【投稿】震災の被災地 宮城県を訪ねて(2) 

【投稿】震災の被災地 宮城県を訪ねて(2) 

 唯一残った防災庁舎
 津波が襲った際、今では跡形もない町役場の横にあった防災庁舎。30数名の町長含む町職員が、4階になる屋上部分で孤立した場所である。まるでシンボルのように立っている鉄骨の骨組みだけの建物。連休中ということもあり、ボランティア活動を目的に、特に横浜や千葉、関東ナンバーの車が行き来しており、防災庁舎の前に花を手向ける人も多かった。
 南三陸町では、住宅の8割が津波によって消失したという。志津川中学校まで登ると、眼下に南三陸町の中心部が見渡せる。あの防災庁舎も含めて、形を留めているのは、鉄骨造のビルの骨組みか、4階建て位の鉄筋コンクリートの志津川病院など中心部のいくつかのビルのみ。見渡す限りの「建物跡」。これが、震災から1年2ヶ月の姿。震災直後とほとんど変わっていないのだろう。クラブ活動の中学生が、僕にも「こんにちわ」と声をかけてくれる。ここ志津川中学校のグランドも半分くらいが、仮設住宅となっていた。


写真1 志津川中学校から南三陸町を臨む

 仮設商店街が産声あげる
 その中でも、商店主の皆さんを中心に、いくつかの商店街が産声をあげていた。気仙沼へ向かう国道45号線沿いの歌津地区に、「伊里前福幸商店街」がプレハブ作りのお店でオープンしていた。海産物の店に立ち寄って、土産にと買い物をした。仮設商店街は津波で消失した住宅地の一番奥にあるが、100mほど東側は海岸線で、それに沿うように、JR気仙沼線が通っていた。高架型の鉄道敷も津波で破壊され、橋脚部分のみが並んでいた。
 この日は、気仙沼をめざして移動した。リアス式海岸沿いのくねくね道を過ぎ、津谷川の橋を越えると、気仙沼市街地に入る。国道の東側の海岸側は、津波被害地が続く。瓦礫の山もいくつか見た。気仙沼は大きな街で、海岸から山裾まで市街地が広がっている。市役所周辺は高台で普通の佇まいだが、沿岸部のビル外の中には、空地になって整備している場所も散見した。津波で流されたのだろう。ここでも、仮設商店街ができていた。「復興屋台村 気仙沼横丁」だった。(翌日南三陸を離れる日、古川方面に続く本吉街道沿いにも仮設商店街「南三陸さんさん商店街」を発見。ここは、30軒くらいの店があり、観光客もたくさん訪れていた。)
 この日は、発達した低気圧が東北地方を通過中で終日雨、夜には更に雨脚が強まるとのことだった。


写真2 仮設商店街 南三陸さんさん商店街

 雨で町内冠水続出、基盤整備の遅れ
 夕方から雨脚は強くなり、早々にテントの中に。小さな台風という感じ。夕刻キャンプ場に向かう頃には、戸倉小学校前の道路が冠水をはじめ、何とか通過したが、その後通行止めとなった。翌日は、雨が上がったが、川が増水し、南三陸町中心部に入る手前で通行止め、なんとか迂回して、「さんさカフェ」に向かう。
 堤防や水門が破壊された上、水関係施設も破壊されている中、少々の雨でも町内に、冠水箇所ができるらしい。下水幹線など社会資本部分の損傷も大きいということ。これから、梅雨や台風シーズンを迎えることを考えると少々不安になる。地震の影響で、地盤全体が下がっていることも、冠水箇所が続出する原因との話もある。(この日は、震災ボランティアに行く予定だった。しかし、前夜に雨のため国道45号も通行止めなどの情報があったので、前日の段階でボランティアは断念した。翌日、なんとか町内中心部に入ってみて、カッパを着て瓦礫整理にあたっているボランティアさんの姿をみて、ちょっと恐縮。)
 
 家なき市街地に立って
 復興商店街が出来ているが、残念ながらそこで売られていた海産物などは、岩手産や北海道産が目に付いた。地元南三陸町はじめ、三陸地方は漁業が盛んな地域であったが、まだまだ、地元産の海産物は出回っていない。漁業資源と観光資源など、就労という点でも、まだまだ道遠し、というところであろう。
 宮城県が、県内の仮設住宅に生活する人たちの、生活・就労アンケートを行ったらしい。詳細は把握していないが、失業率や生活不安など、かなり厳しい内容であったという話だ。生活の再建の第一は、仕事の確保であろう。高台移転など住居の確保、仕事を中心とした生活再建が求められている。箱ものの再建以上に、これは困難な事業になると感じた。
 南三陸町を中心に、2泊3日の旅であったが、5月時点での現地の雰囲気を伝えることができただろうか。家なき市街地に立って、再度自分に出来る協力とは何なのか、そして、このような災害の事実を前にして、日頃の悩み事など、些細なことのように覚え、心が落ち着いたという面もあった。
 いよいよ夏を向かえ、東北支援でと観光旅行も良いだろう。そんな折には、少々足を伸ばしても、被災現地を訪ねられることを願う。(2012-06-17佐野秀夫)


写真3 被災したビル跡に「がんばれ南三陸町」のメッセージ


写真4 橋脚だけが残る気仙沼線(歌津町の伊里前福幸商店街から見る)

PS:報道によると6月15日から「公立志津川病院」の解体工事が始まったとのこと。病院は、現在、内陸部の登米市に仮設病院として存続している。 

 【出典】 アサート No.415 2012年6月23日

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【コラム】ひとりごと—消費税増税と原発再稼動—

【コラム】ひとりごと—消費税増税と原発再稼動—

○国民の半数以上が反対しているにも関わらず、重大な2つの懸案事項が、強行されようとしている。一つは消費税増税であり、一つは関西電力大飯原発の再稼動である。○そして、それを進めているのが、政権与党の民主党主導の形をとりつつ、自民・公明が協力・追随する、というパターンである。○消費税10%への増税案は、手法はどうあれ、自民党の選挙公約であった。野党であるにも関わらず、民主党の混迷下にあっても、支持率が一向に好転しない谷垣自民党。このままでは、秋の総裁選挙では、党首交代が必至と言われ、総選挙に追い込むことが唯一の作戦であった。しかし、「維新の会・国政進出」の影におびえ、「民主党マニュフェスト撤回」を条件に、基本姿勢を消費税増税法案成立に、どこの時点か不明だが、転換したのだろう。明確な説明は全くされていない。○マスコミも、消費税増税反対の論陣を張る新聞は一紙もなく、14日毎日新聞主張も「大詰め修正協議–党首会談で決着を図れ」とは、消費税増税賛成、ということか。○一方、消費税問題のために、民主党は政権交代選挙で掲げたマニュフェストの主要政策を「撤回」した。もちろん、消費税増税そのものが、マニュフェスト違反であるが。○15日の民主党経過報告集会では、修正協議報告に異論が続出、「執行部一任」の取り付けができず、野田首相帰国後の20日全議員総会に持ち越されたという。○他方、労働者の団体である連合は、消費税問題では、口をつぐんでいる。○ホームページで消費税問題への見解すら出ていない。当然、大衆行動の提起もない。(「原発再稼動」問題も同様であるが。)大企業労働者のための組織であって、国民のための組織ではないからなのか。○修正協議が整えば、衆議院での採決となるが、その日程は見えていない。21日の可能性が高い。○民自公の3党合意ともなれば、数の上では衆議院で圧倒的多数となる。しかし、民主党内から相当の離反が生まれる可能性が高い。小沢グループしかり、増税反対派が100を越えるという話を聞いている。それでも、3党の増税支持派では、3分の2を越えるとも言われ、衆議院での可決は動かない状況ではある。○3党合意の後、2ヶ月程度の会期延長が行われて、舞台は参議院に移るわけであり、増税反対の運動を参議院での否決へと結実させる必要があるだろう。○同様に、国民の大半が望んでいない大飯原発再稼動問題である。安全対策など、全くできていないまま、野田政権が強行しようとしている。○関西広域連合の首長連中も、関電の「計画停電」恫喝に屈した。橋下市長も散々暴れた上で、旗を降ろした。○国民は、原発なしでも節電しようという意識になっているにも関わらず。○民主党内の、再稼動慎重派が13日に国会内で「再稼動の判断再考を求める緊急集会を国会内で開催した。○14日の毎日新聞は、再稼動の再考を求める署名の呼びかけ人(66人–衆47参19)と、署名した民主党議員(53人–衆36参17)合計119人の議員名を掲載している。○中々丁寧な報道だが、その目的は他にあったようだ。14日以後、署名等した国会議員には、地元の電力系労組から、署名撤回の「申し入れ」があり、対応によっては、今後の選挙応援はしない旨の「恫喝」が入っているとのこと。○なんと、きたない奴らだろう。労組も「原子力ムラ」の住民であれば当然のことか。○大飯再稼動の報道では、地元大飯町の住民が「再稼動」を望んでいる、原発が動かないと雇用が守れない云々の新聞記事が目立っている。それなら、全原発を再稼動することもできる論理じゃないのか。○過疎地に金を落として原発依存症にしてきた構造は、何も変わっていない。○このままでは、国民の賛成していない重要政策が、マスコミも一体になって強行される事態。それも、3党が国会で組めば、何でもできるという状況を許していいのか。まさに倒幕運動を巻き起こす状況あろう。○今日も仕事で、民主党国会議員の挨拶を聞いたが、消費税に触れることもできず、予算確保に全力を尽くします、とは情けない限りである。○この異常事態を異常と思えない感覚、やはり分裂でもして、やり直した方が良さそうである。(2012-06-17佐野)
 
【出典】 アサート No.415 2012年6月23日

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【日々雑感】続:つくづく思う 語り部、記念館の重要性 

【日々雑感】続:つくづく思う 語り部、記念館の重要性 

 前号414号でもお約束しておりましたが、記念館のことを書きます。少し古い記事で恐縮ですが、2011年10月8日(土)の毎日新聞夕刊の「引き揚げ風化防げ 記念館見学を必修化」という記事を紹介させていただきます。
 内容は、戦後、旧満州(現中国東北部)やシベリアからの引き揚げ港となった京都府舞鶴市の市教委は今年度、小学校(全18校)の「舞鶴引揚記念館」(同市平)見学を初めて必修とした。引き揚げを知らない世代が増えて風化が危惧されるためで、バスのチャーター代など交通費を予算化した。水谷昭教育長は「(戦争を)評価するのは大きくなってから。ただ、自分の古里について学ぶ機会を準備しておく責任が教師にはある」と語る。最初の引き揚げ船「雲仙丸」が舞鶴に入港して10月7日で66年となった。
 記念館は88年、市街地から離れた海を見下ろす丘陵に開館。引き揚げ資料約12000点を収蔵している。91年の入館者は約20万1000人だったが、ここ数年は約10万人と半減している。学校から気軽に歩いていけないため、社会科見学などに利用されず、逆にバスをチャーターした市外からの修学旅行生の方が多いという。
 このため、市教委は社会科で近代史を学ぶ6年生に一度は見学してもらうことにし、今年度予算に交通費など729万円を計上した。今月6日までに5校が見学。5日、訪れた市立新舞鶴小の6年生112人は、シベリヤに抑留された舞鶴出身の男性がシラカバの樹皮に望郷の思いを綴った日記を目の当たりにした。語り部から「君たちのような年齢で、孤児として舞鶴に上陸した子が101人もいたんだよ」と聞くと、驚いた表情を見せた。
 語り部のNPO法人「舞鶴・引揚語りの会」理事長の濱朗夫さん(70)は、「平和学習で広島や長崎に行くのに、目の前の教材をなぜ利用しないか、ずっと不思議だった」と話す。これまで語ってきた印象では、引き揚げを知らない児童が6、7割に上るといい、「親もしらないだろう。子どもに学んでもらうことで
 一人ひとりに語り部になってもらい、逆に親の世代にも伝えていきたい」と考えている。
 以上、私見が入ることを恐れ、全文紹介しましたが、何度読んでもウンウンと、うなずける内容だと思います。戦争を知らない親へ、学習を積んだ子どもから伝え続けてゆきたいものですね。そして私も18歳頃に暮らした舞鶴なので、その記念館に行ってみたいと思っております。(2012年6月15日 早瀬達吉) 

 【出典】 アサート No.415 2012年6月23日

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【報告】再稼働はんたい!原発いらない!

【報告】再稼働はんたい!原発いらない!
       ふくいでつながろう@福井市中央公園に参加して 

 昨夜から未明にかけて、「家の屋根が壊れる!」と一瞬ビビッてしまった位の大雨…。「集会は予定通り行われるのかな…?」と少々心配になり、大阪府や福井県の天気予報をネット検索してみると、「17日12:00まで雨、午後からくもり」でも、最近は急変することも多々あるので、防水着・タオルなどを用意し、早朝自宅を出た。
 「当初の予想以上に申込者が多く、中にはお断りをした方もいた。」とのこと。これまで以上の盛り上がりが感じられた。
 午前11時30分過ぎに福井市役所近くの中央公園に到着。公園の中央付近から、にぎやかな音が響いてきた。のぼりや旗などを持った人たちが、続々と集まってきた。道中買っておいた鯖ずしを、公園に設置されている木製ベンチに座って食べながら、空を眺めた。雲が少し垂れ込めている。様々な団体・個人が、それぞれの主張を載せたちらしやビラを配っている。同じ物を差し出されたときは、「先ほどいただいたので・・・。」と断る。以前は黙って受け取っていたが、より多くの人に渡って、より多くの人に読んでほしいとの思いから、丁重に断ることにしている。


