【投稿】三人を大切にしよう

【投稿】三人を大切にしよう

1.田端義夫の場合
「三人を大切にしよう」、田端義夫の「島そだち」を口づさむとき、かならずといってもいい、この命の「三人」、運命の「三人」の話しが忘れられない。
バタヤン、私はこの人を知らない。会ったこともない。だが、「三人を大切にしよう」という話しは生きている。この話しを通じて私はバタヤンを知っている。
「赤提灯」ののれんをくぐると、そこのあるじが年頃が同じなのか、バタヤンびいきで、「唄ぢゃあいつがいちばん、身にしみる」と「島そだち」を小声で唄う。
このバタヤン、田端義夫は、先刻いったように私はじかには知らない。彼が奄美大島生まれかどうかも知らない。「歌のしおり」という小さな帳面にものっていない。
だから彼がいつ大阪にきて、どこの劇場で「島そだち」を熱唱したのかも知らない。
ともかく彼は、日本中が「ジャズ」一色で埋っていた頃、これでは日本は潰れると真底そう感じて、「島そだち」一本で勝負しようと大阪に乗り込んできた。
例の古ぼけたギターを肩にして、北から南、大阪の夜を流して歩いた。立ち止まって聞いてくれる人はいない。声をかけてくれる窓の女中さんもいない。彼の目にかすかな絶望の一滴が流れたその時、言葉をかけてくれた人がいた。
「うちでやってみんか」
「うち?」
「花月だよ」
バタヤンは飛び上がった。何躊躇することがあろう。
「ありがとうございます。お願いします」そう言うのが精一杯だった。このセリフは「桂三枝」の「出あいの風景」の中のセリフであるが、バタヤンも多分そうだったろうと思って、無断借用させてもらった。
その夜、かれにとっては一生一代の勝負の舞台である。その舞台が旧梅田花月の舞台なのか、新しい「花月」なのか、私は知らない。それはどっちでもいい。張り裂けるような緊張感が、幕が上がるとともに、氷のように冷たくなった。舞台をみた。お客さんは、一人、二人、三人、たったの三人でしかない。
「よし」と心に不思議な静かではあるが身を焼くような緊張感が走った。
「この三人と勝負してみよう」
力の限りかれは唄った。かれの「ジャズ」に負けるかと焔のような熱情がギターに乗った。
舞台の裾からそっとのぞいた。「花月」の主である。
「うん」
と、かれはうなった。
「この三人に向かって、これは運命の使者だ。よしこの男を男にしてやろう」
この主じが先代の林正之助氏か、中邨(なかむら)秀雄社長であったかは私にはさだかでない。

2.戸坂潤の場合
戦雲ただならぬ頃の池袋豊島師範学校の講堂である。
都会議員に立候補したのは、仏教青年同盟、この名前もさだかではない--の妹尾義郎氏である。戸坂潤はこの候補の応援演説のために、いま、この講堂の壇上に立っている。
聴衆は私を入れてたったの三人である。豊島師範は名門で、そこの講堂は少なくとも一千名は入れる大講堂である。がらんとしている。あまりにも淋しい。うしろの方に座った私には、戸坂氏の話が、たった一人の私の顔をみつめて熱情あふれる説得を試みているようにみえた。私は素直にこの感動を他に伝えねばならないと思った。演説の内容はよく覚えていない。六十五年も前の話で池袋の友人宅に下宿した国鉄時代のことであった。だが、その真摯な、この人を真実の味方に引き入れねばならぬという確信的な説得的な態度に私は深い感銘を覚えた。
かくあるべし、真情を吐露するときにのみ、対手もまたそれに応えてくれる。すべての場合、私はこの教師の真面目な姿を自分の今後に生かさねばならないと心にきめたのである。戸坂氏は治安維持法のため、投獄されそして獄死した。そのたった一人の遺子、戸坂嵐子さんは、戦後、国鉄労働組合本部の初代の書記として机を共にしたことがあった。
三人を大事にしよう。
すべての事をなすものの、それは不断の根生であらねばならないことを教示されたのは私の一生の宝物であった。
(鈴木 市蔵)

【出典】 アサート No.220 1996年3月23日

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【投稿】「ゴルバチョフ 大統領選挙 出馬か?」

【投稿】「ゴルバチョフ 大統領選挙 出馬か?」
               モスクワニュース1996年№17(2月25日)より
               ゴルバチョフ元大統領へのインタビュー訳 首藤留美

--あなたが出馬宣言に慎重なのは、支持署名を始めたあなたの発起人グループを完全に信頼していないからではないのですか。有名な人物がいないチームにとっては100万人署名は簡単ではないでしょう。
「私が知る限りにおいては署名集めはまあまあ上手くいっているようだ。発起人グループは32の地域の年齢が25~40才の人達から成っている。幾つかの地域では発起人グループ結成後すでに新しい支持者が現われ、彼らも行動を起こしてくれている。このことは希望を呼び起こしてくれる。私が慎重なのは、ロシアのような国を治めるということがどのようなことを意味するのかを私自身が身をもって知っているので、出馬するかどうかを決めかねているからである。」
--あなたは、自分が大統領選に出馬するのは、民主的な勢力が結集した時であると再三言っておられたが、今でもその立場に変化はないか。
「私は今でも、民主的な勢力の結集が必要であると確信している。」
--しかし、そのようなものはないのに、あなたは大統領選に出馬するほうに傾いている。
「このような民主派の結集が創られるのを期待している。」
--結集のためにあなた自身はどのような行動をとるのか。
「もう行動し始めている。つい最近自らを中道あるいは中道左派と見なしている全政治リーダーを話し合いに招いた。」
--具体的には誰ですか
「非常に広い範囲のリーダーである。」
--リーダー達はあなたの招待を受け入れましたか
「会談は、リーダーが集まることは時間の無駄ではないと思っている人達のみで行われた。全体的な会談は今のところ実現していない。」
--あまりにも範囲が広すぎることに問題があるのでは。例えばヤブリンスキーとルイシコフとでは何について話せというのですか。
「話の対象が重要ではないと思う。あらゆる政党間の相違を克服するために集まるのではない、そのように考えるのはあまりにもナイーブである。だれも相手に政党の立場を放棄させることを要求するために集まるのではない。会談の課題は別のところにある。つまり、全民族的な政治綱領にのっとって大統領選にのぞむと言うことに賛成することにある。」
--ガイダールとロシアの民主選択運動との連合は排除しているのですね。
「正直に言えば、ガイダールとの連合は考えもしなかった。しかし、中道右派の支持者との連合は恐らく不可能であろう。」
--どうして民主勢力の結集にみんな消極的であると思うか。
「克服するのが困難な政党間の矛盾が原因であろう。」
--しかし、原因はそうではなく、あなたが大統領選の候補として自分自身を考えているからではないのか。
「私は、民主勢力の唯一の可能な候補であると言ったこともないし、今後も言わない。これは合意の問題である。事は単に大統領だけではない。話し合いで私は私のシャドウキャビネット、つまりチームを組閣できると思っている。私は、首相、そして幾つかの閣僚について提案がある。」
--あなたは今チームと言う言葉を使ったが、あなたは自分の経験から政治においてチームプレーは不可能であると言うことをよく知っているのではないか。あなたは自分の昨日の同盟者を引き渡し、あなたの同盟者はあなたを裏切った…。
「チームは不可欠である。今もすでにそのことを考えているところである。しかし、事を個人的な裏切りのせいにしたくはない。同盟者は立場を考慮に入れて選ばなければならない。私は例えば扱いにくい人間が好きである。私はいつも自分の補佐官をはじめ、政府の人間、人民代議員と話し合う用意がある。」
--あなたは若い世代の政治家を観察しているか。
「彼らの中には面白く、際立った者もいる。しかし、彼らの大半は、まだ大統領という重い責任ある任務につくには早すぎると思う。彼らは、チームの中で活動し、経験を積むことが必要である。彼らは国を治めるということの意味を分っていないのではないかとさえ思う。従って彼らを大統領選を競う相手ではなく、チームのパートナーとして見たい。」--公式的な会談はまだ始まっていないようだが、非公式はどうか。あるいはあなたはそのような会談を避けているのでは。
「避けてはいない。最近、例えばヤブリンスキーと会った。しかし、彼だけと会ったのではない。」
--いつごろまで中道派結集を続けるのか。
「私はどんなことがあっても絶望しない。選挙選のある段階までただ進んで行かなければならない可能性もある。例えば、スビャトラフ・フェドーロフのような人物も自分たちの現実の可能性を判断した後に、話し合いに参加するということも起こりうる。候補者は一人々署名集めを行い、国を回り言葉で人々と話し合い、自分の目で有権者を見なければならない。そうすることによっては野心は取り除ぞかれ、同盟者探しを行うようになる。私は待つ用意がある。」
--時期を逃してしまうのでは。
「しかし、このような戦術は意図的に使われる可能性がある。選挙選には何人かが参加するが、その中には、一人の候補者を擁立するために自分の出馬を取り消す者もいる。その時は、相手から守るために主要な候補者の名前を前もって公表しなことには道理がある。」
--大統領候補者の順番を見れば、ジュガーノフ、ジリノフスキー、マブロージとなっているが、あなたはどう思うか。
「ただ感情的に、このようになって欲しくないと思う。しかし、質問を『このような状態でこのことを傍観している権利があるか』とすれば、どうなるであろうか。そうなるとことは国の運命についてになる。もし、偶然に大統領のイスに冒険的なあるいは偶然の人間が座ることになったらどうなると思うか。そうなるとその後どのようなことが起こると思うか。もちろんことは候補者のレベルのみではない。今回のロシアの大統領選は極普通の出来事ではないのである。」
--どの国にもある普通のことでは?
「賛成しかねる。ロシアのケースはまったく特殊である。今日、私たちは再び非常に重要な岐路に立っている。つまりペレストロイカの時代に始められた改革を継続するかあるいは後に戻るかである。政治的復讐に巻き込もうとする勢力が政権につくという実際的な恐れがある。そのような勢力は、我々がやっとのことで抜け出した閉鎖的な社会、指令経済、民主的な自由が欠如した社会へと引き戻そうとしている。また、他の危険性もある。それは今後、今日のロシア政府が行っている方向を継続するならば、それは民衆を貧困へとそして国を破滅へとおいやることを意味している。」
--あなたの発起人グループは特に、田舎で活動しているようだが、首都での活動はどうなっているのか。
「指令部が地域にあるというのはもっともなアプローチであると思う。地域には、今日ロシアの生活のあらゆる中心的な問題が集中している。私は、遊説によって、地域の人達と話をすることによってそのことを感じている。政府の命令を遂行している地域の幹部は、ゴルバチョフには会わないが、自分たちの意見を私に伝える手段をもっているという興味深いことがある。もし、政治家が地域のリーダー、ビジネスマン、インテリと共通の理解に達することができず、ロシアの田舎にすんでいる人々の支持を得られなければ、その政治家は成功することはできないであろう。首都に関しては、私は始終彼らと会っているし、彼らの支持を感じている。」
--自らの政党をもたずに選挙選を闘えるか。
「私は、広い立場でアプローチする。大統領選に出るものは、その指令の中に真面目で組織だった方法を用いなければならない。それは決してボリス・ニコラエビッチのようなものではあってはいけない。このことについて詳しく話す意味は今はない。もし私が出馬を決めたら、その時は蓄えの中から何かを。」
--それでは選挙公約も同じであるか。
「詳しくはそうである。しかし、今このこのだけははっき言明することができる。私の綱領にはエカテリンブルグで最近聞いたような実現不可能な約束は含まれてはいない。全国民的な幸せのために全てを根本的に作り直すというような約束はそこにはない。」(訳 首藤留美)

【出典】 アサート No.220 1996年3月23日

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【投稿】中台緊張と日本—「台湾海峡波高し」—

【投稿】中台緊張と日本—「台湾海峡波高し」—

3月23日の台湾総統直接選挙をピークに、近辺地域の軍事的緊張が高まった。
中華人民共和国は昨年秋以降、対岸の福建省や近隣海域で、大規模な軍事演習を繰り返し、台湾に対し恫喝をかけ続けている。
こうした一連の軍事力によるデモンストレーションのクライマックスとして、3月8日からのミサイル演習と引き続く実弾演習、上陸演習が展開された。
こうした中国の度を過ぎた一連の行動に対して、台湾も昨秋から軍事演習を展開し、3月に入ると、最大限の警戒体制を敷いた。そして、アメリカも空母2隻を中心とした艦隊の派遣で、中国への「警告」を発している。
純軍事的に見るならば、よく指摘されているように中国は量的には軍事大国であるが、個々の兵器の質などを見れば、未だ近代化の途上であり、本質的には中越戦争の水準にあると考えてよい。
そのことからして現在、中国軍の台湾上陸作戦成功の可能性は、ほとんど零に近いし、中国軍もそうした自滅行為に走ることはないであろう。
考えられる最大限の行動は、台湾本島への限定的なミサイル攻撃か、金門島などへの侵攻であるが、いくら抑制されたものであるといっても、軍事力の行使には違いはないのだから、周辺諸国にとっても黙認できるるものではない。

対応せまられる日本
この周辺諸国にはもちろん日本も入るのであって、3月8日からのミサイル演習時には、台湾と日本を結ぶ空路が変更されたし、基隆近海のミサイル着弾地域東南端と沖縄県与那国島との距離は、わずか六十キロなのだ。
こうした中国の行為は、直接日本を対象としたものではないが、尖閣諸島という火種を抱えた日本が、まったく中国の意識の外であるなどとは、考えないほうがよい。
しかし、あくまでも公海上の通常=非核軍事演習であり、中国と台湾の問題である限り、日本政府としては、不快感の表明や、自制を求めることはできても、それ以上のことはできないだろう。
ただ今後も、こうした軍事演習が度重ねられ、漁業や通商に深刻な影響が生じた場合には「厳しい抗議」や「経済制裁」、そして、先島の住民が大さな不安を抱いた場合は、よりエスカレートした行動をとる必要に迫られるだろう。
先の大戦時、日本軍は、米軍が上陸するのは沖縄より台湾が先と考え、防御も台湾の方が厳重だった。しかし、実際は沖縄が戦場になったのに対し、台湾近辺の島々は戦禍からまぬがれた。
そうした海域への軍事的プレゼンスは慎重を期さなけらばならないし、現実的にも、当初は海上保安庁の任務となるだろう。すでに10数年前、尖閣諸島を巡って、一時中国との摩擦が表面化した時、直ちに近海へ巡視船(といっても、40ミリ機関砲とヘリコプターを搭載、臨検要員は自動小銃で武装した、実質上のフリゲート艦である)が派遣された。
しかし、小規模でも中台の交戦が行われた場合は、米軍とは別に、軍隊である自衛隊が警戒体制を敷かざるを得ない。その場合でも、九州、沖縄に配置された部隊の運用で事足り、大規模な動員、陸自にあっては師団単位の連用も不必要だろう。そしてこれらはあくまで、一部で主張される米軍の後方支援と遠い、独自の、領土、領海内の行動であるので、憲法や集団的自衛権問題の制約は、受けないのである。
ところが、このような行動を進めるにあたって、最大の障壁となるのが、政権与党である社民党の対応である。社民党はただ「穏便に」と唱える以上の、提起も行動もしていない。中国共産党を未だに友党だと思っているなら、北京に乗り込んで忠告くらいすれば良いのである。
中国にしてみれば、香港への庄力にしても、今回の台湾問題にしても、失地回復の一環である、との思いであるし、国内の分離独立や民主化への威嚇でもあるのだろう。
しかし、それはやはり時代錯誤であって、非混住型多民族国家=「帝国」は解体の流れにあるのである。
日本も過去の経緯を踏まえたうえ、有効なメッセージを送るべきであり、「大地の子」の感動とは別問題なのである。  (大阪 0)

