【書評】「戦後史の正体」 

【書評】「戦後史の正体」 
       孫崎亨著 (創元社 2012-08-20 1500円+税)

9月中旬だったか、NHKが吉田茂を題材にしたドラマを放送していた。いわく、占領国アメリカに抵抗して、国民を守った首相吉田茂を描いたのだそうだ。しかし、本書によると、占領軍GHQとマッカーサーの指示は、何でも無条件に受け入れた「ポチ」首相吉田茂だった、というのが真相のようだ。

 本書は、戦後の政治史を、日米関係への態度を軸に読み解いたものです。
 「・・本書は、これまで語られることのなかった「米国からの圧力」を軸に、日本の戦後史を読み解いたものだからです。こういう視点から書かれた本は、いままでありませんでしたし、おそらくこれからもないでしょう。「米国の意向」について論じることは、日本の言論界ではタブーだからです。」(本書:「はじめに」より)
 
 <戦後の日本外交は、米国に対する「追随」路線と、「自主」路線の戦いだった>
 対米追随か、自主路線か、戦後長く続いた自民党政権についても、自主路線を選択、またはそれに傾いた首相は、米国によって排斥され、退場させられてきた。重光葵、芦田均(社会党)、鳩山一郎、石橋湛山、田中角栄、細川護熙(非自民)、鳩山由紀夫(民主)が挙げられている。竹下登、福田康夫も排斥されたグループに入ると著者は語る。そして、こうした自主路線派の排斥に協力した日本人の筆頭が吉田茂その人だというわけである。
 著者は、長い外務省経験の一つとして、イラン油田の開発問題を取り上げている。1999年から2002年までイラン大使を務めた著者は、当時のハタミ大統領の訪日に尽力した。アザデガン油田の開発も絡めた外交戦略だった。しかし、「日本がイランと関係改善を行うのはけしからん」とアメリカから圧力がかかり、高村外務大臣は内閣改造で姿を消し、油田開発も断念させられ、最後は中国に開発権を握られる結果となった。日本の自主外交をアメリカが断念させた例として著者は明らかにしている。
 本書は、1945年9月2日のミズーリ号での降伏文書調印、占領期を通じてのアメリカ支配、講和条約の締結、日米安保と地位協定、安保闘争と岸退陣、湾岸戦争と日本、9.11後のイラク・アフガニスタン紛争と日本など、まさに戦後史を紐解きながら、その中で起こった日本政界の「対米従属派」と「自主路線派」の戦いの歴史を、外交問題中心に語られている。
 
<対米従属路線を、墨守してきた自民党>
 8月15日が「終戦」記念日とされている。しかし、国際的には、連合国と無条件降伏を定めた降伏文書に署名した1945年9月2日こそが、「敗戦記念日」に他なりません。まるで天皇が玉音放送で、戦争を止めたように描く、これが戦後の出発点であった、とすることこそ、日本の誤りであると著者は言います。
 まさに無条件に連合国司令長官マッカーサーの指示に従う、これが吉田をはじめ戦後初期の政治家の「仕事」でした。その中でも、重光葵は一方的な占領政策に抵抗し、石橋湛山は、占領軍の費用負担の削減を要求した「自主派」であり、早々と圧力を受けて退陣を余儀なくされます。
 その後、「日本国民の生活水準は、旧植民地国民より下であってはならない理由はない」と生産設備の破壊などの占領政策を行ってきたGHQも、朝鮮戦争、米ソ対立を受けて、「共産主義への防波堤」と日本の位置づけを変え、日本の産業の発展を認めることになります。
 
<60年安保闘争は、途上国型政権転覆策であったのか>
 著者は、1960年安保改定を迎える中、岸首相の退陣をアメリカが画策したとの立場をとり、その根拠を示しています。岸は国会で、「日米地位協定は全面的に改定すべき時に来ている」と答弁し、アメリカの怒りを買ったと著者は語ります。
 日本国内のどこでもアメリカの意のままに基地として使用できる、費用は日本が負担するという日米地位協定こそが、アメリカにとっての日米安保条約体制の根幹であり、地位協定の改定を主張した岸について、アメリカの軍部とCIAこそが退陣を画策したと言います。親米経済グループの経済同友会系から、全学連の闘争資金も出ていたのではないか、との指摘です。政変のために、デモや国内の紛争を焚きつけるというのが、アメリカの常套手段であるとも指摘されています。少々抵抗のある論説ですが、岸が「地位協定の改定」や、中国との関係修復に動いていたとの指摘は、新たな検討テーマであるとも考えられます。
 
<日米対立の事態を経て、日米共同体へ>
 1970年代、80年代は、日本の経済成長に対して、アメリカに強い危機感が生まれた時期でした。その中でも田中角栄退陣の引き金であったロッキード事件は、アメリカに相談も無く、日中国交回復を行ったことへの報復ではないかと指摘しています。
 また、1970年代には、外務省内部で、米軍基地の逐次整理・縮小のための政策が検討されていたり、政府内部にも外交的な自主派が存在していた。しかし、その後の湾岸戦争やイラン・イラク戦争などを経て、こうした勢力は力を弱め、日米共同体という、対米従属的な親米派が強くなっていると著者は語ります。
 
<戦後政治を俯瞰する内容>
 著者孫崎氏は、「日米同盟の正体」他多数の著書があるが、一貫しているのは、外交における自主的立場を擁護することであり、アメリカに過度に頼らず、しっかりとした外交政策を独自に持つことを主張されている。鳩山由紀夫元首相が、政権交代を受けて、「アジア共同体構想」を打ち出したが、これもアメリカの抵抗にあったと言われている。
 今、尖閣だ竹島だ、領土を守れ、と与野党が競っている。しかし、日米地位協定を墨守し、事実上のアメリカ「占領状態」にある日本の現状はどうなのか。アジアに目を向けた独自外交ができない日本にしてきたのは、吉田に始まる自民党内従属派の歴代首相たちではなかったか。本書は、戦後政治を俯瞰し、今問われている政治・外交の課題を我々に突きつけている。(佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.419 2012年10月27日

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【投稿】週刊朝日問題について 

【投稿】週刊朝日問題について 

 週刊朝日(10月26日号)が話題になっている。発売当日の夕刻には、大阪でも完売した模様だが、その後の展開は、やや異様であった。問題の記事は、ノンフィクション作家佐野眞一氏の手による「ハシシタ 奴の本性」である。連載開始とされていたので、数回の掲載予定だったのであろう。(小生は、コピーを入手できた。)
 橋下の生い立ちについては、昨年10月の「月刊新潮45」が、しっかりした取材に基づく記事と特集を組んでいるが、このネタについては、大阪人としては、すでに既報道であり、目新しさはない。むしろ、10月4日の「日本維新の会」結成記念だろうか、資金パーティーの「潜入」記事が興味深い。一人2万円のパーティ券だが、所属議員が販売すれば、バックペイがあり、20枚以上売れば、一枚あたり1万円のバックがあるとか、一人で10枚買って参加した男の話など。少々、言葉はキツイが、橋下の演説を聴いてうさん臭さを感じた筆先は、中々鋭いものがある。さすが佐野眞一流だな、と小生は納得している。
 橋下は、「いつまで血脈探しをするのか」と週刊朝日を批判し、話を親会社の朝日新聞を敵とする話にすり替え、取材拒否を宣言した。
 記者会見でも、朝日新聞の記者を攻め立てていた。しかし、他の新聞記者は何をしていたのか。「橋下を批判すれば、ああなるのか」と、新聞記者の「根性」もなく、傍観していたのか。佐野氏の記事の内容は、「血脈ネタ」は3分の1程度。他は日本維新の会の取材記事である。関連質問をすればいいのである。ああ、情けなや。
 すでに、主要新聞は、橋下批判を書かなくなった。口を閉ざしているのである。そこで、唯一週刊誌は、まだまだ橋下ネタが取り上げられる。売れるからである。ひどいよいしょ記事の「現代」を除き、文春、新潮は、「橋下に任せられるのか」と論陣を張っていた。そして、朝日の登場となったわけである。
 結末としては、お詫びと連載中止となったわけだが、私は、これは始まりではないかと思う。後で振り返ると、これがターニングポイントだったという事がある。お詫びも連載中止も折込済ではなかったのか。支持率低迷、内部に組織的混乱、地方組織の目処も立たない、選挙資金もない・・。これから、ベクトルが反転するのか、面白くなってきたと思っている。別の媒体での佐野眞一氏の橋下評論を期待したい。(H)
 補:佐野眞一氏の文書の中で、具体的な同和地区名を表記した点について問題がある点は指摘しておきます。 

 【出典】 アサート No.419 2012年10月27日

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【日々雑感】 無条件降伏、それは不戦の誓いではなかったのか 

【日々雑感】 無条件降伏、それは不戦の誓いではなかったのか 

 先ず始めに、何ら学歴もない私の稚拙な文章が間違っていればご指摘ください。
 最近は、反中国、反韓国の記事で意図的に煽られて、人々は大政翼賛会化を受け入れるようとする風潮に傾きかけている危険すら感じます。
 メディアに出てくる、かなり良心的と思える学者や評論家の人々でも、領土問題では、一見、理路整然と?歴史上は、こうであったとか説明されるのですが、日本が第2次大戦で、無条件降伏した国なのだという視点から論じられているのは聞いたことがありません。何か抜け落ちている感じで残念なことです。「無条件降伏、それは不戦の誓いではなかったのか?」と問いたくなります。
 何年も前のこのアサート紙面で教えていただいた幣原喜重郎首相についての記事を思い出します。幣原首相は風をこじらせた時に、マッカーサー最高司令官からもらった抗生物質(確か、ペニシリンだったと思う)で完治したので、そのお礼にと、司令官を訪れた際に、「今後の日本の進むべき道は憲法9条の戦争放棄の採用だ。この判断が正しいか否かは、今後の歴史が証明するであろう」との旨の進言をされたと書かれてありました。
 私は幣原首相の大変な英断だったのだと、感銘を持って、その記事を読みました。日本国憲法は、反動勢力が言うような、外国から押し付けられたものではなく、いろいろな議論もあるかと思いますが、依然として世界に誇れる平和憲法なのだと思います。
 話を戻しますが、歴史的に、領土がどうだこうだと言うならば、あのモンゴル国はどうでしょう。かつてはヨーロッパまで進出支配した歴史がありますよね。歴史的にと言うならば、モンゴル国もヨーロッパを自国の領土だと主張できるのではないですか。
 そうではないでしょう?ファシズムから世界が解放された、第2次世界大戦終結のときから論じなければならないと思います。このことは、北方領土でも然りかと思いますが、どうでしょうか?
 大東亜共栄圏という名目の下、日本がドイツ、イタリアと三国同盟(1940年成立)を結んで、ファシズムへと突っ走った結果の敗戦、ここから人々は、多くの貴重なことを学ばなければならないのに、夢よ再びと頭をもたげる報復主義、石原や橋下、安倍等といった人物が出てくるのには、全くウンザリさせられます。
 以上「年寄りのボヤキととるならとれ、気が付いた時は遅いんだぞ。」の心意気でボヤキ続けようかと思っております。(2012-10-18早瀬達吉)) 

 【出典】 アサート No.419 2012年10月27日

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【投稿】対中・対韓 危険な挑発路線とほくそ笑む勢力

【投稿】対中・対韓 危険な挑発路線とほくそ笑む勢力

<<「国が買い上げると支那が怒るからね」>>
 日中間の領土問題をめぐる対立は、いよいよ険悪な、抜き差しならない状況に突き進んでいる。
 こうした状況をもたらした直接のきっかけは、4/16、東京都の石原知事が、日本の防衛族・憲法九条否定派議員と関係が深いことで有名な米国ワシントンの保守派シンクタンク・ヘリテージ財団で行った悪意に満ち満ちた挑発的な講演であった。その講演のテーマは「日米同盟と日本のアジアでの役割」と題するものであったが、現日本国憲法、とりわけ第九条を全否定し、日本の核兵器保有を前提とした「核のシミュレーションをすべきだ」などと自説を開陳、その文脈の中で「日本人が日本の国土を守るため、東京都が尖閣諸島を購入することにした」と述べ、突如、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南小島を個人所有する地権者と交渉を開始したことを明らかにした。石原知事はさらにインタビューに答えて、「ほんとは国が買い上げたらいいと思う。国が買い上げると支那が怒るからね」などと中国をわざわざ差別語である「シナ」に置き換えて繰り返し、そこで「東京が尖閣を守る。どこの国が嫌がろうと、日本人が日本の国土を守る。日本の国土を守るために島を取得するのに何か文句ありますか。ないでしょう。・・・まさか東京が尖閣諸島を買うことで米国が反対することはないでしょう。面白い話だろ。これで政府に吠え面かかせてやるんだ」と自らの愚劣な発言に得意満面であった。
 この時点では、このもはや命脈も尽きかけた、やることなすこと差別意識に凝り固まって身動きの取れぬ人物が行った起死回生の賭けがこの突飛な尖閣購入発言であった。本来ならばこんな挑発的で緊張激化、場合によっては軍事衝突さえもたらしかねない戯言は、無視されるべきものであった。しかし大手マスメディアがこれに飛びつき、面白おかしく持ち上げ、大阪市の橋下市長が事前に構想を聞いていたことを自慢げに明らかにしたうえで、「石原知事がこのような行動を起こさない限り、国はこの問題にふたをしたままで積極的な動きはなかった。すごい起爆剤になった」「普通の政治家ではなかなか思い付かないことだ。石原氏しかできないような判断と行動だと思う」とへつらい、ほめあげ、絶賛した。しかしこの時点でもまだ石原氏や橋下氏など同類、相共鳴しあう醜悪な図でしかなかった。
 ところが問題は、元外務省国際情報局長・孫崎享氏が述べているように「尖閣諸島は固有の領土ではなく、係争地であることをまず認識すべき」なのである。この問題が歴史的経緯からして日中間の懸案事項の一つであることが明白であるにもかかわらず、野田首相自身までもが一方的に「領土問題は存在しない」という挑発的で対決型の発言を繰り返し、対話と外交交渉、平和共存の道を自ら閉ざし、尖閣諸島の国有化も選択肢とする考えを示唆し、前原政調会長が「都ではなく国が買うべきだ」と呼応し、ついには9/10、野田政権は、尖閣諸島の国有化に関する関係閣僚会合を開き、魚釣島、南小島、北小島の3島を国有化する方針を正式に決定、翌9/11、3島を20億5千万円で購入する売買契約を「地権者」と交わし、国有化した。
 この有害無益な決定の直前の9/8、ウラジオストクでアジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席した中国の胡錦濤国家主席が野田首相と言葉を交わし、野田首相に対し、最近の日中関係が尖閣諸島をめぐる問題で「緊迫」していると指摘、「日本側がいかなる方法で『島を購入』しても、違法、無効であり、中国は強く反対する」と述べ、また、日本側には「事態の重大さを十分に認識し、誤った決定を下すことなく、中日関係の大局を維持する」ことを求めていたにもかかわらず、あえて国有化に踏み込んだのであった。
 石原都知事が狙った「国が買い上げると支那が怒るからね」という事態がついに民主党政権によって現出されてしまったのである。この時点でまず第一にほくそ笑んだのは、石原都知事であろう。ついで橋下市長や「維新の会」、自民や民主の国防族、有象無象の反中・反韓、民族派ナショナリストたちであろう。

