【コラム】ひとりごと –労働組合を担う世代について–

【コラム】ひとりごと –労働組合を担う世代について–

▽企業の「リストラ」ブームで、とうとう中高年管理職が会社から弾き出される時代になった。「管理職は組合をつくって聞え!」という声もちらほら。日本のサラリーマンには「滅私奉公すれば、やがてはバラ色の生活」という世界が存在してきたが、とうとうそれもメガトン級のパンチで壊されたようだ。考えてみたまえ、45歳にもなればもう退職を迫られる世界である。子供も家も、なにもかも大変な時代である。▽不況で企業が倒産することは通例であるが、今回、はちょっと違う。先を見ての中間管理職の合理化、事業部門等の整理統合である。これからの減収減益の中で企業収益構造を高めるための体質転換だ。売上重視から収益重視へと変ってきている。もうけるためには何でもやりますから、うちはこれでもうけますだ。「安易な中高年いじめは企業の力を弱めるだけであって、企業の損失」だと三菱総研あたりが忠告するぐらい、リストラで中高年はやられている。▽さて新しい人事管理には年報制が話題を呼んでいる。プロ野球選手と同じだ。上司との間で細かな目標管理が行なわれ、達成率によって査定され、給料が決る。比較的技術職関係には「プロ集団」「技術集団」を形成する上でのく働きがい)との関係で取り入れられていっているようだ。すでに職能給制度でもこれに近いところがある。▽労働組合といえば公務員関連および大企業の労働組合だ。中小は数でいえばビビたるものだ。もちろん運動的にはいろいろある。ただ全体への影響力では比較にならない。労働者の4人に1人以下になった組織率。しかも組合員であることを自覚できない組合員が増えている。私の実感からいっても、ふつうの人が労働組合をやっている人はめずらしい。活動家だけがとっかえひっかえ組合の執行部をやっているとしたら、もう末期症状である。ただ気掛りなのは、今30歳前後の人以後の世代に、労働組合をやる人がはたしているのかどうか?そうした組合に出来るのかどうか?だ。運良く(?)私たちはその鍵を握ってしまっている。(東京・i)

【出典】 青年の旗 No.187 1993年5月15日

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【映画評】「永遠のマリー」とイタリアン・リアリズム

【映画評】「永遠のマリー」とイタリアン・リアリズム

4月下旬の日経新聞、「シチリアの少年院を舞台に、そこへ赴任した教師と少年達のぶつかり合いを描いたマルコ・リージ監督の『永遠のマリー』は、現実を乗り越える視点と、さわやかな映像で観客に強く迫る。技法の面からも注目したい作品だ」という映画評に引き付けられてこの映画を観た。
題名からすると、恋物語のようにも響くが、パンフレットのサブタイトルは「囚われの美しき青年達」とあり、文字通り美少年のマリーのカット写真が載っている。同映画評で「題名のマリーは男娼のトラブルで収監された美少年のことで、その美しさと、彼らを犯罪へと追い込む社会のゆがみとを対置させている」と紹介されているとおり、イタリアン・リアリズムの社会派的伝統が脈々と生き続けていることを実感させるものであった。
主人公のマルコ(ミケーレ・プラチド)は、ミラノでの幸福な生活に破れ、古典文学の教師の職を捨て、失業者のあふれる故郷のシシリー鳥に帰ってきた。失意の彼が選んだ職業は、誰もが敬遠して応募しなかった少年院の教師の職だった。バレルモの少年院には、麻薬、売春、暴力などで捕らえられた少年たちが待っていた。反抗と事件を繰り返す少年たちに、マルコは一つ一つ教えていく。きれいな川がつぶされ、水をなぜ買わなければならなくなったのか、美しい自然が破壊され、コンクリートだけの住宅団地になぜ住まなければならなくなったのか、シチリアの貧困の歴史的背景とマフィアの犯罪的行為を、マフィアにあこがれ、マフィアに連帯感を持つ少年たちに説く。授業といったものが成立しない雰囲気の中で、読み書きすらできなかった彼らに、文を綴らせ、人間として己を振り返り、誇りを持って生きるよう、繰り返す。
しかしマルコ・リージ監督は、教師を聖職者に仕立て上げることなく、主人公のマルコもまた悩み、揺れ動く人間として措いている。少年たちと格闘しつつ、一方で文部省からの一般高校教師の採用通知を待っているマルコであった。そうした揺れを管理強化と罰にやっきとなる院長や看守たちに見透かされてもいる。だが、マルコは、心を開き始めていたピエトロ少年が脱走した後、おもちゃのピストルを持ってデパートを簸い、警官に射殺された事件を機に、少年院に残ることを決める。この決意は、監督自身の生き方を表しているように、私は感じた。
周知の通り、イタリア政界とマフィアとの癒着は、今に始まったことではなく、つい先日も前首相が辞めぎるをえなくなったように、広く深く浸透している。そして、追及し悪を断ちきろうと立ち上がった人々を容赦なく死に追いやってきた、残酷な現実がある。「世の中、持ちつ持たれつじゃないの」を、政界や財界はむろんのこと、司法界まで地でいっている。しかしこのところ明らかに事態が変化してきている。
ミラノの3人の検察官が摘発した政界・財界の汚職と腐敗構造の追及が、ついに政界のトップにまで及んできたのである。その先頭に立つ検察官の一人が、これまでは必ずもみ消され、上からの指示でストップさせられてきたが、今度は世論が、多くの国民の一人一人がそんなことを許さなくなってきたと語っている。この映画は、1988年に製作・配給されているが、「イタリア政界を揺るがしているスキャンダルを見据えていたようにも見える」と、日経編集委員の嶋田氏は書いている。
リージ監督の最新作「Ragazzi Fuori」は、「永遠のマリー」の続編とも言うべき作品だそうだ。機会があれば、ぜひ観たいと思っている。       (大阪・田中雅恵)

【出典】 青年の旗 No.187 1993年5月15日

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【投稿】揺らん状態のロシア民主主義

【投稿】揺らん状態のロシア民主主義
                                                       –ロシア国民投票の結果と新たな権力闘争–

<「改革」対「共産主義の復権」?>
4月25日に行われたロシア国民投票の結果は、エリツィン現大統領の信任を改めて確認した。しかし以前の熱狂的な支持率からは明らかに後退しており、その社会経済政策も信任されたとはいえ、多くの批判票が投じられた。また都市部や工業地域では高い支持率を獲得したが、農村部や民族共和国地域では多くのところで批判票が上回る結果となっている。
大統領と対立する人民代議員の繰上げ選挙実施の是非については、過半数の支持を得られなかった。これによって、大統領・行政府と議会・立法府のいわば二重権力状態は新たな段階に入ったといえよう。事態は遅かれ早かれ「大統領と議会の早期繰上げ選挙」が不可欠な方向に進展しており、ルツコイ副大統領はエリツィン氏の対抗馬として大統領選立候補を明らかにしている。
エリツィン大統領は、今回の投票を通じて国内外に「改革」対「共産主義の復権」という対決の図式を前面に押し出し、海外からの緊急支援をテコに一定の成功をおさめたことは事実であろう。エリツィン氏は、「強い大統領」への国民の期待の高まりを背景に、大統領権限を強化した新憲法草案を公表、これに対抗して議会側は、「大統領は独裁に近い政権を想定している」として、独自の新憲法草案を起草、発表した。エリツィン氏は、これに対して「特別統治」といった強硬措置を導入したり、起法規的措置を使ってでも新憲法早期導入を目指す可能性を示唆している。

<現実の着実な改革からの逃避>
しかしこのような対決主義の図式はもはや過去のものであり、積極的なものを生み出さないのではないだろうか。対決主義は逆に現実の課題からの逃避を合理化させ、改革を棚上げすることにしか役立ってこなかったのである。社会の分裂を深刻化させ、対立をあおることによって、現実の着実な改革を遅らせることに利益を感じているものを喜ばせるだけであろう。市場経済がいずれの側からも語られながら、独占的経済構造は逆に強化され、インフレの激化と無政府状態が野放しにされている。
そもそもエリツィン氏を最高会議議長に選出し、大統領制を導入し、さまざまな追加的権限を与えたのは、現在のロシア人民代議員大会なのである。にもかかわらずその後の事態は、両者ともに現実の社会経済改革に失敗し、紙幣の乱発と年2~3000%におよぶハイパーインフレ(92年には物価は26倍にも跳ね上がった)をもたらし、生産をさらに落ち込ませ、国民の窮乏化を一層促進し、地域的民族的対立を激化させ、無政府的状態を深亥肘ヒさせてきたことを示している。

< 訪日の余裕などなし>
エリツィン大統領が再び訪日の延期を発表したことに対して、日本経済新聞5月8日付社説は、「現議会を廃止して大統領主導の国家体制を確立するには、新憲法を制定しなければならない。これは現在の規定によれば現議会で採択される。保守派の強い議会は当然反対する。そこで大統領倒は今月末か来月初めに特別の制憲会議を開催し、強引に新憲法を成立させようとしている。権力闘争が正念場を迎える時期に、日本を訪問している余裕はないというわけだ。」「さらに、もうひとつ見逃せない点がある。エリツィン大統領一流の野放図な振舞いは、国内で許されても対外関係では通用しない、という認識が現政権内には薄いことだ」と、痛烈な皮肉をこめて論評している。
権力闘争が正念場を迎えているかどうかは疑問であるが、問題は、困難な社会的経済的な対立や矛盾が存在することにあるのではなくて、そうした矛盾や対立があるのはむしろ当然であって、いかにそれらを解決、あるいは前進させて行くかということにある。ロシアはこの点で、それらを民主主義的に解決するすべも、それを支える政治制度も、民主的諸政党もまだ確立し得ていないといえよう。こうした段階での対決主義、急進主義は、ろくな結果をしかもたらさないし、むしろ社会を危険な状態におちいらせかねないものである。

<レッテル張りと原始的サディズム>
「もちろん、今のエリツィン大統領の政府は、自ら批判を呼び起こしているところがある。だからこの政府を批判するのは簡単だ。だが簡単であるが故に私は批判を控える気持ちになっている。今のロシア大統領は、以前のソ連大統領の時と同じ勢力、つまり防衛産業部門、封建地主階層、民族主義者の抵抗を受けているのだ」--こう述べているのは、A・ヤコプレフ氏である。
近著「歴史の幻影」(1993.4.22、日本経済新聞社、2800円)の中で、氏はこうした対決・急進主義に触れて、「この不寛容の思想こそがまさに今また社会を分裂させつつあると私は深く信じている。・・レッテルを張り、侮辱を加え、我々自身の子や孫を顧みず、神をも悪鬼をも恐れず、ただひたすら身近な者を塵芥のように地面に踏みつけることに専念し、この原始的なサディズムから甘美な満足を得てきた。ゴルバチョフとエリツィンを礫にせよ、サプチヤクとポポフを銃殺せよ、共産党を裁判にかけよ、民主主義を八つ裂きにせよ、と」と述べて、その弊害を厳しく糾弾している。氏はさらに、「政治的な武器としての烙印押しは相変わらず使われている。誰かがロシア大統領や政府を批判しようものなら、批判者は直ちにネオコムニストか保守派等々にされてしまう。烙印押しは以前は共産党政権と共産党メディアの得意手だったが、今は一部の民主派がこの手を愛用している」ことについても指摘している。

<民主主義にとっての三つの危険>
ヤコプレフ氏は、「だがそれでもベレストロイカは前進した。紆余曲折、緩急、停滞を繰り返しながらも進んでいる。社会はそれによって変貌」したことを明らかにしながら、同時に「ある人々は、宗教裁判さながらに、ゴルバチョフを裏切り者として、マルクス・レーニン主義の聖堂破壊者として非難している。私もまた同様の非難を賂びせられている。エリツィンを悪魔の化身とみなしている人たちもいる。また別の人々は、みるみる窮乏化しつつある社会からできるだけおくのものをむしり・とろうとしている。後は野となれの精神である。そして、誰が出てきてどうなるのかを憂欝そうに見守っている人々が大多数だ」という現実を見すえている。
氏はそうしたロシアの現状を厳しく見つめながら、「私はまだ揺藍状態にある民主主義にとって三つの危険があると考えている。第一に政治的、行政的未熟さであり、新エリートの能力の低さである。第二には民主主義の経済的、社会的基盤の侵食であり、第三には改革勢力の分裂、政治家の叡智とカは頭ごなしの否定ではなく民主的プロセスの一貫性のある継承にあるという理解の欠如である」と述べている。
これに関連して、ソ連共産党最後の大会となる28回大会の期間中、「若手代議員集会には450人から500人もが集まったが、その一部が私の所に押し掛けて、この大会を放棄して新党の結成大会を開催したいがどうか、と追った。だが私はゴルバチョフを見捨ててはならないという思いからこの提案を断わり、今はその時ではないと論じた。このことを今振り返ってみれば、私は間違っていたと思う。たぶん間違っていただろう。あの時にまともな、活力のある、改革を目指す民主的な政党を作ることは可能だったと思う」と振り返っている。まさにこうした政党、あるいは改革勢力の団結の欠如こそが現在のロシア情勢を規定しているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.187 1993年5月15日

