【書評】『「学校」が教えてくれたこと』

【書評】『「学校」が教えてくれたこと』
                                  —山田洋次著、PHP研究所、2000.4.27.発行、1,300円—

著者は、『男はつらいよ』シリーズで有名な映画監督である。監督作品としては、他に『家族』『幸福の黄色いハンカチ』等があるが、また周知のように、『学校』シリーズによって、現代日本の教育のあり方を考えていく話題作品を提供している点でもユニークな存在である。
本書は、その『学校』シリーズ制作にあたっての体験と視点をまとめたものである。
映画制作過程に即しての語り口であるだけに、表現は平易かつ簡潔であるが、その内容は興味深い。
『学校』第1作目を制作するきっかけとなった「夜間中学」との出会いの中で、著者は、普通の昼間の中学校には見られない特徴を発見する。そのひとつは、生徒はみんな何らかの事情で義務教育を受けられず、そのことでさまざまな差別を受けて生きたこと、もうひとつは、「夜間中学には競争がない」ということである。つまりこの学校に集まってくる生徒たちは、それまでの人生や現在の生活において苦難を抱えているが、しかしそれぞれが、学校に来る「高い志」とでもいうべき目的を明確にもっている。そして彼らにとって「夜間中学」が、「ひとつの家庭であり地域であり社会」である存在となっていること、ここにこそ本来の学校の姿があるのではないかと著者は確信する。そしてこの視点は、「夜間中学」誕生までの歴史の認識と重なって、教育の現状、あるいはもっと根源的に、「教える」ということを考える挺子となって、さまざまな問題を浮き彫りにする。
『学校Ⅲ』は、知的障害をもった主人公の在学する高等養護学校が舞台であるが、この映画を撮るにあたって助言を受けた教員の言葉を、著者はこう語る。
「知的障害の場合は子どもの心を理解することがとても難しい。障害のあらわれ方が一人ひとりみんな違うわけだから、子どもを一生懸命みつめて、それぞれの子どもたちから、その子がどのような障害をもっているかを学びとるしかない。子どもたちから教えてもらうという気持ち。この子がどんなふうに悩み、どんなことに怒り、何に喜ぶかということを一生懸命に学ぶ。そのために教師はなるべく目立たない存在でなければいけない。」
このような姿勢が大切なことは言うまでもなく、これを抜きにした権威の絶対視や怠惰な現状肯定の認識にもとづく行動が、学校不信、教育崩壊の底にあるのではないか、と著者は指摘する。
そして著者は、学校の問題について考える中で、「教えるとか学ぶとかいう問題は、ぼくたちの映画創造の現場の悩みや苦しみと深く関わりがありこと」に気づき、著者のバイブルともいうべき、伊丹万作の『演技指導論草案』(『伊丹万作全集2』所収、筑摩書房)との比較を試みる。伊丹万作は、亡くなった伊丹十三の父親にあたり、戦前の脚本家・監督として有名な人物である。
ここでは演出者として俳優をどう見、どう指導していくかが、具体的な心構えとして説かれている。たとえば次のようにである。
「俳優の演技を必要以上に酷評するな。それは必要以上に賞讃することよりももっと悪い。」
「演出者は演技指導中はできるだけ俳優の神経を傷つけないように努めなければならぬ。そのためには文字どおりはれものにさわるような繊細な心づかいを要する。なかんずく俳優が自信を喪失する要因になるような言動は絶対に慎まなければならない。/演技指導とは俳優を侮辱することだと思っている演出者がいるのは驚くべきことだ。」
これらの指摘と、子どもの心になって考えることとの共通性には注目すべきものがある。演出者という権威で俳優を萎縮させてしまう姿と、教師という権威に寄りすがって子どもを叱っている姿とが二重写しになるのではなかろうか。(ちなみに著者は、学校の教師がお互い同士を「先生」と呼び合っているのは、自分たちが特別な枠組みの中にいるということをひけらかしているのではないか、と批判的である。)
また、俳優の可能性については、こう述べている。
「ある時間内の訓練が失敗に終わったとしてもあきらめてしまうのはまだ早い。その次に我々が試みなければならぬことは、さらに多くの時間と、そしてさらに熱烈な精神的努力をはらうことである。たとえばめんどりのごとき自信と執拗さをもって俳優を温め温めて、ついに彼が孵化するまで待つだけの精神的強靭さをもたねばならぬ。」
今日の学校には、この雌鳥のような自信への障害が多い。しかしあきらめることなく、というのが著者のメッセージであろう。 そして著者が結論的にこだわるのは、「品性の高さ」というわれわれ自身の問題となる。これは、映画のセットについての次の戒めとなる。
「セットはたえず掃除せよ。しかし掃除していることが目立ってはいけない。/つつましやかにいつもセットを掃除していてくれるような働き手を演出者は見つけるべきである。そういう人が見つからないときは自分で掃くがよい。それほどこれは肝腎な仕事なのだ。セットがきたないことは仕事の神聖感を傷つけ、緊張をそこね、そこで働く人たちを容易に倦怠に導く。(略)/通例照明部の人たちは泥のついたコードを曳きずり、泥靴をはいたままで、殿様の書院でも江戸城の大広間でも平気で蹂躙してまわる。その後から白足袋で歩いていく大名や旗本は、演技にかかるまえにもうその神経を傷つけられてしまうのである。(略)」
この「品性の高さ」と前述の「高い志」という視点こそが著者の眼目であり、この点に「この四十年もの間に日本人が失ってきた大切なもの」があるとされる。それ故、「なんとかしてあの時代の精神に、あるいはあの時代の慎ましい暮し方にもう一度立ちかえることはできないのか」と問いかけ、「三十年から四十年の年月をかけてぼくたちが大切なものを失い続けたとすれば、それをもういちど拾いあつめるためには、同じように三十年も四十年もかけるしかない。その覚悟をぼくたちはできるのだろうか」という決意にも似た気持ちを述べることに、著者の監督としての姿勢があらわれている。
以上のような著者の視点と姿勢は、現代社会、特に教育の現状に憂慮と関心をもつ多くの人びとから共鳴を寄せられている。しかし同時に考えなければならないことは、著者が、三十年前、四十年前云々と語るとき、その時代に闘われた歴史からの教訓と、著者の現在の姿勢のもつ意味を冷静かつ客観的に比較考察する必要が、われわれにはあるということであろう。この問題を絶えず念頭に置くのであれば、著者の説く内容には学ぶべき多くの事柄があり、本書は、小冊子ながら、現代社会の教育に対する理解と打開の道の一端を担うものとなるであろう。(R)

【出典】 アサート No.276 2000年11月25日

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【投稿】安保闘争の裏?話

【投稿】安保闘争の裏?話 

この4月から新しい職場になり、早7ヶ月を迎えた。
自分の所属する部署だけではなく、多くの人とも顔見知りになり、帰りに飲みに行く機会が増えてきた。私自身も飲むのが好きなので、誘われれば、よほどのことがない限り必ず誘いに応じている。そんなお誘いで、年配のお二人からお声がかかった。もうお二人とも定年退職をして、その後の仕事として現在働いておられる。数日後に行く約束して近所の飲み屋で飲むことにした。
以前から、お二人はちょくちょく飲みに行かれていたらしい。お互いに良く知らないまま同席しているのであるが、お二人のことを知るために今までの仕事を尋ねると、お一人は警察官、それも幹部であったらしい。そして、もうお一人は自衛官であった。なんという組み合わせであろうか。思わずほほ笑むでしまった。学生時代に運動をして、警察のブラックリストに載り、公安の刑事がわざわざ家にまで来て調査された私が、こともあろうに警察官、それも元幹部、そして元自衛官と一緒にお酒を酌み交わしているのである。こんなことがあろうとは思いもよらなかった。
しかし、年端のなせる技であろう。そのような過去を全くとまではいかないが、ほとんど気にすることもなく、いろいろと話することができた。そんな中、もっぱら私が聞き役に回っていたのであるが、酒も進んできたとき、突然であったが、話題が安保闘争の話になった。それも第1次安保闘争の話である。その話によると、その方が就職したその年に、安保闘争の警備のために動員され東京に派遣されたそうである。国会の正門で警備についており、樺美智子さんが亡くなったその日も警備についていた。次の日、樺さんの死に怒るデモ隊が、正門から遠くではあるが対峙しているとき、門の中にいたにも関わらず、そのうねりの迫力に恐怖を感じたそうである。そして、ほとんど眠れない日が続き、2週間の動員の間で10キロも痩せてしまったそうである。
同じ時、自衛官の方は、レンジャー部隊に配属されていたそうである。レンジャー部隊は特殊訓練と言えば聞こえがいいが、要するにいかに人を殺るかという訓練ばかりしていたそうである。そして、国会にデモ隊が押し寄せた山場の日、自衛隊には待機命令がかかり、いつでも出撃できる体制で待機していたそうである。結局は出動命令は出なかったが、心の中では武器でもってデモ隊を排除する決意を持っていたそうである。このように、その時、政府側も緊迫した状況に陥ってたらしいことが伝わってきて、私には大変興味深い話であった。聞きながら、「これはアサートに投稿できるな」とも考えていた。
そして余談になるが、そのとき動員された警官は、特別手当への期待がその苦しみに耐える糧であったらしく、休憩する車の中での話題はいくら特別手当が支給されるかという話ばかりであったらしい。(実際支給された金額は予想の半分程度であったそうである)

この話を懐かしそうに語っておられるお二人の顔に、歴史にページを残す出来事に自らが直接かかわってきた満足感、充実感みたいのものが表情として現れているのが印象的であった。多分、デモ隊として安保闘争に参加してこられた方も同じ表情でデモの様子を語るのであろう。
最近の私は、右や左にあまりこだわらなくなってしまっている。「人は人がら」という思いが年々強くなっている。安保闘争も、今や昔になってしまったのだろうか。
(大江 和)

【出典】 アサート No.276 2000年11月25日

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【コラム】ひとりごと—不信任案否決に思うこと—-

【コラム】ひとりごと—不信任案否決に思うこと—-

 久しぶりに、何とも古くさくて、つまらないのだけれど、見ようによれば実に面白いドラマを堪能した。くだんの「加藤政変」である。マスメディア(本号での生駒論文もだが)は、加藤氏の倒閣行動の挫折を、国民に対する裏切りだの、政治不信を増幅させるだの、やけに厳しく批判しているが、私はそんな風には感じていない。
 そもそも国民は、加藤氏に対してそんな大きな期待をしていたのだろうか。何か面白くなるかもしれないなと関心を強めてはいても、案外、こうした結末は予測の範囲内で、「ああ、やっぱりな」というのが実際のところではなかろうか。
 むしろ、今回の騒動は、日本の国会や政治がどんな状況にあるのか、実に正確に映し出したところに価値がある。矢野前公明党書記長がニュースステーションで、「加藤さんも、喜劇のピエロになるくらいなら、負けても何人かを引き連れて不信任案に賛成し、自民党を除名されて悲劇の殉教者になったほうがよかったのに」と評していたが、とんでもないことだ。殉教者なんかが生まれていたら、ドラマとしてはカタルシスを提供できたかもしれないが、日本社会にとっては中途半端で、決して好ましいことではなかったと思う。ここは、あくまでもブレヒト劇のような結末がふさわしかった。
 不信任案が否決されて、実にうれしそうな森首相の笑顔。自分のためにこんな状況になっているのに、悲壮感や苦渋のかけらも見あたらない。ああ、この人は、自分が首相の座にいることにだけに満足している人なんだということが、本当によくわかる。
 大見得を切ってきたのに、すごすごと敗北を認めて、泣き顔の加藤さん。何とも頼りない彼を、「あんたが、大将なんだからと」これまた泣き顔でいさめている加藤派の各議員。ああ、この人たちは、自分の選挙も自分の力ではできなくて、議席を失うことが何しろこわい人たちなんだということがよくわかる。
 締め付けと、切り崩しに威勢良く走り回る主流派幹部。ああ、この人たちは、政権与党でいることが何よりも大事なんだということが、ひしひしと伝わってくるのである。
 そして、ついでに言えば、自民党に舞台だけを用意して「たなボタ」を狙ったものの肩すかしをくらい、最後に松波議員に水をかけられて抗議の声を張り上げていた野党議員たちは、まさにエキストラそのものであった。
 日本の国会に「パワーゲーム」はあっても、「統治」のための政治は存在しないという現実を国民はまざまざと見せつけられた。けれども、その日も、明くる日も、社会が正常に機能していることに間違いはない。
 だとすれば、国民の中で、国会や国会議員が有力なリストラ候補に上げられたとしても、何の不思議もないのである。(大阪:依辺 瞬) 

 【出典】 アサート No.276 2000年11月25日

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【投稿】政局転換の挫折と森「死に体内閣」

【投稿】政局転換の挫折と森「死に体内閣」

<<政界の暴力団抗争>>
 またもや多くの人々の期待は裏切られたといえよう。「優柔不断」、「貴公子」と言われ続け、次期総理へのにんじんをぶら下げられては「禅譲」を期待しつづけてきた加藤・自民党元幹事長、その行動はこれまでそれ程注目を浴びるものではなかった。しかしその加藤氏が、森・自公保連立政権に対して明確な不信任を表明し、野党が提案する森内閣不信任決議案に対して賛成投票をするという、これまでにない展開は、政局を大きく揺り動かし、一挙に日本の政治の劇的変化を期待させるものであったし、事実これまでにない多数の人々が期待を表明し、加藤氏のホームページには一日に5万件ものアクセス、数多くの激励メールが寄せられるという新しい事態を引き起こした。このこと自体は大きく評価されてしかるべきであろう。
 ところが、土壇場になって自民党内の内向きの論理によって、「幕引き」、「手打ち」が行われた。まるで政界の暴力団抗争である。元締め役の野中幹事長は不信任決議案の上程、採決の前から、これに賛成するものには離党勧告・除名、選挙区では対立候補を広言し、主流派の橋本派では加藤氏に対して「熱い鉄板の上で猫踊りをやらせてやる」と息巻く始末である。戦前の治安維持法、予防検束の思想そのままである。思わず、共産党が核実験停止条約に賛成投票する意向を表明した当時の鈴木市蔵参議院議員に対して党から除名し、悪質極まりない個人攻撃、罵詈雑言をあびせた過去を思い出させるものであった。いまだに反省、自己批判すら出来ない、追及されると多数決原理でしか答えられない。数の暴力が問われているときに、情報公開と公開論議を否定し、上意下達の決定服従のみを求める。いずれも民主主義というものの基本的ルールをわきまえない、お恥ずかしい限りの知的レベル、政治的未熟さを示すものである。

