【投稿】「慰安婦は商行為」発言の根深さ

【投稿】「慰安婦は商行為」発言の根深さ

またまた、奥野発言が世間を騒がしている。従軍慰安婦問題について、「慰安婦は商行為に参加した人たちで、強制連行はなかった」と、「明るい日本」国会議員連盟結成後の記者会見で、発言した奥野衆議院議員は、これまでも史実否定の暴言を何度となく繰り返している。法務大臣の時には、暴言に対するアジア各国からの抗議で辞任に追い込まれている。「にもかかわらず」である。
さらに奥野氏の盟友である板垣参院議員は、抗議のため来日中の韓国人慰安婦・金相喜さんが「私は15歳で拉致、連行され、日本軍部隊の慰安婦にされた。私が生き証人だ」と傷跡まで見せて抗議した際に、「カネはもらっていないのか」と何度も尋ね、「いっさいない」と答えると、「客観的証拠はあるのか」とまで開き直っている。金さんはその場で「かつて戦場で私の体を汚し、50年たって今度は私の魂まで汚すのか」と抗議している。

こうした醜悪な議員の「頑迷さ」を支えているものは何か! 朝鮮人の元従軍慰安婦を支援している「ハルモニ(おばあさん)たちを支える会」の朴壽南(パク・スナク)さんが、「奥野議員のような発言が続くのは、日本政府が侵略戦争を認めていないから。」と語るように、発言の“根”は深い。初めて従軍慰安婦だったことを名乗り出た金学順さんは「お金のために日本の軍人に体を売る仕事をすすんで始めたのだなどという日本人が、まだいるということを聞いただけでも体が震えてきます。私たちはお金がほしくて声をあげているのではありません。日本が国としての責任をはっきりさせることを求めているのです」と語っておられる。体の震えが、怒りの震えが伝わってくる。

奥野議員が会長に就任した「明るい日本」国会議員連盟は、昨年の村山内閣が提起した「戦後50年国会決議」に対して「先人の努力を誹謗する決議には反対だ。日本は侵略的行為も植民地支配のどちらもしていない」として、野党の新進党と共に議決に加わらなかった「終戦50周年国会議員連盟」を直接に受け継いだ、もっとも頑迷な保守反動議員の集まりである。その結成趣意書には「侵略国家として罪悪視する自虐的な歴史認識や、卑屈な謝罪外交には同調できない」とする挑戦的な姿勢が露骨に示されている。これに、116人もの自民党議員が加盟していること、その中には現橋本内閣の二人の閣僚と6人の政務次官も名前を連ねている。こうした「歴史も恥も知らぬ」政治家たちが日本国内においては堂々とまかり通っているという事態は、実にいい加減で無責任な政治が横行してきたかという証左でもある。これに関連して、「アジア各地の元従軍慰安婦の現状などをルポした特集番組のロケ取材を進めていたNHK取材班が、上層部の中止決定で解散させられていた」ことも、看過できない事実である。取材に協力してきた韓国挺身隊問題対策協議会が放映中止に抗議し、「中止に至った経緯の真相を明らかにするよう」求めている。

しかし一方で、奥野発言に対して、自民党内部からも批判が出始めた。「7月2日の同党役員連絡会で、野中広務幹事長代理は『異常な時代の異常な出来事について、政府・与党が傷口をいやそうとしている時に残念な発言だ。発言を慎むべきだ。』と指摘。亀井静香組織広報本部長も『国策としてやらなかったとは思うが、軍が実態としてそうしたことを行ったのは事実だ。党全体として奥野氏のような認識は問題だ』と述べた」(7/3朝日新聞)という。また、奥野議員の地元である奈良県内を中心に、関西で抗議が広がっている。「議員辞職を求める」動きもある。こうした「懲りない」議員や同調する議員たちには、その責任を厳しく追及し、引退して戴くしかない。来たる総選挙を待つまでもなく、「即時辞職」を求めて行動することが求められていると思う。
(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.224 1996年7月20日

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【集会報告】「獄中から見た死刑」集会報告

【集会報告】「獄中から見た死刑」集会報告

死刑廃止フォーラム in おおさか主催の集会「獄中から見た死刑」(6月29日午後6時、アピオ大阪)が、成功したことを報告します。70名の会場でしたが、午後6時開始時点で、ほぼ満席の状態でした。(受付では、最終的に76名の参加を確認しています。)
講師は、元受刑者で、大阪拘置所で藤岡さん(95年5月26日執行)などと接していたNさんとその身元引受人の下村忠利弁護士。飛び入りで、山之内幸夫弁護士(93年3月26日川中さんらが執行されたとき大阪拘置所に収容されていた)も参加。また、中道武美弁護士とともに、元衛生夫で藤岡さんなどのお世話をされていた方も話をされました。
外部には伝わりにくい確定死刑囚処遇の様子や、執行の際の獄中の様子、職員の様子などが、克明に話されました。死刑執行の残虐さや、法務省の密行主義の問題点が集会参加者に明らかになったと思います。参加人数、内容ともに大成功でした。
詳細は、「フォーラム90」(死刑廃止条約の批准を求めるフォーラム90)などを見てください。
(尚、集会では、Nさん、元衛生夫の方も実名で話されました。1996-06-30 Y)

【出典】 アサート No.224 1996年7月20日

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【投稿】「新党」構想の現実化と社民党

【投稿】「新党」構想の現実化と社民党

<<過去最低を更新する社民党支持率>>
本紙前号の大阪・O氏の「最終局面迎えた社民党」は、もはや「ご臨終」の段階に至った同党の惨状を実に赤裸々に描き出している。氏は最後に、「こうした惨状は、言ってみれば自業自得であり何ら同情に値するものではないし、逆に最後にして最大の社会貢献と言っても良いのではなかろうか」と断を下しておられる。確かに同じ実感を持つのではあるが、「最後にして最大の社会貢献」にしては情けなく、もう少し「社会貢献」の余地がないものであろうかと考えさせられてしまう。
7/7-8の朝日の世論調査によると、政党支持率で社民党は過去最低を更新したという。全国平均では5月調査の11%から10%へ低下、大都市地域(東京区部と12政令指定都市)では、さきがけ10%(全国8%)、共産9%(全国7%)をも下回る8%であった。
一方、自民支持率は46%と高い水準を維持し、新進は14%で低迷している。共産支持率が7%になったのは、76/3調査以来である。
なおこの少し前に行われた、6/21-23の日経調査は以下の通りである。
支持率   今回 前回=4月    連立与党の成果      鳩山新党
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自民    39.6  40.7      十分な成果 2.1      大いに期待   9.1
新進    10.0  11.3      ある程度成果 30.5   少しは期待   31.2
社民     8.8    8.7     あまり成果ない 41.3   あまり期待しない 34.5
共産     5.5    5.4     成果なし 21.0       期待しない  19.6
さきがけ   4.2    5.2     わからない 5.2      わからない   5.5
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<<「新党」への期待度と共産党の善戦>>
確かにこれらを見ると、社民党が「臨終」局面に至っていることは間違いないといえよう。問題は、この「ご臨終」に際して「親族、関係者ご一統」が「ご焼香」「お見送り」でそれぞれの帰路へとただただ解散してしまう以外に道がないのであろうかということである。
焦点は「新党」結成への動きである。すでに「鳩山新党」は9月結党を目指して動き出しており、「ソフトクリーム」であろうがなかろうが、これに失敗すればもはや誰からも相手にされないギリギリの局面でレールが敷かれたといえよう。新党への期待は何度も裏切られ、挫折を繰り返してきたがために、あきらめムードが強いにもかかわらず、それでも40%前後の期待が寄せられている。
それは、自民、新進、保守2党体制への危機感、保・保連合への嫌悪感が多くの人々の意識の中に厳然として存在していることの証明でもある。朝日の調査では、消費税の5%への引き上げについては、「支持する」18%に対し、「支持しない」が76%にも達している。共産党の支持率が久方ぶりに上昇してきたこと、各種選挙で善戦していることもその現れであるといえよう。それでも、先頃の共産党中央委総会で不破委員長が「党活動が前進している中で、機関紙拡大だけが後退を続けていることは重大だ」と指摘せざるをえない、幅の狭い、敵失による前進である。そのセクト主義的我田引水路線が改められない限り、質的な前進はありえないであろう。

<<政党交付金にしがみつく抜け殻>>
その意味で、新たな第三勢力、第三勢力と言うよりは、反保・保連合という意味での広範で強力な連合への国民的期待度は依然として強いのである。
 〇〇氏の立候補通信にあるように、すでに社民党内では赤松氏ら「創志会」グループ20名前後の現職議員が離党を前提に新党合流を確認している。これに北海道の衆参現職9名、自治労系新グループ18人が同じく合流を目指している。ローカルパーティ系もこれに加わることは間違いない。これらが現実化すれば、社民党の現執行部は、年間50億円にも上る政党交付金にしがみつく老齢グループの抜け殻と化してしまう可能性が極めて高いのである。
たとえ「抜け殻」であっても、その存在価値があればまだしもであろうが、事態の進展はそうしたことも許さないであろう。まず連合政権を組んでいる当のさきがけはそのほとんど20名以上が新党に合流し、その主柱を構成するであろう。海江田氏らの市民リーグ5名、そして新進党の反小沢グループ、旧日本新党系グループからも当然参加が見込まれている。こうして新党が事実上形成されつつあり、これが9月の時点で現実に結党という事態になると同時に、もはや自・社・さ連合政権の屋台骨が崩壊してしまうのである。あえて現橋本政権を継続させようとすれば、それを支えるのは自民党加藤グループと社民党残留グループでしかなくなってしまう。当然、橋本政権は無理矢理現状を維持するか、あるいは結成された「新党」と手を組むか、いずれにしても新たな政界再再編成を前提とした国会解散・総選挙に踏み切らざるを得ないといえよう。

<<「最後の社会貢献」>>
ここで、社民党にとって残された最後の「社会貢献」が、切りとられ、散々に踏みつけにされ、「抜け殻」と化した惨状をさらすことだけではないとすれば、後々の新党のためにも、現連合政権の枠内であれ、最大限の政策転換を明示し、実行に踏み出すことであろう。消費税の据え置き、特別減税の継続、不公平税制の改革、地方分権の推進、強制収用を目指した沖縄特別基地立法の放棄、従軍慰安婦問題等の国家賠償による戦後補償責任の明確化、「もんじゅ」の即時閉鎖、情報公開法・人権基本立法・環境保護立法の確立、等々、社会党としてこれまで一貫して掲げてきた政策課題は依然として有効であり、今後とも継承され、追求されなければならない課題である。「臨終」を前に、「最後の社会貢献」があるとすれば、これらの一つでも獲得するために、最大限の努力をすることではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.224 1996年7月20日

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【投稿】地方分権は自治体こそが牽引車に

【投稿】地方分権は自治体こそが牽引車に
                   —国の限界:建設省の場合—

3月末に地方分権推進委員会が「機関委任事務は原則廃止を決断すべき」と積極的な中間報告を行い、いよいよ今年一杯で「分権が進むか、立ち止まるか」の瀬戸際に来ている。この中間報告に対して中央省庁は「権限委譲」に頑強に抵抗していると言われている。
私自身の自治体での仕事も都市再開発事業という建設省の補助を受けて行う事業であるため、「地方分権推進」には、大いに関心がある。
現状は、「お上から補助金をいかにいただくか」ということであり、その実態はほとんど変わっていない。特に、3年前の非自民連立政権以後も、もちろん自社さ連立政権になっても、一向に変わることはなかった。

<国の許可するものにしか補助金はおりない>
国と地方の財政的関係には、交付税、特別交付税、補助金、起債などがある。交付税・特別交付税は単独の事業単位ではなく、特定の自治体全体の行政運営に対して交付されるのだが、補助金は「法律に基づく特定の事業」に対して、国(建設省)が認めた場合、補助金が出る。
さらに補助金の配分については建設省が握っており、また補助率の規定も「1/3を限度として補助できる」という規定であり、「予算がないから辛抱せよ」と1/4の補助しか出ない場合もあり、その配分実態は地方にはわからない。
こうして「陳情」や「政治家」を使った「要望」がまかりとおっており、地方分権が進まない限り、補助金の配分を通じた建設省の地方支配の側面は当分揺るぐとは思えない。

<情勢の変化で苦しむ建設省>
しかし、道路、港湾、空港や下水など従来の都市基盤整備型補助にかげりがさしているのも事実だ。長良川河口堰の問題でも明らかなように、闇雲な開発が自然破壊を生んできたこと、ダムが電力と水源を生み出してきた高度成長期ならいざ知らず、現在の国民は「環境」への配慮なしに建設省の言いなりにはならなくなってきた。そこで「自然にやさしい河川改修」「自然に配慮した下水道事業」などと、官制団体を使って「環境に配慮した建設省」というイメージ作りに躍起である。
同様に、「人にやさしい街作り事業」「高齢化社会対応のまち作り事業」や環境に配慮した事業等には上乗せ補助を行うなどの「新規施策」を毎年のように打ち出し、「政策的な予算配分」をしているかのように国民に見せようとしている。
昨年からは「防災型」がはやりで、従来の枠はそのままに、「防災」を頭に付けて、既存のシステムを守ろうとしている。

