「社会貢献基金」を創設するという議論に象徴的だ。

3、組織運営・組合資金をめぐる問題の存在
 今回の事件は、以下の問題に集約できるように思う。
 A共済事業における手数料収入の組織的処理・法人税問題、B関係会社における常識的な経営関与の問題、C簿外口座含む財政政策と組織内チェック体制の問題、D役職員の問題点 E以上の問題をすべて包含する意味での巨大組織運営の問題点、と思われる。
 A、B、Cについては、「マネジメント」感覚の麻痺ということに収斂するように思う。言ってしまえば、当たり前のことが出来ていなかった、という意味で、「組織の弛緩」状況を助長したシステムをどう改善するか、という問題だと思う。なぜ、自らの手で是正・改革できなかったか、ということこそ議論されるべきなのである。
 D,Eについて「再生プログラム」議論の中では、長期に役員を務める事の是非が語られているが、議論が逆だと思う。100万人の組合員の組織と運動を牽引するエキスパート、熟練工をどう組織的に育てるか、こそ議論されなければならないと思う。地方組織も同様だ。
 さらに、連合の結成、自治労の分裂(自治労連との組織戦争)、非自民連立政権と政界再編成と激動した80年、90年代において、問題は生まれて温存され、改革されることなく、今回の事態となった点も大きな視点として押さえる必要があると思う。

4、自治労再生議論について
 一時期の「連日のマスコミ報道」という時期は確かに去った。修正申告やら法的な処分も進み、残るは組織での「犯罪的行為」への責任追及と「自治労再生議論」に移りつつある。
 自治労本部は、昨年12月不祥事問題への対応のみを議題に中央委員会を開催した。真相究明の徹底と「自治労再生」に向けて、「自治労再生委員会」を設置し、1月末の臨時大会で「再生プログラム」を議論する予定だ。
 私の希望は、拙速な議論は止めた方がいいということ。信頼の回復とは、運動で勝ち取るものであり、その運動にとって何が必要であり、何が不要なのかを明らかにした改革が必要であるということだと思う。「分権型」組織という議論の方向もあるようだが「ミニ中央本部」を再生産するだけなら止めた方がいい。組織と財政は集中してこそ、力を発揮するのではないか。問題は民主的で公開された適正な運営が確保されるかどうかである。
 そして、産別組合本部への家宅捜査により自治労の財政・組織運営に関わる大量の資料が権力の手に渡り(明らかな対権力対応の弛緩があった)、組織・財政の運営実態を権力が押さえているということも忘れてはならない。不正の摘発を自らの手で自律的に行えなかったツケが権力の介入を招いたという事実に対して、単に本部の責任追求に止まらず、全組織の反省が必要だという前提を忘れてはならないと思う。そうでなければ、再生議論もまたもや自治労内の「組織内政争」という、組合員を忘れた「従来の議論」に陥りかねないことを指摘しておきたい。(H) 

 【出典】 アサート No.290 2002年1月26日

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【投稿】ABM制限条約脱退と「報復戦争」の継続

【投稿】ABM制限条約脱退と「報復戦争」の継続

<<絶妙のタイミング>>
21世紀の最初の1年が、平和と協力への明かるい展望ではなく、露骨な報復合戦の拡大と途方もない軍事拡大路線を鮮明にし始めたことは実に憂慮すべき事態の展開と言えよう。12/13、ブッシュ米大統領は、米国が72年に旧ソ連と結んだ大陸間弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から一方的に脱退することを関係各国に通告した。ブッシュは言う。「いまや最大の脅威は、テロリストや大量破壊兵器を入手しようとするならず者国家である。ABM制限条約はこれらの攻撃から国民を守る能力を開発する妨げになる」と。これほど厚かましく、身勝手な論理はない。テロ行為と宇宙戦争計画とは何の関係もないし、緊急焦眉の課題でもない。しかし、これを無理矢理関係付けることに、テロリストがブッシュを大いに助けることとなった。同じ12/13、9/11のテロ攻撃がビンラディン一派の犯行であり、ビンラディン自身が主犯であることを証明しているとする証言ビデオを公表している。
ここにはたまたま日が一致しただけではない意図的な情報操作が見え隠れしている。ブッシュ政権の任期末までに本土ミサイル防衛(MD)配備を軌道に乗せるには、2002年の来春にはアラスカ州にミサイル迎撃ミサイル・サイロの建設開始作業に着手する必要があり、6ヶ月前の条約脱退通告期限が間近に迫っていたのである。事前に通告意図を伝えられた米上院バイデン外交委員長は、12/12、大陸間弾道ミサイルによる米国攻撃は差し迫ったものではなく、議会を無視した決定に対しては法的措置をとる可能性もあると言明していた。
出所も内容もいかがわしく、当初公開を渋っていたにもかかわらず一転して公開に踏み切ったのは、この公開直前にABM制限条約脱退通告を発表していたからであろう。国際的な批判をかいくぐる絶妙のタイミングでビデオを公開したのである。ブッシュ大統領は「このビデオを見れば、この男が有罪であるだけでなく、良心のひとかけらもない人間だということがわかったはずだ」と得意満面で記者団に語っている。このビンラディン証言ビデオによって、ABM条約脱退も米軍自身が「炭素菌生産」に関与していたニュースも吹っ飛んでしまったのである。

<<「スターウォーズの息子」>>
かくして、フリーハンドを手に入れた米国は、冷戦期のレーガン、ブッシュ・シニア以来の宇宙空間軍事化計画・「スターウォーズの息子」に乗り出し、同じ12/13にはネバダ核実験場で再び未臨界核実験を強行している。20世紀末の冷戦構造の崩壊と終結は、核兵器を「冷戦の遺物」として、いよいよ核軍縮が現実の確固たる課題となるかの期待を抱かせたのであるが、アメリカの一方的覇権の確立とともに、歯車は逆転しだした。平和と軍縮、緊張緩和と国際的協力への期待は、冷戦期のものであって、冷戦終結後はその根拠を失い、夢想と化したかの情勢を生み出している。いまやブッシュ政権はABM制限条約こそが「冷戦の遺物」だと開き直り、次は包括的核実験禁止条約(CTBT)など一連の核軍縮関連国際協定からの一方的離脱の動きに乗り出そうとしている。
そしてブッシュ大統領は、たとえアフガンで停戦協定が実現したとしても、「対テロ戦争はアフガニスタンを越えて継続される。テロリストをかばい支持する国家には罰が下される」として、このブッシュ政権の原則を侵犯した諸国は「敵性体制」とみなされ、「十分な償いをさせられるだろう」としてさらなる戦争拡大を合理化し、「第2次反テロ戦争」の「うってつけの目標」としてイラクやソマリアへの攻撃を示唆している。
地球温暖化防止京都議定書からの一方的離脱、世界人種差別撤廃会議からの脱会・退場や、地雷除去、生物科学兵器の禁止など国際的合意をことごとく妨害し、自己の帝国主義的覇権への一方的追随を強要する、これこそが「ならず者」国家の典型と言えよう。国家的テロ行為と不法占領を国是としたかのようなイスラエルは、こうした事態の展開に便乗して、93年の平和的解決に向けたオスロ合意は破棄されたとして、テロ攻撃を批判・非難するパレスチナ自治政府までを「テロ支援組織」として勝手に「認定」し、自治政府施設に白昼公然と軍事攻撃を行い、これを正当な「報復戦争」だと叫ぶ。ブッシュとイスラエルのシャロン、この二人の「ならず者」、そうしてこうした彼らを正当化させ、我が物顔にさせるテロ組織の民衆を犠牲にしたテロ攻撃、彼らは両者不可欠の一体のものとさえ言えよう。不即不離・両者一体となった陰謀説がまことしやかに流される根源でもある。

<<「われわれ二つの海軍」>>
しかし、逆転する事態の真の根源は、冷戦終結の成果を軍縮と緊張緩和、国際協力に結びつけず、帝国主義的覇権と独占的支配に結び付け、富を独占し、不公平と格差を拡大し、差別と貧困と環境破壊を野放しにし、民主主義のよって立つ基盤を破壊してきた、アメリカを先頭とする先進諸国の側にあることは間違いない。かれら同盟軍がよってたかって最新鋭戦闘機やミサイル、新型大量破壊兵器を使って猛爆撃すれば、事態の成り行きは見えていよう。しかし、冷戦期の矛盾をそのまま体現し国力も疲弊させられてきたタリバン政権を崩壊させ、内戦にも終止符が打たれたとしても、それは表面上のことであって、事態はまったく解決しないどころか、むしろより深刻な憎悪や新たな内戦を生み育て、いつ噴き出すかも見えない報復攻撃応酬の果てしない泥沼に足をとられることとなろう。テロ撲滅戦争を「どこまでも続ける」と公言するブッシュ大統領には事態を解決し、世界に希望をもたらすような未来はないといえよう。
ブッシュ大統領は12/7、アフガン攻撃に参加した空母エンタープライズに乗り込み、60年前の日本軍国主義の真珠湾攻撃に言及した後、「ファシズムの後継者であるテロリストを打ち負かす戦いは、停戦協定によって終結されるべきではない」と言明、「過去に敵だった日本が現在、最良の友人であることを誇りとする。現在われわれ二つの海軍が並んでテロとの戦いに従事している」として、日本の「海軍」派遣を高く評価し、小泉首相は悦に入っている。「どこまでも続く」戦争への日本の一層の協力、そしてミサイル防衛構想へのさらなる協力拡大が焦眉の課題となってこよう。来年1月には東京でアフガン復興国際会議が開かれる。米軍の連日の猛爆で廃墟と化したアフガンの復興は、容易なことではない。掛け声だけでうわべを取り繕った援助の見せびらかしでは通用しないであろう。「報復戦争」加担の当事者となった日本、その小泉首相がブッシュと並んで援助をちらつかせても、二人の危険な思慮浅き正義感づらしたカウボーイ精神は、世界の平和と協力を願う人々の思いとはかけ離れた、憎悪の対象となろう。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.289 2001年12月22日

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【講演録】「21世紀のグランドデザインをどう描くか」(その1)

【講演録】「21世紀のグランドデザインをどう描くか」(その1)
                 公立はこだて未来大学 複雑系科学科 小野 暸

こんにちは。ご紹介頂きました小野暸です。函館から飛んで参りましたが、とにかく寒いのは苦手でして、函館を離れる口実にもなりますので、これからもどんどん呼んで頂きたいと思います。
ご紹介頂きましたように、私は現在、公立はこだて未来大学の複雑系科学科というところにおります。この学科は、世界でも初めての、学部段階で複雑系科学を取り扱う新しい大学・学科です。私は自分自身では複雑系科学をやっているという意識はまったくなかったのですが、どういうわけか複雑系、特に理科系の人々から見ると、私の言っていることが複雑系に見えるようで、それで京都から函館に移ることになりました。今日は複雑系科学のことも織り込みながら、これからの日本、あるいは世界をどう見ていくべきなのか、若干考えていることをお話しさせていただきます。

「21世紀のグランドデザインをどう描くか」というタイトルで話せと事務局の方から依頼されたわけですが、非常に大きなテーマです。どこまで迫っていけるか自信はないのですが、簡単に最近考えていることをお話ししていきたいと思います。
お手元に、1枚ものと4枚のレジメとをお配りしています。4枚の方は、私がこれまで書いてきたものの端々を繋ぎ合わせてみたものです。全体で7つの大きな章立てから成っています。授業で1年間かけましても終わらないという内容ですが、2時間でどこまで行けるか、大急ぎでお話ししたいと思います。

<世界を観る、世界を創るということ>
まず、最初に私がつけましたタイトルが「世界を観る、世界を創る」となっています。こういうタイトルにしたのは、第4章の「科学の大転換」と第5章の「内部観測とは何か」の内容に関連します。「内部観測」という言葉は、あまり目にされたことはないかもしれませんが、今、複雑系科学の最先端の分野で語られている事柄で、科学の基礎理論に革命をもたらす可能性を秘めた新たな考え方です。従来の哲学にしても科学の基礎理論にしても、唯物論と観念論とが対立するという構図が、ギリシャ・ローマ時代から2000年以上続いてきましたが、いずれに与するにせよモノとココロとを断絶的にとらえてきた我々の思考の基本的土台が、複雑系科学の最先端では足元から崩れ始めているとの様相を現した言葉です。「この私」が「世界を見る」ということが如何なることであるのかが、科学の世界で問い直されてきているわけです。

<外化・疎外態の様相>
順番にお話してもいいのですが、先ず、昨夜作りました1枚ものをご覧いただきたいと思います。ここに、「外化・疎外態」と書かれています。私は哲学には疎い人間で、どちらかと言えば哲学嫌いの方なのですが、この問題が私の話の基本という事になりますので、急遽昨夜作ってきました。
30年くらい前になりましょうか、森信成先生の「マルクス主義と自由」というお話を聞いたことがあります。疎外態には3つあり、第1に宗教、第2に国家、第3に資本である。これをどう乗り越えていくのか、それがマルクス主義思想の根幹をなすとの内容だったと理解しています。その時は、森先生の話をまったくその通りだと思って、非常に納得をして聞いた記憶があります。ただ、長じてからはいろいろな事を考えるようになりまして、その言葉は確かにその通りなのだけれど、言葉足らずではなかろうかと考えるようになりました。森先生が、というのではなく、マルクスその人の言葉足らずが、その後の、あるいはそれ以前からの長年にわたるマルクス主義・共産主義の運動に非常に大きな制約を課すことになったのではないかと思うようになったわけです。
私の考えでは、宗教も国家も資本も、それが疎外態になるのは、いずれも位階的・階層的な「組織」として存在してきたが故ではないか、人々にとって当たり前の必要事である「カミ・協議・元手」…それらが「組織体」としての外皮を身にまとうからこそ「疎外態」に転化するのではないかということです。