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【投稿】現代ゴミ事情 ゴミ焼却場建設を巡って

【投稿】現代ゴミ事情 ゴミ焼却場建設を巡って

読者の皆さんは、家庭から出るゴミをどうしているでしょうか。きっとゴミ袋か何かに詰めて、町内や団地内の決められた場所に決められた曜日の朝に出していることでしょう。
出されたゴミは、程なく昼までみはパッカー車で残らず運ばれている筈です。残っているゴミ袋があったり、集配が忘れられたりすることなど絶対にないでしょう。ところがゴミが運ばれることなく、町のあちこちで置き去りにされてしまう事件がありました。私の住んでいる大阪府河内長野市のゴミ事情をレポートしつつ、ゴミ問題を考えてみました。

<焼却場周辺住民が、ゴミ搬入に実力行動>
新聞やテレビのニュースなどで少々騒がれましたので、御存知の方も多いと思いますが、事の発端にはゴミ焼却場建設の問題がありました。河内長野市のゴミは、近隣の市町村でつくる南河内清掃組合という事務組合によって処分されており、現在のゴミ焼却場は富田林市に有ります。ここに3市2町1村分のゴミが全て集められ、日々フル回転しているわけです。この南河内地区というのは、近年大規模な住宅開発や高層マンションの建設が進み、人口が急増している状況にあります。当然ゴミの量は増え、富田林市のゴミ焼却場だけでは持ちこたえることができず、第二焼却場の建設の必要性が生じてきたのです。と言ってもこれは今になって出てきた話しではなく、かれこれ13年前に、現在の市長が初当選する際に「ゴミ焼却場建設」を公約してからずっと焦点化していたものです。その後、2度候補地があげられましたが、住民に金をバラまいたり、周辺住民の強硬な反対にあったりで、いずれも頓挫しています。そして、今回の天野地区が3度目の最後の候補地となったのですが、やはり周辺住民の反対運動が起こり、行政側はまたも立往生することになります。そうこうしているうちに、第1焼却場に運ばれるゴミは増え続け、河内長野のそんな状況に業を煮やした第1焼却場周辺地区の住民が「第2焼却場建設のメドが立つまで、河内長野市のゴミを搬入させない」とアピールし、ついには焼却場入口でのピケによる実力行動に出たのです。行政側は集配時間を早める等で対応しましたが、とっさの目先の対応でしかなく、当日は積み残されたゴミが街中で見受けられるという状況になったわけです。

<住民エゴでは、解決しないゴミ問題>
さて、河内長野市のゴミをめぐる状況を簡単に説明しましたが、ここで問題になっているのが、増え続けるゴミの処理をどうするのかという点です。出されたゴミは焼却しなければならず、焼却揚が足らなければ建設しなければならない。この点では、行政はもとより、議会も住民も一致しているのですが、いざ実際に自分の住んでいるところに焼却揚ができるとなれば、反対の住民運動が起こります。その反対の根拠は「焼却場建設によって緑が破壊される」「空気が汚染される」云々といったものです。特に今回の天野地区では「市営斎場に続き、またもや嫌悪施設を押し付けるのか。同じ市民でありながら、他地区に比べて不公平ではないか」ということが強く叫ばれています。
私は、たいていの住民運動に対して理解するところが多いのですが、この「ゴミ焼却場建設反対」の住民運動だけはどうも納得できません。なぜなら、生活していく上でどうしても生じるゴミに対する考え方の転換なしに、ゴミを出し続ける市民でありながら、近くにゴミ焼却場が建設されるとなれば反対するというのは、生活者としてあまりにも無責任ではないかと思うからです。確かにあらゆる地区から出されたゴミが自分の住んでいる一点に集中するというのはイヤなものでしょうが、自分もそのゴミを出している一市民なのです。ゴミを減らす努力はしているのでしょうか。再利用できるものがまだあるのではないでしょうか。資源ゴミと一般ゴミを分別しているでしょうか。古紙は回収業者に出しているでしょうか。牛乳パックはちゃんと集めているでしょうか。これらのことは市民一人ひとりに問われている当然の義務です。「ゴミに対する考え方の転換」というのはこういうコツコツとした日々の心がけの問題なのですが、実際にはなかなか定着していません。現実にゴミが増えている中で、並行してこうした減量化の努力は続けなければなりませんが、やはり焼却場は必要なのです。私なら、もし自分の住むに街にゴミ焼却湯ができるとなれば、これまでの生活を省りみつつ、賛成するでしょう。
ゴミ焼却場建設を巡ってのやりとりで、河内長野市が注目されることになりましたが、これは現在のゴミ問題のほんの一端ではないかと思います。大量消費社会などと言われている中で、現れ方の違いはあれども、いろいろな面でゴミの問題は問われています。それらは、企業や行政の問題として扱われている場合が多く、確かにそういった側面も強いのですが、今や生活者としても市民の自覚、モラルの問題にもなってきているのではないでしょうか。何もかも行政まかせにするのではなく、市民としてできることは自分達でやっていく、それが本当の意味での住民意識の高さ、市民レベルの高さであり、力強い住民自治を創っていく上での実になっていくのではないでしょうか。ゴミ事情や反対運動を見て、そんなことを感じた次第です。     (大阪 江川 翔)

【出典】 青年の旗 No.187 1993年5月15日

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【投稿】政治改革の裏舞台

【投稿】政治改革の裏舞台
                                                            –日本新党にみる政界再編の構図–

政治改革はもっぱら選挙制度の問題にまたもや煮詰まってきた感があるが、ともかく腐るところまで行き着いた政治の現状を何とかしなければいけないという点では同じ土俵にあるわけで、それはこれまでの保守とか革新とかいうそれぞれの政治事情をとうに乗り超えて、具体的な生活選択の問題としてもリアルに政治が応えなければならないという、<日本と世界の現況>に大きく動かされていることは間違いないであろう。
このいわば「改革」ブームにおおきく波紋を投げかけたのが日本新党であり、平成維新の会であるが、この政治グループの背景もしっかりと見ておく必要があると思い、以下紹介する形でそれに代えさせてもらう。もちろんこの指摘がすべてではないが、現実にそうであるという事実は彼等は何も説明していないのであえて紹介し、議論の材料としてほしい。

<日本新党の流れ>
細川護熙は旧熊本藩主細川家18代。1938年1月東京都生れ。父、細川護貞は近衛文磨首相秘書官、永青文庫理事長、神社本庁統理。母、湿子は近衛文磨の二女。上智大卒。朝日新聞記者。71年から参議院議員(自民党)2期、83年から熊本県知事(自民党公認)2期つとめる。90年自民党の推薦で、東京都知事選に出馬の動きがあったが、現職の鈴木知事が降りず、断念した。91年かわって出馬した磯村尚徳が、鈴木知事に惨敗したのは記憶に新しい。細川出馬、磯村出馬を仕切ったのが、誰あろう小沢一郎・自民党元幹事長である。91年行革審部会長。92年日本新党結成。
細川と佐川清(佐川急使元会長)との関係は有名で、新潟・赤倉細川別荘と京都・南禅寺にある細川家別邸を、佐川清や次男の光に長年にわたり賃貸し、家賃収入を得てきた。細川はまた右翼の四元義隆(血盟団員。黒幕牧野伸薪、大川周明と井上日召、団員との連賂役。安岡正篤の弟子)とも頻繁に交友関係にあり、四元は日本新党の陰の立役者ともいわれている。
細川の日本新党が旗揚げされたのは92年5月。結党宣言はr文芸春秋』92年6月号に掲載された。文芸春秋はアメリカCIAの下請けジャーナリズムといわれ、日本新党の対米政策も、市場開放の推進、日米安保条約のより包括的・安定的な発展をめざすなどアメリカー辺倒である。実は規制緩和、許認可権の見直し、市場開放(コメや食品の自由化)、地方分権(小さな政府)など新党の政策は、アメリカの「スタンフォード大フーバー戦争・革命・平和研究所」が中心となっている「モンペラン協会」のかかげる(大資本優遇)政策や中曽根の臨調・行革路線の主張と同じである。
日本新党は主として五つの人脈があると言われている。一つは細川自身の殿様人脈。事務局長は永田良三、永田家は細川家の代々家老職をつとめる。二つは八幡製鉄から鉄鋼労連会長、松下政経塾長の宮田義二を筆頭とする松下政経塾人脈。宮田は勝共連合人脈のひとり。三つは行革固民会議のメンバーで日本新党企画調整本部長の金成洋治を筆頭とする行革審人脈。四つは政治分析センター代表の松崎哲久(ハーバード大研究員、中曽根自民党総裁付)を筆頭とする政治プロパー人脈。五つは小池百合子、円より子などタレント人脈。日本新党は結党以来、自民党小沢派の別動隊といわれる。別動隊の中核が宮田を筆頭とする松下政経塾人脈である。

<平成維新の会の流れ>
日本新党と併走する集団に「平成維新の会」がある。
大前研一が平成維新の会を旗揚げしたのは92年11月。大前はMIT大学院原子工学科博士課程修了、70年から日立製作所で高速増殖炉の開発に従事、72年マッキンゼー(世界最大手の経営コンサルティング会社。本社ニューヨーク)に転身、79年日本支社長。現在マッキンゼー・ジャパン会長。大前はアメリカ企業の代理人としての商売をしているにすぎない。夫人はジャネット。また大前は加山雄三のヨット仲間。各地の漁港が公的補助で作られているのにひきかえ、ヨットハーバーが不十分なのに腹を立て、農漁民への補助の打ち切りと、一定所得以下の農漁民の切り捨てを主張する。
岩国哲人出雲市長も重要である。東大法学部卒。日興諾券入社、77年モルガン・スタンレー投資銀行部長、84年世界最大の証券会社メリル・リンチ社(本社ニューヨーク)専務、のち上席副社長、89年に出雲市長に当選。岩国はアメリカ私企業から日本の行政へ送り込まれた代理人。岩国には細川との共著『鄙(ひな)の論理』がある。

<財界が政治のおもて舞台へ>
一連の動きが、1)政治浄化のはずが選挙制度の問題にすりかえられ、国際貢献という名の改憲へまっしぐら、2)談合を中心とする族議員・業界の癒着構造、許認可権の緩和と市場開放、この二本立てである。金丸逮捕は、アメリカ、そして政官財界の奥の院、検察がつるんだ威しであり、1)、2)は「本気だぞ」と内外に示した意味がある。
検察は従来、竹下派が牛耳り、本来なら金丸逮捕に動くわけがない。ところが昨年秋、文芸春秋から根来法務事務次官攻撃が行われ、同じ頃佐藤札幌高検検事長が朝日新聞の論壇に投稿、検察批判を行ったことによって検察内部の空気が一変した。法務大臣に後藤田正晴が就任し流れは決定した。金丸逮捕の直接のきっかけは大蔵省国税局査察部(マルサ)からの情報である。
中曽根の臨調方式以降、財界は政治の表舞台へ堂々と登場した。彼等は直接、政策を提示し、しかもあたかもそれが第三者的な立場で「多数の利益」であり「正義」であるかのような雰囲気づくりをして、マスコミを動員した。こうした事態に国会は空白化し、政党政治が無形化することは明らかであり、野党はこれに国会対策政治で対抗するだけであったことはつい最近の事である。いまやその自民党すら必要がなくなったのである。自民党自身が財界にとっての「改革」の邪魔となったのである。
政界再編の流れを仕切っているのは、モペラン協会と結んだ「産業計画懇談会」(桜田武代表世話人=元日経連会長)、「世界経済調査会」(木内信胤理事長=元勝共連合を応援する会座長)から第二臨長、行革審へいたる人脈。
現在は政治改革推進協議会(民間政治臨調。亀井正夫会長=元住友電工会長、日本生産性本部会長。国鉄再建管理委員長として国鉄分割・民営化に葬走)である。ここには後藤田法相のほか細川護照、小池百合子なども加わっている。    (東京Ⅰ・板橋M)

