【投稿】安倍・麻生コンビの傲慢・陰険・拙劣路線

【投稿】安倍・麻生コンビの傲慢・陰険・拙劣路線

<<自民大勝の底の浅さ>>
 先の参院選の大勝に浮かれ、もとから冷静な判断能力や寛容さに欠け、激高・激情に支配されやすい安倍首相と、差別と偏見に満ち満ち、軽薄で歴史的分析や判断能力を一切持ち合わせていない麻生副総理という、この二人のお坊ちゃんコンビが繰り出す、傲慢で陰険、なおかつ拙劣極まりない路線が、日本を危険な孤立化と破綻の路線へと追い込もうとしている。
 そもそも参院選の大勝そのものが、程度の知れた底の浅いものであることへの自覚が全く彼らにはない。民主党政権が自壊した結果の棚からぼたもちの結果でしかなく、有権者の多く、とりわけ圧倒的多数の無党派層は棄権という選択肢しかなく、戦後三番目の低投票率=52.6%、自民得票率=42.7%(=選挙区、比例代表の自民得票率は34.6%)で、自民党は全有権者比22.5%、四分の一にも満たない支持率でしかない、そんな程度の支持基盤しか持ち合わせていない政権であるという、自己分析が欠落しているのである。
 47選挙区のうち、4増4減の公選法改正の結果、これまで2人区であった福島と岐阜が1人区、神奈川と大阪が4人区、31選挙区が実質小選挙区=1人区となり、この31小選挙区で自民は982万票、得票率57.64%であったが、議席占有率はなんと93.55%、29議席を確保したのである。小選挙区制さまさまである。しかし、1人区となった福島選挙区では、自民現職対民主現職で自民がWスコアで勝利したが、自民党福島県連は自民党中央の原発再稼働路線に組みせず、「福島県内原発10基を全て廃炉にする」を公約として掲げ、自民党の高市政調会長が福島原発事故で死者は出なかったという発言に対して自民候補者は涙の抗議をして発言を撤回させた、そうした結果の勝利なのであった。
 前号でも触れた沖縄選挙区(1人区)では、普天間米軍基地移設をめぐるまやかしのねじれ公約と、安倍首相を先頭とした必死の巻き返しにもかかわらず、自公連合は野党統一候補の糸数慶子氏の三選を阻止できなかった。
 さらに東京選挙区は、全国有権者の実に1割を抱えているただ一つの5人区であり、投票率53.51%で比較的激戦となったが、ここで自民は2議席を確保したが、民主が菅元首相入り乱れての直前のドタバタ騒ぎで自滅したにもかかわらず、絶対得票数は伸ばすことができず、5分の2政党であることを実証し、当選した公明・山口氏の「原発ゼロを目指す」を含め、共産、山本太郎氏の三議席が、自民党の改憲・原発推進路線とは相容れない議席配分なのである。

<<「クーデター的」人事>>
 自公政権が大勝したとはいえ、こうした冷静な分析、さらには改憲、原発推進に対しては不支持が5割から6割近い各種世論調査の現実、そして選挙直後の7月の世論調査(共同通信)では6月の内閣支持率68.0%が56.2%に急落し、不支持率が16.3%から31.7%に倍増していることからすれば、選挙結果が要請していることは、近隣諸国との緊張激化路線や軍事力増強路線、それに照応した憲法改悪路線、原発再稼働・原発輸出推進路線であってはならないはずである。
 しかし安倍政権の広報紙と見紛うばかりのマスメディアは、自民党の参院選圧勝を受けて「3年間は政権が安泰だ」として「黄金の3年間」(読売新聞)、「与党からすれば『黄金の3年間』だし、野党にとっては『暗黒の3年間』かもしれない」(日本経済新聞)「3年間も選挙がないのは千載一遇の好機である」(産経新聞)などとはやしたて、この「千載一遇の好機」に保守反動勢力が成し得なかった諸課題を一気に実現せんと蠢きだしたのである。彼らは、まずはこの際、「集団的自衛権の行使」に向けて、憲法解釈の変更を公然と要求し、安倍政権自体が猛然とダッシュし始めた。そして手をつけたのが内閣法制局長官人事であった。
 8/8、安倍内閣は、これまでの内部昇格の慣例を破り、外務省出身で内閣法制局の経験がなく、かつて第1次安倍政権時代の有識者会議で「集団的自衛権」行使容認の報告書作成に深く関与した小松一郎駐仏大使を長官にすえたのである。異例の抜擢人事の強行である。しかもこの「クーデター的」人事は、意図的に8/2の読売、産経の朝刊トップに掲載されるべく事前リークし、朝日等は夕刊のおっかけ記事で報道されたのであるが、他紙が麻生副総理のヒットラーの「あの手口を学んだらどうか」発言を大きく取り上げていたことに対する反撃として仕組まれ、連携されたものであろう。8月9日付・読売社説は「集団的自衛権に関する政府の憲法解釈の変更を目指す安倍首相の強い意向を端的に示した、画期的な人事である。」、「内閣法制局は、政府提出法案の審査や憲法解釈を所管しており、「法の番人」と呼ばれるが、内閣の一機関でもある。安全保障環境の変化に応じて、必要な政策を実行するため、解釈変更を検討するのは当然だ。」と、この憲法9条を骨抜きにするための「クーデター的」人事を高く評価し、一方、朝日は同じく8/9付で阪田雅裕・元内閣法制局長官を登場させ、安倍内閣は憲法の柱である平和主義をめぐる新方針を、国会や国民が関われない解釈変更で実現しようとしており、集団的自衛権の行使容認と9条の整合性について、阪田氏は「憲法全体をどうひっくり返しても余地がない」と語らせている。

<<「あの手口を学んだらどうか」>>
 そしてこうした過程で登場した極めつけの発言が、麻生副総理のヒットラーの「あの手口を学んだらどうか」発言であった。またもやあの麻生氏の低劣な本音が透けて見える舌禍である。7/29夜、桜井よしこ氏が理事長を務める「国家基本問題研究所」が都内のホテルで開いた歴史修正主義者や自虐史観反対論者や改憲論者が集うシンポジウムで講演し、「護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ。改憲の目的は国家の安定と安寧。改憲は単なる手段だ」と述べ、憲法改正をめぐり戦前ドイツのナチス政権時代に言及して「僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわーわーわー騒がねえで。重ねて言うが、喧騒の中で決めて欲しくない」と述べたのである。
 この発言の決定的な間違いは、「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった」という部分である。全く歴史的事実に反する事実誤認、意図的捏造なのである。ナチスの私兵・突撃隊のむき出しの暴力が街中を闊歩し、ワイマール憲法を事実上無きものにした全権委任法の可決も、共産党の議員はほとんどが逮捕され、社会民主党の抵抗する多数の議員を登院禁止にした上で、可決されたことにしたのであるが、「誰も気づかないで」「静かに」「わーわーわーわー騒がねえで」、いつのまにかかわったのではまったくないし、民主的な手続きを経て可決されたものではないのである。
 このあとに「あの手口を学んだらどうか」と来る。ナチスの手法を肯定的に捉えて学ぼうとする姿勢が露骨に現れており、弁解の余地すらない。中国や韓国はもちろん、全世界から厳しい痛烈な批判が寄せられて、あわてて8/1、「真意と異なり誤解を招いた」と釈明し、ナチスを例示した点を撤回したが、傲慢にも報道の姿勢を問題にし、「(閣僚や議員を)辞職をするつもりはありません」、「(別途謝罪することは)ありません」と居直り続けているが、ドイツではナチスを称賛する行為は刑法の『民衆扇動罪』で3カ月以上5年以下の懲役刑となる。麻生氏は公職追放はもちろん、収監されるべき存在であろう。

<<村山談話を継承しない式辞>>
 安倍内閣の方針が、麻生氏が言うように「誰も気づかないうちに」、「ワーワー騒がれないうちに」、「ある日気づいたら日本国憲法が変わっていた」という手口をナチスに学び、安倍首相自身が率先して強行したその手始めが、内閣法制局長官の「クーデター的」人事であったといえよう。
 その麻生発言にさらに追い討ちをかけるような問題発言が安倍首相自身から発せられた。ただし、本来言うべきことを言わない、悪質で陰険、拙劣な手口である。それは、8/15の政府主催の全国戦没者追悼式での首相の式辞である。
 2007年の第1次安倍政権時の式辞では「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」「深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表する」などと触れていた、アジア諸国への加害責任への反省や哀悼の意を示す言葉が、今回は意図的にすっぽりと抜け落ちさせ、全く言及しなかったのである。安倍首相自身の陰険な姿勢が、そこに露骨に表明されているといえよう。
 加害責任への言及は、93年の細川護熙首相(当時)から歴代首相が踏襲してきたものであり、今回は、これまで過去20年間表明されてきた「不戦の誓い」をしなかった、その表現さえ使わなかったのである。第1次安倍内閣の時に靖国神社を参拝しなかったことを「痛恨の極み」と語ってきた首相が、今回、一部閣僚を含む右派系議員190人の靖国参拝を放任または黙認して、安倍政権の極右体質を誇示はしたが、本人自身が8/15にまたもや参拝できなかったことの腹いせでもあろうか、悪質である。自身と重要閣僚の靖国参拝を見送りながら、日本への不信感を増幅させる、逆のメッセージを発する、その陰険さこそが問題とされよう。安倍首相のこの式辞に込められた意図は、明らかに村山談話の否定にあると言えよう。植民地支配と侵略によって「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」という1995年の村山首相談話を、表面上は継承すると言明しながら、今回、「誰も気づかないうちに」、「ワーワー騒がれないうちに」、「ある日気づいたら」、村山談話を継承しない、否定していたというわけである。
 8/16付の韓国各紙は、安倍首相が全国戦没者追悼式の式辞でアジア諸国への損害や反省に触れなかったことを一斉に大きく取り上げ、批判し、東亜日報は「村山談話を事実上全面否定したものだ」と報じた。鋭い、的確な指摘である。
 安倍・麻生コンビのこのような拙劣で陰険な路線は、日本をさらなる危険な孤立化と破綻の路線へと追い込むものである。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.429 2013年8月24日

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【投稿】福島第一原発の高濃度汚染水の海洋流出

【投稿】福島第一原発の高濃度汚染水の海洋流出
      —チェルノブイリ原発事故の3倍の規模になる—
                          福井 杉本達也 

1 政府も東電も国民も危機感が薄いが『現状は非常事態』
 東京発8月5日のロイターは「東京電力が汚染水の流出防止に取り組む同社の福島第1原子力発電所で生じた放射能汚染地下水について、原子力規制当局の関係者は5日、事態は「非常事態」にあるとの認識を示した。原子力規制庁の金城慎司・東京電力福島第1原子力発電所事故対策室長はロイターに対し、法定基準を超えた水量の汚染された地下水が、地中の遮水壁を突破し、地表に向かっているとした上で、東電の地下水くみ上げ計画は一時しのぎにしかならないとの見方を示した。金城室長はこう語る。東電の『危機感は薄い。だから東電のみに任せておけない。現状は非常事態と見る』」と報じた。今まさに、福島第一原発敷地全体が津波ではなく汚染水の中に水没しつつある。これまで地中にあり2年5か月もの間太平洋に垂れ流し続けられてきた高濃度汚染水が地中壁が海側だけに造られたことによって、どんどん水位が上昇し、今や地表にまで染み出そうとしている。3号機海側では、地上の放射線量は上昇し、地表面で8.5ミリシーベルト(mSv)/時。上空の空間線量も1.8mSv/Hと、数時間作業をしただけで年間の制限値の20mSvを超えることとなってきている(東電HP:「福島第一サーベイマップ平成25年8月2日 12:00現在」)。汚染水が地中にある間は、1~2mの地層によって放射線を遮蔽されてきたが、地表に染み出してしまえばあたり一面放射能で汚染され、1~4号機の核燃料プールからの燃料抜き出しどころか近づくことさえできず、冷却水の投入などの管理放棄=再び崩壊熱による温度上昇=爆発・原子炉崩壊=今度こそ日本消滅というストーリーさえ描かざるを得ない。

2 チェルノブイリ事故の3倍の放射能汚染になる可能性
 いったいどのくらいの汚染水が海に流出しているか。経済産業省は推定300トン/日という数字を出している(原発敷地への地下水の流入が1000トン/日、このうち600トンが海にそのまま流れ、400トンが原発の建屋内に入り、そのうちの300トンが建屋の地下で高濃度の汚染水と混ざり合い汚染されてそのまま海に流出していると推計:日経:2013.8.8)。この数字は今年・今頃始まったものではない。当初、2011年3月19日未明・東京消防庁が3号機核燃料プールの冷却のために大量の海水を投入した時点より始まっている。それから2年5か月ともなれば270,000トン近くの汚染水が海に垂れ流しされていることとなる。東電は23.5億ベクレル(Bq)/l(=雰囲気線量としては500mSv/H=1日も被曝すれば死亡する量(ブログ「院長の独り言」)2013.7.28、肉厚10~20mmの鋼管の非破壊検査に使われる放射線源イリジウム192=370億Bqと比較すれば、いかに凄まじい放射線量であるか)の高濃度汚染水が建屋トレンチ内にあると発表しているから、この量が1.1万トン、さらに建屋内に7.5万トンとしているので(東洋経済:2013.8.3)、地下に溜まっている高濃度汚染水は10^17(10の17乗=10京)Bq(=100PBq)オーダーの放射能量となる。2011年6月2日現在で東電が発表した各建屋内に漏洩した滞留水の放射能の推定量は総計で717PBq(717×10の15乗Bq Wikipedia)、このうち半減期8日間のヨウ素131はほぼ無くなっていおり、Cs(セシウム)134の半減期が2年なので半減していると仮定してCS134とCs137の合計は210PBqであり(7月27日の東電の調査分析ではCs134とCs137は同割合であるが)、ほぼ計算は合う。チェルノブイリ原発事故では放射性セシウムは最大で85PBqという推計であり(Wikipedia)、もし、福島第一の滞留汚染水が全量海に流れ出た場合には、大気中放出量の10倍(20PBq:東電推計値2012.5.24)=チェルノブイリ原発事故の3倍の放射能汚染になる。当初、政府はチェルノブイリ事故の1/10レベルと発表したが、国際的批判を交わすための全くのまやかしである。原発3基分であるから当然といえば当然であるが、しかもまだ放射能は原子炉からダダ漏れ状態にあり今後とも増加していくということである。

3 国際的批判は避けられない―海洋投棄は「海洋法に関する国際連合条約」違反
 8月7日の政府の「原子力災害対策本部会議」では、安倍首相は「東電のみに任せるのではなく国として対策を講じる必要がある」とし、税金を投入して対策に乗り出すという。 この対策は鹿島建設が提案した方式で「地下凍土方式の陸側止水壁建設」(地中をマイナス30℃の塩化カルシウムなどの凍結材を循環させることによって凍らせて水が通らない遮水壁を作る)と見られるが、400億円の建設費と、凍土を維持するために莫大な電力が必要とされ、しかも建設に2年も要すると見られる(福井:2013.8.8)。ニッチモサッチモ行かなくなった茂木経産相は同会議の中で汚染水の「基準値以下の海洋放出」の検討を指示した。
 政府は陸上からの汚染水の放出は船舶等からの『投棄』ではないので、放射性物質の海洋投棄の禁止を定めた『ロンドン条約』(廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する条約)には違反しないと強弁しているが(川田龍平参議院議員の質問主意書に対する答弁:2013.7.2)、『海洋法に関する国際連合条約』の194条「海洋環境の汚染を防止し、軽減し及び規制するための措置」の第2項では「いずれの国も、自国の管轄又は管理の下における活動が他の国及びその環境に対し汚染による損害を生じさせないように行われること並びに自国の管轄又は管理の下における事件又は活動から生ずる汚染がこの条約に従って自国が主権的権利を行使する区域を越えて拡大しないことを確保するためにすべての必要な措置をとる。」とされ、明確な条約違反である。特に、同条3項では放射性物質のような「a.毒性の又は有害な物質(特に持続性のもの)の陸にある発生源からの放出、大気からの若しくは大気を通ずる放出又は投棄による放出」をできる限り最小にするための措置をとることを定めている。
 要するに政府はこの2年5ヶ月、同条約に違反することを知りながら、国際的な非難を浴びることを恐れていたため、密かに大量の放射性汚染水を海洋に垂れ流し続けていたことになる。しかし、どうにもならなくなり東電がギブアップしたので、今回改めて発表しただけである。因みにこの高濃度汚染水全量が福島県沖の大震災の震源域・東西500km×南北500km×深さ1kmの水域に流出したと仮定すると、その膨大な水量をも平均約1Bq/kgで汚染する量であり、厚労省の飲料水中の放射性物質の基準値:10Bq/kgの1/10にもなる。

