【投稿】補選の結果をめぐって 統一戦線論(24)

【投稿】補選の結果をめぐって 統一戦線論(24)

<<「ビリケン内閣」の再来>>
 5/16の衆院予算委員会で、民進党・山尾志桜里政調会長が安倍首相に対し、「女性活躍どころか“男尊女卑”政権だ」と批判し、「なぜ保育問題に前向きに取り組まないのか」と糾したところ、首相は「山尾委員は議会の運営ということについて少し勉強していただいたほうがいいと思います」とはねつけ、なんと「議会についてはですね、私は立法府、立法府の長であります」と開き直ったのである。立法府の長は衆議院議長であり、参議院議長である。首相は行政府の長であって、立法府の長ではない。三権分立の最低限の基本常識をさえ踏みにじって、いけしゃあしゃあとしている。噴飯ものである。「少し勉強していただいたほうがいい」のは、これほどの無知を晒けだした安倍首相本人であって、義務教育教科書を読み直して出直すべきであろう。すでに安倍首相は今年4/18のTPP特別委でも「私が立法府の長」と発言、その場で「立法府ではなく行政府」と指摘を受けていたのである。
 さらに翌5/17の参院予算委員会でも安倍首相は、安保法制採決時の議事録について質問を受けて、「立法府の私がお答えのしようがない」と回答、しかもその間違いを指摘する与党議員や閣僚さえいない。今年になって3回立て続けである。一向に正そうとする姿勢がないのである。
 2014年2月12日の国会で言い放った「(憲法解釈の)最高責任者は私です」という発言。さらに昨年3月20日のの参院予算委員会で口にした「我が軍」発言。そして今年3/21の防衛大学校での卒業式での「将来、諸君の中から、最高指揮官たる内閣総理大臣の片腕となって、その重要な意思決定を支える人材が出てきてくれることを、切に願います」「私は、最高指揮官として、諸君は、私の誇りであり、日本の誇りであります」と、自衛隊をまるで自分の“私兵”扱いとした発言。
 これらの発言に一貫しているものは、単なる言い間違いではない。あらゆる権力はわが手中にある、議会や司法などどうってことはない、立憲主義や三権分立など知ったことではない、それらを超然と踏みにじる、すでに現時点において、確信犯的な独裁者、独裁政権の姿勢である。
 1918年8月2日にシベリア出兵を宣言し、米騒動の責任をとって9月21日に総辞職した元帥陸軍大将・軍事参議官の寺内正毅内閣は、「内閣は衆議院多数党の代表者が組織すべきことを主張するのは、至尊の大権(天皇の大権)を干犯すると」と述べて、議会の干渉を排除した”超然”内閣の正当性を主張し、この内閣の「非立憲」から「ビリケン内閣」と呼ばれた、あの「ビリケン内閣」の再来が安倍内閣だともいえよう。

<<北海道5区補選の結果>>
 ところが、直近の世論調査では、このところこうした安倍内閣の危険で独裁的で暴走しかねない姿勢から低下していた安倍内閣の支持率が、総じて上昇気味である。読売新聞調査(5/13-15実施)では、安倍内閣の支持率は、前回(4/1-3)の50%からやや上昇して53%となったが、「支持率がやや上がったのは、熊本地震への対応や、オバマ氏の広島訪問という外交成果などに肯定的な見方が広がったためとみられる」としている。政党支持率は、自民党が前月比1.7ポイント増の25.6%で、3月に発足した民進党は同0.1ポイント増の4.3%とほぼ横ばい。以下、公明党4.1%、共産党1.7%である(5/15読売)。
 問題は、熊本・大分地震が4/14発生以来、いまだその深刻な影響を及ぼしている、その最中の4/24投開票の北海道5区補選の結果である。
 選挙終盤、野党統一候補が自公候補を上回ったと報じられた局面があったにもかかわらず、熊本地震が前例を見ない連鎖的・複合的・長期的な巨大地震であることが明らかになりつつあり、被害の拡大が川内原発や伊方原発にも波及しかねない時点から、与党陣営が盛り返しだしたのである。安倍政権が被災者支援にかこつけて危険極まりないオスプレイの派遣を米軍に要請したり、右往左往していたにもかかわらず、民進党は安倍政権の被災者支援に全面協力すると打ち出してしまったのである。
 北海道5区は、原発再稼動を目指す泊原発から80~100キロしか離れておらず、札幌市は避難受け入れ地域でもある。泊原発のわずか15km沖合に、長さ60-70kmの活断層があり、この地域には、長さ100km級の大活断層がいくつも存在する可能性、泊原発の直下で地震が起きる可能性すらが指摘されている。有権者の圧倒的多数は不安を抱えていたし、今も不安を抱えているのは間違いがない。それでも北海道電力は2017年度中の再稼働を視野に入れている。
 熊本地震の警告に直面して、何よりも訴えるべきことは、安倍内閣の原発再稼動固執路線を断固として糾弾し、それでも再稼働させるのかと訴え、再稼動をあきらめさせることであった。ところがその路線を放棄してしまったのである。「タイミングのいい地震」(おおさか維新の片山代表の発言)を利用した安倍政権、対決点をぼかしてしまった民進党と野党陣営。野党統一候補効果で本来上がるべきはずの投票率も上がらなかった(57.6%)。前回2014/12の投票率が過去最低だと問題になったが、今回の投票率はそれ以下の水準なのである。
 補選の結果は、自公・和田よしあき=135,842票に対し、野党統一・池田まき=123,517票、その差=12,325である。

<<「善戦」でいいのか?>>
 前回2014年12月の総選挙は故・町村信孝前衆院議長の約13万1000に対し、それぞれ独自候補であった民主・共産両候補の合計は約12万6000、その差=5000であった。その差は、肉薄どころか、倍以上開いたのである。ただし、前回の民主の票のうち、基礎票が約2万5000とされる新党大地は、今回は与党陣営に寝返っている。そのまま自公陣営に鞍替えしていれば、5万票以上の大差がついてもおかしくなかったともいえる。しかし実際には、新党大地の出口調査での支持率は、空白で、限りなく0に近かったのである。「本来なら圧勝しないといけなかった」(自民党幹部)にもかかわらず、与党陣営は大地の支持層を取り込めず、新党大地の豹変もほとんど支持されず、逆に、野党共闘の上積み効果は4万票以上だったともいえよう。
 しかし、野党統一候補であるにもかかわらず、投票率を上昇させることができず、それでも自民党候補者の得票は前回選より増加し、逆に野党統一候補者の得票は前回・民主党と共産党の各候補者の獲得得票合計より減らし、票差が大きく開いた現実は直視すべきであろう。これを「補選はあと一歩だったが、野党と市民が一つにまとまれば自民党を倒すことができるとの希望の火をともした」「野党・市民の共同が力発揮した」「共同の力 自公を追い込む」と楽観視していては危険である。
 確かに、共同通信の出口調査では、無党派層の7割が統一候補を支持し、民進党支持者の95.5%が統一候補に投票し、民進と共産とを離間させる反共攻撃は無党派層にも通用しなかったし、「共産と組んだら民進支持の保守層が逃げていく」という現象も起きなかったのである。その意味では善戦である。しかし、野党統一陣営のそれぞれが獲得していた過去の実績を上回ることが出来なかったのである。
 さらに、すでに「出口調査」で明らかになっていることであるが、投票選択では一位が社保、二位に景気の順で、安全保障はわずか10%にすぎない。共産党が主張する「選挙戦の対決構図」は空回りし、「戦争法を廃止」を最大の対決争点とすることは出来なかったのである。根底には、安倍内閣の危険極まりない政治姿勢への拒否感が蓄積されていても、その具体的な現れである熊本地震への対応や、原発再稼動問題を不問にしていたのでは、有権者から見放されてしまうのである。

<<共産党の対応の矛盾>>
 さらに指摘されねばならないのは、統一候補、統一戦線に対する共産党の姿勢である。野党統一候補となった池田氏は無所属で立候補したが、共産党が本来民主党の候補者であった池田氏の無所属立候補を頑強に求め、その結果、「無所属で出馬したため、党公認の和田氏陣営が2台認められた選挙カーが1台しか使えないなど運動に制約があったことも響いたのではないか。共産党が候補を取り下げ、野党共闘が実現したのは告示約2カ月前の2月中旬。池田氏を支援した市民団体からは「もっと早く野党が手を組めば、違う結果になったはず」と恨み節も聞かれたよ。」(4/26、北海道新聞)という事態に追い込んだことである。
 共産党は、安保関連法廃止という一点で共闘と言いながら、最後まで、池田氏が民主党(当時)会派に入ることに対してさえ反対し、決裂寸前の事態に、共産党の友好団体であるはずの道労連(北海道労働組合総連合)からも、共産党に対し、池田氏の民主党会派入りを認めよという声明まで出されて、ようやく会派要求を取り下げたのであった。こうした経過が敗因の重要な一因であることは間違いないといえよう。ぬぐいがたいセクト主義が、大きなマイナスの役割を果たしたのである。
 同じ補選でも、京都3区では、民進党の泉健太氏に対しては、裏ではともかく、表では共闘を拒否され、それでも共産党の独自候補を一方的に降ろし、自主投票というかたちで実質上、泉候補を支援したのである。保守系の泉健太氏よりも、野党共闘に積極的で、より革新系の池田真紀氏の方が共産党に有利と見れば、セクト主義を押し通そうとする。せっかくの良い候補者をセクト主義的に囲い込もうとする、この共産党の対応の矛盾も、今回の補選はさらけ出してしまったのである。
 いよいよ参院選を目前に控え、32ある「1人区」すべてで民進、共産、社民、生活4党による候補者一本化が実現する見通しが現実のものとなってきている。香川選挙区では民進党が独自候補の擁立を断念し、共産党の候補予定者への一本化が決められようとしている。安倍政権の目論見を阻止するためにも、今回の補選の結果を冷静かつ真剣に総括することが望まれる。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.462 2016年5月28日

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【書評】『紅蓮の街(ぐれんのまち)』

【書評】『紅蓮の街(ぐれんのまち)』
  ──フィスク・ブレット(現代思潮新社、2015年、1600円+税)

 本書は、アメリカ人作家の日本語による小説である。内容は四部に分かれ、テーマは東京大空襲である。第一部は、主人公、ピアノ教師の永田昌子と両親(俊幸とキク)の東京大空襲までの戦時下での日常生活(防空壕、防火水槽、灯火管制、度重なる空襲、配給の滞り等)が描かれる。第二部は、大空襲当日絶体絶命の危機に置かれた主人公たちの逃げまどう様子(母のキクは命を落とす)と一夜明けた東京の凄惨なまでの現実が、第三部は、戦前子供の頃に短期間日本に滞在し、戦後の日本を確かめたかったもう一人の主人公、従軍牧師のジョゼフ・ワーカーが昌子とともに空襲の記録を調査し、空襲の悲惨さが確認される経過が、そして第四部は、両者の視点のすれ違いと対立で深刻な課題が明るみに出される、という構成である。
 小説だけに話の筋道は本書を辿っていただくとして、ここでは本書の中心テーマを成しているが、これまで余り触れられたことがなかった二三の描写を指摘する。
 第二部での大空襲の後、死体の山を見て何とか片付けを行おうとした父親の俊幸が出くわした光景である。
 「(菊川国民)学校に入ってみると、何人もの死体が折り重なっていた。きっと一度校舎に入ったものの、身動きが取れなくなり、大勢の避難者がとって返して入り口へと殺到したに違いない。しかし、外からの熱気に襲われると、そこで全員が窒息して死んでしまったようだ。(略)
 校門や玄関からすべての死体を運び出すと、次は校内だった。/この時、誰もが言葉を失った。廊下で男たちを待っていたのは死体の山ではなく、誰もが想像できない光景であった。/入り口から入って最初の角を曲がると、長い廊下が続くのに、不思議なことに、形を為しているような死体は一体も発見されなかった。その代わり、床を見ると、まるで吹雪が起きたかと思われるほどの粉が学校の中に積もっていた。場所によっては膝までくるこの粉は、すべて灰であった。よく見ると、所々には骨が突き出ている箇所もあり、下には細かい骨などが沈んでいた。/コンクリートでできた学校の壁は直接の炎を防ぎながらも、熱を防ぐことができなく、その熱を保つ効果まであったようだ。つまり、菊川国民学校は巨大な火葬炉と化したのだった。/「これ・・・シャベルがなければ、何もできない・・・」と一人の男性がつぶやくと、永田たちも灰を見ながら静かに頷いた」。
 悲惨な地獄絵図であるが、シャベルによってすくわれる他ない灰となった人々である。
 ところがその少し後のある日のこと、昌子は、爆撃の被害者と加害者が入れ替わる場面に出くわす。彼女が上野公園に行くと、爆撃を受けていない動物園が開園していた。そこにいた熊やライオンが毒殺され、象は餓死させられていたことは知っていた。
「幸い、象舎の先に見えるサル山の前には数十人の人が群がっていた(略)。/昌子は多勢の人がいる場所をめがけて進んでいった。ところが、やっと堀までたどり着いてサル山の方に目をやると、昌子は立ちすくみ、小さな悲鳴まで上げた。/サルも当然いたが、皆が見ていたのはサルではない。裸の男がサル山の石に座り、背を向けていたのだ。男は金髪だった。目を背けた昌子は体中に電流が走ったような衝撃を受けた。(アメリカ人捕虜だ・・・。きっとB29のパイロットだわ)/(略)およそ十メートルも離れていたが、男は非常に不健康そうだった。いくつもの方角から眺めている群衆から陰部を隠すため、男は何度も姿勢や位置を変えていた。/(略)何度か昌子の方に頭を向ける米兵の目から、彼が感じている恐怖や恥ずかしさ、飢えや痛みが一瞬に伝わった」。
 この昌子の感覚は今でこそまともな感覚であるが、しかし当時空襲によって肉親を失い、鬼畜米英を叩き込まれてきた人々にはどうであったのか。今更ながら問われるところである。
 第三部では来日したジョゼフが、空襲で多くの人たちが逃げ込んで国民学校と同じように灰と化してしまった明治座の焼け跡を訪ね、千葉県の佐原で墜落した米軍機が埋められてしまった場所を見出すなどの話が出る。しかしここでは空襲についてジョゼフは、「地上での悲劇」「空中での悲劇」という矛盾した両方の側面を知る必要を感じる。それは、対ドイツ戦とその後のテニアン島での経験から起こった。
 「〈焼き払われた面積〉、〈投下爆弾トン数〉・・・。それぞれの空襲の任務報告や搭乗員たちの日々の会話では、そんな話題ばかりがだんだん強調されるようになった。それは仕方がないことであるとジョゼフはわかっていた。搭乗員たちが地上の人間のことを考えていたら任務が果たせなくなる。/だが、空襲の倫理について考えるのであれば、受ける側の苦しみなども念頭に置かなければならないだろう」。
 このように感じつつジョゼフは、ヨーロッパでの対戦の記憶も思い浮かべる。
「空軍が対ドイツ戦で使っていたのはB29ではなく、主にB17という爆撃機だった。B29より一回り小さく、機能的にも劣っていた。与圧機室もなければ、暖房装置もなかった。したがって、マイナス四十度という高高度の世界では、搭乗員たちにとって恐ろしいのは敵軍よりも凍傷だった。つまり、どんなに寒くても、戦っている間は人間は必ず汗をかき、小便を漏らす。飛行服を着たままでそんな水分は凍ってしまうわけだから、ほとんどすべての搭乗員は凍傷で苦しんだ。(略)/ジョゼフの計算では、B29部隊の戦死率は二パーセント弱で、最終的には数千人に上ったはずだ。しかし、ドイツと戦ったB17部隊の戦死率は比べ物にならない七十七パーセントだった。(死者数、三万人だ・・・)イギリス空軍の死者数五万人と合わせれば、日本とドイツの上空で殺された連合軍航空兵の人数はおよそ八万人に達するのだ」。
 この連合軍という視点からの叙述は、太平洋戦争(主として対米戦争)という言い方に慣らされてしまったわれわれには馴染みにくい。しかし戦争が第二次「世界大戦」であったという当然の事実すら彼方に行きかねない現在の日本にとって、戦争を再検討するための手がかり一つのとなるであろう。
 第四部では、まさしくそのすれ違いが現れる。ジョゼフがパール・ハーバーや重慶爆撃や日本軍の残虐行為や本土決戦の恐れ等について語り、一刻も早く侵略戦争を終結させるために止むを得ない空襲だったと結論づける。しかし昌子は反論する。
「(略)あそこ。あの学校が見えます?あの中で、私の父が死者の灰を何日もかけてシャベルで片付けました」。(略)/ジョゼフは静かに頷いた。「空襲が恐ろしかったことはわかりますよ、昌子。私にとっても悲しいことです」。
 昌子はジョゼフの顔をまっすぐ見て訴えた。「だったら、覚えていてほしいのよ。それだけです。一人でもいいから、ここに何があったのかは、アメリカ人にもわかってほしいですわ。日本人がこの町に何があったかを忘れてしまうかもしれないと思うと、私は悲しくて仕方がありません。ですけど、アメリカ人に忘れられるかと思うと、悲しいどころか、たまらなく怖いんです。しかも、私がそう思うのは、あなたたちにとって空爆は〈正しい戦争〉だったからこそです!」
 このすれ違いによって結局二人は別れることになるが、昌子にとっての「真の意味での〈追悼〉」が問われ続ける。戦争、空襲の評価について加害者/被害者のそれぞれに論理があり、決着のつかないまま、被害者の論理が主流となっている今日の日本で、アメリカ人作家によって空襲の歴史小説が書かれ、これからの論議に新たな局面を開いたことを評価したい。なお著者には前作として、ルソン島での日本軍兵士と通訳を強いられた現地の混血青年を主人公にした『潮汐(ちょうせき)の間』(前掲同社、2011年)という作品もあることを付記しておこう。(R) 

【出典】 アサート No.462 2016年5月28日

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【投稿】強権で矛盾糊塗する安倍政権

【投稿】強権で矛盾糊塗する安倍政権
             ~外交は迷走、内政は暴走~

<日米、日韓首脳会談は不発>
 4月1,2日にワシントンで開かれた第4回核安全保障サミットは、ヨーロッパに拡散するイスラム国など武装勢力の脅威、北朝鮮の核開発などを踏まえ、核テロ対応など中心に50か国以上の代表が論議を行った。
 サミットで採択されたコミュニケでは、核テロ防止とともに「核に関する安全保障は永続的な優先課題」として「核物質の保安管理は各国の根本的責任」とされた。
 サミットに先立つ3月下旬、半世紀以上昔に提供された研究用プルトニウム331キロなどを返還するための輸送船が、東海村から処理施設のあるアメリカサウスカロライナ州に向かった。
 サミット後の記者会見でオバマ大統領はこれらを念頭に、核兵器に転用可能な高濃縮ウランやプルトニウムが、「決してテロリストの手に落ちることはない」と強調した。
 しかし、日本には依然としてプルトニウムが保管されており、核武装への懸念が国際的に存在している。しかし、会議に参加した安倍は伊勢志摩サミットと東京オリンピックのテロ対策に言及したのみで、核武装に対する疑念を払拭することはなかった。
 「核物質の保安管理」が最も粗雑な政府であるにもかかわらず「アンダーコントロール」などと言いつくろう安倍は核サミットでは、まったく存在感を示せなかった。
 安倍が力を注いだのは米韓との首脳会談であるが、これも特段の成果を上げることはできなかった。4月1日の日米首脳会談ではオバマから、辺野古新基地の建設遅滞について懸念を示され、安倍は「辺野古移設が唯一の解決策との立場は不変」と述べるのが精いっぱいであった。
 オバマも最後は「安倍を信頼する」と述べたものの、4月5日に翁長知事は「辺野古の埋め立て承認以降の事由で私どもが了解できないことがあれば、撤回も視野に入れる」(4月6日毎日)との見解を示し、安倍がオバマの信頼に応えきれない現実が露呈した。
 その後の日韓首脳会談では、昨年末に「最終的解決」とされた従軍慰安婦問題についての合意を、両国政府が着実に合意するとの確認がなされた。
 しかし4月13日の韓国総選挙で朴大統領の与党セヌリ党は過半数を大きく割り込む大敗を喫した。一方共に民主党など野党は躍進し、ソウル日本大使館前の少女像の撤去など当事者抜きの「合意」内容の履行は、ますます困難になることが考えられる。

<G7外相会合で露呈した矛盾>
 このように、核サミットを利用した安倍外交は、合意の直後からその足元を揺るがされる事態に直面しており徒労に終わったと言ってもよいだろう。
 外交での成果を作りたい安倍政権は、4月10日から広島市で開かれたG7外相会合にあわせ、過剰な警備体制を敷き各国外相の平和記念公園訪問を演出した。同会合で採択された「広島宣言」では核兵器の非人道性についての指摘は、核保有国の反発で盛り込まれず、核廃絶へのプロセス具体化にむけての展望は開けなかった。
 また、自ら原爆ドーム視察を提起するなど積極的な行動を見せたケリー国務長官に「謝罪したのではない」と釘をさされるなど、被爆国のイニシアティブは発揮できなかった。
 さらに、中国、韓国からは第2次大戦における日本の加害性を隠ぺいするものとの批判も上がっている。今回の外相会合で安倍政権は、事前に中国が懸念を示していた東、南シナ海問題を議題化し、「宣言」とは打って変わって共同声明では、当該海域での一方的な行動への強い反対などを盛り込むなど、中国への牽制ではイニシアティブを発揮した。
 これらのことで、従軍慰安婦問題の根本的解決など戦後補償を蔑ろにし、軍拡、緊張激化を進めながら被害者性を強調する安倍政権の危険性が浮き彫りになったといえよう。
 
