【投稿】「沖縄を帰せ」から「沖縄へ帰せ」へ

【投稿】「沖縄を帰せ」から「沖縄へ帰せ」へ

先般、沖縄を訪れた。私にとっては2度目の沖縄であったが、前回とは違う沖縄の雰囲気を感じてきたので、思うままに感想を述べて見たい。

<日本で唯一の地上戦を経験した島>
前回は確か3年前の夏。地元の教員グループが沖縄研修を企画。家族で参加した。海軍司令部跡から始まり、ひめゆりの塔や戦没者慰霊碑、また読谷村では日の丸事件の知花さんの話を聞き、伊江島では反戦老人の話を聞くというコースである。
その時の印象は、むしろ旧日本陸軍が如何に沖縄の住民を裏切り、犠牲にしたのかという戦前の歴史に関心が集中した。その時買い求めた本も「沖縄タイムス」の「鉄の暴風」という沖縄戦記であった。確かに象の檻と言われる米軍レーダー基地を遠くから見たり、車で移動しながら嘉手納基地を見たりしたが、米軍の存在とその問題についてはあまり重大視できないでいた。
私の率直な感想は、教師諸君の「沖縄」「沖縄」と姿勢に批判的であった。漠然とした感想であるけれど(論争には耐えられないと思うが)、自分の足元ではなく、「極端な犠牲」に着目し、自分たちの現場にそれを持ち込んでしまうという安易な発想に対して批判的であった。部落差別の次は在日韓国・朝鮮人差別、そして沖縄だ、という意味で。
乱暴な展開だが、自分のテーマとしては少し合わないなと思いつつ。
そしてもう一つ。当時NHKの大河ドラマは確か「琉球の風」だったか、沖縄の近代史を扱い、リゾートブームと観光キャンペーンが印象的だった。首里城も復元されて、悲惨な戦争の地沖縄というイメージは払拭したい、という空気を感じた。

<冷戦構造崩壊の沖縄では>
今回の沖縄行きでは、むしろ米軍基地の問題について、そして少し沖縄の戦後史と民衆の肌に触れることができた今回は沖縄の人々の思いに心から共感することができたと思う。
やはり焦点は、米兵による少女暴行事件である。沖縄では72年の本土復帰以後も合計4700件を越える米兵による事件が起こっているという。3日に2件発生していることになる。交通事故から今回のようなレイプ事件まで、沖縄の人々は日米安保条約や日米地位協定などによって犠牲を強いられてきた。冷戦は終わったというのに、日本の国土の0.6%しかない沖縄に、日本の米軍基地の75%が存在するという現実。その軍用地の7割は国有地だが3割は民間地主の土地である。10月21日の県民決起集会が8万5千人を越える人々が集まったという背景には、戦後沖縄の歴史を背景にして本土の犠牲にはこれ以上ならない、沖縄のことは沖縄(ウチナー)が決めるんだ、という熱い思いがある。あの集会当日沖縄県内のバスは5つの会社があるが、この集会に参加する人は無料で乗せたという。5つのバス会社すべて赤字経営で、琉球バスでは合理化で労働争議もおこっているにも関わらずである。旧来の保守・革新を越えて代理署名拒否、地位協定見直し、米軍基地の撤去が県民の総意となっている。
さらに失業率が7%を越えるという経済的な厳しさも大きな背景にある。タクシーの運転手と話をした。那覇の町に米兵は買い物とかに出てくるのかと。町中で米兵を一度も見かけなかったからだ。運転手いわく「基地の中に何でもある。たばこも酒も那覇市内と比べて半額以下。今の米兵は月給600~800ドルだから、円高もあって町で買い物をするものはいない。ベトナム戦争の頃はドル高もあったし、従軍中の海兵隊は手当てもたくさんあって大変な勢いだったが、今はその影もない」とのことだった。
沖縄の近代史は明治政府による琉球処分、そして沖縄戦、そして復帰後も居座る米軍基地。近代沖縄の歴史は本土(ヤマトンチュ-)のための犠牲の歴史だったという。沖縄の人々が心から気分がスッキリした出来事が戦後3つあるという。一つは、占領時代、アメリカ軍による任命制であった主席が公選となり屋良主席が誕生した日、そして復帰前の70年のゴザ暴動、そして今回の「代理署名拒否」の大田知事の快挙だというのである。日本の戦後は沖縄の犠牲で成り立ってきた、いつまで続けるのか、そう沖縄の人々は叫んでいるのである。

<職務執行命令訴訟は、歴史的な裁判になる>
村山政権は、12月7日大田知事に対して米軍用地の強制使用に対する職務執行命令訴訟を福岡地裁に起こした。大田知事は署名拒否を貫くと、県内の16名による弁護団を編成して徹底抗戦の構えだ。沖縄県民のこころは一つのようだ。こんな場面で何故社会党政権なのかと悔やんでも仕方がない。社会党沖縄県本部は、反基地闘争の歴史を持つ党の首相による訴訟に怒り、村山退陣を求めつつも社会党にとどまると苦しい立場だ。
沖縄タイムスは「千載一遇のチャンス、沖縄の痛みを法廷へ」と述べて、単なる手続きとしての法廷から「沖縄の主張をする」法廷へとむしろ大きなチャンスと報道し、非常に冷静な主張だった。知事が首相の命令を拒否するという一面では地方主権の実例として国と県の関係、また米軍の強制使用は「財産権の侵害」との憲法論議も注目される。
社会党の命運などより、沖縄の人々の心に響く政策が求められているようだ。

<「沖縄へ帰せ」へ>
沖縄から戦後50年を見直す講演集会があり、冒頭に沖縄の島歌を聞くことができた。島歌歌手の大工さんは、懐かしい歌を謡った。「・・・民族の怒りに燃える島 沖縄よ 我らと我らの祖先が血と汗をもて 守り育てた沖縄よ ・・・沖縄を帰せ・・・」という歌。大学1年の頃、まだわけも分からない頃民青系のデモに誘われ、歌ったことがある。(すこし民族主義っぽい歌だな、という印象だった)しかし、今聞いているのは少し違う。最後が「沖縄を帰せ 沖縄へ帰せ」と替歌になっている。アメリカから日本に帰せ、という本土復帰運動の歌だったが、今の沖縄では、沖縄を沖縄へ帰せ、と歌われている。沖縄の人々の気持ちがよく現れている。(95-12-12H)

【出典】 アサート No.217 1995年12月16日

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【投稿】相次ぐ金融不安と日本版RTC

【投稿】相次ぐ金融不安と日本版RTC

<<躍りでてきた「泥縄式」解決>>
12月7日、またもや大阪信組という金融機関の経営破綻が表面化し、東海銀行が救済・吸収するとともに、同信組の不良債権処理はまだ構想にしか過ぎない日本版整理信託公社(RTC)に移管し、損失の穴埋めについては「預金保険法の改正を待って、預金保険機構から資金援助を要請せざるを得ない」ことが明らかにされた。「金融秩序維持」という大義名分の名の下に、「発足の日時や具体的な仕組みさえ確定していない機関」、まだ改正されてもいない預金保険法に資金援助をゆだねるという、全く文字どおりの「泥縄式」解決が躍りでてきたのである。国民的な合意はもちろん、国会の議論や法改正もなしに、行政当局や金融機関が勝手に公的資金の導入と国民負担の強化を先取りするという許し難い事態が進行しようとしている。
この大阪信組、大阪の危ない金融機関として銀行では大阪銀行、福徳銀行、阪和銀行、信組では田辺、河内とともに、以前からリストアップされていた金融機関である。大阪に進出をもくろむ東海銀行の紹介預金に手を出し、役員派遣を受けていたが、この7月に倒産した悪徳金融会社ニシキファイナンスに大量に融資し、10月4日の仙台地裁の決定では大阪信組は「ニシキ社の詐欺的商法を認識していた、悪意の第三者である」と断言されている金融機関である。公的資金を導入して救済する前提条件などそもそも存在しないのである。

<<「だいしん」は「さかしん」とは一切関係がありません>>
大阪信組の経営破綻が明らかになった12月7日、よく似た名称の大阪信用金庫は、驚き慌てる預金引き出しに、急遽各支店では当日はワープロ文字で、大阪信用金庫は「だいしん」、大阪信用組合は「さかしん」で、「さかしん」とはいっさい関係がありません、という貼り紙を行い、翌日からはカラー印刷の大型ポスターを張り巡らして、預金引き出しの防戦に必死の事態に追い込まれた。信用金庫は信用組合と多くの共通性を持っているが、会員外預金が認められており、日銀との取引関係があり、大蔵省、日銀双方からの監督・考査の対象となっている。
一方、信用組合は1949年の「中小企業等協同組合法」にもとづく協同組合組織の相互扶助的な会員組織の金融機関であり、会員外預金については総預金の20%以内という制限、事業区域の制限があるが、兼業禁止規定がなく、監督機関も他の金融機関と違って大蔵省・日銀の監督・考査の対象外であり、国の機関委任事務として都道府県が直接担当している。員外預金が制限を越えたり、高利で紹介預金を導入しても、自分の会社やファミリー企業、実態のないペーパーカンパニー、さらには政治家や暴力団に情実融資や不正な迂回融資をしても、自治体側にはそれをチェックする体制も専門性も整ってはいない。信用組合のずさんな経営実態や危機が続発し、表面化するに従って、多くの自治体が機関委任事務の返上を申し出たり、検討に入っているのは当然のことであろう。
そして現実には、まだそれほど危機が表面化していなかった94年度だけでも、全国で19都道府県が信用組合の経営危機に対処するために援助額が合計530億円にのぼる予算を組まざるを得なかったのである(「日経」95/2/18)。

<<誰の預金を「全額救済」するのか?>>
東京協和、安全の2信組の場合、貸付の6割以上が回収不能の不正・情実融資であり、新進党の山口代議士のファミリー企業への膨大な不正融資など、こんな乱脈経営がまかり通り、事実上私物化された金融機関を「金融秩序の維持」を名目に日銀が200億、東京都が300億円も出して「公的資金」で救済しなければならないのかという当然の厳しい批判として噴出してきたわけである。それに続くコスモ信組、そして木津信、さらに今回の大阪信組である。
問題なのは、こうした金融機関に大手の都銀各行が大量の資金を提供し、さまざまな形で不正融資やバブル形成に荷担してきたことである。しかも通常より高い金利を設定させて「絶好の金融商品」として生損保等の機関投資家、事業法人、さらには労働組合までも巻き込んで何億、何十億と預金させ、危機が表面化する前に大手都銀は確実に高利をむさぼり、そして直前に安全に資金を引き上げさせ、危機が表面化すると不良債権しか残っていないという事態をもたらしたことが、いずれの場合にも共通していることである。個人の少額預金は別として、本来、危険を承知で高利を目当てに群がってきた大口預金者の預金の全額引き出しや高額の利子付きでの全額救済など許されてはならないのである。いずれの信組でも会員外預金が制限を大きく超え、1000万円を超える大口投資預金が約7割にも達していた(95/3時点)という事態は、中小零細企業金融と勤労者の個人金融を業務の中心とする信組の原則を大きく逸脱している。木津信の三和と同様、今回の大阪信組でも東海銀行は「経営悪化の責任は当行には一切ない」と厚顔無恥な態度を貫いている。

<<住専と「ヤクザ・リセッション」>>
その上にさらに「公的資金の導入」については、「年内に果断な決断をする」(大蔵省)という住宅金融専門会社(住専)の8兆円を超える不良債権問題が横たわっている。住専8社はすべて、都銀各行を中心とする大手金融機関が母体行として、バブル下の不動産投融資を専門に担わせるために直接出資し、人材も派遣し、過剰融資を先導してきた金融機関である。ここでも大手都銀は「貸し手責任」論を展開し、自らの責任を棚上げにした「公的資金の導入」で事態を糊塗しようとしている。問題なのは、ここには貸し手としての審査能力がゼロに等しい農林系金融機関が、大蔵省の手引きで過剰な融資に巻き込まれ、「元本確保」さえおぼつかない危機的な状況に陥らされていることである。
そしてこの住専にはさらに数多くのそれぞれの系列ノンバンクがむらがり、不良債権を過大に水増ししてきた。当然そうした事態の進行の中で、貸出先の斡旋から、債権取立、倒産企業の整理、高利貸しと土建業にいたる広範囲な暴力団の介在が公然の事実として明らかにされてきており、借りた金を踏み倒し、他人が借りた金は暴力的に介入して利益をむさぼり、弱みを握られた都銀各行は暴力団系不良債権には手も出せないという事態が現出している。その典型が住友や富士であろう。「ヤクザ・リセッション(不況)」とか、日本経済の「マフィア化」等といったことがおおまじめに語られる事態である(11/29朝日)。
ここでも「公的資金の導入」は、いったい誰を喜ばせ、不当な利益を上げさせるのかという根本的な問題を浮上させている。

<<都銀各行、過去最高の業務純益>>
11月24日に発表された都市銀行各行の95年度中間決算によると、各行とも過去最高の業務純益を上げている。都銀11行だけでもその業務純益合計は1兆8676億円にも及び、都銀トップの純益を上げた三和銀行は政府・日銀の低金利政策という「たいへん心強い政策」の恩恵をたっぷり享受し、さらに「債権相場が好調で、国際の売却やデイーリング益がたくさん出た。業務純益は当行の過去最高の数字だ」(広報部)と胸を張っている。不良債権などどこ吹く風である。他の多くの中小企業や庶民が景気低迷で四苦八苦しているさなかに、彼らは何の経営努力も、情報開示努力もせずに、濡れ手に粟の過去最高の利益を上げ、不良債権を積み上げ、他に押し付けてきた自らの責任については徹底的に覆い隠し、逃れようとしているのである。しかし事態がここまで来れば、そうした責任回避は許されないであろう。
大阪信組の経営破綻を機に急遽浮上してきた日本版RTCについていえば、もはや国際的にも大和銀行事件が象徴的に示しているような大蔵・日銀・都銀のなれあい体制、護送船団方式がついに限界にきていることを示しているとも言えよう。官僚と当事者だけで事態をごまかし、うやむやに処理しようというこれまでのやり方では、国際的にはいうにおよばず、国内的にも通用しなくなってきたのである。大和銀行はその結果としてアメリカからの撤退を余儀なくされたし、刑事責任さえ追及されようとしている。

<<日本版RTCの義務>>
しかしここでも日本版RTCは、国民的議論も民主主義的手続きも経ずに官僚の作文で登場してきたものに過ぎない。アメリカのRTC(債権信託公社)は、独立の機関としてRTC自身が金融機関の経営責任を追求する強制捜査権を持っており、個人資産を含めて莫大な損害賠償を取るのは当然のこと、刑事罰を受けて刑務所に入れられた貯蓄・貸付組合の旧経営者は1000人を超えているという。これに対して日本版RTCが、ただ単に事態を糊塗する大蔵・日銀の附属機関にしか過ぎないものであれば、彼らの無責任な官僚体制を肥大化せさるだけであり、「公的資金導入」の隠れ蓑に利用されるだけである。
不良債権の具体的な実態を詳細に公表し、なおかつ高利を目当てに稼げるだけ稼いで逃げ得をしたあらゆる大口預金者、金融機関をその氏名、社名、機関名、責任者、金額、時期、回数にいたるまで徹底的に情報公開し、かれらに「金融秩序維持」の責任を取らせることこそが、日本版RTCの義務でなければならない。そのためには独立の機関であること、独自の権限を持つことが決定的な重要性を持っており、なおかつその運営に関しては社会のあらゆる階層の多様な意見を反映させ得る民主的決定機関が保証されなければならいといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.217 1995年12月16日

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『詩』 先生のことを想う

『詩』 先生のことを想う ー小野先生没後五周年にー

                      大木 透

視界が乱れ
パースペクティブが
拡散すると
かならず
「神曲」が見直される

ノーベル賞のヒーニーも
これがお好きなようで
大江も
これに共感を寄せている

僕はといえば
「神曲」などは
読み通したこともなく
作者自身が属すであろう
世界を盗み見たり
キリスト生誕以前の群像や
幼児の住む
面白い場所の地形を知ると
もう飽きてしまって
放りっぱなしにしてきた

そんなこんなで
僕は
「神曲」のパロディーなどには
興味はないが
先生のことを想うと
ついつい
キリストをマルクスにしたら
先生は

どんな生活を
しておられるのだろうと
考えてしまう

ダンテにならって言えば
先生はマルクスを知り
マルクスを誹謗したり
批判したこともなく
マルクスは
キリストを無視したことはないのだから
文句なしに
天国で
美酒を傾けて
穏かな生活を送っておられるはずなのだ

あれから五年経って
審判者が
キリストであろうがマルクスであろうと
僕は
とても天国へなどへは
行けそうもないが
ただ
この頃
マルクスが
「神曲」の
主人公になって
復活するであろうことの
確かな予感を
予感している

(一九九五・一一・六)

【出典】 アサート No.216 1995年11月18日

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【書評】哲学がなぜ求められるのか」

【書評】哲学がなぜ求められるのか」
                 『ソフィーの世界~哲学者からの不思議な手紙』
     (ヨースタイン・ゴルデル、池田香代子訳、日本放送出版協会、1996.6.30.)

