【コラム】ひとりごと—新潟知事選結果から学ぶこと– 

【コラム】ひとりごと—新潟知事選結果から学ぶこと– 

○16日に投開票が行われた新潟県知事選挙は原発再稼働推進の自公推薦候補者を、告示わずか1週間前に立候補を表明した原発再稼働慎重派の「野党共闘」の候補者が6万票の大差を付けて破り当選を果たした。まさに、新潟知事選挙は、参議院選挙に続いて、明確な対立軸を設定すれば、圧倒的に有利な与党勢力に対抗し且つ勝利できることを証明する結果となった。久しぶりに胸の好く勝利であった。さらに「1月解散説」を流布し、TPP国会を強引に乗り切ろうと目論む安倍政権にも痛打を与える結果となった。○野党共闘と言っても、何とも情けない話だが、野党第一党の民進党は自主投票で臨み、拮抗した選挙戦を見て最終日に蓮舫代表が新潟入りし、辛うじて民進党の姿を選挙民に残したに過ぎない。代表の新潟入りについて聞かれた野田幹事長は「行けとも行くなとも言っていない」と答え、党としての「派遣」ではないニュアンスを匂わせた。何とも情けない。その心は、自公候補を支持した連合新潟に配慮したから、と言う事らしい。○確かに連合新潟のHPには、「連合新潟は、長岡市長選挙で三期目から推薦してきたことや連合新潟中越地域協議会と日常的に協力関係があったことなどをふまえて、四年間の県政に期待をこめ、森民夫氏を「支持」し応援します。」(2016-09-14自公候補支持を決定)との記事が掲載されている。原発推進の電力総連に遠慮をし、県民の抱く原発再稼働への不安に背を向けた態度である。○知事選挙では相乗りもありだろう(民主党政権時代には、相乗り一切まかりならぬという時期があったことを思い出すのだが)。しかし、国政選挙ではないからと言って県民の不安を軽視した自公相乗り姿勢は、県民の選択によって厳しい批判を受けた。原発再稼働・電力総連・民進党というキーワードが結びつく時、民進党の今後は限りなく厳しいものになると思う。せめて自主投票という選択も連合新潟にもあったはずだし、民進党にも自主投票から踏み込む対応もあったにも関わらずそれができなかったことは、蓮舫指導部の調整力、対応力の限界を示した。○さて、連合、共産党(全労連)、民進党の関係の話である。連合結成から27年が経過した。「自派のナショナルセンター」を持ちたいと考えた共産党指導部の意向で、産別分裂を強行した上で全労連は結成されて今に至っている。大企業・公務職場の人員削減と非正規労働者の増加の中で、残念ながら連合も全労連も組織人員は減少している。ここ数年の組織人員を、厚労省の労働組合基礎調査から調べてみた。H23年調査では連合666.9万人(683.9万人)全労連62万人(86万人)となっている(カッコ内は地域労組を加えた数字)。それが、H27年調査では連合674.9万人(689.1万人)全労連56.9万人(80.5万人)となり、全労連は5万人強の減少となっており、毎年の減少が続いている。全労連は150万人組織を目指しているというが、減少傾向に歯止めがかかっていない。○政党との関係では諸々の議論や課題があるものの、安倍政権に対抗して野党共闘がその力を発揮し始め、市民運動の努力もあり、野党は「共闘」を始めたわけだが、連合も各産別も結成30年を見据えて、労働戦線の再統一を目指すという目標設定はできないのか、と言う問題意識である。もちろん連合幹部にも「全労連」憎しの感情も実態も存在していることは承知しているが、それ以上に労働組合運動後退の危機の方が深刻なのではないか。組織統一や加盟問題は議論のあるところだが、長い目で見て決して無い話ではない。むしろ全労連の組織減少が今後も続けば、その可能性は高まる。○非正規労働者の権利擁護、悪徳労働環境の打破という課題では、労働組合は組織を問わず一致して運動できるし、しなければならない。「同一労働同一賃金」を安倍政権が掲げ、「働き方改革」と称して安価な労働力として女性労働を増やそうとしている時、力を合わせる努力が必要ではないのか。「野党共闘」路線に共産党が大転換し、来る衆議院選挙でも野党共闘が実現すれば民進党候補の推薦に躊躇はしないだろう。労働戦線における共闘の追及は、野党共闘をさらに強めることになると思われる。○そこで問題は、連合労働運動そのものであろう。未だに大企業労働組合中心の運動に留まっているのではないか。非正規労働者の拡大に対応した取組が行われているが決定的に不十分なのではないか。そして新潟県知事選でも表面化した原発への対応が、一部の原発推進産別の影響で国民・県民の意識とかい離している現実をどうするのか。国民的課題の上に産別利害を置くようでは、ナショナルセンターと言えるのだろうか。○滋賀・鹿児島・新潟と原発が存在するか、近接している知事選はいずれも原発再稼働を支持する自公与党候補が敗北しているのである。この事実から導かれる結論は明らかだろう。新潟知事選挙結果から学ぶことは大きい。(2016-10-18佐野)

【出典】 アサート No.467 2016年10月22日

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【投稿】安倍長期独裁政権を阻止しよう

【投稿】安倍長期独裁政権を阻止しよう
      ―外患あれど内憂なしの状況打破を―

<「早回り・空回り」の安倍外遊>
 8月21日、安倍はリオデジャネイロオリンピック閉会式で、スパーマリオに扮し土管の中から現れ、この奇妙奇天烈な演出に世界は驚いた。
 このブラジル訪問を皮切りに矢継ぎ早に安倍は外遊を重ねた。8月25~28日にはケニア・ナイロビでTICAD6(第6回アフリカ開発会議)等に参加、9月2,3日には、ウラジオストックで東方経済フォーラム出席と日露首脳会談をおこなった。いったん帰国した安倍は息も継がさない形で、杭州に飛びG20参加および日中首脳会談をこなした。
 その足で6~8日には、ラオス・ビエンチャンでASEAN関連の諸会議に顔を出し、日韓首脳会談を行った。さらに9月20日からは国連総会出席とキューバ訪問と安倍の旅は留まるところを知らないようである。しかし、今回の一連の外遊も移動距離と費やした経費に比べて、12月のプーチン訪日決定以外は、さしたる成果はなかったといても過言ではない。
 これまで5年に一度、日本にアフリカ各国首脳を呼び寄せる形だったTICADは、今回初めてアフリカの地で開催された。この間中国のアフリカ地域への進出は著しく、安倍政権は挽回に躍起になっているのである。
 ナイロビで安倍は、「自由で開かれたインド太平洋戦略」として、アフリカ諸国へ3年で300億ドルの投資を約束、中国を意識し、自由と法の支配に基づく発展のため、「質の高い援助協力」を表明した。
 これに対して参加各国首脳からは歓迎の声が上がった。ケニヤの大統領は「会議は大成功」とし「日本は各国の独立以来のパートナー」と最大限持ち上げたものの、昨年の中国とのフォーラムで南アフリカの大統領は「中国は世界の平和と発展に寄与している」と賛辞を送っている。
 アフリカ各国にしてみれば、日本であれ中国であれ競うようにどんどん投資してくれるのは願ってもないことである。
 むしろ実際には、開発独裁を基本とするいくつかの政権にとっては「法」「自由」「民主主義」という「先進国の価値観」をちらつかせない中国の援助のほうがありがたいのが本音であり、さらに支援と安全保障=対中包囲網をリンクさせようとする日本は迷惑であろう。
 さらに先月号で南スーダン内戦での中国軍の損害を指摘したように、人道支援分野においても中国の存在感は高まっている。日本も第2次安倍政権発足直後の2013年1月、アルジェリアで発生した合弁プラント襲撃テロにより10名が犠牲となったが、国連平和維持活動と企業活動では、現地での意味合いが違ってくる。
 こうした状況に焦りを禁じ得ない安倍政権は、「血を流す貢献」に備えるため、11月からの南スーダン派遣予定部隊へ「駆け付け警護」任務を付与することを目論んでいる。
 南スーダンでは7、8月の激しい戦闘以降も緊張状況が続いてる。9月に入ってからも首都ジュバ一帯を支配するキール大統領派は、「国連は反政府勢力に手を貸している」「国連は我々を監視している」(スーダントリビューン電子版)と国連敵視姿勢を露わにしており、TICADの華やいだ雰囲気とは全くの別世界となっている。
 
<司令官は「キャンセル姫」>
 このような現地情勢での「国連側」である自衛隊の任務拡大は、不測の事態を招く危険性が高い。稲田防衛大臣は「南スーダンは安全」と言っておきながら、ジプチ慰問訪問でお茶を濁した(先月号既報)。
 これには各方面から批判があったのだろう。稲田のアメリカ、南スーダン歴訪が発表され、9月17日にジュバの自衛隊派遣部隊を視察することとなった。
 ところが訪米中の15日、突然体調不良により南スーダン訪問がキャンセルされた。報道等によると、風土病の予防接種の副作用でアレルギー(蕁麻疹)症状が出たためと言われているが、同日のカーター国防長官との会談には元気な姿で臨み、その後はF35戦闘機に笑顔で乗り込んでいる。過日竹島の領有権問題で、鬱陵島に乗り込もうとした勢いがあればどこへでも行けただろう。
 稲田は訪米前の10,11日に予定されていた就任後初の沖縄訪問も、北朝鮮の核実験への対応を理由にキャンセルしている(実際は12日に出された、高江ヘリパッド建設への自衛隊ヘリ投入命令が要因だろう)が、当初は北朝鮮のミサイル問題を論議する14日の参議院外交防衛委員会を欠席して訪米する日程を組んでいた。
 稲田は自民党政調会長時の昨年9月、オバマ政権に戦争法案の説明をするため訪米予定と報じられたが、これは立ち消えになった経緯があり、なんとしてもアメリカに行きたかったのだろう。
 訪米日程を短縮して出席した同委員会では、民進党から危機感の無さを指摘され、「緊張感を持って職務に邁進したい」と答えざるを得なかった。さらに議員バッジをつけずに出席したことに対し、味方であるはずの「平成だまれ将軍」佐藤正久委員長から「バッジの重みを自覚せよ」と厳しく注意を受けた。本当に蕁麻疹が出たなら精神的ストレスも一因であろう。
 安倍は稲田を後継者の一人として経験を積ませようとしていると言われているが、定例の防衛大臣記者会見でも頓珍漢な問答が散見され、お姫様抱っこを続けるようでは先行きは大いに不安と言わざるを得ない。佐藤のいら立ちもイラク派遣部隊長の経験者からすれば、ジプチでも国会でも「最前線」に何をチャラチャラと来ているのか、という思いもあるのだろう。
 
<緩和より激化を優先>
 不安視される防衛大臣のもと安倍政権は軍拡を進めている。8月31日、防衛省は来年度予算として、5兆1685億円の概算要求を決定した。これは今年度当初予算に比べ2,3%の増となり過去最高となっている。
 その内容は新型潜水艦の建造に加え、道弾迎撃用ミサイルSM3(海上)PAC3(陸上)の改良型の取得、南西諸島に配備するための地対空、地対艦ミサイル、空母など大型艦船を攻撃するための空対艦ミサイルの取得、開発、新型水陸両用車両の開発など、対中国色が色濃くにじみ出たものとなっている。
 実動訓練も活発化している。南スーダンに派遣予定の部隊では「駆け付け警護」「宿営地の共同防護」に係わる訓練が進められている。当該の青森5連隊は、日露戦争前の八甲田雪中行軍に続き不運な役割が回ってきたのではないか。
 9月14日には、グアムから飛来した米軍のB-1爆撃機と空自のF-2戦闘機が編隊を組む形で共同訓練が実施された。これは実戦の場合、空爆に向かう米軍機の護衛ということであり、集団的自衛権発動を想定したより踏み込んだ訓練であると言えよう。
 こうした動きは中国を一層刺激している。この間の北朝鮮の弾道ミサイル乱発や核実験強行に関しては、尖閣や南シナ海の領有権よりも喫緊の課題であるはずだが、安倍はG20など様々な国際会議で執拗に中国に対する牽制を続けた。
 そのような険悪な空気の中開かれ、またしても笑顔なし、国旗なしとなった日中首脳会では、ようやく偶発的な交戦を回避するための「空海連絡メカニズム」確立に向けての議論を再開することが確認された。
 これを受けた実務者会議「日中高級事務レベル海洋協議」が9月14,15日広島市で開かれ、年内にも防衛当局者の間で協議を開始することとなった。偶発的衝突の防止は国際的な課題となっている。
 9月5日杭州でオバマとプーチンが30センチの距離で睨みあったが、7日には黒海上空で米露両軍機が3メートルにまで、異常接近したことが明らかになった。6月にはシリア沖で米露艦船が約100メートルまで接近している。
 アジアに於いては米中の衝突よりも、日中の衝突のほうが現実味を帯びている。アメリカは南シナ海で「航行の自由作戦」を行っているが、米露ほどの緊張関係にはない。
 
<対中包囲網の崩壊と日本の孤立>
 一連の外遊で対中包囲網構築に腐心する安倍であるが、その姿は賽の河原での石積みのごとくである。G20では日米中で南シナ海問題について個々の論議はされたものの、全体的には世界経済のリスク回避と成長加速の為に、あらゆる政策を総動員することが合意された。続いて開かれたASEAN首脳会議や東アジアサミットでも、南シナ海に関する仲裁裁判所の判決などは、全体の議論にはならならず、中国ペースで会議は進んだ。
 それどころか一連の会議の中で、対中包囲網の「要」であるフィリピンの離脱が明確になった。ドゥテルテ大統領はASEANの場に南シナ海判決は持ち出さないと明言、帰国してからも、ミンダナオ島の米軍部隊の退去を要求、さらには南シナ海でのアメリカとの共同哨戒活動への不参加を表明した。背景には、アメリカのドゥテルテへの批判もあると考えられるが、就任以前から表明していた対中対話路線が加速するものと思われる。ドゥテルテは「フィリピンのトランプ」と渾名されるが、チャベスになるかも知れない。
 オバマが会談をキャンセルする中、9月6日におこなわれた日比首脳会談で安倍は、先の小型巡視船10隻に続き大型巡視船2隻の追加供与を表明した。小型船は国内治安対策であろうが、航洋機能のある大型船は台湾に向けられる可能性も指摘されている。やらずぼったくり以下になればどうするのか。
 安倍政権はロシアに対しては、担当大臣を置いて経済協力を進めるという異例の態勢で臨み、中露の接近に楔を打ち込もうとしている。しかし9月13日から中露海軍合同演習「海洋協同2016」が広東省近海の南シナ海で開始された。
 これは毎年恒例の演習であるが総仕上げとして、昨年から合同の上陸、空挺降下訓練が行われる実戦的なものとなった。両国とも他にも様々な国と合同演習を実施しているが、上陸演習まで行うのは中露間だけである。
 もっともロシアが牽制している主要な相手はアメリカであるが、余計に中露離反を目論むことは困難であろう。第2次安倍政権発足以降、歴史認識における日本包囲網が形成されたが、今後それが実体化する可能性もある。
 本来なら、危機的な国際情勢の中枕を高くして寝られるはずもない安倍が、異例の長期夏期休暇と外遊を重ねても安穏としていられるのは、野党、民主勢力の不甲斐なさに起因するものである。安倍政権はこの間、民進党の代表選をまったく気にかけた形跡がなく、蓮舫選出後も余裕を見せている。
 総選挙自民勝利から総裁任期延長、長期独裁政権樹立~日本の国際的孤立という最悪の道を阻止しなければならない。(大阪O)

【出典】 アサート No.466 2016年9月24日

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【投稿】天皇の「生前退位」を考える

【投稿】天皇の「生前退位」を考える
                            福井 杉本達也 

1 突然の「生前退位」報道
 天皇の「生前退位」が7月13日に突然NHKで報道され、翌14日の各紙は一斉に「天皇陛下退位の意向」との「退位特集」を掲載した。当初は宮内庁側が事実を否定するなどしたが、8月8日には、天皇の直接国民に向けて生前退位への思いを表明した11分間にわたるビデオメッセージが公表された。各放送局もこれを一斉に放送。記者会見など以外で、天皇が国民に直接話しかける放送は異例であり、1945年の天皇裕仁による「玉音放送」と今天皇明仁の2011年東日本大震災の発生直後に国民に向けたビデオメッセージとの2回しかない。
 天皇は2010年夏ごろから退位の意向を示し、それを受けて官邸は水面下の特別チームで検討を始めたが、結論は「退位ではなく摂政で対応すべきだ」だった。天皇の意向が公になった7月13日の報道も寝耳に水だったという。ビデオメッセージは官邸と宮内庁で原稿案のやりとりを数回したが、摂政に否定的な表現は最後まで残った。皇室典範は退位を想定しておらず、官邸関係者は「宮内庁から官邸に陛下の本気度が伝わっていなかった」と証言。「だからおことばに踏み切らざるを得なかったのだろう」。それでも安倍政権は、退位の条件などを制度化するのは議論に時間がかかるとして、特別立法を軸に検討している(毎日:2016.9.7)。一方、世論調査では生前退位に91%が賛成している。反対は4%しかない。同時に「女性も天皇に」は74%、「そうは思わない」は21%という結果となっている(朝日:2016.9.13)。

2 安倍政権・日本会議は「生前退位」に反対
 日本会議の「大原康男・国学院大名誉教授は、退位の前例を作れば皇位継承の安定性が失われると懸念。『国の根幹に関わる天皇の基本的地位について、時限立法によって例外を設けるのは、立法形式としても重大な問題がある』と特措法にも反対する。」また、「日本会議代表委員の一人で外交評論家の加瀬英明氏は『畏(おそ)れ多くも、陛下はご存在自体が尊いというお役目を理解されていないのではないか』と話し、こうクギを刺す。『天皇が『個人』の思いを国民に直接呼びかけ、法律が変わることは、あってはならない』と主張する(朝日:2016.9.10)。「国家」・「民族」・「万世一系」・「男系」など「血統原理」を全面に出して天皇の生前退位に反対する。
 自民党改憲草案第1条は「天皇は日本国の元首であり」として、旧大日本帝国憲法第4条の「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」との「統治権」までには触れないものの同様の規定を設けている。「国民主権」から「天皇主権」に戻そうとする意図がある。国民も議会も無視して専制的な支配体制=官僚独裁の無責任体制を目論むものである。官僚それ自身は選挙で選ばれたものでも、神から選ばれたものでもなく、天皇の威光によってのみ「権威」(=支配の正当性)を得る。ところが「生前退位」はこの「権威」に空白を生じさせる恐れがある。退位した天皇をどう扱うか(「権威」の二重状態が生ずる)ということである。官僚独裁(国家無答責=官僚とは天皇制にのみ責任を持つ機構であり、国民の為に存在するものでなく、その結果国民に被害を与えても責任を持たない。)を維持する為「血の論理」を持ち出しているのである。
 
3 「皇室典範」を改正しなければ天皇制の存続が難しいと考える天皇
 天皇明仁は8月8日のビデオメッセージにおいて、「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました」とし、その対処方法として「国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには無理」があるとし、生身の人間として、高齢により、代わりの利かない象徴としての公務を十分に果たせなくなってきていると述べる。その上で「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」るとして、憲法に定める象徴としての天皇制を今後も安定的に維持しようとすれば、現在の皇室典範に定める「皇位継承」規定には不備があると、あくまでも天皇制=「国体護持」の観点から述べている。

