『詩』 「皇太后」

『詩』 「皇太后」

こんな言葉が突如這い出してきた
「皇太后さま」、まさに天皇制時代の遺物
「万世一系」「神の国」の継承者
6月16日、前天皇の妻「皇太后」が死去したのだった
驚かされたのはその後だ
歴史上初めて共産党委員長が弔意を表明
「私は皇太后の死去にあたり
同じ社会と歴史を生きてきた
一人の人間として、弔意を表するものです」

おりしも衆院解散・総選挙の真っ只中
「神の国」「国体」に対して主権在民が問われているさなか
6月19日、参議院議員運営委員会理事会
皇太后弔詞文を全会一致で可決
賛成した共産党書記局長の弁
「今の憲法を守る限り、天皇制と共存していく
象徴天皇制も国の機構だ
それを担う方がなくなられたので
当然弔意を表す意味で賛成した」

「当然のこと」と胸張りながら
180度の豹変、すりかえ論理
ただただ選挙目当てのこびへつらい
何の断り、言い訳、弁明もない
これまで共産党は皇族への弔意、弔詞文
一切の議決に反対してきたのだ
前天皇死去の際には
「憲法の主権在民の原則に反する」として反対
本会議での議決にも欠席してきた

天皇が「お言葉」のべる国会開会式
これも旧憲法・天皇主権の遺制そのもの
現憲法・「国権の最高機関」を否定し
国政関与禁止の天皇条項にも反するとして
欠席を堅持し続けてきた共産党
これまた何の説明、弁明もなく
これからは「お言葉」をいただくという
そこまでして「神の国」にごついしょう
それでも選挙結果は苦渋の惨敗

幹部が独走して勝手に方針変更
責任とらずに居座りつづけ
党内民主主義などもぬけの殻
幹部はどれもこれも同じ詭弁、同じ言い回し
抗議続ける党員には「査問」と除名
これぞ民主主義と人間の平等に反する
天皇制的唯我独尊制度の遺物
名称変更程度ではすまぬ党の実態
さてそれでも「お言葉」をいただきに行きますか
(M.K)

【出典】 アサート No.272 2000年7月22日

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【投稿】社会主義と全体主義論

【投稿】社会主義と全体主義論

<はじめに>
 二〇世紀前半の最大の世界史的事件といえば、一九一七年のロシア革命であり、同じく後半について言えば、その幕を閉じた一九九一年のソ連邦の崩壊といえよう。現実の社会主義の誕生から、成長、停滞、そして崩壊に至る全過程を厳しく問い直し、二一世紀の社会主義の未来への展望を切り開くことは、容易なことではないし、冷静な見方をすれば全く不可能なことのように思える。無責任と言われればそれまでなのだが、しかし、逆にある意味では「現実の社会主義」の担ぎたくもない重荷から解放され、自由に現実の資本主義の拡大する矛盾と人類的課題について具体的な変革の展望を見い出していくことが可能になってきているとも言えるのではないだろうか。しかし私はここでその展望を語ろうというのではない。実はその前段階でまだうろちょろしており、その中でも見過ごすことのできない論調の一つについて問題提起をしておきたいのである。それは、社会主義とファシズムを全体主義という尺度で一括し、比較、検討、切って捨てる論調である。

<戦争責任論争>
 少なくともソ連崩壊前までは、ナチスの犯罪と社会主義・共産主義の犯罪を比較することに対しては、一定の躊躇というか、とまどい、むしろ道徳的・倫理的な反発が強固に存在していたように思われる。ファシズムとコミュニズムをその抑圧的体制の側面から、広範に同一化するようなこうした全体主義理論は、緊張緩和・デタントの政策が着実に定着し、進展してきた八〇年代には、もはや時代遅れの、すでに克服されてきたものとみなされ、あまり取り上げられることもなかったと言えよう。当然、両者を同列に並べ、比較することなど、たとえそれがまじめな意図から出ていたものであったにせよ、よって立つ階級的基盤の絶対的相違からして検討にも値しないものとみなされてきた。ましてや共産主義の犯罪のほうがより根源的であり、質的量的にもナチスの罪よりも重いなどと主張すれば、反共主義者のたわごと、知的・道徳的に低劣な連中の世迷いごとのたぐいとみなされてきたのではないだろうか。
 ところがソ連邦崩壊前後より、とりわけスターリン時代の犯罪行為が具体的に明らかにされ、実証されるようになってくると、事態はこれまでとは違った展開を見せ始め、この全体主義理論そのものが新たな装いをとり始め、極端な急進化が推し進められてきたといえる。その重要なきっかけとなったのが、西ドイツの歴史の中で「歴史家論争」と呼ばれることになった論争である。一九九〇年に歴史家エルンスト・ノルテが、ソ連の「収容所群島」はドイツ・ナチズムの「アウシュビッツ」よりも「根源的」であり、それゆえ、ホロコーストには一定の予防的目的意識があったことを否定できない、というテーゼを主張し、これをめぐる「ドイツ戦争責任論争」がこれまで長期にわたって強力に展開されていることに象徴的である。いわゆる歴史修正主義の登場である。これは明らかに日本における戦争責任論争と重なるものでもある。

<「過ぎ去ろうとしない過去」>
 これは日本では「自虐史観」という言葉で語られ、ドイツではナチズムの「過ぎ去ろうとしない過去」という言葉で語られるものに対して、歴史的な決着をつけ、過去にある種の「けり」をつけようとするもので、明らかに政治的意図を持った主張として展開されている。その主張の核心は、ドイツ・ナチズムの戦争責任を回避することにある。そのために、共産主義の犯罪との比較で相対化したり、地理的な位置からしてやむをえなかったという「中間位置」テーゼや、被侵略国の社会資本整備に貢献したなどといった「近代化」テーゼなどを総動員して、ナチズムの犯罪をできる限り小さいものに見せ、やむをえなかったもの、貢献した側面もあるなどといった主張が公然と語られ、社会的にも一定の支持を得るという事態をもたらしている。これまでとは違った様相の展開と言えよう。
 そうした論理展開の中で全体主義論が大きな位置を占めているわけである。ヒトラーとスターリンの政治体制には全体主義という共通点が見られるのみならず、因果的結合が見られ、ボリシェビキ体制が先に成立していたために、ヒトラーは自身をスターリンから守り、スターリンを出し抜くために、ある程度事前予防的な意図をもって、「アジア的」行為を行ったのだと主張される。ヒトラーはソ連を攻撃したのではなく、直前に迫ったスターリンの攻撃に対して機先を制した「だけ」である、というわけである。両者の規模と形態の違いについて言えば、ドイツの高い産業化のレベルが、アウシュビッツ、トレブリンカ、マイダネクの産業化された大量殺戮の技術を可能にしたが、ソ連の低い産業化のレベルは、頚部射殺、飢餓死、非人道的な生活・労働条件のもとでの死に至る労働、といった在来型の行政大量殺戮の方法にしか至らなかったと解説される。

<「かなりの変化」>
 同様の展開は日本においても見られるところである。歴史修正主義の中心的役割をになっている「自由主義史観」グループも、当初の出発時点では、「大東亜戦争肯定論」とは一線を画して登場してきたのであるが、今や「大東亜戦争」を全面肯定する立場に移行している。
 彼らに踊らされ、旗振りの第一人者となってきた漫画家の小林よしのりは、そのことをあけすけに述べている。「『戦争論』を描いているときに、個と公の関係を考える上で、大東亜戦争肯定論にもっていかざるを得なくなってしまい、これは総スカンか、相当非難されるか、あるいは完全に無視されるか、というふうに思っていました。ところが五十万部売れてしまって、自分としては不思議な感覚に襲われています。」(『正論』九九年三月号)
 この同じ『正論』三月号では、「中村氏の『南京事件一万人虐殺説』を批判する」という論文で、虐殺を一万人以下に少なく見積もろうとする中村氏に対して、あの東大教授・藤岡はそもそも「虐殺はなかった」と主張する始末である。そしてこうした主張が、かつての日本の中国侵略戦争も、中国共産党側の謀略であったという主張に重ねられていく。アウシュビッツと南京の大虐殺が共に「嘘」として歴史的責任から抹殺され、ヒトラーと東条英機が共に正当化される。
 問題はこうした主張に対して、小林よしのりらが、「この『戦争論』が五十万人、これは熟読した数ですからね、そうなるとかなりの変化が世の中に起こってきているんじゃないかと思うんです。ただマスコミが封殺してるから隠されてますけれどもね。多分、庶民感覚の段階では随分変わってきているでしょう。そこに対して本当に届くような言葉を向こう側から投げかけてこない限り、もう向こうの方に勝ち目がないという状態が来てるんだと思いますよ。」と(同九九年三月号)うそぶける状態が存在しているということであろう。

<『共産主義黒書』>
 こうした状況の中に、ナチス・ドイツとスターリン時代のソ連という二つの「全体主義体制」の本質的同一性を告発する『共産主義黒書』が加わってきた。これは九七年にフランスで出版され、九八年には東ドイツの全体主義体制の考察を加えたドイツ語版が出版され、日本語訳は本年中に刊行予定だという。
 この本の序章で執筆者の中心に位置するS・クルトワは、「自分たちが近頃ますます目立つようになった極右に身を委ねるものでないこと、共産主義の犯罪は民族ファシズム的観念の名などではなく、民主主義的価値の名で分析し、判断さるべきであること」を強調し、この書は「犯罪という次元の視点から共産主義を取り扱う最初の試み」であるとして、この体制により殺害された人々の数をソ連で二千万人、中国で六千五百万人等々、総計約一億人と推計し、ナチの「人種ジェノサイド」に対応するものとして、共産主義体制下の「階級ジェノサイド」を対比させる。これはいわばナチズムの「人種全体主義」と共産主義の「階級全体主義」を全体主義という共通の概念で同一化しようというものであろう。
 この本については、『ドイツ戦争責任論争』の著者W・ヴィッパーマンは「一九九八年に発行された『共産主義黒書』、ドイツでは驚くべきほどもっぱら肯定的な反響を呼んだ。しかしそれは学問的認識という点では問題にならない。というのは、それらは決して新しいものではないからである。方法的な観点からもこの論文集は何も提示していない。残虐な行為の描写を並べているだけである。おおまじめで「共産主義」の犯罪を裁くための「新たなニュルンベルグ裁判」を要求している」と批判している。

<「社会主義の根源的あり方」>
 この『共産主義黒書』の内容を紹介した中野徹三氏は、「私は、本書が提起している問題と内面的に深く対決することなしに私たちは、次の世紀の社会主義の根源的ありかたを明らかにしえないだろう、と考えている」と述べている(『労働運動研究』本年三月号)。この点については同感である。しかしファシズムと共産主義を全体主義という概念で分析し、同一化することからは、社会主義・共産主義がめざした社会変革への生命力を導き出すことはできないのではないかという疑問がつきまとう。
 私は、ロシア革命からソ連邦の崩壊に至る経過の中には、幾度も社会主義・共産主義の生命力を復活させ、発展させる機会や現実的基盤が存在していたのではないかと考えている。確かに、「現実の社会主義」諸国はそのことにことごとく失敗し、同一の誤りや腐敗、民主主義の欠如を共有しながら崩壊過程を進行させてきたと言えよう。
そのことについては真剣な分析や批判が不可欠である。しかし同時にこれまでの歴史的過程において、たとえば、レーニン時代の新経済政策(ネップ)への転換(市場経済を社会主義の根幹に位置付ける問題)、社民主要打撃論から反ファシズム統一戦線論への転換(民主主義的変革にとって複数政党制が不可避であるという問題)、ソ連共産党第二〇回大会(スターリン批判と個人崇拝・党の官僚的独裁を打破する問題、社会主義への多様な道)、中ソ論争(冷戦ではなく、平和共存政策でこそ試される社会主義の生命力と社会変革)、ユーロコミュニズム(反独占民主主義の普遍的先進的位置付けと構造改革)、そして近くはゴルバチョフのペレストロイカ(社会の全面的民主化と情報公開、全人類的課題)、これらはいずれも社会主義が本質的に民主主義的変革であることからくる生命力を発揮してきたものではないだろうか。こうしたものこそが二一世紀に、新たな形で再生されることに希望を抱いている。これらは決して全体主義論で切り捨てられてはならないものと言えよう。
(以上は、筆者が『大阪のこえ』誌第14号(7/1付け発行)に掲載したものの転載である。) 

 【出典】 アサート No.272 2000年7月22日

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【投稿】首脳会談後の軍事バランス

【投稿】首脳会談後の軍事バランス

 6月13日から15日まで平壌で開催された金大中大統領と金正日総書記の南北首脳会談は、「予想以上の成果」をあげて終了した。「共同声明」で明らかにされた合意点は、統一問題の自主的解決、離散家族の再会、経済文化の相互交流、などである。とりわけ、統一問題については、南北双方の統一構想をたたき台として検討していくことが確認され、大きな前進と評価されている。
以上の合意点は確かに画期的なことであるが、今回金総書記が最も踏み込んだ認識を示したのは、会談終了後に伝えられた米軍の韓国駐留容認である。
なぜ、北朝鮮が在韓米軍についての、これまでの公式見解や対応を根本から覆すような見解を明らかにしたのか。それはアメリカからの援助を引き出す「歴史的妥協」である。
 先日、米朝ミサイル協議が行われたが、アメリカが事前に韓国に伝えた北朝鮮のミサイル輸出額は年1億ドルであり、これまで北朝鮮が要求していた輸出停止の見返り額の10億ドルとは、10倍の開きがある。
さらにアメリカは見返りは、金銭的補償ではなく経済制裁の緩和で行うとしており、ミサイルを材料に援助を引き出すことは困難になっている。
また、すでに「核兵器開発」についてはKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)の枠組みで支援が決まっており、北朝鮮としてはアメリカに対するカードが尽きてきたのである。
そこで、奥の手、ある意味では禁じ手=「武力統一構想」を放棄するに等しい、在韓米軍容認というカードを切ってきたわけだ。
アメリカは首脳会談前から、在極東米軍10万人体制を揺るがすような「過度の緊張緩和」に対する牽制球を投げており、会談後も「期待を持ちすぎてはならない」などと
アメリカ抜きで協議が進むことについての懸念を繰り返してきた。
朝鮮半島での事態の激変について、アメリカは本気で心配していたようで、オルブライト国務長官が金大中大統領から直接、北朝鮮の意向を聞いて納得したのである。
またこの間の「影の主役」と言っても良い中国は、この件については沈黙を守っているが、あからさまな反発を示さないのは、事前にアメリカのNMD(「本土」ミサイル防衛システム)放棄を迫る材料ともなる在韓米軍容認を了承していたことを窺わせる。
さらにロシアのプーチン大統領も先の江沢民主席との会談、その後の訪朝によってこれらのことを確認し、朝鮮半島情勢に対する影響力を確保するだろう。
こうして、在韓米軍問題についての当事者、周辺国の共通認識が固まる中、8月と言われる北朝鮮高官の訪米によって、最終的な確認がなされるものと思われる。
これにより当面極東の軍事バランスは、沖縄駐留米軍も含め大きく変化することは無くなった(ただしNMD計画が不安定要素であるが、主要国の反対、技術的不安から配備計画については頓挫しつつある)。
 同時にこのことは南北緊張緩和の進展が在韓米軍の撤退から沖縄基地縮小ヘつながる、と言うシナリオを描いていた「平和勢力」の期待を挫くことにもなったが、この際国家のしたたかさを充分認識すべきであろう。
また、日本政府も、サミット外相会議では議長国でありながら、総括文書で北朝鮮に対しては「建設的対応を求める」という表現を盛り込んだものの、今後の具体的対応については明確とはなっていない。アセアン地域フォーラムでの日朝外相会談以降にどの様に事態が進展するか注目される。 (大阪 O) 