哲学ブームという波の先端に乗っている入門書、とでも言おうか、『ソフィーの世界』はベストセラーにもなっているようである。600 頁をこえる大冊であるにもかかわらず、この本が売れている理由は何か。われわれはそこに思想的潮流の左右を問わず求められている問題を見ることができるのではないだろうか。
本書の筋書きは、ノルウェーの14歳の少女ソフィーと哲学者が対話を通して哲学史の世界をたどるなかで、本書のからくり自体が明らかにされてくるというミステリー仕立ての物語である。
さて主人公ソフィーは、ある日「あなたはだれ?」「人間て何?」「世界はどこからきた?」という今まで考えもしなかった事柄についての手紙を受け取る。そして14歳の少女が考えるには余りにも大きいこれらの問題に関して次々と謎の人物(どうも哲学者らしい)から分厚い手紙が届けられる。
そこでは哲学の最初とされる古代ギリシャの自然哲学者たち(タレス以下)の探究から始まって、ポリスの哲学者(ソクラテス、プラトン、アリストテレス)、ヘレニズム哲学(ストア、エピクロス)、キリスト教哲学(アウグスティヌス、トマス・アクィナス)と一連の流れに沿って哲学史が続いていく。しかしソフィーが謎の人物(彼はアルベルト・クノックスという哲学者であることが判明する)の哲学講座を読み、後に彼に会って直接話を聞くなかで、これまた次々と不可思議な事柄が起こりだす。
それはソフィーと同い年の、誕生日まで同じのヒルデという少女が、どうもどこかに存在していて、その誕生日を祝う父親のメッセージが、どういうわけか余りにも都合良すぎるくらいにソフィーの生活のあちこちに出現する、というのである。(ヒルデの父親は、ノルウェーの少佐で国連監視軍の一員としてレバノンに派遣されていて、まもなくヒルデの誕生日頃には帰ってくるらしいということがわかる。)ソフィーは、この異常な出来事に悩まされるが・・・アルベルトはその理由に気がついているらしい・・・哲学講座は続けられる。
この不可思議な事件の謎は、本書の前半の終わり、哲学史がルネッサンス、大陸合理論を過ぎて、イギリス経験論に入るころに(ロック、ヒューム、バークリに至って)明らかにされる。
(ここでミステリーの結末を述べるのはルール違反かもしれないが)実は本書は、ヒルデの父親(アルベルト・クナーグ少佐)が、娘の誕生祝のプレゼントとして自分で書きためて送った哲学史の著作だったのであり、そしてその登場人物が、娘と同い年のソフィーであり、父親と良く似た名前の哲学者アルベルトであったのである。従ってソフィーの日常にヒルデ宛のメッセージが現れるのも、哲学者のアルベルトの方がその仕組みについて分かっているのも、すべては本の筋書き通りだったのである。しかも父親のアルベルトは、その仕組みを知っている登場人物の方のアルベルトに、作者である自分の裏をかこうとするたくらみの筋書きさえこさえているのである。
そして本書は、このような風変わりなプレゼントを贈られたヒルダが、ソフィーの哲学史の学習のありさまを読んでいく、という後半に移る。哲学史としては、ドイツ観念論(カント、ヘーゲル)、マルクス主義、実存主義、ダーウィン、フロイトといったところが概説される。
ところが娘のヒルダは、つくられた登場人物のソフィーとアルベルトが余りにも父親のプログラム通りになっていることに同情し、終わらせてしまった物語の続きをつくり、逆に父親の方が登場人物であるかのような悪戯をしかける。この結果ソフィーとアルベルトには、登場人物でありながら、今度は実在の人物たちを観察するというひっくり返った役回りが生まれる。
物語の最終場面は、ヒルダと父親が「ビッグ・バン」の話をしながら、本書の最初の質問と同じ、われわれがどこから来たのか、という問いを立てているところで終わる。そしてここにわれわれ一人ひとりに、もう一度「あなたはだれ?」「人間て何?」「世界はどこからきた?」という問いが発せられ、われわれ自身が考える役割が回ってくるのである。これこそ本当にミステリアスな結末ではなかろうか。
以上のように本書は、一言で表せば西洋哲学史の概説である。前ソクラテス学派(自然主義哲学者)から、デカルト、カント、ヘーゲルを経て現代にいたるヨーロッパ思想を中心とした思想の概観であり、この本自体は、かつてわれわれが高校時代に学んだ「倫理」もしくは「倫理・社会」の教科書とそれほど異なったことを叙述しているわけではない。(もちろん高校の検定済教科書は、その指導要領に従って題名のごとく「倫理」であり、そこでは哲学というよりも、道徳、社会思想等に力点が置かれているので・・・教科書検定の問題点をも含めて・・・多少のニュアンスの違いはあるが。)
本書についてはもちろんその思想理解の欠陥を多々認めることができる。たとえば、民主主義についてほとんど問題にされていないし、産業革命後の資本主義の発展とその諸矛盾の激化についても、マルクスの思想との関連で、本質的な理解からは程遠いと言わねばならない。また現代に大きな影響を及ぼしているアメリカ思想(プラグマティズム等)については一言も語られてはいない。
しかしそのミステリー風の構成といい、ファンタジスティックな内容といい、従来の教科書には見られない新鮮さが若い読者を引きつけている。しかも宗教ブームが一段落したとはいえ、それに代わるものが現れてきていない今、本書のような哲学の著作が求められる事情について、本書の訳者(池田香代子)は、「危険は、精神世界と言いながら、精神とは何かということについて、きちんとした土台が共有されていないことにある。宗教も含めて、長い歴史をつうじて精神の世界で紡がれてきた言葉の内実が、とりわけ若い世代にしっかりと受け渡されないままに、『心の時代』というコピーだけが踊った、そのことに私たちの時代のあやうさはある」と的確に述べている(9月8日、朝日・夕刊)。われわれはここに、現代において「哲学」が要求されるひとつの理由を認めることができるであろう。
ともあれ本書は、かつて「倫理」の授業を欠伸をかみころして受けた経験を持つ人々にも読みやすいものである。本書の現代思想に関しての説明で首をかしげざるを得ない部分については、マルクスその他を直接読んでいただくとして、論理の発展の道筋として哲学を読もうとする向きには適切な書物と言えよう。わが国に氾濫している哲学入門書(木田元『反哲学史』講談社など、読むだけ無駄な本である)の類を圧倒する希有な書である。 (R)

【出典】 アサート No.216 1995年11月18日

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【投稿】河口堰を監視続けよう!

【投稿】河口堰を監視続けよう!
               「11/5 開け!河口堰 長良川監視DAY」報告

貴重な連休(11月4・5日)を長良川で過ごしてきました。「本格運用」が始まった長良川河口堰を前にした伊勢大橋上流の河川敷には、昨日からキャンプを張っているスタッフ、参加者の色とりどりのテントの屋根が続いています。
河口堰はすでに「ダム」として水門を上げて約1.5Mの落差で水を貯め始めています。用水としては、導水路もないため全くの無意味そのもの。汽水域であった漁場を分け隔てて、生態系への深刻な影響のみをもたらしつつ。
今年の「NAGARAGAWA DAY」は、監視することがキーポイントです。5月の野坂建設大臣による「河口堰の本格運用決定」によって、サツキマス、天然アユ、そしてヤマトシジミにどんな影響が出ているのか、「監視」を続けること、決して長良川河口堰問題は終わってはいないことを運動の側が示していくことが課題でした。
4日朝に大阪を出発した車は、午後1時には現地へ到着、食事の後イベントに参加しました。以下はささやかな2日間の報告です。

<4日河口堰運用止めナイトは深夜まで>
4日は、午後から夕刻までは、小室等のコンサートとか、リンさん(椎名誠のいやはや隊の料理長)の料理教室、藤門 弘さんの「アリスファーム」から持ち込まれた山羊の丸焼きバーベキューなどのイベントが続きました。
夕方がらは、長良川監視委員会からの報告タイムです。監視委員会事務局長の天野礼子さんから、監視委員会発足の経過、活動報告が行われ、続いて監視委員会会長の大石武一さんから委員会を代表してのあいさつがありました。
具体的な川の変化の報告は岐阜大学の粕谷志郎さんから、長良川シジミ漁師の中村さんからは激減したシジミ漁の実態を怒りを交えての訴えがあり、今後予想される導水事業と水道料金について、河口堰差し止め訴訟団の村瀬さんから報告がありました。
続いて、全国の川を守る運動からの報告があり、水源開発問題全国連絡会の遠藤さん、徳島県細川内ダムと闘う木頭村村長藤田恵さん、相模大堰に反対する実行委員会の岡田さん、徳島の吉野川で河口堰反対運動をしている姫野さん、石川県の「兼六園と辰巳用水を守りダム建設を阻止する会の中川さんなどがそれぞれの報告を受けました。
後は、佐高信さんの辛口トークなどがあり、やや遅れぎみの進行で午後11時まで続きました。それでも参加者約500名は最後までこれら川の報告を熱心に聞いていました。

<野坂=社会党はだめで、さきがけはいいのかな?>
当然ながら、発言では「野坂」批判が続出、怒りの集会となりました。政党では共産党とさきがけ三重が参加してましたが、社会党の姿はありませんでした。労働組合では、全電通名古屋支部(電通労組関係者によると一部セクトが強いらしい)、名古屋水労、国労の旗がありましたが、自治労の旗はなし。
不思議におもったのが、さきがけの参加。兵庫の高見裕一衆議院議員は日本新党の時代から環境運動に力を入れていたことは知っていますが、「本格運用開始」は自社さ連立政権が強行したはずなのに、「知らぬ顔」でデモの先頭を歩いていたのは、すこし虫のいい態度ではないのかな。悪いのは野坂=社会党だ、と言わんばかり。さきがけは、参加者に機関誌は配るは、フランス核実験反対行動のパネル展示はするは、「環境問題のさきがけ」を参加者にピィアールしていました。(しかし、どう見てもさきがけブースの要員の若者はアルバイトという雰囲気でしたが・・・)

<粘る参加者2500名>
5月の運用開始により、「長良川河口堰はもう終わった」みたいな雰囲気もあり、実行委員会では、例年を大きく下回るのでは?という懸念をもっていたのは事実です。実際の参加者は2500名(主催者発表、参加費1000円を払った人の数)で、「よく集まった」という評価をしているようです。(当初の予想より1000人は多かったようです)ただ、今年は3日には岐阜からのカヌーによる川下りデモ(約100艇参加)、岐阜市内の長良川河川敷での「お魚トーク」(根津甚八さんなど参加)があり、4日・5日の伊勢大橋周辺での行動と3日という期間の全体の参加者が2500人だったということなのです。当然3日連続参加というのは限られた人々であって、5日の一斉行動の参加者は全体でも、甘めに見て1200人というところでしょうか。カヌーデモも昨年の半分というところです。毎年秋の恒例となったこのイベントに参加して5回目位になりますが、少し運動的には疲れてきているかな、という雰囲気は否めません。粘る運動としてはこれからなのかなとも思うところです。
さて、11月ともなればキャンプも寒い寒い。シュラフの中に毛布をさらに入れて、最後に胃袋にはアルコールを入れて、やっと眠りにつきました。飲み過ぎた性か午前4時頃尿意を催し、外にでたところ、寒々とした満天の星に感慨無量でした。(やっぱり来てよかった!)

<長良川監視宣言を採択>
翌5日は、よく晴れていよいよ一斉行動の日。正午のアピールに向けて集会が朝9時から始まりました。(残念ながら私はそのすべてを聞いていないので、発言者名だけお知らせします) 冒頭は、「長良川河口堰監視委員会会長」の大石武一さん(初代環境庁長官、この方は84才の高齢ですが、しっかりしていました。デモも参加されました)。政党からは、(?)旭堂小南陵さん、新党さきがけ高見裕一さん、日本共産党 有働 正治さん、労組は全水道、名古屋水労(自治労連)、国労など。
最後に「長良川監視宣言」が提案され、全体の拍手で確認されました。その内容は「一、治水のために河口堰が必要であるという官製治水論は流域住民説得のために捏造であった、一、災害時にも河口堰は安全と言うが、災害時に無傷で残るのは堰本体だけである、一、野坂大臣は環境への悪影響はないと行ったが、河口堰の運用はたちまち水質悪化をひきおこし、生態系への深刻な影響が始まった、一、十分な水源を確保するために河口堰は必要と言うが、水は余っており、導水事業を強行すれば、地元は不必要な水のためにさらに巨額な支払いを強いられることになる、という認識のもとに河口堰の運用中止を訴える」というもので、「私たちは長良川の監視を続け、さらにそれらの(山・川・海を守る)ネトワークとも連帯し、すべての不必要な大規模公共事業の見直しを求めて協力し、行動すること」を宣言したものでした。

<陸上デモは、河口堰本体の上に進む>
5日はデモが主体の行動の日です。あいさつ関係も簡素に行動に備えます。昨年まではカヌーデモが河口堰に向けて接近し、陸上デモは、伊勢大橋の上からシュプレヒコールして一斉アピールというのがパターンでした。しかしすでに河口堰本体は完成し、本格運用で水門が上げられている状況です。一方建設省・水資源公団は河口堰を観光地のように「見学」ができるように、オープンスペースとしています。(ちょうどダムの上から湖水がみえるような感じに)。そこでデモは河口堰本体の近くの堤防まで進み、一旦そこで「解散」し、三々五々「見学者」として河口堰本体の上に終結して、カヌーデモと合流して、一斉行動を行おうと言うわけです。
午後11時デモ隊は、さきがけ高見代議士、共産党有働代議士、旭堂小南陵さん、天野礼子事務局長、大石武一監視委員会会長を先頭に河川敷を出発、河口堰を目指します。
労組部隊を先頭に、「河口堰運用を中止せよ」「塩害なんて起きないぞ」「ヤマトシジミも棲めないぞ」と元気よくシュプレヒコールを繰り返しながら進みます。
マスコミ報道関係者は、カメラ4台を確認しましたが、結構来ていました。約40分で河口堰近くの堤防に到着、解散の形で参加者は堰本体の上に進みます。
そこは、本来「公共スペース」として解放されているため、警察の規制も厳しくなく全員のデモ参加者は、河口堰の上に終結することができました。
一方カヌー隊にはやっかいなことが起きていました。本格運用されているために、これまでのように力強い長良川の流れが無くなっており、静水状態になっていたわけです。今までは昼の間は下流への強い流れ、夕方には上流への風と波という中で止まっているのも疲れる程の状態から、自分の力で漕ぐしかないというわけです。
正午を期して、「陸上デモ隊」はシュプレヒコールを、カヌー隊はパドルを高く掲げて抗議の意
志を表しました。空には報道関係のヘリが2機、低く旋回しています。

