Assert Webの更新情報(2020-12-02)

【最近の投稿一覧】
12月2日 【書評】『戦後日本を問いなおす-日米非対称のダイナミズム』(その2)
11月29日 【書評】『戦後日本を問いなおすー日米非対象のダイナミズム』(その1)
11月25日 【書評】『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』
11月25日 【投稿】深化する経済恐慌と異常な株高--経済危機論(34)
11月25日 【書評】『働くこととフェミニズムー竹中恵美子に学ぶ』
11月21日 【追悼】小野義彦先生 没後30年に思う
11月16日 【投稿】経産省のエネルギー基本計画の物語で動く菅首相の「温室効果ガス50年ゼロ宣言」
11月10日 【投稿】米国国民も世界もまた「涙の道」を通るのかー米大統領選結果
11月9日 【投稿】維新・住民投票連敗が意味するもの--統一戦線論(71)
11月8日 【投稿】米大統領選の結果が示すもの--経済危機論(33)
11月4日 【投稿】新型コロナウイルス感染対策失敗と「大阪市廃止」の住民投票での再否決
10月29日 【書評】『働き方改革の世界史』
10月25日 【書評】『人新世の「資本論」』
10月23日 【書評】『コロナ禍で暴かれた日本医療の盲点』
10月21日 【投稿】福島第一原発の放射能汚染水を海洋放出させてはならない
10月14日 【投稿】混乱・内戦危機まで煽る米政権--経済危機論(32)
10月13日 【投稿】大阪都構想問題が問う民主主義
9月30日 【投稿】トランプ脱税と租税回避--経済危機論(31)
9月29日 【投稿】新自由主義が旗印の菅新政権の経済政策
9月23日 【投稿】迫り来る金融危機への警告--経済危機論(30)
9月17日 【投稿】先制攻撃論と軍事戦略の転換
9月17日 【翻訳】「COVID-19 との闘いにおける焦点は T-Cellsに移っている。」
9月13日 【投稿】米大統領の危険なエスカレート--経済危機論(29)
9月13日 【投稿】野党は大胆に統一して、解散総選挙に備えよ

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【書評】『戦後日本を問いなおす-日米非対称のダイナミズム』(その2)

【書評】『戦後日本を問いなおす-日米非対称のダイナミズム』(その2)

      (原彬久著 ちくま新書 2020年9月発行 880円+税)

                              福井 杉本達也

―社会民主党の解党と日米安保-

1 なぜ社会民主党は解党することとなったのか

社民党は11月14日、「東京都内で臨時党大会を開き、立憲民主党に合流するため国会議員や地方組織が党を離れることを容認する議案を可決した」、党には国会議員では福島党首のみが残留し、吉田幹事長ら3人は立憲民主党に合流する見通しである(福井:2020.11.15)。敗戦直後の1945年、戦前の非共産党系の右派の社会民衆党系、中間派の日本労農党系、左派の日本無産党系などが合同して結成された日本社会党(1996年に社会民主党へ改名)の事実上の解党である。

冷戦崩壊後の1993年の細川連立政権への参加は社会党の日米安保、憲法、自衛隊に関する基本姿勢の転換を迫っが、これまでの外交防衛政策は踏襲するということで合意した。細川・羽田政権崩壊後の1994年の自社さ政権において、社会党の村山富市氏が首班指名され、村山首相は、就任直後の国会演説で、安保条約肯定、原発肯定、自衛隊合憲など、旧来の党路線の180度の変更を一方的に宣言した(後に1994年9月3日開催第61回臨時党大会で追認)。この結果、社会党の求心力は大きく低下した。

著者はそれを「従来の自衛隊『違憲』の方針を『合憲』に変更し、『反安保』を『安保堅持』へと大転換し、かくて『反米』から『親米』へと宗旨替えをします」、「反体制であった左派主導の日本社会党は、政権獲得とともに突然体制側と同一線上に立ったのです。かつての反体制社会党の首相が自衛隊閲兵をするという、およそ想像もできなかったあの光景は、逆に日米非対称システムなる歴史的構築物がいかに牢固なものであるかを示すとともに、戦後日本の構造そのものがこれまたいかに堅牢なるものであるかを表すものでもあります」と表現している。

村山政権成立後の翌年(1995年)、沖縄で米兵による12歳の少女へのレイプ事件が起こった。沖縄県民の怒りは頂点に達し、「日米地位協定」を改定せよとの積年の主張に火がついた。村山首相も「見直し」に意欲をみせ、米国防総省でさえ「見直し」に肯定的だったとされる。しかし、河野洋平外相はじめ外務省はガジガジの現状維持を主張した。これについて著者は「外務省が『現状維持』になるのが問題ではありません」とし、「仮に村山政権が、すなわち政治家である首相・外相があのとき現状変革(地位協定改定)の主導権を、それも歴史的見識と強力な指導力に裏打ちされた外交力を果敢に駆使できたなら、『地位協定改定』は何らかの進展をみたはずです。なぜなら、『不動の地位協定』を変革していく条件があのときほど揃った時期はなかったからです。日本外交の脆弱性はここでも明らかです」と述べ、「政党が保守であろうと革新であろうと、政治家が現実主義者であろうと理想主義者であろうと、彼らが『力不足』の日本外交をどれほど強化してきたかは、極めて疑問であるといわざるをえません。日米非対称システムをこれほどまでに強固かつ長期に延命させた『理由』の一半が、やはり『弱者日本』のなかにあったことは否めない事実です」と書く。

さらに著者は別の個所において、「野党が説得力ある現実的・具体的な安全保障政策をもつことができない」こと、「いつでも政権を獲る態勢にあるべき野党第一党が、国民にとって何よりも重要なこの安全保障政策を明確に提示できないということであれば、同党がそもそも政権担当の能力も使命感もないのだ、と受けとられてもしかたがない」とし、「あたかも自民党政権を助けるかのように、『政権』から遠ざかる方向に進んでしまい」、「大局を見失って多くの小党が再び『わが道』を歩みはじめ」ることに対して、「結局は政権側に“閣外協力”」することになると、厳しい苦言を呈している。 続きを読む

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【書評】『戦後日本を問いなおすー日米非対象のダイナミズム』(その1)

【書評】『戦後日本を問いなおす-日米非対称のダイナミズム』(その1)

       (原彬久著 ちくま新書 2020年9月発行 880円+税)

                             福井 杉本達也

―尖閣問題と安保条約をめぐって-

1 日中間の緊張緩和を主張すべき野党・共産党が緊張を煽る愚

志位和夫日本共産党委員長は、日中外相会談後の共同記者発表(11月24日)における、尖閣諸島をめぐり茂木外相が「中国公船の領海侵入に前向きな行動を求めた」ことに、王毅中国外相が「日本の漁船が敏感な水域に入っている」と反論したこと(日経:2020.11.25)を取り上げ、「驚くべき傲岸(ごうがん)不遜な暴言だ。絶対に許してはならない」とし、続けて「尖閣諸島周辺の緊張と事態の複雑化の最大の原因は、日本が実効支配している領土・領域に対し、力ずくで現状変更をしようとしている中国側にある。この中国側の覇権主義的な行動が一番の問題だ」と指摘。さらには、茂木外相に対しても、何ら反論や批判もしない「極めてだらしない態度だ」とし、また、菅義偉首相も「覇権主義にモノも言えない屈従外交でいいのか」と厳しく批判したとしている(しんぶん『赤旗』2020.11.27)。これはもう右翼顔負けのアジ演説である。中国を一方的に「覇権主義」と決めつけ敵意を煽っているだけである。王外相の訪日は、尖閣問題で冷却している日中関係を正常化するため、「経済面の協力を打ち出して日本に秋波」(日経:上記)を送ってきていることを頭から否定し、日中間の緊張を高める行為以外のなにものでもない。

2 外交は「最悪のシナリオ」も想定して行うもの

共産党の“能天気”なアジ演説に対し、本書は極めて冷徹な分析を試みている。尖閣問題が前面に出て日中関係が冷却化するのは、1978年の日中国交回復時に、「尖閣問題棚上げ」で合意した両国が、民主党・菅直人内閣下における2010年に、中国漁船の海上保安庁の巡視船との衝突事件を契機に始まり、同じく民主党・野田佳彦内閣での2012年9月の「尖閣国有化」で最悪となった。著者は、冷戦後も「広義の日米安保体制ともいうべき日米非対称システムは驚くべき適応力をみせつつ、日本の『対米従属』を“栄養分”にしてその生命力を維持」してきたが、「尖閣問題を抱えたことによって日米安全保障関係は大きく」変わったとする。それまでは「日本が、アメリカとは直接関係のない自国固有の国際紛争を抱えたという経験は」ない。「戦後初めて日本は、あるいは戦争に至るかもしれない『尖閣問題』という名の国際紛争を、それも『領有権』という最も鋭角的な事案をアメリカの問題としてではなく、日本だけの問題として抱えてしまった」という。つまり、「もしに日中間に和解の道を探る外交努力がないなら、『アメリカの事情』ではなくて、『日本の事情』ゆえに日本が武力紛争に巻き込まれる可能性も否定できない」という冷徹な判断である。

外交は「最悪のシナリオ」も想定して行うものである。仮に「尖閣諸島への中国の武力侵害が発生した場合、少なくとも条文上は直ちに(安保条約)第5条が発動」されるとしつつ、「本来条約は多分に政治的なもの」であり、アメリカは「国家の『安全』という死活的利益にかかわる条約であればなおのこと」、「みずからの国益に合致するよう狭めたり広げたり」して行動し、必ずしも日本側の期待どおりには尖閣防衛の行動をとるわけではないとする。 続きを読む

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【書評】『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』

【書評】『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』
  (片山夏子著、2020年2月発行、朝日新聞出版、1,700円+税)

