【投稿】解党的出直しができるか 社会党

【投稿】解党的出直しができるか 社会党

社会党は、91年12月19日から21日の三日間、第58回定期大会を開き、田辺委員長のもとでの党改革の実質的なスタートを切ることになった。
議案として92年度運動方針(案)が発表され、「公正な政治、政権を担う党へ」とタイトルを付したように、90年代の中期までに政権交代を実現するという戦略のもとで提起された方針となっている。
その前提となる考え方は、「我が国の内外政策の行き詰まりは、長期にわたって、自民党の単独政権が続いているところにあります。」という点に大きく絞られているようだ。社会党の若手議員でつくるニューウェーブの会の中心メンバーである筒井信隆は、「政権交代のない日本の政治を変えられるのは、社会党しかないんです。だからその事を本気で社会党がめざすべきだと考えて頑張っているのです。党内の対立は、今や左右のそれではなく、本気で改革をめざすベレストロイカ派と今までの路線を路襲する保守派との対立になっている。」と語っている。
時あたかも、ソ連の8月革命によるベレストロイカの勝利=共産党の解体によって、世界の政治地図は大きく塗り替えられた。アメリカにとっても大きな軍事的ライバルであったソ連の革命は、世界の軍事バランスの変化に止まらず、政治、経済、社会の世界的規模での激変の始まりとなるのではないだろうか。
その影響は、単に北方領土といった懸案問題に止まらず、もっと広がりをもった大きな津波のようなものになるのではないか。その大きな変化の底流にある情報技術革命は、ソ連・東欧の体制を倒したように、日本の権力構造を根本的に揺さぶることは間違いがない。西側の情報の波が東側の鉄のカーアンを越えて民衆の心をつかんで放さなかったように、先進国の政治・経済の到達段階としての産業民主主義、経営民主主義や政治における参加型民主主義の発展を日本の権力者は、国民に隠し通すことができない。ドイツ人の豊かな暮しや,ECの労働者の経営参加といった情報が、やがて速い日本にも正確に伝わるようになった時、驕り高ぶる日本人が、自分の惨めな姿に気づき、本当の豊かさと生きることの生きる意味を真剣に考えることになるだろう。
大衆の知的・情報基準の上昇に伴い、支持政党への不満はさらに大きく膨らみ、支持政党無し層の更なる拡大が政界再編成の気運を一層高めると思われる。西側を代表する自民党と東側を代表する社会党という二大政党(正確には一対二分の一)の崩壊が始まり、中長期的には、自民党から自由主義と保守主義の分裂へ、社会党から社会民主主義と社会主義の分裂へと進まざるを得なくなるのである。
社会党にとって深刻なのは、産業革命にも匹敵するこのような時代の変化に対応して自己を革新する活力に欠けているところである。労働組合の経営への参加という大きな問題でさえ、全く方針の中で触れていないが、今や社会的存在となった企業が日本で、又海外の進出先でも「公正な企業市民」として認められるためには、労働者の経営への参加と株主の諸権利の保障が必要である。
また社会党を民主主義の党へと改革するためには、政治、経済、社会のあらゆる分野で分権を推進し、市民が各分野で意思決定に参加することの重要性、必要性を党全体が認識する必要がある。党自身にとっても大きな自己改革が必要なこの「分権」という問題については、言葉だけが空珂りしているきらいがある。連合政権という国政レベルと異なる貴重な経験を積みつつ、与党として権力に近い政策決定に係わっている地方自治の分野からまず社会党改革が進むことが期待される。
(1991年12月5日 大阪:M)

【出典】 青年の旗 No.170 1991年12月15日

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【投稿】「国連平和維持活動等協力法案」を巡って

【投稿】「国連平和維持活動等協力法案」を巡って

 11月20日の夕方、東京の日比谷野外音楽堂にて「つぶせPKO法案、生かせ憲法9条11・20全国集会」が「日本はこれでいいのか市民連合」などの呼びかけで開催されました。会場には組合の赤旗が数多くはためき(主力は全労協傘下の組合だということです)、広島・京都からも活動家が参加され、壇上では10名以上の社会党議員が紹介されるなど、主催者発表で4千人を越えた参加者の数と共になかなか熱気溢れる集会・デモでした。当日、埼玉のKさんが「PKO法案の廃案を求める個人の声明」と題して声明文を集会参加者に配っていました。そこでKさんにお願いしたところ、その「声明文」を青年の旗に掲載させていただくことができました。
 PKO法案は、衆議院の特別委員会で自民・公明両党によって強行採決されたことに対する強い批判が起こっており、またこの国会運営に対して自民党の内部からも批判が生じています。それでも政府・自民党は国会の会期を延長してでも法案を成立させるという姿勢を採っており、PKO法案を廃案にすることができるかどうかは厳しい状況にあります。
 以下に掲載するKさんの「声明文」が読者のみなさんのPKO法案に対する行動の参考になれば幸いです。

「PKO法案の廃案を求める個人の声明」
1.これまでの国連の平和維持活動(PKO)は、紛争の解決のために貢献してきました。私はこれを高く評価すべきだと思います。
2.湾岸戦争後、アメリカはPKOに積極的になってきました。イラク・クウェート停戦監視団にはアメリカも参加していますが、これまでPKOの原則であった紛争当時国の同意を取り付けぬままの一方的なPKOです。アメリカが自らの兵器輸出や巨大な軍事力の保持を問わず、イラクなどアメリカの国益に反する国家の軍備管理に行うために、国連を勝手に利用しようとすることに私は反対です。
3.日本政府はPKOの説明はしても、その哲学を語っていません。ただ国際貢献、国際貢献というだけです。どのような世界をめざし、そのためにどのような外交政策を持つのか、が語られ、その文脈でPKOも語られるべきです。政府はアメリカとの友好関係の維持のためにPKOに自衛隊を出したいのではないでしょうか。
4.日本がPKOに自衛隊を参加させることは、国際貢献にならないでしょう。それは、アジアの国々の賛同どころか、その懸念を呼び起こしています。他国の脅威に感じられることがどうして国際的な貢献なのでしょうか。
5.このアジアの国々が不安に思うのは当然です。自衛隊は既に世界第3位ともいわれる戦力を保持しているからです。そして、他国のことなど一切かまわず、日本企業の利益のみを第一優先に掲げて、いまや世界のGNPの15%にまで占めるに至った日本の経済力が他国の恐怖をかりたてているのです。日本が軍事力を背景に政治大国化するのではないか、という当然の懸念があると思います。
 したがって、日本は第一に国際協力のために軍隊以外の人的協力をすべきです。第二に自国の経済発展に直接結び付かない、国際的な経済協力をするべきです。
6.日本は戦後45年過ぎても、アジアに友人とよべる国を持っていません。過去の戦争の事実を一貫してあいまいにし、その責任を国家としてうやむやにしてきたことに原田があります。犠牲者の遺族や被害者の方々が亡くなる前に、今、すべての戦争被害者に村して補償を行うべきです。このままでは、国際的に信用のおけない国として、いつまでも記憶されるに違いありません。
7.今回のPKO法案は廃案にするべきです。民社党はPKOへの参加の国会承認をすれば賛成するという方針ですが、私は反対です。国会が国民の意思であるとすれば、日本の国民自身が自衛隊の海外派兵に賛成する形になるからです。これは、他国から見れば、日本の平和主義の放葉であると見られるでしょう。PKO法案の修正を考えるとすれば、自衛隊貝の参加を一切認めない形でしょう。および軍事的任務の項目を削除するべきです。厳密に文官に限るべきです。
8.最後に今の自衛隊をこのまま放置してはいけません。根本的に削減縮小するべきです。ソ連の脅威の理由に肥え太ってきた自衛隊です。その脅威がなくなったのですから、その存在意義がなくなったわけです。国会決議で、削減縮小の方向性を早急に打ち出すべきです。これは与野党の責務であると思います。そして、今の違憲の存在である自衛隊をどう合憲の状態とするか(与党であるだけでなく、野党も認めるように)が問われています。PKO法案よりも、自衛隊をどうするべきか、が今日の日本の重要な政治的課題であると思 います。 (埼玉 K) 

 【出典】 青年の旗 No.170 1991年12月15日  

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【活動報告】いきいきプロジ工クトが動きはじめました

【活動報告】いきいきプロジ工クトが動きはじめました

■ はじめに
私は労青に入って4年になりますが、私が労働青年同盟に入って感じたことは、労働青年同盟の活動(政治同盟としての活動はもちろん、労働青年同盟の指導する大衆組織の活動も含めて)と若い同盟員の問題音識に大きなギャップがあるのではないだろうかということです。東京の若い同盟員のほとんどは民主主義学生同盟出身ですから、みんな、なんらかの形で運動したいとは思っているわけです。しかし、労働青年同盟の活動と自分の問題意識がなかなか噛みあわない。次第に労働青年同盟の活動がつまらなくなり、他の用事をさしおいてまで会議に行こうとは思わなくなってしまう。そして、組織を次第に離れていく。という悪循環が繰り返えされていたように思います。
その一方で、青年の意識はと言えば、どんどん運動の基盤を拡大するような方向へ変化していったわけです。全地球的な規模での環境問題が叫ばれ、多くの若者がフロンガスの使用をやめ、割り箸を箸箱に持ちかえ、自分の生活の場で様々な行動を始めました。ベレストロイカが始まり、東欧の激変が起こる中で、多くの若者が自らの生き方を模索し始めました。「自立」「自己実現」というテーマが若者の大きな関心となっていったのです。
そのような状況を見つめ、私が思ったことは、青年の意識がますます運動の基盤を拡大していくような方向へ進んでいるにも関わらず、労働青年同盟の若い同盟員はどんどん組織から離れ、労働青年同盟自身が青年の意識の変化にまったく対応できないのは何故なんだろうか。この問題に着手しなければ、労働青年同盟の未来がないばかりか、日本で新しい運動を構築することは不可能なのではないだろうかということです。
このような問題意識から「青年いきいきプロジェクト」を開催することになりました。原則として20代の同盟員が集まり、あまり労働青年同盟の枠にとらわれず、考えていることを言い合おうということで、月に一回のペースで会議を行っています。いままでに4回会議を行いました。最初の1・2回は、各同盟員の問題意識・職場で抱えている問題・最近考えていること等をみんなで出しあい。三回目からは、各自の問題意識を出し合おうということで一回につき二人づつ発表しています。

■ 90年代の新都市型青年団活動
第三回目に出された提起で論議になったのは、「90年代の新都市型青年団活動」です。すこし、この考え方を紹介します。
「・・・…さて、そんな訳でこの『いきいきプロ』が組織しようとする都会の若者たち。この現状についてちょっと分析してみましょう。もちろん我々自身も含めてである。『経済大国』日本で暮らしながら、経済的豊かさを表面上は享受しながらも、本当のゆとり、精神的豊かさ、人間関係の豊かさを実感できることは少ない。きずいているのかいないのか、様々な不安が生活を取り巻いている。このままじゃいけないと思うこともあるけれど、支えになるものが、はっきりあるわけでもなく、今日と変わらない明日が過ぎていく。
そして身近かに(職場、仕事以外で)、出会いや自己実現の機会や揚がない!ということで、会社人間になってしまったり、幸福の科学にはいってしまったりしてしまうのでしょうか?ま、それはともかく、我々はその中でも矛盾の集中している層を組織対象(と、いうよりユーザー)として設定する。例えば、北OLに対する何OLであり(朝日ジャーナル参照)、‥・…みたいなイメージが描けるが、別に限定するという意味ではない。
ポイントは、ユーザーを具体的にイメージしつつ、我々の理念に基づいた出会いや自己実現の機会や場を提供できるか?ということであり、我々のネットワークの情報か企画力が問われる。
では具体的になにをやるのか?実は何でもいい。おっと、そう言ってはみもふたもない。でも、カタチとしてはそうなのだ。ただし、ただ遊ぶだけなら下手をすると(しなくても)、カタギの方々の方が得意な訳で、要は、我々のネットワークを駆使してなるべく安価に、ゆとりを持って提供することであろう。
(1)「明るいマジ」=ささやかなオルタナティブの提案
我々なりの付加価値を+(プラス)すると言うことは、①で述べた理念(市場経済システムの上での、安定した経済成長と、社会福祉、環境(自然)保護の両立)を企画の中に具体化するということであり、それは、だからといって、大上段にかまえて能書きを垂れるということよりは、具体的な行動そのものとして、あるいはオルタナティプとして提案するということである。
例えば、前も言ったけれど、スキーだとすれば、自然を破壊してつくったゲレンデでやるスキーじゃなくて、クロスカントリースキーをやりましょう。と、いうようなことです。(中略)・‥・・・しかし、これらの活動は、日常的な生活を変えていくことにはつながっても、直接政治にアプローチするものではない。それは、「いきいきプロ」の性格上あたりまえで、それはそれでいいのだ。・・・‥・」(会議レジュメより)
この提起については、「新都市型青年団活動」という規定は別としても、「我々なりの付加価値をプラスする」という点には参加者全員が賛同しました。付加価値の中身までについては充分論議できませんでしたが、ようやく一つの方向性が見いだされた会議でした。