<粘るしかない、環境運動>
こうして今年の長良川監視DAYは終わった。本格運用により失ったものは極めて大きい。水質悪化、生態系への悪影響は確実に進行している。また運動側も少し疲れが見えている。他方で長良川の経験は全国の川を守る運動の大切な財産であり、個別の長良川を守る運動も今後とも粘り強く続けていく必要がある。
監視委員会という新しい形態からの反撃はここから始まるという決意で、長良川を後にした。(1995-11-13佐野秀夫)

【出典】 アサート No.216 1995年11月18日

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【投稿】繰り返される植民地支配美化論と村山内閣

【投稿】繰り返される植民地支配美化論と村山内閣

<<ほとほとあきれるその政治感覚>>
渡辺美智雄元外相が「日本は韓国を統治したが、日韓併合条約は円満に作られた国際的条約で、法律的には『植民地支配』にはあたらない」と発言して、「歴史も恥も知らぬ政治家」として国際的非難を浴び、陳謝したのは、つい5ヶ月ほど前の今年の6月のことである。
10月5日には、村山首相が国会答弁の中で「日韓併合条約は法的に有効に締結された」と発言し、韓国側の猛反発に驚き、首相見解表明で併合条約が「形式的には存在していたが、対等、平等な立場で結ばれた条約ではない」ことをあらためて確認したのが10月17日のことである。
そのさなかの10月11日に「日韓併合は強制的だったとする村山富市首相の発言は間違っている」として、村山内閣の閣僚である江藤隆美総務庁長官が、「日本の朝鮮植民地支配にもいいことをした」のであり、日韓併合条約は「強い国と弱い国、ほかに方法がないわけだから。心理的圧迫、政治的圧迫があって結ばざるをえない。あの時は自分の国が弱くてやられたときだから、仕方なかった」と発言したのである。

<<確信犯としてのオフレコ発言>>
江藤長官は、植民地支配と侵略的行為への反省を明瞭にした戦後50年国会決議に対して、「日本は侵略的行為も植民地支配のどちらもしていない」として反対し、欠席した「終戦50周年国会議員連盟」(奥野誠亮会長)の副会長である。彼は、報道陣を前に「メモを取るな」と前置きをした上でとうとうとまくしたてた確信犯なのである。「日本はいいこともした。全市町村に学校を作った。一挙に教育水準を上げた。まったく教育がなかったわけだから」などとでたらめ極まる発言をし、創氏改名についても「全部の国民に創氏改名をやらせたとは思えない」、「赤坂や六本木には韓国と中国人が多い。
韓国人が日本に来てあらゆる階層で活躍するようになった。あるいは日韓併合条約の効果だったかもしれない」と開き直り、あげくの果てに「日本人全体としては、あそこは植民地とは思っていなかっただろう。だから内地、外地と呼び、外地を内地の水準に高めようとした」のだと強弁したのである。「内地外地」発言自体がいまだに植民地意識を堅持している時代錯誤思想丸出しの人物である。

<<またもや一転して発言撤回、陳謝>>
こんな人物が、韓国外務省が11月8日に「報道内容が事実なら、衝撃と怒りを禁じ得ない」として抗議声明を発表し、日本政府に「適切な措置」をとるよう求めると、同日、手のひらを返したように、あれは記者団とのオフレコ発言にしかすぎず、不正確であり、誤解されているとして発言を撤回し、陳謝したのである。またもや過去のさまざまな反動的閣僚と同様に、それまでの勇ましい発言を「不適切な発言」、「配慮を欠いた発言」だったとして撤回、陳謝するあの悪しき伝統の繰り返しである。
江藤氏は、「(日韓併合条約については)合法的に締結された条約ではなかった。発表が一週間後で、軍隊を配置し強制的に結んだものだからだ」とこれまでとはまるで見解を一転させ、創氏改名についても「思い出をもとに話した」ものであって「法律で定めるのはもっての外だ」とすりかえ、さらに「村山首相が国会で、強制的に調印させその結果、植民地支配が行われ国民に多大な迷惑をかけたことを心から反省し謝罪すると言われたことを閣僚の一人として認める」と弁明し、閣僚を辞任するつもりのないことを明らかにした。地位にしがみつくあきれ果てた「確信犯」である。

<<「進退を問う」必要はないのか>>
問題はこれに対する政府・与党の対応である。自民党の山崎拓政調会長は「戦前の軍部の侵略的行為の反省に立った言動が(政治家に)要求されている」と述べ、発言は配慮に欠けたとの認識を示しながらも、「江藤氏は記者会見で(日韓併合条約をめぐる認識は)村山内閣の方針通りと言っており問題はない」と、閣僚としての進退を問う必要はないとの考えを示したのに対して、新党さきがけの田中秀征代表代行は「(江藤長官の)立場を考えれば軽率の印象は否めない。過去の植民地支配という歴史的事実は、その中でわが国の行ったすべての行為を超えた重い過ちだ」とするコメントを発表した。
ところが社会党は江藤発言を批判しながらも「(進退については)自民党が判断すること」として、首相を抱える政党としての責任を放棄しているのである。APEC首脳会議を間近に控えながら、河野外相の釈明のための訪韓も拒否され、韓国側があくまでも具体的な「適切な措置」を日本政府に求めていることが明らかにされてようやく久保書記長が江藤氏本人の辞任を期待する発言をした程度なのである。ここには現在の政府・与党の歴史認識ならびに国際感覚の欠如につらなる、社会党自身の問題も現れているといえよう。

<<日韓併合条約の「有効」性>>
問題は、10月5日の村山首相の国会答弁に象徴されているようである。共産党の吉岡議員が、植民地化が強制的に行われたがどうかを問題にした質問に対して、問われてもいないのに、日韓併合条約の有効性にまで言及し、「日韓併合条約は、当時の国際関係の歴史的事情のなかで、法的に有効に締結されたものと認識している」と発言したのである。これは官僚の作文を棒読みしたものであった。もちろん、それに引き続いて「深い反省と遺憾の意」を表明しているのであるが、ここには、こうした歴史認識と国際関係にかかわる重要な問題を、官僚が用意した作文、しかもきわめて意図的な作文をそのまま読んでしまうという政治的感覚の欠如が現れている。いくら「深い反省と遺憾の意」を表明しても済む問題ではなかったのである。
30年前に締結された1965年の日韓基本条約第2条では、日韓併合条約は「すでに無効」と表現されているが、韓国側は「初めから無効」との立場を取り、日本側は「今では無効」と解釈する両義解釈可能な条文となっていた。日本側からすれば、「併合条約はすでに無効」であるはずが、「法的には有効」な条約であったということによって、韓国側からの新たな賠償要求を阻止しようという外務官僚の稚拙な、しかし歴史認識を逆転させる反動的歴史観に寄与することになってしまったのである。その結果、村山首相は10月13日の再答弁でも、日韓併合条約は「すでに無効」と言えなくなってしまった。

<<「新しい条約」締結を求める決議案>>
こうした新たな事態の展開の中で、韓国の与野党議員106人は10月26日、1965年に結ばれた日韓基本条約を廃棄して新しい条約締結を求める決議案を国会へ提出することとなった。すでに韓国国会は10月16日、村山首相発言に抗議して、日韓併合条約が当初から無効であるとの決議を採択しており、その上に立って、決議案は「日韓基本条約は日本の戦争責任と、韓半島(朝鮮半島)を不法に強圧的に植民地化し、残忍な方法で支配した責任に免罪符を与えた韓国の屈辱的外交の標本である」とし、さらに「(新しい)基本条約では、過去に日本が犯した韓国に対する侵略と植民地支配への謝罪と反省の意が明らかにされ、日韓併合が根本的に最初から無効であることを明示しなければならない」と主張している。
韓国国会(定数299)の現議員数は290人で、決議案は与党・民自党35人、野党の新政治国民会議36人、民主党29人、自民連5人、無所属1人の与野党の計106人が共同提出している。李洪九首相は10月26日、日韓基本条約について「三十年間、日韓両国の支えとなった基本条約の見直しは考えていない」と語り、同条約の再締結交渉などを行う考えがないことを明らかにしているが、決議案提出で中心的な役割を果たした民主党の金元雄議員は「現在の情勢では決議案が採決されることは間違いない」と話している。

<<問われる政治哲学>>
村山首相は、これまでのどの政権よりも踏み込んで、過去の日本帝国主義の侵略行為と植民地支配について真摯な反省と謝罪の立場を明瞭にしてきたことは明らかである。
また社会党がこれまで一貫して、日韓併合条約は強制的に締結されたものであるとの立場を堅持してきたことも事実であろう。そのことは正確に評価する必要があろう。にもかかわらずこの時機に、その日韓併合条約は「法的には有効」であったという発言は、これまでの努力を水泡に帰し、「村山首相よおまえもか」とさせるものであった。
韓国の李仁済・京畿道知事は10月31日、村山首相と会談し、日韓併合条約をめぐる最近の首相発言を念頭に「両国関係の不幸な歴史に関する問題が出たため韓国民は心配している。『大衆に学ぶ』というのが首相の政治哲学と聞いており、指導力を発揮してほしい」と要請したと報道されている。
韓国の金泳三大統領は大阪で開かれるAPEC首脳会議出席のため11月17日から20日まで大阪を訪問し、19日の首脳会議を挟んで、18日にクリントン米大統領、村山首相と、20日にはバンハーン・タイ首相とそれぞれ首脳会談を行う予定である。今やこの日韓首脳会談の実現さえ危ぶまれているが、韓国の李首相が「APEC大阪会議前のこの時期、この問題が日本のリーダーや国民が歴史問題を考え直す契機になることを期待する」と語っていることを真剣に受け止める必要があるのではないだろうか。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.216 1995年11月18日

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【投稿】リベラル新党への道

【投稿】リベラル新党への道
               —-政党も政治家も「変わらなきゃ!」—–

社会党の新党づくりが迷走を続けている。結党50年を祝うパーティーが開催されたが、国民の社会党への期待度はますます低下し、リベラル勢力の結集への指導性が問われている。果たして、リベラルの旗は上がるのか。社会党の新党つくりに期待していいものなのかどうか。

○既成政党の落日
社会党の新党づくりは、いっこうに進む気配がない。社会党といえば左右の対立が相変わらず激しく、国民にはなぜ対立しているのかが解らない。そもそも、共産党のような革命をめざす政党=前衛党志向が長い間強かった。社会党内の対立の軸はこの点にあったはずだ。「社会民主主義」という言葉が党の路線を表す言葉として登場したのはようやく90年になってからである。ソ連邦の崩壊、東西両陣営の対立が解消したにもかかわらず、いまだにこのような過去の清算がきちんとできないのは、社会主義の理念に日本の現実を合わそうという無理があった。「これからは日本の現実をどう変えたいと言う議論を国民と共に始めたい。国民の皆さん共に議論しましょう」となぜ言えないのか。国民と共に歩む政党としての原点が、もはや見失われたと言わざるを得ない。そんな政党を国民が支持するはずが無い。もはやみずからの出身者・OB、OGを送り出している労働組合、各種団体の支持を得るので精一杯であるという限定された利益代表政党の姿しか見てとれない。
社会党に限らず、なにごとも曖昧にしてしまい、責任を取ろうとしない姿勢に対して国民が既成政党批判を高めている。社会党の場合は、とくに典型的に現れているのだが、選挙の公約について、どれだけ実現できて、どれだけ実現できなかったのか。なぜ実現できなかったのかという情報提供ができていない。選挙公約を平気で破棄して、平然として次の選挙に別の公約を打ち出してくる。例えば、消費税は廃止すると言う公約はどうなったのか。89年の夏の参議院選挙で勝利した公約の目玉が、翌年2月の総選挙で実現不可能となった時にどうして国民と各県で対話集会を開催して、今後どうしていくのかを協議できなかったのか。また去年の7月に村山首相が「自衛隊は合憲。安保堅持。日の丸、君が代は国旗、国歌として定着」と答弁する前に、どうして国民と十分な議論をしなかったのか。このような公約軽視、すなわち国民軽視の姿勢では、とても新党づくりに成功できない。
社会党に限らないが、あまりにも政治家が、平気で公約を撤回したり、無節操な離合集散を繰り返すうちに、国民が反撃の機会を伺っていた。それが、今年の春の統一自治体選挙で東京都と大阪府で既成政党の相乗り官僚候補を落選させ、青島・ノック両無党派知事を誕生させたパワーである。公約を守るために苦悩した青島知事の姿こそ、政治家の原点である。55年体制が崩壊した今日、無党派の勝利から学ばねばならない教訓は多い。

○いでよ!わが街の「イチロー」
「変わらなきゃ!」は今年、大リーガーとして活躍した野茂と並んで、日本に明るい話題を提供したオリックス・ブルーウエーブのスーパースター、イチローの生み出した流行語である。流行語はその年のムードを象徴する言葉だが、この「変わらなきゃ!」は、現在の日本の各分野にわたって通用する標語としてもふさわしい。イチローのスピード感あふれるプレーが日本のプロ野球の新しいページを開いたように、各分野で元気の良いニューヒーローが登場して制度疲労に陥った旧体制を改革しなければ日本の未来は暗くなる。こつこつと父親と共に自分の打撃を確立していったイチローの努力のように、情熱をもって自分のめざす道をばく進する人間が必要だ。「一人でてきることには限りがある」と逃げをうって、時代に流される傾向がある日本人の中にも、自分の能力を開化させて、既存の慣習や権力をつぶしてでも未来を切り開くという、視野の広い人間が出てくることを信じたい。
たとえば宮崎はやお監督の映画で有名になった「柳川堀り割り物語」では、たったひとりの若い市の職員が、泥の川になり果てた堀り割りを蘇らせようと市長や地元住民を説き伏せ、みごとに住民参加の蘇生を実現した記録が描かれ、見るものを感動させずにはおかない。国政の改革といういきなり大きなテーマを考えるよりも、このように自らの足元の問題の解決と改革こそ、まず着手すべき課題ではないだろうか。子どもが通う学校を地域に開かれた学校にすることや、地域での福祉ボランティア、環境問題など足元に自分の関われる問題が何かあるはずである。週休二日制が浸透してきた時代に地域にどう関わるかが問われている。