 正午過ぎ集会が始まった。実行委員会事務局からの集会の意義・趣旨等の提起、中島哲演さんや鎌田慧さんの発言の後、参加団体代表や個人からの1分間スピーチ。時折、時計係らしき人が、発言者に言葉ではなく指1本で「時間厳守!」を要請している姿に、限りない好感を抱いた。わたしの勝手な見方かもしれないが、比較的若い発言者は、時間をきちんと守ろうという意思を感じさせ、比較的若くない発言者は、思いが先走ってしまうのかついついタイムオーバーになりがちであった。今回のように、さまざまな団体やグループ、多種多様な個人が、各地から集まって開く場合は、日頃聞けない話や訴えが多いはずだから、皆さん、言いたいことはいっぱいあると思うけど、「1分間」を守りましょうねと大声で言いそうになった。でも、さばき方のうまい進行役のおかげで、80人を超える人たちの、真剣で熱いスピーチをたっぷり聞くことができ、途中の雨にすら爽やかさを感じた。
 集会後、中央公園→福井市役所横→福井県庁前→県庁横→県庁裏→公園と、デモ行進。日曜日だからか、官庁街はとても静かで、警備員の立ち姿だけが見える。「車道に引いてある白線までがデモ隊の歩く所。それ以上は、注意する。」ように指示が出されていたのであろう。デモに参加している人が線からちょっとはみ出そうとすると、デモ隊横にぴたりと就いていた警官がしきりに線の中に押し戻そうとしていた。
 「さいかどう、はんた~い!」「げんぱつ、いらな~い!」何度も何度も大きな声で叫んで歩いた。後半、デモ隊が信号を横切っていくとき、車に乗った女性が窓を開けて手を大きく振ってくれていたのが、印象的だった。思いが共有できていればいいな…!
 「消費税増税」「大飯原発再稼働」等々、この間野田政権が推進する政策は、×××…!で、「政権交代」に期待した者としては、今や「残念」を通り越して「怒り」の度合いが増すばかりだ。 
 集会の最後に、福島の女性たちが発言されたが、「わたしたちは、政府に見捨てられ、切り捨てられた!」という訴えを、胸に深く留め置きたいと思う。そして、そうではない社会を築いていくために、今のわたしにできることをコツコツとやっていきたい。
                          (大阪 田中雅恵) 
 【出典】 アサート No.415 2012年6月23日

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【投稿】拒否された緊縮・増税路線  ギリシャ・フランス選挙が示したもの

【投稿】拒否された緊縮・増税路線  ギリシャ・フランス選挙が示したもの

<<「支援が断たれれば返済を止める」>>
 緊縮経済路線が全世界で厳しく問われている。市場原理主義と弱肉強食、規制緩和と社会保障政策破壊の新自由主義路線が圧倒的多数の人々から明確に拒否されだしたのである。
 5/6、ギリシャの総選挙で、連立与党を構成していた二大政党、中道左派の全ギリシャ社会主義運動(PASOK)と中道右派の新民主主義党(ND)は、合計得票率を前回の77%から32%まで激減、増税・年金切り下げなど緊縮政策を進めてきた両党、ならびにお仕着せの金融支援と引き換えに過酷な緊縮政策を押し付けてきた欧州連合(EU)、IMFに対して明確なノーがを突きつけられ、緊縮政策の撤回を主張する急進左翼連合(SYRIZA)が第2党へ、新民主主義党から離れた議員らによる新党・独立ギリシャ人が第4党になるなど、反緊縮派が大きく前進、その結果、どの党も過半数を制することができず、連立工作も不調に終わり、6月17日に再選挙が行われる予定であるが、この再選挙では急進左翼連合が、今回を上回る得票率で第1党となる可能性が濃厚となってきている。
 急進左翼連合はこの総選挙で、経済危機脱出の方針として、1.市民の最低限の収入、失業手当、医療保障の確保、付加価値税(消費税)の減税、2.債務の利払い停止、債務取り消し交渉など債務負担の処理、金融機関の投機の規制、3.富裕層への課税と、軍事費をはじめ不要な歳出の全面カット―などを主張、同党のツィプラス党首(37)は、5/17のインタビューで、ギリシャは必要ならば自分でやっていけると強調し、債務を返済しなければ、同国には労働者や年金生活者に支払う十分な現金があると述べ、国防費の削減、無駄遣いや不正、富裕者の税金逃れの摘発などを提案し、同時に、ギリシャ経済を押し上げるための刺激策が必要だとし、融資を見返りとした緊縮策を破棄すべきだとしている。同氏は、2015年までに公的部門で15万人をレイオフするという計画を中止し、民間部門の賃金を引き下げる措置を撤回すべきだと述べ、また、銀行の貸し出し政策を改善するために銀行の国有化に賛成だとし、かつてのルーズベルト米大統領によるニューディール政策とオバマ大統領の景気刺激策、欧州ではこれが欠けていると主張。さらに、欧州が同国への資金援助を断つ可能性は小さく、もしそのような措置が取られればギリシャは債務を返済しないと言明、ギリシャの金融崩壊は他のユーロ圏加盟国をも引きずり込むと強調。そうならないようにするため、「われわれの第1の選択肢は、それが欧州のパートナーの利益にもなるのだが、これらのパートナーに金融支援を止めてはならないと説得することだ」と述べ、欧州はギリシャの深まりつつあるリセッションを食い止めるための成長志向政策を検討し、同国が直面している「人道的危機」に対処しなければならないと述べている。

<<新自由主義の権化の敗北>>
 同じ5/6に行われたフランス大統領選決選投票で、社会党のフランソワ・オランド氏が、二期目を目指した保守系与党・国民運動連合のサルコジ大統領を破り当選を決めた。ここでも問われたのが緊縮政策であり、敗北したのは緊縮政策派であった。
 サルコジ氏が「16万人の公務員削減や年金改革で赤字を削減した」との“成果”を強調したのに対して、オランド氏は、「サルコジ政権の5年間は、失業者を70万人も増やし、格差を広げた失政だった」と指摘し、サルコジの富裕層優遇税制、年金支給開始年齢引き上げ、緊縮政策路線を批判、とりわけ消費税引き上げ(付加価値税の増税)は購買力を低下させ、雇用に必要な経済成長に悪影響を与えるとし、逆に消費税引き上げの撤廃、公的投資銀行の創設や家計貯蓄の活用による中小企業融資の促進や、新雇用契約の創設による終身雇用の推進を訴え、60歳の年金受給開始、教職員6万人の新規雇用、子どもの新学期手当て25%増、若者の雇用創出を提起し、さらには国際面では、フランス部隊のアフガニスタンからの撤退迅速化を最優先課題の一つに取り上げ、そして問題の原発政策においては、サルコジ氏が「安全基準が強化され開設時より安全になった」として存続を主張したフェッセンハイム原発について、「最古の原子炉で耐用年数の30年を過ぎた」として廃炉を公約、「投資するなら原発存続より再生可能エネルギーだ」と脱原発路線への転換を明らかにした(4月には、国民の8割以上が原発の大幅削減に賛成、6割以上が段階的廃止に賛成との世論調査が発表されている)。その結果としてのオランド氏の勝利であった。優柔不断で未知数と言われてきたオランド氏であるが、新自由主義の権化でもあったサルコジ政権の存続を許さなかった選挙結果こそが、今後のオランド政権の進むべき方向を指し示している。
 早速、組閣された内閣は、公約通り史上初めての男女同数内閣 閣内外の大臣34人の半数の17人を女性が占めて発足し、オランド氏は、ギリシャのみならず、イタリア、スペイン、ポルトガルなどに過酷な予算削減を強いるEUの新財政協定を再交渉することに意欲をみせており、この政権の行方が注視されよう。

<<「我が国も両方を追求している」>>
 このギリシャとフランスの事態が示したものは、いずれもこれまで推し進められてきた市場原理主義路線の象徴でもある緊縮経済路線こそが、強欲資本主義の弱者切り捨て、社会保障切捨て、賃金切り下げ、不正規雇用拡大、格差拡大路線を推進し、それがもはや受け入れ難いし、社会全体の貧困化と窮乏化の最大の原因となっており、許し難い路線として拒否されつつあることである。ウォール街占拠運動の世界的規模への拡大と発展は、その象徴ともいえよう。
 5/19、米キャンプデービッドで開かれていたG8サミットは、サルコジ氏に代わってオランド氏が出席し、各国が経済成長と財政再建を両立させる道を探る首脳宣言を発表、G8各国は、財政健全化の公約を維持しつつ、「成長を生みだそうとしている欧州の姿勢を歓迎」と、ギリシャ、フランスの事態の急変にとってつけたようなつじつまあわせでお茶を濁さざるを得なかったのであろう、「それぞれの国にとって正しい措置は同一ではないが、経済を強化するために必要なあらゆる措置をとる」と表明した。これまでの「財政健全化」一本やりの押し付けがもはや不可能となったのである。
 このG8で野田首相は「財政健全化と経済成長を両立させるのは、どの国も直面している課題で、我が国も両方を追求している」と強調して調子を合わせたが、その一方で「消費増税法案を(今国会で)成立させたい」とあくまでも消費税増税路線にこだわる姿勢を表明しているが、こうした事態の急変に最も驚いたのは野田氏であろう。
 ギリシャとフランスの選挙の結果に、野田・民主党政権は自らの来るべき敗北を重ね合わせて驚きを隠せず、もはやどこに向かうべきかも決められない、方向性を喪失したかのごとく動揺し、ただただ政権維持のためだけに、内部抗争と駆け引きと増税談合による大連立策動に明け暮れているのが日本の政治の現実と言えよう。
 対する野党の自民党も、このような事態をもたらした小泉政権以来の新自由主義路線についてこれまたまったく何の方向転換も打ち出せず、野田内閣の増税・緊縮路線と寸分たがわぬ、むしろよりいっそう市場競争原理主義的度合いを強めた小手先いじりと、9条改憲による国防軍・天皇元首・非常大権・基本的人権制限などまったく時代錯誤的な改憲草案を発表して恥じることのない政治姿勢で、これまた大連立に期待をかけて、これまでの自民党支持層からさえ見放されるような手詰まり状態で内部抗争に明け暮れ、民主党同様の方向性喪失状態と言えよう。この機に乗じて、既成政党打破を掲げてあわよくばと政権奪取をもくろむ橋下・大阪維新の会や石原都知事、河村名古屋市長などが離合集散、ネオ・ナチスばりの強権政治の正当化に明け暮れている。混沌としているかに見えるが、それぞれの思惑はあからさまであり、本来あるべき政治の再編の結集軸こそが問われていると言えよう。
 「それぞれの国にとって正しい措置は同一ではない」のは当然であるが、緊縮経済路線およびそれと密接不可分な増税路線は、どの国においても受け入れがたいものである。その根底にある新自由主義路線からの根本的転換こそが問われており、日本の場合、それは徹底した脱原発路線への転換と結び付けられなければならないし、そのためのニューディール政策こそが政治再編の要と言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.414 2012年5月26日

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【投稿】原発震災で崩壊した「科学技術信仰」

【投稿】原発震災で崩壊した「科学技術信仰」
                         福井 杉本達也 

1 「原発安全神話」と共に崩壊した「科学神話」
 哲学者・梅原猛は原発震災後の県民福井(中日新聞)紙上・『思うままに』で、「今回の震災による原発事故により、現代の多くの先進国が信じていた、原発は安全でクリーンなエネルギー源であるという神話は崩壊したが、このような神話よりもっと古く、遍く信じられている、自然は科学及び技術の発展によって奴隷の如く唯々諾々と人間に従うという神話にも大きな疑問符が付けられたように思われる。この神話の創始者はルネ・デカルトである」、「近代哲学は運命や神を追い払い、世界の中心に人間を置いた」、しかし「太陽を地球上に創り出そうというのは人間の傲慢ではないか」、「人間による自然征服の結果、人類の存続すら危うくするような地球環境破壊が起こっている」、デカルト以来の「人間中心主義の哲学を捨て、生きとし生けるものと共存する哲学を自らのものとしなければならない」と呼びかけている(2011.5.17 /24/31)。
 また俳優・菅原文太は「科学万能主義はもう切り捨てなきゃいけない」、「科学文明が国家を豊にする、人間の生活を幸せにするという幻想に突き動かされて、われわれはひた走ってきた」、「その終局が原発じゃないですか」、「ここで一回『科学はいらない』『学者はいらない』って宣言したほうがいいのではないか」(「外野の直言、在野の直感」『本の窓』2011.7)と述べている。
 文科省は福島原発事故後の昨年4月に一般市民を対象とした科学技術に関する意識調査を行ったが「科学者は信頼できる」と回答したのは41%であり、事故前の2010年11月の調査の83%から半減してしまった。調査機関・文科省科学技術政策研究所では「科学者や技術者に対する国民の信頼は低下している可能性が高い」と分析しているが(日経:2012.1.30)、原発の安全神話の崩壊と共に、その神話を吹聴し、支えてきた「科学技術」も社会的信用を失墜してしまったのである。

2 自然への畏怖の念を失った「科学」
 17世紀に数学的自然科学の方法論を確立したのはガリレオ・ガリレイである。ガリレオの根本思想は自然という書物は数学的記号で書かれているとし、自然を単に受動的に観察するだけではなく、実験によって、能動的に自然に働きかけてゆかなければならないとし、自然界には存在しない“真空”中での落下という理想状況に近づける実験を通じ、実験で感覚的経験の所与のうちから量的に規定可能な単純な要素を分析的に取り出し、こうして得られた要素を数学的計算によって相互に統合することによって自然の織りなす量的関係をとらえ、数学的に表現した(参照:木田元『反哲学入門』2007.12.20)。しかし、それは自然にたいする畏れを抱き人間の技術は自然には及ばないと考えていた16世紀までの職人たちの自然観から、科学と技術を支配しうると考えた17世紀の科学者の自然観への転換をともなっていたのであり、その過程で科学者は自然に対する畏怖の念を捨て去ってしまったのである。(山本義隆『十六世紀文化革命2』2007.4.6)。
 最終的にデカルトは「我思う、ゆえに我あり」として、キリスト教の世界創造論では世界は神によって創造されたと考えられていたことを逆転し、「我」という「精神」=「人間理性」の自己確認からはじめて、人間理性が明確に認識できるものだけが自然のうちに現実に存在する=実験によって確かめられるものだけが存在するとしたのである(木田:上記)。もはや自然は模倣すべき対象でも見習うべき師でもなく、審問の対象(「私が元素の混合によって生ずると言われている諸物体そのものを試験し、それらを拷問にかけてその構成原質を自白させる」(ロバート・ボイル))となり、「自然を支配し、管理し、そして人間生活のために利用する」(ジョセフ・グランヴィル)(収奪の)対象となったのである(山本:上記)。

