【レポート】 連合 3・6「生活危機突破」国民集会・99春季生活闘争総決起集会

【レポート】 連合 3・6「生活危機突破」国民集会・99春季生活闘争総決起集会
           —都知事候補鳩山氏の大胆演出登場にビックリ—

3月6日、春一番が吹き荒れるなか東京代々木公園において連合・連合東京・NPO(市民団体)の共催による「生活危機突破」国民集会・99春季生活闘争総決起集会が開催された。「賃上げ、雇用・景気回復、社会保障改革で日本全部を元気に!」というスローガン、久々に結集した5万人(掛け値なく)の参加者の多くが「何とかならないものか」という期待感をにじませていたようである。
今回の集会は、連合がNPO団体にも広く参加を呼びかけて開催されたことも特徴で、障害者や介護福祉の団や退職者組合、派遣労働者ネット、コミュニティユニオンネットなど様々な参加団体からもきちんとひとことアピールが行われた。連合組織を代表しては金属部門を代表して草野自動車総連会長、化学繊維・中小部門を代表して高木ゼンセン同盟会長のあいさつがあったのみである。また地方自治体選挙を前に各党代表の挨拶も行われた。民主党の菅代表、公明党の神崎代表、自由党の塩田団体渉外委員長、社民党の淵上幹事長、改革クラブの小沢代表からそれぞれ連合との連帯の挨拶が述べられた。やはり菅代表をひとめ見ようと集会場前方は自然ににぎわっていたのは印象的であった。菅氏は「春闘集会に集まられたみなさん。どうか民主党とともにこの東京を動かしましょう。世の中を変えましょう!」と連合会長以上に熱っぽく語っていた。
そして突如、巨大な音楽とともに壇上に登場したのは、都知事候補の鳩山邦夫氏であった。集会次第にも案内されていなかったし、進行の議長団からの案内がなかったため、このプロレス会場並みの演出音による鳩山氏の登壇には、ちょっとシラケた雰囲気がただよった。壇上での鷲尾連合会長をはじめとする役員のはしゃぎぶりをみてよけいにシーンとなってしまったようであった。鳩山氏は「わたしは顔は悪いが、人情だけは誰にも負けずあたたかいのです」と切り出し、持ち前の「友愛」論をひとしきりしゃべると、東京都知事選の応援を5万人の参加者に訴えていた。

自民の混迷で不透明な99都知事選突入へ

3月25日告示、4月11日投票の都知事選挙は、すでにテレビ・マスコミ・インターネットとあらゆるメディアを通じて戦われている。6人の候補者が出そろうまでの自民党の混迷ぶりが今でも続いており、しかしながらこれに民主・鳩山氏や共産・三上氏がいまひとつ食い込めないという現状だろう。
まず、これまでの自民党の混迷ぶりの経過は以下のとおりである。

3月10日 石原慎太郎出馬表明
3月10日 舛添要一、栗本慎一郎選挙対策本部長を解任
3月 8日 柿沢弘治の自民党除名を決定
3月 6日 野末陳平出馬取り止め、舛添要一を全面支援
3月 2日 鳩山邦夫支持を民主党が決定
2月25日 明石康支持を自民党が決定
2月23日 ドクター中松出馬表明
2月19日 自民党森幹事長及び小渕首相の説得で明石康出馬表明
2月17日 柿沢弘治出馬正式表明
2月14日 柿沢弘治、「サンデープロジェクト」で突然の出馬表明
2月12日 鳩山邦夫、舛添要一出馬表明
2月10日 自民党、明石康擁立を決定
2月10日 柿沢弘治、森幹事長の要請を受け、出馬断念を表明
2月 3日 野末陳平出馬表明
2月 1日 青島幸男都知事不出馬表明
1月26日 自民党都議団、柿沢弘治擁立で最終調整
1月23日 自民党、舛添要一擁立を断念
1月21日 自民党都連幹部会、舛添要一擁立で合意
11月11日 三上満出馬表明

自民党の混迷はいくつもでた。森幹事長の説得工作を振り切って立候補表明し、自民党を除名された柿沢氏、一度自民党推薦候補から漏れた舛添氏も自民党離反組と目されており、無党派を標榜する舛添氏としても、組織票が期待できるとしてもイメージダウンのデメリットが大きく、簡単に支持は受けられない、また、亀井氏等の自民党非主流派に近い石原氏も支持できない。最後に鳩山氏であるが、民主党の推薦がほぼ決定している現在、既に手遅れ状態。そして今回の明石氏の降ろしの動きである(明石氏は否定)。
そこで、当然の帰結として、3月16日付けの毎日新聞朝刊で有権者の電話世論調査の結果が発表での結果は以下のとおりである。

順位 候 補 者 比率
1 石原  慎太郎 25%
2 舛添  要一 13%
3 柿沢 弘治  8%
4 鳩山 邦夫  8%
5 明石 康  6%
6 三上 満  6%
7 ドクター中松  1%

テレビに出ればでるほど人気を失ってゆく明石氏に自民党は業を煮やしているといわれている。万一、自民党がこの首都都知事選で負けることは、その後の地方選での惨敗を決定的にすることは疑いないからである。しまいには世論調査報道の規制まで自民党は言及している。選挙でキャスティングボードとなってくるのが公明であるが、一度は自主投票の構えを見せていたが、ここにきて特定候補支持を打ち出すポーズを漂わせているようである。

東京を変えれば日本が変わる

これは青島都知事誕生の時もそういわれたが、青島都政は結果として鈴木都政の後始末も何もできなかった。またその結果この4年間で東京の財政を逼迫させ、「財政再建団体」に転落予想の都民向け「緊急アピール」を発表したのが98年10月13日である。「財政再建団体」とは民間会社における「会社更生法」ともいえる制度で、財政難に陥った自治体が国の管理の下で財政再建を目指す制度である。東京の域内の国内総生産(GDP)は約80兆円、これは日本全体の18%にあたり、カナダ1国分に匹敵するのである。東京は世界で最も「裕福」な都市といわれる。こんな大都市が、もはや財政的にはどうにもならなくなってしまっている。そしてこれは東京だけでなく、大阪、神奈川、愛知をはじめわが国自治体の実に6割がこの財政危機に直面して、警戒ラインを突破しているのである。国会でいくら前代未聞の膨大な公共事業費をくもうと、地方にはその余裕はないのである。破綻に破綻を上塗りするのが顛末であることがこの4年間の推移であったはずである。以前なら「中央との太いパイプ」が候補者の判断材料であったが、いまやこれでは通用しない。
このことは明石氏と柿沢氏以外ははっきりと言及している。明石氏と柿沢氏はよりいっそうこの事業を推進すべきという立場だ。石原氏は立場は違うが徹底した規制緩和と行革の推進という点では明石氏と柿沢氏よりも過激で、「クーデターをおこすくらいの気持ち」だと相変わらず暴言をはいている。鳩山氏はこの中でハト派的にいい立場であるのだが、それをうまく器用にマスコミむけにアピールできないのが残念である。
さらに来年から実施予定の介護保険のあり方については残念ながら具体的議論がみえてこない。「ハコもの」行政からの脱却とともにめざすべき市民参加・参画型の行政のありかたについては誰も希薄である。その具体的なあらわれとして介護保険はまっさきに問われているはずである。しかし希薄なのは東京という都市があまりにも大きすぎるからであり、もうすこし目に見える形(区部・市部)での議論を組み立てる必要がある。(R.I)

【出典】 アサート No.256 1999年3月27日

カテゴリー: 労働, 社会運動 | 【レポート】 連合 3・6「生活危機突破」国民集会・99春季生活闘争総決起集会 はコメントを受け付けていません

【投稿】 バブル破綻と日米経済

【投稿】 バブル破綻と日米経済

<拍手喝采のNY市場>
3/16、ニューヨーク株式市場はダウ平均株価が一時1万ドルを突破、拍手喝采に沸いたが、その後1分足らずで9000ドル台に逆戻りした。しかし、その後3/19にも一時1万ドル台を更新、一進一退が繰り返されている。「バブル崩壊寸前」、「近い内にバブルがはじける」との警告もよそに、株高による資産の膨張に支えられて、米国の消費者は収入の伸びを上回る勢いで消費を増大させ、昨年10-12月期にはついに家計の貯蓄率がゼロになる極限とも言える状態となった。その後も消費は全く衰えず、99/2月には一般消費率がさらに伸び、前月比+0.9%、前年同月比では+7.3%もの上昇である。今や借入れオーバー、貯蓄率マイナスの状態とまでいわれている。
こうした中で、ドル暴落説を声高に叫ぶものはいないかに見える。ところが実際には、米経済の持続的な高成長を支えてきたドルへの資金集中は終わりに近づいてきたという議論と現実の動きが静かに台頭してきている。引き金は、ドルからユーロ、あるいは円への雪崩を打ったような巨額の資金移動か、あるいは米国株価の下落か、支えきれなくなったヘッジファンドの破綻の連鎖か、いずれにしても結果はバブル崩壊への序曲である。
現実に、すでに割高となってきた米国株から割安な日本株へ資金が移動する動きが東京市場の外人投資家主導の株高に表れてきており、NY市場が1万ドル台を記録した同じ日、東京株式市場は7ヶ月半ぶりに1万6000円台を回復している。「海外のあふれた資金が日本の株式市場に向かっている」結果でもある。足もとの危機を見ずに、これらを「日本株式会社の回復」(ウォールソトリート・ジャーナル)とか、「日本の回復への期待高まる」(ニューヨーク・タイムズ)、「日銀の超低金利が回復に貢献する」(ワシントン・ポスト)といった認識の甘さと希望的観測で糊塗していていいものであろうか。

<「破裂を待つバブル」>
実のところ、ダウ平均が1万ドルを突破すること自体に特別な政治的経済的な意味があるわけではない。ダウ・ジョーンズ社が2年前に30社の採用銘柄の入れ替えを行った時に、ヒューレット・パッカードを加えたが、これがマイクロソフト社であればダウ平均はとっくに1万ドルを突破していたであろう、と指摘されている通りである。したがって1万ドルという株価は、これまでの株価からすれば未知の領域ではあるが、冷静に考えればバブルの頂点をどのレベルで画するかという象徴的な株価に過ぎないとも言えよう。ダウ平均は、単純平均ではないが、たった採用30銘柄の株価を合計して割ったものに過ぎないのである。
問題は、「過去20年間で株価は最も割高な水準にある。現水準から10-20%下落しても不思議ではない」(3/18日経、メリルリンチのシニア・アナリストのW・マーフィー氏)というところにある。
グリーンスパン連銀議長が、2/23米上院銀行委員会で証言しているように、「米経済の繁栄は、経済成長の急速な拡大でインフレが再発する可能性と、株価の値下がりもしくは世界の経済不況による脅威との間」のバランスの上に立っていること、そして「連銀の内部調査で、すでに株価は21%も高すぎるという結果が出ている」ことを明らかにし、さらに米国の貿易赤字の拡大について、「米国の国際経常赤字が支払不能になるのではないかと外国の投資家から懸念されるようになれば、ドル安が進行、米国の物価に圧力がかかる恐れがある」との見解を示している。それと関連して、外国の経済状態については、ロシアは危険状態にあり、ブラジルも前途不透明、日本に関しては「日本政府の不況は底を突いたという判断には賛成できない。むしろ日本経済の前途は悪化する可能性がある」との見解を示したことにこそ注目すべきであろう。
3/11付けUSAトゥデー紙は「米経済は破裂を待つバブル」という見出しで、米経済を取巻く三つのバブルとして、貿易赤字の増加と株価の急騰、消費者の借入れ急増をあげ、バブルは結局は破裂し、リセッション(景気後退)が起きると警告している。
このところ論壇でも注目を浴びている米ヘッジファンド大手を率いるジョージ・ソロス氏までが、最近の著書や各紙への寄稿論文の中で「世界各地の経済危機は米国経済にプラスに働いている。安価な輸入品を享受する一方で、資本が危機の国から米国に流れ込んでいるからだ。その結果、米国の消費者は稼ぐ以上に消費できるようになっているが、健全でないし、長続きしない。」「80年代後半の日本とまったく同じ状況の資産バブルになっている」「バブルは自身の重さに耐えられなくなるまで大きくなり続ける。こんな状況だというのにクリントン大統領は一般教書演説で公的年金に株式投資を認める策を表明した。バカげた考えだし、それこそ弾劾に値する。」と遠慮会釈のない論陣を張っていることは周知の通りである。

<5期15ヵ月連続のマイナス成長>
対照的に、バブルの後遺症からいまだに脱しきれない日本経済の現状に関して、昨年来、しきりに軽自動車の売れ行きが好調だとか、マンションが売れはじめ、白モノ家電の買い替え需要が出てきたとか、還元セールがにぎわったとか、消費の復調をにおわすキャンペーンが盛んに展開されてきたことは周知の通りである。しかしその結果は惨めなものであった。98/10-12月期の実質経済成長率は、前期比マイナス0.8%、前年同期比マイナス2.8%であった。公的資本形成は前期比実質10.6%の増加となったが、消費は前期比実質マイナス0.1%、設備投資は同マイナス5.7%と軒並み減少となったのである。住宅投資についても、低金利効果で下げ止まってきたとか、持ち家に回復の兆しが見られるとか、やはり期待先行の発言が相次いでいたが、住宅投資は前期比実質マイナス7.0%、前年同期比同マイナス10.7%という大幅な落ち込みであった。実質国民総生産が5期15ヵ月連続のマイナス成長というのは戦後来初めての記録的な最悪の事態である。

実質国内総生産 10-12月期(前期比)  1998年(前年比)
——————————————————
国内総支出    473,664(▲ 0.8) 478,265(▲ 2.8)
年率換算成長率      (▲ 3.2)
民間最終消費支出 281,663(▲ 0.1) 282,103(▲ 1.1)
民間住宅      17,103(▲ 7.0)  18,554(▲13.7)
民間企業設備    73,366(▲ 5.7)  78,717(▲11.4)
民間在庫品増加   1,650( 28.3)  1,669(▲25.3)
政府最終消費支出  45,318(▲ 0.6)  45,306(  0.7)
公的固定資本形成  42,635( 10.6)  39,470(▲ 0.3)
公的在庫品増加   -584        -69(▲171.1)
財貨サービス純輸出 12,510(▲10.7)  12,513( 29.7)
財貨サービスの輸出 64,302(▲ 3.4)  65,738(▲ 2.3)
財貨サービスの輸入 51,702(▲ 1.5)  53,225(▲ 7.7)
——————————————————
国民総支出    481,050(▲ 1.0) 485,273(▲ 2.0)
——————————————————
単位10億円、四半期数値は年率換算

確かに、景気指標に微妙な動きが現れてきているのは事実である。株価は少し戻し、生産指数や機械受注、消費などの各指標も落ち込み幅は縮小する傾向にある。鍵を握る個人消費は、全世帯の消費支出は昨年11月に前年比+1.3%と増加に転じたが、12月-0.6%、99年1月+1.4%と交錯している。住宅ローン減税の拡大によって一戸建て住宅、マンションが売れはじめ、住宅展示場を訪れる人が増え、これらに「変化の胎動」(堺屋経企庁長官)が感じられるというわけである。しかしこれらの住宅需要のほとんどは結婚や転居に伴う新規需要だという。買い替え需要の方は元の買い値で売ること自体が困難でむしろ売却差損が拡大し、自己破産が年間10万件を超え、その中でも住宅ローン返済不能者が急増しているのが現実である。

<「リストラ予備軍」>
しかし、雇用所得が前期比実質マイナス1.1%、前年同期比実質マイナス2.0%といった具合に、所得が減少し続けている状態でマクロレベルの消費増を期待するのはそもそも無理というものであろう。今年はさらに減税と銘打った増税によって、年収794万円以下の世帯は、98年度より所得税、住民税の負担が約1兆円増大する。これによって給与所得者の内6割は税負担が増えるのである。
2/26労働省発表の毎月勤労統計調査結果速報(99/1月分)によると、従業員5人以上の事業所が労働者に支払った現金給与総額は前年同月比2.0%減の31万2387円となり、2ヵ月連続の減少、実質賃金指数は同2.3%減で18ヵ月連続のマイナスとなっている。
おまけに今年の企業の3月期決算は、史上空前の赤字ラッシュになることが確実な情勢となっている。銀行が不良債権償却のために軒並み巨額の赤字を計上し(住友7500億、第一勧銀6500億、高吟3500億、あさひ2150億等々)、すでに日立が3750億、NECが2200億という巨額の赤字転落、東芝も23年ぶりの赤字転落(単独で200億円)三菱電機900億円、富士通200億円、富士電機120億円、沖電気500億円、王子製紙、コマツ、日本精工、等々、続々と赤字を計上しようとしている。この際黒字企業まで不良資産を上積みして赤字決算を続出させているという。「法人税減税以前に、法人税そのものが入ってこない」のではと揶揄される所以でもある。これらの赤字決算と同時に人員整理が空前の規模になろうとしている。すでに大手銀行で2万人、NECが1万5000人(内、6000人強制解雇)、三越1000人、といった具合である。ベアゼロどころか、三井造船やコスモ石油のように賃金一律10%カットの企業が続出してもいる。
朝日生命が2月にまとめた雇用動向予測調査によると日本企業が抱える「リストラ予備軍」はサービス業で173万人、卸・小売業で124万人、建設業105万人など、全産業で約446万人に上り、そのすべてが失業した場合、失業率は10.7%に達すると予測している。
「変化の胎動」などと浮かれている事態とは裏腹に、雇用情勢がより悪化し、消費がより冷え込みかねない事態が進行しているといえよう。

