【投稿】安倍政権・悪意に満ちた改憲地ならし路線

【投稿】安倍政権・悪意に満ちた改憲地ならし路線

<「きわめて特異的な事例」という嘘>
 安倍政権は、いよいよ中国との意図的な軍事的対決路線、あるいはその前段階の緊張激化路線を前面に押し出そうとしているかのようである。
 1/19と1/30の中国艦からの海上自衛隊艦艇に対するレーダー照射が明らかにされた2/5の午後7時の記者会見の際、小野寺防衛大臣は、こうしたレーダー照射について「これが最初か」と質問された際に、「全体を通しても、きわめて特異的な事例」「大変異常な事態で一歩間違うと大変危険な状況に陥る」と、過去にはなかったいかにも衝撃の緊急事態であるかのように発表を行い、しかもこの公表は安倍首相自身の指示によるものであることを明らかにし、NHKをはじめ各メディアはこの政府の「大本営」発表をそのまま真に受けてトップニュースで垂れ流した。

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(写真は、大阪城公園で開かれた「関西大弾圧をはねかえそう!2・3全国集会」)

 ところが、その後の事態が明らかにしたことで、なおかつ安倍政権が隠してきて、やむを得ず認め始めたことは、中国艦からのレーダー照射は実は過去に何度もあり、民主党政権時代はもちろん、小泉政権時代から起きていた事実が暴露されてきている。現時点で明らかになっているだけでも、小泉政権時代の2005年1月と9月、民主党政権時代にも複数回、今回と同じレーダー照射の事件が発生していたのである。つまりは、中国がとんでもないことを仕掛けてきたというフレームアップ、悪意ある意図的な情報操作による謀略的な世論誘導が行われていると言えよう。

<「東京空爆」「宣戦布告なき開戦」>
 さらに、こうしたレーダー照射問題については、海上事故防止協定というものが存在し、1972年、米、ソ、英、仏、独、伊、加、1993年日・ロが協定に調印しているが、「砲、ミサイル発射装置、魚雷発射管、その他の武器を指向することによる模擬的攻撃」や艦橋などへの探射燈の照射、乗員、装備を害するレーザーの使用、意図的通信妨害などが禁じられているが、今回のような火器管制レーダーの照射は禁じてはいない。「日中間でも協定締結が望ましいが、ロシアとの協定と同一では、今回の事案は防止できない。禁じていないことを日中間で危険とするのは整合性を欠く」(田岡俊次氏、「週刊金曜日」2/15号)と指摘されている。緊張を激化させるような行為はお互いに慎むべきなのは当然であるが、一方的な非難と世論操作の前に本来はなすべき対話と接触、外交が一切放棄されてしまっては、そこには悪意しか残らないといえよう。
 こうして安倍政権は明らかに、中国との平和的外交関係の維持・前進、対話・協調路線ではなく、そうした努力を意図的に放棄してきた結果として、「打開策が見出せない中、安倍政権は国際社会に中国の挑発行為を明らかにする手法を選択した」(2/6、朝日)のである。このように指摘する朝日をはじめ大手メディアは、こうした政府の手法に乗っかり、事実上安倍内閣の広報機関と化し、結果として政府の「大本営発表」を垂れ流し、週刊誌に至っては、中国からの「宣戦布告」(週刊文春2/21号)、中国人9割は「日本と戦争」「東京空爆」(週刊新潮2/21号)、この無法国家を許すな! 撃墜寸前!中国軍の「宣戦布告なき開戦」(週刊ポスト3/1号)などと、まるで開戦前夜の煽りようである。悪意ある意図的な軍事挑発路線が安倍政権のもとで焚きつけられているのである。

<「憲法改正可能な状況を迎えた」>
 こうした悪煽動の結果であろうか、安倍内閣の支持率は上昇している。2/11付読売新聞世論調査では、安倍内閣の支持率は先月の前回調査から3ポイント増の71%(不支持率18%)。TBSが11日報じた調査でも前回から9・2ポイント増の76・1%(不支持22・9%)と、いずれも7割を超えている。支持率が70%を超えたのは、鳩山内閣発足翌月の2009年10月(71%)以来。経済再生策「アベノミクス」に加えて、中国艦艇による海上自衛隊護衛艦などへの射撃管制用レーダー照射に、毅然とした対応をしていることが好感されたという。読売でもTBSでも内閣発足から2回連続して上昇しているが、発足からの連続上昇は、読売では1993年の細川内閣以来だという。政党支持率では、自民党が40%を超える「独り勝ち」で、民主党と日本維新の会はともに5%程度に過ぎなかった(読売調査)。
 こうした事態の進展に気を良くしているのであろう、安倍首相は在任中の改憲に強い意欲を露骨に示しだしている。2/15、自民党本部で開かれた党憲法改正推進本部(保利耕輔本部長)の会合に出席し、憲法改正こそは自民党結党の目的だと指摘し、「大きな宿題が残されている。皆さんこそ憲法を改正する原動力になっていただきたい」と気合を入れ、自民党の改憲草案に関して「(憲法改正が)ほとんど不可能な雰囲気が漂う中、改憲草案を用意して、可能性(がある状況)を迎えた」と胸を張り、在任中の改憲実現に強い意欲を示したのである。

<「参院選勝たねば死にきれぬ」>
 そして在任中の改憲実現には、なんとしても7月の参院選に勝利しなければならない。安倍首相は2/16、自民党本部で開かれた党東京都連の会合で「私は6年前の参院選で大敗した時の責任者だ。何としてもこの参院挙で勝利を収めなければ、死んでも死にきれない」と述べ、「安倍政権はロケットスタートを切ることができたが、参院選で勝利しなければ、自民党の理念と私どもが目指すべき日本を構築するための基本的な政策に進んでいくことはできない」とその強い決意を表明、「まずは憲法第96条の改正に取り組んでいく」と述べ、衆参各院の発議要件を3分の2以上の賛成から過半数に引き下げる発議要件の緩和を突破口にして改憲に突き進む考えを明らかにしている。
 これに応えるかのように、日本維新の会の中田宏議員は2/8の衆院予算委員会で、「公明党さんがいなくても日本維新の会がいれば衆院で3分の2あります。自民党とともに大いに進めていきたい」と、安倍内閣との連携を明確に示し、安倍首相も「3分の1を超える国会議員が反対すれば指一本触れることができないのはおかしい」「まずここから変えていくべきではないか、というのが私の考え方だ。この考え方は維新の会の方針としても賛同いただけるのではないか」と相呼応し、自民・公明の連立から自民・維新の「改憲連合」がいよいよ現実のものとなる道筋が示されている。
 中国に対する危険極まりない挑発的な対決路線や「国際的非難合戦」、「集団的自衛権行使」、「防衛力増強」等々、すべては、安倍首相の念願である憲法9条改悪への地ならしとして位置づけられ、実行され、極右政治家による危なっかしい歴史の反動化が押し進められようとしている。参院選に勝利すれば、アベノミクスもそのための地ならしの道具としてのその場しのぎの本質が露呈されてくるであろう。その本質は新自由主義の弱肉強食路線であり、生活保護費削減を皮切りとする社会保障切り捨て路線であり、TPP参加に対応した農業や医療などあらゆる分野でのさらなる規制緩和路線である。
 7月の参院選までは、その本性をなるべくオブラートに包み、河野談話見直しなど、アメリカはもちろん国際的にも孤立化しかねない従軍慰安婦問題、靖国神社参拝問題、さらには原発再稼働問題などは当面はうやむやなかたちで封印をして、正面から提起することを避けてきたのであるが、参院選に勝利しさえすれば、その後3年間は、国政選挙で審判が問われることがないと、憲法9条改悪を頂点とする懸案の反動路線と新自由主義・弱肉強食路線、原発再稼働路線を一気呵成に押し進めんとする魂胆が露骨に見え隠れしだしている。「何としてもこの参院挙で勝利を収めなければ、死んでも死にきれない」という安倍首相の本音を、なんとしても許さない、こんな危険極まりない路線を孤立化させるそうした闘いこそが要請されている。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.423 2013年2月23日

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【投稿】いわゆる『核のごみ』をどうする

【投稿】いわゆる『核のごみ』をどうする
                        福井 杉本達也 

1.『核のごみ』とは何か?
 2月10日のNHKスペシャルは『“核のゴミ”はどこへ ~検証・使用済み核燃料~』という番組を放送した。『核のごみ』=『放射性廃棄物』というと、あたかも一般の『ごみ』のように焼却したり、埋立処分したり出来そうだが、原発の稼働によって生み出される『放射性廃棄物』は、「無害化不可能な有毒物質」である。核分裂によって1つの原子が2つに割れて作られた、いわゆる『死の灰』(核分裂生成物)である。原発で作られる『死の灰』には、β線やγ線といった放射線を出し、わずか数分で消滅してしまうものもあるが、セシウム137のように数百年に亘って影響を及ぼすものや、プルトニウムのようにα線という放射線を出し続けても2万4千年で半分にしかならないものもあり、その影響は、今後何世代、何十世代も先の人類に負の遺産として押し付けられる。『ごみ』・『廃棄物』という名称は相応しくなく、『放射性毒物』と呼ぶべきものである。NHKの番組でも触れられていたが、この猛毒の『核のごみ』をNUMO(日本原子力研究開発機構)は人間社会から見えないように地下に埋設処分するという計画を進めている。ところが、このNUMOが地下埋設の実験を進めている北海道の「幌延深地層研究センター」で2月6日、深さ350mで、大量のメタンガスが含まれた地下水が漏れ出し、濃度が基準を超えたことから、現場にいた作業員24人は全員避難し、1週間以上にわたって作業は中断したままになっている(NHKニュース:2013.2.14)。放射性毒物が消滅するには万年単位の時間が必要になるが、完全に隔離する構造物を作る技術は存在しない。人間の手の届かない地下深くで放射性毒物の漏洩が起これば手の施しようがない。

2.忘れ去られる福島第一原発プール内の使用済み核燃料
 1月から福井新聞は「核のごみをどうする」、中日新聞も社説で「どうする核のゴミ」という特集を組んでいるが、そもそも、福島第一原発内の膨大な使用済み核燃料をどうするのか。政府もマスコミも話題にほとんど触れたくないようである。昨年7月18日に東電は、崩壊した福島第一原発4号機燃料プールから未使用の核燃料をクレーンで空中に釣り上げて2体取り出した。しかし、これは未使用燃料だから出来たことであり、『使用済み』核燃料ではそうはいかない。もし、使用済み核燃料を空中に釣り上げれば「周辺の人がバタバタと死ぬと思います。」ただ「釣り上げてくる途中で周辺の放射線の線量がどんどん上がってきてしまいますので、容易にわかります。」(小出裕章「たね蒔ジャーナル2012.7.18」という事態になる。再処理した後の高レベル放射性廃棄物のガラス固体化1体の傍に1分間立っていると200シーベルト(Sv)被曝する。「15Sv以上で神経系の損傷による死」、「100Sv以上で急性中枢性ショック死」(『2000年版原子力安全白書』)であるから即死である。
 福島第一原発では冷却用の電源が喪失し、2011年の3月14日には3号機使用済み燃料プールで水蒸気爆発(を伴う核爆発=(建物の下から上に黒煙と共に内容物を吹き上げている。最も軽い気体である水素爆発ならば、建物上部で爆発する))、4号機では3月15日に2回の爆発があり、午前6時の1回目の爆発は建物最上階5階での水蒸気爆発(を伴う核爆発)、2回目の9時半の爆発は4階での水素爆発だといわれる(槌田敦:『福島原発多重人災・東電の責任を問う』)。結果、3号機プールには自衛隊ヘリ・東京消防庁による決死の放水も行われ、4号機プールの最悪の爆発を恐れから、最大半径250km圏の避難・首都圏3000万人の避難も想定され、横須賀から米第7艦隊の空母ジョージ・ワシントンも逃げ出す事態となった。
 福島第一原発の廃止に向けた「中長期ロードマップ」(政府・東電:2012.12.3)では、4号機建物を南側からL字型に覆う高さ53mの巨大な燃料取り出し用カバーを設置し、カバーのクレーンで、1,533体のある燃料を、1基100トンもある燃料棒が22体収納可能なキャスクを用いて13ヶ月で敷地内の共用プールに搬出するというのである。しかし、1331体の使用済み核燃料の取り出しは、瓦礫で埋まったプールにキャスクを沈めて全て水中で行わなければならない。1日に1体程度しか出来ないとすると4年もかかる。

3.日本学術会議「高レベル放射性廃棄物の処分について」の回答
 2012年9月11日、日本学術会議は「高レベル放射性廃棄物の処分について」の回答を原子力委員会に提出した。2010年に原子力委から依頼されたものであるが、途中、福島原発事故をはさみ、内容は原子力政策の大きな方向転換を促すものとなった。「回答」は放射性廃棄物の地層処分の合意形成できない根拠を、①広範な国民合意が欠如しているにもかかわらず、最終処分地選定という部分的な問題を断片的に取り上げて決定しようとする「逆転した手続き」になっている。②数万年単位の責任ある対応が要請されるものである。③「受益圏と受苦圏の分離」を伴うもので、負担の公平という点で、説得性を欠いている。④数万年間の安定性ある地層処分の適地が、わが国に存在しているのかどうかという点で、専門家の合意は存在しない。とし、(1)「暫定保管」―数十年から数百年の期間に限って回収可能性を備えた形での、(2)「総量管理」-「総量の上限の確定」と「総量の増分の抑制」=何らかのテンポで脱原発政策を採用すること、(3)「多段階の意思決定」-最終処分場の立地点選定という個別的問題に取り組む前に、大局的な政策の方向や、重視すべき判断基準や対処原則について、段階的に合意を形成していくことを提案している(舩橋晴俊「高レベル放射性廃棄物という難問への応答」『世界』2013.2)。
 その上にたって、舩橋氏は(A)自圏内対処の原則-自分の電力供給圏域外に放射性廃棄物を排出せず、各電力会社の供給圏域内に「暫定保管」施設をつくる。(B)核燃料サイクル政策からの撤退(①六ヶ所村再処理工場の下に活断層の可能性、②高速増殖炉(もんじゅ)の技術的不可能性、③経済的浪費、④脱原発との整合性がない、⑤余剰プルトニウムによる国際的非難 の観点から)を提起している(舩橋:同上)。

4.核燃料サイクル政策からの撤退は可能か?
 2012年9月、当時の民主党政権は「原発ゼロ政策」とともに「核燃料サイクル政策からの撤退」を掲げようとしたが、米仏を中心とする国際核支配体制の圧力によって潰されてしまった。そのため、民主党の脱原発政策は全く整合性のないものとなってしまった。
 米国自身はカーター政権下で国内再処理、核燃料サイクル政策を中止し、使用済み核燃料は、中間貯蔵施設に30~50年貯蔵した上で、高レベル廃棄物のガラス固化体と共にユッカ・マウンテン(ネバダ州)の深地層埋設処分地に処分されることとなっていた(再処理しないワンスルー方式)。しかし、これもオバマ政権下で2009年にネバダ州の強い反対により白紙になり、米原子力規制委員会は、当面、放射性廃棄物を原子力プラントの場所に貯蔵しつづけると決め、2048年までに新たな最終処分場を計画することとしている。したがって、米国の核政策としては、危険な再処理施設は日本で動いてくれることが好都合なのである。日本の再処理工場を基点としてアジアの核政策を行えばよいからである。
 福島第一の3号機・4号機の爆発が核燃料プールの水蒸気爆発(を伴う核爆発)であるとするならば、使用済み核燃料をプール水中に貯蔵する「湿式」貯蔵方式は、圧力容器も格納容器もない裸の超巨大原子炉(100万KW級原発の2~3倍)が突然出現することとなるため、極めて危険なものである。米国の使用済み核燃料は日本と同様の「湿式」方式が多数を占めており、核燃料プールの爆発原因が公になれば、多くの原発を停止してしまわなければならなくなる。また、監視ができないだけに、地下埋設もその安全性を根底から揺るがす恐れがある。
 日本としては、独自核武装のためにプルトニウムを取り出すという馬鹿げた再処理計画=米国の核政策の下請けを止め「乾式キャスク」による「暫定保管」方式に早急に移行することである。そうしなければ、また菅直人元首相が驚愕した250キロ圏=3000万人避難の再来=日本の滅亡ということになる。決して、独自核武装論者やアーミテージやナイ、マイケル・グリーンなどの口車(日経:「第3次アーミテージ・ナイ・レポート」2012.8.16)に乗ってはならない。 

 【出典】 アサート No.423 2013年2月23日

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【書評】レッドアローとスターハウス—もうひとつの戦後思想史—

【書評】レッドアローとスターハウス—もうひとつの戦後思想史—
          (原 武史著 新潮社 2012年09月30日 2000円+税) 

