【投稿】ペレストロイカヘの「希望」

【投稿】ペレストロイカヘの「希望」
                  -シェワルナゼ前ソ連外相の著書に関連して-

<朽ちても古びてもいない>
シェワルナゼ外相が突如人民代議員大会の壇上から辞任を発表したのは、昨年12月20日であった。彼はそのとき、ベレストロイカがもはや危機に瀕していること、独裁が近づいていることを警告したのであったが、それにしても新思考外交の推進者であり、ゴルバチョフの盟友である彼が、なぜその盟友を放り出してまで辞任しなければならないのか理解に苦しむところがあった。さらにクーデター失敗後に解放されたゴルバチョフ大統領に対して突き放すような厳しい評価を下したことに対しても、共に協力しあわなければならない相手に対してこれでいいのだろうかという疑問が消し得なかった。それらの疑問の一部が今回の著書によって氷解することはまちがいない。また先のクーデター騒ぎによって、彼の警告が現実化したのであるからなおさらである。
今回の著者について、これはルポルタージュであって、回想録ではない、「回想録は引退する人間にふさわしいものだが、私はまだ政治の世界から離れる気はない」と彼は断言している。その政治の世界で彼が「きわめて貴重なもの」としているのは、当然のことであろうが、やはりベレストロイカである。「まだそれは朽ちても古びてもおらず、従って見捨てられたり忘却の運命にあるものではない。ベレストロイカは擁護を必要としている」と強調している。擁護が必要ならば、なぜその立場から辞任というような一回限りの警告ではなく、継続して反ベレストロイカ勢力を糾弾し、孤立化させる共同戦線を形成する方向に外相という立場を徹底して利用できなかったのであろうか?

<陰の権力の登場>
事態はそんななまやさしいものではなかったのであろう。すでにその当時、「1990年の9月から12月にかけて、これ以上外相を続けるのがむなしく、無価値であると思えるような動きがさらに際立ってきた。われわれの眼の前で、新思考政策のスタミナが力尽きようとしていた。」という。「一つだけ例をあげよう」として、明らかにされた事実は、90年11月パリの全欧安保協力会議首脳会議で調印された欧州通常戦力削減条約に関するものである。条約によって廃棄されるべき特殊戦車部隊の数千台の戦車を、ソ連国防相と軍参謀本部が、条約対象外のウラル山脈以東にひそかに隠し、海軍所属部隊の色に塗り変えてごまかしたという事実である。このことは日本の新聞でも報じられていた。「問題は、国の最高指導部の-員(である私)が、それについて外国の報道ではじめて知ったということだ。これまであらゆる点で逃げ口上などと無縁の、率直でざっくばらんな関係を築き上げてきたパートナーたちに向かって、ソ連外相である私が、既成事実を後日弁明する羽目になるとは‥…・」。
当然彼は、ゴルバチョフ大統領に抗議を行った。大統領は軍事顧問のアフロメーエフ元帥に事実を明・らかにするように命じた。するとアフロメーエフは、この措置を無条件に正当化するメモを届けた。「私の抗議は、彼の金属の輝きを持つ論拠の前に色あせてしまった」というのである。大統領は決然たる行動を起こすべきだったのであろうが、不決断のまま、自らの依拠すべき改革派勢力、民主勢力を見い出しえないまま、ないがしろにされることとなった。軍の首脳達は、この時点ですでに自らも大統領と共に条約交渉に参加し合意してきた内容を、何の恥じらいもなく、大統領にも遠慮なく破壊し始めたのであった。つまり、「陰の権力は失地を回復しつつあった。晴間の中から顔を出し、公然と行動を開始した」のである。

<保守派過信の経緯>
そこでもはや外相辞任という選択以外に、道は残されていなかった、という。しかし「私の辞任は、不同意、反対、そして警告を込めた行為だった」のであり、「それに私は友人を見捨てたわけではない。辞任することで、彼が目標を取り戻すのを助けたいと思った」のであった。「私は警告し続けてきたのだ。だがなにも効果はなかった。」辞任は結果として、改革派勢力を落胆させ、ゴルバチョフを保守派の囚われ人にしようとする勢力を勇気づけたといえよう。辞任声明と同時に、「独裁の亡霊にとりつかれた人騒がせな男」「責任への不安」「批判に対する神経過敏さ」「シェワルナゼの神経は参っている」などといった非難が、ルキヤノフやヤナーエフといった後の非常事態国家委員会をでっち上げた陰謀8人組から発せられた。「私に向けられた非難の合唱の中でモスクワのボナパルティズムは登場を待ちわび、ブリユーメル18日がすでに意図されていた」わけである。
かくして「陰の権力は合法的権力のかたわらで快適に過ごし、姿を隠すこともなく、合法的権力構造の破壊工作を行っていた」のである。91年1月のバルト諸国に対する軍事力の行使・流血事件に対しても、大統領は知らされていなかった、黒幕が誰かは知らないと述べて、その責任さえ問われないという事態にまで進展した。あのあまりにもおざなりなクーデター騒ぎは、このような経過からすれば簡単に権力を奪取できるし、たいした反撃もないであろうと過信した保守派勢力の時代錯誤にあったといえよう。結果としてゴルバチョフが彼らの期待するような囚われ人ではなかったし、63年、同じくクリミアで休暇中のフルシチョフ首相を嶺室で勝手に更迭しえたときとは違って、なによりもソ連社会はベレストロイカによって大きく変化し、これまでのように従順に非民主的な政変劇を黙って見過ごすような社会ではなくなっていたのである。

<しのび寄る第2の政変>
ソ連週刊紙モスコー・ニューズ(10月13日号)によると、第2の政変の危険を警告した文書(米国カナダ研究所、欧州研究所、KGBの幹部、専門家らが作成した情勢分析文書集)が出され、それは「しのび寄る政変」の形を取り、来年1月中旬から末にかけてその時期に入り始めるという。それは去る8月の喜劇的な政変とは似ても似つかぬ本格的な政変であって、その指導者となるのは先のクーデターを支持しなかったKGB一共産党一軍産複合体の第2陣であろう。現在これら軍産複合体に従事している人々は1140万にも及んでおり、解雇されつつあるKGB、共産党の要員達、住む家も持たずにドイツや東欧から引き上げてくる10万人以上の将校達がさらにこれに加わり、これらの人々は死に物狂いで戦うだろう。反乱は冬を越す燃料の枯渇、商店の棚が空っぼになる事態に呼応して、「パンをよこせ」に始まり、急速に協同組合商店への攻撃、商業網センターの奪取、自主管理委員会の結成、軍の分裂、民族間紛争の内戦に発展する頃、政変の本物の指導者達が登場するだろう、というのである。この文書集では、このような事態をいかに阻止するかについて、現在の勝利者たち(民主勢力)が権力を手中に収め、中央の統治機構を創設し、諸共和国間の集団安全保障体制の創設条約を締結することを提案しているという。
この文書の流布はKGB筋の挑発という見方もあるが、事態の深刻さが放置されている限りは楽観できないであろう。シェワルナゼ氏が著書の最後で「まだ多くのことが起こり得る。幸福感に溺れていてはならない。まだあらゆる可能性がある。最後の戦いを決心した社会機構が断末魔の叫びを上げているときには、あらゆることが起こり得るのである。八人の共謀者が陰謀のすべて、独裁のすべてではない。彼らは多くの支持者を当てにしなかったから、暗黒の目的を実現できなかったのだろう。」と述べているとおりである。

<「希望」はどこにあるのか>
現在の勝利者たちが民主勢力であるといえるのかどうかは別として、保守勢力が大きく後退した現在、自治と分権、公開と大衆参加、そして三権分立にもとづいた民主主義的基盤(そして、これこそが追求されるべき社会主義的基盤であろう)を制度的にも社会的にも確立する大きな可能性が存在していることは間違いない。にもかかわらず「全体主義の大学から民主主義の(より高度な)大学院へ移行する過程には、病的な行き過ぎと喪失が満ち満ちていたことが証明された」のであり、「権力を欲する者達は民主的な制度を、横暴な要求をカムフラージュするために公然と利用してきた」ことが厳然たる事実である。「我々は政治的には無知だった。上から指令を出すという古い方法で、新しい現実を築こうとしたのだ」という切実な反省は、著者やヤコプレフ氏らが共同議長として組織している「民主改革運動」等々、ベレストロイカを支え、大衆自身のものとして現実化する組織、運動、党の再構築、そしてそれらの結集と共同戦線を最大の課題としているのではないだろうか。著者は、「希望」の最後を「一度始めたことは、続けなければならない。このために語り、書き、行動しなければならない。」と結んでいる。
(エドアルド・シェワルナゼ著「希望」91.10.30.朝日新聞社発行 2200円)

(生駒 敬)
【出典】 青年の旗 No.169 1991年11月15日

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『詩』 名もなき党員たちよ

『詩』 名もなき党員たちよ

                 大木 透

特権もたぬ
名もなき党員たちが
声をひそめる
ついぞ最近まで
党エリートであった者たちが
党本部を再占拠し
群衆を
魔女狩りに
かりたてる

俺は憶えている
初来日の
ヤコブレフを
党決定ばかり繰り返す
つまらんパネラーだった
ビソツキーが
絶唱していた時
唾を吐いて通りすぎた
大男は
一体誰だったのだろう

いま
おかしなことに
ロイが
保守派と罵られ
嘲笑されている
ブレジネフの
手先になって
彼を
虐げたのは
誰だ

ロイは
昔に戻れ
新旧ノメンクラツーラの
厚い仮面を
剥ぎ取れ

ミハイルよ
エリツィンよ
その他云々よ
君達は
潔白と言えるのか

特権もたぬ
名もなき党員よ
寄り添って
嘆いている時ではない
いまこそ
ロイを
党首に仕立て
告発者として
立ち上がれ
         (1991.8.31)

【出典】 青年の旗 No.169 1991年11月15日

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【書籍紹介】大賀正行著「第三期の部落解放運動-その理論と創造」