■我々側からの文化創造を
第四回目はパソコン通信に付いての提起を中心に論議が行われました。論議だけではよくわからないだろうということで、パソコン通信のデモまで行われました。デモについてはみんな感動していたようです。ネットでは社会問題からどうでもいい問題まで実に多くのテーマに付いて日本全国の人がまじめに、いいかげんに討論していました。
提起は、まず、「『企業』にどっぷり頂かり切った『賃金労働』と、それを維持する 『労働力の再生産行為』としての『レジャー』等のみが、生活の要素である。それ以外にも、大切なこと・楽しいことはいろいろ(ある。)……わたしたちの生活は、商品関係の中に存在している。カネさえだせば、なんでも?手に入る。レジャーや文化活動にしても、資本が用意してくれる数ある 『商品』の中から 『選択』すれば事足りる。しかし、それでは、…・・・生活の『質』は変わらない。だから、『人間的なつながり』『個としての自立』『自由な諸個人の連合』等々は実現できない。そういったものは自ら(あるいは、共同で)『創造』していくことだ。」という問題意識が提起され、その後、「①コミニュケーションの場。②自己実現の場。③時前のネットワーク。④『技術』を市民にとりもどすために」という四つのパソコン通信の意義が語られました。
これについては、商業ベースにのった「文化」をただ一方的に享受するだけでなく、自ら創造することの重要性が語られました。そして、「映画を最近よく見ている。雑誌『ぴあ』を始め、様々なものがあるが、大きく宣伝しているものは資本力のある映画等で、見ると 『なんだ、こんなもんなの』という感じになるものが多すぎる。現在の情報というのは、そのほとんどが与えるものという一方通行のものになっている。我々の側の評価をはじめ、討議できる場や宣伝等のミニコミ誌の存在意義は大きいと思う。」という意見も出され、パソコン通信に限らず、我々の側からメディアを、文化を創造していこうと
いうことになりました。
また、ひとりの発言者からも「我々が共有している(はずの)価値アンテナで、人類の進歩に役立つ文化情報をキャッチし合って、世間様に紹介する文化情報誌を発行する。身近なところから、ささやかな価値を創造する、ということでしょうか。」という報告がありました。
*     *     *     *
「いきいきプロ」はまだ始まったばかりですが、回を重ねるごとに同盟員の問題意識が明らかになり、同時に、運動のキーワードも見つかりつつあります。現在までのキーワードは「我々なりの付加価値を付与すること」「我々の側から文化を創造すること」の二つです。また、会議の報告書は参加者の輪番制にし順番に報告書を書き、集団的な運営と主体的な参加を追求しています。なんと、今までは、次の会議の前までには報告書が出来上がり、都委員会通信に掲載するか直接発送するという体制が実現しています。
以降、更に討論を続け、春の総会ぐらいにはそれまでに出されたキーワードをまとめ、一定の方向性を出したいと思っています。ぜひ、みんさんの意見をお寄せください。特に、大阪の20代の同盟員の方の意見が聞ければ幸です。よろしくお願いします。                 (東京 N)

【出典】 青年の旗 No.170 1991年12月15日

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【報告】全国協議会報告

【報告】全国協議会報告
               開催日時:1991年9月21日  開催場所:名古屋

1.クーデターを始めとするこの間のソ連の動向についての感想および意見
(以下、発言者の氏名はアルファベットで現わしています。同一人の発言は同一の記号になっています。)
A
ベルリンの壁の崩壊、ドイツ統一、湾岸戦争など、ここ数年世界の動きが激しい。今回のクーデターについても、その評価を考えようとしている
うちに三日間でひっくり返って、じっくりと腰を据えて見ていられない。今回の南北朝鮮の同時国連加盟の問題もそうだが、あまりに動きが早くて ついていけないというのが感想です。
B 都委員会でも話をしたが、結局社会主義というのは社会的正義、公正、連帯というようなものを目標としたわけだが、結果としてできていなかったということだ。今、それが共産党への反発としてでてきているわけで、その誤りは根深かったということだと思う。けれども始めからこのようなものを目指したわけではない。革命当時はやはり社会主義を目指して、それが受け入れられたのだと思う。資本主義に生きている人達が資本主義を主義として認めているかというとそうではないと思う。社会主義は資本主義を乗り越えるものとして選択されたもので、資本主義社会に生きている人はそれを選択しなくても生きていける。本来、社会主義はそういう生き方を選択して始めて社会主義になる。74年前の革命当時そういう選択をすることに支持はあったと思うが、今はそうではないと思う。
社会主義の政治・経済・社会体制というものはどういうものなのか、今まではソ連なり、中国なりと上、うものがあって、それで片付けてきたが、そういう理解ではダメなんだというあたりまえのことがあたりまえのこととして理解できた。社会主義の政治・経済・社会体制というものはどういうものなのかということを考える我々自身の真撃な理論構築が必要だ。
東京の中でも、情勢が急激に変化しているので、支部会などで話にきてくれるよう要求されることがある。今日もこうして話しているわけだが、率直に皆で論議して、前に進み出るような結論を全体で共有化したい。
東京ではイキイキプロジェクトという20才代の人達を中心にした取組みを開始している。若い人達が自分達で考え、運動のイメージを創り出してやっていけるようにしたい。特に労音が青年運動というものをやっていけるようにしたいと考えている。
C ベレストロイカが始まった頃からだいぶ大きく変化してきていて「このままで大丈夫かな」と思っていた中で起こったのが今回のクーデターだった。ソ連の国民が自分達の手で民主主義を支えていくという一つの試練ではないかと思う。こういう試練はこれからも起こる可能性があると思う。
D この間の一連の流れを考えると、特に東京では平和運動においてはソ連がなにを言って、それを国際的にどう広めるかというような運動になにか正義感みたいなものを持ってやってきたということがある。そういう意味であれはなんだったんだという感想もあるし、一方で、そうではなくなっているので、もうソ連でなにが起ころうがメンバーの活動には関係なくなっているという現実がある。そういう意味で自分がこれまでやってきたことの問題、また一方で今ではソ連の動きにまったく関係なく活動やっているという二つのことがなんとなく存在している。この辺を自分の中で整理したい。
E ソ連でゴルバチョフが登場してきた頃自分は大学2年だった。自分にとってはゴルバチョフの言うことは当たり前のこととして受け入れられた。
レストイカは一人の政治家が上から始めてきたという印象だった。ソ連が70年間支えてきたものに失望を抱き始めて今回のクーデターが起こった。クーデターした人間達はこれまでのように上から押さえ付けようとしたわけだが、それが市民によって覆された。市民の力が見えてきてベレストロイカというのはこういう大きなカを生み出していたのだなと思った。
学生の頃から自分にとってはソ連のことなどより、スウェーデンとかイタリア共産党とか資本主義の中でやっているものの話のほうがおもしろかった。今日の新聞ではスウェーデンの総選挙で社民党が敗れたと報迫されているが、高度に発達した資本主義国に住む我々にとってはソ連のことよりもスウェーデンのことのほうが問題だと思う。
F アフガニスタンの問題があった頃から学生だった。ソ連を擁護するようなことをやってきたように思うが、ベレストロイカの前後から「モスクワのテレビは火を吹く」という本などを始めとしてソ連の経済的な苦しさというようなものを知るようになった。マルクスの本とかもいろいろ読んだわけだが、社会主義経済とはなんだったのかなと思っている。いわゆる社会主義における経済政策とはなにか、だれかに研究してもらいたい。
今ソ連に国民を統合するような課題・政策はあるのか疑問を持っている。いろいろな課題、形態でいろいろな運動がやられているので、国民が一つに統合されるというようなことはもうなくて、いろいろある中からジグザグで進んで行くんじゃないかなと思う。
G 先日のフォーラム関西で言われていたが、フランス革命が掲げた自由、平等、博愛を結局社会主義は実現できなかった、社会主義とは民主主義が充満したものというか、そういうものだと思うが、民主主義というものがソ連には相当欠落していた。そういう意味で今のソ連には食料・パンだけではなくて、民主主義への渇望があるというところではないか。
我々にしてみれば、やはり社会主義に対する一種の憧れみたいなものも含めてこれまでの運動があったわけだが、だからといって現実にはソ連のことは関係がない。目の前にある一つ一つの課題をどう解決していくかということが問題なのであって、そういう意味でこの間のソ連の動きについてはそんなに悲観していない。社会主義であろうが、資本主義であろうが、よりましな社会、社会システムをどう創っていくかということでやっていきたい。
やはりマルクス主義は時代の変化に対応しきれなかった、あるいは変化への対応が遅れたと言うべきか、そういう問題があったんだと思う。マルクス主義、社会主義について改めて研究しなおす時だと思う。