4 国民負担はとりあえず250兆円―それ以上も
 では、放射性物質の拡散防止や賠償などのためどのくらいの予算を使う必要があるのか。チェルノブイリの事故処理対策では、ロシアは国家予算の1%、被害の大きいベラルーシは20%、地元ウクライナは10%を費やしている。日本の人口密度及び原発4基分という放射性物質の総量から考えた場合、日本は国家予算の10%=10兆円/年 程度の負担は避けられまい。長谷川幸洋は「シンクタンクの試算などで賠償と除染、廃炉費用だけで少なくとも数10兆円、最大250兆円にも上りそうな見通し」(「ニュースの深層」:2012.11.9)を述べている。東電の2012年度の売上高は約6兆円であるから、売り上げの1.7倍もの費用を払える訳がない。「東電融資に奔走―8.5%以上の値上げ必要―原発再稼働なしの試算示す」(朝日:2013.8.14)というが、費用を賄うには現在の電気料金の3倍の値上げが必要である(電気料金:標準家庭で8,000円/月が24,000円にもなる)。朝日新聞の記事は東電の負担が総額で10兆円を超すとしているが、ごまかし以外のないものでもない。250兆円なら、国民1人当たり200万円の借金である(財務省は6月末の国の借金を国民1人当たり792万円と発表したが)。
 これまで、政府は水俣病のチッソ方式(水俣病の原因企業・チッソに対する金融支援措置として、公害企業としてのチッソの原因者負担の原則を堅持しつつ、チッソが経常利益から水俣病患者への補償金を支払ったあと、熊本県による認定患者への補償金支払いのための県債、水俣湾公害防止事業に伴うチッソ負担金の立替のための県債部分について可能な範囲内で県に貸付金返済を行い、返済が出来ない分を国が一般会計からの補助していた。(2011 年のチッソ分社化まで))で、本来過剰債務の倒産企業を外見上生きながらえさせて、国家は前面に立たずに(国家無誤謬神話の元)放射能対策・賠償を行おうとしてきた。だから遮水壁もまともに作らず、被災者への賠償も値切り(もちろん放射線量の高い地域からの自主避難は認めず)、甲状腺などの被曝健康診断もおざなりにしているのである。しかし、売上6兆円の企業に何ができるのか。仮に純利益が1兆円あったとしても250年かかる。政府は何もしないでそっと垂れ流しを見て見ぬふりをしようとしてきた。「再稼働」などという寝言を言っている場合ではない。その破綻が目に見える形で国際的に明らかになったのが今回の海洋への汚染水流出である。もうすぐ(事故3年後には)高濃度の汚染水が米国西海岸やカナダに漂着する。ロシア―オホーツク海やベーリング海も汚染される。中国・ASEAN-東シナ海や南シナ海も危ない(You Tube シミュレーション「太平洋放射能汚染10年間予想図」)。日本は国際的に袋叩きにあうしかない。 

 【出典】 アサート No.429 2013年8月24日

カテゴリー: 原発・原子力, 杉本執筆 | 【投稿】福島第一原発の高濃度汚染水の海洋流出 はコメントを受け付けていません

【投稿】集団的自衛権の虚像 

【投稿】集団的自衛権の虚像 
 
<実質改憲を先行>
 安倍政権は参議院選挙の大勝を梃に、次々と軍拡、対外挑発政策を進めようとしている。
安倍政権の目指す「本丸」は憲法改悪であるが、それに至るプロセスとして政権発足以来しばらくは、改正要件緩和を目論み、96条の先行改正をアピールしてきた。
 しかしながら、世論や公明党がそれに積極的ではないと判ると、参議院選挙の公約では一番後ろに引込め、争点化を避ける戦術に徹した。
 結果として、改憲派の自民、維新、みんなの議席は3分の2に達せず、正面突破は当面難しくなったのである。
 そこで、安倍政権は「中国の脅威」「日米同盟強化」を最大限利用し、これまで認められてこなかった集団的自衛権行使容認へと舵を切った。
これはまっとうな論議、手続きを経ないで憲法9条の空洞化を進めるという非常に危うい策動であり、歴代自民党内閣が行ってきた「解釈改憲」路線をも踏み出した、「実質改憲」である。
 そのため、安倍総理はこれまで改憲への壁となって立ちはだかってきた、内閣法制局の長官を外務省出身の推進派に挿げ替えるという、極めて乱暴な人事を強行し、「法の番人」と言われる法制局に法匪的行為を合理化する役割を押し付けたのである。
 法制局は内閣の一機関であり人事権は内閣総理大臣にあるが、業務内容は憲法に則しての法案の審査、内閣への意見であり、厳密かつ中立性が求められるものである。
 それを自らの意を忖度する人物に仕切らせるというのは、監督が自分のチームに有利な判定をする審判を選任するに等しい。
 早速就任した小松一郎新長官は「検討の議論に法制局も積極的に関与していく」(8月17日「読売」)として、政府の解釈見直し作業に参加していくことを明らかにした。

<4類型は現実離れ>
 この政府レベルの検討のたたき台になるのが、総理の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇:座長=柳井俊二元駐米大使)が、この秋にも提出する報告書である。
 その内容については、法制懇の実質的統括者である座長代理の北岡伸一国際大学長が「集団的自衛権の全面解禁」とする基本的方向性を明らかにしている。
 第1次安倍内閣時の07年5月に設けられた安保法制懇は、安倍退陣後の08年6月の報告書で、自衛隊の武力行使が認められるケースとして次のいわゆる4類型を提示した。
 それは①公海におけるアメリカ艦船の防護②アメリカに向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃③国際的な平和活動における武器使用④PKO参加国に対する後方支援、について、①、②は集団的自衛権として武力行使を認める。③、④については、集団安全保障として憲法に抵触しない、との見解であった。この中で①、②は朝鮮半島有事を、③、④は中東での米軍支援を想定したものであるが、アメリカの戦略との整合性がとれていないのである。
 ①、②とも海上での支援が考えられているが、朝鮮半島におけるアメリカ軍の4つの作戦計画①5026(90年代の核危機時に想定された核施設へのピンポイント攻撃)②5027(北朝鮮の南進阻止と米韓軍の北進作戦)③5029(北朝鮮内乱への介入)④5030(03年に策定された積極的な内乱画策)は、いずれも朝鮮半島内を主要な作戦区域としている。
 これらの想定でアメリカ艦船が攻撃されるとすれば、米軍の北朝鮮上陸作戦時、すなわち北朝鮮領海内であり、北朝鮮の地対艦ミサイルや航空機、艦船の能力からも日本が考える公海上の米艦船への攻撃というシナリオは無理がある。
 弾道ミサイルについては、海自の保有するミサイルでは北朝鮮からアメリカ本土やハワイに向かうミサイルを迎撃するのは技術的に不可能で、グアムに向かうミサイルを迎撃可能なミサイルが配備されるのは、早くても2018年以降になる予定である。
 そもそも北朝鮮が、そうしたミサイルを戦力化できるのかは不明であり、7月28日平壌で行われた朝鮮戦争「勝利」60周年の軍事パレードに登場した新型弾道ミサイルもダミーではないかと言われている現状から、攻撃・迎撃とも現時点では画餅に過ぎない。
しかも冷戦終結以降、アメリカの安全保障政策の最優先事項は、中東問題であり日本の思惑とはずれがある。朝鮮半島での作戦計画を策定していても、韓国駐留部隊から相当数をイラクやアフガンに派兵をしたのである。

<目的は権益確保>
 安倍政権は、集団的自衛権の行使はアメリカを援助するためと思い込んでいるかもしれないが、本当にアメリカが支援を要望したのは、「湾岸戦争」「イラク戦争」時であろう。この時日本政府は参戦するのは憲法上不可能とし「戦闘終結後」の「ペルシャ湾の機雷掃海」と「サマーワでのイラク復興支援」でお茶を濁し、アメリカを落胆させた。
 しかし今後、アメリカは中東を最重要視するものの、中東和平交渉の再開や、リビアやシリア、エジプト情勢への対応を見ても明らかなように、援軍を必要とするような大規模な軍事行動は展開しないだろう。4類型の①、②は非現実的であり③、④は遅きに失したのである。
 ここにきて日本が集団的自衛権行使容認を申し出ても「何を今更」というのがアメリカの本音だろう。政府としても「4類型」と現実とのズレは認識しており、それが今回の「集団的自衛権の全面解禁・集団安全保障での武力行使容認」として出てきたと言える。
これは日米安保の攻守同盟化、さらにはPKO活動を突き抜ける多国籍軍への参加に道を拓くものであるが、もっと早く具体化するのは東アジアでの日米共同作戦よりも、アフリカ・アジアの紛争地域での多国籍軍も含む国連平和活動に対する自衛隊戦闘部隊の派兵であろう。
 今後の工程表について北岡座長代理は「解禁に伴う具体的な行使の範囲については『全面的な行使容認とするかどうかは、(自衛隊の活動内容を定めた)自衛隊法改正の時の議論になる』と指摘した。さらに『自衛隊法を改正し、予算をつけ、装備を増やして訓練をし、ようやくできる』と語り、解禁即行使ではないことを強調」(8月10日「朝日」)した。
 また礒崎陽輔首相補佐官は、自らのFACABOOKに「集団的自衛権の行使は、憲法解釈を変更した場合でも『必要最小限度の範囲内』でしか許されず、具体的に何ができるかは自衛隊法などに明確に規定する必要があり、何でもできるようになるわけではない」と書き込み、歯止めの必要性を強調した。
 しかし、強引な解釈と、それに基づく自衛隊法改訂、恣意的な運用により事実上のフリーハンドが手に入れば、日本が不可能な軍事行動は、憲法を改悪しなくとも、二国間問題での先制攻撃=「武力による国際紛争の解決のための国の交戦権の行使」以外は無くなるだろう。

<反省無き軍拡>
 こうしたソフト面での工作とともに、ハード面での整備も着々と積み上げられている。8月6日広島が原爆犠牲者追悼の祈りに包まれているとき、横浜では「軍艦行進曲」が鳴り響いた。麻生副総理、石破幹事長らの臨席のもと行われた護衛艦「いずも」(満載排水量27000t)の進水式である。(安倍総理は祈念式典よりこちらに出席したかったのではないか)。
 「いずも」は、ヘリコプター搭載護衛艦とされているが、ヘリのほかに陸自のトラック50両と兵員約500人、燃料3300klが搭載でき、国際的には「軽空母」もしくは「多目的母艦」と考えられる艦艇である。
 さらに防衛省は来年度概算要求に、水陸両用装甲兵員輸送車など「日本版海兵隊」設置に向けた経費を計上することが明らかになった。また開発中の新型輸送機C-2も配備が進めば、自衛隊の海外展開能力は拡大する。
 このような権益確保のための軍事力の海外展開=緊張激化、対外膨張政策を「日米同盟強化」を口実に進められては、アメリカとしては迷惑千万だろう。
 6月の米中首脳会談の緊密さに動揺した安倍政権は、直後の北アイルランドサミットでの日米首脳会談を模索したが、オバマ大統領は電話一本でお茶を濁した。
 7月にはバイデン副大統領とシンガポールで会談したものの、首脳会談はめどが立たず、当面のトップレベルの会談は10月の同氏の訪日が決まっているのみである。
 中国、韓国、そしてアメリカからも厳しい視線が注がれる中、安倍総理は8月15日の靖国参拝は見送った。しかし同日の戦没者追悼記念式典では、細川氏以降の歴代総理が述べ、自らも第1次政権時はそれを踏襲した「不戦の誓い」や「アジアの国々への反省の言葉」はどこかに消えていた。
 この振る舞いは関係各国には、非常に不気味に映ったことは想像に難くない。安倍総理は「靖国参拝は心の問題」と言っているが、「ナチスを見習う」副総理を傍らに置くようでは、世界から「心の中で報復を誓っているのではないか」と疑われても仕方がないであろう。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.429 2013年8月24日

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【書評】『中国民主改革派の主張──中国共産党私史』

【書評】『中国民主改革派の主張──中国共産党私史』
    (李鋭著、小島晋冶編訳、2013.3.発行、岩波現代文庫、1,240円+税) 

 社会主義という建前とは裏腹に、国家資本主義に邁進し、人権を抑圧し続ける中国、というのが強い印象を与えている。しかしその中で、近代民主主義国家中国の形成を主張する勢力は、大きな部分を占めてはいないが、確実に存在しており、その代表が李鋭であろう。
 李鋭はこう語る。
 「中国社会問題の病巣は、確かに専制主義およびその制度にある。スターリンモデル、毛沢東晩年のいわゆる『社会主義』の最も根本的な弊害は、専制主義を復活したことである。党は政権掌握後、一個の、権力が制約を受けない集権制度を樹立し、党員と公民もいずれも民主の権利を享有しなかった。これは人類の近代文明の主流を離れ、さらにはこれに背きさえした。中国が改革開放を実行するには、必ずスターリン式を離れ、毛沢東晩年のいわゆる『社会主義』を放棄して、人類文明の主流が、民主、科学と法治に分け入って、普遍的価値を承認し、世界文明の軌道を受けつがねばならない」(第3章「李昌と『十二・九』世代の人々」)。
 この大胆な主張をする李鋭は、1937年に中国共産党に入党、抗日戦争時期は延安で党の青年工作・新聞工作に従事し、中華人民共和国建国後は『新湖南報』新聞社社長などを経て、1952年には水利電力副部長に就任した。当時議論されていた長江三峡ダムの開発計画への批判が毛沢東に評価され、1958年には毛沢東の兼任秘書となった。しかしその後、大躍進運動批判の発言で彭徳懐の「反党集団」の一員とみなされ、党籍剥奪処分(1959年)、また文革期には8年間秦城監獄に投獄された。1979年名誉回復の後は、中共中央組織部常務副部長、中央顧問委員会委員などの要職を歴任し、退職後は1991年に創刊された民主改革派の月刊誌『炎黄春秋』を中心に精力的な執筆活動を続けている。特に毛沢東に対する評価、「革命に功あり、執政に過ちあり、文革に罪あり」で知られている。その著作の多くが中国国内では現在発禁となっているが、中国には政治体制改革・「言論の自由」が必要だと主張する「改革派老幹部」である。この毛沢東への批判と民主改革への展望が、本書の諸論文となっている。
 中国革命の経過についての次の総括的記述が、李鋭の主張を最もよく示している。
 「より重要なことは、ロシアから伝えられたマルクス主義は、ロシア化したマルクス主義、すなわちレーニン主義(のちさらにスターリン主義が加わった)だったことだ。毛沢東のあの名言(「十月革命の一発の砲声が、我々にマルクス・レーニン主義を送り届けてくれた」・・・評者註)に言われているのは『マルクス・レーニン主義』であって、『マルクス主義』ではない。これは非常に意味があることだ。レーニン主義、ことにスターリン主義には、マルクス主義の原典と相異なり、また、相反するものが多くあり、古典的マルクス主義イデオロギーの変種である」(第1章「『中共創始訪談録』序」、以下同じ)。
 「中国人はソビエト・ロシアの観念を受け容れ、これがマルクス主義だと考えた。ロシア革命とロシア化したマルクス主義は、その始まりから神聖化された。中共党員は感情面でその大衆動員の手段と暴力的手段に強くいれ込んだだけではなく、その上それが後に樹立した専制主義の経済と政治の制度、残酷で鉄腕の党の制度に引き付けられた。過去にはこう言われたではないか? 『我々は一辺倒だ[米ソ対立の中でソ連にだけ傾倒する]』と。さらに『ソ連の今日は我々の明日だ』と」。
 「事実は次のことを証明している。自由、民主、公正、人権、法治の人類の普遍的価値に背を向け、人類の文明は科学的知識即ち智能に依拠して発展してきたという法則を離れるなら、どんな制度、どんなイデオロギーも自らへの弔鐘を鳴り響かせるほかないことを証明した。この結果に中共早期の創始者たちは考え及ばなかった。一句の名言を使うなら、中国人は間違った時に、誤った場所から、一個の誤った手本を移植したのだ」。
 このような視点に立って著者は、現在の中国指導部に対して厳しい批判の眼を向ける。
また毛沢東、鄧小平の時代の政治指導部間(陳雲、胡喬木、鄧力群、陸定一、胡耀邦、趙紫陽、万里等々)の確執を語る本書のインタビューは重要な証言である。特に胡耀邦辞任後、一群の党内民主派が保守派の最高指導権奪取の企てに抵抗することに成功した内幕(第11章「趙紫陽との交わりを懐かしむ」)は興味深い。
 しかしその後の中国の現状については、こう指摘する。
 「十一期三中全会以来、二十余年の改革開放によって、経済上だけは市場経済の軌道を歩み、このためもはや餓死者は生まれなくなった。しかし我々の市場経済は権力の支配を受け、すべての資源は党に支配され、トップや次の高層人物がひとこと言えばそれで事が決められた」。
(これに続いて、「六四の政治の風波の後、江沢民が趙に代わって総書記の職を継承した時、鄧小平は江沢民にこう言った。『毛が生きていた時は毛が言えばそれで決まった。私の時は私が言えばそれで決まった。君はいつそうなるか。そうなれば私は安心だ』」という話が紹介される。そしてこの話は2003年3月週刊の雑誌に掲載されたが、すぐに発禁となったと語られている・・・評者註)。
 「私は今の中国には二つの特色があると考えている。第一点は毛沢東、鄧小平のような『一人が言えばそれで決まる』という権威ある人物がいないことで、もう一つは同時に政治体制の民主化がまだできていないでいることだ。もし当時耳に逆らう忠言を聴き容れて、一九四九年以後政治運動をやらず、階級闘争を根本原則とすることなく、人類の歴史社会発展の普遍的法則である道、すなわち自由、民主、科学、法治と市場経済の道を歩んでいたら、我々の中国は早くに現代化[近代化]した国家となっていただろう」。
 以上本書は、中国「改革派」の明確な主張を提示するものであり、一読に値する。そしてその上で歴史的経緯として、李鋭が語る「マルクス主義」受容と同種の傾向が、わが国の場合にもどう含まれていたのかが改めて検証されねばならないであろう。(R)