 【出典】 アサート No.272 2000年7月22日

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【投稿】衆院解散・総選挙 —結果が問いかけるもの—

【投稿】衆院解散・総選挙 —結果が問いかけるもの—

<<「天の配剤」か?>>
 「大波乱を生む総選挙への期待」(前号筆者投稿)ははずれ、最後の「しかし民主党が、こうしたネガティブキャンペーンに正しく対抗できなければ、与党は過半数を確保し、民主党はその政治的能力が疑われることも間違いないといえよう。一方では民主党の政権構想が問われ、もう一方ではその経済・財政政策が問われているのである。」という指摘通りの結果をもたらした。「神の国」の思し召しならぬ「天の配剤」というか、まさに現実を実に微妙にしかも相当正確に反映した結果とも言えよう。それは同時に、今後の新しい展望をも明らかにしているのではないだろうか。
 第1に、自民党の得票率の減少傾向は今回も止めようがないことを明確に示している。比例区の自民党の得票率は28.3%で、前回、96年総選挙の32.8%から4.5%の減少、得票数で130万票の減少である。往年の40%台の得票など夢物語で、30%台の得票でさえ不可能となってきた。今回地方の多くの小選挙区で議席を独占したが、それでも最高は石川県の45%、対照的に首都圏ではより一層減少幅が大きく、最低は東京都で19.5%の得票率しか獲得できず、議席を半減させるところまで事態が進行している。
 この結果、自民は、解散時の議席を271から233へ38議席減、公明は42議席から31議席へ11議席減、保守党は18議席から7議席へ11議席減、改革クラブは5議席から0議席へ、与党は合計336議席から271議席へと65議席減少させた。自、公、保与党三党合わせた得票率の合計は41.7%にすぎず、得票率で見れば、明らかに少数与党なのである。

<<「敵失」による前進>>
 このように自民党は解散時の議席を38も減らす大敗北を喫しながらも、「229議席」と低く設定した勝敗ラインを軽くクリア、公明、保守両党も議席を大きく減少させたにもかかわらず、3党合計では271議席と、衆院の全委員会で過半数を制する269議席をも上回り、この間の事態に責任を負うべき森首相の続投と野中幹事長の留任が決定することとなった。
 一方、野党は共産党を除けばすべて善戦している。民主党は、不明瞭な改憲政策や所得税課税最低限切り下げ政策、不用意な加藤・前自民党幹事長へのラブコール、ぶざまな言い訳やブレなどによって、その根本的な姿勢が疑われ、選挙直前の支持率調査でも不振で、それこそ風の吹くような状況ではなかったにもかかわらず、得票数・率・議席とも大きく前進した。とりわけ都市部では予想外に前進したともいえよう。その結果、民主党は改選前の95議席から127議席へと32議席増を獲得、小選挙区制のもとでも十分に勝利し得ることを示し、比例区での得票も前回の約900万票から約1500万票へと大幅増である。無党派層と言われる部分の多くの票を吸収し得たことが大きく貢献したと言えよう。終盤の民主党の「寝ていてもいいのですか」というキャンペーンは大きく功を奏したといえるが、肝心の投票率は、前回を2.84%上回る62.49%にとどまり、「無党派有権者が大量に投票所に向かい、自公保連立は過半数割れ」という大波乱を期待するシナリオは、崩れ去った。民主党への疑念が大きく立ちふさがり、森首相の連発する敵失によって救われたというのが真実のところであろう。

<<政権交代への議席差>>
 こうした民主前進の実態は、前回96年選挙との比較でも言えることである。前回は、同じ小選挙区制選挙のもとで自民239に対し、新進156議席であった。今回、自民は233議席となったが、衆院定数が20議席減少しているので、換算すればほぼ同数の結果とも言えよう。改選前の自民が271議席に膨れ上がっていたのは、新進党が分裂し、民主と自民、公明、自由党で分け合った結果でもあった。今回与党3党合計271議席が改選前自民議席とくしくも一致しているが、それに対抗する民主が127議席ということは、前回選挙時よりもその差が縮小するどころか、より広がったという冷厳な事実をも示している。
 さらにこれを、直近の国政選挙であった98年参院選と比べると、自民はこの参院選比例区で約1400万票であったのに対し、今回の衆院選比例区では約1700万票、得票率も25%から28%へと上昇している。この背景には公明の動きも関与している。公明は、もともと反対し、不利となることが明らかな比例定数削減を飲む代わりに、小選挙区と比例区でのバーター、強引な自公協力での候補者調整を推し進めようとした。しかし実態は、多くの反発を生み、公明候補に自民票は流れず、自民だけが票を上積みし得をする、公明は自民にうまく利用されるという構図が展開されたのである。
 かくして民主党が大きく前進したとはいえ、与野党間の政権交代への議席差は縮小するどころか拡大したとも言えるのである。

<<社民党の健闘と共産党の後退>>
 野党で注目すべきは社民党の健闘であろう。すでに98年参院比例区では一定の復調を果たし、約440万票、7.8%の票を獲得していたのが、今回さらに得票・率とも伸ばし、560万票、9.4%にまで回復した。護憲の旗を明瞭に掲げると共に、既得権擁護だけの労組依存型から脱皮せざるを得ない状況に追い込まれた結果が、市民運動と結びついた党、活気ある女性の党への期待を呼び起こし、新しい支持層を獲得したとも言えよう。土井委員長の兵庫はもとより、大阪と沖縄でも小選挙区で社民党が勝利した意義は大きい。
 これに対して共産党は、今回の総選挙で議席、得票数、得票率いずれも明らかな敗北を喫した。小選挙区当選者はゼロとなった。98年参院選において共産党は、比例区で820万票、得票率14.6%であったのが、今回、670万票、11.2%へと、得票150万票、得票率3.4%も減少させたのである。これは96年総選挙よりも後退した数字である。それを最も象徴したのが社民党の女性候補者が劇的な勝利を獲得した沖縄3区であった。ここでは、共産党は前回11.98%の得票率に対して、今回4.91%の得票率へとまさに激減といえよう。
 共産党に対しては、今回猛烈なネガティブキャンペーン、悪質な謀略ビラ攻撃が行われた影響は確かに無視し得ないであろう。共産党の幹部会声明でも、不破委員長の記者会見でも今回の敗北の最大の要因は謀略ビラだと述べている。しかし同時選挙となった東京・狛江市では、共産党が推す市長を攻撃するさらに悪質な謀略ビラも今回大量に配布され、大規模な反共攻撃が行われたにもかかわらず、現職の矢野候補は、前回の2倍近い得票を獲得して勝利している。謀略ビラは、むしろ逆効果となったのである。

<<「信頼の衰退」>>
 むしろこのような謀略ビラに対してまともな反論をなし得ない共産党の姿勢にこそ問題が存在していると言えよう。「査問」問題がその典型である。民主主義や人権を語る政党が、民主主義や人権を徹底的に無視した卑劣きわまる強制的で非人間的な「査問」、特高警察まがいの威嚇と何日間も外界と遮断した取り調べの具体的な事実は、今も真摯に共産党を支持している元党員たちによって詳細に明らかにされ、公刊されているのである。それを、「査問などありえない」などとウソを広言するような反論ビラで反撃してみても、党員自身が現在の党指導部を信用できないのである。謀略ビラは明らかにそこにつけこんでいる。このような「査問」に関与してきた現在の党指導部が責任をとって辞任し、徹底的な自己批判と抜本的な組織改革を行わない限りは、謀略ビラ攻撃に有効な反撃はできないと言えよう。
 日本の選挙を論評した6/27日付けニューヨーク・タイムズの社説は「信頼の衰退」と題するものであった。与党連合に対する厳しい審判を表現したものであるが、それは同時に政権交代にまで民主党を前進させなかった「信頼の衰退」でもあり、本来さらに躍進すべきであった共産党への「信頼の衰退」でもあったことを、今回の選挙結果が示しているといえるのではないだろうか。(生駒 敬)

<<「天の配剤」か?>>
 「大波乱を生む総選挙への期待」(前号筆者投稿)ははずれ、最後の「しかし民主党が、こうしたネガティブキャンペーンに正しく対抗できなければ、与党は過半数を確保し、民主党はその政治的能力が疑われることも間違いないといえよう。一方では民主党の政権構想が問われ、もう一方ではその経済・財政政策が問われているのである。」という指摘通りの結果をもたらした。「神の国」の思し召しならぬ「天の配剤」というか、まさに現実を実に微妙にしかも相当正確に反映した結果とも言えよう。それは同時に、今後の新しい展望をも明らかにしているのではないだろうか。
 第1に、自民党の得票率の減少傾向は今回も止めようがないことを明確に示している。比例区の自民党の得票率は28.3%で、前回、96年総選挙の32.8%から4.5%の減少、得票数で130万票の減少である。往年の40%台の得票など夢物語で、30%台の得票でさえ不可能となってきた。今回地方の多くの小選挙区で議席を独占したが、それでも最高は石川県の45%、対照的に首都圏ではより一層減少幅が大きく、最低は東京都で19.5%の得票率しか獲得できず、議席を半減させるところまで事態が進行している。
 この結果、自民は、解散時の議席を271から233へ38議席減、公明は42議席から31議席へ11議席減、保守党は18議席から7議席へ11議席減、改革クラブは5議席から0議席へ、与党は合計336議席から271議席へと65議席減少させた。自、公、保与党三党合わせた得票率の合計は41.7%にすぎず、得票率で見れば、明らかに少数与党なのである。

<<「敵失」による前進>>
 このように自民党は解散時の議席を38も減らす大敗北を喫しながらも、「229議席」と低く設定した勝敗ラインを軽くクリア、公明、保守両党も議席を大きく減少させたにもかかわらず、3党合計では271議席と、衆院の全委員会で過半数を制する269議席をも上回り、この間の事態に責任を負うべき森首相の続投と野中幹事長の留任が決定することとなった。
 一方、野党は共産党を除けばすべて善戦している。民主党は、不明瞭な改憲政策や所得税課税最低限切り下げ政策、不用意な加藤・前自民党幹事長へのラブコール、ぶざまな言い訳やブレなどによって、その根本的な姿勢が疑われ、選挙直前の支持率調査でも不振で、それこそ風の吹くような状況ではなかったにもかかわらず、得票数・率・議席とも大きく前進した。とりわけ都市部では予想外に前進したともいえよう。その結果、民主党は改選前の95議席から127議席へと32議席増を獲得、小選挙区制のもとでも十分に勝利し得ることを示し、比例区での得票も前回の約900万票から約1500万票へと大幅増である。無党派層と言われる部分の多くの票を吸収し得たことが大きく貢献したと言えよう。終盤の民主党の「寝ていてもいいのですか」というキャンペーンは大きく功を奏したといえるが、肝心の投票率は、前回を2.84%上回る62.49%にとどまり、「無党派有権者が大量に投票所に向かい、自公保連立は過半数割れ」という大波乱を期待するシナリオは、崩れ去った。民主党への疑念が大きく立ちふさがり、森首相の連発する敵失によって救われたというのが真実のところであろう。

<<政権交代への議席差>>
 こうした民主前進の実態は、前回96年選挙との比較でも言えることである。前回は、同じ小選挙区制選挙のもとで自民239に対し、新進156議席であった。今回、自民は233議席となったが、衆院定数が20議席減少しているので、換算すればほぼ同数の結果とも言えよう。改選前の自民が271議席に膨れ上がっていたのは、新進党が分裂し、民主と自民、公明、自由党で分け合った結果でもあった。今回与党3党合計271議席が改選前自民議席とくしくも一致しているが、それに対抗する民主が127議席ということは、前回選挙時よりもその差が縮小するどころか、より広がったという冷厳な事実をも示している。
 さらにこれを、直近の国政選挙であった98年参院選と比べると、自民はこの参院選比例区で約1400万票であったのに対し、今回の衆院選比例区では約1700万票、得票率も25%から28%へと上昇している。この背景には公明の動きも関与している。公明は、もともと反対し、不利となることが明らかな比例定数削減を飲む代わりに、小選挙区と比例区でのバーター、強引な自公協力での候補者調整を推し進めようとした。しかし実態は、多くの反発を生み、公明候補に自民票は流れず、自民だけが票を上積みし得をする、公明は自民にうまく利用されるという構図が展開されたのである。
 かくして民主党が大きく前進したとはいえ、与野党間の政権交代への議席差は縮小するどころか拡大したとも言えるのである。

<<社民党の健闘と共産党の後退>>
 野党で注目すべきは社民党の健闘であろう。すでに98年参院比例区では一定の復調を果たし、約440万票、7.8%の票を獲得していたのが、今回さらに得票・率とも伸ばし、560万票、9.4%にまで回復した。護憲の旗を明瞭に掲げると共に、既得権擁護だけの労組依存型から脱皮せざるを得ない状況に追い込まれた結果が、市民運動と結びついた党、活気ある女性の党への期待を呼び起こし、新しい支持層を獲得したとも言えよう。土井委員長の兵庫はもとより、大阪と沖縄でも小選挙区で社民党が勝利した意義は大きい。
 これに対して共産党は、今回の総選挙で議席、得票数、得票率いずれも明らかな敗北を喫した。小選挙区当選者はゼロとなった。98年参院選において共産党は、比例区で820万票、得票率14.6%であったのが、今回、670万票、11.2%へと、得票150万票、得票率3.4%も減少させたのである。これは96年総選挙よりも後退した数字である。それを最も象徴したのが社民党の女性候補者が劇的な勝利を獲得した沖縄3区であった。ここでは、共産党は前回11.98%の得票率に対して、今回4.91%の得票率へとまさに激減といえよう。
 共産党に対しては、今回猛烈なネガティブキャンペーン、悪質な謀略ビラ攻撃が行われた影響は確かに無視し得ないであろう。共産党の幹部会声明でも、不破委員長の記者会見でも今回の敗北の最大の要因は謀略ビラだと述べている。しかし同時選挙となった東京・狛江市では、共産党が推す市長を攻撃するさらに悪質な謀略ビラも今回大量に配布され、大規模な反共攻撃が行われたにもかかわらず、現職の矢野候補は、前回の2倍近い得票を獲得して勝利している。謀略ビラは、むしろ逆効果となったのである。

<<「信頼の衰退」>>
 むしろこのような謀略ビラに対してまともな反論をなし得ない共産党の姿勢にこそ問題が存在していると言えよう。「査問」問題がその典型である。民主主義や人権を語る政党が、民主主義や人権を徹底的に無視した卑劣きわまる強制的で非人間的な「査問」、特高警察まがいの威嚇と何日間も外界と遮断した取り調べの具体的な事実は、今も真摯に共産党を支持している元党員たちによって詳細に明らかにされ、公刊されているのである。それを、「査問などありえない」などとウソを広言するような反論ビラで反撃してみても、党員自身が現在の党指導部を信用できないのである。謀略ビラは明らかにそこにつけこんでいる。このような「査問」に関与してきた現在の党指導部が責任をとって辞任し、徹底的な自己批判と抜本的な組織改革を行わない限りは、謀略ビラ攻撃に有効な反撃はできないと言えよう。
 日本の選挙を論評した6/27日付けニューヨーク・タイムズの社説は「信頼の衰退」と題するものであった。与党連合に対する厳しい審判を表現したものであるが、それは同時に政権交代にまで民主党を前進させなかった「信頼の衰退」でもあり、本来さらに躍進すべきであった共産党への「信頼の衰退」でもあったことを、今回の選挙結果が示しているといえるのではないだろうか。(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.272 2000年7月22日

