【投稿】参議院選挙を前にして

【投稿】参議院選挙を前にして

2年ぶりの国政選挙となる参議院選挙が目前に迫ってきた。今回の選挙は、自社さ連立の村山政権の信任投票として位置付けられようとしているが、統一地方選から続く選挙疲れもあり、6年前の消費税のような明確な争点もなく、ム-ドとしてはいまひとつといった感じである。そして何よりも3年前とは大きく変わった政治地図や「無党派層の増大」なるものにより、簡単には読み切れない複雑な選挙となっている。中でも注目されているのは、新進党がどれほどとれるかということと並んで、社会党の敗け方が22だの15だの数字が乱れ飛ぶなかで語られていることであろう。
自分自身、選挙権を得て10年近くになるが、今回ほど自身の投票行動が定まっていない選挙は初めてである。今までは何らかの形で支持・支援できる候補者がいたし、実際に選挙運動もやってきた。先の大阪府知事選でも、複雑な思いを持ちながらも、ノックは信頼できず、連合大阪の政治的イニシアチブを維持してほしいがために平野に投票した。しかし、今回は一体どうすればいいのか。村山政権に対する私なりの評価や社会党との関わりを思い起しながら考え、悩んでいるのである。
村山政権の評価は様々であるが、批判的な評価が下されているのは否めない。「危機管理能力のなさ」「経済無策」「実行力・決断力のなさ」などを始め、左の側からは国会決議の不十分性、長良川河口堰の運用の問題、従軍慰安婦問題への対応など、数えあげればきりがない程である。自社の連立という1年前の「掟破り」の手法により実現した社会党首班の政権ではあるが、与党内第一党は自民党であり、力関係では社会党は圧倒的に不利な状況にある。ただ政権のキャスティングボ-ドを握っているにすぎない。保・保連合も叫ばれている中では、いつ捨てられてもおかしくないのである。今の日本のシステムでは内閣が行政権力の持ち主であり、内閣総理大臣ではなく内閣に重きをおいた制度になっている。その意味では、首相が社会党だからといってその政策が次々に反映されるかというとそうではない。また、それが連立政権というものである。
私も村山政権にはいろいろと不満はある。しかし、これまで政策の俎上にすらのらなかった被爆者援護法の制定が不十分ながらも実現したし、水俣病の解決の糸口も見えてきているのだ。旧連立政権での社会党へのなめられた対応のことを思えば、社会党の意向はかなり反映され、自民党単独政権ではとてもできなかった諸課題を次々にこなしているといえるのではないだろうか。連立政権の政策と政党の政策の整合性の問題についてはいろいろと議論はあるだろうが、社会党の政策転換=もはや社会党には何も期待できない、護憲・平和勢力ではない、と簡単には言い切れないのである。
私がこれまで社会党を支持してきたのは何故か。共産党のセクト主義を批判しつつ、消去法的に社会党だったということもできるが、やはり何よりも学生運動以来関わってきた解放運動や労働運動などの諸課題を実現させるための政治的意志を表明できたのは社会党だけであったという、まさしく大衆運動の要請からくるものだったのである。私自身社会党の政策そのものを丸ごと評価していたわけではなく、私たちのグル-プとしても護憲や民主主義に果たした社会党の役割を評価しつつも、組織的に社会党を支持していたわけではない。むしろ、運動のリ-ダ-が社会党公認の候補者であったり、先輩方が社会党員であったりすることにより、社会党を大きく、強くしていくことが自分たちの運動の目標に近付き、民主主義の実現につながると考えていたのである。
そんな社会党が時代の流れについていくことができずに低落傾向にある中で、生き残りをかけた最後の手段が第3極の勢力-民主主義リベラル勢力の結集だったはずである。しかし、この構想も遅すぎた感が強く、実現性に疑問を持たざるをえない。そんな中で、これまで社会党に大きな影響力を持ったグル-プの人たち、私が社会党を支持するにいたったリ-ダ-たちが次々に社会党を離れようとしているとの話を聞いた。新進党にのる人もいれば、ノック支持グル-プを形成する人もいる。それぞれの団体、それぞれの人々の考えがあっての方針・行動なのであろうが、私には納得することができない。何らかの政策課題を実現させていくために様々な勢力と連携していくことを否定するものではない。むしろ私たちの考え方からすれば広範な勢力の結集という意味で積極的に推し進めるべきものである。ただし、それはこれまで共に闘ってきた勢力と縁を切ることではないはずである。何も社会党への義理がどうのと言っているわけではない。民主主義リベラル勢力の結集にささやかな期待を持っていた私にとっては、先の人たちがその中核となり、社会党の再生を担ってくれるものと勝手に思い込んでいたのである。
大阪選挙区で社会党は推薦候補となった。どんな人なのかよく知らない。今まで支持していた公認の現職は衆議院の選挙区にくら替えしている。私が学生の時に初めて立候補して以来応援してきた人である。他党の候補者にはとても投票できない。寂しい国政選挙になったものである。「無党派層の増大と言われているが、これまでの浮動層が名前を変えただけじゃないか」と思っていた私が、いつしか無党派層になっていたことに気付かされたのである。
現在大衆運動を主体的に取り組めていない私がこんなことを言うのはおこがましいのはわかっているが、一歩離れた視点から冷静に物事を考えていけるようになっていると思うのである。第3極のリベラル勢力の結集の基盤は地域のロ-カル政党やグル-プのネットワ-クにあるとするならば、政治屋のみなさんのわかりにくい動きとは一線を画した、新たな行動指針が求められているのであろうか。以前からこのアサ-ト紙上で第一線で活躍している方々の投稿を呼びかけているが、いつもMさんやOさんなど特定の人に限られている。先に述べた団体や個人の方々は、アサ-トの読者とは決して無縁ではないはずである。この間の動きや方針、行動をわかりやすく読者のみなさんに説明していただけないだろうか。
(江川 明)

【出典】 アサート No.212 1995年7月15日

カテゴリー: 政治 | 【投稿】参議院選挙を前にして はコメントを受け付けていません

【投稿】参院選と社会党バッシング

【投稿】参院選と社会党バッシング

<<山口氏の「最後の批判と提言」>>
北海道大学教授で、政治学者である山口氏は、本紙でも何度か紹介されたことがあるように、世の多くの評論家や政治学者が社会党叩きや村山政権批判の大合唱をしているさなかに、あえて村山内閣誕生の積極的な意義と期待感を表明し、村山首相のブレーン集団「二一会」に参加し、具体的な改革と政策の提言を行ってきたことで知られる。
その氏が、参議院選挙を前にして、「日本社会党の命運を憂う」(5/31、朝日・論壇)、「新党よりまず政治家改革」(6/18、日経・リレー討論)等の中で、「この数年、社会党の変革による日本政治の転換を願ってきた者として、この党に対して最後の批判と提言を行いたい」として、社会党へのいわば最後のラブコールを送っている。
氏が指摘するように「村山政権の発足は、現実政治の困難な環境の中で社会党の理念を鍛え直し、それを通して社会党を改革するための絶好の機会となるはずであった」。
「この政権が自民党を巻き込み、ものごとを現実的に変えることが可能に見えました。・・・私もそれなりに頑張り、色々な問題提起をしたつもりです。・・・ところがそれが年を越した途端、社会党の内紛、阪神大震災、オウム騒動と、普通の政治がしにくい状況になってしまった。アンラッキーな面もあるが、結局、政権の持っている力量が問われ、無力をさらけ出したといわざるを得ない」事態となってしまった。氏はそれを社会党の「漂流」とみなし、「社会党は見送りの三振を繰り返してきた」が、「政党は、政権にあるときに何が出来るかが勝負なのです。言葉で新党とかきれいごとを言うより、普通の政党として、自分の公約の実現に向け当たり前に努力をするのが先だった」と、指摘する。

<<新党論に先立つ前提条件>>
山口氏が「最後の批判と提言」と言わざるを得ない決定的な出来事が、長良川河口堰をめぐる野坂建設相の裁定であった。「社会党が本当に環境を大事にしたいのならば、なぜ社会党の政治家は野坂氏を囲んで河口堰と環境問題について徹底的に議論しなかったのか。既成事実の壁の前にすごすごと理念を引っ込める政治家がどうして新党を担えるのか」、「社会党が新党の支持者に想定している人々は、河口堰に象徴される環境破壊的・利権政治的な公共事業に公憤を感じている市民である。そうした人々の思いを受けて、公共事業のあり方を考え直すためにこそ村山政権を作ったのではないのか。建設官僚とけんか一つできない政治家たちが新党と叫んだところで、青島幸男東京都知事一人が持つインパクトには遠く及ばない」と、的確な手厳しい指摘をしている。ましてや野坂建設相は「公共事業に間違いはない」などと発言し、河口堰建設中止を求める署名をしたことについて「あれは廊下の立ち話で、水質が悪くなると聞き、署名したものだ」と反省したという。お粗末な発言のきわみである。
それでも山口氏は、「遅きに失した感はあるが」、「第一は、何のために村山政権を作ったかをもう一度かみしめ、連立三党の政策合意のうち何がなぜ実現できなかったかを総括すること」、その中で「将来につながる制度改革の提起を行うこと」、「第二は、自らの理念を確認したうえで、政権与党の地位にこだわらず愚直にこれを追求すること」を提起している。
そして政党政治再生の展望の前提として、「まずは先日の地方選挙に現れた民意をきっちり受けとめるところから、すべて始まると思います」と述べ、業界団体を束ね、後援会を広げて票を積み上げる、組織や団体の票を積み上げて当選圏にはいるタイプの選挙から決別するときがきていることを強調している。

<<社会党の存在意義と社会党叩き>>
7月23日の投票日を直前に控えて、今や社会党叩きは最高潮に達しているとも言えよう。議席の激減が当然の前提として語られ、社会党は遠心分離機にかけられており、このままいけば村山内閣の崩壊はもちろんのこと、社会党そのものの「流れ解散」、「消滅」論まで現実的な可能性のある事態として論議されている。そのような危惧なしとしない状況であることは間違いない。共産党までがというか、いまさら当たり前のことではあるが、社会党叩きの先頭に立って、口をきわめて村山内閣を罵倒し、前内閣よりも、さらには自民党単独内閣時代よりも悪質な反動政権として描き出し、これを打倒することにそのセクト主義的な全エネルギーをかけている。
こうなってくると、われわれはもう少し事態を冷静にみる必要があるのではないだろうか。
2年前の6月18日には宮沢内閣に対する不信任案が通って衆院解散、総選挙となった。そしてそれ以後の二年間は実にめまぐるしい政治的変動期であった。何よりも自民党の政治独占が崩壊し、連立政権時代に移行し、細川政権が成立した。その細川政権も突如の深夜の国民福祉税構想に象徴される、公約とは全く相反した闇取引と裏切り的政治行動によって自滅した。その結果として、1年前の6月29日には社会・自民・さきがけ三党連立の村山内閣が成立することとなった。そしてこの間のキャスチングボートを握ったのは社会党であった。社会党がいずれの連立政権の成立にあっても欠かせなかったし、配慮せざるを得ない存在であった。いずれもこれまでの社会党の政策を骨抜きにし、換骨奪胎することに全政治論議の焦点が合わされることとなった。現実に重要な政策転換が行われ、それは当然、功罪、期待と失望、あわせ持つものであった。そして今、この罪と失望に焦点が合わされ、社会党叩きが行われている。ある意味では当然のことであるが、逆に言えばそれだけ社会党への期待と共感がいまだ庶民の多くの人々の中に依然として存在しており、それを無視し得ないことをも示しているといえよう。攻撃する側から言えば、いわば草苅り場なのである。

<<政党支持率と社会党>>
そのことは多くの世論調査にも一貫して現れていることである。社会党の支持率は減少傾向にあるとはいえ、他の政党に比べ見劣りのするものではない。前回参院選直前の92/3の朝日調査では、政党支持率(%)が自民44、社会12、公明4、民社2であったが、今年95/3月の同・朝日調査では、自民27、新進8、社会10である。6月の調査でも、新進8に対して社会9である。5/12-24のNHK世論調査でも、政党の支持率は、自民23%、新進5%、社会9%、さきがけ1%、共産2%、特になし55%であった。支持なし層が増え、既成政党が軒並み支持率を下げている中では、社会党はよく持ちこたえており、既成政党の枠内での支持率の割合では、むしろ現在の方が高くなっているのである。さらに自民党の小沢派、海部、等々、公明党、民社党、日本新党が合流した新進党よりも支持率が上回っていることは、ある意味では驚きでさえある。しかしそれが先の統一地方選挙でも明らかなように、議席増には結びついていない。それはこのところ急増している政党支持なし層に対して、社会党が魅力ある有効なメッセージを出し得ていないし、信頼性も喪失しているところからきているといえよう。まただからこそ、他の諸党が社会党叩き
に集中するわけでもある。信頼性の喪失に関しては、新進党に巣食う汚職・腐敗議員や戦後五〇年国会決議に公然と反対して出席を拒否した議員など、自民党と共により責任の重い議員が数多く存在していることを忘れはならないであろう。
しかしいずれにしても社会党の今回の改選議員は、土井委員長時代の89年7月26日の参院選挙で獲得した議席である。そして消費税導入反対とマドンナブーム、新生社会党への期待の中で、この時に得た大幅な得票増の分はすでに92年の選挙ですべて失っている。久保書記長は「(比例代表と選挙区を合わせた)前回の公認候補22人の当選ラインは超えなければなりません」と語っているが、きわめて困難な課題であろう。

<<社会党の「最後の遺産」?>>
6月19日の米ウオールストリート・ジャーナル紙は、日本の「戦後五〇年国会決議」に関して、「深く後悔する日本」と題する社説を掲げ、「舞台裏を見れば、戦後決議は評価できよう。決議は社会党が消え去る前の遺産とも言える。社会党は過去40年間、戦争責任と平和主義を訴え続けたが、なかなか政権をとることができなかった。社会党は今や消滅の危機にひんしており、有権者は日本が永遠に、深く戦争を後悔する必要があるとは考えていない。こうしたことから考えると、日本が戦後決議を採択したのは、驚くべきことだ」と評価し、「どの国も自らの戦争の罪についての議論では、しばしば都合よく問題をえり好みする傾向があるものだ」として、「日本帝国主義の忌まわしい部分を知っているアジアの生き証人は多い。日本の収容所に入れられた人、慰安婦、虐待された捕虜の内生き残った人達だ。日本帝国主義はさまざまな遺産を残した。しかし、これらの人々は、日本人の特性による犠牲者ではなく、大規模かつ意図的な悪行の犠牲者だ。この犠牲者たちに対し、日本は罪の償いをしていくだろうし、これこそ過去と折り合いをつけるのに適した方法だといえる」と評価している。
社会党の「最後の遺産」となるかどうかは別として、「植民地支配」、「侵略的行為」への「反省」を明記した国会決議は、たとえその不十分さが露呈されたとはいえ、自社さきがけの連立政権であったからこその戦後決議と言えるであろう。これを後退させることなく前進させ、具体的な罪の償い、「戦後補償」を実現していく政権でなければ、次代を担う資格はないといえよう。その意味では、「終戦50周年国会議員連盟」(奥野誠亮会長)をはじめ、決議案を容認しないとの方針を確認し、決議出席を拒否した自民・新進両党の議員グループは、この際、この問題を旗印に新たな政治勢力を結集するべきであろう。6/6に、梶山氏らアジア重視、憲法尊重を旗印にして、憲法については「戦後の日本の発展に寄与してきた役割を過小評価する意見には同調できない」とし、9条を含め尊重する立場を明確にした自民党の新グループが誕生している。これも社会党の存在なしには語り得ないことである。
被爆者援護法や水俣病体策についても、その不十分さは当事者から指摘されている通りであったとしても、これらは社会党の存在なしにはありえなかった少なからざる一歩前進であろう。社会党叩きが常態化している今日、あえて注意を喚起せざるを得ないのは、社会党のような政党の存在意義が他の諸政党と比較してより客観的に正当に評価されてしかるべきだということである。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.212 1995年7月15日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬 | 【投稿】参院選と社会党バッシング はコメントを受け付けていません

『詩』 悪徳のすすめ

『詩』 悪徳のすすめ
                  大木 透

その昔
ウジ虫の神様は
ウジ虫の形をしている
とM先生はおっしゃった

AUMの楽園も
この世に
よく似ている
と嘆く奴がいる

会社をやめて
出家してまでして
またプラントを作るのはいやだ
とそっぽを向く奴もいる

朝礼の禅問答に
吐き気を覚えて
出家したものの
AUMの修業にも飽きて
出奔して
青木ケ原の風洞に
立てこもり
なぜか
ひとりで
オカリナばかり吹いている奴もいる

分らん奴もいる

夢があるだけ
ましだと言うと
目を吊り上げる奴もいるが

ヤケ酒を飲んで
俺もサリンを撒きたいよ
と怒鳴り返し
そっと
あたりを見回す
奴もいる

分る分る
と泣きじゃくりながら
「昭和ブルース」を
歌う奴もいるが
それからどうした
それからどうした

合いの手をいれると
何万というサーチライトが
いっせいに点灯され
競い合って
必死に
向かって来る
近衛兵の行軍のように
寝起きの
俺の
夢の縁を
渡って行く

一服吸いながら
昔を思い出す

俺は
「たとえ赤子が混じっていても
反革命の群衆は標的にすべきだ」

真面目くさって
議論していた

商売敵は
「ポア」したってかまうものか
と某商社のアフリカ担当部長が
言ったとか言わないとか
騒々しいことではあるが
「ポア」の風習は
この国に
よく根付いている
夕べも
気弱な小学生が
なにものかに
「ポア」されたらしい
(1995.5.20)

【出典】 アサート No.211 1995年6月17日

カテゴリー: | 『詩』 悪徳のすすめ はコメントを受け付けていません

【投稿】地方分権と政治改革(7)

【投稿】地方分権と政治改革(7)

4.地方分権と政治改革
<介護保険制度の争点化の必要性>

前号までの繰り返しになるが、現在、急ピッチで検討が進められている高齢者介護保障のための社会保険制度の導入について、私は大いに疑問を持っている。
それは、制度の各論に問題を感じるからというよりも、「徹底した地方分権と公的福祉の充実した社会をめざす」(これが社会民主主義と呼ばれる考え方の核心であると思うが)という21世紀の社会のあり方についての私なりのビジョンなり戦略的判断に照らした時に、妥当でない対応だと考えるからである。具体的な課題への対応手法の適否は、戦略的な方向づけの中での妥当性が担保されていなければ、結局のところ大きな誤りとなる。変化の時代にあっては、とりわけ注意しなければならない点だろう。
ところが、この課題について、政治レベルでの議論や対応はまったく見えてこない。現在の状況について福山真劫・自治労健康福祉局次長は次のように述べている。

「…前述してきた状況の中で、社会保険導入絶対の大きな社会的勢力は見当たらず、具体の制度内容が見えてきた段階で、関係団体によりせめぎあいがあったとしても、厚生省として社会保険方式の導入を基本にした高齢者介護保障システム案の作成が予測される」(「新たな介護システム構築にむけて」、自治労通信No.616、1995.6.1)

そして、自治労としても具体的な内容に関わる判断ポイントの検討を行った上で、「社会保険方式の導入も含む高齢者介護保障制度の方針の確立を図ることが重要だと考える」と述べているのである。新聞報道によると、厚生省は来春の国会にも介護保険削度の創設案と医療保険制度の改革案を国会に提出する予定だという。事態は急ピッチで進んでいるのである。
厚生省が現状を前提とした厚生行政の範囲内で現実的対応策を考えることや、労働組合が現状に適応した対応方針を確立すること自体、何ら非難されるべきことではない。しかし、官僚の発想には限界がある。その限界を突破するのが「政治」の役割であろう。ところが悲しいかな、現在の政治勢力には、将来構想を描く戦略性とその実現のための具体的な政策を構築する能力、また現実に進行している課題への対応能力が著しく欠けている。
前号までに述べたように、介護保険構想は、高齢者福祉対策にとどまらず、保育・子育て支援施策などを含む福祉政策全般の再構築へとつながる。そして、そのめざすところの原理的な意味は、課税権を通じて所得と資産への干渉を行い所得を再配分するという「福祉国家」の縮小方向での見直しであるように、私には思える。ただ、社会保険制度であっても、所得に応じた保険料徴収や企業主負担、さらに国庫や地方自治体の負担が当然行われるものであり、所得再配分機能を持つ社会保障政策としては何ら変わることはないとの反論があり得よう。例えば、伊田広行・大阪経済大学講師は、アサートNo.207で紹介のあった「性差別と資本制-シングル単位社会の提唱」(啓文社)において次のように述べている。

