【投稿】歯止めなきドル安・円高

【投稿】歯止めなきドル安・円高
                 —-ドル相場メルトダウンの新たな段階—-

<<1$=70円台に向けて>>
今年初めの為替相場は、1月4日、1$=101円16銭であった。それが3月8日には、1$=90円台を突破、88円台に突入し、4月10日には80円15銭にまで円が急騰、80円台を割り、70円台突入寸前の事態となった。今や1$=90円でさえ、ドル高と錯覚してしまうほど、年初からすれば約20%も円高が急速に進行している。一人当たり国民所得を名目で単純比較すれば、今や日本が米国の二倍になろうとしているという。問題は、円の購買力平価で換算すると1$=160円前後にしかすぎないにもかかわらず、生活実態とかけ離れたこのような円高がまだ収まるどころか、さらに進行する可能性が高いことである。しかも円が、単にドルに対してだけではなく、対マルクでも戦後最高値を更新、円の独歩高の様相を示していることである。
4月14日、政府は緊急円高対策を発表、総額630兆円の公共投資基本計画の促進の検討、規制緩和推進5カ年計画を3カ年に前倒しすると共に、赤字国債を財源に補正予算を編成する、輸入促進と政府調達の増大をはかることなどを明らかにし、同時に日銀は公定歩合を0.75%引き下げ、年1%の即日実施を行った。しかし為替相場の反応は全く冷ややかであり、腰の座らない日本政府や日銀の姿勢が投機筋に見透かされ、タイミングを失した「緊急」対策が間の抜けたものになってしまっている。
問題は、逆に円高・ドル安を阻止する手段を使い果たしたとして、手詰まり感が広がり、円高がいっそう進む懸念が浮上してきていることである。休み明けの4月18日以降は再び円高・ドル安の圧力が強まる可能性が取りざたされている。もはや小手先の緊急対策や市場介入だけでは流れを逆転できる情勢ではなくなってきているといえよう。
4月末にワシントンで開かれるG7(7カ国蔵相・中央銀行総裁会議)では、アメリカは基軸通貨としての責任を放棄し、ドルばらまきで事態を糊塗してきたが、今やその重荷に耐えられなくなってきたドルを、円やマルクが、あるいは国際的な協力関係や新たな通貨体制に向けた動きがこれをどう補っていくのかが問われている。冷戦体制終焉後、ますます社会経済関係がグローバル化し、一体化しているにもかかわらず、目先の個別利害でそれぞれが行動している限り、市場は冷ややかに反応し、世界的な危機が一挙に進行する可能性さえ否定し得ないであろう。

<<米政府の「悪意ある無視」>>
しかしアメリカをめぐる状況は単純ではない。ルービン財務長官はドル安に幾度も懸念を表明してはいるが、カンター米通商代表部代表は「円高は日本の黒字、市場の閉鎖性が原因」と断言し、ブラウン商務長官はテレビのインタビューで「多くのエコノミストは、これは日本の問題であって、米国の問題ではない、といっていると思う」と述べ、米政府の「悪意ある無視」を公然と認めてさえいる。とすれば、ドルの下値は依然として見えないどころか、いっそうのドル安を歓迎していると見ることも出来よう。
事実、米国株は、ドル安による米国企業の輸出拡大を見込んで最高値を更新しており、米国企業はドル安によって国際競争力が増し、企業収益は改善しているというわけである。さらに米ドルについていえば、カナダ、メキシコなど主要貿易相手国に対してドル相場は下落どころか上昇しており、またドルを基準値にしているアジア各国の通貨に対してもさほど下がってはおらず、米国企業は安い製品を世界から輸入できるし、ドル安によってもインフレ懸念は起きない、というわけである。
確かに、米経済は92年後半から急速に立ち直り、93年は3.1%、94年は4%の実質経済成長率を達成した。昨年10-12月期の成長率は年率5.1%と、10年ぶりの高水準である。労働組合の組織率、影響力の低下で賃金コストが抑えられ、大企業大資本は合理化省力化投資で生産性が向上し、収益安定によって株式相場を支えているとするならば、本来ならドル高に反転しておかしくないはずである。しかし事態はそうはなってはいない。その根本原因は、レーガン政権登場以来の財政と貿易の「双子の赤字」を垂れ流し続けていることにある。赤字が増えてもいっこうに困らないどころか、基軸通貨国として、対外支払いに外貨ではなく、自国のドルを使える特権を活用し、赤字を放置しても、ドル札を印刷すれば足りるので、収支の均衡を守る必要も義務も感じずに、世界中にドルをばらまくことによって現在のアメリカ経済は維持されてきたのである。冷戦体制下ではそれが、自由陣営を守るという大義名分で合理化されてきた。そして長年の米国の財政赤字、貿易赤字で、世界中にドルがうなるほど蓄積され、ただの紙切れに過ぎなくなるのではないかという不安をもたらすほどの事態になってきたのである。

<<「難破船からの脱出」>>
しかし、冷戦崩壊後の今日、もはやそうしたドルの垂れ流しは許されなくなってきている。世界中がその被害を受けているのである。しかし米国は安楽なドルの特権を容易には手放すはずがない。現在のドル安についていえば、他の諸国の冷静な姿勢に比して、日本だけが必死にドルを買い支えており、「世界第二の経済規模を持つ日本がドルを買ってくれるので、アメリカはドル紙幣を心置きなく印刷することが出来る」といっても言い過ぎではない状況である。逆に言えば、ドル安の原因にフタをした米国の綱渡りを助けているのが日本であり、世界的にドル離れが起きている中で、日本だけがせっせと米国の赤字の穴埋めをしているともいえよう。
大蔵省は日銀を通じ、3月だけでも実に100億$をこえるドル買い介入を実施してきたが、今や日銀がドルを買い支えれば、それだけ円高が加速する局面を迎えているのである。
だが他の諸国は日本と同じような行動をとってはいない。ドイツは、ドル売り・マルク買いの投機に対して、儀礼的な協調介入は行っても、むしろドルを買い支えるよりは、ヨーロッパ連合のEU通貨圏の協調に全重心を移している。もちろんそれが可能なのは、ドイツの貿易相手国の多くが周辺の欧州諸国であり、輸出の8割、輸入の5割がマルク建てなので、ドルの変動に大きな影響を受けないことからきているが、それだけではないであろう。世界的にドルで資産を持つ危険性への認識が急速に高まってきているのである。それは「ネズミが難破船から逃げ出すように、ドル離れを起こしている」とさえ表現されている。
今回のドル安で大きく価値が目減りしたドルに代わり、円の保有高を増やそうとするアジア諸国の中央銀行が積極的に一斉に円買いに動いたことが明らかになっている。シンガポール通貨庁が3/31、1日で3億$のドル売りを行っているが、それは外貨準備の中のドル比率を引き下げるためであった。インドネシアは、3月中旬、外貨準備約130億$の内、約35%の円の比率を40%に上げる考えを表明している。中国、韓国、マレーシア、台湾などもドルを円に換え始めている。手持ちドルの5-10%を一気に市場に出すとさえいわれている。この間、アジア諸国、地域が、ドル→円転換を行った額は500億$に上るとみられているが、一方、日銀が同じ期間に市場介入で買ったドルはせいぜい250億$、ドル売り圧力の方が圧倒的に強いのである。アジアの中央銀行はすでにドルに背を向け始めているといえよう。そして3月上旬以降、中南米の中央銀行までドル売りに出ているという。世界は米国の財政、経常赤字にもはや寛大ではなくなってきているのである。

<<基軸通貨=ドルのたそがれ>>
現在のように米国が決済にドルを使うことを他国が許している限り、こうした過剰なドルへの不安は消えるものではない。もはやドルは単独では基軸通貨としての役割を果たせなくなっているのである。ドルに代わって円やマルクが買われるという事態は、国内総生産(GDP)で世界の3割にも及ばなくなった米国の通貨がまだ世界の準備通貨の6割を占めているのが不自然であり、世界経済の不安定要因の最大のものになっていることを示している。
このようなドル不安の根を断ち切るためには、いよいよ、現状のドル依存の変動相場制に代わる新たな国際通貨制度作り、各国の平等互恵の原則と共通の責任原則に基づいた「複数基軸通貨」制度構築を共通の課題としており、事態はそうした段階にさしかかっているといえよう。今回のドル安は、基軸通貨・ドルの役割そのものを揺さぶる新たな段階に来ていることを明らかにしており、そして今後さらに進むであろうドル危機の深刻化は、こうした通貨改革を待ったなしの課題に追い込むことは間違いないといえよう。 アメリカ自体の情勢から言えば、しかし現状がベストなのである。クリントン政権への不信がドル売りにはね返っているとはいえ、ドル安が進む中でも、米議会は減税と軍事費の増大を議論するという「優美なる怠惰」を続けている。クリントン大統領は「財政赤字削減策を継続する。責任ある政策を取れば、ドルはこれに反応する」と言明しているが、内外ともに誰もそれを信用してはいない。赤字削減が不可能となれば、残されたドル防衛の手だてとしては、利上げ程度しかない。しかしすでに個人消費が減速し始め、1-3月の実質成長率は2%台後半に低下すると予想され、景気の減速が予想以上のテンポで進んでいる今は考えられない。
こうした事態を放置し、他の諸国も傍観しているだけであれば、ドル相場が「メルトダウン(底抜け)」しかねないものであることは確かである。しかしここまでくれば、一体化しつつある世界経済の中でどの諸国も傍観して済ませるものではない。最も決定的なのは、円がドル離れをすることである。日本が、もはやドル買い支え政策を維持できないことを明示し、輸出のドル建て価格の引き上げや円建て契約への切り換えで対応せざるをえない事態を明らかにし、新たな国際通貨体制への参画と協力を呼びかけることである。事態がそのように動けば、一挙に危機的な事態に進むと共に、ことの本質が露呈され、真の解決策に向けて全ての諸国が取り組まざるを得なくなるであろう。

<<「巨大ニューディール政策」の必要性>>
しかしそのようになるには、日本にとっては前提条件が必要であろう。これまで日本政府は、バブル崩壊後の不況対策として92年以降、財政面で合わせて45兆円ものてこ入れをしてきた。日銀も6%だった公定歩合を1%台まで引き下げてきた。だが膨大な日本の経常黒字は増大する一方で、円高対策が逆に円高圧力となって跳ね返ってきている。このところようやく貿易黒字は額、量とも減少する兆しを見せてはきているが、大企業や独占資本は再び円高危機を叫び、賃金引き下げ、人員削減や合理化、下請けへのしわよせを強行し、国内への投資ではなく、海外への移転、産業空洞化に拍車をかけ、国内需要の喚起ではなく、輸出ドライブをいっそう強めることによって、さらに円高を招く悪循環に突き進もうとしている。日本の企業が収益を削ってでも輸出を続ければ、株価は下がり、円が上がり続けることは当然である。これまでのような不況対策や生産性の向上が、円高克服の解決策にならないことを示している。
日本の経常黒字と内需低迷が一体のものである限り、その是正策を打ち出せずにいる限り、そしてドル依存からの脱却を実行しない限りは、円高、株安に歯止めはかからないのである。日本は世界各国から見透かされたような従来の円高対策から大胆に転換した政策を打ち出す必要に迫られているといえよう。国際通貨問題に詳しいドーンブッシュ米MIT教授は「不況のさなかに緊縮財政を主張する大蔵省も、どうかしている。企業は相変わらず合理化に骨身を削って、いっそう円高を進める原因を作り出している。日本人は踏み輪を回すハツカネズミのようだ。このままでは、日本は産業空洞化でガタガタになり、反映は過去の物語と化してしまうだろう」と警告している(4/14朝日)。
1%という過去最低の公定歩合の水準は、世界大恐慌の1930年代から40年代にかけての米国と同じ歴史的低水準である。当時の状況との酷似が指摘されているが、米国のルーズベルト大統領はニューディール政策という大規模な政策転換をはかり、経済危機からの抜本的な打開をはかった。その意味ではいわば、現在泥沼化しつつある円高危機を打開する根本的な政策転換、新たなニューディールが求められている。重要なのは国内の貧困化を前提とした飢餓輸出的な海外需要ではなく、日本国内で円高の利益が享受できる最終需要を作り出すことでなければならない。野村総研の井手氏は「巨大ニューディール政策」の必要性を訴え、「カネはある。国債発行もいいが、200兆円の郵貯を含めて使い方を考えることです。国内、対外両面で巨大な不均衡を抱えた経済の実情をさらけ出し、10年単位の時限的な巨大財政支出を策定、実行するぐらいの対応が求められていると思います」と語っている(4/5日経)。
十年一日のごとき土木中心の公共投資を、高齢化社会と環境保護、地震・災害対策に対応した新しい生活に密着した社会資本投資に転換すべきなのである。なによりも、先ずいまだ被災者の生活のめどさえ立たない阪神大震災の復興に向けて、自治と配慮の行き届いた大規模な予算対策とその早期執行に全力を上げるべきであろう。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.209 1995年4月18日

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【投稿】住民合意の被災地復興はできるか

【投稿】住民合意の被災地復興はできるか

阪神淡路大震災からの復興が急がれている。しかし、その手法を巡って行政と住民との間でコンセンサスが取れないままに進んでいるように思える。目立つ手法は区画整理や再開発手法である。私も都市計画に関わる仕事をしている関係もあり、復興手法をめぐる問選について私見を述べさせていただきたい。

<政府が復興特別法を制定>
政府は2月17日被災地復興に向けて5つの特別法を閣議決定している。国税・地方税に関する臨時特例に関する法案、復興対策本部設置などの法案の他に、「被災市街地復興特別措置法」がある。内容を十分に見ていないが、市街地の復興のため、従来の制度に特例的な支援策を盛り込んだものと考えれば良い。例えば被災者には所得制限を綾和して公共住宅への入居を認めるとか、現に存在しない消失した建物の補償を事業参加すればできるようにするなどの特例が盛り込まれている。しかし、行政側の「復興計画」に対しては、根強い住民不信があるのも事実だ。都市計画決定によって、その地域には今後提案されてくる具体的な計画への賛否の権利は留保されているとは言え、建築制限がかかり個人が勝手に建築する事が法律的に規制されていくからである。

<課題が山稚み—住宅の再建>
進行している過程を整理すると、まず倒壊した建物の解体撤去が問題となる。震災直後から解体等の作業が始まっているが、まもなく地震から2カ月になろうとしている現在も、解体撤去作業は先が見えない状況にある。
戸建て住宅では順次進むと思われるが、特に集合住宅では複雑な権利関係、家主と借家人との関係など、解体そのものに着手する前に解決すべき問題が多く、現にトラブルが多数発生している。
特に古い建物では、新たに建築する場合に容積率などの規制で従来の建物の延面積が確保できない場合があったり、新築住宅では以前の家賃ではすまなくなり大幅な家賃の引き上げが予想され、借家人には厳しい現実が待っている。
一方、高層マンションなどでは、権利関係が複雑で、区分所有法に基づく所有者の合意が前提となる。特に権利者が死亡している場合など、財産の相続人の確定など、手間のかかる作業と言える。神戸市内だけでも1000棟を越えるマンションが倒壊・損傷を受けていると言われ、事態は重大である。
個人住宅、マンションなどに共通しているのが、補強工事、新築工事費など費用負担の間遭がある。住宅ローン返済中の建物が倒壊した場合、新築すれば2重のローンとなる。倒壊したマンションなどの新築費用は工法的に通常の2倍の費用が掛かると言われており、2重以上のローン負担が待っている。マンションは日本では戦後建築が始まり歴史も浅く、従来からマンション立替は、震災前からでも問題を指摘されてきた。震災の混乱もあり、所有者内での合意には国・自治体の支援策が明らかになっていない現状ではさらに時間がかかると思われる。

<都市計画案は示されたが>
神戸市の例を取ると、特に火災により低層の木造住宅が面的に焼失した地域などを中心に、区画整理事業5地区地区(約1ha)再開発事業2地区(約26ha)地区計画1地区(約70ha)の合計8地区(約221ha)で「防災モデル都市」をめざして実施する都市計画案を2月21日にまとめている。
建築基準法による建築制限が切れる3月17日までに「都市計画決定」を行おうとしている。震災から2カ月で復興プランを確定しようというわけだ。同様の計画は西宮市は4地区、芦屋市は2地区で進めることを決めている。
しかし、毎日新開によると神戸市の森南地区の地元組織が、同地区の住民約3200名の内2800名の反対者名を集めて、都市計画案の見直しを求めて陳情を行った。また神戸市を中心に地元住民が都市計画案の見直しを求めて住民連絡会議を3月9日に行っている。
都市計画法に基づく縦覧(権利者に計画内容を公開する)が始まったが、住民からは「計画の説明が不十分」「住民の意見を開いていない」など、急ぐ行政の動きに、訴訟も含めた反発が続いている。

<区画整理・再開発とは>
区画整理は、一定の区域を決めて、広い道を確保し、従来の地権者の土地については、土地価格に応じてあたらしい整形の土地を配分する手法である。新しい道の土地は、それぞれの地権者の土地を少しずつ負担してもらうわけだ。特に震災に強い街がうたわれているため、火災の延焼を押きえる道路・公園の確保は当然の必要ではある。空地や畑などが少ない市街地の真ん中での区画整理事業となると住民のコンセンサスはなかなか難しいのが現実である。
次に再開発法による再建策がある。都市再開発は、前述の区画整理が土地に関わる都市改造の方法だとすれば、これに建物も加わると考えればよい。この法律の前身は防災街区整備法で、木造の建物から耐火建築物へ、さらに広い道を確保する手法であり、この法律が高度経済成長の時代に、容積率の綾和、建物の高度利用を主眼に改正され、列島改造論やバブル時代に民間活力導入のかけ声で大きく事業地区を延ばしたたものである。
この手法は、バブルが終わり経済環境が変化する中では、全国的に困難に直面している事業手法である。民間に活力がない中でこれまで以上の行政投資が行われない限り通常は事業成立は厳しいと言わねばならない。災害復興資金がどれだけ投入できるか、まだわからない。

<急ぐ自治体、とまどう住民>
上記の二つの事業は、通常地元合意形成や資金問題など5年や10年は準備期間が必要とされる。災害復興だということでわずか2カ月で都市計画決意という早さには、拙速の非難を免れない。
これまでマスコミは、関東大震災の直後、東京市長後藤新平は内務大臣となり、即座に帝都復興計画を精力的に打ち立てたことを例にして、一日も早い復興計画が必要と主張していた。ほとんどが木造平屋であった大正時代、基本的人権も不十分だった旧帝国憲法下での対応を現代に当てはめていいものか。住民の権利意識も高く、地震体験を共有した住民・行政の十分な話し合いの積み重ねの手法こそ、人と建物、一体となった「防災の街」が生まれるための大切な過程である。
現在はあくまでも「都市計画決定」の段階であり、都市決定されたものが必ずしも実現するとは限らないが、地域を拘束することは間違いがない。住民の不安もそこにある。
神戸市など阪神地区は、従来から再開発事業が数多く進められており、行政側の人材含めて体制は良い方ではあろう。しかし、神戸市株式会社の都市経営に批判が起こり、住民との合意形成に手を抜けば、形は防災都市でも、人の住まない都市になっては、復興の意味がないことを忘れてはならないと思う。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.208 1995年3月18日

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【本の紹介】社民リベラルとは何か

【本の紹介】社民リベラルとは何か
            山口二郎著「日本政治の同時代的読み方」を通じて
            朝日新聞社 95年3月5日 ¥1,600円

93年7月の自民党政権の交替前後から、最近まで、よくマスコミに登場する政治学者に山口二郎北海道大学教授がいる。このほと89年以降折々に書かれた政治評論、新聞への論稿などをまとめた本が出版された。私は昨年大阪で山口教授の講演会を企画し、身近に氏と接する機会があり共感するところがあったため、折々の氏の発言には注目していたところであった。この本を紹介することを通じて、「社民リベラル」の政策について考えてみたい。
また、この本を読むことで、ロッキード・リクルート以来の政治改革論議、93年の自民党政治=55年体制の崩壊から細川政権の役割、その崩壊の過程、羽田政権から
村山政権の成立の意味、政治改革の課題、政治と政党、政治家に問われている課題などが提示されている。我々もその動向に注目している社会党の「社民リベラル新党」への移行問題に対しても有効な示唆を与えてくれるに違いない。

護憲から創憲へ_
山口教授を有名にした言葉に「創憲」という言葉がある。自民党は結党以来、憲法9条などを含む憲法の改正、自主憲法の制定なと改憲をスローガンにしてきた。それに対して社会党など戦後の民主勢力は、「護憲」をスローガンを対置してきた。冷戦の時代には、自民党の軍事増強・反社会主義路線に対抗する力を、国民の中にある反戦平和の願い、自民党の増長を押さえる必要を感じる意識に依拠しつつ社会党は形成することができた。山口教授もこうした戦後の護憲運動の役割については評価をされている。しかし、冷戦が終了した時点で、抽象的スローガンである「護憲」運動は、急速にその政治的意味合いを薄くしていった。特に「小沢調査会」が憲法の前文を根拠に、自衛隊の国際貢献=紛争の地への停戦部隊として出ていくことを合憲と主張するに至っては、憲法を守るか、改憲か、が論点ではなくなった。
「‥…禁止型護憲論に自足して、憲法の理想を普遍的な言葉で語り、実践する努力を怠ってきた革新政党や知識人もまた、怠惰のそしりを免れないであろう。・・・今必要なのは禁止的護憲論を繰り返すことではなく、国際社会における紛争処理の後衛としての役割を日本が果たすための制度や組織の構想である。その意味で、戦後憲法に書かれた高い理想と世界の現実をつなぐための新たな憲法の創造、創憲こそが求められているのである。」(1991年5月 「護憲から創憲へ」
村山連立政権党足時の3党合意においても、憲法問題では自民党からも改憲論は出ず、自民党内ですら改憲論は影をなくしている。もはや政治の論点は、「護憲」か「改憲」かではなくなりつつある。今後は憲法に依拠しつつ、社民リベラルという立場が、いかなる点を重点に置くのか、政策展開をするのかが、問われるように思える。特に戦後馳年を踏まえての「不戦決議」の議論を通じて積極的な論戦の展開、具体的な「平和的貢献策」の提案が求められている。