<<東アジア共同体構想への敵意>>
 三年前の政権交代によって登場した鳩山内閣、民主党政権は、マニフェストにも掲げ、外交・経済政策の柱の一つとして東アジア共同体構想を提起し、それを推し進めようとしたのであったが、ここにその前向きな平和共存政策は、野田政権に至って完全に放擲されてしまったのである。この事態に実は最もほくそ笑んだのは、この鳩山構想を挫折させることに利益を見出していたアメリカ側であろう。
 しかし、この東アジア共同体構想、現実にはこの8月末、カンボジアで開かれた「ASEAN+6」(ASEAN+日、中、韓、オーストラリア、ニュージーランド、インド)で広域自由貿易経済圏を目指す「地域的経済包括連携」(RECP)を2015年までに仕上げ、2020年には米国抜きの単一の国際的組織、東アジア共同体に進展させる構想が、「ASEAN+6」の財務相会議で基本合意されている。これはアメリカが推し進めようとしている、アメリカの経済的支配が目的のTPPよりもハードルが低く、しかも経済規模でTPPの2倍、人口規模でもTPPを上回り、新しいアジアの平和的共存と不戦共同体としての地域共同体の実現が具体的日程に上り、日米の意向がどうであれもはや押しとどめようがない事態に進展しようとしている。
 この事態の進展にストップをかけ、アメリカの介入の余地を広げ、その政治的経済的軍事的存在を誇示するためには、日・中・韓の対立と緊張激化は願ってもない機会である。その意味では、今回の領土紛争の第三の当事者は実はアメリカなのである。沖縄の基地強化もオスプレイ配備も、自衛隊の先島諸島への配備も、集団的自衛権容認も、憲法9条改悪も、これらはこうした緊張激化路線と不離不測の関係にあると言えよう。アメリカはズル賢く日本を煽り、中国、韓国には第三者を装って、紛争の冷却化を提言しながらも、実はその長期化を狙っているともいえよう。
 福田内閣時代に日中両政府が合意した問題海域でのガス田共同開発プロジェクトは、2009年6月の鳩山・胡錦涛会談で事務レベルで進めることが合意されており、2012年4月には中国側から、「海洋の環境保護」分野の日中共同事業実施が提案されており、資源の共同管理を基盤に互いに平和的に共存共栄する道を着実に踏み固めることが今回の事態でぶち壊されようとしている。
 5月、マニラで開かれた日、中、韓の財務相・中央銀行総裁会議では、三カ国が国債の相互持合いを促進することで合意し、6月には円と人民元の貿易直接決済を進めることに合意していたが、こられも今回の緊張激化の事態の進展で互いに政治的経済的報復をやりあうようでは宙に浮かざるを得ないであろう。

<<「ウソをつけない奴は」>>
 今問われているのは、こうした緊張激化路線からきっぱりと手を切る政権の樹立である。東アジア共同体を、新しいアジアの平和的共存と不戦共同体としての地域共同体に仕上げる政権の樹立こそが、日本の進むべき道であろう。しかし情けないかな、その受け皿が全く見えてこない。民主党政権はもはや風前の灯である。野田政権はあるべき姿から全くかけ離れた存在、アメリカに媚びへつらい、提灯持ちをし、軍事的衝突をも辞さないような政権に成り果ててしまっている。
 そして野党第一党の自民党は、これまた輪をかけた右派路線を競い合い、党首選候補者5氏は、そろいもそろって有権者の意識からかけ離れた原発推進路線を堅持しているばかりか、「国防軍」の創設など「憲法改正」を掲げ、「集団的自衛権の行使」を公約にしている。最右翼に位置する安倍晋三元首相などは共同記者会見で「戦後体制の鎖を断ち切り、憲法改正に挑まないといけない」などと声を張り上げ、橋下徹大阪市長が率いる「日本維新の会」とは「憲法改正という大きな目標に向かって大きな力になる」と期待をと連携を表明、石破茂元防衛相は「憲法を改正したいという思いで自民党にいる」と胸を張り、石原伸晃幹事長も「国防軍の保持」を主張するなど、「国民政党」からはかけ離れたまるで右翼政党の党首選びに堕してしまっているのが実態である。
 これとまるで歩調を合わせるかのように「維新の会」の橋下氏も「集団的自衛権の行使」を明確に主張しだし、「日本の歴史をつくってきた人に対して礼を尽くすのは当然」と述べて靖国神社参拝まで公言、従軍慰安婦問題では「(慰安婦への)強制はなかった」として安倍氏を持ち上げ、焦点の消費税増税についても、「当面の財源不足を補うための増税はやむを得ない」とし、条件付きで消費増税を認める、一体自民党と何が違うのだと問われても、ただただその右翼性を先鋭化し、「維新」どころか「復古」を唱える、これまた右翼政党の本質を露骨に示しだしている。あえて違いを言えば、民主政治とは程遠い独裁主義的統治に心酔し、強権独裁国家を目指していることであるといえよう。自民党と唯一違う政策として、脱原発路線があげられるが、権力欲のために当面はいかにもそれらしく振舞っても、その筋から圧力をかけられれば「再稼働は仕方がない」といとも簡単に敗北宣言をする程度のものでしかない。
 橋下徹氏は自身の著書のなか「なんで『国民のために、お国のために』なんてケツの穴がかゆくなるようなことばかりいうんだ? 政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。自分の権力欲を達成する手段として、嫌々国民のため、お国のために奉仕しなければいけないわけよ。・・・ウソをつけない奴は政治家と弁護士にはなれないよ!」(『まっとう勝負!』小学館)と述べているように、すべてが自己の権力欲のためのウソ、方便でしかないのである。橋下氏自身は、大阪府知事、大阪市長、次は「維新の会」党首として自らの「化けの皮」が剥がれないうちに次のさらなる上位のポストへの転身をめざして自転車操業をしているものといえよう。こんな「第三極」に期待を持たせようとする大手マスコミの犯罪的役割こそが問われなければならないと言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.418 2012年9月22日

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【投稿】誰が日本の核の決定権限を握っているのか

【投稿】誰が日本の核の決定権限を握っているのか
                         福井 杉本達也 

1 日本の核政策を決定する権限は誰にあるのか
 9月14日、原発の「意見聴取会」「パブリックコメント」「討論型世論調査」の全ての世論調査で「原発ゼロ」が過半数を占め、また毎週金曜日の首相官邸前デモに押される中で、野田政権は、おそるおそる「2030年代の原発稼働ゼロ」を目標にするとした新たな「エネルギー・環境戦略」原案を決定した。しかし、核燃料再処理の継続と高速増殖炉もんじゅは研究炉として活用するという中途半端な政策変更である。
 この間、新聞紙上では「原発ゼロ」にすると光熱費が2倍になるとの数字が踊り、経団連会長から野田首相に「原発ゼロ」にしないよう直接電話がかかり、電力総連からは「雇用に大きな影響」があると脅され、青森県知事は核燃料再処理を止めるなら青森県から全ての使用済核燃料を出すと言われ、福井県知事からは原子力政策を「ぶれるな」と説得されてきた。
 途中まで検討された核燃料再処理の中止やもんじゅの廃炉の方向が(「もんじゅ、原子力委廃止」福井:2012.9.7)、なぜ、再処理の継続や「研究炉」として生かす方向に戻ってしまったのか。野田首相がこれらの雑音を聞いたからではない。米国は9月8日のAPEC首脳会合にからめて「原発ゼロ」に圧力を強めていた。クリントン国務長官は、ウラジオストックで野田首相と会談し、「原子力政策の定まらない日本に不信感」(日経:9.11)という言葉で直接圧力をかけてきたこと、そのため、10日午前に急遽原子力関係閣僚が官邸に集まり政策の修正を協議したのである。さらに、9月13日の日経はハムレ米CSIS所長の「日本、原発ゼロ再考を」という寄稿を掲載した。ハムレ所長は「国家安全保障上の観点からも日本は『原子力国家』であり続ける必要がある」とし、「日本が原発を放棄し、中国が世界最大の原子力国家になったら、日本は核不拡散に関する世界最高峰の技術基準を要求する能力を失ってしまう」とし、日本が核の国際体制から抜け駆けしないよう露骨に恫喝した。あわてた政府は12日、属米派の長島昭久首相補佐官を急遽米国に派遣した。同日、訪米中の同じ属米派の前原誠司民主政調会長も米エネルギー省のボネマン副長官と会談した。日経の会談の解説記事によると、「日本が原発ゼロを選ぶと、関連産業は衰退し、原子力の技術は先細りとなる」「米国は核燃料の再処理を原則的に止めている。再処理技術は同盟国の日本が肩代わりして、技術を共有している格好だ。その再処理は核兵器の原料となるプルトニウムを生産する技術。…中国なども猛烈に追い上げるなか、世界はかろうじて秩序を保っている」(日経:9.14)というのである。さらには、11日、英国のウオレン駐日大使も藤村官房長官を訪ね、英国に委託処理している高レベル放射性廃棄物の引き取りを求めた。また、13日にはマセ仏大使も官房長官を訪ね同様の要請をしたといわれる(日経:同上)。国際的核戦略体制から勝手な脱走を許さないという強い圧力が高まっている。

2 低線量被曝安全論を補強する中西準子氏の「リスク・ベネフィット解析」
 経済産業省の外郭団体:産業技術総合研究所の中西準子フェロー・岸本充生グループ長らは放射線リスクについて、100ミリシーベルト(mSv)以下の低線量被曝について「リスク・ベネフィット解析」(費用対効果解析)の手法により、福島県などにおける放射能汚染地域への帰還の可能性を論じている。中西準子氏は下水道など水処理の専門家であり『環境リスク論』(岩波:1995.10)などの環境分野で積極的な政策提言を行っている(中西準子氏は『中国革命と毛沢東思想』(青木書店:1969.2)などの著作で中国の『大躍進政策』や『文化大革命』の誤りを鋭く分析した故中西功氏の娘である)。中西氏らは、たとえば「地域の被ばく量の平均値が10mSv以下になった時点で帰還可能にする」といったモデルを考え、ある限度値以下への帰還を進めることによって地域の崩壊・特に農業の崩壊を防ごうというのである(雑感「費用対効果解析の境界-福島のコメ、さらには除染―」2012.6.5)。中西氏は「規制の基礎はリスクだが、リスク管理に対応した基準になっていない」と現在の基準を批判する。現在の基準とは職業人で5年間最大100mSvかつ特定の1年間の最大被曝線量50mSv、年平均では20mSvm、放射線管理区域5mSv、一般公衆の年間最大被曝線量1mSvと定められている(「電離放射線規則」第3条・4条・7条等)。この原則に基づき、昨年12月に環境省が発表した基準では、年間1mSvを時間当たりに換算した0.19マイクロシーベルト(μSv)に自然放射線量の毎時0.04μSvを加え、0.23μSvとした。この数値を超えるスポットのある区域を「汚染状況重点調査地域」に指定したのである(福島・茨城・栃木県など6県102市町村、面積23,900平方キロ・推計人口690万人にもなる)。中西氏らは「リスク・ベネフィット解析」により、たとえば、5mSv以上は「放射線管理区域」並みの地域であり除染が必要だが、これを除染せずに10mSvまでを帰還地域にしようというのである。なぜなら、現在の福島県の5mSvを超える放射能汚染地域は福島市を始め2,600平方キロ、1mSv以上の地域では県土の70%にもなる。これを除染することは費用対効果を考えれば「あまりにも馬鹿げて」おり不可能だというのである(中西:雑感:4.27)。確かに中西氏の言うとおり広大な面積の除染は馬鹿げている。しかし、5mSvの「放射線管理区域」並みという「電離放射線規則」上の基準=ICRPによる国際的な基準を10mSvにできるかといえば疑問である。
 まず、根拠がない。岸本氏は「安全を『受け入れられないリスクがないこと』と定義すれば、操作可能な概念になり、安全性を確保するための手順がおのずと明らかになる。安全性を確保するために、第1段階:リスクを評価する。第2段階:受け入れらないリスクのレベルを決める。その際には、費用面や倫理面なども考慮する(費用便益分析で決めることも可能である)。第3段階:実際の状況がそのレベル以下であることを、エビデンスをもって示す。」とし、「安全とは社会的合意に基づく約束事である以上、どこまで安全を求めるべきかについては、専門家に任せっきりにしてしまうのではなく、対策にかかる費用や他のリスクとのトレードオフなど様々な要素を考慮しながら、私たちみなが一緒に考えていかなければならない」(岸本コラム:2012.3.22)と述べるが、何を持ってICRPの勧告を上回る根拠(エビデンス)を示すことができるのか。中西氏のように「放射線濃度(?)が高いコメを買うことによって…電気代を下げる効果がある」(中西:6.5)といった“分析”をやっているようでは終いである。
 低線量放射線の危険性については、岸本氏も指摘するように確かに、「100mSvの被曝でがんによる死亡が相対的に0.5%上昇するというところまでは科学的な合意があるが、それ以下のいわゆる低線量被曝の影響は統計的な有意差が見いだせないので『分からない』のである。」のであるが、この「分からない」とは本当に有意差が見いだせなかったからではなく、放射線影響研究所(ABCC)が1953年に行い始めた低線量被曝調査の動きを封じ疫学的統計を残さなかった(NHK「知られざる放射線研究機関ABCC/放影研」)からである。この厳然たる事実を「費用便益分析」などといった怪しげな経済学的手法で乗り越えることは不可能である。
 第2にICRP勧告は、国際的な核支配体制の妥協に基づき出された基準である。したがって、「放射線管理区域」5mSv、「一般公衆の年間最大被曝線量」1mSvといった基準を日本だけが崩すわけにはいかないのである。核管理の国際的約束事だからである。もし、それを崩すならば国際的核支配体制から締め出されることとなる。だから政府は無理と分かっていながらも「除染」を言わざるを得ないのである。
 したがって、中西氏や岸本氏の役割は山下俊一福島県立医大副学長や中川恵一東大准教授と同様の低線量被曝安全論を補強するものでしかない。

3 早急に国際核支配体制からの離脱を
 9月上旬からの六ヶ所村の核燃料再処理施設の継続・もんじゅの存続という一連の動きの中で米国を中心とする国際核支配体制の狙いはよりはっきりとした。核支配体制にとって最も危険な施設を日本に置き、自らは圏外にいて核管理を行い、技術的成果だけは頂こうということである。そのため、日本が勝手に核支配体制から離脱してもらっては困るのである。日本が離脱することのないよう、用意周到に尖閣諸島や竹島の「領土問題」に火を付け、マスコミを総動員して「原発ゼロ」の真剣な議論から国民の目をそらせると共に、中国の脅威を煽り、「潜在的核保有国」に踏みとどまらせようという作戦であった。APECでの韓国の李大統領とクリントン長官の会談以降の韓国側の行動の軟化は誰が李大統領の後にいるかを示している。
 しかし、このまま日本が国際核支配体制に追従し続ければ、必ずや終わりの日が来る。鉄は必ず錆び・コンクリートは朽ち・地震は起きる。大飯か、六ヶ所村か、もんじゅかは分からないが、その時は、1mSvや5mSvといった数字は中西氏の希望通り、大した意味を持たなくなるであろう。“晴れて”ICRPの勧告を無視した核の無法地帯として山下教授推奨の50mSvや100mSvという数字が飛び交い、日本人の平均寿命は40歳台以下に落ち、日本からの輸出品は全て禁止され(現在も韓国・中国・タイを始め多くの国で日本の食品の輸入が禁止されている。2012.8.27農水省)、米英仏の核の奴隷として生きるしか道がなくなるであろう。
 中曽根康弘や石原慎太郎らは日本を核保有国とするために、日本の独立を米国に売り渡すことによって、核を導入してきたが、その結果は、独立国になれない国家の国民には核の選択権はなく、ただひたすら宗主国にひれ伏し核の危険を一身に背負い、日本国民の生命を米英仏核資本に売り、奴隷となるであろう未来しかない。 

 【出典】 アサート No.418 2012年9月22日

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【投稿】領土問題に蠢く魑魅魍魎 

【投稿】領土問題に蠢く魑魅魍魎 

明治維新が始まり
 この間、東アジアに於いて領土問題にかかわり、緊張が高まっている。日本は韓国とは竹島(独島)を巡り、中国とは尖閣諸島を巡って対立が続いている。これに加えロシアとの北方領土問題もあるが、今回は竹島、尖閣問題を巡る状況について見ていきたい。
 問題の発端であるが竹島、尖閣諸島とも明治維新以降の大日本帝国版図の拡大過程に起因する。竹島は江華島事件-日朝修好条規締結から始まる日韓関係の中で、尖閣諸島については明治以降の日中関係を見なければならないが、第1次、第2次の琉球処分から、今日に至るまでの沖縄問題と切り離して考えることはできない。
 第2次世界大戦終結で日本の帝国主義的膨張がリセットされ、サンフランシスコ講和条約締結後、日韓基本条約、日中平和条約締結時にこれらの問題の解決を図る機会があったが、冷戦下の反共、反ソ同盟構築が優先され棚上げされてきた。その責任は言うまでもなく歴代自民党政権にある。
 いずれにしても各国とも帝国主義以前の状況に立ち戻って論議を進めることが肝要だと考えるが、日中韓、それぞれの政権とも内政に困難を抱えるが故、政権の延命のためにも振り上げた拳を下せないままでいるのが現状だ。