【出典】 アサート No.220 1996年3月23日

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【投稿】住専問題の混迷と「追加措置」

【投稿】住専問題の混迷と「追加措置」

<<「政府案に賛成」はたったの1%>>
住専をめぐる国会の状況は正に泥沼化した日本の政治情勢を象徴しているかのように見える。朝日新聞が3/11,12に行った緊急全国世論調査によれば、政府の住専処理案には54%が削除、21%が凍結を求め、政府案支持は12%にすぎない。国会審議についても88%の人が「まだ不十分」とみなし、橋本内閣支持率は2ヶ月前の61%から36%へ急落し、不支持率は20%から43%へ急増しているのである。同時期に行われた日経の調査でもほとんど同一の結果が出ている。
回答者の94%が「政府は説明不足だ」と言い、87%が税金投入に反対しており、NHKの調査では「政府案に賛成」と答えた人はたったの1%という事態である。京都市長選の結果はその端的な現れでろう。対立候補が共産党より幅広く柔軟性があれば、完全に逆転していたであろうことは間違いない。
これを受けて立つ側の政府並びに与党3党は、今やなすすべもなく、方向転換もままならず、橋本首相に至っては「国民になお理解されていないことを知りながらも、この道しかない」と、事態の成り行きを傍観しているにすぎない存在と化している。そして国会議決の最終局面にいたってあたふたとまとめた「追加措置」が、さらに事態を悪化させたともいえよう。朝日の調査によれば、この「追加措置」についても、「評価しない」が73%で、「評価する」は13%にすぎなかったのである。一方、住専問題での新進党の印象変化について、「よくなった」が9%に対して、「悪くなった」が28%という結果は、彼らの表面上の変化が見透かされているともいえよう。

<<まやかしの「追加措置」>>
問題は、3/4に発表された「追加措置」である。これは、政府の住専処理策のいいかげんさ、泥縄ぶりをよりいっそうきわだたせた。「追加措置」によれば、民間銀行と系統機関は、今後7年間のリストラ等によって収益を増やし、それぞれ法人税について約5000億円と約1800億円の納税増加を図り、6850億円の財政支出分を穴埋めする、というものである。6850億円という数字へのまったくのつじつま合わせである。
今回の住専処理策の柱は、農林系統金融機関の負担から「系統機関の負担の限界」と称する5300億円を差し引き、残りの部分に6850億円の財政資金を投入するというものであった。ところが「追加措置」によれば、その系統機関が実は今後7年間のリストラで6000~7000億円もの収益を増やし、1800億円もの納税増加を図れることとなり、そもそも今回のような住専処理策の必要性がなくなってしまうのである。納税増加云々以前に、6000~7000億円の収益増加分を、住専処理の負担にまわせば解決してしまい、「負担の限界」は5300億円から、一挙に1兆1300億~1兆2300億円になってしまう。つじつま合わせの馬脚がはしなくも暴露され、自ら墓穴を掘って、政府案そのものを破綻させたともいえよう。

<<自作自演の「金融不安」>>
政府、大蔵省は口を開けば、「農協系が破綻する」、「周辺金融機関にも波及し、金融システムが崩壊する」などとむしろ金融不安を自ら煽り立ててきた。3/9に開かれた社民党大会では、地方組織代表が「こんなに不評の住専処理策を通したのでは、総選挙が戦えない」「凍結を大胆に提案してほしい」「世論の反発は消費税以上」「国民世論はわが党に非常に厳しい。50年培ったすべてを失いつつある」と訴えたのに対して、佐藤幹事長までが「このまま放置すると、農協や金融機関がばたばたつぶれる。皆さんの預金は返ってこない。凍結論を受け入れるわけにはいかない」と危機感を煽っている。
しかし昨年来の事態の推移が明らかにしたことは、金融不安はむしろ政・官・財一体となった護送船団方式が今や破綻しており、それを無理矢理取り繕う責任回避と泥縄式後追い行政こそが作り出しているということである。そしてこうしたことが続けられる限り、確かに金融不安は拡大するであろう。不良債権は一部信用組合や住専だけではないし、むしろこれから浮上するであろう二次損失、ノンバンク系を含めると膨大な額に膨れ上がる現実的可能性が存在している。
しかし「追加措置」が明らかにしたように、空前の低金利で今や潰れかかっていた金融機関までが息を吹き返し、住専の母体行など大手21行は4兆円を超える史上空前の業務純益を出している。農協系金融機関についても、6850億円程度であれば、自己資本が6兆円もあり、預金量が30兆円ともいわれる農林中金が十分負担できる額で、それだけをとってみれば金融不安など起きるはずがないのである。

<<「どういう経緯で決まったか知らない」>>
ことここに至って、久保蔵相までが「農林系の負担がどういう経緯で決まったか知らない」と言い出している。とすれば久保蔵相は事態の真相を徹底的に追及し、その責任をも含めて公開すべきであろう。大蔵省と農水省が3年前に交わした「密約」、農協系金融機関が住専に貸し込んだ元本を保証する覚書、これらは課長や局長レベルの法的にも越権行為であり、実際、蔵相にも報告されなかった。もちろん、内閣、国会に対しても秘密にされた。「場当たり」「ルール無視」「秘密主義」「密約の断行」が、今回はしなくも公然化したのである。公然化せざるを得ないほど、窮地に追い込まれたとも言えよう。同時に政治の無力さ、政党のふがいなさもきわだたせた。同じく官僚達が隠し通そうとしていた薬害エイズの責任、加害者の責任をきわだたせた菅厚生大臣とは対照的である。
住専問題での加害者は、日銀・大蔵省・金融資本が一体となった日本の金融行政そのものであり、その弊害と腐敗の必然的な結果なのである。そしてかれらの独占支配・情報非公開・「護送船団」方式こそが日本の金融不安をもたらしているのである。国会運営の混迷はあきれるばかりであるが、この際、政府案を全面撤回して、大蔵省の分割・解体を含めた日本の金融行政の分権自治・情報公開・民主的コントロール方式への大胆な転換こそが真剣に論議されるべきであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.220 1996年3月23日

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【投稿】ロシア情勢  エリツィンのジレンマ

【投稿】ロシア情勢  エリツィンのジレンマ

<<チェチェンでの孤立化>>
強引かつ粗暴であり、慎重な配慮と思慮に欠けたエリツィン大統領の個人的性格は、チェチェン独立派武装勢力の人質作戦に対する無差別絶滅攻撃でもいかんなく発揮されたといえよう。ベルボマイスコエ村での出来事について、国内外の心ある人々はその目を覆いたくなるような惨状を見せつけられたのである。
これを機にチェチェンでは反ロシア抗議集会がこれまで以上に活発化しており、2月4日には1万人規模の大規模な集会が行われ、それは各市町村に広がっており、ロシア軍の撤退、親ロ派政権ザブガエフ氏の辞任、共和国の独立承認を要求している。これを力で抑え込むことはもはや不可能であろう。軍事的介入にはこれまで以上の大規模な戦闘と多大な人的物的財政的損失を伴うことが明らかであるし、たとえ一時的に制圧できたとしても、独立派勢力を絶滅できるものではない。
そして今やロシア国内においても、エリツィン大統領に和平の主導権をとるよう求める圧力が高まってきており、ニージニーノブゴロド州のボリス・ネムツォフ知事が、戦争終結を求める請願運動を開始するや、100万人以上の署名が集まり、多くの民主改革派、人権活動団体も、この運動に参加し始めている。

<<「民主的改革から完全に逸脱」>>
大統領直属人権問題委員会議長であるセルゲイ・コワリョフ下院議員はすでにこの1月23日に、エリツィン大統領宛ての公開書簡を発表し、「私はこれ以上、あなたと仕事を共に出来ない。民主主義、人権、自由の擁護者とは言えなくなった大統領のあなたとは」と述べて、大統領評議会をはじめ大統領府の全公職から辞任することを明らかにした。「あなたは、ジュガノフやジリノフスキーを大統領にさせないためには、自分を選ぶしかない、と言いたいのだろうが、悪あがきだ。あなたたちの間には、違いよりも共通点のほうが多い」、「あなたの政治は、ボリシェビキのぬかるみを復活させている。
当時と違うのは、共産主義の用語が反共レトリックに置き換えられていることだけだ」と、ずばり本質を突いている。
チェチェン紛争についても「真の目的は罪のない人質の解放ではなかった」と非難し、「エリツィン大統領は民主的改革の政策から完全に逸脱した」ことを確認し、6月の大統領選においては「私はあなたには投票しない」と断言している。

<<政権与党の大統領非難>>
さらにロシア下院の政権与党「わが家ロシア」(NDR)の指導者ベリャエフ氏は、2月2日の記者会見で、記者団の予想に反して、チェチェン情勢についてロシアの政府と大統領を非難し、「チェチェンの内部対話を発展させ、国内の合法的な権力機関を強化すべきだ。平和解決問題は地元当局が引き受けなければならない」と述べ、NDRはチェチェン問題を解決できない大統領と政府を批判すると言明し、同時にニージニーノブゴロド州の住民とネムツォフ同州知事の立場に連帯の意を表明した。同氏は「現在の執行権力を代表する候補者が大統領に当選する可能性があるのは、選挙までにチェチェン情勢を解決できた場合だ」と述べた。
米国・カナダ研究所のA・コノワロフ氏は「ネムツォフ知事の運動はエリツィン大統領に面目を保って撤退する逃げ道を開いている。大統領はゲリラに強制されたのではなく、ロシア国民の意志に従った決定として撤退を提案できるだろう」と述べているが、果たして4月末までには、何らかの形で戦争は終わったと宣言できるような情勢を作り出すことができるのであろうか。現状では、エリツィン氏が6月16日の大統領選挙までに戦闘を終わらせ、平和の立て役者として自分を売り込むことが出来るとはほとんど誰も考えていないのである。

<<最低の信頼度>>
エリツィン大統領は昨年二度にわたって心臓病が悪化し、常に健康不安説がささやかれているのだが、この2月15日には連邦議会で施政方針演説に当たる「年次報告」発表の場で、政策綱領を発表して、大統領選への出馬を宣言するとみられている。その中で、従来の緊縮路線を見直し、社会福祉、国内産業に配慮した方針への転換を表明、さらにチェチェン紛争の終結に向けた新提案を発表する意向だと伝えられている。
しかしエリツィン氏の支持率に関しては、民間機関「世論」が1月末に実施した「今日大統領選挙が行われたら、誰に投票するか」との質問に、1位ジュガーノフ共産党委員長(17.1%)、2位ヤブリンスキー改革派野党「ヤブロコ」代表(11.3%)、3位エリツィン大統領(10%)、4位ジリノフスキー自由民主党党首(8.9%)、5位レベジ退役中将(8.5%)という状態である。これでも1週間前の6位から”躍進”したという。
さらに全ロシア世論調査センターが同じ1月末に実施した政治家の信頼度調査では、1位ジュガーノフ(17%)、2位ヤブリンスキー(15%)、3位レベジ(14%)、4位に4人(9%)、眼科医フョードフ、ジリノフスキー、チェルノムイルジン首相、ガイダル「民主的選択」代表で、エリツィン大統領は5%にすぎず、10位に終わった。

<<またもや大統領令の連発>>
そこでエリツィン大統領は、今年に入っていくつかの方向転換に着手し出したことは間違いないようである。まずまだ残っていた改革派閣僚を相次いで解任した。これによって91年に発足した「改革派チーム」の閣僚は全て政府を去り、保守・強硬派にとってかえられた。そして軍需産業を基盤にしているソスコベツ第一副首相を本部長とする大統領再選本部を発足させた。エゴロフ新大統領府長官は、下院選挙で政権与党支持で積極的な動きを見せなかった各地の大統領代表、知事らの締め付けを強化し、解任も始めているという。
政策的にもこれまでの緊縮政策から一転して、炭坑労働者や教師の未払い賃金や年金の早急な支払い、年金や奨学金引き上げを命じる大統領令を連発し始めた。この結果、ロシア炭坑労働者労組幹部会は2月1日から実施していたロシア全土での炭坑ストライキを二日間で中止することを決定したが、約束が実行されない場合、3月1日から再度ストに突入することを明らかにしている。
炭坑労働者の未払い賃金は2億ドルに上っており、年金増額に24億ドル、奨学金増額に6400万ドル、チェチェン復興に54億ドル、「大統領社会基金」の設立に60億ドル以上と、支出約束を連発しているが、財源については全く触れてはいない。エブゲニー・ヤシン経済相は、それらを実行することは無理であり、「大統領がそのような道に進めば、極めて危険な役を果たすことになる」と警告している。

<<共産党がエリツィン政権支持?>>
一方、共産党はこうした「エリツィン政権の行動は共産党の主張に沿ったもの」であると積極的な支持を表明、改革派野党「ヤブロコ」提案の内閣不信任案にも同調せず、今やエリツィンの強力な味方となった感を呈している。事実、エリツィン大統領自身が、2月2日、共産党のセレズニョフ下院議長と会談し、議会と政府とのより密接な協力関係について話し合い、対話路線を確認したという。この会談の中で、エリツィン大統領は、チェチェン問題で新たな平和的解決を主眼とした提案を行うこと、炭坑労働者や教師らへの給与の遅配問題について、早急な給与の支払いを命じたことを伝えている。
他方、共産党系プラウダ紙の記者らが、党指導部と現政権との裏取引を批判する声明を発表し、双方共に複雑怪奇で矛盾に満ちた動きが表面化している。
今最も注目を浴びているジュガーノフ・ロシア共産党委員長は、スイスのダボスで開かれている「世界経済フォーラム」で記者会見(2/5)し、「ジュガーノフ政権が実現すれば、現在よりも良い投資環境を作り出すことを世界の経済界指導者に納得してもらうことが、フォーラムに参加した目的だ」と述べ、「ロシア経済が旧ソ連時代の国家独占体制に戻ることはありえない」、「経済の全面的国家統制が危機を招いた」、「自らの政権では国家と民間による混合経済を促進する」、「ロシア経済の民営化および外国資本の導入に賛成する」、「多様な所有形態を認めている」ことを強調している。単なる便法なのか、社会民主主義路線への真摯な転換なのかが、現実に問われようとしていることは事実であろう。

エリツィンのジレンマはロシアのジレンマでもある。ロシアのジレンマは解決可能であろうが、エリツィン氏のジレンマは氏のこれまでの行動や言動、性格からみて果たして解決可能なのであろうか。深まる一方ではないかと危惧される状況である。
(大阪、I.K.)

【出典】 アサート No.219 1996年2月21日

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【投稿】「世代の総括」そして「与党的立場」について

【投稿】「世代の総括」そして「与党的立場」について

このごろ気になっているいくつかの点について、述べてみます。そのひとつ、世代論について。その2は、与党的立場について。

****「世代の総括」について****
<戦後の総括と絡んで>
ずっと前から気になっていることがある。それは、日本における「世代の総括」。(表現は適切かどうか?)。図書館に行って歴史のコーナーをいつも覗く。興味があるのは現代史であるが、少なくとも明治・大正・昭和特に戦前戦後までは本の数も多い。
しかし、私の興味のあるのは、大学紛争前後、またはその後のテーマであり、当事者達の発言なり「総括」なり、ルポの類である。残念ながらこの手の書物は余りない。
私が読めたものと言えば、連合赤軍浅間山荘事件の坂口というひとの「浅間山荘日記」、全共闘経験者の意見をアンケートでまとめた「全共闘白書」、筆者は忘れたが「全共闘経験」だったか。歴史というよりは、証言のような形式を取った書物は余り現れていない。(もし、ご存じでしたら教えていただきたい)
「安田講堂落城」から27年と言うし、もうすでに歴史と言っても言いわけで、60年代後半から70年に至る全共闘、全学連などの学生運動、また社会運動の負の遺産を正しく伝える作業はこれら時代を生き抜いた方々の「責任」と言ってもいいはずである。団魁の世代と言われ、現在50歳を前後する世代が、いま日本の社会、経済、政治を担う中心的世代であると思われるが、これら世代の「世代論」がまだ未完成ではないのか。あるいは明らかになっていないのではないか。

<ベトナム戦争とアメリカ>
日本との対比で興味を惹かれるのが、アメリカであろう。アメリカ映画などをみるとベトナム戦争をテーマにした映画が、「娯楽的」にも成功するほど「負の歴史」を取り上げ、そこに生きた人々を描くことで「共通の世代」の姿を明らかにしてきている。戦争体験の悲劇は「プラトーン」が、戦争の狂気をコッポラの「地獄の黙示録」が、従軍し障害者になった元兵士の苦悩を「7月4日に生まれて」が、そして大学紛争は「いちご白書」がという風に。その前段には、原作があり文学にも多くの作品があるのだろう。
世代を総括する、共通認識を生んでいく作業は、やはり固有名詞的に、個人名で行われ、その積上げで生まれるように思う。ベトナム戦争という国家的戦争に巻き込まれた人々の感情は、たしかにアメリカ全国民に共通の苦悩であり、映画の例は少し底の浅い評価かもしれないが、ひとつの時代を生きた人々を描き出し、社会的に「総括」をしているように思える。