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【投稿】民主党に求められる政治路線

【投稿】民主党に求められる政治路線
           --総選挙結果をふまえて--

■代表制民主主義の機能不全
 総選挙が終わった。多様な解釈を可能にする微妙な結果だった。私は、上がると言われて上がらなかった低投票率に、代表制民主主義による国家運営という統治形態の機能不全をみる。
 森首相は相当正直な人とみえて、例の「寝ていてくれれば」発言は、自民党の本質をものの見事に表した「名言」だった。
 自公保政権は、政治(統治)というものを私物化した。公共事業費のばらまきや地域振興券など彼らの行う政治は、国家財政への「たかり」に他ならない(選挙後の中尾元建設相の逮捕は、その実態を象徴的に示している)。それを有利に進めるための政治基盤の形成には、低投票率が有利である。だからこそ、森首相は無党派層と呼ばれる人たちに寝ていてほしかったのだ。
 選挙の最終盤で、少しの無党派層が動いて、民主党という次善の選択をした結果、自公保はガタガタと崩れた。しかし、大多数の有権者は、それでも投票に行かなかった。だからこそ、自公保は大敗をしながら、絶対安定多数を獲得するというアイロニーが実現した。そこには政治的無関心を超えた、アナーキーな状態がかいま見える。国家を否定する社会的基盤は確実に醸成されている。
 日の丸・君が代問題から「神の国」発言へ至る一連の流れをとらえて、今日、復古的国家主義との対決があらためて必要だなどととらえるむきは、唱える「右」の人も古ければ、反発する「左」の人たちも古い。古い両者による、かつての「華やかなりし対決状況」へのノスタルジアである。今日の日本では、復古的国家主義の蘇る余地のないほど、国家の統合機能が本源的な危機に瀕しているとみるべきである。
 もちろん、国家の否定、代表民主制への懐疑などという人々の心情は、危機に直面した時に脆くも崩れ去る。国家とは、所詮、対外的に、ないしは危機に際してしか顕在化しないからだ。根の浅いアナーキニズムから生まれ出るのは、カリスマ支配によるファシズム(それは決して復古的なものにとどまらない)への憧憬だろう。石原ブームにその兆候がかいま見える。
 今回の総選挙は、都市と地方の対立も描き出した。地方分権が進展する中で、自治体間の対立はさらに激化し、国家統合をさらに困難にすることは間違いない。
 だからといって、私は決して国家を強化しようとは思わない。ただ、強権への期待を誘発しないで、理性的な統治を具体化する大胆な戦略設定と、緻密な政治活動の積み重ねが必要だと考えるのである。

■注目されるオランダ・モデル
 話は変わるが、今、一部の研究家の間で、オランダ・モデルという政治路線が注目されている。
 1999年5月14日(金)、拓殖大学においてオランダを研究テーマとする若手研究者による第1回の研究発表の場が持たれ、水島治郎甲南大学助教授が「現代オランダ政治における連続と変化-中道優位体制から『紫連合』へ-」という報告をされている。報告要旨は、http://home.att.ne.jp/blue/holland/mizu.htmlに掲載されているが、簡単に紹介したい。

 「20世紀のオランダでは、1928年から1994年に至るまでキリスト
 教民主主義政党がほぼ一貫して主要与党となる中道優位体制
 が成立してきた。しかし、1990年代に入りキリスト教民主主義勢
 力が地盤沈下を示す一方、従来相互に連合形成を排除してきた
 右派自由 主義と社会民主主義の政策距離が縮小した結果、19
 94年選挙以降、 キリスト教民主主義政党抜きの右派自由主義
 ・左派自由主義・社会民主主義の連立政権である「紫連合」が初
 めて成立した。

 注目すべきは、「右派自由主義・左派自由主義・社会民主主義の連立政権」(紫連合)である。90年代のこうした転換の要因として、水島氏は次の3つの側面を指摘する。キリスト教民主主義政党を「自公保」に置き換えて読むと、なお興味深い。

 ①(経済面)従来キリスト教民主主義政党は社会各層に張り巡ら
  された社会団体(農民団体・労組・中間層団体など)と緊密な
  ネットワークを有し、系列社会団体の要求を国家に媒介する一
  方、人的・物的に当該団体から支持を受ける媒介者としての機
  能を果たしてきたが、各社会団体の中立化・世俗化のなかで国
  家・社会を仲介する経済的機能を喪失してきたこと。
 ②(社会面)また90年代における安楽死の容認・売春の合法化に
  みられるように、個人の自己決定権を重視して国家による市民
  社会への介入を拒否する傾向が制度化されたことは、キリスト
  教民主主義政党の存在意義というべき保守的な倫理的社会秩序
  観の説得力を喪失させたこと。
 ③(行政面)さらに通貨統合の進展により国家レベルの財政金融
  政策に強い制約が課せられるなど、政策権限のヨーロッパレベ
  ルへの委譲が進み、これまで利用できた国家レベルのリソース
  配分が困難となり、福祉削減などでキリスト教民主主義政党の
  従来の支持基盤を掘り崩す結果となって、社会への利益分配機
  能を喪ったこと。

■必要な社会民主主義からの脱皮
  さらに水島氏は、オランダにおける「紫連合」の背景に、他の政治勢力、特に社会民主主義勢力の側の適応戦略が一定の成功を収めたことを指摘する。つまり、80年代からのオランダの社民政党が、伝統的な社会民主主義路線であるケインズ主義的拡張政策や高負担の福祉国家とは一線を画す転換を遂げ、自由主義政党とも連合可能な政党として再出発したことを指摘するのである。ここが、極めて注目すべき点である。
 オランダ・モデルとは何かといえば、いわゆる「中福祉・中負担」で、何もかも政府に頼るのではなく、市民的自立をベースに新たな社会の仕組みを作り上げようとする政治路線だといえる。もちろん、政治の前提となるオランダの国民性は、強烈なまでの自立心にあるから、日本との背景の相違は極めて大きい。
 にしても、「自公保」から、社民党・共産党に至るまで、負担の追いつかない受益(その中身に違いはあれ)の最大化を図ろうとする広義の意味での「社会民主主義」政党の包囲の中で、民主党が存在意義を見出すとすれば、オランダの社民政党のように自由主義的色彩を強めざるを得ないだろう。
 そして、それは単なる民主党の飛躍という一政党の個別的利害に基づく戦術的対応として必要というにとどまらず、アナーキズムないしは政治的アパシーに流れる無党派市民を政治に巻き込み、少子高齢化の進展による人口減少時代における世代間利害の調整、環境-経済の調整、国家にかわる共同体による統治への転換をはかっていくために、どうしても必要な路線確立だといえる。
 そうした観点でみると、現時点における民主党の政策志向は、自由主義的なものと、社会民主主義的なものが混在しており、未整理である。ただ、今後は、間違いなく前者が強化されるだろうし、また、されるべきである。その時、旧社民党出身勢力が、つまらぬ反発をしないで、社会的公正の確保やセイフティー・ネットの確保に力点をおいた建設的な議論をすることにより、民主党をある種の左派自由主義政党に脱皮させることが肝要だろう。
 そして、そうした整理ができれば、自由党、あるいは自由民主党から自由主義的政策志向の強いグループを分裂させて連立政権を樹立し、「自公保」的な「国家財政私物化政権」を崩壊させることができるのではなかろうか。 (大阪:依辺 瞬)

 【出典】 アサート No.272 2000年7月22日

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『詩』 「とすれば」

『詩』 「とすれば」

「誤解を受けたとすれば、申し訳ない」
「天皇中心の神の国」
この言葉のどこに誤解の余地があろう
これは天皇制ファシズム時代の旧憲法第三条
「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」そのものだ
このことを「国民にしかっりと承知していただく」だと
よくもぬけぬけと言えたものだ

「誤解を与えたなら、本意ではない」
言い訳は、ぼかし、まやかし、すり替え言葉
「本意」はその後、すぐに出てきた
「どうやって日本の国体を守るのか」
国体護持、滅私奉公、天皇万歳!
アナクロニズム三点セット
いとも危うく、軽々しき存在

「及び腰になるようなことをしっかり前面に出して」
出てきた言葉が「神の国」「国体」「教育勅語」
これすべて「戦後の主権在民と矛盾するものではない」
片言隻句、言葉じり、意図的曲解
すべて「あなた方が取り違えるからおかしくなるんだ」
開き直って居丈高、「どこが間違っているんだ!」
もはやつくろいきれぬ首相の資質

「そういう指摘をしていただければ、そうかもしれない」
しおらしく「足りないところがあったのかもしれない」
「しかられまして、失言もあって怒られました」
ついには「カミはカミでも、こちらの紙」と悪ふざけ
失言封じの「カミ」もなんのその、「撤回いたしません」
失言なのか、失言でないのか、意味さえ分からず
なんともお粗末、危険な確信犯

「まだ声を上げたばかりの赤ちゃんですから」
「この赤ちゃんが健全に育つよう一生懸命やる」
「裏口総理」を作った幹事長
首相を赤ちゃん扱いする尊大さと非常識
「仏の国」と「神の国」が手打ちして
駄々こねて甘えて居座る「赤ちゃん首相」
こんな構図が許されるのか

「とすれば」・・・

(M.K)

【出典】 アサート No.271 2000年6月17日

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【コラム】ひとりごと(2000-06)

【コラム】ひとりごと(2000-06)

◆いよいよ、衆議院解散総選挙となって、街の中もにわかに選挙ムードが漂ってきた。今回の選挙は、有権者の関心も高く、投票率も高くなりそうだとマスコミでは言われているけれど、筆者の心境にはもう一つ、盛り上がらない。その理由を自分なりに思うところを二・三、並べてみた◆今回の選挙の争点を、マスコミでは「景気」か「財政再建」かとも言われている。確かに景気は「やや上向き」とも言われているが、誰しも言うように、その実感はない。むしろ雇用状況は、完全失業率が5%に届くかというところで、高位で定着してしまっている。一時は、雇用状況も改善の兆しとも言われたが、その内容はパート等の不安定就労の雇用が伸びただけで男性中高齢者ー世帯主の失業は増加しており、実態はなお、深刻化している。それに年金や医療制度の改悪の中で、生活の不安感は増してきており、それでなくとも春闘で、ほとんど賃上げゼロ、それどころか賃下げも強要されている中で、勤労者の財布が堅くなるのは当然のこと。こんな状況の中で、「景気対策」と言われても、何かしら白々しさを感じる◆つまり筆者が言いたいのは、「不況」と言っても、いわゆる一般的な経済的不況感と勤労者の感じる「生活不況感」とは違うものがあるのではないかということである。極端に言えば、勤労者の生活感覚からは、景気が上向いたところで、自分達の生活そのものが楽になることとは、直接には結びつかないだろうと思うのである。確かに経済的な景気の上向きが生活の上向きと全く無関係とは言わないが、その経済依存による生活向上は、益々、薄らいできているのではないか。例えば、せっかく、リストラ合理化で人員削減した企業が、景気が良くなって多大な利潤を揚げたところで、再度、雇用を増やすなんて思えない。もちろん賃上げだってしないだろう。そのことは、この20年以上の春闘結果が如実に示している◆ところが選挙での与野党の論議をテレビ討論などで見ると、そういった勤労者の現実の生活実態をどうするかというような的からは多少、外れて、「景気対策のためには、公共工事は是か非か」ということに集中している。筆者から言わせれば、今更、公共工事を増発したところで上辺だけの景気回復だし、そのことで勤労者の生活が良くなるなんていう幻想は、もはや持たない。強いて言えば、そんな余計なことをして、「またぞや財政赤字を増やさないで!」と民主党等に片を持つのがせいぜい。そんなことより、景気が如何様であれ、その事に左右されない勤労者の生活安定策とは何か。「公共的雇用創出」「終身的低家賃住宅の供給」「税の特権的な優遇制度の廃止と公平・公正な税制度」など、何でもいいから社会政策としての勤労者生活安定政策を対置してもらいたい◆もう一つ、筆者が選挙に関心を持てないのは、「もう、いいじゃないか!」と言われるかもしれないが、小選挙区制という選挙制度。一選挙区に一人しか当選しないと言うことは、選挙区割りが大きくなったことも含めて、立候補者には厳しい選挙制度といえるが、そのことは有権者にとっても、真に自分の支持する政党・候補者が当選しにくいという意味で、厳しい選挙制度だといえる。勢い、「どうせ投票しても当選しないだろう」と思ってしまうし、ましてや候補者が絞り込まれて、自民党・公明党・共産党しか出てないとすれば、筆者の政治認識からすれば、白票にするか棄権にするかで悩むのがやっとのこと。おまけに公職選挙法が長年の中で、改悪に改悪を重ね、公示後は候補者のテレビ討論も駄目なら、立会演説会もなし、選挙ビラも規制だらけで、あれも駄目、これも駄目で、政策論争もまともにできず、名前の連呼と握手・土下座だけでは、馬鹿馬鹿しくて関心を持つ気にもなれない◆さらに選挙の盛り上がり不足に思うことは、古典的に言い古されたことかもしれないが、選挙と大衆運動との関係。世の中、これだけ失業者が多くなって、先行き不安も増してきているにも関わらず、労働運動をはじめとする大衆運動が、それこそ盛り上がらない。その原因は、いろいろあるだろうけど、資本・経営側の攻撃に的確に対抗できていない連合をはじめとする労働団体の責任は大きい。とりわけ連合は、「力と政策」を標榜して登場したけれど、有効な労働者の保護・地位向上政策を打ち出してきたとは、お世辞にも言えない。それどころか、この間の労働法制の改悪には、むしろ妥協的だと言えるし、「賃上げか、雇用か」との資本の恫喝に、対抗軸すらなり得ず、思想負けのところで賃下げも首切りも許してしまっている。若干、話は変わるが、自民党の労働部会では労働組合の組合費チェックオフを、法的に禁止してしまおうという動きがある。連合もまあ、よくなめられたものだと思うが、これに対しては連合も、「組織の総力を挙げて阻止の国民運動を展開する」と表明し、メーデーの決議にも盛り込まれた。はたして連合に国民運動を構築するだけの力があるのかどうかはわからなが、一組合役員でもある筆者の立場からすれば、じゃあ、なぜ労基法の改悪や労働者派遣法の改悪の時、またリストラ旋風が吹き荒れる時に一大国民運動を提唱しなかったのかと思う。確かにチェックオフ禁止の問題は、労働組合にとっては打撃的な問題だけれど、個々の労働者ー組合員にとっては「だったら組合役員が集めればいいじゃん」とそっけなく言われそうだし、「その方が、組合員の痛みが解っていいのでは」なんて声も聞こえてきそうな気がする。つまり意地悪く言えば、チェックオフなんていうのは、ある種、組合役員にとっては黙っていてもお金が入る「金の成る木」みたいなもので、組合幹部になればなるほど、耳の痛いことを聞かずに幹部になりつづけることのできるシステムのようなものでもある。誤解のないように言っておくが、筆者はチェックオフ禁止するのを賛成してるわけではないし、そのこと自体は労働組合の弱体を図るものとして反対である。でも個々の組合員ー労働者の真剣に闘って欲しい課題に無力的だったのに、事チェックオフの問題で「本気に闘う」と言われると、「所詮は組合役員問題じゃないの?」と白けられるのが心配なのである◆話はかなり脱線してしまったが、要するに言いたいのは、生活不況感の不満エネルギーを媒体として、何らかの大衆的な運動が一定あって、その大衆的要求・闘いと選挙争点とが具体的に結びつけば、選挙にも相当、迫力が付くだろうけど、日常の闘いには無力的で、選挙闘争では、いきなり春闘もそっちのけで「組織内候補必勝のために」と血眼に言われても、そう簡単に「政治が変われば生活が変わる」とまでは思えない◆いろいろと愚痴っぽい批判を並べ立てて、共感もあれば反感もあるかもしれない。「じゃあ、おまえは政治に対してどうなんだ?!」とも怒られそうだが、筆者はそもそも、「労働組合があまり、天下国家を論じなくてもいい。ただ利己的なまでも労働者の利益を追求すればいい。それが労働組合の本来使命なんだから」という認識で組合活動に勤しんでいる一組合役員であり、その基本認識から政治を眺めていることで、御理解いただきたい。(民) 