「しかも、社会保障制度の場合、徴収された保険料は基本的にその目的(福祉)に限定されて使用されるので、(B)方式(医療保障制度のような、所得に応じた拠出であるが定められた事故に対して必要に応じて一律の保険給付がなされる『比例拠出定額給付制』の意:引用者注)である限り、その保険料は目的税であり、社会福祉の充実にとって確実な財源といえる。税の使途に対するコントロールカが弱く、消費税を7%に上げても、増収分のほとんどは社会福祉に使われないという日本の現状を考えるなら、所得に応じて拠出(できれば累進的拠出)し、必要に応じて給付される(B)方式の方が、現実的には積極的な選択といえるであろう。こうした観点から、これからの焦眉の課題とされている高齢者や障害者の介護保障の財源は、当面、社会福祉への移転が保障されない『間接税』ルートよりも、介護保険ルートの方が現実的であると、私は考えている」

伊田氏の「現実的判断」も理解できないわけではない。しかし、社会保険料方式では、個々人がサービスを市場経済メカニズムの中で調達することを原則とすることに伴う問題点が多いこと(詳しくは前号で述べた)、所得再配分機能が弱いこと、また、負担できない者を排除する性格を持つことなどを考えると、やはり私には問題の方が多いと思える。
例えば、社会保険制度の先行事例である国民健康保険制度は、今やどの自治体においても大きな悩みの一つである。すなわち、保険料収入と保険支出の間の収支バランスが崩れ、多額の一般財源負担(税による赤字の補填)を余儀なくされているのである。収入を増加させ得ないのは、保険料負担には理解が得られる限度があり、すでにその限度を超えているので保険料改定が困難なこと、また、滞納者の増加による徴収率の低下がその主な原因である。支出の増加は、言うまでもなく国民医療費の増大や国民健康保険加入者の階層的特性に起因している。
こうした国民健康保険制度の現状をみると、介護保険導入のメリットとして指摘される「税に比べれ理解が得やすい」ということ自体に私は懐疑的にならざるを得ない。また、社会保険方式でなおかつ所得再配分機能を強化するための累進的拠出などの導入は、まず不可能であると考えている。なぜなら、介護保険における「介護」というリスクは、病気や怪我という健康保険におけるリスクに比べると相当縁遠いものであるし、まして高額所得者には、介護というリスクに遭遇した時の選択肢が多数あり、長年高額の介護保険料を支払い続ける必要性が希薄だからである。保険料滞納者に健康保険証を渡さない自治体が新聞報道で問題にされたりしたが、介護保険制度の場合、結局保険にしか頼れない者だけが保険料にあえぎ、いざ保険が必要な際には保険から排除されているという泣くになけない事態になるおそれが多分にあるように思う。
結局、介護保険の導入によって拡大するとされている「権利性」とはあくまでも契約当事者としての権利性であって、社会権を拡大する方向における権利性の拡大ではないのである。
もう一つ重要なことは、社会保険制度は地方自治の拡大にはつながりにくいということである。保険基盤を確実なものにするには、地域を限定することは好ましくない。現に、国民健康保険制度においても、制度の抜本的改革が常に課題として取り上げられているのである。
高齢者介護保険制度の問題を突き詰めていけば、理念や政策の分岐が相当明瞭になるように思われる。新党論議には欠かせない争点だと、あらためて強く指摘しておきたい。

<地方自治体の現状と課題>
21世紀に向けて重要なのは、これまで「私的領域」とされてきた介護や子育て、さらには環境問題や生涯学習など様々な分野における「公共性」を確立すること、そしてそのコストを誰がどのような形で負担するのかという市民間の利害調整をしっかりと行うことである。そして、そのために、民主的な意見形成や意思形成が実現し得るための条件として地方主権を確立することが必要である。
実際、自治体が対応を迫られている課題の広がりと深まりには実に著しいものがある。
高齢者や障害者福祉の充実、子育て支援施策の充実などの福祉施策はもちろんのこと、道路・下水・住宅などの社会基盤の整備、ごみ問題・水問題などの環境問題への対応、生涯学習を保障するための社会教育や文化の充実、急速に進む国際化への対応、さらには地域経済の活性化、農業の振興など例を挙げはじめるときりがないほどである。最近の大阪府や東京都における課題を見れば、国際ハブ空港を整備することや金融秩序の維持など、どう考えても国の仕事だと思われる課題まで自治体が大きな役割を負わされるのだから、今や自治体こそが「政府」だと言っても過言ではないだろう。
ところが、財政構造や人的配置をはじめとして、地方自治体の対応能力はもはや「臨界点」を超えつつあるのが実情である。自治体が新たにどの程度の規模の新規事業に取り組めるかは、自治体の総収入から国の補助金や起債など特定の事業に対応した収入を差し引いた一般財源によって規定される。ところが、この一般財源もすべてを新たな投資に振り向けられるわけでない。人件費や起債の償還費用、施設の維持管理経費など当然に必要な経費に充当する財源を差し引かねばならないのである。近年の様々な施策の拡大の中で、職員数も施設も相当に増大し、どこの自治体でもこうした費用は年々拡大の一途にある。行政では、経常的な収入に占める経常的な支出の割合を経常収支比率と呼び、財政構造の判断の目安の一つにしているが、この数値の悪化が最近特に著しい。特に大阪府下の自治体では、100に近いところが多くなってきた。経常収支比率が100というのはどんな状態かというと、稼いだ金がすべてランニングコストに消えている状態、民間会社でいうと利益率0の状態である。自治体が現状を維持するだけでよいなら問題はないが、取り組むべき課題を多数抱えている今日において、これだけ硬直した財政構造になっているのは致命的であろう。
課題の広がりと深化、財政状況の厳しさ、自治体の責務の高まり--こうした要素を見ると、自治体に求められている「質」すなわち統治(govern)能力がいかに高度化しているかが容易に想像できる。
具体的には、自治体は次の4つの能力を獲得しなければならないと、私は考えている。
第1は、それぞれの自治体において各施策の地域最適水準(1ocal optimum)がどの程度のものであるかを提示し、それについて合意形成を図る能力である。前号で述べたように、様々な分野の課題において、何をどの程度まで公的に保障するのか、換言すれば、市民が負担している租税をどの程度投入するのが妥当なのかは、一般原則から導きだせるものではない。一定程度のミニマムが確保された上ならば、子どもを預けて働くことは自己選択によるリスクであるから親のために保育所を整備するなどの公的保障は必要最小限でよいと判断する地域もあれば、地域住民層の性格やまちづくりにおける戦略的判断で手厚い公的保障をするのだという地域があってもよいのである。高齢者介護保障にしても、公的サービスで需要を満たすのか(税負担型か)、相互扶助型のボランティアで需要を満たすのか(労働負担型か)は地域住民自らが決定すればよいのである。大事なのは、そのための民主的な意見形成や意思形成の過程である。国家という枠は、こうした過程実現のためにはもはや巨大すぎて機能を果たし得ず、地方自治体のみがその受け皿となり得ることに注目しなければならない。
第2は、市民から信託されている諸資源の効率的かつ最適な配分を行うためのいわば経営能力である。自治体には市場における競争原理のような社会的規制力が及びにくい。そのため、前例尊重・慣例尊重の「事なかれ主義」がはびこりやすく、状況の変化に応じた自己改革が行われにくい。行政改革が単なる行政責任の切り捨てを意味するならば問題だが、目的達成のための効果性・効率性追求の改革はもっとシビアに行われならなくてはならない。この点における市民の不信が、課題達成のために当然行われるべき税負担のアップに対する本能的とでも表現できそうな拒否反応にあらわれる現状は不幸である。
第3は、資源配分の透明性を高め、市民の信頼を得ることである。具体的には、例えば政策決定過程が透明で、その判断基準が明確であるならば、市民の政治的関心はもっと高まるだろうし、行政に村する不信も減少しよう。ただ、後に述べるように、透明性を高めるためには、政治過程や政治のあり方そのものの根本的な転換が必要である。
第4は、資源配分の決定過程における新しい「利害の調整・合意形成機能」を創出することである。この点については、章をあらためて述べることとする。

<必要な地方税財政の改革>
現在の地方自治体は、確実に制度的限界に達しているが、その主要な原因は、国と地方にまたがる税財政の根本的な構造にある。
図①と②は、国と地方の間の財政関係を数量的にとらえるため、92年度の決算ベースに基づいて作成されたものである(95.2.23 日本経済新聞、解説同じ)。

図①
図②

まず、図①で国および地方自治体から「国民」に向かう矢印は、それぞれの歳出額である。大体92年度に国および地方自治体が国民または地域住民に供給した行政サービスを表している。したがって、2つの矢印のかっこ書きの比率は、そのまま国と地方自治体の間の事務配分比率を示す。このため、92年度に、地方自治体は国と約2倍の事務量を分担したといえる。
これに対して、図②は国と地方自治体間の税源配分を表し、92年度では国の方が地方に比べて約2倍の税を徴収したことが示されている。この事務配分と税源配分率のかい難が国と地方の財政関係を非常に複雑にし、地方自治の進展を遅らせている。

例えて言うなら、月8万8千円で生活している下宿生が、3万4千円を働いて稼ぎ、残りの5万5千円を親から仕送りしてもらっていたとして、この青年は自立しているといえるだろうか。
現在、地方自治体が抱える体質的な問題点や様々な課題の根本的な原因は、実施する施策に必要なコストに見合った財源調達(徴税)を自らの責任で行わないこうした構造に規定されていると、私は考えている。
(1995.6.11)

【出典】 アサート No.211 1995年6月17日

カテゴリー: 分権 | 【投稿】地方分権と政治改革(7) はコメントを受け付けていません

【書評】『毛沢東の私生活』を読んで

【書評】『毛沢東の私生活』を読んで
                 (李志綏著、新庄哲夫訳、文芸春秋刊)

スターリン治下の政治家や民衆の酸鼻を暴き、ペレストロイカの道を掃き清めたのは、「アルバート街の子供達」「処刑台」などに代表される、いわゆる「告発文学」であった。
一方、一党支配が今なお続く中国では亡命中の作家、文化人の手で主として文化大革命を主要なテーマに過酷な迫害の実態や家族の悲痛な離散などを描いた数々のドキュメント(「上海の長い夜」「ワイルドスワン」)が海外出版され、いままだ霧に包まれている共産中国も徐々にその輪郭を浮かび上がらせてきた。にもかかわらずこれ迄の作品は部分的もしくは断片的な体験の範囲に止まり、その限りでは文革も指導者の「重大な誤り」に根ざす、決して起こるべきでなかったアクシデントとして描かれている。毛沢東は今なお中国人民の心に解放者として深く刻み込まれ、その批判はタブーなのである。 ところが、この常識を打破する衝撃的な書がついに登場した。中国建国以来22年間にわたり毛沢東の侍医を勤めてきた特異な経歴の持ち主であり、やはり米国亡命の医師・李志綏(リ・チスイ)の手による回想録『毛沢東の私生活』がそれである。
職業革命家に公生活と私生活の区別はないといわれるが、毛側近として激動の中国を強かに生き抜いた氏の科学者としての鋭い筆致は、毛の私生活の観察、評価を超えて中国共産党の暗部に深く迫り、党の存在そのものに問題を大きく投げかける。
さて、物語は著者が毛沢東に見初められて悲壮な決意で侍医として赴任する建国の時期から朝鮮戦争-大躍進政策の挫折-中ソ分裂-文化大革命-米中和解-毛の死-へと目まぐるしく揺れ動く中国現代史を背景に、同じく激しく揺れる毛沢東の感情の起伏、増幅する権力欲、策謀と裏切り、募る不眠症と派手な女性関係、栄光から孤立へと、綾なす人間関係をヨコ糸として、指導者の死と著者の亡命で幕を閉じる上下二巻、900頁にわたる大河ドラマであり、かつサスペンスに富んだ作品となっている。
本書の読者は先ず、毛の死を直前にして、不安と狼狽、猜疑と相互不信に満ちた側近達の臨場感溢れる描写に圧倒されるであろう。またそして、中ソ論争のような重大な出来事が往々にして些末な事件、毛がフルシチョフを出迎えせずに自宅のプールに呼び付けた-ことによっても規定されたことに歴史の大きな気粉れを発見して一驚するであろう。また妻・江青を文革小組副委員長の要職に毛が任命したのは、実は自分の浮気を認知させるためであったというくだりを読めば、一国の最高意思が寝室の中でいかに安直に決まるのかと、唖然とするのではないだろうか。そして「赤い太陽」「偉大なる舵手」の本質はこんなものだったのか、社会主義とは一体何だったのだろうか、と大きな幻滅と疑問を抱かれるのではないか。
今、新旧左翼を問わずシニシズムと清算主義が蔓延している。過去の自己総括もないまま昨日は東、今日は西と無責任な言動を繰り返す「民主主義者」には吐き気を催す。
李氏の体を張った労作がこれら亜流に悪用されるのはやりきれない。極端から極端へと移行するのは、昔から小市民の特性だ。社会主義体制の崩壊の原因や天安門事件の究明は必要だ。しかしそれはバランスのとれたものでないと危険である。中国革命は帝国主義の百年にわたる支配を覆し、半封建中国を近代社会へ引き上げた歴史的偉業であった。この中核はむろん中国共産党であるが、その成功は毛沢東のリーダーシップ抜きには語ることが出来るか。この歴史的使命と正しく結びついた時、毛の強烈な個性と機横縦略が遺憾なく発揮された。抗日統一戦線時における戦術の驚嘆すべき柔軟さ、党内の団結を常に第一義とする相互自己批判の絶え間ない継続等の優れた党風は、同時に士気粗喪した蒋の軍隊を完全に粉砕した。
毛沢東の政策はマルクス主義の創造的適用の模範とされ、その名声はスターリンと比肩して、海外に轟いた。(スターリンは毛沢東を密かに怖れていた。)
しかし彼も所詮時代の子であった。「歴史における個人の役割」には限界がつきまとう。ロベスピエールの権威の源泉は、広大な民衆との結合にあった。彼が権力維持に汲々としてもはや革新的な役割を果たさなくなったと見たとき、サンキュロットは彼を見捨てた。
毛の天才は、両刃の剣であった。社会進歩と民衆の声を正しく反映していた時の毛沢東の強烈な個性は前向き方向に決定的に作用した。誤った路線(大躍進、戦争不可避論、文革など)に固執し、カリスマになって大衆から孤立したとき、彼の資質は中国社会に大きな災害を引き起こす逆の関数に転化してしまったのである。
(高橋 禄朗)

【出典】 アサート No.211 1995年6月17日

カテゴリー: 思想, 書評, 歴史, 社会主義 | 【書評】『毛沢東の私生活』を読んで はコメントを受け付けていません

【投稿】政治の季節到来

【投稿】政治の季節到来
         ・・・あなたは幕末の志士になれるか・・・

○既成政党離れの傾向
東京都と大阪府の両知事選挙における無党派候補の勝利から2ヵ月が経過し、地方政治が一躍脚光を浴びている。共産党を除く政党が全て相乗りで官僚出身候補を推す手法が首都と日本第2の都市で根底から覆ったことで、住民の身近な場所で政治が面白くなってきた。知事と議会の緊張関係が水面下での折衝で行われてきたことに対する飽きと分かりにくさに対する批判が無党派の知事候補を勝利させた。当選した知事がはっきりと認めたように政治に対する意識の高い層が自分達の手の届かない所で行われている政治に対する改革の意思を示したと言える。
東京の青島知事は公約を守って世界都市博覧会を中止するという決断に踏み切り、自らの姿勢を貫き通した。未だにバブルの夢を追いかけている官僚や政治家、企業の頭に冷水を掛ける効果が大きかった。公約を守るという政治家としてのあるべき姿を示し、都民の信託に答えた勇気を讃えたい。一方、横山ノック知事は青島知事とは逆に、国の事業と言ってきた関西国際空港の全体構想を府の事業とするなど180度公約を撤回し、議会の非難を浴びている。大阪らしいと言えばそれまでだが、その融通無碍な手法に対する厳しい議会の反発を浴びている。とりあえずは、副知事人事の対応と秋の補正予算でのお手並拝見という形で緊張関係が持続していく模様だ。いずれにしても、このような両知事の対応が民主主義の本来のありかたを住民が学ぶ、絶好の機会を提供していることは間違いない。そして既成政党の旧態依然とした政局運営に国民が飽き飽きしていることは確かなようだ。

○政局のゆくえ
夏の参議院選挙に向かって政局が緊張状態に入っている。村山内閣に対する支持率は下降の一途で、ついに25%まで降下して不支持率を9%も上回るとともに、危険ラインの20%に近づいている(6月8日付け毎日新聞)。同じ調査で結党以来最低の6%まで支持率を下げた社会党の村山首相にとっては、憂鬱な日々が続いている。そして、6年前の大勝利の議席の50(比例区19、選挙区31)の半分にも届きそうにない大惨敗を喫することがほぼ確実であるため、責任論を免れない村山首相の後任の次期首相をめぐって、選挙前から各党の内部での勢力争いが激化している。社会党は、今までの政策を突然変更して多くの支持を失ったが、それに変わる政策を明確にできないまま、1年近くも官僚支配に屈する形になっている。ようやく95年宣言として党の方向性を打ち出したものの、党内の対立によって相変わらず玉虫色の政策を上から国民に下ろすような手法に対して、国民から白けたムードで迎えられている。
朝日新聞の調査では、2年前の社会党支持者の51%が無党派に変わっている。また新進党の55%と自民党の38%が無党派に変わっている(6月9日付け朝日新聞)。毎日新聞の前述の調査では支持政党無しが45%と3月よりも6%低下したものの自民党の支持率27%を大きく引き離し、政局を動かす最も大きな塊をつくっている。 大都市を中心にして、参議院選挙でタレント候補をはじめとした無党派の候補者が立てば、その候補者を支持政党無し層が当選させることになりそうだ。このような支持政党離れは、社会党をはじめとした既成政党が何をどうしたいのか全く見えてこないという苛立ちの現れである。とくに社会党は、小選挙区という保守政党に有利な選挙制度を選挙公約(小選挙区比例代表併用制)を破って合意してしまうという失態を演じてから急速に求心力を失い、新たなビジョンを国民とともに考え、生み出していく活力をもはや失っている。深刻なのは、その活力の低下が若者の活動家の補給源としての学生運動や労働運動の低迷や幹部の老齢化という構造的な問題から端を発しているにもかかわらず、その解決策を誰も講じようとしていないことである。ビジョンを示し、筋を通してグングンと国民を引っ張る指導者が党内から現れる気配は全く感じられない。その可能性が少ないことが分かれば分かるほど支持率は落ちつづけるのである。

○アメリカから日本への覇権の移動と政治の責任
バブルの崩壊は経済のみならず国民生活全般に暗い影を落としている。4月の失業率が3.2%と戦後最悪を記録するなど雇用情勢も緊迫しており、景気回復どころか恐慌の危機が叫ばれ始めている(恐慌に至らないとしても世界経済の後退が2010年頃まで続くという分析もある)。このようなバブルの崩壊現象は、過去の世界史の中で覇権国が移動する際に必ず発生しており、今日の状況はまさに、アメリカから日本へと覇権が移る過渡期であることを示しているという議論がある。しかし、たとえ覇権が移りつつあるとはいえ、政治がビジョンを示しえないうえに官僚は省益の追求しか念頭に無い醜態を国民にさらけ出しているという、指導者不在状況が国民のイライラをいっそう募らせている。日本経済の本格的な景気回復と世界から求められる責任の大きさにどのような理念で応えるのか、あるいは高齢化や防災対策といった国民生活にとって避けられない支出の増大など、諸課題全てを全体として整合性のあるものとして国民にわかりやすく示せる政党だけが生き残れるだろう。
戦後50年の決議で各党とも党内に意見の対立があった。冷戦構造の中で、東西両陣営の対立を保守対革新という図式に置き換えて共存してきた各党が、その存立基盤(結集軸)を失った以上、各党とも分解して今後の方向に沿って結集するべきだ。地球環境問題やアジア諸国を始めとした国際関係を企業の論理ではなく、環境の論理や共生という考えかたに基づいてパートナーシップを発揮できる外交の確立と、その前提としての日本政府の責任を明確にした戦後処理の早期解決を主張できるかどうか。各省庁の縦割り行政と中央集権がもたらす税金の浪費を明らかにし、国民生活の向上のための官僚のリストラと地方分権を明確に主張できるかどうか。企業の社会的責任を追及するとともに、勤労者が地域で家族とともに生きがいを見いだせる社会づくりを進められるかどうか。情報公開とそれに基づく行政改革に取り組む姿勢を持っているかどうか。国民にこのような選択を明確に示して、清潔な手法で選挙を行う政党が求められている。
幕末、大地震が日本列島を相次いで襲ったように、阪神・淡路大震災に続いてサハリン地震と大地震が相次いでいる。今後の地震活動は活発化し、東海地震、関東直下型地震が近い将来起こると言われている。早い時期に、中央集権から地方分権へと歩みを始めなければ、21世紀のリーダーとして世界に新たなビジョンを示し各分野で貢献をすることが期待される日本が、世界から失望される事態になりかねない。幕末の志士が脱藩して新たな結集をしたように、志を持った者が行動するべき時が来ている。(1995年6月9日大阪M)