「福島第一では現在、一日4千人の作業員が働いている。廃炉までの道のりはまだ遠い。そして今この瞬間も、福島第一を何とか廃炉にしようとしている作業員がいる」。
 本書の「あとがき」(2020年1月)に述べられているのは、現在もなお続いている福島第一原発の状況である。2011年3月11日に起こった福島第一原発事故は、あたかも収束したかのようにその報道がめっきり少なくなってしまった。しかし本書は、原発事故、それによる汚染、政府・東電による対策、廃炉決定という大きな流れの中にあって、事故直後から9年間にわたって、福島第一の現場で個々の作業員が様々な事情を背負いながら作業を続けてきた思いを届ける。
 その大まかな流れは、本書の目次に象徴的に示されている。「1章 原発作業員になった理由・・・2011年」、「2章 作業員の被ばく隠し・・・2012年」、「3章 途方もない汚染水・・・2013年」、「4章 安全二の次、死傷事故多発・・・2014年」、「5章 作業員のがん発症と労災・・・2015年」、「6章 東電への支援額、天井しらず・・・2016年」、「7章 イチエフでトヨタ式コストダウン・・・2017年」、「8章 進まぬ作業員の被ばく調査・・・2018年」、「9章 終わらない『福島第一原発事故』・・・2019年」である。

 この中で原発事故後の作業員たちの率直な声がある。
 「もちろん、お金のために働いてきた部分もある。でも自分たちが関わったプラント(原発)で事故が起きた。申し訳ないという気持ちがあった」。「初めの頃は線量計も班で一つだけしか使えなかった。危機的な状況を回避するための作業に必死で、被ばくなんて気にしているどころじゃなかった。何とかして目の前の作業を終えようとした」(3章)。
 「ここで生まれ育った人たちが故郷に戻れないのを目の当たりにして、原子力の世界で食ってきた人間として少なからず、責任があると感じている。将来病気になったとしても、自業自得だと思っている。今は事故を収束させなければという思いでいっぱいで、原発を推進したいか、脱原発なのかは考えられない」(同)。

 しかし作業員の現場は過酷の一語に尽きる。2018年8月の話である(8章)。
 「盆休み前も暑かったな!原子炉建屋周りのほか、タンクや水処理関係の作業は、重装備だからきつい。全面マスク、防護服、作業によってはさらにかっぱを着て、綿手袋にゴム手と何重にも重ねる。気温が32度でも、装備を着た分の体感温度を気温にプラス11度で計算するから、軽く40度を超える。汚染した地下水を増やさないように地面を覆ったアスファルトや、タンクの照り返しも強烈」。
 そして末端の作業員は、「原発カースト」について語る。
「元請けに呼ばれると、下請けは馳せ参じる。下請けに所属する作業員は、現場で実際に作業をする、つまり田を耕す百姓。どんどん手当も日当も減り、(田畑を自ら所有しなかった)水?み百姓になっている。今は東電からの発注が少なくて、イチエフ全体の仕事が減って元請けや下請けも苦しい。仕事があるとき、必要とされたときに、そこに行く。そして、仕事が無いときは仕事を失う」(7章)。

 こうした中、東電や政府は恣意的な言葉の言い換えを続けている。曰く「炉心溶融」→「炉心損傷」に、汚染水漏れ「事故」→原子量用語である「事象」に、建屋地下に溜まった高濃度「汚染水」→「滞留水」に言い換えられ、また「冷温停止」が不可能な状態でもあるにもかかわらず「冷温停止状態」という言葉が作り出された(2章)。
 そしてその最たるものが東京五輪招致の最終プレゼンテーションでの、「おもてなし」や「状況はコントロールされている」という言葉である。イチエフをよく知る人は、これを「おもてむき(表向き)」「情報はコントロールされている」と皮肉るが、「それがすっかり仮設住宅にも定着しちゃって、じいちゃんやばあちゃんに『これは表向きの話?』とか『相変わらず、情報はコントロールされているの』と言われたりする。『いつまで汚染水漏れしてるんだい』と聞かれ、わからないと答えたら『俺のおむつ貸そうか』とも・・・」(3章)。笑うに笑えない話である。
 しかしこの福島第一を訪れる見学者が年間約1万組。廃炉作業をしている現場に、毎日のように観光バスで入ることはあまり知られていない。本書はこう指摘する。
 「訪れるのは、国やIAEAなどの国際機関、国内外の報道、県知事や町の幹部、それに地元の人たちなどで現在は年間2万人が見学に訪れている。(2019年)4月に安倍首相が、背広姿で、5年7ヶ月ぶりに福島第一の現場を訪れた記憶はまだ新しかった。見学バスや見学者が通るコースの道は除染されているが、道のすぐ脇が全面か半面マスクに防護服着なくてはならない『イエローゾーン』だったり放射線量が跳ね上がる場所があるというから、それで安全と言っていいのかと思う」(9章)。

 さらに深刻なのは作業員たちをめぐる労働環境と補償の問題である。
 「未曽有の原発事故が起き、作業員の被ばく線量は格段に上がったが、原発事故後の収束に関わった作業員の補償は何もない。2011年12月16日の事故収束宣言までの緊急作業に携わり、一定期間に50mSv(マイクロシーベルト)以上被ばくした場合、東電や国のがん検診が無料で受けられるものの、治療費は出ない。病気で働けなくなったとしても、生活費の補償もない。厚生労働省などによると、原発事故後、福島第一で働いていた作業員のうち24人ががんになったとして、労災を申請。白血病で3人、肺がんで1人、甲状腺がんで2人が労災認定された。6人は不支給がきまり、3人が請求を取り下げ、残る9人はまだ調査中だという」(9章)。
 「また労災認定を発表するたびに厚労省が『被ばくとの因果関係が証明されたわけではない』と繰り返すように、事故前や他原発を含め、これまで原発作業員でがんになったとして裁判を起こし、因果関係を認められて作業員側が勝訴したケースはない」(同)。
 「2020年1月現在も、格納容器内の溶け落ちた核燃料の全容はわからないまま。道半ばと言っても、廃炉までの全工程のどこまで到達したのかも見えてこない。今ここで、この先何十年後になるか終わりの見えぬ作業を考え、作業員の補償の見直しや働き続けられる雇用条件を整えなければ、廃炉はままならない」(同)。

 この悲痛な叫びにも似た記述で本書は終わる。しかし「福島第一では現在、一日4千人の作業員が働いている」。(R) 

 

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【投稿】深化する経済恐慌と異常な株高--経済危機論(34)

<<ニューヨーク株式相場、史上初の3万ドル台>>
11/24のニューヨーク株式相場では、ダウ工業株30種平均が、前日終値比454.97ドル高の3万0046.24ドルで終了、史上初めて3万ドルの大台を記録した。これは、トランプ現政権の必死の抵抗にもかかわらず、バイデン次期米大統領への政権移行作業が動き出し、政治的経済的混乱状況の不透明感が薄れ出したこと、新型コロナウイルスのワクチン開発が進展しだしていることなどを好感して、株価を押し上げた、と報道されている。
日経平均株価もこの間、連日高値を更新し、11/12には、29年ぶりにバブル崩壊後の最高値となる2万5520円に達し、11/18には大幅反落したが、11/25にはさらに上値の2万6581円98銭を記録している。
しかし、日米いずれも実体経済は冷え込み、新型コロナウイルスによるパンデミック危機が進行、新規感染者が過去最多を記録しているそのさなかにこの異常な株高が進行しているのである。

この異常な株高は、金融バブル崩壊寸前のカジノ化した株式市場を象徴するものである。今やこの市場はマネーゲームの賭場と化しており、群がるギャンブラーは各国政府および中央銀行のばらまくヘリコプターマネーがいつまで続くか、それがいつ破綻するか不安と危機感に怯えながらも、カネがカネをうむマネー・ゲームの最大のチャンスとして、このマネーを奪い合い、金融界だけが「好景気」に沸き、金融資本と独占大企業、1%の富裕層は、まさにこの危機を利用して膨大な利益を懐に入れているのである。彼らにとっては、パンデミック様様であろう。

<<二つのアメリカ>>
FRB(米連邦準備制度理事会)やECB(欧州中央銀行)、日銀といった中央銀行が注ぎ込んだマネーは既におよそ1000兆円をこえると見られ、今や止めることもままならぬ状況の中で、破綻するまで追加資金を投入せざるを得ない事態に直面しているとも言えよう。FRBは2021年には、この量的緩和をさらに2倍にするこことが求められている。そしてまさにこの「異次元」のカネ余り状況が、異常な株高を招いているのである。それはいつ、どこで、また何らかのきっかけで破綻してもおかしくない状況である。
きっかけは、金融市場そのものにもあるが、より重大なのは、深化する経済恐慌によって、実体経済がさらなる冷え込みに落ち込む可能性である。
今現在、米国だけでも1100万人以上がまだ失業中であり、270万人以上の人々が住宅ローンを支払えない状態である。そして数百万人が、家族を養うためにフードバンクに依存せざるを得ない状態である。ダウ3万ドル突破と対比して、何百万もの家族が食糧にさえ事欠く「二つのアメリカ」(There Were Two Americas Today As Dow Struck 30,000)の実態である。

問題は、バイデン政権への移行の前段階、12/31に、トランプ政権下で民主・共和両党の合意が成立せず、CARES法(「コロナウイルス支援・救済・経済保証法」)の延長がなされない場合、2021/1/1には1400万人が失業手当を失い、立ち退きモラトリアムの同時満了で3000万人の賃貸世帯が立ち退きの危険にさらされ、約70億ドルの学生ローンの支払い凍結も解除される、等々、さまざまなモラトリアムが終わり、経済がさらにいっそう危機的な状況に引きずり込まされる可能性があることである。
バイデン政権には、こうした経済危機を打開する根本的政策転換こそが求められている。バイデン氏のこれまでのようなあいまいな中道主義では事態を一層泥沼化させるだけであろう。
(生駒 敬)

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【書評】『働くこととフェミニズムー竹中恵美子に学ぶ』

【書評】『働くこととフェミニズムー竹中恵美子に学ぶ』

フォーラム 労働・社会政策・ジェンダー編 ドメス出版 2020年10月発行 (3,000円+税)