領土問題で政権延命
 日本は民主党が消費税増税を口実とした小沢派の大量離党を発端として、その後も「日本維新の会」への逃避など脱落者が相次ぎ、瓦解への道を転がり落ちている。
 野田総理は出来レースともいうべき民主党代表選挙で再選されたが、今後の政局、国会運営の展望は描けていない。そこで「近いうち」の総選挙に向けての起死回生の策として打ち出したのが、内政に於ける「原発ゼロ」であり、外交での「領土問題」である。しかし威勢よく打ち上げたにもかかわらず、9月初旬のNHK世論調査では野田内閣の支持率は31%と8月に比べ3%の微増に止まっている。 
 韓国では政権末期の李明博大統領が、支持率回復=大統領選挙での与党・セヌリ党勝利への起爆剤として、「従軍慰安婦」問題へ対応が不十分との理由で独島上陸を決行した。さらに独立運動の犠牲者等、日本の植民地支配にかかわり天皇への謝罪を要求するなど、左派と言われた故蘆武鉉前大統領よりも大幅に踏み込んだ対日強硬姿勢を示した。ただ、独島や独立運動についてはともかく、「従軍慰安婦」に関しては李大統領にどこまで思いがあるか、これまでの対応から疑問に感じる点もある。
 しかしこれにより、李大統領の支持率は17%から25%に増加、次期大統領有力候補と言われる朴槿恵元同党委員長も同様の対応を継承している。
 中国では経済減速に伴い貧困層の不満が拡大しつつある。中国共産党指導部は、胡錦濤主席から近習平副主席への権力移譲をスムーズに進めようとしている。
 しかし重慶市で惹起した権力闘争に加え、当局は否定するものの近副主席の「健康不安」(暗殺未遂説も飛び交っていた)が明らかになり、暗雲がたちこみ始めた。このタイミングでの領土問題の惹起は願ってもないチャンスである。

政権と市民との落差
 このように各国権力が三者三様の思惑でチキンレースを繰り広げられる領土問題であるが、各国民衆の対応にはかなりの温度差がある。
 韓国ではロンドンオリンピック男子サッカー三位決定戦におけるパフォーマンスがとりわけ注目を集めたが、独島領有に関してや、「従軍慰安婦」問題の解決については以前から継続して主張されており、国論として定着している。
 この間ソウルなどでは大規模な反日デモは発生しておらず、独島領有は前提としつつ、李大統領の過剰なパフォーマンスに対する冷ややかな目があるのも事実だ。
 中国では主要都市を中心に連日のように反日デモが繰り広げられている。こうした組織的な動きは、一部が暴徒化しているが概ね当局によりコントロールされている。
 今後の動きは予断を許さないものがあるが、全体的には、小泉元総理の靖国参拝に端を発した2005年の反日行動に比べ、極端に突出はしてないのが現状である。靖国参拝よりは今回の尖閣国有化のほうが挑発的で中国人の「愛国心」を刺激すると考えられるが、その意味では以外に冷静であるといえよう。
 象徴的な動きとして、9月8日、8月に抗議船を送り出したおひざ元の香港で、「中南海のお目付け役」である香港政府行政長官が緊急記者会見を開き、学校での「愛国心教育」導入を撤回した。中国共産党一党支配を正当化する内容が市民から批判されたためと見られている。 
 さらに翌日の香港立法会選挙では、尖閣上陸を果たし「愛国心」を鼓舞、「英雄」となったはずの元議員が返り咲きならず落選した。元議員は以前、民主化を叫び「五星紅旗」を燃やしながら、今回は同じ旗と「青天白日旗」を掲げるという胡散臭さが見透かされたのだろう。
 元議員が所属する「保釣行動委員会」は10月にも再度尖閣上陸を呼号しているが、現在のところスポンサーは資金援助を拒否し、香港当局も許可しない方針である。

新たな維新では事態悪化
 日本では石原東京都知事さらには、自民党の山谷えり子参議院議員や田母神俊雄元空幕議長ら札付きの人物が参画する「頑張れ日本!全国行動委員会」が跳梁跋扈している。
 山谷議員らは、竹島問題をアピールするため鬱陵島渡航を企て韓国から拒否された前歴が記憶に新しい。それが今回は「戦没者の慰霊」を口実に尖閣上陸を強行した。当初は海上からの慰霊に止めるとしていたが、魚釣島に接近した際、地方議員らが海に飛び込んだという。
 また、今回の尖閣問題の発端となった、東京都による購入計画にしても多額の債務を抱える地権者が、結局は提示金額の高い政府に売却を決めたという「愛国心」とは無関係の話であり、これも胡散臭さが漂っている。
 北京やソウルと比べ東京は全く平穏と言ってよい。右翼・排外主義者が散発的な行動を繰り広げているが、たとえば脱原発やオスプレイ配備反対の圧倒的な動きの前には微塵もないものである。 
 愚かしいことに野田政権は、脱原発の声は形式的な対応で済ませたのに対し、極論に乗っかり9月11日尖閣諸島の国有化を強行した。竹島に関しては国際司法裁判所への単独提訴というパフォーマンスを進めているが、これらは政府の姿勢を示す以外のものではない。
 野田政権は国際的な理解=アメリカの支援を当て込んでいたが、その目論見は見事に外れている。アメリカは製作者不明の映像がもとで自国大使が殺害される事態に比べれば、日の丸が捕られたくらいなんでもないと思っているだろう。北京のデモがどうより、沖縄の集会を何とかしろ、というのがアメリカ本音だろう。
 領土問題の着地点が見いだせないままアメリカも含めた各国では、この秋以降政権が交代していく。この中で次期政権の枠組みを巡り、最も混沌とするのは日本であることは間違いない。来る総選挙で民主党が政権を失うのは確実であるが、自民党とて領土問題の棚上げ、先送りを繰り返してきた経過を見れば解決策があるとは思えない。
 こうしたなか、この間「集団的自衛権の行使は認めるべき(橋下大阪市長)」などと対外強硬路線を公然化させてきている「日本維新の会」が政権に参画すれば、まさしく先の維新以降の不幸な歴史が繰り返される恐れがあると言えよう。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.418 2012年9月22日

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【紹介】–己に厳しく 弱者に優しく– 横田三郎追悼文集が発行されました。 

【紹介】–己に厳しく 弱者に優しく– 横田三郎追悼文集が発行されました。

2年前の9月5日、教育学者横田三郎先生が急逝されました。早2年の年月が経過しています。この間、大阪市立大学文学部教育学科の卒業生を中心に、追悼文集の準備が進められてきました。3回忌を前に、同書が完成し、出版されました。私の手元にも、「追悼文集編集委員会」より届きました。表題は「己に厳しく 弱者に優しく」。奥様である横田ミサホ様の筆になる題字と書名が表紙に刻まれています。
 直木孝次郎さん、佐藤武敏さん、南大路振一さんなど、大阪市立大学の先生方、そして山本晴義さん、田中欣和さん、桂正孝さん、田畑稔さんなど、大阪唯研や解放教育分野での仲間たち、広島修道大学時代の先生や教え子の皆さん、そして、市大教育学科の卒業生による追悼文が収められ、最後に奥様ミサホさんの「終生己に厳しく」という文章で締めくくられています。
 「・・・あなたは40数年かけて念願の翻訳を全て実現させた後の約1年間も、生命の炎が尽きるまで仕事の手を緩めることはありませんでした。死の直前の早朝にも普段通り、ロシア語講座で発音や会話の練習を怠りませんでした。しかし、このような厳しさの反面、誰彼の区別なく弱者や若い学生さんたちに対してもおおらかな愛を持って接してくださったことを私は決して忘れません。・・・」とミサホさんは、先生との思い出を綴られています。(佐野秀夫)

  【出典】 アサート No.418 2012年9月22日

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【日々雑感】熊森VS小出対談 ③(最終) 

【日々雑感】熊森VS小出対談 ③(最終) 

 前号に続いて、熊森インタビュアーと小出先生の対談を続けさせていただきます。

<線量の高い山には入らないこと 地下水の汚染は比較的少ない>
熊森:東北や関東の、山の放射線量がとても高いと聞いています。
小出:熊森協会のみなさんに山に入ってほしくないですね。入るなら日数や時間の制限が必要です。
熊森:山からの湧き水は大丈夫でしょうか。
小出:セシウム137は、かなり強く土に付着します。今現在でいえば土の表面5~10センチにほとんど止まっている—-基本的には、水に移る割合というのはそんなに多くない。30年経って半減します。

<原子力ムラ利権集団の再復活>
熊森:3.11事故で原発事故は取り返しがつかないとわかりました。
 私たち近畿に住んでいる者には、福井原発がすごく心配なのですが、夏は電力が不足する、安全テストが終われば再稼動と言う声が出て来ました。そんなのおかしい。こんなこと子どもでもわかるじゃないですか。でも、大手メディアが一方的な報道を流して、加担しています。そのうち、再稼動に反対している国民の正常な感覚もだんだんメディアに洗脳されていって、また原子力ムラの人たちに騙されてしまう日がくるのではないでしょうか。(注)大飯原発7月2日から再稼動
 熊森協会は事故後、自然保護団体として、会報の表紙に核兵器と原発撤廃を明記しました。はっきり言わないと人々には伝わりませんから。
小出:日本は、夏の電力原発なしで十分足りています。政府発表のグラフを見れば分かります。原子力ムラが、利権復活のために、また、政治家、学者、マスコミを使って国民に嘘の情報を流し始めた。本当に困った人たちです。
熊森:これからも、本当のことを私たちに伝え続けてください。ありがとうございました。

 以上が、小出裕章先生と熊森協会インタビュアーとの対談のすべてですが、この記事を書いているうちにもいろんな状況の変化がありました。2012年9月6日(木)の朝日の夕刊1面でも小出先生など反原発の「熊取6人組」と呼ばれる学者の記事が載っておりました。長くは書けませんので、年齢順にお名前だけ書かせていただき、今後の御健闘を祈らせていただきます。
 
 瀬尾健(せおたけし 94年に53才で亡くなられた)、今中哲二(いまなかてつじ 61)、小出裕章(こいでひろあき 63)、川野眞治(かわのしんじ 70)、海老澤徹(えびさわとおる 73)、小林圭二(こばやしけいじ 73) <敬称略>
 
 主義主張がもとで職場で嫌がらせを受けたことはないと、彼らは言う。しかし、ほとんどがずっと助手、助教のままで、教授になった者は一人もいない・・・・とのことです。(2012-09-13 早瀬達吉)

 【出典】 アサート No.418 2012年9月22日

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【投稿】大政翼賛報道と原発・増税問題

【投稿】大政翼賛報道と原発・増税問題

<<米GE、原発“見切り”発言>>
 東京電力や関西電力、経産省、原子力村にとっては、そしてもちろん野田内閣にとっても、耳を疑いたくなる衝撃的なニュースが、最も頼りとする米国からもたらされた。
 一つは、米ゼネラル・エレクトリック(GE)最高経営責任者(CEO)、ジェフ・イメルト氏の原子力発電に対する発言である。GEは1950年代に世界でも最初期の商用原子炉を建設し、2007年に日本の日立製作所と原子力発電の合弁会社を設立して以来、業界トップの一角を占めてきた、そのCEOが、東京電力福島第1原子力発電所の事故をきっかけに原発のコスト上昇が見込まれる一方、多くの国が地中深くの岩盤から採取する新型天然ガス「シェールガス」や風力に発電用エネルギー源をシフトすると予見。原発は「(経済的に)正当化するのが非常に難しい」と英紙フィナンシャル・タイムズのインタビュー(7月30日付)で語ったのである。イメルト氏はもともと資金面や周辺住民対策など政府への依存度の高い原発ビジネスに疑問を呈し、今年3月、米ヒューストンで開かれたエネルギー業界最大の会議での講演でも「『原子力ルネサンス』というものは(福島の)事故の前からそもそも存在していなかった」と批判的な発言をしている。地球温暖化対策にかこつけて「原子力ルネサンス」に期待をつないできた原子力ムラに所属する電力業界、経産省、財界、産業界、学界、原発推進労組等々にとっては、原子力ムラの住人そのものの発言であるだけに不都合極まりなく、苦々しい限りであろう。
 今回の発言は、福島原発事故の3か月後の昨年6月にドイツのメルケル政権が22年までに全原発を停止する「脱原発」の方針を決定すると、その3か月後の2011年9月に独シーメンス社長、ペーター・レッシャー氏が独誌シュピーゲルのインタビューで表明した「原発事業撤退」に続く米欧電機大手トップの衝撃発言であり、その衝撃度は、シーメンスの場合の表面上は単なる経営選択以上に、GEの場合は原発事業そのものへの“見切り”発言であるだけに、日本の原子力村にとってはさらに大きいといえよう。

<<「ヘリコプターが水を投下するのを見たでしょう」>>
 さらにより根本的な問題が続いて提起された。それは原発が「トイレのないマンション」と例えられる致命的欠陥があらためて突きつけられたニュースである。
 米原子力規制委員会(NRC)は今月7日、最近の連邦控訴裁判所の判決で提起された使用済み核燃料政策の問題への対応ができるまで、原子力発電所建設の認可手続きを停止し、使用済み核燃料の貯蔵規則の見直しを同委が終えるまで、原発の新設や運転期間の延長を認可しないことを決めた。
 この決定に至る前段、コロンビア特別区巡回控訴裁判所は6月、NRCの使用済み核燃料への対応は連邦環境基準に合致していないとの判断を示した。控訴裁判所は、必要になれば最終処理場が建設されると見るべき「合理的な保証」があるとしたNRCの見解を退けたばかりか、使用済み核燃料は原発の認可期間を超える60年間にわたり、プールあるいはキャスク(使用済み燃料用容器)の中で安全に貯蔵できるだろうとするNRCの主張も認めなかったのである。NRCはこれまで、承認された稼働年数を超えた原発の敷地内でも使用済み燃料は安全に保管できるとの前提に立って、原発の新設・運転延長の申請を審査してきたが、同裁判所は、プールからの漏れはこれまで害がなかったとNRCが考えたとしても、NRCはこれまで以上の漏れやその他の事故の可能性とその結果を評価しなければならないとしたのである。
 この判決が出るまではNRCは、新規原発を認可したり、既存原発の認可を延長する際にはいわゆる「廃棄物信頼性決議(Waste Confidence Decision)」に依拠し、同決議に従ってNRCは、政府は最終的に恒久的な処理場を設けると信頼していることを理由に認可してきた。
 ところが、ネバダ州のユッカマウンテンが高レベル放射性廃棄物の埋設処分(地表から201m~488m、平均305m)施設の唯一の候補地と決定されて以来、約90億ドル(約1兆円)の費用をかけて処分場建設が進められてきたが、2009年、オバマ政権が計画中止を決定、処理場を作る計画を打ち切ったことから、同国の使用済み核燃料の最終的な行き場所のあてがなくなり、さまざまな代替案が検討されてきたが宙に浮いたままである。
 こうしてNRC自身が、福島第一原発事故を受けて、使用済み核燃料の危険性を指摘する声が高まるなか、「稼働年数を超えた原発の敷地内でも、使用済み燃料は安全に保管できるとの前提」の見直しに踏み込まざるを得なくなったのである。今回のNRCの決定に際して、新しい委員長に就任したアリソン・マクファーレン女史が「皆さんも福島の使用済み燃料プールにヘリコプターが水を投下するのを見たでしょう」と会見で語ったことがそれを象徴している。
 8/8付ウォールストリート・ジャーナル紙は「米NRC、原発認可手続きを停止」と題して「環境保護活動家らは、使用済み核燃料の専門家であるマクファーレン新NRC委員長の最初の重要なステップであるこのNRCの決定を歓迎している。環境保護グループ、パブリック・ジャスティスのリチャード・ウェブスター氏は、使用済み核燃料に関する既存のシステムが十分だという「錯覚」の下でNRCが運営されることを認めようとしていない、と述べた。」と伝えている。
 原発を稼働させる限り、次から次へと高レベルから低レベルまで放射性廃棄物が山積みされ、再処理はもちろん何万年も管理することなど到底不可能な地下埋設処分など、全てがいよいよデッドロックに乗り上げてきたこと、その危険性が誰の目にも明らかになってきており、もはや隠し通すことが不可能な現実に直面しているわけである。