【出典】 青年の旗 No.187 1993年5月15日

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【投稿】政界再編の起爆材となるか、シリウス

【投稿】政界再編の起爆材となるか、シリウス

シリウスをどう考えるか、この文章のテーマである。

<危険な「政権交替のための政界再編論」>
その前に、現在の政治状況の特徴と、何が求められているのか、私見を述べたい。
金丸・竹下金権腐敗の実態が暴露され、ロッキード、リクルート、佐川と続いた政治腐敗に対して、労働組合員のみならず国民全員に、「怒り」から「あきれ」に近い虚脱感が広がり、自民党も自民党なら、野党も野党だという意識も強く、「既成政」全体への不信が広がっている。日本新党が、相次ぐ自治体首長選挙で勝利しているのも、「新しさ」への国民の期待の現れであろう(もちろん、期待だけに終わる可能性が強いが)。
社会主義体制(?)が崩壊し、冷戦が終結、世界政治は新しい舞台の幕を開けたわけだが、世界と日本が直面する環境問題、地域民族紛争、南北問題、人権問題などの課題は、時代遅れの旧来の発想で解決のめどがないことは、国民共通の意識になりつつある。
一方で、佐川疑惑や竹下皇民党事件がうやむやになり、金丸の建設省利権による不正蓄財と汚職構造が明かになったとは言え、このままでは、原因であるところの根本的な汚職構造が改められる見込みも少なく、一時しのぎ的に、政治改革=選挙制度改革に焦点を意識的に移されようとしているのではないか。
しかし我々は、汚職構造を単に「長期政権は腐敗する」などと一般化することなく、「政権交替可能な政界再編」などというごまかしを許すべきでない。自社共に、現在の日本の政治に求められている課題を解決できないほど、国民から飽きられているのは現実であっても、単に政党の分裂と再編で支持を再び、という甘い夢に同調するわけには行かない。もっと、政治・政党について議論し、国民や労働組合員、一人ひとりが政治に関わっていく「スタイル」と「コンセプト」を提供し、「新しい政治活動」をどう創るかを真の「改革派」は問題としなければならない。「清新で」「先進的で」「活動的で」「公開された・大衆的(親しみやすい)」政党こそ求められているのではないか。
その点では、最近のマスコミ(テレビを含めて)が、「保守派(守旧派)」と「改革派」という言い方で、「改革(派)」一般をクローズアップさせながら、改革・政策の中身について、その実現性や核となるべき「民主主義」や「公平」「人権」といった内容の検討を行わず、イメージを先行させている姿勢に無批判ではいられない。また、自民党の保守性よりも野党陣営の中にある「保守性」(私自身も社会党、労組の封建的とも言える民主主義の欠如の問題を無視しえないとは思っているが)を主要打撃の対象としている傾向にもしっくりしないものを感じている。

<シリウス、政策創りはこれから>
政策研究会「シリウス」発会趣意書(92年11月3日付)を見ると、「私達は、冷戦時代の固定観念から完全に脱却し、新しい展望を模索して徹底的に創造型、未来思考型の議論をしたい。いかなる行動や政策についてもオルタナティプを示したい」「・・・・政治の新しい展望を拓くのは、政治家一人ひとりが政党の枠を超え、清新な志をもつ国会議員が個人として横断的に集まり、相互に政策研究で切磋琢磨する場として、本会を結成することとした。」とし、位置付けは「政策集団」である。
この時点で、参加した国会議員は社会党衆議院議員14名 社民連2名 参議院では、社会党7名 連合参議院(現在の民主改革連合)4名の27名である。(後 社会党から2名の参議院議員が参加し29名に)
シリウスの参加者の特徴を並べると、中心が社民連江田であり、社会党内で言えば、ニューウェーブの会、AND(アクション・ニューデモクラシー)など新人議員が多い事、全電通出身の組織内議員がいることなどであろうか。
また、政策誌「シリウス」には、労働界からも、鉄鋼労連、自動車総連、金属機械、情報労連、自治労、など旧総評の主だった単産の委員長が、政治改革を期待する一文を寄せており、「シリウス」への関心の探さ、注目の度合を計ることが出来る。
参加している議員の一人ひとりが、国際・外交、内政、政治改革、地方自治、高齢者福祉、環境問題などの政策提案を政策誌の中で行っており、発言し行動する議員というイメージを打ち出している。
しかし、一面シリウスは、社会党をさらに右へ導く役割を持っているような気がする。いまさら右だ左だという言い方は、自分自身もう時代遅れという気がしているのだが、敢えて言えば、さらに右である。ただ、社民連江田が、それなりのキーバーソンであり、硬直した既成政党に対して、清新なイメージを国民に抱かせつつ、新しい、社会党の流れを創り出す可能性を持っていることも否定できない。
もちろん、現実主義に立つことは、それ自体を「右寄りだ」などという意見には組み出来ない。現実からの一歩を確実に、次につないでいくことは、大切であり、単なる思想集団では「国民政党」にはなれないのである。
ただ、政策誌を読む限り、政策集団とは言え、政策議論はまだまだというところで、まとまった政策が打ち出されているわけでもない。まだまだ、ムードだけというのが実態である。
江田は巻頭の言葉で、社会主義は我々の未来の語彙にはないといいつつ、社会主義運動の楽天主義だけは、受け継ぎたいと述べている。この点はすこし私は違和感を感じている。まだ、私は社会主義というものに拘っているからであって、もう少し自分の中の「社会主義論」を整理してから、意見を言いたいと思う。

いずれにしても、政権交替のために大同団結という議論では、すこし無理があり、むしろ社会党改革や社民結集という枠組のなかでの、シリウスの役割についてなら私もシリウスには期待するものがある。そういう意味では、社会党の93宣言は次の機会に検討したいが、ただ一つ指摘したいのはやはり「党と労働組合」との関係であろう。労働組合あっての社会党、という現実に社会党側がどう決着をつけるのか。労働組合は、労働者にとっては守り手であっても、国民全体では利害が異なる場合もある。既得権の擁護だけでは、それこそ改革は進まない。むしろ、政党の足かせとなる。
日本新党はすでに「政党」である。シリウスは政党ではない。この点が今後の、いわいる「改革派」陣営の中での、シリウスの特徴でもあり、曖昧さでもある。またこの状況こそ社会党改革の遅れと大いに関連しているところであり、安易な社会党分裂論では、逆に社会党関係にとってシリウスが危険な存在だとも言えるのである。
(大阪・佐野秀夫)

【出典】 青年の旗 No.187 1993年5月15日

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【投稿】今、政治改革を問う 政界再編へのカウントダウン

【投稿】今、政治改革を問う 政界再編へのカウントダウン

<国民の厳しい目が政治を変える>
いよいよ政界再編が現実味を帯びてきた。本気で政治改革を考えている者も、そうでない者も近づく解散・総選挙を勝ち抜くために必死で「改革派」を名乗っている。果たして政治改革に向けての政界再編は本当に実現できるのか。期待を込めて「政界再編は、近々起こる。」と考えたい。
自民・社会の1:0.5体制が国際情勢の急激な変化に対応した新たなビジョンを示せず、相変わらず建前と本音を使い分ける国対政治を続けるのであれば、早晩その政治的限界に対する国民の審判が下されるだろう。自民が小選挙区制、社会・公明が小選挙区比例代表併用制という形で対立し、共に政治改革への意欲を見せながら成立せずという結論に導くという目論見が一部の指導部にあったとしたら大きな誤算になろうとしている。もはや国民の目をごまかすことはできない。なぜなら、4年前にリクルート・消費税・農政という明確な争点が国民の政治に対する学習を深めさせて以来、自民党のみならず社会党の闘うポーズと現実とのギャップにはもううんざりしているからである。
金丸の不正蓄財への怒りもさることながら、政治を変えることができないことの責任追及が野党第1党である日本社会党に向かうのも当然である。いつまでたっても労組依存から脱却できず、国会の過半数を占めるだけの候補者を擁立できる可能性が見えてこない。さりとて自民党も含めて共に連立政権をうちたてて政権能力を養うという意欲も見えてこない。内側から変わるエネルギーはもう感じられない有り様である。このままでは、思い切ったショック療法=選挙制度改革を含む腐敗政治一掃の徹底的政治改革しかないと国民が思うのもやむを得ない。
4月中旬に政治改革推進協議会(民間政治臨調)が提唱した小選挙区比例代表連用制は、既存政党の議席をほぼ維持させつつ、現行の中選挙区制度を木っ端微塵に破壊しようとするもので、現行制度のまま一票の格差の1:2以内への定数是正によって党勢を拡大したい日本共産党以外は、最終的にこの案を受け入れざるをえないだろう。まさに自民案と社・公案の折衷案ともいうべきものであり、これを成立に至らせなかった政党や派閥は国民の大きな批判に直面すると思われる。それほど国民の政治に対する怒りと逼塞感が大きいとみるべきである。(4月29日のTBS系列「ニューース23」の調査によると政治改革のために選挙制度を変える必要があると答えた人は実に3分の2に達している。)

<生きた議会制民主主義=政権交代への道>
このような根本的治療は、選挙という痛みが感じられる時期だからこそ現実的効果があるのであって、年内にも予想される解散・総選挙が終われば元の木阿弼になりかねない。世論調査で社会党に迫りつつある日本新党といえども、総選挙という国民の審判を2回、3回と受けていく度に一時の勢いが無くなる可能性もある。また自民党=国家官僚という長年の繋がりが簡単に切れると甘く見ることもできない。敵は依然として全国の津々浦々まで利権構造を張り巡らし、歯向かう者を干上がらすことも兵糧攻めにすることも思うがままなのである。このような中央集権=官僚天国・国民奈落の有り様に対する怒りを平成維新の会は明確に国民に訴えることで人気を博している。しかし農業切捨てや弱肉強食の自由経済主義はインテリゲンチャーやエリートサラリーマンの支持は拡大しても、中小企業の経営者や兼業農家、未組織労働者や公務員といった帽広い層の支持を得にくい。あまりに経済理論に偏りすぎており、現実の生身の庶民の暮らしをどうするかいう政治の世界には馴染まない。従って政界再編の触媒にとどまるだろう。
一方、細川護熙率いる日本新党は、6月の東京都議選を勝って勢いをつけ、一気に解散・総選挙の一人勝ちをするのではないか。もちろん50人~60人(あるいはもっと多く)の候補者をどれだけ当選させたかという意味での勝利であるが。問題は勝ったあと、自民党改革派(羽田派等)と公明党、民社党、社会党の一部、社民連などとの新党づくりに向かうかどうかである。何も2大政党制を無理につくる必要はないし、日本でもかつて連合政権が当たり前の時代があったのである。
最後に、社会党が現実に政権を担う政党になるために最大の問題点は、「企業献金の全面禁止」を公明党と一緒になって言うことではないか。公明党は免税の宗教団体から資金援助を受けられるから企業献金を禁止することは他党に揖害を与えることになる。政党を国民の税金で養うことに国民の理解がまだ得られない以上、現実の選挙を勝ち抜き候補者を増やすために、「企業献金禁止」から「企業献金の規制と公開の強化(使途不明金への200%課税等)」への転換に踏み切るべきである。時期をみて国民の意識を政党への公費支援に賛成の方向へと誘導して行けばよいのである。ここに踏み込めるかどうかが社会党の連合政権づくりへのメルクマールとなる。現実の日本は企業社会であり、勤労者の多くは「会社人間」である。残念ながらこの現実から出発せざるをえず、理想で一定の票を取りつづけることはできても政権を奪取するためには、それなりの戦術が必要なのである。国民は耳障りの良い言葉よりも政党が本気でめざすものは何かをシビアに見つめている。   (93年4月30日 大阪M)

【出典】 青年の旗 No.187 1993年5月15日

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【コラム】ひとりごと–入学式に日の丸・君が代–

【コラム】ひとりごと–入学式に日の丸・君が代–

◆体育館の舞台の正面一杯の大きな「日の丸」。正面横の壁に申し訳のように、趣味の悪い校旗と自治体の旗。式次第を見れば「君が代」斉唱の文字。◆校長は挨拶をするのに舞台に上がり、深々と「日の丸」に一礼。◆司会の教頭は全員に「起立」を呼びかけ、「礼!」と言う。何に礼をするのか。「日の丸」にか?◆これが、我が娘の小学校入学式であった。◆子供達への最初の言葉が「起立!」であった。なぜ「さあ、立ちましょう」という言葉かけでないのか。そして中身も何もない校長、首長代理、PTA会長の挨拶の度に、「起立!礼!」である。◆親も親だ。着物の正装の人も多い。記念写真のためだけである。ビデオ撮りに熱中している父親もいる。◆たしかに「ハレ」の舞台、めでたいのであろう。感慨もあるのだろうが、こんな軍隊的な「式」でおめでとうと言われれもうれしくもない。◆「君が代」もテープを流していた。幸い(?)親は誰も歌っていない◆ただひとり私は「起立」「礼」を拒否したが、我が子のこれからが思いやられる◆後で調べると我が小学校には「日教組組合員」はいないとのことでした。 (佐野秀夫)

【出典】 青年の旗 No.186 1993年4月15日

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【投稿】映画「マルコムX」と「ASSERT」

【投稿】映画「マルコムX」と「ASSERT」)