官僚政治から議会政治ヘー
自民党が一党支配を戦後38年間も継続できた理由の中には、弱体な対抗勢力の問題もあるが、官僚制の問題も大きい。政党と官僚が、双方の利害を補完し合い、首相が変わろうと大臣が変わろうと各省庁は自らの利害を確保し、政治家は「族議員」となり、政府予算を自らの支配権益として政治基盤を強化し、政党は官僚層に政治家の供給源を確保する。政党には政権交代が必要で、一方の官僚制には一党支配に従属させないシステムが求められる。こうした官僚たちの権限の縮小、中立化こそ、政治システムの変換に必要だという主張を山口教授は行っている。
1990年3月の「世界」に「政権交代で何を変えるのか」という論稿がある。前年の89年には東欧革命があり、社会主義体制が現実的に揺らぎはじめた。日本では消費税・リクルート汚職など反自民の強まりから、夏の参議院選挙で社会党が躍進し、自民党は参議院において過半数割れを起こしている。まさに政権交代が夢物語ではなくなった時期である。 山口教授は、日本の議院内閣制は、自民党の一党支配システムと結合した極めて特殊なシステムであり、政権交代がないために、与党と官僚制が癒着し、野党がその意味をなさなくなっていると指摘する。89年の参議院における自民党の過半数割れを生みだしたのは自民党支配に対する国民の拒否反応であり、民主主義ポテンシャルの高まりであるとすれば、対抗勢力の伸長という事態になれば政権交代も十分予測できる。その場合を想定して、新政権が「かりそめの多数派」として、「一党支配システムと結合した議院内閣制」という長年のシステムを変革していく構造的政策とは何か、という提起の中で、二つの課題を提示されている。ひとつは、権力をめぐる公平なルール作り、とりわけ選挙制度の改革である。政権を担当する政党を選択することを明確にした選挙制度の改革。第二に政策の立案・実施に巨大な権力をふるう官僚制の中立化のための政策である。
具体的には、情報公開制度、行政手続法の立法、地方分権の推進などで枠をはめ、外からの批判やチェックを容易にすることが必要となる。
官僚の中立化、利益政治からの解放することで、政権交代においても新しい政策の実施にあたって混乱は少なくなるだろう。
残念ながら、自民党の一党支配を崩した細川政権は、国民福祉税問題など官僚主導を断ち切れないばかりか、現在の村山政権においてもこの課題は手が付けられていないように思える。特に官僚に対抗できる政策能力が政党に問われるところだが、政権を取った社会党から連立の枠内にあっても、具体的な政策提起が見えないのはどうしたことか。現在2つの信用組合の救済を巡って、国会は揺れている。大蔵官僚の金融機関との癒着も暴露されている。金融機構の揺らぎに対して、大蔵主導ではない金融政策はいまだ明示されていないように思える。官僚依存からの脱却は村山政権になって逆に強まったとの批判もあるが、この面での後退は、改革の看板を降ろす結果にもなりかねない。

小沢一郎について
細川、羽田、村山と一年半の間に日本は三つの政権を生みだした。良くも悪くも小沢一郎という名前がつきまとってきた。小沢一郎論もまた、本書の随所に展開されている。
「国際秩序の維持はすべてアメリカに任せて、経済発展に専念し、それによる財の分配に終始してきた。野党の言い分も聞きながら、予算をできるだけ公平に分配すれば済んだ。その談合が政治のすべてだった」(『日本改造計画』)と小沢は戦後自民党支配を総括し、強い権力の創出と責任の明確化のために内閣制度や選挙制度の改革を提唱し、国民自身の選択による政治的リーダーシップの創出を主張した。談合政治の生み出す政治の停滞、国民の政治離れへの批判について共感するところがあるとしつつも、戦後政治への断罪と言いつつ、戦後の平和をまるごと否定しようとしてる印象を多くの国民に与えている事実、また「一国平和主義」から抜けきれない日本列島改造論ばりのばらまき政治を主張している点に対して、「外では国際貢献を行い、内では列島改造流の利益散布型を行うというのは、・・・かつての自民党の包括政党路線の亜流でしかない。・・・戦後政治の中で本当に反省すべき点は何かと問われれば、経済の量的拡大を自明の価値として考えて、安易な公共事業を垂れ流すことで国土を破壊したことこそ第一の過誤ではないか。」と批判する。
さらに「普通の国」の問題について。「小沢の用語法に従えば、普通の国とは軍事面も含めて国際的公共財の提供に必要なコストを分担する囲を意味するわけであるが、軍事的実力の面でどれだけ参加するは国によって大きく異なる。・‥‥・今の対外政策論議こ必要なことは、国際的公共財の提供に対する日本独自のスタンスを明確にすることであり、とりわけ実力組織によるコミットメントの上限を明らかにすることではなかろうか。普通の国と言う言葉は依然として曖昧なシンボルであり、この言葉を開いて日本が軍事介入の泥沼に引き込まれるのではないかという危惧を多くの人が感じるのは当然であろう。」と批判し、平和に安住した国民に国際貢献というけじめを訴えることはできても、行き着く先の不安を拭う事はできないという。
小沢については、永田町の論理という業界のルール破りと言う意味で、学者や政治家にはその「優秀さ」は理解できても、国民には「危ない政治家」としか映らないのではないかと指摘し、「得たいの知れなさ」の故に、小沢グループは公明党と共に「拒否政党」になる可能性も残されていると指摘している。
「いずれにせよ、彼の普通の国に対抗する国家像とビジョンを打ち出す政治勢力を構築し、権力をめぐる競争を作り出すことこそ、21世紀に向けた我々の課題である」(『THIS IS 読売』」1994年3月)

社民リベラルが生き残るために_
羽田政権当時、短命政権に終わることが明白であった時期、細川・羽田と続いた連立政権のもとで、新・新党の動きが進んでいたが、この時期の論稿に「社民リベラルが生き残るための四つの政策」(エコノミスト 94年5月)がある。
政界再編論議にふれて、「普通の国」とか「きらりと光る」とかのスローガンの競争に事欠かないのだが「政党再編成が政策や理念の分水嶺に即したものになるかどうかは、政治家や政党が社会における利害村立を発見し、それを争点化できるかどうかにかかっている。」とし、欧米の様に政党の政策が明確な場合もあるが、経済成長や教育の大衆化、生活水準、教育水準など平準化が進んだ日本の社会では政党間の政策対立を生み出すような社会実態を見つけることは‥・・‥一見むずかしいように思えるが「ただ、地方分権、福祉、環境、減税などどの政党も等しく主張するスローガンを現実の政策として制度化していく過程では、必ず様々な利害対立が起こる。・昔のイデオロギー対立と比べれば選択の余地は狭まったものの、…・・・対立の選択の契機は残るのである」と、政党の政策能力の向上が求められるとされる。
その上で、日本における社民リベラル勢力の政策について4つの問題を提起する。
★基本理念については、民主主義の再生である。腐敗政治からの決別、官僚支配から脱却した政党政治の確立、地方分権が不可欠。効率のための地方制度改革ではなく、民主主義の学校としての地方自治の強化という発想が必要。
★内政では洗練された福祉国家の構築であり、採用試験型公共サービスから資格試験型公共サービスの提供、拡充である0このためにはコストをめぐる合意も必要となる。
★外交では護憲のバージョンアップ。反対・阻止型の受動的護憲運動ではなく、憲法の理念を実践する積極的な護憲運動が求められる。具体的には軍事面ではなく環境保全を通じた国際貢献という武村ビジョンの具体化、人的貢献の検討。国連の新しいイメージとPKOへの日本の役割の上限の提示など。
★リーダーシップについて、政治家のリクルートシステムの確立を上げている。社民リベラル勢力にとってもっとも欠けているのはシンボルとなるリーダーであるとし、新しい政治家のリクルート、発掘が必要だとしている。

あくまでも政治学者の見解である。現実の政治、政党運動は残念ながらこのような方向には動いていないように思える。社会党は、「95宣言(案)」を出して、参議院選挙前の「民主リベラル政党」への移行を打ち出してはいるが、私のエリア大阪で見る限り、こうした政党再編成に向けた議論はまだ着手されていない。統一地方選挙で手一杯というところもあるが、手遅れにならないうちに、国民に分かりやすい社民リベラル路線の確立が急がれる。
(95-03-12 佐野秀夫)

【出典】 アサート No.208 1995年3月18日

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【投稿】地方分権と政治改革(4)

【投稿】地方分権と政治改革(4)

3. 行政の果たす役割と地方分権(続き)

<福祉政策における「市場原理」導入>
前号で、中央政府による「地方への財政負担の転嫁ないしは個人の自助努力の拡大を意味する」方向への具体化が個々の政策においてはすでにすすめられていると述べたが、この点についてもう少し詳しく述べてみたい。
近年、厚生省は福祉・保健・医療行政のあり方を大きく転換してきた。その特徴は、次の三つにまとめられると私は考えている。
一つは、少子・高齢化の急速な進展の下で、福祉などのサービスの公的拡充が国家運営上必要であると認めたことである。具体的には、21世紀をめざした高齢化対策の国家的戦略としての「高齢者保健福祉推進10か年戦略(ゴールドプラン)」の策定(1989年)が注目される。これは、消費税導入の大義名分作りの側面はあったものの、それまでの家庭機能重視、ボランティア重視の「日本型福祉路線」を修正したもので、一つの転換点を形作った。
二つめは、医療から福祉・保健へのシフトである。日本の場合、これまで高齢者に関わるサービスシステムは、医療分野に限定されていたといっても過言ではなかった。医療にしか介護等の問題を抱えた高齢者の受け皿がなかったのである。その結果、国民医療費という社会的コストは膨大なものとなり、各地の国民健康保険制度などは極めて厳しい財政状況に追い込まれた。そこで政府は、老人保健施設の設置や老人医療保険制度の確立など医療及び医療保険制度制度における効率化や患者の自己負担強化を進める一方で、新たな受け皿として福祉・保健サービスの拡充を図ろうとしているのである。
三つめは、市町村重視への転換である。1990年、老人福祉法など福祉関連8法が改正されたが、同改正によりノーマライゼーション理念に基づく在宅福祉の積極的推進、福祉・保健行政における市町村の役割重視が明確にされた。改正された老人福祉法及び老人保健法に基づき、1993年度には全国の自治体で高齢者保健福祉計画が策定され、1995年度予算ではそれらを基礎にしたゴールドプランの充実改定、すなわち新ゴールドプランの策定が焦点となったことが記憶に新しい。地域保健サービスの分野でも、1994年6月に、行政機関の設置法たる保健所法が地域保健法に改正され、地域保健をトータルにとらえなおした法体系への転換が図られた。同法では、3歳児健診など身近な保健サービスを市町村に委譲するとともに、保健所政令市制度の指定基準の緩和・同保健所の権限強化などが図られている。
しかし、ここで注目すべきは、これらの特徴を持つ政策転換の際に、常に同時に打ち出されてきた「市場原理・自助原則」の導入である。武蔵大学の藤村正之助教授は、「都市問題」1994年11月号(「東京市政調査会」発行)で次のように述べている。

「1970年代後半以降の『福祉国家の危機』論に対応して、先進資本主義国においてとられた福祉国家システム再編にほぼ共通してみられる二つの方向性は、『民活化( privatization)たる市場原理・自助原則の導入と、『分権化(decentralization)』たるサブナショナルレベルへの権限移管であった」(4頁)

例えば、福祉などのサービスを公的に拡充することが国家運営上必要であると認めたゴールドプランが策定された1989年、時を同じくして、厚生省は次の法律を施行している。名称を「民間事業者による老後の保健及び福祉のための総合的施設の整備の促進に関する法律(略称:民間老後施設促進法/WAC<ワック/ウエル・エイジング・コミュニティーの頭文字>法)といい、有料老人ホーム、健康増進施設、総合福祉センター、在宅介護サービスセンターの4つを一括してつくる事業者を税金や融資の面で優遇するという法律である。老後は、自らの負担で民間の有料老人ホームに住み、アスレチッククラブで汗を流し、趣味を楽しんでもらう–厚生省は、ホームヘルパー10万人、特別養護老人ホーム24万床などという目標数値をゴールドプランで打ち上げる一方で、こうした市場原理・自助原則に貫かれた老後の「青写真」も描いていたのである。
また、子育て家庭支援政策の領域での「市場」傾斜は、高齢者施策の領域以上に強いものがある。厚生省は、1994年度予算においてエンゼルプラン・プレリュードと銘打った総合的な児童家庭対策をスタートさせたが、その目玉は民間主導型の保育サービスの育成・強化であった。具体的には、「こども未来財団」という財団法人が1994年7月1日付けで発足し、駅型保育モデル事業(大手出版会社などが経営に乗り出している)等の補助事業を厚生省から受託している。また、児童手当制度の中で積み立てられていた積立金を取り崩した 300億円で「こども未来基金」を設置し、その運用益を使って民間事業へ独自の助成が開始された。エンゼルプラン・プレリュードにおけるその他の新規事業もすべて児童手当を財源(正確には、厚生保険特別会計児童手当勘定から支出)としており、従来特別保育事業として位置づけられ、一般会計予算の財源が充当されていた延長保育や長時間保育サービス事業についても、時間延長型保育サービス事業として再編された。児童手当の財源は事業主たる企業の拠出金であり、今後、財源の性格が政策内容の「市場」傾斜を更に加速させることになるのは間違いない。

<「措置制度」をめぐる対立>
1993年の秋から1994年にかけて、全国の保育に関わる運動団体の最大の課題は、厚生省が打ち出した「措置制度」の見直しを中心とする保育制度改革を阻止することであった。この問題は、単に福祉サービス供給主体の比重を民間にシフトするというこれまでの流れを一歩踏み越える質を有しており、それだけに運動団体側の動きも極めて活発であった。措置制度について田村和之・広島大学教授は、「措置制度改革論と行政責任」という論文の中で次のように指摘している。

「社会福祉サービスの供給にかかわる仕組みを措置制度と称し、これがわが国の社会福祉制度の根幹をなすものであるという理解はほとんど異論をみない。」
(「都市問題」1994年6月号/「東京市政調査会」)

保育制度改革問題における対立は、厚生省が1993年2月に発足させた「保育問題検討会」を直接の舞台に厚生省の意向に沿う主張をする委員と自治労出身の委員など現場に近い委員が激しく対立する形となった。自治労・保育運動団体など運動団体の運動の盛り上がりはもちろん地方自治体の反発も厳しく、その結果、1994年1月19日の出された保育問題検討会報告書は、措置制度について異なった二つの見解が併記される異例の事態となった。すなわち、第一の考え方(運動団体側主張)は、措置制度を基本において評価し、不十分な部分を改善しつつ維持・拡充するというものであり、第二の考え方(厚生省側主張)は、措置の対象者を一定の所得水準以下の者に限り、それ以外の者については保護者と保育所との契約により保育所へ入所する制度を導入するというものであった。結果的に1995年度、1996年度と2年続けて予算編成段階で措置制度改革は見送られ、この問題については一種の棚上げ状態になっている。
さて、この問題における対立の前提となる措置制度という言葉の意味についての理解は、対立する両者の間で随分と異なっていた。保育問題検討会報告で第一の考え方に立つ者は、措置制度に入所決定事務のみならず保育の提供事務を公的に行うこと、そしてこれらの事業の公的な義務づけを読み取り、第二の考え方に立つ者は、措置制度とは保育所(社会福祉施設)への職権による入所と措置費の仕組みであると理解した。だからこそ、前者は保育改革の内容を保育政策を一部の低所得者を除いて市場原理・自助原則に委ねるものと理解して反発を強めたし、後者は利用者自身がサービスの利用決定権を持ち、施設側に多様な保育サービスに応じようとのインセンティブを生じさせるためには、一種の規制たる措置制度を緩和して市場原理を導入しなければならないと主張した訳である。
しかし、利用しやすい入所手続や多様な保育サービスの確立は現行の措置制度を改善すれば可能な課題であり、今回の保育制度改革の理由付けとしては無理があった。田村教授は前述の論文で、次のように指摘している。

「措置制度改革論の認識とその全体的な主張・指摘を総合的に判断すれば、実のところ措置制度改革論は措置制度の個々の仕組みに問題があることを論拠とするというよりも、市町村の事務・責任においてすべての『保育に欠ける』子どもを保育所に入所させて保育し、これに要する費用を市町村が支弁・負担する仕組みそのものが現状適合的でないという考え方を根拠にしているというべきである」(38頁)

この指摘は実に的を得ていて、私が個人的に厚生省の中堅職員と論議した中でも、そのことは明確であった。この点に関する考察は、後に述べる。
さて、措置制度の見直しについては、高齢者政策の分野でも公然と語られ始めている。
具体的には、1994年10月10日付け「国保新聞」(第1390号)は、1994年9月28日に社会保障研究所が開催した第30回基礎講座における厚生省の吉冨宣夫・老人保健福祉局老人福祉計画課長の講演概要を次のように伝えた。

「同課長(吉冨課長)は、これから高齢化が一層進むことや、介護サービスに対するニーズも多様化することなどから、『(今後は)従来の介護サービス提供の考え方を百八十度代える必要がある』『より弾力的にきめの細かい事業展開をすることによって、住民に身近な地域での包括的なケアシステムを構築する必要がある』と指摘。(中略)⑤特養(特別養護老人ホームの意)やデーサービスセンターに入所する場合は市町村が入所措置を決めるという現在の方式を改め、入所の決定権を特養やデーサービスセンターに委ねる--等により、『地域の実情にあった利用者本位のシステム作り』を目指していく方向を明らかにした」

厚生省が高齢者施設への入所措置権限をただちに市町村福祉事務所から施設側へ移そうと検討している様子はないが、1994年9月8日に社会保障審議会が発表した「社会保障将来像委員会第二次報告」においても利用者の選択を尊重する視点から措置制度を見直し、利用者とサービス提供者とが直接契約する方向が提案されている。同報告では、介護サービスの提供方法についても、税金を財源にした行政サービスだけで提供するのではなく、新しい社会保険で費用を調達することが望ましいとしており、保育制度改革問題で焦点化した措置制度の見直しという課題は、日本における社会保障制度のあり方をめぐる大きな論点となりつつあるといえよう。(続く) (大阪 依辺 瞬)

【出典】 アサート No.208 1995年3月18日

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【投稿】原発直撃地震の可能性

【投稿】原発直撃地震の可能性   -兵庫県南部地震が提起したもの-

<<「楽に立っていられる」安全実証試験>>
この3月10日に、原子力発電機構・多度津工学試験所(香川県多度津町)は、世界最大規模の震動台を使った原発機器の実証試験をマスコミに公開したという。その日、蒸気配管、給水配管のそれぞれ1/2の模型を15㍍四方の震動台に設置、水平方向1503ガル・上下方向352ガルの加速度で揺らした。記者の報告によると「振幅が約3㎝と小さいのでひざで揺れを吸収して楽に立っていられる程度」であったが、それでも「配管の支持部分などはガタガタと大きな音をたてて揺れた」という。試験所の担当者は、実験の前後の配管内圧モニターの数字が変動せず、「全く影響はなかった」と胸を張ったそうである(3/11日経)。これで「原発の安全神話」が実証されたというわけである。
この報道で一見して明らかなことは、上下方向の揺れが極めて少ないことである。兵庫県南部地震では、352ガルどころか、大阪ガス神戸では833ガルを記録しており、600~800ガルを観測した地域は幾つも確認されているのである。縦揺れが横揺れを大きく上回った地域も確認されている。そして最新耐震基準をクリアした建造物が数多く崩壊しているというのに、「ひざで揺れを吸収して楽に立っていられる程度」とは、何という現実を無視した実験であろうか。実は多度津工学試験所は、そもそも最大加速度値を300~400ガルにしか想定していないのである。これは何もこの試験所に限らず、すべての耐震設計の基準になっているからでもある。この「最大加速度値300~400ガル」というのは、関東大震災の時、たまたま東大の地震計記録が392ガルだったことからきており、震源地の小田原周辺では約600ガルに達していたことが、震災1年半後の1925年に政府にも報告されていた。ところが新耐震設計では、600ガルにもすると「用途上、経済上問題がある」として、東大地震計の記録を関東大震災の最大加速度にすり替えてしまったのである。

<<まっかなウソ「福井県ではM6.5を超す地震はありえない」>>
したがって、「今回の地震は、世界最大級の内陸直下型地震だった」、「今回の地震で、関東大震災の二倍以上の最大加速度が観測された」などというのは、ごまかしと責任回避以外のなにものでもない。観測され、記録されている限りだけを見ても、日本における最大の内陸直下型地震は、1891年10月28日の濃尾地震(M8.0)であるが、この地震による死者は、岐阜・愛知両県を中心に合計7273人に達し、今回の死者の約1.5倍にもなったのである。このときの最大加速度は1000ガルを超えている。1893年9月の鹿児島県の「知覧の地震」では上下加速度が980ガルを超えたと見られている。1971年2月のサンフェルナンド地震では1148ガルを観測している。
原発15基が集中する福井県では、1月17日の震災当日、10基の原発が稼働、敦賀市内は震度4であったが、どの原発も停止せずに運転を続けた。関西電力若狭支社は「点検して異常なしを確認した。震度6でも大丈夫だ」と発表したが、同月25日、関係自治体、電力会社、住民代表が加わる福井県原子力環境安全管理協議会が開かれた席上、多くの疑問と疑惑の声が出た。「固い岩盤の上にあるというが、岩盤が破砕しない保証はない」、「阪神大震災は、通常の原発の耐震設計基準になっているM6.5を上回っているが、大丈夫か」という質問に対して、通産省資源エネルギー庁は「M6.5を上回る設計をしているかどうかは立地によって違う。福井県ではM6.5からM7を超す地震はありえない」と答えている。ところがこれは真っ赤なウソである。1948年6月28日の福井地震は、M7.1、死者3769人、全壊3万6184戸、半壊1万1816戸、焼失3815戸を数えているのである。