4 命乞いと「国体護持」のため全てを米国に売り渡した天皇裕仁
 そもそも現皇室典範の皇位継規定に「退位」規定がないのは、天皇裕仁が自らの戦争責任の追及を恐れていたからに他ならない。1945年の敗戦直後の緊迫した情勢の下、米国では昭和天皇に処刑や国外追放など何らかの処置をとるべきというとの声が70%にも達していたこともあり、天皇裕仁は東京裁判での追訴を恐れ、憲法の早期の改正と表裏の関係で皇室典範には「退位」規定を置かなかったのである。さらには、共産主義の脅威に対抗するため、「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益にもなり、また日本を保護することにもなる」(『昭和天皇実録』1947.9.19)として、沖縄を米国に売り渡したのである(豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本』 「沖縄メッセージ」)。さらに天皇裕仁は講和条約に向けて米ダレス国務長官との間で、当時の吉田茂内閣の外交チャンネルとは別の「非公式チャンネル」を展開し、明らかな日本国の「主権侵害」であるはずの米軍駐留を「日本側の要請に基づいて米軍が日本とその周辺に駐留すること」に「同意」と「十分なる了解」を与え、これが日米安保条約の基となったのである。さらには1953年4月、朝鮮戦争の休戦で国際的な緊張緩和が進む中、マーフィー駐日大使の離任に当たり、「日本の一部からは、日本の領土から米軍の撤退を求める圧力が高まるであろうが、こうしたことは不幸なことであり、日本の安全保障にとって米軍が引き続き駐留することは絶対に必要なものと確信している」と述べ、天皇制維持のために、象徴としての振る舞い以上の「政治的行為」を続けたのである(豊下:同上)。
 豊下楢彦は『昭和天皇実録』について「そこにおける徹底したリアリズムは『実録』の行間に溢れ、率直なところ”感嘆“の声をあげることもしばしばであったが、しかしそのリアリズムは『皇統』を維持するという至上の目的に他の一切を従属させるものであり、従って危機の突破は『象徴天皇』という憲法規定を逸脱する重大な政治的行為を伴い、それが戦後日本のあり方に深刻な影響を及ぼすこととなった。」(豊下:同上「あとがき」)と総括している。

5「皇室典範」は憲法の規定に合わせて改正するしかない
 政府は、憲法と法律との整合性をチェックする内閣法制局などは、生前退位を将来にわたって可能にするためには「憲法改正が必要」と指摘しているという。一方、生前退位を今の天皇にだけに限定するのであれば、特例法の制定で対応が可能だと説明している(「日本テレビ」2016,8.22)。日本国憲法第2条は、皇位継承について「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」と定めている。これをうけ皇室典範第4条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」としており、皇位継承の原因は天皇の死去のみであり、生前退位は認められていない。生前退位を制度化するには、憲法の下にある法律としての皇室典範を改正すればよく、日本国憲法を改正する必要はない。皇室典範は通常の法律と同じ手続で改正することができる。
 皇室典範は「男系」・「長子」・「嫡出子」規定を含め、日本国憲法の基本的人権規定と齟齬がある。戦前の旧皇室典範を「万世一系歴代継承シ…」などの国家神道につながる神話的部分を削り、無理やり現憲法に辻褄合わせしたもので、通常の法律である以上、憲法の規定に合わせるべきである。現皇室典範の規定では、誰がどう考えても天皇制はここ数十年で行き詰る。天皇明仁が政府とは別のチャンネルでメッセージを公表したのはそこにある。
 
6 「万世一系」ではない天皇制
 526年(?)出自不明の第26代・継体天皇がヤマト王権を武力制圧して王位を簒奪したとする継体新王朝説がある。「継体」とは死後の漢風諡号(しごう・おくり名)でありヲホド(『日本書記』では男大迹王(をほどのおおきみ))の生前の事績への評価に基づいて奈良時代・淡海三船によって贈られた名であり、明らかに前王朝を「引き継いだ」=系統が断絶していることを表している。また672年の壬申の乱は大海人皇子(天武天皇)が前近江朝(天智天皇―大友皇子)を武力で滅ぼしたもので、現天皇王朝は天武からと見るべきである。663年、朝鮮半島・白村江での唐・新羅連合軍に対する倭の決定的敗北後、中華帝国に対抗するため、『日本書記』は天武以前の王朝を全て否定し、その歴史を簒奪・粉飾・焚書して天武―持統期以降に作られたものである。
 小林節は天皇・皇族にも「人権」はあるとし、「そこまで認めたら天皇制が不安定になる……という指摘があることは前述の通りである。しかし、世界一長く続いた王家としての天皇制も当然に永久不滅であると考えるべきではない。あらゆる制度は、それを支える社会的事実が変わった場合には、その条件の変更を直視して対応を考えていくべきである。そして、人権概念と民主制が確立した現代にあっては、天皇制といえども、人権と民意とを無視してその存続と内容を語るべきものではないはずである。」(小林節:『日刊ゲンダイDIGITAL』 2016.9.13)と述べているが、天皇裕仁も天皇明仁もその時々の情勢を天皇という「職業」に徹する形で冷徹に分析し、天皇制維持=国体護持のリアリズムに沿って発言し・行動している。柄谷行人は「戦後憲法の9条は、本来1条を作るために必要なものであり、二次的なものであった」とし、その後「1条と9条の地位が逆転した…その理由は1条(象徴天皇制)が定着したことにある」と述べ、その定着は天皇明仁の時代に入ってからであるとする(柄谷『憲法の無意識』)。象徴天皇制の定着は上記朝日新聞の世論調査でも表れている。しかし、歴史的に作られた制度は永久不変なものではない。我々は基本的人権と民主主義により、しかも天皇を上回る冷徹なリアリズムをもって「象徴天皇制」の今後を考えねばならない。

【出典】 アサート No.466 2016年9月24日

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【投稿】民進党新代表と野党共闘 統一戦線論(28) 

【投稿】民進党新代表と野党共闘 統一戦線論(28) 

<<「私はバリバリの保守ですよ」>>
 民進党の新代表に蓮舫氏が選出された。民主党自らが招いた民主党政権転落の苦境から脱出するホープとして、「『ワクワクする政治』と『さわやかな戦い』『女性の挑戦』を頑張りたい」「民進党をしっかりと選択してもらえる政党にしていく」「私たちには政策も対案もある」― を掲げる蓮舫氏の登場に、民進党のネガティブなイメージから脱却する、失った党への信頼を取り戻す、そうした幅広い期待と願いが寄せられた結果であったといえよう。それはまた民進党内外の多くの人々の期待でもあった。
 しかしその期待は出鼻からくじかれようとしている。すでに代表戦の過程で蓮舫氏はわざわざ「私はバリバリの保守ですよ。みんな間違っているけど。野田佳彦前首相並みの保守ですよ」、「世界最高水準の基準に合格した原発は再稼働」などと広言し、旧民主党・野田政権の失態と誤謬を反省するどころか受け継ぐことを表明。さらに決定的なのは、安倍政権が強引かつ暴力的に押し進める沖縄の米軍普天間基地の名護市辺野古への移設方針を後押しする政治姿勢を明確にし、「辺野古移設堅持」を公言、現行の移設計画は旧民主党政権が米側と確認した内容であることを踏まえ、「結論は基本として守るべきだ。どんなに米国と話をしても選択肢は限られてくる。基軸はぶれるものではない。それが外交の基本戦術だ」と断言してしまったことである。代表選後、「今の政権の沖縄への手法はあまりにも県民の声に寄り添っていないやり方だ」と修正したが、「辺野古移設堅持」では、蓮舫氏が掲げる「対案の提示」さえできるものではない。「県民の声に寄り添い」、基地問題を民意に基づいて解決するには、辺野古移設反対、高江ヘリパッド建設反対の政策を明確に打ち出す以外の対案はありえないのである。
 そして極め付けが、野田佳彦氏の幹事長起用である。野田氏は旧民主党が政権から転落した2012年末の衆院選時の首相であり、大飯原発再稼働や尖閣諸島国有化、消費税増税など、民主党政権への期待をことごとく裏切り、総選挙に追い込まれて大敗し、第二次安倍政権誕生をお膳立てした人物である。民主党政権瓦解のA級戦犯とも言われ、デモの声を「大きな音だね」と言い捨てた人物である。しかも今年、安倍政権が消費税増税の延期を決めた際には、あくまで増税履行を迫るなど、安倍政権に得点を稼がせることに大いに貢献した人物である。こうした路線や態度を真摯に反省し、克服しようとしているならまだしも、先の参議院選挙のさなかには、「消費税の10%への引き上げは不可欠」「人情に流されれば国家財政はもちません」などと述べて、民進党躍進の芽を踏み潰した人物である。安倍政権にとって最も好ましい幹事長の誕生である。ワクワクするどころか、さわやかどころか、完全に後ろ向きの暗いイメージへの逆転である。相当民意に鈍感でなければ、こんな選択はあり得ない。自らが所属するグループの「親分」を幹事長に選択するなどという、よくもこんなバランスを欠いた人事がまかり通ったものである。つまるところ、蓮舫氏には、民主党政権を瓦解させた野田路線を克服する政策をそもそも持ち合わせていないし、安倍政権と対峙する政策によほど自信がないことの現れとも言えよう。

<<「鳥越シンドローム」>>
 民進党代表戦の開票結果を見ると、新代表に選ばれた蓮舫氏は、特に地方の党員・サポーター票の71%という圧倒的な支持を得て、「圧勝」と報道されているが、蓮舫氏が獲得したのは、23万5211票ある党員・サポーター票のうち5万9539票を獲得したに過ぎない。投票率が40.89%と昨年1月に岡田代表が選ばれた時より6ポイントも下回り、実際には4人に1人の支持しか得られていないのである。そして蓮舫氏が民意を無視する発言をした沖縄県では、党員、サポーターの投票率は20.32%と全国最低で、433人の有権者のうち、88人しか投票しておらず、蓮舫氏に投票したのは13人に過ぎず、忌避されたに等しい結果である。これが「圧勝」の実態である。
 代表選は1回目の投票で過半数のポイントを取る候補がいない場合は上位2人で決選投票となるしくみで、前原、玉木両氏の陣営は「2・3位連合」による決選投票での逆転を狙っていたが、蓮舫氏が1回目の投票で制したわけである(蓮舫氏503、前原氏230、玉木氏116ポイント)。次の衆院選に向けて、知名度の高い蓮舫氏を党の顔に担ぎ出しさえすれば、何とか難局をしのげるのではないかとする安易な作戦が民進党内に広がり、功を奏したのであろう。
 ニューズウィーク日本版2016/9/2号に、「『鳥越シンドローム』が民進党をむしばむ」という記事が出ている。「お茶の間人気で勝利するはずが、次第に政策のなさと知名度頼みがあらわになり急速に支持を失う。鳥越氏同様、お茶の間での人気を誇りながら政策のなさが目立つ蓮舫氏」、「『安倍政治と対抗する若き女性』を党トップに担げば、無党派層の支持は得やすい。」、しかし、そこには都知事選のような落とし穴があるかもしれない、という警告記事である。
 その都知事選について民進党は、敗北の総括には全く触れようともしていない。共産党に至っては、敗北どころか「東京都知事選 鳥越氏が大健闘」「4野党プラス市民」という共闘の枠組みが、首都・東京でも実現し、野党共闘の成功例と自賛するばかりで、1か月以上経っても、敗北の真摯な反省もない志位委員長の8/5の党創立94周年記念講演をいまだに押し頂き固執している。9/3付赤旗は、「9月こそ出足早く前進を」という中央委員会書記局の訴えを掲載、「8月は『記念講演』の一大学習運動に取り組み、…しかし1か月の入党数は第26回大会後で最少となりました。日刊紙621人減、日曜版6453人減、参院選後2カ月連続で後退する重大な結果となりました。記念講演の学習・討議支部は43.7%にとどまっています。記念講演の一大学習運動を新たな意気込みで立ち上がるには機関と長の役割が決定的」であると、党後退の原因と責任を機関役員に転嫁している。なぜ後退したのか、自由闊達な討論は一切封印されてしまっている。相も変わらずの上意下達主義である。9/15付赤旗は「党員拡大を根幹に据えた党勢拡大の飛躍を」と題して、党建設委員会が「党創立94周年記念講演のダイジェストDVDを必ず視聴」することを呼びかかけている。冷静な分析と真摯な反省が欠落した自画自賛のDVDを視聴することが直面する最大の課題になってしまっているのである。

<<「この道しかない」>>
 しかし、今や野党共闘路線は、そして野党と市民との共闘は、「行き詰まる」どころか「この道しかない」というのが現実である。それのさらなる質的、量的な発展はあり得ても、各党それぞれの党勢拡大や穴掘り主義では、事態は打開できないのである。共産党においてさえ、統一戦線路線を放棄して、これまでの自民党を利するばかりの「自共対決路線」に戻ることはもはや不可能であろう。
 民進党においてさえ、共同通信社が行った民進党47都道府県連幹部による聞き取り調査によると、次期衆院選での野党共闘について、22都道県が「継続」を求め、「やめるべきだ」とした9府県を大きく上回っている現状である。蓮舫氏は、代表選を通じて「参院選での選挙協力は、次の衆院選の前例にならない。綱領が違う。政策が違う。それでも選挙の街頭演説で党首同士が並ぶというのはあり得ない。ただ、野党が一緒になる力は否定しない。代表になり自分たちが作り出す政策を持ったうえで、他の野党と連携のあり方を考えることはある。公党間の約束はほごにできない。しかし私が代表になったらこれまでの連携の延長線上にあるとは思わないでほしい。」と広言していたのであるが、代表選後は、次期衆院選での共産党との選挙協力について「公党間の基本的枠組みの約束は重い。維持していく」と述べ、岡田克也前代表が進めてきた野党共闘路線を継続する考えを示し、「『与党』対『野党』というシンプルな構図が一番、有権者には選んでいただきやすい」とも語り、共産党や社民党などと一体的に選挙戦に臨む意向も強調しだしている。そして問題の野田新幹事長でさえ、次期衆院選に向けた共産党などとの共闘に関し「強い自民党、公明党連合軍にしっかり挑んで戦うには、野党間の連携は不可欠だ。(共産党との)対話が必要だ。国会対策、選挙の在り方について、対話の中でどういう解があるか見いだしていきたい」と述べざるを得なくなっている。
 しかし、野党共闘体制さえ維持・継続できればいい、といった安易で、しかも知名度だけで右往左往し、それに依存するような共闘路線では、都知事選のような手痛いしっぺ返しを食らうであろうことは間違いない。
 野党と市民との共闘を粘り強く推進してきた「総がかり運動」について、福山真劫(フォーラム平和・人権・環境共同代表)さんは、月刊『社会民主』2016年9月号「総がかり運動の今後の展開」の中で、「多くの克服すべき課題」として、「ア:世論の多数派は、戦争法・9条改悪反対であるにもかかわらず、この世論を闘いの場に十分に巻き込めていない。イ:貧困と格差社会が進行し、非正規労働者や権利が保障されていないにもかかわらず、連携できていないこと、ウ:各県段階での連携強化と自分の町・地域での取り組みがさらに求められていること、エ:労働運動・ナショナルセンター・連合との連携が不十分、オ:沖縄課題は、数回の国会包囲行動以上に取り組めなかった、カ:選挙闘争では、野党共闘の政策・体制・連携のあり方の改革、野党共闘の限界と可能性を明確にし、再確立することなどが必要です。時代は大きく変わろうとしています。それは運動団体に自己変革を強要します。自己改革できない団体は、舞台から降りるしかありません。総がかり行動実行委員会は、舞台に立ち、その役割を果たし続けたいと思います。」と述べている。
 この福山真劫さんが、9/6付「赤旗」1面、「戦争法強行1年 各界に聞く」に登場し、「参院選挙で32ある1人区で野党統一候補が実現し、11の選挙区で勝ったことは一つの希望です。改憲勢力に3分の2を許したことについては、どこに原因があるか冷静に分析していく必要があります。次の衆院選挙を野党共闘でたたかい勝つためには、共闘で政権を獲得するという基本原則を立て、共闘を組み立てる明確な政策が必要です。安保法制と立憲主義問題だけではなく、社会保障や働き方、TPPやエネルギー政策、安保では沖縄基地問題も入れる必要があります。それだけの幅を持った政策を野党間で合意できれば一番いいが困難も予想されます。そこでは市民連合が大胆な政策提起をしていく必要があります。」と語っている。
 こうした路線の展開・発展こそが、立ちはだかる困難を打開する鍵だと言えよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.466 2016年9月24日

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【コラム】ひとりごと—民進党代表選挙に思う—

【コラム】ひとりごと—民進党代表選挙に思う—  

 9月15日民進党代表選挙が行われた。代表選挙には、蓮舫参議院議員、前原衆議院議員、、玉木衆議院議員の3候補が立候補し選挙戦となった。事前予想通り蓮舫氏が第1回投票で過半数を獲得し臨時党大会で代表に選出された。党員・サポーター票では過半数票を獲得、地方議員枠・国会議員枠でも過半数を獲得している。唯一、次期選挙に立候補予定の「公認予定候補者」枠では、前原候補が蓮舫候補に肉薄することとなった。
 初めての女性代表であり人気も高い蓮舫代表が誕生したので「民進党の前途は明るいか」というとそんな簡単な話ではない。
 今回の代表選挙における党員・サポーターの投票率は40.89%。23万人とカウントされている総数に対して、9万6千人が投票したに過ぎない。かつては50万人はいたと記憶しているサポーターが減少し、さらにこの低投票率が示しているのは、蓮舫優勢の情勢があったにせよ党内の関心の低さであり、代表が変わっても変わらない民進党の現状・体質を表していると言える。
 さらに、私も含めて失望感を強くしたのが、野田幹事長の就任であろう。もともと野田と蓮舫代表は、同じグループである。野田は消費税増税路線を「堅持」しているし、蓮舫代表も民主党政権時代の「事業仕分け」で有名となった。消費増税を前提に行政改革を徹底して行政の無駄をなくす、という路線で共通している。代表・幹事長ともに、この緊縮・増税路線で、果たして安倍政権とどう対決していくというのだろうか。
 蓮舫代表は、代表就任挨拶で「巨大与党に対しては、批判ではなく私たちの提案力、創造、国のあり方を持って、しっかりと戦って、選択していただける政党に」していくと、新世代の民進党をアピールした。「批判ではなく提案」は聞えは良いが、対決姿勢という意味では、少々力に欠ける。「増税と行政改革」のイメージからの脱却こそが民進党に求められているのではないか。党名をも変えた以上、旧政権イメージを払しょくすることが必要だと思うのだが。
 もう一つのテーマは、野党共闘をめぐる代表の姿勢である。代表選挙の中では「野党共闘」の在り方をめぐっては、候補3人に余り差はなく、積極的推進を訴える発言もなかったように思う。共産党にすり寄ると見られることを避けていたと思われるが、見直すという明確な言葉もなかった。総選挙ともなれば共産票が喉から手が出るほしい候補はたくさんいるという状況の中、一応野党共闘の追及は行われると思われるが、要は、民進党が積極的に推進するか否かである。
 次の総選挙を想定した場合、当然政権選択選挙であり、自公政権に代わる政権構想が求められる。政権構想までいかなくとも選挙協定で調整し、野党共闘を推進することが確実に求められていると考える。次期総選挙で、7月議院選挙と同様の野党共闘が実現すれば、自公勢力が大幅に議席を失うことは確実である。自公政権こそ「野党共闘」を恐れており、分断を執拗に追及している。共産党と政権を組むのは無責任だ、などの攻撃である。改憲反対、安保法制の廃止、脱原発に加えて、非正規労働の根絶や社会保障の拡充の課題で、統一政策をまとめることは十分に可能であり、その政策を軸とした政権構想は可能と考える。10月末の2補選を野党勝利で乗り切り、野党共闘の在り方についての議論を進める必要があろう。
 代表の国籍問題も選挙中マスコミが大きく取り上げかけたことに注意が必要であろう。ハーフであること自体を右翼は問題にするだろうと予想はできた。イメージダウンを狙ったマスコミリークが発端だったが、案外与党側は冷静だったように思う。台湾籍問題だったこと、台湾が非常に親日派であることなども要因と思われる。しかし、国籍と選挙権問題には、未解決の課題も存在する中、攻撃に対しては受け身ではなく、在日外国人の選挙権問題などに積極的に対応する姿勢こそ求められていると感じる。(2016-09-19佐野)