映画「マルコムⅩ」を観た。久しぶりの感動を味わった。一緒にみた職場の仲間と感動の余瀕に酔いしれるほどであった。スパイク・リー監督自身が映画の上映前から売り出していた「Ⅹ」のロゴをつけたTシャツなどのマルコムⅩグッズまで買ってしまった。
クリントンも大統領戦のさなか、Ⅹ帽子を被ってジョギングをしていたという。
映画は冒頭から鮮烈である。昨年のロス暴動で大問題となった、白人がよってたかって黒人を投打しているロドニー・キング暴行事件のビデオが登場し、アメリカ国旗が燃えながら「Ⅹ」の文字に変わるシーンに、「・・・われわれは民主主義をみたことがない。
われわれがみたのは偽善だ。われわれが体験したのは悪夢だけだ。‥・」というマルコムⅩの演説がそれに重なる。39歳の若さで凶弾に倒れたマルコムⅩが生きた1940-60年代当時のアメリカ社会の現実と、90年代の現在が実はそれほど変わってはいないのだということを実感させる。だからこそ、スパイク・リーは、この映画の製作にこだわったのではないか。監督を始めスタッフをすべて黒人にしてこそ、「マルコムⅩ」を世に出す意味があると彼は考えたのである。
本来、黒人映画、白人映画と分けるのは前向きではないと思うが、残念ながら、アメリカの現状、南アフリカ、ヨーロッパ、そしてアジア、この日本においても、「人間、みな兄弟」になりえてはいない厳しい現実がある。映画に繰り返し出てくる迫害の画面は、一つ一つ胸に突き刺さる。まだまだ自分の限られた周囲しか見えていなかった己の不明を恥じるとともに、若い世代の人達がマルコムグッズに引かれてでもいい、映画館に足を運んでくれたらと思った。
4月6日の朝日新開(夕刊)に「映画『マルコムⅩ』にかけおちた欠け落ちた視点-かっこ良さ全面実態不十分」と題する本田創造氏(桜美林大副学長、アメリカ社会史)の評論が載っていた。スパイク・リーに共感している私としては、「実態不十分」に少しカチンときて、記事を読んだ。本田氏は、監督の力作を讃えながらも、「白人が作り上げた、固定的なキング師との対比」を突き崩すことができていないこと、「2人の相似性」の解明に迫りえていないこと等の問題提示をしている。この提示は、真撃に受け止めるべき内容を含んでいるし、氏は決してこの映画をけなしているわけではないと理解しつつも、私はあえて再度、スパイク・リーの健闘を称賛し、「黒人の、黒人のための、黒人による」映画製作という所期の目的は果たすことができたことに賛辞を送りたい。そして、より多くの人に、映画「マルコムⅩ」を観て頂き、共に考えたいと思う。
「マルコムⅩ」を観た後、本紙の「ASSERT」への名称変更について考えたのですが、受け身的、既成的観念にとらわれず、「主張する」ということの能動的、積極的参加の必要性を前に出している点で、大いに賛同したいのでありますが、何しろこれでは一般に理解されないし、首をかしげさせることになるのでは、という危惧があります。そこで、平凡ではありますが、いくつか提案したいと思います。「変革フォーラム」、「主張の広場」、「変革NETWORK」、「フォーラム連帯」、「トークプレス」、「論点」、「論壇NETWORK」、「オープンフォーラム」、「生き生きフォーラム」、等々、きりがありませんね。この際、これまでに提案されたもので投票に付したらどうでしょうか。 (大阪・田中 雅恵)

【出典】 青年の旗 No.186 1993年4月15日

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【本の紹介】いま、なぜネオナチか? 

【本の紹介】いま、なぜネオナチか?   「社会主義の崩壊」が突さつけるもの

『いま、なぜネオナチか?』B・ジープラー著、三元社、1992.12.25、2300円
『ナチス裁判』野村二郎著、講談社現代新書、 1993.1.20、600円

<「代々木公園を日本人の手に取り戻せ!」>
朝日新開4月7日付けによると、「ビザ切れ不法残留外国人を日本から追い出せ!」、「代々木公園を日本人の手に取り戻せ!」などと書かれ、中央にはナチスのハーケンクロイツ(カギ十字)が描かれたビラが東京や埼玉で目だってきているということである。「国家社会主義同盟」などのグループが電柱などに数千枚規模で張り出している。軽くあなどれない危険な現象である。
従来から西ヨーロッパでは、極右民族主義、ネオナチズムが各国において「国民戦線」といった形態をとって一定の勢力、しかも無視しえない勢力を保持してきたことは周知の事実である。しかし南北間の格差に加えて東西間の格差、冷戦体制の終焉にともなう世界のボーダーレス化、旧社会主義圏の混沌状況のなかから、大量の難民の増大と移動、民族間抗争がこれまでになく激化してきており、これらを背景に人種差別主義や排外主義、民族主義的扇動と外国人排斥運動が公然とまかりとおり、多くの大衆の支持を受けるという事態が現出している。日本における事態もこうしたことと無関係ではないし、過去の歴史において「日独伊反共枢軸」、「鬼畜米英」、「アジアの盟主」をスローガンにナチスと同様、あるいはそれ以上の犯罪的行為を犯してきただけに警戒を要することではないだろうか。

<なぜ旧東ドイツでネオナチが?>
ここに紹介する「いまなぜネオナチか」という本は、そうした意味でこれまでの反戦、平和、社会主義を掲げてきた運動のあり方を根底的に反省し、問い直す好著といえよう。ナチズムとの徹底した戦いを通じて形成され、それを国是としてきたドイツ民主共和国(DDR)において、「どうして、反ファシズムの抵抗運動家たちの手で建設され、反ファシズム的な自己理解を持っていた国で、人種主義や反ユダヤ主義がふたたび生みだされることになったのだろうか?」というのが、著者の問題提起である。 ネオナチの活動は東西両ドイツで活発化しており、選挙においても多くの得票を獲得しているが、とりわけそれが旧東ドイツにおいて顕著である。ミュンヘンのドイツ青少年研究所とライブツイヒ中央研究所が90年夏に実施した東西両ドイツのドイツ人生徒アンケートの結果は以下の通りであった。

ファシズムについて
東 西
本当は「よいこと」だが「やりかたが下手」  13%  13%
アドルフ・ヒトラーを賛美 15% 13%
もうファシズムで恥じる必要はない 37% 35%
強力な手でドイツを統治する指導者を再び欲しい 16% 7%
ドイツ人はいつだって歴史の中で一番偉かった 33% 16%
「多くの外国人」は邪魔だ 42% 26%
この調査報告は、「東ドイツの大都市の男子上級生徒の無視できない少数派と、西ドイツの基幹学枚生徒の一部は、信念と判断が右翼思想に傾いていて、ナチズムの思想にきわめて近い」と結論している。
さらに東ドイツ自身が88年12月に行った調査報告「青少年の政治的歴史的態度1988年」によると、生徒の37%が歴史が嫌いな理由として「もう十分に開いたから」という「食傷現象」をあげ、「たとえば労働者階級の闘争の話になっても特に感動はしない。だって1年生から10年生まで、いつも同じことばかり労働者の活動について開かされるから」と答えている。
「ファシズムなんてなんの興味もない」、「ファシズムのことなんてもう開きたくない」という意見に上級生徒の約4分の一が賛成している。これは旧東ドイツの「調査団」にとっで愕然とする結果だった。

<自己批判の欠如とセクト主義>
著者の態度は冷静である。「これまで西ドイツの極右主義に格別の注意も払わず、その原因を西ドイツ社会の体質に探すことなど夢にも考えたことのない連邦首相コールから連邦内務相ショイブレまでが、今では
もっぱら、東ドイツ「自家製のネオナチズム」を話題にし、現実の社会主義の崩壊を、社会主義に一切の「悪」の責任を負わせる口実にしていることには注意した方がいいだろう。人種差別的な排除行為は双方にあり、外国人労働力と難民の扱いでは東西にさしたる違いは見られない」と指摘する。そして「現実に存在した「DDRマーク」の社会主義に関する批判が必要である。その際肝心なのは、ドイツ民主共和国を反ファシズムの牙城にしようとしたDDRの建国の父たちの努力や意欲を否認することではない。むしろそうした計画が、早々と妨げられてしまったことが問題なのである。「冷戦」と、西側の脅威にさらされるDDRの現実の状況とによって、自国民に対する不信感があおられ、一息入れて過去を修正するいとまもなく、抑圧的な構造を強引につくりだしてしまった。」ことを問題とする。
そして何よりも、「労働者階級とドイツ共産党の反ファシズム抵抗運動が過度に賛美されるようになった。反ファシズム運動の中核は「マルクス=レーニン主義政党に指導された労働者階級でしか」ありえなかったとされる。労働者はまるで生まれつきナチ・イデオロギーに対して免疫があったかのように、反ファシズムの闘士の神話を授けられた。「人類の歴史上もっとも革命的な階級」がナチ・イデオロギーに染まりやすかった事実はタプーとされ、ナチ党が32年7月の選挙で勝取った1300万票の背景は問われなかった。33年の労働者階級の敗北はけっして問題にされず、むしろナチズムの勝利はSPD(社会民主党)の責任だとされた。ナチ体制のテロは「もっぱら共産主義者に」向けられたとされた。ユダヤ人については一言もない。」、そして「社会ファシズム論についての反省、39年8月のヒトラー=スターリン協定を共産党が支持したことも、最優先させるべきは「強盗のようなイギリス帝国主義」との願いであって、ドイツファシズムとの闘いではないと」とのべたことについても一切の自己批判も反省もなかったこと、そしてそうした問題を真剣に取り上げ、社会主義本来の民主主義を獲得しようとした人々を秘w-警察の網の目の中で反体制派として抹殺してきたことが根本的な問題として指摘されている。

<日本とドイツ>
もう一つの本「ナチス裁判」の著者、野村二郎氏は、旧東ドイツ最高検のプシビルスキー検事を何度も取材しているが、その際同検事は、「わが国ではナチスを徹底的に破壊する目的意識をもって裁判を行なった。裁判のほかにファッショを絶滅させるために国民がどう取組むべきかを教育し、ファッショは民主社会における犯罪であることを徹底して教え込んだ。したがって、わが国でナチスが復活するような愚かな事態の再来は絶対にない」と断言していたのである。
しかしB・ジーグラーが指摘するように「東ドイツでは、非ナチ化が西ドイツよりも徹底していたし、またそれだけにかなり欺瞞的だったにもかかわらず、おそくとも冷戦の開始と同時に、反ファシズムが体制を正当化するために利用され、濫用もされた。反ファシズムは内容がからっぼになり、「国家による指示」となり、国の宗教に祭り上げられた」ことが今日の事態をもたらしたともいえよう。
野村氏が「ナチス裁判」の最後で、「戦前、戦中の日本人の国民感情も、当時のドイツの人々と大きな変わりはない。大和民族の優越性を誇り、「東洋の盟主」と自賛、植民地や占領地の人たちに対し、民族的偏見を持ちながら蔑視や迫害をしたばかりでなく、軍隊に召集したり、徴用して激しい労働を課したことは隠しようもない事実だ。戦争犯罪の処理について、日本とドイツの違いは、日本は連合軍による裁判ですべて終り、ドイツはドイツ人自らも容疑者を裁いてきたことだ」と強調している。ここには大きな違いがあるのではないだろうか。両書は、決して過去の出来事ではなく、現在の課題を提起しているといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.186 1993年4月15日

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【投稿】地球環境問題〉「持続可能な発展」をめぐって(下)

【投稿】地球環境問題〉「持続可能な発展」をめぐって(下)

<政府・財界の「持続可能な発展】のとらえ方>
「持続可能な発展」の概念に照らしてみる時、日本の政府と財界がこれまで追求してきた日本の進路と経済成長の方向は非持続可能な発展の道であったし、「持続可能な発展」に対する理解は極めて歪曲された内容となっている。
まず第一は、「Sustainable Development」の訳語を経済界は好んで「持続的開発」や「持続可能な開発」と訳して使用し、「開発」の持続性と経済成長の持続性に目的と力点をおき、「Sustainable Development」の概念の核である持続可能な生態系の保護という最も中心的な目標と視点を欠落させていることである。
1990年4月に経団連環境部会がまとめた「地球環境問題に対する基本的見解」の報告書のなかで、「持続的な経済成長と環境保全を両立させる方策の推進」として、エネルギーの安定供給、経済成長、環境保全の三要素を調和させ、持続的な経済成長と環境保全を両立させる観点から推進する主旨を述べている。
第二は、過去の非持続可能な姿勢のために引き起こされた深刻な日本の公害被害と自然環境の破壊や社会の歪みや過密、過疎にもとづく貧富の拡大や官僚主義、企業主義の弊害に対して十分な反省がみられない点である。過去の日本が進んできた経済成長は公害被害の犠牲の上に成り立ち、かつ日本の生態系と自然の破壊の上に成り立ってきた。
また戦後アメリカから導入された大量生産、大量消費の経済構造は日本の消費者の生活、文化を激変させた。企業利益の追求を目的とする大量生産、大量消費、大量破棄の経済構造は異常な広告と宣伝、モデルチェンジ、使い捨て商品の氾濫となり、その結果、人間の質素で基本的な生活要求である衣食住の資質向上はなおざりにされ、不要不急な消費物資や過剰な消費物資は資源の無駄使いとなり、発展途上国の熱帯林等の消失の原因となり、環境問題にも大きな原因を作った。市民と労働者は企業の宣伝に振り回され、車社会で交通事故の死傷者となり、長時間労働、過労ストレスを余儀なくされ、ひどいときは人間自身が使い捨てとなる事態が発生した。このように人間の基本的なニーズを大切にするのではなく、過剰な欲求を刺激し、そこで利潤を追求しようとするこれまでの社会は決して「持続可能な発展」の遣とは言えない。
最近の政府・財界の動きは、地球環境保全抜きには決して「持続可能な発展」を達成することが不可能であることが益々明らかになる中で環境保全への取り組みを開始してはいるが、資本の論理の域を出ることができないでいるのが現実である。