2.社会党改革と民主運動戦線についての討議
(この問題について討議することを予定していましたが、時間がなくなってしまったため、また社会党についてはこの暮れにも定期大会を開催する予定なので、次回の全国協議会の祭に再度討論しようということになりました。そこでとりあえず、同様なテーマで大阪で開催されたフォーラム関西への出席者から、また東京で取り組まれているイキイキプロジェクトについてそれぞれ報告を受けました。報告の要旨は以下の通りです。「青年の旗」紙上には7月15日号以来4件の投稿が寄せられています。」この問題に関して読者のみなさんのご意見がありましたら、更にお寄せくださるようお願いします。)
B
東京でのイキイキプロジェクトについての報告
これまで2回会議をやっている。労働組合とかこれまでの企業の縦割りというようなスタンスでの運動ではなく、違うようなものができる議論をしたい。若い人達は、環境問題を始めとして何かやりたいという意識はある程度もっているが、それを実現できていない。また会社に組合があったとしてもそういう論議すらできないでいる。アウトドアライフとかよく言われるが、そういうことを単に遊びとしてだけでなく、何かポリシーを持ってやっていこうとする人達も今の若い人達の中にはいる。組合の青年部でそういうことをやっている人達もいる。若い人達が今の民主主義運動の中で、自分達で決めて、自分達でできることを、今までの形態や労青ということに囚われないでやってほしいと提案している(こちらが提案する以上に囚われていないので因ってしまう面もあるが)。そして原則として30才台は参加しないでということでやってもらっている。
このような議論の場を作っていけば、労青とは何なのかという論議もまた出てくる。早い話、労青の趣意・規約・行動綱領を認めて入ってくるわけだけれど、実際その通りの運動をやっている人はといえばほとんどいない。自分達で考え、自分連で決めて行うということを大事にしたい。
「おじさんイキイキプロジェクト」を作って、子持の人はそれにあった、生活に近付いた活動を考えたらどうかと、逆に提案されたりしている。
G (社会党改革と民主運動戦線について討議された)フォーラム関西への出席者からの報告
先にも言ったように、社会民主主義の問題に関してその理念のことが話され、また社会党の改革に関して報告がされていた。社会党改革に関しては、シャドウキャビネットであるとか院内総務会などを作ってもっと幅広い政策論議を深めようとしているわけだが、実際に存在する自衛隊と非武装中立の理念との間にあるギャップ、世論調査によれば自衛隊の現状維持を国民の64%が認めている中で、従来の総評・社会党の意見は即時解散に近いものだったわけでこの世論とのギャップ、ここらあたりが問題になっているのではないかと報告された。また、社会党に今なにが問われているのかと言えば、自民党政権の継続を支持する・しないにかかわらず、少なくとも独占貸本のために行われる政治・政策に少しでもブレーキをかけ、社会的公正であるとか、所得の再配分であるとか、そういうものを行わせていく一つの勢力として社会党を位置付けるのかどうかということだ。今行われている党改革論議は、ややもすると政権を取るということだけの手法的部分に終わりがちなので、本来社会党が果たす役割と、それを実現する政策についての論議、そしてそれへの国してそれへの国民の支持を広げていくこと、そういうことの中で改革論議を進め、その中で政権を目指すべきだ、との報告がされた。
以下自分の意見としては、社会党を支えているのはなんだかんだ言ってもやはり、先ほど言われた、縦型の大労組だ。議員の候補一人とっても参議院の比例区に見られるように大労組幹部だ。つまり、横型の、ネットワーク型のというか、そういう運動が欠けているわけで、それをどういうふうに作るかが重要だ。
労青が掲げている反独占民主主義、この基本理念はソビエトのベレストロイカにいかなる情勢の変化があろうとも、かえってこのテーゼが重要だと思っている。その中身の探さ、質の部分で労青と社会党とは違うと思っている。残念だが、社会党の党改革を主張している人達でも、いわゆる縦型の運動・考え型の基盤に立っている人が多い。
社会党はこれからの日本の民主勢力の中心的役割を果たしていくだろうと思います。民主勢力の結集軸となっていくだろうと思います。そういう意味で社会党はキッチリ評価して、また、だからと言って社会党にたよりきるだけではできないこともあるんだということだと思います。我々としては、いろいろな運動を通じて、またいろいろな運動を具体的に提起して、そういういろいろな大衆運動に支えられた社会党にしていくということではないかと思います。
B 「日本の権力構造」という本があって、その中で自民党がいかにして政策を作り上げてきて、実行しているか、自民党そのものがどう動いているかが書かれているそうです。特徴としては、日本は最終責任者のいない社会で、また自民党そのものが官僚の組織になっていて、参議院の比例区では軒並み官僚出身者が上位に名を連ねるのだそうです、その訓練された官僚が政策を作り上げているということ、また自民党は派閥の調整によって政策が決定されるということだそうです。まあ今回の小選挙区制導入の動きは派閥調撃政治の弊害が強くなり過ぎたのでこれを断ち切りたいというのが自民党の一部にあるのだと思います。
一方、社会党であるとか連合であるとかは、どこまで知っているかというとまだまだで、そういう意味では変えるところはどこなのか、それをどう変えるのかという政策を自民党に対する代案として作成していくのはまだ難しい。まずできるのは、いかに民衆の側が政策決定に入って行けるかというシステムを作ることが必要だと思う。
労青の運動で言えば、これは 全国協議会結成の際にも提案されていましたが、もっとオープンなネットワーク型の運動が必要だということだ。例えば自治労の人は自治労のことしか知らない、というようなことがあるが、そういうのを変えていかないと駄目だ。そういう意味では、やはり連合はネットワークとして広がって行ける可能性があるし、我々はそのように関わるべきだ。
反自民・反独占という言い方があるが、それでいいんじゃないかと思う。自民党と独占で全てを決めているわけだからそれを変えていくことが大事だと思う。
G 連合・ナショナルセンターの役割は単産の利害を乗り越えた方針を出していくことだという提案はフォーラム関西の際にもあった。また今年の自治労の大会でも今の提案に関わるような論議があった。公共事業とそれを支えている民間企業で働く人々との連帯というようなことだった。また、自治労にしてみれば、共済年金に比べれば国民年金は不利だ、そこで自らの既得権として有利な共済年金を守るだけでいいのかという問題もある。こういうことはやはり連合などで論議されるべき問題だ。
大きな声を出すところだけが強いということではなく、いわゆる縦型ではなく、横型の運動、日本を変えていくような運動を作ることが大事だ。(以下略)

【出典】 青年の旗 No.169 1991年11月15日

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【報告】長良川河口堰建設一時中止東京デモ報告

【報告】長良川河口堰建設一時中止東京デモ報告
               環境保護派の最大デモ 10・6 東京に5000人

10月6日の東京は、正午過ぎから雨が降り出した。午前中は曇っていてなんとかデモまでもってほしいと思っていたが、残念ながら雨。デモの終わりまで雨は降った。
しかし、東京港区の芝公園に集まった全国各地の「長良川河口堰に反対する会」はじめ、環境保護団体、自治労・東交など労働組合員など5000人は元気一杯だった。
参加者たちはプラカードや、カヌーパドル、釣竿にサツキマスを描き建設反対をアピール。サツキマスの形をした帽子をつけるグループなど、思い思いに河口堰反対を訴える。
夜行バスの疲れはどこへやら,今日はがんばるぞ!

●なぜ長良川なのか
長良川河口堰の問遁がどんな問題なのかは、「旗」91-6 NO.164及び91-9 NO.167 の記事を参照していただきたい。川について私は人に説教するほど詳しくない。日本でダムのない川というと北海道の釧路川と長良川の2つだと言われている。私も長良川に関わって、自分の周りにある川が気になるようになってきた。この運動に関わっている人の多くが同じ経過のようである。
私にとっても、なんとなくキャンプがしたくて、今年4月29日のNAGA払GAWA DAY(長良川現地行動)に参加して以来である。全く「一市民」として。
ただ、いま長良川に関わらずには、自然を守ることにならない気がしている。

●建設反対の怒りの雨
正午過ぎ、集会が始める。まず主催者である「長良川河口堰に反対する会」事務局長の天野礼子さんがあいさつ。「長良川の集会は、必ず晴れてきた。今日の雨は怒りの雨で、反対運動の流れを変える雨だ。怒りの雨なのです。必ず河口堰の建設を止めさせよう」
次々と挨拶が続く。長良川を愛する会、桑名と長良川を考える会(伊東さん)。
国会議員も数多く参加している。
最初は鯨岡兵輔氏(自民党)。以前に環境庁長官を務めている。「今日はお詫びを言わなければならない。今だに長良川河口堰の建設が止まっていないことを、今日参加の皆さんをはじめ、自然を守れと言う国民の声を国会に、政治に反映させていないことを」続いて、岩垂 寿喜男氏(社会党)、上田耕一郎氏(共産党)。
上田氏は「河口堰の建設が決まった時の環境アセス資料は、嘘で固めたものだった。堰の建設で自然環境が破壊されるという研究者の調査報告書を建設省は無視した」と批判。 さらに依田(社会党)近藤(共産党)議員の後で運動に深く関わり国会でも追及している旭堂 小繊陵(社会党)が挨拶した。(国会内では超党派の国会議員259名が「長良川を考える会」が結成されている。超党派で議員が挨拶するのもこの運動の広がりを示すものと言える)

●建設反対の結集‥ ‥
作家・俳優・学者・自然保護団体が続々挨拶
研究者の会、東海3県で2000名の大学関係者署名を集めた愛知学院大学の宇佐見さん、92年のブラジル世界環境会議市民レポート代表岩崎さん等に続いては、長良川運動に欠かせない皆さんの登場。
野田智祐さんは「建設省をぶっとばそう」、近藤正臣さんは「長良川を守ろうと言うのはもう遅すぎるのかもしれない。でも最後の自然を守りながら、死に絶えつつある日本の川を廷えらせよう」、夢枕獏、立松和平などなどが挨拶して会場は一気に盛り上がります。

●自治労が組織的参加、 佐藤本部書記長が挨拶
労働団体からは自治労佐藤書記長が「自治労は、地域住民の考え方を大切にすること、全国の河川がどうなっているのかを明かにすること、大企業や産業傑先の河川行政になっていないかなどの三つの観点から、自治体の中で長良川問題に取り組みたい」と挨拶。自治労からは関東を中心に500名の動員が行われた。
(私自身の組合であるだけに、やっぱり自治労と大満足)
どういうわけか、ナショナルセンターのみなさんとの紹介で、「仝労連」「仝労協」の代表も挨拶。
(動員も出来ずに、口先だけの団体のみなさんでした。しかしながら、島根県では連合島根に宍道湖の淡水化阻止の運動実績があるだけに、連合も参加してほしかったな)

●自然保護団体もアッピール‥
全員で「東京デモ宣言」確認

神奈川の相模大堰建設反対のグループ、北海道からも参加した団体、逗子のおばさんなど全国から参加の自然保護団体が続々あいさつ。
最後に「10・6長良川河口堰建設一時中止東京デモ宣言」が読み上げられた。
一部を紹介すると「32年前に立案され、23年前に閣議決定された長良川河口堰は、当初から都市用水のための利水目的で建設されている。それが途中から治水が主目的となり、今や塩害防止のためと強調されている。・・しかし、現在でも塩害は僅かであることを踏まえれば、建設省・水資源開発公団は何をもって建設を強行するのでしょうか。・・・東海3県、長島町民アンケートにおいても60%を越える住民が建設工事の一時中止を望んでいる事実は決して無視することはできない。
集会とデモの名に於て・・・長良川河口堰建設工事を一時中止することを強く訴える」

●怒りのデモ、東京を行く
いよいよデモになった。やけにマスコミ取材が多い。国会議員や俳優が参加していることもあるが、長良川河口堰問題が大きな社会問題として認知されてきたことの証左でもある。
雨の中、「長良川の自然を守れ!」のシュプレヒコールがビル街に響く。最初は人影もまばらな街を進んだが、東京駅が近付くに連れ追行く人々が何のデモかなと注目し始める。シュプレヒコールの声も一層高くなる。
歩きながら思った。妙な感じだ。狭山や平和運動、組合運動などのデモは何度もやった。しかし、「自然を守れ」というデモははじめてである。銭金を要求する叫びではない。決してイデオロギーの叫びでもない。ただ一つの川を、その自然を、川を共に生きる人々の生活を守れと叫んでいるわけだ。さわやかな気持ちでデモができた。
デモは、東京駅八重洲口を過ぎて常盤橋公園まで約5K皿を貫徹。
解散地点では、俳優の近藤正臣さんが、一人一人の参加者に激励の握手をしている姿が見られた。(彼は、翌週長良川現地で行われた集会にも参加している)
翌日の毎日新開は「環境保護派最大の集会」と表現していた。大いに満足である。

●さらに続く反対行動
こうして東京デモは参加者にとって満足の出来るものであったが、建設中止はまだ速い。翌週10/13には長良川現地、長島町で河口堰反対現地デモが行われた。
10/21には参議院環境特別委員会の現地視察に対して要請行動も行われている。「反対する会」は,今年の秋を最大の決戦と位置付けた。現在すでに河口堰は13の堰柱の内5本が完成しており,これ以上の建設を許すわけにはいかないのである。

今後も「一市民」「子供の親」として、自然を守る行動に参加して行くつもりです。
(91-11-4 大阪 H.Ⅰ)

【出典】 青年の旗 No.169 1991年11月15日

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【報告】東京:印刷出版支部が合宿をやりました

【報告】東京:印刷出版支部が合宿をやりました

東京の民間・印刷出版支部が9月22~23日、房総白子海岸で昨年春についで2度目の合宿を行った。印刷出収支部は隔週の会議をベースに活動し、2つの組合に影響力をを持つ元気な支部の一つである。報告は10月発行の東京都委員会通信より編集部で抜粋させてもらった。通信での報告者の感想としては報告者の事前準備が十分にされていて、内容的には充実していたとのことでした。学習会は以下の2つであったが、通信からは中身が計り知れないので、是非合宿の報告者から報告をまとめてもらいたい。
因みに、前回の合宿の内容は民主的代案の一例=ルーカスプラン、青年層の組織化の為に(意識状況)であったそうである。
学習会①『宮沢賢治の世界』AS氏の問題提起。
宮沢賢治の求めていた人間像、人間社会の有様は何であったのかを通じて、自我の解放を考える内容であった。自我主義とは、エゴイズムは是か非か?必然は、必要のない要求、欲求とは何か?等が論議されたもようである。
学習会②『労青今後の基本政策、行動綱領論議のために』MS氏が結成以来独自でまとめているもの(まだ継続中)の提起があったもようである。
また、若き!参加者から感想を寄せてもらったので、以下に記載する。(東京 Y)

【出典】 青年の旗 No.169 1991年11月15日

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【投稿】ペレストロイカヘの「希望」

【投稿】ペレストロイカヘの「希望」
                  -シェワルナゼ前ソ連外相の著書に関連して-

<朽ちても古びてもいない>
シェワルナゼ外相が突如人民代議員大会の壇上から辞任を発表したのは、昨年12月20日であった。彼はそのとき、ベレストロイカがもはや危機に瀕していること、独裁が近づいていることを警告したのであったが、それにしても新思考外交の推進者であり、ゴルバチョフの盟友である彼が、なぜその盟友を放り出してまで辞任しなければならないのか理解に苦しむところがあった。さらにクーデター失敗後に解放されたゴルバチョフ大統領に対して突き放すような厳しい評価を下したことに対しても、共に協力しあわなければならない相手に対してこれでいいのだろうかという疑問が消し得なかった。それらの疑問の一部が今回の著書によって氷解することはまちがいない。また先のクーデター騒ぎによって、彼の警告が現実化したのであるからなおさらである。
今回の著者について、これはルポルタージュであって、回想録ではない、「回想録は引退する人間にふさわしいものだが、私はまだ政治の世界から離れる気はない」と彼は断言している。その政治の世界で彼が「きわめて貴重なもの」としているのは、当然のことであろうが、やはりベレストロイカである。「まだそれは朽ちても古びてもおらず、従って見捨てられたり忘却の運命にあるものではない。ベレストロイカは擁護を必要としている」と強調している。擁護が必要ならば、なぜその立場から辞任というような一回限りの警告ではなく、継続して反ベレストロイカ勢力を糾弾し、孤立化させる共同戦線を形成する方向に外相という立場を徹底して利用できなかったのであろうか?