<すでに限界の政策配分>
しかし、地方分権の論議と関連して考えると、これら建設省の施策も「地方」の後追いでしかない面が強い。環境にやさしいといってもせいぜい「地域冷暖房施設」だとか「ごみの集約施設」だとか、大規模設備に対する補助を増やしたに過ぎない。(それも設備業者の売り込みの結果だが)
省庁縦割り式の国補助金体系に対して、地方の側はしたたかに、横に広がって、建設省の、あるいは厚生省の、通産省のと補助金を並列で獲得することで都市の整備を図ろうとしている。
地方の側のまちづくりは、まさに現場主義であり「国に頭を下げて」補助金を取る、という従来のシステムから、地方の側がコーディネイトして補助金を利用するという方向が実態となりつつあるのではないか。
国を越える知恵を地方の側が獲得しつつある、というのが現在の流れだと感じる。建設省の新規施策というのもそれに乗っかっている、というのが実態であろう。

<地方の連合が求められる時代>
たしかに一自治体での経験、蓄積はなかなか難しい。また自治体どうしの人事交流も現在制度的には府県と市町村の関係以外では行われていない。
国と対抗する地方という道筋からは、権限・財源の移譲もさることながら、人材の共同育成・経験の普遍化という作業も必要になると思われる。地方分権が進めば、府県にはこの程度の仕事しか残らないという議論もある。3300自治体がまとまって国に対して「連合」を組むというくらいの迫力が地方分権を進める原動力であろう。
そしてその責務は我々自治体労働者であることは当然のことである。 (大阪 S)

【出典】 アサート No.223 1996年6月21日

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【書評】「児童虐待と魂の記録」

【書評】「児童虐待と魂の記録」
    『シーラという子・・・虐待されたある少女の物語』(トリイ・L・ヘイデン、
                   入江真佐子訳、早川書房、1996.3.31.発行)

「1995年10月25日付日本経済新聞によると、全国に 157カ所ある児童相談所で処理した18歳未満の児童虐待件数は1994年度で1961件と、91年度からの4年間で 1.8倍に増加しています。しかも虐待は家庭内という密室で起こり発見されにくいことを考えれば、この数字は氷山のほんの一角であり、実際にはこの何倍もの件数が潜在化している可能性があります」(訳者あとがき)。
本書は、このように日本でもよく聞かれるようになった児童虐待が、もっと大規模に深刻なかたちで発生しているアメリカで、小学校の重度の情緒障害児のクラスを担当している教師が、一人の6歳の少女・・・異常行動でまわりのものもすべてに反抗し、拒否する少女・・・を受持ち、その少女が、自分自身と周囲をを受け入れて成長していく過程を綴ったものである。
その少女の名は、シーラ。そもそもの話は、「11月の寒い夕方に、女の子は3歳の男の子を連れ出し、その子を近所の植林地の木にしばりつけて火をつけた」という事件から始まる。その女の子が、警察に拘束されて、州の精神病院の小児科病棟に措置されるが、そこに空きができるまで、ということで、著者の情緒障害児のクラスに押しつけられる。そこから著者の悪戦苦闘の日々が続くことになる。
季節労働者用キャンプの一部屋だけの小屋での、アルコール依存の父親との二人だけの生活。シーラが4歳のとき、弟だけを連れて家を出ていってしまった母親。そして幼時時代の虐待の経験等々、およそ正常な生育環境とはほど遠い状況で過ごしてきた彼女の行動は、著者にとっては、予想し得る限界を越えたものであった。特にシーラの最大の自己防衛本能は、「決して泣かない」ことを少女に強いていた。クラスと著者に慣れてしばらくして後、シーラはこのことを、担任である著者にこう語る。
「あたし、ぜったい泣かないんだ」
「どうして?」
「そうすれば誰もあたしを痛めつけることはできないから」
私は彼女の顔を見た。彼女の言葉が示す冷やかな感性にぎょっとしたのだ。「どうい うことなの?」
「誰もあたしを傷つけることはできないんだよ。あたしが泣かなければ、あたしが痛 がっていることはわからないでしょ。だからあたしを痛めつけることにならないんだよ 。だれもあたしを泣かせることはできないんだよ」
わずか6歳の女の子が、このような冷たく固まってしまった感性を持ってしまうほどの心の傷は、それ故徹底した攻撃と反抗(破壊的行為)で示される。その具体的な状況は、本書の至る所に見られるが、これに対して著者は、信頼と癒しによってシーラの心の扉を開こうとする。
それは、著者が読み聞かせるサン=テグュジュペリの絵本『星の王子さま』に出てくる王子さまとキツネの「飼いならし」(友情)ということに象徴される互いの心の通じあいと言えよう。こうした中で、シーラが、外見上から判断される知的障害児ではなく、並外れた知能の持ち主であることが発見される。そしてそうであるからこそ、より心の痛みが深いことが理解されるのである。
シーラが著者に対して徐々に心を開いていく過程は、山あり谷あり、期待と絶望と不安といらだちの混じりあった日々の連続で、本書を読んでいただく方が手っとり早いが、この中で一つの決定的事件が、彼女への性的虐待事件である。それは、途中から家に同居することになった叔父ジェリー(父親の弟)によってなされる。
かつて3歳の男の子に対しては加害者であったシーラが、今度は被害者として見なされることになる。この事件によって、著者の眼は、犯人であるシーラの叔父ジェリーに対する憎しみの気持ちから、ひるがえって、かつての被害者の男の子の両親がシーラに対して持っている怒りとかなしみの気持ちに思いいたり、さらに深化する。
「この事件に関しては胸の悪くなるような思いだったが、同時に私は不思議な胸の疼 きを感じていた。5ヵ月前には、シーラが加害者で他の誰かがその犠牲になったのだ。 被害者の男の子の両親は、チャド(著者の恋人・・・引用者)がいまジェリーに感じて いるのと同じように感じていたにちがいない。この極悪非道な犯罪はぜったいに許せな いが、私がシーラの中に見いだした心の傷が、おそらくジュリーの中にもあるのだろう ということに私は気づかされた。二人とも潔白ではありえないが、二人ともまた芯から の悪人というわけでもないのだ。ジェリーもまたシーラと同じく犠牲者なのだと思うと 、私はたまらなかった」。
ここには、被害者も加害者もともに抑圧して苦しめる「病める社会」の姿が端的に描かれている。これは、シーラの父親にもあてはまる。
「犠牲者はシーラだけではないのだ。彼女の父親もまた彼女と同じだけの気遣いを必 要としており、またそうされるだけの資格を持っているのだった。かつて、痛みからも 苦しみからも決して救われることのなかった少年がいて、それがいま一人の男性になっ ているのだった」。
何ともやり切れない社会状況であるが、著者は、この状況を冷静に見すえ、シーラの成長の妨害となっているものを取り除くべく闘う。われわれは、この著者の姿に心を打たれる。
しかしまた著者の努力が、孤軍奮闘であるとの感も否めない。このことについては著者自身も、「私は教師仲間の間でも、ずっと一匹狼的な存在だった。私は“別れるときに辛い思いをしても思いきり愛したほうがいい”派だったが、この考え方は教育界ではあまり人気がなかった」と述懐している。この点については、アメリカ的社会の特質と位置づけるのか、あるいはわれわれの社会にも共通するものを含む問題として考えるのか、議論される必要があると思われる。
そしてこれに関連して、行政の側からする障害児教育の位置づけの問題がある。本書では、結局著者の受け持つ障害児クラスは解散されてしまうことになるが、著者と同様に、行政の側の担当者にも切実な問題として提起されている。
以上本書は、感動的なまた驚くべき場面の連続によって、一人の少女が成長変化していく姿を描いたノンフィクションであるが、このような例は極端なものであるとしても、同様な子どもがあらわれてくる背景が日本でも確実に存在している今日、他人事では済まされぬ内容を含んだ書であると言えよう。孤軍奮闘的な本書とともに、子どもを取り囲む状況に対する社会的連帯を示唆する書が続いて出てくれることが待たれる。
それにしても、シーラのような子ども・・・並外れた知能を持つと同時に社会性が全く欠如している・・・が示す破壊的行為と、現代社会の「エリート・システム」によってつくりだされた人々がしばしばもたらす社会的破壊行為とが重ね合わさって見えてしまうというのは、評者の思い過ごしであろうか。(R)

【出典】 アサート No.223 1996年6月21日

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【投稿】沖縄復帰24周年を考える

【投稿】沖縄復帰24周年を考える

<なぜ沖縄に>
1995年9月4日、沖縄駐留の3人の米兵による少女暴行事件が起きた。同年10月21日の「少女暴行事件を糾弾し、地位協定の見直しを要求する県民総決起大会」には思想信条や政党の枠を越え、予想を大幅に上回る9万1千人が参加したと報道されていました。こうした沖縄県民の大きな怒りを背景として、大田沖縄県知事は代理署名を拒否し、米軍用地の強制使用拒否の姿勢を明確に示しました。
125万人県民の1割に近い人々が抗議集会に参加をする現実に、わたしも一度沖縄に行ってみたいと思いました。
そんな時期に思いが共通したのか、自治労から沖縄の平和行進に参加するいうことになり、わたしも初めて沖縄に行くことになりました。

<5.15平和行進>
5.15平和行進は、沖縄平和運動センターの主催する「5.15平和とくらしを守る憲法月間」の行動であり、今年は第19回目となっています。
5月12日に結団式を行い、5月13日から5月15日まで3日間沖縄本島3コース、宮古・八重山コースに別れて平和行進を行い、5月15日の「平和とくらしを守る県民総決起大会」で総結集するものです。平和行進は1コース1日約20km、全部で約60km歩くかなりハードなもので、沖縄の日ざしの強い気候や集団での行進による疲労などなかなか大変なものでした。
平和行進の本土からの今年の参加者は、例年の約2倍の750名ほどになり、関心の強さを示していました。そして、平和行進にはのべ約3千人が参加し、最後の「平和とくらしを守る県民総決起集会」には約5千人が結集し、集会後県庁前までデモ行進して行動を終わりました。

<復帰24年の沖縄>
今回の沖縄訪問で、わたしが最も関心をもったのは、「基地のない平和な沖縄」を目指した沖縄の現在の取り組みが、これからの地方分権の時代の中での地方自治の在り方や自治体職員の役割などを考えるうえで大変参考になり、大きな示唆を含んだものと考えられることでした。
今年の『5・15』は、あの悲惨な沖縄戦が終わって51年、復帰後満24年、基地問題がかってない盛り上がりを見せている中で迎えました。マスコミ各紙は、沖縄に今も在日米軍基地の約75%が集中し、県土の11%を占めており、県民の日常生活を悩ませていることや、今後の沖縄の進む方向をいろいろと報道していました。その中で、注目されるのは「基地のない平和な沖縄」を実現するためのアクションプログラムと、21世紀に向けた沖縄の「国際都市形成整備構想」であります。
それによると、沖縄県では、復帰24年を迎えた今年を「脱基地元年」として、2015年までに在沖米軍基地の全面返還を求めており、そのための「基地返還アクションプログラム」を立案しています。また同時に、沖縄を「アジア・太平洋地域と日本を結ぶ結節点」として活用を目指す「国際都市形成整備構想」も発表しており、国際都市沖縄の基本理念を「平和」「共生」「自立」としています。さらに沖縄県では、今後の国際都市形成を目指し、今年県庁組織を大幅に刷新し、国際都市形成推進室や地域離島振興局を設置しました。また、国際交流や県産品の市場拡大・観光等のためにアジアを中心に韓国・台湾・香港に加えてシンガポールやフィリピン・マレーシアなど多くの県海外事務所を設置しました。そして、大田知事は5.15復帰24周年にあたり「若い人々が将来に希望をもてる社会を目指し、取り組んで行く」とのコメントを発表しました。
この沖縄県の構想には、基地問題や今後の沖縄振興策の在り方をなど、非常に多くの困難が待ち受けている中で、自らの進む道を知事や県職員、多くの様々な立場の県民が知恵を出し合って取り組んでいることが示されています。この力が、政府やアメリカ軍を相手にしながら、「基地のない平和な沖縄」を実現する力になっている事がよくわかります。 進むべき方向を示し、その実現のために様々な立場の、多くの人々が自分自身の問題として知恵を出し合い、取り組んで行くこと、このような取り組みは、地方分権が大きな課題となっている、これからの地方自治体の在り方、住民自治を考えるうえで大いに参考になるものと思われます。
わたしも、地方自治体に働く一人として、職員としてできることや、今後の目指そうとする方向を考える上で、大きな刺激となった沖縄平和行進参加でした。  (大阪 T)

【出典】 アサート No.223 1996年6月21日

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【投稿】ロシア大統領選の混迷

【投稿】ロシア大統領選の混迷

<<新たな混迷と混乱の追加>>
6月16日の投票日を間近かに控えた去る5月31日、「ロシア大統領選挙・直前予想と旧ソ連・東欧圏の現状分析」と題して講演会が持たれた(主催:ニュービジネスサロン・現代社会主義研究会・関西ロシア経済協会)。講師のビクトル・ボイチェフスキー氏(モスクワ大学経済学部教授)は、44歳、新進気鋭の行動派の学者である。前回来日時の、ソ連崩壊後の政治経済情勢の分析においてもそうであったが、その鋭い批判的精神と具体的事実に裏付けられた洞察力は聴衆を引きつけて離さないものがあった。通訳を介したこの種の講演はえてして間延びのした焦点の定まらないものになりがちであるが、ロシア人以上にロシア人たる岩崎氏の間髪入れぬ的確な翻訳は、友人以上の親交のある講師の言わんとすることを生き生きと豊かにさせるものであった。
ボイチェフスキー氏自身は、エリツィン再選委員会の重要なメンバーであり、結局はエリツィン氏が選挙戦には勝利するであろうと分析する。しかしそれはロシアの新たな混迷、これまで以上の混乱をもたらす可能性を指摘し、同時にロシアの民主的発展にとって避け難い現実との妥協、学習の場でもあることを強調する。