○まずローカル・パーティーをめざして
阪神・淡路大震災にオウム真理教、銀行・信組の経営破綻と今年に入ってからのあいつぐ大事件のなかで、日本の官僚システムの問題点が全世界に浮彫りになった。官僚が自分達に都合の良い法律を国会に提出して制定させ、いったん成立させるや「法治国家」の名の元に国民や地方自治体を法律に従わせる。不祥事や問題が発生すると、今度はそれを逆用してますます規制を強める、いわゆる「焼け太り」が当然のように行われている。政治家は、情報も権力も合わせ持った官僚の使い走りとなって、みずからの権益の保護と結び付く法律の制定・改正に努める。首相になろうが、大臣になろうが、役人の言うがままの記者会見・コメントを行うロボットでしかない。このような民主主義とかけ離れた政治の現状を、国民は怒りと絶望の入り交じった複雑な思いで見つめている。そんな閉塞状況を打ち破るための政治改革の火が全国各地で上がらなければならない。
国民一人ひとりが、みずからの所属する組織の論理や集団のルールを点検し、それが社会の発展や民主主義の前進と対立する場合には、勇気をもって問題の解決に当たること。そのためには自己の主張を明確にすることが、国際化の時代にふさわしい行動様式である。沖縄県の大田昌秀知事のように、自分の信念と哲学を貫く政治家が自分の住む街や都道府県にいるのかいないのか。いないのであれば、住民が自分達の代理人として議会に送り込む。あるいは首長になってもらうように運動の輪を広げる。そして、行政のもっている情報を公開させ、住民参加で街を変えていく。そんな動きが地域での新党づくりに結実していく。このようなローカル・パーティーが全国に広がるように交流を深める必要がある。
北海道では、横路前北海道知事と鳩山由紀夫(新党さきがけ代表幹事)がローカル・パーティーを志向しながら連合して選挙戦を闘えば、過半数を制するかも知れない。四国では、元社会党代議士の仙谷氏(徳島)と香川の新党さきがけの真鍋前代議士、高知の社会党の五島衆議院議員などが連携を始めている。神奈川での政治改革への試みも充実している。政治は政治家に任せてあとは知らないというのではなく、自らが政治の主体として議会や役所に押し掛ける住民がどれだけ増えるのか。一年や二年では変わらないにしても、十年後には各地でローカル・パーティーが旗揚げし、全国的にネットワーク化しているという姿にできるのかどうか。日本の民主主義の闘いは、国民自らが民主主義を勝ち取るという新たな段階に入らなければならない。(1995年11月7日大阪M)

【出典】 アサート No.216 1995年11月18日

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【投稿】もたつく新党 揺らぐ村山政権

【投稿】もたつく新党 揺らぐ村山政権

<新党議論は水面下へ>
社会党の新党づくりが遅れている。9月の社会党臨時大会は新党結成を確認したものの「看板の書き換え」に近い内容となり、新党推進派と慎重派の妥協の産物になったうえ、10月中にも「新党の理念」を打ち出すとしたにも関わらず、現時点でもその時期は明らかにされていない。第3極が必要との議論も自民・新進の保守党に対抗する政治的政策的な論戦も提起がされないなかで、第3極の議論、民主リベラル政党の結成そのものへの期待感も薄れつつあるというのが現実ではなかろうか。
新党推進派の陣型は、横路を党首にし、さきがけとの合流、旧民社党内の一部分も取り込んでのゆるやかネットワーク政党の結成であろう。しかし、横路はまだ動かない。地域フォーラムつくりには奔走しているようだが、肝心の社会党の新党議論にはまだ発言する時期ではないと「慎重」である。他方、さきがけの側は鳩山の発言にもあるように、労組側からの「新党推進」の動きに違和感を感じており、「労組が前に出すぎると、新党そのもののイメージが悪い」と、新党への発言も控えめなものに終始している。
社会党大会まではマスコミも新党問題に注目していたが、社会党内、横路、さきがけ、労組など新党の推進者そのものが互いを牽制しあい、発言を控え始めたことと、オウム、宗教法人法、金融不安、フランス核実験、日米地位協定など政治社会的な注目課題が続出するなかで、社会党新党問題への注目度もかなり落ちてきているようだ。

<根本的な解決が求められる課題が続出>
これらの課題はどれ一つをとっても日本の選択が問われる重要課題であり、それぞれの政党の議論が伯仲すべき課題である。残念ながら自社さ・村山政権の対応はそうした根本的な議論を回避した、付け焼き刃的対応に終始しているようで歯切れが悪い。
沖縄の米兵による少女暴行事件で明らかになった日米安保条約の不平等性は地位協定の問題にのみ限定された議論があるが、犯人の米兵逮捕権における不平等に対する怒りが発端とは言え、日米安保条約そのものの歴史的役割が終わっているのかどうか、明確にされすでにアメリカ国内では、日米安保解消論も生まれているし、安保に替わる安全保障、平和の維持の課題はどうなるか、明確な議論展開は見られていない。沖縄県知事の基地利用への署名拒否問題で村山首相は「政権の命運をかけて・・」と発言したそうだが、日米安保を認めた政策転換と今後のあるべき安全保障の政策は区別し、社会党的な(新党を視野にいれた)対応こそ求められる。
金融不安の問題も東京協和、コスモ、木津信用、兵庫銀行に続いて、大和銀行の米国債券での巨額の損失問題が明らかになり、日本国内のみの不良債券議論から国際的な金融市場における金融不安問題へと深刻さを増している。11年にもわたる不正に対して個人ではなく銀行ぐるみで隠蔽していきた銀行の問題として、巨額の不良債券問題とも絡み国際的な不信感が強まっている。今後国際的な日本の金融機関の信用度は軒並みAランクからBランクへ下がることが確実であり、融資原資の35%程度を海外での資金調達に依存してきた都市銀行にとって、不良債券の償却問題とも絡んで金融不安は一層深刻化すると見るべきであり、公的資金の導入についても国民の議論が別れている上に、たとえそれが行われても金融不安が短期で解消できる保障はない。「暴力的」な解決の可能性もある。
これまで大手を振ってきた大蔵官僚の信頼も、汚職、灰色官僚の続出で地に落ちておりバブルの後始末では終わらない問題についても、公的資金の導入問題だけが焦点化している感があり、政治の側の政策提起が求められている。
これらの課題に残念ながら自社さ政権は、まともな対応ができていない。社会党の新党議論が萎みがちなのもこれら課題への政策対応ができていないことの反映でもある。現実政治への介入、政治的主張抜きに新党ができるわけがない。そういう実態こそ看板の書き換えということなのではないか。

<橋本自民党総裁の誕生>
9月の総裁選挙で誕生した橋本自民党は、いまのところ「自社さ連立政権」を維持する立場は表面的には変えていないものの、自民党単独政権、または連立政権であっても自民党からの首相奪還の基本姿勢を明確にしつつある。特に衝撃的なオウム事件に対する国民の危機感に便乗して、本来の目的は新進党の実働部隊である創価学会への活動規制を狙った宗教法人法の改正に力点を置いている。
一方で自民党のキーマンは以前として旧田中派、経世会の竹下元首相である。橋本総裁の誕生も竹下のシナリオであろうし、保・保連合なる選択肢も、新進党の羽田を視野に入れた旧田中派・経世会の再登場であろう。自社さ政権がリクルート・協和汚職などダーティイメージで政権を失った自民党の充電期間に過ぎないとの議論も否定できない。おそらくは新進党を創価学会追い出しで分裂させ、保・保連合による政権をめざしていると考えて間違いはないと思われる。

<村山政権 支持率低下続く>
こうして揺らぎ始めた村山政権に対して、世論の風あたりは一層厳しくなっている。10月17日の日経新聞は全国電話世論調査の結果を報じている。村山政権の支持率は政権発足時の29.9%といかないまでも31.0%と低下している。政党の支持率では自民党が橋本総裁誕生の成果か35.6%と回復し、新進党は参議院選挙後8月の調査では20.3%であったものが今回13.6%と6.7%も低下している。日経新聞は「7月の参院選で新進党勝利をもたらした有権者の意識が微妙に変化している様子が垣間見える」と分析している。宗教法人法改正などの創価学会=新進党の実働部隊をのキャンペーンは効いているようだ。「宗教法人法の早期改正」に56.7%が賛成し、オウム真理教への破防法適用に72.1%が賛成している。
さらにショックなのは、国民の村山政権への支持率が低下しているばかりか、社会党支持者の中でも不支持が増えていることだ。前回調査では社会党支持者のうち前回80%が支持、9%が不支持であったものが、今回は支持するが65%、不支持が18%となっている。村山首相の指導力についても社会党支持者の中で、指導力がないとする人が前回でも51%あったが今回は58%近くになっている。
こうした状況の反映として、「自社さ連立政権がのぞましい」前回34.6%、今回27.8% 「新しい連立政権が望ましい」には63.6%が答えるに至っている。新しい政権を望む中では自民・新進連合26.5%、自民党単独政権24.0%、非自民連立政権18.1%、新進党単独政権14.6%という結果になっている。
「村山政権離れ 鮮明に」「保守への期待強く」と見出しされているが、この世論調査結果を見る限り、村山政権はかなり終盤にきていると言わざるを得ない状況である。

<新党議論は、政治・政策論争を通じて>
こうして明らかになってくるのは、ますます新党議論が遠のいていく危険性である。たしかに日経の世論調査では金融不安や景気対策を考えて解散は来年度予算が成立してからの来年4月から夏にかけてを望む42.8%、解散は来年秋以降でよい20.0%となっており村山政権、自社さ政権が半年以上続く可能性は高い。しかし、すでに述べたように現在の日本の状況は、政治・政策論争を通じて課題の解決が早急に求められている。政権政党も結構だが、政権が崩壊したとき、政党も消えてしまったという笑えない現実が近づいているのではないか。
前号でも指摘したとおり、このままずるずるでは新党どころではない。現実課題への対応を通じて、新党作りを協力に進めるべきだと思うのだが、それを望んでもあまり期待できないというのが社会党の現実なのかな、とそんなところに落ち着くのがとてもさびしい気持ちなのだが。
最後に、この問題も前号で触れたが、労働組合側の対応である。21単産でスタートした「新党推進労組会議」は現在33単産になったという。文書をみる限りもたつく新党論議にかなりやきもきしているようだ。最終的には連合の方針である「自民党にかわる新しい政治勢力」としての新党を目標にしているのだが、さきがけの鳩山が発言しているように労組色が強くなることは控えるべきだし、推進労組会議の代表たちも最近は公式発言を抑えているように思う。労組も組合員の利益代表として金融問題、日米安保など政治的課題への大衆運動・行動を強めることで政治闘争の盛り上げ、焦点化の中であるべき新党の政策と力を備える努力こそ今求められているのではないか。(1995-10-18 佐野秀夫)

【出典】 アサート No.215 1995年10月27日

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【投稿】長良川河口堰の撤去まで闘う

【投稿】長良川河口堰の撤去まで闘う   —11月3・4・5日に長良川監視DAY

<本格運用がシジミに影響>
5月の野坂建設大臣(当時)による長良川河口堰本格運用開始の決定強行以降、現地では、しじみプロジェクト(反対運動メンバーと赤須賀漁協有志による河口堰生態モニタリング調査)が続けられている。影響調査は河口堰上流10km、河口堰隣の揖斐川付近、河口堰下流500m、河口堰上流700m、河口堰上流3600mの5カ所で行われ、5Kgのしじみ取り漁による生貝、死貝、ごみ、他の生物の重量、および個数を調べるもので、94年3月以来月に1回行われてきました。上流10k地点ではまだ河口堰の影響が出ていないのに対して、河口堰下流500m地点ではほとんどしじみの姿が見られないという結果がでました。この場所は河口堰建設以前には、しじみ漁の最高の場所であり、淡水と海水が交わる汽水域でした。そして最高漁場だった河口堰付近はいまや真っ黒なヘドロと腐った植物だけなってしまいました。堰が本格運用されたことによる生態系への影響がはっきりとしてきたわけです。

<生態調査、環境調査結果は全面公開せよ>
こうした結果は予想されてきたとは言え、今年3月から8回の「長良川河口堰円卓会議」がの中で建設省と反対派がそれぞれの主張を闘わせ、生態調査などの議論が行われている最中の建設大臣による「見切り発車」が生み出したものです。
一方サツキマスは、ちょうど遡上の時期に堰の試験運用が始まり、3日ゲートを閉め1日開くという操作が行われたため、サツキマス漁は今年は昨年の1/3という不漁になっています。アユについては、昨年生まれた稚魚は海から4月頃に川を上り、9月から10月に河口から45kmの岐阜市の南部付近で産卵し、孵化した稚魚は河口堰を越えて海に向かうことになりますが、ダム湖である河口堰をはたしてどれだけの稚魚が越えられるものか。今年生まれた稚魚が成魚になって帰ってくるのは来年のことになりますが、長良川のアユ全滅の事態が迫っているのは確実です。それを知ってか建設省は受精させた2億個のアユの卵を海へ放つ計画だそうですが・・・・・
しじみ、サツキマス、そしてアユと長良川の賜物とも言える生き物たちへの河口堰の影響は確実に生まれてきており、反対運動の側は「長良川監視委員会」を結成して自ら環境調査、生態調査を続けつつ、建設省・水資源公団による環境調査データの全面公開を求めているのです。

<11月5日に長良川監視DAY>
生態調査の結果は、長良川河口堰問題が「見切り発車=本格運用開始」によっても何ら解決していないことを示しています。反対運動側は毎年秋に全国規模の結集を「長良川DAY」として開催してきたが、今年は「長良川監視DAY」を計画しています。
11月3日には、長良川上流でカヌーデモを行い、4日には長良川河口堰上流の伊勢大橋右岸でコンサートや監視委員会からの詳しい報告を受けるイベント、そして5日にはデモ、カヌ-による水上デモなどの一斉行動が予定されています。
もし読者の中で、この反対行動に行ってみたいという方がありましたら編集委員会までご連絡ください。詳しい資料をお送りします。(佐野)

【出典】 アサート No.215 1995年10月27日

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【本の紹介】『現代日本のビッグビジネス 企業行動と産業組織』

【本の紹介】『現代日本のビッグビジネス 企業行動と産業組織』
               安喜博彦著、95/10/15発行、日本評論社、3502円

今や日本のビッグビジネス、巨大企業の一挙一動は、良きにつけ悪しきにつけ全世界注目の的である。日米自動車摩擦と大和銀行の不正取引は、日本の産業資本と金融資本の実態、系列支配や参入障壁、株式の相互持ち合いやグループ支配の不透明性を浮かび上がらせているともいえよう。これまでは上昇傾向一本槍で、世界経済の中でも常に成長率トップの地位を保持し続けてきた日本経済、あるいは日本企業の地位が、このところ、とりわけ冷戦体制崩壊以後芳しくなくなってきていることは周知の通りである。そしてここ数年、その経済成長率は、ECD加盟25ヶ国中24番目という事態である(1994年、0.6%)。
ここに紹介する『現代日本のビッグビジネス』は、そうした大きな曲がり角に立っている日本経済の直面する課題について、多くの複雑性と多様性に富み、またそれゆえにこそ意義ある論点と問題を提起してくれているといえよう。
著者は「はしがき」の中で、「本書は2度の石油ショックと80年代後半の円高時を経緯したこの20年余にわたるわが国の巨大企業のビヘイビアについて、価格設定行動と雇用調整、および、多角化行動の三つの側面に焦点を当てた分析を試みたものである」と述べ、その際、「わが国の産業・企業を特殊なものとしてみるのではなく、国際的に共通した一般的フレームワークと対応させてみるというのが基本姿勢である」ことを強調している。
さらに「また、実態・実証分析においても、そこから一定の結論を引き出すことを急がなかった。むしろ現実の複雑さ・多面性を容認し、一定の視点を提示しつつも、極力、事実そのものを忠実にフォローすることを意図した。このようなスタンスで構成された本書は、日本経済の進路が企業行動のあり方とかかわって大きく問われているなかで、必ずしも切れ味のよい解答を用意するものではないけれども、少なくとも現在の立脚点を再確認するためのいくつかの手がかりは提示しえたと思う」と自負しておられる。
本書で分析されている上位100社の激しい地位変動の実態や価格支配の具体的動向と経緯、系列、グループ化の実態は、あらためて独占と競争の問題が、独占の完成や固定化ではなくて、常に競争の優位において進行し、経済のグローバル化にともなってそれがますます切り離し得ないことを明らかにしているともいえよう。
本書の目次は以下の通りである。(生駒 敬)

