【投稿】自治の中身を問いなおし、直ちに公務員国籍条項撤廃を!

【投稿】自治の中身を問いなおし、直ちに公務員国籍条項撤廃を!

1 はじめに
地方公務員の国籍条項を巡る動きが活発化してきている。高知県の橋本知事が、日本国籍でなければ公務員になれないとする県職員採用の「国籍条項」について撤廃を表明したことに続き、大阪市においても磯村市長が当面は採用後の配属などに制限を設けながらも国籍条項の撤廃の方針を表明した。いずれも首長の決意が強いことから、あとは決定権限のある人事委員会で今夏の採用試験からの国籍条項の撤廃が決定される運びとみられていた。しかし、自治省の反発に加え、高知県議会において「国籍条項撤廃については慎重を期すべき」とする決議が過半数を占める自民党単独で決議され、大阪市においても自民党市議団が早期撤廃に慎重姿勢を打ち出したことにより、今年の撤廃は微妙な情勢となっている。

2 法的根拠のない公務員国籍条項
自治省はこれまで、「公務員に関する当然の法理として、公権力の行使、国家の意思の形成(後に「公の意思の形成」へとなし崩し的に範囲が広げられている。)への参画に携わる公務員のなるには日本国籍が必要」とする内閣法制局見解が地方公務員にも適用されるとして、外国人の地方公務員への採用に慎重な姿勢をとるよう地方自治体を指導してきた。
しかし、日本国憲法上、外国人にも基本的人権は保障されており、職業選択の権利が制約される場合には、合理的で必要最小限の範囲であり法的根拠が必要である。わが国では、外務公務員(外交官)に日本国籍を要することが法定されているくらいであり、そのほかの一般の公務員に国籍に関する規定はない。また、「公権力の行使」などという一般的な概念をもって公務員採用の道を閉ざすことは「必要最小限の制限」とも相容れないし、またこうしたことが民間企業における在日韓国・朝鮮人をはじめとする外国人の就職差別を温存することにもつながっている。

3 撤廃に向けた動き
1980年代以後、日本で生まれ育った3世以後の在日韓国・朝鮮人を中心に地方自治体の国籍条項の撤廃運動が進められ、外国籍職員を採用する一般市も登場した。大阪府内などでは、大阪府と大阪市を除いて全ての市町村で一般事務職の国籍条項は撤廃されている。政令指定都市では、1990年代に入ってようやく大阪市や川崎市などが「国際」や「経営情報」など一般事務職の中に「公権力を行使しない」専門職種を設けたものの、採用枠自体が「若干名」にとどまっており、根本的解決には至っていない。
政令指定都市や都道府県で撤廃が行き詰まってきた原因は自治省である。自治省は一般市における国籍条項の撤廃には事実上黙認の立場をとっていたが、黙認の限界の線を政令指定都市に引いているようであり、政令指定都市の撤廃の動きに対しては断固として慎重な対応を迫ってきた。政令指定都市で線を引いているのは、国の機関委任事務等が飛躍的に多いことなどが理由であると言われている。
職員採用の国籍要件は法定されていない以上、判断する権限は当該自治体にあるわけだが、政令指定都市等では起債の認可権限などをもった自治省に対して容易に背を向けるわけにもいかず、事務レベルでの協議では平行線を辿り続けた。今回、橋本高知県知事が政治的決断をしたことにより、自治省との交渉如何にかかわらず、自治体が自主的に判断して国籍条項を撤廃する可能性が高まってきたわけである。一方、国籍条項撤廃が現実化してきた中、これまでほとんど口をはさむことをしなかった議会筋の「撤廃慎重派」がにわかに動きを見せはじめ、先行きを曇らせている。

4 自治体側に求められるもの~分権・自治の視点から~
こうした情勢の中、地方分権推進委員会などをはじめ地方の分権・自治の強化の検討が進められていることともあわせ、以下のような視点で国籍条項の即時撤廃にのぞむべきであると考える。
・ 地方のことは地方で決める。
地方公務員採用の国籍条項は、地方自治を担う者を決める決め方の要件の一つである。地方自治を担う人間のことは地方で決めるという姿勢を貫くことである。自治省が干渉する問題ではない。公権力の行使が問題になるといっても、全ての公務員は法令に基づいて仕事をするのであり、国籍にもとづいて仕事をするのではないのである。
・ 「自治」の中身が問われている。
高知県の橋本知事は「公務員は住民に対するサービス業だから、外国人がなってもかまわない」とする公務員サービス論を説いている。国に対する説得の方便としてはある程度やむを得ないと思うが、この考えは外国人が公の仕事をすることに対する感情的反発にこたえていない。自治である以上、その中身には多少の公権力の行使は伴うものである。であるからこそ、「日本国籍の市民が、多国籍の職員から行政上の指示を受けるのは解せない」(大阪市議会筋)などとする抵抗感も出るのである。こうした感情的反発に対しては首長自らが目指す自治の中身を示すべきである。
地方自治を担うのは住民であるということには異論はない。しかし、問題はどの住民と自治を担っていくのかということである。すなわち、地方自治体は日本国籍と外国籍の住民で構成され、地方自治を担うのは決して日本国籍の住民だけではなく、外国籍住民も共に担っていくべきであるということである。従って、(国の見解との関係はともかく)外国籍職員が日本国籍市民に公権力を行使しても当然なのである。外国籍住民に対して恩恵的に福祉や諸制度を適用するのではなく、共に自治を担っていくパートナーであるという認識を首長が広く示し、理解を得ることによって国籍条項の即時撤廃の姿勢を貫くべきであると考える。 (当麻太郎)

【出典】 アサート No.221 1996年4月20日

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【投稿】地方分権推進委員会が中間報告

【投稿】地方分権推進委員会が中間報告
                     「機関委任事務廃止を断定」

本誌においては、依辺氏によるシリーズ「地方分権と政治改革」が昨年来掲載され、3年前の自民党単独政権の崩壊と連立政権の成立、政界の再編の中での「地方分権」課題をどうのような戦略で位置づけるか、という分析が行われてきた。
筆者も地方自治に従事するものとして、非常な関心をもっている。それは自分の仕事がどう変化するのか、またどう変わらなければならないか、を考えるとき、まさに「戦略的課題」としての「地方分権」の行方に無関心ではいられないからである。

政府は昨年7月「地方分権推進法」を施行し、7月には法に基づく「地方分権推進委員会」(諸井日経連副会長が委員長)を設置した。この法律は5年間の時限立法であり、推進委員会は今年の年末での「最終報告」勧告を目指して昨年来委員会を開催し、3月29日に中間報告を公表している。
この文書では、この中間報告の内容と評価について指摘をしてみたい。

<前進した中間報告と後退する政府>
中間報告の評価については、例えば「この中間報告は多くの問題を先送りにしたにも拘わらず、その基本的方向性において極めて重要な内容を含んでいるといってよい。その要諦はなんといっても機関委任事務制度の廃止を明らかにしたことである。」(辻山幸宣中央大学教授)という評価が、特に自治労周辺の学者グループから聞かれる。私も「中間報告」のみに限定すれば同感である。「地方分権推進法」に基づく地方分権推進計画を政府が立てるための関係団体の「意見調整組織」としての「分権推進委員会」が「この報告の公表を契機に、地方分権推進に対する草の根の関心がたかまり、・・・さらなる国民的論議が全国津々浦々に広がり深まることを希望する」という中間報告まえがきに述べているのは深い意味がある。
「地方分権推進法」が成立したのは村山政権下であった。現在の橋本政権と比べると「政権の存立基盤」が同様の自社さ連立政権とは言え、微妙な変化を見せている。
3月29日、中間報告を受け取った橋本首相は「さらに慎重な審議を期待する」として、内容に戸惑っている様子も伺える。エコノミスト4/16号によれば、「首相からは中間報告ばかりだけではなく、地方分権推進委員会の運営について相当注文がつけられたとする見方が有力」で、首相は「2月に行革委員会、経済審議会、財政審議会、地方分権推進委員会の連携強化を命じ、3月に各会長・事務局長会議が開かれたが、分権推進委員会の論議の方向に危惧を抱いたからだ」との報道もある。
中間報告を受けて、官僚・族議員が「権益」保全のため動きはじめているとも言われ、「行革のプロ」を自認する橋本首相はじめ政府の側も年末の最終報告に向けて、相当な巻き返しがあると考えたほうがいいようだ。

<機関委任事務廃止に省庁は抵抗>
昨年7月以来の議論過程の中で、地方分権推進委員会は、知事会、市長会、町村会から代表を招いてヒアリングを行った。4回行われたが249頁に及ぶ資料が提出された。自治体名は匿名ながら実例を挙げて改革の方向を提示したのだ。
例をあげると①都市計画決定は、市町村責任という建前になっていながら実際には各省庁との協議が必要とされ、市街化区域・市街化調整区域の線引きには、出張平均31回、事務処理所要日数平均804日、再考1600日もかかる。
②障害者の補装具の交付は団体事務だが、厚生省告示で細かく定められていて少しでも合致しないと大臣協議となる。このため松葉杖に寒冷地に必要なアイスピックをつけようとすると大臣協議が必要となる。
③A市:特養老人ホームの待機者が20名おり、身障施設の要望もあるため、両施設を合わせて定員50名として設置要件のクリアーを検討したが、各施設ごとの定員要件(各25名)達成を指導され、計画を断念した、など。
この後、今度は建設省、農水省、通産省、国土庁、運輸省、郵政省、環境庁、厚生省、など16省庁から5回に渡ってヒアリングがおこなわれたが、「全国統一の基準、公平性の確保」などを理由にすべての省庁が「機関委任事務の廃止には反対」の立場を主張したという。

<機関委任事務廃止を決断すべき>
中間報告は、こうした議論過程を経ながらも、懸案の「機関委任事務は廃止することを決断すべき」であると断定した。機関委任事務とは本来、国の事務であるものを「地方自治体の長」が「執行機関」として行う事務のことであり、「明治時代の旧市制・町村制の地方制度において自治体であった市町村の長を国の指揮監督下におく方式として制度下された」もので、戦後の地方自治制度の発足によって知事公選制に移行したにも関わらず、都道府県にも拡大され、項目数で561(うち都道府県379、市町村182)にも及んでいる。「機関委任事務の執行にあたっては、知事は大臣の、市町村長は国の機関としての知事の指揮監督を受けるものとされ、議会のチェックも制限されるなど、機関委任事務制度は、日本の中央集権型システムの中核的部分となっている。
この制度によって、「国と地方のの関係を上下・主従の関係に置いている」「自治体の首長は、自治体の長の立場と国の地方行政機関の役割を二重に持ち、地方自治に徹しきれない」「通達行政などによる国の関与に対して、報告・協議・認可など膨大なコスト・時間を要する」などの弊害が指摘されてきた。
当然、中央省庁は「機関委任事務の存続」を主張しているわけだが、その背景に省庁・官僚・族議員の既得権ともいうべき利害が存在しているのである。

<分権推進の異なる立場>
省庁側の抵抗にも関わらず、「機関委任事務の廃止」を報告に盛り込んだのはどんな力だろうか。推進委員会7名のうち、学者は3名、現職市長1名(福岡市長、前全国市長会会長)、県知事経験者2名、そして財界から1名(日経連副会長)となっている。県知事経験者には長洲一二氏も入っている。この人選そのものにも、一定程度村山政権下であったことが影響しているように思える。
他方で、地方分権推進は、「行革推進・規制緩和」や「国にしか担い得ない国際調整課題への国の各省庁の対応能力を高めるため、国の各省庁の国内問題に対する濃密な関与に伴う負担を軽減するため・・・」などの立場から主張されている。新進党も「機関委任事務廃止」の立場といわれる。小沢流の「普通の国」論でもある。「民主的行政システムとしての地方分権推進」の立場と、結果としての「規制緩和」や「国際調整力の強化」からの分権推進の立場とは今後厳しい対立が予想されるわけである。(この問題については、前述の『地方分権と政治改革』95年1月掲載にも詳しい分析がある)

<「自治事務」と「法定受託事務」>
分権推進委員会は「機関委任事務の廃止」を述べただけでなく、廃止後の地方自治体の事務の分類、国の関与のあり方についても合わせて提案し、地方自治体が行っている事務がどれに分類されるか、国(省庁)と地方に問題を提起しており、今年年末の最終報告への議論の「枠決め」を行っている点も注目されている。自治体の事務を自治事務と法定受託事務にわけ、自治事務を本来の自治体の事務、法定受託事務は専ら国の利害に関係のある事務だが、利便性・効率性の観点から法律により地方が受託する事務とするとしている。また自治事務についての国の関与は、権力的であってはならず、関与の位置づけは「法の規定」が必要としている。
「機関委任事務」廃止は、膨大な量の法律改正と事務の整理が必要になるのもので決して短期間ではできないだろう。しかし、「方向」が明らかになれば、あとは線引きをめぐる攻防ということになる。上述のような省庁・官僚・族議員の存在を考えれば、まだまだ安心はできないのである。

<自己決定権の思想>
中間報告は前段で「地方分権の理念」明らかにしているが、前述の「規制緩和・行革推進・国際調整力の強化」などの諸点を別として、評価できると思える。
千葉大、鈴木教授によれば、「分権型社会」を構成する原理として
①決定権における上下型から並列型へ。自治体が自己決定権を持つこと。
②行政統制型から立法統制型へ(民主的法治主義)
③新たな「国と地方」の調整ルールの確立、を挙げている。
①は、国と地方の対等な関係を表しているのは当然として、②は、現状では法律、政令等に基づかない有形、無形の法律の範囲外の「通達」や「行政指導」によって地方がしばられているのが現状である。「立法統制」すなわち自治体が条例等で「地方法」的な処置により行政運営すべきである。
③は今回沖縄の米軍基地への借地問題において、国が大田知事を訴えた例のように訴訟による解決をめざすルールが必要となる。中間報告においても「国と地方」の調整ルール、第3者機関、立法・訴訟による調整を想定しているのである。

<残る最大の問題:地方財政問題>
地方分権の理念、国と地方の新しい関係、機関委任事務の廃止などについては一定論議の対象となりうる「中間報告」であったが、十分に尽くされていない問題がある。財源の問題である。
3割自治と言われてきたように、税収上の比率では地方3に対して国が7程度となってきた。一方支出ベースでは93年度で公的支出の75%が地方支出となっている。地方税+交付税による税の再配分を受けることで地方の支出は大きなものとなっている。但し交付税や補助金は、前述のような「国の配分権」が担保された上で地方に回ってくるわけで、「地方分権推進」の立場からは、地方税、交付税・補助金の一般財源化など「国と地方」の税における配分の見直し、現行財政制度からの移行の問題など、特に利害の絡む問題であり、地方分権推進の最大の問題であるとも言える。
中間報告では「地方公共団体の自主性・自立性を高める見地から、国と地方公共団体の財政関係についても基本的な見直しを行う必要がある」として「国庫補助負担金の整理合理化、存続する国庫補助負担金の運用・関与、地方税・地方交付税等の地方一般財源の充実確保」をあげているものの、具体的な方向は示されていない。但し新聞報道によれば、地方分権推進委員会は5月にも「地方財政・税制の見直し」のため専門チームを設置し、7月には検討結果をまとめると言う。検討項目は、国庫補助負担金の見直し、地方債発行の許可問題、地方債の市場整備、地方税の拡充問題等である。

<地域がどう変わるのか・・分権議論>
中間報告が出され、年末までさらに最終報告に向けて「地方分権推進委員会」での議論は続けられようとしている。「国と地方の新しい関係」といわれているが、振り返って我々の職場である「自治体の姿」を思い浮かべると、まだまだ分権論議はさびしいかぎりだ。「地方分権に名を借りた行革推進」との自治労連の時代錯誤は別のレベルだが、「まちづくり」や「高齢者福祉政策」などの重点課題においても、まだまだ「分権」によって「行政サービス」の向上を図ろうなどという雰囲気ではない。むしろバブルの後始末、景気低迷を受けて大阪の各自治体も財政的には厳しい時代を迎えている。自力で分権を進めようという迫力がない状況で、分権よりも行革の方に重点があるほどだ。
「分権推進委員会」の奮闘(?)に応えて、議論を盛り上げなければならないと思う。
(1996-04-16 佐野秀夫)