【書籍紹介】大賀正行著「第三期の部落解放運動-その理論と創造」
      91年7月31日発行、解放出版社人権ブックレット、618円

第三期部落解放運動とは何か、それがこの本のテーマである。なぜ第三期を強調するのか、その点について「第三期を強調するというのは、今まで通りのやりかたではいけない。部落民とは何か、部落解放とはどういう状態をいうのか、理論的にもはっきりさせて、完全解放ということを射程に入れて、お互に知恵を出し、腹をすえてとりくもうということです」と述べている。今までの運動をふりかえってみれば、「第一期の糾弾闘争主導の水平社運動は外堀を埋め、第二期・行政闘争主導の部落解放同盟時代は内堀を埋めたとするならば、第三期においていよいよ完全解放を射程にいれた運動をする時代なのです。そういう運動だということを自覚して私たちの運動を変えていこう、新しい運動を創造していこう、ということなのです」と、率直な問題提起が口語体の非常に分りやすい形で行なわれているのがこの本の特色となっている。
第三期の提唱についてもう少し紹介しておこう。「第一期の水平社時代の運動は、差別者に対する直接の抗議という形態を取って展開しました。第二期の段階は、差別事象のみが差別なのではなく、差別は生活や環境の中にあると規定し、それを放置してきた行政は差別行政であるというように、差別行政糾弾闘争が闘われました。そして同対審答申や特別措置法を勝ち取って、一定の成果を上げることができました。どちらも素晴らしい運動なのですが、言ってみればどちらも自分のことが中心でした。第三期のこれからの運動はすべての人の人権や生活に関わるような運動に発展させなければならないと思います」と述べる。そしてここからがまさに著者の真骨頂なのであるが、この第三期の本質をゴルバチョフのペレストロイカ、「新しい思考」と同じ本質のものとしてぴったりと結びつけていることである。階級的価値や民族的価値に優先する人類的価値、「人間は、理性と良心とを授けられており、同胞の精神をもって互いに行動しなければならない」という世界人権宣言の「この文言が、常識になる、そういう時代へ今、人類は移行しつつある」と強調して、国際化と人権の基調の上に立った運動の課題を提起している。ぜひ多くの方が読まれることを!                (I)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【コラム】ひとりごと –トータルな労働者の生き方–

【コラム】ひとりごと –トータルな労働者の生き方–

▼「ゆとり・豊かさを実感できる」・・連合の総合生活改善闘争のスローガンである。たしかに、「世界で一番の経済大国」と言われながら、日本の労働者の生活は、長時間労働や高物価、地価の高騰など寂しいばかりで「ゆとり・豊かさ」とは程遠いのが実感ではある。住宅水準や公園・下水などの社会資本整備は、欧米に遠く及ばない。近年は日本の誇るべき自然環境も破壊が一層進んでいる。
▼ 確かに「賃上げ」や「労働時間短縮」は必要であり、週休2日制は早期実現したいものだ。しかしそれだけではたして「ゆとり、豊かさ」が実感できるだろうか。
もちろん連合指導部も時短だけとは考えていないだろうと思う。
私が強調したいのは、現在の「ゆとり・豊かさ」論に「自然と人間との調和」や「国際的な連帯」という観点をほとんど感じられないということである。
▼ 金満日本という批判がある。千億単位の金融疑惑。労働者に一戸建ての家という期待が不可能になった今、海外旅行が増え、労働者も利殖に頭を悩ましているという面も生まれている。毎年電力使用量は延び続けて、ゴミを捨てるのに困るほど、物が消費され、廃棄されている。近年のリゾート開発は日本の自然を破壊することで「ゆとり」の場所を提供しようとしている。しかし、世界最大のエネルギー消費を行うことは、成長国の特権だとはもはや言えない時代である。
▼「ゆとり・豊かさ」とは多分に精神的なものであり、もっと人類的なものであろうし、労働者の生活の質を、思想を問うものである。連合も結成初期の「遠慮」を捨てて、もっと活発な内部論争を通じて、トータルな労働者の生き方を問い続けなければ、魅力をなくしてしまうことになる。               (I)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【報告】’91フォーラム関西 第3回例会開催(9/8)

【報告】 ’91フォーラム関西 第3回例会開催(9/8)
                「社会党改革と連合労働運動」をテーマに

91フォーラム関西・第3回例会が、去る9月8日に開催された。「社会党改革と連合労働運動」をメインテーマに、日本社会党大阪府本部の荒木伝副委員長と全国金属機械労働組合の嶋田一夫書記長から問題提起を受けた。はじめに、社会党改革について荒木副委員長から報告を受けた。

<<社会党改革、政策主導の政党に>>
4月の統一地方選挙における社会党の敗北から、党改革の論議が活発化し、その結果、7月の臨時党大会で執行部の党改革案が一部修正により可決された。政権を担いうる政党へ脱皮するための、党改革の一定のコンセンセスが形成されたと言える。
今回の党改革の内容として、党内論争となっていた論点である日米安保条約や自衛隊、あるいは原発政策などに関する等の姿勢が大々的に取りあげられているが、もう一つの重要な柱として、政策部門重視の政党を志向し、書記局主導であった党運営を国会議員主導に切り替え、院内総務の総務会が執行権限を持てるようにしたことは重視されなければならない。

<<社会党を支える二つのベクトル>>
参議院選挙における社会党の大躍進により与野党の逆転現象が生じた時に、社会党に何を期待するかという国民の世論調査では、「自民党との妥協も恐れず、現実的な対応を取ってほしい」という意見と、「安易な妥協は瀬図、自民党政治を監視する役割を果してほしい」という意見がほぼ半数であった。
つまり国民の意識としては、「社会党に政権を取ってほしい」というベクトルと、「自民党の誤った道を訂正し、チェックする機能を果してほしい」というベクトルがほぼ同じ力で社会党を支えており、どちらの足を取っても大きく揺れ動く状況にあると言える。そうした中では、自民党政治をチェックする機能を果たしながら、社会党の提起する政策を実現していく政権を、どのような形で構築して行くのかということが検討されねばならない。

<<政策展開システムの手法>>
政策という場合、いくつかの段階に分かれる。例えば、①現状を根本的に変えるマクロ的な政策、②公定歩合の上げ下げといった、現在持っている政策手段のどれを使うのかという政策、③その中間として新しい立方や行政、法令などにより制度を新しくしていくという政策、という具合いに様々な段階の政策がある。
安保廃棄にせよ、非武装中立にせよ、社会党はマクロ的な政策だけで、大味な議論しかなく、②や③を積み上げて行くという方法が決定的にない。この場合、整合的に三つを追求して行く姿勢を持たない限り、非武装中立を実現していく政策的な手だては結局なくなり、オールオアナッシングに終わるか、ずるずる妥協を重ね、体制内政党になるのかのどちらかしか道はない。野党を結束させ、どこで自民党をチェックしていくのかということを追求していく、そういう政策展開手法が社会党の中で成熟していない。

<<世論と政策のかい離>>
社会党の場合、政策と世論との間にかなり大きなかい離があるが、それは野党の宿命である。大切なことは、どの程度、そのかい離をきっちり見つめているかである。世論を無視しては政治はありえないが、世論だけに依拠していては政治の未来はない。
非武装中立を支持している国民は約20%であるが、社会党はその小数世論に足を置いている。こうした世論の状況に対し、非武装中立という理念に向かって、今踏み出すのは何かということが問われなければならない。例えば、日米安保の問題についても、全欧安保のような枠組みがアジアにおいてもできていれば、日米安保が存在していても実質上その機能が発動されなくなる状況を作り出すことは可能である。非核3原則の厳守や軍事費の凍結など、外枠を全部埋めていくことによって、最終的に日米安保を機能停止の状況に追い込んでいくそういう方法を取らない限り、日米安保存続か廃棄かという、そのレベルのマクロ的な論争だけでは国民の支持は得られない。

<<大衆運動の要求と政策>>
大衆運動の要求は、ダイレクトに政策や行政レベルの課題になりきらない。大衆運動の要求がただちに政策になるのなら、政党はいらない。
清掃処理工場の設置の問題についても、反対の住民運動が巻き起こる。しかしながら、どこかで処理する必要はある。その場合に、人工何人に対して、一つの清掃処理工場が必要だという地区処理の原則を政策として打ち出せるか否かである。
党の政策と大衆運動の要求とは必ずしも一致しない。一致しないからこそ健全なのであって、泥にまみれた中から一歩一歩改革していくしか社会の改革の道はありえないし、政権への接近もない。

続いて、金属機械労組の嶋田書記長から「連合運動の総括的視点」と題する報告を受けた。

<<総括の視点>>
①政治主義への傾斜(総評)--大衆行動の否定(同盟)
官公労を中心とした総評労働運動が、実質的に社会党の選挙を担っている現実の下では、組合幹部の天下りを社会党が受けざるを得ない客観的な条件がある。そのことが総評の政治主義への傾斜を強めたと言える。一方、同盟は労基法の一般的拡張などの問題に積極的に取り組んでいるが、そうした課題において大衆行動を提起することについては否定的な考えである。
大衆行動を提起しながら、賃金・労働条件の社会的な水準を確立していくという労働組合の固有の課題にどれだけ取り組んでいるのかということが問われなければならない。

②組織方針の弱点--産業別労働組合の強化
組織方針上の問題として、産別加盟の原則が地域のナショナルセンターの機能を妨げているという問題がある。ほとんどの労働組合が企業別に組織されているという現状の下では、地域の中小、未組織の組合をどう組織していくのかといった場合、一つの大きな壁にぶちあたる。これでは広範な労働者を組織することはできない。
さらに、連合の大単産の複合産別化という組織方針により、資本系列べつに組織化を進めるという構図が進んでいる。

③労働組合主義(トレード・ユニオニズム)の見直し
労働組合主義という言葉は、経済主義のみを重視して、政治的には体制に従属していると言うイデオロギーであって、悲観的な言葉として使われている。イデオロギー的な側面のみではなく、もっと素直に労働組合運動そのものの立場に立って、連合労働運動をどう強化していくのかということを考える。そしてそこから反撃をするということが大切なのではないだろうか。

④労働組合と社会改革
労働組合は社会科威嚇を担う勢力であるという自覚を持たなければならない。そうした運動を具体的に提起する任務を有している。すなわち、福祉国家論を正面に据え、どういう社会をめざしていくのかということが議論されなければならない。

⑤両輪の国際主義へ(ILOなど国際機関と労働運動)
東西対立から協調の時代へと変化しているが、ILOの国際的な公正労働基準を連合に持ち込んでくることが求められている。ビックユニオンとしても、それを否定できない客観的背景が厳然としてある。

<<連合運動の評価と課題>>
①連合の組合機能をめぐって
連合は、自由にして民主的な労働組合をめざしているが、実質を伴わない形式的(民主的)運営の弊害がある。全ての参加者から公平な意見の時間を確保しようとするため、例えば、同一の日に各種機関会議が行われる場合、三役会議で発言した産別の組合は、その後の中央執行委員会では発言できないという決まりになっている。形式的な平等にとらわれずに、様々な討論がもっと行われる必要がある。
また、現在三役は25名いるが、多くても10名位にすべきだということが、組織の検討委員会で議論され、承認されたとしても、三役の了承なしで決めるのはおかしいという意見が大勢を占める。さらに、組織強化拡大委員会と財政委員会が全く切り離されて議論されているため、どういう運動をするのかという総体の議論がなされていない。このように縦(産別)と横(地域)の組織的柔軟性の欠落がある。