<<原爆型原子炉「もんじゅ」の恐怖>>
同じ1月25日、福井地裁で、動燃の高速増殖炉「もんじゅ」(敦賀市、28万kw)の運転差し止めを求める訴訟の口頭弁論が行われ、傍聴席は満席となり、原告側証人の生越忠・元和光大教授は「もんじゅで想定されているM6.5前後よりはるかに大きな地震は敦賀半島でも起こりうる。淡路島と伊勢湾、敦賀半島を結ぶ三角地帯には、活断層が密集し、活動期を迎えている。もんじゅの設置基準では不十分」と証言している。これに対して、2月12日、大阪市内で開かれた「もんじゅ」意見聞く会で、動燃側は、「もんじゅは地表での加速度1000ガル以上の水平動にも耐えられる設計であり、上下動の強い直下型地震を起こすような断層が真下にないことを確認している」と現行基準の妥当性を主張し、活断層の「真下にはない」ことを強調した。ところが、動燃が80年12月に提出したもんじゅの設置許可申請書には、生越氏が指摘する密集する活断層の一つ、敷地のわずか1キロ西の白木―丹生断層の存在をわざわざ隠していたのである。
しかもこの高速増殖炉は、燃料にプルトニウムを使うために、燃料棒同士が近づくだけで原爆と同じ暴走の可能性が極めて高く、その上に冷却系に使わざるを得ない液体金属ナトリウムは水と接触するだけで大爆発を起こすしろものである。95年末には正式運転を目指しているが、「楽に立っていられる」程度の実証試験でも「配管の支持部分などはガタガタと大きな音をたてて揺れた」とすれば、小規模地震や中規模地震でさえ、出力暴走やナトリウム爆発の現実的可能性がますます高まっているといえよう。長崎の被爆は8kgのプルトニウムであったが、もんじゅは内蔵しているだけで1.4tものプルトニウムをかかえている。実際にそのような事故が起これば、何百万単位の死者にとどまらず、放射能の半減期2万4000年のプルトニウムが近畿一円から日本全体、全世界にまき散らされ、はかりしれない人類の破滅的被害をもたらすであろう。
「浜岡原発と東海地震」の論文がある小村浩夫・静岡大教授(物理学)は「直下型に限らず、地震は原発の一番の弱点。例えば、沸騰水型原発は振動で原子炉の中の気泡が抜けて、核反応が増して核暴走しかねない」と指摘している(1/22毎日)。

<<日本には安全な原発立地場所はどこにもない>>
原発の安全性をめぐる問題は、これまではどちらかといえば原子炉そのものの安全性、放射性廃棄物の処理・汚染の問題、温排水の環境問題、そして核燃料サイクルの危険性の問題などに重点が置かれていたと言えよう。筆者もそのような視点からしか見ていなかった。ところが今回の兵庫県南部地震は、原発の立地そのものの危険性を誰の目にも明らかにしたのではないだろうか。原発の立地の際に問題になる、地盤、地震問題が日本の原発にとって最大の問題として浮かび上がってきたとも言えよう。日本列島の成り立ちからすれば、そして二千以上にも及ぶ現実の活断層の分布からすれば、原発にとって安全な所など日本にはどこにも存在していないのである。現行の耐震設計基準やたとえそれを上回る原発の耐震基準であったとしても、地震による地盤の隆起、沈降、陥没、地割れ、新たな断層の出現の前にはまったく無意味なものになりかねない。
世界の原発で地震の直撃を受けて事故を起こした例は確かにまだ一つも存在していない。原発設置の歴史がまだ浅く、またたまたま地震活動の静穏期に一致していたこと、日本を除けば世界の原発の大部分はアメリカ中東部やヨーロッパ中北部の無震地帯に設置されていることなどから、地震の直撃を受けていないわけである。日本では過去に一回だけ、93年11月東北電力の女川1号機で地震直後、炉内に泡が発生して中性子が増え自動的に停止している。しかし今回の地震はそれ以上に、日本列島を取り巻く地震の巣が活動期にすでに入っていること、原発の立地点がほとんど活断層上かその近くに位置していること、日本には事実上安全な原発の設置場所はないことを示した点で大きな警告を発したといえよう。

<<日本が最初の地震直撃原発事故の可能性>>
静岡県の浜岡原発などは、予想される地震の中で最も危険性と可能性の高い東海地震の震源地のど真ん中に立地している。東海村、六ヶ所村もしかりである。愛媛県の伊方原発などは日本列島でも最大の断層である中央構造線上に位置している。新潟県の柏崎刈羽原発では92年に活断層が確認されている。敦賀の日本原電敦賀原発1、2号機と動燃の「ふげん」の真下に活断層があることが91年発行の「日本の活断層」に記されている。こうした事実は、日本が世界で初めての地震による原発事故の犠牲になる可能性が極めて高いことを示している。日本は、もはや躊躇なく原発から撤退することが国内的にも国際的にも求められている最大の義務といえよう。
先に紹介した生越忠氏は、『新版 検証・日本列島 地震国日本の宿命 どこが、何が危ないのか?』(日本文芸社刊、1200円)の中で「地震予知学者が地震危険地帯と認めた場所をわざわざ原発の立地点に選んだわけではなかろうが、それにもかかわらず、多くの原発が次々に地震危険地帯に建設されているという恐るべき事実」を告発している。最近刊行された広瀬隆著『柩(ひつぎ)の列島 原発に大地震が襲いかかるとき』(光文社刊、1500円)とともにぜひとも紹介しておきたい。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.208 1995年3月18日

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【投稿】阪神大震災のその後 

【投稿】阪神大震災のその後  —復興は順調に進んでいるのか

阪神大乗災からすでに2ケ月が過ぎようとしている。今や地元の人も日本のすべての人々もようやくそのショックから立ち直り、やっと復興への歩みが踏み出されてきたところと言っていいだろう。新聞にも円高、東京共同銀行問題等、地震以外のニュースのスペースも多くなってきた。しかし、本当は具体的に復興に踏み出した今こそ、その内容を検討し、地震による被害者を救済し、今後もおこるであろう、地震の被害を最小限にくい止められる町作りが行われているかをチェックする必要があるのではないだろうか。
今回の震災での報道や議論は実に様々な分野にわたっていた。地震の被害の大きさ、悲惨さから、政府や自治体の対応、特に地震直後の危機管理体制とその後の住宅建設、義援金、住宅ローンヘの対応、町作り計画、ボランティア支援等。また、地震予知や活断層、耐震建築、建築基準の改正等科学や技術に関する問題。都市経営と防災との関係。マスコミ、特にテレビの報道のありかた。在日外国人の被害。民間ボランティアの活躍等々。
これらの議論の中身は、復興への積極的な方向を示しているものもあれば、一方疑問のあるものもあり、それぞれ十分検討しなければならないが、今回はその余裕がないので、私自身、実際ボランティアとして神戸の状況を見てきて感じたことを書いてみたい。

■日立つ「復興」の格差
去る3月4日、私は子ども会指導員組織の取り組みとして、神戸の避難所の子どもたちを相手に「遊ぶ」ボランティアとして長田区に出かけていった。このボランティアは、以前アサートでも紹介した東南アジアを中心に活動をしているNGO「SVA」(曹洞宗国際ボランティア会)が中心となってやっているもので、長田区を中心に10数ケ所の避難所を活動の場としている。指示を受けるために本部に行く道中、まだまだ震災による傷跡は深く、かたずけられていない倒壊家屋がいたるところに残っている。JR神戸線は住吉・灘間が不通で、住吉駅前は傾き折れたビル、2階が押しつぶされたマンションがそのままで、代替バス停近くの木造民家は国道2号線に大きく崩れだしている。復興は確実に動きだしてはいるが、町をよく観察すると、その進展状況に大きな差があることがわかる。大企業のビルは大きな機械がはいり、すでに解体撤去を終え、更地になっているところもある。一方、狭い路地裏の木造長屋等は路地に倒れかかったまま完全に道をふきいでいる。おじいさんが一人で手作業で瓦礫を整理している姿が印象的だった。
今回の震災では、その被害が木造家屋の密集地等に集中し、本多勝一氏は「差別的人災」と指摘しているが、現場の状況を見ると復興もやはり「差別的」に行われるのではないかと強い懸念を感じた。また、政府、各自治体は復興に向けての都市計画作りをおこなっているが、これも本当に住民の意向を反映したものになるのであろうか。すでに、住民の意見が反映されていないと計画中止の請願が出ている地域もあると報道されている。震災をチャンスとばかりに被災者の弱みにつけこんで、大手デベロッパーが土地を買い占め、結局人の住まない「防災都市」ができるのではないかと心配するのは杞憂であろうか。

■在日外国人に手は行き届いているか
SVAのボランティア本部で、数人のグループに分かれ、私達はバスで長田区の南端にある南駒栄公園に向かった。この公園には約2榊人の人達がテントを張って避難生活しており、その内半数以上がベトナム人だと聞いた。確かに入り口近くには紙で作ったベトナム語の「表札」の貼ってあるブルーシート製のテントがかなりの数ある。日本人は段々減っていっているが、ベトナム人は教会のツテなどでむしろ段々増えてきているということであった。ボランティアはかなりたくさん入っているようで、共産党等専用のテントがいくつかあった。SVAは子どもの遊び広場というのを作っていて、ちょっとした遊具や工作道具等が置いてある。子どもたち(主に小学校低学年)は三々五々集まってきて、ボランティアと一緒に遊ぶ。ここに入っているSVAのボランティアは東京の学生を中心としたグループである。本部でもそうだが、ボランティアは若い人が多い。しかし、長期の滞在で少し疲れているように見えた。
その日は寒いこともあってあまり子ども達は集まってこなかったが、避難所の様子を見ていると、車やテントでほとんど遊び場の空間がなく、おとな達も生活を切り回すので精一杯で、なかなか子どもまで目が行き届かないといった感じであった。そういう意味で、地味ではあるがこのようなボランティアも大きな意義があると思う。ボランティアの定着している避難所では親の相談相手にもなっているらしい。ベトナム人の子ども達も何人か遊びに来たが、彼らは日本語が達者で意志疎通になんら問題ない。しかし、手や頬が垢で汚れているのが気になった。日本人でも相当辛い避難生活の中で、ベトナム人達の生活の困難さは想像に難くない。また、将来の展望ということになるともっとしんどい状況があるだろう。だからこそ仲間を求めてこの公園に集まってくるのだろう。ここでも震災の被害は在日外国人という弱者により大きくダメージを与えている。しかし、現在十分な援助が行われているとは言いがたい。政府や自治体は彼らへの対策をさちんと復興政策の中に盛り込まなければならないと思う。

■ボランティア活動の転機
SVAのボランティアは、私達に今後も継続して来れるかどうか真剣に問いかけてきた。実は、この公園のボランティア活動を調整しているボランティア本部が3月中旬で一旦解散することになっているらしい。彼らも3月一杯で東京に帰らざるをえず、ボランティア活動は一つの転機にさしかかっているようだった。しかし、被災者の避難所生活はまだ長期間続きそうである。今回の震災ではボランティアの活躍が大きな力となった。しかし、ボランティア活動にも限界がある。復興の進展状況と被災者の自立ということを考えながら、今後のボランティア活動はどうあるべきなのか、行政はそれをどう支えていくのか、ハードの面だけでなくそういうところもきちんと政策化する必要があるのではないだろうか。

今回の震災はあまりにも大きな犠牲とともに、実に多くの問題を提起してくれた。平和運動も反差別の運動も労勤運動も結局人間の幸福を求めるものである。地震が人間の幸福を損なうものならば、それに対しても私達は積極的に立ち向かっていかなければならないだろう。
(若松 一郎)

【出典】 アサート No.208 1995年3月18日

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【投稿】女性問題ことはじめ

【投稿】女性問題ことはじめ

アサート読者で性差別に関心のある方はどれぐらいいるのでしょうか。僕は労働運動を考えていくなかでフェミニズムに出会い、徐々に魅かれていきました。なんといっても“深い”のです。「単なる一つの分野」というより、日本的経営、働きすぎ、福祉、教育等の諸問題と大きく結びついているのです。ここでは働きすぎの問題と絡めて少し説明してみます。
日本人が働きすぎていることは、完全週休2日になっていないことによって19日分、有給休暇が少なくその消化率も低いことによって20日分、欠勤が少ないことによって9日分、その他残業などの分を合わせると合計年間で約500時間、3カ月分ドイツより多く働いていることでも明らかです。何故こんなに働くのでしょうか。
原因はいろいろあります。会社の強制力という直接的な理由もありますが、むしろ問題は「仕掛けられた自発性」とでもいうべき、強制されつつも本人が内面化している発想の問題です。つまり、「どうせ仕事は多いんだから残業してでもやってしまおう」とか「休むと仲間に迷惑かけるから」あるいは「残業を断ると出世に響く」「真面目に働いて家族を養うのが男の責任」と考えて残業長時間労働をしかたなくやってしまうのです。この背景には、労働組合が、要員や仕事量、昇進昇格などに規制力を持っていないことがあります。再度、労働組合の再生が求められていると言えましょう。また、家事・育児・介護を妻に任せることができるが故に、男性労働者は長時間労働ができるという問題もあります。
この間題を考えるとき、いわゆる男女関係の問題を組み込むことが決定的に重要です。ところが依然として、男と女には特性があるのだから性別分業はあって当然と考える人がほとんどです。しかし近年の研究では、男女の差(ジェンダー)は社会的に造られるものであり、「結婚」は決して普遍的なものではないことが明らかにされています。今私たちが異性愛性分業結婚を受け入れているのは、とても時代の制約を受けています。簡単に言えば男女の性差が大きく、性差別が大きいほど結婚のメリットは増大します。男女が自立するほど、結婚のメリットは低下します。つまり本能・自然というより、「結婚をしたら得だ」という条件が多い時代というだけのことなのです。
さて、この性分業があると、家事・育児は女性の役割となりますから、男性は別時間フルに会社人間にならざるをえないことになります。「子どもがいますから早く帰ります」といっても「奥さんがいるだろ」と言われてしまうのです。会社は「家族賃金」「扶養手
当」として妻子を養う家族分まで払っているのですから、男性社員には心置きなく残業をしてもらうつもりなのです。
また、男性は家族を養うという責任を持つので、首を切られないよう働きつづけ、出世競争に頑張らざるをえなくなります。年功賃金のもとでは査定による出世の差が大きく年収の差などに結びつくのです。
つまり、男性は競争に勝たねばならない、強くなくてはならない、妻子を養わなくてはならない、リーダーシップを持たなくてはならない、感情を出してはならない、寡黙でなくてはならないといった、「男らしさ」秩序に縛られてしまうことになります(この点がいま「男性学」として大きく発展しています)。この点を根本的に考え直さないで「時短一般」を唱えていても駄目です。
この性別役割分担には、その他いろいろな問題があります。まず女性が働くときに男性と同じような賃金や労働条件を得ることが難しくなります。「女性は養ってもらう」ことが基本とされるからです。補助的な労働やパートなどの悪い条件でしか働く場所がなくなります。
また「女らしさ」というステレオタイプが押しつけられてしまいます。家事・育児・介護の負担がすべて女性の肩にかかり、それをタダでやっても当然のことにしか過ぎません。それ以外をやろうとすると「わがまま」とされます。長時間働いても経済力がないので、自己決定カがなく依存的にならざるをえなくなります。
性分業が肯定されると異性愛結婚も肯定されるため、それ以外の選択をしたとき--離婚した者や独身者、ゲイ・レズビアン等--に不利に扱われます。
ではどうするか。経済と家族の現実は、いま大きく変わりつつあります。昔の性分業家族モデルに合わせているだけでは、「働きすぎ」問題にしても、「女性差別」問題にしても解決しないでしょう。
したがって「働かざるをえない状況」を変えるには、もう一度労働者一人一人、女と男ひとりひとりが、原点に立ち返って、自分がどのように何をして生きたいのかを明らかにする必要があると思います。カントは、「虫けらになることを受け入れたものは、踏みつけられても文句は言えない」といいました。自己主張をする個人が増えないと、会社や組合などの社会構造は変わりません。個人は暮らしている社会の影響を受けますが、その社会はそれを構成する個々人によって刻々と改造されていくようなものなのです。
この「主張する個人」のことを「シングル」と呼びたいと思います。そして、従来の性分業の社会秩序を変えていくには、性役割に捕らわれず、自分のしたいことを自覚し、それに向かって努力する「シングル」が増えていくしかないでしょう。そしてそれを援助する社会システムを「シングル単位社会」と呼びたいと思います。これは、今までの社会が性分業を組み込んだ「家族(カップル)単位社会」であったことに対応した呼び方です。言い換えれば、多様な生き方を認めあうためには、各人の共通要素である「個人(=シングル)」を単位にするしかないのです。制度としては、介護や育児も社会化し、高齢者や児童や障害者自身の権利として社会保障体系を作り替えることが必要となります。「主人/主婦役割からなる家族」というものを解体していくことが必要なのです。「専業主婦」や「妻役割」を肯定するような「ものわかりのいい」ものではないと思います。「家族」「性・セクシエアリテイ」をめぐる問題は、第1級の政治的課題なのです。これは古い左翼にはなかった思想です。
しかし、このことは言うは易く行うは難しです。従来の秩序から離れると、「受け身的姿勢」ではいられず、各人は不安定を受け入れなくてはなりませんし、自分で方向性を決め、創造力を培っていかなくてはならないからです。役割でなく、個人を生きなければならないからです。親でも子でも、妻でも夫でも、まず自分を持たなくてはならないからです。
でもこれは各人が自由を手に入れる希望でもあります。「シングルになる」とはそうした「創造的な営みのことでもあるのです。そうした試みや努力と結びつくことなしには、真に女・男がゆとりをもち、楽しく働き生活していく民主主義社会を造ることはできないでしょう。

**********************************************
性差別を考えていくと、(家族)というものについて考えざるをえませんでした。驚くほど「家族肯定」「異性愛肯定」があふれていました。性別分業はあっても、女性も「カを持っている」「評価されている」「庶民の女性はしたたか」という見方は非常に多いのです。「男女の対等なパートナー」「セックスは全人格的コミュニケーション」といったカップル幻想・エロス幻想も非常に多いのです。セックスを生殖に結び付けることによる「ゲイ・レズビアン排除・変態視」は無意識的・意識的に前提でした。「わかったように言う人」はもちろん、いわゆるフェミニストや左翼や労働組合運動家、民主的市民運動層、革新系政治家でさえ、そうした家族にまつわる現在の有り様を無前提に所与のものとしていたり、疑ってもいない場合がほとんどなのです。家族の中の「人間的な暖かい心の交流」が、権力や貨幣と対抗的な価値と思われているのです。
でも、それは思考の中断の結果でしかないとおもいます。女性が「家のなかでしたたか」でも、性別貸金格差にはつながるということがあるのです。セックスが成りたつ背景には、対等でないく女と男>という2分法に基づく幻想があるのです。「女」「男」という
意識(性的自己認識とそれにもとづく性的志向性)自体に既に抑圧関係があるようです。「全人格的でない要素」でセックスをしているのです。家族はそうした「男制、女制」を再生産する場でもあるのです。つまり落とし穴が<家族)<性別分業>にはありました。(愛)に落とし穴があるように。男女が職場と家庭を単に相互乗り入れするだけの問題ではないということです。このことは保守派(宗教勢力、右翼)がこぞって家族や愛や性役割を肯定していることと結び付けて考える必要があります。女性が「家のなかでしたたか」ということと、ゲイ・レズビアン差別やシングルペアレント差別とを切り離して考えられるとおもうのはオネボケです。
この点を深めないで、今日の「人権」を語れるとは思いません。「会社人間」になることと「結婚する」ことには、秩序の観点から同じ根があります。私たちが「自由」なつもりでいて、いかに秩序に囚われ、秩序にそって思考し、秩序の上位へいこうとしていることか。そんなことでは、近代自体が生み出している差別の構造は乗り越えられないでしょう。「男らしさ、女らしさ」というものを受け入れることは、同じ意味で、今の社会に全く受け身的です。それでは民主主義は呼吸できません。
ではどうするのか。そういう立場で僕はこの度『性差別』と資本制』(啓文社)を書き上げました。今までフェミニズムに興味のなかった人も是非読んでやってください。この本では、民主主義の方向性とは、制度においての従来の幻想を解体することにあるということをいいたかったのです。とりあえずは制度的秩序を具体的に解体していくこと。制度において、この私たちの幻想を幻想と意識すること。それしか現実的に性差別を乗り越える展望はもてないと思います(それでも完璧はありませんが)。そしてその上で、長期的には、ジェンダーやセクシュアリティを意識し解体し新しく作っていくこと、その意味での多様性を認めることしかありません。
「シングル」とはそういう「秩序から逸脱するスタイル」のことです。民主主義の単位のことです。「シングル(個人)単位」という言葉には馴染みがない方も多いかと思いますが、いまフェミニズムや福祉制度、家族法、税制度関連分野では徐々に共通認識になりつつある重要な概念です。
『性差別と資本制』の構成はこレギュラシオン理論を援用し、従来のフェミニズムをめぐる諸論争をカップル単位制度の観点から整理・再評価することで、本書の基本的考え・基本概念・自説体系を提示するⅠ章、サービス経済化・ME化や現在のカップル単位の具体的諸制度といった現状を中心に、蓄積体制に対応した家父長制の歴史的推移と内容をみるⅡ章、家事労働の無償性の解明を通じて再生産構造の経済学的把握を試みるⅢ章、結婚と家族の機能分析などを通じて、カップル単位と性差別の関係を解明するⅣ章、カップル単位からシングル単位社会へというパースペクティプで、生産/再生産構造の再編成を展望するV章から構成されています。また、補論1では、上野千鶴子氏の「二元論型マルクス主義フェミニズム」を、統一論型マルクス主義フェミニズムの立場で批判的に検討しています。
本書は家族単位社会がなぜ性差別的なのか、またシングル単位社会とはどのような社会であるのかをはじめて総括的に展開したものです。単純な「男VS女」でなく、新しいフェミニズムの表現です。労働問題だけでなく、行政や教育を考えるうえで非常に実践的な政策提起にもつながっていますので読んでみて感想をお聞かせください。(ヒロユキ・イダ)

【出典】 アサート No.207 1995年2月15日

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【投稿】地方分権と政治改革(3)

【投稿】地方分権と政治改革(3)

3.行政の果たす役割と地方分権

<「地方自治の反動的再編」?>
前号で少しふれたが、日本共産党や「左翼」諸党派及びその影響下にある運動団体の最近の地方分権をめぐる動向に対する評価は、おおむね次のようなものである。すなわち、地方分権を口実に国民生活に直接関わる福祉・教育を切り捨て、国家支出の大半を軍拡やODA・公共投資にふりむけていると見るのである。日本共産党系の自治体労働組合である自治労連の機関紙は次のように述べている。