<日本の風土か 過去を語れない>
全共闘や学生運動の経験者にとって、なかなか「過去」を語りたくない心情も分かる。敗北の歴史は忘れたい歴史かもしれないし、「過激派」「セクト」などの表現は少なくとも悪いイメージ以外起こらず、社会的地位や職業柄、沈黙を決め込むことも分からぬでもない。しかし、「負の歴史」と心の隅に仕舞い込むだけでは、次の世代に何も残せないのでは思うわけである。
一方、権力の側にいた人々からの証言はすこしずつ出てきている。現在文芸春秋には元内閣安全保障室長の佐々淳行が「浅間山荘事件」の連載を始めているし、93年には「東大落城」を著し、警備の側からの大学紛争当時の経験を綴っている。最近文庫本になったので私も読んだ。大学紛争鎮圧当事者の証言だが、機動隊員の「奮闘」、機動隊と警視庁との対立、記憶に残る機動隊員の実名を挙げて当時を振り返っている。その中で印象的なのが、警備にとっての「敵」、学生に対する印象である。大学紛争、特に東大紛争については、「学生が怒るのも無理もない大学側の無責任体質」を語り、戦術的エスカレートが起こるまでは、むしろ警察側は学生に同情的な気分もあったという。さらに当時の学生の「自己否定」と言う表現に象徴されるような「自己の利害」を越えた行動に対しては、方向は違うにせよ、そういうエネルギーこそ社会にとって大切だ、とも評価している。佐々以外にも、浅間山荘事件や安田講堂における警備の最前線の人の手記もいくつか著されている。

<NHKの戦後50年ものでは>
昨年NHKは「戦後50年そのとき日本は」という連続の特集を組んでいる。その中に「東大全共闘・・26年後の証言」というのがあった。私は残念ながら見ることができなかったが、最近本になって出版され、読むことができた。
東大全共闘、民青のメンバーや、大学側、警察側の関係者の証言を集めて、東大闘争を再現し、当事者の現在の眼から見た姿を明らかにしようとしたようだ。
橋爪大三郎、今井澄(社会党参議院議員)、最首悟、三浦聡雄(当時民青、東大民主化行動委員会議長、後に共産党を離党)、町村信孝(自民党衆議院議員)ほか20名以上が実名で登場し、闘争の経過を振り返りながら、現在から見た闘争の意味を語っている。
医学部の不当な処分問題から始まり、全学スト、機動隊導入、新左翼諸派、民青の介入、安田講堂封鎖、内ゲバ、封鎖解除、入試中止、と続く経過を追いながら証言で綴られている。特に松田忠(仮名)の手記により経過を追いつつ、一般学生が如何に運動に参加し、挫折し、運動終結、就職後に自殺をしていった「青春」をだぶらせながら。
さらに「東大全共闘のその後」ということで、この時代を生きたそれぞれのその後を追い、運動の経験とその後の生き方をつないでいく。三浦の証言によれば、東大闘争当時の民青執行部の中から72年頃「新日和見主義」と共産党からレッテルを貼られた部分が生まれ、党から追われることになり、共産党から距離を置くようになったという。
一面運動に非常に好意的な印象があるが、インタビューに参加したディレクターは全員が30歳を越えたばかりの世代だそうで、「全共闘世代への思い入れも呪縛も存在しなかった」という。「私たちは全共闘とはなんであったのか、それが戦後史に何を残したのかを問うことをやめ、学生達が時代に対し、闘争の局面に対して何を感じ、どう判断したのか描くことにした。ある意味では価値づけ、「総括」を放棄したのである。」と語っている。

<総括を困難にしているセクトの存在>
こうした結論にたどりついたわけは、証言者の中から共通の「総括」のようなものを抽出できないことから、こうした方針で番組作りをしたというわけである。
「ポツダム自治会解体」を叫び、「直接民主主義」を掲げた全共闘という「組織」は、最後には70年安保を目標にした新左翼諸派の運動の舞台となり、自らの総括を組織的に行えず、まさに「解体」したということだろうか。ここにもどうやら「世代の総括」を困難にしている問題が横たわっているようだ。安田講堂の興亡も篭城した大半は全国動員のセクト部隊だったというし、それに参加した一人の個人の体験は、セクトとの関わりなしには語れず、それらセクトは少ないながらもその命脈を今の保っているとすれば・・・。 「前衛党」(アサートの紙面に登場するのも久しぶりの言葉だが)の呪縛はここでも、「世代の総括」を邪魔している。個人が個人の責任において証言し、歴史を語る作業が困難な運動、組織に残らなかったら「裏切りもの」となる閉鎖組織、こうした組織が「世代の総括」を邪魔しているわけである。

<固有名詞で語れる歴史こそ>
68年から69年のこれらの闘争に全国延べ200大学35万人が参加、1万5千人が逮捕されているという。証言にとどまらず文学の世界でも、三田誠の小説以外にあまりこの時代を語る書物は少ない。数年前一時「全共闘回顧ブーム」がマスコミを賑わしたことがあったと記憶しているが。
70年代以降、新左翼ならずともいろいろなグループが存在し、その後も少なくとも東西冷戦の終結、ソ連の崩壊などころまでは「組織」の体をなしていたことだろう。著名な指導者の証言などに頼ることなく、「自分の運動」を語る、明らかにする作業は一人一人の責任ではないか、と思うのだが。
と、ここまで来れば、私が言いたいことは何か。お分かりのことと思う。一つの時代は終わったが、その時代を引き継ぐ我々の思想とはどんな内容か。個人の証言や意見を積み上げ、共同作業で明らかにしなければならない。私たちの周辺についても同様である。
私も今年43才。いろんな運動に関わって25年が経過しているではないか。アサートの編集も前紙を含めると15年くらいになる・・・私は大学紛争以後の入学なのだが自分自身の「世代論」も気になる年頃で、こんな文章になりました。
アサートがこうした議論のステージになればいいと考えるのですが。

****「与党的立場」について****
<与党的立場について>
最近少し気になっている。「与党的」な発想に立ち過ぎていないかと。もちろん私自身がである。93年の総選挙で反自民の連立政権ができた。連立政権に期待もしたし、社会党も「与党」になった。そして一昨年6月には自社さ連立政権が突如生まれ、社会党委員長が首相になった。自分の所属する組合が村山前首相の出身組合であったこともあり、村山政権には「好意的」であった。連合の旧民社系労組も支持しているとしても、公明+小沢の新進党には「一片」の期待も評価もできなかった。
しかし「被爆者援護法」「戦後50年決議」「平和のための国民基金」そして今回の「住専」問題。純粋野党にはなれないとしても、「与党的」な発想もそろそろ限界かな、という思いがありつつも、基本的には労組を舞台に運動をしなければ、とは思うのだが。

<社会民主党にはもはや期待はできないか?>
日本社会党は、「社会民主党」に変わった(?)。単なる看板の書き換え、そのものだったが、村山委員長は「これを新党とは呼ばない」と、社民+さきがけでの新党結成に向けて努力するという。正直なにがなんだかわからない、というのが本当の気持ちではないか。「社会新報」は昨年12月で発行を止めたというが、2月も中旬になるというのに、新しい党の機関紙はまだ発行されていない。ただ、性急な結論や決め付けは止そうと思う。評価するにはまだ早いような気がするからだ。住専問題で総選挙、というシナリオも案外遠のく可能性もあるし、自社さ連立政権もまだ続きそうな気配だから、社民+さの「新党」つくりを少し見守るのも大切かな、とも思うからである。

<住専問題での社民党の役割>
2月の第1日曜だったか、NHKが徹底討論と題して特集を組んでいた。その中で久保蔵相が、徹底した情報公開を明言し、責任追及抜きの公的資金投入はありえない、と言ったとき、すこし「社会党らしさ」がでているのかな、と感じた。
現在マスコミが「血税を使うな」とか「銀行と農協の損失のために、国民の負担は出来ない、法的破産を」とキャンペーンを行っているが、一種「ガス抜き」の匂いも感じている。
公的資金投入のみが問題にされているが、リチャード・クーの最近の著書「投機の円安実需の円高」の中で「銀行の不良債券問題で公的資金を使うかどうかについて、日本のマスコミはあれだけ騒ぎながら、日本の輸出業者の補助金である為替介入には、月間1兆円規模で公的資金が使われているのにも関わらず、誰も何も言わない。しかし、公表されているだけで日本政府の外貨準備に発生している為替差損は9兆円にものぼるのである。」「米国や台湾でも、外貨準備に為替差損が発生したら、担当者は議会にしょっぴかれて国民の資産をドブに捨てた責任を厳しく問われる」という指摘をしているが、環境破壊の「長良川河口堰」や食管法による農業保護など「公的資金」の使われ方も、同様に扱ってほしい、と思うのは私だけだろうか。
不良債券総額40兆円以上と言う中で、公的資金導入という手法そのものだけに議論が収斂していいものか、どうか。土地の流動性が止まり、右方上がりの地価上昇が当分ないとしたら、危機脱出のための「適正な国民の負担」とは何か、大蔵省の機能の明確化、組織的改編、金融システムの再構築などの長いスパンでの議論を進めるべきではないか、と私は思う。(責任者の処罰、自己責任は当然の上での話だが)
タイミングよく経済企画庁は、「景気は回復基調」と2月月例報告を出し、住専問題を誤ると景気回復に支障が出る、みたいなムードもにじませながら、新進党の及び腰も見透かして、「住専処理」を進めようとしているようだ。
ここでこそ、社会民主党の、久保蔵相の見せ場だと思うのだが・・・

<制度政策が大事、という議論>
昨年の統一地方選挙では、「オール与党」体制への批判が強かった。連合も反自民・反共産というものの、連立政権以来「与党」への執着は強い。そこで「制度政策」が出てくる。確かに「制度政策」の研究は、連合総研などで積み上げられているように思う。
しかし、現場で使い物になる「政策」はなかなか見えてこないのが実態であるし、もちろん現場の我々にも責任はある。個々の政策という点もあるが、基本的な「総予算」をどう配分するのか、ということ、それが勤労者国民にどのような短期・長期の利益をもたらすのか、まだまだ「官僚による予算分配」の結果に対して注文を付ける程度になっていないか。「与党経験が浅い」のも確実な原因だが、そろそろ「眼に見える、実感できる政策が求められているのではないか」とも思うのである。

<与党・野党という分類から脱却できないか>
与党は責任があるが、野党は無責任、みたいな議論。これはもう時代遅れなのではないかと思う。与党の社会民主党の「住専」問題への政策では、パンフレットすら見ていない(出ているのかも分からない)。与党に隠れて違いがはっきり出せないなら、「新党」議論など、話題にもできないのでは・・・と最近「与党的立場」に慣れすぎしまった私自身の愚痴とお聞きいただければ幸いです。(1996-02-14 佐野秀夫)

【出典】 アサート No.219 1996年2月21日

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【投稿】 住専問題と母体行責任

【投稿】 住専問題と母体行責任

<<「金融秩序」破壊者の公的救済>>
このところのトップニュースは常に「住専」関連が占めている。なにしろ、住専の一次損失処理に国民一人当たり5500円、さらに二次損失処理にも最低5000円以上の財政負担をして、一人当たり1万円以上の税金を投入する、しかもそれが今後どこまで膨らむか分からないというのであるから、庶民の怒りが沸騰するのは当然である。
そして次々に報道される内容は、住専のあまりにもずさんな経営実態、大手都銀・母体行の無責任体質、農協系金融機関の審査能力ゼロに等しき野放図な融資、大蔵省、農水省、政府高級官僚、与野党政治家が一体となったこれら金融機関との秘密取引、天下り、自らの失政の国民へのツケ回し政策が具体的に暴露されてきている。
阪神大震災の被災者には私有財産面での救済はできない、と公的資金の導入を拒否しながら、民間営利団体である住専や金融機関、それにつらなる借金踏み倒し企業、悪徳業者、暴力団までも、結果的には「金融秩序の維持」の名の下に、「金融秩序」をぶち壊し続けてきた張本人達を公的資金で救済するというこの巨大な落差、そこに横たわる許しがたい不公平、不公正が誰の眼にも歴然としてきたといえよう。

<<母体行紹介の9割以上が不良債権>>
今回の問題の最大のポイントは、「貸し手責任」論で逃げ得を図ろうとしている母体行であるが、それが逃げ得では済まされなくなってきたことである。住専7社の事業向け貸付金の内、32.5%が金融機関からの「紹介融資」であることがすでに明らかになっているが、2/6の衆院予算委員会、大蔵省の西村銀行局長は、「母体金融機関の紹介分の内、債権者ごとの集計によれば、不良債権となっているのは、1兆5734億円、91%です」と、答弁せざるを得なくなったのである。この紹介融資の責任について、銀行側はかねてから「案件を持ち込んだというだけで、一律に責任を問われることには賛成しかねる」(橋本全国銀行協会会長・富士銀頭取)と反論していたのである。しかし紹介融資の9割以上が不良債権であることは、いかに母体行側が人的にも資金的にも経営を支配してきた住専を不良債権のゴミ処理場として利用してきたかを如実に物語っている。
さらに2/6に発表せざるを得なくなった、91年秋から92年夏にかけての大蔵省の住専7社に対する立ち入り調査報告書は、「融資状況を見ると、ラブホテル、パチンコ店など住宅に全く関係のない業種への融資が多い、これは母体行からの紹介案件がほとんどである」ことを明らかにしている。そうしてこうした融資については、「ほとんど無審査状態」であり、「個々の取引状況は極めて不適切、債務者の実態把握についても不十分、通常では考えられない仕振りとなっている。貸付業務を専ら行う会社としては危機的な状況である」等々、母体行側が住専をトンネル会社として悪用してきた実態が浮き彫りになっている。

<<住専の甘い汁への「覚書」>>
母体行側の第二の問題点は、農林系金融機関との関係である。
住専7社の借り入れ残高の推移を見ると、農林系金融機関からは、91/3末で約4兆9000億円が95年には5兆5000億円に増大しているが、一方、母体行からの借り入れは同期間に4兆5000億円から3兆5000億円へ、逆に約1兆円減少している。ところが母体行側は、91-92年の住専の第一次再建計画で、危機感を感じて資金引き上げを検討していた農林系金融機関に対して、「融資残高維持」を約束し、同時に「再建は母体行が責任を持ちます」「これ以上負担をかけません」といって、融資を引き上げないよう要請、93/2には農水省と大蔵省が「再建には母体金融機関が責任を持って対応する」とした「覚書」まで結び、これを保証していたことである。その裏で母体行側は、バブルの破綻を農林系金融機関に押し付けて、自らは巧みに融資を引き上げていたのである。
すでにこの時点で破綻に瀕していた住専は、解体処理すべきだったのである。それを銀行、大蔵、農水省が一体となって、住専の甘い汁(ずさん融資、高給天下り、ゴミ捨て場等々)に群がり、かれらの権限を超えた「覚書」をまで交わし、責任の転嫁と問題の先送り、拡大をはかり、その結果として、95/8の立ち入り調査時点では住専7社の不良債権総額は8兆1300億円へと約2倍に膨張させてしまった。

<<税率わずか1.8%>>
住専の経営破綻を尻目に、大手21行の94年度の業務純益は2兆7679億円にも達し、さらに95年度は9月期の業務純益が約2兆5000億円、通年では4兆4000億円を超えて過去最高の純益を上げることが確実となっている。そして大手21行のためこみ利益である内部留保は、貸し倒れ引当金を合わせると21兆円を超え、三和銀行一行の内部留保だけでも1兆8608億円にも達している。
それは、90年に6%だった公定歩合が91/7以降徐々に引き下げられ、95/9にはついに史上最低の0.5%にまで引き下げられた政府・日銀の一方的で強制的な庶民の預貯金の金融資本への所得移転政策の結果でもある。銀行預金の残高が約500兆円に達している現在、銀行資本全体で約25兆円の「濡れ手に粟」の文字どおりの不労所得が流れ込んだのであるが、それは預金者からむしりとったものといえよう。
ところが、大手21行の94年度申告法人税額は508億円にしかすぎず、業務純益の1.8%しか払っていないのである。それは住専一次損失処理、母体行などの負担分、国税・地方税など合わせて2兆9000億円近くが無税扱いとされ、過去3年半で不良債権償却での税免除額は3兆6000億円、その上2兆6000億円もの巨額減税が行われ、来年度は税金を全く払わない大手銀行も現れようとしている。