 1960年代、それは高度成長期の真っ只中であり、経済の拡大は大量の労働力を必要とした。地方から大量の労働力が都市へと移動した時期である。昭和で言えば35年から45年だが、この時期都市部の関東ではひばりが丘団地や、関西では千里ニュータウンなどの大規模団地が、これら都市へと移動する労働者に対して、住宅を供給したのである。
 本書は、都市圏の大規模団地建設と労働者の移動、それを支えた私鉄資本の戦略、そして団地自治会に代表される住民運動と社会運動の発展、そして現在、それらが高齢者住宅となりつつある現実を、西武鉄道(池袋線と新宿線)とひばりが丘団地他に焦点をあて、「もうひとつの戦後思想史」として、描き出そうとしている。

 1915年4月、西武池袋線の前身の武蔵野鉄道(池袋-飯能間)が開業、1927年に旧西武鉄道(現・西武新宿線 高田馬場-東村山間)が開業している。そして、1945年9月二つの鉄道と食料増産という三社が統合して、西武農業鉄道となり、1946年に西武鉄道となった。
 首都圏は、全国と比較して鉄道利用が圧倒的に多く、西武鉄道は、都内から埼玉県を結び、JR(国鉄)との競合もなく、沿線開発を一手に進めることができた。鉄道・バス・百貨店・スーパーなどまさに西武の一元支配地であった。書名のレッドアローとは、西武鉄道の座席指定特急電車の愛称であり、団地から都心への労働者の通勤を支えた。スターハウスとは、日本住宅公団建設の星型住宅の愛称である。
 
 ひばりが丘団地は、現在の西東京市と東久留米市にまたがり、建設当時は総戸数2714戸の賃貸団地である。最盛期には9000人が暮らした団地人口は、2008年には、2300人に落ち込んでいる。結核病院である多摩全生園も1200人以上の患者が住んでいたが、2008年には323人に激減、いずれも高齢化などが要因という。
 
<赤い病院と患者同盟>
 清瀬周辺には、田園地域や赤松の林の中に、結核病院が数多く建設されてきた。人口の半数が患者と言う時期もあったという。戦後、患者達は権利主張を強め、それは日本共産党の影響下にあった。患者同盟の活動である。患者の中には文化人・知識人も多い。
 清瀬地域は、そんな影響もあって1950年年代、共産党の支持率、得票率は高かった。石堂清倫も、1954年に清瀬に居を移し、共産党離党後も、ここを拠点に活動を続けた。
 
<不破・上田兄弟と中野区>
 西武新宿線に野方と言う駅がある。旧野方村は現在中野区である。中野区も共産党の力が強く、1949年の総選挙では、22.5%が共産党に投票したという。この地域も、西武線の開通によって人口が急増した。著者は、1950年代以降、団地を中心に共産党が力を付けていく以前に、西武沿線で市民活動が盛んであったことを記すため、不破兄弟も関わった「中野懇談会」について頁をさいている。中野区出身に、不破・上田兄弟がおり、学齢期を過ごしている。父親が教育論者であったこともあり、高校時代に共産党に入党している。 中野懇談会の活動に上田は参加している。中野懇談会は、1953年のサンフランシスコ講和条約に反対する市民組織として発足し、左右を問わず、市民組織として平和運動・原水禁運動にも取り組んだ。当時上田は人民戦線的組織と位置づけ、共産党居住細胞に所属しつつ、地域の活動にも精をだしていた。当時の所感派と一線を画しており、「戦後革命論争史」もこの頃と同時並行の所産であろう。もちろん、上田はその後自己批判し、「幅広主義」を放棄することになる。
 
<社会主義と集合住宅>
 著者は、集合住宅の歴史についても触れている。ドイツで1920年代に集合住宅が作られ始め、規格化された住宅群が現する。ソ連でも多数の労働者のための集合住宅が造られる。1960年代に西武沿線に日本住宅公団による集合住宅が多数建設され、「西武的郊外」風景となる。(東急沿線では、大泉田園都市などのような1戸建住宅群が開発された。)
 ソ連の集合住宅と日本のそれが、よく似た風景を持っていると著者は指摘する。ヨーロッパ・ソ連で1戸建は贅沢として「社会主義的」な集合住宅が建設された経過はあるようだが、日本の場合、検証は難しいと著者は言う。私も、思想・イデオロギーの問題と言うより、不足する住宅を安く提供する方法として、集合住宅(団地)が大量に建設されたというのが真相だろう。
 
<続々建設される集合住宅>
 1958年には、荻窪団地(875戸)、武蔵野緑町団地(1019戸)、多摩平団地(2792戸)、大阪では枚方市香里団地(4881戸)など、日本住宅公団による大規模団地建設が始まる。1958年から62年にかけて、新宿線久米川駅周辺に、総戸数1970戸の都営久米川団地が建設される。さらに、59年9月新所沢団地の入居が始まり、総戸数は2455戸であった。都内の木賃アパートから、人々は競って公団住宅に殺到した。
 そして、西武池袋線沿線最初の大規模団地、ひばりが丘団地も1959年に完成している。総戸数は2714戸。4階建が76%となった。この時期、皇太子の結婚、そして安保闘争の時期でもある。大団地が次々と出来ていく時代はまた、政治の時代と重なっていく。
 
<子育て世代が大量入居>
 皇太子が見学に訪れたこともあり、ひばりが丘団地は有名になった。子育ての若い世代が続々入居したが、住んでみると問題も多かった。それは、保育所がない、バスが不便だ、等々、その声は団地自治会結成に繋がっていく。公団や西武鉄道・バスと交渉して改善策を出していく。60年の第二団地完成とともに、当時鉄鋼労連の書記だった不破哲三(上田健二郎)もひばりが丘団地に入居し、団地自治会に関わっている。69年に衆議院選挙に初立候補するまで、ここに住んだという。
 西武の運賃値上げ反対運動や横田基地に反対する運動など、団地生活改善の運動の中、政治意識の高まりを背景に、団地住民を中心にした政治参加は盛んだったという。
 それは、共産党への支持増大となった。60年代の久留米町では、衆議院選挙のたびに共産党の得票率が増えていった。60年6.8%、63年8.7%、67年12.4%、69年21.3%であった。
 共産党も、67年4月には独自の団地政策を発表している。赤旗まつりも、1962年第4回から西武線の狭山公園で開催された。(75年まで)
 
<世代交代とコミュニティの薄れ>
 しかし、集合住宅第一世代の高齢化、クルマ社会への変化、そして更に大規模なニュータウンの建設の中で、団地コミュニティは薄れ始める。60年代の高度成長を背景とし、比較的均質な居住者・労働者意識により形成された団地住民の共産党と結びついた運動は停滞していったという。創価学会が、団地対策に取組みだしたことも関係している。
 「89年から91年の東西冷戦の終結とソ連の崩壊、それに伴う社会主義の凋落は、日本における社会主義勢力の退潮を招いたばかりか、首都圏の私鉄郊外の住宅地にもじわじわと影響をもたらした。その最も鮮やかな対照は、共産党の支持基盤となっていた西武沿線の団地人口の減少や高齢化、分譲価格の下落と、新自由主義の支持基盤となる東急沿線の住宅地における若年層を含む人口増加、地価上昇ということになろうか。」
 
 私も仕事柄、同様の公団団地の自治会史を読んだことがある。昭和40年前後に、大阪府の郊外に数千戸を有する団地群が出現したが、周辺の整備は追いつかず、買い物もできない。自治会活動が活発になり、行政交渉や盆踊りなど、地域活動も盛んになった。公団団地に入居してきたのは、大企業の労働者が多く、組合活動の経験もある。勢い、共産党系住民が自治会の中心となり、自治体選挙などにも介入した。しかし、現在、市内でも飛び抜けて高い高齢化率の地域となっている。
 ニュータウンの再生が言われて久しいが、夫婦と子どもの3,4人家族を想定した団地が、過去の社会状況の中では意味を持ったのだろう。安定した雇用環境にある労働者は少なくなった。駅の近くにワンルームマンションが増え、高齢者向けの賃貸住宅が増え続けている。時代の変化の中で、新たな住宅政策、社会政策が求められている。
 私は関西の人間だが、東京の西武線に焦点をあて、社会構造の変化と、政治・意識の変容を丹念に紐解く本書は、読み物としても大変面白い内容である。一読されたい。(2013-02-17佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.423 2013年2月23日

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【日々雑感】いい年の取り方、生き方 —菅原文太氏に学ぶ— 

【日々雑感】いい年の取り方、生き方 —菅原文太氏に学ぶ— 

 私の菅原文太という人についての認識は、単にアクション映画、ヤクザ映画のスター位の認識でした。ところが、私の知人から「文太は、なかなかいいよ、考え方もしっかりしているし、特に3.11以降の彼の言動は、すばらしい」と聞いておりましたので、私も文太氏についての認識を新たにして見ておりました。先月もテレビで文太氏が放映されており、「農業が第一、農業が基本だ。」と言われていた、文太氏の主張にはまったく同感で、うれしくなりました。氏は、今、山梨県で農業生産法人代表を努めておられ、農業活動にも携わっておられるとのこと。
 先日も、2013年1月25日(土)の朝日新聞夕刊、「人生の贈り物」というインタビュー記事で、写真入りで紹介されておりました。その写真の横には、「–有機農業者の輪を広げる菅原さん。「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんと。」との添え書きがあり、お二人が並んで微笑んでおられる1枚でした。
 次に、私見が混じり、紙面を汚すのは勿体無いので、インタビューの全文を以下に引用させていただきます。

 「人生の贈り物 俳優・農業生産法人代表 菅原文太(79)」
  風潮に流されず、自分の足で立て
 –反原発を訴えられていますね。
 原発が人間にとって悪いことは誰にだって理解できる。福島県の原発被災者だって、戻りたい人々の気持ちはわかるけれど、ほとんど半永久的に住めないんじゃないかな。まして農業なんてできないよ。事故になればこうなることは造る前から学者達には分かっていたはず。原発建設に関わった学者達は、純粋な学問じゃなく、研究費をもらって電力会社や国に加担してきたんだからはっきり言えないわけだろ。
 –マスコミもですか。
 そう。マスコミも加担者。原発は危険だと知らしめてこなかったわけだから。チェルノブイリやスリーマイル島の事故が起きても、我が国でも起きると真剣に考えなかったんだろうね。今になってもこういう可能性もあれば、こういう意見もある、なんて曖昧な報道をしている。善悪をはっきり言えない。経済の問題もある、とかさ。福島だけの問題じゃないんだ。原発が脅かしている命は、日本、世界、地球、宇宙につながっているんだから。海外からもはっきり言えないのは、先進国全体が人の命より経済優先のシステムになっているから。
 –原発以外の社会問題も勉強されていらっしゃいますね。
 ニッポン放送で、日曜の朝5時半から「菅原文太 日本人の底力」という番組をもう10年近く続けている。毎回、次のゲストを考え、その人の本を1冊や2冊読んでから収録しなきゃならない。だから自然に勉強するんだ。
 –若い人にも勉強してほしい?
 そうだね。財布に入れて持ち歩いているこの記事を見て。イタリアで、人気芸人が毒舌で腐敗した政府を批判する「5つ星運動」をして、政党を立ち上げたら、第2の人数の政党になったという記事だ。日本の若者達にも、周囲の人や風潮にひきずられず、自分の足で立ってほしい。今の日本は明らかに右傾化している。世の中に蔓延する不満を巧に誘導している勢力に若者が迎合しつつある。このままいけば、燃えやすい紙にライターで火をつけるようにパッと燃え始め、あっちでもこっちでも火がついて一気に危険な方向に行ってしまう。究極のナチズム。戦艦大和をカタカナの「ヤマト」で知る世代が危なっかしい。
 –戦争を知らない世代へのメッセージは?
 スズメのように大勢が群れて目先のことでパタパタしないで、タカやワシのように遠くまでたった一羽で飛び、大きく羽を広げて世界を見てほしい。都会から時々観光で田舎のにおいを嗅ぎに来るだけじゃなく、いのちを身体で感じてほしい。そうしないと日本だけじゃなく地球の未来も危ないよ。(終わり)
 
 長い文章になりましたが、どうです皆さん。79歳といえば、世間では言えばもういいおじいさん、いい年のとり方、生き方をされているなあと、菅原文太氏に学ぶ思いで記事を読ませていただきました。(2013年2月14日早瀬達吉) 

 【出典】 アサート No.423 2013年2月23日

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【投稿】民主党綱領(素案)を読んで

【投稿】民主党綱領(素案)を読んで

 民主党は、2月24日に党大会を開催する。先の総選挙での大敗を受けて、党改革創生案・党綱領が大会で提案されると報道されている。民主党のHPで、文案が確認できるのは、2013年2月8日付の民主党綱領(素案)のみである。党改革創生案は、表題のみ明らかにされている。そこで、民主党綱領(素案)を読んだ感想を以下に、記してみたい。
 
<決意が見えない前文>
 正直な感想は、余りに短時間で作られた事もあろうが、あまりに抽象的表現が多く、インパクトに欠け、何を言いたいのか、意味不明な文章であると言う点に尽きる。
 前文は、高齢化や新興国の抬頭によって、国民に閉塞感・不安感が生まれ、さらに東日本大震災と福島原発事故により、生き方や科学・技術・物質文明のあり方まで問い直している、として、「大きな変革期を迎えた今、公正・公平・透明なルールのもと、生きがいを持って働き、互いに負担を分かち合う持続可能な社会を再構築しなければならない。そして政党と国民が信頼関係を築かなければならない。」と続く。
 これが前文の中心である。何か、訴えるものがあるのか。「公正なルールの下で生きがいをもって働き、互いに負担を分かち合う持続可能な社会の再構築」とは何をいうのか。
 すべての勤労者の均等待遇を実現する、とした方が立場が明確になると思うが、「負担を分かち合う持続可能な社会」とは、消費増税を推進したことを基礎にしているようだが、貧富の格差拡大に対して所得再配分を進める税制改革を意味しているようには思えない。
 
<「既得権や癒着の構造と闘う改革政党」>
 次に、「私たちの立場」として、「我が党は、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つ。」として、改革政党云々と続く。4つの羅列で何が言いたいのか。生活者と働く者で十分なのではないか。むしろ加えて、大企業や株式会社ではない、社会的起業者を加えて、新たな社会の仕組みを築く、ぐらいはあってもいいのではないか。
 
<共生社会をつくる>
 最後に、「私たちの目指すもの」として、一共生社会をつくる、二国を守り国際社会の平和と繁栄に貢献する、三憲法の基精神を具現化する、四国民とともに歩む、の4項目が示される。
 共生社会云々は、抽象的表現ながら、そこそこまとまっている。しかし、「国を守り云々」の第2項は、日米同盟の深化・自衛力を着実に整備と続き、完全に「右派」に配慮した内容である。
 憲法課題の第3項では、日本国憲法の基本精神を大切にしながら、「未来志向の憲法を構想していく」とし、これも「改憲志向」派を意識したものであろうか。
 
 党綱領と言っても、これだけのA4、2枚である。そこで曖昧にされているのが、新自由主義・グローバリゼーションの評価、平和志向とアジアとの向き合い方、非正規労働蔓延への基本的態度であろう。改憲派に擦り寄り、非正規労働への態度を曖昧にし、消費税増税を既定のものとする内容である。これでは、現在の自公勢力に対抗できるはずもない。せめて社会民主主義的な政策を並べた方が立ち位置が明確になると思われるが。(佐野) 

 【出典】 アサート No.423 2013年2月23日

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【投稿】薄氷の上で踊る安倍政権

【投稿】薄氷の上で踊る安倍政権

<<「価値観外交」>>
 いよいよ安倍政権の危険な正体が露呈し始めたようである。7月の参院選までは国内情勢や未だ自民党にとって不十分な力関係を踏まえて、露骨な対中軍事力強化路線や9条改憲路線を抑えているかに見えていた。しかし衆院絶対過半数を獲得して舞い上がってしまって抑えきれなくなったのか、あるいはその軽薄な思慮なき本性から吹き出したのであろう、安倍首相はまずもって海外から、「価値観外交」なるものを掲げて、対中国軍事力強化・「中国封じ込め」路線を東南アジア諸国訪問の中で早々と打ち出し始めた。麻生副総理をミャンマーに、岸田外相はフィリピン・シンガポール・ブルネイ・オーストラリアに、そして自らはベトナム・タイ・インドネシアへの歴訪であった。
 そして1/18、安倍首相は最後のインドネシアのユドヨノ大統領との会談で、両国の安全保障問題を討議する中で首相任期中に憲法改正を目指す考えを表明し、「国防軍」を保持するなどとした自民党の新憲法草案について説明したというのである。「国防軍」などというおどろおどろしき、日米共同軍事作戦と軍事介入を可能とする軍事力増強・緊張激化路線を、「自由と民主主義を基本とし、自由と民主主義を共有する国との友好関係をつくる」という、同じ「価値観」を持つ諸国と同盟し、この原則に合致しない中国のような国に対してはこれを軍事的に包囲するという、極めて危険極まりない路線を公然と打ち出したのである。全世界の世論、とりわけアジア諸国の世論は決してこのような危険な動きを見逃さないであろう。
 問題は、安倍首相がこともあろうに日本帝国主義の軍部=「国防軍」が軍事侵略を欲しいままにし、「従軍慰安婦」など筆舌に尽くしがたい惨禍を与えたその舞台である東南アジア諸国歴訪の中で、それらになんの反省も言及もなく、ただ「平和主義は継承しつつ」というお題目を付け足しただけで、憲法9条改悪と自衛隊の「国防軍」への昇格、軍事力増強路線を合理化するという、これまでどの歴代首相の誰もが手を付けなかった路線に踏み出してしまったことである。安倍首相には、そうした歴史的反省と恥の概念が完全に欠落した軽薄さだけが浮き彫りになり、それが全世界に発信されたのである。
 ここに、本来堅持すべき体制の異なる諸国とも平和的善隣友好関係を維持するという、これまで日本を含め圧倒的多数の国が堅持してきた平和共存政策が捨て去られてしまったといえよう。
 しかしこのような危険な路線は、どのような理由付けをしようと持続できるものではなく、政治的・経済的に孤立化し、修正せざるを得ないか、遅かれ早かれ破綻せざるを得ないものである。