 【出典】 アサート No.271 2000年6月17日

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【映画評】「息づかい」を観て想ったこと

【映画評】「息づかい」を観て想ったこと

 先日、「ナヌムの家」(1995年)「ナヌムの家Ⅱ」(97年)に続く映画「息づかい」(99年)を観た。
 3作とも、日本軍の性的奴隷とされた朝鮮人女性(いわゆる従軍慰安婦)が、50年近くの歳月をへて、人さらい・奴隷化の経過と凄まじい精神的外傷体験を語り、また今の生き方を伝えるドキュメンタリー映画である。
 前2作を観た時に感じた「心の疼き」が、またしても蘇ってきて、映画館を出た後暫く、一緒に居た連れ合いと会話ができなかった。
 「息づかい」に登場した元従軍慰安婦の女性たちの語りの中で、キム・ユンシムさん(70歳)の話が、強く印象に残った。キムさんは、小学校を卒業し、遊んでいる最中に日本人に連れ去られ、中国ハルビンの慰安所に送られた。何度か脱出を試み、やっと祖国に戻り、結婚するがうまくいかず、2度目の結婚にもやぶれ、再び家を去らなければならなかった。彼女の「過去」を知った母親に、「そんな娘は家に置いとくわけにはいかない」と言われたのである。故郷から遠く離れたソウルに移り住み、裁縫や家政婦の仕事をして、1人で娘を育てた。その娘さんは、耳が聞こえない。「自分が患った性病のために・・・」と悔やむキムさん。
 1998年、キムさんは、苛酷な体験への思いを綴った文章で、チョン・テイル文学賞を受賞した。自分の体験を話したこともないし、きっとその文章を読んでいないだろうと思っていた一人娘に、手話で尋ねると、実はその内容を読んでいた。驚きながらも、そのままミシンに向かうキムさん。その様子をじっと見つめて、耳を傾けるビョン・ヨンジュ監督。
 ビョン監督は、前2作と違って「息づかい」では、韓国全土に暮らす多くのハルモニを、同じ体験をしたハルモニが訪ねゆく方法を試みた。そして、後半では、監督自身もまた、インタビュアーになっている。キム・ユンシムさん母娘にインタビューするビュン監督の姿勢から、彼女の優しさと、控えめな意志が伝わってくる。
私は、「ナヌムの家」「ナヌムの家Ⅱ」「息づかい」を通して、重荷を背負って生きてきたハルモニたちの人生が、少しずつではあるが理解できてきた。そして、苛酷な運命の中にあってもなお精神の豊かさを失わず、生き貫き闘っておられるハルモニたちを深く尊敬している。
 「日本政府の謝罪によって、この心の傷を癒したい」と語る老いたハルモニたち。癒されることなく、亡くなった方も多い。日本政府は、「個別補償は法体制を崩す」として、彼女たちの賠償請求に一切応えていない。政府は日韓条約でごまかすのではなく、戦争犯罪について個別に謝罪すべきである。
 「教育勅語にはいいところがあった」「日本は天皇を中心とした神の国」等と公言してはばからない森首相。「慰安婦の行為は、商行為だった」と発言した元閣僚。「過去のことは忘れよう」と平気で言い放つ一部の日本人たち。日本の現状は、元従軍慰安婦の女性たちに応えられる状況には至っていない。
 第42回総選挙が、13日公示された。6月25日の投票日には、わずか1票だが、今を生きる者の政治的責任を自覚した上で、権利を行使したいと思う。
(大阪・田中雅恵) 

 【出典】 アサート No.271 2000年6月17日

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【投稿】諫早干拓を訪ねて—-ムツゴロウはどこへ—-

【投稿】諫早干拓を訪ねて—-ムツゴロウはどこへ—-

5月に九州へ出張する機会があった。合間をぬって、諫早湾を見に行った。現地の雰囲気と、諫早干拓事業について、レポートしてみたい。

<諫早干拓事業とは>
諫早干拓について、世間の注目を集めたのが、ギロチン風景。1997年4月14日のことだ。あのギロチン風景は、諫早湾を横切る「潮受け堤防」建設のため、最終的に、湾の内と外を遮った工事であり、排水門による調整を残して、諫早干潟と諌早湾は切り離されたのである。その後、諫早干潟は、完全に死の潟となり、ムツゴロウは屍を晒し、干潟は完全に干上がってしまった。
長良川河口堰と同様に、諫早干拓事業も、当初の目的はすでに根拠を失い、新たな事業目的に変えられて、公共事業が続けられている。1952年(昭和27年)当時の長崎県知事が、諫早湾全体(約10.000ha)の大干拓事業を表明したことが、この事業の始まりだ。
元々、江戸時代から諫早湾は少しすつ埋め立てが進められ、農業用地を拡大してきたのだが、諫早湾は独特の干潟を形成していたので、干満格差6mにより独特の漁業が営まれており、農業と漁業は共存してきていた。
しかし、この大干拓事業は、諫早干潟を完全に死滅させることで、広大な農地を生み出す計画となった。1969年には国が水田開発抑制に方針転換し、漁協の反対もあり、埋め立て面積は現計画では、3.550haとなり、1986年に事業計画が決定されているのだ。事業計画は、諫早湾奥部3550haの海を、約7kmの潮受け堤防で閉切り、さらにその内部に約17kmの堤防を築き、1795haの農地を作り出し、そして1710haの調整池水位を-1mに管理することで水害を防ぐとともに、淡水化した水を灌漑用水として利用するというものである。
そして、総務庁が1997年「土地利用・営農計画の確実性」及び「環境への十分な配慮」を求めて、事業計画の変更を求め、1997年4月14日を迎えたわけだ。
すでにギロチンから3年、「潮受け堤防」工事は1999年7月に完成していた。

<干拓見物観光??>
JR諫早駅に着いたのは、午後2時ごろ、8時には帰路のため長崎空港にいなければならない。その日、急に思い付いた行動だったので、何の準備もしていない。ただ、長崎県の地図が一枚だけだ。JRのレンターカーを3時間だけということで「まけて」もらい、市内地図を頼りに出発した。
地方都市ということで、駅前を抜けると閑散とした風景が続いた。まずめざしたのは、「干拓資料館」。ここで、資料を手に入れて、現地に向かおうというわけだ。国道207号線から右折し、資料館を探す。しかしあったのは「ゆうゆうランド干拓の里」という「観光施設」だった。遊園地みたいな施設で、「ムツゴロウ水族館」もある。もちろん見に行く時間はない。受付の女性に聞くと、この中に資料館があるという。入場料300円を払い中へ。資料館は平日ということもあり閑散としている、というより見学は私ひとりだ。
聞けば、「干拓の里」は、諫早市の第3セクターの経営とのこと。おそらく国の資金が入っていることだろう。資料館には、干拓地や潮受け堤防ウォッチングパンフレット(後で騙されたが分かるが)もあり、干拓観光を目指しているらしいが、悲しい限りだ。
資料館の展示は、結構見ごたえがあり、諫早湾の自然、漁業、歴史はよく理解できた。干潟特有の漁法、魚種など現地に来ないとなかなか理解できないものだ。そして、案の定、干拓事業による環境問題への影響という部分は、まったく展示されていなかった。
そこで、いよいよ潮受け堤防を見に出発した。観光パンフレットによれば、251号線を走れば、吾妻町付近で堤防を間近にみることができると書いてある。地図を頼りに30分ばかり走り、目的の場所についた。ところが、騙されたというのは、「関係者以外立ち入り禁止」の看板があり、近寄ることができない(!)。そこで、何とか地道を探して、湾の外側の海岸線に出て、外側から堤防をみることができたわけだ。
そこから、完成した堤防を遠く眺めることができた。この堤防により、堤防の中は「調整池」そして外は諫早湾ということになる。私は湾の外側から見た。全長7kmは本当に長い。どこまでも続くという感じだ。

<現地の雰囲気はどうか>
長良川河口堰反対運動の経験から見ると、諫早の場合は、反対運動がなかなか現地的に困難な雰囲気がああるように感じた。長良川の場合は、漁師は完全に漁業権を放棄したわけではなく、シジミや鮎など堰運用に伴って反対が強まった。しかし、諫早の場合は、干拓工事そのものが「ゼネコン」の仕事というより、町の土木業者が埋め立てている。ユンボ1台あれば仕事はもらえそうである。閑散とした町の風景と重ねあわせると干拓事業の恩恵は、事業目的よりも工事が地元に落ちるという点でも、土木業者を潤す。漁師を止めた土木業者も多いのではないか。
自然破壊という点では、都市のわれわれは、都会から見て、貴重な自然を壊すと批判するのは簡単だが、地元からの運動は、厳しいものがあるな、というのが素朴な感想である。

<問題ある環境アセス>
と、ここまで書いたところで、今日の新聞(6/11)によると、この「調整池」の水質汚濁問題で、農水省の委員会事務局が委員5名の意見を掲載しない議事録を作成したと委員5名が抗議しているとの報道である。
「諫早湾は1997年に閉め切られたが、その後調整池の水質が悪化。汚れを示す化学的酸素要求量(COD)や窒素、リンなどは、農水省が環境アセスメントで予測した目標値を1.5―2倍上回っている。このため同省は専門家による「諫早湾干拓調整池等水質委員会」(委員長・戸原義男九大名誉教授)を設置、審議していた。」(朝日新聞より)
官庁の環境アセス委員会など、もともとあてにできるものではないが、この諫早湾の委員会の場合、委員11名の内5名が、水質調査をめぐり、水質予測と対策を求めた。委員会では承認されたのに、農水省の事務局がこれを削除し、正反対の議事録が作られたという。
この報道が象徴するように、諫早の調整池でおこっているのは、急速な水質の悪化なのである。数年前の福井で起こったロシアタンカーの重油流失問題が、ボランティアによる汚染除去作業の上に、まさに海水の浄化作用によって日本海は救われた。諫早湾でも10000haにおよぶ干潟自身が、都市から流れ込む汚水を浄化していたのである。あさりは1時間に1tの水を浄化し、ムツゴロウは泥の中を1.5mももぐって有機物を食べるという。まさに諫早干潟は天然の浄化層であった。それが、死の潟となり、浄化作用は停止し、急速な「調整池」の水質悪化とい汚濁が進行しているのだ。
さらに諫早干潟は野鳥の休息地、世界で有数の渡り鳥の中継地でもある。これに気を遣ってか、干拓資料館には「諫早干拓環境モニタリング」なるパンフがおかれていた。有明海に飛来する渡り鳥の実態を調査したものだ。その結論は、潮受け堤防完成後も、諫早湾の渡り鳥は増えているとしている。しかし、よく見ると、調査地点は、干拓地付近と有明海周辺の4個所計5個所で、その総数は増えているのだが、諫早湾のデータは、明らかに堤防閉鎖後渡り鳥の数は激減しているのだ。1998年秋の諫早湾の野鳥は、前年の1/2に減っている。きれいなパンフだが、ウソだらけであった。

<地道な反対運動つづく>
これまで諫早干拓反対の運動は、現地諫早市の住民が「諫早湾救済本部」などを設立し、国民に訴えてきた。干拓事業差し止め訴訟(通称ムツゴロウ訴訟1996年)、「排水門開放を求める30万人署名」(1997年)など。現地を訪れた日、地元の書店なら何か反対運動の出版物があるだろうと、諫早駅前の書店を覗いた。やはり現地だ、店の入り口に、「生きろ 諫早湾」という本があった。
現地、諫早、長崎の住民が中心になり「諫早湾『一万人の思い』実行委員会」(http://www.pluto.dti.ne.jp/~yah7829)をつくり、排水門の開放を求めて1万人の新聞キャンペーンを進めている。一口千円で新聞広告を出す運動だ。すでに5回行われ、第1回1999年3月20日朝日新聞長崎県内版、第2回1999年3月27日西日本新聞長崎県内版、 第3回1999年4月13日朝日新聞九州版、第4回2000年3月10日朝日新聞長崎県内版、第5回2000年3月14日朝日新聞と長崎・九州を中心に訴えが続いている。この一言運動をまとめたものが「生きろ 諫早湾」である。諫早湾の自然と漁業、生物の写真と、諫早干潟の再生を求める一言の数々が紹介されている。ぜひ一読していただきたい。

<総選挙と公共事業>
諫早干潟の関係で、注目されるのが、今回の総選挙である。「自公保政権の存続を許すのか、否か」「景気優先か健全財政か」などがテーマになりそうだが、公共事業のあり方も問われている。民主党は「公共事業コントロール法」を提案している。また総選挙での「15の挑戦と110の提案」の中でも「11 吉野川可動堰、川辺川ダム、中海・諫早干拓については、中止を含めて見直します。 吉野川可動堰など無駄の多い大型公共事業については、事業のストップを含めて再検討します。」と提案している。
 長崎現地では、民主党中央の訴えはどこまで浸透するか、極めて不明だ。特に継続中の事業は、公務関係の労働組合も動きが鈍いのが多い。長良川、吉野川、そして諫早と「無駄な公共事業はストップ」との訴えは、都市部では効果があるだろうが。(2000-06-11 佐野 秀夫) 

 【出典】 アサート No.271 2000年6月17日

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【投稿】大波乱を生む総選挙への期待

【投稿】大波乱を生む総選挙への期待

<<「公約達成」?>>
 総選挙告示を目前に控えた6/9、経済企画庁の99年度国内総生産(GDP)速報値が発表された。今年1-3月期のGDP成長率が前期比実質で2.4%、年率換算10%の急成長である。これによって99年度年間経済成長率は0.5%となり、3年ぶりのプラス成長への転換である。堺屋長官は「プラス成長との公約は達成した」と語り、このところ落ち目続きの政府・与党幹部は一斉に反撃に転じようとしている。果たしてそれ程胸を晴れるものかどうか、点検が必要であろう。
 まず第一に、政府・与党の公約は0.6%増であった。公約は達成できなかったのである。もともとこの公約、昨年11月、小渕前内閣が「経済新生対策」を打ち出し、事業規模総額18兆円、国税約6兆5000億円もの税金を投入して大銀行・金融資本への税金投入、大型公共事業の大判振る舞いを追加した際、わざわざ99年度政府経済見通しを0.5%増から0.6%増へと上方修正したものであった。今回の結果は、その効果が事実上ゼロであった、無駄であったということを明らかにしている。プラス成長への反転は、昨年7月以来の2期連続マイナス成長(-1.0、-1.6)への反動といえよう。
 第二に、99年度の民間最終消費が前年度比1.2%増となっているが、これとて2年連続マイナス成長の反動の範囲内といえよう。問題は比較の対象となる98年度の実質GDPが480.2兆円であったのに対し、99年度が482.4兆円、この差2.2兆円のプラスに対し、逆に97年度の実質GDP489.7兆円と比べると、いまだ7.3兆円ものマイナスなのである。マイナス成長となった2年前のGDPすら下回っている、名目値で見ると経済規模はほぼ4年前の水準にまで縮小しているのである。