<<「反増税の勢力が台頭しようとも」>>
 しかしこの二つのニュース、「原発は正当化できない」、「核のゴミ(放射性廃棄物)は避けて通れない」ことを明らかにし、日本の原子力ムラや政財界にとって最も都合の悪い、核心をついたこのニュースを、日本の大手マスコミはほとんど報道していないか、極めて小さな扱いしかしていない。明らかに日本のマスコミは、原子力ムラや経産省、政財界と馴れ合い、飼いならされ、いまだにその膨大な広告・宣伝費に依存し、このニュースがもたらす衝撃度を和らげることに必死で、オリンピック報道の影に隠し、今や尖閣・竹島問題でナショナリズム扇動に加担するオンパレードである。この報道姿勢は、財務省の増税路線と一体化し、その手先と化したかのような姿勢にも露骨である。
 とりわけ、消費税増税をめぐる大政翼賛報道と見紛うばかりの、自公民・三党合意礼賛報道は度を越しており、一片の批判精神さえ示すことができず、低下している自らの社会的存在意義をさらに低下させ、その報道姿勢は侮蔑の対象とさえ言える段階に来ていると言えよう。
 民自公3党の「近いうち解散」の談合によって消費税増税法案が成立した翌日、8/11の各紙の社説は、政府広報そのものである。「一体改革」どころか、このデフレ下に生活を破壊し、経済を崩壊させる大増税を平然と支持・礼賛しているのである。

 「一体改革法成立 財政健全化へ歴史的な一歩だ 首相の「国益優先」を支持する」(読売)、「一体改革成立 「新しい政治」の一歩に」(朝日)、「増税法成立 「決める政治」を続けよう」(毎日)、「この増税を次の改革につなげたい」(日経)

 そもそもこの消費税増税については、3年前の2009年8月の総選挙において、4年間は増税しないことを公約して、それまでの自公政権の自由競争礼賛・弱肉強食の新自由主義路線からの決別を公約して歴史的な政権交代が実現したのである。そしてこの増税法案成立後も、世論調査で明らかなように半数を超える有権者が依然、反対を表明しているのである。
 本来ならば、社会の木鐸としての存在意義からすれば、この公約を踏みにじったその政治姿勢がまず徹底的に批判されなければならない。ところが、朝日社説はこの増税を「国会が消費増税を決めたのはじつに18年ぶりだ。民主、自民の2大政党が、与野党の枠を超え、難題処理にこぎつけたことをまずは評価したい」と持ち上げ、読売に至っては「審議に200時間以上をかけ、圧倒的多数の賛成で成立させた。高く評価したい。 選挙の結果、政権が代わり、反増税の勢力が台頭しようとも、民自公3党は「消費税10%」の実現まで責任を共有するべきである。」と彼らが気がかりな反増税勢力の台頭と闘えと忠告する始末である。
 民主党は、自らの手によって政権交代の意義を完全に否定してしまい、そして大手マスコミはこぞってそれに手を貸すことによって、彼らの社会的存在意義を否定してしまったと言えよう。
 「近いうち解散」をめぐって第三極づくりが入り乱れてかまびすしいが、問われているのは、この原発と増税をめぐってあいまいな政策は許されないし、そのことをあいまいにした維新の会のような強権・ファシスト政治の台頭をも許さない政治勢力の結集こそが要請されていると言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.417 2012年8月25日

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【投稿】日本共産党の原発政策

【投稿】日本共産党の原発政策
                      福井 杉本達也 

1 「核兵器廃絶」と「脱原発」の間の深溝高塁
 ロンドンオリンピックに隠れて、今年の原爆記念日は影が薄かった。田上長崎市長は平和宣言で「核兵器廃絶」と「脱原発」を結びつけ「放射能に脅かされることのない社会」を目指すことを表明、原発に代わる新しいエネルギー政策実現への道筋を示すよう政府に求めた。一方、松井広島市長はエネルギー政策の早期確立を政府に求めたものの、「脱原発」にまで踏み込むことはなかった。原水禁は7月28日、昨年に引き続き福島県で2回目の世界大会を開催したが、共産党系の原水協は、昨年の世界大会では「原発からの撤退と自然エネルギーへの転換を要求する運動との連帯を発展させよう」(「国際会議宣言」:2011.8.5)と述べるに止まり、今年も「核兵器と原発との関係に留意し、使用済み核燃料の再処理とプルトニウムの蓄積、原子力の軍事利用に反対する。」とまでしか謳わなかった(2012.8.4)。この違いはどこから来るのか。原子炉はその最初から原爆開発のために作られ、材料となるプルトニウムを生産することを目的とした。その後、「動力炉」として発電も目的とするようになるが、軍事とは切っても切れないものである。英語では核兵器は「Nuclear weapon」であり、原発は「Nuclear power plant」である。その間に原理的違いは何もない。深溝高塁を築く理由は存在しない。

2 「原子力の平和利用」を否定しない共産党
 共産党は当初から「原子力の平和利用」を否定していない。その意味では当初から“首尾一貫”している。米スリーマイル原発事故(1979年3月28日)後の国会質問で不破哲三書記局長(当時)は「核エネルギーというのは人類が発見した新しいエネルギーですから、これを平和的に利用する方策を探求するのは私は当然だと思います…これは未完成の技術であって、そのことを十分心得て安全性についての今日の技術の許す限りの体制をとらなければ非常に危険なことになる、これが根本問題だと思います」(1980.2.1 衆院予算委員会:『前衛』2011.6 再掲)と述べている。
 また、1990年、高原晋一副委員長・科学技術局長(当時)は「「脱原発」派は、現在の原発が危険だということから、将来にわたって原子力の平和利用を認めないということを原則的な立場にしています。これに対して、私たちは、現在の原発の危険性を正面から指摘し、その危険に反対する点では、もっとも一貫した立場をとりますが、人間の英知の所産である原子力の平和利用の可能性を原則的に否定する立場はとらない、という点にあります。…人類は失敗を繰り返しながら、科学・技術を発展させてきました。同様にして、将来もまた、発展していくだろう、というのが、われわれの哲学、弁証法的唯物論の立場です。だから、人間はやがて科学・技術の発展によって安全な原発を実現させる方向にすすむだろう、したがって、それを研究することは当然であるといっています。」(「原発問題での全都道府県代表者会議に対する党中央の報告」(1990.12.8『原発事故と安全神話』)と述べている。
 それを前提として、今回の福島原発事故後、不破哲三前議長は『「科学の目」で原発災害を考える』において①「日本のエネルギーを原発に依存するという政策から撤退するという決断をおこなうことです。」②「原子力施設にたいする安全優先の審査と規制の体制を確立することです…知恵と技術を結集して、本当に安全優先で原子力施設の管理ができる、世界で一番といえるような原子力安全体制を確立することです。」(「しんぶん赤旗」2011.5.14)という形で、おそるおそる「原発からの撤退」方針を打ち出した。

3 根底に「科学技術」に対する驚くべき楽観論
 確かに「核エネルギーというのは人類が発見した新しいエネルギー」である。それは、それ以前の経験主義的に始まった水力や火力といったエネルギーとは異なり、純粋に物理学者の頭の中から導き出されたエネルギーである。しかし、そのエネルギーは「科学・技術の発展によって安全な原発を実現させる方向」に導くことはできないのである。それは一旦暴走すると人間にはコントロールすることができないほど巨大だからである。そのことを、今回、日本において福島第一原発事故で我々は経験することとなってしまった。核分裂のエネルギーは化学反応 (燃焼) の 約 1億倍 にもなる。今回の事故の2011年3月中の大気中への放射能放出量だけで900PBq(900ペタベクレル=900,000,000,000,000,000ベクレル 東電推計:2012.5.24)という途方もない量を放出した。シーベルト(Sv)と土壌1kg当たりベクレル(Bq)簡易換算では0.4μSv/1時間=1,000Bq/kgという式が成り立つから、1,000Bqで年間で3.5mSv被曝することとなる(武田邦彦ブログ:2011.7.3)。職業人しか立ち入ることできない「放射線管理区域」が5mSvであるから、900PBqという量がいかに人間のコントロールを超えたものであるか分かる。いまなお16万人が避難生活を送り、国土の3%がほぼ永久に利用できないという中にあって、「本当に安全優先で原子力施設の管理ができる、世界で一番といえるような原子力安全体制を確立する」というのは夢物語以外の何物でもない。「原子力施設が有する潜在的危険性の大きさを十分に踏まえ…リスク管理に万全を期した国民に信頼され、期待される姿に革新しなければならないと考えます。このため、世界最高水準の安全性を有する原子力施設を実現するための施策…を決定する」とする原子力委員会の『年頭の所信』(2012.1.10)と言葉が微妙に重なっていないだろうか。科学的にも技術的にも裏付けのない「願望」で安全体制を確立できるとは到底思われない。「安全性についての今日の技術の許す限りの体制」とはどのような体制なのか。

4 低線量被曝の軽視
 日本科学者会議の野口邦和(放射線防護学)は政府のとった緊急避難措置に対し、「真っ暗ななかで避難しろと言われてもどうしようもない状況だ。避難が必要ならば翌日の朝に避難指示を出せばよかった」という(野口:「福島原発災害の危機と国民の安全」『前衛』2011.6)。しかし、緊急避難の状況はあらゆる災害で昼間ばかりでなく深夜に避難命令を出さざるを得ない場合もある。水害で深夜の豪雨で河川の水嵩が増した場合、朝方に避難命令をだしたのでは間に合わない。全くの初期被曝の軽視である。食品の暫定規制値に対しては「暫定規制値以下に汚染した食品を1キログラム食べることによる被曝は、急性障害が起こるレベルよりもはるかに低く、数マイクロシーベルトとか、数十マイクロシーベルトとかのレベルの話しだ…かなり安全側に立って作成しているので、神経質になることではない」と述べている(野口:同上)。当時の(事故直後)国の食品の暫定基準値1kg:500Bqでは1年5mSvになり、(2012年4月より一般食品:100Bq/kgに引き下げられた)一般人の年間限度1mSvを軽くオーバーする。放射線の専門家であるはずの野口は、当然「電離放射線障害防止規則」の規制値を詳しく知っているはずであるが、規制値をあえて具体的に示さず「安全」と判断している。また、内部被曝についても「学界では、内部被曝も外部被曝も、線量が同じならば影響の度合いは同じだというのが共通の認識になっている」と述べている(野口:同上)。γ線などによる外部被曝は人体を一度通過するだけだが、呼吸や消化器管などから体内に取り込まれた放射性物質はα線やβ線などの透過性の弱い粒子線を出し、周囲の細胞に連続的な影響を与える。しかし、研究事例が少なく不明な点が多いということで線量が同じであれば影響も同じという取り決めになっている。 では、なぜ、研究事例が少なかったのか。放射線影響調査の元となった、放射線影響研究所(旧ABCC)の広島・長崎原爆の被爆者調査では高線量被曝の研究は行ってきたが、低線量被曝については調査してこなかったのである。広島で放射能を含んだ「黒い雨」が降った地域は調査対象外だった。1953年に内部での低線量被曝調査の動きを潰したことを正式に認めた。だから、放影研のデータは福島では使えない。福島が安全であるという知見は我々にはないと述べている(NHK「知られざる放射線研究機関ABCC/放影研」2012.7.28放映 大久保利晃放影研理事長発言)。
 低線量被曝調査がなぜ潰されたのか。核戦争の遂行に支障があるからである。戦争は核兵器で攻撃すれば終わりではない。相手国を軍隊で占領しなければならない。ところが、占領軍兵士が低線量被曝するというのでは軍隊を派遣することは出来ない。また、爆発で上昇した放射能はプルームとなって、自国の国民をも襲う。これでは核戦争が出来ないと考え、調査を止めさせたのである。
 共産党の思考方法の問題は、「核兵器廃絶」のスローガンを掲げながら、「核の巨大なエネルギー」を排除しない(その圧倒的力の前にひれ伏す)ことである。核エネルギーの利用から「原発」を排除すれば「爆弾」しか残らない。その延長上に、1962年の「ソ連核実験は防衛的」発言(上田耕一郎副委員長(当時))、1964年の「部分的核実験停止条約」への反対=中国核実験への支持(「世界の4分の1の人口を持つ社会主義中国が核保有国になったことは、世界平和のために大きな力となっている。」岩間正男参議院議員:参議院予算委員会1964.10.30)=原水爆禁止運動の分裂が連なる。「アメリカだったら、巨大な権限をもった原子力規制委員会が、大統領指揮権のもとに、事故の対応に全責任を負います」(不破:上記)と米国のシステムを過大評価するが、第二次大戦末期に原爆開発の為に設置された「暫定委員会」(「爆弾は可能な限り迅速に日本に対し使用されるべき」と大統領に勧告した)→「原子力委員会」(AEC)の流れを組む米国の核管理体制をありがたがっても何の解決にもならない。2001年のアメリカによるアフガニスタン侵攻の際に協力しなければパキスタンを「石器時代に戻す」とリチャード・アーミテージ国務副長官は脅迫したが、このまま突き進めば石器時代どころか45億年前に戻され、地球上のあらゆる生命は消滅するであろう。「核エネルギーは人類の発見した新しいエネルギー」という夢想に我々も含めすっかり騙されてきたが、早急に「信仰」から抜け出さねばならない。) 

 【出典】 アサート No.417 2012年8月25日

カテゴリー: 原発・原子力, 杉本執筆 | 【投稿】日本共産党の原発政策 はコメントを受け付けていません

【投稿】生活保護が危ない

【投稿】生活保護が危ない

 生活保護がまた、マスコミを賑わすテーマになってきている。受給世帯数が160万世帯、人員で210万人を越えて増え続けているからだろう。ベクトルは、単純な抑制論、不正受給キャンペーン、受給する事自体を「無責任」とするような「排外主義的」傾向を強めており、極めて危険な動きであると思う。

<芸能人の謝罪から>
 人気タレントの母親が、彼の下積時代に生活保護を受給開始し、その後、人気が出て収入が増えても保護を受け続けていると、自民党の片山なつき議員がブログで取り上げたことが発端だった。一定の仕送りを福祉事務所に届けていたようで、法律的には問題は無い。ただ、「道義的」には、少し問題を感じるところだが、マスコミが取り上げると少々、そうした枠をはみ出し、打撃性の強いものとなった。
 続いて、大阪では、地方公務員の親族が生活保護を受けているという話題に飛び火した。発端は、東大阪市で議会で問題になり、市が30名の職員の扶養義務を負う親族が、保護を受給していると公表。仕送りをしていないケースが大半と報じられた。その後、堺市や岸和田市などが、同様の調査結果を公表した。(その後、府内で28市が調査・公表している。)
 さらに、地方議員や国会議員の親族に保護受給者がいる、との情報も飛び交い、自ら親族に保護受給者がいると「謝罪」した大阪府議会の維新議員まで出てきた。
 報道によると、「維新の会府議:親族が生活保護を受給–(8/2)大阪維新の会に所属する府議の親族が生活保護を受けていることがわかり、議員本人が釈明しました。府議は、「大変お騒がせしたことを反省しますとともに、今後このようなことがないよう議員活動を進めていきたいと思います」と釈明しました。・・・今日記者会見し、妻の姉、つまり義理の姉が八尾市から生活保護を受けていることを認めました。」そして、今後経済的支援をすると明言してみせた。
 この府議の行動は、果たして褒められたものか。維新議員の水準がよく分かるというものだが、生活保護がどういう制度なのか、90万円近い議員報酬があれば、親族に保護世帯があってはならない、かのような印象を受けるし、保護制度を敵視するかのような姿勢である。
 
<ベクトルは、不正受給の追及へ>
 こうして、生活保護が増え続けている経済・社会的要因や、社会制度の不備の問題は脇に置かれ、不正受給が多いとか、扶養義務者に「高額所得者」がいるのに、保護制度を否定的な方向から議論しようとする傾向に流れている。
 大阪だけではないと思うが、冷静な議論を飛び越えて、打撃的に敵を創りだし、センセーショナルに「問題の指摘者」「指弾者」として振舞うことで、世論を誘導しようという傾向が強くなっている。強者が弱者を叩くという構造だが、問題の解決への道筋は一向に描かれていない。