<<「不誠実のきわみ、倫理感のかけらもない」>>
全国銀行協会連合会会長は「公的資金導入を頼んだ覚えはない」と開き直っていることに対して、加藤紘一・自民党幹事長は、「不誠実のきわみである。ここまで事態を放置してきた大蔵省の責任も大きい。債権償却特別勘定の措置は、実質的な公的資金の導入であり、国税庁と大蔵省に実態を明らかにさせたい。また、金融行政を聖域とし、大蔵省だけに任せてきた我々政治家の責任も大きい。真摯に反省する」(1/30朝日)と発言し、後藤田元官房長官は、「不良債権問題を見ても、金融機関は、まったくふとどき千万。倫理感のかけらもない。しっかり反省してほしい」、さらに梶山官房長官は、「国家・国民に対する背信だ」とまで述べるに至っている。いずれも過去現在とも政府・自民党の幹部であり、事態に大きな責任を負っている当事者でもある。
さらにいえば、住専の垂れ流し融資に道を開いた「総量規制」を決めたときの自民党4役は、首相・海部、幹事長・小沢、政調会長・加藤六月、総務会長・西岡武夫、いずれも全員、住専問題追及に腰くだけとなっている現在の新進党幹部である。
銀行側に言わせれば、膨大な無税措置の見返りに自民党や新進党に他の大口に比べても相当に巨額の政治献金をしているではないかというわけである。しかしそれは政党や政治家の買収行為以外のなにものでもない。「公的資金の導入を頼んだ覚えがない」というのであれば、即刻、母体行側が無税措置と超低金利でためこんだ資産の一部を取り崩すだけで、住専問題は直ちに解決できるのである。そしてこの問題解決の最も現実的で唯一の道はそれ以外にないのである。

<<大蔵省の分割・解体>>
しかし問題解決をそれで終わらしてはならないであろう。このような事態をもたらした日銀・大蔵省・金融資本が一体となった日本の金融行政そのものを、独占支配・情報非公開・「護送船団」方式から、分権自治・情報公開・民主的コントロール方式へと大胆に転換させなければならない。
その意味では、今ようやく論議のそ上に上がってきた大蔵省の分割・解体は、絶好の機会といえよう。大蔵省が、信組の破綻、住専や大和銀行事件など一連の金融問題、不良債権問題からジャパンプレミアム、「公的資金導入」で相次ぐ失政を重ねてきたのは決して偶然ではない。徴税・予算配分・金融行政を一手に集中してきた独占の弊害と腐敗の必然的な結果なのである。大蔵省の金融調査部や銀行局、証券局などを分離し、大蔵省から独立した「金融監視委員会」を設ける案、さらには大蔵省から独立させた「金融庁」、「歳入庁」、「予算庁」構想等々が提起されているが、それらが、逆に組織や権限が拡大する「焼けぶとり」にさせるのではなく、それぞれに独立した分権と自治、徹底した情報公開、納税者を主権者とする民主的コントロール下においた徹底した改革こそが問われているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.219 1996年2月21日

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【投稿】教育も、「変わらなきゃ」

【投稿】教育も、「変わらなきゃ」

1995年も、「いじめで自殺」報道が絶えなかったし、96年も初頭から、神戸で犠牲者が出てしまった。その1月9日の新聞を読みながら、深い悲しみと同時に、ため息がもれた。小、中、高問わず、いじめが原因で自殺する。不登校、中退、いじめ、最近の教育を語る時、誰もが口にする用語だ。そう語りつつ、有効な手が打てていない。
文部省も各教育委員会も、必死に研修をしたり、通達を出したりしているが、現状は深刻になるばかりだ。もっと抜本的な方策を採らなくては、子どもたちを救うことはできない。日本の教育は、もっともっと「変わらなきゃ」いけない。
「学校5日制」が導入されたとき、「明治以来の学校改革」といわれ、「学校は変わる」「学校は変わらなければいけない」と、推進者たちは言った。しかし全国的レベルでのめざましい成果は、残念ながら上げられていない。そして、95年・96年「教育改革」が提唱されている。内容のともなった改革にするためには、学校現場が、子どもと日々接触している教師が、変わらなければならない。こんな陳腐な表現をあえて使うのも、「教師」という立場にいると、「変わらなきゃ」と思っていても、「変われない」ことが随分多いように思うからだ。小学校に勤めているわたし自身の実感である。
「個性を大切に」と言いながら、朝礼や体育の時には「前にならえ!」--新しい年を迎えて、わたしは、この「前にならえ」をやめようと考え、担任している子どもたちに話した。教師には「民主主義者」を自認している人が多いが、子どもたちにとっても「民主的」かどうか、日々の教育活動を検証してみる必要がある。「前にならえ」は、明治以来の方法だし、「体罰」も法的に禁止されているにもかかわらず横行している。
学校の主人公は子どもたちであるはずだ。その子どもが、学校に来れなくなったり、やめざるをえなくなったり、学校のことが原因で命を絶ったり、非常事態である。
自己変革も含めて、学校を、教育を、変えていきたいと思う。
(大阪・田中 雅恵)

【出典】 アサート No.218 1996年1月20日

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【書評】〈いじめ〉とコミュニケーション論の視点

【書評】〈いじめ〉とコミュニケーション論の視点
     尾関周二『現代コミュニケーションと共生・共同』(青木書店、1996.6.26.)

本書は、コミュニケーション論を基点に現代日本社会の歪みを批判的に論じてきた著者の焦眉の諸問題にかんする論集である。そのキーワードは「豊かな社会」「情報化」「国際化」「共生」であり、著者は、これらのキーワードが有する固有の問題性が、思想の問題としては〈コミュニケーション〉という結節点に絡みあっていると見る。そこで本書では〈コミュニケーション〉の問題状況という切り口から、これらの諸問題の解明をめざして「現代日本におけるコミュニケーションの諸相を全体として思想の問題として考察する」ことを試みる。
さて本書を貫くもう一つの大きな問題意識は〈いじめ〉の問題である。〈いじめ〉が現代日本社会のかかえる大問題であることには異論がないと思われるが、〈いじめ〉について今までにない関心が生じたにもかかわらず、現状では依然として対症療法的な議論にとどまっており、その原因・背景の解明にはほど遠いと言わねばならない。このことは、〈いじめ〉問題の解明・解決を妨げている力それ自身がまた〈いじめ〉問題を生み出している要因であることを示唆している。本書では、かかる問題意識を踏まえて〈いじめ〉問題に集中的にあらわれたものが、実は現代日本社会の構造の反映であることを指摘する。
従って本書で最重要なのは、第一章「『豊かな社会』のコミュニケーション疎外・・・〈いじめ〉の根本的克服のために」である。この章では、現代に急速に変容しつつある〈コミュニケーション〉の視点から、家庭コミュニケーションや学校コミュニケーションのあり方とそれを規定している社会的なコミュニケーション構造(精神構造)のなかで子どもを取り巻く状況を分析する。それによれば子どもの遊びの状況が、「群れ」から「孤独」へ、「活動型」から「静止型」へ、「自発」から「受動」へと変質してきた(「現実の遊びも、そして遊びの欲求も、室内で、一人きりで、受け身の形で過ごす型の遊びに集中している」)こと、しかも「テレビの普及と遊び仲間の失われていくことがリンクしている」ことが注目されねばならない。それ故「今日の〈いじめ〉の一面として、共同性欲求、コミュニケーション欲求の充足の疎外された形態がそこにはみられる」とされる。   そして〈いじめ〉が陰湿・陰険・残忍であることの底に子どもの「重たい恨み心」(ルサンチマン)が存在することが指摘される。すなわち成績崇拝主義や競争主義によって長期間にわたって痛めつけられ、自尊心を深く傷つけられた子どもたちは、他者の苦痛に対する共感を失い「いけにえを必要とする『恨み遊び』によって陰鬱な気分を発散させるのである。「今日の〈いじめ〉とは、ある特定個人に対する共通の排除行動によって各人の恨み心を発散させる(「スカッとする」「おもしろい」)と同時に、疑似共同的関係の確認をする行為である」。つまり〈いじめ〉は、本当の友人が欲しいという人間本性に根ざすリアリティを持った欲求と、現実の激しい能力主義的競争においてすべての人間を手段か敵であると見なす同じ程度のリアリティを持った観念との間での(すなわち仲間関係と抑圧関係との)「矛盾した相互行為」なのである。
これに対しては「友愛のある平等な仲間関係」の育成、換言すれば「共同性欲求が適正に実現された親密な友だち関係こそが真に〈いじめ〉を批判的に克服する力をもつ」。しかし現実には「この現代の〈いじめ〉はこの欲求が適正に実現されないがゆえにまた発生している」というパラドックスな状況こそが問題なのである。
というのも、この〈いじめ〉の背後には、一方では先進資本主義国に共通する「大衆社会の『コミュニケーション』の物象化」状況(近代的アトミスティックな自我よりも、関係のメカニズムの方が前面に出て、社会関係の「システム化」が進行する)が存在するが、他方では特殊日本社会的なものとして企業社会の競争構造(「特殊日本的な〈労働〉のあり方)があるからである。
すなわち「日本型〈労働〉に発する過剰な競争原理は、職場における日々の〈精神的殺し合い〉や〈カローシ〉を生み出し、学校においては、この〈精神的殺し合い〉は、肉体的抹殺をもたらすような〈いじめ〉を生み出しているのである」。「精神的生活過程のコミュニケーションにおける病理現象としての〈いじめ〉は、物質的生活過程の異常に競争主義的な〈労働〉と内的な関連をもっており、この〈労働〉が再生産する社会制度によってその深刻さが加重されている」のである。従ってこの精神的・物質的社会構造の転換抜きには〈いじめ〉の根絶はあり得ない。ここに日本資本主義の進路にかかわる問題が提起され、同時にさしあたっての学校コミュニケーションのあり方としては、市民的公共性のコミュニケーションの力(学校の社会的・物的条件の改革のための合意形成の運動)の強化が主張される。
さてかかる問題意識を踏まえて、今日の情報化・コンピュータ化が、一方では資本の自己増殖の一層の効率化に貢献するアスペクトと、他方で脱資本主義、民主主義の徹底へと向かう諸条件の蓄積というアスペクトの両面から考察される。そしてその中で過剰な商品依存社会からの脱出と管理主義強化(システム化による「科学的」管理)の問題が、また新たな共同体といわれている「電子コミュニティ」とこれに伴う近代主義的文化・自我の変容が検討される。(第二章 『高度情報化社会』と情報的コミュニケーション・・・電子コミュニティの光と影)
また「国際化」に関しては、今日の「日本の『国際化』論は日本『国家』論でもある」ことが指摘され、「国際化」問題の二つの側面・・・情報的コミュニケーション(情報化のグローバル化)と、文化コミュニケーション(異文化理解、文化的人間的交流)・・・のギャップ・落差の大きさこそが問題であるとされる。この場合日本人のメンタリティの大きな特徴は、日本型順応主義(没主体的な集団性、異質なものの集団的排除、同質性の強要)であり、この面から見れば、学校での〈いじめ〉問題と日本人の「国際化」問題は内的には非常な関連があると言えよう。こうした意識構造を生み出す母胎としての日本型企業主義と国家主義(単一民族論等)に対する批判が急務であるとされる。(第三章 『国際化』と異文化コミュニケーション・・・日本型順応主義の克服のために)
そして以上のようなさまざまな問題や歪みをはらんだ人間関係への対抗理念として、本書では「共生・共同の理念」が提唱される。「共同」「共生」の理念とは、人間関係の二種類の側面・・・共同体内の成員間の交渉関係(同質性を前提とする共同関係)と、異なる共同体間の成員との交渉関係(異質性を前提とする共生関係)・・・に対応する。これら二種類の理念が相互に補完的な性質を持つものであることから、共同体内の人間関係を律する「共生的共同」(同質性を前提としながらも異質性の存在することを認める)と、異なった共同体間の人間関係を求める「共同的共生」(異質性を前提としながらも同質性・連帯を求める)が導き出される。この同質性と異質性の織りなす中に真の人間的関係を打ち立てようというのが「共生・共同の理念」であるとされる。(第四章 共生・共同の理念・・・「リベラリズムを超えて」)
ここから本書では、人間と人間との関係から人間と自然との基本的関係の考察に移り、コミュニケーション的態度で自然に対することを提案する。そしてその際に自然に対する労動的な態度との連関を考察する。(第5章 人間と自然の共生・・・自然への共生的態度)
このように本書は、コミュニケーション論の視点から現代日本社会の構造をあぶり出そうとするものであるが、この一見ユニークな視点はまた、問題を論じる視点の重要さそのものを再認識させるものである。このことは、著者が指摘する利潤至上主義的経済システムにおける〈労働・搾取〉と、偏差値至上主義的学校システムにおける〈コミュニケーション・いじめ〉構造との相乗作用を見るとき明らかであろう。ただし本書で提唱された「共生・共同の理念」や「人間と自然との共生」等の概念については、まだまだ今後深化発展させられる必要があろう。しかしこのことを差し引いたとしても、現代日本社会の諸問題に対してコミュニケーション論の視点を打ち出したことの意義は大きいと言えよう。(R)

【出典】 アサート No.218 1996年1月20日

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【映画紹介】「三たびの海峡」

【映画紹介】「三たびの海峡」

題名と主演「三国連太郎」に惹かれてこの映画を観た。予想以上の感動が胸を包んだ。映画の出来もさることながら、出演者の作品に対する思いがジワーッと伝わってくるのである。
APEC前の日韓関係、アジア外交にとって大事なときに、江藤長官の不見識な発言があり、金泳三大統領との首脳会談さえ一時危なくなりかけた。戦争中の日本の非を謝罪したかと思うと、閣僚達の時代錯誤な考えられないような発言が飛び出し、首相までがおかしな発言をする。私ですら、腹立たしくなって来る。口先だけの謝罪と思われてもしかたないような度重なる反省のない態度、間違った歴史認識・・・この背景には日本側にアジアの人々に対する傲慢さや過去の歴史への真剣な反省のなさがあるように思う。それは相当に根強く、戦前、戦中派の中国や韓国の人々への蔑視、それに連なる若い人々の差別観が後を絶たないように思える。「日韓併合は、韓国の発展に役立った」、「南京大虐殺はなかった」、辛酸をなめた人々が激怒するようなことを平気で言う。せめて入閣する前に基本的な政治姿勢については、一人一人テストをして大臣に就任して貰いたいものだ。そんな気持ちを胸に抱きながら映画館に入った。
映画の主人公-河時根(ハーシグン、三国連太郎)は、強制連行されて日本に来た。何度も死と直面するが、生き抜き、日本の敗戦、解放直後に日本人の妻千鶴を連れて、故国へ帰る。しかし千鶴は彼の故郷の人々に受け入れられず、彼にも知らせず子どもを連れて日本に帰る。
その後、河時根は懸命に働き、現在は会社の会長職にある。そんな折、日本から、徐鎮徹(ソジョンチョル、風間杜夫)が訪ねてくる。50年前、河時根達を高辻炭坑でこき使った山本三次(隆大介)が、「長峰市」の市長選挙で炭坑跡に残るボタ山を崩して企業を誘致すると公約している。そこには多くの強制連行されてきた仲間たちが、過酷な労働の中で息も絶え絶えにこき使われ、山本三次たちに殺され、あるいは自殺し、また逃亡に失敗して虐殺された、故郷を夢見ながらついに夢絶たれた仲間たちの手作りの小さな墓が、墓石がまだ数多く残されているはずである。河時根は意を決して、三たび海峡を渡る決意をする。
河時根を演じる三国連太郎は、阿川佐和子さんとの対談で(週刊文春11/9号)、「重いテーマの映画を撮るときはホモ的感覚で監督を愛しています」と語り、シナリオの書き換えに熱を入れたこと、祖父や父のことについて「祖父は棺桶作りを職としていたんです。でも、小さな村ですから、そんなに注文があるわけじゃない。暇をみては、これは今では差別用語になりますかね、隠坊という火葬場の世話をする係をしていました。
・・・僕らが通ると、途中の集落の人たちが、急にみんな、家ン中に入っちゃう。声もかけてくれないという、妙な出来事がありました」、「親父が地方を渡り歩いて、定住しませんでしたから、決して、温かい目で見られませんでしたね」、その父が入院して「生まれの話だとか、シベリア出兵の話だとかを聞いたわけです。それで、僕がぼんやりと覚えていたいろんな事件をはっきりと認識できていったんです」と語っている。三国連太郎の原点、映画にかける思いが伝わってくる。
隆大介は、浮島丸事件を扱った映画「エイジアン・ブルー」とは逆の立場で出演している。韓国の新人・李鐘浩の好演、スター歌手・張銀淑が唱う主題歌、その熱い思いに目も耳も離せなかった。(11月11日~松竹洋画系公開中)
(田中 雅恵)

【出典】 アサート No.218 1996年1月20日

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【投稿】96春闘を迎えて・・・依然厳しい状況

【投稿】96春闘を迎えて・・・依然厳しい状況
                      –・問われる日本的経営の限界–

各組合では96春闘の準備が始まった。しかし今年も湿ったムードが漂っている。昨年は「阪神大震災」の影響もあったが、全体に押し切られた。部分的に好況産業でも、それを反映しない「低位平準化」の傾向が支配した。96春闘はどうなるのか。

