【ロシアレポート】ロシアの人々の意識調査

【ロシアレポート】ロシアの人々の意識調査

次に紹介するのは、現在ロシア・サンクトペテルブルグ在住の大木のりさんから送られてきたレポートです。価格自由化後のロシアの人々の意識調査について詳細に伝えています。見出し等は、編集局の責任で付けました。

その1 価格自由化は年金生活者を直撃

以下はアンケートは社会的プロセス予測研究センターがペテルブルグ市民約2500人に行ったものである。(提供在サンクト・ペテルブルグ大木のり)

1 価格の自由化以後食事の質が
著しく悪くなったと感じている人      59%
少し悪くなったと感じている人        24%
いかなる変化も感じない           15%
逆によくなった                2%

2 女性の中で質の変化を感じている人    63%
  男性の中で質の変化を感じている人    55%

特にこれを強く感じている年齢層は60歳以上の人で彼らの72%がそうであり、8%は以前のレベルを保っている。またこれとは逆に30歳以下の人は24%が以前のレベルで52%が著しく下がっている。全体としては高年齢ほど悪くなっている。またこれを職業分や別に見ると未熟練労働者や特別な資格のない事務職員がもっとも悪く、以前のレベルを保てている人は彼らの約10%である。文化系・技術系インテリで以前のレベルを保てているのは20%、が学生では25%。最も良い状態にあるのはいわゆる”新しい経済体系”で働いている人で、アンケート時で40%が保持あるいは良くなったという事である。国営で働いている人で保持あるいは改善は16%である。しかし最も打撃を受けているのは働いていない年金生活者で76%が著しく悪化6%が維持。学歴では初等教育の
人は悪化率が高い。比較的打撃を受けていないのは学生である。高学歴の人ほど維持できる自信がある。
1月半ばまではまだ以前の価格で買いだめしておいた物を使用しているのでそれほど危機的ではない。しかしそれ以後に成ると38%が食料品のストックが切れ、31%1月末までは以前のレベルを維持できるだけのストックがある、15%約2カ月、7%約3カ月、8%3カ月以上、1.5%どのくらいの量か計りかねる。全くストックなしの71%質が悪化し維持10%、1月末までありの60%悪化15%、2カ月分持ち52%20%、3カ月41%27%、3カ月以上25%47%。今のところ食事の質の悪化度を決める決定子は職業等ではなく、ストック量による。全体の33%価格の自由化に絶対的に反対であり、それほどは強くないが反対であるが17%である。27%は賛成。残りの22%は今のところはっきりした意見を持っていない。これらの数値は12月末の結果とあまり変わっていない。(当時価格の自由化が肯定的な結果をもたらす事に疑問を感じている人は44%であった。)

サンクトペテルブルグ市民(様々な社会的グループごと)の食料品ストック量
92年1月中旬以降

                   ストックなし  1ヶ月  2ヶ月  3ヶ月以上
市全体                     38    31    15    15
男性                      38    32    16    14
女性                      38    31    16    16
30歳未満                    35    35    14    15
30歳以上45歳未満                32    32    16    18
45歳以上60歳未満                41    30    16    13
60歳以上                    46    28    12    11
未熟練労働者                  51    18    16    12
熟練労働者                   46    31    12    10
資格なし事務員                 36    33    17    14
有中級資格事務員                29    31    20    18
学生                      34    34    17    11
技術系のインテリ                31    37    14    18
文化系のインテリ                32    31    18    17
労働者の指導にあたっている人          30    36    7    25
現役軍人及び民警                44    35    7    12
国営企業に勤務                 37    32    17    13
新しい経済体系に勤務              25    31    16    27
働いていない年金生活者             48    28    11    10
貿易部門                    26    31    18    21
市民へのサービス部門              34    29    17    19
保健衛生関係                  31    26    20    21
教育、文化、学術関係              29    36    20    14
産業                      43    29    13    13
学歴中等教育以下                53    25    14    6
中等教育                    35    30    16    17
高等教育                    32    34    14    19
食事の質が悪くなった              46    32    13    8
食事の質が良くなった              22    27    18    32
社会的なことに対してオプティミスト       35    32    13    17
社会的なことに対してペシミスト         40    31    15    13
個人的なことに対してオプティミスト       29    27    17    22
個人的なことに対してペシミスト         41    32    14  11
(夕刊ペテルブルグ 92年1月22日付け)

その2
市民はエリッィン大統領を支持しているか

以前のデータは地方紙”夕刊ペテルブルグ”の1月22日付です。また表で社会的な事に対してオプティミストの最後の数字の8は間違いで正しくは17です。今回のは22日付の地方紙”スメーナ”からです。この調査も前者のものと同じ素材ですが、違う質問を主にまとめたものです。
11%の市民が現在のロシア大統領の行動は経済的危機から国を救うと確信している。29%確信はないがこの意見に同意している。20%現在ロシアで行われている経済改革に断固反対。14%特に確信はないが反対意見に同意。従って確固たる確信があるなしに関わらずペテルブルグ市民の40%が大統領の経済改革賛成で34%が肯定的に見ている。残りの26%この質問に対して明確な答えを持っていない。しかしエリが予定されている価格の自由化を宣言した11月末に同じ質問をした結果は、明らかな賛成派47%反対30%であった。しかしその当時はまだ私たちがぶつかるであろう困難*****を抽象的しか想像することができなかった。今日価格の自由化によって明らかに以前の食事の質が悪くなったと思う人59%、24%少し悪くなったと感じている、2%逆に良くなった。また1%反対者が増加したのはロシア政府がとる必要があった措置が明らかに感嘆を呼び起こさなかった報いであると見なすのは無理がある。
もちろん大統領にも良い時期はあった。8月の勝利に酔いしれ希望の絶頂期であった9月では、78%が支持、11%のみ反対、14%明確な答えを持っていない。これはブッシュ大統領がペルシャ湾での勝利のすぐ後に高い支持率を得ていたのと同様にエリツィン大統領にとっても人気のピークであった。また表からも分かるように男性の方が女性より常に厳しい評価をしている。昨年の春の段階では成人に比べて若い世代にエリのオポネントが多かったが、状況は代わり今では年齢が上になるほど大統領の政策を信用していない。また最もエリを支持している人は文系・技術系のインテリと学生である。ごく最近には中等教育修了労働者と熟練労働者の間では大統領に対する信用が低下している傾向にある。この両者はいまやエリの賛同派より反対派の方が多いということに関しては一つのグループであると見なすことができる。現役軍人、警察は他と比べて特にエリに好意的であるとはいえない。最近彼らの中で明らかなエリのオポネントが増えていると言うよりはむしろ彼の明らかな賛同者が減っているという方が的確な用だ。これらの2つの職業グループは今日大統領にとって最も警戒すべき存在である。
最近では伝統的な国営企業や諸機関で働いている人に比べて”新しい経済形態”で働く人がかなり大統領を信頼している。今日これらの2つの勤労者グループの差異はよりはっきりとしてきている。また顕著なことはロシア大統領に対する評価は教育程度によってはっきりと違っている。9月の時点では8年制中学校教育を受けたものと高等教育卒業者ではほとんど違いはなかった。しかし今では高等教育の方が8年制中学卒業者より約2倍大統領の賛同者が多い。
大統領に賛同している人の中により多く存在するのはまださらに経済危機が深まっていくと見ている人(社会的ペシミスト)”より今後半年で経済状態が改善する”(社会的オプティミスト)と信じている人の方がはるかに多い。同様に大統領に賛同している人の中により多く存在するのは自分自身の生活状態一層悪くなると思っている人(ペシミスト)より改善すると信じている人(個人的オプティミスト)の方が多い。大統領に対する味方は個人的オプティミストより社会的オプティミズムにより関係している。
現在食事の質を維持できている人の中でエリを信用している人は48%で彼に対する信頼を失った人の29%より約1.5倍多い(23%棄権者)。またこの半月の間に自分の食事の質が悪くなったと感じている人の中では数の上では**大統領への信頼を失った人の方が信用している人の数を越えている(38%対34%)。
以前の食事の質を維持している人の大部分の市民は昨年”古い値段”で購入した食料品のストックを使用しているおかげである。38%がストックをもうすでに使いきっており1月末にはさらに31%のストックがなくなる模様である。*****を感じている人は44%であった)。

ロシア大統領の行動に対するサンクトペテルブルグ市民(様々な社会的グループごと)の見解の変動(1991年5月-1992年1月)

エリツィン大統領の行動はロシアにたちはだかる諸問題の解決を促進しいることに賛成か?

                      賛成        反対
                      5月 9月 11月 1月  5月 9月 11月 1月
市全体                     60 78  47 40   25 11  30 34
男性                      61 78  48 40   23 10  29 33
女性                      58 78  48 40   27 12  31 36
30歳未満                    56 79  46 40   28 10  31 30
30歳以上45歳未満                54 78  48 42   26 11  27 35
45歳以上60歳未満                63 78  48 40   23 10  30 32
60歳以上                    64 77  43 36   23 14  34 40
未熟練労働者                  43 75  46 39   35  8  32 34
熟練労働者                   60 75  46 33   23 14  32 38
資格なし事務員                 54 84  50 37   28  5  22 40
有中級資格事務員                58 77  43 39   26 13  32 36
学生                      55 77  57 48   33 15  26 25
技術系のインテリ                67 82  48 47   20  9  31 29
文化系のインテリ                69 83  45 51   19  6  28 31
労働者の指導にあたっている人          55 68  52 45   26 21  27 30
現役軍人及び民警                45 74  54 36   37 18  31 33
国営企業に勤務                 59 78  46 38   25 11  31 35
新しい経済体系に勤務              61 85  51 52   23  8  22 29
働いていない年金生活者             65 76  43 36   22 14  33 38
学歴中等教育以下                52 76  38 25   28 15  39 41
中等教育                    58 78  46 40   24 11  30 36
高等教育                    65 79  40 47   21 10  30 20
ソ連共産党離党者                70 87  58 *    20  7  23 *
信念をもった党員                38 51  34 *    42 28  54 *
社会オプティミスト               84 57  49 *    10 21  30 *
社会ペシミスト                 75 43  36 *    13 34  37 *
個人的オプティミスト              87 61  54 *     6 21  29 *
個人的ペシミスト                74 44  38 *    15 33  37 *
全体                      60 78  47 40   25 11  30 34

(92-2-2 ペテルグルグ発)

【出典】 青年の旗 No.172 1992年2月15日

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【報告】第3回大阪府総会 1/19に開催

【報告】第3回大阪府総会 1/19に開催

新しい組織を求めて、大胆な討議を確認
私達は、労働青年同盟全国協議会第3回大阪府総会を1月19日に開催しました。
総会は、一年間の活動方針を確認し、新役員を選出して新しい出発を確認する場となりました。そして、参加者の討議の時間を3時間ほど確保し、労働・市民運動での問題点・課題、我々の運動の方向性、組織のあり方、「青年の旗」をどう発展させるか、などについて活発な討論を行いました(討論の中味は次号を予定)。
私達は、4年前に労音準備会から「労青全国協議会」へと組織を発展させましたが、89年の東欧革命から、昨年のソ連邦の解体へと大きな変化の波にぶつか
り、現在では当時確認された「結成趣意」や行動綱領も時代と運動にそぐわない現状です。
「党と大衆団体」という把捉の仕方、また「前衛党再建」運動に対しても我々はその基盤作りを主張してきたこと、、私達が過去の誤りに学び、「組織の大衆性、民主性」を大切にしてきた問題も、現状ではそれでもなお不十分であるとの認識に立っています。
総会では、労青は「活動家集団であり、政策集団であるネットワーク組織」と位置づけ、組織の役割、存在意義を①戦線や地域の違いを越えて、横断的な議論を可能にする組織、(彰政策的、理論的な議論討論の場を提供する、③政治、経済など情勢分析の提起と討論を保障する組織としては、と方針を提起しました。
総会では、これらの問題意識について、全体の共通認識として確認されました。今年一年も「大いなる議論」の年として、選出された若返った新役員の下で活動をしていきます。
とりあえず、総会の開催についてご報告しますが、次号では総会での議論の詳細について、報告させていただきます。        (大阪:H )