【出典】 アサート No.211 1995年6月17日

カテゴリー: 政治 | 【投稿】政治の季節到来 はコメントを受け付けていません

【投稿】「戦後50年国会決議」が明らかにしたもの

【投稿】「戦後50年国会決議」が明らかにしたもの

<<日独のこの落差>>
アジア諸国を中心に全世界の注目を浴びていた「戦後50年の国会決議」は、最終局面に至って二信組証人喚問をめぐる全く党利党略的な政争の具と化してしまった。たとえ可決されたとはいえ大量の議員が欠席し、賛成者が議員数の半数にも満たない議場のガランとした空虚な姿がさらけ出されてしまっては、国内外ともにいかにもシラケてしまうのは当然のことであろう。この決議に反対する自民党、新進党両党内に巣食う頑迷な保守反動分子は、この機会に臆面もなく反対意見を開陳し、自己の立場を合理化し、それこそ「反省」や「謝罪」の意志すら見せず、日本が韓国・朝鮮、中国を初めアジア諸国と世界に対して行ってきた侵略と帝国主義と軍国主義、植民地主義を逆に弁護し、擁護までしている。このような事態の成り行きは、世界中に日本の恥ずべき現状をあらためて再認識させたのではないだろうか。
欠席した自民党の奥野誠亮氏は「先人の努力を誹謗する決議には反対だ。日本は侵略的行為も植民地支配のどちらもしていない」と開き直り、新進党の安倍氏は「国会が『自分の国は侵略国だ』と決議をした国を見たことはない」と自らの無知をさらけ出している。
本来ならば、こうした反動的な言辞は徹底的に孤立化させ、国民的には全く取るに足りない少数派に転化させ得たはずである。しかし現実には、そうはならなかった。こうした現実に、多くの人々が怒りを込めた歯がゆい思いをしていることは、新聞紙上にも噴出している。
一方同じ6月上旬、イスラエルを訪問中のコール・ドイツ首相はホロコースト記念館を訪れ、「ドイツの名前でなされた行為を見て、恥じ入るばかりだ」と謝罪し、「ドイツ人は過去を決して忘れず、反ユダヤ主義や外国人排斥などの動きと断固として戦う」ことを明言している。世界中の目はこの日独の落差を、はっきりと再確認したと言えよう。

<<「歴史も恥も知らぬ政治家」>>
今や各紙の社説でさえ「歴史も恥も知らぬ政治家」、「国会議員としての資質さえ疑われる」とコキおろされている渡辺美智雄氏にいたっては、「日本は韓国を統治したが、日韓併合条約は円満に作られた国際的条約で、法律的には『植民地支配』にはあたらない」とまで発言している。さすがに国際的な反発と抗議の前に、「円満に」の言葉を取り消し、陳謝はしたが、これが自民党の派閥の実力者であると同時に新進党の反動分子と気脈を通じ、戦後50年の歴史的な国会決議を葬り去ろうと画策した上での意図的な発言であることは言を待たない。こんな人物が、元副総理大臣であり、外相までつとめおり、いまだに幅をきかしているのである。
韓国外務省は6/4、「驚きを禁じ得ず、極めて遺憾」とする論評を発表し、「日韓併合条約がわが民族の意思に反して強圧的に締結されたことは明白な事実」であると指摘し、「36年間の植民地支配の歴史を想起させる時代錯誤の暴言が、戦後日本の副総理兼外相まで務めた人物の発言であるという点で、わが国民はうっ憤と憤怒を禁じ得ない」とこれまでになく強い反発を示したのは当然のことである。李洪九首相も同日、「わが国政府と国民は衝撃と憂慮を表示せざるを得ない」と述べ、「日本指導層に属する人物の常識はずれの発言は、韓日関係の将来はもちろん、アジア・太平洋地域の共同体づくりにも悪影響を及ぼす」と警告している。与党・民自党や野党・民主党も相次いで非難や謝罪要求の声明を発表し、日本大使館や日本文化院には連日「誠実な謝罪」を求めて抗議のデモが行われ、渡辺氏に見立てた人形が焼かれてまでいる。
そして日本にとって問題なのは、韓国のKBSテレビが、渡辺発言について日本の政府やマスコミがほとんど反応しないこと自身を取り上げ、これをトップニュースとして報道していることである。ここには「歴史も恥も知らぬ」戦後日本の根本的な問題、厳しい現実が指摘されていると言えよう。

<<「悪しき伝統」>>
つまり、こうした問題がたまたま戦後50年の現在噴出してきたのではなく、悪しき伝統として一貫して脈々と受け継がれてきたことが問われているのである。 日韓会談の席上、久保田・日本側主席代表が「日本の朝鮮統治は朝鮮人に恩恵を与えた面もある」と発言し、四年半もの間会談を中断させたのは1953年である。そして65/11/5、衆議院日韓条約特別委員会で当時の総理大臣佐藤栄作は、韓国併合条約は「対等の立場で、また自由意志でこの条約が締結された、かように思っております」と述べている。
類似の発言はその後も何度も繰り返されたが、この十年ばかりをとってみても、86年には藤尾正行文相が「日韓併合は韓国にも責任がある」と発言して罷免されている。88年には、奥野誠亮国土庁長官が「日本に侵略の意図なし」と言って辞任し、昨年五月には、永野茂門・元法相が「私は南京事件というのは、でっち上げだと思う」という発言で辞任し、桜井新・前環境庁長官は、同じ昨年八月、「(日本は)侵略戦争をしようとしたわけではない」という発言の責任をとって辞任している。いずれも他国からの指摘で問題化すると、「不適切な発言」であったと表面上の反省をし、閣僚を辞任している。 そしてこうした人物はいずれも今回の国会決議を欠席しているのである。今年二月の文芸春秋社発行の雑誌「マルコポーロ」の「ホロコースト、デッチ上げ」論文も海外からの反発に驚き、「公正を欠く記事を掲載し、ユダヤ人社会に深い悲しみと苦しみを与えたことは遺憾」と表明し、「事実誤認があった」として廃刊を発表したが、同じ「悪しき伝統」の中にとらえることが出来る。

<<パブリック・メモリー>>
もちろんこうした経過の中で、自らの歴史認識の浅薄さを反省し、加害者として日本が果たしてきた役割を再認識し、深刻な反省と謝罪、さらには具体的な補償の必要性が問われるまでになってきたことは事実である。一昨年、当時の細川首相が韓国を訪問し、創氏改名などの事実を列挙して植民地支配を謝罪したことは大きな前進であったと言えよう。しかしこうした当然あるべき歴史認識が国内では定着していないのである。定着させる具体的な努力や体制が構築されていないのである。むしろ国家権力や行政によってニグレクトされているというのが実態なのである。
入江昭・米ハーバード大教授は、私的レベルでの過去観とは別に、公のレベルでの過去観(パブリック・メモリー)が作られてこなかったところに、日本の現在の混乱があると説いている(6/7毎日)。パブリック・メモリーとしてこの際、朝鮮、中国、そしてアジア諸国に対する侵略と植民地政策について、あいまいさのない明確な反省と謝罪を確立する必要が問われているといえよう。とりわけ急がれるのは、「韓国併合」に関する具体的な歴史認識の確立ではないだろうか。保守反動勢力は差別意識と優越意識を丸出しにして、何の反省もなく繰り返しこの問題を蒸し返している。
最近出版された海野福寿著『韓国併合』(岩波新書、95/5/22発行、650円)は、この問題を新しい視点から取り上げている。「韓国併合条約」は、1910/8/22に調印されたのであるが、8/29の公布までは秘密にされ、日本の在ソウル寺内統監府は、ここに至るまで一切の新聞報道の規制と発行停止、廃刊を強制し、日本の新聞の韓国での発売禁止、そしてあらゆる集会・演説の禁止、注意人物数百人の事前検束などを行って強制したものであった。「円満に」調印されたという事実などどこにも存在しないのである。渡辺氏のような歴史認識を、この際徹底的に国民的規模で克服することこそが問われているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.211 1995年6月17日

カテゴリー: 平和, 歴史, 生駒 敬 | 【投稿】「戦後50年国会決議」が明らかにしたもの はコメントを受け付けていません

【投稿】ロシア人の宗教意識とオウム真理教

【投稿】ロシア人の宗教意識とオウム真理教
                               鈴木 太

ゴールデンウィークに10日間、ロシアのサンクトペテルブルグ市を訪れた。主目的は、学術研究のための資料収集であったが、研究対象がロシアの社会・文化であることから、ロシアでも耳目を集めているオウム真理教の周辺事情にも大きな関心を寄せた。特に、信者数が3万とも5万とも言われており、これだけ多くのロシア人が、しかも短期間に(モスクワ支部開設は1992年)この宗教に惹かれた要因に関心があった。
訪れたペテルブルグでは、意外にも、オウムへの関心は低く、友人らとの会話の中でほとんど話題にのぼらなかった。おそらく、騒ぎの中心地モスクワと、教団の支部はあったものの裁判沙汰になるような揉め事が(現在までのところ)生じていないペテルブルグとでは人々の関心のレベルが違うのであろう。もちろん、直接・間接にオウムに関与した人にも出会えなかった。したがって、ここでは、現地の新聞記事等をもとに、この宗教が多くの人を惹きつけた背景を垣間見ることにしたい。
ロシアでは1988年に、国の伝統宗教であるキリスト教(ロシア正教)がロシアに伝わって1000年目を祝う「キリスト教受洗千年祭」が国家的行事として催され、宗教の復活を国内外に印象づけた。さらに90年には、新たに宗教活動の自由を保障する法律が採択され、宗教の復権は確固たるものとなった。
こうした宗教自由化の流れの中で宗教への関心が高まり、1992年に行なわれた大規模な宗教意識調査(筆者も関係している)では、その間に「神を信じる」者が3倍に増え、無神論者が急減したことが明らかにされている。しかし、こうした現象をさらに深く分析した種々の研究を見ると、事態はかなり複雑であることがわかる。宗教への関心は確かに高まっており、伝統宗教であるロシア正教や他宗派の信者も増えているが、その一方で、神は信じるが特定の宗教は信仰しない者、また神は信じないが何か超自然的力を信じる者も急増しているという。特に後者は、1970年代後半から高まりはじめた東洋の宗教やオカルト、占いなど神秘的なものへの人気が現在も衰えていないことを物語っている。確かに占星術の類は人気があり、現地のテレビや雑誌などでこの種のコーナーをよく見かけるし、東洋の気功やヨーガなど、科学的な医療を否定するような健康法への関心の高さも出版物の多さからうかがえる。
ここにあげた今日のロシア人の宗教意識の2つの特徴、つまり東洋的で神秘的なものへの関心、特定の宗教を信仰しない傾向が、今回、オウム真理教がロシアで多くの人を惹きつけた遠因になっている。ある地方紙は、ペテルブルグに住む元信者の入信のきっかけを次のように紹介している。
「アレクサンドルがオウム真理教に入信したのは、まったくの偶然であった。昨年の夏、彼はラジオのチャンネルを回していると、ラジオ“マヤーク”でオウムの宣教番組が流れているのを聞いた。声の主は、オウムの教義を知れば、完全な内的自己浄化によって超能力を得ることができることを聴者に約束していた。以前から東洋の精神的自己完成法に興味をもっていたアレクサンドルは、この放送を聞くやいなや列車の切符を買いに走り、モスクワへ向かった。モスクワの支部で会員証を受け取った彼は、一旦はペテルブルグに戻ったが、数日後にはモスクワのセミナーに参加していた」。
この男性のように、東洋の精神性への関心からオウム真理教に入信したケースとは別に、真の生き方を求めて入信した例もある。
マーシャは、日本でいえば中学校を卒業したばかりの16歳の少女。彼女はちょうど一年前に、テレビでオウム真理教の番組を見て入信、すぐにモスクワ支部に移り住んだ。彼女は6歳で母親を亡くし、父親も不幸な人生を送っている。「どうすることが人間にとって正しい生き方なの?」。その答えを与えてくれたのがオウムであったと彼女は言う。
この少女がオウム真理教のどこに惹かれたのかは詳らかでないが、前の男性のようにその属性(東洋的ということ)が大きな役割を果たした可能性は少ない。したがって彼女の場合、他の宗教に頼ることもありえたはずである。また、ある資料が伝えるところによると、オウムの信者の多くはロシア正教の洗礼を受けており、教会にもよく通っていたが、オウム真理教で初めて求めていたものを得ることができたという。これらの事実を考えあわせると、オウムが多くの信者を獲得した背景には、特に伝統宗教でありロシア人に受け入れられやすいはずのロシア正教が人々の心をとらえきれていない現実がある。このことは、特定の宗教を信仰しないというロシアの宗教意識の特徴にもつながる問題である。
このように、ロシアにおけるオウムの進出には、ロシア人の精神的、心理的状況にマッチした手法がとられている。しかも、こうした活動が、政府の手厚い保護のもとで行なわれているのが特徴である。ロシアには外国のさまざまなカルト教団が進出しているが、
このような特別待遇を受けているのは、オウム以外にはない。ロシアの社会状況を考えると、この理由は、よく言われているように、ロシア高官への多額な献金であることは、確かなことであろう。
ソ連邦の崩壊とともに始まった、オウムのロシア進出と、オウムの軍事化と変質の間に深い関係があることは、客観的に見て明らかであろうが、これを推進したオウムの情報収集の正確さと戦略の巧妙さには驚く外はない。今後、こうした問題が解明されるならば、我々が、予想もしていないような実態が明るみに出されるかもしれない。(5月13日)

【出典】 アサート No.210 1995年5月20日

カテゴリー: ソ連崩壊, 思想 | 【投稿】ロシア人の宗教意識とオウム真理教 はコメントを受け付けていません

【投稿】「神なき終末論は、どこへ行く」

【投稿】「神なき終末論は、どこへ行く」
                      —-オウム教団について—-

今月号では、ぜひオウム問題を取り上げたかったのだが、残念ながら原稿依頼が出来ませんでした。そこで私が注目したオウムに関する論考を紹介しつつ私見を述べたい。

<仏教は出家主義>
『RONZA』(月刊論座 朝日新聞社)6月号に橋爪大二郎氏が、オウム真理教の特質について興味深い論考をだしている。それを少し紹介しよう。
それは、オウム真理教の宗教上の特異性である。サリン事件などで明らかになったオウムの教義は「出家」という仏教的内容と、最終戦争(ハルマゲドン)=終末論というキリスト教などの教義が平存しているというのである。仏教にはその教義に終末思想はない。
キリスト教は、人類は最後の審判を迎えるという終末思想を持っている。「終末とは創造(世界がある時に始まった=神がある時に世界を造った)の裏返しである」から、キリスト教にとって『終末』が来るのはいいことであり、その時神が人間を裁き、永遠の破滅か生命かの判決を与えるのである。
「終末論と出家主義は、宗教が取る典型的な二つのタイプの戦略である。終末論が「時間差」を利用するのに対して、出家主義はいわば「空間差」を利用する。」
出家とは、宗教の理想を実現するために、社会を離れ、どこか別の場所に選ばれた者達だけの共同社会をつくる方法である。そして仏教の最終目的は悟りを開くこと、すなわち解脱することである。解脱とは人間の宿命、輪廻を脱することであり、それが修行の中身と言える。そして解脱を果たしたもの(ブッダ)は、神でもなければ、創造者でもない。修行した人間の特別の状態であるにすぎない。
そしてブッタは、この世界の法則性そのものであるから極限的にはこの世界全体と一致するものであり、仏教には「世界の終末」という考えがない。

<なぜ オウムに終末論が生まれたか>
それではなぜオウムに終末論が生まれたか。オウムの麻原彰晃は91年に「人類滅亡の真実」を出版した。これが予言書になるのだが、その中で「阿含経」(初期仏教の教えを集成した経典)の中に「人類滅亡の真実」・世界最終戦争の予言が見つかったというのである。『この宇宙は、創造・維持・還元(破壊)・虚空という輪廻を繰り返している。そしてこの創造と還元の中間の時期に人類が決定的な滅亡を迎える時がやってくるのである』と。
しかし、仏教の中に終末論は含まれておらず、麻原氏が何らかの必要から終末論に熱中した結果の産物が、現在の「終末論的なカルト集団」であるオウム真理教である、と分析されるわけである。

<教団拡大のために、「終末」を作る?>
また本来出家主義の集団は対等な修行者の集団であるにも関わらず、官僚機構のような組織ができあがっているのも、教団の拡大が目的であることからかオウムの特質である。
また、教組麻原氏が同時に官僚組織の頂点に位置し、出家主義により社会から隔離された運営がおこなわれるため、オウム教団はスターリン型の超官僚組織と化す運命にある。絶対の真理という考え方は、一方で超独裁機構を作り出している。オウムにとって終末の到来はすでに決まっているから、教団=前衛党が主体的に努力して終末=革命のために努力するという構造は、強硬な勧誘や信者の拉致、資金の確保などの行動となる。
そして終末の一部を自ら現出させれば、「終末を迎える前に入信すれば、救われる」と教団の拡大になる。「神なき終末論と言う点で、オウム真理教と新左翼過激派は同型である。予言による教勢拡大をはかったある時点から、オウムはそうした過激派化への必然性をそなえるに至ったのだ。」
以上が橋爪大三郎(東京工業大学助教授)の論旨である。週刊誌的なマスコミの報道が多い中で、宗教の特質からオウムを分析されている点で説得力があった。
それにしてもここまでオウムという宗教がなぜ肥大化したか、信者が増えたのかその分析は別の問題となろう。新教ブーム、宗教ブームと呼ばれてきたが、なぜ新興宗教に人々が魅きつけられているのか、残念ながら私は理解することができない。

<目標なき社会、孤立した個人>
オウムと過激派(急進マルクス主義)の共通性を橋爪氏は指摘しているが、確かにオウムに若者が多いことも事実である。我々もかつて「社会主義」という一種の終末を求めてきたのだろうか(?)。確かに私も若かった。必然論は、人を私心なき行動に駆り立てる。現代の社会にもやはり「必然論」で救われると感じる「必要性」が存在しているのだろうか。一見「豊かな社会」は、目標とするべき課題を見えなくしているし、情報化社会は一方で人間関係を希薄にして「孤立した個人」に宗教という『逃げ場』しか与えていないのか。宗教というものに全く縁がない私には、うまく言えない問題である。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.210 1995年5月20日

カテゴリー: 思想 | 【投稿】「神なき終末論は、どこへ行く」 はコメントを受け付けていません

【書評】戦後マルクス主義思想の総括と展開の一視点

【書評】戦後マルクス主義思想の総括と展開の一視点
          山本晴義『現代思想の稜線』(剄草書房、1994.12.20)