<<「安倍氏の恥ずべき衝動的行為」>>
 安倍首相は、本来、まずはワシントン詣でをして、オバマ大統領との日米首脳会談からの始動を予定していた。それがたとえ参勤交代と言われようが、これまでの日本の歴代首相の通例であった。しかし、前野田政権以上の「日米同盟」の深化を掲げ、米軍事政策の最も忠実な首相の誕生としてすぐさま大歓迎されるであろうとの予測に反して、「1月は時間が取れない」と外交ルートを通していとも簡単に安倍首相の訪米が断られてしまった。安倍、麻生、ともにブッシュ政権や米共和党・ネオコンの産軍複合体路線の面々とは密接であれども、オバマ政権や民主党とは疎遠である。面子丸つぶれで外務省の無能さを怒りなじってはみたものの手遅れであった。その結果が裏返しとしての今回の東南アジア「価値観外交」であった。
 しかしこの問題の背景に横たわっている、安倍政権の歴史観問題が、実は重大な安倍政権のアキレス腱となる様相が濃厚となってきている。
 ニューヨーク・タイムズ1月3日付社説「日本の歴史を否定する更なる試み」は、日本の植民地支配と侵略に「心からのおわび」をのべた村山富市首相談話(1995年)を「未来志向の声明」に置き換えたいとしていることや、日本軍「慰安婦」問題で旧日本軍の関与と強制を認めた河野洋平官房長官談話(1993年)を見直すとしていることを紹介し、「自民党のリーダーである安倍氏がどのようにこれらの謝罪を修正するのかは明らかになっていないが、彼はこれまで、日本の戦時史を書き換えることを切望していることを全然秘密にはしてこなかった。こういった犯罪を否定し、謝罪を薄めるようなどのような試みも、日本の戦時中の残忍な支配に被害を受けた韓国、そして、中国やフィリピンをも激怒させることであろう。」「安倍氏の恥ずべき衝動的行為は、北朝鮮の核兵器プログラム等の諸問題において、地域における大切な協力関係を脅かすものになりかねない。このような修正主義は、歴史を歪曲することよりも、長い経済不況からの回復に集中しなければいけないこの国にとって、恥ずかしいことである。」と厳しく断罪している。
 社説で指摘しているように安倍首相は、第一次安倍内閣当時、従軍慰安婦問題について「強制性はなかった」とする国会答弁を繰り返し、訪米中の安倍首相に対するアメリカ議会の強硬な反発に直面して、ブッシュ大統領との共同記者会見で「人間として、首相として、心から同情し、申し訳ない思いだ」との謝罪に追い込まれた前歴を持っている。それにもかかわらず、安倍氏は、自民党総裁に返り咲いた直後の昨年11/4付米ニュージャージー州地元紙「スターレッジャー」への意見広告で名を連ね、「女性がその意思に反して日本軍に売春を強要されていたとする歴史的文書は…発見されていない」「(「慰安婦」は)『性的奴隷』ではない。彼女らは当時世界中のどこにでもある公娼制度の下で働いていた」などと性懲りもなく恥知らずな主張を展開しているのである。この意見広告は、桜井よしこ氏らでつくる「歴史事実委員会」名で出され、その後、首相に就任した安倍晋三自民党総裁や閣僚になった古屋圭司、稲田朋美、下村博文、新藤義孝氏らが署名、内閣官房副長官になった世耕弘成氏、首相補佐官になった衛藤晟一氏や自民党政調会長の高市早苗、山谷えり子、義家弘介氏らも賛同している。つまりは安倍個人ばかりか、安倍政権の主要閣僚、執行部そのものがこのような恥ずべき歴史修正に乗り出しているのである。
 こうした事態の進行にオバマ政権は1/7、米国務相のヌランド報道官が記者会見で、「米国は歴史認識の問題について友好的な方法で、対話を通じて解決するよう望んでいる」とし、安倍政権が旧日本軍の従軍慰安婦の強制連行を事実上認めた「河野談話」など過去の歴史認識の見直しを検討していることに懸念を示し、「東アジアすべての国が歴史認識や領土の問題を対話を通じて解決するよう注視したい」と明らかに安倍政権に釘を刺している。安倍首相の訪米が2月に延期されたのは、まさに「頭を冷やしてこい」とのメッセージでもあろう。
 さらに重要な動きとして、ニューヨーク州上下両院の議員が、旧日本軍の従軍慰安婦問題は「20世紀に起きた最大規模の人身売買」だとして、被害女性らへ謝罪するよう日本政府に求める決議案を両院それぞれに提出している。この問題について米国では、1999年にカリフォルニア州議会上院が決議、2007年に連邦議会下院で決議が採択されており、今回の決議案も、2007年に連邦下院で可決された日本政府に公式謝罪を求める決議を支持して、「歴史的責任を認め、未来の世代にこれらの犯罪について教育する」ことを日本政府に求めている。現在の安倍政権では、この決議通過を阻止できないであろう。2月訪米前に手を打てるのかどうか、米政権と米社会の注視の前に、安倍首相は薄氷を踏む思いであろう。

<<「バック・トゥ・ザ・フューチャー」>>
 同じような指摘は全世界から出されており、オーストラリアのカー外相は、岸田外相との会談後の記者会見で、従軍慰安婦問題に関する河野談話の見直しについて否定的な考えを示し「93年の河野談話は近現代史のなかでも最も暗い出来事の一つと認識している。豪州としては、見直しが行われることは望ましくないと考えている」と明確に指摘している。また、1/5付英誌『エコノミスト』は「日本の新内閣 バック・トゥ・ザ・フューチャー」と題して「安倍晋三が組閣した ぞっとするほど右寄り内閣が、この地域に悪い兆し」、「新政権の真の性質は“保守”ではなく、過激な国粋主義者たちによる内閣だ」と指摘する事態である。
 明らかに安倍政権は、国際的には、第二次世界大戦の教訓を踏みにじらんとする異質な政権として孤立しつつあり、世界の孤児になりかねない、その船出は危なっかしい限りの事態を迎えている。
 この危なっかしい政権は、そもそも確固とした安定性が欠落しているのである。
 まず第一に、先の総選挙で自民党が大勝したというが、自民党の長期低落傾向が阻止されたわけではなく、その得票率は27.7%で過去最低を更新したのである。59.32%という過去最低の投票率の中で、自民党は09年に民主党に惨敗した総選挙よりも、今回は獲得票数を小選挙区でさらに165万票も減らし、比例区では219万票も減らし、この比例代表では1996年の導入以来、最低の得票率16%にすぎないのである。「圧勝」どころか有権者全体の多数の支持を得たとはとても言えない結果なのである。それにもかかわらず、議席では小選挙区で79%、比例区で32%の議席を獲得できたのは、小選挙区制度の歪みのおかげと、民主党が自爆・自滅し、野党がバラバラで、棚からぼた餅式に転がり込んできたきわどい一時的勝利にしか過ぎない、不安的極まりない実態がその本質なのである。
 そして第二に、こうした不安定性を打開する決め手として、領土ナショナリズムを煽りそれに便乗した、集団的自衛権の合法化・9条改憲・国防軍創設・軍事力強化・歴史修正主義の路線を前面に登場させて世論形成をなさんとしているが、この路線はアジアはもちろん、世界からの孤立化路線であり、継続すら不可能な、政治的・経済的に破綻が明確な路線にしか過ぎない。
 第三に、これを補うものとして、デフレ脱却・インフレ目標設定路線を打ち出したが、これは明らかにこれまでの小泉政権時代、第一次安倍政権、そして民主党の菅政権から野田政権に引き継がれた財務省主導の縮小均衡・財政緊縮路線からの転換であったが、いざ出発という段になると、小泉構造改革のリーダーだった、地方切り捨て・新自由主義・規制緩和・競争原理至上主義者の竹中平蔵氏を登用したことによって、その先行きは途端に怪しくなってきた。主導権は竹中ら弱肉強食・市場万能主義路線に奪われ、早速、最低賃金を抑制し、年金、社会保障給付の水準を引き下げる生活保護費の削減を強行せんとしている。公共事業バラマキに群がる大手独占企業を潤せども、デフレ脱却に欠かせない、非正規雇用を減らし、賃金・所得を引き上げ、「ワーキングプア」を減少させる政策は検討対象外で、社会保障制度を解体する路線が前面に出ようとしている。貧困拡大に拍車をかける庶民の窮乏化政策はデフレ脱却政策とは全く相反するものである。ここでもアベノミクスはおぼつかない不安定そのものの姿を現している。
 第四に、真のデフレ脱却のためには、財政緊縮路線の呪縛を断ち切って、新自由主義路線と決別して、東日本大震災からの復旧・復興、原発事故を封じ込める脱原発路線、新たなエネルギー戦略への転換、社会資本インフラの再生、医療・介護・教育や社会的セーフティネットの再生と投資、雇用の拡大、といった、これまでの自公路線とは本質的に異なった新たなニュー・ディール政策をこそ大胆に提起し、財政をそれらに総動員するデフレ脱却路線をこそ打ち出すべきであった。しかし第二次安倍政権はこの点においても、あいも変わらぬ原発再稼働、原発維持・拡大路線を改めて表明することによって、原発震災の教訓を何ら汲み取ることができず、圧倒的多数の脱原発の世論を無視し、拒否することによって、安倍政権は有権者といつ襲い掛かるとも知れない自然からの巨大なしっぺ返しに怯え続けなければならない不安定さの渦中にあるといえよう。
 安倍政権は、野党勢力の不甲斐なさによって助けられているが、その実態は、まさに薄氷の上で不安定極まりない踊りを演じているのだといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.422 2013年1月26日

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【投稿】『経済成長至上主義』の幻想を捨て、脱原発を

【投稿】『経済成長至上主義』の幻想を捨て、脱原発を
                             福井 杉本達也 

1 『定常社会』を描ききれない日本
 昨年末の総選挙で脱原発を志向する政党・議員は壊滅的な打撃を受けた。原発推進側は団結し、脱原発側は分裂したままであった。今回の大敗北は鳩山政権の目指した方向性を根底からひっくり返し米国に売り渡した菅直人・それを継承し(脱原発を除いて)、官僚の操り人形と化した野田佳彦らの責任によるものだが、小沢裁判を始めとする不当な司法権力の介入。準備が整わぬ間に『自爆解散』の先手を打たれたこと。全マスコミのプロパガンダの影響。尖閣問題などナショナリズムへの焦点反らし。政党交付金など政治資金を抑えられてしまった等々の様々な要因があろう。しかし、その根底には日本国民がまだ『経済成長至上主義』の“神話”から抜け出しきれないところにあるのでなないか。
 宇野裕日本社会事業大専務理事は「その背後には、原発の恐ろしさは知りつつも生活条件の悪化への不安を払拭できない国民の複雑な心理があるように思われる」と述べているが、それに引き続き「エネルギーシフトの過程では…コストの上昇は避けられない。それでもなお成長できること、むしろ、エネルギーシフトを図らなければ持続的な成長はできないことについて、より説得力ある説明ができなかったものかと悔やまれる」としつつ、「3.11後、日本でも『定常社会』を目指す途が選択肢として登場してきた。…しかし、『定常社会』が『成長なき社会発展』を直ちに実現しようとすることは政治的に受け容れられないだけでなく、経済的にも現実的ではない。…経済成長がなければ、多くの国民は、所得が増えないのに税や社会保険料の負担は増えることを甘受しなければならない。…一定程度の経済成長を確保しないと社会保障制度を維持するのは難しい。」「高齢化のピークを迎える2050年過ぎまで…どうやって乗り切るか、…福祉産業を中核に据えることで必要な成長を確保しよう」「人口構成が定常状態になれば、成長は必ずしも必要なくなる。その時初めて『定常社会』の条件が整う」(宇野:「ますます『福祉立国』しか選択肢がなくなった日本」『世界』2013.2)と「経済成長」の必要性を説く。選挙公約で、自民党・維新は「3%成長」、みんなの党は「4%成長」、民主党も「デフレ脱却」、日本未来の党は「経済の活性化」、共産党でさえ「経済成長」の新聞広告を掲載した。しかし、なぜ「エネルギーシフトを図って持続的な成長」をしなければならないのか。宇野を含め「成長産業」は“希望的観測”以上のものではない。社会が定常状態となるまでは『成長なき社会発展』は政治的に受け容れられず、経済的にも現実的ではないのかどうか。

2 グローバリズムの終焉
 1月16日の新発2年物国債利回りは0.080%であった。金融機関が日銀に預ける当座預金金利を0.1%からゼロ金利にするとの観測で下がったためであるが、実に7年半ぶりの低水準である。低金利とは、現行のシステムではもはや利潤が得られないということである。企業にとっては有望な投資先がないので、資金の借り入れをしない。膨大な資本があるが、借り手がいないので金利が低下するのである。したがって、余った資金は国債に向かうしかない。ちなみに、同16日に財務省が行った5年物国債(表面利率0.2%)の応札倍率は3.44倍である。「長期金利は企業の利潤率とほぼ同じ概念ですから、長期的に企業の利潤率が低下してきていることの反映です。企業利潤率の上昇=投資が積極化=需給が逼迫=物価上昇という関係が成り立たなくなった状態ですね。02年2月に始まった戦後最長の景気拡大局面(07年10月までの69カ月間)でも、2%を超えることはありませんでした。」と水野和夫は解説する。(水野:「日本人よ、もう欲張るのはやめよう」『エコノミスト』2011.6.21)成長願望にもかかわらず、経済は既に『定常状態』に入っているのである。
 これまで「日米欧の一握りの先進国が途上国から安く資源や食糧を買い付けて、それを加工して大きな利益を手に入れてきました。技術進歩や経済成長先には必ず幸福があると国民が信じて疑わず、現実にそうなった幸せな時代でした。」(水野:同上)。「世界の中心である自分たちの経済システムが及んでいない辺境を見つけては、システムに持ち込もうとする。都合良く辺境を取り込んでは、そこから富を「蒐集」」(水野:対談「鎖国シンドローム」『青春と読書』2012.11)してきた。しかし「蒐集」しようとする辺境が無くなってしまった。追いかけるものが無くなってしまったのである。実物経済に投資先を失った資本は金融資本に向かい、金融投機によりキャピタル・ゲインを獲得し低下する利潤率の回復を図ったのである。1995年、米国は国際資本の完全移動性を実現させ、世界の余剰貯蓄を自由に米国が使える仕組みを構築し、1999年に金融近代法を制定し銀行証券分離を撤廃し自由化を完成させた。これがいわゆる「強いドル政策」であり、「グローバリズム」の中身である。この間、世界の金融資産は63.9兆ドル(1995年)から187.2兆ドル(2007年)へと3倍も膨張した。結果、2007年のサブプライムショック・2008年のリーマンショックを引き起こし、自壊することとなったのである。(水野:『世界経済の大潮流』)