                            福井 杉本達也

竹中恵美子先生の卒寿記念に、先生を囲む市民グループ「フォーラム 労働・社会政策・ジェンダー」の女性たちが共同作業で出版した労作である。本書の扉には、いつものベレー帽のお姿の竹中恵美子先生の写真が掲載されている。若き日の先生はいつも住吉区我孫子の住宅団地からベレー帽姿で自転車に乗られ、大学まで通学されていた。私はもっぱらJR(当時は旧国鉄)杉本町駅を利用していたが、たまに用事で大阪市営地下鉄我孫子駅を利用するときには自転車姿の竹中先生をお見かけすることもあった。先生の授業では、岸本英太郎編の『労働経済論入門』をテキストとして、黒板にチョークで書かれるのであるが、それをノートに書き写すのは大変であった。膨大な文字を書き写しているうちに消されて次に進んでしまうのである。ペンでノートに書き写すより、チョークで書かれるスピードの方が速いのである。その膨大な書き写したノートはもう何年も前にどこかへ行ってしまったのであろう。今は手もとにはない。

本書で、まず目に入ったのは「本当に悔しくて、思いつめて、ドーンセンターの屋上から飛び降りようかと思ったこともあるくらいでです。そんな馬鹿なことをしなくてよかったと思いますけど…大阪の地で、何とか頑張ってきたということは、幸せなことだと、今、本当にそう思っています。でもちょっと、今は淋しいですね。ドーンに入ってきて、壁を見ながら、薄暗く活気がないことが何とも気がかりなことなんです」という非常に重い言葉である。先生は2001年から2007年まで大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)で館長をされていた。その時に維新の橋下徹大阪府知事(当時)の「行革」により、「二重行政」だ、大阪府と大阪市に同じような施設はいらないとされ、ドーンセンターも廃止対象施設として矢面にたたされた。女性団体などの必死の抵抗により、なんとか廃止は免れたものの、ドーンセンターは機能を縮小され、2012年度の男女共同参画推進費は07年度の3分の1に、大阪府職員は引き上げられ、DV等に悩む女性のための法律相談や女性医師によるからだの相談なども廃止されてしまった。あの、若き日の活気あふれる姿からは「飛び降りる」ほどに思いつめられていたとは全く想像もつかない。

本書は先生を囲む仲間が先生の女性労働研究、特に「ペイド・ワーク論」、「アンペイド・ワーク論」などの研究成果を元に、それぞれの筆者の専門の立場で書かれているので、全てに触れるわけにもいかないが、北明美氏が第5章で竹中先生の残された課題として、「横断賃率論」に触れられている。「竹中は、『かつて横断賃率論者が取り組み挫折に終わったが、今日こそ』と前置きして、企業の枠を超えた要求の統一→労働の社会的格付と職種別賃率交渉をそれぞれ担う産別労使交渉機関の設置という筋道を想定している。だが、横断賃率論者とその反対者のかつての対立および双方の『挫折』についての現時点での歴史的理論的分析が、研究においても運動においても共有されないまま推移しており、そのことが要求の統一を困難にしているように思われる」と書いている。

そもそも日本には欧米型のような企業の枠をこえた産業別の職種別・熟練度別の賃率といったものがない。生活給あるいは属人的要素の年齢や勤続年数の増大による年功賃金制度が個別企業ごとに形成されてきた。労働者個人は非常に弱い存在であり、単独では資本家と交渉できない存在であり、産業別あるいは職種別の労働組合(企業別ではない)に集まって「コレクティブ・バーゲニング」(集合取引)により労働力という特殊商品を市場取引してできるだけ高い価格を決定するというのが欧米の賃金交渉であり、交渉の結果、一定の標準にしたがって賃金が決められる(スタンダード・レイト)。それを「横断賃率」として日本に紹介したものであるが、「横断」とは企業横断ということであり、日本のガラパゴス的な企業別組合を前提とした名称である。現在、企業別組合にどっぷりとつかっている組合の役職員や一般組合員にとっては「横断」とはなんぞやとなろう。隣の会社とは賃金が違うのが当たり前だという世界にしか住んでいないのだから、ほとんど説明不可能の過去の言葉になってしまった。

労働組合は、あくまでも個別企業の枠をこえて、各企業にわたって共通の問題を統一的にとりあげる組織である。日本の企業別組合は本来的な労働組合と呼べる代物ではなく、「半組合」・英国的表現での「工場委員会」的なものであり、企業特有の問題や職場の特殊問題をとりあげながら、企業内に埋没して終局的に個別資本の労務管理の補助機構に堕してしまう。その企業内労組を外部から「必要以上の左翼理論」、「イデオロギー」によって経営対組合関係の方向に、あるいは政党の下部組織として、強引に持っていこうとしたのが、「横断賃率論の反対者」であったのではないか。

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【追悼】小野義彦先生 没後30年に思う

【追悼】小野義彦先生 没後30年に思う

 1990年11月19日 小野義彦先生が亡くなられた。享年76歳。私にとっては突然の訃報であった。前年に自治労分裂の中、組合を結成し、今後も指導をいただきたいと考えていた頃だった。以来30年の月日が流れた。
 1985年にソ連共産党書記長となったゴルバチョフが、ペレストロイカ改革を進めていた。停滞する社会主義に対して、民主主義的手法で改革を進めようとするペレストロイカに、小野先生も大いに注目しておられた。負の遺産の清算も含めて、新たな社会主義の前進を望まれていたと思う。
 91年秋には保守派によるクーデターが発生し、その後は、ソ連邦崩壊、ソ連共産党の崩壊に至り、理論上も組織上も、大きな転換が求められることとなった。

 以来、何かにつけ「小野先生が生きておられたら、どんな分析をされるだろうか」が、皆の口癖になったように思う。先生の業績や、小野理論の再評価などの重い課題は、私には及ばないことだが、没後30年という節目に、小野先生を偲び、今後の活動の糧としたい。

以下は、「Assert Web」に蓄積している小野先生に関連する文書リンクです。
さらに、1992年に発行された追悼集「資本主義論争と反戦平和の経済学者 追悼 小野義彦とその時代」から、吉村励さんの「小野さんの歩んだ道」を再録させていただく。

また、「知識と労働」No43(1987年11月)に掲載された「『統一戦線と人民戦線』について」を、新たにデータベース化しました。講演テープを起こし、先生による修正・加筆の上、知識と労働誌に掲載されたものです。(佐野秀夫) 続きを読む

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【投稿】経産省のエネルギー基本計画の物語で動く菅首相の「温室効果ガス50年ゼロ宣言」

【投稿】経産省のエネルギー基本計画の物語で動く菅首相の「温室効果ガス50年ゼロ宣言」

                             福井 杉本達也

1 宮城県知事の女川原発2号機再稼働同意

村井嘉浩宮城県知事が、11月11⽇、東北電⼒の⼥川原発2号機の再稼働に同意した。⼥川原発は3.11の震源地に最も近い原発で、地震の揺れと津波で被災、1号機は外部電源を喪失した。福島第一原発のような過酷事故はなんとか免れたものの、安全性には疑問がつきまとう。福島第一と同型の沸騰⽔型軽⽔炉(BWR)であり、何ら福島第一の事故原因の検証が進まない中での再稼働同意である。同意を表明した村井知事は「原発がある限り事故の可能性がある」、「原発事故を教訓として更に高みを目指す。技術革新していく。事故がダメなら乗り物、食べ物も否定される」と支離滅裂の言いわけに終始した。事故時の避難計画の実効性も置き去りのままである。30キロ圏内で暮らす住民は約20万⼈であるが、事故時の避難道路は、昨年の台⾵19号によって冠⽔や⼟砂崩れが相次いでいる。住民の命を預かるべき知事の完全な暴走である。

2 所信表明は「脱炭素社会宣言」ではなく、「原発再稼働宣言」

菅義偉⾸相は10月26日の所信表明演説で、温室効果ガスの排出量を2050年までに実質ゼロとする目標を掲げた。「再生可能エネルギーを最大限導入するとともに、安全最優先で原子力政策を進めることで、安定的なエネルギー供給を確立します。長年続けてきた石炭火力発電に対する政策を抜本的に転換します。」と表明した。“挑戦的”な「脱炭素社会宣言」ではなく、“挑戦的”な「原発再稼働宣言」である。日経は早速、社説で「火力発電を減らす場合、すべてを再生可能エネルギーでは補えない。再稼働が進まず老朽化する原子力発電にどこまで頼るのか」(2020.10.27)と再稼働への期待を主張する。世耕弘成参院幹事⻑は「⼆酸化炭素を出さずに⼤量のエネルギー供給ができる電源は原⼦⼒」「原発の再稼働や新しい技術を取り⼊れた原発新設の検討を進めていくことが重要だろう」と強調している。

3 原発ゼロでは「エネルギー基本計画」が成り立たない

「エネルギー基本計画」を21年夏をメドに改定するが、18年7月に閣議決定され現計画は大幅な変更が必要だ。計画では30年度の電源構成について原子力発電を20~22%、太陽光や風力などの再生可能エネルギー22~24%、56%を石炭やLNGなどの火力発電と定めている。しかし、経済産業省は、梶山弘志経済産業相の「まずは今の目標値を達成することが大切だ」との言葉にもあるように、電源構成の大幅な変更には慎重姿勢である。福島第一原発事故以来、各地の原発が停止し、審査の長期化や地元の反対などで再稼働の動きは鈍い。国内総発電量に占める原発の割合は18年度でわずか6%である。一方の再生エネルギーは中国勢の太陽光パネルや欧州勢の風力発電設備などは海外製品ばかりである。「風力は海外メーカーの存在感が圧倒的で、大型部品を欧州から輸送すると60日かかり、コストが高い」(日経:2020.10.14)。「老朽石炭火力を停止」という“掛け声”からは原発再稼働による穴を埋めというストーリーを描いていることは間違いない。しかし、まさか基本計画に原発の割合6%などと書けるわけがない。事故を起こした同型のFRBでもなんでも再稼働させて10%以上の稼働を確保し、エネルギー計画に原発20%を維持したいとしたいのが本音である。 続きを読む

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【投稿】米国国民も世界もまた「涙の道」を通るのかー米大統領選結果

【投稿】米国国民も世界もまた「涙の道」を通るのかー米大統領選結果

                              福井 杉本達也

1 軍産複合体と金融資本に力ずくで潰されたトランプの反乱

11月3日、米大統領選が行われ、7日、民主党のバイデンは勝利宣言を行った。しかし、郵便投票による大量の不正があるとして、トランプ大統領はまだ敗北を認めていない。今後、裁判闘争に持ち込み、まだ結果ははっきり出たわけではないが、事実上のトランプの敗北である。