【出典】 アサート No.466 2016年9月24日

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【投稿】核軍縮に背を向ける安倍政権

【投稿】核軍縮に背を向ける安倍政権
             ~野党・民主勢力の立て直しを急げ~

<高まる核軍縮への機運>
 国際的な核軍縮の動きが進む中、安倍政権は阻害物として登場している。
 7月上旬、ワシントン・ポスト紙はオバマ大統領が、核兵器先制不使用宣言を検討していると伝えた。さらに8月にはアメリカが核実験の全面禁止決議案を、国連安保理に提出することを検討しているとも報じた。
 核実験に関しては1996年に核実験全面禁止条約(CTBT)が国連で採択されたものの、アメリカ、中国などの核保有国が批准していないため発効のめどが立っていない。
 とりわけアメリカでは共和党の反対で、上下両院での議決が困難な状況が続いており、国連での全面禁止決議案はこの隘路を突破するものと思われる。5月の広島訪問を踏まえ、オバマの核軍縮に向けた取り組みが加速しているように見える。
 こうしたなか、8月19日にはジュネーブで国連核軍縮作業部会が開かれ、2017年中の核兵器禁止条約に関する交渉開始を、国連総会に勧告する報告書が採択された。
 作業部会には、核保有国は参加していないがアフリカ、中南米、東南アジアを中心とする非核保有国がイニシアティブを発揮し、賛成68、反対22、棄権13の圧倒的多数で可決され、これを支持する国は107か国にのぼった。
 今後報告書は9月に始まる国連総会に提出され、これを踏まえた総会決議案が作成される方向となっている。
 この間の 動きをみると、核保有国(アメリカ)と非核保有国がそれぞれの立場で核軍縮プロセスを模索しており、法的拘束力を持った包括的な核兵器禁止から廃棄に至るスキーム構築までには、困難な道程が存在している。
 しかしながら、既存のCTBT、核拡散防止条約(NPT)に現在提案されている宣言、条約を結合させることにより、より効果的な核兵器への規制が作り出されるであろう。
 そして何よりも、核保有国、非核保有国を問わず様々な核軍縮に向けた提案がなされることにより、核廃絶に向けた国際的な機運が醸成されることが、期待されているのである。
 
<核兵器信者>
 このような国際的な動きに水を差そうとしているのが安倍政権である。7月26日ハリス米太平洋軍司令官と会談した安倍は、オバマが検討している「核先制不使用宣言」に反対する意向を示したと、ワシントン・ポスト紙(8/15)が報じた。
 安倍はアメリカが核先制不使用を宣言すれば北朝鮮に対する抑止力に影響が出る、と懸念したと言う。これは「核の傘」という都合のいい言葉ではなく、核による脅しを全面的に肯定するものである。そもそもオバマは北朝鮮の「脅威」を勘案したうえで先制不使用を検討しているのであり、安倍は北朝鮮の「脅威」がそれほど高くないことが、明らかになるのが不都合なのだろう。
 主要な核兵器保有国のうち中国はすでに先制不使用を明らかにしている。さらに英仏が先制使用するとはだれも考えないだろう。
 ロシアは、NATO軍がロシア領内に侵攻した場合に核先制使用の可能性を排除していないが、ロシア軍が通常兵力で防ぎきれない規模の介入が生じることは考えられない。
 この様に国際的にも核兵器の先制使用は非現実的であるにもかかわらず、安倍政権は核抑止力にしがみついている。ジュネーブでの作業部会報告書採択に於いても日本は棄権に回った。日本は昨年の作業部会設置の際も国連総会で棄権しており、一貫して核軍縮に背を向け続けている。
 安倍政権は核兵器保有国が参加した枠組みでないと実効性がない、と理由をつけているが、核兵器廃絶を目指すどころか、実際には核兵器依存政策に拘泥し続ける姿勢が露わとなった。
 消極的な安倍政権の対応に批判が高まっている。8月6日広島、長崎の被爆者団体を始めとする国内外の115名の有識者らが連名で、オバマ大統領の核兵器先制不使用に反対しないように、とする書簡を安倍に送付した。
 9日の長崎平和宣言では、日本政府は核兵器廃絶を言いながら、核抑止力に依存していると、安倍政権の姿勢が厳しく批判された。さらに15日にはバイデン副大統領が、日本国憲法が日本の核武装を押しとどめている旨の、異例ともいえる発言を行った。
 こうした動きに動揺した安倍は20日羽田空港で、報道陣からワシントン・ポスト紙の報道について聞かれ、ハリス司令官とは「核兵器先制不使用に関するやりとりは全くなかった。どうしてこんな報道なるのかわからない」(8/20「毎日」)、と言い捨ててリオデジャネイロに出発した。
 
<軍拡は積極的>
 核軍縮に消極的な安倍政権は、戦争法成立1年を迎えようとする中、軍拡、緊張激化には極めて積極的となっている。8月3日の内閣改造で稲田朋美が防衛大臣に就任した。これは小池百合子に対するあてつけもあるだろうが、中国、韓国はもちろんアメリカからも警戒の声が上がった。
 そして同日、北朝鮮は中距離弾道ミサイル「ノドン」の試射を行い、その一部が秋田県沖250㎞の排他的経済水域に落下した。7月の潜水艦発射弾道ミサイル試射につづき、事前に察知できなかった日本政府は8日、破壊措置命令を発令、これを3か月ごとに更新し常時発令状態とすることを決定した。
 中国に対する、挑発、牽制も引き続き強められている。8月2日閣議了承された防衛白書では、中国に対して「強い懸念を抱かせる」と南シナ海や東シナ海での動きに言及し、厳しい批判を行った。
 8日には東シナ海の中国ガス田施設に水上レーダーと監視カメラが設置されているとして、外務省が抗議を行った。政府は軍事利用の可能性があるとしているが、件のレーダーは漁船やプレジャーボートについているのと同等のもので、軍事的脅威にはなりえない。中国としては「倭寇」対策のつもりで設置したのではないか。
 さらに安倍政権は、オーストラリア、フィリピンの政権交代で綻びた「対中包囲網」を取り繕おうと躍起になっている。
 8月12日ダバオで日比外相会談が行われ、中国に対する「懸念を共有」することで一致し、「法の支配を尊重」することを確認した。18日には円借款で沿岸警備隊に供与する10隻の巡視船の一番船がマニラに到着した。
 これは自衛隊練習機貸与につづく「軍事援助」となるが、いずれもアキノ前政権時に決まったものである。今後対中交渉を模索するドゥテルテ大統領がこれらをどう利用するか不透明であり、国内の犯罪組織や武装勢力対策に活用されることも考えられる。
 この様な「努力」にかかわらず、この間中国は海警局などの公船を連日多数尖閣近海に出動させている。事態は泥沼化しており収束の兆しは見えていないが、安倍政権としては、このまま緊張状態が続くことを望んでいるのだろう。
 
<軍拡阻止へ総力を>
 中国の脅威を利用した沖縄への圧力も強まっている。7月22日政府は、辺野古埋め立て承認取り消しの撤回を求めた国の是正指示に従わない沖縄県を提訴した。そして同日同県高江地区のヘリパッド工事を再開し、辺野古での陸上工事も近く再開しようとしている。
 さらに菅は8月4日の記者会見で、これまで別問題としてきた基地と沖縄振興措置についてリンクさせることを明言した。これは兵糧攻めを行うと言うことであり、あまりに露骨な圧力である。
 19日には普天間基地の施設が老朽化しているとして、大規模補修を行うことを明らかにし、普天間基地の固定化から辺野古基地の併存をも目論んでいることが明らかになった。これら軍拡は中国の脅威に対抗するためのもので、それに反対する沖縄は問題だ、との宣伝が進められている。
 自衛隊の任務拡大も止まらない。参議院選挙を勘案し先延ばしになっていた「駆けつけ警護」が、11月に南スーダンに派遣される部隊から可能となる。南スーダンでは7月以降、現大統領派と前第1副大統領派との間で内戦状態に陥っている。
 8月に入り前副大統領はコンゴに脱出、8月13日には国連がPKO部隊4000人の増派を決定したが、戦闘は南部の首都ジュバから北部にも拡大している。稲田は15日の記者会見で南スーダンの現状は「『PKO5原則』は満たしている=安全」と強弁しているが、それならジプチ訪問でお茶を濁さず自らジュバに乗り込み「安全」を証明すべきだった。
 安倍政権はアメリカと稲田の面目を立てるためジプチに派遣したが、服装のチャラさとも相まって(さすがに基地では「戦闘服」に着替えたが)逆効果だったと言えよう。
 7月の戦闘では、国連の装甲車が戦車の砲撃を受け中国兵7人が死傷した。正規軍同士の衝突に等しい状況下に駆けつければ、多大な損害を被るのは明らかであり、安倍政権は新たな戦死者を生み出す方向へと向かっている。
 8月15日の戦没者追悼式で安倍は「戦争の惨禍を決して繰り返さない」と述べたが、加害責任や謝罪抜きの言葉は白々しいものだった。
 同式典で「深い反省」を述べた天皇は、8月8日に「生前退位」の意向を強く滲ませたメッセージを発した。天皇が「任期短縮」を望んでいる一方、安倍は総裁=総理の任期延長を目論んでいる。その目的が改憲にあることは火を見るよりも明らかであろう。
 これに対抗すべき野党は、東京都知事選挙の惨敗以降まったく存在感を示せていない。民進党は代表選挙があるにもかかわらず、政策抜きの党内政治が優先され社会から遊離している。
 共産党も選挙が終われば日常の風景に戻った感があり、社民、生活は相変わらず風前の灯である。市民運動も8月15日をもってSEALDsは解散し、三宅洋平は安倍昭恵さんと高江に現れ現地を混乱させた。
 野党、民主勢力はこの間の選挙総括を踏まえ、早急に立て直しを進めなければならない。(大阪O)

【出典】 アサート No.465 2016年8月27日

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【投稿】熊本地震で実証された原発基準地震動の「過小評価」

【投稿】熊本地震で実証された原発基準地震動の「過小評価」
    —島崎邦彦前原子力規制委員長代理の指摘—
                           福井 杉本達也 

1 原発基準地震動が「過小評価」されている と島崎邦彦氏の指摘に慌てふためく規制委
 6月19日の福井新聞は「原発基準地震動の『過小評価』:指摘、規制委、異例の検証へ」と題する記事を掲載した。この記事は6月24日発売の雑誌『科学』2016年7月号の島崎邦彦:前原子力規制委員長代理の『最大クラスではない日本海「最大クラス」の津波―過ちを糾さないままでは「想定外」の災害が再生産される』との掲載論文での指摘に対応するもので、福井新聞の記事は「関西電力大飯原発などの基準地震動(耐震設計の目安となる揺れ)が、計算式の不備が原因で過小評価されている可能性を原子力規制委員会の前委員長代理の島崎邦彦・東京大名誉教授(地震学)が指摘。慌てた規制委が島崎氏から説明を受け、検証を検討する異例の展開になった。島崎氏の指摘が重要な新知見と確認されれば、規制委の審査基準改定や、一部原発の再審査も必要になる。だが、実は規制委は2年前にも同じ問題を指摘されていた。地震の規模(地震モメント)を見積もる計算式は、北米の地震データに立脚し、日本の原発で適用すると過小評価につながる」と書いている。

2 基準地震動とは何か
 原発の地震に対する安全性の検証は、大きく三段階に分けられる。①影響を及ぼす巨大地震をきちんと想定しているのか(地震想定)、②その地震で原発はどれくらい揺すられるのか(基準地震動Ss の策定)、③揺れによって建物や設備・機器・配管などは壊れないのか(耐震評価)とういう段階で評価されるが、この原発の設計の前提となる原発の耐震性を決めるための基礎は「揺れの大きさ」=「基準地震動・Ss」である。原発ごとに、周辺の活断層などで起こりうる大地震を想定して、地盤の状態を加味し、原発直下の最大の揺れを見積もる。これをもとに原子炉、建屋、配管などの構造や強度を決める。揺れの大きさを加速度で表現する。地震の揺れで単位はガルで、1ガルは1秒ごとに1センチずつ加速することであり、地球上で物が落ちる時の加速度(重力加速度)は980ガル=1Gである。
 
3 柏崎刈羽原発の教訓
 2007年7月に新潟県中越地方で新潟県中越沖地震が発生した。マグニチュード6.8という、内陸地震の規模としては普通規模の地震であったが、柏崎刈羽原発では1号機で南北方向311ガル、東西方向680ガル、上下方向408ガルを記録した。いずれも設計時に想定した加速度を大幅に上回っていた。3号機タービン建屋1階では2058ガル(想定834gal)を記録した。柏崎刈羽原発では、2700カ所以上の機器類の破損があった。3号機の起動変圧器は炎上し、外部電源も失われた。非常用ディーゼル発電機の一部は起動せず電力不足に陥り、タービン駆動給水ポンプを動かすために補助ボイラーが起動したが、1~5号機と6,7号機でそれぞれ一台しか使用できなかった。そのため運転していた3、4号機で一台を取り合う結果となり、起動変圧器が炎上していた3号機を優先したため4号機の冷温停止には丸2日掛かっている。後一歩深刻な事態に陥っていたならば、福島第一原発と同じようなメルトダウンあるいは炉心損傷の事態に至っていた可能性もある。6号機のクレーンは両側のレールで支えられて原子炉の真上を移動できるが、そのレール上を走る車輪の車軸が両側とも折損・車軸の継手も破損。最悪の場合原子炉内に落下していた。この柏崎刈羽原発の被害の甚大さは耐震性評価において、電力会社は地震動を著しく過小評価し、規制当局はそれを追認していたことを明るみに出した。
 
4 規制庁は基準地震動を意図的・作為的に小さく計算―田中委員長さえも規制庁の「無能力」を認める大失態を犯すも、再稼働推進は諦めず
 島崎氏の批判に応えて、規制委はしぶしぶ、大飯原発の基準地震動を「武村式」(武村雅之名古屋大学教授による地震動から断層運動のエネルギー(Mo)を求める経験式)という、より厳しい経験式に基づいて計算すると、現行で採用している「入倉・三宅式」(入倉孝次郎京大名誉教授―三宅弘恵東大准教授)という緩い経験式に基づく計算結果を大幅に上回る地震動となることが、規制庁自身による「計算」で明らかとなった。自らの計算結果に規制庁は、関西電力が計算したよりも、より楽観的で、より緩い条件を置いて計算し直して再計算結果を出し、7月13日の田中委員長会見では「再計算では最大で644ガルで、基準地震動の856ガルを下回った。」と“胸を張って”述べたものの、すかさず、島﨑氏より「関電と同様の設定で計算すべきなのに、されていない。関電の計算結果に比べて約6割と過小評価になった。補正すべきだ。補正したうえで予測の「不確かさ」を加味すれば、結果は推定で最大1500ガル超になる。ストレステストで炉心冷却が確保できなくなる下限値として関電が示した1260ガルを上回る。」と論破され、自らの再計算で墓穴を掘り大恥をかいてしまった。
 その後、7月20日に田中委員長は「再計算のやり方に無理があった。拙速だった。能力不足だった。判断を白紙に戻す」と規制庁の再計算の誤魔化しを認めざるを得なかった。しかし、再稼働が至上命題の規制委としては、7月28日の会見で「安全審査で了解した大飯原発の基準地震動は見直さない。「入倉・三宅式」を見直す理由は見つからず、同方式による算出は継続する。」と居直った。

5 推定した震源断層の大きさから実際に起きる地震動を正確に予測することはできない
 東大地震研究所の纐纈一起教授は、「原発の耐震評価で用いられている地震動の予測手法を熊本地震に適用すると、地震動は過小評価になる(「東洋経済」2016.8.17)と指摘する。「入倉・三宅式」では大地震が起こる前に電力会社が原発の敷地内や周辺の地質や地層を詳細に調べても、そこで推定した震源断層の大きさから実際に起きる地震動を正確に予測することはできない。熊本地震を引き起こした布田川・日奈久断層帯北東部の長さは地震が起こる前は約27キロメートルと見積もられていたが、実際に地震が起きたところ、震源断層の長さは約45キロだった。「入倉・三宅式」そのものは、これまでに起きた数多くの活断層型の地震のデータに対して、一本の線を引いた回帰式にほかならない。その背後には、平均値に対して大きなばらつき(不確かさ)が存在している。
 規制庁は「入倉・三宅式」に基づいて出されている基準地震動を小さく見せかけるため、武村式を用いて大飯原発の基準地震動を現行の関電方式で評価するとき、結果を現行評価枠内に抑えるため、式の入れ替えを「不確かさ」の範疇に入れてしまい、「不確かさへの考慮」部分をカットし(関電は式の中に「不確かさへの考慮」を参入していたにもかかわらず)、「入倉・三宅式」による現行最大加速度596 ガル(関電が提示していた)をなぜか356 ガルになるよう、評価のベースを引き下げる小細工を弄した。しかし、そこに「武村式」を適用すると、356 ガルが644 ガルへと1.81 倍にも高まることを自らの計算で認めてしまった。藤原広行・防災科学技術研究所・社会防災システム研究部門長は、「東日本大震災が起きて地震学の知見の限界が改めて明らかになった。こうした中で、『不確かさ』の扱いがそもそも十分だったのかについても議論すべき。そして、不確かさを体系的に原子力の安全規制の中で扱うルールづくりをしない限り、適切な基準地震動の設定はできない」と警鐘を鳴らす(「東洋経済」同上)。

6 それでも伊方原発3号機を再稼働し、大飯原発や高浜原発も再び動かそうとする規制委
 「武村式」で計算し直せば、大飯原発3・4号機では炉心溶融につながる「クリフエッジ」を超えてしまうので、原発は再稼働できなくなる。美浜3号でも993 ガルが1800 ガルにもなり、やはりクリフエッジを超えるので、40 年超運転などとんでもない。伊方原発でも、敷地前面海域の54km長の断層の地震動評価が1.6倍強、69km長の断層では2.0倍以上になり、855ガルのクリフエッジを超える可能性が高い。ほかの原発も再稼働が困難になる可能性が高い。これでは、再稼働を是が非でも進めようとする規制委の方針は根底から覆る。そこで田中委員長は新たな方法による再計算を拒んだのである。
 「入倉・三宅式」はアラスカ・カナダ・地中海など世界中の地震データの平均値であるのに対し、武村式は日本だけの強い地震の特性を反映している。熊本地震の結果は、ほぼ「武村式」によってうまく再現される。「武村式」を用いて大飯原発をはじめ、すべての原発の基準地震動評価をやり直すべきである。再稼働中の川内原発・8月12日に再稼働した伊方3号機を停止させ、また、その他すべての原発の運転再開を許してはならない。

7 島崎氏が「入倉・三宅式」批判を始めた理由
 島崎氏が「入倉・三宅式」批判を始めたのは、 2015年5月からであり、2014 年の規制委退職からわずか8ヶ月、当時は「何を今更」という感じで受け取られた。 島崎氏の今回の行動は「二年前に発端」があり、長沢啓行大阪府大名誉教授らが、2014年に川内原発の基準地震動評価で、規制庁と交渉した際、答えに窮した審査官が、島崎氏らに相談して検討すると約束。その場を切り抜けた。審査官から相談を受けた島崎氏は規制庁に検討を指示したものの、報告はなかった。規制庁のサボタージュで踏みにじられたのである。6 月 19 日付の福井新聞の記事は「島崎氏は、長沢氏の指摘を『ポイントを突いた議論だった』と話す。」と書く。地震学の専門家でもなく、まさに孤軍奮闘だった長沢氏らの闘いは、今回の島崎氏による問題提起で、ようやく「入倉・三宅式」批判がマスコミで広く取り上げられ、地震動の過小評価が表舞台に立ったといえる(長沢啓行:『反原発新聞』:2016.8.1)。

【出典】 アサート No.465 2016年8月27日

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【投稿】都知事選惨敗をめぐって 統一戦線論(27) 

【投稿】都知事選惨敗をめぐって 統一戦線論(27) 

<<都知事選敗北の実態>>
 7/31投開票の都知事選の結果は、野党共闘にとってまったく惨憺たる敗北であった。
 直前に行われた参院選の東京選挙区での得票を見ると、鳥越支持は、民進党1,631,276票、共産党665,836票、社民党93,677票、合計2,390,789票、対する小池・増田支持は、自民党1,529,622票、公明党770,535票、合計2,300,157票であり、優位ないしは拮抗し、なおかつ保守分裂で、野党統一候補が勝利する可能性が極めて高い選挙戦であった。野党統一候補として鳥越俊太郎氏が名乗りを挙げた当初、そして告示日前後の世論調査では鳥越氏が首位だったものが、日を経るにしたがって、急失速、終盤では接戦どころか、大きく引き離されてしまったのである。結果は、
小池百合子   2,912,626(得票率44.5%)
増田寛也    1,793,453( 〃 27.4%)
鳥越俊太郎   1,346,103( 〃 20.6%)
という厳しいもので、小池百合子氏が次点の増田氏に110万票以上の差、3位の鳥越氏にはダブルスコア以上の大差で当選。
 前回(2014年2月9日投票)の結果は、
舛添要一    2,112,979(42.9%)
宇都宮健児     982,595(19.9%)
細川護煕     956,063(19.4%)
 保守の統一候補に、宇都宮氏と細川氏が分裂して臨み、両者合わせればそれこそ大接戦であったが、今回は統一候補であったにもかかわらずの大敗である。保守2候補が7割以上を得票し、野党統一候補が2割の得票に過ぎないという惨敗である。
 得票数そのものでも、前回の宇都宮・細川の200万票近い得票が、今回、投票率が13.59%も上昇したにもかかわらず、逆に得票数を59万票も減らし、参院選で獲得していた239万票どころか、それを100万票以上も下回る134万票へと大幅に後退させてしまったのである。保守に対抗する野党陣営の大幅な後退、退潮は目を覆うばかりである。