(参考)李鋭年譜

1917 生まれ
1937 党組織を結成(北京にて承認される)
1939 延安へ 中央青年委員会宣伝部宣伝科長
1943.4.~1944.6.「特務」の疑いで監禁される
「解放戦争」期 陳雲らの政治秘書
1952 水力発電事業に転身・・・性急な三峡ダム建設批判が評価され、毛沢東の個人秘書となる
1958 「大躍進」・・・1959 批判・・・彭徳懐の「反党集団」のメンバーとされ、除名
1960 北大荒(黒竜江省)に流され、労働改造(田家英の援助で、1961 北京に戻る)
1962 劉少奇による「大躍進」の総括後も、党籍回復ならず、安徽省の小水力発電所で働く・・・文革で、再度「反革命分子」として告発され、1975 まで8年間北京郊外の政治犯用の「秦城監獄」に収容される
1975 出獄 安徽省の水力発電所に復職
( 1971.9.林彪クーデター未遂 1973 鄧小平 復活)
1976.1. 周恩来死去  4.「第一次天安門事件」
   鄧小平 失脚  華国鋒 登用
1976.9. 毛沢東病死 )
1978.12. 党十一期三中全会「右からの巻き返しに反撃する運動」・・・文革の否定
      陳雲、胡耀邦、趙紫陽、万里などが要職につく
1979 名誉回復 北京に戻る
1982 党中央組織部常務副部長(~1989)中央委員
1987 中央顧問委員会委員
   91年に創刊された『炎黄春秋』(民主改革の月刊誌)に論文を執筆 

 【出典】 アサート No.429 2013年8月24日

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【コラム】ひとりごと –衰退する労働組合運動から、まだなお芽生える可能性– 

【コラム】ひとりごと –衰退する労働組合運動から、まだなお芽生える可能性– 

■現在の労働組合を組織形態的に見ると、企業内組合と地域ユニオン(合同労組)に大別される。
一部、産別組合(海員組合)や職種別組合(全建総連)もあるが、極めて日本では特異な存在である。そして企業内組合の中でも大企業の基にあるビッグユニオンの多くは、連合傘下にある。
■ここで連合が民主党支持であることは、周知のことであるが、小生には何故、連合が民主党支持なのか、実際のところ、よくわからない。連合幹部は、働く者のための制度・政策を実現するには、連合推薦の候補者を選出し、国政に反映すべきだからというのであるが、では連合が国政に反映すべき制度・政策とは何かを体系的に示した大綱のようなものが見たことがない。確かに運動方針上は、一定の政策事項も記載されているが、例えば参議院選挙の争点であった原発問題や、消費税問題などで、統一した見解を示していないのではないか。もちろん、これには連合内部・民主党との関係で言うに言われぬ事情もあってのことで、多少、意地悪な指摘だとしても、少なくとも労働者派遣法や解雇制限の規制強化、労働基準法の徹底遵守(監督官の増員)、公務員制度改悪の阻止等々、労働政策についての政策協定に基く民主党支持であるべきであり、それなら組合員にも説得力があるだろう。
■さて中小企業における労働組合あるいは労使関係は、労使協調的な組合もあれば、常に緊張関係にある労働組合もある。ただ極めて抽象的ではあるが、使用者(経営者)も発注元からの単価の切下げ、切迫した納品期限や値切り等で、極めて厳しい経営環境にあり、それだけにそこに働く中小企業労働者も厳しい労働条件下にあって、労使関係もシビアになりがちであることが推察される。
 また、中小企業の場合、ワンマン経営体質が強い傾向にあって、よく不当労働行為救済事件でも中小企業に多いことに見られるように、中小企業の使用者(経営者)にとって、労働組合の存在自体が、経営上の桎梏となって、弾圧的あるいは懐柔的な対応に終始したり、ましてや新規設立の労働組合ともなれば組合潰しに奔走することも、よく見られることである。
■いずれにしても、日本の労働組合の組織率は、官公労を含めても20%を割る低率で、それに企業内組合が中心となると、欧米に比べても社会的規制力は弱いと言わざるを得ない。「社会的規制力」とは、例えば「最低賃金の引上げ」だとか、「解雇規制の厳格化」だとか、「労働時間(残業時間含む)の規制」だとか、労働者の権利保護の政策的圧力のことである。
■最近、熊澤誠の「労働組合運動となにか」(岩波書店)を読んだが、日本の企業別組合中心型では社会的規制力が、どうしても弱い側面があるが、それでも、それを打開するには、やはり労働組合運動でしかないことを唱えている。そのためのプロセスとして、職種別・産業別労働条件の標準化政策を打ち出すことを提起している。それと合わせて、非正規雇用の受け皿ともなっている地域ユニオンにも着目して、地域から職種別・産別連携を模索すべきだと言っている。
■地域ユニオンの実際の活動状況は、その多くが個別労使紛争に取り組み、その個別問題が終焉すれば、当事者も地域ユニオンから離れることが多く、なかなか組織拡大にはつながらず、これが地域ユニオンにおける現状の限界性だと言える。
■その意味で小生も、この提案に賛成で、他の地域ユニオンとも交流を深めながら、企業別・個別ユニオンの枠を乗り越えて、職種別・産別からの制度・政策要求から取り組みを拡大してはどうかと思う。既に管理職ユニオン関西は、内部の熾烈な論争の後、その運動方針で取り組みを進めようとしている。
■今日、労働組合運動は、その存在意義自体、問われるほど衰退しているが、しかし、それでも労働者の地位・労働条件の向上を図るのは、その自身の主体-労働組合でしかない。この衰退と閉塞感の中、なんとか打開するヒントはないものだろうか。その問題意識から書いた駄文であることをお許し願いたい。(民) 

 【出典】 アサート No.429 2013年8月24日

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【本の紹介】『ドイツ左翼党との交流記録』

【本の紹介】
『ドイツ左翼党との交流記録』

         (新社会党訪独団(有志)発行、2013/3/10発行、頒価300円)
『ドイツ左翼党の挑戦』
          (木戸衛一著、せせらぎ出版、2013/4/1発行、700円+税) 

 友人より上記の二冊の本の寄贈を受け、その内容が非常に多くの示唆と刺激に富むものと感じられましたので、以下に紹介いたします。2007年6月16日にベルリンで誕生した新党「左翼党」(Die Linke)の前史と現在に至る詳細な報告となっている。

ドイツ左翼党の挑戦ドイツ左翼党が様々な試練の中で形成してきた党の性格>:スターリン主義との決別=権威主義的なイデオロギー的、政治的、組織的な原則との決別。女性が少なくとも半分になるクォータ制、複数主義政党、潮流、様々な作業グループ、テーマ別のグループの存在、基本路線としての民主的な社会主義、といった党の性格が浮き彫りにされている。これらは日本においてもあり得べき、獲得すべき姿であり、全世界左翼の、左翼に限らずあらゆる民主主義的・市民的諸活動、諸組織の共通の課題だと改めて感じさせられるものである。

<潮流というものの存在>:とりわけ注目されるのは、独自の規約をもち、ネット上で意見を公表し、同時に他の潮流に入っていても構成員になれるし、左翼党員でなくても入れる、250人以上の潮流であれば党大会の代議員も、潮流のための活動の予算の割り当てもある、そうした潮流の存在が認められ、評価されていることである。
 こうした実態は、それ以前のバラバラでいがみ合って、潮流といったものの存在それ自体が認められず、「反党分子」や「分派主義」などといったレッテル貼り、唯我独尊主義と打撃主義とセクト主義が横行する日本では考えられないことであり、大いにこの経験を取り入れ、生かすべきであろうと思われるが、そのようなかすかな素地さえない日本の現状との違いに当惑させられる。

<社会主義とは一体何なのか>:そしてこの左翼党が提起している重要な問題として、社会主義とは一体何なのかという問題があり、論議が積み重ねられている状況が読み取れることである。単なる所有権の社会化ではなく、実際に参加し、決定できる社会化、経済から環境に至るあらゆる分野における民主主義と基本的人権の徹底こそが社会主義であるという、そうした基本原則こそが、横行するグローバリズムと新自由主義に対置すべきオルタナティヴとしての、社会主義であるという問題提起である。

 その他、ベーシックインカムについての論争、国会議員が執行部の過半数を超えてはいけないという原則、38の欧州の左翼政党が結集する「欧州左翼」、等々、多くの示唆と教訓、問題提起に富む文書である。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.429 2013年8月24日

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【投稿】参院選・安倍政権大勝と比例する弱点・アキレス腱

【投稿】参院選・安倍政権大勝と比例する弱点・アキレス腱

<<アベノミクスの恩恵>>
 参院選の結果は、自民圧勝に終わり、憲法改悪への動き、緊張激化と軍事費拡大路線、庶民増税と大資本・富裕層減税、解雇規制緩和、非正規労働の拡大、派遣労働の期間制限撤廃、TPP参加による農業と国民皆保険制度の破壊、等々、安倍政権の緊張激化と市場原理主義と弱肉強食の新自由主義路線の動き、そして原発再稼働路線はこれまでにもまして加速されるであろう。日本社会の、小泉政権以来明確に推し進められてきた格差社会路線が、より一層激しい超格差社会へと変貌させる路線の足場が築かれたのである。
 本来ならばこうした大衆窮乏化路線は支持されるはずもないものである。にもかかわらず支持を拡大させ、過半数議席獲得を許したものは、色々な理由が上げられようが、究極のところは、安倍政権の景気拡大政策であったといえよう。民主党政権への政権交代で、新自由主義からの脱却を期待していた庶民の願望は、民主党内松下政経塾派の新自由主義・対米追随路線が主導権をとることによって、緊縮財政路線と増税路線、規制緩和路線によってことごとく裏切られ、小泉政権時代よりも非正規労働が蔓延し、デフレ不況をより一層深刻化させたのである。
 アベノミクスは、本質は同一、より悪質であったとしても、一見これとは異なる景気拡大路線を対置し、国土強靭化計画等、公共投資拡大路線を打ち出し、最賃や賃金の引き上げまで財界に要請するポーズまでとったのであるが、反自民勢力の側には、これに対置されるべき政策がまったく提起できなかったのである。一昨年3月11日の東北大震災と福島第一原発事故は、日本社会がこれまでとはまったく違った政策への転換、脱原発を基幹としたエネルギー政策と疲弊したインフラと防災、介護・医療をも含めた社会的公共資本を再構築する産業政策の根本的転換を促進する、そのようなニューディール政策の提起をこそ要請していた。しかし、新自由主義の足かせはむしろ野党内に根強くはびこり、何も打ち出せずに、ただ傍観して自民の独走を許してしまったことに根本的な敗因があると言えよう。庶民は、アベノミクスの恩恵は「自分には及んでいない」し、「期待してもいない」が「民主党政権よりはましなのかな」という程度のもので、間近に迫らんとするアベノミクスの化けの皮が剥がれる前の段階で、選択肢がそもそもなかったのである。そして安倍政権と自・公与党は、アベノミクスを前面に打ち出す一方で、憲法改正や原発再稼働、TPP、消費税増税、格差拡大問題など国論を二分し、自己に都合の悪い課題はすべて争点からぼかし、野党の批判をかわす戦略が功を奏したのである。

<<沖縄で与党敗北の意義>>
 そうした選挙情勢の空虚さこそが、自民党の大勝を許し、民主党の大敗をもたらし、戦後3番目の低投票率をもたらし、沖縄以外の46選挙区すべてで前回よりも投票率を低下させたのである。
 その沖縄選挙区(改選数1)では、地域政党・沖縄社会大衆党委員長で現職の糸数慶子氏が自民新顔を破り、3選を果たしたことの意義は極めて大きい。31ある全国の1人区で29議席を確保する圧倒的な強さをみせたその中で、沖縄で与党が敗北したのである。資金と運動量、組織力では自民、公明のほうがはるかに大きいと言われ、安倍首相はじめ多数の閣僚を沖縄入りさせるなど強力なテコ入れをしたにもかかわらず、沖縄社会大衆党、生活、共産、社民、みどりの風の「野党共闘」がこうした自民の追い風を跳ね返し、普天間基地の辺野古移設と改憲を掲げる自民党との対決姿勢を鮮明にして、統一した闘いを展開した結果、勝利したのである。反自民統一戦線が勝利し得ることを実際に証明してみせたのである。沖縄以外でこうした野党共闘が一件も成立しなかったことこそが問題であろう。
 共産党は沖縄では「野党共闘」を拒否できなかったのである。独自候補を立てていれば、今回の共産党の躍進も期待できなかったであろう。共産党はこの際その教訓をこそしっかりと汲み取るべきであろう。「自共対決」こそが参院選の最大の論点であるかのように主張し、我が党以外、「いま日本に政党と呼べる政党は一つしか存在しない」と声高に主張し、市民団体や個人が野党共闘を呼びかけ仲介しても、「存在しない」他の政党との共闘は一切拒否する共産党である。その共産党が、東京、大阪、京都の選挙区で議席を獲得した意義は大きいといえるが、獲得した議席は、「目標5議席」としていた比例区を合わせて8議席である。非改選を含めて自民115に対して共産11である。議席数では第5位政党である。目標が5議席で、これのどこが「自共対決」であろうか。たとえ11であろうが、自民と正面から対決できる政党の存在意義は大きいと言えるが、それは他の多くの諸派や無所属を含めた多数派を結集して初めて力を発揮できるものであり、野党共闘や統一戦線の要として信頼されてこそ力になるものであり、改憲阻止は野党共闘や広範で強大な統一戦線の形成なしには達成されえないものである。少々の躍進に浮かれ、自己を唯我独尊的、セクト的に囲い込み、過去や細部の違いにこだわる不寛容な今の共産党の姿勢からは、客観的には自民党の対抗的補完物にしかなりえないものである。
 参院選直前の都議会選挙で共産党の議席が倍増したことについて、共産党の佐々木憲昭衆院議員が<都議選の得票数は61万6721票、前回は70万7602票。得票率は今回は13.61%、前回は12.56%でした。有権者比では今回5.9%、前回6.8%です。議席は倍増でしたが、現実は甘くはありません。>とツイートした冷静で客観的な自己分析できる力こそが問われていると言えよう。

<<改憲発議3分の2達せず>>
 それと同時に注目すべきは、東京選挙区で反原発を訴え、当選を果たした無所属の山本太郎氏が、立候補の過程でその直前まで比例区・選挙区を含め何度も野党統一戦線や統一候補の可能性を探り、結局「今は一人の党」で立候補したのであるが、全国から多くの若者やボランティアが結集し、短期間に一つの大きな渦を作り得たという現実である。そうした様々な力をいかに作り上げ、結集し、巨大な力に盛り立てていくか、そうした努力こそが問われているといえよう。
 憲法改悪問題にしても、いかに自民党が大勝したとはいえ、なおそれでも憲法改正に積極的な自民、みんな、維新など各党の議席は非改選と合わせて、自民115、みんな18、維新9、計142であり、改憲の発議に必要な参院3分の2(162議席)には達していないのである。衆議院では、自民、維新、みんな3党で、すでに3分の2にあたる320議席以上を確保しているが、安倍政権が「友党」と頼む日本維新の会が橋下代表の慰安婦発言等により明確な低落傾向を示したことにより、達成できなかったのである。
 安倍晋三首相は20日夜、東京・秋葉原で行った参院選の最終演説で、これまでほとんど言及していなかった憲法改正への意欲をわざわざ表明し、「誇りある国をつくるためにも憲法を変えていこう。皆さん、私たちはやります」と異例な訴えをしていたのであるが、議席確定後は「経済政策を進め、改憲は落ち着いて議論」と主張せざるを得なくなった。とはいえ、民主党から改憲派が合流する可能性が存在しており、公明党を「加憲」で切り崩す可能性もある。
 その意味で情勢は常に流動的であるが、自民一強体制が築かれたからこそ、自民自身の内部矛盾も激化せざるを得ない。安倍政権は、憲法改正や原発再稼働、TPP、消費税増税、格差拡大問題、歴史認識や慰安婦問題など、いくつもの問題で弱点、アキレス腱を抱えているのである。その意味では砂上の楼閣である。これを突き崩し、切り込む闘い如何で情勢は大きく転換しうるし、転換を成し遂げうる政策と一人一人の個人が自由に参加することのできる幅広い力の結集こそが問われている。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.428 2013年7月27日

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【投稿】 原発―死を「命令」する技術体系

【投稿】 原発―死を「命令」する技術体系
                             福井 杉本達也 

 原発の新安全基準が公布されたことで、7月8日、関電など4電力事業者は大飯・高浜など10基の原発再稼働の申請を原子力規制委員会に行った(玄海原発は12日申請)。福島第一原発事故の原因も分からず、100トンもの融けた核燃料がどこにあるのか、数万トンもある汚染水はどこへ流れていくのかさえわからない泥縄式の事故対策のまま原発を再稼働したいというのである。柏崎刈羽原発の再稼働を申請したいという東電社長の説明に、新潟県の泉田知事は「安全よりおカネ優先ということですね」と迫った(日経:2013.7.6)。カネの亡者と化した我国のパワーエリート層は自らの立ち位置さえ見失っている。