<「持続可能な発展lの本質とエンゲルスの自然観>
ここで、エンゲルスが自然と人間の関係について「猿が人間になるについての労働の役割」の中で明確に述べているので少し長くなるが引用する。
「要するに、動物は外部の自然を利用するだけであって、たんに彼がそこにいあわせることで自然のなかに変化を生じさせているだけなのである。人間は自分がおこす変化によって自然を自分の目的に奉仕させ、自然を支配する。そしてこれが人間を人間以外の動物から分かつ最後の本質的な区別であって、この区別を生みだすものはまたもや労働なのである。
しかし、われわれは、われわれ人間が自然にたいしてかちえた勝利にあまり得意になりすぎることはやめよう。そうした勝利のたびごとに、自然はわれわれに復讐する。なるほど、どの勝利もはじめはわれわれの予期したとおりの結果をもたらす。しかし二次的、三次的には、それはまったく違った、予想もしたかった作用を生じ、それらは往々にして最初の結果そのものをも帳消しにしてしまうことさえある。メソポタミア、ギリシア、小アジアその他の国々で耕地を得るために森林を根こそぎ引き抜いてしまった人々は、そうすることで水分の集中し貯えられる場所をも森林といっしょにそこから奪いさることによって、それらの国々の今日の荒廃の土台を自分たちが築いていたのだとは夢想もしなかった。アルプス地方のイタリア人たちは、北側の山腹ではあれほど大切に保護されていたモミの森林を南側の山腹で伐りつくしてしまったとき、それによって自分たちの地域でのアルペン牧牛業を根だやしにしてしまったことには気づかなかった。
またそれによって一年の大半をつうじて自分たちの山の泉が滑れ、雨期にはそれだけ猛威をました洪水が平地に氾濫するようになろうとは、なおさら気がつかなかった。ヨーロッパにジャガイモをひろめた人々は、この澱粉質の塊茎と同時に腺病をも自分たちがひろめているのだとは知らなかった。こうしてわれわれは、一歩すすむたびごとに次のことを思いしらされるのである。すなわち、われわれが自然を支配するのは、ある征服者がよそのある民族を支配するとか、なにか自然の外にあるものが自然を支配するといったぐあいに支配するのではなく、--そうではなくてわれわれは、肉と血と脳髄ごとことごとく自然のものであり、自然のただなかにあるのだということ、そして自然にたいするわれわれの支配はすべて、他のあらゆる被遣物にもましてわれわれが自然の法則を認識し、それらの法則を正しく通用しうるという点にあるのだ、ということである。
そして実際にわれわれは日ごとに自然の法則をいっそう正しく理解し、自然の昔ながらの歩みにわれわれが干渉することから起こる直接間接のの影響を認識してゆくことをまなびつつある。ことに今世紀にはいって自然科学が長足の進歩をとげてからというものは、われわれはしだいに、すくなくともわれわれの最も日常的な生産行動については、その比較的速い自然的影響をも知ってこれを支配することをまなびとりうる立場になってきている。しかしそうなればなるほど、人間はますますまたもや自分が自然と一体であるということを感じるばかりか知るようにもなるであろう---」(マルクス=エンゲルス8巻選集)
人類が地球の生態系とともにその持続的存在を確保しようとすれば、根源的に地球を支えている生命維持装置と生態系の枠組みを離れ、根源的な自然の法則からはみ出すことは絶対にできない。その意味で「持続性」は自然と人間の進化の歴史であり、その進化をもたらす仕組み、すなわち生命圏の生産と再生産の仕組みを維持してこそはじめて「持続可能性」が保証されるのである。

<「持続可能な発展」論の課題>
「持続可能な発展」論は、原初的な物理的・生物学的持続可能性の論理から、今や、より広い社会経済システムとしての成長・発展や社会福祉、公平性の問題それも地球規模での環境ひいては人類社会の持続可能性にまで視野が広がってきている。そこで、今後グローパルな意味での「持続的な発展」概念の確立、具体的通用に当たっては、主として次のような7点が課題と考えられる。
① 公平性の概念の明確化、特に世代間の公平性とは何を意味するか。 ② 世代間の公平性が明らかになったとして、将来の世代のために残すべき環境資源の質や量は誰がどのように判定するのか-つまり、資源の評価主体及び評価基準の問題。
③ 現在の世代のためにも将来の世代にとっても人口増加の抑制が望ましいとして、望ましい人口水準とは何か。また、効果的な人口抑制策とは。
④ 個人、企業レベルと社会、国家、地球レベルでの短期一長期の時間的スケールの違いをどのように調整するか。
⑤ エコシステムの多様性の維持とは何を意味するのか。種の絶滅は絶対に許されないのか、ある程度までは柔軟性を認めるのか。ある程度とはどの程度か。
⑥ あらゆる政策決定が避けるべき基準としての「回復不可能な環境の変化」とは何か。
⑦ 技術革新による資源利用の効率化や生産構造の変化をどこまで予測し、持続的開発のシナリオの中に織り込むことができるか。
これらの論点を通じて不可欠になるのが、環境資源のストックやフローの測定評価の問題であり、資源の最適配分を決めるに当たって国際経済の果たす役割が重要になってきている。まさに資源・環境経済学の分野における今後一層の発展が期待される由縁である。
人類は生存のための経済活動として、自然から資源をとり、それをリサイクルしながらも、最終的には同量のものを廃棄物として自然に戻す。自然からの資源採取は、自然の能力を超えたり、自然の再生カを損なったりしてはならないのである。環境破壊はこうした物質循環のバランスを人類が大きく崩しているところから生じている。自然とその物質収支を正しくするエコロジー基準が、全ての経済活動の前提とならねばならない時代になったのである。政府・財界が言うように「持続的な経済成長と環境保全を両立させる」視点ではもはや「持続可能な発展」を地球は補償しないのである。地球サミットが果たし得なかったエコロジー経済のための国際的公共システムの形成と、そのもとでの新たな市場システムヘの転換という課題の重荷を、全ての国家、そして人類が背負っていかなくてはならない時代に我々は直面しているのである。
(名古屋 Y)

【出典】 青年の旗 No.186 1993年4月15日

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【93春闘報告】世間並の賃金水準額に近づく賃上げを!

【93春闘報告】世間並の賃金水準額に近づく賃上げを!

バブル崩壊後の平成不況下で進められている93春闘は、大手電気メーカーなどのリストラの動きの大々的な報道の中で、スタートから苦しい闘いを強いられています。わたしの勤める会社も機械メーカーということもあり、不況の汲をかぶり受注が激減する中で、春闘のスタートとなりました。
春闘の準備は、今年の1月から始めました。連合、金属労協など全体が3月決戦、3月中決着というかたちでスケジュールを前倒ししているため、私たちも3月中決戦のために要求作り、体制作りを進めました。
しかし、2月に入ると、会社側より人事移動にともなう不当労働行為まがいの組合役員の移動をつうじた組合弱体化の策動があり、その対応におわれることになりました。なんとかこの策動を食い止めて、最終的な春闘の要求がまとまったのが、月はじめの臨時大会でした。要求内容は、賃金改定35歳直入者基本給247,000円、平均賃上げ率8%+是正分1,67%=9,67%、および時間外割増し率の引き上げを含む時間外労働に関する協定、組合事務所の設置などでした。要求書を提出し、翌日からワッペン事業所内着用を実施し、対会社要求説明行動、回答指定日回答確約行動を行い、17日回答指定日をむかえました。しかし、有額回答が出されなかったため、臨時大会を開催して、時限ストライキを含む闘争体制を確立して、団体交渉にのぞみました。なかなか有名回答を引き出すことができず、結局引き出したのは、春闘全体の山場が終わった4月1日でした。一次有額向答は、定昇・ベースアップ分平均基本給×3.8%および是正分(調整手当アップ分)平均基本給×1.0%でした。私たちは、回答を不満とし、基本給引き上げの上積みおよび是正分の基本給繰り入れることを要求して、時限ストを設定し、再度団体交渉にのぞみました。最終的には、0.2%の基本給の上積みを引き出し、トータル5%(13,044円)で妥結しました。他の要求については、今回の春闘では決着しませんでした。
今年の春闘は、要求にこだわり、メリハリのある活動で交渉力を強め、世間並の賃金水準額に近づく賃上げを達成し、3月決着を目指すことが目標でした。結果的には、2月の事件がありながらも、当初の目標をほぼ達成したのではないかと思っています。しかしながら、同時に多くの課題も山積みされています。第一に、年齢別ポイント賃金の回答を引き出せなかったことなど、配分交渉に会社を応じさせられなかったことです。
結局この点では、52才までの全正社員の最低保障賃上げ額8,087円を確約しただけにとどまりました。第二に、全体の山場に交渉を行うために回答指定日に有額回答を引き出せなかったことです。第三に、時間外労働の協定について進展がなかったことです。この点にっいては、今後4月中決着をめざし、労働基準監督者への告発も辞さぬ姿勢で集中的に取り組む予定です。
私たちの組合では、これから今春闘の総括論議を行い、春闘の成果をふまえ夏期一時金の要求作り、闘争を行うことになっています。    (東京Ⅰ)

【出典】 青年の旗 No.186 1993年4月15日

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【投稿】93春闘を振り返って

【投稿】93春闘を振り返って

<「複合不況」に押し切られた93春闘>
JC4単産の回答が、3月24日に出され、39回目を迎えた93春闘も「大きな山」を越えた。
そして春闘が「終わる」のを待っていたかのように、日本工業新開は、一面で3月24日から「景気にも春一回復の芽見つけた」の連載を開始した。また、日本経済新開でも一面で3月30日から「底見えた景気」と題する連載が始まった。
90春闘は「トリプル安」、91春闘は「湾岸戦争による先行き不透明感」、そして、92春闘は「景気低迷」が取り沙汰され、労働組合側が押し切られたが、93春闘も「複合不況に加え、急速な円高による86年の円高不況以上の厳しい状況」などとの口実で、低水準の賃上げに押さえ込まれることになった。
(主要組合に対する回答内容は別表参照)
またしても、労働組合側は資本の攻勢を突破することができなかづた。

<マクロ的に注目された93春闘>
93春闘の前哨戦(空中戦)は、昨年秋から始まっていた。
連合の春闘に対し、日経連永野会長は、「春が来なければ良い」と発言。これに対し、近藤労働大臣(当時)は、「賃上げが厳しいと消費が下がる。企業には、バブル時代に蓄積した利益があるはずだ。悪循環にならぬよう労使ともに考えてほしい」と発言。
日経連永野会長は「とんでもないこと。賃上げ問題は個別労使交渉に任してもらいたい。」と反論。これに対し、近藤労働大臣が日経連に対し、公開討論を呼び掛けたが、日経連は、どうせ辞める労働大臣と見てか、「逃げ」を決め込んだ。 何れにしても、93春闘は、マクロ的に、日本経済景気対策の面で従来になく注目・期待された春闘であった。
しかし、さすがに、日経連のぶちあげた「定昇のみ、ペアゼロ」ではなかったが、全体として、ストライキもなく4%に達しないまま、春闘史上2番めに低い水準に押さえ込まれようとしている。
また、労働時間短縮や時間外労働割増賃金率の引上げ要求についても一部を除き大きな成果をあげることはできない状況にある。
日経連の永野会長は「今回回答は低迷を続ける景気の先行き、各社の支払い能力を考えると、今後の企業経営への影響が懸念されるものである」とうそぶき、「今回、著しい時短の進展がみられなかったことはやむを得ないことと思う。時間外労働の割増賃金率についても、現状ではそのアップは問題外とわざるを得ない。」と居直っている。
労働組合もなめられたものである。

<連合の『闘争宣言』とその結末>
連合は、3月24~25日のヤマ場に向け、3月18日に中央総決起集会を開き、次のような闘争宣言を発した。
「今流されている賃上げ予想をはね返し、最大のヤマ場(3月24~25日に向け、賃上げは、生活向上分を確保した実質賃金の引上げを基本にすえ、昨年の実績、獲得率の向上、格差是正を目標に、総力をあげて闘い抜く。
時短は、中期計画の最終年の闘いとして、1800時間 の達成年次と割増率引上げを本年の労使協定で明らかにさせる。
この目標の実現のため、各構成組織はストライキ態勢をはじめそれぞれの持ち味を生かした力あわせで交渉力を強化していく。回答不満な場合には「ストライキも辞さぬ」あるいは「安結を留保する」決意をもって闘い抜く。」
この闘争宣言」が、有言実行されたかどうかはその後の経過をみれば明らかである。
連合は3月25日、中間的に「賃上げに限って言えば、不満足な結果であり、今後に課題を残した」と総括。山岸会長は「実質賃金や獲得率などいろいろな目標を立てたが、その意味でも経営側のカベを打ち破ることができなかったと言わざるを得ない」と表明。
連合結成以来の、特に春闘における弱さ・不十分さを克服していく努力をさらに強化していかなければならない。

<注自された?金属機械の93春闘>
『週刊東洋経済』93.4.3号は、「結果が見えた93春闘一今年も踏興された悪しき横並びの伝統」という記事の中で、「JCの決着のあと、私鉄、電力、NTTなどが続くが、平均して3.9%の賃上げが93春闘の“成果”といったところである。ただ今年の特徴として金属機械などに加盟する中小企業で組合側の健闘が伝えられているが、その集計は4月になる見込みだ。」と述べている。
金属横械は、全国金属機械労働組合といい、全国に1,150支部(企業別組合)、215,000人を有し、連合に副会長、IMFJCに副議長を送り出している。(組織人員では連合で第10番目)
金属横械は、93春闘では、21,000円(8%)の要求で、自らの賃上げは自らが決めるとの決意で3月17日を第一次回答指定日として設定した。