<<3つの「よし」>>
 なぜ当初の期待がかくも裏切られてしまったのであろうか。
 確かに、選挙戦開始最中の7/21発売「週刊文春」、続いて翌週の「週刊新潮」の「女子大生淫行疑惑」という鳥越氏の女性問題に関する謀略的な醜聞報道は、明らかに鳥越氏を標的にした悪質な選挙妨害であり、これが結果として大きなダメージを与えたと言えよう。鳥越氏は、事実無根であり、無いものを説明するのは「悪魔の証明」だとして、「この問題は弁護士に任せているので、私から言うことはありません」という説明に終始ししてしまった。ところがその一方で7/28のテレビ番組では、問題の女性の現在の夫と3人で会ったことを認め、問われて断片的に「事実」の一端を話しはするが、どこまでは事実で、どこからは事実でないのかを説明できない、それを真摯に打ち消す努力を放棄していたと言えよう。これでは女性の人権問題を本当に重視しているのかと見放されてしまっても当然といえよう。
 しかしより以上に致命的で決定的ともいえるのは、都知事選に臨む政策の問題である。告示が2日後に迫った7/12、野党統一候補として名乗りを上げた鳥越氏の最初の決意表明、公約が「がん検診受診率100%」にするというものであった。これはたとえ重要であったとしても、都政が直面し、与野党が対決する焦眉の課題、争点ではないし、しかもがん検診に疑問を投げかける専門家が多数存在する、都民の合意が得られていない政策である。自らのがん闘病体験から出てきたものではあろうが、舛添前知事が辞任にまで追い込まれた、与党と一体化した都政私物化問題とはまったく関係がないし、そこに切り込む迫力さえこの政策には反映されていない。
 次いで7/15に発表された鳥越氏の政策は、(1)都政への自覚と責任(2)夢のある東京五輪の成功へ(3)都民の不安を解消します(4)安全・安心なまちづくり(5)笑顔あふれる輝く東京へ(6)人権・平和・憲法を守る東京を―の6本柱であった。政策スローガンが「『住んでよし』『働いてよし』『環境によし』を実現する東京を!」に集約された。この3つの「よし」が公約とでもいえるのであろうか。抽象的でありきたりで具体的政策提起がない。途中で「学んでよし」の4点目も入れられ、さらに投票日の3,4日前になって、「女性によし!」というポスターを掲げた。まるで思いつきと、事態に翻弄されたあわてふためきがそのまま出てしまったとしか言いようのない「よし」の羅列である。
 そこには、野党統一候補の擁立が日替わりのように混迷し、ようやく直前になって鳥越氏に一本化させたことから、統一候補の擁立自体が自己目的化し、国政の課題を優先させ、都政の課題をなおざりにさせてしまったこと。知名度優先で、政策の相互討論や論点の明確化が行われず、野党共闘を支えるべきそれぞれの政党のサポートがなきに等しき状態であったこと。知名度だけで票が取れると目算した野党共闘側の各政党の安易で有権者を見くびった姿勢、野党共闘体制さえ維持・継続できればいい、といったことの露骨な反映とも言えよう。この点ではとりわけ、民進党、共産党の責任が厳しく問われるべきであろう。
 一方の小池氏は、都議会自民党との対決姿勢を強烈にアピールし、最初に自分が知事になれば、①都議会を冒頭解散する。②利権追及チームを作る。③舛添問題の第三者委員会設置を行うという政策を打ち出した。実際に実行するかどうかはすでに怪しくなっているが、対決店・争点を明確にしたことは間違いがないし、民進・共産支持者の相当部分が小池氏支持に廻ったことが出口調査でも明らかにされている。

<<これが“大健闘”か>>
 ところがである。共産党のしんぶん赤旗は、7/31投票日当日「都知事選 今日投票」という記事で、「野党統一候補でジャーナリストの鳥越俊太郎氏と、自民、公明が推す元岩手県知事の候補、前自民党衆議院議員の女性候補大激戦、大接戦です。」と書いている。さらに、その選挙結果が明らかになった翌日、8/1付赤旗は、「東京都知事選 鳥越氏が大健闘」と大見出しで伝え、小池晃書記局長が「鳥越俊太郎さんは勝利できませんでしたが、大健闘されました。今回の選挙戦を通じて、首都東京で野党と市民の共闘が発展したことは極めて重要な意義があります。」、志位委員長は「野党と市民が共同して推した鳥越俊太郎さんは、勝利できませんでしたが、134万票を獲得し大健闘されました。一つは、鳥越俊太郎さんが、都民の願いに応えた政治の転換の旗印を鮮明に掲げたことであります。「住んでよし、働いてよし、学んでよし、環境によし――四つのよしの東京」という旗印。いま一つは、参議院選挙で大きな成果をあげた「4野党プラス市民」という共闘の枠組みが、首都・東京でも実現し、野党と市民が肩を並べてたたかったことであります。」と述べている。「大激戦、大接戦」などと選挙情勢を見くびっていたことに何の反省もなく、翌日は、「大健闘」と厳しい現実から目をそらすまったくの我田引水そのものである。
 さらに共産党の志位委員長は、8/5の党創立94周年記念講演で「冒頭、7月31日の東京都知事選挙についてお話ししたいと思います。野党と市民が統一候補として推した鳥越俊太郎さんは、勝利はできませんでしたが、134万票を獲得し、大健闘されました。「4野党プラス市民」という共闘の枠組みが、都知事選挙でも発展したことです。」と述べている。それは、今回の都知事選を野党共闘の成功例と自賛するばかりで、それが直面し、見放されてしまった現実、野党統一候補が大きく後退したという厳しい現実については一切触れようともしていない、一言も述べていないのである。もちろんこれでは冷静な敗因分析や反省や教訓もあったものではない。こんな都知事選総括しかできないようであれば、野党共闘にも未来はないし、さらなる支持を獲得することはできないであろう。
 8/2付赤旗は、共産党の「7月の党勢拡大」について、「例月を大きく上回る購読中止があり、日刊紙、6559人減、日曜版2万8856人減という大きな後退となりました。」と報じ、8/9付赤旗は、中央委員会書記局名で「党の自力はどうでしょうか。党員、日刊紙、日曜版とも大幅に後退しました」と認めた後、「もっと伸びると思いガッカリしていたが、」「もやもや感があったが、」、と言う声を断片的に紹介しつつも、党創立94周年の志位委員長の記念講演の「一大代学習運動が何よりも重要」と強調、これがなければ「ガッカリ感」を残したままになります、と訴えている。こんな程度のことしか言えない、これが共産党指導部の実態である。
 共産党の選挙敗北後の「よく善戦した」「大健闘した」と常に繰り返される声明・発表は、まるで戦前・日本軍部の大本営の発表を聞くようなものである。そこからは、敗北を直視し、何が良くて何が悪かったのかを、自らの姿勢と問題点を抉り出す姿勢がまるで欠如しているのである。多くの党員の真剣な努力や疑問、抱える困難、難問に答える姿勢が皆目見られないのである。
 今回のような都知事選の明白な敗北を、「大健闘」で済ましてしまうような姿勢では、野党共闘、統一戦線の真の発展は望めないというところから、真摯な総括が行われるべきであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.465 2016年8月27日

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【投稿】「横田先生の遺されたもの」

【投稿】「横田先生の遺されたもの」       大曽良 宏

ついに横田先生も亡くなられた。やはり生きるものは永遠ではないことをあらためて知るべきだ。森先生は授業で「君は死んだら灰と思うか」と問いかけられていた。頑張ってみても仕方がないと思うか、と。そうでもない、とたいていの学生は答える。それでは生きがいとはどういうものか、何か残すほどのものを考えたことはあるか、と。

横田三郎 著
現代人権教育の思想と源流
—横田三郎コレクション—
2016年8月31日発行
鳥影社 2800円+税
ISBN978-4-86265-564-6

横田先生は終戦後入学された京都大学で鈴木祥蔵先生が主催されていた勉強会で『共産党宣言』を学び「目から鱗」でマルクス主義に傾倒された。1950年代に入ってすぐに大阪市立大学に勤めるようになると、そこでドブロリューボフの『オブローモフ主義とは何か』に出会い、大きな衝撃を受けられた。同時に同じ市大文学部におられた森先生と意気投合し唯物論哲学を学び、ロシア文学なども大いに語り合われたという。お二人の住まいは大学のあった大阪市内杉本町の駅の近くで、互いによく行き来して、将棋をさしたりしながら雑談に花を咲かせておられたようだ。横田先生のお宅には直木孝次郎先生も手みやげに寿司などを持って遊びにこられ、楽しいひとときを過ごされたこともよくあったと奥様からお聞きしている。このころはまだ時はゆっくりと過ぎていた。

1960年前後から世の中は騒然とし始め、大阪の部落解放運動も起こりはじめ、大学でも差別事件が告発されるようになってきた。60年代後半には大阪市内で誰もが知ってはいるが、どうしようもない問題として見て見ぬふりをされていた「差別越境」の問題に小学校の子どもたちも立ち上がった。そして越境していた子どもたちが地元の学校に戻ってくるにつれ、同和教育のあり方が真剣に問われることとなり、ついに「矢田教育差別事件」がおこった。この中で部落解放運動がおこなう糾弾とは何か、同和教育と先生の労働条件の関係、解放教育が任務とする「解放の学力」と進学できる学力との関係、非行や荒れる子どもたちをどう受けとめるかなど、問題や論点は多くの面に広がった。
横田先生はこの60年代をふり返って、「当時でもオレは十分に差別主義者だったよ」とおっしゃっていた。当時はまだ在日朝鮮人問題、障害者問題、女性問題、原爆被爆者問題、まして性同一性障害の問題などは、社会的にはほとんど受けとめられていなかった。部落解放運動や同和教育にかかわる人たちが先頭切って社会に問いかけ、孤軍奮闘している時代だった。

1960年代終わりから70年代にかけてのころ、大阪の人権運動は激動期を経て大きな発展をみた。横田先生は大学紛争や大学内部の差別事件、それに矢田教育差別事件などの渦中の人となって、相当深く考え、考え直して、真に民主主義的な考え方を体得されていったようだ。
誰が言ったのだったか、「横田さんは相当晩稲(おくて)だったのですなぁ」とは尊敬によるものか、真面目すぎるほどの繊細さを軽くからかったのかは知れないが、その両方に値する頑固な真面目さによって、終戦から長い時間をかけて幼いころからの軍国少年のくびきから自らを解放したのである。

横田先生の言葉には長い思索と苦しい自問とによって得た強い信念と迫力がこもっている。
このたび刊行された書籍には軍国主義を拒否し、民主主義に徹した一人の人間が求めた未来が描かれている。今日の教育問題に真摯に取り組もうとする人は、先ずこの本から始め、そしてこの本を乗り越えることが求められる。

【出典】 アサート No.465 2016年8月27日

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【投稿】英EU離脱と「米英同盟」の事実上の崩壊

【投稿】英EU離脱と「米英同盟」の事実上の崩壊
                          福井 杉本達也 

1 EU離脱にヒステリックに対応する日本のマスコミ
 英国の国民投票でEU離脱派が多数を占めた6月24日の翌日の東京新聞社説は「英がEU離脱 歴史の歩み戻すな」、朝日新聞社説は「内向き志向の潮流が、世界を覆う事態を防がねばならない。偏狭な一国中心の考え方が広がれば、地球温暖化やテロ対策、租税問題など、地球規模の問題に対処する能力を世界は鍛えることができなくなってしまう。」と述べ、日経新聞社説は「大陸欧州の各地でも排外的なポピュリズムが広がり、反移民や反EUを掲げる政治勢力が支持を伸ばしている。…戦後世界の平和と安定を目的とした欧州統合が逆回転を始める意味は深刻だ。」と書いた。総じて離脱に批判的である。「英国がナショナリズムの誘惑に屈した」、「移民への圧力が心配」、「シルバー民主主義」、「離脱に賛成しながら結果に後悔する人もいる」、「国内世論も投票結果に揺れている」とし、ブレア氏は「国民投票の再実施も」(日経:2016,6.28)との紹介記事を載せ、「解散総選挙で離脱回避も」、「国民に直接賛否を問うというのは一見民主的だが『選んだのは国民』と責任を全て押し付けられてしまう」(日経:7.6)、さらには英紙の世論調査では「再投票なら残留多数」(福井:2016.7.3)という記事を書く始末である。
 なぜ、日本のマスコミはEUの構成国でもなく、“遠い”他国の国民投票に否定的な論調をとるのか。直接的には参院選挙の真っただ中ということもあり、離脱で極端な円高が進めば看板の「アベノミクス」の化けの皮が剥げてしまうことを恐れたこと、英国は日本の日立、日産や野村證券などが欧州大陸に進出する橋頭堡としての位置づけが大きいことがあげられるが、一番の論点は英国民の51%が「グローバル化」に明確に反対したことである。英調査機関によると、低所得者の64%が離脱に賛成し、高所得者・中所得者の57%が残留に投票した(日経:7.11)。メディアのヒステリックな反応を見ると、メディアを支配する勢力にとって、今回の英のEU離脱を絶対に阻止しなければならない重大問題であると捉えられていた。一言で表現するなら、グローバル化とは米金融資本の旗印である。日本の全マスコミは米金融資本の意向を受けて、グローバル化反対の波が広がらないようにと情報統制した。

2 EUとは何か・NATOとどう関係するのか
 二度もの世界大戦の戦禍に懲り、「欧州は一つ」との理想をかかげることで、利害が対立していた国や諸国連合をも吸収し、東西冷戦終結後、2004年には、中東欧諸国10ヶ国が集団加盟するなど拡大を続けてきたというのが、EUの公式の歴史であるが、実際EUは、米国の欧州支配を容易にする手段である。米国にとって、28の個別の国々を支配するより、EUを支配するほうがはるかに楽で、米国が主導権を握る軍事同盟・NATOと表裏一体の関係にある。
 グローバル化とは、米金融資本が、世界を一つの市場として包含し、その世界市場からの収奪することを指し、経済活動において国境の撤廃を目指すものでEUは欧州を単一市場化することによって、金融資本と1パーセントの支配層ために奉仕するためにある。また経済理論としての「新自由主義」とは表裏一体の関係にある。英国がこれまでEUに片足を突っ込んできたのは、自国通貨ポンドの維持を認められたがゆえであり、EU貴族の金を運用してGDPの10%を占める金融業を米国と共同で運営することを認められてきたからである。米国は、60年間もかけて、ヨーロッパの全ての国々を、米国が支配可能なEUという袋に押し込んできたのである。

3「米英同盟」の事実上の崩壊
 第二次世界大戦以降、米英は「特別関係」(special relationship)といわれた。2002年7月、イラク侵略戦争参加の8か月前、ブレア英首相はブッシュ米大統領に対して、I will be with you, whatever.(何があろうとも、私はあなたと共にいる)と述べた(BBC:2016.7.6)ことが明らかとなっている。しかし、その後英はこの「特別関係」を何度か裏切ることになる。2013年8月、米・オバマ政権はシリアのアサド政権が化学兵器を使用したといいがかりをつけ、英国にシリア攻撃の同調を求めたが、英下院は攻撃案を否決した。この英国の裏切りのため腰砕けとなったオバマ政権はシリア攻撃を行うことができなくなった。
 2015年3月、英国は中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)への突然の参加表明を行った。英国が長年の盟友である米国を切り捨てて中国主導の投資銀行に参加することとした。「英政府の関係筋は『国際金融において中国の良きパートナーでありたい』と語った。また、『米国が同じ立場でないことは理解していたが、それを承知で動いた』と述べた。」(ロイター:2015.3.24)そして、今回の裏切りである。サッチャー・レーガン革命において蜜月が頂点に達した米英の「特別関係」は事実上崩壊したといえる。

4 英国のもう一つの離縁状「イラク戦争独立調査委員会報告書」
 1991年に始まるユーゴ内戦(スロベニア紛争・クロアチア紛争・ボスニア紛争・コソボ紛争・マケドニア紛争)において、旧ユーゴスラビアの人民を戦禍に陥れ、旧ユーゴをズタズタに解体した。2008年のジョージア(旧グルジア)紛争への介入、2001年から今日までのイラク・アフガン戦争への介入、2011年のリビア国家の解体、2014年のウクライナ紛争への介入等々、EU拡大は、他国の主権無視と諸国民の殺りくに他ならない。欧州は米国とNATOによって、ロシアとの紛争に追いやられている。愚かなドイツ政府がそれを可能にしており、欧州は戦争からの難民に圧倒されている。
 英国もこの愚かな戦争に2013年までは愚直につき合ってきた、あるいは米国に代わり欧州に指示してきたが、イラク・アフガン戦争において、これ以上米国と付き合っていれば、米国との心中・国家が崩壊しかねかねないことを自覚し始めた。7月6日、英国の「イラク戦争独立調査委員会」(チルコット・レポート)は2003年のブレア政権のイラク戦争介入を巡る調査結果を発表した。報告書は2002年4月のブッシュとの会見でブレアがイラク・フセイン政権転覆についての見通しを固めたと思うと証言したことが書かれている。つまり、現在に至るまで延々と続くアメリカ帝国の、中央アジア~旧ソ連圏~中東~北アフリカでの(南米を加えるべきかもしれないが)政権転覆・地域流動化の戦略に、イラク戦争開戦の以前にイギリスがしっかりと組み込まれたこと、ブレアがその中心にいたことを示している。 報告はイラクの脅威について政府が「正当化できないほど確かなものとして説明した」と批判。そのうえで「イラクをめぐる政策が誤った情報と評価のうえで進められたことは明らかだ」と結論づけた。また「軍事介入の失敗によってイラクの人々が大きな苦痛を味わった」と指摘した。チルコット・レポートはブラウン前政権からの調査であり時期も異なるが、米国へのもう一つの離縁状である。

5 英EU離脱で誰が得をするのか
 英EU離脱はプーチンのさしがねであるとのニュースがまことしやかに流れたが、EU=NATOが弱体化することは、ウクライナ問題を巡りEUの経済制裁を受けているロシアにとってはチャンスである。NATO首脳会議が英EU離脱投票後の7月8,9日とワルシャワで行われたが、ニコラス・バーンズ元米国NATO常任代表は、モスクワはNATOの共通の立場を分割することに成功した、と述べた(Sputnik2016,7.11)。英国はNATO軍事費の1/4を占め、核保有国でもあるが、「EU離脱決定は(NATO)の集団的自衛権が本当に機能するかという疑問を投げかけた…英国が他の加盟国のために反撃に乗り出すのか疑念が広がる…EUの対ロ政策が軟化するとの警戒がにじむ」(日経:2016.7.9)と解説する。
 中国はどうか。英国の離脱で欧州景気が減速する不安があるものの、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を窓口に、英政府は、EUとの経済関係が疎遠になることによるマイナスを、中国など新興市場との経済関係の強化によって埋めようとしている。ロンドンを世界の主要通貨の一つに成り上がっている中国人民元の国際センターにしようとしている。
 もう1ケ国、英離脱投票の直後にトルコのエルドアンがロシアと和解した。昨年11月トルコ軍がシリア上空でイスラム国を攻撃中のロシア軍機を撃墜した事件を機に冷え込んでいたが、トルコが「謝罪」をしたため急激に関係修復に動きだした。プーチン外交の全面的勝利である。撃墜事件はトルコ1ケ国で判断したものではなく、米軍産複合体の指示に基づくものであるが、トルコも米国の中東政策に見切りをつけようとしているようである。7月16日にトルコ軍の一部によるクーデター未遂事件があったが、政権側に鎮圧された。NHKの16日11時34分のニュースによると、「フランス政府は、トルコで軍の一部がクーデターを試みる2日前の今月13日、首都アンカラにある大使館と最大都市イスタンブールにある総領事館を当面休館にすると発表していました。」と報道しており、仏は何らかの形で、クーデター計画を事前に知っていた可能性が大であり、クーデター自体がエルドアン政権側の自作自演、あるいは挑発により追い込められた暴発の可能性もある。いずれにしても、死神・米国から決別する動きが加速すると思われる。
 水野和夫の言葉を借りれば、17世紀に「陸の帝国」スペインから「海の帝国」英国に覇権が移り、その後「海の帝国」を米国が引き継いだが、再び「陸の帝国」としてのロシアや中国が台頭しつつある。EUは当初理念による統合によって資本主義を乗り越えようとしたが、結局近代資本主義の範疇である「陸の帝国」として、「海の帝国」米国の覇権の下でロシア・中国の「陸の帝国」に対抗する存在になり下がってしまった。資本主義には「中心」と「周辺」があり、中心が周辺を収奪するシステムであるが、ロシア・中国の「陸の帝国」化により周辺が極端になくなってしまった。1%の支配者は戦争によって強制的に周辺を作りだすか、中心の中間層を周辺に落とし込めて収奪するしかない。今回の英国の反乱はこの収奪システムに反旗をひるがえしたことである。けっして、「右翼民族主義者」による「移民排斥運動」が英EU離脱の投票結果をもたらしたのではない。米の「海の帝国」の覇権を維持しようとする1%の野望が大量の移民を作りだしているのである。