<進む南シナ海への介入>
 事実外相会合直後の4月12日には、フィリピンを訪れた海自の護衛艦2隻がベトナムのカムラン湾に寄港、さらに同日からインドネシアが主宰する「コモド演習2016」にヘリ空母「いせ」(1万9千トン)を派遣した。コモド演習には中国も参加しているが、アメリカを含めた参加海軍中、最大の艦艇を送り込んだのは中国に対する示威行動に他ならない。「いせ」は日本への帰途の際にはフィリピンに寄港することが明らかとなっており、海自艦のフィリピン寄港は常態化しつつある。
 また、4月15日には、フィリピン、ベトナムに寄港した2隻とは別の護衛艦2隻、そして潜水艦1隻が合同演習参加のためオーストラリア、シドニーに寄港した。海自の潜水艦が豪州を訪れるのは初めてであり、豪海軍へのセールスも兼ねているが、最大の目的は中国への対抗であろう。
 南シナ海ではアメリカ海軍が単独で「航行の自由」作戦、さらにフィリピンとの合同パトロールを展開している。さらに4月4日~15日には「バリカタン演習2016」が実施され米比両軍9千人が参加した。
 しかし、これらはアピール性は高いものの、偶発的衝突を招き、敵愾心を煽る性格のものではない。中国も当然のことながら、米韓演習に対して北朝鮮が見せたような対応はとっていない。
 先月号で日米演習時の米軍司令官の不祥事を紹介したが、米比演習直前の4月2日には南沙諸島を望むパラワン島の酒場で、米兵が比警察官に悪戯をしかけ、グループ同士の乱闘事件が発生した。アメリカ軍は「このことが合同演習に影響を及ぼすことはない」とコメントしたが、上も上なら下も下であり、アメリカ軍の緊張度が推し量れるというものである。
 こうしたなか4月14日、アメリカのABCニュースは南シナ海で日米共同パトロールが行われた、と報じた。詳細は明らかになっていないが、事実であればこの間の艦艇の動きから、フィリピンからベトナムに向かう途中の護衛艦2隻が参加したと考えられる。
 また「バリカタン」は米比2ヶ国演習であるが、安倍政権は来年以降これへの正式参加を目論んでいる。護衛艦2隻は演習開始時にスービックに停泊しており、4月6日の出港後パトロールに参加したとなれば、演習参加の先取りと言っても過言ではない。また安倍政権は否定しているが、「航行の自由」作戦への海自艦艇の参加も排除できないだろう。
 こうした動きは南シナ海での緊張のレベルを引き上げるものになる。アメリカに対しては慎重に対応している中国も、日本が本格的に介入してくれば警戒の度合いを高めるだろう。
 
<対露外交も限界>
 中国、韓国、さらには北朝鮮との関係改善に展望が見いだせない中、安倍は対露政策に活路を見出そうとし、5月連休中の訪露と年内のプーチン訪日を計画し、4月15日にはラブロフ外相が訪日、外相会談が行われた。
 その際対露融和に否定的なアメリカの理解を得るため、安倍は事前にウクライナのポロシェンコ大統領と会談し、約2千億円の経済支援とクリミア問題に関する理解を明らかにした。アメリカに苦情を言われないための2千億円ならお安いものなのだろう。
 一方で安倍政権は、自民党の稲田政調会長をロシアに派遣し、訪露の根回しを行わせた。 安倍訪露は確定的であり、年内にはロシア上下両院議長の訪日も実現する見通しであるが、懸案の北方領土問題の進展は難しいであろう。
 日露外相会談では平和条約締結に向けての協議を進めることでは合意したが、領土問題に関してラブロフ外相は原則論を固持した。
 そもそも、北方領土はロシアにとって対米戦略上の要衝であり、米露が緊張緩和に向かわなければ、問題は動かないだろう。したがって現状で日露首脳会談を何度しようが成果は得られないだろう。

<粗暴極まる内政>
 外交で突破口を見いだせない安倍は、内政に於いては相変わらず強引な政権運営を進めている。政府与党は民進党など野党4党が提出した安全保障関連法廃止法案を審議さえ行わないという、国会を軽視する卑劣な行動に出た。
 さらにTPPを巡っては、野党の求める資料がほとんど黒塗りで出されたのに対し、衆院TPP特別委員会の西川委員長の著書では、交渉経過に係わる記述があることが暴露され審議が中断した。
 さらに衆議院選挙制度改革では、アダムズ方式による抜本的な定数見直しを押しつぶし、「0増6減」という小手先の手直しを強行し、「改革」の名分としようとしている。
 こうした強硬姿勢で反発を抑えながら5月26,27日のサミットで「対中包囲網」「世界経済の回復」を華々しく打ち上げ、その後率先して財政出動、さらには今年度予算12兆円の前倒し執行に加え「消費増税再延期、税率見直し」を含む経済対策を持って、参議院選挙、もしくは衆参同時選挙に臨もうと言うのが安倍政権の戦略であろう。
 さらに安倍は14日夜に発生した熊本地震に際し、その時点では被害が比較的小さかったのを踏まえ、16日に現地入りし復旧を指揮する姿をアピールしようとしたが、16日未明の本震による激烈な被害拡大で中止に追い込まれた。また17日に予定されていた自身が出演するバラエティ番組の放送も中止された。
 しかし、安倍政権は様々な形で震災の政治利用を進めようとするだろう。まさに「選挙のためならなんでもする」である。安倍政権の暴走は震災以上の災厄を日本にもたらすであろう。
 民進党を始めとする野党は再度、選挙戦略を練り直し選挙区のみではなく比例区での統一候補擁立を進める必要があるだろう。(大阪O)

【出典】 アサート No.461 2016年4月23日

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【投稿】米覇権国家の後退とプルトニウム国家への道か否かの選択

【投稿】米覇権国家の後退とプルトニウム国家への道か否かの選択
                             福井 杉本達也

1 高純度プルトニウムと高濃縮ウランの米国への返還
 3月31日~4月1日、米国の首都ワシントンで核安全保障サミットが開催された。共同声明ではプルトニウムや高濃縮ウランなどの核物資の管理強化が明記された。サミットに先立ち、3月23日には日本から米国に高純度のプルトニウム239が返還された。プルトニウムは原子力研究開発機構の東海村にある「高速炉臨界実験装置(FCA)」で使われ、331kgあるとされるが、8kgを1発分の核兵器に換算すれば40発分にも相当する。高速増殖炉開発の中でプルトニウムの挙動を研究するために米国から提供を受けたもので、使用していた施設が目的変更されたことで、本来の利用目的外のプルトニウムを保有しないとの方針と、米国による「核兵器転用可能物質の管理」方針により米国に返還されることになったというのが公式での建前である。また、核サミットにおいて、京都大学研究用原子炉からの高濃縮ウラン45キロも撤去されることが合意された。
 米国の本音は核弾頭数十発分のプルトニウムや高濃縮ウランを日本に預けておいては不安なので、米国に引き揚げたのである。米国は、日本の「独自核武装」を恐れている。核弾頭数十発分のプルトニウムなど恐ろしくて日本においておくべきではないというのがホワイトハウスの決定である。

2 トランプ米共和党大統領候補発言の衝撃
 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)が3月26日に掲載したインタビューで、トランプ氏は日米安保条約について「片務的な取り決めだ。私たちが攻撃されても、日本は防衛に来る必要がない」と説明。「米国には、巨額の資金を日本の防衛に費やす余裕はもうない」とも述べ、撤退の背景として米国の財政力衰退を挙げた。その上で、インタビュアーが「日本は世界中のどの国よりも駐留経費を負担している」とただしたのに対し、「実際のコストより、はるかに少ない」と強調。「負担を大幅に増やさなければ、日本や韓国から米軍を撤退させるか」と畳み掛けられると、「喜んでではないが、そうすることをいとわない」と語った。トランプ氏は、日本政府と再交渉して安保条約を改定したい考えも表明。日韓両国が北朝鮮などから自国を防衛できるようにするため、「核武装もあり得る」と述べ、両国の核兵器保有を否定しないという見解も示した(時事)。
 世界のまともな主権国家で70年間もの長期にわたる軍事占領を許し、首都の空まで横田空域として明け渡している国家はない(国家の体をなさない属国である)。米軍の撤退を掲げるトランプ発言が本音ならば、普天間の問題も沖縄の基地も解決するので大歓迎である。発言に大慌てなのは、米軍の占領・基地使用を「国体」とする日本の官僚機構である。
 
3 「核兵器・憲法上は禁止せず」答弁書と日本独自核武装論の行方
 新党大地(鈴木宗男)系の鈴木貴子衆議院議員が提出した質問主意書に対し、政府は4月1日の閣議で、核兵器の保有や使用について、「憲法9条は一切の核兵器の保有や使用をおよそ禁止しているわけではない」とする答弁書を決定した。これは横畠内閣法制局長官が3月18日の参議院予算委員会で、「憲法上、あらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているとは考えていない」と発言したことを踏まえての政府答弁である。これまでも「独自核武装」論は度々政府首脳の口から発せられてきたが、今回はブッシュ政権が始めたイラク戦争の失敗によって米国の覇権が決定的に揺らぐ中での発言だけに無視できないものがある。
 こうした政府の答弁におおさか維新代表の松井大阪府知事は「何も持たないのか、抑止力として持つのか」議論すべきと浅はかな考えを語っている。さらに「自国ですべて賄える軍隊を備えるのか、そういう武力を持つならば最終兵器が必要になってくる」「米国の軍事力がなくなった時にどうするのか。夢物語でなんとかなる、ではすまない。」とも述べている(朝日:2016.3.30)。大量の放射性廃棄物やプルトニウムを抱えた原発を海沿いに50基以上も並べて「抑止力」を云々できる感覚は理解できない。核兵器でなくても通常兵器で格納容器の破壊は十分可能である。国内の原発が戦争やテロなどで攻撃を受けた場合の被害予測を、外務省が1984年、極秘に研究していたことが分かった。原子炉格納容器が破壊され、大量の放射性物質が漏れ出した場合、最悪のシナリオとして急性被ばくで1万8千人が亡くなり、原発の約86キロ圏が居住不能になると試算していた(東京新聞2016.4.8)。

4 「もんじゅ」の行方
 原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し再利用する日本の青森県六ケ所村の再処理工場について、3月17日、米国務省のカントリーマン次官補は「再処理に経済的な合理性はなく、核不拡散上の心配を強めるものだ。米国は支持しないし、奨励もしない」、「再処理事業から撤退すれば非常に喜ばしい」とし、日本の再処理事業に懸念を表明したが、外務省はこれに反発した(朝日:2016.3.18)。
 六ヶ所村の再処理工場と並んで日本の核燃料サイクルの結節点にあるのが敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」である。「もんじゅ」の真の目的は燃料の増殖にあるのではなく、軍事用プルトニウムの生産にある。「もんじゅ」の炉心を取り巻く核分裂しないウラン238を主体とするブランケットと呼ばれる燃料集合体の部分にあるウラン238が高速中性子を吸収し核分裂性のプルトニウム239に変わる。その燃料集合体を毎年半数取り出せば純度98%の軍事用プルトニウムを62kg生産することができる。昨年11月、原子力規制委員会は、「もんじゅ」の運営主体である「日本原子力研究開発機構」に対し、運営する「資質なし」として運営主体を代えるよう所管する文部科学省に勧告した。文科省の「もんじゅ」の新運営主体の検討会(有馬朗人座長)では、またまた看板の付け替え(「動力炉・核燃料開発事業団」(1967年発足)→「核燃料サイクル開発機構」(1998年)→「日本原子力研究開発機構」(2005年)→新法人への改組)でお茶を濁し、軍事用プルトニウムの生産を諦めない動きが強くなっている(座長:「新法人に外部評価を」福井:2016,4.7)。

5 「核なき世界」に近づくどころか瀬戸際戦略に回帰するG7外相会議
 4月10,11日に広島市を舞台に開催されたG7外相会議において『広島宣言』が出されたが、新聞各紙は「原爆投下は『非人間的な苦痛』」という見出しで、あたかも米国が原爆投下を謝罪し、米英仏の核保有国が核兵器を廃絶するために日本が会議を主導したかのように「演出」を行った。宣言原文「human suffering」を外務省は「非人間的な苦痛」と訳したが、「非人間的」という意味はない。「人的被害」と訳することが正解である(朝日:2016.4.13)。核兵器使用の非人道性を明示したものではない(中村桂子・福井恫喝のための:4.13)。核兵器が「毒ガス兵器や「生物兵器」のように「非人間的」なものであれば、それを使用しようとする国家は「非人間的国家」として倫理的正当性を失い、国際的非難を浴びることとなる。しかし、「人的被害」であれば、兵器とは必ず人的被害を出させることが目的であり、それを使用したからといって国際的非難を浴びるものではない。
 外務省はどうしてこのような小細工を弄するのか。『広島宣言』とは日本は今後もけっして米国の「核の傘」を離れて「独自核武装」への道は進みませんという誓約であり、今後も軍事占領を続けてくださいという意思である。しかし、それでは対国民に対しては具合が悪いので、あたかも核兵器を廃絶する会議を日本が主導したかのように=日本は独立国であるかのように見せかけているのである。
 では、一方の当事者米国はどうか。ケリー国務長官は原爆慰霊碑に献花したが頭は下げなかった。5月の伊勢志摩サミットではオバマ大統領の広島訪問も検討されているが、その論理は「たった1発の核兵器の威力よって東洋の野蛮国をひれ伏させ属国とした」という凱旋以外にはない。米国は欧州では核による恫喝のために核兵器近代化プログラムを進めており、北朝鮮の核実験を出汁に東アジアにおいても日本・韓国でミサイル迎撃態勢(MD)を整備しつつあり、核兵器を廃絶する気などさらさらない。
 『広島宣言』のもう一つの相手は中国である。宣言では「透明性を向上させたG7の核兵器国の努力を歓迎し、他国にも同様の行動を求める」としており、核兵器保有数を明らかにしていない中国を批判している。また、『海洋安全保障に関する声明』においては、南シナ海における「航行および上空飛行の自由の原則」を強調し中国を牽制している。「対中脅威論」を煽り、対米従属を継続させることが日本官僚の存立基盤であるが、米国には必ずしも日本を中国の攻撃から防衛する義務はない。安保条約第5条は「自国の憲法上の規定及び手続きに従って」となっており、米国が参戦する場合、議会の承認が必要である。中国との正面衝突は避けたいのが本音である。米国も日本の基地は使い勝手がよいし、中国脅威論が高まれば日本に兵器も売り込みやすくなるが、日本などの為に中国と一戦交えたくはないと考えており、たとえ米中間で緊張が高まっても、日本の「独自核武装」は阻止し、日本を米国の影響力の範囲内に置き想定外の事態が発生することを防ぐというのが核をめぐる一連の流れである。アフガン・イラク戦争を経て米国の「世界の警察官」としての役割が後退する中、今後も米国の属国として、中東・アフリカまでも付き従うのか・「独自核武装」して放射能の海に自滅するのか・米国の覇権を相対化してアジアでしかるべき独立国としての位置を占めるのか、プルトニウム(高濃縮ウランを含む)の現物をめぐり水上・水中において激しいバトルが行われている。無論、我々は、そこにおいては欧州の「イスラム国」(IS:米CIA・サウジ・トルコ・イスラエルが養成した外人部隊)によるテロといった自作自演の謀略や情報操作などにも注意しなければならない。 

【出典】 アサート No.461 2016年4月23日

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【投稿】熊本地震・原発固執政権めぐって 統一戦線論(23)

【投稿】熊本地震・原発固執政権めぐって 統一戦線論(23)

<<大地の警告>>
 熊本県、大分県で観測史上4度目という震度7の強い地震が拡大している。何の前触れもなく、突如襲い掛かる大地の警告である。最大震度6強の強い余震が次々と連鎖、同時多発的に発生し、いまだ被害が拡大途上である。地震活動は、九州の広い範囲から、4月14日夜の「前震」に続いて、16日未明に熊本の「本震」(M7.3、震度6強)では、これと連動して関西地域でも地震が観測され、大阪南部でも震度3が記録されている。いったんおさまったかに見えても、誰も今後の事態を予測できない。
 明らかにこの事態が示していることは、日本列島を関東から中部、関西、四国、九州をまで貫く巨大な活断層である中央構造線と密接にかかわった巨大地震が動き出していることを示している。この中央構造線上に愛媛県の伊方原発があり、佐賀県の玄海原発が位置し、静岡県の浜岡原発がある。鹿児島県の川内原発は、この中央構造線の延長線上であり、しかもこれと並行し、活性化が心配されている南海トラフ地震のプレートの直近に位置している。日本列島は列島全体が地震の巣の上に位置しているともいえ、日本のすべての原発は、大地の警告を無視して、その地震の巣の上に立地する危険極まりない存在である。5年前の福島原発事故はそのことをまざまざと示したばかりであった。
 今回の地震発生は、4/6、福岡高裁宮崎支部が、川内原発1・2号機の運転差し止め仮処分の抗告を棄却してわずか8日後のことである。西川裁判長は、耐震設計の目安となる基準地震動(可能性がある最大の揺れ)を上回る地震のリスクはゼロではないとしつつも「新基準は耐震安全性確保の観点から極めて高度の合理性を有する」と認定。耐震設計についても「過小評価とは言えない」、「避難計画がないわけではない」、事故の危険性は「社会通念上無視し得る程度小さい」などと、まるで福島の原発事故がなかったかのような、一時代前の「原発安全神話」を「社会通念」として、原告の主張をを切り捨てたのであった。この「川内原発運転差止仮処分の却下」は、大地の警告を無視した完全に間違った決定であることを自然が立証してしまったのである。今回の地震発生で真っ先に気が動転したのは、九州電力経営陣とこの裁判長であろう。

<<惨事便乗型の改憲姿勢>>
 その川内原発は、この福岡高裁宮崎支部の運転差し止め仮処分の抗告棄却によって、現在、全国で唯一再稼動している原発である。同原発は、震度4を記録し、余震が拡大しているさなかにあっても平然と運転を継続し、原子力規制委員会も政府もこれを追認し、むしろ再稼動継続路線に固執している。
 川内原発の「震源を特定せず策定する地震動」では、震源距離10km圏内でマグニチュード6.8を想定しているが、最大加速度は620ガルでしかない。ところが今回の地震では、益城町の三成分合成で1580ガル、上下動1399ガルという巨大な地震動が記録されている。1995年の阪神大震災の891ガルをさえ大きく上回っている。しかも、余震が熊本から南西方向にも拡大しており、かつて川内沖100 km を震源とする震度7の地震が記録されていることからすれば、川内原発は、すぐさま停止させるべきなのである。
 ところが4/16、原子力規制庁は、稼働中の川内原発と、運転停止中の玄海原発、伊方原発に異常はない、と発表。丸川珠代環境相兼原子力防災担当相は15日の閣議後の記者会見で「原子力規制委員会から九州電力川内原発と玄海原発の施設に影響はないと報告を受けている。これからも余震が心配される。必要な時にすぐ態勢が組めるよう備えたい」と述べ、運転中の川内原発について、観測された地震動が自動停止させる基準値を下回っているとして「現在のところ、原子力規制委員会は停止させる必要はないと判断している」と、停止させる考えなどさらさらない態度である。原発震災事故は、それに直面してから、「必要な時にすぐ態勢が組めるよう備えたい」といった甘いものではない。「必要な時」には、すでに手遅れなのである。運転停止させることが先ず何よりも必要であるが、たとえ運転停止させても、放射能災害拡大の危険性に満ち満ちていることをまったく認識していない甘さである。群発地震のさ中にあっても、なぜひとまず止めようとしないのか? その最低限の常識さえ示しえない安倍内閣の傲慢さにはあきれ返るばかりである。
 地震が熊本県から大分県に拡大し、豊後水道を挟んだ四国電力伊方原発も危険極まりない存在である。その伊方原発について、愛媛県と四国電力は4/16未明、県庁で記者会見を開き、伊方1~3号機に異常はないと説明。四国電担当者は、再稼働前の最終的な手続きである3号機の使用前検査に「影響は出ないと思う」と強調、七月下旬の再稼働を目指す姿勢を変えていないし、安倍政権はこの再稼動をも後押ししている。
 4/17付け東京新聞は、「『川内』運転 住民ら不安 政府、地震域拡大でも静観」と題する記事で、川内原発建設反対連絡協議会の鳥原良子会長は「川内原発周辺にも活断層があり、いつ南九州で大きな地震があるか分からない。とにかく運転を止めてもらわなければ」と語気を強めた。松山市の市民団体「伊方原発をとめる会」の和田宰事務局次長は「再稼働の方針を考え直してもらいたい」と訴えた、と報じている。
 菅官房長官は4/16、こうした不安や訴えをまるで考慮することもなく、「原発、現状において停止する理由ない」、「津波もなく(震源地から)離れており、止める考えはない」と平然たる態度である。菅官房長官は、さらにこの地震に乗じて、緊急事態条項を憲法改正で新設することについて「極めて重く大切な課題だ」と、まさに惨事便乗型の改憲姿勢を露骨に示すまでにいたっている。第二の原発震災にまでつながりかねない、被災者や多くの人々のつのる不安を無視した、安倍政権の悪代官そのものの姿勢である。安倍首相、菅官房長官、丸川珠代・原子力防災担当相は、あくまでも原発再稼動路線に固執する、事実上「原子力村・原発マフィア」の代理人にしか過ぎない存在なのである。

<<民進党は川内原発の稼働停止の主張を>>
 地震が拡大するさなかの4/15、民進党、共産党、社民党、生活の党の4野党の書記局長・幹事長の協議がもたれ、熊本県での地震被害を受け、犠牲者を悼むとともに「党派を超えて人命第一で救援に全力をあげよう」「野党が互いにできることを一緒にやっていきたい」と、党派を超えた人命第一の救援に全力をあげることが確認された。
 問題は、さらに進んで、野党共闘の柱に、原発再稼動反対を明確に位置づけることが必要不可欠な事態の進展である。今回の地震の重大な警告を生かさなければ、野党共闘は真に力強いもの、人々の切実な不安と訴えに応える力強いものとはなりえないであろう。安倍内閣が、この地震のさなかにおいてもなお原発再稼動路線に固執し続けているからこそ、この路線と対決するさらにより幅広い統一戦線の形成が可能であり、喫緊に要請されているといえよう。
 4/16、フォトジャーナリストの広河隆一さん、作家の落合恵子さん、沢地久枝さん、広瀬隆さん、ジャーナリストの鎌田慧さんと、若者のグループSEALDs(シールズ)の山田和花(のどか)さんら六人が、「私たち「川内原発の即時停止を求める有志の会」は、九州全域を巨大地震が襲っている状況の中で。川内原発を停止させる措置を取らず、原発を運転し続ける九州電力に対して、川内原発の即時停止を要請します。」「異常があってからでは遅いということは、東京電力福島第一原発事故の経験から、誰の目にも明らかです。今とるべき唯一のことは、すぐに原発を停止し、万が一の事態に備えることです。九州では今、大震災に襲われ、多くの人が被災しているなか、懸命の救援が続いています。そのような、ただでさえ大変な不安な状況の中で、人々は、次の大地震がもしかして川内原発を襲うのではないかという恐怖にさいなまれています。私たちは九州電力に、原発の稼働を即時中止するよう要請します。」とする川内原発の即時停止を求める要請文を、九電に送ったと明らかにしている。
 民進党の一部には、原発に対する態度を曖昧にしたままやり過ごそうとする勢力が存在するが、熊本震災の警告はもはやそのようなあいまいさや、対応と感度の鈍さを許さない事態の進展である。
 すでに、3/2、民主党宮城県連と共産党宮城県委員会は定数1となった今夏の参議院宮城選挙区の候補者を民主党現職の桜井充氏に一本化することで合意し、以下のような6項目の「政策協定書」を交わしている。
 (1)立憲主義に基づき、憲法違反の安保関連法廃止と集団的自衛権行使容認の7・1閣議決定の撤回を目指す。
 (2)アベノミクスによる国民生活の破壊を許さず、広がった格差を是正する。
 (3)原発に依存しない社会の早期実現、再生可能エネルギーの促進を図る。
 (4)不公平税制の抜本是正を進める。
 (5)民意を踏みにじって進められる米軍辺野古新基地建設に反対する。
 (6)安倍政権の打倒を目指す。
 これは、今回の参院選をめぐる野党共闘で、もっとも進んだ包括的で具体的な政策合意である。民進党でこれが可能であるならば、この政策合意をさらに全国化し、全野党の合意に拡大することが要請されている。とりわけ(3)の脱原発路線を、直面する事態に照応して、原発再稼動ゼロを明示し、民進党においては、最低限、より具体的に川内原発の稼働停止と玄海原発、伊方原発の再稼動反対の主張を明確にすること、それを全野党共有の政策合意とすることが不可欠と言えよう。それは可能であり、そのためのさらなる努力が要請されている。野党共闘がこれに応えられなければ、有権者の圧倒的な支持を獲得することはできないであろう。
(生駒 敬) 