<陰の権力の登場>
事態はそんななまやさしいものではなかったのであろう。すでにその当時、「1990年の9月から12月にかけて、これ以上外相を続けるのがむなしく、無価値であると思えるような動きがさらに際立ってきた。われわれの眼の前で、新思考政策のスタミナが力尽きようとしていた。」という。「一つだけ例をあげよう」として、明らかにされた事実は、90年11月パリの全欧安保協力会議首脳会議で調印された欧州通常戦力削減条約に関するものである。条約によって廃棄されるべき特殊戦車部隊の数千台の戦車を、ソ連国防相と軍参謀本部が、条約対象外のウラル山脈以東にひそかに隠し、海軍所属部隊の色に塗り変えてごまかしたという事実である。このことは日本の新聞でも報じられていた。「問題は、国の最高指導部の-員(である私)が、それについて外国の報道ではじめて知ったということだ。これまであらゆる点で逃げ口上などと無縁の、率直でざっくばらんな関係を築き上げてきたパートナーたちに向かって、ソ連外相である私が、既成事実を後日弁明する羽目になるとは‥…・」。
当然彼は、ゴルバチョフ大統領に抗議を行った。大統領は軍事顧問のアフロメーエフ元帥に事実を明・らかにするように命じた。するとアフロメーエフは、この措置を無条件に正当化するメモを届けた。「私の抗議は、彼の金属の輝きを持つ論拠の前に色あせてしまった」というのである。大統領は決然たる行動を起こすべきだったのであろうが、不決断のまま、自らの依拠すべき改革派勢力、民主勢力を見い出しえないまま、ないがしろにされることとなった。軍の首脳達は、この時点ですでに自らも大統領と共に条約交渉に参加し合意してきた内容を、何の恥じらいもなく、大統領にも遠慮なく破壊し始めたのであった。つまり、「陰の権力は失地を回復しつつあった。晴間の中から顔を出し、公然と行動を開始した」のである。

<保守派過信の経緯>
そこでもはや外相辞任という選択以外に、道は残されていなかった、という。しかし「私の辞任は、不同意、反対、そして警告を込めた行為だった」のであり、「それに私は友人を見捨てたわけではない。辞任することで、彼が目標を取り戻すのを助けたいと思った」のであった。「私は警告し続けてきたのだ。だがなにも効果はなかった。」辞任は結果として、改革派勢力を落胆させ、ゴルバチョフを保守派の囚われ人にしようとする勢力を勇気づけたといえよう。辞任声明と同時に、「独裁の亡霊にとりつかれた人騒がせな男」「責任への不安」「批判に対する神経過敏さ」「シェワルナゼの神経は参っている」などといった非難が、ルキヤノフやヤナーエフといった後の非常事態国家委員会をでっち上げた陰謀8人組から発せられた。「私に向けられた非難の合唱の中でモスクワのボナパルティズムは登場を待ちわび、ブリユーメル18日がすでに意図されていた」わけである。
かくして「陰の権力は合法的権力のかたわらで快適に過ごし、姿を隠すこともなく、合法的権力構造の破壊工作を行っていた」のである。91年1月のバルト諸国に対する軍事力の行使・流血事件に対しても、大統領は知らされていなかった、黒幕が誰かは知らないと述べて、その責任さえ問われないという事態にまで進展した。あのあまりにもおざなりなクーデター騒ぎは、このような経過からすれば簡単に権力を奪取できるし、たいした反撃もないであろうと過信した保守派勢力の時代錯誤にあったといえよう。結果としてゴルバチョフが彼らの期待するような囚われ人ではなかったし、63年、同じくクリミアで休暇中のフルシチョフ首相を嶺室で勝手に更迭しえたときとは違って、なによりもソ連社会はベレストロイカによって大きく変化し、これまでのように従順に非民主的な政変劇を黙って見過ごすような社会ではなくなっていたのである。

<しのび寄る第2の政変>
ソ連週刊紙モスコー・ニューズ(10月13日号)によると、第2の政変の危険を警告した文書(米国カナダ研究所、欧州研究所、KGBの幹部、専門家らが作成した情勢分析文書集)が出され、それは「しのび寄る政変」の形を取り、来年1月中旬から末にかけてその時期に入り始めるという。それは去る8月の喜劇的な政変とは似ても似つかぬ本格的な政変であって、その指導者となるのは先のクーデターを支持しなかったKGB一共産党一軍産複合体の第2陣であろう。現在これら軍産複合体に従事している人々は1140万にも及んでおり、解雇されつつあるKGB、共産党の要員達、住む家も持たずにドイツや東欧から引き上げてくる10万人以上の将校達がさらにこれに加わり、これらの人々は死に物狂いで戦うだろう。反乱は冬を越す燃料の枯渇、商店の棚が空っぼになる事態に呼応して、「パンをよこせ」に始まり、急速に協同組合商店への攻撃、商業網センターの奪取、自主管理委員会の結成、軍の分裂、民族間紛争の内戦に発展する頃、政変の本物の指導者達が登場するだろう、というのである。この文書集では、このような事態をいかに阻止するかについて、現在の勝利者たち(民主勢力)が権力を手中に収め、中央の統治機構を創設し、諸共和国間の集団安全保障体制の創設条約を締結することを提案しているという。
この文書の流布はKGB筋の挑発という見方もあるが、事態の深刻さが放置されている限りは楽観できないであろう。シェワルナゼ氏が著書の最後で「まだ多くのことが起こり得る。幸福感に溺れていてはならない。まだあらゆる可能性がある。最後の戦いを決心した社会機構が断末魔の叫びを上げているときには、あらゆることが起こり得るのである。八人の共謀者が陰謀のすべて、独裁のすべてではない。彼らは多くの支持者を当てにしなかったから、暗黒の目的を実現できなかったのだろう。」と述べているとおりである。

<「希望」はどこにあるのか>
現在の勝利者たちが民主勢力であるといえるのかどうかは別として、保守勢力が大きく後退した現在、自治と分権、公開と大衆参加、そして三権分立にもとづいた民主主義的基盤(そして、これこそが追求されるべき社会主義的基盤であろう)を制度的にも社会的にも確立する大きな可能性が存在していることは間違いない。にもかかわらず「全体主義の大学から民主主義の(より高度な)大学院へ移行する過程には、病的な行き過ぎと喪失が満ち満ちていたことが証明された」のであり、「権力を欲する者達は民主的な制度を、横暴な要求をカムフラージュするために公然と利用してきた」ことが厳然たる事実である。「我々は政治的には無知だった。上から指令を出すという古い方法で、新しい現実を築こうとしたのだ」という切実な反省は、著者やヤコプレフ氏らが共同議長として組織している「民主改革運動」等々、ベレストロイカを支え、大衆自身のものとして現実化する組織、運動、党の再構築、そしてそれらの結集と共同戦線を最大の課題としているのではないだろうか。著者は、「希望」の最後を「一度始めたことは、続けなければならない。このために語り、書き、行動しなければならない。」と結んでいる。
(エドアルド・シェワルナゼ著「希望」91.10.30.朝日新聞社発行 2200円)

(生駒 敬)
【出典】 青年の旗 No.169 1991年11月15日

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『詩』 名もなき党員たちよ

『詩』 名もなき党員たちよ

                 大木 透

特権もたぬ
名もなき党員たちが
声をひそめる
ついぞ最近まで
党エリートであった者たちが
党本部を再占拠し
群衆を
魔女狩りに
かりたてる

俺は憶えている
初来日の
ヤコブレフを
党決定ばかり繰り返す
つまらんパネラーだった
ビソツキーが
絶唱していた時
唾を吐いて通りすぎた
大男は
一体誰だったのだろう

いま
おかしなことに
ロイが
保守派と罵られ
嘲笑されている
ブレジネフの
手先になって
彼を
虐げたのは
誰だ

ロイは
昔に戻れ
新旧ノメンクラツーラの
厚い仮面を
剥ぎ取れ

ミハイルよ
エリツィンよ
その他云々よ
君達は
潔白と言えるのか

特権もたぬ
名もなき党員よ
寄り添って
嘆いている時ではない
いまこそ
ロイを
党首に仕立て
告発者として
立ち上がれ
         (1991.8.31)

【出典】 青年の旗 No.169 1991年11月15日

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【書籍紹介】大賀正行著「第三期の部落解放運動-その理論と創造」

【書籍紹介】大賀正行著「第三期の部落解放運動-その理論と創造」
      91年7月31日発行、解放出版社人権ブックレット、618円

第三期部落解放運動とは何か、それがこの本のテーマである。なぜ第三期を強調するのか、その点について「第三期を強調するというのは、今まで通りのやりかたではいけない。部落民とは何か、部落解放とはどういう状態をいうのか、理論的にもはっきりさせて、完全解放ということを射程に入れて、お互に知恵を出し、腹をすえてとりくもうということです」と述べている。今までの運動をふりかえってみれば、「第一期の糾弾闘争主導の水平社運動は外堀を埋め、第二期・行政闘争主導の部落解放同盟時代は内堀を埋めたとするならば、第三期においていよいよ完全解放を射程にいれた運動をする時代なのです。そういう運動だということを自覚して私たちの運動を変えていこう、新しい運動を創造していこう、ということなのです」と、率直な問題提起が口語体の非常に分りやすい形で行なわれているのがこの本の特色となっている。
第三期の提唱についてもう少し紹介しておこう。「第一期の水平社時代の運動は、差別者に対する直接の抗議という形態を取って展開しました。第二期の段階は、差別事象のみが差別なのではなく、差別は生活や環境の中にあると規定し、それを放置してきた行政は差別行政であるというように、差別行政糾弾闘争が闘われました。そして同対審答申や特別措置法を勝ち取って、一定の成果を上げることができました。どちらも素晴らしい運動なのですが、言ってみればどちらも自分のことが中心でした。第三期のこれからの運動はすべての人の人権や生活に関わるような運動に発展させなければならないと思います」と述べる。そしてここからがまさに著者の真骨頂なのであるが、この第三期の本質をゴルバチョフのペレストロイカ、「新しい思考」と同じ本質のものとしてぴったりと結びつけていることである。階級的価値や民族的価値に優先する人類的価値、「人間は、理性と良心とを授けられており、同胞の精神をもって互いに行動しなければならない」という世界人権宣言の「この文言が、常識になる、そういう時代へ今、人類は移行しつつある」と強調して、国際化と人権の基調の上に立った運動の課題を提起している。ぜひ多くの方が読まれることを!                (I)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【コラム】ひとりごと –トータルな労働者の生き方–

【コラム】ひとりごと –トータルな労働者の生き方–

▼「ゆとり・豊かさを実感できる」・・連合の総合生活改善闘争のスローガンである。たしかに、「世界で一番の経済大国」と言われながら、日本の労働者の生活は、長時間労働や高物価、地価の高騰など寂しいばかりで「ゆとり・豊かさ」とは程遠いのが実感ではある。住宅水準や公園・下水などの社会資本整備は、欧米に遠く及ばない。近年は日本の誇るべき自然環境も破壊が一層進んでいる。
▼ 確かに「賃上げ」や「労働時間短縮」は必要であり、週休2日制は早期実現したいものだ。しかしそれだけではたして「ゆとり、豊かさ」が実感できるだろうか。
もちろん連合指導部も時短だけとは考えていないだろうと思う。
私が強調したいのは、現在の「ゆとり・豊かさ」論に「自然と人間との調和」や「国際的な連帯」という観点をほとんど感じられないということである。
▼ 金満日本という批判がある。千億単位の金融疑惑。労働者に一戸建ての家という期待が不可能になった今、海外旅行が増え、労働者も利殖に頭を悩ましているという面も生まれている。毎年電力使用量は延び続けて、ゴミを捨てるのに困るほど、物が消費され、廃棄されている。近年のリゾート開発は日本の自然を破壊することで「ゆとり」の場所を提供しようとしている。しかし、世界最大のエネルギー消費を行うことは、成長国の特権だとはもはや言えない時代である。
▼「ゆとり・豊かさ」とは多分に精神的なものであり、もっと人類的なものであろうし、労働者の生活の質を、思想を問うものである。連合も結成初期の「遠慮」を捨てて、もっと活発な内部論争を通じて、トータルな労働者の生き方を問い続けなければ、魅力をなくしてしまうことになる。               (I)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【報告】’91フォーラム関西 第3回例会開催(9/8)