【出典】 青年の旗 No.172 1992年2月15日

 

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【投稿】92春闘の特徴と連合の闘争課題

【投稿】92春闘の特徴と連合の闘争課題

<情勢の特徴>
87年に始まった「いざなぎ景気」は90年度までには連続5%程度の高い成長率を維持してきた。しかし91年に入って、バブル経済の崩壊と共に景気は、後退局面に転換し、91年度下期の需要成長率は2%以下に低下、政府の91年度成長率見通し3.8%の達成は、困難な状況である。民間の調査機関でも3%前後を予想しているところが多い。こうした景気の後退要因には、①金融の引締めによるバブル崩壊の影響が実体経済に波及して、住宅、自動車等の不振を招き、それを契機に在庫調整が広がったこと、②この過程で設備投資の低下、企業の活動意欲が萎縮していることなどが上げられる。
こうした状況を受けて政府・日銀は、景気の回復策として、公定歩合を4.5%に引き上げる一方、92年度政府予算で財政規模が、税収不振で2.7%増に抑制された中でも公共事業関係費5.3%増、財政投融資10.8%増とした。また92年1月から不動産融資の総量規制を解除した。このような景気回復策を通じて政府は、92年度成長見通しを3.5%とし、内需主導型安定成長への転換を目指している。
こうした経済状況を背景とした92春闘は、日経連の労働問題研究委員会報告でも明らかなように従来の「定昇のみ」という硬直した記述がなくなっており、これまで以上に、内需拡大策一個人消費の拡大につながる大幅賃上げ、労働時間短縮の推進に取り組む必要がある。

<92春闘の重点課題>
連合を中心とする92春闘の重点課題は、「公正・ゆとり・豊かさ」を目指す総合生活改善闘争を掲げて、積極的賃上げに併せて、減税、土地・住宅価格の引き下げ、生活関連社会資本の充実と福祉・医療の基盤整備、公的年金改革などの制度・政策闘争、加えて完全週休2日制の実現、年間総労働時間1,800時間の達成、育児休業制度と介護・看護休暇の普及と充実など労働時間短縮を主要な闘いの基調としている。
賃上げでは、経済の成長に比べて実質賃金の上昇分が1%に満たないことが「豊かさ」の欠如の大きな要因であると受け止め、連合は、「実質賃金の維持・向上」と賃金格差の解消を基本に「8%を中心、20,000円以上」を賃上げ要求目標とした。そして闘争戦術を例年より2週間程度早め、3月25・26日に第1次集中山場を設定、第2次の山場を3月第5週から4月4日までとし、官民総がかりの闘争を展開することとしている。 労働時間短縮では、完全週休2日制の実施を中小企業を中心に各単産・単組で要求項目の大きな柱に据えると共に、2・3月には時短キャラバン行動の展開、マスメディアも活用した時短促進、ムードを盛り上げることとしている。また公務における完全週休2日制の早期実現、学校5日制の実施など、完全週休2日制に向けた社会的合意形成、基盤整備にも取り組むこととし、労働基準法(労働時間・休日)の改正・見直しなども含み、対政府・自治体要求を展開する中で、「1993年・年間総実労働時間1,800時間」に向けての本格的スタートとしての92春闘と位置付けている。また制度政策闘争では、参議院選挙への展望を持ちつつ、各地方連合で自治体予算要求行動を取り組むことを基本として、減税・年金・福祉を中心に対政府交渉にも臨むこととしている。 総じて、新たな経済状況の転換の中で闘われる92春闘は、連合が結成して以来、ようやく連合運動スタイルが定着してきた中で、連合傘下の各単産の連携による賃金闘争が従来より、まして強調された取り組みが求められており、併せて労働時間短縮の取り組みについても、個別単産の闘いに終らない社会的影響力のある闘いの展開が求められている。(大阪 Y・U)

【出典】 青年の旗 No.172 1992年2月15日

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『詩』 オープニング

『詩』 オープニング

大木 透

自由を手にいれて
人々は
まず報復にでる
オリから放たれた
獣が
最寄りの血を
求めるように
開放者も
角で撃たれ
踏み潰される
古い武器庫に
殺到する瞳は
燃え上がっている

自由を手にいれて
人々が
学ぶことは多い
身を賭して
罵りあい
決闘を繰り返し
幾世代が過ぎるであろうか
ツンドラの彼方に
市場の
神々のブラックホールが
創生されはじめていることを
予感する体力さえ
残っていない

アダム・スミスも
カール・マルクスも
その末えいたちの
骨の髄まで
しゃぶりつくして
なおも
山の彼方に
眼を凝らすであろうか

かの国
この国の
若者たちは
あの
シュニトケの
晩鐘の誘いに
耳を
ふさいでまで
(1991.12.2)

【出典】 青年の旗 No.171 1992年1月15日

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【コラム】ひとりごと–もっと社会に目を向ける「ゆとり」を!–

【コラム】ひとりごと–もっと社会に目を向ける「ゆとり」を!–

●年末に、焼き鳥食いながら考えた。居酒屋にはサラリーマンが灯りにひかれる夜光虫のように集い来たり、夜毎消火器と肝臓、そして声帯の鍛錬に怠りない。朝は小生の帰省にかかる時間を超える通勤時間を耐え抜き、休日より会社にいたほうが体が休まるという不気味な実感に甘んじている・・・。今日の日本の繁栄を創り出し、更なる発展に向かってまい進する誇り高きジャパニーズビジネスマン●ビールを飲みながらまた考えた。湾岸戦争から約一年、91年初頭はデモと集会に明け暮れた生活を送っていた。なんとか戦争をやめさせたいとできる限りの努力を注いだ●平日の夕方の集会に参加して感じたことは、なんとスーツ姿の参加者の少ないことよ!オフィス街をデモ行進して感じたことは、夜も8時を過ぎているオフィス街にともったビルの灯りのなんと多いことよ!●年末がやって来た。PKOもなんのその、小生は年末の繁忙期に押し潰され、家と職場をただ往復するだけという生活を強いられていた。新聞もろくに読まないうな生活を一か月ほど続けたある日、ソ連邦消滅のニュースを知らされ、浦島太郎になっていた自分を実感した。日々の労働に追われる生活では、他のことへの興味は(特に社会参加に対する意欲)は、徐々に麻痺していくのだろうか●日本の労働者のエネルギーが別の方向に向いたなら、確実にこの国は変わるだろう。しかしそれにはまず生活の「ゆとり」が不可欠である。小生は声を大にして叫びたい。残業と労働者の社会への関心とは非和解的に対立しているのだ!もっと社会に目を向ける「ゆとり」を!そのためにはなにが必要か、なにから始めるべきか・・・…正月休みにじっくり考えて見よう。(東京 十二指腸潰瘍)

【出典】 青年の旗 No.172 1992年1月15日

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【投稿】日・米経済摩擦その後

【投稿】日・米経済摩擦その後

はじめに
東西の冷戦構造が崩れ、ソ連邦の解体・国家共同体の創設へと世界政治の転換期を向かえている中で、プッシュ米大統領は、「真珠湾攻撃50周年」記念演説で、米国内に台頭してきた孤立主義とその「経済的共犯者」の保護主義を厳しく非難し、冷戦後の新しい世界秩序づくりへの決意を改めて表明すると共に、市場開放とグローバル・パートナーシップ(地球規模の日米協力)の拡大へ向けて、日本への強い期待ものぞかせた。
しかし、いっこうに解決されない日米間の貿易不均衡、米議会に台頭してきた保護主義、「日本異質論」をはじめとする反日感情の高まりの中で日米経済摩擦は、米国にとっても、冷戦後の新しい世界秩序を構築する上で重要な課題である。最終局面を向かえた関税貿易一般協定(ガット)新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)とプッシュ米大統領の訪日を控え、日米関係も新たな段階を向かえている。

<ウルグアイ・ラウンド>
世界貿易の新秩序づくりを目指してジュネーブで行われていたウルグアイ・ラウンドは、12月21日ガット本部で貿易交渉委員会(TNC)を開催、ドンケル・ガット事務局長が包括協定案(最終合意文書)を提示して、5年間にわたった協議をいったん打ち切った。各国は、1月13日にドンケル裁定案とも言われる合意案を受け入れるかどうか答えることになっているが、すんなりとは行きそうもない。
焦点の農業交渉ではコメの市場開放につながる「例外なき関税化」が農業改革の柱として盛り込まれたほか、米国と欧州共同体(EC)が鋭く対立している輸出補助金もドンケル事務局長(農業交渉議長)の査定で93-99年の7年間の削減量が明記された。
又、農業以外の分野ではサービスや知的所有権といった新分野の貿易自由化もうたった。全体的に多国間の自由貿易体制の堅持をうたいつつ妥協的な実になっている。
日本政府は韓国、カナダなどと共に、コメのような基礎的食料や生産制限作物には数量制限を認めるべきという立場をとってきたが、こうした「食料安保」の主張は退けられた。
最終合意実の骨子は、以下のようである。

●農業分野
1、市場アクセス(参入)はすべての農産物につい
て非関税障壁を関税化する
1、国境措置は1993-99年の間に平均36%削減、
国内保護は20%削減する
1、輸出補助金は予算および量で削減する
●その他の分野
1、音楽用CD等レコードレンタルは、許諾(禁止)
権を義務付け。ただし条件付で代出を認める
1、現地部品調達(ローカルコンテント)の要求を規制
1, 米通商法301条などの一方的措置に歯止め
1, サービス貿易にルールを導入

<ブッシュ大統領の訪日>
国内経済と同様に支持率の低迷が続くプッシュ米大統領にとって、アジア太平洋地域歴訪の一環として1月7日からの訪日ではグローバル・パートナーシップ(地球規模の日米協力)の拡大と経済摩擦の解消でコメ・自動車間撞・日米構造協議(SII)の再活性化など市場開放が課題となる。
訪日を前にしてプッシュ大統領は、「米国は世界で最大の開かれた市場であり、我が友好国、同盟国はそこから大きな利益を得てきた。彼らも、開放貿易維持の兼任を分担しなければならない。貿易は(一方通行ではなく)双方通行であることを強調したい」と述べ、これまで米国の市場解放策から恩恵を受けてきた日本はじめアジア諸国が、今度は応分の市場開放を行うよう要求。「米国は米国の製品、サービスに村し、完全に開かれた市場を求める」と迫った。そして、「今回の訪日目的は日本の頑迷さを打ち破り、自由で公正な貿易の実現にある」と日本を名指しでかつてない厳しい調子で自動車、岡部品、コメ、金融サービスなどの市場開放を迫る「決意」を表明した。
また、米3大自動車メーカーを含む米経済界トップ十数人が初めて大統領に同行し、具体的な成果を日本に迫る事になっている。

<日米経済摩擦の歴史>
日米経済関係は、戦後の一時期を除けば、摩擦の連続であった。その内容は、日本の経済成長にともなって大きく変化してきた。60年代の繊維・鉄鋼から70年代後半の自動車・工作機械まで日米摩擦はほほ例外なく、日本の自主規制などの措置によって解決してきた。80年代の半導体・通信機器など“ハイテク”摩擦で米国は、日本側に「市場開放」を求める政策へと対日姿勢を転換した。しかし、こうした個別協議での“成果”にかかわらず、対日赤字は米国のドル高政策もあって80年代に入ると急増。84年には300億ドルを突破した。
その後、85年9月のプラザ合意による「為替調整」が行われたが、日米両国の貿易不均衡は当初期待したほど改善しなかった。このため、88年の牛肉・オレンジの自由化、対日強硬ムードを反映して制定された88年米包括貿易法スーパー301条(不公正貿易国・行為の特定・制裁)をはじめ、保護主義的色彩が浪いものとなった。89年5月には、スーパー301条に基づく特定国・行為の発表と併せ、プッシュ米大統領の提案によって、日米構造協議(より正確には、日米構造的障壁協議と訳すべき)が、日本企業の談合体質や流通機構、系列販売のほか、価格メカニズムが米企業の日本市場参入を阻止する構造問題として、双方の制度・慣行に踏み込んで貿易不均衡の改善を図ろうというのが目的で開始された。
米国には「米国産業の象徴ともいうべき自動車・工 作機械や半導体で米国を追い越し今や最後の牙城ともいうべき航空機産業にまで乗り出してきた。」と言った危機感がある。主要産業が、すでに過去のものとなり、国家としても巨額の貿易赤字にあえいでいる状況であり、日米経済摩擦は、日本の輸出自主規制から日本が米国の商品を強いて買わなければならない段階にまで来ている。そうしなければ、貿易不均衡はいっこうに解消しないのが現状である。