【出典】 アサート No.461 2016年4月23日

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【書評】『リンゴが腐るまで—-原発30km圏からの報告(記者ノートから)』

【書評】『リンゴが腐るまで──原発30km圏からの報告(記者ノートから)』
    (笹子美奈子著、2016年2月、角川新書、800円+税) 

 本書は、「最後の最後まで、もうこれしか選択肢がないですねという段階になるまで物事が決まらない。日本の政治って、何でもそうよね」という先輩記者の言葉を聞き、2013年から15年まで読売新聞福島支局に赴任、東京電力担当であった記者の記録である。書名の『リンゴが腐るまで』とは、これも先輩記者の話から来ている。義父から福島県産のリンゴが送られてくる、安全だという福島県知事のメッセージが添えられていたが、当時まだ子供が小さく食べるのはためらわれた、といって捨てるのもためらわれる。リンゴは結局、段ボールに入れたまま放置され、3月の終わりになって、一つ二つ腐り始めたリンゴを処分することになってしまった、と。
 福島の原発事故の収束・復興作業が進んでいないのはなぜか。著者は、この問いを抱いて現地に赴任する。そして現地で改めて目にしたのが、「その約10年前、2004年の新潟県中越地震の被災地の取材で見聞きしたことと酷似していました。/同じことが繰り返されていました。/お年寄りの孤独死、アルコール依存症。家庭の崩壊。国などから受けられる補助金の額が異なることによって生じる地域住民間の不和。帰る、帰らないの問題。災害の規模も性質も異なるのに、起きている現象と問題の構造は、中越地震とほとんど変わらないものでした」という事実である。
 例えば、賠償金をめぐる住民間の軋轢と矛盾である。帰宅困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域のそれぞれに支払われる賠償金が、道路一本を隔てただけで異なる。
 「中でも複雑なのが南相馬市」である。南相馬市は、2006年、小高町、鹿島町、原町市の3市町村が合併して誕生したが、「市南部の小高区(旧小高町)は、福島第一原発から20キロメートル圏内にあり、避難指示指定区域に指定されている。住民の多くは、原発から離れた市北部の鹿島区(旧鹿島町)にある仮設住宅に避難している。そして小高区と鹿島区の間にあり、市中心部の原町区(旧原町市)は原発から30キロメートル圏内に位置している。/原発から20キロメートル圏内、30キロメートル圏内、30キロメートル圏外の境界線が、小高区、原町区、鹿島区の三つの行政エリアの境界とほぼ一致するような形できれいに重なっているのだ。/そこで生じてくるのが、原発事故の賠償金の差をめぐる問題だ」。
 同じ仮設住宅で暮していても、東電からの賠償金が支払われる地区(小高区)、一部の住民に支払われる地区(原町区)、原則支払われない地区(鹿島区)がある。さらに受け取る金額の差がある。この結果賠償金の支払いが始まった当初、住民間の確執があからさまに表面化し、数年経った現在でも消えずに残っている。
 これに加えて事態を複雑にしているのが、「津波被災者と原発被災者との混在」である。南相馬市では津波による死者・行方不明者が600人以上に上る。「津波被災者にとってみれば」、親しい人の命を奪われ、家を建てる資金もない。「それに比べて原発被災者」は、命を落としたわけではなく、賠償金も受け取っている、待遇の差がやりきれない。一方「原発被災者にしてみれば」、自分たちは死ななかったが、放射線を浴び、一生健康に不安を抱えて生きていかなければならない、生きている間に自宅に帰れるかどうかも分からない。「津波被災者」は、土地は残されている、家を建て直せばまた元の生活を取り戻せる、と。
 このような状況に対して、では行政はどう対応しているのか。本書は、「三流官庁」環境省の責任が大であるとする。「原発事故直後、除染の所管省庁をどこにするか、政府で検討された際、名乗りを上げたのが環境省だった。『三流官庁』と揶揄されてきた環境省にとって、膨大な予算を扱う除染作業実績を作ることにより、脱三流官庁を果たすチャンスだった。/ところが、実績を作るどころか、除染作業は霞ヶ関のお荷物となった。宮城県、岩手県でインフラの復旧が着々と進む一方で、福島県は除染作業が進まないため、復興事業全体が足止めを食らった」のである。これまで規制官庁であった環境省の対応は、「ホッチキスで書類を留めているばっかりで何もしていない」と批判される始末である。
 次に現場と直接対応している自治体はどうか。ここでは業務量が膨大に増えたことが指摘される。復興業務自体がマニュアルのない作業であるため、例えば、避難指示区域の住宅は数年以上人が住まないまま放置されているため、ネズミに荒らされ傷んでいる。これを駆除して欲しいという要望が多く寄せられるが、ネズミの駆除のために使える交付金など、過去に前例がない。そしてこの対策を実施しようとすれば、これまた膨大な説明書類(事業の適正さ、費用算出、費用対効果の見通し等)の作成と陳情が必要となる。「被災地にいれば、ネズミの被害なんて一目瞭然なのに、(東京とは)温度差があり、なかなか状況をくんでくれない。福島復興再生総局は結局、霞ヶ関に説明しなければならない立場上、細かい説明を求める。こちらとしては必要だから要求しているのに」。これに自治体側の政策立案能力の不足が加わる。
 これらの間に立つ福島県でも、業務が増え、マンパワーが足りないという上に、「原発事故直後の国とのやり取りなどをめぐって、福島県は原発被災自治体やマスコミから多くの批判を受け、県幹部は及び腰になった」。この結果、「どうしても県がやらなければならない案件なのか」という基準でスクーリニングされるようになり、職員のモチベーションも下がっているという。
 かくして本書は言う。「自宅への帰還を待ちわびながら、仮設住宅の畳の上で息を引き取る人。中間貯蔵施設の建設をめぐる一連の動き。原発事故後の福島県での取材で私の目に映った復興の過程は、リンゴが腐るまで待っている政治・行政の姿だった」と。
 原発事故発生から5年、国策としての原発推進の方向は未だ変更されず、これに対するマスコミの批判も腰砕けになっている現在、本書は、現場からの小さな告発であり、立場上表現を控えている部分もあるが、わが国の政治・行政制度の陥っている大きな問題を暴いている。(R) 

【出典】 アサート No.461 2016年4月23日

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【投稿】野党共闘で「信任投票」化を阻止せよ

【投稿】野党共闘で「信任投票」化を阻止せよ
         消費増税再延期で衆参同日選挙目論む安倍政権 

<偽りの辺野古「和解」>
 3月4日、辺野古新基地建設を巡り、沖縄県と政府との和解が成立した。安倍政権はこれまで福岡高裁那覇支部が示した和解案に対し、受け入れを拒否し基地建設を進めるという強硬姿勢をとってきたが、急転直下の和解受け入れとなった。
 その内容は前号で述べた「根本案」「暫定案」のうち後者となっている。
これにより国は代執行訴訟、県が行った「埋め立て承認取り消し」執行停止申し立てなどを取り下げ、ボーリング工事を中断することとなった。
 そして今後は県と政府が「円満解決」に向けた協議を行い、不調の場合は改めて政府が「埋め立て承認取り消し」に関して是正指示や違法確認訴訟を行うこととなる。
 安倍政権は裁判所の和解勧告で、このまま強権的な代執行裁判が進んだ場合、国が敗訴する可能性が高いことを示唆され激しく動揺、さらに6月の沖縄県議会選挙や7月の参議院沖縄選挙区での与党敗北への恐怖から、一時休戦の判断をしたと考えられる。
 しかし政府はあくまで辺野古新基地建設に拘泥し、根本的な姿勢は何ら転換していない。和解から3日後の7日には翁長知事に対し「埋め立て承認取り消し処分」の是正を求める、国交相名の指示文を送りつけた。
 和解成立から間髪を入れずに、こうした行為に及んだことは沖縄県の是正拒否を引出し、政府勝訴の可能性が見込まれる違法確認訴訟に早期に持ち込みたいという、政権の思惑を露骨に現していると言えよう。
 安倍政権は違法性確認訴訟が決着すれば、基地建設に向けたあらゆる「障害」が排除されると、一方的に思い込んでいる。
 これに対して翁長知事は8日の県議会で、違法性確認訴訟で敗訴しても、新基地建設阻止に向け、あらゆる権限を行使していくことを表明した。
 県は基地建設に関して、和解内容に含まれない問題が惹起すれば、新たな訴訟などを提起していく構えである。現地の闘い、これと連帯する全国の運動も粘り強く取り組まれおり、今後も安倍政権の思惑通りには進まないであろう。
 
<一人芝居の安倍>
 沖縄、南西諸島を対中軍拡の最前線にと目論む安倍政権は、沖縄の抵抗をよそに着々と既成事実を積み重ねている。
 3月12日発表された内閣府の「外交に関する世論調査」(1月実施3千人対象回答率6割)では、中国に親しみを感じる人が14,8%だったのに対し、感じないと回答した人が83,2%と過去最高となった。一方同調査では日中関係が重要と答えた人も73,2%にのぼり、この結果を踏まえるならば関係改善が求められていることは明らかである。
 しかし安倍政権は真逆を志向している。文科省は17年度から使用される高校1年向け教科書に対し、尖閣諸島など領土問題や南京虐殺事件など歴史問題で多くの検定意見をつけ、「国定教科書化」を一層推し進め若者に民族排外主義を植え付けようとしている。
 日本の右派は中国の反日感情は、90年代の江沢民政権による「愛国教育」が原因と非難しているが、日本も同じことをしようとしているのである。領土問題については高校生より先に担当大臣を教育すべきであろう。
 さらに防衛省は自衛隊部隊の運用に関し、制服組の権限を拡大し、統合幕僚監部の意向に沿った防衛大臣の決裁が可能なように改めた。戦争法施行を踏まえ、安倍政権の意向に沿ったより効率的な作戦遂行体制が今後作られていくものと考えられる。
 これらの動きに合わせ実際の部隊行動も活発化している。3月15日海上幕僚監部は護衛艦2隻、練習用潜水艦1隻が3月19日~4月27日にかけての練習航海中、フィリピン(スービック)、ベトナム(カムラン湾)に寄港すると発表した。フィリピンへの海自潜水艦の寄港は15年ぶり、ベトナムへの海自艦の派遣は初となる。
 フィリピンに対しては南沙諸島監視用に海自の練習機を貸与することが決まっているが、今回の艦隊派遣はより直接的に南シナ海情勢への介入を企図したものと言えよう。1月下旬天皇、皇后はフィリピンを訪問し戦没者、犠牲者の慰霊を行ったが、これが対中軍拡の露払いとして利用された形となった。
 さらに、政府は戦時の輸送手段を確保するため国策海運会社「高速マリン・トランスポート」を設立、同社が所有する高速フェリー2隻を輸送船として使用することとなった。しかし海自にはこれらに配属できる人員がいないため、自衛隊在職歴のない船員を運航に携わらせる計画がある。これは事実上「軍属」としての徴用であり、海員組合は強く反発している。
 このような挑発に中国は警戒を強めている。李克強は第12期全人代の議論を踏まえ、「中日関係はまだぜい弱であり、歴史認識を後退させるべきではない」と安倍政権を牽制した。
 これに対して安倍は3月19日、総理としては初めて(これまでは国交相が出席)海上保安学校の卒業式に出席、東シナ海で中国と対峙することになる学生を鼓舞するなど、一層肩に力を込めている。しかし、もう一方の要の防衛大学校では卒業生の任官拒否が昨年の2倍に上り、士官レベルにも厭戦気分と動揺が広がりつつあることが明らかとなった。
 さらに戦争法で強固になったはずの日米同盟もおぼつかないものがある。昨年9月、まさに同法の審議中に行われた日米合同演習「ドーン・ブリッツ」の期間中、米海軍司令官が艦内のパソコンで、アダルトサイトを9時間にわたり閲覧していたことが発覚、今年初めに解任されていたことが判明した。アメリカの本気度が推し量れるというものであり、一人熱くなる安倍は滑稽でさえあるが、対中挑発、反対論封殺の動きを加速させている。
 
<「死ぬ」べきは安倍政権>
 国内外に於いて暴政を進める安倍政権に対し、国際社会は痛打を放った。3月7日、国連女性差別撤廃委員会は対日定期審査の最終見解を公表した。
 委員会は慰安婦問題に関する日韓「最終合意」、婚姻における夫姓強制などを、指弾、さらに当初は、天皇位の男系継承を規定した皇室典範も是正の対象となっていたことが明らかとなった。
 とりわけ慰安婦問題に関しては「依然として課題は多い」として、合意が当事者抜きで進められたことを指摘、さらにこれまでの委員会の勧告を日本政府が軽視してきたとして、今後合意内容の実現に当たっては元慰安婦の思いに十分配慮するよう日本政府に求めた。
 21世紀の「リットン調査団報告」ともいえる厳しい内容に安倍政権は逆切れし、菅は8日の記者会見で「極めて遺憾で受け入れられない」「国際社会の考えと大きく乖離している」と述べ、ジュネーブの国連代表部を通じ同委員会に抗議したことを明らかにした。
 安倍政権は、国連人権委員会で北朝鮮に対する勧告が発せられると、鬼の首を獲ったかのように大喜びしたが、今回は大ブーメランとして跳ね返った形となった。本来なら日本政府は北朝鮮に求めたのと同様、粛々として見解を受け入れるべきであるが、逆に国連を批判するようでは同一レベルと見られても致し方ないと言える。
 安倍政権は「女性が活躍する社会」を掲げながら女性差別を放置している実態が国際的に明らかになったわけであるが、国内からも女性労働者を中心に批判の声が噴出している。
 「保育園落ちた日本死ね・・・活躍できないじゃん」と訴えたブログに関し民主党から追及されると、安倍は2月29日の衆議院予算委員会で「匿名なので本当のことか確かめようが無い」と詭弁を呈してかわそうとした。
 しかし待機児童問題が存在しないかのような見解に、当事者たちが国会前に登場し怒りの声を上げると、安倍は答弁で「保育所」を「保健所」と言い間違えるなど狼狽を隠せなくなった。
 政府は緊急の待機児童対策取りまとめを急いでいるが弥縫策でしかない。今回の待機児童問題は「一億総活躍社会」の欺瞞性をも暴き出したが、いまだ財源が定まらない軽減税率、高齢者への福祉給付金が選挙目当てでしかないことが明らかとなった。
 マイナス金利など常軌を逸した金融政策が功を奏さず、日銀は3月15日の金融政策決定会合で景気判断を下方修正するなど、経済状況は深刻化する一方である。今春闘も、マイナス金利の影響で金融関係労組がベア要求を取り下げ、電機連合や自動車総連も苦戦を強いられた。
 賃金が改善されない中で国民の負担は増大しており、昨年の戦争法に対する怒りとはまた別の、怨嗟とも言うべき怒りが湧きあがりつつある。「保育所落ちた」はまさにその端緒とも言うべきものであろう。
 こうした状況に危機感を募らせる安倍は「改憲」のトーンを落とし、消費増税の再延期という「離れ業」を持って「信任投票」としての衆参W選挙を画策している。そのお膳立てとして、この間国内外の経済学者に増税延期をアピールさせているが、戦争法案審議の際、憲法学者の意見を無視したのとは大違いである。
 3月13日の自民党大会で安倍は「選挙のためなら何でもする無責任な勢力に負けるわけにはいかない」とボルテージを上げた。ところが、同日この様子を伝える日本テレビのニュースで『安倍総理「選挙のためなら何でもする」』とテロップが流れた。自民党、官邸は激怒したがあながち誤りではないだろう。
 同じころ中国では「習近平は中国共産党最後の指導者」という「誤報事件」があったが、安倍と習に「報道統制強化」という点では大いに一致するだろう。
 安倍が一人ヒートアップする中、内閣閣僚、党幹部は相変わらず弛緩している。3月15日の衆院別委で石破地方相は、昨年成立している法案を延々と読み上げるという大失態を犯した。さらに同日の参院予算委で林経産相は放射性廃棄物処理問題を問われ答弁に窮し、「勉強不足です」とあっさりと認めた。
 これらに加え島尻、丸川両大臣や丸山の居直りを許しているのは、野党の脆弱さのためである。民主、維新の新党名は迷走の結果「民進党」となったが、まだまだ未知数な部分が多く不安定さは否めない。
 しかしながら参議院選挙、あるいはW選挙まで残された時間はわずかであることから、消費増税の再延期というシングルイシューに引きずり込まれることなく、隠された争点を暴き出し政権を追い詰めていくことが求められている。(大阪O) 

【出典】 アサート No.460 2016年3月26日

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【投稿】国立大学「人文系学部」廃止ではなく「国家官僚」廃止を

【投稿】国立大学「人文系学部」廃止ではなく「国家官僚」廃止を
                            福井 杉本達也

1 文科省の「人文社会系学部」廃止通知
 昨年6月8日に文部科学省が全国立大学86校に対し、「人文社会系の学部と大学院について、社会に必要とされる人材を育てられていなければ、廃止や分野の転換」(朝日:2015.6.9)という通知を出した。「自然科学系の研究は国益に直接つながる技術革新や産業振興に寄与しているが、文学部や社会学部など人文社会系は成果が見えにくい」(同上)というのである。
 これに対し、日本学術会議は、「人文・社会科学と自然科学とを問わず、一義的な答えを性急に求めることは適切ではない。具体的な目標を設けて成果を測定することになじみやすい要請もあれば、目には見えにくくても、長期的な視野に立って知を継承し、多様性を支え、創造性の基盤を養うという役割を果たすこともまた、大学に求められている社会的要請である。前者のような要請に応えることにのみ偏し、後者を見落とすならば、大学は社会の知的な豊かさを支え、経済・社会・文化的活動を含め、より広く社会を担う豊富な人材を送り出すという基本的な役割を失うことになりかねない。」(2015.7.23)との幹事会声明を出し文科省通知に反論した。日経新聞も「大学を衰弱させる『文系廃止』通知の非」(2015.7.29)と社説で非難し、経団連は9月9日に「産業界の求める人材はその対極にある」との声明を出すなど、文科省の通知に非難が相次いだ。下村文科相(当時)は「人文系は不要と言っているわけではないし、軽視もしていない…あくまでも判断するのは大学自身」(日経:2015.8.10)などいうが、文科省が通知を取り下げたという話は全くない。国立大学の予算権限を握る文部官僚の思惑どおりにことは推移している。

2 明治以降、日本の国策は「理系」重視・「文系」軽視で始まった
 「文系廃止」の通知の言外に対象外の項目がある。「旧帝大法科」である。帝大法科は国家官僚の供給機構であるとともに、教授は国家権力を担う行政官僚でもあった。その官僚のイニシアティブの下で「国策」としての科学と技術の輸入・教育があり、旧帝大理学部や工学部の存在があったのである。「明治の工学はかくしてお上と西洋の二重の権威で武装され、人民のうえに君臨する学…国家を設計し、人民を管理する学問である」。しかも近代機械文明の第一歩は「軍事的政治的要素によって支えられた」。工学部や理学部の教授・研究者たちにとっては、戦争中はわが世の春だった。平賀譲東京帝大13代総長(造船学・海軍技術中将)の下で、1942年「第二工学部」が新設され、特攻兵器などが研究された。「二工」は1945年の戦艦大和の撃沈と敗戦によって「戦犯学部」との非難を受け役割を終えたが、戦時下において戦争に不可欠と語られた理学教育や工学教育は敗戦を境に何の反省もなく今度は近代国家建設のために不可欠と祭り上げられていった(山本義隆『私の1960年代』)。
 では、福島原発事故においては「理系」はどう行動したのか。2011年3月12日、危機的状況にあった福島原発を菅直人首相(当時)と共に視察した斑目春樹元原子力安全委員長(東大大学院工学系研究科教授)は、菅氏の「水素爆発はあるのか?」との質問に、「水素がいくら出てきても爆発しません」と答えた。その数時間後に1号機の建屋は水素爆発を起こした。班目氏は、「わあ、しまった!」と思ったと語っている(FNN斑目氏単独インタビュー 2016.3.8)。「化学エネルギー」の技術で「核エネルギー」を無理やり押し込めようとしてきた戦後工学が決定的に破綻した瞬間である。同時に、事故当日、勝手に官邸の危機管理センターを抜け出し職務放棄した寺坂信昭元原子力安全・保安院長は、後に国会事故調でトンズラの理由を聞かれ「私は文系なので」と答弁したが、腐敗・堕落も甚だしい。今すぐ廃止すべきは「核エネルギー犯罪学部」と「官僚養成学部」ではないのか。

3 安倍がなんだと電話を切ったノーベル賞:大村智氏と「君が代」で岐阜大を脅す馳浩文科相
 ノーベル医学・生理学賞受賞の一報を受けて北里大学での記者会見で、大村智氏が挨拶をしようと口を開きかけた時、事務方が「安倍総理からお祝いの電話です」と耳打ちした。大村氏は「あとでかける」とにべもない。司会者が気を利かせて、「ただ今、安倍総理のほうから電話が入っておりまして、そのあと大村先生のご挨拶を」とフォローすると「今、総理大臣から電話があるそうですけども、(この電話口で)ちょっと待たされております。タイム・イズ・マネー。(会見を)続けましょう」と答えた。ノーベル賞は大村氏が自力で獲得した成果であるが、それを文科省官僚は姑息にも首相の電話1本で「国家の成果」として横取りしようとしたのであるが、時間の無駄だといってこれを拒否したのであり、実に痛快なシーンであった。これは大村氏が米メルク社と自力で契約を結び、大村氏の特許である抗生物質の売上のロイヤリティが研究費として還元され研究が続けられた自信からである(馬場錬成『科学』2016.2)。
 一方、馳浩文科相は2月21日、岐阜大学の森脇久隆学長が卒業式などで国歌「君が代」を斉唱しない方針を示したことについて、「国立大として運営費交付金が投入されている中であえてそういう表現をすることは、私の感覚からするとちょっと恥ずかしい」と述べ露骨な脅しを行った(朝日:2016.2.21)。交付金や科研費の操作で大学に介入するのが今の国家官僚の姑息な手段である。
 大村氏のように公的な資金源からの束縛から自由なほど、時の学問の権威や官僚支配に服従しない道を選ぶ自由があり、逆に自由でない人は時流に逆らえば、公的な職を失う恐れがある(柴谷篤弘『構造主義生物学』1999.1.20)のが今の日本の教育・研究の現実である。