新聞等によると、得票率はバイデンが7500万票、トランプが7100万票と、実に米国有権者の93%以上?という異常な高投票率であり、米西戦争直後の1900年の共和党:マッキンリーvs民主党:ブライアン(投票率73%)以来の高投票率という。日経によれば、「第 2次世界大戦後の投票率は公民権運動のあった60年代には62%を超ていたが、その後は2000年代に入るまで50 %台が続いていた。」(日経:2020.11.6)としており、「郵便投票の集計が進むにつれ、バイデン氏が票を積み上げ」、トランプに言わせると「魔法のように(リード)が消え始めた」のである。その後、日本のマスコミも評論家も投票率にいっさい触れることはない。19世紀末までに遡るような高投票率が、現在の米国で起こることはありえない。組織的な郵便投票を利用した不正があったことは数字上は明らかである。しかし、それをトランプが証明することは恐らく不可能であろう。

元外務省の孫崎亨氏も鳩山由紀夫氏との対談:「東アジア共同体研究所 UIチャンネル」『米国大統領選挙結果を考察』(2020.11.9)において、①なんの問題もない投票ではなかった。②郵便投票が本人のものであったのかどうなのか。③簡単に不正ができるシステムだったと指摘する。今回の大統領選は米国にとっては非常に重要な選挙であったとし、資金力はバイデンがトランプの4倍を集めている。資金の出どころは、民主党支持者の5ドルや10ドルの資金カンパによるものではなく、裏に米国政治を操る金融資本がついているからである。その証拠として、民主党:予備選のスーパー・チューズデー(3月3日)の前日に有力候補であった中道派のエイミー・クロブシャーとピート・ブティジェッジが撤退表明をして、右派をバイデンに固めたとしている。孫崎氏は選挙の前日に候補者が自ら降りることはあり得ない。裏にディープステイトの圧力があったとしている。

2 投票率の高かった1900年とは米国にとって海外侵略・虐殺開始の年

1898年の米西戦争において、米国はキューバ:ハバナ湾での戦艦メイン号爆破・沈没事件を口実にスペインを攻撃し、結果、キューバなどを占領するとともに、当時、スペインの植民地であったフィリピンにおいても米比戦争を起こし、フィリピンを占領・植民地化した。西部への拡張とアメリカインディアンとの大規模交戦が終了し、軍は新しい土地と敵を望んでいたのである。オリバー・ストーンの『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1 二つの世界大戦と原爆投下』( 2013年)によれば、フィリピンではアメリカ軍が抵抗軍の奇襲受けた際、指揮官は「配下の部隊に対し、11歳以上の住民を皆殺しにして島全体を『獣の吠える不毛の地』に変えるように命令した」。また、新聞社の特派員によれば「アメリカ兵の仕打ちには容赦がない。男も女も子供も、囚人も捕虜も、反乱分子の活動家も容疑者も、10歳以上の者は根絶やしにするつもりで殺している・フィリピン人はどのみち犬も同然で…ごみ溜めに棄てるに限るという考えが蔓延しているからだ」と伝えている。12万人もの軍隊を送った米国は、フィリピンを平定するまでに3年半かかり、その間にフィリピンのゲリラ2万人、市民20万人が犠牲となった。 続きを読む

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【投稿】維新・住民投票連敗が意味するもの--統一戦線論(71)

<<右派ポピュリズムの限界>>
11/1の大阪都構想をめぐる住民投票は、今回2回目であり、仕掛ける側の維新幹部からすれば、「絶対に負けるはずのない」、「勝って当然」の闘いであったはずである。
維新は今回、前回は「大阪都構想」に反対だった公明党を抱き込み、たとえ公明支持層がすべて賛成に回らなくても、その2割、3割でも維新側について、賛成票を投じてくれれば楽勝と計算していたのは当然であろう。何しろ前回の得票差は、約1万票である。5千票以上が寝返ってくれれば勝つ、という机上の計算ではその通りであった、と言えよう。
ところが現実は、投票率は前回より4.48ポイント下回る62.35%にとどまりながら、票差は接近するどころか、逆に約1万7000票差に拡大して、再び否決されてしまった。しかも、公明支持層は、朝日新聞出口調査によれば、賛成46%、反対54%で、相当数賛成票に流れたにもかかわらず、この結果である。実質的には、裏取引で増大したはずの賛成票をさらに減少させてしまったのである。
ここに、維新敗因は、右派ポピュリズムの限界を端的に示していると言えよう。その根本は、公務員攻撃と民営化、二重行政の解消、「身を切る覚悟」などと叫びながら、現実には府立病院の閉鎖や保健所の削減など、社会的セーフティネットワークを根本から破壊する、住民の利益に密着しない、地方自治と民主主義を破壊し、独裁主義的・権威主義的な権力集中を図る自由競争原理主義の限界なのである。
そうした右派ポピュリズムからすれば、まどろっこしい地方自治や分権ではなく、権威主義的な権力集中を掲げ、その環境整備のために、政治的上部構造の裏取引で物事はやすやすと進められると踏んだのであろう。維新発足当初はそうした独裁主義的手法が功を奏し、既得権益と既成政治勢力打破を叫び、安倍政権に引き続き菅政権とも改憲策動で連携し、より密接な関係を構築してきた、勝って当たり前だったはずである。しかし、その限界は、住民の、市民の利益に合致し、それに依拠していない、依拠できないところからきているのである。

<<「合理的自立的主体」への依拠>>
前回の住民投票で、なぜ維新の提案が否決されたのかについて、独自の詳細な世論調査や分析を通じて、『維新支持の分析 ポピュリズムか、有権者の合理性か』(有斐閣、2018/12/25発行)の著者・善教将大氏(関西学院大)は、同書の中で、維新支持者の内にある批判的志向性が都構想への賛成を踏みとどまらせたこと、その意味で操作されやすい、疎外された「大衆」ではなく、合理的自立的主体である、と分析されている。

氏は同時に、維新の代表であった橋下徹氏の支持率は、大阪市長就任後低下している現実、高い水準にあったのは大阪府知事期、しかも維新設立前に限定され、2010年末ごろより低下し続け、2014年2月には50%を下回り、ポピュリスティックな支持の調達に成功するどころか、失敗し続けてきた現実を指摘されている。
維新の台頭は、地方レベルの政治における既成政党の機能不全に根差すものであり、大阪都構想に関しては、市民の知識は大きく偏ってはいなかったし、維新支持層であってもそのデメリットの認識があったことを指摘されている。2回目の今回の住民投票はこうした指摘をさらに確認させるものとなったと言えよう。しかも今回は無謀にも、新型コロナ感染危機の真っ只中、大阪が突出して感染拡大している最中に行われたのである。
前回投票前の朝日・読売の世論調査は、賛成の方が10%以上高く、直前には反対が増える、という現象は、二回目の今回と全く共通した現象である。賛成派による活発な活動にもかかわらず、有権者は冷静な判断を下したのであった。
その冷静な判断の下支えとなった反対派の市民団体、多くの党派やグループの多様な活動、大阪都構想のずさんな現実と実体を知らせる情報提供が、維新の野望を打ち砕いたのである。
ひるがえって、野党共闘・統一戦線にとっての、今回の住民投票の重大な教訓は、維新と同じような政治的上部構造における取引や根回しにかまけていたのでは、足元をすくわれてしまう、ということであろう。首相指名投票で、共産党が立憲民主党・枝野氏への一本化に踏み切ったことが、野党共闘への巨大な前進であるかのような幻想は、たとえそれが一歩前進であったとしても、それぞれ10%にも満たない脆弱な野党支持率の現実を直視していない、浮ついた印象を有権者に与えるものと言えよう。市民、有権者の生活に根差した政策、政治の根本的な政策転換を求める多様な統一戦線を一から再構築することこそが求められているのである。
(生駒 敬)

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【投稿】米大統領選の結果が示すもの--経済危機論(33)

<<パンデミック対応の明暗>>
 「危険なほど無能」(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン)、「ヒトラーよりも悪い」(ノーム・チョムスキー)とまで批判されてきたトランプ米大統領、ついに退場せざるを得ない事態に自らを追い込んでしまったと言えよう。トランプ氏は不正選挙・「盗まれた選挙」としてあくまで平和的な権力移譲を拒否し、分断と暴力を煽り、徹底抗戦の構えである。その動きは過小評価も過大評価もすべきではないであろうが、もはや事態を巻き返しはできない段階であろう。
 トランプ氏敗北の最大の要因は、新型コロナウイルスを徹底的に軽視し、感染拡大への対応が、「危険なほど無能」であったばかりか、自ら先頭に立ってパンデミックの「スーパースプレッダー」として行動し、一日に新規感染者が10万人を超えるような事態をもたらしてしまったことにある(11/6には過去最多の12万人6714人)。この感染拡大は、経済危機の拡大と結合したことによって、大量の失業者の増大と、健康保険資格喪失者の増大、感染が疑われても検査・診察、治療さえ受けられない、生活と健康をめぐる格差の拡大、セーフティネットの欠如を以前にもまして赤裸々にアメリカ社会に問題を投げかけたのである。
 本来なら、民主党のバイデン候補は、トランプ氏に大差をつけて圧倒的勝利を獲得できたはずであったが、上院選挙では逆転もできず(50:50の可能性は残されている)、下院選挙でもかろうじて多数派を維持できたに過ぎないのである。ここでも、民主党伸び悩みの最大の要因は、パンデミック危機対応にあったと言えよう。このパンデミック危機のさなかに、民主党主流はあくまでも医療を自由競争原理主義にゆだね、儲け主義本位の医療・製薬・保険・金融産業に媚びを売り、セーフティネットの構築をないがしろにし、バイデン候補自身が国民皆保険としてのメディケアフォーオール(Medicare for All)に反対し続けてきたことにあった。それでもバイデン氏が勝利できたのは、マスク装着と社会的距離を堅持し、対照的にあまりにもトランプ氏がひどかったからであろう。
 問題は、どちらの大統領候補も、パンデミックの時代に包括的なセーフティネットを提唱せず、事実上、最も脆弱な人々を置き去りにしたことにある。