<<「大人の解決」>>
 加藤派は、野中幹事長らの恐喝と恫喝の前にその半数前後が切り崩され、「多くの犠牲を伴う」事態を避け、「名誉ある撤退」を選択したという。主流派は「いい落としどころ」に持ちこみ、「大人の解決」をしたと自賛する。密室協議で全く不明朗な形で誕生した森政権は、ここで再びその崩壊の危機を密室協議で葬り去り、次の政権たらい回しに向けた密室取引が始まるのであろう。
 ここで加藤氏の最大の危機は、数的に切り崩されたことが問題なのではなく、党内はもちろん、党外においても新聞、テレビ、インターネットなどを通じて広くオープンに訴えかけ、そのことによって広範な論議を巻き起こし、支持を獲得してきた、民主主義的政治の本来あるべき姿をみずから断ち切ったことにあるといえよう。情報公開とオープンな議論という、民主主義にとって本質的な基本的政治姿勢と相反する密室決着・裏取引は、よりいっそう大きな失望感、政治への不信感を増大させたともいえよう。
 すでに森政権は、自民党内の多数がどうであろうと、もはや見離されているのである。森首相は言うにコト欠いて「加藤がこういうことをするから支持率が下がるんだ」と最低限の政治的自覚さえ示し得ない無責任さである。その結果、森内閣の支持率はついに12%(11/19テレビ朝日調査)などという急落ぶりである。もはや森内閣は「死に体内閣」、存続の余地など限られており、今や世論の圧倒的多数は森政権よりもむしろそれを支えている自民党に愛想を尽かし、主流派でさえ支えきれない、彼らと手を組んでいる公明・保守にまで存亡の危機が迫っているのである。今回期待されたことは、加藤派が多数を握るかどうかよりも、加藤派が山崎派とともに自民党の多数派の現状維持の姿勢と手を切り、野党と連携してでも森政権打倒の姿勢を明確に示し、政局を大きく転換させることが出来るかどうか、それが貫徹されるかどうかにかかっていたのである。不明朗な「手打ち」は、彼らの政治的無責任さを浮き彫りにし、もはや期待されざる存在へと追い込むものである。

<<既得権益と“お出迎え”>>
 自民主流派は今回の事態の幕引きによってほくそえんでいるのであろうが、事態は彼らにとってより深刻となったというべきであろう。彼らの強権的で反民主主義的な政治姿勢は、どのように弁解しようとも、崩れ落ちようとする政治的特権、既得権益確保にしがみつく時代遅れの亡霊でしかない。
 自民党主流派にとって、今回の事態乗り切りの報償金は、来月の内閣改造である。省庁再編に伴って新たに生まれる利権の争奪戦、新大臣、副大臣、政務官など70人の入閣、さらに党の役員や部会のポスト、これらをめぐっての分捕り合戦、派閥割り当て、要するに既得権益分配合戦である。加藤派を切り崩したえさでもあり、報復でもある。
 しかしこんな薄汚い政治は、今や神通力をなくし、ますます愛想をつかされている。つい先日行われた長野知事選がそのことを端的に示している。共産党を除く県議会のすべての会派から支持・推薦を確保し、県下120市町村の首長も押さえ、出陣式には、国会議員や県議、市町村長1000人がはせ参じ、候補者の池田氏は行く先々で首長や県議からうやうやしく“お出迎え”を受け、思いつく限りの公共事業を次から次へと列挙、関係企業をひざまずかせ、悪代官よろしく横柄に命令しても人が群がるほど集まる。誰も敗北など予想していなかった。それが11万6千票以上の大差で敗北したのである。
 森内閣不信任決議案が上程される前日、11/19の栃木県知事選挙でも、同じく共産党を除くオール与党が推薦する現職の知事が落選し、無所属新人が当選。保守王国の神通力はここでも作用しなかったのである。
 明らかに事態は大きく変化してきているといえよう。加藤氏が言うようにまさに「自民党は存亡の危機」に直面しているのである。中途半端で、あいまいで、既得権益に未練を残し、住民参加と情報公開を拒否し、オープンな民主主義的政治手法を取らないような政党は、さらにいえば労働組合でさえも、すべて拒否される時代が到来しつつあるとも言えよう。民主党や野党がこれらの選挙で自民党に加担し、国会でいくら対決を叫んでも、迫力は乏しく、共産党も含めて、森内閣退陣を要求する広範な大衆運動さえ組織し得ていない、しようともしていない現状が、今回のような不明朗な結末、失望感をもたらしたのではないだろうか。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.276 2000年11月25日

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【コラム】ひとりごと(2000-10)

【コラム】ひとりごと(2000-10)

○小野先生が亡くなられてまもなく10年。いろんな思い出が蘇る。私の場合は比較的最近のお付き合いだった。1980年代ということになる。江川さんの「小野先生の思い出」にも登場しているが、阿倍野区のお宅にもよく伺った。○私にとって印象深かったのは、奈良への引越しの時のことである。特に書斎や書庫の整理を何人か手伝わせていただいた。特に歴史的な文書や山積みの書庫の整理は、私にとってとても興味深いものだった。山のような文書や書類を分ける作業だった。寄贈する図書、引越しするもの、そして廃棄するものというわけだ。特に文書は、「これはどうしましょう」と先生に訊ね、整理していった。○特に60年以降のガリ版文書も多数あったが、先生は、もう要らないという場合が多かったが、それを私はいただくことにした。戦後40年代赤旗や前衛第1号もあったし、日本共産党の「人民に訴ふ」もその中にあった。65年前後の社革、こえなどの統一論議の諸文書、民学同の結成や分裂にかかわるガリ版文書、学生運動で各大学のビラ、「新しい路線」「統一」「日本のこえ」などの機関紙類など。赤鉛筆で朱入りのものも多かった。○そうしていただいた文書・機関誌類は、ダンボール三箱ほどになる。○最近、気になったので、箱を開けて目を通して見た。特に興味をもつのが60年代の文書類だ。70年代以降は私自身も関わっているが、60年代の文書類は激動を反映している。共産主義運動の統一をめぐる議論経過の文書は特に。○特にガリ版文書はほとんど私の手元にあるが、山と積まれた中に忘れられない文書があった。原稿用紙書きで綴じられたものだった。題は「除名にあたって」。「先生、これは大事なものでしょう」と尋ねたら、「ここにあったのか」ということで、先生が保管されることになった。60年代に共産党を除名されたおりの文書のようだった。○奈良に引越しされてから、突然の逝去。私は、あの文書が気になっていた。ご家族の方にも、書類整理の際の話をして、文書の所在を尋ねたが、その後まだ見つかっていない。私はその表紙だけをみた一人ということになる。○ダンボール3箱の文書類は、いずれ目録にして整理しようと思っている。自分自身の時代のガリビラも私は結構残しているし、70年代の学生運動の記録である。自分自身の今後を考える上でも、ひとつの区切りにしたいと思う、前を向きながら。(K.T) 

 【出典】 アサート No.275 2000年10月21日

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【投稿】公務員に労働三権—野中発言の狙い

【投稿】公務員に労働三権—野中発言の狙い

 またしても野中自民党幹事長のしたたかさを感じた。公務員制度改革への発言である。報道によれば、14日の講演で野中幹事長は、「21世紀にあるべき公務員像を示す」と述べ、警察、消防、自衛隊、海上保安庁職員を除くすべての公務員に団結権、団体交渉権、争議権の「労働3権」を与えることや、民間企業との人事交流促進など、公務員制度改革に取り組む考えを表明したという。さらに、それに伴い、人事院勧告制度の廃止や、公務員のリストラ推進に弾みを付けたいとの内容もあり、公務員制度改革を来年の参議院選挙での与党政策の目玉にしたいという報道もあった。
 まだ問題提起にとどまっているとは言え、ある意味で彼らの側からの挑戦状として真剣に受け取る必要があると思われる。
 今、国と地方を問わず、進行している事態は、財政危機に象徴される従来型の行政運営の限界であり、公務員と公務のあり方への「変革」が求められていることであろう。右肩上がりの経済への復帰はバブル崩壊以後ほぼ不可能となり、10年に及ぶ「従来型公共投資」による景気浮揚策も、国・地方での債務を拡大させただけとなった。
 総選挙後の「公共事業見直し」論も、筆者が指摘したとおり、小手先の人気取りの枠を出ることはなかった。野中は地方議員出身だけに、税制論議においても地方交付税制度がモラルハザードを生み出している実態を指摘し、借金漬けの地方行政を野放しにできないなどの主張を繰り返してきた。
 そこへ今回の「公務員に労働三権」の発言である。組合の立場から言えば、労働基本権の回復という点からは歓迎ということも有りうるが、その狙いが組合の力を見抜いた上での逆の意味で、組合潰しを戦略的に狙っているものとして考える必要があると思う。まあ、舐められたものである。
 出口の見えない低成長を反映して、2000年の人事院勧告は、2年続きの実質マイナス勧告となった。「労働基本権剥奪の代償措置」としての人事院勧告だが、マイナスが続いているとは言え、公務員賃金の社会的水準を維持する役目を果たしていることは事実である。財政再建議論の中でも、昇給延伸やカット方式が取られているが、格付けとしての本俸の額そのものを下げるまでは至っていない。
 野中発言は、そうした社会的水準の役目を果たしている人事院勧告制度を廃止することを狙い、その過程で国公や自治体労働組合の力を弱めようとする意図が見え見えである。、民主党を支援する連合や自治労を目の敵にしての発想であり、組合費チェックオフ禁止法案と同様の流れに位置付けることができる。
 とは言え、労働三権の議論としては、それが実現するとすれば、一人前の労働組合として、公務労働運動の真価が問われるというだけのことであり、一層の運動強化が求められるということだろう。
 70年代には、人勧体制打破というスローガンもあった。スト権ストという取り組みもあった。人勧を待たずに5月確定6月条例化などの「議論」もあった。しかし、80年代以降は「労働基本権の回復」の取り組みも薄れ、労使自主決着というのも人勧をベースにした交渉が主体になっている。野中発言が今後、どう与党内で議論され具体化されていくかは分からないが、公務労働運動の側が民間賃金を反映させる人勧制度ではなく、労使交渉で決定していく戦略を早急に準備していくことが求められている。
 賃金決定のシステム議論と平行して求められているのが、民間委託問題や現在公務職場で働く非正規職員の課題であろう。来年にかけて「短時間公務員制度」をめぐる議論が焦点を迎える。すべての公務職場の労働者に「労働時間による均等待遇」を実現することが必要である。こうした点について、まだまだ公務労組の取り組みは不十分であり、「本工組合主義」的要素は、完全に払拭されてないない。公務員は優遇されている、との批判が、外からも、そして中からも根強くあるのは、そこに原因の一端が存在している。開かれた行政が求められているが、国民・市民に理解される、支持されるためにも「閉じられた世界」から「開かれた世界」で、堂々と要求を主張していく戦略と発想の転換が組合の側にも強く求められていると言える。(佐野 秀夫)

 【出典】 アサート No.275 2000年10月21日

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【書評】「唱歌」とイデオロギー

【書評】「唱歌」とイデオロギー
        –『日本唱歌集』(堀内敬三・井上武士編、岩波文庫、1958年)–

われわれのもつ意識が、基本的に社会的意識であり、支配的な社会思想(イデオロギー)によって方向づけられていることは言うまでもない。さらに、支配的な社会思想とは、支配的階級の思想であり、支配体制の維持強化に向けて、教育、文化やマスコミ等あらゆる方法で、絶えずそのイデオロギーが注入されていることについても確認できるところである。すなわちイデオロギーは、あたかも空気のように、われわれの日常生活そのものを取り囲み、われわれは、それを意識せずに、受け取って生活しているのである。それ故われわれの日常的意識は、自覚を欠いた保守的意識が圧倒的であり、これがまた絶えず再生産されていて、その影響は巨大である。
この悪循環的メカニズムが、われわれの年少期から続けられていて、われわれの慣れ親しんだ世界に浸透していることの恐ろしさを、今一度認識しておく必要があろう。その一例を、今回取り上げた『日本唱歌集』に見ることができる。本書は、かなり以前の出版でありながら、いまなお版を重ねている(2000年1月で第62刷)。
「唱歌(文部省唱歌)」とは、明治政府が近代国家形成にあたって最重視した学制(1872年)の一環としてつくられたが故に、国家の意向を色濃く反映している。従って、日本民族や天皇、家夫長制道徳賛美の歌、軍歌等が数多く採用されてはいる。それらについては、特に言及せずとも、その意図は明らかであろう。問題は、現在なお口ずさまれている多くの歌に、その本来の意味があるにもかかわらず、意図的に隠されている部分があるような状況が存在することである。
二三例をあげよう。
「われは海の子」(我は海の子、白波の/さわぐいそべの松原に/・・・[ 以下略 ])において、最後の七番には、こう記されている。