3 「アベノミクス」の根本的勘違い
 2008年にグローバリズムは実質的に崩壊した。「世界市場の統合による内外価格差縮小を通じて日本だけでなく。先進国は長期のデフレとなるでしょう。その一方で新興国が経済発展し、インフレ経済となる。16世紀から続いた先進国優位の経済発展、インフレの時代は終わったのです。これからは景気の善し悪しとは無関係に先進国では賃金が下落するでしょう。景気回復と国民の生活水準の向上が同義語ではなくなりました。」と水野は述べる。(水野:同上2011.6.21)また、「ミスター円」元大蔵省財務官の榊原英資は「超低金利はグローバリズムと資本主義の終焉を意味していますね。世界はそのことに気づかないふりをしながら、まだまだ前進しようとしている。」という。(榊原:同上対談 2012.11)
 しかし、政権を奪還した安倍首相は「アベノミクス」政策を打ち出した。20兆円の財政政策による公共投資と日銀による「大胆な金融緩和」・円安誘導による輸出ドライブ政策である。これにより、「デフレ脱却」し、「インフレ目標を2%」にするというのである。新聞はこれで60万人の雇用を創出すると持ち上げた。(福井:2013.1.13)また、海外ではノーベル経済学者のクルーグマンも「安倍首相が目指す経済政策について『深く考えてやっているわけではないだろうが、結果的に完全に正しい』と“評価”した。」(NYT 2013.1.11―毎日:1.14)。しかし、結果は既に見えている。「大胆な金融緩和」と「円安」は日本の金融資産を米国に持ち出すものである。米国は「財政の崖」といわれる財政赤字を補填するために米国債を購入してもらう必要がある。日本の金利を“ゼロ”に抑えることによって、相対的に高めの米国債を買うように誘導することにある。「外債購入ファンド構想」という見出しでBloomberg日本語版は「日本経済を支えようと円安を誘導するため米国債を買い入れようとしている安倍晋三首相は、米国債の投資家の中でも米国の無二の親友となりそうだ。野村証券と岩田一政・元日本銀行副総裁によれば、安倍首相が総裁を務める自民党は50兆円に上る公算の大きい外債を購入するファンドの設置の検討を表明。JPモルガン証券は総額がその2倍になる可能性もあるとしている。」(2013.1.16)と報道している。岩田は『日経ビジネス』紙上で「日銀は外債50兆円を購入せよ」と述べ、小泉政権下に置いて「溝口善兵衛財務官が2003年から2004年にかけて1年間で35兆円規模の円売り介入を実施し」、米国がイラク戦費を調達できたことを評価している(同HP:2012.10.2)が、再び、日本の金融資産を米国に差し出すことを提案しているのである(小泉―竹中政権下で大規模為替介入の問題を鋭く指摘したのは、故吉川元忠神奈川大教授の『経済敗走』(ちくま新書)である)。クルーグマンがこれを評価しないはずはない。

4 『成長至上主義』=『無限のエネルギー』幻想を捨てよ
 経済成長しないとなれば、限られたパイを奪い合うこととなる。「資本主義下で、限られた利益の奪い合いは壮絶です。自国民の中の弱者から収奪することになるからです。その禁じ手を使ってしまったのが米国のサブプライムローン問題でした。これが続くと先進国内での格差が広がる一方になります」(水野:同上2011.6.21)と水野はいう。格差の拡大を防ぐには所得の再分配を行う必要がある。欧州では積極的に再分配を行っている。医療や出産、教育の分野に支出している。民主党政権は当初子ども手当や高校無償化などの再分配政策を取ろうとしたが、官僚機構に潰された。安倍政権は、公共事業・投資減税や相続税の軽減・生活保護費の削減など全く逆の政策を取ろうとしている。
 選挙では民主党は「グリーンエネルギー」を、未来の党は「再生エネルギーの普及促進」を掲げ、社民党は「2050年に自然エネルギー100%」を公約としていた。公明党も「再生エネルギーの割合30%」を掲げていた。しかし、いずれも今後の日本の経済成長を前提とするものである。しかし、残念ながら「インフレの時代が終わった」、今日本人は「インフレの時代にしみついた成長至上主義から抜け出すことが大切」なのである。(水野:同上2011.6.21)「拡大主義は、膨大なエネルギーを必要としますが、現状ではもうそれが無理になっているのです。明らかに日本は経済システムの転換を求められています。成長神話に基づいたパラダイムからのシフトが必要です。しかし、その前に日本人のメンタリティのシフトが必要」であると榊原はいう。(榊原:『鎖国シンドローム』)『成長至上主義』の“神話”を抜け出さない限り、脱原発の方向性には困難が伴う。「再生可能」とは何回でも使える“汲み尽きない”「無限」を追い求める思想である。「無限のエネルギー」とは「無限の成長」を追い求めることである。しかし、「無限のエネルギー」=原子力は無限大の放射能を生みだし、東日本の一部を数百年にわたり占領してしまった。不安定かつ高価な「再生可能エネルギー」に“成長産業”の幻影を見るのではなく、中国を始め東アジア+ASEANと共に歩むことにより新興国の経済成長を取り込み、またロシア極東・サハリンからパイプラインで石油・天然ガスを輸入することにより、エネルギー供給を安定化させ『定常社会』に向けた軟着陸を図ることが現実的であろう。その場合、領土問題を巡り東アジアから孤立することは避けなければならない。 

 【出典】 アサート No.422 2013年1月26日

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【投稿】出鼻を挫かれた安倍外交

【投稿】出鼻を挫かれた安倍外交

エスカレートする対中強硬策 
 民主党の自滅選挙により政権に返り咲いた自民党・安倍内閣は、第1次内閣にも勝るとも劣らぬ国家主義的姿勢をあらわにしている。
 内政に於ける「改憲」「国防軍創設」とその露払いともいえる「防衛大綱」「中期防」見直し、「集団的自衛権行使」はもとより、とりわけ外交における中国に対する強硬姿勢は常軌を逸するレベルのものである。さすがに選挙公約としていた「尖閣諸島への公務員常駐」は具体化していないものの、海上保安庁、自衛隊の増強は早速進められる。
 軍事費については、今年度補正予算で約二千二百億円、来年度予算では今年度当初予算案に一千億円が上積みされ、「人からコンクリートへ」のみならず「人から銃」への方向性があらわとなっている。
 さらに尖閣に接近を繰り返す中国海管機に対しては空自がスクランブルをかけ、これに対抗して中国が空軍機を発進させると、「今後は警告射撃実施を検討する」と対応をエスカレートさせようとしている。非軍事組織のプロペラ機に対しジェット戦闘機で警戒に当たるのは、明らかに過剰であろう。警戒が必要なら、探査は自衛隊が行うとしても、石垣島から海保機を飛ばすか、もしくは尖閣近海にヘリ搭載型巡視船を遊弋させればよいのである。
 さらに、沖縄本島の那覇基地からの迎撃では距離が遠いとして、下地島や石垣島など先島諸島へのF15戦闘機の配備が計画されており、偶発的衝突の危険性を一層高めるものとなっている。
 安倍政権は、民主党政権の「農家戸別補償」「高校無償化」などを「バラマキ」としてことごとく否定しているが、対中国強硬姿勢だけはしっかりと継承、さらに拡大させ、危機をばらまいているのである。
 滑稽なのは、小野寺防衛大臣が昨年末に「新防衛大綱」の見直しに関し「動的防衛力構想」に否定的な発言したものの、1月11日の記者会見で「(動的防衛力とは)防衛力の低下や人員・装備の減少をしのぐためのものだと思っていた」と述べ、前言を翻したことである。小野寺大臣は動的防衛力構想を「軍縮」と思い込み、軍事面における民主党政策否定のつもりで述べたのだろう。
 しかし、本誌397号で指摘した通り「動的防衛力構想」はそれまでの「基盤的防衛力」(軍事費の固定化策)を撤廃し、中国に対抗した軍拡に道を拓くものであり、自衛隊苦心の策なのである。そのうえ素案自体は麻生政権時代にできていたのである。
小野寺大臣は防衛官僚から指摘され慌てたのだろう。「親の心子知らず」であり、まさに「問責」ものである。(逆に言えば将来中国が軍縮に転じれば、それに合わせた軍事費削減を防ぐため「基盤的防衛力」が復活するかもしれない)
また安倍総理自身、選挙中に尖閣問題にかかわり「海保は人員不足なので巡視船に即応予備自衛官を乗せる」と発言したが、陸戦の訓練しか受けていない隊員を巡視船に乗せてどうするのか。安倍総理は海上自衛隊にも即応予備自衛官制度があると思い込んでいたのだろう。
 このように一知半解のまま対中包囲網を画策し、「価値観外交」などというスローガンを掲げ、鼻息だけは荒い安倍内閣の対外政策であるが、新年早々出鼻を挫かれる事態が続出している。

相次ぐ国際的批判
 1月4日、安倍総理の特使として額賀元財務大臣が訪韓し、朴槿恵次期大統領と会談した。これはそもそも中国への対抗上「竹島問題」や「従軍慰安婦問題」を棚上げしたまま、不承不承で関係改善を図ろうとの魂胆が見え透いた特使派遣であった。
 しかし、その前日、靖国神社に放火し、その後韓国の日本大使館に火炎瓶を投げ込んで拘束されていた中国人が、韓国高裁に「政治犯」と認定され帰国した。翌日の会談でこの問題はスルーされ、朴次期大統領からは外交儀礼以上の言説は引き出せず、額賀特使は帰国した。安倍政権の面目丸つぶれである。
 当初、特使派遣は昨年末が予定されていたが、韓国の都合で年明けとなった。韓国政府が中国の要請に屈し、日程を操作したような解釈が流布されているが、韓国の司法を蔑んでいるのではないか。安倍政権は中国の圧力より韓国の国民感情を直視すべきであり、1891年の大津事件判決と同じく評価すべきであろう。
 中国、韓国からの安倍内閣への厳しい評価は織り込み済みであろうが、年明けから相次いでいる同盟国、友好国からの批判は想定外だっただろう。
3日付の「ニューヨーク・タイムズ」紙は社説で、安倍総理を「右翼民族主義者」と看破し、日本軍による従軍慰安婦強制連行を認めた1993年の「河野談話」見直しを示唆する安倍総理の発言を「重大な過ち」とし一連の動きを「恥ずべき愚かなこと」と切り捨てた。
自民党は「ワシントン・ポスト」紙が「ハトヤマはルーピー」とこき下ろした時、鬼の首を取ったように大喜びしていたが、今度は自らの身に降りかかってきたのである。
追い打ちをかけるように、イギリスの「エコノミスト」誌は1月5日の誌面で、安倍政権を「第1級の国家主義者が組閣した」「ぞっとするほど右寄りの内閣」であり東アジアに「悪い兆し」と酷評。
 大臣は押しなべて反動的であり、なかでも下村文科相は「東京裁判の取り消しを求めている」と警戒感を露わにしている。
 そして「国家主義の抑制は安倍内閣では不可能」と結論付けている。
 これらマスコミの批評は「朝日や毎日など日本の左翼マスコミの論調を鵜呑みにしている」と八つ当たりすることも可能だろう。しかし各国の政権、議会からの批判は相当こたえるだろう。
 オーストラリアのカー外相は、1月13日、訪豪中の岸田外務大臣との会談で「中国を封じ込める考えはない、中国は重要なパートナーだ」と釘をさし、さらに会談後の共同記者会見で「『河野談話』の見直しは望ましくない』、と強烈なストレートを見舞った。
狼狽した岸田外相は「村山談話は引き継ぐ」「安倍総理は同問題で歴代の総理と思いは変わらない」とかわすのが精いっぱいで、対中包囲網構築を目論んだ訪問は完全に裏目に出てしまった。

オバマ政権からも厳しい視線
 そして最大の同盟国、アメリカも例外ではない。安倍総理は選挙前から、総理就任後の最初の訪問国をアメリカと勝手に決め込み、TPP加盟問題や普天間移設など喫緊の課題は脇に置き、集団的自衛権行使を手土産に、日米同盟再構築を謳いあげんと思い描いていた。
ところが、アメリカから「オバマ大統領は就任前でいろいろ忙しい」と、当初目論んでいた1月中の訪米を体よく断られ、2月中旬以降にずれ込むこととなってしまった。それどころか首脳会談の日程調整のため訪米した外務省高官に対し、国務省は中国機に対する警告射撃を行わないよう求めていたことが明らかとなった。
 さらに1月16日、訪日したキャンベル国務次官補とリパート国防次官補は岸田、小野寺両大臣に同様の認識を示し、17日には朝日新聞が「米政府高官」が「河野談話」見直しに懸念を示したと報じた。
 また同日(米時間16日)ニューヨーク州議会、上下両院に従軍慰安婦に対する日本政府の謝罪と補償を求める決議案が提出された。
 このように安倍総理が訪米し、オバマ大統領と日米同盟を高らかに再確認するような環境は存在していないことが明らかになった。安倍政権は集団的自衛権行使を示せば、その他は不問にしてアメリカが喜ぶものと勘違いをしているのではないか。
そもそもアメリカが求めていた集団的自衛権行使とは、中東地域におけるアメリカの戦争への日本の参戦なのである。しかしアメリカ自体の国防戦略が見直され、イラク戦争が終結、アフガニスタンからの米軍完全撤退前倒しも計画されている現在、そうした事態は起こらないだろう。
 日本政府が集団的自衛権行使の具体例として想定している「アメリカを狙う北朝鮮弾道ミサイルを日本上空で迎撃」(ワシントンを狙うならミサイルは北極に向けて発射される)「遠距離の公海上でアメリカ艦船が攻撃された場合反撃する」(グァム沖に中国海軍が現れた時は海上自衛隊が全滅している)などはおとぎ話に過ぎない。
 むしろアメリカは日本と中国の戦争に巻き込まれることを危惧しており、再三確認される「尖閣は日米安保の適用対象」というのも現実的には、日米安保第5条では「日本国の施政の下にある領域における、(日米)いずれか一方に対する武力攻撃」(ソ連軍の本土侵攻を想定)と規定されており、日中衝突の可能性としては最も高い接続水域や防空識別圏での衝突で発動されるかは曖昧である。(魚釣島上陸などは可能性としては最も低い)
いずれにせよこれは、リップサービスであり日中双方に自制を求めるのがアメリカの本心である。
 アメリカの対日不信の根本は、マスコミが主張するように安倍内閣が「東京裁判」~「A級戦犯処断」など「戦後秩序」を否定する性向を持っていることである。この点ではイギリス、オーストラリアなどの「戦勝国」も同様であり、その意味で中国、韓国も、そしてロシアもその「価値観」を共有する一員なのである。 
 つまり「価値観外交」を唱える安倍政権はすでに、あらたな「ABCD包囲網」ともいうべき国連常任理事国+αの「別の価値観連合」に包囲されているのである。安倍総理は「2度と同じ失敗はしない」と大見得を切っているが「KY」は治っておらず、新たな失敗をすることになるだろう。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.422 2013年1月26日

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【日々雑感】正月早々、一つの意識改革

【日々雑感】正月早々、一つの意識改革

1月15日(火)は、小正月ということらしいですので、遅ればせながら、新年おめでとうと申し上げます。皆様は、この正月をどのように過ごされたでしょうか?
私がひねくれ者で、ヘソ曲がりなのでしょうか、私は紅白歌合戦や箱根駅伝等といったたぐいのものは、何か報道のお仕着せ的なものを感じて、今迄見向きもしませんでした。今年もまた、妻は紅白を見た後は、1月2日(水)の第89回箱根駅伝を映すテレビ画面にかじりつきでした。
私の「そんなに駅伝は楽しいか?」との問いかけに、妻は「あんたは変わり者やから興味はないやろけど、あの景色を見てるだけでも楽しいわ、勝ち負けはどうでもええねん。きれいな風景やもん。」とのこと。
私は「そういう見方もあるんだなあ。確かに箱根路は美しいし、修学旅行等で行った懐かしい所でもあるし、特に芦ノ湖なんかは、何かロマンチックな感じだったなあ」と思い直し、妻と一緒にテレビに見入ってしまいました。
今年は、日本体育大学が大活躍で、往路、総合とも優勝を決めてしまいましたね。
そんな実況報道の中で、「箱根駅伝今昔」という内容で登場された、沢栗正夫という、明治大学OB、86才の御老人の箱根駅伝に寄せる思いには、感激させられました。
86才と言えば、昭和2年生まれ、沢栗さんは語っておられました。「箱根駅伝は私にとっては、青春そのものなのだ。多くの学生が学徒動員で、戦場にかり出され、帰らぬ人となってしまった。その無念を心に抱いて、再び箱根路を走ろうという気運が自然発生的に高揚して来て、戦後の箱根駅伝が復活したのだ。世の中が平和であればこそ駅伝で走れるのだから」と、平和の大切さを強調しておられました。
何かと言えば、国民栄誉賞とか、国、権力が介入するスポーツとは違う異質なもの、純粋さを感じ、箱根駅伝に対する私の意識改革がなされた正月でした。
「よっしゃー、来年も見るでー。」 (2013年1月15日 早瀬達吉)