<<「私が行くところには、金が湧いてくる」>>
エリツィン再選戦略の最も重要な柱は、特権的地位利用による豊富な資金と利益供与、マスコミ操作による人気取り作戦である。マスコミはほとんどがエリツィン派によって占拠されている。まるでサンタクロースのように金をばらまいて、エリツィン万歳を叫ばせ、憲法違反もどこふく風、選挙のために20億ルーブル以上をすでに使っている。実行不可能な約束の連発は枚挙にいとまがなく、エリツィン氏自身が「私が行くところには、金が湧いてくる」と放言する始末である。すでに、軍需産業に2兆8000億ルーブル、炭坑労働者・教員の未払い賃金の早期支払、学生奨学金の増額1億ルーブル、年金増額24億ドル、80歳以上老人への預金インフレ目減り補償、等々から、小はボルクタ炭坑地域への自動車ジグリ60台の寄贈に至るまで、そして州知事、市長には締め付けを強化すると同時に、国庫からの資金提供を約束するなど、そのほとんどは財源を無視した大統領令の連発である。さらには、2000年に向けて徴兵制を廃して全部志願兵制にするとまで言い出したが、ただただ人気取りのための政策であって、陣営の幹部は無視しており、誰も実行することなど本気で考えてもいない。
ここまでなりふり構わずやらざるを得なくなったのは、エリツィン支持が今年の1月には10%前後にしか過ぎず、他の候補に大きく水をあけられ、大衆のまともで健全な世論を無視できなくなってきたからでもある。

<<共通の立場「ロシア大国主義」>>
一方、これまでの世論調査では常に1位を確保してきた共産党のジュガーノフ氏の立場も複雑である。今や共産党自身が一枚岩ではない。ジュガーノフ氏は民族愛国ブロックの候補者である。党の指導部の多数は、社会民主主義的考え方に移行しているが、実は共産党は社民党だということを徹底させたいと考えているのは一派にすぎない。社会民主主義についていえば、ヤコブレフ、ポポフ、シェワルナゼといった純粋社民派が存在しており、第三勢力としてヤブリンスキー陣営が存在している。
共産党にとっては、大国愛国主義を前面に掲げ、共産主義の臭いをできるだけ減らすために、民族主義的左派の候補として、ジュガーノフしかいなかったのである。しかし多数派ではないのでブロックを組む必要があり、「大国ロシアを再建する」、「偉大なロシアを破壊したエリツィンを追い払おう」、「ロシア、祖国、人民」が民族愛国ブロックのメインスローガンとなったわけである。
しかしロシア大国主義はエリツィン陣営と共通のスローガンである。事実、ジュガーノフは「プリマコフ外相の外務省はより民族的で、国益にかなった路線をとっている」と、エリツィン政権の外交政策を評価しだしているのである。 ジュガーノフ陣営は、特に選挙に力を入れなくても30%はとれる、左翼全国ブロックとしては40-45%は獲得するであろう。しかし、仮に多数を取っても、ジュガノフ氏は今の状況の下では、大統領の仕事ができないし、もたないことを自覚している。

<<「最悪の中での最良の選択」>>
仮にジュガーノフが勝つと、麻痺した経済を回復させることは不可能であるばかりか、スタグフレーションがさらに強まり、それを圧し止める力が政治的にも経済的にも現在の共産党には残っていないのである。そこでどこかで今の政権と妥協を見いだす方向、共倒れの回避、国全体のために妥協する必要が主張されるわけである。
そしてエリツィン派の冷静な部分も、シャターロフ等は共産党と交渉をやっている。極右民族派のジリノフスキーは、今回控えめな態度をとりながら、ジュガーノフに挙国一致、全党派の連合政策を提案している。派手な選挙戦の水面下で、閣僚ポストをめぐる駆け引きが進行しているのである。
第3位にヤブリンスキーがつけているが、エリツィンの取り込み作戦は失敗している。ゴルバチョフ氏は、3-4%の支持はあるが、彼のチャンスはゼロに近いものである。ゴルバチョフとヤブリンスキーの政策がよく似ていることは見ておく必要があるだろう。「強いロシア」を主張するレベジ氏のロシア共同体運動は、5%程度の支持であろう。 こうした事態の中で、ロシアの知識人は呆然として何をしていいのか分からない状態に置かれている。今回の選挙は、いわば駄目な中での選択、さまざまな悪いケースの中での最良のものの選択といえよう。
(以上は、筆者の主観的なまとめであることをお断りしておきます。)
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.223 1996年6月21日

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【投稿】最終局面迎えた社民党  

【投稿】最終局面迎えた社民党

■もはや「筋弛緩剤」が必要?
社民党は新党結成の展望を見いだせないまま、最後の時を迎えようとしているが、今回の「臨終」は、残念ながら過去の総評解散のような「安楽死」には、到底ならないだろう。
それは、医師が「あなたは癌であり、手術が必要です」と告知しているにもかかわらず、「そんなことはウソだ、オレはまだまだ死なない」と治療を拒否し、末期に至ってしまった患者の姿そのものである。
そして、こうした頑迷な対応に医者も「それなら勝手にすればよい」とサジを投げてしい、家族にも「もうつきあっていられない」と見捨てられつつある。
現在はさすがに死期を悟ったようだが、そうすると急に取り乱して「医療制度が悪い、医者が悪い」と断末魔のあがきを見せている。
こうした姿に皆が愛想を尽かすのも当然で、一般有権者はもとより、支援労組や身内の議員や地方組織の離反が相次いでいる。
これまで「党中央」は、地方組織や議員の造反については、政党助成金を握っているかぎり大丈夫とタカを括っていたのだが、北海道の様にほとんど丸ごと出ていってしまう地方組織や、大阪(近畿)の様に、国会は新党でいくが、地方議員中心に社民党組織は残して助成金の「二重取り」をもくろむ地方が続出するといった事態を前に、ただ狼狽するのみだ。
■無力感漂う三宅坂
すでに「党中央」は制御機能を喪失して久しいし、党官僚の不甲斐なさも、前から指摘されていたことだが、ここにきて一層、脱力感、ニヒリズムが強まる傾向が明らかになっている。
例えば「支持率は史上最低だった・・・決して未来への希望が閉ざされたわけではない・・が、それは遙かな深霧の彼方にある」(月間「社会民主」6月号編集後記)「編集後記の書き手が減った・・・一人は新設のミニ政党に去った」(月間「政策資料」6月号編集後記)と専従職員が億目もなく絶望感を吐露しているのである。
非自民連立政権や村山総理が誕生したときの異様なハシャギぶりとの余りの落差には、思わず笑ってしましそうになるくらいだ。
この様に打ちひしがれているプロパーに追い撃ちをかけようとしているのが、一部新聞でも報道された、小選挙区への立候補強制である。3月の社民党第1回大会で、地方組織から「ウチでは自前の候補者をつくれないので、中央の書記を立候補させろ」と、随分勝手な要請があった。この時は佐藤幹事長も「基本的にはそういうふうにするために何が障害になっているかということをいま詰めておるところでございます」などと曖昧な答弁をしていたのだが、まさに恰好のリストラであり、執行部にとっては渡りに船だった様だ。 当の地方組織は「負ければ三宅坂に帰れば良い」などと都合の良いことをいっているが、負ければ三宅坂自体が無くなってしまうのであって、母艦を失った艦載機の様に海中に没する運命が待っているだけだ。そうなれば冗談ではなく、元社民党職員のホームレスが出現するだろう。
■地方組織も展望なし
こうした難破船から、一刻も早く脱出しようとしているのが、大都市圏を中心とした地方組織であるが、特別な条件のある北海道以外は、決して明確な展望があるわけではない。
この間「近畿新党」が取り沙汰されているが、音頭取りと言われている大阪にしても、現職の社民党衆議院議員が、参加をためらっている状況であり、加えて新党の「顔」が武村、土井という全く新鮮味が欠ける状況である。
現実は社民党で死ぬか、新党で死ぬか、どちらが苦痛が少ないかというレベルの問題であって、唯一の展望は、ローカル政党の流れには逆行するのだが、鳩山新党に合流していくことである。しかしそうなれば今度は、大阪の社民党議員は、そうした新党に最も似つかわしくない、ということになってしまう手詰まりの状況である。(最も、そうした人達が希望どおり自民か新進党に行ってしまえば話はべつだが)
とにかく、こうした閉塞状況は中央と同じくメディアにも反映するものであって、「大阪新報」の6月11日号では府連合の副代表のひとりが、展望は新党にしかないと言いつつ「(大阪新報)は何の役にも立たない記事がほとんどですが、赤旗を読むよりは無害なだけでも有益」と愚痴をこぼしている。
これは最早、政策がどうのこうのと言う以前の問題で、人も組織も落ち目な時は、何をやっても駄目としか言う他ない。
こうした惨状は、言ってみれば自業自得であり何ら同情に値するものではないし、逆に最後にして最大の社会貢献と言っても良いのではなかろうか。
(大阪 O)

【出典】 アサート No.223 1996年6月21日

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【映画紹介】「ナヌムの家」

【映画紹介】「ナヌムの家」

所属する組合から、チケット購入の案内があり、初日の5/18に早速観に行った。
題名の「ナヌムの家」は、「分かち合いの家」という意味だそうだ。この「分かち合いの家」は、ソウル市内鐘路(チョンロ)区にある一軒家で、元「従軍慰安婦」の女性たち6人が、仏教団体の支援を受けて共同生活をしている。彼女たちハルモニの日常生活を、撮影開始当時27才だった新人女性監督ビヨン・ヨンジュが、1993年から94年にかけて丹念に記録し、ハルモニたちの心の<つぶやき>に耳を傾けた作品である。
ハルモニたちの<つぶやき>は、私の胸を射抜いていく。中国湖北省武漢のハルモニの一人、ホン・ガンニムさんの話は強烈だった。「性器が小さくて大勢のヘイタイの相手ができないという理由で、強制的に日本軍の病院で性器を切られた」「毎日小さな部屋でたくさんの兵士の相手をさせられた」「慰安所を取り仕切る女主人-日本人にお金を巻き上げられ、食事もろくに与えられなかった」。
昨年夏、村山首相(当時)は「従軍慰安婦問題」について、歴代首相よりは一歩踏み込んだ表現で「謝罪」した。そして、「国民基金」によって補償していく計画を発表した。その基金である「アジア女性基金」の呼びかけ人に、村山首相自らの度重なる要請に応えて、「国家補償が筋」との自説を持ちながらも三木睦子さんは、呼びかけ人に就任されたと聞く。しかしながら、基金は予定の額には遠く及ばないばかりか、橋本政権になってからの政府の対応は後退しており、国連の勧告にすらまともに応えていない。
失望した三木さんが「呼びかけ人を辞任する」と表明されたのも、当然の結果だ。報道によると、他の呼びかけ人の中にも、三木さんに同調する動きがあるという。日本政府の無責任さ・厚顔無恥ぶりばかりが、際だって見えてくる「従軍慰安婦問題」である。
そういう現状を十分認識しながらも、監督のビヨン・ヨンジュは、「憤りを感じたのは、戦場に連行した日本帝国主義による戦争にというよりも、慰安所生活を終えても故郷に帰れず、自らを隠さねばならない状況を強制した、自分たち自身に対してだった」と語る。彼女は撮影が終了した今でも、2日に1度はハルモニたちを訪ねているという。
しかし、ハルモニたちの痛みを100%理解しているとは思っていない。ただ、ハルモニたちの苦しみが自分たちの苦しみでないわけはないと思うようになったという。ハルモニたちが世の中を見つめる視線で自分も見つめたいし、それを学びたいと語っている(映画パンフレットより)。そして、私も、そう語るビヨン・ヨンジュの姿勢に学びたいと思うし、毎週水曜日、日本政府の正式謝罪と賠償を求めて日本大使館前でのデモを行っている、元「従軍慰安婦」のハルモニたちの姿を焼きつけておきたい。
何はともあれ、映画をご覧になることをお薦めします。(6/28迄、第七芸術劇場で上映中)
(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.222 1996年5月26日

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【書評】ネットワーク社会をどう読むか

【書評】ネットワーク社会をどう読むか
       赤木昭夫『インターネット社会』(岩波書店、1996.2.26.発行、1800円)