「七、 いで大船を乗出して
われは拾わん海の富
いで軍艦に乗組みて
我は護らん海の国 」

また「蛍の光」(ほたるのひかり、まどのゆき。/書よむつき日、かさねつつ。/・・・[ 以下略 ] )は、通常、二番(とまるもゆくも、かぎりとて、かたみにおもう、ちよろずの、/・・・[ 以下略 ] )までしか歌われない。しかし、その三、四番は、次の通りである。(ただし本文は、ほとんど平仮名であるので、(  )内は、筆者の推測で、これに漢字を当てたものである。的外れがあるかもしれないが、ご容赦願いたい。

「三、 つくしのきわみ、みちのおく、
うみやま とおく へだつとも、
そのまごころは へだてなく、
ひとつにつくせ くにのため。 」
(筑紫のきわみ、陸奥、
海山 遠く 隔つとも、
その真心は、隔てなく、
ひとつに尽くせ、国のため。)
「四、 千島のおくも、おきなわも、
やしまのうちの、まもりなり、
いたらんくにに、いさお しく。
つとめよ わがせ、 つつがなく 」
(千島の奥も、沖縄も、
八島の内の、守りなり、
到らん国に、功しく。
つとめよ、我が背、つつがなく。)

見てのとおり、この歌は、晴れ着姿の学生ではなくて、日本の生命線を守る兵士を送る歌である。少なくとも、二番まで歌って卒業式場を出ていく歌ではないことが理解されるであろう。二番で止めるのと、四番まで歌うのとでは、全く意味が異なってくる。
ところがわれわれは、卒業式で、最終電車のプラットホームで、あるいはまた閉店間際のパチンコ店で、この曲を聞いて、物悲しい気持になる。これがイデオロギー的な操作になっていることは言を待たないであろう。
もうひとつあげよう。「桃太郎」(桃太郎さん、桃太郎さん、/お腰につけた黍団子、/一つわたしにくださいな。[ 以下略 ] )である。四番以下を記載する。

「四、 そりゃ進めそりゃ進め、
一度に攻めて攻めやぶり、
つぶしてしまえ鬼が島。
五、 おもしろいおもしろい、
のこらず鬼を攻めふせて、
分捕物をえんやらや。
六、 万々歳 万々歳
お伴の犬や猿雉子は、
勇んで車をえんやらや。」

元気な歌ではあるが、絶対悪(敵)としての鬼の殲滅とそこからの略奪を是認する思想が端的にあらわれているとは言えないだろうか。意気軒昂たる桃太郎とその家来たち(彼らは、黍団子を代償として恩義を感じ、そのためには身を投げ出して尽くすということが、三番で歌われている)には、殲滅させられる鬼たちに対する感情は微塵もない。
このように、われわれの生活の到るところで、イデオロギーは浸透している。日の丸・君が代問題とともに、その裾野に広がっている些末な事象に含まれている意味をしっかり捉えて、日常的に抵抗していく姿勢のあり方が、今一度問われているようである。
『日本唱歌集』は、われわれに、懐かしさと愛着を感じさせてくれるとともに、その底に潜む素朴ナショナリズムと、操作された国家の意向を知らせてくれる貴重な一冊であると言えよう。(R)

【出典】 アサート No.275 2000年10月21日

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【投稿】小野先生の思い出–最後に出会った学生として–

【投稿】小野先生の思い出–最後に出会った学生として–

 小野義彦先生が亡くなられてもう10年になろうとしている。一報を受けたあと、通夜の前日、当日とも、仕事を済ませては奈良のご自宅に駆けつけたことを記憶している。
 1984年に大学入学した私にとって、小野先生は既に伝説の人だった。先輩方から「小野理論」としてその学説・論争を受け継ぎ、私たちにとって大いなる拠り所だったのだが、その姿は年に1回の「関西労働講座」で拝見するのみで、とても「身近な」存在と言えるものではなかった。そんな私が、ご逝去の一報にいてもたってもいられなくなったのは、亡くなられる1年前のこんな些細だが貴重な思い出のためかもしれない。

 それは1988年5月のことで、現アサート編集委員である佐野さんからの依頼がきっかけだった。「6月の労働青年の交流集会で小野先生の講演会を開催するんだが、そのレジュメ原稿を先生の自宅に取りに行ってくれないか」というものだった。開催日も間近に迫る一方、主催メンバーの都合がつかず、学生だった私に白羽の矢が当たったのである。
 あの小野先生と話ができるという期待と、私ごとき若輩が先生の相手をできるのだろうかいう不安が交錯しつつ、当時の阿倍野区の自宅にお伺いした。佐野さんからもらった地図を頼りに、近所をうろうろと歩き回っていた。お昼前でもあったので、買い物帰りと思われるご婦人が訝しげにこちらを観ていた。後から思えば、それはみどり夫人であった。
 何とか先生宅にたどり着き、みどり夫人に自己紹介し、居間に通していただいた。先生は起きたところだとのことで、緊張が解けないまま、居間で待つこととなった。先生は夜型人間だと聞いていたが、本当だった。
 ほどなく現れた先生は、あの印象深いオールバックではなく、まさに寝起きのボサボサ頭だった。その姿に驚きつつも、私は直立不動の状態で挨拶した。先生は「いやあ、すみませんねえ、書いているうちに夜遅くになっちゃって」とおっしゃりながら、ゆっくりと歩を進め、ソファーに腰を掛けられた。
「大学では何をやってるんですか」「ハイ!自治会活動をやっておりまして、今は一線から引いて学生同盟の方で・・・・」まだ緊張が解けない。「最近の学生運動はどうですか、厳しい状況だとはきいとるんですが」「ハイ!その通りでございまして・・・・」ついつい言い訳をしてしまった。
「これがねえ、原稿なんですが・・・・」手渡されたのは色とりどりの折り込みチラシの裏に、ビッシリとしたためられた、レジュメ原稿というよりは「小論文」だった。
「一度読んでみてくれませんか」「ハ、ハイ!」(先生の眼前で生原稿を読むなんて!)まだまだ緊張が解けない。頭に入らない。
「どうですか」(感想を求められている!)レジュメのテーマはペレストロイカだったのだが、先生の原稿に感想を述べる勇気などなく、質問に切り替えようととっさに出た言葉が「北方領土はどうなるんでしょうか」・・・・ああ、何たる愚問!それでも先生は、ソ連の他の国境紛争のことも引き合いに出され、丁寧に解説くださった。
 そうこうしている内に、みどり夫人が食事を運んでこられた。先生にとっては朝食、私にとっては昼食だった。これが、民学同「新時代」誌で読んだことのある、飲まず食わずで学園を走り回った先輩方が、深夜に小野先生宅を訪ね、その空腹を満たしたという、伝説の「みどり夫人の食事」か!・・・・と妙に感動しつつ、美味しくいただいた。
 他にもつまらない質問をしてしまった挙げ句に、何とか会話の間をつなごうと、またもや思いつきで口走ってしまった。「この原稿、『知識と労働』に掲載してはどうですか」・・・・ああ、またいらんことを・・・。
「そうだねえ、そりゃいいねえ!」思いの外、先生は乗り気だった。「まだ、間に合うかなあ。おーい、ママー」先生がみどり夫人のことをそう呼ばれていたのは意外だった。「生駒くんに電話してくれ」早速『知識と労働』編集人の生駒さんに電話をされ、受話器が先生に手渡された。
「あー、生駒くん、今ねえ家に大学の自治会のー、あの君が来てるんだがねえ」先生は私の名前をまだ覚えてくれていない。「江川さんでしょ、もう!」すかさずみどり夫人から突っ込みが入り、先生は怒られていた。
 最新号には何とか間に合うようだった。「『知労』に載せるんだったら、前文がいるなあ」先生はおもむろに折り込みチラシを取り出し、その裏に文章を書き始めた。
「タイトルはどうしようか・・・、青年の集会は6月のいつだったかなあ・・・」私と会話しながらも、ものの10数分で300字ほどを書き上げられた。先生の執筆姿まで拝見できるなんて、それはもう感動の域を超えていた。 
 結局1時間ほどだったろうか、小野先生との緊張と感動の「時間」は終わり、生駒さんに原稿を運ぶという新たな重大任務を帯びて、先生宅を後にした。
 早速同志たちに、先生宅での一つひとつの出来事を、嬉々として語ったことは言うまでもない。みんなも興味津々だった。当時の学生活動家にとって、それは思いがけない大事件だったのである。
 その後、労働青年の交流集会で先生は元気に講演され、レジュメは『知識と労働』44号(1988年7月)に「ペレストロイカについての覚書」として所収された。

 この小さな「大事件」が心に残り、小野先生への思いを強くしているのは、先生と出会い、語らった、恐らく「最後の」学生活動家に、結果としてこの私がなってしまったからであろう。先生に学んだ先輩方から連綿と続く「教え子」の列の最後尾に、遠慮がちで自信なげだが、並ばせていただくことになった。また、私あるいは私の世代の力量不足であり、先生には申し訳ないことになったのだが、組織的にも小野理論を受け継ぐ最後部の世代になってしまった。
 運動らしい運動をすることもなく、10年が瞬く間に過ぎ去っていった。今は一介の自治体労働者であるが、地方分権を推し進め、自治体改革の一翼を担うことも、民主主義者の一つのあり方ではないか、とは考えている。この「アサート」にかかわり続けていくことも、「小野派」たる気概ではある。そんな様々な思いを、今年の命日には先生の墓前で確かめてみたい。
(追記)
 私事であるが、小野先生のご逝去と同じ年、祖父も亡くなった。日共党員ではあったが、戦前・戦中の弾圧・投獄に非転向を貫き、戦後も一貫して農民運動・労働運動に身を捧げた不屈のコミュニストであり、私の誇りだった。理論的な支えである小野先生と、精神的な支えである祖父を同時に失った1990年だった。
                            (大阪 江川 明) 

 【出典】 アサート No.275 2000年10月21日

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【投稿】問われる日本の民主主義–在日外国人の地方参政権

【投稿】問われる日本の民主主義–在日外国人の地方参政権

在日外国人の地方参政権を巡り、与党(自・公)内で迷走が続いている。
総選挙終了後の連立与党の動向からは、法案自体に問題点を含むものの、現臨時国会での成立、つまり20世紀中の決着は、ほぼ確実ではないかと思われたが、ここに来て自民党内の反対派がにわかに活気づき、これまで積極的だった公明党も一歩後退とも見える動きをするなど、またしても先送りの気配が濃厚になってきた。
こうした流れの中、積極的に法案成立を推進してきた自民党の野中幹事長は、「選挙権は強制連行された人たちとその子孫(特別永住者)に限定する」との妥協案を提示した。

「野中案」は「時限立法」

野中幹事長はこれにより、同党内の反対派を納得させようとの考えだが、この修正案は「未来志向」という法の理念を曖昧なものにしてしまう。
「特別永住者」とは、日韓地位協定の見直しにより1991年に設けられた在留資格で
あり、サンフランシスコ講和条約により日本国籍を剥奪された、旧植民地出身者およびその子孫に認められたものである。
在日外国人の地方参政権問題を巡っては、確かに戦後補償問題の文脈で論議されることが多かったし、これまでは実態として在日外国人=在日韓国・朝鮮人であったから、在日韓国・朝鮮人の処遇問題、さらには韓国との外交問題との認識が一般的ではあった。
そうした観点からすれば、今回の「野中案」は戦後処理、外交上の懸案の政治的決着という意味はあるものの、それ以上の積極性は無くなってしまうし、法律自体が未来には意味のないものになってしまう可能性もあるのだ。
そもそも、参政権獲得の取り組みは、在日韓国・朝鮮人の運動が軸になっているが、89年に初めて提訴したのが在阪イギリス人であったのに象徴されるよう、すべての外国人に係わる問題であるし、なによりもこれからどの様な民主的な社会をつくるのかという、日本人自身の問題である。
また現在、特別永住者のうち韓国・朝鮮人は約52万人であるが、外国人が総人口の1%を越え、ますます多国籍化が進むなかで、特別永住者の在日韓国・朝鮮人の減少傾向が明らかになっている。
年1万数千人が帰化申請により日本国籍を取得し、結婚する人の8割が相手が日本人(子どもは自動的に日本国籍)という現状から、長年在日外国人処遇問題に携わってきた法務省の坂中英徳氏は98年に「20年以内に韓国籍・朝鮮籍の在日韓国・朝鮮人の人口は半減し、21世紀前半中にこれらの人々は自然消滅してしまう」と予測している。
もちろん、「3世、4世の41%が今後も韓国・朝鮮籍を望む」との大阪市大の朴一教授の調査もあるが、これらの人たちも、本人は韓国・朝鮮籍だが配偶者と子どもは日本籍のケースが増加していくと思われる。
つまり、近い将来には「野中案」の対象者自体がいなくなってしまう(「ゼロ」にはならないが、名前、コミュニティなど文化を維持しつつもほとんどが韓国・朝鮮系日本人=日本籍コリアンとなる)可能性が高く、その時圧倒的多数の外国人は法の枠外となり、「野中案」は実質50年の時限立法となってしまうだろう。

積極的な法案再構築を

野中幹事長がそこまで見越して、修正案を提起しているなら、まさに稀代の策士であるが、反対の一部には「希望者への無条件の日本国籍付与」との主張もあり、帰結点は妙に一致するのである。
しかし、それ以前の問題として反対派の多くは、様々理由はつけるものの、本音は韓国・朝鮮人に対する警戒感・嫌悪感から参政権確立に抵抗しているのだから、いくら「未来永劫にわたるものではない」と説得されても、首を縦に振ることは無いだろう。
例えば以前は外交問題と絡め、「相互主義の原則」が反対論の一つの柱となっていた。
しかし、韓国政府が2002年までに在韓外国人の参政権を認める決定をすると「在韓日本人と在日韓国人とでは数が違う」と「相互主義の原則」を踏み外す主張をする。
さらに反対派は、反対の為には自らが日頃敵視して止まない北朝鮮-朝鮮総聯や日本国憲法まで持ち出して恥じない。
また、彼らは日本国への忠誠心の有無を主張するが、忠誠心が参政権の要件なら本誌の読者のほとんどは公民権停止だろう。
この様に根っからの民族排外主義者に対しては、どんな主張をしてみたところで、感情的な反発が返ってくるだけである。
かといって、こうした人々の「自然消滅」を待つわけには行かない。
やはり、ここでは法案の原点に立ち戻り、全ての定住外国人を対象とし、被選挙権への展望を含めたものとして成立を期するべきである。
そのためには臨時国会での成立は断念せざるを得ないが、ますます多数の外国人が日本社会に暮らす時代の要求に応えられるような、より良い内容としていくべきであろう。(大阪 O)