「今、地方制度再編のプログラムが進行しています。国は『防衛と外交』を中心とする『国際貢献国家』をめざし、国や都道府県の事務や権限を地方自治体に委譲する必要から、その『受け皿』として市町村合併を促進し『中核都市』をつくり、『広域連合』をつくっていくことを『地方分権』と称してすすめています。そのためにじゃまになる規制は緩和し、市町村合併は促進され、都道府県を空洞化し、しだいに『機運』を高めながら『道州制』へと進めようとしています。この一連のプログラムを担い、推進する自治体作りのために『第二次地方行革・【自治体リストラ】』が出されているのです」(「自治体の仲間」1994年11月5日号)

現在の地方分権の動きを「地方自治の反動的再編」ととらえ、「憲法50年になろうとするもとで定着してきた地方自治が、最も危険な状況におかれようとしている」(「自治体の仲間」1994年1月5日号)との認識は、あまりにも一面的で、地方分権をすすめる必要性や意義を損ねるものである。
とはいえ、最近の地方分権に関する事態の進展は、こうした評価を生む「質」を充分に内包している。

<地方分権と「行政改革」>
前号で、地方分権を中央政府の危機管理機能強化のための「国家改造」手段としてとらえる「上からの分権論」について述べたが、基本的にはこの立場に立ちながら、具体的な達成課題の強調点をやや異にするものがある。すなわち、「行政の縮小」を基本的内容とする行政改革の一環として地方分権を位置づける考え方である。例えば、経済団体連合会(経団連)が1993年2月に明らかにした「21世紀に向けた行政改革に関する基本的な考え」では、行政をスリム化するための手法として地方分権と規制複和を同列に扱っている。同提言は、次のように述べている。

「まず、規制緩和と権限委譲によって現在の肥大化した中央行政を徹底的にスリム化した上で、国の役割が真に必要とされる重要課題について、迅速な意思決定や総合的な施策展開が図れるよう、行政組織等の制度改革に取り組むべきである」(1.取組みの基本方向)「縦割り行政の弊害は、そもそも国の規制が多くの分野に複雑に張り巡らされていることから生じている面が強く、その是正の基本は、『官から民へ』、『国から地方へ』という理念に則って規制緩和や地方分権を推進することである」(3.縦割り行政の弊害是正)

また、自由民主党大阪府議会議員有志により結成された「21世紀の政治を考える会」(会長:東 武・大阪府会議員)が1994年9月にまとめた「地方分権の実現をめざして–活力ある大阪と豊かな府民生活の実現のために–」においては、もう一歩楷み込んだ表現を行っている。同提言では、地方分権の意義について、「活力ある地域の形成」「豊かな府民生活の実現」と並べて「行政の効率化」「小さな行政」を掲げ、次のように述べている。

「地方分権の推進によって、前述したように個々の事務執行の効率化が図られるとともに、国と地方の二つの政府が同一の事務に重複して関わることが解消されることとなるが、これを、国・地方をあわせた行政全体の効率化、縮小に結びつけなければならない」「地方分権は、それによって組織の簡素・効率化など小さな行政を実現し、住民の負担を軽減することによってこそ、住民と地域にとって意味あるものとなる」

そして、地方分権を「小さな政府」をめざす「行政改革」のための実現手法ととらえる考え方は、政府方針にも折り込まれることとなった。1994年12月25日に閣議決定された「地方分権の推進に関する大綱方針」では、国及び地方公共団体の斉務として、次の事項を掲げている。

「(3)国及び地方公共団体は、地方分権の推進に伴い、国及び地方公共田体を通じた行政全体の簡素効率化を進めるものとする」

また、政府は、同大綱方針策定に先立つ1994年10月7日、「地方公共団体における行政改革推進のための指針の策定について」という自治事務次官通知を出したが、同通知では、「来るべき地方分権の時代にふさわしい簡素で効率的な行政システムを確立することが急務」とされた。「簡素で効率的な行政の確立」という課題が地方分権を具体化する大きな柱であるかのような状況がつくりだされているのである。
地方分権を推進するにあたっての障害の一つに、自治体の行財政運営についての不信や懸念があることは事実である。実際、後で述べるように、地方自治体の行財政運営には改革すベき課題も多く、先の次官通知についても、内容的には妥当だと思われるものも多く含まれている。「簡素で効率的」という言葉も、それ自体、否定すべきものではない。
しかし、「第二臨調行革路線」と呼ばれる民間活力の導入、行政組織・機能の一律的縮小など一連の政策の功罪についての総括がなされないままに、再び「簡素・効率化」が一人歩きすることには、やはり大きな危惧を感ぜざるを得ない。私は、「民間活力の導入」という名の下での公的責任の縮小・市場経済への全面的依拠を基調とするこの路線(「小さな政府」路線)は21世紀の高齢社会への対応において不適切であり、現時点ではっきりと清算すべきものと考えている。
地方分権の主要課題は、あくまでも国と地方の役割や権限、そして財源の適切な配分である。地方が地方分権の時代を見据えて独自の改革を自ら進めることは当然必要であるが、国が自らなすべきことをなさずして地方の「効率化」だけを押しを進めようとするのでは、地方分権に名を借りた「福祉・教育の切り捨て」との批判が起こるのも当然であろう。

<国と地方の役割分担をめぐって>
地方分権の性格をめぐる問題は、国と地方の役割分担のあり方をめぐる記述に特徴的に現れる。以下にポイントとなる提言等を抜粋し、比較してみる。

○経団連「21世紀に向けた行政改革に関する基本的な考え」(1993年2月)
中央政府の担当分野は、外交、防衛、国際協力などの対外政策やマクロ経済対策等、国全体としての整合性が必要な最小限の範囲に限定

○連合「1993~94年度政策・制度要求と提言」(1993年6月)
外交、防衛、司法など国としての統一的対応が不可欠な分野及びナショナルミニマムの確保を目的とする分野は国の役割、生活に密着した分野は地方自治体の役割とすることを基本

○第3次臨時行政改革推進審議会答申(1993年10月)
国は、国家の存立に直接かかわる政策、国内の民間活動や地方自治に関して全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定、全国的規模・視点で行われることが必要不可欠な施策・事業など国が本来果たすべき役割を重点的に分担するものとし、思い切った見直しが必要。一方、地域に関する行政は、基本的に地方自治体において立案、調整、実施する

○自治労「分権自治構想」(1994年8月)
国は国家間外交・安全保障、政府内部での組織管理事務、国内施策の全国的最低水準(nationl minimum /ナショナル ミニマム)の設定等を行うにとどめ、原則として内政事務は、すべて自治体が担う体制を構築するべき

○第24次地方制度調査会専門小委員会・中間報告「地方分権の推進について」(1994年10月)
国は、(ア)国家の存立に直接関わる政策に関する事務(例えば、外交、防衛、通貨、司法など)を行うほか、(イ)国内の民間活動や地方自治に関して全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定に関する事務(例えば、公正取引の確保、生活保護基準、労働基準など)、及び(ウ)全国的規模・視点で行われることが必要不可欠な施策・事業に関する事務(例えば、公的年金、宇宙開発、骨格的・基幹的交通基盤など)を重点的に行うこととし、その役割を限定的なものにしていくべきである。地方公共団体は、国が行う事務以外の内政に関する広範な事務を処理する

○地方分権の准進に関する大綱方針(1994年12月)
国は、国家の存立に直接関わる政策、国内の民間活動や地方自治に関して全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定、全国的規模・視点で行われることが必要不可欠な施策・事業など国が本来果たすべき役割を重点的に分担することとし、その役割を
明確なものにしていくものとする。地方公共団体は、地域の実情に応じた行政を積極的に展開できるよう、地域に関する行政を主体的に担い、企画・立案、調整、実施などを一貫して処理していくものとする

これらを比較すると、次のことが注目される。
すなわち、労働組合関係の二つの文書(連合提言、自治労構想)では、福祉施策などを念頭において、国内施策の全国的最低水準(ナショナルミニマム)の確保・設定を国の役割として提示しているが、政府関係の三つの文書(第三次行革審答申、第24次地制調中間
報告、大綱方針。内容は、ほほ同じ)では、「全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定」という表現になっていることである。
実は、「施策の最低水準の設定」と「統一した基本ルールの制定」という両者の表現の差は、見過ごしにできない重大な意味を持っている。
それは、一言でいうならば、社会権と呼ばれる基本的人権の実現に対して中央政府が果たすべき責任の放棄につながるということである。もちろん、中央政府の役割が徹底して縮小され、国と地方の財源の配分もそれに見合ったものになるならば、何の問題もない。しかし、現実的はそんな段階にないので、国の役割を「統一した基本ルールの制定」に縮小することは、実質的には国の地方への財政負担の転嫁、ないしは個人の自助努力の拡大を意味するだけになる。そして、個々の具体的な政策をめぐっては、すでにそうした方向の具体化がすすめられつつあり、その是非をめぐって色々な運動団体との間で厳しい対立が続いているのである。(大阪 依辺 瞬)

【出典】 アサート No.207 1995年2月15日

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【投稿】厳しい情勢だからこそ明るい展望を持って

【投稿】厳しい情勢だからこそ明るい展望を持って
           ・・・95春闘を巡る情勢について・・・ 

いよいよ95春闘が、本番スタートした。とは言っても、突然の阪神大震災。労働側にとっては、出鼻を挫かれたような春闘スタートとなった。
[労資の主張]
今春闘は、昨年末から労使間で舌戦が繰り広がれていた。経営側は「円高を背景とした基幹産業の海外流出には、日本の最高水準にある賃金コストにある」として、「雇用を確保するためには、賃金抑制が必要。当分の間、賃上げはゼロ」と今春闘に限らず、将来においても「賃上げゼロ」を明言するに至っている。更に労働側の賃上げ要求の組み立て方式にも言及し、「物価上昇分を賃上げに上乗せすべきではない。賃金が上がらなくても生産性の向上分だけ物価は下がり、生活水準は向上する」と批判している。
これに対し、労働側は「日本経済を安定した軌道に乗せるためには、賃上げは必要不可欠。適切な賃上げで消費回復・内需拡大を図るべき」と反論している。特に主要大手企業50社の別途積立金が、前年より3,550億円上回る12兆6,000億円となっていることを指摘し、「この額は、人件費総額の1.28倍に達し、労働側の賃上げ要求に充分、耐えられる」と主張している。
実際のところ、賃上げと物価との関係においては、この間の賃上げ率以上に物価は安定しており、「賃上げが、物価上昇に拍車をかける」との経営側の主張は、破綻していると言える。しかし産業の海外流出による雇用不安については、そのことの原因が、これまでの労働側の賃上げ闘争にあると言うよりは、元々の国際的な賃金水準のアンバランスや国際経済トータルとしての円高の結果とは言え、労働側にとっても強い脅かしになっている。経営側の本音の思惑で言えば、賃上げ要求があろうが、なかろうが、より低賃金コストの開発途上国への流出を図るつもりであろうが、労働側への牽制としては、強い恫喝の口述になっている。しかし産業の海外流出が更に進めば、マクロ的に見れば、日本型雇用形態と言える年功序列体系が崩れ、それに替わる様々な雇用形態を生み出しながらも、結果として相当な雇用不安と社会不安を巻き起こし、更には日本経済そのものが失速してしまうことが予想される。その意味で産業の海外流出は、春闘論議とは別次元で、その歯止めと一定、社会主義的な産業政策が求められるのではないか。

[戦術上の特徴]
連合は、今春闘で二つの大きな戦術の転換を打ち出した。一つは、賃上げ要求の率から額への転換で、その目的は中小と大手との格差是正にある。だが額方式にしたからと言って、中小経営側が要求に応じやすいとは言い難く、また要求額にも産別でバラツキが見られ統一要求額とはなっておらず、結果として従来からの「産別自決方式」の名の下に、相場形成の相乗作用の効果までは期待し難いものとなっている。しかし連合は、この額方式の転換は、将来の個別賃金方式の移行の過程として「是非とも格差是正が必要」との認識で位置付けており、今春闘の結果如何に関わらず、そのことの有効性について、明確な総括を行い、更に個別賃金方式への追求を図ることを前提に、積極的な評価を与えたい。
もう一つの戦術上の転換は、打順の入れ替えで、従来からのJCが前面に出るパターンから私鉄・電力・NTT等の公益事業が、前面に出る戦術に変更した。これは、JCの厳しい経営状況に鑑みて、不況の影響が少なく、支払能力のある公益事業を前面に出すことで、有利な相場形成を図ろうとするものだが、公益事業の経営側が、実際にJCよりも早く回答額を提示するとは考え難く、その実効性となると極めて乏しい。その上に、突然の阪神大震災。こうした公益事業にも大きな打撃を与え、せっかくの、この基本戦術の転換も破綻したと言える。

[阪神大震災と95春闘]
阪神大震災は、95春闘にも大きな打撃を与えた。前述の基本戦術もさることながら、とにかくも盛り上がろうと春闘準備を進めていた労組にも冷水を浴びさせるような出来事で、旗開きを取り止めるところや、今春闘は見送りを囁く労組も少なくない。ましてや被災地の中小企業を中心に失業・雇用不安が増大し、賃上げどころではないと言う様相だ。本音のところで連合も頭を悩めているのが実態であろう。
しかし、せめて明るい展望をと提言するならば、次のことぐらいは言えるのではないか。例えば、明らかに大震災により情勢は変わったとの認識の下に、平時の春闘から震災救援・復興春闘に切り替えることであろう。その中味の一つとしては、雇用・生活対策も含めた総合的な復興対策(いわばニューディ-ル政策)を政府よりも大胆に提起し、結果として、より強く内需・個人消費の拡大を求めること。もう一つは、復興には大量の様々な労働者の動員が必要なことに鑑みて、経営側にも一定の賃上げによる早期妥結を求め、労使共に安定的な救援態勢の構築を提起すること。更には、そう遅くない時期に復興景気が来ることを予想して、秋闘も念頭に入れた通年戦略・戦術を検討・提起すること、等々が考えられる
いずれにしても、余りにもショッキングな出来事だけに、本当に厳しい春闘ではあるが、それだけに創意・工夫しながらも裸の闘いで乗り越えることを期待したい。 (民守 正義)

【出典】 アサート No.207 1995年2月15日

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【投稿】長い復興・「平常」への道のり

【投稿】長い復興・「平常」への道のり--芦屋市での数日--

<<突然の職員派遣依頼>>
1月の末日、もうすぐ一日の仕事が終わろうとしていた午後5時ごろ職場(市福祉事務所)にFAXが飛び込んで来ました。「地震のため福祉事務所(生活保護)の業務が滞っている。至急生活保護職員の派遣を求む!!」という内容でした。急きょ、職場で会議を行い、意見交換。
「うちも仕事があるのに行ってられない」
「近畿各府県に依頼しているからどこかがいくよ」
「他市が行くならうちも行こう」
「今年度は地震まで起こって、何にもいいことないなあ」(・・という八つ当たりの意見)
「困っているのは明らか。できるだけ行こう」・・・・・。
いろんな意見が出た後、その日は「情報を集めて、他市と同等の対応」という無難(?)な所に到着。

翌日朝、再度FAX。派遣依頼人数は前日の30人/日から80人/日。派遣依頼先は近畿各府県から、全国の都道府県に対して。今日中に返事を!!
また職場で会議。出る意見は昨日と同じ。しかし、結論の方向は少し違う「最初の依頼は全ての市にあったが、全ての市が派遣するわけではない。どうせ回答するなら要請者の希望にあったものを」。戦後最大級の大惨事が身近に起こったため、「何かせなあかん」との共通認識があったのかも知れません。

<<交代で芦屋市へ>>
結局、期間で2週間足らず、芦屋市へ交代で応援に行くこととなりました。
芦屋市内の状況はマスコミの報道どおり。月並みですが、百聞は一見に如かず。途中の電車から見えたぷっつり切れた阪神高速。建物が傾き、立ち入り禁止の市役所旧館。地震から4週間経っても土砂で塞がれた道路。へしゃげた家は珍しくもない。路上に散乱するビルのガラス片。波打つ歩道。割れた道路。・・・・
電車の中、隣で地図を見る若者「ボランティアですか?どちらから?」と聞くと「ええ、東大阪市からです。ぼく散髪屋です。40人の仲間で水の要らないシャンプー持って3カ所の避難所へ行くんです。」一人ひとりが何ができるかを考えているんだと感心。
市役所も避難場所。執務場所の傍らで陣地を確保している被災民。顔をあげれば着替えをしている人。洗面所へ行くと歯磨き。段ボールで囲って寝ている人。壊れたロッカー、脇に押しやられたロッカー。職員も必要最小限いるのかいないのか、聞くのも気がひける。
近くにいた福祉部のある課長さん「地震があってから、今日(2/13)初めて自分の席に座った」「職員を2つに分けて24時間交代、この体制が出来たのが地震後1週間目でした」。
夕方、私に応援のお礼を言ってから救援物資の仕分けという次の仕事に向かう係長さん。「最初の1週間、何をやったのか、よく覚えていない」
彼らは、この状態をいつまで続けなければならないのでしょうか。

炊き出しをしている公園、広場を数カ所巡る。2月の寒い昼、あっちにもこっちにも100人前後の列。芸能人もボランティア(石原プロのトレーラー、渡瀬恒彦も走り回っていた、なぜかカメラを向ける人も多かった。)「応援に来てもらって何も(歓迎)できない。これも勉強のうち、気分転換になったら・・・」と、公園・広場巡りをしてくれた職員。「お宅も地震で大変なんでしょう」と聞くと「わが家は何とか住めるようになったが、向かいの実家が潰れ、母が亡くなりました。私だけじゃなく皆さん、同じだから・・・」(大阪 T.T)

【出典】 アサート No.207 1995年2月15日

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【投稿】阪神大震災と「大地動乱の時代」

【投稿】大都市直撃地震の恐怖と教訓  阪神大震災と「大地動乱の時代」

<「午前5時46分」>
1月17日、その日は上下左右の強烈な、叩きつけるような激しい振動によって突如目を覚まされた。今何が起ころうとしているのか、これがさらにどうなるのか、今まで経験したこともない、立っても座ってもいられない、中腰で右往左往し、家族を呼び合い、ただおろおろし、これは大災害になるのではないか、火事が発生しているのではないかという恐怖の戦慄におののくばかりであった。振り返ってみれば、その後の余震に未だに極度に敏感になっているとはいえ、当初のその時間は10秒ほどだったのである。
大阪でこのような状態であったのだから、震源地の淡路島、神戸、西宮、芦屋、宝塚、尼崎地域では事態はもっと破壊的であり、悲劇的であった。神戸の現地に足を踏み入れると、庶民の家屋やアパート群は軒並みといっていいほど押しつぶされ、ガレキの山に変貌し、残っていてもほとんど瓦屋根はずり落ち、1階部分はへしゃげ、傾斜し、あるいは亀裂と歪みを露わにしている。狭い路地の電柱は折れ曲がり、電線が垂れ下がり、火災の発生した地区では見るも無残な姿に一変していた。巨大なビルや工場も相当な被害を受けているが、あらゆる階層、地区、住民の弱い脆弱な部分に、弱者に被害が集中している。ビルの谷間で全壊していたある小さな家にたむけられていた花束には「千穂ちゃん、たくさんの思い出をありがとう」と記されてあった。

<「被害広げた開発行政」>
神戸に住んで17年、その開発志向の異様さを警告し、地元新聞にも書いてきた早川和男・神戸大学教授(建築学)は、「被害広げた開発行政」と題して、「神戸市は株式会社といわれるほど商売にたけ、‥山を崩し、海を埋めて人工島を作り、売った。‥それに伴う山や海や生活環境の破壊には目を向けない。住民の反対運動や裁判闘争を、行政は「反対のための反対」などと無視してきた。行政が巨大開発とイベントに明け暮れていれば、市民の安全や生活の保障は後回しにされる。行政の最大の責務は市民が安全で安心して住み続けられる住宅と町をつくることである。それがこの町では切り捨てられ、戦災と見まがう人命の損失と焼け野原につながったのではないか。経済効率中心の都市開発が被害を甚大にしたといわざるをえない。‥・大地震でも倒れない家、延焼しにくく、消火活動の容易な術の構造、電気・ガス・水道などのライフラインの頑丈な共同溝、こういう町づくりこそが本当の震災対策であり、福祉の町づくりである」と書いておられる(1/21朝
日)。今最も必要な核心をついていると言えよう。
今になって兵痺県内には多くの活断層が走っていて、かなり大きな地震の可能性が10年前から指摘されていたにもかかわらず、神戸市が防災計画上の想定被害を、意図的に低く抑えて「震度5」にしていたとか、「神戸市に地震はない。うまくやってくれ‥」などと
いう指示をしていた、活断層の分布地図を隠していたなどと暴露され、報道されているが、ついこの前まではマスコミあげて神戸市の企業精神を生かした自治体経営をもてはやしていたのである。こうしたことは多少の差はあれ、どこの大都市圏でも共通の姿勢であり、問題であった。しかし今回の阪神大震災は、自然のエネルギーを見くびり、最新の地震学の知見や警告をも無視してきた、人間の騎り高ぶった傲慢な姿勢を一撃のもとに叩きのめしたといえよう。ここから深刻な反省と教訓を得ないならば、そしてそれを生かさないならば、さらに巨大な悲劇が待ちかまえていることは確実であろう。

<1998年4月±3.1>
昨年8月に発行された岩波新書『大地動乱の時代一地震学者は宰告する-』(建設省建築研究所国際地震工学部応用地実学室長・石橋克彦著)は、1月17日以降あっというまに姿を消してしまい、増刷が追い付かないほどのベストセラーになっているという。この警
告は、主として関東首都圏の巨大地震について述べているのであるが、今回の阪神大震災に照らしてみて実に的確であり、「そのとき何がおこるか」という地震災害の共通項にもとづいた想定と現実の一致には驚かされる。
著者はマジックナンバー70年という地震発生の周期を、過去の詳細なデータと最近の著しい知見の発展をもとに検証し、西相模湾断裂の大規模な震源断層運動を、1560年から確認されている5回の年月をプロットするとほとんど一直線上に並び、繰り返しの平均年数が約73年でバラツキが非常に小さく(標準偏差0.9年)、地震や火山噴火といった現象としては驚くほど規則正しいことを明らかにしながら、前回1923年7月からすると、次回を1998年4月±3.1にプロットされるグラフを呈示する。その場合に考えられる最悪のシナリオを次のように述べている。
「西相模湾断裂の最後の破壊(1923年)から7,80年経過する今世紀未から来世紀初めにM7クラスの小田原地震(神奈川県西部地震)が発生する。目下警戒態勢が取られているM8クラスの東海地震がその時までに発生しなければ、それが小田原地震に引き金をひかれて数年以内に発生する。その結果首都圏直下が大地震活動期に入り、M7クラスの大地震が何回か起こる。この活動期は、相模トラフで次の関東巨大地震が発生するまで長期間続く」。
そしてこのようなシナリオが予想時期に発生しないとしても、21世紀半ばまでにほほ確実に東海・南海巨大地震が同時または連続して起こり、その場合には宝永や安政に匹敵する最大規模と予想され、過去にはみられなかった長大構造物の損壊や地盤災害が生じ、さらに中部・西南日本の広範囲の山地で地盤災害が顕在化するだろう、と述べ、「地震の災厄は、台風などと違って、進路が変わったり消滅したりすることはない。プレートが動いている限り、ひずみエネルギーの蓄積は続くから、先送りされればされるほど事態は悪化するのである」と強調する。