現代の「情報化社会」を象徴するインターネットの拡大がニュースを賑わしている。本書は、「情報の洪水」の中で「今まさに、インターネット上にかつてない文化と産業の組織が生まれようとしているのだ」(表紙の紹介文より)として、激変する情報環境「実証的に分析」し、対処の仕方を指し示そうとする。
著者の視点は、産業的には一時停滞したとはいえ、情報産業とくにソフトウェア、インフォメーション・サービスで稼ぎまくっているアメリカが打ち出した、圧倒的な国際的優位をさらに高める企て(インフォメーション・スーパーハイウェイの目標のひとつがここにある)に対して、日本がどう対処していくかにある。
すなわち著者によれば、「情報は国際競争力」なのであり、著者の勤務先である慶応の創設者・福沢諭吉のインフォメーションの重要性についての先見の明に代表される姿勢こそが近代日本を守り育ててきたとされる。ここに福沢の脱亜入欧論への言及と評価がないのは問題であるが、現代資本主義諸国の闘争における情報の位置の認識と、アメリカ社会のインターネット拡大による情報化の分析を通じて、本書は日本の独占資本の将来への不安の一部を抉り出していると言えよう。
著者は、アメリカの80年代までの30年間の電子化が、主としてプロセッシング(処理)であったのに対して、90年代以降の電子化がコンピュータと通信のコンヴァージョン(融合)によるインタラクティブ・コミュニケーション(双方向通信)とブローカレッジ(仲介)、インテグレーション(統合)であることから、パラダイムの大転換が起こったことを指摘する。
つまり社会全体にわたってネットワークが大きく貢献できる時代が到来したのである。その代表はCALS(コンピュータによる生産管理システム)やEC(電子商取引)であり、これらによってネットワーク・ビジネスが飛躍的に増大している。そしてアメリカは、産業面でも金融面でもこの方向を積極的に推進しようとしているのである。
かかる背景をもって登場したインターネットは、異機種・異規格のもとでのやりとり(インターオペラビリティ)を可能にすること(インターネッティング)を技術の核心として、軍・産・学とリレーされて発展してきた。従ってインターネットは多様性をこそ最大の特色としている。この特色を活かしたネットワークがWWW(ワールド・ワイド・ウエッブ)であり、これが今や教育・研究・商業のあり方さえも変えつつあるのである。
さてネットワーク化の状況は、著者によれば、組織については自律・分散・協調型の水平型の組織、ダウンサイジング、ヴァーチャルな組織を進行させて、これらの組織は「制約にもとづく信頼とイニシャティブ、その結晶としてのルールとカルチャー」という原理によって、生体システムのようにダイナミックに保たれて活動し(ガーバナンスの原理)、国境を越えて広がっていく。しかしまたそのような「ヴァーチャル組織はうたかたのように現れては消えてゆく」ものであり、「理想的な効率の高い永続的なヴァーチャル組織を求めるのは、どこにもないユートピアを探すのに似ている」とされる。
そしてその中で諸個人は、上のカオス的状況をもつネットワークに接することで分散し流動的となり、人格の同一性(パーソナル・アイデンティティ)を絶えず脱構築(ディコンストラクト)することになる。ネットワークが発達すればするほど人間に対する働きかけが強くなるが故に、このことは将来的に人間に関する大きな不安を含んだ問題となることが懸念される。
以上のように予測することが困難な近未来的問題を多く抱えたネットワーク社会は、同時に現実的な諸問題にも直面せざるをえない。すなわちインフォメーション・スーパーハイウェイ(全米光ファイバー網)設置に際しての電話の加入者線の同軸ケーブル化の規模がとてつもなく金と時間のかかる事業であるということ、さらにはそもそもアメリカ全土で電話の普及率が世帯の94%で止まっているという事実がある(スペイン語系の失業者では15.3%、黒人の失業者では20%の自宅には電話がない)。つまり一方においてインフォメーション・スーパーハイウェイが華々しく宣伝されているのに対して、他方では貧困層とマイノリティを中心に「情報弱者」が確実に出現しているのである。
これがネットワーク加入者になればもっと明確な格差が生じる。これについては著者も「アメリカではじりじりと貧困層に区分される人口がふえるなかで、インターネットの利用者がふえるという形で、情報アクセスにおける格差がひろがり、情報弱者がつくられつつある」と指摘する。情報の分野においても、国際的国内的を問わず資本の論理が貫徹する例をわれわれはここに確認することができる。
このようにネットワーク化された社会の諸問題は、資本主義社会の諸矛盾を新たなかたちでわれわれに突きつけるものであり、インターネットの拡大により、その諸矛盾は地球的規模広がっていると言えるであろう。本書は、専門用語・略語・カタカナが多くて読みづらくかつ不親切で独断的な書物ではあるが、将来的に諸矛盾をわれわれの側で解決していく方向性を見いだすための参考にはなるであろう。(R)

【出典】 アサート No.222 1996年5月26日

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【投稿】武満 徹著「時間の園丁」(新潮社刊)を読んで

【投稿】武満 徹著「時間の園丁」(新潮社刊)を読んで

 昨日読んだ「時間の園丁」のなかで、妙に気に掛かる言葉がある。それは、武満が「官能性」ということにしばしばば触れていることである。第2回芥川作曲賞の選考過程の述懐では、これを限定的に使用し、黛や松村禎三らが山田泉の「ひとつの素描」を官能性の豊かさのゆえをもって推挙したことに対して異議を申し立てているが、同書に収録されいる文章の他の箇所、例えば、日経新聞の文化担当記者への回答文のなかで、現代音楽がマイナーなものにとどまっている最大の理由として、官能性の欠落をあげ、1980年代以後にその反省が起こり、それが、現代音楽を大衆にとって身近なものにさせるうえで大きく寄与したと述べていることなどが、気掛かりになるのである。
勿論、官能性という言葉自身が多義的でものであり、単に無味乾燥でないこととか、あるいは人間的なことなどを意味する場合がないわけではないが、ここで言われているのは、より積極的な事象の表現としてであるようだ。特に、1950~60年代、つまり、12音技法を中心とする音楽言語と技法による、時代精神に鋭敏な百花繚乱、百歩譲って、百鬼夜行の時代と比較して、80年代が官能的と言うのであれば、それは、なんと力ない無内容な猥雑なものであろうか。これが、いわゆる「ネオ・ロマンティズム」を指していること、俗論として流行している「ポスト・モダン」の音楽を賞賛していることは言うまでもあるまい。あるいは、この意味するところはそれほど深刻なものではないのかもしれない。意外と、武満が、自らが主宰した「ミュージック・トゥデー」や「八ケ岳音楽祭」を通じて、いやおうなくその位置に立たされざるをえなくなっていた現代音楽のリーダーとして、その弁護を引き受ける積もりで、無理にこんな外交辞令を述べているのではあるまいかと思うほどである。そもそも、官能性とは、抽象に対する具体性とか、感覚的な快感とかを意味するものであるまい。ベルクとウェーベルンを比較して、ベルクがより官能的だという時に、頷ける意味合いにおいてそれは成り立つ、ある要素の優先あるいは表面化に過ぎないのではあるまいか。こと芸術に関して言えば、官能性が自律した絶対的な要素として外部に存在し、それに接近することがポピュラーであるというようなものではあるまい。芸術によって官能性もまた能動的な挑戦を受け、それ自身が揺らぎ、その波動によって変化していくものであろう。
80年代以降、安直な弛緩した宗教性やモビリティとダイナミズムを失った抒情性という「官能性」が、若手作曲家を中心にして氾濫しているなかで、武満が自身の作品の価値を突き崩すような、俗論に与したのではあるまい。(グレツキの「ソローフル・シンフォニー」やグレゴリオ聖歌の妙な人気やアダジオものの相次ぐ発売などがこの系譜の一部であると言えば暴論であろうか)こういった感慨も手伝って、今日は、彼の初期のピアノ曲を繰り返し聴く。「リタニ」(事実上彼の第1作である1950年の「2つのレント」の改定版)はもとより、「遮られない休息」(1952~59)だって、80年代よりもはるか前の世代のものであるにもかかわらず、十分刺激的で我々に豊かなイマジネーションの広がりをもたらしてくれるし、今日風に言えば「癒し」を与えてくれるものだ。それは、官能的でさえある。だから、最近NHKテレビで見た、ニューヨーク・フィル創設150周年記念の委嘱作品である最晩年の「ファミリー・トゥリー」の方が、ストーリーもあり生身の少女が登場するからといって、より官能的だなどと到底言うことは出来ないと思う。(この作品の演奏会の最後に、作曲者の武満と作詞の谷川俊太郎が舞台に上がって、指揮者の小沢等と握手を交わしていたが、これを見て、昔、「死んだ男の残したものは」を歌った頃の感慨が生暖かい風に触れたように蘇った)芸術家は、変革よりも風化を望むような感性の「慣性」の重圧に負けてはならないのであろう。この最後のエッセイ集を読んで、もうひとつ気掛かり(こっちは感銘を受けたほうであるが)なのは、「時間の園丁」のなかに漂う一種の無力感と世界に対する不信感である。つくずく思うのだが、これとの葛藤こそが、武満の音楽の大きなモチーフであったと言っても過言ではあるまい。それゆえに、彼がもっともっと生きて、ぎりぎりのところで、オペラであれ映画音楽あれ、音楽そのものの力は深く信じていたその得がたい逞しい精神力で我々に「真の癒し」を与え続けて欲しかったとの思うのであるが。(T・O) 

 【出典】 アサート No.222 1996年5月26日

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【書評】『ゴルバチョフ回想録』

【書評】『ゴルバチョフ回想録』  上巻(96.1.30発行)、下巻(96.2.29発行)
               工藤精一郎・鈴木康雄訳、新潮社、各巻4800円

6月の大統領選挙を直前に、ロシア情勢は混迷を深めている。インフレは下降傾向にあるとはいえ、失業は拡大し、賃金未払いは蔓延し、貧富の格差は目立つ一方にある。
「エリツィンの栄光」も91年をピークに同政権は低空飛行を続けている。国民の中に政治的無関心層が増大する反面で、中高年層を始め、比較的に生活の安定感があったソビエト時代に郷愁をよせる層も多いといわれる。
ソ連邦が崩壊しても、ロシア革命とソ連邦の成立が、20世紀最大の政治的事件として、18世紀のフランス革命と同様、後世に深く影響を与え続けることを否定する人は少ないであろう。ブレジンスキーが資本主義万々歳を叫び、フランシス・フクヤマが歴史の終りをいくら説いたとしても、資本主義の側に根本的な反省がない限り、人はその背景にうさん臭さを嗅ぎつけるだけであろう。
「ロシア革命とは何であったのか」「社会主義とは何だったのだろうか」は歴史的に、多角的に究明を要する現代の課題である。
この5年間、旧ソ連では当時の指導者の筆によって、数多くの論文や回想、回想録が出版され、わが国にも翻訳紹介された。
日く、元副大統領、元党副書記長、元大統領補佐官、元外相、市長、と多子才々にわたり、テーマはもっぱらペレストロイカの7年に照準を当てつつも、社会主義の原理原則、十月革命の評価、ペレストロイカとゴルバチョフ路線の功罪、さらにエリツィン現政権の評価と展望等と多岐に及び、百花繚乱の趣がある。
ブレジネフ以前の時代を想定するとき、今昔の感に打たれるとともに、このような論戦が、社会進歩と歴史研究に大いに寄与することに疑いはいれない。ロシアも遂に情報化社会に突入した。しかしまた、そこに危険な陥井もある。
回想録には往々にして毒があるといわれる。人は誰でも自分を合理化したい誘惑から離れるのは困難だし、ましてソ連邦史は現実ロシアの政治、社会、あるいは人間関係と深く結びついている。
時も時、旧ソ連邦大統領ゴルバチョフ氏の回想録が、わが国でも翻訳出版される運びとなった。上下二巻、1,600頁にわたる怒涛のごとき長編である。同氏が連邦解体の日の翌日から開始し、氏の口述を土台にし、同僚十数人との強力で作成したといわれる同著は、何といってもペレストロイカの最高責任者の体験に基づく発言として、他の凡百の「回想録」に見られない重量感がある。
本書の構成をごく簡潔に紹介しておこう。
ゴルバチョフ氏自身の説明によると、叙述は単なる事実の羅列を避け、今日的課題との関連を見失わないためにも、敢えてテーマ別に整理したとのことである。
全体は5部で構成され、1部ではペレストロイカの起源-なぜ自分が改革の旗手たらざるを得なかったか-が自叙伝風に語られて行く。ゴルバチョフ氏の親族が弾圧の犠牲者であったこと、フルシチョフ報告に大きなショックを受けたこと、体制の機能不全が限界に近づきつつあったこと、にもかかわらず、彼は自分の意見を殺し、野心を隠して次第に最高権力へと昇りつめて行く-。
2部はペレストロイカの展開、発展の過程を描く。書記長に就任したゴルバチョフは、先ず党の改革、それも上から始めなければならないと、腐敗した党幹部の更迭、人心の一新に辣腕を振るう。そして「このままでは生きられない。」をキーワードにソ連経済の活性化のため、とりわけ消費財生産の拡大をめざして、「国営企業法」「農地法」「協同組合法」などの新機軸を次々と打ち出そうとするのであるが、その度に、党、国家官僚は面従腹背する。そこでゴルバチョフはグラスノスチを利用して大衆に直接働きかけ、渋る党幹部を説得、党と国家の分離を図り、自ら大統領に就任するのであるが-。
3,4部はペレストロイカの外交への展開としての、新思考政策、3部では対西側、4部では対社会主義関係があつかわれる。
この部分は従来最も論争を呼んでいるところであるが、同時にゴルバチョフを「外交の魔術師」に押し上げた、彼の最も面目躍如たる部分でもある。
「全人類の利益」「ブレジネフ・ドクトリンの廃止」をさっそうと掲げて世界の桧舞台に飛び出したゴルバチョフは次々と首脳外交を展開して、西側に大きな衝撃を与える反面、話し合える指導者の出現として相互の信頼関係を深め、冷戦の解消に大きく寄与した。
社会主義諸国関係においても、ゴルバチョフは救世主として民衆からは圧倒的支持を受けるのだが、一方で既成政権は次々と崩壊し、バルト三国の独立傾向として、ブーメランのようにはねかえってくる。