「Part1 企業成長の理論と実態
1.ビッグビジネス分析の視点
補論A.集中論の再検討
2.ビッグビジネスの国内的・国際的地位
Part2 価格支配と雇用調整
3.第1次石油ショックと管理価格問題
4.高位集中産業における協調と対抗
5.雇用調整と事業所単位の雇用変動
Part3 多角化の展開と内部組織
6.企業の多角化をめぐる論点
補論B.企業の多角化と内部組織論
7.一般集中・市場集中・多角化
8.多角化・内部組織・企業グループと企業成果
9.多角化の推移と現況」

【出典】 アサート No.215 1995年10月27日

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【投稿】進む地域の「国際化」–大阪南河内の例から–

【投稿】進む地域の「国際化」–大阪南河内の例から–

「国際化」という言葉がマスコミで言われ始めてからかなり久しい。今や、巷の日常会話でも「国際化」という言葉は違和感なく使われ、抗うことのできない大きな流れとして、国も自治体も企業も学校もそして個人もそれに対応しようと様々な試みを行っている。この間「国際化」については様々な議論がなされ、その意味するところはかなり深く考えられるようになってきたと思うのだが、実際には、私たちの身の回りではこの言葉の意味やそれによって私たちが目指すもの、私たち自身の行動原理として曖昧な部分が多いように思う。私たちの地域では以前アサート誌
上で紹介した反アパルトヘイト運動や在日韓国・朝鮮人問題を考える市民団体が発展し、昨年10月「地域の国際交流を進める南河内の会」が結成された。(この原稿の締切日の10月14日・15日には、富田林市のすばるホールで「国際交流フェスティバル」を行っている)この運動にかかわる中で感じた地域の「国際化」あるいは「国際交流」のあり方について考えてみたい。

<地域の「国際化」の状況>
*増えている在日外国人*
まず、実際の地域の「国際化」の状況について見てみたい。
「地域の」国際化と言った場合、当然その地域によって「国際化」の度合は違ってくる。統計的な面から見れば南河内地域は大阪府下的にはかなり遅れていると言っていいだろう。例えば豊中市では93年で外国人登録人員が4994人(人口比1.2%)に対し、富田林市では、同年で外国人登録人員848人(人口比0.7%)にすぎない。もちろん、この内の多くは在日韓国・朝鮮人で、その地域の歴史的形成過程の影響が大きいと思うが、大学や企業等の存在も大きく左右していると思われる。この人口比は全国平均(約1%)より低い。年別の推移を見てみると、88年までは500人を少し上回る程度で、登録人員も人口比もほとんど変化がないにもかかわらず、89年からは急に人員が増え、わずか5年間で1.5倍になっている。国籍別の内訳は不明だが、このことから富田林市での「国際化」は統計上は、東南アジア・南米・中国帰還者等のいわゆるニュウカマーによって顕在化していると推測できる(もちろん統計ではあらわれない部分もかなりあると思うが)。実際、我が家の校区の小学校は、近くに中小企業団地があるため、中国帰還者・ベトナム難民の子弟が多く、昨年から大阪府より外国人教育のための加配教員がつけられている。

*もうひとつ盛り上がらない「国際化」への対応*
一方、住民の意識の面での「国際化」はどうであろうか。豊中市等では住民アンケートを行い、この問題にかかわっていこうという、住民の積極的な意識を引き出しているようだが、南河内地域でそのようなアンケートを実施したという話は聞かない。住民運動も「進める会」以外は、アジア友の会等はあるものの地域での活動は見えてこない。ただ、公民館主催の「国際交流講座」には主婦を中心にかなりの申し込みがあったようである。他に、農業地帯であるだけに中国との技術交流等もあるようだが関係者だけの交流になっているようである。
それでは、自治体の政策面での「国際化」はどうであろうか。それは、はなはだお寒い。富田林市の場合、総合計画案では「国際化」という言葉が頻繁に出てくるにもかかわらず、市がこの政策課題を一体どのように受け止め、具体的にどのように展開しようとしているのかまったく見えてこない。これまで市の国際化政策と言えば、アメリカのベツレヘム市との姉妹都市交流だけで、市長はさかんに「日本でも最も早く姉妹都市提携をし、国際交流をしている」と自慢するが、全く古い形の「国際交流」の域から一歩も出ていない。アジアや在日外国人に対する「内なる国際化」への視点が全く欠落している。この4月にようやく担当窓口ができたものの、予算もなく、新たに担当となった職員は困惑の表情ありありである。自治省からの指導もあって多くの自治体で国際交流協会や国際交流センターができている中で、富田林市の対応はあまりにお粗末ではないかというのが、「進める会」の中心メンバーの率直な感想である。
しかし、国際交流協会ができても必ずしも素晴らしい国際交流ができるわけではない。富田林市のお隣の河内長野市では市が大々的に援助して「国際交流協会」を設立し、様々な事業を行っているが、上からの運動の限界で市民への広がりや自発性に欠けているように思う。できれば、豊中市のように多くの地道な国際交流活動を行っている民間団体が存在し、それらに活動の場を提供するような形で国際交流協会や国際交流センターができるのが理想ではないだろうか。

*がんばっている現場*
市の方針のなさにもかかわらず、行政の現場レベルでは、住民のニーズに対応してユニークな取り組みも行われている。それが公民館で行われている「日本語読み書き教室」と「ザ・河内インターナショナル」である。前者は元解放会館で識字学級を担当していた職員が、全市民を対象とした公民館でこそ識字をやるべきだという考えで開催したもので、結果としてほとんど在日外国人の生徒で占められている。
後者は、この日本語教室の生徒を主体に、行政区を越えて河内の在日外国人の交流の場として開催されたもので、お互いの文化を交流し、悩みを出し合う場として喜ばれている。また、ボランティアとしてかかわる日本人も、肩肘のはらない本音を言い合える国際交流の場として、大いに刺激を受けている。
今後、地域の国際化が進んでいく中で(今は実態把握さえできていないが)、地域の在日外国人と同じ目の高さで、率直に交流できる場が益々必要になってくるだろう。

<地域の「国際化」を考える基準は何か>
以上の地域の実態を踏まえて、まだ浅い経験ではあるが「進める会」の活動や在日外国人の方々とのお付き合いを通じて、「国際化」というものを地域にこだわって考えてみたい。

*後ろ向きの国際化と前向きの国際化*
一つは、「国際化」というのは「後ろ向きの国際化」と「前向きの国際化」があるのではないか。それをきちんと区別していく必要があるのではないかということである。どんどん海外旅行に行き、英語をペラペラしゃべるのが本当の「国際化」だろうか。たとえ海外旅行に頻繁に行っても日本人だけかたまって行動し、「XXは黒人が多いから恐い」などというガイドの説明をうのみにして、知ったかぶりで日本で吹聴している人間はとても国際人などと言えないだろう。まして、東南アジアで買春ツアーなどというのはもってのほかである。これらは本当の国際化などとはとても言えない。むしろ、百害あって一利なしの「後ろ向きの国際化」といっていいだろう。外国人を呼んで話を聞き、結局「日本に生まれてよかったわー」で終わってしまう「後ろ向きの国際交流」はけっこう多いのである。そうではなく、お互いの違いを認め合い、様々な問題を協力して解決していくような、人間的信頼関係を築いて、自分自身を変え高めていく「前向きの国際化」こそ今求められている。

*地域にこだわり共生社会の実現*
二つ目は、「国際化」を考える時、地域にこだわろうということである。抽象的な「国際化」は私たちにはピンとこない。自分達の地域に在日外国人がどれだけいて、どんな生活をし、どんな悩みを抱えているのか。地域の在日外国人の具体的状況に対応し、人権を尊重する立場で共生社会を実現していく中で、地域の「国際化」は進んでいくのではないだろうか。また、外国への援助にしても、政府間援助と言うのではなく、具体的な地域に対して、その地域の実情に合わせたかたちで援助をしていく。地域と地域を結ぶネットワークこそ国際交流と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。

*人権概念の拡張としての国際化ー外国人概念の無意味化*
三つ目は、「国際化」という現象が、私たちに根本的な価値観の転換を迫っていると感じることである。それは人権という概念の拡張であり、逆の側から見れば国家という概念の曖昧化である。ご存じのように人権という概念は、封建社会の王権に対するブルジョアジーの権利として、自由権をその歴史的出発点としている。この概念は社会主義運動の進展の中で社会権を含むものとして発展してきた。だが、それもあくまでも国家を前提として、国権に対して主張されてきたのである。しかし、「国際化」という流れの前では、国家というものの枠の中では人権について語れなくなってきているのではないか。例えば、在日外国人が地域の住民として生活している以上、参政権や社会保障を始めその人権は当然保障されなければならない。しかし、法律は「国民」という枠を設けてそれを阻害しようとする。どう見ても大きな矛盾である。この点については現在様々な運動が展開されており、その結果は徐々に人権を「国民」に限定することの不合理を明らかにしつつある。
人権の視点から「国民」の概念が揺れているように「外国人」というのも実にあやふやである。例えば日系ブラジル人のMさん。彼女は日本で生まれ、幼少の時ブラジルにわたり40才台で日本に帰って来た。その間彼女の国籍はずっと日本である。顔ももちろん日本人。しかし、日本語は苦手で日本の習慣に戸惑っている。彼女は「日本人」それとも「外国人」? 在日韓国人2世のKさん。彼女は日本で生まれ、日本で育ち、日本語をしゃべる。習慣等も全く苦労しない。しかし、彼女の国籍は韓国。彼女は「外国人」? 中国から日本に帰化したUさん。国籍は日本になったが、子供は「おまえのかあちゃん、中国人」といじめられる。彼女は「日本人」? こういう現実を見ると「外国人」という概念も実にいいかげんなものだと気付かされる。
このように「国際化」ということは、国家の枠をとっぱらい、人権の概念を拡張して本当に人間と人間との関係を考えていくことではないか。当然それは「平和」ということに繋がっていくだろう。 そんなことを考えながら、多くの人との結び付きとカルチャーショックを楽しんでこの活動を続けている。
南河内の住民の方、一度「地域の国際交流を進める南河内の会」の活動をのぞいて見て下さい。 (若松一郎)

【出典】 アサート No.215 1995年10月27日

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【投稿】「金融不安」の徘徊と「自己責任」論

【投稿】「金融不安」の徘徊と「自己責任」論

<<10.27パニック説>>
一部週刊誌ではこの10月27日に、「メガトン級の危機」、「市場最悪の金融パニック」が日本を襲い、「あなたの財産が紙クズ同然になる!!」と警告かあるいはどう喝を発し、危機感が煽られている。その根拠は、「ワイド」という「利子一括払い型利付き金融債」の償還がこの日にやってくるというところにある。このワイドという金融商品は、90年10月に売り出した「10月債」の場合、半年複利の5年満期で9.606%という超高金利商品で、当時1ヶ月弱の間に5兆円にも達するほど大量に売りさばかれ、その満期日がこの10月27日に集中しているという。
その発行金融機関は、日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債権信用銀行の長信銀3行と農林中金、商工中金であるが、顧客に払い戻さなければならない額が、この5行で利子を含めると5兆円にも達する。その償還額は、今年95年上半期に5行全体が販売したワイドの総額の8倍にもあたり、もはや2%前後という金利で魅力のなくなった新規発行ワイドへの買い替えなどとても期待できるものではないわけである。
しかも、通常の預金の場合は、たとえ金融機関が経営破綻し、倒産したとしても、1000万円以内は預金保険機構の払い戻しの対象となるが、ワイドは対象外であり、その場合には紙クズにしかすぎなくなり、取り付け騒ぎになろうがどうしようが一刻も早く現金に換金する以外に守るすべがないのである。

<<「経営破綻は時間の問題」>>
そして「経営破綻は時間の問題」とされ、しかも年内に表面化すると噂されている5行(北海道拓殖銀行、日本債権信用銀行、中央信託銀行、大阪銀行、福徳銀行)の2番目に日債銀が上がっている。同行は大手21行に分類されているが、すでに相当以前から経営不振が問題視されており、10月のワイド償還額は3000億円前後抱えているが、その資金調達が疑問視されている。「若干は他行に流れるだろうが、7割程度はとどまる見込み。その程度であれば経営に影響はない」(日債銀広報部)としているが、7割どころか2割もつなぎ止められないであろうと見られている。ここで取り付け騒ぎが発生すれば、連鎖的にワイド発行の他行に波及し、さらには危険水域にある他の金融機関までが巻き込まれ、手がつけられなくなるというわけである。
日銀はそうした銀行の資金ショートを懸念してすでに、問題金融機関への無担保の特別融資を密かに実行しているといわれる。この特融、95年9月末現在の残高で9400億円にも達し、日常化しており、「破綻処理の仕組みが整わないうちに、金融機関の破綻が相次いでいるため」やむを得ないと開き直っている(日銀営業局、10/16日経)。国会の議決や情報公開も経ないで、不透明な秘密裡の資金供給が行われているのである。

<<「ジャパン・プレミアム」>>
資金調達に関連して、このところ急速に浮上してきたのがジャパン・プレミアムの発生である。日本はそもそも対外資産が対外負債を大幅に上回る世界最大の純債権国となっていることは世界周知の事実である。にもかかわらず、日本の金融機関が海外で資金を調達しようとすると、ユーロ市場の基準金利に+αが要求されるという事態が生じている。純債権国化にともなって進行してきた円高によってその資金量、取引量ともに膨大化してきた邦銀がいまだにドル建てで国際業務を展開していることにも大きな要因があるが、このところの日本の金融機関や金融システムそのものへの不安感、不信感が表面化してきた現れでもある。
このジャパン・プレミアム、+αが8月30日時点で0.12%であったが、木津信、兵庫銀行の経営破綻が報道されるや翌日には0.18%に上昇し、個々の銀行の信用力の度合いに応じてランク付けされ、大手邦銀でも+0.25%まで要求されているところが現れ、その中には先に上げた北海道拓殖銀行や中央信託銀行、そして大和銀行も入っているという。ユーロ市場で邦銀全体として約400億ドルの資金調達をしているが、0.1%の+αでも4000万ドルの金利を別に払わなければならないのである。