【出典】 アサート No.221 1996年4月20日

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【投稿】保保連合構想の台頭と住専問題

【投稿】保保連合構想の台頭と住専問題

<<談合政治の再登場>>
すったもんだの末に、ついに6850億円の税金を住専問題の処理に導入する法案が衆院を通過した。与党と新進党は予算書の総則に「住専予算は制度を整備した上で措置する」と書き加えることで合意したという。新進党の西岡・国対委員長が合意文書に署名をしていながら、広辞苑によれば「措置とは削除」などと詭弁を弄し、結局、議決では反対するというまるで政党としての体をなさない支離滅裂な対応によって、政治のふがいなさ、政治への不信をいっそう拡大したことは間違いない。
この談合政治の結末は、旧田中・竹下派の与野党間にわたる裏取引、大蔵、農水の腐敗官僚を引きずり込んだ利権政治の再登場を物語っているといえよう。事態の推移が明らかにしたことは、橋本首相自身が「国民の理解が得られていないことは痛いほど感じている」と発言し、村山前首相までが「これほど大きな問題になるとは思っていなかった」とその認識の甘さを露呈し、国民の9割以上にも及ぶ反発の強さにたじろぎ、与党内からさえ凍結論が吹きだし、自ら説明のつかない政策、京都市長選、岐阜参院補選の結果に右往左往し、そして新進党の腰の引けた無為無策な座り込みの中で、与野党共に崖っぷちに立たされていたことである。

<<破産した「金融システム不安」論>>
そもそもこの住専問題は、その発生からして密室の談合による金融行政がもたらしたものである。農水省と大蔵省の隠されていた覚え書き、母体行、住専ともに経営の実態を情報開示せず、政府・大蔵省、その後の新進党幹部も含めた政治家達と癒着して反社会的な行動をとり続け、事態の真相を隠ぺいし、問題を先送りする間に、母体行は不良債権の全てを住専に押し付けるだけ押し付けてそのツケを税金で払わせようという、この処理策自体が密室協議の産物であった。久保蔵相の言うように、「(住専は)実質(母体行の)子会社と同じようなもの。(母体行は)単なる債権者、貸し手責任ということにとどまるものではない」のであって、「3.5兆円の債権放棄を行ったということで母体行の責任が果たされることにはならない」(4/1予算委員会)のである。
ところがこのよりいっそうの母体行責任が問われると、自民党にも増して新進党が母体行をかばい、金融システムの不安を招くなどといった議論をいまだに展開している。
今や誰もが金融不安と住専問題を切り離して考えており、経済界でさえ、「金融システムの混乱が経済の足を引っ張っていないか」との問いに「大企業は全く影響を受けない」(トヨタ自動車・奥田社長、4/1日経)と答えている。母体行の追加負担についても、「母体行は、有価証券の含み益などを考えると、まだ負担は可能であり、それによって国民の負担は回避できる」(吉野俊彦・元日銀理事、「エコノミスト」3/12号)とみなされているのである。

<<各行横並びの「赤字決算」>>
ところが、3/27付け各紙朝刊は「大手17行が赤字決算 住専債権を償却」という記事を一斉に大見出しで載せている。まるで銀行が大赤字を出し、住専処理に四苦八苦し、危機に瀕しているかのような印象を与えている。とんでもないまやかしである。実際には、政府・日銀の低金利政策のおかげで、大手21行だけで業務純益が史上最高の5兆円前後に達し、その内部留保額は22兆円を超え、有価証券の含み益は母体行全体で40兆円前後に達していると算定されている。金融不安どころか、余裕たっぷりの経営実態である。
にもかかわらずなぜ赤字決算なのか。それはこれまで政府・大蔵省と組んでここ数年分延ばし延ばしにしてきた住専処理を、何の努力もなしにただただ低金利政策のおかげで転がり込んできたボロ儲け分で、住専の債権償却に当てて、経理上の数字操作で赤字にしたに過ぎないのである。しかも各行横並びの赤字決算は、明らかに意図的であり、大蔵官僚との事前協議、談合を示唆しており、赤字決算で法人税をゼロにするばかりか、今回いったん有税償却した住専向け債権も、政府の処理策に従って債権放棄したり、貸し倒れが確定した分については経費として損金参入できる無税扱いに切り替え、納税額をさらに減少させることが見込まれているのである。

<<ターゲットの移行>>
新進党が住専問題では母体行責任をできるだけそらしたばかりか、橋本首相の秘書を通じた住専の大口借り手である桃源社からの政治献金問題までいつのまにかうやむやにされ、住専問題追及のターゲットを社民党・さきがけと連携する加藤幹事長の金銭疑惑に移行させたことは、その政治的意図が無視できないものといえよう。
さらに無視できないのは、橋本首相のミドリ十字、エイズ疑惑との関連である。エイズ殺人企業として告訴されているミドリ十字などから、橋本首相は厚生族のドンとして、密接な関係を維持し、巨額献金を受け取ってきたことは隠れもない事実である。78年、42歳で厚生大臣に就任以来、ミドリ十字がスポンサーの日本薬業政治連盟から巨額の献金を受け、問題のエイズ疑惑当時、医療基本問題調査会の会長の職にあり、一連の疑惑、薬品業界と政治家、厚生省の癒着に深くかかわっていた、その中心人物であった可能性も否定しきれない事態である。
それが自・社・さ連合政権の登場で菅厚生大臣が誕生し、このエイズ疑惑について厚生省の重大な証拠隠しを明らかにし、その責任を追及し、情報を公開しようとしている。最もびくびくとし、恐れているのは首相自身かも知れない。ここでも新進党の追及は無きに等しい。

<<保保連合への布石?>>
折しも、3/19に橋本首相と小沢新進党党首とのトップ会談が行われ、「日切れ法案と暫定予算について話し合った」というが、小沢氏が「朝鮮半島の危機はわが国に直結する。中台問題などは日米関係の再構築で対処すべきだ」と述べたことに応じて、橋本氏は「まったく同感。そうした国益にかかわる問題は随時話し合いたい」と意気投合。「万一の場合は、与野党を超えて安全のためにやらねばならない」との考えで一致したという。沖縄の基地問題、集団的自衛権をめぐる論議をテコに自民党と新進党で「救国内閣」を作る案まで浮上しているという。保保連合、第二次保守合同への布石かと問題にされ、ポスト橋本は中山太郎、その後は梶山にバトンタッチ、アンカーは小沢で保保連合を完成させるといったまことしやかな構想が、自民および新進の旧田中・竹下派を軸にかけめぐり、自民、新進双方の物議をかもしている。いずれも現在の自・社・さ政権からの脱却と保守連合に利益を見い出す部分の危険な動きといえよう。
腐敗政治、密室談合政治の復活と軍拡タカ派の台頭が保保連合を通じて浮上する可能性がありうるだけに、そうした歴史的な逆行はもはや許されないばかりか、基盤もないことを断固として明示する政治勢力の結集が求められているといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.221 1996年4月20日

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【書評】「脱工業社会」と「イデオロギーの終焉」再論のもつ意味

【書評】「脱工業社会」と「イデオロギーの終焉」再論のもつ意味
D.ベル『知識社会の衝撃』(山崎正和・林雄二郎他訳、TBSブリタニカ、1995.9.7.  2,000 円)

かつて『イデオロギーの終焉』および『脱工業社会の到来』によって激しくマルクス主義を攻撃したダニエル・ベル(D.Bell,1919~)が、『知識社会の衝撃』なる著作で今一度自説を展開している。本書は、ソ連崩壊後「マルクス主義や旧来のイデオロギーの時代もまた崩れ去ろうとしている」と見るベルの見解を裏打ちしようとするものであり、同時に彼なりの未来社会論(情報社会・知識社会論)の展開でもある。しかしその細部には現代社会についての鋭い指摘があるとはいえ、看過し難い問題点が数多く含まれていることは従前と変わらない。
ベルは人間の知的活動を二つに分類し、「知識」(knowledge)と「意味」(meaning) と名づける。前者「知識」は、これを生産・応用・評価(政策担当)する人々によって担われ、後者「意味」は、ずっと古い時代から礼儀を司る人々(聖職者)、美意識の表現者、イデオロギーを用いる人々によって担われる。
さて前者の「知識」は、その本質に従ってさらに「昔ながらの経験的知識」と「理論的知識」に細分されるが、現代社会において中心的な役割を果たしているのは「理論的知識」である。すなわちベルは、ある社会の発展を「技術の梯子」という概念で特徴づけて、その社会がどのプロセスを歩んでいるかによって、「前工業社会」→「工業社会」→「脱工業社会」と区別する。そして「脱工業社会」においては「モノからサービスへの移行」と並んで「技術革新や技術変化が初めて『理論的知識の体系化』によって得られる」こと・・・例えば、コンピュータの演算が、イギリスの数学者ブール(1815~64) の記号論理と二進法(ブール代数)により可能になったように・・・が決定的なのである。
「脱工業社会に関して重要なことは、工業社会において資本と労働がまさに社会変革の戦略資源であったように、『知識と情報が社会変革の戦略資源になる』という点にある」とベルは主張する。こうして「脱工業社会」は「社会的・技術的組織や生活様式にかかわる新しい〈原則〉」として推奨され、この段階に達したとされるアメリカと日本が論じられる。
しかしベルの理論には、この「脱工業社会」を推進している社会構造の分析が抜け落ちていることが指摘されねばならないであろう。新しい情報技術が新しい知的技術の基礎となるとはいえ、それが社会構造とかかわって使用されると、社会のどの部分にいかなる影響を与えるのか(例えば、自由と開放かそれとも管理と操作か等)については全く考慮されない。ベル自身が、「技術における革命」と「その結果として起こる社会的変化」とを「はっきり区別して考えている」と言明しているにもかかわらず、である。
もっともベルによれば、「データ」(あるいは情報)と「知識」(判断の集合体)とは区別されるべきものであり、現代社会においては「データ」(情報)の爆発的な増加に対して、「知識」(判断)の量は増加しているとは言えないという認識がある。
そして20世紀ではこの「知識」は「理論と理論知の体系化」に依存していることから、「脱工業社会」(知識社会)では、一方では高等教育の充実が要請されるが、他方では多くの人々が、「能力不足や人種差別、教育機会の欠如といった原因のために」、新しい社会に必要な知識を吸収できずに、労働の現場から排除されて、「下層民」に転落しかねないと指摘する。このことは、先進資本主義諸国間の激烈な競争と国内での諸矛盾の指摘ではあるが、また明らさまな能力主義的人間観・人種差別の宣言でもある。「脱工業社会」は、「知能の低い人間」=「下層民」として切り捨てられる社会なのである。
次に知的活動の後者である「意味」は、主としてイデオロギーににかかわって問題とされる。
ベルは、マルクス主義を含めて、イデオロギーという用語そのものが曖昧な意味しか持っていないこと、従ってこの言葉は歴史的な背景からしか理解されず、「本質的」な定義などあり得ないとする。(「マルクスの多くの仕事がそうであるように、彼が自分の用語を決して説明もせず、一貫した使い方もしていないということである。全体を通して観念、イデオロギー、意識、上部構造といった言葉の間には唖然とされる混乱がある。ときによっては、観念とイデオロギーが逆に使われることがある」等々。)
また特にマルクス主義は、イデオロギーを「個人利益をさまざまな化粧で合理化し、社会支配の構造を隠すごまかしの世界」と見なし、自らを「科学、もしくは歴史的真実」と見なしてきたが、このマルクス主義も「個人や階級を未来の目標に動員する一つの意見」としてのイデオロギーになったとされる。
かかる主張がなされる基礎には、ベル独自の歴史的観点・・・17~19世紀に西洋社会で生じた大変化「巨大なクロスオーバー(交差)」が存在する。クロスオーバーとは、近代市民革命において「当の革命家自身は伝統的宗教を攻撃し、迷信と見なしていたにもかかわらず、いまや公然と『政治的』な革命の目的が、実は一連の宗教的な衝動の仮面になっていたこと」(すなわち「宗教の言葉で演じる政治の舞台」)を意味する。従ってこの視点から見ればマルクス主義は「政治的宗教」(「世俗宗教」)であり、「必然の王国から自由の王国」へと「飛躍」する「一つの終末論的な運動」ということになる。
しかし今日、「イデオロギー」(物象化・現実の凍った模倣・諸範疇に偽りの生命を与える言葉の実体化としての)は・・・崩壊した社会主義の例を引くまでもなく・・・涸渇し自己崩壊を始めている。そしてこれに代わって、「近代性に対する反乱」(「欧米に対する戦い」)、「被抑圧者の回帰」、「宗教的原理主義」、「攻撃的ナショナリズム」が高まりを見せている、とベルは主張する。これこそ「イデオロギーの終焉」の意味するところであり、同時にこの概念の完全な「開示」でもある。そして「イデオロギーはもう取り返しのつかないほど『堕ちた』言葉」となっているのである。
以上のベルの議論は、ある意味では皮肉にもイデオロギー的な思考方法一般に対する批判として、教訓的な側面を含むかもしれない。そしてベルが指摘する「欧米に対する戦い」・・・その代表は、イスラム原理主義と中国のナショナリズム・・・にも世界の眼が集まる可能性は高いと言えよう。しかしベルの文明論は、前述の「脱工業社会」における基本的構図を一歩も出ないものであり、「イデオロギーの終焉」も結局は現状肯定にとどまらざるを得ないであろう。本書の一見楽観主義的な記述の底を流れる悲観主義的(実存的)雰囲気は、きわめて深刻なアメリカ社会の諸矛盾の反映という印象が強い。
本書は、マルクス主義への手ごわい敵対者の著作であるが、現代社会の諸課題を考察する上で反面教師として、われわれ自身の視点の確立と深化に有益な書であると考える。(R)

【出典】 アサート No.220 1996年3月23日

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【投稿】オウム裁判と隠されていくもの

【投稿】オウム裁判と隠されていくもの
            —-「オウムの黒い霧」(下里正樹著)を読んで—-

最近特にマスコミの報道に疑問を感じている私である。村山政権の時期、時折の報道は決して公正とは言えなかった。阪神大震災の時の「行政の対応が悪い」キャンペーンしかり、住専問題の報道も「血税の導入反対」と一見わかりやすい、視聴者の反応を得やすい方向にのみ傾斜していた。(最近少し軌道修正しつつあるようだが)
同様に、オウム事件のこの間の報道は明らかに、「裁判」の進行のみに終始しているように思える。それは「麻原を死刑にできるか、どうか」のような話題に終焉していくような報道である。

<隠される闇の部分>
「『オウムは倒すが、闇の世界には手をつけない』が捜査本部上層部の意向であることはすでに書いた。この意向に歩調を揃えるように、テレビ・新聞・週刊誌の報道はこのところ大きな変化を見せている。『闇』の部分に触らなくなったのである」
下里正樹著の「オウムの黒い霧」の終章「アンタッチャブル」は、この言葉で始まる。闇とは、自衛隊のこと、もう一つは国際マフィアの存在であるという。
自衛隊で言えば、90年以降急速にオウムが軍事への傾斜を深め、自衛隊幹部候補生である士官クラスの勧誘を強め、サリン製造・保存・実行をおこなった事実、さらに銃器の確保・製造・訓練により「実力部隊」をつくろうとした事実。これらの問題は今や完全にマスコミ報道から姿を消した。
さらに、早川らが、92年から95年に10数度に渡ってロシアを訪れ、エリツィンにつながる政治・軍事勢力に6億円もの「政治献金」を行い、武器製造・訓練を行ったことについて、それらが「単純なルート」ではなく、マフィアの介在・政治家の介在を予想させるにも関わらず、これも報道されることはなくなった。

<サリンと麻薬を製造>
殺害された坂本弁護士が、特に追求していたものが「血のイニシエイション」といわれた「麻原の血」を飲む、それが100万円もした、という問題だった。この液体の謎を追求しようとしていた、と下里氏は言う。そしてその中身は「麻薬」ではなかったかと。よくテレビにでていた「修行風景」は、そうした「麻薬による幻覚」状況ではなかったのか。それを法廷で明らかにされることをこそオウムはおそれたのではないかと。
「修行」のために麻薬はまた「資金源」としての麻薬でもあったという。メイド・イン・オウムの麻薬は国内・海外にもマフィアを通じて売買されて、強制捜査が行われた日にはシャブ(覚醒剤)の国内マーケットの価格が3倍になったと下里氏は言う。
詳しくは本書を読んでみてほしいが、「オウムと麻薬」という問題もマスコミ・警察も取り上げなくなっている。オウム真理教の前身は「オウム神仙の会」であり、この時の後援者が麻原の出身地熊本のヤクザ「新選組」だったという事実。台湾マフィアに麻薬を売って、武器を購入していた早川の行動など・・・

<本当に宗教団体だったのか>
下里氏は、「右翼軍事団体」としてオウムを捉え、徹底的に批判することが重要だと主張している。宗教的思想から殺人・軍事思想が生まれたのか、それとも元から「右翼軍事組織」が宗教の姿をしていたのか。大量の行方不明信者、サリン=大量無差別殺人事件、ロシアコネクションの問題など、「謎」を闇にしてしまわないことが重要だという。
本書は、刺激的な内容で、少し週刊誌的な雰囲気もあるが、以前アサートで紹介したように下里氏は元赤旗編集長、除名された共産党員であり、丁寧で徹底した調査がもとにあると思われ、4月末の麻原裁判の開始を前に、ぜひ読まれることをお勧めします。(佐野秀夫) 【「オウムの黒い霧」下里正樹著 双葉社 \1400円】