5部は、この書の結びの部分に相当し、バルト三国の公然たる反乱、インフレの一層の亢進と物不足による国内の不満増大、八月クーデターと共産党の解散、エリツィンの権謀術策とベロベジの虐殺、そして遂にソ連邦解体へと、いわばペレストロイカから「カタストロイカ」への時期であり、ゴルバチョフ氏の残念と怨念を節々に感じさせる章である。
経済改革案は左右両派の反対で否決、「親の心子知らず」のリトアニア独立声明と軍部の暴走、盟友シェワルナゼの離反、ロシア連邦エリツィン大統領の誕生、左右両派から一斉に辞任の要求を突きつけられ、満身創夷のゴルバチョフは、それでも持ち前の楽天性と政治力で、連邦維持のため最後の努力をふりしぼるのであるが、既に西側首脳も足元を見越して冷淡な態度をとり始める。
ここでゴルバチョフ氏が何度も繰り返し述べる言葉が、印象的だ。「われわれがどんな所から改革を始めたのか、是非わかってほしい」。悲痛な叫びである。
さて、ゴルバチョフ氏は謎の多い人物であり、極めて複雑である。今後も色んな立場、色んな視角のゴルバチョフ論が現れてくることであろう。しかし、権力を自己目的とせず、停滞したソ連社会に透明性と合理性を与え、冷戦の解消へ最大の貢献をした彼の功績は永遠に忘れられることはないであろう。
ゴルバチョフ氏は末尾の章で、自分は何者かと自問し、「私は共産主義者ではあるが、レーニン主義者ではない。強いていえば民主的社会主義者だ」と自己規定する。「回想録」の中で彼がとりわけ強調するのは、目的と手段の混合は許されないし、改革は流血を避け平和裡に遂行すべきだということである。経済改革案をめぐり、またリトアニア問題の処理をめぐって不決断だと非難されるのは、思うに彼のこういう発想と姿勢が根底にあったのではないだろうか。
ともあれ、本書は全巻を通し、ゴルバチョフ氏の温かい人間性(特にライサ夫人に対する気遣い)、緻密な論理と生来の楽天性、細部にわたる文学的表現の的確さなどが、名訳の助けも得て、感銘深い作品に仕上がっていると思う。
巻末で、ゴルバチョフ氏は読者に向かって「この長い書物を最後まで読んでいただいて本当にありがとう」とサービスする。そこで私もそれに倣い、広野に叫ぶ同氏に心を込めて「大統領選の御健闘を心より御祈りする」とお返ししたい。(高橋 禄朗)

【出典】 アサート No.222 1996年5月26日

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【投稿】「”新安保”保・保連合」構想の迷妄

【投稿】「”新安保”保・保連合」構想の迷妄

<<「『負担をなくす』という表現は絶対にだめ」>>
5/10、参院でも住専に税金を投入する96年度予算案が、追加措置なし、無修正で成立し、住専論議の舞台は住専処理法案や金融関連法案の審議に移行した。つくづく現在の政治勢力のだらしなさ、無力さを痛感させられる事態である。
もっとも腹立たしさを覚えるのは、最終局面における国会決議をめぐる与野党のやりとりである。自民党が住専予算成立の前提条件として、「結果として国民負担をなくすよう可能な限り努力する」という国会決議で合意しようと動きだしたにもかかわらず、村山前首相・社民党党首が「『負担をなくす』という表現は絶対にだめ」だとただただメンツにこだわり、佐藤・社民党幹事長も「国民の声があるからといって、出来ないことを出来るかのように言うのは無責任だ」(5/10)とまるで大蔵省の言い分をそのまま代弁し、固執した結果、さきがけも竹村前蔵相のメンツを立ててこれに同調、銀行業界を代弁するかのような新進党の腰の引けた態度と相まって、自民党はこれ幸いと無修正、付帯決議なしで押し切ったのである。

<<「私どもの知らなかった問題」>>
しかしここまでに至る事態が明らかにしたことは、当初の「金融システム崩壊」論がいかにでたらめで、母体行、農協の「負担の限界」論も政・官・財の裏取引による適当な手打ちにしか過ぎなかったかということである。現実に母体行側は、史上空前の業務純益を計上している中で、負担増の能力があることをしぶしぶながらも認めており、橋本徹・全銀協前会長は「確かに体力はあるが株式会社としての法的制約があり名案がない」と述べ、全銀協側からは「政府・与党が法的根拠を決めれば、応じられるかもしれない」との声まででてきたのである。
さらに農協系の負担に至っては、昨年12月16日の段階で1兆1千億円で話が進んでいたことまで明らかにされ、それが一夜にして5300億円に減額され、そのこと自体を農林中金幹部が知らなかったにもかかわらず、農協系の負担の限界に仕立て上げられ、公的資金導入の根拠にされるという、ずさんきわまりない実態が浮かび上がってきた。
橋本首相は5/8の住専集中審議の中で「処理策を決めた段階では、私どもの知らなかった問題も次々に現れている。何と言っても、母体行が自らの責任をどう受け止め、どうこたえていくのか」と、しどろもどろである。

<<首相、有事法制の研究を指示>>
その橋本首相は、自らの住専疑惑からも逃れるようにして、新たな日米安保共同宣言を前面に立て、関係官庁に有事法制の研究を指示し、有事の際の私権制限や民間施設の強制収用、国民生活を直撃する有事立法に乗り出そうとしている。
そして緊急に直面する問題として、沖縄県の収用委員会が、すでに「不法占拠」状態になっている米軍楚辺通信所の一部用地について「緊急使用」を不許可としたことに対して、今後は米軍用地の収用手続きを政府自らの権限で進められるよう法整備を急ごうというわけである。橋本首相は普天間基地返還について「最大限の努力をした」と自画自賛したが、その後の事態が明らかにしたことは、基地の沖縄県内たらい回しと一層の長期固定化、集団安保体制への組み込みが露骨化してきていることである。来年5月には、さらに12の施設にある約3千人の地主の土地が使用期限切れとなる。自治体の収用委員会の権限が、政府の意に沿わない、「日米安保体制の信頼性を損なう」といった理由で取り上げられようとしているのである。さすがにこの点では社民党は全面賛成とは行かず、慎重姿勢を要請しているが、どこまで貫徹できるかおぼつかないものである。

<<小沢「自民単独少数政権に協力する」>>
こうした事態に呼応するかのように、新進党の小沢党首は「集団的自衛権の行使は合憲」という考え方を打ち出し、「自社さ三党の連立政権では何も決められない」、「自民党の単独少数政権になれば、大事な問題には協力する」(5/5北京)と、突如自民党単独政権支持、保・保連合構想をぶち上げた。偶然か故意か同時期に訪中していた竹下元首相とも北京会談を行い、「酒を酌み交わしながらよもやま話をした」ということであるが、自民党ににじり寄る「押しかけ保・保」、「”新安保”保・保」と、新進党内でも物議をかもしている。
よからぬ動きには必ず登場する中曽根氏が早速(5/7)、「目先の仕事、党派にとらわれた考え方が多すぎる。小乗仏教であり、大乗仏教ではない」として、安保政策を軸にした勢力結集論を展開し、北京での小沢-竹下会談にも理解を示したという。
さらに山崎・自民政調会長は、5/17のワシントンでの講演で、「自社さ連立政権の下では、日米防衛協力の指針の見直しは現行の憲法解釈の範囲内で限定されたものになるだろう」、しかし「総選挙の時期と結果次第では、従来のカテゴリーでは集団的自衛権の行使に当たるとされるような内容にまで日米防衛協力の範囲が広げられて合意される可能性も出てくる」と俄然キナ臭さが現実化しだしている。

<<首相直系議員の「魔女狩り」発言>>
そしてとんでもない議員がどこにでもいるものである。元厚生官僚で自民党の熊代議員が、パソコン通信の電子掲示板のボード上で「エイズ問題のデタラメ報道を信じてますか?」と題して、薬害エイズに直接関与した厚生省、学者、製薬会社には「故意過失はない」と断言し、マスコミ報道を「魔女狩り」とかみつき、菅厚相を「厚生省の正当性を断固として主張しなければ、真の厚生大臣とはいい難い」と論難したのである。今回のエイズ疑惑で嘘とごまかしを繰り返してきた厚生官僚を弁護するのに「ウソも百ぺん繰り返せば真実になる。かつて、ドイツのナチズムが脅威を振るった時代の有名な言葉が思い出されます」とは、まったく天に唾するたぐいのあきれ果てた低俗議員である。
この人物、厚生省援護局長を最後に退官、橋本首相が厚相時代から癒着、橋本と同じ岡山から出馬、橋龍後援会の直接の支援を受けて当選している首相の直系議員である。そして今回の参考人招致をめぐっては「そんな馬鹿なことはやめろ」と主張して、薬害エイズ加担者の喚問を終始妨害してきた張本人でもある。
5/14の衆院厚生委員会理事会では早速、新進党側から「真の大臣とはいい難いと自民党厚生委員が言っている。大臣とは言い難い菅厚相に質問などできない」と自民党に呼応するかのような対応が示され、戸井田元厚相は「次の内閣改造で厚生省は自民党に返して貰う」と菅厚相の更迭を公言している始末である。

<<「保・保連合」許さぬ政治勢力の結集>>
最近の世論調査では、自民党の支持率がが47%に上昇し、新進党は14%に下がったというが、事態は極めて流動的であることも事実であろう。与野党それぞれに重大な波乱要因を抱えていることは疑いない。自民党内でさえ、「集団的自衛権の問題だけで小沢氏とウェディングマーチを奏でようと思っている人はほとんどいない」実態である。小沢氏の発言はそうした事態への焦りの表現ともいえる。
6/19の会期末を控え、会期末には銀行・農協系が金を出すか否か、特別減税の続行と消費背増税にいかなる結論を出すのか、沖縄米軍基地の土地収用手続きにいかなる対応を打ち出すのか、集団自衛権に踏み出すのか否か、厚相を含めた内閣改造にとりかかるのか否か、解散・総選挙に打って出れるのかどうか、まさに政権が行き詰まるかどうかという、抜き差しならない局面にいたる可能性も十分にあり得るといえよう。たとえ遅くても、「来年度予算案の編成直後の来年1月国会開会冒頭解散・1月総選挙」(5/15梶山官房長官発言)が既定の路線となりつつある。「保・保連合」に対抗した新たな政治勢力の結集は可能であり、ローカルであれ、グローバルであれ、そうした結集の芽を強く太くすることこそが求められているのではないだろうか。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.222 1996年5月26日

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【書評】日本思想の可能性とは何か・・・その非合理主義的民族性

【書評】日本思想の可能性とは何か・・・その非合理主義的民族性
吉本隆明・梅原猛・中沢新一『日本人は思想したか』(新潮社、1995.6.30.発行  1900円)