<<「預金者の自己責任」?!>>
しかも資金調達のクレジットの上限額が信用度に応じて大きく引き下げられており、その結果、邦銀大手21行の中の数行は取引そのものが出来なくなっており、日債銀はその中に入っているといわれているのである。
問題はこうした事実が日本国内ではいっさい情報開示されていないことである。一方では、銀行業界全体としては、都市銀行を中心に史上空前の業務純益を上げ、94年度末でその内部留保額(各種引当金、法定準備金、剰余金の合計額)は32兆9585億円にも達し、バブル崩壊後の4年間で他の業界の不振を尻目に、預金金利の引き下げを武器に実に5兆6000億円余りもその内部留保額を増大させているのである。不良債権などどこ吹く風である。自らの責任を不問にして、預金者の自己責任論をばらまき、十分に不良債権をまかなえる純益を上げながら、債権回収を他に押しつけ、あげくのはてに公的資金投入が全国民の要求であるかのごとくにふるまっている。こうしたことを許しているのは、大蔵省、日銀、銀行業界が一体となって日本の金融システムの腐敗しきった病巣を覆い隠し、情報開示を拒否していることにあるといえよう。しかしこうした健全な切開の術も見い出せないやり方は、自らに降りかかってくるものである。その端緒がさまざまな信用危機となって現れているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.215 1995年10月27日

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【本の紹介】『赤い月 阪神・淡路大震災 鎮魂の歌』

【本の紹介】『赤い月 阪神・淡路大震災 鎮魂の歌』
        盧 進容著、1995.7.27発行、学習研究社、1200円

「赤い月

為すすべもなく ただ呆然と
涙流れるままに 夜を仰げば
燃えさかる 炎を前にして
そこに 赤い月

アボジ オモニ
泣き叫ぶ父と母
娘四十を越え 初めて授かった孫
その二人が 炎の中にいる
ぼくの同級生が そこにいる

崩れ落ちた 家の中で
ひと月に なったばかりの命
発するその泣き声が 尽きた時
炎は 二人を襲った

ああ 赤い月
マナコ
涙かれた 彼女の眼なのか
涙うるむ その子の眼なのか
今、泣き叫ぶ 両親の眼なのか

この光景を見て
異国の月も 充血しているのか
気のせいではない 決して
そこに 赤い月 」

詩集の冒頭に掲げられたこの詩「赤い月」が、あの大震災から二週間ほどたった「筑紫哲也のニュース23」の中で神戸市長田区の焼け跡から放映されたそうである。私は残念ながらその場面を見ていない。しかしこのテレビ放映を見ていた学研の編集者・田中奏生氏がこの詩に感動されてぜひ「詩集を出したい」と連絡を取られ、奔走された結果、長詩『大震災』を含むこの詩集が出版の運びとなった。その感動がひしひしと伝わってくる詩集である。
著者の盧進容(ロ・ジンヨン)氏は、「第二の故郷は?」と聞かれれば「神戸」と答えるほどの人であり、長田区の市営住宅の12階で被災され、灘区の両親の家に避難されているという。

長詩『大震災』の最初のほうで、
「今 ひもとかれる話
長田の町 ここから始まる
国際都市 港町 この神戸にあって
その華麗さとも美しさとも
かかわりがなかった町 庶民の町
最も被害が甚大であったところ
まさにここ長田から始まる 」
と書き出されている。事実、長田区は最大の震災被害を受けたばかりか、その後の火災規模でも燃え尽きるに任せられるような状況であった。その中で多くの人々が炎に飲み込まれ、今でもその傷跡は生々しい。その怒りと悲しみがこの詩集には凝縮されている。 しかし盧氏は、その長詩の「結び」の中で
「だがひとびとよ
生き残った兄弟たちは
幾日か地を叩き ただ泣き叫んだあと
その悲しみをそっと深く胸にしまい
生き残った日本の友人たちも
幾日か頭をたれ ただむせび泣いたあと
むしろ手に手を取り 耐えている
むしろ互いに助け合い くぐり抜けていこうとする
おなじ苦痛 おなじ悲しみを

そしてわたしたちは
汚名を着せられることもなく
怯えもなく 街に出る
そして日本の友人たちは
流言蜚語もなく
竹槍を手にすることもなく 街に出る
まさに 七十二年前のあの日とはうらはらに 」
と、あの関東大震災時との違い、助け合いと交流、希望と愛が歌われている。
しかしあれから早や八ヶ月が過ぎ、「喉元過ぎれば・・・」で、あの震災が問いかけたものが軽視されたり、忘れ去られたりはしていないだろうか。本質的なところで事態は本当に前進しているのであろうか。その後の政治が取り組む姿勢一つを見ても、なんとも歯がゆいばかりか、住民不在であり、自治と参加、分権と共生は未だ遠しといった状況である。その後もあちこちで震度4規模の地震が頻発していることからすれば、この詩集が、そしてあの阪神大震災が提起した課題の重さが、広く深く受けとめられる必要があるのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.214 1995年9月22日

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【書評】世界と個人のラディカルな批判に向けて

【書評】世界と個人のラディカルな批判に向けて
       『ラディカルに哲学する』(全5巻)、第1巻『考える営みの再生』
        (尾関・後藤・佐藤編、大月書店、1994.11.18.)

新宗教、新々宗教のブームが去り、今度は哲学の時代だと噂されている。しかし現代世界の重要な課題は何ひとつとして解決されてはいない。ということは、この哲学ブームもその多くは目先を変えただけのつまみ食い的哲学ブームであるとしか言えない状況であろうか。
しかしそれにもかかわらず、人間の本質を批判的理性と位置づけ、そこから人間存在を総体的にとらえようとする試みは、やはり評価されねばならない。しかもそのとらえ方として、人間存在の社会的側面に広く眼を向けようとする姿勢・・・従ってこれは哲学者個人の研究というよりもさまざまな立場・視点の人々の共同研究となる・・・は、より注目されねばならない。
その試みのひとつとして、シリーズ『ラディカルに哲学する』(全5巻、大月書店)が刊行された。その「シリーズ刊行にあたって」では次のように述べられている。
「日々の生活のたえざる変化それじたいが日常となった感がある。だが、たえざる変化にもかかわらず、われわれは自由だとは感じていない。1980年代の、あの時代閉塞の感覚は、今のこれほどの社会変動のなかでもいぜんとして持続し、強くさえなっている。明らかに、もっともっと根本的なところから世界を見ることが必要とされている。」
かかる視点から、このシリーズでは「現代では、世界のラディカルな批判は個人の生活のラディカルな批判でもある」として、現代世界の批判と個人の内面を深くえぐることが同時的になされねばならないと主張する。すなわち「哲学が現実と格闘すべきとき」なのである。
さてその第1巻『考える生の営み』(尾関・後藤・佐藤編)では、「これまでの職業的哲学者の哲学と称する営みの大半」=現代の葛藤と無縁な世界での議論から、「一人ひとりの市民が自分で考える営みとしての哲学」をめざす。
佐藤和夫論文『連考・・・転形期における哲学の営み』は、「現代社会では、ゆたかな社会という満足感と、身体をこわしてしまうほどの管理社会とが深く結びついている」、「隷属と物質的富とがひきかえになっている」と指摘する。そこからすれば今日の民主主義も、政治を「経済的利害の誘導をめぐる争い」としてしか考えない故に、「他人にいわばリモート・コントロールされたままで自己統治の外見をもっているにすぎない」のである。この意味で現代人に欠落している最大のものは「自由と協同の経験」としての民主主義である。そしてそのことが人々の生活へのエネルギーを消失させ、選択の余地のない経済的合理性にしたがって生きることで、人々は人間として生きることの意味を失なっているのである。
そこで人間にとっての「自由と協同との経験」が探究されるのであるが、これは取りもなおさず平等な人間同士による議論、対話や会話(すなわちソクラテス以来、哲学本来の姿といわれているもの)ということである。しかしこの場合にわれわれは今一度従来の哲学的対話と称するものを振り返ってみなければならない。そうすればそこに「哲学の独裁的性質」なるものが明らかになる。すなわち論理の首尾一貫性を誇るヨーロッパ哲学の論理とは、「協調的話し合い」ではなく、実は「競争的話し合い」であり、「基本的には支配者が他者を自分の目的のために服従させたうえでの自己正当化のための議論を基本としている」。そしてそこに使用される哲学の言語とは公的空間の言語であり、普遍性の名のもとに私的な空間を無視し、思考の主体の具体的状況を捨象する独裁的なものであったのである。
これに対して筆者は、「一定のレールの上に乗ることを強制することなく、双方が自分のよさを生かそうとしながら共通の土俵に乗って協力しあう」とする議論、「独裁的でない対話の形式」として、室町戦国の時代に全盛をむかえた連歌の思想にヒントをえて、「連考」(連歌的思考)という議論のありかたを提起する。そしてここに市民に接近できる哲学・対話の可能性を探る。
上の問題提起を受けて、ジャーナリストとして著名な斎藤茂男は、日本の現実風景のなかに「゛諸現象を貫く一本のパイプ〃」「戦後五〇年を経るうちに日本の社会の隅々に血脈のように張りめぐらされ、それによってわれわれ自身の意識中枢に統御されてしまっている無色・無臭・無形の気体のような価値観、あるいは情念といったもの」を鋭くえぐり出そうとして、歴史的現実の縦軸と社会の諸事象の横軸の交差する一点を凝視する。そしてそこに社会病理現象・・・全生活史健忘症、脅迫神経症等々・・・から国家の意識統制にいたる日本の歪み=「目標達成という目標を追いつづけるうちに、社会全体が『巨大な成功』をめざしてただ動くだけの、目標不明のロボットになった」日本を描き出す。(『私はどこへ行きたいのかわからない・・・行き先不明の旅の情景』)
さらに杉田聡論文『現代の疎外と自動車システム』は、現代社会に不可欠な道具となった自動車のもつ意味に焦点を合わせるユニークな考察を行う。そして自動車が「それ自体現実的な暴力、しかも巨大な暴力の装置」になり、疎外を深めているばかりか、人間の攻撃性を誘発している事実を指摘し、「人権を侵すシステム」となってしまった自動車システムへの対応を主張する。
また中村行秀論文『「豊かさ」を哲学する』は、「豊かさの本質が『自由』にほかならないこと、したがって貧しさの本質が『自由』の奪いとられ、あるいは放棄である」ことを解明した上で、「高度経済成長期以来、私たち日本人のなかに定着した感のある『自由』を犠牲にして『富』を手に入れるライフスタイルが、じつは『貧しさ』そのもの」であると鋭く指摘する。そして自由が「人権」として把握されているように、「人権としての豊かさ」の追究を主張する。
以上第1巻のみをかい摘んで見てきたが、本シリーズは、哲学者のみならず他の研究分野の専門家等をも含めて現代世界と自己の生活とを積極的批判的に把握しようとする試みであり、哲学を市民の眼に接近させようとする橋造りでもある。執筆者それぞれの問題意識、立場には違いがあるとはいえ、読者の側からすれば、さまざまな問題提起を受ける刺激的な書でもある。この「哲学が現実と格闘する」もくろみがいかなる方向でどのような成果をあげるかは今は定かではない。しかし人間を批判的協同的存在として総体的にとらえるひとつの試みとして評価されるべき書ではある。(R)

【出典】 アサート No.214 1995年9月22日

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【投稿】「金融秩序維持」と「公的資金の導入」論

【投稿】「金融秩序維持」と「公的資金の導入」論

<<「政府・日銀の親心」>>
日銀は9月8日、公定歩合を0.5%引き下げ、史上最低金利をさらに更新して年0.5%という超低金利政策を実施した。日銀総裁が「市場への強力なシグナル」と打ち上げた今回の利下げは、「金融恐慌直前」とまでいわれる金融資本市場に対する露骨な救済策である。「たいへん心苦しい」と松下総裁は記者会見で語っているが、この超低金利は零細で膨大な預金者層を直撃する一方、巨額の不良債権を抱える金融資本にとっては諸手を上げて歓迎する「たいへん心強い」措置であった。
これは、預金金利は直ちに公定歩合と連動して低下する一方、公定歩合と直接連動しない貸出金利や住宅ローンを始めとする金利固定型の各種ローンとの利ざやはこれまで以上に広がる、自らの努力や犠牲や責任も一切伴わないいわば「ぬれてにあわ」の一方的な金融資本支援策なのである。これは結果的には、膨大な預金者、庶民の預貯金からの金融資本への一方的で強制的な「所得移転」が行われているということである。この点では、「これでたっぷり儲けて、不良債権を償却しなさい」という「政府・日銀の親心」であるとまで指摘されている(「朝日」9/9)。

<<「金融秩序」の破壊者は誰なのか>>
金利引き下げは直ちに円の対ドル相場に反映し、今や数カ月前の80円台から100円台に逆戻りし、株式市場は上昇し始めた。つまりより利回りのいい株式市場や外為市場へ資金が流れ、この点でも銀行が大量に抱えている株式資本の価値を引き上げ、含み資産の上昇と株式売却益で金融資本の不良債権償還を支援しようというわけである。 一方、東京協和、安全の2信組、ついでコスモ信組と相次いだ信組の経営破綻は、さらに預金量1兆円を越える信金全国第2位の木津信用組合、第2地銀トップの兵庫銀行の経営破綻にまで突き進み、「金融秩序維持」のためにはもっと直接的な「公的資金の導入」が必要であると叫ばれ、地方自治体までそれに巻き込まれ、税金の直接投入による銀行救済、つまりはバブルの後始末に住民の税金がそそぎ込まれようとしているのである。
ここでは不思議なことにこうした経営破綻に深く関与し、そこから膨大な利益を吸い上げてきた大手金融機関の責任がそれほど問題にされていないのである。「金融秩序」を破壊し、土地投機とバブル融資に最大の資金を投入してきたのは大手都市銀行であり、利益を吸い上げるだけ吸い上げ、形勢悪しと見るや一斉に資金を引き上げて中小金融機関の経営を破綻させ、またもや「金融秩序」を破壊したのは同じ大手都銀である。彼らの責任と資金投入でこそバブルの後始末がされなければならないのである。

<<「紹介預金」のあくどさ>>
「明日の朝刊で新聞が書けば、間違いなく昭和恐慌と同じことが起きる」といわれた木津信用組合の業務停止命令は、8/30の夕刻であり、夕刊報道であった。それでも取り付け騒ぎは相当な規模に達し、預金者のほとんどが各支店に殺到し、銀行のシャッターを閉めても、預金が保障されることを説明しても引き下がらない事態がテレビで刻々と報道され、多くの不良債権を抱える金融機関を震え上がらせたことは事実であろう。
この木津信の場合、預金残高の3割以上が三和、住友を始めとする大手都市銀行からのいわゆる「紹介預金」で占められていた。この「紹介預金」は、大手都銀の預金金利0.5-0.6%の6倍前後といわれる高金利を木津信に設定させ、例えば三和の場合、大手取引先企業に短期資金調達用のコマーシャルペーパー(CP)を発行させ、これに三和が資金提供し、この資金を木津信に「紹介預金」をさせて企業側、三和側双方共に利ざやと手数料をがっぽり稼ぐというあくどいやり方である。「組合員以外からの預金は、2割以下」と定められている中小企業等協同組合法に大きく違反して、木津信の場合これが3000億円前後に達していたのである。木津信側は、こうした高金利を保証するために危険を承知でバブル融資と不動産関連融資に拍車をかけ、あげくの果てに利ざやを稼がれるだけ稼がれてから一斉に紹介預金を引き上げられてしまったのであった。三和は、木津信の経営破綻に関与した責任を問われて、「それは木津信の経営指針の責任」と我れ関せずの態度を取り続けている。