②労働諸条件の闘い
連合春闘においては、7単産調整会議(自動車総連、電機労連、電力労連、情報通信労連、鉄鋼労連、ゼンセン同盟、私鉄総連)で水準相場や主要な戦術などが決められる。この中で東京だけでなく全国的に、そして特に中小を組織している金属機械を、その調整会議の中に入れろと要求している。連合の山田事務局長も趣旨は同感と答弁しているため、JC4単産の相場形成をどう突破していくのか、大衆のエネルギーを使った春闘をどう作っていくのかという観点から、調整会議に参加することを追求しながら賃金闘争を闘っていきたい。
時間短縮闘争については、「賃上げか時短か」、「賃上げも時短も」という「かも論争」が行われているが、鉄鋼労連を中心に意図的に春闘の新たな中心にすえられてきている気がする。鉄鋼労連は交替制の職場であり、実感的に残業が規制されているため、時短を推し進めやすい環境にあると言えるが、管理春闘で主導権を握ったように、連合労働運動のヘゲモニーを時間短縮で握ろうとしているように思われる。
人手不足の状況下で、そして総量規制の伴わない下での時短は、単位労働時間の密度が高まり、新たな労働強化の攻勢となって現れてくるのではないだろうか。松下は1800時間で合意したが、その危惧は大きく、関東のメーカーでは現在のところ合意に達していない。松下の推移を見守る必要があるだろう。そして、長時間労働が及ぼしている周辺のテーマ、過労死や単身赴任などの問題にも積極的に取りくまなけれならない。

③政策・制度改善の闘い
エネルギーや税制、土地問題など政策的に意見の一致しない課題が非常に多く、また要求が出来るだけ政策として実現できなければならないと言う考えから、政策化できるのが要求となっているという現実がある。今回、老人保健法の改正について、官僚と一緒に政策作りを行い、連合と日経連と健康保険連合会の三者で、国庫負担の引き上げを前提に老人の個人負担の引き上げを認める共同の要求を提出したが、大蔵省、厚生省に蹴られ、結局合同要求と異なる改悪案が国会に提出された。政策を実現していくプロセスの問題として、整合性を考えずに大衆的組織として直接的な生の要求を強める必要があるのではないだろうか。
労働組合は組合員の利益を守ることが大切だと言うが、ナショナルセンターとしては、そうでないことをしてほしい。その視点に立つと、米の問題については対米摩擦を緩和するために、電機も自動車も産別の利害が先行するために自由化に賛成することになる。これでは組合なのか産業の代表者なのか分からなくなる。組合員のためにと問題を立ててくると議論が噛み合わなくなる。この点がすべての政策論議の問題の中で最大の問題となっている。

④政治路線をめぐって
連合の政治勢力を巡って、自民党と対抗する社民勢力の結集を推し進めるのか、自民党を含む政権交替を可能にする政治勢力の形成を図るのかという二つの勢力の争いがある。これは、旧同盟、旧総評という枠ではない。
大衆運動としては、どこに行くのか分からなければスタンスも決まらず、やりにくいという側面がある。「自由・平等・博愛」というスローガンもいいが、同じ自由でも、狼の自由もあれば羊の自由もある。社会民主主義を正面に掲げて自由の中味を明確にしていかなければならない。

<<社会党の改革について>>
東海閣の議論がどれだけ公開されていたのかが重要なことだ。政策の見直しだけでは改革ではない。組織を変えることが改革なのだ。党だけではなく、どういう政治勢力を作るのかという運動が提起されなければならない。原発反対を言うのであれば、今の生活水準を落とすということを大胆に言わなければ、今の情報社会の中では組合員は納得しないし、電機・自動車の単産と論議したらとてもじゃないが議論に耐えられない。どういうレベルでどういう生活をするのか、また誰が生活のレベルを落とすのかと言う問題はあるけれど、大胆にあるべきこれからの社会はこうだという提起が必要だ。長期的に展望して社会党が示すべきものと国民の要求とが衝突してもいいし、また、その時に言わなければ社会改革は出来ない。政党にはどういう社会を作るのかということを言う責任がある。

<<総評センターについて>>
総評センターは連合が担えない運動を化と的に担う位置づけで、組合費を払って存続させている。4月26日に掃海艇が湾岸に出発すると言う前日の25日に総評センターの総会が行われたが、決議も見解も示さなかった。見解を求めたところ、見解は持っているが連合に配慮してやらない。不団結を拡大してはならないとの答弁だった。それに対して何も抗議できないのであれば、総評センターはいらない。みしろ連合の平場で論議したほうがマスコミも取り上げてくれるし、社会的な問題として論議できるはずだ。

以上のような問題提起の後、参加者から活発な意見交換、討論が行われた。次回は、ソ連情勢・共産党の解体などの問題をテーマにフォーラムを開催することを確認して終了した。             (文責 大阪 T.O)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【投稿】大国主義・覇権主義の党の解体と評価

【投稿】大国主義・覇権主義の党の解体と評価
—反省なしの日本共産党—)

当初はソ連クーデターについての感想を、との話であったが、その後事態が共産党、ソ連邦の解体へと急速に進んでいることもあり、これらを視野に入れて述べたいと思う。
この間の事態を見ながら思ったのは、日本共産党の反応である。
日本共産党の公式の反応は、「覇権主義、大国主義路線の当然の帰結であり、我が党とは関係なし」と涼しい顔をしている。
しかし考えてみればソ連共産党の解体の原因は、党内、および国内民主主義の問題について、決定的に間違った方針に固守してきたからであり、いわば内部崩壊である。
日本共産党のいう「覇権主義、大国主義」問題は、ゴルバチョフ政権のペレストロイカ諸政策のうちでもっとも改革が進んだ問題であり、いわいる新思考外交が核軍縮など今日の新たな国際情勢を切り開いたことは、それこそ国際的な常識であって、清算済の問題である。
確かに日本共産党は、これまでにソ連主導の国際共産主義運動を批判してきた。しかしその間もソ連の内政問題については批判をしたことがなかった。もっともこれは「内政不干渉」と言い逃れることができるかもしれない。しかし、つい5年ほど前でも「赤旗」紙上に「安定したソ連の市民生活」「社会主義制度の優位性実証」などという記事を載せていたという事実は消すことができない。はたまた、日本共産党はルーマニア革命の時ように「知らなかった」と逃げるのであろうか。
日本共産党が、過去このような対応を取り、現在でも的外れな論評を行うのは、崩壊した共産党と同一の非民主主義的体質を持ち、それを批判することは、自己否定になるからである。
例えば上田耕一郎は「朝日」のインタビューで「ルキヤノフが一番しっかりしていると思う」などと答えている。その時点ではルキヤノフが、クーデターの黒幕とは判明していなかったから本音を述べたのであろうが、スターリン主義者同士は、直感的にわかりあえるものなのだな、と変に感心してしまった。だからソ連共産党の解体の原因は、民主主義の欠如にあったなどとは、絶対に言えないのだ。ちなみにエリツィンは、その著書「告白」でルキヤノフを厳しく批判している。
しかしこの間日本共産党は彼らが支配していた地方自治体や、労働組合から追放されつつある。それは、そこに存在する市民、組合員が日本共産党の体質を見抜いているからである。その意味では日本も国際情勢から無縁なわけではない。実は日本は共産党が支配しているわけではないけれども、人権、民主主義が低水準にあることは明かである。この間の国際潮流を日本的反共主義への収斂に終らせることなく、日本国内の民主主義の拡大に取り組んでいかなければならないと思う。(9/1 大阪 0)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【投稿】「南北問題を中心に捉える」とはどういうことか

【投稿】「南北問題を中心に捉える」とはどういうことか

(この原稿は9月号掲載の「ソ連・東欧の激変と先進資本主義国の特権的繁栄について」と題した投稿文章と一緒に送られてきた奈良の石田さんのものです。紙面の都合で今月号の掲載となりました)

原稿にある「南北問題を中心に捉える」とはどういうことかについて補足します。

a 「特権的繁栄」の事実を、労働者はみんなよく知っているのです。つまり(先号でどなたかが書いておられたように)「過労死するまでコキ使われて、家も持てない」ことに不満を持つより、東南アジアやアフリカに比べれば、いや、ソ連東欧なんかに比べれば、日本はよほど住みよい所だ、いい国だ、とみんな思っているわけですよ。だから、決起なんかするはずはない。決起したって、ロクなもんじゃない。日本の労働者は、今でも十分に特権的なゼイタクなくらしをしているのであって、「もっとゼイタクをさせろ」と叫ぶ労働運動なんて、やってもしょうがないんじゃないのか。
b では、どうするのか。「プロレタリア国際主義」という言葉があったでしょう。これの今日的な内容は、「日本人だけがこんなにいい暮しをしていいのか。もっと低開発国に、無利子、いや無償の援助をすべきではないのか」という問いかけだと思うのです。また、日本国内においても、老人、障害者など、不利な立場にある人々に対する手厚い福祉が必要です。これらのためには、増税もやむをえない。
「我々はもっと恵まれない国々、恵まれない人々に目を向けるべきだ。自分たちだけがいい目をしているのは罪悪だ」という正義の叫びが必要なのです。そのために、増税も、きちんと位置づけるべきだ。エゴの運動はもうダメです。労働組合も、組合費を上げてでも、国際連合(ユニセフ)への寄付でもやって、「我々は世界の労働者(貧しい人々)に手をさしのべるのだ」という姿勢を持つべきです。そうしてこそ、資本(金持ち)に対しても、自分勝手な金儲け主義を批判して包囲していけるでしょう。「バブル」で儲ける輩に対する怒りも、一層とぎすまされるでしょう。
c 甘ったれた博愛主義だと嗤うのは勝手です。しかし嗤う人は、プロレタリア国際主義の今日的な内容は何なのかを示してください。「家を持つ」ことが何ですか。賃貸でも何でも便利に住める場所がありさえすれば十分ではないですか。「持ち家」の要求なんて、小ブルジョア根性でしかない。そんな要求の運動で革命的な意識なんて育つはずがない。 過労死寸前まで働くのだって、一面では好きでやっとるわけですよ。少しでもいい暮らしをしようと思ってね。その結果、今日の繁栄があることも事実なわけでたとえ資本家は労働者以上に儲けているにしても、労働者も儲けているのは否定できないのです。)この点、労働者が一応組織されていて、議会制民主主義や自由な報道がかち取られている今日においては、マルクスの言った「絶対的貧困化」というのは阻止されてきたようですね。マルクスが生きてきた時代とは、色々な条件が変わっていて、ことに帝国主義国の特権があるから、労働者もそう貧乏クジばかり引かされる立場ではなくなっているわけでしょう)
だから、今、本当に資本に対する怒りを労働者が心底感じるためには、労働者にしか持てない「プロレタリア国際主義」の今日的な発現としての、南北問題の提起、国内でも弱者---差別されている人々---を解放するための正義の闘いの提起が、何よりも必要なのです。そして、口先だけでなく、自らの腹を痛めて、つまりカネを出して、正義の実現のために献身すべきなのです。これは、労働者階級が中心になってこそやれることであり、この闘いを通じて「なんで資本は自分が儲けることしか考えないか」「なぜ金持ちはもっとカネを出して我々の闘いに協力しないのか」という意識が組織できるはずです。
d こういう質の運動は、自分の物質的利害と直接合致しないだけに、きわめて困難なものだと予想できます。しかし、「24時間テレビ」だの郵便局の「国際ボランティア貯金」だの、資本の側、権力の側にさえこのような正義の要求を反映した企画があり、一定の反響を得ている事実があります。
高福祉国家、国際貢献をする国家、世界において正義を実行する国家という主張は、少なくとも誰からも後ろ指をさされる事のない(正面から反論できない)、説得力のある主張だと思うのです。誰よりも高い理想を掲げ、人類全体の幸福を正面から主張するのが共産主義者であるとすれば、たとえ最初はウケは悪くても、勇気を持って主張すべきでなのではないでしょうか。少なくとも、「過労死寸前なのに家が持てない云々」と語りかけるより、よほど胸を張って語れることだと思うのですが。それに、言い落としていましたが、核戦争の危機が遠退いた今、全世界的な視野からみて人類全体の幸福を課題とした場合、この南北問題こそが最大の懸案となっている客観的事実があるのではないか。これにこたえることが先進国の労働者の世界史的な責務ではないか、ということを付け加えます。 この観点から、現在人々の口によくのぼる「国連中心主義」と言うのは、正しい問題意識ではないかと思います。政策全体の中に位置づけて,PKOだろうが何だろうが、やってもいいのじゃないか。憲法改正をやって、国連軍の一翼の性格をはっきりさせていく考え方があってもいいのじゃないか。(田辺社会党の自衛隊容認は、戦略的な構想なしに「自衛隊違憲では票がとれない」という発想からの、なしくずし路線変更のように思えるのですが)ただ、このへんは、何となくそんな気がするだけですから、聞き流してください。             (奈良 石田)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【投稿】クーデター後のソ連はどうなるか