【出典】 アサート No.220 1996年3月23日

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【投稿】三人を大切にしよう

【投稿】三人を大切にしよう

1.田端義夫の場合
「三人を大切にしよう」、田端義夫の「島そだち」を口づさむとき、かならずといってもいい、この命の「三人」、運命の「三人」の話しが忘れられない。
バタヤン、私はこの人を知らない。会ったこともない。だが、「三人を大切にしよう」という話しは生きている。この話しを通じて私はバタヤンを知っている。
「赤提灯」ののれんをくぐると、そこのあるじが年頃が同じなのか、バタヤンびいきで、「唄ぢゃあいつがいちばん、身にしみる」と「島そだち」を小声で唄う。
このバタヤン、田端義夫は、先刻いったように私はじかには知らない。彼が奄美大島生まれかどうかも知らない。「歌のしおり」という小さな帳面にものっていない。
だから彼がいつ大阪にきて、どこの劇場で「島そだち」を熱唱したのかも知らない。
ともかく彼は、日本中が「ジャズ」一色で埋っていた頃、これでは日本は潰れると真底そう感じて、「島そだち」一本で勝負しようと大阪に乗り込んできた。
例の古ぼけたギターを肩にして、北から南、大阪の夜を流して歩いた。立ち止まって聞いてくれる人はいない。声をかけてくれる窓の女中さんもいない。彼の目にかすかな絶望の一滴が流れたその時、言葉をかけてくれた人がいた。
「うちでやってみんか」
「うち?」
「花月だよ」
バタヤンは飛び上がった。何躊躇することがあろう。
「ありがとうございます。お願いします」そう言うのが精一杯だった。このセリフは「桂三枝」の「出あいの風景」の中のセリフであるが、バタヤンも多分そうだったろうと思って、無断借用させてもらった。
その夜、かれにとっては一生一代の勝負の舞台である。その舞台が旧梅田花月の舞台なのか、新しい「花月」なのか、私は知らない。それはどっちでもいい。張り裂けるような緊張感が、幕が上がるとともに、氷のように冷たくなった。舞台をみた。お客さんは、一人、二人、三人、たったの三人でしかない。
「よし」と心に不思議な静かではあるが身を焼くような緊張感が走った。
「この三人と勝負してみよう」
力の限りかれは唄った。かれの「ジャズ」に負けるかと焔のような熱情がギターに乗った。
舞台の裾からそっとのぞいた。「花月」の主である。
「うん」
と、かれはうなった。
「この三人に向かって、これは運命の使者だ。よしこの男を男にしてやろう」
この主じが先代の林正之助氏か、中邨(なかむら)秀雄社長であったかは私にはさだかでない。

2.戸坂潤の場合
戦雲ただならぬ頃の池袋豊島師範学校の講堂である。
都会議員に立候補したのは、仏教青年同盟、この名前もさだかではない--の妹尾義郎氏である。戸坂潤はこの候補の応援演説のために、いま、この講堂の壇上に立っている。
聴衆は私を入れてたったの三人である。豊島師範は名門で、そこの講堂は少なくとも一千名は入れる大講堂である。がらんとしている。あまりにも淋しい。うしろの方に座った私には、戸坂氏の話が、たった一人の私の顔をみつめて熱情あふれる説得を試みているようにみえた。私は素直にこの感動を他に伝えねばならないと思った。演説の内容はよく覚えていない。六十五年も前の話で池袋の友人宅に下宿した国鉄時代のことであった。だが、その真摯な、この人を真実の味方に引き入れねばならぬという確信的な説得的な態度に私は深い感銘を覚えた。
かくあるべし、真情を吐露するときにのみ、対手もまたそれに応えてくれる。すべての場合、私はこの教師の真面目な姿を自分の今後に生かさねばならないと心にきめたのである。戸坂氏は治安維持法のため、投獄されそして獄死した。そのたった一人の遺子、戸坂嵐子さんは、戦後、国鉄労働組合本部の初代の書記として机を共にしたことがあった。
三人を大事にしよう。
すべての事をなすものの、それは不断の根生であらねばならないことを教示されたのは私の一生の宝物であった。
(鈴木 市蔵)

【出典】 アサート No.220 1996年3月23日

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【投稿】「ゴルバチョフ 大統領選挙 出馬か?」

【投稿】「ゴルバチョフ 大統領選挙 出馬か?」
               モスクワニュース1996年№17(2月25日)より
               ゴルバチョフ元大統領へのインタビュー訳 首藤留美

--あなたが出馬宣言に慎重なのは、支持署名を始めたあなたの発起人グループを完全に信頼していないからではないのですか。有名な人物がいないチームにとっては100万人署名は簡単ではないでしょう。
「私が知る限りにおいては署名集めはまあまあ上手くいっているようだ。発起人グループは32の地域の年齢が25~40才の人達から成っている。幾つかの地域では発起人グループ結成後すでに新しい支持者が現われ、彼らも行動を起こしてくれている。このことは希望を呼び起こしてくれる。私が慎重なのは、ロシアのような国を治めるということがどのようなことを意味するのかを私自身が身をもって知っているので、出馬するかどうかを決めかねているからである。」
--あなたは、自分が大統領選に出馬するのは、民主的な勢力が結集した時であると再三言っておられたが、今でもその立場に変化はないか。
「私は今でも、民主的な勢力の結集が必要であると確信している。」
--しかし、そのようなものはないのに、あなたは大統領選に出馬するほうに傾いている。
「このような民主派の結集が創られるのを期待している。」
--結集のためにあなた自身はどのような行動をとるのか。
「もう行動し始めている。つい最近自らを中道あるいは中道左派と見なしている全政治リーダーを話し合いに招いた。」
--具体的には誰ですか
「非常に広い範囲のリーダーである。」
--リーダー達はあなたの招待を受け入れましたか
「会談は、リーダーが集まることは時間の無駄ではないと思っている人達のみで行われた。全体的な会談は今のところ実現していない。」
--あまりにも範囲が広すぎることに問題があるのでは。例えばヤブリンスキーとルイシコフとでは何について話せというのですか。
「話の対象が重要ではないと思う。あらゆる政党間の相違を克服するために集まるのではない、そのように考えるのはあまりにもナイーブである。だれも相手に政党の立場を放棄させることを要求するために集まるのではない。会談の課題は別のところにある。つまり、全民族的な政治綱領にのっとって大統領選にのぞむと言うことに賛成することにある。」
--ガイダールとロシアの民主選択運動との連合は排除しているのですね。
「正直に言えば、ガイダールとの連合は考えもしなかった。しかし、中道右派の支持者との連合は恐らく不可能であろう。」
--どうして民主勢力の結集にみんな消極的であると思うか。
「克服するのが困難な政党間の矛盾が原因であろう。」
--しかし、原因はそうではなく、あなたが大統領選の候補として自分自身を考えているからではないのか。
「私は、民主勢力の唯一の可能な候補であると言ったこともないし、今後も言わない。これは合意の問題である。事は単に大統領だけではない。話し合いで私は私のシャドウキャビネット、つまりチームを組閣できると思っている。私は、首相、そして幾つかの閣僚について提案がある。」
--あなたは今チームと言う言葉を使ったが、あなたは自分の経験から政治においてチームプレーは不可能であると言うことをよく知っているのではないか。あなたは自分の昨日の同盟者を引き渡し、あなたの同盟者はあなたを裏切った…。
「チームは不可欠である。今もすでにそのことを考えているところである。しかし、事を個人的な裏切りのせいにしたくはない。同盟者は立場を考慮に入れて選ばなければならない。私は例えば扱いにくい人間が好きである。私はいつも自分の補佐官をはじめ、政府の人間、人民代議員と話し合う用意がある。」
--あなたは若い世代の政治家を観察しているか。
「彼らの中には面白く、際立った者もいる。しかし、彼らの大半は、まだ大統領という重い責任ある任務につくには早すぎると思う。彼らは、チームの中で活動し、経験を積むことが必要である。彼らは国を治めるということの意味を分っていないのではないかとさえ思う。従って彼らを大統領選を競う相手ではなく、チームのパートナーとして見たい。」--公式的な会談はまだ始まっていないようだが、非公式はどうか。あるいはあなたはそのような会談を避けているのでは。
「避けてはいない。最近、例えばヤブリンスキーと会った。しかし、彼だけと会ったのではない。」
--いつごろまで中道派結集を続けるのか。
「私はどんなことがあっても絶望しない。選挙選のある段階までただ進んで行かなければならない可能性もある。例えば、スビャトラフ・フェドーロフのような人物も自分たちの現実の可能性を判断した後に、話し合いに参加するということも起こりうる。候補者は一人々署名集めを行い、国を回り言葉で人々と話し合い、自分の目で有権者を見なければならない。そうすることによっては野心は取り除ぞかれ、同盟者探しを行うようになる。私は待つ用意がある。」
--時期を逃してしまうのでは。
「しかし、このような戦術は意図的に使われる可能性がある。選挙選には何人かが参加するが、その中には、一人の候補者を擁立するために自分の出馬を取り消す者もいる。その時は、相手から守るために主要な候補者の名前を前もって公表しなことには道理がある。」
--大統領候補者の順番を見れば、ジュガーノフ、ジリノフスキー、マブロージとなっているが、あなたはどう思うか。
「ただ感情的に、このようになって欲しくないと思う。しかし、質問を『このような状態でこのことを傍観している権利があるか』とすれば、どうなるであろうか。そうなるとことは国の運命についてになる。もし、偶然に大統領のイスに冒険的なあるいは偶然の人間が座ることになったらどうなると思うか。そうなるとその後どのようなことが起こると思うか。もちろんことは候補者のレベルのみではない。今回のロシアの大統領選は極普通の出来事ではないのである。」
--どの国にもある普通のことでは?
「賛成しかねる。ロシアのケースはまったく特殊である。今日、私たちは再び非常に重要な岐路に立っている。つまりペレストロイカの時代に始められた改革を継続するかあるいは後に戻るかである。政治的復讐に巻き込もうとする勢力が政権につくという実際的な恐れがある。そのような勢力は、我々がやっとのことで抜け出した閉鎖的な社会、指令経済、民主的な自由が欠如した社会へと引き戻そうとしている。また、他の危険性もある。それは今後、今日のロシア政府が行っている方向を継続するならば、それは民衆を貧困へとそして国を破滅へとおいやることを意味している。」
--あなたの発起人グループは特に、田舎で活動しているようだが、首都での活動はどうなっているのか。
「指令部が地域にあるというのはもっともなアプローチであると思う。地域には、今日ロシアの生活のあらゆる中心的な問題が集中している。私は、遊説によって、地域の人達と話をすることによってそのことを感じている。政府の命令を遂行している地域の幹部は、ゴルバチョフには会わないが、自分たちの意見を私に伝える手段をもっているという興味深いことがある。もし、政治家が地域のリーダー、ビジネスマン、インテリと共通の理解に達することができず、ロシアの田舎にすんでいる人々の支持を得られなければ、その政治家は成功することはできないであろう。首都に関しては、私は始終彼らと会っているし、彼らの支持を感じている。」
--自らの政党をもたずに選挙選を闘えるか。
「私は、広い立場でアプローチする。大統領選に出るものは、その指令の中に真面目で組織だった方法を用いなければならない。それは決してボリス・ニコラエビッチのようなものではあってはいけない。このことについて詳しく話す意味は今はない。もし私が出馬を決めたら、その時は蓄えの中から何かを。」
--それでは選挙公約も同じであるか。
「詳しくはそうである。しかし、今このこのだけははっき言明することができる。私の綱領にはエカテリンブルグで最近聞いたような実現不可能な約束は含まれてはいない。全国民的な幸せのために全てを根本的に作り直すというような約束はそこにはない。」(訳 首藤留美)

【出典】 アサート No.220 1996年3月23日

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【投稿】中台緊張と日本—「台湾海峡波高し」—

【投稿】中台緊張と日本—「台湾海峡波高し」—

3月23日の台湾総統直接選挙をピークに、近辺地域の軍事的緊張が高まった。
中華人民共和国は昨年秋以降、対岸の福建省や近隣海域で、大規模な軍事演習を繰り返し、台湾に対し恫喝をかけ続けている。
こうした一連の軍事力によるデモンストレーションのクライマックスとして、3月8日からのミサイル演習と引き続く実弾演習、上陸演習が展開された。
こうした中国の度を過ぎた一連の行動に対して、台湾も昨秋から軍事演習を展開し、3月に入ると、最大限の警戒体制を敷いた。そして、アメリカも空母2隻を中心とした艦隊の派遣で、中国への「警告」を発している。
純軍事的に見るならば、よく指摘されているように中国は量的には軍事大国であるが、個々の兵器の質などを見れば、未だ近代化の途上であり、本質的には中越戦争の水準にあると考えてよい。
そのことからして現在、中国軍の台湾上陸作戦成功の可能性は、ほとんど零に近いし、中国軍もそうした自滅行為に走ることはないであろう。
考えられる最大限の行動は、台湾本島への限定的なミサイル攻撃か、金門島などへの侵攻であるが、いくら抑制されたものであるといっても、軍事力の行使には違いはないのだから、周辺諸国にとっても黙認できるるものではない。

対応せまられる日本
この周辺諸国にはもちろん日本も入るのであって、3月8日からのミサイル演習時には、台湾と日本を結ぶ空路が変更されたし、基隆近海のミサイル着弾地域東南端と沖縄県与那国島との距離は、わずか六十キロなのだ。
こうした中国の行為は、直接日本を対象としたものではないが、尖閣諸島という火種を抱えた日本が、まったく中国の意識の外であるなどとは、考えないほうがよい。
しかし、あくまでも公海上の通常=非核軍事演習であり、中国と台湾の問題である限り、日本政府としては、不快感の表明や、自制を求めることはできても、それ以上のことはできないだろう。
ただ今後も、こうした軍事演習が度重ねられ、漁業や通商に深刻な影響が生じた場合には「厳しい抗議」や「経済制裁」、そして、先島の住民が大さな不安を抱いた場合は、よりエスカレートした行動をとる必要に迫られるだろう。
先の大戦時、日本軍は、米軍が上陸するのは沖縄より台湾が先と考え、防御も台湾の方が厳重だった。しかし、実際は沖縄が戦場になったのに対し、台湾近辺の島々は戦禍からまぬがれた。
そうした海域への軍事的プレゼンスは慎重を期さなけらばならないし、現実的にも、当初は海上保安庁の任務となるだろう。すでに10数年前、尖閣諸島を巡って、一時中国との摩擦が表面化した時、直ちに近海へ巡視船(といっても、40ミリ機関砲とヘリコプターを搭載、臨検要員は自動小銃で武装した、実質上のフリゲート艦である)が派遣された。
しかし、小規模でも中台の交戦が行われた場合は、米軍とは別に、軍隊である自衛隊が警戒体制を敷かざるを得ない。その場合でも、九州、沖縄に配置された部隊の運用で事足り、大規模な動員、陸自にあっては師団単位の連用も不必要だろう。そしてこれらはあくまで、一部で主張される米軍の後方支援と遠い、独自の、領土、領海内の行動であるので、憲法や集団的自衛権問題の制約は、受けないのである。
ところが、このような行動を進めるにあたって、最大の障壁となるのが、政権与党である社民党の対応である。社民党はただ「穏便に」と唱える以上の、提起も行動もしていない。中国共産党を未だに友党だと思っているなら、北京に乗り込んで忠告くらいすれば良いのである。
中国にしてみれば、香港への庄力にしても、今回の台湾問題にしても、失地回復の一環である、との思いであるし、国内の分離独立や民主化への威嚇でもあるのだろう。
しかし、それはやはり時代錯誤であって、非混住型多民族国家=「帝国」は解体の流れにあるのである。
日本も過去の経緯を踏まえたうえ、有効なメッセージを送るべきであり、「大地の子」の感動とは別問題なのである。  (大阪 0)