4 脱原発では宗教学者など人文系学者の活躍が目立つ
 いわゆる「専門家」といわれる人々の福島原発事故の評価についていち早く疑問を呈したのは原発とは縁遠い日本数学会であった。3.11直後から専門家が「想定外」という言葉を発したことに対し、「たとえごく稀にしか起こらない現象であっても、確率論的な視点からその危険性を適切に評価し十分な検討を加えること、検討に基づき異常事態への対策をたてた上で、危機管理に望むこと」(理事会声明:2011.6.12)だとし、不確実な情報も隠さずに公開すべきだと政府の情報隠しを批判した。宗教学者の島薗進氏も『つくられた放射線「安全」論』を出すなど事故直後から現在まで積極的な発言を行っている。また、経済学者の安冨歩氏は『原発危機と「東大話法」』で「原子力ムラ」に群がる東大教授たちは事故が起こった後も変わらず原発擁護の姿勢を貫いているが、それは「自己の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する」という知的権威の「東大話法」によるものだと鋭く批判した。文科省はこうした「文系」の発言を疎ましく思っている。

5 「第5期科学技術基本計画」に見る落ちるところまで落ちた国家官僚の劣化
 日本の教育への公的支出はOECD加盟国中最下位で2012年GDP比3.5%である。1位のノルウェーの半分程度でしかない(日経:2015.11.25)。にもかかわらず「第5期科学技術基本計画」(2018.1.22閣議決定)では「ICT分野の知財、論文、標準化の件数」、「任期なしポストの若手研究者の割合」、「理科が楽しいと答える学生の割合」、「論文数、引用回数がトップ1%に入る論文の日本シェア」、「世界大学ランキングにおける日本の大学の順位」、「特許に引用される科学論文数」、「大学、公的研究機関発のベンチャー企業数」等々を目指す成果目標を設定するという(日経:2015.11.2)。人参もぶら下げずに「目標管理」手法のみで馬を走らせようというのであるから日本の国家官僚はどういう思考をしているのか?研究者は霞を食って生きられるのか?全く机上の空論である。「計画」は「科学技術イノベーション推進」を掲げるが、過去の経験や延長線上では評価できない変革を「イノベーション」という。「イノベーション」の「達成すべき状況を定量的に明記」(??)できるなら定義してもらいたい。いまだに過去の高度成長期の「成功経験」にしがみつき、3.11後の状況下にあっても「国内総生産」や「製品やサービスの世界シェア」を数値目標として掲げる国家官僚の「理系」重視の発想は、戦艦大和の沈没と重なって見える。日本語もまともに解釈できない輩が、「国家」という“権威”を笠に一片の通知で教育を動かそうとしているのであるから、日本も沈没である。「文系廃止」ではなく、全く無能・無責任な「国家官僚の廃止」こそ、今求められている。

6 高浜原発差し止め決定と「司法官僚」
 3月9日夕方、重大ニュースが飛び込んできた。高浜3,4号機の再稼働差し止め処分の大津地裁決定である。切迫した危険を止めることを目的とする「仮処分」のため即日効力が生じ、稼働中の高浜3号機は翌日の10日に停止された。稼働中の原発が裁判所の決定で停止されるというのは初めてである。住民訴訟側の井戸謙一弁護士(志賀原発2号運転差し止め判決の裁判長)はもちろん、関電や国さえも全く予想しなかった決定である。インドネシアを訪問中であった森詳介会長が予定を切り上げて急遽帰国するということからも関電側の慌てぶりが窺える(日経:2016.3.11)。
 大津地裁の山本善彦裁判長は、前回2014年11月の高浜原発運転差し止め仮処分申請では「規制委の審査が終わっていない」として却下しているので、今回も同様だろうと期待していなかったが、あにはからんや大逆転となった。「その災禍の甚大さに真筆に向き合い二度と同様の事故発生を防ぐとの見地から安全確保対策を講ずるには、原因究明を徹底的に行うことが不可欠である。この点についての関電の主張及び疎明は未だ不十分な状態にある」と明快な判断を示した。福岡地裁→大阪高裁→大津地裁などを異動している山本裁判長の場合、井戸裁判長(現弁護士)や福井地裁仮処分決定をした樋口英明裁判長など「良心と法に従う」裁判官というよりも「司法官僚」の位置づけが強い。稼働中の原発を止めたことは、劣化した経産官僚や文科・外務省内の独自核武装派の官僚により日本全土が放射能に占領されてしまう恐れが強くなる中、一部「司法官僚」の間では何らかの話が持たれていると見ることができる。日経のコラムは裁判員制度の導入によって司法官僚も住民目線を意識しだしたと分析する(日経「春秋」:2016.3.12)。浮ついた「理系」重視の前に「災禍の甚大さに真摯に向き合う」べきである。 

【出典】 アサート No.460 2016年3月26日

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【投稿】北海道・京都ダブル補選をめぐって 統一戦線論(22)

【投稿】北海道・京都ダブル補選をめぐって 統一戦線論(22)

<<「市民運動で安倍政権を包囲すること」>>
 安倍政権の強引な安全保障関連法の成立から半年となった3/18、同関連法に反対する集会、デモが全国各地で展開された。一昨年来の運動がより広範にかつ、裾野を広げている証左ともいえよう。
 「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」が主催した集会では、高校生団体「T‐ns SOWL」、安保関連法に反対するママの会、視覚障害者、日本弁護士連合会や日本キリスト教団の代表、日本医師会の前会長らのスピーチは、会場からの大きな連帯と歓声で迎えられた。開会あいさつに立った同実行委メンバーで「平和フォーラム」代表の福山真劫さんは、今年の中心的な取り組みは「市民運動で安倍政権を包囲すること、衆参の選挙で野党を勝利させること」「参院選で改憲勢力による3分の2の議席確保を阻止する枠組みができた。あとは我々がどう闘うかだ」だと強調、「たたかう野党を全力で支えよう」と訴えた。
 同集会に参加した民主党の枝野幸男幹事長は「あの採決とはいえないような採決から半年。国民はどうせ忘れるだろうとタカをくくっていた人たちがいます。忘れているどころではない! ますます『おかしいぞ』という声は広がっている。そう確信をしています」と述べ、「『幅広い連携を』と声をあげてきていただいた皆さんの声に押されて、しっかりと、それぞれの党の立場の違い、意見の違いを乗りこえて、『安倍晋三政権の暴走を許さない』『立憲主義、民主主義、国民生活の危機を乗りこえる』、この点でできうる限りの協力をするというところまで持ってくることができました」「皆さんからは『まだまだ甘い』とか『もっと急げ』とか、そういうご意見もあるかと思います。しかし、民主主義を守るための戦いです。お互いの違いを、時間をかけてもじっくりと話し合ってすり合わせて、そして結論を出していくのが民主主義です。そのかわり、最大の戦いではある選挙には、必ず間に合わせます。4月の補欠選挙を2つとも取り、ダブルなんか打てなくさせます! そして夏の参院選で与党やその周辺にいる勢力を一人でも少なくするために、最大限の成果をあげるために、私たちは全力をあげてまいります」と発言している。まだまだ切迫感や迫力不足で甘いともいえるが、やっとここまで発言できたか、という意味で、その意義は大きいといえよう。
 同じく、共産党の小池晃副委員長は、「野党の選挙協力を談合だ野合だなどと言っている。とんでもない! 自民党には言われたくありません。『立憲主義を取り戻す』。これ以上の大義はないではありませんか」「民主党、維新の党、社民党、生活の党と固く力をあわせて、自民・公明と補完勢力を国会で少数に追い込むために、市民のみなさんと心一つにたたかいぬく」と決意表明している。本当にセクト主義を克服できるかどうかが、共産党にも問われている。

<<「『民主党・共産党』対『自民党・公明党』の対決になる」>>
 4月12日告示・24日投開票の衆院北海道5区と京都3区の両補選は、その意味で参院選の帰趨にも影響する重要な試金石である。
 枝野氏は「4月の補欠選挙を2つとも取り、ダブル(選挙)なんか打てなくさせる」と述べたが、対する安倍政権も必死である。
 安倍自民党総裁は3/12のの党会合で「衆院北海道5区補欠選挙は極めて重要な選挙になる」と都道府県連の幹事長ら幹部に対して認識の共有を求め、「選挙はどの選挙も重要だが、特に北海道5区は重要だ」と強調、「北海道5区の補欠選挙、夏の参院選は今後の行き先を占うものになる。今年は選挙の年、勝負の年になる」と緊張感を持って対応するよう求めた。特に衆院北海道5区の補欠選挙が重要とする理由について、「日本共産党が候補者を下ろし、民主党と協力して『野党統一候補』を出し、われわれの候補に挑んできているからだ」と強調、安倍総裁は「夏の参院選挙では多くの選挙区で共産党は候補者を下ろし、民主党と協力をして、戦いを挑んでくる。まさに『民主党・共産党』対『自民党・公明党の連立政権』、自公対民共の対決になる」と訴えた。安倍首相自身が主導し、地域政党「新党大地」を寝返らせ、民主党を離れさせた鈴木貴子議員を抱き込んだのもその布石であった。鈴木貴子議員は「共産党とくみするような民主党に仲間入りをしたつもりはない」と開き直っている。
 すでに昨年7月に擁立を決めていた自民党の候補・和田義明氏と対決するのは、野党統一候補で無所属として出馬する池田真紀さんである。池田さんは昨年12月、上田文雄前札幌市長らが呼び掛け人の市民団体「戦争させない北海道をつくる市民の会」の出馬要請を受諾しての立候補である。池田さんは、2014年衆院選で北海道2区から民主党推薦として出馬、今回は5区にくら替えし、無所属の野党統一候補として出馬する。だが、共産党が公認済みの橋本美香氏を取り下げ、野党統一候補になるまでに2カ月もかかってしまっている。共産党北海道委員会と民主党北海道が候補者一本化に合意し、共産党が独自候補を取り下げ、維新、社民も推薦、新人の池田真紀さんを統一候補としたのは、今年の2/19であった。最終的に上田氏らが接着剤の役割を果たし、民主、共産、維新、社民、生活の野党5党が推薦、市民ネットワーク北海道が支持を決め、野党勢力の結集がようやくのことで実現したのである。
 しかし 池田さんには主婦や学生の勝手連が次々にできている。市民グループ「怒れるイケマキ応援隊イケマッキーズ」=「イケマッキーズは30~60代の女性がメンバー。池田氏の街宣を追う応援ツアーやトークイベントなどを企画し、SNSで拡散する。メンバーは「私たちは安倍政権がやばいと集まった仲間。政治に関わっていない市民に支持を広げたい」と無党派層への浸透を狙う。フェイスブック など会員制 交流サイト ( SNS )で配信。瞬時に拡散し、 安全保障関連法 廃止を旗印に野党と市民団体が共闘する新しい選挙を印象づけた。」(2016/3/5北海道新聞)
 この北海道五区は、前回2014年の衆院選小選挙区候補者別得票数は自民131,394票に対し民主・共産あわせて126,498票。その差は約5,000票。十分に逆転可能な差である。「10%差と言われてたけど今2%差ぐらいに迫ってる」状況である。

<<「水面下の支援>>
 京都3区の補選は北海道5区とは相当に様相が異なる。育休宣言後の不倫が発覚した自民・宮崎謙介前衆院議員の辞職に伴うもので、自民は候補擁立を断念。連立を組む公明党も「謹慎」。自民支持を当て込んで、おおさか維新の会が新顔の森夏枝氏、日本のこころを大切にする党が新顔の小野由紀子氏の両氏を擁立。まだ流動的ではあるが、自民を補完する「保守分裂」である。
 これに対して、前回衆院選の同3区で宮崎氏に敗れ、比例近畿ブロックで復活当選した民主の泉健太衆院議員が、3/27に合流する民進党公認で選挙に臨む。3/13の民主党の京都府連大会で泉氏は「いずれの選挙でも共産とは共闘しない」とする府連の活動方針を強調。だが同時に、泉氏は直接の連携は求めていないが、「政権の政策に疑問を持つ人には党を超えて結集してもらいたい」と述べ、水面下の支援には期待を示す。
 「水面下の支援」を期待される共産党は、3/14、自主投票を発表する。同党の山下書記局長は、京都3区補選をめぐる状況として、(1)5野党党首合意で安保法制=戦争法廃止、集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を確認した民主党の公認で現職が立候補を予定している。(2)中央レベルでも、京都府レベルでも、民主党からわが党への協力の要請がない。(3)5党首合意で確認した現与党とその補完勢力を少数に追い込む必要のある選挙となること―を説明。「これらを踏まえ総合的、自主的に判断した。補選という特別な条件のもとでの判断だ」と述べている。同日、共産党京都府委員会も声明を発表:民主党の泉健太氏が「京都では共産党と連携することにならない」と表明、3/13の民主党京都府連大会で「拒否感の強い共産党とは一線を画す」として「いずれの選挙でも共闘しない」と明記した活動方針を採択した。泉氏は「安保法制廃止・閣議決定撤回」を今のところ、公約として明示的に述べていない。現状では、選挙協力の見通しは立っていない。同時に泉氏は「安保法制廃止・閣議決定撤回」を党首間で合意した民主党の公認候補である。安倍暴走政権の補完勢力であるおおさか維新なども候補者を擁立するもとで、5野党合意を誠実かつ真剣に実現する立場から「自主投票」とすることを決めた。
 この苦渋の判断の背景には、直近、2/7に投開票された京都市長選の深刻な事態がある。自民、公明、民主、社民が相乗りした現職の門川大作市長が3選を果たし、「憲法市政みらいネット」の候補で共産推薦の本田久美子氏がダブルスコアで敗れ、、門川陣営が「今回の市長選では、投票率が35・68%と低迷したにもかかわらず、門川氏が圧勝。ここまで勝つとは思ってなかった。勝ちすぎだ」と漏らすほどであった(門川=254,545、本田=129,119)。「初の女性憲法市長」の誕生を訴えたが、ここ半世紀の共産党単独推薦候補で最も少ない得票数で、前回の共産推薦候補より6万票以上減らす結果となってしまったのである。共産党京都府委員会の渡辺和俊委員長は「準備が足りず、共産党としての力が足りなかった」「投票率が低く、赤旗の読者も減少している。若い人への働きかけが必要だ」と反省。2/7,8付赤旗は「健闘も及ばず」、安保法制に反対する学者の会、ママの会@京都、シールズ関西などの応援を得て、「市民の共同が広がりました」と報じたが、なぜ「市民の共同が広がった」のに敗北したのか、については、一切応えられていない。
 今回の補選への「自主投票」は、そうした敗北を踏まえた、共産党の苦渋に満ちた判断だと言えよう。さらに踏み込めば、一線を画しつつも、自主的支援と明確にすべきであろうし、そうしたほうが、「暴走安倍政権打倒に本気で取り組んでいる」というメッセージがより強く伝わり、むしろ支持の裾野も統一戦線ももっと大きく広げられることを認識すべきであろう。
 北海道5区と京都3区の両補選は、その意味で重要な試金石となろう。
(生駒 敬) 

【出典】 アサート No.460 2016年3月26日

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【本の紹介】「ヒトラーに抵抗した人々」

【本の紹介】「ヒトラーに抵抗した人々」
          (對馬達雄著 中公新書 2015/11/25) 

 世界一民主的な憲法と言われた「ワイマール憲法」の下で、独裁政権ナチス・ドイツがどのように成立したのか。本書は、ナチス・ドイツが成立する過程を明らかにしつつ、それに抵抗した人々の闘いと結末を丁寧に描き出している。
 
<不景気からの転換、財政出動と雇用創出>
 「大恐慌から立ち直れないまま失業率は40%、失業者数は600万人を優に超えていた。安定と秩序を欠いた社会には絶望感が溢れていた。なかでも若者たちは将来の希望を絶たれた犠牲者だった。」ナチスが合法的に政権を奪取したドイツの状況だ。政権に就いたナチスは、財政出動による雇用創出、アウトバーン計画などの公共事業、自動車産業への助成策によって失業問題を改善し、社会を安定させた。しかし、それはナチス思想の実践のための施策であった。1933年の「全権委任法」の成立を受け、ヒトラーは、共産党・社会民主党など反対者の一斉拘束・ユダヤ人の抹殺と東欧の植民地化に着手することになる。ナチス抵抗者となる人々の多くも、全権委任法の成立と強行策の実施までは、ヒトラー政権の支持者であったという。それほど、ナチス・ドイツは国民の支持を集めていた。
 
 <ユダヤ人絶滅政策と抵抗の開始>
 ヒトラーは、「我が闘争」(第1巻は1925年発行)において、反ユダヤ主義を自らの信念として語っている。「特に顕著なのは人種主義の観点であり、世界は人種同士が覇権を競っているというナチズム的世界観である。さらに、あらゆる反ドイツ的なものの創造者であると定義されたユダヤ人に対する反ユダヤ主義も重要な位置を占めている」(ウィキペディア)
 特に金融・経済界の重要な位置を占めるユダヤ系ドイツ人に対して、ヒトラーは、「ユダヤ富裕層に対する反感と敵愾心」を煽っている。政権奪取後ナチス突撃隊によるユダヤ暴行や逮捕は容認されていたが、全面的なものではなかった。経済の好転と失業解消を受けて、1935年徴兵制の復活、再軍備宣言以降、ナチズムの体現者としてヒトラーの神格化が始まると、反ユダヤ政策が強化されていく。
 著者によると、反ユダヤ政策の強化と戦争計画は連動しているという。1936年の「第2次4カ年計画」(戦争準備)と、1935年のニュールンベルグ人種法によるユダヤ人からの市民権はく奪である。「祖父母の4人ないし3人をユダヤ人に持つ人々は『完全ユダヤ人』とされ、その数77万5千人(1937年)は、市民権を奪われ公的扶助の資格もはく奪されていく。」そしてユダヤ人資産家からの財産没収による財源は、戦争準備に使われてゆく。
 1938年11月、ドイツ全土・オーストリアでユダヤ人への暴行・殺害、略奪行動が行われる。ボクロムである。略奪された資産は、国内低所得者施策の財源と軍備拡張に使われた。この時期、反ユダヤ政策に反対した政府・行政関係者は、公職を辞し、反ナチスの抵抗者となってゆく。ただ、密告社会となったドイツでは、反ナチス運動は公然たる国民運動になることはなかった。
 
<国民の圧倒的なヒトラー支持と反ナチス抵抗者>
 侵略した国々からの簒奪資産(資金も食料も)とユダヤ人からの没収資産は、ドイツ国内政策に充てられ、ロシア戦以後敗戦が色濃くなっても、多くのドイツ国民は依然ナチスを支持していたという。
 しかし、危険を冒しても人間でありつづけたいと考える人々、本来のドイツ国家に戻るべきと考える人々は、ユダヤ人の救援や救済活動を密かに実行し始める。小さなサークルであったり、個人の結びつきを通じて。戦後の調査では、こうしたグループは全国に数百存在したと言われている。それらの人々も、戦争末期までには多くが拘束され、強制収容所で命を落としている。
 遺族を含め、戦後も多くを語らなかったため、これらの活動が評価されはじめるのは、1950年以降と言われる。抵抗運動の中でも、1944年のヒトラー暗殺事件と1942年ミュンヘン大学の学生による反ナチス組織「白ばら」グループの活動は、戦時中に公開裁判が開かれたため広く知られることとなった。
 「ワルキューレ」(2008年)という映画が公開されたが、トム・クルーズ演じる「シュタウフェンベルク大佐」が、時限爆弾によるヒトラー暗殺を計画し、実行した実話である。事件後大佐は死刑となった。徹底した捜査により、暗殺事件に関連して逮捕された人々は7000人に上った。
 「白バラ」事件は、ミュンヘン大学の学生が反ナチスのビラ<白バラ通信>を配布した事件である。第6のビラまで発行されたが、逮捕後中心人物の3名は、直ちに斬首刑とされた。影響を受けて活動したハンブルグ大学の学生も極刑となっている。
 
<ロシア戦で失速した略奪戦争>
 ナチス・ドイツの勢いは、レニングラード攻防戦を境に急速に失速することになる。ソ連は1000万人を超える軍人・市民が犠牲になりつつ、モスクワ直前でナチス・ドイツを撃退した。また、侵略した国々のユダヤ人達もナチスの抹殺対象であり、略奪の上、強制収容所へ送られ、帰ることはなかった。侵略した国の富と食料をドイツ国内へ運びだし植民地化された地域では飢餓が蔓延する。そしてロシア戦線の膠着、アメリカの参戦によりドイツの敗色は決定的となったが、ヒトラーは戦争遂行を続けた。略奪資産により国内では飢餓が起きなかったことも一因と言われる。
 
 <「もう一つのドイツ」否定政策>
 ドイツ占領期、戦勝国は草の根のような反ヒトラー抵抗者の存在を隠蔽する。アメリカ・ソ連共にナチス・ドイツ一色のドイツが戦争を犯罪を起こしたと宣伝するため、反対勢力の活動を隠したためである。そのため、抵抗者の再評価が遅れることとなる。そのため敗戦後も抵抗者の遺族たちには「迫害」と貧困の2重の苦難が続いた。その後、民間の救済機関が設立されるなど徐々に変化が起き始め、再評価に繋がることになる。
 ユダヤ民族絶滅計画はじめとするナチス・ドイツの戦争犯罪について、ドイツは風花させず、後にEUに結実していく。「侵略戦争ではなかった」と歴史を否定する日本の極右勢力とは対象的であろう。
 本書では、具体的な抵抗者達の活動が描かれている。死をも覚悟しての反ヒトラー抵抗者、市民の抵抗運動について、本書を通じて学ぶことは重要である。(2016-03-21佐野) 

【出典】 アサート No.460 2016年3月26日

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【投稿】「慰安婦」問題・日韓合意と共産党(続) 

【投稿】「慰安婦」問題・日韓合意と共産党(続) 