【報告】 ’91フォーラム関西 第3回例会開催(9/8)
                「社会党改革と連合労働運動」をテーマに

91フォーラム関西・第3回例会が、去る9月8日に開催された。「社会党改革と連合労働運動」をメインテーマに、日本社会党大阪府本部の荒木伝副委員長と全国金属機械労働組合の嶋田一夫書記長から問題提起を受けた。はじめに、社会党改革について荒木副委員長から報告を受けた。

<<社会党改革、政策主導の政党に>>
4月の統一地方選挙における社会党の敗北から、党改革の論議が活発化し、その結果、7月の臨時党大会で執行部の党改革案が一部修正により可決された。政権を担いうる政党へ脱皮するための、党改革の一定のコンセンセスが形成されたと言える。
今回の党改革の内容として、党内論争となっていた論点である日米安保条約や自衛隊、あるいは原発政策などに関する等の姿勢が大々的に取りあげられているが、もう一つの重要な柱として、政策部門重視の政党を志向し、書記局主導であった党運営を国会議員主導に切り替え、院内総務の総務会が執行権限を持てるようにしたことは重視されなければならない。

<<社会党を支える二つのベクトル>>
参議院選挙における社会党の大躍進により与野党の逆転現象が生じた時に、社会党に何を期待するかという国民の世論調査では、「自民党との妥協も恐れず、現実的な対応を取ってほしい」という意見と、「安易な妥協は瀬図、自民党政治を監視する役割を果してほしい」という意見がほぼ半数であった。
つまり国民の意識としては、「社会党に政権を取ってほしい」というベクトルと、「自民党の誤った道を訂正し、チェックする機能を果してほしい」というベクトルがほぼ同じ力で社会党を支えており、どちらの足を取っても大きく揺れ動く状況にあると言える。そうした中では、自民党政治をチェックする機能を果たしながら、社会党の提起する政策を実現していく政権を、どのような形で構築して行くのかということが検討されねばならない。

<<政策展開システムの手法>>
政策という場合、いくつかの段階に分かれる。例えば、①現状を根本的に変えるマクロ的な政策、②公定歩合の上げ下げといった、現在持っている政策手段のどれを使うのかという政策、③その中間として新しい立方や行政、法令などにより制度を新しくしていくという政策、という具合いに様々な段階の政策がある。
安保廃棄にせよ、非武装中立にせよ、社会党はマクロ的な政策だけで、大味な議論しかなく、②や③を積み上げて行くという方法が決定的にない。この場合、整合的に三つを追求して行く姿勢を持たない限り、非武装中立を実現していく政策的な手だては結局なくなり、オールオアナッシングに終わるか、ずるずる妥協を重ね、体制内政党になるのかのどちらかしか道はない。野党を結束させ、どこで自民党をチェックしていくのかということを追求していく、そういう政策展開手法が社会党の中で成熟していない。

<<世論と政策のかい離>>
社会党の場合、政策と世論との間にかなり大きなかい離があるが、それは野党の宿命である。大切なことは、どの程度、そのかい離をきっちり見つめているかである。世論を無視しては政治はありえないが、世論だけに依拠していては政治の未来はない。
非武装中立を支持している国民は約20%であるが、社会党はその小数世論に足を置いている。こうした世論の状況に対し、非武装中立という理念に向かって、今踏み出すのは何かということが問われなければならない。例えば、日米安保の問題についても、全欧安保のような枠組みがアジアにおいてもできていれば、日米安保が存在していても実質上その機能が発動されなくなる状況を作り出すことは可能である。非核3原則の厳守や軍事費の凍結など、外枠を全部埋めていくことによって、最終的に日米安保を機能停止の状況に追い込んでいくそういう方法を取らない限り、日米安保存続か廃棄かという、そのレベルのマクロ的な論争だけでは国民の支持は得られない。

<<大衆運動の要求と政策>>
大衆運動の要求は、ダイレクトに政策や行政レベルの課題になりきらない。大衆運動の要求がただちに政策になるのなら、政党はいらない。
清掃処理工場の設置の問題についても、反対の住民運動が巻き起こる。しかしながら、どこかで処理する必要はある。その場合に、人工何人に対して、一つの清掃処理工場が必要だという地区処理の原則を政策として打ち出せるか否かである。
党の政策と大衆運動の要求とは必ずしも一致しない。一致しないからこそ健全なのであって、泥にまみれた中から一歩一歩改革していくしか社会の改革の道はありえないし、政権への接近もない。

続いて、金属機械労組の嶋田書記長から「連合運動の総括的視点」と題する報告を受けた。

<<総括の視点>>
①政治主義への傾斜(総評)--大衆行動の否定(同盟)
官公労を中心とした総評労働運動が、実質的に社会党の選挙を担っている現実の下では、組合幹部の天下りを社会党が受けざるを得ない客観的な条件がある。そのことが総評の政治主義への傾斜を強めたと言える。一方、同盟は労基法の一般的拡張などの問題に積極的に取り組んでいるが、そうした課題において大衆行動を提起することについては否定的な考えである。
大衆行動を提起しながら、賃金・労働条件の社会的な水準を確立していくという労働組合の固有の課題にどれだけ取り組んでいるのかということが問われなければならない。

②組織方針の弱点--産業別労働組合の強化
組織方針上の問題として、産別加盟の原則が地域のナショナルセンターの機能を妨げているという問題がある。ほとんどの労働組合が企業別に組織されているという現状の下では、地域の中小、未組織の組合をどう組織していくのかといった場合、一つの大きな壁にぶちあたる。これでは広範な労働者を組織することはできない。
さらに、連合の大単産の複合産別化という組織方針により、資本系列べつに組織化を進めるという構図が進んでいる。

③労働組合主義(トレード・ユニオニズム)の見直し
労働組合主義という言葉は、経済主義のみを重視して、政治的には体制に従属していると言うイデオロギーであって、悲観的な言葉として使われている。イデオロギー的な側面のみではなく、もっと素直に労働組合運動そのものの立場に立って、連合労働運動をどう強化していくのかということを考える。そしてそこから反撃をするということが大切なのではないだろうか。

④労働組合と社会改革
労働組合は社会科威嚇を担う勢力であるという自覚を持たなければならない。そうした運動を具体的に提起する任務を有している。すなわち、福祉国家論を正面に据え、どういう社会をめざしていくのかということが議論されなければならない。

⑤両輪の国際主義へ(ILOなど国際機関と労働運動)
東西対立から協調の時代へと変化しているが、ILOの国際的な公正労働基準を連合に持ち込んでくることが求められている。ビックユニオンとしても、それを否定できない客観的背景が厳然としてある。

<<連合運動の評価と課題>>
①連合の組合機能をめぐって
連合は、自由にして民主的な労働組合をめざしているが、実質を伴わない形式的(民主的)運営の弊害がある。全ての参加者から公平な意見の時間を確保しようとするため、例えば、同一の日に各種機関会議が行われる場合、三役会議で発言した産別の組合は、その後の中央執行委員会では発言できないという決まりになっている。形式的な平等にとらわれずに、様々な討論がもっと行われる必要がある。
また、現在三役は25名いるが、多くても10名位にすべきだということが、組織の検討委員会で議論され、承認されたとしても、三役の了承なしで決めるのはおかしいという意見が大勢を占める。さらに、組織強化拡大委員会と財政委員会が全く切り離されて議論されているため、どういう運動をするのかという総体の議論がなされていない。このように縦(産別)と横(地域)の組織的柔軟性の欠落がある。

②労働諸条件の闘い
連合春闘においては、7単産調整会議(自動車総連、電機労連、電力労連、情報通信労連、鉄鋼労連、ゼンセン同盟、私鉄総連)で水準相場や主要な戦術などが決められる。この中で東京だけでなく全国的に、そして特に中小を組織している金属機械を、その調整会議の中に入れろと要求している。連合の山田事務局長も趣旨は同感と答弁しているため、JC4単産の相場形成をどう突破していくのか、大衆のエネルギーを使った春闘をどう作っていくのかという観点から、調整会議に参加することを追求しながら賃金闘争を闘っていきたい。
時間短縮闘争については、「賃上げか時短か」、「賃上げも時短も」という「かも論争」が行われているが、鉄鋼労連を中心に意図的に春闘の新たな中心にすえられてきている気がする。鉄鋼労連は交替制の職場であり、実感的に残業が規制されているため、時短を推し進めやすい環境にあると言えるが、管理春闘で主導権を握ったように、連合労働運動のヘゲモニーを時間短縮で握ろうとしているように思われる。
人手不足の状況下で、そして総量規制の伴わない下での時短は、単位労働時間の密度が高まり、新たな労働強化の攻勢となって現れてくるのではないだろうか。松下は1800時間で合意したが、その危惧は大きく、関東のメーカーでは現在のところ合意に達していない。松下の推移を見守る必要があるだろう。そして、長時間労働が及ぼしている周辺のテーマ、過労死や単身赴任などの問題にも積極的に取りくまなけれならない。

③政策・制度改善の闘い
エネルギーや税制、土地問題など政策的に意見の一致しない課題が非常に多く、また要求が出来るだけ政策として実現できなければならないと言う考えから、政策化できるのが要求となっているという現実がある。今回、老人保健法の改正について、官僚と一緒に政策作りを行い、連合と日経連と健康保険連合会の三者で、国庫負担の引き上げを前提に老人の個人負担の引き上げを認める共同の要求を提出したが、大蔵省、厚生省に蹴られ、結局合同要求と異なる改悪案が国会に提出された。政策を実現していくプロセスの問題として、整合性を考えずに大衆的組織として直接的な生の要求を強める必要があるのではないだろうか。
労働組合は組合員の利益を守ることが大切だと言うが、ナショナルセンターとしては、そうでないことをしてほしい。その視点に立つと、米の問題については対米摩擦を緩和するために、電機も自動車も産別の利害が先行するために自由化に賛成することになる。これでは組合なのか産業の代表者なのか分からなくなる。組合員のためにと問題を立ててくると議論が噛み合わなくなる。この点がすべての政策論議の問題の中で最大の問題となっている。

④政治路線をめぐって
連合の政治勢力を巡って、自民党と対抗する社民勢力の結集を推し進めるのか、自民党を含む政権交替を可能にする政治勢力の形成を図るのかという二つの勢力の争いがある。これは、旧同盟、旧総評という枠ではない。
大衆運動としては、どこに行くのか分からなければスタンスも決まらず、やりにくいという側面がある。「自由・平等・博愛」というスローガンもいいが、同じ自由でも、狼の自由もあれば羊の自由もある。社会民主主義を正面に掲げて自由の中味を明確にしていかなければならない。

<<社会党の改革について>>
東海閣の議論がどれだけ公開されていたのかが重要なことだ。政策の見直しだけでは改革ではない。組織を変えることが改革なのだ。党だけではなく、どういう政治勢力を作るのかという運動が提起されなければならない。原発反対を言うのであれば、今の生活水準を落とすということを大胆に言わなければ、今の情報社会の中では組合員は納得しないし、電機・自動車の単産と論議したらとてもじゃないが議論に耐えられない。どういうレベルでどういう生活をするのか、また誰が生活のレベルを落とすのかと言う問題はあるけれど、大胆にあるべきこれからの社会はこうだという提起が必要だ。長期的に展望して社会党が示すべきものと国民の要求とが衝突してもいいし、また、その時に言わなければ社会改革は出来ない。政党にはどういう社会を作るのかということを言う責任がある。