【投稿】クーデター後のソ連はどうなるか

三日天下に終ったクーデター
8月19日に軍部・KGB・保守派が中心となって企てたクーデターはロシア共和国エリツィン大統領を中心とする民主派が勝利を収める形で終結した。
クーデターの引金を引かせた二つの大きな要因として、エリツィン・ロシア共和国が採択した勤務時間中の党機関活動禁止条例と翌20日に調印される予定であった「新連邦条約」があげられる。
新連邦条約が調印されれば、共和国税として徴税したあとでその何%かを連邦に納入するなど、共和国主導で連邦税を処理することができ、通貨政策、銀行制度においても共和国の自主権が強まることになる。17日に行われた連邦の内閣幹部会でもパブロフ前首相は「連邦条約が調印されれば、連邦政府は権力空白状態に陥る」と公然と批判していた。
また連邦財政の歳入が減少し、軍事費が歳出の43%を占めるまでになっているなど、連邦財政が苦しい現状の下での条約の調印は、軍の基盤の形骸化も一層加速されることになる。この危機感が、つまり共和国の主権を拡大する「下からのベレストロイカ」の動きに対する保守派・軍部の危機感が、クーデターの直接的な原田であった。
しかしながら、終ってみれば今回のクーデターは、喜劇的とも言える結果となった。軍隊の実行部隊が命令を拒否、民衆の声も独裁反対に回った。すでにソ連国民の民主主義意識がどれほど強まっているか、諸階層の利害に応えることもなく、旧来のイデオロギーに依拠した特権の維持としか国民に映らないことも理解できない連中の時代錯誤的行動であった。結果はゴルバチョフや民主勢力が6年かかっても出来なかった民主化を僅か2週間たらずで一挙に実現させたと言うのは、歴史の皮肉であろうか。

クーデターを打ち倒したもの
エリツィンは、今回の動きは反憲法的なクーデターで国民に対する犯罪であるとし、ロシア共和国では国家非常事態委員会の決定は一切効力を持たないとし、無期限のゼネストを呼びかけた。クーデターを打ち倒したのは、ロシア共和国政府と市民、兵士、ジャーナリスト、炭鉱労働者たちの毅然とした抵抗のカである。
ベレストロイカの成果である、グラスノスチ、民主化、新思考外交による西側世界との協調関係は確実にソ連に根付いている。ベレストロイカによる民主化の動きが力強い底流となっており、それゆえに民主派が勝利を収めることができたと言える。

ソ連邦解体の動き
ゴルバチョフが解放されたのち、クーデターに関与した連邦の国防相・内相・KGB議長らの後任人事がすべて9共和国との協議で決定されるなど、連邦と共和国との力関係が一変した。ゴルバチョフの政治的影響力の低下と各共和国の発言権の増大が明白な事実となった。新連邦条約も現行の内容より、より共和国の権限を強める内容のものに修正される見通しである。
共和国独自の警備軍構想も明らかにされており、共和国の権限が強化されると共に、炭鉱の共和国への移管など、基幹産業を連邦の中央官僚支配から切り離し、共和国独自の市場経済への移行を図る動きが今後一層強まるだろう。
そして、さらに事態は人々の予測を越えた方向に突き進んでいる。独立を容認されたバルト三国に続き、ウクライナ、モルドバも連邦からの独立を宣言し、カザフも連邦の内閣や議会は不要とする見解を示している。また国家連合方式を主張するカザフは、連邦機関の長へのロシア代表の起用は共和国の平等に反すると、ロシア共和国主導による連邦の新体制の形成に不満の意を表明し、共和国間の対立も深刻化する動きがある。

ソ連共産党の解散と新党結成の動き
今回、ソ連共産党の現職の書記長が非合法的に軟禁されるという事態の中で、共産党は何等社会的な力を形成することができないばかりか、逆に共産党の中枢機関である中央委書記局が、ゴルバチョフ大統領追放のクーデターと非常事態体制導入を積極的に支持する方向で動いていたことが暴露された。国民の共産党離れは、これで決定的なものとなるであろう。22日には党の民主的再建は可能と述べていたゴルバチョフ大統領も、25日には共産党書記長を辞任し、ソ連共産党の解散を勧告し、東欧諸国と同様にソ連においても、民主化をめざす広範な人々が結集する新党の結成が今後の注目すべき動きとなっている。
(9月10日 大阪 T.0)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【投稿】わたしの「ソ連共産党崩壊」

【投稿】わたしの「ソ連共産党崩壊」

ソビエト共産党が、なくなろうとしている。
ソビエトでは、共産党が怨嗟の的となっている。いくらなんでも非合法にすることはないのでは、と遠い国にいる私たちは思うが、当事者たちは、ナチに等しいものを非合法にして何が悪い、といったふうな気持ちなのだろう。「レッド・パージ」が進もうとしている。
わたしは、80年代前半の学生時代、政治党派に属していた。ソビエト共産党を中心とする国際連帯を是とする学生左翼党派である。
そこでは、現在批判の的とされているさまざまなことが、基本的にはよしとされていた。たとえば、対外政策におけるブレジネフ・ドクトリン。内部における民主集中制。そして何より、社会主義経済体制の資本主義に対する優位性。
すでに「プラハの春」の悲惨も、「収容所群島」も歴史的事実となり、アフガン侵攻も行われた後である。日本での反ソ感情はピークに近かった。ソ連経済の停滞も明らかになりつつあった。
そんな中で「親ソ」的な団体に属するのは、反時代的な行動であった(それ以前に、政治党派というもの自体がすでに化石化していたが)。しかしわたしは、「反・反ソ」の気持ちからその党派の「親ソ」を容認した。
上記のようなソ連の問題がすでに噴出していた時期である。「ふつうの学生」たるわたしは、社会主義ソ連万歳、とは思えなかった。しかし、その党派では、ソ連のすばらしさを喧伝して、社会主義の優位を「大衆」にしらしめる、という古風な啓蒙精神が残っていた。80年代以降の大学生の多くは、政治的にはほとんどなんの経験も知識もないままに大学に入ってくる。それ故に、党派では、若くても時代錯誤的なソ連社会主義賛美に陥る人間もいた。わたしはそれを滑稽と思いながらも、積極的には反対しなかった。反ソ・反社会主義の風潮の中で、その積極面をきちんと伝えていくことは意味がある、と思ったからだ。さまざまな問題点はありながらも、ソ連社会の下部構造は搾取のない民主的なものであり、それに見合った上部構造は、これから整っていくだろう、というのがわたしの考えだった。党派の方向性を変えるようはたらきかけることもなかった。
この反社会主義的な風潮の中で、社会主義の良さをうったえることは意味のないことではない、というエクスキューズの中で、党派の人々の、そして自らの判断停止を許していた。ソ連を善とする人々の確信をつきくずす自信もなかったし、さしせまってそうする必要も感じなかった。外部から社会主義の困難を無責任になじる「インテリ」にもなりたくなかった。
また、組織内の「民主集中制」の内実や、「大衆を指導する」政治党派のありように、深い考察を加えることもしなかった。そうしてわたしは、多くのことに対し判断を保留したままでいた。「とりあえず、意味のないことじゃない」と。
いま、ソ連共産党員は、社会から追われようとしている。そのなかには、ソ連共産党に批判を持ちながらも、内部にとどまり、しかし党を変えることのできなかった人々も多く含まれているだろう。 わたしの属していた党派は、幸か不幸か、学内でもあまり大きな勢力ではなかった。とくに「ソ連社会主義支持」の世論をつくることは、わたしの在学していた80年代にはほとんど不可能であった。
もしわたしたちが大きな社会的勢力であり、ソ連共産党の内外政策を支持し、それと類似のことを日本で遂行することができていたなら、わたしも、いま、この社会から石もて追われているのだろうか。
ソ連共産党の困難を-あるいはその消滅を、わたしの困難、わたしの中のある部分への否定として受けとめなければならない。その非民主性、対外政策の誤りへの批判を、自らへの批判としてうけとめなければならない。社会主義、および資本主義に対する考えの甘さを思い知らなければならない。ソ連社会の現実への無知、あるいは判断停止を認めなければならない。