<日米経済摩擦の背景と特徴>
1985年9月のG5プラザ合意は、バックス・アメリカーナの終りと日・米・欧を中心とした国際協調体制に入ったことを意味している。そして、戦後80年代までの日米関係は、政治的にも経済的にも東西関係の緊張を前提として構築されてきた。米国も安全保障政策を他の政策より優位に置き、自由主義陣営の結束を乱さないよう、時には日米経済摩擦なども、それなりの配慮を加えてきた。しかし、東欧の民主化とソ連のベレストロイカからソ連邦解体まで進んだ国際政治の変化は、経済問題が安全保障問題をしのぐほど大きな存在になってきた。
この間、米国は純債務残高が89年末で約6千億ドルもの巨大な額を抱える世界最大の債務国へと転落し、日本は逆に世界最大の純債権国になった。この傾向はさらに強まる一方である。米国の財政赤字は91年度約27∞億ドルと史上最高、92年度は3500億ドル近くになる。政府、企業、個人を合わせて約11兆ドルと国民総生産の2倍に膨らんだ不便や、競争力の低下、貧富格差の拡大といった構造問遭を抱えたプッシュ政権の政策の弱点が、景気後退で一気に表面化しているのが現状である。

プッシュ政権にとって構造協議の真の狙いは日本が世界に向け開かれた経済・産業構造を持ち、米国と同質の自由経済社会にすることである。これに対して、日本側の対応は旧態依然とした対応しかしておらず経済摩擦解消に有効な手だてを講じていないのが現実である。

<日米経済摩擦の今後>
国民総生産の合計が全世界の40%に達する日米は、長く貿易交渉を繰り返してきた。しかし、半導体交渉以来日本も米国の‘最後の砦”ハイテク(高度先端技術)・軍事技術分野にまで踏み込んだわけである。この点で今までの貿易摩擦といった概念から、国力全体に関わる点にまで問題がエスカレートしてきていると見なければならない。
こうした中で、国際協調の名のもとに、以前であれば、内政干渉と言われたことまでお互いに干渉しなければならない状態まできているのが今の資本主義である。他国の証券への間接投資をしていた昔の資本輸出と違い、直接投資によって、個々の企業はグローバルにならざるを得ない。国境のない経済が広がる中で資本主義のルールを均質化することは世界経済発展に欠かせない条件になってきた。共通ルールとは、より競争的に、より透明にということである。
日米間の貿易インバランスは構造的なものであり、為替調整や政治的な解決に寄って簡単に解消される物ではない。しかし、日米の資本主義が、国独資の段階から新たな経済力の競争の時代にはいるなかで、鋭い対立を深めながらも、「日本たたき」と嫌米感情の悪循環を超えて、日米経済の一層の協調体制を確立する方向に進まざるをえない。個々の企業はグローバルに、国境のない経済が広がる中で、自由貿易体制の恩恵を一番受けたのは他でもない日本である。               (名古屋・Y)

【出典】 青年の旗 No.172 1992年1月15日

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【投稿】ソ連邦の消滅、懸念と新たな希望

【投稿】ソ連邦の消滅、懸念と新たな希望

<連邦崩壊への「静かなクーデター」?>
去る8月の一部保守派による政権奪取劇は、結果的には喜劇的な一揆にしかすぎなかったが、これをゴルバチョフ氏からみれば、「暴力的クーデター」と言えよう。それに対して、今回は「静かなクーデター」であったと報じられている。スラブ3共和国首脳会議を前にエリツィン・ロシア共和国大統領はゴルバチョフ氏に対して、ウクライナの新連邦条約への参加説得を約束して出発したが、結果は連邦消滅を宣言する協定を作り上げた。しかも協定締結後、ゴルバチョフ大統領に連絡しないままエリツィン大統領がプッシュ米大統領に電話し、協定を説明したのである。
これに対してゴルバチョフ氏は「ソ連の大統領がいるのに、これは政治的野心そのもので、国益に反する」、「最近は倫理感のない政治家ばかりだ」と怒りを弊直に表明したのである。まったくの同感である。同氏にとっては一種のクーデターであった。

<「多大な貫献」への感謝>
しかし8月のクーデターと違って、客観的事態の推移はもはやとどめようがなかった。8人組に対しては多くの大衆が憤激し、戦車の前に立ちはだかり、民主主義の防衛のために立ち上がった。8人組は孤立し、逃げだした。しかもこの8人組はゴルバチョフ氏が信頼し、登用した者達であった。逆に今回の「独立国家共同体」は、ウクライナが完全独立を唱えている以上、これ以上の遠心分離機の加速を阻止するためには、やむをえざる、また当然な選択として旧ソ連邦構成の全共和国に及ほうとしている。
12月21日には、カザフ共和国の首都・アルマアタで、11共和国を創設メンバーとする「独立国家共同体」が設立され、残る1国、グルジア共和国もオブザーバーを派遣し、「今後加盟問題について検討、解決する」との立場を表明している。同会議は同時に、ゴルバチョフ連邦大統領に対して、「多大な貢献」への感謝を表明すると同時に、ソ連邦と連邦大統領機関の消滅を通知するメッセージを採択したのである。もはやここまで来れば、連邦を通じてなされてきた世界史的国際的な意義をもってきたベレストロイカはここに一段階を画したといえよう。

<「私の任務は終わった」>
ゴルバチョフ大統領は、12月12日の報道界代表との会談の中で事実上の辞意表明を行い、目をうるませ、声を震わせながら、「私は人生の主要な任務をすでに成し遂げた。もし他の人々が私の立場にいたら、もっと前に投げ出していただろう。しかし私は、誤りがなかったとは言わない、が、ベレストロイカの理想をなんとかやり遂げようとしてきた」と述べている。あくまでも連邦の維持を目指した彼の意図とは違った結果をもたらしたのは、これまでの積み重ねられてきた時代のなせるわざであろう。しかし社会主義を民主主義と結びつけ、グラスノスチ=情報公開を社会に定着させ、軍縮と人類的課題への国際的な一大転挨を、暴力や脅迫、支配や押し付け、利権やセクト的利害によってではなく、新思考路線という理性に基づいた説得と納得によってここまで押し進めてきたその努力と成果はかけがえのないものである。まさにこれは、ロシア革命をこのようにして導いてきたレーニンに匹敵するものであったといよう。
レーニンがその後、マルクスと共に神棚に祭り上げられ、ロシア革命の精神そのものまで踏みにじられてきたことを考えるならば、今後の事態の推移についてはゴルバチョフ氏自身が大きな危惧を抱くのは当然のことであろう。同じ会見の中で、氏は「この国家がパイのように切断されてしまうことを私は恐れる。現在、われわれがいずれ国家共同体を爆破してしまう遅発性の地雷を埋設しつつあるのではないかと、私は恐れる」と、述べている。この危惧には、いくつもの正当な根拠があると言えよう。

<正真正銘の強盗>
ロシア共和国では大統領令によって、この1月2日から価格自由化が実施される。牛乳、何種類かのパン、塩等の食料品、石油、燃料などには上限価格が設けられるが、それ以外は全て自由化される。エリツィン大統領は「生活水準の低下なしに改革をはたした国はない」と述べているが、これによって物価上昇率は20倍以上になろうという予測まで出ている。国内の物資供給者側は、当然のこととして価格が上がりきるまで物資を市場に出すのを控えようとしている。この大統領令が出された11月以来、価格の暴騰と物資隠匿はますます露骨となり、市民生活を直撃している。モスクワで食料よこせデモ、ハバロフスクで暖房ストップの抗議デモがすでに伝えられている。そして各共和国の経済政策の整合性が取れずに、経済戦争が起きる可能性が取りざたされ、様々なデマが広がり、内戦を含む社会不安が急速に広まっていることも事実であろう。
ルツコイ・ロシア共和国副大統領は、12月18日付け「独立新聞」インタビューの中で「ロシアに今あるのは民主主義ではなく、混沌と無政府状態だ」と述べ、価格自由化についても「私有化、土地・金融政策をセットにしない自由化など不可能」だとし、「改革を我々が議論している間にも状況はどん底へ向けてどんどん悪くなる」、「国民生活より権力闘争が心配だ」とまで述べている。また同氏は、アエラ12月24日号によると、「われわれは市場経済にではなく、無秩序な企業活動に移行したのだ。いや、これは企業活動ではなく、正真正銘の強盗だ、といいたい」、「われわれは価格の自由化を宣言する。ところが、そもそも国の価格政策がないのだから、価格の「自由化」は問祖になりえないのではないか」と断言している。

<「強い権力ヘのあこがれ」>
11月30日付けコムソモリスカヤ・プラウダ紙によると、ソ連軍参謀本部部長らが連名で「混乱と無法状態、汚職とギャング行為がまかり通り、経済は破壊され、民族主義勢力は共和国防衛隊創設を急いでいる。あすにも互いに戦闘を始めるだろう」と、内戦を替告し、「最後の抑止力である軍も崩壊しようとしている」、そのような中では軍が「政治化」していくのは当然であると指摘しているという。
サプチャク・サンタトペテルアルグ市長は、12月4日付けフイガロ紙に対して「私には軍事クーデターの可能性は排除しきれない。もう一度クーデターが起きれば、人民の支持を得ることになろう」と答えている。また復帰したシェワルナゼ対外関係相は12月5日付けソ連週刊紙の中で「生産が急激に落ち込み、生活条件は悪化し、物価上昇と超インフレが進行中」と指摘、「こうした状況の中では常に社会に「強い権力」へのあこがれが起きる」ものであり、「保守派のクーデターの恐れは増大し、ますます現実化している」と警告している。
こうした中での「独立国家共同体」の創設は、混乱と内戦を阻止し、核兵器の拡散を防止し、民主的改革を継続する上での一緒の希望の支えであると同時に、新たな不確定要因をも持ち込んだと言えよう。

<「建設的反対勢力」>
希望を現実に変えるには、あらゆる民主的な政治勢力を結集し、現実的で建設的なプログラムを提起し、それを大衆自身のものとする以外にはないであろう。この民主政治勢力の統合をめざす「民主改革運動」の第1回大会が、12月14日モスクワで開かれ、2000人の代議員の参加のもとで、翌15日に採択した政治声明では、「独立国家共同体」を支持すると共に、政治経済改革が具体的に充分に速やかに進んでいない事態を批判し、「伝統的な行政的・司令的・官僚的制度が政権に生ずるなら、建設的反対者の方向をとる」ことを明らかにした。共同議長には、ヤコプレフ・ソ連大統領特別顧問、シェワルナゼ対外関係相、経済学者シヤターリン氏、サプチヤク市長、市長辞任を表明したポポフ・モスクワ市長、ポリスキー・ソ連経済共同体共和国間経済委員らが選出され、「民主改革運動」の組織性格については、「全体主義体制から、市場経済を伴う社会的国家への移行を保障する総体的改革の実施に参加する政党、社会組織と個人の自由な統一体」という規定が採択された。92年の希望は、これらあらゆる民主勢力、建設的反対勢力の結集と奮闘、それとの国際的連帯にかかっているのではないだろうか。
(生駒 敬 92-12-21)