本書は、戦後著者を「チューターにして講義を聞き、活動した」あるいは著者の「書いた本を読み、活動した労働者や学生の皆さんにあてて」書かれた書である。著者は、戦後日本マルクス主義・唯物論哲学を代表する哲学者の一人として、われわれにも馴染み深い人物であり、そのこれまでの研究活動そのものが、われわれ自身を含めて日本の社会主義運動の経過と切っても切れないものであったことは周知の事柄であろう。
本書は二つの部分に分かたれる。その三分の二を占める第一部は、著者の戦後の思想史的自己検証(現段階における)であり、第二部は、新しい思想の稜線からして現在注意を払う必要のある諸思想家---グラムシ、ハーバマス、およびハイエクに関する論考である。
さて本書を述べるにあたって著者のよって立つのは、「『絶対的哲学』あるいは抽象的思弁的な哲学、すなわち先行の哲学から生まれてくるそれのいわいる『最高の諸問題』、あるいはまた『哲学的な問題』だけ・・・を継承する哲学を否定しなければならない。先位は実践、社会的諸関係の変化という現在の歴史に移る。したがって、哲学者が規定し、、ねりあげる諸問題はこの社会的諸関係の変化から生じるのである」と主張するアントニオ・グラムシ(1891~1937)の視点である(引用は『グラムシ選集』からの本書への引用)。
すなわちグラムシは、晩年のエンゲルスが『フォイエルバッハ論』で提起した、あの「すべての哲学の、とくに近世の哲学の、大きな根本問題は、思考と存在とはどういう関係にあるのかという問題である」「この問いにどう答えたかに応じて、哲学者たちは二つの大きな陣営に分裂した」という命題に源を発する「超歴史的な」「哲学の根本問題」と物質の定義を否定し、「物質を『人間の意識から独立な客観的実在』というような定義ではなく、物質という概念を『現実的諸個人の行為と物質的生活』としてとらえなければならない」と主張する。そして自らの思想を「実践の哲学」、マルク・エンゲルスの『聖家族』に従って「人間主義と合一する『唯物論』である」とする。
ここからグラムシは、従来マルクス主義哲学の正統派と目されてきた「ロシア・マルクス主義」=「スターリン主義」哲学に対して厳しい批判を浴びせかけ、「自分自身の世界観を意識的、批判的にきたえあげ、したがって、自分自身の活動の領域を選び、能動的に世界史の生産に参加し、自分が自分の案内者」たることを要求する。これは「経済的(あるいは利己的・情欲的)な契機から倫理的・政治的契機への移行」=「カタルシス」と名付けられるが、人民の「批判と意識」と実践的揚棄=「民衆の課題の実践的変革」こそがグラムシの哲学の本質となる。
また政治的にも彼は、国家を「政治社会プラス市民社会」と規定して、ヨーロッパでは「機動戦」は時代遅れであり、「ヘゲモニー」奪還への粘り強い「陣地戦」への戦略変換を提起したが、このこともまた従来のマルクス主義に対する痛烈な批判となるのである。
著者は以上のような観点から、自身の戦後思想の自己検証を展開するが、そこには色濃く「ロシア・マルクス主義」=「スターリン主義」的体質が残されていることが著者自らの告白で記されている。それは、戦後すぐの「民主主義科学者協会」(民科)設立の時代から、50年代末の「大阪唯物論協会」(大阪唯研)を経て、「スターリン批判」後70年代にいたってもなお貫かれていた。そして先に見た「新しい思想の地平への脱出、転機は、東欧革命、ソ連邦の崩壊以後であった」とされるのである。
すなわちそれまでの思想闘争においては、「マルクス・レーニン主義」の公式によって現在ヨーロッパ諸思想がなべて堕落した修正主義であり、反革命思想であることのみが主張・断罪されて、それ以外の諸側面---例えば人民の意識を一定程度反映した諸側面等は全く無視されてしまう傾向が強かった。しかしこのことはまた、これらの諸思想が継承してきた民主主義的な歴史的諸遺産をもすべて捨て去ってしまうことにつながり、その結果「マルクス・レーニン主義」哲学自身が、マルクスやレーニンの諸断片を金科玉条のごとく扱うだけの狭い独善的思想に堕してしまった。従ってこのような化石化した思想をもってしては現代独占資本の新しい攻勢に立ち向かうことも、マルクス主義思想内部の再生への動きについていくことも到底不可能であり、ついに「マルクス・レーニン主義」自体が崩壊してしまう結果を招くにいたったとするのである。
かかる著者の自分史風戦後思想史に対しては、これまで実際に社会主義運動の最前線を闘ってこられた多くの方々から、それぞれの思想と体験に立った評価---賛意と批判---が寄せられるであろうから、個々の点については各自読んでいただくとして、ここではこれ以上は触れない。
ただ著者が、かかるマルクス主義思想を取り巻いていた状況についての自己批判点を解明しながらも、その時々の制約を負うとはいえ、「プラグマティズム」に対していち早くマルクス主義の側からの批判を与えたこと、「大衆社会論」を「マスコミュニケ-ション」の分析を通して解明したこと、マルクスの思想につながるヨーロッパの民主主義思想の系譜として、ホッブス、ヒューム、スミス、ルソー等に注目してきたことは、今後につながる方向として積極的に評価しなければならない。
また本書の後半をなすグラムシ、ハーバマス(1929~)、ハイエク(1899~1992)等の思想について、著者がグラムシを高く評価していることは先述したが、ハーバマスについては「コミュニケーション的行為」による「生活世界」の復権とマルクスの思想との関連を考察している。さらに新保守主義(新自由主義)者ハイエクについて、著者は、その思想が近代市民社会の自由概念、民主主義と対立するものであることを暴露し、人民の福祉と権利に敵対する本質を持っていることを解明した。このハイエク論は、現代政治の潮流となっている新保守主義の思想への本格的批判として大きな意義を有している。
以上見てきたように著者は、従来の自己の思想についての厳しい批判をなしているが、しかし清算主義的総括に陥ることを極力回避して、新しい社会主義像をめざす姿勢を堅持しており、今後もなお「陣地」戦にのいてなお精力的に活躍されることが期待される。それにしてもこのような姿勢で書かれた著作が現在にいたってやっと出現したということは、日本の社会主義運動の置かれてきた状況とその思想的限界を、ある意味では端的に示していると言えよう。
なお各章の終わりにあげられた年譜は、戦後マルクス主義思想概観の手引きとして便利なものであることを付言しておく。(R)

【出典】 アサート No.210 1995年5月20日

カテゴリー: 思想, 書評, 書評R | 【書評】戦後マルクス主義思想の総括と展開の一視点 はコメントを受け付けていません

【投稿】地方分権と政治改革(6)

【投稿】地方分権と政治改革(6)

3, 行政の果たす役割と地方分権(続き)

<市場メカニズム依存の問題点>
福祉政策に関わる記述が長くなっているが、地方分権のあり方は「めざすべき政府像」と密接に関わる課題であると同時に、現在、戦後確立された福祉政策の枠組みを大きく転換する動きが進行中であるので、もう少し検討を続けさせていただきたい。
特に、前々号から措置制度という日本の福祉制度の根幹をなす制度変革の動きに注目しているのは、この動きがこれまでの市場原理・自助努力原則の部分的具体化にとどまらない質を有しており、国(中央政府)や地方自治体(地方政府)の役割を規定してしまう重要な課題だと考えるからである。
福祉サービス分野における市場メカニズム依存は、権利性や公平性、サービスの質の担保の観点から問題が多いということをこれまでに述べてきたが、その点についてさらに詳しく述べておきたい。
前号で、「高齢者保健福祉推進十か年戦略(ゴールドプラン)」の策定と時を同じくする1989年、福祉分野での民間活力導入のために民間老後施設促進法(WAC法)という法律が制定されたことを紹介したが、この法律に基づく「WAC(ウエル・エイジング・コミュニティー)事業」のその後について、1994年7月28日付の朝日新聞は「民間中心の高齢者施設計画暗礁に」「民活で福祉やはり無理?」「大半、断念か見直し」「補助あっても採算がとれず」という見出しで、次のように伝えている。

「…『WAC事業』が、全国各地で暗礁に乗り上げている。『高額の入居金が必要な有料老人ホームへの入居者を集めるのは困難』と判断し、計画を見直す地方自治体が相次いでいるためだ。国の補助金で計画をつくった全国13カ所のうち10カ所が計画を断念したり、事業化のめどを立てられなかったしている。高齢者福祉分野への民活導入のあり方について改めて論議を呼びそうだ。」

「WAC事業」の頓挫は、高齢者福祉において求められているサービスや、高齢者世帯の経済状況に対する理解不足に起因している。すなわち、高齢者福祉において求められているサービスは、一定水準の質が確保された基礎的・必需的サービスであって、選択性の高い、高度な質は持ってはいるが負担も大きいサービスではないということである。特化された採算性の高いサービス分野に民活を導入し、高齢者のニードをこうしたサービスで受けとめれば、全体としての公的負担を圧縮できると厚生省は考えたのかもしれない。しかし、バブルの崩壊による経済状況の変化もあって、そうした幻想は吹き飛ばされたといえよう。今日の社会保険制度としての介護保険制度導入の動きは、WAC法の反省を踏まえたものか、同じ市場メカニズムの活用を図るものでも、はるかに現状適合的ではある。しかし、市場メカニズムに対する「幻想」を抱えているという点では、WAC法の場合と同質であろう。
さて、福祉サービス供給の市場メカニズムへの依存は、どんな問題点をはらんでいるだろうか。
医療・福祉サービスを市場メカニズムによって供給しているアメリカにおける危機的状況や問題点は、阪南中央病院内科医長・岡本祐三氏(以下「岡本氏」と記す。)の著書「医療と福祉の新時代--『寝たきり老人』はゼロにできる」(日本評論社、1993年)に詳しい。岡本氏はこの著書の中で、アメリカでは福祉サービスを市場メカニズムによって供給することで、莫大な個人負担の発生、中間層の貧困層への転落、北欧諸国では見られない「サービスの質の低下」などを招いており、結果的に総体としての社会的コストが膨大なものとなっていることを指摘し、その原因について次のように述べている。

「弊害(アメリカのナーシングホームの営利主義的弊害の意:引用者注)の根源はそうではなくて(営利方式でサービスを提供していることそのものの意:引用者注)、つねにサービスの需要が供給を超過しているために、市場原理の最大のメリットである競争原理が働かないことにある。そのために、サービスのレベルを最低限度まで落としても営業が可能になる。また、株式会社という投資家の利益を最優先する経営原理の欠陥が露骨に出てくる」( 128頁、第7章「失敗した福祉の商品化」)

この指摘を踏まえると、福祉サービス分野において市場メカニズムが適正に機能するには、次の条件が必要だということになる。それは、第一に、需要に対して供給が超過する「成熟した」市場であること、第二に、供給主体の経営原理が福祉サービスという人権保障の実現のためのサービス提供組織として適合的であること。そして私は、第三に、第一の点に関連して、サービスの購入者(例えば高齢者)が市場の中で本人の意に沿った「選択」を真に可能とする条件が存在するかどうかを付け加えたいと考えている。
第一の点に関して、現状は「論外」である。高齢者保健福祉計画も具体化が開始されたばかりで、介護基盤の現状が極めて脆弱であるとの現状認識に異論はなかろう。こうした介護基盤は、言わば「福祉インフラストラクチュア」と位置づけられるような社会資本として公的に整備されなければならないものである。だとすれば、介護保険制度は基盤整備の促進にどう寄与するのだろうか。
この点について、大森彌・東京大学教養学部教授を座長とし、岡本氏も委員をつとめた高齢者介護・自立支援システム研究会が1995年12月に発表した「新たな高齢者介護システムの構築を目指して」という報告書(基本的な考え方は前号で紹介した厚生省研究会報告と同趣旨である)は、次のように述べている。
すなわち、一方で「…現状では、在宅サービス・施設サービス双方ともに、サービスの絶対量が不足しているほか、市町村間で大きな格差があり、さらに、都市部では施設整備の立ち遅れ、過疎地では専門的な人材の不足等の問題がみられる」「(市町村において)なお一層の基盤整備に取り組むことが強く望まれる」と指摘しながら、続けて「また、社会保険方式に基礎を置いた新介護システムの実現により、サービス提供体制の急速な進展が図られ、全ての高齢者にとってサービス利用の公平性が確保されるようになることが期待される」(「6.介護基盤の整備」、21頁)としているのである。
「社会保険方式に基礎を置く」ことで、なぜ「サービス供給体制の急速な進展」が期待できるのか、唐突な感が否めないが、それはどうやら「市場メカニズムを活用したシステムは、多様な資金調達の途を開き、サービス基盤整備を促進することにもつながると期待される」(19頁)からであるらしい。しかし、先行した社会保険制度である医療保険制度の創設時に、「保険あって医療なし」と言われ、今なお、過疎地医療の問題など医療資源の偏在に頭を悩ませていることを踏まえるならば、あまりにも楽観的に過ぎる見通しだと言えよう。
(※注:この点に関して岡本氏は「国民皆保険制度の発展の過程での『無医地区』解消や国保直営の診療所や病院が普及した歴史をみれば、強いサービス供給促進の仕組みとしても機能し、…」<「社会保険旬報 No1860,1995.1.1>と正反対の評価をされている。しかし、仮に医療保険制度がサービス供給促進に寄与したとしても、医療保険制度の「何が」サービス供給促進に寄与したのかは検証されなければならないだろう。私は「薬価差」により利潤確保が可能になる仕組みの存在が医療供給を促進したのではないかと見ている)
第二の点に関しては、日本の場合、社会福祉サービスの多くは社会福祉法人によって提供されている。こうした法人は営利を追求することを目的としていないとはいうものの、施設運営における「経済効率」からは決して自由ではない。一方、医療法人の場合、その多くが経済的利益の追求に走っていることは、誰もが知っているところである。福祉サービスの質は、結局のところ投入できるマンパワーの質と量で決まる。ところが、これは「経済効率」を著しく低下させる。現在の医療保険制度の下で、乱脈診療や老人病院(入院医療管理病院)における老人の非人間的処遇をどれだけ是正させ得たか。社会保険制度の導入は、福祉サービスを公的に給付すると位置づけている現在に比べて民間法人に対する公的関与を低下させることになるから、大きな不安が残る。考えてみれば、「サービスの質は競争原理で維持する」とは、現実的には「悪いサービスを供給したところは評判が悪くなり、利用者に敬遠されることで淘汰される」という意だろう。しかし、非人間的処遇により一人の高齢者の人権がひとたび侵害されれば、仮に競争原理で次の侵害が防止できたとしても、すでに侵害された人の人権は取り戻しようがないのである。社会保険制度の導入に際しては、併せて第三者的な評価機関や苦情処理機関の設置が検討されているようだが、市場メカニズムに委ねるという選択の上で強固な「規制」を設定するというスタイルには大きな疑問が残る。一方で進んでいる「規制緩和」の流れとの間にあつれきを生じ、なし崩しにされる危険があるからである。
第三点に関する問題は特に重要である。選択当事者たる高齢者やその家族はサービスの提供者に対して真に対等な契約当事者たり得るだろうか。この点では、私は前号で紹介した村田氏の批判に考え方を同じくする。現実の福祉現場で直面しているケースを想起すると、本人の選択や自己決定を実現するためには、提供する選択肢の多様さのみならず、自己決定を支える多くの関与が必要な場合が多い。また、要介護者の状態は千差万別で、手がかかる要介護者ほどサービス提供者側の「効率」を損なうことから、本人やその家族の立場は弱くなっている。実際、重度の介護を要する高齢者が、ある施設で非人間的処遇を受けたからといって、契約をさっさと解除して別の施設に移るということなど事実上できない。もちろん、介護保険システムの導入に併せて、「ケアチーム」によるサービスの総合的提供や「ケアマネジメントシステム」の導入、例外的な行政による緊急的保護措置などが提言されている。しかし、こうした機能は福祉サービスを公的に給付する現行制度の改革方向として位置づけてこそ、より実効性を持つものではないだろうか。
結論的に言って、私には、日本の現状の中で、高齢者介護に対して社会保険制度を導入することにより、基盤整備が促進され、競争原理が有効に働き、適正な市場メカニズムが機能して、高齢者の「権利性」が高まるとは到底思えない。
むしろ私は、現行制度がかくも否定的に総括されるのはなぜなのかという点を突き詰めねばならないように思う。具体的には、先の高齢者介護・自立支援システム研究会などが現行システムを否定的に総括する際に持ち出す、次の議論の検討が必要であろう。

「さらに、その財源(『措置制度』を基本とする老人福祉制度の財源の意:引用者注)は基本的に租税を財源とする一般財源に依存しているため、財政的なコントロールが強くなりがちで、結果として予算の伸びは抑制される傾向が強い。我が国においては、社会保障給付費で見ても、医療と年金が9割を占め、福祉分野は低いシェアにとどまっているが、その背景の一つには、このような福祉制度自体の制度的な限界をあげることができる」(報告書「2.現行システムによる対応」、8頁、下線は引用者)

「租税を財源とするから」「予算の伸びが抑制される」→だから「福祉制度が拡充できない」→これは、「制度的な限界」である・・この論理には、とてつもない飛躍がある。一言で表現するなら、現在の措置制度見直しの議論は、予算編成上の、換言すれば硬直的な予算編成を続ける現在の「政治の怠慢」を「制度的な限界」へすり替えることから、ないしは、日本の政治風土や政治勢力に対する「あきらめ」を前提に行われているように思われる。

<「分権自治型福祉」の必要性>
厚生省はゴールドプランの策定の頃から「福祉の一般化」という考え方を打ち出してきた。すなわち、これまで限定された所得階層に対する救貧対策としての福祉を、所得の多寡にかからずサービスを必要とする誰もが適切なサービスが受けられるようにすることである(図3)。

ここで注意しなくてはならないのは、一般化し、拡大されたサービス領域では、当然のことながら負担能力に応じた一部負担制度が導入されており、必ずしも全額を公費でまかなっている訳ではないことだ。しかし、この路線を採用し、なおかつ現状の社会福祉制度を変えないと、厚生省の社会福祉関係予算は膨張の一途をたどることになる。しかし、それでは現在の硬直した予算配分シェアと厳しいシーリング規制の下で予算対応ができなくなる。そこで、「福祉の一般化」は放棄し、「福祉」は縮小再規定、拡大必要領域は脱福祉化した一般政策(国庫負担が義務的ではなく、財政状況に応じて柔軟に対応できる)で対応しようとする路線に転換したものと思われるのである(図4)。

この考え方の整理には、次の考え方が大きなポイントとなっている。すなわち、いかなるニーズまで公的に保障するのがそもそも合理的なのかについて、一定の基準設定を国(厚生省)が「論理性」に基づいて行ったということである。それは、おおむね次のようなものだと推測できる(下表1)。

例えば、高齢者介護というリスクは、不可避のリスクであるから、公的に保障する。しかし、子どもを保育所に預けて働くというのは、自己の選択によるリスクであるから、基本的には自己責任原則により契約で対応してもらう。ただし、低所得世帯で生活維持のために就労せざるを得ない場合は、偶発的なものであるので公的に措置するというような整理であろう。
しかし、こうした考え方には、先に述べた市場メカニズムへの依存という危険性以外にも、次の問題が指摘できる。
第一に、こうした再規定された「福祉」は前世紀的発想による「福祉」の質を持ってしまい、対象者に今以上の劣等感(=「stigma」スティグマ)を感じさせる恐れがある。「福祉のお世話になるのは嫌だ」と言っている人が、社会保険や契約でサービスを確保できるようになれば、それはそれで結構なことなのかもしれないが、その一方で、引き続いて「福祉」の対象となる人々にとって、制度改革はどのような影響を与える
のだろうか。例えば、同じ保育所の中に直接契約で入所する子どもと、公的に措置される年収 500万円以下の世帯の子どもができることは好ましいことなのだろうか。岡本氏は、現行の措置制度について、「圧倒的な財政制約のもとに、ニーズに対して社会資源が極端に不足し、ますます適用が制限的になり」、「世帯破綻に瀕した市民に対して、優先的に限られたサービスを給付せざるを得ないために」、「必然的に給付・サービス利用をスティグマ化(恥辱化)していった」(社会保険旬報No1860,1995.1.1 )と指摘するが、この場合の問題の核心は「社会資源の極端な不足」といういわば量的な問題である。しかし、新たな制度におけるスティグマ化はシステム上の問題であるだけに、更に根は深いというべきであろう(こうした点を含め、介護保険制度の批判的検討については、里見賢治・大阪府立大学教授の論文「高齢者介護政策の新展開-公的介護保障の課題と介護保険の問題点-」<「市政研究」95年春号、大阪市政調査会>に詳しい)。
第二に、そもそも「公共性」の基準というものは、いかに決定されるのかという点において疑問がある。つまり、国が、言い換えれば中央政府の行政官僚が、「論理的」に、公的保障が妥当なのはこの水準だということを設定できるものなのであろうか。
そこで私は、ドイツの社会学者・ハーバーマスが指摘する「公共性の転換」という考え方に改めて注目したい。すなわち、公共性の付与とは天与のものではなく、市民合意に由来するというのである(「公共性の構造転換/市民社会の一カテゴリーについての探究」ユルゲン・ハーバーマス、未来社)。とすればこの問題は市民利害の調整機能としての「政治」、なかんずく市民生活に直接影響のある福祉政策を担うべき地方政治のあり方、すなわち「地方分権」の課題と関連させて考える必要があることが見えてこよう。現在、自治労が「分権自治型福祉制度の創造」を提唱しているが、まさにそうした観点が必要なのである。
私は次のような概念図によって考え方を整理している(図5)。図4と比較すれば明らかなように、必要な福祉サービスの給付は公的に給付すること、その財源としては国税・地方税を含めた租税を前提にしている。ただ、基礎的・必需的サービスはナショナルミニマムとして財源の措置を含めて国がその実現に責任を持つこととし、それを超える部分については、地方自治体(地方政府)が拡充された財源と権限に基づいて公的に給付すべき福祉水準を確立するということにしている。もちろんナショナルミニマムとローカルオプティマムの境界は可変的なものであるし、最終的にはわざわざナショナルミニマム保障部分について別途の財源措置などを行う必要のない段階が来よう。だが、当面こうした措置を図らないと、憲法上の権利である生存権が住む地域によっては保障されないという事態になりかねないと、私は考えている。