(表1 93春闘・主要組合回答一覧)
電機 17中闘     9,084円  3.60% 前年比▲2,484円 ▲1.1ポイント
自動車 11組合    10,148円  3.84% 前年比▲2,378円 ▲1.05ポイント
鉄鋼 5組合      7,500円  2.65% 前年比▲2,500円 ▲0.98ポイント
造船重機 8組合    12,200円  4.27% 前年比▲1,800円 ▲0.78ポイント
ゼンキン連合 13組合  9,828円  3.66% 前年比▲2,344円 ▲1.01ポイント
金属機械 15組合    11,336円  4.00% 前年比▲2,817円 ▲1.11ポイント
私鉄 14組合     13,400円  前年比▲2,300円
電力 9組合     12,100円  3.83% 前年比▲2,800円 ▲1.06ポイント
NTT        12,400円  3.99% 前年比▲2,400円 ▲0.99ポイント

そして、JC集中回答日の3月24目の前日の3月23日を統一交渉日とし3月24日統一半日ストライキを背景に決着を図るとの方針で闘いをすすめた。
報道管制でマスコミは全く報道しないが、金属機械は、3月17日の回答指定日には、400を超える支部で第一次回答を引き出した。93春闘のひとつの攻防線であった4%を超える回答も数多くあり、その後、多くの支部がストライキを決行したり、通告する中で、3月23日~25日に決着していった。
一部上場企業では、3月18日に島津が半日スト、OKKが1時間スト。3月24日の統一行動日に半日ストに突入したのは、OKK、NTN、松尾橋梁、光洋精工など。
3月23~25日にストライキを通告し、交渉の末、決着していったのは、島津、日本電池、日本輸送機、湯浅電池、OKK、ヤンマー。
金属機械の主力部隊である大阪地本は、3月24日、統一半日ストライキに突入した22支部を中心に浪速解放会館に2,000名の組合員を集め、総決起集会を開催した。(単産として、ストライキ集会を開催したのは、金属機械のみではないか?)
金属機械加盟の主な企業(一部上場他)の回答を一部、列記すると表2の通りである。
これらの組合の多くは、ストライキを決行したり、背景に交渉するなどして成果をあげており、しかも、JC回答前決着の構えで闘い、3月23日~25日に解決を果たしている。
金属機械の場合、昨年に比べ、ストライキや闘争態勢突入が増加した。
昨年もそうであったが、ストライキ態勢の有無が獲得結果の違い=経営の思惑を突破できたかどうかの違いとなっている。

<春闘の強化に向けて>
連合も、いつまでも、「不満足と言わざるを得ない」といってばかりおれない。 金属横械などの主張もあって、連合の中でも、ようやく、「樹答が不満な場合はストライキ」といううことが方針の前面に出だしたが、それを実行する単産はまだ数少ない。
労働組合運動の基本である賃金闘争を柱とする春闘の強化に向けて、私鉄総連、JR、全電通、ゼンセン同盟、電機連合、金属機械などスト権を事前に確立してストライキを背景に交渉するという当たり前の労働組合・単産を増やしていくという努力を、さまざまな場で、粘り強く続けていかなければならない。
(大阪 M・H)

●表2:金属機械加盟の主な企業の回答
東京      
シチズン時計  12,000円   4.16%
横河電機    12,644円   4.12%
山  武     12,533円   4.31%
オリンパス   11,614円    4.00%
静岡       日立精機    10,504円    4.00%
新潟       新潟鉄工    12,600円    4.81%
愛知       日本車輌    12,200円    4.42%
京都      
日本電池    14,326円    4.59%
日本輸送    13,300円    4.67%
大阪     
日本コンベヤ  14,105円    5.00%
松尾橋梁    14,000円    4.57%
湯浅電池    13,909円    4.03%
NTT       12,000円    4.57%
近畿車輌    11,700円    4.36%
タカラスタンダード 11,500円    4.70%
兵庫      
タクマ      13,200円     4.93%
ヤンマー    12,600円     4.14%
ナプコ      10,160円     4.30%

【出典】 青年の旗 No.186 1993年4月15日

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【提案】機関紙の名称変更について

【提案】機関紙の名称変更について

労働青年同盟の今後について昨年来様々な議論がされてきた。その内容については「青年の旗」紙上においてその都度紹介されてきたが、組織性格を巡る当面の結論として、①「平和と平和共存」「反独占民主主義」「労働戦線統一」の3本柱は凍結する。②趣意 行動綱領 規約は早急に改訂する。③趣意行動綱領は「最大公約数的」(寄せ集めの共通部分という意味ではなく)内容とする。④青年の旗の題字横の3本柱は削除する。⑤「青年の旗」の題字は代える。ということになっている。(92年9月15日発行「青年の旗」No.179参照) しかし、残念ながらその具体化についてはいまだ進んでいないというのが現状である。といって、このままずるずる進んでいくというのも非常に問題があると思う。特に「青年の旗」については、この間紙面刷新が進み、以前のように情勢分析から説き起こして、運動の方針を指し示すといったスタイルから、様々な活動・運動・意見の交流・情報紙という性格にころもがえをしてきた。その方向については、概ね支持されているようである。それならばその性格にあった名徐に変更すべきである。巻頭の「青年の旗」の題字はどうも居心地が悪いし、これから職場や組合の仲間たちに購読を勧めていこうと思っても、いかにもどこかののセクト機関紙といった印象で躊躇してしまう。この点では一致するのだけれど、実際名称の案を考えてみると、「青年の旗」紙上で公募してもなかなか良い案が出てこない。そこで、この間の大阪府委員会での議論を踏まえて、ここらあたりで3つほど提案してみたいと思う。
第1案は「エスペランサ」。これはスペイン語で「希望」の意味。案に上がった理由は単純に「響きがいいから」。(バルセロナオリンピックの影響もあるかもしれない) 第2案は「EPOCH」。意味は御存知のように「画期」「時代」。さらにこの名称にはE=equalityP=Peace O=Open,Opinion C=Co-OPeration H=humanity といった膨らませができることが実に上がった理由。
第3案は「ASSERT」。これは「青年の旗」No.183から連載されている依辺瞬氏の投稿論文「労働組合運動の再構築に向けて」の中の「<主張的>(assertive)であることが自立した個人の重要な要素である」といった内容の文章からとったもので、オリジナルであるし、現在の機関紙の内容にも一致するのではないかということで案に上がった。「ASSEERT」と動詞形にすることによって、より積極的なイメージになるのではないだろうか。
以上3案を紹介したが、私は個人的には「ASSERT」が良いのではと思っている。
とりあえずできるところからということで、機関紙の名称を変更し、それからその機関紙上も利用して趣意規約の議論もじっくりやっていったらどうだろうか。 是非、読者の皆さんの意見をお聞かせ願いたい。 (大阪:若松一郎)

【出典】 青年の旗 No.185 1993年3月15日

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【コラム】ひとりごと–マイフェアーレディに思う

【コラム】ひとりごと–マイフェアーレディに思う

*先日、女優のオードリイー・ヘップバーンが亡くなった。私は特にヘップバーンのファンというわけではないが、彼女を追悼して彼女の主演映画がいくつもテレビ放映されており、そんな中で「マイフェアレディー」を見た。*映画の中でのヘツプバーンの魅力もさることながら、予想に反し結構内容にも感動した。ヘップバーン扮する下町の花売り娘をレディーに仕立て上げるという賭けに勝って有頂天になっている言語学者に対してヘップバーンは言う。「あなたが私をレディーにしたのではない。あなたは私にいろいろ教えてくれたが、私を花売り娘としてしか扱わなかった。あなたの友人は私をいつもレディーとして扱ってくれた。レディーと花売り娘との違いはどう振舞うかではなくて、どう扱われるかによって決まるのだ。」*この言葉にドキッとするものがあった。私は現在同和地域の児童施設に勤めている。学力的にも、生活的にもしんどい子どもたちに対してどう対応したら良いかいつも悩んでいる。しかし、根本的なことを忘れていたことに気がついた。子どもたちを自立した尊敬すべき人間に育てるためにはあれこれ教え込むことより、まず、彼らを自立した尊敬すべき人間として扱わなければならない。いまの私に本当にそれができているだろうか。今年にも批准されようとしている「子どもの権利条約」の本質が少しだけ分かったような気がした。(若松)

【出典】 青年の旗 No.185 1993年3月15日

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【本の紹介】秘密主義がもたらす全人類的犯罪

【本の紹介】秘密主義がもたらす全人類的犯罪
            メドヴェジェフ著 『チェルノブィリの遺産』
            イレーシュ、マカーロフ著 『核に汚染された国』

<秘密主義というウイルス>
上記二つの本は、旧ソ連における核事故を詳細に取り扱った労作であるが、その意義は決して核間題にとどまらない、全社会生活にかかわる根本問題を提起している。それは、民主主義の問題である。民主主義の徹底こそが社会主義であり、社会主義こそが民主主義の科学的歴史的継承者であったはずのその社会主義を標榜する旧来の社会主義諸国において、実際にはこれとまったく相反する社会体制が築かれ、それがゆえにまた自己崩壊せざるをえなかったともいえよう。しかしその70数年に及ぶ歴史的存在は、一面では歴史の進歩と改革に世界を鼓舞し、積極的な役割を果たしてきたことも事実であろうが、同時にそれは、今後幾世代にもわたる深刻な負の遺産を突きつけている。その典型が核の問題である。

メドヴェジェフは、「チェルノブイリ・エイズ」という言葉で、イレーシュは「セミバラチンスク・エイズ」という言葉で、さまざまな核事故の及ぼす深刻な影響を語っているが、この社会政治支配体制のすみずみにまで蔓延した「後天的免疫不全症候群」ウイルスの正体を、両者は秘密主義であると特定している。情報の公開と民主主義を忌み嫌い、秘w-主義に対して免疫不全をきたした社会主義にとって、それは後天的であったのか、それとも先天的であったのかは議論のあるところであるが、その社会的思想的な再検討と、自己批判が迫られていることは否定しえないことであろう。以下、その秘密主義の実態を両書に沿って見てみよう。

<「政治的健康」優先の原則>
86年4月26日、チェルノブイリ原発4号炉爆発後のプリピャチ市での出来事についての証言。「わたしたちの町でこんなに多くの警官を見たことはこれまでになかったことだ。まるで戒厳令がしかれているかのようで、まったくの驚きだった。だが人々はというと、いつものとおり散策し、どこを見ても子供がいる。---原子炉がはっきりと見える。燃えており、壁が崩れてしまっているのが見える。--終日、なにが起こったのか、わたしたちにはわからなかった。-放射能の灰がエスケープしているというのに、なんのお触れもない。アーニヤが学校から帰ってきて「ママ、1時間近くだったかな、戸外で体操したのよ」と話す。気でも狂ったのではあるまいか」。このコワレフスカヤのインタビューの内容が発表されたのは、やっと1年以上たった87年6月のことであった。
ソ連当局のその後の主張によると、住民がパニック状態に陥るのを防ぐため、公式には警告を発しなかったのだという。だがパニックを避けるというのであれば、もっと優れた方法があったはずだ。崩壊した原子炉、火災、そして上空の煙は、はっきりと目撃されていた。なにが起きているのか、わかっていた人は多い。緊急事態であることは日の目を見るよりも明かな状況で、情報が皆無であったこと自体がパニックを引き起こすことになった。
秘密一点張りのやり方によって、さらに過失が犯されて行く。証言「わたしたち放射線生物学者に、何が起こったのかを説明していてくれたなら、事故直後の何時間かに正しく対処するにはどうすればよいか、民衆に勧告できたのに、なんと官僚達は、わたしたちの研究室の線量計を封印してしまった。さらに、わたしたちに言った。チェルノブイリで起きたことは絶対に秘密だぞ、と。」
事故当時ソ連では、ガイガーカウンターの個人による所有が禁止され、禁止が解除されたのは1990年になってからである。「政治的な意味での健康」が一般大衆の健康に優先していたわけだ。