【出典】 青年の旗 No.172 1992年1月15日

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【感想】元「従軍慰安婦」の証言を聞く集いに参加して

【感想】元「従軍慰安婦」の証言を聞く集いに参加して

昨年12月、元「従軍慰安婦」であった韓国の女性 が日本を訪れ、日本政府に公式謝罪と賠償を求めるとともに、各地での「証言を聞く集い」の中で、貴重な証言をされた。  以下の文章は、ある集会に参加した女性の感想です。本人の了解を得て、掲載します。

私はかつてこんな静かな集まりを見たことがありま せん。そこには150余の人達がいたのだけれど。

「わたしは日本へなど来たくはなかった。」
彼女はそう言いました。

「『日本』『日の丸』という言葉を耳にしてさえ胸がつぶれる思いがする」と。

日本に着いて、
歓迎のためにと通された部屋で「たたみ」を見た途端、叫び出しそうになったそうです。

——-慰安所の暗く湿った「た・た・み」——-

彼女—キム・ハクスンさんは、
17才の時 強制連行され、「何がなんだかわけのわからないまま」慰安婦として日本兵の相手をさせられたそうです。

4ケ月後、後に夫となった朝鮮人の行商人にたすけられ、終戦まで中国全土を逃げ回っていました。

「彼女は結婚というものに意味をみいだせないと言います。たとえそれが朝鮮人であっても、彼女はもう男性とはつきあえない、と。

それは、彼女の夫だったひと(故人)でさえ『おまえはどうせ慰安所にいた女だ』と
事あるごとにののしったからです。」
つきそいのキム・ヘウォンさんはそう語りました。

「わたしはここにいる。
なのに、何故いないと言うのだ。」

彼女にとって日本へくるということは
過去の忌まわしい体験を追体験するということ
そして今、彼女の発する一言一言が披女自身を切り裂いていくのです。

日本がもし戦争責任を認め謝罪していたならば、彼女は日本へ来なくともすんだのに

「わたしは、私自身の『恨(ハン)』を溶かすために日本へきたのです。」

すべて語り終えた彼女は、身じろぎもしなくなりました。

そしてわたしは
拍手というものがこんな場違いな時もあるのだと思いながら

最後——拍手しかできなかった。

「元朝鮮人従軍慰安婦」の証言を開く集いに
参加して
(大阪 M・Ⅰ)

【出典】 青年の旗 No.172 1992年1月15日

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【投稿】旧植民地出身者の戦後補償運動

【投稿】旧植民地出身者の戦後補償運動

昨年は真珠湾攻撃50周年であり、「太平洋戦争」に関する特集、評論がマスコミを賑わした。その多くは、現在の日米関係と50周年前、開戦前夜のそれを対比させ、国際社会での日本のスタンスを論じるものであった。
しかし、日米開戦に至る要因となった、日本のアジア諸国に対する侵略に関する議論は現在のアジアに対する関係も含めてパールハーバーに隠れた感があった。
それでも朝鮮、台湾など旧植民地出身者の蒙った惨禍に対する、補債を求める声は押しとどめることができないものがあり、市民レベルでは重要な問題としてクローズアップされた。
なかでも日本の戦争に動員された朝鮮人一戦傷病者、B、C級戦争犯罪者、従軍慰安婦-が戦中、戦後になめた辛酸は、計り知れないものがあった。
こうした人々に対し、日本政府は「日本国籍を離脱」したからとして、一切の補償を行わず放置してきた。
さらに労働力として日本国内に移送され、各地の炭鉱や、軍需工場、軍事施設で非人道的な扱いを受けた人、また広島、長崎での被爆者、サハリンに置き去りにされた人に対しても、日本政府は責任を認めていない。
これらの人々に対する補償については、昨年1月の日韓会談における「日韓覚書」でも具体的な施策はこうじられなかった。
また現在日朝国交正常化交渉が進められており、共和国側は「戦前、戦後の補償」を要求しているが、これも最終的には取引材料となる可能性が強い。
こうした厳しい情勢のもと、在韓、在日の当事者自らが補償を求めて行動を起こし始めている。昨年は川崎市と東大阪市の在日韓国人の男性が「戦争病者戦没者遺族等援護法」の適用を求めて行動を起こした。ふたりは戦時中日本軍の軍属として行動中に太平洋戦線で負傷した人である。
また韓国では「太平洋戦争犠牲者遺族会」が、日本政府相手の公式謝罪と賠償を求める訴訟を起こしている。これに対して日本政府は天皇、首相が口頭での簡単、もしくは曖昧な謝罪を行ったものの、具体的責任や補償については、一貫として誠実な動きは見せていない。
このような姿勢は、国際的に見てどうなのか。同じ敗戦国ドイツは政府はもとより、戦時中ユダヤ人を強制労働に従事させたベンツ社が謝罪と四億四千万円の賠償金支払いを行った。
また戦勝国アメリカ、カナダも日系人の強制収容に対し賠償を行っている。
さらに少し内容は違うが、旧ソ連もスターリン粛正の犠牲者に対して名誉回復を行ったのは記憶に新しいことである。
このような各国の動きと照らし合わせてみると日本の姿勢がいかに問題であるかがよくわかる。少し古い話であるが、残留日本兵の横井さん、小野田さんが見つかった時代、地名は忘れたが旧南方戦線で「中村さん」という日本兵が発見され話題になった。マスコミは大報道を行い、家族も「本人確認」をした直後、その人は台湾先住民族出身の旧日本兵であるとわかった。その時実は日本兵が発見されるよりも重大な問題であったにもかかわらず、報道はプッツリと途絶えてしまった。
今、国際貢献はその方法を巡っては、是々非々はあるものの、それ自体は「国是」となっている感がある。
しかし、日本が国際協調の必要性を学んだ原点であるはずの戦争に対する、清算を行わないでは、真の国際貢献などはとてもおほつかないのである。
(大阪 0)

【出典】 青年の旗 No.172 1992年1月15日

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【投稿】「旗」をネットワークの情報誌にしましょう。

【投稿】「旗」をネットワークの情報誌にしましょう。

<「旗」編集方針の転換、歓迎します。>
「青年の旗」、昨年2月から紙面を一新し、各々の筆者の考えや思いが伝わってくる文章が中心となり、面白くなったと思っています。
しかも、昨年はソ連邦とソ連共産党の崩壊という世紀の事件がありました。その結果、社会主義の一つの「目標」と「モデル」がなくなり、今まで自明の事が根本的に問い直される時です。スターリン批判のなかで問われた「権威主義の克服」と「自立」が改めて全面的にクローズアップされ、ソ連や社会主義について書かれた多くの筆者が反省し、かつ前向きに努力している姿が感じられます。私は「旗」のこの編集方針をもっと発展させていくべきだ、と思っています。

<ついでに、もっと転換してください。>
同時に、これからは時代にあった新しい理論を共に作っていく時代と思います。主に理論研究をしている人はそういう分野を通して、また、地域や職場、各運動に携わっている人はそういう活動の経験と報告を通して。…‥・しかしながら、活動や経験の報告がほとんどありません。一方、「旗」の執筆者・読者の中にはいろんな場(労働組合その他の運動)で頑張っている人がいると思いますが、そのような人たちの率直な「活動報告」を載せ易いものにしたらと思います。かと言って、今の「青年の旗」がそういう活動報告を載せてはいけない事になっているとは思いませんが、「小さな政治同盟(セクト)の機関紙」ということで「○○職場(地域)の××さんの報告」という感じのものは、書き手の側で、また投稿する側で遠慮しているのではないでしょうか。
そこで、私の提案です。「青年の旗」という労働青年同盟の機関紙であった名称はもう辞めにしてはどうでしょうか。また、「労働青年同盟全国協議会編集局」という編集団体、「平和と平和共存、反独占民主主義、平和・民主・労働戦線統一のために、大衆的青年同盟建設のために」というスローガンもなくし、「政治団体の機関紙」の姿を一掃してはどうでしょうか。極端にいえば、正体不明の「海賊版」みたいなものでもいいし、「小さな出版社のミニコミ紙」くらいにならないでしょうか。「面白そうな人たちが論文を書いているので俺も書いてみた」くらいの気持ちで投稿できるネットワークの手段にはできないでしょうか。検討してください。

ここまで書いてきましたので、私のことについて一言。

<新組合結成>
私は、大阪の自治体に勤めています。一昨年、連合が官民統一をした際、大阪衛都連(全労連、自治労連)の各単組が自治労を脱退しました。当然我が市職労のなかでも、「いつまでも日本共産党にいるのか」「市のなかでは多数だが、自治労を脱退し全国的に少数となった組合に団結していて我々の要求は実現できるのか」という組合員もいて、そんな人が中心となって自治労組合が結成されました。
当時も含めて労働組合の組織率が全国的に低下しているご時勢で、「今さら労働組合なんて古い」「今の時代、労働組合が人を引き付ける魅力はもうないよ」という組合員もあり、それらはうまく説得出来ませんでしたが、衛都連とは違った組合があるはず、という思いで新組合結成に参加しました。

<「4週6体制」「役職加算如度」
「賃金改善」闘争を進めるなかで>
結成された組合は当然少数派で中心となる役員のほとんどがこれまで主だった組合活動の経験がありませんでした。何もかもが一からの出発でした。
しかし、幸いなことに組合が取り組んできた「4過6休・土曜閉庁」問題、90人勧での「役職加算制、度」、91確定闘争での「貸金改善」闘争などは自治労方針と衛都連方針が大きく逢うものでした。
正直言って、これまで自治労と衛都連の一番の違いは「政党色」で、組合要求は大体似たもの、方針の違いなんて五十歩百歩くらいに思っていました。衛都連市職労の組合員からも「組合(員)の要求は変わらないはず、何で2つになったのかわからない」というのにも気のきいた反論もできませんでした。まして、労働組合はそれこそ山のように要求を掲げているから、なおさらです。
この間、衛都連さらには全労連が惨めな結果を続けている要因はいろいろ考えられますが、組合員に対しては、「切実な要求の真剣な検討の結果が方針の違い」になっていると言える状況ができてきたと思います。

<「組合」らしい「労働組合」をめざして>
しかしながら、「組合役員になりたい」という人はほとんどいません。「役員は忙しい」「一度引き受けたら交替できない」という意識もあり、自治労の会議でも「活動家が育たない」と言われてます。私は、組合の方針に一貫性を求めたり、特定の主義主張(政党色)をできるだけ排したら、変わっていくと思っています。でも、これは自信がありません。
長期的な視点でみて組合が活性化してきたといえる経験のある人、教えてください。 (大阪・T)

【出典】 青年の旗 No.172 1992年1月15日

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【年頭挨拶】不透明な時代だからこそ大胆に

【年頭挨拶】不透明な時代だからこそ大胆に

1991年は実に激動の時代であった。
湾岸戦争の勃発から始まり、そしてソビエト連邦の崩壊。それは、これまで我々が主張してきた歴史観、社会分析の手法では、簡単に説明することのできない出来事が幾つも折り重なって現れた。
今、内外情勢は、余りにも混沌としている。こうした状況は、’92年も続くだろう。もはや21世紀の世界をだれも確実に予想することはできない。
しかし、この動めく人間社会(集団)の中にも人間の良心(善)は存在する。少なくともソビエトの今日に至った大きな要因は、それまでのソビエト社会主義の評価がいかにあれ、本来社会主義として必要不可欠な、いや最も充満すべき民主主義が決定的に欠落し、それを渇望したソビエト民衆のエネルギーが、ベレストロイカを推し進めたことは事実である。また社会主義の「豊かさ」が余りにも貧困で、豊かさを求めるエネルギーがベレストロイカを求めたことも事実である。これらの二つのエネルギー要素は、結果の評価がいかにあれ、人間の「良心(善)である。
日本においても今日、「民主主義」と「豊かさ」が問われている。PKO法案強行採決に村する国民の怒りは存在するし、「男女協働」「自立・共生」「平和・人権・平等」など、民主主義を豊富化する社会的議題がクローズアップされている。また、労働時間短縮」、土地・住宅問題をはじめとする「社会的分配の公正」など、「豊かさ」の中味が問われている。
このように考えると確かに肯定的な面、否定的な面が混在するが、少なくとも「よりましな社会を」「もっと民主主義を」と人々が叫んでいることは明らかである。我々は不透明であっても,未来が不可解であっても「格差の拡大」は許してはならないし、理不尽な横暴は許してはいけない。労働青年同盟は依然として不断に「平和・民主主義・統一」を掲げて全員で確認したい。
労働青年同盟は、準備会結成以来17年、全国化から3年が経過した。今日、労働青年同盟が結成当初から、また全国化の際にもあったその組級的役割・方向性についてのこれまでの議論を大切にしつつ、この間の大きな社会的変化の中で、改めて再討議するべき時に来たと考えている。しかし、我々は過去の様々な運動の誤りを犯すことなく、より広範な「統一」の方向で、日常的な活動の中で地に足をつけて、慎重に議論を進めていきたい。
「今、これならできる」「参加と斉任」をもって、不透明な時代だからこそ「大胆な運動と慎重な議論」をこの一年間、共にやり抜こうではないか。
1992年1月
労働青年同盟全国協議会 議長(M.T.)