【出典】 アサート No.220 1996年3月23日

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【投稿】住専問題の混迷と「追加措置」

【投稿】住専問題の混迷と「追加措置」

<<「政府案に賛成」はたったの1%>>
住専をめぐる国会の状況は正に泥沼化した日本の政治情勢を象徴しているかのように見える。朝日新聞が3/11,12に行った緊急全国世論調査によれば、政府の住専処理案には54%が削除、21%が凍結を求め、政府案支持は12%にすぎない。国会審議についても88%の人が「まだ不十分」とみなし、橋本内閣支持率は2ヶ月前の61%から36%へ急落し、不支持率は20%から43%へ急増しているのである。同時期に行われた日経の調査でもほとんど同一の結果が出ている。
回答者の94%が「政府は説明不足だ」と言い、87%が税金投入に反対しており、NHKの調査では「政府案に賛成」と答えた人はたったの1%という事態である。京都市長選の結果はその端的な現れでろう。対立候補が共産党より幅広く柔軟性があれば、完全に逆転していたであろうことは間違いない。
これを受けて立つ側の政府並びに与党3党は、今やなすすべもなく、方向転換もままならず、橋本首相に至っては「国民になお理解されていないことを知りながらも、この道しかない」と、事態の成り行きを傍観しているにすぎない存在と化している。そして国会議決の最終局面にいたってあたふたとまとめた「追加措置」が、さらに事態を悪化させたともいえよう。朝日の調査によれば、この「追加措置」についても、「評価しない」が73%で、「評価する」は13%にすぎなかったのである。一方、住専問題での新進党の印象変化について、「よくなった」が9%に対して、「悪くなった」が28%という結果は、彼らの表面上の変化が見透かされているともいえよう。

<<まやかしの「追加措置」>>
問題は、3/4に発表された「追加措置」である。これは、政府の住専処理策のいいかげんさ、泥縄ぶりをよりいっそうきわだたせた。「追加措置」によれば、民間銀行と系統機関は、今後7年間のリストラ等によって収益を増やし、それぞれ法人税について約5000億円と約1800億円の納税増加を図り、6850億円の財政支出分を穴埋めする、というものである。6850億円という数字へのまったくのつじつま合わせである。
今回の住専処理策の柱は、農林系統金融機関の負担から「系統機関の負担の限界」と称する5300億円を差し引き、残りの部分に6850億円の財政資金を投入するというものであった。ところが「追加措置」によれば、その系統機関が実は今後7年間のリストラで6000~7000億円もの収益を増やし、1800億円もの納税増加を図れることとなり、そもそも今回のような住専処理策の必要性がなくなってしまうのである。納税増加云々以前に、6000~7000億円の収益増加分を、住専処理の負担にまわせば解決してしまい、「負担の限界」は5300億円から、一挙に1兆1300億~1兆2300億円になってしまう。つじつま合わせの馬脚がはしなくも暴露され、自ら墓穴を掘って、政府案そのものを破綻させたともいえよう。

<<自作自演の「金融不安」>>
政府、大蔵省は口を開けば、「農協系が破綻する」、「周辺金融機関にも波及し、金融システムが崩壊する」などとむしろ金融不安を自ら煽り立ててきた。3/9に開かれた社民党大会では、地方組織代表が「こんなに不評の住専処理策を通したのでは、総選挙が戦えない」「凍結を大胆に提案してほしい」「世論の反発は消費税以上」「国民世論はわが党に非常に厳しい。50年培ったすべてを失いつつある」と訴えたのに対して、佐藤幹事長までが「このまま放置すると、農協や金融機関がばたばたつぶれる。皆さんの預金は返ってこない。凍結論を受け入れるわけにはいかない」と危機感を煽っている。
しかし昨年来の事態の推移が明らかにしたことは、金融不安はむしろ政・官・財一体となった護送船団方式が今や破綻しており、それを無理矢理取り繕う責任回避と泥縄式後追い行政こそが作り出しているということである。そしてこうしたことが続けられる限り、確かに金融不安は拡大するであろう。不良債権は一部信用組合や住専だけではないし、むしろこれから浮上するであろう二次損失、ノンバンク系を含めると膨大な額に膨れ上がる現実的可能性が存在している。
しかし「追加措置」が明らかにしたように、空前の低金利で今や潰れかかっていた金融機関までが息を吹き返し、住専の母体行など大手21行は4兆円を超える史上空前の業務純益を出している。農協系金融機関についても、6850億円程度であれば、自己資本が6兆円もあり、預金量が30兆円ともいわれる農林中金が十分負担できる額で、それだけをとってみれば金融不安など起きるはずがないのである。

<<「どういう経緯で決まったか知らない」>>
ことここに至って、久保蔵相までが「農林系の負担がどういう経緯で決まったか知らない」と言い出している。とすれば久保蔵相は事態の真相を徹底的に追及し、その責任をも含めて公開すべきであろう。大蔵省と農水省が3年前に交わした「密約」、農協系金融機関が住専に貸し込んだ元本を保証する覚書、これらは課長や局長レベルの法的にも越権行為であり、実際、蔵相にも報告されなかった。もちろん、内閣、国会に対しても秘密にされた。「場当たり」「ルール無視」「秘密主義」「密約の断行」が、今回はしなくも公然化したのである。公然化せざるを得ないほど、窮地に追い込まれたとも言えよう。同時に政治の無力さ、政党のふがいなさもきわだたせた。同じく官僚達が隠し通そうとしていた薬害エイズの責任、加害者の責任をきわだたせた菅厚生大臣とは対照的である。
住専問題での加害者は、日銀・大蔵省・金融資本が一体となった日本の金融行政そのものであり、その弊害と腐敗の必然的な結果なのである。そしてかれらの独占支配・情報非公開・「護送船団」方式こそが日本の金融不安をもたらしているのである。国会運営の混迷はあきれるばかりであるが、この際、政府案を全面撤回して、大蔵省の分割・解体を含めた日本の金融行政の分権自治・情報公開・民主的コントロール方式への大胆な転換こそが真剣に論議されるべきであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.220 1996年3月23日

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【投稿】ロシア情勢  エリツィンのジレンマ

【投稿】ロシア情勢  エリツィンのジレンマ

<<チェチェンでの孤立化>>
強引かつ粗暴であり、慎重な配慮と思慮に欠けたエリツィン大統領の個人的性格は、チェチェン独立派武装勢力の人質作戦に対する無差別絶滅攻撃でもいかんなく発揮されたといえよう。ベルボマイスコエ村での出来事について、国内外の心ある人々はその目を覆いたくなるような惨状を見せつけられたのである。
これを機にチェチェンでは反ロシア抗議集会がこれまで以上に活発化しており、2月4日には1万人規模の大規模な集会が行われ、それは各市町村に広がっており、ロシア軍の撤退、親ロ派政権ザブガエフ氏の辞任、共和国の独立承認を要求している。これを力で抑え込むことはもはや不可能であろう。軍事的介入にはこれまで以上の大規模な戦闘と多大な人的物的財政的損失を伴うことが明らかであるし、たとえ一時的に制圧できたとしても、独立派勢力を絶滅できるものではない。
そして今やロシア国内においても、エリツィン大統領に和平の主導権をとるよう求める圧力が高まってきており、ニージニーノブゴロド州のボリス・ネムツォフ知事が、戦争終結を求める請願運動を開始するや、100万人以上の署名が集まり、多くの民主改革派、人権活動団体も、この運動に参加し始めている。

<<「民主的改革から完全に逸脱」>>
大統領直属人権問題委員会議長であるセルゲイ・コワリョフ下院議員はすでにこの1月23日に、エリツィン大統領宛ての公開書簡を発表し、「私はこれ以上、あなたと仕事を共に出来ない。民主主義、人権、自由の擁護者とは言えなくなった大統領のあなたとは」と述べて、大統領評議会をはじめ大統領府の全公職から辞任することを明らかにした。「あなたは、ジュガノフやジリノフスキーを大統領にさせないためには、自分を選ぶしかない、と言いたいのだろうが、悪あがきだ。あなたたちの間には、違いよりも共通点のほうが多い」、「あなたの政治は、ボリシェビキのぬかるみを復活させている。
当時と違うのは、共産主義の用語が反共レトリックに置き換えられていることだけだ」と、ずばり本質を突いている。
チェチェン紛争についても「真の目的は罪のない人質の解放ではなかった」と非難し、「エリツィン大統領は民主的改革の政策から完全に逸脱した」ことを確認し、6月の大統領選においては「私はあなたには投票しない」と断言している。

<<政権与党の大統領非難>>
さらにロシア下院の政権与党「わが家ロシア」(NDR)の指導者ベリャエフ氏は、2月2日の記者会見で、記者団の予想に反して、チェチェン情勢についてロシアの政府と大統領を非難し、「チェチェンの内部対話を発展させ、国内の合法的な権力機関を強化すべきだ。平和解決問題は地元当局が引き受けなければならない」と述べ、NDRはチェチェン問題を解決できない大統領と政府を批判すると言明し、同時にニージニーノブゴロド州の住民とネムツォフ同州知事の立場に連帯の意を表明した。同氏は「現在の執行権力を代表する候補者が大統領に当選する可能性があるのは、選挙までにチェチェン情勢を解決できた場合だ」と述べた。
米国・カナダ研究所のA・コノワロフ氏は「ネムツォフ知事の運動はエリツィン大統領に面目を保って撤退する逃げ道を開いている。大統領はゲリラに強制されたのではなく、ロシア国民の意志に従った決定として撤退を提案できるだろう」と述べているが、果たして4月末までには、何らかの形で戦争は終わったと宣言できるような情勢を作り出すことができるのであろうか。現状では、エリツィン氏が6月16日の大統領選挙までに戦闘を終わらせ、平和の立て役者として自分を売り込むことが出来るとはほとんど誰も考えていないのである。

<<最低の信頼度>>
エリツィン大統領は昨年二度にわたって心臓病が悪化し、常に健康不安説がささやかれているのだが、この2月15日には連邦議会で施政方針演説に当たる「年次報告」発表の場で、政策綱領を発表して、大統領選への出馬を宣言するとみられている。その中で、従来の緊縮路線を見直し、社会福祉、国内産業に配慮した方針への転換を表明、さらにチェチェン紛争の終結に向けた新提案を発表する意向だと伝えられている。
しかしエリツィン氏の支持率に関しては、民間機関「世論」が1月末に実施した「今日大統領選挙が行われたら、誰に投票するか」との質問に、1位ジュガーノフ共産党委員長(17.1%)、2位ヤブリンスキー改革派野党「ヤブロコ」代表(11.3%)、3位エリツィン大統領(10%)、4位ジリノフスキー自由民主党党首(8.9%)、5位レベジ退役中将(8.5%)という状態である。これでも1週間前の6位から”躍進”したという。
さらに全ロシア世論調査センターが同じ1月末に実施した政治家の信頼度調査では、1位ジュガーノフ(17%)、2位ヤブリンスキー(15%)、3位レベジ(14%)、4位に4人(9%)、眼科医フョードフ、ジリノフスキー、チェルノムイルジン首相、ガイダル「民主的選択」代表で、エリツィン大統領は5%にすぎず、10位に終わった。

<<またもや大統領令の連発>>
そこでエリツィン大統領は、今年に入っていくつかの方向転換に着手し出したことは間違いないようである。まずまだ残っていた改革派閣僚を相次いで解任した。これによって91年に発足した「改革派チーム」の閣僚は全て政府を去り、保守・強硬派にとってかえられた。そして軍需産業を基盤にしているソスコベツ第一副首相を本部長とする大統領再選本部を発足させた。エゴロフ新大統領府長官は、下院選挙で政権与党支持で積極的な動きを見せなかった各地の大統領代表、知事らの締め付けを強化し、解任も始めているという。
政策的にもこれまでの緊縮政策から一転して、炭坑労働者や教師の未払い賃金や年金の早急な支払い、年金や奨学金引き上げを命じる大統領令を連発し始めた。この結果、ロシア炭坑労働者労組幹部会は2月1日から実施していたロシア全土での炭坑ストライキを二日間で中止することを決定したが、約束が実行されない場合、3月1日から再度ストに突入することを明らかにしている。
炭坑労働者の未払い賃金は2億ドルに上っており、年金増額に24億ドル、奨学金増額に6400万ドル、チェチェン復興に54億ドル、「大統領社会基金」の設立に60億ドル以上と、支出約束を連発しているが、財源については全く触れてはいない。エブゲニー・ヤシン経済相は、それらを実行することは無理であり、「大統領がそのような道に進めば、極めて危険な役を果たすことになる」と警告している。

<<共産党がエリツィン政権支持?>>
一方、共産党はこうした「エリツィン政権の行動は共産党の主張に沿ったもの」であると積極的な支持を表明、改革派野党「ヤブロコ」提案の内閣不信任案にも同調せず、今やエリツィンの強力な味方となった感を呈している。事実、エリツィン大統領自身が、2月2日、共産党のセレズニョフ下院議長と会談し、議会と政府とのより密接な協力関係について話し合い、対話路線を確認したという。この会談の中で、エリツィン大統領は、チェチェン問題で新たな平和的解決を主眼とした提案を行うこと、炭坑労働者や教師らへの給与の遅配問題について、早急な給与の支払いを命じたことを伝えている。
他方、共産党系プラウダ紙の記者らが、党指導部と現政権との裏取引を批判する声明を発表し、双方共に複雑怪奇で矛盾に満ちた動きが表面化している。
今最も注目を浴びているジュガーノフ・ロシア共産党委員長は、スイスのダボスで開かれている「世界経済フォーラム」で記者会見(2/5)し、「ジュガーノフ政権が実現すれば、現在よりも良い投資環境を作り出すことを世界の経済界指導者に納得してもらうことが、フォーラムに参加した目的だ」と述べ、「ロシア経済が旧ソ連時代の国家独占体制に戻ることはありえない」、「経済の全面的国家統制が危機を招いた」、「自らの政権では国家と民間による混合経済を促進する」、「ロシア経済の民営化および外国資本の導入に賛成する」、「多様な所有形態を認めている」ことを強調している。単なる便法なのか、社会民主主義路線への真摯な転換なのかが、現実に問われようとしていることは事実であろう。

エリツィンのジレンマはロシアのジレンマでもある。ロシアのジレンマは解決可能であろうが、エリツィン氏のジレンマは氏のこれまでの行動や言動、性格からみて果たして解決可能なのであろうか。深まる一方ではないかと危惧される状況である。
(大阪、I.K.)

【出典】 アサート No.219 1996年2月21日

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【投稿】「世代の総括」そして「与党的立場」について

【投稿】「世代の総括」そして「与党的立場」について

このごろ気になっているいくつかの点について、述べてみます。そのひとつ、世代論について。その2は、与党的立場について。

****「世代の総括」について****
<戦後の総括と絡んで>
ずっと前から気になっていることがある。それは、日本における「世代の総括」。(表現は適切かどうか?)。図書館に行って歴史のコーナーをいつも覗く。興味があるのは現代史であるが、少なくとも明治・大正・昭和特に戦前戦後までは本の数も多い。
しかし、私の興味のあるのは、大学紛争前後、またはその後のテーマであり、当事者達の発言なり「総括」なり、ルポの類である。残念ながらこの手の書物は余りない。
私が読めたものと言えば、連合赤軍浅間山荘事件の坂口というひとの「浅間山荘日記」、全共闘経験者の意見をアンケートでまとめた「全共闘白書」、筆者は忘れたが「全共闘経験」だったか。歴史というよりは、証言のような形式を取った書物は余り現れていない。(もし、ご存じでしたら教えていただきたい)
「安田講堂落城」から27年と言うし、もうすでに歴史と言っても言いわけで、60年代後半から70年に至る全共闘、全学連などの学生運動、また社会運動の負の遺産を正しく伝える作業はこれら時代を生き抜いた方々の「責任」と言ってもいいはずである。団魁の世代と言われ、現在50歳を前後する世代が、いま日本の社会、経済、政治を担う中心的世代であると思われるが、これら世代の「世代論」がまだ未完成ではないのか。あるいは明らかになっていないのではないか。

<ベトナム戦争とアメリカ>
日本との対比で興味を惹かれるのが、アメリカであろう。アメリカ映画などをみるとベトナム戦争をテーマにした映画が、「娯楽的」にも成功するほど「負の歴史」を取り上げ、そこに生きた人々を描くことで「共通の世代」の姿を明らかにしてきている。戦争体験の悲劇は「プラトーン」が、戦争の狂気をコッポラの「地獄の黙示録」が、従軍し障害者になった元兵士の苦悩を「7月4日に生まれて」が、そして大学紛争は「いちご白書」がという風に。その前段には、原作があり文学にも多くの作品があるのだろう。
世代を総括する、共通認識を生んでいく作業は、やはり固有名詞的に、個人名で行われ、その積上げで生まれるように思う。ベトナム戦争という国家的戦争に巻き込まれた人々の感情は、たしかにアメリカ全国民に共通の苦悩であり、映画の例は少し底の浅い評価かもしれないが、ひとつの時代を生きた人々を描き出し、社会的に「総括」をしているように思える。