<<総評センターについて>>
総評センターは連合が担えない運動を化と的に担う位置づけで、組合費を払って存続させている。4月26日に掃海艇が湾岸に出発すると言う前日の25日に総評センターの総会が行われたが、決議も見解も示さなかった。見解を求めたところ、見解は持っているが連合に配慮してやらない。不団結を拡大してはならないとの答弁だった。それに対して何も抗議できないのであれば、総評センターはいらない。みしろ連合の平場で論議したほうがマスコミも取り上げてくれるし、社会的な問題として論議できるはずだ。

以上のような問題提起の後、参加者から活発な意見交換、討論が行われた。次回は、ソ連情勢・共産党の解体などの問題をテーマにフォーラムを開催することを確認して終了した。             (文責 大阪 T.O)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【投稿】大国主義・覇権主義の党の解体と評価

【投稿】大国主義・覇権主義の党の解体と評価
—反省なしの日本共産党—)

当初はソ連クーデターについての感想を、との話であったが、その後事態が共産党、ソ連邦の解体へと急速に進んでいることもあり、これらを視野に入れて述べたいと思う。
この間の事態を見ながら思ったのは、日本共産党の反応である。
日本共産党の公式の反応は、「覇権主義、大国主義路線の当然の帰結であり、我が党とは関係なし」と涼しい顔をしている。
しかし考えてみればソ連共産党の解体の原因は、党内、および国内民主主義の問題について、決定的に間違った方針に固守してきたからであり、いわば内部崩壊である。
日本共産党のいう「覇権主義、大国主義」問題は、ゴルバチョフ政権のペレストロイカ諸政策のうちでもっとも改革が進んだ問題であり、いわいる新思考外交が核軍縮など今日の新たな国際情勢を切り開いたことは、それこそ国際的な常識であって、清算済の問題である。
確かに日本共産党は、これまでにソ連主導の国際共産主義運動を批判してきた。しかしその間もソ連の内政問題については批判をしたことがなかった。もっともこれは「内政不干渉」と言い逃れることができるかもしれない。しかし、つい5年ほど前でも「赤旗」紙上に「安定したソ連の市民生活」「社会主義制度の優位性実証」などという記事を載せていたという事実は消すことができない。はたまた、日本共産党はルーマニア革命の時ように「知らなかった」と逃げるのであろうか。
日本共産党が、過去このような対応を取り、現在でも的外れな論評を行うのは、崩壊した共産党と同一の非民主主義的体質を持ち、それを批判することは、自己否定になるからである。
例えば上田耕一郎は「朝日」のインタビューで「ルキヤノフが一番しっかりしていると思う」などと答えている。その時点ではルキヤノフが、クーデターの黒幕とは判明していなかったから本音を述べたのであろうが、スターリン主義者同士は、直感的にわかりあえるものなのだな、と変に感心してしまった。だからソ連共産党の解体の原因は、民主主義の欠如にあったなどとは、絶対に言えないのだ。ちなみにエリツィンは、その著書「告白」でルキヤノフを厳しく批判している。
しかしこの間日本共産党は彼らが支配していた地方自治体や、労働組合から追放されつつある。それは、そこに存在する市民、組合員が日本共産党の体質を見抜いているからである。その意味では日本も国際情勢から無縁なわけではない。実は日本は共産党が支配しているわけではないけれども、人権、民主主義が低水準にあることは明かである。この間の国際潮流を日本的反共主義への収斂に終らせることなく、日本国内の民主主義の拡大に取り組んでいかなければならないと思う。(9/1 大阪 0)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【投稿】「南北問題を中心に捉える」とはどういうことか

【投稿】「南北問題を中心に捉える」とはどういうことか

(この原稿は9月号掲載の「ソ連・東欧の激変と先進資本主義国の特権的繁栄について」と題した投稿文章と一緒に送られてきた奈良の石田さんのものです。紙面の都合で今月号の掲載となりました)

原稿にある「南北問題を中心に捉える」とはどういうことかについて補足します。

a 「特権的繁栄」の事実を、労働者はみんなよく知っているのです。つまり(先号でどなたかが書いておられたように)「過労死するまでコキ使われて、家も持てない」ことに不満を持つより、東南アジアやアフリカに比べれば、いや、ソ連東欧なんかに比べれば、日本はよほど住みよい所だ、いい国だ、とみんな思っているわけですよ。だから、決起なんかするはずはない。決起したって、ロクなもんじゃない。日本の労働者は、今でも十分に特権的なゼイタクなくらしをしているのであって、「もっとゼイタクをさせろ」と叫ぶ労働運動なんて、やってもしょうがないんじゃないのか。
b では、どうするのか。「プロレタリア国際主義」という言葉があったでしょう。これの今日的な内容は、「日本人だけがこんなにいい暮しをしていいのか。もっと低開発国に、無利子、いや無償の援助をすべきではないのか」という問いかけだと思うのです。また、日本国内においても、老人、障害者など、不利な立場にある人々に対する手厚い福祉が必要です。これらのためには、増税もやむをえない。
「我々はもっと恵まれない国々、恵まれない人々に目を向けるべきだ。自分たちだけがいい目をしているのは罪悪だ」という正義の叫びが必要なのです。そのために、増税も、きちんと位置づけるべきだ。エゴの運動はもうダメです。労働組合も、組合費を上げてでも、国際連合(ユニセフ)への寄付でもやって、「我々は世界の労働者(貧しい人々)に手をさしのべるのだ」という姿勢を持つべきです。そうしてこそ、資本(金持ち)に対しても、自分勝手な金儲け主義を批判して包囲していけるでしょう。「バブル」で儲ける輩に対する怒りも、一層とぎすまされるでしょう。
c 甘ったれた博愛主義だと嗤うのは勝手です。しかし嗤う人は、プロレタリア国際主義の今日的な内容は何なのかを示してください。「家を持つ」ことが何ですか。賃貸でも何でも便利に住める場所がありさえすれば十分ではないですか。「持ち家」の要求なんて、小ブルジョア根性でしかない。そんな要求の運動で革命的な意識なんて育つはずがない。 過労死寸前まで働くのだって、一面では好きでやっとるわけですよ。少しでもいい暮らしをしようと思ってね。その結果、今日の繁栄があることも事実なわけでたとえ資本家は労働者以上に儲けているにしても、労働者も儲けているのは否定できないのです。)この点、労働者が一応組織されていて、議会制民主主義や自由な報道がかち取られている今日においては、マルクスの言った「絶対的貧困化」というのは阻止されてきたようですね。マルクスが生きてきた時代とは、色々な条件が変わっていて、ことに帝国主義国の特権があるから、労働者もそう貧乏クジばかり引かされる立場ではなくなっているわけでしょう)
だから、今、本当に資本に対する怒りを労働者が心底感じるためには、労働者にしか持てない「プロレタリア国際主義」の今日的な発現としての、南北問題の提起、国内でも弱者---差別されている人々---を解放するための正義の闘いの提起が、何よりも必要なのです。そして、口先だけでなく、自らの腹を痛めて、つまりカネを出して、正義の実現のために献身すべきなのです。これは、労働者階級が中心になってこそやれることであり、この闘いを通じて「なんで資本は自分が儲けることしか考えないか」「なぜ金持ちはもっとカネを出して我々の闘いに協力しないのか」という意識が組織できるはずです。
d こういう質の運動は、自分の物質的利害と直接合致しないだけに、きわめて困難なものだと予想できます。しかし、「24時間テレビ」だの郵便局の「国際ボランティア貯金」だの、資本の側、権力の側にさえこのような正義の要求を反映した企画があり、一定の反響を得ている事実があります。
高福祉国家、国際貢献をする国家、世界において正義を実行する国家という主張は、少なくとも誰からも後ろ指をさされる事のない(正面から反論できない)、説得力のある主張だと思うのです。誰よりも高い理想を掲げ、人類全体の幸福を正面から主張するのが共産主義者であるとすれば、たとえ最初はウケは悪くても、勇気を持って主張すべきでなのではないでしょうか。少なくとも、「過労死寸前なのに家が持てない云々」と語りかけるより、よほど胸を張って語れることだと思うのですが。それに、言い落としていましたが、核戦争の危機が遠退いた今、全世界的な視野からみて人類全体の幸福を課題とした場合、この南北問題こそが最大の懸案となっている客観的事実があるのではないか。これにこたえることが先進国の労働者の世界史的な責務ではないか、ということを付け加えます。 この観点から、現在人々の口によくのぼる「国連中心主義」と言うのは、正しい問題意識ではないかと思います。政策全体の中に位置づけて,PKOだろうが何だろうが、やってもいいのじゃないか。憲法改正をやって、国連軍の一翼の性格をはっきりさせていく考え方があってもいいのじゃないか。(田辺社会党の自衛隊容認は、戦略的な構想なしに「自衛隊違憲では票がとれない」という発想からの、なしくずし路線変更のように思えるのですが)ただ、このへんは、何となくそんな気がするだけですから、聞き流してください。             (奈良 石田)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【投稿】クーデター後のソ連はどうなるか

【投稿】クーデター後のソ連はどうなるか

三日天下に終ったクーデター
8月19日に軍部・KGB・保守派が中心となって企てたクーデターはロシア共和国エリツィン大統領を中心とする民主派が勝利を収める形で終結した。
クーデターの引金を引かせた二つの大きな要因として、エリツィン・ロシア共和国が採択した勤務時間中の党機関活動禁止条例と翌20日に調印される予定であった「新連邦条約」があげられる。
新連邦条約が調印されれば、共和国税として徴税したあとでその何%かを連邦に納入するなど、共和国主導で連邦税を処理することができ、通貨政策、銀行制度においても共和国の自主権が強まることになる。17日に行われた連邦の内閣幹部会でもパブロフ前首相は「連邦条約が調印されれば、連邦政府は権力空白状態に陥る」と公然と批判していた。
また連邦財政の歳入が減少し、軍事費が歳出の43%を占めるまでになっているなど、連邦財政が苦しい現状の下での条約の調印は、軍の基盤の形骸化も一層加速されることになる。この危機感が、つまり共和国の主権を拡大する「下からのベレストロイカ」の動きに対する保守派・軍部の危機感が、クーデターの直接的な原田であった。
しかしながら、終ってみれば今回のクーデターは、喜劇的とも言える結果となった。軍隊の実行部隊が命令を拒否、民衆の声も独裁反対に回った。すでにソ連国民の民主主義意識がどれほど強まっているか、諸階層の利害に応えることもなく、旧来のイデオロギーに依拠した特権の維持としか国民に映らないことも理解できない連中の時代錯誤的行動であった。結果はゴルバチョフや民主勢力が6年かかっても出来なかった民主化を僅か2週間たらずで一挙に実現させたと言うのは、歴史の皮肉であろうか。

クーデターを打ち倒したもの
エリツィンは、今回の動きは反憲法的なクーデターで国民に対する犯罪であるとし、ロシア共和国では国家非常事態委員会の決定は一切効力を持たないとし、無期限のゼネストを呼びかけた。クーデターを打ち倒したのは、ロシア共和国政府と市民、兵士、ジャーナリスト、炭鉱労働者たちの毅然とした抵抗のカである。
ベレストロイカの成果である、グラスノスチ、民主化、新思考外交による西側世界との協調関係は確実にソ連に根付いている。ベレストロイカによる民主化の動きが力強い底流となっており、それゆえに民主派が勝利を収めることができたと言える。

ソ連邦解体の動き
ゴルバチョフが解放されたのち、クーデターに関与した連邦の国防相・内相・KGB議長らの後任人事がすべて9共和国との協議で決定されるなど、連邦と共和国との力関係が一変した。ゴルバチョフの政治的影響力の低下と各共和国の発言権の増大が明白な事実となった。新連邦条約も現行の内容より、より共和国の権限を強める内容のものに修正される見通しである。
共和国独自の警備軍構想も明らかにされており、共和国の権限が強化されると共に、炭鉱の共和国への移管など、基幹産業を連邦の中央官僚支配から切り離し、共和国独自の市場経済への移行を図る動きが今後一層強まるだろう。
そして、さらに事態は人々の予測を越えた方向に突き進んでいる。独立を容認されたバルト三国に続き、ウクライナ、モルドバも連邦からの独立を宣言し、カザフも連邦の内閣や議会は不要とする見解を示している。また国家連合方式を主張するカザフは、連邦機関の長へのロシア代表の起用は共和国の平等に反すると、ロシア共和国主導による連邦の新体制の形成に不満の意を表明し、共和国間の対立も深刻化する動きがある。