【出典】 青年の旗 No.172 1992年1月15日

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【追悼】小野先生逝去一周年奈良高安山霊園に埋骨

【追悼】小野先生逝去一周年奈良高安山霊園に埋骨
                      —We Shall Overcome の歌声で—

1年前の11月19日に急逝された小野義彦先生の墓碑が完成し、去る11月24日、奈良高安山霊園にご家族の手で埋骨されました。
現在、編集が進められている「追悼集編集実行委員会」の皆さんはじめ、ご家族含め二十数名の見守る中、先生のお好きだった「We Shall OverCome」を全員で合唱して、永い眠りに着かれた先生とのお別れをしました。
お墓は、小高い丘の上にあり、春は桜が満開になるとのこと。「追悼集」の編集も最終段階にきているとのことですが、亡くなられた小野先生の思想と生き方を再度自分なりに再学習しなければと思いました。
(参加した数名で、その夜終電まで鶴橋で先生を偲んで、酒を飲みつつ、議論をしました。毎年この時期に、東京からきた仲間ともども、飲み会をやろうとの結論に達しました)(91年11月  大阪 H)

【出典】 青年の旗 No.170 1991年12月15日

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【映画紹介】『真実の瞬間』とニッポンのお父さん

【映画紹介】『真実の瞬間』とニッポンのお父さん

『真実の瞬間』は監督アーウイン・ウインクラー、主演ロバート・デニーロで、1950年前後に荒れ狂ったアメリカ映画界の“アカ”狩りをテーマにした作品である。
デニーロ扮する主人公デビット・メリルは人気映画監督で、20世紀フオツクス社社長のお気に入りでたとえ疑惑を受けても“アカ”狩りの圧力をはねのけられるとの評判であった(こんなきつい冗談が語れていた)。一方、家庭を省みず映画製作に没頭する彼は妻ルースと離婚し、息子はルースと暮らしている。
そんな彼にもやがて、昔、顔を出した共産党の集会(論争を挑み追い出されたらしい)のことで疑惑がかけられた。しかし、下院非米活動委員会(HUAC)の諮問は拒否し続けている。結果、信頼されていた社長の保護も受けられずに、撮影中の新作も中止、「あれだけ儲けさせたのに」と嘆くが、あとのまつり。FBIには付け回され、どんな小さな仕事にもありつけない。前借りした映画製作費の返済の為、家を売り払い、離婚した家族の養育費が払えない。ルースと息子は家を出てアパート暮し、ルースは生活のため前の職である教員の口を捜す。
HUACの諮問では、黙秘権や憲法は通用しない(反ソ連と反共産主義の前には全てが許される)。黙秘は議会侮辱罪に問われ、追求を逃れるためには“アカ”に関係する他人の名前を挙げるしかない。結果、密告、内通、中傷、疑心、相互不信が生まれ、真実は曲げられる“人格の暗殺”である。国家に媚びへつらう人々のみ生き残り、まったくの”無実”のでっち上げを受けた人程逃れることが困難な事態であった。
最後は、HUACの諮問会のシーンで、デビットは、真実を曲げて大好きな映画監督を続けるか、あるいは信念にしたがって過酷な試練の道を進のか、の選択を迫られる。結局、デビットは前者を望む弁護士をその場で解雇し、後者の迫を選ぶ。諮問会での1対100位の大論議(単なる言い合い?)が展開される。しかしここでのHUACの論調には目を見張るものがある。これも自由と民主主義の親分を自認するアメリカの過去である。
デビットの主張はHUACの連中は変えられなかったが、デビットの後に諮問を受けた友人バニーを変えた。かつてバニーは「誰かを売らなければ奴らは許してくれない。君の名前を挙げさせてくれ」とデビットに懇願した。バニーはデビットの言動を目の前にして、憲法の言論の自由を主張し抵抗を始めたのである。それを見ながら諮問会を後にするデビッ
トとルースの後ろ姿を高めのカメラアイで映し、レッテルを貼られた人の名前やレッテルが剥されたのが実に1970年代になってからであることが説明され、タイトルバックが映し出される。
ここで人生の選択。自分を偽ってもとにかく、言論主張の武器(多少はできるであろう)であるスクリーンを確保しておいた方がよかったのではないか。少なくとも、デビットはあらゆる仕事から追われていた。ルースもたぶん教壇を追われるだろう。家・族3人はどの様にして暮らしていくのであろう。彼の選択は正しかったのであろうか。また亡命する映画人もいる中でなぜ彼はあえてアメリカに残ったのであろう (ハリウッドは捨てて一時ニューヨークには行ったのに)。作品を観た人は意見を聴かせて下さい。
さて、本題に入ると(崇高な作品のテーマからはずれるが)、私はこの作品を観て、過労死に至る日本の労働者の姿がダプって見えた。家族も捨てて仕事一筋の生活の果てに、自らの死に際しても会社は何もやってくれない事態に。
映画の中に、家族3人が狭いアパートの中で夜を過ごすシーンがあった。ルースは机でテストの採点をしている、デビットはテーブルでやっと見つけた三流西部劇映画用のコンテを青いている、息子はベッドで算数の勉強をしている。ここで息子がデビットにわからないところを質問する。ルースは「パパは仕事をしているから邪魔しないで」と言う。ここでかつてのデビッドは、ルースのこの言葉のように、息子を邪見にし映画の仕事を続けているかあるいは家族の邪魔を受けない場所で仕事をしていたであろう。しかし、今のデビッドは違っていた。仕事の手を休め息子の世話をするのである。映画をもぎ取られ、社会や友人速からも追われたデビッドを受け入れてくれたのは、結局ルースと息子のいる狭いアパートだけであったことを、デビットは理解できたのであろう。
もう「真実の瞬間」のロードショウは終ってしまったが、機会があったら、24時間頑張っているニッポンのお父さんと一緒に是非観ておきたい1本だと思う。(東京 C)

【出典】 青年の旗 No.170 1991年12月15日

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【投稿】雑感・‥最近の若者向け週刊雑誌から

【投稿】雑感・‥最近の若者向け週刊雑誌から

「週刊プレイボーイ」という雑誌をご存じだろうか。たいてい女の子の写真を表紙に載せていて、書店に高々と積まれているので、一度は目に触れていることと思う。表紙を開けば、必ずと言っていい程、女性のヌードグラビアから始まっている。巻末にはアダルトビデオ特集だ。雑誌名からも推察されるように、かなり男性の性欲に迎合した雑誌と言えるだろう。男性雑誌の老舗でもあることから、読者は多く、とりわけ大学生から20代の社会人の男性に愛読されている。しかし、単に若者の性欲を満たすだけの雑誌とは思われない大きなもう叩一つの特徴がある。記事や特集に見られる反体制・反権威的内容である。
国内・国外を問わずあらゆる問題に対して、独特の切口からストレートに怒りをぶつけている記事が多い。バブル経済、またそれがもたらした証券不祥事に対する怒り、民主化に立ち上がった世界中の人々への賛辞、独善的な態度をとるアメリカヘの批判、今の日本の政治状況に対する不満等など、挙げればきりがない。かの黒田清率いる黒田ジャーナルの連載記事もあり、津々浦々の運動を紹介したりしている。気持ちいいくらいに素直にそして率直に、今の世の中に思いをぶつけ、メッセージを送ろうとしているのである。野次馬気分でスキャングラスにしか書けないオッサン雑誌に比べると、十分読む価値はあろうかと思う。その伝統的な編集姿勢は強く印象に残るのである。
若者に読まれている雑誌で共感できるものと言えば、「週刊ピックコミックスピリッツ」という漫画雑誌がある。漫画雑誌であるので、作家によってメッセージ性のあるもの無いもの様々であるが、湾岸戦争勃発以来のいとうせいこう氏が先頭に立った反戦・平和憲法擁護を主軸としたリレー連載には、雑誌の幅広さ故に、重みを感じさせるものがあった。最近では集中連載漫画に「平成鎖国論」というものがあり、現在の緊張した日米関係をコミカルに、またリアルに描き出している秀作であった。
「週刊ヤングジャンプ」も面白い。漫画の内容としては「スピリッツ」に比べると不満が残るのであるが、過去にはかの石坂啓氏の「安穏族」(氏独特の社会的視点から描かれたメッセージ漫画。かなり話題になったものなので、未だ読まれていない方は是非ご一読を)を連載しており、あの天安門事件以来の支援キャンペーンには驚かされるものがあった。
何も“青評”として、これら週刊雑誌を勧めているわけではない。実際にこれらの雑誌を読んでいる若者たちが、そのメッセージをどう受け止めているのかもわからない。そんなページは飛ばしているかもしれない。ただ、この混沌とした内外情勢、日常的に氾濫している様々な情報の渦の中で、幅広い若者層が支持している雑誌がそのようなストレートなメッセージを送り続けていることは、「新人類」と大人たちに揶揄されている若者たちの、蓄積されたうっぷんに火をつける役割を担っているのではないか、という思いは過大な期待だろうか。
同僚たちと議論などをしていて感じることは、我々の世代(20代)の人間は決してニヒルなわけでもなく、冷め切っているわけでもない。もがきながらも懸命に生きている。ただ、何に依拠し、期待し、どう自分がかかわればいいのか、それが見えないだけなのだ。だから、今の現状に「満足」せざるをえないだけなのである。そんな世代へ明確な指針を示すことを、週刊雑誌というメディアの一部分だけが担えるわけではない。その影響力は大きいが、もっと責任を感じなければならない勢力、積極的に担わなければならない人々がいるはずである。
(91年12月 大阪 A・0)