【出典】 アサート No.422 2013年1月26日

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【コラム】ひとりごと—「孤独死」と「自立死」の違い— 

【コラム】ひとりごと—「孤独死」と「自立死」の違い— 

〇福祉事務所に勤務していることもあり、最近孤独死が話題になることが多い。自室で亡くなって発見されたのが数日後、みたいな話が1月に1件程度はあると思う。当然自治会や民生委員さんなどは、ひとり暮らしの高齢者の見守り活動などに尽力されている。それでも「孤独死」は増え続けている。〇主に都市部での発生が多い。そして、女性よりも明らかに男性の比率が高い。さらに、意外に思われるが、50才台・60才台の男性が多い事はあまり知られていない。〇女性の場合は、ご近所付き合いも自然と生まれるが、男性の場合は、職場から離れると地域の付き合いや関係を持たずに、そもそも普通の生活からして「孤独」に暮らしているケースが多いのだろう。〇今から半世紀程前(?)だが、私も生活保護のケースワーカー時代に、単身の糖尿病患者が自宅で亡くなっているのを訪問して発見した事がある。高齢者が多くなったこと、単身世帯が増えたこと、そして何よりも貧困が蔓延していることが背景にある。〇行政と地域で何ができるのか、そんな問題意識を持っていたところ、興味深い本に出会った。「ひとりで死んでも孤独じゃない<「自立死>先進国アメリカ」(矢部武著 新潮新書2012-2-20)である。矢部氏は米国での生活歴が長く、米国内の高齢者住宅や支援センターでの取材を基にこの本を書かれた。〇表題にあるように、ひとりで死んでも孤独じゃないとアメリカ人は考えているということである。まず、アメリカ人は、子育ての段階から、自立して生きることを徹底して子どもに教えるという。子どもが成長して結婚した場合、親との同居は少なく、子どもは独立して家庭を持つのが当たり前で、親は夫婦、または単身生活となるが、「子どもの世話にはならない」と考えるのが普通だという。〇先ほど述べたように、日本では単身高齢者が増えているという認識だが、著書の中で、筆者は、日本、そして欧米の単身世帯率を比較している。2010年のOECD調査によると、単身世帯の割合は、日本29.5%に対して、ノルウェー37.7%、フィンランド37.3%、デンマーク36.8%、そしてアメリカ・ニューヨークのマンハッタン地区では半数以上が単身世帯だという。しかし、欧米でもアメリカでも、「孤独死」などが問題になっていないのである。「自宅でひとりで死ぬ」ことが「問題」になっているのは、とりあえず「日本」だけというのが現実なのである。〇本書では、まずカリフォルニア州バークレーの高齢者住宅に住む、ワウフさんの話ではじまる。この方自身も単身高齢者であるが、高齢者への配食サービスのボランティアでもある。アメリカ全土では100万人がこのサービスを受けており、ミールズ・オン・ホィールズ(車で温かい食事を運ぶ、MOW)と呼ばれている。ボランティアの手で各戸に配られ、安否確認もかねているが、事業は行政の補助と本人負担、そして寄附や募金で行われている。補助金の枠があるがニーズはもっとあると言われている。ニューヨーク市全体では1万6000人が利用。(市の人口は817万人)〇次に紹介されるのは、住宅である。ホームレスや低所得者を対象にした政府支援の独居者専用住宅(SRO)があり、部屋は一人あたり6畳ほどだが、ソーシャルワーカーが訪問し支援する(全米でSRO居住者は1万3000人)。同じく、政府支援の高齢者専用住宅もあるが、こちらはアパートのようなもの。いずれも年収の30%を家賃としている。〇さらに、ホームレスや貧困層が多いといわれているアメリカで、餓死者や「孤独死」が少ない理由の一つに、フードスタンプ制度についても触れられている。最下層の貧困者が餓死するのを防ぐ目的で創設された制度だが、2011年8月では全米で4700万人が利用していると言い、毎月150ドル分の食料品を購入できる。〇弱肉強食の資本主義社会という印象の強いアメリカだが、高齢者対策については日本と違った施策が行われているのがよく分かる。〇そこで、日本との対比についてだが、アメリカや欧米では、一人暮らしを肯定的に捉えていること、個人も社会もだ。離婚についても、肯定的である。日本の場合、死別ケースは別として、離婚や中高年の男性の一人暮らしを否定的に見てはいないか。〇単身生活を否定的に見ていた個人と社会であった日本では、近年の単身世帯の増加に対して、必要な施策の実施が遅れていると考えられる。一人暮らしを積極的に支援するシステムが未整備であるため、「中高年男性の孤立」に対して、目だった対策は行われてこなかったのである。〇その残念な結末こそ「孤独死」なのである。〇介護保険制度で不十分ながらも、高齢者の生活支援システムは出来上がった。さらに、単身世帯を前提にした生活支援システムが求められている。個人についても、単身生活を肯定的に考える意識改革が求められているし、それを支える様々な支援システムも求められているのではないか。〇支援の仕組みは、行政だけではなく、NPOや自治組織など、様々な供給者を想定し、システムの構築が必要だろう。〇本書の指摘するように、「ひとりで死んでも孤独じゃない」社会にするために、個人と社会の意識改革を前提にして、新たな「生活支援システム」が求められているように思う。(2012-12-16佐野)

 【出典】 アサート No.421 2012年12月22日

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【投稿】民主壊滅選挙と危険な安倍政権の再登場

【投稿】民主壊滅選挙と危険な安倍政権の再登場

<<「戦後最低の投票率」>>
 民主党・野田政権の「自爆解散」は文字通りの、民主党の壊滅的とも言える敗北を自ら招き寄せ、自民党の圧勝に最大限の貢献をすることとなってしまった。自民党は絶対安定過半数とされる269をも突破し、294、公明党の31を合わせ、自公連立・計325で衆議院議席の総数の3分の2超えを達成させてしまった。選挙結果は、自民党294、公明党31、民主党57、維新の会54、みんなの党18、未来の党9、共産党8、社民党2、国民新党1、新党大地1、無所属5となった。この選挙結果によって、たとえ、民主や野党との合意がなく、法案が参院で否決されても衆院で再議決して可決することが可能となる事態を提供してしまったのである。もはや民主党は、たとえ自公連合に擦り寄ったとしても、その存在価値は極めて薄っぺらな軽いものと成り果ててしまった。
 このような結果をもたらした今回の解散・総選挙が明らかにしたことを、取り急ぎここで改めて再確認しておくことは、今後の事態の展開を注視し、その問題点や矛盾点を明らかにし、本来あるべき活路を見い出す上で必要不可欠なことと言えよう。
 第1は、今回の衆院選(小選挙区)の投票率が59.32%で、戦後最低だった1996年の59.65%もを下回る「戦後最低の投票率」を記録したことである。
 政権交代が問われた、前回09年は69.28%で、小選挙区比例代表並立制が導入された96年以降では最高を記録していたものが、今回は10ポイント近く下落して、03年以来の60%割れとなったのである。維新の会が急伸した大阪でさえ、府内小選挙区の投票率は58.37%(前回66.79%)であった。当日有権者数は1億395万9866人で、このうち6166万9473人の投票であった。40%以上の棄権である。
 有権者にとっては、民主党政権に対する怒りと絶望、政党への不信、政治総体へのあきらめがこのような低投票率をもたらし、政権交代の意義を継承できるような「入れる政党がない」、「入れる候補がいない」選挙区の続出をもたらし、投票所に足を運ぶ意欲をさえなくさせてしまっていたのである。そのような人々の多くが棄権に回った結果、選挙戦は総体として全く盛り上がりに欠け、自民党はただただ「敵失」によってだけ浮上、労せずして大量議席を獲得したのある。自民圧勝は野田首相の自爆解散によってプレゼントされたようなものである。個人の自爆は勝手であるが、政権交代の意義を全く台無しにしてしまった歴史的責任、その責任は計り知れないといえよう。
 今回の衆院選で小選挙区に出馬した自民党候補は、300選挙区の有効投票総数のうち43%の票を得たのに対し、民主党は22.8%であったが、前回09年衆院選では得票率47.4%で半減以上の激減であったことからすれば、自民党はまさに低投票率と盛り上がらない選挙戦、民主党分裂や未来の党、日本維新の会など第三極の候補者乱立で票が分散し、結果として自民党が消去法的選択で「漁夫の利」を得た、その原因を作った民主党の自爆によって浮上したに過ぎないともいえよう。
 いずれにしてもその結果、自民・公明両党は「合わせても4割に満たない支持(比例区で26.38+11.29=37.68%。有権者総数の22.33%)しか獲得していないにもかかわらず、衆議院議席の3分の2を上回る67.71%の議席を獲得したのである。

<<政策的対決における決定的な敗北>>
 第2は、政策的対決における決定的な敗北である。
 民主党にこうした凋落をもたらした決定的な敗因は、三年前の歴史的な政権交代の意義を自ら掘り崩し、嘘と詭弁で重要な政策をことごとく裏切ってきたことにあったことは論を待たないといえよう。問題は、有権者のこのような凄まじい怒りを肌で感じ取ることができず、公約にもない消費税増税路線やTPP参加路線を平然と押しすすめ、民主党執行部主流が、財務省の緊縮財政路線、社会保障・教育・セーフティネット切り捨て路線の忠実なしもべとなってしまったことであり、本質的には前自公政権が押しすすめてきた、政権交代選挙で否定したはずの新自由主義路線に逆戻りしたことである。
 これに対して自民党、とりわけ安倍新総裁の路線は、政治・軍事における右傾化・緊張激化路線を掲げつつも、それを選挙の争点とすることを極力避け、もっぱらデフレ脱却路線としてのインフレターゲットの設定と、建設国債の大量発行、景気拡大路線、公共事業拡大路線に舵を切り、低迷する経済、不景気打破の決定打としてこれらをぶち上げ、呻吟する有権者の票をかっさらったことが、民主党との政策的対決において自民党に優位を確保させてしまったといえよう。
 本来は、政権交代後の政権こそが、財政緊縮路線の呪縛を断ち切って、新自由主義路線と決別して、東日本大震災からの復旧・復興、原発事故を封じ込める脱原発路線、新たなエネルギー戦略への転換、社会資本インフラの再生、医療・介護・教育や社会的セーフティネットの再生と投資、雇用の拡大、といった、自公路線とは本質的に異なった新たなニュー・ディール政策を大胆に提起し、財政をそれらに総動員するデフレ脱却路線をこそ打ち出すべきであった。そしてそうした政策こそが、財政赤字を克服する正道であることを明確にすべきであったが、財務省に絡めとられた松下政経塾出身の未熟な執行部主流派には全く望むべくもなかった。
 問題はこうした政策的対決において民主党内反主流派の多くの人々が、それなりに多く存在しながらも、あまりにも優柔不断、遅すぎ、すべてが後手後手、対抗勢力がばらばら、対決軸も明確に打ち出せないままに、時間切れの選挙戦に臨まざるを得ず、野党勢力が統一した協力体制や統一戦線を打ち出すことができずに、広範に存在している脱原発・憲法改悪反対・消費税増税反対・オスプレイ配備反対・TPP反対の圧倒的多数の声を集約し、まとめられないまま後退してしまったことである。

<<危なっかしい政治情勢の到来>>
 第3は、今回の選挙によってタカ派が臆面もなく前面に登場し、ハト派勢力がさらに後退するという、危なっかしい政治情勢の到来、日本政治の右傾化・超保守化をもたらしかねい情勢を作り出してしまったことである。
 安倍氏は首相就任わずか1年、「総理大臣の職責にしがみつくことはしない」と言って、「所信表明直後の辞任」で内閣を投げ出した人物である。この時点で政治生命が終わったかに見えたが、それから5年で運良く復活したわけである。本来なら復活できなかったはずであるが、尖閣列島をめぐる石原前都知事の挑発行為と日中緊張激化、領土ナショナリズムの時流に便乗できたわけである。社会の保守化と右傾化、それを法的に可能にする憲法改正が自らのライフワークと公言する人物の再登場である。5年前、安倍氏は、「美しい国」、「戦後レジームからの脱却」を旗印に、「5年以内の憲法改正」、集団的自衛権行使の合憲解釈、「教育改革」と教育基本法改正を掲げ、憲法改正国民投票法の制定と教育基本法の改悪を強行した。そして従軍慰安婦問題での国家・軍関与の否定とその関与を認めた河野官房長官談話の否定を公言し、韓国をはじめとするアジア諸国との対立を厭わない、未だに蒸し返し固執するウルトラ右翼につながる人物である。
 そして今回、「醜い憲法」と言い募る”暴走老人”・石原慎太郎氏も憲法改正が同じライフワークで、選挙運動のさなかに「9条のせいで日本は強い姿勢で北朝鮮に臨むことができなかった。9条が自分たちの同胞を見殺しにした」として、日本維新の会は自民党、安倍政権と組んで憲法改正を行うことを宣言している。そしてすでに「維新」の橋下代表代行は首相指名選挙で安倍総裁を支持すると発言している。
 ますは9条改憲への足がかりとして、集団的自衛権行使を可能にする動きは、民主党改憲派をも含めて、今後一気に勢いを増す可能性が大であると言えよう。自衛隊の「国防軍」への再編強化、日本版海兵隊の創設、先島諸島への軍事力配備、防空・ミサイル防御体制の強化等々が矢継ぎ早に打ち出される可能性が大である。
 こうした中で自民・公明連立は、改憲に慎重な公明に代わって、「維新」が連立に割って入って3分の2を確保し、安倍氏本人が最も望んでいる「改憲(壊憲)連立政権」となる現実的可能性さえ存在しているといえよう。さらには自公連立+維新+民主の危険な大連立、翼賛政権の可能性さえ否定できない情勢の到来である。
 しかし問題はこうしたタカ派路線の台頭と現実化は、日本国内のみならず、日本の世界からの、とりわけアジアからの孤立化を招き、安倍新政権が掲げる「デフレからの脱却」をますます困難なものにさせるものであり、一気呵成には進められない、早晩行き詰まらざるを得ない致命的弱点を抱えていることである。国内においてさえ、あの軍事オタクと言われる自民党の石破幹事長が12/16日夜の記者会見で、米軍普天間飛行場の移設先について「選挙中も言ったが、最終的に県外移設というゴールにおいて、党本部と沖縄県連に齟齬はない」「普天間が今のまま(固定化)ということをいかに回避するかが最大のポイントだが、辺野古移設はベストでなくワーストだ」と語らざるを得ない事態である。ましてや台中、対韓、対アジア外交においての緊張激化路線、軍事力増強路線は、日本の政治的孤立化にとどまらず、経済的な孤立化をさえ招きかねない。現実の日本を取り巻く環境は、野田政権よりずっと柔軟な対外緊張緩和路線を取らなければ、日本経済への打撃は予想以上に大きく、現実の生きた経済の活性化は望めないのである。
 さらに安倍新政権が、危険極まりない原発再稼働路線に踏み出せば、世論からの反撃と孤立化、いつ襲い掛かるとも知れない自然からの巨大なしっぺ返しを招きかねない。威勢のいい圧勝の足元は、実は全てがぐらついていることを再認識せざるをえない客観的現実が横たわっているのである。
 脱原発・反増税・改憲阻止・緊張緩和と対外友好路線の確立を求める多様で広範な包囲網と統一戦線の形成が要請されている。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.421 2012年12月22日

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【投稿】 直下に「活断層」の敦賀原発を廃炉にし、日本原電の会社清算を!