こうした役割を果たし得る地方自治体(地方政府)を確立するためには、税財源の配分をはじめとした地方財政制度、地方自治体行政の改革、そして何よりも重要な「市民合意」を形成するための地方政治の改革が重要である。
政治改革の実現とは、こうした中央・地方を含めたマクロ的な視点で取り組むことが必要な課題なのである。
(1995.5.12  大阪・依辺 瞬)

【出典】 アサート No.210 1995年5月20日

カテゴリー: 分権 | 【投稿】地方分権と政治改革(6) はコメントを受け付けていません

【投稿】 日米貿易戦争の新たな段階

【投稿】 日米貿易戦争の新たな段階
        日米自動車交渉の決裂とハリファクス・サミット

<<「戦争ではないのだから、冷静に!」>>
日米自動車交渉の決裂は、がぜん重大な政治的経済的紛争へと拡大してきている。5月10日の記者会見で、カンター米通商代表は、米政府は日本が自動車・同部品市場を外国に開放していないとして、米通商法301条(不公正な貿易相手国に対する制裁)にもとずく制裁候補リストを近日中に公表すること、さらに日本市場の不公正取引慣行に対してWTO(世界貿易機関)に提訴する方針(45日後の正式提訴)を発表したのである。同氏は、「この分野で米国は370億$の対日赤字をかかえ、これは日米の貿易不均衡の約60%、米国の赤字全体の約25%を占めている」として、「対日措置では米自動車産業、労働組合、議会が一致団結している」ことを強調した。そしてこの措置が「日本と日本の消費者の利益になると考える。日本の消費者は市場開放によってより多くの選択の幅と低価格の恩恵を受けることになろう」と述べている。
一方これに対して、橋本通産相は「米国がWTO違反の措置と、WTO提訴を併用するのは矛盾だ」と非難し、制裁候補リストが発表されれば直ちにWTOに提訴することを明言し、日本自動車工業会も「(制裁リストの公表は)国際的な通商法にずうずうしく違反している。外国政府が独立した企業に取引の指示を行うことは出来ない」と激しい口調の非難声明を発表している。さらに同工業会は5/11、「日本車の輸入規制? そんなのはうまくいきません」と題して、ワシントン・ポスト紙に、制裁を発動すれば自動車の高価格を招き、損をするのは米国の消費者であり、日系自動車工場や日本車ディーラーで働く従業員、それに国際貿易システムだと主張する制裁反対の意見広告を掲載している。
日本の自動車業界の一部では「この際、自動車の対米輸出を1年間、ゼロにして米国の消費者に訴えたらどうか」という意見まで出ているというが(4/28日経)、5月11日、堤通産事務次官は「戦争ではないのだから、(産業界は)冷静に対処してほしい」と主戦論を抑えるのに必死である。
世界の二大自動車生産国が互いに脅しあい、応酬しあうという大がかりな貿易紛争に発展してきたといえよう。逆に、ヨーロッパの自動車業界は自己のシェア拡大にこの機会を逃すまいと期待と不安をこめて成り行きを注視している。

<<「3回出れば、脱退を勧告」>>
クリントン大統領は、自動車産業の町、デトロイトの地元紙と異例の電話インタビューに応じ、「自動車・同部品貿易での米国の対日赤字は360億$で、対日赤字全体(600億$)の6割を占める」ことを明らかにしつつ、カンター代表の厳しい対日姿勢について、それは「私の路線であり、その正しさを確信している」と強調している。クリントンの民主党政権は昨年末の米中間選挙において手痛い敗北をこうむり、上下両院とも共和党に多数を明け渡してしまっている。自らの大統領再選と民主党離れに危機感を持つクリントン大統領としては、自動車産業と自動車労組は民主党の重要な支持基盤であり、この基盤を強めることが今や極めて重要な優先課題となっている。ここに自動車は単なる通商問題以上の国内政治の問題となっており、共和党との対抗上も経済ナショナリズムに政治的な生き残りをかけざるをえない現政権の矛盾を露呈しているのである。
「過去はいずれも米国が自国の権利を守り、日本は市場を開放してきた。今度もそうなる」(5/8、ゲッパート米民主党下院院内総務)という見通しがくじかれ、問題が国際紛争の場に提起されたのである。
WTO協定では一方的措置を違反とする規定が明示されており、これに関しては提訴国の主張が通るようになっている。したがって日本の提訴で301条による制裁措置だけを争えば米国側が敗れる恐れが強いことから、日本の不公正貿易慣行を逆提訴するという先制攻撃を行ったのであるが、さらにこれ以上にもまして、「WTOのパネル(審査委員会)で米国側にとって不公正な決定が三回出れば脱退を勧告する」という法案が準備されており、これは米議会の圧倒的多数の賛成で可決成立する見通しである。
6月15日から3日間、カナダのハリファクスでサミット(主要国首脳会議)が予定されているが、米側はこれに合わせるかのように制裁措置の最終リストの決定とWTO正式提訴を六月中旬に設定している。カンター代表は「サミットでの村山首相との会談などについては、日程を数えているわけではない」と弁解しているが、サミットを照準にして虚々実々の取引と交渉を展開しようとしていることは明らかである。

<<対米輸入の6割以上が逆輸入車>>
ここで客観的な事実を冷静に見てみよう。日米とも、年間1000万台以上の自動車を生産している。日本は生産した自動車の5割近くが輸出向けであるが、米国は輸出比率は1割以下である。94年の日本からの対米輸出は164万台であったが、対米輸入の方は円高ドル安のもとで、94年に相当増えてもようやく9万台を突破したところである。つまり対米輸入は、対米輸出の5.5%にしかすぎない。しかもその対米輸入車の内、6割以上は、ホンダ、トヨタなど日本企業によるアメリカからの逆輸入車であった。これに対して対日市場開拓努力が少なかったとはいえ、米ビッグスリーの94年の対日輸出台数は35000台にすぎず、これを日本側の市場開放によって、25万台の輸出をめざそうというわけである。
さらに問題となっている自動車(部品)市場における外国車(部品)の占有率は、アメリカでは34%(部品32.5%)であるのにたいし、日本ではわずか4.6%(部品2.6%)にしかすぎない。このことはアメリカの自動車産業自身が、海外との依存共存関係で成り立っていることを一方では示している。アメリカの国際自動車販売業者協会のフイゼンガ会長が述べているように、一方的制裁措置の実行は、「何千もの中小規模の自動車ディーラーを困らせ、米消費者にとっては自動車価格高騰をまねき、何千もの雇用を失う」(5/9声明)可能性を持っている。
それと同時に、米側が要求している自動車部品の購入拡大は、日本のメーカーが独占的に強固に築いてきた系列取引、系列販売、系列金融、総じて中小零細企業に至るまでの系列支配が打破されない限りは遅々として進まないのも事実である。こうした実態は日本にとっても今や重大な桎梏となりつつあるが、いずれにしても結果として日本側の一方的な膨大な黒字を計上してきたのであった。94年度の日本の自動車(四輪車)分野の対米黒字は234億$で、対米黒字全体の4割以上を占めている。しかもここに円高ドル安要因が加わっている。94年の日本の自動車輸出台数は、446万台で、平均価格130万円、1$=102円として約570億$の輸出額であった。これが95年、仮に100万台の輸出減であったとしても、1$=85円であれば、価格を20%近く下げない限り、輸出額は減少しないのである。現在の低価格競争の下ではそれは不可能なことであろう。

<<カオスの中の「危険な兆候」>>
しかし重要なことは、現実に日本の自動車の対米輸出が、86年をピークに下がり続け、93年にはついに現地生産台数が輸出台数を上回ったことである。海外生産台数の比率は、85年が10%弱であったが、90年には20%強、94年がほぼ1/3にまで達しており、98年の海外生産計画は、750万台強、海外生産比率は40%を超えると見込まれている。このところの急速な円高ドル安の進行の下では、これがさらに速まるであろう。それは同時に日本の国内生産の空洞化を進行させているのである。
従業員数も、日本の自動車産業11社で、ピークは91年前後の28万人強であったが、それ以後減少傾向が明瞭になってきており、日産やマツダは年間千人単位の人員削減計画を実行に移しており、日産の人員削減計画によると、98年までにピークの56000人から42000人へ3/4体制へ移行しようとしている。
さらに大手五社は、ほぼ一律に97年度までの3年間で、部品総原価を25~30%引き下げる経営計画を立てている。円高によるコスト削減が急務になっているからである。当然ドル安によって輸入部品の調達メリットが増大しているにもかかわらず、米側が要求しているように総額で大幅に増える要素はないのである。
そして今や、逆輸入車の方が国内産車よりも安いという逆転現象が生じ始めている。
この5月に明らかにされたトヨタの逆輸入車アバロンは、1$=90円レートで、288万円、同クラスのクラウン・ロイヤルサルーンより80万円安く、それより下級クラスでマーク2の上級モデルよりも40万円も安いのである。しかし日本の消費者にとって、円高のメリットはデメリット以上には還元されておらず、国内における円の購買力の向上は微々たるものでしかない。
こうして日米双方共に国内市場は、このところの拡大傾向から混沌とした縮小傾向に陥り始めており、互いの国内市場に限定する限り、妥協の余地は双方共に非常に狭いものとなっている。個別国同士ではもはや解決能力を失っており、多国間協議ではドルの役割の凋落にとって代わる体制は形成されておらず、G7も、サミットもましてやWTOも大きく期待されてはいない。このような状況の下における日米貿易戦争の激化は、円高ドル安の進行と共に危険な兆候を示すものであろう。米MIT名誉教授のキンドルバーガー氏は「外為市場は混沌としており、かなり危険な兆候がある。過去に何が起きたかとか、これから何が起きるかは別物。しかし、カオス理論によれば最初はごく小さいことから始まることを想起すべきだろう」と警告している(4/12日経)。日米双方共に、目先の個別利害で行動するかぎり、この危険な兆候は、兆候では済まなくなるであろう。国際的な協力にもとずいた南北・東西格差の解決、平和と環境保護に向けた新たな世界的ニューディール政策への転換にこそ努力を傾注すべきであり、そのためのイニシャチブこそが期待されているのではないだろうか。クリントン政権、村山政権ともにそこに最大の欠陥があるのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.210 1995年5月20日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬, 経済 | 【投稿】 日米貿易戦争の新たな段階 はコメントを受け付けていません

【書評】「全体主義の時代経験」藤田省三著

【書評】「全体主義の時代経験」藤田省三著 

筆者の藤田省三氏は、永らく法政大学で教鞭をとっていた。その間、先輩の古在由重氏や石母田正氏と親交を深め、様々な分野で共有するものをもっていたようである。(これらについては、本書のなかで触れられている)
周知の通り、藤田氏はその名著「天皇制国家の支配原理」や「維新の精神」で学究の徒として高名であるが、こういった学術的な成果とともに、常に、時代の先端において、鋭敏な批判精神と、ストイックとまで言える強い倫理観に貫かれた評論を展開してきた。 また、ともすれば忘れられがちな、底辺の市民運動にも積極的に参加してきた。それは、たとえば、「地球環境と日本の役割を問う国際市民会議」(作家の野間宏氏がその代表を務めていた)であり、京都の虫賀宗博氏夫妻が自宅を開放して続けていた手作りの「講座・言葉を紡ぐ」への献身的な協力である。ちなみに、藤田氏の、この講座での話をまとめたブックレット1号「私たちはどう生きるか?」も発行されている。
こうした営為は、筆者が、本書のなかで、「個人的な努力の限界と共同作業の重要性」を強調していることの証のように思われる。
評者は、氏のマルクス主義に対する深い理解と、「絶望するからのめりこまない」というスタンスについて、その友人から賛嘆をこめて聞いたことがある。
本書の序文のなかで、筆者は、これは、本にすることをまったく考えていなかった論稿であり、おそらく最後の書物になるだろうと述べている。
藤田氏の前著の、「精神史的考察」(1982)において、「安楽への全体主義」という概念を提起して、日本資本主義のシステムについて深い考察を行った。それは「不快を感じさせる全ての物事の元のものを根こそぎ一掃しようとする」傾向を指していた。そして、これに対峙する精神が「反省能力」と「自己批判能力」であるが、それをも抹殺しようとする風潮を厳しく批判した。本書では、この全体主義を市場経済そのものの批判の中心にすえている。
本書は、90年代の筆者による思想的総括ともいえるものであり、多くの論点を含んでいる。評者が、注目したのは、冷戦終結と社会主義の後退のもとで、「マルクス主義のバランスシート」を論じようとする、塩沢由紀氏との対談である。そこで、藤田氏は、極めて冷静にまた公平にその立場を表明している。そのいくつかを紹介しよう。
「近代以後はすべてブループリント(構想)の時代であり、マルクスの根本理念は生きている。」「純粋学問の枠を取り払ったところにマルクスの功績がある。」「マニフェストの前半に出てくるブルジョワ社会の画期性の叙述は凄い。また、資本論第1巻24章のいわゆる原始的蓄積過程、あそこの社会史過程の叙述と判断には驚く。」「今日的段階で、より大きな社会的不幸が世界的規模で厳然としてある。その成立過程をきちんと叙述し、解決に努力する態度が、第2、第3の新しい『マルクス』として出てこなければいけないと思う。しかし、それはもう個人では果たすことの不可能な時代であるから、そういう集団を世界的にどうつくるか、これが課題である。」等々。
これらは、評者が、主観的に重要と思われる部分を引用したもので、筆者の真意が伝っていないと思う。しかし、これらから、藤田氏の姿勢といったものは感じられるであろう。
また、評者は、本書のなかで、藤田氏の次のような発言に触れて、感慨深いものがあった。 「文明史的に完全に新しい段階が来た。例えばソ連にしても、昔からそう思っていて政治的配慮で口に出さなかったのですが、なんで帝国主義反対といいながら、ロシア帝国の領土だけはそっくり貰うのか、これは中国も同じこと、あれは不思議だ。」
藤田氏の「政治的配慮」がどのような性質のものなのか知ることは出来ないが、これが、政党レベルの配慮でないことは確かである。
評者にとって感慨深かったのは、評者がかって行ったような「生硬な政治的配慮」ではなく、もっと重心の低い「宣伝的」でない「配慮」というものが存在したということである。
以上、手前勝手な書評を試みたが、読者の目に止れば、是非ご一読願いたいと思う。
(みすず書房・198ページ・2,884円)(大木)

【出典】 アサート No.209 1995年4月18日

カテゴリー: 思想, 書評 | 【書評】「全体主義の時代経験」藤田省三著 はコメントを受け付けていません

【投稿】地方分権と政治改革(5)

【投稿】地方分権と政治改革(5)

3, 行政の果たす役割と地方分権(続き)

<福祉のパラダイム転換?>
さて、前号で、厚生省老人福祉計画課長がある講演会で特別養護老人ホームなどに対する入所措置制度を見直し、直接契約制度を導入する考えだと語ったことを紹介したが、これは決して彼一人の私見ではない。
昨年以降、福祉関係制度・政策に関する様々な報告・提言がなされたが、実は、その内容的な枠組みを先行して打ち出した厚生省の内部文書が存在する。それは、厚生省の部長以下の主要な幹部が「遅くとも今後4、5年以内には実現を目指すことをイメージして検討を行った(同報告前書き)」、同省老人保健福祉部(現老人保健福祉局)内限のリポートである『高齢者トータルプラン研究会報告・資料集(「日経ヘルスビジネス 第 300号記念特別解説版〔上〕--高齢者トータルプラン--』1993年3月29日、第300号付録特別解説版。以下「報告」と表記)である。この報告に対する批判的検討は、村田隆一・長野大学専任講師の論文「措置制度解体と社会保障のリストラ--保育所措置制度解体と老人介護保険構想の危険な連動--」(「保育情報」No213.1994.11 全国保育団体連絡会)でなされている。少し長くなるが重要なポイントなので、この報告と村田氏の批判の概要を紹介する。
報告の論理展開は、①介護ニーズは一層増大し、多様化している。②福祉行政は構造的にそれに応えられない。そこで、③現在の措置制度の位置づけを再規定し、④多様なニーズに対応するために脱福祉化した一般対策としての多元的な供給体制を構築し、⑤そうした福祉的サービスは公的措置から契約による利用に転換し、⑥サービスの質は競争原理で維持する、という
ものである。
そして、これらを「必要な老人福祉のパラダイム転換」だとした上で、①介護保険を導入、②高齢者介護施設として、老人病院、老人保健施設と特別養護老人ホームを一元化、③一元化後の高齢者介護施設の利用形態は入所は現物給付、④高齢者介護施設の生活費は利用者自己負担、介護サービスは介護保険給付、⑤医療サービスは医療保険給付、⑥個室化はアメニティとして利用者自己負担、⑦契約による入所制度導入により扶養義務者からの費用徴収制度は廃止、⑧低所得者の自己負担額の減免制度を設ける--という制度の具体的内容(素案)を示している。
なお、報告は高齢者介護サービスに関するものとして記述されているが、当然、他の福祉政策にも波及する性格を持とう。
この報告のポイントは村田氏によると次の三点である。一つは、財源問題での行き詰まりを背景に老人福祉対策の社会福祉対策からの転換、いわば脱公費(一般財源)依存を前提に一般対策として「脱福祉化」への転換を主張していること。二つめは、いわゆる社会福祉を「選別的救貧制度」として再規定しようとしていること、三つめは、措置制度は特定の生活困難者を救済する最低限・一律の資源配分、供給のシステムであり時代遅れであるとし、契約による入所と社会保険の制度を導入することが妥当としていることである。
これに対する長野氏の批判・指摘はおおむね次の三点である。一つは、措置制度は憲法第25条に定められた社会権たる生存権保障のためのシステムであり、労働能力以外に資産を有しない国民を対象とする非営利的サービスとしての福祉サービスは、公的責任において公的財源保障をともなって供給させる以外に発生しえないこと。ゆえに、大企業優遇の不公平税制とその歪んだ配分・国家予算編成を意識的に無視し、介護保険システムなどの社会保険化を図ることは、巧妙な相互扶助システムへの“転換”で、国民生活関係の国家責任の大幅な切り捨てに他ならないこと。二つめは、社会権保障としての福祉サービスを『契約』関係で供給することにそもそも矛盾があること。すなわち、社会的ニーズとはハイディキャップ即ち社会的不公正に他ならないから、契約当事者としての対等性は存在せず、実質的不平等が契約という形式的平等な関係により解消されるなどというのは欺瞞であり、歴史の逆行であること。三つめは、“お役所仕事”的行政ゆえの福祉行政構造的限界論を突破するためには、社会権保障の重要な課題として発生させた福祉サービスを、その実施過程において非権力化しなければならないという特殊な課題が生じること。そのためには、福祉行政の実施過程での民主的、福祉的実践のあり方が確立されねばならない、ということである。