<「思い切った地方分権を!」>
石橋氏は、「敗戦後の復興期とそれに続く高度経済成長--一極集中の時期が関東地方の地震活動静穏期にあたり、しかも人類史上かつてない技術革新の時代に一致したことは、過去と決定的に違う要因である。その間に東京圏は、実際の大地震に一度も試されることなく野放図に肥大・複雑化して、本質的に地震に弱い体質になってしまった」ことを指摘し、しばしば「大正関東地震にも耐えられる」という言葉を開くが、「これは無責任な言い方である」と断言する。問題なのは、現代日本社会が、このような技術の限界をわきまえず、大自然に対する畏怖を喪失して、経済至上主義で節度のない大規模開発を推し進めていることであろう、と述べ、「関東大地震にも耐えられる」という言葉の蔭で、実は、「超高層ビルや先端的な都市基盤施設が密集する東京圏は、けっして大地震に万全だから建設されているわけではない。むしろ、無数の市民をいやおうなく巻き込んで大地震による耐震テストを待っている、壮大な実験場というべきである」と、悲鳴にも似た警告を発している。その警告のさなかに共通の特徴を持つ大都市圏である阪神地方に大震災が生じたのである。この警告は、さらに重大な危惧を持って原子力発電所の安全性についても発せられなければならない。人類全体を脅かす、地球的規模の危険性を有していることが現実のものとなってきているといえよう。
氏は、事態を切迫する時間との競争であるととらえ、「21世紀に向けて、私連日本人も経済至上主義を改め、農林業・沿岸漁業を復権し、地球の一部としての日本列島の環境と自然力の回復をはかり、産業・人口・情報・文化的活動などが分散した多様で永続的・安定的な国土と社会を創るべきである」と訴え、そのためには「日本の国土と社会を望ましい姿に変えるためには、思い切った「地方分権」を実現するしかない」と主張する。それは地震学者として、地震工学がいかに進歩しても、短周期から長周期までの激烈な強振動と地殻の絶対的な隆起・沈降に抗して、超過杏都市の地盤と構造物と地域全体を耐震的・免震的にすることは不可能であるという確信からの繰言でもある。

<住民参加の地方分権>
今回の大震災を機にここぞとばかり、「危機管理」や「非常事態法制」、「有事立法」の必要性が声高に語られ、自衛隊の活用に重点がおかれている。しかし事態の進行が明らかにしたことは、東京一極集中の中央集権制の弊害であり、それにもとづいたタテ割り行政の弱点が客室されたことである。災害にかかわる行政だけでも道路=建設省、鉄道など輸送機関=運輸省、車両規制=警察庁、消防=自治省、災害出動=防衛庁、電気・ガス=通産省、水道=厚生省、電話=郵政省など、受け持ち範囲はバラバラであり、それらを国家レベルで調整・統括すべき国土庁も寄り合い所帯で、協議機関にしか過ぎず、実行力を持たをい。自衛隊自身が初動からバラバラに行動し、そのもたつきは上に行けば行くほど事態の掌握カを欠いていたことが暴露されている。そもそも自衛隊は冷戦時代の軍事対決を理由に肥大化してきたものであり、災害出動の組織や装備を目的に訓練されてきたものではないし、災害出動はいわば余技にしか過ぎないのである。その余技であっても重要な役割をはたしたことからすれば、この際、自衛隊の組織や装備を根本的に見直し、災害復旧を専門とする「緊急援助隊」に質的に転換させることが必要であるといえようが、基本はあくまでも自治体を基礎においた消防部隊の質的な強化とそれを全国的にもそして今では国際的にも活用できる態勢の構築であろう。
さらに重視すべきことは、政府のもたつきや行政の出遅れに比べて、被災地住民自身のすばやい協力体制やモラルの高い自治活動、在日外国人を含めた連帯活動、救助・消火活動、大量のボランティアの献身的な活動、そして数々の国際的支援などの全面的で積極的な評価こそが、今後の防災体制、都市改造に生かされなければならないことであろう。多様な形態での市民参加、住民参加の地方分権こそが問われているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.207 1995年2月15日

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【投稿】年頭にあたって-政局雑感-

【投稿】年頭にあたって-政局雑感-
                               民守 正義
<これまでの「連立政権」で思うこと>
昨年は、細川から羽田、そして村山政権と2回の政権交替が生じる激動の一年であった。 細川連立政権は一昨年、自民党長期一党支配の崩壊の結果として誕生した。すなわち細川政権が誕生したのは、本当に国民の声が「自民党NO!非自民連立政権へ期待」が積極的にあったからではなく、自民党長期政権の中で、金権腐敗政治に対する批判と政治一般に対する幻滅、そして自民党の党内外における求心力の著しい低下が選挙の結果として反映されたものである。その具体的事象が、自民党支持率の低下であり、自民党の分裂・新生党の誕生である。当然のことながら細川政権は、非自民で連立を組しながら「政治改革」を金看板にし、その具体メニューは元々、自民党のメニューでもあった「小選挙区制の導入」を自民党以上に積極的に推進することを使命とした。しかし小選挙区制の導入が、政治改革の有効な手段であるかについては、当初から疑問が呈されていた。政治腐敗の防止を選挙制度の問題にスリ替えたものであるとの批判は、当時の世論調査でも明らかであった。今もなお「金のかからない政治」=「小選挙区制」などといった論理を理論的・科学的に説明できるものは誰もいない。にも関わらず、社会党もこの政策に迎合したのは、自民党政治に終止符を打ち、連立政権に積極的に参加するための妥協でしかなかった。私個人の考えとしては、この選択が必ずしも誤りとは思わない。政治改革の基本的観点・施策が異なっていたとしても、自民党政治をとにかくは終焉させることの方が重要であるとの政治的判断は、有り得ると思う。しかし、その場合においても、本来の政治改革とは何かを明らかにし、小選挙区制についての問題点についても指摘しながら、「歴史的妥協」として連立政権を選択するとの立場を明確にすべきでなかったのか。少なくとも社会党内で、その論議と手続きを十分に行わずして、小選挙区制導入路線に向かったことは、その後の社会党の党内基盤の弱体化と党の結束力の低下に拍車をかけるものとなったと言わざるを得ない。
いずれにしても政治改革関連法案に目途を付けた細川政権は、安保・自衛隊・原発・平和貢献・消費税等の基本政策で、改めて政策合意を見いだしていかなければならなかった。とりわけ消費税については、おりしも春闘前段の減税問題とも相まって「国民福祉税」の名のもとに、実質的消費税の7%アップを打ち出し、これが細川連立政権内の不協和音と支持率の低下を決定的なものにした。そして細川首相の突然の辞任。連立与党は急処、基本政策合意を図り、第二次連立内閣とも言うべき、羽田連立政権を発足させたが、間髪入れずにまたもや統一会派「改新」の結成、社会党は政権離脱を決心した。社会党にすれば、連立政権維持のために妥協に妥協を重ね、ようやく取りつけた政策合意に、更に闇討ち的にタガをはめる行為に憤るのも心情的に理解できる。その後、羽田連立政権2カ月後に社会党は、自民党と連立を組み、村山内閣を発足させることになるが、この一連の判断を極めてミクロ的に見る限りは、自民党との政策合意が、結果として羽田政権時の政策合意と余り違わないことからも、積極的に政権に関与するとの立場からすれば、自民党アレルギーが社会党内外にあるにせよ、基本的な誤りではなかったと思う。
ただ、それよりも社会党に重要な問題として指摘しておきたいことは、この連立時代において、党の長期的・本来的な基本方針・理念と当面の連立政権下における妥協すべき政策との区別がなされていないことにある。言い替えれば、当面の妥協すべき政策が、党の基本理念・方針にまで高めてしまっているところにある。例えば自衛隊についても当面、軍縮方向を明らかにしながらも自民党との連立運営上、自衛隊を容認した現実的な対応を行うことと、党がこれまで主張してきた違憲論を堅持することとは明確に区別されなければならない。このことは、原発政策でも国際貢献でも言うことができる。連立である以上、妥協は付き物である。しかし、だからといって本来、社会党が理想とした基本理念・長期方針まで変更することは、将来ビジョンなき政治と言わざるを得ないし、また他党が社会党に基本理念の変更まで迫るのは、社会党の存在そのものを揺さぶるものであることを見抜かなければならない。このことは、社会党が細川連立政権から政権参加してきたことの積極的意義まで否定しているのではない。戦争責任の問題や国家責任を明示できなかったとは言え、長年の懸案であった被爆者援護法の制定、そして今、論議されている水俣訴訟の和解への努力等々、社会党が政権参加したからこそ、前進した成果も評価されなければならない。要は連立政権は、政権与党間の妥協により運営されるものであって、どの党の政策がより鮮明になるかは、その時の力関係により左右されるし、曖昧性は伴うものである。しかし、それだけに社会党の「本来政策」を常に明示しておくことが、連立政権の今後の方向をより、国民的な政権へと発展させる可能性をもたらすし、少なくとも国民の政策選択権を保障するものであるといえよう。

<当面の政局に思うこと>
政治は依然として流動的で、今年の政局も大波乱が予想される。村山政権の今年を占う当面の要素として一つは、新進党の動向、そしてもう一つは、新民主連合の動きであろう。
新進党は、小選挙区制による二大政党時代を目論んで結成されたが、当面、早期解散を求めて政権奪還への意欲が窺える。しかし、その内部は、頭は「新生党」足腰は「公明 党」その他は単なる多数派形成との感は拭えない。特に「公明」に対するアレルギ-・危惧は相当なもので、かつての社共時代のように、やがては「公明」に母屋を取られまいかと言う懸念は、民社を中心に根強くあると言われる。しかし、こうした新進党の結成当初からの結束力の弱さはあるものの、社会党に対しても積極的な多数派工作・揺さぶりをかけている。現に都市区においては、公明党が対抗を出されては当選不可能な選挙区が数多くあり、中央の政治状況とは別に、公明党に対し大なり小なりラブコールを送る社会党候補が見られる。いずれにしても、こうした水面下の動きを中間的に総括するものとして、本年春に行われる統一自治体選挙が、新進党の力量の発揮程度も含め、大きな試金石となろう。
さらに新民主連合の動きについては、社会党の分裂・解散という要素も含みながらも、これが一定の勢力となりうるか、どうかにかかっている。そもそも新民主連合の動き自体、大局的には新進党結集へのステップとなるのか、第三または第四の勢力となるのか、あるいは単なる社会党の「新党化」なのか、予想さえできないが、少なくとも当面の一定の勢力となりうる必要条件には、いったい、どのようなアイデンティティを持って、どの部分との結集を図るのか、そのビジョンをより明確にしなければならない。例えば「社民リベラルの結集」というが、自社連立下において自民党も一定、「リベラル化」したと言えるし、旧連立との関係では、「公明」も「社民リベラル」の範疇に入るのか、明確ではない。また社会党と「さきがけ」及び民社、そして自民党の一部の結集をイメージしているとするならば、その際の具体政策も、もう少しは踏み込んで明らかにすべきだろう。特に連合との関係で、社会・民社の関係改善を図ることを念頭に考えるならば、なおさら政策論議を先行させることは、より重要と言える。いずれにしても新民主連合が、こうした当面のビジョンを前向きに示し、一定の政治潮流をつくることになれば、それなりの歴史的役割があるだろうが、結局、自らも混沌とした全体状況に流されるのであれば、単に村山政権の崩壊を早めただけのものとしかならないであろう。
ただ、このような極めて流動的な政治状況にも関わらず、ドラマチックでも余り激動感を感じないのは、結局のところ、具体的な政策論争や階層間対立によるものではなく、政治力学先行のパワーゲームに終始しているからであろう。小選挙区制が一層、これに拍車をかけ、政党の枠組み論争の域を脱し得ていない。今日の政治の無関心、支持政党無し層の増加が、そのことを如実に示している。今、国民が、少なくとも労働組合がなすべきことは、地方分権であれ、税財政改革であれ、高齢社会への対応であれ、具体的に「このような政策を実施する政党はどこか」を問い、これに賛同する政治勢力の枠組みを労働組合が主体的に形成させていくことが、政治をよりシビアなものとして刺激を与え、労働組合としてのよりましな政府づくりに積極的に関わる重要な手段だと思う。  (民)

【出典】 アサート No.206 1995年1月15日

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【投稿】政党再編成と日本共産党

【投稿】政党再編成と日本共産党 

<<現実の政治過程と無縁な「唯一の党」日本共産党>>
このところの社会党の混乱状況は、一人社会党だけの問題ではないといえよう。冷戦構造の解体と終焉は、これまでの二極対立、あるいは相互補完体制にもとづいたあらゆる政党のあり方を根本的に揺るがしており、新しい構造的な再編成が必至のものであることを示しているのではないだろうか。短期的な数合わせや組み合わせの変容にとどまらない、相当に長期的でしかも本格的な変革の時代が到来していることを感じさせるのであるが、言い過ぎであろうか。その意味では、自民党単独政権とそれを支えてきた五五年体制の崩壊、それがもたらした連立政権のめまぐるしい変転、そしていわゆる「政治改革」と政党再編成をめぐる混乱は、日本における冷戦体制の解体過程を象徴しているとも言えよう。
このような過程に一人超然として、自己改革はもちろんのこと、連合政権や政党再編成に何の指針や政策も示し得ず、現実の政治過程の進行に何の影響力も及ぼし得ない唯一の党が日本共産党となっている。「唯一の革新」を誇るのであれば、今こそ出番でなければならない。今こそ具体的で革新的な政策を掲げ、実現可能な戦略を提起し、なによりもあらゆる共同戦線を組織し、連合と統一戦線戦略の実践者となり、今やどの政党にとっても共通の土俵となってきている連立政権に参加し、現実の政権を担う気概と責任を示さなければならない時であろう。共産党の支持者の多くはそのことを期待してきたはずである。しかし日本共産党は、このようなことと全く無縁な党として取り残されようとしている。当然このようなことは長く続けられるものではない。多くの綻びがこのところ目立ち始めてきたのである。

<<エース記者がみた『赤旗』の暗黒>>
『文芸春秋』誌1994年12月号に発表された「エース記者はなぜ解雇されたか 私が見た『赤旗』の暗黒」という元「赤旗」企画委員・下里正樹氏の独占手記は党内外に多くの反響を及ぼしている。「自由と民主主義」を掲げながら、それにまったく敵対する党の実態が赤裸々につづられているのである。単なる暴露記事ではない。党の現状を心から憂れえている党員の痛恨の手記といえる。『エコノミスト』誌の「敢闘言」(94/12/13号)で日垣隆氏は次のように紹介している。
「さて、いい仕事をする記者は『赤旗』にもいた、と私は認識している。ルーマニア特派員の・・・、いずれも離職後に“象牙の党”時代より数段良質なルポを発表している。・・・森村誠一『悪魔の飽食』の共著者だった下里正樹も最近、解雇された。『赤旗』のエース記者であり、現代史研究者からの評価も高い。この下里に対し、党お得意の査問が五カ月間も強行され、戦時中の例のあれを彷彿とさせる。宮本議長が「例のあれは書いてはならん」と命令したため森村誠一が党と絶縁した経過や・・・話などを含め手記を寄せている。本来有能な下里が、「知人にも会うな」と言う査問者の命令に従い「我が党」を未だに信じようとする姿は哀れを誘う。」
「赤旗」12/19号は早速これに対して「疑われる『エコノミスト』の見識」という反論を載せ、「党規律違反問題についての調査には六カ月かかっていますが、それは主として下里側の個人的都合によるものであり、七回行われた調査も、多くの場合、彼が自己弁護や党に対する攻撃を繰り返し長々と弁舌をふるうため長時間を要した、のが事実です。しかも彼はその間、調査にあてられた七日間以外は、自宅やその他で自由に過ごしていたのです」という言い訳をしている。
査問を「調査」と言い換えたのはいいが、五カ月ではなく「六カ月」もかけて自己の党員を調査し、査問していたこと、「調査にあてられた七日間」は「自由に過ご」させず、事実上の監禁状態での強制的な査問であったことをはしなくも自ら暴露している。

<<「長時間を要した」査問の実態>>
さてその査問の実態はいかなるものであったのか。これまでと同様、当然予想のつくものであるが、下里氏の場合は次のようなものであった。
「査問が始まった。第1回は93年11月20日。査問の全過程がテープに録音されること、録音テープは、請求があれば下里にも聞かせることが約束された。だが「聞かせる」の約束は間もなく反故にされた。
長期にわたる査問は、ひどくこたえた。たまりかねた私は、査問のやり方に、異議を申し立てた。<これまで3カ月間の査問を経て、調査を受ける側からの緊急異議を申し立てたい。査問開始から処分にいたる民主的手続きの保証は、党内民主主義の根幹にかかわる大切な問題であるが、今回査問の経過には、党内民主主義と憲法に反する問題点が多すぎ、査問の合法、有効性を疑わしめるものである。>・・・11月20日の査問の席上、「調査期間中3カ月の権利制限」が言い渡された。しかし、今日までに明らかになった「権利制限」の実態は、同僚記者に会い、「話し合うことはしてはいけない」、事実確認のために「現地と連絡をとってはならない」、「図書館に行き資料文献を調べることはしてはいけない」、「対外活動」を行う場合には、「事前に統制委員会と相談し、その許可を得てもらいたい」、等々・・・近代刑法以前の人権感覚による、異常な措置であるといわざるを得ない。
応答を大声でさえぎり、答えさせず、関連質問をあびせる。それに答え始めると、またも大声でさえぎり、答えさせない。そして別の質問をあびせる。「それは」と答え始めると、またもや大声でさえぎる。明らかに答えを求めての質問ではない。相手を混乱させ、怒らせ、自分のペースに持ち込むための、高圧的な人を侮辱する尋問態度である。私が「答えさせないのなら、査問に応じる意味がない。もう止めよう」というと、すかさず「答えないんだね」「拒否するんだね」とたたみこむように、きめつける。薄笑いを浮かべ、待ってましたといわんばかりの、計算の行き届いたきめつけである。」

<<「うす汚れたスリッパのような扱い」>>
これが自己弁護すら許さない、「長時間を要した」査問の実態である。彼らの薄笑いは、彼ら党官僚に固有の知的道徳的退廃以外の何ものでもない。テリー・伊藤著『お笑い革命日本共産党』(94/8/1発行)が茶化して描き出した宮本・不和・上田との漫画的なやりとりが実際に行われていたわけである。下里氏は彼を取り囲んで査問した内の一人、赤旗編集局長の河邑氏に対して「河邑氏にお聞きしたい。あなたは、いったい何者かと。党員の上に君臨する、独裁者か。人を侮蔑し、答えさせず、大声できめつける権限を、いつ党から与えられたのか。あなたが、高圧的な態度で詰問する、根拠権限はどこにあるのか。党規約の、どこにそのようなことをしてもよいと、書かれてあるのか。
私は、この事実を全党に告発するものである。」と述べている。 こうして下里氏は、94/5/31「党規律違反」で本部勤務員の職を解かれ、10/14付「赤旗」は、「元赤旗記者・下里正樹同志の規律違反の内容の公表について」と題した赤旗編集委員会名の論文を掲載した。下里氏は公表文を熟読した上で、「この公表文の内容は、私への悪意ある個人攻撃に満ち、かつ多くの事実をねじ曲げているものです。・・
・今日まで私は、解雇にいたる事実経過について、私の方からの公表を自制してきました。自分の言い分を胸に刻みながら、仕事に専念してきました。しかし、どのような人間にも最小限の名誉があり、人格があり、人権があります。一方的に攻撃されたからには当人には反論する権利が生じます。・・・私は、党機関紙上での反論を強く希望しますが、断られた場合には、やむなく他のマスメディアでの反論を行わざるを得なくなるでしょう。」(10/19)として、赤旗編集委員会宛てに手紙を出した。もちろん反論掲載は拒否され、『文芸春秋』誌に手記が公表されるや、待ってましたとばかりに11/11に除名が行われ、「赤旗」には「虚構につらぬかれた反日本共産党の手記-下里はどこまで転落したか」という長大論文が二度にわたって掲載された(11/21-22)。
下里氏は、党官僚にとっては何の考慮にも値しない自制に自制を重ねてようやくにして手記を発表したのである。「ここに至って私は決意をした。ことは一人の赤旗記者の処分・解雇、私の名誉人格など私的な問題にとどまらない性格を持っている。・・・またこの間、私に加えられた長期にわたる査問は、日本国憲法の民主的条項に違反するものであり、「自由と民主主義の党」を標榜する日本共産党の、体質が問われる問題でもある。この間、共産党本部の中で体験したありのままを公表し、同時に私個人へのあからさまな批判にたいし、最小限の反論を行う必要があると判断したのである。・・・この段階に至って、私は現在の「党」が掲げている自由と民主主義擁護の旗が、一部幹部の手によって、うす汚れたスリッパのように扱われていることを知った。このような体質のまま「党」が政権をとれば、日本国民の上に、私に対すると同様のことが起こらないだろうか。私はそれを思った」。
政権をとればという心配は杞憂というものであろう。しかし現実に党を内外で支持している人々にとっては杞憂ではすまされないものである。