3 科学はどこからが分からないかを明らかにすること
 しかし、実際には近代自然科学はきわめて限られた問題にしか答えていない。物理学や化学は法則の確立を目的としていたが、しかしその法則というのは、まわりの世界から切り離された純化された小世界、すなわち環境との相互作用を極小にするように制御された自然の小部分のみに着目し、そのなかで人為的・強制的に創出された現象によってはじめて認められるものである。自然科学はそのような法則の体系として存在し、実際にはかなり限られた問題にたいしてのみ答えてきたのであるが、そのような科学にもとづく技術が、生産の大規模化にむけて野放図に拡大されれば、実験室規模では無視することの許された効果や予測されなかった事態が顕在化することは避けられない(山本:上記)。
 ところが、今回の原発事故ではこのような近代自然科学の限界を悪用する「専門家」?が跡を絶たない。長崎大学名誉教授の長瀧重信氏は放射線被曝について「昨今、1mSv(ミリシーベルト)以上の被曝は危険であるという『科学的事実』があるかのような言説が流れ、特にお子さんを持つ親御さんたちが不安に包まれています。」と切り出し、「100mSv以下では、被ばくと発がんとの因果関係の証拠が得られないのです。これは、科学的な事実=《サイエンス》です」と述べる。因果関係が存在しないことが明らかにされたのであれば、科学的事実であるが、「証拠が得られない」ことは「科学的事実」ではない。現時点での「科学の無能」=影響があるかないのか分からないだけである。さらに氏は続けて「このような科学的事実で国際的な合意を得られたものを発表する機関がUNSCEARですから、『疫学的には、100mSv以下の放射線の影響は認められない』という報告になるわけです。」と続ける(首相官邸HP:「サイエンスとポリシーの区別」2011.9.29)。ATOMICAによると「低線量、低線量率の放射線被曝の影響については、あまり明確なデータは得られていない。」(ATOMICA:「国連科学委員会(UNSCEAR)によるリスク評価」)という要約となっており、明確に「数量化」できるものがないということであり、「実験と測定の結果を数学的に理論化された『法則』として確定」(山本:上記)はできないということである。それを、「影響は認められない」として無理矢理「ないこと」にしてしまうのであるから「国民の信頼が低下」するのも当然である(参照:影浦峡「『専門家』と『科学者』:科学的知見の限界を前に」『科学』2012.1)。なお、日本の法律(「放射線障害防止法」)では、一般人の被曝限度は、年間1mSvまでと決まっている。「あるかのような言説が流れ」というのは真っ赤なウソである。

4 科学の攻撃的性格
 地球は今から46億年前に生まれたが、生命はそれから6億年位経った頃、深い海の底、海水の温度も高いところで誕生した。浅い海では降り注ぐ宇宙線によって壊されてしまったからである。生命が浅い海に移動してくるのは地球に磁場が形成され、有害な宇宙線の進入を防ぐことが出来るようになった27億年前頃である。そして、生物が陸上に進出してきたのは紫外線を防ぐオゾン層が形成された5億年前である。生命は宇宙線や紫外線などの有害な放射線の届かないところで生まれ、そして危険がなくなったところに進出していったのである(参照:「よくわかる原子力」HP)。一方、地球内部でマントルを溶かしている熱(地熱)の半分は、地中の放射性物質(ウラン・トリウム・カリウム)が自然に崩壊する際に出す熱(崩壊熱)とされる(東北大学ニュートリノ科学研究センター)。46億年前の地球は半減期の短い核種を大量に含む放射性物質で満ちていた。半減期の短い不安定な核種は早く崩壊し、放射線の影響が少なくなったことで生命が誕生する条件が整ったのである。
 原発事故は今回の福島第一やチェルノブイリからも明らかなようにその影響の甚大さはこれまでの技術のものとは桁違いである。周知のように核爆弾はマンハッタン計画としてその可能性も作動原理も百パーセント物理学者の頭脳のみから理論的に生み出された。自然には起こらない核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ、ヨウ素131やセシウム134・137といった核分裂生成物やプルトニウム239といった自然界にはほとんど存在しない猛毒物質をまき散らすことは、この生命誕生後の地球40億年の歴史を根本的にひっくり返す行為に他ならない。人類の祖先からの歴史に匹敵する10万年に亘って放射性廃棄物を管理することなどできるはずはない。それは人間に許された限界を超えている。地球内部のマントル対流がプレートの動きを生み出し、その沈み込み帯でM9の巨大な東北地方太平洋沖地震を発生させ今回の原発震災となった。我々はもう一度、16世紀まで人類が有していた自然にたいする畏れといった感覚を取り戻すべきである(参照:山本:『福島の原発事故をめぐって』2011.8.25)。 

 【出典】 アサート No.414 2012年5月26日

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【投稿】アジアにおける真の脅威 

【投稿】アジアにおける真の脅威 

北朝鮮のミサイルを利用
 4月13日午前7時39分、北朝鮮は通告通り中国国境に近い北西部の東倉里射場から「科学衛星『光明星3号』」を搭載した「ロケット『銀河3号』」を打ち上げた。
 しかし「銀河3号」は発射数分後で機体に生じたトラブルにより空中爆発し、その破片は黄海に落下した。
 過去3回の失敗時には「成功」と強弁してきた北朝鮮当局は、今回いち早く失敗を公表せざるを得なかった。事前の海外メディアや専門家への過剰なまでの公開姿勢が裏目に出たといえる。
 打ち上げ失敗の要因については、さまざまな分析がなされているが、今回も多段式機体の分離に失敗していることから、一言でいえばロケット工学分野における基本技術の欠如という見方が一般的となっている。
 そもそも、北朝鮮のミサイル、ロケット技術のルーツは旧ソ連にあるが、オリジナルからコピーを繰り返し、弄繰り回すにつれ劣化していったと思われる。
 金正恩政権の門出を祝うはずの打ち上げが、国際的な注目の中失敗したのは北朝鮮にとって痛手であるが、一連の騒動を利用し、一層の緊張政策を進めようとしているのが日本政府である。

小躍りする野田政権
 北朝鮮が打ち上げを予告するや否や、野田政権は勇み立つかのように「迎撃」を決定、弾道弾迎撃ミサイル「SM3」を搭載するイージス艦3隻を基幹とする任務部隊を編制、日本海及び南西諸島海域に出動させ、さらに「中国、ロシアの偵察機の接近を阻止」するため、艦隊にF15戦闘機の直援をつけることも決定した。
 さらに「SM3」が「撃ち漏らした場合」に備え、パトリオット「PAC3」を首都圏に加え沖縄本島、石垣島、宮古島に展開し、「ロケットに積載されている有害燃料(ヒドラジン)が飛散した場合」に備え、特殊武器(化学兵器)対応部隊も派遣するという、陸海空それぞれに出番を与えるという大がかりなパフォーマンスとなった。
 このため、当初は陸自だけで750人という、カンボジアやイラク派兵を上回る規模の派遣が計画されていたが、沖縄の関係自治体はもちろん防衛省内部からも「調子に乗りすぎ」との疑念の声が出されたという。仲井間沖縄県知事も田中防衛大臣に対し「適正規模の派遣」を要請、結果として派遣兵員は半減された。
 そもそも、今回「日本領土に落下する弾道ミサイルを迎撃する」という想定自体、砂上の楼閣と言っても過言ではない。北朝鮮の「ロケット」が正常に飛行すれば南西諸島の日本領土、領海上空を通過する時点で大気圏外=領空外にあり、これを打ち落とすのは技術的に可能であっても国際法上問題があり、見過ごす他はない。
 逆に領土、領海に落下する場合は、トラブル制御不能となった機体、もしくは破片となっているであろうし、こうした自由落下する物体に対して迎撃ミサイルを命中させるのは不可能で、それ以前に大気圏再突入の際にほとんど燃え尽きているだろう。

真の狙いは対中国
 自衛隊も本気で「弾道ミサイル」を打ち落とせるとは考えてはいなかっただろうし、それ以前に日本に危害を及ぼすような可能性はないと判断していたと思われる。実際、海自のイージス艦は打ち上げを探知できなかったし、直後の政府部内の混乱は周知のとおりである。
 すなわち、この間の自衛隊各部隊の動きは、「北朝鮮の弾道ミサイル対処」を口実とした、中国を念頭に置いた南西諸島および同海域への展開演習及び示威行動であった。
 昨年11月には九州を拠点とした大規模な「協同転地演習」が行われたが(408号参照)、今次はさらに一歩も二歩も中国側に踏み込んだ「前方展開演習」ともいうべきものである。
このように波状的に進められる実動演習は、中国から見れば挑発以外の何物でもないだろう。特に今回は「北朝鮮の弾道ミサイル発射」に対応するための措置であると言われれば、中国としても文句のつけようが無かったのである。中国指導部としては、日本に軍拡の口実を与えた北朝鮮を苦々しく思っているだろう。
 ミサイル騒動の余韻を残した4月22日、中国、ロシア海軍の合同演習「海洋協同-2012」が開始された。中国からはミサイル駆逐艦、フリゲートなど水上艦艇16隻、潜水艦2隻、ロシアからは太平洋艦隊のミサイル巡洋艦、駆逐艦など水上艦艇7隻などが参加する大規模なものとなった。

中国の「反撃」
 この演習は北朝鮮のロケット発射計画以前から決まっていたものであるが、タイミング的に中露軍事同盟による対日反撃と解釈される向きもあった。中国の一部メディアでは日本海でも、合同演習が行われるかのような報道がされた。これが事実なら相当刺激的な問題になったが、それは誤りで演習区域は山東省沖の黄海に限られていた。ロシア艦隊はウラジオストック地域から対馬海峡(西水道)を通過、青島で中国艦隊と合流した後、演習が開始されたのである。
 この演習の目的は「中露の関係強化、戦略的パートナーシップ及び両国軍の連携の発展」とされ、演習内容も対テロ、海賊対処訓練、洋上補給、救難など多様なものであった。
また同演習の指揮、連絡はロシア語で行われており、練度の面からも外洋型海軍を目指す中国海軍がロシア海軍の教導を受けるという性格が強かったとみられる。(ロシア海軍は中露一辺倒ではなく、6月下旬からハワイ近海で行われるアメリカ主導の環太平洋合同演習「リムパック」にも今年初めて参加する予定である)
 中国海軍の太平洋での活動が活発化しているのは事実で、同演習終了後の4月29日、東海艦隊のフリゲートなど3隻が大隅海峡を通過、太平洋に出た。さらに5月8日には南海艦隊の揚陸艦など5隻が南西諸島沖を通過、南東に向かったのが自衛隊により確認されている。
 中国は外洋型海軍化に伴い、尖閣諸島、スプラトリー諸島、パラセル諸島など日、フィリピン、ベトナムなどと領有権を争う海域で攻勢に出るとされているが、単純に冒険主義的な動きをとると見るのは誤りであろう。

対立煽る日本政府
 現在中国は南シナ海のスカボロー礁(中国側呼称「黄岩島」)近辺の水産資源を巡りフィリピンと対立しており、一時は武力衝突の懸念もあったが、中国は5月16日から2か月間の休魚期間を設定、フィリピンも同様の措置を取りアキノ大統領も外交手段での解決を明言している。
 こうした動きに対し、日本政府は武器輸出3原則の緩和を踏まえフィリピン、マレーシア、ベトナムにODA戦略的活用の一環との位置づけで巡視船の供与を行おうとしている。
 その意図について玄葉外務大臣は4月27日の記者会見で「アメリカの戦略の補完的な役割を果たすことができれば、相当の相乗効果が期待できるのではないか」と明け透けに語っている。
 日本の造船会社は戦前、タイ王国からの受注で軍艦を建造したことがあるが、戦後において巡視船とはいえ武装可能な船舶を、政府ベースでアジアの潜在的な紛争当事国へ供与するのは、外交政策の一大転換である。これはアジア重視と言いながら実効的措置に逡巡するアメリカに対し、日本がその肩代わりに踏み込む第一歩でもある。
 また海上自衛隊は近々、インド海軍との初の2国間合同演習を行う予定となっており、対中包囲網のヘゲモニー掌握へ突き進もうとしている。しかしインド海軍はロシアが「リムパック」に参加するのと同様、中国海軍とも演習を行うという柔軟な対応をとっている。
事あるごとに「自衛隊員の息子」をアピールする野田総理であるが、石原東京都知事や河村名古屋市長のような排外主義を放置し、強硬姿勢以外の選択肢を放棄すれば、日本をアジアにおける真の脅威として浮かび上がらす結果となろう。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.414 2012年5月26日

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【投稿】震災の被災地 宮城県を訪ねて(1) 

【投稿】震災の被災地 宮城県を訪ねて(1) 

 昨年3月11日、東北地方をM9.0の大地震による大津波が襲った。さらに、福島原発事故により、深刻で長期に渡る放射能汚染が追い討ちをかけた。あれから1年2ヶ月が経過した。テレビ報道では、繰り返し津波被災の映像が流されてきた。私も、公務員として、一個人として、是非震災復興への手助けをしたいと、職場からの派遣の際にも、手を挙げてきたが果たせず、これまで、被災地を訪れる機会がなかった。
 1年を迎えるころから、被災地に行くべしとの思いが強くなって行った。東北から遠く離れた関西から、今回、宮城県の石巻市・南三陸町・そして気仙沼市を訪ねることにした。5月の連休を利用して、マイカーで全走行距離2400Kmの旅となったが、その報告をしてみたい。


(南三陸町の防災庁舎瓦礫の山と建物基礎のコンクリート)

 初日に夜大阪を出発し、北陸道・磐越道・東北自動車道を通り、翌日昼には石巻市に入る。石巻は海岸部を中心に大きな津波被害を受けているが、内陸部では、比較的「普段の生活」が感じられた。もちろん、そこここに瓦礫の集積場や、仮設住宅が点在している。この日は、徹夜走行の疲れもあり、宿泊地の南三陸町への道を急いだ。
 北上川沿いの道路から横山峠を越えて、南三陸町の海岸部が見えてきた途端、風景が一変する。建物らしい建物は、公立志津川病院とスーパー、3階まで襲った津波の傷跡を残す小学校か、骨組みだけの建物跡。戸建て住宅と思えるものは、ほとんどなく、コンクリートの基礎枠だけが、残っている。
 私には復興と言えるものを見つけることができなかった。ユーチューブの画像などを見ると震災直後は、押し流された建物の残骸や、魚網などの漁業関連の物が町を埋め尽くしていたようだが、さすがに、それらは整理され、数箇所に集められてはいたが。
 
 「さんさカフェ」を訪ねて
 南三陸町にある県立志津川高校と志津川中学校は比較的高台にあったため、間近に津波が押し寄せたが、建物は被害をまぬかれ、被災後避難所となった。この志津川高校の避難所に炊き出しボランティア活動をしてきた私の友人、支援グループと現地の方が、設立したのが、共同食堂としての「さんさカフェ」である。ちょうど、志津川高校への入り口近くに今年の1月末にオープンしている。瓦礫と荒涼と広がる被災地にあって、唯一のホッとする場所であった。コーヒーをいただき、高台移転事業や、ボランティア活動、津波が来た時の話を聞いた。
 NHKの番組で、南三陸町での高台移転事業の特集番組があった。最終的に全額国庫補助事業となるのだが、いろいろな問題で、今年2月の時点では、中々進んでいない、という内容だった。聞いた話では、何とか4月以降には予算の確保もできて、4月を待って動き出した感じがあるということで、数箇所で事業の具体化が進んでいるとのことだった。