ソ連共産党の解散と新党結成の動き
今回、ソ連共産党の現職の書記長が非合法的に軟禁されるという事態の中で、共産党は何等社会的な力を形成することができないばかりか、逆に共産党の中枢機関である中央委書記局が、ゴルバチョフ大統領追放のクーデターと非常事態体制導入を積極的に支持する方向で動いていたことが暴露された。国民の共産党離れは、これで決定的なものとなるであろう。22日には党の民主的再建は可能と述べていたゴルバチョフ大統領も、25日には共産党書記長を辞任し、ソ連共産党の解散を勧告し、東欧諸国と同様にソ連においても、民主化をめざす広範な人々が結集する新党の結成が今後の注目すべき動きとなっている。
(9月10日 大阪 T.0)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【投稿】わたしの「ソ連共産党崩壊」

【投稿】わたしの「ソ連共産党崩壊」

ソビエト共産党が、なくなろうとしている。
ソビエトでは、共産党が怨嗟の的となっている。いくらなんでも非合法にすることはないのでは、と遠い国にいる私たちは思うが、当事者たちは、ナチに等しいものを非合法にして何が悪い、といったふうな気持ちなのだろう。「レッド・パージ」が進もうとしている。
わたしは、80年代前半の学生時代、政治党派に属していた。ソビエト共産党を中心とする国際連帯を是とする学生左翼党派である。
そこでは、現在批判の的とされているさまざまなことが、基本的にはよしとされていた。たとえば、対外政策におけるブレジネフ・ドクトリン。内部における民主集中制。そして何より、社会主義経済体制の資本主義に対する優位性。
すでに「プラハの春」の悲惨も、「収容所群島」も歴史的事実となり、アフガン侵攻も行われた後である。日本での反ソ感情はピークに近かった。ソ連経済の停滞も明らかになりつつあった。
そんな中で「親ソ」的な団体に属するのは、反時代的な行動であった(それ以前に、政治党派というもの自体がすでに化石化していたが)。しかしわたしは、「反・反ソ」の気持ちからその党派の「親ソ」を容認した。
上記のようなソ連の問題がすでに噴出していた時期である。「ふつうの学生」たるわたしは、社会主義ソ連万歳、とは思えなかった。しかし、その党派では、ソ連のすばらしさを喧伝して、社会主義の優位を「大衆」にしらしめる、という古風な啓蒙精神が残っていた。80年代以降の大学生の多くは、政治的にはほとんどなんの経験も知識もないままに大学に入ってくる。それ故に、党派では、若くても時代錯誤的なソ連社会主義賛美に陥る人間もいた。わたしはそれを滑稽と思いながらも、積極的には反対しなかった。反ソ・反社会主義の風潮の中で、その積極面をきちんと伝えていくことは意味がある、と思ったからだ。さまざまな問題点はありながらも、ソ連社会の下部構造は搾取のない民主的なものであり、それに見合った上部構造は、これから整っていくだろう、というのがわたしの考えだった。党派の方向性を変えるようはたらきかけることもなかった。
この反社会主義的な風潮の中で、社会主義の良さをうったえることは意味のないことではない、というエクスキューズの中で、党派の人々の、そして自らの判断停止を許していた。ソ連を善とする人々の確信をつきくずす自信もなかったし、さしせまってそうする必要も感じなかった。外部から社会主義の困難を無責任になじる「インテリ」にもなりたくなかった。
また、組織内の「民主集中制」の内実や、「大衆を指導する」政治党派のありように、深い考察を加えることもしなかった。そうしてわたしは、多くのことに対し判断を保留したままでいた。「とりあえず、意味のないことじゃない」と。
いま、ソ連共産党員は、社会から追われようとしている。そのなかには、ソ連共産党に批判を持ちながらも、内部にとどまり、しかし党を変えることのできなかった人々も多く含まれているだろう。 わたしの属していた党派は、幸か不幸か、学内でもあまり大きな勢力ではなかった。とくに「ソ連社会主義支持」の世論をつくることは、わたしの在学していた80年代にはほとんど不可能であった。
もしわたしたちが大きな社会的勢力であり、ソ連共産党の内外政策を支持し、それと類似のことを日本で遂行することができていたなら、わたしも、いま、この社会から石もて追われているのだろうか。
ソ連共産党の困難を-あるいはその消滅を、わたしの困難、わたしの中のある部分への否定として受けとめなければならない。その非民主性、対外政策の誤りへの批判を、自らへの批判としてうけとめなければならない。社会主義、および資本主義に対する考えの甘さを思い知らなければならない。ソ連社会の現実への無知、あるいは判断停止を認めなければならない。

現在、日本共産党は、ソ連社会主義の崩壊した今、日本共産党の理念の具現化の物質的保証も消滅したのではないか、という社会的な批判にさらされている。それをかわすため、彼らは、ソ連共産党の解体を、自分たちと関係のないものとするのに躍起である。それを嗤うのはたやすい。しかし、日本共産党以上に社会主義ソ連を日本の社会変革の一つの保証としてきた党派に属していたものは、そうした批判をより苛烈にうけてしかるべきだ。(なにしろ、社会主義ソ連を評価しない、というのがわたしの属していた党派の日本共産党批判の大きな論点の一つであったのだから。)
繰り返しになるが、かつて私の属してた党派は、日本共産党にすらおよびもつかないような小さな社会的勢力でしかなかったおかげで、いま日本共産党が-さらにはかの国でソ連共産党が-受けているような社会的批判にさらされないですんでいるのである。批判すらしてもらえないのだ。その批判を、自ら発し、自ら受けねばならない。
自らへの批判のみで満足することも許されない。「わたしは自覚的だ」と考え、たとえば日本共産党と自己区別し、満足するのも、一種の罠だ。「ソ連はともかく、自分の持ち分で出来ることをする」というのも、こうした状況では一つの態度だろうが、かつてとは別の判断停止にふたたび陥るおそれがあろう。
いかなる思考と行動が必要で、可能なのか。その端緒をつかむべく、あがかなければならない。いま日本でサラリーマンをやっているわたしには、あがき続けることすら難しい。しかしわたしは、わたしのこれまでを「ないこと」にはできない。
ソ連共産党の解体をわが解体としなければ、わたしは「その次」を考えられないし、この先前へは進めない。ぎゃくに、それを希望としなければならないだろう。だれもが、ソ連共産党の崩壊を対岸の火事にしてしまおうとしているこの国で、それを「当事者」として重くとらえかえすことが求められることもあろうから。 (大阪府 K)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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『詩』 馬鹿な帝国 

『詩』 馬鹿な帝国 

                大木 透

おきまりの
チャイコフスキーのたれ流しと
最後通牒の応酬は止んだ
ピストルの安全装置も外せない
ピエロどもは
予定の時刻に
舞台を去った
鋭敏な熟考の時だ
だが
ニコライ三世は
興奮したままだ
変装したストルイピンどもが
騒ぎ立てている
スターリニストがスターリニストを
追いつめる
大ロシアの旗がうち振られる

私は憎む
クリミヤから生還した
善良なファミリーに
ひとかけらの同情も示さない傲慢さを
私は恐れる
さい疑心を抱かなかったことを
懲罰しようとする
冷徹さを

ニコライの専制に
反対する者よ 出でよ
メシアのごとく
ヤコブレフよ
君は民主主義者なのか
シュワルナゼよ
君はいつから懐疑派に
くらがえしたのだ

もう
ミハイルも知れ
民主的民族国家など
夢また夢であることを
解任も支持も
要求するな
誰に向かっても
(1991.8.24)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【コラム】ひとりごと –社会主義と民主主義–

【コラム】ひとりごと –社会主義と民主主義–

▼この間の社会主義情勢を見ていると考えさせるものがある。ゴルバチョフ登場からペレストロイカ。そして市場経済導入、東西ドイツの統一(とはいっても西ドイツへの吸収合併)更にはクーデター以降には、これまでの連邦制の破綻、共産党中央委の機能停止等々、その情勢の変化は目まぐるしい▼当初は、民主主義が閉塞された社会主義が、今、問われたのだと歓迎したが、この間の動きを見ていると、マスコミの「社会主義の崩壊」を認めざるを得ないと思われる▼私心から言えば、中学時代から社会矛盾を感じ、高・大学時代には、社会科学・社会主義への展望を学び求めてきた自分にとっては、少なからぬ戸惑いを感じる。同じく感じる同盟員もいるのではないか▼しかし、動揺ばかりせずに、冷戦時代から協調の時代、科学技術の飛躍的発展等々の現代の中で、今までのイメージ、発送から脱却して「社会主義」について考え直すことも大切なのではないか▼そもそも社会主義が民主主義がより発展した社会形態だという原則に立ち戻るとするならば、また今日の社会主義を巡る情勢が「民主主義」を中心に問われていることを考えると、余り難しく考えずに、ただ「もっと民主主義を!」と、ひたすらに「民主主義」として、どうなのかを考え、判断することも一つの指針ではないのかと思うのである▼このように考えると、少なくとも「平和・人権・社会福祉」等々、日本において民主主義的諸課題が山積みしている中で、いささかも自分の運動エネルギーが減退することはない。(U生)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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【読書案内】「革命後の社会」

【読書案内】「革命後の社会」
   著者 ポール・M・スウイージー 訳者 伊藤 誠  社会評論社 2,060円

この本の初版は、1980年に発行されています。紹介するのは1990年7月31に発行された新版です。新版発行に際しては初版に「ベレストロイカと社会主義の未来」と題した補章が追加されました。この補章の部分は「ソ連の危機の本質は何か」と題して、雑誌エコノミストの1990年5月1・8合併号、17日号に掲載された文章ですのでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
8月19日のクーデター勃発から、24日のゴルバチョフ大統領(ソ連共産党書記長)の党書記長辞任表明と党中央委員会に対する党解散の提案まで、あまりに急激に状況が変化しているので私は評価に戸惑っています。「社会主義というのは結局のところ駄目だったのか」そんな思いが頭の中をかすめます。
この本は、そんな私の思いを整理し、もう一度前を向いて進み出そうとする勇気を与えてくれます。もちろん、これまで「正しい」と自分が考えていたことに対して、「そうじゃなかったんじゃないか」という思いが次々と湧いてきて、なにを立脚点にして物ごとを考え、評価していけばよいのかフラフラしている状態ですから、(私はこの本を読んで、とりあえず気力を奪い起こしましたが、だからといって)、「この本に書かれていることは全面的に正しいのだ」と断言して皆さんにご紹介できるわけではありません。従って、この本を読んで「社会主義の未来に対する希望をもう一度持ち直したが、それは間違いだった」と将来において判断されることになるかも知れません、その点はご勘弁ください。 しかし、ともかく現在進行しつつある事態に対して、動揺することなく社会主義の未来に希望を持つことのできる一冊として、(まるで麻薬みたいですが)、この本を紹介します。
新版に際して著者が序文を寄せています。私が拙い言葉で紹介をするより、この序文が本の内容を雄弁に語っていますので、以下に序文からの抜粋(長くなって恐縮です)を記載し紹介に替えます。         (東京 W・K)