1 死ぬ可能性のある命令に従う技術者集団を(小熊英二)
 福島第一原発が危機的状況に陥った2011年3月11日以降のいわゆる「東電撤退問題」について、『現代思想』誌上で菅直人元首相は小熊英二からインタビューを受けている。小熊は菅の「回想記」などから3月15日未明、東京電力は、福島第一原発からの撤退を打診した(官邸はそう受け止めた)。ヨーロッパなら軍隊は政府の命令ならば残るだろう。しかし、民間会社の従業員ならばみんな残ることを断る。東京電力は民間会社だから死者が出たら責任を負うことは困難である。だから撤退していいかと聞いてくるのも無理もない。しかし、福島第一原発からあのとき作業員が全員撤退していたら、最悪の場合首都圏5000万人が避難しなければならず東日本全体が人が長く住めない地帯になる可能性があったと論点整理の後、菅に問いかける。「原発というのは、最悪の場合には誰かに死んでもらう命令を出さなければならいものであり、日本にはその仕組みがない」ことが如実に示されたと。なぜ「撤退はあり得ない」と決断しえたのかと。菅は、東日本全体が避難を余儀なくされれば、経済も立ち行かなくなり、政治も大混乱になる、「まさに日本という国自身が成り立つかどうか、その瀬戸際に追い込まれることを意味した」、そして、自衛隊や消防は原子炉の専門家ではなく、東電以上に事故対応能力を持つ組織はなかった、と答えている。必要性からやむなく、場合によっては誰かに死んでもらう政治判断がなされた。これを受けて小熊は「原発を維持するなら死ぬ可能性のある命令に従う技術者集団をどこかに作らなければならない」という(菅直人×小熊英二「官邸から見た3.11後の社会の変容」『現代思想』2013.3)。
 一方、3月16日、キャンベル米国務次官補は藤崎駐米大使を呼びつけ「事故は東京電力の問題ではない。国家の問題だ。原発が非常に危険な状態になっている。それを承知で数百人の英雄的な犠牲(Heroic Sacrifice)が必要となってくる。すぐに行動をおこさないと行けない」(朝日:「プロメテウスの罠」2013.1.6)と命令した。米軍は当にするな、米国民の保護のためにしか出動しない。日本国民の「犠牲」の上で早く始末しろということであった。

2 「犠牲」から目を背けるな(山折哲雄)
 これに対し、宗教学者の山折哲雄は「西洋文明には犠牲を前提にして生き残りを図る思想が根本にある」「象徴的なのが、旧約聖書に登場する『ノアの方舟』」であるとし、「フクシマ原発事故でも、作業員の命が犠牲になっても事故を食い止めるべきだという考えが貫かれている」と批判する(山折:「欲望追求の思想は破綻している」『エコノミスト』2011.11.1)。しかし、と山折はいう。我が国では「『撤退』論や『退避』論のなかで、犠牲という問題が正面からとりあげられていないらしいことだった。現場にふみとどまってもらえば、犠牲が出るかもしれない、だから全員を撤退させようと考えたのか、それともたとえ犠牲が出るとして一部の人間だけにはどうしても残ってほしいと考えたのか。」「人命の犠牲にかかわる危機的な論点がやはり隠されていたというほかはない。…犠牲という言葉を使うことが慎重に回避されていたのではないだろうか。」「わが国のメディアのほとんどは、その翌日から、この犠牲という観念と表裏一体の『ヒーロー』という言葉をいっせいに使わなくなる。封印してしまった」「危機における生き残りの道をどう考えるのか」(山折:「危機と日本人-『犠牲』から目を背けるな」日経:2012,6.24)と問う。

3 死を内包する技術体系(筒井哲郎)
 「最悪の場合には誰かに死んでもらう命令」は誰がどのように出せるのか。「最大多数の最大幸福」の為に、「選ばれた少数者」は死ねということができるのか。「選ばれた少数者」とは具体的には誰なのか?東電社員なのか?自衛隊や公務員なのか?くじで決めるのか?志願か?
 プラント技術者の筒井哲郎によると、3月13日、原子炉に注水するための消防車をだれが運転するかに議論が集中したという。放射線量が異常に高い中での作業を東電の社員も地元消防も拒否する中で東電の子会社「南明興産」の社員3名が“恫喝”されて現場に入ったものの、3号機の爆発で負傷した(「死を内包する技術体系」『世界』2013.7)。究極の「死んでもらうもの」は平等ではない。強制的な「志願」もある。高見の見物をするものと立場の弱いものに分けられる。
 筒井は「過酷な問」であると断わりながら「高線量を理由にベントを諦めて爆発を受容しようという態度、原子炉の冷却手段がなくなったから原発を放棄して、爆発・放射性物質の飛散があろうともあとは成り行きに任せようという態度は、原発という技術体系を指揮・運転していく際に許されることであろうか。一般市民の中から千人単位あるいは万人単位の死者を出す事態を防ぐために、数十人あるいは数百人の責任ある関係者の生命を犠牲にするということが必要ではないのか…。」(筒井:同上)これが原発の本質ではないかと自問自答する。「10人の命を救うために1人の人を殺すことは許されるのか」(加藤尚武『現代倫理学入門』)。

4 「死」を「命令」する無内容な「国家」
 「最悪の場合には誰かに死んでもらう命令を出す仕組み」=「国家」をカール・シュミットは「国民の特別な状態であり、しかも、決定的なばあいに決定力をもつ状態であって、」「絶対的状態なのである。」と定義する。「決定的な政治的単位としての国家は、途方もない権限を一手に集中している。すなわち、戦争を遂行し、かつそれによって公然と人間の生命を意のままにする可能性である。」「それは、自国民に対しては死の覚悟を、また殺人の覚悟を要求するとともに、敵方に立つ人びとを殺りくするという、二重の可能性を意味する。」(シュミット:『政治的なものの概念』)という。
 ところが、今回の福島原発事故で、国家は「知識」も「決定力」も「実行力」も何も持ち合わせていないことが明らかとなった。国家という組織体の中身は空っぽ=主権者(王様)は裸であることが明らかとなった。事故を収束させる為の何の見通しも見識も持たず、根拠のない楽観論だけが支配した。原子力の安全の全てを把握しているはずの斑目原子力安全委員長は菅元首相の問いに原発は「爆発はしない」と明言した。実質的な責任者中の責任者であるべき寺坂信昭原子力・保安院長は3月11日午後7時すぎには職場放棄してしまった。その後国会事故調の参考人聴取に対し「私はどうしても事務系の人間でございますので」と答えている。
 戦争にあたり、国家は通常「敵から人間としての性質を剥奪し、敵を非合法・非人間と宣告し、それによって戦争を、極端に非人間的なものにまで推しすすめようとする」(シュミット:同上)が、それでも相手は人間である。核の場合相手は目に見えない放射線であり、あらゆる物質を貫通し、大量に浴びれば即死であり、又は数週間以内に死亡する。低線量被曝でも将来がんになる。しかも、人間の寿命の何十倍・何万倍もの長期戦を強いる。そのようなものに“からっぽ”の国家の命令で闇雲の「犠牲」を強いるならば「犬死」以外の何ものでもない。そもそも、原発事故はいつどのように起こるか、どのように推移するさえ分かっていない。発電所の大きな損傷と放射能の放出に至った事故は、ウインズケール・スリーマイル・チェルノブイリ・福島があるが、各事故は別々の原因で起こっている。「これは原子力発電はまだ極めて未熟な技術で、どのような原因で事故が起こるかもまだ本当にはよく分かっていない」ということである(牧野淳一郎:「畑村委員会中間報告に書かれていないこと」『科学』2012.2)。「決定的な場合の決定力」は自然の方に握られており、全くの未知である。

5 「正しい選択」とは?
 「『危機的状況を乗り越えるために正しい選択をするにはどういう能力がいるんでしょう?』とか。でも実は、そんな問いをしている時点でもう手遅れなんですよ。AかBのどちらかを選んだら生き残る、どちらかを選んだら死ぬ、というような切羽詰まった『究極の選択』状況に立ち至った人は、そこにたどり着く前にさまざまな分岐点でことごとく間違った選択をし続けてきた人なんだから。それまで無数のシグナルが『こっちに行かないほうがいいよ』というメッセージを送っていたのに、それを全部読み落とした人だけが究極の選択にたどり着く。」「正しい決断を下さないとおしまい、というような状況に追い込まれた人間はすでにたっぷりと負けが込んでいる。」(内田樹『評価と贈与の経済学』)。
 人類は「将来の技術的が解決する」、「今儲かればよい」、「取りあえず今の生活」、「誰か何とかしてくれる」、「地下に入れて見えなけれ」、「10万年後には誰もいない」として過去71年間、核に対しことごとく間違った選択を続けてきてしまった。その結果、日本は福島原発で「10人の命を救うために1人の人を殺す」選択をせざるを得ない立場に追い込まれてしまった。正しい選択とは『究極の選択』=『出来ないような選択』をしないことである。そのためには核を放棄するしか『選択』の道はない。 

 【出典】 アサート No.428 2013年7月27日

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【本の紹介】日本経済の憂鬱–デフレ不況の政治経済学–

【本の紹介】日本経済の憂鬱–デフレ不況の政治経済学–
         佐和隆光 ダイヤモンド社 2013年6月27日 1600円+税 

 アベノミクスとは一体何なのか。政権が変わるだけで、円安になり、株が上がり、経済がよくなったのか。いろいろな「アベノミクス関連本」を読んできた。今回、紹介する本を読み、これが一番的を得ているのではないか、と感じたので、紹介したいと思う。
 
 <自民党のポピュリズム的選挙戦略>
 「アベノミクスはあやうい。ねらいは、小泉構造改革との決別、そして国家資本主義の復活なのだ。」これが、本の表紙に書かれている。
 本書の構成は、まず前政権である民主党政権の敗北の要因分析で始まり、次にアベノミクスの解明という展開である。
 「・・・3年3ヶ月間、政権の座にあった民主党は、長引く経済停滞に不満を鬱積させた有権者の『声なき声』を聴きとるに足る感性を持ち合わせていなかった。2009年衆議院選挙の民主党マニュフェストは、リベラル色を鮮明に打ち出していたのだが、その中身は分配面の施策に片寄りすぎており、欧米のリベラリストがもっとも重視する経済成長や雇用への配慮を欠いていた。・・・一言で言うと3年3ヶ月つづいた民主党政権の『経済無策』こそが最大の敗因だったと、私は考える。」(P12)
 一方、自民党は「機を見るに敏だった」。経済無策の民主党の虚をついた。自民党の公約は「経済を取り戻す」「安心を取り戻す」として、経済成長、社会福祉、雇用に関する公約が大半を占め、「デフレ・円高不況を克服する成長戦略を前面に打ち出した。」優れて、ポピュリズム的選挙戦略が功を奏した、と著者は語る。
 小泉構造改革は、市場にすべて委ねるという意味で、新自由主義を純化させたが、安倍の経済政策・アベノミクスは、規制緩和等は含まれているが、「官主導」が明らかである。 

<正体不明のアベノミクス>
 「①日銀の独立性の侵害、②公共投資の大幅増額、③道路特別会計の復活、④国債の乱発、⑤高額所得者への増税、⑤日本企業の海外展開を支援する官民ファンドの創設・・など、(アベノミクスは)産業政策的色合いが濃いこと、そして「人からコンクリートへ」の資金のシフトを際だたせる一方、相続税の増税、高額所得者の所得税増税というリベラルな税制改革を組みあわせるなど、アベノミクスは、保守とリベラルと言う対立軸を超越した、経済成長至上主義に徹する経済政策にほかならない」(P27)と著者は分析する。
 それは、小泉政権が、ぶっ潰そうとした古い自民党の復活でもある。
 第四章日本経済の躍進と挫折、第五章日本経済はどこへいくでは、アベノミクスの三つの矢の分析や、個別政策の評価を行い、問題点を指摘されているが著者は、敢えてアベノミクスの評価を下していない。まだ、結果は出ていないという意味であろうか。
 円安・株高で、高額所得者や資産家の支出は増えても、経済的弱者には、何の成果も出ていないこと、制限のない国債の乱発と金利上昇にどう対処するのかも、シナリオが示されていないことなど、まさに「アベノミクスはあやうい」と指摘される。
 
<民主党は、リベラル政党なのか>
 アベノミクスの分析に続いて、日本の戦後政治の変遷、民主党の政権交代後の対応にも厳しい批判を展開される。私がすっきりした印象を持つのは、むしろこの部分かもしれない。「正統派リベラル政権ならば、まずは正規雇用の確保と賃金の上昇を第一義とし、そのために必要不可欠な経済成長に取り組み、消費税増税ではなく個人所得税の累進性を高めることにより財政赤字の縮減をはかりつつ、公共投資を誘い水とする内需誘発効果を発揮させ、国内総生産(GDP)の成長と拡大をめざすべきであった。」(P179)
 それが出来ない民主党であって、リベラルと保守、そして新自由主義が混在した政党だったため、消費増税を巡り分裂も起こり、アベノミクスにも、一貫した批判と対案が打ち出せないのだろう。
 「日本経済の憂鬱」との題名だか、政治の憂鬱も解明されているように思う。(2013-07-22佐野) 

 【出典】 アサート No.428 2013年7月27日

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【書評】『チベットの秘密』

【書評】『チベットの秘密』
     ツェリン・オーセル/王力雄著、劉燕子編訳
      (集広舎、2012年11月発行、2,800円+税) 

 「チベット女流詩人のツェリン・オーセル(茨仁・唯色)は、中国共産党の独裁体制下で出版を禁じられ、日常的に様々な制約や圧力を受け、さらに何度申請してもパスポートを取得できず、その不当性を提訴しても受理されないため、自分を『国内亡命者』と呼んでいる」(本書の編訳者、劉燕子による解説)。
 本書は、中国によって「解放」されたはずのチベットで現在何が起こっているかを,詩とエッセイによってわれわれに知らせる。著者のオーセルは1966年文化大革命下のラサに生まれ、少数民族幹部育成を目的とした西南民族学院で漢語文(中国語・中国文学)を専攻し、ラサで『西蔵文学』の漢語編集者となった。しかし2003年に出版したエッセイ集『西蔵筆記』に「政治的錯誤」があるとして発禁処分、解職となった。その後中国当局による監視・自宅軟禁、「ネット愛国者の非難やサイバー攻撃」を繰り返し受けつつも、「チベットの秘密」—-中国政府によるチベット語・チベット仏教・固有の文化・生活様式の否定(文化的ジェノサイド)、環境汚染、資源の枯渇、徹底的な情報統制、プロパガンダ──を国際社会に知らせ続けている。
 そのチベットでの最大の事件が「三・一四事件」(2008年)である。チベット各地で発生して世界中の衝撃を与えたこの事件は、中国当局によって大規模な暴動とされた。しかしオーセルは、「これは、三月十日から始まりました。この日はチベット史において最も悲壮な記念の日です。四十九年前、無数のチベット人が立ち上がり、チベットを占領した中共に抵抗しましたが、武力鎮圧され、ダライ・ラマ尊者と数万のチベット人は、故郷を追われ、異国に亡命しました。そのため三月十日は、チベット人が骨に刻み、心に銘記する日となり、また中共がものものしく警備を固める日にもなりました」(エッセイ「チベット・二〇〇八年」)と歴史的な経緯を指摘する。そして「三・一四事件」が決して突発的なものではなく、三月十日以降、僧侶たちの平和的な請願に、当局の軍隊・警察による過酷な暴行が加えられたことに対する爆発であったと訴える。
 そしてその後の状況を次の文章が伝える(エッセイ「ラサ駅」)。
 「ラサから中国内地に向かう列車はみな早朝に発車しますが、チベット暦の土鼠年(2008年)の三月は、しばらく運行しませんでした。もちろん、運行停止となったのは、中国と外国が出資し、マスメディアが注目するモダンな旅客列車で、その代わりに兵士と武器を運ぶ軍用列車が走りましたが、外部にはほとんど知られていません。/〈略〉/他にも外部に知られていないことがあります。二〇〇八年四月、三大寺の僧侶が千人も頭に黒い袋をかぶせられて、ラサ駅に連行され、古い汚れた列車で運ばれて行きました。目撃した者によれば、靴さえ履かない裸足の僧侶もたくさんいたそうです」。
 さらに次のような場面もある。
 「あの時、ラサ駅は、僧侶が追放されただけでなく、チベット人を拘禁する臨時刑務所にもなりました。駅の中の二つの大きな倉庫は臨時の監獄となり、数千名のチベット人が拘禁されました。官制の新聞は『「三・一四」で暴力、破壊、略奪、放火した者』と書きましたが、でも、大多数は全く加わっていません。その中には、野菜を買いに出た家政婦もいれば、通勤途上の会社員もいます。(略)他にも大学生から制服姿の中高生まで百人以上も連行されました。/捕まえたのは軍隊や公安警察でしたが、軍隊の手にかかるとこの上なく悲惨でした。様々な虐待を受けました。受刑者たちは、自分で刑具を選ばせられました。鉄の棒を選んだ者は肋骨を折られました。バネを選んだ者は皮や肉を挟まれて剥ぎ取られました。電線を選んだ者は知覚を失うほど電流を通されました、等々」。
 この後チベットでの日常生活は変わっていく(エッセイ「いつも『サプサプチェ』という声が耳元に響いている」)。
 「チベット暦の土鼠年(二〇〇八年)のある日でした。私はキオスクの公衆電話を使い、(略)二人の友人に時候の挨拶をしました。二人とも『大丈夫、何とか安全だ』と言いました。二人はそれぞれ異なる場所にいますが、同じように『サプサプチェ(本当に気をつけて、という意味)』と繰り返し言い続けました。(略)そして、ある年のロサル(チベット暦の元日)に、ラサで、一人の友人が酒の力を借りて本心を吐露したことを思い出しました。 『今じゃ、時候の挨拶を交わす時にタシデレ(タシは喜慶、デレは吉祥を意味し、タシデレで『おめでとう』を意味する挨拶になる)なんて言わなくてもいい。おれたちはタシでもないし、デレでもない。お互いにサプサプチェと言って気をつけていなければならないんだ」。
 さらにこうした弾圧に並行して、「西新プロジェクト」なる「政治プロジェクト」が強力に推し進められる。その狙いは、「極めて効果的な送信機を配置して、国際メディアの情報が入りこむのを妨害すること」にある。例えばVOAのチベット語放送を視聴できなくするために「一千以上のステーションを設置し、上空に侵入不可能の金城鉄壁を構築」し、寺院や民家にあった衛星放送受信設備を没収、廃棄する。また「二〇〇九年三月、当局は衛星放送受信設備をチベット人に特注し、『チベット百万農奴解放記念日』の贈り物だとして、都市から農村、遊牧地域まで各家庭に配りました。それは、チベット人が『党と国家の声』しか聞かないようにするため」であった(エッセイ「『敵の声を封じ込める』という『西新プロジェクト』」)。
 こうして二千十二年二月、チベット自治区党委員会書記の陳全国は、このプロジェクトについて次のように語っている。
 「チベットではインターネットや携帯電話の実名登録の優位性を発揮させ、情報システムの管理監督を完遂し、空中、地上、ネットからの侵入を阻止するコントロール・システムを修築し、自治区一二〇万平方キロメートルの広範な地域において、党中央の声が聞こえ、党の姿が見え、ダライ集団の声は聞こえず、姿も見えないことを徹底させ、イデオロギーと文化における絶対的な安全を確保する」と。
 しかしこうした政策にもかかわらず、中国当局へのチベット人の抵抗は止む気配がない。それは彼らの心の奥底に関わっている問題だからである。著者は語る。
 「漢民族の文化には『落葉帰根(落ち葉は根に帰る)』ということわざがあります。根(ルーツ)とは、先祖代受け継いできた故郷で、いかなる民族にとってもかけがえのない独自の生の空間です。ですから、何と言おうとも、チベット人からルーツを冷酷に根こそぎ抜いて、全く無頓着に、ただ食べて、排泄して、寝るだけしかできない牛小屋同前の住居を与えて、すべてお終いにするなどということは許されません。人間は家畜ではないのです」(エッセイ「内部調査書が示す、移住させられたチベット人の悲惨な状況」)。
そしてチベット人の燃え続ける抵抗の炎は、監獄に捕らわれた尼僧たちの詩に託して語られる。
 「彼女たちが朗唱する軽やかな声が聞こえて来るようです。/『かぐわしい蓮の花は、太陽[毛沢東は「紅太陽(赤い太陽)」と崇拝された]に照らされて、枯れてしまいました。/チベットの雪山は、太陽の熱で焼け焦げてしまいました。/でも、永遠の希望の石は命をかけて独立を守る私たち青年を守ります』(『タプチュ監獄で歌う尼僧』の歌声の一つ)/いいえ。いいえ。私は政治の暗い影を決して詩に入れるつもりはありません。/でも、どうしても考えてしまうのです。獄中の十代のアニはなぜ恐れないのでしょう?」
 このように本書は、われわれの知らされていない、政治のみならず、言語、宗教、文化、生活習慣等々、あらゆる面で抑圧され、鎖に繋がれたチベットの状況をリアルに伝える。その闘いはこれからも続くであろう。しかし本書には同時に、著者のパートナーである王力雄による「チベット独立へのロードマップ」も収められており、チベットの将来への指針となっている。さらに言えば、現在中国政府がチベットに対して行っている植民地政策は、かつて日本帝国主義が朝鮮の人びとに対して行った文化的ジェノサイドと共通の様相を呈してはいないだろうか。チベット問題は、中国の政治体制の民主化の問題であると同時に、われわれの現在と過去に関わる問題でもある。(R) 