堤防から破壊されたままの水門を見る。 内陸部に点在する仮設住宅

南三陸町の入り口に、コンビにが出来ていたが、貴重な物資購入の拠点となっているようだった。日用品から食料を被災地の住民に提供しており、賑わっていた。災害時の物流に貢献しているな、という印象であった。
 この日の宿は、岬のキャンプ場を確保し、とにかく長期ドライブの疲れを取ることにした。そこへの道すがらも、放置されている軽自動車や、内陸まで運ばれたままの漁船、破壊された堤防、舗装道路など、震災から1年が過ぎているとは思えない風景が続いた。
 漁港には、高さ5メートルはあろうかという瓦礫の山があり、仮設テントのような漁協建物が作られ、漁業再建の動きが始まっているようにも見えた。岬の高台にあるキャンプ場だったので、津波被害はなかったようで、震災前の観光マップが管理棟に置かれてあったのが印象に残っている。以後3日をこの地で過ごすことになるが、ここ以外では、見ることができなかったからである。
 翌日は、気仙沼を目指すことになる。(佐野) 

 【出典】 アサート No.414 2012年5月26日

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【日々雑感】つくづく思う 語り部、記念館の重要性

【日々雑感】つくづく思う 語り部、記念館の重要性

 名古屋市長の河村や、その他いろんなメディアの人々の中には、南京大虐殺は無かったことだ、捏造だと歴史をゆがめようとする人も多いが、私は新聞記事の中で、写真入りで、この大虐殺からの生き残りの人の証言を読んだことがあります。この証言者ですら、ここ2~3年の間に亡くなられたかも知れませんが、そうであればある程、歴史を意識的に歪めようとする人々の言いたい放題です。
 語り部、記録、さらには記念館等々の大切さを痛感する思いです。
 前置きが長くなりました。「岸壁の母」という歌が流行ったことがありましたが、先月2012年4月18日(水)の朝日新聞の夕刊トップで、母ならぬ「岸壁の妻願いは今も」という記事が載りました。
 戦争中に外地で消息を絶った夫を待ち続けた「岸壁の妻」。助け合いのために作った組織が18日、54年にわたる活動を休止する。多くは旧ソ連からの引き揚げ船が京都・舞鶴に入るたび、岸壁で夫の姿を探し続けた女性達だ、という記事でした。
 そして「めぐみ会」。1958年2月、夫を待つ10人で発足し、その副会長として運営を支えてきた尾崎利子さん(92)は振り返っておられます。
 夫の勲さんは結婚のわずか20日後に召集された。消息は45年8月12日、中ソ国境付近で途絶えていた。戦時死亡宣告の制度を拒否した尾崎さんは58年3月、消息を再調査するよう国に特別審査請求し、61年に戦死公報を受け取った。でも「どこかで生きている」と信じようとした。
 会員は関西を中心に最多で130人に上り、尾崎さんは機関紙「おとずれ」の発行や戦没者追悼行事、バザー、共済制度の創設など活動を切り回してきた。高齢化が進み、会員は20人ほどに。寝たきりに近い人も多い。会長の近衛正子さん(87)と相談し、活動の無限休止を決めた。尾崎さんは、時折、生き延びた勲さんが地元の女性と子どもをもうけていたらいいのに、と夢想する。「でも本当は戦死して、野ざらしなんだろう。独り取り残されてかわいそうに・・・・」
 18日午前、会の事務局がある京都市下京区の西本願寺で、最後の総会と別れの会食があった。会員や遺族計14名が出席。故人となった会員の遺影とともに、記念撮影に臨んだ。尾崎さんは「活動は終わっても追悼を続けることで会員の心はつながっていけるけれど、若い人たちが戦争のことを忘れてしまっているような風潮が気になります」と話した。
 以上が紙面の記事の概要ですが、私は最後の下線部分で、若い人達が忘れているのではなく、教えられないのだと思いますが、そういうことも含めて、次回に記念館のことを書いてみたいと思います。(2012年5月18日 早瀬達吉) 

 【出典】 アサート No.414 2012年5月26日

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【投稿】増税翼賛・原発再稼動の危険をよそに

【投稿】増税翼賛・原発再稼動の危険をよそに東西の愚劣・挑発首長にへつらう愚かさ


4月21大飯原発再稼動を許さないデモ・関電本社前
(写真は、4/21「大飯原発再稼働を許さない!」(呼びかけ:止めよう原発!関西ネットワーク)・関西電力本店前)

<<「面白い話だろ」>>
4/16、東京都の石原知事はワシントン市内の保守派シンクタンク・ヘリテージ財団(日本の防衛族・憲法九条否定議員と関係が深いことで有名)で「日米同盟と日本のアジアでの役割」と題して講演し、現憲法について、「アメリカが戦争中に3日か4日で作って、英語から日本語に訳した非常に醜い全文でできているあの憲法」と現憲法を全否定し、「日本がサンフランシスコ条約で独立後も、有効な法律としてその国を支配しているばかな事例はどこにもない」、「国民は権利意識は強いが、自分の責任は意識しないという、非常にいびつな国民のメンタリティーを作ってしまった」、「日本も核のシミュレーションをすべきだ」などと自説を開陳、その後に「日本人が日本の国土を守るため、東京都が尖閣諸島を購入することにした」と述べ、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南小島を個人所有する地権者と交渉を開始したことを明らかにした。
石原知事はさらに「ほんとは国が買い上げたらいいと思う。国が買い上げると支那が怒るからね」、そこで「東京が尖閣を守る。どこの国が嫌がろうと、日本人が日本の国土を守る。日本の国土を守るために島を取得するのに何か文句ありますか。ないでしょう。やることを着実にやらないと政治は信頼を失う。まさか東京が尖閣諸島を買うことで米国が反対することはないでしょう。面白い話だろ。これで政府に吠え面かかせてやるんだ」と、どうだと言わんばかりの笑みを浮かべながら、インタビューに答えている。わざわざ米国で現憲法否定発言を声高に叫び、悪意と侮蔑と差別感情をを込めて中国を「シナ」呼ばわりし、対中強硬姿勢をひけらかし、領有権を主張する中国や台湾の反感を意図的に煽り立て、物議を醸すことを承知の上で、突出した刺激的で挑発的な発言を繰り出し、「面白い話だろ」と悦に入っている姿は、あきれるばかりか、その時代錯誤ぶりは愚劣、醜態でさえある。

<<共鳴・絶賛しあう東西の挑発知事・市長>>
ところがこの石原発言について、4/17、大阪市の橋下市長は事前に構想を聞いていたことを自慢げに明らかにしたうえで、「石原知事がこのような行動を起こさない限り、国はこの問題にふたをしたままで積極的な動きはなかった。すごい起爆剤になった」「普通の政治家ではなかなか思い付かないことだ。石原氏しかできないような判断と行動だと思う」とへつらい、ほめあげ、絶賛したのである。同類、相共鳴しあう図である。
石原氏は「東京が尖閣諸島を守る」と声を張り上げたが、買うのは石原氏個人ではなく、価格は「10~15億円になる見込み」で、都が税金から買うのである。しかもどういう方法で「尖閣を守る」のかは明かにしなかったが、これまた巨額の税金支出を必要とするであろう。「都の予算は都民のために使うのが大原則では」と問われて、石原知事は「大原則は国のためだ」と弁明したが、橋下市長もこれを褒め上げた以上、協力・協賛・同調するのであろう。都政や市政にかかわる物件でもないものに支出をしてわざわざ緊張を激化させ、その物件を守るためにまた支出をする、まったく都政・市政に無関係、有害無益でくだらない支出である。こんな挑発行為を大げさに取り立て、褒め上げ、媚びへつらう日本の政治状況、メディアの報道姿勢こそが問題だといえよう。
橋下氏はすでに「日本では、震災直後にあれだけ『頑張ろう日本』『頑張ろう東北』『絆』と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています」と述べ、憲法9条は「他人を助ける際に嫌なこと、危険なことはやらないという価値観。国民が(今の)9条を選ぶなら僕は別のところに住もうと思う」と、現憲法の根幹を露骨に否定する、石原氏とまったく同一の路線を表明しており、危険極まりない時代錯誤的な国家主義者の、日の丸・君が代を強制する東西の挑発者コンビが、期せずして偏狭なナショナリズムを煽る、その低劣な本質を自己暴露したのである。憲法9条が嫌いなお二人さんは、とっとと「別のところ」に住んでいただいたほうが、国際平和に立派に貢献できよう。しかし現今日本の政治・メディアの状況は、この二人にこびへつらい、持ち上げ、体制翼賛化しかねない状況が作り出されている、と言えよう。

<<「都ではなく国が買うべきだ」>>
問題は、石原氏個人の勝手な自己陶酔の、無責任な酔っ払い発言の類でしかないものが、公職である都知事発言として一人歩きし、外交的挑発発言として緊張を激化させる格好の道具立てに仕立て上げられ、政権が無責任な言辞の毅然たる批判もできず、むしろそれに引きずられていることである。
折りしも、朝鮮ミサイル騒動をめぐって迎撃ミサイル発射命令が発令され、日米ミサイル共同作戦が進行し、これを好機として首都圏から沖縄、先島までPAC3配備が大手を振ってまかり通り、軍事優先・緊張激化・冷戦志向の新たな段階が画され、次なる先島諸島への自衛隊配備の地ならしが既成事実として着々と進められ、東シナ海での軍事的緊張が人為的に形成されつつあることである。わざわざ緊張を煽り立てるまったく大迷惑な、客観的にも主体的にも本来そのような必要性などまったくない、一触即発・緊張激化の事態の進行が画策されているのである。
石原氏の尖閣諸島購入発言について問われた藤村官房長官は「必要があれば東京都にも情報提供を求めていきたい」と述べ、尖閣諸島を国が購入することについて「必要ならそういう発想のもとにすすめることも十分ある」と述べ、野田首相までが4/18の衆院予算委員会で「あらゆる検討をしたい」と述べ、尖閣諸島の国有化も選択肢とする考えを示唆し、前原政調会長が「都ではなく国が買うべきだ」と応じて、石原・橋下発言に媚びを呈し、尻馬に乗ろうとする姿は、崩壊寸前の政権の付和雷同する哀れな姿を象徴していると言えよう。こんな挑発路線に引っかかり、かかわっておられるような政権の状況ではないはずである。
もはや政権交代の意義をまったく失ってしまったといえる民主党政権にとって、最後の汚名挽回の切り札は、このような緊張激化路線と決別し、危険極まりないさらなる原発震災の危険性を回避する、原発再稼動を一切認めない脱原発路線への全面転換と増税翼賛路線からの脱却である。自公前政権の市場原理主義・弱肉強食・規制緩和・社会保障切捨て・緊縮経済路線からの決別を約束したからこその政権交代、そして福島原発震災が明らかにした原発震災の全地球的・全人類的犯罪路線からの決別、この二つと復興経済を結び付けるニューディール政策への全面転換こそが、日本が直面し問われている最大の課題なのである。期待すべくもないかもしれないが、現政権主流派に反旗を翻す多数派の結集と決起こそが問われていると言えよう。
(生駒 敬)

写真は、4/21「大飯原発再稼働を許さない!」(呼びかけ:止めよう原発!関西ネットワーク)・関西電力本店前

【出典】 アサート No.413 2012年4月28日

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【投稿】なぜ強行する「大飯原発3.4号機再稼働」

【投稿】なぜ強行する「大飯原発3.4号機再稼働」
                             福井 杉本達也 

1 安全性を無視した大飯原発3・4号機の再稼働要請
 枝野経産相は4月14日福井県知事に対し大飯原発3・4号機の再稼働に向けての地元の協力を要請した。要請の中で、枝野は「2基は政府が示した新たな安全基準を満たし、安全は確保されている」とし「電力需給面での必要性」も再稼働の理由に挙げた。だが、これまで原発稼働に肯定的であった地元紙・福井新聞でさえ、「説明も説得力も足りない」「信頼を失った政権の政治判断は常に危うい」(2012.4.15)と批判的である。
 一方、福島事故以降、脱原発の主張を強める中日新聞(東京新聞)は,野田首相と3閣僚で「責任,本当に取れるのか」と問いかけ、損害賠償を含め「原発事故の責任を取り切れるものは存在しない」とし、「原発の安全性を確認できる状態からはほど遠い」「福島第一原発事故の原因は、まだ分かっていない」「科学的、中立的な規制機関はまだ存在しない」とし原子力規制庁も発足していない中での事故の当事者たる原子力・保安院による “安全確認”と前のめりの“政治判断”に大きな疑問を投げかけている。工程表では「事故発生時に“司令塔”となる免震施設」「ベント時に放射性物質を取り除くフィルターも、完成は三年先」であると指摘する。福島第一原発の免震重要棟は柏崎刈羽原発の地震による被害の経験を踏まえ、事故のわずか半年前に完成したものである。もし放射性物質が漏れ込まないようにした、作業員が300~400人も入れる免震重要棟がなかったならば東電は福島第一原発を放棄せざるをえなくなったであろう。それは日本の終わりを意味していた。今回の事故での数少ない不幸中の幸である。それさえ先延ばしして何が何でも再稼働するというのであるから「福島の知見」など何処へやらである。