<「やけっぱち政策」>
今月3日、日銀は日々の金利調節の誘導対象としている「無担保コール翌日物金利」を0.02%に誘導し、実質ゼロ金利を容認することとなった。先進国で金利をつけずに資金取引をするのは事実上初めてのことである。悪夢の国債引受を呑む代わりに最後の金利カードを切ったというわけである。だがゼロ金利による副作用が早くも出てきた。こうした金融資本間のコール市場では、投資信託や生命保険会社が、運用の旨みがなくなったコール市場からこれらの巨額の資金を流出しはじめたのである。無担保コール翌日物による資金調達額は「上位都銀の場合、3兆円にも上る」といわれ、国内資産の1割にも相当する資金を「その日暮らし」でしのいでいるのが日本の金融機関の実態である。これらの資金を融通してきた出し手のコール市場からの逃避によって、信用力の乏しい銀行の決済リスクが俄然高まりかねない危険性を招来しているのである。
たしかに今回の日銀による「実質ゼロ金利」容認後、長期金利は数日で0.2%以上も低下、日経平均株価は1000円近く上昇、一段の金融緩和はとりあえずは金融・資本市場からは評価された格好である。しかし、英フィナンシャル・タイムズ紙が3/4付けの社説で「日本は金融政策の極限に挑戦しはじめたが、”デスパレート(やけっぱち)”の政策が経済状態を改善に向かわせる可能性は小さい」と断じている通りであろう。
すでに日銀の資産悪化が同時に進んでいるために、こうした強引な緩和策は将来に様々なツケを残すことになろう。すでに日銀の預金保険機構向け貸出は、昨年3月末に1兆円台だったが、長銀と日債銀の破綻・国有化などで年末には8兆円弱に急増、今回の公的資金7兆4500億円注入の大部分も日銀からの借入金でまかなう見通しであり、すでに国債引受と同じ現象がすでに始まっている。ゼロ金利が招来する新たな銀行破綻、すでに破綻の危機がささやかれている投資信託や生命保険会社の信用崩壊は、またもや新たな公的資金導入を拡大させることとなろう。ここでも再び、国債の日銀引受という「禁じ手」議論が台頭するであろう。
こうした破れかぶれの金融政策が長引けば、その行き着く先はとめどもない貨幣価値の下落かもしれないし、それは正真正銘の「日本発の世界恐慌」をもたらす危険性を内包しているとも言えよう。小渕首相の「鈍牛」どころか、日本の政府・与党、野党ともにこうした事態の進展に何とも鈍感なことは、一体何をもたらすのか、真剣な検討が必要なのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.256 1999年3月27日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬, 経済 | 【投稿】 バブル破綻と日米経済 はコメントを受け付けていません

【感想】吉村先生からの手紙

【感想】吉村先生からの手紙

1月9日は久しぶりに楽しい時間を持てて喜んでいます。有難う!アサート254号拝受しました。いつも対談が活字化されると話し言葉と書き言葉の違いを痛感します。対談の時には雰囲気が言葉の足らなさを補ってくれますが、活字になると、そのギャップが出るのですね。しかし、テープをおこして、まとめてくれた貴兄達に感謝します。これを機に日々の感懐をボツボツまとめようと思っています。唯、現在悪性のカゼで熱とダルサにノックアウトされています。
(99-01-26 吉村 励)

【出典】 アサート No.255 1999年2月20日

カテゴリー: 追悼, 雑感 | 【感想】吉村先生からの手紙 はコメントを受け付けていません

【投稿】公共事業に厳しい視点広がる

【投稿】公共事業に厳しい視点広がる
           —吉野川・神戸空港・びわこ空港・藤前干潟—

財政再建構造改革の中でも公共事業の効率化が謳われ、また経済対策としての公共事業の投資効果にも疑問が投げかけられている。公共事業が環境破壊を生み出したり、さらに住民生活のためになるのかどうかという疑問も広がり、一般的な国民意識も公共事業全般に対して厳しくなってきている。こうした状況を反映して、環境問題とも関連しながら、最近の特徴的な動きを追ってみる。
徳島県の吉野川可動堰問題、愛知県の藤前干潟埋め立て問題、そして神戸空港間題である。

◎吉野川にも可動堰計画
「四国三郎」と呼ばれる自然豊かな吉野川を、巨大なコンクリートの構造物でさえぎる建設省の可動堰計画。吉野川河口堰計画は、現在の堰を取り壊し、一.ニキロ下流(河口から十三キロ地点)に長さ七百二十五メートルの可動堰を建設するもので、長良川河口堰の六百六十一メートルをしのぐ大プロジェクトである。江戸時代に石を積んで造られた現在の第十堰が洪水時に流れを妨げ、堰上流部の堤防に危険が生じる、というのが計画の根拠だ。この堰を撤去し、すぐ下流に巨大な上下開閉式の堰を約一千億円かけて建設するというもの。
以前から、計画はあったものの、長良川河口堰問題の反省から、建設省が95年に「ダム事業の中止を含めた見直し」を掲げて、審議委員会制度を設けた際、全国14の対象事業の一つになり、「吉野川第十堰建設事業審議委員会」が2年8ケ月の「審議」を経て、「計画は妥当」の報告をまとめたのが、昨年の6月であった。
市民団体側は、すでに94年8月「吉野川シンポジウム実行委貝会」(住民投票運動を担ったグループ)が「吉野川発 川フォーラム」を開催し、可動堰建設への疑問を訴え、この審議委員会に対しても、計画の必然性や環境への影響について、疑問を投げかけ、住民の意見の反映を訴えてきた。
当初、利水と治水が目的とされていたが、97年に徳島県は利水開発からの撤退を表明したため、治水すなわち洪水対策が唯一の目的となった。

◎住民の過半数が条例制定に賛成
審議委員会の「計画妥当」結論、また建設省が来年度に調査費四億円を概算要求すると言う状況の中で、市民団体側は、昨年10月、吉野川で「ライブ!吉野川メッセージ」を開催し、カヌーデモを行うとともに、事業の是非を問う「住民投票条例」の制定を徳島市に求める住民署名を提案し、11月から署名活動を開始した。
請求に必安な署名の数は有権者の五十分の一(約四千二百人)だが、運動側は有権者の三分の一にあたる約七万人分を目標にした。三分の一を越えると、市議会のリコールも可能な数字となるからである。最終的に署名は、短期間に有権者の49%に相当する10万1500名の署名が集まり、住民の関心の高さを示すことになった。
これに対し、審議委員だった円藤寿穂・徳島県知事は「計画の判断には専門知識が必要で、住民投票はそぐわない」とし、小池正勝・徳島市長も「市議会は計画推進の意見書を可決しており、条例案を議会に諮る時は、住民投票は必要ないと意見を付けるつもりだ」となどと、市民の関心の高さに無神経な対応。「推進派」も動き出した。
そして市民の過半数にも達する条例制定要求に対して、2月8日市議会は制定要求を否決してしまう。
こうした事態を前に、運動側は統一地方選挙で徳島市議会に条例制定賛成派議員をさらに拡大する運動など新たな運動に取り組んでいる。

◎建設省、少し方針変更(?)
そっけない市議会の対応に対して、2月9日日経新聞の主張に「吉野川可動堰は凍結を」が掲載された。
市議会の否決には「高度な技術判断を要する計画に二者択一一はなじまない」「行政は住民の命と生活を守る責務がある」という理由が挙げられたが、『だが、高度な技術であればこそ、住民には丁寧な説明が必要だ』、『堤防の補強などの市民グループの代替案に建設省はきちんと応えず、可動堰を誘導する資料だけ示しても市民の納得は得られない』と住民の意思表示を軽視する姿勢を批判している。また、建設省が『着工を前提とした話し合いを続けても住民の不信感は消えない。まず計画を凍結し、そのうえで住民の意見を聞くべきだ』と厳しい主張だ。
こうした「住民過半数の署名」の声は、建設省を動かしつつある。朝日新聞が伝えるところでは、建設省は「可動堰が最有力案」との考えは捨てていないが、3~5年のアセスメント期間を持って住民と話し合いを行うとして、事実上の着工延期を判断したという。
長良川河口堰の経験から言えば、建設省と住民の新しいステージが始まったというところで、油断はできないが。

◎住民投票の定着はできないのか
私自身も徳島出身ということで、吉野川可動堰問題については、すでに5年前から注目をしてきた。子供の頃、親父とともに吉野川流域の親戚の家でご馳走になったことがある吉野川の鮎の味は今でも覚えている。何匹食べたか分からない程こ馳走になった。それは、母なる吉野川の賜物であった。吉野川は、剣山とともに徳島県の象徴でもある。今回の吉野川可動堰の問題に対しての徳島市民の行動は、実は私自身の故郷の問題でもあり、昨年10月のカヌーデモに私も参加ける予定が、果せなかったという意味でも、多いに拍手を送りたいと思っているわけだ。「国が決めたことだから間違いはない」と、当時の自社さ政権の時代、野坂建設人臣が「長良川河口堰の運用決定」を行った年でもあり、その時代に「ダム事業の見直し審議委員会」の設置も決まったわけで、結局、官僚と御用学者のみで、「建設妥当」と結論したダム見直し審議委員会に、住艮が「ノー」と、
断じた意味は大きい。
すでに述べたように、このダム計画には「利水」事業のメドはない。工業用水にしても、生活用水にしても、高度成長時代の水需要はもはや存在しない。
唯一の理由は、150年に一度の大洪水のため、というわけだ。150年に一度のために、吉野川の生態系を破壊していいのか、他に方法はないのか、という市民団体のささやかな主張が、建設省・徳島県の事業優先姿勢に待ったを掛けた、というわけである。
さて、その運動手法である。市民連動は住民投票を求めた。過去河川事業をめぐる住民投票条例制定の運動は、三つあるが、いずれも議会で否決されている。そもそも地元で行われる事業に対して、住民の意見が反映されない、というのでは、地方自治など存在しない。直接請求、それも住民・有権者の過半数が疑問を持っている事業を、お国が強行するという構造では、何が地方分権だ、ということであろう。
ご承知のように、四国は、まだ保守王国でもある。後藤川VS三木戟争も記憶に新しい。その保守王国でさえ、住民は、地元の環境・雁史・風土をも無視する計画には、Noと主張した、この変化を我々は評価しなければならない。

◎神戸空港、びわこ空港、藤前干潟
住民投票という意味では、神戸空港建設をめぐる住民投票条例制定連動が、昨年取り組まれたが、吉野川と同様に議会で否決されている。吉野川の市民団体は、神戸の署名運動にかなり学んだようで、署名を引き受ける人(受任者)を、8千人確保して、署名を集めたという。同様の収組みは、滋賀県のびわこ空港に反対するグループにも、その「ノウ・ハウ」は引き継がれている。
大型公共事業で景気浮揚、という従来の構図は変わらない。地方財政の空前の危機と言われる中でも、こうした大型公共事業には、今だメスは入っておらず、住民意識の変化に対して行政の側の認識は極めて薄い。ゼネコン・土建のみ潤う環境は破壊される、という構図では平行線を辿るしかないのである。
愛知の藤前干潟の場合は、少し事業が違う。この計画は最近白紙になった。野鳥や貴重な生き物の生息地である、干潟や湖沼の保護は、世界的に注目されている。愛知県が藤前干潟を埋め立てて、処分場を造るという計画に対しては、環境庁も疑問を投げかけていたし、環境団体も反対運動を行ってきた。それが、現職引退に伴う知事選挙(2月7日投票)を前にして、計画が白紙となった。愛知県では「愛知万博」が、貴重な森林を破壊して計画されるという中、共産党候補などが環境破壊の「愛知万博」「藤前干潟埋め立て」計画反対を掲げて、相乗り候補に批判を展開してきた。その過程で、「藤前・断念」ということになった、と聞いている。ここでも、環境と公共事業が大きく問われたことは間違いがない。

そうした意味で、大阪で「国際ダム反対行動DAY」
の取り組みが進んでいることを報告して、この稿を閉じたい。(1999-02-15佐野秀夫)

【出典】 アサート No.255 1999年2月20日

カテゴリー: 政治, 環境 | 【投稿】公共事業に厳しい視点広がる はコメントを受け付けていません

【書評】『お父さんの面積』

【書評】『お父さんの面積』
        (猪熊弘子著、1998.3.25.発行、農山漁村文化協会、1600円)

 家庭崩壊、孤立する家族、父親不在等々家族をめぐる諸問題が爆発し、対応策として、父親の復権や強い父親像が要請され、図に乗って封建主義的な「旧家族」が声高に語られている。しかし語られるべきは、明治以来形成強化されてきた家族制度の崩壊であり、その中での家族の関係の変化である。また対応とされるべきは、強い父親の復権ではなく、家族の一員として当り前の父親やその他の構成員のあり方なのである。
 この意味で本書は、その父親像に焦点を合わせたユニークなレポートと言える。それ故その中味はさまざまな父親たちの試みや奮闘──例えば、「元祖『育児パパ』」、「父親だけのPTA」、「竹とんぼ」、「運転ボランティア」、「ログハウス」、「トンボ公園」、「森を育てる」といったふうに──であり、そのそれぞれがいわゆる「普通の」父親のイメージとは少し異なるものとして(実はこちらの方こそが本来の父親の姿ではないかとして)描かれている。そしてそこに据えられた視点は、その父親たちが担いでいる──実は家族の他のメンバーも同様に担いでいるのであるが──現代日本社会のあり方を考えさせる契機となっている。
 本書から、その父親たちの言葉を引用してみよう。
 (「おやじの会」で)「月一回の定例会でいろんな情報交換をするのですが、(略)・・・。学校を中心とした集まりなので、利害関係もないし、思ったことを好きなように話せる父親の居場所だと思うんです。おもしろおかしい話をしているかと思えば、まじめに子どもたちの健全教育の話で盛り上がることもあります。/こんな場、他にはまずないでしょうね」(「父親だけのPTA」)。
 「日曜日には、こうして外で竹とんぼを作ることが多いんです。でも、これがなかったら仕事にもハリが出ないんですよ。休みの日には仕事とまったく関係のない遊びに熱中する。そうすることで仕事に打ち込むときの、めりはりがつくみたいなんです」(「竹とんぼ」)。
 「ボランティアしていて、いろんな人と関わっているうちに、自分の幅が拡がっていくような気がするんです。それに地域の中に自分の居場所を見つけることができるのもいいんです。/もちろん僕にとっては仕事も大切。(略)仕事がちゃんとしていないと、ボランティアなんてできっこないんです。だけど、会社での僕の人生はあと二○年くらいしかないわけでしょう。そのあとは地域に関わって生きていかないといけないんですから、もっと積極的に地域に働きかけていくことも大切だと思うんです」(「運転ボランティア」)。
 「参加した人には定年退職した人も多いんですが、会社人間が退職すると、案外地域で身の置き所がないものなんです。地域は会社での権力も地位も関係ない社会です。肩書きじゃなくて『私はこれができる』というのがその人の価値になります」(「人生の面積」)。
 以上のさまざまな引用からも理解されるように、本の父親たちは、著者の言葉を借りれば、「自分の人生の面積」を広げていく努力をする中で自分のあり方を考えている人々である。そして著者は、これらの父親たちに共通しているのは、次のことではないかと問いかける。
 「彼らがみな口にしていたのは『まず自分が楽しむこと』だっった。自分が楽しく生きることで、子どもたちは後からちゃんと親の姿を見てついてくるというのだ。私はこれが、豊かに育った世代の子育ての、いちばんのキーワードではないかと思う。/(略)楽しいことが仕事であれば、働く姿を見せればいい。趣味ならば一緒にやってみればいい。それが、これからの父親に(もちろん母親にも)いちばん求められるものなのではないだろうか」。
 現代の親たちへの警告と励ましとして、この問いかけが発せられている。ここには、われわれ自身が身につまされて感じる問題が存在している。
 しかしまた同時に、著者の視点には、楽観的に過ぎるものがあることも否定できないであろう。すなわちこのような父親たちの「自分の人生の面積」を広げる努力(「自分が楽しむこと」)は評価するとしても、その努力が社会的制度的に保障されていない現実の状況──長時間労働、過労死、リストラなどによって「自分が楽しむこと」すらできない状況──についての認識の不十分さがある。この意味で本書は、ユニークな側面から現代社会を映し出し、かなりの程度の説得性を持って語っているにもかかわらず、たんなるエピソード集に終ってしまうものとなる可能性もある。現代社会に対して斬り込んでいく著者自身の姿勢までもが今後の課題とされる書と言えよう。(R) 

 【出典】 アサート No.255 1999年2月20日

カテゴリー: 書評, 書評R | 【書評】『お父さんの面積』 はコメントを受け付けていません

【投稿】公的資本注入論議の盲点

【投稿】公的資本注入論議の盲点

■増額査定のくれてやり方式
 金融再生委員会は、2/12、昨年98/3に引き続く、二度目の公的資本注入の仮決定を発表した。昨年の21行、1兆8000億円から、今回は15行、金額は4倍以上の計7兆4500億円もの公的資本注入である。各行が提出する「経営健全化計画」の最終的な内容を見極めた上で、3/10をめどに正式決定するという。昨年と同様、今回も申請全銀行が合格審査でパスし、しかも当初の銀行側の申請額は合計5兆円に満たなかったのに、無理やり増額査定のくれてやり方式で2兆7200億円も上積みしたのである。
 とりわけ問題なのは、すでに信託、長信銀と都市銀行との垣根が取り払われ、その役目が終わったと言われる信託銀行6行(安田信託は富士の子会社化)への資本注入である「生き残れる」信託はせいぜい2社といわれ、いずれも格付けも株価も最低ラインを低迷、自己資本比率も悪く、いつ行き詰まってもおかしくはない状態の各行に一律2000億円以上、三井信託には2500億円も上積みして3500億円も注入しようとしている。この三井信託、すでに「日債銀の次か」とささやかれており、来年4月の中央信託との合併を発表したのも束の間、長銀、日債銀と全く瓜二つの不良債権飛ばし、ペーパーカンパニーのダミー会社への不良債権移し替えが続々と発覚している。このままでは、失敗した昨年春の資本注入の二の舞を演じかねない事態である。

■承知していたが、中立的な立場だった
 実はこの間題、昨年3月の一律横並び資本注入で、金融不安の抑制どころか、かえって銀行の財務実態への疑念、不良債権隠し、公的資金の騙し取りへの疑惑を深め、その後の長銀、日債銀の連続破綻をもたらした、あの構図が何らの反省もなされていないことと深く絡んでいるといえよう。それどころか、大蔵・日銀・政府自民党の意図的隠蔽工作が国会審議の場でさらけ出されても、それらが深く追及されることもなく、臆面もなくまかり通っているという情けない実態である。
 2/12の衆院予算委員会で、97年春の日債銀(日本債券信用銀行)に対する救済をめぐって、当時大蔵省が「奉加帳方式」で日銀や34の民間金融機関に対して出資を引き出すために、日債銀の不良債権は「7000億円」、「日債銀は再建可能」と説明していた問題が取り上げられた(民主党・仙谷議員)。
 当時大蔵省が実施した日債銀への緊急検査の結果(97年春)、第三分類額(回収懸念債権)が実際は1兆1212億円で実質的に債務超過状態であった。ところがこの事実が明らかにされたのは、昨年12/13の日債銀を一時国有化するという金融監督庁の記者会見の場であった。実に1年半以上にわたって意図的に隠しつづけられてきたのである。
 この間題を追及された日野・金融監督庁長官は、「7000億円は日債銀が勝手に、自分達の感触として出した数字が一人歩ぎした」と無責任極まる答弁をし、中井・大蔵省銀行局審議官らが「日債銀は再建可能、純投資対象としても、いい話だ」と説得に回っていた事実についても、大蔵省も金融監督庁もそうした要請をした事実を示す記録はないと逃げ回り、あげくの果てに日野長官は「日債銀に検査結果を示達したのは97/9。その前に7000億円という数字が流布していたのは大蔵省も承知していたが、それを否定しなかったのは、認めたわけではなく中立的な立場だった」と自ら共犯者であることを暴露する始末である。おまけに日銀から送り込まれていた日債銀の東郷頭取が、1兆1212億円という数字を知りながら、日銀には「第三分類は7000億円」と報告していたという。