<社会福祉政策の再規定とは>
報告の考え方は「老人福祉のパラダイム転換」というよりも、厳しいシーリング制度のもとで予算確保ができないという「現実」に適応するための「後付け」でしかないような気もするが、充分検討しなければならない内容を持っている。
一方、長野氏の指摘は、基本的な視点において大変重要な提起を含んではいるが、議論が噛み合わないイデオロギー的な対置に終わっているように思える。つまり、「大企業優遇の不公平税制とその歪んだ配分・国家予算編成」の解消さえ図れば、国家には豊かな財政があり、福祉は限りなく充実できるということをアプリオリな前提とすることは困難だからである。
「福祉を充実する」という課題の本質は、「国家責任の拡充」を語れば済むという問題ではない。阪南中央病院の岡本祐三氏が指摘するように、それは「財源-税の配分問題」であり、「多数の市民が利用する公共サービスをめぐる市民間の利害調整」なのである。税であれ、社会保険料であれ、誰にも負担のかからない公共サービスはあり得ない。もちろん福祉サービスも同様である。もちろん市場サービスにも料金という負担が生じる。要は、必要なサービスの供給システムとその負担のあり方をどう組み立てるのが適切なのかということなのである。
さて、次の概念図(図1)は、報告の考え方の図示を試みたものである。長野氏が指摘する「社会福祉政策の再規定」とはどういうことであろうか。
図では、縦軸に「サービスの質」を設定、サービス内容の水準が高まるにつれて座標が上へシフトすることとした。横軸には「公共性」を設定、基礎的・必需的なものから選択的なものまで、その度合いに応じて座標が右へシフトすることとした。

この図を見てわかるように、高齢者介護サービスは従来の「福祉」とは異なり、公的保険で供給される一般政策として「脱福祉化」される。個室利用負担や生活費負担が公的保険の対象外とされるのは、医療保険制度との整合性も考慮されてのことだろう。そして、低所得者など本来的な福祉対象者については、保険制度における個人負担金を減免するという形で国の公費(一般財源)負担が行われる。この部分(斜め線による網かけの領域)が「再規定された福祉としての高齢者福祉」である。「選別的救貧制度への逆行」という長野氏の批判は、この点を捉えてなされている。報告の考え方は、高齢者介護サービスにおけるニーズの飛躍的な拡大や、一般化されたサービスの供給スタイルを変革しつつ公的責任を拡大する必要性などの課題に一定対応するもので、それなりの合理性があるように思われる。
ただ、介護保険の導入は福祉サービス分野における市場メカニズム依存を加速させるため、権利性や公平性の担保、サービスの質の担保が可能なのかどうか相当慎重に見極める必要がある。また、社会保険料という形での負担形態と、租税(直接税・間接税を含む)という形での負担形態とどちらが適切なのかについても、十分な検討が必要であろう。
さて、報告の考え方を高齢者介護サービスに限定することなく福祉政策全体に視野を広げて検証すると、問題点はより明らかになってくる。
概念図(図2)は、保育問題検討会報告における第二の考え方(厚生省の意向)に基づいて今後の保育政策のあり方を図示したものである。

この図にも現れているように、保育ニーズが多様化し、高齢・少子化対策の充実が強く求められる中で、国の一般財源負担となる保育政策領域は拡張の一途にある。しかし、国家財源上の制約、具体的には大蔵省相手の予算編成は極めて困難になってきた。そこで、保育所への措置保育の対象を年収 500万円未満の世帯に縮小し、あとは保育所・民間子育て支援産業との直接契約によるニーズ充足を図る--これが保育政策の場合の「再規定された福祉」の考え方であろう。
しかし、高齢者介護の場合と異なり、一般政策化されようとする領域において社会保険制度のような公的保障拡充のための政策を欠き、民間事業者育成という市場メカニズムへの依存を強めただけだったので、子どもを商品にするとの強い反発を招くことになったのである。
さて、高齢者政策と保育(子育て支援)政策における公的保障措置政策の高低をもたらしたものは、両政策の「位置」に対する認識の違いである。すなわち、高齢者介護は人が等しく直面する可能性のある必需的なものなので「公共性が高い」と理解されているのに比して、保育所保育は本人の選択性によるところが多く、公的に保障する範囲は制限的であるべきで、市場を通じて本人が適切なサービスを調達することが適切だと考えられているからである。
社会保障制度審議会が昨年九月に明らかにした「社会保障将来像委員会第二次報告」にも、こうしたニュアンスの違いが読み取れる。すなわち、「介護保障の確立」という項目では「国・地方公共団体が、介護サービスの質・量の確保やそのための財源確保に責任を持つ」という表現となっているのに比して、「子どもの健全育成と女性の就業支援」という項目では「国・地方公共団体は、サービスの質が維持されるよう、積極的に公的責任を果たさなければならない」「公的機関によるサービス、地域社会を基盤とした協力、企業によるサービスの活動などにより整合的な対応がなされることが重要である」という表現にとどまっているのである。(続く)
(大阪 依辺 瞬)
【出典】 アサート No.209 1995年4月18日

カテゴリー: 分権 | 【投稿】地方分権と政治改革(5) はコメントを受け付けていません

【投稿】青島・ノックの当選がもたらすもの

【投稿】青島・ノックの当選がもたらすもの 

統一地方選挙の前半戦が終了した。この号が読者の手元に届く頃には、後半戦の結果も明らかになっているだろう。前半戦で最も特徴的だったのが、東京都知事選の青島幸男氏、大阪府知事選の横山ノック氏の当選である。マスコミは「政党政治の限界」「無党派層の怒り」などとさかんにはやしたてているが、事はそう簡単なものではない。確かに、既成政党への不信、それによる「支持政党なし」層の増大は事実である。新党ブームも、細川をはじめとしたリーダーたちの「裏切り」と小沢ー新進党への収えんによって、冷えきったどころか、さらに政治不信を起こすという結果になった。連立政権という実験は、新党ブームの終わりと社会党のふがいなさによって、明らかに失敗に終わったが、今回の統一地方選挙の結果は、第3極としての民主主義ーリベラル政党の登場の遅れを横目に、地方自治体からの新たな実験の過程として、今後の行方が注目されることとなったのである。
なぜ、青島、横山両氏が当選するに至ったのか。マスコミや学者によって様々な分析が行われているし、おそらくアサートのこの号でも、どなたかが分析しておられることであろうから、詳細かつ正確な分析はおまかせすることとしよう。ひとつ言えることは彼らは依って立つ政治基盤や市民運動の基盤があるわけではなく、未だ得体のしれない「無党派層」なるものの選択肢なき選択によって選ばれた、言わば消極的当選だった。そのことは今後の両氏にとって、立場にとらわれることのない自由な政治的活動の担保になる一方で、脆弱な基盤による指導力の弱さ、政策実現能力の弱さをもたらすことになるだろう。これからの両氏の活動はどういったイメージになるのか、何をもたらし、何を変えることができるのか、考えてみたい。
まず、彼らが登庁して真っ先に問題となるのは、地方官僚たちとの関係である。いかに彼らが政策を提起しようとも、それを具現化させるのは官僚たちである。長いオール与党の保守・中道路線の知事に慣れてきた職員たちがどのような対応を見せるのか、また、両新知事が職員達をどう使うことができるのか、これからの具体的な活動のたびに問題が生じてくることになるだろう。臨海副都心ー都市博問題、関空全体構想ー負担問題などで、さっそくこれまでの既定の方向性とのギャップがでてきている。地方行政のプロ集団である地方官僚たちは、これまで蓄積されたデータや行政ノウハウをフルに活用して、新知事の説得にあたることになるだろう。マスコミはさかんにお堅い頭をもった役所に新風を吹き込め、といった形で煽ってはいるが、無理矢理にトップダウンで政策を決めていくことが良いやり方とはいえない。いかに折り合いをつけていくか、官僚たちにとっても、これからはこういった形での知事や行政体制が普通になってくるかもしれない時代に、柔軟な対応、懐の深さが求められているのだろう。
次に、オール与党からオール野党に転じた議会との関係である。先に述べた地方官僚をも含めて行政側ともちつもたれつ、自分たちの利害を実現できる長年の関係をつくりあげてきたわけであるが、これからは緊張した場面も多々見られることになるだろう。しかし、提案された予算案や条例案を次々に否決するというような全面対決の姿勢は、相手が共産党首長とは違い、広範な市民から人気のある彼らにはあまり取りにくいのではないかと思う。ミエミエの足引っ張りは、自らの支持者からの反発も十分にありえるからだ。地方官僚と結びついての「知事いじめ」に終始することなく、政策立案ー立法機関としての本来の議会機能を発揮するよい契機になることを期待したい。
職員組合との関係も重要になってこよう。連合結成以来、東京、大阪とも複雑な組織問題を抱えている中で、新知事が対応していくのか。とくに大阪では、大きく二つに分裂している状況にあって、「土・日の府民サービス部門の開庁」というこれまで築きあげてきた週休二日制の成果とは違う方向の労働条件の大きな変化をもたらす打ち出されている。これまで自治労としても与党勢力を構成する一員として、自らの政策を実現させてきていたわけであるが、民間や市町村にまで波及しかねないこの問題にどういった対応をしていくのか、今後の労使関係にもかかわっていくだけに重要な問題となるであろう。また、連合としても、中川引退表明の遅れが選挙体制の遅れにつながり、このような結果になったのだという連合責任論が根強く残っている中で、平和ー健康ー福祉、弱者の立場に立った府政を叫ぶ新知事に対して、「福祉のまちづくり条例」を実現させたような具体的な政策提起をしていくことによって、挽回していかなければならない局面だといえよう。
さらに、財界や運動団体を含めた外部勢力との関係をどうしていくのか。ゼネコンとの関係など、しがらみのない広範な人気をバックに整理していけばよいだろうが、実際に地方官僚が末端で関係を維持していたことが発覚した場合、いかなる決断がくだせるのか。また、運動団体との間で築き上げてきた行政の責任を十分に踏まえることができるのか。景気対策や福祉ー人権対策を進めていく中で、様々な問題が生じてくることになろう。
公約の中で注目されるのは横山ノック氏の「外国人の参政権」の問題である。最高裁判決や多くの地方議会の意見書の採択というここ最近のムードの盛り上がりの中で、単なる選挙用の宣伝に終わるのか、実現に向けて積極的に動くのか、彼の人権感覚が問われている問題である。
以上、彼らの当選以来思いついた課題をあげてみた。何せこういった事態には不慣れな我々である。連立政権の誕生以来「何でもあり」の時代になってきたといってみたものの、予想を越えた事実を前に、この変化の時代にまだまだ想像力がついていけていないことに情けなさを感じてもいる。ともあれ、「ミニ開明君主」では限界のあることは革新自治体の崩壊によって証明されている。具体的な政策活動の展開によって、両新知事を地方分権の時代を切り開く武器としていけるのかどうか、お手並み拝見といった無責任な客観的な見方ではなく、主体的に関わっていくことが重要になってくるだろう。
(江川 明)

【出典】 アサート No.209 1995年4月18日

カテゴリー: 分権, 政治 | 【投稿】青島・ノックの当選がもたらすもの はコメントを受け付けていません

【投稿】歯止めなきドル安・円高

【投稿】歯止めなきドル安・円高
                 —-ドル相場メルトダウンの新たな段階—-

<<1$=70円台に向けて>>
今年初めの為替相場は、1月4日、1$=101円16銭であった。それが3月8日には、1$=90円台を突破、88円台に突入し、4月10日には80円15銭にまで円が急騰、80円台を割り、70円台突入寸前の事態となった。今や1$=90円でさえ、ドル高と錯覚してしまうほど、年初からすれば約20%も円高が急速に進行している。一人当たり国民所得を名目で単純比較すれば、今や日本が米国の二倍になろうとしているという。問題は、円の購買力平価で換算すると1$=160円前後にしかすぎないにもかかわらず、生活実態とかけ離れたこのような円高がまだ収まるどころか、さらに進行する可能性が高いことである。しかも円が、単にドルに対してだけではなく、対マルクでも戦後最高値を更新、円の独歩高の様相を示していることである。
4月14日、政府は緊急円高対策を発表、総額630兆円の公共投資基本計画の促進の検討、規制緩和推進5カ年計画を3カ年に前倒しすると共に、赤字国債を財源に補正予算を編成する、輸入促進と政府調達の増大をはかることなどを明らかにし、同時に日銀は公定歩合を0.75%引き下げ、年1%の即日実施を行った。しかし為替相場の反応は全く冷ややかであり、腰の座らない日本政府や日銀の姿勢が投機筋に見透かされ、タイミングを失した「緊急」対策が間の抜けたものになってしまっている。
問題は、逆に円高・ドル安を阻止する手段を使い果たしたとして、手詰まり感が広がり、円高がいっそう進む懸念が浮上してきていることである。休み明けの4月18日以降は再び円高・ドル安の圧力が強まる可能性が取りざたされている。もはや小手先の緊急対策や市場介入だけでは流れを逆転できる情勢ではなくなってきているといえよう。
4月末にワシントンで開かれるG7(7カ国蔵相・中央銀行総裁会議)では、アメリカは基軸通貨としての責任を放棄し、ドルばらまきで事態を糊塗してきたが、今やその重荷に耐えられなくなってきたドルを、円やマルクが、あるいは国際的な協力関係や新たな通貨体制に向けた動きがこれをどう補っていくのかが問われている。冷戦体制終焉後、ますます社会経済関係がグローバル化し、一体化しているにもかかわらず、目先の個別利害でそれぞれが行動している限り、市場は冷ややかに反応し、世界的な危機が一挙に進行する可能性さえ否定し得ないであろう。

<<米政府の「悪意ある無視」>>
しかしアメリカをめぐる状況は単純ではない。ルービン財務長官はドル安に幾度も懸念を表明してはいるが、カンター米通商代表部代表は「円高は日本の黒字、市場の閉鎖性が原因」と断言し、ブラウン商務長官はテレビのインタビューで「多くのエコノミストは、これは日本の問題であって、米国の問題ではない、といっていると思う」と述べ、米政府の「悪意ある無視」を公然と認めてさえいる。とすれば、ドルの下値は依然として見えないどころか、いっそうのドル安を歓迎していると見ることも出来よう。
事実、米国株は、ドル安による米国企業の輸出拡大を見込んで最高値を更新しており、米国企業はドル安によって国際競争力が増し、企業収益は改善しているというわけである。さらに米ドルについていえば、カナダ、メキシコなど主要貿易相手国に対してドル相場は下落どころか上昇しており、またドルを基準値にしているアジア各国の通貨に対してもさほど下がってはおらず、米国企業は安い製品を世界から輸入できるし、ドル安によってもインフレ懸念は起きない、というわけである。
確かに、米経済は92年後半から急速に立ち直り、93年は3.1%、94年は4%の実質経済成長率を達成した。昨年10-12月期の成長率は年率5.1%と、10年ぶりの高水準である。労働組合の組織率、影響力の低下で賃金コストが抑えられ、大企業大資本は合理化省力化投資で生産性が向上し、収益安定によって株式相場を支えているとするならば、本来ならドル高に反転しておかしくないはずである。しかし事態はそうはなってはいない。その根本原因は、レーガン政権登場以来の財政と貿易の「双子の赤字」を垂れ流し続けていることにある。赤字が増えてもいっこうに困らないどころか、基軸通貨国として、対外支払いに外貨ではなく、自国のドルを使える特権を活用し、赤字を放置しても、ドル札を印刷すれば足りるので、収支の均衡を守る必要も義務も感じずに、世界中にドルをばらまくことによって現在のアメリカ経済は維持されてきたのである。冷戦体制下ではそれが、自由陣営を守るという大義名分で合理化されてきた。そして長年の米国の財政赤字、貿易赤字で、世界中にドルがうなるほど蓄積され、ただの紙切れに過ぎなくなるのではないかという不安をもたらすほどの事態になってきたのである。

<<「難破船からの脱出」>>
しかし、冷戦崩壊後の今日、もはやそうしたドルの垂れ流しは許されなくなってきている。世界中がその被害を受けているのである。しかし米国は安楽なドルの特権を容易には手放すはずがない。現在のドル安についていえば、他の諸国の冷静な姿勢に比して、日本だけが必死にドルを買い支えており、「世界第二の経済規模を持つ日本がドルを買ってくれるので、アメリカはドル紙幣を心置きなく印刷することが出来る」といっても言い過ぎではない状況である。逆に言えば、ドル安の原因にフタをした米国の綱渡りを助けているのが日本であり、世界的にドル離れが起きている中で、日本だけがせっせと米国の赤字の穴埋めをしているともいえよう。
大蔵省は日銀を通じ、3月だけでも実に100億$をこえるドル買い介入を実施してきたが、今や日銀がドルを買い支えれば、それだけ円高が加速する局面を迎えているのである。
だが他の諸国は日本と同じような行動をとってはいない。ドイツは、ドル売り・マルク買いの投機に対して、儀礼的な協調介入は行っても、むしろドルを買い支えるよりは、ヨーロッパ連合のEU通貨圏の協調に全重心を移している。もちろんそれが可能なのは、ドイツの貿易相手国の多くが周辺の欧州諸国であり、輸出の8割、輸入の5割がマルク建てなので、ドルの変動に大きな影響を受けないことからきているが、それだけではないであろう。世界的にドルで資産を持つ危険性への認識が急速に高まってきているのである。それは「ネズミが難破船から逃げ出すように、ドル離れを起こしている」とさえ表現されている。
今回のドル安で大きく価値が目減りしたドルに代わり、円の保有高を増やそうとするアジア諸国の中央銀行が積極的に一斉に円買いに動いたことが明らかになっている。シンガポール通貨庁が3/31、1日で3億$のドル売りを行っているが、それは外貨準備の中のドル比率を引き下げるためであった。インドネシアは、3月中旬、外貨準備約130億$の内、約35%の円の比率を40%に上げる考えを表明している。中国、韓国、マレーシア、台湾などもドルを円に換え始めている。手持ちドルの5-10%を一気に市場に出すとさえいわれている。この間、アジア諸国、地域が、ドル→円転換を行った額は500億$に上るとみられているが、一方、日銀が同じ期間に市場介入で買ったドルはせいぜい250億$、ドル売り圧力の方が圧倒的に強いのである。アジアの中央銀行はすでにドルに背を向け始めているといえよう。そして3月上旬以降、中南米の中央銀行までドル売りに出ているという。世界は米国の財政、経常赤字にもはや寛大ではなくなってきているのである。

<<基軸通貨=ドルのたそがれ>>
現在のように米国が決済にドルを使うことを他国が許している限り、こうした過剰なドルへの不安は消えるものではない。もはやドルは単独では基軸通貨としての役割を果たせなくなっているのである。ドルに代わって円やマルクが買われるという事態は、国内総生産(GDP)で世界の3割にも及ばなくなった米国の通貨がまだ世界の準備通貨の6割を占めているのが不自然であり、世界経済の不安定要因の最大のものになっていることを示している。
このようなドル不安の根を断ち切るためには、いよいよ、現状のドル依存の変動相場制に代わる新たな国際通貨制度作り、各国の平等互恵の原則と共通の責任原則に基づいた「複数基軸通貨」制度構築を共通の課題としており、事態はそうした段階にさしかかっているといえよう。今回のドル安は、基軸通貨・ドルの役割そのものを揺さぶる新たな段階に来ていることを明らかにしており、そして今後さらに進むであろうドル危機の深刻化は、こうした通貨改革を待ったなしの課題に追い込むことは間違いないといえよう。 アメリカ自体の情勢から言えば、しかし現状がベストなのである。クリントン政権への不信がドル売りにはね返っているとはいえ、ドル安が進む中でも、米議会は減税と軍事費の増大を議論するという「優美なる怠惰」を続けている。クリントン大統領は「財政赤字削減策を継続する。責任ある政策を取れば、ドルはこれに反応する」と言明しているが、内外ともに誰もそれを信用してはいない。赤字削減が不可能となれば、残されたドル防衛の手だてとしては、利上げ程度しかない。しかしすでに個人消費が減速し始め、1-3月の実質成長率は2%台後半に低下すると予想され、景気の減速が予想以上のテンポで進んでいる今は考えられない。
こうした事態を放置し、他の諸国も傍観しているだけであれば、ドル相場が「メルトダウン(底抜け)」しかねないものであることは確かである。しかしここまでくれば、一体化しつつある世界経済の中でどの諸国も傍観して済ませるものではない。最も決定的なのは、円がドル離れをすることである。日本が、もはやドル買い支え政策を維持できないことを明示し、輸出のドル建て価格の引き上げや円建て契約への切り換えで対応せざるをえない事態を明らかにし、新たな国際通貨体制への参画と協力を呼びかけることである。事態がそのように動けば、一挙に危機的な事態に進むと共に、ことの本質が露呈され、真の解決策に向けて全ての諸国が取り組まざるを得なくなるであろう。