 【出典】 アサート No.428 2013年7月27日

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【コラム】ひとりごと –橋下市長の「従軍慰安婦」発言に思う– 

【コラム】ひとりごと –橋下市長の「従軍慰安婦」発言に思う– 

<他人事のような必要悪論>
■橋下市長が、5月13日に「従軍慰安婦」問題について、次のように発言している。
「意に反してか意に即してかは別で、慰安婦制度っていうものは、必要だったということです。それが意に反するかどうかにかかわらず。軍を維持するとか軍の規律を維持するためにはそういうことがその当時は必要だったんでしょうね。」

■この発言で私が、最も問題意識を感じるのは、もちろん女性蔑視の意識が根底にあるのだが、「あの当時は必要だった」と、全く第三者的に考えているところである。そもそも太平洋戦争で日本は、アジア諸国を侵略し、他国の人命と財産、領土、資源を奪ったことは確か。よく「国際法上、侵略の定義は明確ではない」というが、他国の領土に侵攻し、あらゆるものを武力で略奪すれば、言うまでもなく「侵略」である。そういった侵略戦争自体が、最大の人権侵害であり、人類最高の罪悪である。

■そして少なくとも敗戦後、その深い反省の上に立って、平和立国日本として再スタートしたはずである。更に、それは、戦時中に日本が犯した戦争犯罪を後世に継いでまでも背負って世界平和の担い手としての平和国家を目指す決意を示したのであり、その証が日本国憲法でもある。

■従って、戦争自体が多面的にいかに罪悪であるかを認識し、加えて平和都市宣言をしている市長として、自ら平和創造の担い手(主体)になることを自覚しているなら、このような第三者的発言は為しえないのではないかと思うのである。

■よくマスコミに出演する右翼評論家は、日本の侵略戦争の反省を「自虐史観」だとか「いつまで謝罪すればよいのか」というが、例えば自分の家族が近隣の人に殺されば永久的に許せるものではないことと同じで、終わりのない謝罪意識を持ち続けなければならないものである。そして国家間でいえば、その謝罪意識を踏まえながら未来に向かって、どのような友好関係を構築するかが問われるのだと思う。

■橋下市長の発言は、それ自体、上述のように問題意識を感じるのだが、それを何となく同調もしくは受け流す国民の意識にも加害意識の欠如を感じ、その事の恐ろしさもまた強く感じるのである。(民) 

 【出典】 アサート No.428 2013年7月27日

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【投稿】破綻寸前のアベノミクスと原発トップセールス

【投稿】破綻寸前のアベノミクスと原発トップセールス

<<「年収150万円増」の大ウソ>>
 連日めまぐるしく変動する東証株価の乱高下に慌てふためき、アベノミクスの化けの皮が剥がれ落ちようとしているのをなんとか食い止め、巻き返そうと、安倍首相は6/5に発表した「成長戦略第三弾」なるものをぶち上げ、一人当たりの国民総所得(GNI)を「十年後には現在の水準から百五十万円以上増やす」と宣言した。マスメディアのほとんどは「10年で所得150万円増」とこれをこぞって大宣伝したが、肝心要の所得引き上げ政策、賃上げ政策が全く欠落した「成長戦略」であった。これがために巻き返しどころか、かえって東証株価は失望売りが殺到、500円以上の大幅反落という事態を招いた。
 それでも首相は無知か意図的か、そもそもこのGNIは国民や日本企業が一年間に国内外で得た所得を指すもので、従来の国内総生産 (GDP)に「海外からの所得の純受取」(対外資産から得られる利子や配当などの所得)を加えたものであって、企業の所得が含まれるため、個人の所得を示す指標とは別物であり、日本企業や国民が国内外で得た所得の総額を指し、「1人当たり」でも年収とは異なり、国民一人一人の給与や年収=所得とはまったく異なるものであるにもかかわらず、アベノミクスによってまるで国民一人当りの年収が150万円増えるかのように発表し、街頭演説でもそのように嘘をつきまくったのである。
 首相は6/8の都議選の自民党候補を応援する都内各地の街頭演説で、「10年間でみなさんの年収は150万円増えます」「十年間で平均年収を百五十万円増やすと約束する」「成長戦略を進めていけば、間違いなく年収が百五十万円増える」「今後10年で一人あたり平均所得を今より150万円増やす」などと、根拠のない幻想、まったくでたらめな大嘘を平然と繰り返したのである。
 首相は街頭で、「国民の総所得」とは言わずに、もちろんその中身も説明もせずに、「年収」「収入」「平均年収」「1年間の年収」「みなさんの所得」などという言葉にいいかえ、すりかえ、ごまかしたが、一部メディアの指摘に官房長官は、首相の演説はGNIを「わかりやすく説明」したものだと取り繕ったが、完全な詐欺的行為なのである。
 企業が国内の工場を閉鎖して労働者を解雇し賃下げを強行したとしても、海外展開して利益を上げれば、GNIは減らない。さらに国内で企業が儲けても労働者に分配しなれば、GNIは増えるが、労働者の所得は増えないし、圧倒的現実は企業は内部留保をどんどん積み増し、労働者への分配をどんどん減らし、非正規雇用を拡大することによってさらに給与所得を減少させている。解雇しやすくする「限定正社員」制度の導入など格差拡大と一層の人件費縮小を成長戦略の柱にし、最低賃金さえ上げようとしないアベノミクスではさらなる給与所得の減少が追い討ちをかけよう。年収増とはまるで逆の政策を推進しながら、「年収150万円増」などと嘘を平気で繰り返す、直面する都議選や参院選さえ乗り切れればいいということなのであろう。GNIについて無知であれば度し難く、わかっていて人々を欺くとすれば悪質極まりない。いずれにしてもその化けの皮は遅かれ早かれ剥がれざるを得ないといえよう。

<<「恥ずかしい大人の代表」>>
 この種の安倍首相の現実を顧みない軽薄さは、エネルギー分野での「成長戦略」に至っては、「原子力発電の活用」を盛り込み、原発の再稼働に向けて「政府一丸となって最大限取り組む」と明記して恥じない薄ら寒さである。これが「成長戦略」だというのであるから呆れたものである。福島原発事故で、十六万もの人たちが故郷を追われ、もはや故郷に帰れない事実上の厳然たる難民が大規模に発生しているにもかかわらず、除染も放棄し、被災者への援護の手もろくに差し伸べもせずに放置し、本来真剣かつ緊急に取り組むべきこうした課題は無限に先延ばしにし、事故の収束さえ覚束なく、事故収束など不可能な事態に直面しているにもかかわらず、原発再稼働に向けてだけは「最大限取り組む」とは、まったく現実を直視せずに、見たくないものには蓋をする、卑劣極まりない政治姿勢である。
 こうした首相自らの無責任な政治姿勢こそが、あのツイッターで被災者や市民団体を「左翼のクソども」などと暴言を繰り返していた復興庁の水野靖久参事官をのさばらさせていた元凶といえよう。彼は、福島復興に向けた「子ども・被災者生活支援法」に基づく基本方針策定問題などに携わっていたにもかかわらず、左翼のクソどもから、<ひたすら罵声を浴びせられる集会に出席。感じるのは相手の知性の欠如に対する哀れみのみ〉などとツィートし、社民党の福島瑞穂党首に対して〈20分の質問時間しかないのに29問も通告してくる某党代表の見識を問う〉と批判したり、共産党の高橋千鶴子衆院議員に〈通告出していないのはアンタだけ〉とブチ切れたり、タクシー運転手からの釣り銭が多かったことをネットで明かした、みどりの風の谷岡郁子代表を〈釣り銭詐欺〉と呼び、自民党の森雅子・少子化担当大臣を〈我が社の大臣の功績を平然と『自分の手柄』としてしまう某大臣の虚言癖に頭がクラクラ〉とメッタ切りにし、要するにそんなくだらない連中に比して「オレたちは日本の頭脳」と上から目線の「毒を吐く」エリート官僚、しかし自らの果たすべき責務や責任については、「今日は懸案が一つ解決。正確に言うと、白黒つけずに曖昧なままにしておくことに関係者が同意しただけ」と、課題の先送りとウヤムヤ化を「懸案が一つ解決」とほくそ笑むその程度の愚劣な人間なのである。しかしそこに現れている一貫した姿勢は安倍首相と全く同一線上にある、無責任極まりない政治姿勢である。
 そして問題は、安倍首相自身も、6/9、渋谷・ハチ公前で都議選候補の応援演説を行った夜、フェイスブックに<聴衆の中に左翼の人達が入って来ていて、マイクと太鼓で憎しみ込めて(笑)がなって一生懸命演説妨害してましたが、かえってみんなファイトが湧いて盛り上がりました。ありがとう。前の方にいた子供に『うるさい』と一喝されてました。立派。彼らは恥ずかしい大人の代表たちでした>と書き込んだのであるが、その場で反対の討論を行った人たちが持っていたプラカードが、あの自民党のTPP反対のプラカードで、ネット上で、TPP反対に右翼も左翼も関係ないと反撃され、6/10にはあわててこの書き込みを削除せざるをえなかった程度のこれまた愚劣な認識なのである。
 復興庁幹部の『左翼』発言と安倍首相の『左翼』発言とは期せずして一致してしまったのであるが、本質的に軽薄な短絡思考が同一であることを自己暴露しており、安倍首相も復興庁幹部、日本維新の会の橋下氏や石原氏と同様、その担当を、首相を解任されるべき、その程度の「恥ずかしい大人の代表」なのである。

<<「世界一安全な技術」>>
 しかしこの程度の首相が、6/15~20の日程で、ポーランド、英国、アイルランドの3か国を訪問し、日本企業の原子力発電所受注に向け、トップセールスを展開し、6/17-18、英・北アイルランドのロックアーンで開かれる主要8か国首脳会議(G8サミット)では、「アベノミクス」の取り組みを説明するという。
 すでに来日したフランスのオランド大統領との会談では、新興国への原発輸出の推進や、事実上の破綻状態にある核燃料サイクル政策での連携を盛り込んだ共同声明を出し、5月末には、インドのシン首相と、原発輸出を可能にする原子力協定の早期妥結で合意している。国内での現実とは全く相反する、世論の意向を全く無視した、すでに破綻が明確な原子力業界の利益しか代表しない、安倍首相のトップセールスは、日本の原発事故の現実を全く無視した虚言にしか過ぎないものである。
 今回訪問するポーランドでは、同国にチェコ、スロバキア、ハンガリーを加えた4か国と、初の首脳会談を行い、日本企業の原子力発電所受注に向け、トップセールスを展開する方針である。これら諸国でのセールストークは「安全な高い水準の原子力技術を提供したい」「世界一安全な、原子力発電の技術をご提供できます」である(5月、サウジアラビアでの演説)。空々しいのにも程がある。「世界一安全な技術」などとは程遠い、「世界一危険な現実」にどう向き合うかが問われており、その方策さえ見出し得ない現実を全く無視した、虚言そのものである。
 しかし 安倍政権はその「成長戦略」において、2020年の日本企業のインフラ受注額を、現在の約10兆円から3倍の約30兆円に拡大する目標を掲げ、エネルギー分野では、20年の日本企業の海外受注額を推計で9兆円程度と見込み、そのうち原子力は、現状の約3000億円の受注金額が20年までに2兆円に拡大すると見込んでいるのである。
 すでに福島原発事故以来、初めてとなる原発輸出の合意にこぎ着けたトルコとは、三菱重工業とアレバ(フランス)の合弁企業で、黒海沿岸に原子炉4基を建設する、総事業費約2兆2千億円のビッグプロジェクトであるが、日本と同様、周辺をユーラシア、アラビア、アフリカの各プレートに囲まれた地震大国である。安倍首相自身が地元通信社のインタビューに「世界で最も高い安全基準を満たす技術でトルコに協力したい」と答えているが、その世界最高の安全基準を保証できる具体的根拠は全く存在しないのである。にもかかわらずそう答えられる神経は、そうした現実を直視しえない、空約束でしかないものである。おりしも安倍首相のトップセールスに応じたエルドアン首相の独裁政権は、民衆の抗議に窮地に追い込まれている。そして日本の安倍首相のトップセールスも日本の原発事故の教訓や圧倒的多数の世論の動向からは全くかけ離れた原発業界の利益しか代表しないしろものである。地に足のつかない安倍政権は、浮き足立ってバタバタともがいている危険極まりない、原発事故を世界に拡散する「死の商人」の政権である。退陣に追い込むべき広範な世論の結集、一人一人の声の結集こそが要請されていると言えよう。参院選がそのような場になり得るかどうかが問われている。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.427 2013年6月22日

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【投稿】福島原発事故で子供の甲状腺がん多発か?