  98/11時点 99/2/12 上積み額
住友 4000 5000 1000
三和 6000 7000 1000
富士 5000 10000 5000
第一勧銀 5000 9000 4000
さくら 4000 8000 4000
東海 3000 6000 3000
あさひ 4000 5000 1000
大和 3000 4000 1000
日本興業 5000 6000 1000
三菱信託 2000 3000 1000
住友信託 2000 2000 0
三井信託 1000 3500 2500
中央信託 1300 2000 700
東洋信託 2000 2000 0
横浜 0 2000 2000
15行計 4兆7300億円 7兆4500億円 2兆7200億円                          (単位:億円)
■事実上の国有化
 そこでさらに問題なのは、昨年の98/3、日債銀に600億円の公的資金注入を決めた金融危機管理審査委員会(佐々波委員会)にこうした債務超過の実態については「具体的には報告されなかった」(松田・預金保険機構理事長、2/12衆院予算委員会)という事実である。日野長官のいうように日債銀に検査結果を示したのがたとえ97/9であったとしても、それから半年以上も後の98/3に至ってもなお、これら関係者のすべてが実態を隠し、日債銀は「健全銀行」として公的資金の投入を決定し、実行したのである。当時の松永蔵相は「日債銀は債務超過ではない」と断言していたのである。彼らはすべて事実を知りながら意図的に公的資金を投入し、どぶに捨てられた資金に何の痛痒も責任も感じない犯罪者だと言えよう。徹底的にその犯罪性と責任が追及されるべきであろう。
 今回は、早期健全化法をもとにまたもや「健全銀行」向けに25兆円の公的資金注入枠を用意した。こうして投入される公的資金が個々の銀行の資本金に占める割合は、富士銀行で59%、第一勧銀で実に64%、さくら57%、三和58%、中央信託は何と66%という事態になる。)優先株の制限により株主総会での議決権がないとはいえ、「事実上の国有銀行」、国有化であるともいえよう。)にもかかわらずそこには、情報開示も民主的管理も、第三者機関による公的監査体制も提起されていない。米金融当局は、通常でも大手主要銀行に対して、検査官を常駐させ、常駐検査官は、各種報告を求めるだけでなく、財務に関する行内会議などにも参加するという(1/17日経)。日本でもようやく、「再生委員会に期待されるのは、具体的な不良債権処理を前提に各行別の、監査役や財務部門への人員派遣を公的関与策として検討してはどうか」(同、日経「公的資金注入論議の盲点」)と提起されてき出した。
 しかし逆に、金融再生委員会や金融監督庁は対象となる各行を三分類して優先株の配当負担に差をつけたり、個別申請額の増額を目的に圧力をかけたり、一方では公的資金の早期返済を求めず、ゼネコンへの借金棒引きの資金にまで公的資金を使える、市場売却も認める、金融界の新たな再編の動きに対しては公的資金の追加投人で支援していくといった新たな恋意的で保護主義的な裏取り引き的な裁量行政に乗り出そうとしている。これでは失敗した昨年の公的資金注入劇の二の舞いになることは明らかである。まずはその責付の徹底究明と断罪、情報開示から始めるべきであろう。      (生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.255 1999年2月20日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬, 経済 | 【投稿】公的資本注入論議の盲点 はコメントを受け付けていません

【投稿】混乱する「ガイドライン論議」

【投稿】混乱する「ガイドライン論議」

 核兵器、ミサイル開発疑惑で米朝協議が難航するなか、アメリカの核関連施設への先制攻撃や、第2次朝鮮戦争の危険性が取り沙汰されている。
 戦争を回避し、平和裡な交渉で事態の打開をめざすのは当然であるが、一方で最悪の事態に対する準備を進めることも必要であり、両者は何ら矛盾するものではない。
 そのために「新ガイドライン」の問題が浮上してきたわけであり、国会で、「ガイドライン関連法案」の論議が行なわれているが、特別委員会の設置もできないままとなっている。
 これまでの国会での論議を見る限り、「周辺事態」の定義を巡る論議に象徴される様に、要領を得ない人間が、要領の得ない質問、答弁を繰り返しており、このままでは今後、「特別委員会」設置されたとしても、国民にとって訳が判らないままに、事態が進みかねない状況がある。
 その要因は小渕総理を代表とする国会議員の認識不足と、あまりに抽象的な「周辺事態」像と、具体的な個々の協力内容が交錯し、整合性に欠ける論議が行なわれている事、さらに混乱に輪をかける様にマスコミが、想像、思い込みで、あり得もしな事態が起こるかの様に、煽り立てるためである。
 いくつか例を挙げると、まずガイドラインの論議の前に、国連の平和維持活動(PKO)の論議を持ち出したことがある。
 PKF本体業務への参加凍結解除と言う一般的な課題は、差し迫った問題ではないのだから、ガイドライン論議を先行させるべきであった。
 ところが、自自連立という党利党略を優先させたため、「内戦」や「戦後処理」に関する任務を遂行するPKFの活動が、「周辺事態」における協力であるかの様な誤解を与えた。
 次に「周辺」「事態」に関する論議も、地理的概念をベースに事態のランクによって整理されるのが当然で、例えば台湾空域で、中国軍機と台湾軍機が交戦した場合でも、それが1~2機の場合と、数十機の場合とでは、「周辺事態」かどうかの判断が違ってくるのは当たり前である(発生確率的には「周辺事態」は「第2次朝鮮戦争」であり、中・台戦争ではない)。
 それを中国への刺激を避けるため、「地理的概念ではない」と説明するものだから、矛盾が生じて、「朝令暮改」の様相を呈するのだ。
 また野党、とりわけ民主党も自らのスタンスが曖昧なものだから内容を整理して、「この点はこうすべきではないのか」と詰め寄るのではなく、ただ与党の見解の相違をつくことに終始したのは無責任のそしりを免れない。
 さらに、米ソ冷戦時代の遺物である「有事法制」を、一部の政治家や「制服」サイドが持ち出し、悪のりしたマスコミが「地権者の許可が無ければ自衛隊は陣地も作れない」「道路交通法で戦車も走れない」と書き立てている。
 そもそも、「新ガイドライン」とは、米ソ対決を前提とした日米安保が、冷戦崩壊で情勢にそぐわなくなったのを改定しようという話であるのに、ソ連軍の日本上陸を想定した、日本国内での「陣地構築」や戦車の作戦行動を持ち出すのは、現在の論議と全くズレているし、自衛隊法の不備を補うのではなく、文民統制を否定しようとする意図が見え隠れするのである。
 また、ガイドラインの内容とは直接関係はないが、「周辺事態」が発生すれば「大量の難民が日本に押し寄せる」と言うのもナンセンスである。難民は、飢餓や内乱で発生する。すなわち支持を失った政府や、国内の敵対勢力から逃れるために、国を捨てる「遠心力」的な現象である。しかし対外戦争の場合は「求心力」が極限まで高まる事態である。逆に言うなら「敵に向かって誰が逃げるのか」と言う事である。
 そんな事態が発生するなら、平時の今こそとっくに飢餓の北朝鮮から難民が押し寄せてなくてはならないが、日本に漂着するのは無残な死体だけではないか。
 以上述べた様に、ガイドラインについては、本質的な部分以外の、瑣末な問題で混乱、消耗する嫌いがある。
 冒頭指摘した様に、全体像を明らかにするとともに、「基本計画」の内容をさらに踏み込んで体系的に、できれば、時系列的、数量的に整理して、可能な限りオープンにしながら、国民の判断を仰がなくてはならない。
 その意味で、「アメリカの先制攻撃に協力するのか」と最も分かりやすい論議を提供しているのは、皮肉にも日本共産党である。

「周辺事態」のアウトライン

 私も11月号の「テポドンが落ちる日」で、第2次朝鮮戦争の発端をアメリカ軍の先制攻撃と想定した。
 ただ違うのは、共産党は米朝協議決裂後の核関連施設への先制攻撃を想定しているのに対し、私は非武装地帯への兵力集中など、北朝鮮が開戦準備を完了したという、物理的な兆候を判断したうえでの、ミサイル基地への先制攻撃を想定している(もちろん同時に核関連施設への攻撃もあり得る)事である。
 前者については、起こり得る可能性は否定しきれないことは事実である。ただ、それだけでは連続的に第2次朝鮮戦争には発展しないというのが私の考えである。
 戦争準備が整っていない段階での限定的な攻撃に対し、政治的、軍事的な意味で直ちに全面的な反撃が不可能なのは、昨年末のイラク攻撃でも明かである。
 その後の選択として、北朝鮮が全面的な戦争準備を進めるか、テロなどの限定的な報復を仕掛けるかは、それとも政治交渉を再開するかは、断定できない。
 これに対して後者は、もう戦争準備は完了しているので、アメリカの攻撃があれば、連続的に即時に、大規模な衝突に発展するという状況である。
 こうした事態が、前者を経て惹起するか、それなしに進行するかは判らない。ただ、核関連施設への攻撃が必ずしも「周辺事態」を意味しないと言うことは、認識しなくてはならない。
 現在のところ第2次朝鮮戦争勃発の可能性は低いと思われるが、仮定として話を進めよう。第2次朝鮮戦争はどの様な段階を経るにせよ、北朝鮮軍の休戦ライン突破から本格化する。
 開戦直後の山は、ソウルを巡る攻防である。北朝鮮軍のソウル奪取が阻止できたなら、米韓連合軍(多国籍軍の可能性もある)の本格的反抗が始まる。
 日本が本格的な支援を求められるのはこれ以降となる。主要には①機雷掃海②武器、弾薬、燃料、食糧の輸送③捜索、救難等である。 これらを具体的に検証するとこうした支援内容は、「後方支援です」と政府の言うほど単純ではないことがわかる。
 機雷掃海は、公海上のものはさして問題になならず、「連合軍」の上陸予定地近海(元山)や補給拠点港(釜山)付近に敷設された機雷が対象となる。こうした場所に海上自衛隊の掃海艇を単独で行かせる訳にはならず、米軍や護衛艦がつくとしても、北朝鮮の攻撃を受ける可能性がある。
 また政府は、輸送任務にしても、「公海上での米軍艦艇への物資補給」などを挙げているが、狭い海域でロスの大きい洋上補給などやってられないだろう。現実には自衛隊の輸送艦が日本海を突っ切って釜山や元山まで行くことになるが、やはり攻撃を受ける可能性は否定できない。
 捜索、救難とは、脱出した米軍機のパイロットや、撃沈された艦艇の乗員を助けにいくことである。この場合、どの地域であれ、そこは直前に戦闘が行なわれた地域であり、再度交戦が行なわれる危険性がある。
 これらの場合確かに「米軍の武力行使と一体化」するものではないし、攻撃を受けた自衛隊が反撃するのは、自衛権の問題となってくる。
 そうなれば、まさに「日本の戦争」になるのであるが、そのまま日本がいわゆる戦場になるわけではない。
 この間日本本土では、西日本の空港、港湾の使用制限が行なわれるため、関係自治体の協力と一般市民の旅行の自粛程度は求められるだろうが、昭和天皇のXデー前後の自粛ほど、日常生活に大きな変化は起こらないだろう。
 「テポドン」「ノドン」の問題については、11月号でも述べたが、現時点では湾岸戦争時、毎夜「スカッド」の攻撃を受けたイスラエルの様な事態になるとは想定されず、大した脅威にはならないだろう。
 ただ、本土で注意すべきは基地や原発に対するテロ攻撃である。これについては開戦前から、警戒しなくてはならないのは事実であるし、周辺地域では、夜間外出の差し控え等で、多少の不便は被るだろう。
 戦争自体は、休戦ラインや、朝鮮半島の東西から進攻した「連合軍」が、平壤を制圧すれば収束に向かうが、日本にとって本当に大変なのは、戦争が終わってからである。
 いずれにしても、「周辺事態」の具体的なイメージ無しに、「空中戦」を演じても、時間の浪費に終わるだけであり、国民に対する政治の責任を果たしたことにはならない。
 共産党や社民党は別として、各党が安全保障に関し、基本的な認識と枠組みで一致して、論議を進める限りは「周辺事態」の様相をも共有し、何をすべきかを明らかにしていかねばならないのである。
 そして、今は「周辺」の環境の変化に対応するため、とりあえずガイドラインだけの論議が進められているが、これはあくまで緊急避難的なものであり、安全保障政策を全面的にカバーするものではない。
 したがって、今後は日米安保そのもの、国内法である自衛隊法、さらには憲法の見直しも、積極的に進めていく必要があるだろう。(大阪 O)

 【出典】 アサート No.255 1999年2月20日

カテゴリー: 平和, 政治 | 【投稿】混乱する「ガイドライン論議」 はコメントを受け付けていません

【投稿】ユーロ誕生雑感

【投稿】ユーロ誕生雑感 

明るいニュースが少ない中で、1月1日のユーロ誕生は久々に未来への明るい展望を垣間見たような、興奮するニュースだった。ユーロの誕生は、現在の世界の唯一の基軸通貨であるドルに対抗し、アメリカの一人勝ちという世界の経済地図を塗り替える可能性を持っているわけだが、このことの経済的な評価は生駒さんにまかせるとして、このニュースの様々な報道を見ていて私は「なるほど」と二つのことに感心した。一つは、「ユーロ」誕生の背景にあるヨーロッパの思想であり、もう一つは現実に「ユーロ」を生み出したヨーロッパの人々の「構想力」についてである。
金融ビッグバンやヘッジファンドによるマネーゲームを見ていると「ドル」が体現している思想は、まさに資本主義そのものの、「弱肉強食」の「競争」そのものではないかとつくづく思う。これに対し、「ユーロ」の背景には、「連帯」があると言う。「ユーロ」誕生の背景には、常に戦火にみまわれ続けたヨーロッパの不幸な歴史があり、統一通貨、統一経済圏の形成はこのような戦争の可能性をできるだけ減らす効果があるだろう。一方で、ヨーロッパのそれぞれの国には長い歴史によって築かれた豊かで多様な文化がある。この多様性を大切にしながら、統一を達成するのはまさに「連帯」だとヨーロッパの指導者達は言っている。
また、これは、連合大阪の新春の集いで前川会長が挨拶で述べていたことだが、ヨーロッパの統一市場、統一通貨への努力はECの結成以来40年以上にわたって続けられてきた。最初は、本当に理想論から出発し、誰もそんなことが実現できるとは本気で思っていなかったかもしれない。まして、その間、各国の政権は次々と変わり、ベルリンの壁の崩壊など大きな国際情勢の変化もあった。にもかかわらず、参加各国は不動の目標を目指して努力を積み重ね、この夢のような「大構想」を実現した。そして、この構想が実現した時には、参加国のほとんどに社民政権が誕生しているというのも意義深い。
現在の日本本の政治、自治体の行政、そして労働組合にもこのような「連帯の思想」と「壮大な構想力」が求められているのではないだろうか。      (若松一郎)

【出典】 アサート No.254 1999年1月25日

カテゴリー: 雑感 | 【投稿】ユーロ誕生雑感 はコメントを受け付けていません

【新春対談】吉村励さんを訪ねて

【新春対談】吉村励さんを訪ねて

 1月9日に、生駒、佐野、民守の3名で吉村励先生をご自宅にお尋ねして、お話を伺いました。先生も76歳ということですが、多方面に渡って話を伺うことができました。編集者の判断で割愛した部分もありますが、すべて編集委員の責任ということでお許しください。
佐野)明けましておめでとうございます。今日は、押しかけ対談・勝手放談ということで、すこしお話を願いたいと思います。

<そろそろ整理の時期か>
吉村)ヨーロッパの動きを見ていると、社会主義的勢力が台頭していますよね、あれを見ていると、社会主義というのを、もう一度考え直してみる必要があると思っています。(この間、少し録音に失敗し、省かざるをえない部分あり・・・佐野)社会党も、村山政権の時に安保から自衛隊問題と上の方で方針を変えてしまいましたし、民主党の方もいいんじゃないかな、と思いながらも、我々の知っているのも両方にいるということでね。だから私も揺れているんですよ。
佐野)そろそろ昔のことから整理したい、ということでしょう。そういう時期かなと。僕らも実際整理がついていませんからね。
吉)「平和と社会主義」も、最近ちょっとややこしいことを時々書いているわね。整理をつけるというのは、しかも一人では難事業なんで、心覚え程度でも、まとめてみて皆の討議にかけて、ということは考えているわけです。そろそろね、私自身も揺れに揺れて、やっぱり堪えました。そして、その上に、ロシア革命まで、単なるクーデターであってロシア人民に対する戦争というか体制が作られた、極端にそこまで行っていますから、あれは余りひどいと思うのです。
佐野)最近、欧州の状況に興味を持っています。EU15カ国の内、13カ国が何らかの形で社会民主主義勢力が政権についていること。また、日米欧という3極の中で、今年1月から通貨統合をスタートさせるなど、注目する必要があると思います。それに対して、保守であれ左翼であれ、日本の側は、21世紀に至る戦略を持っているのか、というのが問題です。
吉村)戦略と言う意味で、今、怖いと思うのは、恒久減税の問題なんです。一時的なものではなく所得税の最高税率を50%から30%に、地方税も15%から10%でしたか。そうすると高所得の者が儲けて、低所得者が増税になる、とブルジョア新聞でも書いています。景気を上げるために恥も外聞もないんだ、と300兆も残ったら。景気が上がれば税金が増える、というわけですが、景気が上がっても恒久減税ですから、税収は上がらない。怖いと思うんです。
 国債の残高が100兆円を越えた時、皆やかましく言ったわけです。百兆といったら一年の国家予算です。そのツケをどうするんでしょう。
生駒)それは、消費税でいこう、というわけでしょうか。