【出典】 アサート No.275 2000年10月21日

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【投稿】揺れ動く情勢と無策日本

【投稿】揺れ動く情勢と無策日本

<青ざめる、株価急落>
 南北首脳会談から、米朝共同コミュニケ、金大中大統領のノーベル平和賞受賞に象徴される、朝鮮半島における急速な緊張緩和への動き、これとは全く対照的な中東情勢の危険きわまりない戦争への動き、世界の情勢は刻一刻目を離せない波乱要因を投げかけている。日本の政治経済は、こうした情勢が問いかける課題、平和と緊張緩和に向けたイニシャチブなどとは無縁な存在、むしろ政治的にも経済的にも逆行した存在に陥っているのではないだろうか。
 10/12、ニューヨーク株式市場は、ダウ工業株平均が一時前日比330ドル安という急落に見舞われ、1万ドル割れ寸前、ハイテク銘柄の多いナスダック店頭市場も一時140ポイント近くも下落、市場関係者は一斉に青ざめたという。東京市場も直ちに全面安、一時、前日比494円安の1万5101円に急落、年初来の最安値を更新、「金融機関の含み益が吹き飛んでしまう」1万5000円割れが再び現実のものとなってきたのである。アジアの主要市場の株価も軒並み下落している。宮沢蔵相は10/13の記者会見で「この週末はいろいろ注意したほうが言い」などと打つ手なしの拱手傍観状態である。
 今回のきっかけは中東情勢の緊迫化であった。しかしこれまではこうした緊張劇化、「有事」はむしろ強い経済、強い軍事力を際立たせ、アメリカのドル高、株高に寄与してきたものである。それがもはや通用しなくなってきた。

<「沈んだ会社ドットコム」>
 年々累積する膨大な経常収支の赤字、世界最大の債務国にもかかわらず、外国からの資本流入によって支えられてきたアメリカ経済のもろさ、ひずみが現れ出したとも言えよう。インテル、コダック、アップルコンピュータ、デル、モトローラなどの業績下方修正をきっかけに、米経済を牽引してきたといわれるハイテク・IT関連の「花形ネット企業」が一転、今や「ネットバブル」の象徴として問題視される事態への突入である。今回の株価急落でも、米インターネット検索最大手ヤフーは21%安の65ドル、250ドル時代の四分の一への下落である。アマゾン・ドット・コム、ライコス、アメリカ・オンライン(AOL)も軒並み急落。安値販売最大手のプライスライン・ドット・コムなどは160ドル台の株価が5ドル台に暴落といった事態である。
 ネット系企業の倒産・閉鎖・解雇情報を公開している「沈んだ会社ドットコム」のホームページには、連日、倒産、事業閉鎖、資産売却、CEO辞任、リストラ、解雇情報が満載され、こうして解雇された人数は、7-9月期で前期の2倍の約16万9000人に激増しているという(10/8「朝日」)。
 今回は、こうしたハイテク産業のかげりに原油価格の高騰が押し寄せ、化学大手のデュポン、日用品大手のジレット、小売優等生といわれてきたホーム・デポなどが相次いで業績予想を下方修正、事態がただならぬことを明らかにしている。

<「何も感じない日本」>
 この原油価格高騰は、EU諸国ではいたるところで道路封鎖や占拠、デモを引き起こし、大統領選最中のアメリカでは、「庶民の味方」をスローガンに掲げる民主党候補のゴア副大統領が9/21、クリントン大統領に原油備蓄を取り崩すよう公式に要請、翌22日には戦略原油備蓄の放出命令が出され、一挙に政治問題化することとなった。共和党候補のブッシュ・テキサス州知事と副大統領候補で元国防長官のチェイニー氏はこれに反撥、「国家安全保障のためにある戦略原油備蓄を政治策略のために利用している」、「ゴア氏は2月に『原油備蓄の放出はすべきではない』と発言していたのに、また態度を急変」と、舌戦の格好の対象としているが、原油価格は一時下落したものの、再び1バレル=32ドル台に乗せ、一時は37ドル台、株価急落時は35ドル台で推移しているが、中東情勢の緊迫化とあいまって、「年内40ドル」説まで予測される状況である。
 原油価格の上昇は昨年4月ごろからじわじわと上昇し始めていたものである。石油依存度の高いヨーロッパやアジアではすでに影響が出始め、上昇しつつあった景気が後退現象を帯び始め、すでに政治問題化している。ところが日本はこれまで円高傾向でドル建て輸入石油の影響を相殺してきたため、「石油高騰に何も感じない日本」(9/22付けウォールストリート・ジャーナル紙)と皮肉られる始末である。しかし今回の高騰はガソリン、灯油価格など、日本にもすでに直接的な影響を及ぼしつつあり、傍観しておられる事態ではない。対アジア輸出で息を吹き返してきた鉄鋼、化学など素材産業も直撃を受け、企業業績が一気に悪化しかねない要因となってきているのである。

<「ITの神風」>
 このように見てくると、今回の株価急落後の見通しはそれほど楽観できたものではない。とりわけ単なる目先のばら撒き政治で「後は野となれ山となれ」式の無責任政治を取り続けている現在の与党三党・森政権ではお先真っ暗だとも言えよう。むしろこの先、こうした無責任政治のツケが一気に噴き出し、株価、金利、為替、原油価格、中東情勢、等々の推移如何によっては、そのいずれか一つの変調だけでも森政権が自己崩壊する可能性も出てこよう。
 今回、いとも簡単に1万6000円を割った株価、「10月末までに1万5000円割れは確実」「年内に1万3000円まで下落」という厳しい予測まで出されている。破綻した千代田生命保有の株が今後、市場に放出され、さらに11月には1兆円相当のNTT株の第6次放出が控えている。株価下落要因はあれども、上昇要因が皆無に近い。それに対して政府・与党の景気対策は、赤字国債乱発の「大型補正予算」だけという無策ぶりである。
 森首相の総裁派閥の小泉・森派会長が、「今の自民党は無責任なバラマキ政策で政権を維持してきた面が強い」、「補正予算など10兆円やっても、5兆円やっても、3兆円やっても効かない」、「財政構造改革は首相が言えば簡単にできる。なぜやらないのか分からない!」などと自民党の現執行部をくそみそに批判する事態である(9/26)。
 ところが当の森首相は米紙「ワシントン・ポスト」のインタビューに、「日本にはITの神風が吹いている。私は幸運の星のもとに生まれたに違いない」(9/14)などと、進行している事態の本質の一端でさえ把握できないお粗末さである。ただただ「神国」日本の「神風」に期待して、後は何もしないで傍観し、神妙にふんぞり返っている姿には哀れなおかしささえ感じさせるものである。

<「若乃花を出せないか」>
 今、森首相の頭にあるのは、政党名を書かずに済む非拘束名簿式の導入を何が何でも成立させ、「引退した若乃花を出せないか」と相撲関係者に打診したり、有名タレントを候補者にして、来年の参院選の大敗を防ぎ、政権を延命させること、それがすべての中心となっているのであろう。
 「原潜事故と日本の組織」と題して、朝日新聞の文化欄で、池内了・名古屋大学教授(宇宙物理学)が、ロシアの原子力潜水艦の事故の重大性、さらに危険なチェルノブイリ級以上の原発事故の可能性について警告を発する中で、次のような指摘をしている。
「そんな懸念を抱きながら日本を見ると、ロシアと『同質』の事件が起こっていることに気付く。JCOの臨界事故は言うまでもなく、雪印乳業の食中毒事件や三菱自動車のリコール隠し問題である。そこには自らの責任への自覚がないまま必要な対応策をサボりコトの重大性への重大な認識がないままうやむやにすませてしまおうという幹部の体質がある。相続く警察の不祥事や、大百貨店の倒産も、これに類すると言えるだろう。明らかに緊張感を失った人間の集団に化しているかに見える。その意味で、日本は制度疲労やバブル崩壊の後遺症のために小事故が頻々と起こっている状態にあり、このまま対応措置をサボり続けると将来どこかで重大事故がおきかねない危険性があるだろう。」
 筆者自身にとってもそうなのだが、政府・与党はもちろん、野党にも心してもらいたい指摘である。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.275 2000年10月21日

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【書評】『庶民列伝──民俗の心をもとめて』

【書評】『庶民列伝──民俗の心をもとめて』
           (野本寛一著、2000.4.10.発行、白水社、2,800円)

 現代社会の構造を厳密な理論によって分析し解明することの有効性は、現実の社会の動きによって確証される。しかしそれは絶えず現実との「隙間」を持つものであり、隅々にまで理論が到達することはあり得ないということも、われわれの経験の示すところである。この「隙間」に着目した著者は、次のように述べる。
 「いくら鋭い分析をしても、論理的な体系を構築しても、その分析や体系の間から血の通った人間を漏らしてしまうことがある。個人の人生や感情の襞(ひだ)を捨象していくのは、学問の宿命かもしれない。しかし、その補いをつけないというのは、あまりにも空しいし淋しい」。
 そこで著者は、自らの研究分野である民俗学で、これを克服することを試みる。その成果が本書である。本書では、個人を基点に「民俗事象」をその人生の中でとらえ、消えゆく仕事や職業に従事する庶民の実際を描くことで、「日本の近代」のある側面に光りを当てる。またもともとが雑誌連載の紀行性のある記事であるため、静岡県という地理的風土的特徴を浮かびあがらせている。
 本書に登場する「庶民」は、多岐にわたる。章の題名を書き連ねるだけでも、その仕事、職業の多様さは想像されるであろう。おおむね以下のようである。
 「第一章 漁る舟影(漁労の人生)」[漁師、海女、牡蠣とりなど]、「第二章 腕におぼえの幾年月(製造加工業と職人の人生)」[砂糖繰り、塩職人、紙漉き、杜氏、舟匠、茸師など]、「第三章 日々の旅路(歩き、運んだ人生)」[馬力屋、牛商い、湯の国ガイド、強力、臼造りなど]、「第四章 山川のあいだ(焼畑・狩猟・川工事)」[熊狩り、乳牛飼育など]、「第五章 田植ボッコのデロ(たくましい女たち)」[湿田農業、カシキ、とりあげ、郵便配達婦、糸ひきなど]。
 これ以外に実にさまざまな職業が登場し、またそれらの労働の際に歌われた唄も紹介されている。本書では、その委細、仕事の手順、道具なども図解されていて、大いに参考になる。
 そして本書を見渡して、著者は、「職業という語と、その実体の関係」について、ひとりの人間がひとつの職業についているものだという一般化された観念の見直しを発見する。すなわち本書に登場する人びとの「職業の複合性、重層性や、職業の複雑さはまことにはなはだしいものがある」ということ、それ故「ほとんどの人が複合的、重層的に仕事をしており、ひとつの職業でおのれを象徴させることはとても無理なありさまである」ことを認識する。そしてその転業には、個々人の仕事への修練のエネルギーとともに、「社会経済構造の変化や生活様式の変貌が強くかかわっている」ことを確認できるのである。過去のものとなり廃業に追い込まれていく職業の場合に、特にその感を強くする。
 さらには、これらの人びとに大きな影響を与えた、明治20~30年代の初等教育の実態や戦争による本人および家族のメンバーに対する痛手なども、本書を語る上では不可欠の点であろう。ただこの点は、紙面の制約もあろうが、もう少し掘り下げてほしかったところである。庶民を組み込んでこそ、日本の近代化は可能となったのであるから、その痕跡は、庶民の生活の隅々にまで及んでいると推測されるからである。この意味で民俗学が重視する庶民の生活史にかかわる側面として、意識(イデオロギー)の問題が取り上げられねばならないであろう。しかしこの点を置くとしても、本書の庶民は、例外なく生活史そのものをあらわしている。
 ただし本書の旧版は1980年(昭和55年)で、今回発行されたものは、ほぼ当時のままであるため、いささか旧聞に属する内容もあることは否定できない。しかし全体として読んでみると、高度成長を経て、日本が「旧い」時代を本格的に忘れ去ろうとしている時期に本書が書かれていたことは、重要である。現在の日本社会が、ほとんど過去の日常生活的伝統から切り離されて、浮き草のように漂いながら、深刻な問題を提出し続けている時、本書は、庶民の生活の中にこそ、脈々と生き続けるものがあったことを示している点で、今日においてこそ価値あるものと言えるであろう。(R) 