【投稿】福島原発事故で子供の甲状腺がん多発か?
                          福井 杉本達也 

1 事故後2年で甲状腺がん患者が急増
 福島県は6月5日、東京電力福島第一原発事故の発生当時18歳以下だった子供約17万4000人分の甲状腺検査の結果9人が新たに甲状腺がんと診断され甲状腺がん患者は計12人、疑いのある人は計16人となったと発表した(朝日:2013.6.6)。しかし、朝日新聞は記事を目立たない35面に掲載するなど各紙とも発表の扱いは地味なものであった。甲状腺がんは1万5000人に1人、疑いのある者を含めると6000人に1人割合であり、通常、小児甲状腺がんが見つかるのは100万人に1~2人程度であり、その30~70倍にもなる。福島県によれば、甲状腺検査の対象となる子どもは全部で、約37万人。11年度からの2年間では、約17万5000人の子どもが超音波検査(一次検査、11年度4万0764人、12年度13万4735人)を受けており、そのうち5.1ミリメートル以上のしこり(結節)が見つかったことなどで精密検査(二次検査)の対象となった子どもは、1140人(11年度分205人、12年度分935人)にのぼる。そのうち、すでに二次検査を受けた421人から27人が「甲状腺がんまたはその疑い」とされた(11年度11人、12年度16人、)12年度検査分では、二次検査対象者が935人なのに、実際に二次検査を実施したこどもは255人であり、検査の実施率はまだ3割にも満たない(福島県『県民健康管理調査』②-11 2013.6.5)。今後、二次検査の進捗とともに、甲状腺がんと診断される子どもがさらに増加し、100~200倍にのぼる可能性が高い。明らかな異常値である。

2 がん多発と放射線被曝との因果関係は?
 調査検討委員会の報告の記者会見では、記者の「統計学的には明らかにこれは多発ではないかという指摘もありますけれども」との質問に対し、鈴木眞一福島県立医科大教授は「根拠になる数字というものがまだ、そういうものが無いからこの検診をやっている」。星北斗座長(福島県医師会)は「明らかな(事故の)影響があるとは我々は考えていない。軽々に事故の影響があるとかないとかいえない」。とし、鈴木教授は続けて「甲状腺がんは放射線の影響があるとは明らかには言えない」。「このような大規模な受診率そのものが、普通のは受診率が高くないんですよこれほどに。高い受診率で大規模に、しかもいまの最新の超音波機器を使って専門医がやっている中での発見率ですので、いろんな、比較する元データがございません。」と逃げを打っている。
 統計学的に有意かどうかについては、2011年調査の既にがん手術を行った3例の評価の段階で津田敏秀・山本英二氏が「多発と因果関係-原発事故と甲状腺がん発生の事例を用いて」(『科学』 2013.5)において、「95%信頼区間が21.46倍~ 231.10倍と求められ、統計学的にも有意な多発であることがわかる」とし、「極めて珍しい事象が起こっている」としている。鈴木氏の「大規模な受診率」「最新の機器」というのは苦し紛れのいいわけに過ぎない。元々低線量の被曝において個々のがん発生事例との因果関係を証明するなどということは不可能である。ただ確率的にがんが増加するとだけしかえいない。公衆衛生学の役割は因果関係の有無を議論して対策を先延ばしすることではなく、火事の現場の消防隊長のように、病気が多発しているのに対策をとらなかった場合には、経済的損害に加えて人的損害が生じるとして事前に(予防)行動に出ることにある(津田・山本)。

3 最短でチェルノブイリの4年が常識か?
 鈴木教授は「甲状腺癌の潜伏期間は、最短でチェルノブイリの4年というのが医学的常識。いままで知り得ている状況を総合的に考えて、放射線の影響ではない」とし、清水一雄甲状腺外科学会理事長も「チェルノブイリと福島は規模がまったく違う。チェルノブイリで起こったことが福島で起こるとは限らない」として、わずか2年で多発し始めた福島県の甲状腺がんの事例を事故とは関係ないと否定しようとしている。そもそも「最も信頼できる最大規模の臨床データ」とする『チェルノブイリの知見』は事故後5年が経過した1991年(笹川プロジェクト)から始まったものである。それ以前については調査自体がない。山下俊一前福島県立医大副学長のように、「4年」という数字にこだわる根拠は何もない。むしろ、事故後1~2年でこのような有意な事例が生じているのはなぜか、チェルノブイリとの相違は何かを追究することこそ本来的な医療であり、科学であり、学問である。ロシアでは270万人が事故の影響を受け、1985年から2000年に汚染地域のカルーガで行われた検診ではがんの症例が著しく増加しており、甲状腺がん以外でも、乳がんが121%、肺がんが58%、食道がんが112%、子宮がんが88%、リンパ腺と造血組織で59%の増加を示した。過去の被曝者の健康調査の結果、白血病は被曝から発病まで平均12年、固形がんについては平均20 ~25年以上かかることが分かっている(Wikipedia)。調査委員会の役割は政府や東電の手先として事故の因果関係の否定にやっきとなることではなく、こうした将来のその他の疾病に対しても、今から対策を立てておくことこそ求められている。

4 チェルノブイリと比べて線量が全く低いのか?
 鈴木教授は「潜伏期間、線量すべて考えて、放射線の影響ではない。UNSCEARの報告(国連科学委員会報告書案)もあった。被ばく量は高くない。」と、被曝量の少なさを強調することによって、甲状腺がんの多発と事故との関係を意識的に否定しようとしている。清水委員も「チェルノブイリと比べて全然被ばく量が小さいでしょ」「チェルノブイリでは最短4年。福島はずっと線量が低い。チェルノブイリの方が(放射性物質の放出が)16倍、朝日新聞の記事(UNSCEAR報告)では31倍多い。よって放射線の影響は少ない。」という。
 5月27日付けの朝日新聞は「福島事故 国民全体の甲状腺被曝量 チェルノブイリの30分の1―国連委が報告書案」と1面トップで報じた。ヨウ素131の総放出量はチェルノブイリの3分の1以下としているが、事故後8日で半減したヨウ素131の放出量の推計はできていない。ヨウ素131は短時間で消滅するため、放出直後の被ばく回避措置、そしてヨウ素が消える前の正確な被ばく調査が重要となる。ところが福島原発事故ではいずれも行われなかった(『NHKスペシャル 空白の初期被ばく~消えたヨウ素131を追う~』NHK:2013.1.12)。福島第一1~3号機炉心内のヨウ素131は6100Bq(ベクレル)10×15あった、チェルノブイリ4号機のヨウ素131は3200 Bq10×15であった(Wikipedia)。福島第一の炉心内のヨウ素131がほとんど炉心内に留まったあるいは西風で太平洋に流れたという根拠は何もない。

5 調査対象地区から外された中核都市:いわき市
 さらに気がかりなのが、いわき市の調査対象である。人口32.8万人の仙台市に次ぐ東北第二の都市であるが、対象者がなぜか絞られており342人(一次検査実施者は341人)しかいない。前記NHKスペシャルによると、ヨウ素131の拡散経路は放射性セシウムの経路とは異なっている。シミュレーションでは第一原発から浜通り伝いにいわき市上空を通り茨城県に抜けた放射性ブルームもある。1万Bq/立米を超えるヨウ素131の高濃度放射性プルームが3月15日未明に福島・関東などを覆った。いわき市は放射性セシウムのブルームの直撃は免れたものの、ヨウ素131のブルームの直撃を受けたのではないかと心配される。福島県以外でも北関東から東京への汚染も心配される。調査検討委員会は政府・福島県・東電の犯罪を隠すのではなく、手遅れにならないうちに今後の県民の健康をしっかりと調査し対応をとっていくべきである。マスコミも又、がんが異常に増加しているという事実から逃げるのではなく、しっかりと報道すべきである。 

 【出典】 アサート No.427 2013年6月22日

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【投稿】維新の会、終わりの始まり

【投稿】維新の会、終わりの始まり

<突然の提案>
 6月2日、松井一郎日本維新の会幹事長(大阪府知事)が、懸案となっているアメリカ海兵隊のオスプレイ輸送機の日本国内の訓練について「八尾空港で受け入れることを検討する」と発言した。
 あまりの唐突さに、地元八尾市の田中誠太市長が「事前の説明が一切ない」と苦言を呈すると、松井幹事長は「府知事ではなく政党の幹事長の立場での発言なので地元自治体への説明は不要」と開き直った。(それなら、地元選出の維新国会議員には相談したのか、との声が出ている)
 そもそも、八尾空港がどのような環境下にあるか、空港近隣に居住する松井幹事長が知らないわけがなく、オスプレイの訓練など実現の可能性が無いことを見越したうえでの三文芝居であり、首長、政治家として無責任極まりないものである。それとも「地元住民の提案」とでも強弁するつもりなのだろうか。
 今回の発言は、従軍慰安婦問題を巡る暴言で批判の嵐、とりわけアメリカからの厳しい批判にさらされた橋下徹日本維新の会共同代表(大阪市長)への援護射撃である。
 先に大阪市議会で問責決議案が可決されんとした際、松井幹事長は「問責決議が可決されれば出直し市長選挙=参議院とのW選挙になる」と恫喝をかけた。
 これに市議会公明党が動揺し、急転直下、問責決議案は否決され橋下市長は窮地を脱した。これに味をしめて2匹目のどじょうを狙ったのが今回の発言である。
 「沖縄の負担軽減」と大義名分を言いながら実際は、アメリカ政府への追従、安倍、自民党へのすり寄り、さらには一昨年の府知事、大阪市長W選挙の際、対立候補を支援した田中市長に対する意趣返しであることは、あまりに明白である。

<安倍も同じ穴のムジナ>
 橋下共同代表自身「実現性についてはわからない」などと評する無謀な提案を、安倍総理、自民党は「真剣に検討する」と受け入れた。あまりに愚劣な政治ショーに加わったことで、安倍総理はアメリカでの評価を一段と下げただろう。
 いくら周辺が「日本政府は橋下発言とは一線を画する」と言ってみても、官房長官が「防波堤」として面会しているにもかかわらず、総理自ら執務室に招き入れるようでは、同一視されても致し方なかろう。
 橋下発言は、例えるならサンフランシスコの市長が「黒人奴隷は必要だった」と発言したようなものである。同市からの姉妹都市宛とは思えない厳しい内容の拒否メールがそれを物語っている。

<終わりの始まり>
 そうしたなか一人訪米した松井知事は「批判も質問もなかった」と能天気そのものである。役に立たない視察をするくらいなら、自分の発言に責任を持つためにも、オスプレイの搭乗を希望すればよかったのではないか。今回は「府知事」としての訪問だからなのだろうか。
 一連のパフォーマンスにもかかわらず、維新の会の支持率は下降し続けている。この間の自治体選挙でも負け続きであり、風俗店活用発言で頼みの綱の「大阪のオバチャン」も引いてしまった。
 「みんなの党」からは早々に絶縁され、党からの離脱者が現れ始めた。参議院選挙も目玉候補がアントニオ猪木という惨憺たる状況である。まさに、維新の終わりの始まりというべきだろう。
 橋下共同代表は東京都議選、参議院選挙の結果では進退も考えると述べているが、早々に政界からは引退すべきだろう。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.427 2013年6月22日

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【コラム】ひとりごと —現在の労働実情雑感— 

【コラム】ひとりごと —現在の労働実情雑感— 

<更なる労働法制改悪の動き>
■今、安倍政権と財界(産業競争力会議等)の中で、解雇規制緩和の議論がなされている。その中でも特に「解雇無効の判決が出ても、使用者が労働者に補償金を支払えば雇用契約を終了できる」(事後型)が検討されているが、これでは、せっかく勇気と労力、資力を使って「解雇撤回・職場復帰」を勝ち取っても、金銭で解雇されることになり、「解雇濫用の法理」が空洞化し、「無効」の判断が、吹っ飛んでしまうことになる。こんな事が許されるなら、「有罪」を金銭支払いで「無罪」を得るようなもので、裁判自体の意味がなくなってしまう。
■また、最近は鳴りを潜めているが、ホワイトカラーエグゼンプション(要は残業代のタダ働き合法化法案)も、まだ議論が消え去った訳ではない。

<荒廃している労働実態>
■そもそも労働者派遣法が、「原則自由化」で改悪されたこともあって、現状においても非正規雇用が蔓延し、ハローワークの求人票を見ても非正規雇用が圧倒的に多い状況にある。もはや世の中は、終身雇用・年功序列賃金体系は崩壊したと言っても過言ではない。
■加えて現状の労働法制自体、ほとんど守られていないという状況なのではないか。例えば、有給休暇一つとっても「パートだから有給休暇がない(パート、アルバイトでも一定の基準により有給休暇が保障されている)」とか、会社全体でも「当社にはローカルルールがある」と言って、有給休暇を認めず、はばからない会社が常識的にある。また社会保険(健康保険・年金)や雇用保険でも強制適用であるにも関らず、加入していない事業所も山ほどある。現在、健康保険や年金の財源問題が議論されているが、先ずは「こうした、とっぱぐれから何とかしろ」と言いたいぐらいである。
■更に解雇でも、少し仕事の進め方で異論を唱えただけで、「明日から来なくてもよい」と言い放ったり、賃金未払いでも、残業代を支払わない使用者や退職を申し出ると、最後の給与を「辞めた者に給与を支払うのは、もったいない」と思ってか支払わない使用者も、よく聞く相談事例である。
■また最近では、職場のハラスメント(パワハラ・セクハラ)も労働相談件数では急増しているが、その中でも「これはひどい!」という事例を紹介しよう。
 パワハラでは、某会社の副社長が、部下に対して、靴を入れたビニール袋を振り回し、「調教したろか!」と威嚇し、挙句の果ては、暴行にまで及んだものである。他にも自己退職に追い込むために、日常的に過度な無視や暴言を繰り返す相談も多い。
またセクハラでは会社の会長が、女性社員に対し、いきなり突然にキスし胸を触るなどの行為に及んだものもある。
■実際上、セクハラはともかく、パワハラや職場の人間関係のトラブルは多くなってきているが、この背景には上記の非正規雇用の蔓延化にもあると思われる。一つの職場に正規社員、期間雇用、派遣社員が混在し、労働者間での利害関係の対立や一体感の欠如等があると思われる。

<荒廃した労働実態を改善するのは、やはり労働組合だがー>
■このように非正規雇用の増加と労働者間の分断化が進む中で、本来、対抗軸であるべき労働組合の組織化が極めて難しくなってきている。現に今でも正規雇用・企業内労働組合が圧倒的に多いが、それでも組織率が2割を下回っている現状である。かろうじて派遣・パート等であっても、一人でも加入できる合同労組もあるが、まだまだ広範で一般的ではなく、十分な受け皿にはなっていない。
■そこで、非正規雇用の蔓延化と孤立化が深まる中で、労働者の意識もいかにあるべきかが小生の言いたいことである。
■先ずは日本の労働法制は、労働者派遣法のように問題の多い法律もあるが、総じてまだ労働者保護性の強い法制度になっている。しかし、それがほとんど守られていないところに問題がある。ある人に言わせれば道路交通法と労働法制度ほど、守られていないものはないと言うほどである。
 労働法制度の中には、労働者の権利規定が多々、存在するが、ただ労働者権利規定=労働者の権利が実質的にも保障されていることには、ならないのである。前述の有給休暇一つとっても、労基法に「有給休暇の付与」が規定されているが、では有給休暇の取得を申し出ても、「有給休暇は認めない」と一言言われたときに、「それは労基法違反ですよ」と先ずは、自分で言う勇気が必要だと言う事だろう。即ち労働者の権利は、実質的には労働法制度によって守られるのではなく、権利行使をする労働者の勇気と自覚でもって、初めて守られるということだろう。
■そこで「それができるなら、苦労はいらないよ。それこそ解雇覚悟で言わなければならないよ」という反論が聞こえてきそうだ。確かに一人の力は弱く、結局のところ、労働組合が対抗軸になるのであろうが、そのためには従来型の正社員中心の企業別労働組合では対応不能で、やはり地域合同労組が受け皿にならざるを得ない。そのためには、かつての総評・地区労運動からの流れにある、比較的に老舗の合同労組や、比較的近年に結成された合同労組などが、今でもユニオンネットワーク等の連携関係があるものの、かつての確執や政党系列の枠組みを乗り越え、より大同団結して、大きな受け皿=一つの勢力となって形成していくことが求められる。言い換えれば非正規雇用労働者から見れば「保険代わりに合同労組には加入しておこう」という社会的認知度を高めることが重要だと考える。
■色々と思うがままに書いたが、現実の労働実態が、労働法制度違反が常態化し、今後、アベノミクスの経済・労働政策が進行する中で、更に凄まじく荒廃していくのではないかと言う危機感だけでも享受していただければ幸いである。(民) 

 【出典】 アサート No.427 2013年6月22日

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【投稿】生活保護制度の改悪に思うこと

【投稿】生活保護制度の改悪に思うこと

 参議院選挙を前にして、安倍政権は依然として高い支持率を維持している。アベノミクス3本の矢で、経済を立て直すとの公約にまだ、国民は「幻想」を繋いでいるようだ。
 しかし、7月の参議院選挙を経て、8月1日から生活保護の給付基準が大幅に変更されることは、すでに決定済であり、保護受給者は、8月1日の「決定通知」を見て、大幅な減額が行われていることに気付くということになる。
 さらに、現在国会で審議中の「生活保護法改正案」は、扶養義務調査の厳格化・拡大などを内容としており、不正受給を減らすという目的を越えて、受給抑制に繋がる可能性が高い。

<高齢者の給付を大幅減額>
 給付基準の改定は、一律に削減という内容ではない。幼児層には単価引き上げも行われているが、第1類では、6才から11才で▲650円、12才から19才は▲4010円、20才から40才では、▲2920円。第2類では、1人世帯で、▲3780円の減額が行われ、60才から69才の高齢単身者では、月額で合計1990円の減額となる。(1級地-1の場合)
 アベノミクスの「効果」は、生保受給者には届かない。むしろ円安効果による物価の値上がりとの関係では、生活の一層の切り詰めを余儀なくされるだろう。
 
<保護受給者の孤立化と、沈殿・深層化>
 今回提案されている生活保護法の改正案が、根本的な貧困解決に資するとはとても思えない。昭和25年の制度創設以来、根本的な改正が行われてこなかったため生活保護制度が制度疲労を起こしており、今日の社会情勢に適応した制度にすると政府は説明しているが、残念ながら、程遠い内容となっている。
 労働への意欲喚起(インセンティブ)を高める内容と、他方で保護の適正化策を併せた内容になっており、重点は、「不正受給」への対応と思われる。
 就労開始による自立ができた場合、保護受給中に収入認定した収入額の一定額を「就労自立給付金」として、保護廃止時に給付し、就労自立に対する支援制度は、どれ程の効果をもたらすだろうか。これが、改正案の唯一の目玉策でもあるが。
 むしろ、調査権の強化や返還金を直接、保護費から差し引くことを可能にすること、医療費の一部自己負担などなど、正直に言って、小手先の「改正」であり、貧困対策の根本的対応策などとは間違っても言えない。
 貧困対策を求める団体からは、総スカンの内容となっている。
 
<子どもの貧困論について>
 生活保護受給者の子弟が、成長して、再び生活保護に陥る可能性が高いことは、以前から指摘されてきた。貧困の連鎖論である。実証的な研究もいくつかあり、また、福祉の現場に居るものとして実感的にも、感じることができる。
 そこで、保護行政の枠内でも、小中学校生への学力支援策、中学生への進学相談や支援、高校生への進学相談や支援が、メニューに掲げられてきている。
 これらの取組みが、いずれ一定の効果を齎すであろうことは確実ではあろう。しかし、あくまでも保護行政の枠内であり、生活保護受給者の子弟に対象は限られている。
 しかし、保護制度の枠内での「子どもの貧困状態」や「母子世帯の貧困状態」の議論だけでは、おそらく根本的な解決には成るまい。非正規労働者が、4割に達しようとする現状が、日本社会の底流にあるからである。
 