<最低賃金との比較論>
 また、生活保護と最低賃金の比較が再び注目を浴びている。「働かなくてももらえる」生活保護基準が、最低賃金を上回るのは、いかがなものか、とのマスコミ報道が目立つ。
 ただそのベクトルは、最低賃金の低さではなく、生活保護制度への批判を内包したものであり、増え続ける生活保護世帯数・人員と、連動する保護予算(国の予算で3兆円を越えている)の増加に対するキャンペーンの色合いが強い。
 人気タレントも公務員も、果ては議員も、その「批判」にひれ伏している。維新の会府議の「謝罪」も、それに迎合するものであろう。

<路線の定まらない民主党>
 税と社会保障の一体的改革(まだ、私もさっぱり理解できないが)を行うとして、消費税増税をおこなった民主党も、人気タレントの問題や、最低賃金との比較を受けて、保護水準の引き下げを言い出した。すでに始まっている2013年度予算編成においては、生活保護予算の削減を盛り込んでいると報道されている。
 「生活が第一」を訴えて政権交代を実現した後、すぐに着手したのが、生活保護の母子加算復活だったことは記憶に新しい。以後、生活保護の制度改革は、ほとんど進んでいない。にも関わらず、世間というか、マスコミ誘導というか、生活保護への逆風を見て取るや、「保護基準の引き下げ」に舵を切っている。

<医療費を削減すれば、予算は激減する>
 生活保護予算の内、6割は医療費である。しかし不必要な、過剰な医療も行われている。ジェネリック医薬品の利用も進んでいない。奈良の山本病院の例を出すまでもなく、勝手に病名を付けて、不必要な医療行為を繰り返すことは、「常態化」していると思われる。
 自己改革できない医療界に対してこそ、徹底的なメスを入れるべきであると私は考えている。さらに、受給者自身にも一定の規制は止むを得ないのではないか。せめて、国保医療の水準を超える場合には、上限を設定することは、直ちに可能ではないか。
 筆者は、医療界に少々批判的な意見を持っているわけだが、病名は付けても、直せない医療ではどぶに予算を捨てているようなものであろう。医療費削減が、一番簡単と思われる。ただ、簡単な事なのだが、抵抗が大きいことも事実なのだが。
 
<今後も増え続ける生活保護>
 非正規雇用を増やし、不安定雇用が3分の1と言われるまで、低賃金と不安定雇用を常態化させてきた「新自由主義」施策が生み出したものが、最後のセーフティネットと呼ばれる生活保護受給者の増加に他ならない。今後も、年金だけで生活できない高齢者と、雇用保険も補償されない不安定雇用に従事せざるを得ない中高年を中心に生活保護受給者が増え続けることだろう。しかし排外主義的な議論では解決しない事は忘れてはならない。(2012-08-19佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.417 2012年8月25日

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【投稿】「ぶれない」生き方 —「平和ツアー」で出会った人たちに学んだこと—

【投稿】「ぶれない」生き方 —「平和ツアー」で出会った人たちに学んだこと—

8月8~10日、大阪府下4単組の教職員組合女性部合同「平和ツアー」に参加し、多くのことを学ぶことができた。
1日目、岡山駅で降り、後楽園散策→荒手茶寮で昼食後、再び岡山駅から乗車、瀬戸内市邑久町へ向かった。国立療養所邑久光明園のAさんにお会いし、直にお話を聞くためである。16歳で発症し、「治療が終わったらすぐにでも帰れると思っていた。」と語るAさん。現在の年齢からすると、療養所で過ごして来られた年数は半世紀を超える。「辛かったことは…?」というわたしの愚問に、「辛かったのはあたりまえ。」「辛いことをいちいち気にしてたら、生きていかれへん。」と笑いながら答えてくださった。
2日目の午前中、長島愛生園で歴史館と園内を、学芸員の方の案内で見学した。
午後、岡山→徳山→柳井港→祝島と電車・船を乗り継いで、第2の目的地に到着。
船を降りるとすぐ、「はまや旅館」が見えた。今年3月下旬に祝島へ来た他県の友人が、「昭和の香り」がする旅館と表現していたが、正にその通りであった。予約したときに「食事なし」ということだったので、仕出し屋に夕食用の弁当を運んでもらった。交代で入浴を済ませ、聞きとりをさせていただく予定の清水さん(上関原発を建てさせない祝島島民の会、上関町町会議員)の到着を待った。
清水さんは、本業の多忙に加え、四年に一度行われる神恩感謝の合同祭事「神舞(かんまい)」に備えての練習指導で忙しくされているにも関わらず、祝島における反原発の闘いについて話をしてくださった。「建設予定地から4㎞と近く、『原発を見ながらの生活や離島で逃げ場がない』などを訴え、上関町・祝島の9割を超える住民で、1982年10月、反原発組織「愛郷一心会を結成(のち「上関原発を建てさせない祝島島民の会」に再編)。同年11月から現在まで毎週月曜日に島内デモを実施し、2008年6月に1000回を超えて現在も続いている。」島内デモについては、ギネスの記録を超えたということで、近いうちに登録申請を行うそうだ。
「なぜ、一つの地域がほぼまとまって反対するようになったのか。」について、いくつかの理由を挙げて説明をされた。「祝島からは、早朝昇ってくる朝日がとてもきれいに見える。そのちょうど真下が原発予定地。東の空が一変する可能性が大きい。それに対する憤りや反発が強かった。」というくだりに、わたしは一番共感し心に響くものを感じた。翌朝、平さんの棚田に行くために早めに起きたわたしたちは、祝島の人たちが誇る「朝日」を見ることができた!
今夏の平和ツアーで、「苦難」を強いられながらもたくましく生きてこられたAさんや反原発の闘いを貫いておられる祝島の皆さんに出会い、「ぶれない生き方」を学ぶことができた。政治家をはじめ「ぶれまくる」人々が多い昨今、この意味は大きい。「ぶれない」=「教条的」ということではない。人として一筋の生き方を持ち、それぞれの生き方を尊重し合い、高め合いたいと思う。
(大阪 田中雅恵)

【出典】 アサート No.417 2012年8月25日

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【日々雑感】熊森 VS 小出対談 ②

【日々雑感】熊森 VS 小出対談 ②

8月と言えば、広島のこと、長崎のこと、終戦のこと等、語り継いでゆくべきことは山ほど有ると思いますが、今現在最も大切なことは、原発問題だと思います。
前号で書ききれなかった熊森協会のインタビューと小出先生との対談の続きを書かせていただきます。お許しください。

<被爆障害は、5年後ぐらいから出てくる>
熊森:放射能を恐れすぎるなと言う方も出てきましたよ。
小出:それは愚かな人です。ドイツのレントゲンが放射能というものを見つけたのは、1895年なんです。エックス線です。その正体をつきとめようと研究したキュリー夫妻は2人とも身体がボロボロになりました。夫人は白血病で死にました。その後もたくさんの人が放射線に被爆をして、命を落としていくという事態が続いたのです。
広島原爆の後、米軍は、放射能が人間に与える影響を調べるために、ABCC(原爆傷害調査委員会)という研究所をつくりました。
5年後、どうも白血病が増えているということに気付きます。10年後くらいから癌が増えてくるということがわかりました。

<核の世界は、奥山生態系同様、人間がコントロールできない>
熊森:湯川博士が、核の世界は人間にはコントロールは無理だと言ったとか言わなかったとか、最近ネットで議論されていますが、先生はどう思われますか?
小出:核エネルギーを利用しようとすると、必ず、核分裂生成物という放射性物質ができます。これを無害化するための研究を、人類は70年間続けてきたのですが、無害化できません。それなのに、原子力利用を進めるなど、論外です。人類は原子力利用研究をしてはならない。ただ、すでに造ってしまった大量の核のゴミを、なんとか後世に重荷にならないようにする責任が、今の私たちの世代にあると思います。その研究はしなければなりません。
熊森:除染は移染でしかありませんが、消染に成功したという話がネットに出ています。
小出:有り得ません。完璧に有り得ません。だから私はやるなと言っているんです。放射能は、燃やそうが煮ようが水をかけようがEM菌をかけようが、何をしても消えないのです。汚染された瓦礫を燃やせば、焼却灰の中に、猛烈な濃度で残っています。
熊森:今日、先生のお話をお聞きして、核の世界と、私たちが取り組んでいる奥山生態系の世界が、永遠に人間がコントロールできないという点で、全く同じであることがわかりました。
結局自然界には、人間の頭ではどうしようもないような、どんなに科学を発展させたところでコントロールできない、神の領域があるということですね。
そういうところに中途半端に手を出すことによって、取り返しがつかない事態を招いてしまう。現代人は、科学万能信仰に冒されて、傲慢になっていることに気付かねばなりません。
小出:人間には、わからないことを、わかるようになりたいという欲求があります。そして、知識を増やしていくわけですが、その知識をどう使うかは、知恵です。こちらの方は、ソクラテスの時代から見ても、全然進歩していません。
熊森:人間って愚かな生き物ですね。
小出:そう思います。ある程度、科学の進歩にたがをはめないと、暴走してしまうでしょうね。

以上、いろいろ書き綴ってまいりましたが、今回もまた、小見出しの二つを残して書ききれませんので、次回に廻させていただきます。
この、くまもり協会72号は又10部づつ取り寄せて、友人や知人に配ってゆこうと思っております。何ら元活動家らしきこともできず、生活に追われ、生き恥をさらしている自分ですが、せめてもの出来ることは誠実に実行してゆこうと思っております。 (2012-08-17早瀬達吉)

【出典】 アサート No.417 2012年8月25日

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【投稿】原発再稼働反対・「紫陽花革命」の地鳴り

【投稿】原発再稼働反対・「紫陽花革命」の地鳴り


7/16さよなら原発10万人集会の会場

<<「音」から「声」へ>>
首相官邸前で毎週金曜日、夕刻、18:00~20:00に行われている原発再稼働への抗議行動は、確実に民主党・野田政権を追い詰めている。首相が記者会見で関西電力・大飯原発再稼働を宣言した6/8以降、この首相官邸前抗議行動は飛躍的に拡大し始め、6/29には20万人を記録し、それ以降も10万~15万人と空前の規模の抗議行動とデモが繰り広げられている。そして7/16の東京・代々木公園で開かれた「さようなら原発10万人集会」には17万人もの人々が結集した。とりわけ首相官邸前のこの抗議行動は、1960年の日米安保条約反対闘争以降、国会と首相官邸を取り巻く最大規模に達しており、歴史的記録をさえ塗り替えかねない、新たな歴史的事態を招いている。
当初、野田首相は、「計画停電」の脅しと大飯原発再稼働さえ実行に移してしまえば、抗議デモなんて沈静化し、雲散霧消すると踏んでいたのであろう、6/29、野田首相は官邸から公邸に戻る際、抗議デモを「大きな音だね」と、傍らの警護官に語り掛け、内心ビクビクしながらも、まるで単なる雑音、頭から無視する姿勢を露骨に示していた。このことが報じられると、「音」ではなく「声」を聞けと官邸や衆院議員会館の野田事務所に抗議が殺到し、首相側近は「毎週金曜夜は首相日程に外食を入れづらくなった」とこぼす事態である。
野田首相は慌てて軌道修正をし始め、国会答弁で「(音と)言った記憶がない」と釈明。また、毎週金曜のデモのたびに記者団に「さまざまな声が届いている」(7/6)、「多くの声を受け止めていく」(7/13)、7/16の民放番組では、全国に広がる抗議活動の感想を聞かれ、「国論を二分するテーマになっていると考える。さまざまな声に耳をしっかり傾けていきたい」と、聞く気もないのに姿勢だけは改めざるを得なくなった。
民主党内からさえも「再稼働が決まり、原子炉が動き出してもデモは鎮静化しない。官邸前(の行動)もふくれあがり、さらに中部電力前、関西電力前など全国に広がっている。すさまじい」、「次の選挙に響く」との声が上がり始める事態である。

<<「五感をもって触れる必要」>>
その極めつけは、この首相官邸前抗議行動に、民主党政権への政権交代を成し遂げ、首相官邸の主であった当の鳩山元首相自身が直接参加し、首相官邸に向かって再稼働反対を訴えたことである。まったく前代未聞の異例な事態の招来である。一番驚いたのは野田首相であろう。
鳩山氏は、「毎週金曜日に行われている首相官邸前での再稼働反対の大規模行動に行きました。・・・私がこの集会に行かなければと思ったのは、私自身が、一衆議院議員として、また内閣総理大臣を務めた者として、毎回増えていく国民の声、民意のエネルギーに五感をもって触れる必要があるという一念と同時に、この思いを直接官邸に伝えなければなければならないということです。特定のイデオロギーや政治的な集会だけではこのようなパワーは生まれません。・・・今我々は、『大きな声だな』と言うだけでなく、今、国民が何に苦しみ、何を考え、何を求めているか、を真剣に考え、行動しなければなりません。私個人としては、原発の再稼働については、福島原発事故の原因が完全に究明されておらず、国会事故調査委員会の調査により、その原因が津波だけでなく地震による可能性が指摘されているにも拘わらず、再稼働に踏み切るということについては、どう考えても賛成できません。」と、その態度、政治姿勢を鮮明にしている。
鳩山氏にとっては「国民の声、民意のエネルギーに五感をもって触れる必要」があったが、野田首相にとっては「自民党、財界、原子力村の声」に「五感をもって触れる必要」あった、というその決定的相違がここに浮き彫りになっている。鳩山氏自身にはいくつもの問題点があり、辞任に追い込まれたのであるが、今回のこうした行動、政治姿勢こそが全民主党議員に求められていることを明らかにしたことにおいてその意義は大きいといえよう。野田首相にとっては、政権崩壊への重要な一撃である。

<<「新しい政治参加のうねり」>>
さらには、鳩山元首相に引き続き、あの菅前首相までもが7/21、原発再稼働反対を訴える首相官邸前の抗議活動について、「新しい政治参加のうねりが起きている」と評価したうえで、「首相がいろいろな意見を聞くのは望ましいと思うし、そうアドバイスしている」と述べ、野田首相に対し、主催者との面会を助言したことを明らかにした。小沢氏や鳩山氏、羽田元首相、江田党最高顧問をはじめ、民主党議員の3分の1に当たる119人が賛同した大飯原発の再稼働の再考を求める署名にさえ参加、賛同しなかった菅前首相が、いまさら何が「新しい政治参加のうねりが起きている」などと言えた代物ではないが、これまた野田政権が求心力を全く失ってしまっている証左でもある。
ともあれ、首相官邸前と国会周辺、霞ヶ関が52年ぶりというほどの人々で埋め尽くされ、「再稼働反対!」「原発いらない!」というただ一点に絞られ、集約された必死の叫び、怒りの声が、民主党・野田政権に押し寄せ、根底から突き崩す勢い、まだ端緒にしかすぎないかもしれないが、「紫陽花(あじさい)革命」と呼ばれるほどの実体を持ち始めたとも言えよう。
この官邸前抗議行動を主催する「首都圏反原発連合」は、13のグルーや個人が力を合わせようと、2011年9月に立ち上げたネットワークで、7/6官邸前抗議行動の「よびかけ」では、「私たち、首都圏反原発連合は、3月29日より毎週、大飯原発再稼動反対の首相官邸前抗議を行ってまいりました。当初300人程度だった参加者は、1000人→2700人→4000人→12000人→45000人→200000人と、回を追うごとに劇的に増加しています。福島第一原発事故の収束もままならないまま、そこから何の教訓を得る事もなく、再稼動ありきで物事を進めていった野田政権に対しての怒りがいよいよ噴出する形で、この抗議行動の規模は拡大を続けています。野田政権は、世論の大半を占める市民の声を無視し、この再稼働を進めました。したがって、私たちもまた、今回の決定を黙って受け容れる必要は一切ありません。7月6日(金)18時より、首相官邸前にて原発再稼動反対の抗議行動を行います。前回をはるかに凌ぐ、空前の規模の抗議行動で、大飯原発3号機の即時停止と、再稼動決定をただちに撤回、そして、私たちが一切諦めていないことを、野田政権に対して突きつけましょう。」と訴えている。