<<論争無用の「科学的社会主義」>>
季刊誌「窓」第22号(1994/12発行)は、もう一つの重要な論文を掲載している。それは高橋彦博(法政大学教授)氏の「論争無用の『科学的社会主義』-萎縮する日本共産党分析のための一資料」である。これは氏自身が日本共産党から排除された記録であり、問題提起である。
氏は、日本共産党中央委員会に宛てて以下のように異議を申し立てている。
「過日、1994年5月19日、私は東京都委員会から、5月19日付けの決定として、党規約第12条により除籍すると言い渡されました。この除籍言い渡しの経過と内容が、公党としての資格を欠く組織運営になっていると思われますので、私は異議を申し立て、日本共産党の責任ある機関で調査されるよう要望します。
①私の著書『左翼知識人の理論責任』の内容について問題があるとの提起が、機関の責任者から私の所属する支部組織に正式に提起されたことは一度もありませんでした。
また、この問題について私の所属する支部組織で正式に検討されたことは一度もありませんでした。私の所属する基本組織に一度も事情聴取がなされず、一度も意見打診がなされないまま、突然、上級機関における除籍決定がなされています。
②『前衛』1994年4月号に、私の著書『左翼知識人の理論責任』に対する批判論文が党中央委員会文化知識人委員会事務局員の名によって発表されました。この批判論文は、私に対し、「もはや革新陣営とは無縁の立場」にあるとする追放宣言を行っています。
党の機関において私の問題に対する態度決定がなされる前に、党の機関誌上で事実上の処分発表がなされています。
党内の批判者に対して、党内における討論の機会を提供する代わりに組織的な排除処分が課せられています。公刊された書物の著者に対して、「堕落」「変質」「転落」などの悪罵を浴びせたまま、反論掲載の要望を無視し、党籍剥奪処分で対応するという姿勢が、日本共産党中央委員会の名で発行される「理論政治誌」によって示されています。 1994年5月31日、法政大学教職員支部 高橋彦博」 こちらは査問どころか、一度の事情聴取もなければ、意見打診も全くなされないまま、規約に規定された基礎組織での討議も経ずに、いきなり上級機関である共産党東京都委員会が一方的に氏の除籍を行っているのである。自己に都合が悪ければ、論争無用というわけである。

<<「ネオ・マル派」の党からの追放>>
高橋氏は、同論文の中で「第20回党大会の発表によれば、「訴願委員会」へは年平均333人、ほぼ一日一人の割合で提訴がなされてきたとのことである。この多数の訴願者の中に、異端派としての日本共産党から排除された一定数の異端内異端が含まれていた。以下に紹介する資料三点は、最近の日本共産党において、かなりの党歴の持ち主である一人の研究者党員、実は、私、が「除籍」された経過である。私も訴願者の一人としてカウントされているはずである。私は、私と同じように何人かの研究者党員が「ネオ・マル派」として日本共産党から追放されたことを知っている」という事実を明らかにし、先の中央委員会宛文書等を資料として公表し、これによって「日本共産党においては、異端派集団としての組織内結束が重視され、組織内の異論提起者に対する排除の態勢が強化されつつあるのである。・・・自己の組織内における異議申し立て人に対しては呵責ない排除の論理が採用されている構造をお目にかけることができるであろう」と述べている。
高橋氏は、政治学・政治史を専攻しており、80年には共産党系の学習の友社から『現代日本の議会と政党』を共編著者として刊行している。この著作を著した段階で「私は、日本の議会制民主主義の担い手としての革新統一戦線と日本の共産党に大きな期待をかけていた」ことを氏は明らかにしている。「だがその期待は適えられなかったのである」。
氏は、89年に戦争指導者の責任を追求する姿勢の陰に隠れて消えていた民衆自らの責任を議論のテーマとし、その討論記録を『民衆の側の戦争責任』と題して青木書店から刊行している。それは次いで左翼の政治責任の問題として93年に、窓社から『左翼知識人の理論責任』に引き継がれて刊行された。ここにおいて氏は、科学的社会主義と称される理論構造が、結果責任の倫理を受容できる構造になっていないことを結論するに至ったわけである。折しも共産党は丸山眞男氏の戦争責任論に対する異常とも言える批判キャンペーンを展開しているさなかである。それは先の共産党第20回大会で頂点に達した。
そしてこの大会で、党内の異論提起者を、党を誹謗中傷する者として、機関の独自の判断で排除することができる新しい党規約の改定が行われたのである。高橋氏の党組織からの排除は、その先取り実施であった。

<<「結社の自由」と組織内民主主義>>
このような処分に対して党内外からの批判が行われると、共産党が必ず持ち出す論法が「結社の自由」の枠内のことであり、憲法に保証されていることだと開き直る例の論法である。今年からはいよいよ政党助成が実施されようとしている。政党助成のあり方については、当然共産党の主張する論拠も考慮されてしかるべきであろう。しかし助成金を貰わないから党内において何をやろうと他からとやかく言われる筋合いはないと、いう議論は成り立つものではない。
現代において政党というものが、もはや私的な組織でも非公然の非合法的な組織でもなく、ましてや秘密結社ではない時代である。自らが「公党」であるという以上、その組織のあり方は公的に認知され得る最低限の共通の民主主義的規範を土台としなければならないであろう。「自由と民主主義」の旗を掲げるのであればなおさら、民主主義的諸原則の貫徹においてより厳しく徹底されるべきものであろう。「結社の自由」にもとづいて組織された政党に個人の自発的意志で加入した以上、その政党が何をやろうと自由であるという論法は、もはやヤクザ社会でしか通用しないものである。
先頃、日本新党の前事務局長が比例区候補者の名簿に搭載されていながら、細川氏個人との対立により一方的にそれこそまったく非民主的に解任され、順位が下の候補者の繰り上げ当選の有効性が裁判で争われ、日本新党側が敗北したことはまだ記憶に新しいことである。日本新党内部の決定が、通常の民主主義的規範に外れ、非合法とされたのである。共産党においてもそうした事態が生じたとしても不思議ではないであろう。
高橋氏も指摘していることであるが、時代の要求はさらに、党議拘束の緩和、党首公選制、党員登録の定期的確認制度、各種選挙候補者についての予備選挙制度などを具体的な実行課題として浮上させているのである。これはもはや時代に取り残されつつある共産党の課題ではないかもしれないが、他の進歩的諸政党、あるいはこれから作られてくるであろう新しい党の重要な課題となるものであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.206 1995年1月15日

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【投稿】いじめは誰の責任か

【投稿】いじめは誰の責任か

愛知県におけるいじめを苦にした中学生の自殺により、またもやいじめの問題がクローズアップされている。こうした陰湿ないじめはもちろん今に始まったことではなく、脈々と続き、むしろ拡がっているのではないかと思われ、いろいろな場で解消にむけて真剣に取り組まれているにもかかわらず、一向に解消される気配はない。今回のようなショッキングな形で表に出るたびに問題にされるが、有効な処方箋は見つかっていないというのが現状であろう。
私自身は教師ではないが、教育行政の一端に携わる者として、現場とはまた違った感覚で、この問題で考えていることがある。解決の方向性といえるものではないが、日々感じている点を述べていきたい。

<いじめは学校の責任か>
今回の問題を契機としたマスコミの論調は「なぜ学校は気付かなかったのか」「もっと有効な手立てが打てたのでは」「事件後の学校の対応は問題だ」といった形で、事件前後の学校の対応のまずさを指摘し、日々の学校の体制なり、体質を問題にしてきた。その後の各地からの報告や投書などでも同じような論調が目立っている。教師の対応の中には、確かにまずい点がある場合もあろう。被害者からの訴えを相手にしなかったり、ましてや加害者になっている場合もある。しかし、一様に「いじめの責任は学校にあり」とすることには少々違和感を覚えるのだ。
いじめの契機なり実際の現場は確かに学校である。加害者・被害者ともに同じ学校であることがほとんどであろう。その中で「いじめをしよう」などと教育している学校などはなく、「いじめをやめよう」「いじめをなくそう」という形で取り組まれている筈である。それでもいじめは起こる。それもできるだけ担任や学校側にはわからないように巧妙に隠しながら陰惨と行なわれるのである。加害者は担任の前ではいい子でいるか、いじめとは別のことで目立っていることが多い。
一方、教師はと言えば、日々の授業や教材研究といった主たる仕事の上に、「問題」行動を起こす子供や登校拒否になっている子供に目を向けることで精一杯の状況にある。それも当然のことであろう。ルーチンワークだけでも結構大変な上に、たったの数年間で40人ものいろいろな個性をもっている人間の一人一人に十分な目を注ぐことなど不可能に近いのである。いくら副担などをつけたところで、少々楽にはなっても事態はそれほど変わらないであろう。いじめに耐え、苦しんでいるのは目立たない「普通の子」であり、できるだけ教師の目を盗んで密かにいじめは行なわれるのだから。仮に気付くことができたとしても、加害者がいじめをやめるまで十分にフォローアップすることは非常に難しい。 学校側の体制も心もとない。必ずしも指導力に秀でたものが学校長になるわけではない今の状況である。束ね役の教頭もたったの1人だということも問題があろう。同じことは教育委員会の指導主事にも言えることだが、こうした教委-学校の体質・体制の問題については、また別の機会で述べたいと思う。
いじめの基本は人権意識の問題である。人の身体や心を傷つけること、物事の善悪を判断することの問題は、加害者がいかなる人権意識を持っているかによる。そうした人権意識が基本的に形づけられていくのは家庭、すなわち親の教育がどこまで徹底しているかによると考える。子供の人格形成や人権意識には親の影響を多大に受けるのであり、間違った方向に進んでしまった場合も、それを是正するのは親の責任である。教科指導や学力といった面での教育を学校という行政機関に委ねているとしても、人格形成までも委ねてしまってはならないのである。これは経済的な責任よりも重要な親の責任ではないだろうか。そう考えれば、最近のマスコミ等の論調の中で、加害者の親や家庭の問題があまり取り上げられていないことが不思議に思える。何より最も追及されねばならない点であるにも関わらず、あまりに学校側の問題ばかりを取り上げすぎではないだろうか。
つい先日、いじめが問題となったある学校のクラスの保護者会の議事メモに目を通す機会があったのだが、まず加害者側の保護者のほとんどが欠席しており、出席した保護者は、我が子の被害の実態を訴えている被害者の保護者に対し、「被害者だって悪いところがある」と何ら反省の色もなくいけしゃあしゃあと攻撃しているのである。「うちの子はちょっと元気なだけで、たまに行き過ぎてしまうのだ」とさえ言っているのだ。言語道断、まさしく無責任の極みである。しかし、こうした風潮は世間に結構広まっているのではないだろうか。少々粗暴な子供は「やんちゃ」の一言で、とがめを受けるよりはむしろ歓迎される。自分の子供がいじめられたどうしようと心配する親は多いが、自分の子が人をいじめたらどうしようと心配する親は少ないのである。
学校は社会の縮図であると言われる。そうであれば、いじめが蔓延している大人社会の反映として、学校でいじめが起こっているのは、ある意味ではしかたのないことなのかもしれない。だからこそ、大人たちは自分たちとは同じことにならないよう、徹底して子供たちを教育し、加害者を作り出してはならないのであり、万が一、我が子が加害者になってしまった時には、親の責任において被害者に謝罪、補償し、その姿を子供の目に焼き付かせ、子供に対して事の重大性をわからさなければならないのである。それが親の責任というものであろう。
一方、別の意味での親の責任もある。いじめにおいて被害者には一片の責任もないというのは当然であるが、被害者の親には責任がないとは言えない。いじめられていることを言えない家庭の雰囲気や信頼関係をつくりだしているのは、親の責任である。また、被害にあった時にすぐさま学校に訴えるが、本当の矛先は加害者であり、加害者の親なのである。代理人たる親同士で徹底的に話し合い、謝罪と補償をさせなければならず、二度といじめをしないことを確約させなければならないのである。学校に訴えたところで「指導を徹底する」ことしかできず、速効性を期待することができないのが現実であり、そもそも民対民の問題の解決を行政機関がすることはできないのである。
だからと言って、学校側が免責されるわけではない。教師にとって相手は40人であっても子供から見れば唯一のおとななのだから、その影響の大きさを考えて言動や行動には十分注意しなければならない。あたり前のことではあるが、過去、子供の前で他の教師の悪口を言う教師の多かったことを思い出すのである。事実、職員室の中でもいじめは行なわれているのである。そんなことで、子供たちのいじめがなくなろうはずがないのだ。
以上、飲み屋で一席ぶっているような整理のついていない話になってしまったが、あまりにも現場の愚痴や本音を聞きすぎたのかもしれないし、今の現状の裏の部分を知りすぎたのかもしれない。読者の方々には当然違った意見をお持ちであろうと思う。今回の事件が起こってから、教員のみなさんの意見を未だお聞かせいただいていない。ASSERT自身教員の方々の投稿が少なくなっているのではないだろうか。ぜひぜひ、建前でなく本音の意見を投稿いただきたいものである。 (江川 明)

【出典】 アサート No.206 1995年1月15日

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【投稿】地方分権と政治改革(2)

【投稿】地方分権と政治改革(2)

2、地方分権の意義と理念
                —-「新保守主義」との分岐——

<地方分権は大きな政治上の課題>
前号末尾で、地方分権は「非常に地味ではあるが、今後大きな政治上の課題となると思われる」と述べたが、その理由は次の三点である。
まず第一に、地方分権の問題は、単なる「国と地方自治体の権限争い」の問題ではなく、21世紀を展望した国家システムの再編成に関わる課題である。
第二に、地方分権に関する議論の背景には、急速な高齢化の進展など社会構造の変化が存在している。分権論は、分権後の地方政府が高齢社会を支える福祉に対していかなる役割を果たすのかなど、「政府」のあり方をめぐる課題としての性格を持つ。「大きな政府か小さな政府か」という対立軸の整理は聞き慣れたものだが、「政府」という概念には「中央政府」のみならず「地方政府」を含めることが重要だろう。「アサート204号」で大阪M氏は、リベラル・新保守・社民の三極の政策の相違について「インサイダーNO.327」の整理を紹介されている。ここでは「政府」という対立軸について、リベラル=大きな政府、新保守=小さな政府、社民=小さな政府・大さな自治体と整理されているが、適切だと思う。ただ、「政府」という概念が「行政機構、組織」を意味するのか、「行政機構、公的責任」を意味するのかの整理がなされていない場合が多いので、議論の際には注意が必要だ。私は、後者の意味で理解している。
第三に、地方に権限が移ることによって、国会と地方議会の関係性が変化する。それに従って、分権後の政治体制は、現在のものとは大きく異なるものにならざるを得ないし、地方政治のあり方に変革を迫る。地方分権の問題は、地方政治を活性化して地方分権を支えるような新たな政治構造を作りだす課題として焦点化する。
これら3点については、それぞれ関連する章で、また詳しく述べることとするが、中央・地方を含めた政府のあり方、政治のあり方を包括するこの課題は、実は政治理念や政策の違いを明確にする最大の課題であろう。政治的な対立軸には国際貢献など外交に関わるものもあるが、「外交は内政の延長」という言葉のように、めざす国家像が明らかになれば、選択できる外交政策は自ずと決まるからである。
社会党の新党論議は相変わらず内容抜きのかけひきに終始している。しかし、今、最も必要なことは、結成しようとする新党の政策理念のたたき台となる「95年宣言(案)」の論議をもっと活発に、開かれたものとして行わうことではなかろうか。そして、宣言の中で、「地方分権(地域主権)」を単なる政策目標の一つではなく、全体を貫く理念として位置づけることが重要ではいかと、私は考えている。

<上からの地方分権論>
「地方分権」という言葉は、ここ一、二年、随分あちこちで語られたが、その内容は、連邦制や道州制への移行、市町村の統合・再編成、広域行政機構の整備や権限移管など、実に多種多様であった。しかし、昨年11月22日、首相の諮問機関である第24次地方制度調査会(会長・宇野収関経連相談役)が「地方分権の推進に関する答申」を決定。地方分権の枠組みの具体化が進むにつれ、連邦制や道州制などの「大きな話」は影をひそめてきた。さらに、12月25日、政府が決定した「地方分権の推進に関する大綱」に至っては、地方分権そのものが何やら腰くだけになりそうな雰囲気を漂わせている。ブームとも呼べそうな先の地方分権論議の華やかさと、骨抜きにされようとしている現在におけるリアクションの小ささは、何を物語っているのだろうか。
地方分権がなぜ必要なのかについては、「東京一極集中の是正」「地域の活性化」「国際対応力の強化」「高齢社会への対応」など様々な理由付けが論じられてきた。
しかし、この一、二年、地方分権論を牽引してきた議論は、間違いなく「国の統治システムの合理化を図ろうとするもの」(辻山幸宣・中央大学法学部教授。「自治労大阪」1995年1月1日号。府本部第7回自治研集会講演「分権・自治推進と市民参加」報告)であった。具体的には、『日本改造計画』(1993年、講談杜)に現れている新進党(旧・新生党)の小沢一郎氏と彼を支えるプレーンの主張が特徴的であろう。同書は次のように述べている。

「したがって、国政改革の第一歩は、国民生活に関係する分野を思い切って地方に一任することだ。その結果身軽になった中央政府は、次の章に述べるように、強いリーダーシップの下に国家として真剣に取り組むべき問題、例えば国家の危機管理、基本方針の立案などに全力で取り組むのである」(82頁)

いわば、「国際対応力の強化」など中央政府の機能充実を目的とした地方分権論である。同様に、1992年12月に出された政治改革推進協議会(民間政治臨調)の「地方分権に関する緊急提言」においても、「分権革命」が必要な第一の理由として、何よりも国の存亡にかかわる」と、国内政治・行政構造の分権化こそ中央政府の国際社会への対応能力を高める手法だとの主張を行っている。
このような、いわば「上からの地方分権論」が地方分権推進に関する世論形成をリードしてきたのだが、現在では、やや勢いをなくしているように見える。いくつかの理由が考えられるが、一つは、「政変」であろう。すなわち、自民党単独支配の崩壊、細川・羽田「改革」内閣を経た後の「揺り戻し内閣」としての自社連立・村山内閣の成立、それに伴う日本型政治・経済システムの構造的改革路線の減速、ないしは中断である。他の一つは、地方分権に消極的な中央官僚の抵抗を排除するパワーの欠如である。これは「上からの地方分権論」が、まさに「上から」の議論であるがゆえに、地方分権の真の主人公である地方自治体や市民の広範な合意やバックアップを得られないということに起因している。

<自治労の「分権自治構想」>
「国際対応力の強化」を目的とする地方分権論に対して、分権・市民自治の拡大という視点で地方分権のあり方を提言しているのが自治労の「分権自治構想」(1994年10月25日)である。同構想は、自治労本部に設置された「分権自治プロジェクト」の検討結果をもとに作成されたもので、同プロジェクトは、先の辻山教授をはじめ地方自治研究機関の研究員など8人の学識経験者で構成された。1993年11月から1994年6月まで計11回の作業委貞会と2回のヒアリングを経てまとめられた同構想は、地方分権に関する基本的な考え方のみならず、税財政面での改革、自治体自立のための法制度改革、自治体の自己改革などの課題にまで踏み込んだ、極めて優れた力作となっている。
同構想は、なぜ地方分権を求めるのかという点に関して、中央政府の危機管理機能強化のための地方分権論を「地方分権を『国家改造』の手段と位置づけるこのような議論は市民不在との批判を免れないものである」と厳しく批判している。そして、重視するものを「そこに住むものの多様な意思にかなった個性的で豊かな地域社会で市民生活が営まれることであり、これを可能とするような仕組みを実現することである」とした。
また、「市民のまちづくり」を考える要因として、高齢型社会システムの設計は高齢者の日常生活に密着した地域を基礎に行われなければならないこと、人間と自然の共生など環境をめぐる問題も自治体の課題であること、各地の創意と英知を妨げる制度的障壁を廃し自由でいきいさとした地域づくりを可能にする仕組みに変える必要があることなどを指摘している。
具体的な事務権限・財源のあり方についての原則に関する提言では、「立法分権の原則」が注目される。この原則によると、今後の行政施策は、複層的な基準(デュアルスタンダード/dual standard)にもとづいて実施されるという。その一つは、国が定める全国的最低基準(ナショナルミニマム/national minmum)で国が確実に保障しなければならない性格のもの。もう一つは、自治体が定める地域最適水準(ローカルオプティマム/local optimum)で施策内容、水準、費用負担に関する住民意向にもとづき、自治体が自主的に制定しうるものとされる。
同時に、新しい「利害調整・合意形成機能」を創造するため、市民参加重視の計画策定手法の開発を自治体の自己改革課題として指摘している点も重要な点であろう。

<攻めぎ合いの本格化にむけて>
さて、地方分権をめぐる対立構造は、いわば三極である。
一方の極には地方分権に極めて消極的な勢力が存在する。中央官僚はもとより、権限ある中央省庁への影響力の大きさを自らの存在価値とする国会議員、分権に伴い再編の対象となる組織の労働組合なとがこの勢力に含まれるだろう。後で述べるが現在の状況を「地方自治の反動的再編」ととらえ、「自治体リストラ反対」闘争を中心課題とする日本共産党や「左翼」諸党派の人々も、主観的な意図はともあれ、結果的には現状維持を指向するという点において、この極の側にあろう。
もう一方の極は、先に述べた中央政府の危機管理機能強化のため、『国家改造』の手段としての地方分権論を展開する勢力である。現状に強い危機感を抱く若手中央官僚や旧新生党グループ、財界などがこの勢力に含まれる。
もう一方の極が、高齢社会を見据え、分権・自治型の社会システムの形成をめざす勢力である。現実には勢力と呼べるだけのものがないから、こうした勢力を作ることが必要だということである。
地方自治体行政や「分権自治構想」をまとめた自治労でさえ、内部的には、地方分権に関する論議は低調である。関心が低いわけではないが、一つは、突き詰めていくと議論の拡がりがあまりにも大きいこと、二つには、地方自治体における地方分権の課題は紛れもなく自己改革の課題であり、その対応に臆するということが原因で、議論が成熟していない。市民レベルでは、更に議論にならない。地方分権をして何が変わるのか、何が良くなるのか、さっぱりわからないからである。
ただ、地方分権がこのまま腰くだけで終わることはありえない。それは、今日の成熟した社会構造が求める必然的な社会システムであるからであるからだ。世界で最も地方分権が進んだ国のひとつであるスウェーデンのルポルタージュである「高齢社会と地方分権–福祉の主役は市町村–」(斉藤弥生+山井和則著、ミネルバ書房)の『中で著者は、中央集権型経済大国の優等生である日本と、地方分権型生活大国の優等生であるスウェーデンの差は、イデオロギーではなく人口構造の変化がそうさせている、と述べ、その書を次のように結んでいる。