内実・必要性 外化・疎外態
宗教  カミ(世界の謎)
救済・解放への希求 排他性・独善性
教団・経典・位階制組織機構
国家 協議・集団的秩序維持
安全確保・互助システム 軍隊・官僚機構
法律や規則体系
資本 生活の元手・衣食住の基礎
自己能力の開発 法人企業・限定された市場
独占的構造・国家との癒着と融合
<カミの概念と宗教組織の成立>
例えば宗教について考えて見ましょう。宗教とは、結局のところ「カミを信じる」ということです(私はカミ・ヒト・ココロ・モノなど、概念規定の困難あるいは不可能な概念はすべてカタカナで表記することにしています。漢字で書くと、固有のイメージが喚起されてしまうからです)。さしあたり皆が信じているカミは、宗教によって皆違うわけですが、この世界は科学者が考えているようにできたのではなくて、謎なる「神秘なる一撃」がそこにあったと。それが「カミによる創造」と言われていることですが、カミ・ホトケの姿形やその教えは宗教によって皆違ったとしても、とどのつまり、世界が謎である、神秘であるという考えですね。そういうものを想定し、すがるという形で、この世の苦しみと悲しみに満ちた現実から救済されたい、死に対する不安や恐怖から解放されたい、そうした救済と解放を乞い願う気持ち、そういうものが宗教心と呼ばれているものですね。
こう考えると、宗教のコアをなす要素とは、人類にとって必要不可欠な要素だったのであって、人知を超えた存在を想定し救済・解放を願うことは人々の当たり前の願いです。宗教とは、そうした人々の自然な願いをまったく排他的・独善的に解釈・決定し、それに基づいて教団という組織内に人々を囲い込み、その教えとして経典という不可侵なる教説体系を作り、どのような教団・教会にしても、位階制的で官僚制的な組織機構を築き上げてきました。
このように考えますと、宗教という概念とカミという概念は根本的に異なるものです。私が言う宗教とは組織宗教ということですが、それとカミという概念とは厳然と峻別しなければならないと考えています。カミとは、すなわち宇宙・世界の創世およびこの世の一切の現象の駆動因に関わる謎であるとすると、それは取りも直さず、科学的な探求の対象でもなければならないということです。カミを科学的に探求するとは如何なることか、その問題に関しては後ほど触れることになると思いますが、申し上げるまでもなく、従来の科学ではそうしたアプローチをとることが原理的に不可能です。
そのように考えるならば、今後の科学の新たなあり方として、科学的なカミの謎への迫り方、アプローチの仕方を根本的に考え直さなければならないでしょうが、いずれにしても、科学がカミの謎の探求に本格的に乗り出すならば、その当然の結果として組織宗教は死滅に向かう他はありません。そうしなければ、第二・第三のオウム真理教や、諸々の宗教的原理主義あるいはカルト宗教が今後も多数現われて人々を痛め続けることでしょう。
けれども、カミそのものは決して死滅しません。そこが重要な点で、例えばフォイエルバッハやマルクスはキリスト教を否認しましたが、そのために彼らは天上のカミをヒトの低みに引きずり降ろし(つまり「カミの本質は人間の本質」と片付けてオシマイ)、そうすることでカミをも葬り去ろうとしたのですが、そんなことでカミは否認できるものではありません。
カミとは宇宙の謎、生命の不可思議そのものですから、例え上のように今後の新たな科学によってその内実への接近が為されていくとはしても、科学が宇宙の一切の謎を解き明かすことなど、金輪際、不可能です。千年後、1万年後、10万年後の科学であっても、その前にカミの謎は永遠に横たわり続けているはずです。だからこそ、宗教的妄信や狂信的組織が人類社会から消滅し去ることも決してないのでしょうが、科学が本格的に乗り出せば、そうした連中の社会的影響力は著しく低下していくはずです。
言い換えれば、本来の科学あるいは徹底した唯物論の観点からするなら、カミは否定の対象ではなく、どこまで行っても判らない対象ではあるとしても、永遠の科学的研究の対象であるべきなのです。

<国家について>
次に国家という概念についてです。元より、人類はたった一人では生きていけないわけで、なんらかの集団を作り、補い合って生きていかなければならない。マルクスによって「類的存在」として示されているとおりです。人類が生きていく上で、人々が多数集まって話し合いをして、それに基づいて集団の秩序と安全を維持していくために、相互の互助的なシステム・制度等々を考え出していかなければなりません。これは人類が人類として誕生して以来ずっと続いてきておりますし、未来永劫続いていくものです。
それが民族単位で排他的な「国家」を形成し、行政機構や軍隊組織を持ち、法律や規則体系で人々を縛り付けていく、そうした形態でなければならないかどうかと言うと、別の形態も当然にあり得る話でして、それが「国際連合」で良いのか、あるいは世界連邦や世界政府なのか、またはまったく異なる地球大での協議システムであるのか、その未来形態を探求し続けていく必要がありましょう。
ずっと以前に、ある方が「ソ連こそは、民族問題を最終的に解決した歴史上初めての国だ」と言われ、また「ユーゴスラビアこそは、多民族の融合の見本だ」と主張されていた著名な学者もいました。そうした主張がとんでもない誤認や妄想であったことは、今では誰の目にも明らかです。民族対立の問題は、
多くの場合同時に宗教対立という深刻な問題をもはらむものですが、その対立構造を超えていくことは、人類にとって至難の課題です。後にも触れますように、国家とは宗教の世俗化形態として生み出されました。だからこそ、そうした問題解決の方向を考えていくに際しては、単に政治的協議形態は如何にあるべきかとの議論だけでは不十分で、宗教的呪縛からの人類の解放をも視野に入れた検討が不可欠であると思います。

<資本および資本主義とは何か>
3点目に資本とは何かに関してです。資本と聞いただけで、これは敵である、対抗しなければならないと、私個人としてもある時期まで無条件に自動反応みたいに対応し、パブロフの犬のように資本といえば悪であるというように思い込んできました。しかし、宗教の問題と同様に考えていきますと、同じ論理構造をしているのではないでしょうか。資本とは、有体に言えば、人間が生きていく上で無くてはならないものです。お金に限らず衣食住の基本と言いますか、それが無ければ人間のみならず、すべての生命は生きていくことができません。命にとっての必要不可欠なるもの、それが人類の場合には資本と呼ばれているわけで、お金だけではなく、それを使って自らの能力を最大限に開花させていく、そのための元手でもあるわけです。
近代の産業革命以降、株式会社に代表される所謂「法人」企業という形態が出来てまいりまして、資本を一手に独占的に握っていく、従いましてマーケット(普通マーケットを市場「しじょう」と読みますが、私は「いちば」と読めと教えています。何故か、というのは後でお話いたします)の構造を見ましても、参加者は法人企業、大企業に制限され牛耳られている。そして、独占的構造の基に国家と癒着していくことになります。
資本主義を一言で定義するなら、私の考えでは「株式会社主義」です。どの経済学辞典を開いても、そうした定義は載っていません。資本の機能やら、資本が利潤を生むメカニズムやらの説明はありますが、資本主義の「一言定義」はありません。資本という概念は、人類が道具を用いて自然の富を蓄えることが可能になった、その瞬間に生まれたのでありまして、自己の生存・人類増殖のための元手ということ以外の概念ではないのですが、それが「主義」になったのは、人類一般にとって当たり前の前提であった共有物としての経済的社会的資源・元手を一握りの会社が独占するようになって以降のことです。19世紀以降の世界で資本を独占的に占有し利用してきたのは株式会社ですし、それ以降の時代を資本主義と呼ぶわけですから、当然にも資本主義=株式会社主義と定義してよいし、そう定義すべきなのですが、残念ながら経済学の世界ではそうはなっておりません。そのことからも、資源・元手としての資本自体それ自体が悪の代名詞であるかのような幻想が醸成されてきたではないかと、私は考えています。
要するに、資本それ自体が悪であるはずがないわけで、資本が会社組織によって独占され、普通の人々個人には近付くこともできず、大多数の人々が会社組織に縛り付けられているという構造こそが問題なのです。言い換えれば、資本それ自体には人格や感情などあるはずもないですが、資本に「人格」が付与されたこと、つまり資本が法人格を保持するに至ったことが、資本主義の矛盾の根源にあるのです。
森先生は「宗教、国家、資本」を三つの疎外態であるとおっしゃいました。けれども、人類社会の必要性という観点からそのことをもう一度考え直してみるなら、それらがすべて「法人組織」になることによって人類にとっての疎外態と転じるに至ったのであって、それゆえ「宗教・国家・資本」のコアに存す
る「カミ・協議・元手」の非組織的なあり方をもう一度考えなければならないのではないでしょうか。そうした考えが、私のベースにあります。それをお心に留めて頂いて、これからのお話しを続けたいと思います。

<大転換期にある現代>
4枚のレジメの方に移りましょう。第1に、「大転換期にある現代」と書いています。これは、私が5~6年、もう少し前からでしょうか、何か論文を書く度にまず冒頭に持ってくる話です。20世紀の終わり頃から今に至る現代、世界全体が5つの意味で根本的な大転換のステージを迎えていると私は考えてお
ります。
第1に、「戦後の秩序」が終わったこと。これはもう論証の必要すらないことですね。第2の「体制間の思想対立」は、旧ソ連、東欧の社会主義世界体制と呼ばれてきたものが突然、自ら崩壊したことによって、あっという間に終わってしまいました。けれども、この対立構造をそのままひきずっている人々は、まだまだ数多いですね。思想的な場面でみております限り、この事の意味を世界史的な視野で受け止めて将来展望を描き出し得ている人は、世界全体を見てもまだ一人もいないのではないかと思います。それから第3の「近代的な価値観の終焉」については、300年、人によっては500年という人もいますが、数百年にわたって続いてきた価値観・考え方が崩れ去ろうとしています。
因みに戦後秩序は50年ですね、体制間の思想対立については、幅がありますが100年から150年のタイムスパンの事柄です。近代という時代は、長く見て500年の間続いてきました。それから、今、皆さんも感じておられると思いますが、国家というシステムも揺らいでおります。国家という組織形態がいつ頃
から存在したか、これも議論のあるところですが、シュメールの都市国家の成立は、大体6000年から7000年前ですか。古代エジプト王朝の成立を考えても5000年程前ですね。
さらに、宗教の成立はずっと古い。何をもって宗教とみなすかは議論のあるところですが、例えばイラクのシャニダール洞窟から、ネアンデルタール人の子供の墓が発掘されたという有名な話があります。弔いの跡が明確に残っていて、死者に花を大量に添えていたということで世界的に有名ですね。おそらく死後の世界というものを想定して、その死後の世界にはカミが居られるという観念が、既にネアンデルタール人の頃には存在していた、そして何らかの宗教的な行為を伴っていたのではないか、と言われています。ネアンデルタール人の時代は、大体10万年前から3万年前頃までで、一説にはクロマニヨン人とも共存していたと言われています。宗教も世界大で消滅の過程に入っていると私は捉えておりますが、そう考えますと数万年単位で起こることが現在起こっている。
数万年、あるいは数千年、数百年、百年、50年、それぞれタイムスパンも違い、それぞれ意味内容の違う大転換が同時輻輳的に、しかも世界大で起こっていると私は捉えています。つまり、従来、私たちが社会主義であろうが共産主義であろうが、あるいは資本主義であろうが自由主義・民主主義であろうが、従来の人々が何らかの形で正しいと考えてきた思想やシステムあるいは秩序が、世界大で同時的かつ連鎖的に崩壊する過程に突入しつつある、それが今日の世界であると考えております。

<キーワードは「法人組織」>
この事態の「キーワード」と書いておりますが、結局のところそれら異質の現象に何らかの共通要因が見出せるとすれば、すべて「法人組織」の成立とそれへの人々の全面的従属という事柄に関わっている。この数千年、あるいは数万年かもしれませんが、最古の組織である宗教が成立して以降、人間個人一人ひとりの価値よりも、全然次元の違う崇高な価値が「組織」にこそあるという認識が人間社会の中に蔓延してきました。そうした「組織第一主義」「組織絶対主義」の成立と定着の歴史を考えていきますと、まず組織宗教が人間社会の中に成立して、それが世界大で広がり、その影響下に如何なる形態であろうと人々は組織されなければならず、全く同じ価値観を持つこと自体が素晴らしいことであるとの考えが常識化するに至りました。組織されない個人一人ひとりには何の価値も無いという考え方が、仏様が孫悟空の頭に嵌めた輪ッカのように人々の頭を締め付け続けてきたのです。
組織宗教の世俗化としての国家も、その後に成立して参りますが、その国家の枠組みも当然にも宗教組織の組織化原則に準ずるものでなければならないのであって、必ず軍隊や官僚機構というものをもたなければならないと考えられてきました。そうした考えが、さらに近代以降になりますと経済の分野にまで広がっていきます。組織された一枚岩の会社こそが、もっとも経済活動を効率的に行えるのだとの観念が一般化し、時代をリードしていく理念・理想は会社の中でのみ構築可能であるのであって、個人には不可能だとの思い込みが人々を支配していきます。そんな考え方が、あっさりと成立し世界大で完全に広がり、完璧にできあがっているわけです。
こうした思考は、言うまでもなく倒錯しています。ヒトでない組織がヒトを支配し、生身のヒトは組織内ロボットと化しているのですから。人類社会の歩みについてもう一度考え直してみますと、これからの基本的な方向性とは、人間個人ひとり一人こそに価値があり、組織に価値があるのではなくて、個人一人が生きているという事の中に本来の価値を見出し、積極的に伸ばし展開していくという方向性があらゆる考え方のベースになければならないのではないでしょうか。

そんなことを言っておりますと、何を夢のようなことを言っているのか、とすぐに言われます。私はこういう考え方を持ちましてすでに十数年になりますが、十数年前の頃に私がどういう扱いを受けていたかと言いますと全くの孤立無援でありました。まだ当時はソ連・東欧社会主義体制が元気であった頃でし
て、ゴルバチョフが消えてしまうなど想像もできなかった時代です。私にとって先輩でもあり友人でもあり、日本における複雑系経済学の第一人者と見なされている大阪市立大学の塩澤由典さんという方がおられますが、その当時、私の「万人起業家社会論」の議論に対して「小野さんの考えは分からないわけで
はないが、300年から500年は早いんじゃないの?」と揶揄するように言われたことがあります。
ところが世の中変わるのは早いもので、それからあっという間にベンチャービジネスが日本においても大々的に持て囃されるようになり、インキュベーターとかインキュベーターシステムなどがあちこちで騒がれるようになりました。日経新聞でもベンチャーとか起業家と言う言葉を見ない日は無いほどになりましたね。300年早かったのではなくて、高々10年位は早かったということでしょうか。

<対テロ世界戦争の意味するもの>
さて、どんどん次に進みますが、現在緊急の課題になっております対テロ世界戦争についてです。私は9月11日にあの事件が起きた時に、瞬間的にこれは戦争だと思いました。皆さんもそう思われたと思いますが、私は同時に、これはアメリカが引き起こした戦争だと瞬間的に思いました。どういうことかと言いますと、これはアメリカが事前に知っていてやらせたに違いないと感じたわけです。その事は、翌日早くも証明されました。翌日には、実行犯グループが特定されたわけです。早々とアメリカ政府あるいはFBIは、あの段階ですでに30数名の犯人グループを特定し、名指しで発表しております。それができたということは、前々から目をつけて動静を把握していたことの結果以外の何ものでもないでしょう。2~3日して流れてきた情報によれば、6月か7月でしたか、そのグループが在外米軍基地でテロを引き起こす計画があるとの通知が日本政府に対してあり、ところが日本の外務省はそれを外相に報告せずに握りつぶしたとか報告しなかったとかの報道がありました。それ以外にも、さまざまな形で長期にわたってアメリカが対テロ戦争に臨戦態勢で臨んできたことががわかってきました。
結局のところ、アメリカの建国以来の戦争を考えてみますと全部そうなのですね。一番古い例では「リメンバー・アラモ」です。19世紀の前半だったと思いますが、テキサス州がまだメキシコ領だった頃、西へ西へと版図を広げようとしていた当時のアメリカは、国境を越えてテキサスに大量のアメリカ人移民を送り込み、彼らにメキシコからの分離独立闘争をやらせました。このアメリカ人独立部隊が、ジョン・ウエインの映画で有名なアラモ砦に立てこもり全滅しました。虐殺をされたわけです。アメリカ政府は「リンメンバー・アラモ」を合言葉にして国民を煽りたてて、それをきっかけにアメリカは「対メキシコ戦争」を引き起こし、テキサスをメキシコから奪い取ることに成功しました。
次にアメリカがやったのは「米西戦争」ですね。この時も、キューバのハバナ港に停泊していたメイン号というアメリカの軍艦が、何者かによって爆破されます。これをスペインが爆薬をしかけたと言いまして、「リメンバー・メイン」との合言葉であっという間に開戦に踏み切ります。その次は第一次大戦です。これはイギリスがアメリカを参戦させるためにやらせたと言われていますが、多数のアメリカ人が乗っていたイギリス客船をドイツに攻撃させて多数の民間人の犠牲者を出しました。その結果、アメリカは参戦に踏み切ることとなりました。
その次が、かの「パールハーバー」です。パールバーバーについては、最近専門的な研究書がたくさん出てきていますが、アメリカがすべてを知っていた上で、大日本帝国海軍の機動艦隊に襲わせたということが明らかになってきております。次は、トンキン湾事件ですね。トンキン湾事件以降、北ベトナムへの北爆に踏み切るわけで、その材料に使われます。その次は湾岸戦争です。湾岸戦争の時もイラクによる軍事行動を容認するかのような発言を当時の在中東アメリカ大使が繰り返します。当時のブッシュ大統領も、あえてイラクを持ち上げるような発言を繰り返していました。今回も、まったく同じ構図が見て取れるわけです。
いずれの場合にも、アメリカ人は伝統的にモンロー主義的な考えが主流で、対外戦争を嫌う風潮が支配的であったのですが、民主主義国家であるが故に、アメリカ政府としてはそういう世論を一夜にしてひっくり返すために、そうした事件を引き起こす必要があったのです。民主主義も、それが国家という外皮をまとうと、国民を欺く世論誘導を常套手段とするに至るという、その見本のような事態ですね。