「社会主義の崩壊」、「マルクス主義の挫折」とともに近代合理主義の破綻が声高く叫ばれて久しい。そしてこれに代わって「宗教ブーム」「哲学ブーム」が到来した。しかしその「哲学ブーム」も実は「哲学ファンタジー」ブームがその本質であることが次第に明らかになりつつある。つまりリアルな現実に代わって「ファンタジー」(非合理的幻想)が人々をとらえているという状況は変わっていないのである。
かかる時代の風潮に迎合して、現代日本社会の非合理性を思想史の領域で「総括」し、「われわれはどこへ行くべきか? 大転換期のいま、日本思想の可能性をさぐる!」と大見栄を切っているのが本書である。
本書において日本思想史を語り会う三名は、それぞれ馴染みの人々であろう。そして立場も思想も異なると考えられている彼ら三名が鼎談して打ち出している日本思想の可能性、それは「近代の超克」から「現代の超克」へと通じる現代社会の非合理主義的徹底否定でありこれを裏打ちする日本思想(東洋思想)の「独自性」と自然観の優位(人間中心主義の否定)の主張である。
さて本書では、「概念思考、概念的な体系が日本思想には乏しい」(梅原)、「日本人はシステマティックな思想の体系をつくらなかった」、「断片でしかない日本思想」(中沢)という前提から、「思想と言ったとき、内部でもあるし外部でもあるという、重なり合った混沌とした領域」(吉本)が注目される。
すなわち日本人にとって体系的制度的なもの(「国家」や「法」などの普遍)は、いつも外部から異質なものとして中心に持ち込まれた。このために、これらについてはわかりにくい思想の形態しか存在しなかった。しかしこれに対して、「中間的」な位置を占める宗教・文学・芸能・習俗などのかたちできわめてユニークな思想が、日本思想として成立したとされるのである。これを中沢は「日本思想の境界的性格」と名づける。そしてこの日本思想は、梅原の言う中国文化渡来以前の思想、「それよりも前に日本に存在していた何か」(縄文文化とされる)を地下水脈として持っていて、これが連綿として日本の歴史を流れ続けているとするのである。
これは「『国家』という枠をこえた、むしろ普遍」、「一時代前の、人類の普遍的な原理」(梅原)であり、ヘーゲルの国家概念や中国の国家を示す「普遍」を超えた「もうひとつの普遍」(中沢)とでも言うべきものとされる。そしてこの後者の「普遍」が「いまとこれからの日本が超近代というような形で出てくるものとして探っている普遍なんじゃないか」(同)と提起される。
かかる日本思想は、ギリシア哲学に始まる西洋思想が自然から人間へという方向を持つのに対して、逆に人間中心から自然中心へという方向性を有し、これが近代の行き詰まりを解決する手立てとして示される。梅原の次の言葉はこのことを端的に表している。
「近代世界というものはもう明らかにだめだと。(中略)その一番のところが人間と自然の関係。これはやはり間違っている。これは西田〔幾多郎・・・引用者〕も批判したところですけど、人間の自我が自我に対立する自然を征服していく、そういう征服の道具が科学であり技術である。(中略)それが歴史の進歩だという考え方が近代の前提になっている。これは私はもう通用しないと思う」。
「『近代の超克』は、近代じゃなくて人類の歴史そのものをもっと根本的に、農耕・牧畜文明発生以来の文明を超克していく、という考え方に立たなくちゃならない。そしてその超克において、東洋文明は比較的ましだろうと」。
かくして近代社会は、梅原のいう「生命の奥深い暗さを凝視して、そういう奥深い生命というものを重視」することで超克されることになる。(なお付言すれば、梅原はこれを京都学派の特徴であるとする指摘に同意している。)すなわち近代は徹底してより以前の原初的人類の生命に還元されることで超克されるべきなのであり、このことを日本思想の経過が検証しているとされるのである。
吉本も、梅原ほど性急にではないが、基本的には上の立場に賛意を示して「科学技術が発達して、それが倫理に反することをしでかしたり、副産物が出てきたりする、(中略)それは、倫理と結合しなきゃ科学自体がだめだぜ、と結論するよりも、あの世からもこの世からも見ないとなかなか解答できない問題がそろそろいろんなところから出てきたぜ、というふうに理解して、少なくとも既成の倫理はちょっと保留しとこうじゃないですか」と主張する。そして「西欧現代」と「現在」との区別の上に立って「結局、俺はかつての『近代の超克』と同じことを言おうとしているなとしきりに感じます」と述べる。
以上本書においては、終始日本文化の様々な側面を梃子として、日本思想の底流をなすとされる原始的非合理主義への還帰が語られる。われわれは、この鼎談に露骨に示された日本文化論と「現代の超克」の危険性を指摘しなければならない。そしてこの危険性は、本書に登場した三人の持つ日本人観によってさらに深刻となる。というのも、本書において語られた日本人観では、「日本民族」「日本人」としての民族的アイデンティティが無条件に確実なものと見なされているからである。
ところが決定的に重要なことは、歴史的に見れば日本において「民族」という言葉が初めて用いられたのが1880年代後半であり、それの確立・定着が1900年前後(日清・日露の戦間期)であったという事実であり、「近代の日本において、『民族』の観念(意識)が成立し、また戦前の日本人を呪縛した『日本民族』という範型が形成されたのは、日本のアジア侵略の深化の過程、とくに大規模な対外侵略戦争の時期であった」ということである。そして「戦後の『日本人』という言葉は、戦前の皇国史観、つまり『日本民族』にまとわりつく神話性を切断するのではなく、むしろ隠蔽する役割をになうものとして機能してきた。そこから、戦後の日本は、被害者意識のなかに埋没し、その『被害者』的な意識を癒す便法として西欧民主主義の“普遍主義”にのめり込み、それがやがて1970年代以降、私生活中心型の『快適さの囚われ人』というかたちのナショナリズムの醸成につながったと思われる」という指摘(引用はいずれも尹健次『民族幻想の蹉跌・・・日本人の自己像』岩波書店、1994.8.26.発行、より)が、本書の前提である「日本思想」の「本質」を根底から覆しているのである。このことは、現在流行の日本人論、日本文化論への徹底した批判の必要とともに、われわれ自身の有している民族意識の常識を再検討する契機を示していると言えよう。
それ故「今日の戦後日本の転換期において、総体としての日本人が抱え込んでいる問題の本質は、たんなる戦後体制の再編ではなく、世界の民族問題につながる『日本の民族問題』であるという認識が不可欠である」(同上)という指摘は、日本思想の領域にとどまらず広範に論議されるべき重要課題を含んでいる。 (R)

【出典】 アサート No.221 1996年4月20日

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【投稿】今こそ、沖縄に連帯して

【投稿】今こそ、沖縄に連帯して

昨年9月の米兵による少女暴行事件は、冷戦崩壊後の一見もっともらしい「平和」にならされていた私に、厳しい沖縄の現実を突きつけた。学生時代、幾度となく「本土復帰を求める沖縄」に連帯して、集会やデモに参加した経験を持ちながら、年月と共に沖縄のことを忘れかけていた。
戦後50年間、耐えに耐えてきた沖縄の人々。少女暴行事件以来、県民総ぐるみの怒りとして、米軍基地を存在させている日米安保条約そのものを問い、治外法権にも等しい日米地位協定の根本的見直しを求めている。昨年10月21日、大田沖縄県知事は、8万5千人の県民集会で、「本来一番に守るべき幼い少女の尊厳を守れなかったことを心の底からお詫びしたい」と述べ、基地使用のための代理署名を拒否している。かつてないほどに沖縄は怒り、燃えている。
「今こそ、沖縄に連帯して・・・」と思った私は、昨年末から正月にかけて沖縄を再訪した。新装なった「ひめゆり平和祈念資料館」で、館内に常駐しておられる語り部の方の生々しい戦争体験を聞き、「多くの犠牲の上に、私たちの今がある」と改めて強く実感した。出口付近に置いてあった感想用紙に、思いのたけを書きつづった。先日、当資料館から思いがけず「資料館発行の感想文集に掲載する」とのハガキが届き、本当に嬉しかった。細い細い糸だが、沖縄と繋がれたような気がしたからだ。
4月12日、「沖縄米軍基地撤去を要求する大阪府民衆会」(大阪平和人権センター主催、8千人参加)の帰途、「普天間飛行場の全面返還」の報に接した。国際情勢の厳しい中での返還だけに、その意義は大きい。しかし、飛行場諸機能の、嘉手納・岩国基地への移転・統合は、新たな問題を内包しており、手放しで喜ぶわけにはいかない。
これからも、沖縄の問題を自分の問題として捉え、沖縄が本当の意味で平和な島になるよう、いろいろな活動に参加していきたいと思っている。
(大阪、田中雅恵)

【出典】 アサート No.221 1996年4月20日

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【投稿】自治の中身を問いなおし、直ちに公務員国籍条項撤廃を!

【投稿】自治の中身を問いなおし、直ちに公務員国籍条項撤廃を!

1 はじめに
地方公務員の国籍条項を巡る動きが活発化してきている。高知県の橋本知事が、日本国籍でなければ公務員になれないとする県職員採用の「国籍条項」について撤廃を表明したことに続き、大阪市においても磯村市長が当面は採用後の配属などに制限を設けながらも国籍条項の撤廃の方針を表明した。いずれも首長の決意が強いことから、あとは決定権限のある人事委員会で今夏の採用試験からの国籍条項の撤廃が決定される運びとみられていた。しかし、自治省の反発に加え、高知県議会において「国籍条項撤廃については慎重を期すべき」とする決議が過半数を占める自民党単独で決議され、大阪市においても自民党市議団が早期撤廃に慎重姿勢を打ち出したことにより、今年の撤廃は微妙な情勢となっている。

2 法的根拠のない公務員国籍条項
自治省はこれまで、「公務員に関する当然の法理として、公権力の行使、国家の意思の形成(後に「公の意思の形成」へとなし崩し的に範囲が広げられている。)への参画に携わる公務員のなるには日本国籍が必要」とする内閣法制局見解が地方公務員にも適用されるとして、外国人の地方公務員への採用に慎重な姿勢をとるよう地方自治体を指導してきた。
しかし、日本国憲法上、外国人にも基本的人権は保障されており、職業選択の権利が制約される場合には、合理的で必要最小限の範囲であり法的根拠が必要である。わが国では、外務公務員(外交官)に日本国籍を要することが法定されているくらいであり、そのほかの一般の公務員に国籍に関する規定はない。また、「公権力の行使」などという一般的な概念をもって公務員採用の道を閉ざすことは「必要最小限の制限」とも相容れないし、またこうしたことが民間企業における在日韓国・朝鮮人をはじめとする外国人の就職差別を温存することにもつながっている。

3 撤廃に向けた動き
1980年代以後、日本で生まれ育った3世以後の在日韓国・朝鮮人を中心に地方自治体の国籍条項の撤廃運動が進められ、外国籍職員を採用する一般市も登場した。大阪府内などでは、大阪府と大阪市を除いて全ての市町村で一般事務職の国籍条項は撤廃されている。政令指定都市では、1990年代に入ってようやく大阪市や川崎市などが「国際」や「経営情報」など一般事務職の中に「公権力を行使しない」専門職種を設けたものの、採用枠自体が「若干名」にとどまっており、根本的解決には至っていない。
政令指定都市や都道府県で撤廃が行き詰まってきた原因は自治省である。自治省は一般市における国籍条項の撤廃には事実上黙認の立場をとっていたが、黙認の限界の線を政令指定都市に引いているようであり、政令指定都市の撤廃の動きに対しては断固として慎重な対応を迫ってきた。政令指定都市で線を引いているのは、国の機関委任事務等が飛躍的に多いことなどが理由であると言われている。
職員採用の国籍要件は法定されていない以上、判断する権限は当該自治体にあるわけだが、政令指定都市等では起債の認可権限などをもった自治省に対して容易に背を向けるわけにもいかず、事務レベルでの協議では平行線を辿り続けた。今回、橋本高知県知事が政治的決断をしたことにより、自治省との交渉如何にかかわらず、自治体が自主的に判断して国籍条項を撤廃する可能性が高まってきたわけである。一方、国籍条項撤廃が現実化してきた中、これまでほとんど口をはさむことをしなかった議会筋の「撤廃慎重派」がにわかに動きを見せはじめ、先行きを曇らせている。

4 自治体側に求められるもの~分権・自治の視点から~
こうした情勢の中、地方分権推進委員会などをはじめ地方の分権・自治の強化の検討が進められていることともあわせ、以下のような視点で国籍条項の即時撤廃にのぞむべきであると考える。
・ 地方のことは地方で決める。
地方公務員採用の国籍条項は、地方自治を担う者を決める決め方の要件の一つである。地方自治を担う人間のことは地方で決めるという姿勢を貫くことである。自治省が干渉する問題ではない。公権力の行使が問題になるといっても、全ての公務員は法令に基づいて仕事をするのであり、国籍にもとづいて仕事をするのではないのである。
・ 「自治」の中身が問われている。
高知県の橋本知事は「公務員は住民に対するサービス業だから、外国人がなってもかまわない」とする公務員サービス論を説いている。国に対する説得の方便としてはある程度やむを得ないと思うが、この考えは外国人が公の仕事をすることに対する感情的反発にこたえていない。自治である以上、その中身には多少の公権力の行使は伴うものである。であるからこそ、「日本国籍の市民が、多国籍の職員から行政上の指示を受けるのは解せない」(大阪市議会筋)などとする抵抗感も出るのである。こうした感情的反発に対しては首長自らが目指す自治の中身を示すべきである。
地方自治を担うのは住民であるということには異論はない。しかし、問題はどの住民と自治を担っていくのかということである。すなわち、地方自治体は日本国籍と外国籍の住民で構成され、地方自治を担うのは決して日本国籍の住民だけではなく、外国籍住民も共に担っていくべきであるということである。従って、(国の見解との関係はともかく)外国籍職員が日本国籍市民に公権力を行使しても当然なのである。外国籍住民に対して恩恵的に福祉や諸制度を適用するのではなく、共に自治を担っていくパートナーであるという認識を首長が広く示し、理解を得ることによって国籍条項の即時撤廃の姿勢を貫くべきであると考える。 (当麻太郎)

【出典】 アサート No.221 1996年4月20日

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【投稿】地方分権推進委員会が中間報告

【投稿】地方分権推進委員会が中間報告
                     「機関委任事務廃止を断定」

本誌においては、依辺氏によるシリーズ「地方分権と政治改革」が昨年来掲載され、3年前の自民党単独政権の崩壊と連立政権の成立、政界の再編の中での「地方分権」課題をどうのような戦略で位置づけるか、という分析が行われてきた。
筆者も地方自治に従事するものとして、非常な関心をもっている。それは自分の仕事がどう変化するのか、またどう変わらなければならないか、を考えるとき、まさに「戦略的課題」としての「地方分権」の行方に無関心ではいられないからである。

政府は昨年7月「地方分権推進法」を施行し、7月には法に基づく「地方分権推進委員会」(諸井日経連副会長が委員長)を設置した。この法律は5年間の時限立法であり、推進委員会は今年の年末での「最終報告」勧告を目指して昨年来委員会を開催し、3月29日に中間報告を公表している。
この文書では、この中間報告の内容と評価について指摘をしてみたい。