【出典】 青年の旗 No.170 1991年12月15日

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【投稿】解党的出直しができるか 社会党

【投稿】解党的出直しができるか 社会党

社会党は、91年12月19日から21日の三日間、第58回定期大会を開き、田辺委員長のもとでの党改革の実質的なスタートを切ることになった。
議案として92年度運動方針(案)が発表され、「公正な政治、政権を担う党へ」とタイトルを付したように、90年代の中期までに政権交代を実現するという戦略のもとで提起された方針となっている。
その前提となる考え方は、「我が国の内外政策の行き詰まりは、長期にわたって、自民党の単独政権が続いているところにあります。」という点に大きく絞られているようだ。社会党の若手議員でつくるニューウェーブの会の中心メンバーである筒井信隆は、「政権交代のない日本の政治を変えられるのは、社会党しかないんです。だからその事を本気で社会党がめざすべきだと考えて頑張っているのです。党内の対立は、今や左右のそれではなく、本気で改革をめざすベレストロイカ派と今までの路線を路襲する保守派との対立になっている。」と語っている。
時あたかも、ソ連の8月革命によるベレストロイカの勝利=共産党の解体によって、世界の政治地図は大きく塗り替えられた。アメリカにとっても大きな軍事的ライバルであったソ連の革命は、世界の軍事バランスの変化に止まらず、政治、経済、社会の世界的規模での激変の始まりとなるのではないだろうか。
その影響は、単に北方領土といった懸案問題に止まらず、もっと広がりをもった大きな津波のようなものになるのではないか。その大きな変化の底流にある情報技術革命は、ソ連・東欧の体制を倒したように、日本の権力構造を根本的に揺さぶることは間違いがない。西側の情報の波が東側の鉄のカーアンを越えて民衆の心をつかんで放さなかったように、先進国の政治・経済の到達段階としての産業民主主義、経営民主主義や政治における参加型民主主義の発展を日本の権力者は、国民に隠し通すことができない。ドイツ人の豊かな暮しや,ECの労働者の経営参加といった情報が、やがて速い日本にも正確に伝わるようになった時、驕り高ぶる日本人が、自分の惨めな姿に気づき、本当の豊かさと生きることの生きる意味を真剣に考えることになるだろう。
大衆の知的・情報基準の上昇に伴い、支持政党への不満はさらに大きく膨らみ、支持政党無し層の更なる拡大が政界再編成の気運を一層高めると思われる。西側を代表する自民党と東側を代表する社会党という二大政党(正確には一対二分の一)の崩壊が始まり、中長期的には、自民党から自由主義と保守主義の分裂へ、社会党から社会民主主義と社会主義の分裂へと進まざるを得なくなるのである。
社会党にとって深刻なのは、産業革命にも匹敵するこのような時代の変化に対応して自己を革新する活力に欠けているところである。労働組合の経営への参加という大きな問題でさえ、全く方針の中で触れていないが、今や社会的存在となった企業が日本で、又海外の進出先でも「公正な企業市民」として認められるためには、労働者の経営への参加と株主の諸権利の保障が必要である。
また社会党を民主主義の党へと改革するためには、政治、経済、社会のあらゆる分野で分権を推進し、市民が各分野で意思決定に参加することの重要性、必要性を党全体が認識する必要がある。党自身にとっても大きな自己改革が必要なこの「分権」という問題については、言葉だけが空珂りしているきらいがある。連合政権という国政レベルと異なる貴重な経験を積みつつ、与党として権力に近い政策決定に係わっている地方自治の分野からまず社会党改革が進むことが期待される。
(1991年12月5日 大阪:M)

【出典】 青年の旗 No.170 1991年12月15日

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【投稿】「国連平和維持活動等協力法案」を巡って

【投稿】「国連平和維持活動等協力法案」を巡って

 11月20日の夕方、東京の日比谷野外音楽堂にて「つぶせPKO法案、生かせ憲法9条11・20全国集会」が「日本はこれでいいのか市民連合」などの呼びかけで開催されました。会場には組合の赤旗が数多くはためき(主力は全労協傘下の組合だということです)、広島・京都からも活動家が参加され、壇上では10名以上の社会党議員が紹介されるなど、主催者発表で4千人を越えた参加者の数と共になかなか熱気溢れる集会・デモでした。当日、埼玉のKさんが「PKO法案の廃案を求める個人の声明」と題して声明文を集会参加者に配っていました。そこでKさんにお願いしたところ、その「声明文」を青年の旗に掲載させていただくことができました。
 PKO法案は、衆議院の特別委員会で自民・公明両党によって強行採決されたことに対する強い批判が起こっており、またこの国会運営に対して自民党の内部からも批判が生じています。それでも政府・自民党は国会の会期を延長してでも法案を成立させるという姿勢を採っており、PKO法案を廃案にすることができるかどうかは厳しい状況にあります。
 以下に掲載するKさんの「声明文」が読者のみなさんのPKO法案に対する行動の参考になれば幸いです。

「PKO法案の廃案を求める個人の声明」
1.これまでの国連の平和維持活動(PKO)は、紛争の解決のために貢献してきました。私はこれを高く評価すべきだと思います。
2.湾岸戦争後、アメリカはPKOに積極的になってきました。イラク・クウェート停戦監視団にはアメリカも参加していますが、これまでPKOの原則であった紛争当時国の同意を取り付けぬままの一方的なPKOです。アメリカが自らの兵器輸出や巨大な軍事力の保持を問わず、イラクなどアメリカの国益に反する国家の軍備管理に行うために、国連を勝手に利用しようとすることに私は反対です。
3.日本政府はPKOの説明はしても、その哲学を語っていません。ただ国際貢献、国際貢献というだけです。どのような世界をめざし、そのためにどのような外交政策を持つのか、が語られ、その文脈でPKOも語られるべきです。政府はアメリカとの友好関係の維持のためにPKOに自衛隊を出したいのではないでしょうか。
4.日本がPKOに自衛隊を参加させることは、国際貢献にならないでしょう。それは、アジアの国々の賛同どころか、その懸念を呼び起こしています。他国の脅威に感じられることがどうして国際的な貢献なのでしょうか。
5.このアジアの国々が不安に思うのは当然です。自衛隊は既に世界第3位ともいわれる戦力を保持しているからです。そして、他国のことなど一切かまわず、日本企業の利益のみを第一優先に掲げて、いまや世界のGNPの15%にまで占めるに至った日本の経済力が他国の恐怖をかりたてているのです。日本が軍事力を背景に政治大国化するのではないか、という当然の懸念があると思います。
 したがって、日本は第一に国際協力のために軍隊以外の人的協力をすべきです。第二に自国の経済発展に直接結び付かない、国際的な経済協力をするべきです。
6.日本は戦後45年過ぎても、アジアに友人とよべる国を持っていません。過去の戦争の事実を一貫してあいまいにし、その責任を国家としてうやむやにしてきたことに原田があります。犠牲者の遺族や被害者の方々が亡くなる前に、今、すべての戦争被害者に村して補償を行うべきです。このままでは、国際的に信用のおけない国として、いつまでも記憶されるに違いありません。
7.今回のPKO法案は廃案にするべきです。民社党はPKOへの参加の国会承認をすれば賛成するという方針ですが、私は反対です。国会が国民の意思であるとすれば、日本の国民自身が自衛隊の海外派兵に賛成する形になるからです。これは、他国から見れば、日本の平和主義の放葉であると見られるでしょう。PKO法案の修正を考えるとすれば、自衛隊貝の参加を一切認めない形でしょう。および軍事的任務の項目を削除するべきです。厳密に文官に限るべきです。
8.最後に今の自衛隊をこのまま放置してはいけません。根本的に削減縮小するべきです。ソ連の脅威の理由に肥え太ってきた自衛隊です。その脅威がなくなったのですから、その存在意義がなくなったわけです。国会決議で、削減縮小の方向性を早急に打ち出すべきです。これは与野党の責務であると思います。そして、今の違憲の存在である自衛隊をどう合憲の状態とするか(与党であるだけでなく、野党も認めるように)が問われています。PKO法案よりも、自衛隊をどうするべきか、が今日の日本の重要な政治的課題であると思 います。 (埼玉 K) 

 【出典】 青年の旗 No.170 1991年12月15日  

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【活動報告】いきいきプロジ工クトが動きはじめました

【活動報告】いきいきプロジ工クトが動きはじめました

■ はじめに
私は労青に入って4年になりますが、私が労働青年同盟に入って感じたことは、労働青年同盟の活動(政治同盟としての活動はもちろん、労働青年同盟の指導する大衆組織の活動も含めて)と若い同盟員の問題音識に大きなギャップがあるのではないだろうかということです。東京の若い同盟員のほとんどは民主主義学生同盟出身ですから、みんな、なんらかの形で運動したいとは思っているわけです。しかし、労働青年同盟の活動と自分の問題意識がなかなか噛みあわない。次第に労働青年同盟の活動がつまらなくなり、他の用事をさしおいてまで会議に行こうとは思わなくなってしまう。そして、組織を次第に離れていく。という悪循環が繰り返えされていたように思います。
その一方で、青年の意識はと言えば、どんどん運動の基盤を拡大するような方向へ変化していったわけです。全地球的な規模での環境問題が叫ばれ、多くの若者がフロンガスの使用をやめ、割り箸を箸箱に持ちかえ、自分の生活の場で様々な行動を始めました。ベレストロイカが始まり、東欧の激変が起こる中で、多くの若者が自らの生き方を模索し始めました。「自立」「自己実現」というテーマが若者の大きな関心となっていったのです。
そのような状況を見つめ、私が思ったことは、青年の意識がますます運動の基盤を拡大していくような方向へ進んでいるにも関わらず、労働青年同盟の若い同盟員はどんどん組織から離れ、労働青年同盟自身が青年の意識の変化にまったく対応できないのは何故なんだろうか。この問題に着手しなければ、労働青年同盟の未来がないばかりか、日本で新しい運動を構築することは不可能なのではないだろうかということです。
このような問題意識から「青年いきいきプロジェクト」を開催することになりました。原則として20代の同盟員が集まり、あまり労働青年同盟の枠にとらわれず、考えていることを言い合おうということで、月に一回のペースで会議を行っています。いままでに4回会議を行いました。最初の1・2回は、各同盟員の問題意識・職場で抱えている問題・最近考えていること等をみんなで出しあい。三回目からは、各自の問題意識を出し合おうということで一回につき二人づつ発表しています。

■ 90年代の新都市型青年団活動
第三回目に出された提起で論議になったのは、「90年代の新都市型青年団活動」です。すこし、この考え方を紹介します。
「・・・…さて、そんな訳でこの『いきいきプロ』が組織しようとする都会の若者たち。この現状についてちょっと分析してみましょう。もちろん我々自身も含めてである。『経済大国』日本で暮らしながら、経済的豊かさを表面上は享受しながらも、本当のゆとり、精神的豊かさ、人間関係の豊かさを実感できることは少ない。きずいているのかいないのか、様々な不安が生活を取り巻いている。このままじゃいけないと思うこともあるけれど、支えになるものが、はっきりあるわけでもなく、今日と変わらない明日が過ぎていく。
そして身近かに(職場、仕事以外で)、出会いや自己実現の機会や揚がない!ということで、会社人間になってしまったり、幸福の科学にはいってしまったりしてしまうのでしょうか?ま、それはともかく、我々はその中でも矛盾の集中している層を組織対象(と、いうよりユーザー)として設定する。例えば、北OLに対する何OLであり(朝日ジャーナル参照)、‥・…みたいなイメージが描けるが、別に限定するという意味ではない。
ポイントは、ユーザーを具体的にイメージしつつ、我々の理念に基づいた出会いや自己実現の機会や場を提供できるか?ということであり、我々のネットワークの情報か企画力が問われる。
では具体的になにをやるのか?実は何でもいい。おっと、そう言ってはみもふたもない。でも、カタチとしてはそうなのだ。ただし、ただ遊ぶだけなら下手をすると(しなくても)、カタギの方々の方が得意な訳で、要は、我々のネットワークを駆使してなるべく安価に、ゆとりを持って提供することであろう。
(1)「明るいマジ」=ささやかなオルタナティブの提案
我々なりの付加価値を+(プラス)すると言うことは、①で述べた理念(市場経済システムの上での、安定した経済成長と、社会福祉、環境(自然)保護の両立)を企画の中に具体化するということであり、それは、だからといって、大上段にかまえて能書きを垂れるということよりは、具体的な行動そのものとして、あるいはオルタナティプとして提案するということである。
例えば、前も言ったけれど、スキーだとすれば、自然を破壊してつくったゲレンデでやるスキーじゃなくて、クロスカントリースキーをやりましょう。と、いうようなことです。(中略)・‥・・・しかし、これらの活動は、日常的な生活を変えていくことにはつながっても、直接政治にアプローチするものではない。それは、「いきいきプロ」の性格上あたりまえで、それはそれでいいのだ。・・・‥・」(会議レジュメより)
この提起については、「新都市型青年団活動」という規定は別としても、「我々なりの付加価値をプラスする」という点には参加者全員が賛同しました。付加価値の中身までについては充分論議できませんでしたが、ようやく一つの方向性が見いだされた会議でした。