<顔を会わせて議論を>
佐野)今年は小さな研究会でも定期開催したいな、と思っているんです。
吉村)これは生駒君に御願いしたいんだが、気の合うものでもいいが、一月に1度でも顔を会わして、雑談をするということでも、良いことだと思うわけです。たくさん頑張っている人がたくさんいるんですよ。アサートも頑張ってくれているけれど、そういう結集の機関紙にはなっていないわな。
佐野)人はたくさんいるんです。しかし、集まれていませんね。
吉村)何か気の張らない、疑問や問題点を出せるような、やはり会えば元気が出てきますよ。
佐野)私もそう思います。顔と顔を会わせないといけないと。中々忙しいのでね。
私も、機会があれば、東京などへ行っても、いろんな人と会うようにしていますが。
民守)労働関係に興味がありますが、特にリストラが深刻だと思います。大企業の場合、いじめ、セクハラなどひどい状況が見受けられます。中小企業の場合は、荒くったい合理化ですね。
吉村)昔から、窓際なんて言いましたがね。もっとえげつなくなあってますね。
民守)とても陰湿なものになっています。仕事を与えないとか有給休暇を無理やり取らせるとか。労働組合は何をしているのか、という気持ちになります。雇用も守れないような労働組合なら、労働組合を辞めたほうがましですよ。
吉村)ほんと情けないね。一番労働組合の必要なときに、影が薄くなってしまいましたね。まだ、自治労が、かっこが取れているのかな。

<市場の原理と国有化>
佐野)そう思いますね。ところで今注目すべき労働関係の学者と言えば、誰になるんでしょうね。
吉村)今度自治研センターを引き継いでくれる大谷強君なんか、頑張ってくれてますが、専門は社会福祉なんですね。大阪市大の福原君、大阪経済大学の伊田君なんかも頑張ってくれています。
佐野)運動の側から、どんどん要請をしていく必要があると思いますね。
吉村)横田さんも鳥取に引っ越してしまいましたがね。
佐野)吉村さんあたりから、呼びかけてもらえたらなんて甘いことも考えるんですが。
吉村)2月に大阪自治研究センターの総会で退任するんですが、それで公職はすべて退任ということになります。奈良市の同和対策の会長も、解放研究所の労働対策部長も退任しましたから。この年になって、うろうろしているのもかっこ悪いな、というのもある。そして年をとると少し保守的になるんですね。
佐野)吉村さんを顧問にして、研究会でもスタートさせましょうか。
吉村)大学のゼミでも、学生に自由な発言をさせた時、いろいろ参考になることが多かったですよ。また、私がここまでやれたのも、いろいろな運動団体に関係していたので、問題提起や要請があって、答えを出さないといけなかった、ということもありましたね。反論があったらやっつけとかないといけないとか。生駒君もそういうことがあったでしょ。
 それから、この間、ロシアでこれまでエリチィンの支持団体だった炭坑組合が反対にまわって、デモのありましたが、500万人くらいが参加したらしいんですが、新聞ではあまり書いていませんが。
 そして、君達に聞きたいんだけれど、国有化という問題で、長銀を国有化するということがいたってスムーズにいって、それ自身について、新聞にも出てこない。国有化ということ、市場原理だあとかいう議論からはどうなるんでしょうか。そういう議論が抜け落ちているのでは。
生駒)あの国有化というのは「市場原理を貫徹」させるための国有化ということですかね。アメリカ的スタンダードを日本でもやろうということですね。住専では、7000億円弱であれほどもめたのに、30兆円でもすんなり行きましたね。
吉村)それから公的資金と言うのですか、パブリック・マネーとでも言うのでしょうが、イギリスではそうは言わないそうです。タックス・ペイヤード・マネー、はっきり税金ということですね。だから、税金の投入なんですね。昔、ガダルカナルからの転進というのがあったし、敗戦を終戦と言ったようなものでごまかしなんですね。
生駒)片方で企業活動の自由を言いながら、「公的資本」という税金を投入させてね。
吉村)伊田が好きだった「国独資」なんですね。
生駒)ヨーロッパの傾向は、自由放任的な独占資本がやりたい放題をするのはだめで、社会的規制がいるという考えの反映なんですね。しかし、日本の場合は、何らかの規制緩和が必要という雰囲気が、労働側にもうまく醸成されていますね。
吉村)野放図の市場の原理が現実にやられているのに理論的に確認しない、そして一方で市場原理といいながらやっていることは逆のことなんですね。
佐野)日本の資本主義って、真っ当な資本主義ではないんですね。長銀の処理でも、リース会社でひどいことをやって、しかも政治がらみの影もあった、揉み消したんでしょうが。日債銀も同じでしょう。
吉村)しかし、バブルというのは資本主義につきものなんでね。オランダのチューリップバブルから。日本の場合、それが土地がらみであったということでしょうか。
佐野)最近バブルの総括みたいな書籍が結構売れています。「マネー敗戦」などもそうです。80年代の円高時代には、それまでのアメリカにドル建ての日本債権が大幅に減価したり、製造業ではアメリカに勝利しても、金融(マネー)政策では、アメリカに完全に負けていると、そんな議論もありますし、法人資本主義論の奥村教授なんかは、日本の株式は、高度成長の時代から実態と乖離したバブル株価だったとか、日本の資本主義はおかしい、という議論も。ただ理論的にどうなんだと言われていると・・・。

<労働運動研究のこと>
吉村)・・・『労働運動研究』は今の労働運動関係の雑誌の中では、中々面白いですね。
生駒)そうですね、ヨーロッパの社会民主主義の非常に重要な動向を、あれで教えてくれますね。
佐野)やっぱり柴山さんですかね。
生駒)それと、植村さんとかね。面白いのが時々ありますね。イタリア共産党から転換していった社会主義運動の歴史的教訓として具体化できれば面白いですね。先生がコミンテルンの総括なんかをされていたころから、ああいうイタリアの路線というのは続いているんですね。
吉村)そうですね。片桐さんですね、半年前にもグラムシの研究会をするので来て欲しいと言う連絡がありましたが、ずっと続いているんですね。だから生駒君、君がね、柔らかいネットワークでそろそろね・・・・
生駒)いやいや・・・・・
吉村)いろんなところにたくさん、人はいるんだからね。
佐野)石を投げたら当たるくらいいますよ。うちの連中は責任感強いので、一度経営側に身を置くと、また一生懸命するんですわ。
民守)運動をしていた連中は、やはり優秀なんですね。
吉村)私のゼミからねK社にかなりヘルメットをかぶっていた連中が行きましたがね、向こうの労務課長が君が言ったような事を言ってましたよ。
民守)私は、経済については不勉強なんですが、現在は生産と消費という面より、金融や投機的な動きが前面にでていますね。そこで行きすぎた面には規制をかけようという動きがあります。健全な資本主義の育成があるのかないのか、わかりませんが、資本主義的手法と社会主義的手法が混在しているように思うんですが。

<社会主義の規定について>
吉村)私も君の言ったことにこだわっているんですが、結局社会主義ってなんだったのかとね。結局、規制と管理ですね。そこで誰のために管理するか、で資本主義と社会主義とが違ってくるのではと。逆に、民主的な、できるだけ多数の人間のために管理するのが社会主義だというように、そして民主的に管理する、それが社会主義だ、と言い直しても。
民守)私も、前からそう思っていました。社会主義という言葉でなくとも、内容はそうなるし、説明できます。
生駒)実際やっていたのは民主主義闘争であったし、社会主義=プロ独裁と国有化という規定が問題だったのでは。
吉村)そういう視点からね・・・
民守)かつて社会主義を訴えた団体が、労働者の支持を得られなかったのも、労働者は現実的ですから、よりましであればよいわけで・・・・
<*わけあって中断??>
民守)現状のように、マネー経済が横行するなかで、労働者の対置する政策の、金融政策、また労働政策、雇用政策、このあたりが非常に遅れている。派遣労働や契約労働や雇用形態が多様化している中で、雇用の流動化状況を連合は一定支持しているわけです。連合が雇用の流動化を一定支持するにしても、新しい雇用形態に対する政策は出されていない。労基法・派遣法などの対応などに危機感を感じているんです。全労協などの対応などの方がまだましなのではと思ってもしまうんですが。

<60年安保の頃からのスクラップ帳>
吉村)私は、午前中テープを聞きながらスクラップを取るのが好きなんです。それが日課なんです。旅行にいくと溜まるので、今遅れて11月のを取っています。それでもこれは1960年からずっと続いているんです。安保の年からです。これは去年の8月分です。アサートもちゃんと貼ってあるよ。この頃はあまり書かなくなりましたが、書いていた頃は、3年ほどのスクラップを読み返して、付箋を入れて、コピーして、と役に立つんですよ。もうここに収まらないので、60年から80年頃の分は産業大学に置いているんです。大学も全部は引き取ってくれないのです。アサートだけじゃなく、「解放」や「統一の旗」もありますよ。楽しみでやっていますからね、小野君が言ってましたが、国際経済研究所に行くと専属のスクラップ係がいるそうですが、私の方は手工業で楽しみながらだから、時々脱線した記事もあるんです。(笑い)
 その記事の中で、DINKですかそれも最近は言わなくなったけれど、30歳代で30%の女性が結婚したくないという調査がありましたね。こういうことは伊田にね、彼はシングル婚だから、書かせてはどうか、と思ったりするんです。

<民主主義と農村共同体の残存>
生駒)中国もわからない国ですね。いずれあの政治体制ももたなくなるでしょうね。
吉村)民主主義というのは、農村の共同体的なものが崩壊しないと育たないのではないか、逆に農村共同体的なものが残っている限りは、過渡的な意味でプロレタリア独裁が必要だあったとしても、はずすべき時に、ロシアははずさなかった。そういう意味でも中国はまだ続いているのではないか、と思うんです。そんな気もします。日本も民法で家族の解体というのがありましたが、長子というのが残りましたし、農村にもまだ水利だとか共同体的なものが残っている、だからいつまで経っても民主主義が浸透しない。自民党の利益誘導政策だけではなしに、共同体的なものが残ってきたことが、民主主義がうまく機能しない原因なのでは、とも思うわけです。そうでなければ中国でも天安門事件を起こしてもそれで通った、また経済成長8%が5%に落ちてもまだ続いているというのはそういうことがあるのではないかと。だから農村共同体的関係の残存といいますか、農村から出てきた者がそれを温存しているわけで、日本の民主主義もですね、お盆と年末に皆が田舎に帰らなくなあったら、民主主義が成熟するのではと、かつて言ったことがあります。
生駒)スターリン的な独裁や家父長的な独裁も農村的な家父長的な基盤があればこそできたというわけですね。
吉村)彼らは、個人崇拝を否定しながら、結局それに乗っかってしまった。
生駒)人民公社もそれでできたんでしょうが、それが崩壊して、幹部の金儲けみたいなことが横行してまあた新たな崩壊が起こっていますね。一度レーニンがネップの中で農村政策を協同組合的なものにしましたが、それも崩壊しましたね。
吉村)その当時ですね、ベオブラディンスキーですか、社会主義的原資蓄積論というのがありまして、皆間違いだとやっつけましたが、意外と彼が正当だったかもしれませんね。だから原資蓄積の場合、資本主義では絶対主義がありましたが、原資蓄積の間はある意味で独裁が必要であったのかも知れません。そんな事を時々考えます。おそらくスターリン憲法を出した時点で、多党制に移行すべきだったんでしょう。
生駒)そんな余裕は彼らにはなかったんでしょうが。
吉村)そうそう、一昨年、ベルリンの壁崩壊後はじめてロシアへ行ったんです。われわれが以前ソビエトに行っていたころ、ロシアのホテルですね、昔「エタジュナーヤ」というのがいたでしょう。各階に4.5人いて、外出するときには彼女らに鍵を預けて行きましたね。フロントが集中管理していないわけ。エレベーターもまたおばさんが座って管理していましたね。しかしあれでは、太刀打ちできない、しかし反面、雇用を確保していたとも言えないことはないけれど。あのやり方だと、資本主義とのコスト競争には勝てないわけですね。
 そこで、トロッキーが一国社会主義ではなくて少なくともいくつかの国で同時に社会主義にならないと社会主義はもたないという話がありました。
生駒)あの頃は、ロシアだけで終わらないと、次々と社会主義になっていくという期待が強かったですね。
吉村)現に、戦争直後、バイエルン中心にソビエト共和国ができたんですね。ハンガリーなんかでもバルガベラクンガね。

<負けるのは覚悟で声を上げる必要>
佐野)今私が一番気になるのは、地方財政危機です。大阪府はじめ東京、神奈川、愛知など大都市圏の。税の落ち込みが一番の原因ですが、不況対策で増大した公債費も高くなっています。
吉村村)それと、バブル期のものがありますね。
民守)ほんの数年前にできた上方演芸館なども整理の対象になっていますが、何を考えて作ったのかという感じです。
吉村)それは、無茶苦茶「箱物」を作ったからですよ。後の管理費の方が高くつくのにね。甘えですね。うちの息子も嘆いてましたが、あの定昇ストップというのは堪えるんですね。というのは、60年安保の時ですが、私は市大の組合の委員長だったんです。山崎春成とか、森信成、小野義彦も中執でしたが。
民守)えらい濃いメンバーですね。(笑い)
吉村)ストをやったんです。当時助教授でしたが。私には学長が訓示をたれるということですんだんですが、書記長が昇給ストップをくらったんです。それで組合で保障するということになった。皆、簡単に考えた。しかし、それから毎年保障額も上がっていくわけで、1800人くらいの組合でしたから、これで組合財政が持たない、破産するということになって、対市交渉をして3年間で復元させたんですが、一生続いていたら、大変なことでした。金額を実際に計算してみるとわかりますが、大きな額になるんです。
民守)大阪府の今回の2年間定昇ストップの場合、若い人で1000万円を越える減額になるんです。当局も人勧と定昇なら、定昇を止めたいと、思っているわけです。
労働組合が財政の心配をすることもわかるんですが、労働組合は組合員の生活と権利が基本の組織ですから、物分りが悪いと言われようが、基本的労働条件については、ささやかな抵抗でも、していくことが必要です。
吉村)負けるとわかっていても、そう言うときには、抵抗して声を上げていかんといかんのです。声を上げておかないと、言うたという実績を残さないといけない。
民守)最近の労組幹部は、負けたと言われないような、負け方をしたいと思っているんです。
吉村)そこは、はっきりさせとく必要があるんですね。負けたということを。一人になって出ていなかあかん時になって、組合が必要だということがわかるんです。そうでしょう。だから、放りだされる時になると、皆組合を作る、管理職だって作るんです。でもその時になって組合を作っても遅いわけで、少なくとも、そんな時代に組合があったらいいな、と思えるだけ、組合に意義があったとは言えますね。
 アメリカでは、GMでしたかね、組合が経営者のリストラを潰しましたね、そういうのは商業新聞は取り上げないですから。そういう意味では、どんどん書いてもらわないと。大きなメディアが欲しいですね。
民守)確かに企業内組合のビッグユニオンは組織率も減っているんですが、地域合同労組などは逆に組織率を若干ですが、高めているということもあるんです。
吉村)そういう組合への、援助もあって良いと思うんですね。その点がほったらかしなんですね。
民守)三層構造と言ってるんですが、ビッグユニオン、旧総評の全国一般のような中小企業の労働組合、そして一人でも入れる地域労組、これは新左翼系がよく入っているんですが、この3つがもっとメジャーになるか、課題だと思うんです。模索の段階ですが、自治労も連合もハートフルユニオンだとか、しようとしていますから。
吉村)その通りですね。
佐野)組織拡大という意味では、連合の中でも、組合員を増やしているのは、ゼンゼンと自治労です。
吉村)そういう意味で、自治労の役割は大きいですね。
民守)ゼンセンは、漢字の「全繊」からカタカナの「ゼンセン」になって、パートとかいろんな産業に組織を拡大していますから。

<「結集軸形」から「ネットワーク型」へ>
吉村)ただ、僕なんかも、公務員の組合をずっとやってきたので、公務員の賃金は吉村に書かせ!、みたいなことになってしまった。逆に、外から見た公務員論みたいなことをして欲しいと思うんですね。脇田さんなんか、北攝でパートの問題なんか頑張ってられます。我々の周りにはたくさんの人がいるわけですから。それらが余り表に出てこない。いろいろな人を一つの流れにしていく必要がありますね。不況・反動の時ですからね。
佐野)縮こまる時ではないですね。前を向いていく、大胆にもなる必要もありますね。
民)「結集軸」方式ではなく、ネットワーク型で良いと思いますね。選り好みせず、来る人は拒まず、ということでなければ。
吉村)この部屋は、空いていますから、そんな寄り合いに使ってもらっていいんですよ。やはり顔を会わせないとね。
佐野)長い間、ありがとうございました。私の「責任」で、文章にさせていただきます。
民)このごろうちの読者も年を食いまして、字がちいさいとか、長い文書より、生もの=対談とかが良いという声もありますので。
生駒)今日はどうもありがとうございました。(文責はすべて編集委員会です) 