<前進した中間報告と後退する政府>
中間報告の評価については、例えば「この中間報告は多くの問題を先送りにしたにも拘わらず、その基本的方向性において極めて重要な内容を含んでいるといってよい。その要諦はなんといっても機関委任事務制度の廃止を明らかにしたことである。」(辻山幸宣中央大学教授)という評価が、特に自治労周辺の学者グループから聞かれる。私も「中間報告」のみに限定すれば同感である。「地方分権推進法」に基づく地方分権推進計画を政府が立てるための関係団体の「意見調整組織」としての「分権推進委員会」が「この報告の公表を契機に、地方分権推進に対する草の根の関心がたかまり、・・・さらなる国民的論議が全国津々浦々に広がり深まることを希望する」という中間報告まえがきに述べているのは深い意味がある。
「地方分権推進法」が成立したのは村山政権下であった。現在の橋本政権と比べると「政権の存立基盤」が同様の自社さ連立政権とは言え、微妙な変化を見せている。
3月29日、中間報告を受け取った橋本首相は「さらに慎重な審議を期待する」として、内容に戸惑っている様子も伺える。エコノミスト4/16号によれば、「首相からは中間報告ばかりだけではなく、地方分権推進委員会の運営について相当注文がつけられたとする見方が有力」で、首相は「2月に行革委員会、経済審議会、財政審議会、地方分権推進委員会の連携強化を命じ、3月に各会長・事務局長会議が開かれたが、分権推進委員会の論議の方向に危惧を抱いたからだ」との報道もある。
中間報告を受けて、官僚・族議員が「権益」保全のため動きはじめているとも言われ、「行革のプロ」を自認する橋本首相はじめ政府の側も年末の最終報告に向けて、相当な巻き返しがあると考えたほうがいいようだ。

<機関委任事務廃止に省庁は抵抗>
昨年7月以来の議論過程の中で、地方分権推進委員会は、知事会、市長会、町村会から代表を招いてヒアリングを行った。4回行われたが249頁に及ぶ資料が提出された。自治体名は匿名ながら実例を挙げて改革の方向を提示したのだ。
例をあげると①都市計画決定は、市町村責任という建前になっていながら実際には各省庁との協議が必要とされ、市街化区域・市街化調整区域の線引きには、出張平均31回、事務処理所要日数平均804日、再考1600日もかかる。
②障害者の補装具の交付は団体事務だが、厚生省告示で細かく定められていて少しでも合致しないと大臣協議となる。このため松葉杖に寒冷地に必要なアイスピックをつけようとすると大臣協議が必要となる。
③A市:特養老人ホームの待機者が20名おり、身障施設の要望もあるため、両施設を合わせて定員50名として設置要件のクリアーを検討したが、各施設ごとの定員要件(各25名)達成を指導され、計画を断念した、など。
この後、今度は建設省、農水省、通産省、国土庁、運輸省、郵政省、環境庁、厚生省、など16省庁から5回に渡ってヒアリングがおこなわれたが、「全国統一の基準、公平性の確保」などを理由にすべての省庁が「機関委任事務の廃止には反対」の立場を主張したという。

<機関委任事務廃止を決断すべき>
中間報告は、こうした議論過程を経ながらも、懸案の「機関委任事務は廃止することを決断すべき」であると断定した。機関委任事務とは本来、国の事務であるものを「地方自治体の長」が「執行機関」として行う事務のことであり、「明治時代の旧市制・町村制の地方制度において自治体であった市町村の長を国の指揮監督下におく方式として制度下された」もので、戦後の地方自治制度の発足によって知事公選制に移行したにも関わらず、都道府県にも拡大され、項目数で561(うち都道府県379、市町村182)にも及んでいる。「機関委任事務の執行にあたっては、知事は大臣の、市町村長は国の機関としての知事の指揮監督を受けるものとされ、議会のチェックも制限されるなど、機関委任事務制度は、日本の中央集権型システムの中核的部分となっている。
この制度によって、「国と地方のの関係を上下・主従の関係に置いている」「自治体の首長は、自治体の長の立場と国の地方行政機関の役割を二重に持ち、地方自治に徹しきれない」「通達行政などによる国の関与に対して、報告・協議・認可など膨大なコスト・時間を要する」などの弊害が指摘されてきた。
当然、中央省庁は「機関委任事務の存続」を主張しているわけだが、その背景に省庁・官僚・族議員の既得権ともいうべき利害が存在しているのである。

<分権推進の異なる立場>
省庁側の抵抗にも関わらず、「機関委任事務の廃止」を報告に盛り込んだのはどんな力だろうか。推進委員会7名のうち、学者は3名、現職市長1名(福岡市長、前全国市長会会長)、県知事経験者2名、そして財界から1名(日経連副会長)となっている。県知事経験者には長洲一二氏も入っている。この人選そのものにも、一定程度村山政権下であったことが影響しているように思える。
他方で、地方分権推進は、「行革推進・規制緩和」や「国にしか担い得ない国際調整課題への国の各省庁の対応能力を高めるため、国の各省庁の国内問題に対する濃密な関与に伴う負担を軽減するため・・・」などの立場から主張されている。新進党も「機関委任事務廃止」の立場といわれる。小沢流の「普通の国」論でもある。「民主的行政システムとしての地方分権推進」の立場と、結果としての「規制緩和」や「国際調整力の強化」からの分権推進の立場とは今後厳しい対立が予想されるわけである。(この問題については、前述の『地方分権と政治改革』95年1月掲載にも詳しい分析がある)

<「自治事務」と「法定受託事務」>
分権推進委員会は「機関委任事務の廃止」を述べただけでなく、廃止後の地方自治体の事務の分類、国の関与のあり方についても合わせて提案し、地方自治体が行っている事務がどれに分類されるか、国(省庁)と地方に問題を提起しており、今年年末の最終報告への議論の「枠決め」を行っている点も注目されている。自治体の事務を自治事務と法定受託事務にわけ、自治事務を本来の自治体の事務、法定受託事務は専ら国の利害に関係のある事務だが、利便性・効率性の観点から法律により地方が受託する事務とするとしている。また自治事務についての国の関与は、権力的であってはならず、関与の位置づけは「法の規定」が必要としている。
「機関委任事務」廃止は、膨大な量の法律改正と事務の整理が必要になるのもので決して短期間ではできないだろう。しかし、「方向」が明らかになれば、あとは線引きをめぐる攻防ということになる。上述のような省庁・官僚・族議員の存在を考えれば、まだまだ安心はできないのである。

<自己決定権の思想>
中間報告は前段で「地方分権の理念」明らかにしているが、前述の「規制緩和・行革推進・国際調整力の強化」などの諸点を別として、評価できると思える。
千葉大、鈴木教授によれば、「分権型社会」を構成する原理として
①決定権における上下型から並列型へ。自治体が自己決定権を持つこと。
②行政統制型から立法統制型へ(民主的法治主義)
③新たな「国と地方」の調整ルールの確立、を挙げている。
①は、国と地方の対等な関係を表しているのは当然として、②は、現状では法律、政令等に基づかない有形、無形の法律の範囲外の「通達」や「行政指導」によって地方がしばられているのが現状である。「立法統制」すなわち自治体が条例等で「地方法」的な処置により行政運営すべきである。
③は今回沖縄の米軍基地への借地問題において、国が大田知事を訴えた例のように訴訟による解決をめざすルールが必要となる。中間報告においても「国と地方」の調整ルール、第3者機関、立法・訴訟による調整を想定しているのである。

<残る最大の問題:地方財政問題>
地方分権の理念、国と地方の新しい関係、機関委任事務の廃止などについては一定論議の対象となりうる「中間報告」であったが、十分に尽くされていない問題がある。財源の問題である。
3割自治と言われてきたように、税収上の比率では地方3に対して国が7程度となってきた。一方支出ベースでは93年度で公的支出の75%が地方支出となっている。地方税+交付税による税の再配分を受けることで地方の支出は大きなものとなっている。但し交付税や補助金は、前述のような「国の配分権」が担保された上で地方に回ってくるわけで、「地方分権推進」の立場からは、地方税、交付税・補助金の一般財源化など「国と地方」の税における配分の見直し、現行財政制度からの移行の問題など、特に利害の絡む問題であり、地方分権推進の最大の問題であるとも言える。
中間報告では「地方公共団体の自主性・自立性を高める見地から、国と地方公共団体の財政関係についても基本的な見直しを行う必要がある」として「国庫補助負担金の整理合理化、存続する国庫補助負担金の運用・関与、地方税・地方交付税等の地方一般財源の充実確保」をあげているものの、具体的な方向は示されていない。但し新聞報道によれば、地方分権推進委員会は5月にも「地方財政・税制の見直し」のため専門チームを設置し、7月には検討結果をまとめると言う。検討項目は、国庫補助負担金の見直し、地方債発行の許可問題、地方債の市場整備、地方税の拡充問題等である。

<地域がどう変わるのか・・分権議論>
中間報告が出され、年末までさらに最終報告に向けて「地方分権推進委員会」での議論は続けられようとしている。「国と地方の新しい関係」といわれているが、振り返って我々の職場である「自治体の姿」を思い浮かべると、まだまだ分権論議はさびしいかぎりだ。「地方分権に名を借りた行革推進」との自治労連の時代錯誤は別のレベルだが、「まちづくり」や「高齢者福祉政策」などの重点課題においても、まだまだ「分権」によって「行政サービス」の向上を図ろうなどという雰囲気ではない。むしろバブルの後始末、景気低迷を受けて大阪の各自治体も財政的には厳しい時代を迎えている。自力で分権を進めようという迫力がない状況で、分権よりも行革の方に重点があるほどだ。
「分権推進委員会」の奮闘(?)に応えて、議論を盛り上げなければならないと思う。
(1996-04-16 佐野秀夫)

【出典】 アサート No.221 1996年4月20日

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【投稿】保保連合構想の台頭と住専問題

【投稿】保保連合構想の台頭と住専問題

<<談合政治の再登場>>
すったもんだの末に、ついに6850億円の税金を住専問題の処理に導入する法案が衆院を通過した。与党と新進党は予算書の総則に「住専予算は制度を整備した上で措置する」と書き加えることで合意したという。新進党の西岡・国対委員長が合意文書に署名をしていながら、広辞苑によれば「措置とは削除」などと詭弁を弄し、結局、議決では反対するというまるで政党としての体をなさない支離滅裂な対応によって、政治のふがいなさ、政治への不信をいっそう拡大したことは間違いない。
この談合政治の結末は、旧田中・竹下派の与野党間にわたる裏取引、大蔵、農水の腐敗官僚を引きずり込んだ利権政治の再登場を物語っているといえよう。事態の推移が明らかにしたことは、橋本首相自身が「国民の理解が得られていないことは痛いほど感じている」と発言し、村山前首相までが「これほど大きな問題になるとは思っていなかった」とその認識の甘さを露呈し、国民の9割以上にも及ぶ反発の強さにたじろぎ、与党内からさえ凍結論が吹きだし、自ら説明のつかない政策、京都市長選、岐阜参院補選の結果に右往左往し、そして新進党の腰の引けた無為無策な座り込みの中で、与野党共に崖っぷちに立たされていたことである。

<<破産した「金融システム不安」論>>
そもそもこの住専問題は、その発生からして密室の談合による金融行政がもたらしたものである。農水省と大蔵省の隠されていた覚え書き、母体行、住専ともに経営の実態を情報開示せず、政府・大蔵省、その後の新進党幹部も含めた政治家達と癒着して反社会的な行動をとり続け、事態の真相を隠ぺいし、問題を先送りする間に、母体行は不良債権の全てを住専に押し付けるだけ押し付けてそのツケを税金で払わせようという、この処理策自体が密室協議の産物であった。久保蔵相の言うように、「(住専は)実質(母体行の)子会社と同じようなもの。(母体行は)単なる債権者、貸し手責任ということにとどまるものではない」のであって、「3.5兆円の債権放棄を行ったということで母体行の責任が果たされることにはならない」(4/1予算委員会)のである。
ところがこのよりいっそうの母体行責任が問われると、自民党にも増して新進党が母体行をかばい、金融システムの不安を招くなどといった議論をいまだに展開している。
今や誰もが金融不安と住専問題を切り離して考えており、経済界でさえ、「金融システムの混乱が経済の足を引っ張っていないか」との問いに「大企業は全く影響を受けない」(トヨタ自動車・奥田社長、4/1日経)と答えている。母体行の追加負担についても、「母体行は、有価証券の含み益などを考えると、まだ負担は可能であり、それによって国民の負担は回避できる」(吉野俊彦・元日銀理事、「エコノミスト」3/12号)とみなされているのである。

<<各行横並びの「赤字決算」>>
ところが、3/27付け各紙朝刊は「大手17行が赤字決算 住専債権を償却」という記事を一斉に大見出しで載せている。まるで銀行が大赤字を出し、住専処理に四苦八苦し、危機に瀕しているかのような印象を与えている。とんでもないまやかしである。実際には、政府・日銀の低金利政策のおかげで、大手21行だけで業務純益が史上最高の5兆円前後に達し、その内部留保額は22兆円を超え、有価証券の含み益は母体行全体で40兆円前後に達していると算定されている。金融不安どころか、余裕たっぷりの経営実態である。
にもかかわらずなぜ赤字決算なのか。それはこれまで政府・大蔵省と組んでここ数年分延ばし延ばしにしてきた住専処理を、何の努力もなしにただただ低金利政策のおかげで転がり込んできたボロ儲け分で、住専の債権償却に当てて、経理上の数字操作で赤字にしたに過ぎないのである。しかも各行横並びの赤字決算は、明らかに意図的であり、大蔵官僚との事前協議、談合を示唆しており、赤字決算で法人税をゼロにするばかりか、今回いったん有税償却した住専向け債権も、政府の処理策に従って債権放棄したり、貸し倒れが確定した分については経費として損金参入できる無税扱いに切り替え、納税額をさらに減少させることが見込まれているのである。