<日本の風土か 過去を語れない>
全共闘や学生運動の経験者にとって、なかなか「過去」を語りたくない心情も分かる。敗北の歴史は忘れたい歴史かもしれないし、「過激派」「セクト」などの表現は少なくとも悪いイメージ以外起こらず、社会的地位や職業柄、沈黙を決め込むことも分からぬでもない。しかし、「負の歴史」と心の隅に仕舞い込むだけでは、次の世代に何も残せないのでは思うわけである。
一方、権力の側にいた人々からの証言はすこしずつ出てきている。現在文芸春秋には元内閣安全保障室長の佐々淳行が「浅間山荘事件」の連載を始めているし、93年には「東大落城」を著し、警備の側からの大学紛争当時の経験を綴っている。最近文庫本になったので私も読んだ。大学紛争鎮圧当事者の証言だが、機動隊員の「奮闘」、機動隊と警視庁との対立、記憶に残る機動隊員の実名を挙げて当時を振り返っている。その中で印象的なのが、警備にとっての「敵」、学生に対する印象である。大学紛争、特に東大紛争については、「学生が怒るのも無理もない大学側の無責任体質」を語り、戦術的エスカレートが起こるまでは、むしろ警察側は学生に同情的な気分もあったという。さらに当時の学生の「自己否定」と言う表現に象徴されるような「自己の利害」を越えた行動に対しては、方向は違うにせよ、そういうエネルギーこそ社会にとって大切だ、とも評価している。佐々以外にも、浅間山荘事件や安田講堂における警備の最前線の人の手記もいくつか著されている。

<NHKの戦後50年ものでは>
昨年NHKは「戦後50年そのとき日本は」という連続の特集を組んでいる。その中に「東大全共闘・・26年後の証言」というのがあった。私は残念ながら見ることができなかったが、最近本になって出版され、読むことができた。
東大全共闘、民青のメンバーや、大学側、警察側の関係者の証言を集めて、東大闘争を再現し、当事者の現在の眼から見た姿を明らかにしようとしたようだ。
橋爪大三郎、今井澄(社会党参議院議員)、最首悟、三浦聡雄(当時民青、東大民主化行動委員会議長、後に共産党を離党)、町村信孝(自民党衆議院議員)ほか20名以上が実名で登場し、闘争の経過を振り返りながら、現在から見た闘争の意味を語っている。
医学部の不当な処分問題から始まり、全学スト、機動隊導入、新左翼諸派、民青の介入、安田講堂封鎖、内ゲバ、封鎖解除、入試中止、と続く経過を追いながら証言で綴られている。特に松田忠(仮名)の手記により経過を追いつつ、一般学生が如何に運動に参加し、挫折し、運動終結、就職後に自殺をしていった「青春」をだぶらせながら。
さらに「東大全共闘のその後」ということで、この時代を生きたそれぞれのその後を追い、運動の経験とその後の生き方をつないでいく。三浦の証言によれば、東大闘争当時の民青執行部の中から72年頃「新日和見主義」と共産党からレッテルを貼られた部分が生まれ、党から追われることになり、共産党から距離を置くようになったという。
一面運動に非常に好意的な印象があるが、インタビューに参加したディレクターは全員が30歳を越えたばかりの世代だそうで、「全共闘世代への思い入れも呪縛も存在しなかった」という。「私たちは全共闘とはなんであったのか、それが戦後史に何を残したのかを問うことをやめ、学生達が時代に対し、闘争の局面に対して何を感じ、どう判断したのか描くことにした。ある意味では価値づけ、「総括」を放棄したのである。」と語っている。

<総括を困難にしているセクトの存在>
こうした結論にたどりついたわけは、証言者の中から共通の「総括」のようなものを抽出できないことから、こうした方針で番組作りをしたというわけである。
「ポツダム自治会解体」を叫び、「直接民主主義」を掲げた全共闘という「組織」は、最後には70年安保を目標にした新左翼諸派の運動の舞台となり、自らの総括を組織的に行えず、まさに「解体」したということだろうか。ここにもどうやら「世代の総括」を困難にしている問題が横たわっているようだ。安田講堂の興亡も篭城した大半は全国動員のセクト部隊だったというし、それに参加した一人の個人の体験は、セクトとの関わりなしには語れず、それらセクトは少ないながらもその命脈を今の保っているとすれば・・・。 「前衛党」(アサートの紙面に登場するのも久しぶりの言葉だが)の呪縛はここでも、「世代の総括」を邪魔している。個人が個人の責任において証言し、歴史を語る作業が困難な運動、組織に残らなかったら「裏切りもの」となる閉鎖組織、こうした組織が「世代の総括」を邪魔しているわけである。

<固有名詞で語れる歴史こそ>
68年から69年のこれらの闘争に全国延べ200大学35万人が参加、1万5千人が逮捕されているという。証言にとどまらず文学の世界でも、三田誠の小説以外にあまりこの時代を語る書物は少ない。数年前一時「全共闘回顧ブーム」がマスコミを賑わしたことがあったと記憶しているが。
70年代以降、新左翼ならずともいろいろなグループが存在し、その後も少なくとも東西冷戦の終結、ソ連の崩壊などころまでは「組織」の体をなしていたことだろう。著名な指導者の証言などに頼ることなく、「自分の運動」を語る、明らかにする作業は一人一人の責任ではないか、と思うのだが。
と、ここまで来れば、私が言いたいことは何か。お分かりのことと思う。一つの時代は終わったが、その時代を引き継ぐ我々の思想とはどんな内容か。個人の証言や意見を積み上げ、共同作業で明らかにしなければならない。私たちの周辺についても同様である。
私も今年43才。いろんな運動に関わって25年が経過しているではないか。アサートの編集も前紙を含めると15年くらいになる・・・私は大学紛争以後の入学なのだが自分自身の「世代論」も気になる年頃で、こんな文章になりました。
アサートがこうした議論のステージになればいいと考えるのですが。

****「与党的立場」について****
<与党的立場について>
最近少し気になっている。「与党的」な発想に立ち過ぎていないかと。もちろん私自身がである。93年の総選挙で反自民の連立政権ができた。連立政権に期待もしたし、社会党も「与党」になった。そして一昨年6月には自社さ連立政権が突如生まれ、社会党委員長が首相になった。自分の所属する組合が村山前首相の出身組合であったこともあり、村山政権には「好意的」であった。連合の旧民社系労組も支持しているとしても、公明+小沢の新進党には「一片」の期待も評価もできなかった。
しかし「被爆者援護法」「戦後50年決議」「平和のための国民基金」そして今回の「住専」問題。純粋野党にはなれないとしても、「与党的」な発想もそろそろ限界かな、という思いがありつつも、基本的には労組を舞台に運動をしなければ、とは思うのだが。

<社会民主党にはもはや期待はできないか?>
日本社会党は、「社会民主党」に変わった(?)。単なる看板の書き換え、そのものだったが、村山委員長は「これを新党とは呼ばない」と、社民+さきがけでの新党結成に向けて努力するという。正直なにがなんだかわからない、というのが本当の気持ちではないか。「社会新報」は昨年12月で発行を止めたというが、2月も中旬になるというのに、新しい党の機関紙はまだ発行されていない。ただ、性急な結論や決め付けは止そうと思う。評価するにはまだ早いような気がするからだ。住専問題で総選挙、というシナリオも案外遠のく可能性もあるし、自社さ連立政権もまだ続きそうな気配だから、社民+さの「新党」つくりを少し見守るのも大切かな、とも思うからである。

<住専問題での社民党の役割>
2月の第1日曜だったか、NHKが徹底討論と題して特集を組んでいた。その中で久保蔵相が、徹底した情報公開を明言し、責任追及抜きの公的資金投入はありえない、と言ったとき、すこし「社会党らしさ」がでているのかな、と感じた。
現在マスコミが「血税を使うな」とか「銀行と農協の損失のために、国民の負担は出来ない、法的破産を」とキャンペーンを行っているが、一種「ガス抜き」の匂いも感じている。
公的資金投入のみが問題にされているが、リチャード・クーの最近の著書「投機の円安実需の円高」の中で「銀行の不良債券問題で公的資金を使うかどうかについて、日本のマスコミはあれだけ騒ぎながら、日本の輸出業者の補助金である為替介入には、月間1兆円規模で公的資金が使われているのにも関わらず、誰も何も言わない。しかし、公表されているだけで日本政府の外貨準備に発生している為替差損は9兆円にものぼるのである。」「米国や台湾でも、外貨準備に為替差損が発生したら、担当者は議会にしょっぴかれて国民の資産をドブに捨てた責任を厳しく問われる」という指摘をしているが、環境破壊の「長良川河口堰」や食管法による農業保護など「公的資金」の使われ方も、同様に扱ってほしい、と思うのは私だけだろうか。
不良債券総額40兆円以上と言う中で、公的資金導入という手法そのものだけに議論が収斂していいものか、どうか。土地の流動性が止まり、右方上がりの地価上昇が当分ないとしたら、危機脱出のための「適正な国民の負担」とは何か、大蔵省の機能の明確化、組織的改編、金融システムの再構築などの長いスパンでの議論を進めるべきではないか、と私は思う。(責任者の処罰、自己責任は当然の上での話だが)
タイミングよく経済企画庁は、「景気は回復基調」と2月月例報告を出し、住専問題を誤ると景気回復に支障が出る、みたいなムードもにじませながら、新進党の及び腰も見透かして、「住専処理」を進めようとしているようだ。
ここでこそ、社会民主党の、久保蔵相の見せ場だと思うのだが・・・

<制度政策が大事、という議論>
昨年の統一地方選挙では、「オール与党」体制への批判が強かった。連合も反自民・反共産というものの、連立政権以来「与党」への執着は強い。そこで「制度政策」が出てくる。確かに「制度政策」の研究は、連合総研などで積み上げられているように思う。
しかし、現場で使い物になる「政策」はなかなか見えてこないのが実態であるし、もちろん現場の我々にも責任はある。個々の政策という点もあるが、基本的な「総予算」をどう配分するのか、ということ、それが勤労者国民にどのような短期・長期の利益をもたらすのか、まだまだ「官僚による予算分配」の結果に対して注文を付ける程度になっていないか。「与党経験が浅い」のも確実な原因だが、そろそろ「眼に見える、実感できる政策が求められているのではないか」とも思うのである。

<与党・野党という分類から脱却できないか>
与党は責任があるが、野党は無責任、みたいな議論。これはもう時代遅れなのではないかと思う。与党の社会民主党の「住専」問題への政策では、パンフレットすら見ていない(出ているのかも分からない)。与党に隠れて違いがはっきり出せないなら、「新党」議論など、話題にもできないのでは・・・と最近「与党的立場」に慣れすぎしまった私自身の愚痴とお聞きいただければ幸いです。(1996-02-14 佐野秀夫)

【出典】 アサート No.219 1996年2月21日

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【投稿】 住専問題と母体行責任

【投稿】 住専問題と母体行責任

<<「金融秩序」破壊者の公的救済>>
このところのトップニュースは常に「住専」関連が占めている。なにしろ、住専の一次損失処理に国民一人当たり5500円、さらに二次損失処理にも最低5000円以上の財政負担をして、一人当たり1万円以上の税金を投入する、しかもそれが今後どこまで膨らむか分からないというのであるから、庶民の怒りが沸騰するのは当然である。
そして次々に報道される内容は、住専のあまりにもずさんな経営実態、大手都銀・母体行の無責任体質、農協系金融機関の審査能力ゼロに等しき野放図な融資、大蔵省、農水省、政府高級官僚、与野党政治家が一体となったこれら金融機関との秘密取引、天下り、自らの失政の国民へのツケ回し政策が具体的に暴露されてきている。
阪神大震災の被災者には私有財産面での救済はできない、と公的資金の導入を拒否しながら、民間営利団体である住専や金融機関、それにつらなる借金踏み倒し企業、悪徳業者、暴力団までも、結果的には「金融秩序の維持」の名の下に、「金融秩序」をぶち壊し続けてきた張本人達を公的資金で救済するというこの巨大な落差、そこに横たわる許しがたい不公平、不公正が誰の眼にも歴然としてきたといえよう。

<<母体行紹介の9割以上が不良債権>>
今回の問題の最大のポイントは、「貸し手責任」論で逃げ得を図ろうとしている母体行であるが、それが逃げ得では済まされなくなってきたことである。住専7社の事業向け貸付金の内、32.5%が金融機関からの「紹介融資」であることがすでに明らかになっているが、2/6の衆院予算委員会、大蔵省の西村銀行局長は、「母体金融機関の紹介分の内、債権者ごとの集計によれば、不良債権となっているのは、1兆5734億円、91%です」と、答弁せざるを得なくなったのである。この紹介融資の責任について、銀行側はかねてから「案件を持ち込んだというだけで、一律に責任を問われることには賛成しかねる」(橋本全国銀行協会会長・富士銀頭取)と反論していたのである。しかし紹介融資の9割以上が不良債権であることは、いかに母体行側が人的にも資金的にも経営を支配してきた住専を不良債権のゴミ処理場として利用してきたかを如実に物語っている。
さらに2/6に発表せざるを得なくなった、91年秋から92年夏にかけての大蔵省の住専7社に対する立ち入り調査報告書は、「融資状況を見ると、ラブホテル、パチンコ店など住宅に全く関係のない業種への融資が多い、これは母体行からの紹介案件がほとんどである」ことを明らかにしている。そうしてこうした融資については、「ほとんど無審査状態」であり、「個々の取引状況は極めて不適切、債務者の実態把握についても不十分、通常では考えられない仕振りとなっている。貸付業務を専ら行う会社としては危機的な状況である」等々、母体行側が住専をトンネル会社として悪用してきた実態が浮き彫りになっている。

<<住専の甘い汁への「覚書」>>
母体行側の第二の問題点は、農林系金融機関との関係である。
住専7社の借り入れ残高の推移を見ると、農林系金融機関からは、91/3末で約4兆9000億円が95年には5兆5000億円に増大しているが、一方、母体行からの借り入れは同期間に4兆5000億円から3兆5000億円へ、逆に約1兆円減少している。ところが母体行側は、91-92年の住専の第一次再建計画で、危機感を感じて資金引き上げを検討していた農林系金融機関に対して、「融資残高維持」を約束し、同時に「再建は母体行が責任を持ちます」「これ以上負担をかけません」といって、融資を引き上げないよう要請、93/2には農水省と大蔵省が「再建には母体金融機関が責任を持って対応する」とした「覚書」まで結び、これを保証していたことである。その裏で母体行側は、バブルの破綻を農林系金融機関に押し付けて、自らは巧みに融資を引き上げていたのである。
すでにこの時点で破綻に瀕していた住専は、解体処理すべきだったのである。それを銀行、大蔵、農水省が一体となって、住専の甘い汁(ずさん融資、高給天下り、ゴミ捨て場等々)に群がり、かれらの権限を超えた「覚書」をまで交わし、責任の転嫁と問題の先送り、拡大をはかり、その結果として、95/8の立ち入り調査時点では住専7社の不良債権総額は8兆1300億円へと約2倍に膨張させてしまった。

<<税率わずか1.8%>>
住専の経営破綻を尻目に、大手21行の94年度の業務純益は2兆7679億円にも達し、さらに95年度は9月期の業務純益が約2兆5000億円、通年では4兆4000億円を超えて過去最高の純益を上げることが確実となっている。そして大手21行のためこみ利益である内部留保は、貸し倒れ引当金を合わせると21兆円を超え、三和銀行一行の内部留保だけでも1兆8608億円にも達している。
それは、90年に6%だった公定歩合が91/7以降徐々に引き下げられ、95/9にはついに史上最低の0.5%にまで引き下げられた政府・日銀の一方的で強制的な庶民の預貯金の金融資本への所得移転政策の結果でもある。銀行預金の残高が約500兆円に達している現在、銀行資本全体で約25兆円の「濡れ手に粟」の文字どおりの不労所得が流れ込んだのであるが、それは預金者からむしりとったものといえよう。
ところが、大手21行の94年度申告法人税額は508億円にしかすぎず、業務純益の1.8%しか払っていないのである。それは住専一次損失処理、母体行などの負担分、国税・地方税など合わせて2兆9000億円近くが無税扱いとされ、過去3年半で不良債権償却での税免除額は3兆6000億円、その上2兆6000億円もの巨額減税が行われ、来年度は税金を全く払わない大手銀行も現れようとしている。