<<「厚顔極まる神経」>>
 名護市辺野古への新基地建設をめぐり、安倍政権が工事の中止に追い込まれた、3/4に成立した代執行訴訟の和解条項。これには県側との「円満解決」に向けた協議をすることが盛り込まれていたのであるが、わずか3日後の3/7に、国は協議の段取りを一切踏まずに、埋め立て承認を取り消した翁長雄志知事の処分に対し、石井啓一国土交通相は是正を指示した。
 3/8付け琉球新報・社説は、「辺野古是正指示 独善と強権に対抗しよう」と題して、冒頭、「分かりやすく構図を描こう」、「仲介者に促され、もめ事は話し合いで解決することを目指すと約束してみせる。だが、舌の根も乾かぬうちに相手方に短刀を突き付け、あるいは足を踏み付けながら、こちらに従えと威圧する。それでいて、世間には笑顔を見せて善人ぶる。そんな厚顔極まる神経を持っているとしか思えない。時代劇に出てくる悪代官の話ではない。沖縄を組み敷こうとする現代の為政者だから始末に負えない。」と厳しく指弾している。
 この構図は、「慰安婦」問題をめぐる日韓合意とそっくりそのままである。
 仲介者(アメリカ)に促され、もめ事(「慰安婦」問題)は話し合いで解決することを目指すと約束してみせる(日韓合意)。だが、舌の根も乾かぬうちに相手方に短刀を突き付け、あるいは足を踏み付けながら、こちらに従えと威圧する(「最終的・不可逆的解決」「蒸し返すな」)。
 同じ3/7、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)は日本への勧告を公表した。委員会を代表して記者会見したジャハン委員(バングラデシュ)は慰安婦問題の日韓合意に言及し、12月の日韓合意については「被害者中心の立場に立ったものではない」として、「我々の最終見解は(慰安婦問題を)まだ解決されていない問題だと見なしている」と発言。最終見解の慰安婦に関する記述は、2009年の前回審査で9行だったが、今回は1ページ強と大幅に増加。日本がこれまでの審査で出された勧告を依然として実行していないとして「遺憾の意」を表明、日韓合意に元慰安婦たちが関与し、その意向が反映されるべきだとの考えを示し、同時に「指導者や当局者が責任を軽くみる発言をし、被害者に再び心的な傷を負わせるような行為を控える」といった新たな勧告、学校の教科書で慰安婦問題を取り上げることも求めている。これに対し、岸田文雄外相がすぐさま「国際社会の受け止めとはかけ離れている」と述べるなど、反発を表明している。

<<「元慰安婦自身からも疑問が投げかけられたのは重大」>>
 しかしさらに、3/10、「戦時性暴力」の問題で中心的な役割を果たしているゼイド・ラアド・フセイン国連人権高等弁務官がスイスのジュネーブで開かれた国連人権理事会の年次演説で、慰安婦被害者を「第2次世界大戦当時、日本軍の性奴隷生存女性」と規定し、慰安婦問題が日本政府の戦争犯罪であり、国の犯罪であることに注意を喚起し、「関連当局者がこの勇敢で尊厳のある女性たちに寄り添っていくのが極めて重要である」とし「最終的には彼女たちだけが、真の補償を受けたかどうかを判断できる」と強調。「最終的かつ不可逆的に解決する」とした日韓合意について、「国連の人権関係者はもとより、元慰安婦自身からも疑問が投げかけられたのは重大。結局、真の償いを受けたかどうかは彼女たちだけが決められる」と述べ、日韓両政府間の合意があったとしても、直接の苦しい経験をした慰安婦被害者が認めない限り、この問題は解決できないことをあらためて指摘したのである。
 そして韓国国会外交統一委員会の羅卿ウォン(ナ・ギョンウォン)委員長は3/8、日本の議会に慰安婦合意の誠実な履行を強調する書簡を送り、その中で、国連女子差別撤廃委員会から慰安婦問題についての声明があったことに言及し、「日本政府は合意当時とは違い、軍と官憲による慰安婦の強制連行を否認するなど、慰安婦問題に対する責任から逃れようとする姿を見せている」として、「日本政府が慰安婦動員の強制性を否定していることに対して懸念と遺憾を表明する」と伝えている。
 こうした国際社会の日韓合意に対する厳しい見解は、日韓合意を「前進」と評価する共産党のしんぶん赤旗も報道せざるを得ない。3/9同紙は、「民法の女性差別撤廃 再勧告 国連委 「慰安婦」問題で遺憾表明」と題する報道記事で、「日本軍「慰安婦」問題については、被害者への補償、加害者処罰、教育を含む「永続的な解決」など、同委員会をはじめ国際諸機関からの勧告が実施されていないと遺憾を表明。日韓合意も、「被害者中心の対応」が全面的には行われていないと指摘しています。被害者の権利を認識し、被害の回復と同時に、公人や政治家の「加害を否定する発言」の防止を求めました。」と報じている。しかし自らの党のこれに対する姿勢についてはまったく述べられてはいない。

<<「指摘を受け止め本気の改善を」>>
 それからやっと3/20に至って、しんぶん赤旗は「女性差別是正勧告 指摘を受け止め本気の改善を」と題する「主張」を掲載。その中で「国連女性差別撤廃条約にもとづく日本政府の実施状況について、今年2月、国連女性差別撤廃委員会(ジュネーブで開催)で検討がおこなわれ、今月7日に、同委員会は、日本についての評価と勧告を盛り込んだ文書(「総括所見」)を発表しました。とりわけ今回の審議で日本政府は、日本軍「慰安婦」をめぐる問題で異常な姿を示しました。日本政府代表団(団長・杉山晋輔外務審議官)は、“強制連行はなかった”“性奴隷という表現は事実に反する”“条約批准以前の問題だ。報告は必要ない”などの主張を居丈高に展開しました。女性差別撤廃委員からの厳しい批判とともに、審議をジュネーブで傍聴した日本のNGOから、「安倍政権下での異常な事態」という声が出されたのは当然です。」と述べている。
 しかしそこでは、国際社会から厳しく批判されている日韓合意の評価は完全に抜け落ちている。やはり、昨年12/29の共産党・志位委員長の談話(「問題解決に向けての前進と評価できる。」)がら抜け出られないのであろう。
 前号で紹介した醍醐聰さんの「日本共産党が今回の日韓合意後も、正しい見地に立って「慰安婦問題」の解決に貢献する運動に取り組むには、合意を「前進」と評価した12月29日の志位談話を撤回することが不可欠である。あの談話の誤りに頬かむりしたまま、合意後に示された韓国の世論、元「慰安婦」の意思とつじつまを合わせようとするから、我田引水の強弁に陥るのである。」という指摘、そして「日本共産党への4つの質問」に対して共産党はいまだ何も応えていないのである。「指摘を受け止め本気の改善を」なすべきなのは、安倍政権ばかりか、結果として安倍政権をつけあがらせ、免罪している共産党にも問われているのである。やはり、遅きに失しても早急に路線を転換すべきであろう。
(生駒 敬) 

【出典】 アサート No.460 2016年3月26日

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【投稿】驕り高ぶる安倍政権に、野党統一候補で闘おう!

【投稿】驕り高ぶる安倍政権に、野党統一候補で闘おう!

<北朝鮮「ミサイル」に欣喜雀躍>
 2月7日、北朝鮮は国営放送を通じ「地球観測衛星『光明星4号』」を同国東倉里の発射場から打ち上げたと発表した。テレビでは満面の笑みを浮かべる金正恩の姿が映し出されたが、安倍政権の喜びはそれ以上のものがあるだろう。
 今回発射されたとみられる「テポドン2改」は、弾頭部の大気圏再突入能力はなく、大陸間弾道弾としては未完成のものである。さらに打ち上げ後の解析では、発射直後、不随意に部品が脱落し「衛星」は地球周回軌道上に投入されたものの、正常に作動していないことが確認されており、衛星運用技術も未熟であることが改めて明らかとなっている。
 しかし日本政府は発射準備が進む中、これを「事実上の長距離弾道ミサイル」として1月28日自衛隊に破壊措置命令を発し、イージス艦、地対空ミサイルを日本近海、東京、南西諸島に配備、仰々しい迎撃態勢をとった。
 北朝鮮は事前に打ち上げ期間と飛行コースを、関係国際機関に通告しており、日本海や東京方面には落下するはずもないのに、繰り返し市ヶ谷の防衛省に展開するPAC3の映像をマスコミを通じて拡散したのは「安心してください、配備してますよ」というパフォーマンス以外の何ものでもない。
 実際は、当初2月8日からとなっていた打ち上げ期間を、北朝鮮が6日になって7日からとしたため、防衛省幹部は土曜日におっとり刀で休日出勤、翌日の宮古島への配置完了は、発射の数時間前というきわどいタイミングとなり、所管官庁が弛緩した状態だったことが明らかとなった。
 悠長かつ「あけっぴろげ」な「人工衛星」の打ち上げにもかかわらず、1日前倒しされただけで日本政府は翻弄された。これが地下サイロに秘匿され、奇襲が可能な中距離弾道弾「ノドン」であれば迎撃は間に合わなかったであろう。
 こうした失態には素知らぬ顔で政府は発射情報を受け、さも緊急事態の様に国家安全保障会議(NSC)を招集した。マスコミは緊張した面持ちで総理官邸に参集する安倍ら政府首脳を映し出したが、会議の場では笑みを溢していたであろう。
 2月10日には、独自制裁として、北朝鮮への10万円以下、人道目的以外の送金禁止、すべての船舶の日本入港禁止などの措置を発表した。これに対して北朝鮮は拉致被害者の再調査を中止し、「特別調査委員会」も解体することを明らかにしたが、安倍政権は「想定内」と涼しい顔である。
 安倍政権にしてみれば、政権浮揚効果の見込めない拉致問題など、日韓関係の「改善」が期待できる今日、本気で取り組む気などなく放置していたも同然の状況だった。故に今回の制裁強化は北朝鮮がこのような反応を示すのを期待してのことだったわけである。
 北朝鮮の脅威を口実に、軍拡、国内治安強化を図らんとする安倍政権にとって1月の「水爆実験」に続く、今回の「ミサイル発射」は格好の「燃料投下」となったわけである。

<対中軍拡に利用>
 安倍は今回のミサイル騒動を、戦争法の合理化にも利用しようとしている。アメリカを狙うミサイルを、集団的自衛権に基づき迎撃する「日米新ガイドライン」のケーススタディになったというわけである。
 おりしも1月24日からは横田基地などで日米合同指揮所演習「キーンエッジ16」が行われており、実戦さながらになったという。
 しかし、日本政府は北朝鮮の「ミサイル」がどこに向かおうと、個別的自衛権に基づく独自の対応を行っており、集団的自衛権とは無関係である。逆に戦争法施行前の段階で、集団的自衛権を前提とする対処が行われたならそのほうが問題であろう。
 しかし北朝鮮はあくまでダミーであり、安倍政権の本当の狙いが対中軍拡にあることは明らかである。
 1月28日、台湾の馬英九総統がスプラトリ―(南沙)諸島の太平島に上陸、1月30日にはアメリカ海軍が南シナ海のパラセル(西沙)諸島で「航行の自由」作戦を実施した。
 中国政府は、馬総統の行動を支持、米軍の作戦に対しては違法行為として厳しく非難した。これに対しアメリカ政府は馬総統の行動を批判、2月17日には、パラセル諸島の永興島に中国軍の地対空ミサイルが配備されていることを明らかにした。
 台湾総統選挙で大敗した国民党・馬総統の行動は「最後っ屁」のようなものであるが、各国の思惑が錯綜し南シナ海情勢は混沌としている。
 こうした中、海上自衛隊は2月16日~18日にP3C哨戒機をベトナムに派遣、同国海軍との合同訓練を実施した。P3Cはこの間フィリピンにも派遣されており、南シナ海を挟む形での活動範囲の拡大は、微妙な同海域の状況を複雑化させる露骨な軍事介入につながる。
 今後は海自艦船の越比両国への派遣も恒常化すると思われ、安倍政権はこの地域の緊張激化を一層進めようとしている。
 
<沖縄を愚弄する安倍政権>
 対中国の最前線となる沖縄県への圧力も強まっている。1月24日の宜野湾市長選挙では政府与党が推す現職が圧勝した。安倍政権はこの結果に大喜びし、辺野古新基地建設が沖縄県民の支持を受けたかのような幻想をふりまいている。
 しかし、宜野湾市民の民意はあくまで普天間基地の撤去であり、辺野古新基地建設容認ではないだろう。こうした中、1月29日には福岡高裁那覇支部が政府、沖縄県に対し二つの和解案を提示した。
「根本案」は辺野古新基地を建設したうえで、運用開始から30年以内に返還か、軍民共用化を求めて政府が対米交渉を行う。「暫定案」は政府が移設作業を中断し、代執行訴訟を取り下げ、県の埋め立て承認取り消しの違法性について提訴し県と再協議する。となっている。
 翁長知事は2月15日「暫定案」を念頭に協議を進める姿勢を明らかにしたが、政府は和解に否定的であり、埋め立て―建設強行を示唆している。裁判所は政府敗訴の可能性を示唆し「根本案」の検討を希望しているが、アメリカとの交渉を避けたい安倍政権は難色を示している。
 一方で県民世論の懐柔・分断を画策し、沖縄出身の著名人を参議院比例区に擁立するなど、あくまで強引な政治的決着を目論んでいるのである。
 さらに沖縄・本部町でのテーマパーク建設を計画していたUSJが、撤回を検討していることが明らかとなった。宜野湾市長選挙でも普天間跡地への「ディズニーランド」進出が打ち上げられたが、選挙が終われば用済みということであろう。
 もともと「美ら海水族館」などを擁する沖縄有数の観光地でさえ「採算が取れない」(USJ親会社)のに、宜野湾市ではさらに困難なことは火を見るより明らである。「ディズニーランド」など、選挙目当てで振り撒かれた幻想以外の何ものでもなく、あまりに沖縄県民を愚弄するものであろう。
 参議院選挙で再び沖縄の民意を示すことが望まれる。
 
<改憲勢力伸長阻止を>
 慰安婦問題の「解決」、甘利切り捨てなどで安倍政権の支持率は回復傾向にある。これに胡坐をかく安倍政権は改憲に向け強権的姿勢を強めている。
 安倍は1月21日の参議院決算特別委員会で、憲法のどの条項を改正すべきか検討する段階との考えを示し、2月4日の衆議院予算委員会では、国防軍の設置を盛り込んだ自民党の改憲案について「党として将来有るべき憲法の姿を示した」と評価し、自衛隊への疑いをなくすべきではないかとの考えもあると、9条2項改正の可能性にも言及するなど、改憲への傾斜を強めている。
 とりわけ大規模災害対処を口実とした「緊急事態条項」の設定を、改憲の突破口とせんとして、参議院選挙に於いておおさか維新の会など事実上の与党を含めた3分の2以上の改憲勢力の確保に躍起になっている。
 2月8日衆議院予算委員会で高市総務相は放送局への「電波停止」について言及した。政権に批判的なキャスターを飛ばすだけでは物足らず、放送局そのものを解体するぞという脅しである。
 今年は2,26事件80年での年である。このクーデター未遂事件を契機に陸軍を軸とする軍部の暴走は加速し、日本型ファシズム体制が確立したが、現在は安倍自民党自らが軍部の役割を担っていると言っても過言ではない。
 閣僚が民主主義を否定する言論弾圧を公言してはばからず、それを肯定する安倍政権の姿勢は「緊急事態条項」=戒厳令の真の目的とその危うさを如実に示しており、参議院選挙では改憲勢力を封じ込める必要がある。
 この間野党共闘は難航していたが、2月19日共産党は一人区に関しては、「国民連合政府」に拘らず戦争法廃止を軸とする「統一候補」に協力する方針を示したことで大きく動くこととなった。
 4月24日の北海道5区補欠選挙では、この動きの中で共産党が民主党に歩み寄り野党候補が一本化した。一方急遽行われることとなった京都3区補選については、安倍政権がおおさか維新に議席を譲り渡す可能性があり、民主、共産は何としても阻止すべきであろう。
 さらに参議院大阪選挙区では、最悪の場合おおさか維新2、自民1、公明1と「与党独占」の危険性さえある。民主、共産両党はこの間の流れを踏まえ、野党共倒れを防ぐため最大限の努力を傾注する必要があるだろう。
 世界的な右派勢力伸長の中、アメリカでは民主党の大統領候補選で格差是正を掲げるサンダース候補が大健闘を見せている。これには2011年のOccupy Wall Streetに通底するものがあるだろう。
 日本においても昨年の戦争法案反対行動で示されたエネルギーを、投票行動に結びつける取り組みが求められている。2月20日の社民党大会では5野党党首が共闘姿勢をアピールしたが、これを単なるパフォーマンスに終わらせないようさらなる努力が期待されている。(大阪O)

【出典】 アサート No.459 2016年2月27日

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【投稿】「福島県県民健康調査」甲状腺がんデータを巡る原発推進派と共産党系学者の奇妙なシンクロ

【投稿】「福島県県民健康調査」甲状腺がんデータを巡る原発推進派と
                      共産党系学者の奇妙なシンクロ
                            福井 杉本達也 

1 低放射線の影響について・雑誌『日本の科学者』が豊田論文を巡って・共産党系野口邦和氏らの反論掲載拒否
 日本科学者会議の機関誌『日本の科学者』2015年10月号において,増田善信氏の「福島原発事故による放射性ヨウ素の拡散と小児甲状腺がんとの関連性,およびその危険性」と題する論文が掲載されたが、この論文を「間違った情報と知見にもとづいて執筆された問題だらけの論文」と決めつけ、清水修二(「県民健康調査」検討委員会委員)・野口邦和・児玉一八3氏が連名により増田論文への反論文の掲載を同誌編集部に求めたが、これを拒否されたため、「放射線被曝、放射線影響に関する限り、日本科学者会議はもはや科学者集団ではなくなったと言わざるを得ません。」)として、3名が退会した(清水修二2015,12,9「左巻健男ブログ」から転載2015,12,19より)。
 野口氏らは反論文で「原発事故の影響で小児甲状腺がんがふえるかどうか、今の時点で結論を出すのは時期尚早である。…今度の事故による程度の低線量被曝では、統計的に確認できるほどの増加が観察される可能性は小さい。それでも考えられる評価基準のすべてにおいて「シロ」である確証が得られない限り、「疑わしきはクロ」とみるのが正義だ、と増田氏は主張されるだろうか。それで誰が救われることになるのか、考えてほしいものである。」(『放射線被曝の影響評価は科学的な手法で―甲状腺がんをめぐる増田善信氏の論稿について』清水修二・野口邦和・児玉一八 2015,10,13「同上:左巻」)と述べ、「放射線はシロ」の判断を下した。100万人に1~2人といわれる極めて稀な病気であるはずの小児甲状腺がんが、事故後なぜ20~50人と多発しているのか。野口氏らの論理は将来、小児甲状腺がんになるかもしれない被災者を切り捨てる国家・国家の意見を代弁する山下俊一氏らと同一である。このような、反論文を掲載すれば『日本の科学者』編集部は永久に「科学者」ではなくなる。編集部が掲載拒否したことは至極当然である。

2 山下俊一氏らと野口邦和氏らとの奇妙なシンクロ
 野口氏らはUBSCEAR(国連科学委員会)2013年報告書や政府・東電発表の資料を金科玉条のごとく扱っているが、事故直後に「メルトダウン」を認めた発言をした原子力保安院の中村幸一郎審議官を直ちに更迭し、事故を「レベル5」と発表したような政府の資料をそのまま鵜呑みにすることはできまい。水俣病に取り組んだ故宇井純氏が民間会社で働いていた時、氏は年間50kgの水銀を工場外に捨てていた。3人で150kg、20年間で3,000kgは流していた。ところが会社から国への報告はたった34 kgで2桁の差だったという。野口氏らが、チェルノブイリでは「5日間以上も国民に隠されていたため初期の緊急時対応がまったく採れなかったのに対し…それなりの緊急時対応を採ることができた」(同上:反論文)というが、全くのデタラメである。浪江町では放射性物質が流れた方向に避難させられ、飯館村が全村避難となったのは事故後1ヵ月もたった4月11日である。その間、山下俊一氏らは飯館村を訪れ「放射線は怖くない」と説得して回っていたのである。野口氏らはこうした事実に目を背けている。

3 28年前・チェルノブイリの重大な結果を学ばず「広瀬隆批判」を行い、3.11を招いた野口氏
 チェルノブイリ事故2年後の1988年5月、日本科学者会議は、「原子力をめぐる最近の諸問題」というシンポジウムを開催、「広瀬隆『危険な話』は危険な本」というテーマで、原沢進氏(立教大学原子力研究所教授)と野口邦和氏(日本大学)が報告した。野口氏は、「原発推進者を事実上免罪する『危険な話』の危険な結論、きわめてデタラメかつ危険な書物であると指摘」し、報告は、『文化評論』1988年7月号に「広瀬隆『危険な話』の危険なウソ」と題されて掲載され、『文藝春秋』1988年8月号にも「デタラメだらけの広瀬隆『危険な話』」として要約が転載された。
 野口氏は『文芸春秋』おいて、広瀬氏を「『甲状腺ガンがすさまじい勢いで発生する』は、文学的表現であろうか。…しかし『稀にみる真実』であると主張するのであれば、このように情緒的な表現だけを用いるのは間違いの元で、避けるべきであると思う。…甲状腺ガンおよび甲状腺結節の潜伏期はともに10年である。…広瀬さんは『(甲状腺ガン)の兆候は出はじめている』(括弧内の挿入は私)とあっちこっちで講演して回っているわけだから、完全なウソ、作り話である。」とチェルノブイリ事故での甲状腺がんの発生の事実を否定した。しかし、野口氏が強固に否定した甲状腺がんは発生した。今回の福島事故も同様の論理で否定している。
 この野口氏の広瀬批判に対し、吉岡斉氏は「野口の最も基本的な主張は、ソ連報告書をフィクションと断定する広瀬の主張は、広瀬自身がソ連報告書を反証するだけの解析結果を示さない限り、説得力がないという主張であった。つまり野口は事実上、ソ連報告書の内容の全面的な擁護をおこなったのである。ソ連政府による事故情報独占体制のもとで、広瀬がソ連政府の公式見解を反証する解析結果を示すことが不可能であることを承知のうえで、野口はソ連政府を全面的に擁護したのである。(吉岡『新版原子力の社会史』)とその体制擁護を的確に指摘した。情報を独占する体制を擁護し、情報が限られる市井の科学者やジャーナリストには厳しく当たる姿勢は、今回の増田氏への批判にそっくりそのまま当てはまる。野口氏はこの28年間まったく学習していない(参照:Hisato Nakajimaブログ『東京の「現在」から「歴史」=「過去」を 読み解く』2012.1.27)。
 