 【出典】 アサート No.274 2000年9月23日

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【投稿】ひとりごと-労使協調ってなに?-

【投稿】ひとりごと-労使協調ってなに?-

◆最近、労働組合に関して、二つの事件を通して感じたことがある。一つは、雪印乳業の食中毒事件であり、もう一つは「そごう」の経営破綻である◆雪印乳業の食中毒事件では、新聞の投書欄でも見たが、会社の衛生管理責任もさることながら、なぜ労働組合のチェック機能も働かなかったのかとの批判がされている。事件の中では、腐敗した脱脂粉乳を加熱処理しただけで再利用したり、賞味期限の切れた牛乳を再生利用していた等の事が明らかにされている。食品製造に関わる従業員が、これらを全く知らなかったとは言い難く、「ちょっと、やばいんじゃないか?」と思っても、「仕事なんだから。業務命令だから」と目を瞑ってきたことが、こうした事態を招いたと言えなくもないのではないか。もちろん、だからといって、一人一人の従業員の責任を問うわけではない。やはり一人一人の従業員にしてみれば、作業工程を批判し、業務命令を拒否することは、社内での様々な待遇・立場を悪くするし、場合によっては、自らの雇用自体も危うくしかねない、相当の勇気のいるものである。大事なことは、そういった疑問を呈したときに、そのことが取り上げられる社内システムになっているのか、労働組合もそのシステムに位置付けられているかである。そして労働組合が、そのチェックシステムの役割を果たすためには、その問題提起した組合員に、不利益にならないように対応できるのか-組合員との関係において、その信頼関係が形成されていることが求められるだろうし、そして、こうしたことの大前提として、会社に対して堂々と問題指摘できる真に対等平等な労使関係になっていることが重要である◆雪印乳業労組は、食品連合傘下で伝統的に労使協調であるが、労使協調は、何も会社の不利となること一切を取り組まないということではない。むしろ労使協調とは、労使が立場上の対置関係にありながらも、双方が経営上の応分の責任を担い合うという意味では、対置関係からくる適度な緊張関係の下、対等平等に双方が指摘・議論・交渉できる関係のことを言うのではないか。連合傘下の組合を中心に、よく「うちの組合(会社)は労使強調」と唱え、極力、会社との摩擦・対立することを避ける組合が見られるが、それは結果として労使協調ではなく、労使依存関係と言うべきものになろう。筆者は、その意味で、世俗的に言う「労使協調」とは区別して、真に自立的で対等平等に基づく双方の責任関係として「労使共同」と言うようにしている◆もう一つの「そごう」経営破綻では、水島前会長の経営責任と合わせ、前中央執行委員長の経営側との癒着・会社資金の不正流用が問題となっている。全そごう労組は、前中央執行委員長体制の人事を刷新すると共に、その責任も追及することを大会で決定した。「そごう」の労使癒着・依存関係は、雪印乳業と同様で、論述するまでもないが、いずれにしても、ここで感じるのは、こうした不健全なる労使関係を防ぐための組合資質の保障の問題である。労働組合も大きくなればなるほど、本来意義が薄れ、管理的な側面が、強くなるのではないかと思う。特にユニオンショップの場合、組合はこれを存続・維持するために会社と一定、妥協的になり、またそれだけに第二労務的な役割を果たす傾向にある。また会社は、組合をコントロールするために、組合幹部に一定の処遇を保障しようとするし、組合幹部も日常的に接するのは、一般組合員より会社側との方が多くなり、一般組合員の不満・意見より会社の主張の方が、理解しがちになる。これらの事柄は、ある程度、やむを得ない側面もあるとは思うが、それだけに労使依存関係に陥らない措置制度を考える必要があろう。例えば組合幹部が特権的なものにならぬよう、一定の年限までとするとか、幹部の交際費等、組合予算の執行について、会計監査とは別に、常に組合員に閲覧・公開されること(組合オンブズマン)とか、通常の執行機関ルートとは別に、直接全体に意見・疑問が提起できる意見公開制度の導入だとかーー。とにかくは労働組合も改革が求められているとき、公開・参加を具体化した措置を、なんでもできるところから、やっていくべきだと思う◆話は若干、変わるが、過日の朝日新聞特集記事で、ある大手会社の中間管理職社員が、リストラリストに自分の名前が載っているのを知り、企業内労組に相談したが、組合が何も取り組んでくれず、やむなく、一人でも入れる労働組合-合同労組に加入し交渉したところ、あっさりリストから外されたとの事が掲載されていた。記事は、このことを通して、今日の企業内労組が十分に、その本来機能を果たしていないと批判していたが、確かに最近の失業者の増大を見るとき、もちろん、残酷なまでリストラ整理する企業も悪いが、安易にそれを許してしまっている労組にも責任は大きいと言わざるを得ない。特に労組組織率が年々、致命的なほど低下し、「なんとか組織拡大を!」と、そのことの問題意識を持っている組合幹部も多くはいるが、先ずは日常の取り組み自体を問い直さなければ、未組織労働者や失業者からの信頼・回帰は有り得ないのではないだろうか◆一方、最近のちょっとした動きとして、合同労組が取り組む争議は増加傾向にあり、また合同労組の組織率は、全体の低下とは別に、恒常的な組織化とは言えないが、微増傾向にある。また失業者は、失業者なりに「自らの雇用は、自ら創り出す」と、失業者ユニオンをはじめとして、あちこちで共同して事業を起こす動きも見られる。まだ多少の変化で、新たな流れとまでもいかないが、目に見えないところで、何かを変えようと模索していることだけは確かだ。世の中、IT革命にグローバル化等々、凄まじく時代が変化するとき、従来の労働組合も、足下からの改革を怠っては、その存在がなくならないまでも、井戸の中の蛙ならぬ井戸の中の大将のままであることだけは言えるだろう。(民守正義)

【出典】 アサート No.274 2000年9月23日

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【投稿】市町村合併の是非

【投稿】市町村合併の是非

<いよいよ合併!?>
地方分権一括法が施行されて半年がたった。明治維新、戦後の民主化に次ぐ第3の改革という当事者たちの意気込みとは裏腹に、日常生活も含めて表面上は何ら変わらない状況に、マスコミにも近頃はほとんど話題にのぼらない。税財源の移譲など多くの課題を残してのスタートだったわけで、このような状況も大方予想されていたことではある。未だ地方分権の意味を理解せず、相変わらずのトップダウン型の主従行政を行っている中央政府にも原因があるだろう。
さて、地方分権そのものの議論が停滞する中で、急浮上しているのが市町村合併の話題である。本誌3月号でもレポートしたように、地方分権一括法において即日施行された合併特例法に基づき、地方交付税や地方債の特例や住民発議制度の拡充など、「自主的な市町村合併」を推進するための様々な「アメ」施策が打ち出されている。その一環として、自治省は昨年8月に「指針」を示し、各都道府県に合併パターンも含めた「合併推進要綱」の作成を要請したのであるが、2000年内を期限とされていることから、作業は急ピッチに進められている。私の住む大阪府においても、さる9月1日、合併要綱素案が発表され、大阪市、東大阪市を除く42市町村の合併パターンが示され、行政関係者をはじめ、大きな話題となっている。

<「雰囲気づくり」は進む>
この合併パターンというもの、自治省や大阪府の説明では、「あくまで合併を議論するための参考や目安となるタタキ台」であるとのことで、「合併案」や「勧告」といった類のものではない、と極めて慎重な言い回しとなっている。ただ、いくらそう言ってみたところで、具体的な市町村の名前まで含めて大々的に報道されれば、世間では実質的な「合併案」と捉えられても仕方のない状況であり、また、それが狙いだったとも言える。着実に合併に向けた世論喚起や環境は整えられ、合併に消極的だった首長からも「避けられない課題」であるとのコメントも飛び出してきている。職(あるいは利権)が奪われることにつながり、元々は合併に消極的だった議会からも、合併必要論が多数を占めつつあり、「総論賛成」の様相を呈しつつある。
いよいよ合併も本格化するかのような雰囲気ではあるが、各論に入ってくるといろんな問題・課題が浮かび上がり、遅々として進まないのが現実である。2005年3月の合併特例法の期限切れまでに何らかの成果が上げられるよう、国も必至であるが、そんな状況に業を煮やしてか、「代議制の根幹をゆるがす」とあれほど否定していた「住民投票制度」を、合併促進のために採り入れることを自治省が検討中との報道もなされている。

<分かりにくいメリット>
1950年代の「昭和の大合併」で現在の枠組みがほぼ出来上がってから数十年、住民や行政において定着している状況にある中で、合併のメリット、とくに住民におけるメリットが分かりにくいのも、盛り上がりに欠ける要因の一つであろう。これまでの議論が、「分権の受け皿」としての合併であり、行財政体制の効率化・強化の観点からなされ、住民としてのメリットが「住民票が近隣でもとれる」程度のものでしかなかったのである。その程度のメリットならば、別に合併せずとも、一部事務組合や広域連合など従来の制度による広域行政で十分にニーズに対応できる。そもそも、住民の生活行動や意識は、モータリゼーションの成熟はもとより、情報通信手段の飛躍的発達により、行政区域の枠をとっくに跳び越しているのである。

<合併議論の前に>
地方分権が聞いてあきれる、国あるいは国の出先機関と化した都道府県の「合併圧力」であるが、住民が真に求めているのは何なのか、そのことを真っ先に分析し、対応すべきである。都市部と農村部に違いはあるだろうが、住民が求めているのは、少なくとも「市町村合併」ではなく、少子高齢社会への不安の解消であり、国と同様に公共事業とバラマキの大盤振る舞いで借金漬けになっている地方財政の将来への不安の解消のはずである。それらが解決できる市町村合併ならば意味もあるのだろうが、今の地方自治体の「土建体質」のままではより大きな利権に結びつき、ミニ田中・ミニ竹下を生み出すだけである。それら癒着を断ち切るきっかけとなり、あくまで住民意思によって行われるのであれば、市町村合併は極めて有用な手段であると言えるだろう。(大阪 江川 明)

【出典】 アサート No.274 2000年9月23日

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【投稿】国鉄「四党合意」問題と国労8.26続会大会

【投稿】国鉄「四党合意」問題と国労8.26続会大会

<大会で問われた課題は組合内民主主義の保障と苦肉の策の全員投票>
 7月1日に開催された国労第60回臨時大会は定刻より5時間遅れ開催されたが、混乱のため休会とされた。それをうけて、8.26の続会大会が開催された。続会大会では解雇された1047人の今後の処遇を巡っての四党(自・保・公・社)合意(ア 『JRに法的責任はない』ことを国労が明確に表明する、イ 解雇されたものについては人道的な見地から解決する)を国労が大会で承認することが執行部側から求められたが、結局は高橋委員長の提案によって、4党合意の承認を全員投票で決着をつけることになった。また、予想された執行部の辞職はなされず、次回定期大会にて表明するとのこと。
 今回の続会大会で最も杞憂された、執行部による中央突破=強行採決は回避され、とりあえず国労の分裂、闘争団と国労執行部との乖離は避けられた。規約にない全員投票を提起した国労執行部の『苦渋の選択』は、理解できないでもない。反主流派も規約のミスをつくことなく、概ね混乱なく続会大会は終了した。

<四党合意は妥協策>
 そもそもなぜ4党合意がなされたのか、その論議経過は明らかではない。しかし、国労をめぐる状況を考えると、国鉄の分割・民営化からすでに13年、解雇者=闘争団も多大な犠牲を強いられてきている。組合員は3万にもみたず、国労のJR内での発言権はかつての面影すらない。分割民営化を巡っての修善寺大会から情勢は大きく変化した。1989年には連合が結成され、JR総連、JR連合も連合に加盟した。政治も、政党再編成がなされ、社会党は解党し、民主党が野党第1党になり、4党合意の当事者である社民党は衆議院でわずか20名しかいない少数党になっている。
 また、JR総連との確執がJR内部で大きな課題にもなってきた。そして、そのJR総連との対決から、JR連合との再統一も視野に上っている。分割・民営化の結果生じた問題を乗り越え、今の課題を解決する体制が求められている。
 そんな状況で4党合意が出てきた。この合意はいわば政治決着である。政府・JRにしても、昨年のILO勧告、それに同意した連合、「国労組合員の解雇はJRによる不当労働行為」との各地での地労委決定など相次ぎ、政府にしたらいよいよ最後的な決着を迫られる状況と反主流派はいうが、問題は簡単ではない。地労委決定を覆す高裁判決もでている。むしろ、状況は膠着状況といったほうがいいだろう。今後どれだけの時間がかかるのか不明だ。「完全勝利」の確信が持てない状況で、しかも時間がかかるとすれば、妥協はありうる。ただ、国労執行部は拙速であってはならない。修善寺大会のもたらしたものは組織分裂であった。これ以上再分裂しては運動路線以上に意味をなさない。栄光ある国鉄闘争の歴史を誇る国労の分裂は避けなければならない。そういう意味で今回の「全員投票」は問題の先延ばしではあるが、意味はある。定期大会の10月までの間、執行部は反対派への説得に最大限努力することが求められる。(立花 豊) 

 【出典】 アサート No.274 2000年9月23日

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【投稿】GDP2期連続成長の不安材料

【投稿】GDP2期連続成長の不安材料

<「統計上の癖」?>
 9/11に発表された国民所得統計速報は、昨年7-12月の二期連続マイナス成長から、今年1-6月期の二期連続プラス成長への転換を明らかにしている。本来なら政府・与党は、その成果を誇示し、胸を張るところだが、出てくる言葉は逆の様相を示している。堺屋・経企庁長官はこの日の記者会見で「今年度1.0%成長達成の可能性が非常に強くなった」と述べながら、同時に「統計上の癖や特殊要因などで伸び率が少し大きめに出た。消費も介護保険の導入など特殊事情があり、四月だけ伸びが高い。年度後半にかなり厳しい状況になるのではないか」といたって悲観的でさえある。自民党の亀井政調会長も「(景気は)回復軌道には入っているが、まだ自力反転の軌道に乗っているとは言えない」とこれまた冴えない。もちろんこうした発言の裏には、大型補正予算によって膨大な公共投資予算をふんだくろうという政治的意図が透けて見えている。
 もちろん、OECDやアメリカから指摘されている怪しげな統計上の癖や特殊要因があるのならば、詳細に情報開示すべきであろう。その時々のご都合主義によって数字をゆがめたり、恣意的な解釈を押し付けることは、事態をゆがめてしまう。しかしそうした前提の上に立って、冷静に発表された数字だけを見ても、この4-6月期GDP成長率1.0%は、前期比13.6%増という巨額の公共投資、成長率への寄与度1.0%によって達成されたものであることが一目瞭然である。民間設備投資はマイナスに転じ、個人消費は伸び悩んでいる、このことも事実である。