<<「問題は、きわめて明快」>>
 民主党左派のオカシオ・コルテス氏は「問題は、きわめて明快」として、「どのような民主党員が敗北し、どのような民主党員が勝利したかを見ると一目瞭然」であるとして、民主党下院選立候補者のメディケアフォーオール(M4A)に支持か反対かで勝敗がくっきりと別れた対照表を明示している。(November 07, 2020 by Common Dreams

メディケア・フォー・オール(M4A)に賛成か反対か、    選挙の勝敗は

 バイデン氏は、トランプ氏に投票した人々も「愛国者」だとして、融和を図ることを第一義にしようとしているが、問題意識が外れているのである。敗北が歴然としている現段階に至ってもなおトランプ支持者には、投票集計所であるフィラデルフィアコンベンションセンターを武装攻撃せんとしてFBIによって逮捕されている「愛国者」もいるのである。彼らを「彼らは敵ではない。米国人なのだ」「私たちの国を愛する人々」だとして賞賛・迎合することに力点を置けば置くほど、自らの勝利を掘り崩しているのである。
 今回の大統領選で、トランプ氏は意外にも、黒人、ラテン系アメリカ人、LGBTQ、および女性の有権者の支持を、前回よりも相当大きく伸ばしているのである。それは、民主党がこうした人々への政策をないがしろにしてきた裏返しでもある。
 あるミズーリ州の共和党員ジョシュ・ホーリーがツイート(11/4 Josh Hawley @HawleyMO)して、「私たちは今、労働者階級の党です。それが未来です。」と述べ、大きな反響を呼んでいるのはその一つの証左でもあろう。うかうかしていると、2022年には上下両院とも民主党が敗北する事態を迎えよう。
 バイデン氏に問われているのは、パンデミック危機を抑え込み、経済危機を打開するためには、トランプ政権からの根本的政策転換が今決定的に必要、緊急不可欠なこと、ニューディル政策をを明確にすることであろう。
(生駒 敬)

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【投稿】新型コロナウイルス感染対策失敗と「大阪市廃止」の住民投票での再否決

【投稿】新型コロナウイルス感染対策失敗と「大阪市廃止」の住民投票での再否決

                              福井 杉本達也

1 大阪市廃止の2回目の住民投票も否決

⼤阪市廃⽌の是⾮を問う2回目の住⺠投票が11月1⽇に⾏われたが、「反対」多数で⼤阪市の存続が決まった。そもそも、2015年の住民投票で否決された案件を2度も住民投票にかけるのは住民無視も甚だしいが、大阪維新の会が2010年の結党時から掲げてきた、⼤阪市をつぶし、権限も財源も「府」に吸い上げ、道州制という国家による地方自治の圧殺と、土地や財産を外資や民間に叩き売り新自由主義の草刈り場をつくろうとした「大阪都構想」は頓挫し、維新代表の松井一郎大阪市長は23年4月の市長任期満了での政界引退を表明した。

前回投票では反対に回った公明党を抱き込み、また、NHK、朝日放送、関西テレビ、読売テレビ、テレビ大阪、朝日新聞、産経新聞、読売新聞、日経新聞などほとんどの在阪メディア(距離を置いたのは、毎日新聞、毎日放送くらい)からべったりの支援を受け、吉本興業の芸人なども総動員した。吉村洋文大阪府知事は、新型コロナウイルス対応では「大阪モデル」なる呼称を創出して連日テレビ出演、「最も評価する政治家」の第1位に躍り出でた。また、9月には「自助」ありきの新自由主義政策を推し進めようという、維新・松井市長と蜜月関係にある菅義偉政権も誕生し、住民投票は「賛成多数は確実」と予想されたが、まさかの敗北となった。

1日深夜の会見で、松井市長は「制度が変わることへの不安を解消するには、僕の説得力が不足していた」と敗戦の弁を述べたが、そうではあるまい。高千穂大学の五野井郁夫氏はtwitterで「大阪市民の反対派は当初から物量ともに劣勢だった中、草の根運動を展開して他の市民に熟慮し、熟慮した人々は合理的投票を行った。そして再び反対の民意が上回った。今回の逆転劇は再び民主主義を信じるに値する制度だと教えてくれた」(五野井郁夫 2020.11.2)と評価した。草の根の市民の活動の結果であり、反対多数は票差以上に重みがある。

2 じわじわ増える大阪の新型コロナウイルス感染

大阪府では新型コロナウイルスの感染者が増加傾向にある。11月1日発表では東京都の116人を上回る123人と全国最多となった(東京都は土日は極端に検査能力落ちるという要因もあるが)。「堺市の『泉北陣内病院』では患者11⼈の感染が新たに判明。22⽇までの感染者は計69⼈となった。また、亡くなった80代男性は、クラスターが⽣じた東⼤阪市の『市⽴東⼤阪医療センター』の患者」(サンスポ:2020.10.22)。「松原市の⾼齢者施設では、クラスターが発⽣」(関西テレビ:2020.10.29)、「大阪市北区の加納総合病院で同じ病棟の患者3人と職員6人、門真市立中学校で生徒ら7人の感染が判明」(秋田魁新報:2020.10.31)などと連日クラスター発生の報道をしている。

児玉龍彦東大先端研教授は、感染症対策の基本は感染者がどこに集まっているかを把握し、感染集積地と非集積地を分ける。さらに、非感染者の中で感染したら危険な人を選り分けることだとし、検査、診断、陽性者の追跡を精密に行う。包括的かつ網羅的な検査体制をつくり、感染実態を正確に把握することである。感染集積地を網羅的に把握し、学校や会社、病院、高齢者施設などの集積地でのPCR検査を徹底することだとしている。

春の第一波下で、橋下徹元大阪市長は3月まで、本人がPCR検査を受けるまではPCR検査不要論を唱えていた。大阪市では4月中旬、相談から検査までに最長10 日間かかっていた。当時、府内では、大阪健康安全基盤研究所(大阪市)や医療機関などで1日当たり計約 420件の検査能力しかなかった(時事:2020.5.4)。ちなみに、人口76万人しかいない福井県でも3台の機器を所有し、1日最大196件の検査が可能であり、明らかに大阪府の検査能力は不足していた。5月に、吉村知事は「大阪モデル」を打ち出したが、大阪市内では、「なみはやリハビリテーション病院」(生野区)での130人感染、「大阪府済生会泉尾(いずお)病院」(大正区)での14人の感染(産経:2020.5.3)、天王寺区の「第二大阪警察病院」など、府内でも吹田市の「大和病院」、「市立ひらかた病院」、「明治橋病院」(松原市)など院内感染が多発した。「医療崩壊」が起きていた。

ところが、これへの対応は、松井市長の公衆衛生における自治体の役割を放棄した「雨がっぱ」であり、吉村知事の非科学的な「イソジン」(ポビドンヨード入りうがい薬)会見であった。吉村知事は「検査数だけが注⽬されることには 『(PCR検査は)命を守るためにやってま す。“数”も⼤事ですけど、誰がどこで早くやれる かが⼤事。命を考えた検査を』」(デイリースポーツ:2020.8.6)と記者取材で答えていたが、8月の時点でも「医療目的検査」と「社会的検査」の違いを理解していないことは明らかであった。島田悠一コロンビア大学医学部助教授が指摘するように、PCR検査の目的には、治療方針などを決めるための個人に対する検査と、どういった政策を打ち出すべきかなどの集団に対する検査があるとし、PCR検査に基づいて集団としての戦略を決定するためには多くの検査数が必要で、数が多くなればそれだけ正確なデータに基づいた政策決定ができるとしている。こうした、非科学的なパフォーマンスだけの愚策と新型コロナウイルスの検査に対する“敵意”が、新型コロナウイルスをしっかり抑え込めず、秋以降の第二波の状況を招いたといえる。

仁坂和歌山県知事や大村愛知県知事などは国の“指導”に従わず、徹底したPCR検査を行った。和歌山県知事は「早期発見し重症化させないことが大事。『医者にかかるな』というのはおかしい、従わない」共同:2020.2.28)と国の指導に抵抗し、徹底した検査を行い医療崩壊を食い止めた。また、愛知県の大村知事は「病院に入れない、救急を断るのは医療崩壊で東京と大阪で起きた。医療崩壊を起こしたら行政としては負け。何を言いつくろっても結果だ」と批判した(朝日:2020.5.27)。住民は知事や政令市長の“能力”によっては殺されかねないことを肌で感じとった。 続きを読む

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【書評】『働き方改革の世界史』

【書評】『働き方改革の世界史』

       濱口桂一郎・海老原嗣生著、2020年9月発行、ちくま新書、840円+税)

                              福井 杉本達也

「働き方改革」というよりも労働組合論、「世界史」というよりも、「世界史」の物差しから見た「日本史」といった方が正解かもしれない。本書では英米独仏の11の古典を取り上げ、第1章「トレードからジョブへ」では、古典中の古典:シドニー&ベアトリス・ウエブの『産業民主制論』に始まり、企業横断的な職業組合を前提とするイギリスの雇用システムを、そしてテーラーの「科学的管理法」・「フォードシステム」が導入され熟練が解体されるアメリカにおいてのトレード(職業・職種)からジョブ(職務)への移行を、そして第2章「パートナーシップ型労使関係という軌跡」では、ギード・フィッシャーの『労使共同経営』などドイツ共同決定に基づくパートナーシップなどを紹介、第3章「パートナーシップなき企業内労使関係の苦悩」においては、G・D・H・コールの『労働者―その新しい地位と役割』などを紹介、第4章「片翼だけの労使関係」と、各国でどのように労働運動が展開し、どんな考え方が生まれたのか、「ジョブ型」とされる欧米の雇用システムがどのような経過をたどってきたかを要約している。

しかし、本書の意図はこうした古典の単なる紹介にあるのではない。底流に流れるのは日本の労働組合の「ガラパゴス的な形態」への批判である。著者は「日本の場合、多くの労働組合が、企業ごとに組織され、他社とは別の団体となっている」とし、「それは世界の中では異端なのです」、「多くの国では、労働組合は企業横断的に作られており、それは職業別に組織されたり、もしくは産業別に組織されたりしています」と序章で告白する。