4 科学至上主義の「神話」
 “専門家”の“科学的評価”は、本当に正しいのか?“科学者”は“中立的立場”なのか?「大企業なり国家なりがスポンサーになるということが第一次大戦の後起こってまいりまして、これが一番成功したものはアメリカのマンハッタン計画であって、確かアメリカの80%以上の科学者がそこで組織されたといいます。」と宇井純氏は述べている。また佐藤文隆氏は米国の物理学の博士号取得者数が第二次大戦後、スプートニク・ショック以降の冷戦激化下で急増し、ベトナム戦争の泥沼化でピークアウトする推移を解説しながら「純粋な基礎研究でも国家に奉仕する仕組みに絡み取られてしまうことである。どんな基礎研究に没頭していても、国家の枠組みからのドロップアウトではなく、国家機構に組み込まれた営みなのである。逆説的だが、どんな役立たずのことをやっていても『お国の為』という網から逃れられないのである」(佐藤『科学者、あたりまえのことを疑う』2016.1.10)と喝破している。 野口氏らはあたかも自身を「国家機構に組み込まれない」、「中立的判断」が可能な第三者を装っているが、国家のステークホルダー(利害関係者)の一員であることに変わりはない。その立ち位置を誤魔化して、あたかも第三者を装い、福島の被災者に「今見つかっている甲状腺がんは、事故由来の放射線被曝の結果であるとは考えられない」と御託を並べることがいかがわしいのである。それを「御用学者」と呼ぶ。
 
5 甲状腺がんでも水俣病における厚生省・東大医学部と同様の役回り
 水俣病は1956年熊本大学医学部の研究チームにより、チッソ水俣工場の排水中の有機水銀原因説が有力視されたが、1960年、厚生省はこれをもみ消すため強引に東京大学医学部を中心に「田宮委員会」を設置し、清浦雷作東京工業大学教授らが「アミン説」という偽説を発表、あたかも原因は未解明であるかのような印象を振りまき、水俣病の解決を決定的に遅らせた苦い教訓がある。
 福島原発事故にかかる甲状腺がんについては、この間、岡山大学の津田敏秀氏らが疫学的な観点から報告しているが(国際環境疫学会・医学雑誌「Epidemiology」(インターネット版)2015.10.6)、野口氏らは争点の軸をずらし、「放射性物質の放出量が少ない」、「チェルノブイリでは4~5年後から急増しており、事故直後から発病することはありえない」、「スクリーニング効果である」、「日本は海産物を通して日頃からヨウ素を十分摂取している」、「日本は事故直後から食品摂取規制を行った」(反論文)等様々な理由をつけている。山下氏も同様であるが、津田氏の疫学からの指摘に対し、何の裏付けもなく、その場しのぎの「偽説」を強引に振り回すことではない。甲状腺に影響を及ぼす放射性ヨウ素131は事故から8日間で半減してしまったが、その動きはほとんど分かっていない。なぜ、20~50倍も発生しているかを真摯に考えることである。宇井純氏は「誤ちを認めることがなければ、今後も誤ちは繰り返されるであろう。」と指摘したが、同様のことが今回も繰り返されようとしている。まことに戦慄すべきことである。
 
6 「核」にしがみつく共産党と「核」からの離脱を目指す「日本科学者会議」
 「放射線被曝,放射線影響に関する限り」とする野口氏らの見解は、米原子力委員会主導のABCC(The Atomic Bomb Casualty commission)→重松逸造(放射線影響研究所(ABCC改組)理事長)→長瀧重信→山下俊一氏らと同一線上にあり、この分野については、部外者からの批判を一切受け付けないということである。なぜなら、放射線被曝,放射線影響は核戦略の根幹をなす部分であり、放射性降下物による内部被曝を一切無視し、核兵器の「放射線による長期にわたる殺傷」を隠蔽し、「核兵器は通常兵器と同じ」であるとする米核戦略に沿うように情報を操作する必要があるからである(矢ケ崎克馬『隠された被曝』)。野口氏は28年前のチェルノブイリ事故の隠蔽においては「日本の原発は安全だ」とする「原子力広報」PA(Public Acceptance)担当の役割を果たしたが、福島事故においては、「原子力発電問題は高度の科学論争をともないます。思想性の低さゆえに…『反原子力ムラ』を作ってしまうのは愚かなことだ」(清水:『放射線被曝の理科・社会』野口・清水・児玉共著)などと反原発の隊列を後ろから殴打するなど、野口氏らは国家・東電の犯罪に加担・隠蔽する共同正犯の役割を果たしている。「核」の暴走を化学エネルギーを土台とする現代の技術において制御できなかった福島原発事故直後、共産党の不破哲三前議長は『「科学の目」で原発災害を考える』において、「1930年代に人間は核エネルギーを発見しました。これは、“第二の火の発見”と呼ばれたほどの人類史的な大事件でした。ものすごい巨大なエネルギーの発見でしたから…このエネルギーを使いこなす、そして人間が人間の目的のために制御するには、たいへんな研究が必要でした。」(「しんぶん赤旗」2011.5.14)とし、いまだに「核」エネルギーの亡霊にひれ伏し、しがみついている。また、ネット上においても、野口氏らの論法を支持する投稿も多く、共産党内には「核」を放棄したくない勢力が根強く存在する。共産党が今後とも「核」=軍産複合体の側に留まるのか、「核」からの離脱を目指すのか厳しくその姿勢が厳しく問われている。 

【出典】 アサート No.459 2016年2月27日

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【投稿】参院選・野党共闘をめぐって 統一戦線論(21) 

【投稿】参院選・野党共闘をめぐって 統一戦線論(21) 

<<「もうダメかと思った」>>
 2/20に開かれた社民党大会で、来賓挨拶に立ったシールズの本間信和さん(筑波大)は、「正直なところ、もうダメかと思った。野党共闘、本当にうまくいかないと思っていた中で、昨日のニュース(野党5党の党首会談で共闘を確認したこと)を聞いて胸をなで下ろしていたところだ。今年の夏、政党間の利害関係や立場や世代の違いを超えて、今の強権的な安倍政治に対し「ノー」と声を上げないといけない。若者だけではなくあらゆる世代の人たちが声を上げたのが昨年の夏だ。こうした声を受けて今、野党の人たちが自分たちの責任をかけて共闘している。日本政治史では今までなかったことだ。ただ、これで状況が楽観できるものになったとは思っていない。困難な戦いになるということは百も承知。それでも私たちには小さな違いを超えて、一緒に安倍晋三政権を倒すという戦いを戦い抜く準備と覚悟はできている。支持政党がない人が40%いるこの国で、どう政治参加させるか。政治にかかわる全ての人が考えなければいけない。政党も市民もすべてがともに戦い、この参院選、勝ちを狙いにいきましょう。」と語った。ここにこれまでの失望と今後への熱い期待の両方がこめられている。
 シールズ(「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)」)をはじめ、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」「安全保障関連法に反対する学者の会」「立憲デモクラシーの会」「安保法制に反対するママの会」、これらをさらにまとめ上げた「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」、それらを支え、それぞれに結集する多くの団体や個人の熱意こそが野党共闘の流れを作り出し、押し上げてきた原動力であった。
 あまりにも遅くイライラさせられてきた野党共闘ではあるが、ようやくのことでここまで来たというところであろう。
 2/19、民主党の岡田代表、共産党の志位委員長、維新の党の松野代表、社民党の吉田党首、生活の党の小沢代表の野党5党首が国会内で会談し、以下の4項目で合意した。
 (1)安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を共通の目標とする。
 (2)安倍政権の打倒を目指す。
 (3)国政選挙で現与党およびその補完勢力を少数に追い込む。
 (4)国会における対応や国政選挙などあらゆる場面でできる限りの協力を行う。
 5野党党首が、直面する参院選を前にしてこのような選挙協力で合意し、誠実で真剣な協議に入ることを確認したこと、その意義は大きい。これが早急に具体化されることが望まれる。

<<「自民党に天罰を、公明党に仏罰を!」>>
 その正否を左右する当面の焦点は、この4月に行われる北海道と京都の衆院補欠選での野党共闘が実現するかどうかであるが、北海道5区は候補者の一本化が実現。京都でも野党候補の一本化ができるかどうか、先の合意が試されている。
 北海道5区補選(4/24投開票)は、2/19、共産党北海道委員会と民主党北海道が候補者一本化に合意し、共産党が独自候補を取り下げ、維新、社民も推薦、新人の池田真紀氏(43)が統一候補となった。その「統一候補」勝利のための共闘協定は、
 1、立候補予定者は安保法制(戦争法)の廃止をめざす
 2、立候補予定者は立憲主義と民主主義の回復をめざす(集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を含む)
 3、立候補予定者は国会活動において、上記1、2の項目に従って行動し、所属会派の状況にかかわらず、その姿勢を最後まで貫くことを誓約する。
としている。
 問題は、この道5区補選は、自民党町村信孝議員の死去に伴うもので、町村氏の娘婿の和田義明氏(44)が立候補を表明しているが、公明に加えて、新党大地・鈴木宗男代表が共産党が入った野党統一候補の擁立に反対、安倍首相と取り引き、手のひら返しで自民候補推薦に廻ってしまったことである。さらには鈴木氏の長女・民主党の鈴木貴子衆院議員(比例北海道)を自民に引き抜き、次の衆院選で候補として擁立する取り引きをし、鈴木氏が「貴子を民主から離党させる用意はできている」と伝えたのに対し、安倍首相は「自民で育てたい」「北海道では大地が影響力を持っている。鈴木氏はキーマンだ」と応じたという。鈴木氏はこれを「ありがたく思っている」と堂々と公言している。
 前述の社民党大会で、『週刊金曜日』編集委員の佐高信さんは挨拶の中で、「やはり私たちが戦う敵は公明党を含めた自公政権だ。さっき志位委員長や小沢さんとかがいろいろ話をしていたが、北海道の鈴木宗男の大転換にみられるように、共産党と結ばないということは公明党、創価学会と結ぶということだ。それを私たちは強調していきたい。公明党なんて「平和の党」なんかじゃない。そんなことは全く頭にない。そして創価学会と公明党と使い分けをしてきた。そういうことにメディアも乗ってはならない。自民党に天罰を、公明党に仏罰を!」と強調した。まさにしかり、と言えよう。

<<「思い切った対応を行いたい」>>
 この2/20の社民党大会には民主、共産、維新、生活の野党4党の党首や幹事長が出席し、それぞれの野党共闘にかける思いを語っている。
 社民党・吉田党首:「私は党首に就任して、一貫して社会民主主義的なリベラル勢力結集を目指したいと訴えてきた。そのタイミングは近づきつつあるように思う。決断すべき時には大胆に決断し、皆さんとともに前進していく決意だ。昨日、野党5党共同で戦争法、安全保障関連法の廃止法案を国会に提出した。大きな一歩だ。統一署名運動、違憲訴訟団との連携、総掛かりの大衆行動など、これまでの私たちの歩みに自信と確信を持ち、戦争法廃止と活動阻止に向けて新たな運動を展開しようではないか。本日お見えの各政党の皆さんとともに、野党統一候補擁立に全力をあげていく。」
 民主党・枝野幹事長:「5党はそれぞれ政策には違いがある。違いはあるが、いまこの国が直面している3つの大きな危機を食い止めなければならない。この点については一致している。一つは何と言っても立憲主義の危機。権力が憲法に拘束されなければ何に拘束されるんだ。勝手に憲法の解釈を変えて社会が成り立つはずがない。この危機はどんな理念、政策が違っていても政治を行う上での共通の土俵でなければならないはずだ。二つ目に国民生活の危機だ。経済財政政策では違いがあるかもしれない。しかし、今の日本の現状は、中間層はどんどんどんどん崩れていって、貧困層がますます苦しくなって、国民生活の危機を迎えている。これを何とか食い止めなければならない。この点ではそれぞれ色々な違いがあっても共通しているのではないかと思う。そして民主主義の危機だ。この夏の参院選。もちろん民主党の幹事長として私は民主党の議席を一つでも多くしたいと思っているが、それ以上に大事なことは自公とその補完勢力をいかに最小化させるか、そちらの方こそが最優先だ。そんな立場で戦っていく。」
 共産党・志位委員長:「日本共産党が社民党の大会に招待いただき、ごあいさつをするのは、日本社会党時代も含めて今日が歴史上初めてだ。大変うれしく、光栄に思う。これからますます久しくお付き合いをさせていただきたい。昨日の合意、これは野党共闘を求める国民の声に応えた画期的な合意だと考えている。誠実かつ真剣に協議に臨み、速やかな合意を得るために全力を挙げたい。特に参院の32の1人区の戦いは非常に重要だ。この1人区の候補者の調整にあたっては、戦争法を廃止するという大義の実現のために、わが党としては思い切った対応を行いたいと考えている。」
 維新の党・今井幹事長:「私は今一番怖いのは安倍政治の本当に強引な政権運営のやり方だ。こういう人格を持っている人をこの国のリーダーにしておくことは本当に危険だ。今度の参院選、あるいは同時に行われるかもしれない衆院選、これは私たちの国に民主主義を取り戻す選挙だと思う。われわれは社民党の皆様と、そして今日いらっしゃる他の党の皆様と、とにかく民主主義を取り戻すこの1点で一緒に戦って参りたい。」
 生活の党と山本太郎となかまたち・小沢一郎代表:「要は、お招きいただいた4党と社民党、この5党が本当に口先だけではなくて、お互いに信じ合い、協力して、選挙に臨んで、安倍政権を打倒し政権交代をはかる。それがわれわれの使命であり、責任であると思う。そのために本当に格差のない平和な社会をつくる政権、われわれから言わせれば「国民の生活が第一」を目指す政権を樹立するために皆さんと一緒に全力で頑張る。」
 それぞれに決意を語り、温度差はあれども野党共闘前進への意気込みが感じられる。しかし、言や良し、現実が伴わなければいかんともしがたい。それぞれの政党エゴ、セクト主義が跋扈する苦い、情けない事態がこれまで続いてきた。そのようなことを許さず、野党共闘を前進させ、追い込む力、原動力は、さらに広範な人々を結集した多様な闘いと運動であることがあらためて再確認されよう。
(生駒 敬) 

【出典】 アサート No.459 2016年2月27日

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【書評】古市憲寿『誰も戦争を教えられない』

【書評】古市憲寿『誰も戦争を教えられない』
         (2015年、講談社α文庫、850円+税) 

 『不幸な国の幸福な若者たち』で注目された社会学者による戦争・平和論である。そのトーンは時には挑発的であり、戦争を語るにしては不謹慎という批判を右からも左からも浴びそうである。しかし一面の真理は突いている部分もある。本書は「博物館という日常」と「戦争という非日常」の結節点に存在する各国の「戦争博物館」(「平和博物館」)に焦点を合わせ、そこから戦争(平和)を考えようとする。
 まず、「アリゾナ・メモリアル」(ハワイ真珠湾攻撃によって沈没した戦艦アリゾナの残骸の上に建設された記念館–その横には日本が降伏文書を調印したミズーリ号が停泊している)と、南京大虐殺記念館について語られる。
 「両者とも、第二次世界大戦において日本と戦火を交え、日本に勝利した国という点では共通している。/しかしその『勝利』の描き方は二つの場所で大きく異なっていた。比較的シンプルにアメリカの『勝利』が描かれるアリゾナ・メモリアルと違い、南京では日本軍の『残虐性』を強調した上で、中国共産党の寛大さによってもたらされた日中友好が提示される。/この二つの戦争博物館が描く物語は、中国とアメリカという国家の対日観に大きく関係している」。
 つまり戦争博物館は、その国家が戦争をどのように考えているかを可視化し、戦争の「記憶」をどのように後世に伝えていくのかという政治の場所である。著者によれば、近代国家は「政教分離という前提を認めつつ、これに対して新しい「国民神話を、国家プロデユースのもと作ろうとした」。この政策の一端が戦争博物館である。しかしこの「犠牲者を追悼するという崇高な施設」も、「理念が崇高なだけで人々は訪れはしない」という現実がある。「『富国強兵』や『戦争に勝つこと』が国民共通の物語ではなくなった時代において、いかにして人々に博物館に来てもらうことができるのか」ということが問題になっている。そこで対応に各国の姿勢が出てくる。
 たとえば、同じ敗戦国の「日本とドイツの決定的な違いは、歴史観という『態度』よりも、実施に移された『行動』に顕著に現れる。たとえばベルリン中心地だけでも、ナチスやホロコーストを語る大型歴史施設は、国立歴史博物館を含めて五つもある。(中略)注目したいのは、この記念館と博物館が建設された場所だ。ブランデンブルク門のすぐ側という政治的超一等地に、いきなり犠牲者追悼の巨大なモニュメントが置かれているのだ。半径数百mには、首相府、ドイツ連邦議会議事堂、連邦参議院などが位置する。日本でいえば、皇居前に外国人戦没者慰霊碑を建てるようなものだ」として、この他残されている強制収容所などを見学した後に、ドイツの姿勢を「本物」と「場」を重視する姿勢に見る。これに対して本書は「『戦争、ダメ、絶対』と繰り返しながら、僕たちはまだ、戦争の加害者にも被害者にもなれずにいる」と日本のアイマイさを語る。
 そして戦争に関する「大きな記憶」(歴史に関する博物館や教科書を作り、次の世代へ継承すること)と「小さな記憶」(個人の戦争体験)とを対比して、「平和博物館とは、まさに『小さな記憶』を拾い集めて、『大きな記憶』として次の時代へ残していく試みに他ならない」が、しかし「そもそも『小さな記憶』を素直に拾い集め、つなげたところで、それがそのまま『大きな記憶』になるわけではない」と指摘する。この点は議論のあるところであるが、本書は問いかけと感想に留まる。
 しかしエピソード的にはいろいろな事項が紹介されている。その主たる流れは戦前と戦後との連続性であり、一例をあげると「日本の各地では、旧日本軍関連施設を有効活用して戦後復興に役立ててきた。戦後、旧陸海軍省から大蔵省に移管された国有財産は土地だけで2669平方キロメートルに及ぶ。神奈川県に匹敵する大きさだ。/こうした国有財産は農地や学校、病院等に転用された。富士重工業や三洋電機などの民間企業に払い下げられた軍事関連施設も多い」。その他「総力戦体制」のために生まれた「日本型経済システム」(長期雇用契約、年功的賃金、間接金融システム、厚生省の設置と国民健康保険制度(1938年)、厚生年金保険制度(1944年)、給与所得者の源泉徴収(1940年以降)等々もそうである。
 さらに極めつけは、戦争関連施設(博物館、博覧会)の設計、建設、展示にまつわる乃村工藝という企業の存在である。この会社はショービジネスの専門企業として、戦前は戦意高揚の「支那事変聖戦博覧会」「大東亜建設博覧会」「墜落敵機B29展」等を受託(社名も「日本軍事工藝株式会社」に変更)。戦後は「平和産業大博覧会」をはじめ、ミュージアムブームに乗り、船の科学館、国立民族博物館、国立歴史民俗博物館、多くの企業博物館を手がけた。そしてこの博物館大手企業が「沖縄県平和祈念資料館」と「遊就館(靖国神社の資料館)」をも手がけているのである。この経緯から著者は「ある博物館を『偏向だ』とか『危険施設だ』と糾弾する意味はあまりないように思う。同じ乃村が関わっているのだ。そこに特別な洗脳の仕掛けが隠れているとはとても思えない」と述べるが、ここに本書の視点の限界が集約されている。
 それ故この視点から、「戦争博物館」(「平和博物館」)の活性化のために、「キーワードは『ディズニー化』」だ」として、さまざまな戦争博物館のエンターテインメント化を提唱し、また戦争自体も、ロボット兵士等の無人兵器の発達や「民営化」やサイバー戦争によって、国民の人命は尊重される時代になったと楽観的な予想を述べる。
 しかしながら本書の言う戦争の理解そのものがはなはだ狭いものであることを指摘しなければならない。「戦争のない状態が平和である」とするホッブズの時代とは異なり、「平和のない状態が戦争である」とするガルトゥングの現代には、国家対国家の古典的な戦争時代が過ぎ去り、世界的に政治的社会的イデオロギー的対立が日常的な戦争状態を引き起こし、多数の難民を出しているという現実がある。これをどう見るかについて本書は語らない。また「大きな時代」の「小さな記憶」をいかにして「大きな記憶」に反映させていくのか、という課題は残されたままである。本書の見識が問われるところである。(R) 

【出典】 アサート No.459 2016年2月27日

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【投稿】「慰安婦」問題・日韓合意と共産党

【投稿】「慰安婦」問題・日韓合意と共産党

<<ますます居丈高な安倍首相>>
 「慰安婦」問題に関する日韓合意をめぐって、安倍首相は「最終的かつ不可逆的」に解決した問題を、何をいまさら蒸し返すのだという態度でますます居丈高になっている。
 1/18の参院予算委員会で安倍首相は、先月の日韓合意について、「(旧日本軍慰安婦に関し)戦争犯罪のたぐいのものを認めたわけではない」と開き直り、「(慰安婦問題は)日韓請求権協定で解決済みとの立場は変わらない」と断言。さらに、「日本のこころを大切にする党」の中山恭子議員が「国際社会に日本に対する誹謗があるが、歴史的事実をきちんと知らせて名誉を守るべきだ」との発言に乗じて、「海外プレスを含め、正しくない誹謗中傷があることは事実だ。性奴隷、あるいは(慰安婦の数が)20万人といった事実はない。政府として、それは事実ではないと、しっかりと示していく」と強調、外国メディアの報道に噛み付いている。岸田外相も海外メディアが軍隊慰安婦を「性奴隷」と記述していることに対し、「不適切であり、使用すべきではないというのが日本の考え方」と述べ、「(性奴隷という表現は)事実に基づかないもので、日韓外相会談で韓国政府はこの問題の公式名称が『日本軍慰安婦被害者問題』であることを確認した」と答弁。
 こうした首相や外相の居直りとも言える発言に対して、韓国政府・外交部の当局者は「日本政府の慰安婦強制動員はすでに国際的にも立証された確固たる真実であり、日本側がこれを論議の対象にしようとすることにいちいち対応する価値もない」と一蹴。さらに「日本軍が慰安婦を強制動員したという事実は被害者の証言、連合国の文書、極東国際軍事裁判所の資料、インドネシア・スマラン慰安所関連のバタビア臨時法廷判決、クマラスワミ報告書、オランダ政府の調査報告書など、さまざまな資料で確認されている」と反論。岸田外相の発言に対しては、「名称が何であれ、その本質が戦時女性性暴行、すなわち戦争犯罪という事実は変わらない。国際社会でその本質通りに性奴隷と呼ぶのは当然のこと」と反論している。
 また、韓国外務省報道官は1/31、慰安婦問題に関し、日本が「政府が発見した資料の中に軍や官憲による強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」という立場を示していることについて「慰安婦の動員、募集、移送の強制性は否定できない歴史的事実だ。国際社会が明確に判断を下している」と反論。さらに報道官は「日本政府が、慰安婦問題の(日韓)合意の精神、趣旨を損なう言動を控え、被害者の名誉と尊厳を回復し、傷を癒やすという立場を行動で示すよう」求めている。
 ところが、安倍首相は、1/22の相当に長い施政方針演説の中で、この日韓合意について触れたのは、「韓国とは、昨年来、慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認し、長年の懸案に終止符を打ちました。」と、たったこれだけ、合意の内容について、首相自身の「心からのおわびと反省の気持ち」の表明について一切触れようとさえしなかったのである。岸田外相が合意の際、代読した「安倍内閣総理大臣は、日本の内閣総理大臣として、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒やしにくい傷を負われたすべての方々に対し、心からのおわびと反省の気持ちを表明する」という立場など、まるでなかったかのようなそ知らぬ顔である。「長年の懸案に終止符を打った」という、安倍首相の傲慢で、何の誠意もなく、卑劣で、薄っぺらな政治姿勢が露骨に見て取れる。
 安倍政権は、日韓合意などどこ吹く風で、「慰安婦」問題の本質が「戦時女性性暴行、すなわち戦争犯罪である」「その本質通りに性奴隷と呼ぶ」という国際社会の共通認識の全否定に乗り出しているのである。