<<「不誠実のきわみ、倫理感のかけらもない」>>
全国銀行協会連合会会長は「公的資金導入を頼んだ覚えはない」と開き直っていることに対して、加藤紘一・自民党幹事長は、「不誠実のきわみである。ここまで事態を放置してきた大蔵省の責任も大きい。債権償却特別勘定の措置は、実質的な公的資金の導入であり、国税庁と大蔵省に実態を明らかにさせたい。また、金融行政を聖域とし、大蔵省だけに任せてきた我々政治家の責任も大きい。真摯に反省する」(1/30朝日)と発言し、後藤田元官房長官は、「不良債権問題を見ても、金融機関は、まったくふとどき千万。倫理感のかけらもない。しっかり反省してほしい」、さらに梶山官房長官は、「国家・国民に対する背信だ」とまで述べるに至っている。いずれも過去現在とも政府・自民党の幹部であり、事態に大きな責任を負っている当事者でもある。
さらにいえば、住専の垂れ流し融資に道を開いた「総量規制」を決めたときの自民党4役は、首相・海部、幹事長・小沢、政調会長・加藤六月、総務会長・西岡武夫、いずれも全員、住専問題追及に腰くだけとなっている現在の新進党幹部である。
銀行側に言わせれば、膨大な無税措置の見返りに自民党や新進党に他の大口に比べても相当に巨額の政治献金をしているではないかというわけである。しかしそれは政党や政治家の買収行為以外のなにものでもない。「公的資金の導入を頼んだ覚えがない」というのであれば、即刻、母体行側が無税措置と超低金利でためこんだ資産の一部を取り崩すだけで、住専問題は直ちに解決できるのである。そしてこの問題解決の最も現実的で唯一の道はそれ以外にないのである。

<<大蔵省の分割・解体>>
しかし問題解決をそれで終わらしてはならないであろう。このような事態をもたらした日銀・大蔵省・金融資本が一体となった日本の金融行政そのものを、独占支配・情報非公開・「護送船団」方式から、分権自治・情報公開・民主的コントロール方式へと大胆に転換させなければならない。
その意味では、今ようやく論議のそ上に上がってきた大蔵省の分割・解体は、絶好の機会といえよう。大蔵省が、信組の破綻、住専や大和銀行事件など一連の金融問題、不良債権問題からジャパンプレミアム、「公的資金導入」で相次ぐ失政を重ねてきたのは決して偶然ではない。徴税・予算配分・金融行政を一手に集中してきた独占の弊害と腐敗の必然的な結果なのである。大蔵省の金融調査部や銀行局、証券局などを分離し、大蔵省から独立した「金融監視委員会」を設ける案、さらには大蔵省から独立させた「金融庁」、「歳入庁」、「予算庁」構想等々が提起されているが、それらが、逆に組織や権限が拡大する「焼けぶとり」にさせるのではなく、それぞれに独立した分権と自治、徹底した情報公開、納税者を主権者とする民主的コントロール下においた徹底した改革こそが問われているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.219 1996年2月21日

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【投稿】教育も、「変わらなきゃ」

【投稿】教育も、「変わらなきゃ」

1995年も、「いじめで自殺」報道が絶えなかったし、96年も初頭から、神戸で犠牲者が出てしまった。その1月9日の新聞を読みながら、深い悲しみと同時に、ため息がもれた。小、中、高問わず、いじめが原因で自殺する。不登校、中退、いじめ、最近の教育を語る時、誰もが口にする用語だ。そう語りつつ、有効な手が打てていない。
文部省も各教育委員会も、必死に研修をしたり、通達を出したりしているが、現状は深刻になるばかりだ。もっと抜本的な方策を採らなくては、子どもたちを救うことはできない。日本の教育は、もっともっと「変わらなきゃ」いけない。
「学校5日制」が導入されたとき、「明治以来の学校改革」といわれ、「学校は変わる」「学校は変わらなければいけない」と、推進者たちは言った。しかし全国的レベルでのめざましい成果は、残念ながら上げられていない。そして、95年・96年「教育改革」が提唱されている。内容のともなった改革にするためには、学校現場が、子どもと日々接触している教師が、変わらなければならない。こんな陳腐な表現をあえて使うのも、「教師」という立場にいると、「変わらなきゃ」と思っていても、「変われない」ことが随分多いように思うからだ。小学校に勤めているわたし自身の実感である。
「個性を大切に」と言いながら、朝礼や体育の時には「前にならえ!」--新しい年を迎えて、わたしは、この「前にならえ」をやめようと考え、担任している子どもたちに話した。教師には「民主主義者」を自認している人が多いが、子どもたちにとっても「民主的」かどうか、日々の教育活動を検証してみる必要がある。「前にならえ」は、明治以来の方法だし、「体罰」も法的に禁止されているにもかかわらず横行している。
学校の主人公は子どもたちであるはずだ。その子どもが、学校に来れなくなったり、やめざるをえなくなったり、学校のことが原因で命を絶ったり、非常事態である。
自己変革も含めて、学校を、教育を、変えていきたいと思う。
(大阪・田中 雅恵)

【出典】 アサート No.218 1996年1月20日

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【書評】〈いじめ〉とコミュニケーション論の視点

【書評】〈いじめ〉とコミュニケーション論の視点
     尾関周二『現代コミュニケーションと共生・共同』(青木書店、1996.6.26.)

本書は、コミュニケーション論を基点に現代日本社会の歪みを批判的に論じてきた著者の焦眉の諸問題にかんする論集である。そのキーワードは「豊かな社会」「情報化」「国際化」「共生」であり、著者は、これらのキーワードが有する固有の問題性が、思想の問題としては〈コミュニケーション〉という結節点に絡みあっていると見る。そこで本書では〈コミュニケーション〉の問題状況という切り口から、これらの諸問題の解明をめざして「現代日本におけるコミュニケーションの諸相を全体として思想の問題として考察する」ことを試みる。
さて本書を貫くもう一つの大きな問題意識は〈いじめ〉の問題である。〈いじめ〉が現代日本社会のかかえる大問題であることには異論がないと思われるが、〈いじめ〉について今までにない関心が生じたにもかかわらず、現状では依然として対症療法的な議論にとどまっており、その原因・背景の解明にはほど遠いと言わねばならない。このことは、〈いじめ〉問題の解明・解決を妨げている力それ自身がまた〈いじめ〉問題を生み出している要因であることを示唆している。本書では、かかる問題意識を踏まえて〈いじめ〉問題に集中的にあらわれたものが、実は現代日本社会の構造の反映であることを指摘する。
従って本書で最重要なのは、第一章「『豊かな社会』のコミュニケーション疎外・・・〈いじめ〉の根本的克服のために」である。この章では、現代に急速に変容しつつある〈コミュニケーション〉の視点から、家庭コミュニケーションや学校コミュニケーションのあり方とそれを規定している社会的なコミュニケーション構造(精神構造)のなかで子どもを取り巻く状況を分析する。それによれば子どもの遊びの状況が、「群れ」から「孤独」へ、「活動型」から「静止型」へ、「自発」から「受動」へと変質してきた(「現実の遊びも、そして遊びの欲求も、室内で、一人きりで、受け身の形で過ごす型の遊びに集中している」)こと、しかも「テレビの普及と遊び仲間の失われていくことがリンクしている」ことが注目されねばならない。それ故「今日の〈いじめ〉の一面として、共同性欲求、コミュニケーション欲求の充足の疎外された形態がそこにはみられる」とされる。   そして〈いじめ〉が陰湿・陰険・残忍であることの底に子どもの「重たい恨み心」(ルサンチマン)が存在することが指摘される。すなわち成績崇拝主義や競争主義によって長期間にわたって痛めつけられ、自尊心を深く傷つけられた子どもたちは、他者の苦痛に対する共感を失い「いけにえを必要とする『恨み遊び』によって陰鬱な気分を発散させるのである。「今日の〈いじめ〉とは、ある特定個人に対する共通の排除行動によって各人の恨み心を発散させる(「スカッとする」「おもしろい」)と同時に、疑似共同的関係の確認をする行為である」。つまり〈いじめ〉は、本当の友人が欲しいという人間本性に根ざすリアリティを持った欲求と、現実の激しい能力主義的競争においてすべての人間を手段か敵であると見なす同じ程度のリアリティを持った観念との間での(すなわち仲間関係と抑圧関係との)「矛盾した相互行為」なのである。
これに対しては「友愛のある平等な仲間関係」の育成、換言すれば「共同性欲求が適正に実現された親密な友だち関係こそが真に〈いじめ〉を批判的に克服する力をもつ」。しかし現実には「この現代の〈いじめ〉はこの欲求が適正に実現されないがゆえにまた発生している」というパラドックスな状況こそが問題なのである。
というのも、この〈いじめ〉の背後には、一方では先進資本主義国に共通する「大衆社会の『コミュニケーション』の物象化」状況(近代的アトミスティックな自我よりも、関係のメカニズムの方が前面に出て、社会関係の「システム化」が進行する)が存在するが、他方では特殊日本社会的なものとして企業社会の競争構造(「特殊日本的な〈労働〉のあり方)があるからである。
すなわち「日本型〈労働〉に発する過剰な競争原理は、職場における日々の〈精神的殺し合い〉や〈カローシ〉を生み出し、学校においては、この〈精神的殺し合い〉は、肉体的抹殺をもたらすような〈いじめ〉を生み出しているのである」。「精神的生活過程のコミュニケーションにおける病理現象としての〈いじめ〉は、物質的生活過程の異常に競争主義的な〈労働〉と内的な関連をもっており、この〈労働〉が再生産する社会制度によってその深刻さが加重されている」のである。従ってこの精神的・物質的社会構造の転換抜きには〈いじめ〉の根絶はあり得ない。ここに日本資本主義の進路にかかわる問題が提起され、同時にさしあたっての学校コミュニケーションのあり方としては、市民的公共性のコミュニケーションの力(学校の社会的・物的条件の改革のための合意形成の運動)の強化が主張される。
さてかかる問題意識を踏まえて、今日の情報化・コンピュータ化が、一方では資本の自己増殖の一層の効率化に貢献するアスペクトと、他方で脱資本主義、民主主義の徹底へと向かう諸条件の蓄積というアスペクトの両面から考察される。そしてその中で過剰な商品依存社会からの脱出と管理主義強化(システム化による「科学的」管理)の問題が、また新たな共同体といわれている「電子コミュニティ」とこれに伴う近代主義的文化・自我の変容が検討される。(第二章 『高度情報化社会』と情報的コミュニケーション・・・電子コミュニティの光と影)
また「国際化」に関しては、今日の「日本の『国際化』論は日本『国家』論でもある」ことが指摘され、「国際化」問題の二つの側面・・・情報的コミュニケーション(情報化のグローバル化)と、文化コミュニケーション(異文化理解、文化的人間的交流)・・・のギャップ・落差の大きさこそが問題であるとされる。この場合日本人のメンタリティの大きな特徴は、日本型順応主義(没主体的な集団性、異質なものの集団的排除、同質性の強要)であり、この面から見れば、学校での〈いじめ〉問題と日本人の「国際化」問題は内的には非常な関連があると言えよう。こうした意識構造を生み出す母胎としての日本型企業主義と国家主義(単一民族論等)に対する批判が急務であるとされる。(第三章 『国際化』と異文化コミュニケーション・・・日本型順応主義の克服のために)
そして以上のようなさまざまな問題や歪みをはらんだ人間関係への対抗理念として、本書では「共生・共同の理念」が提唱される。「共同」「共生」の理念とは、人間関係の二種類の側面・・・共同体内の成員間の交渉関係(同質性を前提とする共同関係)と、異なる共同体間の成員との交渉関係(異質性を前提とする共生関係)・・・に対応する。これら二種類の理念が相互に補完的な性質を持つものであることから、共同体内の人間関係を律する「共生的共同」(同質性を前提としながらも異質性の存在することを認める)と、異なった共同体間の人間関係を求める「共同的共生」(異質性を前提としながらも同質性・連帯を求める)が導き出される。この同質性と異質性の織りなす中に真の人間的関係を打ち立てようというのが「共生・共同の理念」であるとされる。(第四章 共生・共同の理念・・・「リベラリズムを超えて」)
ここから本書では、人間と人間との関係から人間と自然との基本的関係の考察に移り、コミュニケーション的態度で自然に対することを提案する。そしてその際に自然に対する労動的な態度との連関を考察する。(第5章 人間と自然の共生・・・自然への共生的態度)
このように本書は、コミュニケーション論の視点から現代日本社会の構造をあぶり出そうとするものであるが、この一見ユニークな視点はまた、問題を論じる視点の重要さそのものを再認識させるものである。このことは、著者が指摘する利潤至上主義的経済システムにおける〈労働・搾取〉と、偏差値至上主義的学校システムにおける〈コミュニケーション・いじめ〉構造との相乗作用を見るとき明らかであろう。ただし本書で提唱された「共生・共同の理念」や「人間と自然との共生」等の概念については、まだまだ今後深化発展させられる必要があろう。しかしこのことを差し引いたとしても、現代日本社会の諸問題に対してコミュニケーション論の視点を打ち出したことの意義は大きいと言えよう。(R)

【出典】 アサート No.218 1996年1月20日

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【映画紹介】「三たびの海峡」

【映画紹介】「三たびの海峡」

題名と主演「三国連太郎」に惹かれてこの映画を観た。予想以上の感動が胸を包んだ。映画の出来もさることながら、出演者の作品に対する思いがジワーッと伝わってくるのである。
APEC前の日韓関係、アジア外交にとって大事なときに、江藤長官の不見識な発言があり、金泳三大統領との首脳会談さえ一時危なくなりかけた。戦争中の日本の非を謝罪したかと思うと、閣僚達の時代錯誤な考えられないような発言が飛び出し、首相までがおかしな発言をする。私ですら、腹立たしくなって来る。口先だけの謝罪と思われてもしかたないような度重なる反省のない態度、間違った歴史認識・・・この背景には日本側にアジアの人々に対する傲慢さや過去の歴史への真剣な反省のなさがあるように思う。それは相当に根強く、戦前、戦中派の中国や韓国の人々への蔑視、それに連なる若い人々の差別観が後を絶たないように思える。「日韓併合は、韓国の発展に役立った」、「南京大虐殺はなかった」、辛酸をなめた人々が激怒するようなことを平気で言う。せめて入閣する前に基本的な政治姿勢については、一人一人テストをして大臣に就任して貰いたいものだ。そんな気持ちを胸に抱きながら映画館に入った。
映画の主人公-河時根(ハーシグン、三国連太郎)は、強制連行されて日本に来た。何度も死と直面するが、生き抜き、日本の敗戦、解放直後に日本人の妻千鶴を連れて、故国へ帰る。しかし千鶴は彼の故郷の人々に受け入れられず、彼にも知らせず子どもを連れて日本に帰る。
その後、河時根は懸命に働き、現在は会社の会長職にある。そんな折、日本から、徐鎮徹(ソジョンチョル、風間杜夫)が訪ねてくる。50年前、河時根達を高辻炭坑でこき使った山本三次(隆大介)が、「長峰市」の市長選挙で炭坑跡に残るボタ山を崩して企業を誘致すると公約している。そこには多くの強制連行されてきた仲間たちが、過酷な労働の中で息も絶え絶えにこき使われ、山本三次たちに殺され、あるいは自殺し、また逃亡に失敗して虐殺された、故郷を夢見ながらついに夢絶たれた仲間たちの手作りの小さな墓が、墓石がまだ数多く残されているはずである。河時根は意を決して、三たび海峡を渡る決意をする。
河時根を演じる三国連太郎は、阿川佐和子さんとの対談で(週刊文春11/9号)、「重いテーマの映画を撮るときはホモ的感覚で監督を愛しています」と語り、シナリオの書き換えに熱を入れたこと、祖父や父のことについて「祖父は棺桶作りを職としていたんです。でも、小さな村ですから、そんなに注文があるわけじゃない。暇をみては、これは今では差別用語になりますかね、隠坊という火葬場の世話をする係をしていました。
・・・僕らが通ると、途中の集落の人たちが、急にみんな、家ン中に入っちゃう。声もかけてくれないという、妙な出来事がありました」、「親父が地方を渡り歩いて、定住しませんでしたから、決して、温かい目で見られませんでしたね」、その父が入院して「生まれの話だとか、シベリア出兵の話だとかを聞いたわけです。それで、僕がぼんやりと覚えていたいろんな事件をはっきりと認識できていったんです」と語っている。三国連太郎の原点、映画にかける思いが伝わってくる。
隆大介は、浮島丸事件を扱った映画「エイジアン・ブルー」とは逆の立場で出演している。韓国の新人・李鐘浩の好演、スター歌手・張銀淑が唱う主題歌、その熱い思いに目も耳も離せなかった。(11月11日~松竹洋画系公開中)
(田中 雅恵)

【出典】 アサート No.218 1996年1月20日

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【投稿】96春闘を迎えて・・・依然厳しい状況

【投稿】96春闘を迎えて・・・依然厳しい状況
                      –・問われる日本的経営の限界–

各組合では96春闘の準備が始まった。しかし今年も湿ったムードが漂っている。昨年は「阪神大震災」の影響もあったが、全体に押し切られた。部分的に好況産業でも、それを反映しない「低位平準化」の傾向が支配した。96春闘はどうなるのか。