2 関電の「電力不足」は大ウソ
 大飯原発再稼働を福井県知事に要請するにあたり、経産相は4月13日の記者会見で、「関電の供給力を上積みしても厳しい電力不足に直面すると判断し、再稼働が必要だ」とし、「猛暑だった2010年並みの最大需要に対する供給力不足は18.4%」になり、「電力不足が社会的弱者にしわ寄せを与え、日本産業の屋台骨を揺るがす可能性が高い」と説明している(福井:4.14)。しかし、これは再稼働ありきの詭弁である。
 まず①需要のピーク時である「最大電力」の比較を2010年の3,095万kwとしているが、これはここ10年での最大値である。『関西電力会社案内2010』によれば、ここ数年間は2010年を除き2,900万kw台で推移している。2006~10年の過去5年間の平均では2,945万kwにしかならない。
 ②次ぎに供給力であるが主力の「火力発電」の供給力を1,923万kwと見積もっている。しかし、ここには宮津エネルギー研究所(重油・原油)の2基:75万kwと多奈川第二発電所(重油・原油)の2基:120万kwもの設備が抜けている。共に「長期計画停止中」であり、枝野の説明では「立ち上げに相当程度の時間が必要」としているが、とんでもないことである。関電管内では全原発が停止することは前々から分かっていたはずである。東電は地震で大きな損傷を受けた福島県の広野火力380万kw(1~5号機)、常陸那珂火力100万kw、鹿島火力440万kw(1~6号機)を7月までのわずか4ヶ月という短期間で全基を復旧させている。震災から1年以上も経過したにもかかわらず、停止中の火力を復旧させないことは電力供給の義務があり地域独占が認められている電力供給事業者としては犯罪行為である。
 ③「水力発電」は254万kwを見込んでいるが、2011年の273万kwより19万kw低い。卸電力の電源開発等を含め出力合計は385万kwもある。緊急時であるならば、通常は水を貯めておいて、夏場のピーク時に集中して発電すべきである。資料からは、なんら供給事業者としての切迫感はない。
 ④「揚水発電」であるが、出力合計488万kwに対し、半分以下の222万kwしか見込んでいない。11年の実績値は328万kwもあった。理由は「ベース供給力減に伴う揚水汲み上げ電力不足」=原発が稼働していないので揚水できないという理屈であるが、「計画停電」も考えるという(福井:4.19)ふざけた恫喝を振りかざすならば夜間に火力を動かして揚水し、昼のピーク時に備えるべきである。揚水発電は巨大な蓄電装置である。貯められない電気を水の「位置エネルギー」として唯一貯めることができる。緊急時には最大限利用すべきものである。このような資料を堂々と記者会見で配付する経産相の感覚を疑う。
 ⑤「融通電力」は、121万kwを見込んでいる。内訳は中部電力から70万kw 北陸電力から3万kw、中国電力から37万kw、その他で11.4万kwである。11年実績では四国電力から34万kwの融通を受けていたが「原子力発電比率の高い九州、四国電力は、需給バランス厳しいことが想定され、関西電力への融通は行えない」という姑息な説明を付けている。周知のように周波数変換の必要がある東京電力など東日本への融通とは異なり、関西電力管内へは東から中部電力、北から北陸電力、西から中国電力・四国電力・九州電力と四方八方から簡単に融通ができる。それぞれ50万Vの送電線で連系しており、最大500万kwの融通容量がある。
 ⑥「自家発電」は89.1万kwを見込んでいる。関西電力管内での自家発電は684万kwもあるのにいかにも少ない。関電管内の自家発電のうち関電等への売電は64.3万kwしかないが、卸供給に194.3万kw、PPS(特定規模電気事業者)向け売電が26.2万kw 、自家消費260万kw、昼間の余剰売電可能が11.4万kwとなっている。中部電力管内で505万kwのうち電気事業者以外及び昼間余剰売電可能が合計:64.7万kw、北陸電力管内:71.4万kwのうち同:36.6万kw  中国電力管内:726.8万kwのうち同:206.3万kw  四国電力管内:220.1万kwのうち同:66.7万kw 九州電力管内:540.7万kwのうち同:179.3万kwとなっており(「自家発設備の活用状況について」資源エネルギー庁2011,7,29)、電力はダブダブに余っている。特に中国電力管内・九州電力管内の余力は桁違いに大きい。また、関西電力管内では、特定規模電気事業者として大阪ガスの子会社の泉北天然ガス発電所は関西地域のエネルギー競合関係から敵対関係あり関電の供給力計画からは除かれているが、110万kwもあり、大阪ガスではこの他西島エネルギーセンター:14.9万kw、宇治エネルギーセンター:6.6万kw、摂津エネルギーセンター: 1.7万kwがある。以上分析しただけでも十分な供給余力がある。
 ⑦関電自体だけでも姫路第二の運転開始を少し早めれば十分すぎる供給余力がある。国に提出した『供給計画』では最新型のガスタービンコンバインドサイクル(GTCC)の発電所の整備を進めている。計画では1号機:48.65万kwの運転開始は2013年10月、2号機(同)が2014年3月、3号機(同)同年7月、4号機(同)同年11月としている。東電は川崎火力増設(50万kw)の半年前倒し運転開始など積極的な夏場の需給緩和策をとっている。関電は供給者責任として前倒しで行うべきである。

3 なぜ再稼働を強行する-原発輸出で米核戦略の尖兵となる野田政権
 北海道電力・泊原発が停止する5月5日までに何としても大飯原発3・4機の再稼働をしたいというのが当初の野田政権の狙いであった。なぜ、全原発の停止を避けたいのか。原発輸出に差し障るからである。当初、原発輸出は官民一体で始められたのではない。ところが、09年12月にUAEへの原発建設を韓国に、10年2月にベトナムへの輸出をロシアに持って行かれてから、官民一体でかつ運転、保守・点検をセットとした「パッケージ」型サービス提供を売りに電力事業者を巻き込んだ商戦を展開することとなった。パッケージ型を売り込むのに電力事業者が日本で1基も原発を運転していないというのはいかにもまずい。日本を何としても「脱原発」させてはならないのである。
 原発は核戦略の一環である。ところが、米国ではシェールガス革命で天然ガス価格は日本の9分の1にまで下がり、原発は火力にとても太刀打ちできないとして建設計画はほぼ中断している。今後は古い原発の廃炉がどんどん迫ってくる。しかし、それでは米国の核戦略はもたない。そこで米国は日本を踏み台にして核燃料を売りつけ、米国内の核工場の操業を維持し、軍事産業の延命を図る。一方、原発輸出対象国は南シナ海で中国と対立するベトナム・マレーシア、ロシア・イランと国境を接するトルコ、シリア・イランに近いヨルダン、中国・ロシアに挟まるモンゴル・カザフスタン、MD (Missile Defense)でロシアと対立するポーランドなどである。これらは米国の安全保障にとって重要な国々である。原発輸出に係るリスクは日本が、核戦略の成果(例えば、ベトナムを中国の影響下から引き離す対中戦略)は米国が取るということである。
 4月11日の中日は「再稼働5人組暗躍」として、前のめりの野田政権を裏で支える5人を名指しで非難した。その筆頭が仙谷由人政調会長代行である。これに古川元久国家戦略担当相、斎藤勁官房副長官、枝野経産相と細川原発相を加えた5人である(「チーム仙谷」)。仙谷は当事者でもないのに閣僚4者協議に常に参加し、枝野が福井県知事に要請した日には民主党の県会・市会議員を別途集めて再稼働に賛成するよう恫喝した。仙谷は原発輸出の元締めであり、米核戦略の代理人である。10年1月に国家戦略担当相に就任してから政府系金融機関である国際協力銀行の前田匡史国際経営企画部長(内閣参与)と二人三脚で、国際協力銀行の融資によって発展途上国にローンを組ませ原発を建てさせる計画に奔走している(福井:2011.12.5)。しかし、万一事故が起こったり、政変や反対運動で計画が頓挫した場合、その負担は日本政府が被ることとなる=国民の税金が投入される。原発とは「政府が前面に乗り出してきてやっと売れるようなシロモノなのである。その事実は同時に原発輸出に潜むリスクの巨大さも示している」のである(「原発輸出―これだけのリスク」明石昇二郎『世界』2011.1)。しかも、日本国民の安全・生命と引き換えに米国の核戦略に忠実に従おうというのである。

 【出典】 アサート No.413 2012年4月28日

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【投稿】「美浜現地バスツアー」に参加して 

【投稿】「美浜現地バスツアー」に参加して 

 4月8日(日)、「美浜現地バスツアー」に参加しました。
 大阪を出発して約3時間余、はじめの訪問先「森と暮らすどんぐり倶楽部」に到着。倶楽部の方で用意してくださったお弁当を食べた後、「3・11集会」で発言されていた、「どんぐり倶楽部」中心メンバーMさんのお話をじっくり聞きました。体験施設の手作りっぽい木製長いすに腰掛けて、肌寒い風に吹かれながら、倶楽部の歴史やMさんたちの農林業にかける想い・反原発の生き方等々、学ばせていただきました。お話の後、倶楽部の敷地内に設置してある発電装置(太陽光・風力)を見学したり、庭内に植わっている樹木の説明を聞いたりしました。
Mさんの文字通り大地に根ざした実践と真摯な生き方に、あらためて感銘を受け、先月末にて定年退職した身を重ね合わせながら熱いものを感じました。

 
関西電力・美浜原発
(写真は関電・美浜原発、抗議・申し入れ書を手渡したのは右下のPRセンター)

 再びバスに乗車して、「関西電力美浜原子力PRセンター」に向かいました。若狭湾国定公園の中にある美浜原子力発電所の周辺は、美しい海と自然に囲まれており、原発のすぐ近くにPRセンターはあります。館長あいさつ・スタッフによるDVDを使った説明の後、ツアー参加者一同の総意として「関電社長宛の抗議並びに要望書」を館長に渡しました。また、各自用意した意見書を次々と手渡し、八木社長に届けるよう要望しました。「大飯原発の再稼働反対!」「原発にたよらない電力供給を!」「子どもたちの未来に禍根を残さないように!」などなど・・・。
 帰途のバスの中で、参加者一人ひとりが意見や感想を述べ交流を深めましたが、その中で、若狭ネットワークのKさんが「放射能副読本」(文部科学省作成)の問題点についてお話されました。「フクシマ」のことについて、副読本の前書きにて「東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故により、放射能物質が大量に発電所の外に放出されてしまいました。」と記述されているだけで、本文では全く触れられていません。また、「一度に100ミリシーベルト以下の放射線を人体が受けた場合、放射線だけを原因にしてがんなどの病気になったという明確な証拠はありません。」といった説明がされています。多くの方から問題点を指摘されている「放射能副読本」は、既に小・中・高の現場に配布されておりそのまま指導に使われてしまうのはとても危険です。今後は、学校現場の教職員への働きかけをより一層強めていく必要があります。退職教員としても、そうした努力をしていきたいと思います。
(大阪 田中雅恵)

 【出典】 アサート No.413 2012年4月28日

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【投稿】橋下改革 大阪市の財政再建策を提示

【投稿】橋下改革 大阪市の財政再建策を提示
    「財政再建優先」で、市民生活に大きな影響必至
    
<年間500億円の赤字見通し>
 橋下市長は就任後、当初予算を骨格予算とし、予算規模1億円以上の約400事業について、改革プロジェクトチームで事業存続の是非について検討を指示してきた。4月上旬に検討試案が公表されている。(検討の上、7月市議会に提案予定)対象事業の縮小・廃止により、H24年度に37億円、H25年度に222億円、H26年度に287億円の予算削減ができるという内容である。
 大阪府知事に就任した時も、収入の範囲内で予算を組むべきと大阪府財政再建プログラムを提示したが、今回も同じ発想と言える。しかし、大阪府の事業というのは、直接市民に影響を与えるのは、文化事業や教育関係が中心だった。しかし、大阪市の場合は、まさに基礎自治体として市民生活へ直接影響を与える事業ばかりである。果たして同じ手法が通用するのかどうかは疑問であろう。
 
<敬老パスが焦点か?>
 大阪市HPには、この試案が公表されている。大きなポイントは3つあるように思える。第1に、敬老パスの削減・廃止問題である。同様の施策として、高齢者への上下水道料金の減免廃止、国民健康保険料の値上げもある。第2は、現在24区の区政の下で、各区に設置されている区民センター・プールの統廃合問題、第3には、「民間にできることは民間で」とする事業の民営化や廃止問題の3つであろうか。
 大阪市では、70歳以上の市民に敬老パスが支給されており、大阪市営交通の地下鉄・バスが無料で利用できる。この制度もあり、子育て期には大阪市周辺で暮らしていた人が退職後は大阪市に引っ越すというパターンも多い。これまでの市長も、この制度の廃止や削減を模索してきたが、市議会はじめ反発に会い断念してきた経過がある。
 私見だが、この制度の存続については、橋下ならずとも論議のあるところであり、市民合意の下で大いに議論されることが望ましいとは考える。
 上下水道料金の減免廃止(約40億円)、国保保険料の他市並の引き上げ(約21億円)も市民に犠牲を強いる政策であろう。選挙中には触れもせず、市民負担を引き上げるやり方を、果たして市民=選挙民は、どう判断することだろうか。
 
<都構想は支持されたのか>
 次の区民センターやプールなどの住民利用施設の存続問題は、大きな問題を孕んでいる。橋下は市長選挙などでは、大阪市(本庁?)が無くなれば、区役所に職員も予算も来るんです、などと発言してきた。「大阪都構想はバラ色」と宣伝してきたわけである。住民利用型施設の統廃合は、H26年度からとされているが、区の統廃合など、市政的にはどこでも議論されていない。まして、24区→8区に統合するというが、どことどこが合区するのかも決まったわけではない。(橋下は、合区問題については、H25年度に公募区長等が決めることと、この問題からは逃げている)
 子育て支援センター、男女共同参画センター、キッズプラザetcと、市民利用の施設が軒並み廃止とされている。都構想による8区の基礎自治体となった場合、こうした施設は単独の区で設置できるはずもない。特徴のある施設がなくなった基礎自治体とは、どんな姿なのだろうか。
 
<民間でできることは民間で>
 養護老人ホームや病院施設も含む「弘済院」について、民間でもできると廃止を含めて検討としている。「市民の利用が半数であり」市で設置する必要性がない、との理由が掲げられているが、福祉行政の観点がまったく欠落した論理である。
 福祉関係では、社会福祉協議会への補助削減、地域活動補助も同様で、国基準や政令4市の水準を上回るものは、削減するとしている。
 
<市民の声を結集して>
 大阪市は、担当部局との議論を行った上で、5月に成案を作成し、パブコメを実施した上で、7月議会に提案するとしている。大阪市民は、大きな声を上げる必要がある。約束が違うと。そして、この削減案が議会で承認される目処はまだ立っていない。維新の会単独では大阪市議会の過半数に満たないからである。そこで公明党がどう動くか。おそらく条件闘争で折り合いを付けるのだろうが、そんな談合を許してはならない。
 さらに、多くの施設の廃止が盛り込まれているということは、当然そこで働く職員の分限という問題も出てくる。3月議会では継続審議となった「職員基本条例」には、施設廃止等の場合の分限処分(解雇)の条項も含まれている。職員削減の荒々しい手段も想定する必要があると思われる。
 
<大阪市が壊れていく>
 前市長の平松氏が、橋下市長就任後の動きを、こう表現したという。まさにその通りであろう。「住みにくい街、大阪市(?)」と言われるようになるのだろうか。大きな反対が予想される中、国政での動きも絡んで、橋下は「脱原発」への関与に力を入れているようにも感じられるのである。6月には、この改革案論議を踏まえて、橋下は「市政改革プラン(案)」を発表すると言われている。維新の会のばけの皮を剥がす意味でも、断固とした対応が必要ではないかと思う。(2012-04-22佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.413 2012年4月28日