<<国際社会での蒸し返し>>
 さらに安倍政権が悪質なのは、日韓合意で「今後、国連等、国際社会において、本問題について互いに非難・批判することは控える」と合意していたにもかかわらず、日本側から再び「慰安婦」の強制連行はなかった、性奴隷ではなかった、などと国際社会の場で蒸し返しだしたことである。
 2/16、ジュネーブの国連欧州本部でおこなわれた国連女性差別撤廃委員会による日本報告に対する審議の中で、日本政府代表団の杉山晋輔外務審議官は「慰安婦」問題について、「日本政府が発見した資料の中には軍や官憲による、いわゆる強制連行を確認できるものはなかった」と問題をあらためて蒸し返し、さらに、「性奴隷という表現は事実に反する」と述べ、列席の委員から「だれも歴史を変えることはできないし、逆行することもできない」と厳しい批判を受けても、「委員のご指摘は、いずれの点においても、日本政府として受け入れられるものでない」とあくまでも固執したのである。
 こうした日本政府側の発言に対して、韓国外務省の趙俊赫報道官は2/17、「合意の精神と趣旨を損なうような言動を慎み、被害者の名誉と尊厳を回復し、心の傷を癒そうという立場を行動で示すように再度求める」と韓国政府の立場を明らかにしている。ところが、菅義偉官房長官は2/17の会見で「提起された質問に対し事実関係を述べただけであり、韓国政府を非難、あるいは批判するものに当たらないから、合意に反するものではないと思っている」と述べ、「非難・批判」には当たらないと、あくまでも歴史修正主義の立場を今後も蒸し返すことを示唆している。
 安倍政権にとって、日韓合意はもう二度と謝罪しない、反省もしない、しかし加害と戦争犯罪の歴史を否定する歴史修正主義は推し進める、誠に都合のよい空証文にしか過ぎなかったのである。

<<「どうしてこんな合意で私たちを愚弄する」>>
 「アジア女性基金」の中心メンバーだった和田春樹さんは、責任を認め謝罪するという意思が明確に伝わらなかったことが同基金事業の反省点との認識から、首相自らが謝罪の言葉を伝え、政府の拠出金は「謝罪のしるし」との趣旨をはっきりさせることが必要だと指摘している(「朝日」2015/12/29)。さらに和田さんは、突然の日韓外相会談の合意を「安倍さんの一種の奇襲作戦だった」「それをできるだけ目立たない形で、しかも記憶に残らないようなかたちでやって、アメリカの承認を得ることを狙ったと考えられる。」存在しているのが両国外相の共同発表文だけであり、「首相のやったことではない、外務大臣のやったことになっている。」ことにそのことが示されている。「その謝罪というものが隠された形で出されている。これでは被害者にまったく通じない。」「首相は国会で謝罪答弁を」と述べられている(「社会新報」2016/1/13号)。
 この問題が真の意味で前進するためには、まずは首相自らが直接、被害者に謝罪すること、さらに国会で謝罪答弁を明確に行うことこそが要請されているにもかかわらず、安部政権はこれから逃げ回り、拒否しているのである。
 1/26、来日した日本軍「慰安婦」被害者のイ・オクソンさん(90)とカン・イルチュルさん(89)は、衆議院第一議員会館の会議室で記者会見を開き、「どうしてこんな合意で私たちを愚弄するのか。なぜ安倍(首相)は一度も出てこないのか」「なぜ被害者の目を瞑らせて、隠し、いくらかのお金なんか持って来て、ハルモニたちの口を封じようとするのか。絶対そうは行かない。悔しくて仕方がない」と、日本政府が公式謝罪し法的責任を認めると共に、安倍晋三首相が直接謝罪することを要求した。この「悔しくて仕方がない」思いにこそ日本政府は応えなければならない。

<<「今からでも遅くはない」>>
 前号で、「慰安婦」問題の日韓合意をめぐって、筆者は、「共産党までが翼賛、評価」と小見出しをつけて、この合意直後の昨年12/29の共産党・志位委員長の談話(「問題解決に向けての前進と評価できる。」)を批判し、「今からでも遅くはない、こうした評価を転換すべきであろう。」と指摘した。いまだ転換はなされていないが、情けないのは、安倍首相の施政方針演説に対する志位委員長や山下書記局長をはじめ、共産党の衆参両院議員の誰一人として、本会議や予算委員会での質問で、この日韓合意について一切触れることがなく、当然、安倍首相自らが直接、被害者に謝罪すること、さらに国会で謝罪答弁を明確に行うことをまったく要求しなかったことである。
 「しんぶん赤旗」紙上では、さすがに無視しきれなくなったのであろう、ようやく1/24になって初めて、「どうみる日韓合意 弁護士・大森典子さん」を掲載した。しかしそれも「これから何が大事になるのでしょうか」「今回の合意には、被害者が求めている真相究明や教科書への記述に言及していないなど、足りない部分があるとの指摘もあります。」「ソウルの大使館前にある少女像の問題はどうお考えですか。」との、日韓合意を「前進」と評価した志位談話の重石から抜けられないおずおずとした質問で、あくまでもインタビュー記事である。
 しかし、前記の被害者お二人の来日という事態になって、共産党自身の姿勢が問われ、1/28の同紙記事は「笠井・紙議員「慰安婦」被害者と懇談 安倍首相は合意基づき具体的事実認め謝罪を」と題し、「問題解決に向け力を尽くすことを約束しました。」と報じている。しかしその姿勢は、「被害者や支援者らの粘り強いたたかいが今回の合意で安倍政権に『おわび』と『反省』を言わせたと敬意を表し、・・・」などと、いまだに、安倍首相のまやかしの「お詫び」と「反省」を「成果」と認識し、志位委員長の日韓合意を「前進」と評価する談話をあくまでも維持し、見直す意思がまったくないことを示している。それでも「問題解決に向け力を尽くす」ならまだしも、いまだに志位委員長が、あるいは両議員が、この間の幾度もあった国会質問の場で、安倍首相に対して日本の国会での公式な謝罪答弁や被害者への直接謝罪を要求し、まやかしの日韓合意を追及した事実はない。搾取と抑圧、差別と迫害に対して共に闘う、連帯と国際主義の精神はいったいどこに消えてしまったのであろうか。遅きに失したとはいえ、今からでも追及し、要求すべきであろう。
 「慰安婦」問題研究の第一人者である吉見義明(中央大学) さんは、岩波書店の『世界』2016年3月号で、「真の解決に逆行する日韓「合意」—-なぜ被害者と事実に向き合わないのか—- 」と題してこの問題を鋭く追及されている。吉見さんは【執筆者からのメッセージ】の中で「日韓『合意』は、よくない意味で衝撃的だった。まず、被害当事者をたなあげにして、両国政府が最終的・不可逆的に解決されることを確認する、としてしまったこと、ついで、この『合意』を歓迎するという声が内外でひろがったことだ。」と指摘されている。この内外の声の中には、志位談話も当然含まれているといえよう。

<<「志位談話の撤回は不可欠」>>
 さらに、前述の1/28の「しんぶん赤旗」の記事をめぐって、東京大学名誉教授の醍醐聰さんは、【「慰安婦問題」に関する志位談話の撤回は不可欠である】と題して、以下のように述べられている。(醍醐聰のブログ 2016年1月28日)

 「志位氏が代表質問で取り上げた課題は確かに、どれも目下の日本にとって喫緊の問題である。しかし、残虐な人権、個人の尊厳の蹂躙を意味する「慰安婦」問題をいろいろな国内問題と秤にかけてよいのか? 安倍首相の理性、政治家としても品性の崩壊を雄弁に表す彼の歴史認識を質すことは「安倍政治を許さない」運動の一翼とするのにふさわしい問題のはずである。日本共産党が今回の日韓合意後も、正しい見地に立って「慰安婦問題」の解決に貢献する運動に取り組むには、合意を「前進」と評価した12月29日の志位談話を撤回することが不可欠である。あの談話の誤りに頬かむりしたまま、合意後に示された韓国の世論、元「慰安婦」の意思とつじつまを合わせようとするから、我田引水の強弁に陥るのである。
日本共産党への4つの質問
 ①「今回の合意にもとづき、加害と被害の事実を具体的に認め、それを反省し謝罪することが重要」という発言を裏返すと、笠井氏も安倍首相の「お詫び」は加害と被害の事実を具体的に認めないままの謝罪だったと判断しているに等しい。的確な歴史認識に依拠しない「お詫び」がなぜ「前進」なのか、なぜ、たたかいの成果といえるのか?
 ②合意後の自民党議員の妄言というが、安倍首相が1月18日の参議院予算委員会で示した「慰安婦」集めに強制はなかった(強制を裏付ける資料は見つかっていない)という発言を笠井氏あるいは日本共産党は「妄言」と考えていないのか? この発言について韓国内では合意に違反するという反発が広がっていることを笠井氏は知らないのか?
 ③安倍首相や自民党議員の間から、10億円の資金拠出は日本大使館前の「少女の像」の移転とセットだとみなす解釈や意見が公然と出ているが、これについて日本共産党はどう考えているのか? 被害国の市民の発意で建立された「少女の像」の移転を加害国が要求することを日本共産党はどう考えているのか? 政府間の「合意」で移設したりできると考えているのか?
 ④笠井氏は昨年末の日韓合意で終止符を打ったとする安倍首相の発言を批判し、「今回の合意にもとづき加害と被害の事実を具体的に認め、それを反省し謝罪することが重要だ。安倍政権をこの立場に立たせるよう、一層努力していきたい」と発言しているが、そんな悠長なことを言っていてよいのか?
 今回の日韓合意で終止符ではないと日本共産党がいうなら、「不可逆的解決」が既成事実化しないよう、直ちに国会で日韓「合意」のまやかしを質すべきところ、昨日(1月27日)、衆議院で代表質問に立った志位委員長は安保法制の廃止、立憲主義の回復、アベノミックスの3年間の検証、貧困と格差の問題の解決、緊急事態条項の危険性などについて安倍首相に質問したが、日韓合意、慰安婦問題については一言も言及しなかった。
 「不可逆的解決」が既成事実化しつつある中で開かれた今国会で、このような代表質問では、懇談した元「慰安婦」に対して2人の国会議員が「一層努力したい」、「問題解決に向けて力を尽くす」と語った約束はどこへいったのか?」

 この醍醐聰さんの「日本共産党への4つの質問」にどのように応えるか、共産党の根本的姿勢が問われている。(生駒 敬) 

【出典】 アサート No.459 2016年2月27日

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【投稿】「改憲」安倍政権に終止符を

【投稿】「改憲」安倍政権に終止符を
             ―急がれる選挙態勢づくり―

<砂上の「慰安婦解決」>
 昨年12月28日、ソウルで日韓外相会談が開かれ「従軍慰安婦問題」について「最終かつ不可逆的解決」が合意された。11月に行われた、初めての日韓首脳会談では、同問題について協議は進めるものの、決着時期や内容については明らかになっておらず、越年は不可避とみられる中、急転直下の合意となった。
 日韓両政府の合意内容は、日本政府が①軍の関与を認め②安倍首相がおわびと反省の気持ちを表明し③政府予算で補償費用10億円程度を拠出する。韓国側は日本大使館前の少女像について適切な処置を行う、となっている。
 韓国側は、謝罪の閣議決定や立法措置による補償など、日本政府の法的責任の明確化を求めてきたが、妥結内容は①、②という河野談話、村山談話の追認に止まり、③も国家補償という位置づけはなされていない。
 今回の合意内容は、2012年にあったとされる「幻の日韓合意」=①野田首相(当時)がお詫びの文書を元慰安婦に送る②日本政府の予算で補償を行う、とほとんど同様である。
 その意味でもっと早く合意できてもよいものであったのが、日韓の政権交代で反故にされ、その後の安倍政権の強硬姿勢でこの程度の内容でさえ遠のいた形となったと言える。
 問題解決の背景には、東アジアの不安定化を危惧するアメリカの強い意向があったと言われている。安倍政権は「慰安婦問題は解決ずみ」という立場に固執し、謝罪とわずかな補償でさえ拒否してきたのだから、今回の決定は大転換であり、また屈辱であったであろう。
 一方の韓国としても、これまでの原則的な主張から見れば、日本に対する大幅な譲歩、妥協ともいえる内容での決着を急いだのは、アメリカの考えを無視できなかったからと言われている。
 日韓首脳会談以降このような予兆はでていた。12月17日に朴大統領に対する名誉棄損裁判で、産経新聞前ソウル支局長に無罪判決、22日には元日本軍軍属の「請求権」訴訟に関して訴えが棄却された。
 これらの司法判断の背後にも、アメリカの意を受けた政府の意向があったと考えられる。
 こうした当事者抜きの政治決着に、元慰安婦や支援団体「挺対協」などは強く反発し、とりわけ少女像の取り扱いに関しては「移転は認められない」との決意を強めている。内容的な前進がないかな3年間放置され、その間多くの元慰安婦が亡くなり、生存者は46人となっている。
 反発の声に対し安倍政権は、「少女像は韓国政府が適切に処理するものと認識している」と、合意直後から素知らぬ顔をするばかりか「少女像が撤去されなければ財団への拠出はしない」趣旨の発言が相次ぐなど、早速合意を反故にしかねない二枚舌ぶりを見せている。
 4月には韓国総選挙、日本では7月には参議院選挙、あるいはW選挙が取り沙汰されている。この結果如何で今回の合意は崩れ去る可能性がある。
 2002年の日朝両首脳による「平壌宣言」では、拉致問題の決着がなされ、戦後補償問題解決、国交正常化に向けて動き出すはずであったが、一時帰国した拉致被害者の再出国取りやめ、再調査の不履行など、双方が強硬措置に出たため宣言は有名無実と化した。
 拉致問題に関しては、日本は被害者であり小泉内閣の措置は一定の支持を受けたが、小泉内閣の官房副長官であった安倍が、慰安婦問題に関しても何時態度を豹変させるか分かったものではないだろう。
 実際、今回の「妥協」に関しては安倍の支持基盤である排外主義者、レイシストなどから失望の声が相次いでいる。1月14日の自民党部内会議で桜田元文科副大臣が「慰安婦は職業売春婦なのに犠牲者として宣伝工作に使われている」と暴言を吐いた。
 外相会談で「今後はお互いに非難や批判を控える」と合意したにも関わらず、早くも本音がでた形となった。安倍や菅は苦しい弁明に追われ、発言は撤回されたが、こうした本物のゲスの極みはまだまだ多数いると思われ、日本側の不誠実さが浮き彫りとなった。
 
<緊張激化の利用を策動>
 このような安倍にとって追い風となったのが、1月6日突如として行われた北朝鮮の「水爆実験」である。第一報に官邸は色めき立ったものの、当初から「水爆」については、アメリカや韓国が疑念を示しており、爆発規模や放射性物質など様々な観測結果からも「水爆」を否定する物証が相次ぎ、核実験としても成功していないのではないかとの見方も示されている。
 この事実に安倍も「水爆とは考えられない」と認めざるを得なかった。しかし安倍は国会審議で「北朝鮮の核開発をより一層進展させるものであり、日本の安全に対する重大な脅威」との考えを示した。安倍は金正恩以上に核実験の成功を願っているようである。
 安倍政権は今回の「水爆実験」を軍拡、とりわけミサイル防衛の進展に利用し、内政面においては拉致問題放置の口実にしようと躍起になっている。日米が進めるミサイル防衛計画については、プーチンが12月31日に発表した新たな「ロシア連邦国家安全保障戦略」で、NATOの拡大を主要な脅威としつつ、欧州に加えアジア太平洋、中東へのミサイル防衛システム展開が地域を不安定化させている、と批判している。
 安倍政権はロシアの批判に対し、今回の北朝鮮の暴走を口実にミサイル防衛計画を正当化した。韓国に向けては慰安婦合意以降も燻る批判に対し、日韓連携を進める材料として利用している。
 さらに中国に対しては、北朝鮮への実行力ある制裁を求め、連携した対応を唱えながら軍事力での対抗を強めている。菅は1月12日の記者会見で「中国海軍艦艇が尖閣諸島周辺の領海内に入った場合、自衛隊に海上警備行動を発令する可能性がある」と述べ、武力衝突にも発展しかねない挑発を示唆した。
 安倍政権は南西諸島の軍事拠点化を進めているが、那覇地裁は昨年12月24日付で、与那国島陸自基地建設差し止めに関する仮処分決定申請を却下した。政府の動きに対する警戒感は石垣島でも高まっており、部隊配備候補地の周辺3地区は石垣市に反対の申し入れを行ったが、与党支持の市長は「市として抗議することはできない」と述べるなど、反対の声を封じ込める動きが強まっている。
 このような日本政府の言動を見せつけられながら、北朝鮮対応での共同歩調を求められても、中国としては信用しないだろう。中国政府としては「北朝鮮の行為が日本の軍拡を正当化している」と金正恩に言うべきであろう。
 安倍政権は東アジアの緊張激化を利用するには飽き足らず、中東地域の混乱も狙っているようである。イラン―サウジアラビアの対立に関し、国際社会は沈静化に向けて様々な動きを見せているが、日本政府は具体的な動きは見せていない。
 安倍政権は、戦争法の必要性を説明するために「ホルムズ海峡の機雷封鎖」を例に出してきたが、今回の事態がそうした見解に有利に働くのを待ち望んでいるようにも見受けられる。
 しかしこの地域、のみならず国際的な懸案はイスラム国であることは世界中が承知しており、イランもサウジアラビアも対立の拡大は望んでいない。現在ペルシャ湾には、アメリカ、フランスの原子力空母を中核とする多国籍艦隊が展開し、イスラム国に対する軍事作戦が進行中であり、イラン、サウジの武力衝突など論外である。
 1月12日にはアメリカ軍の小型艦艇2隻がイラン領海内で同国革命防衛隊に拿捕されたが、乗員は翌日には解放され、17日にはイランに対する経済制裁が解除された。このような世界史の転換点ともいえる動きを、客観的に捉えることができずに、牽強付会するのが安倍外交の一つの特性である。

<野党共闘進めよ>
 情勢を客観的に捉えられない安倍政治は内政に於いても引き続き発揮されている。安倍は年明け以降、改憲への執念を、誰にはばかることなく露骨に示している。 
 4日の年頭記者会見では「憲法改正を参議院選挙で訴えていく」と参議院選挙の争点とすることを明らかにし、1月10日のNHK「日曜討論」では「自公だけで(参議院の)3分の2議席は大変難しいので、おおさか維新を加えた改憲勢力で3分の2を確保したい」と踏み込んだ発言を行った。
 これに対して民主党や共産党は強く反発、公明党も安倍発言を牽制した。安倍は7日の参議院本会議で「改憲はできるだけ多くの党の支持をいただき、国民の理解を得るための努力が必要不可欠」と答弁した。
 しかし、これは戦争法案審議に関しても、耳にタコができるほど聞かされたセリフである。実際は与党の強行採決で成立させており、今回も全く信用できないものである。実際は議会内改憲勢力を糾合しての強行突破を目論んでいることは明々白々であろう。
 国会で安倍は、拉致問題の政治利用に関する蓮池透氏の著書に基づく追及、女性パート労働者問題についての糾問に対して相変わらずの逆切れを起こしている。
 民主、維新、共産は共同歩調で安倍政権を追及し、参議院選挙へ設けての態勢を整えなければならないが、なんとも心もとないものがある。共産党との協力については、維新のみならず連合も反対を示すという難局に直面している。
 「国民連合政府」に関しては論議すべきであるが、戦争法廃止のみで「政府樹立」は無理であろう。戦争法廃止は共通公約とし、具体的に可能な限りの選挙協力を比例、選挙区双方で進めるべきである。
 その際統一候補として、この間安倍政権の圧力で番組降板を余儀なくされたキャスターを担ぐくらいの成果を挙げなければ、有権者の支持は得られないだろう。(大阪O)

【出典】 アサート No.458 2016年1月23日

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【投稿】COP21・パリ協定は「京都議定書」の葬送

【投稿】COP21・パリ協定は「京都議定書」の葬送
                            福井 杉本達也

1 不平等条約「京都議定書」の死
 地球温暖化対策のための気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)が12月12日までフランス・パリで開催された。採択されたパリ協定で何が決まったのか。日本の温暖化議論を主導してきた明日香壽川東北大学教授は協定を「京都からパリへの旅は終り、京都は歴史となった」とし、「手放しで喜ぶことには、少々違和感を覚える」と表現した(「パリCOP21:終わりと始まり」2015.12.24)。
 1997年の「京都議定書」では、温暖化ガス排出量の4割を占める米国・中国が参加せず、また1990年を基準としたことでEUは東欧併合後の非効率な石炭火力や工場などの削減可能量の余裕があったが、日本だけは1990年に対し2008~12年の間に6%の削減目標を義務付けられた。この間、日本は「第一約束期間」に減るどころか、1.4%増えるという結果に終わった。そのため1,562億円の税金を投じて海外から排出権を買うはめとなった。
 パリ協定では温暖化ガス削減の数値目標を持つ国は増えたが、目標は「通知」のみであり「義務」ではない。毎年1000億ドルの途上国への資金支援も「合意」ではなく、「決定」という扱いであり、法的拘束力はない。「パリ協定の誕生は京都議定書の死を意味する。名前だけでなく、京都議定書が持っていた各国目標などに対する法的拘束力も消えた」のである(明日香:同上)。『不平等条約』はようやく葬り去られた。