<日経連 4年連続のベアゼロ提唱>
1月12日日経連は、臨時総会を開き、労働問題研究委員会報告を採択している。その内容は、雇用維持が最優先であり、4年連続のベアゼロを提唱。具体的には①雇用維持が最優先で臨み、支払い能力があるところはまず雇用維持し、次に賞与、一時金で配慮する。②生産性向上が見込めない場合はベアは論外。③一律の定期昇給を見直し、能力・業績給を拡大する。④初任給の据え置きに言及。などが主な骨子である。相も変わらぬ生産性向上基準原理である。そして現状では生産性向上分は賃上げではなく「雇用維持」の原資に使うべきで、ベースアップには使うべき状況にない、という主張である。
さらに「日本の賃金は世界一の水準である」との論法から、「勤労者の生活水準の向上は物価水準の是正で行うべきだ」と主張する。もっともらしく聞こえるが「日本の物価は世界一だ」ということを忘れているらしい。

<連合中央委員会 1万3千円要求>
同日連合は、第1回拡大中央闘争委員会を開催し、「ベアゼロ」は認められないと1万3千円を基準に4~5%の賃上げ要求を決定し、3月21日前後の山場に向けて闘争をスタートさせた。昨年の春闘が春闘史上最低の2.83%(労働省調べ)で、連合結成以来の「敗北春闘」の連続からどう転換していくのかが焦点になっている。
しかし昨年もあったことだが、個別賃金ということでベアの発表が若年層の低い賃上げが公表された例があった。せめて組合側は「隠し」のないことを願いたい。

<個別企業で進む賃金政策の変更>
一方、春闘低迷の影で、個別の企業では人減らしが進むとともに、賃金制度の変更が進んでいる。特に日本的経営の特徴であった年功賃金にかげりが生まれ、年俸制や業績給の導入が始まっている。さらに中高年から賃金カーブが鈍化するともに、ホワイトカラー層の人減らしが特徴となっている。有効求人倍率が5割を切る状況の中で個々の現場では雇用環境の変化が深刻になっている。連合に結集している労組は多くが大企業であり、比較的労組の発言力、決定力が存在しているので、こうした傾向は一挙に進んでいるわけではないが、着実にこうした傾向は強まっていると判断できる。

<依然解消されないバブル後遺症>
春闘議論から脇道に逸れることになるが、日本経済の「危機」もまた議論しておくべきであろう。雇用と賃金のベースである経済の状況が極めて深刻だからである。バブル経済は破綻したが、その後遺症は特に金融機関の不良債券として、またバブル期の企業の拡張政策の失敗による資産と経営機構の整理がはたして進んでいるのか。現在国会では住専(住宅金融ノンバンク)の不良債券処理案が議論されているが、これはまだ一部に過ぎないからである。低金利の中で経常利益こそ銀行に蓄積されているが、それをはるかに上回る不良資産が手付かずで残されている。
低金利時代で新聞にはたくさんの不動産広告が入るが、私の回りでも最近家を新築・購入したという話はない。先行き不安が購入を渋らせている。「内需拡大の為の賃上げ」と言っても、消費マインドも冷えきっており、たとえ賃上げがあってもそれが消費に回ると組合の主張はあるものの、全体を覆っている空気は明らかに冷えきっているのではないか。電機・半導体などの一部産業で好況が伝えられているが、経済全体の底力は依然として低迷している。

<一体感のもてる春闘に>
業界横並びで賃上げを獲得してきた春闘方式もすこし陰りが見えてきたようだ。組合側が弱いからとか、労使協調だからという批判だけで果たして打開できるものだろうか。ストライキによって打開できるものでもない。個別企業運動だけに収まり切れない上記の問題を打開する政策と運動が求められているように思う。
さらに運動論的に言えば、春闘のいいところは、みんなで闘うところだと思う。大企業も中小企業も、組織労働者も未組織労働者も。連合96春闘の結果が全体に波及していく力。そこに労働組合の「連帯」が問われている。(96-1-15佐野秀夫)

【出典】 アサート No.218 1996年1月20日

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【投稿】政局等々、雑感-年頭にあたって

【投稿】政局等々、雑感-年頭にあたって

<政局に関して>
[村山首相の退陣]
1996年が明けて、早速、ビッグニュース村山総理大臣の退陣が報じられた。この原稿を執筆したのは1月6日。何畝、激しい流動化の時代、このアサートが発送された頃には、またもや大きな出来事があれば許されたい。
この村山総理大臣の退陣を論評する前に、村山内閣そのものに対して評してみたい。村山内閣が発足したのは、94年6月。非自民・細川連立政権から、その後の羽田内閣への変遷の過程で、当時の社会党との連立のための基本政策協議の中で、新生党小沢幹事長を中心とした旧連立与党側が、社会党に対して「ここまで来い、来い」と言わんばかりに強引に譲歩を迫り、その挙げ句の果てに、一方的な統一会派「改新」の旗揚げ。これに業を切らした社会党と、この機に乗じた自民党が急遽、連立を組んだのが村山政権といえる。そういった意味で村山政権は、何か大きな歴史的流れの帰結として誕生した政権というよりは、自民党単独政権から流動的な連立の時代における偶然的要素により誕生したものと言える。それだけに、その政策はファジーで、およそ政治的には中間(中道)から右(保守)の間を振り子のように揺れた政権運営であった。例えば社会党首相と言えども、沖縄地位協定の問題やオウム事件に絡んだ破壊活動防止法適用、自衛隊合憲等、いわゆる常識的な社会党路線から大きく転換した政策を行ってきた。しかし、その一方、不十分とは言え、過去の侵略行為に対する謝罪と従軍慰安婦の補償問題、水俣病賠償問題、被爆者援護法の制定等、自民党単独政権であれば更に遅れたであろう問題に一定の決着をつけたことは評価できる。
こうした村山政権が、ここまで維持できたのは、バブル崩壊後の重症的経済状況や国際政治経済における日本の基本的立場などの今日的重要課題に、誰もが抜本的な対応策を示し得ない中で、やじろべえのように揺れる政権であっても、また右からも左からも不満があっても、大きな波乱を呼び起こさないであろう「不安定性の中の安定性」に大きな理由があったのだろうと思われる。
しかし深刻な金融不安等がありながらも何らかの大胆な経済政策と、それに対応した新たな政治態勢が求められる今日、「不安定性の中の安定性」では対処できない状況が村山首相の退陣を呼び起こしたのであろう。村山首相自身が会見の中で、住専問題の今後の処理と新党問題(新たな結集軸)を退陣の理由に上げているのは、そのことを自ら感じ取っているからである。

[第三極-新たな結集軸について]
マスコミは、とりあえず自民党橋本首相の後、遅くない時期に解散・総選挙、橋本・小沢の対立を占っている。現状においては、常識的な予測とも思われるが、論評するなら、まさに先行きの見えない時代、何が起こるかわからないと言う一般的な指摘が一つ。
そして、もう一つは社会党新党問題-新たな結集軸について。昨年暮れに社会党久保書記長が、見切り発車的に新党結成の動きを見せたが結果的に頓挫している。例え看板を変えても余り、中身が変わらなければ国民から見て、第二社会党としか映らないだろうし、いかに時期に間に合わないからと言っても、広範な国民に信頼され得る政治勢力を結集するには「できるだけ広範に、時間をかけて」という統一戦線指向の意味で、村山委員長の主張を支持する。ただ何が「よりまし政府」の母体となり得るのか、その理念は何か、その具体政策はどうか、という意味では極めて不透明・曖昧である。
例えば「民主リベラル」をという理念も掲げているが、その場合、少なくとも「護憲」「平和創造」「人権」「安定成長」「ゆとり・豊かさ」と言ったことがキーワードになろうが、それが具体政策にどう反映され、どう具現化されるのかと言ったことがわかりやすく説明されない限り、もはや国民の関心・信頼は得られないのではないだろうか。特に、この具体政策を突き詰めて検討すればするほど、階層間対立は顕著となる。例えば、消費税についても税率のみならず、インボイス方式にするのか、今までどおりの帳簿方式にするのか、不況対策についても経営者への助成・融資を主体とするのか、労働者への様々な給付制度を創設・充実するのか、障害者・高齢者等の公的制度のあり方や労働者権利の制度的保障等々、明確な対応が求められる局面が多々ある。要するに筆者が主張したいことは、「社会党」「さきがけ」等の枠組み論議だけに終始するのではなく、できるだけ広範な勤労諸階層の支持を求めながらも、根本的にどういった階層に依拠した政治勢力の結集を図るかについての論議も怠ってはいけないと言うことである。
いずれにしても第三極-新たな政治勢力の形成は、あの政治改革に名の借りた小選挙区制の下で、容易なことではないが、この際、地道に院外形成を図ることも含め、粘り強い取り組みが必要だと考える。
なお蛇足であるが、新進党についての評価を。新進党もまた、この間の政界再編の中で、旧自民+公明と言うイビツな政党と言える。とりわけ公明-創価学会の影響力は大きなもので、決して自民党の公明バッシングに同調する気はないが、そのこと自体、否定し得ない事実である。公明の評価は、勤労者的な政策を一定、出している党派であり、その組織力には目を見張るものがあるが、しかし広範な勤労者を結集し、一歩、先んじた主導的役割を果たし得るかについては疑問がある。特に宗教法人法改正問題に絡んで、オウム事件に乗じて創価学会封じのための自民党の対応には、賛同しかねるが、ただ宗教法人一般に対する税制上の優遇措置は、不公平税制の一つに上げられるもので、これはこれなりの真摯な議論が求められるのではないか。いずれにしても新進党-公明に関して、今後の政局を占う上で、一方の大きな政治勢力としての動向には関心があるが、真に「よりましな政府」づくりの主導的役割としては、然程の関心は持てないと言うのが、率直な感想である。

<労働運動について>
労働運動の取り巻く状況は、昨年の震災・不発春闘から、今年も一層、厳しい雇用情勢の中で、大きな成果を上げることには期待感が薄い。とりわけ連合が、この間の春闘で敗北を重ねてきた大きな要因は、今までも言われ続けてきたことではあるが、経営側の結束に比して、産別自決の名の下、十分な統一闘争を組みし得ず、結果として個別決着に終始してきたことにある。今春闘で直ちに克服できる課題ではないが、少なくとも単なる打順・山場設定のみならず、具体的な産別連帯・産別連携の基本戦術の検討・提起が、新たな春闘構築として求められるのではないか。
ただ、これからの混沌とした政治状況の中で、連合としての主体的な政策発言力には期待したい。とはいっても、単に新たな政権にどう関るかと言った政治的なものではなく、具体的な労働者政策を提起し、積極的に各々の政治勢力に、その実現を迫る取り組みである。例えば減税、最低賃金の引き上げと遵守、解雇制限法の制定、派遣事業の規制、労働基準法の徹底と罰則規定の強化、労働組合の育成誘導策等々。こうした今までの「福祉・医療・年金」等の政策よりも更に、鮮明に労働者権利を制度的に守る政策を打ち出し、これらの実現を求めることがまた、連合運動の裾野を広げ、結束を高めることにつながるのではないだろうか。
また今日の労働運動を見る場合、連合・全労連・全労協と言ったナショナルセンターの枠組みとは別に、各々の労働組合の置かれている状況別に見ることもできる。つまり大企業を中心とした大単組、中小企業を中心とした労働組合、そして地域合同労組。更に、その下に多くの未組織労働者。いわば日本の労働運動は、こうした三層・四層構造にあって、特に中小労働組合や地域合同労組においては、依然として少なからず労働争議が頻発している。とりわけ地域合同労組は、今日の第三次産業への労働人口移動の中で、また派遣労働者、契約労働者等の多様な雇用形態の変化の中で、既成の労働組合では対処し切れない実質的個別救済も含めた取り組みを展開している。
今後、こうした柔軟で広範な運動形態に着目し、これを更に公然的・制度的に保障しながら広げていくことも、今後の新たな労働運動を展望する上で、また労働運動の質的転換を図る上で重要なポイントであろう。     (民守正義)

【出典】 アサート No.218 1996年1月20日

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【投稿】「もんじゅ」の即時閉鎖を!

【投稿】「もんじゅ」の即時閉鎖を!

<<動燃理事長「自信が持てない」>>
この1月13日に、ナトリウム漏れ事故を起こした「もんじゅ」の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の事故調査を担当していた総務部次長が自殺した。敦賀市現地の「もんじゅ」建設所はもちろん動燃本社ぐるみの事故の真相隠ぺい、ビデオ隠しの渦中での出来事であった。たとえ嘘いつわりであっても「同じことを何回も言っていると、それが事実だと思う人もいるんですね」と語っていたという。
動燃は当初、今回の重大で本質的な欠陥に基づく事故であることを隠し通すために、わざわざごく一般的な「事象」と言い替えたり、推定で2-3トンも漏れていながら、「漏れたナトリウムはごく微量」などと発表していた。ビデオの映像隠しが次々に暴露され、事態はきわめて重大な事故であることが明らかになり、大石・動燃理事長は「これ以上新たな事実が判明しないかどうか自信が持てない」とまで言わざるを得なくなった。「今回の事故で、日本の原子力開発は国民の信頼を失うという深い傷を負った」(伊原・原子力委員会委員長代理)のは当然のことである。

<<安全協定の完全な無視>>
それ以上に問題とされたのが、事故そのものへの対応である。事故は、12月8日、午後7時47分まず火災警報が作動して明らかとなったが、動燃から県への連絡は事故発生から50分近く経った午後8時35分、敦賀市へは同8時48分と、安全協定第6条「直ちに連絡」するを完全に無視するものであった。
さらに、原子炉停止を最終判断したのは実は午後9時10分のことで、それまではほとんど出力を下げていなかったのである。運転マニュアルでは「ナトリウム火災の発生を確認した場合、直ちに原子炉の緊急停止操作をする」となっていたにもかかわらず、出力低下操作優先のために3時間もナトリウムの漏洩が続き、その間の燃焼反応で一部では2000度近い高温に達していたことが明らかになっている。しかも事故発生現場の換気扇を約3時間も作動させ続け、火災を拡大し続けたのである。
福井県側は警報発生後、直ちに原子炉を停止しなかったことを厳しく批判し、福井県議会と敦賀市議会がそれぞれ開いた全員協議会では「もんじゅは閉鎖すべきだ」との意見が相次いだのは当然のことである。
動燃は、世論の厳しい追及の前に、事故情報の公開を約束しているが、事故発生から一次系の状態変化や二次系の流量の変化など事故記録は未だに全面公開されてはいない。

<<スプレー火災の恐怖>>
今回の事故が明らかにしたことは、半減期24000年、放射能の毒性が極めて強く、核暴走する可能性が高いプルトニュウムを燃料に、爆発の危険性がきわめて高いナトリウムを冷却材に使用するもんじゅは、運転を続ける限り、非常に重大な惨事を引き起こすことが確実であることを示したことである。
このもんじゅの内部には、ナトリウムが一次、二次冷却系にそれぞれ約760トン、原子炉内の貯蔵タンクに約160トン、計約1700トン、プルトニウムを1.4トンも抱えている。そして、一次系は約530度、二次系は約505度の高温ナトリウムが管内を秒速6m前後で流れているが、その配管は直径約56cm、肉厚は約9mm(軽水炉の場合、肉厚は約3.5cm)にしかすぎない。一次回路のナトリウムの温度は非常に高く、この高温と高速中性子による強烈な衝撃、さらに安定したナトリウムの放射性核種のうちいくつかが中性子を吸収し、放射性のγ線をを放出するナトリウム24に変換することにより、パイプ、バルブやその他の部品を腐食していくことが宿命となっている。
そして今回の事故は二次ナトリウム系配管が原子炉格納容器を出たところで起きている。温度を計測する枝管から漏洩したナトリウムが配管室の酸素や水分と激しく反応、炎上し、火災は3時間以上続き、漏洩量はおよそ2トンで、ナトリウムの粒子が落下して飛散する際に爆発的に反応するスプレー火災の恐怖が起きていたと見られている。反応生成物であるガス化した水酸化ナトリウムは地下4階から地上2階まで広範囲に拡散し、各種ダクトやケーブル、機器類、壁、床のコンクリートに付着している。これは強い腐食性を持っており、それによる損傷の回復は発見からして容易ではないものである。

<<「コストとの兼ね合いもある」>>
このナトリウム漏れについて、動燃のリーフレットでは「高感度の検出器を多数設置し、少量のナトリウムが漏れてもすぐ分かる」としていたが、今回のナトリウム検知器の性能について、実際は1時間で100グラムの割合で漏れた場合で24時間以内、今回のように100キロを超える漏れの場合でも検出までに15分もかかることが明らかになった。実際に事故の検出は、ナトリウムが漏れた後の爆発的な火災の発生による火災警報機の作動によって知らされたのである。動燃はこれについて「ナトリウムは一挙に大量に噴き出すことは考えられず、この感度で十分対応できる。コストとの兼ね合いもある」と説明している。安全など全く無視したコスト論まで持ち出しているが、そもそも検出器の役割など果たしていないに等しいものを、「漏れてもすぐ分かる」などと大嘘をついていたのである。
世界の各国が制御不可能なナトリウム漏れ事故の続発を眼の前にして、核増殖炉から撤退して、日本だけがこれを無理矢理強行しようとしているのであるが、その際、動燃は「管理の行き届いた日本では、ナトリウム漏れはまず起こらない」と繰り返してきた。しかしこれも今回の事故で根底から叩きつぶされたといえよう。