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【書評】ネヴィル・シュート『渚にて—人類最後の日』

【書評】ネヴィル・シュート『渚にて—人類最後の日』
           (佐藤龍雄訳、創元SF文庫、1,000円+税) 
 
 『渚にて』の新訳である(ただし出版は2009年)。原著は1957年、旧版は1965年に井上勇訳で創元推理文庫版として刊行された。またグレゴリー・ペック/エヴァ・ガードナー主演のアメリカ映画『渚にて』(1959年)を、背景で流されたオーストラリア民謡「ウォルシング・マチルダ」とともに憶えておられる方もいることであろう。
 あらすじは次の通りである。
 第3次世界大戦が勃発、戦争を始めた中ソ(時代設定はこの時代である)はもちろんのこと、これにそれぞれの利害と思惑から戦争に参加した米英あるいは核爆弾を保有していた中小の国々が核爆弾を用い、全世界に4700個以上の核爆弾が落され、北半球の国々は死滅した。唯一南半球のオーストラリアがまだ無事であったが、放射性降下物は南下し、人類最後の日が確実に近づいていた。かろうじて生き残った米海軍の原潜〈スコーピオン〉は、メルボルンに退避してくる。しかし残された時間はわずかとなっている。この時間をどう生きるのか、これが本書の主題である。主な登場人物は,〈スコーピオン〉艦長タワーズ大佐—-家族はすでにアメリカ本土で死亡が確実と考えられる–、オーストラリア海軍の連絡士官ピーター・ホームズ少佐──妻と生後間もない子どもがいる—-等々である。
 この中で〈スコーピオン〉は、生きている人間がいないはずのシアトル付近から送られてくる無線信号の謎を解くために、また一部の学者が唱えている放射能に関する希望的観測—-大気中に浮遊する放射性降下物は急速に希薄化して地表や海面に落下して行くので、南下移動量が急速に減少するとする──の確認に向かうことになる。
 これに同行することになったホームズは、妻のメアリに、航海中にもし最後が来た時の問題を話す。赤ん坊のジェニファーを子ども部屋に連れて行く直前のことだった。放射能によって侵され、下痢嘔吐から始まるコレラのようなひどい衰弱症状が出て死に至るという話を一通りした後で、ホームズは赤い小箱を取り出して、もしあまりにもひどくて耐えられない症状になってきたら、この薬を一錠、飲むことを教える。
 「メアリはひとりでに終わった煙草を指から落とし、小箱を手にとった。表書きされている取扱指示の文言に目を通してから、口を開いた。『でも、どんなにひどい症状になったとしても、自分でそんなことなんてできないわ。そんなことしたら、だれがジェニファーのめんどうを看るの?』/『放射能は、すべての生き物が浴びることになるんだ。犬も猫も—-そして赤ん坊もだ。きみやぼくと同様に、ジェニファーも同じ目に遭うことになるんだ』/メアリの目が見開かれた。『あの子までが、そんなコレラみたいな症状になるというの?』/『そうだ。だれもがひとしく、同じ道をたどる』/(略)/ホームズはなだめるように努めた。『(略)ジェニファーの未来も同じ運命だ。でも幼い赤ん坊にまでそんな苦しみを味わせるのは忍びない。だから、もしもう手のほどこしようのない状況が訪れたなら、きみの手であの子を楽にしてやればいい。もちろんそうするのはとても勇気の要ることだけど、その勇気は持たなくちゃいけない。(略)』/妻の目がしだいに敵意に燃えてきた。/『はっきりいえば、こういうことでしょ』その声には刃がひそめられている。『わたしにジェニファーを殺せってことでしょ!』/ホームズは難局が訪れたことを悟ったが、しかしそれに立ち向かうしかない。『そのとおりだ。そうすることが必要な事態になったら、きみはそれをやらなければならない』/メアリは急に怒りを爆発させた。『あなた、どうかしてるわ』と(後略)」。
 この後の展開は本書を読んでいただくしかないが、生存可能圏が次第に狭まっていく状況で、どう生きていくか、というより、どう死んでいくかの選択が迫られる。〈スコーピオン〉の航海では、結局シアトルからの無線信号は、通信機と近くの窓枠の揺れとの連動であることが分かり、また放射能に関する希望的観測も打ち砕かれる。確実に滅び行くしかない人類は、かくして終焉を迎える。本書の最初に掲げられている、T.S.エリオットの詩が象徴的である。そこにはこう記されている。
「われらこの終(つい)なる集いの地にて/ものも言わず手探り彷徨(さまよ)い/
この岸辺にたどりつきけり/この広き流れの渚(なぎさ)に/
この流れこそ世の涯(はて)へと/(このフレーズが3回繰り返される)/
瀑音轟(とどろ)かずただ霧しぶくのみ」
 本書は、このように人類の最後をひたすら静かに描く。そこには近年の同種の映画や小説で見られる阿鼻叫喚の絶叫や暴力といったものはない。略奪について少し語られる程度である。核戦争のみでなく、環境や水や食糧といった問題でも人類の最後が言われる今日の状況とは、時代が違うからとも言えるが、しかし今日の方が問題はより多方面にわたり深刻であるとも言える。そうだとするならば、絶叫や暴力や死体を描き、パニックを強調することによって、我々の時代はむしろ全人類死滅への恐怖という本質を逸らせているのではなかろうか。本書はそのような時にもなお、人間性への理解と自覚を持つことが必要であることを示唆するが・・・。(R)
(付記:本書に登場する米海軍最後の原潜〈スコーピオン〉と同じ名を持つ艦は実在し、特に原著出版から10余年後の1968年に、アゾレス諸島沖で沈没し4000mの海底に沈んだままの原潜が〈スコーピオン〉であったということは、偶然の一致であろうが、評者の記憶に強く残っている。) 

 【出典】 アサート No.413 2012年4月28日

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【コラム】ひとりごと—死の尊厳を考える— 

【コラム】ひとりごと—死の尊厳を考える— 

○現在、30万部を越えるベストセラーになっている新書がある。幻冬社新書の「大往生したければ医療と関わるな–「自然死」のすすめ」である。私も買って読みました。○内容は、後に紹介するとして、本書は、現在の医療の実態を鋭く批判していると同時に、生きるとは何か、そして必ずやってくる「死ぬ」とはどういうことか、という哲学的な命題にも、明確な視座を明らかにしているという意味で、必読であると思うわけであります。○私も福祉に関わる人間なので、そこでの日常の風景を紹介しよう。生活保護では医療費は公費で賄われる。天蓋孤独(家族はいたはずだが、いろいろな経過があって)の老人が、死を迎えたとしよう。亡くなって3ヶ月後に、福祉事務所にレセプトが送られてくる。亡くなった月の医療費の請求である。100万円、200万円はザラにある。○薬をぶちこんで、苦しませて、「死なせる」のだろう。静かな「死」などそこにはない。○筆者は、自然死こそ、人間の尊厳を保つ、幸せな最後であるという。○自然死とは何か。人間の体が、死期の近いことを自覚し、食事そのものを拒否しはじめ、体内の栄養と水分を消費しつつ、静かに生命を閉じるということであると筆者は言う。○その頃には、体内からモルヒネ様物質が分泌され、痛みを感じることがないという。○筆者は医者であり、現在は特別養護老人ホームの勤務医。数々の死を看取って来られた経験も語られる。○最近私も叔母の死に際に立ち会うことがあった。91歳だった。老人ホームで暮らしていたが、食事が摂れなくなり、病院に入院したとは聞いていた。状態の悪化を聞き、見舞いに出かけた。午前中に見舞いに行き、その日の夜には亡くなるのだが、午前中はまだ意識があり(?)、私や姉の声に反応し、目を動かし、動かない手を上げてくれた。病院は胃瘻(いろう、胃に管を入れて食物を流し込むこと)を薦めたが、家族は断固拒否した。点滴による栄養補給のみで、辛うじて生命を維持してきた。○家族は、その日終日、叔母の側に居て死を看取った。○筆者は、こうした「自然死」こそ人間の尊厳であり、苦しみの少ない幸せな死なのだと言うのだ。延命治療という、苦しみを与えてはならないと。○そこで、医療とは何かである。筆者の意見に私は賛成であり、元来の私の持論でもある。○人間には、(動物にはと言ってもいい)本来、病気と闘う力が備わっている。免疫がその代表であろう。細菌やウィルスなどが体内に入った時、白血球やリンパ球などが、異物を取り除こうとする。その時、体温を上げたり、患部に血液が集中してくる。○熱が出る、鼻水が出る、下痢をする、すべて異物を体外に出そうとしている身体の反応である。○頭痛がするから痛み止めの薬を飲む、やがて依存症になり、薬が効かなくなり、副作用が出る。その副作用を防ぐために、また違う薬を飲むという悪循環が始まる。これが、普通の日本の医療である。○免疫力を高める意識などない。薬漬けにして、すべては金儲けのためなのである。○私の場合、ここ10年は歯医者以外は、医者に行ったことがない。免疫力を高めることに注意している。目標を持って、楽しく生活することにも心がけている。本書に書かれていることは、私自身が実践していることでもあり、大いに力づけられた。○本書の内容に戻ろう。筆者は本書で、「治療の根本は、自然治癒力を助長し、強化することにある」という「治療の四原則」を紹介している。①自然治癒の過程を妨げぬこと、②自然治癒を妨げているものを取り除くこと、③自然治癒力が衰えているときは、それを賦活すること、④自然治癒力が過剰である時には、それを適度に弱めること、の四原則であり、まさにそのとおりである。○筆者は、「がん」についても語っている。人間の身体の中では、日々がん細胞が生まれているが、若く元気な時は、免疫がそれを破壊している。がん細胞は歳をとれば、免疫力も低下しるので、ガンが増えるのはあたりまえであり、抗がん剤治療など、苦しみを増すだけだと。本紙の読者であったTさんも、70歳を越えて癌と診断され、抗がん剤治療を受けた。見る見る体力が衰え、程なく肺炎で亡くなった。○抗がん剤は、がん細胞も殺すが、本来の自然治癒力である免疫機能も殺すのである。高齢者へのがん治療など不要であり、気にせず元気でやりたいことをする方がよっぽど延命するという。○医療とは何か、日本の医療は明らかに、先の四原則から逸脱している。そして、人間の死に対しても、向き合おうとしていない。○さらに、如何に死を迎えるかについて、延命治療を具体的に拒否する指南書的な内容も豊富に記載されている。どう死ぬか、それはどう生きるかでもある。(2012-04-21佐野)

「大往生したければ医療と関わるな–「自然死」のすすめ」
 中村仁一著 幻冬社新書(247) 2012-01-30 ¥760+税 

 【出典】 アサート No.413 2012年4月28日

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【投稿】目前に迫る危機と原発再稼動

【投稿】目前に迫る危機と原発再稼動
       危機感を共有できない政治は即刻退陣すべき

<<4号機・使用済み燃料プールが危ない>>
 重大な警告が発せられている。それは何よりも自然そのものからの警告である。ごく直近の地震活動をとっても、3/14夜には、千葉県と茨城県が千葉県東方沖を震源とする最大震度5強(同6・8)の激しい揺れに襲われ、再び液状化などの被害が発生、その約3時間前には三陸沖を震源とするM6・8の地震が発生、北海道釧路町などで最大震度4を記録し、北海道と青森の太平洋沿岸、岩手県に津波注意報が発せられ、3/16午前4時20分にも埼玉県南部を震源とする震度3(M5・2)の揺れが関東を襲い、その後も北海道、東日本から富士山、桜島にいたる日本列島の至るところで不気味な地震活動の活発化が相次いでいる。
 3/7、文部科学省の特別プロジェクト研究チームは、首都直下地震が想定されている南関東の地震活動が東日本大震災後に活発化し、南関東で起きたM3以上の地震の数を大震災の前後半年間で比較したところ、大震災後は約7倍に増加、現在も地震の発生頻度は大震災前の約3倍と高い状態となっており、M7程度の首都直下地震について「いつ発生しても不思議ではない」としている。また、首都直下地震のひとつである東京湾北部地震の揺れは、沈み込むフィリピン海プレートと陸のプレートとの境界が従来想定より約10キロ浅く、従来想定の震度6強を上回る震度7との推定を正式に公表、震度7は東京23区湾岸部や多摩川河口付近と予想されている。
 こうした地震活動の活発化は、54基もの原発を各地にかかえている日本列島において、いまだに原発即刻停止・廃炉への政策転換を行いえず、現状をずるずると放置するばかりか、停止中の原発の再稼動まで意図すれば、さらなる巨大な原発震災をいつ招き入れてもおかしくない事態にあることを警告しているのだと言えよう。
 もう一つの重大な警告は、警鐘を発し続けてきた原子力専門家からの警告である。
 京都大原子炉実験所・小出裕章助教は、この地震活動の活発化で、福島第一原発の「4号機が崩れたらもう終わりだ」と警告する。「4号機の使用済み燃料プールが崩れ落ちたらおしまいですから、とにかく一刻も早く、余震が来る前に取り出さなければいけない。」「使用済み燃料は発熱体でプールの水が抜けて冷やすことができなければ、温度が上がって溶けてしまう。そうなれば、ヨウ素、セシウム、さまざまな放射能がいきなり空気中に飛び出してくることになると思います。」「全体でおよそ300トンくらい入っていると思います。建屋の階はボロボロに壊れていてクレーンも使えない。その燃料を移す作業をしなければならない。大変な作業です。」(『週刊金曜日』2012/3/16号)と、一刻も早い、不安定極まりない燃料プールからの使用済み核燃料の取り出し作業の開始を訴えている。