<アメリカによる世界一元支配>
そうするとなぜアメリカはそんな事をしたのか、という疑問が当然出てきます。父ブッシュと息子のブッシュは、毎日電話で連絡を取っているらしいですね。父ブッシュ以来の共和党戦略は、ソ連東欧社会主義世界体制が自らズッコケて以降、アメリカによる一極的な世界支配(パックス・アメリカーナという「世界新秩序」)をどのように作り出すか、に腐心してきたわけです。クリントン時代は経済が好調でしたから、そういう戦争行為は必要ではなかったわけですが、ITバブルが見事に弾けて、どんどん株価が下落するという事態になりますと、好戦的なブッシュが選ばれて一挙に戦争モードに切り替わったということだと思います。
アメリカが世界一元支配を実現するために考えた大きな狙いとは、中国はまだ社会主義そのものでありますから、先ずは中国の取り込みと弱体化を図る、次にロシアを取り込むことであったはずです。そして弱小国家であってもアメリカの言いなりにならない、例えばイラクやリビアとか、またシリア・ソマリア・スーダン・イエメンなどを強圧的にアメリカの意向に沿わせる、そうした国際世論を一夜の内に作り上げるための戦略を練りに練ったに違いないと思います。
この戦争は10年~20年は続くと、ブッシュやパウエルやラムズフェルドなどが繰り返し言っております。これはどういう事かといいますと、これからずっと戦争モードが続くということです。景気が悪くなり、貧しくなる人が大量に出る一方で、ガバガバと儲ける人はたくさんいるわけです。今後、ボーイングやロッキードなど、一時は倒産の危機に瀕していた軍需企業が一気に息を吹き返すことになります。また、アメリカは恐らく、無人偵察・攻撃機やデイジー・カッターや燃料気化爆弾などの目に見える軍事技術以外にも、想像を絶するような未来型兵器を極秘にテストしているに違いないと私は考えていますが、そうした技術を総動員することで、最終的に中国や北朝鮮などの「目の上のタンコブ」的国家の殲滅ないし弱体化を追求していくはずです。

<金ドル本位制の復活>
次に、経済におけるアメリカの世界支配の構図と書いています。いろいろ流れてくる情報や状況証拠を勘案しますと、1972年のニクソンショックでドルと金とのリンクを断ち切ってフロート制に移行して以来30年を経て、金ドル本位制を復活させようとしているのではないかという声があちこちから聞こえてきますが、私は、それは恐らく真実であろうと思います。
来年の1月1日から、欧州共通通貨・ユーロが名実ともに通貨として市場に流通します。貨幣論者や国際金融システムの学者やらが、これからの世界貨幣の動向という問題について、ドルは引き続き力を持つだろうけれども、これからはドルとユーロと円の三元バスケット制になるなどと言っていますが、私はそれはあり得ないと思います。述べてきましたようなアメリカの意図を勘案すると、当然ユーロだけに甘い汁は吸わせないとアメリカは考えるでしょう。欧州共通通貨という構想が出てきた当時から、アメリカが対抗戦略を練ってきたことは間違いが無い。様々な情報を聞いていますと、72年以降一時ドンと金価格が上がるわけですが、それからは長期低落傾向が続いています。その間に、アメリカ政府は民間に大量の金を国際市場で買い集めさせていたことが明らかになっています。イギリスに金を放出させ、オランダ、ロシアにも同様にさせて金価格を安値に誘導し、その時期にがっぽりと金を買い込んで、底値の時に金ドル本位制を復活させたら誰が儲かるだろうか。今ですら、ニューヨークの連邦準備銀行の地下金庫には9000トン近い金が眠っておりますし、それに民間の保有金を合わせますとダントツの金保有国です。金と再び結び付けられたドルは名実共に唯一の基軸通貨として復活し、今後には絶対的強大さを保持した世界貨幣権力として再登場することになりましょう。
これからの10年20年を考えますと、政治・軍事・経済・金融・科学などありとあらゆる領域でのアメリカの得手勝手な専横的支配が強まり、至るところでアメリカの一元支配を追求するという動きがさらに強まっていくことが確実です。これはもうブッシュが大統領になる前から検討されていることで、例えば
京都議定書からの一方的な離脱、CTBT(包括的核実験禁止条約)やABM(戦略ミサイル迎撃網)制限条約を反故にし、核融合国際研究から一方的に引き上げるとか、そういう戦略を追求しているわけです。そういう戦略にどう対決していくのか、ということです。

<パックス・アメリカーナとの対決>
そうしたパックス・アメリカーナ的な事態にそのように対抗していくのか、これは地球人の全体の課題だと思いますが、パックス・アメリカーナと対決していくパワーを多少とも持っており、対抗できる一定の思想的背景も持っているのは日本人しかないだろうと私は思っています。「近代」が終わったということをお話しましたが、近代西欧科学も終わりつつあります。そして今後の世界を引っ張っていく新しい科学がどこで登場しているかと言いますと、実は日本なんですね。日本における複雑系科学の中から、これからの時代を先導的にリードし得るだけの革命的な科学理論が登場してきています。日本には、科学革命を成し遂げる科学技術の力もマンパワーもありますし、資金もあります。そうした日本の知的・物的資源を集中していくことで、内向きに閉じこもるのではなくて、新しい考え方を世界に向かって提起し発信していくことが可能になると思います。
これからの日本の世界的な貢献としては、第1に、それは国連改革ということから始まるでしょうし、それとワンセットの形で日本の自衛隊の問題を最終的に解決しなければなりません。私の考えている最終的解決案とは、平和憲法を厳格に擁護しながら自衛隊を世界平和のために徹底的に活用するという「三方一両得」のような構想で、憲法改正など全然必要がありません。それどころか、世界で唯一、厳格な平和憲法を持つ日本こそそれができる。日本の自衛隊は、憲法上の保証をなんら持っていない幽霊のような軍隊ですね。ところが、昨年出ましたストックホルム平和研究所(SIPRI)の報告書によりますと、日本の軍事力はアメリカに次いで世界第2位だというわけです。もちろん、核兵器はないわけですから、通常兵力と言う意味で世界第2位だそうです。それが幽霊なのですね。幽霊の如き自衛隊と平和憲法とを、どのようにすれば両立させることができるのでしょうか。

<自衛隊を国連常備軍に>
国連の軍事・警察システムとしては、PKOやPKF等がありますが、国連軍については国連憲章に明確な規定がありながら、一度も組織されたことがありません。朝鮮戦争では国連軍を名乗りましたが、まやかしでした。その国連軍の常備部隊として、自衛隊をどうぞどうぞと差し上げてしまうというのが私の構想です。それができる国家は、世界に180余ケ国ある中で唯一、日本だけなんです。それが可能なのは、交戦権を放棄し戦力保持をも明確に禁止している絶対平和主義憲法を持っているからこそです。よく似た憲法を持っている国にコスタリカがありますが、自衛権までは否定していません。
平和憲法ゆえに、自衛隊を持ちながらそれを「専守防衛」以外に使うことができないと歴代の政府は言い続けてきました。今回、中東地域に派遣することになりましたが、このような形でアメリカに追随して海外派兵をするのであれば、私は徹底して反対をしていきたい。同時に、アメリカに追随するのではなく、また自国のためだけでもなく、世界平和のために働く世界初の国連常備軍として自衛隊を活用すると言うのが私のプランです。日本以外の他国の軍隊は、幽霊ではありませんから、自国の政治的思惑や国家権益に左右されて、ソマリアから米軍が逃げ出したように、世界平和を最優先に任務を遂行することができません。憲法上の規定を欠いている幽霊の自衛隊だからこそ、それが可能なのです。もちろん、そうなれば自衛隊員は世界初の国籍を持たない「国連人」となり、平時には日本に駐留することになるでしょう。それこそ、如何なる他国の「国軍」にも真似のできない、最強・最善の自衛・安全保障策ともなるはずです。

<日本国憲法の反宗教的性格>
日本国憲法は、注目すべき世界に冠たる特徴を、もう一つ持っています。それは反宗教ということです。他の欧米諸国の憲法には「神」という用語が出てきます。ブッシュ大統領は、どこでも「神のご加護を」と必ず言い、「神は我々についている」と常に強調しますが、イギリスでもフランスでも同じですね。憲法の中に神の概念や用語が出ておらず、しかもそういう要素がにじみ出てくることを二重三重に防止している憲法は日本国憲法しかありません。従いまして、宗教を超えていくことが今後の人類の基本課題だとすれば、それができる人々とはこの日本国憲法のもとに生きている、この日本列島に生きている人々しか有り得ないのではないか。そういう意味で、世界平和の建設をリードし、また宗教を超えた、そうした世界の基本的な将来像を考える上で、日本は先進的な、ある意味では革命的な役割を持ち得るだろうし持たなければならないと考えております。平和憲法と反宗教憲法ができたということは、世界で日本人だけが2発の核兵器の惨害を被ったことの直接の帰結として、そういう憲法条項が生まれてきたわけですから。

<世界金融センターとしての日本の役割>
次に、今後の世界経済における日本の役割ということです。日本だけの役割というわけでは必ずしもありませんが、あえて日本の役割という意味で考えますと、日本が世界の金融センターにそろそろ成ってよい時期に来ているのではないでしょうか。バブル期までの巨大な金融資産は相当目減りしているとは思いますが、それでも民間の金融資産だけで千何百兆円もの資金が行き場を失っている状態です。それだけの巨大な資金がこれまでどこへ向かってきたかと言いますと、日本の金融機関を通じて相当部分がアメリカへと還流していたわけです。以前には、アメリカの国債の3割以上を日本が購入していた時期もありました。アメリカがドルを世界中に垂れ流す一方で、それを再びアメリカへカムバックさせる役割をダントツに引き受けていたのが日本だったわけです。ゼロに近い市中金利を上げられないという事態も、アメリカの金利よりも低い金利水準でなければならないとの対米従属的構造ゆえです。数年前に当時の橋本首相が、「何ならアメリカの国債を売ってもいいんだぞ」との脅しを一発かましただけでマーケットは大慌てになったことがありますが、そんなことをしたらアメリカ経済は一発でダウンするはずです。当然にもアメリカから強硬な抗議がきまして、橋本首相が慌てて「いやいや冗談です」とお茶を濁す一幕もありました。
今後10年20年、アメリカが置かれている現状を勘案しますと、アメリカの資金の相当程度が軍事力に流れていくでしょう。そうすると、これまでそうであったような形でニューヨークが世界の金融センターであり続けることは相当困難になっていくでしょう。9月11日にワールド・トレードセンターが壊滅したこと、これは極めて象徴的だと思いますが、世界金融システムにおけるひとつの時代が終わりつつあると見るべきだと私は思います。要するに、世界中の資金をアメリカへと還流させ、そしてそれをアメリカが好き放題に使ってきたのが戦後50年の世界的金融の構図であったとしたら、これからは日本あるいはEUが世界の金融センターの中心にならなければならない。そんな役割を、日本が引き受けていかなければならない、そんな時期に来ているのではないか、と私は思います。
もちろん、それはアメリカの経済的な弱体化をもたらします。お金というものは回りまわっていくものですから、金融センターに集まってもそこに滞蔵されることは全くありません。一旦日本に集まって、アメリカが世界の警察官として使ってきたような使い方ではなく、発展途上国への支援や平和のための科学技術研究など、良い意味で世界に還流されていく、最も資金を必要としている最底辺の人々にこそ資金を供与していく、そういう新しい世界大での金融の流れを、日本は大々的にひとつのプランとして打ち出していく必要があるのではないか。おそらく、これから戦争モードをずっと続けていくであろうアメリカにとって代わって、日本が日本にしか出来ないことを、これから積極的に世界に向かって引き受けていくという構図、それを我々自身アピールし、その具体的な中身というものを考え出していくことが必要ではないか、それが我々の研究課題、また学問上の課題ではないかと思います。(続く)