■我々側からの文化創造を
第四回目はパソコン通信に付いての提起を中心に論議が行われました。論議だけではよくわからないだろうということで、パソコン通信のデモまで行われました。デモについてはみんな感動していたようです。ネットでは社会問題からどうでもいい問題まで実に多くのテーマに付いて日本全国の人がまじめに、いいかげんに討論していました。
提起は、まず、「『企業』にどっぷり頂かり切った『賃金労働』と、それを維持する 『労働力の再生産行為』としての『レジャー』等のみが、生活の要素である。それ以外にも、大切なこと・楽しいことはいろいろ(ある。)……わたしたちの生活は、商品関係の中に存在している。カネさえだせば、なんでも?手に入る。レジャーや文化活動にしても、資本が用意してくれる数ある 『商品』の中から 『選択』すれば事足りる。しかし、それでは、…・・・生活の『質』は変わらない。だから、『人間的なつながり』『個としての自立』『自由な諸個人の連合』等々は実現できない。そういったものは自ら(あるいは、共同で)『創造』していくことだ。」という問題意識が提起され、その後、「①コミニュケーションの場。②自己実現の場。③時前のネットワーク。④『技術』を市民にとりもどすために」という四つのパソコン通信の意義が語られました。
これについては、商業ベースにのった「文化」をただ一方的に享受するだけでなく、自ら創造することの重要性が語られました。そして、「映画を最近よく見ている。雑誌『ぴあ』を始め、様々なものがあるが、大きく宣伝しているものは資本力のある映画等で、見ると 『なんだ、こんなもんなの』という感じになるものが多すぎる。現在の情報というのは、そのほとんどが与えるものという一方通行のものになっている。我々の側の評価をはじめ、討議できる場や宣伝等のミニコミ誌の存在意義は大きいと思う。」という意見も出され、パソコン通信に限らず、我々の側からメディアを、文化を創造していこうと
いうことになりました。
また、ひとりの発言者からも「我々が共有している(はずの)価値アンテナで、人類の進歩に役立つ文化情報をキャッチし合って、世間様に紹介する文化情報誌を発行する。身近なところから、ささやかな価値を創造する、ということでしょうか。」という報告がありました。
*     *     *     *
「いきいきプロ」はまだ始まったばかりですが、回を重ねるごとに同盟員の問題意識が明らかになり、同時に、運動のキーワードも見つかりつつあります。現在までのキーワードは「我々なりの付加価値を付与すること」「我々の側から文化を創造すること」の二つです。また、会議の報告書は参加者の輪番制にし順番に報告書を書き、集団的な運営と主体的な参加を追求しています。なんと、今までは、次の会議の前までには報告書が出来上がり、都委員会通信に掲載するか直接発送するという体制が実現しています。
以降、更に討論を続け、春の総会ぐらいにはそれまでに出されたキーワードをまとめ、一定の方向性を出したいと思っています。ぜひ、みんさんの意見をお寄せください。特に、大阪の20代の同盟員の方の意見が聞ければ幸です。よろしくお願いします。                 (東京 N)

【出典】 青年の旗 No.170 1991年12月15日

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【報告】全国協議会報告

【報告】全国協議会報告
               開催日時:1991年9月21日  開催場所:名古屋

1.クーデターを始めとするこの間のソ連の動向についての感想および意見
(以下、発言者の氏名はアルファベットで現わしています。同一人の発言は同一の記号になっています。)
A
ベルリンの壁の崩壊、ドイツ統一、湾岸戦争など、ここ数年世界の動きが激しい。今回のクーデターについても、その評価を考えようとしている
うちに三日間でひっくり返って、じっくりと腰を据えて見ていられない。今回の南北朝鮮の同時国連加盟の問題もそうだが、あまりに動きが早くて ついていけないというのが感想です。
B 都委員会でも話をしたが、結局社会主義というのは社会的正義、公正、連帯というようなものを目標としたわけだが、結果としてできていなかったということだ。今、それが共産党への反発としてでてきているわけで、その誤りは根深かったということだと思う。けれども始めからこのようなものを目指したわけではない。革命当時はやはり社会主義を目指して、それが受け入れられたのだと思う。資本主義に生きている人達が資本主義を主義として認めているかというとそうではないと思う。社会主義は資本主義を乗り越えるものとして選択されたもので、資本主義社会に生きている人はそれを選択しなくても生きていける。本来、社会主義はそういう生き方を選択して始めて社会主義になる。74年前の革命当時そういう選択をすることに支持はあったと思うが、今はそうではないと思う。
社会主義の政治・経済・社会体制というものはどういうものなのか、今まではソ連なり、中国なりと上、うものがあって、それで片付けてきたが、そういう理解ではダメなんだというあたりまえのことがあたりまえのこととして理解できた。社会主義の政治・経済・社会体制というものはどういうものなのかということを考える我々自身の真撃な理論構築が必要だ。
東京の中でも、情勢が急激に変化しているので、支部会などで話にきてくれるよう要求されることがある。今日もこうして話しているわけだが、率直に皆で論議して、前に進み出るような結論を全体で共有化したい。
東京ではイキイキプロジェクトという20才代の人達を中心にした取組みを開始している。若い人達が自分達で考え、運動のイメージを創り出してやっていけるようにしたい。特に労音が青年運動というものをやっていけるようにしたいと考えている。
C ベレストロイカが始まった頃からだいぶ大きく変化してきていて「このままで大丈夫かな」と思っていた中で起こったのが今回のクーデターだった。ソ連の国民が自分達の手で民主主義を支えていくという一つの試練ではないかと思う。こういう試練はこれからも起こる可能性があると思う。
D この間の一連の流れを考えると、特に東京では平和運動においてはソ連がなにを言って、それを国際的にどう広めるかというような運動になにか正義感みたいなものを持ってやってきたということがある。そういう意味であれはなんだったんだという感想もあるし、一方で、そうではなくなっているので、もうソ連でなにが起ころうがメンバーの活動には関係なくなっているという現実がある。そういう意味で自分がこれまでやってきたことの問題、また一方で今ではソ連の動きにまったく関係なく活動やっているという二つのことがなんとなく存在している。この辺を自分の中で整理したい。
E ソ連でゴルバチョフが登場してきた頃自分は大学2年だった。自分にとってはゴルバチョフの言うことは当たり前のこととして受け入れられた。
レストイカは一人の政治家が上から始めてきたという印象だった。ソ連が70年間支えてきたものに失望を抱き始めて今回のクーデターが起こった。クーデターした人間達はこれまでのように上から押さえ付けようとしたわけだが、それが市民によって覆された。市民の力が見えてきてベレストロイカというのはこういう大きなカを生み出していたのだなと思った。
学生の頃から自分にとってはソ連のことなどより、スウェーデンとかイタリア共産党とか資本主義の中でやっているものの話のほうがおもしろかった。今日の新聞ではスウェーデンの総選挙で社民党が敗れたと報迫されているが、高度に発達した資本主義国に住む我々にとってはソ連のことよりもスウェーデンのことのほうが問題だと思う。
F アフガニスタンの問題があった頃から学生だった。ソ連を擁護するようなことをやってきたように思うが、ベレストロイカの前後から「モスクワのテレビは火を吹く」という本などを始めとしてソ連の経済的な苦しさというようなものを知るようになった。マルクスの本とかもいろいろ読んだわけだが、社会主義経済とはなんだったのかなと思っている。いわゆる社会主義における経済政策とはなにか、だれかに研究してもらいたい。
今ソ連に国民を統合するような課題・政策はあるのか疑問を持っている。いろいろな課題、形態でいろいろな運動がやられているので、国民が一つに統合されるというようなことはもうなくて、いろいろある中からジグザグで進んで行くんじゃないかなと思う。
G 先日のフォーラム関西で言われていたが、フランス革命が掲げた自由、平等、博愛を結局社会主義は実現できなかった、社会主義とは民主主義が充満したものというか、そういうものだと思うが、民主主義というものがソ連には相当欠落していた。そういう意味で今のソ連には食料・パンだけではなくて、民主主義への渇望があるというところではないか。
我々にしてみれば、やはり社会主義に対する一種の憧れみたいなものも含めてこれまでの運動があったわけだが、だからといって現実にはソ連のことは関係がない。目の前にある一つ一つの課題をどう解決していくかということが問題なのであって、そういう意味でこの間のソ連の動きについてはそんなに悲観していない。社会主義であろうが、資本主義であろうが、よりましな社会、社会システムをどう創っていくかということでやっていきたい。
やはりマルクス主義は時代の変化に対応しきれなかった、あるいは変化への対応が遅れたと言うべきか、そういう問題があったんだと思う。マルクス主義、社会主義について改めて研究しなおす時だと思う。