<日経連 4年連続のベアゼロ提唱>
1月12日日経連は、臨時総会を開き、労働問題研究委員会報告を採択している。その内容は、雇用維持が最優先であり、4年連続のベアゼロを提唱。具体的には①雇用維持が最優先で臨み、支払い能力があるところはまず雇用維持し、次に賞与、一時金で配慮する。②生産性向上が見込めない場合はベアは論外。③一律の定期昇給を見直し、能力・業績給を拡大する。④初任給の据え置きに言及。などが主な骨子である。相も変わらぬ生産性向上基準原理である。そして現状では生産性向上分は賃上げではなく「雇用維持」の原資に使うべきで、ベースアップには使うべき状況にない、という主張である。
さらに「日本の賃金は世界一の水準である」との論法から、「勤労者の生活水準の向上は物価水準の是正で行うべきだ」と主張する。もっともらしく聞こえるが「日本の物価は世界一だ」ということを忘れているらしい。

<連合中央委員会 1万3千円要求>
同日連合は、第1回拡大中央闘争委員会を開催し、「ベアゼロ」は認められないと1万3千円を基準に4~5%の賃上げ要求を決定し、3月21日前後の山場に向けて闘争をスタートさせた。昨年の春闘が春闘史上最低の2.83%(労働省調べ)で、連合結成以来の「敗北春闘」の連続からどう転換していくのかが焦点になっている。
しかし昨年もあったことだが、個別賃金ということでベアの発表が若年層の低い賃上げが公表された例があった。せめて組合側は「隠し」のないことを願いたい。

<個別企業で進む賃金政策の変更>
一方、春闘低迷の影で、個別の企業では人減らしが進むとともに、賃金制度の変更が進んでいる。特に日本的経営の特徴であった年功賃金にかげりが生まれ、年俸制や業績給の導入が始まっている。さらに中高年から賃金カーブが鈍化するともに、ホワイトカラー層の人減らしが特徴となっている。有効求人倍率が5割を切る状況の中で個々の現場では雇用環境の変化が深刻になっている。連合に結集している労組は多くが大企業であり、比較的労組の発言力、決定力が存在しているので、こうした傾向は一挙に進んでいるわけではないが、着実にこうした傾向は強まっていると判断できる。

<依然解消されないバブル後遺症>
春闘議論から脇道に逸れることになるが、日本経済の「危機」もまた議論しておくべきであろう。雇用と賃金のベースである経済の状況が極めて深刻だからである。バブル経済は破綻したが、その後遺症は特に金融機関の不良債券として、またバブル期の企業の拡張政策の失敗による資産と経営機構の整理がはたして進んでいるのか。現在国会では住専(住宅金融ノンバンク)の不良債券処理案が議論されているが、これはまだ一部に過ぎないからである。低金利の中で経常利益こそ銀行に蓄積されているが、それをはるかに上回る不良資産が手付かずで残されている。
低金利時代で新聞にはたくさんの不動産広告が入るが、私の回りでも最近家を新築・購入したという話はない。先行き不安が購入を渋らせている。「内需拡大の為の賃上げ」と言っても、消費マインドも冷えきっており、たとえ賃上げがあってもそれが消費に回ると組合の主張はあるものの、全体を覆っている空気は明らかに冷えきっているのではないか。電機・半導体などの一部産業で好況が伝えられているが、経済全体の底力は依然として低迷している。

<一体感のもてる春闘に>
業界横並びで賃上げを獲得してきた春闘方式もすこし陰りが見えてきたようだ。組合側が弱いからとか、労使協調だからという批判だけで果たして打開できるものだろうか。ストライキによって打開できるものでもない。個別企業運動だけに収まり切れない上記の問題を打開する政策と運動が求められているように思う。
さらに運動論的に言えば、春闘のいいところは、みんなで闘うところだと思う。大企業も中小企業も、組織労働者も未組織労働者も。連合96春闘の結果が全体に波及していく力。そこに労働組合の「連帯」が問われている。(96-1-15佐野秀夫)

【出典】 アサート No.218 1996年1月20日

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【投稿】政局等々、雑感-年頭にあたって

【投稿】政局等々、雑感-年頭にあたって

<政局に関して>
[村山首相の退陣]
1996年が明けて、早速、ビッグニュース村山総理大臣の退陣が報じられた。この原稿を執筆したのは1月6日。何畝、激しい流動化の時代、このアサートが発送された頃には、またもや大きな出来事があれば許されたい。
この村山総理大臣の退陣を論評する前に、村山内閣そのものに対して評してみたい。村山内閣が発足したのは、94年6月。非自民・細川連立政権から、その後の羽田内閣への変遷の過程で、当時の社会党との連立のための基本政策協議の中で、新生党小沢幹事長を中心とした旧連立与党側が、社会党に対して「ここまで来い、来い」と言わんばかりに強引に譲歩を迫り、その挙げ句の果てに、一方的な統一会派「改新」の旗揚げ。これに業を切らした社会党と、この機に乗じた自民党が急遽、連立を組んだのが村山政権といえる。そういった意味で村山政権は、何か大きな歴史的流れの帰結として誕生した政権というよりは、自民党単独政権から流動的な連立の時代における偶然的要素により誕生したものと言える。それだけに、その政策はファジーで、およそ政治的には中間(中道)から右(保守)の間を振り子のように揺れた政権運営であった。例えば社会党首相と言えども、沖縄地位協定の問題やオウム事件に絡んだ破壊活動防止法適用、自衛隊合憲等、いわゆる常識的な社会党路線から大きく転換した政策を行ってきた。しかし、その一方、不十分とは言え、過去の侵略行為に対する謝罪と従軍慰安婦の補償問題、水俣病賠償問題、被爆者援護法の制定等、自民党単独政権であれば更に遅れたであろう問題に一定の決着をつけたことは評価できる。
こうした村山政権が、ここまで維持できたのは、バブル崩壊後の重症的経済状況や国際政治経済における日本の基本的立場などの今日的重要課題に、誰もが抜本的な対応策を示し得ない中で、やじろべえのように揺れる政権であっても、また右からも左からも不満があっても、大きな波乱を呼び起こさないであろう「不安定性の中の安定性」に大きな理由があったのだろうと思われる。
しかし深刻な金融不安等がありながらも何らかの大胆な経済政策と、それに対応した新たな政治態勢が求められる今日、「不安定性の中の安定性」では対処できない状況が村山首相の退陣を呼び起こしたのであろう。村山首相自身が会見の中で、住専問題の今後の処理と新党問題(新たな結集軸)を退陣の理由に上げているのは、そのことを自ら感じ取っているからである。

[第三極-新たな結集軸について]
マスコミは、とりあえず自民党橋本首相の後、遅くない時期に解散・総選挙、橋本・小沢の対立を占っている。現状においては、常識的な予測とも思われるが、論評するなら、まさに先行きの見えない時代、何が起こるかわからないと言う一般的な指摘が一つ。
そして、もう一つは社会党新党問題-新たな結集軸について。昨年暮れに社会党久保書記長が、見切り発車的に新党結成の動きを見せたが結果的に頓挫している。例え看板を変えても余り、中身が変わらなければ国民から見て、第二社会党としか映らないだろうし、いかに時期に間に合わないからと言っても、広範な国民に信頼され得る政治勢力を結集するには「できるだけ広範に、時間をかけて」という統一戦線指向の意味で、村山委員長の主張を支持する。ただ何が「よりまし政府」の母体となり得るのか、その理念は何か、その具体政策はどうか、という意味では極めて不透明・曖昧である。
例えば「民主リベラル」をという理念も掲げているが、その場合、少なくとも「護憲」「平和創造」「人権」「安定成長」「ゆとり・豊かさ」と言ったことがキーワードになろうが、それが具体政策にどう反映され、どう具現化されるのかと言ったことがわかりやすく説明されない限り、もはや国民の関心・信頼は得られないのではないだろうか。特に、この具体政策を突き詰めて検討すればするほど、階層間対立は顕著となる。例えば、消費税についても税率のみならず、インボイス方式にするのか、今までどおりの帳簿方式にするのか、不況対策についても経営者への助成・融資を主体とするのか、労働者への様々な給付制度を創設・充実するのか、障害者・高齢者等の公的制度のあり方や労働者権利の制度的保障等々、明確な対応が求められる局面が多々ある。要するに筆者が主張したいことは、「社会党」「さきがけ」等の枠組み論議だけに終始するのではなく、できるだけ広範な勤労諸階層の支持を求めながらも、根本的にどういった階層に依拠した政治勢力の結集を図るかについての論議も怠ってはいけないと言うことである。
いずれにしても第三極-新たな政治勢力の形成は、あの政治改革に名の借りた小選挙区制の下で、容易なことではないが、この際、地道に院外形成を図ることも含め、粘り強い取り組みが必要だと考える。
なお蛇足であるが、新進党についての評価を。新進党もまた、この間の政界再編の中で、旧自民+公明と言うイビツな政党と言える。とりわけ公明-創価学会の影響力は大きなもので、決して自民党の公明バッシングに同調する気はないが、そのこと自体、否定し得ない事実である。公明の評価は、勤労者的な政策を一定、出している党派であり、その組織力には目を見張るものがあるが、しかし広範な勤労者を結集し、一歩、先んじた主導的役割を果たし得るかについては疑問がある。特に宗教法人法改正問題に絡んで、オウム事件に乗じて創価学会封じのための自民党の対応には、賛同しかねるが、ただ宗教法人一般に対する税制上の優遇措置は、不公平税制の一つに上げられるもので、これはこれなりの真摯な議論が求められるのではないか。いずれにしても新進党-公明に関して、今後の政局を占う上で、一方の大きな政治勢力としての動向には関心があるが、真に「よりましな政府」づくりの主導的役割としては、然程の関心は持てないと言うのが、率直な感想である。

<労働運動について>
労働運動の取り巻く状況は、昨年の震災・不発春闘から、今年も一層、厳しい雇用情勢の中で、大きな成果を上げることには期待感が薄い。とりわけ連合が、この間の春闘で敗北を重ねてきた大きな要因は、今までも言われ続けてきたことではあるが、経営側の結束に比して、産別自決の名の下、十分な統一闘争を組みし得ず、結果として個別決着に終始してきたことにある。今春闘で直ちに克服できる課題ではないが、少なくとも単なる打順・山場設定のみならず、具体的な産別連帯・産別連携の基本戦術の検討・提起が、新たな春闘構築として求められるのではないか。
ただ、これからの混沌とした政治状況の中で、連合としての主体的な政策発言力には期待したい。とはいっても、単に新たな政権にどう関るかと言った政治的なものではなく、具体的な労働者政策を提起し、積極的に各々の政治勢力に、その実現を迫る取り組みである。例えば減税、最低賃金の引き上げと遵守、解雇制限法の制定、派遣事業の規制、労働基準法の徹底と罰則規定の強化、労働組合の育成誘導策等々。こうした今までの「福祉・医療・年金」等の政策よりも更に、鮮明に労働者権利を制度的に守る政策を打ち出し、これらの実現を求めることがまた、連合運動の裾野を広げ、結束を高めることにつながるのではないだろうか。
また今日の労働運動を見る場合、連合・全労連・全労協と言ったナショナルセンターの枠組みとは別に、各々の労働組合の置かれている状況別に見ることもできる。つまり大企業を中心とした大単組、中小企業を中心とした労働組合、そして地域合同労組。更に、その下に多くの未組織労働者。いわば日本の労働運動は、こうした三層・四層構造にあって、特に中小労働組合や地域合同労組においては、依然として少なからず労働争議が頻発している。とりわけ地域合同労組は、今日の第三次産業への労働人口移動の中で、また派遣労働者、契約労働者等の多様な雇用形態の変化の中で、既成の労働組合では対処し切れない実質的個別救済も含めた取り組みを展開している。
今後、こうした柔軟で広範な運動形態に着目し、これを更に公然的・制度的に保障しながら広げていくことも、今後の新たな労働運動を展望する上で、また労働運動の質的転換を図る上で重要なポイントであろう。     (民守正義)

【出典】 アサート No.218 1996年1月20日

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【投稿】「もんじゅ」の即時閉鎖を!

【投稿】「もんじゅ」の即時閉鎖を!

<<動燃理事長「自信が持てない」>>
この1月13日に、ナトリウム漏れ事故を起こした「もんじゅ」の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の事故調査を担当していた総務部次長が自殺した。敦賀市現地の「もんじゅ」建設所はもちろん動燃本社ぐるみの事故の真相隠ぺい、ビデオ隠しの渦中での出来事であった。たとえ嘘いつわりであっても「同じことを何回も言っていると、それが事実だと思う人もいるんですね」と語っていたという。
動燃は当初、今回の重大で本質的な欠陥に基づく事故であることを隠し通すために、わざわざごく一般的な「事象」と言い替えたり、推定で2-3トンも漏れていながら、「漏れたナトリウムはごく微量」などと発表していた。ビデオの映像隠しが次々に暴露され、事態はきわめて重大な事故であることが明らかになり、大石・動燃理事長は「これ以上新たな事実が判明しないかどうか自信が持てない」とまで言わざるを得なくなった。「今回の事故で、日本の原子力開発は国民の信頼を失うという深い傷を負った」(伊原・原子力委員会委員長代理)のは当然のことである。

<<安全協定の完全な無視>>
それ以上に問題とされたのが、事故そのものへの対応である。事故は、12月8日、午後7時47分まず火災警報が作動して明らかとなったが、動燃から県への連絡は事故発生から50分近く経った午後8時35分、敦賀市へは同8時48分と、安全協定第6条「直ちに連絡」するを完全に無視するものであった。
さらに、原子炉停止を最終判断したのは実は午後9時10分のことで、それまではほとんど出力を下げていなかったのである。運転マニュアルでは「ナトリウム火災の発生を確認した場合、直ちに原子炉の緊急停止操作をする」となっていたにもかかわらず、出力低下操作優先のために3時間もナトリウムの漏洩が続き、その間の燃焼反応で一部では2000度近い高温に達していたことが明らかになっている。しかも事故発生現場の換気扇を約3時間も作動させ続け、火災を拡大し続けたのである。
福井県側は警報発生後、直ちに原子炉を停止しなかったことを厳しく批判し、福井県議会と敦賀市議会がそれぞれ開いた全員協議会では「もんじゅは閉鎖すべきだ」との意見が相次いだのは当然のことである。
動燃は、世論の厳しい追及の前に、事故情報の公開を約束しているが、事故発生から一次系の状態変化や二次系の流量の変化など事故記録は未だに全面公開されてはいない。

<<スプレー火災の恐怖>>
今回の事故が明らかにしたことは、半減期24000年、放射能の毒性が極めて強く、核暴走する可能性が高いプルトニュウムを燃料に、爆発の危険性がきわめて高いナトリウムを冷却材に使用するもんじゅは、運転を続ける限り、非常に重大な惨事を引き起こすことが確実であることを示したことである。
このもんじゅの内部には、ナトリウムが一次、二次冷却系にそれぞれ約760トン、原子炉内の貯蔵タンクに約160トン、計約1700トン、プルトニウムを1.4トンも抱えている。そして、一次系は約530度、二次系は約505度の高温ナトリウムが管内を秒速6m前後で流れているが、その配管は直径約56cm、肉厚は約9mm(軽水炉の場合、肉厚は約3.5cm)にしかすぎない。一次回路のナトリウムの温度は非常に高く、この高温と高速中性子による強烈な衝撃、さらに安定したナトリウムの放射性核種のうちいくつかが中性子を吸収し、放射性のγ線をを放出するナトリウム24に変換することにより、パイプ、バルブやその他の部品を腐食していくことが宿命となっている。
そして今回の事故は二次ナトリウム系配管が原子炉格納容器を出たところで起きている。温度を計測する枝管から漏洩したナトリウムが配管室の酸素や水分と激しく反応、炎上し、火災は3時間以上続き、漏洩量はおよそ2トンで、ナトリウムの粒子が落下して飛散する際に爆発的に反応するスプレー火災の恐怖が起きていたと見られている。反応生成物であるガス化した水酸化ナトリウムは地下4階から地上2階まで広範囲に拡散し、各種ダクトやケーブル、機器類、壁、床のコンクリートに付着している。これは強い腐食性を持っており、それによる損傷の回復は発見からして容易ではないものである。