 【出典】 アサート No.254 1999年1月25日

カテゴリー: 対談・意見交換 | 【新春対談】吉村励さんを訪ねて はコメントを受け付けていません

【投稿】希望と危惧の政治・経済

【投稿】希望と危惧の政治・経済

◆ユーロのメリット
 新年明けの1/4は、ユーロの登場とその順調な滑り出しで希望を持たせるものであったが、それもつかの間、今年は昨年にも増して内外の政治経済にとって波乱と撹乱要因が目白押しであることが鮮明になってきている。
 まずは1/4、世界金融市場におけるユーロ取引きは、予想を上回るユーロ高水準でスタート、「第二の基軸通貨」ユーロヘの期待の高さを裏付けたといえよう。「ドル・ユーロ二大通貨時代の幕間け」である。時差の関係からまずはアジア市場で最初に取引きされ、東京市場では1ユーロ=132.58円、欧州金融市場では1.1827ドルで取引きされ、初期設定価格を超えて、ユーロの優勢を海外に示すこととなった。EUの統合欧州経済に対する期待感から、株価指数もフランクフルトで5.7%、パリで5.2%、ミラノで5.9%それぞれ上昇したが、一方、ユーロに参加していない英国の株式市場では一時大幅値下げを演じ、欧州市場でユーロ登場の恩恵に浴さなかったのは英国市場だけという違いを際立たせた。
 伊勢神宮参拝もそこそこに急いでEU諸国に駆けつけた小渕首相、「円とユーロの安定に日欧が協調」、「ドル、ユーロ、円の三極通貨体制確立を目指す」とぶち上げたが、果たしてその意味するところ理解をしているのであろうか。いわばその当然の結果としての1ドル=108円(1/11)といったドル安・円高の進行に慌てて市場介入せざるを得なかったのは日本であり、円である。アメリカの投機市場はそれを見越してドル売り・円買い攻勢を仕掛け、まんまと引っかけられたのである。
 フランスのジョスパン首相は「ユーロのメリットの一つは欧州がドル支配から逃れることだ」と言い放った。EU(欧州連合)11カ国の内、スペインとアイルランド以外はすべて中道左派かあるいは社民党勢力が政権を担当している。これら諸国は、アメリカンスタンダード=グローバル化という、アメリカ主導でアメリカにのみ利益をもたらす、しかも極めて投機的で独占的、得手勝手な市場原理主義、自由放任主義にいかに対抗するかという政治的経済的政策形成と合意に努力を傾注し、ようやくのところでユーロの登場に結実させたのである。まだまだ前途多難であるといえよう。しかし世界最大の債務国が他国を犠牲に好景気を謳歌し、これがまかり通っているのはあくまでもドルが基軸通貨であるという特権を握っているからに過ぎない。こうしたものに対抗し、国際的・社会的規制を加え、各国の連携と連帯を強め、資本の横暴を許さない経済的社会的対案こそが求められている。世界的な投機的行為で莫大な利益を上げてきたジョージ・ソロス氏までが「今や市場原理主義こそが全体主義よりも大きな脅威になっている。それは社会に破壊的、退廃的な影響を及ほしている」と叫び出した。
 ところが世界最大の債権国である日本への期待と要望に反して、日本の与党にも野党にもそうした対案どころか責務や意識さえ見当たらず、ドル支配とそれへの追随を前提にしたつぎはぎ政策に終始しているのが現状だといえよう。「三極通貨体制」どころか円の国際化自身さえも、近隣諸国から信用されていないのが現実であろう。

◆ブラジル・クライシス
 問題の米株式市場は、1/8、ハイテク、インターネット関連株の急騰と年末の課税対象を翌年にずらす米株式市場特有の「1月効果」を受けて最高値を更新、終値9643.32ドルを記録し、またもや株価「1万ドル突破近し」と騒がれ、それも1月中にと楽観論が流れ出した。実際にはこれは「バブルいよいよきわまれり」といったところであり、米連邦制度準備理事会FRBは「企業収益では正当化できない」、「株価の破壊的な下落を招く恐れがある」と警告に必死である(1/12リプリン副議長)。実体経済は確かに、年末12月の米国の製造業界の生産動向指数を見ても、11月の48.6から45.1にさらに下降しており、これで7カ月連続50以下を記録、明らかにアメリカの製造業の生産は収縮が続いていることを示している。
 そして1/12には、米株式市場の平均株価は9474.68$に下落、翌日のウォールストリートジャーナル紙は「荒れ狂った市場」と形容し、先行きさらに不透明であることを印象づけた。さらにこれに追い打ちをかけたのが「ブラジル・クライシス」であった。
 1/13、ブラジル中央銀行は突如、ドル連動相場制をとっている通貨レアルの約7.6%の切り下げを発表したのである。これは直ちにニューヨーク市場、ユーロ、東南アジア、中国、香港、東京に波及し軒並み大幅下落を記録することとなった。
 NY市場のダウ工業30種平均は228.63ポイント安の9120.93ポイント、昨年9/1のアジア・ロシア危機の時の222ポイント下落以来の大幅な下落であり、年初来の値上がり分がすべて吹き飛んでしまった。同時に「1万ドル突破近し」も急速にしぼんでしまった。ユーロの動揺、影響も厳しいといえよう。
 ブラジル通貨切り下げ問題は、当然、同国に融資している大銀行の株価に影響することは必至である。昨年6月末現在の米銀のブラジル向け融資残高は167憶ドル、ヘツジファンド経由や直接投資を入れるとさらに膨れ上がっており、ついでドイツの127憶ドル、日本の51億ドルと続いている(BIS国際決済鈍行調べ)。すでにこの「ブラジル・クライシス」によって相当のダメージを受ける金融機関には、アメリカのシティグループ、JPモルガン、バンクボストン、フランスのソシエテ・ジェネラル、ドイツのドレスナー、オラン
ダのABNアムロ、スペインのバンコ・ビルバオ・ビスカヤ、バンコ・サンタンデールなどの名前が取り沙汰されている。
 1/15付けフイナンシヤルタイムズは、これは「予想外の通貨切り下げ」であるが、「このブラジル問題はそう簡単には終わらないだろう」とコメントしている。

◆中南米発国際金融危機
1/15、ブラジル中央銀行は膨大な外貨流出に歯止めがかけられず、ついに通貨レアルの固定相場制を放棄、事実上の変動相場制への移行を容認することとなった。カルドゾ大統領は「すべてはコントロール下にある」と虚勢を張っていたが、ついに口先だけのコントロールも放棄せぎるを得なくなった。昨年のロシア危機の際には、700憶ドル強を誇った外貨準備があっという間に400億ドル台にまで減少したのであるが、今回は一日に10憶ドル以上が流出するという事態にもはや切り下げた固定相場刺さえも維持できなくなったのである。
 これによって対外債務の支払いは一層困難となり、総額1千憶ドルを超える対外債務の今度は国家的モラトリアムという崩悪のシナリオさえ予想されだしている。もちろんそうした最悪の事態を避けるべく、あわただしい動きが展開されているが、影響を受けるのは
先進国だけではなく、むしろ中南米諸国であり、中でもアルゼンチンは同国通貨ペソとドルを一対一で固定する固定相場制を採用しており、切り下げで維持するか、それを放棄するか迫られており、それは当然ベネズエラ、チリなどにも広がり、中南米全体に通貨切り下げの連鎖が広がり、再び世界的な問題へと急速に発展する危険性を秘めているといえよう。
 この「ブラジル・クライシス」のきっかけは、1/6、ブラジル連邦政府に134億ドルの債務を持つミナスジエライス州のフランコ知事が財源不足を理由に90日間の一方的モラトリアム(支払停止)を宣言し、政府の緊縮政策に反旗を翻したことにあった。この背景には、ブラジル政府が昨年8月のロシアの金融危機が波及してきた時に、IMFと緊急協議を行い、10月末には政府支出の大幅カットと増税によって財政赤字を3年間で半減させるという緊縮計画を打ち出しことに端を発している。「経済再生の旗手」として二期目に入ったばかりのカルドゾ政権は、IMFの融資条件を守るために、増税はもちろん、年金負担の引き上げ、教育・福祉予算の削減、地方への債務の押し付けをはかる大規模な緊縮財政計画を発表、これによって11月にはIMFから410憶ドルの資金援助を取り付けた。これによって一時は為替や株の相場は安定を取り戻したかにみえたが、わずか2カ月余りで今回の通貨切り下げ、変動相場制への移行に追い込まれたわけである。IMFや日米欧主要七カ国G7の対応がいかにお粗末であったかを全世界に示すことになったともいえよう。

◆自民党右派応援団
 99年度中の「ハツキリとしたプラス成長」を公約とした小渕首相にとっても、こうした事態の進展は気が気ではないはずである。このまま行けば公約実現など望むべくもないし、連続マイナス成長が見えている。第一、圧倒的多数の給与所得者が実質増税になるような減税案を出して、この不況下にさらに消費を冷えこます大愚策をだしながら、景気回復など期待するほうがおかしいとも言えよう。しかしそんなことはそしらぬ振りで、10%台の支持率しかない小渕政権が不人気などどこ吹く風で居座り、自自連立で「平成の保守合同」を成立させ、自民総主流派体制構築で、任期一杯ビころか続投の意欲まで見せているという。
「ブラジル・クライシス」の最中、1/14、自自連立政権発足の記者会見が行われ、小渕首相は「小沢氏は豪速球、私は若干軟投型」などとのんきなことをいい、「新たな日米協力のための指針(ガイドライン)については、早急に国会で審議いただき、成立・承認をいただきたい。いずれにしても日本の安全保障の遂行という観点では自民党も自由党の考え方にはいささかの相違はない」として、あたかも最大の問題が安全保障問題にあり、連立形成のかなめであるかのように述べ、自由党の小沢党首もこれに呼応して「わが党の主張がほぼそのまま両党の合意として確定し、来週から始まる通常国会で法律の必要なものは速やかな成立をめざし、・‥」と応じている。
 そもそも自由党は連立の条件の一番目に掲げていた消費税の凍結と抜本的見なおしがいつの問にやら腰砕けとなって、引っ込めてしまったのである。「その代わりに独自性を浮かび上がらせる論点に安全保障問題を取り上げ、「武力行使と一体化」した行動は取れないとする従来の政府の憲法解釈に、「普通の国」の海外派兵の合法化を対置して、この点では自由党に負けず劣らずの改憲・武力行使派が控えていることを援軍にして、自民党右派応援団に堕してしまったのである。
 かくして、国連平和維持軍の本体活動への参加凍結の解除が、まともな議論も無いまま合意されたことの危険性が、新ガイドライン関連法から、有事関連諸法令の成立と、有事の際に機能する新国家機関の成立も急ピッチで準備されていることに露骨に表れている。
 コーエン米国防長官が来日して新ガイドライン関連法の成立に尻叩きに精を出し、自自連立に援護射撃に走り回ったことは間違いない。そしてこのところアメリカ側から意図的に強調されている北朝鮮のミサイル・核開発疑惑。これらは確かに一種の危険な兆候をあらわしているとも言えよう。

◆パンカーバスター
 先般の米軍のイラク空爆では、攻撃開始直後という異例に早い支持表明を行ったのは小渕政権だけであった。このイラク空爆でアメリカは、地下軍事施設を破壊するための「新兵器」の実験を行ったといわれる。「バンカーバスター」と呼ばれる新型爆弾GBU-28は着弾地点では爆発せず、地下数十メートルまで突き進んでから爆発する、重さ約2トンの新型兵器である。相手が核施設であれば接爆発から放射性物質のバラ撒きまで不測の事態を起こしかねない危険極まりない兵器である。
 自由党の小沢党首は週刊ポストの1/15.22号インタビューに応えて、「政治問題としては朝鮮半島が緊迫する可能性が一つあります」「あるときに、アメリカは、今のKEDOを中心とした枠組みを再検討せざるを得なくなることもある。つまり2月だか3月に、アメリカ議会は対北糾鮮の重油支援の実施を認めないことになるかもしれない。それは、KEDOの約束を破棄すること、スキームを破棄することでしょう。それは大変な事態を覚悟しなけりゃやれないよ。だから、日本にとってはイラクの時の何十倍も大変な事態になるということだ」「その意味では、日本の国自身が実質的な戦場になることも考えておかなければならない」「(アメリカが北桝鮮を爆撃する事態というのは)起こり得るかもしれない」と述べている。「バンカー・バスター」と重ねあわせると、何とも危険で胡散臭い示唆である。
 野党はこうした連中が主導する保守連立政権にいかに対応するのかが厳しく問われていると言えよう。       (生駒 敬)

 【出典】 アサート No.254 1999年1月25日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬 | 【投稿】希望と危惧の政治・経済 はコメントを受け付けていません

【コラム】ひとりごと–雇用不安・失業率戦後最悪について思うこと–

【コラム】ひとりごと–雇用不安・失業率戦後最悪について思うこと–

◆長期不況は益々、深刻で、完全失業率は戦後最悪の4.3%を更新しつづけ、有効求人倍率も統計史上、最悪の0.48倍となっている。実際、職業安定所に行くと、職を求める人、失業給付の手続きに行く人で殺到している◆安定所職員の話によると、求人開拓の努力で、求人数は昨年より若干、増えているとのこと。しかし、それ以上にリストラが進行して、悪化の傾向にあるらしい。また最近では、ニーズに応えて午後6時30分まで開所しているのだが、夕刻に訪れる人も結構、多いとのこと。その人達は、今現在は仕事があるのだが、どうやら会社から内々にリストラを宣告されて、職探しに来ている人も多くいるようで、やがて、こういう人達も失業者としてカウントされると思うと、空恐ろしい感がするという◆政府は緊急景気対策と銘打って、7兆6379億円もの補正予算での措置を行っているが、その内容は、合いも変わらず6割が公共事業などの社会資本整備費。そして3割が、金融特別対策。公共事業が景気に与える影響には疑問があることは定説になってきていると思うのだが。それよりも今日の不況の要因には、個人消費の冷え込みも大きいと思うのだが、減税は、不評の地域振興券とやらで、もっと低所得者から中堅所得者全般に行き渡る消費効果を高める政策を打ち出すべきではないか。そして、なお思うのは雇用対策費は、たかだか1,246億円。特に低成長期に入って以降、景気が回復傾向にあったとしても、経営側は雇用を抑制する姿勢にあり、必ずしも景気と連動しないことを見ると相当、意識的に雇用創出政策を打ち出さないと、雇用不安は一層、固定的なものになるのではないかと危惧される◆若干、話は変わるが、自自連合の絡みで消費税の引き下げも議論されているが、政府は安定的税収確保のために、引き下げには応じる姿勢にはない。福祉目的税として限定する代案もささやかれているが、そこで筆者がかねてからの持論を敢えて言いたい。消費税を3%にする変わりに税収を大きく落ちこまさないためにインボイス方式にする。そうすれば消費税の取りこぼしもないし、税に関る不公平・不透明感も解消される。おそらく、これを実行すれば、商工業者からは、相当の反発が予想されるし、政治家が口にしないのは、大幅な票の落ち込みを気にするからだろう。しかし我々、賃金労働者から見れば、何かと私的なものまで必要経費に落としているところを見ると何とも言いがたい不公平感を持つ。所得の透明性と公平な負担、そして減税と一体的な税政策も望みたい。(民)

【出典】 アサート No.253 1998年12月19日

カテゴリー: 労働, 雑感 | 【コラム】ひとりごと–雇用不安・失業率戦後最悪について思うこと– はコメントを受け付けていません

【書評】『 いま自然をどうみるか(増補新版) 』

【書評】『 いま自然をどうみるか(増補新版) 』
         (高木仁三郎著、白水社、1998.6.10.発行 2,000円)

地球的規模で人類の諸課題が検討されはじめた現在、人類・人間社会をその根底で支えてきた自然そのものについての見方もまた再検討される必要がある。
本書は、自然科学者の眼から、自然観の根本的な変革を迫る試みである。元々本書は、1885年に出版されたが、その直後の86年に起こったチェルノブイリ原発事故、さらには近年のバイオテクノロジーの進展、エコロジー思想の浸透等を踏まえて増補されたものである。
本書は、第一部「人は自然をどう見てきたか」と第二部「いま自然をどうみるか」に分かれ、前者では、今日の社会に受け入れられている二元的な自然観の形成過程が説明され、また後者では、その自然観から統一的な自然観への転換が論じられる。
著者はまず、われわれの自然観が、「感性的・身体的なもの」(第一の自然)と「科学的・理性的なもの」(第二の自然)とに引き裂かれて、「第二の自然」が「第一の自然」をわれわれの内部で支配しつつあると指摘する。そしてその結果であるわれわれの慣らされてきた西洋的な自然観は、次のような特徴をもつとされる。
すなわち、・自然を人間にとっての克服すべき制約として見ようとすること、・自然を人間にとっての有用性と考え、そこから能うかぎり多くの富と利潤を引き出そうとすること、・このような人間の自然利用は、基本的に自然の私有を前提としていること、・人間はそのような自然に対する人間中心主義的な働きかけを、人間の主体性の発露と自由の拡大とみて、進歩と自由の名において正当化したこと、である。そしてこれが「近代の精神」そのものであったと主張される。
そしてこのような自然観について、著者は、「人間がより多く自然を制御し、支配・活用することこそが、人間を人間として向上させ、自由を拡大させるという合理主義的な思想が、じつは実利的な自然利用の思想以上に、人間中心主義の自然観をはぐくむ温床だったのではないだろうか」と根本的な疑問を投げかける。
この視点は、「労働を自然に対する一方的な働きかけと見なし、そのことに人間の主体性をみようとする」近代主義の労働観をも例外とはせず、この労働観が、「人間の自然支配を正当化し、とめどない自然破壊に道をひらいた」のみならず、また「人間の自然の営みを合目的性の枠内に押しとどめることによって、人間から自然とのやりとりの最も根源的な部分を奪ってしまった」と批判する。
それ故著者にとっては、「自然との根源的な結びつきの復活」が最重要な課題となり、これは結局、「みずからの内なる自然性の発現を基軸に、外なる自然ともつながっていくという、『ナチュラリズム』」へと向かう。この視点から著者は、エコロジズムに大きな可能性を見る。すなわち、「単純に自然の全体の中に人間を埋没させることとしてではなく、人間の精神を広大なる自然へ向かって解放するかたちで人間を相対化するものとして、エコロジー的な自然と人間の関係を構想したい」というのが著者の主張である。
このことは同時に、「たんに個人的なレベルで実現するよしもない。自然さに依拠した社会的な運動が志向される」ことが必要であるとされる。そしてその運動とは、次のようなものである。
「多くの人がそれぞれ多様に、ごく自然に振る舞い、自分の意見を出しあいながら、その多様さがおのずからある好ましい社会への流れをつくっていけるような、その意味で真にナチュラルな運動ということが求められていると思う。ナチュラリズムはまた運動論でもあるはずだ」。
「従来の政治闘争型の運動が地域性や個別性を捨象した普遍理念によってつながろうとするのに対して、これらの運動は、それぞれの地域の風土に依拠し、それぞれの個別性をむしろ前面に出して表現しようとする。そして地域の違いや考え方の違いが互いに感じられることによって、その違いにもかかわらず人々の間に共通に流れるある思いのようなものが、より多くの共感を呼びおこしうるのである」。
かくして「自然をどうみるか、それは結局みられるべき自然の側の問題ではなく、私たちの側の問題である。そしてそうであるならば、問題はつまるところ、私立ちがどう生き、どう運動するかということになってくる」という著者の結論が出てくる。
この意味で著者は、現代の課題として、「地球環境問題」という捉え方に疑問を呈し、これは「地球に対して人間が問題を起こしているのであり、問題は人間のほうにある」のだから、むしろ「地球人間問題」と言うべきだとする。また平和的共生、積極的共生という観点から、「三つの共生」(・エコロジー的共生──この地球上におけるすべての生命の共生、・人びとの共生──同時代的な、異なる地域、社会、文化、エスニシティー間の共生、・通時代的共生──過去や将来の世代たちとの共生)を提言する。
さらには「オルターナティブな科学」(研究しながら提起し、社会的に行動する科学)を目ざす。
以上のように本書は、極めて鋭い問題意識から、自然観についての歴史的総括と未来的展望を与えようとする試みであり、現在のわれわれの自然観の転換(それは同時に、社会観、科学観、人間観の転換でもある)に大きな問題を提起するものと思われる。(R)