<<「信用されない統計」>>
 さらに今回の場合、経済企画庁自身の発表によっても、「うるう年効果」によって、個人消費で0.8%、GDP全体で0.5%程度数字が押し上げられたという。こんな状態であっても、堺屋長官は「夏、秋にかけて本当に景気回復を実感できることをお約束できる」などと発言し、森内閣支持率挽回の切り札にせんと必死である。しかし今回発表されたGDP統計でもう一つ重視すべきことは、雇用者所得が2年連続マイナスとなり、98年に続いて99年も実質でマイナス0.1、名目で0.7のマイナスとなっていることである。消費不況脱出の切り札を放置したままでは、空約束となることは目に見えているといえよう。
 そもそもこうした日本の経済統計が国際的にはあまり信用されていないという根本的な問題が浮上してもいる。5/24付けニューヨークタイムズ紙は「経済データを改ざんする日本」と題して、「日本の政府の経済統計は、いつも信用されてない」と手厳しい。99年第三四半期GDPは金融機関の設備投資額の伸び率(見込み値を大幅に下回る実績値)が削除され、「発表されたものよりかなり低いものになる」と暴露、97年にも金融機関の資本支出が29.4%も下落していたことが後で明らかになり、数値を修正していると指摘。慌てた経済企画庁は、報道された事実関係を認めざるを得なくなり、「削除した統計に問題があったのか、それとも統計は事実を反映していたのか判明できなかった」と、実に不透明、無責任な態度である。OECD(経済協力開発機構)からは統計値が正確に把握できているのかどうかまで疑われている。目算狂えば、都合の悪いデータは使わない、水増しデータもいとわない、このような統計が信用されないのは当然であろう。

<<「連日、失言を謝罪」>>
 信用されていないのは経済統計ばかりではない。日本の政治家は、もっと根本的なところで信用されていないのである。5/31付けニューヨーク・タイムズ紙は、「日本を『神の国』と思うのは首相だけではない」と題して、「多くの自民党議員は復古的な価値観を持っているものの、米国の影響力や東アジアにおける立場から、それを表明できずにいる」とする専門家の声を紹介し、さらに「日本の指導者は何度も正反対のことを話すため、日本は信用されていない」と語る米国人歴史研究家の声が掲載されている。事実、問題の「神の国」発言の舞台となった神道政治連盟には森首相をはじめ閣僚19人の内実に11人がメンバー、玉沢農水相、臼井法相、保利自治相、中曽根文相などは幹事を勤め、党では野中幹事長が副会長、村上参院議員会長が幹事長、亀井政調会長が会員として名を連ねている。何の事はない、森首相は安心しきって本音を吐露したわけである。6/6付けクリスチャン・サイエンス・モニター紙も、「自民党の中には、森首相よりも右寄りの議員がいる」と書き、ワシントン・ポスト(527付け)などは、「軽率な口が日本の森を沈めていく」との見出しで、「支持率回復のために、森首相は連日、失言を謝罪している」と皮肉たっぷりである。
 朝日新聞の5/30付け世論調査結果では、森内閣の支持率は19%、内閣発足直後の41%から半分以下に急減、不支持率は前回26%から62%と2.4倍増である。毎日調査でも支持率は半減の20%に対して不支持率は30%増の54%、「20%を切ったら退陣」という危険ラインをはるかに超え、サンケイ調査では支持12.5%、不支持64.4%とさらに不支持が拡大している。

<<大波乱の予測>>
 こうした状況は自民党執行部にとっては予想外のことであったろう。発足間もない森政権へのご祝儀相場、小渕急死で同情票を集める弔い選挙、GDPプラス成長の演出、沖縄サミットへの舞台回し、すべてが順調に行けば与党連合大勝利間違いなしのスケジュールであった。事実、大方の予想は圧勝まで予告していた。
 しかしそもそも森政権誕生の不明朗ないきさつからして、本質的な欠陥、ほころびが拡大する要因を内包していた。首相の失言癖は、その負の連鎖反応に火をつけ、油を注いだ。本人の自覚がないのは、これまで自自公で日米ガイドライン、日の丸・君が代、盗聴法等々、あまりにもやすやすと反動的諸懸案が成立、奢り高ぶっていたからに過ぎない。しかし彼らにとって事態は暗転した。もはや事態は目算も立たない、「破れかぶれ解散」、「やけくそ解散」、「森のおそまつ解散」、「自己破産解散」へと突入、政局は大波乱の可能性を秘め、森首相が7月下旬の沖縄サミットで予定通り議長席に座れる可能性は30%の確率とまで言われる事態である。
 「229議席取れなければ辞任する」と言う野中幹事長の数字まで怪しくなり、場合によっては「自民200割れ、自公保で過半数割れ」という事態すら予想されている。話題の「落選運動」ホームページの全国議席最終予想では、自民189、公明32、保守10、与党合計231、与党系無所属7を足しても完全な過半数(241)割れである。対して、民主163、共産44、社民14、自由12で野党合計233、野党系無所属4、と実に微妙で政局の大波乱を予測させる数字である。

<<ネガティブキャンペーン>>
 ここで登場してきたのがネガティブキャンペーンである。「無節操が信条です」、「選挙後、あの共産党とでも『野合』するのですか」という自公保3党の共通ビラの民主党攻撃がその象徴である。どの世論調査でも50%を超える自公連立に対する批判の根強さ、アレルギーに対抗する「体制選択」論である。「自公保の安定政権を選ぶか、それとも民主党と共産党の不安と混乱の政権を選ぶのか」が主軸である。「民主・共産連立政権」への不安をあおり、公明に対するアレルギーを共産に対するアレルギーで帳消しにしようというわけである。論点は鋭いが、所詮はネガティブキャンペーン、謀略ビラ的戦術では事態を打開できるものではない。これまで公明・創価学会攻撃の先頭に立って、「池田大作国会喚問」を主張してきた野中や亀井が、このキャンペーンの先頭に立っていること自体がこっけいである。野中は、小渕政権の巨額の財政赤字垂れ流しを不問にして、財政赤字の原因は「細川政権の8カ月、羽田政権の2カ月が原因」ととデマをまくし立て、亀井は「民主党の課税最低限引き下げも構造改革も、弱い者いじめだ」とくってかかる。
 しかし民主党が、こうしたネガティブキャンペーンに正しく対抗できなければ、与党は過半数を確保し、民主党はその政治的能力が疑われることも間違いないといえよう。一方では民主党の政権構想が問われ、もう一方ではその経済・財政政策が問われているのである。民主党は「共産党と組む考えは持ち合わせていない」(鳩山代表)と共産党との連立を明確に否定しているが、それならば、自民党内分裂、公明の連立離れを視野に入れた積極的で攻勢的、そして政策で具体的な政権構想を提起すべきであろう。
 いずれにしても今回の選挙は、一票の持つ意味がこれまでになく重く、現状を打破し、自公保政権を葬り去る、過去には見られなかった機会を提供しているといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.271 2000年6月17日

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【投稿】失業率4.9%と日本的雇用システムをめぐる議論紹介

【投稿】失業率4.9%と日本的雇用システムをめぐる議論紹介

 4月末に総務庁が発表した3月の労働力調査結果は、完全失業率が4.9%となり、1963年以来の過去最高となった2月と同数字となったという。完全失業者は349万人で、これも過去最高だという。新聞では、2月の完全失業率は、4.85%、3月は4.92%で、四捨五入により同率の発表だが、実態は3月の調査が過去最高、最悪というわけである。
 特に、15歳から24歳では完全失業者が49万人(完全失業率では12.5%)、25歳から34歳が同じく53万人(率で5.8%)、と若い層に失業が多いのが特徴となった。
 さらに、総務庁が4月末に労働力調査の特別調査結果として、完全失業者の内、リストラによる失業が35.8%であり、1年間以上失業状態が続いている人は、82万人とこれも過去最多となったことを発表している。
 これらの調査結果が示しているのは、経済企画庁が如何に景気は底を打ったといい、穏やかな回復基調にある、といっても雇用の面では、一向に改善の様子が見えないことでああり、雇用をめぐっては日本のシステムに確実に変化が生まれてきているということであある。

<日本的雇用システムをめぐる議論>
 これら調査の中で、特徴的なのは、全就業者数が前年比同月比で39万人減少していること、さらに給与所得者の内で正社員が前年同月比24万人減少し、パートアルバイトなどの臨時的雇用が同じく15万人増えていることであろう。
 1998年3月に失業率が3.9%となり、4月には4.1%と4%の大台に乗せて以来、過去最高・最悪を更新しつづけているわけだ。
 経過的に見れば、97年11月、北海道拓殖銀行の経営破たん、山一證券の自主廃業や一部上場企業の倒産が続き、1998年6月に、有効求人倍率が0.51と石油ショック後の最低水準に並んだ後98年7月には0.5と過去最高を記録している。その後、失業率は上がり続け、有効求人倍率は、横ばい乃至は低下を続けているわけだ。、
、1998年4月橋本政権による消費税アップや医療保険料のアップなど国民負担の増加が経済に冷や水効果を生み、景気は一転低迷期に入ったが、その後も若干の改善は見られるものの、失業率については、最悪を更新しつづけているのである。
 こうした雇用をめぐる危機的な状況の中で、雇用をめぐる議論が盛んになってきた。
主な論調は、雇用の流動化であり、言い方を変えれば、年功賃金と終身雇用という日本型システムを変えないと国際競争に敗北する、という論調である。
 こうした議論を背景に、企業の経営状態の悪化とも相まって、リストラの実施、年俸制や業績主義的賃金の導入をした企業の株が上がる、などの実態もあり、「雇用の流動化」や「賃金制度の改革」を進めようとする動きに一向に止まる気配がないようにも思える。
 しかし、一方では、企業アンケートなどを見ると、企業経営者の中には、終身雇用や年功賃金的要素の必要を認める意見も多いのが実態のようである。
 以下に、特徴的な議論を紹介する。

<改革しないと失業は止まらない?>
 「大失業時代をもたらす最大の原因は改革への抵抗ということ。・・・・大失業時代を回避する処方箋ははっきりしている。既存のシステムを徹底的に見直し、新しい潮流変化に適合したシステムを構築する以外に道はない。そのモデルとするのは、アメリカのシステムです。」と言い切るのは、山田久氏の著作『大失業—雇用崩壊の衝撃』(日経新聞社)。
 要約すれば、すでに現在の主要産業は、その膠着的なシステムのため活性化が困難になっており、雇用を吸収する力はない、さらに高失業率の原因の7割が、雇用のミスマッチによるものであり、転職希望は多いが、流動化するシステムが整備されていないため、失業が増えている。雇用を確保するためには、新規事業を創出して雇用を吸収する以外には道はない、そのためには、閉鎖的な終身雇用や年功賃金は足かせにしか過ぎず、大胆な雇用の流動化が必要であり、それを支援するシステム変更が求められるというもの。
 ようするに、アメリカの成功例に学べ、という主張である。
 
<雇用危機より危険なのは流動化への甘い幻想>
 「アメリカに学べ」的流動化議論に対峙する議論が、宮本光晴氏の『日本の雇用をどう守るか』(PHP新書)である。私は、こちらの議論の方が説得的であるように思う。
 アメリカの専門職エリートに特徴的な「流動化システム」は、必ずしもアメリカのすべてではなく、むしろ内部労働市場(企業内でOJTによる技能習得される)では、流動化一辺倒ではなく、長期雇用も実態として存在している。それを日本の雇用システムの改革目標とする議論は、むしろ全体の崩壊を招く議論。長期雇用、企業内での技能習得、職能制度の基でのフレキシブルな技術応用型の生産システムこそ日本が得意としてきた製造部門であり、これを流動化議論で、外部労働市場での短期的雇用調達システムに激変させることは無理がある。現在、従来型の日本的システムが危機を向かえている原因は、日本特有の職能資格制度は高成長期にこそ適合してきたシステムであり、高コストによる高パフォーマンスを発揮してきたわけだが、競争激化の中で低コストが求められ、その中での変化として見つめる必要がある。株主配当よりも従業員重視という日本の企業システムも根底にある。技術資格など社会の制度としての職能の確立が求められる。言わば、日本的雇用システムの危機ではなく、新しい状況への対応として考えることが必要だ。
 
<世界的に成功している企業は長期雇用>
 手元に本がないけれど、確か「能力主義とリストラ」という新書がある。安易なリストラや早期退職勧奨で、実際には優秀な社員が先に退社していく実態があるという。むしろ世界の優良企業には長期雇用、そして守備範囲を限定して技術力で生き抜いている企業が多いこと。さらに、業績主義・評価主義と言われるが、業績評価や人事管理する人事部こそ、縮小の対象で、分社化などより極端に言って従業員請負制で自己責任で企業を運営する方が、社員の技能・技術は高くなる、という主張をされている。要するに管理的な中間管理職・事務屋はいらない、という逆説的な議論である。なかなか面白かった印象がある。

 時流に乗った議論と、腰を据えた議論、そして少し奇抜な議論ということになるが、私は2番目の宮本氏の論調を支持したいし、その上で自らの「職場」である公務における雇用システムを考えていきたい。そういう意味では、3番目の議論である管理部門、事務屋の生産性がいよいよ公務でも問われようとしている。それが、「公務における成績主義の導入」という流れであり、それに対抗する組合側の論理と腰を据えた方針が求められているからである。(この文章は、原稿不足を深夜に埋める、という宿命の文章で、少し乱暴な気がしています。この議論への皆さんの参加を期待して、閉めたいと思います。佐野 秀夫) 

 【出典】 アサート No.270 2000年5月20日

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【投稿】「平和と平和共存」路線の検証

【投稿】「平和と平和共存」路線の検証
      「冷戦とは何だったか—戦後政治史とスターリン」の感想

 町の図書館に、この本は新刊書として並んでいた。「冷戦とは何だったか—戦後政治史とスターリン」(ヴォイチェフ・マストニー著 広瀬佳一・秋野豊訳 柏書房 2000年3月)だ。
 すでに89年東欧革命–91年にソ連は崩壊し、「社会主義世界体制」は姿を消した。そして、ほんの10年前まで我々の国際路線であった「平和と平和共存」のスローガンは、「社会主義の崩壊」と「冷戦の終結」で、あまり議論されないまま、現在の我々の語彙の中からも消えていこうとしている。この「冷戦とは何だったか・・・」を読んで見て、改めて、「平和と平和共存」路線とは何であったのか、を考えて見たいと思う。

 <ソ連の安全確保が第一> 
 著者は、西側(?)の学者であるにしても、本の中身については、そこそこ議論の対象になりうると私は感じている。取り上げられているのは、1930年代後半からの、独ソ戦の経過、そして戦後処理をめぐるソ連の戦略、戦後の日本、朝鮮半島、そしてドイツ分割をめぐるスターリンの対応、そしてスターリン時代の末期までが、ソ連崩壊後公開されたクレムリン文書、アメリカの公開された公文書などをもとに概観されている。
 そこで、語られている要旨を勝手に要約すると、スターリンそしてソ連の一貫した関心は、社会主義ソ連の「安全」ということであった、ということであろうか。そして、その安全とは権力者・独裁者スターリンの安全と権力強化ということであったと。特に、戦後処理にあたっては、ソ連の周辺に社会主義国家でなくとも、「民主主義国家」群を配置し、資本主義国家群との緩衝地帯とすることであったが、最終的には、特に東欧において赤軍の軍事力を背景に「暴力的」に反対勢力を粛清し、社会主義国家群をNATOに対抗して作り上げた。そういう意味で、冷戦の責任の半分は、スターリンにある、そしてソ連の脅威に対抗した西側の対応も適切とは言えなかった、というのが著者の結論と言える。