<<「コストとの兼ね合いもある」>>
このナトリウム漏れについて、動燃のリーフレットでは「高感度の検出器を多数設置し、少量のナトリウムが漏れてもすぐ分かる」としていたが、今回のナトリウム検知器の性能について、実際は1時間で100グラムの割合で漏れた場合で24時間以内、今回のように100キロを超える漏れの場合でも検出までに15分もかかることが明らかになった。実際に事故の検出は、ナトリウムが漏れた後の爆発的な火災の発生による火災警報機の作動によって知らされたのである。動燃はこれについて「ナトリウムは一挙に大量に噴き出すことは考えられず、この感度で十分対応できる。コストとの兼ね合いもある」と説明している。安全など全く無視したコスト論まで持ち出しているが、そもそも検出器の役割など果たしていないに等しいものを、「漏れてもすぐ分かる」などと大嘘をついていたのである。
世界の各国が制御不可能なナトリウム漏れ事故の続発を眼の前にして、核増殖炉から撤退して、日本だけがこれを無理矢理強行しようとしているのであるが、その際、動燃は「管理の行き届いた日本では、ナトリウム漏れはまず起こらない」と繰り返してきた。しかしこれも今回の事故で根底から叩きつぶされたといえよう。

<<「適切な設計でなかった」>>
さらに漏出箇所とされる温度計部分について、動燃も科学技術庁も温度計のさや管が破損することを想定していなかったと説明しているが、動燃の大洗工学センターは、1月10日、温度計の構造的欠陥を認め、流体誘起振動のために、もんじゅを100%出力で運転した場合、早ければ11日間で、遅くても4か月足らずで損傷する可能性が高いことを明らかにし、「解析結果から、設計上適切な設計でなかったといえる」と指摘している。今ごろ何をかいわんやである。起こるべくして起こったことを自ら認めているのである。
実は動燃は、すでに91年に漏洩のあった部分を含む配管を大規模に設計修正し、付け替えを行っているのである。そして今回の漏洩はこの時に溶接された温度計用枝管から起きている。いわば自ら今回の事故を準備したのである。
ナトリウムの利点は、沸騰点がきわめて高い(摂氏990度)ことから、高速増殖炉の十分に高い熱伝導性と冷却材としての役目を買われたのであるが、だがその反面、水以外にも多くの物質と即座にしかも激しく反応する性質があり、しかもその溶融点(97.5度)以下だと、金属として個体になってしまう。このことは、ナトリウムの温度を常に点検し、原子炉が運転停止中であっても常に熱した流体状態に保たなくてはならないことを意味しており、流体誘起振動を始め、潜在的に重大な損傷をあらゆる段階で引き起こす可能性を持っていることを明らかにしている。振動では規模も力も膨大な、阪神大震災以来の不気味な地震活動の活発化は、このような危険きわまりない原発の即時閉鎖を緊急の課題としているといえよう。

<<断念・閉鎖以外、道なし>>
もんじゅは、ナトリウム、蒸気系での相次ぐ事故により発電は当初計画より2年遅れの中で、昨年8月に初発電を強行したのであるが、今回の事故である。もんじゅにつぎ込んだ国費はすでに7000億円以上、当初の原子力委員会の見積もりの7倍以上にも達しており、もはや技術的にも信頼性においても取り返しのつかない事態となったことは誰の眼にも明らかである。即刻断念し、閉鎖するほかに道は残されてはいないといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.218 1996年1月20日

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【書評】ミステリーは原発をどう扱うか

【書評】ミステリーは原発をどう扱うか
             —『神の火』〔上・下〕(高村 薫、新潮文 庫、1995.4.1.)

ミステリー作家高村薫は、デビュー以来名だたる賞を総なめにした観があるが、彼女の代表作の一つが文庫本として大幅に改稿出版された(原版は、91年8月、新潮社) 。高村の作品には、提起された問題の大きさといい、ストーリーのダイナミックさといい、従来のわが国のミステリー界の枠組みを超えたものがあるとの評が一般的である。本書もまたスパイを扱った小説であるにもかかわらず、たんなるスパイ小説に終わらない可能性を秘めている。
本書の主人公は、原子力科学者の島田浩二(39)、彼は母とロシア人宣教師との間の「不義の子」であり、実業家でスパイの江口に誘われてソ連のスパイとなる。もう一人は島田の幼友達の労働者でワルの日野草介(40)、彼は結婚相手の律子が《北》のスパイであることを後に知るが、彼女の兄・柳瀬裕司が10年前に《北》で研究していて秘かに持ち返った資料をめぐる陰謀に巻き込まれる。そして日野は他方で、江口によって日本に密入国した高塚良(25)・・チェルノブイリ原発の事故で被曝した若者・・・を保護することになる。
時代背景は、旧ソ連崩壊直前の緊迫した混乱の時期。場所は、舞鶴およびその近辺に建設された音海原発、そして大阪。筋書きは、《北》から持ち返られた資料の争奪戦と各国の駆け引きのなかで《北》に拉致された良が死ぬという状況にいたって、島田と日野が、良の遺志を汲み取って音海原発を襲撃するというものである。登場する諸機関も、KGB、CIA、《北》の工作員、公安警察と多彩であり、襲撃シーンも詳細で臨揚感あふれる。
さて本書の流れの中に漂っているのは二つの浮標(ブイ)である。ひとつは、時代・大国の陰謀に翻弄される空しい無力な人間の姿であり、もうひとつは、そのような中で何とか生きる証を求める人間の心になお存在する空洞である。どちらの空虚さが先立つものであるのかは、にわかには決め難い。恐らくは前者が後者の芽を育てる契機となり、後者はより意識的に成長したものであろうが、客観的空虚と主観的空洞は、ともに相まって作品に独特の雰囲気を醸しだす。
島田は長年ソ連のスパイとして活動してきたが、その「社会主義体制は、人間の活動を機械のように統制することで、人間らしい生活が保証された世界を実現しようとし、今まさに挫折しつつある」「とすれば、たとえば《言う通りに動く機械》になるべく国家的に組織され訓練され、初めから人間の魂を空っぽにしてきたスパイという人種こそ、社会主義国家の矛盾を唯一、矛盾でなく具現した存在だったのかもしれない」という感慨によって、自分の位置を確認する。しかし同時に「島田は何を待っているのでもなかった。・・・時代が変わろうが変わるまいが、昔から何一つ待つものを持たなかった一人の人間が、今はただ、義務感だけを拠りどころにして己の命を永らえている、この欺瞞」をも自分に感じている。そしてこの義務とは、「終わりにしなければならない、盗んだ火は返さなければならない」ということに尽きる。
ここでは、冷戦の最中に西側の原子力工学の情報を東側に流し続けた島田が結果として果たした役割と、人間が原子力の火、〈神の火〉を盗み出してつくりあげた核と原発との果たしている役割が二重写しになる。そしてそのいずれにも義務を負っている島田がいる。
そのうえに、かつては《超安全》な原発を作る意思を持って《北》に騙されて渡った柳瀬裕司の姿と彼が熱っぽく語る《プラハの春》が、またチェルノブイリの事故直後に、大量の放射能を浴びながら技師であった父親を探す良の姿が結びつく。
そして「すべての科学技術は本来、その運用に当たって完全という言葉は使えない人間の所産に過ぎないが、いったん壊れたが最後、周辺地域が死滅するような技術の恩恵を、人間はどれほど受けてきたというのか。原子力は、人間にどれほど必要な代物だったというのか」という「回復不能の懐疑の闇」に陥る中で、島田の胸に音海原発への襲撃計画が浮上する。
「音海原発へ行く。計画を立てて、しかるべき装備を整えて行くのだ。事柄の生産性や正当性、価値、社会性、値段、一切何もなく、ただ行くのだ。音海原発へ。」
これはまた《プラハの春》の話で、人間は理想を持つことができるという希望を柳瀬から借りた日野の思いでもあった。
かくして島田と日野による音海原発襲撃が綿密に計画準備され、決行される。襲撃方法と原発内部の密度の高い描写については、作者の知識と筆力に敬服する他ないが、この襲撃は、島田が原子炉の圧力容器の蓋を開けることで終わりを告げる。
ただしこのことで原子炉が潰れるわけでもなく、「たった今まで核分裂を起こして熱を発していた原子炉の蓋を開けたというだけのことだった」のである。
しかしこの襲撃は、結果の空しさをも含めて、改めてわれわれの時代の核が絶望そのものであることを認識させる。島田と日野との会話の端々に出る言葉にもそのことは確認される。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「良が片付けたていう四号炉、今はどないなっとるんや」
「鉛と砂とコンクリートで固めた石の棺になっている。もう壊れかけているらしいが・・・」
「原子炉はそうやって廃炉にするんか・・・」
「最終的には解体するが、数年間は格納容器を密封して放置することになる」
「あと二、三十年たったら、この若狭湾沿いに建っとる原発はみな寿命が来る。そのころ、この海岸にはコンクリートの廃炉が延々と並んどるということやな・・・」
日野は、自分たちが見ることはない二十一世紀の海辺を仰ぎ見るように、右舷の陸影へ目をやった。 「あの柳瀬が昔、俺らは核の時代に生まれたんやてしみじみ言いよった」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このような寒々とした光景は、本書の主人公たちが抱いている気持ちであり、彼らの置かれている状況であり、更にまたわれわれ自身を取り巻いている現実ともつながっている。〈神の火〉とは、プロメテウスのごとく神から人間が盗んだ原子力の火であるとともに、人間社会・国家が人間自身を焼き尽くす火でもある。
本書に色濃く漂うニヒリズムの雰囲気は、出口のない体制とそのスパイに課せられた運命を象徴しているが、高村はこれを硬質的な文章で緊迫したストーリーを展開している。ここで提起された問題は、原発の存在意義と安全性について、今までとは異なった別の恐ろしい側面があるということであり、高村はそれを鮮烈に見せてくれたと言えよう。
高村の作品は文句なしに第一級のエンターテイメントであるが、これがたんなる「ミステリー小説」を超えたものになるかどうかの環は、今後、社会性をどのように追い詰めるかにあると思われる。この意味で、本書とともに警察機構内部を同様の密度で描いた『マークスの山』(1993年、早川書房、直木賞受賞作)を併読されることを薦める。(R)

【出典】 アサート No.217 1995年12月16日

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【投稿】 年末特別企画 1995年とASSERT

【投稿】 年末特別企画 1995年とASSERT 

1995年も残りわずかです。阪神大震災、オウム、戦後50年等など揺れに揺れた1年でした。新聞やテレビでも年末企画で激動の95年を総括しようという記事や番組が増すが、アサートでも社会のいろいろな出来事を追いかけてきたつもりですので、毎月の紙面を通じて95年を振り返ってみるとともに、アサート自身をも振り返ってみようという珍しく企画モノで1年をしめくくってみたいと思います。

<阪神大震災とその後>
1月号は昨年より続いての依辺氏の『地方分権と政治改革』の第2回をトップに、政界再編がらみのM氏、民守氏の投稿、生駒氏の共産党モノ、私江川のいじめ問題と、その時点での情勢にマッチした記事で、その後の激動の前の静けさといった感じの無難な1年のスタートでした(ただし、編集作業中の震災による通信回線不良により校正不十分となる事件も)。山花さんの離党騒ぎで幕をあけた95年でしたが、社民リベラルの結集に全てをかけた彼らの勇気をふりしぼった行動は、あの阪神大震災の前にふっとんでしまいました。
2月号は震災と地方分権を結びつけた生駒氏の『阪神大震災と「大地動乱の時代」』をトップに、職務で被災地に派遣されたT.T氏の『芦屋市での数日』による現地レポートなど、混乱の中でも取り急ぎ震災特集を組めました。民守氏恒例の春闘情勢も震災を踏まえた内容で掲載することができました。
3月号も引き続き震災関連で、現地レポートを折り混ぜながら在日外国人やボランティアの問題に踏み込んだ若松氏の『復興は順調に進んでいるのか』をはじめ、生駒氏の『原発直撃地震の可能性』(この記事で氏が指摘していた「もんじゅ」のナトリウムの危険性は、現実のものとなった!)、佐野氏の『住民合意の被災地復興はできるか』と様々な角度・視点から大震災を評価することができました。

<円高、統一地方選、オウム>
春先の話題はなんといっても円高。生駒氏の『歯止めなき円高・ドル安』(4月号)から『日米貿易戦争の新たな段階』(5月号)と、日米関係の背景とそれぞれの内部要因を鋭く分析していただきました。
統一地方選関係では、駆け込み入稿した私江川の『青島・ノックの当選がもたらすもの』(4月号)が、結果的に唯一の記事となってしまい、何とか体裁を整えることができたところです。
世間的には大いに話題となったオウム関連では、佐野氏の『神なき終末論は、どこへ行く』(4月号)、鈴木氏の『ロシア人の宗教意識とオウム真理教』(同)と論評2本。願わくばもう1本、微罪逮捕がらみで法律家の一筆がほしかったのですが、某大物人権派弁護士に原稿依頼したところ、「真相の解明のためには、あれはあれでいいんですよ」とのお返事だったとか。ふーん・・・。

<そして夏、戦後50年、参院選>
戦後50年の絶好の機会に、あまりにも不様な結果となった国会決議問題では、生駒氏の『「戦後50年国会決議」が明らかにしたもの』で厳しく批判されたところですが、その前後の政治家たちの相次ぐ暴言・妄言を見るにつけ、「まだまだ終わらない戦後」を今後も提起し続けていく必要性を感じます。
政治情勢で今年の目玉はやはり参議院選挙。M氏の『政治の季節の到来』(6月号)、生駒氏の『参院選と社会党バッシング』(7月号)、私江川の『参議院選挙を前にして』(同)と選挙に関連しての提起やとまどいが、選挙前に次々と掲載され、世間的には低調ムードだと言われていた参院選も、アサート的にはそれなりの雰囲気はできたのではないでしょうか。選挙後は久々の誌上討論会『参議院選挙結果は何を意味しているか』(8月号)で総括論評が行なわれました。紙面的には記事の他に結果表あり、グラフあり、衆院選予想あり、4コマ漫画ありとビジュアルにまとまったものになりました。討論では、新進党の「躍進」の分析、低投票率、無党派層、社会党への評価、今後の政治的分岐点たる介護保険制度など、全般的に多岐にわたって意見交換ができたのではないでしょうか。  この時期、もうひとつアサートで特徴的だったのが、7月号で鈴木氏訳のゴルバチョフ『民主主義なき安定』、生駒氏訳のシメリョフ『現代ロシアが直面する経済』の2本のロシアものがおもむろに掲載されたこと。エリツィン入院-ロシア情勢激動を予感していたのでしょうか。

<金融不安、新党論議>
秋以降はアサート得意の(というか生駒氏得意の)経済問題と迷走する社会党の新党問題に集約されます。生駒氏の『「金融秩序維持」と「公的資金の導入」論』(9月号)、『「金融不安」の徘徊と「自己責任」論』(10月号)は、大蔵-日銀-銀行業界の閉鎖性を鋭く指摘し、後の大和銀事件をも予言するかのような切り口でした。新党がらみでは佐野氏の『社会党の新党議論に出口はあるか』(9月号)、『もたつく新党 揺らぐ村山政権』(10月号)、田中氏の『今、何をなすべきか・・・?』(9月号)、M氏の『リベラル新党への道』(11月号)と立て続けに分析・提言が行なわれていますが、現実の事態の進行は、これらの分析・予想どおりに私たちの思いとは裏腹の方向に突き進んでいるようです。連載を終了させたい依辺氏も、今の政治状況では「まとめ」を書く意欲が湧かない、と筆が止まっているそうです。

<アサートの1年>
駆け足でこの1年を振り返ってみましたが、こうして改めて紙面を見直してみると、結構きっちりとその時々の情勢を押さえています。アサート恒例の書評もR氏の哲学関係を中心に随時掲載できています。また、O氏の4コマ漫画も時々の政治局面を見事に風刺したものとして好評を博しています(まず漫画から読むという読者も・・・)。アサートがずっと追いかけている長良川問題も、運用開始から集会現地レポートとフォローしています。フランス核実験の原稿がなかったのが少し寂しかったですが・・・。
しかし、やはり執筆者が固定化している現状は否めません。毎号入稿いただいている生駒氏、佐野氏をはじめ、依辺氏、M氏のようにテーマをもった方々に多大に依拠している現状です。というのも、やはり「もっと投稿を」ということになるのです。私の方から言えば、最近ご無沙汰の教員の方々の寄稿を期待して、1月号でいじめ=学校免責・家庭責任論をぶったのですが、お返事がありません。また、7月号で政治的所属を変えていく先輩方の意見を聞きたいと呼び掛けたのですが、音沙汰なしです。特にこの問題では先日の朝日新聞の近畿面でも「新進党・かげる小沢神通力」として、大阪の北川問題が取り上げられていました。グループ内でも混乱されていることでしょうが、どなたかアサートに匿名で一筆いかがでしょうか。そのように誌上で様々な意見を闘わせることによって、今後の展望・指針を見いだそうというのが私たちアサート発刊趣意で有り、目標なのです。
と、まるで私が編集作業の中心人物のような書き方をずっとしてきましたが、知る人は知っている、佐野氏にほとんどの編集作業を依拠しています。編集作業の引継ぎは将来的な私のパソコン導入を待つとして、最低限迷惑をかけないよう、定期的な入稿、締切厳守を心がけていくことを96年への決意としたいと思います。
みなさん、来年こそもっと投稿を、もっと議論を!   (江川 明)