<<無党派・非暴力直接行動>>
7/13の官邸前抗議行動に筆者自身も参加したが、午後6時からだというのに、午後2時過ぎには首相官邸に通じるほとんどの道路が警察車両で歩道脇にびっしりと連ねられてブロックされ、警察官が要所要所に多数配置され、歩行者を強制的に誘導する事態であった。回りまわって3時過ぎに官邸前に着いたがもう多くの人々や報道関係者が詰めかけ、5時前にはもはや身動き出来ぬ程の人の波で、再稼働に抗議するプラカードや風船、うちわ、のぼり、ゼッケン、大画板、旗指物が所狭しと揺れ動き、開会を今や遅しと待ち構える熱気が充満。6時になるやすぐさま主催者挨拶が始まり、注意事項として、「1.反原発・脱原発というテーマと関係のない特定の政治団体や政治的テーマに関する旗やのぼり、プラカード等はなるべくご遠慮ください。2.現場が混雑しているため、ビラ配布や署名集め等は抗議終了後の20:00以降にお願いします。3.この首相官邸前抗議は、あくまで非暴力直接行動として呼びかけられたものです。その趣旨を十分にご理解頂きご参加いただきますよう、宜しくお願い致します。」と言い終わるや、すぐさま官邸に向かってシュピレッヒコールが始まり、「再稼働反対!」「原発いらない!」が繰り返し繰り返し、声が枯れる勢いで、あくことなく続けられた。その間何人かのスピーチがあったが、これまた注意事項として「1.一人あたり 「1分以内」 でお願いします。2.反原発・脱原発テーマに関係のないテーマでのスピーチはご遠慮ください。3.特定の団体のアピールにつながるスピーチはご遠慮ください。個人としてアピールをお願いします。4.主催者側の意向に沿わない内容であると判断した場合、中断をお願いすることもあります。あらかじめご了承ください。」が明らかにされ、これもしっかりと守られ、一人が終わると次から次へとスピーチが続くのではなく、必ず官邸に向かって「再稼働反対!」「原発いらない!」のシュプレッヒコールが行われる。
ウォール街占拠運動と相通じる、こうした至極明瞭な原則の徹底こそが、これまでの運動を包摂しつつも、なおかつこれまでの組織動員主義的な運動を乗り越えさせているものではないかと実感させるものであった。個人個人の意識に基づいた一過性ではない粘り強さと継続性もそうした原則の徹底によってこそ保証されるものであろう。そしてこの運動は全国各地に急速に拡大し始めている。
首都圏反原発連合は、7/29には国会議事堂をデモ行進とキャンドル・チェーンが取り囲む「脱原発国会大包囲」行動を呼びかけている。(日比谷公園中幸門で集会開始15:30、デモ出発16:30、国会包囲19:00(集会/キャンドル・チェーン))
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.416 2012年7月28日

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【投稿】「再稼働、はんたい!原発、いらない!」 ~官邸前金曜日デモに参加して~

【投稿】「再稼働、はんたい!原発、いらない!」 ~官邸前金曜日デモに参加して~

 7月13日(金)、この日から3連休にかけて予定していた田舎旅が中止になったので、一度参加したかった「首相官邸前デモ」に行くことにした。
 午前8時前に自宅を出て、天王寺→大阪→新大阪→品川→有楽町→麹町と乗り継ぎ、先ず宿泊先のホテルに着いた。チエックイン可能な時刻に少し間があったが、フロントの方の「お部屋の準備ができているのでどうぞ。」という案内で、部屋に入った。雨が予想されていたので着替えを済ませ、サービス用のお茶で一服後、ホテルを出た。
 フロントでもらった周辺地図を頼りに、官邸前を目指して歩き始めた。自民党本部前を通り国会議事堂に近づいて行くと、まだ午後2時半頃なのに、車道には警察車両がずらり、背中に「警視庁」とある服装の警官があちらにもこちらにも・・・!胸に「SP」バッチをつけた、TVドラマや映画でしか見たことのない人たちも、耳に装着した物をしきりと気にしながら行ったり来たりしている。
 先週のデモ参加者が「20万人」とも言われる人数に膨れ上がったことに、首相官邸はじめ警察関係者はきっと「恐れをなした」と想像できる。車道と歩道の間に鉄柵を置き、歩道にも「一般歩行者が安全に通行できるように・・・。」(デモ隊の最前列付近に止めた警察車上に立った警官が連呼していた。)赤いポールを置いて、「規制!規制!」ばかりが目立った。「過剰警備」の費用は税金から支出、無駄なことして・・・。


7/13経済産業省前テント

 以前から気になっていた「経産省前テント」にも寄った。受付でカンパをして、テント前のイスに座っているご年配の方と話した。「84歳」と自己紹介されたその方から、今年出版された著書「核も戦争もない世界を!すこやかな未来を願って」を購入し、話を聞いた。自宅のある国分寺から毎日のように通っておられる、その「生き方」に学びたいと思った。
 官邸前に戻ろうとすると、まだ4時過ぎなのに、歩道に人、人、人・・・!若い人そうでない人、子どもを連れた人や仕事帰りらしい人、楽しそうに談笑しているグループらしい人たちの間を、通り抜けて前列に進み出た。
 午後6時、マイクを持った若者(と思うが、何しろ顔が見えないので)の呼びかけで、「金曜日デモ」は始まった。「再稼働、ハンターイ!」「再稼働、はんたい!」「原発、いらない!」の連呼、連呼、連呼。初めの呼びかけの時に、「いろいろ主張はあると思いますが、このデモは、原発の再稼働に反対して呼びかけられているので、理解をお願いします。また、団体や組織の旗・のぼりについても、できる限り遠慮してください。」ときっぱり。参加者から異議の声が少し聞こえたが、多くの参加者は容認した。そうした確認をきちんとする主催者の「しっかりさ」に、わたしは感心した。お互いの主義・主張はあろうとも、「このデモはこれひとつでいきましょう!」というシンプルさが、わたしには心地よい。

7/13再稼動に反対する官邸前行動

 午後8時、終了。来た道をそのまま帰ろうとすると、「こちらは通れません!」と言う警官。大回りをさせられたので、4時間程立ちっぱなしでガクガクになった足が一段と痛く感じられたが、参加者の多さを実感でき、気持ちは清々しかった。
 安保反対デモや学生運動、組合運動などを経験された方々、機会があれば一度「金曜日デモ」に参加してみてください!「アジサイ革命」が予感できるかも・・・。
 また、来る7月29日(日)に「脱原発 国会大包囲デモ」も計画されているようなので、そちらへの参加もお薦めします。
(大阪 田中雅恵)) 

 【出典】 アサート No.416 2012年7月28日

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【投稿】国家・官僚の無誤謬神話と「核兵器開発宣言」クーデター

【投稿】国家・官僚の無誤謬神話と「核兵器開発宣言」クーデター
                            福井 杉本達也 

1 日本存亡の危機に「事務系だから」と敵前逃亡した無能国家官僚
 前原子力・保安院長であり福島原発事故対策本部事務局長であった寺坂信昭は福島原発事故対応の真っただ中・東日本大震災発生の当日3月11日午後7時すぎ、原災本部初会合終了後官邸を去り、保安院に戻ってしまった。事務方のトップが職務放棄したことに対し、彼は今年2月の国会事故調の参考人聴取で次のように答えている。
 
○参考人(寺坂信昭君)「私はどうしても事務系の人間でございますので、これだけの非常に大きな事故、技術的な知見というものも極めて重要になってくる、そういった中で、私が残るよりも、官邸の方に技術的によりわかった人間が残ってもらう方がいいのではないかというふうに、これは私自身が判断いたしまして、私が原子力安全・保安院の方に戻った次第でございます。」
○野村修也君「私はちょっとびっくりするのですけれども、原子力の規制行政庁のトップは原子力についての知見を持たない方がなっておられるということなんですか。」
○参考人(寺坂信昭君) 「知見といいましょうか、今私が申し上げましたのは、私は原子力工学その他、理科系のそういう訓練といいますか学問を積んで、それで原子力安全行政をずっとやってきたということではないということでございまして、もともとは事務的な者でございまして、次長のときに初めて原子力安全行政を担当した、そういうことでございます。」(2012.2.15 「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会会議録第四号」・寺坂信昭前保安院長発言部分)
 寺坂の敵前逃亡の行為は国家公務員法第82条第1項「職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合」に該当し明白に懲戒の対象である。しかし、処分を受けたと言う話は寡聞にして知らない。しかも、職務放棄の言い訳が“事務系”だからという答えに委員の野村修也は言葉を失った(産経:2012.4.24)。正に官僚の無責任体質を地で行く人物である。こんな人物を代々トップに据える保安院が、「原子力規制委員会ができるまでは安全審査はうちの領分である」と大飯3.4号機の再稼働を認めた。我が国家は落ちるところまで落ちたといわねばならない。

2 国家・官僚は“無誤謬(むごびゅう)”-何があっても誤りを認めない
 自治官僚出身の西川一誠福井県知事は大飯原発再稼働に当たり、「政府がぶれることなく国民にメッセージを示して欲しい」との首相に会見をせまった(朝日福井紙面:6.18)。「ぶれるな」とは何があっても誤りを認めず、過去の政策を踏襲せよということである。 元経産省官僚の古賀茂明氏は「役人には非常に無謬性とかいう言葉でよく言われるんですけど、間違い認めないんですね。…もう1つ非常に欠けてるのは責任をとらない。…失敗したら誰が責任取るんだってことを考えているうちに…後手に回る」(文化放送:2011.10.19 「吉田照美ソコダイジナトコ」)と述べている。
「綸言汗の如し」(りんげんあせのごとし=皇帝の発言は、かいてしまった汗のように体に戻すことができない)とは、皇帝が一旦発した言葉(綸言)は取り消したり訂正することができないという中国歴史上の格言である。皇帝など国家の支配者の発言は神聖であり絶対無誤謬性を有するとされ、臣下が疑念や異議を差し挟むことは不敬とされた。 このため、一旦皇帝より発せられた言葉は仮に誤りがあっても、それを訂正することは皇帝が自らの絶対無誤謬性を否定することになり、皇帝の権威を貶めてしまうためタブーとされたのである(参照:Wikipedia)。「役人は先例があれば安心し、先例の見直しは、よほどの外圧がかかるまではしない。政治が変われど、行政の継続性が大切であるというのである。先例に誤りがあっても、役人無誤謬論で、敗戦のさいの国体護持のごとく、先例を護持する。」(阿部泰隆中央大教授『こんな法律はいらない』)。

7/16さよなら原発10万人集会より

3 原子力基本法の改悪はあからさまな「核兵器開発宣言」―宮廷クーデター
 6月20日、この官僚国家は原子力規制委員会設置法の附則第11条として密かに「前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。」という原子力基本法第2条の法の「(基本方針)」を根底からひっくり返す改正条文を忍び込ませ、前代未聞にも「個別法」の附則で「基本法」を改正する挙に打って出たのである。「基本法」とは、国の制度・政策に関する理念、基本方針が示されているとともに、その方針に沿った措置を講ずべきことを定めている法律である。その基本方針を受けて、その目的・内容等に適合するように行政諸施策が定められ、「個別法」(例えば今回の「原子力規制委員会設置法」)にて遂行される。基本法は「親法」として優越的な地位をもち、他の法律や行政を指導・誘導する役割がある(参照:Wikipedia)。当法案は議員立法で提案されたものであるが、附則の改正で本法を改正するなどという裏技を議員ができるはずはない。これは官僚による暴挙・“宮廷クーデター”以外の何物でもない。いかに自らが信頼されていないか、国民とは分離した存在であるかを暴露した。
「安全保障に資する」とはどう読もうが“軍事目的”と言うことであり、すなわち核兵器を開発するという意味である。「原子力の平和利用」という名の下、1955年以降密かに核兵器の開発を進めてきた日本国家は、福島原発事故において、「平和利用」に説得性がなくなったと見るや露骨に居直り、あからさまに核開発の宣言を対外・内的に行ったのである。同日成立した、宇宙航空研究開発機構(JAXA)法は、「平和目的に限る」との規定を削除し、安全保障目的で人工衛星などを開発できるように改正した。核弾頭と運搬手段のミサイル開発の合法化により、名実とも日本の「核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まない」(佐藤総理答弁 1967年12月11日:外務省HPより)という非核三原則は放棄された。

4 日本を滅亡に追い込む官僚機構の核政策
 2009年の民主党を中心とする連立政権は日本史上初めて選挙による民主主義が実現したと評価された。あれから3年、この党は官僚に乗っ取られてしまった。最初は検察特捜部の小沢捜査に始まり、鳩山氏の贈与問題と普天間問題で官僚機構に手玉に取られ全面降伏した。その後政権人事に介入し、「脱原発」に踏み込み官僚機構を裏切った菅首相下ろし、「最後の言葉はオフレコです。絶対書いたらその社は終わりだから」の松本龍前復興長官発言、鉢呂前経産相の「放射能つけちゃうぞ」発言などで官僚に都合の悪い政治家をどしどし排除した。一川保夫前々防衛大臣・田中直紀前防衛大臣の“失言”をあげつらい、自衛官→外務省上がりの森本敏氏を防衛大臣に担ぎ、オスプレイの普天間・岩国配備にやっきとなっている。「米政府の基本方針で『どうしろこうしろ』と言う話ではない」(フジテレビ:6.16)と野田首相は自らの言葉を持てず親米派官僚の操り人形となっている。極めつけは、陸山会事件で虚偽捜査報告書を作成した検察特捜部を不起訴処分にしたことである。 4月26日の東京地裁小沢氏無罪判決の中でも検察による虚偽の捜査報告書の作成及び検察審査会への送付は厳しく批判されている。しかし、腐りきった検察官僚機構を指揮権発動によって正そうとした小川敏夫前法相を逆に首相は解任してしまった。
 西川知事のように「ぶれることなく」原発を推進し続ければ、日本は早晩地球上から消滅することとなるであろう。原発敷地内を通る活断層。福島第一内の大量の放射性物質はどうするのか。16万人もの避難住民はどうするのか。
 武田邦彦氏は日本の指導層の「ぶれない」核政策を以下のように整理している。「1)日本の産業と軍事(核武装)を発展させるためには原子力を進めなければならない、2)しかし原爆を落とされた日本では原子力を進めるのは国民の抵抗が強い、3)そこで国民に2つのウソをつく必要がある、4)一つは原子力を平和利用に限ると約束する、5)もう一つは原発が安全だと約束する、6)並行して核武装のために遠心分離器によるウラン濃縮と核廃棄物が2.6倍になる再処理をして原爆用のプルトニウムを得る」(武田HP 7.17)、これに7)もんじゅを運転再開して純度98%のプルトニウム239を得る、8)原発が危険と知れ渡ってしまったので、平和利用というウソをやめて公然と核武装を宣言する。が付け加わる。
 東日本の大半を放射能で汚染させ、東京3,000万人が避難の瀬戸際に追い込まれても何もなかったかのように平然と振る舞う官僚機構。「放射能の直接影響で亡くなった方は1人もいない」とうそぶく中部電力の課長職(意見聴取会7.16)。「日米原子力共同体」を掲げる寺島実郎(『世界』2012.6)。そして外務・文科省官僚を中心に日本の核武装化へと公然と歩み始めた。しかし、核の先の悲劇は見えている。官僚機構はヌエ的存在である。選挙で落選することもなく、捜査報告書を偽造して冤罪事件を起こしても免職されることもない。勝手に法律を自分の都合のいいように改悪し、選挙で国家の頭部を奪取しても官僚機構に乗っ取られる。
 毎週金曜日・首相官邸前の脱原発行動が行われ、前例なき「革命」となっている(朝日:7.18)が、本来の姿を見せない敵に対しどのような行動を取るかは今後の課題である。 
 【出典】 アサート No.416 2012年7月28日