「高齢社会へソフトランディングするためのキーワードは地方分権だ。地方分権の時代は、ローカルデモクラシー(地域の民主主義)が問われる時代。人生80年時代は、地方政治の時代だ。地方政治の活性化なくしては、安心して老いられる日本を築くことはできない」

地方分権の実現が最大の政治的課題として再度焦点化する時までに、高齢社会を見据え、分権・自治型の社会システムの形成をめざすという理念と政策を明確にする勢力を形成しなければならない。これこそが、「社会民主主義」の中心的課題である。地方政界や市民レベルにおいては、こうした理念・政策に支持を寄せる人々は圧倒的多数派である。自信を持って、積極的に内容をアピールしていくことが求められよう。
そして、地方分権をめぐる最終的な対立軸は、新保守勢力との間にあることに留意しなければならない。政府・国家・福祉・産業などの各分野で「リベラル・新保守・社会民主」の三極の違いを整理、争点化しようとする著書、「カオスの中の対立軸」(1994年、悠々社)を出版した社会党の前衆議院議員の筒井信隆氏は、昨年12月16日付の社会新報紙上で、「分権の問題では、(社会民主は)『小さい政府』を強調する新保守と近い」と述べている。しかし、表面的なものは別にして、新保守主義の立場と社会民主主義の立場は大きく異なっていると見るべきでる。地方分権の位置と性格がどのようなものになるかについて、辻山教授は「より豊かな高齢社会を実現するために分権を構想するのか、それとも中央政府の機能を強化するために分権を重視するのか。結局のところこの二つのベクトルの攻めぎ合いの中で決まる」と述べている(「自治労大阪」1995年1月1日号)。
違いを明確にしながら、わかりやすく市民にビジョンを指し示す.‥新党に求められているのは、まさにこうした作業であろう。 (〔大阪〕依辺 瞬1995.1.7)

【出典】 アサート No.206 1995年1月15日

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【投稿】社民勢力は生き残れるか

【投稿】社民勢力は生き残れるか
               —–社会党と社民勢力のサバイバルの行方——-

新民主連合の離党騒ぎに示されている社会党の迷走が政局を流動化させている。1995年は、4月の統一自治体選挙と7月の参議院選挙、そして年内にも予想される小選挙区比例代表並立制による初めての衆議院総選挙と、まさに選挙一色の年になりそうだ。今後の日本の進路を決める大事な時期にさしかかったにもかかわらず、国民の政治への関心は低い。東西冷戦後の新しい世界はどうあるべきか、そして日本の果たすべき役割は、といった大きな問題を国民の一人ひとりが自分の問題として考えなければならないのだが・・・・。
○社会党の内紛劇に党内外からレッドカード
社会党の御家芸ともいえる左右の対立が急激に厳しくなった。93年の夏に細川連立内閣を成立させた右派、羽田政権の発足と同時に小沢(新生党)・市川(公明党)のいわゆる一・一コンビと絶縁して自民党、新党さきがけと連立政権をつくった立役者は左派。それぞれ政権のうま味を一人占めしてしまったので、内部対立はいっそう深刻化してしまった。しかし、国民の目から見れば社会党の首班をつくりながら何をしているのか。なぜ自分達の代表者の足を引っ張るのかわからない。さらに春の統一自治体選挙の候補者にとってみれば、ある日突然の政策の大転換と消費税引き上げ容認という公約違反とで支持率が下がり続けている上に、内紛によって党のマイナスイメージばかり膨らんでいるため、とても選挙にならないという怒りが渦巻いている。 なぜ、これほどまでに内部対立が深まってしまったのか。やはり背景にあるのは、支持労組の対立である。全逓、全電通、電機連合など反自民の連立政権を指向する組合と新進党よりは自民党と組んだ方がよりましな政府であるとする組合との対立がある。連合800万人の労働者でみると、村山政権支持が200万人、村山政権とは一線を画すが新党結成には慎重なのが100万人、村山政権を支持できないというのが300万人、中立が200万人と一部でささやかれている。どちらにしても、党分裂が決定的になりつつあるときでも労働組合に依存するしかない党の体質が、国民の信頼感をますます損なっているのである。

○優柔不断のリーダー達と国民の政治不信の相関関係
それにしてもなぜ今頃になって、という声が多いのは事実である。左派主導の村山内閣が左右対立の芽であった主要課題について次々と自ら政策転換に踏み切ったことによって党分裂の政策的な誘因は確かになくなった。しかし、今後の政治方針という対立の火種がますます燃え盛りだしたのは、議員一人ひとりの当選がかかっているからである。政権復帰によって息をふきかえした自民党は、今選挙をすれば単独政権をつくれるぐらいの圧勝をする可能性が大きい。自民党が総選挙で勝つために社会党、さきがけとの選挙協力をする必要がないばかりか、協力すればするほど自民党内の対立が深まってしまう。夏の参議院選挙までに解散・総選挙になった場合、さきがけも必要がないという結果になりかねないが、そこは押すだけしか能がない小沢と違い、社会党とさきがけにも気を配る竹下の妥協の方針でいくつかの選挙区でアメを与える事になりそうだ。
参議院選挙後まで解散が引き延ばされて初めて新進党の政権奪還のチャンスが生まれてくると予想されている。早期解散では地方議員をあまり抱えていないので選挙態勢を組めないし、寄合所帯でまとまりがないため政権を奪還しないかぎり劣勢を挽回できない。6年前に消費税・リクルート疑惑の追い風で参議院選挙で一人勝ちした社会党が今年の7月の参議院選挙で惨敗することは目に見えており、委員長としての責任問題が発生するため、村山内閣はよくもっても夏までである。社会党が大きく分裂してしまえば、新進党の政権奪還が可能となる。自社さきがけ連立政権が、もし仮に参議院選挙後も村山内閣を延命させたとしても、内閣の求心力は確実に低下するため、新進党につけいる隙を与えることになる。
このように小選挙区で勝つと不祥事でも無いかぎり当分その議員は落ちないと考えられるため、小選挙区比例代表並立制での最初の総選挙で勝つための死闘が永田町で連日繰り広げられているが、国民の政治に対する関心は低く、朝日新聞社の12月中旬の世論調査によると、今選挙をすると圧勝するはずの自民党でさえ支持率は36パーセント、新進党も21パーセントしかない。社会党は13パーセント、さきがけは7パーセントで、支持政党なしは16パーセントである。このような支持政党なし層は選挙を棄権する場合が多いと思われるので、選挙に民意が反映されにくくなっている。マスコミが政治不信をあおってますます選挙に対して白けた雰囲気をつくり出している。しかし、権力を本来もっているはずの国民が選挙に行かなければますます国民主権の空洞化が進むことになる。政治家は選挙に行く層(地方の農民や組合員や宗教団体の信者)のことだけしか考えなくなるのは当たり前である。日本の政治を変えようと思えば、都市の勤労者など普段政治に関心がない層や白けている層が投票所に足を運ぶようにならないといけない。小林某流にゴーマンかますならば「政治不信の原因は政治家だけとちがう!国民をいいように操る役人を攻撃できないマスコミと選挙に行かずに家でごろ寝してテレビばかり見ている無責任な有権者や!」と拳骨を振り上げて言っておく。

○どんな日本をつくりたい?
胸のつかえが少し降りたところで、政治を自分の問題としてとらえ、誰でも参加することが当たり前の国にするために何とかしようと思っている人だけ読んでほしい。講釈だけで選挙を手伝わない、あるいは投票にも行かない人はもう「自分で世の中を変える気がなくなった症候群」なので、そんな人達がたくさん住んでいる王権国家(北朝鮮などまだ近いところにもあります)にさっさと亡命してほしい。
私は、自民党が一人勝ちすると地方分権や役人から国民への大政奉還はこれから数十年間できないと思う。新党さきがけが何を思ってついていくのか知らないが、ここはまず反自民の統一戦線を組んで自民党を過半数以下に留めておかなければならない。その上で、政権を奪還された自民党が大分裂をおこし、新保守主義的な福祉切捨て自由放任国家をめざす小沢=渡辺の極悪同盟対大きな政府による福祉国家型安定成長をめざすリベラル勢力との対決をめざすべきだと思う。ビジョンも何もない学会=公明は勝つほうにつくだけの話である。ビジョンを示せないなら社会党も新民連もいらないという判断を国民が下すのである。「ダメと言ったらダメ」というような単純な政策を出す時代は終わった。(1995年1月13日大阪M)

【出典】 アサート No.206 1995年1月15日

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【書評】マルクスと「アソシエーション」の新たな展望

【書評】マルクスと「アソシエーション」の新たな展望
       田畑 稔『マルクスとアソシエ-ション--マルクス再読の試み』
                           (新泉社 1994.7.5)

マルクスの死後110余年を迎えた今日、マルクスから発した社会主義革命とその結末としてのソ連の崩壊によって、その権威、理論は見捨てられようとしている。しかし他方でマルクスが指摘解明した資本主義社会の諸問題は、今なお未解決のまま残され、年々深刻化していることは周知の事柄であろう。
このような時期に著者は、「この十数年、私は自己批判の意味を込めて『世界という書物』とマルクスを平行的に再読する作業を続けてきた」として、現代日本の日常的世界--宗教論、教育論、天皇制論、会社論、保守政治文化論等--についての分析、批判を通して「世界という書物」を読み直す著作を世に問うてきた。そして今、もうひとつの作業である「マルクス再読」の中間総括が、本書として出版された。
著者によれば、本書はその第一作で、以下『市民社会とマテリアリズム--マルクス「唯物論」再研究』、『”弁証法的唯物論”へのオールタナティブ--マルクスの意識論・認識論・存在論』と続く予定であるが、これら一連の著作によって、現在の地平でマルクスを「越える」試みを提示する。その問題意識は、次の文に示される。
「マルクスを真に『越える』には、まず『越える』べき『マルクスの稜線』が見えていなければならない。ところが、われわれがこれまで『マルクスの稜線』と見ていたものが、実はエンゲルスやレーニンやスターリンの稜線であったことに、われわれはまだまだ気づき方が足りない。ほかでもない、われわれ自身の『マルクス主義』という『雲』が『マルクスの稜線』を見えなくしているのだ。」
かかる問題意識から著者は、従来のマルクス研究では隠れてしまっている「アソシエーション」論に焦点をあてて、マルクス再読を行おうとする。このことは、従来のマルクス主義者が、いわいる「ソ連型社会主義」を尺度にマルクスを読んでいたことに対する批判であり、「唯物論的歴史観」が、晩年のエンゲルスによって導入された「哲学の根本問題」の歴史への応用として解釈されたことに対する反省であるとされる。
著者によれば、「アソシエーション」とは、「諸個人の連合化としての未来社会」を特徴づけるものとして、「相互孤立的私的個人」からなる「諸個人から自立化した社会的存立体」である市民社会に対抗するものである。すなわちその特徴は、「個人性の本格展開」と「共同社会性の自覚的組織化」との結合である。
しかしこの「アソシエーション」の視点は、今までのマルクス主義においては、全く無視ないしは看過されてしまっており、問題にすらされていない。このことは、『マルクス・エンゲルス全集』において「アソシエーション」の訳語が20にものぼり、「概念として」すら扱われて来なかったということで明きらかであろう。(序論「『アソシエーション』というマルクス再読視点」)
ところがこの視点は、初期マルクスでは、ルソーのアソシアシオン論--国家をも「アソシアシオンの一形態」として実践的に再構築しようとする--の影響というかたちで大きな思想的要素となっており(第一章「ルソーのアソシアシオン論とマルクス」)、このことを踏まえて「諸個人の連合化」は、『ドイチェ・イデオロギー』では、「諸個人から『自立化』し、物件的な社会的『権力』として(中略)現象している、諸個人自身の社会的諸力や生存諸条件を、諸個人に『服属』させることが唯一可能な、諸個人相互の関係の《あり方》として構想されている」が、「同時に他方では、そのもとで人類上初めて、諸個人の『個人性』が本格展開する社会形態としても構想されている」(「トータルな諸個人」「経験的にユニヴァーサルな諸個人」「局限されない完全な自己活動」等々)、すなわち「『個人性』の本格的展開にもとづく『共同性』の自覚的形成」(=アソシエーション)として構想されている。かかる「アソシエーション」の積極的アスペクトが評価されねばならない。(第2章「『ドイチェ・イデオロギ-』と諸個人の連合化」)
では「アソシエーション」は、いかにして実現するのか。著者は、マルクスの論点の基本性格を、現行のシステムに二元的に対置するアソシエーションではなく、「脱アソシエーション過程をはらみつつ、諸個人の自己統治能力の歴史的展開に応じてアソシエーション過程が進行すると見る、《過程的》アソシエーション」と考える。すなわち「人々は共通の目的のために自由意志にもとづいてアソシエーションを形成するが、このアソシエーションは歴史的に所与の主体的客体的諸条件の中で有効に働かねばならない以上、さまざまな脱アソシエーション化の力が働き、その力はアソシエーションそのものを変質、歪曲するに至る。」従ってアソシエーションとしての未来社会に到達する路は、脱アソシエーション化の諸力の直視と再アソシエーション化のプロセスを必要とする過程であることが指摘される。(第3章「アソシエーションと移行諸形態」)
そして最後に、アソシエーションの下での「個人性」の全面展開についての理論的基礎づけが、交換論、所有論、労働論、人格論のそれぞれに即して叙述される。例えば交換論では、「[?]上下秩序にもとづく分配に副次的にともなう共同体内の交換→[?]全面的私的交換→[?]生産手段の共同の領有とコントロールの基礎の上にアソシエートしあっている諸個人の自由な交換」という三段階図式において、「自由な交換」が「個人性」のい展開のための基礎であるとされ、以下同様の三段階図式が各論において検討される。これらはすべて「アソシエーション」と「自由時間」とを二大チャンネルに「必然の国」から「自由の国」へという展望を持ったものとして著者によって明快に語られている。)第4章「アソシエーションと『自由な個人生』)
さらに補論として「マルクス再読の試み」が付けられているが、これは、著者の思索の視点、本書とこの後に続く著作との関連をスケッチしたもので、マルクスの意識論、「唯物論」、国家論等への鋭い指摘も見られる。しかしこれらの諸問題については、今後の深化発展を待つ外ない。
以上本書の諸特徴の概略を述べてきたが、本書は従来のマルクス像に対して、--とりわけソヴィエト・マルクス主義に圧倒的に影響されてきた実践的組織的マルクス主義に対して、「かなり根本的な《マルクス像の変革》」、「《アソシエーション論的転回》」を迫るものであり、この意味ではマルクス主義の中に大きな石を投げ込んだものと言えよう。このような研究は、著者自ら述べているとおり「少なくとも独立した書物としては、おそらく世界でも例がない」以上、「アソシエーション」論そのものにまず論議の眼が向けられる必要がある。もちろん「アソシエーション」への移行の現実的諸形態(権力、民主主義、組織論等)に関して、あるいはそこにおける所有、労働、個人のあり方等に関して、今後大規模で深い論争も引き起こされねばならないが、本書はその第一歩を記したと言う意味で重要であり、将来の社会主義運動の展望との関わりで、一読してほしい書物である。(R)

【出典】 アサート No.205 1994年12月15日

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【投稿】「地方分権と政治改革」

【投稿】「地方分権と政治改革」

1、はじめに—今日の政治状況と課題        No205 1994-12
2、地方分権の意義と理念—「保守主義」との分岐  No206 1995-01
3、行政の果たす役割と地方分権  No207 1995-02  No208 1995-03
                No209 1995-04  No210 1995-05
4、地方分権と政治改革              No211 1995-06
5、分権・自治の拡大に向けた新たなシステム    No212 1995-07

1、はじめに —今日の政治状況と課題—
<必要な政策的分岐の明確化>
現在、日本の政治は過渡期にある。近い将来、日本の政党も、政治理念や政策の共通性によって集合・組織される本来の姿になるだろう。また、そうでなければ、日本の政治は「機能不全」に陥ってしまう。
しかし、当面はそんな展開は見られそうもない。なぜなら、現局面では、政党を形成する上で最大のポイントとなる国会議員や地方議員は、自らの個別利害、すなわち新しい選挙制度の下で生き残れるか否かに最大の関心を払うからである。「当落」という現実の前では理念や政策は二の次となる。
実際、新生党や公明党による新党(新進党)づくりは、理念や政策をポータレスにして、選挙における利害調整を武器に人集めをしている。日本の政界に理念や政策でなく利害で集合・組織されている自民党という巨大な政治勢力が存在している限り、そうした対応が現実的なのだろう。政治改革の一部をなす「政党再編」から「政党改革」への道を進むには、自民党を更なる分裂に追い込むことが引き続いて第一の課題である。
そしてその際には、自民党内の政治理念や政策における混在を整理させることが必要でなる。すなわち、新保守主義政党の性格を明瞭にしつつある元・新生党とその同調者をひとまとめにし、それ以外の考え方のグループとの分岐を拡大することが、長期的な政治戦略として重要なのである(※アサート11月15日号掲載の投塙、「社民・リベラル新党と3橿構造の産みの苦しみ」を拝見した。私は、大阪M氏と考え方を同じくしている。)
具体的な政策課題のすべてに基本理念の相違が反映するということは、今も昔も変わらない。現在は、東西冷戦体制にあった時のように単純な構図で反映するものではないが、政治理念の相違が政策に如実に反映することに違いはない。ただ、その相違が見えにくいだけだ。また、各政党も具体的な政策の違いを通して、基本的な政治理念の違いを明らかにする作業をなし得なかった、あるいは、違いを認識し得ずにきたように私には思える。
しかし、日本の政治における「分水嶺」は、間違いなく「新保守主義」と「洗練されたリベラリズム」ないしは「社会民主主義」の間に屹立する。特に、「政府(地方政府を含めた)」のあり方、換言すれば、「公的保障(特に福祉のあり方)」は最大の分岐点となろう。新生党が主導する新進党は、その点をあいまいにした寄り合い世帯である。なぜなら、新保守主義のエッセンスである「自立・自助」という考え方を強く’打ち出せば、公明党や民社党グループとの乖離が大きくなり、新党づくりが瓦解してしまう危険性が大きいからである。
政治再編は更に進めねばならないし、実際、この数年の間に大きく進むだろう。しかし、その展開は政治理念や政策の違いを明確にすることでしか加速できない。その作業が何よりも重要なのである。

<社会党の混迷–連立政権でなすべきこと>
ところが、その作業を中心になって担わなくてはならない社会党の混乱ぶりは目に余る。
9月3日に開催された日本社会党第61回臨時全国大会で採択された「当面する政局に臨むわが党の基本姿勢」という文章の冒頭を読んで、私は開いた口がふさがらなかった。第1章は次のように述べている。

「党は現在、国政の最高責任を担い、生活者優先の政策が実現できるという可能性を手にした半面、これまでの『政敵』を失ったことによって、新しいアイデンティティー(自己存在)の確立が求められます。党にとって『政敵なき時代』は初めての体験であり、全党員はあらゆる固定観念、慣行から自らを解放し、新時代に対応できる党へ建て直す『自己革命』の決意と決断を示さなくてはなりません。」

実に見事にビンほけた認識である。理由は次の二点だが、村山政権発足以来の社会党の混迷ぶりの基礎は、このスタンスに起因しているように思える。
第一に、自民党との連立政権が始まり、55年体制が崩壊した、だから「政敵なき時代」に入った、などというのは「お人好し」を通り超して、政党としての日本社会党の解党宣言に等しい。連立の相手こそ政策実現に向けてイニシアチブを競い合う最大の「政敵」だし、自民党は新生党と袂を分かったとはいえ、政治理念や政策内容においては、新保守主義的なものも色濃く持っているのである。ましてや、野党の新生党は「政敵」でなくて何なのか。こんな認識では、「党の独自性」もあったものではないし、連立相手に吸収されてしまうのは当然の帰結であろう。現に社会党はその道を進んでいる。
第二に、首相を出したからといって、「自らの政策が実現できるという可能性を手にした」と評価するのも楽観的に過ぎる。これも、社会党が苦しい対応を強いられてきたこの間の現実が証明している。
私は一つの連立政権で成し遂げられることは、あらかじめ政策合意が形成できた一つか二つの重要課題が精一杯で、残るテーマは、いわば「連立の解消に至るプロセスのプロデュース」と「自らの存在価値の売り込み」に尽きると考えている。逆説的だが、連立政権は「守る」ことに意味があるのではなくて、「壊す」プロセスが重要なのである。
連立政権では、政策調整が当然必要だから、必ずしも自党本来の政策は実現できない。すなわち、連立政権とは、自党の政策の優位性と連立政権ゆえの限界を絶えずアピールする場でしかないということである。政治的に妥協し、自らの政策に近いものを一つでも実現する。また、決裂して連立を解消し、連立相手の組み換えに進む。いずれにせよ肝心なのは、自らの存在価値を高めることである。「連立の維持」を自己目的化して、自らの安楽死に至るような対応は愚の骨頂である。
ただし、自らの存在価値を高めながら連立政権を構築し、また解消するためには、常に個々具体的な政策について内容を詰め、背景となる理念の差異を明確にしておく必要がある。そして、政治的妥協を行うのであれば、それに至るプロセスを積み重ね、理由を明確にした上でタイミング良くこれを行う決断力が必要だ。そうしたことを考えると、社会党村山政権はあまりにも準備不足であった。
さて、社会党内の議員集団「新民主連合」が「社民リベラル新党」の結成に向かうという。社会党が丸ごと新党結成に向かうのか、はたまた党の分裂に進むのか、先行きは不透明である。
しかし、いずれにしても「新党」という言葉が浮き上がっていて、実質的な意味がないように私には見える。既成政党・グループの集合・離散だけで新党をつくろうとしても、できたものは「新党」になりそうもないし、第一、時期的にやや遅きに失した観がある。
ただ、社会党の動きがどうであれ、個々具体的な政策や、それを支える理念を明確にする作業の必要性に変わりはない。
本稿では、非常に地味ではあるが、今後大きな政治上の論点となると思われる「地方分権」の内容と意義について、そして、地方分権の確立が真の意味での政治改革を完成させるのだということについて述べてみたい。     (以下次号)(by 依辺 瞬)