<ソ連の戦後処理計画があいまい>
 スターリンが根っからの好戦主義者であったというような決め付けはしていない。むしろ、戦後処理過程でソ連側が戦略を持っておらず、その場限りの対応に終始したことや、強迫観念に近い「西側の脅威」認識をもって対応したこと。さらに、西側にも「ソ連の脅威」を過大に見積もっていたのではないか、という双方のすれ違いも著者は指摘してる。
 特に、戦後当初は欧州諸国には「国民戦線」という形で反ファシズム戦線が形成されていたが、戦後各国の選挙でスターリンの予想に反して共産党勢力は前進・勝利することはできなかった。さらにアメリカが欧州の復興に財政援助するマーシャルプランを提唱した。マーシャルプランを東欧諸国に拒否させる、一方で1947年9月、欧州共産党代表者会議でジダーノフは「資本主義と社会主義という敵対的で和解できない二つの陣営が存在し、帝国主義と闘うことで平和が訪れる」と宣言し、新たにコミンフォルムの結成が提案される。
その目的は、権力闘争より反帝・反米闘争を行え、ということで、世界で街頭闘争が展開され、東欧の「社会主義」化にも拍車が掛かる、という具合に冷戦的状況が促進していった。
 そしてベルリンの封鎖、分裂固定により、政治的な冷戦は一層軍事的性格を強めていく事になる。こうした過程の中で、ソ連も核兵器を開発し他方でアメリカは「ソ連の脅威」論の立場を強め、諜報活動・各国への介入を強め、周辺諸国を舞台にした抗争が激化していく。

<アジアにおいても、東西が激突>
 アジアにおいても、1947年極東委員会でアメリカは、日本の非軍事化を国際的管理の下で実施する提案をしたが、ソ連が拒否、その後、アメリカは47年後半に欧州での緊張激化を受けて、この提案を撤回した、と著者は記している。歴史に「もし」は、ありえないが、実現していれば日本の戦後は変わっていたことだろう。
 1950年には、ついに朝鮮戦争が起こり、東西は軍事的に激突する。しかしこの戦争の中でも、ソ連は軍事的物質的に北朝鮮側が勝利する援助を行わず、毛沢東中国の人民軍犠牲の反転攻勢でようやく38度線での停戦にいたった。それが、中ソ対立の遠因ではなかったか、と著者は指摘する。
 こうしてスターリンの死後、本格化する核兵器の均衡による冷戦の本格的展開の基本的枠組みは形作られた、という。その後にスターリン程の独裁者は出なかったが、スターリンシステムはソ連のなかで維持され続けたというわけだ。

 <平和共存のスローガンの意味>
 私が学生運動の現役時代、すなわち70年代前半は、ベトナム反戦闘争の終結期にあたっていたが、キューバ危機から沖縄闘争、ベトナム戦争反対の課題から、核軍縮と集団安保体制へと平和運動の課題は変化してはいた。
 もはや、過去の文書をさがしても意味がないが、少なくとも私の記憶の中で、このスローガンは、以下のような意味合いで使われていた。
 ①情勢認識として、米ソ冷戦のもとで、核戦争の危機が存在し、②運動によって、戦争を阻止することは可能であり、③平和勢力である、社会主義世界体制と先進国の民主・労働運動、民族解放勢力の3つの勢力が力を合わせる必要があり、④その平和勢力は、帝国主義・戦争勢力に、平和を平和共存を押し付け、⑤そうした平和の環境のもとで、3大勢力は前進し、社会主義への移行が促進される、と。
 ①については、核戦争の危機は確実に存在していたと思うし、国民の支持のもと日本の中で平和を求める運動を展開した歴史は、決して過少評価する必要はないと思う。ただ、平和勢力はソ連と3大平和勢力、戦争勢力は帝国主義の側だ、との認識が固定的にあったことは事実だろう。
 先の著者の主張に照らすと、歴史認識をかなり変更する必要がある。朝鮮戦争についても、萩原遼氏が『朝鮮戦争』の中で明らかにしたように、先制攻撃が北の側から準備された事実は1980年代に明らかになるわけだが、当時はそんな認識はなかっただろう。
 同様に③についても、「帝国主義の核兵器と、社会主義の核兵器は違う」というような日本共産党的な立場は「大衆運動」的には我々は取らなかったにせよ、本質論では、そんなに違いはなかったと思える。3大勢力と言っても、それはソ連の指導的立場を承認した上の話であった。現在から思い直せば、平和運動のイニシアチブを固定的に見ていた点も、平和運動の広範な広がりを実現できたかどうか、という点から反省材料といえる。
 ⑤について、思い出すのは、平和運動が社会主義運動と結び付けられて、一種の「革命戦略」であったことだろう。好戦主義者に対して平和を要求し、真に平和を実現できる社会主義への支持を広げる、平和の中で社会主義を準備する、という「手段と目的」の関係の中で、平和運動が位置付けられてはいなかったか、という反省である。
 こうした前提の上では、「平和と平和共存」路線は、スターリン流の世界戦略で作られた土台の上の「平和路線」=「世界革命戦略」であったと言えるだろう。

<新たな平和運動の路線とは>
 「冷戦とは何だったか–」を読んで感じたのは、やはりそうだったのか、という印象だ。
「平和と平和共存」のスローガンは、すでに色あせた。新たな平和運動路線が求められているが、その明示はこの文章の目的ではない。
 著者は序論の中で、「『ソ連の脅威』という西側の認識こそは冷戦の本質である。果たしてソ連の脅威とは実態のない空虚なもので、したがってソ連を封じ込めた自体が金を浪費するだけの異常なことだったのか。・・・・・」と問うている。
 先日、国際・防衛関係の世論調査で、戦争の危機を感じる国民の意識が高まっていること、自衛隊を評価する国民が80%を越えていること、など、平和をめぐる国民の意識は変化してきていることが明らかになった。沖縄の基地の移設についても、賛成と反対が入れ替わり、反対が増加している。憲法調査会での議論とともに、平和をめぐる問題についても、発言と運動を強める必要があるように思う。
 最後に、この本の訳者のひとりが、秋野豊氏だが、彼はすでに1998年に亡くなっている。国連タジキスタン調査団に参加し、テロに倒れたのである。読み終えた後、訳者あとがきに記されていた。氏は『ゴルバチョフの2500日』も著している。ご冥福を祈りたい。(佐野 秀夫) 

 【出典】 アサート No.270 2000年5月20日

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【書評】『教室の小秋(シャオチュウ)──中国引き揚げ少女との三年間』

【書評】『教室の小秋(シャオチュウ)──中国引き揚げ少女との三年間』
                (桝本洋幸著、白地社、1999.3.20.発行、2000円)

 日本と中国をはじめとするアジア諸国との関係が、見直しを迫られている。一方においてこれらの諸国との緊密化を進めて行かねばならない客観的情勢と、他方における民間でのレベルを問わぬ交流の現実が、これを迫っているのである。
 しかしこれと同時に、喉に刺さった骨のようなものが、われわれをとらえる。それは、かつての日本が行なったアジア諸国への侵略という歴史的事実であり、このことの持つ意味が解明・定着されぬままに忘れ去られようとしている状況である。
 本書は、中国引き揚げの少女・劉秋玲(小秋──「小」は愛称、秋ちゃんという意味)を担任することで、自らの問題として、中国残留孤児問題に取り組んだ教師の記録である。われわれの生活でもっと身近な場所である小学校での、生徒に向き合っての記録であるだけに、本書は、地味ではあるが、われわれ一人ひとりに対して多くの課題を提示している。またクラス活動という視点からもこの実践は、現在の日本の教育に対しても本質的な課題を投げかけている。
 著者が、両親(父親──残留孤児、母親──中国人)とともに中国から引き揚げてきたばかりの小秋に対してもつ、戸惑いと混乱、挫折と交流は、本書の前半を占める大きな流れとなる。また同時にこれは、著者の担任するクラスで、小秋を受け入れていく過程でもある。著者は、小秋の作文を指導する中で、彼女の心中を推し測って、次のように述べる。
 「中国残留孤児あるいは、残留婦人の子弟の帰国は必ずしも彼等の意志によるものではない。親あるいは祖母などの肉親への思いをくんでのものである。小秋も、父の両親に会いたいという思いにうたれて大好きな中国を後にしたのだった。/期待を抱いて渡航した日本は彼女にとって必ずしも温かなものではなかった。空気を吸うように押しつけられる日本人化──同化の中で彼女は悩みあらがっていたのだ。/嬉しそうに中国での思い出でを語る彼女を見つめながら、私はふと『彼女が中国で生まれ育ったこと』を大切にしてやれないものかと考えた」。
 この著者の視点は重要である。ともすれば日本人としての視点のみで見てしまいがちな問題を著者は、父親想いの優しい引き揚げ少女の目で見つめる。そして小秋の気持を作文に仕上げて、教材として授業を行なう。この授業で著者は、小秋の作文に対する子どもたちの反応の背後に、それぞれの子どもたちもまた、家庭その他のさまざまな問題を抱えていることを見る。次第に小秋との交流が深まる中で、彼女の「父の生い立ち」の作文が出るところにまでいたる。
 「父の生い立ち」(作文の題名「ひとりぼっちになった父」)は、小秋の父が中国で残留孤児となった経過の聞き書きである。開拓団、戦争の激化、集団自決など事実の生々しさにたじろぎつつも、著者は、これを教材として活用するかどうか悩んで末に、次のような結論に達する。
 「さまざまな経緯はあるものの、中国への単純な敵意だけ はもってほしくなかったし、事実を事実として受け止めてほしかった。そうすればきっと残留孤児を生み出した背景や戦争の持つ愚かさへ迫れるとおもった。小秋の作文にかけてみようと思った。子どもたちがどのように作文を読み込むか、それは私にとっても学びたいことであった」。
 このようにして著者は、子どもたちと共に問題を探りつつその核心に接近する。すなわち中国残留孤児問題は、戦前の日本政府の侵略政策の結果であると共に、戦後の日本政府の棄民政策の結果でもあることである。侵略についての重い責任と共に、棄民についてのより深い責任が、こう問われる。
 「体制の違いから、長く国交を回復する努力すら怠ったのは日本政府である。残留孤児の問題も残留婦人の問題も結果的には、その人々のことを考えなかった棄民政策にある」。
 「1950年をもって引き揚げ者の調査は事実上打ち切られる。その後日中国交回復まで、放置されてきた歳月は、残酷ですらある。/松本氏(小秋の父──引用者)にとっての34年間。/残留孤児・残留婦人の苦しみに加えて、新たな悲劇を積み重ねた歳月を思うと胸が詰まる。国家の政策だけでなくこれらの人々を見捨ててきた事実は、日本人一人一人が問われなければならないことだと思う」。
 本書の後半は、小秋を担任して3年目の6年生のクラスでの、中国の小学校との交流と、中国人強制連行・「花岡事件」の版画の集団制作をめぐって進められる。
 小秋一家の中国への里帰りを機に、その地の小学校との交流が計画され、生徒たちの自画像が届けられた。しかし著者には、中国人強制連行のことは避けて通ることはできず、この交流のためにも、「唯一戦争犯罪として裁かれた花岡事件」が題材として取り上げられることとなった。共同制作版画「花岡物語り」が完成するまでのクラス指導が並大抵ではなかったことは推察される。しかし制作過程で子どもたちが見せたエネルギーとひたむきさは特筆に値する。
 1945年6月に鹿島組花岡事業所(秋田)で、強制連行された中国人たちが、虐待に耐えかねて蜂起したが、あえなく鎮圧されて首謀者たちが拷問にかけられた事件は、加害者としての日本人が浮かび上がる重い事件である。著者は、この事件を題材にすることによって「戦争の持つ一つの大きな悲劇・罪科」に着目するとともに、他民族への抑圧・排外思想の「刷り込み教育の恐ろしさ」を告発する。そしてそこから逆に、「新しい日本人、侵略者でない立ち方」を求めていこうとする。
 この連作版画は、子どもたちの卒業制作展(1989年7月)として大きな反響を呼び、各地で紹介された。著者はこの後、子どもたちとともに過ごした日々について、こう語る。
 「私はたまたま日本人に生まれたという事実がある。たまたま人間に生まれたともいえる。私は松本義夫氏や劉秋玲の肉声を聞いた。そのことは重い。そして子どもたちもそのことを真っすぐに受け止めた。その声は私が人間であるという事実を聞き取ることを可能とした。日本の戦争被害にあった人々は、そのことを語り伝えていることだろう。せめて教科書だけでも、加害(日本)と被害を受けた国との間で認識を共有できるものでありたいと願う」。
 このように本書は、中国引き揚げ少女と彼女が背負ってきた歴史的状況に対しての、著者の闘いの軌跡である。本書によってわれわれは、「日本という国の在り方を引き揚げの子を通して客観的に見る視点」を与えられるであろう。過去の戦争責任や侵略・虐殺問題よりも、「日本人の誇り」が声高に語られている現在、「人間としての誇り」と「事実から目をそむけない勇気」が、具体的にどこにあるのかということを教えてくれる書である。一読を薦めたい。(R) 

 【出典】 アサート No.270 2000年5月20日

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【コラム】ひとりごと –少年犯罪に思うこと–

【コラム】ひとりごと –少年犯罪に思うこと–

●最近マスコミを大いに賑わしているのが、少年による「特異」な犯罪である。愛知の主婦刺殺、バスジャックと立て続けに起こり、神戸の事件と同年代だということもあり、話題性には事欠かなかった。記憶に新しいところでは、いわゆる少年によるものではないが、京都・日野小学校の事件や新潟の少女監禁事件など、衝撃的なニュースが駆けめぐった。●いずれも前例にない特異性や不明確性ゆえに様々な憶測を呼び、その背景や原因などが有識者や専門家らによって分析されている。「ゲーム機世代」「引きこもり」「甘やかし」「自己中心」「夢想と現実の境界」「いじめ」「プライド」・・・・あまりに多くのキーワードが飛び交い、分かったような分からないような状態のままで、マスコミの喧伝した印象による偏見だけが人々の記憶に残り、この機に乗じて根本的な解決手段=切り札のように少年法の改正など刑事罰の強化の議論が巻き起こる。●社会が問題なのか、教育が問題なのか。学級崩壊や警察不祥事ともリンクしながら、評価が加えられていく。いずれにせよ、被疑者や被害者の人権に十分すぎるほどの配慮がなされつつ、好奇心や興味本位に走らない冷静な議論が望まれる。早計で一方的な結論に決してなってはならない。●気になるのは、これら事件の「主人公」たちがいずれも男性であるということである。なぜ、「特異」な犯罪の主人公に女性が少ないのか。被害者は圧倒的に女性が多い。腕力的に弱者である女性が狙われやすいのは確かである。ただ、被害者が子どもなら、女性だって十分に加害者になり得る。なのに、加害者は男性ばかりである。●その背景の一つに、「女性差別とその裏返しにある男性への抑圧」という構図があるのではないか。教育や人生の過程で多少のつまずきや失敗が「許される」女性。もちろん、このことは「女の子は作られる」という典型的な女性差別なのであるが、逆に言えば、学力や体力など様々な面で「できる」ことを求められ、抑圧の中でストレスをため込む少年男子の姿を思い浮かべてしまう。●女性問題は男性問題と言われて久しいが、そのことを一連の犯罪報道を見ながら思い出した。そういう観点で評された識者の論評には未だお目にかかっていない。この誌上(もちろんホームページも含めて)での議論も期待したい。(江川)