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【投稿】北朝鮮情勢と日本の閉塞

【投稿】北朝鮮情勢と日本の閉塞

「血の粛清」
7月18日、北朝鮮の朝鮮中央通信などは「重大報道」として、金正恩第1書記が「共和国元帥」の称号を与えられたと報じた。さらに、これに先立つ15日には、朝鮮人民軍のトップである李英鎬総参謀長が、軍および朝鮮労働党のすべての役職を解任され、新たに総参謀長には16日付で「次帥」に昇格した玄永哲人民軍大将が着任したことが明らかにされた。
この一連の動きに関し、韓国の朝鮮日報紙は20日、同国政府関係筋の情報として、李前総参謀長解任に際し、身柄拘束に向かった崔竜海人民軍総政治局長指揮下の部隊と、李前総長の警護隊との間で銃撃戦が発生、これにより約20人が死亡し、李前総長自身も死亡、あるいは負傷したのではないか、と報じた。
この情報の真偽については、いまだに詳細は不明であるが、事実とすれば北朝鮮指導部内におけるバランスが大きく変化したことを物語るものといえる。
昨年末以降の権力移行過程において、「金正日総書記の遺訓」「先軍政治」の継承は不可逆のものとされた。それを具現化する指導部内での金正日側近、人民軍幹部の地位、勢力は増大したものと考えられ、故に、労働党が主導した核問題に関する今年2月の米朝合意にもかかわらず、それらを反故にする4月13日の「弾道ミサイル」発射が強行されたと見られてきた。

打ち上げ失敗が転機
しかし、打ち上げの失敗は北朝鮮自身が早々に認めざるを得ないほどの惨憺たるものであった。中国をはじめとする関係国の懸念を無視して、強硬路線を突き進んだあげく打ち上げに失敗した、李前総長ら人民軍指導部に対する憤りは充満していったものと思われる。
打ち上げ失敗以降も、再度の発射情報、さらには3回目の核実験強行情報などが盛んに流れさた。これは、対外緊張関係を意図的に作り出し、人民軍の地位を保持せんとするための見せかけの動き=李前総長派の延命工作であった可能性が高い。(実際は弾道ミサイルや核弾頭の製造技術レベルが露見した後ではこけおどしにもならないが)
「ミサイル発射」直前に就任した崔局長は、金正恩第1書記の叔父である張成沢労働党政治局員の最側近の一人である。そしてこの間、張局員の命を受け李前総長の動静を探っていたといわれる。
これは、自儘にふるまう軍指導部に対して労働党が、金第1書記に恥をかかせた打ち上げ失敗を利用し、反撃の機会を狙っての動きであったといえよう。そして、実力行使も辞さない構えで、一気に排除へと動いたのである。
公式には李前総長の解任しか報じられていないが、銃撃戦も含めてかなりの関係者が処分されたと思われ、今後しばらくは「残党狩り」が進められるだろう。金第1書記は権力継承以降、乱暴な方法で意にそぐわない幹部の粛清を進めてきたが、今回の事件はその集大成ともいえる。

路線転換は不可避
李前総長粛清の理由として経済問題もあったと見られている。中国関係筋からは、李前総長が人民軍の利権を守るため経済の「開放・改革」に強硬に反対し、中朝貿易で私腹を肥やしていた、との報道もなされている。
中国にとって、緊張緩和と経済改革の阻害物である李前総長は好ましからざる人物であったのは確実で、その排除には、実力行使までを想定していたかは分からないが、中南海の暗黙の了解があったという見方もある。
21日、香港の市民団体は中国軍が17日以降中朝国境の警戒を強化し、緊急演習を繰り返しているとの情報を明らかにした。この動きは朝鮮労働党を支持するとともに、李前総長派に対する威嚇の意味が込められたものである。中国共産党指導部は1971年の林彪事件を思い起こしたかもしれない。
北朝鮮指導部内の権力構造の変化は、当面経済問題に反映される形となろう。もう一つの重要課題である核開発問題については、膠着状態が続くだろう。
20日、朝鮮外務省は「アメリカ情報機関の指示を受けた脱北者が金日成主席の銅像を爆破しようとした」として「核問題を全面的に再検討」すると明らかにした。「爆破計画」は6月に北朝鮮国内で逮捕された脱北者が「自供」したものである。それは多額の報酬を餌に銅像に仕掛けた爆発物を遠隔操作で起爆させる、とされている。
「計画」の真偽は不明であるが、これを口実に米朝協議や6か国協議を先延ばししようとする意図は伺える。しかしこうした怪しげな話で、北朝鮮指導部が本気で「核問題を全面的に再検討」することはないだろう。
今後は核開発に依拠してきた人民軍を牽制しながら、核カードを利用しアメリカとの取引を進めるというスタンスに落ち着いていくものと考えられる。

放置される北朝鮮
この間の北朝鮮の情勢に対する関係国の動向は、4月の「弾道ミサイル」問題に比べ非常に低調である。中国のコミットはあったとしても限定的であるし、アメリカも特段の反応は示していない。北朝鮮関係の動きには独自の見解を示すロシアも沈黙を続けている。韓国は重大関心事であろうが当面注視を続けるに留まるだろう。
これは今回の騒動が現在のところ北朝鮮の国内問題以上のものではないし、「核弾頭」もまったく差し迫った脅威ではないためだが、それにも増して各国の重要課題が他方面にあるからである。要は北朝鮮は放置状態にある。
アメリカは、イランの核開発問題と大統領選挙がある。とりわけイランに対しては、関係国協議の進展がみられないまま、経済制裁が段階的に強化されてきている。今後イラン産原油の輸出がストップすれば、イランはホルムズ海峡封鎖を示唆している。
周辺海域の緊張は高まってきており、7月16日にはアラブ首長国連邦沖でアメリカの補給艦が漁船を銃撃し、インド人船員一人が射殺された。これは過剰反応による誤射というべき事態であるが、この地域の緊迫感を示すものである。
現在ハワイ沖では日米露など22か国が参加する環太平洋合同軍事演習「RIMPAC2012」が8月初旬までの日程で実施されているが、その終了後の9月には、ペルシャ湾で米軍が主導し、日本なども参加する大規模な多国間掃海演習が実施される。
これは現時点では演習であるが、それまでに核問題協議が最終的に決裂しイランがホルムズ海峡封鎖に踏み切れば、実戦になりかねないものである。アメリカは当面この地域に全神経を集中することになるだろう。
ロシアはシリア情勢に最大の関心を寄せざるを得ない。シリアでは内戦が激化しているが、最大の援助国ロシアはアサド政権に見切りをつけられないでいる。6月には戦闘部隊を乗せたロシアの揚陸艦がシリアに向かったという偽情報も流されたが、7月20日ノーボスチ通信は「ロシア北方、バルト、黒海各艦隊が8月に地中海で演習を行う」と報じた。
その陣容は各艦隊の大型揚陸艦を中心として警備艦が付くものとなっており、約10万人といわれるシリア在住ロシア人の救出に備える態勢とも見られているが、イラン情勢の展開次第ではそれへの対処も必要となろう。
中国は南シナ海、東シナ海への権益確保が第1義となっている。北朝鮮は中国のこの地域での利用価値はないし、むしろ足かせとなる可能性がある。韓国は大統領選挙が終わるまで積極的な対北政策の展開は不可能だろう。

無為無策の日本政府
日本はこれまで北朝鮮の脅威を理由に軍拡を進めてきた。しかしこの間の尖閣列島問題を契機として、中国を「仮想敵」とする国民的合意が図られんとする現在、北朝鮮の利用価値は低下している。
7月19日、内閣府は北朝鮮による拉致問題について「関心が低下している可能性がある」との世論調査結果を公表した。拉致被害者、家族も使い捨てにされそうな雰囲気が漂い始めている。また、北朝鮮が示した日本人遺骨の返還問題は、日朝交渉打開に向けてのサインと考えられるが、日本政府の反応は極めて鈍い。
関係国が北朝鮮への関心、関与を低下させているなか、拉致問題はおろか戦後補償など未解決の具体的課題を抱えている日本は、むしろ積極的に働きかけを強めるべきである。
しかし、内政問題でさえ対処しきれていない満身創痍の民主党・野田内閣では、こうした閉塞状況の突破は不可能だろう。
「国会の政局が第一」ではなく、東アジアの緊張緩和を外国政策の柱とするような「第3極」勢力と、その総選挙後のキャスティングボードの確立が望まれるところである。(大阪O)

【出典】 アサート No.416 2012年7月28日

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【日々雑感】熊森協会 VS 小出対談① 

【日々雑感】熊森協会 VS 小出対談① 

 先日、1週間程前に、私が寄附会員として参加している、日本熊森協会から、くまもり通信72号が送られてきました。いつも優れた記事が載っているのですが、今号では、熊森対談という形で、私の好きな小出裕章先生と熊森協会との対談が載っておりました。
 
 <核エネルギーも、奥山生態系も人間(科学)がコントロールできる世界ではない>
 対談者・京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏 という見出しで対談が進められておりました。(長くなるので全文は紹介できず、拾い読みで申し訳ございません)
 先ず、小出裕章氏の略歴:1949年東京生まれ。京都大学原子炉実験所助教。原子力を学ぶことでその危険性に気づき、専門家としての立場から原子力の危険性を訴え続けている。
 著書に、「騙されたあなたにも責任がある」「原発のウソ」「原発はいらない」など。
 「3・11福島原発事故は、以前から小出さんがその危険性を指摘されていた通りになりました。利権とは完全に無縁で、全人生をかけて真実を語り続けてこられた信念の研究者がいたことを知り、私たちは心からの感動を覚えました。政府の事故収束発表とは裏腹に、現実は、収束の目処もなく、更なる大惨事も予測されるそうです。本当のことを知りたくて、4月5日、先生の研究室を訪問しました。」と対談へと進んでいきます。
 熊森:あともう1箇所同じような原発事故が起きたら日本の国はつぶれるという声に対して、大げさなことを言うなと非難する人がいます。
小出:放射能に関して国が作った法律は、たくさんあります。例えば、一般人は、1年間に1ミリシーベルト以上被爆してはいけないし、させてはいけない。1平方メートルに換算して4万ベクレルという汚染を超えているようなものは、どんなものでも管理区域以外に持ち出してはならないなどです。
 もし私がそのようなものを持ち出して、皆さんを被爆させるようなことをすれば、私は法治国家である日本で処罰されます。
 ところが今は、1平方メートルあたり4万ベクレルを越えて放射能で汚染されてしまったところが、会津の一部を除く福島県全域、栃木県や群馬県の北部半分、宮城県の南部、そして北部、岩手県の近く、茨城県の北部と南部、千葉県の一部、東京都の一部、埼玉県の一部というようなところです。本当に日本が法治国家だというなら、これらのところを無人にしなければなりません。
 今や、この日本という国は、自分が決めた法律を反故にして、人々を被爆地帯に取り残しているのです。福島第1原発の事故だけですでに、国家が倒産してもあがないきれない程の大被害を出したのです。
 他にも、小出先生の示唆に富んだ対談内容が掲載されていますが書ききれませんので、次回に廻させていただきます。
 非常に優れた対談内容なので、全文を読みたい方は、日本熊森協会の方に問われてはいかがでしょうか。是非お薦めいたします。0798-22-4190が熊森協会の電話番号です。
 (2012-07-20 早瀬達吉)) 

 【出典】 アサート No.416 2012年7月28日

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【投稿】消費税増税談合と大飯原発再稼働

【投稿】消費税増税談合と大飯原発再稼働
         民主党政権・メルトダウンへの暴走



6/17 ふくいでつながろう集会より

写真は、6/17、福井市中央公園で開かれた大飯原発再稼働許さない、「ふくいでつながろう」集会での「原発いらない 福島の女たち」の怒りの決意表明

<<完全に見放された民主>>
 6/10に投開票がおこなわれた沖縄県議会議員選挙の結果は、与党21議席に対し野党27議席という結果になり、自民・公明を中心とする沖縄県政与党、ならびに民主党政権に対する手厳しい審判となった。党派別当選者の内訳は県政与党の自民が1減の13人、公明3人、無所属5人の計21人(前回22人)。野党は社民が1増の6人、共産は5人を維持、社大は1増の3人、無所属・諸会派7人の計21人。中道は民主が1人、そうぞうが1人、国民新が1人、無所属が3人の計6人。仲井真知事が待望していた与野党逆転はならなかったのである。
 わずか900票差とはいえ、今年2/12の宜野湾市長選に自・公推薦候補が勝利し、その勢いで県議会過半数奪取を目指していた仲井真知事を支える与党は敗北を喫し、この与党と手を組んで普天間基地の辺野古移転・米軍新基地建設、そしてオスプレイ配備、高江ヘリパッド(オスプレイパッド)建設や先島への自衛隊配備などを強行できる、仲井真知事がその方向で翻意する環境を整える、そうした政府・民主党執行部、野田・前原・仙谷氏らの目論見はもろくも崩れ去ったのである。そもそも辺野古移設に関しては、選挙期間中、「保留」とした1人を除いて、立候補者全員が与野党の別なく「辺野古ノー」の選挙公約を掲げていたことからすれば、政府・民主党執行部の目論見は当初からあてが外れていたのである。
 なおそれでも、野田首相は6/4の内閣再改造で、あきれたことに防衛相に元幹部自衛官で、日米同盟至上主義者として知られ、米軍普天間飛行場の辺野古移設推進論者である森本敏氏を起用し、この期に及んでも、「辺野古が唯一の解決策」などと言い張るこの人物を沖縄の説得に向かわせるという政治的無神経さを正そうともしていない。
 さらにオスプレイの沖縄配備問題では、この森本敏防衛相がモロッコで起きた墜落事故の原因究明がなされる前の配備の可能性を示唆したことに、民主党沖縄県連は辞任を求める緊急声明を発表したが、政府・民主党は無視を決め込み、一顧だにしていない。これまた輪をかけた政治的無神経さといえよう。今や米軍事政策への追従ぶりばかりが前面に出る異常さである。
 しかし、この沖縄県議選の結果は当前予想されていたこととはいえ、とりわけ民主党にとっては、取り返しのつかないほどの手痛い打撃となった。前回県議選で民主党は那覇市選挙区で県議選史上最多の1万8331票を獲得してトップ当選を果たした候補者が、今回は1万2630票も減らして、5,701票しか獲得できず落選したのはその象徴と言えよう。しかも4年前は擁立した4人が全員トップ当選であったが、今回は最後の1議席に滑り込むのがやっとであった。完全に見放されたも同然といえよう。

<<「国家の信頼のメルトダウン」>>
 2009年9月に政権交代が実現し、民主党連立政権が誕生してから初めての沖縄県議選の結果がこれであり、マニフェストの主要な政策をことごとく投げ捨てて、今や第二自民党と化してしまった民主党への沖縄県民の怒りと反発が如実に現れている。
 この結果は当然、民主・自民談合解散、あるいは行き詰まり解散など、年内にも行われる可能性が取り沙汰されている次回衆議院選挙に反映することは必至である。沖縄と同様、迫る解散・総選挙では政権政党である民主党の看板が逆にデメリットとなり、現有議席が激減、四分の一、あるいはそれ以下になる可能性である。
 しかし政府・民主党執行部は、あえてこのような有権者から完全に見放される道を暴走し始めたともいえよう。それは大飯原発の再稼働路線と、たとえ談合をしてでも消費税増税法案成立を最優先に闇雲に突っ走る野田政権執行部の姿勢に現れている。
 野田首相は6/8の記者会見で、「原発を止めたままでは日本社会は立ち行かない」、「国民生活を守るために」再稼働が必要だと言明、大飯原発の再稼働を決断するに際しては「東京電力福島第1原発を襲ったような地震、津波でも炉心損傷に至らない、事故は防止できる」と断言したが、これは3・11フクシマ原発震災以前の、3・11から何らの教訓も学び取ろうともしない、政・官・財・学癒着の原子力ムラの認識そのままである。責任を取る気もない、また取れもしない、客観的根拠を全く上げることができない、むしろ危険極まりない、脆弱このうえない現実を前にしても、「事故は防止できる」とは、まさに「悪魔の決断」である。新潟県の泉田知事は「『電源が失われるような事態が起きても炉心損傷に至らないことが確認されている。』との発言についても、現実には、『電源が失われなくても、炉心冷却に失敗すれば、大惨事になる』ということが福島の教訓であることを無視した説明です」と厳しく指摘するとおりである。
 さらに首相の再稼働会見では、新たな安全対策が一切示されていない。それどころか、あの無責任極まる東京電力の前社長・清水氏が、新潟県中越沖地震(2007年)で起きた柏崎刈羽原発の事故を受けて福島第1原発につくられ、今回の事故対応の拠点となっている免震重要棟について「あれがなかったらと思うとゾッとする」との認識を示した、その緊急時の指揮所となる免震施設の建設や放射能除去フィルターの設置でさえ、再稼働の条件にできず、先送りで放置して電力会社の言いがまま、大飯原発は免震棟、放射能除去フィルターの設置さえなく再稼働に踏み切ろうとしているのである。
 さらに福島第1原発事故では5キロ離れた「オフサイトセンター」には空気浄化フィルターもなく全く使用することができずに、事故4日後に約60キロ離れた福島市に撤退したが、大飯原発でもやはり、約7キロしか離れていない事故、避難などの対応拠点「オフサイトセンター」は、あいもかわらず空気浄化フィルターなしである。
 そして大飯原発でより根本的な問題は、これまで隠し続けてきた1、2号機と3、4号機の間にはF-6と呼ばれる活断層の存在が明らかにされ、それについての度重なる専門家の指摘にさえ、即刻調査すれば解明できる努力さえ放棄して、断層を過小評価し続けてきたままで再稼働をのみ優先させたのである。
 こうした野田首相の原発再稼働の決断について、国会事故調の黒川清委員長は「なぜ国会事故調の報告を待ってからやらないのか。理解できない」と批判し、「国家の信頼のメルトダウンが起きているのではないか。理解できない」、「世界の先進国のあり方と全然違うところに行っているのではないか」と指摘する事態である。暫定的な安全基準、専門的知見とかけ離れた原子力業界向けの安全基準、ご都合主義で責任を回避する「政治判断」によって再稼働に走る日本政府の知性と良心と人間性に反する無責任極まりない政治的堕落の行く末をを世界は注視しているといえよう。