そもそも、日本において労働組合の存在は年を経るごとに希薄になっている。評論家の佐高信が、長崎大学の集中講義を頼まれ、過労死やサービス残業になどにふれた際、学生から「『先生、労働組合ってないんですか?』 もっともな疑問である。一瞬詰まって、私は、『あるけど、ない』と返し、一応あるけれども…苦しい言いわけ」をしたと書いている(社会新報:2020.10.7)。佐高の話は2000年代のことであるから、現在の学生ならば「労働組合ってなんですか?」という根本的な質問が返ってくるのではなかろうか。新型コロナウイルス対策での「雇用調整助成金」の申請書類に「内容に誤りがなければ、従業員の代表の方に署名してもらってください」と「労働者代表」の署名・押印をする欄がある。労働者代表とは「労働者の過半数を代表する労働組合がある場合その労働組合が、労働組合がない場合は、労働者の過半数を代表する人を選出し、その選出された代表者」とされているが、申請企業の何割が文章の趣旨を理解しているのであろうか。10月13日、最高裁第3小法廷は「バイトに賞与」、「契約社員に退職金」、「不支給『不合理と言えず』」という判決を下した。日経ではコメントを弁護士や労働法学者の水町勇一郎東大教授などに求めたが(日経:2020.10.14)、労働組合の全国組織である連合に求めることはなかった。むしろ、「産別自決」を基本とする連合にあっては、個々の産別が関係する事項へのコメントは避けたかったのかもしれない。

そして、著者の本音は第12講で思い切り炸裂する。「外につながらない労働組合が、社内だけで労働運動を続けるという片翼飛行は、どのような帰結を見せるのか。協調、なれあい、そして組合弱化。そうした将来は、なんと60年近くも前に、もう見えていた」とし、「今ではほぼ完全に忘れられた本」である藤林敬三の『労使関係と労使協議制』を紹介する。藤林は労使関係を第一次関係の経営対従業員関係と第二次関係の経営対組合関係」に分け、第一次関係は「元々が労使の親和、友好、協力の関係」であり、第二次関係は「賃金ならびに労働諸条件、すなわち団体交渉の中心的な事項を対象」とし、「労使は明らかにここで利害が対立している」、「この二つの関係は性格上まったく相異なる」とする。そして、日本の労働組合は「この二つの関係が明確に区別され分離されることなく、からみ合って不分離の状態で存在」し、「その労使関係は、非常に曖昧模糊たる状態にあり、また非常に矛盾した複雑微妙な関係を示す」と洞察した。さらに、かつての総評、現在の連合などの上部団体の意義について、「そのまま放置すれば労使関係の第一次関係に傾こうとする経営対企業内労組関係を、その企業内労組を外部から指導支援することによって、経営対組合関係としての第二次関係の方向に事態を押しやろうとする」ところに存在意義があり、そのために「必要以上の左翼理論」、「イデオロギー」で強引に第二次関係へ引き上げようとしたと述べている。しかし、60年後「イデオロギー」が皆無となった今日、日本の労働社会は「利害対立の第二次関係が限りなく希薄化し、労使協力の第一次関係に埋没」してしまった。

10月27日、ANAは4,000億円の経費削減のため、「雇用は維持しつつ、人支件費を抑制するため、来春には400人以上の社員を外部に出向させる。家電量販大手のノジマや小売りの成城石井など企業や自治体を予定している」(日経:2020.10.28)という。キャビンアテンダントなどとして採用された職種が家電の売り場に立つのであろうか。
職務や勤務地、労働時間などが限定されない純粋なメンバーシップ型雇用が続く日本の特異さと、今後の先行きを考えさせられる。斜め見からは、「働き方改革」ができないのは日本の労働組合にあるというのが本書の趣旨なのかもしれない。

ところで、本書は第2章で「労使共同決定」を取り上げている。「1918年11月のドイツ革命では、前年に起きたロシア革命でボルシェビキ(共産党)が唱えた『すべての権力をソビエトへ』に倣って、『すべての権力をレーテへ』が唱えられました。ソビエトもレーテも労兵評議会という意味です」、ところがドイツ社会民主党指導部は軍部と連携し、急進派の反乱を鎮圧するが、この混乱の中で労働組合と労働協約の承認、事業所委員会の設置などの協定が結ばれる。この企業の意思決定への参加は、ワイマール共和国では実現できなかったが、第二次世界大戦後の1952年、監督役員会への3分の1の従業員代表制、1976年の共同決定法では労使同数とされ、従業員の代表が経営に入り込み、労働側の意思を反映させる仕組みが出来上がった。著者は「ここで面白いのは、『ソビエト』のドイツ語版であり、ドイツ共産党のシンボルであった『レーテ』」を「『ラート』として(見事に換骨奪胎されて)受け継がれたことです(『レーテ』は『ラート』の複数形)。その後の社会民主党や労働組合はまさにナフタリ流の『経済民主主義』路線を歩んでいき、共産党とは敵対関係になりますが、その中核に革命期の『レーテ』という言葉が残っている」と書いている。

本書に「レーテ」という懐かしい言葉が出てくるとは思わなかった。かつて、若き日の吉村励大阪市大名誉教授の『ドイツ革命運動史』(1953)や「ドイツ経営協議会の発生・展開」(「大阪市大経済学部『経済学年報』第8集」1958)などの血沸き肉躍る文章をよく読んだものである。教授は「ラート」(経営協議会あるいは工場委員会)と労働組合の役割の違いについて「労働組合は、あくまでも個別企業の枠をこえて、各企業にわたって共通の問題を統一的にとりあげる組織である。この共通の枠からはずれた企業特有の問題や最低労働条件にプラスする問題をとりあげるのは工場委員会である。…したがって労働組合は、本来企業外組織であり、企業内組織としての工場委員会とは、組織的に別個の組織である。…工場委員会は企業特有の問題や職場の特殊問題をとりあげながら、企業内に埋没して終局的に個別資本の労務管理の補助機構に堕してしまうことを防止する外枠、その横の連帯によるブレーキを、その企業内における活動の出発点、基準を、労働組合に見出す」と書いた(『労働組合と戦線統一』1972)。したがって、わが国の企業別組合は、厳密な意味における組合ではなく「半組合」であるとし、この「半組合」を労働組合に変えるために教授は生涯闘ったといえよう。

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【書評】『人新世の「資本論」』

【書評】『人新世の「資本論」』

           斎藤幸平著、2020年9月発行、集英社新書、1020円+税)

                               福井 杉本達也

ベルリンの壁崩壊が1989年、ソ連邦の崩壊が1991年末であるから、1987年生まれの著者はマルクス主義とはほぼ無縁の時代に育ったといってよい。それが、150年間見過ごされてきた新しいマルクスの史料を発掘し、果敢に新しいマルクス像に挑戦したのが本書と言える。

著者は既存のマルクス主義を「進歩史観」=「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」であるという。これは若き日のマルクス像であり、晩年のマルクス像とは異なるという。若きマルクスは「資本主義が早晩、経済恐慌をきっかけとした社会主義革命によって乗り越えられる…資本主義の発展は過剰生産恐慌によって革命を準備してくれる。だから社会主義を打ち立てるために、資本主義のもとで生産力をどんどん発展させる必要がある」と考えていた。しかし、人間の活動の痕跡が地表を覆い尽した「人新世」に突入したといわれる中で、生産力至上主義は「生産が環境にもたらす破壊的作用を完全に無視」し、「資本主義のもとで生産力の上昇こそが、環境危機を引き起こしているという厳然たる事実」を過小評価しているという。

もう一点の「ヨーロッパ中心主義」からの決別は、マルクスが亡くなる2年前の1881年に書いたロシアの革命家『ザスリーチ宛ての手紙』であるとし、「この手紙にはマルクスの思想的到達点が秘められている」という。ザスリーチの「ヨーロッパ中心主義的な進歩史観は、やはり正しいのでしょうか」という問いを突きつけられたマルクスは手紙の中で、「近代化を推し進めることで、わざわざロシアに残っている共同体を破壊してしまう必要はない。むしろ、ロシアにおいては、これらの共同体が、拡張を続けて世界を飲み込もうとする資本主義に対する抵抗の重要な拠点となる」と書いている。晩年のマルクスは共同体研究に熱中し、ゲルマン民族社会のマルク協同体の分析では、共有地(コモン)が「誰のものでもなかったがゆえに、所有者による好き勝手な濫用から守られ…土地の持続可能性を担保」、「強い共同体的規制によって、土壌養分の循環は維持され、持続可能な農業が実現」したとする。著者は、この「持続可能性」と「社会的平等」は密接に関係しており、「共同体社会の定常性こそが、植民地主義的支配に対しての抵抗力となり…資本の力を打ち破って、コミュニズムを打ち立てることさえも可能にする」とし、「生産力至上主義」とも「エコ社会主義」とも違った「脱成長コミュニズム」が晩期マルクスの将来社会像であるとする。

著者は、資本の無限の価値増殖としての「無限の成長を断念し、万人の繁栄と持続可能性に重き置く」というが、果たしてそのような対抗軸は可能なのであろうか。「脱成長コミュニズム」の柱として、①「価値」ではなく、「使用価値」に重き置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する。②労働時間を削減して、生活の質を向上させる。③画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる。④生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる。⑤使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワークの重視 によって経済成長をスローダウンさせることであるとし、国家が押しつける新自由主義的な政策に反旗を翻すバルセロナが呼びかける「フェアレス・シティ」や食料主権を取り戻す「南ア食料主権運動」、飛行場の新設禁止、自動車の広告禁止などを提案する市民議会(特にフランス)など、実際にこの共同体づくりに動き始めた実例を紹介している。

ところで、本書で気になる点は「気候正義」という言葉に代表される気候変動問題への前のめりである。はたして地球は温暖化しているのか、温暖化しているとしても化石燃料の消費のみが主要原因なのか、原因だとしても2030年までに半減することは可能なのか。そもそも、気候変動問題には「グローバル・サウス」を無視した「ヨーロッパ中心主義」の匂いはしないのか。人為的に「半減する」という目標に自然循環に人間が強制的に介入していく「生産力至上主義」の匂いはないのか。16世紀に神をその地位から引きずり下ろし、乗っ取ったヨーロッパ「科学」に対する根本的批判が必要と思うがどうだろうか。