<教育負担の解消こそ、根本的な解決策>
 私自身の生い立ちを考えれば、どちらかと言えば「貧乏」の部類の家庭に育ったと思う。良く解釈しても、中の下というところだろう。しかし、まだまだ学費は安かったと思う。自宅通いで大学に進学したが、1万円に満たない奨学金と家庭教師のアルバイトで、学費と食事と活動費(?)は賄えた。
 最近のテレビ番組で、私学の大学に行くために卒業までの4年間の奨学金借金額が1000万円という学生の話題が取り上げられていた。残念ながら、その学生は内定も取れず、親にも頼れず、途方に暮れていた。
 現在の保護法では、大学に進学する場合は、世帯から分離し、バイトと奨学金で「自立」するようなシステムである。大学に行けば必ず就職できるという前提での制度設計である。私学に行けば、4年間で学費だけで600万円以上必要という実態だが、それで必ず安定した正社員になれるという保障はない。
 欧米では、大学はほとんど無償という場合が多いと言われている。貧富の格差を教育に持ち込まず、若者の可能性を社会に還元する仕掛けがあるのだろう。貧困からの脱却を平等に保障するというなら、高校の無償化に続いて、大学進学の無償化も必要ではないか。
 「子どもの貧困論」は、「教育の貧困論」に繋げる必要があると言える。(2013-06-18佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.427 2013年6月22日

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【投稿】孤立化・破綻を推進する極右・安倍政権

【投稿】孤立化・破綻を推進する極右・安倍政権

<<「どんな脅かしにも屈しない」>>
 この間に安倍政権が撒き散らした恥ずべき数々の暴言と行動は、あらためてこの政権が歴史に逆行する特異な政権であることを国内外に明らかにしたといえよう。
 4/21、安倍首相は東京・九段の靖国神社で行われている春季例大祭に、あえて「内閣総理大臣」の名で祭具の真榊(まさかき)を奉納し、麻生元首相は、首相として在任中は参拝しなかったにもかかわらず、今回は副総理・財務相として同日夜、自ら出向き参拝し、総務相や国家公安委員長も参拝、「国のために命をささげた英霊に哀悼の誠をささげるのは、国会議員という立場からして当然だ」と言い放つ。続く4/23には、記録がある1989年以降で最多の168人の国会議員(自民132、維新25、民主5、みんな3、生活1、無所属2)が参拝したのである。
 朝鮮・中国、アジア太平洋諸国に対する侵略戦争に重大な責任を有するA級戦犯を祀る靖国神社は、この侵略戦争を合理化し、「解放戦争」と偽る反動と軍国主義勢力が依拠する象徴であり、偏狭な民族主義感情を煽り、アジア諸国との関係を冷え込ませてきた象徴である。反発必至であることが明々白々であるにもかかわらず、安倍首相自身が2月の国会答弁では「(前回の)首相在任中に靖国参拝できなかったのは痛恨の極みだ」と語り、今度こそ首相在任中の靖国参拝を強行するのだという意思を表明し、あえて挑発的な行動をとる、ことを荒立てる。単なる軽薄さ、無神経さにとどまらない、わざわざ火種を撒くこの政権の意図的で悪意に満ち満ちた行為は、逆にこの政権を没落に導く決定的なアキレス腱ともなろう。
 4/22、直ちにというか当然とも言えよう、韓国外務省は、安倍内閣閣僚らの参拝などに対し「歴史を忘却した時代錯誤的な行為」と批判し、「深い憂慮と遺憾」を表明、「このような雰囲気の中で会談しても生産的な議論は難しい」と述べて4/26、27日に予定されていた政権発足後初の韓国外相の訪日、日韓外相会談の中止を決定した。中国外務省も閣僚の靖国参拝に抗議し「日本の指導者による靖国神社参拝の本質は、日本軍国主義による侵略の歴史を否認する企てである」と指摘、5月に予定されていた日中友好議員連盟の中国訪問も中止に追い込まれた。
 ところが、当然予想されたこうした事態に、安倍首相は冷静に判断するどころか、逆に更なる挑発的な暴言を発してしまった。4/24の参院予算委員会で、安倍内閣の閣僚らの靖国神社参拝に中国や韓国が反発していることに関して「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保している。当然だろう」と言い放ったのである。なんという言い草であろうか。よりにもよって「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」とは。最低限の節度、外交儀礼さえわきまえず、韓国や中国の抗議を「脅かし」と捉える、加害者が自らを被害者かのようによそおう、この低劣さは異様でさえある。しかも「その自由は確保している」という、これまた相手の主張を聞き分け、理解することのできないヤクザの論理である。要職にある、しかもトップにある人物が、これほど知性に欠け、平衡感覚に欠けていては、危なっかしい限りである。

写真は、 シュピーゲル紙に掲載された、陸上幕僚監部の広報室長から促されて、陸自の最新型戦車「10式戦車」に乗って、迷彩服の上着とヘルメットを着けて戦車の砲手席に立ち、笑顔で手を挙げて応える安倍首相(4/27午後、幕張メッセ「ニコニコ超会議2」)
 
<<「侵略という定義は定まっていない」>>
 さらに安倍首相の決定的とも言える暴言は、4/23日参院予算委での村山談話に対する答弁で 「侵略という定義は学会的にも、国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」と言ってのけたことである。
 「学会的にも」とはどこの学会が、「国際的にも」とは、どの国が、1945年以前の日本軍国主義の朝鮮・中国をはじめとするアジア太平洋諸国に対して行った政治的軍事的行動を侵略ではないと定義しているのか、明らかにすべきであろうが、それはできない。「自虐史観反対」を叫ぶ一部極右論者の口車に便乗しているにすぎないのである。安倍氏は、確かに一貫してこうした浅薄な歴史観に基づいて発言し、行動してきたが、そうした侵略否定論は学会的にも国際的にも、政治的にも、受け入れられるものではないし、個人の放言では済ませられない責任ある政治家としては受け入れてはならないものである。
 安倍首相が否定したい村山談話は、1995年8月15日に、当時の村山富市首相が閣議決定をもとに、「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と公式に植民地支配と侵略を認め、「痛切な反省の意」と「心からのおわびの気持ち」を表明したものである。これを覆すことは、これまで紆余曲折はあれ、まがりなりにも長年にわたって築いてきた周辺諸国との善隣友好関係や平和共存関係を崩壊させる、安倍氏お好みの「国益」にも反する、無責任極まる行動なのである。
 そしてこうした安倍氏の発言と行動は、1974年12月14日に国連総会で正式に採択された侵略の定義の第1条は「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう」と定めている、その国際社会と敵対することをも意味している。こんなことは本来、常識以前のことであり、それを認識できない安倍氏はそもそもこの時点で首相に不適任であり、今回、国際的信用を著しく失墜させ、事実上周辺諸国との関係をぶち壊してしまった安倍氏はすでに首相失格なのである。これを担ぎ回っている自民党や維新の会も同罪といえよう。
 安倍氏の盟友であり、副総理でもある麻生氏は、2/25、韓国の朴槿恵大統領就任式に出席し、そのあとの朴大統領との面談で、米国の南北戦争を引き合いに「北部では市民戦争というが、南部では『北部の侵略と教える』。同じ国でも歴史認識は違う。まして異なる国ではなおさらのこと…となど奴隷解放の市民戦争と植民地支配の侵略を同一視する詭弁を弄した」(韓国紙、中央日報)と報じられている。「朴大統領の顔色が変わった」というこの放言、麻生氏はこの朴大統領との面談の内容については詳細を語らず、記者団には「歴史にはそれなりに(立場によって)見方が異なるというようなお話をした」とごまかしていたが、その軽薄さと知性のなさ、無責任さにおいては安倍氏に優るとも劣らない、国際的な恥さらしとも言えよう。

<<村山談話「全て踏襲」と路線修正>>
 日本の政権の骨の髄からの極右体質を思い知らされた朴大統領は、5/7、オバマ米大統領との初の首脳会談で、日本の安倍内閣閣僚らの靖国参拝などを念頭に、日本は正しい歴史認識をもたなければならないと、オバマ大統領に直接訴えかけ、ワシントンポスト紙とのインタビューでも「日本は過去の傷口を開き、大きくした」と、日本の姿勢を厳しく批判、さらに翌5/8、朴大統領は安部首相ができなかった米議会上下両院合同会議で演説を実現し、その中で北東アジア地域で「歴史から始まった対立はさらに深刻になっている」と表明、「過去に目を閉じる者には未来が見えないといわれてきた」「過去に起こったことを真摯に認識できないところに、未来はありえない」と安倍政権の姿勢を手厳しく指摘したのである。明らかにオバマ政権は、安倍政権への国際的批判を正当なものとして評価し、受け入れたたものともいえよう。
 さらに、安倍首相を追い込む重要な一撃が、5/9付東京新聞によってスクープされた。それは、5/1にまとめられた米国の議会調査局の日米関係に関する報告書である。報告書は環太平洋連携協定(TPP)について「事実上の日米FTA(自由貿易協定)」だとして日本の参加に歓迎を表明する一方で、安倍首相については「民族主義的言明」や「国防・安保問題での強力な立場」、「強硬な国粋主義者(ナショナリスト)」として知られ「帝国主義日本の侵略やアジア諸国民の犠牲を否定する歴史修正主義にくみしている」と指摘、閣僚には「超民族主義的」見解を持つ者もおり、安倍氏は「激しく民族主義的な維新の会の圧力を受けている」とも指摘、「地域の国際関係を混乱させ、米国の国益を害する恐れがあるとの懸念を生じさせた」と明記したのである。菅官房長官は5/9の記者会見で「誤解に基づくものだろう」「レッテル貼りではないか」などと取り繕ったが、すでに公表されてしまった報告書である。
 米紙ワシントン・ポストは4/26、安倍晋三首相が「侵略の定義は国際的にも定まっていない」と述べたことについて、歴史を直視していないと強く批判する社説を掲載、これまでの経済政策などの成果も台無しにしかねないと懸念を示し、他の米主要紙もそのほとんどが社説で安倍首相を批判、英紙フィナンシャル・タイムズも社説で批判、ドイツの シュピーゲル紙は、「隔世遺伝の安倍:危険な過去にすり寄る日本の首相」 と批判、軍服を着て戦車に乗り込む安倍首相の写真を大きく掲載する事態である。
 こうした事態の進展、深刻な外交的行き詰まりに慌てたのであろう、5/10、菅官房長官は、過去の侵略と植民地支配を謝罪した1995年の村山富市首相談話について「(談話)全体を歴代内閣と同じように引き継ぐと申し上げる」と明言せざるをえなくなった。完全な失態を何とかして覆い隠したい焦りでもあろう、「侵略の定義は定まっていない」との首相答弁に韓国から反発が起きたことに関しても、「安倍内閣として侵略の事実を否定したことは一度もない。こうした点も歴代内閣を引き継いでいる」との釈明に追い込まれてしまったのである。
 中国・韓国側から言われれば居丈高に開き直り、アメリカ側から言われればなんとかごまかし、切り抜けようとするその浅ましい魂胆は世界の笑いものであろう。しかも官房長官に言わせても、自分の言葉で語れない安倍首相である。ここまで追い込まれたのであるから即刻退陣すべきなのである。
 安倍政権は、まだ化けの皮が剥がれてはいないアベノミクスによってなんとか持ちこたえているが、日本維新の会と同様、「賞味期限切れ」が近づいているし、そうさせなければならない。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.426 2013年5月18日

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【投稿】マネーゲームとシェールガス「革命」?

【投稿】マネーゲームとシェールガス「革命」?
                           福井 杉本達也

1 ヘッジファンドの「演出」する“偽装”株高
 5月8日の毎日・朝日・日経の朝刊一面トップ記事は「東証14,000円台回復」であった。我々は毎日NHKニュースの最後に本日の株価と為替相場を聞かされる。しかし、本当に必要なニュースなのであろうか。我々の中で毎日の株価の上げ下げに一喜一憂する者がどれだけいるのか。まして、50銭、1円の為替相場の変動に直接関係する者がどれだけいるのか。アダム・スミスは市場経済を「神の見えざる手」という表現で価格メカニズムの働きにより、需要と供給が自然に調節され、結果として社会全体において適切な資源配分が達成されることを説いたが、果たしてそうであろうか。
 4月30日付の『ブルームバーグ』は国民的カジュアルウエアの代名詞になった「ユニクロ」株が業況の実態とかけ離れた投機的売買の温床になっていると指摘する。ファーストリテイリング の日経平均における構成ウエートは、26日時点で10.3% 。これは、同指数での時価総額比率1.4%と大きく乖離(かいり)し、ウエートから見た存在感は、東証1部の時価総額上位5社であるトヨタ自動車、三菱UFJフィナンシャル・グループ、ホンダ、JT、NTTドコモの合計(5.2%)のおよそ2倍だ。ブルームバーグ・データによると、過去2年間の日経平均の上昇率51%に対する同社の寄与度は16%となっていると指摘する。日経平均の2年間の値上がりが約5,000円として1,600円である。異常というほかない。
 ファーストリテイリングの株は柳井一族が2/3を保有しており、浮動株が極端に小さく実態はヘッジファンドが操る仕手株と化している(『東洋経済』2013.3.23)。「神の見えざる手」ならぬ「ヘッジファンドの手」が日経平均株価を操作しているのである。「ユニクロ」は就活学生の間では「ブラック企業」といわれている。繁忙期の労働時間は月間300時間を超え、入社後3年以内の離職率は46~53%にも上る(朝日:20130423 『東洋経済』2013.3.9)。「低賃金で働く途上国の人の賃金にフラット化するので、年収100万円のほうになっていくのは仕方がない」と堂々と発言する会社の株で株高が「演出」され、それを官房長官が「ヨイショ」するアベノミクス相場とは国家的詐欺以外の何物でもない。

2 シェール「革命」?という詐欺
 国際エネルギー機関(IEA)の『世界エネルギー展望2012年版』によれば米国のエネルギーは様変わりしており、シェールガス・シェールオイル「革命」により、2020年頃までにサウジアラビアを抜き世界最大の石油産出国になる。米国はエネルギーで自給自足できるようになるというものである。アメリカのメディアも日本の政府・メディアも盛んにこの話題を取り上げている。
 確かに、2005年頃よりのシェールガス・オイル「革命」で米国のガス生産量は急激に拡大し、価格は1/3に下がってきている。しかし、今後世界最大の石油産出国となるというのは眉唾である。今年4月には資源開発会社のGMXリソシーズが破綻している(日経:2013.4.20)。シェールガスが本当にIAEの述べるような中身ならば、採掘企業が倒産することなどありえない。
 ニューヨーク・タイムズは石油会社は、「故意に、不法なまでに採掘生産量と埋蔵量を多く見積もっている」とし、「地下の頁岩からのガスの抽出は石油会社がそうみせかけているよりももっと難しく、もっとコストがかかるはずであると指摘している(ナフィーズ・モサデク・アーメド「大いなるペテン・シェールガス」『ル・モンド』)。シェールガスは在来型ガスと比べて貯留槽は不均質で包蔵メカニズムは複雑である。「革命」?の技術は水平坑井(水平にガス井戸を掘る)・水圧破砕(貯留槽の岩石に人工的に割れ目をつくりガスの流路を形成)・マイクロサイミックス(微小地震を起こして破砕した岩石を分析・評価する)の三要素技術といわれるが、1井当たりの生産性は在来型のガス井と比べると1桁低いといわれる(伊原賢JOGMEC『石油・天然ガスレビュー』2011.1)。技術が複雑であればあるほどそれに要するコストは上昇する。シェールガスは超広大な地域に散在し、地中深くにある。鉱物資源が「資源」として採掘されるのは、濃縮されて鉱床になって存在し、アクセスしやすい場所に集中的に大量に存在していることである。シェールガスはこの対極にある。そのため巨額の投資が必要になり、大きなリスクを伴う。在来型ガスと比較すればそのコストは数倍も高いはずである。
 経験上、シェールプレイの多くは急激な生産減退に見舞われてきている(Lucian Pugliaresi:JOGMEC『石油・天然ガスレビュー』2011.11)。雑誌『ネイチャー』によれば、シェールガス井の生産性は最初の1年の採掘で60~90%低下するという。ガス井が涸れてしまうと大急ぎで他の個所を採掘し生産量を維持し、資金返済に充当していく。このような自転車操業で数年間は人の目を欺くことができる(アーメド:同上)。
 『フィナンシャル・タイムズ』はシェールガス企業が「自己資本を2倍、3倍、4倍さらに5倍も上回る額を使い果たして土地を購入し、井戸を掘り自分たちの計画を実現しようとした」と指摘している。ゴールドラッシュの資金繰りのためには、膨大な金額を「複雑で面倒な条件で」借りている。1バレル100$を超す国際的な石油・ガスの高騰により、有り余る膨大な資金がシェールガス開発に投入されることとなった。しかし、この投機資金は儲けがないと分かればすぐ撤退するものである。シェールガス開発の循環はガス価格の地域的な低下により早晩終わらざるを得ない。『フィナンシャル・タイムズ』は「シェールガス井の生産性の持続しない一時的性格を考慮して、掘削は続けられなければならない。シェールガス価格は高くなり、高騰すらして落ち着くだろう。過去の負債だけでなく現在の生産にかかる費用に充当するためである」と指摘する(アーメド:同上)。米国内の天然ガス価格が下落しているのは、シェールガス生産地が既存のガスパイプライン近く、新たなパイプライン敷設をあまり必要としないこと、カナダからの輸入ガス・メキシコ湾からのガス、在来型ガスと競合し、ガスが米国内に留まっていてはけ口がないことによって米国内で一時的な過剰生産になっていることによる。しかし、これを日本に液化して輸出しようとすれば、天然ガス液化プラント・港湾設備・LNGタンカーが必要となる。それはかなり高いものとなる。