<<「巨大ニューディール政策」の必要性>>
しかしそのようになるには、日本にとっては前提条件が必要であろう。これまで日本政府は、バブル崩壊後の不況対策として92年以降、財政面で合わせて45兆円ものてこ入れをしてきた。日銀も6%だった公定歩合を1%台まで引き下げてきた。だが膨大な日本の経常黒字は増大する一方で、円高対策が逆に円高圧力となって跳ね返ってきている。このところようやく貿易黒字は額、量とも減少する兆しを見せてはきているが、大企業や独占資本は再び円高危機を叫び、賃金引き下げ、人員削減や合理化、下請けへのしわよせを強行し、国内への投資ではなく、海外への移転、産業空洞化に拍車をかけ、国内需要の喚起ではなく、輸出ドライブをいっそう強めることによって、さらに円高を招く悪循環に突き進もうとしている。日本の企業が収益を削ってでも輸出を続ければ、株価は下がり、円が上がり続けることは当然である。これまでのような不況対策や生産性の向上が、円高克服の解決策にならないことを示している。
日本の経常黒字と内需低迷が一体のものである限り、その是正策を打ち出せずにいる限り、そしてドル依存からの脱却を実行しない限りは、円高、株安に歯止めはかからないのである。日本は世界各国から見透かされたような従来の円高対策から大胆に転換した政策を打ち出す必要に迫られているといえよう。国際通貨問題に詳しいドーンブッシュ米MIT教授は「不況のさなかに緊縮財政を主張する大蔵省も、どうかしている。企業は相変わらず合理化に骨身を削って、いっそう円高を進める原因を作り出している。日本人は踏み輪を回すハツカネズミのようだ。このままでは、日本は産業空洞化でガタガタになり、反映は過去の物語と化してしまうだろう」と警告している(4/14朝日)。
1%という過去最低の公定歩合の水準は、世界大恐慌の1930年代から40年代にかけての米国と同じ歴史的低水準である。当時の状況との酷似が指摘されているが、米国のルーズベルト大統領はニューディール政策という大規模な政策転換をはかり、経済危機からの抜本的な打開をはかった。その意味ではいわば、現在泥沼化しつつある円高危機を打開する根本的な政策転換、新たなニューディールが求められている。重要なのは国内の貧困化を前提とした飢餓輸出的な海外需要ではなく、日本国内で円高の利益が享受できる最終需要を作り出すことでなければならない。野村総研の井手氏は「巨大ニューディール政策」の必要性を訴え、「カネはある。国債発行もいいが、200兆円の郵貯を含めて使い方を考えることです。国内、対外両面で巨大な不均衡を抱えた経済の実情をさらけ出し、10年単位の時限的な巨大財政支出を策定、実行するぐらいの対応が求められていると思います」と語っている(4/5日経)。
十年一日のごとき土木中心の公共投資を、高齢化社会と環境保護、地震・災害対策に対応した新しい生活に密着した社会資本投資に転換すべきなのである。なによりも、先ずいまだ被災者の生活のめどさえ立たない阪神大震災の復興に向けて、自治と配慮の行き届いた大規模な予算対策とその早期執行に全力を上げるべきであろう。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.209 1995年4月18日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬, 経済 | 【投稿】歯止めなきドル安・円高 はコメントを受け付けていません

【投稿】住民合意の被災地復興はできるか

【投稿】住民合意の被災地復興はできるか

阪神淡路大震災からの復興が急がれている。しかし、その手法を巡って行政と住民との間でコンセンサスが取れないままに進んでいるように思える。目立つ手法は区画整理や再開発手法である。私も都市計画に関わる仕事をしている関係もあり、復興手法をめぐる問選について私見を述べさせていただきたい。

<政府が復興特別法を制定>
政府は2月17日被災地復興に向けて5つの特別法を閣議決定している。国税・地方税に関する臨時特例に関する法案、復興対策本部設置などの法案の他に、「被災市街地復興特別措置法」がある。内容を十分に見ていないが、市街地の復興のため、従来の制度に特例的な支援策を盛り込んだものと考えれば良い。例えば被災者には所得制限を綾和して公共住宅への入居を認めるとか、現に存在しない消失した建物の補償を事業参加すればできるようにするなどの特例が盛り込まれている。しかし、行政側の「復興計画」に対しては、根強い住民不信があるのも事実だ。都市計画決定によって、その地域には今後提案されてくる具体的な計画への賛否の権利は留保されているとは言え、建築制限がかかり個人が勝手に建築する事が法律的に規制されていくからである。

<課題が山稚み—住宅の再建>
進行している過程を整理すると、まず倒壊した建物の解体撤去が問題となる。震災直後から解体等の作業が始まっているが、まもなく地震から2カ月になろうとしている現在も、解体撤去作業は先が見えない状況にある。
戸建て住宅では順次進むと思われるが、特に集合住宅では複雑な権利関係、家主と借家人との関係など、解体そのものに着手する前に解決すべき問題が多く、現にトラブルが多数発生している。
特に古い建物では、新たに建築する場合に容積率などの規制で従来の建物の延面積が確保できない場合があったり、新築住宅では以前の家賃ではすまなくなり大幅な家賃の引き上げが予想され、借家人には厳しい現実が待っている。
一方、高層マンションなどでは、権利関係が複雑で、区分所有法に基づく所有者の合意が前提となる。特に権利者が死亡している場合など、財産の相続人の確定など、手間のかかる作業と言える。神戸市内だけでも1000棟を越えるマンションが倒壊・損傷を受けていると言われ、事態は重大である。
個人住宅、マンションなどに共通しているのが、補強工事、新築工事費など費用負担の間遭がある。住宅ローン返済中の建物が倒壊した場合、新築すれば2重のローンとなる。倒壊したマンションなどの新築費用は工法的に通常の2倍の費用が掛かると言われており、2重以上のローン負担が待っている。マンションは日本では戦後建築が始まり歴史も浅く、従来からマンション立替は、震災前からでも問題を指摘されてきた。震災の混乱もあり、所有者内での合意には国・自治体の支援策が明らかになっていない現状ではさらに時間がかかると思われる。

<都市計画案は示されたが>
神戸市の例を取ると、特に火災により低層の木造住宅が面的に焼失した地域などを中心に、区画整理事業5地区地区(約1ha)再開発事業2地区(約26ha)地区計画1地区(約70ha)の合計8地区(約221ha)で「防災モデル都市」をめざして実施する都市計画案を2月21日にまとめている。
建築基準法による建築制限が切れる3月17日までに「都市計画決定」を行おうとしている。震災から2カ月で復興プランを確定しようというわけだ。同様の計画は西宮市は4地区、芦屋市は2地区で進めることを決めている。
しかし、毎日新開によると神戸市の森南地区の地元組織が、同地区の住民約3200名の内2800名の反対者名を集めて、都市計画案の見直しを求めて陳情を行った。また神戸市を中心に地元住民が都市計画案の見直しを求めて住民連絡会議を3月9日に行っている。
都市計画法に基づく縦覧(権利者に計画内容を公開する)が始まったが、住民からは「計画の説明が不十分」「住民の意見を開いていない」など、急ぐ行政の動きに、訴訟も含めた反発が続いている。

<区画整理・再開発とは>
区画整理は、一定の区域を決めて、広い道を確保し、従来の地権者の土地については、土地価格に応じてあたらしい整形の土地を配分する手法である。新しい道の土地は、それぞれの地権者の土地を少しずつ負担してもらうわけだ。特に震災に強い街がうたわれているため、火災の延焼を押きえる道路・公園の確保は当然の必要ではある。空地や畑などが少ない市街地の真ん中での区画整理事業となると住民のコンセンサスはなかなか難しいのが現実である。
次に再開発法による再建策がある。都市再開発は、前述の区画整理が土地に関わる都市改造の方法だとすれば、これに建物も加わると考えればよい。この法律の前身は防災街区整備法で、木造の建物から耐火建築物へ、さらに広い道を確保する手法であり、この法律が高度経済成長の時代に、容積率の綾和、建物の高度利用を主眼に改正され、列島改造論やバブル時代に民間活力導入のかけ声で大きく事業地区を延ばしたたものである。
この手法は、バブルが終わり経済環境が変化する中では、全国的に困難に直面している事業手法である。民間に活力がない中でこれまで以上の行政投資が行われない限り通常は事業成立は厳しいと言わねばならない。災害復興資金がどれだけ投入できるか、まだわからない。

<急ぐ自治体、とまどう住民>
上記の二つの事業は、通常地元合意形成や資金問題など5年や10年は準備期間が必要とされる。災害復興だということでわずか2カ月で都市計画決意という早さには、拙速の非難を免れない。
これまでマスコミは、関東大震災の直後、東京市長後藤新平は内務大臣となり、即座に帝都復興計画を精力的に打ち立てたことを例にして、一日も早い復興計画が必要と主張していた。ほとんどが木造平屋であった大正時代、基本的人権も不十分だった旧帝国憲法下での対応を現代に当てはめていいものか。住民の権利意識も高く、地震体験を共有した住民・行政の十分な話し合いの積み重ねの手法こそ、人と建物、一体となった「防災の街」が生まれるための大切な過程である。
現在はあくまでも「都市計画決定」の段階であり、都市決定されたものが必ずしも実現するとは限らないが、地域を拘束することは間違いがない。住民の不安もそこにある。
神戸市など阪神地区は、従来から再開発事業が数多く進められており、行政側の人材含めて体制は良い方ではあろう。しかし、神戸市株式会社の都市経営に批判が起こり、住民との合意形成に手を抜けば、形は防災都市でも、人の住まない都市になっては、復興の意味がないことを忘れてはならないと思う。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.208 1995年3月18日

カテゴリー: 災害 | 【投稿】住民合意の被災地復興はできるか はコメントを受け付けていません

【本の紹介】社民リベラルとは何か

【本の紹介】社民リベラルとは何か
            山口二郎著「日本政治の同時代的読み方」を通じて
            朝日新聞社 95年3月5日 ¥1,600円

93年7月の自民党政権の交替前後から、最近まで、よくマスコミに登場する政治学者に山口二郎北海道大学教授がいる。このほと89年以降折々に書かれた政治評論、新聞への論稿などをまとめた本が出版された。私は昨年大阪で山口教授の講演会を企画し、身近に氏と接する機会があり共感するところがあったため、折々の氏の発言には注目していたところであった。この本を紹介することを通じて、「社民リベラル」の政策について考えてみたい。
また、この本を読むことで、ロッキード・リクルート以来の政治改革論議、93年の自民党政治=55年体制の崩壊から細川政権の役割、その崩壊の過程、羽田政権から
村山政権の成立の意味、政治改革の課題、政治と政党、政治家に問われている課題などが提示されている。我々もその動向に注目している社会党の「社民リベラル新党」への移行問題に対しても有効な示唆を与えてくれるに違いない。

護憲から創憲へ_
山口教授を有名にした言葉に「創憲」という言葉がある。自民党は結党以来、憲法9条などを含む憲法の改正、自主憲法の制定なと改憲をスローガンにしてきた。それに対して社会党など戦後の民主勢力は、「護憲」をスローガンを対置してきた。冷戦の時代には、自民党の軍事増強・反社会主義路線に対抗する力を、国民の中にある反戦平和の願い、自民党の増長を押さえる必要を感じる意識に依拠しつつ社会党は形成することができた。山口教授もこうした戦後の護憲運動の役割については評価をされている。しかし、冷戦が終了した時点で、抽象的スローガンである「護憲」運動は、急速にその政治的意味合いを薄くしていった。特に「小沢調査会」が憲法の前文を根拠に、自衛隊の国際貢献=紛争の地への停戦部隊として出ていくことを合憲と主張するに至っては、憲法を守るか、改憲か、が論点ではなくなった。
「‥…禁止型護憲論に自足して、憲法の理想を普遍的な言葉で語り、実践する努力を怠ってきた革新政党や知識人もまた、怠惰のそしりを免れないであろう。・・・今必要なのは禁止的護憲論を繰り返すことではなく、国際社会における紛争処理の後衛としての役割を日本が果たすための制度や組織の構想である。その意味で、戦後憲法に書かれた高い理想と世界の現実をつなぐための新たな憲法の創造、創憲こそが求められているのである。」(1991年5月 「護憲から創憲へ」
村山連立政権党足時の3党合意においても、憲法問題では自民党からも改憲論は出ず、自民党内ですら改憲論は影をなくしている。もはや政治の論点は、「護憲」か「改憲」かではなくなりつつある。今後は憲法に依拠しつつ、社民リベラルという立場が、いかなる点を重点に置くのか、政策展開をするのかが、問われるように思える。特に戦後馳年を踏まえての「不戦決議」の議論を通じて積極的な論戦の展開、具体的な「平和的貢献策」の提案が求められている。

官僚政治から議会政治ヘー
自民党が一党支配を戦後38年間も継続できた理由の中には、弱体な対抗勢力の問題もあるが、官僚制の問題も大きい。政党と官僚が、双方の利害を補完し合い、首相が変わろうと大臣が変わろうと各省庁は自らの利害を確保し、政治家は「族議員」となり、政府予算を自らの支配権益として政治基盤を強化し、政党は官僚層に政治家の供給源を確保する。政党には政権交代が必要で、一方の官僚制には一党支配に従属させないシステムが求められる。こうした官僚たちの権限の縮小、中立化こそ、政治システムの変換に必要だという主張を山口教授は行っている。
1990年3月の「世界」に「政権交代で何を変えるのか」という論稿がある。前年の89年には東欧革命があり、社会主義体制が現実的に揺らぎはじめた。日本では消費税・リクルート汚職など反自民の強まりから、夏の参議院選挙で社会党が躍進し、自民党は参議院において過半数割れを起こしている。まさに政権交代が夢物語ではなくなった時期である。 山口教授は、日本の議院内閣制は、自民党の一党支配システムと結合した極めて特殊なシステムであり、政権交代がないために、与党と官僚制が癒着し、野党がその意味をなさなくなっていると指摘する。89年の参議院における自民党の過半数割れを生みだしたのは自民党支配に対する国民の拒否反応であり、民主主義ポテンシャルの高まりであるとすれば、対抗勢力の伸長という事態になれば政権交代も十分予測できる。その場合を想定して、新政権が「かりそめの多数派」として、「一党支配システムと結合した議院内閣制」という長年のシステムを変革していく構造的政策とは何か、という提起の中で、二つの課題を提示されている。ひとつは、権力をめぐる公平なルール作り、とりわけ選挙制度の改革である。政権を担当する政党を選択することを明確にした選挙制度の改革。第二に政策の立案・実施に巨大な権力をふるう官僚制の中立化のための政策である。
具体的には、情報公開制度、行政手続法の立法、地方分権の推進などで枠をはめ、外からの批判やチェックを容易にすることが必要となる。
官僚の中立化、利益政治からの解放することで、政権交代においても新しい政策の実施にあたって混乱は少なくなるだろう。
残念ながら、自民党の一党支配を崩した細川政権は、国民福祉税問題など官僚主導を断ち切れないばかりか、現在の村山政権においてもこの課題は手が付けられていないように思える。特に官僚に対抗できる政策能力が政党に問われるところだが、政権を取った社会党から連立の枠内にあっても、具体的な政策提起が見えないのはどうしたことか。現在2つの信用組合の救済を巡って、国会は揺れている。大蔵官僚の金融機関との癒着も暴露されている。金融機構の揺らぎに対して、大蔵主導ではない金融政策はいまだ明示されていないように思える。官僚依存からの脱却は村山政権になって逆に強まったとの批判もあるが、この面での後退は、改革の看板を降ろす結果にもなりかねない。

小沢一郎について
細川、羽田、村山と一年半の間に日本は三つの政権を生みだした。良くも悪くも小沢一郎という名前がつきまとってきた。小沢一郎論もまた、本書の随所に展開されている。
「国際秩序の維持はすべてアメリカに任せて、経済発展に専念し、それによる財の分配に終始してきた。野党の言い分も聞きながら、予算をできるだけ公平に分配すれば済んだ。その談合が政治のすべてだった」(『日本改造計画』)と小沢は戦後自民党支配を総括し、強い権力の創出と責任の明確化のために内閣制度や選挙制度の改革を提唱し、国民自身の選択による政治的リーダーシップの創出を主張した。談合政治の生み出す政治の停滞、国民の政治離れへの批判について共感するところがあるとしつつも、戦後政治への断罪と言いつつ、戦後の平和をまるごと否定しようとしてる印象を多くの国民に与えている事実、また「一国平和主義」から抜けきれない日本列島改造論ばりのばらまき政治を主張している点に対して、「外では国際貢献を行い、内では列島改造流の利益散布型を行うというのは、・・・かつての自民党の包括政党路線の亜流でしかない。・・・戦後政治の中で本当に反省すべき点は何かと問われれば、経済の量的拡大を自明の価値として考えて、安易な公共事業を垂れ流すことで国土を破壊したことこそ第一の過誤ではないか。」と批判する。
さらに「普通の国」の問題について。「小沢の用語法に従えば、普通の国とは軍事面も含めて国際的公共財の提供に必要なコストを分担する囲を意味するわけであるが、軍事的実力の面でどれだけ参加するは国によって大きく異なる。・‥‥・今の対外政策論議こ必要なことは、国際的公共財の提供に対する日本独自のスタンスを明確にすることであり、とりわけ実力組織によるコミットメントの上限を明らかにすることではなかろうか。普通の国と言う言葉は依然として曖昧なシンボルであり、この言葉を開いて日本が軍事介入の泥沼に引き込まれるのではないかという危惧を多くの人が感じるのは当然であろう。」と批判し、平和に安住した国民に国際貢献というけじめを訴えることはできても、行き着く先の不安を拭う事はできないという。
小沢については、永田町の論理という業界のルール破りと言う意味で、学者や政治家にはその「優秀さ」は理解できても、国民には「危ない政治家」としか映らないのではないかと指摘し、「得たいの知れなさ」の故に、小沢グループは公明党と共に「拒否政党」になる可能性も残されていると指摘している。
「いずれにせよ、彼の普通の国に対抗する国家像とビジョンを打ち出す政治勢力を構築し、権力をめぐる競争を作り出すことこそ、21世紀に向けた我々の課題である」(『THIS IS 読売』」1994年3月)

社民リベラルが生き残るために_
羽田政権当時、短命政権に終わることが明白であった時期、細川・羽田と続いた連立政権のもとで、新・新党の動きが進んでいたが、この時期の論稿に「社民リベラルが生き残るための四つの政策」(エコノミスト 94年5月)がある。
政界再編論議にふれて、「普通の国」とか「きらりと光る」とかのスローガンの競争に事欠かないのだが「政党再編成が政策や理念の分水嶺に即したものになるかどうかは、政治家や政党が社会における利害村立を発見し、それを争点化できるかどうかにかかっている。」とし、欧米の様に政党の政策が明確な場合もあるが、経済成長や教育の大衆化、生活水準、教育水準など平準化が進んだ日本の社会では政党間の政策対立を生み出すような社会実態を見つけることは‥・・‥一見むずかしいように思えるが「ただ、地方分権、福祉、環境、減税などどの政党も等しく主張するスローガンを現実の政策として制度化していく過程では、必ず様々な利害対立が起こる。・昔のイデオロギー対立と比べれば選択の余地は狭まったものの、…・・・対立の選択の契機は残るのである」と、政党の政策能力の向上が求められるとされる。
その上で、日本における社民リベラル勢力の政策について4つの問題を提起する。
★基本理念については、民主主義の再生である。腐敗政治からの決別、官僚支配から脱却した政党政治の確立、地方分権が不可欠。効率のための地方制度改革ではなく、民主主義の学校としての地方自治の強化という発想が必要。
★内政では洗練された福祉国家の構築であり、採用試験型公共サービスから資格試験型公共サービスの提供、拡充である0このためにはコストをめぐる合意も必要となる。
★外交では護憲のバージョンアップ。反対・阻止型の受動的護憲運動ではなく、憲法の理念を実践する積極的な護憲運動が求められる。具体的には軍事面ではなく環境保全を通じた国際貢献という武村ビジョンの具体化、人的貢献の検討。国連の新しいイメージとPKOへの日本の役割の上限の提示など。
★リーダーシップについて、政治家のリクルートシステムの確立を上げている。社民リベラル勢力にとってもっとも欠けているのはシンボルとなるリーダーであるとし、新しい政治家のリクルート、発掘が必要だとしている。