<<「増税だけが行われるのは主客転倒だ」>>
 政府・民主党執行部は、大飯原発の再稼働に引き続き、6/15には、税と社会保障の一体改革関連法案をめぐる民主、自民、公明3党の修正協議のかたちで進めら、まず民・自両党が自民党の対案を事実上丸のみするかたちで一致、つづいて公明党も法案賛成方針に転じて合意に達し、舞台は民主党内の「合意」形成、実際はいかに民主党の事実上の解体を推し進めるかに焦点が移行したといえよう。
 すでに民主党内では、荒井聰元国家戦略担当相と福島選出の増子輝彦参院議員が中心となって呼びかけた大飯原発の再稼働の再考を求める署名が行なわれ、わずか4日間で民主党議員の3分の1に当たる119人が賛同し、小沢氏や鳩山氏、羽田元首相、江田党最高顧問、馬淵元国交相、福山元官房副長官らも署名している。荒井氏は署名提出後、記者団に「信頼を失った経済産業省原子力安全・保安院が安全性を主張しても国民の理解は得られない」と強調し、「署名は多くの党議員が再稼働に慎重な証拠だ」と述べている。
 そして消費是増税法案については、民主党内で「党の『民主的合意形成』を実現する集い」が呼びかけられ、「自分たちは社会保障が前提で、消費増税が前提なのではない」と民主党執行部への批判が明確に打ち出されだした。6/15には、田中慶秋副代表と篠原孝元農水副大臣の、輿石東幹事長への両院議員総会の開催を求める154人分の署名提出が行われたが、これは開催要件を満たす署名数に達している。
 同時に6/14には、消費増税に反対する超党派の国会議員が東京都内の憲政記念館で集会を持ち、与野党の国会議員117人が出席し、民自公の修正協議を「密室談合」と批判し、消費増税法案の採決に反対する決議文を採択、鳩山氏は「国民に訴えて政権交代したことが棚上げにされ、増税だけが行われるのは主客転倒だ」と訴えたほか、共産党の志位委員長、社民党の福島党首、みんなの党の渡辺代表らもあいさつに立って、民自公の修正協議を痛烈に批判した。
 野田首相を先頭に、政府・民主党執行部はいよいよ政権交代の意義を完全に葬り去る、民主党解体による消費税大増税、原発の連続再稼働へ向けた大連立構想へと動き出したといえよう。しかしこの道は、大多数の有権者の意識とかけ離れた孤立化への道でしかない。厳しい反撃を覚悟すべきであろうし、その反撃が組織されなければならない重大な局面といえよう。
(生駒 敬)

写真は、6/17、福井市中央公園で開かれた大飯原発再稼働許さない、「ふくいでつながろう」集会での「原発いらない 福島の女たち」の怒りの決意表明

 【出典】 アサート No.415 2012年6月23日

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【投稿】 大飯原発再稼働の決定に抗議する

【投稿】 大飯原発再稼働の決定に抗議する
                           福井 杉本達也 

1 大飯原発再稼働決定に抗議する
 野田首相は6月8日の記者会見で、大飯原発3、4号機について、国民の生活を守るために再稼働すべきだというのが私の判断だと表明、経済活動や国のエネルギー安全保障の視点からも原発なしでは日本社会は立ち行かないと強調、さらに福島を襲ったような地震・津波が起きても事故を防止できる対策と態勢は整っていると述べた。記者会見を地元同意の条件としたのは西川福井県知事であったが、当初、藤村官房長官は記者会見には否定的であった。しかし、再稼働のリミットが迫る中、バナナの叩き売りのような妥協をした(朝日:2012.6.9)。
 しかし、大飯原発の安全性は何ら担保されていない。福島第一事故で唯一不幸中の幸いであったチェルノブイリを上回る事故の拡大を防いだ免震重要棟もできていない(元々、敷地の狭い大飯原発敷地内に免震棟を造ることは不可能であろう。3,4号機建設中は敷地の余裕がなく、工事用車両などのために法面に仮設で鉄板を敷きつめて人工地盤を確保していたほどである)。もちろんベント施設も、津波対策もできてはいない。極め付きは県の防災計画もできていないことである。県は国が防災指針を示さないから作れないと言うが、福島原発事故で実際に30キロ圏内の住民を避難させたにもかかわらず、どう住民を避難させてよいかわからずに「大飯原発は安全」というのは住民の生命を守るべき自治体の最重要責務を放棄した無責任そのものの判断である。おおい町からは敦賀市や越前市方面へ逃げる計画であるが、若狭湾の原発銀座を通過して避難するのは机上の空論も甚だしい。近隣の滋賀県・京都府とまともな話ができないからである。西川知事は安全と防災計画は「レベルが違う」(福井2012,6.14)とのたまうが、過酷事故対策に目をつぶって再稼働を判断するとは言語道断である。さらに変動地形学の名古屋大の鈴木康弘氏・東洋大の渡辺満久氏は2号機と3号機の間を通る「F-6断層」は活断層だと指摘している(朝日:同上)。これでどうして事故を防止できる対策・態勢が整ったのか。「国民の生活を守る」のではなく「国民の生活を破壊する」ために再稼働の決定を下したとしかいいようがない。「国民」を強調しつつ、首相の目は「国民」を向いてはいない。

2 「福島」を無かったことにする棄民政策
 6月11日のNHKニュースは、福島原発から最も多くの放射性物質が放出された去年3月15日の対応について、文部科学省は原発から北西およそ20キロの福島県浪江町に職員を派遣し、午後9時前に最大で1時間当たり330マイクロシーベルトの高い放射線量を測定したとしている。そのうえで、この調査地点は15日夕方のSPEEDIの予測を基に選んだことを明らかにしている。しかし、測定結果は現地の対策本部には報告せず、自治体にも伝えなかった。文科省はSPEEDIによる放射能情報を隠蔽しただけでなく、それを利用して測定した情報も隠蔽していたことが明らかとなった。浪江町長はNHKのインタビューで「当時、われわれは避難を自主的に判断せざるをえず、原発から遠くに離れようとした結果、不要な被曝を招いてしまった。住民の安全を守るべき国が出すべき情報を出さずに、その責任を果たさなかったのは非常に悔しいし残念だ」と述べている。
 このSPEEDIの情報については、3月11日当日から保安院から福島県にメール等で情報が送られてきたにもかかわらず、県はこのメール等を意図的に廃棄していたことも明らかとなっている(県民福井2012.3.21)。また、事故直後のヨウ素131などの生情報が全て消されており、福島県民がどれだけ初期被曝したのか全く不明であった。東電や国は電源の喪失や津波によって原発周辺の放射線観測施設が全て破壊されたとウソを突き通してきたが、この生情報は福島県の原子力センター職員による決死の内部告発により放射線測定の第一人者・岡野眞治博士らの手元に届けられている(NHK:ETV特集『ネットワークでつくる放射能汚染地図5 埋もれた初期被ばくを追え』2012.3.11)。この大規模かつ組織的放射線隠しを福島県現地で指揮したのが「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。」と発言する山下俊一長崎大教授(福島県立医大副学長)である(2011.3.21講演「放射線と私たちの健康との関係」)。
 その結果、今福島では「6月のころは相談会もなごやかな雰囲気だった。7月になって戒厳令になったという気がした。福島では放射能が不安だと言うとバッシングを受ける状態になっていた。とりわけ福島市が強くいろいろな規制をしている。外に出ている子どもに対して、『早く教室へ入ったほうがいい』『長袖のシャツを着ていたほうがいい』くらいの注意をした教師に育委員会から指導が入る。」「福島市の医師会は全員『放射能は心配ない』と口裏を合わせることになっている。最近は子どもを連れたお母さんが受診して、放射能と一言いうと横を向き診てくれないという状態になっている。福島の個人病院で健康診断をしようとしたら、福島市からストップがかかり、『山下さんと相談してからやれ』と言われた。山下としては自分たち以外の健康診断はやらせない。勝手にやった健康診断で被害はなし、将来も大丈夫と言ってしまう。他のところでやるとそういう結果は出ないわけだから、自分たちの健康診断のおかしさが暴露されてしまうから止めている。それで、福島の医者は動きがとれない。」福島は完全に沈黙させられている(2012.5.20「原発事故と病気 『福島を切り捨ててはならない 』」八王子中央診療所 山田 真)。
 かつて、第二次世界大戦末期の大日本帝国下においても、米軍による本土空襲の可能性が高まった1944年夏から子供を空襲から守るため全国的に学童疎開が行われた。ところが福島県では5~20ミリシーベルトという極めて危険な放射線区域内でも子供の避難は行われていない。チェルノブイリ事故で旧ソ連が強制移住させた値である。今の日本政府は大日本帝国の軍国主義者以下である。『大本営発表』の方がまだましである。

3 日米協力イニシアティブ-「民生用原子力協力に関する二国間委員会」
 4月30日、日米首脳は共同声明を発表し、その重要部分を詰めた文書として『日米協力イニシアティブ』を公表した。その中で原発は「日米両国は,2011年3月の日本の原子力事故の後の日米間の緊密な協力を基盤として,民生用原子力協力に関するハイレベルの二国間委員会を設置し,この分野での協力を更に強化する。同委員会は,民生用原子力エネルギーの安全かつ安心な実施並びに廃炉及び除染といった事故への対応に関連する包括的な戦略的対話及び共同の活動を促進する。同委員会は,原子力エネルギー,原子力安全,核セキュリティ,環境管理,核不拡散を含む諸分野において,より強固な研究開発交流を調整する」とうたわれることとなった。福島第一原発事故の収束の見通しも立たず、原子力・保安院に替わる組織(現在「規制委」案が民自公で合意)の見通しも立たない段階で、「ハイレベルの二国間委員会」の設置を宣言するのは異例である。日本の原発稼働がゼロとなることを米国がいかに恐れているかを示している。「全面停止状態にある原発が早期に再稼働できるよう支援したい意向」(2012.5.1)という日経の間の抜けた解説ではなく、無理矢理にでも再稼働させるための米国の恫喝と捉えるべきであろう。その詳細は5月27日の日経の解説記事でより明らかとなる。「『いかなる形でも支援する用意がある』再稼働に絡み、関係閣僚と地元自治体の折衝などを抱え慎重な日本の背中を押した。日本当局筋は複数の米政府高官に責められた。日本の原発が衰退すれば米も共倒れになる相互依存の構図で、イニシアチブは米の焦りの裏返しでもある。」つまり日本の原発が動かなければ米国の核兵器産業も共倒れになるから、絶対に原発を再稼働しろという意味である。その回答期限は6月18日のG20である。大飯原発再稼働決定はこの流れの延長にある。「国民」という野田のうつろな言葉の後に目は「米国」を見ているのである。さらに野田が心変わりしないかを「野田首相が掲げる政策は消費増税を含め環太平洋経済連携協定(TPP)への参加や原子力発電所の再稼働など国際的な課題。どう対処するかは日本が今後、国際社会でどのような地位を占めるかのリトマス試験紙にもなる」(日経:2012.6.3)と米戦略国際問題研究所(CSIS)上級顧問・日本部長マイケル・グリーンが監視している。

4 闘争の重点をどこに置くべきか
 福島の問題は福島という一地方の問題ではなく、日本全国の問題だけではない。かつてチェルノブイリに対して国際的に原子力帝国主義国から圧力がかかったように、今、「福島」に対してあらゆる国際的圧力がかかっている。米国・英国・フランス・ロシア・中国といった核大国ばかりでなく、原発からの撤退を決めたドイツでさえ、フランスからの放射性廃棄物を受け入れ、さらにはシベリアに搬送している。こうした中で日本が「核」から全面撤退するのは至難の業である。国も世界も「福島」だけに限定してしまいたいと思っている。福島市の東側に放射線の極めて高い渡利地区がある。市の中心部に近い地域で、阿武隈川を挟む対岸は県庁などの官庁街である。渡利地区を汚染地区にすると、福島市全域を避難地区にせざるを得ない。国が渡利を認定しない理由は「ロケーションの問題」である。人口密度が高く、中心地に近い渡利を危険な地域と認定すると、福島市全域が危険だと宣言したことになってしまう。福島が避難地区と認められないと、それより少し低い郡山などは到底認められない。渡利地区は橋頭堡であり、渡利地区を認めさせることができれば、中通りに避難地区を広げられる(山田真「大震災・子どもの健康と未来の補償のために」『現代思想』2012.3)。
 一方、大飯再稼働問題では関西のふがいなさが目立つ。「計画停電」の脅しにあっさりと降伏してしまった。電力やエネルギーの需給についてほとんど何も考えていなかったことが明らかとなった。まず、関電に対する監視を強化し火力発電所に対する設備更新を急がせることである。地震による壊滅的被害を被った東電や東北電力が被災した火力をわずか3ヶ月で修復を終えたことと比較するとこの1年3ヶ月の関電の設備の更新・修復はあからさまなサボタージュである。ガスタービンコンバイドサイクルの姫路第二の運転開始を少しでも早めさせなければならないし、老朽火力の設備更新を急がせなければならない。 次に、特定規模電気事業者・大阪ガスや神戸製鋼などの電力事業やエネルギー事業を応援することである。原子力帝国主義の圧力から自由度を確保するにはそれしかない。かつて敦賀市に大阪ガスのLNG基地誘致の話が持ち上がったことがある。1989年である。計画では10.5haの土地に18万klのLNGタンク10基、8万klのLPGタンク3基を設置し、敦賀港のLNG受け入れ桟橋とをトンネルで結ぶという大規模な計画であった(参照:岡敏弘『環境政策論』1999.12.15岩波書店)。しかし、この計画は表向きは自然保護、裏は敦賀3,4号機の増設(現在敷地造成のみが完了している)にとって邪魔であるという理由で葬り去られた。表向きの中心人物は日本原電社員・北條正敦賀市議であった。大阪ガスがなぜ敦賀を選んだかといえば、ロシア・サハリン等からのLNG輸入を考えていたからである。しかし、天然ガスのロシアからの輸入は関電にとってもアメリカにとっても都合の悪いものである。関西が若狭湾からの電力に頼るというのはあまりにもリスクが大きすぎる(建設後40年前後の老朽原発が軒並みということもあるが、電力集中も)。都市の中心部・埋め立て地に発電所を設けるとともに、エネルギー源の多様化を図るべきである。 
 【出典】 アサート No.415 2012年6月23日

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