現在、日本共産党は、ソ連社会主義の崩壊した今、日本共産党の理念の具現化の物質的保証も消滅したのではないか、という社会的な批判にさらされている。それをかわすため、彼らは、ソ連共産党の解体を、自分たちと関係のないものとするのに躍起である。それを嗤うのはたやすい。しかし、日本共産党以上に社会主義ソ連を日本の社会変革の一つの保証としてきた党派に属していたものは、そうした批判をより苛烈にうけてしかるべきだ。(なにしろ、社会主義ソ連を評価しない、というのがわたしの属していた党派の日本共産党批判の大きな論点の一つであったのだから。)
繰り返しになるが、かつて私の属してた党派は、日本共産党にすらおよびもつかないような小さな社会的勢力でしかなかったおかげで、いま日本共産党が-さらにはかの国でソ連共産党が-受けているような社会的批判にさらされないですんでいるのである。批判すらしてもらえないのだ。その批判を、自ら発し、自ら受けねばならない。
自らへの批判のみで満足することも許されない。「わたしは自覚的だ」と考え、たとえば日本共産党と自己区別し、満足するのも、一種の罠だ。「ソ連はともかく、自分の持ち分で出来ることをする」というのも、こうした状況では一つの態度だろうが、かつてとは別の判断停止にふたたび陥るおそれがあろう。
いかなる思考と行動が必要で、可能なのか。その端緒をつかむべく、あがかなければならない。いま日本でサラリーマンをやっているわたしには、あがき続けることすら難しい。しかしわたしは、わたしのこれまでを「ないこと」にはできない。
ソ連共産党の解体をわが解体としなければ、わたしは「その次」を考えられないし、この先前へは進めない。ぎゃくに、それを希望としなければならないだろう。だれもが、ソ連共産党の崩壊を対岸の火事にしてしまおうとしているこの国で、それを「当事者」として重くとらえかえすことが求められることもあろうから。 (大阪府 K)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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『詩』 馬鹿な帝国 

『詩』 馬鹿な帝国 

                大木 透

おきまりの
チャイコフスキーのたれ流しと
最後通牒の応酬は止んだ
ピストルの安全装置も外せない
ピエロどもは
予定の時刻に
舞台を去った
鋭敏な熟考の時だ
だが
ニコライ三世は
興奮したままだ
変装したストルイピンどもが
騒ぎ立てている
スターリニストがスターリニストを
追いつめる
大ロシアの旗がうち振られる

私は憎む
クリミヤから生還した
善良なファミリーに
ひとかけらの同情も示さない傲慢さを
私は恐れる
さい疑心を抱かなかったことを
懲罰しようとする
冷徹さを

ニコライの専制に
反対する者よ 出でよ
メシアのごとく
ヤコブレフよ
君は民主主義者なのか
シュワルナゼよ
君はいつから懐疑派に
くらがえしたのだ

もう
ミハイルも知れ
民主的民族国家など
夢また夢であることを
解任も支持も
要求するな
誰に向かっても
(1991.8.24)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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【コラム】ひとりごと –社会主義と民主主義–

【コラム】ひとりごと –社会主義と民主主義–

▼この間の社会主義情勢を見ていると考えさせるものがある。ゴルバチョフ登場からペレストロイカ。そして市場経済導入、東西ドイツの統一(とはいっても西ドイツへの吸収合併)更にはクーデター以降には、これまでの連邦制の破綻、共産党中央委の機能停止等々、その情勢の変化は目まぐるしい▼当初は、民主主義が閉塞された社会主義が、今、問われたのだと歓迎したが、この間の動きを見ていると、マスコミの「社会主義の崩壊」を認めざるを得ないと思われる▼私心から言えば、中学時代から社会矛盾を感じ、高・大学時代には、社会科学・社会主義への展望を学び求めてきた自分にとっては、少なからぬ戸惑いを感じる。同じく感じる同盟員もいるのではないか▼しかし、動揺ばかりせずに、冷戦時代から協調の時代、科学技術の飛躍的発展等々の現代の中で、今までのイメージ、発送から脱却して「社会主義」について考え直すことも大切なのではないか▼そもそも社会主義が民主主義がより発展した社会形態だという原則に立ち戻るとするならば、また今日の社会主義を巡る情勢が「民主主義」を中心に問われていることを考えると、余り難しく考えずに、ただ「もっと民主主義を!」と、ひたすらに「民主主義」として、どうなのかを考え、判断することも一つの指針ではないのかと思うのである▼このように考えると、少なくとも「平和・人権・社会福祉」等々、日本において民主主義的諸課題が山積みしている中で、いささかも自分の運動エネルギーが減退することはない。(U生)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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【読書案内】「革命後の社会」

【読書案内】「革命後の社会」
   著者 ポール・M・スウイージー 訳者 伊藤 誠  社会評論社 2,060円

この本の初版は、1980年に発行されています。紹介するのは1990年7月31に発行された新版です。新版発行に際しては初版に「ベレストロイカと社会主義の未来」と題した補章が追加されました。この補章の部分は「ソ連の危機の本質は何か」と題して、雑誌エコノミストの1990年5月1・8合併号、17日号に掲載された文章ですのでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
8月19日のクーデター勃発から、24日のゴルバチョフ大統領(ソ連共産党書記長)の党書記長辞任表明と党中央委員会に対する党解散の提案まで、あまりに急激に状況が変化しているので私は評価に戸惑っています。「社会主義というのは結局のところ駄目だったのか」そんな思いが頭の中をかすめます。
この本は、そんな私の思いを整理し、もう一度前を向いて進み出そうとする勇気を与えてくれます。もちろん、これまで「正しい」と自分が考えていたことに対して、「そうじゃなかったんじゃないか」という思いが次々と湧いてきて、なにを立脚点にして物ごとを考え、評価していけばよいのかフラフラしている状態ですから、(私はこの本を読んで、とりあえず気力を奪い起こしましたが、だからといって)、「この本に書かれていることは全面的に正しいのだ」と断言して皆さんにご紹介できるわけではありません。従って、この本を読んで「社会主義の未来に対する希望をもう一度持ち直したが、それは間違いだった」と将来において判断されることになるかも知れません、その点はご勘弁ください。 しかし、ともかく現在進行しつつある事態に対して、動揺することなく社会主義の未来に希望を持つことのできる一冊として、(まるで麻薬みたいですが)、この本を紹介します。
新版に際して著者が序文を寄せています。私が拙い言葉で紹介をするより、この序文が本の内容を雄弁に語っていますので、以下に序文からの抜粋(長くなって恐縮です)を記載し紹介に替えます。         (東京 W・K)

「ここ数年に生じた事態をうけて、左派の人々にとっていま最大の関心事となっている問題は、ソ連における危機と東欧のソ連圏諸国での体制の崩壊により、社会主義が実際問題として失敗に終わったということになるのかどうか、そしてもしそうなら、そこからどのような結論が導かれるのか、ということである。左派の人々の間でかなり共有されている一つの見解は、右のような問題への解党は簡単であり、次のように主張するものである。すなわち、その見解によれば、十月革命から生じたソビエト社会や後にその足跡をたどった全ての社会は、社会主義とはなんら関係がないし、そのことからすれば、社会主義は実際にはいまだ試みられたことはないわけで、それゆえまた失敗したはずはないということになる。これとは対局的な見地で、これまた左派の間に広く主張され、右派ではほとんど異口同音にいわれているところによれば、問題の諸社会は、自らそう称していたように、社会主義社会だったのであり、従ってまたそれら社会の失敗は本当に社会主義の失敗である。
私のみるところでは、これらの見解のどちらも、1917年のロシア革命以来70年余りを経てきた歴史と整合し得ない。それらの見術で考えられているところより、問題はずっと入り組んでいるのである。
イラン革命のような少数の明らかな例外はあるにせよ、ロシア革命とそれに続く多くの革命が、19世紀前半にまで起源をさかのぼることのできる国際的運動に深く根ざした純然たる社会主義革命であることに、私としてはなんら疑いはないと思う。革命的闘争の先頭に立った政党やその指導者達は、大部分、鍛え抜かれたマルクス主義者達であって、彼等は、不公正で搾取的な体制を打倒し、マルクスとエンゲルス及び19世紀末と20世紀初頭におけるその後継者たちが説いていた社会主義の原理に基づく体制に、それを切り替えることにその生涯の任務をおいていた。そうした事情の強の激しい抵抗に逆らって達成された。新たな革命政権は、古い支配者を打倒し彼等の資産を取り上げることはできたし、その限りで社会主義社会の基礎をすえることに成功した。しかし、なお胎児のような新たな社会を発達させ保護する死活に関わる闘争から…不可避的にであるか否かには論議の余地があるにせよ・・・、指導者たちと人民との問に軍隊式の裂け目が生じ、それがやがて、最初の革命家たちの意思や意図に反し、敵対的諸階級の新たな自己再生産的体制へと硬化していった。それは明らかに資本主義の復活ではなかった。資本主義の復活であれば、それは反革命の結果であり、革命的政権自体の明確に内的な発展の結果ではなかったことになろう。
ソ連ではこの過程はほぼ15年ほど続き、1930年代半ばに旧ボルシェビキ党から残されていたものをぬぐいさったスターリンの粛正において頂点に達する。革命後の社会の性格がそこに確立されるのであり、それは資本主義的でも社会主義的でもなく、主要生産手段の国有と集権的計画とを伴う権威主義的階級社会であった。
本書の大部分が執筆された1960年代後半から1970年代までには、ソビエトモデルはすでにかなりの正統性と安定性とを獲得していたのであり、それが無限にこれからも続いてゆくことは保証済みであるかのように思われていた。しかし、最後の章が書かれた1979年までには、表面の静けさは深刻な誤解を招くものであることがすでにはっきりしていた。…その体制はたんにゆきづまっていたばかりでなく、すでに衰退期に入っていたのであり、それを逆転しうるとすれば、その体制の基礎の深部にまでおよぶ徹底的改革によるほかにはなくなっていたのである。
(新版に際して収録された論塙は、)「ベレストロイカと社会主義の未来」と題され、ソ連を第二次世界大戦の勝者たらしめ、その抗争でのおそるべき損失に続く再建を可能とし、さらに超大国の地位にソ連を到達させ得た社会体制が、それにもかかわらず、平和時の諸条件の下で、人々の合理的な必要を充すという極めて異なる挑戦課題に答え得なかったのはなぜか、という疑問に解明をすすめようと意図している。
その分析から生ずる結論は、ソ連の危機とその東欧同盟諸国の崩壊は、社会主義の失敗に帰着させうるものではないということである。ソ連で政権についた革命的政体はその性質上あきらかに社会主義的であったし、この十分に確定的な事実を否定したりあいまいにするいかなる試みも、歴史を偽造するものとなるであろう。
20世紀の社会主義革命は全て、極めて不利な諸条件の下で、そこから離脱した資本主義世界の列ける社会主義を求めての闘争は、既に説いてきたように、一種の階級制度の確立とともにずっと以前に敗北しているのであって、その明らかな諸成果にもかかわらず、結局のところ失敗に終わったのは、この階級制度なのである。
1990年4月16日 ニューヨークにて        ポール・M・スウイージー」

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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【報告】新時代に対応した運動の模索・・・第59回自治労大会報告

【報告】新時代に対応した運動の模索・・・第59回自治労大会報告

第59回自治労定期大会が、8月24日~27日までの4日間にわたって秋田市で開催された。連合が結成されて約2年、名実共に連合の中核的役割を果たす自治労が、90年代の時代の変化に対応した自治労運動をいかに展開するかが問われる重要な大会であった。
運動方針は、「基調」を「基本的考え方」に改める等、一定の工夫をしつつ、連合を中心とした新たな労働運動の展開、全般的な労働者の組織率の低下、様々な社会構造、政治状況、価値観の変化を意識して、何とか新時代に対応した組合運動を展開しようとする姿勢がうかがえる。