<秘密主義の連鎖反応>
事故について短いながらはじめて報道されたのは、4月28日の夜のテレビ番組であった。だが、この内容のない短い発表を行う気になったのは、放射性のチリですでに覆われてしまっているスウェーデンから圧力がかけられた結果以外のなにものでもなかった。
5月1日、地上の放射線レベルは、相当に高かったはずだが、公表されず、保険当局は、チェルノブイリの北、西そして南の3方向に位置するキエフやその他の都市でのメーデーのデモ行進を中止するよう勧告すべきだったがそれもせず、放射性降下物の舞い上がる中、デモは予定どおりに実施され、多くの青年男女や子供まで参加した。
5月14日になってはじめて、キエフの学校はすべて閉鎖され、その翌日から14歳以下の子供の避難が始まった。避難がこのように遅れた事実の言い逃れをするため、避難は予防措置であって、子供が危険にさらされているのではないと、市民は通告された。
さらに5月6日には、ソ連の保健省と放射線防護国家委員会は、ひそかに飲料水と食品における放射性ヨウ素の暫定的最大許容量を示すのに、一般大衆には知らせないで最大許容量を引き上げていた。つまり、許容量を実状にそぐわない高い数値にすることによって、設定された基準以上に汚染した水やミルクを飲んでいたものは誰一人いないと公表できるようにしていたわけである。
5月5日になってはじめて原発炉心の温度がようやく低下し始め、5月6日の夜、内外の報道関係者を集めて記者会見が行われたのであった。だが、この10日間の報道管制は、大きなツケをもたらすこととなった。秘密主義の連鎖反応は、核事故の連鎖反応を引き起こし、それがまた秘密主義をより危険な連鎖反応へと導いたのである。

<「事故を局所化することはむすかしい」>
原子力の将来について学術的に討論したり、一般大衆が原子力に反対意見を述べたりすることは、チェルノブイリ事故以前には許可されていなかった。討論が行われないために、原子力関係の計画担当者、建設技師、原子炉運転員は批判から免れ、大小どのような事故であっても、ひた隠しにしておくことが可能になっていた。実は、チェルノブイリの大惨事を招いたのは、ほかでもないこの秘密主義だった。当然、ソ連の原子力産業の安全性に関する記録が、原子力についての技術的な文献で論究されたことは、これまでに一度もない。
しかしチェルノブイリ原発の管理者の裁判が行われた87年7、8月両月には、以前に事故や緊急運転停止が何回もあったことがわかってきた。裁判最終日についての記事で「予定外の緊急運転停止が何回もあった。それら運転停止の原因についてはかならずしも正確に調査されず、もみ消しにされた例もいくつかあった。80年から86年にかけて、技術上の理由による運転停止が71件あったが、そのうち27件については、原因調査がなに一つなされなかった。数多くの件数の機器の不備についても、作業日誌には何も記録されていなかった。」
原子力利用国家委員会議長ペトロシヤンツは、熱遮蔽体が振動荷重で崩れるといったような種類の事故は、日常茶飯事といったような口ぶりで、書いている。「最近あった直径300ミリのパイプラインの破断では、ループの水スペースが一緒になっているので、多量の水と蒸気が放出されたが、このことはさらに多くの投資をしない限り、局所化することはむずかしい」。局所化できないほど、事故は多発していたのである。 さらに重要なのは、原子炉の運転貝自身を底辺とするあらゆる段階での秘密主義ともみ消し策であった。本質的には、秘密主義は、ソ連の原子力の安全性は完璧だとする、科学者、設計者、そして政府や党の幹部が一般的に抱く信念に由来する。そのため、事故についての情報が交換されることは、これまでに一度もなかった。ましてや、非常事態や事故についての学習は運転貝の訓練過程で実施されず、事故についての検討が行われることもなかった。事実、チェルノブイリ原発幹部の裁判中に明らかになったことは、そうした訓練用として利用する制御盤がまったく存在していなかったことだ。
これを紹介している筆者自身も、ソ連原子力の安全性については一面不安を持ちながらも、大局としてはすくなくとも資本主義諸国のそれよりはましであろうと、いわば一方的に信じていたのである。こうした態度が根本的な自己批判を迫られている。

<もう一つの巨大核事故>
メドヴェジェフは「ウラルにおける巨大核事故」という本を出版し、1957年にソ連のクイシトイム市の近くにある軍需工場で核廃棄物の爆発があったと主張し、最近になってそれは事実であったことがようやく確認されているのだが、彼は『核に汚染された国』の著者のインタビューに次のように答えている。「1978年、私はニューメキシコへ行った。ロスアラモス研究所に招かれたのである。講演の後、懇談会の席に呼ばれた。有名なテラー博士(米水爆の父)がいた。核廃棄物の爆発は有り得ない、とまたもや説得された。3時間ぐらい論争した。最後にテラーはいった。たとえそのようなことがあったとしても、原発に対する反感を高めるから、そういうことをいう権利はあなたにはない。あなたは民衆をおどしている。アメリカ人にとってこれは非常にデリケートな問題なのだ、と」 『核に汚染された国』の著者たちは、「イズベスチヤ」の敏腕記者で、徹底した足による取材と、調査、執拗さで知られている。この本には、チェルノブイリ以前と以後にソ連で起きたいくつかの特大級核事故についての情報が集められている。当然、この巨大核事故についても詳細な調査を行った。以下はその要点である。
1949年、ウラル地方、チェリヤビンスタ州にマヤーク(灯台)という秘密企業が操業を開始した。工場の脇を流れるテチヤ川に放射能で汚染された大量の水を全然浄化しないで投棄し出した。これがすべての始まりである。49年から51年にかけてテチヤ、イセチ、トボルの河川系統に総量275万キュリーの放射能が流入した。ざっと12万4千人が被爆した。その後1956年に7万5千人が移住させられ、46カ所の村や町がまるごと廃虚となった。
1957年9月29日、高濃度放射性硝酸エステル排出物質を密封したコンクリート容器の一つの冷却システムが故障した。外殻が圧力に耐えきれなくなるまで、容器の温度が上昇した。放射性廃液の密封容器はついに高熱で爆発した。死の灰は雲となって風に流され、チェリヤビンスク、スヴェルドロフスク、チュメニ各州に及んだ。この恐怖の雲は約210万キュリーの放射能を運んだ。大都市を直撃はしなかったが、自然放射能値の千倍の汚染を被った地域の総面積は2万3千平方キロ。この地域にある217カ所の居住地の住民数は、27万人。
事故の事実は1989年になって認めざるを得なくなったが、細部はいっさい公表されていない。ごく一部のものにだけ閲覧を許された政府委員会報告書によると、「1平方メートル当りのストロンチウム90の汚染度が10~100キュリーの地域では、住民の疎開は事故発生後1~1.5年たって行われた。食料と飼料の放射能汚染の有無による分別は、事故の3カ月後に実施された。食用に不適とされた食品の抜取り・消却は事故の5~6カ月後に開始」という実態であった。

<セミバラテンスクの犯罪行為>
カザフスタンの草原では、総計467回の骸実験が行なわれた。空中実験が行なわれていた時代だけでも、この地で爆発した核爆弾の総計は、広島型原爆の威力の2500(!)倍をこえた。カザフスタン住民は、ベレストロイカによってある程度の言動の自由が保障されると、すぐにセミバラチンスク核実験場廃止を目指す大衆運動を組織した。選挙民の要望を代弁したセミバラチンスク州人民代議員たちから出されたアピールは、「ここでは、1949年から1964年にかけて、原子爆弾、プルトニウム爆弾、水素爆弾の集中的な空中・地上実験がなされた。そのなかには、いちじるしい破壊をもたらしたものもあった。実験は防護装置なしに実施された。放射能の除染措置はなされなかった。当時、実験場隣接地とセミバラチンスク市には、約30万人の住民がいた。彼らの大半は、許容値をはるかにこえる量の電離放射能の作用を受けた。これはわが地域の国民に対してなされた犯罪行為である。」
1963年以降は、セミバラチンスク実験場では、地下爆発だけが実施されたと思われている。ところが、そうではないという。この、大気中の薇実験を禁ずる国際協定をソ連が守らなかったという信頼すべき証言が紹介されている。
さらに、やっと1990年になって、現地では誰もが知っている国家機密が公開された。セミバラテンスクのプルセラ症治療所が、放射線病治療所と改称されたが、もともと羊のブルセラ病対策などやっていなかったのである。調査対象となった住民の半数に、著しい免疫組織の弱化、腫瘍患者、精神障害の飛躍的増加が認められ、驚くべきことに地上爆発実験に際して、牛や犬と一緒に50名の兵士を生物実験対象として用いたという証言が紹介されている。この不運な人々の証言は読むに耐えないものである。

<核の墓場一北極圏>
ノーバヤゼムリヤー島はソ連で2番目の核実験場になった。実験回数では、大気中87回、水中3回、地下42回と世界記録を全部更新している。ここ北極圏ではまごうかたない「核のどんちゃん騒ぎ」が行なわれ、どの実験場もこれほどの莫大な仕事量をこなしたところはない。61年10月には、ここで58メガトンという最大の核爆発が実施された。
最近では、同島が少なくとも20年間にわたって核廃棄物の国営ゴミ捨場として使われたということが文書で確認されて大きな話題となった。わが国は放射性廃棄物を海中に投棄しない、と何十年も言い続け、1990年にもそう声明しているが、それは真っ赤な嘘であった。このことを明らかにしたムルマンスク海運公社のA・ゾロトコフは「海底とはいっても名ばかりです。外国は核廃棄物のコンテナーを水面下3、4千メートルに沈めていた。わが国はたったの3、4百メートルですよ。」彼の計算では、64年から86年にかけて少なくとも1万1千個のコンテナーが沈められた。しかもこれはほんの一部の数字であると言う。危険なコンテナーに対する態度もいい加減だった。沈まない容器があると、銃弾を撃ち込んだり、あるいは手作業で穴を開け、水を満たした。さらに恐ろしい情報は、ノーバヤゼムリヤー島の近くに原子力砕氷船レーニン号の原子炉の一部が、使用済みの核燃料と一緒に沈められているという。骸反応炉は何の監視も受けずに海底にころがっている。原子力潜水艦隊の退役高級将校の話「放射性廃液は、海に流した。わが原潜の事故被災した機関室はどこに隠されたのかいまだに不明だ。水深の浅いカラ海の海底にぶっそうきわまる核廃棄物がどれほどたくさん眠っているのか、核の墓場が何をしでかすのか、どんな惨劇をもたらすのか、われわれはまだ想像すらつかない。」
たとえ数千メートルの深海にでさえ、核廃棄物を投棄するのは人類に対する犯罪である。遅かれ早かれ、強力な浸食を受け、莫大な被害をもたらしかねないのである。

<日本海の核爆発事故>
日本海の波に洗われるロシア沿海州ウスリー湾岸の波止場チジャマの国防省艦船修理工場で1985年8月10日、昼過ぎ、豪音とともに核爆発が起きた。原子力潜水艦の核燃料積替え中に、無責任な作業ミスから制御不能な核反応が始まり、爆音とともに閃光が光り、キノコ状の雲が上空に上り、少なくとも14名が即死、290名が重度被曝、現場は大混乱、原子炉内容物の大半は岸壁に散乱、燃料棒と構造部品の一部は波止場の海底半径100~300メートルの範囲に沈んだのである。
緊急招集された医師は住民疎開を提案したが「住民が核爆発のことを知ったら、どんなパニックになるか考えてみろ」といわれ、厳しく口を封じられた。工場内に居合せたもの全員から国家機密厳守の制約書が取られ、マスコミにも核事故のことは一切出なかった。
この時ちょうど子供保養施設「オケアン」に日本人の子供グループがやってきていたという。当局は「竜クラゲの大軍が押し寄せてきた」ため、遊泳禁止を呼びかけた。日本の子供たちは急いで引上げたが、ソ連の子供たちはそんなことは信ぜず、残った。湾の対岸にある軍事施設で何やら非常事態があったという噂が流れはしたが、いっさい公表されなかった。しかしこれも1990年末になってようやく秘密のベールがはがれざるを得なくなった。地元の議員団がロシア政府に直訴したのである。しかしまだまだ厚い秘密の壁に阻まれている。
原子力産業における事故を秘密扱いにしておくことは、なにもソ連独自の現象ではない。日本においてもアメリカにおいてもそうである。秘密主義は、すべての事故についてもありうる。そして独占的、寡占的な企業、一枚岩的な社会、国家は、すべてこのような危険性にさらされているといえよう。メドヴェジェフは「わたしは長年にわたって、開放されしかもお互いに協力的な社会の方が閉鎖社会に比べて、重大な産業事故や、飢餓、、栄養失調、疫病といった人為的災害に対して、より堅固に護られていることを実証すべく努力してきた」と強調している。この両著は、その意味で多くの示唆を与えてくれる、「貴重な遺産」としなければならないであろう。  (生駒 敬)

ジョレス・メドヴェジェフ著『チェルノブイリの遺産』
92.10.20、みすず書房、5974円
A・イレーシュ、Y・マカーロフ共著『核に汚染された国一
隠されたソ連横事故の実態』92.9.1、文芸春秋、1700円

 【出典】 青年の旗 No.185 1993年3月15日

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【投稿】PKO法と小和田雅子さん

【投稿】PKO法と小和田雅子さん

<雅子さんのお父さんつて?>
PKO法案と小和田雅子を結ぶキーワードは、雅子さんの父、小和田恒・外務事務次官である。
事務次官はいわば社長であり、その上は大臣である。小和田恒は、東大卒、英国ケンブリッジ大留学、外務省国際連合局政治課長、米国ハーバード大客員教授、外務省条約局長、経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部大使などを歴任、1991年外務省次官。
91年後半イギリスは、彼を国連事務総長に推そうとした。もし出ていれば、現ガリ国連事務総長(エジプト)の有力な対抗馬となっていた。
彼はまた、右翼・安岡正篤の弟子として知られている。安岡が主宰する「而学会」に、義理のいとこ・江藤淳らとともに参加していた。安岡は、池田勇人・大平正芳が率いた「宏池会」のなづけ親である。