<<すでに膨大な「公的資金の導入」>>
さらに問題なのは、現在の段階においても「金融秩序維持」の名の下に「公的資金の導入」は、相当な規模で行われていることである。今回の事態においてもすでに日銀が直接出資や融資を行っている。貯金保険機構による資金支援、共同債権買取機構による無税償却も形を変えた公的資金の導入である。簡易保険や公的年金資金を流用した株価維持政策(PKO)も公的資金の導入である。さらに広くは財政投融資による金融機関への低利融資や一般会計からの財政資金投入も公的資金の導入である。こうした資金導入を合計すると20兆円近くに達するという。大手金融資本へのこのような一方的な保護政策が今回のような金融不安をもたらしたのであり、こうしたことを続ける限り、国民経済的な規模での膨大な損失とツケをもたらし続けるといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.214 1995年9月22日

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【投稿】「今、なにをなすべきか ?」

【投稿】「今、なにをなすべきか ?」・・・社会党と「新党結成」に思う・・・

9月14日、社会党を中核とする新党結成をめざす「新しい政治勢力結集の呼びかけ人会議が発足した。「新党」という語感からすると、「先進的」とか「希望」とかを感じて、なにかしら期待がわいてくるはずなのに、残念ながら、今回の報道を耳にしても心が全く動かなかった。村山政権誕生の時は、紆余曲折はあるにせよ「がんばってほしい」と、長年社会党を支持してきたひとりとして、心底願っていた。しかし、フランス核実験強行に対する無策を目の当たりにして、政権の中核を担っているという自覚のなさ、大衆政党としての感覚のなさ、かつて「非核三原則」を掲げ自民党政権と闘ってきた誇りのなさを痛感し、「再生」を期待しなくなった。村山首相には、中東ではなく中国やフランスに行ってほしかった。「特派大使派遣で抗議」では、社会党首班としては無策に等しい。その上、新党さきがけの武村代表の「クレイジー」発言を「言い過ぎだ」などと批判した野坂官房長官の政治姿勢に至っては、まさしく愚鈍そのもの。村山内閣不支持率が発足以来初めて5割を超える(NHKの世論調査、9月4日公表)状況を、もっと深刻にもっと真剣に受けとめるべきだ。
愚痴と批判だけでは何も生まれてこないと思うので、政治に寄せる希望を(かなり淡いものだが)語ってみたい。社会党のみなさん、「今、なぜ新党なのか!」の論議をもっとオープンに大胆にやられたらどうですか。各地でシンポジウムでも開いて、幅広く声を集めたらどうですか。こう提案すると、政治のプロはきっとおっしゃるんでしょうね、そんなことしてたら時間がかかって選挙に間に合わないと。しかし、地方選・参議員選と結果は非常に厳しかったはずなのに、その反省と今後の方針について激論されたのかされてないのかも含めて、わたしには伝わってこない。1ミニ政党ならいざしらず、時の政権を担っている「大」政党という自負を持って、自民党の単独政権妄想を吹き飛ばすような「新党づくり」をやって下さい。もはや連立時代は幕を開けたのです。新党さきがけはもちろん、少しでも一緒にやれそうな人々と話し合うべきだと思います。過去のいきさつを捨ててでも努力するのが「新党」だと思いますが、いかがですか。看板の塗り変えだけでは、支持率アップなどとうてい望めないでしょう。
さらなる希望は、呼びかけ人会議にもっと女性のメンバーを!ということです。北京で開かれていた第4回国連世界女性会議が、行動綱領を採択して15日閉会しました。
綱領の採択を受けて、政府は女性の参加を促進するための具体化を迫られることになるが、「新党」にふさわしく今一番新しい北京宣言の「社会のあらゆる分野で、女性の全面的参加が、平等、開発、平和の達成のための基礎となることを確信する。」をただちに実行できるだけの先進性を持って頂きたい。呼びかけ人56人中、女性が10人にも満たないような顔ぶれでは、これまでの体質が変わっていないことを如実に示している。再考を望みます。
投票率の低下=政治意識の低下ではない。青島都知事やノック知事が誕生する時代である。一票が変革につながるような状況づくりができたらと思う。わたし自身の政治参加は、現在のところ選挙による参加と組合活動(日教組)を通じての参加だが、呼びかけ人に横山英一日教組委員長の名があった。これまでの社会党ー日教組の関係の延長としての参加なら、日教組組合員として異議を唱えたい。同じ組合の中で「社会党支持」「共産党支持」を争っている間に、どちらも選択したくない多くの組合員を組織離れさせてしまったことの反省を、わたしはしなければならないと考えている。
組合は思想・信条に関係なく最も幅広く結集しなければ、交渉する力や変革する力を持ちえない。にもかかわらず、またしても「21労組会議」がつくられ幹部だけの会合が開かれている。社会党が真に「新党」を考えているなら、政党と労働組合の関係についても、過去の苦い経験を繰り返すことのないようにしたいものだ。
(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.214 1995年9月22日

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【投稿】社会党の新党議論に出口はあるか

【投稿】社会党の新党議論に出口はあるか

<なぜか盛り上がらない新党論議>
社会党とその周辺が俄かに騒がしくなっている。もちろん「新党」問題である。しかし、どうも盛り上がっていない。もたつく議論と社会党内から聞こえてくる不協和音によって「新党」のイメージも湿りっぱなしである。
新党議論は参議院選挙直後から急速にその速度を早めてきた。参議院選挙の結果が低投票率の産物とは言え、新進党の躍進、連立与党側の敗北、そして「政権政党」社会党の大敗が来たるべき衆議院選挙の賛嘆たる結果を予想させたからである。他方連立のパートナーである自民党の中からも社会党との連立政権からあわよくば自民党単独政権を、との連立批判、自民党のアイデンティティを取り戻したいという党内世論が強まった。総裁選挙にいち早く名乗りを上げた日本遺族会会長の橋本龍太郎の勢いは河野現総裁を不出馬に追い込む結果となった。こうしてスタートした自民党総裁選挙は、急遽出馬した小泉純一郎vs橋本龍太郎の闘いとなって現在展開されている。最近のマスコミ論調は社会党の新党議論より総裁選挙の論争の方に重点を移しているようだ。
とは言え、社会党の解党と新しい党結成の流れは結果がどうなるかは、予想ができないにしろ注目しないわけにはいかない。戦後政治の中で社会党支持層に象徴的な日本の民主主義勢力がどのような形で新たな政治的回路を生み出し、連立の時代に政治的イニシアティブを発揮できるのかは、この秋にかかっているからである。

<新党論議の問題点>
まず私が気になることを2点について明確にしておきたい。
第1は、自分自身が労働運動の中に身を置いていることからも言えることだが、「新党」論議について、あくまでも政治=政党と労働運動の境界と相互の責任性を明確にすることが必要であるということ。社会党内の新党論議の低調さ、決断力の無さを理由に「労働組合」の側から新党結成への意見が強く出ている。これには理由がある。分割問題を抱える全電通、民営化問題を抱える全逓、金属機械労組は中小企業対策、政治政策闘争では自治労がそれぞれ深く政治の動向に注目をしている。社会党内よりも切実な感もある。その背景については私もその一員として十分に理解しているつもりである。
しかしである。労働組合内の政治意識も、支持政党なしが増大するなど、宗教団体やそれに近い日本共産党は除くと、団体の利害と個人の政党支持はイコールでなくなりつつある。利益代表型の政治には不透明な部分が金銭問題だけでなくつきまとう。従来の中央組織決定型から一人一人が個人として政治に関わる方がより支持を広げ、議論をオープンなものにできる。
社会党がより開かれた党になるというならば、その結成過程そのものからオープンで個人の責任を明確にしたものにすることが望ましい。その意味から、労働界から社会党の新党論議に余りに注文を付けるという姿勢は「地獄への道は善意で掃き清められている」ということになりはしないか。従来からの社会党総評ブロックという構図は一方で社会党の党としての成長・熟練をさぼらせてきたのではなかったか。
新しい社会民主主義政党(私はそうあるべきだと思うが)は、労組に過度に依存しない自立した政党になるべきである。「21労組会議」の問題もまた、社会党が消滅すれば支持政党が無くなるという労組の危機感先行だけでは同じ轍を踏む可能性が高いということだ。そういう意味で政党と労働組合との関係については、言葉の上での整理は「21労組会議」にしろ「社会党と連帯する労働組合会議」にしろ整理はされているが、実態的には従来の社会党総評ブロックのような構図が見え隠れしているのである。
第2には、現在の村山連立内閣と新党の関係である。現在は社会党は確かに政権党である。しかし、成立の経過の特殊性は置くとしても、最大多数党ではない社会党が首相を出していることと政権の主導権を持っていることは別である。社会党が、「新党結成」を目指すのなら、政権からの離脱も想定するのが本筋である。しかし、現実は政党助成法により金ほしさに、新党結成後に社会党を解党するとか、暫定で村山首相を党首に据えるなどという「歯切れの悪い」新党論議の現実では、新鮮さも魅力も失わせているのではないか。「第3極」という議論も現実的にはそうであろうが、両保守政党では現状の解決はできない、という論議の建て方から基本的には出発しなければならない。
歯切れの悪い結成プロセスからは、中途半端なものしかできないものだ。そういう意味では、社会党の「丸ごと新党」という流れには一定距離を置いたほうがいいのかも知れない。

<先行する労組の新党議論>
労働組合側の新党準備は具体的なレベルで行われている。
8月7日に確認された「民主リベラル新党結成推進労組会議」(以下21労組会議)の「政治の現状と私たちの決意」の中では、参議院選挙結果から「このまま衆議院選挙を迎えれば、一昨年の政権交替で前進するかに見えた日本の政治的民主主義が、再び後退する恐れがあります。私たちはこのような強い危機感と共通認識に立ちます」との現状認識。社会党の打ち出した「民主主義・リベラル新党」形成が具体的に進展することを期待するが、(一向に進まないことに)強い危惧を持つとともに、新政治勢力の形成が私たち自身の課題であると受けとめ、「労働組合としての立場と領域を踏まえて可能な限りの役割を担います」としている。
「21労組会議」の中では、来る総選挙を新党で闘うとして全国300の小選挙区にすべて労組の候補者を立てることを目標に「年齢は40才代で企業籍を離籍している役員は、衆議院選挙の候補者になる覚悟が必要」と組合員数で逆算すると自治労の場合は100名の候補者擁立が必要などの議論もあると言われている。
また、社会民主主義勢力、民主的でリベラルな政治を追及する政党・政治家、自立した様々な市民団体との連携を目指すとして、党内外にこだわらず幅広い結集と「若々しい活力ある政党」であると「新党」のイメージも語られている。
最近の文書によると、「社会党と連帯する労組会議」は、9月14日に社会党への緊急提言(第2次)を送っている。第1は社会党の新党つくりを積極的に支持するが、新党結成のタイミングはこの秋がラストチャンスであり、9月21日の臨時党大会では、新党結成時期・手順と方法等について明確な方針を決定すること。第2は300選挙区すべてに候補者を立てる作業が進んでいないことに強い懸念を持たざるをえず、早期の体制つくりをおこなうこと。第3に排除の論理による狭あいな政治勢力としてでは、理念・政策の一致を踏まえた裾野の広い政治勢力の総結集をめざすべき。第4には新党づくりは「大胆な世代交代」を実現する機会であり、有権者の多数派である”若い世代”と”女性”の支持獲得に特段の留意を、と党大会の直前ではあるが提言を行っている。
労組側は、横路党首による世代交代と、新党さきがけや市民団体との連携に動いているようである。また鉄鋼労連などの旧民社系産別労組も、新進党にはついていけないと、新たな党への支持をも想定した「支持政党の多様性」を定期大会などで決定している。
このような流れの終着は、社会党の分裂も辞さず、「清新な党」「徹底した分権と参加の党」「政策立案能力の高い党」「若い世代と女性を大胆に登用する党」という新党をつくる主役級に労組が躍り出る可能性が、9月21日の社会党臨時大会の動向によっては現実となるかもしれない。

<まとまらない党内の状況>
毎日新聞は、府県本部の書記長と国会議員へのアンケートを実施した。その結果は、書記長レベルでも広島、香川が「新党反対」、また「丸ごと論」への支持が21府県、個人参加方式が13府県とまとまっていない。「社会党:新党像バラバラ」の見出しの印象は強烈である。また国会議員では「新党反対」が4名。社会党解党反対が「新党反対議員」も含め13名。また大会で承認された新党に不参加の可能性があると答えたのは、丸ごと派4名、この指とまれ(個人参加)派11名など、18名に上ったという。
この状態で、どのような大会結果が出るのか。外からは予想することは不可能であるが、今後も紆余曲折があることは確実である。

<丸ごと移行への危惧>
9月14日の社会党中央執行委員会は「丸ごと方式、参加の署名は取らない」という方式を決定したと報道されている。残念ながらこの方式は、単なる党名の変更に過ぎない結果になる可能性が高い。
社会党をまず解党し、新たに新党準備委員会を発足させ、政治理念と政策を明らかにし、党員を募り、参加者の中から代表者を選ぶ。どのような形にせよ、こうした過程が明確にならなければ、はたして新党と胸を張ることはできないと思われるが、どうだろうか。 仮に丸ごと方式であるならば、せめて現時点で他の政党議員・所属者、無所属議員・個人が現社会党議員・党員と対等の権利を持つ新党移行委員会でも作ってオープンな議論を起こしつつ、党の機関・組織を新党に移行するという手段もありか、と思うが。
社会党は14日、学者文化人らと作る新党母体の「新しい政治勢力結集呼びかけ人会議」を正式発足させたが、15日の新聞報道では新党さきがけなど他の党からの参加者はまだないという。
この呼びかけ人会議が「新しい政治勢力の結集を呼びかけるアピール」を出している。「①21世紀に向け日本政治の新しい軸となる大きな政治組織「民主連合」(仮称)をつくろう。②憲法の精神の創造的発展、③基本課題は平和と互恵の国際社会樹立への積極的貢献、官僚制による統治から脱却して分権と自治の確立、市場経済を基本としつつ、人と環境との共生を保障、男女共生社会の実現とすべての人の自立と選択による社会参加を保障、新しい政治組織は大きな理念で一致する市民が一つの政治勢力としてネットワーク的に結集する、新しい政治組織は政党の形をとり、全国300小選挙区に候補者を擁立する」などの内容である。
アピールの内容は特に異論のないところだが、社会党と新党との関係はまだまだ曖昧である。すでに10月下旬というタイムスケジュールも動き出しているが、果たして第3極になりうるか、誰もその確信を持っているわけではない。むしろ、現状ではそうはならない可能性の方が高いと見るほうがいいのではないか。(1995-09-18 佐野秀夫)

【出典】 アサート No.214 1995年9月22日

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【書評雑感】大江あるいは金芝河のこと(日記から)

【書評雑感】大江あるいは金芝河のこと(日記から)