<組合員意識の変化に対応して>
今年の運動方針の特徴の一つとして「—組合員のニーズの多様化、—組合員の意識と価値観は大きく変化しています。組合運動を従来の枠組みや経験的手法にとどめる事なく、常に自己革新していくことが必要です。自立した組合員の創意や多様ニーズを包括することによって、新しいエネルギーと活力ある組合運動の活性化をめざします」と多様化する組合意識を把握した運動の構築を唱えている。これに対する大会論議、自治労大会に先駆けて行われた7月16日・17日の組織集会では一定程度、評価する意見と「やはり労働組合としての結集軸は、『賃金・労働条件・反合理化闘争』であり、『多様な運動形態』とは、組合の本来の役割と団結を弱めるもの」といった意見とが出され、まだまだ全体としての意識改革・理解が得られたとは言い難いものだった。

<連合の中の自治労の役割>
また労働戦線統一以降、連合の中でも最大単産である自治労が、連合の「力と政策-制度・政策闘争」を推進するために、その中心的役割を果たすべきだとする一般論には異論がない。しかし各論となると様々な意見が交錯する。例えば「反行革・直営堅持」から「公的サービス体制の確立」へとトーンが転換され、現業評議会を中心に不満が出された。また道州制についても従来の一定、「道州制反対」の立場から「地方分権を促進する『地方主導型』の構想については、その可能性について検討を行う」と変化しており、市町村職を中心とする代議員から本部の具体見解を質す意見が出された。
こうした連合傘下における自治労の役割に対する「思い」の食い違いは、政治課題になると一層、顕著であった。「護憲(自衛隊,PKO問題等)・消費者運動・反差別・反原発」等々の連合の中で不一致な課題では、「総評センターの運動を、より発展させると共に、自治労として連合に強く申し入れるべき」と言う意見が多く出された。これらに対して中央本部からは「自治労としての、これまでの方針を変えるものではない。しかし旧同盟からも様々なことが言われており、連合800万との連帯・共闘の一層の推進の中で理解を得ていきたい」との答弁が出され、連合統一が果たされた今日において、なおうん動的な克服が多く求められていることを如実に示している。
更に政権構想の問題では、「『新しい政治勢力の形成』が—、社会党がその中心を」担う勢力である。—社会党との支持協力関係については、主体性と自立性を踏まえた積極的提言と共同闘争を通じ、相互の自己革新と発展をめざします。92年度参議院通常選挙を—、社会党の前進を期す—。」としており、代議員の発言も従来からの社会党との支持協力関係、連携をより強化すべきと言う意見が大勢を占めた。しかし一方で、統一地方選挙で民社・同盟系候補を支持・支援した単組の報告も出され、今後の連合の提起する政権構想も踏まえた、より全般的かつ慎重な議論が必要であると思われる。併せて職場段階では、常に問題となる「政党と労働組合との関係」という古くて新しい問題について、我々としては再度、議論と問題指摘をしておく必要があるのではないか。

その他、賃金・労働条件闘争、高齢社会に対する総合政策、環境保全政策等々、多くの議論が出されたが、いずれにおいても自治労自身の今後の力量、政策形成能力、運動領域の拡大を改めて問い直されるものであった。
総じて今回の自治労大会は、極めて流動的かつ多様に変化する政治・社会状況の中で自治労が、主体的・能動的に如何に運動を発展させるべきか、その意識も運動も過渡的であると共に、我々の闘いもまた、その中で自らの意見・立場を明確に出しながら、運動の一翼を担っていくことが一層重要である。       (大阪 U)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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【投稿】三宅島は相変わらず非売品です

【投稿】三宅島は相変わらず非売品です
                  —N L P反対運動はどうなっているの?—

(1)87年9月11日、観測鉄塔を巡っての住民と機動隊との攻防を覚えている方も多いと思う。今では鉄塔は有刺鉄線で囲まれてひっそりと立っている。本当に観測データを集めているのかと思えるようである。これまで、「三宅島官民共用空港の誘致及び建設に反対する会」(略称、反対する会)を中心に、一致団結してきた三宅烏のNLP反対運動に昨年来異変が生じている。
(2)83年12月、村議会で、米海軍の空母艦載機の夜間離発着訓練(NLP)基地の厚木基地の代替飛行場誘致の「意見書」が突然、強行採決された。10月3日の火山噴火から3か月余り過ぎた頃、災害復旧を名目に行われた。だが、以降反対派が巻き返し、村議会選挙では13対1の圧勝を続けてきた。
しかし、現在、島内の反対スローガンを書いた看板は87年当時と比べて、少なくなったそうであり、また昨年は全島集会は開かれていない。「動揺する」反対派議員や反対する会幹部は、全島集会が開かれれば、集会に出席しないわけにはいかず、そこで立場表明を迫られるからであろう。確実に「外からの」切り崩しがはかられている。
今年2月の村長選挙では、これまで運動を引っ張ってきた、寺沢前村長と桑原氏(反対する会前会長、「動揺する」反対派?)が特別養遭老人ホーム建設を巡って争った形を取った。争点のNLPをどうするかは後方に押しやられた。選挙は、嫌がらせ電話や30通に及ぶ怪文書・中傷文書が飛び交う消耗戦で、結果桑原氏が25票差で新村長となった。
(3)この背景にはやはり、NLPは硫黄島に移ったという寡囲気が島内にあるのであろうか。
89年、「暫定措置」として厚木基地のNLPを部分的に小笠原諸島の硫黄島こ移すことで在日米軍と合意し、硫黄島NLP代替飛行場は166億7000万円を投じて92年完成をめざして工事が進められている。三宅島の反対の声が勝ったとも言えるが、あくまで「暫定措置」であり、三宅島を諦めたわけではなく、反対運動が静まるまで(を静めるまで)の「暫定措置」であろう。
しかし、硫黄島は厚木から1.200キロ、片道2時間もかかり、米軍側には、不人気であると言う。実際、今年の『防衛白書』では「三宅島までの暫定措置として硫黄島」との旨の一文がある。
(4)更に、NLP問題が分かりにくくなっているのである。かつては、敵は防衛庁(防衛施設庁)とはっきりしていた。それが、羽田-三宅島の航路の存続を巡る問題、島の活性化問題にすり替えられている。今、三宅島は船で6時間、飛行機(YS-11)で1時間足らずで東京と結ばれている。
現在空路を営業運営しているエアニッポンはあと数年しか寿命のないYS-11の同クラスの代替機を選定していない。全面ジェット化する意向もあるようである。このままでは、1.200mの現在の三宅島空港(東京都所有)では対応できない。そうなると、調布飛行場からのセスナ便しかなくなる。
そこで、東京都が滑走路を1800m程度まで延長し、ジェット化に対応しようとする計画がある。当然、ここでNLPに対応できる空港に作り替え、将来は米軍が三宅島空港を「時々チヨットお借りする」のである。空港建設工事は東京都が全面的に費用を出すので防衛施設庁は助かるというおまけ付きである。8月22日決めた防衛施設庁の来年度予算案の概解要求の中には三宅島関係の「調査活動費」は盛り込まれなかった。これまで、毎年1~3億円づつ合計13億円を注ぎ込んできたのにである。当然、東京都は空路改築計画にあたり「NLPには使わない」旨の確約はしていないという。
(5)数百年に亘って、60年周期と言われている噴火を経験し、最近では40年、62年、83年と20年ごとの噴火を経験した島民にとっては、噴火は必ず起こるものである。この噴火も、現在では地震振動を観測することで十分予測できる。しかし、三宅島には伊豆大島に比べて地震観測施設が圧倒的に少ないそうである。しかも、NLPによる振動が、高感度地震計に反応し、観測困難となることも指摘されている。
多くの家は、かつての噴火の溶岩の上に立っているわけである。まだ83年の噴火から10年も経っていないのに、阿古地区の辺り一面、立ち枯れた木しかない殺伐とした溶岩の間から、既に草が生えてきている。自然の回復力は速い。だがNLPからは何も生まれない。
(6)今回ま、民宿で車を借りて、3日間島内を走り回ったが、「(駐車中は)車のキーはつけたままでいいですよ」と言われた。車を盗んでも島の外には持ち出せないし、どこかに乗り捨ててもどこの車か直ぐに分かるのであろう。そんな島に外からNLPと言う『化け物』を持ち込み、自らの利益の為に、良の人々の感情を弄ぶ「輩」には怒りを覚える。
9月初めに空母インデイペンデンスがやってくる。また、9月1日には一新した反対する会幹部のもとで、久々の全島集会も開かれる予定であるという。三宅島のNLP反対運動は新たな歩みを始めたともいえる。(8月末三宅島にて 東京C)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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【投稿】「社会党党改革案」についての論議に当たっての私見