【出典】 アサート No.289 2001年12月22日

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【コラム】ひとりごと —労組内のあれこれを暴露—

【コラム】ひとりごと —労組内のあれこれを暴露—

◆自治労が、経理不正・脱税事件で揺れている。その不正事件の内容は、マスコミ報道に任すとしても、組合員の自治労への不信・批判は相当なもので、その波紋は組合脱退への動きにまで広がる様相となっている。筆者も自治労傘下労組の職場役員であるが、私の周囲にも、これを理由に脱退意志を示す者がちらほらいる。そこで私なりにも、かつての労組幹部役員の経験から、「こんなことをしているから、だめなんだ!」と思ったことを暴露して、組合への思いを伝えてみたい◆マスコミ報道では「組合員同士の飲み食いにもー」と言われているが、実際、これはよくある話である。会議が終わった後の食事や二次会までも組合が面倒みたり、委員長をはじめとする組合三役には役職手当が支給されているにも関わらず、非公式な接待費用も別に組合が肩代わりしてるなど。特に組合御用達のスナックは、日常的に組合が飲食代を支払って、そこに組合員が組合三役に群がることもあったりする。もっとも小さな組合や組合下部組織では財政基盤も弱くて、そんな贅沢はできないが、組合組織が大きくなればなるほど、ありがちな話でもある。ただ、こうした腐敗風土も幹部ばかりが悪いのではなく、「高い組合費を払っているのだから、それぐらい当然」だとか「労働組合は酒を飲んで意志を固めあうもの」などと開き直る一般組合員や中間幹部の意識にも問題があるとは思う◆今回の自治労不正事件では、共済事業会計が舞台となっているが、こうした事業系部門が腐敗を生み出しやすい土壌となっていることも事実である。例えば生命保険などの共済事業の場合、組合組織が大きいほど、その手数料などのリベート収入も大きくなるし、加えて組合の保険事業も利益追求と言うよりは共済互助を一応の目的としている以上、その契約手続き・支払い事務も性善説をある程度、前提としており、そのチェックシステムも甘くなりがちである。さらにはこうした保険共済事業には、それなりの専門的知識が必要であり、その事務処理も、担当部門が属人的かつ長期的に委ねてしまうのである。また機関紙発行などの教宣関係も腐敗を生み出しやすい部門である。小さな組合なら教宣担当者の手作りの味で発行されて、まさに大いに組織強化に資するのだが、組合が大きくなると、そのボリュームも発行部数も多くなり、印刷業者もできるだけ固定的に受注されるよう接待攻勢をかけ、教宣担当者も、これに甘んじてしまうなどの癒着が生じてしまうのである。本来、こうした継続的な契約業者は、役所のように定期的に入札替えするなどの措置をすべきであるが、それがなかなかできないのもまた癒着の実態である。このように労組にも腐敗を誘引しかねない状況は多々あるが、これを防ぐためには、少なくとも組合員に対する組合経営の公開と担当者の定期的な異動ぐらいは必要不可欠である◆さて、こうした労組の陥りやすい不正・腐敗の構造的な問題とは別に、そもそも労働組合という組織自体の風土的な問題にも、その背景的要因があるように思える。労働組合の組織運営は、意外と家父長的なもので、よく「相撲・歌舞伎・労働組合」と古いものの代名詞に使われるぐらいである。いくら組合民主主義と言ったところで、日常的運営ではやはり、委員長・書記長の発言力・判断権限は相当なもので、およそ組合員の多くがそう思ってないことであっても「親分がそう言っているのならー」と道理が引っ込むことはよくあることである。ただ「相撲・歌舞伎」なら自らも古い伝統を守ることを是としているからまだしも、労働組合は「平和・民主主義」を標榜しているだけに、その体質改善は至難の業である◆今回の自治労の不正事件では、組合幹部と一般組合員との意識のギャップも問題にされている。確かに大労組では、幹部役員が組合専従となり、ある意味では組合プロとなって役職を歴任していくことが多いのだが、そのことは必然的に一般組合員との意識の乖離を招くものとなっている。実際、筆者の知っている例でも入職して10年未満で専従になり、まともに仕事をした経験のない者がいるし、また一定の休職年限が切れても、「今さら仕事に戻ってもー」と本人も周囲も更に上級機関の役職を「処遇」するのである。こうしたことが組合幹部の世間離れ・組合員離れ、そしてしいては若手役員の登用も妨げてしまうのである。しかし、その一方で組合役員は確かに多忙で、大労組であるほど、とても仕事を兼ねながら組合活動を行うことは不可能であり、組織強化の観点からしても、組合専従自体を否定できないのも事実である。加えて、こうした組合幹部の意識の乖離は、幹部役員の資質によることも多いと思うが、組合費のチェックオフも、これを一層、補強しているとは言えないだろうか◆このように色々と考えてみると、労働組合も所詮は人間の集団であり、腐敗もすれば過ちも犯すものである。問題は、それをいかに防ぐかにあるのだが、そのためには特に利権が集中しやすいところを中心として、運営・経営状況の公開と外部監査制度や組合オンブズマン等のチェックッステムの確立、また組織の根幹にも揺るがしかねない重要決定事項に関しては、大会決定に委ねることなく、組合員の一票投票で決するなど、およそ今日、行政でも企業でも求められつつある様々な改革こそが求められているのではないだろうか。(民)

【出典】 アサート No.289 2001年12月22日

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『詩』 呼び換え遊び

『詩』 呼び換え遊び

大木 透

いやはや 慌しいことだ
「インフィニット ジャスティス」では
マホメットさまに申し訳ない
「十字軍」では
ハンチントンの罠にはまってしまう
そんな名前は いや
ちょっと呼び名を変えてよ
それで なんと呼ぶようになったの?
そんなこと知るもんか
自由もちょっとは腐るかな
なんて言っちゃあいけねえよ

ちょっぴり呼び名を変えて
剥製にするっちゅう算段は
ずいぶん 昔に
ジョージ・オーウェルさんが教えてくれたこと
賢人は「一九八四年」に書いている
ニュー ニュー ニュー ニュー
ニュースピークって

さては 俺も
年とって 騙されたのかな
こちらの国でも
魔法はずいぶん流行っているようだ
スパイ防止法・盗聴法→個人情報管理法
大量解雇→リストラ
職安→ハローワーク とは
これいかに

「名より面影は偲ばれる」
とりどりの「対案」は
甘い麻薬みたい
心穏やかに 安らかに
「対案主義」に耽っているうちに
つぎつぎ 見事な「対案」が紡ぎだされて
「成熟社会」の夜は
いよいよ更けていく

ねえ きみ
どう呼ばれたら
嫌なものはイヤと
言えるようになるんだろうねえ
なんと唱えたら
この魔法が
解けるんだろうねえ

(二〇〇一・一〇・六)

【出典】 アサート No.288 2001年11月24日

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【投稿】行き詰まる小泉政権

【投稿】行き詰まる小泉政権

<<「決断症候群」>>
 いま、「決断症候群」なるものが蔓延し始め、政治の世界を覆っていると言う(11/10朝日夕刊、杉田敦・法政大教授)。同氏によると、「これに『罹る』と、まず自覚症状としては、気分が非常に軽やかになる。これまでいろいろと悩んできたのは、すべてどうでも良いことであり、物事はきわめて単純で、自分はずっと前から結論を知っていたのだと言う気分がする」。この程度であればそれほど問題がないのかもしれない。ところが、「恐るべきことに、最も顕著な『症例』はこの国の中枢部に出現した。『何をすべきかはわかっている。そんなものは常識だ。あとは実行あるのみ』という勇ましげな声が永田町のほうから響いてくる。自衛隊の派遣、治安対策、さらには有事立法に至るまでがまるで議論の余地がない自明なことのように扱われ、問答無用の形で実施されようとしている」。「テロは断じて許せない! したがって報復戦争への参戦は当然の常識である」とする小泉首相の論理。胸を張って肩をいからしているが、「テロリズムこそは、最もひどい決断症候群の帰結である。しかしそれに対抗しようとして、自分たちが思考を停止してしまってはどうしようもない。考えることは何もないという知的退廃が社会を覆ったとしたら、それこそが本当の危機の始まりである。」これは、小泉首相がこの症候群の重症患者であると言う診断であると同時に、この「決断症候群」の社会への蔓延を食い止めなければならないという貴重な警告とも言えよう。

<<「小泉氏の話法」>>
 もう一つ。池澤夏樹氏が「小泉氏の話法」(インターネットコラム「新世紀へようこそ」-10/14付)で指摘されている危険な誘導論法がある。その論法は、「不得意、不得手なことは官僚のメモをぼそぼそと読み上げる。にわか仕込みでもこれで行くと決断したことに関しては一方的にガンガンまくし立てる。いずれの場合も対話と説得など論外である。テロは悪い。したがって根絶しなければならない。自衛隊を出す以外の方法は最初から視野に入っていない。『それがなぜいけないのですか!』-これは問いのように見えますが問いではありません。小泉話法による断定の典型です。問いかけるように見えて、実際には反論を遮断している。後になってファシズムを糾弾するのは簡単です。しかし、振り返ってみれば、そのときには国民はこぞって支持したのです。わかりやすい敵を指差し、闘いを煽る。みながその気になって棒を持って走り出す。そういう方へ誘導する話法があるのです。この誘導的な話法が徹底的に改良されて、今、ブッシュ氏や小泉氏によって使われています。一歩の距離を置いて、冷めた頭で彼らの言うことを聞きましょう。」これもまた、いま最も必要で不可欠な提言と言えよう。
 自ら省みることのない症状と話法の典型が、首相の靖国神社参拝に対して「参拝は違憲である」との訴訟に対するコメントである。「話にならんね。世の中おかしい人たちがいるもんだ。もう話にならんよ。」(11/1付各紙夕刊)。これがすべてを物語っている。「おかしくて、話にならん」のは首相自身である。内外の情勢の中で自らが置かれた立場が見えない、自らのおかしさや滑稽さがまるで見えない、そんな生易しいものではない。憲法遵守の義務さえ忘れた、基本的人権を真っ向から否定するファシストの論理である。化けの皮がはがれつつあるが、こんな首相であっても、いやむしろそれだからこそ高支持率が続いているとも言えよう。

<<巧妙な罠?>>
 それはある意味では、小泉政権は完全な行き詰まり状態に逢着していることの反映であるとも言えよう。日米ともに、深刻な景気後退と、グローバリズムの覆い難き矛盾が露出し始めていた、ちょうどそのようなときに9/11の前代未聞のテロ攻撃が仕掛けられた。アメリカ権力中枢の一角が密接に絡んだ仕組まれた、巧妙な罠ではないかという陰謀説が真実味を帯びてくる所以でもある。日米両政権とも戦争熱に浮かされ突っ走ってはいるが、背後の両国経済は深刻な事態に直面しており、世界同時経済恐慌への不安とおびえから脱却する展望はそう簡単には見い出し得ない。いわばテロ攻撃は救いの神でもあった。当面はすべてをそれになすりつけることはできよう。しかし、冷戦崩壊後の今日、軍事経済化と戦争特需で景気を領導できるような時代ではない。兵器の在庫一掃と、新兵器開発で潤うのは一部軍需産業とガス・石油油田支配をもくろむエネルギー関連独占だけであろう。テロを挑発し、巧妙な罠を仕掛けることに利益を見い出すこれらのグループがブッシュ大統領を取り巻いていることは周知のことである。
 しかし、報復戦争開始後も、米国経済の落ち込みは止まらず、ついに失業率は1年前の3.9%から5.4%までハネ上がり、7―9月期のGDPは0.4%減と8年半ぶりのマイナス、9月の個人消費も14年半ぶりの前月比1.8%減、9月の米耐久財受注の大幅な落ち込み(予想前月比-1.3%のところ、-8.5%)である。NYダウが8000ドル台に下落する可能性も取り沙汰され、米連邦準備制度理事会(FRB)が金利を実に40年ぶりの低金利(FF金利2.0%)に引き下げさげざるをえない事態である。しかも報復戦争は、逆にいつ襲われるとも予測し得ない報復テロの悪循環の泥沼を人々のうえに重くのしかからせ、消費を減退させ、テロ対策としての安全対策費や保険料の高騰、輸送・物流コストの増大などさまざまなマイナス要因を増大させる。テロを孤立させ、世界規模での貧富の膨大な格差を縮小する平和と協調と交渉の大胆な政策がとられない限り、こうしたマイナス要因は解消しない。

<<「12月危機」説>>
 日本経済の後退は、米国経済以上に著しいとも言えよう。ほとんどの大手企業の中間決算が下方修正となり、リストラ人員削減は過去最大規模とも言える段階に達しており、9月の完全失業率が過去最高の5.3%に上昇し、なかでも24歳以下の男性の失業率が12%を超えるという深刻な事態である。そして年内に失業率=7~8%説まで出されている。さらに、政府の01年度経済見通しがプラス1.7%成長からマイナス0.9%成長に下方修正され、小泉内閣からは反転成長する展望が全く見い出し得ないという悲観的予測が大半を占め、日経平均が再び1万円割れを迎え、9/21につけた9,383円の安値を下回る可能性もあり、不良債権問題は解決するどころかさらに解決不能な段階に拡大しそうな勢いである。
 抜本的な構造改革による景気回復を掲げながら、やったのはブッシュ政権追随のテロ対策立法と自衛隊派遣くらいで、景気回復・経済政策は完全に手詰まり、「非常事態なのに何もやっていない」(堺屋太一・内閣特別顧問)とコキおろされる始末である。
 これまでなりを潜めていた自民党内の動きもきな臭くなり始めている。野中元幹事長が小泉氏をボロクソにけなした自民党の行革推進本部長会議の議事録が週刊誌にすっぱ抜かれたり、前幹事長の古賀誠・道路調査会長は「抵抗勢力といわれることに何の抵抗もない」と公言し、橋本派や江藤・亀井派を中心とする議員55人が、「未来創造議連」(代表幹事・松岡利勝)なる反小泉の勉強会を設立するなど、「12月危機」説にむけた動きがあわただしい。
 こうした事態にもかかわらず、野党の動きが見えてこない。事態を打開する野党の奮起が望まれる。(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.288 2001年11月24日

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【書評】『〈大人〉の条件』

【書評】『〈大人〉の条件』
              (門脇厚司・佐高信 岩波書店、2001.4.9.発行、1800円)

 教育に間する論議が盛んに行われ、文部科学省をはじめ、教育改革がさまざまに提示されている中、本書は、教育社会学者門脇厚司と辛口の社会評論家佐高信による対談を通して、その教育論議、教育改革の前提を今一度問い直す。キーワードとなっているのは「社会力」という言葉であり、これを前提にしてはじめて教育改革は実効性をもってくるものとされる。逆に言えば、「社会力」抜きの教育改革は、たとえその目指すところが高邁なものであろうとも、小手先の改革に終ってしまう危険性をもつということである。

 さて門脇によれば、「社会力」とは、「人と人がつながり、社会を作る力」とされ、次のように説明される。

 「『社会力』とは何かといえば、端的にはそれに尽きるようなところがあります。社会というのは、結局、生きた人間がいて、その人間がお互いに密接に関係し合って、そのつながりのなかで、自分がすべきことをしながら生きている状態のことをいうわけで、お互いが他の人に無関心で、バラバラに行動するようになったら、社会は解体するしかないわけです。ですから、社会が成り立ち、きちんと維持されるためには、そこで生きている人たちが互いに関心を持ち、お互いのことがわかっていて、一緒にやってゆこうという気になっていないとダメなわけです」。

 すなわち「他の人への関心」をもち、よい関係、共感をもち続けることこそが社会を作っていく基礎である。ところが現代の社会では、特に若者の間にこの関心がないという状況が存在する、と門脇は指摘する。

 「人間は他人を鏡にしてはじめて自分のことがわかる動物なのです。ところが、今の若い人たちは、とかく自分のことだからといって、穴蔵のような自分の部屋に篭もって『俺は何者だ』なんて考えて“自分探し”をする傾向があります。つまり、自分のことだから自分で考えればわかるなどと思い込んでいるわけです。これはとんでもない話です」。

 佐高は、この状況を「それはもうラッキョウの皮剥きでしかないわけですね」と評する。そして門脇は、教育改革に対する「社会力」の決定的な重要性を次のように強調する。

 「意図的な教育が効果を持つためには、人間が好きだとか、他の人に関心があるといった『社会力』の土台ができていることが前提になる。それがまったくなかったら、どんなにいい意図で教育をしたとしても、効果はそんなに期待できないということをはっきり理解しなければならない。

 ところが教育をめぐる議論では、そのあたりのところがすっぽりと忘れられてしまって、母親がしつけるとか、父親が叱るとか、教師の技量を高めるとか、教育の内容を精選するとか、これに類するようなことをすれば、要するに教える側がしっかりすれば、人間など何とでも作りかえられると考えているところがあるわけです。そてれはとんでもない思い違いだと思っています」。

 しかも「社会力」は「学力」と異なって、簡単に回復できるものではない。それ故、門脇は、「『学力の低下』が問題なのか『社会力の低下』が問題なのか」と問い、「社会力」が必要とされる時代的背景を三点指摘する。

 すなわち(1)地方分権時代において自分の住んでいる地域のあり方に積極的に関わり、民主主義を実行に移すために、市民、住民のパワーアップの必要性。(2)マクロ的に見て人類社会が凄まじい状況に直面して「世界の危機が日本の危機に直結している」時に、「身のまわりの実感主義を超えた想像力」が必要とされていること。(3)またとくに日本人にとっては、「階層間の格差が拡がりつつあることにともなって生じている厄介な問題」(=格差の固定化とこの結果起るアパシー[無気力]とアナ―キー[無秩序]の状況)を打開するために社会の構成員に「社会力」が必要とされていること、である。