【出典】 アサート No.464 2016年7月23日

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【投稿】参院選勝利で改憲策動加速する安倍政権

【投稿】参院選勝利で改憲策動加速する安倍政権
              
<国際情勢不安定化を利用>
 今次参院選では安倍政権は「改憲」を封印しつつ、この間惹起した国際情勢を最大限利用し危機を扇動し選挙戦を進めた。
 イギリスのEU離脱に関しては、安倍が伊勢志摩サミット時にそれを予測して、「リーマンショック前夜」~消費増税再延期という先手を打った「神対応」をしたかのような言説が流された。
 しかし本当に予測していたのなら、先に言わずに国民投票の結果判明後に「リーマンショック級の事態となったので消費増税は再延期する」と表明したほうが、よほどインパクトがあったであろう。実際は、サミットに参加した各国首脳―当事者のキャメロンも含めて、離脱など想定していなかっただろう。
 さらに、決定直後こそ欧米を中心とする市場は動揺したものの、現時点では落着きを取り戻し、日本も株価1万4千円台、1ドル90円台の常態化などと言われたが、そうした状態には至っていない。イギリスのEU離脱を利用した扇動は空振りに終わったといえよう。
 一方安倍政権が最大限活用したのが鉄板の「中国、北朝鮮の脅威」である。参議院選挙公示日の6月22日、北朝鮮は中距離弾道ミサイル「ムスダン」の試射を行い、初めて成功させた。日本政府は21日に破壊措置命令を発令し、いつものパフォーマンスである迎撃ミサイルを日本海、首都圏に展開し、北朝鮮の脅威を大々的にアピールした。
 さらに北朝鮮は7月9日には日本海で、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の試射をおこなったがこちらは空中で爆発し失敗した。今回は投票日の前日という絶好の機会にもかかわらず、破壊措置命令は発令されなかった。海中の潜水艦の行動を探知できなかったためであり、肝心な場合に日本のミサイル防衛が不完全なものであることが露呈してしまった。
 対中緊張激化も拡大している。6月28日ネット上のニュースサイトJBPressで元空将が「6月中旬東シナ海上空で空自機と中国軍機のドッグファイトが発生した」との記事を掲載した。
 記事によればスクランブルで接近した空自のF15に対し、中国軍機(スホーィ30)が戦闘機動をとったという。複数の大手マスコミの裏取りに対し、当初「政府関係者」がこれらを大筋で認めたとの報道がなされた。しかし29日に留守番の萩生田副官房長官が記者会見でドッグファイトの発生を否定、中国当局も同様の見解を発表した。
 その後5日になって中国国防省が「6月17日に自衛隊機が先にレーダー照射をした」と発表したのに対し、日本政府はこれを完全否定する見解を示し真相はうやむやにされたが、やはり中国は危険だと雰囲気が日本社会に醸成された。
 7月8日には、韓国へのTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)配備が決定した。これは北朝鮮の弾道ミサイルへの対応とされているが、そのレーダーは中国本土とロシア極東地域の一部を探知可能であることから、両国、とりわけ中国は配備決定撤回を求めるなど厳しい反発を示した。
 安倍政権はそれを承知でこの決定を全面的に支持したが、レーダーの情報は日米が共有可能なため、韓国内では「日本は漁夫の利、ただのり」との批判が起こっている。

<テロ犠牲者も利用>
 こうしたなか7月1日、ダッカで武装勢力によるレストラン襲撃事件が発生し、日本人7名を含む20名が殺害された。情報が錯綜する中、2日になって国家安全保障会議(NSC)が開かれたが、仕切り役の菅は新潟へ応援演説に出かけ欠席した。政権にとっては海外の武装勢力より森ゆう子のほうが脅威だったのだろう。
 5日には日本人犠牲者の遺体が帰国したが安倍政権はこれをも政治利用した。羽田に着いた政府専用機から降ろされた棺は、映りをよくするため吹きさらしの駐機場で台車の上に並べられたままセレモニーが行われた。本来個々の棺に手向けられるべき花束は、強風のためまとめて置かれた。空港施設内で行えば丁寧な対応ができたであろう。
 日本政府の一連の対応に関しては、野党だけでなく芸能界などからも批判の声が上がったが、安倍政権はこれを押しつぶそうとした。陸自出身の佐藤正久参議は、自らのツイッターで「ダッカ襲撃、政府批判はテロリストの期待するところ」と呟いた。佐藤は民主党政権時の中国漁船事件の際「尖閣事件、政府批判は中国政府の期待するところ」と言われたら「いいね!」と言ったのだろうか。
 1938年、佐藤賢了陸軍中佐(当時)は衆議院で国家総動員法の審議中、批判する議員に対し「黙れ」と暴言を吐いたが、今回の呟きはまさに「平成の佐藤」と称するにふさわしいものだろう。
 言論弾圧とともに情報統制も酷いものがあった。今回に限らず政府はテロの犠牲者に関し「遺族の意向」を理由に氏名の発表を拒んでいる。しかし報道機関の取材によって氏名が公表されて以降、マスコミの取材に応じる遺族も存在し、他の遺族からも氏名が明らかになったことに対する苦情も出ていない。
 このことから、政府の対応は批判を恐れての措置であると言える。逆にこの先、自衛隊は戦争法による任務の拡大が予想されるが、戦死者が出た場合は大々的に「英雄」「軍神」として利用される危険性がある。
 このように安倍政権は、この間惹起した諸問題に関し真摯に対応せず、緊張、摩擦を拡大させる形で選挙戦に利用した。改憲自体は語ることなく、これらの事案をちらつかせることにより、世論誘導を目論んだステルスマーケティングにも似た手法と言えよう。
 さらに、自民党は自らの不適切な発言は素知らぬ顔で、野党共闘批判を繰り返し、とりわけ共産党幹部議員の「人殺し予算」発言を捉えて攻撃を集中した。
 また沖縄対策として7月5日、日米地位協定で保護される軍属の範囲を限定する内容の日米合意が発表された。沖縄では野党批判一本やりは無理だと思ったのだろう。
 「選挙のためには何でもした」結果、参議院選挙は、自民、公明、お維新の改憲3党が77議席を獲得し、非改選のこころ、無所属など88議席と合わせ3分の2を超える165議席を確保することとなった。このうち自民党は56議席で、今次選挙では27年ぶりの単独過半数回復はならなかったが、選挙後の無所属議員入党により、122議席となり単独過半数となった。
 一方野党は民進32、共産6、生活3(統一候補2)、社民1となり、1人区の野党統一候補は東北地方を中心に11議席を獲得し、野党共闘は一定の成果を上げた。
 沖縄では政府、与党の小手先の対応をはねのけ前宜野湾市長の伊波洋一候補が、現職大臣を圧倒した。新潟でもNSCそっちのけで駆け付けた菅の応援虚しく与党候補が敗北した。
 しかし全国的には、改憲阻止、戦争法廃止の主張は受け入れられたとは言い難く、アベノミクス批判も国民の不安を解消するような有効な対案は、最後まで示すことができなかった。そのため都市部、とりわけ大阪、兵庫では定数増にも関わらず野党共倒れとなり、民進現職が落選し、事実上の与党であるお維新に議席を奪われる結果となった。

<強まる改憲圧力> 
 勝利を収めた安倍政権は、早速国際的緊張を利用しながら軍拡を進め、改憲の地ならしを行うという規定路線のアクセルを踏んだようだ。
 7月8日に南スーダンの首都で発生した大統領派と第1副大統領派の武力衝突は、事実上の内戦に突入した。安倍政権は11日NSCを開催し、邦人保護を理由に輸送機3機をジプチの自衛隊基地に派遣、南スーダンに駐屯する部隊には、PKO協力法に基づく邦人輸送任務を初めて下令した。
 しかし、輸送機がジプチに到着する前にJICAスタッフは、戦闘が小康状態時に自力で空港に向かい、民間のチャーター機でケニアに無事出国した。
 巨大な機体を持て余すこととなったC‐130は、日本大使館員4名に乗ってもらってジプチに輸送するというお茶を濁した形となり、安倍政権は思ったような実績を作れなかった。
 一方南シナ海を巡っては7月12日、仲裁裁判所が中国の主張を全面的に退ける裁定を下した。早速安倍政権は同日夕刻、「国連海洋法条約の規定に基づき,仲裁判断は最終的であり,紛争当事国を法的に拘束するので,当事国は今回の仲裁判断に従う必要があります・・・」とする外相談話を発表し、判決への全面的な支持を表明した。
 アメリカ政府も同様の見解を示し、安倍はこの流れを好機とし15、16日ウランバートルで開かれたアジア欧州会議(ASEM)首脳会議に乗り込んだ。安倍はこの場で判決を念頭に「法の支配」と「力による現状変更を認めない」という持論を展開、さらに同様の主張を李克強に直接伝えるなど、反中国の論調で会議をリードしようとした。
 しかし、15日にニースで大規模なテロ事件が発生、さらに16日にはトルコではクーデターが勃発し多数の犠牲者を出す事態となり、会議の関心はこれらに集中した。
 結局16日に採決されたASEM議長声明では、国際法、国連憲章等による紛争解決の重要性は確認されたが、今回の仲裁裁判所判決や南シナ海問題という具体的な文言は盛り込まれなかった。
 安倍政権はさらなる圧力として、米中緊張激化に期待しているだろうが、事は単純には進まないだろう。仲裁判決とともにTHAAD韓国配備に反発する中国は、環太平洋合同軍事演習(RIMPAC16)中に予定されていた韓国軍との交流行事を中止したが、演習自体には引き続き参加している。
 アメリカも海軍トップの作戦部長が7月17日から訪中、中国海軍司令官と会談し空母「遼寧」にも乗艦するなど危機回避と信頼醸成を進めている。
 このように国外状況はアクセルを踏んでも空まわり気味だが、国内的には反安倍勢力への圧力を強めている。安倍は民進党を改憲の土俵に引き出そうとしているが、岡田代表は「押し付け論を撤回するなら、9条以外で・・・」と腰砕けになりつつある。
 一般論として改正すべき条文があったとしても、反動的改憲派が多数を占める国会での結論は明らかである。安倍に対する最強の対抗勢力が天皇というのでは野党の存在意義はないであろう。一部には年内にも総選挙との観測もある中、野党共闘の強化が求められている。(大阪O)

【出典】 アサート No.464 2016年7月23日

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【投稿】参院選が明らかにしたもの 統一戦線論(26) 

【投稿】参院選が明らかにしたもの 統一戦線論(26) 

<<果たして自民の圧勝か>>
 7/10投開票の参院選の結果を、大手メディアはすべて自公・与党の「圧勝」と持ち上げている。果たしてそうであろうか。確かに、自民党を中心とする与党勢力が過半数を超え、さらには実質的な勝敗ラインと言われていた「改憲勢力で3分の2以上」の議席も獲得した。
 7/13に無所属の平野達男氏が自民党に入党届を提出したため、今回の参院選とは関係なく、自民党単独過半数が手に入ったが、しかし、それはあくまでも「自民・公明連立」の上での過半数である。さらに「改憲発議に必要な参院の3分の2(162)」という場合も、自民・公明・おおさか維新の3政党に加えて、非改選の無所属議員3人を含めてようやく、現時点では「3分の2を上回っている」という不安定な状態である。
 しかも改憲3政党の憲法観はまったくばらばらで、何のまとまりもない。公明党に至っては「(公明党は)改憲勢力ではない」「自民党とは違う。草案をつくっていない」、最後は「国民の望まない9条改正はやらせない」(7/9、兵庫県、山口那津男代表)とまで述べた。自民党内部でさえ異論が蓄積されており、今回の参院選で改憲を正面から訴えることを完全に放棄してしまった。安倍首相は年頭会見で憲法改正を「参院選でしっかり訴える」と述べ、「自民党総裁在任中に成し遂げたい」と意欲を示し続けていたにもかかわらずである。参院選が始まると首相を先頭に与党の全候補者が改憲についてはまったくだんまりを決め込んでしまったのである。これで「改憲勢力の圧勝」などといえるであろうか。安倍首相は選挙期間中、100回以上の街頭演説を行ったが、一度も憲法問題に言及しなかったのである。それが選挙が終わるや、「前文から全てを含めて変えたい」と改憲への意欲を明言しているが(7/11)、公然と争点外しをして、これで改憲の信任を得たなどと言えたものではない。
 さらに決定的なのは、注目の32の1人区の結果である。3年前の前回参院選では自民が29勝2敗と圧勝していたのに対し、今回は21勝11敗と11選挙区で自民党は敗北したのである。しかも、今回から改選数が2から1に削減された宮城、新潟、長野の全てで自民は敗北している。そして原発・米軍基地建設という重大な争点隠しをした、岩城光英法相の福島と、島尻安伊子沖縄北方担当相の沖縄の両選挙区で、自民の現職閣僚を落選させてしまったのである。そして東北6県の1人区では、4野党統一候補が6議席中5議席を獲得し、自民に圧勝している。青森、岩手、宮城、福島の東日本大震災被災4県で野党が接戦を制して全勝した意義は大きいし、自民・公明与党の復興政策が厳しく問い直され、拒否された結果とも言えよう。

<<統一名簿をフイにさせたもの>>
 明らかに野党共闘は、一定の意義ある成果を獲得したと言えよう。野党共闘の効果は、今回の4野党(民進、共産、社民、生活)の比例票合計より、野党統一候補の獲得した票の方が多く、相乗効果が発揮されたことでも証明されている。
 しかし、こうした1人区の「善戦」も、4野党が個別に争った比例代表と複数区には波及せず、広がりを欠いたために、互いの無益なつぶし合いを余儀なくされ、自公を大いに喜ばせ、彼らに大勝を献上したのである。
 とりわけ、野党4党が比例区で統一名簿を作れず、野党票を分散させてしまった結果、自民党の比例獲得議席は19と、圧勝した前回の18議席をも上回らせてしまったのである。野党共闘が比例区でも実現していれば、自民党から少なくとも5、6議席は確実にもぎとり、改憲勢力3分の2議席は阻止することが可能だったのである。
 憲法学者の小林節・慶大名誉教授らが、野党の大同団結を呼びかけ、社民党・生活の党も統一名簿実現に前向きだったにもかかわらず、そして連合までが統一名簿に積極的に乗り出してきたもかかわらず、民進党と共産党は結果としてまったく消極的で、冷淡な姿勢であった。それぞれのセクト主義的な政党エゴにかまけて、情勢評価と見通しがまったく甘かったのである。小林教授が警告の意味をもこめて、「国民怒りの声」を立ち上げ、「統一名簿が実現すれば、いつでも降りる」と呼びかけていた、その統一名簿をフイにしてしまったことは、野党共闘を、そして選挙戦そのものを中途半端なものにしてしまい、有権者の期待を大きく裏切るものであったといえよう。
 投票率が戦後4番目に低い54.7%にとどまったこと、そして前回と比べ投票率の上昇幅が大きかった選挙区の上位を野党共闘が注目された1人区が占めたこともその証左と言えよう。
 選挙後最初の発言が、「反転攻勢の一歩目は踏み出せた」(民進・枝野幸男幹事長)、「最初のチャレンジとしては大きな成功といっていいのではないかと考えています」(共産・志位委員長)と、いたって楽観的である。しかし、安倍政権を窮地にまで追い込めなかった、現憲法下初めての政治状況、衆院に次いで参院でも改憲勢力3分の2を許した、その責任と反省はほとんど聞かれない。これが今回の野党共闘の限界だと言えばそれまでであるが、そこにとどめてしまった責任は厳しく問われるべきであろう。

<<「野党に魅力がなかったから」71%>>
 選挙終了直後の7/11,12の朝日新聞全国世論調査によると、自民、公明の与党の議席が改選121議席の過半数を大きく上回った理由を尋ねると、「安倍首相の政策が評価されたから」は15%で、「野党に魅力がなかったから」が71%に及び、安倍政権のもとで憲法改正を実現することについては、「賛成」は35%で、「反対」43%が上回っている。安倍首相の政策がほとんど評価されていないにもかかわらず、「野党に魅力がなかったから」が71%にも及んでいることは、民進党、ならびに共産党をも含めた野党共闘の政策対決が、有権者の期待に応えていないことを如実に示していると言えよう。
 その象徴が消費税増税路線である。安倍政権が再増税回避へ動き出しはじめた段階にいたってもなお、民進党内部からは野田元首相を筆頭に、消費税再増税すべき、これを回避する安倍首相の責任を問うべきだなどという論が横行していたのである。民主党野田政権が新自由主義路線に明確に転換し、自民党とほとんど変わらなくなってしまったからこそ、有権者から見放された、その反省、それに基づいた路線転換が不明確なまま選挙に突入したのであった。そのため、岡田代表は消費税再増税に明確に反対を述べることができず、野党共闘進展の中でようやく反対の姿勢を明確化できたのであった。それまでは安保関連法廃止・立憲主義だけで、たとえその意義が大きかったとしても、安倍政権の自由競争原理主義・規制緩和・格差拡大路線、TPP、社会保障切捨て、原発再稼動問題での政策対決がなおざりにされてしまったのである。選挙直前にいたってようやくこうした政策対決が野党共闘に反映されだしたところであった。
 北海道や東北で、民進党や野党統一候補の票が大きく伸び、自民党を凌駕しえたのは、それぞれの選挙区で野党共闘として、自民党に対する政策対決姿勢を明確にしえたことの反映と言えよう。しかし全国的にはそれが拡大し、波及しなかった。
 今回、同時に行われた鹿児島県知事選で、「脱原発」を掲げた知事が誕生したことは、そうした政策対決がいかに重要であるかと言うことを明確に指し示している。安倍政権にとっては想定外の“冷や水”である。当選した三反園氏は県知事選のマニフェストで、「熊本地震の影響を考慮し、川内原発を停止して、施設の点検と避難計画の見直しを行う」と表明、「知事就任後、原発を廃炉にする方向で可能な限り早く原発に頼らない自然再生エネルギー社会の構築に取り組んでいく」、電力会社へのチェック機能として「原子力問題検討委員会を県庁内に恒久的に設置する」ことも明らかにしている。三反園氏はまた、「ドイツを参考に、鹿児島を自然エネルギー県に変身させ、雇用を生み出す」と語っている。こうした政策対決こそが、おごれる自民党長期政権に勝利しえたのだと言えよう。

<<共産党のつまづき>>
 今回の選挙で野党共闘がなければ、結果はさらに最悪であったろうことは言うまでもない。共産党の路線転換が大いに貢献したことも論を待たない。しかし先に指摘したように、その野党共闘はいまだ限定的であり、不徹底である。そして、このことは逆に言えば、これまで共産党が主張していた「自共対決」論がいかに独りよがりで、自民党圧勝に大いに貢献し、安倍政権の暴走を助長してきたかの証左でもある。1人区以外では相も変わらず、わが党優先、政党エゴのぶつかり合いで互いを食いつぶし、セクト主義がすべてに優先している。自公連合のような共闘体制がまったく組みえていないのである。
 さらにそれに加えて、選挙戦さなかに、共産党の藤野政策委員長が説明不足な発言でおわびに追い込まれ、共産党中央が政策委員長を辞任させてしまったことである。6/26のNHK「日曜討論」で防衛費について「軍事費が戦後初めて5兆円を超えましたけど、人を殺すための予算ではなくて、人を支えて、育てる予算を優先していく」と発言した、説明不足ではあるが、当然で正当な発言を、「自衛隊員の皆さまの心を傷つけた」として取り消し、謝罪させてしまったのである。そしてさらに問題なのは、7/4のNHK「参院選特集」の中で、小池書記局長は「私は、熊本地震や東日本大震災で、本当に自衛隊員のみなさんが大きな役割を果たしていると思います。・・・もし日本に対して急迫不正の侵害があれば、自衛隊のみなさんに活動していただくということは明確にしているんです。」と、自衛隊の違憲性を主張するどころか、自衛隊を持ち上げる路線に踏み出したことである。これでは、自衛隊批判が許されない風潮を蔓延させる完全な屈服路線である。安倍政権はここぞとばかりに攻勢をかけ、共産のみならず野党共闘が勢いを削がされたことは否定できない。
 その象徴が大阪選挙区であった。