【出典】 アサート No.205 1994年12月15日

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【投稿】社会主義の理想に寄せて

【投稿】社会主義の理想に寄せて

① 小森さんが、以前「社会主義の理想がまちがっていたとはとても思えない」と書いていらっしゃったのを、痛ましい思いで読んだ記憶があります。ぼくも同感で、大阪のUさんがいつもおっしゃるような「とにかく民主主義だ、というスタンス」もわかるけれども、ぼくは、まだ社会主義にこだわっているのです。
マルクスもレーニンもたいへん評判が悪い昨今ですが、おりに触れて著書を読み直してみると、やはりそんなに間違っていたとは思えません。もちろんみなさんご承知のように歴史的限界はあって、マルクスはいくつものおもな先進国で一挙に革命が起こらざるを得ないと思ったし、「絶対的貧困化」という実際にはそのまま当たらなかった見通しを述べた。その他にも、「全集」の序文でも指摘されているような、たとえばバルカンのスラブ諸民族についての見解など、明らかな誤りだってあった。民族自決権については、どうしてもマルクス主義では「階級の利益優先」ということで抑圧される傾向があって・・・・でも、これは難しい。よくわからない。スターリンみたいな領土拡張主義は論外としても、みんなが自発的に民族の利益より階級の利益を優先するようにすれば、問題はないはずなのに、と、つい思ってしまうので、いけませんね。
さてレーニンの場合ですが、彼は議会制民主主義の否定的側面ばかり強調しすぎていたでしょうし、何しろ絶対主義的ツァーリ専制の国の人ですから、彼の「戦闘組織としての革命党」の論は、今では有効でない面が多いのも確かでしょう。しかしそれもまさに歴史的限界で、当時の事情では実践的には有効な選択だったと思えます。ただ、たとえば「プロレタリア革命と背教者カウツキー」をはじめ、とくに革命情勢下での論文に強く見られる攻撃的で激越な調子に、ついて行けないなと思うことはよくあります。現実の革命運動の方針をめぐって、メンシェビキやエスエル派の「社会排外主義」と激しくて重大でギリギリの闘争(もちろん理論的な)を展開していたから、仕方がないのかなとは思いながら。だいたいがマルクスからして論争のときに口調が辛辣すぎたから、マルクス主義者に悪い模範になっちゃったんだ、とある先輩がおっしゃっていたのを思い出します。
② 森信成(この人の名はアサートではあまり目にしませんが)は、民主主義を徹底したところに社会主義があるのだと実にわかりやすく説明した人でした。そして、社会主義における民主主義的要素の拡大(独裁的要素の死滅)をめざす任務でうしろ向きになったところにスターリンの限界があり、この点にスターリン批判の眼目があったと森先生は総括している。でも今から見れば、スターリンの政権は、最初からおよそ民主主義とは無縁だったとしか思えません。スターリンの政権奪取によって、ロシア革命は(そして世界中の社会主義運動が)大きく変質した。そして、フルシチョフらによる批判、改革の試みは不徹底に終わり、198号で紹介されている書物の著者西尾氏も言う通り、「プラハの春」は、現実の社会主義体制が悶え苦しんでいる矛盾を露呈した。
では、その前は? なるほどレーニンは反革命軍との内戦の時期、とにかく利敵行為は厳禁で、「銃殺」の命令を乱発していますが、あれは革命の防衛のために、どうしても必要だったのだろうとぼくは思います。では内戦終結後は? 残念ながら、レーニンが反対政党の復活のために努力した・・・・とは言えないように思われます。ソヴェト権力の維持が至上命令だったから、反対政党を積極的に復活する余裕がなかったのでしょうね。でも、共産党以外の政党を認めることがいずれは必要だったはずで、レーニンが長生きしていればそういうときが来ていたのではないかと希望的に観測する。ただし、そういう党がもし多数派になりそうになったら、やっぱり、「プロレタリア独裁の維持」のために、非合法手段を取ったかも知れない、いや、きっと取っただろうな、という気はする。要は、そうならないように、社会主義の方がいいんだと人々が政治経験を通じて納得できるようにやれたはずだし、そうでないなら、社会主義の思想は絵にかいたモチに過ぎない。いまの朝鮮民主主義人民共和国みたいに、個人崇拝の大宣伝と情報統制で維持する「社会主義」なんて。それこそ、新聞のない政府よりは政府のない新聞を選ぶ、と言ったとかいうアメリカの大統領の方が、ずっとまともです。
③ どこかの党みたいに「プロレタリアートの独裁」を「執権」だの「労働者階級の権力」だのと言いかえたらすむというものではないけれど、この「ディクタトゥーラ」という語は、たしかに物騒な語感がありますね。でも、資本主義社会は議会制民主主義になっていようがいまいが「ブルジョワ独裁」である、とする把握を反映した言い方なわけですから、歴史的に正当な用語だったと思います。
レーニンがていねいに説明している通り、選挙で公平に代議士を選んでいるんだといくら言ったってカネやメディアを握っている資本にカネもメディアも持たない労働者人民が公平に戦えるわけではない。したがって、議会制民主主義だからというのでただちに超階級的な全人民の国家だとは、もちろん言えない。本質的にブルジョワ独裁であることに変わりはないとしたレーニンの指摘は、十分に真実を含んでいたと思います。
でも、やっぱり一面的すぎたかな、と。レーニンに議会主義クレチン病だとか何だとかひどい言葉で罵倒された一部の社会主義者たちは、議会制度を充実させつつ、そこで多数派を占めることを通じて、社会主義が実現できると思った。それは当時の情勢や力関係のもとでは、まだ実現可能性の低い方針であったかも知れないけれども、のちには「モスクワ声明(81か国共産党・労働者党の声明)」にも明記されたように共産主義者が一致して有効な方針だと認めるようになったわけですから、むしろ彼らに先見性があったとも言える。逆に言えば、レーニンは専制国家しか経験していなかったために、ブルジョワ議会制度の意義やその未来の可能性を十分に見抜くことができなかったのかも知れません。
さらに言えば、「民主主義的中央集権制度」という本来正しいはずのシステムが、すっかり諸悪の根源みたいに言われるような代物になり下がったのも、レーニンの指導する非合法下の社会民主党での運用のされ方(くりかえし言えばそれは当時の事情においては不幸ではあってもやむを得ない、その意味で正しい運用であったとぼくは考える)が悪い伝統として残り、また広まってしまったというのも、一つの原因ではなかったかと思う。民主主義的中央集権制については、これが最も完全な民主主義を体現するものであることを森先生が明快に論証しています。(したがって「民主集中制なんて間違いだ」とは、ぼくは思えないのですが、アサート紙の寄稿者の方々はみんなそう思ってらっしゃるように感じる。でもぼくはいろいろな会議などにもなかなか参加できないので、どういう議論を経てそういう共通認識になったのか知らないのです。あるいは、以前にどなたかの論証が載ったのでしょうか。どなたか教えてくれないかしら。)しかし、言うまでもなく、これが国家のシステムに適用できるのは、再び森先生の言葉を借りれば「全人民を党の水準に引き上げることによって、党が自己を不要にする」ことが達成できた暁のことなのであって、そうでないのにこれを国家のシステムに適用すれば、それは民主主義の封殺に導かざるを得なかったのではないかと思うのです。旧ソ連の大きな誤りの一つは、このことだったでしょう。「ソヴェト」という形態は、レーニンをはじめ当事者たちの言う通り、ロシアにおいて自然発生的に生まれ、人々が進んで選び取った権力形態ではあったのでしょうけれど、それがロシアの後進性の刻印を生まれつき帯びていたものでなかったのかどうか? ぼくにはまだよくわからない部分なのですが、とにかく、西欧で模範的に発達したブルジョワ議会制度とは、無関係ではないにしても、ある程度は独自に生まれた制度だったと言えるでしょう。そして、それを指導したロシア社会民主労働党の圧倒的影響力のもとで歩んできた社会主義(共産主義)運動。きちんと整理することはぼくの力に余りますが、このへんに「不幸の始まり」があったのかも知れないという気がしています。
ともあれ、議会制度と、三権分立。日本の三権分立の機能のしかた–ことに司法権のテイタラク–を見ると、今のままでもいけませんが、やはりこのシステムの思想は人類の経験と英知の産み出した宝物だと思います。この基礎の上に、そしてその発展の中に、一つ一つの民主主義的な改革がかちとられて行くことを通じて、社会主義の理想に向って行かなければならないのではないか。
ここまで来れば、ぼくの考えは、たとえばUさんの「とにかく民主主義」とほとんど違わないような気もします。要するに、ぼくのこだわりは、敬愛するマルクスやレーニンがナニモカモ間違っていたという前提の上に立ってこれからのことを考えるのはイヤだ、という「ファンの感傷」みたいなものに過ぎないのでしょうか。
④ 話はすっかりかわりますが、最近気に入らないことを一つ。日本の常任理事国入りなんて、とんでもない思い上がりですね。前に、PKOだって憲法改正して、やってもいいのじゃないか–などと気楽なことを書いてしまったのですが、あれは原則論としてはともかく、やっぱり実際論としては間違いだったと深く反省しています。日本にそんな資格はない。
いまの常任理事国どもも、たいして立派な国ではないと思いますが、そこに日本みたいなろくでもない国を加えることはありません。女子差別撤廃条約だって、大慌てでいいかげんな法律を作ってやっと批准できた国。むしろ、国連が示す世界のスタンダードに肩をならべるために、まだまだ努力を要する政治後進国で、国連によって指導してもらわなきゃいけない身分なのに、指導的な立場になろうだなんて、おこがましい限り。それに、韓国をはじめ、日本から迷惑をこうむった国々は、日本との経済関係が大きいからか、あまりあからさまには反対せずに遠慮しているけれど、まだまだ日本に常任理事国になってほしいだなんて言っていない。そういう国々の人々みんなが気持ちよく日本を常任理事国に推してくれるまで、おとなしくしてるのが、分相応の態度です。
蛇足もいいところでしたが、どなたも「常任理事国」問題に触れてらっしゃらないように思うので、一言申し述べました。         (大阪 I)

【出典】 アサート No.205 1994年12月15日

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【投稿】米・中間選挙が問いかけるもの

【投稿】米・中間選挙が問いかけるもの

<<「希望」の象徴から「失望の象徴」へ>>
去る11月の米・中間選挙の結果、上下両院で野党の共和党が過半数を占めて逆転、米議会では万年少数派といわれた共和党が上院で多数を占めるのは1986年以来、下院での過半数は54年以来、40年ぶりの共和党の上下両院支配という新しい事態が現出した。さらに州知事選でも過半の州を共和党が押さえ、大統領選挙人を多く抱える大きな州の知事のほとんどが共和党ということになり、クリントン大統領再選の可能性が断たれたとまで言われる状況である。今回のいわば地滑り的な変動は常識を超えるものとさえ言われている。
なぜこのような事態になったのであろうか。90年中間選挙では「税金」、そして92年大統領選の「経済」にかわって、今年の中間選挙では「犯罪」が最大の争点になったといわれる。2年前、クンリントン氏は冷戦体制終焉後の新しい時代への「変化」「変革」をスローガンに、冷戦体制を引きずり、貧富の差を拡大し、世界の憲兵役を任じて国防費の膨張にいそしむ共和党の路線に対決して大統領選に勝利した。共和党色が強い南部にも支持を広げ、六つの州を制したのは、冷戦体制の中で疲弊した米国の再生を掲げ、「変革」を訴えた「ニューデモクラット」路線の勝利であったとも言えよう。93年1月の大統領就任に当たり「ニューデモクラットの旗のもとに結集を」と国民に呼びかけ、希望が語られた。
その後の2年間で財政赤字は減り、景気は後退期を脱し、国際収支の赤字は縮小し、失業も減少し始めた。景気過熱を抑える政策さえ提起している。本来ならば成果を誇っていいはずである。にもかかわらず今回の結果は、2年前の大統領選で公約したこうした「変化」を実現できなかったことへの有権者の強い失望感の表明であった。ワシントン政治の批判者として登場したクリントン氏は、2年の間に逆に自らが既成政治を代表し、「変革」を実行できない、えこひいきと身内びいきで行動し、政策決定過程に信頼と確信を持てない権力者として、不満を一身に浴び、二年前のイメージが全く変わってしまったのである。同大統領の不正資金問題「ホワイトウォーター事件」でアルトマン前財務副長官が辞任しているが、不正疑惑がさらに再燃する中で続いて今回ベンツェン財務長官までこの事件を不快なこととして辞任。クリントン氏の支持母体となってきた民主党指導者会議(LDC)でさえ激しいクリントン批判が噴出し、民主党自身が、次期大統領候補に現在の大統領を推すかどうか検討中と言わざるをえなくなっている。

<<「保守政治の復権」の実態>>
それでは共和党は、クリントン政権に対抗した「変革」と「希望」を語ることができたのであろうか。実態はクリントン攻撃、民主党攻撃に終始し、事態をよりいっそう悪化させる政策しか提示し得ていない。ましてや共和党が大統領選敗北後の2年の間に魅力ある政党に生まれ変わったわけでもない。
選挙戦の最中、共和党は「米国民との契約」と題した公約を発表している。その十項目の公約によると、まず、増税法案については、過半数ではなく「議会の五分の三の賛成が必要」と憲法を修正する「財政責任法案」を用意する一方、中間所得者層や高齢者中心の減税を公約し、同時に軍事費を増大させる法案を実現しようとして、「国防の強化、世界中での信頼性の維持、軍事費増額」を掲げている。さらに重要なことは、連邦政府の民間への介入を減らすことを主張し、福祉予算削減を要求していることである。
これらは冷戦体制下のレーガノミックスへの復古宣言とも言うべきものであろう。共和党は議会支配が実現した後、百日以内に大胆な政策を実現すると公約している。
ガチガチの保守派として有名で次期下院議長が確定しているギングリッチ氏は、選挙期間中、「大統領は、普通の米国民の敵」、「左派の世俗主義が米国をダメにした」と語り続け、「20の小委員会でクリントン政権の腐敗を追及する。関係者もどんどん喚問する」と公言している。同氏は、議会の最優先事項として、財政均衡、医療保険制度改革、犯罪防止の三点を上げ、共和党主導の法案作成に強い意欲を見せ、サッチャー前首相やレーガン元大統領の言葉を引用しながら「保守政治の復権」を繰り返しアピール、「神を米国の中心におくべきだ」として犯罪や都市荒廃の原因を道徳観の欠如にもとめ、公立学校でのお祈りを認める法案を半年以内に議会にかけると息巻いている。上院共和党のドール院内総務は、軍内部の同性愛問題や中絶問題でのクリントン氏のリベラルぶりをたたき、「共和党が両院で多数をとったら、政府を手元にくくりつけてやる」と語っている。

<<「不法移民締め出し法」の成立>>
さらに危険なのは人種差別的な排外主義の高まりである。カリフォルニア州では、同州だけで160万人と推定される不法移民の医療・教育に年30億ドルもの税金が費やされているとして、メキシコとの国境を越えて流入する不法移民に対して子供は公立学校に受け入れない、緊急医療以外の福祉サービスを停止するという住民提案「不法移民締め出し法」が、中間選挙と同時に投票にかけられ、予想を上回る賛成59%を獲得して可決され、州法として成立したのである。しかもこの提案は、医療・教育機関に不法移民かどうかを調べさせ、「疑わしい場合」は移民帰化局に報告するよう義務づけまでしている。もちろん同法は違憲の疑いが強く、施行差し止め訴訟が相次いでおり、同提案阻止の市民運動が各地で広がっている。
提案者である「わが州を救え」(Save Our State=SOS)委員会のロン・プリンス委員長は「提案した理由は二つある。ひとつは、不法移民対策だ。特に30万人に上る中南米系のこどもたちだ。もう一つは、こういう現状に何の手も打たない連邦議会や大統領に圧力をかけることだ」と述べている。提案支持を表明して再選された共和党のP・ウィルソン・カリフォルニア州知事は、同提案と同様の連邦法を作成すべきだと盛んに主張し、ギングリッチ共和党院内幹事は、不法移民対策強化に向けた立法化を示唆している。
しかし不法移民の大半は、米国民が嫌がる建設現場の力仕事、家事雑役、農作物の収穫作業など、さまざまな低賃金労働に従事しており、禁止されている児童の労働まで含めて徹底的に利用してきた、アメリカ経済にとって今や不可欠な労働力なのである。ワシントンのシンクタンク、都市問題研究所によれば、「連邦政府への納税分などを考慮すると中長期的には不法移民のバランスシートも、米国社会にとってプラス」の労働力である。しかし今やアメリカ社会にとってそれも受け入れ難い雰囲気が作り出されている。その背景には、黒人層やマイノリティを中心に貧困層(四人家族で年収150万円以下)は4年連続で拡大し、3900万人に達し、総人口に占める貧困者層の割合は、91年の14.1%から15.1%に上昇し、医療無保険者は4千万人にものぼるという実態がある。アメリカ社会の格差はむしろ広がっており、景気上昇過程にあるにもかかわらず、低所得者層の比率も上昇し、教育、医療、福祉への費用の攻撃が排外主義と不法移民攻撃の形をとって行われているのである。

<<新たな地殻変動の始まり>>
クリントン政権は、国内政策の目に見える具体的な成果として、国民皆保険をめざした医療保険制度改革を上げたのであるが、それは多くの庶民の期待に応えるものであったといえよう。そして事実米国民の70%以上が何らかの改革を望み、支持していたのである。しかし、民主党主導の議会においてさえ「イエス」か「ノー」かの論争に終始し、論争は何の具体的な成果も生み出さなかったばかりか、「政府の介入が強まる」とする共和党の批判や、負担増への企業や事業主の反発、民間保険会社などの反対でつぶれてしまったのである。
こうした個別問題に対する不満と政権の指導力に対する不信の高まり、さらには経済指標がよくなっても実感が全くともなわない景気回復へのいらだち、強まる格差拡大への不満の表れ、さらには増加する凶悪犯罪や政治や社会に対する先行きの不透明や不安感がクリントン政権、民主党に向けられ、大統領はもはや「失望の象徴」としか映らなくなったとも言えよう。逆に言えば、今回の結果は、冷戦体制終焉後の時代が求めている「変革」にもっと徹底して取り組むことを迫ったものだとも言える。
一方、共和党の元下院議員ウェーバー氏が語っているように「共和党はクリントンと民主党を叩くだけで、われわれは国民に問題解決の方策を示せていない」。その意味では今回の選挙は民主党の敗北ではあったが、共和党の勝利といえるものではない。事実、共和党は赤字削減への処方箋を示さないまま、大幅減税と国防支出拡大というレーガノミックスに戻れるものではないし、「銃規制反対」と「凶悪犯罪に対する断固たる措置」が両立するものでもないし、ましてや「保守政治の復権」や宗教右派政治の復権はアメリカ社会の「変革」に対立するものでしかない。これらは主張すればするほど、逆に共和党指導者に膨大な「政治的負債」となってふりかかってくるものでしかないのである。
ここに、冷戦期には互いに相互補完しあってきた民主党、共和党という二大政党政治は、ある種の機能不全、機能麻痺に陥っているといえよう。投票率が38.7%という低さにも象徴されているが、冷戦体制型の政党や政治制度に有権者は「変革」への期待や希望を抱けなくなっているのである。冷戦が終わって米国の政治経済社会のさまざまな矛盾とほころびが噴出してきたが、その多様化し複雑化する社会の矛盾や要求に、従来の二大政党制では対応しきれなくなったことを示していると言えよう。その意味では、米国の政党政治も、従来型の政党政治が崩れ始め、日本を含めた他の先進各国と同様、新たな地殻変動期に入ったと見るべきなのかもしれない。

<<クリントン政権と村山政権>>
クリントン米大統領は、共和党の要求を先取りするかのように、12月1日、96会計年度から6年間の軍事予算を総額で150億ドル増額することを発表している。大統領は政権発足当初、96年までの累計で約600億ドルの国防費削減を宣言、実行に移していた。大統領の当初予算案では後年になるごとに削減幅が拡大していたことからすれば、根本から修正した内容である。これが中間選挙敗北後の最初の対応であった。とすれば、任期後半の2年間に直面するのは「何をやるための政権か」というアイデンティティーの危機、存在意義そのものが問われている。
共和党主導の議会は、来年1月から始動するが、すでに上院外交委員長に超保守派ジェシー・ヘルムズ氏、軍事委員長に91歳の保守派ストロム・サーモンド氏が就任するとみられている。両氏は、共和党政権時代ですら、政府がまとめた米ソの軍備管理に関する合意に批判的であった。今回の米朝合意にも批判的でる。ヘルムズ氏は「クリントン大統領は軍最高指令官に不適格」「大統領が私の地元に来るならボディガードを付けた方がいい」と発言するに及んで、共和党内からも「委員長の適性に問題あり」と批判が出る人物である。議会を中心とする政策論議は共和党色の強い「タカ派路線」に戻るのは確実であろう。中間選挙の翌日、次期下院軍事委員長と目されるスペンス議員(共和党)は早速「過去二年間続いた国防無策を逆転させる」と息巻いている。国際的な安全保障案件について日本などに対する負担の要求が強まることは確実であり、新進党幹事長になった小沢氏の「普通の国」論との対応が注目されるところである。
一方、クリントン大統領は共和党の選挙公約である大幅減税と社会保障年金削減に早々とノーと言い、代わりに生活保護費抑制で医療保険改革の財源を生み出す「福祉と医療保険の抱き合わせ改革」を支持するよう求めている。議会での不毛な論争と政争の激化で、クリントン政権が有効な政策を打ち出せない事態も起こり得るし、多数派に対する拒否権の発動は国民的な支持がなければ、政治的に「死に体」となりかねいものである。クリントン大統領がおかれている切羽詰まった国内状況を見れば、外交政策や経済ナショナリズムにおいて政治的な生き残りをかけることに重点が置かれ、緊張激化政策の中でポイントを稼ぐという冷戦期の手法が頭をもたげ、それが自己目的化する危険性がなしとは言えないであろう。その意味ではクリントン政権が直面する課題は、単にアメリカ一国のものではなく、国際的な共通の課題でもある。
村山政権の置かれた状況は、クリントン政権の置かれた状況といわば二重写しともいえよう。自民党一党支配を打破した細川連立政権の登場は、時期的にも政治的にもクリントン政権の登場と軌を一にする共通性を持っていた。ところが細川政権の強権的政治手法への変質は、羽田政権を経て、以外にも自民党・社会党・さきがけの連立政権をもたらし、立場が逆転し、新進党は共和党的政治手法の小沢氏を幹事長に据えた。ある意味では村山氏は、クリントン氏と同様の状況に立たされたのである。社会党が掲げてきた平和と変革の政策が現政権においてこそ徹底して追求されなければ、もはやそのアイデンティティ、存在意義そのものがなくなるのである。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.205 1994年12月15日

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