(7・12)
AUM事件の公判準備が報道される中で、マスコミの関心はまったく薄れ、この事件の反社会性についてまず枕言葉を並べない限り、これについて何も語れない状態ではなくなった。こうしたなかで、浅田・中沢の対談が中公8月号に載っている。
浅田の姿勢には、国立大学の教師に相応しい「配慮」が見られるが、ニューアカデミズムの読み違い、つまりこの現実とパラレルな世界への逃避をもたらしたのは自分たちの責任ではないと述べ、責めに徹している。中沢は、「チベットのモ―ツァルト」の隣に「麻原」の著作が並べられていたこと、AUMに入信したものの20%が、中沢のこの本を読んでいたと言い、やや同情的であるが、迷惑なことだという基調は貫かれている。さて、先日の「朝まで生テレ」もそうであったが、今日の思想・文化状況の危機が強調され、その克服の為の処方箋が様々な形で提起されている。総じて言えることは、「ゾルレン」、「相対主義の克服」、「イデオロギーの回復」等々、硬派の主張が目立つ。
まことに恐れ入るというか、困ったというか、ソ連の崩壊と冷戦の終結の中で勝利した筈の側の人々が、みずからのイデオロギーに自信を失って、何かを求めているのである。ポストモダンのなかで新しい理念が求められているという呼びかけも盛んである。
どうしてこんなに慌てているのであろうか。「ソフィーの世界」の哲学への誘いは純情でヒューマニスティックで好感がもてるが、それでも、なんともうさん臭い感じがするのはなぜだろうか。
この点で、サイードと大江の対談は、その悠長さと謙虚さというスタンスに共感を感じる。
あわてる乞食は貰いが少ないのだ。
大江は5年間勉強して、新しいナラティブのスタイルを見つけたいと言っているが、ナラティブが「さっちゃんと」とK伯父の後者の優越性と知性によって統一されるといったものから、真の対位法が確立されるか注目される。大江は、最近のG・グラスとの往復書簡のなかで、AUMの反社会性と暴力性を描けなかったのは、リアリティーの欠如だったと述べているが、それは、K伯父の分身が「ギー兄ちゃん」であり、「癒し」のためのコミュニティーの理想像であったからには、リアリティーがあれば、この「最後の小説」は本来成り立たないばかりか、ドストエフスキー的な精神なしにそれは不可能であり、またそうであれば、大江らしいものは全て失われてしまったのである。このG・グラスへの返信には嘘があり、この克服が、今後のナラティブの成否を決するのではなかろうか。それにしても、本田勝一との「紛争」は近年まれに見る、「珍事」である。こんなことが起きていようとは、「金曜日」という、私の趣味に合わない雑誌を読んでいないために、ぜんぜん知らなかった。毎日新聞社の本田の本(大江健三郎の人生:貧困なる精神Ⅹ集)を読んでなんとも気まずい汚いものを見たような気になった。
硬派の独り善がりが蔓延している。平板な相対主義と立体的な多元主義の違い、寛容とあいまいさの違いを見間違ってはなるまい。
特効薬を求めるのは、AUMの促成栽培の修業と解脱によく似ている。
結論を急ぐな。結論は出ていないのだ。天才の出現を望むな。あまりにも天才が出過ぎたといって「近代のモダン」を否定してから、まだ、さほど時は経っていないのだ。

(7・15)
「世界」臨時増刊号の「ソウルシンポ=現代文明の課題」(主催 韓国クリスチャン・アカデミー)を読む。
ここで、大江と金芝河が報告を行っている。
大江の報告は、彼の「万延元年のフットボール」の解題と、日本人の犯した誤りに対する、バランスの取れたヒューマニストらしい述懐である。これには特に目新しい視点はないが、ノーベル賞授賞後、最初に訪問する国として「韓国」を選んだことを強調している。これは、西欧主義者と言う、一部に存在する批判に対する彼らしい回答であろう。これはこれでよい。けちを付けて、何か有益な結果が得られるものでもあるまい。
注目すべきは、金の報告である。ここで彼は、自らの今日に於ける、哲学的あるいは思想的、もしくは信仰的な体系を開陳している。それは、西欧文明の批判、科学的合理主義への糾弾に重点が置かれている。特に、それらに対置するものとして、「東学」や「気」、「華厳教」が打出されている。また、東北アジアの「儒教」、「仏教」、「道教」などの共通文化を基礎にした新しい共同体が理想郷として描かれている。
彼の語調は、ゾルレンに主題があるように聞こえるが、内容的にはむしろ、ザインとの和合あるいは合一に力点があるように思う。彼が、有名な「五賊」を書いた後、逮捕され長い獄中生活を送り、拷問と薬物投与を受けたということが報道されたことがある。
しかし、その間の思索のプロセスや到達点について、ほとんど知らない。かって受けた印象に、彼は「転向」したのではないかという懐疑的なものがあった。しかし、この報告を読むと、彼の反体制的なスタンスが変化し、より全人類的な視点に中心が移されていることが分る。この是非について、政治主義的に批判するのは容易である。政治がパフォーマンスの競り合いであるからには、彼の考えを、再び、こんな世界の利害やその水準に照らし合せることは、冒涜であろう。従って、この彼の「揺らぎ」理論への共感、や「ポストモダンの無責任さへの批判」などを含む、猛勉強のあとが想像されるこの到達点の体系について、東洋主義的偏向(大江に対するものとは反対に)などという皮相的な批判や軽視は許されないであろう。重要なのは「解釈」することではないが、さりとて、教条的な処方箋に依拠した「変革」でもないからである。(N・I)

【出典】 アサート No.213 1995年8月11日

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【本の紹介】投票率の低下と民主主義

【本の紹介】投票率の低下と民主主義
    『アメリカで「革命」が起きる ワシントン解体を迫る新ポピュリズム』、
       ケビン・フィリップス著、1995.6.9発行、日本経済新聞社、2300円

<<「議会制民主主義へのサボタージュ」>>
今回の参議院選挙で、投票率の低さ(44.51%)が民主主義の危機として大きく取り上げられている。投票日翌日7/24、日経紙一面の「敗北した民主主義」と題する論説はその中でもなかなか刺激的である。編集委員の田勢氏はその中で「有権者の政治意識はもはや「怒り」というような生易しい段階ではなく、二人に一人が投票を拒否するという議会制民主主義へのサボタージュとなって表れた。事態は深刻である」、と注意を喚起している。歴史の教訓はこうしたサボタージュの結果が何をもたらしたかを明らかにしている。「ドイツでワイマール共和国がわずか14年で崩壊し、ヒトラーの登場を許したのも、わが国が太平洋戦争への道をひた走ったのも、政府が機能せず、国民の意思表示がなかったためだ。民主主義は戦わなければ守れない。歴史はそのことを教えている」と氏は強調する。
「民主主義は戦わなければ守れない」、確かにその通りである。さらに言えば、「民主主義は戦いとる」ことこそが重要であろう。しかしそれは様々な分野で多種多様な形態で、より広範な人々の積極的な参加を得て、闘われていることが前提であろう。ドイツナチズムと日本軍国主義の台頭を許した歴史的な反省と教訓は、戦後50年の今日においてもまだまだ汲めども尽きせぬ重要な諸問題を提起しているといえよう。議会制民主主義の空洞化とそれに照応した投票率の低下もその一つである。
田勢氏は「政治が人々の心を捕らえることができないのは世界的な傾向だが、欧米先進各国に比べても今回の参院選の投票率の低さは異常だ」として、米大統領選挙55.2%(92/11)、英総選挙77.7%(92/4)、仏総選挙68.9%(93/3)、等を上げて日本の投票率の異常さを指摘している。確かに今回の参院選の場合、一部では有権者の一桁台の得票だけで当選していることを考えれば異常である。これを「無党派層の増大」で片付けるのではなく、なぜこのような事態がもたらされているのかを明らかにしていくことが問われているといえよう。

<<米中間選挙との共通性>>
しかし田勢氏は上げていないのであるが、昨年94年11月に行われた米中間選挙の投票率は、38.7%に過ぎなかった。これでも最低の投票率ではなかった。政治の閉塞した状況が続けば、日本でもまだまだこの程度までは投票率は下がるのではないだろうか。すでに都市部では30%台の投票率になっているのである。しかもこの米中間選挙は、今回の日本の参院選と状況に多くの共通性を持っている。どちらも半数改選であり、現政権にとって初めての国勢レベルでの選挙であった。そしていずれも野党側が大きく躍進した。その結果米議会では、40年ぶりの共和党の上下両院支配という新しい事態が出現し、クリントン政権は少数与党として再選基盤が大きく損なわれ、改革の姿勢も右往左往せざるをえない状況に追い込まれたのである。
ここに紹介する表題の書名はやや誇張した感を与えるが、原題は「傲慢な首都--ワシントン、ウオール街、アメリカ政治の欲求不満」である。訳者(日経編集委員・伊奈久喜氏)によれば、アメリカでの「革命」は、1776年の独立革命であり、その革命思想とは、人民が政府を倒す権限を持つとするジェファソニアン・デモクラシーとも呼ばれる考え方である。本書で著者がポピュリズムと呼ぶものである。
著者はこの昨年の米中間選挙について次のように述べている。
「94年11月の選挙に関する最初の警告は、幻滅したアメリカの選挙民の極端な気まぐれである。投票者はもはやワシントンも、共和党、民主党の二大政党制も信頼していない。大統領就任式から18カ月たった民主党のビル・クリントンは自分の信頼度、再選への支持率が30%に落ちるのを見た。11月8日、彼は大量の不信任票を突きつけられた。
下院で53議席、上院で8議席減らしたのだ。新任大統領が、議会で自分の党がこれほど多くの議席を失うのを見たのは、1922年のウォーレン・ハディング以来である。」

<<「新たな第3党」への期待>>
なぜこのような事態になったのか。著者はこれについて、「政治家たちはひとたび選ばれてしまえば、ただ表面的な改革に取り組むだけだという教訓は、アメリカだけでなく、日本やその他G7諸国にもあてはまる」と述べ、さらに「アメリカ政治に於ける4回の地滑り現象のどれもが、権力を持つ政党、大統領に対するリアクションだったことを明らかにしている。つまり野党の特定のテーマに対する支持というよりも、不況、スキャンダル、戦争、市民の不安に反応したものなのである。共和党は今回は状況が違うと強調してきた。・・・ビル・クリントン、民主党、ワシントンへの反対票は、・・・共和党の「アメリカとの契約」を実際に支持したと主張したのである。しかし1994年のタイム誌、CNNの調査によれば、共和党支持者ですら、投票者たちが共和党のプログラムに対する支持に動機づけられたとは信じていない。
まず多数の投票者は、新たな共和党議会がただいつもと同じ政治を演じているだけだとの考えを表明し続けている。新しい時代の到来を見る人はほとんどいない。・・・95年3月のタイム誌の全国調査によれば、アメリカ人の56%は依然として新たな第三党を望んでいた」ことを明らかにしている。
さらに著者は、日本語版への序文の中で「勝利者たちが騒々しく変化をがなりたてた。しかし主な現実はといえば、特殊利益グループにカネを迫り、その言い分を立法化する政治家の一団が一方から他方に変わったに過ぎない。ただ今回は、立法者も利益グループ側もより保守的で経済界寄りになった。日本の読者は、このパターンをありふれたものと思われるかもしれない」と実に皮肉たっぷりに共通した特徴を指摘している。

<<「90年代に関する予測」>>
著者は主要国に共通する政治の閉塞状況と動脈硬化を歴史的に分析しながらも、にもかかわらず長期的な政治変化の可能性に大きな期待と現実的な可能性を寄せている。著者の「90年代に関する予測」は以下のようなものであるが、日本にとっても多くの共通性と示唆に富んでいるといえよう。
・ワシントンに対する軽蔑(他国では首都への軽蔑)は、政治、統治機構の改革への主要な力であり続けるだろう。
・政党の基盤は侵食され続けるだろう。他のG7諸国と同様、アメリカにも新党が現れるかもしれない。しかしこうした新党が民主党や共和党のような規模に達するとは考えにくい。
・次の十年間のうちには無所属の大統領の登場も考えられる。
・次の十年間のうちにはアメリカの代議制は、もっと直接的な参加型デモクラシーになる可能性が大きい。ある状況においては直接投票によって投票者に州と国の法律を作らせる。市民に電話、郵送、コンピューターによる投票を許す。全国集会を開き、投票者を代表するグループが主要問題を議論する。そして多分、上下両院議員がワシントンの本会議場にいるのを求められるよりも、選挙区の地域、州から投票あるいは立法を行うことができるようになる。技術の変化により、こうしたことがすべてぐっと容易になるだろう。
・こうした変化が広範に起きれば、アメリカの選挙における投票率は、大統領選挙50-55%、中間選挙36-38%という現在の低水準から跳ね上がるだろう。またそれが起きるのは、有権者全体があまり裕福ではなく、中間層への傾斜も少なくなり、保守的でなくなっている時だろう。・・・この現象は、2000年、そして新たな千年期が近づいた時に一層鮮明になるだろう。

参院選や日本の政治状況を振り返って、多くの共通性と同時に刺激的な問題提起を与えてくれるのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.213 1995年8月11日

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【投稿】ヒロシマの地に立って思うこと

【投稿】ヒロシマの地に立って思うこと
                <<ヒロシマのメッセージとフランス核実験>>

「被爆50年」「戦後50年」・・・「50」という数字に押されて、今年の8月6日は、大阪でなくヒロシマで過ごさなくてはという思いが、日に日に強まり、日帰りの旅となった。4日前に友人に知らせると、「組合の動員?」と役員をしている私の立場を思いやって聞いてくれた。連合の平和集会のことも、心の片隅にはあったが「50年」の今年こそは、仕事や立場から少し離れて一個の人間として、ヒロシマの地に立って考えてみたかった。
新大阪駅の待合いのソファに腰掛けているとき、「8時15分」になった。ヒロシマに向かって黙祷をした。広島に着くと、すぐ市電で平和公園へ。資料館は8月6日に限り無料であった。地下1階の壁に展示してあった「ひろしま21世紀へのはがき;一人ひとこと-未来に残そう市民の声・伝えよう私たちの思い」の数々が目を引いた。今年4月1日から7月15日までに届いたはがきを、年齢別に貼ってあったが、60台70台の人たちの多くは、小さな字でびっしりと思いを綴っていた。中には16枚も繋げてあるはがきもあった。これらはすべて資料館に100周年まで保存されるそうなので、私自身も平和な21世紀を願って、置いてあったポストに投函した。
被爆したアオギリの横で、車座になった人々に「おばちゃんはね、、、」と語っておられる方に見覚えがあった。沼田鈴子さんだ。ベンチの下に置かれた松葉杖。戦争が、原爆が、21歳の女性から左足のみならず青春のすべてを奪った。戦争の愚かさ、原爆のむごさが、多くの語り部たちによって伝えられているのに、今また、「核実験」を強行しようとする国がある。冷戦時代は終わり、地球規模で平和を考えていかなければならない時に、「なぜ?核」「どうして?実験」、憤りとともに人間の愚鈍さが痛烈に胸を突き上げてくる。フランスの発表に機敏に反応したオーストラリアの首相はさすがだ。村山首相にももっと敏感になって頂きたい、唯一の被爆国ニッポンの首相として。抗議の国会決議で済ませず、「大使一時召喚」ぐらい本気に考えてほしい。「戦後50年決議」も一生懸命やったわりには評判がよくない。連立政権は気苦労が多いとは思うが、村山首相には社会党党首として「平和の問題」については有終の美を飾って頂きたい。
私自身は、署名運動はもちろん、当面は個人でもフランス製品不買をする決意だ。戦後原水禁運動が、東京の一主婦の呼びかけからスタートしたように、出発はいつもささやかである。「禁」と「協」が、「連合」と共に話し合いのテーブルについたように報じてあったが、「50年」を境目にしなければ行動できない狭さを相互に猛省したい。
今回の短い旅の終わりに立ち寄った「広島市現代美術館」(比治山公園)の展示作品「ヒロシマ以後-現代美術からのメッセージ」は、強烈であった。建物もアートそのものでよかったし、8月6日にふさわしい作品の数々を丁寧に集められた方々の熱い思いが、ひしひしと感じられた。1995年8月6日、ヒロシマの地に立って思ったことをこれからどう肉付けするか思案しながら、比治山を下りた。
(田中 雅恵)

【出典】 アサート No.213 1995年8月11日

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