<<ターゲットの移行>>
新進党が住専問題では母体行責任をできるだけそらしたばかりか、橋本首相の秘書を通じた住専の大口借り手である桃源社からの政治献金問題までいつのまにかうやむやにされ、住専問題追及のターゲットを社民党・さきがけと連携する加藤幹事長の金銭疑惑に移行させたことは、その政治的意図が無視できないものといえよう。
さらに無視できないのは、橋本首相のミドリ十字、エイズ疑惑との関連である。エイズ殺人企業として告訴されているミドリ十字などから、橋本首相は厚生族のドンとして、密接な関係を維持し、巨額献金を受け取ってきたことは隠れもない事実である。78年、42歳で厚生大臣に就任以来、ミドリ十字がスポンサーの日本薬業政治連盟から巨額の献金を受け、問題のエイズ疑惑当時、医療基本問題調査会の会長の職にあり、一連の疑惑、薬品業界と政治家、厚生省の癒着に深くかかわっていた、その中心人物であった可能性も否定しきれない事態である。
それが自・社・さ連合政権の登場で菅厚生大臣が誕生し、このエイズ疑惑について厚生省の重大な証拠隠しを明らかにし、その責任を追及し、情報を公開しようとしている。最もびくびくとし、恐れているのは首相自身かも知れない。ここでも新進党の追及は無きに等しい。

<<保保連合への布石?>>
折しも、3/19に橋本首相と小沢新進党党首とのトップ会談が行われ、「日切れ法案と暫定予算について話し合った」というが、小沢氏が「朝鮮半島の危機はわが国に直結する。中台問題などは日米関係の再構築で対処すべきだ」と述べたことに応じて、橋本氏は「まったく同感。そうした国益にかかわる問題は随時話し合いたい」と意気投合。「万一の場合は、与野党を超えて安全のためにやらねばならない」との考えで一致したという。沖縄の基地問題、集団的自衛権をめぐる論議をテコに自民党と新進党で「救国内閣」を作る案まで浮上しているという。保保連合、第二次保守合同への布石かと問題にされ、ポスト橋本は中山太郎、その後は梶山にバトンタッチ、アンカーは小沢で保保連合を完成させるといったまことしやかな構想が、自民および新進の旧田中・竹下派を軸にかけめぐり、自民、新進双方の物議をかもしている。いずれも現在の自・社・さ政権からの脱却と保守連合に利益を見い出す部分の危険な動きといえよう。
腐敗政治、密室談合政治の復活と軍拡タカ派の台頭が保保連合を通じて浮上する可能性がありうるだけに、そうした歴史的な逆行はもはや許されないばかりか、基盤もないことを断固として明示する政治勢力の結集が求められているといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.221 1996年4月20日

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【書評】「脱工業社会」と「イデオロギーの終焉」再論のもつ意味

【書評】「脱工業社会」と「イデオロギーの終焉」再論のもつ意味
D.ベル『知識社会の衝撃』(山崎正和・林雄二郎他訳、TBSブリタニカ、1995.9.7.  2,000 円)

かつて『イデオロギーの終焉』および『脱工業社会の到来』によって激しくマルクス主義を攻撃したダニエル・ベル(D.Bell,1919~)が、『知識社会の衝撃』なる著作で今一度自説を展開している。本書は、ソ連崩壊後「マルクス主義や旧来のイデオロギーの時代もまた崩れ去ろうとしている」と見るベルの見解を裏打ちしようとするものであり、同時に彼なりの未来社会論(情報社会・知識社会論)の展開でもある。しかしその細部には現代社会についての鋭い指摘があるとはいえ、看過し難い問題点が数多く含まれていることは従前と変わらない。
ベルは人間の知的活動を二つに分類し、「知識」(knowledge)と「意味」(meaning) と名づける。前者「知識」は、これを生産・応用・評価(政策担当)する人々によって担われ、後者「意味」は、ずっと古い時代から礼儀を司る人々(聖職者)、美意識の表現者、イデオロギーを用いる人々によって担われる。
さて前者の「知識」は、その本質に従ってさらに「昔ながらの経験的知識」と「理論的知識」に細分されるが、現代社会において中心的な役割を果たしているのは「理論的知識」である。すなわちベルは、ある社会の発展を「技術の梯子」という概念で特徴づけて、その社会がどのプロセスを歩んでいるかによって、「前工業社会」→「工業社会」→「脱工業社会」と区別する。そして「脱工業社会」においては「モノからサービスへの移行」と並んで「技術革新や技術変化が初めて『理論的知識の体系化』によって得られる」こと・・・例えば、コンピュータの演算が、イギリスの数学者ブール(1815~64) の記号論理と二進法(ブール代数)により可能になったように・・・が決定的なのである。
「脱工業社会に関して重要なことは、工業社会において資本と労働がまさに社会変革の戦略資源であったように、『知識と情報が社会変革の戦略資源になる』という点にある」とベルは主張する。こうして「脱工業社会」は「社会的・技術的組織や生活様式にかかわる新しい〈原則〉」として推奨され、この段階に達したとされるアメリカと日本が論じられる。
しかしベルの理論には、この「脱工業社会」を推進している社会構造の分析が抜け落ちていることが指摘されねばならないであろう。新しい情報技術が新しい知的技術の基礎となるとはいえ、それが社会構造とかかわって使用されると、社会のどの部分にいかなる影響を与えるのか(例えば、自由と開放かそれとも管理と操作か等)については全く考慮されない。ベル自身が、「技術における革命」と「その結果として起こる社会的変化」とを「はっきり区別して考えている」と言明しているにもかかわらず、である。
もっともベルによれば、「データ」(あるいは情報)と「知識」(判断の集合体)とは区別されるべきものであり、現代社会においては「データ」(情報)の爆発的な増加に対して、「知識」(判断)の量は増加しているとは言えないという認識がある。
そして20世紀ではこの「知識」は「理論と理論知の体系化」に依存していることから、「脱工業社会」(知識社会)では、一方では高等教育の充実が要請されるが、他方では多くの人々が、「能力不足や人種差別、教育機会の欠如といった原因のために」、新しい社会に必要な知識を吸収できずに、労働の現場から排除されて、「下層民」に転落しかねないと指摘する。このことは、先進資本主義諸国間の激烈な競争と国内での諸矛盾の指摘ではあるが、また明らさまな能力主義的人間観・人種差別の宣言でもある。「脱工業社会」は、「知能の低い人間」=「下層民」として切り捨てられる社会なのである。
次に知的活動の後者である「意味」は、主としてイデオロギーににかかわって問題とされる。
ベルは、マルクス主義を含めて、イデオロギーという用語そのものが曖昧な意味しか持っていないこと、従ってこの言葉は歴史的な背景からしか理解されず、「本質的」な定義などあり得ないとする。(「マルクスの多くの仕事がそうであるように、彼が自分の用語を決して説明もせず、一貫した使い方もしていないということである。全体を通して観念、イデオロギー、意識、上部構造といった言葉の間には唖然とされる混乱がある。ときによっては、観念とイデオロギーが逆に使われることがある」等々。)
また特にマルクス主義は、イデオロギーを「個人利益をさまざまな化粧で合理化し、社会支配の構造を隠すごまかしの世界」と見なし、自らを「科学、もしくは歴史的真実」と見なしてきたが、このマルクス主義も「個人や階級を未来の目標に動員する一つの意見」としてのイデオロギーになったとされる。
かかる主張がなされる基礎には、ベル独自の歴史的観点・・・17~19世紀に西洋社会で生じた大変化「巨大なクロスオーバー(交差)」が存在する。クロスオーバーとは、近代市民革命において「当の革命家自身は伝統的宗教を攻撃し、迷信と見なしていたにもかかわらず、いまや公然と『政治的』な革命の目的が、実は一連の宗教的な衝動の仮面になっていたこと」(すなわち「宗教の言葉で演じる政治の舞台」)を意味する。従ってこの視点から見ればマルクス主義は「政治的宗教」(「世俗宗教」)であり、「必然の王国から自由の王国」へと「飛躍」する「一つの終末論的な運動」ということになる。
しかし今日、「イデオロギー」(物象化・現実の凍った模倣・諸範疇に偽りの生命を与える言葉の実体化としての)は・・・崩壊した社会主義の例を引くまでもなく・・・涸渇し自己崩壊を始めている。そしてこれに代わって、「近代性に対する反乱」(「欧米に対する戦い」)、「被抑圧者の回帰」、「宗教的原理主義」、「攻撃的ナショナリズム」が高まりを見せている、とベルは主張する。これこそ「イデオロギーの終焉」の意味するところであり、同時にこの概念の完全な「開示」でもある。そして「イデオロギーはもう取り返しのつかないほど『堕ちた』言葉」となっているのである。
以上のベルの議論は、ある意味では皮肉にもイデオロギー的な思考方法一般に対する批判として、教訓的な側面を含むかもしれない。そしてベルが指摘する「欧米に対する戦い」・・・その代表は、イスラム原理主義と中国のナショナリズム・・・にも世界の眼が集まる可能性は高いと言えよう。しかしベルの文明論は、前述の「脱工業社会」における基本的構図を一歩も出ないものであり、「イデオロギーの終焉」も結局は現状肯定にとどまらざるを得ないであろう。本書の一見楽観主義的な記述の底を流れる悲観主義的(実存的)雰囲気は、きわめて深刻なアメリカ社会の諸矛盾の反映という印象が強い。
本書は、マルクス主義への手ごわい敵対者の著作であるが、現代社会の諸課題を考察する上で反面教師として、われわれ自身の視点の確立と深化に有益な書であると考える。(R)

【出典】 アサート No.220 1996年3月23日

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【投稿】オウム裁判と隠されていくもの

【投稿】オウム裁判と隠されていくもの
            —-「オウムの黒い霧」(下里正樹著)を読んで—-

最近特にマスコミの報道に疑問を感じている私である。村山政権の時期、時折の報道は決して公正とは言えなかった。阪神大震災の時の「行政の対応が悪い」キャンペーンしかり、住専問題の報道も「血税の導入反対」と一見わかりやすい、視聴者の反応を得やすい方向にのみ傾斜していた。(最近少し軌道修正しつつあるようだが)
同様に、オウム事件のこの間の報道は明らかに、「裁判」の進行のみに終始しているように思える。それは「麻原を死刑にできるか、どうか」のような話題に終焉していくような報道である。

<隠される闇の部分>
「『オウムは倒すが、闇の世界には手をつけない』が捜査本部上層部の意向であることはすでに書いた。この意向に歩調を揃えるように、テレビ・新聞・週刊誌の報道はこのところ大きな変化を見せている。『闇』の部分に触らなくなったのである」
下里正樹著の「オウムの黒い霧」の終章「アンタッチャブル」は、この言葉で始まる。闇とは、自衛隊のこと、もう一つは国際マフィアの存在であるという。
自衛隊で言えば、90年以降急速にオウムが軍事への傾斜を深め、自衛隊幹部候補生である士官クラスの勧誘を強め、サリン製造・保存・実行をおこなった事実、さらに銃器の確保・製造・訓練により「実力部隊」をつくろうとした事実。これらの問題は今や完全にマスコミ報道から姿を消した。
さらに、早川らが、92年から95年に10数度に渡ってロシアを訪れ、エリツィンにつながる政治・軍事勢力に6億円もの「政治献金」を行い、武器製造・訓練を行ったことについて、それらが「単純なルート」ではなく、マフィアの介在・政治家の介在を予想させるにも関わらず、これも報道されることはなくなった。

<サリンと麻薬を製造>
殺害された坂本弁護士が、特に追求していたものが「血のイニシエイション」といわれた「麻原の血」を飲む、それが100万円もした、という問題だった。この液体の謎を追求しようとしていた、と下里氏は言う。そしてその中身は「麻薬」ではなかったかと。よくテレビにでていた「修行風景」は、そうした「麻薬による幻覚」状況ではなかったのか。それを法廷で明らかにされることをこそオウムはおそれたのではないかと。
「修行」のために麻薬はまた「資金源」としての麻薬でもあったという。メイド・イン・オウムの麻薬は国内・海外にもマフィアを通じて売買されて、強制捜査が行われた日にはシャブ(覚醒剤)の国内マーケットの価格が3倍になったと下里氏は言う。
詳しくは本書を読んでみてほしいが、「オウムと麻薬」という問題もマスコミ・警察も取り上げなくなっている。オウム真理教の前身は「オウム神仙の会」であり、この時の後援者が麻原の出身地熊本のヤクザ「新選組」だったという事実。台湾マフィアに麻薬を売って、武器を購入していた早川の行動など・・・

<本当に宗教団体だったのか>
下里氏は、「右翼軍事団体」としてオウムを捉え、徹底的に批判することが重要だと主張している。宗教的思想から殺人・軍事思想が生まれたのか、それとも元から「右翼軍事組織」が宗教の姿をしていたのか。大量の行方不明信者、サリン=大量無差別殺人事件、ロシアコネクションの問題など、「謎」を闇にしてしまわないことが重要だという。
本書は、刺激的な内容で、少し週刊誌的な雰囲気もあるが、以前アサートで紹介したように下里氏は元赤旗編集長、除名された共産党員であり、丁寧で徹底した調査がもとにあると思われ、4月末の麻原裁判の開始を前に、ぜひ読まれることをお勧めします。(佐野秀夫) 【「オウムの黒い霧」下里正樹著 双葉社 \1400円】

【出典】 アサート No.220 1996年3月23日

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