【投稿】 直下に「活断層」の敦賀原発を廃炉にし、日本原電の会社清算を!
                             福井 杉本達也 

1 敦賀原発2号機の真下に「活断層」
 大飯原発に続く調査で、原子力規制委員会は12月10日、敦賀原発2号機の真下を走る断層が活断層の可能性があるという判断を下した。田中規制委員長は「今のままでは再稼働の安全審査はできない」と述べ、2号機は、運転再開できずに、今後廃炉の可能性が出てきた。敦賀原発敷地内には「浦底断層」と呼ばれる活断層があり、浦底断層とそこから枝分かれするように延びて2号機の真下を走る「D-1」という断層を中心に、地面を掘って断面を調べるトレンチ調査の現場などで検証した結果「2号機の真下を走るD-1断層が、活断層として活動していて、浦底断層と同時にずれたと考えられる」とした。国の指針では、活断層の上に原子炉などの重要な施設の設置を認めていない。(NHK:2012,12,10)
 
2 恣意的だった日本原電のこれまでの敦賀原発活断層調査
 浦底断層は延長35Kmといわれるが、その後の研究で浦底断層の敦賀湾を挟んで東側にある柳ヶ瀬断層と連動し総延長100Km「濃尾地震」(1891年の愛知・岐阜県を襲った日本最大の内陸型地震・マグニチュード8)級の地震を引き起こす可能性があることが分かってきている(中日:2012.12.11)。
 日本原電のこれまでの活断層調査は非常に杜撰なものであった。既に、30年以上前の2号機建設時の国の安全審査で、今回焦点となっている2号機直下の破砕帯「D-1断層」や敷地内の活断層について日本原電が密かに追加調査をおこなっていた。ところが、1980年当時の通産省は浦底断層について「活動時期が古い」と評価し問題ないという結論を下している(福井:2012.12.12)。
 活断層判読は ①リニアメント判読ではない、② ボーリングデータをどう解釈するかで大きく間違う恐れがある。①-リニアメントとは地表に認められる、直線的な地形の特長(線状模様)のことを言う。崖、尾根の傾斜急変部、谷や尾根の屈曲による直線的な地形、土壌や植生の境目などが直線的に現れる部分であり、断層や節理など地下の地質構造が反映されたものがあるとされてきた。(Wikipedia)活断層とリニアメントの関係を説明すると、これまで日本原電は直線的な崖に注目してリニアメントを決定したが、そこでは何のズレも見つけることはできなかった。リニアメントと認定して掘ってみても何も出ない。調査したが何も出ないから、「断層がない」ということになりかねない。まず正しい位置認識をするのが、第1に必要だということである。変動地形学が注目したのは、「川が曲がっている」、「谷底平野が折れ曲がっている」ような場所を連ねて(断層)と判読したのである。(渡辺満久: 地球惑星科学連合2008大会 2008.5.27)
 次に、②―ボーリングで分かるのは、(ボーリング地点の情報=点の情報)だけなので、ボーリングとボーリングの間に関しては推定で書いている。日本原電が本当の活断層の場所を外して恣意的に図を書くことができるのである。日本原電は敦賀3、4号機増設の申請書で、ボーリング調査を基に作成した地下断面図を示し、敷地内を通る浦底断層は少なくとも約5万前から動いていないと結論づけ、耐震性検討の対象から外している。これに対して渡辺満久氏は、原電の作った断面図では2本のボーリングの間で、基盤岩と堆積層のなす面が地表の砂礫層のさらに下で途切れているように描かれている。しかし、これは原電の勝手な想像に過ぎないと述べ、もっと地表面近くまで断層面が伸びている可能性も否定できないと指摘している。(渡辺満久:グリーンアクション主催講演会2008.7.13)
 
3 破砕帯のトレンチ調査で明確な活断層の証拠を突きつけられ、焦る日本原電
 これまで、日本原電は「D-1」破砕帯の上に乗る地層にズレや変形がないとして活断層を否定してきたが、今回のトレンチ調査で、あっては困る「D-1」破砕帯の上に「何らかの変形が…1回もしくは複数回動いたかもしれない」(宮内宗裕千葉大教授・変動地形学)「破砕帯の上に乗っている層に変形が認められた。浦底断層によって働く力に極めて近い力が働いた結果、動いたのだろう」(島崎邦彦規制委員長代理)という動かぬ証拠を見つけてしまったのである。(福井:2012.12.03)
 まさかこの段階で「クロ」の判断が下されるとは思っても見なかった日本原電は12月11日、規制委に対し、異例とも言える公開質問状を提出した。「科学的根拠を含めた説明がなされたとは言えず、理解に苦しむ」とし、「原電の追加調査の結果を待たずに結論づけが可能とした理由」など10項目の反論を行った。
 
4 日本原電は解体しかない
 このまま、敦賀2号機の再稼働ができなければ、日本原電は苦しい立場に追い込まれる。敦賀1号機は1970年の稼働であり、既に42年が経過している。40年基準を適用すれば廃炉は避けられない。しかも、福島第一の事故を起こしたGE マークⅠ型である。さらに、1号機は3.4号機が完成する時点では廃炉にすることが地元でも合意ができている。いまさら稼働延長は言い出せない。また、敦賀3,4号機については新増設を行わないという方針で建設がストップしている。しかも、3,4号機についても、今回の活断層評価の影響は避けられない。浦底断層の至近距離にある。県外では茨城県に東海第2原発があるが、先の3.11大震災・津波で大きな被害が出た。あと一歩で福島第一の事故と同様の炉心溶融を起こすところであった。そのような原発に金をかけて再稼働を目指すとなれば、東京は全滅である。しかも、地元東海村の村上達也村長は再稼働に反対を表明している。
 日本原電は、1957年に商用原子力発電を導入するために、電気事業連合会加盟の電力会社9社と電源開発の出資によって設立された国策会社である。したがって、持ち株は東電が28%、関電が23%、中部電力が16%、北陸電力が13%などとなっている。原発からの電気を地域電力各会社に販売することによって経営している。もし、敦賀2号機が廃炉となれば売る電気はなく、即、経営問題に発展する。現在、電力社は日本原電に対し「基本料金」という名の経営維持【負担金】を支払っている。各電力は出資比率により支払っており、関電の場合は年間466億円であり、電力料金に上乗せされている。12月14日電気事業連合会会長であり関電の八木社長は、敦賀原発が廃炉になった場合の費用負担について「枠組みを国と協議しながら検討する」とし、国にも費用負担を求める考えを示した。(日経:12.15)日本原電は、原発に特化した卸電気事業者であり、原発の発電した電気の売電だけが唯一の売上である以上、廃炉となれば会社として存続することは不可能でもあり、意味もない。早急にこの国策会社を解体し、清算すべきである。むろん、その株主には廃炉費用を含め応分の負担を負ってもらわなければならない。いま、東北電力の東通原発を活断層と分かりながら建設を強行してきたことが明らかとなりつつある。各電力会社は今後、動かない原発設備の負担を抱えつつ企業を存続していくことは不可能になりつつある。それは、12月11日の電力株暴落からも伺える。
 
5 地元、福井県・敦賀市も焦る
 焦ったのは日本原電だけではない。地元・西川福井県知事は「国として、十分は科学的根拠に基づき、立地地域と県民が理解し、納得できるような調査とすべきだ」とコメントした。(福井:12.11)また、川瀬敦賀市長は「慌てて結論を出すのではなく、調査を行い、しっかりと確認をして欲しい」(福井:12.12)と議会で答弁、地紙・福井新聞は「規制委が即危険かどうか不明な原発の廃炉を命じる法的根拠もない」(12.11)との居直りの論陣をはった。
 確かに、敦賀原発が廃炉になれば、地元雇用や財政に大きな影響を及ぼすことは明らかである。しかし、活断層を頬被りして事故が起これば地元どころか日本国中にとって重大な危機となる。しかも、1960~70年代・エネルギー革命で石炭が閉山となった九州や北海道・常磐などと比較すると地元に密着した雇用は少ない。閉山政策の場合は30万人もの炭鉱労働者の雇用をどうするかという問題に直面したが、電力の場合にはそれほどでもない。元々、原発労働者は全国を渡り歩く労働者が多く、地元に留まる労働者ばかりではない。(吉岡斉:もんじゅを廃炉へ全国集会:2012.12.8)
 しかも、敦賀市は大阪ガスのLNG基地計画を日本原電出身のK議員を表に立てて潰した前歴がある(裏は関電)。地元の新たな産業振興をせず、原発だけに頼ってきた敦賀市に地元雇用を云々する資格はない。
 
6 総選挙大敗北後の原発政策は
 12月16日に行われた総選挙で、脱原発の民主勢力・各政党・議員は壊滅的敗北を喫した。投票率も大幅に下がった。敗北の原因は2009年の選挙により手に入れたはずの政府の頭部を米国とそれに従属する日本の官僚機構による謀略も含めた様々な手段により乗っ取られてしまったからである。しかたなく、柄谷行人のいうように、異議申し立てをするには「街頭に出よう・デモに行こう」となったのであるが、それに続く戦略を見通せないまま選挙戦に突入させられてしまった。「低成長社会という現実の中で、脱資本主義化を目指すという傾向が少し出てきていました。しかし、地震と原発事故のせいで、日本人はそれを忘れてしまった。まるで、まだ経済成長が可能であるかのように考えている。だから、原発がやはり必要だとか、自然エネルギーに切り換えようとかいう。…原発事故によって、それを実行しやすい環境ができたと思うんですが、そうは考えない。…地震のあと、むしろそのような論調が強く」なってしまったと述べている。(柄谷行人HP)日本人が「経済は成長しない」ということを自覚しない限り脱原発は難しい。今後、日本は米欧の核の植民地と化し、原発事故の放射能による安楽死が待っている(ベラルーシ、ウクライナもロシアもチェルノブイリ原発事故後、急激に人口が減少している)。 

 【出典】 アサート No.421 2012年12月22日

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【投稿】民主党再建は可能か 

【投稿】民主党再建は可能か 

 3年前の政権交代が、ある意味で「歓喜をもって」迎えられたのと対照的に、今回の自民党の過半数獲得という総選挙結果は、「熱狂なき政権交代」と、どこかの新聞が報じている。景気対策の実行という自民党の主張が、景気低迷の日本にとって受け入れやすいものであったことは事実であるにしても、それだけが、今回の総選挙を規定するものでもない。むしろ、低投票率(前回は、69.28%、今回は59.52%)が象徴するように、政治不信が強まったことを直視することが必要であろう。前回の選挙では、民主党政権に期待し投票した国民の多くが、投票先に迷い、「第三極」の維新に流れるとともに、前回から棄権した票が1000万票に達している。(今回の比例票数は6017万票、前回から1019万票が棄権している)。壊滅的大敗を喫した民主党については、党再建そのものも厳しい状況に至っている。

<国民に見放された民主党>
 それでは、何故民主党は、3年前の支持を失ったのか、ということである。直近の最大の問題は、政権交代マニュフェストにもなかった消費税増税を、3党の密室協議を基に強行したことであろう。選挙結果が示しているように、消費税増税問題は、今回の選挙での争点になったとは言えない。増税法案に賛成した自民、公明が議席増となった。消費税増税反対の「未来の党」も伸び悩んだ。ひとり民主党が支持を失った。
 消費税増税を重要課題とするなら、あるいはそう判断したのであれば、増税を争点にして解散総選挙を断行すべきであった。この場合は、まさに国民に信を問うものであるから、政治の常道として、審判をうけることが出来る。なぜこのやり方を取らなかったのか。
 そして、増税法案の国会議決に絡んで、結果として党の分裂が起こった。前回の総選挙を仕切り、政権交代を実現した小沢グループを離党に追い込み、二大政党の枠組みから、政党の乱立という事態が生まれた。「維新」は、彼らの期待した結果に到達しなかったとは言え、比例票では民主を抜いて第二党となった(1200万票を獲得)。
 民主党は、負けるべくして負けたでのあって、まさに自滅選挙であった。自民党は比例票では、大敗した前回の比例票1881万票にも及ばぬ1662万票である。得票率もほとんど増えていない。自民党の単独過半数は、民主党の自滅によって生まれたと言ってよい。まさに「熱狂なき政権交代」なのである。
 
<原点を見失った民主党>
 1994年の民主党結党大会では、社会党の一部、そして日本新党G、社民連系などが、民主リベラル(中道右派?)の路線を軸に、政権交代可能なリベラル勢力になることを目標にして新しい政党=民主党が生まれた。その後、民社党系や小沢Gなどが合流し結党以来15年を経て政権交代にまでたどり着いた。
 反自民を掲げてはいたが、その内部では、社会民主主義的なグループは退潮し、どちらかと言えば松下政経塾出身者が主流となり、新自由主義的な傾向を強めていった。小沢Gの選挙指導によって、「生活が第一」とする、より社会民主主義的な政策をメニューの中心において、政権交代を実現できた。
 今回の、大量離党や維新への鞍替え組が相次いだことを見ても、看板は民主党でも、様々な思想的傾向の議員志向者の集まりだったことも明らかであろう。
 民主党は、参議院では第一党(88議席)であり、大敗はしたが両院国会議員では145名の議員数を数える。再建をめざすというのであれば、根本的な政策的一致を最優先し、党の路線を再度明確にすることから始める必要があると思われる。(2012-12-17佐野) 

 【出典】 アサート No.421 2012年12月22日

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【日々雑感】食わず嫌いではいけないのかな? 

【日々雑感】食わず嫌いではいけないのかな? 
 
 私は、元来右寄りな新聞報道は嫌いで、産経・読売は、読む気にもなりませんでした。あの小泉内閣で動きまわった竹中平蔵が関係していると言われる日経新聞等も然りです。
 けれど先日、ちょっとした義理で日経を契約することになったのです。その日経の2012年12月8日付の朝刊の春秋という記事を読んで感心しました。
 山岳遭難を例にとって、71年前の12月8日の対米開戦に踏み切ったことについての内容でした。
 (内容紹介)2012・12・8 春秋
 山岳遭難で多いのは「道迷い」だ。読んで字の如く、行くべき道を間違える基本的なミスなのだが、警視庁のまとめでは昨年の全国の山の事故のうち4割を占める。天候は良い。リーダーも経験豊富。みんな装備もしっかりしている。それでも道迷いは起きるという。
▼おしゃべりや景色に夢中で分岐点を見逃す。迷いはじめた時に引き返さず、つい、もうちょっと、と進んでしまう。おかしいな、と思ってもリーダーに任せ、彼もまたプライドがあるから弱いところは見せられない・・・。多くの登山家が指摘する道迷いの心理は組織や集団にも当てはまろう。もちろん国家の過ちにも。
▼71年前の今日、日本は対米開戦に踏み切った。道迷いのはじまりは米国を怒らせて石油禁輸を招いた南部仏印進駐か、前年秋の日独伊三国同盟締結か、いやいやずっと以前の満州事変のころから道を外れていったのか。
 見方はさまざまだが、引き返す勇気はなく、冷静な声も熱狂にかき消されていった昭和の軌跡である。
▼緒戦の勝利に気をよくした軍部には、中央アメリカやアラスカを「帝国領土」とする案まであったとされる。けもの道の奥深く迷い込んだ遭難者はそんな幻覚をも見たのだ。その道はやがて完全に閉ざされ、破滅を迎える。
 なぜ間違ったのか。どこで間違ったのか。問い続けることは、今を問うことでもあるに違いない。
 以上が全文の内容ですが、この記事を読んで、何事も食わず嫌いではいけないのかな?と反省させられた次第です。石原、ハシシタ、安倍が夢よ再びと跋扈し昔返りを目論んでいる時だけに余計にその思いを強くしました。(2012-12-13 早瀬達吉) 

 【出典】 アサート No.421 2012年12月22日

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【投稿】日中の政権交代と緊張激化

【投稿】日中の政権交代と緊張激化

権力闘争は「引き分け」
 11月14日、中国共産党第18回大会は新たな中央委員や中央委員候補計376人を選び終了した。そして翌日の中央委総会で、習近平総書記をはじめとする政治局常務委員7人の新指導部が選出された。
 この人事を巡っては、習総書記の属する、党幹部、長老の子弟を中心とする「太子党」派と、胡錦濤前総書記らの「共青団」派との間でギリギリまで厳しい駆け引きが繰り広げられた。
 常務委員の勢力配置を見れば、7人中5人が保守派の長老である江沢民元主席に近い人物であるが、同時に選出された政治局員には「共青団」出身者が多く含まれている。
 5年後に予定されている第19回大会では、今次選出された常務委員の多くは引退し、新政治局員が昇格する見込みであることから、今回の人事は派閥間のバランスと今後に配慮したものと考えられる。
 ここに至る経過として世界を驚かせたのが今春重慶市を舞台に繰り広げられた権力闘争である。当時重慶市では薄熙来同市党委員会書記が絶大な権力を維持していた。党中央政治局員でもある薄は今期、常務委員会入りが有望視される「太子党」のエースであり、重慶市には胡錦濤、温家宝体制の指導が入らない状況が続いていた。
 しかし、薄の側近である王立軍のアメリカ領事館への逃亡をきっかけに、妻である谷開来によるイギリス人実業家毒殺事件が発覚、続いて自身の不正蓄財など権力の私物化も次々と暴かれた。そして薄はあらゆる役職から解任され、完全に政治生命を絶たれた。
 この事件は、「太子党」派にとっては大打撃となり、習近平自身の健康不安説とも相まって、党大会、中央委総会もこのまま「共青団」派のイニシアティブのもと牽引されるかに見えた。

保守派に塩を送った日本
 しかし劣勢にたたされた保守派に対して、意外なところから応援団が現れた。いうまでもなく日本政府、民主党政権である。尖閣問題での日中間の緊張激化に関し、現状維持を希望する胡錦濤政権を無視する形で、野田政権は国有化を強行した。
 中国では保守派からの弱腰批判を回避するため、官製デモが組織されたが保守派の介入で次第にコントロールが効かなくなり始めた。集会では貧富の格差、政治腐敗の糾弾に加え、毛沢東の肖像を掲げ、放逐された薄熙来の復帰を訴えるスローガンも唱えられた。
 さらに北京でアメリカ大使の車が襲撃されるなど各地で暴走が起こり、反日デモが反政府=反指導部デモに転化しかねない状況に至って、胡錦濤指導部は守勢に転じざるを得なくなった。
 緊張が高まるにつれ、人民解放軍の存在力は増大し、その掌握は共産党にとって以前にもまして重要な問題となっていた。9月に中国初の空母「遼寧」が就役した際には、胡錦濤、温家宝両氏がそろって同艦を訪れ、軍重視、海洋権益保護の姿勢を強調した。
 さらに胡錦濤については、総書記退任後も党中央軍事委員会主席には留まり、人民解放軍に対する影響力を保持するのではないかと見られていた。しかし中央委の土壇場で、その地位も習近平に譲ることが決まった。
 これは習総書記らと軍の繋がりの強固さを示すものではあるが、日中間の緊張がこうした人事を後押ししたと言えよう。もっとも胡錦濤は完全引退とともに、江沢民ら上海閥の排除を進める一方、新政治局員への影響力を保持し、党規約の改正で自らの指導理念「科学的発展観」を「不磨の大典」とすることで一定の地歩は固めた。