あくまでも政治学者の見解である。現実の政治、政党運動は残念ながらこのような方向には動いていないように思える。社会党は、「95宣言(案)」を出して、参議院選挙前の「民主リベラル政党」への移行を打ち出してはいるが、私のエリア大阪で見る限り、こうした政党再編成に向けた議論はまだ着手されていない。統一地方選挙で手一杯というところもあるが、手遅れにならないうちに、国民に分かりやすい社民リベラル路線の確立が急がれる。
(95-03-12 佐野秀夫)

【出典】 アサート No.208 1995年3月18日

カテゴリー: 政治, 書評 | 【本の紹介】社民リベラルとは何か はコメントを受け付けていません

【投稿】地方分権と政治改革(4)

【投稿】地方分権と政治改革(4)

3. 行政の果たす役割と地方分権(続き)

<福祉政策における「市場原理」導入>
前号で、中央政府による「地方への財政負担の転嫁ないしは個人の自助努力の拡大を意味する」方向への具体化が個々の政策においてはすでにすすめられていると述べたが、この点についてもう少し詳しく述べてみたい。
近年、厚生省は福祉・保健・医療行政のあり方を大きく転換してきた。その特徴は、次の三つにまとめられると私は考えている。
一つは、少子・高齢化の急速な進展の下で、福祉などのサービスの公的拡充が国家運営上必要であると認めたことである。具体的には、21世紀をめざした高齢化対策の国家的戦略としての「高齢者保健福祉推進10か年戦略(ゴールドプラン)」の策定(1989年)が注目される。これは、消費税導入の大義名分作りの側面はあったものの、それまでの家庭機能重視、ボランティア重視の「日本型福祉路線」を修正したもので、一つの転換点を形作った。
二つめは、医療から福祉・保健へのシフトである。日本の場合、これまで高齢者に関わるサービスシステムは、医療分野に限定されていたといっても過言ではなかった。医療にしか介護等の問題を抱えた高齢者の受け皿がなかったのである。その結果、国民医療費という社会的コストは膨大なものとなり、各地の国民健康保険制度などは極めて厳しい財政状況に追い込まれた。そこで政府は、老人保健施設の設置や老人医療保険制度の確立など医療及び医療保険制度制度における効率化や患者の自己負担強化を進める一方で、新たな受け皿として福祉・保健サービスの拡充を図ろうとしているのである。
三つめは、市町村重視への転換である。1990年、老人福祉法など福祉関連8法が改正されたが、同改正によりノーマライゼーション理念に基づく在宅福祉の積極的推進、福祉・保健行政における市町村の役割重視が明確にされた。改正された老人福祉法及び老人保健法に基づき、1993年度には全国の自治体で高齢者保健福祉計画が策定され、1995年度予算ではそれらを基礎にしたゴールドプランの充実改定、すなわち新ゴールドプランの策定が焦点となったことが記憶に新しい。地域保健サービスの分野でも、1994年6月に、行政機関の設置法たる保健所法が地域保健法に改正され、地域保健をトータルにとらえなおした法体系への転換が図られた。同法では、3歳児健診など身近な保健サービスを市町村に委譲するとともに、保健所政令市制度の指定基準の緩和・同保健所の権限強化などが図られている。
しかし、ここで注目すべきは、これらの特徴を持つ政策転換の際に、常に同時に打ち出されてきた「市場原理・自助原則」の導入である。武蔵大学の藤村正之助教授は、「都市問題」1994年11月号(「東京市政調査会」発行)で次のように述べている。

「1970年代後半以降の『福祉国家の危機』論に対応して、先進資本主義国においてとられた福祉国家システム再編にほぼ共通してみられる二つの方向性は、『民活化( privatization)たる市場原理・自助原則の導入と、『分権化(decentralization)』たるサブナショナルレベルへの権限移管であった」(4頁)

例えば、福祉などのサービスを公的に拡充することが国家運営上必要であると認めたゴールドプランが策定された1989年、時を同じくして、厚生省は次の法律を施行している。名称を「民間事業者による老後の保健及び福祉のための総合的施設の整備の促進に関する法律(略称:民間老後施設促進法/WAC<ワック/ウエル・エイジング・コミュニティーの頭文字>法)といい、有料老人ホーム、健康増進施設、総合福祉センター、在宅介護サービスセンターの4つを一括してつくる事業者を税金や融資の面で優遇するという法律である。老後は、自らの負担で民間の有料老人ホームに住み、アスレチッククラブで汗を流し、趣味を楽しんでもらう–厚生省は、ホームヘルパー10万人、特別養護老人ホーム24万床などという目標数値をゴールドプランで打ち上げる一方で、こうした市場原理・自助原則に貫かれた老後の「青写真」も描いていたのである。
また、子育て家庭支援政策の領域での「市場」傾斜は、高齢者施策の領域以上に強いものがある。厚生省は、1994年度予算においてエンゼルプラン・プレリュードと銘打った総合的な児童家庭対策をスタートさせたが、その目玉は民間主導型の保育サービスの育成・強化であった。具体的には、「こども未来財団」という財団法人が1994年7月1日付けで発足し、駅型保育モデル事業(大手出版会社などが経営に乗り出している)等の補助事業を厚生省から受託している。また、児童手当制度の中で積み立てられていた積立金を取り崩した 300億円で「こども未来基金」を設置し、その運用益を使って民間事業へ独自の助成が開始された。エンゼルプラン・プレリュードにおけるその他の新規事業もすべて児童手当を財源(正確には、厚生保険特別会計児童手当勘定から支出)としており、従来特別保育事業として位置づけられ、一般会計予算の財源が充当されていた延長保育や長時間保育サービス事業についても、時間延長型保育サービス事業として再編された。児童手当の財源は事業主たる企業の拠出金であり、今後、財源の性格が政策内容の「市場」傾斜を更に加速させることになるのは間違いない。

<「措置制度」をめぐる対立>
1993年の秋から1994年にかけて、全国の保育に関わる運動団体の最大の課題は、厚生省が打ち出した「措置制度」の見直しを中心とする保育制度改革を阻止することであった。この問題は、単に福祉サービス供給主体の比重を民間にシフトするというこれまでの流れを一歩踏み越える質を有しており、それだけに運動団体側の動きも極めて活発であった。措置制度について田村和之・広島大学教授は、「措置制度改革論と行政責任」という論文の中で次のように指摘している。

「社会福祉サービスの供給にかかわる仕組みを措置制度と称し、これがわが国の社会福祉制度の根幹をなすものであるという理解はほとんど異論をみない。」
(「都市問題」1994年6月号/「東京市政調査会」)

保育制度改革問題における対立は、厚生省が1993年2月に発足させた「保育問題検討会」を直接の舞台に厚生省の意向に沿う主張をする委員と自治労出身の委員など現場に近い委員が激しく対立する形となった。自治労・保育運動団体など運動団体の運動の盛り上がりはもちろん地方自治体の反発も厳しく、その結果、1994年1月19日の出された保育問題検討会報告書は、措置制度について異なった二つの見解が併記される異例の事態となった。すなわち、第一の考え方(運動団体側主張)は、措置制度を基本において評価し、不十分な部分を改善しつつ維持・拡充するというものであり、第二の考え方(厚生省側主張)は、措置の対象者を一定の所得水準以下の者に限り、それ以外の者については保護者と保育所との契約により保育所へ入所する制度を導入するというものであった。結果的に1995年度、1996年度と2年続けて予算編成段階で措置制度改革は見送られ、この問題については一種の棚上げ状態になっている。
さて、この問題における対立の前提となる措置制度という言葉の意味についての理解は、対立する両者の間で随分と異なっていた。保育問題検討会報告で第一の考え方に立つ者は、措置制度に入所決定事務のみならず保育の提供事務を公的に行うこと、そしてこれらの事業の公的な義務づけを読み取り、第二の考え方に立つ者は、措置制度とは保育所(社会福祉施設)への職権による入所と措置費の仕組みであると理解した。だからこそ、前者は保育改革の内容を保育政策を一部の低所得者を除いて市場原理・自助原則に委ねるものと理解して反発を強めたし、後者は利用者自身がサービスの利用決定権を持ち、施設側に多様な保育サービスに応じようとのインセンティブを生じさせるためには、一種の規制たる措置制度を緩和して市場原理を導入しなければならないと主張した訳である。
しかし、利用しやすい入所手続や多様な保育サービスの確立は現行の措置制度を改善すれば可能な課題であり、今回の保育制度改革の理由付けとしては無理があった。田村教授は前述の論文で、次のように指摘している。

「措置制度改革論の認識とその全体的な主張・指摘を総合的に判断すれば、実のところ措置制度改革論は措置制度の個々の仕組みに問題があることを論拠とするというよりも、市町村の事務・責任においてすべての『保育に欠ける』子どもを保育所に入所させて保育し、これに要する費用を市町村が支弁・負担する仕組みそのものが現状適合的でないという考え方を根拠にしているというべきである」(38頁)

この指摘は実に的を得ていて、私が個人的に厚生省の中堅職員と論議した中でも、そのことは明確であった。この点に関する考察は、後に述べる。
さて、措置制度の見直しについては、高齢者政策の分野でも公然と語られ始めている。
具体的には、1994年10月10日付け「国保新聞」(第1390号)は、1994年9月28日に社会保障研究所が開催した第30回基礎講座における厚生省の吉冨宣夫・老人保健福祉局老人福祉計画課長の講演概要を次のように伝えた。

「同課長(吉冨課長)は、これから高齢化が一層進むことや、介護サービスに対するニーズも多様化することなどから、『(今後は)従来の介護サービス提供の考え方を百八十度代える必要がある』『より弾力的にきめの細かい事業展開をすることによって、住民に身近な地域での包括的なケアシステムを構築する必要がある』と指摘。(中略)⑤特養(特別養護老人ホームの意)やデーサービスセンターに入所する場合は市町村が入所措置を決めるという現在の方式を改め、入所の決定権を特養やデーサービスセンターに委ねる--等により、『地域の実情にあった利用者本位のシステム作り』を目指していく方向を明らかにした」

厚生省が高齢者施設への入所措置権限をただちに市町村福祉事務所から施設側へ移そうと検討している様子はないが、1994年9月8日に社会保障審議会が発表した「社会保障将来像委員会第二次報告」においても利用者の選択を尊重する視点から措置制度を見直し、利用者とサービス提供者とが直接契約する方向が提案されている。同報告では、介護サービスの提供方法についても、税金を財源にした行政サービスだけで提供するのではなく、新しい社会保険で費用を調達することが望ましいとしており、保育制度改革問題で焦点化した措置制度の見直しという課題は、日本における社会保障制度のあり方をめぐる大きな論点となりつつあるといえよう。(続く) (大阪 依辺 瞬)

【出典】 アサート No.208 1995年3月18日

カテゴリー: 分権 | 【投稿】地方分権と政治改革(4) はコメントを受け付けていません

【投稿】原発直撃地震の可能性

【投稿】原発直撃地震の可能性   -兵庫県南部地震が提起したもの-

<<「楽に立っていられる」安全実証試験>>
この3月10日に、原子力発電機構・多度津工学試験所(香川県多度津町)は、世界最大規模の震動台を使った原発機器の実証試験をマスコミに公開したという。その日、蒸気配管、給水配管のそれぞれ1/2の模型を15㍍四方の震動台に設置、水平方向1503ガル・上下方向352ガルの加速度で揺らした。記者の報告によると「振幅が約3㎝と小さいのでひざで揺れを吸収して楽に立っていられる程度」であったが、それでも「配管の支持部分などはガタガタと大きな音をたてて揺れた」という。試験所の担当者は、実験の前後の配管内圧モニターの数字が変動せず、「全く影響はなかった」と胸を張ったそうである(3/11日経)。これで「原発の安全神話」が実証されたというわけである。
この報道で一見して明らかなことは、上下方向の揺れが極めて少ないことである。兵庫県南部地震では、352ガルどころか、大阪ガス神戸では833ガルを記録しており、600~800ガルを観測した地域は幾つも確認されているのである。縦揺れが横揺れを大きく上回った地域も確認されている。そして最新耐震基準をクリアした建造物が数多く崩壊しているというのに、「ひざで揺れを吸収して楽に立っていられる程度」とは、何という現実を無視した実験であろうか。実は多度津工学試験所は、そもそも最大加速度値を300~400ガルにしか想定していないのである。これは何もこの試験所に限らず、すべての耐震設計の基準になっているからでもある。この「最大加速度値300~400ガル」というのは、関東大震災の時、たまたま東大の地震計記録が392ガルだったことからきており、震源地の小田原周辺では約600ガルに達していたことが、震災1年半後の1925年に政府にも報告されていた。ところが新耐震設計では、600ガルにもすると「用途上、経済上問題がある」として、東大地震計の記録を関東大震災の最大加速度にすり替えてしまったのである。

<<まっかなウソ「福井県ではM6.5を超す地震はありえない」>>
したがって、「今回の地震は、世界最大級の内陸直下型地震だった」、「今回の地震で、関東大震災の二倍以上の最大加速度が観測された」などというのは、ごまかしと責任回避以外のなにものでもない。観測され、記録されている限りだけを見ても、日本における最大の内陸直下型地震は、1891年10月28日の濃尾地震(M8.0)であるが、この地震による死者は、岐阜・愛知両県を中心に合計7273人に達し、今回の死者の約1.5倍にもなったのである。このときの最大加速度は1000ガルを超えている。1893年9月の鹿児島県の「知覧の地震」では上下加速度が980ガルを超えたと見られている。1971年2月のサンフェルナンド地震では1148ガルを観測している。
原発15基が集中する福井県では、1月17日の震災当日、10基の原発が稼働、敦賀市内は震度4であったが、どの原発も停止せずに運転を続けた。関西電力若狭支社は「点検して異常なしを確認した。震度6でも大丈夫だ」と発表したが、同月25日、関係自治体、電力会社、住民代表が加わる福井県原子力環境安全管理協議会が開かれた席上、多くの疑問と疑惑の声が出た。「固い岩盤の上にあるというが、岩盤が破砕しない保証はない」、「阪神大震災は、通常の原発の耐震設計基準になっているM6.5を上回っているが、大丈夫か」という質問に対して、通産省資源エネルギー庁は「M6.5を上回る設計をしているかどうかは立地によって違う。福井県ではM6.5からM7を超す地震はありえない」と答えている。ところがこれは真っ赤なウソである。1948年6月28日の福井地震は、M7.1、死者3769人、全壊3万6184戸、半壊1万1816戸、焼失3815戸を数えているのである。

<<原爆型原子炉「もんじゅ」の恐怖>>
同じ1月25日、福井地裁で、動燃の高速増殖炉「もんじゅ」(敦賀市、28万kw)の運転差し止めを求める訴訟の口頭弁論が行われ、傍聴席は満席となり、原告側証人の生越忠・元和光大教授は「もんじゅで想定されているM6.5前後よりはるかに大きな地震は敦賀半島でも起こりうる。淡路島と伊勢湾、敦賀半島を結ぶ三角地帯には、活断層が密集し、活動期を迎えている。もんじゅの設置基準では不十分」と証言している。これに対して、2月12日、大阪市内で開かれた「もんじゅ」意見聞く会で、動燃側は、「もんじゅは地表での加速度1000ガル以上の水平動にも耐えられる設計であり、上下動の強い直下型地震を起こすような断層が真下にないことを確認している」と現行基準の妥当性を主張し、活断層の「真下にはない」ことを強調した。ところが、動燃が80年12月に提出したもんじゅの設置許可申請書には、生越氏が指摘する密集する活断層の一つ、敷地のわずか1キロ西の白木―丹生断層の存在をわざわざ隠していたのである。
しかもこの高速増殖炉は、燃料にプルトニウムを使うために、燃料棒同士が近づくだけで原爆と同じ暴走の可能性が極めて高く、その上に冷却系に使わざるを得ない液体金属ナトリウムは水と接触するだけで大爆発を起こすしろものである。95年末には正式運転を目指しているが、「楽に立っていられる」程度の実証試験でも「配管の支持部分などはガタガタと大きな音をたてて揺れた」とすれば、小規模地震や中規模地震でさえ、出力暴走やナトリウム爆発の現実的可能性がますます高まっているといえよう。長崎の被爆は8kgのプルトニウムであったが、もんじゅは内蔵しているだけで1.4tものプルトニウムをかかえている。実際にそのような事故が起これば、何百万単位の死者にとどまらず、放射能の半減期2万4000年のプルトニウムが近畿一円から日本全体、全世界にまき散らされ、はかりしれない人類の破滅的被害をもたらすであろう。
「浜岡原発と東海地震」の論文がある小村浩夫・静岡大教授(物理学)は「直下型に限らず、地震は原発の一番の弱点。例えば、沸騰水型原発は振動で原子炉の中の気泡が抜けて、核反応が増して核暴走しかねない」と指摘している(1/22毎日)。

<<日本には安全な原発立地場所はどこにもない>>
原発の安全性をめぐる問題は、これまではどちらかといえば原子炉そのものの安全性、放射性廃棄物の処理・汚染の問題、温排水の環境問題、そして核燃料サイクルの危険性の問題などに重点が置かれていたと言えよう。筆者もそのような視点からしか見ていなかった。ところが今回の兵庫県南部地震は、原発の立地そのものの危険性を誰の目にも明らかにしたのではないだろうか。原発の立地の際に問題になる、地盤、地震問題が日本の原発にとって最大の問題として浮かび上がってきたとも言えよう。日本列島の成り立ちからすれば、そして二千以上にも及ぶ現実の活断層の分布からすれば、原発にとって安全な所など日本にはどこにも存在していないのである。現行の耐震設計基準やたとえそれを上回る原発の耐震基準であったとしても、地震による地盤の隆起、沈降、陥没、地割れ、新たな断層の出現の前にはまったく無意味なものになりかねない。
世界の原発で地震の直撃を受けて事故を起こした例は確かにまだ一つも存在していない。原発設置の歴史がまだ浅く、またたまたま地震活動の静穏期に一致していたこと、日本を除けば世界の原発の大部分はアメリカ中東部やヨーロッパ中北部の無震地帯に設置されていることなどから、地震の直撃を受けていないわけである。日本では過去に一回だけ、93年11月東北電力の女川1号機で地震直後、炉内に泡が発生して中性子が増え自動的に停止している。しかし今回の地震はそれ以上に、日本列島を取り巻く地震の巣が活動期にすでに入っていること、原発の立地点がほとんど活断層上かその近くに位置していること、日本には事実上安全な原発の設置場所はないことを示した点で大きな警告を発したといえよう。

<<日本が最初の地震直撃原発事故の可能性>>
静岡県の浜岡原発などは、予想される地震の中で最も危険性と可能性の高い東海地震の震源地のど真ん中に立地している。東海村、六ヶ所村もしかりである。愛媛県の伊方原発などは日本列島でも最大の断層である中央構造線上に位置している。新潟県の柏崎刈羽原発では92年に活断層が確認されている。敦賀の日本原電敦賀原発1、2号機と動燃の「ふげん」の真下に活断層があることが91年発行の「日本の活断層」に記されている。こうした事実は、日本が世界で初めての地震による原発事故の犠牲になる可能性が極めて高いことを示している。日本は、もはや躊躇なく原発から撤退することが国内的にも国際的にも求められている最大の義務といえよう。
先に紹介した生越忠氏は、『新版 検証・日本列島 地震国日本の宿命 どこが、何が危ないのか?』(日本文芸社刊、1200円)の中で「地震予知学者が地震危険地帯と認めた場所をわざわざ原発の立地点に選んだわけではなかろうが、それにもかかわらず、多くの原発が次々に地震危険地帯に建設されているという恐るべき事実」を告発している。最近刊行された広瀬隆著『柩(ひつぎ)の列島 原発に大地震が襲いかかるとき』(光文社刊、1500円)とともにぜひとも紹介しておきたい。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.208 1995年3月18日

カテゴリー: 原発・原子力, 災害, 生駒 敬 | 【投稿】原発直撃地震の可能性 はコメントを受け付けていません