3 シェールガスで「脱原発」は目眩まし
 「シェール革命で日本は激変する」(『東洋経済』2013.2.16)、「シェールガス1兆円支援、政府・債務保証」(日経:2013.2.15)、「シェールガスが変える世界力学」(寺島実郎:『エコノミスト』2013.1.8)など、多くのメディア、「有識者」、「エコノミスト」が、シェールガスに対して過大な期待を煽っている。しかし、大騒ぎしているほどには、日本はシェールガス「革命」の恩恵を受けられない。政府・マスコミなどが米国のシェール「革命」を声高に叫ぶ背景には対ロシア戦略が見え隠れする。4月29日に安倍首相はプーチン大統領との首脳会談を行ったが、極東ウラジオストックのLNG基地の共同開発構想には「戦略的な消極姿勢」を決め込んだという(日経:4.30)。ロシアからのLNG輸入は2008年まではゼロだったものが、ここ数年で急激に増え最近では輸入額全体の1割を占めるまでになっている。今後の輸出余力から考えればロシアからの輸入しかない。原発の再稼働ができない状況の中で、LNG火力発電のポジションは急速に高まっている。高止まりするLNG価格を下げるためにも、天然ガスを始め資源開発でロシアとの関係改善を急がざるを得ない。しかし、対米従属・売国を国是とする日本の支配層にとってはロシアとの関係改善は不都合である。国民にはその現実を知らせたくないのである。シェール「革命」?は実態の目眩ましの役割を果たしている。
 安倍首相はロシア訪問に引き続きUAE、サウジ、トルコを訪問に原発技術の売り込みに回った。何のエネルギー確保手段も持たず、シェール「革命」詐欺を振りまき、国内では電気料金を上げて負担を国民に転嫁しつつ(電力に限れば石炭火力の利用を図ることが現実的である)、海外では米仏核企業の提灯持ちとして核の売り込みを図ることとは全く整合性はとれない。いかに現政権が売国的であるかを象徴している。 

 【出典】 アサート No.426 2013年5月18日

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【投稿】浮上する日本問題 

【投稿】浮上する日本問題 

<収束する「北朝鮮危機」>
 4月30日、約2か月間続いた米韓合同軍事演習が終了した。演習期間中、核戦争をも辞さないような姿勢をとり続けた北朝鮮も、開城工業団地問題や韓国系アメリカ人の拘束という「交渉カード」を持ちながら、ミサイルを撤去するなど、なし崩し的に臨戦態勢を解除している。
 この間、北朝鮮のパフォーマンスに呼応する形で、日本政府は今にも朝鮮半島で武力衝突が発生するかの様に、弾道ミサイルの迎撃態勢を常態化させ、マスコミもこれに追随し、盛んに危機キャンペーンを繰り広げ、日本は「半島危機祭り」の様相を呈した。
 とりわけ「スカッド」や「ムスダン」など中距離弾道ミサイルに関しては、北朝鮮東側沿岸に配備されたことから、発射は確実視され、「Xデー」は-金日成誕生日の4月15日などと、勝手に指定する始末であった。
 ただ、安倍政権は本気で北朝鮮への構えを考えていなかったことは明らかであり、これを軍拡-改憲の口実に利用したのである。
 「危機」が継続中の4月下旬、麻生副総理ら安倍内閣の閣僚4人が相次いで靖国神社を参拝し、中国、韓国の厳しい反発を招いた。本当に北朝鮮を脅威と認識していれば、日中韓の連携を自ら破壊する暴挙には出なかったであろう。
北朝鮮に対しては「中韓は頼みにならないので神頼み=戦勝祈願に行った」とでもいうのだろうか。
 関係国の一連の動きの中で際立ったのは安倍政権の異常さであり、北朝鮮危機が一応の収束に向かう一方で、日本問題が浮き彫りになってきたと言えよう。

<暴走する安倍政権>
 日本政府が、不誠実、不透明な対応を重ねている間に、東アジアを巡る政治状況は大きく変化した。閣僚、とりわけ麻生副総理の靖国参拝により、日中歴訪を予定していた韓国の尹炳世外相が訪日を中止した。
 4月24日予定通り中国を訪れた尹外相は王毅外相と会談、中韓ホットラインの開設や、経済関係の一層の拡大に加え、政治レベルでの関係強化を図ることを合意した。3時間にわたる会談の中で日本問題も議題になったことは想像に難くない。
 これについて日本政府は「外相の来日予定は固まってはいなかった」などと開き直る始末であり、あまつさえ安倍総理は同日の参議院予算委員会の答弁で「どんな脅しにも屈しない。閣僚の参拝の自由は守る」などと中国、韓国の懸念をヤクザの因縁かのように貶めた。
 また時を同じくして、自民党の教育再生実行本部は教科書検定基準の「近隣諸国条項は役割を終えた」として見直しを提言、中国、韓国への配慮は不要と宣言した。
安倍総理は前日の23日には同委員会で「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と述べ、1995年の村山談話を事実上否定しており、一連の発言の前には北朝鮮の暴言も霞もうというものである。

<アメリカもあきれる>
 こうした安倍政権の暴走にはオバマ政権も懸念を強めている。4月22日国務省は記者会見で日韓双方に冷静な対応を呼びかける一方、25日には同省が非公式ながら外交ルートを通じて、「歴史問題に関する安倍内閣の言動が中韓を刺激し、東アジア情勢の混乱を生じさせかねない」旨を伝え、日本政府に自制を求めていたことが明らかになった。
 5月1日には、アメリカ連邦議会調査局が報告書で安倍総理を「強硬なナショナリスト」と指摘、閣僚の靖国参拝し対して中国、韓国から批判を浴びており、東アジア地域の安定を揺るがし、アメリカの利益を損なうおそれがある、と懸念を明らかにした。
 さらに同報告書は安倍総理について、過去の日本帝国主義による侵略や、アジア諸国の犠牲を否定する歴史修正主義を信奉、と指摘するなど、今後の外国政策の展開にも疑義を呈している。要は正しい歴史認識と国際感覚が欠如していると指摘しているということだ。
中国、韓国のみならず「強固な同盟国」のアメリカからも、厳しい視線が浴びせられるなか、4月28日の主権回復記念式典で「君主主権回復祈念」ともいうべき「天皇陛下万歳」を絶唱した、安倍総理や閣僚はこぞって外遊に出かけた。しかしその間も重要人物からの問題発言が相次いだ。

<国際感覚の欠如>
 5月4日訪印中の麻生副総理は、ニューデリーでの講演で「過去1500年以上の長い間、中国との関係がスムーズにいった歴史はない」と仰天の歴史観を披露した。
 麻生副総理がどのような史実を持って、このような発言を行ったのか理解に苦しむが、漢字が苦手で総理時代に大恥をかいたから、漢字を発明し日本に伝えた中国に嫌悪感を抱いているのでは、と思われても仕方がないだろう。
 追い打ちをかけたのが猪瀬東京都知事である。4月の訪米中、オリンピック招致を巡り、トルコ批判からイスラム世界に対する誹謗中傷を述べていたことが、ニューヨーク・タイムズによって暴露された。
 猪瀬都知事は発言を認めざるを得なくなり謝罪したが、直後にトルコを訪問した安倍総理にとってはまことにタイミングの悪い「内患外遊」となった。国際的には安倍総理のみならず周辺にも排外主義者が跋扈していることが広く認知されたわけである。
 帰国した安倍総理は、背番号「96」のユニフォームを纏って浮かれるという、猪瀬都知事以上のIOC行動規範違反=スポーツの政治利用にうつつを抜かしていた。トルコで形ばかりの謝罪をしても、実は何もわかっていないという国際感覚の欠如はここでも発揮された。

<朴大統領は厚遇>
 こうした醜態を尻目に訪米した韓国の朴槿恵大統領は、日本への批判を展開した。5月7日のオバマ大統領との首脳会談で朴大統領は「日本は正しい歴史認識を持つべき」と安倍内閣に対する不満を露わにした。
 朴大統領は翌8日には上下両院合同会議で演説し、このなかで北東アジアでは歴史問題で国家間の衝突が絶えず、政治や安全保障での協力関係が進展しない「アジア・パラドックス」にあると指摘、「歴史に目を閉ざす者に未来は見えない」と、名指しは避けながらも日本政府を厳しく批判した。
 オバマ大統領や議会の反応は伝えられていないが、価値観を同じくする朴大統領の発言は説得力を持ったであろう。昼食をはさんでの首脳会談、共同記者会見、そして議会演説と2月の日米首脳会談と違いは歴然としている。
 さらに、朴大統領は民生分野での連携を推進する「北東アジア平和協力構想」を提言、同構想へのアメリカの参加を呼びかけ、北朝鮮参加の可能性にも言及した。
 東日本大震災と原発事故、さらには鳥インフルエンザ問題が惹起している現在、この地域での国際協力の進展が求められており、韓国の構想は適宜な提案と言える。
 本来なら原発事故の責任と防災技術の支援という観点から、日本がイニシアをとるべき課題であるが、安倍政権にはそうした発想も能力もない。中国包囲網に血道を上げる安倍政権は、インド、ベトナムへの飛行艇や巡視船の輸出、供与など軍事的技術の移転を進めようとしている。
 一縷の光明として5月5,6日北九州で、日中韓環境相会合が開かれたが、中国の環境相は欠席した。(これを非礼と論難する一方、会談したかも定かでない川口参議院環境委員長の中国滞在延長を「国益」と擁護するのは、安倍政権として論理矛盾であろう)

<空気読み始めた安倍総理>
 このように近隣諸国に対しては強硬な対外姿勢をとってきた安倍政権であるが、展望は開けていない。「自由と民主主義の価値観外交」と言いながら、今回の外遊は価値観に疑問符のつくロシア、中東であった。勇躍乗り込んだクレムリンでは北方領土交渉の再開は決まったものの着地点は見えていない。
 頼みのアメリカからも冷たい視線で見られていることにようやく気付いてきたのか、ここにきて安倍総理は軌道修正を図ろうとしているようだ。
 5月7日の参議院予算委員会では、「ネット右翼」などレイシストのヘイト・スピーチに関連して「極めて残念」と述べた。「支持層」に対する裏切り、トカゲの尻尾切りであろう。
 先の米韓首脳会談を罵っているのは世界中で北朝鮮とネトウヨぐらいである。同じと思われてはかなわないと考えたのか。引き続く翌8日の同委員会に於いては「アジアの方々に多大な損害と苦痛を与えた」と村山談話を踏襲した答弁を行った。安倍総理はこの先しばらくは本音を封印し沈静化を図るだろうが、油断はできない。
 参議院選挙までは残り少ない。今後は日本の民主勢力の手によって、安倍政権の暴走を封じ込める取り組みの強化を急がねばならない。(大阪O) 

 【出典】 アサート No.426 2013年5月18日

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【本の紹介】金融緩和でデフレ脱却はできるのか

【本の紹介】金融緩和でデフレ脱却はできるのか

★ 金融緩和の罠         萱野 稔人編 集英社新書   2013-04-22
★ 金融緩和で日本は破綻する 野口 悠紀雄 ダイヤモンド社 2013-01-31 

 アベノミクスと言われる安倍政権の経済政策だが、その中心にいるのが「リフレ論者」達である。彼らの主張は、「金融緩和によって通貨流通量を増やせば、インフレになって、デフレから脱却できる」というのだ。
 白川前日銀総裁は、安倍政権発足時に、インフレターゲット論を受入れた。続いて日銀総裁に就任した黒田総裁は、4月4日に行われた金融政策決定会合で、「異次元金融緩和」策を決定し、市中の国債買入を増やすこと、短期国債だけでなく長期国債も対象とするとした。
 安倍政権発足以前の、民主党政権が解散総選挙を明言した時点が今回の円安の出発点である。総選挙での公約で、自民党が金融緩和策や大型補正予算など、拡大政策を打ち出し、選挙では政権交代が起こるのが確実となった時点から円安が進行する。
 そして、円安と同時に、株式市場もそれに反応し、輸出企業を中心に株高が進行した。
 書店には、「今が投資のチャンス」「乗り遅れるな」のような投資本が溢れ出し、あたかもアベノミクスの成果でもあるような印象を与えている。
 しかし、本当にアベノミクスによって日本経済を立て直すことができるのか。アベノミクス礼賛本が溢れるなか、アベノミクス批判本の中でも注目すべき2冊を紹介してみたい。
 
 <金融緩和でデフレ脱却はできない>
 「金融緩和の罠」は、萱野稔人氏と3人のエコノミストとの対談集である。
 ます、登場するのが、「デフレの正体」の著者、藻谷浩介氏である。氏の従来の主張を整理すれば、長く続く日本のデフレ(小売消費高の逓減と価格の下落傾向)の原因が、90年代から始まる「生産年齢人口の減少」による購買力の低下であり、賃金の下落が一層拍車をかけて、モノの値段が下がり続けているということであろうか。
 対談の中で、藻谷氏は、「何よりも最大の問題は、金融緩和の始まった90年代後半以降の日本の景気低迷は貨幣供給量の不足が引き起こしているわけではないということです。足りないのはモノの需要です。今の日本では貨幣を増やしてもモノの需要を増やすことができません。・・・・リフレ理論は、そもそも『供給されたお金はかならず消費にまわる』という前提に立って構築された理論です」が、「ところが日本の現実は、企業も家計も金融機関も資本収支は黒字で、政府だけが赤字です。つまり、企業も家計も金融機関も、投資しても消費しても使い切れないお金を余して、国債を買っているわけです。リフレ論者が検証もせずに当然とみなしている前提が事実としては崩れてしまっているのです。」
 結論として「対処策をまとめると、①給料アップなど、高齢富裕層の貯蓄を若者の給与にまわすあらゆる努力、②女性の就労を促進し女性経営者を増やすこと、そして③外国人観光客の消費を伸ばすこと」だという。
 
 <積極緩和の長期化がもたらす副作用>
 次は、河野龍太郎氏との対談である。民主党政権時代に河野氏を日銀審議委員として起用するという国会同意人事案が自公・みんなの党の反対で否決されたその人であり、金融緩和に反対という主張をしてこられている。
 1995年から開始されている金融緩和政策、その長期化による副作用について、氏は「ひとつに、クラウディング・アウトの助長と言う問題がある。それは、本来財政支出の増大が引き起こす金利上昇による弊害のことを言います。国が財政政策によって借金を増大させると、金利が上昇し、そのせいで民間が迷惑をこうむる。つまり資本コストが上がるので、民間消費や設備投資が抑制される、それがクラウディング・アウトです。」
 「いま、日銀はゼロ金利政策をおこなうと同時に、資産買入等の基金を通じて、国債を大量に購入していますよね。ゼロ金利政策や国債買い入れ政策を長期化・固定化することが、資源配分をゆがめて成長分野への資金供給を抑制し、実質的にクラウディング・アウトと同じ状況を発生させてしまうんです」として、金融機関では、リスクをとって成長分野に投資をするより、国債を購入するほうが有利だ、という状況に陥っていると指摘される。
 さらに、金融緩和によって世界中でバブルが引き起こされる危険性について述べられている。サブプライム・ローン問題を契機に、主要各国が大胆な金融緩和を始めた。それが新興国に波及し、バブル的状況を作りだし、また原油や小麦大豆などのコモディティのバブルを引き起こした。「大国には極端な金融緩和をしないというルールづくりが必要になってくる。いずれにしても日本が考えることは、為替介入や金融緩和による単純な円高是正ではありません・・・。」と。
 
 <金融緩和で日本は破綻する>
 次の本は、野口悠紀雄氏の「金融緩和で日本は破綻する」である。
 野口氏が、前書きで強調するのは、次の点である。まず、これまでの金融緩和策が、実体経済を活性化させることができなかったということ。そして、国債の日銀引き受けは、インフレになるが、それにより資本逃避が生まれ、もはやコントロールはできない。円安とインフレの悪循環が生じ、日本経済が急速に破壊される危険性が高い。そして日本経済の活性化は、金融緩和や財政拡大では解決せず、構造改革によるしか方法はない、これが本書の結論と言える。
 私が注目するのは、「包括的な金融緩和策」導入の真の目的分析だ。
 「08年9月にリーマン危機が発生し、税収が激減した。これによって、国債の発行額が急増したのである。それまでは、毎年30兆円を超えることがかく、06,07年度には20兆円台まで減少していた新規国債発行額が、09年度にはいきなり50兆円になった。国債の供給が急増した反面で、需要面では大きな変化がなかった。貸付はそれまで減少してきたものの、景気が回復すれば増える可能性もある。これによる国債価格の暴落と長期金利の高騰を防ぐことが『包括的な金融緩和策』の隠された真の目的だ。」との指摘である。
 日本のゼロ金利政策は、経済や企業の投資のためではない。国債の暴落と長期金利の高騰によって国家財政が破綻する(している?)のを隠蔽しようとしているのだ。
 
 <バブルは必ず破綻する>
 世の中は、安倍バブルに酔っている。円安の進行と株高で、安倍政権の支持率も70%を維持している。しかし、この急激な変化こそがバブルであろう。海外からの投資ファンドが、日本をターゲットにしている。アベノミクスの化けの皮が剥がれる時が必ず来る。
 紹介した本の内容をすべて容認しているわけではないが、少なくとも現在の「超・異次元緩和策」の問題点を解明している点を評価して、紹介させていただいた。(2013-05-13佐野秀夫) 

 【出典】 アサート No.426 2013年5月18日

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