 このような「社会力」の必要性を踏まえて、門脇は、教育において先生と生徒が「経験そのものを共有すること」、「同行者」(=ある一つの目的を持ちながら一緒にそれをやっていく姿勢)の重要性を説く。そして佐高は、「ナマの、今、起こっているような問題(中略)それを正面に取りあげる」ことで社会への興味を深めていくことを強調する。すなわち「アクチュアルなものと古典をたとえて、ナマ物と干物とすると、ナマ物を与えないと、咀嚼力としても栄養価としても偏る」と。

 そしてこの視点は、近代社会を支えてきたとされる原理に対する批判をも含んでいる。この点について門脇は、こう述べる。

 「近代というのは、メリトクラシーというか、能力主義をベースにしてきているから、能力のある者は社会のなかでいい思いをしていいのだ、能力のない者はおまえの努力が足りないとか、能力がないからしようがないのだ、というようなことが公言され、まかり通ってきた社会です。こういう社会のあり方はもう限界に来ているのではないかと思いますね」。

 そしてこのあり方に対して、「少ないながらもある一定の量を持った人たちが、何人か協力するような形で集まった100の方が、一人でまるごと100を持っていて、だから俺は偉いなどと威張っているよりも、はるかにいい。これからの社会はまさにそのような状態を想定しながら、物事を考えていかないといけないのではないか」と、互いに知ってつながり合い助け合う関係、「社会力」を対置する。

 本書はこのように教育をめぐる諸問題に、「社会力」という立場から、現代資本主義社会そのものの変革を迫る視点を提示する。この視点は、まだ発展深化の余地があるものの、このことを語る意義は大きい。ただし本書が著者二人に共通の体験──本書は山形県荘内地方出身者の東京学生寮「荘内館」での共同生活をもとに語られている──という枠を持つことには少々の違和感を感じないでもない。しかし「人と人とがつながり、社会を作る力」を強調する著者たちの提言は、他の地域においてもっとさまざまな形で実現されてもよいのではないか。本書に続く「社会力」の実践が期待される。(R) 

 【出典】 アサート No.288 2001年11月24日

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【投稿】リストラ攻撃と「解雇」ルールの法制化

【投稿】リストラ攻撃と「解雇」ルールの法制化
                             民守 正義
1.「解雇」の現実
今日の常態化したとも言える企業のリストラ-人員削減は、正当に希望退職募集などから始まるケースもあるが、現実には個々の労働者を、陰湿かつ冷酷に退職に追い込んでいるケースも数多い。実際の例として、十数年も雇用してきたパートを週末の仕事帰り途中に、携帯電話で「来週から来なくてもよい」と一方的に通告したり、急に「勤務態度が悪い」「成績が悪い」「社風に合わない」等と言って、退職を強要するケースは頻繁にある。また、その退職の強要にしても、労働者一人に個室で三人も四人も取り囲むようにして、大声で怒鳴る罵るで退職を迫り、やむなく退職を承諾すれば、「自主退職だ」と退職金も減額されたり、雇用保険離職票も「自己都合」扱い(失業手当給付まで3ヶ月の待機制限)とされてしまう。多くの労働者は、納得できずに憤懣やるかたない思いでも渋々、会社を離れていくのだが、中にはキッパリと「やめません」と頑張る者もいる。しかし、そうすると今度は、とんでもない遠隔地に配転命令を出したり、過去の些細な出来事を取り出して(「電話の応対が悪い」「顧客に迷惑をかけた」「会社のメールを私用に使った」等々)、「懲戒解雇だ」と強硬手段に出てくることも多い。企業が、こうしたなりふりかまわず、強引に自主退職に持ち込もうとする理由の一つは、不十分ながらも、それなりに解雇制限の法理があるからであろう。
2.「解雇」制限の法理
解雇に関わる規定は、労働基準法にあることは言うまでもない。すなわち解雇通告を30日以上前に通告するか、または30日未満の場合は、30日に満たない日数分の解雇予告手当を支給しなければならないことになっている。しかし、これは解雇の手続きを定めたものであって、解雇自体を規制したものではない。解雇規制を明文化した法は、残念ながら日本にはなく、判例上の積み重ねによって、一定の基準が示されているに止まっている。その一つが、「合理的理由のない、社会通念上~是認できない解雇は解雇権の乱用として無効(高知放送事件)」として、解雇の合理性を求められることである。もう一つが、整理解雇の場合の四要件(①解雇の経営上の必要性②解雇回避の努力③整理解雇基準等の合理性・公平性④労働者への十分な説明・合意の努力)が全て備わっていることである。しかし、これらの基準は、実際に訴訟などにおいて争われた場合に作動する法理であって、現実には様々な意味で訴訟能力を持たない労働者にとっては、泣き寝入りせざるを得ない状況にあることは、前述のとおりである。
ただ一昨年から、この整理解雇四要件も東京地裁において、確定判決ではないものの、後退または緩和する判決も一部、出されてきており、リストラ解雇が横行する中で、こうした解雇制限の法理もまた、揺らぐことが危惧されてきている。
3.諸外国における「解雇」制限
それでは諸外国では、「解雇」制限に関わる法規範は、どうなっているのであろうか。ドイツの「解雇制限法」をはじめ、フランス・イタリア・イギリスなどでは、法律で具体的に解雇制限が定められている。特にドイツの解雇制限法は、事業所規模ごとに一定の人数または比率以上で解雇する場合は、「集団的解雇」として、監督官庁に対し、解雇回避策の届け出と解雇する際の同意が義務付けられている。これは、大量解雇することは、公害の垂れ流しと同様に、社会的に悪影響を及ぼすとの考え方が前提にあるわけで、大いに評価されるものである。またドイツ・フランスでは、雇用契約書締結が義務付けられており、雇用契約そのものが安易な解雇を誘引されないものになっている。(日本においては、昨年4月労基法改正で労働条件明示書の提示のみ義務付けられているが、ほとんど普及していない)さらに解雇予告期間においても、ドイツ・フランス・イギリスでは、勤続年数によって延長されるようになっている。加えて会社合併・分割などにおける労働者保護措置は、EUの指令に基づき、加盟各国が、そのための法整備が行われている。
このように見てみると、欧米諸外国と比して日本は、経済・技術は益々、先進化されているものの、こと雇用関係を見る限りにおいては、相も変わらず、「雇ってやる⇔雇っていただく」という徒弟的・封建的なものと言わざるを得ないだろう。
4.最近の「解雇」に関わる法制化の動き
最近、坂口厚生労働相が、解雇ルールの法制化について論及した。このことは、今日の大量失業・リストラ時代において、また労働法制の様々な規制見直しの中で、効となるか罪となるかは別として、大きなインパクトをもつ議論となろう。
これに関する現時点での労使の意見は、双方とも各々の立場に立った思惑の意見が出されている。経営側は、現状より緩和されるルールを法制化することを求める反面、現状であれば訴訟的な争いにならない限り、法的には縛られないものを、法制化されることにより、新たに拘束されることへの危惧である。ある使用者サイドの学者は、「法制化されることにより、企業は逆に新規採用に慎重となり、より現在の失業者は長期化する」と述べていることは、こうした使用者側の思いを代弁していると言える。また労働側も、その逆に明確なルールに基づく解雇制限を求める意見もあるが、その一方で、この間の様々な労働法制が改悪されている状況の中で、「結果として解雇緩和法になるのでは」との反発の意見も出されている。
いずれにしても労働側の立場からすれば、リストラ合理化に抗し切れていない現状からすれば、その力関係の中で法制化の内容も規定されると考えるのが妥当であり、現実にある経営側の様々なリストラ攻撃に対し、具体的に闘いを展開せずして、安易に法制化を求めることは、過去の労働運動の歴史と成果を見ても、明らかに誤りと言わざるを得ないであろう。
5.最後に
今日、これほどの企業のリストラ攻撃-大量失業を許してきた労働組合の責任もまた大きい。その大きな要因は、これまでの企業依存型の「労使協調主義」と日本的雇用慣行の崩壊、雇用の流動化の中で、未組織労働者の組織化も含め、その対応がされてこなかったことにもあろう。とりわけ大企業における対抗軸としての役割を示さなかったこともあるが、中小企業・未組織労働者の劣悪かつ経営者の横暴に何ら、手つかずの状態であったことも、今日的状況を招いたと言っても過言ではない。
その中で、一人でも加入できる労働組合-合同労組は、既存労働組合に頼ることのできない、また訴訟的能力を持たない労働者の受け皿となって、個々の闘いを取り組んできたことの役割は一定、評価されなければならない。確かに合同労組の闘いの評価は、極めて個別的であり、また物取り主義的であるとの批判もあるが、少なくとも企業に依存することなく、また加速的に進む雇用の流動化に対し、それなりに柔軟な組織形態であり、新たなる労働運動発展の可能性を、全てとは言わないまでも、その一つとして秘めていると言えないであろうか。問題は、合同労組運動なるものが今後、更に健全かつどれだけ連携的に拡がるかにある。最近の動向として、連合中央は、全国コミュニティユニオンに対し連合参加を呼びかけるとともに、未組織労働者の組織化に向け、連携して取り組む方針を打ち出した。また全労連は、傘下の合同労組に対し重点的な財政措置を行い、その運動強化を図ることとしている。こうした動きは、前述の合同労組の可能性においても注目すべき事ではあるが、ただ既存ナショナルセンターにとって大事なことは、こうした合同労組運動との連携・取り組みを進めるだけではなく、自らも企業・本工・ユニオンショップの枠に止まらず、周辺・関連労働者の組織化も含め、大胆にその意識改革・組織改革に取り組むことが何よりも求められる。そして、こうした日本労働運動の再構築と闘いの積み重ねの中で、実効ある解雇規制の法制化の展望も切り開かれるのではないだろうか。

【出典】 アサート No.288 2001年11月24日

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【投稿】報復戦争参戦の危険な選択

【投稿】報復戦争参戦の危険な選択

<<「真昼の決闘」>>
 10/4付の「小泉内閣メールマガジン」は、現在の小泉首相の稚拙で危険な心理状態をよく現わしている。冒頭の「らいおんはーと」の見出しが「真昼の決闘」である。首相いわく。「先週のブッシュ大統領との首脳会談では、…席上、思わぬプレゼントがあった。大統領がサインした映画「真昼の決闘(ハイ・ヌーン)」のポスターだ。これにはいきさつがある。好きな映画は「真昼の決闘」と伝えた。主人公は、保安官役のゲーリー・クーパーと相手役のグレース・ケリー。…ブッシュ大統領は、六月の会談で、改革に立ち向かう私を、ハイ・ヌーンのゲーリー・クーパーにたとえた。先週の会談では、今度は私が大統領をゲーリー・クーパーにたとえた。悪漢を倒し二人で(グレース・ケリーと)町を去っていくラストシーン。たとえ自分ひとりでも悪に立ち向かう。娯楽映画でありながら、アメリカ人が思い描く崇高な精神を感じた。テロリズムに対する毅然とした態度は、自由と平和と民主主義を守ろうとする米国の精神そのものだ。映画と違うのは、孤独な戦いではないこと。」と、述べて、「今週、テロ対策の新法をまとめて国会に提出する」と締めくくっている。これ以外になにもない。飢えと貧困に苦しみ、難民に追いやられている人々への配慮、思考などこれっぽちも思い浮かばない単純思考である。アメリカでは、「我々は米国とともにある」と繰り返し目を吊り上げて強調し、迎賓館の宿帳には「ファイト・テロリズム 小泉純一郎」と署名。記者相手には「ブッシュ大統領は悪人と戦うゲーリー・クーパーだ」と語って得意がる。
 この首相と大統領には、正義を体現する保安官と悪漢の構図しかないのであろう。テロにはテロで報復し、拳銃を振り回して得意がり、悪漢を蹴散らせばいいという、単純西部劇戦争の再現である。ブッシュ自身も会見の席上、「西部劇のポスターを思い出した。ビンラディンを捕まえるには、デッド・オア・アライブ(生きていようが死んでいようが)だ」と、本当に保安官気取りなのである。あきれた程度の低さである。

<<「無駄撃ち」爆撃>>
 しかし事態の進展は、複雑で危険な泥沼化の様相を示し始めたと言えよう。「どこに逃げようと、穴ぐらからいぶり出す」とブッシュ大統領は言い放ったのであるが、すでに彼らが思い描いた短期決戦は不可能な事態となりつつある。
 「早急に正義は実行されるべきだ」(ラムズフェルド国防長官)、「ビンラディンとアルカイダを殲滅する」(ライス大統領補佐官)として、ブッシュ政権はインド洋上にはF14戦闘機など70~80機を搭載した米空母カール・ビンソン、エンタープライズ、セオドア・ルーズベルト、キティホークなどを大挙集結させ、大量の戦闘機が空爆に参加、洋上の駆逐艦からはトマホークミサイルや新型兵器をさながら実弾演習のごとく発射、アフガンを取り巻くトルコ、サウジ、クウェート、タジク、ディエゴガルシア島、などの基地からは、B52やステルス爆撃機が出撃。5000人を超える急襲上陸部隊や山岳部隊が派遣され、地上戦に備えているという。
 しかしこれに対するタリバン側は、正規軍三万人程度、保有戦闘機も20機あるかないかと言う、もともと防空能力は無きに等しい状態で、こんな大規模な空爆はそもそも「兵器・兵力の無駄遣い」、「無駄撃ち」であり、むしろ民間への犠牲を拡大すると疑問視されてきたものである。初日の空爆では、レーダー網をかいくぐる“ステルス爆撃機”B2で爆撃したのであるが、かいくぐるべきレーダー網もなく、軍事的意味ゼロの「果敢な」攻撃をしたに過ぎなかった。
 それでもラムズフェルド国防長官は「空爆は大変な成功だった」と誇らしげに語っているが、これとて当初、「3日で終わる」と明言していたのに、5日もかけてまだ、「一度攻撃した地点に、再攻撃をかけることもあり得る」(ラムズフェルド国防長官)と言っており、制空権を掌握したにもかかわらず、相次ぐ誤爆と民間人の犠牲者の増大、民家やモスクや国連NGO施設の破壊など怪しげな実態である。
 さらに危険なのは、焦りに刈られ、功を急ぐ余り、危険極まりない賭けに出る可能性さえ存在していることである。一部報道によると、米国防総省は戦術核兵器の使用を大統領に具申し、最高レベルの検討が続けられているという。この問題をテレビで問われた、ラムズフェルド国防長官は核兵器使用の可能性を否定はしなかったのである。