 【出典】 アサート No.270 2000年5月20日

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【投稿】6/25総選挙—森・自公政権への弔鐘へ

【投稿】6/25総選挙—森・自公政権への弔鐘へ

<<小渕死去で深まる疑惑>>
 小渕前首相がついに昏睡状態のまま、意識を取り戻すこともなく死去した。死去に伴いはじめて医師団が記者会見をしたが、本紙前号でH氏が紹介していた医療ミスの疑惑が一層深まり、さらに青木官房長官が見舞いに訪れたときには、リスクの高い血栓溶解剤が使われ、すでに右脳に出血が一気に拡大し、正常な会話などおよそ不可能であったことも明らかとなってきた。「小渕総理から首相臨時代理の指名を受けた」などという青木氏の主張は、ごく一部の派閥幹部に都合の良い後知恵に過ぎなかったことがあらためて明らかになってきたのである。
 タナボタ式に首相の座が転がり落ちてきた森政権は、森首相、青木官房長官、野中幹事長、亀井政調会長、村上参院議員会長ら5人の自民党の一部幹部がドサクサまぎれにデッチ上げたいわば一種のクーデター政権と同様なものであるといえよう。クーデターと異なるのは、何の変わり映えもなく、小渕政治の継承しか言うことのできない、旧小渕派が牛耳る怪しげな政権が誕生したということであろう。
 その森首相も自らの政権継承劇について、次から次へとボロを出している。4/24日の衆院予算委員会で、民主党の菅直人政調会長が、首相臨時代理になった青木の疑惑の行動を追及し、青木は、「党幹部との協議で首相代理になった事実はない」と追及をかわしていたそのさなかに森が登場し、小渕氏が倒れた2日夜の与党の会議、機関ですらない5者談合で、自分が「(首相代理は)あなた(青木)が受けたらいい、と申し上げた時、(青木は)再三再四、自分は嫌だとお断りになった」と暴露してしまい、「臨時首相代理は小渕氏の指名」というのが明らかな嘘であることを予算委員会の席上で認めてしまったのである。仰天した青木長官は、委員会後の記者会見で、森の発言を全面否定。慌てた森も翌25日の参院予算委で、「首相代理と官房長官就任を取り違えた」と白々しい訂正をするお粗末ぶりである。そこには政権交代に本来あってしかるべき一切の情報開示も透明性も、民主的手続きの正当性も何もない日本の政治の貧困性が如実に示されている。

<<「民主政治のモデル」>>
 選挙の洗礼も受けていない、法的な継承性も疑わしい、サミット参加国の中で最も不透明な政権である森政権にとって、事態を打開する切り札が、ゴールデンウィーク中の「9日間世界一周」の旅であった。顔つなぎ以外に主たる目的を持たないという前代未聞のあわただしい「名刺交換外交」「顔見せ興行」が展開されたのである。しかし海外のメディアはこんな無内容で儀礼的な首脳会談などほとんど無視し、イタリア最大の通信社ANSAなどは「日本の首相オキナワが来る」などと名前とサミット開催地を取り違える始末である。
 最初の訪問国ロシアでは、とにもかくにも沖縄サミット直後(7月24、25日)の日ロ首脳による公式会談実現を訪ロの最大の目標としていたにもかかわらず、プーチン大統領との会談で、”今年中には訪日するが、時期は未定”とあっさり蹴られ、なんとか「8月末訪日」という約束を取りつけたが、年内の平和条約締結、四島返還交渉入りなどのクラスノヤルスク合意は実現困難となり、対ロ交渉を大きく後退させ、「森首相は出だしからつまずいた」(毎日新聞)のである。
 フランスのルモンド紙(5/4付け)は森首相の訪仏にあわせて「政治の不透明さという点で日本は驚くほど変わっていない」と論評し、「小渕氏の病状隠し、密室での後継者指名、何を考えて決めるのかさっぱりわからない総選挙の日程選び」と実に手厳しく酷評している。
 クリントン大統領との会談を報じたのは、ワシントン・ポストとワシントン・タイムズのみ(5/6付け)。しかも、いずれも通信社の配信記事で、「米国は日本に通信市場開放を要求した」という短信にしか過ぎない。むしろ森首相が帰国後の5/8日付けウォ―ルストリート・ジャーナル紙が、「韓国と台湾は、日本の経済的成功を手本としてきたが、今や元植民地であった両国が、日本にとって民主政治のモデルとなりつつある」と指摘、韓国も台湾も、前回の選挙で野党の党首が国のリーダーとなっているのに対し、日本はいつまでも旧来の支配体制であると論評、日本の政治の後進性について本質を突いていると言えよう。

<<「小渕さん、小渕さん」>>
 いずれにしても小渕首相の死去で、6月初頭解散、6/25投票が既定路線となり、政局は一気に弔い選挙の様相を呈してきている。自民党は、小渕前首相への同情票が見込め、6/25が同時に小渕氏の誕生日であり(しかし党内では仏滅で危険という意見もあり)、6/10前後に発表される予定の1-3月期のGDPが+2%前後を予測、これらを追い風に、森首相のボロが出ないうちに突っ走れというわけである。
 今回の一連の経過の中で「新・闇将軍」となった野中・自民党幹事長は「変なことでも言わん限り、負けるわけはない。森は森のカラーなんて出さんほうがいいんや。変な色気を出すと、ボロが出てしまう。そやから、森には、小渕さん、小渕さんと(何かにつけ)口にするように言っとるんや」(週刊現代5/6号)と、操り人形と化した森首相操縦法を披瀝している。
 「景気が上向いたのは小渕前首相のおかげ」、「沖縄サミットに精魂を傾けた小渕前首相」、「無念の小渕前首相に代わって、森首相をサミットの議長席に」、「25日は小渕前首相の誕生日、弔意の一票を自民党に」等々、お涙頂戴のキャッチフレーズが次から次へと飛び交うことであろう。
 そして選挙の争点には都合の悪い健康保険法改悪による負担増や自己負担上限額の引き上げ、汚職と腐敗、不祥事多発の象徴となった警察法の改正案など重要法案は早くも先送りを決定している。
 もちろんその一方で、選挙戦向けのバラマキ公約が乱発されることも必定である。
すでに税率構造の全面見直しによるまやかしの”大幅減税”を、与党3党の統一公約に盛り込むと広言し、公共事業予備費5000億円の上積み・前倒し、介護保険料徴収をさらに一年延期、住宅ローン減税拡大、児童手当拡充、失業手当増大等々、財源など初めから無視したその場しのぎの無責任公約が検討されている。財政破たんへの批判をかわすために、議員歳費の1割カットも言い出しており、年金生活者向けには日銀のゼロ金利の見直し論まで利用する。公明党取り込み政策の羅列に、さらに”不戦の誓い”国会決議を加えるという巧妙な野党分断作戦も用意されている。その意図は見え透いてはいても、なかなかしたたかではある。

<<「変えよう政治」>>
 こうしたことからか、野党のふがいなさからか、多くの選挙結果予測は、森政権は過半数を維持するとみている。その理由の核心は、創価学会票が自民党候補に上乗せされ、自公の協力によって確実に勝つであろう選挙区が相当数存在していることにある。自公連立はあらゆる世論調査で評判が悪く支持もされていないし(6割が自公連立にノー)、与党の連立3党はかなり議席を減らす可能性もあるが、それでも自民党233、公明党30、保守党6で、合わせて269議席と過半数は十分維持できそうだというのである。週刊誌などの議席予測でも、連立3党で280~290議席(過半数240)獲得と予想するのが大半である。
 しかし一方では、選挙分析で知られる白鴎大教授の福岡政行氏などは「185議席前後の大惨敗もあり得る」と分析している。その場合は、自公連立は過半数には達せず、政界再編成が必至となり、民主党を中心とする政権成立の大いなる可能性が浮上する。投票率の上下が選挙の行方を大きく左右するといえよう。つい2年前の参院選の結果がそのことを良く示している。投票率の上昇によって、自民党は予想外の大惨敗に追い込まれたのである。
 ここで問われているのは、争点を明確にし、自公連立政権との対決軸を鮮明にできるかどうかという野党の能力である。いらだちとあきらめで傍観していた多くの人々がさまざまな形態で旧態依然の不透明な闇取引政治や派閥利益分配政治を変える動きに乗り出してきている。「民意無視、痛みも知らぬ永田町政治に反撃を」「投票率5%アップ、変えよう政治」をスローガンに掲げた落選運動の予想外の広がりもそのことを示していると言えよう。その意味では政治を大きく変えうるチャンス、可能性がこれまでになく高まってきているのではないだろうか。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.270 2000年5月20日

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『詩』 「三国人」

『詩』 「三国人」

あなたの小説など読む気もないし
一々検証する気もないが
「正当な日本語を正当に使った」
辞書には「当事国以外の国の人」
この言葉の「科学的、言語学的」意味などと
「大辞林」ふりまわしてうそぶくあなた
天に唾すること多すぎて
一番困るのはあなただろう

「君の取材はそこつか、意図的かだ」
いきりたち、記者にすごんで脅してみても
「そこつで意図的」なのはあなただ
あなたは必死に隠しているが
言葉には歴史的意味があるのだ
そこに込められた意識的意図的意味があるのだ
さらにいえばその言葉を発する人間
その人の善意もあれば、あなたのような悪意もあるのだ

「だれに謝罪?バカなこと聞くな!」
その開き直った硬直した舌の根も乾かぬうちに
「なんで言ってはいけないのか教えてほしい」だって?
しらじらしいにもほどがあろう
「心情察して今後は使わない」?
反響に驚き慌てて釈明しているが
この言葉の差別的で侮蔑的そして歴史的意味など
あなたは知り抜いて使っているのだ

「東京の凶悪犯罪は全部三国人」
「震災がおきたら騒擾事件も予想される」
「9月には陸海空3軍統合大演習を行う」
何と露骨で差別的、短絡的な挑発か
1923年9月、関東大震災と朝鮮人大虐殺
「井戸に毒入れる」とデマを組織した政府と軍部
同じ論理で予行演習、次は自警団の組織化か
これは明らかに差別と敵意と憎悪を煽る犯罪行為だ

騒擾事件をあおっている張本人
それは石原知事、あなた自身なのだ

(K.M)

【出典】 アサート No.269 2000年4月22日

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【コラム】ひとりごと–若者の労働観について–

【コラム】ひとりごと–若者の労働観について–

○先月のアサート発送の夜、いつもの通り、発送作業を終えてご苦労さん会になった。そこでの話題の一つが、若者の失業、そして、いわゆるフリーター現象。大学を卒業しても定職に就くこともなく、親と同居してアルバイトなどで生きている若者が増えている問題。「パラサイト・シングル」などと呼ぶのだそうだ。○労働観の変化なのか、ほんとうに彼らは「生きがい探し」をしているのか、自立性や責任感といったものがあるのか、それは教育に原因はないのか、親は何をしているのか、などなど。○私もそこそこの歳になったせいか、彼らが次の世代を担うのか、と思うと寂しい気がする。反面、環境問題や福祉、国際協力活動などのNGOで元気な若者ががんばっていることも分かっているつもりだ。○次の日、日曜日の毎日新聞朝刊には、私の楽しみにしている、寺島実郎氏の「時代風」。テーマも若者の労働観。「働く意味の変質・・・勤勉誠実 報われる社会を」がリードだ。○「・・・若者のためらいの背景にあるものとして、大人社会が若者に対して『こういう大人になるべし』をいうモデルとなる力を失っていることを指摘せざるをえない」と。その上で、労働をめぐる二つの変化を指摘しておられる。一つは「グローバルな市場化のもたらす影」であり、「競争を制したものと競争に乗り遅れたものの2極分解の進行」そして、結局、「市場に評価されることが価値」とする市場至上主義も単なる拝金主義でしかないならば、「若者に対して、金銭的価値を越えた人生に挑戦する喜び」を語る資格さえ喪失しているのではないかと。○さらに、情報技術革命が、労働の単純化とマニュアル化、年功とか熟練が意味を持たない雇用パターンがあらゆる現場で志向される中で、こうした雰囲気がきまじめに現場をささえることの空虚さを形成していると。最後は、かれの持論である世代の責任として、「はたらくことが報われる社会を作らない限り、若者には響かない・・・大人社会が問われている」と。○かつて、私も学生時代、ボブディランの「時代は変わる」を歌っていた。自分が歳を降った今、若者の気持ちを私も分からなくなっているのか。○小野瞭さんの「若者の労働観」(アサートNo.249)の意見も思い浮かぶ。こうした若者にグランドデザインを提示できていない現状。もっと柔軟な活動舞台の提供が必要だ。○私も、寺島氏と同様に世代の責任を果たしたいと思う。アサートの継続発行もささやかな世代の責任だと思うのだが。(H) 

 【出典】 アサート No.269 2000年4月22日

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【書評】『グラムシは世界でどう読まれているか』

【書評】『グラムシは世界でどう読まれているか』
  (グラムシ没後60周年記念国際シンポジウム編、社会評論社、2000.1.31.発行)

 本書は、1997年11月に開催された「グラムシ没後60周年記念国際シンポジウム」の記録である。2年前のシンポジウムのまとめが今ごろになって刊行されることには、いささか戸惑いを覚える。しかし重要なことは、そこで提起された諸問題が、現在もなお同時代性を失わずに、いよいよもって切実なものとなっていることである。ここに本書を現時点において読むことの意味があろう。
 さて実際のシンポジウムは、全体会(「グラムシ──この10年」)と、第一分科会(「グラムシとわれわれの時代」)および第二分科会(「現代イタリアと国際政治」)というかたちで実施された。本書ではこれに加えて、「グラムシは世界でどう読まれているか」と題して、イタリア、スペイン、ドイツ、ロシアにおけるグラムシ研究の紹介が、誌上参加のかたちで、掲載されている。
 ここではそのうちから主なものを紹介してみたい。
 石堂清倫の特別記念講演「ヘゲモニー思想と変革への道──革命の世紀を生きて」(この講演は、後に『世界』に掲載された)では、グラムシの思想がスターリニズムの哲学に対する批判と克服の道を拓いたとして、次のように評価する。 「彼の『獄中ノート』は、客観的に読めば、ソ連共産党とコミンテルンの基本理論とそれにもとづく実践のひろい範囲にわたる批判であることがわかる。それは史的唯物論のマルクス的展開から、カタストロフィズムにもとづく制度変革にたいし、市民社会が政治社会を吸収する歴史過程にいたるまでの新しい行動の提案であった」。
 「フランス革命以来、労働者階級が歩んだ過程はグラムシによって解釈し直され、幾多の重要な解釈範疇は、過去の説明であるだけでなく、グラムシの生時とは大きく変化した今日の状況のもとでも分析の道具となり前進の道標ともなっている。それは彼の思考が歴史を貫徹する力をもっていたからであろう」。
 そしてここからヘゲモニー論にもとづいて、日本の中国侵略戦争からの教訓、ドイツにおける政治過程(ビスマルクから戦後の社会民主党の運動まで)、イタリアの共産党から左翼民主党への変換過程、非暴力の思想(マハトマ・ガンジーの教訓)、帝国主義下の対抗ヘゲモニー等が語られる。
 またイタリアのグラムシ研究家ジュゼッペ・ヴァッカ(「最近10年間のイタリアにおけるグラムシ研究」)は、『獄中ノート』のナショナル・エディション版の刊行の報告とともに、グラムシの工業主義の重要性を指摘する。
 「世界革命の敗北の原因の究明は、資本主義の発展の力学の研究を深め、テイラーリズムとフォーディズムを特徴とするアメリカ型工業主義のもっとも先進的な形態にかんする分析に集中するようにグラムシをうながした。(略)この種の工業主義は生産力の発展の最も合理的な形態をなし、《計画経済》形成への傾向をあらわすもので、それなりに普及されるに値するものであった。グラムシによれば、この工業主義の普及によって、《工業主義と資本主義を分離する》諸条件を創り出し、近代化過程の指導を勤労者に担わせることが可能となるものであった」。
 またヴァッカは、経済のコスモポリタニズム(世界主義)が政治における民族主義と不可逆的に衝突して「国民─国家の危機」をもたらしたとするグラムシの分析を強調する。
 グラムシの思想の特徴については、松田博の報告(「グラムシ思想のアクチュアリティ」)が要を得ている。この報告では、①「政治社会の市民社会への再吸収」・「自己規律社会」問題、②コンフォルミズモ(順応主義)問題、③トラスフォミズモ(変異主義)問題が提出される。
 ①「政治社会の市民社会への再吸収」・「自己規律社会」問題では、グラムシの人類史的歴史観には「国家概念の刷新・拡張」を特徴づける理論的モメントが含まれているとする。つまり国家理論における強制装置還元論とその背後にある階級還元論や経済決定論に対する批判と、近代国家における政治的・経済的・社会的・文化的ヘゲモニー装置(「国家=政治社会+市民社会すなわち強制の鎧を着けたヘゲモニー[グラムシ])の決定的重要性の問題である。報告者によれば、グラムシのこの面での貢献は巨大であり、ここから「国家の目標としてその国家自身の死滅、終焉を主張しうるような、つまり政治社会の市民社会への再吸収を国家目標として主張しうるような原理的体系の確立」(グラムシ)が理論的展望として重要であるとされる。
 ②また「コンフォルミズモ(順応主義)」については、①の概念および「永続革命論批判」から導き出され、「とくに社会構成体の強力による『断絶』と『飛躍』(転覆主義)という社会変革のイメージ(像)を批判し、その『有機的発展における連続性』を強調する」ものとされる。それ故これは、「一国社会主義」を批判する概念であり、「ヘゲモニー闘争」の別の表現であり、文化概念であると特徴づけられる。
 ③「トラスフォルミズモ(変異主義)」という聞き慣れない用語は、グラムシでは、「支配的集団が自己の政治的ヘゲモニーを保持するため、対抗勢力の分解・吸収・弱体化・周辺化をはかる『政治の術(アルテ)』を示す歴史的・政治的概念として『受動的革命』概念とともに重視」された。そしてこの概念は、ヘゲモニー概念と結合されることで、ヘゲモニー概念の「刷新・拡張」過程において独自の位置を占めるとされる。