【出典】 アサート No.217 1995年12月16日

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【投稿】「沖縄を帰せ」から「沖縄へ帰せ」へ

【投稿】「沖縄を帰せ」から「沖縄へ帰せ」へ

先般、沖縄を訪れた。私にとっては2度目の沖縄であったが、前回とは違う沖縄の雰囲気を感じてきたので、思うままに感想を述べて見たい。

<日本で唯一の地上戦を経験した島>
前回は確か3年前の夏。地元の教員グループが沖縄研修を企画。家族で参加した。海軍司令部跡から始まり、ひめゆりの塔や戦没者慰霊碑、また読谷村では日の丸事件の知花さんの話を聞き、伊江島では反戦老人の話を聞くというコースである。
その時の印象は、むしろ旧日本陸軍が如何に沖縄の住民を裏切り、犠牲にしたのかという戦前の歴史に関心が集中した。その時買い求めた本も「沖縄タイムス」の「鉄の暴風」という沖縄戦記であった。確かに象の檻と言われる米軍レーダー基地を遠くから見たり、車で移動しながら嘉手納基地を見たりしたが、米軍の存在とその問題についてはあまり重大視できないでいた。
私の率直な感想は、教師諸君の「沖縄」「沖縄」と姿勢に批判的であった。漠然とした感想であるけれど(論争には耐えられないと思うが)、自分の足元ではなく、「極端な犠牲」に着目し、自分たちの現場にそれを持ち込んでしまうという安易な発想に対して批判的であった。部落差別の次は在日韓国・朝鮮人差別、そして沖縄だ、という意味で。
乱暴な展開だが、自分のテーマとしては少し合わないなと思いつつ。
そしてもう一つ。当時NHKの大河ドラマは確か「琉球の風」だったか、沖縄の近代史を扱い、リゾートブームと観光キャンペーンが印象的だった。首里城も復元されて、悲惨な戦争の地沖縄というイメージは払拭したい、という空気を感じた。

<冷戦構造崩壊の沖縄では>
今回の沖縄行きでは、むしろ米軍基地の問題について、そして少し沖縄の戦後史と民衆の肌に触れることができた今回は沖縄の人々の思いに心から共感することができたと思う。
やはり焦点は、米兵による少女暴行事件である。沖縄では72年の本土復帰以後も合計4700件を越える米兵による事件が起こっているという。3日に2件発生していることになる。交通事故から今回のようなレイプ事件まで、沖縄の人々は日米安保条約や日米地位協定などによって犠牲を強いられてきた。冷戦は終わったというのに、日本の国土の0.6%しかない沖縄に、日本の米軍基地の75%が存在するという現実。その軍用地の7割は国有地だが3割は民間地主の土地である。10月21日の県民決起集会が8万5千人を越える人々が集まったという背景には、戦後沖縄の歴史を背景にして本土の犠牲にはこれ以上ならない、沖縄のことは沖縄(ウチナー)が決めるんだ、という熱い思いがある。あの集会当日沖縄県内のバスは5つの会社があるが、この集会に参加する人は無料で乗せたという。5つのバス会社すべて赤字経営で、琉球バスでは合理化で労働争議もおこっているにも関わらずである。旧来の保守・革新を越えて代理署名拒否、地位協定見直し、米軍基地の撤去が県民の総意となっている。
さらに失業率が7%を越えるという経済的な厳しさも大きな背景にある。タクシーの運転手と話をした。那覇の町に米兵は買い物とかに出てくるのかと。町中で米兵を一度も見かけなかったからだ。運転手いわく「基地の中に何でもある。たばこも酒も那覇市内と比べて半額以下。今の米兵は月給600~800ドルだから、円高もあって町で買い物をするものはいない。ベトナム戦争の頃はドル高もあったし、従軍中の海兵隊は手当てもたくさんあって大変な勢いだったが、今はその影もない」とのことだった。
沖縄の近代史は明治政府による琉球処分、そして沖縄戦、そして復帰後も居座る米軍基地。近代沖縄の歴史は本土(ヤマトンチュ-)のための犠牲の歴史だったという。沖縄の人々が心から気分がスッキリした出来事が戦後3つあるという。一つは、占領時代、アメリカ軍による任命制であった主席が公選となり屋良主席が誕生した日、そして復帰前の70年のゴザ暴動、そして今回の「代理署名拒否」の大田知事の快挙だというのである。日本の戦後は沖縄の犠牲で成り立ってきた、いつまで続けるのか、そう沖縄の人々は叫んでいるのである。

<職務執行命令訴訟は、歴史的な裁判になる>
村山政権は、12月7日大田知事に対して米軍用地の強制使用に対する職務執行命令訴訟を福岡地裁に起こした。大田知事は署名拒否を貫くと、県内の16名による弁護団を編成して徹底抗戦の構えだ。沖縄県民のこころは一つのようだ。こんな場面で何故社会党政権なのかと悔やんでも仕方がない。社会党沖縄県本部は、反基地闘争の歴史を持つ党の首相による訴訟に怒り、村山退陣を求めつつも社会党にとどまると苦しい立場だ。
沖縄タイムスは「千載一遇のチャンス、沖縄の痛みを法廷へ」と述べて、単なる手続きとしての法廷から「沖縄の主張をする」法廷へとむしろ大きなチャンスと報道し、非常に冷静な主張だった。知事が首相の命令を拒否するという一面では地方主権の実例として国と県の関係、また米軍の強制使用は「財産権の侵害」との憲法論議も注目される。
社会党の命運などより、沖縄の人々の心に響く政策が求められているようだ。

<「沖縄へ帰せ」へ>
沖縄から戦後50年を見直す講演集会があり、冒頭に沖縄の島歌を聞くことができた。島歌歌手の大工さんは、懐かしい歌を謡った。「・・・民族の怒りに燃える島 沖縄よ 我らと我らの祖先が血と汗をもて 守り育てた沖縄よ ・・・沖縄を帰せ・・・」という歌。大学1年の頃、まだわけも分からない頃民青系のデモに誘われ、歌ったことがある。(すこし民族主義っぽい歌だな、という印象だった)しかし、今聞いているのは少し違う。最後が「沖縄を帰せ 沖縄へ帰せ」と替歌になっている。アメリカから日本に帰せ、という本土復帰運動の歌だったが、今の沖縄では、沖縄を沖縄へ帰せ、と歌われている。沖縄の人々の気持ちがよく現れている。(95-12-12H)

【出典】 アサート No.217 1995年12月16日

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【投稿】相次ぐ金融不安と日本版RTC

【投稿】相次ぐ金融不安と日本版RTC

<<躍りでてきた「泥縄式」解決>>
12月7日、またもや大阪信組という金融機関の経営破綻が表面化し、東海銀行が救済・吸収するとともに、同信組の不良債権処理はまだ構想にしか過ぎない日本版整理信託公社(RTC)に移管し、損失の穴埋めについては「預金保険法の改正を待って、預金保険機構から資金援助を要請せざるを得ない」ことが明らかにされた。「金融秩序維持」という大義名分の名の下に、「発足の日時や具体的な仕組みさえ確定していない機関」、まだ改正されてもいない預金保険法に資金援助をゆだねるという、全く文字どおりの「泥縄式」解決が躍りでてきたのである。国民的な合意はもちろん、国会の議論や法改正もなしに、行政当局や金融機関が勝手に公的資金の導入と国民負担の強化を先取りするという許し難い事態が進行しようとしている。
この大阪信組、大阪の危ない金融機関として銀行では大阪銀行、福徳銀行、阪和銀行、信組では田辺、河内とともに、以前からリストアップされていた金融機関である。大阪に進出をもくろむ東海銀行の紹介預金に手を出し、役員派遣を受けていたが、この7月に倒産した悪徳金融会社ニシキファイナンスに大量に融資し、10月4日の仙台地裁の決定では大阪信組は「ニシキ社の詐欺的商法を認識していた、悪意の第三者である」と断言されている金融機関である。公的資金を導入して救済する前提条件などそもそも存在しないのである。

<<「だいしん」は「さかしん」とは一切関係がありません>>
大阪信組の経営破綻が明らかになった12月7日、よく似た名称の大阪信用金庫は、驚き慌てる預金引き出しに、急遽各支店では当日はワープロ文字で、大阪信用金庫は「だいしん」、大阪信用組合は「さかしん」で、「さかしん」とはいっさい関係がありません、という貼り紙を行い、翌日からはカラー印刷の大型ポスターを張り巡らして、預金引き出しの防戦に必死の事態に追い込まれた。信用金庫は信用組合と多くの共通性を持っているが、会員外預金が認められており、日銀との取引関係があり、大蔵省、日銀双方からの監督・考査の対象となっている。
一方、信用組合は1949年の「中小企業等協同組合法」にもとづく協同組合組織の相互扶助的な会員組織の金融機関であり、会員外預金については総預金の20%以内という制限、事業区域の制限があるが、兼業禁止規定がなく、監督機関も他の金融機関と違って大蔵省・日銀の監督・考査の対象外であり、国の機関委任事務として都道府県が直接担当している。員外預金が制限を越えたり、高利で紹介預金を導入しても、自分の会社やファミリー企業、実態のないペーパーカンパニー、さらには政治家や暴力団に情実融資や不正な迂回融資をしても、自治体側にはそれをチェックする体制も専門性も整ってはいない。信用組合のずさんな経営実態や危機が続発し、表面化するに従って、多くの自治体が機関委任事務の返上を申し出たり、検討に入っているのは当然のことであろう。
そして現実には、まだそれほど危機が表面化していなかった94年度だけでも、全国で19都道府県が信用組合の経営危機に対処するために援助額が合計530億円にのぼる予算を組まざるを得なかったのである(「日経」95/2/18)。

<<誰の預金を「全額救済」するのか?>>
東京協和、安全の2信組の場合、貸付の6割以上が回収不能の不正・情実融資であり、新進党の山口代議士のファミリー企業への膨大な不正融資など、こんな乱脈経営がまかり通り、事実上私物化された金融機関を「金融秩序の維持」を名目に日銀が200億、東京都が300億円も出して「公的資金」で救済しなければならないのかという当然の厳しい批判として噴出してきたわけである。それに続くコスモ信組、そして木津信、さらに今回の大阪信組である。
問題なのは、こうした金融機関に大手の都銀各行が大量の資金を提供し、さまざまな形で不正融資やバブル形成に荷担してきたことである。しかも通常より高い金利を設定させて「絶好の金融商品」として生損保等の機関投資家、事業法人、さらには労働組合までも巻き込んで何億、何十億と預金させ、危機が表面化する前に大手都銀は確実に高利をむさぼり、そして直前に安全に資金を引き上げさせ、危機が表面化すると不良債権しか残っていないという事態をもたらしたことが、いずれの場合にも共通していることである。個人の少額預金は別として、本来、危険を承知で高利を目当てに群がってきた大口預金者の預金の全額引き出しや高額の利子付きでの全額救済など許されてはならないのである。いずれの信組でも会員外預金が制限を大きく超え、1000万円を超える大口投資預金が約7割にも達していた(95/3時点)という事態は、中小零細企業金融と勤労者の個人金融を業務の中心とする信組の原則を大きく逸脱している。木津信の三和と同様、今回の大阪信組でも東海銀行は「経営悪化の責任は当行には一切ない」と厚顔無恥な態度を貫いている。

<<住専と「ヤクザ・リセッション」>>
その上にさらに「公的資金の導入」については、「年内に果断な決断をする」(大蔵省)という住宅金融専門会社(住専)の8兆円を超える不良債権問題が横たわっている。住専8社はすべて、都銀各行を中心とする大手金融機関が母体行として、バブル下の不動産投融資を専門に担わせるために直接出資し、人材も派遣し、過剰融資を先導してきた金融機関である。ここでも大手都銀は「貸し手責任」論を展開し、自らの責任を棚上げにした「公的資金の導入」で事態を糊塗しようとしている。問題なのは、ここには貸し手としての審査能力がゼロに等しい農林系金融機関が、大蔵省の手引きで過剰な融資に巻き込まれ、「元本確保」さえおぼつかない危機的な状況に陥らされていることである。
そしてこの住専にはさらに数多くのそれぞれの系列ノンバンクがむらがり、不良債権を過大に水増ししてきた。当然そうした事態の進行の中で、貸出先の斡旋から、債権取立、倒産企業の整理、高利貸しと土建業にいたる広範囲な暴力団の介在が公然の事実として明らかにされてきており、借りた金を踏み倒し、他人が借りた金は暴力的に介入して利益をむさぼり、弱みを握られた都銀各行は暴力団系不良債権には手も出せないという事態が現出している。その典型が住友や富士であろう。「ヤクザ・リセッション(不況)」とか、日本経済の「マフィア化」等といったことがおおまじめに語られる事態である(11/29朝日)。
ここでも「公的資金の導入」は、いったい誰を喜ばせ、不当な利益を上げさせるのかという根本的な問題を浮上させている。

<<都銀各行、過去最高の業務純益>>
11月24日に発表された都市銀行各行の95年度中間決算によると、各行とも過去最高の業務純益を上げている。都銀11行だけでもその業務純益合計は1兆8676億円にも及び、都銀トップの純益を上げた三和銀行は政府・日銀の低金利政策という「たいへん心強い政策」の恩恵をたっぷり享受し、さらに「債権相場が好調で、国際の売却やデイーリング益がたくさん出た。業務純益は当行の過去最高の数字だ」(広報部)と胸を張っている。不良債権などどこ吹く風である。他の多くの中小企業や庶民が景気低迷で四苦八苦しているさなかに、彼らは何の経営努力も、情報開示努力もせずに、濡れ手に粟の過去最高の利益を上げ、不良債権を積み上げ、他に押し付けてきた自らの責任については徹底的に覆い隠し、逃れようとしているのである。しかし事態がここまで来れば、そうした責任回避は許されないであろう。
大阪信組の経営破綻を機に急遽浮上してきた日本版RTCについていえば、もはや国際的にも大和銀行事件が象徴的に示しているような大蔵・日銀・都銀のなれあい体制、護送船団方式がついに限界にきていることを示しているとも言えよう。官僚と当事者だけで事態をごまかし、うやむやに処理しようというこれまでのやり方では、国際的にはいうにおよばず、国内的にも通用しなくなってきたのである。大和銀行はその結果としてアメリカからの撤退を余儀なくされたし、刑事責任さえ追及されようとしている。

<<日本版RTCの義務>>
しかしここでも日本版RTCは、国民的議論も民主主義的手続きも経ずに官僚の作文で登場してきたものに過ぎない。アメリカのRTC(債権信託公社)は、独立の機関としてRTC自身が金融機関の経営責任を追求する強制捜査権を持っており、個人資産を含めて莫大な損害賠償を取るのは当然のこと、刑事罰を受けて刑務所に入れられた貯蓄・貸付組合の旧経営者は1000人を超えているという。これに対して日本版RTCが、ただ単に事態を糊塗する大蔵・日銀の附属機関にしか過ぎないものであれば、彼らの無責任な官僚体制を肥大化せさるだけであり、「公的資金導入」の隠れ蓑に利用されるだけである。
不良債権の具体的な実態を詳細に公表し、なおかつ高利を目当てに稼げるだけ稼いで逃げ得をしたあらゆる大口預金者、金融機関をその氏名、社名、機関名、責任者、金額、時期、回数にいたるまで徹底的に情報公開し、かれらに「金融秩序維持」の責任を取らせることこそが、日本版RTCの義務でなければならない。そのためには独立の機関であること、独自の権限を持つことが決定的な重要性を持っており、なおかつその運営に関しては社会のあらゆる階層の多様な意見を反映させ得る民主的決定機関が保証されなければならいといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.217 1995年12月16日

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『詩』 先生のことを想う

『詩』 先生のことを想う ー小野先生没後五周年にー

                      大木 透

視界が乱れ
パースペクティブが
拡散すると
かならず
「神曲」が見直される

ノーベル賞のヒーニーも
これがお好きなようで
大江も
これに共感を寄せている

僕はといえば
「神曲」などは
読み通したこともなく
作者自身が属すであろう
世界を盗み見たり
キリスト生誕以前の群像や
幼児の住む
面白い場所の地形を知ると
もう飽きてしまって
放りっぱなしにしてきた

そんなこんなで
僕は
「神曲」のパロディーなどには
興味はないが
先生のことを想うと
ついつい
キリストをマルクスにしたら
先生は

どんな生活を
しておられるのだろうと
考えてしまう

ダンテにならって言えば
先生はマルクスを知り
マルクスを誹謗したり
批判したこともなく
マルクスは
キリストを無視したことはないのだから
文句なしに
天国で
美酒を傾けて
穏かな生活を送っておられるはずなのだ

あれから五年経って
審判者が
キリストであろうがマルクスであろうと
僕は
とても天国へなどへは
行けそうもないが
ただ
この頃
マルクスが
「神曲」の
主人公になって
復活するであろうことの
確かな予感を
予感している

(一九九五・一一・六)

【出典】 アサート No.216 1995年11月18日

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【書評】哲学がなぜ求められるのか」

【書評】哲学がなぜ求められるのか」
                 『ソフィーの世界~哲学者からの不思議な手紙』
     (ヨースタイン・ゴルデル、池田香代子訳、日本放送出版協会、1996.6.30.)