<<泥沼化がもたらすもの>>
 ここでたとえ、11月のラマダン入り前に米軍が相当華々しい「戦果」をあげ、また、あやふやな証拠で「主要な容疑者」と指名手配しているビンラディンをデッド・オア・アライブ、殺害あるいは逮捕し得たとしても、この「報復戦争」は成功でも勝利でもない、泥沼への道に踏み込んだとみなすことが妥当であろう。
 比較的目に付き易いテログループや集団は追い詰め、壊滅させることはできるかもしれないが、もっとより大きく、根が深く、長期的な問題は、先進諸国の国民所得が数万ドルの生活を享受している一方で、年間たった数百ドルの絶対的貧困の生活に追いやられている人口の方が圧倒的多数を占めているという現実である。とりわけ中東は、先進諸国が押し付けてきた果てしなき戦争状態によって大量の難民を生み出し、その飢餓と貧困と差別から利益を享受し、資源を支配し、今また彼らに都合良く再編成しようというアメリカ資本主義の勝手なグロ-バルスタンダードに抗議する当然の要求、「大義」が存在している限り、そして先進諸国がこれらの大義を無視し、放置している限り、「報復」の連鎖は断ち切られることはないといえよう。ましてや人々の苦しみをいっそう絶え難いものにさせ、爆撃のついでに食料や医薬品を放り投げるといった軍事作戦は、さらなる憎悪を煽り立てるばかりであり、テロの脅威は減るどころか、逆に火に油を注ぎ、世界中を「報復とテロの連鎖」、果てしなき「報復合戦」の時代に追い込んだともいえよう。すでに米国のFBI、CIA自身が「米軍がタリバンを空爆すれば報復テロは100%起きる」と上院に報告書を上げている。
 そして10/12、FBIが「新たなテロの可能性がある」と異例の警告を出し、全米は厳戒態勢に入っている。ニューヨーク市をはじめいくつかのメディア関係者に炭疽菌感染者が続出し始め、「貧者の核兵器」に対する米国民のいらだちと不安が高まっている。ワシントンでは、FBIが警察当局に対し、危険物を積んだ「トラック」爆弾を警戒するように求めたこともあって、すでに首都周辺への大型トラックの乗り入れ禁止措置がとられ、全米トラック協会も監視体制の強化に乗り出す騒ぎである。
 しかしこうした不安の連鎖には際限も無ければ、これで安心という決め手も無い。そしてこの報復戦争の泥沼化は、バブル景気の清算期に入りつつあった米経済にさらに深刻な影響を与えるとも言えよう。報復戦争で潤うのはそれに関連する業界だけである。ある意味では、ブッシュの背後に控える石油資本と軍需資本が高笑いしているのかもしれない。本来この時期、クリスマス商戦に向けて米個人消費が伸びる時期である。しかし、第2、第3のテロへの不安は、消費を萎縮させるものでしかないであろう。9月11日以来、航空業界、旅行・観光業界、航空機製造業界、そしてハイテク業界は、12万人にものぼる解雇を発表している。これらの悪影響は原油価格の高騰とあいまってさらに多くの分野・業界に広がることが懸念されており、エコノミストは、失業率が現在の4.9%から来春までには7%にまで上昇する可能性を指摘している。株式市場で買われているのは、軍需関連製造・製薬・セキュリティー機器といった会社だけである。

<<「情緒的反対論」>>
 本来、テロリズムに反対するのであれば、テロによって反撃する「報復攻撃」、ましてや国家的テロルの発動である「報復戦争」にも反対するのが当然でなければならない。これに賛成し、巨大な軍事力の行使に参戦することなど、国家的テロルを助長する以外の何物でもないと言えよう。
 ところが、わが小泉首相は、テロ事件発生直後にブッシュ大統領に「最大限の協力をします」と約束。翌日には「自衛隊派遣に向けた法案を早急にまとめてくれ」と官房副長官に指示。アーミテージ米国務副長官の「ショー・ザ・フラッグ」発言をここぞとばかりに利用して、自衛隊を後方支援部隊として参戦させることを国会審議なしで独断で決めてしまい、わずか1週間で7項目の支援策をまとめ、そしてワシントンでは「悪人と戦う正義の保安官」とブッシュ大統領を持ち上げ、帰国後は「危ない所に出さないでは話にならん」と自衛隊をインド洋、パキスタンに派遣することを決定、さらには「テロ対策特別措置法」という名の「自衛隊参戦法」、自衛隊法の改正を10/5日には国会提出という異常なはしゃぎぶりである。明らかに小泉首相は破綻に瀕している経済政策の行き詰まりを、テロ事件をこれ幸いと失政隠しに利用し、このドサクサの事態に便乗して一気に事実上の憲法改悪を強行しているのである。
 この自衛隊法の改正について、民主党の若手議員が、自衛隊の治安出動に関する政府の改正案がこれまで認められていなかった「重要施設」として、「在日米軍」と「自衛隊施設」に限定したのは解せない、首相官邸や原発施設は守れるのかと異議を唱え、政府・防衛庁側から「警察権力で守れる」との説明に対して、いや警察力では守れないと論陣を張っているのには驚かされる。かれらは「自民党の中では、野中氏に代表される有力者が『国民に対して自衛隊が銃を向けることは許されない』という趣旨の発言を繰り返しています。民主党内にも同様の議論があります。」として、これらを「情緒的反対論」として切って捨てている。危うい議論である。ミサイルで重装備した巨大軍事国家でも守れなかったテロ攻撃を、テロを対置することによって対抗する愚を犯そうとしている。テロを許さない平和的解決策こそが求められており、根源的な政策が問われているのである。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.287 2001年10月20日

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【書評】『転向再論』鶴見俊輔・鈴木正・いいだもも

【書評】『転向再論』鶴見俊輔・鈴木正・いいだもも
                       (平凡社、2001.4.5.発行、2,000円)

 本書は、先日亡くなった石堂清倫の視点に啓発されて、著者の3名が、それぞれに転向問題(非転向問題)を再考察したものである。

 転向問題については、日本の革命運動では、ともすれば「裏切り」の意識から後ろめたいものとして語られることが多く、個人の倫理の問題として片付けられがちで
あった。しかしこれに対して鶴見俊輔は、『共同研究・転向』(1959年)において、「転向はつねに、実行可能な非転向との対比において記述される必要がある」との視点を提出して、転向=悪、非転向=善論の単純化を批判した。

 またその後、吉本隆明は、転向を「日本の近代社会の構造を、総体のヴィジョンとしてつかまえそこなったために、インテリゲンチャの間におこった思想変換」としてとらえ、佐野・鍋山型の屈服も、蔵原・宮本型の非転向も、同時代の状況との接触を失うということでともに不毛な思想であるとした。そして中野重治の「村の家」(1935年)に、日本の封建的優性との対決に立ちあがっていく革命家の姿勢を見た。

 本書の鈴木論文「転向異説」では、中野の転向問題を取り上げた石堂が、その探究の過程で、当時の日本共産党の転向概念の誤りとその基礎として存在したコミンテルンの時代認識と指導理論が間違っていたことを自覚した点が強調される。

 鈴木によれば、石堂自身の反省では、「1930年代から陸軍が全国各地で組織的にくりひろげた農民に対する悪質なデマゴギーとその宣伝効果を見過ごしたこと」がもっとも悔やまれたとされる。

 「この動きを軽視したのはなぜか。石堂さんの反省は、最も強い反戦勢力であった日共が創立以来、コミンテルンのほうばかりに顔を向け、ソ連防衛の任務に忠実のあまり、日本の現実を自分の目でみて、その経験から反戦のための、より緩かな連帯行動を可能にするような共同の知恵を探ろうとしなかったからである」。

 すなわち1930年頃の帝国主義戦争反対の運動は、<大衆の中へ>と<共同戦線>に背を向けた極左的攻撃理論と自殺戦術であり、この中で何らかの迂回もしくは緊急避難の戦術は採用されなかったのである。これは、権力・軍部の側からの「母乳とともに飲みこんだ愛国心」という日本人の泣きどころを突いた転向政策と裏腹の関係をなしていたと言えよう。

 そして鈴木は、これに対して「抗日中国」における偽装転向による獄中からの同志の放免という中共の政策を紹介する。そしてそこで、革命運動における節義(正義と有効性)の問題は、この政策では「個人の道徳(私徳)の位相でなく、抵抗する集団の公徳にかんする問題としてとらえられている」ことを評価する。

 そして、「もし同様のことが日本の反戦と革命をめざした運動において時機を失することなく、提起され実行されていたら、石堂さんの尊敬する中野重治が、文学の場で果たそうとしていた『革命運動の伝統の革命的批判』を政治の場で遂行できたであろうに。そして転向と偽装転向の問題はもっと生産的になり、戦後の『転向』論の趣は変わったのではなかろうか」と述べる。

 この問題意識から鈴木は、「事例研究」として、古在由重、戸坂潤、吉野源三郎、中井正一の四人を取りあげてそのそれぞれの転向の本質を探ろうとする。

 また鶴見俊輔の論文「国民というかたまりに埋めこまれて」も、石堂を評価して、次のように述べる。

 「石堂の記述は、転向からほとんど七十年のあいだの、当人による絶えざる照合の積み重ねである。その過程で、日本共産党の転向の裁定のかたくなさと勇み足への批判、そのもととなったソヴィエト・ロシア共産党の同時代観の根拠のなさへの論証が行われる。さらに、敗戦後の満州でおこった転向・偽装転向・再転向、それらについての根拠のない流言と、流言による粛清についての記述があり、そこには敗戦後から現在にいたる知識人の右往左往への予知がこもっている」。

 この視点から、「国家の圧力に屈した個人の決断」を「その一回かぎりの形を見つけるごとに記述する」という転向研究のもつ有効性を、「その特定の状況をこえて、ちがう状況の中で、その転向がもち得る意味を考えさせる。日付の特定がかえって、別の日付のちがう状況の中で、その転向の形がどのようにくりかえされるか、受けつがれるかを考える可能性をひらく」点にあるとする。

 そして石堂が認識し、鈴木が指摘した点にこそ、現在の「戦後のすでに五十五年におよぶ、国家の強制を感じさせない形ですすむ転向を見すえる」枠組みを可能にするものがあるのではないかとする。

 転向を近代国家としての日本の進歩に並行する事実としてとらえることで、日本文化の強さにつきまとう弱さを認識し、「非転向への不毛な固執を避け、しかもまともな人間として現代に生きてゆこうとする考え方」があらわれることを鶴見は提唱す
る。
 以上の二論文の問いかけに対して、本書の約7割の分量を占める、いいだももの論文「八・一五相移転における『転向』の両義性」は、その冗長な博識の割には、内容が乏しい。ここでは、いいだの主張で注目に値すると思われる二点をあげるにとどめよう。

 その一。いいだが、伊藤晃の『転向と天皇制』から次の文章を引用して、これを重要な提起としていることである。

 <『満州事変』で共産党が戦わずして敗れたことこそ、二年後の起きた大量転向の潜在的な一理由だった、と考えなければならない。『満州事変』は無産階級全体に予防反革命として働いた。『指導者の転向の足下には国民大衆の転向があったのである』(本多秋五)。・・・社会対立のエネルギーが戦争のエネルギーとして吸収されていった、『満州事変』に至る歴史過程は、大衆のあいだで支配階級と共産主義運動とが思想的に競合するべき期間ではなかったか。その実戦で共産党は敗れたのではないか>。

 これはまさしく石堂と軌を一にする問題のとらえ方であろう。

 その二。「天皇制打倒」のスローガンをかかげた日本共産党の運動は、「スターリン専制指導部の圧倒的影響下に置かれ続けたまま、佐野・鍋山の『転向声明』以来、天皇制への帰順、中国戦争参加等への流行的氾濫は見られたものの、共産主義的異端派としてのトロッキズム運動の“洗礼”はよくもあしくもほとんど見られなかった」ことの指摘である。いいだは、ここに「コミンテルン日本支部として出発した日本共産党の理論と運動の『輸入』体質・『事大主義』根性もふくめて、そのようにも根深いスターリン主義的体質」を見、現状においてもスターリン主義批判は依然として皆無であるとする。

 この点については、日本共産党のみならず、他の緒潮流においてもなお批判的検討が必要なところであろう。

 以上本書について、その主なところを紹介してきたが、転向をどのように位置づけ、そこからどのような経験知を得るかは、現在のわれわれに課せられた思想的政治的問題であり、このための有効な視点が本書にはある。そして次の鶴見の言葉は、われわれ自身が考えるひとつの手がかりを与えるであろう。

 「転向前と転向後の思想のつながりを自分で確認することを、最初の関門としておく、そしてこの関門を一度通ったらそれで終わったと見なさないようでありたい」。
(R) 

 【出典】 アサート No.287 2001年10月20日

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【コラム】ひとりごと–自治労事件に思うこと

【コラム】ひとりごと–自治労事件に思うこと

○とんでもない事が起こった。労働組合と右翼(暴力団?)が関係、そして簿外口座の存在、そして簿外の借入金の存在。金額も億単位。どうしてこんなことが労働組合で。連日のマスコミ報道に少し気が滅入る。○一方では、これは先の参議院選挙で郵政族の高祖議員派の摘発に対抗して、自民党内から自治労・労組潰しの攻撃意図があるんだ、との意見もある。特にこの秋は、公務員制度改革が正念場を迎える時期である。○だとしても、である。組合費や組合共済の剰余金などは、あくまでも組合員の財産である。組合からの組合離れが進んでいる中で、一番公明正大にしなければいけない組合財政への信頼が揺らぐとなれば、最悪の事態といわねばならない。○毎日新聞はその主張で「組合費を払うに値するか」と厳しい論調で、述べている。読んで見て少しムッとするほど厳しい内容だが、率直に受け入れるべき内容だ、と思う。○私は、旧来の労働組合観、それは「社会主義」や「政治革新」を暗黙の了解事項とするような組織感覚から早く脱却するべき、という意見を持っている。これらの組織感覚は決して運動方針には出てこないが、明らかに底流に存在する意識である。それは目的のためには少々の逸脱も許される、目的が正しければ(正しいと思っていれば)、許されることもある、というような感覚である。旧来の左翼組織にも共通の感覚である。○組合は、NPOの一種というくらいの感覚が必要である。そして組合費は執行部に預託された活動資金ということになる。大組織になればなるほど、組合員一人ひとりの顔は見えなくなり、遠くなる。この距離をどう埋めるか。○幸い自治労の場合は、単位組合の連合体であり、本部への組合費はあくまでも、単位組合からの上納金方式であり、単位組合は独立して執行権・交渉権を持っている。だからこれが、すぐに組合脱退につながるケースはそれほど多くはないと思う。もちろん共産党からの組織破壊は覚悟しなければならない。○だからこそ、徹底した真相究明と公開、責任の明確化が求められている。組織が萎んでいくのは、権力の弾圧からのみではない。組織構成員からの信頼が失われる時である。この試練を正面から乗り越えていく中にしか、信頼の回復は有り得ないのである。(佐野) 

 【出典】 アサート No.287 2001年10月20日

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【読者の声】私のボヤキ

【読者の声】私のボヤキ
 
 アメリカの景気刺激策-前世紀のニューディール変形版。
 公共投資を増やして需要を喚起するやり方ではなくて、緊張を生み出しておいて、相手に先制攻撃をする様に仕向けて、そこからやおら立ち上がり相手を無慈悲な程に叩きのめす。それから景気回復。
 1941年にもやりませんでしたか?あの時は、最後に人類史上初めて原子爆弾まで投下しましたね。
 テロと戦争の被害者は特に20世紀以後は、非戦闘員。特に「女性と子供」。
 貿易センターで働くある黒人のシングルマザーには4歳の女の子がいたそうです。その子のママはあの日から帰ってこないそうです。誰がこの子に「事実」を話すのでしょうか!
 ブッシュ大統領?ビンラディン?
 アフガンでは、今日も餓えと寒さと病で多くの子供たち死んでいる。
 憲法の前文にある「・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」とは!?
アメリカの近代兵器の不良在庫一掃の大セールに付き合うのも考え物。
「旗を見せてくれ。」まさに恫喝。
米軍のケツで食料と資材を運ぶぐらいでいいの?違うでしょう。日本の憲法の事も熟知してるくせに。
 湾岸戦争の時、日本は総費用の20%も出したんですよ。「金を出せ」と言ったら強盗と同じだから「show the flag」と言ってるのでしょ。
 この戦のあとで、アフガン復興基金みたいなものに、さらに金を出せと言うんでしょ。自分たちが身勝手で無茶したところに。その辺の魂胆は見え透いていますよ。
 こんな事を思いながら先日、アメリカ大使館にテロ被害者の為の記帳にいってきました。多くの市民が記帳していました。献花もたくさんありました。これ以上、罪もない女・子供を死なせない為の貢献ができないものか。
9.24集会にいけなくて残念です。集会どうでしたか教えてください。(宝山 9/25) 