【投稿】「社会党党改革案」についての論議に当たっての私見

9月21日の全国協議会での討議に備えて、私の思うところをとりあえず述べさせていただきます。
この間題を検討する際に私の頭に上るのは、どのような姿勢・立場で討議に望むのかということです。私は労働青年同盟とその運動を、この日本において「新しい政治の流れを作り出す」一歩であるとかつては位置付けて取り組んできました。かつてと言ってもそう遠い昔ではありません、わずか3年前の労青の正式結成・全国協議会結成の際にそのように主張し、その後1年間ぐらいもそう主張し続けてきたわけです。
そのような私にとって、社会党は我々とは政治的にまったく異なる組織・存在であったわけです。私はこの4月まで都委員会の責作者をやらせていただき、また責任者となる直前の数年間は都委員として働かしてもらいました。その間私は同盟員に対して「基本的には社会党に入るべきではない」と「指導」し続けたわけです。地域で活動している仲間に「社会党の候補として区議選に出てみないか」という話があったときも、止めさせたことを覚えています。
私のその頃までの認識からいえば、既存の政治組織・民主団体・民主運動を始めとして、その周囲に結集する多くの人々に、「我々が作り出す運動の正しさを、実例の大衆運動、あるいは政治運動によって示すことによって、それらの政治組織・民主団体・民主運動を始めとして、その周囲に結集する多くの人々を我々が作り出す運動に結集させて、世の中を変えていく力を作り出す」というものでした。まあ勿論これほど単純に主張していたわけではありませんし、反独占統一戦線の一翼」を担うなどといちようは控え目に言っていたわけですが、まあ単純化して言えばこんなものだと思います。今から思えば非常に尊大な考えで恥ずかしくなりますが、これが笑うに笑えない事実のわけです。そういう私にとっては、社会党と、その周囲こ存在する多くの運動は「我々」が目指す運動をより広げ、量を拡大していくための「道具・手段」のようなものとして捕らえられていたわけです。従って、社会党の存在とその運動を支え、その周囲に結集しているさまざまな民主運動や社会党に積極的に関わり、そのことを通じて、また社会党の持つ影響力を有効に活用して、社会を変革し、新しい社会を創造していく運動とそのネットワークを広げていくというような活動には全く無関心、冷淡であったわけです。
私は恥ずかしい話ですが前述したような私の過去の姿勢に十分な総括を加えることもなく、今までとは全く異なる姿勢で社会党および、その周囲の運動に対して今日臨もうとしているわけです。そこで、是非論議に先立ってどのような姿勢で討議に望むのかを論議していただきたいと思います。それは、労青がどのような性格を持つ組織として存続していくのかということとも深く関わってくると思います。
社会党との関係から労青の今後のあり方を考えますと(労青の今後のあり方を考えるのは、別にこの視点からだけに限られるものではないと思いますが、とりあえず今回はこの視点から)、第一に、「社会党という存在がありながら(あるいは社会党だけではないかも知れませんが)、なぜ我々は独自に労働青年同盟という組織を構える必要があるのか」という問題が出てきます。この点に付いては私は、私の知る限りにおいては、社会党に満足しているものではありませんので、現時点では、漠然とした感じではありますが、労青という組織の必要性を感じています。
では、労青という独自の組織の必要性を認めた場合、労青はなにになるのでしょうか、「社会党の中のフラクション的存在」になるのでしょうか。「社会党の中のフラクションとして労青は存在する」などと言えば、真面目に社会党をやってる人から叱られますし、「自分は別に社会党に入ってやっているわけではないが、労青はやっていきたい」という人もいるかも知れませんし、これはチヨット難しいかと思います。
そうすると、労青というのは「平和と民主主義をこの日本においても、世界においてもより徴底させ、より民主的、より公正で公平な社会、よりよい社会、よりよい世界を目指す人々が、(建て前としては)自民党に入っている人から日本共産党にはいっている人までだれでも自由に参加できる、学習・研究・討論・社会啓蒙グループ」というようなものになるのでしょうか。私としてはこの方向に進んでいくのが良いように思います。しかし、私達の組織の生い立ちを考えると簡単には進まないと思いますが・・・。
いずれにしろ「自分は社会党とこのように関わる」と決めている人はよいと思いますが、私をはじめとして、どのように臨むのかをまだ考えあぐねている人も多いと思います。そこで、全国協議会の場ではまず最初に、労青の同盟員と社会党およびその周囲の民主運動との関わり方としては、(注:労青という組織と社会党およびその周囲の民主運動との関わり方についてではチヨッと課題が難しいと思いますので、とりあえず同盟員の関わりについて、)「このような姿勢」「あのような方法があるんじゃないか」「こんなふうに考えている人もいる」、というような意見、実情を何種類か確認していただけたらと思います。そして、その上で社会党の党改草案に付いて論議していただけたらと思います。
(1991.09.05.東京 W.K)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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【投稿】損失補填と市場経済

【投稿】損失補填と市場経済

<汚泥の中の日本>
ソ連に市場経済のなんたるかを教えてやろう、財政支援よりも技術支援だと叫んでいた日本の政府・財界の化けの皮がはがれてきている。市場経済そのものをまったく無視し、むしろそれを破壊する行動が、証券会社の損失補填問題を通じて大きく浮かび上がり、世界的にも問われているのである。英エコノミスト誌は、「役人、銀行家、証券マン、それに彼らが買収した政治家たちは、日本を汚泥の中に放置した」と報じている。

<全部、ご承認>
証券大手四社が控えめに発表した損失補填だけでも総額1283億円の巨額に上る。補填先リストにはトヨタ自動車、松下電気、日立製作所といった「財テク御三家」をはじめ、大企業、金融機関のほとんどが顔を出している。そして野党の抱込みを狙ったのであろう、忘れずに公立学校等の共済組合、創価学会等が出ている。リストに載った多くの法人は「認識していない」「どうしてそれが悪いのか」「証券会社が勝手にやったこと」などという反応だ。証券取引法では、有価証券の売買で損失が出たら補償することを前提に取り引きさせることは違法となっているにもかかわらず、大口顧客、あるいは同金融系列に対してはかなり以前から半ば公然と習慣として行われてきたのである。最大手の野村は、大蔵省の行政指導の名の下で処理済みであるとして補填の事実さえ否定していたが、隠しきれなくなると「結論的に申し上げれば税の問題です。全部、大蔵省にお届けしているもので、ご承認も頂戴しています」(田淵義久前社長)と開き直った。暴露されて驚いた大蔵省は、「行政に責任を転嫁することは、モラルを世間から問われることになる」と反論したが(橋本蔵相)、同じ穴の狢である。

<腐敗と不正の温床>
日本の場合、投資家保護の名の下に証券会社は免許制となっており、しかも業界育成と監督・監視が一つの行政機関=大蔵省で行われ、国際的にみても非常に高い株式手数料をはじめ、証券会社の業務の承認から決算の内容にいたるまで大蔵省が事実上の決定権を握って、証券会社保護行政を行なってきた。
一方、それに対応して証券会社の方は、免許制の下で、野村証券を筆頭とする上位四社の市場シェアは著しく高く、寡占状態である。株式引き受け業務においては八割にも達する。しかも株式の発行の引き受け、売買の仲介、自己売買をすべて一つの会社の中でやっている。もともと利益が相反する法人相手の株式発行引き受け部門と個人相手の株式売買仲介部門とを同一の会社が兼営すること自体が腐敗と不正の温床であり、市場とは無関係にインサイダー取引が容易に実行でき、事実またそれによって圏外の一般投資家を犠牲にして損失補填を行ってきたのである。

<バブル崩壊の一端>
まさに市場経済とは似て非なるものである。しかも株式市場の参加者は、ますます法人、機関投資家に傾き、いまや個人の持株比率は22.6%(89年)にしかすぎず、市場は事実上大手証券会社の「管理相場」の舞台と化している。しかしそれにもかかわらず、資金はあの手この手で市場から吸上げなければ証券会社は成立たない。事実、日本の個人株主数は昨年だけでも150万人増加し、延べ2560万人を越えているという。これら株主の9割以上に当る圧倒的多数の個人株主、庶民の預貯金、資産を食い物にして、その犠牲の上に大口投資家に対する損失補填が行なわれてきたわけである。
しかしバブル経済の崩壊は、そのような実態の一端をさらけださせてしまった。庶民の怒りをなんとかして静めなければならない。

<時代遅れの抵抗>
国会で野村、日興等にたいする証人喚問がおこなわれたが、政府・財界はこれをあくまでも「証券不祥事」、あるいは暴力団との取引問題に矮小化しようとしている。この際、引合に出される米国の証券行政は、登録制を取っており、業務と垣根が分離した日本の何十倍もの証券会社が存在し、これらの不正行為に対する捜査権、行政処分権を持ち、スタッフ2000人をかかえる独立した行政委員会・証券取引委員会(SEC)が存在している。それでも不正行為の横行に対してSECの一層の強化が叫ばれている。これに対して証券会社の分割や日本版SECに大蔵省が執ように抵抗している姿は、市場を公開と平等を基礎とする経済における民主主義実現の場ととらえることのできない、もはや時代遅れの政府・財界の姿勢を如実に示しているといえよう。
(生駒 敬)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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【投稿】ソ連の激変・これからの我々の道は!

【投稿】ソ連の激変・これからの我々の道は!

八月十九日のクーデターから三週間、ソ連の歴史的な大激変を、固唾を呑んでみまもってきた。幸いにしてクーデターは予測したより早く三日天下にして完敗した。ペレストロイカとグラスノスチを経験し、民主主義を身につけたロシア人民、モスクワ市民はエリツィン大統領のよびかけに呼応して、勇敢かつ大胆に起立り、保守反動の意図を粉砕した。民主主義と人民の勝利であった。
ゴルバチョフ大統領の復権、八人組の逮捕、引き続いてソ連共産党の解体へと目まぐるしく事態は転換した。七十四年にわたる共産党の支配は終止符をうった。万感胸に迫り、心痛む思いで一杯である。最高会議から人民代議員大会をへて、新しい「主権国家連邦」がつくられ、バルト三国の独立が承認された。
民族共和国の自主権が確立し、共和国相互の連帯とゆるやかな連邦の政治機構・国家評議会が発足した。経済的な提携も進みそうだ。だが、ソ連の前途にはまだまだ幾多の困難な問題が山積みしている。経済改革はこれからが正念場である。著しく立ち遅れた技術革新と巣経済の導入には多くの困難と矛盾がアル。ヤミとインフレ、物資不足、流通機構の麻痺、なお残る保守特権官僚層の抵抗、大量の失業者の発生、軍人の離職と処遇の問題など、解決を迫られている課題が目前にある。さらに民族紛争は激化しそうな様相を示している。一歩誤れば内戦さえ起こりかねない事態を抱いている。ソ連の問題は他人事ではなく、ただちに世界政治と経済軍縮と外交に響いてくる大問題である。

日本共産党は今回のソ連の激変にさいして、我が党の勝利と自画自賛している。三十年来批判してきた「ソ連の大国主義・覇権主義の当然の破産」として評価し、共産党の解散を歓迎している。さらにペレストロイカとゴルバチョフの新思考を、レーニン以来の最大の日和見主義、右翼社民路線として罵倒し、自主独立路線を謳歌して酔いしれている。そこにはソ連人民の努力も社会主義者の苦悩も、我が身の問題として共に感応しようとする一片の連帯感も存在しない。夜郎自大の臭気ぷんぷんたるものがあるだけだ。

顧みて、今、つくづく思うことは、ロシア革命とはなんであったか、マルクス・レーニン主義とは自分にとって何であったか、半世紀ちかく身命を賭して運動してきた社会主義とはなんであったか、ということである。確かに多くの誤りもおかしたであろう。だが、今日においてもいささかも悔いはない。人間の平等・搾取の廃止・労働者と人民が主人公になる社会・平和、人権、民主主義の徹底を求めて、新しい世の中を切り開くという理念、路線が間違っていたとは到底思えない。・・・
ペレストロイカが提起した新思考は、二十一世紀に人類が生きのびてゆくうえで、通らなければならない道筋だと考える。反核・平和・軍縮・民主主義・人権・地球環境の擁護・社会保障は現在も将来も我々にとって、実践的な課題である。そこに社会主義が追い求めた内容がある。
今日、日本資本主義の腐敗と腐朽はその極に達している。バブル経済の破綻が示したものは、大銀行と大証券会社の横暴と腐敗、政界との癒着、自民党政治の破綻であった。弱者の泣き寝入り、虐げられた者の悲惨、社会的不平等はもう許されない。今こそ人民が立ち上がって大糾弾すべきときだ。日本社会党は、党改革に進もうとしている。いまこそ野党はゆきがかりをすてて結集し、統一行動・統一戦線を組んで闘うときである。
今後の我々の進むべき道は、社会民主主義をしっかり踏まえ、人民に依拠し、人民の要求をわがものとして積極的に取り組み、志しを同じくする社会主義者が小異を留保しつつ、大同団結して力を組織を一つにして行動する以外にない。そのために、残り少ない余生を捧げ力のかぎり努力したいと考えている。  (9月7日 小森 春雄)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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【投稿】ソ連でのクーデター失敗とベレストロイカ