当 松川るい    自民   761,424票 20.40%
当 浅田均  おおさか維新 727,495票 19.50%
当 石川博崇    公明   679,378票 18.20%
当 高木佳保里おおさか維新 669,719票 18.00%
落 渡部結     共産   454,502票 12.20%
落 尾立源幸   民進   347,753票 9.3%

 結果は、以上である。共産党は前回、辰巳幸太郎氏が当選していたのに、今回は落選である。大阪では改憲勢力が圧倒してしまったのである。
 6/26の朝日新聞・選挙特集「選差万別 安保・外交」の「ひと言公約」アンケート・「質問3.北朝鮮に対しては「対話よりも圧力を優先すべきだ。」に対して
共産 渡部 結    ○ どちらかと言えば賛成
お維 浅田 均    △ どちらとも言えない
民進 尾立 源幸   × どちらかと言えば反対
自民 松川 るい   △ どちらとも言えない
公明 石川 博崇   △ どちらとも言えない
お維 高木 佳保里  △ どちらとも言えない
 と回答している。自民や公明、維新でさえ躊躇しているのに、共産・渡部 結だけが「対話よりも圧力を優先すべきだ」と回答しているのはあきれるばかりである。自衛隊容認にいたる共産党の民族主義的路線への傾斜、おもねりがここにも反映されていると言えよう。
 共産党のつまづきが、時としてありえたとしても、それを克服する力は、民主的復元力を欠いた現在の権威主義的・階層構造的な党の組織体制では、期待するほうが無理である。
 今回、野党共闘を主導したのは、一昨年来の広範な統一戦線運動の盛り上がり、各種の自主的な市民運動、安倍首相の政権運営に危機感を抱く学生グループや学者らでつくる「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」等々であった。政策協定を主導し、共闘を結実させ、統一候補を盛り立てたのは、いわば、政党エゴとは無縁な市民の声と行動であった。共産党を含め、野党はその後追いであった。
 今回の参院選の結果は、多くの貴重な教訓と反省材料を提起しており、それらをいかに生かしていくか、克服していくかが喫緊の課題と言えよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.464 2016年7月23日

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【コラム】ひとりごと—参議院選挙結果に思うこと—

【コラム】ひとりごと—参議院選挙結果に思うこと—

○本号では、先の参議院選挙結果について一定の分析が行われている。そこで以下に私の個人的感想を中心に思うことを書いてみたい。○選挙が公示され1週間が過ぎた頃、最初の世論調査が出てきた。「改憲勢力3分の2をうかがう」との表現の下、1人区では13選挙区で接戦であるとの分析も出ていた。結果は、ほぼその通りになったわけだが、この13区では、野党統一候補が接戦を制したことになる。○開票速報を見ながら、野党共闘=1人区での候補一本化は成功したと思った。特に北海道、東北地方での善戦は、野党統一候補がTPP反対を明確にし、与党候補と対峙した事。農協組織が野党統一候補を推薦し、与党を追い詰めた。沖縄では、普天間基地の辺野古移転反対を明確に掲げた野党候補が勝利した。明確な対決点の明示が必要なのであり、まさに有権者に選択を迫った結果である。○また、都市部において関東圏・愛知の複数区では、与党と互角に野党議席を確保し健闘している。アベノミクスが生み出す格差の広がりへの危機感を確認することができるのではないだろうか。そして議論はあるにしろ、共産党の「野党共闘」路線が今回の健闘に大きく寄与していることは評価すべきであろう。○議席数では確かに「改憲勢力が3分の2を確保」となったが、これは今後3年間の間である。前回3年前の参議院選挙では、今回よりもはるかに自公与党が議席を占めた。仮に3年後の参議院選挙決算結果が、今回と同様であれば、自公与党は70議席の倍の140議席であり、維新を加えても154議席で3分の2に届かないのである。民進党の再生・再建の課題は別の議論としても、野党統一で「改憲勢力」に対峙する構図は、今後も維持されるべきであろう。○野党各党では総括に少々の違いがあるであろうが、「次に繋がる敗北」であり、与党側の分断戦略も今後打ち出されるであろうから、次の戦略について議論が必要である。○さて、改憲議論を封印した自公与党だが、世論調査、選挙報道を通じて、「改憲勢力」として「表記」された。公明党はこれに抗議もせず、甘んじて受け入れている。3万円の低所得高齢者向け「福祉給付金」を始め、公明党が与党に入っているから実現できたと、選挙違反すれすれの「買収行為」で満足なのか。安保法制議論でも然りだが、この政党に甘い評価は禁物であろう。○そこで民進党である。比例当選者をご覧になればすぐにわかることだが、労組候補者のオンパレードである。自分も過去に労組の比例票対策や、個人名記載の取組に関わっては来た。しかし、もっと各界各層の著名人を候補にできないのであろうか。○そして個人票第1位が電力総連東京電力の候補者であった。労組・企業挙げての選挙結果である。こうした勢力を頼るようでは「脱原発」など「夢のまた夢」ではないのかと思う。○最後に大阪・関西についてである。大阪・兵庫・奈良・和歌山・京都では、民進当選者は、京都の福山ただ一人であり、その他はすべて「改憲勢力」となった。特に大阪では4人区のすべてが「改憲勢力」となり、維新は2議席を確保した。「おおさか維新」は民主党政権時代に自民党脱党者を核にし、民主・自民を批判して「徹底した改革」を行うと訴え、橋下代表(当時)の人気を助けに圧倒的な支持を確保してきた。今回の選挙でもその「健在」ぶりを示したのである。○彼ら維新は果たして本当に「改革」してきたのか。何を改革してきたというのか。自民・民主(民進)不信が前提にあると思われるが、この「幻想」をどこかで断ち切ることが必要だと思う。○自分自身には、今回の選挙に敗北感や焦燥感はない。むしろ野党の側の課題が明確になったことは、次に繋がる結果だったと感じている。(2016-07-19佐野)

【出典】 アサート No.464 2016年7月23日

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【投稿】危機扇動で参院選運ぶ安倍政権

【投稿】危機扇動で参院選運ぶ安倍政権
             ~欺瞞追及し野党共闘の勝利を~

<サミット利用し危機扇動>
 5月26,27日に開かれたG7「伊勢・志摩サミット」では世界経済の現状と政策課題に関する参加各国の認識の違いが浮き彫りとなった。新興国経済の低迷、中国景気減速などの問題では考えが一致したものの、焦点となった財政出動に関して溝は埋まらなかった。
 財政出動に賛意を示したのは日本、アメリカ、イタリア、カナダであり、ドイツ、イギリスは消極的、フランスは各国の事情に応じてというスタンスが明らかとなった。
 これにより当初安倍が目論んだ、G7総体での財政出動を進めるという意思一致は得られなかった。しかし、安倍は会議で商品価格や新興国経済に関して、都合の良い数字だけを持ちだし、世界経済はリーマン・ショック前夜と強弁、危機扇動に躍起になった。
 各参加国の2015年の経済成長率は、日本0,5%、米2,5%、独1,5%、英2,2%、仏1,1%、伊0,8%、加1,2%であり、各国から見ればアベノミクスの失敗は一目瞭然の状況であった。
 問題は日本経済であるのに、「世界経済は危機的状況」という認識や、これを克服するための野放図な財政運営の提言に、堅実な経済状況の各国首脳は内心呆れたことだろう。
 実際今回のG7首脳宣言では、世界経済の基調について「回復は継続しているが、下方リスクが高まっている」とされており、危機的状況との認識は示されていない。
 しかし消費増税再延期を目論む安倍は露骨にG7の場を利用した。増税を延期せざるを得なくなったのは世界経済の所為であるとし、自らの経済失政の責任を国際社会に転嫁したのである。
 リーマン前との発言に対しては国内外からの批判が高まり、慌てた官邸は世耕官房副長官が5月31日の記者会見で発言を打消し、安倍本人も前日の自民党役員会で「リーマン以来の落ち込みがある」と言っただけだと釈明するなど大わらわとなった。
 こうしたなか行われた増税再延期の方針伝達に、麻生財務相、谷垣幹事長は当初「再延期するなら解散して信を問うべき」と異を唱えたが腰砕けとなり、6月1日消費増税の2年半再延期が正式に発表され、同時に解散総選挙も見送られることとなった。
 また今回のG7では世界の軍事的リスクとして、北朝鮮の核開発、ウクライナ情勢とともに、東シナ海、南シナ海の状況が議題となった。
 宣言では南シナ海に関して、フィリピンによる国際仲裁裁判所への提訴を踏まえ「仲裁を含む法的手続き」に言及、名指しはしていないものの中国を強くけん制する内容となっている。
 中国政府はかねてより、G7において南シナ海問題を議題とすることに異を唱えてきたが、安倍政権はこれを無視し首脳宣言に押し込んだ。安倍は様々な国際会議で中国を、国際社会の不安定要因のごとく批判しているが、他のG7参加米、英は緊張激化の主役はロシアとの認識であり、対露融和的な独、仏も主要な関心はウクライナ問題である。
 このように今回宣言に対中強硬姿勢が盛り込まれたが、議長国への配慮の域を超えるものではないだろう。
 
<継続される米中対話>
 セレモニーであるG7終了後には対中関係に関する、実質的な国際会議が相次いで開催された。6月上旬にはシンガポールでアジア安全保障会議(シャングリラ対話)が開かれ、南シナ海問題が主要な議題となった。
 4日のスピーチでアメリカのカーター国防長官は「中国は南シナ海に万里の長城を築き孤立しかねない」と牽制、これに対して中国代表団はアジアを中心とする参加国代表との会談を重ねるなど鍔ぜり合いが演じられた。
 各国が明確な意思表示を躊躇する中、日本は中谷防衛相が同日の講演で南シナ海の人工島建設について、国際法に基づく秩序を著しく破壊するものだと表明するなど、前のめりの姿勢を露わにしている。
 この後、米中の論議は舞台を北京に移し続けられた。6,7日に開かれた第8回の米中戦略・経済対話でも南シナ海問題が議題となった。ケリー国務長官が仲裁裁判所の裁定を支持し、人工島での軍事施設拡大に懸念を示したのに対し、楊国務委員は裁判所の決定を受け入れる考えはないこと、南シナ海の島嶼は中国の領土であるとの従来の主張を繰り返し、議論は平行線に終わった。
 一方で北朝鮮に対する制裁措置の実行などでは両国は協力し、様々な問題で引き続き協議していくことが確認された。
 このように米中は厳しく対立しながらも、協議の枠組みは維持されそのなかで一致点を見出す努力は続けられている。この点は永らく首脳会談が実施されず、再開されても形式的な対話だけで、双方が言いっぱなしで終わる日中関係との差異である。
 安倍政権が中国に対する批判を繰り返す中、中国海軍のフリゲート艦が6月9日未明に尖閣諸島の接続水域を航行した。この数時間前には3隻のロシア艦隊が同海域を北上しており、中国艦はこれに絡む形で接続水域に入ったとみられる。
 この中国艦の動きはロシア艦隊の動きを把握したうえで、追尾する形をとったと考えられる。これに対して日本政府は深夜にも関わらず、駐日中国大使を呼び出し抗議を行った。
 さらに15日には中国の情報収集艦が口之永良部島近海の日本領海に進入、同艦は16日にはさらに南下し、北大東島付近の接続水域を航行した。これは周辺海域で行われていた日米印合同演習「マラバール」への偵察行動だったと考えられる。
 一連の行動はフィリピン、ベトナムに自衛隊を反復的に派遣し、南シナ海問題への介入を進める安倍政権に対する対抗措置であることは明らかである。今後も日本政府が介入を続けるならば、中国側も同様の行動を継続するだろう。
 今回の尖閣諸島での事案では、中国艦と海自艦の距離は数キロを保っていたと明らかにされているが、こうした事態が続けばその距離は徐々に縮まっていくと考えられる。
 アメリカは南シナ海の海空域での中国との偶発的衝突を回避するため、様々なレベルでのチャンネルを開いているが、日中間のそうした回路は未構築のままである。

<日米同盟の幻想と参議院選挙>
 安倍政権は今回の事案を参議院選挙のため最大限利用し、中国の脅威と日米同盟の重要性を喧伝している。しかしアメリカは「尖閣諸島の領有権問題で特定の立場はとらない。しかし施政権は日本にあり日米安保の対象である」との従来の見解を変更していない。
 アメリカは南シナ海では、中国とフィリピンの間に割って入る形の「航行の自由」作戦を展開しているが東シナ海における日中間の係争には、近海での日米合同演習を進める以上の介入は行わないだろう。
 アメリカ海軍がアジア地域でプレゼンスを発揮しているのは、大西洋、欧州地域での地位が低下しているからである。この方面でのロシアの脅威に対しては新型のアメリカのミサイル防衛システム、NATOの地上軍、航空戦力が最前線であり、海洋戦力もアメリカ抜きでもロシアを圧倒している。
 例えば現在ロシアの正規空母1に対し、NATOは正規空母1(仏)軽空母2(伊、西)であるが、これが17~20年頃には露0(長期改修)に対しNATOには正規空母1(英)が加わるため戦力差は拡大し、アメリカ艦隊の出番は当分ない。
 一方アジア地域では、東シナ海、南シナ海の紛争当事国には戦力化された空母は無く、アメリカ艦隊の存在感は大きい。6月中旬まで、沖縄近海には原子力空母2隻が展開していたが、これは予算確保に向けたアメリカ政府に対するパフォーマンスでもある。
 アメリカ海軍最大のイベントとして6月30日からは、27か国の艦艇50隻、航空機200機、約2万5千人が参加する環太平洋合同演習(RIMPAC2016)がハワイ近海などで開始される。
 2年おきに行われる同演習には2014年から中国海軍も招待されており、今回も駆逐艦など5隻が参加するが、この中国艦隊は6月18日に北大東島近海で、「マラバール演習」に参加した米駆逐艦2隻と合流し、共にハワイに向かっている。
 日頃「軍事・外交問題は国の専権事項であり沖縄県は口を出すな」と主張している日本の右派セクターは、翁長知事に対し「なぜ中国軍の接続水域侵入に抗議しないのだ」と矛盾する難癖をつけているが、アメリカに対して「なぜ中国軍を演習に招待するのだ」とは言わず、支離滅裂となっている。
 安倍政権もこうしたアメリカの現実的な動きを見て見ぬふりをして、日米同盟の幻想をふりまいているが、沖縄県民はこれを見抜いている。「尖閣危機」が煽られる中、米軍属による女性殺害に抗議する6月19日の県民集会には6万5千人が結集し、怒りの声を上げた。 
 今次参議院選挙で安倍は自らの失政を糊塗するために「世界経済の危機」と「中国の脅威」を捏造し乗り切ろうとしている。民進党、共産党を軸とする野党はこうした欺瞞を徹底して暴くとともに、まっとうな経済政策、対話による緊張緩和を対置し、安倍政権を追い詰めていかねばならない。(大阪O)

【出典】 アサート No.463 2016年6月25日

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【投稿】暴力を全て沖縄に押し付けて恥じない日本人と「琉球独立論」台頭の意味

【投稿】暴力を全て沖縄に押し付けて恥じない日本人と「琉球独立論」台頭の意味
                          福井 杉本達也 

1 日米地位協定の現状
 5月19日、沖縄県うるま市の女性殺害容疑で米「軍属」の男が逮捕された。今回、男は「公務外」であり、米軍基地に逃げ込む前に沖縄県警が身柄を確保したこともあり逮捕できたが、「日米地位協定」では、公務であれば裁判権は米国にあり、「米兵」については公務外でも起訴前に身柄を拘束することができない。「地位協定」では日本への出入国には特権があってフリーであり、どのような犯罪をしようとも国外逃亡は可能である。米軍基地内のみならず、米兵・軍属・その家族の法的取り扱いは全くの不平等状態にある。2004年には沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落したが、現場では米軍が規制線を張り、日本の警察は規制線から一歩も中に入ることはできず、現場検証をするなどはできなかった。米軍の手で現場検証をし、証拠物件は全て米軍基地内に持ちさられ証拠隠滅が図られた。米軍基地内は日本の法律が適用されない治外法権の場所だが、事故が発生すると発生場所も治外法権の場所となる。返還されても沖縄はアメリカの「植民地」であることが明らかである。

2 他国の米軍駐留協定との比較
 ドイツでは、地位協定で、たとえ米軍基地周辺といえども国内では、米軍機が飛行禁止区域や低空飛行禁止を定めるドイツ国内法(航空法)が適用される。韓国では米兵に韓国の裁判権が及ばないことは日本と同様であるが、「環境条項」が韓米地位協定で創設されていて、基地内での汚染について各自治体が基地内に立ち入って調査できる「共同調査権」が確立されている。また、返還された米軍基地内で汚染が見つかれば、米軍が浄化義務を負いる。
 フセイン政権が打倒され米軍に占領されたイラクでは、米兵・軍属に関するイラクの裁判権は「公務外」に限るとされ「公務中」か「公務外」であるか決めるのは米軍当局が行う。これは日本の地位協定と同じだが、民間の契約会社に対する裁判権はイラクにあると協定で明記されている。これは、2007年バグダッド市内で米民間軍事会社のブラックウォーター社員が銃を乱射し多数の市民を殺傷する事件があったからであり、イラク政府の強い要請による。また、「イラク周辺への米軍の越境攻撃禁止条項」やイラク当局は、「イラクに入国し、またはイラクから出国する米軍人と軍属の名簿を点検し、確認する権限」を持つと定めている(前泊博盛『日米地位協定入門』)。
 アフガンでも米軍・NATOの一時裁判権は米軍・NATOにあるが、民間軍事会社についてはアフガン側にある。ところが、「 イラクで入権侵害の国際問題を起こした 民間軍事会社の一つが日本で軍属として地位協定の特権をえていた。米軍との契約関係にあるのはあくまでもその会社であり、そこで働く個人は米軍の直接的な管理下にはないにもかかわらずだ。この点で、裁判権を巡る日本の地位はアフガンのそれよりも低いと言える。」(伊勢崎賢治「発効から不変の地位協定」福井:2016.6.12)。民間軍事会社とは米国の「戦争の民営化」を象徴する会社であり、その社員は事実上の米兵以外のなにものでもなく、米国の侵略戦争の相当分を担っている。
 問題は、日本はアフガン以下の外国軍隊による「占領下」・「植民地」の地位にありながら、日本人はそれを全く理解していないということにある。しかも、その暴力の負担のほとんど全てを本土の1億人が100万人の「琉球」に押し付け、本土は米国の「植民地」でありながら「植民地」を意識せず、「琉球」を米国と日本自らによる二重の「植民地」とし、その自覚もないことにある。この仕掛けは巧妙ではあるが、巧妙さの上に安住してきたのである。

3 「沖縄差別」の現状と「琉球独立論」
 国土面積の0.6パーセントに過ぎない沖縄に全国の約74パーセントの在日米軍専用施設を押しつけて恥じない日本政府とそれを支持する多数の日本国民という不条理な構図で、多くの沖縄県民の反対にもかかわらず辺野古新基地建設が強行されている。米軍によって日本は守ってほしいが、基地は沖縄においても構わないと大部分の日本人が考えていることが白日の下に晒され、「沖縄差別」という批判の声が沖縄県民からあがり、自分たちは差別された存在だという意識が表面化した。それが翁長知事の誕生につながった。この間、翁長知事は時間をかけて、丁寧に建設許可取り消しをしたが、日本政府は聞く耳を持たず、「粛々とすすめる」というばかりである。
 女性殺害事件後、米国防省報道部長は早々と「われわれは長年にわたって地位協定の改善で対応してきた」とし、地位協定の改正に否定的見解を示し、安倍首相も5月23日の参院で「相手があることだ」と翁長知事の要望を突っぱねた。日本政府は自国民である沖縄県民の生命を守らず、地位協定を改正しようとしない。このような日本に対して沖縄県民は「琉球人」として「沖縄差別」と批判するようになった。それは「琉球人」が自らを被差別者、抵抗の主体として自覚したことを意味する。「琉球人」が従属的な地位を逆転させ、日本人と平等な関係性を形成しようとするナショナリズムが台頭してきている。