実質国内総生産・GDPの推移    2000年 (単位10億円)
          1999年度   1-3月期   4-6月期   寄与度
———————————————————-
実質国内総生産   482,433.6  486,401.7  491,444.0    1.0
 前期比成長率      0.5      2.5      1.0
   年率換算       6.3      10.3      4.2
民間最終消費支出  286,281.6  287,458.5  290,606.1
    前期比       1.2     1.7     1.1   0.6
民間住宅        19,090.7  19,278.0    19,131.0
    前期比       5.6    6.6     ▲0.8  ▲0.0
民間企業設備     79,501.9   83,185.6   80,406.7
    前期比      ▲2.3    4.8   ▲3.3  ▲0.6
民間在庫品増加    350.4   271.5   792.4
    前期比      -   ▲38.2   191.9   0.1
政府最終消費支出   46,302.2   46,651.6   46,029.3
    前期比       0.7    0.8    ▲1.3   0.1
公的固定資本形成   39,470.9   35,670.1   40,508.1
    前期比      ▲0.9   ▲7.5    13.6   1.0
公的在庫品増加     -29.9     90.5   179.4
    前期比     -    -    98.2   0.0
財貨サービス純輸出  11,465.8   13,795.9   13,791.0
    前期比      ▲6.0    41.4    ▲0.0  ▲0.0
財貨サービスの輸出   68,999.9  73,044.8   75,927.4
    前期比       6.0    5.7    3.9   0.6
財貨サービスの輸入   57,534.1  59,248.9  62,136.4
    前期比       8.8   ▲0.1    4.9  ▲0.6
————————————————————

<<息巻く政調会長>>
 この間の事態の推移が示していることは、小渕―森両内閣を通じて、本予算の公共事業費を年度前半にむりやり前倒しして執行し、年度後半にはさらに大型補正予算で追加して、たとえだぶつき、消化し切れなくても、切れ目なく公共事業費をばら撒いて景気対策のほころびや矛盾を先延ばしするというパターンを取り続けてきたことである。98年の24兆円、99年の18兆円という大型補正はその典型であった。その結果、98年度から今年度末までに100兆円を超す新規国債が発行されるという事態に突入している。
 2000年度末での国・地方の債務残高は合計645兆円、GDPの130%にも達する。来年度予算の概算要求でも、50兆円前後の税収に対して85兆円前後の予算を組み、30数兆円の新規国債発行がすでに盛り込まれている。利払いや償還のための国債発行を含めると発行額は予算と同額の85兆円にもなる。もはや予算のよって立つ基盤が借金以外になくなってきたともいえるのである。こうして国債発行をめぐる事態はすでに危険水域に入ってきているといえよう。すでに国債価格は、下がりはじめており、8月に1.6%台だった長期金利は1.9%を超え、2%に近づいている。
米国の格付会社・ムーディーズが日本の国債をさらにワンランク格下げしたことに対して、亀井政調会長が「ムーディーズの判断にしたがって経済政策をやるつもりはない」と息巻いたが、亀井発言がさらに国債価格の下落・金利上昇に拍車をかけているのである。
 それでも政府・自民党は、亀井氏の言う「事業規模で10兆円超、国費ベースで5兆円」の補正予算を9月末からの臨時国会で成立させようとしている。もちろん財源は赤字国債の乱発である。たとえプラス成長に転じてきても、公共事業の息切れを防がなければマイナス成長に逆転してしまうという危機感、ここまでくれば巨額の赤字国債もなんのその額にかまっていられない、来年の参院選まではなんとしてもばら撒き政策で政権を維持し、その後に増税・インフレ政策でという無責任体制である。政府・与党の犯罪性は、空前絶後の赤字国債となって覆い被さってきている。

<「IT」関連予算>
 さすがに亀井発言に対しては異論が続出している。加藤・自民元幹事長は「格付機関とか市場が反応し、長期金利が上がって国の借金返しの金が増える。責任を感じてもらいたい。10兆円補正はやってはいけない」とテレビ番組で広言。山崎・自民元政調会長は「公共事業見直しを表明したばかりなのに、一般公共事業中心の補正では方針が一貫しない」と指摘。宮沢蔵相も「何でもかんでも国債を出したらいいという状況ではなくなってきた。財源を考えなければならない」とクギを刺している。そしてついに小泉・森派会長までが「借金をしまくって景気が回復するかといえばそうではない。借金財政から脱却するかどうかの転換点にきている」と、大型補正予算反対の姿勢を明瞭にし始めている。
 それにもかかわらず一時の森政権交代論は影をひそめ、加藤氏までが来年の参院選を森首相で闘うことを明言する始末である。「森では参院選は闘えない」と見限られ、最低の支持率で「年末までが命」と見られ、「政権に恋々とするものではない」と意気消沈していた森首相、がぜん息を吹き返し、大型補正予算、来年度予算編成でお得意の利益誘導・ばら撒き政策に政権の吸引力をかけている。
 来年度、2001年度予算の概算要求を見ればその無責任さはあきれるばかりである。森首相は政策指導能力のなさを「日本独自のIT国家戦略の構築が不可欠だ」とブチ上げることによって目先を変えさせようとしているのであろう。しかしそれでも馬脚が現れるというものである。概算要求84兆8300億円の中身は、「IT」という御旗のもとに、多少でもパソコンやコンピューターの部品を使う施設、それどころか「電気」、「電線」を使う施設であればむりやり「IT」関連と称して予算要求することがまかり通っているという。たとえば、ダム工事や各種ハコモノ施設も、パソコンを設置、インターネット回線を引いただけで”ITダム”や”インテリジェントビル”、池や水路監視に光ファイバー構想、といった具合である。本来の情報技術(IT)ではなく、まさに利益誘導にまつわるその筋(It’s イット)関連である。
なんでもかんでも「IT」関連公共事業に早変わりするわけである。しかも建設省、運輸省、農水省がそれぞれ独自の”光ファイバー敷設”事業を計画するというずさんさである。現実の通信インフラ整備は、NTTや新電電各社がすでに先行しているにもかかわらず、それらとの関連や接続問題は利権がらみで放置されている。

<「せいぜい1兆円」>
 問題は、こうした無責任な政策がすでに限界にきているにもかかわらず、居座りつづけ、ごく近い将来への過大な負担と矛盾を拡大しつづけていることである。たとえ景気回復が軌道にのったとしても、税収入の自然増で解消できるような水準ではなくなってしまっている。宮沢蔵相ですら、「バブル期並みの好況となっても、せいぜい1兆円がいいところ」と言っている。こんな発言をしながらよくも蔵相の地位にとどまり、無責任な政策を追認できるものである。いずれにしてもこの推計でいくと、今年度末の国の国債発行残高だけで500兆円と見積もられており、来年度からたとえ発行をゼロにしたとしても、単純計算でも500年はかかるのである。残る手は、ひたすら消費税を増税させ、ハイパーインフレで借金を減価させることである。うがって言えば、現在の無責任な赤字国債発行は、近々そうした事態をむりやりにでも引き寄せるための最大の近道ともいえよう。GDP指標が回復してきても、不安を極力強調する所以もまたここにあろう。
 他の景気指標が回復軌道に乗ってきても、個人消費がなかなか回復しない最大の理由は、すでに現実に見え始めているこうした将来不安への懸念からきているといえよう。政権与党はもちろん、野党も含めて、現在の政治担当諸勢力がいずれもこうした財政的破綻を回避する政治的意思を明瞭に示し得ていないところに問題が集約されてきているのではないだろうか。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.274 2000年9月23日

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【投稿】公務員にも「能力・実績」重視の人事制度の動き

【投稿】公務員にも「能力・実績」重視の人事制度の動き

 「親方日の丸」と言われ、「休まず、遅れず、仕事せず」などと揶揄されてきた公務職場だが、近年民間の動向にも影響されて、「能力、実績」を重視した人事管理・人事評価を導入する議論が盛んになっている。
 8月15日に出された「2000年人勧」においても、「公務員人事管理の改革に関する報告」が行われ、勧告本文にも「Ⅴ職務と能力・実績に応じた給与システムの改革」が叙述されている。総務庁、人事院のそれぞれの「人事評価制度研究会」報告は、今年の暮れには、成案となり、2001年4月からの省庁再編に合わせ行政職Ⅰ表職員に、人事評価制度が導入されようとしている。

<省庁再編と公務員改革>
 大きな流れとしては、橋本首相時代6大改革のひとつである行政改革の流れを受けた中央省庁の1府12省への再編があり、これに連動する「公務員制度調査会」(1999年3月)における「公務員制度改革の基本方向に関する答申」、そして「地方公務員制度調査会」の「地方自治・新時代の地方公務員制度」(1999年4月)が先行している。それらは共通して「職員の能力・実績をより重視した人事管理を行っていくためには、公正で客観的な評価システムが必要であり、それを昇任や給与等に反映すべき」という内容になっている。 さらに、大蔵省や農水省の官僚による企業癒着や利権・汚職事件が発生し、キャリア制度による功罪が白日のもとになり、また新潟・神奈川県警の事件で、世間を知らないキャリア署長の無能力もまた、マスコミに取り上げられる事態など、国家公務員に対する厳しい世論に対して、省庁の人事管理が大きく問われている、ということも影響していると思われる。
 
<有名無実の現行勤務評定制度>
 勤評反対闘争で記憶されているように、現在、公務員には「勤務評定」制度があり、法律上は、個々人の勤務評定が行われている。しかし、それらは、特別昇給や昇進・昇格に使われている、と言われているが、人事担当者以外は目にしたことがなく、もちろん本人にも開示されない。地方においては、特別昇給も順番制という実態もある。当然、評価の基準や本人努力の課題も明らかにされず、機能はしていないのが現実である。
 さらに、実態を言えば、勤務評定を行う評価者の側にも「管理能力」「評価能力」に疑問と不安が存在し、公務労働に問われるべき基準はあいまいなままなのである。 

<総務庁の人事評価研究会報告書>
 本年5月に公表された総務庁の人事評価研究会報告を読んでみると比較的よくできていると思われる。人事管理システムの中の要素(サブシステム)として、人事評価システム、任用システム、育成システム、処遇システムを想定し、評価システムは、その上位概念としての組織目標の明確化が必要であることを重視している。また、公務の業務プロセスを構成する基本要素(能力・適正・意欲・仕事・成果)を視点に、その現状を評価するものであり、何を重視した評価システムとするかは、組織目標に関わるものである、として評価の目的をはっきりさせようとしていること。また、評価システムの基本要件として「公平性」「客観性」「透明性」「納得性」の向上の確保、差をつけるための人事評価ではなく、職員及び組織の目標実現に貢献する人事評価であること、を挙げている。また、現行の人事評価システム(勤務評定制度)を踏まえて重視すべき点として、・・革新的・積極的な取り組みを行った職員への加点主義的な評価であること、人間性など一般的な人物評価でなく、具体的な職務行動を通じて現れた能力、業績を評価するものであること、新たな評価システムが、組織内で人事当局、評価者及び被評価者のコンセンサスを確保できるシステムとなること、などが挙げられているのである。

<国家公務員で先行する議論>
 こうした国レベルの議論は、2001年に向け総務庁・人事院の評価制度研究会の中間報告を受けて、9月からは国公の労働組合との協議が始まろうとしている。もはや、後戻りはできないところである。6月には連合・公務員連絡会の「公務における能力、実績評価制度対策委員会」が、こうした『国家公務員の「能力、実績」を重視した人事管理システムの見直しと新たな人事管理システムについての考え方(案)』を各産別に提案し、9月上旬までの組織討議を呼びかけている。
 端的にまとめれば、社会情勢の様々な変化や公務を取り巻く環境の変化からは、現在の「勤務評定」制度は廃止し、「能力、実績を重視した」人事評価システムの導入に対しては、条件付で応じざるをえないこと、その際には、「公正・公平性」「透明性」「客観性」「納得性」を確保し、労働組合が関与・参加するシステムであること、苦情処理制度の確立などの確立が必要であること。こうした人事評価システムは、格差をつけることが目的ではないことを明確にし、昇任や昇給への反映については、別途十分労使協議を行うこと、などが提案されている。

<現在の昇任・昇格には職場で不満が強い>
私なりに公務職場を見た場合、二つの層に不満が蓄積されている。ひとつは若年層である。地方自治体でも大学卒業組が若い層では多数派になっており、賃金・労働条件についての関心より、働き甲斐の方に関心が高くなっている。上司と部下という身分的関係を重要視するより、仕事ぶりで上司を評価する傾向にある。自分の方がよく働き、責任も持っているのに賃金は低い、という不満である。ふたつには、団塊の世代で、同世代の数は多いのにポストは限られており、昇任も不合理な場合が多い。客観的な評価は示されず、昇進の結果だけが明らかになるからである。そういう意味では、労働組合の立場・方針は別にして、職場の意見としては、自分の仕事をちゃんと評価してほしいという気持ちは広範に存在しているように思う。むしろ、労働組合の方が人事評価については消極的な立場が強い。それは、賃金や昇任などに個人別要素が入ってきた場合、「平等」や「連帯」という、これまで労組の看板としてきた役割が、後退することへの危惧であり、労働組合の職場における地位が脅かされる心配を強く感じているからに他ならない。