 【出典】 アサート No.287 2001年10月20日

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【寄稿】「小野義彦と私 –敗戦前後–」

【寄稿】「小野義彦と私 –敗戦前後–」
                       小野 みどり

この寄稿は、アサート 287号(2001年10月20日)と288号(2001年11月24日)の2回に分けて掲載されました。
目次:石切軍刑務所から宮城刑務所へ/東京大空襲/政治犯釈放命令、そして宮城へ/釈放そして山口へ/戦後、山口で/父のこと/力石・武井・安仁と小野義彦/

<石切軍刑務所から宮城刑務所へ>
一九四五年三月十日、東京下町、本所・深川・浅草方面は米軍B29の大編隊の空襲を受け、一夜で焼け尽くされ、死者十万人に上ったと報ぜられたが、その二ヵ月後の五月二五日、B29は山の手方面を大空襲した。その時、私は東京世田谷下北沢の小野の家にいた。
小野義彦は一九四三年十月、オーストラリアに近いタニンバル島にて日本からそのためにはるばる派遣された憲兵によって逮捕され、日本の石切軍刑務所に入れられたが、軍籍剥奪、懲役五年の判決後は民間の堺刑務所へ送られ、その年六月、東京豊多摩刑務所に更に移された。当時、山口で、結核で倒れた弟の看病をしていた私は、月一回許された刑務所での面会にも行けず、文通だけが唯一のコミュニケーションの手段であった。翌四四年二月豊多摩刑務所で、顔一面に赤くシモヤケとヒビに覆われ、薄い獄衣をまとった彼に面会した時、そして外の廊下を看守と共に歩いて行く痩せ細った亡霊のようにヒョロヒョロと歩いていく赤い獄衣の人を見たとき、このままの状態が続いたら、彼は必ず獄死するだろうと感じた。月一回の面会許可は三ヵ月後には、累進処遇によって月二回になった。面会日に私は秘かに面会室の屑入れにバター・ヴィタミン剤・焼いた餅やパンなどようやく手に入れた食物を入れてきた。もしもそれが看守に発見されたら小野は刑務所内での苛酷な懲罰(エビ手錠という両手を背中で斜めに縛られ、食事も用便もそのままの状態でおこなう)を受けることは明らかであった。しかし、何とか続けなければ彼は死んでしまう。
こうしてその年五月、B29の空襲によって刑務所が全焼し、囚人全員仙台の宮城刑務所に移されるまで、秘密の差入を続けることができた。

<東京大空襲>
月に二度、中野の豊多摩刑務所に面会に行くことは、話の内容はそばの看守にすべて記録されるという形のものではあったが、私にとって唯一の心の救いであった。そして同時に月に二度だけの休息の時でもあった。中野からの帰り、新宿で中央線から山手線に乗換え(小野の家は世田谷下北沢)運良く座席に坐れた時、私はそのまま山手線が新宿から新宿まで何周か走る間、その座席に坐り続け一時間余りの休息を取った。
三月十日のB29の下町大空襲のあと、アメリカは日本の地方都市を次々空襲し、東京にも殆ど毎夜のように空襲警報が発令され、安眠できない夜が続いた。五月二五日夜、いつものように空襲警報が発令され、敵機五〇〇機が横浜方面から侵入し東京上空へ向かっているという。私は身支度(といってもモンペを履き、防空ズキンを首に結びつける)して二階へ上がり、はるか北の空でB29が赤い雨を降らせるように焼夷弾を落とし、その度にその方面の空が赤く燃え上がるのをワクワクしながらも半分は火事場の野次馬根性で高見の見物をしていた。何分たったか、はるか遠く中野のあたりが一面に燃え上がった。ああ、豊多摩刑務所がと身体が震えた。そしてハッと気がつくとB29の編隊が下北沢の真上の空を掩い、焼夷弾の雨がシャーッと音を立てて降り出した。義父は丁度軍司令官が戦況を判断するように、鉄カブトを被り、軒下に立ち、義母は気が狂ったように庭の土を掘って御飯の入ったままの釜や煮物の入った鍋を埋め出した。私は、大森で焼け出されてころがりこんでいた若い人と一緒に家中の雨戸を閉め、雨戸を濡らすためにバケツの水を必死にぶっかけ続けた。そのうち、家の横の道路は北の方から焼け出されて逃げて来る人たちで一杯になった。彼らはあとからあとからまだ焼けていない南の方面へ少しばかりの荷物を背にぞろぞろと走り去っていく。煙があたりに充満し眼もあけていられず、降る火の粉で着ているものが焼けそうになる。もう全てを棄てて逃げる外ない。義父に続いて、まだ焼けていない東側の崖下に逃げるため庭の冊を乗り越えかけたとき、空が白々と明け、さっきまでの地獄のようなB29の影もなくなっていた。夜が明けて家の前の道へ出てみてあっと息をのんだ。家から五十メートル先の成徳女子商業学校を起点として北へ何百キロかはるか小田急線まで全くの無惨な焼け野原であった。しかし、われわれの家は幸運にも塀の外に一発焼夷弾が落ちた跡があっただけであった。
それから数日後、中野へ行った。豊多摩刑務所はまわりのコンクリート塀とわずかの建物を残すだけで殆ど焼け落ち、収容されていた囚人は全員仙台に送られたと知らされた。
それまで疎開をためらっていた小野の両親もそれ以後疎開を急ぎ、六月末郷里の山口県防府へ疎開し、私は山口後河原の家に一人で帰った。

<政治犯釈放命令、そして宮城へ>
七月二六日、新聞には日本の降伏を迫る米英ソ首脳会談の八項目にわたる条項が載せられた。そのなかに「日本政府は言論・宗教および思想の自由ならびに基本的人権の尊重を確立すべきこと」という項目があったのを私は見落とさなかった。思想の自由と基本的人権。いつ日本がポツダム宣言を受諾するか、祈るような毎日であった。そして八月十五日、日本敗戦の日。これで小野は解放される。その日私は母の里の田舎へ行っていて、天皇の言葉が放送されたのを知らなかった。夕方になって近所の人から日本がポツダム宣言を受諾し降伏したのだと聞いて、自分の国が三等国か四等国になってしまったのだと涙が出たが、同時に己が解放される喜びが実感として胸に広がった。十月四日遂にマッカーサーの政治犯釈放命令が出た。朝から晩までラジオの前に坐り続けてその放送を何度繰り返して聞いたことか。そして小野のいる仙台まで迎えに行く準備を始めた。仙台で泊まる宿に出すための五合あまりの米、規定より多い目の食糧切符、配給の度にためていたタバコ、ローソク、マッチ等必要となりそうなものをすべてリュックに詰め込んだ。「人間魚雷」として敵艦に体当たりするため海軍基地で待機していて、出撃直前に終戦となり家に戻っていた小野の末の弟が、防府の両親が用意した牛革の大きいスーツケースを持って見送りにきてくれた。小郡駅から夜十時発の東京行き特急に乗った。混乱の時期の女一人旅である。少しでも安全を願って二等切符を買っていたが、ホームに入ってきた汽車は二等も三等もない。デッキまで人が溢れて到底乗り込めない。弟の手をかりて窓からもぐり込み、スーツケースを窓の中へ放り込んでもらう。客車の中に灯火はなく真っ暗であったが、通路までギッシリ荷物が積まれ、私の居場所などどこにもない。誰かが通路の荷物の上に坐るように言ってくれた。
汽車が動き出してしばらくすると、その暗闇の前後から男の手が何本も伸びて私の足に触る。その時はじめて気がついたのだが、それは九州からの復員列車で、乗って居たのはすべて兵役を解除されたばかりの兵隊だった。出発準備でくたびれはてていたが、眠るどころではない。足を動かし続け、坐る向きをあちこち変えながら必死で男たちの手から逃れようとした。二、三時間経ったであろうか。汽車は広島に止まった。原爆投下の災害の跡を自分の眼で見ておこう。何人かが窓から飛び下りた後に続いて私も飛び下りた。私の眼の前には少し間隔をおいて左右に立てられた二本の丸太と、それに引っ掛けられた裸電球、そこに駅員らしい人が一人立っている。それが広島駅改札だった。そしてその背後に全く黒々とどこまでも続く静まりかえった焼け野原。鬼気迫る、異様な情景がそこにはあった。
午前四時過ぎ、外はまだ薄暗かったが、列車は動かなくなった。ここから歩いて幾つか先の駅まで(今は駅名は記憶していない)徒歩連絡だという。一ヵ月前の枕崎台風のために鉄橋が流され、汽車は不通になっていた。重いスーツケースを持って歩きだす。二時間ばかり歩いただろうか。そこからまた汽車に乗り(今度は復員列車ではなかった)、正午ごろ東京駅着。上野発仙台行きは午後六時というのに。上野駅に午後二時頃着いたとき、すでに上野駅は二重三重の仙台行きを待つ人々の列で取り巻かれていた。待つこと四時間、漸く駅の改札が始まって列車に乗り込んだが、座席はもとより、向き合った座席の間の空間も通路も人が詰められるだけ詰まっている。これでは仙台まで十数時間立ち通さねばと覚悟したところ、ただ一つの座席だけが空いている。すぐそばに占領軍の上級将校らしい白髪の米軍人とその副官らしい若い将校が一つのボックスに向き合って坐っていて、日本人乗客は誰一人そのボックスに敢えて坐ろうとはしない。しめた。私は年配の将校に向かって「ここに坐ってもよろしいですか」と英語で聞いた。昭和十二年学校を出てから八年ぶりの英語だった。快く自分の横を空けてくれたその老将校は仙台まで行くのだった。
私はできるだけなにげなく、自分は英語のカレッジを出たこと、そして学校時代読んだ本や日本の有名な古典の話など思いつくままに英語でしゃべった。相手も楽しそうに聞いてくれた。どれくらい経ったか、私は前夜来の疲れでいつの間にか眠っていたらしい。ふと気がつくと眠っている老将校と私のひざの上には膝掛け毛布が掛けられていた。副官が掛けてくれたのであろう。翌朝仙台駅に着くまで、敗戦直後の殺人的な満員列車の中で、日本人としては私だけがゆっくり腰掛けて行くという幸運を得たのだった。
仙台駅前の粗末な宿を取った後、休む暇もなく、仙台市番外地という宮城刑務所へと重いカバンを持って歩き出した。駅前からその番外地までどれくらいの距離があったのか、回りがどんな風景だったのが、全く記憶がない。私の心はただ小野を迎えにいくということだけで一杯だったのだろう。

<釈放そして山口へ>
刑務所の受付で面会の手続きをすますと、受付の指示で小野のいるという事務所に入った時、目の前に小野がいた。そこに私が現れるなどということは全く予期していなかった彼は、驚きの声を上げ、すぐに自分たちの釈放の日が明日であることをいつもの快活な口調で喋り始めた。私が駅前の宿をとったことを告げると、傍にいた教戒師が、今夜は自分のところへ泊まったらとすすめてくれた。その申出を断ってその日はもとの汚い宿へ戻ったが、食事の貧しさも、布団の粗末さも何も気にならず、三日ぶりに初めて身体を横たえて眠れたのであった。
翌十月九日、その日出所できた十人余りの人々と共に私は刑務所が出してくれたバスで仙台駅へ向かった。小野を除いた他の人々は刑務所支給の茶色のコールテンの上着とズボンを着ていたが、小野だけは私が持参した軍服を着ていた。それは私が山口を出発する時小野の両親が私に持たせたスーツケースの中身だった。小野が山口に帰ったとき、軍隊から召集解除となって帰還したと親類や近所の人たちに思わせるための苦しい工作だった。
治安維持法違反という罪名は小野の両親にとっては破廉恥罪と変わらぬものであった。小野が豊多摩刑務所にいた時、義母は一度だけ面会に行った。その日は雨が降り、今なら傘で顔が隠せるからといって、私と同道した。義父は行こうとしなかった。
仙台駅で東京行きを待つ間、私はリュックの中の乾パンを皆に配ったが、手からこぼれて雨の泥水に汚れてしまった乾パンを、すばやく拾って口に入れたひとがいたのには驚くと同時に、彼らのこれまでおかれていた状況の最低の厳しさを思わせられた。汽車に乗り込んだ人々はみな興奮状態で殆ど夜通ししゃべり続けた。
十月九日、早朝東京着。その夜東京成宗の兄鈴木健一郎の家に泊めてもらった私たちは、昭和十五年五月山口駅を出征して以来、というより、知り合ってから六年目初めて全くの二人きりになったのだった。
翌日私たちは焼け跡のまだ生々しい東京を友人を訪ねて歩き回ったが、前日まで私が持ち歩いたスーツケースもリュックも彼が持ってくれた。私は生まれて初めて大切にされ、いたわられ、夫とはこんなに有り難いものかと自分の境遇の大きな変化を身に滲みて感じた。苦難の連続であった仙台行きの旅に比べて、山口への帰りの旅はいま四四年後に振り返ってみても、涙のでるほどのうれしい旅であった。荒廃した窓外の景色、布はなくむき出しになった木の座席。乗り合わせている乗客の粗末な服装。すべて敗戦国日本の状況がそのままそこにはあったが、そのことに感慨を促すとか、敗戦を悲しむとか、そんな心の余裕はまるでなかった。そして私がずっと住み続けていた山口後河原の家でのわれわれ二人の生活が始まった。
( 以上 No287に掲載)

<戦後、山口で>
敗戦を契機として物価は急上昇した。それまで何拾銭単位で手に入っていたものは何拾円の単位にハネ上がった。先ず米の値段が上がった。それまで私の亡父母の残した貯金と恩給で生活していた私は、小野を迎えて忽ち収入の道を講じなければならなかった。小野が山口県庁の通訳として傭われ、小野の留守の時は私が代わりに県庁に通った。また、敗戦と同時に、当然使用されなくなった山口四二連隊(七年前小野が召集されて入っていた)の兵営は占領軍が入るため徹底的な掃除を要求され、その頃もまだ解消されず残っていた「隣組」の婦人たちにその仕事が要求された。私もまた「隣組」の一人として兵営の床を洗いに行ったが、米兵の命令を理解できない婦人たちに、自然に私が通訳をつとめる形となり、仕事が終わった時、その当時全くの貴重品であった固形洗濯石鹸を数個米兵から与えられて皆からうらやまれた。また占領軍は周囲の日本人と馴染む必要を感じたのか、「隣組」の女性を数十人単位で兵営に招待し、茶菓を振る舞った。そうした時も自然な形で私が通訳することになり、その都度謝礼としてクッキーや食パンをもらったが、当時そんな品は、町のどこにも存在しないものだった。そして兵隊の中には日本人と交際を望む者もいて、私は彼らをうちへ招待し、小野と共に友人として対等につきあった。
敗戦を契機として自らの社会的地位も経済的状況も一変した。義父母が家庭内で一番弱い立場にある私に向かって、その覚悟を投げつければやむを得なかったであろうが、そう我慢できなくて離婚を決意したこともあった。それは義父がそれまで住んできた下北沢の家を売って郷里の山口県防府へ帰るまで三年間続いた。私たちはその売れた金額の十分の一をもらって大崎に土地を買い、小さなテックス張りの家を建て、移り住んだ。一九四九年十二月のことであった。小野が見つけてきた土地は、品川区戸越で、私たちだけでは広すぎる。当時一番信頼し、親しかった内野壮児さんにすすめて半分ずつ買うことにした。こうして内野さんとは隣同士、塀も何もない地続きであけっぴろげな親友となった。
翌五〇年正月には横井亀夫氏が内野さんを訪れるようになり、自然私たちとも親密になったが、横井氏はその後内野さんが女医であった夫人の診療所のある大島(江東区)へ移転のあとを受けて旧内野家に移ってきたため横井氏一家とも親密な交流を続けることとなった。
一九四八年、小野は代々木共産党本部勤務から「アカハタ」機関紙記者となっていた。