4 「琉球国」の歴史
 琉球国は14世紀頃は北山、中山、南山という3つの国が沖縄島にあった。1429年に現在の首里城に統一され、その後、東アジア・東南アジアと交易をして小さいながら貿易国家として存在していた。15世紀初頭、尚巴志によって統一された琉球国は天皇の秩序体系とは無縁の独立した国家であった。その支配の正当性は、中国皇帝からの冊封と女性が執りおこなう国家祭祀に基づいていたとされている。
 1609年の島津藩の侵攻によってあえなく首里城を明け渡し、年貢として米・黒糖・布などを収奪され、島津の属国のような地位にありながらも、独立国として存立し続けていた。1854年のペリーとの琉米条約、1855年のフランスとの琉仏条約、1859年オランダとの琉蘭条約は琉球国が国家主体として締結した。
 1871年(明治4年)明治維新政府によって、本土で廃藩置県が実行された際には、琉球国は鹿児島県の管轄下に置かれ、翌年に琉球藩とされた。そして、明治維新政府は琉球藩処分法を制定し、処分官に任命された松田道之が、1879年陸軍歩兵を引き連れて首里城に乗り込み、「首里城明け渡し」を命じたいわゆる「琉球併合(国家官僚は琉球を独立国家として認めない立場から「処分」と呼ぶ)」によって、琉球藩は廃止され沖縄県として廃藩置県がなされた。その後、「琉球人」は、明治憲法下の天皇制国家の下に組み込まれ1945年には本土防衛のための「捨石」作戦により、「鉄の暴風」が吹きすさぶなか、4人に1人:十数万人の命が奪われた。
 1952年4月28日に、サンフランシスコ講和条約により正式に日本から「琉球」が切り離された。「琉球人」にとって4月28日は安倍晋三のいうような「主権回復の日」ではなく「屈辱の日」である。1879年の琉球併合・1972年の「復帰」も「琉球人」が住民投票(合意)によって国際法上の正式な手続きに基づいて自らの政治的地位を決定したのではない。名のみの「復帰」から現在に至るまで過剰負担の米軍軍事基地の重圧にあえいでいる。現在、内政外交面では日本国、軍事面ではアメリカ主導で支配されている。

5 「琉球独立」の場合の根拠法
 内閣法制局の見解では、憲法には「琉球」の独立を認める規定はない、憲法など国内法に基づいた独立は不可能であるという。しかし国連、国際法の枠組みで、例えば、東チモールのように国連の非地域自治リストに載り、国連の選挙監視団がやってきて平和的に独立の住民投票をして、世界の国々が国家承認をすれば、独立することができる。スコットランドの住民投票の場合は、イギリス政府は投票の結果を認めると合意したのである。「琉球」に基地を押し続ける日本政府は、そのような合意をしないと思われる。国際法に基づく住民投票の方が「琉球」にとって実現可能性が高いと龍谷大学の松島泰勝教授はいう。

6 日本人は「琉球独立」にどう対応していくのか
 今日の強権的な安倍政権を生みだしたのは「できれば国外移転、最低でも県外に」という普天間移設の公約を突然翻した稚拙な鳩山由紀夫の政権運営にあったとの意見が多い。鳩山は官僚機構をうまく使いきれず、官僚の反感を買って米国の意向を汲んだ情報がうまく上がってこなかったというのである。
 これは米国に従属することこそが自らの存立基盤であるとする日本の官僚とマスコミが作り上げたフィクションであり、鳩山は実際に沖縄の民意を最も深く理解した数少ない政治家の一人であり、その鳩山を孤立させてしまった。鳩山の考えに賛同せず、孤立させたことさえ理解しないで、鳩山一人に責任があるとするのは、自らも「植民地」の立場あることを見ない無残な日本人の姿である。
 「琉球独立論」は、こうした巧妙に絡み取られている本土の日本人に対する強い意思表示である。これに、イギリスのスコットランド独立の住民投票のように、少なくとも形式上の民主主義的対応を示すのか、フランスのアルジェリア独立やインドシナのディエンビエンフーのように徹底的な弾圧で臨むのか日本人自身に問いが突き付けられているといえる。 

【出典】 アサート No.463 2016年6月25日

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【書評】『ナパーム空爆史――日本人をもっとも多く殺した兵器』

【書評】『ナパーム空爆史――日本人をもっとも多く殺した兵器』
   (ロバート・M・ニーア、田口俊樹訳、2016年、太田出版、2,700円+税) 

 1972年6月8日、南ヴェトナム、チャンパン村。
 「南ヴェトナム空軍のアメリカ製レシプロ攻撃機スカイレーダーが低速飛行で姿を見せた。(略)ゲル状の焼夷剤であるナパームが充填された四本の銀色の弾筒が地上に向かって、音もなく落下してきた。地面を直撃したとたん、それらは突如として猛烈な勢いで“弾けた”。炎が何本もの巨大な鞭となって暴れまくり、燃える白リンが無数の閃光を放った。(略)巨人が溶鉱炉の扉を開けてしまったかのように、容赦のない熱波がジャーナリストたちをくまなく舐めた。数秒後、小さな人影が煙の中から姿を見せた。
 炎がキム・フックの姿を隠した。それから起こった出来事を作家のデニス・チョンは次のように語っている。『炎に呑み込まれるなり、彼女は火が自分の左腕を舐めている光景を眼にした。火にやられた部分は見るも無残な暗褐色の塊と化した。彼女は火を払い落とそうとしたが、火は右腕の内側にも広がっており、やけどの痛みに叫び声をあげることしかできなかった・・・彼女の左上半身を直撃したナパームは、ポニーテールに結った髪を灰にし、首と背中の大部分と左腕を焼いた・・・(略)』」。
 バリケードに向かって走ってくる子供たちを助けたAP通信のカメラマン、フィン・コン・ウトは、そのときの様子をこう記している。「彼女の体は熱を放ち、ピンク色と黒の肌がずるりと剥けていた」。(この時のキムを撮った写真は後にピュリッツァー賞を受賞し、20世紀を象徴する写真の一枚となった。)
 本書は、「英雄としてこの世に誕生したが、今では社会から蔑まれる存在に堕している」ナパームの歴史を、「第二次世界大戦の勝利からヴェトナムでの敗北を通じ、グローバル化した世界における現在のその立ち位置にいたるまで、アメリカという国の物語」を照らし出す灯りとして描く。
 ナパームが、第二次世界大戦のドイツやとりわけ日本への空襲において絶大な効果を発揮し、大量の犠牲者を出したことについては、その後の朝鮮戦争やヴェトナム戦争での悲惨な状況とともに本書に詳述されている。
 しかしその誕生が、アメリカが第二次世界大戦に参戦しての最初の独立記念日、ハーバード大学においてであったことはあまり知られていない。当時大学と政府共同の極秘の軍事研究「匿名プロジェク№4」の責任者、有機化学教授ルイス・フィーザーによる最初の実験は、学生たちがプレーに興じていたテニスコートの隣のサッカー場で行われた。
 「フィーザー教授が制御ボックスのスイッチを入れた。瞬時に爆薬が炸裂し、着火剤の白リンを二〇キロのゲル状のガソリンであるナパームの中に吹き飛ばした。摂氏約一一〇〇度というすさまじい炎が雲のように沸き起こった。ナパームは猛烈な勢いで燃えさかり、いくつもの塊となって水たまりに落ちた。油くさい煙があたり一面に立ち込めた。(略)テニスをしていた学生たちは、爆発と同時に蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。/(略)ニンニクのにおい、もしくはマッチの燃えるにおいのような白リンの刺激臭とガソリン臭が、水浸しのサッカー場と無人となったテニスコートに漂っていた。かくしてナパームは誕生したのである」。
 ここにいたるまでの政府と大学と研究者たちの密接な関係についても、本書はその経緯を解明している。大統領行政府直轄の国防研究委員会と契約・提携したアメリカ随一の有機化学者でハーバード大学学長のコナントの下で、フィーザーは新たな化合物を合成し、それが実用可能な爆薬となるかを評価する研究チームを任されたのである。この結果がナパームということになる。後にフィーザーは回想録でその後のナパームのたどった経緯について「われわれがおこなっていた試験は建造物を対象にしたものであり、人間を対象にした試験は考えていなかった」と述べ、想定していたのはあくまで物体であって、「赤ん坊や仏教徒」に対して使われるとは思ってもいなかったとの主張を最後まで変えなかった。
 これについて本書は、「ハーバードの研究チームは、焼夷弾による攻撃の倫理性については検討していなかったとしか思えない」、「確かにつくりだしたものが想定外の使われ方をされても発明者には責任はないという主張は、理論的には正しいかもしれない。しかし、実際には(ドイツおよび日本の家屋のレプリカを使った試験に参加していたのだから・・・筆者註)フィーザー教授はナパームの能力がいかなるものか、どういう使い方がなされうるか、正確に知っていたのである」と批判する。戦争中という状況において優秀な科学者の貢献が不可欠であったことと、それがもたらした結果への責任をどう見るか。ナパームに限らず、核兵器、毒ガス、生物兵器等、問題は現在も問われている。
 1980年、国連の代表団は「特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)」の議定書Ⅲを承認して、「人口密集地域」に対する焼夷弾攻撃は戦争犯罪となった。「今日、ナパームは戦犯として保護観察中の身である」。(R) 

【出典】 アサート No.463 2016年6月25日

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【投稿】参院選・争点隠しをめぐって 統一戦線論(25) 

【投稿】参院選・争点隠しをめぐって 統一戦線論(25) 

<<安倍ペーパーに失笑>>
 中身もなければ、成果もまったくなかった、ただただ“神国日本”へのお義理立てに終始したG7伊勢志摩サミット。安倍首相が「日本の精神性に触れていただくには良い場所」として、国家神道の総本山・伊勢神宮での開催にこだわったのであるが、そのこと自体に、初めから政教分離原則上からも問題ありであった。さらにその実態は、5月26日のサミット初日に安倍首相が各国首脳に示した“リーマン・ショック前夜”という数枚のペーパーに象徴されている「安倍の精神性」である。「世界経済がリーマン・ショック目前の危機に瀕している」とするこのペーパー、これには異論が噴出、失笑が出るほどの、おそまつさであった。
 安倍政権の前回の消費税増税と新自由主義・市場原理主義政策で、弱肉強食の規制緩和を横行させ、非正規雇用と格差を拡大させ、実質賃金をさらに低下させてきた、こうしたアベノミクスの失敗こそが、日本経済の低迷と消費税増税再延期に追い込んだのであった。それを安倍首相は、自らの失政を何とかごまかし、カッコ付けるために、サミットを私的に内政に利用しようとしたわけである。
 そもそもサミット三日前の5月23日、内閣府が発表した「月例経済報告」では「(世界経済は)全体として緩やかに回復している。先行きについては、緩やかな回復が続くことが期待される」と楽観的な報告をしたばかりである。各国首脳は、議長国日本のそのあまりのご都合主義にあきれかえり、そんなことに付き合わされてがっかりして、そそくさと日本を後にしたのは間違いないといえよう。
 参院選を目前にして、サミットの成果を大々的に打ち上げ、衆参同日選をも強行せんとしていた安倍首相の伊勢志摩サミット利用戦略は完全に失敗してしまったのである。内閣支持率の高さにあぐらをかいていた安倍首相の高慢・軽率な目論見は、そうそううまくいかないものである。
 サミット後、安倍首相は、消費税再増税の延期を表明した6/1の会見で、アベノミクスは順調だ、しかし新興国の経済が陰っている、だから来年春の10%への消費増税は延期する、と苦しい言い訳に終始した。これまで「リーマン・ショック級、大震災級の事態が起こらない限り」再延期はしない、としていたことについて、「確かにリーマンショック級の出来事は起こっていませんし、大震災も起こっていないのは事実であります。ですから、新しい判断をした以上、国民の声を聞かなければならないわけであります」と釈明せざるを得なかったのである。サミットでの首相のペーパーはいったい何だったのか。たった一週間もしないうちの右往左往、もはや支離滅裂である。
 安倍首相は、消費税や戦争法、憲法改正、地震の頻発と原発再稼働、沖縄新基地建設といった真の対決点を徹底的に回避し、安倍首相の私的な「新しい判断」による、「アベノミクスの全開」と「一億総活躍社会」といった争点隠しに、またもや切り替え、逃げ込んだのである。

<<白々しきオバマ広島初訪問>>
 サミットと関連して安倍首相が、唯一胸を張れたのは、オバマ米大統領の広島初訪問であった。これによって安倍内閣の支持率は多少とも上昇したのである。
 しかし、オバマ大統領は、せっかく初めて広島を訪れたというのに、原爆資料館の見学はたったの10分足らずですまし、それに反して平和公園・原爆碑での美辞麗句を並べ立てた演説は17分間も行い、「核兵器なき世界」を唱えたが、原爆投下に対する謝罪はせず、核兵器の非人道性や大量無差別殺戮の犯罪性については一切触れなかったのである。もちろん、核兵器廃絶への道筋については何も言及しなかった。
 核武装も憲法上可能と広言させ、戦争法で暴走している安倍首相が、このオバマ演説に便乗して「核兵器のない世界を必ず実現する」「日本と米国が世界の人々に希望を生み出す灯火となる」などとよくもいえたものである。オバマ氏の広島訪問は、抽象的空文句で核兵器廃絶の希望を打ち砕き、日米同盟強化を誇示するパフォーマンスの場に利用されたのである。これが、オバマ広島訪問の本質と言えよう。
 オバマ大統領の就任は2009/4/9、同じ年の4/5、プラハで「核兵器のない世界」を演説し、12月にはノーベル平和賞を受賞している。この時点では世界は希望を抱いたし、抱かせたのである。しかし少なくとも2年間は「核兵器のない世界」に向けて具体的に踏み出せる有利な議会の力関係があったにもかかわらず、核関連予算を増額し、CTBT(核実験全面禁止条約)の批准もせず、逆に、オバマ政権はこっそりと核兵器の更新を開始していたのである。この時点ですでにノーベル平和賞を詐取していたのだともいえよう。しかもなお現在、オバマ氏の広島訪問と期を一にして発表されたアメリカの「核への責任を求める同盟」(Alliance for Nuclear Accountability)の報告書によると、 米国がひそかに核兵器を新型に更新中で、小型でより精度の高い核爆弾の開発のため、今後 30 年間と総額1 兆ドルをかけた大規模な取り組みを行っている」ことが明らかにされている。「核兵器なき世界」を言うならば、先ず自らの襟を正し、こうした計画を中止すべきであろう。

<<共産党まで翼賛報道>>
 しかし、日本のマスメディアの現状は、オバマ訪問を礼賛する翼賛報道が圧倒的である。さらに嘆かわしいのは、共産党までがこの翼賛報道に右へならえの現状である。
 5/28付け「しんぶん赤旗」1面トップ大見出しは「米大統領が広島初訪問」、副題「『核兵器なき世界』を追求 オバマ氏、原爆碑に献花」と続き、「オバマ氏は原爆資料館や原爆ドームを見学。オバマ氏は原爆資料館で、『われわれは戦争の苦しみを知っている。平和を広めて『核兵器なき世界』を追求する勇気を共に見つけよう』と記帳しました」と持ち上げる礼賛記事である。さらに問題なのは、この記事は、「安倍氏は、オバマ氏が述べた後に演壇に立ち、昨年の訪米の際に行った米議会での演説で「日米同盟は世界に希望を生み出す同盟でなければならない」と述べたことを強調。その上で、米国の大統領が被爆の実相に触れた「歴史的な訪問を、心から歓迎したい」と述べました。 」と続けていることである。批判も何もない完全な安倍首相持ち上げ記事でもある。
 さらに同紙の志位委員長の記者会見記事は「前向きの歴史的一歩」として「現職のアメリカ大統領が広島を初めて訪問し、平和資料館を訪れ、追悼の献花を行い、追悼のスピーチを行って、被爆者の方々と言葉を交わしたことは、前向きの歴史的な一歩となる行動だったと思っています」と述べ、その後で「核兵器禁止条約へ具体的行動を」と釘は刺しているが、オバマ政権の実態の指摘はなきに等しい。空文句ではなく、具体的前進を求めた人々の希望が一切省みられなかったにもかかわらず、しかも日米軍事同盟の強化を声高にオバマ・安倍両首脳が広島の現地で誇示しているにもかかわらず、それを指摘せずしてどこが「前向きの歴史的一歩」だったのであろうか。これでは安倍内閣支持率上昇に加担しているようなものである。昨年末の日韓「慰安婦問題」合意を早々に「前進と評価」して以来の失態である。
 本質的批判は行わない、日米軍事同盟についても遠慮がちにしか言わない、「憲法9条のもとでも、急迫不正の侵害から国を守る権利」を認め、自衛隊の存在のみならず、その大いなる軍事的活用も認める、露骨に政権にすりより始めたこうした共産党の政治姿勢は、日本の主流メディアの翼賛報道におもねっているともいえよう。

<<希望の要>>
 こうした共産党の政治姿勢の変化は、明らかに安倍政権の参院選を前にした争点隠しに加担するものでもある。とんでもない、安倍政権に正面から対決しているのは共産党だけです、あれも言っています、これも言っています、ではダメなのである。
 希望は、6/7、民進、共産、社民、生活の野党4党と「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」が政策協定を結んだ、統一戦線の前進にある。もちろん、それを歓迎し、下支えした共産党の路線転換が貢献していることは言を待たない。これは大いに評価されるべきであろう。しかしその路線転換が、先に述べたような政権すりより政策と一体となってはならない。
 市民連合と野党4党が調印した、市民連合の政策要望書の内容は、
 I 安全保障関連法の廃止と立憲主義の回復(集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を含む)を実現すること、そのための最低限の前提として、参議院において与党および改憲勢力が3分の2の議席を獲得し、憲法改正へと動くことを何としても阻止することを望みます。
 II すべての国民の個人の尊厳を無条件で尊重し、これまでの政策的支援からこぼれおちていた若者と女性も含めて、公正で持続可能な社会と経済をつくるための機会を保障することを望みます。
 1.子どもや若者が、人生のスタートで「格差の壁」に直面するようでは、日本の未来は描けません。格差を解消するために、以下の政策を実現することを望みます。
 保育の質の向上と拡充、保育士の待遇の大幅改善、高校完全無償化、給付制奨学金・奨学金債務の減免、正規・非正規の均等待遇、同一価値労働同一賃金、最低賃金を1000円以上に引き上げ、若いカップル・家族のためのセーフティネットとしての公共住宅の拡大、公職選挙法の改正(被選挙権年齢の引き下げ、市民に開かれた選挙のための抜本的見直し)
 2.女性が、個人としてリスペクト(尊重)される。いまどき当たり前だと思います。女性の尊厳と機会を保障するために、以下の政策を実現することを望みます。
 女性に対する雇用差別の撤廃、男女賃金格差の是正、選択的夫婦別姓の実現、国と地方議会における議員の男女同数を目指すこと、包括的な性暴力禁止法と性暴力被害者支援法の制定
 3.特権的な富裕層のためのマネーゲームではダメ、社会基盤が守られてこそ持続的な経済成長は可能になります。そのために、以下の政策を実現することを望みます。
 貧困の解消、累進所得税、法人課税、資産課税のバランスの回復による公正な税制の実現(タックスヘイブン対策を含む)、TPP合意に反対、被災地復興支援、沖縄の民意を無視した辺野古新基地建設の中止、原発に依存しない社会の実現へ向けた地域分散型エネルギーの推進
 以上である。「安保法制の廃止」だけではなく、安倍政権の中心的な政策にまで踏み込んだ合意と言えよう。ここには、3・11以来の多くの人々を巻き込んだ市民運動、統一行動を徹底して追求してきた多くの人々のたゆまぬ粘り強い努力、裾野を広げた統一戦線、野党共闘を求める巨大なうねり、これらが相乗効果を発揮し、野党もこれに応えざるを得ないところにまで追い込んだ、その成果が反映されている。これが、安倍政権の争点隠しを許さない、野党共闘をさらに前進させる、安倍政権の暴走を許さない希望の要と言えよう。
(生駒 敬) 