「ここ数年に生じた事態をうけて、左派の人々にとっていま最大の関心事となっている問題は、ソ連における危機と東欧のソ連圏諸国での体制の崩壊により、社会主義が実際問題として失敗に終わったということになるのかどうか、そしてもしそうなら、そこからどのような結論が導かれるのか、ということである。左派の人々の間でかなり共有されている一つの見解は、右のような問題への解党は簡単であり、次のように主張するものである。すなわち、その見解によれば、十月革命から生じたソビエト社会や後にその足跡をたどった全ての社会は、社会主義とはなんら関係がないし、そのことからすれば、社会主義は実際にはいまだ試みられたことはないわけで、それゆえまた失敗したはずはないということになる。これとは対局的な見地で、これまた左派の間に広く主張され、右派ではほとんど異口同音にいわれているところによれば、問題の諸社会は、自らそう称していたように、社会主義社会だったのであり、従ってまたそれら社会の失敗は本当に社会主義の失敗である。
私のみるところでは、これらの見解のどちらも、1917年のロシア革命以来70年余りを経てきた歴史と整合し得ない。それらの見術で考えられているところより、問題はずっと入り組んでいるのである。
イラン革命のような少数の明らかな例外はあるにせよ、ロシア革命とそれに続く多くの革命が、19世紀前半にまで起源をさかのぼることのできる国際的運動に深く根ざした純然たる社会主義革命であることに、私としてはなんら疑いはないと思う。革命的闘争の先頭に立った政党やその指導者達は、大部分、鍛え抜かれたマルクス主義者達であって、彼等は、不公正で搾取的な体制を打倒し、マルクスとエンゲルス及び19世紀末と20世紀初頭におけるその後継者たちが説いていた社会主義の原理に基づく体制に、それを切り替えることにその生涯の任務をおいていた。そうした事情の強の激しい抵抗に逆らって達成された。新たな革命政権は、古い支配者を打倒し彼等の資産を取り上げることはできたし、その限りで社会主義社会の基礎をすえることに成功した。しかし、なお胎児のような新たな社会を発達させ保護する死活に関わる闘争から…不可避的にであるか否かには論議の余地があるにせよ・・・、指導者たちと人民との問に軍隊式の裂け目が生じ、それがやがて、最初の革命家たちの意思や意図に反し、敵対的諸階級の新たな自己再生産的体制へと硬化していった。それは明らかに資本主義の復活ではなかった。資本主義の復活であれば、それは反革命の結果であり、革命的政権自体の明確に内的な発展の結果ではなかったことになろう。
ソ連ではこの過程はほぼ15年ほど続き、1930年代半ばに旧ボルシェビキ党から残されていたものをぬぐいさったスターリンの粛正において頂点に達する。革命後の社会の性格がそこに確立されるのであり、それは資本主義的でも社会主義的でもなく、主要生産手段の国有と集権的計画とを伴う権威主義的階級社会であった。
本書の大部分が執筆された1960年代後半から1970年代までには、ソビエトモデルはすでにかなりの正統性と安定性とを獲得していたのであり、それが無限にこれからも続いてゆくことは保証済みであるかのように思われていた。しかし、最後の章が書かれた1979年までには、表面の静けさは深刻な誤解を招くものであることがすでにはっきりしていた。…その体制はたんにゆきづまっていたばかりでなく、すでに衰退期に入っていたのであり、それを逆転しうるとすれば、その体制の基礎の深部にまでおよぶ徹底的改革によるほかにはなくなっていたのである。
(新版に際して収録された論塙は、)「ベレストロイカと社会主義の未来」と題され、ソ連を第二次世界大戦の勝者たらしめ、その抗争でのおそるべき損失に続く再建を可能とし、さらに超大国の地位にソ連を到達させ得た社会体制が、それにもかかわらず、平和時の諸条件の下で、人々の合理的な必要を充すという極めて異なる挑戦課題に答え得なかったのはなぜか、という疑問に解明をすすめようと意図している。
その分析から生ずる結論は、ソ連の危機とその東欧同盟諸国の崩壊は、社会主義の失敗に帰着させうるものではないということである。ソ連で政権についた革命的政体はその性質上あきらかに社会主義的であったし、この十分に確定的な事実を否定したりあいまいにするいかなる試みも、歴史を偽造するものとなるであろう。
20世紀の社会主義革命は全て、極めて不利な諸条件の下で、そこから離脱した資本主義世界の列ける社会主義を求めての闘争は、既に説いてきたように、一種の階級制度の確立とともにずっと以前に敗北しているのであって、その明らかな諸成果にもかかわらず、結局のところ失敗に終わったのは、この階級制度なのである。
1990年4月16日 ニューヨークにて        ポール・M・スウイージー」

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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【報告】新時代に対応した運動の模索・・・第59回自治労大会報告

【報告】新時代に対応した運動の模索・・・第59回自治労大会報告

第59回自治労定期大会が、8月24日~27日までの4日間にわたって秋田市で開催された。連合が結成されて約2年、名実共に連合の中核的役割を果たす自治労が、90年代の時代の変化に対応した自治労運動をいかに展開するかが問われる重要な大会であった。
運動方針は、「基調」を「基本的考え方」に改める等、一定の工夫をしつつ、連合を中心とした新たな労働運動の展開、全般的な労働者の組織率の低下、様々な社会構造、政治状況、価値観の変化を意識して、何とか新時代に対応した組合運動を展開しようとする姿勢がうかがえる。

<組合員意識の変化に対応して>
今年の運動方針の特徴の一つとして「—組合員のニーズの多様化、—組合員の意識と価値観は大きく変化しています。組合運動を従来の枠組みや経験的手法にとどめる事なく、常に自己革新していくことが必要です。自立した組合員の創意や多様ニーズを包括することによって、新しいエネルギーと活力ある組合運動の活性化をめざします」と多様化する組合意識を把握した運動の構築を唱えている。これに対する大会論議、自治労大会に先駆けて行われた7月16日・17日の組織集会では一定程度、評価する意見と「やはり労働組合としての結集軸は、『賃金・労働条件・反合理化闘争』であり、『多様な運動形態』とは、組合の本来の役割と団結を弱めるもの」といった意見とが出され、まだまだ全体としての意識改革・理解が得られたとは言い難いものだった。

<連合の中の自治労の役割>
また労働戦線統一以降、連合の中でも最大単産である自治労が、連合の「力と政策-制度・政策闘争」を推進するために、その中心的役割を果たすべきだとする一般論には異論がない。しかし各論となると様々な意見が交錯する。例えば「反行革・直営堅持」から「公的サービス体制の確立」へとトーンが転換され、現業評議会を中心に不満が出された。また道州制についても従来の一定、「道州制反対」の立場から「地方分権を促進する『地方主導型』の構想については、その可能性について検討を行う」と変化しており、市町村職を中心とする代議員から本部の具体見解を質す意見が出された。
こうした連合傘下における自治労の役割に対する「思い」の食い違いは、政治課題になると一層、顕著であった。「護憲(自衛隊,PKO問題等)・消費者運動・反差別・反原発」等々の連合の中で不一致な課題では、「総評センターの運動を、より発展させると共に、自治労として連合に強く申し入れるべき」と言う意見が多く出された。これらに対して中央本部からは「自治労としての、これまでの方針を変えるものではない。しかし旧同盟からも様々なことが言われており、連合800万との連帯・共闘の一層の推進の中で理解を得ていきたい」との答弁が出され、連合統一が果たされた今日において、なおうん動的な克服が多く求められていることを如実に示している。
更に政権構想の問題では、「『新しい政治勢力の形成』が—、社会党がその中心を」担う勢力である。—社会党との支持協力関係については、主体性と自立性を踏まえた積極的提言と共同闘争を通じ、相互の自己革新と発展をめざします。92年度参議院通常選挙を—、社会党の前進を期す—。」としており、代議員の発言も従来からの社会党との支持協力関係、連携をより強化すべきと言う意見が大勢を占めた。しかし一方で、統一地方選挙で民社・同盟系候補を支持・支援した単組の報告も出され、今後の連合の提起する政権構想も踏まえた、より全般的かつ慎重な議論が必要であると思われる。併せて職場段階では、常に問題となる「政党と労働組合との関係」という古くて新しい問題について、我々としては再度、議論と問題指摘をしておく必要があるのではないか。

その他、賃金・労働条件闘争、高齢社会に対する総合政策、環境保全政策等々、多くの議論が出されたが、いずれにおいても自治労自身の今後の力量、政策形成能力、運動領域の拡大を改めて問い直されるものであった。
総じて今回の自治労大会は、極めて流動的かつ多様に変化する政治・社会状況の中で自治労が、主体的・能動的に如何に運動を発展させるべきか、その意識も運動も過渡的であると共に、我々の闘いもまた、その中で自らの意見・立場を明確に出しながら、運動の一翼を担っていくことが一層重要である。       (大阪 U)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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【投稿】三宅島は相変わらず非売品です

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                  —N L P反対運動はどうなっているの?—

(1)87年9月11日、観測鉄塔を巡っての住民と機動隊との攻防を覚えている方も多いと思う。今では鉄塔は有刺鉄線で囲まれてひっそりと立っている。本当に観測データを集めているのかと思えるようである。これまで、「三宅島官民共用空港の誘致及び建設に反対する会」(略称、反対する会)を中心に、一致団結してきた三宅烏のNLP反対運動に昨年来異変が生じている。
(2)83年12月、村議会で、米海軍の空母艦載機の夜間離発着訓練(NLP)基地の厚木基地の代替飛行場誘致の「意見書」が突然、強行採決された。10月3日の火山噴火から3か月余り過ぎた頃、災害復旧を名目に行われた。だが、以降反対派が巻き返し、村議会選挙では13対1の圧勝を続けてきた。
しかし、現在、島内の反対スローガンを書いた看板は87年当時と比べて、少なくなったそうであり、また昨年は全島集会は開かれていない。「動揺する」反対派議員や反対する会幹部は、全島集会が開かれれば、集会に出席しないわけにはいかず、そこで立場表明を迫られるからであろう。確実に「外からの」切り崩しがはかられている。
今年2月の村長選挙では、これまで運動を引っ張ってきた、寺沢前村長と桑原氏(反対する会前会長、「動揺する」反対派?)が特別養遭老人ホーム建設を巡って争った形を取った。争点のNLPをどうするかは後方に押しやられた。選挙は、嫌がらせ電話や30通に及ぶ怪文書・中傷文書が飛び交う消耗戦で、結果桑原氏が25票差で新村長となった。
(3)この背景にはやはり、NLPは硫黄島に移ったという寡囲気が島内にあるのであろうか。
89年、「暫定措置」として厚木基地のNLPを部分的に小笠原諸島の硫黄島こ移すことで在日米軍と合意し、硫黄島NLP代替飛行場は166億7000万円を投じて92年完成をめざして工事が進められている。三宅島の反対の声が勝ったとも言えるが、あくまで「暫定措置」であり、三宅島を諦めたわけではなく、反対運動が静まるまで(を静めるまで)の「暫定措置」であろう。
しかし、硫黄島は厚木から1.200キロ、片道2時間もかかり、米軍側には、不人気であると言う。実際、今年の『防衛白書』では「三宅島までの暫定措置として硫黄島」との旨の一文がある。
(4)更に、NLP問題が分かりにくくなっているのである。かつては、敵は防衛庁(防衛施設庁)とはっきりしていた。それが、羽田-三宅島の航路の存続を巡る問題、島の活性化問題にすり替えられている。今、三宅島は船で6時間、飛行機(YS-11)で1時間足らずで東京と結ばれている。
現在空路を営業運営しているエアニッポンはあと数年しか寿命のないYS-11の同クラスの代替機を選定していない。全面ジェット化する意向もあるようである。このままでは、1.200mの現在の三宅島空港(東京都所有)では対応できない。そうなると、調布飛行場からのセスナ便しかなくなる。
そこで、東京都が滑走路を1800m程度まで延長し、ジェット化に対応しようとする計画がある。当然、ここでNLPに対応できる空港に作り替え、将来は米軍が三宅島空港を「時々チヨットお借りする」のである。空港建設工事は東京都が全面的に費用を出すので防衛施設庁は助かるというおまけ付きである。8月22日決めた防衛施設庁の来年度予算案の概解要求の中には三宅島関係の「調査活動費」は盛り込まれなかった。これまで、毎年1~3億円づつ合計13億円を注ぎ込んできたのにである。当然、東京都は空路改築計画にあたり「NLPには使わない」旨の確約はしていないという。
(5)数百年に亘って、60年周期と言われている噴火を経験し、最近では40年、62年、83年と20年ごとの噴火を経験した島民にとっては、噴火は必ず起こるものである。この噴火も、現在では地震振動を観測することで十分予測できる。しかし、三宅島には伊豆大島に比べて地震観測施設が圧倒的に少ないそうである。しかも、NLPによる振動が、高感度地震計に反応し、観測困難となることも指摘されている。
多くの家は、かつての噴火の溶岩の上に立っているわけである。まだ83年の噴火から10年も経っていないのに、阿古地区の辺り一面、立ち枯れた木しかない殺伐とした溶岩の間から、既に草が生えてきている。自然の回復力は速い。だがNLPからは何も生まれない。
(6)今回ま、民宿で車を借りて、3日間島内を走り回ったが、「(駐車中は)車のキーはつけたままでいいですよ」と言われた。車を盗んでも島の外には持ち出せないし、どこかに乗り捨ててもどこの車か直ぐに分かるのであろう。そんな島に外からNLPと言う『化け物』を持ち込み、自らの利益の為に、良の人々の感情を弄ぶ「輩」には怒りを覚える。
9月初めに空母インデイペンデンスがやってくる。また、9月1日には一新した反対する会幹部のもとで、久々の全島集会も開かれる予定であるという。三宅島のNLP反対運動は新たな歩みを始めたともいえる。(8月末三宅島にて 東京C)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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