【投稿】ソ連でのクーデター失敗とベレストロイカ そして日本社会を考える。

●FMラジオニュースは伝えた。
「ゴルバチョフ大統領は病気療養のため大統領職を退き・・・・・・」この瞬間、私はイヤな予感がはしった。
「とうとう来るべきものが来た」と。ゴルバチョフが共産党保守派の力を借りながら事態を打開しようとしたときからこうした考えがあった。しかし、事態はこの予想どおりの方向には簡単に進まず、逆にクーデターは失敗。そしてゴルバチョフは書記長として辞任、しかもソ連共産党の解散を提起するという意外な結末へと急転していった。
このクーデターの幕切れをベレストロイカの成果として素直には喜べない「気持ち」があった。それはやはりベレストロイカを自ら推進してきた共産党が、結局そのこと(ベレストロイカ)を否定することへと突き進んだことへの悲観であったろう。共産党への一種の期待感がまだ私の中にはあったのだろう。
●わたしは社会主義思想はこれから再びまた新しい時代の命を育み登場してくると期待するし、自分もまたすくなからずそのために生きたいと思っている。また現に様々な社会主義的な試みが実践されていることを忘れてはならないだろう。
1917年にはじまった社会主義革命、その政治・経済・理論・思想は歴史に耐える展開をみせることができなかった。とりわけ70年代、そして80年代は資本主義の発展に比べ明らかに生命力のない体制へと社会主義は転化していった。そしてベレストロイカによって再び生命力を得ようという試みが開始された。それは理論的・思想的にもまだあきらかに十分説明のいくものではなかったが、改革は開始された。
わたしはこの間のソ連と東欧の一連の事態から「これらの社会主義が全く意味のないものであった」ということには反対である。確かに日本共産党が主張するよう「覇権主義・大国主義」的な要素はあったにせよ、歴史的にこれらの国々が民族鮒放や平等思想の発展に果たした役割は大きいし、一時代であったとはいえ社会主義であった。
ベレストロイカは社会主義が「平等・公正・連帯」を再生させるための活動であろう。しかし、今はその誤りをもっと大胆に的確に示さなければならないであろう。それが今を生きる我々の役割でもあるのだ。いくら「覇権主義と大国主義の破産」とレッテル貼りをし、その現象を歴史的に糾弾しても、余り意味はない。むしろ今は、社会主義とは何なのか?その経済システムはどうあるべきか?政治システムはどうあるべきか?それにむかっていかに変革していくのか?等などについて我々自身深く探求することが大事だろう。
「ソ連はかわいそう」などと「同情的」な宣伝もあるが、果たして日本は平等で公正で民主主義的な国なのだろうかと思う。
●最近のこうした事態をみるにつけ日本の社会状況も非常によく似ているのではないかと思う。中央集権的な国家、政党と行政・財界の癒着、企業社会という言柴に代表される単一的な生活・労働様式、市民的自治的柄動の不在、などはこの日本でも同様である。極端に違うのは日本では消費主義的な物的充足欲が満たされているだけである。
こうした社会の中で本当に左翼翼や労働運動をはじめとする民主運動が社会的正義、公正、助け合いなどの精神を現実の生活として具現する、運動の中に取り戻していくことをやらないとソ連共産党と同じではないかと。
●たとえばちょっとした例をあげてみよう。
私の子供の共同保育園の同級に、両親が二人とも公務員の方がいる。この二人の勤め先の行政区では産休明け保育を早くから実施しているが、人の住んでいる行政区ではまだやっていないため、子供は共同保育園である。(ちなみに公立保育園ではだいたい月額2万から3万円であるが、共同保育園では区の補助があっても月額約6万<購買活動資金を入れて>にも通する)二人とも活動家ではないが労働組合員であり、私と同じ団地に住み、同じ様な生活をしている。だが、この二人の「どうして共同保育園に預けなければならないの」という疑問に労働組合はまるでタッチしていないし、またそのようなところではないという意識がある。これはどの様に解決すべきだろうか?
また先日、朝のNHK「経済ジャーナル」でレポートされていたが、厚生年金、国民年金などは積立はするものの、毎年その保険者に対して積立額や将来の年金給付額などの報告は一切ない。一般の人には退職間近や実際に死亡したりした場合にはじめてその給付額が分かるのである。往々にして積立額よりも給付額が少ないという事態が判明する。こんなことは民間保険でもないことであり、国家がやることとはいえ、あまりにずさんな制度である。みんな気づいたときには泣き寝入りという奴だ。現行制度をどの様に改革すべきだろうか?
このように労災や健保などを含め基本的なところで日本社会は戦後のままではないかと思う。
ソ連共産党の崩壊はけして対岸の火事ではなく、われわれが活動する労働組合や民主運動そのものの問題として討議を深めたい。(東京 R・Ⅰ)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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【投稿】複雑な思い隠せず、新しい気持ちで出直したい

【投稿】複雑な思い隠せず、新しい気持ちで出直したい

ゴルバチョフ大統領(ソ連共産党書記長)による、党書記長辞任表明、および党中央委員会に対する党解散の提案直後、動揺した私がその気持ちを静めるために、書店で手にした本が今回本紙でご紹介しているものです(書評「革命後の社会」)。要するにあのような本にすがりたい(社会主義が社会の進歩、歴史の発展において果たした役割を高く評価し、社会主義の未来を確信したい)という気持ちでいるわけです。
私は非常に複雑な心境で今日の事態の推移を見つめています。私は1977年に大学に入学し、同年10月に民学同へ加盟しました。以来14年間の政治活動生活になるわけですが、その3分の2以上の年月において、私は今日のソ連で保守派・反動派と批判されている人達に自らを近付けて考えてきたわけです。腐敗と堕落の極みが明らかにされ、保守・反動の牙城として糾弾され解党のやむなきに追い込まれたソ連共産党は、つい今まで私にとっては世界革命の前衛だったわけです。
今思えばソ連の実情をありのままに伝えていた報道・主張などに対しては「反ソキャンペーン」とひとくくりにして排撃しておりました。ある程度言い逃れのできる言い方だったとはいえ、アフガニスタンヘのソ連の侵攻を正当化しました。
「核戦争の脅威を減らすために、社会主義ソ連が率先して骸兵器を削減すべきだ」との平和運動運動家の意見に対しては、「米ソ均衡のとれた削減を」と主張し、これを退けてきました。わずか3年前の労青正式結成・全国協議会結成に際して「民主集中制を組織の原則とする」ことを強く主張し、「マルクス・レーニン主義以外には科学的社会主義の理論は存在しない」と主張してきました。
自分の不明さを反省しています。
反動のうねりを身を挺して阻l上し、混沌した状況の中ででも、新しい社会のあり方を考え、討議し、自分達の将来の社会を自分達の力で切り開いていこうとするソ連の民衆に見習い、もう一度、新しい気持ちで出直したいと思っています。
(東京 W.K.)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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【投稿】「クーデターの失敗と共産党の解散」をみて思うこと

【投稿】「クーデターの失敗と共産党の解散」をみて思うこと
                    –素直に喜べない複雑な気持ち–

(1)グラスノスチが勝因と思うが、・・・・
今回のクーデターはペレストロイカの成果がソ連社会に定着しているために失敗したのだと思います。グラスノスチが人々の政治と民主主義に対する自覚を高め、時代の逆行を許さなかったのです。「知る権利」は、民主主義と基本的人権の根本的な要素であると強く感じました。
同時にグラスノスチ(情報公開=「知る権利」)は、日本など先進資本主義国においては、十分かどうかは別として当然のこととして受け止められており、社会主義圏でのグラスノスチが、ここ数年新鮮に感じられた点に「私の社会主義観」の反省材料があると思っています。

(2)ソ連共産党の理論はグラスノスチと相入れないものだった。
なぜなら、「青年の旗」でつながっている人の多くが「現代世界の平和」「よりよき社会の実現」に希望と期待を持ってやってこられたし、今も奮闘されていると思います(私も少しだけあると思います)。そして、そのための理論としてマルクス・レーニン主義を主張する人もいました。しかしながら、それを真っ向から否定する人はいなかったと思います。(私も、非常に嫌いな概念がありましたが同じです。)
今、ソ連共産党はクーデター勢力と言うことで解散に追い込まれようとしています。保守派は、グラスノスチについては言論統制の側であり、マルクス・レーニン主義のもとに「ボリシェビキ綱領派」に団結していました。保守派の勢力と理論が大勢であるが故の解散です。

(3)マルクス・レーニン主義は歴史の批判に耐えられるような努力をしなかったために、その命運は尽きるだけ。
社会主義建設はロシア革命で始まった初の試みであり、それ故「失敗はつきもの」という考えもあります。小さな失敗はそのとおりと思います。しかしながら、大量粛清、KGBを中心とする警察国家、全般的な経済の混乱と衰退などは、「資本主義より良い体制」と主張し、対立してきた社会主義にとっては、理論の実践的破綻としか言いようのない現実です。
一方、資本主義では「社会主義との対抗上」取り入れられてきたと考えられてきた「福祉国家」などの政策は、後退することもありつつも、今日では社会と国家の運営に不可欠のものとなっています。当然そのための理論も発展しています。
話はそれますが、なぜマルクス・レーニン主義は70年以上たった今も古くならないのか、疑問に思ったことがあります。自然科学では相対性理論や不確定原理など理論の基本的部分においては課題を抱えながらも、有用な理論が発展したし、資本主義も基本的矛盾を持ちつつも多くの変貌をとげ、新しい理論を取り入れています。マルクス・レーニン主義は「ユートピアの高さ」と「ロシア革命が成功したという点に理論の正しさの根拠があった」ために、発展できなかったと思います。

(4)改めて現実を直視し、冷静に対処したい。
今まで、スターリン主義を問題にするとき「その原因は指導者にあるのか、それとも理論にあるのか」といったこともテーマになったと思うし、あいも変わらず「資本主義か社会主義か」と言うことに関心が向くことがありました。それは不毛なテーマであると感じるし、今後はそのエネルギーを外に向けるべきだと感じさせられています。
私たちの世界は、環境問題、核の問題、高齢化社会、土地住宅問題、外国人労働者の問題など多くの問題を抱えています。どれも社会主義の立場だから解決できるという保証はないものです。
従って、今後ソ連(さらには中国なども)を見る立場は、「社会主義国」というものではなく、「核保有国」「隣国」「経済困難国」・・・・といったものになると思います。            (大阪 T.T)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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