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【書評】『コロナ禍で暴かれた日本医療の盲点』

【書評】『コロナ禍で暴かれた日本医療の盲点』

        島田眞路・荒神裕之著、2020年10月発行、平凡社新書、920円+税)

                               福井 杉本達也

本書は、主に新コロナウイルスへの対応を扱った第1章「山梨大病院での新型コロナウイルス対応と日本と世界におけるPCR検査」と地方大学(大学病院)の困難を扱った第2章「地方国立大学病院と地方医療の苦境」・第3章「山梨大学の模索」に大きく分かれる。第2章・第3章はやや大学(病院)関係者向きであるため、第1章を中心に紹介する。

著者の島田眞路山梨大学学長・荒神裕之山梨大病院医療の質・安全管理部特任教授は、4月時点でも「日本の検査レベルは途上国並みだ」、「PCR 検査体制強化に今こそ大学が蜂起を!」と医療現場から多少過激とも思える表現で政府の無策ぶりに果敢に挑戦しており、第1章は『医療維新』というm3.comのコーナーに掲載された文章を中心にまとめられたものである。

まず「はじめに」において、「積年の脆弱なPCR検査体制を横目に、検査のデメリットばかりを強調して医療後進国並みのPCR検査数で世界の潮流を大きく外れ、クラスター対策に執着して戦略転換のタイミングを見誤った。さらにリスクコミユニケーションの配慮も乏しいまま、過大な推計値で社会を大混乱に陥らせ、蓋を開ければ欧米より被害が小さいからミラクルだと自画自賛する。こんな状態で本当によいのか」という危機感があり、「後進国並みのPCR検査体制は日本の恥」というやや過激な発言を行ったと述べている。

なぜPCR検査が少なかったかについて「件数が途上国レベルに低迷していた最大の理由は、3月下旬まで、地方衛生研究所と保健所がPCR検査をほぼ独占していたことにあった。」とし、「世界各国でほPCR検査体制を増強しており、そういう世界の流れをしり目に、日本でほPCR検査を地方衛生研究所・保健所にはぼ独占させ続ける現状を事実上容認し、その結果、PCR検査の上限を世界水準からかけ離れた低値にとどめ続けることにつながり、果ては医療のレベルが低い国と似た数のPCR実施件数という大失態を招いた」。しかし、著者は、それを地方衛生研究所・保健所をあげつらうつもりで言っているのではない。「PCR検査体制の強化は、従来の地方衛生研究所・保健所のスキームだけでは達成不能であることは明らか」であるとし、「未曽有の国難、それも臨床現場と密接に関わるPCR検査の問題を行政機関のみに依存してきたこれまでの体制がそもそも無理筋」であり、「PCR検査数の大幅な増加に向けたパラダイム・シフトを早急に図る必要があった」とする。

「その担い手として期待されるのが、民間検査会社と大学病院である」。しかし、「3月下旬以降、民間検査会社はPCR検査数を伸ばしてきたが、それに対して大学病院の検査数の伸びほ非常に鈍かった。」が、「大学病院の強みはアカデミズムだ。数多くの研究者を擁する大学は、専門的知識と技術が結集しており、研究施設などにおける機器の種類や数も比較的豊富である。PCR検査機器もその一例であり、大学病院ほもちろんのこと、大学にある研究施設も含めれば相当の数の機器が確保できる。これらのPCR検査の量的充足に加えて、検査精度などの質の高さも欠かすことができない。これこそ大学ならではの強みであるアカデミズムにより実現可能となる。したがって大学病院には、これらの強みを最大限に活かした日本におけるPCR検査体制の構築への貢献が求められる。」と大学病院が積極的に関与すべきであると説く。 続きを読む

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【投稿】福島第一原発の放射能汚染水を海洋放出させてはならない

【投稿】福島第一原発の放射能汚染水を海洋放出させてはならない

                              福井 杉本達也

1 議論を無視して突然に発表された汚染水の海洋放出

政府は、福島第一原発でたまり続けている放射能汚染水についてトリチウムなどの放射性物質の濃度を40分の1程度に薄めてから海洋放出する方針を固めた。梶山経産相は、10月16日の会見で、「日々増加する処理水の取り扱いについて、早期に方針を決定していく必要があると考えております」とし、敷地内の保管場所が逼迫する中で、いつまでも方針を決めずに先送りすることはできないと述べた。19日には、「薄めて海洋に放出する方針を27日に決定する方向で最終調整に入った。廃炉・汚染水対策関係閣僚等会議(議長・加藤勝信官房長官)を開催し、決める。」(時事:2020.10.19)と発表した。もちろん福島県内だけでなく全国の漁業関係者は大反対であり、女川原発の再稼働を容認する原発推進派の村井宮城県知事でさえ記者会見で「原発事故から9年半が過ぎた現在も、県内の農林水産業には風評被害が影を落とす。知事は『風評被害が一部の国で残る中で(処理水の)議論をしなければならないのは非常に残念だ』と指摘。『海洋放出の影響は間違いなく日本全体に及ぶ』」(河北新報:2020.10.20)と反対の姿勢を示した。

汚染水を巡っては、2013年以降「タックスフォー」、2016年からは「小委員会」、2018年から「公聴会」と処分方法を巡った議論がなされてきた。2020年4月6日の公聴会では、福島県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長の小井戸英典氏は「処理水にはトリチウムなどの放射性物質が含まれていることは事実であることから、この処理をする期間にもたらされる損失は、風評被害ではなく、故意の加害行為による損害であると我々は認識するところです」、「原発事故による被害が収束していない福島県内の状況下で、さらに放射能をまき散らす行為につていはとうてい許容できるものではない、というのが当業界の大勢を占める意見です」と述べている。こうした膠着した議論を打破しようとしたのが、安倍前内閣の改造で退任する直前の原田義昭環境相の発言である。原田環境相はトリチウムを含んだ処理水について「所管を外れるが、思い切って放出して希釈するしか方法がないと思っている」と述べ、地元や漁業者の意見を無視しようとする観測気球をあげた(日経:2019.9.11)。今回の突然の“決定”はこうした安倍前政権の“宿題”の正面突破を図る行為である。信濃毎日新聞の10月17日の社説も「原発処理水放出 突き進めば禍根を残す」と警鐘を鳴らす。

2 敷地に余裕がないというのは真っ赤な嘘

福島第一原発では壊れた建物に地下水や雨水が流れ込み、高濃度の放射性物質に汚染された水が1日180トン(2019年現在)も発生している。これを多核種除去設備(ALPS)などで一部の核種を取り除いて敷地内のタンク1000基に約123万トン保管しているが、汚染水が毎日増え続ければ2022年10月には満杯になるとしている。汚染水を敷地内にため続ければ今後の廃炉処理工程に影響が出かねないというのが政府の言い分である。汚染水には現在の技術では取り除くことが困難な放射性物質であるトリチウム(三重水素)が含まれている。放射線が減衰するまでタンクに保管すべきではないか。

元々、福島第一原発敷地内では7,8号機の増設が予定され、双葉町側に広い用地を取得していた。その双葉町側、北側には「土捨場」「新土捨場」という広いエリアがある。また、原発敷地外にはさらに、福島第一原発の周囲16㎢という広大な敷地が、放射性廃棄物の中間貯蔵施設として用意され、福島県内の放射能汚染土のフレコンバッグの中身が運び込まれている。タンク建設の敷地がないというのは真っ赤な嘘である。タンクの建設費よりも海洋放出が安価だから放出したいのである。

3 「トリチウム水」と言いながら、トリチウム以外の核種が多数含まれる

政府・東電はストロンチウムやセシウムを始め「汚染水からトリチウム以外の放射性物質を取り除いた」と説明していたが、いわゆる「トリチウム水」には、その他の放射性物質が取り切れずに残っている。2017年度のデータでは放射性の62核種のうちヨウ素129(I-129)、ルテニウム106(Ru-106)、テクネチウム99(Tc-99)が法律で定められた放出のための濃度限度を65回も超えていた。東電によると、原発構内で保管する処理水約123万トンのうち、約8割が放射性物質の基準値を上回っているとしている(日経2018.9.29)。 続きを読む

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【投稿】混乱・内戦危機まで煽る米政権--経済危機論(32)

<<「危険なほど無能」なトランプ政権>>
10/8、創刊から200年以上の歴史を持つアメリカの権威ある医学誌「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」が異例の論説、「リーダーシップ不在の中の死亡」と題する論説を発表し、トランプ大統領に率いられる米政権の新型コロナウイルスへの対応は、「危険なほど無能」であると断定。これまで一度も政治的態度表明を行ってこなかった同誌が初めて、トランプ大統領の再選に加担するべきではない、と態度を明確にしただけに注目を集めている。論説には34人の同誌編集者が署名している。

同論説は、新型コロナウイルスをめぐるトランプ政権の対応について「ほとんど全てのステップで失敗した」「この失敗の大きさは驚くべきものである」と指摘。「世界をリードする疾病対応組織」がありながら、「政府の非常に重要な意思決定から除外され」、「十分な警告があったにもかかわらず、病気が最初に発生したとき、効果的に検査することができず、医療従事者や一般の人々に最も基本的な個人用保護具すら提供できなかったのである」、「指導者たちは専門家を無視し、軽蔑することを選択し」、「専門知識に頼る代わりに、政権は、真実を覆い隠し、完全な嘘」をばらまき、「危機を乗り越える代わりにそれを悲劇に変え」てしまった、と述べている。対照的に、「中国は、最初の遅れの後、厳格な検疫と隔離を選択し、感染を排除し、死亡率を100万人あたり3人に減らし」、これに対して「米国では500人以上」、「この国の死亡率はカナダの2倍以上であり、脆弱で高齢者の人口が多い日本を約50倍上回っており、ベトナムのほぼ2000倍に」達している、と指摘する。そして、「真実はリベラルでも保守でもありません。私たちの時代の最大の公衆衛生危機への対応に関しては、現在の政治指導者たちは、彼らが危険なほど無能であることを示しています。」「このまま彼らに仕事を続けさせれば、さらに何千人ものアメリカ人が死亡する危険があり、そんなことに加担するべきではありません」と結論付けている。 続きを読む