内政が最重要課題
 今後の中国の方向性については、軍、保守派の影響力が拡大したとして、一層強硬な対日政策を推し進めるとの観測が日本国内ではなされている。一部では明日にも、尖閣諸島に中国軍が押し寄せるかのような憶測が流されている。
 確かに尖閣近海には連日のように中国の海監船が数隻単位で出動しており、日本の巡視船との間で牽制が続いている。
 しかし、巡視船は20㎜~30mmの機関砲を搭載し、海保は北朝鮮武装船との間で実戦を経験しているのに対し、中国海監船の多くは元々軍艦ではあるものの武装は撤去されおり、先制攻撃などしようが無いのである。
 そこで日本の強硬派は、「漁民に化けた人民解放軍」や中国軍そのものを登場させたがっている。なぜこんな発想が出てくるか考えれば、かつて日本が引き起こした張作霖爆殺や柳条湖事件から満州事変へ、などと同じ謀略と侵略を中国もするに違いない、という恐怖心と思い込みである。
 習近平指導部は日本が対応をエスカレートさせない限り、自ら緊張を高めるようなことはしないだろう。習体制が抱える喫緊の課題は、何と言っても減速する経済と拡大する格差に対する対応である。
 また中国では、社会の不均衡が解消されないまま、少子高齢化が急速に進み、近い将来、現在のような産業構造は維持できなくなるだろう。
 これらの経済社会政策に失敗すれば、くすぶり続けるチベットやウイグルの民族運動と相まって社会不安が一層拡大するのは避けられない。
 国内矛盾解消のため敵を外に求めるのは現在の反日デモが限界である。日中の軍事力を考えれば実際の武力行使はあまりにリスクが大きすぎ、数隻艦艇が沈めば中国新指導部は重大な危機に直面するだろう。

政権交代で高まる危機
 第2次世界大戦後の漁業権や離島を巡る武力紛争は、イギリスとアイスランド、アルゼンチン間の「タラ戦争」や「マルビナス(フォークランド)紛争」などがある。しかし冷戦下という時代背景や各国が置かれた位置など、衝突発生に至る過程を勘案すれば、現在の尖閣問題が同様の経過を辿るとは安易に考えられないが、危険性は皆無ではない。
 その危険性は日本国内で日増しに高まってきている。尖閣諸島の国有化で「国交回復以降最悪」と言われる状況を作った民主党・野田政権は事態を正常化させることができないまま退場しようとしている。
 次期政権をうかがう安倍自民党総裁は、海保のみならず軍事費の増大を公言している。さらに尖閣問題の張本人である石原慎太郎を代表とする「日本維新の会」が新政権に参画するようなことがあれば、最悪の事態に進みかねない。
 日中両国は「最悪の状況」であっても、尖閣海域に軍艦は派遣しないというギリギリの線はこれまでのところ維持してきた。さらに「島嶼奪還」を名目に南西諸島で計画されていた日米合同の上陸演習も直前に中止された。しかし排外主義を掲げる政権が誕生すれば、この一線はやすやすと突破されよう。
 石破自民党幹事長は先の総裁選で陸自「海兵隊」の創設を唱えていた。敵前上陸を主要な任務としてきたアメリカ海兵隊が念頭にあるなら、非常に危うい思考と言わざるを得ない。日本の好戦主義者が「中国軍が尖閣に上陸する」と思い込むように、中国の民族主義者も敵前上陸とは中国本土上陸だと考えるのである。
 陸上自衛隊としては、海空重視の傾向が強まる中、自らの権益確保の手段としての「海兵隊」は有りかもしれないが、何をするかわからない政治家のもとでは実戦に投入されかねず、二の足を踏んでいるのが実情だろう。
 このように現在の流れは、民主党のつけた火に自民、維新が油を注ぐ形となっている。各党とも日米同盟機軸を主張しているが、アメリカはアジア情勢全般を鑑み中国を牽制するものの、いよいよとなった場合尖閣に武力介入することはないだろう。その場合、民主、自民は躊躇するだろうが維新は暴走する危険性を秘めている。 
 こうした動きを阻止していくため、総選挙に向け、韓国、北朝鮮も含めた東アジアの緊張緩和を対外政策の基軸とする政治勢力の連携が急務となっている。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.420 2012年11月24日

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【投稿】マスコミが煽る「第三極論」の抬頭 

【投稿】マスコミが煽る「第三極論」の抬頭 

<ふがいない民主・自民と、「第三極」の抬頭>
 11月16日野田首相は、年末解散を断行し総選挙に突入した。しかし、民主党政権の存続の展望は限りなくゼロであろう。国民の大半が反対した消費税増税を、密室の三党合意で強行したが、増税とセットの「税と社会保障の一体改革」は、言葉は踊れども、姿は見えてこないし、国民も実感することすらできない。尖閣問題では国有化を強行し、民主党政権最初の首相である鳩山の「東アジア共同体」構想とは、全く逆の「混迷と対立」の東アジアにしてしまった。党内では、消費増税に反対した小沢グループが党を離れ、解散後も、維新や自民の傘の下を求めて、10名以上が離党し、衆議院での過半数は消えた。これらの輩の下心は批判されるべきだが、ここまで求心力を失えば、選挙結果は明らかであろう。政権はおろか、政党としての存続も危うい状況と言われている。野田は解散にあたって「比較第一党をめざす」と明言したが、それもまた実現不可能と言わねばなるまい。
 一方、自民党もまた、世襲候補が跋扈し、総裁選挙に明らかなように、派閥力学が依然として党を支配している。民主の低迷の中、自民回帰の流れがあるので、後景に退いているとは言え、自民党が、政権交代から何も学んでいないことは明らかであろう。当然、過半数を制して、単独政権をめざすところだが、自公でも過半数になるかどうか、未だ不透明である。
 11月19日の毎日新聞は、選挙を焦点にした世論調査結果を報道しているが、政党支持率では、自民17%、民主11%、維新13%で、支持政党なしが36%。また読売新聞は、石原・橋下合流後の調査で、維新への支持が合流前から3分の2に激減していると報道し、「政策の不一致を顧みず、合流を最優先した判断が批判を浴びている」と断じている。いずれにしても、政治への不信が、一層強まる中での総選挙になろうとしているのである。
 
<原発問題は「小異」だった>
 そこで、民主・自民ネタでは面白味がないと、マスコミは「第三極」を追いかけ、非常に危険な動きをしていることを見逃すわけにはいかないだろう。
 特に、突然の東京都知事辞任から「石原新党」結成、そしてその直後には、「小異を捨てて大同につく」として、橋下維新の会に吸収される過程では、何らの批判精神のかけらもないマスコミ報道が目立ち、「石原ー橋下」に媚びる姿勢が目だったのではないか。
 「小異を捨てた」とする8項目の合意文書では、外交政策もなく、政党として基本的な政策は抜け落ち、TPP政問題も、「交渉には参加するが、国益に沿わなければ反対」と、曖昧な内容である。税制も消費税を11%、地方交付税制度の改革にのみ触れているだけで、これで「合意」なら、政党などいらない。話題の石原と橋下が組む、それがすべての「第三極」でないのか。さらに、東日本大震災についても、何も述べられていない。震災復興の課題など思いも及ばない輩なのであろう。
 
 合意文書「強くてしたたかな日本をつくる」とは、以下のような内容である。
(1)中央集権体制の打破
 地方交付税廃止=地財制度廃止、地方共有税制度(新たな財政調整制度)の創設、消費税の地方税化、消費税11%を目安(5%固定財源、6%地方共有税)
(2)道州制実現に向けて協議を始める
(3)中小・零細企業対策を中心に経済を活性化する
(4)社会保障財源は、地方交付税の廃止分+保険料の適正化と給付水準の見直し+所得税捕捉+資産課税で立て直し
(5)自由貿易圏に賛同しTPP交渉に参加するが、協議の結果国益に沿わなければ反対。なお農業の競争力強化策を実行する
(6)新しいエネルギー需給体制の構築
(7)外交 尖閣は、中国に国際司法裁判所への提訴を促す。提訴されれば応訴する
(8)政党も議員も企業・団体献金の禁止 個人献金制度を拡充

 最大の問題は、原発政策であろう。維新は「脱原発依存」政策ではなかったのか。合意文書では、原発ゼロは見事に抜け落ち、安全基準のルール化のみが示されるのみ。まさに「原発問題」は「小異」だったのである。原発推進の「石原新党」と「脱原発的」維新が、小異を捨てた。これを野合と言うのである。
 「石原新党」と名古屋市長河村が代表の「減税日本」の合流も、数日で破棄され、とにかく、橋下だのみで石原が屈服した、橋下も「政策の一致が必要」は単なるポーズであって、看板としての全国的な知名度から石原を利用する。「第三極」の実態とは、何なのか。徹底的に暴露することが必要であろう。
 
<「第三極」の本質は何か>
 それでは、彼らの「大同」とは何かである。日米安保擁護の従属路線、新自由主義(自己責任論・格差容認)、憲法改正(9条だけに止まらない)、などの自民党よりも更に右派路線であろう。「核兵器も持ち込めばいい」「中国・韓国に侮られるな」という排外主義、そして軍事的拡大路線。芯の部分では、これらで一致していると考えられる。だから、「小異が捨てられる」のであろう。みんなの党、減税日本もこれら右派路線を共有している。これが「第三極」の本質であろう。
 11月17日、維新は第一次公認を発表したが、47名であり目標の80名に届かなかった。19日には、「石原新党」組9名を第2次公認とし、公認候補は56名となった。大阪は12名公認だが、地方組織(県)はまだ3つしかない。300選挙区に候補者を立てるという方針も、241区に引き下げた。すでに公示まで2週間である。マスコミの異常な報道体制の中、「第三極」旋風は果たして起こるのか。こうした極右路線を徹底的に批判し、脱原発・消費税増税反対・TPP反対の勢力を擁護、支持していくことこそ求められている。(2012-11-19佐野) 

 【出典】 アサート No.420 2012年11月24日

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【日々雑感】こんな所にも反中国の影響か? 

【日々雑感】こんな所にも反中国の影響か? 

 私は年金生活者、月17万円で3人家族、これではやって行けないので、年老いてのアルバイト暮らしです。その職場で、ある日の新聞一面記事に中国の反日デモが載っていました。それを目にした同僚が、中国のことを襤褸糞に罵りました。そばに居た私は黙っていられなくて、「まあー、いろいろあるやろうけれども、太平洋戦争で日本が負けた時、中国からの引揚者等が残した数多くの残留孤児を中国の人々が育てあげて、戦後の日本に送り返してくれたということも、忘れたらあかんやろううな。」と一言余計なことを言ってしまいました。
 それが原因かどうか、普段は好きなパチンコの話や冗談を言い合っていた彼が一言も口をきかなくなったのです。
 「去るものは追わず、来る者は拒まず」の心境で暮らしている私としては、別に気にもなりませんが、「聞く耳を持たない」と言う態度は周り回って自分自身に降りかかってきて損をすると思っております。
 マスコミに操られやすい人々が多い中、こんな所にもマスコミキャンペーンが影響するのかと残念に思いました。
 この1件で思い起こすのは、斯く言う私も、古くは中ソ論争が盛んに言われた頃は、強い反中国論者でした。当時読んだ、スースロフ報告という文書で、中国の執拗な反ソ攻撃に、忍耐強く対応しているソ連側の状況を知り、あるサロン風の集いの中で、文化大革命の誤った路線を進める中国を強く批判したことがありました。
 その時、その集いに加わっておられた、今は亡きM・SU女史(当時園田在住、作家の故佐多稲子氏とも交友があり、中国で苦労して引き揚げて来られたと聞く)の一言で、私の反中国感情も少しは和らいだ事を思い出しました。
 故M・SU女史は言っておられました。「早瀬さんの中国批判は、よく分かるけれど、あの大戦で日本軍隊にひどい目に合わされた中国の人々が、残留孤児の人々を育て上げ、戦後の日本に送り返してきれた。その恩は忘れてはいけないと思いますよ」と。
 今回の1件で、今は亡き大先輩夫妻の墓前に手を合わせに行きたい心境にさせられた次第です。(2012-11-15早瀬達吉) 

 【出典】 アサート No.420 2012年11月24日

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【投稿】領土ナショナリズムと政治の右傾化

【投稿】領土ナショナリズムと政治の右傾化

<<「2人のタカ派の争い」>>
 危険極まりない政治の右傾化が進行している。
 戦争挑発と差別的言辞にしがみつく石原慎太郎東京都知事、それを後追いし、平和共存と対話路線を放棄して、わざわざ意図的な緊張激化路線を選択した民主党・野田政権、さらにこの政権の一層の右傾化をけしかけ、政権奪還を目指す野党自民党の安倍・石破執行部の誕生、そしてファシストまがいの橋下・日本維新の会の跳梁跋扈、日本の政治は今危険な曲り角に来ているといえよう。
 米紙ワシントン・ポストが、日本が中国との尖閣諸島の領有権などをめぐり、「右傾化への重大な変化の真っただ中にあり、第2次世界大戦後のどの時期よりもこの地域内で対決色を強めている」と論評(9/21付)する事態の到来である。
 同じく米紙ウォールストリート・ジャーナルは「日本の将来をめぐる2人のタカ派の争い」と題して「日本の野党・自民党は先月、安倍晋三元首相を新総裁に選出した。まるでバック・トゥ・ザ・フューチャー(未来への帰還)だ。安倍氏は首相として辛うじて1年務めたあと、健康上の理由に加え、政府内の政治的機能不全による支持率低下により2007年に9月に辞任した。以来、安倍氏は再起をもくろんできた。総選挙で自民党が勝って自らが首相の座に返り咲くためには、外交政策で野田佳彦首相を上回るタカ派姿勢を取る必要があることを安倍氏は認識している。」「野田氏と安倍氏は自らの強硬派としての実績に競って磨きをかけているが、これはいずれにしろ、日本の外交政策が一段と保守寄りに傾く可能性があることを意味する。」(10/9付)と指摘している。
 「競い合う2人のタカ派」は、いずれも集団的自衛権の容認を公然と打ち上げ、憲法9条の改悪を共通の目標とし、平和と経済を犠牲にしてでも軍事的緊張激化を辞さない、戦争挑発路線を競い合っているのである。
 オスプレイ配備強行も、その過程での米兵による集団暴行・レイプ事件に直面してもなお「事故」で済まそうとする野田政権の姿勢も、明らかにその軍事挑発路線と深く関わっている。

 

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オスプレイNO!抗議行動

写真は、10/19アメリカ領事館へのオスプレイNO!・米兵レイプ抗議の緊急行動

<<「われ、軍国主義者なり」>>
 この路線は、民主党への政権交代をもたらした2009年総選挙時の民主党マニフェストと全く逆行する路線である。マニフェストは「中国、韓国をはじめ、アジア諸国との信頼関係の構築に全力を挙げる」として、平和的共存、不戦と自由貿易圏としての東アジア共同体を掲げていたのである。もちろん、マニフェストには集団的自衛権の容認も憲法9条改正も掲げられていなかった。ところが今やこのマニフェストのほとんどを裏切り、中国、韓国との信頼関係をズタズタに壊してしまい、一触即発の危険な冷戦状態、軍国主義化路線をまでをもたらしてしまっているのである。
 10/14、野田首相は神奈川県沖相模湾で艦艇45隻、航空機18機、自衛隊員約8千人が参加して行われた海上自衛隊観艦式で訓示を行ったが、「領土や主権をめぐるさまざまな出来事が生起している。自衛隊の使命は新たな時代を迎え重要性を増している」と述べた後、「諸君が一層奮励努力することを切に望む」と締めくくったが、この「一層奮励努力」は日本海海戦で掲げられた「Z旗」で使われた表現であり、訓示ではさらに「至誠にもとるなかりしか」など旧海軍兵学校「五省」も読み上げたという(沖縄タイムス10/16付)。まさに旧大日本帝国海軍を称揚する「われ、軍国主義者なり」との意思表明である。軍国主義におもねる本性をさらけ出し、ついに来るところにまで来てしまったのであろう。「五省」の2は「言行に恥づるなかりしか」であるが、至誠にもとり、言行にも恥づる典型としての野田首相が、あの面構えでいけしゃあしゃあとこのように訓示する面妖さはもはやいかんともしがたい段階に来ていると言えよう。
 ところが、沖縄以外のマスコミはこうした野田首相の軍国主義者への変節の具体的現実を全く報道しない。