<問われる労働組合のあり方>
 参考になるのは、民間での経験だが、まだ労働組合側の評価システムへのまとまった文献を読んでいないが、NTTでさえ7月の定期大会で「成績主義賃金制度」の提案を行っている。60年・70年代以降民間では、年功基準の賃金制度から資格給などに重きをおく賃金制度に変化し、さらにそれぞれに成績・実績的要素が加わり、極端には「年俸制」というものの、一部に出始めている。おそらく大企業の組合の場合は、評価する側に労組代表も入っているだろうと思われる。公務以上に職場の活性化が収益という具体的実績に連動する民間の場合、評価システムも硬直的なものでなく、年々とは言わないが、システムシステム自体の改善・変更も労使協議の対象とならなければならない。
 そういう意味で組織の活性化に本当に寄与できる評価システムなのか、どうかが問われるところであるし、その検討こそ一方的な使用者側だけの意図だけでは活性化は望めないはずである。労使対等、労使協議型へのあり方の変更が求められているように思う。

<地方自治体での実施は国に続いて>
 こうして秋から、国公の場では、人事評価システムの導入をめぐる交渉が具体的に開始されようとしている。来年春からの実施のあとは、翌年ないし翌々年の地方での実施が想定されているという。さらに、本年の人事院勧告では、「一定期間の勤務に伴う能力の伸長や経験の蓄積、職務遂行にあたり発揮される優れた成果や実績の三要素を踏まえた、現在の俸給表の基本的な見直し」にも言及し、総合給的な現在の給料表から能力・実績重視の評価システムと連動する給料表への見直しにも言及もされているのである。
 時間はそんなに残されていない。労働組合側の早急な対策が求められているのである。単なる反対のための反対では、当局の一方的な制度導入を許すことは必至であろう。(佐野 秀夫) 

 【出典】 アサート No.273 2000年8月26日

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【コラム】ひとりごと–日本共産党の低迷と『査問』–

【コラム】ひとりごと–日本共産党の低迷と『査問』–

○先の総選挙で影を薄くしたのは日本共産党だけであった。議席数の減少、得票数、得票率共に前回の選挙までの増大傾向が頭打ちし、停滞という状況に陥った。この総括をめぐって、いろいろな議論が出ている。○7月の6中総で不破執行部は、依然として「方針は正しかったが、やり方が不十分だった」という、昔からの「旧左翼的」総括を行い、謀略ビラや反共宣伝の包囲網など、敵の攻撃を原因に挙げている。○一昨年の参議院選挙以降、共産党は急速に「政権」への参加というテーマに傾き、安保・自衛隊棚上げ論や国会共闘など、従来の独自路線からのなしくずし的路線転換を行ってきた。不破・志位体制のもとでの、無党派層との連携、相次ぐ選挙での議員拡大という背景のもとでの、やや中道寄りのソフト路線、「常識的な共産党」というようなイメージ転換を行って、旧社会党支持層などにも支持を拡大してきたのは事実であった。○残念ながら、中央や国会でのソフト路線と比べると、地域や従来からの全労連の組合幹部の動きには相変わらずの唯我独尊でああり、党内では十分に戦略議論された傾向ではないことが予想され、党内での未消化は明らかであろう。○また、地方議員についても、これまでの拡大傾向が頭打ちし、現状維持ないし減少傾向も現れている。今年11月には党大会が予定されているらしいが、総選挙の総括から、党の戦略議論までおよぶのかどうか、注目する必要があると思われる。○私たちが見ることができる、党内議論としては、インターネット上の「さざなみ通信」がある。7月上旬に掲載された「総選挙の表面的総括に終始した6中総」と題する文章から、特徴的な批判点を挙げてみる。○「98年参議院選挙と比べても150万票が減少した原因は、それらの票が、社民党と民主党に流れたこと。その原因は、共産党の右傾化路線だ」と。消費税減税要求の凍結、自衛隊活用論、「野党暫定連合政権」論など、が無党派層の中でも革新的無党派層の離反を招いたのだ、という批判である。また、実際の党内議論によれば、総選挙終盤になっても、「比例票は減ることがないだろう」という楽観論が支配的で、党組織の動きは、参議院選挙よりも鈍かったという。○また、例の全国的に配布された「謀略ビラ」について、例えば、「査問」問題について、赤旗号外は、査問という言葉が党内に存在しない、規約に基づく調査はある・・などの無責任な対応であったことなどで何ら有効な反論にならなかった点をも挙げている。○党内からは、表むいて不破・志位体制批判は出てきていないようだが、私としては、現実的な、民主的な、常識的な党としての流れは、結構なことだと思う。こうした流れさえ、党執行部の独走という形でしか進められないことの方がこの党の不幸と言わざるをえないのではないか。その点は、「さざなみ通信」の皆さんとは、意見が違うところだろうか。○6中総文書でも、党の組織の弱体化、高齢化が問題とされ、次期党大会にむけた課題として、党員拡大とりわけ青年層での拡大が力説されている。そういう点で、最近出版された油井喜夫氏の『虚構—日本共産党の闇の事件』が興味深い。油井氏は、当時民青静岡県委員長だった自らの「査問」体験を『汚名』という書物で明らかにした。川上徹氏の『査問』に続く、新日和見主義問題の体験本だった。新日和見主義「路線」に対して、共産党は具体的な氏名や批判対象の文書名も具体的に明らかにできないまま、膨大な批判文書が発表されたという特殊性が存在していることに対して、今回の『虚構』は、批判されたと思われる当時の文献、例えば、当時の民青機関誌「青年運動」などを探索し、検証しようという試みの本となっている。正直、退屈な本だと思うのだが、その中で、70年代に20万人の民青組織だったのが、現在は2万人という現状に触れた部分のみ紹介しようと思う。○後に新日和見主義と批判される「査問」事件の発端は、民青対象年齢を28歳から25歳に、幹部の年齢も30歳までに引き下げる、という党中央の提案に当時の民青執行部内の党員会議において議論が続出し、決定できなかったという72年5月7日であった。翌日から「査問」が始まっている。学生運動の経験から言っても、学生活動家を引き抜いて「おとな組織」で早く使おう、という傾向はよくあった話で、「それでは学生組織がもたない」みたいな話は私も理解できる。実際に油井氏によると、新日和見主義事件以降、民青の対象年齢は引き下げられ、党組織に集中が起こり、民青組織の停滞状況がその後続いたという。党中央も、その後、「引き抜き」が強まることで、青年組織が停滞している状態を危惧し、大衆組織の運動を阻害するような引き抜きを行わないよう、文書を出すことになったらしいが、「査問」対象となった「年齢引き下げ」反対の主張は、みごとに当たってしまったということだろう。○現在も、選挙の時など、共産党への青年対策に民青が街頭宣伝をしているのをよく見かけるが、民青の独自性などは本当に感じられない。党に従属した青年組織では、魅力もないと思うのだが。○長々と書いてきたが、要するに今、共産党が大きな分岐点にある、ということだ。大衆組織においては、89年の連合に対抗した全労連の結成などがあるが、残念ながら、全労連系は低迷している。(連合も低迷しているが)「さざなみ通信」編集部の傾向は、すこし「旧左翼」に近く、新しい議論は期待できないのだが、全体的に共産党系の運動は低迷している。今回の総選挙の敗北を機会に、党内や大衆運動の中から、共産党の社会民主主義的の再生ための「常識的」な議論が出てくることを期待しているのだが。(K・T)

【出典】 アサート No.273 2000年8月26日

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【書評】『医療倫理の夜明け──臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』

【書評】『医療倫理の夜明け──臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』
       (ディヴィッド・ロスマン、酒井忠昭監訳、2000.3.10.発行、晶文社)

 医療技術の急速な進歩の下、医療に対する見方についても変化が生じている。本書は、伝統的に続いてきた医療の見方が、さまざまな医療事件を通じて、新しい医療倫理の確立へといたる過程を描いたフィクションである。そしてこの過程は、医療実験の被験者と研究者、臨床上の患者と医者の関係が、前者の保護に向けて劇的に変化していく過程であり、同時に「それまで医療専門家の自由に任されていた医療上の裁量権が次第に制限されるようになっていく過程でもあった。
 まず第2次世界大戦以前のいくつかの人体実験についての検討から、それらが倫理の許す境界を越えていることが指摘された後、本書では、しかしまだこの時代には「人体実験でなにが公正で、なにが不正かについての感覚が広く行き渡っていることを物語っていた」とされる。
 ところが戦時中には、「こうした研究は作戦の一部と考えられたため、戦場の原則は研究室にも適用された」。すなわち医療実験の被験者たちは、戦時努力に貢献する国民の一員と見なされ、このために実験に際して彼らの承諾を得るという社会的な価値は無視されるにいたった。そしてこの基準が、戦後も長く医療研究者の間に残ることになるのである。
 戦後1945年までは、それ故被験者の福利よりは研究者のニーズが優先されてきたことになる。しかも治験(実験室)と治療(診察室)、すなわち研究者─被験者の関係と、治療者である医師─患者の関係の境界があいまいであったことが、問題を混乱させてきたと言えよう。このような状況において医療専門家の裁量権が行使されてきたのである。
 ところが、はじめには実験室で、続いて診察室で「重大な変化は1966年から1976年のあいだに起った。変革の出発点は1966年、ハーヴァード大学医学部のヘンリー・ピーチャーによる人体実験にたいする告発だった。そしてその後、1973年、ウォルター・モンデールとエドワード・ケネディの2名の上院議員の指導の下での、医療倫理調査の国家委員会の設置を経て、1976年にニュージャージー州最高裁が、医師たちに対して、親の養成に従ってカレン・アン・クィンラン(22歳)の人工呼吸機の停止を命じたことで終るのである。
 この変化は、「最初、新たに多数のひと(法律家、社会学者、生命倫理学者等──引用者)が意思決定に参加するという形で現れ」、「つぎに、意思決定を特徴づける、新しい形式が考案された」、「第三に、いまや部外者が、あまり目立たないが、ほぼ主導権をもって医者と患者の関係の標準になる原則をつくった」というかたちで要約される。つまり「医療がなされる外的条件(免許制度によって州がこれまで統制してきた)だけでなく、その実質(病室での医師の決断)までもが変化を迫られたのだ」。この変化は、もちろん「医の倫理がすべて医療の世界に委ねられねばならないという強力な主張」の抵抗を呼び起こしたが、しかしそれ以上に、現実の医療をめぐる状況が進展したのである。
 例えば臓器移植では、「医師は患者の利益に反して治療することはない」という前提があてはまらない。というのも、健康な腎臓を片方とることで、患者の幸福を前進させることはできないからであり、しかも資源の分配の問題が、直接医師にかかってくるからである。「要するに医師は、移植によって、命はいつ終るかという難しい問題だけでなく、ある患者が恩恵にあずかるとき、もうひとりの患者の命をいつ終りにするかという、さらに耐えがたい問題まで背負いこむことになったのだ」。
 さらにジョン・ホプキンズ病院の新生児の事件(精神遅滞をもった新生児に対する治療停止事件)では、医師、両親、新生児の立場の対立があった。それ故「新生児をめぐる問題の解決には、非専門家がさらに医療の中へ踏みこむ必要があった」。すなわち新生児に関する意思決定の議論では、「集中治療室が、医師の独占的な区域でなくなった」のである。そしてこの事件が、医療の分野への哲学の参入に主導的な立場を保証することとなった。「このことは、(略)個人的な倫理の原則が、医療をめぐる知的な議論を支配することを意味する」と著者は述べる。
 この傾向は、カレン・アン・クィンラン事件でさらに明確にされる。カレン事件では、「その核心は、患者の『死ぬ権利』などではなく、もっと具体的で本質的な問題、すなわち『だれが医療を支配するのか』という問いかけだった」とされ、患者の利益を代表する存在が、医師から弁護士や裁判官の手に移った、ということが指摘される。
 そしてこの点に、哲学とりわけ生命倫理学が大きな成果を上げた理由があったのである。というのも生命倫理学者たちの関心は、上記の事件に関して、「米国医療の社会的側面よりも、患者と医師との一対一の関係に向けられた」のであり、「個々の患者の権利を守ることは、しばしば社会階級の境界線を越えて意味をもった」からである。つまり生命倫理学者が、患者の権利と関わって自己決定の原則を強調したことは、一方においては、権力(保護者・専門家等をも含む)に対して、無力に見えた個人の集団を守るための諸運動(女性、受刑者、同性愛者等の運動)と共通のものを有していたとともに、他方において、「持てる者の関心事にたいし、持たざる者の関心事にたいするのと少くとも同等のあるいはそれ以上の敏感さを備えていた」のである(誰でも患者になる可能性がある)。
 このように医療上の意思決定の変革は、現在もなお進行中であり、それが将来的にどのような形で落ち着くのかについては、議論されるべき事項は多い。しかも本書で述べられてきた以上に、今日、医療をめぐる状況はさらに急激に進展しており、本書の最後にある、「患者は医療を権力的で非人格的な現代そのものとして体験してゆくことになるだろう」との指摘は、医療のみならず現代そのものに対する鋭い批判として残されている。
 以上のアメリカの状況と比較して、わが国の医療をめぐる状況がどのように検討されるべきであるのか。本書の一読を薦める次第である。(R) 

 【出典】 アサート No.273 2000年8月26日

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【投稿】公共事業の政策転換は本物か

【投稿】公共事業の政策転換は本物か

 6月衆議院選挙で、自民党は特に都市部で敗北し、来年7月の参議院選挙に向けた深刻な議論が党内で巻き起こっている。都市部での無党派層が自民党離れを起こし、東京、静岡、愛知などで、有力代議士の落選や比例票において民主党に負けるなどの状態となったからである。
 記憶に新しいが、総選挙の争点に景気対策と財政再建の課題があった。民主党は、最後は曖昧になったが、課税最低限の引き下げなどの税制改革と無駄な公共事業の縮小などを提起したのに対して、自民党など与党は、少なくとも景気が本格的に回復するまでは、財政再建課題は「棚上げ」し、公共事業をこれまでどうり実施すると従来型の施策の継続を唱えた。
 しかし、総選挙の結果は、都市部で顕著なように公共事業重視の従来型財政運営に対して、国民世論はNO!を突きつけ、自民党は完全に敗北した。こうした状況を受けて、沖縄サミット以後、急速に自民党から「公共事業の見直し」議論が飛び出したのである。