<<「適切な設計でなかった」>>
さらに漏出箇所とされる温度計部分について、動燃も科学技術庁も温度計のさや管が破損することを想定していなかったと説明しているが、動燃の大洗工学センターは、1月10日、温度計の構造的欠陥を認め、流体誘起振動のために、もんじゅを100%出力で運転した場合、早ければ11日間で、遅くても4か月足らずで損傷する可能性が高いことを明らかにし、「解析結果から、設計上適切な設計でなかったといえる」と指摘している。今ごろ何をかいわんやである。起こるべくして起こったことを自ら認めているのである。
実は動燃は、すでに91年に漏洩のあった部分を含む配管を大規模に設計修正し、付け替えを行っているのである。そして今回の漏洩はこの時に溶接された温度計用枝管から起きている。いわば自ら今回の事故を準備したのである。
ナトリウムの利点は、沸騰点がきわめて高い(摂氏990度)ことから、高速増殖炉の十分に高い熱伝導性と冷却材としての役目を買われたのであるが、だがその反面、水以外にも多くの物質と即座にしかも激しく反応する性質があり、しかもその溶融点(97.5度)以下だと、金属として個体になってしまう。このことは、ナトリウムの温度を常に点検し、原子炉が運転停止中であっても常に熱した流体状態に保たなくてはならないことを意味しており、流体誘起振動を始め、潜在的に重大な損傷をあらゆる段階で引き起こす可能性を持っていることを明らかにしている。振動では規模も力も膨大な、阪神大震災以来の不気味な地震活動の活発化は、このような危険きわまりない原発の即時閉鎖を緊急の課題としているといえよう。

<<断念・閉鎖以外、道なし>>
もんじゅは、ナトリウム、蒸気系での相次ぐ事故により発電は当初計画より2年遅れの中で、昨年8月に初発電を強行したのであるが、今回の事故である。もんじゅにつぎ込んだ国費はすでに7000億円以上、当初の原子力委員会の見積もりの7倍以上にも達しており、もはや技術的にも信頼性においても取り返しのつかない事態となったことは誰の眼にも明らかである。即刻断念し、閉鎖するほかに道は残されてはいないといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.218 1996年1月20日

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【書評】ミステリーは原発をどう扱うか

【書評】ミステリーは原発をどう扱うか
             —『神の火』〔上・下〕(高村 薫、新潮文 庫、1995.4.1.)

ミステリー作家高村薫は、デビュー以来名だたる賞を総なめにした観があるが、彼女の代表作の一つが文庫本として大幅に改稿出版された(原版は、91年8月、新潮社) 。高村の作品には、提起された問題の大きさといい、ストーリーのダイナミックさといい、従来のわが国のミステリー界の枠組みを超えたものがあるとの評が一般的である。本書もまたスパイを扱った小説であるにもかかわらず、たんなるスパイ小説に終わらない可能性を秘めている。
本書の主人公は、原子力科学者の島田浩二(39)、彼は母とロシア人宣教師との間の「不義の子」であり、実業家でスパイの江口に誘われてソ連のスパイとなる。もう一人は島田の幼友達の労働者でワルの日野草介(40)、彼は結婚相手の律子が《北》のスパイであることを後に知るが、彼女の兄・柳瀬裕司が10年前に《北》で研究していて秘かに持ち返った資料をめぐる陰謀に巻き込まれる。そして日野は他方で、江口によって日本に密入国した高塚良(25)・・チェルノブイリ原発の事故で被曝した若者・・・を保護することになる。
時代背景は、旧ソ連崩壊直前の緊迫した混乱の時期。場所は、舞鶴およびその近辺に建設された音海原発、そして大阪。筋書きは、《北》から持ち返られた資料の争奪戦と各国の駆け引きのなかで《北》に拉致された良が死ぬという状況にいたって、島田と日野が、良の遺志を汲み取って音海原発を襲撃するというものである。登場する諸機関も、KGB、CIA、《北》の工作員、公安警察と多彩であり、襲撃シーンも詳細で臨揚感あふれる。
さて本書の流れの中に漂っているのは二つの浮標(ブイ)である。ひとつは、時代・大国の陰謀に翻弄される空しい無力な人間の姿であり、もうひとつは、そのような中で何とか生きる証を求める人間の心になお存在する空洞である。どちらの空虚さが先立つものであるのかは、にわかには決め難い。恐らくは前者が後者の芽を育てる契機となり、後者はより意識的に成長したものであろうが、客観的空虚と主観的空洞は、ともに相まって作品に独特の雰囲気を醸しだす。
島田は長年ソ連のスパイとして活動してきたが、その「社会主義体制は、人間の活動を機械のように統制することで、人間らしい生活が保証された世界を実現しようとし、今まさに挫折しつつある」「とすれば、たとえば《言う通りに動く機械》になるべく国家的に組織され訓練され、初めから人間の魂を空っぽにしてきたスパイという人種こそ、社会主義国家の矛盾を唯一、矛盾でなく具現した存在だったのかもしれない」という感慨によって、自分の位置を確認する。しかし同時に「島田は何を待っているのでもなかった。・・・時代が変わろうが変わるまいが、昔から何一つ待つものを持たなかった一人の人間が、今はただ、義務感だけを拠りどころにして己の命を永らえている、この欺瞞」をも自分に感じている。そしてこの義務とは、「終わりにしなければならない、盗んだ火は返さなければならない」ということに尽きる。
ここでは、冷戦の最中に西側の原子力工学の情報を東側に流し続けた島田が結果として果たした役割と、人間が原子力の火、〈神の火〉を盗み出してつくりあげた核と原発との果たしている役割が二重写しになる。そしてそのいずれにも義務を負っている島田がいる。
そのうえに、かつては《超安全》な原発を作る意思を持って《北》に騙されて渡った柳瀬裕司の姿と彼が熱っぽく語る《プラハの春》が、またチェルノブイリの事故直後に、大量の放射能を浴びながら技師であった父親を探す良の姿が結びつく。
そして「すべての科学技術は本来、その運用に当たって完全という言葉は使えない人間の所産に過ぎないが、いったん壊れたが最後、周辺地域が死滅するような技術の恩恵を、人間はどれほど受けてきたというのか。原子力は、人間にどれほど必要な代物だったというのか」という「回復不能の懐疑の闇」に陥る中で、島田の胸に音海原発への襲撃計画が浮上する。
「音海原発へ行く。計画を立てて、しかるべき装備を整えて行くのだ。事柄の生産性や正当性、価値、社会性、値段、一切何もなく、ただ行くのだ。音海原発へ。」
これはまた《プラハの春》の話で、人間は理想を持つことができるという希望を柳瀬から借りた日野の思いでもあった。
かくして島田と日野による音海原発襲撃が綿密に計画準備され、決行される。襲撃方法と原発内部の密度の高い描写については、作者の知識と筆力に敬服する他ないが、この襲撃は、島田が原子炉の圧力容器の蓋を開けることで終わりを告げる。
ただしこのことで原子炉が潰れるわけでもなく、「たった今まで核分裂を起こして熱を発していた原子炉の蓋を開けたというだけのことだった」のである。
しかしこの襲撃は、結果の空しさをも含めて、改めてわれわれの時代の核が絶望そのものであることを認識させる。島田と日野との会話の端々に出る言葉にもそのことは確認される。
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「良が片付けたていう四号炉、今はどないなっとるんや」
「鉛と砂とコンクリートで固めた石の棺になっている。もう壊れかけているらしいが・・・」
「原子炉はそうやって廃炉にするんか・・・」
「最終的には解体するが、数年間は格納容器を密封して放置することになる」
「あと二、三十年たったら、この若狭湾沿いに建っとる原発はみな寿命が来る。そのころ、この海岸にはコンクリートの廃炉が延々と並んどるということやな・・・」
日野は、自分たちが見ることはない二十一世紀の海辺を仰ぎ見るように、右舷の陸影へ目をやった。 「あの柳瀬が昔、俺らは核の時代に生まれたんやてしみじみ言いよった」
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このような寒々とした光景は、本書の主人公たちが抱いている気持ちであり、彼らの置かれている状況であり、更にまたわれわれ自身を取り巻いている現実ともつながっている。〈神の火〉とは、プロメテウスのごとく神から人間が盗んだ原子力の火であるとともに、人間社会・国家が人間自身を焼き尽くす火でもある。
本書に色濃く漂うニヒリズムの雰囲気は、出口のない体制とそのスパイに課せられた運命を象徴しているが、高村はこれを硬質的な文章で緊迫したストーリーを展開している。ここで提起された問題は、原発の存在意義と安全性について、今までとは異なった別の恐ろしい側面があるということであり、高村はそれを鮮烈に見せてくれたと言えよう。
高村の作品は文句なしに第一級のエンターテイメントであるが、これがたんなる「ミステリー小説」を超えたものになるかどうかの環は、今後、社会性をどのように追い詰めるかにあると思われる。この意味で、本書とともに警察機構内部を同様の密度で描いた『マークスの山』(1993年、早川書房、直木賞受賞作)を併読されることを薦める。(R)

【出典】 アサート No.217 1995年12月16日

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【投稿】 年末特別企画 1995年とASSERT

【投稿】 年末特別企画 1995年とASSERT 

1995年も残りわずかです。阪神大震災、オウム、戦後50年等など揺れに揺れた1年でした。新聞やテレビでも年末企画で激動の95年を総括しようという記事や番組が増すが、アサートでも社会のいろいろな出来事を追いかけてきたつもりですので、毎月の紙面を通じて95年を振り返ってみるとともに、アサート自身をも振り返ってみようという珍しく企画モノで1年をしめくくってみたいと思います。

<阪神大震災とその後>
1月号は昨年より続いての依辺氏の『地方分権と政治改革』の第2回をトップに、政界再編がらみのM氏、民守氏の投稿、生駒氏の共産党モノ、私江川のいじめ問題と、その時点での情勢にマッチした記事で、その後の激動の前の静けさといった感じの無難な1年のスタートでした(ただし、編集作業中の震災による通信回線不良により校正不十分となる事件も)。山花さんの離党騒ぎで幕をあけた95年でしたが、社民リベラルの結集に全てをかけた彼らの勇気をふりしぼった行動は、あの阪神大震災の前にふっとんでしまいました。
2月号は震災と地方分権を結びつけた生駒氏の『阪神大震災と「大地動乱の時代」』をトップに、職務で被災地に派遣されたT.T氏の『芦屋市での数日』による現地レポートなど、混乱の中でも取り急ぎ震災特集を組めました。民守氏恒例の春闘情勢も震災を踏まえた内容で掲載することができました。
3月号も引き続き震災関連で、現地レポートを折り混ぜながら在日外国人やボランティアの問題に踏み込んだ若松氏の『復興は順調に進んでいるのか』をはじめ、生駒氏の『原発直撃地震の可能性』(この記事で氏が指摘していた「もんじゅ」のナトリウムの危険性は、現実のものとなった!)、佐野氏の『住民合意の被災地復興はできるか』と様々な角度・視点から大震災を評価することができました。

<円高、統一地方選、オウム>
春先の話題はなんといっても円高。生駒氏の『歯止めなき円高・ドル安』(4月号)から『日米貿易戦争の新たな段階』(5月号)と、日米関係の背景とそれぞれの内部要因を鋭く分析していただきました。
統一地方選関係では、駆け込み入稿した私江川の『青島・ノックの当選がもたらすもの』(4月号)が、結果的に唯一の記事となってしまい、何とか体裁を整えることができたところです。
世間的には大いに話題となったオウム関連では、佐野氏の『神なき終末論は、どこへ行く』(4月号)、鈴木氏の『ロシア人の宗教意識とオウム真理教』(同)と論評2本。願わくばもう1本、微罪逮捕がらみで法律家の一筆がほしかったのですが、某大物人権派弁護士に原稿依頼したところ、「真相の解明のためには、あれはあれでいいんですよ」とのお返事だったとか。ふーん・・・。

<そして夏、戦後50年、参院選>
戦後50年の絶好の機会に、あまりにも不様な結果となった国会決議問題では、生駒氏の『「戦後50年国会決議」が明らかにしたもの』で厳しく批判されたところですが、その前後の政治家たちの相次ぐ暴言・妄言を見るにつけ、「まだまだ終わらない戦後」を今後も提起し続けていく必要性を感じます。
政治情勢で今年の目玉はやはり参議院選挙。M氏の『政治の季節の到来』(6月号)、生駒氏の『参院選と社会党バッシング』(7月号)、私江川の『参議院選挙を前にして』(同)と選挙に関連しての提起やとまどいが、選挙前に次々と掲載され、世間的には低調ムードだと言われていた参院選も、アサート的にはそれなりの雰囲気はできたのではないでしょうか。選挙後は久々の誌上討論会『参議院選挙結果は何を意味しているか』(8月号)で総括論評が行なわれました。紙面的には記事の他に結果表あり、グラフあり、衆院選予想あり、4コマ漫画ありとビジュアルにまとまったものになりました。討論では、新進党の「躍進」の分析、低投票率、無党派層、社会党への評価、今後の政治的分岐点たる介護保険制度など、全般的に多岐にわたって意見交換ができたのではないでしょうか。  この時期、もうひとつアサートで特徴的だったのが、7月号で鈴木氏訳のゴルバチョフ『民主主義なき安定』、生駒氏訳のシメリョフ『現代ロシアが直面する経済』の2本のロシアものがおもむろに掲載されたこと。エリツィン入院-ロシア情勢激動を予感していたのでしょうか。

<金融不安、新党論議>
秋以降はアサート得意の(というか生駒氏得意の)経済問題と迷走する社会党の新党問題に集約されます。生駒氏の『「金融秩序維持」と「公的資金の導入」論』(9月号)、『「金融不安」の徘徊と「自己責任」論』(10月号)は、大蔵-日銀-銀行業界の閉鎖性を鋭く指摘し、後の大和銀事件をも予言するかのような切り口でした。新党がらみでは佐野氏の『社会党の新党議論に出口はあるか』(9月号)、『もたつく新党 揺らぐ村山政権』(10月号)、田中氏の『今、何をなすべきか・・・?』(9月号)、M氏の『リベラル新党への道』(11月号)と立て続けに分析・提言が行なわれていますが、現実の事態の進行は、これらの分析・予想どおりに私たちの思いとは裏腹の方向に突き進んでいるようです。連載を終了させたい依辺氏も、今の政治状況では「まとめ」を書く意欲が湧かない、と筆が止まっているそうです。

<アサートの1年>
駆け足でこの1年を振り返ってみましたが、こうして改めて紙面を見直してみると、結構きっちりとその時々の情勢を押さえています。アサート恒例の書評もR氏の哲学関係を中心に随時掲載できています。また、O氏の4コマ漫画も時々の政治局面を見事に風刺したものとして好評を博しています(まず漫画から読むという読者も・・・)。アサートがずっと追いかけている長良川問題も、運用開始から集会現地レポートとフォローしています。フランス核実験の原稿がなかったのが少し寂しかったですが・・・。
しかし、やはり執筆者が固定化している現状は否めません。毎号入稿いただいている生駒氏、佐野氏をはじめ、依辺氏、M氏のようにテーマをもった方々に多大に依拠している現状です。というのも、やはり「もっと投稿を」ということになるのです。私の方から言えば、最近ご無沙汰の教員の方々の寄稿を期待して、1月号でいじめ=学校免責・家庭責任論をぶったのですが、お返事がありません。また、7月号で政治的所属を変えていく先輩方の意見を聞きたいと呼び掛けたのですが、音沙汰なしです。特にこの問題では先日の朝日新聞の近畿面でも「新進党・かげる小沢神通力」として、大阪の北川問題が取り上げられていました。グループ内でも混乱されていることでしょうが、どなたかアサートに匿名で一筆いかがでしょうか。そのように誌上で様々な意見を闘わせることによって、今後の展望・指針を見いだそうというのが私たちアサート発刊趣意で有り、目標なのです。
と、まるで私が編集作業の中心人物のような書き方をずっとしてきましたが、知る人は知っている、佐野氏にほとんどの編集作業を依拠しています。編集作業の引継ぎは将来的な私のパソコン導入を待つとして、最低限迷惑をかけないよう、定期的な入稿、締切厳守を心がけていくことを96年への決意としたいと思います。
みなさん、来年こそもっと投稿を、もっと議論を!   (江川 明)

【出典】 アサート No.217 1995年12月16日

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