【出典】 アサート No.253 1998年12月19日

カテゴリー: 書評, 書評R, 環境 | 【書評】『 いま自然をどうみるか(増補新版) 』 はコメントを受け付けていません

【投稿】川上徹著『査問』の意味

【投稿】川上徹著『査問』の意味
       (川上徹著『査問』筑摩書房刊、定価1800円)

ふるい記憶の中に点灯して残る同時代の思想家が、私には何人かいる。しかしそれはその時代が過去のものとなり、その思想家が後にたどった道筋によって関心や記憶の程度も異なってくる。かって敬愛していた故に、その思想家のその後に失望し意識的に記憶の中から排除しようとしたものもある。本書の著者川上徹の場合、あるところから途切れており、私の中でほとんど忘れられていたのであるが、通勤の途中、偶々立ち寄った書店の本棚に見出した一冊の本の奥付けに、その名前を発見したとき、ふるぼけた記憶の一部があざやかに蘇ってきたのである。川上徹というのは、あの全学連の委員長であった川上徹だろうか、という思いと、当時(六〇年代末期)私たちがセクトの典型とみなしていた雑誌類に名を見たことのある、あの人物と同一だろうかといった疑いであった。
それにしてもあの川上徹が活動していたということは感動的であった。そうかあのころ指導者の立場にいた人たちは、もう五十代の半ばを過ぎているのだ。急に私の内部で三十年も前のことが生き返った。一九六七年に京都の私立大学に入学した私にとって学内は既に騒然としているように感じられた。つぎつぎと起きる社会的事件を、父が共産主義者であった故に理解することができたけれども、そこで触れるものは自分の生活や知識とは隔絶するものが多かったのである。
そのころの「新左翼」と呼ばれた学生運動家の一般的傾向としては、難解な用語をふりまわし行動を促すことに性急で、実のところ私が父親経由で得ていたマルクス主義の理解では理解不能といったものが多かったのだ。殊にそこで語られる「疎外」や「実存」ということばは、本当のところ当人の情緒的な表現以上のものではなかった。
だが雑駁な知識の吸収の中から、その正体が「トロッキイズム」であること、彼らはすでに日本共産党と決別しており、急進的で日本社会党とは別のマルクス主義をもっていることなどは分ってきた。そしてそのきっかけは一冊の新書版であり、その著者のひとりが川上徹であった。私は彼の名をその本で覚えその後彼の書くものを読んでいったのである。
だがその名前を、たとえば「新左翼」の活動家たちが語るようには、私は語らなかったように思う。それは胸中にひそかに秘されている名前であった、今、ふり返ってみると当時私はこう考えていた。私の入学した仏教ミッションの大学は、施設設備の面でも思想水準においても後進的であり、そのような場で他で展開される大学「解体」論を無媒介で主張したり、反対にセクト的な主張をクラス討論の場で繰り返すのは無意味である。学内の多様な見解を統一させる場を保ちつつ、全体として大学の「近代化」を推進させねばならない。そのためには性急なセクト的主張を排して現場の実践を優先させつつ反動的右翼的立場を孤立させていかねばならないと。このような考えが当時の熱狂的な学生運動家や「君たちのいうことはオジサンやオバサンの共鳴を得られない」と説教する人たちに好意を持ってむかえられるはずもなく、有効な組織も方法も持たぬ私はやがて自分の孤立を自覚することとなるのである。
川上徹の名が忘れられていくのもそのころであって、一九六八年から六九年にかけて、彼らが「民主化行動委員会」と名乗り出してから、私は彼らの主張に批判的にならざるを得なくなったのである。ただひとりだけ記憶に残る民青の女性同盟員の先輩だけが、私の主張を聞いてくれるのであった。本書『査問』はいわば私の記憶の中から消えていった川上徹がその後どのように生きていったかを詳述したものである。それは一九七二年日本共産党内に発生したといわれる新日和見主義分派と呼ばれる事件をめぐる十二日間の査問とその後の川上徹氏の思索の後を記したものである。しかし本書はその題名から推して、査問の可否、また自己の正当性のみを述べ立てたものではない。「糾弾ならもっと早い時期にやっていた」と氏はいう。それならば本書で問われるのは可否や正当性の言挙げではない。川上氏の生きた内容なのである。
「査問」という体験を通して共産主義者としての自分の生き方をどうつらぬいてきたか、その「歴史」が本書であるのだ。そう考えるならば査問以後二十五年を経て今日川上氏がその体験とそれ以後の思索を公けにしたことの意味があきらかになるはずである。それだけ思策を深め思想的に深めていかなければ個人の体験は「歴史」とならず糾弾したり反発することに終始し客観性をもたなくなりやがて転向といった現象になるであろう。
本書を読みながら私が得た感想は、ここにはあの「トロッキイズム」批判を行った川上徹はそのままいて、集団的に方向転換していったのは日本共産党の方であったということが明瞭になるということだ。氏は自己の体験を歴史化し糾弾しないことにおいてこの明瞭さを示したのである。その意味で氏の姿勢は二十五年前も(それ以前の本書で触れられることのない書物も含めて)一貫しているのである。この日本共産党の集団的方向転換の結果が大衆運動-殊に部落解放運動における分裂であった-に対する介入であり今日の選挙党への変貌であったのである。
本書はまさにその変貌の分岐をあきらかにしたといえるであろう。それにくわえて本書は多方面にわたり深い内容を含めている。この分派事件に連座した人々のその後の人生。離党した哲学者古在由重の晩年の姿などもしるされている。今日のマルクス主義と共産主義運動に関心を持つ多くの人々が読み、今後を考えるうえで貴重な文献となることを私は疑わない。本書を読了して私は左翼崩壊期といわれるこの時代に優れた思索のあることをあらためて実感した。どんなことでもいい。あの六〇年代から七〇年代初頭にかけて考えていたことを体験したことを、みんなはもう一度文章化し提起すべきである。各人は各人の歴史を持っている。自分の思索はどうであったか。どのように自分の思索が推移していったか。沈黙には意味があるはずなのだ。川上氏は沈黙を守った。それがたんなる-当時私たちがいった「党物神崇拝」でなかったとすれば-「党」への没入ではなかったとすれば氏の「新左翼」トロッキイズム批判には傾聴すべきものがあったのだ。そうした意味も含めて私たちは考えるべきことが多いのである。
ゆくりなくも私はこの意気消沈することの多い時代の中で、本書を読みながらそんな思いにかられたことであった。(K.I)

【出典】 アサート No.253 1998年12月19日

カテゴリー: 思想, 政治, 書評 | 【投稿】川上徹著『査問』の意味 はコメントを受け付けていません

【投稿】「自自連立」崩壊への道

【投稿】「自自連立」崩壊への道

<<破綻への道・「救済合併」>>
今年の流行語大賞に「凡人・軍人・変人」、「冷めたピザ」、「ボキャ貧」といういずれも小渕首相を形容するさえない、ネガティブな言葉が三つも入ったという。しかも「ボキャ貧」は首相自らの自己評価にもとづいて、自ら披瀝したものである。支持率、指導性ともども最低のラインから出発した一種の開き直りや自己卑下によるものであろうが、支持率は最低を更新し続けている。
そこで首相は乾坤一擲、大勝負に打って出た。「自自連立」である。今まで調整ばかりで、イニシャチブなど発揮したことがないだけに、初めての独自性発揮である。しかしこれとて、野中幹事長発案、梶山元官房長官根回し、亀井元建設相の立ち回り、またもや俺の出番と中曽根元首相の叱咤激励、これぞ最後のチャンスとばかり、渡りに船の藁をも掴みたい小沢党首の食いつき、これらが一挙に表に飛び出してきたことが見え見えである。
11/19の自民・自由連立合意書では、「いま、日本は国家的危機の中にある」、「かかる危機を乗り切り、国家の発展と国民生活の安定を図るため」などとして、「両党は政権を共にし、責任ある政治を行うことで合意する。予算編成後、通常国会までに連立政権を発足させる。選挙協力については、国・地方を通して両党間で万全の協力体制を確立する」ことで合意し、小渕・小沢両党首が署名している。本人たちは「憂国の志士」ぶっているが、保守同士が泥沼の後退に救命ブイを投げ合った「自民党による自由党の救済合併」といったしろものであろう。
しかしこのところ、長銀・住信、日債銀・中央信託に象徴的なように「救済合併」は常に手遅れ、破綻への道をしか用意していない。

<<ハードルの上げ下げ>>
早速、自民党内では泥試合が始まった。もともと野中氏は「人間として許せない。小沢さんと組むなら無所属になっても闘う」と公言していた人物である。それがいとも簡単に「目標が同じだと気がついた」という。政治の「大政翼賛会化傾向」に警鐘を鳴らした人物としてはいいかげんなものである。また、急遽、「危機突破・改革議員連盟」(四派議連)を旗揚げし、その代表についた梶山氏とて、「政治改革とかきれいごとを言っているが、小沢君のは権力闘争だ」と吐き捨てていた人物である。それが「私たちが保守本流だ。今は保守の亜流が多数派を占めて『保守の本流だ』と言っている」(12/7梶山)などと述べて、早くも「新主流派」の名乗りをあげ、執行部入りと内閣改造で論功行賞を露骨に要求しているわけである。小渕派は、「梶山さんは非主流派をまとめて連れてきた。副総裁になってもらってもいいぐらいだ」と持ち上げる。
保守の亜流とされた加藤前幹事長らYKKラインはとまどい、反発、妥協にゆらぎ、森幹事長は「内閣改造は通常国会後に先送りすべきだ」として、改造先送りと自由党の閣外協力論を流布させる。
これに流されてはなるまいと、小沢氏は「閣僚数削減などが実行されないなら、連立解消もあり得る」、「国連軍への参加は従来の政府の憲法解釈の変更になる」とわざわざハードルを上げる一方で、「(党首合意では)(消費税の)凍結は約束していない」(11/20テレビ番組)と本音を出し、閣僚数削減でも時期、数にこだわるものではないなどと他の幹部に発言させ、自らは入閣を固辞しながら、自党の幹事長や国対委員長を閣僚に推薦する、何ともあさましきポスト欲しさのハードル下げをちらつかせる。
小泉前厚相はこうした事態をとらえて「小沢氏は何のために自民党を出たのか。小沢氏はこれが自民党に戻る最後のチャンスだと考えたのだろう。もっと筋のある政治家だと思っていたが、自民の軍門に下った」と評価し、「首相は何もしないで一番先鋭な野党をつぶし、自民党を総主流派態勢にした。『凡人』じゃない」と述べているが、案外当たっていると言えるのかもしれない。しかしいずれにしても危なっかしい綱渡りであり、双方にとって国民から見放された墜落と瓦解への道を踏み出したとも言えよう。

<<「減税が増税にすりかわる」>>
彼らがいかに党利党略に溺れ、現在の危機的な不況の深化に鈍感であるのかは、12/11に発表された自民税調決定の所得税・個人住民税「減税」案に端的に表れている。一時は18兆円減税を唱えていた自由党幹部でさえ音無しである。この表面上の減税案は、消費を拡大させ、内需を喚起する景気対策どころか、逆にそれらをさらにいっそう冷えこます増税案なのである。
すでに各紙で指摘されているように、年収862万円以下では増税となる。4兆円減税が聞いてあきれる実態である。国税庁の統計によると、昨年の年収800万円以下の給与所得者は全体の86.3%、900万円以下では90.5%と圧倒的多数を占めるのである。減税の恩恵を被るのはわずか1割程度の金持ち層にしか過ぎない。かれらの最高税率を65%から50%に引き下げるだけで、5000億円の財源を費やしているのである。
さらに驚くべきことには、以下の表でも明らかなように、年収500万円では納税額が実に10万円以上も増える。さらにこれまでの特別減税の廃止により、年収306万3000円から427万3000円の課税階層は税額ゼロであったものが新たに課税されることになる。まさに圧倒的多数を占め、消費不況打開の糸口となるべき中・低所得者層にもっとも打撃を与える増税政策であり、「減税が増税にすりかわる」不況深化政策なのである。

年収(万円)  98年税額  99年税額  差引増減税(円)
—————————————————
  300       0       0       0
増  400       0    49,175   + 49,175
  500    32,500    138,600   +106,100
  600    157,500    240,100   + 82,600
税  700    321,500    375,400   + 53,900
  800    516,500    538,400   + 21,900
  862    680,180    680,256     + 76
—————————————————
  863    682,820    682,544     ▲276
減  900    780,500    767,200   ▲ 13,300
  1000   1,044,500    996,000   ▲ 48,500
  1200   1,640,500   1,505,000   ▲135,500
税 1500   2,901,500   2,672,400   ▲229,100
  3000   9,977,000   9,264,000   ▲713,000
  4000  15,615,000  14,014,000  ▲1,601,000
  5000  21,790,000  18,764,000  ▲3,026,000
—————————————————
(片働き夫婦、子ども2人の4人家族の大蔵省モデル)

<<内需不振と貿易黒字の拡大>>
すでに給与所得世帯の98年の賃金所得は前年比で約4兆円のマイナスとなることが明らかとなっており、これまでの特別減税の効果を完全に打ち消した形である。さらに今冬のボーナスは前年比約2.2%のマイナスである。今回の増減税案はこれらに追い打ちをかけ、内需不振、国内消費落ち込みをさらに増進させるものと言えよう。
これに呼応するかのように、98年度上半期の貿易黒字は、実に44.7%増を記録し、この10月で19ヵ月連続、前年同月の水準を上回っている。これは、輸入額が97年下半期に引き続き二期連続減少し、97/4の消費税率引き上げ以降、内需不振、国内消費が大幅に落ち込んでいることを浮き彫りにしたものである。
以下の表にも明らかなように、黒字幅は7兆4108億円という過去2番目の水準を記録、昨年来の通貨危機でマイナス成長に苦しむ対アジア地域の縮小を補って、対米黒字が41.3%増、四期連続の増加、対欧州黒字は倍近く急増、いずれも貿易摩擦と内需拡大策をめぐる対日圧力を激化させる要因をさらに増大させている。
確かに、10月になって、輸出は円相場の急騰などで5ヶ月ぶりに減少に転じたが、輸入は内需不振を反映し、10ヵ月連続減少、対米黒字は25ヵ月連続増加、10月は鉄鋼輸出が倍増という事態である。すでに日本からの鉄鋼輸入が141%も跳ね上がっている米鉄鋼業界はダンピング訴訟を提起、ダンピング課税が実施されようとしている。
国内最終消費を押え込み、結果として景気後退と円安で貿易黒字を拡大させる日本の経済政策はもはや世界的にも受け入れられない事態を招来している。

98上半期  輸出       輸入    出超額 (億円)
———————————————————
総 額  259,087(+ 2.4)  184,978(▲8.3)  74,108(+44.7)
対米国   79,453(+14.2)  45,211(▲0.3)   34,242(+41.3)
対EU   47,449(+23.5)  25.479(▲4.7)   21.970(+88.1)
対アジア   89,528(▲17.3)  68,487(▲9.5)   21,041(▲35.5)
———————————————————
(10/28・大蔵省98年度上半期貿易統計速報、()内は前年同期比)

98/10    輸出       輸入    出超額 (億円)
———————————————————
総 額   43,826(▲ 5.7)  30,119(▲14.9)   13,707(+23.9)
対米国   14,118(+ 8.0)   6,920(▲ 9.1)   7,197(+31.9)
対EU   8,392(+11.7)   4,131(▲ 8.4)   4,261(+41.8)
対アジア   14,453(▲23.7)  11,299(▲17.0)   3,155(▲40.9)
———————————————————
(11/19・大蔵省98年10月貿易統計速報、()内は前年同月比)

<<出し惜しみの「緊急基金」>>
政府は、11/16の緊急経済対策で、「雇用活性化総合プラン」(事業規模1兆円)なるものを提起している。その一つは中高年の非自発的失業者を支援する「緊急雇用創出特別基金」の創設である。それは、45~60歳までの失業者を採用した企業に補助金を支給するというものであるが、ただし「完全失業率が三ヶ月連続5.2%を上回った場合、地域的には6ヵ月連続で5.7%以上を記録したところ」(労働省総合政策課)という、なんとも出し惜しみも度が過ぎた、さらに景気が悪化しなければ発動されないようなしろものである。
すでに7-9月期の完全失業率は、平均4.2%(前年同期比+0.8%)、9月はさらに悪化して4.3%、完全失業者数は295万人で、史上最高を記録し、北海道や近畿では5.2%を記録している。有効求人倍率は全国平均0.49倍となり、求職2に対し求人1以下であることを示す0.5以下の府県は20都道府県にも及んでいる。このような事態に対して、このような政策しか出せない、出そうとしない小渕政権である。
11/30、国会の代表質問に立った民主党の菅党首は、「首相はリーダーシップのかけらもない指導者」、「景気に対する判断の恐るべき鈍感さ」、「小渕外交は『かわし外交』と呼ぶべきだ」と弾劾して、このところ受け身に立っていた立場から攻勢に転じ、「『小渕沢政権』が従来の自民党政権とどこが違うのか徹底的に究明する」(11/28日本記者クラブ)としている。大いに期待されるところであるが、その一方で「地域振興クーポン券」について、同じ代表質問の中で「世間ではこれを『7000億円の国会対策費』と酷評している」と誰もが周知の当然の言わずもがなの発言で、公明党から猛抗議を受けて陳謝し、発言を議事録から削除する失態を演じている。自民党までもがこれに乗じて、菅党首の発言は小渕首相に対する侮辱発言であるなどと息巻いている。こんなことにとらわれることなく、「自自連立」を孤立化させ、崩壊に導き、それに取って代わる対抗軸の形成こそが、民主党に課せられた課題だといえよう。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.253 1998年12月19日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬 | 【投稿】「自自連立」崩壊への道 はコメントを受け付けていません

【書評】特攻隊員から平和運動へ

【書評】特攻隊員から平和運動へ
 信太正道『最後の特攻隊員–二度目の「遺書」』(高文研、1998.9.20.発行、1800円)