3・11関西行動:労働組合の集会より

<<「本気で逃げる用意をしておいて下さい」>>
 同じ警告が、広瀬隆氏からも発せられている。
 「福島第一原発では、4基とも危ないが、とりわけ4号機の原子炉建屋は、昨年のプールから生じた水素の大爆発で、ほとんど骨組みしか残らないほど大崩壊してしまった。東京電力は、傾いて倒壊寸前のこの建屋のプールを補強するため、応急処置の工事をしたが、それは、何本かのつっかい棒を入れただけである。その支柱の下は、補強できないまま、実は軟弱な基礎の上に、つっかい棒が立っているという、いい加減な状態のままである可能性が高い。
 この大気中にむき出しのプールには、不幸にして通常の運転で原子炉が抱える「数個分」の使用済み核燃料が入っているとされる。その量は、10~15年分の運転期間に相当するウラン・プルトニウム燃料が入っているということになる。元旦に東北地方・関東地方を襲った地震のあと、このプールの隣にあったタンクの水位が急激に低下したので、プールに異常が起こったことは容易に類推できる。さらにその後、1月12日と23日に、立て続けに、福島第一原発のある浜通りを激震が襲ったので、私は生きた心地がしなかった。
 こうした中地震の続発がプールのコンクリートに与えてきた疲労は、相当なものに達している。したがって、大地震でなくとも、コンクリートの亀裂から水が漏れる可能性は高い。
 4号機に何かあれば、もう手がつけられない。致死量を浴びる急性放射線障害によって、バタバタと人間が倒れてゆく事態である。東電も、真っ青になって震えながら、今度こそ「直ちに健康に影響が出ますから、すぐに遠くに逃げて下さい」と記者会見するはずだ。」(『週刊朝日』2012年3月9日号「福島第一原発に末期的事故の予感 人生最後の事態も」」)
 広瀬氏は福島県・郡山市での講演(2/5)で、福島第一原発の現地の現場の幹部の話として、「4基すべての原子炉で崩壊が起こりうる」と警告し、「内部が腐食しているし、爆発によって打撃を受けている。格納容器と配管がいつまで持つか心配だ。早く燃料を取り出さないと危ない。(東電本社の2号機内視鏡調査についての松本純一氏の記者会見について)配管は大丈夫だなんて、本社はよく言えたもんだ。現場では笑いもんだ。」という実態を紹介し、「4号機はいつドサッと崩れるか分からない。本気で逃げる用意をしておいて下さい」、そして次の原発事故に備えての必需品としてしかっりとした防護マスクをご家族一人ずつポケットに入れておいて下さい、私もかばんの中に持ち歩いています。冗談で言っているのではないのです、と訴えている。

<<「私も先頭に立たなければならない」>>
 ところがこうした真剣な警告を受け止め、危険な事態を打開すべき政府は、東京電力と同様、その対応は無責任極まりない状況である。3/14夜、茨城県南部と千葉県北東部で震度5強の地震があった際でも、野田首相は、民主党の衆院当選1回議員らと会食のため都内の日本料理店に入った直後であったが、情報を聞きながらそのまま1時間半にわたって会食を続けたという。会食終了後に記者団から「地震対応で、どのような判断を」と問われると、首相は「情勢は常に聞いています」と平然と釈明した。たとえ巨大な地震活動でなくても、倒壊寸前の福島第一原発に及ぼす影響からして直ちに官邸に戻り、危機対応に当たるべき本人が、これほどまでに鈍感極まりないのである。ウソ、偽りに満ち溢れた昨年12月16日の原発事故「収束」宣言で、事態は「収束」したとでも思っているのであろう、情勢を聞いているだけで何の対処もできない、そもそも何の危機感も持ち合わせてはいないのである。
 そのような危機感のなさは、原発再稼動路線にもくっきりと現れている。野田首相は東日本大震災から一年の記者会見で再稼働を判断する手順について、まず首相と藤村官房長官、枝野経産相、細野原発事故担当相の四人が原子力安全委員会が実施する安全評価(ストレステスト)の妥当性と地元の理解をどう進めていくかを確認し、そのうえで「政府を挙げて地元に説明し理解を得なければならず、私も先頭に立たなければならない」と述べている。
 つまりは、テストの結果を客観的科学的に判断する、あるいは尊重するつもりなどさらさらなく、原子力安全・保安院が電力会社の報告を検証する能力など持ち合わせていない以上、そのまま追認し、原子力安全委員会は「保安院と打ち合わせして長引かないような努力をしている」(班目委員長)、つまりはあらかじめ談合をしておいて、その保安院の報告をこれまた追認する。そして首相たち、談合政治を得意とする政治家たちが適当に妥当と政治的に判断して、それを根拠に「政府を挙げて地元に説明し理解を」得るために自ら先頭に立つと宣言したわけである。「先頭に立つ」のは、原発再稼動を断念するためではなく、初めから既定路線として再稼動を決めておきながら、何かもっともらしく慎重に検討するふりを装い、実は先に結論ありきで、原発再稼動は何が何でも実現したいという意図が露骨に示されているのである。増税路線しかり、辺野古新基地建設路線しかり、この政権の見え透いた、誠実さそのものが欠落した、ウソ、偽り、詭弁で塗り固められた手続きだけが空虚に並べられているのである。長年にわたって積み重ねられてきた、こうした日本政治の無責任な悪弊こそが原発震災を招いたものであり、さらなる巨大な危機を招き入れようとするものと言えよう。
 3月末までに関西電力の大飯原発再稼働の結論を目指すというのが、現政権にとって最初の突破口であり、続いて伊方原発から順次拡大していく意図が透けて見える。
 もはや政権交代の意義さえも捨て去ってしまった野田政権には、自然そのものからの、度重なる、ますます強まる地震活動の活発化がもたらす重大な警告も、原子力専門家や原発従事者や被災者自身からの悲痛に満ちた危機感や警告さえも耳に入らない、危機感の共有すらできない、こんな政権に成り果ててしまっており、もはやその存在価値はゼロ、あるいは有害とさえいえる段階に来ているといえよう。早晩崩壊せざるを得ない政権であるが、一刻も早く退陣させるべきことを自然現象そのものが地震活動のこれまでにない活発化を通じて、警鐘を乱打しているのではないだろうか。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.412 2012年3月24日

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【投稿】不毛な地震「予知」と原発建設

【投稿】不毛な地震「予知」と原発建設
                             福井 杉本達也 

1 電力の圧力で大地震・津波の記録を消した文科省
 福島原発を襲った東日本大震災の直前、昨年3月3日に文部科学省地震調査委員会事務局は東電など電力3社と非公式会合を持ち、今回の大震災に匹敵する869年の貞観地震・津波の記録を消し去っていたことが情報公開請求で分かった(福井:2012.2.26)。東大理学部のロバート・ゲラー教授は『日本人は知らない「地震予知」の正体』(2011.8.31・双葉社)の中で、経産省の総合資源エネルギー調査会の耐震・構造設計小委員会・第32回会議(2009.6.24)において岡村行信産総研・地震研究センター長は津波が常磐海岸まで到達していたとし、原発の地震・津波対策の強化を求めていたにもかかわらず、「貞観津波」の論文を電力会社が黙殺していたことを批難していたが(参照『エコノミスト』2011.7.11)、今回の情報公開で明らかとなったことは、電力会社と官僚はグルであり、日本の地震・津波の調査研究は原発建設(耐震評価)の影響(圧力)を大きく受け成果がねじ曲げられてきたということである。

2 耐震性で出だしから躓いたコルダーホール型黒鉛炉の東海第一原発
 東海第一原発は英国から輸入した日本初の商業用原子炉だったが、黒鉛を積み上げただけの炉心構造を持つ原子炉は耐震強度が十分ではなく、物理学者などから安全性に対する厳しい批判が出され、大幅な設計変更を行って1960年1月に着工し、1965年5月に初臨界に到達した(武谷三男『原子力発電』)。しかし、数々のトラブルのため十分な能力を発揮することはできず、1998年3月に営業運転を終了し解体工事に着手している(吉岡斉『原子力の社会史』)。この経験に懲りた政府は原発建設を推進していくには何としても地震を調査研究する必要に迫られた。それにうまく乗っかろうとしたのが東大の坪井忠二氏らの「地震予知計画」である。氏らの主張はとりあえず仮説を立てて研究するから予算(カネ)を寄越せという当時としては“大胆な”(サギ的な)ものであった。地震予知計画は1965年から国家プロジェクトとしてスタートした。その後、原発建設を強力に推し進めようとする中曽根康弘氏(当時運輸大臣)の入れ知恵で「研究計画」から「実施計画」へと“昇格”し、「地震予知」に対し破格の予算が配分されることとなった(ゲラー・上記)。当初から「地震予知」と「原発建設」は“不純な動機”から出発したのである。

3 プレートテクトニクス革命から遅れをとった日本の地震学
 原子力発電所をつくるときの設計基準は1978年につくられ、1981年に一部改正されたまま現在まで変わっていない。この間の地震学の進歩は著しいが、その成果は指針には取り入れられていない。指針は1960年代前半までの古いものだといわれている(島村英紀―『災害論』:加藤尚武より)。地質学・地球科学の分野では1960年代にプレートテクトニクス説が登場しパラダイムの大転換が起こった。地球内部のマントルは固体として対流運動をしており、その上に乗っかる薄いプレート(地殻)が対流するマントルに乗って互いに動いている。対流には湧き出し口と沈み込み帯があり、プレート境界部では造山運動、火山、断層、地震等の種々の地殻変動が発生している。日本海溝はこの沈み込み帯であり、巨大な地震が発生する。ところが、日本の地質学会が全体としてこのプレートテクトニクス説を受容するようになったのは1980年代初頭である。戦後の地質学会における複雑な対立が大きく影響したといわれている(木村学「回顧 地球科学革命の世紀」『UP』2011.4)。したがって、1970年代末につくられた原発の耐震基準には、不幸なことに、このプレートテクトニクス説は全く反映されていないのである。

4 プレートテクトニクス説に沿った「アスペリティモデル」が完全に崩壊した大震災
 プレートの境界面はべったりとくっついているのではなく、特に強く固着しているところ(「アスペリティ」)と、固着することなくスルスルと海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込んで行くところがあるというのが「アスペリティモデル」である。宮城県沖のアスペリティは約40年間間隔でエネルギーを解放する。当然ながら、固着する部分が小さければ地震の規模は小さいと想定された。今回の地震まで、政府が想定した地震の規模は最大でもマグニチュード(M)8.2でしかなく、東北地方太平洋沖地震のM9.0には遠く及ばないものであった。気象庁は地震当日の記者会見で「三陸沖でこれほどの地震が起こるとは想定していなかった」と述べている(纐纈一起・大木聖子『超巨大地震に迫る』)。

5 気象庁の“犯罪”で19,000人が犠牲に
 地震発生後、気象庁から発表された地震規模は明らかな過小評価だった。気象庁が推定する地震マグニチュードは8以上では低く算定されることは当初から分かっていた(ゲラー:上記、河田恵昭「津波災害・減災社会を築く」2011.8.25)。巨大地震に対応できるモーメントマグニチュード(Mw)は15分後に得られるはずだったが、日本中の広帯域地震計は振りきれていた。そのため、9,000キロも離れたロンドンの地震計から地震規模を計算するのに54分もかかった。気象庁は当初の過小評価した地震規模で14時49分に津波警報を出した。高さは「3m」であった。その後、気象庁は15時14分に津波規模を「6m(宮城県は:10m)」、15.30分に「10m」へと3回に亘り訂正したが(「中央防災会議報告書」2011.9.28)、当初の「3m」の津波という情報以外は多くの人に伝わらなかった。こうして、地震から津波到達までの20~40分の時間を空費し、多くの人が津波の犠牲となった(青野由利「地震学に懸ける橋」毎日:2012.2.28)。輪をかけて気象庁は今回の大震災では、4月2日に気象学会を使い会長名で放射性物質予測、公表の自粛を会員に通知したこと、事故直後の浜通りの気象情報をいっさい流さなかったことなど数々の犯罪を重ねている。官僚ありて国民なし、学会栄えて学滅ぶ状況である。

6 「地震予知」は幻想である
 地震予知計画では巨大地震の数時間から数日前にプレート境界がゆっくり動く「前兆すべり」が起こると仮定され、この「前兆すべり」を捉えるために全国にくまなく観測網が敷かれ24時間体制で警戒する(日経:2011.8.7)。地震が集中する場所には原発は建設できない。「地震予知」ができると仮定すれば、地震が起きる場所を特定でき、建設適地を選定できる。「地震の規模」が推定できれば耐震設計を確定できる。「周期」が分かればその前に停止すればよい。「前兆すべり」が分かれば「地震の起こる時間を特定でき」緊急停止などの対策を打つこともできる。原発を建設するには都合のよい説である。しかし、東北地方太平洋沖地震は「予知」できなかった。1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)も「予知」できなかった。新潟県中越沖地震(2007年)、新潟県中越地震(2004年)も岩手・宮城内陸地震(2008年)も「予知」できなかった。東海地震も「予知」できないであろう。「地震を予知できるのは、愚か者とウソつきと、イカサマ師」だけである(ゲラー:上記)。しかも、プレートテクトニクス説では日本海溝に太平洋プレートが沈み込んで地震を引き起こす。太平洋プレートは年間8㎝で東から西へ動いているので、これに期間をかければ蓄積される「すべり量」を求めることができ、これに断層面積をかければ想定される地震の規模がおおよそ算定できる。今回の東北地方太平洋沖地震は南北断層長さ480㎞、東西150㎞、すべり量10mという巨大な岩盤のずれであった。現存するものに理論の方を合わせてはならない。これまで、現存するもの(原発)が壊れないように地震理論を合わせてきた。「アスペリティモデル」しかり、「周期説」しかり、「地震空白域説」しかりである。しかし、M9クラスの地震に耐えうる原発はない。事実(自然)を直視するならば原発は存在してはならない。自然を欺くことはできない(ファインマン)。) 

 【出典】 アサート No.412 2012年3月24日

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【投稿】揺れ動く金正恩政権 

【投稿】揺れ動く金正恩政権 

<先軍政治と恐怖政治>
 昨年12月、突然の金正日総書記死去により想定外の代替わりとなった北朝鮮―金正恩政権は、さまざまな問題を抱えながら権力基盤の構築を進めているように伺える。
 もちろん経済は破綻し、国民への食糧供給もままならないなか、全くの経験不足である金正恩が曲がりなりにも最高権力者の地位を継承できたのは、強力なサポートあってのことである。
 国内的には、穏健派と言われる労働党と対外強硬派の人民軍が、国際的には中国とロシアが車の両輪のごとく支える形となっている。それぞれが主導権を争いながら、危ういバランスのもと新政権は維持されていくだろうが、正恩は祖父や父のような真の独裁者には当面なれないだろう。
 こうした金正恩の権威を高めるため、色とりどりの粉飾が展開されている。同じ独裁者でもリビアのカダフィは死ぬまで「大佐」止まりだったが、正恩はいきなり「大将」と崇め立てられ、「砲術の天才」などと軍事的才能が喧伝されている。
 正恩は昨年末には人民軍最高司令官となり、1月1日早速、戦車部隊の視察に訪れ、自ら戦車に乗り込み隊員を激励、さらに軍楽隊の演奏会を観覧し、最高の歓待を受けた。その後は相次いで最前線に赴き、一昨年延坪島を砲撃した砲兵部隊に対しては「敵が祖国の海域を0,001ミリメートルでも侵したら、強力な報復を行え」と指示し、板門店では「敵と銃口を向き合っている兵士は、最大の激動常態を維持せよ」と命じた。
 これらの行動は、金正日が推し進めた「先軍政治」の継承、正恩に対する人民軍の影響力誇示と共に、この間連続して行われた米韓合同軍事演習を牽制する狙いがあったと考えられている。
 このような強面は、対外的だけではなく国内にも向けられている。毎日新聞は3月14日、「12月31日に正恩は労働党幹部に対し『指導部内で正恩新体制に反発する人物を特定して処分するよう』に指示していた」と報じた。
 韓国の東亜日報は2月14日、北朝鮮当局はやはり昨年末に「金総書記逝去後、100日間の服喪期間中に脱北した場合、家族は皆殺しと布告した」と報じ、その前後中国国内で脱北者の摘発が相次いだことが明らかになった。
 逮捕された脱北者の送還については韓国で反発が広がり、中国当局にも批判が寄せられているが、金正恩政権は意にも介していない。
 特に韓国に対しては強硬で、3月4日には平壌市内で15万人を動員し「平壌軍民大会」を開催。出席した、人民軍、労働党幹部は相次いで「李明博逆賊一味を一掃する」「無差別な聖戦を遂行する」などと挑発的な発言を行い、北朝鮮メディアも「李明博らは人間のクズ」とこき下ろしている。こうした動きは人民軍主導で進められていると思われるが、国内外への高圧的姿勢は、食糧不足など、現状への不満が解消されていないことを物語っている。