<雅子さんのお父さんつて? その2>
92年6月15日成立したPKO法の仕掛け人は、小沢一郎・自民党元幹事長(「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」=小沢調査会、会長)と外務省の柳井俊二・条約局長、丹波実・国際連合局長、波多野敏雄・国際連合日本政府代表部特命全権大使であった。
外務省の3人の責任者が小和田恒である。 その後、柳井は総理府国際平和協力本部(PKO本部)事務局長に就任する。「国際平和協力本部」は、92年9月3日参議院内閣委員会で、「PKO等協力法」に基づいて設立された。
丹波は現在、条約局長。波多野の娘・真理は一時、皇太子妃の候補者に上げられていた。外務省の3人はまた、明石・UNTAC代表就任を御膳立てしている。

<小和田雅子さんって>
小和田雅子は、ハーバード大経済学部卒、1986年東大法学部学士入学、外交官試験合格、87年外務省入省。88年英国オックスフォード大べリオールカレッジ大学院に留学、軍事問題の研究に携わっていたと言われている。
雑誌「フオーブス」93年3月号にも「オックスフォード時代には学部長のアダム・ロバーツ教授の研究室で、日本の国防産業や次期支援戦闘機選定問題(FSX問題)について語っていた」と出ている。
90年北米第二課に勤務。主な仕事は外国人弁護士問題、日米半導体交渉、独占禁止法問題である。いずれもアメリカから圧力のかかっているテーマばかり。92年12月皇太子妃に内定、93年1月19日皇室会議で皇太子妃に決定。

<皇太子妃に!>
小和田雅子を皇太子妃に推したのは、柳谷謙介・元外務省事務次官、中川融・元国連大使、領之部量三・元外務省事務次官(東宮職参与)、山下和夫・元アルゼンチン大使(東宮侍従長)、団藤重光・元最高裁判事(東宮職参与)らである。団藤を除けば、外務省人脈だと言うのは、すぐわかるだろう。反対していた旧内務官僚系の富田朝彦・元宮内庁長官は、藤森昭一・現宮内庁長官も初めは同じだったと言っている。一度消えた候補が再び復活した裏には、チッソの件、海軍の軍人家系、恋人の問題などをクリアする宮内庁の重大な方針転換があったことをうかがわせる。
PKO法成立と小和田雅子・皇太子妃決定はまちがいなくリンクしている。ただマスコミが書かないだけである。小和田恒にしても、マスコミは紳士ぶりや娘を皇室にやる父としての姿を描くだけで、PKO法、右翼とのかかわりは一切報道していない。
(板橋・M)

【出典】 青年の旗 No.185 1993年3月15日

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【投稿】金丸逮捕に感じる怒り

【投稿】金丸逮捕に感じる怒り

金丸逮捕から起訴という一週間の動きのなかで感じたことを投稿します。

<突然の逮捕に「検察もやるやないか」>
三月六日の土曜日の夜、テレビを見ていると緊急ニュースのテロップが流れました。「金丸元副総裁逮捕!」と。どういう経過で逮捕に至ったのかは分からないが、私の脳裏には昨年の五億円献金問題での検察当局の「特別扱い」-一五億円の不正な献金を受け取っていながら、取り調べも受けないで二○万円の罰金で済んだこと--が浮かびました。世論の厳しい反応の中で検察当局の権威は完全に地に墜ちたこと。金丸はその後、政界引退に追い込まれたとはいうものの、七八才という年齢からすると、この引退も「時期が来ただけ」という印象でした。それ故、「逮捕」ニュースの最初の感想は「名誉挽回のため、検察もやるやないか」というものでした。

<政治家が巨額の富を築くため一政治家の目標>
この一週間というもの、毎日、金丸の(隠し)資産が報道されてきました。今日(一四日)の段階で(亡夫人からの相続財産を加え)一00億円!、隠し金庫に金の延べ棒、私達サラリーマンの生活とは桁が違いすぎており、「政治家は金儲けの為にやっている」という国民の疑惑に対して、その実態は想像以上であることを明らかにしました。
同時に、金丸が振っていた「利権ポスト」(既に退いた自民党道路調査会長、日本戦略研究センター会長、今後交代するであろう全国治水砂防協会長、日本バス協会長)を巡り、後継者たちが群がってきているらしい。自民党政治家がいかに金丸批判をし、金権政治を批判してもしらじらしく感じ、彼らもまた、これらのポストや大臣の地位に群がりたい「魅力」を感じているのです。

<全ての政治家が戦々恐々とするような
「改革」や検察のチェックを!>
汚職やヤミ献金問題がでてくる度に国民世論は怒り、野党はそれを追い風にして比較的優位な選挙戦を進める、という流れを感じます。しかし、リクルート事件、佐川疑獄など度重なるうちに「政治には金がかかる」「金が集まるのはカのある証拠」という開き直った論調もでています。
これまで、政治献金は非課税の聖域で、それを口実にした金儲けはかなり行われているようで、元閣僚秘書も「法律にきちんとあてはめられたら、全員アウトだ」という実態が現実と思います。それ故、金丸に対する検察の徹底的な究明を期待するとともに、それを通じて全ての政治家が枕を高くして寝られないような事態になることを願っています。
(大阪 森田)

【出典】 青年の旗 No.185 1993年3月15日

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【投稿】改革派に求められるものは?

【投稿】改革派に求められるものは?
                  —手間暇かけた民主主義の徹底こそ必要—

<パフルの後処理はこれから本番>
「改革」はいまぞ錦の旗であり、これを言わないものは政治をやる資格がないようなブームとなっている。当然のことながら「改革」というからには、従来の政治・経済の手法の行き詰りをそれぞれ認めている。
バブル経済の崩壊は構造的な「複合不況」を引き起こし、これから、この事態に対する本格的な「手直し」が行なわれていこうとしている。金融関係における不良債券はいまだに明らかにされず、都市部では「地上げ」の爪跡がそのまま放置され、計画は中断したままである。大手各社はバブル期に毎年1000名規模で新入社員を雇い入れたが、今度は「不況」を口実に大幅な人員削減を行ない一層の「効率」経営へと、貯めこんだ利益は吐き出さず、労働者への一方的な責任負担をおこなっている。今回の合理化で特徴的なのは、管理職クラスにまで及ぶ退職、配転、出向である。いまや45歳で肩たたきがはじまっている。これらをめぐった処理はこれからが本格的なものであり、いまはまだその準備、手始めに過ぎない。

<三権分立は腐敗防止の前提>
バブル崩壊を期に吹き出た政治家と金融・一部業界・暴力団との癒着した金権腐敗政治の実態。これらに象徴的な人物、田中・竹下・金丸という流れのなかで自民党の長期支配の結果、この権力の腐敗は誰の目にも明らかとなっている。最近ではこれらの既製政治の暗部に執着するものを「旧守派」と呼んでいるようである。「改革」ブームのなかでも政治改革はもっとも重要な課題であるが、もっぱら選挙制度や政治家の「良心」の問題として語られ、「政治」は汚いものとしてすっかり定着した感がある。
三権分立は権力の腐敗を防止する前提であるが、日本においては立法府たる国会(政治家)と行政府たる官庁、司法府である裁判所がかなり癒着しており、これに財界がからみながら、お互いのあうんの呼吸で物事が推移しているようである。自民党のつくりあげた金権腐敗の構造そのものを政治改革の中で問わなければ、一応に政権の座につくものはこの病に犯されかねない。したがって政治改革は、行政、財政、司法を含めて根本的に問いなおされなければ腐敗政治の根絶には結びつかない。
新保守主義がかつて民間活力の導入・「小さな政府」論でで全世界を動かし、ジャパン・アズ・ナンバーワンとまでいわれ、日本では中曽根が「行政・財政・教育」の3大改革をうたったのは比較的最近のことであるが、結局これらにはほとんど手をつけず、貫徹されたのは公社・現業の民間資本への安価な払い下げであったことは誰が見ても明らかである。佐川・暴力団問題、金丸問題に象徴的な金権腐敗構造がただしく究明され、司法のもとに裁かれるならば、同様に、行政や財政(中央と地方)についてもメスをいれるべきである。

<首長選挙での相乗り状況はなぜ?>
安易な民主主義の現実選択だ!

この点で注意しなければいけないのは、日本全国の首長選挙での相乗り状況である。議会選挙では各党は独自に候補をたてながらも、首長選挙はよくて自民党VS反自民vs共産党、最悪、相乗りvs共産党である。この背景には現在の地方自治法上の制約もあるであろうが、結局、中央との財政パイプ・官庁との人脈である。
政策協定は確かに現実の妥協と一時的な成果をもたらすであろうが、.ひとつまちがえば「旧守派」と同じである。中央政治との自己区別をはっきりさせるならば、密室政治にしない手段が請じられるべきであろう。「国会対策」という密室で決着を謀る政治手法がまねいた政治不信でもある。国会が単なる手続きの場となり、法案はすべて官僚が準備をし、国会とは関係のない自民党のドンがすべてを握っている。これがこれまでの現実である。自民多数派の時代は法案が国会にでてしまったら「負け」とまでいわれ、その後参院での与野党逆転が事態を変化させてきた。しかし基本的手法は国会対策政治であった。
民主主義はひとつの決定をめぐってどれだけ人々の参加(批判も当然含む)を得られるかにかかっている。手間暇をかけた政治のあり方へ主権者たる我々自身の生活のあり方も改革を迫られているといえる。たとえば地方議会では労働者が参加でき、直接発言できる日や場所を設けている国もある。選挙の投票は1週間もかけている国もある。安易な現実安協ではなく、民主主義の徹底の中にすぐれた現実的解決も見出せるのではないだろうか?
(東京・Ⅰ)

【出典】 青年の旗 No.185 1993年3月15日

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【投稿】「旗」編集部の呼びかけに応じて

【投稿】「旗」編集部の呼びかけに応じて、このごろ感じていることを書きます。

○「マルクス主義に経営論が欠落している。」(上野千鶴子)「旗」183号依辺論文引用の指摘は実に重要な問題で、もっと深く掘り下げる必要があるのではないでしょうか。すくなくともマルクス主義をイデオロギー的側面のみではなく、もっと科学的に純化し、科学的思考の原則として自立させる必要があるのではないか。この分析がなおざりにされたために「経営論」の分析ができず、現状の分析をイデオロギー的独断ですませてきた。そんな気がしてなりません。経営論-そのマルクス主義的分析を通じて現代の資本主義の客観的分析が可能であって、いたずらにイデオロギー優先の「左」「右」のいろわけはいまや全く意味がなくなったといわざるを得ません。最近の論調でも「日本的ケインズ経済学が誕生する」(「ダイヤモンド」92.12.26号)という解説があり、高度化し複雑化している現代資本主義とその危機のなかで、マルクス主義の深化を通じて全面的に対応する分析が必要なのではありませんか。その意味で言えば、今われわれは現状分析の科学的解明を急ぎ既存の「経営論」とも互角にわたりあえる理論及び組織を必要としています。
「旗」紙においてもさしあたり昨年の経済学の成果といわれている吉川洋「日本経済とマクロ経済学」や宮崎義一「複合不況」などについてコメントしてほしいと思います。
○ぼく自身としてはこのような現状に対する分析のひとつとして御園生等編「いま、マルクスをどう考えるか」のいくつかの論文一宮塚、福田、鎌倉、鈴木の諸論文に啓発されたことを書いておきます。
○印象批評で悪いですが、テレビで山花さんという人を見て、これはダメだと思いました。どうも人はいいみたいだけれど、迫力がない。自民党の連中はみんなワルそうだけれど(事実ワルいんだけど)なにかワルいなりに魅力をもっている。小沢一郎などというひとはいかにもなにかやるぞという感じがする。山花という人はそれがない。いま国会議員全部のうちの150人ほどが二世議員だそうです。やっぱり毛並とか組織というものが政治の世界では決め手になるらしい。それでは保守も革新もみんな同じだということになる。優柔不断で人はいいけれど、迫力はないし事後追認ばかりで、いつまでたっても自己脱皮ができない。従って解党的出直しもできない。ぼくは社会党にも良心的な人が多いので党改革のできる人が結集すべきだとおもいます。結集してはやく純化すべきだと思います。このままでは憲法問題でもみんな自民党にイニシアチブをとられてしまう。「旗」紙がどうすべきかなどとはいえませんが、すくなくとも社会党の一年生議員は応援すべきだと思います。
以上勝手なことを書いてしまいました。これからはなにか大きな転換期に入っていく気がします。ぼくが「旗」紙に注意したのは、91年8月のソ連のクーデタ騒ぎのとき断固として改革派を支持したことです。もし、また「マルクス・レーニン主義」などと言い出したら縁を切ろうと考えていました。幸にして「旗」紙は正しい進路を選択しました。当然のことですが、歴史にあともどりはありえないのです。
「旗」編集部の尽力を願ってやみません。
(大阪・K生)

【出典】 青年の旗 No.184 1993年2月15日

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