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【投稿】大阪都構想問題が問う民主主義

【投稿】大阪都構想問題が問う民主主義

<「フェイク」と「すり替え」>
 「大阪都構想」=「大阪市解体、特別区への移行」の住民投票は、賛否の十分な討議の機会も閉ざしたまま、コロナが未解決の中、実施されようとしている。大阪市解体は、一部の新自由主義者などを除けば、専門家、自治体関係者のほとんどが反対、危惧しているものだ。しかし、大阪維新の会は、フェイクで塗り固めた大量宣伝をする一方、“外部は黙っておれ”との松井市長の発言に典型的にみられるように、反対論をあらゆる手法を使って封じ込めてきた。
 維新の論理は、『「広域行政を府に一元化し、二重行政を解消」すれば、「大阪経済は成長」し、「住民サービスは向上」する。そのためには「特別区にすることが必要」だ』。『大阪市を特別区に分割すれば、永久に二重行政が出来なくなり、かつ、住民に近い行政が実現する』。これだけに尽きる。
 この大阪維新の会の宣伝はフェイクそのものだ。何故経済成長が可能なのかなどの理由についても、集中投資だからという以外の説明はないし、住民サービスについても、ただただ「低下しない」と言うだけである。
 この推進論の論理的破綻は、反対論の中で明確に主張されているので、ここでは幾つかの論点を指摘するだけにしておく。
・広域行政一元化(=大規模投資)は、政令市存在下でも実現できる
・特別区制度となれば二重行政が解消しない。解消するとは財政貧困を意味するだけ
・広域行政の一元化は経済成長に直結しない。都市制度と経済成長の直接因果関係はない
・経済成長があったとしても、住民サービス向上につながらない
・特別区制は身近な行政の拡充にならない
・民間移管と大阪の自立は言語としても疑問。何を移管するのか。自立する大阪、とは
など。
 マスコミはメリット、デメリットの対比が盛んだ。だが、ここには、注意すべきすり替えがある。
 政令指定都市も特別区もが同じ基礎自治体である以上、日常の個々の市民サービスについて行うべきことは本質的に同じである。財政状況などで将来的には格差が生じる事務事業も、発足時の協定書では、現在と同一水準が可能なように見せることは容易い。推進派は、将来の不安を、「大丈夫だ」の一言で逃げている。将来の財政状況など誰にも分からないから、水掛け論にしてしまえるのだ。
 つまり、マスコミは、メリット、デメリット論“だけ”を取り上げることによって、都構想の本質的な問題である「都市制度の在り方」については注意深くネグレクトしている。これにより、「日常の住民生活には変わりがないから、行政投資の効率化にメリットがあるという特別区移行が良い」と、市民意識を誘導しているのだ。
 
<「住民生活でなく、資本投資の論理」のための制度移行>
 何故ここまでして、都構想を実現したいのだろうか。“大阪維新の会の一丁目一番地”や“松井維新代表の個人的メンツ”もあるだろうが、これが本質ではあるまい。大阪市解体で利益を得るのか。一般市民、住民ではないことは明確だ。
 「広域行政一元化で利益を得る(大規模投資で利益を得る)」もの、言い換えれば、「将来、IRに反対するような大阪市長が出てきては困る」もの、すなわち大規模投資利権と、“上級”行政庁として権力を増したい大阪府などの合体勢力であろう。
 基礎自治体が強いと、住民の直接コントロールがより強く働き、利権として動くのに面倒になる。従来、関経連が主張してきた道州制の導入論のケチケチ版ともみえる。(ただし、道州制は、「地方自治体の権限を吸い上げる制度設計」と、「国の権力を分散させる制度設計」で全く反対の意義を持つものとなることに注意)
 この視点からの検討は、マスコミで全く消されている。 続きを読む

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【投稿】トランプ脱税と租税回避--経済危機論 (31)

<<億万長者が所得税ほとんど払わず>>
9/28、ニューヨーク・タイムズ紙は、億万長者と自称するトランプ氏が、米大統領となった2017年に支払った所得税はわずか750ドル(約7万9000円)しか支払っていない、2016年もそうであった、当選前の15年間のうち10年は所得税をほとんど支払っていなかったと、衝撃的な事実を暴露した。これは、法的に許可された情報源から入手したもので、20年間のトランプ氏の納税申告書の10,000語の要約を公開したものであるという。
 その脱税・節税の手口は、例えばトランプタワーの自らの居室・家族の居室すべてがオフィス扱いで経費に計上、フロリダやニュージャージーの居宅もビジネス用施設
に計上、プライベートジェット飛行機や別荘の利用、あのヘアカット代がテレビ出演のためとして総額7万ドル(740万円)とか、娘のイヴァンカ氏は、ファミリー企業の役員であるにもかかわらず、その企業から74万7000ドル(約7800万円)がコンサルティング料として支払われ、それも個人所得ではなく自らの財産管理会社の収入にして費用と相殺する、自らの所得から支払われるべき個人的な費用まですべて経費にぶち込む、等々、詐欺的手法、手口のあくどさは、ずるがしこい富裕層ならだれでもやっていることといえばそれまでであるが、トランプ氏の場合はその上に、ゴルフコースで3億ドル以上、ホテル事業で5500万ドル以上など次から次へと巨大な事業損失を計上して、課税所得を徹底的に相殺してきたのである。しかも、トランプ氏はこうした実態が表面化するのを回避するために、歴代大統領らの慣行に反し、納税申告書の開示を拒否している。
ニューヨークタイムズ紙はまた、トランプ氏が大統領に就任して以降も、フィリピンからの300万ドル、インドからの200万ドル以上、トルコからの100万ドルを含む数百万ドルの海外ライセンス取引を獲得し、その過程で彼と彼の企業はフィリピンに157,000ドル近く、インドに145,000ドルの税金を支払っている、という。同紙は、今後もさらに多くの事実を発表することを明らかにしている。
トランプ氏はこうした報道に対して直ちに、「完全なフェイク(偽の)ニュースだ」「でっち上げ。フェイク、“多額の”税金を納めた」「数百万ドル(数億円)を支払った」と声を荒げているが、その証拠も示せず、肝心の納税申告書の開示については、税務当局と係争中のためとしてあくまでも拒否している。
「完全なでっち上げ」なら、これまで度々してきたように、直ちにニューヨークタイムズに対して、名誉毀損訴訟や、予告されている今後のさらなるレポートに対して裁判所の差し止め命令を訴え出ないのか、できないのであろう。 続きを読む

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【投稿】新自由主義が旗印の菅新政権の経済政策

【投稿】新自由主義が旗印の菅新政権の経済政策

                               福井 杉本達也

1 「自助・共助・公助」の新自由主義が旗印

9月16日菅新政権が誕生したが、読売新聞の世論調査では74%の支持率という。何も具体的な政策を出していないのだから、10日程度で新聞のヨイショ記事のようには政権の評価が定まるわけもないが、菅氏の自民党総裁選での言動や会見、これまでの人的関係から今後の政策を推測してみる。

菅氏について、『週刊新潮』10月1日号は「貧しいのは『家』ではなく『言葉』」という見出しだ。作家の高村薫は「安倍政権を『継承する』の一言しか出なかったことにあぜんとした。」、「国の方針についてこんなに何も語らない新首相ははじめてだ」、「『言葉を持たない人』という印象は強まった」と書いた(福井:2020.9.17)。10日のテレビ東京の番組で「消費税は引き上げざるを得ない」と発言したが、わずか1日後の11日の会見では安倍「首相はかつて今後10年ぐらい上げる必要はないと発言した。私も同じ考えだ」と増税発言を撤回した(日経:2020.9.12)。ようするに確固とした考え方を持っていないということであろう。「憲法改正」などを声高に叫ぶ「指揮官」も問題であるが、自らの考えを持っていない「指揮官」というのはもっと問題である。自らの考えを持たないということは相手の言うがままということである。戦後75年たった今でも日本を属国として扱っている米軍産複合体にとっては最も御し易い相手であり、国民にとては最も不幸な売国者となる。

その中で、唯一自分の言葉で語ったのが「自助・共助・公助」である。もちろん強調したかったのは「公助」ではなく「自助」である。元々は、阪神・淡路大震災において、本来被災者を支援すべき行政自身も大きな被害を受け、被災者を支援することができなかったため、自助・共助による活動に注目が集まったもので、大規模広域災害時の「公助の限界」が明らかになり、生存の可能性のある72時間を自助・共助による「ソフトパワー」でしのぐことが重要とされたのである。それを行政自らが強調することは、戦後、行政があまりにも国民を優遇し過ぎたため、政府に頼り、フリーライダーとなって自助努力しなくなったという論理である。平等・公平を重んじる社会から自己責任・自助努力の競争社会への転換、社会社会保障の切り捨て、公共政策の削減、新自由主義政策そのものの旗印である。

2 突然の竹中平蔵流「ベーシックインカム論」

菅氏は就任直後の18日、早速、竹中平蔵パソナグループ会長と会食した。菅氏は竹中総務大臣のときに副大臣であり、補佐官は現在経済評論家の高橋洋一氏であった。竹中氏は、郵政民営化などを進めた小泉純一郎内閣において、経済財政政策担当大臣・金融大臣・総務大臣などとして、聖域なき構造改革という名の規制緩和を押し進め、非正規雇用を増やし、今日の格差社会を招いた張本人である。

竹中氏は9月23日のBS-TBS『報道1930』に出演し、持論を披露、「月7万円のベーシックインカムを国民全員に支給する代わりに、生活保護と年金の制度を廃止する」、「マイナンバーと銀行口座をひも付け所得を把握」するとした。「国民の皆さん、7万円あげます。後は全部、『自助』・自前でやってください」という話である。竹中氏は既に「少しずつ制度を変えようとすると、絶対に実現できない。既得権益を守ろうとする人たちが必ず出てくるからだ。社会主義国が資本主義にショック療法で移行した時のように、一気にやる必要がある。今がそのチャンスだ。」(竹中:『エコノミスト』2020.7.17)と持論をさらに展開している。「コロナ・ショック・ドクトリン」である。 続きを読む

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