哲学ブームという波の先端に乗っている入門書、とでも言おうか、『ソフィーの世界』はベストセラーにもなっているようである。600 頁をこえる大冊であるにもかかわらず、この本が売れている理由は何か。われわれはそこに思想的潮流の左右を問わず求められている問題を見ることができるのではないだろうか。
本書の筋書きは、ノルウェーの14歳の少女ソフィーと哲学者が対話を通して哲学史の世界をたどるなかで、本書のからくり自体が明らかにされてくるというミステリー仕立ての物語である。
さて主人公ソフィーは、ある日「あなたはだれ?」「人間て何?」「世界はどこからきた?」という今まで考えもしなかった事柄についての手紙を受け取る。そして14歳の少女が考えるには余りにも大きいこれらの問題に関して次々と謎の人物(どうも哲学者らしい)から分厚い手紙が届けられる。
そこでは哲学の最初とされる古代ギリシャの自然哲学者たち(タレス以下)の探究から始まって、ポリスの哲学者(ソクラテス、プラトン、アリストテレス)、ヘレニズム哲学(ストア、エピクロス)、キリスト教哲学(アウグスティヌス、トマス・アクィナス)と一連の流れに沿って哲学史が続いていく。しかしソフィーが謎の人物(彼はアルベルト・クノックスという哲学者であることが判明する)の哲学講座を読み、後に彼に会って直接話を聞くなかで、これまた次々と不可思議な事柄が起こりだす。
それはソフィーと同い年の、誕生日まで同じのヒルデという少女が、どうもどこかに存在していて、その誕生日を祝う父親のメッセージが、どういうわけか余りにも都合良すぎるくらいにソフィーの生活のあちこちに出現する、というのである。(ヒルデの父親は、ノルウェーの少佐で国連監視軍の一員としてレバノンに派遣されていて、まもなくヒルデの誕生日頃には帰ってくるらしいということがわかる。)ソフィーは、この異常な出来事に悩まされるが・・・アルベルトはその理由に気がついているらしい・・・哲学講座は続けられる。
この不可思議な事件の謎は、本書の前半の終わり、哲学史がルネッサンス、大陸合理論を過ぎて、イギリス経験論に入るころに(ロック、ヒューム、バークリに至って)明らかにされる。
(ここでミステリーの結末を述べるのはルール違反かもしれないが)実は本書は、ヒルデの父親(アルベルト・クナーグ少佐)が、娘の誕生祝のプレゼントとして自分で書きためて送った哲学史の著作だったのであり、そしてその登場人物が、娘と同い年のソフィーであり、父親と良く似た名前の哲学者アルベルトであったのである。従ってソフィーの日常にヒルデ宛のメッセージが現れるのも、哲学者のアルベルトの方がその仕組みについて分かっているのも、すべては本の筋書き通りだったのである。しかも父親のアルベルトは、その仕組みを知っている登場人物の方のアルベルトに、作者である自分の裏をかこうとするたくらみの筋書きさえこさえているのである。
そして本書は、このような風変わりなプレゼントを贈られたヒルダが、ソフィーの哲学史の学習のありさまを読んでいく、という後半に移る。哲学史としては、ドイツ観念論(カント、ヘーゲル)、マルクス主義、実存主義、ダーウィン、フロイトといったところが概説される。
ところが娘のヒルダは、つくられた登場人物のソフィーとアルベルトが余りにも父親のプログラム通りになっていることに同情し、終わらせてしまった物語の続きをつくり、逆に父親の方が登場人物であるかのような悪戯をしかける。この結果ソフィーとアルベルトには、登場人物でありながら、今度は実在の人物たちを観察するというひっくり返った役回りが生まれる。
物語の最終場面は、ヒルダと父親が「ビッグ・バン」の話をしながら、本書の最初の質問と同じ、われわれがどこから来たのか、という問いを立てているところで終わる。そしてここにわれわれ一人ひとりに、もう一度「あなたはだれ?」「人間て何?」「世界はどこからきた?」という問いが発せられ、われわれ自身が考える役割が回ってくるのである。これこそ本当にミステリアスな結末ではなかろうか。
以上のように本書は、一言で表せば西洋哲学史の概説である。前ソクラテス学派(自然主義哲学者)から、デカルト、カント、ヘーゲルを経て現代にいたるヨーロッパ思想を中心とした思想の概観であり、この本自体は、かつてわれわれが高校時代に学んだ「倫理」もしくは「倫理・社会」の教科書とそれほど異なったことを叙述しているわけではない。(もちろん高校の検定済教科書は、その指導要領に従って題名のごとく「倫理」であり、そこでは哲学というよりも、道徳、社会思想等に力点が置かれているので・・・教科書検定の問題点をも含めて・・・多少のニュアンスの違いはあるが。)
本書についてはもちろんその思想理解の欠陥を多々認めることができる。たとえば、民主主義についてほとんど問題にされていないし、産業革命後の資本主義の発展とその諸矛盾の激化についても、マルクスの思想との関連で、本質的な理解からは程遠いと言わねばならない。また現代に大きな影響を及ぼしているアメリカ思想(プラグマティズム等)については一言も語られてはいない。
しかしそのミステリー風の構成といい、ファンタジスティックな内容といい、従来の教科書には見られない新鮮さが若い読者を引きつけている。しかも宗教ブームが一段落したとはいえ、それに代わるものが現れてきていない今、本書のような哲学の著作が求められる事情について、本書の訳者(池田香代子)は、「危険は、精神世界と言いながら、精神とは何かということについて、きちんとした土台が共有されていないことにある。宗教も含めて、長い歴史をつうじて精神の世界で紡がれてきた言葉の内実が、とりわけ若い世代にしっかりと受け渡されないままに、『心の時代』というコピーだけが踊った、そのことに私たちの時代のあやうさはある」と的確に述べている(9月8日、朝日・夕刊)。われわれはここに、現代において「哲学」が要求されるひとつの理由を認めることができるであろう。
ともあれ本書は、かつて「倫理」の授業を欠伸をかみころして受けた経験を持つ人々にも読みやすいものである。本書の現代思想に関しての説明で首をかしげざるを得ない部分については、マルクスその他を直接読んでいただくとして、論理の発展の道筋として哲学を読もうとする向きには適切な書物と言えよう。わが国に氾濫している哲学入門書(木田元『反哲学史』講談社など、読むだけ無駄な本である)の類を圧倒する希有な書である。 (R)

【出典】 アサート No.216 1995年11月18日

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【投稿】河口堰を監視続けよう!

【投稿】河口堰を監視続けよう!
               「11/5 開け!河口堰 長良川監視DAY」報告

貴重な連休(11月4・5日)を長良川で過ごしてきました。「本格運用」が始まった長良川河口堰を前にした伊勢大橋上流の河川敷には、昨日からキャンプを張っているスタッフ、参加者の色とりどりのテントの屋根が続いています。
河口堰はすでに「ダム」として水門を上げて約1.5Mの落差で水を貯め始めています。用水としては、導水路もないため全くの無意味そのもの。汽水域であった漁場を分け隔てて、生態系への深刻な影響のみをもたらしつつ。
今年の「NAGARAGAWA DAY」は、監視することがキーポイントです。5月の野坂建設大臣による「河口堰の本格運用決定」によって、サツキマス、天然アユ、そしてヤマトシジミにどんな影響が出ているのか、「監視」を続けること、決して長良川河口堰問題は終わってはいないことを運動の側が示していくことが課題でした。
4日朝に大阪を出発した車は、午後1時には現地へ到着、食事の後イベントに参加しました。以下はささやかな2日間の報告です。

<4日河口堰運用止めナイトは深夜まで>
4日は、午後から夕刻までは、小室等のコンサートとか、リンさん(椎名誠のいやはや隊の料理長)の料理教室、藤門 弘さんの「アリスファーム」から持ち込まれた山羊の丸焼きバーベキューなどのイベントが続きました。
夕方がらは、長良川監視委員会からの報告タイムです。監視委員会事務局長の天野礼子さんから、監視委員会発足の経過、活動報告が行われ、続いて監視委員会会長の大石武一さんから委員会を代表してのあいさつがありました。
具体的な川の変化の報告は岐阜大学の粕谷志郎さんから、長良川シジミ漁師の中村さんからは激減したシジミ漁の実態を怒りを交えての訴えがあり、今後予想される導水事業と水道料金について、河口堰差し止め訴訟団の村瀬さんから報告がありました。
続いて、全国の川を守る運動からの報告があり、水源開発問題全国連絡会の遠藤さん、徳島県細川内ダムと闘う木頭村村長藤田恵さん、相模大堰に反対する実行委員会の岡田さん、徳島の吉野川で河口堰反対運動をしている姫野さん、石川県の「兼六園と辰巳用水を守りダム建設を阻止する会の中川さんなどがそれぞれの報告を受けました。
後は、佐高信さんの辛口トークなどがあり、やや遅れぎみの進行で午後11時まで続きました。それでも参加者約500名は最後までこれら川の報告を熱心に聞いていました。

<野坂=社会党はだめで、さきがけはいいのかな?>
当然ながら、発言では「野坂」批判が続出、怒りの集会となりました。政党では共産党とさきがけ三重が参加してましたが、社会党の姿はありませんでした。労働組合では、全電通名古屋支部(電通労組関係者によると一部セクトが強いらしい)、名古屋水労、国労の旗がありましたが、自治労の旗はなし。
不思議におもったのが、さきがけの参加。兵庫の高見裕一衆議院議員は日本新党の時代から環境運動に力を入れていたことは知っていますが、「本格運用開始」は自社さ連立政権が強行したはずなのに、「知らぬ顔」でデモの先頭を歩いていたのは、すこし虫のいい態度ではないのかな。悪いのは野坂=社会党だ、と言わんばかり。さきがけは、参加者に機関誌は配るは、フランス核実験反対行動のパネル展示はするは、「環境問題のさきがけ」を参加者にピィアールしていました。(しかし、どう見てもさきがけブースの要員の若者はアルバイトという雰囲気でしたが・・・)

<粘る参加者2500名>
5月の運用開始により、「長良川河口堰はもう終わった」みたいな雰囲気もあり、実行委員会では、例年を大きく下回るのでは?という懸念をもっていたのは事実です。実際の参加者は2500名(主催者発表、参加費1000円を払った人の数)で、「よく集まった」という評価をしているようです。(当初の予想より1000人は多かったようです)ただ、今年は3日には岐阜からのカヌーによる川下りデモ(約100艇参加)、岐阜市内の長良川河川敷での「お魚トーク」(根津甚八さんなど参加)があり、4日・5日の伊勢大橋周辺での行動と3日という期間の全体の参加者が2500人だったということなのです。当然3日連続参加というのは限られた人々であって、5日の一斉行動の参加者は全体でも、甘めに見て1200人というところでしょうか。カヌーデモも昨年の半分というところです。毎年秋の恒例となったこのイベントに参加して5回目位になりますが、少し運動的には疲れてきているかな、という雰囲気は否めません。粘る運動としてはこれからなのかなとも思うところです。
さて、11月ともなればキャンプも寒い寒い。シュラフの中に毛布をさらに入れて、最後に胃袋にはアルコールを入れて、やっと眠りにつきました。飲み過ぎた性か午前4時頃尿意を催し、外にでたところ、寒々とした満天の星に感慨無量でした。(やっぱり来てよかった!)

<長良川監視宣言を採択>
翌5日は、よく晴れていよいよ一斉行動の日。正午のアピールに向けて集会が朝9時から始まりました。(残念ながら私はそのすべてを聞いていないので、発言者名だけお知らせします) 冒頭は、「長良川河口堰監視委員会会長」の大石武一さん(初代環境庁長官、この方は84才の高齢ですが、しっかりしていました。デモも参加されました)。政党からは、(?)旭堂小南陵さん、新党さきがけ高見裕一さん、日本共産党 有働 正治さん、労組は全水道、名古屋水労(自治労連)、国労など。
最後に「長良川監視宣言」が提案され、全体の拍手で確認されました。その内容は「一、治水のために河口堰が必要であるという官製治水論は流域住民説得のために捏造であった、一、災害時にも河口堰は安全と言うが、災害時に無傷で残るのは堰本体だけである、一、野坂大臣は環境への悪影響はないと行ったが、河口堰の運用はたちまち水質悪化をひきおこし、生態系への深刻な影響が始まった、一、十分な水源を確保するために河口堰は必要と言うが、水は余っており、導水事業を強行すれば、地元は不必要な水のためにさらに巨額な支払いを強いられることになる、という認識のもとに河口堰の運用中止を訴える」というもので、「私たちは長良川の監視を続け、さらにそれらの(山・川・海を守る)ネトワークとも連帯し、すべての不必要な大規模公共事業の見直しを求めて協力し、行動すること」を宣言したものでした。

<陸上デモは、河口堰本体の上に進む>
5日はデモが主体の行動の日です。あいさつ関係も簡素に行動に備えます。昨年まではカヌーデモが河口堰に向けて接近し、陸上デモは、伊勢大橋の上からシュプレヒコールして一斉アピールというのがパターンでした。しかしすでに河口堰本体は完成し、本格運用で水門が上げられている状況です。一方建設省・水資源公団は河口堰を観光地のように「見学」ができるように、オープンスペースとしています。(ちょうどダムの上から湖水がみえるような感じに)。そこでデモは河口堰本体の近くの堤防まで進み、一旦そこで「解散」し、三々五々「見学者」として河口堰本体の上に終結して、カヌーデモと合流して、一斉行動を行おうと言うわけです。
午後11時デモ隊は、さきがけ高見代議士、共産党有働代議士、旭堂小南陵さん、天野礼子事務局長、大石武一監視委員会会長を先頭に河川敷を出発、河口堰を目指します。
労組部隊を先頭に、「河口堰運用を中止せよ」「塩害なんて起きないぞ」「ヤマトシジミも棲めないぞ」と元気よくシュプレヒコールを繰り返しながら進みます。
マスコミ報道関係者は、カメラ4台を確認しましたが、結構来ていました。約40分で河口堰近くの堤防に到着、解散の形で参加者は堰本体の上に進みます。
そこは、本来「公共スペース」として解放されているため、警察の規制も厳しくなく全員のデモ参加者は、河口堰の上に終結することができました。
一方カヌー隊にはやっかいなことが起きていました。本格運用されているために、これまでのように力強い長良川の流れが無くなっており、静水状態になっていたわけです。今までは昼の間は下流への強い流れ、夕方には上流への風と波という中で止まっているのも疲れる程の状態から、自分の力で漕ぐしかないというわけです。
正午を期して、「陸上デモ隊」はシュプレヒコールを、カヌー隊はパドルを高く掲げて抗議の意
志を表しました。空には報道関係のヘリが2機、低く旋回しています。

<粘るしかない、環境運動>
こうして今年の長良川監視DAYは終わった。本格運用により失ったものは極めて大きい。水質悪化、生態系への悪影響は確実に進行している。また運動側も少し疲れが見えている。他方で長良川の経験は全国の川を守る運動の大切な財産であり、個別の長良川を守る運動も今後とも粘り強く続けていく必要がある。
監視委員会という新しい形態からの反撃はここから始まるという決意で、長良川を後にした。(1995-11-13佐野秀夫)

【出典】 アサート No.216 1995年11月18日

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