2.社会党改革と民主運動戦線についての討議
(この問題について討議することを予定していましたが、時間がなくなってしまったため、また社会党についてはこの暮れにも定期大会を開催する予定なので、次回の全国協議会の祭に再度討論しようということになりました。そこでとりあえず、同様なテーマで大阪で開催されたフォーラム関西への出席者から、また東京で取り組まれているイキイキプロジェクトについてそれぞれ報告を受けました。報告の要旨は以下の通りです。「青年の旗」紙上には7月15日号以来4件の投稿が寄せられています。」この問題に関して読者のみなさんのご意見がありましたら、更にお寄せくださるようお願いします。)
B
東京でのイキイキプロジェクトについての報告
これまで2回会議をやっている。労働組合とかこれまでの企業の縦割りというようなスタンスでの運動ではなく、違うようなものができる議論をしたい。若い人達は、環境問題を始めとして何かやりたいという意識はある程度もっているが、それを実現できていない。また会社に組合があったとしてもそういう論議すらできないでいる。アウトドアライフとかよく言われるが、そういうことを単に遊びとしてだけでなく、何かポリシーを持ってやっていこうとする人達も今の若い人達の中にはいる。組合の青年部でそういうことをやっている人達もいる。若い人達が今の民主主義運動の中で、自分達で決めて、自分達でできることを、今までの形態や労青ということに囚われないでやってほしいと提案している(こちらが提案する以上に囚われていないので因ってしまう面もあるが)。そして原則として30才台は参加しないでということでやってもらっている。
このような議論の場を作っていけば、労青とは何なのかという論議もまた出てくる。早い話、労青の趣意・規約・行動綱領を認めて入ってくるわけだけれど、実際その通りの運動をやっている人はといえばほとんどいない。自分達で考え、自分連で決めて行うということを大事にしたい。
「おじさんイキイキプロジェクト」を作って、子持の人はそれにあった、生活に近付いた活動を考えたらどうかと、逆に提案されたりしている。
G (社会党改革と民主運動戦線について討議された)フォーラム関西への出席者からの報告
先にも言ったように、社会民主主義の問題に関してその理念のことが話され、また社会党の改革に関して報告がされていた。社会党改革に関しては、シャドウキャビネットであるとか院内総務会などを作ってもっと幅広い政策論議を深めようとしているわけだが、実際に存在する自衛隊と非武装中立の理念との間にあるギャップ、世論調査によれば自衛隊の現状維持を国民の64%が認めている中で、従来の総評・社会党の意見は即時解散に近いものだったわけでこの世論とのギャップ、ここらあたりが問題になっているのではないかと報告された。また、社会党に今なにが問われているのかと言えば、自民党政権の継続を支持する・しないにかかわらず、少なくとも独占貸本のために行われる政治・政策に少しでもブレーキをかけ、社会的公正であるとか、所得の再配分であるとか、そういうものを行わせていく一つの勢力として社会党を位置付けるのかどうかということだ。今行われている党改革論議は、ややもすると政権を取るということだけの手法的部分に終わりがちなので、本来社会党が果たす役割と、それを実現する政策についての論議、そしてそれへの国してそれへの国民の支持を広げていくこと、そういうことの中で改革論議を進め、その中で政権を目指すべきだ、との報告がされた。
以下自分の意見としては、社会党を支えているのはなんだかんだ言ってもやはり、先ほど言われた、縦型の大労組だ。議員の候補一人とっても参議院の比例区に見られるように大労組幹部だ。つまり、横型の、ネットワーク型のというか、そういう運動が欠けているわけで、それをどういうふうに作るかが重要だ。
労青が掲げている反独占民主主義、この基本理念はソビエトのベレストロイカにいかなる情勢の変化があろうとも、かえってこのテーゼが重要だと思っている。その中身の探さ、質の部分で労青と社会党とは違うと思っている。残念だが、社会党の党改革を主張している人達でも、いわゆる縦型の運動・考え型の基盤に立っている人が多い。
社会党はこれからの日本の民主勢力の中心的役割を果たしていくだろうと思います。民主勢力の結集軸となっていくだろうと思います。そういう意味で社会党はキッチリ評価して、また、だからと言って社会党にたよりきるだけではできないこともあるんだということだと思います。我々としては、いろいろな運動を通じて、またいろいろな運動を具体的に提起して、そういういろいろな大衆運動に支えられた社会党にしていくということではないかと思います。
B 「日本の権力構造」という本があって、その中で自民党がいかにして政策を作り上げてきて、実行しているか、自民党そのものがどう動いているかが書かれているそうです。特徴としては、日本は最終責任者のいない社会で、また自民党そのものが官僚の組織になっていて、参議院の比例区では軒並み官僚出身者が上位に名を連ねるのだそうです、その訓練された官僚が政策を作り上げているということ、また自民党は派閥の調整によって政策が決定されるということだそうです。まあ今回の小選挙区制導入の動きは派閥調撃政治の弊害が強くなり過ぎたのでこれを断ち切りたいというのが自民党の一部にあるのだと思います。
一方、社会党であるとか連合であるとかは、どこまで知っているかというとまだまだで、そういう意味では変えるところはどこなのか、それをどう変えるのかという政策を自民党に対する代案として作成していくのはまだ難しい。まずできるのは、いかに民衆の側が政策決定に入って行けるかというシステムを作ることが必要だと思う。
労青の運動で言えば、これは 全国協議会結成の際にも提案されていましたが、もっとオープンなネットワーク型の運動が必要だということだ。例えば自治労の人は自治労のことしか知らない、というようなことがあるが、そういうのを変えていかないと駄目だ。そういう意味では、やはり連合はネットワークとして広がって行ける可能性があるし、我々はそのように関わるべきだ。
反自民・反独占という言い方があるが、それでいいんじゃないかと思う。自民党と独占で全てを決めているわけだからそれを変えていくことが大事だと思う。
G 連合・ナショナルセンターの役割は単産の利害を乗り越えた方針を出していくことだという提案はフォーラム関西の際にもあった。また今年の自治労の大会でも今の提案に関わるような論議があった。公共事業とそれを支えている民間企業で働く人々との連帯というようなことだった。また、自治労にしてみれば、共済年金に比べれば国民年金は不利だ、そこで自らの既得権として有利な共済年金を守るだけでいいのかという問題もある。こういうことはやはり連合などで論議されるべき問題だ。
大きな声を出すところだけが強いということではなく、いわゆる縦型ではなく、横型の運動、日本を変えていくような運動を作ることが大事だ。(以下略)

【出典】 青年の旗 No.169 1991年11月15日

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【報告】長良川河口堰建設一時中止東京デモ報告

【報告】長良川河口堰建設一時中止東京デモ報告
               環境保護派の最大デモ 10・6 東京に5000人

10月6日の東京は、正午過ぎから雨が降り出した。午前中は曇っていてなんとかデモまでもってほしいと思っていたが、残念ながら雨。デモの終わりまで雨は降った。
しかし、東京港区の芝公園に集まった全国各地の「長良川河口堰に反対する会」はじめ、環境保護団体、自治労・東交など労働組合員など5000人は元気一杯だった。
参加者たちはプラカードや、カヌーパドル、釣竿にサツキマスを描き建設反対をアピール。サツキマスの形をした帽子をつけるグループなど、思い思いに河口堰反対を訴える。
夜行バスの疲れはどこへやら,今日はがんばるぞ!

●なぜ長良川なのか
長良川河口堰の問遁がどんな問題なのかは、「旗」91-6 NO.164及び91-9 NO.167 の記事を参照していただきたい。川について私は人に説教するほど詳しくない。日本でダムのない川というと北海道の釧路川と長良川の2つだと言われている。私も長良川に関わって、自分の周りにある川が気になるようになってきた。この運動に関わっている人の多くが同じ経過のようである。
私にとっても、なんとなくキャンプがしたくて、今年4月29日のNAGA払GAWA DAY(長良川現地行動)に参加して以来である。全く「一市民」として。
ただ、いま長良川に関わらずには、自然を守ることにならない気がしている。

●建設反対の怒りの雨
正午過ぎ、集会が始める。まず主催者である「長良川河口堰に反対する会」事務局長の天野礼子さんがあいさつ。「長良川の集会は、必ず晴れてきた。今日の雨は怒りの雨で、反対運動の流れを変える雨だ。怒りの雨なのです。必ず河口堰の建設を止めさせよう」
次々と挨拶が続く。長良川を愛する会、桑名と長良川を考える会(伊東さん)。
国会議員も数多く参加している。
最初は鯨岡兵輔氏(自民党)。以前に環境庁長官を務めている。「今日はお詫びを言わなければならない。今だに長良川河口堰の建設が止まっていないことを、今日参加の皆さんをはじめ、自然を守れと言う国民の声を国会に、政治に反映させていないことを」続いて、岩垂 寿喜男氏(社会党)、上田耕一郎氏(共産党)。
上田氏は「河口堰の建設が決まった時の環境アセス資料は、嘘で固めたものだった。堰の建設で自然環境が破壊されるという研究者の調査報告書を建設省は無視した」と批判。 さらに依田(社会党)近藤(共産党)議員の後で運動に深く関わり国会でも追及している旭堂 小繊陵(社会党)が挨拶した。(国会内では超党派の国会議員259名が「長良川を考える会」が結成されている。超党派で議員が挨拶するのもこの運動の広がりを示すものと言える)

●建設反対の結集‥ ‥
作家・俳優・学者・自然保護団体が続々挨拶
研究者の会、東海3県で2000名の大学関係者署名を集めた愛知学院大学の宇佐見さん、92年のブラジル世界環境会議市民レポート代表岩崎さん等に続いては、長良川運動に欠かせない皆さんの登場。
野田智祐さんは「建設省をぶっとばそう」、近藤正臣さんは「長良川を守ろうと言うのはもう遅すぎるのかもしれない。でも最後の自然を守りながら、死に絶えつつある日本の川を廷えらせよう」、夢枕獏、立松和平などなどが挨拶して会場は一気に盛り上がります。

●自治労が組織的参加、 佐藤本部書記長が挨拶
労働団体からは自治労佐藤書記長が「自治労は、地域住民の考え方を大切にすること、全国の河川がどうなっているのかを明かにすること、大企業や産業傑先の河川行政になっていないかなどの三つの観点から、自治体の中で長良川問題に取り組みたい」と挨拶。自治労からは関東を中心に500名の動員が行われた。
(私自身の組合であるだけに、やっぱり自治労と大満足)
どういうわけか、ナショナルセンターのみなさんとの紹介で、「仝労連」「仝労協」の代表も挨拶。
(動員も出来ずに、口先だけの団体のみなさんでした。しかしながら、島根県では連合島根に宍道湖の淡水化阻止の運動実績があるだけに、連合も参加してほしかったな)

●自然保護団体もアッピール‥
全員で「東京デモ宣言」確認

神奈川の相模大堰建設反対のグループ、北海道からも参加した団体、逗子のおばさんなど全国から参加の自然保護団体が続々あいさつ。
最後に「10・6長良川河口堰建設一時中止東京デモ宣言」が読み上げられた。
一部を紹介すると「32年前に立案され、23年前に閣議決定された長良川河口堰は、当初から都市用水のための利水目的で建設されている。それが途中から治水が主目的となり、今や塩害防止のためと強調されている。・・しかし、現在でも塩害は僅かであることを踏まえれば、建設省・水資源開発公団は何をもって建設を強行するのでしょうか。・・・東海3県、長島町民アンケートにおいても60%を越える住民が建設工事の一時中止を望んでいる事実は決して無視することはできない。
集会とデモの名に於て・・・長良川河口堰建設工事を一時中止することを強く訴える」

●怒りのデモ、東京を行く
いよいよデモになった。やけにマスコミ取材が多い。国会議員や俳優が参加していることもあるが、長良川河口堰問題が大きな社会問題として認知されてきたことの証左でもある。
雨の中、「長良川の自然を守れ!」のシュプレヒコールがビル街に響く。最初は人影もまばらな街を進んだが、東京駅が近付くに連れ追行く人々が何のデモかなと注目し始める。シュプレヒコールの声も一層高くなる。
歩きながら思った。妙な感じだ。狭山や平和運動、組合運動などのデモは何度もやった。しかし、「自然を守れ」というデモははじめてである。銭金を要求する叫びではない。決してイデオロギーの叫びでもない。ただ一つの川を、その自然を、川を共に生きる人々の生活を守れと叫んでいるわけだ。さわやかな気持ちでデモができた。
デモは、東京駅八重洲口を過ぎて常盤橋公園まで約5K皿を貫徹。
解散地点では、俳優の近藤正臣さんが、一人一人の参加者に激励の握手をしている姿が見られた。(彼は、翌週長良川現地で行われた集会にも参加している)
翌日の毎日新開は「環境保護派最大の集会」と表現していた。大いに満足である。

●さらに続く反対行動
こうして東京デモは参加者にとって満足の出来るものであったが、建設中止はまだ速い。翌週10/13には長良川現地、長島町で河口堰反対現地デモが行われた。
10/21には参議院環境特別委員会の現地視察に対して要請行動も行われている。「反対する会」は,今年の秋を最大の決戦と位置付けた。現在すでに河口堰は13の堰柱の内5本が完成しており,これ以上の建設を許すわけにはいかないのである。

今後も「一市民」「子供の親」として、自然を守る行動に参加して行くつもりです。
(91-11-4 大阪 H.Ⅰ)

【出典】 青年の旗 No.169 1991年11月15日

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【報告】東京:印刷出版支部が合宿をやりました

【報告】東京:印刷出版支部が合宿をやりました

東京の民間・印刷出版支部が9月22~23日、房総白子海岸で昨年春についで2度目の合宿を行った。印刷出収支部は隔週の会議をベースに活動し、2つの組合に影響力をを持つ元気な支部の一つである。報告は10月発行の東京都委員会通信より編集部で抜粋させてもらった。通信での報告者の感想としては報告者の事前準備が十分にされていて、内容的には充実していたとのことでした。学習会は以下の2つであったが、通信からは中身が計り知れないので、是非合宿の報告者から報告をまとめてもらいたい。
因みに、前回の合宿の内容は民主的代案の一例=ルーカスプラン、青年層の組織化の為に(意識状況)であったそうである。
学習会①『宮沢賢治の世界』AS氏の問題提起。
宮沢賢治の求めていた人間像、人間社会の有様は何であったのかを通じて、自我の解放を考える内容であった。自我主義とは、エゴイズムは是か非か?必然は、必要のない要求、欲求とは何か?等が論議されたもようである。
学習会②『労青今後の基本政策、行動綱領論議のために』MS氏が結成以来独自でまとめているもの(まだ継続中)の提起があったもようである。
また、若き!参加者から感想を寄せてもらったので、以下に記載する。(東京 Y)

【出典】 青年の旗 No.169 1991年11月15日

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