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10/19大阪府警天満署への関電本店前反原発行動参加者不当逮捕抗議・即時釈放要求の行動

 

<<「大人の所作」>>
 むしろそれどころか、「中国が攻めてくる」(週刊現代)、「中国をやっつけろ」(週刊文春)など領土ナショナリズムを煽り立てる見出しがこれみよがしに大書・横行している。それに乗じたのであろう、10/11付朝日新聞の天声人語は、中国を「体ばかり大きい子ども」と形容し、「大国の自覚はない粗雑さ」をあげつらい、「官民あげての「愛国無罪」も、国際社会の評判を落とすだけである。とりあえず「大人の所作」を覚えよう、と難じておく。 」と揶揄している。いかにもその尊大な上から目線は、そのような事態をもたらした日本側の「粗雑で大国の自覚がない」、常識さえわきまえない、「大人の所作」とは全く縁遠い、差別感情に満ち満ちた、「国際社会の評判を落とすだけ」の「国が買い上げると支那が怒るからね」とけしかけた石原都知事の発言や、それに乗じた野田首相の言動こそが、今日の事態をもたらしたという認識、自覚が全くないのである。
 9/13付朝日社説は「もう一つ気がかりなことがある。中国外務省が声明で、日清戦争の混乱の中で「不法に盗みとった」などと、日本の中国侵略の歴史と結びつけて説明していることだ」と難詰しているが、大日本帝国に対して無条件降伏を求めたポツダム宣言が第8項で「カイロ宣言の条項は履行されるべき」としたカイロ宣言は「満州、台灣及び澎湖島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還すること」と、「盗取」、「盗み取った」という現実を明瞭に表現しており、中国外務省がその国際的文書を引用したのは間違いない。朝日はこの歴史的文書をも否定するつもりなのであろうか。
 そしてここからより根本的な問題が見えてくる。それは、中国、韓国との対立が象徴している、日本側の歴史的責任への自覚、認識の欠如である。それは、「尖閣」も「竹島」も、日本軍国主義が中国侵略戦争の過程で、朝鮮植民地化の過程で略奪し、一方的に日本帝国の版図に組み入れたという動かしがたい歴史的現実、事実である。従軍慰安婦問題でもそうであり、自民と民主の閣僚まで加わっての、靖国参拝が象徴しているように、この日本の加害と侵略・植民地戦争への根本的な責任を常に曖昧にし、ごまかし、うやむやにしてきた、日本側の責任感の欠如こそが両国民衆から、世界から厳しく問われているのである。
(生駒 敬) 

  【出典】 アサート No.419 2012年10月27日

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【投稿】原発事故で誰も責任をとらないなら「日本に明日はない」

【投稿】原発事故で誰も責任をとらないなら「日本に明日はない」
                           福井 杉本達也 

1 「自分のケツ、拭けてるか?」
 「僕は中小企業の経営者が、いちばんまじめに生きてるんじゃないかと思う。大企業や国家が今いちばんヤバいのは、自分でケツを拭いていないってところ。今回の原発関係者全員、誰もケツ拭かない。みんなで渡ってるからケツ拭かない。犯人がいないから。これ、官僚がそういう仕組みを作ったのかもしれないけど、ケツを拭かない国家に明日があると思いますか?」(矢沢永吉:『Rolling Stone Japan Edition』8月号巻頭インタヴュー)。 福島原発事故から1年半が経過したが、いまだ16万人が避難し、国際赤十字「世界災害報告書2012」からは「科学技術の事故によって(住民が)移住させられた。人道の危機だ」(朝日:2012.10.16)と発展途上国の独裁国家並みの「強制移住」を非難されているにもかかわらず、誰も事故の責任をとって辞任した者も、逮捕された者も、首になった者も、降格された者もいない。日本の官僚機構は明治以来の「絶対・無謬」の「国家観念」の中で安穏としている。官僚の政策決定は「絶対・無謬」であるとするから誰も責任をとらないのである。記者会見で「大幅な原子力抑制は大規模な停電を意味する」(WSJ:2011.3.23)と国民を恫喝したスポークスマンの旧原子力安全・保安院の西山審議官は後にスキャンダルで更迭させられるが、環境省の除染推進チーム次長として“復活”している。

2 何があっても原発建設を継続
 10月からJパワーの青森・大間原発の工事が再開された。9月15日に枝野経産相が「建設途上のものは(「原発ゼロ」)原則の外側にある」としてすでに着工した原発は建設継続を容認する考えを示したからである。一旦許可したものは何があって止めないという官僚内閣制の典型である。旧自治省出身の西川福井県知事の「ぶれるな」発言も同様の精神構造から出てくる。日本国憲法では国会は国権の最高機関となっているが、実態は国会が選任した内閣が変わっても、省庁は個別施策について政策の「継続性」を強調する(松下圭一:『政治・行政の考え方』1998.4.20)。官僚内閣制で省庁間の個別政策を調整し政治決定を集約するものとして法的には存在しない非合法の「次官会議」があった。国会答弁も「政府委員」としての官僚が行い、内閣・国会は官僚の筋書きで動いていた。2009年の政権交代で鳩山内閣は一旦「次官会議」を廃止したが、その後、菅内閣で東日本大震災への対応として「被災者支援各府省連絡会議」が設置され事実上の「次官会議」を復活させてしまった。これでは、官僚の犯罪に踏み込める訳がなく、責任追及はうやむやになるだけである(松下:『成熟と洗練』2012.8.27)。

3 原発直下の活断層を見逃した官僚の無責任
 最近になって大間原発で活断層が発見されたと報道されているが、実は着工前から活断層があるのではと指摘されていた。2008年6月に開催された原子力安全委員会でも中田高広島工業大学教授(変動地形学)は原発付近に「海岸段丘」など海底活断層を疑わせる地形があると指摘していた。これに対し旧保安院・Jパワーは海の水準が昔より下がっただけだと黙殺した(福井:2008.7.5)。渡辺満久東洋大教授(変動地形学)から、今回新たに津軽海峡にある40キロの活断層が連動して動くと指摘された原発敷地内の活断層も発見された(福井:2012.10.4)。さらには、産総研・東海大からも原発東側の平舘海峡でも14キロの撓曲(とうきょく)=活断層(未知の部分がさらに北=原発東海岸付近へ伸びると推定される)があると指摘された(福井:2012.10.14)。これらの活断層が動くとすればマグニチュード7クラスの地震を引き起こすとされ、マグニチュード6.8の耐震基準で設計された大間原発は当然見直さなければならない。0.2違えば10倍違うからである。
 活断層については、大間原発以外にも、志賀原発・敦賀原発・大飯原発などで敷地内に活断層が走っていることが確認されている。六ヶ所再処理工場敷地でも撓曲が確認されている。志賀原発では1987~88年に1号機原子炉建屋直下を横切るS-1断層をトレンチ調査したにもかかわらず、旧通産省や原子力安全委員会が見逃した疑いが浮上している。当時の安全委員会の専門家(?)はトレンチ調査を見た記憶もないと回答している(福井:2012.7.30)。渡辺教授は国や事業者は基本的に活断層と認めない。認めざるを得ない場合は短くとらえて評価を値切ってきたと指摘する(福井:2011.7.14)。いわゆる「活断層カッター」といわれる旧通産省出身の衣笠善博氏(東工大)らの存在である(広瀬隆)。全く無責任極まりない状態である。原発訴訟画期的だった2003年1月27日のもんじゅ原発訴訟差戻第二審名古屋高裁金沢支部(川崎和夫裁判長)判決文を今改めて読むと「原子力安全委員会は,本件申請者のした解析に不備や誤りがあるとしてその補正を求めたことは一度もないことが認められる。科学技術庁が安全審査をした結果をまとめた安全審査書案を見ても,本件許可申請書の記載をそのまま書き写したか,又は要約したものに過ぎない。これでは,本件安全審査が本件申請者の主張にとらわれない独自の調査審議を尽くしたと認めるには多大な疑念を抱かざるを得ない。…誠に無責任であり,ほとんど審査の放棄といっても過言ではない。」と鋭く指摘している。にもかかわらず、官僚が責任を問われず「ニゲキレル」のは、官僚は担当行政について、のちのちに個人責任が問われないよう、短期間でのはげしい「配転」があるからであり、さらには「海外派遣」つまり海外逃亡すらお膳立てされている。責任官僚は責任行政のポストから、いわば「消えて」しまうからである(松下:『成熟と洗練』)。さらに官僚は職務権限のはっきりしたときのみの収賄をのぞき、国家行政組織法、国家公務員法などの不備もあって、個別行政決定権については個人行政責任の追及ができないというかたちで、国法を超えた位置にあり、「国家」の名において責任をのがれるシクミとなっているのである(松下:『政治・行政の考え方』)。

4 被爆隠しなど国の犯罪の下請け機関と化す自治体
 国の官僚が責任を持たない以上にさらに地方自治体の官僚は国に追従して輪をかけて無責任である。その典型が福島県である。「東京電力福島第1原発事故を受けた福島県の県民健康管理調査について専門家が意見を交わす検討委員会で、事前に見解をすり合わせる「秘密会」の存在が明らかになった。昨年5月の検討委発足に伴い約1年半にわたり開かれた秘密会は、別会場で開いて配布資料は回収し、出席者に県が口止めするほど「保秘」を徹底。県の担当者は調査結果が事前にマスコミに漏れるのを防ぐことも目的の一つだと認めた。」(毎日:10.3)
 さらには議事シナリオには県が4月20日に福島第一原発事故直後にSPEEDIのデータを受け取りながら、県民に公開せず、削除していたことについて調査結果を発表したが、それに関し「SPEEDI再現データ(3月15日の課題)の質疑に終始しない。(SPEEDIの話題のみが着目される可能性あり、そうならないよう願います。また、そうなった場合は、『線量評価委員会』で検討とそらして下さい。)[○○先生と要調整]」などと記載されていた。」(毎日:10.5)というのであるからなにをか言わんやである。国会事故調の聴取で双葉町長はSPEEDIの非公表問題で、「知らされていれば違った方向にかじを切った。政府の罪の深さは計り知れない」(福井:2012.1.31)と答えているが、国と並んで、SPEEDIデータを消し去った福島県の犯罪も同罪である。
 福島県は事故直後から山下俊一氏を放射線健康リスク管理アドバイザーとして任命し計画的避難区域に指定される前の4月1日に飯舘村では「マスクを着けて外出しなくても大丈夫だ、放射線は心配することはない」と講演している。しかし、その直前の3月31日にIAEAは飯舘村が避難基準の2倍以上の汚染地域であると指摘していた。
 2000年の地方分権改革で「官治型下降論理」つまり「統治原理」にもとづく「機関委任事務」は廃止され、名実共に基礎自治体として自立するべきものであった(松下)。しかし、その無知と思考停止状態から放射能隠しの犯罪も含め相も変わらず「自治事務」や「法定受託事務」の発想はなく従来通りの「機関委任事務」の発想のまま、国の下請け【機関】と化している。特に酷いのは、佐藤雄平福島県知事の他、放射能汚染の事実を隠そうと画策する村井宮城県知事であり、子供の健康調査は必要なしとする橋本茨城県知事、新幹線と引き換えに大飯再稼働を認めた福井県知事であり、玄海原発再稼働を画策した佐賀県知事、六ヶ所村の権益擁護に汲々する青森県知事らである。
 発展途上国型の「進歩と発展」への幻想は終わった(松下)。我々は米国に従属する腐りきった官僚体制を変革できるのか、日本に明日はあるのか、今岐路にたっている。

 【出典】 アサート No.419 2012年10月27日

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【投稿】生活保護法改正議論の行方

【投稿】生活保護法改正議論の行方

 本年4月以来、厚労省は社会保障審議会の中に「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」(宮本太郎北海道大学教授が座長)を設置し、生活保護とそれに連なる貧困問題について、議論を行ってきた。そして去る10月17日の第9回部会で、厚労省は「『生活支援戦略』に関する主な論点(案)について」と題する文書(49P)を提案してきた。
 
<第2のセーフティネットの充実という側面>
 2部構成になっているこの文書の、第一項は、いわゆる第2のセーフティネットの充実というテーマである。特に雇用保険や社会保険など第1のセーフティネットの後に、第3の、そして最後のセーフティネットである生活保護に至る前の、新たな仕組みということになる。これまでも、住宅手当制度(6ヶ月間住宅費を補填する制度)や総合生活資金貸付制度が創設されてきたが、依然失業状態が継続すれば、生活保護に容易く辿りついてしまう。
 そこで、第2のセーフティネットとして「生活支援戦略」が必要とされ議論されてきた。「生活困窮者が経済的貧困と社会的孤立から脱却するとともに、親から子への「貧困の連鎖」を防止することを促進する。国民一人ひとりが「参加と自立」を基本としつつ、社会的に包摂される社会の実現をめざすとともに、各人の多様な能力開発とその向上を図り、活力ある社会経済を構築する」ことが、「生活支援戦略」の基本目標とされている。
 そういう意味では、この生活支援戦略は、民主党政権としても目玉になる政策と言えるものであり、大いに議論し、実行ある政策展開が求められていると言える。
 「経済的困窮者や社会的孤立者の早期把握」・「初期段階からの「包括的」かつ「伴走型」の支援体制の構築」・「民間との協働による就労・生活支援の展開」が、大きな枠として設定されている。これら課題を、行政だけでなく、NPOや社会福祉法人、民間企業、ボランティアなどとネットワークを組んで、生活困窮者の支援をしようというわけである。
 さらに、これまでの福祉制度が、基本的に申請主義であって、役所に来る人は支援するという構造であったが、各機関がもっと「アウトリーチ」的取組みを強めて、地域に出向いて、早期把握・対策を行う必要があると指摘している点も、従来の施策構造からの転換という意味では、積極性を持つと評価できる。
 その中では、「総合的支援センター」の設立で、早期把握・支援を行うこと、「中間的就労」の機会を自治体や民間が提供し、就労への準備を支援する。そしてハローワークの対策を強めて、就職支援を行うことなどが、提言されている。
 さらに、貧困の連鎖を断ち切るための、教育の課題なども議論されている。
 実現には、さらなる議論と調整が必要と思われるが、少なくとも、「社会的包摂」をキーワードに、新たな「生活支援」策が議論されているという意味で、総論的には評価できる内容ではないか、と思われる。
 
 <生活保護の適正化と、法改正論議>
 一方で、第2項は、「生活保護制度の見直しに関する論点」と題され、生活保護に対する世論の風当たりの強まりを背景とした、制度見直し提言となっている。主な内容では、「期間を定めての早期の集中的な就労・自立支援を行うための方針を国が策定」「(生活保護)脱却インセンティブの強化」「就労収入積立制度の導入」「保護脱却後のフォローアップ強化」などとなっている。
 これらは、比較的若い失業者を対象としていると思われるが、保護開始段階から、早期集中的な自立支援を強化し、概ね6ヶ月で低額収入であっても就労が開始されるよう支援を行う。就労開始されれば、勤労控除が収入増につれ控除率が低下することが「脱却インセンティブ」に悪影響するとして、控除率の見直しが示唆される。さらに、就労が安定すれば、「就労収入積立制度」により、保護廃止後の「生活安定性」を担保するとしている。
 そんなにうまくいかないような気もするが、就労開始に繋げる制度が充実することは必要なことであろう。ただ、現下の景気低迷の中で、雇用の拡大が望めない中、様々な要因で就労を開始できない人々への「締め付け」となる可能性は否定できない。
 部会論議でも、「期間を定めての支援」について、議論が平行線となったと報道されている。
 さらに、論点では、医療扶助の適正化、不正不適正受給対策の強化、自治体の負担軽減と続く。不正対策では、タレントの親族の保護受給問題を反映して、扶養義務者への調査の強化(法29条関連)、不正受給に対する返還金への加算制度、再申請への審査の厳格化など、罰則強化などが語られており、部会でも委員から反対論が強く出された。さらに、ケースワーカーの不足から、業務の民間委託も可能になるよう検討するなどの項目もあり、生活保護制度の根幹部分を変更しようとする意図も見える。と言う意味で、第2項は、非常に問題の多い内容となっている。
 
 <拙速な制度改正にならない、慎重な議論を>
 この特別部会の議論は、非常に積極的な面を有すると同時に、拙速な、或いは保護の抑制に繋がりかねない問題も含まれている。制度改正と言う場合、他の社会保障制度全般との整合性も忘れてはならない観点であろう。拙速な法改正にならないよう、慎重な議論を求めたい。
 紙面の都合で紹介できなかったが、厚労省HPには、特別部会委員である、武居委員(社会福祉施設経営者協議会)、花井委員(連合総合政策局)広田委員(精神医療アドバイザー)、藤田委員(NPO法人ほっとプラス)が、意見書を提出している。それぞれ興味深いので是非参照願いたい。(2012-10-22佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.419 2012年10月27日

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