<核開発中断の波紋>
 一方で金正恩政権はアメリカに対して一度は大胆な妥協を選択した。2月23,24日、北京で行われた米朝協議は、当初なんら成果はなかったかのように伝えられていた。
 しかし、2月29日米朝当局は「北朝鮮のウラン濃縮、核実験、長距離ミサイル発射の一時中断、IAEA査察再開と24万トン分の食糧支援の実施」について両国が合意したと発表、世界を驚かせた。米朝協議は昨年7月、1年7ヶ月の中断を経て再開されたが、10月の協議の後、金正日の死去で再び中断されていた。
 10月の時点で、今回合意された内容はほぼ合意に達していたが、代替わりを経ても北朝鮮新政権が従来の立場を継続するか注目されていた。北朝鮮は食糧支援の上積みを求めたのに対し、アメリカはウラン濃縮の中断なくしては何も決まらないと、核開発停止を強く要求しており、今回は背に腹は替えられない北朝鮮が歩み寄った形となった。
 ただ、北朝鮮はウラン濃縮などの中断期間を「米朝で有益な話し合いがなされている間」としており、微妙なニュアンスの違いが存在している。こうした金正恩政権の判断の背景には、労働党のイニシアがあったと思われるが、そのバックには6ヶ国協議議長国の中国の意向があるだろう。

<中国・ロシアの思惑>
 現在中国は、今秋の近習平新指導部選出への移行期であり、不均等な経済発展による格差の拡大、共産党内部の権力闘争、さらにはチベットなどでの少数民族の動きなど多くの不安定要素を抱えている。
 先日の第11期全人代では国内の治安対策費が2年連続で国防予算を上回ったことが明らかになり、さらに温家宝首相が「このままでは第2の文化大革命が起こる可能性がある」との異例の発言を行うなど中国指導部が国内の動きに敏感になっていることがわかる。
 こうしたなか、中国は朝鮮半島での混乱は何としても回避したいところであり、この間支援を拡大している。東亜日報は3月15日、「中国が北朝鮮に対し6億人民元(約79億円)規模の物資の無償援助をはじめた」と報じた。これは94年の金日成主席死去後の経済支援の2倍の規模だという。
 米朝合意では24万トンの支援食糧について、北朝鮮の求める穀物では横流しされる危険性があるので、サプリメントとされた。そこで北朝鮮は中国に穀物を求めたと思われ、今回の支援額は米なら約15万トン、トウモロコシでは約27万トンに相当すると見積もられている。
 また、先に述べたように中国は国際的非難にもかかわらず、脱北者への取締を強化しており、さまざまな面で金正恩政権を支えようとしている。
 こうした中国の動きに対しロシアも北朝鮮への経済支援を加速させつつある。現在ロシアは多くの北朝鮮労働者を沿海州地域開発事業に受け入れ、これら出稼ぎ労働者の送金は月約3億円に上ると見られている。さらにプーチン次期大統領は、この地域へのさらなる投資を構想しており、韓国への北朝鮮経由の天然ガスパイプライン建設などを計画している。
 この背景には、朝鮮半島さらには極東地域への中国の影響力拡大に対する、ロシアの危機意識があると考えられる。冒頭「車の両輪」とのべたが、北朝鮮にしてみれば「両天秤」と考えているのかも知れない。もちろんこうした戦略は前政権の発想であるが、金正恩新政権もこれを継承していくだろう。

<急転直下の衛星打ち上げ>
 このように朝鮮半島が微妙な安定に進むかに思えた矢先の3月16日、「朝鮮宇宙空間技術委員会」は4月12から16日のいずれかで、「実用衛星光明星3号」を打ち上げることを明らかにした。故金日成主席生誕100周年を記念する意味合いと、韓国に先んじて国産衛星打ち上げを実現したい思惑があると思われるが、この決定は先の米朝合意を白紙に戻しかねないものである。早速アメリカは打ち上げ計画を長距離弾道ミサイル実験と断じ、実施されれば米朝合意破棄とみなすとし、食糧支援の一時停止を示唆した。
 あまりに唐突な今回の動きは、米朝合意を推進した同じ人物の決定とは到底考えられない。すなわち、今回の動きは核兵器開発に固執する人民軍の巻き返しと見られ、金正恩は当事者能力を持ち得ず、党と軍の間で揺れ動く存在であることが証明されたともいえよう。
 中国も事態を「注視」するとし、各国に冷静な対応求めるとは表明したが、自らの大規模支援が「アメリカの支援中断も可」という北朝鮮の判断を導いた可能性は否定できず、緊張激化の方向に困惑を見せている。
 しかし、米中が本気で発射阻止に動くかは定かではない。特にアメリカは国内的には大統領選挙を控え、対外的にはイラン核開発問題に縛られている。イランと北朝鮮が示し合わせて動いているとは思われないが、人民軍は2正面作戦を放棄したアメリカの足元を見透かしている。
 そもそもアメリカにとって北朝鮮問題は優先度の低い課題である。大統領候補指名争いで「タリバンを殺せ」と呼び、対中国強硬姿勢を唱える共和党の政治家達も、金正恩の名前は言わない。オバマ政権も本当にアジア重視というなら、最大の同盟国日本が最大の懸念を見せている問題に対し、イランの核施設を破壊するよりずっと簡単な、北朝鮮の射場への空爆を示唆することぐらいはするだろう。
 こうした動きが期待できないことを知っている日本政府は「日本に向けて発射されればミサイル防衛システムで迎撃する」と関係国では最も好戦的な姿勢を見せているが、アメリカ軍が抑止力になっていないことを世界中に宣伝しているようなものである。
 中井衆議院予算委員長をモンゴルに派遣しての北朝鮮との非公式協議は中止されたが、朝鮮半島の安定と非核化に向けた日本独自の行動が求められている。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.412 2012年3月24日

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【ウォール街占拠運動】 99%対1%の闘いは続く

【ウォール街占拠運動】 99%対1%の闘いは続く
     3・1全米教育行動デー「教育を占拠せよ」 


3・1、フィラデルフィアの抗議行動

 ウォール街占拠運動の重要な一環として、3・1全米教育行動デーが呼びかけられ、ニューヨーク、シカゴ、ワシントン、フロリダ、ボストン、ロスアンゼルス、マイアミ、サンフランシスコなど全米各地で、「教育を占拠せよ」運動が展開され、1%のための教育ではなく、99%のための良質な教育、公教育の擁護を掲げ、学生、教師 生徒、保護者、多くの市民が公立学校の閉鎖 民営化 解雇と序列・差別化に抗議し、抵抗する闘いを繰り広げた。
 ニューヨークでは、市教育委員会とブルームバーグ市長の教育予算削減、授業料の大幅値上げ、法外な奨学金負債、教育の民営化と企業化、破綻した教育政策に抗議し、マンハッタン、教育庁前にデモ隊が結集。ニューヨーク市では、全米で実施された読解力と数学の試験結果に対する各教員の指導力の成果を測るとする評価システムと共に、1万8千人の教師の名前を公表したり、生徒や保護者、卒業生の多くが存続を求めてきた貧困地区公立高校の閉鎖を強行したブルームバーグ市長の施策への批判が高まっている。
 フィラデルフィアでは、「教育は権利だ」「私たちの学校を救え」「州政府はファシストだ」とプラカードや横断幕を掲げ、学生たちが市庁舎前の交差点を封鎖、警官隊と対峙。ワシントンDCでも「教育を守れ」と大書した横断幕を先頭に広い街路一杯にデモ行進が行われた。
 シカゴでは、市長のラーム・エマニュエルが「生徒の25パーセントはどうせろくな人間にならないだろう」として、市民の選任をへていない教育委員会が7校の閉鎖、他の10校のすべての教師を解雇することを投票で決定、これに対してシカゴ教員組合委員長のカレン・ルイスは「地域社会の基盤となってきた地域の学校が取り壊されようとしている」と訴え、シカゴ・ハムボルトパークのピッコロ校の占拠に引き続き、この日の抗議行動参加者たちは、授業料値上げに関する公聴会議場を占拠。
 ニューヨークの学生集会の「行動の呼びかけ」は、「われわれは、1%が作り出した危機の代償を拒否する。銀行や企業が記録的な利益を確保している一方で、学校や大学を解体することは容認できないし、教育の再差別化、授業料の大幅値上げ、巨額の学生ローン、そして教育の民営化と企業化を拒否する。」として、最後に「今こそ共に行動する機会が到来しており、われわれは圧倒的多数を代表しており、この闘いを勝ち抜く決意である。教育は投げ売り商品ではない。教育を取り戻し、新しい歴史を切り開こう」と呼びかけている。(オキュパイ・ウォールストリートのサイトOWSより紹介、 生駒敬)
(写真は、3・1、フィラデルフィアの抗議行動)

<<3・30「教育基本条例を徹底批判する」>>
 なお、「9条改憲阻止の集い・大阪」(代表 生駒敬)は、2月の「大阪ダブル選挙の結果と維新の会が突きつけたもの」に引き続き、3月30日、「教育基本条例を徹底批判する」をテーマに例会を持つ。当日は「2/16、17と二回にわたって放映されたMBSテレビ夕方のVOICEの緊急取材番組「米国流教育改革の“落とし穴”」「競争の果て・・・ニューヨーク教育改革の実情」は、大阪の教育基本条例案に先行すること10年、まったく同様なアメリカの「落ちこぼれゼロ法」がいかに教育の荒廃をもたらしたか、を取り上げたものであった。同じ過ちを推進せんとする橋下徹氏は、インターネット上のツィートでこの番組に怒りをぶちまけ、「朝からMBSに怒り心頭だよ、今回は度を越している。これはメディアとして良いのかね。大阪の基本条例をアメリカの教育専門家に見せてコメント求めた。アメリカの教育改革の失敗と同じ道を歩むと。アメリカ教育学者のコメントを大々的に流した」と毒づいている。当日はこの番組の映写」を予定しており、報告と討論が行われる。参加ご希望の方は、本誌編集部まで事前にご連絡を。 

 【出典】 アサート No.412 2012年3月24日

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【日々雑感】「さよなら原発3・11関西1万人行動」に参加して 

【日々雑感】「さよなら原発3・11関西1万人行動」に参加して 

 3.11さよなら原発関西一万人行動・集会

 2012年3月11日(日)は、あの由緒ある大阪中之島の中央公会堂で、さよなら原発の集会とデモがありました。
 日曜日で快晴ということもあって、老若男女子供連れの人々も見られ、快い充実感で一日を送れました。会場は3会場に別れ、午前と午後に分けての集会でした。
 私は公会堂大ホールでの午前の特別企画の集会に参加しました。1,2階で約千人程の席は満席で「原発事故が奪ったもの」と題して、長谷川健一氏(飯館村・酪農家・伊達市へ避難中)の報告がありました。それによりますと長谷川氏の友人も「原発さえ無ければ」と書き残して、自ら命を絶たれたそうです。大きなスクリーンには、その書き置きや、多くの牛の餓死した牛舎の様子が映し出されていました。
 また、福島第一原発3号炉の核爆発のキノコ雲の映像も映し出されていました。
 このキノコ雲の映像は、昨年暮れ、11月頃だったと記憶しておりますが、私の知人のI氏が、ある集会で映してくれたものと同じ様なもので、そこでI氏は言っておられました。「このキノコ雲の映像をインターネットに載せても、どこでどういう力が働くのか、すぐ消されてしまうのだ」と。
 話は横にそれてしまいましたが、長谷川氏の報告に戻りますと、山の除染は20年かかるが、除染しても放射性物質は浮遊する。余り意味のない除染だが、それと同時に行わねばならぬことは、村を離れることだ。「村を離れろ、故郷を捨てろ」とまで言っておられました。
 「広島、長崎の時と同じように、もう差別が起きている。絶対に風化させてはならない事態なのに『終息宣言』とは、何とバカなことを言うのか。」とも言っておられました。
 次に、「原発銀座の若狭から」と題して、松下照幸氏(美浜町・森と暮らすどんぐり倶楽部代表)の報告では、美浜の3つの原発の下には、活断層があり、ここで東北のような惨事が起これば、立地県はもとより、関西1200万人の命の水がめ・琵琶湖の水はすぐに汚染され、関西の空も大地も汚染されるという集会決議(案)の主旨のことも言っておられました。
 また、美浜町から飛ばした風船が、福島まで届いているとの報告もありましたが、これとても、福島の瓦礫が、アメリカ西海岸に到達していて、それがハワイにも方向を変えて漂着するであろうとの新聞や各種メディアの発表から考えても当然でしょう。
 次にKayoさんこと宮崎佳世さんの弾き語りのギター演奏があり、13時55分からの関電コースのデモに参加しました。コース途中で関電ビルを左手に見てのデモで、赤ちゃんを抱いた親子連れの家族も見られ、西梅田の駅広場で、いろんなパフォーマンスを見て解散しましたが、主催の人々の細やかな配慮が感じられる良き集いでした。ウルトラマンの縫いぐるみを着た人々に大勢の子供達が、腕にぶら下がったりして「キャッ、キャッ」と喜んでいた光景が、今だに目に焼付いている一日でした。(2012-03-15 早瀬達吉) 

 【出典】 アサート No.412 2012年3月24日

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