「災害救援」の名目で自衛隊の海外派兵が既成事実として積み重ねられようとしている時期に、本書はタイムリーな書であろう。
著者は、戦前は海軍兵学校~神風特攻隊員として死の崖っ淵に立たされ、戦後は海上保安庁で朝鮮戦争の掃海作戦に参加、その後海上・航空自衛隊のパイロットを経て、日航機長として空を飛ぶという波乱多き人生を送ってきた人物である。
それ故著者の歩んできた道は、戦前戦後を通じてのわが国の軍隊組織の性格を問う素材に満ちている。
例えば、敗戦によって特攻隊が解散帰郷する際に行なわれた司令の訓示を聞いて、「戦争中にも、戦争に疑問を持ちながら戦い続けてきた大先輩のいたことに、複雑な気持ちになりました」と感想を述べたすぐ後に、「もっとも、この司令は数名の兵隊を使い、民生に使える軍需物資を大量に自宅に運んだと伝えられています。これが職業軍人の本当の姿であったのでしょう。たてまえと本音の使い分け、これが軍人精神であるとわかったのは、私が本当の大人になってからでした」と指摘することで、帝国軍人の姿を見る。
あるいは、戦後のある時(1950年)、富岡少将(太平洋戦争開戦時の軍令部作戦課長)との会見で、海軍の本音に触れて愕然とする。それは次のような場面である。
「富岡少将はまた、私に聞きました。
『日本の仮想敵はどこかね』、『ソ連です』
『海軍の仮想敵は?』、『・・・・?』
『海軍はアメリカを仮想敵にして、アメリカと戦ったのだろう』、『はい』
『ではなぜ海軍はアメリカを仮想敵にしたのだ?』
そんなこと、二四歳の青年に答えられるわけがありません。もじもじしていると、彼は言いました。
『もし、海軍がソ連を仮想敵にすると、海軍は陸さんの運送屋にされてしまう。それでは海軍は陸の三割も予算が取れない』
やっとわかりました。海軍の敵はアメリカではなく、陸軍だったのです」
国を守るのではなく、ましてや国民を守るものではない、自分たちの「組織」のみを守ることしか念頭にない軍隊の本質は、現在の自衛隊においての根強く残っているし、また「仮想敵」を次々とつくり出していくことでその「組織」を維持していく努力は営々として続けられている、と著者は指摘する。その代表的なものは、こうである。
「1953年のスターリンの死は、全自衛隊員にとって大ショックでした。これは一般市民には理解しにくいかもしれません。『ソ連の脅威』が消滅し、自衛隊の存在理由が消滅する恐れがあるからです。(中略)私たちには・仮想敵・の存在が飯の種なのです。91年にソ連が崩壊したときも、自衛隊員にはやはりショックだったと思います。
ところが、イラクのフセイン大統領が救世主のなってくれました。しかも、棚からぼた餅に『国際貢献』のおまけまで付いてしまいました」。
このような軍隊を体験することで著者は、現在の自衛隊の本質が、アメリカの「フェンス(防波堤)」であり、「米衛隊」であることを確信し、次第に批判的姿勢を強めて、日航退職(1986年)後は、平和運動に邁進することになる。
その内容は、池子米軍基地住宅建設問題、硫黄島での米軍機発着問題、大韓航空機撃墜事件訴訟の証人、スミソニアン博物館での「原爆展」中止問題、ゴラン高原PKF違憲訴訟の原告等々と多岐にわたり、いずれも元航空自衛隊および日航パイロットとしての経験から、説得的な現実的視点を提起している。
それらは、海外邦人の救出を民間機で行なうことの適切さ(自衛隊機で行なうことの不適切さ、危険さ)の検証であり、「国際貢献」という美辞麗句の下に隠された自衛隊の海外派兵の危険性の暴露であり、軍事理論的に決定的重要性をもつ、「米海軍の父」マハンの戦略──海軍戦略は、戦争によって獲得し難いような、ある国の重要地点を、平時に購入または条約締結のいずれかによって占有することにより、最も決定的な勝利を収めることができるとする(沖縄のような、領土所有ではなくて領土占有がその例)、また海外貿易の大中心地の至近にある同盟国の港の中に基地を見つけ出し通商破壊の準備とする(横須賀の例)等々──の的確な指摘である。
以上のような立場から著者は、近年の自衛隊の動向に危険を察知して警鐘を鳴らし続ける。そしてそれは、太平洋戦争末期に特攻出撃の前に書いた(書かされた)「遺書」に対して、人生をふりかえって書いた二度目の「遺書」としての本書として結実する。この意味で本書は、具体的経験からの反戦書として価値があると言えよう。
ただ本書の場合、著者が平和運動に力を注げば注ぐほど、日本の平和運動の現状との間にギャップを感じさせるということも指摘しておかねばならない。著者の平和に対する「善意」について疑いをさしはさむことができないが、その「善意」を運動として拡げていく過程でのさまざまな障害のあらわれを本書のあちこちに見ることができる。これは、著者の責任であるというよりもむしろ、運動を進める側の責任であると言わねばならないであろう。すなわち、せっかくの著者の鋭い現実的な視点も結局は散発的・党派的なものに終ってしまうという事態そのものが、現在の平和運動の狭い枠の限界を示している。著者のような「善意」が幅広く受け入れられるような社会運動・平和運動の厚みと深みの時代の到来を期待したい。(R)

【出典】 アサート No.252 1998年11月21日

カテゴリー: 平和, 書評, 書評R | 【書評】特攻隊員から平和運動へ はコメントを受け付けていません

【投稿】「テポドン」の落ちる日

【投稿】「テポドン」の落ちる日
                ・・・・・・何が起こるかわからない?

北朝鮮が8月に行なった「テポドン発射」を巡り、はたしてそれが人工衛星の打ち上げであったのか、ミサイルの試射であったのかは、いまもって定かとはなっていない。
しかし、確実に言えることは、北朝鮮が日本全土を射程に捉える、ロケット推進の運搬手段を開発したという事であり、それが軍事目的に使われる可能性が、否定しきれない現在、極めて不気味な存在であるという事だ。
もちろんわが国の最新型ロケットの開発技術をもってすれば、ICBMも製造可能であることは、よく知られているが、搭載すべき核弾頭の開発はおろか、それらの軍事目的への転用の意図も無いし、実行できるシステムもないことは、国際的に明白となっている。 ところが、北朝鮮の場合、核兵器保有(開発)宣言に等しい、IAEAやNPTからの脱退を公言した経過がある。現在は朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の枠組みがあり、関係国の援助が、核兵器非保持の担保となっているものの、実際のところ、金正日がどの様な意図を持っており、どの程度まで核兵器の開発が進んでいるのか判らないし、化学兵器に至ってはもっとやっかいである。
もちろん朝鮮半島の緊張緩和が根本的な解決方法である事は確かだが、それには、北朝鮮の民主化が必要不可欠である。しかし「北風」であろうと「太陽」であろうと、外圧によってそれをなし遂げるのは、望むべくもない。
したがって、北朝鮮が戦域弾道ミサイルを配備し、近い将来はICBMを保有するという可能性も含めて、対応しなければならないのも事実であるが、一部にある如く明日にでも「ノドン」や「テポドン」が飛んでくるかのように騒ぎ、直ちに対抗手段や報復手段を持たねばならない、と煽り立てるのは、過剰反応と言うものであるし、アメリカの軍需産業に甘い汁をすわれるだけである。(ただし、アメリカに振り回されず、自分で判断できる情報を入手するために「情報衛星」を保有するのは妥当である)
いずれにせよ、実際のところ、たとえ北朝鮮が「テポドン」を配備したとしても、何の兆候もなしに、それがある日突然わが国を目標に発射される、などという事態は100%あり得ない事である。

何が起これば起こるのか

それでは、どんな場合に「テポドン」が日本に向けて発射されるのか、それは「周辺有事」すなわち、第2次朝鮮戦争以外にはあり得ない。
第2次朝鮮戦争については、いわゆる「新ガイドライン」の主題であり、実務レベルの研究は既に終わり、可能なものから新機軸の合同演習などの形で、それに備えた準備が始まっているし、残っているのは、国内の法整備ぐらいとなっている。
さらには全く個別の動きの様ではあるが、先頃日本海で行なわれた海上自衛隊とロシア海軍による「救難演習」も、「周辺有事」とは無関係ではあり得ない。
このなかに、「テポドン」発射という新たなシナリオが書き加えられる事になるのであって、決して北朝鮮と日本の2国間の枠組みのなかで、進展するような問題ではないのである。
すなわち、そこには必ずアメリカが当事者として介在するわけであるし、「テポドン」への第一義的な対処も米軍の仕事となるだろう。具体的には、38度線(休戦ライン)を挟む非武装地帯への、異常な兵力の集中が確認された時点で、アメリカは巡航ミサイルまたは、徹甲爆弾によるテポドン基地攻撃を準備するだろう。また、移動式発射台に対しては、戦闘爆撃機による波状攻撃が準備されるだろう。
そして、基地の状況と平壌や38度線の動きを監視しながら、攻撃のタイミングを判断することになるが、場合によっては、北朝鮮軍の攻撃開始以前に、攻撃指令が出されるかもしれない。
この方法が最も確実に「テポドン」の驚異を取り除く作戦である。
この様に考えられる、シミュレーションにおいては、基地攻撃への直接の自衛隊の出番は有りそうにない。(「第2次朝鮮戦争全般」への対応については、別問題であり、新ガイドラインで求められる「不審船舶の臨検」や「機雷掃海」さらには小規模の派兵も考えなくてはならないだろう)自衛隊の対処が必要なのは、討ち漏らしたミサイルが日本に飛んでくる場合である。これについては、海上からの迎撃を行なった上、それでもだめなら、最後は日本上空での迎撃となるだろう。
そのためには、アメリカが開発中の既存のイージス艦の改良を中心とする、海上配備型のミサイル防衛システムと地上配備のパトリオットPAC-3(99年配備予定の性能向上型)との組み合わせが、日本の地形や信頼性、また、コストの面からも最も効果的と考えられる。
全地上配備型の戦域ミサイル防衛(TMD)=戦域高高度迎撃(TAHHD=サッド)ミサイルとパトリオットPAC-3によるシステムについては、肝心のサッドの実験が5回連続失敗するなど、信頼性において未知数であり(メーカーのロッキード・マーチン社は、後5回の実験中3回成功しなければ、アメリカ政府から莫大なペナルティが課せられる)しかも開発費、調達費を合わせれば、莫大な経費を要するものである。
そのため、日本を巻き込んでおきたいとの思いが、先行する海上配備型を追撃するように「テポドン」を利用した盛んなセールスとなっているわけであるが、日本が単独で北朝鮮と交戦するのでなければ、あえて地上配備TMDに躍起になる必要はない。それを強行するなら、軍備において「一点豪華主義」的傾向の強い日本が、「大和」の二の舞を繰り返さないと言えるだろうか。
また、政府は「攻撃された場合相手の基地を叩くのも自衛の範疇」という趣旨の国会答弁を昭和31年に行なっており、先の通常国会でも再確認されているが、現在その能力を持とうとすれば、巡航ミサイルや、それこそ戦域弾道ミサイルを配備しなけれならない。 現在の日米、米韓間の連携を前提とする限り、アメリカは自分(在日米軍基地)を守るために、「テポドン」発射以前に動かざるを得ないのであり、そのような日本の軍拡は、逆効果でさえある。
わが国も経済情勢を含め、そうした総合的観点から冷静に判断し、対抗手段については、必要最小限の整備を進めながら、北朝鮮の「暴発」を防ぐため、最大限の努力を傾注しなければならいのである。(大阪 O)

【出典】 アサート No.252 1998年11月21日

カテゴリー: 平和, 政治 | 【投稿】「テポドン」の落ちる日 はコメントを受け付けていません

【投稿】地方財政危機と地方分権

【投稿】地方財政危機と地方分権
               —自治労自治研全国集会に参加して—

10月28日から30日、米子市内で第27回自治研全国集会が開かれた。今回の集会は、地方財政危機が進む中で、地方分権を議論の段階から実行の段階に移すための実践的課題がテーマになった。私は残念ながら最初からは参加できなかったが、地方税・財政の分科会に参加し、かなり刺激を受けて帰ってきたので、簡単に報告したい。
ご存知のように、自治体財政は、長引く不況による税収の悪化と数次にわたる国主導の景気対策の影響を受けて危機的状況になっている。98年度に限ってみても歳入不足は1兆円を越え、公債費の借入れ残高は160兆円を越える見込みになっている。国のさらなる減税実施によって、これでは予算編成ができないと悲鳴を上げる地方自治体も出てきている。大阪府では1998年度予算編成過程で、1997年度の税収見込みが1300億円程度下回ることが明らかになり、今後毎年約2500億円の財源不足が生じる見通しとなった。その後状況はさらに悪化、11月11日には、府税収入の大幅な不足から1998年度の赤字決算は避けられない見込みだと財政危機宣言を行い再建団体転落の瀬戸際という危機的な状況に陥っている。この状態は大阪府ばかりでなく、神奈川県、東京都、愛知県等も同様であり、市町村も収入構造は違うものの財政全体の構造は同様で同じ危機をはらんでいる。
このような状況の中で、自治研の地方税・財政分科会には例年の3倍の参加者があり、自治体労働組合がいかに危機意識を持っているかがうかがわれた。最初に、地方分権推進委員でもある神野東大教授からの問題提起があった。その要約を「自治労大阪」から引用すると「減税と公共事業を進めるほど地域経済は停滞する。国と地方との関係は親企業と子会社のように系列化されており、国の赤字が地方に押し付けられているのは現状だ。今、市民は雇用不安や社会保障の切り捨てで将来への不安を感じている。不安を断ち切るために、自治体がセイフティーネットを構築する必要がある。地方が財政を立て直しセイフティーネットを構築するためには、1、国から地方への財源移譲 2、地方税の増税と国税の減税 3、消費税の地方分(地方消費税)の引き上げ 4、法人税を外形標準課税方式に変えるなどが必要だ」ということである。地方財政危機は深刻で、定数削減や人件費削減等組合運動にも大きなマイナス要因になっているが、この危機を逆に地方分権の条件を整えるチャンスにして行こうという発想である。税源移譲には法律的な壁があるが、現状でも具体的に、土木費等の公共事業費を削って、町田市では福祉型財政への取り組みや、上越市では国際的環境マネジメントシステムであるISO14001認証を取得しての環境型財政の先進的な取り組みが行われている。また、大阪自治研センターからは、景気回復や雇用対策という点からも、公共事業よりも福祉に財政投資した方が、地域への雇用・経済効果の点で上回るとの心強い研究発表も行われた。地方財政危機は自治体労働運動にとって重苦しい重圧としてのしかかっているが、組合も一皮むいて、日本の根本的なシステム改革の重要課題として地方分権の視点からこの問題に取り組む必要があると気づかされた。財政分析の重要性が訴えられていたが、労働組合だけでやるのではなく、市民と一緒にやることで組合と違う視点で分析してみる必要があるのではないだろうか。
(若松一郎)

【出典】 アサート No.252 1998年11月21日

カテゴリー: 分権, 労働 | 【投稿】地方財政危機と地方分権 はコメントを受け付けていません

【投稿】 労働力の流動化に新ワークルールの確立が急務–労基法「改正」によせて–

【投稿】 労働力の流動化に新ワークルールの確立が急務–労基法「改正」によせて–

●「終身雇用」から労働力流動化への動き
厳しい経済状況の中、地域ユニオンでの労働相談には毎日のように相談が相次いでいる。特に企業倒産に関連する相談と中高年労働者の相談が多いのが、今の経営側の状況を反映した状況となっている。大手企業では終身雇用やそれを前提にした賃金制度にかわり会社や個人の成績・業績を中心にした制度へとどんどん移行している。それは事業やプロジェクトの必要に応じて必要な人材(労働力)を集め、事業目的が達成すれば解散するといった短期集中型の生産・管理が行われてきていることの反映でもある。ナショナルスタンダードな部品の共通化を徹底することによってコストを削減し製品の基礎的な部分については製品サイクルを伸ばし、しかも新技術や新しい外観を取り入れることによって新しい商品価値を与え、1製品当たりの製品サイクルは極端に短くなっているのが昨今の商品の特徴だろう。パソコンや自動車、加工食品、音楽CDにいたるまで、このような「プレミヤ」「レア」「特別仕様」ものブームもその現れといえよう。
労働基準法改正が衆議院段階での修正可決に続き、参院本会議で可決、成立した。裁量制をホワイトカラー業務に拡大するほか、期間を区切った雇用契約の上限を一部業務で3年に引き上げる、裁量制の適用拡大は2000年4月から、そのほかの改正内容のほとんどは来年4月から実施となる。 改正により、現在は公認会計士やコピーライターなど11業務に限られる裁量労働制を企画、立案、調査などホワイトカラー業務に広げる。労働省は今後、裁量制を拡大する業務や対象労働者について指針作りに入る。
今回の労働基準法改正は、言ってみれば経営側にとって「労働力」というコストに対してのフリーハンドを拡大したという一点につきる。労働側は様々な修正を行ったが、結論的には「労働者保護」というよりは経営側の主張にそった内容だ。労働力もフレキシブルに扱えるように法的な合意を与えたことだ。
これらは日経連がかねてから「新日本的経営」の中で、基幹社員以外の労働力を専門職も含めて派遣や契約社員といった流動的なものにしていくという内容とも合致している。
もちろん機会均等法や育児介護休業法をはじめとした関連法を背景とした平等法についての一定の前進はあるものの、重要な点についての保護規定は不十分なままである。特に一部新聞報道で指摘されたとおり、連合内部でのホワイトカラーの裁量労働制導入についての意見の食い違いは、すでに「サービス残業」が恒常化して、これに組合として歯止めをかけられないという労働実態のが多くあることを物語っている。今回の改正でこの実態についても法的な整備を行ったというのが事実だ。すでに日本では「サービス残業」は労働契約にない「時間外労働なんだ」という点さえあいまいになりつつある。今後、企業レベルでの組合側の具体的対応が焦点になってくるが法案の修正審議が本当に成果となるかどうかが厳しく問われる。
生産部門については80年代より高い労働生産性を確保してきた日本であるが、管理部門についてはコンピュータ化も含めて日本は極めて低い生産性であることが指摘されてきた。企業間のネットワーク化も90年代後半に入って本格化したが、これに拍車をかけて管理部門での生産性を向上しようというのが経営側の思惑であろう。退職金の在職期間中の早期支払い制度や年俸制など企業の雇用・賃金システムは激変しつつある。そしてそれは一定の労働者ニーズを持っていることもまた事実であることをきちんと押さえておく必要があるだろう。この点で一律ベースアップ要求を行ってきた組合側のあり方もまた問われている。