<大規模公共事業の見直し>
 亀井静香政調会長が7月25日、「時がたてば必要でなくなる公共事業がある。・・・中海や吉野川。政治の目ですべて検討し切るべきものは切る」と記者会見し、大規模公共事業の見直しに着手を表明した。8月末の来年度予算の概算要求までに見直しを行うという。総選挙から1ヶ月後だが、誰が見ても民主党の「主張」を取り込んだ発言だった。どうして、総選挙の時に、政策提起できなかったのか。これも自民党の学習効果というものだろうか。現在伝えられる見直し基準は①事業採択後5年経過しても未着工の事業②着工後20年経過しても未完の事業③第三者機関による再評価を受けて凍結されている事業で、原則として中止、という内容だ。
 吉野川可動堰が争点になった徳島1区では、民主党の仙石議員が小選挙区で自民党を破って再選された地域、2年前の参議院選挙でも民主党推薦の候補が選挙区選挙で自民党を下している地域だ。地域の行政や地元政治家からは猛反発が予想されるが、全体の見直しで突破し、この地域での自民党復権狙いは明らかだ。
 ともかくも吉野川の場合は、まだ事業は本格的に実施されておらず、調整は可能ということだが中海の場合は、すでに500億円以上が投資されており、亀井発言以後県側と自民党との交渉がつづくのである。

<中海干拓事業、中止か凍結か>
 中海干拓事業は、島根県の宍道湖中海の4分の1を埋め立て、約2000haの農地を生み出すことを目的に1963年にはじまる。70年には最大の本庄工区を除く四地区は完成するが、88年からは減反政策なども絡み工事は中断された。すでに500億を越える周辺道路などの工事は完成しているが、島根県も9月議会には、県財政の悪化や完成しても農地売却のめどが立たないと、澄田知事は干拓事業の「凍結」表明を準備していたらしい。
 そこへ、自民党の見直しが提案され、新聞報道にもあるように、「凍結」に固守していた澄田知事も代替の「干拓事業に替わる地元振興策」を条件に、「凍結」から「中止」に同意する方向と言われている。

<公共事業見直しは本物か>
 こうして、来年1月の省庁再編、次年度予算をにらんでの自民党の大規模公共事業の見直しは、目に見えるものとなった。しかし、この見直しは、本物なのか。答えは否と言わざるを得ない。まず、今回の見直しが、事業決定からの年数などを基準にしていることである。事業決定しても着手されない理由はいろいろあるが、ダムや干拓、可動堰、河口堰など川と海など自然破壊を起こす事業に対する環境問題としての視点は全くない点である。8月上旬にテレビ報道されたが、ヨーロッパでは、ライン川やドナウ川では、汚染や自然破壊された現状に対して、元の姿に戻す「公共事業」が実施されているという状況と比べれば、如何に低レベルか分かる。何を目的にした事業なのか、その目的は現在も合致しているのか、根本的な検討は行われることはない。さらに、事業項目の見直しであっても、総額公共事業の見直しという視点はない。従来型の景気対策としての公共事業という性格は変わらず、他に公共事業を探す、という構造である。
 都市部の渋滞や通勤地獄をなくす公共事業などが提起されるに違いないが、はたしてそれで問題は解決されるのか。地方分権に相応しい、必要な公共事業とは何か、哲学も含めた提起が求められているのである。

<地方での民主党政策課題>
 こうした自民党の公共事業見直しの動きは、確かに一方で総額公共事業費の削減というものではなく、公共事業項目のリストラという感が強い。しかし、強烈なメッセージとも言える。自民党はそれなりに必死なのである。この悲壮な政策転換に対して、民主党の方は、その悲壮感という意味においては、完全に負けているのではないか。
 一つの課題は、特に地方において民主党は党組織が圧倒的に弱い。地方議員もまだまだ少ない。都市部は、連合など組織労働者と労働組合が多く、地方議員もそれなりに存在している。しかし、地方での民主党は、旧日本新党や自民党などからの参加者も多く、政治家個人の後援会などが主流で、党組織は中々できていない。
 8月に告示される民主党党首選挙の「サポーター制」も、1000円の登録料で市民も参加できる、と「活性化」論で宣伝されているが、実態は少し違う。要するに地方には、国会議員以外の地方議員や党員が少なく、「金」でも取らないと、民主党国会議員の個人後援会が勝手に数を拡大して投票されてはかなわない、ということだ。投票には「党費」が要る、という制度なのである。これも、鳩山がだけが立候補ということになれば、その意味もなくなってしまうのだが。
 8月19日の報道によると、民主党も「地方向け政策」の検討に着手しているという。衆議院選挙での地方・農村部での苦戦を受けて、農業・中小企業政策について若手議員中心に検討が始まった。6月のアサートでも触れたが、例えば、長崎の諫早干拓の場合、長崎の民主党には、諫早干拓の中止というスローガンはなかった。公共事業に依存する自民党だが、それに替わる民主党の新鮮なスローガンは、まだ出てきていない。選挙の終盤には、都市部に集中した選挙シフトで「風」が吹いた民主党だったが、まだ「地方政策」の形は見えてこないのである。

<地方財政見直しなどの焦点に>
 公共事業の見直しの他に、都市部に向けた自民党から聞こえてくるメッセージは、地方財政問題である。特に「地方交付税」制度をめぐって野中幹事長が発言しているし、政府税調での議論でも特に経済界から強い姿勢が伝えられている。要するに、地方交付税制度が一面で、地方自治体の財政運営におけるモラルハザードを生み出している原因であり、市町村合併を阻害している原因になっている、という主張らしい。所得税をはじめ都市部住民の納税は、10分の1程度しか、都市部には還元されず、地方での公共事業に回されている、という議論への対応なのである。総じて、都市の不満に自民党はちゃんと取り組んでいる、という意図的な発言なのだが、それならば、都市部と地方のいわいる「一票の格差」が2倍を越えている問題はどうなるのか。場当たり的な自民党の政策に、包括的な対案が求められているように思う。(佐野) 

 【出典】 アサート No.273 2000年8月26日

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【投稿】沖縄サミットが明らかにしたもの

【投稿】沖縄サミットが明らかにしたもの

<<無知・無能さらけ出す森総理>>
 以前から森首相に関しては、首相としての資質そのものが皆無ではないかと問われていたのであるが、沖縄サミットはそのことを端的に実証したともいえよう。すでに 準備段階から沖縄県知事を前にサミット会場を万博会場と発言したり、IT革命を、IC革命とか、”イット革命”などと言うお粗末振りが際立っていたが、それらはまだ国内での無知として済ますことも出来た。しかしサミット当日の7/22の昼食会談(ワーキングランチ)、1時間20分をまるまる雑談に終始させ、議長役の森首相自ら「伝統文化・スポーツの話題」で先導し、相撲、華道、茶道、書道、柔道、合気道など「道」のつくものを片っ端から上げて説明をし、あげくに「西欧の庭園では噴水で水が下から上に上がるが、日本では滝をしつらえ、上から下に流れることが多い」などと延々と駄弁を弄し、そうこうするうちに時間切れとなってしまい、山積する重要な案件について何一つ率直な意見交換をすることもなく、本来予定されていた議題も持ち出さなかったために、さすがの各国首脳もあきれ果てて、苦笑するばかりだったと言う。そのぎこちなさと、はしゃぎすぎ、サミットの外形やショー化にばかり気を取られて、具体的な論議になると貧弱そのもの、論議の方向付けも出来ない、ただただ”対米ゴマスリ”に終始する日本の首相の姿をさらけ出したのである。クリントンやプーチンは時間の無駄とばかりに当然のごとく、森首相との個別会談をキャンセルしている。
 沖縄でサミットが開かれた意義など吹き飛ばしてしまったのは、森首相自身だったのである。

<<「皆さんがいじめるから萎縮する」>>
 沖縄サミットで最大の関心事でもあり、今後の国際情勢を大きく左右する問題は、極東アジアにおける緊張緩和の問題であった。とりわけ朝鮮半島での初めての南北首脳会談の実現と相互交流、軍事的緊張緩和の急速な動きは、サミット諸国がこれを歓迎し、いっそう促進させ、支援する絶好の機会でもあった。しかし、ロシアのプーチン大統領が沖縄入り直前に北朝鮮を訪問し、金正日総書記から「他の国が平和目的の衛星ロケット開発に協力してくれるなら、独自のミサイル開発は停止する」という提案を携えてきたにもかかわらず、議長国の日本はアメリカに遠慮して議題に取り上げることさえしなかった。
 米本土ミサイル防衛計画(NMD)は、この北朝鮮のミサイル開発・配備計画を最大の口実として行われてきたのである。口実である以上、北朝鮮との裏取引さえ疑われるところである。ところが7/8に行われたNMDの三回目の迎撃実験は前回に引き続き失敗に終わり、こうした「軍需資本と超保守派を喜ばせる空虚でばかげた計画」に米国内でも憂慮の声が続出し、「NMDの配備が中ロ両国の核軍拡をあおる」とする中央情報局(CIA)の機密報告が出されたばかりである。さらに7/18には、中国を訪問中のロシアのプーチン大統領が、江沢民国家主席とともに、NMD計画を非難する共同声明を発表したところである。フランス、ドイツも反対姿勢を公表している。ドイツのシュレーダー首相は6月のクリントン大統領の訪独の際、「NMDが新しい軍拡競争の引金となりうる」と率直に反対姿勢を表明している。サミットで議題にならないほうがおかしいのである。
 ところが日本は、北朝鮮のミサイル開発を口実にアメリカと戦域ミサイル防衛計画(TMD)の共同研究に加担しているところから、沈黙を押し通したのである。森首相はもちろんこうしたことの本質の理解云々以前に、問題のスケールの大きさに萎縮し、逃げ出したといったほうが適当であろう。「皆さんがいじめるから萎縮する」(8/11、記者団への不満)というあの姿勢である。

<<約束反故、逃げ出すだけ>>
 世界平和の最大の問題で逃げ出した森首相は、もちろん沖縄の最大の問題である基地問題でも逃げ出してしまった。言うべきこと、約束したことも一切言わなかったのである。
 当然、普天間基地の移転問題では、沖縄県や地元・名護市が受け入れの最低条件とし、アメリカ側に強く申し入れることを要求していた”使用期限15年”についてさえ一切持ち出さなかった。普天間基地の移転先が年内に決着しない限り「沖縄に行きたくない」というクリントンの発言に怯えきっていたのである。欠席さえ噂され、中東和平交渉の場からとりあえずやってきたのが7/21である。この日、平和祈念公園の「平和の礎」で演説したクリントン大統領は、沖縄の米軍基地は「死活的に重要」と言い放ち、基地の無期限維持を強調するような発言をし、「米軍のプレゼンスを必要としない段階には達していない」と述べると、森首相はただ擦り寄り、例によってウンウンとうなずいただけである。「米大統領とこの問題で直接話し合う」という日本政府の沖縄県民への約束は反故にされ、事実上の基地の強化と固定化を承認し、稲嶺県知事、岸本名護市長がクリントンに直接進言するという約束も果たされなかった。
 クリントンは、直前に起きた駐留米兵による女子中学生への強制わいせつ事件に対しても、”このような事件が起こると残念だ”と言っただけで、米軍によるおびただしい人権侵害や権利の抑圧に対する謝罪の言葉は一言も聞かれなかった。翌7/22、同大統領はキャンプ端慶覧で演説、兵士の綱紀粛正を求める一方、在沖米軍の存在意義を強調している。彼自身の性的放縦と米国内で高まる沖縄米軍基地の不要論・海兵隊撤退論を知る兵士たちはどのように受け止めたのであろうか。

<<鮮やかで相反する対照>>
 「沖縄サミットが中東サミットに食われた」と報道されているが、このようにその役割を引き下げたのはむしろ森首相であり、日本政府だったのである。政府は前回のケルン・サミットの100倍以上の総額814億5200万円もの金を注ぎ込み(最多は警察庁の326億8800万円)、県外からサミット警備に2万500人も動員した大騒ぎの結果がこれである。サミットのショー化と利益誘導で沖縄県民を取り込んだつもりであるが、サミットで各国首脳などが宿泊した県内10ホテルの7月実績は、宿泊客数で前年同月比約11万人減、金額にして約30億円の減収であったという(7/25琉球新報)。琉球新報が県内53市町村の首長に沖縄サミットについての緊急アンケートをとった結果、サミットの共同宣言や議長会見の内容を評価した首長は二人にしかすぎなかった(同) 。
 しかしこうした沖縄サミットを成功させ、混乱させないためという空前のさまざまな規制や締め出しにもかかわらず、サミット直前から、7/15には沖縄県民7000人が結集して「米兵によるわいせつ事件糾弾及び連続する事件・事故に抗議する緊急県民総決起大会」が持たれ(宜野湾)、続いて7/20の「嘉手納基地包囲行動」には2万7100人もの人々が参加して、過去4回の包囲行動を超える人間の鎖による基地包囲が実現し 、期間中も多種多様な抗議行動が展開され、世界中に発信されたのである。この鮮やかで相反する対照は、首相や政府の予期しなかったところであろう。しかもこの基地包囲行動は、これまでのようにさまざまな中央組織の縦割り動員や組織化によって実現したものではなく(そもそもそのような動員がなかった)、個々の庶民、民衆の自発的なイニシャチブによって、基地包囲実行委員会の意識をはるかに超えたところに実現したものであった。沖縄サミットが明らかにした平和と緊張緩和をめぐるこうしたさまざまな相反する対照が、今後の情勢のありようを鋭く提起しているといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.273 2000年8月26日

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