【出典】 アサート No.463 2016年6月25日

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【案内】故安喜博彦先生追悼文集「やまなみ」の頒布について 

【案内】故安喜博彦先生追悼文集「やまなみ」の頒布について

この度、関西大学名誉教授安喜博彦先生の追悼文集「やまなみ」を発刊する運びとなりました。安喜先生は闘病の末2014年74歳で亡くなられました。

1960年代から、大阪市立大学から関西大学の40~50年の長きに渡り、様々な出会いから追悼文を寄せていただきました。恩師との青春・学生時代からの思い出が蘇り、それぞれの人生の物語に想いを馳せる追悼集となりました。
一部「思い出」二部「寄稿論文集」三部「略歴と研究業績」と分類し、先生の人となり、恩師への寄稿論文、学者・研究者としての目録としてまとめることとなりました。
時代は高度経済成長、バブル崩壊、失われた20年、社会主義崩壊・冷戦終焉とグローバル世界、9.11テロ、リーマンショック、中国の台頭、東北大震災・原発事故、憲法改悪の動き等々。歴史の大転換期に遭遇し、同時代をそれぞれの持ち場で『同志』的に生きてきたことに改めて深く思い至っています。
生前、とりわけ大学での学生時代から御縁のあった方々、関係者・知人に是非手に取っていただき、先生の足跡を偲んで頂きたく思い頒布致します。
また、事前に追悼集への投稿をお願いできなかった方々には、この場を借りてお詫び申し上げます。
追悼文集「やまなみ」編集委員 木村


(追記)「やまなみ」頒布を希望される方は、住所・氏名を明記して
アサート編集委員会(info@assert.jp)までお申込みください。

【出典】 アサート No.463 2016年6月25日

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【投稿】参議院選挙で安倍政権包囲網を構築しよう

【投稿】参議院選挙で安倍政権包囲網を構築しよう

<空振りに終わった安倍訪欧>
 安倍は5月1日から7日にかけて、イタリア、フランス、ベルギー、ドイツ、イギリスそしてロシアを駆け足で訪れG7の根回しと北方領土問題の進展を目論んだ。
 安倍は5月26、27日のG7伊勢志摩サミットで華々しくぶち上げようと、世界経済を下支えするための政策協調=財政出動を各国首脳に説いて回ったが、明確な同意は得られなかった。
 フランス、イタリアは「機動的な財政出動は必要」との見解は表明したものの、外交辞令的な対応に止まった。
 肝心のドイツは財政規律を重視する姿勢は崩さず、イギリスも財政出動は各国の状況が重要と慎重な対応を見せた。
 安倍は3月22日、消費増税再延期に向けたセレモニーであった「国際金融経済分析会合」席上、クルーグマンニューヨーク市立大教授に「ドイツに財政出動をさせるにはどうすれば良いか」と教えを乞うたが、やんわりとかわされた。
 このやり取りはオフレコとされたが、教授本人がSNSで暴露してしまった。説得材料なしに、意気込みだけで乗り込んでも成果は得られないばかりか、相手も対応に困惑しただろう。
 イギリスでは日英首脳会談が43年ぶりにロンドン郊外の首相別荘(チェッカーズ)で行われるなど、G7議長国への気配りがなされた。
 しかし空気を読めない安倍はオバマの真似をして「イギリスはEUに止まるべき」と差し出がましい口をきき、国民投票を控えたデリケートな時期に英国民の反発を買った。
 結局5月21日、仙台市でのG7財務省・中央銀行総裁会議では、財政出動に関しては各国の事情に応じて判断することが合意されるに止まり、安倍の目論見は大きく外れた。
 一方、為替政策に関しては通貨安競争を回避することで一致した。
 4月30日アメリカ財務省は上下両院に各国の為替政策を分析した半期為替報告を提出、この中で日本は不公正な為替政策を進める疑いのある「監視国リスト」入りとなった。29日に日銀政策決定会合で追加緩和を見送り、円安誘導で株価操作を目論む安倍政権にとっては打撃となった。
 仙台の会議で麻生はアメリカに円高懸念を伝えたが、ルー財務長官は、最近の円相場動きは正常と突き放した。G7の合意で、日本は野放図な円売り介入を行う余地がますます狭まり、アベノミクス起死回生策としては、マイナス金利の拡大、補正予算の乱発など、副作用の懸念がある投機的政策に頼らざるを得なくなった。
 
<訪露も成果なし>
 訪欧で思った成果を得られなかった安倍はその足で訪露、5月6日ソチでプーチンとの日露首脳会談に臨んだ。13回目となる安倍、プーチン会談は欧州首脳やオバマとの形式的な会談とは違い、夕食会を挟み3時間以上に及んだ。
 しかし前回会談で遅刻した安倍がプーチンに駆け寄ったにもかかわらず、今回遅刻したプーチンは鷹揚に構えたままだった。会談の前から飲まれているのである。
 会談の詳細は明らかにされていないが、北方領土問題に関しては「新たな発想に基づくアプローチ」に基づき、交渉を進めることで合意したことが明らかにされた。
 経済協力に関しては、日本が極東地域での天然資源開発、産業振興など8項目での協力案を提示、ロシアも積極的に受け入れる意向を表明した。これにより、領土交渉と経済協力は並行的に進められることとなったが「新アプローチ」の内容に関しては不透明なままとなっている。
 両国の一部では経済協力の進展と領土の返還がリンクするのではないかとの観測も流れた。しかし5月20日、プーチンは安倍との会談場所のソチで記者会見し「クリル諸島の島は一つとして日本に売らない」と経済関係と領土問題の分離を明言した。
 この発言で領土問題の先行きは再び不透明になった。さらに歯舞への自由渡航申請が「書類上の不備」を理由に却下されるなど、楽観論を打ち砕かれる事態が続いている。
 今回の訪露は、アメリカの懸念を振り切り踏み込んだ形となったが、リスクに見合うだけのリターンが得られたとは言えない結果になった。
 一方、ロシアはアジアでの存在感を高めている。先述のプーチン発言も19,20日ソチで行われたロシア、東南アジア諸国連合首脳会議を踏まえて発せられたものである。
 この会議ではアジア太平洋地域での安全保障問題に関し、ロシアのプレゼンス拡大を歓迎するなどとする「ソチ宣言」が採択された。これはアメリカ、中国に対する牽制であるとともに、日本抜きでもアジアでの影響力を拡大させるというメッセージであると言えよう。
 両者は9月にウラジオストックで会談し、年内のプーチン訪日=山口会談、広島訪問という先走った見方も取りざたされているが、何回会談しようが政権浮揚につながる外交的成果を得られる見込みはないのである。
  
<崩壊する「対中包囲網」>
 顕著な外交的成果が見いだせない中、安倍政権が執拗に追及しているのが対中包囲網である。しかしこの間、この構想を根幹から揺るがす事態が相次いでいる。
 4月26日、オーストラリア政府は次期潜水艦建造計画に関し、フランスDCNS社を選定したと発表し、本命視されていた日本の「そうりゅう」型は脱落した。安倍はアボット前首相との個人的信頼関係を頼りに、対中軍事協力を進め「そうりゅう」型の採用はその象徴と位置づけられてきた。
 しかし、オーストラリアの政権交代で状況は大きく変わり、雇用拡大や技術移転という経済ベースより政治ベースに偏向する日本案は忌避される傾向にあった。
 しかし安倍政権は政治主導で事を強引に進め失敗した。対中連携を前面に出さなければ受注できずとも技術的、経済的問題が要因とできたものを、前のめりになるあまり、対外政策の失敗というレベルの違う問題となってしまったのである。
 菅は同日の記者会見で「日豪の防衛協力を進めることに変わりはない」と取り繕ったが、前日電話連絡を受けた安倍は「大変残念な結果だ」と落胆し、中谷防衛相は憮然として「豪政府に経緯を糺す」と公言、政権内の動揺は隠しきれなかった。
 この件に関し、一部の海自幹部には「中国に軍事機密が流失する心配があったので安心した」などという声があったという。負け惜しみにしか聞こえないが事実だとすれば、オーズトラリアは信用できないということであり、「準同盟国」どころか防衛協力以前の問題であまりに非礼であろう。
 対中包囲網のパートナーとし、軍事協力を進めるフィリピンでは5月9日大統領選挙が行われ、ロドリコ・ドゥテルテ現ダバオ市長がアキノ大統領の後継候補らを破って当選した。
 ドゥテルテ次期大統領は南シナ海の領土問題に関し「中国が経済協力を進めるなら、領土問題は対話で解決する」と表明しており、現在の対中強硬路線は修正される可能性が高い。
 大統領選挙直前に哨戒用航空機を「プレゼント」した安倍政権としては、あてが外れた形となり、フィリピンを巻き込んだ中国封じ込め政策は思い通りには進まないだろう。
 
<日米同盟の虚構を選挙で暴け>
 こうしたなか、5月17日南シナ海海上で中国軍戦闘機2機が米軍の電子偵察機に異常接近する事案が発生した。2001年に両軍機が空中衝突した海南島事件を彷彿とさせる事態に、対中強硬派は色めきたった。
 ハリー・ハリス米太平洋軍司令官は「戦うべき時には戦う」と表明、グリナート前海軍作戦部長は共同通信のインタビューで、南シナ海での日米共同作戦を提唱している。
 しかしグリナートは対中強硬姿勢が問題視され(本誌444号参照)た人物であり、母が日本人のハリーも「母国」への思いが過ぎればオバマ退任の道連れにされるであろう。
 4月21日、アメリカ上院軍事委員会で証言にたったロビンソン太平洋空軍司令官とスカパロッチ在韓米軍司令官(共に大将)は「アメリカが直面する最大の脅威はロシア」(ロ大将)「ロシアはますます攻撃的になっている。アメリカは強く、一貫した態度で臨むべき」(ス大将)とロシア主敵論を開陳した。
 両将軍はこののち北米、欧州担当に転任する予定だったのでロシアを意識した面もあるが、中国、北朝鮮と対峙する司令官の考えは米軍、米政府の本音であろう。
 この間、米太平洋軍の軍紀の乱れを指摘してきたが、4月28日沖縄で元海兵隊の軍属による殺人事件が発生した。安倍政権はサミットで経済面での成果が期待できないなか、南シナ海問題での対中連携を打ち上げようとしていた。
 しかし直前にその枢軸である日米同盟の暗黒面が最悪の状態で露わになり、オバマ広島訪問で日米の戦後問題を終わりにしようとする安倍の目論見は外れた。ヒロシマ、ナガサキの悲劇とともに、オキナワの悲劇も改めて明らかになったのである。
 日米両政府は大慌てで事態の収束に動いているが、及び腰であることは隠せない。犯人は当然重罪に処されるべきであり、オバマ政権も同意するであろうが、そのことはトランプを勢いづかせることにもなるだろう。
 こうした事件の再発を防ぐためにも沖縄県議選、参議院選挙の重要性は増している。5月19日の党首討論で民進党は消費増税の先送りを主張した。これに他の野党も同調し「消費増税再延期」を大義名分に衆参同日選挙を目論む安倍は出鼻をくじかれた。
 消費税問題が後退する中、格差、非正規雇用の拡大に露わな安倍政権の経済政策の失敗を争点として浮上させるとともに、野党、民主勢力は参議院議員選挙で、戦争法、日米軍事同盟の問題点を訴えていかねばならい。(大阪O)

【出典】 アサート No.462 2016年5月28日

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【投稿】オバマ大統領の広島訪問と「核ありきの世界」

【投稿】オバマ大統領の広島訪問と「核ありきの世界」
                           福井 杉本達也 

1 オバマ大統領の広島訪問
 5月25、26日の伊勢志摩サミット後の27日、オバマ氏は米大統領として初めて広島市を訪問する。日経新聞は「米国の広島と長崎への原爆投下は『日米間の奥深く突き刺さったトゲ』と評される。オバマ氏の広島訪問にそのトゲが抜かれる心理的な効果も期待される。日米の同盟関係が強化され、新たな段階を迎えることになる」(2016.5.11)と解説する。しかし、今回のオバマ氏の広島訪問は原爆投下を謝罪するものではない。米側はオバマ氏は「道義的責任」に言及するものの、「謝罪は不要」と表明している。また、日本政府も「謝罪は不要」との立場を度々表明してきている。原爆という非戦闘員を対象とした大量虐殺兵器の使用に対し「謝罪は不要」とは「トゲが抜かれる」どころか原爆で亡くなった死者への冒涜以外の何物でもない。米国は核兵器を放棄しないということであるし、日本政府は核の傘に入り、米軍の核攻撃の踏み台を提供するということである。「核なき世界」ではなく「核ありきの世界」を今後とも踏襲するという意思表示である。

2 核エネルギーの実戦使用から70年・いまだにはびこる「楽観論」
 核兵器は純粋に物理学理論のみに基づいて生みだされたものである。「これまですべての兵器が技術者や軍人によって経験主義的に形成されていったのと異なり、核爆弾はその可能性も作動原理も百パーセント物理学者の頭脳のみから導きだされた」(山本義隆:『福島の原発事故をめぐって』)のである。核物理学者で後に反原発運動の理論的支柱となる武谷三男は原爆投下直後の印象を、原爆への恐怖心を伴いながらも「ついに人類が原子力を解放したということであった。新しい時代が始まったのである。科学者として率直にこの喜びとほこりを感じた。しかし、われわれ日本の科学者はこのすばらしい時代から取り残されねばならないという悲しみも私をとらえたのである。」と書き、「科学が主導した技術」が生まれたことに、科学者としての率直な「喜びとほこり」を感じていた。武谷の「感銘」は当時の多くの科学者の共通認識でもあった(武谷三男:「素粒子論グループの形成」『素粒子の探求』湯川秀樹・坂田昌一・武谷三男著)。
 福島原発事故から5年が経過した今日、福島第一原発の敷地内では、原子炉建屋に流入する地下水が1日に300~400トンに上り、炉心から溶け落ちた燃料と混じり合って生じる汚染水の処理に追われており、非常に危機的な状況にある。すでにタンクに保管されている汚染水の総量は80万トンに達しており、東電では「このままではタンクを造ることができるゾーンは数年でなくなる」としている。つまり、敷地内は汚染水タンクで埋め尽くされているのである。4月19日に経済産業省は汚染水の処分方法について、濃度を薄めて海中に放流する「海洋放出」が最も短期間に低コストで処分できるとの試算結果を発表した。ようするに水で薄めて太平洋に流してしまうということである。原発の事故処理は「凍土壁」や「浄化装置」、「調査ロボット」の投入などにより、あたかも順調に進んでいるような印象を与え、「楽観論」がはびこっているが、上空から第一原発敷地内を見渡せば汚染水タンクで埋め尽くされていることからも分かるように、ほぼ崩壊したといえる。
 原爆の開発当初は放射線の影響はさほど重視されず、また、放射性廃棄物は数万年にわたって管理を要するが、科学技術の発展で何とかなるものと“期待”されていた。この「何とかなる」という「楽観論」は核エネルギーをめぐって今もはびこっている。にっちもさっちもいかないにもかかわらず、見てみぬふりをしているだけである。

3 日本を降伏させたのは原爆ではなく、ソ連軍への恐怖だった
 「警告もせずに真珠湾を攻撃した者たちに、原爆を使用した。つらい戦争を早く終え大勢の若い国民の命を救うためだ」というのが、70年前からの米国の公式見解である。しかし、「軍事的には日本への原爆投下はまったく不要だった」。「もう誰が見ても原爆が無用であり、われわれ自身がそのことを承知しており、われわれがそう承知している相手もわかっているにもかかわらず、そのような人々相手に原子爆弾二個の実験をしたのだ」(米軍:カーター・クラーク准将)と述べている。一方日本側では内閣総合計画局長官の池田純久中将は「ソ連参戦を耳にしたとき、われわれの運も尽きたと知ったと語り、また、連合国総司令部からの問いに日本の陸軍省は「日本の降伏決定に最も顕著な影響を与えたのはソ連参戦であった」と答えている(『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史1・二つの世界大戦と原爆投下』)。

4 ジェノサイド・倫理の否定―神の否定
 原爆投下直後、統合参謀本部議長のウイリアム・リーヒ提督は「キリスト教的倫理にもとづくあらゆる道徳律や戦争をめぐるあらゆる規律」に反する兵器として、原子爆弾を化学兵器や生物兵器と同類と見なすことにきわめて前向きだった。「広島と長崎に野蛮な兵器を使用したことは日本に対するわが国の戦争になんらの貢献もしていない。はじめてこの兵器を使用した国家となったことで、われわれの道徳水準は暗黒時代の野蛮人レベルに堕した」と述べている。また、ローマ教皇庁は原爆使用を「残虐非道で…キリスト教文明と道徳律に対する前例を見ぬ打撃である」と非難した(オリバー・ストーン:同上)。
 にもかかわらず、核エネルギーへの信仰は今も続いている。それは、ガリレオからベーコン・デカルトに至る自然にたいして人間が上位に立つという19世紀の幻想=「科学万能主義」=「神の否定」との裏腹な関係にある。西欧近代科学は自然をいくつかの最も単純な要素に分解し、要素の性質を確定し、要素間の関係として自然法則を捉える。その限りで合理的な説得力の高い理論を作り上げた。その最も典型的な“成功事例”が原爆を作り出したマンハッタン計画であり、ばらばらで無計画に行われていた課程の全体を、一貫した指導のもとに目的意識的に遂行するものであった。科学的「理論」こそ唯一者であり、そこでは、「倫理」も「神」の住む場所もない。
 しかし、この「要素還元主義」の手法は大事なものを切り捨ててきた。原理論は環境との相互作用を極限的に制限して作られるため、核エネルギーが発現した後の核分裂生成物=セシウム137やヨウ素131といった放射能の存在は当初は問題にもならなかった。また、核エネルギー反応は我々が通常扱う化学エネルギー反応の1億倍もの大きなエネルギーを出し、その制御に失敗すれば環境にどのような影響を及ぼすかも「理論」の対象外であった。また、発生する中性子線が金属などを著しく劣化・損傷させることなども課題の外にあった。その結果が福島第一原発事故を引き起こしたのであり、首都圏の3千万人が避難の瀬戸際まで追い詰められたのである。

5 敗戦の否認と官僚機構の存続
 原爆の投下のもう一つの側面はいわゆる「国体護持」=天皇制の存続をめぐってであった。「ソ連赤軍がいまにも日本本土に押し寄せようとするなか、日本の指導者たちは天皇制の存続により理解を示すと思われるアメリカに降伏することを決定した…赤軍の進軍によって国内に親共産主義の暴動が起きることを恐れていた」のである(オリバー・ストーン:同上)。天皇制の存続とは、昭和天皇にとっては、「皇統をつないでいくという強靭なる意志」・「職業倫理」(白井聡:『戦後政治を終わらせる』)であるが、天皇制国家官僚にとっても、軍隊を除く国家官僚機構の存続という強靭な意志が働いていたといえる。両者は「原爆投下」をチャンスとしてソ連に国土の一部を占領され天皇制が廃止され、官僚機構も解体され「国体護持」が出来なくなる前に、米国への降伏を申し出たのである。
 したがって、米軍の単独占領により共産主義化をまぬかれた日本の官僚機構が原爆の使用に対しオバマ氏の「謝罪は不要」と繰り返すことはある意味当然の成り行きである。日本の官僚機構は米国に従属しており、「天皇の官吏」から「米国の官吏」へと鞍替えしたものであり、国民の意思を代弁するものではない。300万人の国民を殺し、旧満州での敗走を含め国民を見捨て何の責任も取らず、その後も岸信介のように首相にまで上り詰めた官僚も多数いるが、そのような官僚機構になんらの正当性はない。
 また、米国に降伏したのであり、「ソ連」や、まして「中国」・「韓国」等に謝罪するつもりはさらさらないのである。
 「国家があって国民がある」とする国家官僚機構にとって、核は消耗品扱いの国民に対して使用されたのであり、官僚機構の存続に影響はなかった。かつて「天皇の官吏」は天皇に対し忠誠を誓った。現在の国家公務員は採用時に日本国憲法を順守する誓約書を出すが、実際は「米国の官吏」として「日米地位協定」を墨守し、核の傘の下、中東であれ南シナ海であれ米軍と一体となって行動することこそが職業倫理となっている。当然、福島の土地が放射能に占領され、住民を棄民することも関心の外にある。 

【出典】 アサート No.462 2016年5月28日

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