<父のこと>
父は、私が十三歳の時亡くなったが、東京高商(現一橋大学)の学生時代、正岡子規の根岸庵に高浜虚子や荻原井泉水とともに出入りし、俳号を「芒生」といった。のちに季語のない荻原の自由律俳句に変わったが、その流れは次兄周二に受け継がれ、京大生だった兄が帰省し、月一回持つ句会には殆ど毎回当時山口に住んでいた種田山頭火が顔を出していた(これは句会の後夕食会で一杯できるのと、帰りに母から金一封を受け取るのが本当の目的だったかも知れないが)。
また父は画家津田青楓と親交を持ち、大正四年私が生まれた時丁度山口に滞在していた津田青楓が、後河原のみどりの美しさに感動して、「みどり」という名を生まれてきた子どもにつけたのだと、ものごころついてから父に聞かされた。安井曽太郎・岸田劉生・川端龍子・南薫造などの油絵が座敷の欄間に掲げられ、朝鮮京城(現ソウル)の高商の校長になってからは李朝陶器や李朝木工品を家から溢れ出るばかりに収集し、京城在住の民芸運動家、浅川伯教・巧兄弟と親密な交際を続け、その親密さは後に柳宗悦・外村吉乃介たち民芸運動家にも及んだ。また母千代野は明治末期東京女子高等師範学校理科を卒業し、父と結婚後も女学校の数学教師を長年にわたってつとめる一方、熱心なクリスチャンとしてというより教会に身を置いた新しい目覚めた婦人の一人として人々との交流の輪を広げた。ずっと後のことになるが、東京下北沢の小野の家の二階を誰かの紹介で共産党経済学者(当時立教大学教授)高川実氏に貸した時、「私は山口でみどりさんのお母さんが中心になってやっておられた集まりに出たことがあるのですよ」と言われ、全くの偶然に驚いた。(因に、高川氏は山口県出身である。)そして私が出た学校はあらゆる点でリベラルなアメリカ的合理主義で貫かれていた。

<力石・武井・安仁と小野義彦>
一九五〇年五月GHQ教育顧問イールズ博士の東北大学での講演を学生が妨害したため同大学長が辞意を表明、このことから東大、早大等に『イールズ闘争』が起こった。そして戸越の家には、力石定一・武井昭夫・安東仁兵衛氏等のイールズ闘争を闘っていた学生が集まるようになった。長男暸が生まれて二ヵ月余りのことだった。大振りのかごに寝かされていた暸の顔を見ながら「りょうという名前よりもペンさんという名の方がいいですよ」と言ったのは武井昭夫氏だったと思う。ペンというのは、小野がソ連一辺倒だという意味で、彼ら学生が小野につけた仇名だった。小野が彼ら学生をどのように指導していたのかは知らないが、「昭和史全記録」(毎日新聞社版)の一九五〇年5・5の項に「共産党・コミンフォルム批判後、分派的傾向の東大細胞・早大第一細胞の解散指令.5・6全学連書記局細胞に解散命令.6・2全学連執行委反論。学生運動指導に関し、共産党中央委員会と全学連指導部の対立強まる。」とある。これを見ると、当時の小野と学生たちの活気と自身に満ちた顔をまざまざと思い出す。
四九年から五〇年にかけて、東大学生だった力石定一、武井昭夫、安東仁兵衛氏たちが家に出入りしはじめた。イールズ闘争のための会議だと聞かされた。(GHQイールズの「各大学から赤い教授を追放せよ」という通達に反対して始まった)彼らがくるのは大抵夜間であったが、私は小野と共に彼らにも遅い夕食を出した。或る夜十一時頃来た安東仁兵衛氏に夕食を出したところ、「僕はこのイカの煮たのが大好きなんです。この匂いが僕をここに引きつけるのです」という。それは苦しい家計の中ながら、若い人たちへ食事を出す私への言い訳だったかも知れないが、その頃苅田のある店へ行くと、いつも赤くなってすこし臭いのするイカが安く手に入ったので、殆ど連日うちの夕食はイカの煮付けだった。またある時は武井氏と力石氏が数日うちに寝泊まりした。それは秘かに朝鮮に行くために待機していているのだという説明だった。(結局これは実現しなかったらしい)
またある日曜日、当時話題になっていた「米」という映画を見に品川まで行った時のこと、映画館の横で待ち合わせているところへ約束時間に遅れた安東仁兵衛氏が、大きい靴でドタドタと音をたてながら走ってきた。その時小野が「そんな大きな音を立てて走ってきたら、スパイの注意を引くことになるじゃないか」と彼をたしなめた。この時のことを私ははっきり覚えているが、それから四十年以上経った一昨年(九一年)たまたま安東仁兵衛氏が何かに小野のことを書き、小野の言うことが「朝令暮改」だったこと、「ある時小野から些細なことで強くたしなめられたということから、小野から離れていった」と書かれていて、人と人との接触がいつも必ずしもその意図通り受け入れられないのだということを強く感じさせられた。また同じ頃、平沢栄一氏がしばしば小野を訪ねてきた。そして必ずといっていいほどうちで食事をしたが、彼の食欲は旺盛で、私は内心ヒヤヒヤしながら食事を出していた。ずっと後になって平沢氏は「小野君の奥さんは、俺が東京の食い物をけなし、関西の食い物自慢をすると悔しがっていくらでも食い物を出してくれる」といっていたとか。平沢氏は太っていて、よく胸を広げては、その頃三ヵ月になっていた暸に乳房を含ませる恰好をして皆を笑わせていた。私は長女を出産したとき、できるだけ産後の休暇を長く取るため、出産ギリギリまで出勤し、「小野さん、もう休めよ」と見かねた同僚から言われるまで出勤したが、第二子の妊娠に気づいてそのことを外報部デスクに告げた時、「小野さん、もういい加減にしてヨ」と言われた。私はその言葉をおして出勤を続ける勇気がなく、休職の手続きを取った。
五〇年三月長男暸誕生。七月、新聞・放送のレッドパージ開始、私は休職のまま九月パージされた。
一方小野はアカハタ編集局で伊藤律と対立し、十二月出勤停止となった。そして私たちは全くの無収入となった。

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【投稿】テロ攻撃「報復戦争」の危険性

【投稿】テロ攻撃「報復戦争」の危険性

<<「第2の真珠湾」>>
 9/11、突如世界を震撼させた史上最悪、同時多発の自爆テロ攻撃が、憎悪と混迷の渦を巻き起こしている。アメリカ資本主義繁栄の象徴でもある世界貿易センタービルとアメリカ帝国主義の軍事的覇権の象徴でもあるペンタゴン攻撃と言う思いもよらぬ事態に、ブッシュ米大統領は、当初の驚愕から立ち直るや「草の根をかき分けても犯人を追い詰め、厳罰に処す」との共和党タカ派の本領を剥き出しにした第一声を発した。続く閣僚、ホワイトハウス要人の発言もことさらに「戦争状態」を強調、「悪魔」「ヒットラーの再現」「卑劣」「厳罰」等々、感情剥き出しの憎悪と「正義の報復戦争」にすべてが収斂されている。
 9/13、ブッシュ大統領が「この戦争に勝利することを目指しながらも、アラブ系米国人やイスラム教徒に相応の敬意を払うことを忘れないでおくべきだ」と述べたその後から、パウエル国務長官は「これは米国にたいする戦争ではなく、文明に対する戦争だ」と述べて、文明と非文明の対立を強調、非文明社会に対する戦争行為の正当性を主張。これに呼応するかのように、インターネット・リレー・チャット(IRC)上では、犠牲者の家族への弔辞、献血の呼びかけとは別に、激越な非難が飛び交い、『アラブを核攻撃せよ』(Nuke-the-arabs)や『アラブを殺せ』(kill-the-arabs)といった反アラブ的なチャンネルがいくつも現れている。
 9/12付ワシントン・タイムズは、1面に炎上する世界貿易センタービルの写真を掲載、その中に「汚辱(Infamy)」という1語だけの大見出しを掲げ、中面にはやはり日本軍の真珠湾攻撃によって炎上するパールハーバー奇襲の大写真を載せて、両者の同一性を浮き上がらせ、今回の攻撃を「第2の真珠湾」と形容している。これはアメリカの全メディアに共通する姿勢であり、「アメリカ本土が直接攻撃されたのは真珠湾以来」という歴史的事実、「奇襲」「自爆」「神風特攻隊」といった攻撃形態の共通性に言及、「戦争勃発」という非常事態に対する、そして「報復」攻撃に対する「挙国一致」の核に据えられている。同13日付けワシントン・タイムズのトップ社説の最後は「奴らはアメリカに1発かませた。それならやってやろうじゃないか」で締めくくられているという。

<<テロ攻撃促進政策>>
 事態の展開は、憎悪が憎悪を呼ぶ危険極まりない「戦争状態」に突き進もうとしているが、問題はそう単純ではないとも言えよう。9/12付けニューヨーク・タイムズは、「人の心に育つ憎しみがこのような事件の根元だけに、問題解決に単純な方程式はない」と述べているように、このような時にこそ冷静な判断と評価が必要とされている。同じく同日付の英紙フィナンシャル・タイムズのアメリカ版社説は、「ブッシュ大統領は中東政策を再考慮すべきであろう。アメリカ政府がイスラエル・シャロン首相の強引な政策を許容してきたことが、アメリカに対するテロ攻撃を促進したことは間違いない」と断言している。 民主党から共和党、クリントンからブッシュへの政権移行の顕著な変化は、「嫌いな相手との対話拒否」とまでいわれている。前政権の紛争仲介・介入政策の放棄は、イスラエル・パレスチナ問題、南北朝鮮の対話促進問題等に端的に現れている。むしろ紛争を激化させることに腐心してさえいる。9/3の国連人種差別反対会議の完全ボイコットは、ブッシュ大統領が「事前の準備や決議にイスラエル非難があり、これを撤回しない限りアメリカは参加しない」と繰り返し発言していた結果である。今回のテロ攻撃はいわば自らが招き寄せた側面があるともいえよう。事実、ブッシュ政権以降、「対イスラエル自爆テロ」が増大してきたのである。
 さらに今回の事態が明らかにしたことは、いかに重武装し、ハイテク兵器を展開し、がんじがらめの警戒体制をひいたとしても、すべての可能性を防ぎきることは決してできないという厳然たる事実であろう。対話ではなく、憎悪をあおる戦略の危険性は、むしろ今回の事態によってさらに高まったともいえよう。すでに多くのメディアで指摘されていることでもあるが、あの自爆攻撃が原子力発電所にかけられていたら、放射能汚染が地球規模で拡散し、世界は悲劇的な事態に遭遇していたであろう。「報復戦争」の遂行は、そのような事態をももたらしかねない危険性を内包しているとも言えよう。

<<「スーツケース核弾頭」>>
 さらに危険なのは、テロ攻撃の形態には核弾頭さえ含まれる可能性さえ指摘されていることである。ブッシュ政権は、クリントン政権時代の「ゴア=チェルノムイルジン合意」を「高くつきすぎる」との理由で破棄しているが、この合意はゴア副大統領とロシアのチェルノムイルジン首相との間で「現在、世界における最大の脅威は米ロおよび旧ソ連から分離した旧共和国に存在する合計20万発近い核弾頭で、特にロシアにおける不完全な管理態勢が脅威だ」として、その核弾頭の段階的解体と厳重な管理への資金援助について合意に達していたものである。それはいわゆる「スーツケース核弾頭」にも適用されるものであった。問題は、すでにこの「スーツケース・サイズの核弾頭100個のうち、半分近くが行方不明だ」との驚くべき実態が報道されていることである。
 すでに世界のどこかで闇取引されている可能性のあるこの核弾頭は、無線起爆装置によって広島原爆の10倍以上となる破壊力を持っている。以前から「ドイツ諜報部は、巨大なスーツケースを背負った人間が五月雨式にカイバル峠を通過した事実を確認している」とのニュースが流されている。カイバル峠の先は、中東諸国であり、アメリカが再び叫び出した「ごろつき国家」群である。今騒がれているオサマ・ビン・ラディンのグループであれば、すでに入手している可能性さえあるであろう。まさに「報復戦争」の当事者でもあり、それをかくまう当事国でもある。緊急に必要とされている措置を放棄し、こうしたずさんな実態を野放しにすることからどのような利益が得られるというのであろうか。
 ブッシュ政権はさらに、ロシアとの弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約の一方的破棄を宣言し、途方もない幻想的なミサイル防衛構想に巨額の予算を配分しようとしている。この夏には「中国の核ミサイルの拡張にあえて目くじらを立てない」と示唆し始め、米各紙は「新たな世界的核軍拡を容認するもの」と批判したばかりであった。
 こうしたブッシュ政権の一方的軍拡と覇権主義、対立をあおる緊張激化政策が、その深刻なツケを払わねばならない事態を迎えているとも言えよう。

<<「テロリストに救われた」>>
 テロ攻撃は憎悪を増すばかりであり、事態をより悪化させることは言うまでもない。「報復」もしかりである。すれすれで大統領の座を確保したブッシュにとって、今回のテロ攻撃は全国民的支持を取り付ける絶好の機会ともなった。しかしこの「報復戦争」は自らの政策が招き寄せた国家的テロルとしての軍拡と緊張激化政策の結果でもあり、際限のない泥沼化の道でもある。
 小泉首相も事件後ただちにブッシュ大統領に「アメリカに全面的に協力する。日本のできることは何でもやる」と伝え、「民主主義社会への重大な挑戦であり、わが国は米国を強く支持し、必要な援助と協力をおしまない」と強調し、ことさらに「米国と一体になって闘う」決意を表明した。それはあたかも自らへの攻撃として米国とともに戦争を決意し、はせ参じる「特攻隊精神」の表明でもある。そして自衛隊法改定による自衛隊の米軍基地警備実現や有事立法の制定、集団的自衛権の行使の合憲解釈などへの動きをこの際一機に実現しようとあわただしい動きを見せている。
 株価暴落では打つ手を何も提起できず、ただただ傍観していた小泉首相にとって、刻々と近づいていた株価1万円割れが自らの責任ではなく、米国の同時多発テロの影響による全世界的な株価下落に責任を転嫁できたのである。9/12の東京市場は実に17年ぶりに1万円を割り込み、開始後わずか6分で1万円台を割り、終値は前日比682円安の9610円。小泉政権登場以来、株価は政権を見放すかのように下落を重ね、8/29に11000円台を割ってからは、連日株価は急落し、直前の9/10には10195円にまで下落、その後数日で1万円台割れが確実視されていたのである。そこにふってわいたテロ攻撃、まさに「テロリストに救われた」わけである。しかし責任逃れが可能なのは当面のことにしかすぎない。ブッシュ路線に入れ揚げていけばいくほど、日本発の世界的大恐慌への道を先導しかねない事態へと日本を引きずり込むのではないだろうか。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.286 2001年9月22日

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