●21世紀のワークルール確立をめざして
法案に対して連合をはじめとする労働団体は昨年より様々なキャンペーンと活動を全国的に繰り広げ、労働側の対案も作成し、当初、政府労働省案の廃案をめざして運動を展開してきた。それは21世紀へ向けて、労働のあり方をきちんとルール化しようというワークルール確立の運動として展開された。当初の署名活動も連合地協傘下だけでなく様々なレベルでキャンペーンされ、ひさびさの大衆行動として行われたことも記憶に新しい。しかし当初廃案をめざしてきた労働(連合)側も、国会審議がはじまるや、長引く景気の低迷、いっそうの規制緩和をもとめる財界の声に押され、野党や連合内部の一致した対応が難しいなかで、法案の修正審議へ臨んだ。地域ユニオンの首都圏段階のネットワークでは「労基法改悪No!」ネットワークとして運動を広げ、衆議院での修正が不十分であることをふまえ、参議院でのよりいっそうの徹底審議を追求しようと、デモ行進やハンガーストライキで審議を追求した。
今回の労基法改正の問題点は、(1)新裁量労働制の導入、(2)有期雇用契約の延長、(3)深夜労働の規制緩和、(4)時間外労働の条件緩和などがる。特にパート労働者からみると、(2)有期雇用契約の延長や(3)(4)の残業や深夜労働の条件緩和が重要な問題である。(2)の有期雇用契約は、現状では1年以上の契約を認めていないが、それを5年(改正法では3年)にまで延長しようというのが財界の狙いだ。これは『育児・介護休業法』で労働者に子供や親の育児・介護の権利を保障しながら、「ただし有期雇用契約のものは除外する」という条項があることを前提にしている。つまり、パートや契約社員などを有期雇用契約としてしまえば、5年間も働き続けた労働者にさえ育児・介護休業は保障しなくてもいいという、財界に都合のいい内容となっているからだ。また、男女の雇用平等を基本として出てきた(3)(4)でいえば、日本はただえさえ残業に対して規制がないのが実態なのに、これでは男も女も深夜労働や時間外労働が拡大し、家庭崩壊や子育てができない環境をいっそう拡大することにつながりかねない。残業は労働契約にない時間外労働なんだという働く側の意識も大切ですし、時間外労働や深夜労働が必要ならばきちんとこれをルール化(割り増し賃金等の問題)して、厳しく規制することが必要だ。
改正労基法は、『連合案に比べればなお不十分なものの、労働大臣答弁と付帯決議で「おおむね連合の要諸は満たされたもの」』となったとして、連合は事務局長談話で『成立後も審議課題に取り組む』ことを表明した。「法案成立後の課題は、新裁量労働制の対象業務や対象労働者および労使委員会の機能等に関する専門的機関での検討、深夜労働に関する法令措置を視野に入れたガイドライン作成、時間外労働の上限基準等をはじめとする政省令事項等の重要審議がある。これは主に中央労働基準審議会での審議になるが、連合は労働者代表委員を通じてこれまでの国会での審議はもちろん、労働現場の実態および各界の意見を踏まえつつ、労働基準法改正はまだ終わっていないとの認識で対応していく。
99年4月には今回の新裁量労働制を除く改正労働基準法、改正男女雇用機会均等法、改正育児・介護休業法が施行される。連合は、これら改正労働関係法が真に労働者の労働条件向上に寄与するよう、労働組合においては協約闘争として、未組織労働者には周知・相談活動等として取り組んでいく。(要旨)」
思うにこの10年、経済の国際化の流れとバブル景気を背景に女子労働の本格的な戦力化が行われ、男女を問わず24時間生産・サービス体勢へと駆り立てられ、子育てどころではない少子高齢社会への窓口をあけてきた。女性の自立という面では前進があったが、同時に労働者生活は「コンビニでしか買い物ができない」生活へと向かった。生活はいっしょだが「結婚しない」、「子供を産まない」自由は手に入れたが、「結婚して」「子どもを育てる」条件はますます厳しくなった。今30代前半ぐらいまでの世代はこうした状況下で企業の中でも今後中心をになっていく世代になりつつある。会社で働くことばかりに駆り立てられてきた労働者の意識も今大きく変化してきているが、企業社会が一定、意識の上でも賃金の面でも後退せざるを得ない現状で、労働側がこれに代わるきちんとした労働者としての「生き方」を提示できるかどうか、という点ではよい契機である。
すっかり影を潜めてしまったボランティア活動や環境問題などの地域社会生活、老人介護や子育てなどの家庭生活、そして会社等での労働生活といった3分野で今後重要な選択が問われることは必至である。企業危機や生活危機のなかで、これまで企業に大きく依存してきた領域をどう個人レベルで再構築してゆくか、労働者の権利や労働組合の権利、あるいは「連帯」ということも基本に立ち返って取り組めるだろう。連合の大手組合が相変わらずの企業主義では連合の未来も見えてこないのではないだろうか。(東京・R)

【出典】 アサート No.252 1998年11月21日

カテゴリー: 労働 | 【投稿】 労働力の流動化に新ワークルールの確立が急務–労基法「改正」によせて– はコメントを受け付けていません

【投稿】 経済危機の進行と与野党再編

【投稿】 経済危機の進行と与野党再編

<<「どうか受け取って頂きたい」>>
先の国会で成立した「金融再生」関連法や「早期健全化」法などによって、60兆円の公的資金を金融機関に投入する法的枠組みが決定された。98年度当初予算の税収が58兆5220億円であることからすると、この1年間の税収をもこえる巨大な金額があれよあれよというまに決定されてしまったのである。
今年3月決算の直前に、大手銀行21行と地銀3行に横並びのリストラ策を提出させ、各行まんべんなく一斉資本注入を行い、約1兆8156億円の公的資金が投入されてまだ半年しか経っていない。当時も今回も「貸し渋り対策」のために投入するのであって、「経営健全銀行」にしか投入しないと言明された。
しかし現実は、健全だったはずの長銀はその後すぐに経営危機を表面化させ、長銀に資本注入された政府保有の長銀優先株約1700億円はただの紙屑となり、貴重な税金がどぶに捨て去られたも同然の事態となった。貸し渋りの方も、公的資金投入直後の4月以降より一層ひどくなった。実際に、公的資金投入直後の4月の貸出平均残高は前年比4.08%減で、3月の同2.92%減よりもさらに悪くなっている。公的資金を受け入れた直後から「貸し渋り」「資金回収」をさらに強化し、「金融収縮」があらゆる分野に拡大し、景気をさらに悪化させてきたことは周知の通りである。公約とはまるで逆行する事態が進行してきたといえよう。
そして今回、この10/28、金融監督庁は「公的資金60兆円」についての説明会を行い、そこに大手18行の担当部長を招集、同庁の浜中次長は「金融システムの安定のためには各行一斉に資本注入を行う必要がある。どうか受け取っていただきたい。」と述べたという。各行一斉に投げ銭を与えるから受け取れというのである。その異常な感覚は通常の理解の限度を超えている。
10/24には、自民党金融問題調査会幹部は、都銀9行、長信銀2行の幹部が会談した際に、「公的資金を投入しても、経営陣の退陣は求めない」と明言して、経営責任不問の密約まで交わしている。その論理は「都銀の内、2~3行はすでに深刻な経営危機に直面しており、早く公的資金を投入しないと破綻しかねない。そうした銀行だけを救済すれば、市場でどこが危ない銀行かが分かってしまう。それを分からないようにするには、責任を不問にして大手18行すべて同時に公的資金を入れるしかない」(自民幹部談、11/13週刊ポスト)と内幕を暴露している。
まさに銀行の経営危機と経営責任を不問にするための60兆円投入である。さんざん克服が叫ばれてきた護送船団方式がまたぞろ事態を支配しようとしているわけである。まず日本興業銀行が資本注入受け入れを申請することを発表、同行の株価が92円高となったのを受けて、経営危機がささやかれている富士、さくら、大和、あさひなどが横並び一斉資本注入の機会を今か今かと待ち構えている。

<<「国民がもっと怒らんといかん」>>
旧住専の不良債権の回収に取り組んでいる中坊公平氏が指摘しているように、バブル期に不良で悪質な融資案件を旧住専に紹介して暴利をむさぼり、ごみ箱のように利用しながら、関与者責任を一切認めず、その後始末に税金を投入させたのは、これら大手金融機関である。
旧住専7社が抱え込んだ不良債権の中でもタチの悪い劣悪債権は5200件にも上り、そのうち紹介責任が明確な134件の内、住友銀行だけで72件も占めているという。中坊氏が社長の住宅金融債権管理機構は今年6月、そのうちの2件について、不公平な紹介、重要な事実を故意に隠して紹介した責任を問い、48億円の損害賠償を求めて住友銀行を提訴、裁判が進行中である。ここでも住友はたとえ「モラル違反」であっても、法律違反がなければ何をしてもいいし、犯罪に問われることはありえないという姿勢を撮り続けており、「裁判で負けない限り払わない」という態度である。
中坊氏は住専処理の6850億円の何百倍にも当たる公的資金の投入について、「法律違反がなければ何をしてもいいという」、「こんなモラルのない金融機関に、いったい国民の税金をもらう受け皿としての適格性があるんだろうか、と大いに疑問があります。」、「あえていえば、金融機関一般が悪いのではなしに、大手銀行の経営者が問題やと思います」、「今の貸し渋りでも大手銀行が先頭を切っている。」
中坊氏は「銀行経営者が変わることへの期待よりも、国民がもっと怒らんといかん。国民が怒らん限り、銀行経営者は責任も取らずにぬくぬくとしているやろ」(10/25日経)と断言している。「公共的だから」といっては税金をもらい、「私企業だから」といっては責任逃れをし、情報開示さえも拒否する、こうした大銀行に対しもっと怒りを結集せよというわけである。まさにしかり、溜飲を下げるだけではなく、こうした事態を放置している政府機関、与野党の責任が追及されなければならない。
9/1の衆院特別委員会で長銀への公的資金投入問題で責任を問われた金融管理審査委員会の佐々波委員長は「個別行の経営内容については把握していない」と述べて、本来なすべき義務をさえ放棄して省みず、その無責任ぶりをさらけ出し、全くズサンでいいかげんな「審査」で税金をドブに捨てるようにばら撒いたことについては、反省の一言も述べることができなかった。これが公的資金投入の是非を審査し、決定を下す機関の責任者であり、さきの金融監督庁の態度といい、あきれるばかりではあるが、こうした事態が放置され、責任が問われない限り、よりいっそう事態は悪化していくであろう。

<<野中氏の立ち回り>>
ところで「長銀は債務超過ではない」と繰り返してきた政府が、なぜ土壇場で長銀破綻に向けて方向転換をしたのであろうか。野中官房長官は、長銀の救済合併先である住友信託の社長を首相公邸に呼びつけ、小渕首相から直接の合併要請をさせ、公的資金を投入してでも破綻前の住信との合併を画策していとこと、日米首脳会談で小渕首相はクリントン大統領に対して長銀はつぶさないとまで公約していたことからすれば当然の疑問が浮上してくる。しかも同行がが法的手続きに委ねられることによって、これまで隠し通してきた粉飾決算、不良債権隠し、政治家がらみの迂回不正融資などの実態が暴かれることに、とりわけそれらに深く関わってきた宮沢派が抵抗してきたことも良く知られている。
しかし一旦崩れ出した堰は止められなかったのであろう。すでに債務超過である実態が長銀内部からさえ具体的な数字をもって流れ出し、金融監督庁も、9月末時点で1600億円の自己資本があるが、有価証券の含み損が5000億円で、これを考慮すると「実質債務超過」であると発表せざるを得なくなった。しかも長銀は破綻した日本リースの債務保証予約をひそかに実行していたことも明るみに出た。今年3月期の有価証券報告書にも記載していなかった。債務保証であれば記載が必要だが、「予約」であれば記載を逃れられるとして編み出され、他の銀行やゼネコンなどでも多用されているという。しかしこれは明らかに証券取引法違反の虚偽記載に該当するものであり、刑事罰を問われることが相当な犯罪である。そして実際に長銀は株価が急落した今年6月、農林中金に補償額に見合う有価証券担保を提供していた。農林中金向けの1300億円を含め、こうした保証予約は2000億円に上っていたという。この日本リースには、農協系金融機関が3588億円、長銀本体が2557億円、住友信託が1549億円、三菱信託が1482億円、など多くの金融機関が債権を抱え込んでいたのである。
もはやここまでくれば救いようがない。しかも野党3党が一致して長銀への公的資金投入に反対しており、長銀問題と金融再生6法案が完全にリンクすることとなった。野中官房長官は、長銀をあきらめる代わりに6法案の成立を民主党との間で確認、しかも菅党首との間で、そのことによる内閣の責任を問わないという約束まで取りつけた。このことによって菅党首は野党間の不協和音と足並みの不一致の口実にされることともなった。野中氏は小渕内閣の延命と同時に野党間にも楔を入れたともいえよう。
野中氏は直ちに記者会見で、長銀救済の最大のネックだった日本リース問題をとりあげ、日本リースへの債権放棄は認めないと言明、これによって直ちに日本リースは破産、長銀救済は音を立てて崩れ去ったのである。
野中氏はさらにもう一つの手を打った。「個人的な感情を横においてでも、基本的な政策で一致する」党との連携をぶち上げ、自民党との連立に党再生の望みを託している自由党の本音を利用して、早期健全化法案については自由党と交渉し、合意を推進したのである。かくして6法案は自由、公明、民主で、早期健全化法案は自民、公明、自由で成立させ、臨時国会は閉幕した。

<<「消費税還元」セールの大当たり>>
ところで、1スーパーストアが始めた「消費税5%還元セール」が大当たりし、今や大手スーパーが全国の系列店で期限付きではあるが、一斉に「消費税還元」、「消費税抜き」を売り物にセールを展開、そこでは売り上げを急増させている。昨年4月以来の不況下に強行された消費税引き上げと増税政策、医療費負担増大がいかに消費を冷え込まさせてきたかを如実に示すものであった。
ルービン米財務長官等から消費税引き下げや一時停止を提起されてもかたくなに拒否してきた政府・自民党内にもがぜん不協和音が吹き出し始めた。危機的な経済状況の深化と自民党政権存続の崖っぷちの状況が、どの野党と手を組むかによって大きく政策を揺れ動かしているのである。
11/10、自民党役員連絡会で武藤元外相は、「消費を喚起しないと景気は良くならない。自分は(自民党税調会長として)消費税率を上げた張本人だが、この際、反省も込めて引き下げを提案したい」と発言、日経連の三好副会長までが「経済危機を救うためには、5%から3%に2年間ぐらいは引き止めておく」ことを提起し出した。

ここにはもちろん、自民党との保保連立をめざす自由党の「消費税は一時的に0%に凍結する」という政策との連動が見て取れる。自由党の凍結政策は一方で、一旦0%にした翌年から1年ごとに毎年消費税を2、4、6%、と段階的に引き上げていく、そうすれば各年度ごとに「駆け込み需要がさらに増大する」というまやかし的な政策が控えている。
一方、公明党との連携で急遽浮上してきた商品券支給構想は、ほとんどの世論調査でそっぽを向かれ、愚策だとけなされているが、それでも額も対象も縮小して「ふるさとクーポン」とか「地域振興クーポン」などとして合意を確認している。しかしその実施に当たっては、「デザインを決め、それを印刷する手間と経費」、「そのデザイン等を周知徹底させる手間と経費」、「対象者本人に確実に商品券を届ける手間と経費」、「使用された商品券を集計する商店、銀行、役所の手間と経費」、いずれも「手間と経費がかかりすぎる。」(10/31読売、山家・第一勧銀総研専務理事)し、商品券偽造の危険、防止用の透かし印刷等々、次から次へと難題が吹き出し、政府・自民党内でこれに触れることがタブー視されてきた。
そこへ消費税問題である。明らかに自公から自自への軸足の移動が見え隠れしているといえよう。参院の過半数127に対して自民党は23足りない。これに対し、自由党は12、公明党は24である。しかし公明は1党だけで自民と手を組むことに躊躇しており、自民党は公明を間に挟んで、民主と自由をてんびんにかけながらも、次第に保保路線への移行が明確になろうとしている。またぞろ中曽根やいかがわしい連中がしゅん動し始めた。短期間の臨時国会終了前後の内閣改造によって野党から閣僚を取り込み、事実上の連立政権とする構想が急浮上し始めた。
こうした自民党の延命に手を貸すのかどうか、今度こそ民主党の存在価値が試されているといえよう。(生駒 敬)

【出典】 アサート No.252 1998年11月21日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬 | 【投稿】 経済危機の進行と与野党再編 はコメントを受け付けていません

『詩』 「スケッチ九八」

『詩』 「スケッチ九八」
                大木 透

それは
不思議な旅だった
孫や娘夫婦は
例年通り
サンクト・ペテルブルグにいた
連れ合いは
ちょっと活気をなくしていた
俺は
自分を
上から眺める
鳥瞰図に凝っていた
ビュッヘの絵が
法王庁にあるらしいが
そんなものを
想像しながらも
本当に
タブラ・ラサだった

娘夫婦の歳に比べれば
確かに
そう言わざるをえない
この老夫婦は
なにごとかの
新天地を
求めていた

この旅は
孫を迎えに行くことから
始まった
五人組の旅は
歩く旅であった
ユーロスターに乗る
旅であった

日本から
サンクト・ペテルブルグへ
サンクト・ペテルブルグから
モスクワへ
モスクワから
ローマへ
ローマから
ベネチアへ
ベネチアから
ウイーンへ
ウイーンから
プラハへ
プラハから
モスクワへ
モスクワから
日本へ

なんの
変哲もない
旅であった
旅行会社の
パックには
ないが

帰ってから
俺は
地図を広げて
振り返って
四人の名前を
思い出した
レーニン
トリアッティ
ドプチェク
ゴルバチョフ
不思議な
組み合わせ
俺の旅

この旅には
裏街道もあった
裏の旅もあった
ベネチアで
ブロツキーの道を
歩いていた
ウイーンの音楽博物館の
暗い付録の部屋で
シェーベルクの
下手な自画像を見た
プラハ城の裏通りで
カフカの家を見つけ
「最後の手紙」を
買った
モスクワの墓地で
フルシチョフ夫妻の向こうの
明るい日向で
真新しい
シュニトケの
墓に参った
黒いリボンに巻かれた
ロシア文化省の
グラジオラスの束は
萎えていた
(一九九八・九・二三)

【出典】 アサート No.251 1998年10月24日

カテゴリー: | 『詩』 「スケッチ九八」 はコメントを受け付けていません