2 南極の氷は増えている:NASA衝撃の報告
 パリ協定を主導したのは米国である。開催直前に米航空宇宙局(NASA)が報告書を出した。人工衛星による観測の結果、1992年から2008年までの南極の氷が「減る」のではなく「増えている」というのである。南極の氷については地球が温暖化しても、寒冷化しても増えるという説があったが、それが裏付けられた。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が2013年に出した『第5次評価報告書』では、「過去20年にわたり、グリーンランド及び南極の氷床の質量は減少しており、氷河はほぼ世界中で縮小し続けている(高い確信度)」(第1作業部会「政策決定者向け要約」) など、南極の氷は減り続けているとしていたが、ウソであることが明らかとなった(日経:2015.11.6)。これまで、IPCCは「地球温暖化」→「氷の融解」→「海面上昇」→「低地の水没」→「ツバルなどの島嶼国の消滅」という“素人に分かりやすい”絵をかいて温暖化の危機感を煽ってきたが、肝心な前提が崩れることとなった。もちろん「シロクマの生活圏である」北極の氷が減れば海面が上昇するというのはデマである。「低地の水没」という決定的な被害がなければ、「大雨の頻度、強度」・「干ばつ」・「熱波」などの「極端な気象現象の多発」といった現象は、必ずしも温暖化の影響によるものとは証明できず、むしろ、北極圏までの耕作適地面積の拡大といったプラスの面も出てくる。1000年頃の中世の温暖期には北欧のヴァイキングがグリーンランドで耕作を行っていた跡もある。

3 詐欺集団その1:気象庁
 気象庁は昨年12月21日、「世界の年平均気温がこれまでの最高値を更新」したと発表した。その要因として、「近年、世界と日本で高温となる年が頻出している要因としては、二酸化炭素などの温室効果ガスの増加に伴う地球温暖化の影響が考えられます。」としつつ、続けて、「世界の年平均気温が高くなった要因の一つとして、2014 年夏から続いていたエルニーニョ現象が2015 年春以降さらに発達したことが考えられます。」(「2015 年(平成27 年)の世界と日本の年平均気温(速報))と結論を書いている。エルニーニョ現象が今年の平均気温が高くなった要因だといえばよいところを、わざわざ近年の傾向を付け加えるという姑息な手段で、読者を混乱させている。無論、エルニーニョ現象と温室効果ガスの増加とは何の関係もない。気象庁の“期待”とは裏腹に2000年前後から温暖化は頭打ちとなっている。ところが2015年は最高値を更新したことから「温暖化傾向が復活した」と気象庁は“主張したい”ところだが、気象分析では過去最長のエルニーニョ現象が原因であり、仕方なく上記のような人を惑わす報告となったのである。

4 詐欺集団その2:マスコミ
 日経社説は「すでに温暖化が原因と疑われる気候の異変や海面上昇が各地で起きている。まず打撃を受けるのは途上国の貧しい人々だ」(2015.12.15)と主張する。それを受けるように、朝日社説は「国土の水没を恐れるツバルなど小さな島国の懸命な訴えを、大国も軽んじられなかった」と述べ、解説記事の方ではCOP21の議論をリードしたのはマーシャル諸島など「島国」の『野心連合』であり、「海面上昇の被害に直面する島国は、温室効果ガス排出が急増する中国やインドにも先進国と同等の取り組みを求め」、「温暖化被害の救済策の要求を弱める代わりに、1.5度目標」を記載させた(2015.12.15)と子供だましの『HERO』物語を創作した。欧米が本当に「島国」の訴えに聞く耳を持つなら、今日、国際的紛争などどこにも存在しないであろう。そもそも、島国に「海面上昇の被害」の事実はない。中国やインドが議論に参加したのは、今冬PM2.5に覆い尽くされた北京や世界一の大気汚染都市デリーなど、あまりにも国内の環境汚染がすさまじく、何らかの対策を打つ必要に迫られていたからである。一方、米国は最終合意で「温室効果ガスを総量で削減することを『shall』(しなければならない)から、『should』 (すべきだ)という表現に書き換え」させたことで、米議会の承認を得る必要がないと判断したからに過ぎない(朝日:2015.12.15)。どちらも国内事情を優先しての決定である。

5 「排出権取引」という詐欺の継続と新たな詐欺手段の開発
 「空気のような存在」というと、目立たない、あってもなくても良いような存在のたとえ話に使われるが、地球上の生命にとっては必要不可欠の社会的共通資本である。その「空気」を金儲けの手段にしようというのが「排出権取引」である。市場メカニズムを活用するなどと言って欧米の金融資本があえて複雑な制度を作り飯のタネにしてきただけである。
 さらに輪をかけて、最近化石燃料の投資から金融を撤退させよう「化石燃料ダイベストメント(投資撤退)」という動きもある。これは、原発に比べて圧倒的に安い石炭火力・特に最新鋭の石炭ガス化複合発電(LGCC)つぶしの匂いがする(日経:2015.12.25)。フランスでは昨年7月に「エネルギー転換法」が制定されたが、その中で、企業の事業計画や投資家の投資計画に対し、温暖化ガス削減の数値目標との整合性や情報の開示を要求している(明日香:同上)。また、国立環境研究所などが進めるCO2を地中に埋め込んでしまうCCS (Carbon Dioxide Capture and Storage、CO2分離回収・貯留)技術という新たな詐欺も加わる恐れがある。

6 パリ協定を利用して原発再稼働を目論む―「環境破壊」を所管する環境省
 経済産業省は昨年7月に2030年時点で原発の割合を20~22%にするという電源構成比を打ち出し、30年までに温室効果ガスを13年比で26%減らすという目標を決めた。さらに、パリ協定締結後、環境省は全電力会社に温暖化ガス排出量の開示を義務付け、経産省は2030年までに電源構成比を原発と再生エネルギーを合わせて44%にすることを法的に義務付けるとしている。達成できなければ罰則も課す厳しい内容である(日経:2015.12.23)。しかし、2020年までの電源構成比は原発ゼロを前提に温室効果ガスを05年比で3.8%減らす暫定目標となっている。これでは具合が悪いと見た環境省は今年1月8日に、川内原発などの再稼働を受け、新たな電源構成比を作成する準備を始めた(福井:2016.1.9)。電力自由化に当たり、原発という不良資産を有する9電力には有利に、石炭火力やLNG火力を主体とする新電力には不利に働くことになる。パリ協定は原発再稼働の『強力な武器』になろうとしている。
 環境省は、チェルノブイリでは居住が禁止されている年間:5ミリシーベルト以上被曝する恐れのある地域に住民を帰還させようと画策したり、除染作業で発生したフレコンが水害で流されても放置したり、8000ベクレルもある放射性廃棄物を全国に拡散しようとしたりするなど、とんでもない役所である。厚労省のような過去の法的な蓄積も、専門の技術職員も、しがらみもない新しい役所は、自ら都合のいいように過去を無視して環境の破壊に専念することができる。厚労省の場合には労働安全衛生法などの規制の上に行政が行われているので、年5ミリシーベルト以上被曝し、仕事と病気の因果関係が認められれば労災が認められるが(朝日「原発作業被曝に労災」2015.10.21)、環境省はそのようなことを一切無視して仕事を進めている。
 明日香教授は上記文の最後で「日本は京都議定書を殺した犯人一味の一人だ」とし、「あえてリーダーシップを取らない『普通の国』」になり、「気候変動対策が経済的な意味でも国全体にとっては『負担』ではなく『機会』になりつつある」(明日香:同上)と嘆いているが、国際的にリーダーシップを取らない国も、国内的にはその「機会」を最大限活用して、原発の再稼働を国民に押し付けようとしている。その尖兵が気象庁でありマスコミである。その国家犯罪の仕組みが国民に「伝わっていない」(同上)ことこそわが国の悲劇である。 

【出典】 アサート No.458 2016年1月23日

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【投稿】日韓合意をめぐって 統一戦線論(20) 

【投稿】日韓合意をめぐって 統一戦線論(20) 

<<実に奇っ怪な交渉経緯>>
 先月末、12/28、2015年末ぎりぎりの、慰安婦問題に関する日韓最終合意は、実に奇っ怪なものであった。これまで軍の関与を繰り返し否定してきた安倍政権の姿勢からして、何故に急ぎ、年内合意を目指そうとしたのか不可解なものであった。年明けにその謎の一端が浮かび上がってきた。北朝鮮の金正恩政権が1/6、水爆実験の成功を唐突に発表したが、少なくとも米政府はあらかじめ知っていた可能性があり、「慰安婦」問題で険悪な関係にある日韓双方になんとしても合意を急がせ、強い圧力をかけた構図である。好機到来と、実に都合よく、そして謀略的に金正恩政権が米・日・韓それぞれに利用された「三者談合」だともいえよう。
 問題は、この日韓外相会談が開かれる何日も前からすでに日本のマスコミでこの交渉最中の合意内容がすっぱ抜かれ、「最終的かつ不可逆的に解決」されるという報道が日本国内で流されたこと。そして、韓国メディアも後追いで一斉に続いた、情報操作を疑わせる事態の展開である。それは、慰安婦問題に関し「二度と提起しないという約束」やソウル日本大使館前の「少女像の撤去」といった日本政府側の前提条件をつけた合意であり、日本側の支援金拠出について、ある政府関係者は「1億円で韓国が納得するかわからない。20億円なら韓国はいいだろうが、日本はとてものめない」と話している、などといった、意図的なリーク情報であった。会談も合意もしていない段階で、事前交渉を暴露し、外交をゲーム感覚で有利に操ろうとするこうした安倍政権の卑劣な策動が臆面もなく展開された上での日韓合意であった。
 岸田外相は12/28の両国間の合意内容を発表する共同記者会見で、「慰安婦問題は当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している」と表明し、「安倍内閣総理大臣は、日本の内閣総理大臣として、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒やしにくい傷を負われたすべての方々に対し、心からのおわびと反省の気持ちを表明する」という立場を代読した。そして、韓国が設立する財団に10億円規模を日本政府から拠出し、日韓両政府が協力して元慰安婦を支援する事業を行っていく方針も表明、この枠組みを進める前提で、慰安婦問題についてそれぞれ「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」「国際社会で互いに非難することは控える」と強調した。
 同日、直ちに舞台裏の仲裁者である米政府は声明を発表し、「米国は両国政府が合意に達したことを祝福する」と表明、「勇気を持ち、この困難な問題に対する永続的和解を構築しようというビジョンを持った日韓両国のリーダーを称賛する」と日韓両首脳の決断と指導力をたたえた。

<<「最終的かつ不可逆的」とは>>
 しかしこの合意は、政治決着を急ぐあまりのにわか作りのためでもあろう、日本側の作為的な意図でもあろう、いくつもの問題が露呈している。
 まず、「軍の関与」はあくまでも岸田外相の口頭での発言であり、共同文書化もされていないし、閣議決定でもない。そして1993年河野内閣官房長官談話よりも明らかに後退している。河野談話は、「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。」と明確に述べており、さらに「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。」と述べて、「歴史の真実を回避しない」、「歴史教育を通じて、同じ過ちを決して繰り返さない」という、日本側の責任となる“再発防止”措置に言及している。しかし今回の合意はこの最も重要な項目について何も述べておらず、約束もしていない。安倍政権下で慰安婦問題が日本の教科書から一切削除されてしまっている現実までも不問に付されている。
 その反映でもあろう、ソウルでの共同記者会見の直後に、首相官邸で行われた記者会見で安倍首相は、肝心の「軍の関与」、「おわび」と「反省」には一言も触れず、「最終的かつ不可逆的に解決」についてのみ言及し、「先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかない。今後、日韓は新しい時代を迎える」と強調した。安倍首相は「合意に『最終的かつ不可逆的な』という文言が盛り込まれない場合は、交渉をやめて帰ってくるように」と岸田文雄外相に指示していたという(読売新聞12/29付)。さらに安倍首相は側近に「昨日ですべて終わりである。再び謝罪もしない。以後この(慰安婦)問題について一切話さない」と明らかにしたと産経新聞が12/30付で報じている。
 この「最終的かつ不可逆的」という文言は、韓国側から、日本側が再び国家や軍の関与がなかったなどと蒸し返させないために提起されたという報道もあるが、安倍政権側は、これをもう二度と謝らない、反省もしない、話題にもしない、取り上げることすらしない、という切捨ての論理に逆利用したのである。いわば逆ねじを食わしたわけである。だからこそ安倍首相は、このような問題を「永く記憶にとどめ」(河野談話)ることを拒否し、「昨日ですべて終わりである。再び謝罪もしない」と言ってのけたのである。
 さらに10億円の拠出について、岸田外相は、日本の記者団に 「(日本政府の予算拠出は)賠償ではない。道義的責任ということに変わりはない。(今回の交渉で日本側が)失ったものがあるとすれば、10億円だろう。予算から拠出するものだから」と述べ、被害者が強く求めている賠償ではなく、法的責任を認めたものでもないことを強調している。道義的責任に基づく一種の施しなのであって、法的責任、義務、賠償なのではない。10億円さえ出せば日本側は何もしなくても済む構図が作られたのである。
 しかもこの拠出は、「少女像撤去が前提」であって、「像が撤去されない限り、資金は出さないというのが首相の意向」であり、韓国側に伝えているという(時事通信12/31)。首相は、岸田外相に12/24、年内訪韓を指示した直後、自民党の派閥領袖に電話し、少女像の移転問題について、「そこはもちろんやらせなければなりません。大丈夫です」と語ったという。心の底から真摯に過去を反省し、真に日韓両国民の関係改善や建設的関係の新しい時代を迎えることを望んでいる人間が、このような発言をするであろうか。被害者にとって許しがたい発言であり、これは、歴史的な和解とは無縁な、むしろ和解を遠ざける帝国主義的な抑圧者の言い草である。
 菅官房長官は1/4、BSフジの「PRIME NEWS」に出演し、「慰安婦」問題に関する日韓両政府の合意について、「最終的かつ不可逆的な解決というのは、ゴールポストが動かないということだ」、「約束したことを、しっかり履行していくことが大事だ」と強調し、すべての責任を韓国側に丸投げし、同時に、「国際社会が見ている。アメリカのホワイトハウスも声明を発出している」と述べ、「安全保障を考えたときに、非常に大きなことだった」と本音を吐露している。
 結局、日韓両政府、そして米政府が手を組んで、被害者に「像を撤去しろ」「もうこれ以上は文句を言うな」と押さえ込む構図を作ったのである。

<<共産党までが翼賛、評価>>
 安倍政権はしてやったり、うまくいった、10億円で済んだ、とほくそ笑んでいるのかもしれないが、最も基本的な人権問題、とりわけ女性の人権重視に関して、これほど誠実さのひとかけらもない、卑劣な、汚点をさらけ出した外交交渉はなかったのではないだろうか。
 ドイツのメルケル首相はナチスの犯罪に関して「歴史に終止符はない」とし、「ナチスの蛮行を憶えていなければならないのは、ドイツ人の永遠の責務」だと宣言した、その視点、姿勢が安倍政権には皆無なのである。元「慰安婦」とされた当事者の意向を一度も確認せずに、むしろ意図的に排除して、「最終的かつ不可逆的に解決する」ことなどできようはずはないし、こんな上から目線の不誠実さの象徴のような謝罪が受け入れられるはずもない。
 ところが、日本側のこの日韓合意に関するマスコミ報道は、圧倒的に安倍政権への翼賛報道で埋め尽くされている。
 日韓合意翌日、12/29の各紙社説は、押しなべてこの合意を評価し、政権に擦り寄る姿勢を鮮明にしている。朝日新聞の社説「節目の年にふさわしい歴史的な日韓関係の進展である。両政府がわだかまりを越え、負の歴史を克服するための賢明な一歩を刻んだことを歓迎したい。」が、その典型である。毎日新聞も「戦後70年、日韓国交正常化50年という節目の年に合意できたことを歓迎したい。」、東京新聞、日経もほぼ同様である。読売は「慰安婦問題合意 韓国は『不可逆的解決』を守れ」、産経は「慰安婦問題で合意 本当にこれで最終決着か 日本軍が慰安婦を『強制連行』したとの誤解を広げた河野談話の見直しも改めて求めたい」と、韓国側への不信と不満を露骨に表明している。いずれにしても日本のナショナリズムをくすぐり、安倍政権を持ち上げる翼賛報道である。
 ところが、こうした翼賛報道と闘って来たはずの共産党までが、評価に値するものがあるのかどうか疑わしいこの日韓合意を持ち上げだしたのである。12/29の志位委員長の談話は、
 「一、日韓外相会談で、日本政府は、日本軍「慰安婦」問題について、「当時の軍の関与」を認め、「責任を痛感している」と表明した。また、安倍首相は、「心からおわびと反省の気持ちを表明する」とした。そのうえで、日本政府が予算を出し、韓国政府と協力して「全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒しのための事業」を行うことを発表した。これらは、問題解決に向けての前進と評価できる。
 一、今回の日韓両国政府の合意とそれにもとづく措置が、元「慰安婦」の方々の人間としての名誉と尊厳を回復し、問題の全面的解決につながることを願う。」
 これだけである。あきれたものである。事前報道がかけめぐり、当日の安倍首相発言まで明らかにされていて、これをなんら批判できない、むしろ持ち上げ、これにおもねり、評価している。共産党に根強く支配している民族主義のわなにからめ取られてしまったのであろうか。今からでも遅くはない、こうした評価を転換すべきであろう。
 さらに危ぶまれる共産党の政治姿勢の卑屈な変化が表面化している。国会の玉座の天皇の「(お)ことば」を聴くために、国会の開会式に志位委員長、山下書記局長ら6人が69年ぶりに出席し、起立して頭を下げ、志位氏は記者会見で「良かった」と感想を述べている。「象徴天皇制」を民主主義と平等原則に反すると「綱領」に記し、天皇制と向き合い、主権在民、民主主義の徹底のために闘ってきたはずの党が、この事態である。これと連動するのでもあろうか、2015年の天皇の歌会始の選者で、「勲章や選者としての地位が欲しい」と批判されている歌人の今野寿美氏が、こともあろうに赤旗「歌壇」の選者になるという。象徴天皇制のまさに象徴的なイベントである「歌会始」の選者が、赤旗「歌壇」選者になるのは初めてのことである。
 「国民連合政府」実現という共産党の統一戦線構想実現のためには、こうした政治姿勢の転換が必要だと判断されたのであろう。民主主義の徹底とは無縁な、ナショナリズムに立ち位置を変えた「民族民主統一戦線」路線に変質させようとしているのであろうか。こうした危なっかしい路線転換は早急に是正されるべきであろう。
(生駒 敬) 

【出典】 アサート No.458 2016年1月23日

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【本の紹介】「資本主義の終焉、その先の世界」

【本の紹介】「資本主義の終焉、その先の世界」
      (水野和夫・榊原英資 共著  詩想社新書) 

 本書は、利子率の低下が歴史の転換点のメルクマールであるとの理論など、現代資本主義の分析をされている水野和夫氏と、元大蔵省財務官でアベノミクスに批判的な榊原英資氏が、それぞれの理論と対談を通じて、資本主義が終焉を迎えていることを明らかにしようとするものである。
 第1章では、水野氏が、すでに成長が望めない現在の資本主義の転換点は、1971年からのゼロ金利時代が始まったこと。(不確定性の時代)、そして商品の生産消費から金融空間での資本増大路線へ転換したアメリカもリーマンショックで頓挫しゼロ金利に転換、現在ではヨーロッパ、そして日本も長期のゼロ金利となっていることは、すでに資本主義がその終焉を迎えつつある証左であるとの説を展開されている。
 特に、私が着目するのは、アベノミクスと言われる経済政策が、「資本の成長を目指すもので、勤労者収入が低下し続けている」こと、そしてアベノミクスが失敗していることを明快に論じている以下の部分であろうか。
 「資本の成長戦略としてのアベノミクス(本書P90) アベノミクスの成長戦略は、資本の成長を目指すものであって、雇用者報酬や一人当たり実質賃金を増やすものではありません。・・・・第1の矢で消費者物価を2年、すなわち2015年4月時点で2.0%の上昇にもっていき、実質GDP成長率を2.0%に引き上げ、名目GDP成長率年3.0%成長を達成することを目的にするものでした。
 そこで、2年と9か月のアベノミクスのパフォーマンスを経済全体でみると、3本の矢はすべて失敗と評価せざるを得ません。不良債権が顕在化した1995年1-3月期から小泉政権が「骨太の方針」で成長戦略を打ち出す直前の2002年1-3月期の実質成長率が、年0.76%増だったのに対して、アベノミクスのそれは0.8%、金額にして年2000億円の増加にすぎないのです。1995-2002年の時期は不良債権に追われて、将来不安が非常に高い時期でした。その時期と比較してこの結果です。
 一方、第2の矢である機動的な財政出動は、2014年4月に引き上げられた消費税の景気に対するマイナスを相殺するための政策です。しかし、結局消費税引き上げの直前の2014ね年1-3月期の実質GDP535.0兆円から2015年7-9月期には529.0兆円と減少しているのです。その間、国債残高は743.9兆円(2013年3月末)から、807兆円(2016年3月末見込み)へと63.2兆円も増加しています。第2の矢も失敗です。ところが、アベノミクスも誰の視点でみるかによって評価が180度変わってくるのです。資本家にとっては大変大満足な結果となり、働く人には悲惨な結果となっています。資本家にとって大事なのは企業業績と株価です。この間企業業績は営業利益(資本金1億円超の大企業)でみると、年率15.8%増で、1995-2002年の間の3.6%増益と比べると大幅増益となっています。」
 一人当たり実質賃金も、1997年をピークにして、2015年まで一貫して低下し続けていること。それに比べて企業収益は伸び続け、「資本の成長」が続いていることも明らかにされる。派遣労働の解禁、非正規労働の増加を推し進め、中間層の縮小を伴って、資本の成長・企業収益の巨大化と格差の拡大が進んでいる。日本をはじめ、アメリカ、欧州でも格差の拡大が進んでいる。 
 本書のもう一つのテーマが、長期に渡るゼロ金利、ゼロ成長状態が示す現代資本主義の行き詰まりにどう対応するべきかということであろう。「より速く、より遠くに、より合理的に」という近代の行動原理には、資本主義が永遠に成長し続けることが前提となる。しかし、この行動原理が機能不全に陥っているにも関わらず、この行動原理を継続しようとするから、「資本国家」にならざるをえないという。その前提が壊れているとすれば、新たな行動原理が必要になる。著者らは「よりゆっくりに、より近く、より寛容に」であると語る。
 「成長戦略」なる言葉が、現代資本主義で意味するものは、資本の成長であって、勤労者の収入には結びつかない。特に日本では人口減少に転換し、労働力人口の減少・消費の減退が続く。国民は、未だに「成長戦略」に淡い期待を持っているが、新たな価値観とシステムが必要になっていることを、本書は明らかにしている。(2016-01-19佐野) 

【出典】 アサート No.458 2016年1月23日

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