 以上見てきた以外に、各分科会における報告には、知識人と哲学、文化論、教育論、宗教論、協同組合論、植民地主義、フォーディズム、ポスト・フォーデイズム等をめぐる諸問題が掲載されている。このようにグラムシが提起した問題は、現在においてもなおそのアクチュアリティを失ってはおらず、今後ますます論議が拡大深化して行くことが予想される。この意味で本書はグラムシ理解の現在的な道標として意義があると言えよう。
 (なお『獄中ノート』の翻訳が未刊行である現在、入手可能なグラムシの論稿集としては、『グラムシ・リーダー』(D.フォーガチ編、東京グラムシ研究会監修・訳、御茶の水書房、1995.12.1.発行、7,931円)がある。)(R) 

 【出典】 アサート No.269 2000年4月22日

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【投稿】南北首脳会談と東アジア情勢

【投稿】南北首脳会談と東アジア情勢

<韓・朝・中「三方一両得」>
 韓国と北朝鮮は6月に平壌で初の首脳会談を開催することで合意した。
 朝鮮半島は、世界的な冷戦構造の崩壊後も、北朝鮮のあまりに特異な政治体制のため、あたかも「ロスト・ワールド」の様な環境におかれてきた。
 この間北朝鮮は経済、農業政策の失敗と軍事最優先政策により、危機的状況か継続している。金正日政権はこうした八方ふさかりの状況を打開し、大規模な経済支援を獲得するため、核疑惑をめぐる「瀬戸際外交」をも利用した対米交渉を、最優先として進めてきたが、画期的な進展は見られなかった。
 交渉が膝着状態に陥る中、アメリカは昨年の「ぺリー報告」で金正日体制の存続を認めはしたものの、それはあくまでも台湾問題を軸とした中国への牽制・沖縄米軍基地の存続を含めた、極東10万人体制維持を主眼としたアジア政策合理化の一環であり、いわば「生かさぬよう、殺さぬよう」とも言える戦略の推進を明らかにした。
 こうしたアメリカの意思からは、必要最小限の以上の本格的援助は望むべくもないし、対日交渉についても継続は確認されたものの、粒致疑惑か論点になれば、とん挫してしまうのは明白である。
 そこで北朝鮮は、北朝鮮の脅威を口実としたアメリカによる圧力増大を阻止したい中国と、密接な連絡を取り合い、対韓関係を突破口として局面打開に動いたものと考えられる。
 南北会談開催に中国が絡んでいることは、中国内で事前折衝か行われたこと、韓国と対等で話をする事など「ひれ伏す」に等しい屈辱と考える北朝鮮から、こうした発想が出てくるとは考えにくいこと、中国としては北朝鮮支援を軽減したいことなどから、ほぼ確実であろうし、むしろ中国サイドから北朝鮮に対して働きかけがあったのかもしれない。
 いずれにしてもこれにより、韓国からの大規模経済支援か実現すれば、北朝鮮はようやく一息つけるであろうし、中国としては、極東における米軍の存在理由となっている朝鮮半島情勢が緩和の方向に迎えぱ、対外政策上極めて有利な条件を手に入れることができる。
 さらに韓国の金大中政権としても、これまでの「太陽政策」の正しさを証明し、政権基盤を一層固めると共に、朝鮮半島情勢に関わる政治的イニシアティブ確立に向け、大きく前進する事となる。
 こうして、韓国、北朝鮮、中国三者の思惑、利害が一致したことによって初めての南北首脳会談が実現する運びとなったのであり、その意味で単なる政治的パフォーマンスではあり得ない。
 
<予想される紐余曲折>
 こうした徴妙なバランスの上に成り立っている首脳会談であるが、今後順調に開催され、何らかの成果を上げるまでには、様々な動きがあるだろう。
 まず、発表直後に行われた韓国総選挙では、南北首脳会談が与党民主党に対して、思ったほどの追い風にはならず、第一党の座を確保できなかった事が上げられる。
 このことは、韓国国民がムード先行の首脳会談を、冷静な目で見ているためであるが、金大中政権としては、出だしで蹟いた感は否めない。会談の目的、援助の内容について国内的な合意形成か必要になり、何らかの見直しか求められる事もあり得るだろう。
 さらにアメリカは今回の会談について、表面上は歓迎の意向を示してはいるか、中国の動向、韓国の自立志向を注視しなから、朝鮮半島情勢の「過度の緊張緩和」というアメリカの戦略に抵触する事態にならないよう、今後韓国政府と交渉の内容について調整を進めるだろう。
 北朝鮮でも金正日総書記の腹は固まっているとしても、軍の強硬派か、武装工作員潜入や海上での銃撃戦の様な、武力行使に及ぶ可能性か無いとは言えない。
 この様に会談実現までは予断を許さないものがあり、ー・度だけでは大きな成果などは期待はできないし、「会うことに意義かある」とまで言われている。
 しかし今回の会談では、南北首脳の直接対話で朝鮮半島を巡る問題は解決していく、とのルールをつくることができるかが、最も重要な課題である。
 一端そうしたレールが引けれぱ、アメリカ、中国の意図とは離れて事態は動き出すかもしれないし、むしろ米中の戦略も修正を余儀なくされる方向ヘ進むかもしれない。
 これらの動きが、総合的に東アジアの緊張綬和へと動いていくかはどうかは、沖縄問題を中心とした我が国の安全保障政策にも、大きな影響を及ぼすのは言うまでもない。
 ところか日本政府は、この事態に対し十分な対応をとり得ていない。当面韓国との連絡の緊密化、北朝鮮との国交正常化交渉は継続するだろうが、明確な対朝鮮半島政策を持たない森政権は、差し迫る総選挙対策に忙殺され、傍観者の席に甘んじざるを得ないだろう。(大阪・O) 

 【出典】 アサート No.269 2000年4月22日

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【投稿】森「新生内閣」の旧態依然のうさん臭さ

【投稿】森「新生内閣」の旧態依然のうさん臭さ

<<「日本新生内閣」への不信表明>>
 4/14、ニューヨーク株式市場はついに過去最大、ダウ平均617ドルの下げ幅(下落率5.7%)を記録し、マネーゲームに賭けてきた金融市場に冷水を浴びせかけることとなった。ハイテク株を牽引力としてきたナスダック総合指数も355ポイント下落(9.7%)、3/10の最高値からすると34%もの下落であり、ダウ、ナスダックとも売り一色の総崩れ、史上最大の下げ幅となり、「ネットバブル」の危うさともろさを如実に示すこととなった。87年10月のブラックマンデーの下げ幅508ドル、下落率22.6%からすれば、下げ幅は上回っているが、下落率はまだそこまでは及んでいない。これが一過性の乱高下なのか、「調整」の範囲内なのか、さらなる暴落の引き金なのか、予断を許さない事態に突入しているといえよう。
 4/16、ワシントンで開かれていたG7(主要7カ国蔵相・中央銀行総裁会議)共同声明はアメリカ経済の底堅さと力強さをことさらに強調しているが、株価急落の事態に動揺を隠せず、不安を押さえ込むことに議論が集中した結果でもあった。宮沢蔵相らのいう「日本経済の自律的回復の動き」などまるで信用されず、なすすべもなく「民需が回復していない」、個人消費の回復に結びつかない日本の経済政策への苛立ちと注文が共同声明の中に盛り込まれることとなった。それは誕生したばかりの森新内閣のキャッチコピー、「経済新生内閣」、「日本新生内閣」へのあからさまな不信の表明の場となった。

<<「不適切な人物」>>
 この森新内閣は、誕生の過程そのものから悪臭ふんぷんたる日本の密室政治の特徴をいかんなく発揮し、世界中から不信と奇異の眼で見られている。小渕前首相が突然脳梗塞で倒れ、後継者選びが行なわれている最中から、ニューヨーク・タイムズ(4/4付け)は、「日本の国民は24時間以上にわたって病状の深刻さを隠蔽する誤った情報を与えられ」、「職務をまっとうする能力も持ち合わせていそうもない」人物に政権が暫定的に移行したことを知らされ、その上「有力候補者である河野外相も森幹事長も、明確な政治方針は明らかにしていない。青木首相代理に期待する人はほとんどいない」、「日本の首相の非常事態に、株式市場は動じるどころか、強ささえ見せた」と実に手厳しい。さらに森氏が後継首相に選ばれると、同紙9日付けは、「日本ほど、政治的指導者として不適切な人物を選ぶ国は他にない」とまで書いている。この森氏については、ワシントン・ポスト(5日付け)も、「忍耐と党への忠誠」だけによって選ばれたと書かれ、「日本政治の秘密主義が国民を苛立たせる」(9日付けワシントン・タイムズ)、「日本の抱える問題は”オブチ”以上に大きい」、「日本の自民党政治はまったく機能不全に陥っていて、だれが首相になっても同じだ」(ウォールストリート・ジャーナル紙)、「クレムリンのような秘密主義」(英・ガーディアン紙)、「先進国で首相の病状について隠し事をしたり、権力不在が起きたりするのは」アンビリーバブルだ(英・インディペンデント紙)と、酷評さんざんである。
 ところが国内ではこの秘密主義・密室協議を堂々と弁護し、「官房長官は事態の深刻さに悩みぬき、冷静沈着に行動し、私ならとてもああはできなかった」(野中・自民党幹事長、4/16NHK日曜討論)と一切反省もせず、それをまた公明党(冬柴幹事長)が擁護するというあきれた事態である。何の事はない、どさくさ紛れに、内閣と党を牛耳るカナメを押さえ、消去法で残っただけで政策も信念も希薄で言うことを聞かざるをえない新首相を立てた。そして両氏ともどもこうした過程の密室協議と裏取引によってそれぞれの地位と基盤を強化した、まさにこれらのことにしごくご満悦なのである。

<<「小渕国葬計画」論>>
 そして政局は急速に早期解散・総選挙へと動き出している。これまで早期解散などありえないと、沖縄サミット以降に設定されていた政治日程が急遽繰り上げとなってきたのである。森内閣発足直後の各新聞の世論調査で支持率が40%を越し、政権発足直後の支持率としては小渕政権発足時よりも高い数字となり、自民党の支持率も3月の20%台から30%に上昇した。今回、自由党の連立政権離脱劇のさ中、突然脳梗塞で倒れ、昏睡状態に陥り、生死の境で入院状態が続いている小渕前首相への「同情ムード」が消えない今のうちにというわけである。大平首相が選挙期間中に死去した80年の衆参同日選挙で、苦戦必至といわれながら同情票を集め、衆院で26議席増の大勝を獲得した、あの「2匹目のドジョウ」を狙っている。それだけでは不安なので、小渕氏に万が一のことがあれば「国葬をもって全国民が弔意を表すという」国葬計画まで浮上しているという(週刊ポスト4/21号)。あわよくば「弔い合戦」に持ち込み、同情票にすがらなければ支持を獲得できない、この同情論が消えないうちにという、なんともさもしい魂胆である。
 しかし彼らが考えるほど事態は甘くはないと言えよう。共同通信社がこの4/6に行った緊急世論調査によると、自公保連立を「評価する」という回答はわずかに25%、「評価しない」がその倍以上の54%にも達している。評価しない理由も、「創価学会を支持母体とする公明党が政権に参加している」、「単なる数合わせにすぎず、国会の空洞化につながる」と連立の実態に胡散臭さを感じ、拒否感が表明されているのである。

<<”ノミの心臓”の怒鳴りぐせ>>
 4月10・11の両日実施された朝日新聞の全国世論調査でも、この政権は長続きしないという回答がなんと70%にも達している。世論は厳しい目で見ていると言えよう。それでも森新政権が、小渕内閣とは違った現状を打破する新たな政策を打ち出すというならまだしも、就任あいさつで「前政権の課題継承」しか表明できない、単なるお飾りで、どこが「日本新生内閣」、「経済再生内閣」なのか、まるで無内容極まりない「新政権のスタート」となった。
 しかもこの森新首相、外形標準課税やディーゼル排ガス規制で点を稼ぎながらも一連の差別的反動的放言で自ら孤立を深めている石原慎太郎都知事と同じ青嵐会出身である。石原と同根なのか、”ノミの心臓”とヤユされながら、すぐにカッとなって失言を繰り返す、「エイズが来た」、「大阪タンつぼ」発言など、ごく最近でも「沖縄教組というのは共産党が支配していますから、沖縄の先生、沖縄に二つある琉球新報、沖縄タイムスは何でも政府に反対。ですから子どももみんなそう教わっている」(3/20の放言)などと発言し、追及されると「子どもみたいなこと聞くな!」と取材記者を怒鳴りつけることで有名な、そんな程度のお粗末さしか持ち合わせていない政治家である。「理念がない」「政策がない」「節操がない」、そして失言には事欠かない、こんな政治家が首相という地位につくことができる、日本の政治の貧困さを象徴する事態である。少しでも長引けば馬脚をあらわして、石原知事と同じように重大な舌下事件を起こしかねない人物だけに、その内に取り替えられる短命内閣とも言えよう。野党にとっては政権交代の絶好のチャンスでもある。こんな状況のもとでも、民主党を初めとする野党が優位に立てないようなら、その存在価値そのものが問われるのではないだろうか。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.269 2000年4月22日

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